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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
5.評定






 薄暗くなったお屋形様の屋敷の大広間では、重臣たちが顔を突き合わせて、今後の事を相談していた。

 上座に座っているのは宿老(シュクロウ)の小鹿逍遙(オジカショウヨウ)と朝比奈天遊斎(テンユウサイ)。集まっている重臣たちは今回の遠江(トオトウミ)進撃には参加しなかった者たちで、駿河の国の東部を本拠地としている者が多かった。

 江尻城(清水市)の福島越前守(クシマエチゼンノカミ)、庵原山(イハラヤマ)城(清水市)の庵原安房守(イハラアワノカミ)、横山城(清水市)の興津美作守(オキツミマサカノカミ)、川入(カワイリ)城(由比町)の由比出羽守(ユイデワノカミ)、蒲原(カンバラ)城(蒲原町)の蒲原越後守、吉原城(富士市)の矢部将監(ショウゲン)、小瀬戸城(静岡市)の朝比奈和泉守、鞠子(マリコ)城(静岡市)の斎藤加賀守、朝日山城(藤枝市)の岡部美濃守(ミノノカミ)、小河(コガワ)城(焼津市)の長谷川次郎左衛門尉、花倉城(藤枝市)の福島土佐守(クシマトサノカミ)らが、厳しい顔をして居並んでいた。

 彼らがまず決めた事は、お屋形様の死を公表するか否かだった。これは全員一致して、公表はもう少し控えた方がいいという事に決まり、お屋形様は生きている事にして駿府まで凱旋(ガイセン)させる事にした。そして、もう一つ決めた事は、お屋形様の遺体の事だった。お屋形様の遺体を駿府まで運んだとしても、死を隠しておくのなら大々的な葬儀はできないし、また、隠れて荼毘(ダビ)に付す事も難しかった。奥方の北川殿には気の毒だが、向こうで荼毘に付して遺骨だけを駿府に運んでもらう事に決まった。すでに、それらの事は遠江の新野(ニイノ)城に伝令を送り、今川家の菩提寺(ボダイジ)から数人の僧侶が現場に向かっていた。

 次の問題は今川家の家督だった。

 小鹿逍遙と朝比奈天遊斎は、竜王丸に家督を継いでもらうという前提の元、話を進めたが、それぞれの意見は一致しなかった。その第一の理由は、竜王丸がまだ六歳で、この先、今川家のお屋形様になるのにふさわしいかどうか、まだ分からないという事だった。また、もし、その器があったとしても、竜王丸が成人するまでの十年近くの間に、敵が駿河に攻め込んで来ないとも限らない。今は世の中が乱れ、一番危険な時期と言える。今川家を今以上に発展させるには、竜王丸では幼すぎると言って反対を唱える者も多かった。竜王丸が成人するまでは、お屋形様の弟二人に補佐してもらえばいいとも言ったが、何も竜王丸にこだわる事はない。重要なのは今の今川家だ。お屋形様にふさわしい者をお屋形様にするべきだと言う。

 福島越前守がお屋形様のすぐ下の弟、河合備前守を押すと、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守が同意して、福島土佐守が備前守の下の弟、中原摂津守を押すと、岡部美濃守、由比出羽守が同意した。竜王丸を押したのは朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉、矢部将監だった。

 福島越前守と福島土佐守は同じ一族なのに事ある毎に対立していた。土佐守の方が嫡流(チャクリュウ)だったが、江尻津を本拠地に持つ越前守の方が勢力を持ち、今川家中においても越前守の方がお屋形様の近くに仕えて、お屋形様の覚えもよかった。

 今川家において実際に実力を持っている重臣は、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏、葛山(カヅラヤマ)氏、それと遠江の天野(アマノ)氏の六氏だった。その他にも重臣たちは多かったが、その六氏によって、すべての事は決められると言ってもいい程だった。

 その中で、遠江の天野氏は今川家の事には余り干渉しなかった。天野氏も一応、今川家の被官となっているが、天野氏にしてみれば、今川家の力を利用して自分の勢力を広げようと思っている。利用できるうちは利用するが、今川家の勢力が弱まれば、それはまた、それでいい。隙あらば駿河にも侵入しようとたくらんでいた。同じような考えでいる者に、東駿河に勢力を持つ葛山氏がいた。葛山氏も今川家の被官になっていても、今まで今川家の世話になった事はなく、自力で勢力を広げて来た豪族だった。今川家が力を持っているので、その勢力下に入っているが、今川家が弱くなれば駿河の東半分をもぎ取ろうとたくらんでいた。

 天野氏や葛山氏とは違い、独立した勢力を持たず、今川家があってこそ自分たちがあると思っているのが、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏だった。彼らは今川家が安泰でないと、自分たちも安泰とは言えないので、彼らなりに真剣に今川家の事を考えていた。

 この場には、三浦氏、葛山氏、天野氏の姿はなかった。三浦氏はお屋形様と共に遠江に出陣していた。お屋形様の亡くなった戦陣を中心になってまとめている事だろう。葛山氏は駿河の国の一番東にいるので、すぐには駿府には来られない。お屋形様の死の連絡は届いているだろうから、明日あたり駿府に来るに違いなかった。天野氏の場合は遠江の国の中央、秋葉山の近くに本拠があり、まだ、お屋形様の死の知らせは届いていない。遠江に出陣した者たちが駿府に凱旋して来てから、改めて、知らせる事となっていた。

 福島越前守が河合備前守を押したのは、順番からいって、すぐ下の弟が跡を継ぐというのが当然という事もあったが、河合備前守と中原摂津守を比べた場合、備前守の方がしっかりしていると言えた。戦場での活躍は摂津守の方が多かったが、摂津守は軽はずみな所があり、この先、今川家をまとめて行くには、少し臆病な所はあっても、備前守の方が落ち着いていていいと判断したためだった。庵原氏、興津氏、蒲原氏らは普段から越前守派だったので越前守に従っていた。

 それとは反対に摂津守を押した福島土佐守は、越前守に反発した事もあるが、おとなしすぎる備前守より、数多くの実戦を経験している摂津守の方がふさわしいと判断した。この先、益々、今川家は戦に出なければならなくなるに違いない。優柔不断な備前守では今川家をまとめる事はできないだろう。その点、摂津守ならば自ら先頭に立って出陣する。これからの世は行動が第一だと判断した。土佐守に同意した岡部美濃守も土佐守と同じく、戦での活躍を重んじていた。そして、由比氏は岡部派だった。

 竜王丸を押した朝比奈和泉守は宿老の朝比奈天遊斎の弟で、お屋形様の嫡子がいないのならともかく、ちゃんと竜王丸がいるのだから、竜王丸が跡を継ぐべきだと主張した。竜王丸がいるにもかかわらず、他の者を家督にしたら、後で必ず、問題が起こる。竜王丸を家督として、二人の弟を後見にすべきだと主張した。竜王丸の母親が幕府政所執事(マンドコロシツジ)の伊勢氏の出なので、幕府としても竜王丸を押すに違いないとも言った。朝比奈派の斎藤氏、長谷川氏、矢部氏が同意した。

 福島越前守は、たとえ後見者が付いたとしても、竜王丸では幼な過ぎると言って反対した。平和な時代なら、それでも何とかなるが、この乱世に六歳のお屋形様では国人たちが納得せんじゃろ。頼りないと思って、国人たちが離反してしまったら、遠江進攻どころではなくなる。駿河の国内もバラバラになってしまうと言った。その点では対立している福島土佐守も同意見だった。

 守護大名の家督を決め、守護の任命をするのは本来、幕府の任務だった。しかし、その幕府が家督争いを始めたのだから、大名の家督に干渉するどころではなかった。今川家としても正式に幕府に認めてもらうつもりでいるが、今、そんな事を幕府に頼んだとしても、答えがいつ得られるのか分からない。そんなにのんびりしてはいられなかった。とにかく、家督を決め、家中を一つにまとめる事が先決だった。しかし、一つになるどころか、三つに分かれたまま、話は一向にまとまらなかった。

 福島越前守から、とりあえず、河合備前守をお屋形様の養子にして跡を継がせ、竜王丸を備前守の養子にし、成人したら跡を継がせたらどうか、という意見もでたが、備前守には竜王丸よりも大きい嫡男があり、そこで、家督争いになる事は目に見えていると言われ、取り入れられなかった。それではと、越前守は、備前守の奥方が堀越公方(ホリゴエクボウ)、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事である犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔政憲(ジブショウユウマサノリ)の妹だという事を話題に持ち出した。

 堀越公方が関東に下向する時、今川家の保護を求めるための婚姻だった。当時、お屋形様になるはずの義忠にも正妻はいなかったが、今川家の当主と上杉氏が婚姻関係を結ぶ事を恐れた幕府は、次男の備前守との婚姻を許した。

 越前守は、備前守がお屋形様になれば、堀越公方が後ろ盾になるだろうと言ったが、今頃、そんな事をわざわざ持ち出さなくても皆、知っていたし、堀越公方は公方と呼ばれてはいても、実際に力を持ってはいない。その執事である犬懸上杉氏にしても勢力はなかった。同じ上杉氏でも山内(ヤマノウチ)上杉氏や扇谷(オオギガヤツ)上杉氏なら、関東に守護職(シュゴシキ)を持っていて勢力があるが、犬懸上杉氏は今川家の後ろ盾になる程の力を持ってはいない。逆に、今川家の方が堀越公方の後ろ盾になっていると言った方が正しかった。越前守が堀越公方の事を力説すればする程、聞いている者たちは、備前守がお屋形様になれば、堀越公方を助けなければならなくなり、余計な荷物を背負う事になるだろう思い、益々、備前守が跡を継ぐ事に反対して行った。

 越前守が奥方の事を持ち出したので、対抗して、福島土佐守も中原摂津守の妻が今川一族の木田氏の出だという事を主張したが、三河の今川一族が妻だったところで、何の有利な点もなかった。土佐守は回りの反応を見て、つまらない事を言ってしまったと反省し、摂津守の今までの活躍を述べ立てた。しかし、それも、あまり効果はなかった。戦の活躍だけが、お屋形様になる資格ではない。摂津守以上に活躍している武将はかなりいる。現に、そう言っている土佐守自身が、今川家中でも一、二を争う程の首取りの名人だった。

 竜王丸を押す朝比奈和泉守は、お屋形様の奥方、北川殿は幕府が勧めた奥方である。その北川殿が産んだ竜王丸がいるのに、他の者を跡継ぎにすれば、幕府に逆らう事になる。幕府あっての今川家だ。幕府に逆らったら今川家も危ないだろうと言った。しかし、岡部美濃守は、もし、竜王丸が跡継ぎになって、国人たちが騒ぎ出したとしても、今の幕府には今川家を助ける程の余裕はない。これからは幕府に頼ってばかりもいられない。幕府の重臣だった遠江の守護、斯波(シバ)氏があの様(ザマ)だ。斯波氏のようにならないように、今川家をしっかりと一つにまとめなければならん。竜王丸では無理だと反対され、和泉守も何も言えなかった。

 部屋の中はすっかり暗くなり、明かりが灯される時刻となったが、決着は着かなかった。

 話し合いは明日に持ち越しとなり、今日の評定はお開きとなった。





 北川殿の朝は静かだった。

 小太郎の家と大して離れていないのに、まるで、別世界にいるような静けさだった。騒いでいるのは庭に来る小鳥たちだけだった。門前町にある小太郎の家は人々の喧噪が凄かった。夜が明ける前から人々は働き出して、うるさくてゆっくり寝てもいられなかった。それに比べて、ここは気味悪い程、静か過ぎた。

 小太郎は玄関のすぐ側の北川殿が客と対面する広間の脇にある十二畳間で寝ていた。昨夜、小鹿逍遙より正式に北川殿を守ってくれと言われたお陰で、屋敷内で休む事ができた。仲居たちの話によると、屋敷内に男が泊まるのはお屋形様以外、初めてだと言う。それが光栄な事なのかどうか分からないが、小太郎は一時おきに目を覚ましては見回りをしていた。加賀にいた頃、蓮如の身を守っていた頃の事が自然と思い出された。駿河に来て、また同じような事をする羽目になるとは、これも運命というものなのだろうかと不思議に思っていた。

 小太郎は起きるとまず、門の所に行った。門はすでに開いていた。吉田、久保、中河の三人が守っていた。すでに夜勤の者と入れ代わっていた。

 小太郎は昨夜、門番の侍たち十人と会って、打ち合わせをしていた。今まで夜警は表門の所に二人いるだけだったが、しばらくは裏門にも夜警を付けるように頼んだ。彼らにも何かが起こりそうな予感があり、皆、張り切って引き受けてくれた。

 彼らから話を聞いてみると、皆、一流の武士のようだった。腕が立つというので北川殿の護衛に選ばれ、初めの内は名誉ある仕事に就けたと喜んでいた。ところが、実際の仕事はただ門の所に立っているか、ちょっとした雑用だけだった。戦に行って活躍する事もできず、毎日、同じ事の繰り返しで、皆、少々腐っているところがあった。それが、お屋形様が急に亡くなり、跡継ぎの竜王丸はまだ六歳、こいつは何事か始まりそうだと皆が思った。何としてでも、北川殿と竜王丸を守らなければならないと使命感に燃えて、張り切っていた。

 小太郎は門番から何も異常がない事を聞くと、お屋形様の屋敷に続く門の方に向かった。お屋形様の屋敷への門は庭園を横切った南側の端にある。途中に立派な廐(ウマヤ)と豪華な牛車(ギッシャ)のしまってある小屋があった。廐といっても土間ではなく綺麗に磨かれた板の間で、町人たちが住んでいる長屋よりもずっと立派だった。馬はいなかった。お屋形様が馬でここに来た時だけに使う廐だろう。牛車は京の御所の辺りで時々、見かけるような金や銀で飾られた最高級のものだった。北川殿がどこかに出掛ける時はこれに乗って行くのだろう。今まで、自分の足で歩いてどこかに行った事などないのかもしれない。考えてみれば、それも可哀想な事だった。牛はいなかった。お屋形様の屋敷の方にいるのかもしれない。

 小太郎は門から出て、北川殿とお屋形様の屋敷をつなぐ橋を渡った。濠の幅はおよそ五間(約九メートル)、水の深さもかなりありそうだった。北川殿には土塁はなく、塀だけだが、お屋形様の屋敷には高さ一丈(ジョウ、約三メートル)余りの土塁が濠に沿って囲んでいた。小太郎は橋を渡り、お屋形様の屋敷の門をくぐった。北川殿の方から山伏が突然、現れたものだから門番は驚き、槍を構えて屋敷内に入れないようにした。

 小太郎は小鹿逍遙から頼まれて、北川殿を守る事となった大峯の山伏、風眼坊じゃ、以後、よろしく頼むぞ、と言って、戻ろうとした時、こちらに近付いて来る者があった。小河の長者、長谷川次郎左衛門尉だった。小太郎は橋の上で、次郎左衛門尉が来るのを待った。門番は姿勢を正し、次郎左衛門尉が来るのを見守っていた。

「通してもらうぞ」と次郎左衛門尉は言うと門をくぐり、橋の上にいる山伏を見て、何者じゃというような顔で門番を見た。

「長谷川殿、風間小太郎です」と小太郎は言った。

「風間殿? おお、そなたじゃったか。そういえば、そなた、大峯山の行者じゃったのう。どうして、また、こんな所に?」

「小鹿逍遙殿に北川殿の護衛を頼まれまして」

「なに、逍遙殿にか‥‥‥そうか、成程」と次郎左衛門尉は納得したように頷いた。

 二人は北川殿の屋敷に上がった。

「そなたがここにいるという事は、早雲殿もすでに?」と次郎左衛門尉は聞いた。

「はい。この近くにおります」

「そなたたちが、ここを守っていてくれれば、ひとまず安心じゃ。北川殿の御様子はどうじゃ」

「はい。悲しんでおられます」

「そうじゃろうのう。まさか、こんな事になるとはのう」

 次郎左衛門尉は首を振って、ぼんやりと庭を眺めながら独り言のように、「ついこの間、堀越陸奥守(ホリコシムツノカミ)殿が亡くなられたばかりじゃというのに‥‥‥こんな事になるとは‥‥‥」と言った。

「堀越陸奥守殿?」と小太郎は聞いた。聞いた事のない名前だった。

「ああ。去年の末じゃ。横地、勝間田らを退治に出掛けて亡くなられたんじゃよ」

「堀越殿というお方は今川家の重臣の方ですか」

「いや、一族じゃよ。遠江の今川氏じゃ。古くは遠江の守護だった事もある家柄じゃ。今川家が遠江に進攻するにあたって先陣を務めていたのが堀越陸奥守殿だったんじゃ」

「すると、今回の戦は、その堀越殿の弔(トムラ)い合戦でもあったわけですか」

「まあ、そうとも言えるが、お屋形様がこんな事になろうとは‥‥‥お屋形様もこれからという時に‥‥‥」

 次郎左衛門尉は疲れたような顔をして遠くを見つめていた。お屋形様の事を思い出しているようだった。しばらくして、小太郎の方を向くと、まいったという風に首を振った。

「これからの事ですが、一体、どのようになるのでしょうか」と小太郎は聞いた。

「家督の事か」

 小太郎は頷いた。

「難しいわ。なかなか、まとまりそうもないのう」

「早雲から、およその事は聞いておりますが、お屋形様には二人の弟がいらっしゃるとか、その弟たちが家督を狙っておるとか」

「いや、本人たちがどう思っているかは分からん。二人共、今は遠江じゃ。ただ、その二人を押す者がおるんじゃ」

「意見は三つに分かれておるのですか」

「そういう事じゃ」

「人物の方はどんなんですか」

「人物か‥‥‥どっちもどっちじゃな。早い話が河合備前守殿は戦略家で、中原摂津守殿は戦術家といったところかのう。備前守殿は広い視野を持っていて、大局的に物を見る事はできるが、ここぞという時の決断力に欠けるところがある。反対に摂津守殿は行動的で、余り先の事まで考える事はない。目先の事ばかりに囚われて物事の全体を見る事ができん。はっきり言って、今川家の事を思うと、どちらもお屋形様には向いていないんじゃ」

「二人揃えば、うまく行きそうですね」

「そうじゃな。しかし、二人の仲はあまり良くないんじゃ」

「そうなんですか」

「性格が正反対じゃからのう。お互いに相手を馬鹿にしている所があるようじゃのう」

「今回の事で仲良くやってくれれば、うまく行きそうですが」

「それは難しいのう。二人の下にいる重臣たちがまた仲が悪いからのう。二人が仲良くなろうと思っても重臣たちが邪魔をするじゃろう」

「派閥ですか」

「そうじゃ。備前守殿を押しているのは福島(クシマ)越前守じゃ。越前守は今川家の海の入り口である江尻の津(清水港)を押さえている。財力もかなりあり、武力もかなり持っている。なかなか腹黒いお方じゃ。わしの推測じゃが、越前守は伊豆の三島大社を狙っているような気がするんじゃ。備前守殿の奥方は堀越公方(ホリゴエクボウ)殿の執事、上杉治部少輔殿の妹なんじゃ。越前守は備前守殿をお屋形様にして堀越公方に近付き、三島大社の積み出し港である沼津を我物にしようとたくらんでいるような気がするんじゃ。勿論、それだけではない。備前守殿をお屋形様にする事ができれば、今川家中においても越前守の地位は上がり、朝比奈氏を凌ぐ事となろうがの」

「やはり、欲が絡んでおりましたか‥‥‥摂津守殿の方はどなたが押しておるのです」

「摂津守殿の方は岡部美濃守じゃ。こちらも欲がからんでおるのう。美濃守の妹が摂津守殿の側室になっているんじゃ。そして、その妹が産んだ子が嫡男となっておる。摂津守殿がお屋形様になれば、自分はその兄上となるわけじゃからのう。何としてでも、摂津守殿をお屋形様にしたいと主張しておる。そして、美濃守に同意しているのが、福島越前守に敵対している福島土佐守じゃ。土佐守は今川家でも一番の戦好きでな、はっきりしない備前守殿より、同じ戦好きな摂津守殿がお屋形様になった方が、自分も活躍できると思っておるのじゃろう」

「土佐守殿というお方は、わりと単純なお方のようですな」

「まあ、単純と言えば単純じゃのう。曲がった事が嫌いなさっぱりした男じゃが、古武士のような頑固さを持ってる男じゃ。まだ、三十位の男じゃがのう」

「竜王丸殿を押しておるのはどなたです」

「朝比奈和泉守殿じゃ。それに斎藤加賀守、矢部将監(ショウゲン)、そして、わしじゃ」

「小鹿逍遙殿は?」

「逍遙殿は今のところは中立じゃ。しかし、竜王丸殿が家督を継ぎ、備前守殿か摂津守殿が後見人になってくれればいいと願っているようじゃ」

「そういう具合にはなりそうもないのですか」

「難しいのう。まだ六歳のお屋形様では国人たちが今川家から離れ、駿河の国がバラバラになると言うんじゃ」

「その可能性もあるのですか」

「ないとは言えんのう。昔のように幕府が健在で、幕府がはっきりと竜王丸殿の家督を認めてくれれば、国人たちも幕府の威光を恐れ、今川家をもり立ててくれるじゃろうが、今の幕府は、はっきり言って当てにはできん。特に駿東の国人たちは今川家から離れ、関東の上杉氏と手を結ぶ者が現れて来るかもしれん」

「成程‥‥‥難しいところですね。ところで、話は変わりますが、お屋形様の弟なのに、どうして、お二人とも今川の姓を名乗らないのです」

「それはのう。他所(ヨソ)から来た者は不思議に思うのは当然の事じゃが、先代、いや、お亡くなりになられたお屋形様のお父上の代の時、関東で永享(エイキョウ)の乱というのが起きたんじゃ。その時、先々代のお屋形様は活躍して将軍様から恩賞を頂いた。その恩賞というのが奇妙なもので、今川という姓を名乗れるのは天下にただ一人だけ、今川家のお屋形様だけが名乗れるという御免許を頂いたんじゃ。それ以来、お屋形様以外は、たとえ御兄弟であろうとも、今川を名乗る事はできなくなってしまったんじゃよ。将軍様も随分と変わった恩賞をくれたものじゃ。遠江の今川家は堀越姓に変わり、先代のお屋形様の弟である逍遙殿は小鹿姓を名乗り、お屋形様の弟であるお二人は、それぞれ、河合、中原を名乗っておるんじゃよ」

「へえ、今川姓はお屋形様ただ一人だけのものだったのですか、そいつは知らなかった」

「この天下に、今川を名乗れるのはただ一人というわけじゃ」

「まあ、それも名誉と言えば名誉な事ですね」

「ああ、将軍様もうまい事を考えるものじゃ」

 次郎左衛門尉は北川殿に簡単な挨拶をすると、お屋形様の屋敷の方に戻って行った。今日もこれから長い評定があるという。半ば、うんざりとした表情をしながら帰って行った。





 お屋形様の屋敷内の大広間での評定(ヒョウジョウ)は続いていたが、それぞれが昨日と同じ事を主張するのみで何ら進歩はなかった。お互いに妥協して歩み寄ろうとはせず、己(オノレ)の意見が一番正しいのだと言い張っていた。

 遠江からの連絡によると、今日のうちに、お屋形様の荼毘(ダビ)が新野城の側の河原にて行なわれ、明日、凱旋軍として新野城を立ち、その日は大井川を渡って駿河に入り、三浦氏の大津城(島田市)に泊まって、明後日には駿府に入って来るとの事だった。

 少しも進展しなかった評定も、昼過ぎに葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)が登城すると、様相は一変して、さらに複雑に展開して行った。普段から仲のいい福島越前守が強い味方が来たと迎え入れ、敵対する福島土佐守は苦々しい顔をして播磨守が入って来るのを見ていた。

 播磨守は朝比奈天遊斎から、今までの成り行きを一々頷きながら聞いた。

「そなたの意見はいかがじゃ」と促(ウナガ)せられると、「皆様方のおっしゃる事は皆、もっともな事でござる」と渋い顔をして言った。「しかし、皆様方は誰かをお忘れではござりませんかな」

 播磨守は左右を見回してから、「竜王丸殿、河合備前守殿、中原摂津守殿、そして、お屋形様になるべきお人はもう一人おられる」と言った。

「一体、そんなお方が他におるのか」と越前守は聞いた。

「おられる‥‥‥小鹿新五郎殿じゃ」

 皆、はっとした。

 播磨守に言われて初めて気が付いたが、確かに、逍遙入道の嫡男、新五郎範満(ノリミツ)もお屋形様になる資格はあった。新五郎はお屋形様の従弟であり、今まで、常にお屋形様の側に仕えて活躍していた。人物的に見ても備前守、摂津守に劣る事はなく、かえって新五郎の方がお屋形様にはふさわしいと言えた。

「うむ、新五郎殿がおったか」と天遊斎は唸(ウナ)った。

「いや、あれは、お屋形様になる器ではない」と逍遙は首を振った。

 新五郎の名が出た事は親の気持ちとしては嬉しくないとは言えなかった。はっきり言って、自分の息子ながら備前守、摂津守と比べたら新五郎の方が勝っていると思っている。しかし、この場では、親である事よりも今川家の長老という立場で物を見なければならなかった。確かに、伜の新五郎もお屋形様の従弟にあたり、お屋形様になる資格がないとは言えないが、新五郎が候補に上がる事によって、逍遙が子供の頃に経験した内訌(ナイコウ)が生ずる恐れがあった。今、今川家が家督争いを始めれば、遠江の守護であった斯波氏のように今川家は消滅してしまうかもしれない。新五郎が戦から帰って来たら、何としてでも説得して辞退してもらうしかないと思った。

 葛山播磨守の妻は逍遙の娘だった。播磨守と逍遙の娘の婚姻は逍遙が決めたわけではなく、播磨守の方からお屋形様に頼んで実現したものだった。逍遙としては、駿河の東のはずれに可愛い娘をやるのは反対だったが、どうする事もできなかった。あの時、何となく嫌な予感があったが、今になって娘を葛山のもとにやった事を後悔していた。

 葛山派の矢部将監がさっそく、竜王丸派から新五郎派に転向した。

 播磨守は新五郎の祖母が関東の扇谷(オオギガヤツ)上杉氏である事も主張し、関東の上杉氏が後ろ盾となれば、東は安泰、さらに西に勢力を伸ばす事ができるだろうと言った。播磨守が言う事も一理あるが、余り関東に近づき過ぎて幕府から疑われるという恐れもあり、賛成しかねる者も多かった。幕府の力が弱まったとはいえ、代々、幕府に仕えて来ていた今川家には、幕府に逆らうなどという大それた事を本気で考えるような者はいなかった。

 葛山播磨守が、新五郎の人物に関しても備前守や摂津守よりも勝っていると言い、数々の戦功を挙げると、福島土佐守が、確かに新五郎殿がお屋形様になるべきじゃと同意した。土佐守が摂津守派から新五郎派に転向し、新五郎を押すのは、葛山播磨守と矢部将監、福島土佐守の三人になり、家中は四つに分かれてしまった。

 その頃、小太郎の家では、早雲が一人で何やら書いてある紙を広げて睨(ニラ)んでいた。その紙には今川家の重臣たちの名前が並んでいた。今朝、北川殿に顔を出して、小太郎から聞いたものだった。早雲は新たに小鹿新五郎の名が挙がった事をまだ知らない。竜王丸派、河合備前守派、中原摂津守派の三つに分けて書かれてある重臣たちの名を見つめていた。幸いな事に、去年の正月、伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)のお茶の指導に供として付き合ったため、今川家の重臣たちのほとんどと面識があった。知らないのは竜王丸派の朝比奈和泉守と矢部将監、摂津守派の福島土佐守の三人だけだった。当然、河合備前守と中原摂津守の二人は知っていた。

 早雲から見たところ、備前守と摂津守の二人は亡くなったお屋形様と比べたら、月とスッポン程の差があると言えた。お屋形様は時代を見る目を持っていたが、弟の二人は持っていない。お屋形様は応仁の乱が始まった時、京に行って、今の幕府の姿をその目で見ているが、二人にとって幕府とは大いなる権威の象徴のままだった。この先、今川家を背負って立つには、今までのように幕府に頼っていてはならない。自立しなければ生き延びて行く事は不可能だろう。国人たちとの被官関係を強化して、駿河の国内をまとめ直さなくてはならない。果たして二人にそれができるかというと、残念ながら首を振らざるを得なかった。かと言って、竜王丸にそれができるかと言っても今は無理だった。しかし、この先、うまく教育すれば、立派なお屋形様に仕立てる事は可能だ。ただ、その場合、竜王丸が成人するまでの十年近くの間、竜王丸に変わって、お屋形様の代理をする者が必要となる。その代理の者は少なくとも今川家を今の状態のままに保たなければならない。そうなると、竜王丸の後見人は摂津守よりは備前守の方が向いているような気もしたが、やはり、頼りなかった。

 備前守派の中心とも言える福島越前守は余程の財力があるとみえて、数々の茶道具やら名画やらを所持していた。茶の湯の事もなかなか詳しく、和歌や漢詩などの造詣(ゾウケイ)も深く、なかなかの人物だった。このまま竜王丸の敵になると手ごわい相手になりそうだった。

 摂津守派の岡部美濃守は無駄口を言う事もなく、堅苦しい感じの男だった。お茶を習うのにも、自分が納得するまで同じ事を何度も聞いて、細々(コマゴマ)と書き留めていた。融通の利かない頭の固い男だった。曲がった事は嫌いのように思えるが、自分の妹が摂津守の側室になっているという事だけで、摂津守を押しているとは予想外な事だった。

 春雨と寅之助の二人は今朝、北川殿に行った時、向こうに置いて来た。小太郎が逍遙から北川殿の警固を頼まれた事によって、北川殿を守るための人員を増やす事ができるようになった。小太郎には外部から侵入して来るかもしれない曲者(クセモノ)を見張ってもらい、春雨とお雪の二人には侍女や仲居たち、内部の者を見張ってもらう事にした。寅之助も一人でこの家に残しておくわけにもいかないので北川殿に連れて行った。あの暴れん坊があの屋敷の中でおとなしくしているとは思えないが、仕方なかった。竜王丸とうまくやってくれればいいと願っていた。さらに、富嶽、荒川坊、孫雲、才雲が戻って来たら、その四人も北川殿に潜入させるつもりでいた。富嶽には北川殿にて、今は亡きお屋形様の肖像を描いてもらい、荒川坊、孫雲、才雲は小太郎の弟子として入れるつもりだった。

 早雲は懐(フトコロ)から別の紙を出すと眺めた。北川殿に仕えている者たちの名が書いてあった。それによると、侍女の二人は伊勢氏と朝比奈氏の出なので問題はないが、乳母の船橋は福島氏の出だった。福島氏といっても越前守派か土佐守派のどっちだか分からない。注意した方がいいかもしれない。仲居衆の中では朝比奈氏の西尾、長谷川氏の瀬川以外は皆、注意人物だった。警固兵の中にも注意すべき者は多くいたが、身内の者を疑いたくはなかった。裏切らない事を祈るしかなかった。

 早雲は紙をたたんで懐にしまうと腕組みをして考え込んだ。

 何とかして、お屋形様の屋敷内の状況が分からないものかと思った。重臣たちの評定の様子がもう少し早く分かれば対処の仕方も考えられるが、今のままでは、ただ何事かが起こるのを待つのみで、常に後手に回ってしまう。早雲も逍遙入道に頼めば、重臣たちの集まる広間に顔を出す事はできるかもしれない。しかし、今の早雲は竜王丸の伯父という立場にあった。出家しているとは言え、そんな所にのこのこ出て行けば、誰もが竜王丸の伯父として早雲を見て、その地位を利用して今川家に乗り込んで来ると思うに違いなかった。今でさえ竜王丸の立場は不利と言えるのに、早雲が顔を出せば重臣たちの反発を買って、さらに不利な状況になる可能性は強かった。あまり、お屋形様の屋敷の辺りをウロウロしない方がいいと言えた。となると頼るは小河の次郎左衛門尉しかいなかった。次郎左衛門尉が北川殿に来て、評定の内容を知らせてくれるのを待つしかなかった。五条安次郎が帰ってくれば、一々、詳しい事を知らせてくれるとは思うが、それまでは次郎左衛門尉に頼るしかなさそうだった。

「わしも北川殿に移るか」と独り言を言うと早雲は立ち上がった。

 早雲が土間に下りようとした時、門の所から中を覗いている者がいた。多米権兵衛と荒木兵庫助の二人だった。早雲が中にいるのを見つけると二人は笑いながら入って来た。

「よう、久し振りじゃのう」と早雲は二人を迎えた。

「はい、お久し振りで‥‥‥ところで、何かあったんですか」と多米が聞いた。

「書き置きに、すぐにここに来いと書いてありましたが」と荒木は言った。「一体、どうしたんです。早雲庵には誰もいないし、みんなが心配してましたよ」

「そうか、心配してたか‥‥‥当分は帰れそうもないのう」

「何があったんです」

 早雲は二人に事の成り行きを話した。二人は信じられないといった顔をして、お互いに顔を見合わせた。

「今、小太郎夫婦と春雨が北川殿に入っておる。富嶽は荒川坊たちを連れて遠江の状況を調べに行った」

「へえ‥‥‥」と多米は言ったが、よく分かっていないようだった。

「家督争いでも始まるんですか」と荒木は聞いた。

「分からんが、その可能性はある」

「という事は竜王丸殿の身に危険が?」

「その可能性もある」

「成程、それで、風間殿が北川殿に入ったのか」と多米にもようやく話が分かったようだった。

「早雲殿、わしらにも何かさせて下さい」

「そうじゃ、わしらも仲間に入れて下され」

「そのつもりじゃ。だが、今のところは特にないの。とりあえず、二人でここの留守番でもしておってもらおうか」

「留守番ですか」と多米と荒木は不満そうな顔をして早雲を見た。

「明日か明後日には富嶽たちが戻って来るじゃろう。そしたら改めて作戦を練る。それまではここで寝泊りしながら、ここら辺りで遊んでおってくれ。銭があればの事じゃがのう」

「銭はたっぷりあります」と荒木は言った。

「博奕(バクチ)で勝ったのか」

 荒木は自慢気に頷いた。

「あまり、羽目をはずすなよ」と言うと早雲は出て行った。





 二月十三日の夕方近く、お屋形様の軍勢が駿府に凱旋して来た。

 道の両脇には行軍を一目見ようと、人々が重なるようにして集まって来ていた。その行軍は、さすがに東海一の弓取りと呼ばれる程の威厳のあるものだった。名門と呼ばれるのにふさわしく、規律正しく、きらびやかで堂々たるものだった。

 その軍勢の中央にはお屋形様の姿があった。護衛の兵に囲まれて、馬上に揺られているのはお屋形様に相違なかった。道端で行軍を見ていた早雲は自分の目を疑った。一瞬、お屋形様の死体を馬に乗せているのかと思ったが、馬上のお屋形様は生きていた。そのお屋形様は兜をかぶって鎧に身を固め、顔まではよく見えないが、お屋形様にそっくりだった。弟がお屋形様に扮しているのかと思ったが、河井備前守は背丈はお屋形様と同じ位だが少々太っている。中原摂津守はお屋形様よりも大男だった。二人でないとすると兵士の中からお屋形様に似ている者を選んだのだろうか。

 まあ、そんな事はどうでもよかった。これで重臣たちも揃い、いよいよ、本格的な評定が始まる。賽(サイ)の目が一と出るか二と出るか、それとも三か、荒木兵庫助じゃないが、命懸けの大博奕が始まる。これから忙しくなるだろう。

 早雲は群衆から離れて、小太郎の家に向かった。

 小太郎の家では遠江に行っていた富嶽、荒川坊、才雲、孫雲が待っていた。荒木と多米の二人も真面目に留守番をしていた。

「御苦労さん。何か分かったか」と早雲は板の間に上がると、さっそく聞いた。

「いや、何も分からん」と富嶽は早雲の顔を見上げながら首を振った。

「遠江では、お屋形様は亡くなってはおらんのじゃ。そんな事を噂しておる者など一人もおらんわ」

「そんなところじゃろうのう。ところで戦の状況は分かったか」

「ええ。掛川の城下でおおよその事は調べました」

 富嶽の集めた情報を一つにまとめると、お屋形様が兵を率いて遠江に向けて駿府を出たのが先月の二十二日、その日は三浦次郎左衛門尉の大津城(島田市)まで行った。

 二十三日、大井川を渡って北上し、鶴見因幡守(イナバノカミ)の志戸呂(シトロ)城(金谷町)を囲んで、次の日には落とした。二十五日、牧ノ原を南下して勝間田城(榛原町)を囲み、次の日には落とし、さらに、二十八日には横地城(菊川町)も落としている。

 二十九日には朝比奈備中守の掛川城に入って戦陣を整え、兵馬を休養させ、二月一日の早朝より敵の籠もる見付城(磐田市)に向かい、昼過ぎより総攻撃を掛けるが、予想外の抵抗に会って、その日のうちに落とす事はできず、城を囲んだまま夜を明した。あらゆる作戦を用い、鶴見因幡守の寝返りによって城が落ちたのは六日の日が暮れる頃だった。敵の大将、横地四郎兵衛、勝間田修理亮(シュリノスケ)は討ち死にした。

 翌日の七日、首実験を行なって福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)の高天神(タカテンジン)城(大東町)に向かい、次の日は一日休養した。九日には駿府に向けて凱旋する予定だったが、見付城から逃げて来た横地、勝間田の残党が横地城に立て籠もって、凱旋する今川軍に対して攻撃を掛けるとの情報が入り、予定を変更して横地城に向かった。前回、横地城を攻撃した時は留守を守っていた松井、二俣の両氏が今川方に寝返ったため横地城は無傷のままだった。残党は不意を襲って松井、二俣を追い出し、城を乗っ取っていた。

 今川軍の総攻撃を受けて横地城が落ちたのは、その日の日暮れ近かった。暗くなりかけた頃、今川軍は横地城の南一里程の所にある新野城に向かった。新野城は今川一族の新野左馬助(サマノスケ)の城だった。その城に向かう途中、塩買坂(シオカイザカ)という所で残党の夜襲に会い、今川家の重臣、朝比奈肥後守(ヒゴノカミ)、矢部美濃守ら数人がやられた。

 十日、新野城を中心に残党狩りを行ない、十一日、朝比奈、矢部氏など討ち死にした者たちを河原にて荼毘(ダビ)に付して、十二日、駿府に向けて出発。その日は大井川を渡って大津城に入り、そして、今日、ようやく駿府に到着した。

「朝比奈肥後守殿もお亡くなりになったのか」と早雲は聞いた。

「はい。早雲殿は御存じで?」

「ああ、天遊斎殿の伜殿じゃ」

「と言うと、朝比奈城の城主ですか」

「そうじゃ、天遊斎殿の嫡男じゃった」

「お屋形様を初め、重臣の方々がお亡くなりになって、今川家も大変じゃのう」

 早雲は頷き、少し考えてから、「新野城の近くで荼毘に付したとのか」と聞いた。

「はい。新野城の近くまで行ったんじゃが近付けんかった。仕方なく川を渡って、対岸から隠れながら見ておったが、その中にお屋形様の遺体があるかどうかまでは分からなかった」

「何体位、荼毘に付していたんじゃ」

「さあ、身分の高い者だけじゃと思うが、かなりあったぞ。何人もの坊主が経を上げておったわ」

「そうか‥‥‥ところで、お屋形様に扮しておったのは一体、誰なんじゃ」

「それが分からんのです。お屋形様にそっくりで、わしは、もしかしたら、お屋形様は生きておるんじゃないかと思った位じゃ」

「そうか‥‥‥」

「それで、こっちの様子はどんなです」

「今のところは問題ない」

「家督は竜王丸殿に決まりそうですか」

「それは難しいのう」

 早雲は例の紙を富嶽たちに見せ、今、重臣たちの意見が四つに分かれている事を知らせた。

「戦から帰って来た重臣たちの意見がどうなるかじゃな」と早雲は言った。

「竜王丸殿、河井備前守殿、中原摂津守殿、そして小鹿新五郎殿か‥‥‥小鹿新五郎殿というのは逍遙入道殿の伜殿ですか」

「そうらしい。わしも会った事はないが、なかなかの男だそうじゃ。初め、新五郎は候補の中に入っておらんかったが、葛山播磨守が現れると新五郎の名を出し、竜王丸派だった矢部将監と摂津守派だった福島土佐守が同意したんじゃ」

「葛山播磨守というと愛鷹(アシタカ)山の裾野の?」

「そうじゃ。駿河の東のはずれじゃ」

「その葛山が小鹿を押すという事は逍遙殿と何かつながりでもあるのですか」

「播磨守は新五郎の人物を押しておるが、実は逍遙殿の娘が播磨守の妻になっておる。それに逍遙殿の母親は相模国守護の扇谷上杉氏じゃ。播磨守の領地は相模国と隣接しておる。新五郎がお屋形様となれば扇谷上杉氏とのつながりができ、さらに勢力を広げようとたくらんでおるに違いない」

「しかし、駿河と相模が手を結べば、播磨守は相模に攻め込む事はできんじゃろ。かえって、敵対しておった方が攻め込む事ができるんじゃないのか」

「扇谷上杉氏と葛山氏では勢力が違い過ぎる。まともにやっても負けるだけじゃ。播磨守は今川家の被官として扇谷上杉氏に取り入り、隙を見ながら徐々に勢力を拡大するつもりじゃろう。わしも会った事はないが、かなりの男に違いないと睨んでおる」

「そういう男が竜王丸殿の敵におるという事は一筋縄では行きそうもないのう」

「ああ、難しい。難しいが、何としてでも竜王丸殿にはお屋形になってもらう」

 早雲の顔は厳しかった。

 富嶽、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲の六人は今まで早雲の真剣な顔というものを見た事はなかった。早雲を見ながら六人は、早雲が今回の事に命を賭けているのではないかと感じていた。早雲がその気でいるのなら、わしらもやらなければならない。早雲のために、竜王丸のために、命を賭けて一仕事をやるかと六人は久し振りにやる気を出していた。

 富嶽は数年間、早雲と共に暮らして来て、早雲のような男が武士をやめてフラフラしているのは勿体ないと常に思っていた。早雲が武士に戻るのなら早雲の家来になってもいいと思った事もあった。しかし、早雲はもう二度と武士に戻る気はなさそうだった。富嶽もその事は諦め、そんな事を思った事もすっかり忘れていたが、今、その事を思い出していた。早雲が武士に戻るかどうかは分からなかったが、自分の命を早雲という目の前にいる男に賭けてみようと心の奥で決心を固めた。

 荒木と多米の二人も自分を生かす道が見つからず、浪人したままブラブラしていた。何かをしなければならないと焦るが、何をやっていいのか分からず、また、あちこちを旅をして命を賭けられる程の武将を捜してもみたが、それ程の武将は見当たらなかった。そして、今、早雲という男を改めて見ながら、早雲は武将ではないが、この人のためなら、なぜか、命を預ける事ができるかもしれないと感じていた。二人ともやってやろうじゃないか、と久し振りに心が高ぶって行くのを感じていた。

 荒川坊は早雲と再会して以来、ずっと、早雲について行こうと決めていた。早雲がこれから何をやろうとしているのかよく分からなかったが、どこまでもついて行こうと決めていた。才雲と孫雲の二人も荒川坊と同じだった。師匠と決めた早雲が何か大きな事をやろうとしている。何が起ころうと師匠に付いて行くだけだった。

 早雲は六人を引き連れて、北川殿に向かった。これから、しばらくの間は全員で北川殿を守る事にした。





 駿府に帰って来たお屋形様の遺骨は、一晩、お屋形様の屋敷の上段の間に安置され、ひそやかな通夜が行なわれた。北川殿も牛車(ギッシャ)に乗ってお屋形様の屋敷まで出掛け、ほんの一瞬だったがお屋形様に別れを告げた。竜王丸を初め子供たちは一緒には行かなかった。

 翌朝、お屋形様の遺骨は今川家の菩提寺(ボダイジ)、宝処寺(ホウショジ)に納まった。お屋形様の死を隠しているため、法要をする事はできなかった。城下は凱旋気分で浮かれていても、お屋形様の屋敷はひっそりと静まり返っていた。

 大広間では新たに戦から帰って来た重臣たちが加わって評定が始まっていた。早いうちに跡継ぎを決め、お屋形様の葬儀をしなければならないのに、いつまで経っても一つにまとまりそうもなかった。

 新たに加わった重臣は、大津城の三浦次郎左衛門尉、方上(カタノカミ)城(焼津市)の岡部五郎兵衛、新野城の新野左馬助、堀越城(袋井市)の堀越陸奥守、高天神城の福島左衛門尉、掛川城の朝比奈備中守、久野(クノ)城(袋井市)の久野佐渡守、そして、お屋形様の祐筆(ユウヒツ)だった五条安次郎だった。

 三浦次郎左衛門尉は迷わず、小鹿新五郎を主張した。今回の戦での新五郎の活躍は目覚ましいものがあったし、お屋形様が亡くなってからの行動が特によかったと次郎左衛門尉は感心していた。まさしく、お屋形様の跡を継ぐ者は新五郎をおいて他にないと信じていた。塩買坂で突然の夜襲を受けた時、お屋形様の後にいた新五郎は、お屋形様がやられ、側を守っていた者たちが次々にやられるのを目撃し、兵たちが怒りと恐れから狂乱状態に陥って分散してしまうところを冷静にくい止め、隊を崩さずに見事に新野城まで退却した。あの時、新五郎が逆上して敵の中に突入していたら、今川軍は全滅に近い被害をこうむっていたに違いなかった。新野城に入ってからも、二人の弟が取り乱したまま何もする事ができなかったのに比べ、新五郎は常に適切な処置を命じていた。そして、駿府に帰る時、お屋形様に扮して見事な行軍を行なったのも新五郎だった。その姿を見ながら、新五郎がお屋形様になれば今川家は安泰じゃ、と本心から思っていた。次郎左衛門尉と同じく、新五郎の活躍をすぐ側で見ていた新野左馬助も、小鹿新五郎をおいて他にはいないと言い張った。

 岡部五郎兵衛は朝日山城の岡部美濃守の弟で、迷わず、妹が側室に入っている中原摂津守を選んだ。

 朝比奈備中守、久野佐渡守の二人は見付城の攻撃の時は参加していたが、城が落城して勝利を得ると、それぞれの居城に帰って祝勝の宴を張り、改めて正月気分に浸っていた。そんな時、突然、お屋形様の戦死の知らせを受け、半信半疑の気持ちで新野城に向かった。

 福島左衛門尉は見付城落城の後、お屋形様を自分の居城、高天神城に招待して充分に持て成し、休養してもらった。お屋形様が残党の籠もる横地城に向かった時、お屋形様が来なくてもいいと言ったので、左衛門尉は一緒に行かなかった。まさか、その時が、お屋形様と最期の別れになるとは思ってもいなかった。知らせを受けて、左衛門尉は泣きながら新野城に向かった。

 その三人は三浦次郎左衛門尉とは違い、新五郎を押さなかった。竜王丸が跡継ぎになるべきだと主張した。彼ら三人の本拠地は遠江の国だった。彼ら三人も河合備前守、中原摂津守と比べれば小鹿新五郎の方がふさわしいとは思うが、新五郎がお屋形様となった場合、関東に近付く事となり、幕府の怒りを買う事になりはしないかと心配した。もし、幕府軍が今川家を攻める事となれば、まず、遠江から攻めるのは間違いなかった。せっかく、横地、勝間田らの豪族を倒して、遠江の東半分は今川家の勢力範囲になったと言える今、幕府に逆らえば遠江の国は取り上げられるかもしれない。久野氏は元々、遠江に根を張っているので、先祖代々の土地を奪われる事はないとは思うが、福島左衛門尉と朝比奈備中守は遠江に進出して、まだ一年ちょっとしか経っていなかった。ようやく、自分の城を持って、これから地盤を固め、勢力を広げようという時に遠江から追い出されたくはなかった。それに、二人共、亡きお屋形様には恩があった。福島左衛門尉は江尻城の越前守の弟であり、朝比奈備中守は天遊斎の次男だった。二人とも次男の身でありながら遠江進出のため、左衛門尉は高天神城の城主に抜擢され、備中守は掛川城の城主に抜擢されていた。自分たちを選んでくれたお屋形様のためにも跡目は竜王丸に継いでもらいたかった。

 五条安次郎は初めから竜王丸派だったが、五条の存在はただの祐筆でしかなかった。錚々(ソウソウ)たる重臣たちに向かって、自分の意見を言える程の身分ではなかった。

 最後の堀越陸奥守は去年の末、横地、勝間田らを退治するために出陣して戦死した堀越陸奥守の弟だった。陸奥守が戦死するまでは堀越家の菩提寺である海蔵寺の禅僧だった。突然、兄が亡くなり、兄の嫡男がまだ八歳だったため、お屋形様に頼まれて還俗(ゲンゾク)して、堀越家の家督を継ぎ、陸奥守の名乗りも継いだが頭は剃髪したままだった。陸奥守はまだ、今川家中の事がよく分からなかった。軽はずみな事を言って、つまらない派閥争いに巻き込まれたくはなかった。しばらくは中立のまま様子をみようと思っていた。

 この時点で、中立派は朝比奈天遊斎、小鹿逍遙、堀越陸奥守の三人。

 竜王丸派は朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉、朝比奈備中守、福島左衛門尉、久野佐渡守の六人。

 小鹿新五郎派は葛山播磨守、三浦次郎左衛門尉、福島土佐守、矢部将監、新野左馬助の五人。

 河合備前守派は福島越前守、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守の四人。

 中原摂津守派は岡部美濃守、岡部五郎兵衛、由比出羽守の三人だった。

 今の状況では小鹿新五郎が少し有利に立っていると言えた。

 候補に上がっている小鹿新五郎、河合備前守、中原摂津守の三人は、お屋形様の座るべき上段の間のすぐ下に並んで控え、重臣たちの言い争う様を眺めていた。駿府に凱旋して来るまでは、自分がお屋形様になる事など真剣に考えてもいなかった三人も、この場に座らせられた事によって自分が今川家の家督を継いで、お屋形様になるという事を実感していた。そして、お互いに、家督を手に入れるためには隣に座る二人と六歳の竜王丸を倒さなくてはならないという事も自覚していた。涼しい顔をして座っている三人だったが、心の中では欲望の炎がメラメラと燃え広がっていた。

 その日の晩、長谷川次郎左衛門尉が五条安次郎と堀越陸奥守を連れて北川殿を訪れた。陸奥守はまだ跡継ぎになるべき竜王丸に会った事がなかったため、一応、挨拶に来たのだった。

 型通りの挨拶の後、早雲と小太郎は今日の評定の様子を三人から聞いた。早雲はさっそく、例の紙に新しく参加した重臣たちの名前を書き加えた。

「これから、どうなるんかのう」と小太郎は紙を覗きながら言った。

「分からんのう。一つにまとめる事は難しいわ。この有り様で、お屋形様がおられた時、よくまとまっていたものじゃと今更ながら感心するわ」と次郎左衛門尉は庭の向こうに見えるお屋形様の屋敷の屋根を見ながら言った。

「お屋形様がそれだけ大きかったという事ですね」と早雲は言った。

「そういう事じゃのう。お屋形様が家督を継がれたのは、確か、二十五、六の時じゃった。あの時は少々頼りないという気もしたが、今思えば、お屋形様らしいお屋形様じゃったのう。せめて、後十年、生きていてくれたなら、こんな内輪揉めも起きなかった事じゃろうに‥‥‥横地、勝間田らを討った後じゃったからまだいいが、奴らが生きていたら絶好の機会じゃと駿河に攻めて来るじゃろう。しかし、のんびりといつまでも、だらだらと評定を重ねているわけにもいかん。お屋形様の死をそういつまでも隠しておく事もできんじゃろう。お屋形様の死を知れば、遠江の国人たちがまた斯波氏に付いて騒ぎを起こすかもしれん。早いうちに決めなくては今川家の存亡に拘わるかもしれんわ」

「遠江の状況は危険なのですか」と早雲は陸奥守に聞いた。

「遠江は天竜川を境に東西に分かれております。東側は横地、勝間田が消えたので、今川家の勢力範囲となりました。西側は斯波氏と手を結んだ三河の吉良殿の勢力範囲と言えます。東側は今川家の勢力範囲となりましたが、北部の山岳地帯は天野氏の勢力範囲です。天野氏は今川家の被官となり、重臣の一人になっておりますが、ここだけの話ですが、この天野氏が曲者(クセモノ)です。今川家が家督争いを起こして弱体化するのを願っているかもしれません」

「天野氏がか‥‥‥今川家からの独立を考えているというのか」と次郎左衛門尉は聞いた。

「ありえます」

「確かにのう。横地、勝間田が消え、今川家に内訌でも起これば、東遠江を我物にしようと考えるのは当然の事じゃのう‥‥‥確か、天野氏もそろそろ駿府に来るはずじゃが」

「天野氏もお屋形様の死を知っておるのですか」と早雲は次郎左衛門尉に聞いた。

「ああ、知らせた。一応、重臣じゃからのう」

「もし、来なかったら、今川家に反旗をひるがえしたという事になりますね」と小太郎は言った。

「いや。来るじゃろう。こちらの様子を調べん事には、天野氏としても動きが取れんじゃろうからの」

「その天野氏とやらが来たら、益々、複雑になりそうじゃのう」と小太郎は言った。

「候補に上がっておる三人の気持ちはどうなんです」と早雲は聞いた。

「三人共、はっきりとは言わんが、やる気、充分のようじゃのう。一人くらい遠慮して、竜王丸殿をもり立てて行くという者がいてもいいものを、欲に目が眩(クラ)んで、そんな事を言う者は一人もおらん。困った事じゃ」

「最悪の場合は武力に訴えるという事もありえるのですか」

「そこまで行かん事を祈るしかないのう」

「長谷川殿、お聞きしたいのですが、今、お屋形を守っておる兵たちの指揮権はどなたが持っておるのですか」と小太郎は聞いた。

「お屋形様直属の奉公衆の事か」

「はい」

「お屋形様が戦に出掛けた時は留守を守っていた河合備前守殿じゃったが、今は小鹿逍遙殿じゃと思うがのう」

「逍遙殿ですか‥‥‥」

「しかし、奉公衆にも派閥がある。奉公衆というのは一族の者や重臣たちの子息たちで編成されておるんじゃ。一族や重臣たちが分かれれば当然、奉公衆も分かれる事となるじゃろう」

「その奉公衆というのは、どれ位おるものなのですか」

「それは、五条殿の方が詳しいじゃろう」と次郎左衛門尉は言った。

「はい」と五条が答えた。「普通、三百騎と言われておりますが、実際はそれ程おりません。二百五十騎というところでしょうか。五組に分かれておりまして、一ケ月交替でお屋形の警固と詰の城の守りをやっております」

「五組に?」

「はい。その内の一組が本曲輪(クルワ)と呼ばれているここを守り、二組目が二の曲輪を守り、三組目が詰の城を守ります。残りの二組は休みというわけですけど、戦があれば、その二組がお屋形様を守るために付いて行く事になります。今回、戦に行ったのは二番組と三番組です。本来なら今月から二番組がここを守る事になっておりましたが、戦が二月にまたがってしまったので、四番組が今、ここを守っております」

「戦から帰って来た者たちは今、どうしておるんじゃ」

「この先、戦がなければ今月一杯は休みという事になります」

「今は、ここにはおらんのか」

「この城下に住んでいる者も何人かおりますが、ほとんどの者が親元の家族のもとに帰っていると思います」

「今、ここを守っている四番組の頭というのは誰じゃ」

「確か、入野兵庫助(イリノヒョウゴノスケ)殿だと思いますが」

「入野兵庫助‥‥‥」

「はい。今川一族です」

「という事は何派なんじゃろう」と早雲は言った。

「分かりませんな」と次郎左衛門尉は首を傾げた。「しかし、一応、調べた方がよさそうじゃな」

「お願いします」

「さすがじゃのう。そこまで考えるとはのう。ただ者ではないと思っておったが、早雲殿、そなたはなかなかいい仲間を持っておるわ」

「修羅場を何度も経験してますからね、小太郎は」

 小太郎は頷き、「北川殿と竜王丸殿の事は、この命に代えてでもお守りいたします」と言った。

「任せましたぞ。こんな事は言いたくはないが、竜王丸殿を亡き者にしようとたくらむ者がいないとも限らん」

 日の暮れる前、長谷川次郎左衛門尉、堀越陸奥守、五条安次郎は帰って行った。

 庭では竜王丸と寅之助が遊んでいた。寅之助もこの屋敷にふさわしい格好をしている。それがなぜか、よく似合っていた。真っ黒な顔をして、ぼろを着ていた浮浪児だったとは、とても信じられない程だった。竜王丸にしても嬉しいのだろう。今まで他の子供たちと遊んだ事がなかった。子供の世界には身分などまったく存在しない。一歳年上の寅之助は彼なりに竜王丸の面倒をよく見ていた。

 西の空がやけに赤かった。
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