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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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8.京の都






 なれや知る都は野辺の夕雲雀(ヒバリ)あがるを見ても落つる涙は‥‥‥

 『応仁記』の中で細川家の家臣、飯尾常房が京の都を詠んでいる。

 京の都、それは焼け野原に変わってしまっていた。

 合戦の勝敗はつかないまま膠着状態に入っている。東軍も西軍も互いに陣地の防御を固めて睨み合っていた。

 一年以上も続く合戦で、両軍とも数多くの死傷者を出したわりには、戦果ははかばかしくなかった。

 そして、今、この合戦の主役は武士から足軽たちに移っている。彼らは一応、東軍、西軍と分かれているが、やっている事は、ただ、京の町を破壊するだけの事だった。彼らにとって、東軍が勝とうが西軍が勝とうが、そんな事はどうでもよかった。ただ、公然と白昼堂々と放火、略奪、強盗ができる事で喜んで走り回っていた。

 合戦そのものは停滞し、京は焼け野原になり荒れ果てていった。

 途中、山の中で何度か足軽たちに襲われたが、何とか切り抜け、新九郎、太郎、曇天の三人はようやく都に到着した。

 すでに暗くなっていた。

 戦火に焼かれた南禅寺の近くにあった空き家で夜を明かすと、新九郎は早々と、どこに行くとも言わずに出掛けて行った。

「縁があったら、また会おう。まあ、無駄死にだけはするなよ」と新九郎は二人に言うと、笑って手を振った。

 残された二人は顔を見合わせた。

「俺たち、どうするんだ」と曇天が心細げに言った。

「どうするって、決まってるだろう。京を見に来たんだから、早く、見に行こうぜ」

 強気に言っても、心細く思っているのは太郎も同じだった。

 京に入るまでは一緒に行動する、というのは最初からの約束だった。それでも、京に入った途端に放り出されるなんて、二人とも思ってもみなかった。新九郎は京に詳しそうだし、少し位は京の町を案内してくれるだろうと、二人とも勝手に思って安心していた。ところが、新九郎は京の事を何も教えずに、さっさとどこかに消えてしまった。

 今、京にいるのは確かだが、右も左もわからない。今、自分たちがどの辺にいるのかさえ、さっぱりわからなかった。

「大丈夫かよ」と曇天が心配そうに言った。

「お前、京にいた事あるんだろう」と太郎は曇天に聞いた。

「あるさ。しかし、俺が知ってる京はこんなひでえ所じゃなかったし、ここがどこなのか全然、わからん」

「とにかく、出よう。いつまでも、ここにいるわけにはいかないだろう。外に出れば何か思い出すさ」

 二人は恐る恐る、焼け野原に出た。

「これが、京か‥‥‥」

 二人の目の前に広がる京の風景は、あまりにも悲惨過ぎた。

 夕べは暗くてわからなかったが、焼け落ちた南禅寺の回りには乞食や浮浪者たちが群がっていた。ただの乞食なら、どこの寺にも必ずいるが、ここにいるのは皆、死んでいるのか生きているのかわからない連中ばかりだった。どす黒い顔は目がくぼみ、ほお骨が飛び出し、骨と皮だけの体は腹だけがふくれていた。前に見た事のある地獄絵の中の餓鬼(ガキ)にそっくりだった。また、この風景は地獄絵そのものだった。

 二人を見ると乞食たちはもぞもぞと動き出し、言葉にならない声を発し、二人の方に手を差しのべて来た。

 太郎と曇天は気味悪くなって、慌てて逃げ出した。

 この辺りは南禅寺の門前町として栄えていたのだろうが、今はその影もない。参道の両脇の建物はほとんどが焼け落ちていて、焼け残っている建物も無残に破壊されていた。

 二人はまだ、焼け残っている町を目指して南禅寺と反対の方へ歩いて行った。

 辺りは、やけに静かだった。

 人影も見当たらない。

 乞食や浮浪者以外、町の人はみんな逃げてしまったのだろうか。本当に、この京のどこかで戦をやっているのだろうか、と太郎は不思議に思った。

 まっすぐ歩いて行くと川に出た。

 烏(カラス)が不気味な声で鳴きながら飛び回っていた。

「賀茂川だ」と曇天は辺りを見回した。「わかったぞ。どの辺りにいるのか」

「どっちに行けばいいんだ」と太郎は聞いた。

「あっちだ」と曇天は川向こうの左の方を指さした。「この川を下って行けば四条大橋に出るはずだ。そしたら、橋を渡って向こうに行けば、賑やかな町に出る」

「ほんとか」

「ああ、間違えねえ。任せておけ」

 太郎は曇天の指さす方を見ていた。確かに、町があるような気がした。

「行くぞ」と曇天は力強く歩き出した。

 二人は賀茂川に沿って、南に向かった。

 異様な臭いがした。

 賀茂川は広く、草が伸び放題に伸びて川の流れが見えなかった。

「何か変な臭いがしねえか」と曇天が鼻をこすった。

「ああ、どこかで犬でも死んでるんじゃないのか」と太郎は川の中を覗いて見たが、犬の死体らしい物は見えなかった。

「そうだな」と曇天は言って川向こうを眺めた。

「お前がかっぱらいをしてたのは、どの辺りなんだ」と太郎は聞いた。

「橋を渡って、しばらく行くと夷(エビス)さんがあってな、俺は夷さんを寝ぐらにして、その界隈で暴れてたんだ」

「へえ、夷さんていうのは神社か」

「ああ、そうだ。懐かしいなあ。まだ、あればいいけどな‥‥‥四条大橋の下の河原には、色んな芸人たちがいるんだ。賑やかだったなあ。みんな、無事でいるかな、懐かしいなあ」

 曇天は一人でニヤニヤしながら思い出に浸っていた。

 さっきから感じている異様な匂いはますます強くなっていった。

 それは犬の死体などではなく、人間の死体だった。腐った人間の死体が河原の中に、ごろごろしていた。そして、その死体に食らい付いているのが犬と烏だった。

「おい」と太郎は曇天に声を掛けた。

 思い出に浸っているどころではなかった。曇天の目の前に信じられない現実があった。

 二人とも人間の無残な死体を目の前にして言葉も出なかった。

 歩いて行くにしたがって、死体の数は増えて行った。

 河原全体が死体捨て場になっていた。それは、まともに見られる風景ではなかった。

「これが京か‥‥‥ひどすぎる」四条の橋を渡りながら曇天は叫んでいた。

 太郎も叫びたい気持ちだった。早く、こんなひどい所から逃げ出したかった。河原には芸人の姿などまったくなく、腐った死体の山があるばかりだった。

 橋を渡ると町並があった。まだ、焼け残っていた。

 その町は、かつては店が並んでいて賑やかだったのだろうが、今は皆、戸を降ろして静まり返っていた。腹をすかした野良犬が一匹、ウロウロしているだけだった。

「誰もいねえんじゃねえか」と曇天は回りを見回しながら言った。

「うん」と太郎は頷いた。「みんな、逃げたんだろうな」

「なあ、腹減らねえか」

「減ったよ」

 今日はまだ、朝飯を食べていなかった。新九郎が急にいなくなったのと、京に着いたという興奮で朝飯を食べるのを忘れてしまった。

「京に行ったら、うまい物が食えると思ってたけど、この調子じゃ無理だな」と曇天はすきっ腹を押さえながら言った。

「ああ、店なんて、全部しまっている」太郎の腹もグーグー鳴っていた。

「さっきの河原じゃ、飯、食えねえしな」

「当たり前だ」

「どこか、空き家を探して、飯を食おうぜ。いや、ここまで来たのなら、夷さんに行こう。あそこで飯を食おうぜ」

「近いのか」

「ああ、すぐさ」

 二人が『大和屋』という看板のある大きな建物の前まで来た時、痩せ犬が急に吠え、遠くの方から何かが近づいて来る音が聞こえた。かなり大勢の人間がこちらに近づいて来る。

「戦か」と曇天は音のする方を見た。

「足軽だ」と太郎は刀の柄(ツカ)を握った。

「どうする。やばいぜ」

「とにかく、隠れよう」

 二人が物陰に隠れると、まもなく、五十人近い足軽たちが手に武器を持ち、松明(タイマツ)をかかげて喚声をあげ、大和屋を目指してやって来た。

 彼らは素早かった。 

 手に持った松明を大和屋に投げ付けると、戸を蹴破り、雪崩のように店に押し込んだ。店の中から、女、子供の泣き叫ぶ悲鳴や、物の壊れる音が聞こえて来る。店を守るために、武装した侍が何人かいたらしいが、足軽の数には勝てず、皆、やられたらしい。

 大事な物を抱え、やっとの思いで外に飛び出して来た店の者は、待ち構えていた足軽にあっさりと殺された。店の者が抱えていた物は銀色の小判だった。足軽たちは争って落ちている銀貨を拾い集めた。

 大和屋は見る見るうちに燃えていった。

 足軽たちはそれぞれ、金目の物や女を抱えて、燃えている大和屋から飛び出して来た。

 手に何も持っていない者は近くの家に押し入り、邪魔する者は殺し、めぼしい物を盗んで行った。

「行くぞ!」と銀貨の詰まった箱を抱えた首領らしい男が太刀を振り上げて叫んだ。

 足軽たちは、「オー!」と叫ぶと帰って行った。

 太郎と曇天は物陰に隠れ、刀の柄を握ったまま、震えながら目の前で起こっている光景を見ていた。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 足軽たちの行く手をふさぐ者があった。騎馬武者に率いられた正規の武士たちだった。

 彼らは、たちまちのうちに五十人もの足軽を斬り捨てた。そして、足軽らの戦利品はすべて、武士たちの手に移った。

 武士たちが引き上げると、再び、辺りは静まり返った。

 大和屋はほとんど焼け落ち、煙りがくすぶっている。

 道には、たった今、暴れ回っていた足軽たちの死体が、初めからあったかのように転がっていた。

 突然、どこかの家から、赤ん坊の泣き叫ぶ声が聞こえて来た。

 曇天はやっとの思いで刀の柄から手を離すと大きく息を吐いて、また吸い込んだ。

「お、お、恐ろしい所じゃ」と言うと腰を落とした。

 太郎も刀から手を離そうと思ったが、緊張して力を入れていたので指が動かなかった。左手で右手の指を一本一本開き、やっと刀から手をはずすと、曇天の顔をちらっと見て地面に腰を下ろした。

 太郎も曇天も汗びっしょりだった。

「こんな所にいたら、いつ殺されるかわからねえ」と曇天は顔の汗を拭いながら言った。

 太郎はゆっくりと頷いた。





 空がやけに赤かった。

 山の中を太郎は独り、歩いていた。

 京には十二日間滞在した。滞在したというより逃げ回っていたという方が正しい。

 目の前で人が殺されて行くのを何回も見た。無抵抗な子供や年寄りが殺されて行くのも何度も見て来た。若い娘が大勢の足軽に乱暴されたうえ、殺されて行くのも何度も見た。また、自分が殺されそうになった事も何度かあった。

 人が死んでいく時の断末魔の絶叫は、もう、耳にこびりついて離れなかった。目の前で人が殺されようとしていても、どうする事もできなかった。ただ、震えながら、物陰に隠れているだけだった。

 毎日、ビクビクしながら逃げ回っていた。

 太郎は早く故郷、五ケ所浦に帰りたかった。こんな地獄から逃げ出して、平和な五ケ所浦に帰りたかった。しかし、それは口には出せなかった。曇天に弱い所を見せたくなかったし、曇天の方はまったく帰る気がなかった。今さら、五ケ所浦に帰っても俺のやる事は何もない。あんな田舎で一生、坊主なんかやっていたくない。俺はもっとでかい事をするんだ。曇天は常にそう言っていた。しかし、曇天にも、これから何をやったらいいのかは見つからないようだった。

 十二日目になって、曇天は、「和泉の堺に行ってみようと思う」と口にした。いつか、快晴和尚から堺の町の賑やかさを聞いていた。もしかしたら、快晴和尚も堺にいるかもしれないし、堺の町には何かがあるような気がすると曇天は目を輝かせた。

 曇天は堺に向かった。

 太郎は帰る事にした。

 俺は一体、どうすればいいんだ‥‥‥太郎は山の中を歩きながら考えていた。京に来て、ほんの短い時間の中で色々な事があり過ぎた。五ケ所浦にいたら、思いもしない事が京では平然と行なわれていた。

 太郎の頭は混乱していた。今は、とにかく、無事に五ケ所浦に帰る事だった。それしか考えられなかった。

 海が見たい‥‥‥五ケ所浦の海が見たい‥‥‥

 太郎はひたすら、そう思いながら故郷に向かって歩いていた。
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