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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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20.帰郷






 春が来た。

 桜が咲き、飯道山の参道は花見の客で賑わった。

 やがて、桜も散り、若葉が芽を出した。

 風眼坊舜香はやって来なかった。

 太郎は四月一杯、風眼坊が来るのを待っていたが来ないので、言伝を松恵尼に頼み、五月になると、楓を連れて故郷、五ケ所浦へ向かった。

 楓は初めての旅でウキウキと弾んでいた。

 太郎は久し振りに山伏姿から武士の姿になっていた。楓が縫ってくれた着物を着て、智羅天の形見の太刀、来国光(ライクニミツ)を腰に差し、智羅天が彫った弥勒菩薩像を背中に背負っていた。

 楓は編笠をかぶり、杖を突いて、太郎の横を寄り添うように歩いている。

 天気は良かった。

 早乙女たちの田植えを見ながら、二人はのんびりと歩いていた。

 信楽の庄を通って山城の国に入り、和束川に沿って、岡崎で伊賀街道にぶつかり、木津川を渡って、その日は奈良まで行った。

 この二年の間、山の中で修行をしていたので、太郎は世間の事を忘れていたが、奈良に近づくにつれて、未だに続いている京の戦の影響があちらこちらに目に映った。

 田植えの時期なのに苗も植えられず、踏み荒らされたままの田畑、破壊されたり、焼かれたりして住めなくなった家々、街道に面した村々は皆、戸を堅く閉ざしたまま、ひっそりとしている。

 奈良の都にも焼かれた家々が並び、寺の門前には乞食が溢れていた。

 楓は南都、奈良に行くのを楽しみにしていたのに、実際、奈良に来てみると酷いものだった。大きな蔵や屋敷は打ち壊され、無残な姿で放置してあり、屋根の上にはカラスが群れをなして止まり、下を見下ろしては無気味な声で鳴いている。家々は戸を閉ざし、道をうろついているのは、餌を求めてさまよう痩せこけた野良犬や野良猫、それと、昼間から酔っ払っている浪人位であった。焼けた寺の境内には、人相の悪い足軽や浪人たちがたむろしていた。

 この辺りを支配しているのは興福寺である。四十余りの塔頭(タッチュウ)、子院を持つ興福寺は僧兵による強大な軍事勢力を持っていた。しかし、その僧兵によっても足軽たちの無謀を取り締まるのは難しかった。僧兵らに攻められれば彼らは戦う事なく四散してしまう。そして、隙を見ては金のありそうな蔵や屋敷を狙い、火を放って、奪い去って行く。奈良の都は荒れて行くばかりであった。

 太郎と楓は松恵尼の紹介によって、『小野屋』という商人の所に泊めてもらう事になっていた。小野屋は蔵をいくつも持ち、屋敷も大きく立派なものだった。屋敷と蔵は高い塀で囲まれ、門の回りは警固の武士で固められていた。

 小野屋の主人、長兵衛は若い二人を丁寧に持て成してくれた。楓が松恵尼からの紹介状を出すまでもなく、すでに、長兵衛は二人が来る事も、二人の素性も知っていた。

 不思議に思って、太郎が尋ねてみると長兵衛は笑いながら、「お二人がお来しになる前に、松恵尼様から使いの者が参ったのでございますよ」と何でもない事のように言った。

「私共は松恵尼様のお世話で、信楽焼きの取り引きをしております。最近、茶の湯というのが流行って参りましてな。信楽焼きが持てはやされております。その取り引きの関係で、うちと松恵尼様の花養院とは、よく行き来しているんでございますよ」

「こんな立派な屋敷なら、足軽どもによく狙われるのではありませんか」と太郎は聞いてみた。

「はい、それはもう、最近は質の悪い連中が増えて参りましたからな。私共でも警固だけは怠りなくやっております。それに、足軽といえども、奴らだけで動いているのではございません。裏に必ず、糸を引いている者がございます。まあ、世の中、色々とあるのでございますよ」長兵衛は笑うと、「ごゆっくりして行って下さいませ」と引き下がって行った。

 長兵衛が消えると太郎は楓の方を見て、「どう思う」と聞いた。

「何が」と楓は太郎の方を向いた。

「あの商人さ」

「いい人じゃない」

「ああ、いい人だろうが曲者(クセモノ)だな。裏で何をやっているのかわからん。それに松恵尼殿の正体もわからん」

「松恵尼様の正体って?」

「ただの尼さんでない事は確かだけど、一体、何者なんだろう」

「あたしにもよくわからないわ」と楓は首を振った。「でも、伊勢のお殿様とはちょっと関係あるみたいだけど‥‥‥」

「伊勢の大納言、北畠殿とか」

「そう。この間、お殿様がお亡くなりになった時、松恵尼様はわざわざ、多気(タゲ)の御所まで行って来たのよ」

「えっ、本当なのか」と太郎は驚いた。松恵尼が多気に行った事と北畠の御所様が亡くなった事の二つに対しての驚きだった。

「ええ、本当よ」と楓は頷いた。

「多気の御所様は亡くなったのか‥‥‥いつの事だ」

「三月の末よ。あなた、お殿様を知ってるの」

「いや、俺は知らないが、愛洲一族は北畠殿の被官になっているから、うちの殿様も多気まで行ったのかな、と思ってね」

「そう‥‥‥それじゃあ、あなたのお父様も行ったかもね」

「ああ。多分、殿様のお供をして行ったかもしれない‥‥‥ところで、御所様は戦で亡くなったのか」

「あたしはよく知らないけど、戦じゃないみたい。何かの病じゃないかしら」

「病か‥‥‥」

「四十九歳って松恵尼様が言ってたわ」

「ふうん‥‥‥多気の御所様と松恵尼殿‥‥‥松恵尼殿と、ここ小野屋‥‥‥一体、どういうつながりがあるんだろう‥‥‥わからん‥‥‥師匠が何か知ってそうだけどな‥‥‥」

「風眼坊様は今、どこにいるのかしら」

「さあな。どこか、遠くを旅してるんじゃないのか‥‥‥まあ、師匠が何をやっているのか心配してもしょうがないな‥‥‥今日は疲れたかい」

 楓は首を横に振って笑った。「大丈夫よ。楽しかった‥‥‥とても、楽しかったわ」

「明日は吉野だ。弥勒菩薩様ともお別れだ」

「あたし、早く、海が見たいわ。いつ、見られるのかしら」

「海はまだまだ先だよ」と太郎は松恵尼から貰った絵地図を広げて楓に見せた。「ほら、まだ、ずっと、山の中だよ」

「ここまで行くのね」と楓は五ケ所浦を指差した。





 弥勒菩薩像は吉野の喜蔵院に納められた。

 太郎は思っていた以上の礼金を受け取った。

 応対に出て来たのは穏やかな顔をした老僧だった。智羅天の彫った弥勒菩薩像を見ると、老僧は静かに両手を合わせた。

「三好日向(ミヨシヒュウガ)殿の最期はいかがでございましたか」と老僧は太郎に聞いた。

「はあ?」と太郎は楓と顔を見交わせ、この老僧は何を言っているのだろうと思った。

「この間、来た時、三好殿は、次に弥勒菩薩像が届くじゃろう。しかし、その時、すでに、わしはこの世にはおらんじゃろう。わしの最期の作じゃ。多分、若い武士が届けると思うが充分なお礼をやってくれ、と言っておった‥‥‥」

「三好殿‥‥‥」と太郎は呟いた。

 智羅天という名しか知らなかったが、彼にはもう一つ、三好日向という名があったという事を太郎は初めて知った。

「はい、三好殿の最期は立派でした」と太郎は言った。「優しく微笑んだまま、息を引き取りました」

 老僧はゆっくりと頷いた。「そうじゃろう。わしもそう思っておった」

 太郎は、この老僧から太郎の知らなかった智羅天のもう一つの顔を知らされた。

 老僧にとっては、智羅天は山伏でも行者でもなく、三好日向という名の腕のいい仏師だった。三好日向としての智羅天は、放浪の仏師として、日本中を歩き回って各地に彫り物を残し、彼が彫ったという観音様や地蔵様が日本中に千体以上はあるだろうと老僧は話してくれた。この吉野だけでも、彼が彫った物は三十近くはあると言う。

 老僧は勿論、智羅天という名は知らなかったし、彼が武術の達人である事も知らなかった。ただ、ふらっと訪ねて来ては彫り物を置いて行き、そして、また、ふらっと、どこかに旅に立つ、飄々(ヒョウヒョウ)とした気ままな老仏師、三好日向という気のいい老人だった。

 老僧は、かつて智羅天が彫った、いくつかの仏像を見せてくれた。どれも皆、素晴らしい仏像だった。そして、どの仏像も慈悲溢れる微笑を浮かべていた。

 太郎は智羅天が真っ暗闇の中でコツコツと彫っている姿を思い出した。今になっても、太郎には智羅天が死んでしまったとは思えなかった。この老僧にとっても、旅の老仏師が死んでしまったとは思えないのかもしれない。

「不思議な御仁じゃった‥‥‥」と老僧は最後にポツリと言った。

 確かに、不思議な人だった。太郎は智羅天から色々な事を教わった。短い時間だったが一生忘れられない心の師と言えた。

 太郎と楓は老僧に勧められ、その夜は喜蔵院の宿坊に泊めてもらう事にした。

 吉野は金剛蔵王権現(コンゴウザオウゴンゲン)を祀る蔵王堂を中心に僧院、僧坊がずらりと建ち並び、賑やかに栄えていた。師の風眼坊から、よく吉野の話は聞いていたが、さすが修験道の中心をなすだけあって、飯道山とは比べられない程、多くの山伏たちが集まっている。講を組んで参拝に来る信者たちも多く、参道を行き交っていた。

 さらに奥に入れば大峯山となり、山上(サンジョウ)ケ岳の頂上には山上蔵王堂があり、そこから、熊野まで山の中を奥駈け道が続いていた。

 太郎が一人だったら迷わず大峯越えをしただろうが、楓を連れていては、それはできなかった。大峯山は女人禁制(ニョニンキンゼイ)の山である。大峯の奥駈けは次の機会にして、二人は次の日、蔵王堂、勝手明神、子守明神、金精(コンセイ)明神と参拝して、吉野を後にし、伊勢街道を東に向かった。高見川に沿って街道を伊勢の国へと進んで行った。

 大和の国と伊勢の国との境に高見峠がある。その峠に山賊が出るから気を付けた方がいい、二人だけでは危ない、と峠の入り口にある杉谷という村の老婆に言われた。このまま進めば山の中で日が暮れてしまう。楓を連れているので無理をしないで、今晩はここに泊まり、次の朝、峠に向かう事にした。

「どこか泊まれる所はありませんか」と老婆に聞くと、「うちに泊まればいい」と自分の家に案内してくれた。

 村はずれの小さなあばら家に老夫婦がひっそりと暮らしていた。息子夫婦は今、炭を焼くために山に入っている。もう一人、息子がいたんだが、侍になると言って村を出て行ったまま、どこに行ったのか戻って来ないと言う。丁度、お前様位の年頃じゃ、と太郎を見ながら老婆は言った。

 太郎は泊めてもらったお礼として、自分で作った薬を老婆に渡し、朝早く、峠に向かった。

「お気を付けなさいよ」と老婆は太郎と楓を見送ってくれた。

 朝早くから山賊など出ないだろうと思っていたが、峠に近づくにつれて、二人の後を付けて来る者があった。太郎と楓は気が付かない振りをして山道を歩いていた。

 後ろから付けて来るのは二人だった。やがて、太郎と楓の前の木陰から三人の人相の悪い男が飛び出して来た。

 太郎と楓は五人の男たちに囲まれた。

 五人の男たちはニヤニヤしながら、なめるような目で二人を見ていた。

「すまんがのう。金めの物を置いて行ってもらおうか」と前にいる三人の真ん中にいる顔に引き吊った傷を持つ男が、太刀の柄をたたきながら言った。

「すまんがのう、お前らにやるわけにはいかんな」と太郎は傷のある男の口真似をして言った。

 楓がクスクスと笑った。

「ふざけるな。命が惜しかったら、さっさと金を出せ」男は醜い傷をさらに引き吊らせて睨み、太刀の柄をつかんだ。

「いい女子じゃのう」と左側にいる目のくぼんだ青白い顔の痩せた男がヘラヘラしながら楓を見ていた。

「いい女子じゃよ。俺の女房だからな」と太郎は楓を抱き寄せながら言った。

「この、くそ生意気な小僧め、たたき殺してやる」右側の赤ら顔の太った男が薙刀を振り回し、太郎に斬り付けてきた。

 太郎は簡単に避けると敵から薙刀を奪い、薙刀の石突きで敵の急所を突いた。太った男は呻き声を上げると、そのまま、倒れた。

 太郎は奪った薙刀を楓に投げ渡した。

 楓はそれを受け取ると、後ろにいる二人に向かって薙刀を構えた。

「旅人が迷惑するんでな。すまんがのう、消えてもらおうか」と太郎は太刀を抜いた。

「なめるな、この小僧め!」と残った四人は一斉に二人に掛かって来た。

 太郎の太刀が煌くと、一瞬のうちに、傷のある男と痩せた男の右手首から血が噴き出し、二人は刀を落とし、右手首を押え、わめいていた。

 楓の方も一瞬のうちに、二人の臑を払い飛ばしていた。

「二度と悪さはするなよ」と言い残すと太郎と楓は峠へと向かった。

 峠からの眺めは良かった。二人は伊勢の国に入って行った。

 太郎はこの街道を二年前、風眼坊に連れられて飯道山に向かう途中、通った事があった。あの時は、足が痛くて杖を突きながら、やっとの思いで歩いていた事を思い出し、笑いながら楓に話した。

 その日は宮前という所で泊まり、次の日にはいよいよ、山田の伊勢外宮に到着した。

 ここまで来れば、五ケ所浦はもう目と鼻の先であった。

 次の日は外宮をお参りし、宇治の内宮をお参りして、のんびりと過ごした。

 相変わらず、お伊勢参りは盛んであった。太郎は昔馴染みの御師(オンシ)の宿に泊まった。

 宿屋の主人は、初めは太郎の事に気づかなかったが、太郎から話し始めると顔を崩し、そうでしたか、あの太郎様ですか、と太郎の姿を改めて見ながら、まあ、随分と立派になられて‥‥‥と言った。そして、母親の事や妹のお澪の事などを太郎に話してくれた。母親が、太郎の事を随分と心配していた事や、お澪が綺麗な娘さんになった事など話し、二人の姿を見たら、きっと、喜んでくれるだろうと目を細めていた。

 混んでいるからと相部屋に詰め込まれていた二人だったが、太郎が名前を明かした途端、立派な個室に移され、主人が直々に色々と世話をやいてくれた。

 楓はかえって恐縮してしまい、おどおどしてしまったが、夕餉(ユウゲ)に出された豪華で新鮮な魚介類を見ると嬉しそうに食べていた。昨夜は混んでいた山田の宿で、相部屋になった旅人の鼾がうるさくて、よく眠れなかったと言っていた楓も、今夜は、ゆっくりと体を伸ばして充分に旅の疲れを癒す事ができた。

 太郎と楓は雲一つない青空の下、五十鈴川に沿って南へと山の中を歩いていた。

 いい天気だった。

 山道を歩いていると汗が流れて来る程、陽気がよかった。

 剣峠を越えると初めて青葉の間から海が見えた。

 故郷の海は光っていた。

 青く穏やかに輝いていた。

 太郎はやっと、帰って来たと感激しながら海を見ていた。

 楓はあれが海というものか、と初めて見る海をやはり、感激しながら眺めていた。

 峠を少し下りるとそこに砦がある。太郎は自分の名前を告げ、堂々と通り過ぎた。

 三年前、京の都に向かう時、曇天と二人でこの砦を避け、山道を歩いたのが、ずっと、昔の事のように感じられた。

 今頃、曇天はどうしているだろうか‥‥‥

 太郎はほんの少しの間、昔の事を懐かしく思い出していた。ふと、楓を見ると、沈んだ顔をして足取りも重いようだった。

「どうした」と太郎は聞いた。

「何となく、怖いわ」と楓は言った。「あたしなんか、連れて来て良かったのかしら」

「なに言ってんだよ。お前は俺の女房じゃないか。大丈夫さ」

「でも‥‥‥」

「大丈夫だ。心配するな、お前らしくないぞ」

 五ケ所浦の城下町を二人は歩いていた。

 太郎にとっては二年振りの懐かしい城下町、楓にとっては、これから、ずっと住む事になる城下町を感慨深げに歩いていた。

 城下町は太郎が出て行った二年前と少しも変わっていなかった。海には水軍の安宅船や関船が浮かび、海女たちは海に潜っていた。

 太郎と楓は海岸沿いに、海を見ながら、まず、祖父、白峰の屋敷へと向かった。





 太郎と楓は家族の者たちに歓迎された。

 師の風眼坊舜香が去年の夏、ひょっこりと現れて、太郎の消息を伝えて行ったとの事だった。楓の事も風眼坊から聞いて知っており、二人がこの春、帰って来るのを皆、首を長くして待っていたと言う。

 弟の次郎丸はすでに元服して、次郎右衛門泰忠と名乗り、父と共に軍船に乗っていた。

 妹の澪は十五歳になり、見違える程、綺麗な娘になっていた。

 祖父も祖母も相変わらず元気で、祖父の白峰は十一歳になる三男の三郎丸に剣を教えていた。

 太郎の姿を見て、一番、喜んでくれたのはやはり、父親の宗忠であった。

 楓と共に父の前に出た時、父親は太郎の姿を見て頷き、「よく、やった」と言ったのみだったが、太郎は父の姿を見て、初めて故郷に帰って来たのだという実感が胸の中に込み上げて来た。そして、父の隣に座り、黙って自分を見つめている母親の姿を見ると、目が知らずに潤んで来るのだった。何も言わないが随分と心配していたに違いない。申し訳ないと太郎は心の中で詫びていた。

 五ケ所浦に着いた次の日、太郎と楓の披露宴が田曽浦にある、父、宗忠の屋敷で催せられ、二人は愛洲水軍の主だった武将たちに紹介された。

 懐かしい人たちに囲まれ、故郷に帰って来て、気が緩んだせいか、太郎はその夜、珍しく酔いつぶれた。

 夜中に目を覚ますと、楓が側に座って自分を見ていた。

 潮騒がかすかに聞こえた。

 海の香りもかすかにした。

 太郎は楓を見上げた。

 楓はかすかに笑った。

「ちょっと、飲み過ぎたかな‥‥‥疲れただろう」

 楓は首を横に振った。

「慣れるまで、ちょっと大変だろうけど、みんな、いい奴ばかりだし、お前なら大丈夫だよな」

 楓は頷いた。そして、横になった。

 二人の新しい日々が始まった。

 すでに、二人の新居も田曽城のふもとにある父の屋敷の近くに用意されていた。まだ、木の香りのする、建てたばかりの、二人にとっては大き過ぎるくらい立派な屋敷だった。

 楓はその新しい屋敷を見て、これが自分たちのうちだとはとても信じられなかった。敷地だけでも、楓の育った花養院と同じ位の広さがあった。この大きな屋敷を見て、自分の夫が水軍の大将の息子だったという事を改めて、知らされたような気がした。

 果たして、あたしに太郎の妻が勤まるのだろうか、と不安を覚えていた。そんな楓の気持ちなど知らずに、太郎は嬉しそうに新しい屋敷を見て回っていた。

 その新しい屋敷に住むのは太郎と楓の二人だけではなかった。

 昔、祖父、白峰の右腕となって活躍した島村兵庫助という年寄りが、太郎の後見役として一緒に住む事になり、食事の世話などをする下女が三人住み、そして、新しく、太郎の家来となった若者が四人、離れに入った。家来になった四人は皆、父の家来の次男や三男たちで、歳は十七歳から十九歳だった。一応、太郎よりは年下だったが、太郎の家来と言うよりも仲間と言う感じだった。

 太郎は父親から、水軍の若い者たちの武術指南を命ぜられた。楓も毎日ではないが、娘たちに薙刀を教えるという事になった。

 太郎は昼は軍船に乗ったり、若い者たちに剣槍を教え、夜になると祖父から教わっていた水軍の兵法や、孫子の兵法などを改めて学び、また、自分が身に付けた剣術や『陰の術』を体系づけようとしていた。特に、孫子の用間(ヨウカン)篇は『陰の術』の参考になった。また、水軍にも、『陰の術』が使えないものかと、密かに敵の船に忍び込むやり方や、水中での格闘の技などを考え出していた。

 剣術では基本的な技を五つと、二刀を持って戦う技を一つ、打物(手裏剣など)を相手に戦う技を一つ、多数の敵に対する技を一つ、選び出した。それらの八つの技をまとめて『天狗勝(テングショウ)』と名付け、技の名前を風眼坊、栄意坊、高林坊、太郎坊、修徳坊、金比羅坊、火乱坊、智羅天と名付けた。

「楓!」と書斎の机に向かっていた太郎は楓を呼び、今、名付けたばかりの技の名前を楓に見せた。

「何ですか、これ」と楓は自分の知っている山伏たちの名前が並んでいる紙を見て聞いた。

「天狗勝‥‥‥剣術の技の名前だ。名前があった方が教えやすい」

「でも、これ、みんな、あなたの知ってる人たちの名前じゃない」

「まあ、そうだけど、彼らは皆、飯道山にいる天狗たちだと言ってもおかしくないだろう。天狗から教わった技だとすれば、凄い技のように皆、思うさ」

「そうね‥‥‥何よ、これ、あなたの名前まで、ちゃんと入ってるのね」

「俺が太郎坊だって事は、ここの奴らは誰も知らないさ」

「天狗勝ね‥‥‥あなたらしいわ」

 太郎は木剣を持って、一つ、一つの技を楓にやって見せた。

「どうだ」

「凄いわ。ほんとに天狗様の技みたい」

「これを基本から順に教えて行くのさ」

「ねえ、その技、あたしの薙刀にも使えないかしら」

「使えるさ。薙刀の技にもこうやって名前を付けて、順番に教えて行けば教えやすいし、覚える方も覚えやすいよ」

「そうね、じゃあ、あなた、考えといてよ」

「俺が考えるのか」

「だって、男の人だって薙刀、使うでしょ。それに、こういう事は男の人が考えた方がいいのよ」

「なぜ」

「だって、やっぱり、女の人は女らしく、おしとやかの方がいいでしょ」

「何を言ってんだよ、今さら」

「だって‥‥‥」

「もう、慣れたかい、ここに」

 楓は頷いた。「海は綺麗だし、お城下は賑やかだし、お魚もおいしいし‥‥‥それに、みんな、優しくしてくれるし‥‥‥」

「でも、ちょっと山が恋しくなったか」

「ちょっとね。でも、大丈夫よ」と楓は笑った。

 太郎は優しく、楓に笑いかけた。





 応仁の乱が始まって、すでに四年にもなるが、相変わらず決着は着かず、あちこちで東軍対西軍の戦は続いていた。

 ここ五ケ所浦も、当然のように、その戦に巻き込まれて行った。

 太郎が五ケ所浦を留守にしていた間に、城主、愛洲伊勢守忠行がまだ四十歳だというのに、突然、病死してしまった。嫡男の忠氏が跡を継いだが、忠氏はまだ二十一歳と若く、平和な時代に育ったためか、どこか優柔不断な所があり、この乱世を生き抜くのに、先行きに一抹の不安があった。

 今、愛洲氏は伊勢の国司、北畠氏と共に東軍に属していた。そして、忠氏は正式に三河の国と志摩の国の守護職の任命を受けていた。どちらの守護職も一色修理大夫義直のものだったが、西軍に走ったために剥奪され、その代わりに愛洲氏が任命されたのだった。守護職になったからと言っても、何もしないで三河の国と志摩の国が愛洲氏のものになるわけではない。実力を以て、それらの国を取らなければならなかった。三河の国を取るのは、今の愛洲氏の勢力では無理だとしても、志摩の国は何とか平定しなければならなかった。それは、北畠氏からも頼まれていた事だった。

 愛洲一族は総力を上げ、志摩の国の平定に当たっていた。

 志摩の国には古くからの土着の豪族がうようよしていて、それらの豪族は愛洲氏の侵入を快く思っていない。西軍と手を結び、愛洲氏に反抗して行った。その中でも手ごわそうなのは、北から小浜(オバマ)氏、橘氏、相差(オウサ)氏、三浦氏、九鬼(クキ)氏、青山氏、越賀(コシガ)氏、浜島氏等であった。皆、海岸沿いに本拠地を持っていて、ほとんどが水軍だった。

 愛洲水軍は志摩半島を南から攻め、英虞(アゴ)湾の入り口を本拠地にする浜島氏と英虞湾の南に細長く伸びる先志摩半島の英虞湾側の越賀氏、熊野灘側の青山氏とを、すでに勢力下に置き、今、先志摩半島の付け根、波切(ナギリ)を本拠地とする九鬼氏と戦っていた。

 戦の時、太郎は父と共に軍船に乗り込み、軍師として作戦を立てたり、父に代わって指揮をしたり、また、若い者たちと共に小早に乗り、先頭にたって敵を攻めたりしていた。

 太郎の活躍はめざましかった。太郎の側に近づく敵は一瞬のうちに皆、海の藻屑となって行った。太郎の活躍によって太郎の剣術はますます有名になり、習いたいという者の数も増えて行った。





 十一月の二十日の早朝、太郎は五ケ所浦を旅立ち、飯道山へと向かった。

 飯道山まで約三十里(約百二十キロ)、太郎の足なら二日もあれば充分だった。

 二十一日の夕方には花養院の客間で松恵尼と会い、楓の事などを話していた。

 松恵尼の話によると師の風眼坊舜香は今、熊野にいるとの事だった。熊野の山の中の小さな村で、家族と共にのんびり暮らしているらしいと言う。

 太郎には初耳だった。風眼坊から家族の事など聞いた事もない。しかし、考えてみれば、風眼坊は太郎の父親と同じ位の年だった。太郎くらいの子供がいてもおかしくはない。松恵尼の話だと風眼坊には男の子と女の子が一人づついるという。

「あの人もそろそろ年だから、フラフラするのをやめて、やっと、家族のもとに落ち着いたようね」と松恵尼は笑った。そう言われても、太郎には父親としての風眼坊を想像する事はできなかった。あの師匠が子供たちや奥さんに囲まれて、のんびり暮らしている姿など、とても想像できなかった。

「でも」と松恵尼は言った。「あの人の事だから、どうせ、また、フラフラと出て来るわよ」

 師匠に会いたかった。

 去年の春、二度目の百日行が終わって、楓との祝言を挙げた日以来、もう一年以上も会っていない。熊野なら五ケ所浦から船で新宮まで行けば、すぐだった。年が明けて、暖かくなったら、楓を連れて訪ねて行ってみようかと思った。

「そうそう、あなたも確か、伊勢新九郎殿は知っていたわね」と松恵尼は突然、話題を変えた。

「はい」と太郎は答えた。

「新九郎殿がひょっこりと訪ねて来ましたよ。あれは丁度、あなたたちが五ケ所浦に帰って行った頃かしらねえ。頭を丸めてお坊さんの姿になって現れましたよ。初めは誰だかわかりませんでした。花養院の門の所で中を窺いながら、うろうろしていたらしいんです。うちに新しく入った蓉恵尼が見つけて、気味が悪いと言って来ました。私が行って見ると門の真ん中に立って、中を覗いていました。そのお坊さんは私を見ると急に笑って、近づいて来ました。この辺りでは見かけないお坊さんだったし、どこかで会ったのだろうか、と私は思い出そうとしました。そしたら、『松恵尼殿ですね、お久し振りです』とそのお坊さんは言いました。それでも、私にはわかりませんでした。『伊勢の法師、早雲です』とそのお坊さんは笑いました。それが新九郎殿でした。ほんとにもう二十年振りでした。懐かしいやら、何やら、もう、ほんとにびっくりしましたよ」

 伊勢新九郎‥‥‥太郎にとっても懐かしい人だった。今、思えば、三年程前、京に行った時、もし、新九郎に会わなかったら、今の太郎はいなかったかもしれない。たった三日だけの付き合いだったが、あの時の新九郎の事は今でもはっきりと覚えている。もう一度、会ってみたい人だった。それにしても、あの人が頭を丸めて出家するなんて、ちょっと考えられなかった。

 新九郎は、「侍がいい加減、いやになった。これからは西行(サイギョウ)法師を見習って、風流に歌でも作りながら、のんびりと旅でもするよ」と関東の方に旅立って行ったと言う。

「新九郎殿も風眼坊殿も何を考えているんだかわからない人たちだわ」と松恵尼は笑った。

 確かに、何を考えているのかわからない人たちだった。しかし、太郎にとっては、もう一人、目の前で笑っている松恵尼も何を考えているのか、一体、何者なのか、まったくわからない人だった。

 太郎は次の日、山伏姿となり、雪を踏み分けて智羅天の岩屋に向かった。

 岩屋の前の広場には雪が一尺以上も積もり、点々と獣の足跡が付いていた。

 岩屋の中は暖かく、太郎と楓がここを去る最後の夜を過ごしたままになっていた。

 太郎は三日間、岩屋の中に座り込んでいた。

 五ケ所浦に帰ってから、毎日が何となく気ぜわしく、静かに座り込んで心を落ち着けるなんていう事はできなかった。

 太郎は改めて、自分の事を考えてみた。

 確かに俺は強くなった‥‥‥しかし、これでいいのか、と太郎は思う。

 五ケ所浦に帰り、太郎は戦で何人もの敵を斬った。剣術の師範として自分の強さを人に見せなければならなかった。

 戦を何度も経験をし、生死の境をくぐり抜けて来た者たちは、木剣などで稽古したからといって、実践ではそんな遊びは役に立たん、とほとんどの者が思っていた。度胸と力と経験さえあれば、戦には勝つものだと思っている。太郎はそういう者たちに剣術というものの必要性をわからせるためにも、戦に出て、先頭に立って活躍した。お陰で、若い者たちがだんだんと太郎の剣術を習いに集まって来た。

 太郎は彼らに剣術を教えた。

 太郎から剣術を教わった者たちも戦に出て行った。活躍した者もいれば、敵に斬られ、死んで行った者もいた。自分が教えた者が死んで行くのを見るのは辛かった。

 戦に死は付きものだ。自分が死なないためには敵を殺さなければならない。敵より強くならなければならない。

 戦が続くかぎり、武術というものは必要である。

 ふと、智羅天の最期の言葉が太郎の頭に甦ってきた。

 ‥‥‥生命あるもの、すべての生命を粗末にしてはならん。どんな虫けらでも親や子はいるものだ。虫けらでも死ねば、そいつの親や子は悲しむ‥‥‥

 生命か‥‥‥敵も人の子というわけか‥‥‥

 しかし、敵をやらなければ、こちらがやられる‥‥‥

 敵を斬るために俺は強くなったのだろうか。

 京に行った時、人が斬られ、殺されていくのを目の当たりにした。俺は殺されたくないと思った。殺されないためには強くなるしかなかった。

 そして、強くなった。

 自分は殺されなくなったが、人を殺すようになった。

 それは、戦だからしょうがない事だとは思う。だが‥‥‥

 俺が殺して行った者たちにも、親はあり子もいる事だろう。それも戦だからしょうがない。親や子は悲しむが、やはり、戦だから‥‥‥

 どんな奴でも死にたい奴はいない。敵を倒して自分は勝つと思って戦に出て行く。

 そして、ある者は生き、ある者は死んで行く。

 智羅天は、人にはそれぞれ、天命があると言った。

 天命が尽きた時、人は死ぬ。

 戦で死んでいった者たちは皆、天命によって死んだのだろうか‥‥‥

 答えのでない、わからない事が太郎の頭の中を巡っていた。

 とにかく、今、やるべき事は『陰の術』を皆に教える事だった。

 二十五日の朝、太郎は飯道山に登っていた。

 『陰の術』の稽古は七ツ時(午後四時)から六ツ半時(午後七時)という事になっている。それぞれ、剣、槍、棒、薙刀の稽古の後にやる事になっていた。今年、最後まで残っていたのは六十四人だった。

 太郎は五ケ所浦で考えた通りに一ケ月の稽古を始めた。

 まず、第一日めは『陰の術』の概略と特殊な武器の使い方や兵法などを教えた。

 次の日から武器の使い方を実際に教えた。

 金比羅坊と中之坊が太郎の手伝いに来てくれ、また、山伏の中にも『陰の術』を習いたいという者が五人ばかり稽古に参加していた。
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