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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
9.楓






 色あせた紫陽花が雨に打たれていた。

 もう梅雨も上がったはずなのに、今年は、いつまでも、ぐずついた天気が続いていた。

 今日も一日、蒸し暑くなりそうだった。

 太郎が大峯山で師匠、風眼坊舜香を捜している頃、飯道山に一人の山伏が登っていた。播磨の国、瑠璃寺の山伏、阿修羅坊だった。二年振りに、また、甲賀にやって来たのだった。

 二年前、十二月になったら、また来て、太郎坊という男に会おうと思い、一旦は帰った阿修羅坊だったが、年末に来る事はできなかった。

 京にいて、西軍の大将、山名宗全の様子を探っていた。

 秋頃より、宗全が病にかかって伏せているとの噂が広まっていた。西軍側では、そんな事はないと否定していたが、真相を探るため、阿修羅坊は西軍の本陣に潜入していた。

 宗全が重病だという事を探り出すと、そのまま播磨へと向かい、山名軍との戦に明け暮れていた。去年三月には、とうとう宗全が亡くなり、敵の動揺に付け込んで、備前の国、美作(ミマサカ)の国から山名軍を一掃する事に成功した。ようやく一段落した今年の夏、阿修羅坊は再び、京に戻って来た。そして、また、赤松政則の姉を捜すために甲賀にやって来たのだった。

 太郎坊は、どうせ、いないだろうし、花養院の松恵尼は何も喋らないだろう。ここに来ても、どうせまた、無駄足になるだろうと半ば諦めていた阿修羅坊だったが、楓が戻って来ている事を知ると自分の運の良さが信じられない程だった。

 阿修羅坊の頭の中では、楓こそが絶対に赤松政則の姉に違いないと決めてかかっていた。その楓に、こうも簡単に会えるとは夢のようだった。

 高林坊の話だと、夫の太郎坊は今、大峯山に行っていて留守で、楓は花養院で朝早くから夜遅くまで孤児たちの世話をしていると言う。

 さっそく、阿修羅坊は花養院に行き、隠れて楓を捜した。

 すぐにわかった。

 その顔を見た途端、間違いなく、赤松政則の姉だとピンと来た。政則に似ていた。そして、母親のように別嬪(ベッピン)だった。すぐに会いたかったが、花養院で会うのは松恵尼がいるのでまずかった。

 楓のうちに訪ねて行った方がいいだろうと思い、阿修羅坊は花養院に張り込み、楓が帰る後を付いて行って楓のうちを突き止めた。このまま訪ねようかと思ったが、夫の留守に、夜、訪ねて行って警戒されたら、話もうまく行かないだろうと、次の朝、出直して来ようと決めた。

 雨は降っていないが、どんよりと曇った朝だった。

 楓が百太郎と二人で部屋の掃除をしている時だった。

「御免下さい」と誰かが訪ねて来た。

 こんな早くから、一体、誰だろうと入り口の戸を開けると山伏が立っていた。

 山伏がここを訪ねて来るのは初めてだった。誰も、太郎坊のうちがここだとは知らない。

 楓は不思議そうに山伏を見ていた。

「楓殿ですね」と山伏は軽く笑いながら言った。

「はい」と返事をしたが、楓の知らない山伏だった。

「朝早くから、すみません。私は阿修羅坊という者です。御主人の太郎坊殿より頼まれて、大峯山から参りました」

 大峯山から来たと聞いて、楓はすぐに太郎の事を心配した。

「主人に何かあったのでしょうか」

「いえ、そうではありません」と阿修羅坊と名乗った山伏は慌てて手を振った。「御主人殿は元気に修行に励んでおります」

「そうですか」と楓はほっとして、阿修羅坊を改めて見た。見るからに修行を積んだ先達山伏に見える。もしかしたら、風眼坊様の友達かしらと思った。

「ちょっと、そなたに話があるのですが、よろしいでしょうか。手間は取らせません」

「はい」と楓は阿修羅坊をうちの中に入れた。

 百太郎が阿修羅坊を見て、脅えるように楓の後ろに隠れた。

「お子さんですか」と阿修羅坊は百太郎に愛想笑いをした。

 阿修羅坊は楓と向かい合って座ると話し始めた。

「楓殿、播磨の赤松氏を御存じですか」と阿修羅坊は言った。

「いいえ」と楓は答えた。

 阿修羅坊は頷いた。楓の顔を見ながら、回りくどく言うより、単刀直入に言った方がいいかもしれないと思った。

「実は、赤松家の当主、赤松兵部少輔(ヒョウブショウユウ)政則殿は、楓殿、そなたの弟です」

「はあ?」

 突然、そんな事を言われても、楓には何が何だかわからなかった。第一、赤松氏なんて聞いた事もない。どこの誰だか、さっぱりわからなかった。

「驚くのは無理もない。赤松氏の方でも、そなたの存在を知ったのは、つい、この間の事です。ところで、そなたの御両親はどなただか御存じですかな」

「いえ、わかりません。ただ、武士だったと言う事だけは聞いております」

「それだけですか。御両親の名前は」

「わかりません‥‥‥」

「知りたいとは思いませんか」

「いえ‥‥‥でも、私にとって松恵尼様が母親だと思っております」

「でしょうな。しかし、本当の事を知りたいとは思うでしょう」

「‥‥‥わかりません」

 楓の横で、百太郎は珍しい物でも見たかのように、阿修羅坊の顔をじっと見ていた。

「急な話でよくわからないのは無理ありません。とにかく、私の話を聞いて下さい。赤松兵部少輔殿は播磨、備前、美作の守護大名の当主です」

「えっ」と楓はびっくりした。「それでは、そのお方というのは、お殿様という事ですか」

「まあ、そうです。しかし、それだけではありません。幕府の重臣でもあります。幕府の侍所の頭人も勤めております」

「侍所の頭人?」

「京の都を警備したり、悪人を取り締まったりしている所の長官です」

「そんなに偉いお人なんですか‥‥‥」

 阿修羅坊は頷いた。「そのお方の姉君が、そなた、というわけです」

「まさか‥‥‥」

「信じられないでしょうが間違いありません」

「そんな事、信じられません‥‥‥どうして、私が、そのお方の姉だというのです」

「実の所、はっきりとした証拠はないんですよ。多分、松恵尼殿が知っていると思いますが、何も話してくれません。しかし、そなたに会ってみて、私は、絶対に、そなたがお屋形様の姉君だという確信を持ちました」

「お屋形様?」と楓は聞いた。

「申し訳ありません」と阿修羅坊は謝った。「実は、私は播磨の山伏です。赤松氏の重臣、浦上殿に頼まれ、お屋形様の姉君を捜していたのです」

「それでは、主人を知っているというのは嘘だったのですね」

「話には聞いておりますが、会った事はありません。ぜひ、お会いたいものです」

「もうすぐ、帰って来ます」

 阿修羅坊はわかっているというように頷いた。「高林坊殿より聞きました。若いが随分と強いと聞いております。まあ、御主人の事はさて置き、まずは、そなたの事です。初めに、赤松氏の事を大まかにお話します。今でこそ、赤松氏は三国の守護職に就き、幕府でも重きを置く大名となっておりますが、そなたが生まれた当時、赤松氏は幕府に取り潰されて存在しておりませんでした。そなたの父親は赤松彦三郎殿といって、幕府の目を逃れ、近江の浅井郷に隠れておりました。そこで、そなたの母親と出会い、そなたが生まれたのです」

 阿修羅坊はそう言って楓を見た。楓は興味深そうな顔をして聞いていた。阿修羅坊は心の中で満足して話を続けた。

「そなたの母親は近所の郷士の娘で、えらい別嬪だったそうです。残念ながら、そなたの母親は彦三郎殿の正妻ではありませんでした。その時、正妻には子供がなく、そなたの母親が疎ましくなったのでしょう、そなたの母親をいじめたわけです。そなたの母親は今浜(長浜市)の親戚に預けられました。そこで、そなたを産んだわけだが、その後、不幸な事件が起きたのです‥‥‥京の都を荒らしていた盗賊どもが今浜に現れ、あちこちを荒らし回り、そなたの母親がいた親戚の家も襲われ、全員が殺されました」

 楓は百太郎を抱き寄せ、阿修羅坊から視線をそらせた。母親の死を告げるのは辛かったが仕方がなかった。阿修羅坊は話を続けた。

「幸い、赤ん坊だった、そなただけは、ある山伏に助け出されました。その山伏というのは伊勢の北畠氏と関係のある山伏で、赤ん坊は伊勢の都、多気に連れて行かれました。それから、この甲賀の地の尼寺に預けられた。ここまでは、本当の話です。私は、二年前、ここに来て、尼寺をすべて当たりました。しかし、見つからなかった。花養院の松恵尼殿は何かを知っていそうだったが、何も話してはくれませんでした。そなたの事も聞いて、色々と捜してみたが、どこに行ったのか、まったくわかりません。二年振りに、また、やって来て、やっと、そなたに会う事ができたという次第です」

 楓は百太郎を抱きながら、じっと黙って阿修羅坊の話を聞いていた。

 母親が盗賊に殺されたなんてひどすぎた。そんな話は聞きたくはなかった。でも、北畠氏と松恵尼とのつながりは確かにあった。阿修羅坊の言うように、伊勢の山伏に助けられて、あたしはここに連れて来られたのだろうか。阿修羅坊が嘘をついているとは思えなかった。それでも、あまりにも驚きが大きすぎて、どうしたらいいのかわからなかった。

「どうですか。何か、心当たりの事はありますか」

「わかりません‥‥‥」

「そうですか‥‥‥今日のところは、これで失礼します。松恵尼殿に聞けば詳しくわかると思いますよ」

 阿修羅坊は帰って行った。

 百太郎が楓の袖を引っ張りながら、何かを言っていた。

 楓はぼんやりと窓の外を見ていた。

 雀が木の上で鳴いていた。

あたしに弟がいたなんて‥‥‥しかも、その弟は三つの国を治める大名のお殿様で、幕府の中でも偉い人だと言う。急に、そんな事を言われても、どうしたらいいのかわからなかった。

「百太郎や、お母さんはどうしたらいいんでしょうね」と言いながら、楓は百太郎を抱き締めた。

 百太郎は心配そうに母親を見上げていた。

「お父さんが帰って来たら、考えましょうね」

「うん」と百太郎は頷いた。





 楓が阿修羅坊と会った日の昼過ぎ、花養院の客間で、阿修羅坊は松恵尼と楓の二人と対座していた。

 小雨がしとしとと降り、蒸し暑かった。

 孤児院の方から子供たちの遊んでいる声が賑やかに聞こえていた。

「わかりました」と松恵尼は落ち着いた声で阿修羅坊に言った。「楓も、その方がいいのですね」と楓の方を向いた。

「はい。教えて下さい」

 松恵尼は楓に頷くと立ち上がり、部屋から出て行った。

 阿修羅坊は壁に掛けられた掛軸を眺めていた。

 漢詩が隷書(レイショ)で書かれてあった。誰が書いたのか知らないが立派な力強い字だった。どこかの禅僧が書いたものだろうか。

 掛軸の前には信楽焼きらしい花瓶に花が生けてあった。松恵尼が生けたものだろうか、涼しさを感じさせる花がうまく生けてあった。

 楓を見ると、俯いたまま、考え込んでいるようだった。

 今は質素でさっぱりした身なりをしているが、武家の奥方の格好をさせても、よく似合いそうだ。この娘なら、お屋形様の姉君として、どこに出しても恥ずかしくはないだろう。浦上殿に言わせれば、政治的利用価値は大いにありというわけだ。

「楓殿、播磨の国に行ってみませんか。いい所ですよ」と阿修羅坊は楓に声を掛けた。

「え、はあ‥‥‥」と楓は顔を上げた。

「お屋形様は今、播磨の国におります。新しくできた置塩(オキシオ)城という立派なお城で暮らしております。一度、会って見てはいかがですか」

「お城に‥‥‥」

「そりゃ、もう、綺麗なお城ですぞ。お城の下には夢前川が流れ、城下もまだ新しく、商人たちが行き交い、賑わっております。市の立つ日は、かつての京の都にも負けない程の賑わいですよ。そなたも、きっと気に入るじゃろう。ぜひ、行ってみるがいい」

「そんな、急に言われても‥‥‥」

「まあ、私の一存では決められませんがな、そなたが会いたいと言えば何とかなるじゃろう。のう、一度、会ってみい。お屋形様はそなたに似ていて、なかなかの男前じゃぞ」

 阿修羅坊は陽気に笑った。

 やがて、松恵尼は荷物を抱えて戻って来た。

「これが、赤ん坊の楓と一緒に、ここに届けられた物です」

 松恵尼は荷物の中から、一枚の紙切れを出して、阿修羅坊に見せた。

 阿修羅坊はそれを受け取ると、じっくりと目を通した。

 それは、赤松彦三郎義祐が、楓の母親、お咲に当てた手紙で、生まれた赤ん坊に楓という名前を付けてくれと記したものだった。最後に、義祐の署名も入っていた。

 これで、完全に、楓が赤松政則の姉である事が証明されたわけであった。

 阿修羅坊は何度も読み直してから、その手紙を楓に渡した。

 もう一つ、父親の遺品だという脇差があった。

 阿修羅坊は手にして良く見てみたが、彦三郎の物だったという印はどこにもなかった。鞘を抜いて刀身も見てみたが、それ程の名刀とも思えなかった。

 阿修羅坊は刀を鞘に戻すと松恵尼に返した。

「これで、確実ですな」と阿修羅坊は嬉しそうに言った。

 松恵尼は頷いた。

「松恵尼様、どうして、今まで黙っていたのですか」と楓が聞いた。

「話そうとは思いました。でも、戦が始まり、赤松氏は東軍として山名氏と戦っています。そんな所に楓をやりたくはなかった。戦に巻き込みたくなかったのです。それに、楓は太郎坊殿と一緒になって南伊勢に行きました。もう、二度と、ここには戻って来ないものと思っていました。あちらで幸せに暮らしていれば、楓の出生の秘密は私の胸の内だけにしまって置いた方がいいと思っていました‥‥‥しかし、また、戻って来てしまった」

 松恵尼の話が途切れると、「私は、これで失礼します」と阿修羅坊は言った。

「改めて、お迎えに来ると思いますが、今日はこのまま京に帰ります。よい知らせを待っているお人がおりますからな」

 阿修羅坊は松恵尼と楓の顔を交互に見てから、「それでは」と頭を下げると出て行った。

 阿修羅坊を見送った後、「どうしますか」と松恵尼は楓に聞いた。

「わかりません」と楓はすがるような目で松恵尼を見た。

「多分、赤松殿は楓を迎えに来るでしょう」

「‥‥‥どうしたら、いいのでしょう」

「太郎殿はいつ帰って来るの」

「あと五日もすれば帰って来ると思いますけど‥‥‥」

「それなら、大丈夫でしょう。帰って来たら、二人でよく相談する事ね」

「はい‥‥‥」

「しかし、あの阿修羅坊という人も大したお人ね。よく、楓の事を探り当てたわ。楓の事を知っていたのは、本当に、私一人だけだったのよ」

「あの、赤ん坊のあたしを助けてくれた行者さんていうのはどなたなのですか」

「伊勢の世義寺という所の山伏よ。もう、亡くなったわ。北畠の先代のお殿様も亡くなったし、知っているのは私だけだったのに」

「あたしのお父さんは、今も生きてらっしゃるのですか」

 松恵尼は首を振った。

「赤松家を再興させるために戦に出て、怪我をして、それがもとで亡くなってしまったわ。でも、あなたの弟の次郎(政則)殿を当主として、赤松家は再興する事ができたのよ」

「それは、いつ頃の事なんですか」

「そうねえ、あれから、もう十五年位経つかしらねえ。あなたが、まだ五つの時だったわ。私は赤松家が再興されたと聞いて、あなたの事をどうしたらいいか悩んだわ。赤松家に返そうとも思った。でも、あの頃、飢饉が続いていてね。京の都はひどい状態だったわ。勿論、武士が飢えたという話は聞いた事ないから赤松家は大丈夫だったけど‥‥‥でも、あの時は私もまだ若かったし‥‥‥要するに、あなたを手放したくなかったのね‥‥‥誰かが迎えに来たら仕方ないけど、それまでは、私の手で育てようと決めたのよ。あなたには悪い事をしたかもしれないけど、私はあなたを手放したくなかった‥‥‥そのうち、京で戦が始まって、当然、赤松家も戦に巻き込まれたわ。そんな所に楓をやりたくなかった。そして、太郎殿と出会い、五ケ所浦に行った。向こうで幸せに暮らして、もう、二度と、ここに戻って来る事はないと思っていました‥‥‥まさか、今頃になって、お迎えが来るなんてねえ‥‥‥」

「松恵尼様‥‥‥」

「本当に御免なさいね。今まで隠しておいて‥‥‥」

 楓は首を振った。「いいえ、そんな事いいんです。あたしはここで、ずっと幸せでした」

 松恵尼は楓を見つめながら、ゆっくりと頷いた。

「どんな人かしら、あたしの弟って」

「確か、あなたより一つ年下のはずよ」

「それじゃあ、今、二十歳ってわけですね」

「そうね。お互いに、たった一人の身内というわけよ。これから、楓がどう生きて行くにせよ、一度は会っておくべきでしょうね」

 楓は頷いた。





 予定の一ケ月が過ぎても、太郎は帰って来なかった。

 楓は一人で悩んでいた。

 自分に弟がいたという事は嬉しいけど、その弟の身分が余りにも高すぎた。

 あとで松恵尼から聞いたら、赤松氏というのは村上源氏の流れを引く名族だと言う。しかも、播磨、備前、美作と三国を支配している大名で幕府の重役にも就いている。

 松恵尼の話だと、伊勢の北畠氏よりも、ずっと大きい勢力を持った大名だと言う。

 北畠氏の都、多気に行った時、北畠氏の凄く綺麗で立派な御殿を見たけど、あれよりも立派な御殿に住んでいるのかしら。楓には、とても、想像すらできなかった。

 そんな偉い人が弟だと言われても、どうしたらいいのかわからない。

 早く、太郎に相談したかった。太郎の帰りを首を長くして待っている楓だった。

 阿修羅坊は六日後にまた、花養院にやって来た。四人の山伏を連れていた。見るからに強そうな山伏ばかりだった。

 三人の山伏を外に待たせたまま、阿修羅坊は一人の山伏を連れて、中に入って行った。

 しばらくして、楓は客間に呼ばれた。

 楓が客間に行くと、二人の山伏を前に松恵尼が座っていた。

 楓は松恵尼の隣に座った。

 阿修羅坊が連れて来た山伏は、楓の姿をじっと見ていた。

「楓です」と松恵尼が阿修羅坊の連れて来た山伏に紹介した。

「成程、確かに似ておる」その山伏は楓を見つめたまま言った。

「楓殿、こちらは浦上美作守(ミマサカノカミ)殿です。赤松家の重臣です。世の中、物騒なんでな、こうやって山伏に化けて来たわけです」と阿修羅坊は説明した。

「楓です」と楓は頭を下げた。

「孤児たちの世話をしているそうですな。大変でしょう。この戦は一体、いつになったら終わるのでしょうな。早く終わって欲しいものです」と浦上美作守は言った。

「そうですね。子供たちが可哀想です」と松恵尼は言った。

「あとで孤児院を見せて下さい。京の都にも孤児はかなりいます。京にも、ここのような施設が必要ですな。また、播磨にも必要でしょう」

「赤松殿は今、播磨の国にいらっしゃるそうですね」と松恵尼が聞いた。

「はい、今、お屋形様は新しい城下造りをしております。三十年近くの間、山名氏に取られてしまっていたので、国人衆をまとめるのが、なかなか大変なんですよ。まずは立派な城下を造って、こちらに靡(ナビ)かせて行かなければならないのです」

「三国を治めて行くというのは大変な事でしょうね」

「ええ、お屋形様に身内がいないというのが一番辛い事です。もっとも、今の時代は親兄弟でも戦をしている御時勢ですから、身内と言っても安心はできませんがね。それでも、お屋形様に姉君様がいらしたというのは、まことに喜ばしい事です。お屋形様もさぞ、お喜びの事でしょう。まだ、お屋形様には知らせておりませんが、さっそく、早馬を飛ばせましょう」

「お屋形様はどのようなお方なんでしょうか」と松恵尼が聞いた。

「まだ、お若いですから、ちょっと頼りない所もありますが、赤松家の当主として、立派な武将におなりです。幼い頃より禅僧に付いて学問を修め、兵法(ヒョウホウ)の方もなかなかのものです。ことのほか、馬術は得意です。また、鷹狩りも好きで、よくやっております。最近は、剣術もやっておるようです」

「まあ、そうですか」

「楓殿の御主人も剣術が得意とか、伺っておりますが」

「ええ、太郎坊殿の剣術もなかなか凄いですよ、ねえ、楓」

「はい」と楓は、ただ頷いた。

「松恵尼殿」と阿修羅坊が言った。「楓殿の御主人ですが、山伏になる前は武士だったそうですが、どこの武士だったのですか」

 松恵尼は楓の顔を窺ってから答えた。「南勢の愛洲氏です」

「愛洲氏‥‥‥あの熊野水軍の愛洲氏ですか」と浦上美作守が聞いた。

「はい。愛洲氏の水軍の大将、隼人正殿の伜殿です」

「水軍の大将の伜殿‥‥‥それが、また、どうして、山伏に」

「よくは知りませんが、愛洲氏の内紛に巻き込まれ、その責任を負って、出て来たらしいです」

「成程、自分が犠牲になったというわけですか」

「でしょうね。それと、太郎坊殿は剣術というものに、とことん打ち込んでみたかったのでしょう。自ら、陰流という剣術の技を編み出しています」

「陰流‥‥‥ほう、自分で剣術の流派をね。それは、なかなかのものですな」

「飯道山でやっている『志能便の術』とかも、太郎坊殿が考えたとか」と阿修羅坊が言った。

「ええ、そうです。皆、その『志能便の術』が習いたくて、毎年、大勢の若者がお山に修行に来ているのです」

「志能便の術とは何です」と美作守が聞いた。

「どうやら、敵の城などに忍び込む術のようですな」と阿修羅坊が説明した。

「成程、それで、忍びの術か。飯道山ではそんな術も教えておるのか‥‥‥」

「うちの若い者たちもここに送り込んで、鍛えさせた方がよさそうですよ」と阿修羅坊が笑いながら美作守に言った。

「そうだな。忍びの術を習わせて敵の城に送り込むか」

「いやいや、太郎坊殿が播磨に来て、若い者たちに教えてくれればいいんじゃ」

「おう、そうじゃのう。楓殿、ぜひ、御主人とお子さんを連れて播磨にいらっしゃい」

 浦上美作守は赤松彦三郎義祐の手紙と脇差を見せてもらい、改めて、迎えをよこすからと言って、阿修羅坊と共に座を立った。そして、孤児院に行き、孤児たちに一言づつ声を掛けると、護衛の山伏に囲まれて帰って行った。

 この時、五人の山伏の後を一人の薬売りが付けて行ったのを松恵尼だけが知っていた。





 阿修羅坊が楓を迎えに来たのは、浦上美作守を連れて来た日から六日後だった。

 七月七日の七夕の日で、花養院でも笹竹を飾り、厄払いの行事が行なわれていた。

 太郎はまだ、帰って来なかった。

 楓は松恵尼と相談をして、一度、弟の赤松兵部少輔政則に会ってみる事に決めた。

 楓は知らなかったが、松恵尼は赤松氏の事をもう二年も前から色々と調べていた。京都の赤松氏の屋敷は勿論の事、播磨の国の城下にまで、松恵尼の手下の者たちが潜入して情報を集めているという。松恵尼がまた、何かを始めたらしいという事は楓も気づいていたが、まさか、赤松氏の事を調べていたとは思ってもいなかった。

「心配しないで、行ってらっしゃい。あなたの行動は全部、ここに伝わるはずよ。あなたがどこに連れて行かれても、必ず、太郎殿を迎えに行かせるわ」

「あたしのために、赤松氏の事を探っていたのですか」と楓は松恵尼から頂いた綺麗で立派な着物を眺めながら聞いた。

 松恵尼は首を横に振った。

「そうじゃないわ。あなたは、もう、帰って来ないと思っていましたし‥‥‥二年前、阿修羅坊殿が初めて、ここに来た時、あなたの居場所がわかってはまずいと思って、阿修羅坊殿を見張らせていたのよ。そしたら、見張りの者が阿修羅坊殿と一緒に播磨まで行っちゃってね、向こうの事を色々と聞いたら、ちょっと、商売がしたくなったのよ。向こうの商人と取り引きを始めてね。そのうち、赤松氏とも取り引きを始めたんですよ。京の都にも播磨の国にも、私の手下の者たちが入り込んでいるの。だから、安心して行って来るといいわ。そんな事はないと思うけど、あなたにもしもの事があっても絶対に助け出してあげるわよ。あなたにはわからないけど、常に、あなたの回りに陰の護衛を付けて置くわ」

「陰の護衛‥‥‥」

「ええ、太郎殿の陰の術にはかなわないけど、みんな、強いから安心して大丈夫よ。それに、あなたは赤松家のお姫様なんだから大事にされるはずよ」

「お姫様だなんて‥‥‥でも、松恵尼様、松恵尼様は一体、何者なんですか」

「そのうち、わかるわ。でも、私の正体がわかれば、あなたは私の事がいやになるかもしれないわね」

「そんな事ありません」

 松恵尼は笑った。しかし、その笑いは、どこか淋しそうだった。

「松恵尼様、という事は、阿修羅坊様が、また、ここに来るという事も前もって知っていたわけですか」

「そうよ」

「それじゃあ、こうなる事もわかっていたのですね」

「ええ。わかっていました。でも、どうする事もできなかったわ」

「そうだったのですか‥‥‥」

 阿修羅坊は日輪(ニチリン)坊、月輪(ゲツリン)坊という二人の若い山伏を連れて、楓を迎えに来た。

 浦上殿は綺麗な牛車(ギッシャ)を用意してくれたが、そんなのに乗って行ったら、目立って、誰に襲われるかわからないので、申し訳ないが都まで歩いてくれとの事だった。

 楓は次の日、証拠の手紙と脇差を持ち、百太郎を連れ、松恵尼が付けてくれた桃恵尼(トウケイニ)という尼僧と弥平次という男を連れて、三人の山伏の後に従った。

 桃恵尼は三十歳位の太った尼僧で、五、六年前、主人を戦で亡くし、子供もいなかったので松恵尼のもとで出家していた。出家した当時は、この花養院にいて、楓も知っていたが、その後、奈良の方に行ったとかで花養院に戻って来る事もなかった。ところが、先月になって急に帰って来て、孤児たちの世話をしていた。陽気な性格で、いつも、笑顔を絶やさず、すぐに子供たちの人気者になって行った。太っているので動きが鈍いように見えるが、松恵尼の薙刀の弟子で、見かけに似合わず身が軽く、すばしこかった。

 弥平次は楓が小さかった頃、よく、花養院に来ていた男だった。その当時は飯道山の山伏で、楓とよく遊んでくれた。楓に石つぶてを教えてくれたのが、この弥平次だった。いつの間にか花養院に来なくなり、楓もすっかり忘れてしまっていたが、久し振りに会って、本当に懐かしかった。今は信楽の庄で焼物の店を持ち、息子が大きくなったので店は息子に任せて、のんびり隠居していると言う。この間、突然、松恵尼様が訪ねて来て、楓の付き添いをして旅に出てくれと頼まれ、喜んで引き受けたのだと言った。

 弟に会いに行くとはいえ、知らない所に行くのに、何かと心細かった楓だったが、桃恵尼と弥平次が一緒に付いて来てくれるので、いくらか、ほっとしていた。

 一行は二日めの昼過ぎ、京の都に入った。

 阿修羅坊が西軍が陣する危険な場所を避け、安全な道を選びながら進んで行ったので、途中、何事もなく無事に都に到着した。

 楓は京の都に来るのは初めてだった。粟田口から京に入った一行は賀茂川を渡り、京極通りを北上した。

 京の都は、ほとんどが焼けたまま放置されてあった。あちこちに濠が掘られ、土塁や塀が作られてある。まだ、戦は完全に終わっていなかった。

 今年の四月、両軍の大将、細川右京大夫政元(勝元の子)と山名弾正少弼(ダンジョウショウヒツ)政豊(宗全の孫)の間で講和が成立していた。しかし、大将同士で講和が成立したから、戦は終わりだというふうに簡単には行かなかった。

 誰もが戦の終結を望んではいたが、それぞれが領国拡大の恩賞を目当てに、東軍、西軍に属し、はるばる遠くから戦にやって来たのである。これで、戦は終わりですと言われても、何も貰えずに、はい、そうですかと帰るわけにはいかなかった。長い戦に誰もが莫大な出費を抱えていた。元も取れずに陣を払って帰るわけには行かなかった。

 両軍の諸将たちは何らかの成果を期待して、まだ、京に在陣していた。

 京の都では、今、合戦は行なわれてはいなかった。しかし、誰が、いつ、何をしでかすかわからない状態だった。両軍の武士たちが濠や柵を越えて行き来する風景も見られはしたが、まだ、睨み合いを続けている所もあった。また、足軽たちにしてみれば、戦が終わってしまえば食いっぱぐれてしまう。今まで、好き勝手な事ができたのも戦が続いていたからだった。足軽たちは彼らなりに、戦が完全に終わる前に何らかの収穫を手に入れようと京の都中をウロウロしていた。

 楓たち一行は都の焼け跡を左に見ながら、北へと進んで行った。

 楓は京の都を見ながら、愕然となっていた。話には聞いていたが、これ程、ひどいとは思ってもいなかった。もう、ここ、京の都は人の住む所じゃないと楓は思った。京の都は完全に戦場跡と化してしまっていた。

 楓は心細くなって、もう、帰りたくなっていた。

 弟には会えなくてもいい、早く、花養院のみんなのもとに帰りたかった。

「もうすぐじゃ」と阿修羅坊は言った。「ここまで来れば、もう大丈夫じゃ」

 百太郎は弥平次の背中で眠っていた。

 百太郎は初めての旅が、余程、楽しいのか、よく、はしゃいでいた。泣いたりしなかったので楓は助かっていた。また、桃恵尼と弥平次が、よく、百太郎の面倒を見てくれた。

 やがて、人家が見えて来ると異様ないで立ちの足軽たちがウロウロしていた。

 楓たちは阿修羅坊に守られながら、足軽たちの間を進んだ。

 足軽たちの姿が消えると、今度は、武装した正規の兵たちの姿が見えて来た。

 阿修羅坊が見張りの武士に手形のような物を見せると、見張りの武士は態度を改め、護衛の武士を五人付けてくれた。

 楓たちは砦のように入り組んだ町中を、武装した兵士たちの間を縫って進んで行った。

「ここじゃよ」と阿修羅坊が言ったのは、立派な門構えの大きな屋敷の前だった。

「浦上殿の屋敷じゃ。首を長くして待っておるじゃろう」

 楓たちは厳重に警戒されている浦上屋敷の中に入って行った。

 浦上屋敷では、楓のために、すべての用意が整っていた。

 楓は今まで見た事もないような豪華な着物を着せられ、広い広間の上座に座らせられ、赤松家の主立った家臣たちと対面させられた。

 楓は、まさか、こんな事になるなんて思ってもいなかった。

 ただ、一目でいいから、弟に会いたかっただけなのに、こんな風に大袈裟に紹介されてしまったら、もしかしたら、もう、二度と花養院には帰れなくなるのではないかと心配になって来た。

 楓が何を言っても無駄だった。すべて、浦上美作守則宗の計画した通りに事は運ばれて行った。

 楓は、その日から『楓御料人様』と呼ばれるようになった。

 楓御料人様は毎日、大勢の家臣たちに披露され、堅苦しい屋敷の中で、息の詰まる生活を送っていた。

 何度も逃げ出そうと思ったが警戒が厳しく、とても、無理だった。楓一人なら何とかなっただろうが、百太郎を連れていてはどうにもならない。それに、当の百太郎は楓の気持ちも知らず、珍しいお菓子やうまい物が、毎日、食べられるので、ずっと、ここにいたいと言っていた。

 楓は七日間、浦上屋敷に滞在し、播磨に向けて旅立った。

 京に来る時と違って、楓と百太郎は百人もの武士たちに守られ、豪華な牛車に乗って出立して行った。

 一行の中に、桃恵尼と弥平次の姿が見えたのが、ただ一つ、楓にとって心強かった。



 阿修羅坊は楓と共に播磨には行かなかった。

 浦上美作守より次の任務を命ぜられていた。難しい任務だった。予想はしていたが、まさか、自分がその任務に就くとは思ってもいなかった。

 その任務とは『楓の主人、太郎坊を消せ』だった。

 やりたくない仕事だった。しかし、阿修羅坊が断れば、誰か他の者が刺客(シカク)として送られるだろう。どっちみち太郎坊の命はない。また、命があったとしても、楓はもう二度と太郎坊に会う事はできないだろう。

 阿修羅坊は自分の手で太郎坊を殺す決心をした。楓のために、それが一番いいだろうと思った。

 阿修羅坊は、すでに、手下の日輪坊と月輪坊の二人を太郎坊を見張らせるために甲賀に送っていた。
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第二部 9.楓 
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松戸悪人退治連盟 URL 2007/09/01(Sat)13:43:08 EDIT
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