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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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10.小鹿派






 次の日の夜明け前のまだ薄暗い頃、福島越前守(クシマエチゼンノカミ)の軍勢によって駿府屋形(スンプヤカタ)は完全に包囲された。勿論、本曲輪(クルワ)を警固する三番組、二の曲輪を警固する二番組と示し合わせた行動だった。城下を見回っていた町奉行に所属する武士たちは突然の異変に驚いたが、完全武装した軍勢に対して、どうする事もできず、ただ、城下の騒ぎを静めるのが精一杯だった。

 福島越前守は武装して五十人程の兵を引き連れ、北川殿を包囲し、中にいるはずの早雲の名を呼んだ。早雲とは面識もあり、自分の作戦を理解してくれるだろうと確信していた。ところが、北川殿は静まり返ったまま、門は一向に開かなかった。

 そんな時、北川衆の小田と清水がやって来た。二人は武装兵で囲まれた北川殿を見て驚き、越前守に訳を聞いた。越前守は早雲と話がしたいと言う。小田と清水は門の中に声を掛けた。返事はない。裏門の鍵が掛かっていなかったので、入ってみると屋敷の中には誰もいなかった。

 越前守は二人を問い詰めた。二人は知らないと答え、昨日の晩までは北川殿を初め、早雲も仲居衆も全員がいた。北川衆の家に行ってみたが、そこにも誰もいなかった。

 越前守の頭は混乱した。

 竜王丸がいなければ今回の作戦は成功しない。成功しないとなると、お屋形を包囲した事は無駄になるどころか、反発を買う事に成りかねない。今川家をまとめるために、こんな非常手段を取ったが、戦を起こさせるためではなかった。このまま、お屋形を包囲していれば騒ぎが大きくなって戦になりかねない。越前守は素早く決断すると、北川殿を包囲した兵をまとめて、素早く南門に向かい、お屋形を包囲している兵たちに速やかに撤退する事を命じた。

 越前守は今川家を一つにまとめるために、早雲と同じように小鹿(オジカ)派と竜王丸派を一つにしようと考えていた。武力を以てお屋形を包囲し、竜王丸と北川殿を評定の場に登場させ、強引に竜王丸の家督と新五郎の後見というふうに決めるつもりでいた。備前守派と摂津守派は反対するに違いないが、備前守には東駿河の守護代、摂津守には西駿河の守護代という形で納得してもらうつもりだった。ところが失敗した。まさか、北川殿がお屋形内から出て行くなどとは考えてもみなかった。早雲の事を甘く見過ぎていた。前以て、早雲と相談すれば良かったと悔やんだが、後の祭りだった。

 武力による非常手段を越前守に提案したのは葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)だった。しかし、播磨守の考えは越前守とは違っていた。播磨守は武力によってお屋形を占拠し、強引に小鹿新五郎に家督を継がせる事だった。越前守は小鹿派に移ったとはいえ、葛山播磨守を信用していたわけではない。しかし、今、本曲輪を警固している御番衆は葛山派の連中だった。武力を以てお屋形を包囲するには、どうしても播磨守の協力が必要だった。越前守は播磨守の作戦に同意した振りをしてお屋形を包囲した。そして、独断で竜王丸を評定の間に登場させようとたくらんだのだった。

 評定の始まる頃には何事もなかったかのような顔をして、お屋形様の屋敷に入って行く越前守の姿があった。しかし、今回、危険を感じて駿府屋形から逃げ出したのは、北川殿だけではなかった。評定の間に河合備前守の姿はなく、備前守を押す天野兵部少輔(アマノヒョウブショウユウ)の姿もなかった。二人の屋敷を捜してみたが、北川殿同様、もぬけの殻だった。

 備前守はお屋形様の座を辞退したという形で評定は始められたが、結局、話はまとまらず、返って悪い状況になってしまった。天野民部少輔(ミンブショウユウ)が竜王丸派から中原摂津守派に移り、なぜか、小鹿派だった天方山城守(アマカタヤマシロノカミ)までも摂津守派に寝返った。さらに、北川殿と竜王丸が駿府屋形から消えたという事が知れ渡ると、竜王丸派の福島土佐守(クシマトサノカミ)までもが摂津守派に移って行った。土佐守が抜けた代わりに、小鹿派だった新野左馬助(ニイノサマノスケ)が竜王丸派になった。

 昨日までは竜王丸派と小鹿派が強く、備前守派と摂津守派が弱かったため、竜王丸派と小鹿派を一つにまとめれば何とかなると考えていた福島越前守の狙いも、今日からは通用しなくなってしまった。摂津守派が急に伸びて、竜王丸派と同じ位の勢力を持つようになり、三つ巴(ドモエ)の様相となってしまった。

 その頃、お屋形を出た河合備前守は天野兵部少輔と共に、本拠地の茶臼山(チャウスヤマ、愛宕山)の裾野にある屋敷に帰っていた。茶臼山の山頂には詰(ツメ)の城があって、鎌倉街道を眼下に見渡せ、駿府屋形の東を守っていた。

 備前守は駿府屋形から出て行ったが、決して、お屋形様の候補の座から降りたわけではなかった。早雲と同じように阿部川の河原に待機している軍勢に気づいて身の危険を感じ、閉じ込められる事を恐れて出て行っただけだった。逃げたわけではなく、改めて戦うためにお屋形から出たのだった。

 備前守は天野兵部少輔にそそのかされて、伊豆の堀越公方(ホリゴエクボウ)にお屋形様の死を知らせて後ろ盾になって貰おうと決めていた。もう、今川家の重臣たちは信じられなかった。亡くなったお屋形様のすぐ下の弟である自分を押す者は一人もいない。誰が考えても自分がお屋形様になるのが当然なのに、その事に気づく者は一人もいない。今川家の重臣たちは馬鹿ばかりだ。もう、頼まない。将軍様の弟である堀越公方なら絶対に自分の後ろ盾になってくれるだろう。すぐにでも、軍勢を引き連れて駿府に来るに違いない。堀越公方が出向いて来れば、馬鹿共も目を覚ますに違いない。備前守は使いの者に書状を持たせ、堀越公方の執事(シツジ)、上杉治部少輔政憲(ジブショウユウマサノリ)のもとに走らせた。

 お屋形様が亡くなってから、すでに一月半が過ぎようとしていた。遠江(トオトウミ)の国で反今川勢力が、また動き始めていた。横地、勝間田両氏が滅んだとはいえ、東遠江が完全に今川家の領地となったわけではなかった。お屋形様が急死したために戦後処理も完全ではなく、さらに、遠江にいる今川家の武将たちが積極的な行動に出ないため、遠江の国人たちがおかしいと思い始め、もしや、お屋形様の身に何かあったのに違いないと疑う者も現れ、今川家に敵対する者も出て来ていた。放っておくわけには行かなかった。

 福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)、朝比奈備中守(ビッチュウノカミ)、新野左馬助の三人が駿府の事を気にしながらも、後の事を長谷川次郎左衛門尉らに頼んで、三月の二十日、遠江に帰って行った。その三日後には堀越陸奥守(ホリコシムツノカミ)、久野佐渡守(クノサドノカミ)、天方山城守も遠江に帰った。遠江勢で残っていたのは両天野氏だけとなった。早雲たちは天野氏も遠江に帰ってくれれば、事がうまく運ぶと思って期待したが、天野氏の基盤は堅いと見えて帰る気配はなかった。

 遠江勢が帰った事により、他の派閥には大して影響はないが、竜王丸派は朝比奈氏、斎藤氏、長谷川氏の三氏だけとなった。竜王丸も駿府屋形にはいないし、かなり弱い立場となってしまった。

 二十八日、お屋形様の四十九日の法要がひそやかに行なわれた。毎日、だらだらと続いている評定も気分転換の意味も込めて、三日間、休みとなった。

 長老の朝比奈天遊斎(テンユウサイ)は、ようやく朝比奈城に帰り、戦死した長男、肥後守(ヒゴノカミ)の仏前に線香をあげて冥福(メイフク)を祈る事ができた。

 小鹿逍遙(ショウヨウ)も小鹿庄の我家に帰って、ゆっくりと休養した。逍遙はお屋形様の屋敷内で寝起きしていたため、心の休まる時がまったくなかった。天遊斎もほとんどお屋形様の屋敷にいたが、時折、自分の屋敷に帰って、のんびりする事ができた。逍遙の場合、本曲輪内にある屋敷には息子の新五郎がいるため、中立を保っている逍遙は出入りしなかった。また、屋敷に帰ったとしても、のんびりできるわけはなかった。息子と言い争いになるのは分かっている。毎日の評定でくたくたに疲れているのに、息子の顔など見たくはなかった。逍遙は久し振りに我家に帰り、何もかも忘れて、のんびりと過ごしていた。

 重臣たちも皆、疲れ切っていた。誰もが一日位、休みたいと思っていた。今回、休みを提案したのは天遊斎だった。二十七日の評定の場で、明日はお屋形様の四十九日に当たるので評定は休みにしたらどうか、と言った。驚いた事に誰もその事に気づいていなかった。もう四十九日も経ったのか、と誰もが思い、そろそろ休んだ方がいいかもしれないと思った。岡部美濃守(ミノノカミ)が一日位休んでも何も変わらんじゃろう。いっその事、三日間休んで、来月から改めて始めたらどうじゃ、と言うと皆、賛成した。

 竜王丸派の朝比奈和泉守(イズミノカミ)、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉の三人も小河屋敷にいる北川殿母子と会い、元気に遊んでいる竜王丸を見ながら、一時程、話をすると、それぞれの城に帰って行った。

 小鹿派の福島越前守、庵原安房守(イハラアワノカミ)、興津美作守(オキツミマサカノカミ)、蒲原越後守(カンバラエチゴノカミ)らも本拠地に帰って行った。

 摂津守派の中原摂津守、由比出羽守(ユイデワノカミ)、岡部五郎兵衛、福島土佐守も帰った。

 お屋形内に残ったのは小鹿派の葛山播磨守、矢部将監(ショウゲン)、三浦次郎左衛門尉、摂津守派の岡部美濃守だけとなった。岡部美濃守も帰りたかったが、小鹿派だけを残しておくと何をするか分からないので、あえて残る事にした。

 次の日、思いがけない事が起こった。

 東から軍勢がやって来た。河合備前守が呼んだ堀越公方の軍勢、三百騎だった。徒歩(カチ)武者合わせて一千人余りのその軍勢は、備前守の茶臼山城の裾野に陣を敷いた。駿府屋形の東北半里程の距離だった。

 急遽、お屋形内にいた葛山播磨守、矢部将監、三浦次郎左衛門、岡部美濃守の四人が集まり、今後の対策を練った。まず、守りを固める事が先決だった。とりあえず、来月、本曲輪を守る予定の五番組を集め、今、守っている三番組と一緒に本曲輪の警固をしてもらう事に決まり、さらに、福島越前守に軍勢を船にて駿府までよこすように頼んだ。美濃守は反対したが、今は派閥争いをしている時ではなく、駿府を守る事が先決だと言われ、承知せざるを得なかった。もし、今、河合備前守が堀越公方と連合して、ここを攻めて来れば、ここを占領される事も充分に考えられた。

 岡部美濃守は自分の兵も、ここを守るために至急、呼び寄せると言った。葛山播磨守は、そうして貰えると心強い、是非、そうしてくれと頼んだ。美濃守は朝日山城にいる弟の五郎兵衛のもとに早馬を飛ばした。

 堀越公方の軍勢が駿府に来たという事は、その日のうちに城下の噂になった。城下の者たちには、堀越公方がどうして駿府に軍勢を率いて来たのか分からなかったし、城下に攻めて来るだろうと思った者などいなかった。どうせ、お屋形様と一緒に遠江に進撃するために来たに違いないと思い、大騒ぎにまではならなかった。

 堀越公方の軍勢は陣を敷いたまま駿府屋形の方を見ながら、不気味に動こうとはしなかった。

 福島越前守の軍勢は速かった。

 次の日には船にて阿部川をさかのぼり、昼頃には全員がお屋形内に入って戦闘態勢を整えた。その軍勢と共に福島越前守は勿論の事、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守ら、小鹿派の者たちは勢揃いした。軍勢が駿府に到着する早さといい、小鹿派の全員が揃う事といい、うまく出来過ぎていた。前以て打ち合わせがしてあったかのような迅速な行動だった。堀越公方の軍勢が来る事を前以て知っていたのか、それとも、堀越公方の軍勢とは関係なく、重臣たちがそれぞれ本拠地に帰った後、お屋形を占領するつもりだったのに違いなかった。お屋形内には御番衆を含め、一千人余りの小鹿派の兵が溢れた。

 岡部美濃守はイライラしながら弟が兵を引き連れて、駿府に到着するのを待っていたが、なかなか来なかった。

 五郎兵衛率いる軍勢は日の暮れる頃、ようやく藁科(ワラシナ)川を渡っていた。物見の兵の知らせで、駿府に異状のない事を確かめると、阿部川の河原まで来て野営をする事にした。ここまで来れば駿府屋形は目と鼻の先だった。何も慌てて、暗くなってから川を渡る事もなかった。五郎兵衛は一応、使いを走らせ、今、阿部川の河原にいる事を兄のもとに知らせたが、その使いの者はお屋形内に入る事はできず、仕方なく書状を門番に渡して、届けてくれるよう頼んだ。その書状は三番組の頭、葛山備後守の手に渡り、さらに兄の播磨守の手に渡ったが、岡部美濃守の手には届かなかった。

 夜になって、お屋形内ではあちこちに篝火(カガリビ)が焚かれ、御番衆たちが甲冑(カッチュウ)の音を鳴らしながら歩き回っていた。誰もいなくなった北川殿は小鹿派の本陣となり、小鹿新五郎を中心に葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門、矢部将監らが小具足姿で詰めていた。

 空には月もなく、星もなく、気味悪い程、生暖かい風が吹いていた。





 三日間の休みが終わり、再び、評定(ヒョウジョウ)が始まった。

 小鹿逍遙は堀越公方が軍勢を駿府に送って来た事によって、のんびり休む事もできず、三日目には、また駿府屋形に戻って来ていた。小鹿派の者たちが、お屋形を守るために軍勢を引き入れるのを目の当りにしながらも、葛山播磨守より、「河合備前守殿が、今にも伊豆の軍勢と共に攻めて来る。今川家を守らなければならない。今は派閥争いなどしている時ではない。とくかく、一時でも早く、ここの守りを固めなければならない」と言われ、何も言う事ができなかった。

 朝比奈天遊斎が堀越公方の軍勢の事を知ったのは、軍勢が来たその日の夕方だった。知らせたのは長谷川次郎左衛門尉だった。次郎左衛門尉に知らせたのは早雲庵の者たちだった。天遊斎は次郎左衛門尉から、次々に新しい情報を聞いていたため、慌てずに駿府の様子を眺めていた。駿府から、その事を知らせて来たのは軍勢が来た次の日、つまり、昨日の夕方だった。知らせてくれたのは三浦次郎左衛門尉で、今の所、騒ぎは起きていないので心配ない、と書いてあった。天遊斎は息子の法要を済ませ、息子が急死したために溜まっていた事務を処理して、休む間もなく、四月一日の早朝、小鹿派の軍勢で固められた駿府屋形に向けて出発した。

 竜王丸派の重臣たちは皆、早雲らによって駿府屋形の状況を詳しく知っていた。小鹿派が軍勢を出した事も勿論知っていたが、どうする事もできなかった。しばらくは、事の成り行きを見守っているしかないと、いつでも出撃できる態勢を整えて、駿府を睨んでいた。

 摂津守派の福島土佐守も岡部美濃守から知らせを受けて出撃の準備を始め、岡部五郎兵衛の後を追って、兵を引き連れて駿府に向かっていた。

 評定は午後からだった。非常時のため、重臣たちは小具足姿のまま、お屋形様の屋敷の大広間に集まった。しかし、全員が集まったわけではなかった。上座の上段の間のすぐ下には小鹿新五郎の姿しかなく、中原摂津守はいなかった。河合備前守は天野兵部少輔と共にお屋形から出て行ったので、いないのは分かるが、摂津守がこの評定の間に現れないはずがなかった。

 摂津守だけではなく、竜王丸派の三人の重臣の姿もなく、摂津守派の福島土佐守、岡部五郎兵衛、由比出羽守の姿もなかった。

 朝比奈天遊斎、小鹿逍遙の二人はおかしいと思い、お屋形様の屋敷を守っている宿直衆たちを門まで走らせたが、誰一人として戻っては来なかった。

 この日、評定の間に集まっていたのは、小鹿派の全員と摂津守派の岡部美濃守と天野民部少輔だけだった。岡部美濃守も家臣の者たちを門まで走らせたが、戻っては来なかった。

 評定の始まる時刻はすでに過ぎていた。しかし、評定は始まらなかった。半時程、待った頃、葛山らが騒ぎ出した。

「この大事な評定の日を忘れておるとは今川家の重臣とは言えん。そんな者をいつまでも待っていたら、それこそ、今川家の浮沈にかかわるわ。他国の者が干渉して来ている、この今、悠長な事をしておれん。早い所、お屋形様を決め、先代のお屋形様の葬儀を済まさん事には、他国の笑い者になりかねん。天遊斎殿、さっさと初めてもらおうか」

 評定の結果は小鹿派の思い通りとなり、小鹿新五郎範満(ノリミツ)がお屋形様に決定した。摂津守派の岡部美濃守と天野民部少輔は反対したが、当人が出て来ないのでは話にならん。もしかしたら、お屋形様の候補の座から降りたのかもしれんぞ、とまで言われ、何を言っても無駄だった。

 岡部美濃守は腹を立て、真っ赤な顔をしたまま評定の間から去って行った。天野民部少輔も後を追うように捨てぜりふを残すと出て行った。

 お屋形様が決まると話はすらすらと進んで行った。先代のお屋形様の葬儀の日取りまで決めると、その日の評定は終わった。明日からは場所を守護所に移して、首脳部の人事異動や、前回の戦における論功行賞(ロンコウコウショウ)が行なわれる事となった。

 評定の途中で席を立った岡部美濃守と天野民部少輔の二人は一旦、本曲輪内の屋敷に戻ったが、すでに、お屋形様が決まった今、ここにいてもしょうがないと、とにかく、中原摂津守のいる青木城に行く事にした。

 岡部美濃守が天野民部少輔と共に家臣を引き連れ、南門を出ると、そこには武装した軍勢が埋まっていた。そして、鎌倉街道を挟んで向う側にも軍勢がおり、睨み合っている。街道の向う側にいたのは中原摂津守を中心とした岡部五郎兵衛、福島土佐守の軍勢だった。

 一体、これは何事だと岡部美濃守は弟、五郎兵衛のもとに行って事情を聞いた。話によると過書(カショ)が変わったと言って、中に入れてくれないと言う。摂津守でさえ、過書がなければ入れるわけにはいかないと言う。それでは、すぐに新しい過書をよこせと言うと、しばらく待ってくれと言うばかりで一向に埓(ラチ)が明かない。力付くでも通ると威すと、今川家に謀叛(ムホン)を企(クワダ)てる者として捕えなければならないと言い、土塁の上から弓を構えて来る。竜王丸派の者たちも入れて貰えず、諦めて帰って行ったと言う。

「播磨守の奴め、汚い手を使いおって」と岡部美濃守はもう一度、お屋形様の屋敷に戻って直々に文句を言ってやろうと門を通ろうとしたら門番に止められた。何を言っても駄目だった。美濃守も中に戻る事はできなかった。

「さっき、出て来た所を見ておったじゃろう。入れんとは何事じゃ」

「はい。申し訳ございませんが、過書のない者は絶対に通すなとの命令なのです」

「過書が変わったと言うが、わしはそんな事を聞いておらん」

「おかしいですな。美濃守殿のお屋敷にも御番衆の者が届けたはずでございますが」

「兄上、無理じゃ」と五郎兵衛が言った。

「今更、戻ってもどうにもならんじゃろ。それより、これからの事を考えなきゃならん。ここはひとまず引き上げた方がよさそうじゃ」

「くそ!」

 くやしがりながらも摂津守勢は摂津守の居城、青木城に引き上げて行った。

 今日、四月一日は御番衆の勤務交替の日だった。本曲輪の警固は三番組から五番組に代わるはずだったが、この二組が一緒に守っていた。二曲輪は二番組から三番組に代わるはずだったが、三番組が本曲輪にいるので、二番組がそのまま居座り、詰の城(賤機(シズハタ)山城)の警固は一番組から二番組に代わるはずだったが、二番組の代わりに庵原安房守の軍勢が守っていた。本曲輪の三番組、五番組、二の曲輪の二番組、そして、詰めの城を守っている庵原安房守、すべてが小鹿派で固められ、さらに、お屋形の回りにも興津美作守、蒲原越後守らの軍勢が固めていた。総勢、二千近くの軍勢だった。

 お屋形様となった小鹿新五郎は堂々とお屋形様の屋敷に移って来た。広い屋敷内を歩き回り、奥勤めの女中たちに声を掛けて得意になっていた。誰もいない大広間の上段の間に座り込み、独りでニヤニヤしている。父親の逍遙入道は情けないと思いながらも、何も言わずにお屋形様の屋敷から去って行った。お屋形様の葬儀に出たら、それこそ、本当に隠居しようと改めて思っていた。

 朝比奈天遊斎も逍遙と一緒にお屋形様の屋敷を後にした。この先、このままで納まるとは思っていなかったが、本当に疲れていた。今は何も考えたくなかった。しばらくは、朝比奈城の隠居所でのんびりしたい心境だった。しかし、そうもいかなかった。嫡男の肥後守が亡くなり、新たに朝比奈家の家督を継いだ肥後守の嫡男、又太郎はまだ十歳だった。そして、又太郎の後見となった三男の左京亮(サキョウノスケ)もまだ二十歳だった。まだまだ、のんびり隠居などしている暇はなかった。分かってはいるが、とにかく、明日一日だけはゆっくりしようと思っていた。

 宿老の二人も去り、小鹿派に反発する者たちは次々にお屋形から去って行った。門を守っている御番衆の者たちは去り行く者は追わなかった。小鹿派の中心になっている葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門の三人は、これからが本番だと思っていた。これから敵対する重臣たちを何としてでも抱き込まなければならなかった。一人づつでも寝返らせ、遠江に帰っている者たちが戻って来るまでに、新しい今川家を作らなければならなかった。

 その日の夜、駿府屋形、賎機山城、駿府の北東にある茶臼山城、阿部川と藁科川を挟んで駿府の南側、小坂の山(日本坂)への入り口にある青木城の四ケ所が、篝火によって明るく浮いていた。まるで、狐火のような不気味な光景だった。





 三月十八日以来、誰もいなくなった北川殿を、相変わらず、小田と清水の二人は交替で守っていた。ところが、二十九日に堀越公方の軍勢が駿府に来て、三十日には小鹿派の軍勢が駿府屋形を守るためにやって来ると、小田と清水は強制的に追い出されてしまった。

 四月一日の評定で、小鹿新五郎が今川家の家督を相続する事に決定すると、次の日から、人事異動が始まった。まず、お屋形様の屋敷を守る宿直(トノイ)衆の頭が小鹿派の者と交替し、御番衆の一番組、四番組の頭も竜王丸派から小鹿派に代えられた。そして、北川衆という職務は勿論、なくなってしまった。さらに、奉行衆らもすべて小鹿派の者に代わり、職を失った者たちは駿府屋形から去って行った。それでも帰る所がある者はいいが、代々、駿府に住んでいた者たちは行く所はなかった。

 北川衆の小田と清水の二人もそうだった。職を失った二人は一体、これからどうしたらいいものか、路頭に迷う事となった。二人程の者なら、小鹿派に寝返れば何らかの職に付ける事は間違いないが、二人はその道を選ばず、駿府の屋敷を捨てて、家族とわずかばかりの家臣を連れて北川殿のいる小河に移った。

 長谷川次郎左衛門尉の屋敷に移っていた富嶽、多米、荒木の三人はまだ、お屋形内に残っていた。主人の次郎左衛門尉は三日間の休みの時、小河に帰ったまま戻る事はできなかった。小鹿派の軍勢に占領された中、三人は次郎左衛門尉の屋敷を守っていた。

 門を守る御番衆は過書が変わったと言うが、小鹿派以外の者たちに新しい過書は渡らなかった。小鹿派以外の者たちはお屋形から出る事は出来るが、二度と入る事は出来なかった。それぞれの屋敷に出入りしていた商人たちも、小鹿派以外の屋敷と取り引きをしていた者はお屋形内に入る事は出来ず、小鹿派以外の者たちは生活も以前通りには出来なくなっていた。彼らは小鹿派に寝返るか、お屋形から出て行くかのどちらかの選択を迫られ、帰る場所のない者たちの多くは小鹿派に寝返って行った。

 次郎左衛門尉の屋敷でも、出入りの業者が来なくなり、留守を守っていた家臣や女中たちは皆、小河に帰って、門を堅く閉ざしていた。その屋敷内に富嶽、多米、荒木の三人が潜み、お屋形内の状況を探っていた。三人は長谷川屋敷にあった甲冑を着て、お屋形内をうろついている福島越前守の兵に扮して本曲輪内の様子を探っていた。

 その屋敷を時々、訪ねていたのは風眼坊こと風間小太郎だった。小太郎は道賀亭の濠からお屋形内に潜入し、あちこちに忍び込んでは敵の動きを探っていた。特に、敵が北川殿を本陣にしたのは小太郎にとって都合のいい事だった。小太郎は北川殿を守っていた時、敵が忍び込んで竜王丸殿の命を狙うかもしれないと北川殿を調べたので、隅から隅まで知っていた。小太郎は北川殿の屋根裏に忍び込んでは葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門らのたくらみをすっかり聞いていた。

 四月三日、小鹿派のやり方に腹を立てた中原摂津守派は、青木城に待機していた福島土佐守、岡部美濃守の軍勢と摂津守自身の軍勢、およそ一千で阿部川を封鎖した。阿部川に関所を設け、小鹿派に関係ある者の通行を止めた。これに対して小鹿派の方でも軍勢を阿部川の河原に配置し、阿部川を挟んでの両軍の睨み合いが続いた。

 このため駿河の国は阿部川を境に東西に分けられた格好となり、本拠地が阿部川以西にある小鹿派の三浦次郎右衛門尉の立場は悪くなって行った。同じように、摂津守派の由比出羽守も本拠地が阿部川以東にあるため、敵に攻められる可能性が出て来た。出羽守は一旦、本拠地の川入城に帰り、敵に攻められた場合、籠城する覚悟を決めて守りを固め、それ以後、駿府には出て来ななかった。

 四日の夜、小太郎が門の閉ざされた長谷川屋敷にどこからともなく入って来た。

 座敷でゴロゴロしていた三人はびっくりした顔をして小太郎を見た。小太郎はいつものように山伏姿だったが、首から何かをぶら下げていた。誰が見ても、それは遺骨の入った桐の箱だった。

「風眼坊殿、一体、何の真似です」と富嶽が起き上がると聞いた。

 小太郎は遺骨を首から下ろすと、上段の間に静かに置き、両手を合わせた。

「もしや、そのお骨はお屋形様の?」と聞いたのは多米だった。

 小太郎は頷くと、三人の側に腰を下ろした。

「あさって、小鹿新五郎を喪主として、お屋形様の葬儀をするそうじゃ」と小太郎は言った。

「らしいのう」と富嶽は頷いた。「小鹿新五郎の奴はすでにお屋形様になったつもりでおる。お屋形様の葬儀を新五郎が行なえば、内外にもその事は知れ渡ってしまうじゃろう」

「まあ、そうじゃな。お屋形様の遺骨を盗んだ所で、奴らが葬儀をやめるとは思えんが、本物の葬儀は竜王丸殿にやってもらおうと思っての。こうやって移動していただいたんじゃ。北川殿もろくに別れも告げておらんじゃろうし、竜王丸殿や美鈴殿にもこの際、父上が亡くなった事を知らせた方がいいと思ってのう」

「その方がいいかもしれんのう」

「そうじゃ。あんな奴らに葬儀をやってもらっても、お屋形様は喜ばんわ」と荒木が言った。

「この先、どうなるんじゃろう」と富嶽は聞いた。

「あちこちに忍び込んで分かった事じゃが、同じ小鹿派でも、葛山と福島越前、三浦らは、やはり考えが違うようじゃ」

「風眼坊殿、わしらにも敵の屋敷に忍び込む術とやらを教えて下さいよ」と多米は言った。

「そのうちな。今はそんな暇はない」

「どう違うのですか」と富嶽は聞いた。

「福島と三浦は小鹿新五郎を中心に今川家を一つにまとめようと真剣に考えておる。ところが、葛山は未だに両天野氏と連絡を取っておる」

「なに、天野氏と言えば、今、二人とも外に出ておるはずじゃが、未だにつながっておるというのですか」

「例の長沢の配下の者が両天野氏と共にお屋形から出て行き、それぞれの陣中にいながら長沢のもとに状況を送っているらしいのう」

「という事は、葛山はここにおりながら備前守派と摂津守派の動きが手に取るように分かっておるという事じゃな」

「そういう事になる」

「一体、葛山は何をたくらんでおるんです」

「戦を起こさせようとしておるに違いないわ。天野民部少輔が竜王丸派から摂津守派に寝返ったのも最初からの計画じゃったのじゃろう。初めの頃、摂津守派の勢力は一番弱かった。そこで、両天野は葛山のいない竜王丸派と備前守派に入った。ところが、遠江勢が帰ると竜王丸派の勢力が弱くなり、主戦派の福島土佐守が摂津守派に移った事により、戦を起こすには摂津守派を煽(アオ)った方がいいと考え、民部少輔は摂津守派に移った。そして、今、阿部川を挟んで小鹿派と摂津守派は対峙しておる。後はきっかけさえあれば、いつでも戦になるという状況にまで来ておるんじゃよ」

「きっかけか‥‥‥」

「小鹿派がお屋形を占領した事に対して、阿部川を封鎖しようと提案したのは民部少輔に違いないわ」

「福島越前守と三浦は葛山のそんなたくらみには気づいてはおらんのですか」

「気づいてはおらんな」

「もし、その事に気づいたとしたら、どうなるでしょう」

「うむ。そいつは面白いのう」小太郎は少し考えて、「使えそうじゃな」とニヤリとした。「それとな、もう一つ面白い事がある。葛山も知らない事があるんじゃ。三浦次郎左衛門尉じゃが、摂津守派の岡部美濃守を寝返らせようとたくらんでおるんじゃ。三浦は阿部川が封鎖されてしまったので、今、孤立した状態にあるんじゃ。このままでおったら本拠地の大津城を攻められる可能性もあるわけじゃ。そこで、美濃守を寝返らせ、阿部川の封鎖を解いてもらわなければならんと考えた。しかし、美濃守の妹が摂津守の側室となっておるため、美濃守を寝返らすのは容易な事ではない。そこで、三浦は小鹿新五郎の嫡男、千代秋丸、まだ八歳なんじゃが、その嫁に美濃守の娘を迎えようと美濃守に誘いを掛けておるんじゃよ」

「へえ‥‥‥それで、美濃守の方の反応はあるんですか」

「今の所はないが、美濃守としても民部少輔に躍らされて戦をする程の愚か者ではない。小鹿派のやり方が汚いので腹を立てて阿部川を封鎖したが、本当に戦を始める気などない。負けたと見極めが付けば、有利な立場で迎えられる事を願うに違いないわ」

「美濃守が寝返ってしまえば摂津守派の立場はかなり不利になって来るのう」

「不利になるどころか、勝ち目はなくなってしまうじゃろう。わしらの立場から見れば、摂津守派を絶対に小鹿派に寝返らすわけには行かん。摂津守派と竜王丸派をくっつけなければならんのじゃ」

「竜王丸派と摂津守派が一緒になるのですか」と荒木が聞いた。

「ああ、そうじゃ。竜王丸殿が成人するまで、摂津守が竜王丸殿の後見をするという線で、早雲が美濃守に誘いを掛けておるはずじゃ」

「早雲殿が動き始めたんですか」

「ようやくな。話はすぐにはまとまらんじゃろうが、天野民部少輔が多分、同意するじゃろうと睨んでおるんじゃ」

「天野氏は今川家を二つに分けて争わせようとたくらんでおるという事ですか」

「多分な」

「三浦はどうして、葛山に内緒で岡部を寝返らそうとしてるんじゃろ。そこの所が、わしにはよう分からんがのう」と多米は言った。

「新しい派閥争いが始まっておるんじゃよ」と小太郎は言った。「小鹿新五郎をお屋形様の座に付けるために共に戦って来たが、新五郎がお屋形様に決まると、今度は新しいお屋形様のもとで、自分の権力をどれ程伸ばせるかが、これからの課題というわけじゃ。三浦も越前守も葛山の事を信じてはおらん。それぞれが、それぞれを利用しながら色々とたくらんでおるんじゃよ。皆、一筋縄で行くような輩(ヤカラ)ではないわ」

「へえ、重臣ともなると考える事まで違うんじゃのう」

「いや。それ程は違わんさ。皆、真剣なのさ。お前らも真剣に竜王丸殿のために何をすべきかを考えれば、敵の思う事も分かるようになるぞ」

「風眼坊殿の言う通りじゃ」と富嶽が多米と荒木の顔を見た。「ぶつぶつ文句ばかり言っておらんで少しは真剣になれ」

「参ったのう」と荒木は頭を掻いた。

「備前守派の奴らはどうしてます」と富嶽が聞いた。

「備前守派か、あれはもう消えたようなものじゃな」

「しかし、堀越公方が後ろに付いておるんでしょう」

「ところがじゃ、堀越公方の代理として来た上杉治部少輔は、今川家の内訌を治めようと小鹿派のお屋形に勇んでやって来たのはいいが、葛山らにうまく丸め込まれて、今、客殿の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在しておるわ」

「という事は小鹿派に寝返ったのか」

「いや。治部少輔としては飽くまで中立の立場で、今川家の内訌を治めようとしておるらしいが、残念ながら、それ程の力もないし、器でもない。備前守にはお屋形様にしてやると言いながら、小鹿派の者たちには備前守をしかるべき地位で迎えてくれと頼んでおるわ」

「備前守はその事を知っておるんですか」

「いや、知らん。備前守もお屋形様になるのは諦め、竜王丸派と手を結び、竜王丸殿の後見になろうと思い始めておるらしいが、天野兵部少輔が反対しておるようじゃ」

「天野は何をたくらんでおるんです」と荒木が聞いた。

「内訌を長引かせ、その隙に、遠江の国を奪い取ろうとたくらんでおるんじゃろう」

「うーむ。内訌が長引けば長引く程、天野氏にとって有利となるわけか」

「遠江に帰った今川家の武将たちが天野の思い通りにはさせんとは思うが、遠江が今、どんな状況なのか、まったく分からん」

「早いうちに、今川家をまとめなければならんのう」と富嶽が言った。

 小太郎は頷いた。「しかし、難しい」

「わしらは、いつまで、ここに隠れておるんです」と多米は聞いた。

「そうじゃのう。もう少し我慢してくれ。竜王丸派と摂津守派が一つになったら、もう、ここから出ても構わんじゃろう」

「しかし、わしらがここから出たら敵の動きが分からなくなりますよ」

「わしがちょくちょく、忍び込むから大丈夫じゃ」

「その時は、わしも一緒に来ます」と多米が言った。

「泳げるか」

「そりゃもう」

 小太郎は頷くと、お屋形様の遺骨を首に下げて出て行った。

 多米がすぐに後を追ったが、小太郎の姿はもうなかった。多米は首を傾げながら、「不思議なお人じゃ」と言うと空を見上げた。

 降るような星が出ていた。

 多米は星空を見上げながら、小太郎の言った言葉を思い出していた。

「もっと、真剣になれ!」

 多米の頭の中で、小太郎の言葉が何度も何度も反復していた。





 四月の六日、真夏のように暑い日だった。

 お屋形様、治部大輔義忠(ジブノタイフヨシタダ)の死が公表され、小鹿(オジカ)新五郎範満を喪主として葬儀が大々的に行なわれた。

 お屋形様の死因は病死、家督は小鹿新五郎が継ぐ、という事が発表された。城下に住む町人たちは突然の知らせに驚いたが、駿府屋形を守る軍勢が増えた事によって、薄々、気づいている者も多かった。もしや、家督争いの戦が始まるのでは、と恐れていた町人たちも、跡を継ぐべき人の名が公表された事により、何事もなく無事に治まった事を喜んだ。

 お屋形様の葬儀は勿論、小鹿派の者たちだけによって行なわれた。ただ、備前守のもとに陣を敷いている堀越公方(ホリゴエクボウ)の執事、上杉治部少輔は参加していた。

 葬儀も無事に終わり、お屋形の回りにいる軍勢も引き上げるだろうと思っていた町人たちは、武装したまま引き上げる気配のない軍勢を見ながら不気味に感じ、戦が始まるのではないかと思う者も現れて来ていた。町人たちはいつでも逃げられるように準備を始め、回りの状況を見守っていた。

 浅間神社でも異様な雰囲気を感じ、僧兵やら山伏やらが武装して、境内及び門前町の警戒を強めていた。

 お屋形内で葬儀が行なわれていた頃、小河(コガワ)の長谷川屋敷では、次郎左衛門尉が髷(マゲ)を落として頭を丸めていた。入道となった次郎左衛門尉は法栄(ホウエイ)と号した。次郎左衛門尉は隠居するために頭を丸めたのではなかった。改めて、お屋形様の遺児、竜王丸を今川家のお屋形様にするための決心の現れであった。

 その日の夕方、小太郎は早雲庵に来ていた。

「どうじゃった、葬儀の様子は」と早雲は聞いた。

「まあ、あんなもんじゃろう。しかし、やはり寂しいもんがあるのう。本来なら、今川家のお屋形様の葬儀ともなれば、幕府からも大勢、駈け付けて来るはずじゃが、今の時勢じゃ、それも無理な事じゃ」

「そうじゃな‥‥‥」

「小鹿新五郎の奴が得意になって、喪主をやっておったが、やはり、何か物足らないという感じを受けるのう。わしは先代のお屋形様を知らんが、何か、頼りないのう」

「そりゃそうじゃ。先代のお屋形様とは比べものにならん」

「それで、岡部美濃守の方はどうじゃ。うまく、行きそうか」

「美濃守は動きそうじゃがのう。天野民部少輔が反対しておるようじゃのう」

「天野か‥‥‥なぜじゃ」

「多分、天野氏としては今川家を分散させたままにして置きたいのじゃろう。竜王丸派と摂津守派がくっつけば、三つに分かれておるとは言え、備前守派は消えたも同然じゃ。竜王丸派と小鹿派の二つの争いとなる。二つになれば、その二つが戦を始めるという可能性もあるが、また、その二つが一つにまとまるという可能性も出て来るわけじゃ。そうなる事を恐れて、天野氏は竜王丸派と摂津守派が一つになるのを反対しておるんじゃないかのう」

 小太郎は頷いた。「そんな所じゃろうな」

「小鹿派の動きはどんなじゃ」と早雲は聞いた。

「葛山(カヅラヤマ)は堀越公方を味方に引き入れようとしておる。三浦が摂津守派の岡部を寝返らせようとしておるのは知っておるじゃろう。福島越前守は朝比奈を寝返らせようとしておるらしいのう」

「そうか‥‥‥それぞれ、やる事はやっておるようじゃのう」

「どうするつもりじゃ。このまま、時が経てば小鹿新五郎がお屋形様に納まりかねんぞ」

「分かっておる。何としてでも、竜王丸派と摂津守派を結びつける」

「天野民部少輔をどうするつもりじゃ」

「民部少輔は初めは竜王丸派じゃったが、福島土佐守と共に摂津守派に寝返った。二人とも主戦派と言える。竜王丸派にいても戦ができそうもないと寝返ったんじゃろう。戦を餌(エサ)に誘うつもりじゃ」

「なに、戦を餌にするじゃと」

「ああ。駿府屋形を攻めるんじゃ」

「本気か」と小太郎は早雲の顔をじっと見つめた。

 早雲は厳しい顔付きで頷いた。「その位の覚悟で臨まん事にはうまく行くまい」

「お屋形を攻めるか‥‥‥確かに、その位の気構えがない事には竜王丸殿をお屋形様にするのは難しい事じゃのう」

 お屋形様の葬儀から三日後、早雲は才雲、孫雲、荒川坊の三人を連れて摂津守派の本拠地、青木城に乗り込んで行った。二度目であった。五日前、早雲は岡部美濃守に竜王丸派と摂津守派の合体を提案した。美濃守は自分だけの一存では決められない、五日後に改めて返事をすると言った。

 青木城には中原摂津守、岡部美濃守、天野民部少輔がいた。福島土佐守と岡部五郎兵衛の二人は阿部川の陣中で指揮を執っていると言う。

 早雲は摂津守の屋敷で三人と会った。上座に摂津守が座り、両脇に美濃守、民部少輔が控えていた。早雲は竜王丸の執事という立場で来たので、下座に座らされるというのは、おかしな事だったが、その事には触れずに本題に入った。

「早雲殿」と民部少輔が言った。「大方の事は美濃守殿より伺ったが、実際問題として、どのようにして小鹿派を倒すおつもりじゃな。確かに、単純に兵力の計算をしてみると、我らと竜王丸殿の派が一緒になれば小鹿派を上回るかもしれん。しかし、実際の事を考えてみると、竜王丸殿の派の半数以上は今、遠江に帰っておる。残っておるのは朝比奈殿、斎藤殿、長谷川殿しかおらん。この三人が実際に小鹿派に対して戦をするようには思えん。そこの所はどうなんじゃ。そこの所をはっきりしてもらわん事には手を結ぶ事は難しいと言えるのう」

「竜王丸派としては、小鹿派に対して戦をするつもりでおります」と早雲ははっきりと言った。

「まことか」と聞いたのは美濃守だった。

「口で言うのは簡単じゃ。敵は充分に守りを固めておる。駿府屋形を攻め落とすのは容易な事ではない。落とす自信があるのか」と民部少輔は言った。

「はい。竜王丸派と摂津守殿の派が一つになれば、阿部川以西はその勢力範囲となります。そして、ここを新しい駿府屋形とします」

「なに、ここを駿府屋形にするじゃと」と摂津守が身を乗り出して来た。

「はい。竜王丸殿をお屋形様とし、摂津守殿を後見として、新しいお屋形をここに作るわけです」

「駿河の国に二つの駿府屋形を作ると申すのか」と民部少輔は身を乗り出してきた。

 早雲は頷いた。「駿河の国を阿部川で二つに分け、お屋形様も二人という形にします」

「ふーむ。それでどうするんじゃ」と美濃守は興味深そうに聞いた。

「国を二つに分けると、本拠地が阿部川以西にある小鹿派の三浦次郎左衛門尉殿は孤立した形となります。そこで、まず、三浦殿をこちらの派に寝返らせます」

「三浦殿が寝返るかのう」と美濃守は顎(アゴ)を撫でながら言った。

「寝返らせます。小鹿派を分裂させるのです。小鹿派は新五郎殿をお屋形様にする事に成功したと思い、小鹿派の中で、すでに派閥争いが始まっております。葛山播磨守殿は備前守殿を味方にしようとたくらみ、三浦殿は摂津守殿を味方に引き入れようとし、福島越前守殿は竜王丸派の重臣を味方にしようとたくらんでおります。そこを利用すれば、三浦殿を寝返らせる事も可能だと言えます」

「三浦殿を寝返らせるか‥‥‥それで、それから、どうするんじゃ」

「次に、備前守殿の所におります天野兵部少輔殿を寝返らせます」

「なに、兵部少輔を寝返らせる」と民部少輔は驚いた。

「はい。遠江でも兵部少輔殿は孤立した状態と言えます。民部少輔殿と竜王丸派の者たちが一丸となって、兵部少輔殿の城を攻めれば兵部少輔殿としても、今更、備前守殿に付いていてもしょうがないと寝返る事となりましょう」

「うーむ。成程のう」

「次に、葛山播磨守殿と福島越前守殿を争わせます」

「どうやって」

「越前守が寝返るという噂を流して、離反させます」

「噂か‥‥‥そう、うまく行くとも思えんが、まあ、そのへんの所は何とでもなろう」

「最悪の場合は、葛山殿の本拠地、あるいは福島越前守殿の本拠地を攻めるつもりでおります」

「敵を充分に弱くしておいてから、隙を狙って駿府屋形を攻めるというわけじゃな」

「はい」

「うーむ。早雲殿、そなたの考えは分かった。もうしばらくの間、考えさせてくれんか」と天野民部少輔は言い、「美濃守殿、いかがじゃ」と美濃守に聞いた。

「そうじゃのう。一応、土佐守殿の同意も得ん事にはのう。早雲殿、もう、しばらくの間、考えさせてくれ」と美濃守も言った。

「分かりました。また、五日後に参ります」

「早雲殿、ちょっと聞きたいんじゃがのう、もし、我らが断った場合、どうするつもりなのじゃ」と民部少輔は聞いた。

「小鹿派と手を結びます」

「なに、小鹿派と手を結ぶ?」

「はい。小鹿派も今のままでは本物のお屋形様とは言えません。何とかして、今川家を一つにまとめようと必死です。竜王丸殿をお屋形様にして小鹿新五郎殿を後見という事で、話を持って行くつもりです。葛山播磨守殿は反対するでしょうが、三浦殿、福島越前守殿は賛成すると思います」

「ふーむ。小鹿派と手を結ぶか‥‥‥分かった。よく検討してみるわ」

 早雲は中原摂津守の屋敷を後にした。

「どうでした」と孫雲が聞いた。

 早雲は首を振った。「じゃが、時間の問題じゃ。五日後には、いい返事が聞けるじゃろう」

「また、五日後ですか」と才雲が聞いた。

「才雲、このまま、小太郎の所に行ってくれ」

「はい」

「小太郎に、ここの状況を探ってもらいたいんじゃ」

「はい、分かりました」

 才雲は青木城を出ると、そのまま反対方向に走り出して行った。





 小雨の降る中、裏山からカッコウの鳴き声が聞こえていた。

 四月二十日、青木城内の中原摂津守の屋敷において、竜王丸派と摂津守派の重臣たちが集まり、和解の手打ちが行なわれた。

 北川殿と竜王丸も小河の長谷川屋敷から船でやって来て参加した。竜王丸と共に北川殿は上段の間に座り、上段の間のすぐ下の右側に中原摂津守が後見役として控えた。そして、竜王丸派の重臣、朝比奈天遊斎、朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川法栄、早雲の五人が左側に並び、摂津守派の重臣、岡部美濃守、岡部五郎兵衛、福島土佐守、天野民部少輔の四人が右側に並んだ。立会人には、うまい具合に青木城内の客殿に滞在していた堀越公方の執事、上杉治部少輔になってもらった。

 治部少輔は長い間、駿府屋形の望嶽亭に滞在していたが、五日前に、こちらに移っていた。治部少輔は自分の力で、何とか今川家を一つにまとめようと必死になっていた。小鹿派には備前守を迎えるように頼み、今度は摂津守に小鹿派と仲直りするよう頼みに来たわけだったが、早雲に是非、竜王丸派と摂津守派の和解の席の仲立ちをしてくれと頼まれ、仲直りするのはいい事だと二つ返事で引き受けたのだった。

 和解の儀式は早雲の指導のもと伊勢流の礼法通りに行なわれた。

 儀式が終わると、さっそく重臣たちによって評定が開かれた。早雲もお屋形様、竜王丸の伯父として重臣の一人となっていた。

 評定の場で決まった事は、竜王丸殿の住むお屋形屋敷の建設と、小鹿派の三浦次郎左衛門尉、天野兵部少輔の寝返らせ作戦だった。新しいお屋形ができるまでは、竜王丸母子は今まで通り、小河の法栄屋敷に滞在する事に決まり、寝返らせ作戦の方は、朝比奈天遊斎の兵、福島土佐守の兵、長谷川法栄の兵によって、三浦氏の本拠地、大津城(島田市)を包囲し、駿府屋形にいる次郎左衛門尉との連絡を完全に遮断する。なお、以前のごとく、阿部川は岡部美濃守、同五郎兵衛の兵、朝比奈和泉守の兵、天野民部少輔の兵、斎藤加賀守の兵で封鎖する。天野民部少輔は遠江の竜王丸派と連絡を取り、天野兵部少輔の本拠地、犬居(イヌイ)城を包囲して孤立させる。中原摂津守は天野兵部少輔が寝返るまで、上杉治部少輔を屋敷内に軟禁し、早雲は駿府屋形に潜入して三浦次郎左衛門尉と直接、話し合い、寝返らせる、という風に決まった。

 評定が終わるとささやかな祝いの宴を張り、次の日から各自、行動に移した。

 早雲は孫雲を連れ、浅間神社の門前町にある小太郎の家に来ていた。小太郎の所もようやく落ち着いたとみえて、一時のように患者が大勢、押しかけてはいなかった。待合い所には老人が三人、世間話をしながら待っているだけだった。

「繁盛しておるようじゃのう」と早雲が顔を出すと、「ぼちぼちじゃ」と小太郎は患者をお雪に任せ、早雲を外に誘った。

 早雲と小太郎は庭から北川の土手に出た。

「どうじゃ、うまく行ったか」と小太郎は聞いた。

「まあな」と早雲は昨日の事を小太郎に話した。

「成程のう」

「三浦の様子はどうじゃ。寝返ると思うか」

「可能性は充分にある。しかし、寝返る事が葛山らに知れたら、殺される事もあり得るな」

「殺されるか‥‥‥」

「それに、寝返ったとして、どうやって、お屋形から抜け出すかが問題じゃ」

「三浦次郎左衛門、一人位、お屋形から連れ出すのはわけないじゃろ」

「次郎左衛門一人だけなら簡単じゃ。しかし、今、本曲輪を守っておる五番組の頭は次郎左衛門の弟の右京亮(ウキョウノスケ)じゃ。他にも奉行衆(ブギョウシュウ)の中にも三浦一族の者はおるはずじゃ。次郎左衛門が寝返れば、そいつらは皆、殺されるじゃろうな」

「そうか、そこまでは考えなかったわ」

 早雲は北川殿の屋根を眺めながら腕を組んだ。

「それにな」と小太郎は言った。「阿部川が封鎖されてからというもの、三浦次郎左衛門が動揺しておるという事は葛山播磨守も福島越前守も気づいておる。もしかしたら寝返るかもしれんと二人共、三浦を見張っておる事じゃろう。次郎左衛門に近づく事も難しいかもしれんな」

「そうか‥‥‥次郎左衛門の意志だけでは、どうにもならない状況に来ておるわけじゃな」

「そういう事じゃ」

「寝返らせると簡単に引き受けてしまったが、どうしたもんじゃろうのう」

「難しいのう」と小太郎は他人事のように言った。

 早雲は小太郎の顔を見てから、「昨日、竜王丸派と摂津守派が一緒になったという事を知ったら、益々、三浦は見張られる事になるのう」と言った。

「多分、もう知っておるじゃろう。天野民部少輔が葛山に知らせたはずじゃ」

「そうじゃろうな‥‥‥そうか、わしらの作戦は葛山に筒抜けじゃったな。という事は、わしが三浦のもとに潜入するという事も葛山は知っておるという事じゃ」

「今頃は、おぬしを捕まえようと手ぐすね引いて待っておるじゃろうな」

「ふーむ。失敗じゃった。天野と葛山のつながりをすっかり忘れておった」

「おぬしらしくないのう。どうしたんじゃ」

「仕方なかったのよ。摂津守派を説得させるには手の内をすべて見せるしかなかったんじゃ」

「まあ、とにかく、今晩、富嶽の所に行ってみよう。やつらもそろそろ、お屋形から出てもいいんじゃないかのう」

「うむ」と早雲は頷いたが、すぐに首を振って、「三浦次郎左衛門が出るまで、中にはおってもらおう」と言った。

「どうしても、三浦を連れ出す気か」と小太郎は聞いた。

「見殺しにするには勿体ない男じゃ。やがて、竜王丸殿の重臣になってもらう」

「そうじゃな。葛山、福島越前と比べたら、三浦が一番、まともと言えるかもしれんな」

「しかし、難しいのう」と早雲は唸った。「おぬし、三浦屋敷に忍び込んだ事はあるか」

「ああ、一度ある」

「あの屋敷には何人位住んでおるんじゃ」

「そうじゃのう、二十人位かのう」

「家族はおるのか」

「いや、側室が一人おるだけじゃ。女中が五、六人おるかのう。それに、門番と三浦の側近の侍が十五、六人はおる」

「二十人か‥‥‥」

「それと、五番組全員じゃな」

「うむ‥‥‥五番組は全員じゃなくともよかろう。全員が三浦派とも限るまい」

「しかし、全員で行動を共にせんと寝返りがばれるぞ。全員がお屋形から出てから戻りたい者は戻らせればいい」

「そうじゃな。頭以外の者には寝返りの事を知らせん方がいいな‥‥‥ところで、本曲輪の警固は今、どういう具合になっておるんじゃ。三番組と五番組が一緒にやっておるのか」

「いや、交替で、昼と夜に分かれて警固しておるようじゃ。三日交替だと思ったがのう」

「三日交替?」

「ああ、三日間、三番組が昼の警固をやり、五番組が夜の警固をやる。そして、次の三日間は、それが入れ代わるわけじゃ」

「ふーん。今はどっちが夜の警固じゃ」

「昨日の夜は三番組が夜警じゃったのう」

「三番組か、葛山じゃな。具合悪いのう」

「ああ。三番組が警固しておったら、三浦屋敷に近づくのは危険じゃ」

 早雲は頷き、お屋形を囲む土塁を眺めながら、「確か、三浦屋敷というのは大手門の近くじゃったな」と言った。「回りには誰の屋敷があるんじゃ」

「回りの屋敷は、みんな留守じゃよ」

「ほう。小鹿派の者の屋敷じゃないんじゃな」

「ああ。隣は朝比奈殿の屋敷じゃ。裏は木田殿と入野殿じゃ。その後は宝処寺じゃ。ただし、三浦屋敷の前には御番所がある。御番衆がウロウロしておるわ」

「そうか‥‥‥御番所の裏じゃったのう‥‥‥今、朝比奈屋敷とかは誰もおらんのか」

「誰もおらんな。門を閉ざしたままじゃ」

「小鹿派の連中たちが使ったりしないのか」

「小鹿派の連中が使っておるのは北川殿だけじゃ。留守屋敷はかなりあるが侵入禁止にしておるようじゃな。今は留守じゃが、やがて、戻って来ると思っておるんじゃろ。また、戻って来てもらわん事には困るからのう」

「そうじゃのう‥‥‥」

「とにかく、暗くなってからじゃ」

「うむ‥‥‥また、濠の中を潜って行くのか」

「当然じゃ」

 小太郎は家の方に戻った。

 早雲は土手に腰を下ろして、北川の流れを眺めながら考え込んでいた。

 時折、武装した兵が北川の河原を見回っていた。早雲の方をチラッと見たが、どこぞの乞食坊主だろうと別に文句も言わなかった。
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