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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
1448年 駿河の国島田に刀鍛冶の五条義助の二男に生まれる。 1歳
1455年 弟、生まれる(2代目義助を継ぐ)。 8歳
1459年 駿河の守護、今川義忠に仕える。 12歳
1463年 連歌師、宗祇と出会う。弟子にしてくれと頼むが断られる。 16歳
1466年 宗祇、駿河に来て、再会し、宗祇と一座する。 19歳
1467年 嫁を貰う。 20歳
1468年 早雲の妹、美和(北川殿)、今川義忠に嫁ぐ。 21歳
1472年 6月 早雲、駿河に来て、腰を落ち着ける。 25歳
1476年 4月 6日 今川義忠、一揆に討たれて死す。今川家の家督争いが始まる。 29歳
1476年 10月 早雲の紹介状を持って、一休禅師を訪ねる(剃髪して、宗観を名乗る)。
1477年 報恩庵にて、宗祇と再会する。再び、弟子にしてくれと頼むが、一休のもとで修行に励めと言われる。 30歳
1478年 1月 宗祇の弟子となる。 31歳
1478年 3月 下旬 宗祇と共に越後に下向。越後にて越年。
1479年 2月 宗祇から伊勢物語の講義を聞き『宗観聞書』なる。 32歳
1479年 秋 帰洛する。
1480年 5月 宗祇と共に、周防山口に下向、さらに博多まで行く。 33歳
1480年 8月 宗祇、宗作、宗雅らと『何路百韻』
1481年 2月 24日 宗祇らと『何路百韻』 34歳
1481年 夏 帰洛する。
1481年 11月 21日 一休禅師、死す(88)。
1482年 3月 7日 宗祇らと『薄何百韻』 35歳
1482年 10月 宗祇、基佐と共に『大原三吟』
1483年 1月 16日 宗祇らと下京において『何人百韻』途中まで。 36歳
1483年 3月 末 宗祇、夢庵と共に越後に旅する。
1484年 秋 帰洛する。 37歳
1484年 この頃、宗長と改名する。
1486年 宗祇と共に越前に旅する。 39歳
1486年 7月 太田道灌、殺される。
1486年 9月 30日 宗祇、夢庵らと共に『山何百韻』
1487年 10月 9日 種玉庵にて、宗祇の弟子らと『葉守千句』 40歳
1487年 11月 10日 宗祇、夢庵らと『何木百韻』
1487年 11月 早雲、小鹿範満を討ち、竜王丸を今川家の家督として興国寺城に入る。
1488年 1月 1日 宗祇と『何木百韻』両吟。 41歳
1488年 22日 宗祇、夢庵と共に『水無瀬三吟百韻』を巻く。
1488年 3月 能勢頼則、細川政元、宗祇、夢庵らと『千句三物』
1488年 3月 28日 宗祇、北野会所奉行となる。
1488年 4月 宗祇と共に、近江鈎の陣中見舞に行く。
1488年 4月 25日 宗祇、夢庵らと連歌会開きの『何路百韻』
1488年 7月 独吟『大神宮法楽千句』なる。宗祇、加点する。
1490年 2月 25日 宗祇、夢庵らと『何人百韻』 43歳
1490年 3月 5日 宗祇、夢庵らと『何船百韻』
1490年 9日 宗祇、夢庵らと『何人百韻』
1490年 5月 3日 広芝与左衛門あて『永文』なる。
1490年 夏 『三河下り』なる。
1490年 8月 本能寺日与法印坊において、宗祇の弟子らと『七人付句判詞』
1491年 10月 15日 宗祇、夢庵らと『何木百韻』 44歳
1491年 20日 宗祇、夢庵と湯山において『湯山百韻』
1492年 1月 22日 宗祇、兼載らと『何路百韻』 45歳
1492年 1月 23日 宗祇らと『何路百韻』
1492年 2月 8日 宗祇、兼載らと『何人百韻』
1492年 4月 8日 宗祇、夢庵、兼載らと『何船百韻』
1493年 3月 25日 宗祇らと『何船百韻』 46歳
1493年 10月 早雲、伊豆を攻め、韮山城に入る。
1494年 3月 9日 清水寺坂本坊にて、宗祇、夢庵、兼載らと『何人百韻』 47歳
1495年 1月 6日 北野会所にて、宗祇、実隆、兼載らと『何人百韻』 48歳
1495年 9月 26日 『新撰菟玖波集』奏覧。
1496年 6月 7日 宗祇、兼載らと『何人百韻』 49歳
1496年 8月 5日 宗祇、兼載らと『山何百韻』
1496年 8月 駿河国に帰る。
1498年 1月 27日 宗祇、宗碩らと『山何百韻』 51歳
1498年 閏10月 6日 相国寺にて、宗祇、宗碩らと『何人百韻』
1499年 1月 4日 種玉庵にて、宗祇、宗碩らと『何人百韻』 52歳
1499年 2月 19日 清水寺にて、宗祇、夢庵、宗碩らと『何水百韻』
1499年 2月 25日 細川政元、三好元長、宗祇、夢庵らと『千句三物』
1499年 3月 15日 実隆邸にて、宗祇、玄清らと俳諧云捨。
1501年 6月 駿河を立って、越後に下向。 54歳
1502年 2月 末 宗祇の供をして、越後を立ち、関東に向かう。 55歳
1502年 4月 25日 伊香保の湯にて、宗祇、宗碩、宗坂三吟『長衣百韻』
1502年 7月 30日 箱根で客死した宗祇を駿河国桃園定輪寺に葬る。
1502年 8月 6日 宗碩と、宗祇の初七日の両吟百韻。
1502年 秋 『宗祇終焉記』を書く。
1504年 3月 今川氏被官斎藤加賀守安元の庇護で、宇津山鞠子の里に庵(柴屋軒)を結ぶ。 57歳
1504年 10月 25日 今川氏親、出陣のため、伊豆三島神社に独吟『出陣千句』なる。
1507年 承葩、生まれる。 60歳
1509年 関東を旅し、旅日記『東路の津登』を書く。 62歳
1509年 9月 上野国大戸、海野三河守を訪ねる→草津の湯。
1513年 この頃、朝比奈弥左衛門泰煕の不例宿願のための独吟。 66歳
1514年 5月 13日 今川氏親、42歳の厄のため『浅間千句』
1515年 駿河から甲斐、信濃、美濃、近江を経て越前に下向。 67歳
1516年 1月 湯山に向かう途中、芥川の新城に寄り、能勢頼則の連歌会に出る。夢庵、宗碩、玄清も参加する。帰路も寄り、千句の発句を詠む。68歳
1517年 自選連歌句集『宇津山記』を著す。 70歳
1518年 8月 京都東山にて、能勢頼則の三回忌に当たって『東山千句』を興行。夢庵、宗碩ら参加。 71歳
1519年 連歌作法書『雨夜記』を書く。 72歳
1522年 日記『宗長手記』を書き始める。~1527年。 75歳
1523年 4月 4日 宗碩の新宅造営祝賀のため、13人で百韻を詠む。 76歳
1523年 冬 湯山下向の帰途、城山能勢源五郎の千句に挑む。
1523年 年末 薪村酬恩庵にて宗鑑らと一座する。
1525年 11月 25日 今川氏輝に古今聞書五帖口伝、切紙八枚を伝授。 78歳
1526年 2月 今川氏輝に古今集三冊一合を伝授。 79歳
1527年 4月 今川氏輝に古今集伝授。 80歳
1527年 4日 夢庵(85)、堺にて死す。
1528年 2月 12日 宗長独吟『名号百韻』 81歳
1530年 『宗長日記』を書き始める。 83歳
1532年 3月 6日 死す。 85歳
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