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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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第四部 早雲登場



1.駿府1






 年が明けた。

 文明八年(一四七六年)元旦の初日が昇り始めていた。

 駿河(スルガ)の国(静岡県中東部)、石脇の早雲庵(ソウウンアン)では賑やかに新年を迎えていた。

 毎年、年末になると、どこからか集まって来る、いつもの顔触れが揃っていた。ただ、今年はここの主(アルジ)である早雲の顔がなかった。

 早雲は去年の七月、一人娘を嫁に出すため京に向かったまま、まだ帰って来なかった。その時、絵画きの富嶽(フガク)も一緒に京まで行ったが、富嶽の方は九月には戻って来ている。

 富嶽にも家族があった。山城(ヤマシロ)の国(京都府南東部)宇治の山の中に家族は住んでいた。妻と二人の子供がいたが、戦(イクサ)に行くと言って出たきり、十年近く帰っていなかった。

 もう戦死したと思っている事だろう。もう二度と帰るまい‥‥‥

 そう思っていた。しかし、早雲が娘を嫁にやるために京に行くと聞いて、富嶽も家族に会いたくなってきた。今更、顔を出せるとは思っていないが、気になるなら一目、遠くからでも見て来た方がいいと早雲が勧めるので、決心をして一緒に行く事となった。

 家族は慎ましく暮らしていた。そして、富嶽の帰りをずっと待っていてくれた。

 富嶽は知らなかったが、富嶽が京で戦をしていた頃、次男が生まれていた。その子もすでに九歳になり、まだ見た事もない父親を待っていた。富嶽は妻にすまないと謝り、今、駿河にいる事を告げ、もう二、三年待ってくれ。そうしたら、お前たちを呼びに来ると言って別れて来た。富嶽は後二、三年で、何とか絵をものにして、家族を呼ぼうと決心した。

 早雲庵に戻って来るなり、今まで以上に富嶽は絵に没頭した。富嶽の絵は家族と再会してから少しづつ変わって行った。今までぼやけていた何かが、少しづつ分かりかけて来たような気がしていた。まだ、確かな手応えはないが、自分らしい絵が描けるようになって行った。そして、去年は暮れた。

 年末年始と主のいない早雲庵だったが、そんな事に関係なく、早雲庵を我家のごとく思っている連中たちが酒を飲み、騒ぎながら新しい年を迎えていた。

「とうとう、年が明けちゃったわね」と春雨(ハルサメ)が淋しそうな顔をして呟(ツブヤ)いた。

「帰って来なかったのう」と富嶽がお椀の中の酒を眺めながら言った。

「もう、帰って来ないかも知れんな」と荒木兵庫助が春雨をチラッと見た。

「いいえ、絶対、帰って来るわよ」春雨は強い口調で言った。

「姉さんの気持ちは分かるが、わしも戻って来ないような気がするわ」多米権兵衛(タメゴンベエ)が口をモグモグさせながら言った。

「どうしてです?」と早雲の弟子の一人、孫雲(ソンウン)が聞いた。

「早雲殿はな、今でこそ頭を丸めて、早雲などと称しておるが、実は幕府のお偉いさんなんじゃ。娘さんの祝言に出て、懐かしい顔と出会い、また、幕府に仕える事になったのかも知れんわ」と荒木兵庫助が説明した。
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2.駿府2






 一雨、来そうな空模様だった。

 早雲と小太郎は、荒川坊、才雲、孫雲、寅之助の四人を引き連れて村々を回っていた。半年間、留守にしていたので、村々の様子を調べるためだった。早雲がこの地で暮らして行けるのは、村人たちのお陰であった。村人たちが困っていれば何でも相談に乗って、なるべく解決してやりたかった。

 村人たちから早雲は偉い僧侶だと思われていた。自分で素性を言った事などないのに、駿府のお屋形に出入りし、この辺り一帯の領主でもある小河(コガワ)の長者、長谷川次郎左衛門尉の屋敷にも出入りしている。村人から見たら偉い人だと思うのは当然の事だった。その偉いお人が立派な寺院に入らないで、丘の上に庵を建てて住み、少しも偉ぶった所もなく、誰とでも気軽に話をしてくれる。そして、村人のために道や橋、潅漑用水を直したり、人手が足らない時は田畑の仕事まで手伝ってくれる。かといって、早雲の方から村人たちに何かを求めるという事はなく、難しい説教をする事もない。また、村と村が水争いをした時なども公平に裁いてくれるので、誰からも頼りにされ、慕われていた。

 今回、村々を回ってみたが、これといって困っている様子はなかった。早雲たちは村々を巡った後、小河湊を見て回り、早雲庵に帰って来た。早雲たちが帰って来たのと同時位に雨がポツポツと降り出して来た。

 三軒になった早雲庵は、一番最初の庵を早雲と小太郎が使い、春雨のために建てた春雨庵に春雨とお雪が寝泊りしていた。そして、新しく建てた庵は富嶽庵と名づけ、今は富嶽がいないが、多米と荒木、荒川坊と早雲の弟子二人が使用していた。寅之助はその日によって好きな所で寝ていた。

 最初の早雲庵は、早雲一人が暮らせればいいと思って建てたので、半分が土間で台所があり、半分が板の間で板の間は二つに分かれ、一つに囲炉裏が付いていた。春雨庵は春雨一人が住むために建てたので、ちょっとした土間と板の間が一つあるだけの小さなものだった。早雲がいない留守に建てられた富嶽庵は、大きさは早雲庵と同じで、板の間が三つあり、その分、土間が狭かった。春雨庵には竃(カマド)は付いていないが、早雲庵と富嶽庵には竈が付いていた。早雲庵の北側に井戸があり、風呂と厠(カワヤ)があった。

 早雲たちが早雲庵に帰って来た時、春雨とお雪が飯の支度をしていた。珍しく、客はいなかった。さっきまで近所の与次兵衛爺さんがいたが、雨が降りそうだと帰って行ったと言う。

 囲炉裏の間に上がると早雲は春雨に声を掛けた。

「多米と荒木はいないようじゃが、とうとう関東に旅だったのか」

「口だけですよ」と春雨は言った。「旅になんか行くもんですか、また、博奕(バクチ)を打ちに行ったんですよ」
3.今川義忠1






 庭園にある梅の花が満開に咲いていた。

 二月一日、早雲は春雨を連れて北川殿に来ていた。一の付く日は、北川殿の娘、美鈴の踊りの稽古日だった。昼過ぎの一時(イットキ、二時間)余りの稽古の後、早雲は北川殿のためにお茶を点(タ)てた。

「結構なお点前ですこと」と北川殿は早雲の点てたお茶を一口飲むと言った。「兄上様にお茶を点ててもらったのは久し振りですわね。以前より、何となく、お茶を点てるのに余裕が感じられますわ」

 早雲は軽く笑って、「それは銭泡(ゼンポウ)殿が一緒ではないからでしょう」と言った。「あの人に見られておると思うと、やはり、緊張いたします」

「銭泡殿は名人ですわね」

「はい。珠光(ジュコウ)殿の直弟子(ジキデシ)だけの事はあります。さすがです。一つ一つの動作が流れるようで、まるで、猿楽能(サルガクノウ)の名人の演技を見ておるようです」

「踊りとお茶は通じる所があるのでしょうか」

「はい、あります。踊りとお茶だけじゃなく、茶の湯はあらゆる芸に通じます」

「あらゆる芸にですか」

 早雲は頷いた。「前回の旅で、珠光殿のお弟子さんで連歌師の夢庵(ムアン)殿というお方に出会いました。そのお方はお茶も連歌も武芸も一流と言ってもいいでしょう。なかなかのお人でした」

「夢庵殿ですか‥‥‥」

「はい。変わった男ですが、なかなか面白い男でした。今、宗祇(ソウギ)殿のお弟子になるために、近江の甲賀(コウカ)におります」

「お弟子になるために?」

「はい。宗祇殿は今、古今(コキン)和歌集に没頭しております。まだ、修行中だからと言って、弟子を取ろうとしないのです。夢庵殿は何とか一番弟子になろうと宗祇殿の側に仕えております」

「一番弟子ですか」

「はい。不思議な事ですが、宗祇殿にはまだ、お弟子さんがおらないそうです」

「え、そうなんですか。宗祇殿はもうかなりのお年だと伺っておりますが」

「はい。五十五、六になっておるでしょう。それでもまだ、修行を続けておるのです。大したお人です」

「宗祇殿にまだ、お弟子さんがいらっしゃらなかったなんて、とても信じられませんわ」

「はい。あれだけ有名でしたら、普通、お弟子さんの数十人おっても不思議ではありません。わたしも実際に会ってみて驚きました。たった一人で書物に没頭しておりました」

「そうですか‥‥‥宗祇殿というお方は、そんなお人だったのですか。五条殿が昔、お弟子になりたいと言って断られたのも無理ない事だったのですわね」
4.今川義忠2






 早雲庵の朝は早かった。

 主(アルジ)の早雲が早寝早起きなので、富嶽(フガク)、春雨、孫雲、才雲、荒川坊、寅之助らも皆、早起きだった。中には、多米(タメ)や荒木のようにゆっくり寝ている連中もいたが、その二人はどこに行ったのか、未だに戻っては来なかった。

 早雲はここにいる時は必ず、毎朝、海まで走り、一泳ぎするのを日課としていた。夏は勿論の事、冬の寒い朝でも続けていた。正月の末、帰って来た次の朝から、さっそく始めていた。半年振りの事で、さすがにためらいはあったが、小太郎も一緒だったので、無理に強がって海の中に入って行った。当然、負けるものかと小太郎もついて来た。京に行く前は、冬であろうと毎日続けていたので慣れてしまえば何でもなかった。

 今日も、富嶽と寅之助を連れて、海に来ていた早雲だった。孫雲と才雲の二人の弟子にも、一度、やれと命じたが、急にやらせたために風邪を引いて、しばらく寝込んでしまった。だらしないとは思うが、暖かくなってからやらせようと思い、連れて来るのはやめにした。その代わり、二人には毎朝、剣術の稽古をやらせている。寅之助の場合は強制的ではなく、来たければ来いと言っていた。寒いから嫌だと言って、いつもは孫雲たちと木剣を振っていたが、今日は珍しく付いて来た。

 富嶽は四日前に旅から帰って来ていた。甲斐(カイ)の国(山梨県)を回りながら、富士山を描いていたと言う。早雲も絵を見せてもらったが、甲斐の国側から見る富士山もなかなかのものだった。そして、久し振りに見る富嶽の絵が、以前と少し変わっていたのを早雲も気がついていた。以前、富嶽の描く絵には人物がいなかった。それが今回の絵には、小さいが人物の姿が描かれてあった。自然の中で働いている人々の姿が、自然の中に調和していた。それは自然というものが厳しさだけでなく、人々に恵みを与えてくれる大きな力を持っているという事を表現していて、見るものに安らぎと暖かさを感じさせる絵になっていた。京に行って家族と再会した事が、富嶽の絵を変えさせたのだろうと早雲は思い、一緒に連れて行ってよかったと思った。

 一泳ぎした後、乾いた布で体をこすっている時、海辺を一頭の馬がこちらに向かって駈けて来た。

「何じゃ、あれは」と富嶽が近づいて来る馬を見ながら言った。

「乗馬の稽古でもしておるんじゃろ」と早雲も馬の方を見ながら言った。

「稽古にしては、えらく急いでおるようじゃが‥‥‥」

「様子が変じゃのう」

「何か叫んでおるようじゃ‥‥‥」

 馬が近づくにつれて、「早雲殿」と叫んでいるように聞こえて来た。

「あれは、五条殿のようじゃぞ」と富嶽は言った。

「らしいな。一体、どうしたんじゃろ。戦に行っておるはずじゃが‥‥‥」

「何か、あったのかのう」

 五条安次郎は二人の側まで来ると馬を止め、馬から飛び降りた。

「よかった。お帰りになっておりましたか‥‥‥」とやっとの事で言うと、安次郎はハァハァと荒い息をしながら早雲を見た。

 富嶽は馬を押えると、安次郎の顔を見て、そして、早雲を見た。

「悪い知らせじゃな」と早雲は聞いた。

 安次郎は頷(ウナヅ)いた。

「お屋形様に何か、あったのか」

 安次郎は顔を歪めながら、早雲を見つめ、うなだれるように頷いた。

 ようやく息を整えると、安次郎は小声で、「お屋形様がお亡くなりになりました」と言った。

 今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 寅之助が一人で騒ぎながら波と遊んでいた。

 漁師の小船が沖の方に浮かび、海鳥が飛び回っていた。

 突然、鳶(トビ)が舞い降りて来て、悠然(ユウゼン)と砂浜の上に立ち、海の方を見つめた。
5.評定






 薄暗くなったお屋形様の屋敷の大広間では、重臣たちが顔を突き合わせて、今後の事を相談していた。

 上座に座っているのは宿老(シュクロウ)の小鹿逍遙(オジカショウヨウ)と朝比奈天遊斎(テンユウサイ)。集まっている重臣たちは今回の遠江(トオトウミ)進撃には参加しなかった者たちで、駿河の国の東部を本拠地としている者が多かった。

 江尻城(清水市)の福島越前守(クシマエチゼンノカミ)、庵原山(イハラヤマ)城(清水市)の庵原安房守(イハラアワノカミ)、横山城(清水市)の興津美作守(オキツミマサカノカミ)、川入(カワイリ)城(由比町)の由比出羽守(ユイデワノカミ)、蒲原(カンバラ)城(蒲原町)の蒲原越後守、吉原城(富士市)の矢部将監(ショウゲン)、小瀬戸城(静岡市)の朝比奈和泉守、鞠子(マリコ)城(静岡市)の斎藤加賀守、朝日山城(藤枝市)の岡部美濃守(ミノノカミ)、小河(コガワ)城(焼津市)の長谷川次郎左衛門尉、花倉城(藤枝市)の福島土佐守(クシマトサノカミ)らが、厳しい顔をして居並んでいた。

 彼らがまず決めた事は、お屋形様の死を公表するか否かだった。これは全員一致して、公表はもう少し控えた方がいいという事に決まり、お屋形様は生きている事にして駿府まで凱旋(ガイセン)させる事にした。そして、もう一つ決めた事は、お屋形様の遺体の事だった。お屋形様の遺体を駿府まで運んだとしても、死を隠しておくのなら大々的な葬儀はできないし、また、隠れて荼毘(ダビ)に付す事も難しかった。奥方の北川殿には気の毒だが、向こうで荼毘に付して遺骨だけを駿府に運んでもらう事に決まった。すでに、それらの事は遠江の新野(ニイノ)城に伝令を送り、今川家の菩提寺(ボダイジ)から数人の僧侶が現場に向かっていた。

 次の問題は今川家の家督だった。

 小鹿逍遙と朝比奈天遊斎は、竜王丸に家督を継いでもらうという前提の元、話を進めたが、それぞれの意見は一致しなかった。その第一の理由は、竜王丸がまだ六歳で、この先、今川家のお屋形様になるのにふさわしいかどうか、まだ分からないという事だった。また、もし、その器があったとしても、竜王丸が成人するまでの十年近くの間に、敵が駿河に攻め込んで来ないとも限らない。今は世の中が乱れ、一番危険な時期と言える。今川家を今以上に発展させるには、竜王丸では幼すぎると言って反対を唱える者も多かった。竜王丸が成人するまでは、お屋形様の弟二人に補佐してもらえばいいとも言ったが、何も竜王丸にこだわる事はない。重要なのは今の今川家だ。お屋形様にふさわしい者をお屋形様にするべきだと言う。

 福島越前守がお屋形様のすぐ下の弟、河合備前守を押すと、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守が同意して、福島土佐守が備前守の下の弟、中原摂津守を押すと、岡部美濃守、由比出羽守が同意した。竜王丸を押したのは朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉、矢部将監だった。

 福島越前守と福島土佐守は同じ一族なのに事ある毎に対立していた。土佐守の方が嫡流(チャクリュウ)だったが、江尻津を本拠地に持つ越前守の方が勢力を持ち、今川家中においても越前守の方がお屋形様の近くに仕えて、お屋形様の覚えもよかった。

 今川家において実際に実力を持っている重臣は、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏、葛山(カヅラヤマ)氏、それと遠江の天野(アマノ)氏の六氏だった。その他にも重臣たちは多かったが、その六氏によって、すべての事は決められると言ってもいい程だった。

 その中で、遠江の天野氏は今川家の事には余り干渉しなかった。天野氏も一応、今川家の被官となっているが、天野氏にしてみれば、今川家の力を利用して自分の勢力を広げようと思っている。利用できるうちは利用するが、今川家の勢力が弱まれば、それはまた、それでいい。隙あらば駿河にも侵入しようとたくらんでいた。同じような考えでいる者に、東駿河に勢力を持つ葛山氏がいた。葛山氏も今川家の被官になっていても、今まで今川家の世話になった事はなく、自力で勢力を広げて来た豪族だった。今川家が力を持っているので、その勢力下に入っているが、今川家が弱くなれば駿河の東半分をもぎ取ろうとたくらんでいた。

 天野氏や葛山氏とは違い、独立した勢力を持たず、今川家があってこそ自分たちがあると思っているのが、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏だった。彼らは今川家が安泰でないと、自分たちも安泰とは言えないので、彼らなりに真剣に今川家の事を考えていた。
6.北川殿1






 山伏、風眼坊舜香に戻った風間小太郎は北川殿を囲む塀と濠との間の狭い所に立ち、濠の向こう岸を眺めていた。

 正面には広い道の向こうに高い土塁があり、その向こうには北川が流れている。そして、北川の向こうに小太郎夫婦が借りた家があるはずだった。今、その家には誰もいない。今の状況では、いつになったらあの家に戻れるのか分からなかった。

 右側に目をやると北川殿を警固している北川衆の家族の住む家々が並び、その向こうに、北川殿と同じように濠に囲まれた二層建ての豪勢な屋敷が見える。昔、将軍様が駿府に来た時に使用したという道賀亭(ドウガテイ)と呼ばれる客殿だった。今は、京から来た公家たちを持て成すのに使っているらしい。道賀亭の他にも、将軍様を接待した時に使用したという望嶽亭(ボウガクテイ)、清流亭と呼ばれる客殿もお屋形内には残っていた。

 小太郎は濠と塀の間の狭い所を歩きながら濠の中を覗いた。濠の幅はおよそ五間(ゴケン、約九メートル)、水面まではおよそ二尺。水の深さは聞いたところによると一丈(イチジョウ、約三メートル)だという。

 北川殿には濠はあるが土塁はなかった。土塁を囲むと景観を損(ソコ)なうというので、濠を掘った時の土を平らにならし、その分、北川殿は少し高い位置に建っていた。濠に囲まれてはいても防御態勢は完全ではなく、もしもの時はお屋形様の屋敷に避難するという事なのだろう。しかし、今はお屋形様の屋敷に避難するわけにはいかなかった。重臣たちが評定を重ねているお屋形様の屋敷の方が、ここよりもずっと危険と言えた。この不完全な防備しかない北川殿において、北川殿母子を敵から守らなければならなかった。

 小太郎は濠の水を眺めながら、これでは簡単に忍び込めるなと思った。濠に舟を浮かべれば簡単にこちら側に渡れる。わざわざ、舟を使わなくても丸太でも渡せば簡単に渡る事はできる。こちら側に渡ってしまえば、後は塀を越えるのはわけない事だった。これでは門を固めていても何にもならない。忍び込む気になれば、どこからでも入って来られる。まず、四隅に見張り櫓(ヤグラ)を建てて濠の回りを見張らせなくてはならなかった。そして、濠と塀との間に鉄菱(テツビシ)を撒いた方がいいだろう。しかし、今、小太郎は鉄菱を持ってはいなかった。すぐにでも鍛冶師(カジシ)に頼んで作ってもらうしかなかった。塀にも何か仕掛けを作りたかったが、五尺足らずのただの木の塀ではどうしようもない。塀の向こう側にも鉄菱をばらまく以外にいい考えは浮かばなかった。小太郎は塀を簡単に飛び越えると庭園を横切って、そのまま表門の方に向かった。

 今、北川殿には早雲を初めとして、早雲庵の住人すべてが詰めていた。お雪と春雨は北川殿の身辺を守り、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲らは庭園の片隅にある馬のいない廐で寝起きしながら夜警を担当していた。早雲、小太郎、富嶽の三人は屋敷内の広間の隣にある座敷で寝起きしながら北川殿と竜王丸を守っている。

 小太郎は屋敷内にいた早雲に一声掛けると、庭で遊ぶ美鈴、竜王丸、寅之助、側で控えている仲居の嵯峨を横目で見ながら急ぎ足で門から外に出た。さらに、お屋形の北門をくぐって浅間神社の門前町に向かった。小太郎も小鹿逍遙から、お屋形に自由に出入りできる過書(カショ)を貰っていた。小太郎が向かう所は門前町の一画にある職人町だった。何としてでも鍛冶師に頼み、鉄菱を作って貰わなければならなかった。
7.北川殿2






 夜は何事も起こらなかった。

 朝日が昇ると共に警固の侍は入れ代わった。

 北川殿を警固する侍は北川衆と呼ばれ、お屋形様の屋敷を警固する宿直(トノイ)衆と共に、名誉ある職種であり、その任務に就く者は重臣たちの親族に限られていて、皆、一流の兵法者(ヒョウホウモノ)でもあった。そして、その装束(ショウゾク)も目立っていた。武家の正装である狩衣(カリギヌ)を常に着用して、長い太刀を佩(ハ)いている。お屋形様の屋敷の宿直衆も狩衣姿だったが、宿直衆は萌葱(モエギ)色(やや黄色みを帯びた緑色)で、北川衆は浅葱(アサギ)色(わずかに緑色を帯びた薄い青色)だった。一目見ただけで北川衆か宿直衆かは見分けが付いたし、他の武士との見分けも簡単だった。なお、奉公衆または御番衆と呼ばれる、お屋形全体の警固をする者たちは、実戦的な小具足姿で弓矢を背負い、お屋形内を闊歩(カッポ)していた。彼らは必要とあらば、その姿のまま重臣たちの屋敷内に入る事も許されていた。

 今日の昼番を担当する北川衆は表門は吉田、小島、大谷の三人、裏門は清水と山崎の二人だった。吉田は夜、裏門を守り、引き続いて表門の勤務に移っていた。交替で勤務を行なうため、毎日、誰かが一人、寝ずに一日中勤務する事になっている。その代わり、休みの時は昼の勤務が終わってから、一日休み、次の日は夜勤になっているので充分に休む事ができた。

 昨日、あんな事件が起きたため、昼も気を緩めずに見張らなければならなかった。裏門を守る者は一人が側にある蔵の屋根の上に上がって、北側と西側の濠を見張る事となり、表門を守る者の一人は、牛車(ギッシャ)のしまってある小屋の屋根から東側と南側の濠を見張る事となった。南側はお屋形様の屋敷の土塁に面しているので危険はないと思ったが、一応、見張らせた。

 早雲はずっと下手人(ゲシュニン)の事を考え続けていた。先は長いので少し休んだ方がいいと思って横になってみても、頭から毒殺の事が離れず、結局、一睡もできないで朝を迎えていた。

 早雲が顔を洗いに井戸に行くと小太郎が近づいて来た。

「何事もなかったわ」と小太郎は言った。

「御苦労じゃったのう」と眠そうな目をこすりながら早雲は言った。

「眠れなかったのか」と小太郎が聞くと、

「ああ」と言いながら早雲はあくびをした。

「何か分かったか」と小太郎は聞いた。

「少しはな」と早雲は答えた。

 二人は座敷に戻ると、さっそく検討を始めた。富嶽も顔を洗うと参加した。

 まず、いつ、味噌の中に毒が入れられたかが問題だった。朝食の時には入っていなかった。北川殿の朝食は四つ(午前十時)だった。それぞれの部署に食事を配り、北川殿に食事を運ぶと、仲居たちは自分たちの部屋で食事を取る。彼女たちの部屋は台所の隣にあるが、板戸を閉めると台所は見えない。食事をする時は、外から見えないように閉める事となっていた。食事の時間は半時(一時間)で、その後、後片付けが始まる。後片付けが終わると一休みして、夕食の仕込みが始まり、昨日の場合は七つ(午後四時)過ぎ頃、一段落したので休憩をしていた。桜井が亡くなったのはその時だった。

 毒が入れられたと思われる時間は、仲居たちが朝食を取っていた半時の間か、後片付けの後の休憩の時か、桜井が殺される、ほんの少し前か、だった。その他の時間には台所には仲居たちがいたので、台所の片隅にある味噌甕(ミソガメ)の中に毒を入れる事は不可能と言えた。

「それで、下手人は誰なんじゃ」と小太郎は聞いた。

「そう、焦るな」
8.北川殿3






 雨は朝になってもやまなかった。幸い、何事も起こらずに夜が明けた。

 前日、ほとんど眠れなくて疲れていたのと下手人が分かった事もあって、早雲はぐっすりと眠り、雨降りだったが、さっぱりとした朝を迎えていた。

 早雲が井戸で顔を洗っていると、春雨が台所から出て来て近づいて来た。

「気持ちのいい朝じゃな」と早雲は笑った。

「どこが」と聞いて春雨は首を振り、「うっとおしいわ」と言った。

「うっとおしいか‥‥‥」と早雲は空を見上げた。

 春雨も、どんよりとした空を見上げた。

 早雲は春雨に目を移すと、「北川殿は大丈夫か」と聞いた。

「ええ。大丈夫よ」と春雨は頷いて、早雲に手拭いを渡した。「女たちじゃないわ。あんな恐ろしい事をして平気でいられるはずないもの」

「じゃろうな。下手人は分かったんじゃよ」

「え、ほんと? 誰だったの」

「外部の者じゃ」と早雲は言った。

「だって、あの日、誰も入って来なかったんでしょ」

「それが、忍び込んだ形跡が見つかったんじゃ」

「ほんと、どうやって忍び込んだの」

「そこの裏に隠れておったらしいのう」と早雲は裏庭の隅にある蔵を示した。

「へえ、あの裏から台所を見てたってわけ」

 早雲は頷いた。

「まあ、恐ろしい‥‥‥でも、どうやって、あの裏に入ったの」

「それはのう‥‥‥濠に丸太の橋を架けて渡ったんじゃ」

「真っ昼間に?」

「そうじゃ。北川衆の格好をして濠のゴミをさらっておる振りをしてな」

「へえ、そうだったの。恐ろしいわね。それで、下手人は誰だったの」

「小太郎が言うには山伏じゃろうとの事じゃが、誰がその山伏を使ったのかまでは、まだ分からんのじゃ」

「ふーん。でも、身内じゃなかったのね」

「ああ。そういう事じゃな」

「よかった」と言って笑うと春雨は台所の方に戻って行った。
9.小河屋敷






 ひばりが鳴きながら飛んでいる。

 庭先に咲く菜の花には、紋白蝶が飛び回っている。もうすぐ、桜の花の咲く時期だった。

 早雲は二人の弟子を連れて、久し振りに早雲庵に戻って来ていた。

 誰もいないはずの早雲庵には、相変わらず、住み着いている者たちがいた。ところが、今回、住み着いている者たちは、いつもと趣(オモムキ)の変わった者たちだった。人相の悪い連中たちが早雲庵を占領していた。

 住み着いていたのは二年前に早雲庵を襲った山賊たちだった。在竹兵衛(アリタケヒョウエ)と名乗る頭の率いる十三人の山賊たちが早雲庵を占領していた。

 在竹兵衛は早雲の顔を見るとニヤッと笑って、「遊びに来たぜ」と言った。

 早雲は山賊たちを見回した。

 皆、ニヤニヤしながら早雲を見ていたが、何となく、その目付きは以前のように凄みはなく、穏やかに感じられた。

「よく来たな、と歓迎したいところじゃが、悪いが、今は遊んでおる暇はないんじゃ」

「まあ、そう言うな」と在竹もニヤニヤした。

 早雲が庵の中に入って行くと、皆、ぞろぞろと付いて来た。

 早雲が囲炉裏の側に腰を下ろすと、在竹は正面に座り、他の者たちは土間に座り込んだ。

「何の真似じゃ。何もそんな所に座らなくてもいい。好きに上がれ」と早雲は言ったが、山賊たちは土間に座ったまま早雲を見上げていた。

「おぬしが忙しい事は知っておる」と在竹は言った。「わしらも仲間に入れて貰おうと思って、こうしてやって来たわけじゃ」

「仲間に? 何の仲間じゃ」

「とぼけるな。おぬしが何やら動いている事は知っておる。それも、わしらがやってるような、けちな事じゃねえ。どでかい事をやっておるんじゃろう」

「どでかい事か‥‥‥そうかもしれんが、今のところ、山賊は間に合っておる」

「まあ、最後まで話を聞いてくれ。わしらも初めから山賊だったわけじゃねえ。成り行きに身を任せていたら、こうなっちまったというだけじゃ。わしらは皆、元は武士じゃ。戦で主家をなくして、食い詰め浪人となったんじゃ。似た者同士が集まって、山賊稼業を始めた。自慢するわけじゃねえが、わしらは今まで弱い者いじめをした事はねえ。狙う相手はいつも、あくどい奴ばかりじゃ。わしらも初めのうちは、それで満足していた。わしらのお陰でちったあ、今の世がましになるじゃろうと思ってな。しかし、せこい事をやっておる事に気づいたんじゃ。小悪党をやっつけた所で世の中が変わるわけがねえ。そんな事はただの自己満足に過ぎねえってな‥‥‥山の中に隠れて暮らすのにも飽きて来たんじゃ。つまらん事で死んだ仲間も何人かいた。くだらん死に様じゃた。どうせ死ぬのなら、もっと、どでかい事をやりたくなったんじゃ。そこで、こうして、ここに来たわけじゃ」

「どでかい事をするのに、どうして、ここに来るんじゃ」

「わしらも馬鹿じゃねえ。今、駿府(スンプ)のお屋形で何かが起きてるという事は気づいておる。何が起きてるのか知らねえが、ただ事ではねえ事は確かじゃ。今川家の重臣たちが皆、駿府に集まり、一向に帰る気配がねえ。戦の作戦でも練っておるのかとも思ったが、どうも、そうじゃねえらしい。となると答えは一つ、お屋形様の身に何かが起こったに違いねえ。お屋形様が寝込んだとなると、家督争いが起こるのは確実じゃ」

「おい、待て、どうして家督争いが起こるのが確実なんじゃ」

「そんな事は誰でも分かるわ。お屋形様の嫡子、竜王丸殿はまだ六つじゃと聞く。そして、お屋形様の下には二人の弟がおる。その二人の仲が悪い事は評判じゃ。仮にお屋形様の座は竜王丸殿に決まったとしても、その後見役を誰にするかというので争いは始まる。それに、今の地位に不満のある重臣どもが、お屋形様に気に入られていた重臣たちと対立するのも目に見えておるわ‥‥‥そこで、わしらはここに来てみた。おぬしがここで、のんびり昼寝でもしておれば、わしらの勘ぐりははずれた事になるが、もし、おぬしがいなかったら、家督争いが始まったに違いねえとみたんじゃ‥‥‥案の定、ここには誰もいなかった‥‥‥」

「成程な」と早雲は在竹を見ながら苦笑した。

「早雲殿、おぬしは不思議な男じゃのう」と在竹は言った。「二年前、初めておぬしと会った時、何となく、おぬしとは縁がありそうな気がしたんじゃ。それはわしだけではない。おぬしたちに打ちのめされた奴らも、おぬしを恨むどころか、事ある事におぬしの噂をしておったわ‥‥‥時折、駿河に戻って来て、わしらは遠くからここを見る。いつも、大勢の者たちに囲まれて楽しそうにやってるおぬしを見て、皆、心の中では自分もあの中に入りたいと思っていたんじゃ。しかし、口に出す者はいなかった。そして、今回、駿府のお屋形がおかしいと気づいた時、誰もがここに行こうと言い出した。おぬしが何かを始めていたなら、おぬしを助けようと全員の意見が一致したんじゃよ。わしらみんなが、おぬしならきっと何か、でかい事をやるに違いねえと思ったんじゃ‥‥‥早雲殿、頼む、わしらの頭になってくれ」

 在竹兵衛は姿勢を改めると頭を下げた。

 在竹の後ろに控えていた十三人の男たちも一斉に、「お願いいたします」と頭を下げた。

 早雲は山賊たちを見回した。
10.小鹿派






 次の日の夜明け前のまだ薄暗い頃、福島越前守(クシマエチゼンノカミ)の軍勢によって駿府屋形(スンプヤカタ)は完全に包囲された。勿論、本曲輪(クルワ)を警固する三番組、二の曲輪を警固する二番組と示し合わせた行動だった。城下を見回っていた町奉行に所属する武士たちは突然の異変に驚いたが、完全武装した軍勢に対して、どうする事もできず、ただ、城下の騒ぎを静めるのが精一杯だった。

 福島越前守は武装して五十人程の兵を引き連れ、北川殿を包囲し、中にいるはずの早雲の名を呼んだ。早雲とは面識もあり、自分の作戦を理解してくれるだろうと確信していた。ところが、北川殿は静まり返ったまま、門は一向に開かなかった。

 そんな時、北川衆の小田と清水がやって来た。二人は武装兵で囲まれた北川殿を見て驚き、越前守に訳を聞いた。越前守は早雲と話がしたいと言う。小田と清水は門の中に声を掛けた。返事はない。裏門の鍵が掛かっていなかったので、入ってみると屋敷の中には誰もいなかった。

 越前守は二人を問い詰めた。二人は知らないと答え、昨日の晩までは北川殿を初め、早雲も仲居衆も全員がいた。北川衆の家に行ってみたが、そこにも誰もいなかった。

 越前守の頭は混乱した。

 竜王丸がいなければ今回の作戦は成功しない。成功しないとなると、お屋形を包囲した事は無駄になるどころか、反発を買う事に成りかねない。今川家をまとめるために、こんな非常手段を取ったが、戦を起こさせるためではなかった。このまま、お屋形を包囲していれば騒ぎが大きくなって戦になりかねない。越前守は素早く決断すると、北川殿を包囲した兵をまとめて、素早く南門に向かい、お屋形を包囲している兵たちに速やかに撤退する事を命じた。

 越前守は今川家を一つにまとめるために、早雲と同じように小鹿(オジカ)派と竜王丸派を一つにしようと考えていた。武力を以てお屋形を包囲し、竜王丸と北川殿を評定の場に登場させ、強引に竜王丸の家督と新五郎の後見というふうに決めるつもりでいた。備前守派と摂津守派は反対するに違いないが、備前守には東駿河の守護代、摂津守には西駿河の守護代という形で納得してもらうつもりだった。ところが失敗した。まさか、北川殿がお屋形内から出て行くなどとは考えてもみなかった。早雲の事を甘く見過ぎていた。前以て、早雲と相談すれば良かったと悔やんだが、後の祭りだった。

 武力による非常手段を越前守に提案したのは葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)だった。しかし、播磨守の考えは越前守とは違っていた。播磨守は武力によってお屋形を占拠し、強引に小鹿新五郎に家督を継がせる事だった。越前守は小鹿派に移ったとはいえ、葛山播磨守を信用していたわけではない。しかし、今、本曲輪を警固している御番衆は葛山派の連中だった。武力を以てお屋形を包囲するには、どうしても播磨守の協力が必要だった。越前守は播磨守の作戦に同意した振りをしてお屋形を包囲した。そして、独断で竜王丸を評定の間に登場させようとたくらんだのだった。

 評定の始まる頃には何事もなかったかのような顔をして、お屋形様の屋敷に入って行く越前守の姿があった。しかし、今回、危険を感じて駿府屋形から逃げ出したのは、北川殿だけではなかった。評定の間に河合備前守の姿はなく、備前守を押す天野兵部少輔(アマノヒョウブショウユウ)の姿もなかった。二人の屋敷を捜してみたが、北川殿同様、もぬけの殻だった。

 備前守はお屋形様の座を辞退したという形で評定は始められたが、結局、話はまとまらず、返って悪い状況になってしまった。天野民部少輔(ミンブショウユウ)が竜王丸派から中原摂津守派に移り、なぜか、小鹿派だった天方山城守(アマカタヤマシロノカミ)までも摂津守派に寝返った。さらに、北川殿と竜王丸が駿府屋形から消えたという事が知れ渡ると、竜王丸派の福島土佐守(クシマトサノカミ)までもが摂津守派に移って行った。土佐守が抜けた代わりに、小鹿派だった新野左馬助(ニイノサマノスケ)が竜王丸派になった。

 昨日までは竜王丸派と小鹿派が強く、備前守派と摂津守派が弱かったため、竜王丸派と小鹿派を一つにまとめれば何とかなると考えていた福島越前守の狙いも、今日からは通用しなくなってしまった。摂津守派が急に伸びて、竜王丸派と同じ位の勢力を持つようになり、三つ巴(ドモエ)の様相となってしまった。
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