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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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1443年   中院通淳の子、内大臣通秀(1428-94)の弟として生まれる。 1歳
       若年の頃より宮廷に出入りする。
1451年   父親(54)死す。兄(24)夫婦に育てられる。 9歳
1454年    お家芸の和歌に熱中する。 12歳
1457年   女に熱中する。 15歳
1458年   旅に出て、山賊に身ぐるみを剥がされる。 16歳
        鞍馬山に登り、賢光坊という山伏より棒術を習う。
1459年    徳大寺家に通い、笛を習う。 17歳
1460年   飛鳥井雅親(45)に和歌を習う。 18歳
1462年    富士山を見るために東国地方を旅する。 20歳
       近畿を中心に歌枕を歴訪する。
1463年   連歌師、心敬(58)の弟子になる。 21歳
       専順(53)の弟子の宗祇(43)と出会う。
        村田珠光、将軍の茶の湯の師匠になる。
1464年   珠光(42)の弟子になり、茶の湯に熱中する。 22歳
       この頃、珠光の弟子に志野宗信(24)がいる。
       一休禅師(71)より小伯(肖柏)という名を貰う。
       伏見屋銭泡(37)、一路庵禅海(49)が珠光の弟子となる。
1465年   篠道耳(21)、珠光の弟子になる。 23歳
1466年   石黒道提(33)、珠光の弟子になる。 24歳
1467年   珠光と別れ、摂津の国、池田猪名野川のほとりに隠棲し、夢庵と号す。 25歳
1468年    池田筑前守允正の本願によって、曹洞宗大広寺が創建される。 26歳
1470年 1月 赤松家の新しい城下、置塩に呼ばれる。 28歳
1471年 8月 能阿弥(75)、大和の国、長谷寺にて死す。 29歳
1473年    宗祇の書いた『初心抄』を読む。 31歳
1474年 7月 置塩城下に呼ばれ、しばらく滞在する。 32歳


和歌と貴族の世界  連歌とは何か  連歌師宗祇の実像  わび茶への道  一休とは何か
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