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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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31.吉崎退去2






 二十一日の夜明け前、空はまだ暗かったが、あちこちで燃えている篝火(カガリビ)によって、吉崎御坊は暗闇の中に浮かび上がっていた。

 御山への入口である総門の両脇に続く高い土塁の前にも篝火が並び、大勢の門徒たちが、寝ずの番をしていた。

 堅く閉ざされていた門が開いて、二人の男が外に出て来た。

 二人が出ると、また、門は閉ざされた。

 二人の男は篝火の光りを背に受けながら、濠に架けられた橋を渡って町人たちの町の中に入って行った。町人たちの住む町も、北潟湖と大聖寺川から水を引き入れた外濠で囲まれていたが、まだ、御山程の厳重な警固はされていなかった。

 総門から出て来た二人は、空き家になっているはずの風眼坊とお雪の家に入って行った。その二人というのは、旅支度をした順如と荷物を担いだ下人だった。順如は縁側から家の中に上がると、真っ暗な部屋の中に声を掛けた。

「準備はできておるか」

「はい。大丈夫です」

 暗闇の中で答えたのは、蓮如の執事の下間頼善(シモツマライゼン)だった。頼善の他にも部屋の中には人影があった。

「よし、行くぞ」と順如は言った。

 部屋からぞろぞろと出て来たのは、蓮如の五人の子供と、蓮如の妻の如勝、頼善の父親の玄永、それと、蓮誓夫婦と慶覚坊だった。

 蓮誓夫婦と慶覚坊は昨日の朝、まだ暗いうちに山田を出て、巳(ミ)の刻(午前十時)前に吉崎に着いていた。三人は蓮如たちと合流しようと思い、蓮誓夫婦を風眼坊の家に置いて、慶覚坊は御山に登った。

 その頃、御山では蓮如と順如と頼善の三人が、どうやって吉崎を去るかを検討していた。いい考えが浮かばないようだった。

 夜中に、ここを出ると簡単な気持ちでいたが、実際に、ここから、こっそり消えるというのは大変な事だった。抜け穴を使えば御山からは出られる。しかし、そこから先は無理だった。総門は勿論の事、船着き場にも大勢の門徒たちが寝ずの番をしている。そんな中を子供を連れて、誰にも気づかれずに外に出られるはずはなかった。

 慶覚坊も一緒に加わって考えた。

「とにかく、総門の外に出る事ですね」と慶覚坊は言った。「総門から出てしまえば、後はどうにでもなります。陸路で行こうが舟で行こうが」

「そうじゃ、総門の外にも船着き場がある。そこから塩屋に向かえばいい」と頼善は言った。

「あそこの船着き場には門徒たちはおらん」と慶覚坊は言った。
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32.再会1






 雲一つない秋空が広がっていた。

 近江の国の野洲(ヤス)川沿いをのんびりと歩いている旅人の一行があった。

 風眼坊舜香、お雪、下間蓮崇、弥兵の四人だった。風眼坊と蓮崇は侍姿のままだったが、お雪は女の姿に戻っていた。

 加賀の国、軽海郷を出てから十三日が過ぎていた。

 一行は軽海から本泉寺に向かい、蓮崇は家族に別れを告げた。そして、湯涌谷に行き、そこで弥兵と別れるつもりでいたが、弥兵は、どうしても付いて行くと言い張った。蓮崇は、自分はすでに本願寺を破門になった身だから、一緒に来ても肩身の狭い思いをするだけだと言って説得した。弥兵は、それなら自分も破門になるから一緒に連れて行ってくれと言い張った。結局、蓮崇の方が負けて、弥兵は付いて来る事となった。

 その後、越中に入り、飛騨(岐阜県北部)、美濃(岐阜県中南部)を抜けて近江に入り、ようやく、飯道山の裾野までやって来た。二、三日は、ここで旅の疲れを取り、播磨に向かうつもりでいた。

 蓮崇は湯涌谷を下りてから、ずっと、沈んだ顔をして俯(ウツム)きながら歩いていた。風眼坊やお雪が冗談を言って笑わせようとしても、蓮崇はただ頷くだけで笑おうとはしなかった。旅の疲れもあるだろうが、この数日間で急に年を取ったかのように妙に老け込んでしまった。時が解決してくれるだろうと思い、風眼坊は蓮崇の事を気に掛けないようにしていた。

 一行は飯道山の裾野を回って飯道山の門前町へと入った。

 ここも昔のような活気はなかった。風眼坊が四天王として活躍していた頃は、毎日、信者たちが行き交って賑やかだったが、年が経つにつれて信者の数が減っているようだった。他の寺院と違って信者が減っても、武術修行者の数は年を追う事に増えているので、飯道山の財政が苦しくなるという事はないが、やはり、淋しいものがあった。

 風眼坊はお雪と蓮崇たちに、この山の事を説明しながら花養院へと向かった。

 蓮崇は風眼坊の説明を聞いているのかいないのか、時折、顔を上げて回りを見るが、暗い顔をしたままだった。

 風眼坊は花養院に行くのに、何となく気まずい思いがあった。お雪を何と言って、松恵尼に説明したらいいのだろうか迷っていた。蓮崇の娘という事にして、何とか、ごまかそうとも思ったが、松恵尼は感が鋭い、騙(ダマ)し通せるとは思えなかった。成り行きに任せるしかないと覚悟を決めて、風眼坊は花養院の門をくぐった。
33.再会2






 風眼坊が起きたのは、今日も昼過ぎだった。

 お雪はいなかった。

 寝過ぎたかな、と思って、早雲の部屋を覗いたら、早雲は鼾をかいて、まだ寝ていた。

「幸せな奴じゃ」と風眼坊は笑った。

 蓮崇の部屋も覗いたが、誰もいなかった。みんな、どこに行ったのだろうと思いながら厠(カワヤ)に向かった。

 井戸端で顔を洗いながら空を見上げると、いい天気だった。

「のどかじゃのう」と風眼坊は独り言を呟(ツブヤ)いた。

 台所にいた仲居に声を掛け、お雪や蓮崇の事を聞くと、お雪は花養院に行ったが、蓮崇の方は分からないと言った。

 仲居の一人が笑いながら風眼坊に声を掛けて来た。

「風眼坊様、女将さんが留守でよかったですね」

 風眼坊と松恵尼の仲を知っている女だった。

「まあ、それは言えるのう。もし、いたら、女将は何と言うかのう」

「さあ、分かりませんけど、女の嫉妬は恐ろしいですからね。風眼坊様が女将さんの見えない所で遊ぶ分には、女将さんも何も言わないでしょうけど、一緒に連れて来て、しかも、女房だなんて言ったら、女将さんだって怒るんじゃないですか」

「そうか、やはり、怒るか‥‥‥戻って来んうちに退散した方がよさそうじゃのう」

「そうですよ。お酒ばかり飲んでないで、そろそろ出掛けないと帰って来ますよ」

「うむ。女将には内緒じゃぞ」

「それは無理ですよ。あたしが内緒にしたって、町中、知ってますよ」

「まさか、大袈裟な事を言うな」

「風眼坊様は自分が誰だか忘れたんですか。この町では風眼坊様は有名人なんですよ。風眼坊様の事はすぐに噂になるのです」

「本当か」

「本当ですとも」

「それじゃあ、わしと女将との仲も町中、知っておると言うのか」

 女は頷いた。「知らないと思ってるのは御本人だけです。町中、そんな事、知ってますよ。そして、今、みんなの注目を集めているのが、女将さんが帰って来て、どういう反応を示すかです」

「何じゃと。それじゃあ、わしらはいい見世物になっておるんじゃないか」

「そういう事です。有名人というのは、そういうものなんです」

「まいったのう‥‥‥見世物なんかになっておられるか。早いうちに、ここから出るぞ」

「その方がいいですよ」

 風眼坊は花養院に向かった。
34.百合と千太郎1






 職人や人足が忙しそうに走り回っていた。

 人足の中には、女の人足もかなり混ざって働いていた。

 活気があった。

 皆、新しい町作りに張り切って仕事に励んでいた。

 播磨の国、大河内(オオコウチ)庄、赤松日向守(ヒュウガノカミ、太郎)の城下は完成しつつあった。すでに、太郎の屋敷と磨羅寺は完成し、小野屋を初め、大通りに面して建つ大手の商人たちの蔵や屋敷も完成していた。置塩のお屋形様、赤松政則より目付として派遣されている上原性祐(ショウユウ)入道と喜多野性守(ショウシュ)入道の屋敷ももうすぐ完成するので、二人は八月に置塩城下から下向して来ていた。

 今、評定所(ヒョウジョウショ)と太郎の重臣たちの屋敷を建設中だった。

 完成したばかりの太郎の屋敷の常御殿(ツネゴテン)の一室で、松恵尼と楓が楽しそうに話していた。

 松恵尼は、今年の三月に生まれた百合という名の女の子を抱いていた。四歳になった百太郎は中庭で楓の侍女の住吉と遊んでいる。

 京の浦上屋敷から連れて来た五人の侍女も皆、この屋敷に移って来ていた。さらに、政則からも五人の侍女を付けられ、楓は十人の侍女に囲まれて暮らしていた。楓にしたら侍女など必要なかったが仕方がなかった。

 楓は三月、置塩城下の政則の屋敷内に特別に建てられた産屋において百合を産んだ。そして、八月に大河内の太郎の屋敷が完成すると、十人の侍女を引き連れて移って来た。

 太郎の新しい屋敷は驚く程、大きな屋敷だった。勿論、置塩城下の政則の屋敷よりは小さかったが、最初に滞在していた別所加賀守の屋敷よりも大きいようだった。こんな大きな屋敷に住む事になるなんて夢のようだった。

 百太郎は喜んで屋敷の中を走り回っていた。

 屋敷の縄張りをしたのは夢庵肖柏(ムアンショウハク)であった。

 南に面した表門を入ると、正面に主殿と呼ばれる接客用の建物がある。主殿には、上段の間付きの大広間としての機能を持つ部屋と、客との対面する会所(カイショ)、執事(シツジ)の部屋、客間などがあり、遠侍(トオザムライ)と呼ばれる侍の溜まり場とつながっていた。

 門の右側には大きな廐(ウマヤ)と侍たちの長屋があり、左側の方には大きな台所があった。その台所の奥に、太郎と楓たちの住む常御殿があった。常御殿の後ろに、この屋敷の特徴とも言える三階建ての見張り櫓(ヤグラ)が建っていた。

 見張り櫓と言っても、常にここに見張りの兵がいるわけではない。この見張り櫓は太郎が月見をしたり、考え事をしたりする時に使う個人的なものだった。

 太郎は高い所が好きだった。屋根の上で昼寝をしたり、回りを眺めたりするのが好きだった。太郎は飯道山にいた頃、よく寺院の三重の塔の屋根によじ登り、一番上に坐り込んで回りの景色を楽しんでいた。ここに自分の屋敷を建てる事となって、どうしても、屋敷内に三重の塔のような高い建物を建てたかった。それは太郎の夢だった。そして、その夢は実現した。太郎はこの屋敷にいる時は、毎日のように月影楼と名づけた見張り櫓に登っていた。
35.百合と千太郎2






 冷たい風が吹いていた。

 もうすぐ、長い冬がやって来る。二度目の冬だった。

 太郎の屋敷は完成していても、重臣たちの屋敷は上原性祐(ショウユウ)と喜多野性守(ショウシュ)の屋敷以外は、まだ完成していなかった。中級武士や下級武士たちの家に関しては建設予定地が決まっているだけで、まだ何も建っていない。彼らは掘立て小屋のまま、もう一冬を越さなければならなかった。太郎は家臣となってくれた彼らに、辛いが頑張ってくれ、という一言しか言えなかった。

 風の音を聞きながら薄暗い月影楼の一階の屋根裏部屋で、太郎は座り込んでいた。

 頭の中で、太郎は剣を構え、師匠、風眼坊舜香と対峙していた。

 陰流の新しい技を考えていた。

 陰流の中の『天狗勝(テングショウ)』は八つの技でできている。その八つの技は、すべて師匠から教わった技だった。太郎はその他に、自分で編み出した技を八つ加えて陰流を完成させようとしていた。ここに移ってから二つの技を考えた。あと六つの技を編み出さなければならなかった。

 太郎はこの城下に武術道場を作るに当たって飯道山の道場を手本とした。

 飯道山では武術を教える前に、体を作るため、一ケ月の山歩きを行なっていた。それは多すぎる修行者たちを振り分ける手段として行なっているものだが、足腰を鍛えるのには都合のいい修行方法だった。太郎はそれをまず取り入れようと思った。

 この城下の道場も無制限に修行者を取るというわけにはいかない。定員を五十人とし、主に若い者を中心に教えようと思った。今はまだ、五十人もいないが、二年、三年後には溢れる程の修行者が集まるだろう。この城下だけでなく、置塩城下からも若い者たちが集まって来るだろうと思っていた。

 太郎は生野の事が一段落すると、三人の弟子を連れて山に入った。城下を見下ろす城から更に奥の方へと入って行った。

 大河内城から北へ尾根沿いに半里程進むと見晴らしのいい山頂に出た。更に尾根は北へ続いていた。太郎は三人の弟子と一緒に道を作りながら進んで行った。

 三日間かけて、道場から片道、およそ二里程の山道ができあがった。飯道山の片道六里半に比べれば、まだまだ足りないが徐々に増やして行こうと思った。

 次の日、三人の弟子に率いられて二十人余りの修行者が山の中に入って行った。まだ、道も完全でなく、途中、危険な所も幾つかあるので、初日は朝早く出掛けて行ったが、戻って来たのは昼をかなり回ってからだった。修行者たちは七日間、山の中を歩かされ、自然に道はでき上がった。
36.再会その二






 夕べ降った雪が、五寸程、積もっていた。

 人の足跡など、まったくない奥駈け道を、朝日を浴びながら山伏姿の早雲が歩いていた。

 今日で七十二日目だった。

 蓮崇は、まだ歩き続けていた。

 髭は伸び、髪は伸び、腰の回りの余計な肉はすっかりなくなり、昔の蓮崇の面影はまったくなかった。目がギラギラと輝き、野生の獣を思わせるような張り詰めた雰囲気が回りに漂っていた。

 一番先を歩く早雲も変わって来ていた。

 初めの頃、一休禅師の幻と戦いながら俯き加減で歩いていた早雲も、今は晴れ晴れとした顔付きで、回りの景色を眺めながら余裕を持って歩いていた。

 本物の禅とは何か、という問題に囚われていた早雲だったが、その答えが出ていた。

 百日行も一歩一歩の積み重ね。

 毎日の暮らしも一瞬一瞬の積み重ね。

 一瞬一瞬をおろそかにしないで生きていければ、それでいいのではないか‥‥‥

 形はどうでもいい。坊主であってもいいし、坊主でなくてもいい。禅であってもいいし、念仏であってもいい。

 自然のように無理なく、あるがままでいればいい。

 女に関しても無理に抑える事なく、自然に任せて、抱きたくなったら抱けばいい。ただ、その女に心を囚われる事があってはならない。女だけでなく、地位とか、銭とか、物とか、どんな物や事にも心を囚われてはならない。

 一瞬一瞬、何事にも囚われないで、常に自由自在の境地でいられればいい。

 早雲は一瞬、一瞬、一歩、一歩を楽しみながら自然の中を歩いていた。

 阿星山から金勝山に向かう途中だった。

 早雲は妙な物を目にして立ち止まった。

 岩の上に天狗が座っていた。

 幻でも見ているのだろうか、と早雲は目をこすった。

 天狗の姿は消えた。消えたと思ったら、今度は違う岩の上に現れた。

 どちらの岩も簡単に登れるような岩ではないし、一瞬のうちに移動など、できるはずがなかった。朝っぱらから狐か狸に化かされているのだろうか、と早雲はまた目をこすった。

 天狗はまた消え、また別の岩に移動した。

 一体、どうした事だ。

 すっかり迷いが晴れて、いい気持ちでいたのに、今頃になって幻を見るとは‥‥‥

青木近江守伊助 伊助、太郎の家老 1441-
赤松日向守久忠 愛洲太郎左衛門 太郎坊移香  1452-1538
赤松楓 太郎の妻 赤松政則の姉 1454-
朝倉弾正左衛門尉孝景 越前の国守護職 1428-1481
浅野右京亮 本願寺門徒 倉月庄八人衆 1440-
阿曽孫八郎盛俊 幸千代の家臣
荒木兵庫佐信 伊勢浪人 1445-
安藤九郎 本願寺門徒 勝光寺門徒 1446-

飯篠長威斎 神道流の流祖 1387-1488
飯篠山城守 長威斎の次男 鹿島神宮道場総師範 1429-1488
石黒左近光義 福光城主
石黒孫左衛門正末 本願寺門徒 賢正坊 湯涌谷衆を率いる 1432-
市川の権左衛門 大河内城下河原者頭 1439-
一休宗純 禅僧 1394-1481
伊藤宗右衛門 本願寺門徒 伊藤道場 1442-
伊藤大和守次吉 次郎吉、太郎の家老 1439-
猪股吉兵衛 本願寺門徒 金平道場 金掘衆の頭 1430-
今川義忠 駿河の国守護 1436-1476.2
岩瀬讃岐守勝盛 金比羅坊、太郎の家老 1440-
岩田勘兵衛 大原近江守の弟子 1442-

内山六郎左衛門 本願寺門徒 蛭川の配下 1440-
宇津呂備前守 本願寺門徒 大杉谷川流域門徒を率いる 1439-

永福寺蓮真 本願寺坊主 蓮如の甥 1442-

大桑讃岐守 甘露寺資任の庄官 1423-1475
大沢播磨守康健 阿修羅坊、太郎の家老 1430-
太田典膳宗春 太郎の普請奉行 1434-
大場越中守 本願寺門徒 倉月衆八人衆 1442-1475
大橋勘解由左衛門高能 朝倉家武術指南役 1435-1493
大原源五郎 近江守 鹿島神宮道場師範 1433-
小川弾正忠平次 弥平次、太郎の家老 1427-
越智伯耆守 本願寺門徒 倶利伽羅道場 1445-
小野屋善兵衛 伊賀上野小野屋主人 1424-
小野屋伝兵衛 堺小野屋主人 1435-
小野屋藤兵衛 大河内庄小野屋主人 1440-
小野屋長兵衛 元奈良小野屋主人、隠居 1419-

甲斐八郎 元越前国守護代
狩野伊賀入道 幸千代の家臣   -1474
笠間兵衛 本願寺門徒 道善坊 手取川流域革屋衆頭 1438-
風間光一郎 太郎の弟子 風眼坊の息子 風光坊 1456-
鹿島九郎左衛門 本願寺門徒 笠間の配下 1441-1475
鏑木右衛門尉 政親の姉婿 兵衛尉の長男 1451-
鏑木兵衛尉 本願寺門徒 徳善 松任城主 1423-
河合藤左衛門 山之内衆を率いる 1431-1495
河合備前守範勝 今川義忠の弟 1439-
川上伊勢守藤吉 藤吉、太郎の廐奉行 1443-

北川殿 美和 義忠の妻 早雲の妹 1452-1529
鬼山左京大夫 鬼山一族の長老 1397-1478
鬼山小五郎久祐 銀山奉行 1421-1483
鬼山銀太郎 大河内城下町奉行 1443-
鬼山小太郎 生野城下町奉行 1444-1483
鬼山小次郎 金勝座の座員 1446-
鬼山きさ 太郎の妾、千太郎の母 1449-
鬼山きく 山崎五郎の妻 1450-
慶覚坊明覚 本願寺坊主 火乱坊 洲崎藤右衛門 和泉入道 1433-
慶聞坊竜玄 本願寺坊主 蓮如の弟子 多屋衆 1445-1520

久保三郎左衛門 山之内八人衆 1429-
窪田大炊允 本願寺門徒 安吉の配下 1434-
熊坂願生坊 本願寺門徒 荻生願成寺門徒を率いる 1429-
黒崎源五郎 本願寺門徒 橋立道場 浜方衆の頭 1434-
黒瀬藤兵衛 本願寺門徒 河崎専称寺門徒を率いる 1438-

高坂四郎左衛門道乗 本願寺門徒 砂子坂道場 1444-1507
光徳寺乗誓 本願寺坊主 光徳寺住職
高林坊道継 飯道山の武術総師範 1432-
五条安次郎忠長 今川家家臣 宗長 1448-1532
小杉新八郎基久 幸千代の家臣
小杉但馬守 幸千代の北加賀守護代 1428-1474
金勝雅楽頭 助五郎、金勝座の座頭 1430-

斎藤妙椿 美濃国守護代 1411-1480.5

篠原太郎兵衛 本願寺門徒 塩浜道場 塩浜衆の頭 1427-
柴山八郎左衛門 本願寺門徒 柴山潟衆の頭 1441-
下間玄永 本願寺坊主 蓮如の執事 1413-1497
下間乗円 本願寺坊主 蓮崇の長男 1463-
下間すぎ 本願寺門徒 蓮崇の次女 1465-
下間頼善 本願寺坊主 蓮如の執事 1435-
下間蓮崇 本願寺坊主 蓮如の執事 1435-1499
種玉庵宗祇 連歌師 1421-1502
順如光助 蓮如の長男 大津顕証寺住職 1442-1483
松恵尼 小野屋主人 花養院院主 1434-
庄四郎五郎 本願寺門徒 勝光寺門徒 1431-
定地坊巧遵 本願寺坊主 元超勝寺住職 1438-
浄徳寺慶恵 本願寺坊主 超勝寺巧遵の兄 1430-
勝如 本願寺尼僧 蓮如の叔母 二股本泉寺 1428-
新八 奈良小野屋手代 1448-

菅原主殿助頼国 太郎の作事奉行 1436-
杉谷孫三郎 本願寺門徒 九谷道場門徒 1455-
助六 金勝座の曲舞女 1453-
洲崎あみ 慶覚坊の長女 1460-
洲崎いさ 慶覚坊の三女、後、上泉秀綱の祖母。 1467-
洲崎ちか 慶覚坊の次女 1463-
洲崎十郎左衛門 慶覚坊の長男 1458-
洲崎つた 慶覚坊の妻 法住の末娘 1440-

雪舟等楊 画僧 1420-1506
摂津摂津守政親 幕府奉公衆 1448-
摂津中務大輔 幕府奉公衆 1423-1480
泉阿弥 時宗潮津道場 1435-
専光寺慶念 本願寺坊主 専光寺住職 1442-
千田次郎左衛門 本願寺門徒 倉月庄八人衆 1444-
善福寺順慶 本願寺坊主 善福寺住職 超勝寺巧遵の弟 1443-

早雲 伊勢新九郎 1432-1519
曾我式部蛇足 画僧 1416-
曾我兵部墨溪 画家 蛇足の父 1392-1478

太一 金勝座の曲舞女 1455-
高桑六郎左衛門 本願寺門徒 倉月庄八人衆 1439-
高橋新左衛門 本願寺門徒 木目谷道場 1426-
高橋五郎左衛門 本願寺門徒 新左衛門の父親 1399-1426
高橋藤五郎 本願寺門徒 新左衛門の長男 1450-1481
高橋藤九郎 本願寺門徒 新左衛門の次男 1456-
田上五郎兵衛 本願寺門徒 高橋新左衛門の配下 1439-
竹部 本願寺門徒 瑞泉寺の執事
辰巳右衛門佐 本願寺門徒 高橋新左衛門の一族 1429-

忠助 伊賀上野小野屋手代 1447-
ちい 金比羅坊の娘 1461-
智春尼 雪の叔母 1439-
仲恵尼 花養院の尼僧 1424-
超勝寺蓮超 本願寺坊主 越前超勝寺住職 1474-
澄栄 白山長吏

塚原土佐守 鹿島氏家老 鹿島神宮道場師範 1431-1507
槻橋近江守 北加賀守護代 1438-1488
槻橋豊前守 近江守の父親 1417-1482
槻橋豊後守 近江守の弟 鞍ケ嶽城主 1442-1488
坪坂平九郎 船岡城主 1436-

富樫幸千代 政親の弟 1459-
富樫政親 加賀国守護職 1455-1488
富樫泰高 政親兄弟の大叔父 1422-1505
富田九郎右衛門長家 朝倉家家臣 中条流を継ぐ 1455-1512
富沢孫三郎 孫雲、早雲の弟子 1450-

中川三郎右衛門 本願寺門徒 山上道場 1433-
中原摂津守範慶 今川義忠の弟 1443-
中原兵庫助 本願寺門徒 倉月庄八人衆 1441-
西郡四郎 摂津氏の庄官 1443-
如勝 蓮如の妻 1448-1478
如祐 蓮誓の妻 勝如の姪 1445-

額熊夜叉 幸千代の守護代 1434-

長谷川次郎左衛門法栄 今川家家臣。 1430-1516
春雨 女芸人 1449-
坂東四郎左衛門 本願寺門徒 九谷道場主 1430-

疋田豊次郎 富樫政親の家臣、後、本願寺門徒 1444-
蛭川新七郎 本願寺門徒 板津衆を率いる 板津道場主 1435-

風眼坊舜香 大峯山伏 太郎の師匠 医者 1432-
富嶽 大道寺太郎重時 画家 1435-
藤島定善坊 本願寺坊主 吉崎多屋衆 越前超勝寺巧遵の弟 1438-1474
藤若 金勝座の曲舞女 1457-
二曲右京進 本願寺門徒 山之内八人衆 1454-1526
平蔵 堺小野屋手代 1446-
広瀬伊賀守 山之内八人衆 1437-
伏見屋銭泡 村田珠光の弟子 1428-

別所造酒祐範満 太郎の祐筆 1446-
法敬坊順誓 本願寺坊主 多屋衆 1404-1506

法実坊 本願寺坊主 法敬坊の息子 島田道場主 1431-
法住 本願寺坊主 堅田本福寺住職 慶覚坊の義父 1398-1479
法専坊空善 本願寺坊主 多屋衆 1448-
堀次郎則秀 太郎の材木奉行 1451-
本覚寺蓮光 本願寺坊主 本覚寺住職 1433-
本誓寺憲誓 本願寺坊主 本誓寺住職   -1490

前波播磨守景勝 朝倉孝景の家臣 1433-
松井山城守吉次 吉次、太郎の勘定奉行 1446-
松田次郎左衛門 松田道場 後、慶覚坊に殺される 1448-1494
松村六郎左衛門 熊夜叉の家臣 1339-1474
磨羅宗湛 磨羅寺の住職、寺社奉行 1425-

三池惣右衛門 山之内八人衆 1434-
宮田八郎 太郎の弟子 八郎坊 1455-
妙阿 蓮崇の妻 1443-

夢庵肖柏 連歌師 茶人 1443-1527
村田珠光 茶人 1423-1502

本折越前守 富樫政親の重臣 1431-1488
諸江丹後守 本願寺門徒 倉月庄八人衆 1441-

安吉源左衛門 本願寺門徒 周光坊 手取川流域河原者の頭 1430-
安吉駒 源左衛門の妻 山川三河守の妹 1437-
弥兵 本願寺門徒 蓮崇の下男 1429-
山川近江守 三河守の父親 1408-1469
山川三河守 南加賀守護代 1430-
山崎五郎 太郎の弟子 探真坊 1455-
山中才四郎 才雲 早雲の弟子 1451-
山本若狭守 本願寺門徒 倉月庄十人衆の頭 1439-1506

政親の側室 笛の名手 医師としての風眼坊の弟子 1456-
湯涌次郎左衛門 本願寺門徒 行法坊 湯涌谷衆 1435-

吉岡孫兵衛 山之内八人衆 1433-
吉谷三九郎 山之内八人衆 1435-
義助 小野屋奈美の使用人 1412-

倫勧坊澄胤 古市播磨 興福寺衆徒 1452-1508

蓮綱兼祐 蓮如の三男 松岡寺住職 1450-1531
蓮乗兼鎮 蓮如の次男 本泉寺、瑞泉寺住職 1446-1504
蓮誓康兼 蓮如の四男 光教寺住職 1455-1521
蓮如兼寿 本願寺法主 1415-1499

若松掃部助 烏丸親長の庄官 1429-
和気六郎左衛門 中川の配下 1438-1475
和田五郎長光坊 本願寺坊主 多屋衆 本覚寺蓮光の弟 1433-
第四部 早雲登場



1.駿府1






 年が明けた。

 文明八年(一四七六年)元旦の初日が昇り始めていた。

 駿河(スルガ)の国(静岡県中東部)、石脇の早雲庵(ソウウンアン)では賑やかに新年を迎えていた。

 毎年、年末になると、どこからか集まって来る、いつもの顔触れが揃っていた。ただ、今年はここの主(アルジ)である早雲の顔がなかった。

 早雲は去年の七月、一人娘を嫁に出すため京に向かったまま、まだ帰って来なかった。その時、絵画きの富嶽(フガク)も一緒に京まで行ったが、富嶽の方は九月には戻って来ている。

 富嶽にも家族があった。山城(ヤマシロ)の国(京都府南東部)宇治の山の中に家族は住んでいた。妻と二人の子供がいたが、戦(イクサ)に行くと言って出たきり、十年近く帰っていなかった。

 もう戦死したと思っている事だろう。もう二度と帰るまい‥‥‥

 そう思っていた。しかし、早雲が娘を嫁にやるために京に行くと聞いて、富嶽も家族に会いたくなってきた。今更、顔を出せるとは思っていないが、気になるなら一目、遠くからでも見て来た方がいいと早雲が勧めるので、決心をして一緒に行く事となった。

 家族は慎ましく暮らしていた。そして、富嶽の帰りをずっと待っていてくれた。

 富嶽は知らなかったが、富嶽が京で戦をしていた頃、次男が生まれていた。その子もすでに九歳になり、まだ見た事もない父親を待っていた。富嶽は妻にすまないと謝り、今、駿河にいる事を告げ、もう二、三年待ってくれ。そうしたら、お前たちを呼びに来ると言って別れて来た。富嶽は後二、三年で、何とか絵をものにして、家族を呼ぼうと決心した。

 早雲庵に戻って来るなり、今まで以上に富嶽は絵に没頭した。富嶽の絵は家族と再会してから少しづつ変わって行った。今までぼやけていた何かが、少しづつ分かりかけて来たような気がしていた。まだ、確かな手応えはないが、自分らしい絵が描けるようになって行った。そして、去年は暮れた。

 年末年始と主のいない早雲庵だったが、そんな事に関係なく、早雲庵を我家のごとく思っている連中たちが酒を飲み、騒ぎながら新しい年を迎えていた。

「とうとう、年が明けちゃったわね」と春雨(ハルサメ)が淋しそうな顔をして呟(ツブヤ)いた。

「帰って来なかったのう」と富嶽がお椀の中の酒を眺めながら言った。

「もう、帰って来ないかも知れんな」と荒木兵庫助が春雨をチラッと見た。

「いいえ、絶対、帰って来るわよ」春雨は強い口調で言った。

「姉さんの気持ちは分かるが、わしも戻って来ないような気がするわ」多米権兵衛(タメゴンベエ)が口をモグモグさせながら言った。

「どうしてです?」と早雲の弟子の一人、孫雲(ソンウン)が聞いた。

「早雲殿はな、今でこそ頭を丸めて、早雲などと称しておるが、実は幕府のお偉いさんなんじゃ。娘さんの祝言に出て、懐かしい顔と出会い、また、幕府に仕える事になったのかも知れんわ」と荒木兵庫助が説明した。
2.駿府2






 一雨、来そうな空模様だった。

 早雲と小太郎は、荒川坊、才雲、孫雲、寅之助の四人を引き連れて村々を回っていた。半年間、留守にしていたので、村々の様子を調べるためだった。早雲がこの地で暮らして行けるのは、村人たちのお陰であった。村人たちが困っていれば何でも相談に乗って、なるべく解決してやりたかった。

 村人たちから早雲は偉い僧侶だと思われていた。自分で素性を言った事などないのに、駿府のお屋形に出入りし、この辺り一帯の領主でもある小河(コガワ)の長者、長谷川次郎左衛門尉の屋敷にも出入りしている。村人から見たら偉い人だと思うのは当然の事だった。その偉いお人が立派な寺院に入らないで、丘の上に庵を建てて住み、少しも偉ぶった所もなく、誰とでも気軽に話をしてくれる。そして、村人のために道や橋、潅漑用水を直したり、人手が足らない時は田畑の仕事まで手伝ってくれる。かといって、早雲の方から村人たちに何かを求めるという事はなく、難しい説教をする事もない。また、村と村が水争いをした時なども公平に裁いてくれるので、誰からも頼りにされ、慕われていた。

 今回、村々を回ってみたが、これといって困っている様子はなかった。早雲たちは村々を巡った後、小河湊を見て回り、早雲庵に帰って来た。早雲たちが帰って来たのと同時位に雨がポツポツと降り出して来た。

 三軒になった早雲庵は、一番最初の庵を早雲と小太郎が使い、春雨のために建てた春雨庵に春雨とお雪が寝泊りしていた。そして、新しく建てた庵は富嶽庵と名づけ、今は富嶽がいないが、多米と荒木、荒川坊と早雲の弟子二人が使用していた。寅之助はその日によって好きな所で寝ていた。

 最初の早雲庵は、早雲一人が暮らせればいいと思って建てたので、半分が土間で台所があり、半分が板の間で板の間は二つに分かれ、一つに囲炉裏が付いていた。春雨庵は春雨一人が住むために建てたので、ちょっとした土間と板の間が一つあるだけの小さなものだった。早雲がいない留守に建てられた富嶽庵は、大きさは早雲庵と同じで、板の間が三つあり、その分、土間が狭かった。春雨庵には竃(カマド)は付いていないが、早雲庵と富嶽庵には竈が付いていた。早雲庵の北側に井戸があり、風呂と厠(カワヤ)があった。

 早雲たちが早雲庵に帰って来た時、春雨とお雪が飯の支度をしていた。珍しく、客はいなかった。さっきまで近所の与次兵衛爺さんがいたが、雨が降りそうだと帰って行ったと言う。

 囲炉裏の間に上がると早雲は春雨に声を掛けた。

「多米と荒木はいないようじゃが、とうとう関東に旅だったのか」

「口だけですよ」と春雨は言った。「旅になんか行くもんですか、また、博奕(バクチ)を打ちに行ったんですよ」
3.今川義忠1



 庭園にある梅の花が満開に咲いていた。

 二月一日、早雲は春雨を連れて北川殿に来ていた。一の付く日は、北川殿の娘、美鈴の踊りの稽古日だった。昼過ぎの一時(イットキ、二時間)余りの稽古の後、早雲は北川殿のためにお茶を点(タ)てた。

「結構なお点前ですこと」と北川殿は早雲の点てたお茶を一口飲むと言った。「兄上様にお茶を点ててもらったのは久し振りですわね。以前より、何となく、お茶を点てるのに余裕が感じられますわ」

 早雲は軽く笑って、「それは銭泡(ゼンポウ)殿が一緒ではないからでしょう」と言った。「あの人に見られておると思うと、やはり、緊張いたします」

「銭泡殿は名人ですわね」

「はい。珠光(ジュコウ)殿の直弟子(ジキデシ)だけの事はあります。さすがです。一つ一つの動作が流れるようで、まるで、猿楽能(サルガクノウ)の名人の演技を見ておるようです」

「踊りとお茶は通じる所があるのでしょうか」

「はい、あります。踊りとお茶だけじゃなく、茶の湯はあらゆる芸に通じます」

「あらゆる芸にですか」

 早雲は頷いた。「前回の旅で、珠光殿のお弟子さんで連歌師の夢庵(ムアン)殿というお方に出会いました。そのお方はお茶も連歌も武芸も一流と言ってもいいでしょう。なかなかのお人でした」

「夢庵殿ですか‥‥‥」

「はい。変わった男ですが、なかなか面白い男でした。今、宗祇(ソウギ)殿のお弟子になるために、近江の甲賀(コウカ)におります」

「お弟子になるために?」

「はい。宗祇殿は今、古今(コキン)和歌集に没頭しております。まだ、修行中だからと言って、弟子を取ろうとしないのです。夢庵殿は何とか一番弟子になろうと宗祇殿の側に仕えております」

「一番弟子ですか」

「はい。不思議な事ですが、宗祇殿にはまだ、お弟子さんがおらないそうです」

「え、そうなんですか。宗祇殿はもうかなりのお年だと伺っておりますが」

「はい。五十五、六になっておるでしょう。それでもまだ、修行を続けておるのです。大したお人です」

「宗祇殿にまだ、お弟子さんがいらっしゃらなかったなんて、とても信じられませんわ」

「はい。あれだけ有名でしたら、普通、お弟子さんの数十人おっても不思議ではありません。わたしも実際に会ってみて驚きました。たった一人で書物に没頭しておりました」

「そうですか‥‥‥宗祇殿というお方は、そんなお人だったのですか。五条殿が昔、お弟子になりたいと言って断られたのも無理ない事だったのですわね」
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