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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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4.今川義忠2






 早雲庵の朝は早かった。

 主(アルジ)の早雲が早寝早起きなので、富嶽(フガク)、春雨、孫雲、才雲、荒川坊、寅之助らも皆、早起きだった。中には、多米(タメ)や荒木のようにゆっくり寝ている連中もいたが、その二人はどこに行ったのか、未だに戻っては来なかった。

 早雲はここにいる時は必ず、毎朝、海まで走り、一泳ぎするのを日課としていた。夏は勿論の事、冬の寒い朝でも続けていた。正月の末、帰って来た次の朝から、さっそく始めていた。半年振りの事で、さすがにためらいはあったが、小太郎も一緒だったので、無理に強がって海の中に入って行った。当然、負けるものかと小太郎もついて来た。京に行く前は、冬であろうと毎日続けていたので慣れてしまえば何でもなかった。

 今日も、富嶽と寅之助を連れて、海に来ていた早雲だった。孫雲と才雲の二人の弟子にも、一度、やれと命じたが、急にやらせたために風邪を引いて、しばらく寝込んでしまった。だらしないとは思うが、暖かくなってからやらせようと思い、連れて来るのはやめにした。その代わり、二人には毎朝、剣術の稽古をやらせている。寅之助の場合は強制的ではなく、来たければ来いと言っていた。寒いから嫌だと言って、いつもは孫雲たちと木剣を振っていたが、今日は珍しく付いて来た。

 富嶽は四日前に旅から帰って来ていた。甲斐(カイ)の国(山梨県)を回りながら、富士山を描いていたと言う。早雲も絵を見せてもらったが、甲斐の国側から見る富士山もなかなかのものだった。そして、久し振りに見る富嶽の絵が、以前と少し変わっていたのを早雲も気がついていた。以前、富嶽の描く絵には人物がいなかった。それが今回の絵には、小さいが人物の姿が描かれてあった。自然の中で働いている人々の姿が、自然の中に調和していた。それは自然というものが厳しさだけでなく、人々に恵みを与えてくれる大きな力を持っているという事を表現していて、見るものに安らぎと暖かさを感じさせる絵になっていた。京に行って家族と再会した事が、富嶽の絵を変えさせたのだろうと早雲は思い、一緒に連れて行ってよかったと思った。

 一泳ぎした後、乾いた布で体をこすっている時、海辺を一頭の馬がこちらに向かって駈けて来た。

「何じゃ、あれは」と富嶽が近づいて来る馬を見ながら言った。

「乗馬の稽古でもしておるんじゃろ」と早雲も馬の方を見ながら言った。

「稽古にしては、えらく急いでおるようじゃが‥‥‥」

「様子が変じゃのう」

「何か叫んでおるようじゃ‥‥‥」

 馬が近づくにつれて、「早雲殿」と叫んでいるように聞こえて来た。

「あれは、五条殿のようじゃぞ」と富嶽は言った。

「らしいな。一体、どうしたんじゃろ。戦に行っておるはずじゃが‥‥‥」

「何か、あったのかのう」

 五条安次郎は二人の側まで来ると馬を止め、馬から飛び降りた。

「よかった。お帰りになっておりましたか‥‥‥」とやっとの事で言うと、安次郎はハァハァと荒い息をしながら早雲を見た。

 富嶽は馬を押えると、安次郎の顔を見て、そして、早雲を見た。

「悪い知らせじゃな」と早雲は聞いた。

 安次郎は頷(ウナヅ)いた。

「お屋形様に何か、あったのか」

 安次郎は顔を歪めながら、早雲を見つめ、うなだれるように頷いた。

 ようやく息を整えると、安次郎は小声で、「お屋形様がお亡くなりになりました」と言った。

 今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 寅之助が一人で騒ぎながら波と遊んでいた。

 漁師の小船が沖の方に浮かび、海鳥が飛び回っていた。

 突然、鳶(トビ)が舞い降りて来て、悠然(ユウゼン)と砂浜の上に立ち、海の方を見つめた。
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5.評定






 薄暗くなったお屋形様の屋敷の大広間では、重臣たちが顔を突き合わせて、今後の事を相談していた。

 上座に座っているのは宿老(シュクロウ)の小鹿逍遙(オジカショウヨウ)と朝比奈天遊斎(テンユウサイ)。集まっている重臣たちは今回の遠江(トオトウミ)進撃には参加しなかった者たちで、駿河の国の東部を本拠地としている者が多かった。

 江尻城(清水市)の福島越前守(クシマエチゼンノカミ)、庵原山(イハラヤマ)城(清水市)の庵原安房守(イハラアワノカミ)、横山城(清水市)の興津美作守(オキツミマサカノカミ)、川入(カワイリ)城(由比町)の由比出羽守(ユイデワノカミ)、蒲原(カンバラ)城(蒲原町)の蒲原越後守、吉原城(富士市)の矢部将監(ショウゲン)、小瀬戸城(静岡市)の朝比奈和泉守、鞠子(マリコ)城(静岡市)の斎藤加賀守、朝日山城(藤枝市)の岡部美濃守(ミノノカミ)、小河(コガワ)城(焼津市)の長谷川次郎左衛門尉、花倉城(藤枝市)の福島土佐守(クシマトサノカミ)らが、厳しい顔をして居並んでいた。

 彼らがまず決めた事は、お屋形様の死を公表するか否かだった。これは全員一致して、公表はもう少し控えた方がいいという事に決まり、お屋形様は生きている事にして駿府まで凱旋(ガイセン)させる事にした。そして、もう一つ決めた事は、お屋形様の遺体の事だった。お屋形様の遺体を駿府まで運んだとしても、死を隠しておくのなら大々的な葬儀はできないし、また、隠れて荼毘(ダビ)に付す事も難しかった。奥方の北川殿には気の毒だが、向こうで荼毘に付して遺骨だけを駿府に運んでもらう事に決まった。すでに、それらの事は遠江の新野(ニイノ)城に伝令を送り、今川家の菩提寺(ボダイジ)から数人の僧侶が現場に向かっていた。

 次の問題は今川家の家督だった。

 小鹿逍遙と朝比奈天遊斎は、竜王丸に家督を継いでもらうという前提の元、話を進めたが、それぞれの意見は一致しなかった。その第一の理由は、竜王丸がまだ六歳で、この先、今川家のお屋形様になるのにふさわしいかどうか、まだ分からないという事だった。また、もし、その器があったとしても、竜王丸が成人するまでの十年近くの間に、敵が駿河に攻め込んで来ないとも限らない。今は世の中が乱れ、一番危険な時期と言える。今川家を今以上に発展させるには、竜王丸では幼すぎると言って反対を唱える者も多かった。竜王丸が成人するまでは、お屋形様の弟二人に補佐してもらえばいいとも言ったが、何も竜王丸にこだわる事はない。重要なのは今の今川家だ。お屋形様にふさわしい者をお屋形様にするべきだと言う。

 福島越前守がお屋形様のすぐ下の弟、河合備前守を押すと、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守が同意して、福島土佐守が備前守の下の弟、中原摂津守を押すと、岡部美濃守、由比出羽守が同意した。竜王丸を押したのは朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉、矢部将監だった。

 福島越前守と福島土佐守は同じ一族なのに事ある毎に対立していた。土佐守の方が嫡流(チャクリュウ)だったが、江尻津を本拠地に持つ越前守の方が勢力を持ち、今川家中においても越前守の方がお屋形様の近くに仕えて、お屋形様の覚えもよかった。

 今川家において実際に実力を持っている重臣は、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏、葛山(カヅラヤマ)氏、それと遠江の天野(アマノ)氏の六氏だった。その他にも重臣たちは多かったが、その六氏によって、すべての事は決められると言ってもいい程だった。

 その中で、遠江の天野氏は今川家の事には余り干渉しなかった。天野氏も一応、今川家の被官となっているが、天野氏にしてみれば、今川家の力を利用して自分の勢力を広げようと思っている。利用できるうちは利用するが、今川家の勢力が弱まれば、それはまた、それでいい。隙あらば駿河にも侵入しようとたくらんでいた。同じような考えでいる者に、東駿河に勢力を持つ葛山氏がいた。葛山氏も今川家の被官になっていても、今まで今川家の世話になった事はなく、自力で勢力を広げて来た豪族だった。今川家が力を持っているので、その勢力下に入っているが、今川家が弱くなれば駿河の東半分をもぎ取ろうとたくらんでいた。

 天野氏や葛山氏とは違い、独立した勢力を持たず、今川家があってこそ自分たちがあると思っているのが、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏だった。彼らは今川家が安泰でないと、自分たちも安泰とは言えないので、彼らなりに真剣に今川家の事を考えていた。
6.北川殿1






 山伏、風眼坊舜香に戻った風間小太郎は北川殿を囲む塀と濠との間の狭い所に立ち、濠の向こう岸を眺めていた。

 正面には広い道の向こうに高い土塁があり、その向こうには北川が流れている。そして、北川の向こうに小太郎夫婦が借りた家があるはずだった。今、その家には誰もいない。今の状況では、いつになったらあの家に戻れるのか分からなかった。

 右側に目をやると北川殿を警固している北川衆の家族の住む家々が並び、その向こうに、北川殿と同じように濠に囲まれた二層建ての豪勢な屋敷が見える。昔、将軍様が駿府に来た時に使用したという道賀亭(ドウガテイ)と呼ばれる客殿だった。今は、京から来た公家たちを持て成すのに使っているらしい。道賀亭の他にも、将軍様を接待した時に使用したという望嶽亭(ボウガクテイ)、清流亭と呼ばれる客殿もお屋形内には残っていた。

 小太郎は濠と塀の間の狭い所を歩きながら濠の中を覗いた。濠の幅はおよそ五間(ゴケン、約九メートル)、水面まではおよそ二尺。水の深さは聞いたところによると一丈(イチジョウ、約三メートル)だという。

 北川殿には濠はあるが土塁はなかった。土塁を囲むと景観を損(ソコ)なうというので、濠を掘った時の土を平らにならし、その分、北川殿は少し高い位置に建っていた。濠に囲まれてはいても防御態勢は完全ではなく、もしもの時はお屋形様の屋敷に避難するという事なのだろう。しかし、今はお屋形様の屋敷に避難するわけにはいかなかった。重臣たちが評定を重ねているお屋形様の屋敷の方が、ここよりもずっと危険と言えた。この不完全な防備しかない北川殿において、北川殿母子を敵から守らなければならなかった。

 小太郎は濠の水を眺めながら、これでは簡単に忍び込めるなと思った。濠に舟を浮かべれば簡単にこちら側に渡れる。わざわざ、舟を使わなくても丸太でも渡せば簡単に渡る事はできる。こちら側に渡ってしまえば、後は塀を越えるのはわけない事だった。これでは門を固めていても何にもならない。忍び込む気になれば、どこからでも入って来られる。まず、四隅に見張り櫓(ヤグラ)を建てて濠の回りを見張らせなくてはならなかった。そして、濠と塀との間に鉄菱(テツビシ)を撒いた方がいいだろう。しかし、今、小太郎は鉄菱を持ってはいなかった。すぐにでも鍛冶師(カジシ)に頼んで作ってもらうしかなかった。塀にも何か仕掛けを作りたかったが、五尺足らずのただの木の塀ではどうしようもない。塀の向こう側にも鉄菱をばらまく以外にいい考えは浮かばなかった。小太郎は塀を簡単に飛び越えると庭園を横切って、そのまま表門の方に向かった。

 今、北川殿には早雲を初めとして、早雲庵の住人すべてが詰めていた。お雪と春雨は北川殿の身辺を守り、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲らは庭園の片隅にある馬のいない廐で寝起きしながら夜警を担当していた。早雲、小太郎、富嶽の三人は屋敷内の広間の隣にある座敷で寝起きしながら北川殿と竜王丸を守っている。

 小太郎は屋敷内にいた早雲に一声掛けると、庭で遊ぶ美鈴、竜王丸、寅之助、側で控えている仲居の嵯峨を横目で見ながら急ぎ足で門から外に出た。さらに、お屋形の北門をくぐって浅間神社の門前町に向かった。小太郎も小鹿逍遙から、お屋形に自由に出入りできる過書(カショ)を貰っていた。小太郎が向かう所は門前町の一画にある職人町だった。何としてでも鍛冶師に頼み、鉄菱を作って貰わなければならなかった。
7.北川殿2






 夜は何事も起こらなかった。

 朝日が昇ると共に警固の侍は入れ代わった。

 北川殿を警固する侍は北川衆と呼ばれ、お屋形様の屋敷を警固する宿直(トノイ)衆と共に、名誉ある職種であり、その任務に就く者は重臣たちの親族に限られていて、皆、一流の兵法者(ヒョウホウモノ)でもあった。そして、その装束(ショウゾク)も目立っていた。武家の正装である狩衣(カリギヌ)を常に着用して、長い太刀を佩(ハ)いている。お屋形様の屋敷の宿直衆も狩衣姿だったが、宿直衆は萌葱(モエギ)色(やや黄色みを帯びた緑色)で、北川衆は浅葱(アサギ)色(わずかに緑色を帯びた薄い青色)だった。一目見ただけで北川衆か宿直衆かは見分けが付いたし、他の武士との見分けも簡単だった。なお、奉公衆または御番衆と呼ばれる、お屋形全体の警固をする者たちは、実戦的な小具足姿で弓矢を背負い、お屋形内を闊歩(カッポ)していた。彼らは必要とあらば、その姿のまま重臣たちの屋敷内に入る事も許されていた。

 今日の昼番を担当する北川衆は表門は吉田、小島、大谷の三人、裏門は清水と山崎の二人だった。吉田は夜、裏門を守り、引き続いて表門の勤務に移っていた。交替で勤務を行なうため、毎日、誰かが一人、寝ずに一日中勤務する事になっている。その代わり、休みの時は昼の勤務が終わってから、一日休み、次の日は夜勤になっているので充分に休む事ができた。

 昨日、あんな事件が起きたため、昼も気を緩めずに見張らなければならなかった。裏門を守る者は一人が側にある蔵の屋根の上に上がって、北側と西側の濠を見張る事となり、表門を守る者の一人は、牛車(ギッシャ)のしまってある小屋の屋根から東側と南側の濠を見張る事となった。南側はお屋形様の屋敷の土塁に面しているので危険はないと思ったが、一応、見張らせた。

 早雲はずっと下手人(ゲシュニン)の事を考え続けていた。先は長いので少し休んだ方がいいと思って横になってみても、頭から毒殺の事が離れず、結局、一睡もできないで朝を迎えていた。

 早雲が顔を洗いに井戸に行くと小太郎が近づいて来た。

「何事もなかったわ」と小太郎は言った。

「御苦労じゃったのう」と眠そうな目をこすりながら早雲は言った。

「眠れなかったのか」と小太郎が聞くと、

「ああ」と言いながら早雲はあくびをした。

「何か分かったか」と小太郎は聞いた。

「少しはな」と早雲は答えた。

 二人は座敷に戻ると、さっそく検討を始めた。富嶽も顔を洗うと参加した。

 まず、いつ、味噌の中に毒が入れられたかが問題だった。朝食の時には入っていなかった。北川殿の朝食は四つ(午前十時)だった。それぞれの部署に食事を配り、北川殿に食事を運ぶと、仲居たちは自分たちの部屋で食事を取る。彼女たちの部屋は台所の隣にあるが、板戸を閉めると台所は見えない。食事をする時は、外から見えないように閉める事となっていた。食事の時間は半時(一時間)で、その後、後片付けが始まる。後片付けが終わると一休みして、夕食の仕込みが始まり、昨日の場合は七つ(午後四時)過ぎ頃、一段落したので休憩をしていた。桜井が亡くなったのはその時だった。

 毒が入れられたと思われる時間は、仲居たちが朝食を取っていた半時の間か、後片付けの後の休憩の時か、桜井が殺される、ほんの少し前か、だった。その他の時間には台所には仲居たちがいたので、台所の片隅にある味噌甕(ミソガメ)の中に毒を入れる事は不可能と言えた。

「それで、下手人は誰なんじゃ」と小太郎は聞いた。

「そう、焦るな」
8.北川殿3






 雨は朝になってもやまなかった。幸い、何事も起こらずに夜が明けた。

 前日、ほとんど眠れなくて疲れていたのと下手人が分かった事もあって、早雲はぐっすりと眠り、雨降りだったが、さっぱりとした朝を迎えていた。

 早雲が井戸で顔を洗っていると、春雨が台所から出て来て近づいて来た。

「気持ちのいい朝じゃな」と早雲は笑った。

「どこが」と聞いて春雨は首を振り、「うっとおしいわ」と言った。

「うっとおしいか‥‥‥」と早雲は空を見上げた。

 春雨も、どんよりとした空を見上げた。

 早雲は春雨に目を移すと、「北川殿は大丈夫か」と聞いた。

「ええ。大丈夫よ」と春雨は頷いて、早雲に手拭いを渡した。「女たちじゃないわ。あんな恐ろしい事をして平気でいられるはずないもの」

「じゃろうな。下手人は分かったんじゃよ」

「え、ほんと? 誰だったの」

「外部の者じゃ」と早雲は言った。

「だって、あの日、誰も入って来なかったんでしょ」

「それが、忍び込んだ形跡が見つかったんじゃ」

「ほんと、どうやって忍び込んだの」

「そこの裏に隠れておったらしいのう」と早雲は裏庭の隅にある蔵を示した。

「へえ、あの裏から台所を見てたってわけ」

 早雲は頷いた。

「まあ、恐ろしい‥‥‥でも、どうやって、あの裏に入ったの」

「それはのう‥‥‥濠に丸太の橋を架けて渡ったんじゃ」

「真っ昼間に?」

「そうじゃ。北川衆の格好をして濠のゴミをさらっておる振りをしてな」

「へえ、そうだったの。恐ろしいわね。それで、下手人は誰だったの」

「小太郎が言うには山伏じゃろうとの事じゃが、誰がその山伏を使ったのかまでは、まだ分からんのじゃ」

「ふーん。でも、身内じゃなかったのね」

「ああ。そういう事じゃな」

「よかった」と言って笑うと春雨は台所の方に戻って行った。
9.小河屋敷






 ひばりが鳴きながら飛んでいる。

 庭先に咲く菜の花には、紋白蝶が飛び回っている。もうすぐ、桜の花の咲く時期だった。

 早雲は二人の弟子を連れて、久し振りに早雲庵に戻って来ていた。

 誰もいないはずの早雲庵には、相変わらず、住み着いている者たちがいた。ところが、今回、住み着いている者たちは、いつもと趣(オモムキ)の変わった者たちだった。人相の悪い連中たちが早雲庵を占領していた。

 住み着いていたのは二年前に早雲庵を襲った山賊たちだった。在竹兵衛(アリタケヒョウエ)と名乗る頭の率いる十三人の山賊たちが早雲庵を占領していた。

 在竹兵衛は早雲の顔を見るとニヤッと笑って、「遊びに来たぜ」と言った。

 早雲は山賊たちを見回した。

 皆、ニヤニヤしながら早雲を見ていたが、何となく、その目付きは以前のように凄みはなく、穏やかに感じられた。

「よく来たな、と歓迎したいところじゃが、悪いが、今は遊んでおる暇はないんじゃ」

「まあ、そう言うな」と在竹もニヤニヤした。

 早雲が庵の中に入って行くと、皆、ぞろぞろと付いて来た。

 早雲が囲炉裏の側に腰を下ろすと、在竹は正面に座り、他の者たちは土間に座り込んだ。

「何の真似じゃ。何もそんな所に座らなくてもいい。好きに上がれ」と早雲は言ったが、山賊たちは土間に座ったまま早雲を見上げていた。

「おぬしが忙しい事は知っておる」と在竹は言った。「わしらも仲間に入れて貰おうと思って、こうしてやって来たわけじゃ」

「仲間に? 何の仲間じゃ」

「とぼけるな。おぬしが何やら動いている事は知っておる。それも、わしらがやってるような、けちな事じゃねえ。どでかい事をやっておるんじゃろう」

「どでかい事か‥‥‥そうかもしれんが、今のところ、山賊は間に合っておる」

「まあ、最後まで話を聞いてくれ。わしらも初めから山賊だったわけじゃねえ。成り行きに身を任せていたら、こうなっちまったというだけじゃ。わしらは皆、元は武士じゃ。戦で主家をなくして、食い詰め浪人となったんじゃ。似た者同士が集まって、山賊稼業を始めた。自慢するわけじゃねえが、わしらは今まで弱い者いじめをした事はねえ。狙う相手はいつも、あくどい奴ばかりじゃ。わしらも初めのうちは、それで満足していた。わしらのお陰でちったあ、今の世がましになるじゃろうと思ってな。しかし、せこい事をやっておる事に気づいたんじゃ。小悪党をやっつけた所で世の中が変わるわけがねえ。そんな事はただの自己満足に過ぎねえってな‥‥‥山の中に隠れて暮らすのにも飽きて来たんじゃ。つまらん事で死んだ仲間も何人かいた。くだらん死に様じゃた。どうせ死ぬのなら、もっと、どでかい事をやりたくなったんじゃ。そこで、こうして、ここに来たわけじゃ」

「どでかい事をするのに、どうして、ここに来るんじゃ」

「わしらも馬鹿じゃねえ。今、駿府(スンプ)のお屋形で何かが起きてるという事は気づいておる。何が起きてるのか知らねえが、ただ事ではねえ事は確かじゃ。今川家の重臣たちが皆、駿府に集まり、一向に帰る気配がねえ。戦の作戦でも練っておるのかとも思ったが、どうも、そうじゃねえらしい。となると答えは一つ、お屋形様の身に何かが起こったに違いねえ。お屋形様が寝込んだとなると、家督争いが起こるのは確実じゃ」

「おい、待て、どうして家督争いが起こるのが確実なんじゃ」

「そんな事は誰でも分かるわ。お屋形様の嫡子、竜王丸殿はまだ六つじゃと聞く。そして、お屋形様の下には二人の弟がおる。その二人の仲が悪い事は評判じゃ。仮にお屋形様の座は竜王丸殿に決まったとしても、その後見役を誰にするかというので争いは始まる。それに、今の地位に不満のある重臣どもが、お屋形様に気に入られていた重臣たちと対立するのも目に見えておるわ‥‥‥そこで、わしらはここに来てみた。おぬしがここで、のんびり昼寝でもしておれば、わしらの勘ぐりははずれた事になるが、もし、おぬしがいなかったら、家督争いが始まったに違いねえとみたんじゃ‥‥‥案の定、ここには誰もいなかった‥‥‥」

「成程な」と早雲は在竹を見ながら苦笑した。

「早雲殿、おぬしは不思議な男じゃのう」と在竹は言った。「二年前、初めておぬしと会った時、何となく、おぬしとは縁がありそうな気がしたんじゃ。それはわしだけではない。おぬしたちに打ちのめされた奴らも、おぬしを恨むどころか、事ある事におぬしの噂をしておったわ‥‥‥時折、駿河に戻って来て、わしらは遠くからここを見る。いつも、大勢の者たちに囲まれて楽しそうにやってるおぬしを見て、皆、心の中では自分もあの中に入りたいと思っていたんじゃ。しかし、口に出す者はいなかった。そして、今回、駿府のお屋形がおかしいと気づいた時、誰もがここに行こうと言い出した。おぬしが何かを始めていたなら、おぬしを助けようと全員の意見が一致したんじゃよ。わしらみんなが、おぬしならきっと何か、でかい事をやるに違いねえと思ったんじゃ‥‥‥早雲殿、頼む、わしらの頭になってくれ」

 在竹兵衛は姿勢を改めると頭を下げた。

 在竹の後ろに控えていた十三人の男たちも一斉に、「お願いいたします」と頭を下げた。

 早雲は山賊たちを見回した。
10.小鹿派






 次の日の夜明け前のまだ薄暗い頃、福島越前守(クシマエチゼンノカミ)の軍勢によって駿府屋形(スンプヤカタ)は完全に包囲された。勿論、本曲輪(クルワ)を警固する三番組、二の曲輪を警固する二番組と示し合わせた行動だった。城下を見回っていた町奉行に所属する武士たちは突然の異変に驚いたが、完全武装した軍勢に対して、どうする事もできず、ただ、城下の騒ぎを静めるのが精一杯だった。

 福島越前守は武装して五十人程の兵を引き連れ、北川殿を包囲し、中にいるはずの早雲の名を呼んだ。早雲とは面識もあり、自分の作戦を理解してくれるだろうと確信していた。ところが、北川殿は静まり返ったまま、門は一向に開かなかった。

 そんな時、北川衆の小田と清水がやって来た。二人は武装兵で囲まれた北川殿を見て驚き、越前守に訳を聞いた。越前守は早雲と話がしたいと言う。小田と清水は門の中に声を掛けた。返事はない。裏門の鍵が掛かっていなかったので、入ってみると屋敷の中には誰もいなかった。

 越前守は二人を問い詰めた。二人は知らないと答え、昨日の晩までは北川殿を初め、早雲も仲居衆も全員がいた。北川衆の家に行ってみたが、そこにも誰もいなかった。

 越前守の頭は混乱した。

 竜王丸がいなければ今回の作戦は成功しない。成功しないとなると、お屋形を包囲した事は無駄になるどころか、反発を買う事に成りかねない。今川家をまとめるために、こんな非常手段を取ったが、戦を起こさせるためではなかった。このまま、お屋形を包囲していれば騒ぎが大きくなって戦になりかねない。越前守は素早く決断すると、北川殿を包囲した兵をまとめて、素早く南門に向かい、お屋形を包囲している兵たちに速やかに撤退する事を命じた。

 越前守は今川家を一つにまとめるために、早雲と同じように小鹿(オジカ)派と竜王丸派を一つにしようと考えていた。武力を以てお屋形を包囲し、竜王丸と北川殿を評定の場に登場させ、強引に竜王丸の家督と新五郎の後見というふうに決めるつもりでいた。備前守派と摂津守派は反対するに違いないが、備前守には東駿河の守護代、摂津守には西駿河の守護代という形で納得してもらうつもりだった。ところが失敗した。まさか、北川殿がお屋形内から出て行くなどとは考えてもみなかった。早雲の事を甘く見過ぎていた。前以て、早雲と相談すれば良かったと悔やんだが、後の祭りだった。

 武力による非常手段を越前守に提案したのは葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)だった。しかし、播磨守の考えは越前守とは違っていた。播磨守は武力によってお屋形を占拠し、強引に小鹿新五郎に家督を継がせる事だった。越前守は小鹿派に移ったとはいえ、葛山播磨守を信用していたわけではない。しかし、今、本曲輪を警固している御番衆は葛山派の連中だった。武力を以てお屋形を包囲するには、どうしても播磨守の協力が必要だった。越前守は播磨守の作戦に同意した振りをしてお屋形を包囲した。そして、独断で竜王丸を評定の間に登場させようとたくらんだのだった。

 評定の始まる頃には何事もなかったかのような顔をして、お屋形様の屋敷に入って行く越前守の姿があった。しかし、今回、危険を感じて駿府屋形から逃げ出したのは、北川殿だけではなかった。評定の間に河合備前守の姿はなく、備前守を押す天野兵部少輔(アマノヒョウブショウユウ)の姿もなかった。二人の屋敷を捜してみたが、北川殿同様、もぬけの殻だった。

 備前守はお屋形様の座を辞退したという形で評定は始められたが、結局、話はまとまらず、返って悪い状況になってしまった。天野民部少輔(ミンブショウユウ)が竜王丸派から中原摂津守派に移り、なぜか、小鹿派だった天方山城守(アマカタヤマシロノカミ)までも摂津守派に寝返った。さらに、北川殿と竜王丸が駿府屋形から消えたという事が知れ渡ると、竜王丸派の福島土佐守(クシマトサノカミ)までもが摂津守派に移って行った。土佐守が抜けた代わりに、小鹿派だった新野左馬助(ニイノサマノスケ)が竜王丸派になった。

 昨日までは竜王丸派と小鹿派が強く、備前守派と摂津守派が弱かったため、竜王丸派と小鹿派を一つにまとめれば何とかなると考えていた福島越前守の狙いも、今日からは通用しなくなってしまった。摂津守派が急に伸びて、竜王丸派と同じ位の勢力を持つようになり、三つ巴(ドモエ)の様相となってしまった。
11.三浦次郎左衛門尉






 駿府屋形内の長谷川法栄(ホウエイ)の屋敷に隠れている富嶽、多米権兵衛、荒木兵庫助の三人から、お屋形内の詳しい状況を聞くと早雲と小太郎の二人は、三浦屋敷の南隣にある木田伯耆守(ホウキノカミ)の屋敷に潜入し、待機していた。

 木田伯耆守は元、御番衆の一番組の頭だったが、小鹿新五郎がお屋形様になったために頭の地位を奪われ、家臣を引き連れて小河(コガワ)の長谷川屋敷に移っていた。四番組の頭だった入野兵庫頭(ヒョウゴノカミ)も木田と一緒に駿府屋形から去っていた。二人共、今川一族であるため、二の曲輪(クルワ)ではなく、本曲輪内に屋敷を持っていた。今は二人共、竜王丸の御番衆となって、入野は竜王丸のいる小河の長谷川屋敷を守り、木田は摂津守の青木城を守っていた。

 早雲と小太郎は誰もいない木田屋敷の台所で夜が更けるのを待っていた。二人は武士の格好をしている。お屋形内をうろつくのに一番目立たない格好だった。

 二人は下帯一つで北川に入り、水の中を潜って道賀亭の濠に出た。濠から上がると、すぐ側にある北川衆の屋敷に入った。北川衆の屋敷は四軒並んでいて、今は全部、空き家となっている。小太郎はいつも、その家に着替えを置いていた。そこで武士になった二人は堂々と本曲輪内を歩いて長谷川屋敷に入って行った。勿論、長谷川屋敷への出入りは誰にも見られないように注意を払った。そして、暗くなってから木田屋敷に忍び込んだのだった。

「さすがに、御番衆がウロウロしておるのう」と早雲は言った。

「まあな‥‥‥ここから抜け出すのは難しいわ」

「もし、三浦殿が本拠地に戻ると言っても出られないんじゃろうか」

「さあ、どうかのう。三浦は出られるかもしれんが、残った者は人質となろうのう。三浦が裏切ったら人質は殺される」

「うむ、じゃろうの」

「とにかく、三浦に会ってからじゃ」と小太郎は板の間に横になった。「本人が寝返る気もないのに、あれこれ考えてみてもしょうがない」

「それもそうじゃな」と早雲は板の間に上がった。

 台所は綺麗に片付けられてあった。余裕を持って引き上げたようだ。木田伯耆守が引き上げる頃は去る者は追わずだったので、きちんと掃除をしてから引き上げたのだろう。

「小太郎、今、小鹿派の軍勢はどれ位なんじゃ」と早雲が振り返って聞いた。

「今、駿府におる軍勢か」と小太郎は天井を見上げたまま言った。

「ああ」

「ここ、本曲輪に三番組と五番組がおるじゃろう。三百人余りおるのう。それと、小鹿新五郎の屋敷を守る宿直(トノイ)衆が二百位おるかのう。二の曲輪には二番組が百五十人。詰(ツメ)の城に、庵原安房守(イハラアワノカミ)と矢部将監(ショウゲン)の兵が二百。お屋形の回りに興津、蒲原、矢部美濃守の兵が三百といった所かのう」

 早雲は小太郎の側に腰を下ろすと懐から紙と筆を出して、小太郎の言う事を書きとめた。

「しめて、一千百五十か‥‥‥おい、福島越前守の兵は帰ったのか」

「おっ、忘れておった。越前守と葛山播磨守の兵、五百が阿部川におったわ」

「ほう。葛山の兵も来ておったのか」

「ああ。いくら遠いといっても兵を連れて来ないんじゃ越前守に主導権を握られるからのう」

「三浦の兵はおらんのか」

「五番組だけじゃな。阿部川を封鎖されて来られんのじゃろう」

「そうじゃのう‥‥‥しめて、一千六百五十人余りという事じゃな」

「一千六百五十か‥‥‥竜王丸殿の兵力はどんなもんじゃ」

「阿部川に六百、青木城に三百という所かのう」

「九百か」

「今、この辺りにおるのはのう。あと四百余りが三浦殿の大津城を包囲しておるじゃろう。それと、遠江勢によって天野兵部少輔の犬居城も包囲するつもりじゃが、これは、すぐにというわけにもいかんじゃろう」

「うむ‥‥‥三浦次郎左衛門を寝返らせたとして、その後はどうするんじゃ」

「後は葛山播磨と福島越前を仲間割れさせる」

「それで? どっちを味方に付けるんじゃ」

「ふむ。どっちがいいかのう」

「どっちも一筋縄で行く相手じゃない事は確かじゃ。下手をすれば関東の軍勢を呼び込む事も考えられるわ」

「関東か‥‥‥扇谷(オオギガヤツ)上杉か‥‥‥まずいのう。それだけはやめさせなくてはならんな」

 二人は一時程待つと行動を開始した。
12.二つの今川家



 梅雨が始まった。

 今川家は二つに分かれたまま膠着(コウチャク)状態に入っていた。

 三浦次郎左衛門尉が寝返った後、岡部美濃守の義弟の由比出羽守が孤立して、小鹿派に寝返った。美濃守としても寝返らせたくはなかったが、どうする事もできなかった。今川家は阿部川を境にして、二つに分かれてしまっていた。

 梅雨が始まってから五日後、備前守派だった天野兵部少輔が竜王丸派に寝返った。遠江にいる今川家の者たちが皆、竜王丸派となり、兵部少輔の犬居城を包囲されては寝返ざるを得なかった。兵部少輔は初めから本気で備前守を押していたわけではない。今川家を分裂させるために備前守派に付いただけだった。自分の本拠地が危なくなっている今、いつまでも備前守に付いて遊んでいる場合ではなかった。

 兵部少輔は簡単に備前守を捨てて竜王丸派の本拠地、青木城に移って来た。見捨てられた備前守は上杉治部少輔を頼らざるを得なくなったが、当の治部少輔は摂津守を説得に行くと出掛けたまま、青木城から戻っては来なかった。誰からも見放され、孤立した備前守は茶臼山城下の屋敷に閉じこもったまま毎日、やけ酒を浴びていた。

 竜王丸派からも、小鹿派からも、今川家の長老として迎えるから、との誘いが掛かったが、自分を見捨てた家臣たちのいる所に戻りたくはなかった。しかし、やがて気持ちが落ち着くとお屋形様の座を諦め、長老として今川家のために生きようと決心し、頭を丸めて棄山(キザン)と号し、小鹿派に迎えられた。棄山の山は富士山を現し、今川家の家督を富士山に例えて、自ら富士山を放棄して、禅境に入った事を意味していた。

 備前守は小鹿派となったが、茶臼山の裾野に陣を敷いている上杉治部少輔は相変わらず、中立のまま今川家をまとめようと張り切っていた。とは言っても、小鹿派の駿府屋形に行っては御馳走になり、竜王丸派の青木城に行っては御馳走になっているだけで、成果はまったく上がらなかった。

 早雲は早雲庵の縁側から降る雨を眺めていた。

 小太郎、富嶽、多米、荒木らも皆、戻って来ている。

 小太郎はお雪と一緒に浅間神社の門前町の家を引き払っていた。三浦一族の者たちがお屋形から消えて以来、葛山備後守は近くに敵の隠れ家があるに違いないと浅間神社の門前も捜し始めた。小太郎はお雪の身を案じて、しばらくの間、引き払う事にした。さらに、北川殿も長谷川屋敷に隠れている事が敵に知られて危険が迫り、朝比奈氏の本拠地の朝比奈城下に移っていた。お雪は北川殿を守るため、朝比奈城下の北川殿のもとに侍女として入っていた。

「備前守殿が小鹿派になったか‥‥‥」と早雲は縁側から雨を眺めながら言った。

「仕方あるまい」町医者姿の小太郎は縁側に寝そべっていた。「茶臼山は阿部川の東じゃからのう」

「これから、どうするんです」と久し振りに絵師に戻った富嶽が、早雲と小太郎の顔を交互に見た。

「遠江の者たちが戻って来れば、竜王丸派は圧倒的に有利な立場に立つ事となるのう」と小太郎は言った。

「しかし、戦を始めるわけには行かん。それこそ、葛山や天野の思う壷に嵌まる事となる」と早雲は言った。

「戦を起こさずに、今川家を一つにまとめるとなると難しい事じゃのう」と富嶽は言った。

「四つに分かれていたものが二つになった。後は二つを一つにまとめるだけじゃ」と早雲は気楽に言った。

「簡単に言うが難しい事じゃ」と小太郎は腕枕をしながら早雲を見た。「二つを一つにするという事は竜王丸殿をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見にするという事になるが、そうなると、小鹿派は賛成するかもしれんが、摂津守派が黙ってはおるまい。竜王丸派がまた二つに分かれる事になるぞ」

「確かにのう。摂津守派ではなく、小鹿派と手を結べば良かった、と今になって思うが、あの時点の状況では竜王丸派と小鹿派が手を結ぶという事は難しかったからのう」

「そいつは無理じゃ。葛山の奴が絶対に反対するに決まっておる」

「ああ。手を結ぶのが難しいとなると、残るは葛山播磨と福島越前を仲間割れさせ、どちらかを寝返らす事じゃな」

「どちらを寝返らすのです」と荒木が富嶽の後ろから顔を出した。

 多米も一緒にやって来て話に加わった。

「さあのう」と早雲は首を振った。

「いよいよ、切札を使うか」と小太郎は早雲に聞いた。

「切札か‥‥‥」と早雲も頷いた。
13.太田備中守1



 梅雨が終わり、暑い日が続いていた。

 今川家は二つに分かれたまま、阿部川を挟んでの睨み合いが続いている。

 今年の梅雨は例年に比べて雨量が多く、阿部川は倍以上の幅になって勢いよく流れていた。そんな阿部川を初めて見る小太郎は勿論の事、四年目になる早雲でさえ驚いていた。何度も川止めがあり、浅間神社に参拝に来た旅人たちは阿部川を挟んで立ち往生している。藁科川と阿部川の間に陣を敷いている主戦派の福島土佐守や岡部五郎兵衛も今年の阿部川の水量には驚き、戦どころではなかった。両方の川の水嵩(カサ)が増して、前にも後にも動けず、孤立してしまう事もあった。

 梅雨も終わって、ようやく水嵩も減っては来たが、流れる位置が変わっていた。小鹿派が陣を敷いている二本の阿部川の間は広くなり、下流の方では二本の流れは近づいていた。藁科川も幾分、東の方に流れを変えていた。

 両天野氏が竜王丸派に付かざる得ない状況となって、東遠江もようやく落ち着き、遠江勢の重臣たちも駿府に戻って来ていた。兵力から言えば竜王丸派が圧倒的に有利になっていても、戦を始めるわけにも行かず、かといって話し合いで解決する事もならず、膠着状態が続いたままだった。今の状況を変えるには何かが起こらなければ無理と言える。たとえば、外部の敵が駿河の国に攻めて来れば、今川家は一つにまとまる事も考えられるが、今川家を倒して駿河を乗っ取ろうとたくらむ程の有力な大名は回りにはいなかった。

 残るは、小鹿派が助っ人に頼んだ相模の国の守護、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏が誰を駿河によこすかだった。そして、その人物がどう出るかによって、今後の展開は変わって行くだろう。

 六月二十七日、ついに、扇谷上杉氏の軍勢が駿府にやって来た。

 三百騎余りの軍勢を率いていたのは、扇谷上杉氏の家宰(執事)である太田備中守資長(ビッチュウノカミスケナガ)だった。扇谷上杉勢は駿府屋形には入らずに駿府屋形の南十五町(約一、六キロ)程の所にある八幡山の西山麓に陣を敷いた。駿府屋形と八幡山との間には鎌倉街道が東西に走り、阿部川の支流が三本流れていた。また、竜王丸派の本陣である青木城とは一里程の距離があり、間には二本の阿部川と藁科川が流れていた。

 太田備中守が八幡山に陣を敷くと、待っていたかのように小鹿派の福島越前守が挨拶にやって来た。越前守は備中守を駿府屋形に迎えようとしたが、備中守は疲れたからと言って断った。越前守は八幡山の山中にある八幡神社内の宿坊(シュクボウ)を本陣に使うように勧めた。備中守はその申し出は喜んで受け、本陣を八幡神社に移した。

 越前守は宿坊の客間にて備中守に今の状況を詳しく説明して、力になって欲しいと頼むと日暮れ前に帰って行った。越前守が帰った後には、越前守が差し入た数々の贈り物が山のように残った。その品々の中には関東ではなかなか見られない唐物(カラモノ)の陶器類もあった。さすが、今川家だと備中守は感心しながら青磁(セイジ)の湯飲みを手にしていた。

 備中守と越前守が話し合っている頃、石脇の早雲庵に、小太郎が備中守が来た事を伝えに来た。早雲はその事を小太郎から聞くと、「そうか‥‥‥太田備中守殿が来られたか」と大きく頷いた。
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