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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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6.お雪1






 暑い盛りの昼下り、風眼坊はお雪と智春尼を連れて吉崎に戻って来た。

 昨日の晩は崩川(クズレガワ、九頭竜川)の河原の側にあった地蔵堂で休んだが、一乗谷からの追っ手は来なかった。

 吉崎に戻って来ると風眼坊はお雪を蓮如に預けた。

 お雪には、「祈祷にいい場所を捜しに行って来る。ここは絶対に安全じゃ。しばらくの間、ここで待っておってくれ」と言った。初めから風眼坊は祈祷などする気はなかった。仇討ちに取り付かれて、自分の一生を台なしにしてしまうお雪を見ていられなかった。本願寺の教えによって仇討ちを諦め、自分を取り戻してくれる事を祈っていた。

 風眼坊は蓮如にすべての事を話し、お雪の事を頼んだ。

 蓮如は引き受けてくれた。きっと、阿弥陀如来様の教えによって、お雪を地獄から救うと約束してくれた。娘さん一人、救えないようでは、こんな寺にいる資格はありませんからな、と蓮如は笑った。

 風眼坊はお雪を預けると、書院を覗いたが蓮崇はいなかった。慶聞坊がいたので蓮崇の事を聞いたら、まだ、帰って来ないと言う。逆に、一緒じゃなかったのですか、と聞かれた。風眼坊は訳を話し、今度は慶覚坊の事を聞いた。慶覚坊は蓮崇の多屋で、蓮崇と風眼坊の戻って来るのを待っているはずだ、と言った。

 風眼坊は蓮崇の多屋に向かった。

 母屋に顔を出して、蓮崇のおかみさんに慶覚坊の事を聞くと、蔵の方にいると言う。

「蔵?」と聞き返すと、一番奥の蔵だと言う。何で、蔵なんかにいるのか不思議に思いながらも蔵の方に向かうと、「うちの人は一緒じゃなかったのですか」と聞かれた。

 風眼坊はまた訳を話して、蔵の方に向かった。

 多屋の台所の横を通って木戸を抜け、四つの大きな蔵の並ぶ敷地に入った。四つも蔵を持っているとは、余程、溜め込んでいるとみえる。一番奥の蔵まで行くと、風眼坊は蔵の中に向かって慶覚坊の名を呼んだ。

 風眼坊は蔵の戸を開けようとしたが開かなかった。

「誰じゃ」と蔵の中から慶覚坊の声がした。

「わしじゃ。風眼坊じゃ」

「おお、帰って来たか」

 戸が開き、慶覚坊が出て来た。

「何をしておるんじゃ。こんな蔵の中で」

 慶覚坊は辺りを見回して、「蓮崇殿はどうした」と聞いた。

 これで三度目だった。風眼坊は途中で別れた事を説明した。

「なに、一乗谷で大橋に会ったのか」と慶覚坊も長次郎の事は覚えていた。

「そうだったのか、まあ、中に入れ」

 蔵の中は、がらんとした広間のようになっていた。物など何も置いてなく、薄暗い中に人が何人かいた。

「何をしておるんじゃ、こんな中で。密談でもしておるのか」

「まあ、そんなところじゃ。紹介しよう」

 風眼坊は、慶覚坊より有力な武力を持つ本願寺門徒を紹介された。

 まず、越前本覚寺蓮光の弟である和田の長光坊。

 越前超勝寺巧遵(チョウショウジギョウジュン)の弟である藤島の定善坊(ジョウゼンボウ)。

 加賀江沼郡の国人、黒瀬藤兵衛、同じく、江沼郡の国人、熊坂の願生坊(ガンショウボウ)。

 加賀能美郡(ノミグン)板津(小松市)の国人、蛭川(ヒルカワ)新七郎。

 加賀石川郡手取川下流の皮屋衆の頭、笠間兵衛(ヒョウエ)。

 長光坊と定善坊と願生坊の三人は頭を丸め僧体だったが、あとの三人は俗体のままで、見るからに武士だった。

 慶覚坊が風眼坊の事を大峯山の山伏だと紹介すると、和田の長光坊が風眼坊を睨んだ。

「なに! 門徒ではないのか」

「ああ、今のところはな」と慶覚坊が答えた。

「そいつは、まずいのう」と定善坊が言った。

「そうじゃ。いくら、おぬしの知り合いだからと言っても門徒以外の者をこの中に入れるわけにはいかん」長光坊が外に出ろというように手を振った。

「しかし、」と慶覚坊が何かを言おうとしたが風眼坊は止めた。

「俺は客間の方で待っとるよ」と風眼坊は蔵から出た。

「すまんな」と慶覚坊は言い、蔵の戸を閉めた。

 風眼坊はそのまま蓮崇の多屋を出ると、また、御山に登った。

 本堂と御影堂(ゴエイドウ)の前には、相変わらず門徒たちが大勢いた。

 風眼坊は御影堂の裏の方に行ってみた。

 景色が綺麗だった。

 門徒が何人か、風景を眺めていた。

 右端の方に見晴らし台のような物が建っていた。

 風眼坊は行ってみた。誰もいなかったので登ってみた。

 いい眺めだった。

 こんもりとした鹿島の森と呼ばれる小島の向こうに、塩屋の湊が見え、その向こうに海が広がっていた。

 風眼坊はしばらく、海を眺めていた。

 海を見ると、なぜか、子供の頃の事が思い出された。

 新九郎と一緒に備中の国を出たのは十八歳の時だった。お互いに、一旗挙げようと勇んで国を出た。あれから二十五年も経つが、一旗挙げるどころか、これから何をやったらいいのか、まったく分からない有り様だった。

 火乱坊(慶覚坊)が羨ましかった。火乱坊には本願寺がある。火乱坊は本願寺のために自分の一生を賭けていた。そして、同じ目的を持つ仲間が大勢いた。

 風眼坊は、これからどうしようか、と考えていた。

 本願寺の門徒になる気はなかった。

 風眼坊は蓮如と出会い、蓮如の教えを聞いて、蓮如を尊敬した。素晴らしい人だと思った。しかし、蓮如のように人々に教えを説くような柄(ガラ)ではなかった。それは自分でよく分かっている。蓮如とは違う別の方法で、蓮如が考えるような、すべての人々が平等に暮らせるような太平の世を作りたかった。

 そう言えば、新九郎の奴は今頃、何をしているのだろうか。

 この間と言っても、もう四年も前の事だが、京で会った時、妹が駿河の今川に嫁に行ったので駿河に行くとか言っていたが、駿河に行ったのだろうか‥‥‥

 関東の地もまだ戦が続いている事だろう‥‥‥

 駿河か‥‥‥富士山でも見たくなって来たな‥‥‥

「風眼坊殿」

 誰かが呼んだ。

 振り返って下を見るとお雪が立っていた。

「お雪殿か、上がって来い。いい眺めじゃぞ」

 お雪は上がって来ると風眼坊を睨んだ。

「どうしたんじゃ」

「祈祷する場所を捜しに行ったのではなかったのですか」

「ああ、それは明日じゃ。今日はちょっと用があっての、会わなければならん人がおるんじゃが、その人が、まだ帰って来んのじゃよ」

「そうですか‥‥‥」

「そう慌てずに、ゆっくりと待つ事じゃ。一乗谷を出て来た事を後悔しておるのか」

「後悔なんかしていません」とお雪は強く首を振った。「もう二度と、あの、いやらしい顔を見なくてもいいと思うと、すっきりしています」

「そいつはよかった」と風眼坊はお雪を見ながら頷いた。「しかし、今頃、城下では大騒ぎしておるじゃろうな」

「大騒ぎしても、一晩だけだと思います」

「そうかな。次郎の奴は、そなたに随分、御執心だったようじゃがのう」

「あの人の回りには十人以上の女たちが仕えています。すぐに、わたしの事など忘れてしまいます」

「なに、十人もの女に囲まれておるのか、あの若さで」

「はい。皆、あたしなんかより、ずっと綺麗な人ばかりです」

「何と‥‥‥羨ましい事よのう」

「皆、朝倉殿が送って来るのです」

「成程のう。わしでも、毎日、そんな美女たちに囲まれて贅沢な暮らしをしておったら、世間の事など、どうでもよくなってしまうのう」

 お雪は驚いたような顔をして、「風眼坊殿もですか」と聞いた。

「わしだって男じゃ。美女には弱い」

「風眼坊殿のように修行を積んだお方でもですか」

「修行を積んだからと言って、自然に逆らう事はできんのじゃよ。そもそも、修行と言うものはのう、自然と一体化する事を目的としておるんじゃ。人間も自然の一部なんじゃよ。ところが、人間は生きて行く過程において、色々と要らない物を身に着けてしまうんじゃ。欲とか、見栄(ミエ)とか、色々な煩悩(ボンノウ)をの。その煩悩を脱ぎ捨て、自然に帰る事が修行じゃ。自然の生き物たちを見てみろ。人間のように殺し合いなどはせんぞ。人間のように色々な物を欲しがったりはせんぞ。生きて行く為に殺生(セッショウ)はするが、必要以上にはせん。男が女を求め、女が男を求めるというのは自然な事なんじゃよ。いくら、修行を積んだからといって、それは押えられん。もし、それを押える事ができたとしたら、そいつは、すでに片輪になったと言う事じゃ。花の咲かなくなった花と同じじゃよ。わしはのう、蓮如殿から浄土真宗を開いた親鸞聖人様の事を聞いたんじゃが、偉いお人じゃと思ったわ。親鸞聖人様は自ら半僧半俗の愚禿(グトク)だと称し、僧でありながら、初めて妻を持ち、家庭を持ったと言う。それが本来の姿なんじゃ。女が側にいては修行できん奴らは、一生、山奥に籠もっておればいいんじゃ‥‥‥そなたに、こんな話をしてもしょうがないな」

「いえ‥‥‥」

「いい眺めじゃのう」

 お雪は頷くとぼんやりと海の方を見た。

「あの海の向こうにはのう、朝鮮という国があって、その向こうには明(ミン)というでっかい国があるんじゃよ」

 お雪は風眼坊の話を聞いていなかった。風眼坊の言った、花の咲かなくなった花、という言葉を気にしていた。まさに、その言葉は自分にぴったりだった。自ら花を捨てたお雪だったが、心の中に、かすかに、花への未練が残っていた。弱きになっては駄目だ。あの日の事を思い出せ、と自分に言い聞かせていた。

「風眼坊殿、明日、わたしも連れて行って下さい」

「なに、連れて行けじゃと。駄目じゃ」

「お願いします。何もしないではいられないのです」

「いいか。まだ、祈祷する場所が決まっておらんのじゃ。場所が決まったら迎えに来る。それまで待っておれ。何もしないでいられないと言うのなら、ここで働けばいい」

「わたしが、ここで」

「そうじゃ。今まで何度も地獄を見て来たそなたに取って、門徒たちの世話など何でもない事じゃろう」

「‥‥‥分かりました。それで、お礼の方はどの位、用意したらよろしいのですか」

「礼金か。そうじゃのう、祈祷の間の米代という所かのう」

「それだけで、よろしいのですか」

「そなた、銭など持っておるのか」

「いいえ」

「そうじゃろう、ない所からは取れんわ」

「でも‥‥‥」

「まあ、富樫次郎が死んだ時に、一千疋(イッセンビキ、十貫文)程、貰おうかのう。もし、そなたが持っていたらじゃが」

「分かりました」

 風眼坊はお雪を連れて庫裏に行くと、お雪を蓮如の若い裏方(奥方)、如勝(ニョショウ)に預け、居間の方をチラッと見ると蓮如が刀をいじっていた。蓮如と刀の組み合わせが以外だったので、風眼坊は如勝に聞いてみた。

「上人様のたった一つの道楽なんです」と如勝は言った。

「ほう、道楽ねえ‥‥‥」

「蓮如殿」と風眼坊は声を掛けた。

「おお、風眼坊殿か、まあ、入れ」

 風眼坊は居間に上がった。居間には畳は敷いてなかった。法主ともなれば、普通、贅沢な暮らしをしているものなのに蓮如は違っていた。

「刀の手入れですか」

「まあな、わしに刀など可笑しいと思っておるんじゃろう」

「ええ」

「子供の頃じゃった」そう言って、蓮如は刀を鞘(サヤ)に納めた。「大谷の本願寺に、名は覚えておらんが一人の武士が訪ねて来たんじゃ。その武士は自分の刀を自慢して見せてくれた。わしはその時、名刀と呼ばれる刀を初めて見たんじゃ。刀なんか人を斬る武器で、みんな、同じ物だと思っておったんじゃが、その時、わしはその名刀を見て美しいと思ったんじゃ。こんな美しい物で、人など斬ってはいかんと思った。刀は人を斬る道具じゃ。しかし、その刀を使うのは人間じゃ。刀を生かすも殺すも人間の心次第じゃと思ったんじゃ。それは宗教にも言える。門徒たちを生かすも殺すも坊主次第じゃ。正しい道を教え、間違った道を歩ませてはならんのじゃ。わしは自分の心に迷いが生じて来ると、刀を見ながら手入れをするんじゃ。なぜか、刀を見ておると心が澄んで来るんじゃよ‥‥‥まあ、それは事実じゃが、名刀を持つと言うのは、昔からのわしの夢でな、この吉崎に来て、たまたま、その夢がかなったと言うわけじゃ」

「そうだったのですか」

「しかし、不思議なもんじゃのう。人を斬るために生まれた刀が人の心を静めてくれるとはのう」

「それは、その刀に魂が籠もっておるからではないでしょうか」

「刀に魂がのう‥‥‥」

「名刀と呼ばれる物は、刀鍛冶が一世一代の仕事として残した物です。決して、人を斬るために作った物ではないと思います。神に捧げるために丹精込めて作ったのだと思います」

「神に捧げるためにか‥‥‥成程のう」蓮如は脇に置いた刀を眺めながら頷いた。

「その刀は備前物ですか」と風眼坊は聞いた。

「いや、鎌倉の五郎正宗(マサムネ)じゃ」

「正宗、そいつは凄い‥‥‥失礼ですが、どれ位で手に入れたのですか」

「ただじゃ」

「ただ?」

「ああ、刀商人が、ただで置いて行ったんじゃよ」

「正宗をただで置いて行くとは随分、気前がいいのう」

「わしは断ったんじゃがのう。そしたら、本願寺への志しだから受け取ってくれと言う。そうまで言われたら受け取らないわけにもいかんので受け取ったんじゃがのう」

 蓮如は正宗の刀を風眼坊に渡した。

 風眼坊は刀を手にすると、鞘を抜いて刀身を見た。さすがに名刀だった。吸い込まれるような美しさだった。

「見事な物じゃ」と頷いて、風眼坊は正宗を返した。

 蓮如は受け取ると、「そなたの刀も名刀かな」と聞いた。

「いえ、わたしのは、それ程の物じゃありませんよ」

「見せてくれんか」

「ええ、構いませんが」

 風眼坊は腰からはずして、右側に置いておいた刀を蓮如に渡した。

 蓮如は風眼坊の刀を鞘から抜いて眺めた。

「うーむ、やはり、これも、なかなかのもんじゃ」

「備前長船(オサフネ)です。わしの師匠の形見です」

「形見か‥‥‥」

「詳しくは知りませんが、正宗の弟子だった人が備前に来て、鍛えた物らしいです」

「ほう、正宗の弟子か‥‥‥師匠と弟子が、こうやって再会したわけじゃのう。面白いものじゃな。それにしても長い刀じゃのう」

「はい、三尺(刃渡り九十センチ)はありませんけど、それに近いです」

「ほう。そなた、余程、使えるとみえるのう」

「いえ」

 蓮如は風眼坊に刀を返した。

「わしものう、子供の頃はよく棒切れを持って遊んだものじゃ。わしの叔父上は如乗(ニョジョウ)といってのう、二俣の本泉寺を開いた人なんじゃが豪快なお人じゃった。叔父上と言っても、わしより三つ年上なだけなんじゃ。叔父上には色々な事を教わった‥‥‥仏法を守るには、まず、自分の身を守らねばならん。いくら、如来様に救われている身であろうとも、自分の身を守る努力は怠ってはならんぞ、と棒術の名人じゃった。

 この乱世の世に、教えを広めようとするには、ただ、寺の中でじっとしていては駄目じゃ。自分の足で歩いて教えを広めなければならん。この世の底辺で生きている人々というのは、まるで、地獄そのものの中で生きておる。そういう人こそ救わなければならんのじゃ‥‥‥いいか、生半可な気持ちでは、そういう危険な場所には行けんぞ。まず、自分に自信を持たなくてはならん。教えは勿論の事じゃが、ある程度、身を守るすべを知っているのと、いないのとでは随分と違う。どんな所に行っても、おどおどしておってはいかん。いつも堂々としておらなければならん。肝っ玉を太くするためにも武術というのは役に立つものじゃ、そう言って、わしに棒術を教えてくれたんじゃ。

 叔父上の言う事は確かじゃった。しかし、親父には怒られてのう。本願寺の者が武術などやるとは何事か、とな。それでも、わしは若い頃、加賀の叔父上の所に行っては習っておった。今、思えばのう、本願寺が、これだけ栄えるようになったのも、あの時、習った棒術のお陰かもしれんのう。もし、棒術を習わなかったら、わしは怖くなって、河原者やら、馬借(バシャク)たちの荒くれ者の中には入っては行けなかったかもしれんのう」

「蓮如殿が棒術を‥‥‥それは知りませんでした」

「この事は内緒じゃぞ。わしが棒術をやるなど誰も知らん。そなただから話したのじゃ。わしは、阿弥陀如来様のもとでは、すべての者たちは平等じゃと教えておるのに、わしは上人様と祭り上げられて、皆、わしの事を殿様かなんかのように仰ぐようにして見るんじゃ。わしを対等に扱ってはくれん。そなただけは別じゃ。そなたと一緒におると、なぜか安心して何でも話したくなる。不思議なお人よのう、そなたは」

「きっと、わしが何にも属しておらんからでしょう」

「そうかもしれんのう‥‥‥そなた、一休禅師を御存じかな」

「いえ。風変わりな禅僧だと噂には聞いた事がありますが、会った事はありません」

「そうか。わしが本願寺の法主でありながら刀などを持つようになったのは、一休殿のお陰なんじゃよ。あのお人はまったく、何事にもこだわりのないお方じゃ。今は山城の薪村(タキギムラ、京都府田辺町)とかいう所で、盲(メクラ)の女と一緒に暮らしておるそうじゃ。二百年前の親鸞聖人様と同じ道をたどっていなさる。しかし、禅宗において妻帯するというのは難しい事じゃろう」

「盲の女と一緒に暮らしておるのですか」

「そういう噂じゃ」

「ほう‥‥‥わしは、一乗谷で一休禅師のお弟子さんという人に出会いましたが」

「一乗谷にお弟子さんがおったのか」

「はい。曾我蛇足という名の絵師でしたが」

「絵師か、一休殿の回りには色々な人が出入りしておるらしいのう。最近、流行って来た『佗(ワ)び茶』とかいう茶の湯を考え出した村田珠光(ジュコウ)とかいうお人も一休殿のお弟子じゃというし、亡くなってしまわれたが、名人と言われた猿楽(サルガク)の金春禅竹(コンパルゼンチク)殿も一休殿のお弟子だったそうじゃ。他にも連歌師など、一流の文化人が出入りしておるらしいのう」

「ほう、凄いお人ですな。是非、一度、会ってみたいものですな」

「ああ、会ってみるがいい。一休殿は訪ねて来る者は拒まず、お会いになさるお方じゃ」

 風眼坊は蓮如から一休の噂話などを聞き、お勤めがあるからと蓮如が座を立つと、一緒に座を立った。

 お雪は台所で忙しそうに働いていた。

 風眼坊は声を掛けないで外に出た。

 いつの間にか、日が暮れようとしていた。





 風眼坊は蓮崇の多屋に戻った。

 蓮崇のおかみさんに聞くと、蓮崇は戻って来て、蔵の方に行ったと言う。

 まだ、薄暗い中で作戦を練っているらしい。

 風眼坊は空いている客間を聞いて、待たせて貰う事にした。

 客間に向かう途中、一乗谷に一緒に行った弥兵がいたので声を掛けた。

「随分、遅かったのう。あれから、どこに行っておったんじゃ」

「へい。あの後、橘屋さんに行きまして、」と弥兵は言った。

「橘屋? 何じゃ、そりゃ」

「はい、大きなお店でございます」

「商人か。それで、どうしたんじゃ」

「その日は橘屋さんにお世話になりまして、昨日は北の庄(福井市)に行きまして」

「北の庄? 北の庄に何の用があったのじゃ」

「はい。北の庄にも橘屋さんがありまして、昨日はそこにお世話になりまして、今日は三国湊に寄ってから帰って参りました」

「三国湊にも橘屋があるのか」

「へい」

「一体、蓮崇殿は橘屋に何の用があったんじゃ」

「はい。よく分かりませんが、武器をたんと買ったようです」

「なに、武器か‥‥‥」

 弥兵は頷いた。

「そういう事か、分かった。ありがとう」

 風眼坊は客間に入ると横になった。

 武器の買い付けをするという事は、朝倉は幕府を動かす事を承知したと見える。

 いよいよ、戦が始まるか‥‥‥

 蓮如殿が、あの蔵の中の話を聞いたら怒るだろうと思ったが、ここまで来たら避けては通れない事だった。蓮如殿には目をつむって貰うしかなかった。

 風眼坊がいい気持ちになって、うつらうつらしていると、慶覚坊と蓮崇が部屋に入って来た。

「さっきは悪かったのう」と慶覚坊は言った。

「いや、奴らの言う事がもっともなんじゃ。わしは所詮、他所者(ヨソモノ)じゃからな」

「まあ、そう言うな」

「一乗谷で知り合いに会ったそうですな」と蓮崇が言った。

「おお。懐かしかったわ。長次郎の奴、朝倉家の武術道場の師範をやっておったわ。立派な道場を持ってのう。若い奴らを鍛えておった」

「ほう」と慶覚坊は言った。

「風眼坊殿、もしかしたら、風眼坊殿のお知り合いという方は大橋勘解由殿ですか」と蓮崇が聞いた。

「そうじゃ。蓮崇殿も御存じじゃったか」

「それはもう、知っておりますとも。そうですか、大橋殿と」

「おう。わしらの教え子じゃ。のう、慶覚坊」

「まあな。威勢のいい奴じゃったのう」

「慶覚坊殿も御存じで‥‥‥今、教え子と言いましたか」

「ああ」

「と言う事は、お二人は、あの大橋殿のお師匠と言う事ですか」

「まあ、そういう事になるのう。一年だけじゃったがのう」

「一年でもそいつは凄い。お二人があの大橋殿のお師匠だったとは‥‥‥」

 蓮崇は口をポカンと開けたまま、風眼坊と慶覚坊の顔を代わる代わる見ていた。

「まあ、その話はさて置き、どうじゃ、幕府の方は動かせそうか」と風眼坊は蓮崇に聞いた。

「大丈夫です」と蓮崇は力強く頷いた。「朝倉も乗り気でした。本願寺が動くのなら、何とか幕府を説得させると約束してくれました」

「そうか、とうとう幕府まで動くか‥‥‥」

「上人様もついに腰を上げなければなるまい」と慶覚坊は言った。

「だろうな。それで、上人様が腰を上げたとして、その後の作戦の方は決まったのか」

「ああ、何とかな」

「そうか‥‥‥」

「辛いじゃろうのう‥‥‥」と蓮崇が言った。

「ところで、蓮崇殿、武器の調達をして来たそうじゃな」と風眼坊が聞いた。

「弥兵から聞いたのですね。確かに調達はしましたが、まだ足りんのですよ」

「足りんのか。武器の商人はここにもおるんじゃろう」

「ええ、三河の刀売りがおりますが間に合いません。それで、越前の橘屋さんにもお願いしたんですが、今の時勢は武器がいくらあっても足りない有り様ですからな。商人の方も強気で、値をどんどん跳ね上げて来る。十年程前、誰も見向きもしなかったような、なまくら刀を、今では、みんなが血眼になって欲しがっている有り様じゃ。困ったものです」

「ちょっと聞きたいのだが、その三河の刀売りからは、どの位、刀を買ったのじゃ」

「さあのう、数えきれんのう。奴らが持って来た物は全部、買い取った事は確かじゃがのう」

 風眼坊は納得した。商人たちが蓮如に正宗の名刀をただでやったとしても、そのお陰で数十倍、あるいは数百倍の儲けを手に入れていたのだった。

 蓮如は正宗を貰い、ほんの軽い気持ちで門徒たちに刀を売る事を許したに違いなかった。商人たちは刀とは言わずに農具類の販売許可を取ったのかもしれない。本願寺のお抱え商人ともなれば儲けは確実だった。いくら名刀とはいえ、正宗の一振り位、先の事を考えたら何でもない事だった。

「あと、どの位、欲しいのです」と風眼坊は聞いた。

「多ければ、多い方がいいが」と蓮崇が言うと、「知っている刀売りでもおるのか」と慶覚坊が風眼坊に聞いた。

「いや、別にいないがのう。本願寺が武器を欲しがっておると言う事は敵も武器を欲しがっておると言う事じゃろう。敵も武器を集めておるに違いない。いっその事、敵の武器庫を襲うというのはどうじゃ」

「わしらに泥棒をやれと言うのですか」と蓮崇は言った。

「まあ、泥棒には違いないが、これも戦略というものじゃ」

「おう、風眼坊の言う通りじゃ。敵の武器を盗み取るか‥‥‥そいつは面白いのう。しかし、これは大っぴらにはできん事じゃぞ。門徒が泥棒などしたと上人様に知れたら、それこそ、大変な事じゃ」

「まあ、そうじゃな。戦が始まってからなら堂々とできるがの」と風眼坊は言った。

「一応、一つの案として考えておこう。ところでじゃ、風眼坊、そろそろ門徒にならんか。おぬしも、上人様の教えの事はもう分かったじゃろう」

「そうじゃ」と蓮崇も言った。「風眼坊殿が門徒となってくれれば、この先、大助かりなんじゃが」

 風眼坊は二人の顔を見てから首を振った。「確かに、蓮如殿の教えはよく分かった。わしも素晴らしい教えじゃと思った。しかし、わしにはどうもなあ‥‥‥」

「とにかく形だけでも門徒にならんか。門徒になったからと言って山伏をやめろとは言わん。今のままでいいんじゃ」

「そうはいかんよ。蓮如殿の事を思うと、そんな中途半端な事はできん」

「それも言えるがのう」

「まあ、急ぐ事もないじゃろう。そのうち風眼坊殿も門徒になってくれるでしょう」

「しかし、門徒にならんと今回の戦には参加できんぞ」

「参加できんのか」

「ああ、和田の本覚寺と藤島の超勝寺がうるさいんじゃ。わしは、おぬしに一軍の指揮を取って貰いたかったんじゃが、今のままじゃ、それが難しいんじゃよ」

「その事じゃが」と蓮崇が言った。「実は、わしは風眼坊殿に上人様の側にいて、上人様を守って貰おうと考えておったんじゃ。今回の戦では慶聞坊殿にも働いて貰わにゃならん。そうなると、上人様の身を守る者がおらなくなってしまう。そこで、風眼坊殿にその事をお願いしようと思っておったんじゃよ。風眼坊殿が一乗谷の大橋殿のお師匠だったとすれば、上人様の身を守って貰うのに最適じゃと思うんじゃがのう」

「そうか、そうじゃったのう。もしもの事があった時、上人様を守る者が必要じゃったわ。風眼坊、おぬし、その役を引き受けてくれんか」

「ああ、やる奴がおらんと言うのなら引き受けてもいいが、戦はいつ始まるんじゃ」

「そうじゃのう。とにかく、幕府の奉書(ホウショ)が届かん事にはのう。早くて来月の初め頃になるかのう」

「来月の初めか‥‥‥」

「戦の方はわしらに任せて、おぬしは上人様を守ってくれ」

「そうじゃのう。ところで、勝算の方はどうなんじゃ」

「上人様の一声が掛かれば、何とか勝てるじゃろう」と慶覚坊は言った。

「勝てるか」

「ああ。今回の戦では白山の衆徒も味方じゃしのう」

「本願寺の門徒衆はどれ位おるんじゃ」

「五万はおるじゃろう。それに白山衆徒が一万、富樫次郎が五千、朝倉がどれ位来るか分からんが頭数は敵の数倍はおる」

「五万か、凄いものじゃのう。それじゃあ、わしは高みの見物をして、おぬしたちの戦振りを見せてもらう事にするわ」

「そうしてくれ。上人様を頼むわ」

「これで、上人様は安全じゃな。あとは充分に作戦を練って、仏敵高田派門徒を加賀から追い出すだけじゃ」

「富樫幸千代はどうするんじゃ」と風眼坊は聞いた。

「倒す」と慶覚坊は力強く言った。「しかし、一番の敵は高田派門徒じゃ。今回の戦で、本願寺以外の真宗門徒は皆、国外に追放する。そして、幸千代も倒し、とりあえずは次郎を守護にする。そして、国内を組織し直して、次郎もやがては追い出し、大和の国(奈良県)の興福寺のように、本願寺が加賀の国の守護となるんじゃ」

「本願寺が加賀の守護か‥‥‥」

 蓮崇も頷いた。

 風眼坊は二人の顔を見比べた。そこまで考えていたとは、まったく驚くべき事だった。幕府の任命した守護大名を追い出し、本願寺によって加賀の国を治めようとは、まったく凄い事を考えるものだと思った。

「この事は上人様には絶対に内緒じゃぞ」と慶覚坊は言った。

「ああ、分かっておる」と風眼坊は頷いた。

 上人様の事を頼むと言って、蓮崇は部屋から出て行った。

「そこまで考えておったとはのう」と風眼坊は慶覚坊に言った。「一体、誰が、そんな大それた事を考えたんじゃ」

「誰という事はない。阿弥陀如来様の浄土をこの世に築こうと思えば、当然、そう言う事になるだけじゃ。公家の時代が終わり、武士の時代となった。そろそろ、その武士の時代も終わりを告げようとしておる」

「次に来るのは百姓の時代じゃと言うのか」

「百姓だけじゃないが、今まで支配されておった者たちじゃ」

「確かに、時代は変わりつつある。しかし、支配者が消える事はあるまい。加賀の国を本願寺が持ったとしても、支配者が武士から本願寺の坊主に代わるだけじゃないのか」

「それはそうじゃが支配体制が違って来る。すでに、門徒たちはただ支配されるだけでは納得しない程に成長して来ておる。門徒の一人一人が自分たちの村の自治をし、村の代表らによって郡の自治を行ない、郡の代表らによって国の自治を行なうというわけじゃ。それらをまとめる者として本願寺の坊主たちがおり、決して、門徒たちを支配するわけではないんじゃ」

「ふーん。しかし、そう、うまい具合に行くものかのう。門徒たちの中には形だけ門徒になっておる国人たちがおるじゃろう。奴らは本願寺の組織を利用して勢力を広げ、本願寺に反旗をひるがえすんじゃないかのう」

「それは大丈夫じゃ。奴らは、すでに本願寺の組織の中に入ってしまっておる。いくら、大きくなろうとも本願寺より大きくなる事はできん。反旗をひるがえすには門徒全員を敵に回す覚悟がなくてはならんのじゃ」

「うーむ。そう言われてみれば、そうとも言えるが‥‥‥」

「わしは絶対に、そういう国ができると確信しておるんじゃ。それも、そう遠い事ではない。隣の越前を見てみろ。守護の斯波氏が家督争いをしておる隙に、朝倉氏が守護となってしまった。朝倉氏は一応、幕府からの任命で守護になったのじゃが、朝倉氏などは斯波氏の家臣に過ぎん。その家臣が主人を追い出して守護に納まってしまっておるんじゃ。守護じゃからと言って安心しておられる時代は終わった。これからは実力で国を取る時代になって来ておるんじゃ。本願寺が一国の守護になるという事も決して、夢物語ではないんじゃよ」

「それは分かるがのう‥‥‥」

「おぬしも門徒になって、この世の浄土作りに協力してくれ」

「ああ、考えておくよ」

 慶覚坊は、頼むぞという顔をして頷いた。

「これから、どうするんじゃ」と風眼坊は聞いた。

「とりあえずは山田に帰って、門徒たちに状況を知らせ、戦の準備をして貰わなくてはな」

「蓮誓殿はどうするんじゃ。のけ者か」

「まだ、黙っておった方がいいじゃろうな」

「わしは何をすればいい」

「そうさのう。とりあえず、ここにおって貰うか。そろそろ慶聞坊にも動いて貰う事になるのでな」

「ここにおるのか‥‥‥」

「すまんが上人様の側におってくれ。また、旅に出ると言い出すかもしれんのでな」

「分かったわ」

「どうじゃ。一乗谷は面白かったか」

「ああ、やっかいな拾い物があったがな」

 風眼坊はお雪の事を慶覚坊に話した。

 外はすっかり、暗くなっていた。
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