忍者ブログ
陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

13.太田備中守1



 梅雨が終わり、暑い日が続いていた。

 今川家は二つに分かれたまま、阿部川を挟んでの睨み合いが続いている。

 今年の梅雨は例年に比べて雨量が多く、阿部川は倍以上の幅になって勢いよく流れていた。そんな阿部川を初めて見る小太郎は勿論の事、四年目になる早雲でさえ驚いていた。何度も川止めがあり、浅間神社に参拝に来た旅人たちは阿部川を挟んで立ち往生している。藁科川と阿部川の間に陣を敷いている主戦派の福島土佐守や岡部五郎兵衛も今年の阿部川の水量には驚き、戦どころではなかった。両方の川の水嵩(カサ)が増して、前にも後にも動けず、孤立してしまう事もあった。

 梅雨も終わって、ようやく水嵩も減っては来たが、流れる位置が変わっていた。小鹿派が陣を敷いている二本の阿部川の間は広くなり、下流の方では二本の流れは近づいていた。藁科川も幾分、東の方に流れを変えていた。

 両天野氏が竜王丸派に付かざる得ない状況となって、東遠江もようやく落ち着き、遠江勢の重臣たちも駿府に戻って来ていた。兵力から言えば竜王丸派が圧倒的に有利になっていても、戦を始めるわけにも行かず、かといって話し合いで解決する事もならず、膠着状態が続いたままだった。今の状況を変えるには何かが起こらなければ無理と言える。たとえば、外部の敵が駿河の国に攻めて来れば、今川家は一つにまとまる事も考えられるが、今川家を倒して駿河を乗っ取ろうとたくらむ程の有力な大名は回りにはいなかった。

 残るは、小鹿派が助っ人に頼んだ相模の国の守護、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏が誰を駿河によこすかだった。そして、その人物がどう出るかによって、今後の展開は変わって行くだろう。

 六月二十七日、ついに、扇谷上杉氏の軍勢が駿府にやって来た。

 三百騎余りの軍勢を率いていたのは、扇谷上杉氏の家宰(執事)である太田備中守資長(ビッチュウノカミスケナガ)だった。扇谷上杉勢は駿府屋形には入らずに駿府屋形の南十五町(約一、六キロ)程の所にある八幡山の西山麓に陣を敷いた。駿府屋形と八幡山との間には鎌倉街道が東西に走り、阿部川の支流が三本流れていた。また、竜王丸派の本陣である青木城とは一里程の距離があり、間には二本の阿部川と藁科川が流れていた。

 太田備中守が八幡山に陣を敷くと、待っていたかのように小鹿派の福島越前守が挨拶にやって来た。越前守は備中守を駿府屋形に迎えようとしたが、備中守は疲れたからと言って断った。越前守は八幡山の山中にある八幡神社内の宿坊(シュクボウ)を本陣に使うように勧めた。備中守はその申し出は喜んで受け、本陣を八幡神社に移した。

 越前守は宿坊の客間にて備中守に今の状況を詳しく説明して、力になって欲しいと頼むと日暮れ前に帰って行った。越前守が帰った後には、越前守が差し入た数々の贈り物が山のように残った。その品々の中には関東ではなかなか見られない唐物(カラモノ)の陶器類もあった。さすが、今川家だと備中守は感心しながら青磁(セイジ)の湯飲みを手にしていた。

 備中守と越前守が話し合っている頃、石脇の早雲庵に、小太郎が備中守が来た事を伝えに来た。早雲はその事を小太郎から聞くと、「そうか‥‥‥太田備中守殿が来られたか」と大きく頷いた。

「三百騎程引き連れて八幡山に陣を敷いている」と小太郎は言った。

「八幡山にか‥‥‥駿府屋形には入らなかったんじゃな」と早雲き聞いた。

 小太郎は頷いた。「しかし、分からんぞ。さっそく、福島越前守が出迎えに出掛けた。そのうち、お屋形の方に移るかもしれん」

「そうか、越前守が動いたか‥‥‥」

 小太郎は浅間神社の門前町の家を出た後、早雲庵を本拠地として駿府屋形を探っていたが、距離があり過ぎて不便なので、駿府の城下のはずれにある木賃宿に薬売りの商人として泊まっていた。北川殿がお屋形から出た今となっては、山伏、風眼坊に戻る必要はなくなり、返って山伏姿でいれば、風眼坊を捜している葛山播磨守に見つかる危険もあった。小太郎は近江から来た商人に扮して、三浦次郎左衛門尉より貰った過書を利用して、お屋形内を自由に行き来していた。

「備中守殿が八幡山にいる内に会っておきたいものじゃな」と早雲は言った。

「おぬしが一度、会ったとかいう武将が備中守だといいんじゃがな」

「なに、こっちが覚えておっても向こうは覚えてはおるまい」

「栄意坊を連れて来れば良かったのう」と小太郎が、ふいに言った。

「栄意坊?」と早雲は怪訝(ケゲン)な顔をして小太郎を見た。どうして、ここに栄意坊が出て来るのか、早雲には理解できなかった。

「やっと思い出したんじゃよ。太田備中守という名、どこかで聞いた事あったんじゃが、よう思い出せなかったんじゃ。それが、備中守が江戸城から来たと聞いて、ようやく思い出したわ。栄意坊の奴、江戸城に三年近くも居候(イソウロウ)しておった事があったんじゃよ」

「何じゃと‥‥‥そいつは本当なのか」

「ああ。もう、十年以上も前の事じゃ」

「備中守にも会っておるのか」

「備中守の客人として江戸城におったそうじゃ」

「ほう。栄意坊がのう‥‥‥」

「詳しくは知らんのじゃが、栄意坊の奴、飯道山を下りて関東に旅に出て、女子(オナゴ)に惚れたらしい。その女子と共に暮らし始めたが、子供を産んだ時、女子も子供も共に死んでしまい、栄意坊は死ぬつもりになって戦に出たんじゃ。どういういきさつで備中守と出会ったのか知らんが、意気投合して江戸城に迎えられて、三年近く、備中守の客人として戦に出ておったらしいのう」

「ほう。そんな事があったのか‥‥‥」

「しかし、栄意坊がおらんのではどうしようもないのう」

「いや。本人がおらなくとも備中守と共通の知人がおるというのは大分、有利じゃ」

「まあな。今の状況では、おぬしも竜王丸殿の伯父という立場では備中守に会いに行けまい」

「越前守の兵もおる事じゃろうしな。備中守が会うと言っても越前守は許すまいのう」

「そこで、栄意坊の名を出して、以前、栄意坊が世話になったお礼を言うというのを口実に、山伏として備中守に会うというのはどうじゃ」

「わしも山伏になるのか」

「そういう事じゃのう」

「うむ」と早雲は頷いた。「そうするかのう。とにかく、一度、会っておけば、この先、有利となる事は確かじゃ」

「さっそく、今晩、出掛けるか」と小太郎は聞いた。

「今晩か‥‥‥栄意坊のお礼を言うのに、夜、訪ねるというのも変な話じゃ。怪しまれて断られれば、二度とその手は使えなくなる。明日の方がいいんじゃないかのう」

「そうじゃな。最初が肝心じゃ。焦(アセ)る事もないわな」

「ああ。明日の朝にしよう」

「ところで、富嶽たちがおらんようじゃが、どこかに行ったのか」と小太郎は聞いた。

「富嶽と多米、荒木の三人は朝比奈城じゃ」

「北川殿の警固か」

「いや、警固というより北川殿の武術指導じゃ」

「北川殿の武術指導? 竜王丸殿じゃろう」

「いや、北川殿じゃ。北川殿は今、武術に凝っておられるのじゃ」

「北川殿がか‥‥‥信じられん」

「わしも信じられんわ。あれ程、武術に熱中するとはのう」

 早雲は北川殿に弓術(キュウジュツ)を教えてくれと頼まれた。北川殿は梅雨が上がるのを毎日、首を長くして待っていた。梅雨が上がると早雲は朝比奈城に向かい、北川殿に弓術を教えた。二日間、早雲は付きっきりで北川殿に弓術を教えたが、早雲もずっと朝比奈城にいるわけにもいかない。そこで、早雲の代わりに富嶽が教える事となった。富嶽も元は幕府に仕えていた武士で、弓術を得意としていた。その事は早雲も知らなかったが、早雲が困っているのを見て富嶽から言い出した事だった。そして、弓術なら、わしだって教えられると多米と荒木も付いて行ったと言う

「ほう。富嶽が弓術をのう。かなりの腕なのか」

「昨日、才雲が様子を見に行ったが、百発百中だと言う。多米や荒木など問題にならん程の腕らしい」

「人は見かけによらんもんじゃのう。富嶽が弓術の名人だったとはのう」

「ああ。頼もしい奴じゃ」

「富嶽が北川殿に弓術を教えておるのなら、多米と荒木の二人は何しておるんじゃ。あんな山の中に、あの二人がよくおられるもんじゃのう」

「山の中には違いないが、古くからの朝比奈殿の本拠地じゃ。城下には市も立つし、ちょっとした盛り場もある。博奕も打てるし、女も抱ける。ここにいるよりは羽根を伸ばせるんじゃう」

「成程な」と小太郎は笑った。「ここにおったんでは大っぴらに遊びにも行けんからのう。理由はどうであれ、しばらく、ここから出て遊びたかったという事か‥‥‥」

「そういう事じゃ。あの二人も奴らなりによくやってくれたからのう。今の所はここにおってもする事はないし、北川殿を守ってくれと一緒に行かせたんじゃ」

「山賊どもは何しておるんじゃ」

「毎日、泥だらけになって働いておるよ。奴らも変わったもんじゃ」

「何をやっておるんじゃ」

「梅雨時に川が氾濫(ハンラン)してのう。田畑が大分、やられてしまったんじゃ。家を流された者もおってのう。毎日、村人たちのために真っ黒になって働いておるんじゃ」

「ほう。奴らがのう。あの在竹(アリタケ)もか」

「ああ。奴が先頭になってやっておるわ。最近は皆、顔付きまで変わって来ておる。奴らがここに来てから、なぜか、ここに子供らが集まって来るんじゃ」

「奴らはガキの面倒も見ておるのか」

「ああ。祐筆(ユウヒツ)と呼ばれておる吉岡は、子供たちを集めて読み書きを教えておるらしいの」

「ただでか」

「無論じゃ」

「山賊がガキどもに読み書きを教えておるのか‥‥‥変われば変わるものよのう」

「まったくじゃ‥‥‥話は変わるが、小太郎、お雪殿がおぬしに会いたがっておったぞ。たまには、会いに行った方がいいぞ」

「わしも会いたいわい。しかし、北川殿の事を思うと、そうはしてられまい。早いうちに、竜王丸殿をお屋形様にして駿府屋形に戻って貰わなくてはのう」

「そうじゃのう‥‥‥まずは、何としてでも備中守殿を味方に付けなくてはならん」

 日が暮れる頃、在竹率いる山賊らが汗と泥で真っ黒になって、どやどやと帰って来た。

 早雲庵は急に騒がしくなった。

 山賊たちが村人たちのために働くようになってから、頼んだわけではないのに、村の娘たちが早雲庵の飯の支度をしに来てくれていた。春雨とお雪がいなくなってから女気のなかった早雲庵も、村娘たちのお陰で、何となく華やいだ雰囲気となっていた。

 小太郎も村娘たちの作ってくれた夕飯を御馳走になり、今晩はここに泊まる事となった。



 日が暮れても、暑さは弱まらなかった。

 縁側に出て、うちわを扇ぎながら、早雲と小太郎は酒をちびちびと飲んでいた。

 山賊たちも仕事の後の酒を飲んでいるらしく、山の南側から賑やかな声が聞こえて来ていた。村娘たちもまだ、いるらしい。時折、甲高い笑い声が聞こえて来た。

 そんな晩、珍しい客がやって来た。

 一人の僧侶と見るからに浪人と分かる三人の武士だった。

 僧侶は茶人の伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)だった。去年の九月に関東に旅立ち、ようやく帰って来たのだった。長い旅を続けていたわりには頭も綺麗に剃ってあり、着ている墨染めの衣も汚れてはいなかった。そして、連れの武士たちが何となく不釣合いだった。

「やあ、お久し振りです。暑いですな」と銭泡は笑いながら早雲たちに頭を下げた。

「銭泡殿‥‥‥一体、どこにおられておったのです」と早雲は驚いた顔をして銭泡を迎えた。

「はい。色々とありまして」と銭泡は笑った。「しかし、ここも随分と変わりましたなあ」

「ええ。住人が増えましたので‥‥‥」と早雲は銭泡の後ろにいる浪人を見た。

 三人の浪人の内の一人に見覚えがあった。

 早雲が頭を下げると、その浪人も頭を下げた。

 信じられない事だったが、その浪人は太田備中守、その人に間違いなかった。着ているものは粗末な単衣(ヒトエ)でも、まさしく、備中守に違いなかった。

「失礼ですが、太田備中守殿では」と早雲は浪人に声を掛けた。

 浪人は頷くと、「早雲殿ですな。お噂は伏見屋殿から伺っております」と言った。

 小太郎は、備中守がここにいる事が信じられない事のように状況を見守っていた。

「お二人はお知り合いでしたか」と銭泡は二人を見比べていた。

「いえ。知り合いと言える程ではありません」と早雲は言った。

「一度、お会いしましたな」と備中守は言った。

「覚えておいででしたか」

「確か、早雲殿は鹿島、香取に向かわれている時じゃった」

「はい。もう二年前の事です」

「伏見屋殿から早雲殿のお噂を聞き、もしや、あの時の御坊が早雲殿ではないか、と思っておったが、やはり、そうであったか」と備中守は笑った。

「不思議な事もあるものですね」と銭泡は早雲と備中守の顔を見比べた。

「たった一度しか会った事がないのに、しかも、お互いに名乗りもせずに、お二人とも、その時の事を覚えておられるとは、まったく、不思議な事じゃ」

「縁というものかもしれんのう」と備中守は言った。

「はい」と早雲は頷いた。そして、銭泡を見て、「しかし、驚きですな。銭泡殿が備中守殿を御存じだったとは」と言った。

「いえ、わしらも京で一度会っただけなんです」と銭泡は笑った。

「そうでしたか‥‥‥」

 早雲は四人を庵の中に迎え入れ、孫雲と才雲の二人に簡単な酒の用意をさせた。

「それにしても、銭泡殿、よく、ここまで来られましたね。途中、大勢の軍勢が陣を敷いておられたでしょう」

「はい、驚きました。阿部川を挟んで、河原には武装した兵で埋まっておりました。運がよかったのです。阿部川を渡った所で、斎藤加賀守殿と出会いました。早雲庵に帰るところだというと、途中まで兵を付けてくれました」

「加賀守殿と出会いましたか、それは運がよかったですね」

「はい。備中守殿には早雲庵に居候しておる浪人者に扮していただきました」

「これは、わざわざ、どうも」

「いや。伏見屋殿よりお噂を聞き、ぜひ、お会いしたいと思っておりましたので、こうして付いて来たわけです。突然、お訪ねして申し訳ない」

「いえいえ、わたしらも明日、備中守殿にお訪ねしようと思っておったところです」

「そうでしたか」

「ところで、備中守殿は栄意坊を御存じとか」と早雲は聞いた。

「栄意坊‥‥‥懐かしいのう」と備中守は目を細めて言った。「いい奴じゃった‥‥‥今頃、どうしておる事やら‥‥‥早雲殿は栄意坊を御存じなのですか」

「はい。共に飯道山で修行した事もございました」

「飯道山か‥‥‥栄意坊から、その話はよく聞いたものじゃ」

「その飯道山の四天王の一人がここにおります」と早雲は小太郎を備中守に紹介した。

「風眼坊‥‥‥うむ、確かにその名は聞いた事ある。ほう、そなたが四天王の一人か‥‥‥懐かしいのう。それで、今、栄意坊はどこにおるんです」

「飯道山におります。飯道山で若い者たちに槍術を教えております」

「そうか‥‥‥まさか、早雲殿の口から栄意坊の名が出るとは夢にも思わなかったわ。世の中、広いようで狭いものよのう」

「まことに‥‥‥銭泡殿と備中守殿がお知り合いだったというのも以外な事です。しかも、こんな時に備中守殿と一緒に銭泡殿が帰って来るとは‥‥‥まったく、不思議じゃのう」

「わたしが村田珠光(ジュコウ)殿に弟子入りしたばかりの頃、備中守殿が京に参りました」と銭泡が言った。「わたしは弟子になったばかりで、備中守殿と同席などできませんでしたが、珠光殿の後ろに付いて歩いておりました、わたしの事を備中守殿は覚えておいででした」

「そうでしたか、珠光殿のもとでお会いしておられたのですか」

「はい。わしも珠光殿から茶の湯を教わりたかったのですが、時がありませんでした。今回、伏見屋殿が江戸に来てくれましたので、珠光殿の茶の湯を教わる事ができました。長年の念願が適(カナ)ったというわけです。ほんとに喜ばしい事です」

「そうでしたか‥‥‥」

「ところで、早雲殿、とんだ事になりましたなあ。おおよその事は福島越前守殿より伺いましたが、早雲殿のお考えをお聞きしたいのですが‥‥‥」

 備中守は以外にも単刀直入に聞いて来た。早雲にとっても、その方が話し易かった。

「結論から申しましょう。わたしの願う所は、竜王丸殿をお屋形様にし、小鹿新五郎殿を後見とする事です」

「成程。竜王丸殿に小鹿新五郎殿か‥‥‥中原摂津守殿はいかがなさるおつもりじゃな」

「諦めていただくよりありません」

「今更、諦めるじゃろうかのう」

「今川家のためにも、諦めていただくより他に道はありません」

「うむ‥‥‥」と備中守は早雲の顔を見つめた。早雲の心の中まで探っているような目付きだった。

「備中守殿、備中守殿のお考えもお教え願いたいのですが」と早雲は聞いた。

「わしの考えのう‥‥‥わしの考えというよりは、上杉氏の考えとしては、今川家が元のように一つになってくれれば、それが一番いいと思っておるんじゃ。関東も今、利根川を境に東西に分かれて争いが続いておる。古河公方(コガクボウ)と関東管領(カントウカンレイ)の争いじゃ。関東を一つにまとめるには、是非とも今川家の力が必要なんじゃよ。関東にとっても、幕府にとっても、今川家には駿河の国をしっかりと守っていて貰わなくてはならんのじゃ」

「その事を聞いて安心致しました。備中守殿にお願いがございます。小鹿派の重臣たちを説得して頂きたいのですが‥‥‥わたしは竜王丸派の重臣たちを説得致します」

「竜王丸殿をお屋形様に、小鹿新五郎殿を後見という事でじゃな」

「はい。今の今川家を一つにするには、それしか方法はないようです」

「うむ」と備中守は頷き、しばらくしてから、「やってみましょう」と言った。

「ありがとうございます」と早雲は頭を下げた。「ただ、備中守殿がわたしに会ったという事は内緒にしておいた方がいいように思います。小鹿派の重臣たちも備中守殿のおっしゃる事なら聞くかもしれませんが、わたしが絡(カラ)んでいる事を知ると反発して来るでしょうから」

「分かりました。わしが早雲殿と初めて会うのは、今川家が一つになる時という事ですな」

「はい。そう願いたいものです」

 その後、小太郎より小鹿派の重臣たちのたくらみや、暗躍している山伏の事などを備中守に知らせた。

 難しい話が終わると、銭泡の旅の事や備中守の江戸城の事や茶の湯、連歌の事など夜更けまで話し続け、夜明け前、備中守は銭泡と一緒に、小河湊から長谷川法栄の船に乗って阿部川の向う側に帰って行った。



 伏見屋銭泡が太田備中守を連れて早雲庵に訪ねて来るとは、早雲も小太郎も考えてもみない事だった。世の中、思ってもいない事が起こるものだと、二人は備中守と銭泡を送り出すと不思議がった。

 銭泡は去年の九月、早雲と富嶽が京に向かった後、早雲庵を後にして関東に旅立った。駿河に滞在している時は、早雲と一緒にお屋形様を初め重臣たちの屋敷に招待されて、茶の湯の指導に当たっていた。重臣たちからは多額の礼銭を貰っていたが、困っている人たちのために使ってくれと早雲庵の留守を守っていた春雨に渡し、来た時と同じく無一文に粗末な衣だけを身に付けて関東に向かって行った。春雨には、年末には帰って来ると言って出て行ったが、結局、昨日まで何の連絡もなく、突然、物凄い土産(ミヤゲ)を持って帰って来たのだった。

 銭泡は箱根を越え、関東に入ると相模の国(神奈川県)を抜けて武蔵(ムサシ)の国(東京都と埼玉県)に入り、武蔵の国を北上した。特に行く当てはなかった。その日その日の気分で足の向くまま、気の向くままに旅を続けた。

 初めて見る関東の地は広かった。見渡す限り草原が続いている。歩いても歩いても人家が見つからない事が何度もあった。それでも、村人たちは親切で、遠くから来た旅の僧を充分に持て成してくれた。

 月日の経つのは早かった。

 武蔵の国を抜け、下総(シモウサ)の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取神宮を参拝し、まるで、琵琶湖のような霞ケ浦を渡って、常陸(ヒタチ)の国(茨城県北東部)の鹿島神宮を参拝し、常陸の国を北上して下野(シモツケ)の国(栃木県)に入り、下野の国から上野(コウヅケ)の国(群馬県)を回って武蔵の国に戻って来た。

 途中、戦の場面にも遭遇したが、京での戦を経験している銭泡の目には、何となく、戦ものんびりしているように思えた。土地が広いため騎馬武者中心の戦で、河原とか広い草原で行なわれるため、村々が戦の被害に会う事は稀(マレ)で、京の戦のように女子供が悲鳴を上げて逃げ回っているという場面はあまり目にしなかった。また、足軽などという荒くれ者たちも、まだ、いなかった。

 年の暮れ近く、武蔵の国を南下して、そのまま駿河の国に帰るつもりだったが、銭泡は腹をこわしてしまった。軽い食当たりだろうと歩き続けたが下痢が続いて体中の力が抜け、とうとう道端に倒れ込んでしまった。

 これで、わしも終わりか‥‥‥

 それもいいじゃろう‥‥‥

 やりたい事はやって来た。そろそろ家族の待つ冥土とやらに旅立つか‥‥‥

 銭泡は覚悟を決めて目を閉じた。

 悪運が強いのか、銭泡は助けられた。

 銭泡を助けたのは越生(オゴセ)に隠居していた太田備中守の父親、太田道真(ドウシン)だった。太田道真は越生の龍穏寺(リュウオンジ)の側に自得軒(ジトクケン)という隠居所を建て、頭を丸めて隠棲していた。すでに六十歳を越えた老人だった。

 銭泡は自得軒の客間で目を覚まし、初めて道真を見た時、どこかの僧に助けられたと思って思わず合掌をした。しかし、道真は僧ではなかった。

 道真の住んでいる隠居所は武家屋敷の作りで、家来も大勢いて、道真は若い側室と一緒に風雅に暮らしていた。隠居する前はかなり有力な武士だったに違いないとは思ったが、その正体は分からなかった。

 銭泡が道真の正体を知ったのは正月の事だった。ひっそりとしていた自得軒が、年が明けると様々な人が挨拶に訪れて来た。そのほとんどが立派な身なりをした武士だった。武士たちの話から道真と名乗る老人が、元、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の執事で、歌人としても有名な太田左衛門大夫(サエモンダユウ)だったという事を知った。道真が河越城にて、連歌師の宗祇(ソウギ)と心敬(シンケイ)を招いて、『河越千句』の連歌会を催したという事は銭泡も噂に聞いて知っていた。

 太田道真ともあろう人が、ただの乞食坊主である自分を助けて充分に持て成してくれた事に銭泡は心から感謝し、道真のために訪ねて来た客たちに茶の湯で持て成す事にした。

 銭泡の茶の湯の手捌(テサバ)きは見ている者たちをうっとりさせる程、見事な腕だった。

 関東でも名のある武将たちは皆、村田珠光の名を知っていて、茶の湯を嗜(タシナ)んでいた。しかし、今まで本物の佗(ワ)び茶を目にした事はない。道真にしても京から旅をして来た文化人たちから珠光の噂を聞き、是非、自分も習いたいものだと常々、思っていた。しかし、今まで本物の佗び茶を知っている者はいなかった。それが、たまたま助けた旅の僧が、それを知っていたのだから驚きも異常な程だった。

 正月には江戸城にいる息子、備中守も挨拶に訪れて来た。道真は得意になって息子に銭泡の茶の湯を披露した。備中守は目を丸くして驚いた。どうして、親父の所に珠光流の茶の湯を知っている者がいるのか信じられなかった。話をして行くと備中守と銭泡は京において面識があった。

 銭泡が珠光の弟子になった年、備中守は上京して将軍義政に拝謁(ハイエツ)した。その折り、備中守は珠光から茶の湯の持て成しを受けた。備中守は珠光より茶の湯の指導を願ったが、備中守も何かと京では忙しく、心残りながら関東へと帰って行った。あの時以来、備中守も珠光流の茶の湯を知っている者が関東に流れて来るのを待っていたが、それは、かなえられなかった。

 備中守は、すぐにでも銭泡を江戸城に連れて行って茶の湯を習いたいと思ったが、父親の道真は銭泡を離さなかった。まず、わしが習ってからじゃ、と言い張り、とうとう、備中守は諦め、親父が習ったら絶対に江戸城にお送りしてくれと約束すると帰って行った。

 銭泡は三月の初めまで道真の自得軒に滞在し、道真に茶の湯の指導をしながら、あちこちの武将たちの屋敷に招待されて道真と共に出掛けたりしていた。その間にも、江戸城からは、まだか、まだか、と何度も催促(サイソク)の便りが届いたが、道真は無視していた。三月になると、備中守自らが銭泡を迎えに来て、道真も諦め、銭泡は江戸城に迎えられる事となった。

 江戸城は備中守によって二十年程前に建てられた城だった。当時の一般的な城とは異なり、山の上にあるのではなく、小高い丘の上に建つ城だった。当時は山の上に詰(ツメ)の城を築き、その裾野に屋敷を作るのが一般的な城だったが、備中守の作った江戸城は詰の城と山裾の屋敷を兼ねたものを丘の上に建てた独特の城だった。

 当時、利根川は熊谷の辺りから南下し、岩槻の辺りで荒川と合流して江戸城の東を通って江戸湾に流れていた。この利根川を境にして関東は東西に分かれ、東側を古河公方が押さえ、西側を関東管領上杉氏が押さえていた。江戸城は下総、上総の敵に対するために建てられた前線に位置する城だった。

 平川(神田川)を外濠に利用し、丘の上は深い空濠によって三つに区切られ、南側が根城(ネジロ、本曲輪)、中央が中城(ナカジロ、二の曲輪)、北側が外城(トジロ、三の曲輪)と呼ばれている。根城、中城、外城は段差を持ち、根城が一番高く、徐々に低くなっていた。丘の東側に城下町が広がり、その外側を城全体を守るように平川が流れていた。

 城下から坂道を上って大手門をくぐると、そこは広々とした外城となる。外城には大きな廐(ウマヤ)や、いくつもの蔵が建ち、家臣たちの長屋が並んでいた。中央の広い広場では、兵たちが弓や槍の稽古に励んでいる。外城から空濠に掛けられた橋を渡ると中城となる。

 中城には備中守の家族らの住む香月亭(コウゲツテイ)という屋敷があり、叔父の周厳禅師(シュウゲンゼンシ)を住職とする香泉寺(コウセンジ)、平川神社、梅林、竹林などがあり、そして、武家屋敷も並んでいた。中城を抜け、また、空濠に掛かる橋を渡ると根城に着く。空濠の幅は六間(約十一メートル)程で、深さは五丈(約十五メートル)程もあった。

 根城は塀によって二つに区切られ、手前には奉行所を中心に重臣たちの屋敷や大きな蔵が並んでいた。向こう側には公式の場である広間を持つ主殿(シュデン)を中心に、備中守の居館(キョカン)であり書院でもある静勝軒(セイショウケン)、客殿である含雪斎(ガンセツサイ)、泊船亭(ハクセンテイ)などが並び、見事な山水庭園もあった。その中でも最も目を引くのは、江戸城の最南端に建てられた静勝軒だった。京の鹿苑寺(ロクオンジ)内に建つ金閣のように、三層建ての建物で、三階からの眺めは最高だった。どこを見渡しても雄大な眺めを見る事ができた。南に目をやれば遥かに海が広がり、西には富士山が聳(ソビ)え、北には武蔵野が広がり、筑波山も見える。東には利根川が流れ、その向こうに下総、上総の山々が広がっていた。備中守の建てた、この三層の建物は関東の武将たちに影響を与え、各地の城に同じように高い建物が建てられて行った。後の天守閣の走りといってもいい建物だった。

 丁度、桜の花の満開の頃、江戸城に入った銭泡は根城の西側に建つ含雪斎に案内され、ここを我家と思って使ってくれと言われた。含雪斎は八畳敷きの部屋が四つからなる書院で、各部屋は豪華な絵の描かれた襖(フスマ)に囲まれ、床の間や違い棚も付いた贅沢(ゼイタク)な客殿だった。銭泡が一人で利用するには広すぎ、立派すぎる屋敷だった。部屋からは富士山が眺められ、専属の侍女も二人付いて、何から何まで侍女がやってくれた。まるで、殿様にでもなったかのような豪勢な暮らしだった。備中守も何かと忙しいようだったが、暇を見付けると銭泡を静勝軒に呼んで、熱心に茶の湯を習った。

 江戸城には武将は勿論の事だが、武将以外の文化人の出入りも多かった。京から戦を避けて来た公家たちも何人か城下に住んでいたし、旅の禅僧、連歌師、芸人らが備中守を訪ねて集まって来ていた。中でも、江戸城のすぐ近くの品川津の鈴木道胤(ドウイン)は度々、静勝軒に訪れて来た。道胤は品川の長者とも呼ばれ、備中守の家老でもあり、水軍の大将でもあり、御用商人でもあり、歌人としても有名だった。度々、備中守と連歌会も催し、連歌師、心敬を江戸に呼んだのも道胤だった。年は備中守と同じ位の四十半ばで頭を丸めた熱心な日蓮宗の信者だった。

 銭泡も道胤とは気が合い、道胤の案内で、各地の名所に連れて行ってもらったり、道胤の屋敷で催される闘茶会(トウチャカイ)に参加したり、楽しい日々を過ごした。

 駿河守護、今川治部大輔(ジブノタイフ)義忠の死を真っ先に備中守に知らせたのも道胤だった。四月の十日頃、駿河の国、江尻津から品川津に入って来た船より、その知らせを聞いた道胤は、すぐに備中守に知らせた。備中守は、この事はしばらく内密しておくようにと頼み、配下の者を駿府に送った。その後の駿府の状況は、すべて、備中守のもとに届いたが、備中守は動かなかった。また、動きたくても動けなかった。備中守は扇谷上杉修理大夫定正(シュリノタイフサダマサ)の執事であり、修理大夫の許可なく勝手な振る舞いはできなかった。

 六月になり、福島越前守の家臣が今川家のお屋形、小鹿新五郎の代理として江戸城を訪れた。備中守は家臣たちに出陣の準備を命令して、越前守の家臣と共に修理大夫が陣を敷いている五十子(イカッコ、本庄市)に向かった。修理大夫は小鹿新五郎の書状を読むと、備中守に駿河に出陣して新五郎を助ける事を命じた。新五郎の書状には、自分が扇谷上杉氏の一族である事を強調して、今川家をまとめるのに力を貸してくれ、と書いてあった。修理大夫は、助けを求めている身内を見殺しにはできまい。新五郎を助けて今川家をまとめて来い、と備中守に命じた。

 銭泡は、備中守が駿河に出陣する事を聞き、駿河で世話になった早雲の事を備中守に話した。早雲が先代のお屋形様の忘れ形見、竜王丸殿の伯父に当たる人だという事を知ると、備中守は興味深そうに早雲の事を色々と聞いて来た。銭泡は、早雲の事が心配なので、是非、自分も一緒に連れて行ってくれと頼み、備中守の軍勢と共に江戸城を後にし、駿河に向かったのだった。



 駿府の城下は混乱していた。

 阿部川で小鹿派と竜王丸派の軍勢の睨み合いが続いているさなか、今度は関東から軍勢がやって来た。今度こそ、戦が始まるに違いないと城下に住む者たちは大慌てだった。皆、戸締りをして荷物をまとめ、近くに避難する場所のある者は逃げ、逃げ場のない者は、戦が起こらない事を祈りながら事の成り行きをじっと見守っていた。関東から来て八幡山に陣を敷いた軍勢は茶臼山の軍勢と同じく、不気味に駿府屋形を睨んだまま動かなかった。

 やがて、七月になると、大将の太田備中守が駿府屋形に迎えられ、本曲輪の西南に建つ客殿、清流亭(セイリュウテイ)に入った。城下の者たちは一安心して戸を開け、暑苦しい家の中に風を入れた。関東勢が小鹿派となれば、城下が戦火に見舞われる可能性は低くなる。小鹿派と竜王丸派が戦を始めたとしても、戦場となるのは阿部川辺りだろうと城下の者たちは安堵の吐息を漏らしていた。

 茶臼山山麓に陣を敷いている堀越公方の軍勢の大将、上杉治部少輔(ジブショウユウ)は小鹿派に行ったり、竜王丸派に行ったりして重臣たちを説得し、今川家を一つにしようと頑張っていたが、一向に成果は現れず、今は駿府屋形内の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在していた。備中守が来た事により、自分の手で今川家を一つにまとめようとする意欲は薄れ、どうせ、手柄は備中守に取られるものと諦めていた。手柄が得られないなら駿河にいるうちに贅沢を楽しもうと、国元では味わう事のできない淫蕩(イントウ)な日々を送っていた。

 望嶽亭も清流亭も、北川殿の側に建つ道賀亭も皆、濠に囲まれ、庭園を持つ二層建ての客殿で、将軍義教(ヨシノリ)が駿河に来た時に使用したものだった。その後は、京から下向して来た公家や僧侶たちを持て成すために使われていた。応仁の乱の始まった当初は京から逃げて来た公家たちが大勢、住んでいたが、やがて、公家たちも城下の方に屋敷を持つようになってそちらに移り、最近はどこの客殿も空いていた。

 清流亭では備中守を持て成すための準備に怠りなかった。福島越前守も葛山播磨守も備中守の機嫌を取るのに夢中だった。越前守は備中守を味方に引き入れるため、播磨守は今回の事より、さらに先の事を考えて備中守の関心を引こうとしていた。

 備中守は清流亭に入り、二階の回廊からの眺めを楽しむと、御馳走の用意された広間には向かわず、犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔が滞在している望嶽亭に挨拶に出掛けた。

 治部少輔は堀越公方、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事、もし、政知が鎌倉に入って関東公方となっていれば、治部少輔は関東管領と呼ばれていたかもしれなかった。しかし、現実は鎌倉に入る事はできず、伊豆の国に落ち着いてしまった。治部少輔も関東管領にはなれず、公方とは名のみで、ろくに兵力さえ持たない政知の執事でしか過ぎなかった。勢力を持たないとはいえ、治部少輔は公方の執事、備中守は相模守護、扇谷上杉修理大夫の執事だった。備中守の方が治部少輔の方に挨拶に行くのが当然の礼儀と言えた。

 治部少輔は機嫌よく備中守を迎えた。

 治部少輔は二階から富士山を眺めながら、女たちに囲まれてお茶を飲んでいた。

 治部少輔は酒が飲めなかった。酒が飲めないかわりにお茶にはうるさく、二十四歳まで京にいて将軍義政の側近く仕えていたため、能阿弥(ノウアミ)や村田珠光より茶の湯を習っていた。

 いい所に来た、是非、備中守殿のお点前(テマエ)を見たいものだ、と治部少輔は備中守にお茶を点(タ)ててくれと所望(ショモウ)した。備中守は断ったが、治部少輔は聞かなかった。仕方なく、備中守は治部少輔と女たちの見守る中、お茶を点てた。

 治部少輔は備中守の茶の湯の腕を知っている。女たちの見守る中で恥をかかせてやろうとたくらんでいたが、そのたくらみは見事に裏切られた。備中守は信じられない程の手捌(テサバ)きで、流れるような振る舞いでお茶を点てた。すべてが珠光流に適(カナ)っていた。女たちはうっとりとした目をして備中守に見とれていた。

 治部少輔には信じられなかった。一体、いつの間に、これ程の腕を上げたのか、村田珠光、あるいは、その弟子が関東に下向して来たというのを聞いてはいない。もし、下向して来たとすれば、自分のもとに寄らないわけがない。備中守が一体、誰から習ったのか、まったく納得の行かない事だった。

「見事じゃな」と治部少輔はお茶をすすりながら言った。

「ありがとうございます。名人と言われる治部少輔殿に誉められ、稽古に励んだ甲斐がございました」と備中守は頭を下げた。

「備中、一体、どなたの指導を受けられたのじゃ」

「治部少輔殿は京の商人だった伏見屋殿を御存じでしょうか」

「いや、知らんが‥‥‥」

「伏見屋殿は村田珠光殿のお弟子さんです」

「ほう。珠光殿のお弟子か、その伏見屋から習ったと申すのか」

「はい。伏見屋殿は幕府にも出入りしていた商人でしたが、応仁の乱で店を焼かれ、頭を丸めて銭泡と名乗って関東にやって来たのです」

「思い出したわ」と治部少輔は手を打った。「伏見屋と言えばかなりの店構えじゃったが、伏見屋があの店をたたんだのか‥‥‥信じられん事じゃ」

「財産もすべて使い果して、無一文になって旅に出たそうです」

「ほう。無一文になってのう。関東に来たのなら、わしの所に寄ってくれれば歓迎したものを‥‥‥」

「伏見屋殿は乞食坊主として旅をしていたようです。あれだけの腕を持ちながら、茶の湯の事は一切、口には出さずに、腹を空かしながら旅を続けていたようです。わたしの親父が道に行き倒れていた伏見屋殿を助け、越生(オゴセ)の隠居所に連れて来ました。病も治り、しばらく、親父のもとにいましたが、茶の湯の事など一言も口にしなかったそうです。ようやく正月となり、伏見屋殿もただの乞食坊主に親切にしてくれた親父に、お礼の気持ちを込めて茶の湯を披露して、正体を明かしたというわけです」

「真の佗び茶というものを実践しておったという事か‥‥‥」

「そのようです。しかし、あそこまで徹底する事は、普通の者には真似のできない事でしょう」

「うむ‥‥‥それで、伏見屋はまだ越生におるのか」

「いえ。わたしと共に、この地に来ております。伏見屋殿は関東に旅立つ前、ここの先代のお屋形様にもお茶の指導をしたとの事で、お屋形様がお亡くなりになられたと聞くと、一緒に連れて行ってくれと‥‥‥今、清流亭におります」

「そうか、清流亭におるのか。備中、頼む。ここに伏見屋をよこしてくれ。積もる話もあるしのう。将軍様や珠光殿の事も聞きたいしのう」

「はい、かしこまりました」

「頼むぞ。それとのう、今川家の事もそなたに任せるわ。わしもやるだけの事はやったが、どうも、わしの手には負えんようじゃ。そなた、今川家をまとめてくれ。今川家が争いを始めたら伊豆の国も騒ぎ出して、公方様も危なくなる。公方様と言っても直属の兵が少ないのでのう。伊豆で騒ぎが起きたら静める事も難しい事となろう。何としてでも、今川家を元のようにしてもらわん事には困るのじゃ。頼むぞ」

「はい、かしこまりました。できるだけの事をするつもりでおりますが、治部少輔殿にも、何卒、この備中にお力添えをお願い致します」

「うむ。分かっておる。力が欲しい時には、いつでも言って来るがいい」

 備中守は深く頭を下げると望嶽亭を後にした。

 清流亭に戻った備中守は、銭泡に望嶽亭に行くように頼むと、三番組の頭、葛山備後守と三浦右京亮に代わって五番組の頭となった福島越前守の弟、兵庫助の待つ広間へと向かった。今回の宴は備中守の旅の疲れを癒(イヤ)すねぎらいの宴なので、今川家の重臣たちの顔はなく、備中守と数人の家臣の他は皆、女たちだった。接待役の葛山備後守と福島兵庫助の二人も、それぞれ播磨守、越前守の代理として簡単な挨拶を済ますと広間から出て行った。

 山のような御馳走を前に、綺麗どころの女たちに囲まれて備中守も機嫌よく酒を飲んでいた。浅間神社から芸人たちも呼ばれて、様々な芸が披露された。城下に住んでいる公家たちも手土産を持って備中守を訪ねて来ていた。相変わらず武装した兵が闊歩(カッポ)しているお屋形内とは思えない程、清流亭は華やかだった。

 夜も更け、宴もお開きとなると備中守はお気に入りの女に連れられ、二階に上がった。

 二階には、すでに臥所(フシド)の用意がしてあった。備中守は回廊の手摺りを握ると夜空を見上げた。風も心地よく、降るような星が見事だった。

「およの」と備中守は隣にいる娘の名を呼んだ。

「はい」とおよのは備中守の顔を見上げた。

「およのは今宵、命じられて、ここに来たのか」

「いいえ」とおよのは首を振った。「わたしがお父上にお願いして参りました」

「自分の意志で来たと申すのか」

「はい」

「なぜじゃ」

「わたしの夫となるべき人は、祝言(シュウゲン)を上げる前に戦で亡くなってしまいました。二年前の事です。その日以来、わたしは家の中に閉じ籠もりっきりでした。やがて、お屋形様がお亡くなりになられました。今川家は二つに割れてしまいました‥‥‥お父上は毎日、忙しそうに働いております。いつまでも悲しみにくれているわたしは、いつまでもこんな事ではいけない。わたしも今川家のために何かをしなければならないと気づきました。しかし、女の身であるわたしには、お父上を助ける事はできません。そんな時、お父上とお母上が話している事を耳にしたのです。関東から来られた備中守様を持て成すために、わたしを備中守様のもとに差し出すようにと頼まれたと言うのです。お父上は、わたしが病気だといって断るつもりだったようです。わたしはお父上のために、今川家のために決心をして、こうして参りました」

「今川家のためにか‥‥‥」

「はい‥‥‥」

「そなたのお父上はどなたじゃな」

「石川志摩守(シマノカミ)と申します。福島越前守様の家来です」

「そうか、越前守殿の御家来衆か」

「備中守様、今川家は前のようになるのでしょうか」

「うむ。難しい事じゃが、やらねばなるまい」

「わたしには難しい事は分かりませんが、お父上から備中守様の事は聞いて参りました。備中守様は関東で有名な立派な武将だとお聞きしました。備中守様なら今川家を一つにまとめて下さるだろうとお父上は言いました。どうか、お願いします、今川家を前のように戻して下さい」

「そなたの目は綺麗じゃのう」と備中守は言った。

 およのは顔を伏せた。「申し訳ありません。余計な事を言ってしまいました」

「いや。世の中がこう乱れて来ると、女子といえども強く生きなければならん。自分の思った事をはっきりと口に出すのはいい事じゃ」

 およのは顔を上げて、備中守の顔を見つめた。

 備中守は空を見上げていた。

 およのは備中守の横顔を見ながら不思議な人だと感じていた。どう不思議なのか分からなかったが、およのが今まで見て来た男の人とは違う種類の男のようだった。年は父親程も違うのに父親とは全然違って、その静かな横顔には惹(ヒ)かれるものがあった。もしかしたら、備中守と夜を共にしなければならないと覚悟は決めていても、初めて備中守を目にした時はやはり恐ろしかった。ギョロッとした目に見つめられると目を伏せずにはいられなかった。

 幸い、およのの席は備中守と離れていた。およのの隣には備中守の側近の若い侍が座った。その若侍は行儀正しくしたまま、およのに声も掛けなかった。およのの方も酒を注いでやる位で、ほとんど話もしなかった。このまま宴も終わるだろうと、ホッとしていた時、突然、およのは備中守に呼ばれて備中守の隣に座った。

 備中守はおよのの名を聞くと、「いい名じゃ」と言ったが、それ以上の事は聞かなかった。ただ、およのの前に空になった酒盃を差し出すたびに、およのはそれに酒を注いでいた。

 どうして、わたしなんかが呼ばれたのだろうと、およのは不安で一杯で、どうしたらいいのか分からなかった。宴が終わる頃、およのは隣に座っていた女から耳元で、備中守様を二階にお連れしなさいと命じられた。およのは言われた通りに備中守を二階に案内した。

 二階に来て部屋の中の臥所を見た時、およのは恐ろしくてしょうがなかった。ここまで来てしまったら、もう逃げる事はできなかった。いっその事、ここから飛び降りて死のうかとも思った。しかし、備中守と二人きりで夜風に吹かれながら話をしているうちに、およのの感じていた不安や恐怖心は消え、もしかしたら、わたしはこの人と出会うために生まれて来たのかもしれないと、とんでもない事を真剣に思うようになっていた。

 備中守はおよのの肩を優しく抱き寄せると部屋の中に入って行った。
PR
この記事へのコメント
name
title
color
mail
URL
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

secret(※チェックを入れると管理者へのみの表示となります。)
ランキング
ブログ内検索
プロフィール
HN:
酔雲
HP:
性別:
男性
自己紹介:
歴史小説を書いています。
最新コメント
[11/16 tomo]
[11/05 上田義久]
[06/07 アメリカ留学]
[06/05 アメリカ留学]
[09/05 magazinn55]
[09/01 松戸悪人退治連盟]
[08/22 信楽人]
[08/22 酔雲]
[08/22 信楽人]
[08/22 信楽人]
最新トラックバック
バーコード
楽天市場
陰の流れのショッピング


アクセス解析
Copyright © 長編歴史小説 陰の流れ~愛洲移香斎 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Material by ラッチェ Template by Kaie
忍者ブログ [PR]