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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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21.水軍と陸軍






 師走の二十五日、最後の稽古を終えると太郎は金比羅坊と中之坊と一緒に里へ下りて行った。

 毎年、稽古仕舞いには師範、師範代が集まって宴を張るのだそうで、今年は太郎もそれに参加する事になっていた。皆はもう下で待っているというので、三人は急いで山を下りて行った。

 参道に面した『湊屋』という大きな料亭で、遊女らも何人か混じり、宴は一時ばかり続き、その後、皆、好きな所に散って行った。太郎は金比羅坊らと共に『おかめ』という遊女屋に行った。遊女屋に入るのは初めてだった。

 太郎も久し振りに酔い潰れるまで酒を飲んだ。金比羅坊たちはお気に入りの遊女を連れて部屋にしけ込んだが、太郎は遊女を抱く気にはならなかった。かと言って、一人で先に帰るわけにもいかず、ひばりという名の遊女を相手に明け方近くまで飲み続け、結局、酔い潰れてしまった。

 次の日の昼過ぎ、金比羅坊に見送られて太郎は五ケ所浦に向かった。

 二年振りに家族と共に迎える正月だった。

 太郎は飛ぶような早さで山の中を走り、楓の待つ故郷へと向かった。

 年末年始は忙しかった。

 堅苦しい武家のしきたりに慣れていない太郎と楓にとって色々と面倒な事が多かった。

 しかも、一月六日には、太郎は殿の御前で剣術の技を披露するという事に決まっていた。水軍での太郎の活躍や剣術の事が殿、愛洲三河守忠氏の耳に入り、ぜひとも、太郎の剣術が見たいものだという事になった。そして、太郎が留守の間に一月六日に御前試合を行なうという事に決定してしまっていた。

 太郎の相手は陸軍の猛者、切原城の池田長左衛門が選ばれた。

 長左衛門は太郎より四つ年上の二十五歳、戦に出ては兜首をいくつも取り、彼の進む所、敵はすべて薙ぎ倒されると言われていた。

 普段から仲の良くない水軍と陸軍は、この試合によって益々あおられ、太郎と長左衛門の試合は個人的なものから水軍対陸軍の決闘というような形となって行った。

 太郎としても、この試合はどうしても勝たなくてはならない。陸軍の連中は太郎の剣術を認めていなかった。あんな棒振りをやっても船の上では役に立つかも知れないが、陸の上で役に立つわけはない。あんなものは子供の遊びだと馬鹿にしていた。陸でも充分に役に立つという事を証明しなくてはならなかった。

 試合はお互い、陸の戦場と同じように甲冑(カッチュウ)を付けて、木剣で行う事と決まった。

 太郎は今まで、陸軍の重い甲冑を付けて剣を振った事はなかったが、陸でも通用する事を証明するためには、それも仕方ないと思った。試合に備えて甲冑に慣れるため、甲冑を付けて剣の稽古を始めた。多少、動きにくいが慣れてしまえば何ともなくなった。

 いよいよ、当日となった。

 五ケ所城内の射場(イバ)に、紅白の幕が張られ、見物人たちが溢れていた。

 自然、水軍と陸軍、二手に分かれて試合が始まるのを見守っている。

 やがて、正面の桟敷(サジキ)に殿、三河守忠氏が供を連れて現れた。太郎の父、隼人正宗忠の姿も、その中にあった。

 太鼓の音が響きわたった。

 見物人たちが静かになると、射場奉行の平田右衛門尉直盛が新年の挨拶をした。続いて、本日の御前試合の奉行役の酒井内蔵助時重が挨拶をし、試合の前の余興の説明をした。

 まず、余興として、京の都から来たという一座によって曲舞(クセマイ)が演じられた。

 華やかな衣装を着た京の曲舞女は華麗に舞い踊り、観客の喝采を浴びた。

 太郎も楓や家族の者たちと一緒に見ていた。曲舞は前にも見た事があったが、こんなにも派手で華麗でもなかった。今はまだ、戦が続いていて、焼け野原になってしまっているのに、こういう芸人が出て来るなんて、さすが、京の都だと太郎は感心していた。

 楓も澪も、うっとりしながら見とれていた。

 続いて、弓始めの儀式が行なわれた。これは毎年、正月に行なわれ、今年一年の武運を祈る儀式である。

 その儀式が終わると、愛洲家に代々伝わる『鬼丸』という重籘(シゲドウ)の剛弓が重々しく運ばれて来た。

 この『鬼丸』は愛洲一族が、初めて、ここ五ケ所浦に上陸した時、ここに住み着いていた鬼共を退治するのに使われた、と言い伝えられていた。見るからに、重く、強そうな弓だった。

 毎年、一回だけ、この弓は人々の前に姿を現した。

 今日が、その日だった。

 この弓を引くために、毎年、その日になると力自慢が集まって来た。その弓を引いて、うまく的に当てる事ができれば、次の年の弓始めの儀式に参加する事ができた。その儀式に参加するというのは武士として大変な名誉であった。しかも、その日、『鬼丸』を引く事ができるのは武士だけではなく、農民でも漁師でも誰でも良かった。農民でも見事に『鬼丸』を引き、的に当てる事ができれば、その日から、立派な武士になれるのだった。

 今年は十三人の力自慢が集まって来ていた。内訳は武士八人、農民二人、漁師二人、杣人(ソマビト)一人というものだった。皆、力士のような大男ばかりだった。

 検分役に名を呼ばれると、それぞれ『鬼丸』に挑戦していった。

 太郎が見た所、半分の六、七人は引く事ができるだろうと思ったが、そんなに生易しいものではなかった。弓を最後まで引く事ができたのは、たったの三人だけだった。そのうち、的に当てる事ができたのは二人。惜しくも、的を外してしまった男は、もう一度やらせてくれ、と二度目の挑戦をしたが、二度目は弓を引く事はできなかった。

 『鬼丸』を無事に引く事のできた二人は共に武士で、うまい具合に水軍と陸軍、一人づつだった。

 いよいよ、太郎の出番が来た。

 試合の前に、太郎の剣術の技を披露する事になっていた。

 披露するに当たって、前もって、奉行の酒井内蔵助から太郎の剣術に名前を付けてくれと頼まれていた。技の名前なら『天狗勝』と付けてあると言ったが、技の名前じゃなくて、『何々流』という名を付けてくれと言う。

 太郎は困った。今まで、そんな事、考えても見なかったし、第一、自分の剣術はまだ、完成していないと思っている。『何々流』なんて、大それた名前なんて付けられなかった。しかし、奉行は何でもいいから名前を付けてくれ、そうしないと御前に披露できないとしつこかった。

 太郎は考えた。今までに、鹿島、香取の『神道(シントウ)流』と鎌倉の『中条(チュウジョウ)流』というのは聞いた事があった。神道流は鹿島神宮、香取神宮の神道から出たので神道流、中条流は中条兵庫助とかいう人が開いたとか聞いている。他に義経公が習ったという『鞍馬流』というのも聞いた事はあるが、実際にあるのかどうかわからない。

 さて、何と付けるか。

 師匠が山伏だから『山伏流』か。

 師匠に断りもなく、『何々流』なんて付けたら怒られるだろうな‥‥‥

 でも、仕方がない。一時的な仮の名前だ。

 飯道山で修行したから『飯道流』か。 

 それとも、師匠が大峯山で修行したから『大峯流』か。

 愛洲流‥‥‥これは無理だ。殿の断りもなしに『愛洲流』は名乗れない。

 それじゃあ、『移香流』、『太郎坊流』、『風眼坊流』、『天狗流』‥‥‥

 なかなか、いい名前が見つからなかった。

 奉行の酒井内蔵助は試合の前日までには決めてくれと言った。

 太郎はずっと一人で考えていたが、二日前の夜になって楓に相談した。

「『飯道流』って名を付けようと思うけど、どうだろう」と楓に聞いた。

「いいんじゃないの」と楓は言った。「技の名前が飯道山の天狗たちなんだから、それでいいんじゃない」

「そうだな」と太郎もそれに決めようと思った。

 その後、楓は、「陰流なんてどう」と何気なく言った。「陰の術からとって陰流なんてどう」

 陰流‥‥‥何となく、響きがいい。

 陰の術の名を付けたのは太郎ではない。自然発生的に出来た名だった。しかし、太郎は『陰の術』という名は気に入っていた。

 陰流‥‥‥楓のお陰で、太郎の剣術の名は『陰流』と決まった。

 『陰流』の技を披露するために、太郎は西村藤次郎教弘を連れて庭の中央まで出た。藤次郎は太郎が剣術指南になって、すぐに集まって来た者たちの一人で、呑み込みが早く、今の所、一番強いので師範代をやっていた。

 奉行の酒井内蔵助が、「これより、愛洲太郎左衛門と西村藤次郎によって、『陰流、天狗勝』の太刀を披露いたします」と言った。

 太郎と藤次郎は正面の殿に礼をし、左右に礼をし、見物人たちに礼をして、『天狗勝』の形を演じた。

 風眼坊、高林坊、栄意坊、太郎坊、金比羅坊、修徳坊と演じていった。

 両手に太刀と小刀を持ち、小刀を投げ付けて来る相手に使う技、火乱坊、そして、二人を同時に相手にする技、智羅天は演じなかった。

 二人は演じ終わると再び、礼をして下がった。

 見物席から喝采が上がった。特に、水軍側は凄かった。反して、陸軍側はぶすっとしたまま、水軍側を睨んでいた。池田長左衛門は、その中で太郎を馬鹿にしたように笑いながら太郎を見ていた。

 太鼓が鳴り響いた。

 観衆が静まると奉行が御前試合の開始を告げた。

 検分役の寺田月翁斎(ゲツオウサイ)が登場した。月翁斎は神津佐(コンサ)城の武将で、今は隠居しているが、現役の頃は百戦錬磨の陸軍の武将として名を轟かせていた。

 月翁斎が太郎と長左衛門の名を読み上げ、二人は登場した。 

 甲冑に身を固めた二人は殿に向かって礼をし、検分役に礼をし、互いに礼をした。

「始め!」の合図と共に、二人は三間(約五メートル)の間をおいて木剣を構えた。

 太郎の木剣は約三尺、普通の物だったが、長左衛門の木剣は四尺以上もあり、太く黒光りしていた。

 太郎は下段に構え、長左衛門は木剣を右肩の上にかつぐように構えていた。

 場内はシーンと静まり返り、二人の動きを固唾を呑んで見守っていた。

 長左衛門は少しづつ、太郎ににじり寄って来た。

 太郎もそれに合わせて間合を詰めて行った。

 間合が二間になった時、長左衛門は木剣を振り上げ、太郎に飛び掛かって来た。

 太郎も同じく、長左衛門に飛び掛かるようにして、長左衛門が上から打ってくる剣を下からすくい上げるように打ち上げ、長左衛門の裏小手を打った。

 太郎が『風眼坊』と名付けた、下段から敵の裏小手を斬る技であった。

「それまで!」と月翁斎が二人を止めた。

 月翁斎が太郎の勝ちを宣言しようとした時、長左衛門が本当の勝負は真剣でないとわからないと言い出した。

 月翁斎は真剣試合は危険だからやめさせようとしたが、殿、三河守忠氏が、「構わん、真剣でやらせい」と言ったため、長左衛門の意見が通って真剣試合となった。

 太郎は仕方なく承知した。

 長左衛門は刃渡り三尺以上もある長い太刀を先程と同じく、右肩にかつぐように構えた。

 太郎の太刀は刃渡り二尺五寸の父から借りた物だった。

 太郎も先程と同じく、下段に構えた。

 試合の運びも同じだった。長左衛門の打ち下ろす太刀を太郎は下段から打ち上げたが、小手は斬らず、長左衛門の打ち下ろす太刀の鍔元を強く打った。

 長左衛門の太刀は手から離れ、高く飛び上がった。

 太郎は太刀を長左衛門の喉元に詰めた。しかし、長左衛門は負けを認めず、「組み討ち」と言って来た。

 太郎は太刀を捨てた。

 長左衛門は勢いよく飛び掛かって来たが、太郎は簡単に投げ飛ばした。

「それまで!」と月翁斎は言った。

 太郎は太刀を拾い、鞘に収めた。

 長左衛門は起き上がると太刀を拾い、そのまま、後ろから太郎の腰を狙って突いて来た。太郎は横にかわすと、素早く、太刀を抜き、片手打ちに長左衛門の右小手を斬り上げた。

 長左衛門の右手首から血が吹き出し、長左衛門の太刀は手元から落ちた。

 太郎は太刀に付いた血を懐紙(カイシ)で拭うと鞘に収め、殿と月翁斎、そして、長左衛門に礼をすると引き下がった。

 長左衛門は手首を押えたまま、仲間に抱えられて去って行った。

 水軍の連中は太郎を拍手で迎えたが、太郎は何となく、後味が悪かった。

 太郎は初めから相手を傷付けるつもりはなかった。しかし、試合が終わったというのに斬り付けて来た長左衛門のやり方は気に入らなかった。しかも、後ろからである。武士として許されない行為だった。

 太郎は長左衛門の右手首を斬った。もう、あの右手は使いものにならないだろう。長左衛門の武将としての命は、もう終わりと言えた。

 太郎はあの時、とっさに太刀を抜き、長左衛門の小手を斬った。何もそんな事をしなくても、太刀だけを長左衛門の手から落とす事もできた。それにもかかわらず、長左衛門の小手を斬った。誰もが、それは正しいやり方だと称賛したが、太郎は何となく、いやな予感がした。

 殿、愛洲三河守も太郎の『陰流』が気に入ったとみえて、大いに誉め、褒美として、太刀を一振り下賜(カシ)した。そして、奉行、酒井内蔵助によって殿の言葉が伝えられた。

「これからは、水軍だけでなく、陸軍の若い者たちにも教えるように」

 太郎はただ、「はい」と頷いた。

 それは難しい事だった。しかし、今のままで行ったら愛洲家は二つに分かれてしまう。この戦乱の世に、一族が二つに割れてしまったら、敵に付け込まれて滅ぼされてしまうとも限らない。こんな時代だからこそ、一族がしっかりと団結しなければならなかった。

 太郎の剣術によって、水軍と陸軍を一つにまとめる事ができればいいと願った。





 御前試合が終わってから、太郎の剣術道場は水軍の若い連中で一杯になって行った。若い連中と言っても、それは若すぎた。皆、元服前の子供たちばかりだった。

 太郎としては十七、八の若者たちに教えたかったが、それは時節がら無理な事だった。働ける人間は皆、戦で忙しかった。剣術を習っている暇などない。それでも、去年、太郎の道場に通っていた連中は暇を見つけては顔を出し、自分たちの稽古をしたり、子供たちの相手をしたりしてくれていた。

 今、愛洲水軍は九鬼氏を相手に戦っていた。これが、なかなかしぶとく、容易には落ちそうもなかった。陸軍の方は志摩の中央を押えている三浦氏を内陸から攻めているが、これも、なかなか手ごわかった。

 正月の数日間はのんびりしていた城下も、だんだんと慌ただしくなり、武将たちは兵を率いて戦へと出掛けて行った。

 太郎は祖父、白峰と共に子供たちに剣術を教えていた。太郎も戦に行きたかったが、今回の九鬼氏との戦は長期戦になるから来なくてもいいと父に言われ、残ったのだった。

 御前試合の後、太郎の剣術道場は父の城のある田曽浦から五ケ所浦の城下に移っていた。どうせ、剣術を教えるなら田曽浦にいて、あそこの水軍だけに教えるより、城下に来てみんなに教えてくれ、との殿からの言葉だった。

 道場と言ってもただの広場である。屋根もなければ何もない。ただ、みんなが稽古できる広さの土地があれば、それで良かった。戦が終われば、改めて、城下に『陰流』の道場を作ってやると殿の言葉もあったが、今は白峰の居館の近くの土地を平にならして道場としていた。

 最初、太郎の道場に集まって来た子供たちの中には陸軍の子供たちもかなりいた。ところが、一月もしないうちに皆、やめたしまった。御前試合で太郎に負けた池田長左衛門が後ろで糸を引いているのはわかっていた。しかし、太郎は黙っていた。

 あの試合以来、太郎は長左衛門一味に狙われていた。彼らは城下で、太郎に会うと何かと言い掛かりを付けて来た。太郎は何を言われても相手にしなかった。

 どうやっても太郎が乗って来ないので、今度は道場に通う水軍の者を見つけては誰彼構わず、言い掛かりを付けて喧嘩を売った。太郎の教え子の一人が彼らにやられた。太郎は相手にするなと止めたが教え子たちは言う事を聞かず、長左衛門の一味の一人を血祭りに上げた。

 この事件は喧嘩両成敗という事で、関係した者はしばらくの謹慎という形で片が付いた。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 謹慎が解けると長左衛門一味は太郎を闇討ちにしようと狙い始めた。太郎は刃向かわず、陰の術を使って相手の目をくらまし逃げていた。

 太郎を闇討ちにできないとわかると、彼らはまた、身代わりとして水軍の者をやっつけた。今度、やられたのは太郎の道場とは、まったく関係のない者だった。ただ、水軍というだけで長左衛門たちに袋叩きにされた。

 水軍の者たちは黙っていなかった。長左衛門一味を叩き殺せといきり立った。

「俺に任せてくれ」と太郎はその場を静めた。

 このまま、長左衛門一味を放っておくわけには行かなかった。このまま、放っておいたら水軍と陸軍が二つに分かれてしまう。この大事な時期に家中が分裂したら大変な事になる。

 太郎は覚悟を決めた。

 家中での私闘は禁じられている。長左衛門を倒せば、太郎も無事ではいられない。故郷を離れなくてはならなくなるだろう。

 太郎は楓に相談した。

「俺はここを出ようと思う」と太郎は楓に言った。

「えっ? どうしたの、急に」楓は不思議そうな顔をして太郎を見た。

「池田長左衛門を知ってるだろう」

「ええ‥‥‥とうとう、やるの」

「やらなければ、家中が二つに割れてしまう」

「どうしても、あなたがやらなければならないの」

「奴らは俺を狙っている。俺が相手をしなければ、誰か他の者がやられる‥‥‥しかし、俺が奴らを倒したら、ここにいる事はできなくなる‥‥‥それでもいいか」

 楓は太郎の顔をじっと見つめていたが、やがて頷いた。

「ここにいれば、俺はやがて、水軍の大将になるだろう。お前は水軍の大将の奥方だ。だが、ここを出たら、この先、どうなるかわからん。それでもいいか」

 楓は頷いた。「でも、あなたは、いいの」

「しかたないさ。俺の剣術を習いに来てくれた者たちには悪いが、俺もまだまだ修行が足らない。『陰流』なんて名前を付けて、いい気になっていたけど、まだまだ、人に教えるには早すぎる。もっと修行を積まなくちゃ駄目だ」

「飯道山に帰るのね」

「うん、取り合えずは‥‥‥」

「あたしは平気よ。元々、あなたが水軍の大将の息子だなんて知らなかったし、それに、あなたが決めた事ですもの、あたしはあなたに付いてくだけよ。どこでも付いて行くわ」

 太郎は楓の肩を抱き、大きく頷いた。

「でも」と楓は言った。「何も相手を倒す事もないんじゃない。あなたがここからいなくなれば相手もおとなしくなるんじゃないかしら」

「うん‥‥‥そうかもしれないな‥‥‥」

 翌日、太郎は父、隼人正の城に行った。うまい具合に父は城にいた。夕べ、戦場から帰って来たばかりで、今、重臣たちと戦評定(イクサヒョウジョウ)をしている所だと言う。

 太郎は待たせてもらう事にした。

 父は半時(ハントキ)程して現れた。また、すぐに戦に出掛けるのだろうか、戦支度のままだった。

「どうした。剣術道場はうまく行ってるか」父は太郎の顔を見るとそう言って、太郎の前に腰を下ろした。

「ええ、まあ‥‥‥戦の方はどうです」

「なかなか、手ごわいぞ」

「九鬼氏ですか」

「ああ、奴らは元々、わしらと同じ熊野水軍じゃ。一筋縄ではいかん。骨が一本通っている。お互いに恨みはないんじゃがな。時勢がらしょうがないのう。ところで、話とは何じゃ」

「実はちょっと言いにくいんですけど、もう一度、修行をやり直したいのですが」

「修行? 剣のか」

「はい。自分としてはまだまだ修行が足りません。まだ、人に教えるなんて早過ぎました」

「そうか」と父はゆっくりと頷き、「池田の事だな」と言った。

「知ってたんですか」

「ああ‥‥‥あいつも悪い奴じゃないが、あの試合以来、すっかり拗ねてしまった。あいつは今まで一度も負けた事がなくて、お前に初めて負けた‥‥‥わしは御前試合には反対だった。殿がお前の技をどうしても見たいと言った。見せるだけなら、相手はお前の道場に通っている若い者でも良かった。初めは、そういう約束だった。しかし、ああいう形になってしまった‥‥‥政治が色々とからんでおるんじゃ。派閥とか色々な‥‥‥先代の殿の死が早過ぎたんじゃ。今の殿は若過ぎる。そして、殿の回りにいるのが、また、ろくでもない奴らばかりじゃ」父は、ふんと鼻で笑った。「それで、これから、どうする」

「はい、甲賀に戻ります」

「そうか‥‥‥それも、しょうがあるまい」

「すみません」

「殿には、わしから言っておく‥‥‥また、戻って来いよ」

「はい、もう一回り大きくなって、戻って来ます」

 父、隼人正は頷くと立ち上がって、出て行った。出て行く時、振り返り、「気を付けてな」と言った。

 太郎は頷き、父の後ろ姿を見送った。

 父はまた、すぐに戻って来た。「お前、多気の都に行った事あるか」と聞いた。

「多気?」

「ああ、北畠殿の城下だ」

「行った事ありませんけど」

「そうか、それじゃあ、甲賀に行く途中だから寄って行け」

「何か、用があるんですか」

「いや、そうじゃない。多気にお前に会わせたい人がいる」

「えっ?」

「無為斎(ムイサイ)殿という老人じゃ。もう隠居しておるが、あそこで香取の神道流を教えている。先代の教具卿も無為斎殿に習っていたそうじゃ。この間、五ケ所浦に来て、わしも会ったが、なかなかの人物じゃ。会っておけばお前の剣術のためにもなるだろう。後で、祐筆(ユウヒツ)の水谷の所に寄ってくれ。紹介状を書いておく」

「はい。わかりました‥‥‥」

「それじゃあな、頑張れよ」父は軽く手を上げると出て行った。

 太郎はすでにいない父に向かって頭を下げた。





 太郎と楓は、その日のうちに五ケ所浦を去って行った。

 皆には、もう一度、修行の旅に出る、とだけ言って別れを告げた。

 道場の方は祖父、白峰と弟の次郎右衛門、それと師範代の西村藤次郎に任せた。

 祖父、白峰は毎日、張り切って子供たちに剣術を教えていた。道場が出来てから、祖父は若返ったかのように、毎日、生き生きとしていた。

 桜の花弁が風に舞っている。

 太郎と楓は伊勢街道からそれて山の中に入って行った。

 普通ならば、剣峠を越えて宇治山田に出るのだが、途中、池田長左衛門の一味がいる切原を通らなければならない。太郎はそこを避けて、山の中を抜けて行く事にした。

 三年前の丁度今頃、風眼坊に剣を習っていた時、毎日、通っていた道であった。

 三年間、誰もこの山に登らなかったとみえて、あの頃の道はほとんど草で埋まっていた。しかし、元々、道のない所を太郎が作った道である。太郎は楓の手を引きながら草の中をわけもなく登って行った。

 頂上の少し下には、風眼坊が暮らしていた山小屋があの時のまま残っていた。

 懐かしかった。

 太郎は楓に、風眼坊と出会った時の事や、ここでやった剣術の稽古の事など楽しそうに話した。小屋の中にはあの頃、太郎が使っていた木剣も風眼坊が使っていた酒のとっくりも、そのまま置いてあった。

「しばらく、こことも、お別れだな」

 太郎と楓は城下と海を見下ろしていた。

 これで三度目だった。山の上から城下を見下ろして、ここを去って行くのは‥‥‥

 初めての時は二十日余り、二度目は二年、今度は、もっと長くなるような気がした。

「楽しかったわ」と楓が感慨深げに言った。「あなたの母上様も父上様もいい人だった‥‥‥それに妹のお澪さんも‥‥‥」

 楓は両親を知らない。子供の頃から尼寺で育てられたため、家庭というものを知らなかった。楓は父とも母ともうまくやっていた。このまま、ずっと、ここにいた方が楓にとっては幸せだったのかもしれない、と太郎は楓の横顔を見ながら思っていた。

「さあ、行きましょ。二人の新しい旅立ちよ」と楓は笑って言った。

「すまんな」と太郎は言った。

 楓は首を振った。「ここを離れるのは淋しいけど、ちょっと、ほっとしている所もあるの。あなたには悪いんだけど、武家の世界って何となく堅苦しいわ」

「そうか、実は、俺もそう思っていた」と太郎は笑った。

 水軍の大将として、ここで一生、暮らすよりも、太郎は風眼坊のように色々な所を旅して、色々な事が知りたかった。

「よし、行くか、二人の新しい旅立ちだ」

 二人が五ケ所浦に別れを告げ、山を下りようとした時だった。

「待て!」と言う声が二人を止めた。

「逃げるのか」と言ったのは太郎に右手を斬られた池田長左衛門だった。

 長左衛門を囲んで、いつもの一味四人が太郎と楓を睨んでいた。

「俺は逃げる。もう二度と騒ぎは起こさないでくれ」と太郎は言った。

「俺が怖くて逃げたと言い触らすぞ」と長左衛門は言った。

「何とでも言え。ただし、水軍の連中には手を出すな」

「ほう、笑い者になりてえのか」

「笑い者でも何にでもしろ。俺は二度とここへは戻って来ない」

「逃げるお前はいいだろう。しかし、笑い者にされたお前の親父は何と言うかのう。お前には確か、弟もいたのう‥‥‥」

「弟には手を出すな」

「さあ、それはどうかな」と長左衛門の隣に立つ男が言った。「それに可愛いい妹もおるしのう。なかなかの別嬪らしいのう」

「妹にも手を出すな」

「お前がいなくなれば水軍の奴らなんて、ちょろいもんさ。片っ端から片輪にしてくれるわ」

「やめろ!」

「やめてもいいぞ」と、また別の男が言った。「その女をおいて行けば、やめてやる」

「何だと!」

「ねえちゃん、可愛いがってやるぜ」

「許さん!」

 太郎は刀に手をやって鯉口(コイグチ)を切った。智羅天の形見の来国光だった。太刀拵えだったのを太郎は使い易いように打刀(ウチガタナ)拵えに変えていた。

「やめて!」と楓は止めた。

「こいつら、口で言ってもわからん。根っから、ひねくれている」

「やっと、やる気になったとみえるな」と五人は一斉に刀を抜いた。

 太郎は楓を後ろにやると、刀を抜いて前に進み出た。

 五人は刀を構え、太郎を囲んだ。

「殺せ!」と長左衛門が叫ぶと、太郎の左横にいた者が掛かって来た。

 太郎はその刀をかわし、まず右横の相手を斬り、そして、後ろ、左横、前の相手と、あっという間に四人を斬り倒した。

 剣と剣がぶつかる音は一度もしなかった。

 四人共、喉を斬られ、血を噴き出して、息絶えた。

 残るは長左衛門一人、左片手で刀を振り上げ、太郎の右横から掛かって来た。

 太郎は長左衛門の喉も斬り払った。

 長左衛門は刀を振り上げたまま、喉から血を噴き出し、後ろに倒れた。

 太郎は刀の血を拭い、鞘に収めると楓の方を見た。

 楓は茫然と立ち尽くしていた。

 太郎は楓に向かって、首を横に振ってみせた。

「お前に見せる物じゃなかったな」

「仕方なかったのよ‥‥‥」と楓は目を伏せながら言った。「あの人たちは、初めから、あなたを殺そうとしてたのよ」

「見るな」と太郎は楓の顔を胸に抱き寄せた。「仕方なかった‥‥‥奴らがいたら五ケ所浦は二つに分かれてしまう‥‥‥」

「埋めた方がいいわ」と楓は言った。「いくら、悪い人でも、このままでは可哀想だわ」

「うん、そうしよう」

 太郎は楓を風眼坊の小屋の中にやると、穴を掘って五人を埋め、お経を唱えて五人の冥福を祈った。

 そして、二人は山を下りて行った。
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