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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
2.風眼坊舜香




 雲一つない日本晴れの秋空だった。

 見晴らしのいい山の頂上に山伏(ヤマブシ)が一人、風に吹かれて座わり込んでいる。

 眼下には穏やかな青い海が広がり、東北には富士の山が神々しく、そびえている。

 ここは駿河の国(静岡県)久能山。

 古くは山中に天台宗補陀落山久能寺が甍(イラカ)を並べて栄えていたが、南北朝の頃、全山が焼かれ、今は荒れ果てていた。

 夏の間、伸び放題に伸びていた草が風に吹かれて揺れている。

 山伏は海の方に向かって座ってはいても、海を見ているようでもなく、時々、右を向いては手に持った頑丈そうな錫杖(シャクジョウ)を鳴らし、左を向いては、また錫杖を鳴らしていた。

 この山伏が持っている錫杖を菩薩(ボサツ)錫杖といい、杖の先に金属製の六つの円環がついている。この六輪は布施、持戒、忍辱(ニンニク)、精進(ショウジン)、禅定(ゼンジョウ)、知慧(チエ)の六波羅密(ロクハラミツ)を示しているという。

 山伏が錫杖を振るたびに、その六輪は神秘的な音を風の中に響かせていた。

 康正元年(一四五五年)、右の方に目をやれば、奈良、京都、山城の国(京都府)では土民らが徳政を求めて蜂起し、しかも、幕府の首脳、管領(カンレイ)家の一つ、畠山氏は相続問題で分裂して合戦を始めていた。時の将軍、足利義政はそれらを取り締まるだけの力を持ってはいなかった。

 左の方に目をやれば、関東。そこでも、鎌倉公方(クボウ)の足利成氏(シゲウジ)と関東管領の上杉氏が争いを始め、回りの豪族たちもこれに巻き込まれて、あちこちで戦が始まっていた。

「さて、どうするかのう」と山伏は独り言を言った。

 この山伏、名を風眼坊舜香(フウガンボウシュンコウ)といい、大和の国(奈良県)大峯山の修験者(シュゲンジャ)である。

 長い髪が風に吹かれて揺れている。兜巾(トキン)の下の彫りの深い顔はまだ若い。頑丈そうな長い太刀を腰に差していた。

 四年前、大峯山を出てから、三年余りは近江(オウミ)の国(滋賀県)の飯道山(ハンドウサン)にいた。今年の春に旅に出て、諸国を行脚(アンギャ)している。北陸を経て、関東を一回りして、富士の山に登り、今、久能山にいるわけだが、さて、これからどうするか、それを座り込んで考えているのであった。

「まだまだじゃ」と言うと法螺貝(ホラガイ)を口にあてた。

 二、三度、法螺貝を短く鳴らすと、風眼坊は海に向かって思い切り吹き始めた。

 風眼坊舜香、一応、僧侶らしい名前だが完全な僧ではなく、半僧半俗、あるいは、非僧非俗であった。彼らは山伏というより、先達(センダツ)、聖(ヒジリ)、聖人(ショウニン)、行者(ギョウジャ)などと呼ばれ、一般庶民の不可能と思われる事を可能にしてくれる、大した人間であると仰望(ギョウボウ)されていた。人の入り込まない山奥に籠もって荒行をして、指で不思議な印(イン)を結び、真言(シンゴン)を唱え、治病や魔よけ、盗賊よけ、雨乞いなどの加持祈祷(カジキトウ)をおこなった。また、魔法じみた事をやり、人々を惑わしたりする者も中にはいたという。

 法螺貝を口から離すと風眼坊は立ち上がり、「しばらくは昼寝じゃな」とポツリと言った。「久し振りに、お光の顔でも見ながら、のんびりするか‥‥‥」

 風眼坊は富士山を見上げると、錫杖を鳴らしながら山を下りて行った。



久能山

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