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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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2.蓮如2






 雨が降っていた。

 霧が立ち込め、三間(ケン、約五メートル)先も見えなかった。

 風眼坊と老僧の信証坊、慶聞坊の三人は、崩れ掛けた炭焼き小屋で雨宿りをしていた。

「うっとおしいのう」と風眼坊は雨垂れを見ながら言った。

「梅雨じゃからのう」と慶聞坊は霧の中を見ながら言った。

 信証坊は奥の方で横になっていた。昨日、かなり険しい山道を歩いたので、やはり疲れたのだろう。昨日の夕方、急に雨に降られ、この炭焼き小屋に飛び込んで一夜を明かしたが、朝になっても雨はやまなかった。

「火乱坊、いや、慶覚坊の事じゃが、吉崎の火事の事で、何か調べておると聞いたんじゃが、下手人は見つかったのか」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。

 慶聞坊は慌てて首を振って、「内緒です」と小声で言った。

「内緒?」

「ええ、慶覚坊殿のしている事は上人様には内緒なんです。信証坊殿に聞かれると上人様に筒抜けになってしまうんですよ」

「どうして、内緒にしておくんじゃ」と風眼坊も小声で聞いた。

「上人様は争い事はお嫌いです。この間の火事は失火じゃ、付火なんかじゃないと上人様はおっしゃります」

「それで、本当の所はどうなんじゃ」

 慶聞坊は後ろを振り返り、信証坊を気にしながら小声で話した。「多分、付火です。その事は上人様も知っております。しかし、表沙汰にして事を荒立てたくないんですよ」

「ふうん。下手人はやはり豊原寺なのか」

「多分‥‥‥」

「本願寺が繁盛している妬みか」

「それもあります。しかし、もっと現実的な事です」

「現実的な事というと、やはり、銭か」

「そういう事です。叡山は本願寺を叡山の末寺(マツジ)だと思っております。上人様は大谷にいた頃、叡山からの独立を宣言して、天台宗から離れたのです。寂れていた頃の本願寺なら、叡山も何も文句は言わなかったでしょう。しかし、上人様の代になって本願寺は賑わって来ました。叡山は本願寺の宗旨(シュウボウ)が違うとか、文句を言っては来ましたが、実の所、目的は礼銭だったのです。上人様は礼銭を断りました。大谷の本願寺は叡山の衆徒らによって破壊されました。上人様は近江に逃げられました。しかし、叡山は執拗に追いかけて来ては門徒たちを苦しめたのです。とうとう、金森(カネガモリ)の門徒と叡山の衆徒らが合戦を始めました。上人様は合戦を許しませんでした。結局は、銭で解決する事になってしまったのです。上人様は、叡山のふもとにいる限りは争う事を避ける事は難しいじゃろうと、北陸の地に進出なされたのですよ。しかし、この地にも天台宗の大寺院がいくつもあります。豊原寺、平泉寺を初めとして、白山に所属している寺院がいくつもあるのです。上人様は、それらの寺院を刺激しないようにと努めておられますが、上人様がこの地に来て以来、門徒たちの数は見る見る増え、吉崎の別院は毎日、祭りさながらの賑わいです。上人様が吉崎参詣を禁止しても、また、すぐに門徒たちは集まって来ます。豊原寺にしろ平泉寺にしろ、目と鼻の先にある吉崎の繁栄を黙って見てはおれんのでしょう。豊原寺は叡山と同じように、天台宗の末寺として礼銭を出せと言って来ました。上人様は断りました。それで、この間の火事騒ぎです」

「成程のう。しかし、豊原寺は何で、こそこそと付火なんかするんじゃ。堂々と攻めては来んで」

「越前には朝倉氏がおります。本願寺は今の所、朝倉氏と組んでおります。豊原寺の目的は本願寺から礼銭を巻き上げる事だけです。本願寺を相手に合戦をする気などありません。まして、朝倉氏を敵に回したくはないでしょう。応仁の乱が始まってからというもの、叡山もそうですけど、奴ら、大寺院の荘園はほとんど在地の国人たちに侵略されてしまっております。また、無事だとしても、戦が続いているお陰で年貢が届かん有り様です。平泉寺には白山の信者たちが、かなりおるから、まだいいんですけど、豊原寺は大分、苦しくなっておるんじゃないですか」

「確かにのう。今回の戦で、ほとんどの荘園が国人たちに横領されたらしいのう。本願寺の荘園は大丈夫なのか」

「本願寺には荘園はありません」

「なに、荘園がない?」

「はい、本願寺は門徒で持っておるのです。門徒がおらなくなった時は本願寺もなくなるというわけです」

「本願寺は土地を持っとらんのか‥‥‥そいつは知らなかった」

「雨はまだ降っておるのか」と信証坊が声を掛けて来た。

「はい。まだ降っております」と慶聞坊が振り向いて答えた。

「そうか」と言いながら、信証坊は二人の方に来て外を眺めた。

 霧はいくらか引いたが、雨はやみそうもなかった。

「やはり、梅雨が上がるのを待ってから旅に出た方が良かったですね」と慶聞坊は信証坊に言った。

「なに、雨に濡れても死にはせん」

「そろそろ、出掛けますか」

「いや、もう少し、小雨になるのを待とう」

「そうですね」

「風眼坊とやら、そなたも、そろそろ本願寺の門徒になりませんかな」と信証坊は風眼坊の隣に腰を下ろすと言った。

「本願寺の教えというのも大体は分かったがのう。しかし、どうも、わしには門徒というのは似合わんのう。わしは、やっぱり山伏の方がいいわ」

「そなたは、どうして山伏になったのかな」

「どうしてと言われてものう。ただの成り行きとしか言えんのう」

「成り行きか‥‥‥実はの、山伏から門徒になった者も、かなりおるんじゃよ」

「ほう、信じられんのう。山伏というと白山の山伏か」

「まあ、そういう事じゃのう。しかし、そなたのような本物の行者と違って、里に住み着いて村人たちに加持祈祷をやっておった山伏たちじゃ。その者たちは皆、山伏をやめて道場を持つ坊主になったがのう。そなたのように山々を歩き回る行者が門徒となってくれれば、山奥で暮らす者たちにも教えを広められるのにのう」

「それはそうかも知れんが、そんなに門徒を増やして、蓮如殿は一体、どうするつもりなんじゃ」

「どうもせんじゃろ。ただ、蓮如殿は、この世に浄土を作ろうとしておるんじゃないかと、わしは思うがのう」

「この世に浄土をのう‥‥‥理想は分かるが難しい事じゃのう」

「やはり、難しいかのう」

「難しいわ。第一、阿弥陀如来様のもとでは、すべての者たちは平等じゃ、という教えは危険すぎる。権力者たちは、そんな教えを絶対に許さんじゃろう」

「そう言われればそうじゃのう」

「今のところ、本願寺は同じ宗教界から睨まれておるようじゃが、そのうち、権力者から睨まれる事になるじゃろう」

「本願寺の教えには争い事はないんじゃ」

「本願寺の教えの中になくても、現実に、この世の中は上下関係で成り立っておる。いくら本願寺の方で争い事を避けようとしても、今の世で生きて行く限り、争い事は避けられんじゃろうな」

「どうして、人間は争い事を好むんじゃろうのう」

「別に好むわけでもないじゃろう。ただ、考え方が少し違っておるだけじゃないかのう。まあ、中には、ただ、おのれの欲だけに走って争う奴らもおるにはおるが、そんな奴らは長続きはせん。そんな奴には誰も付いて行かんからじゃ。しかし、ある程度、長続きしておる奴らは、奴らなりに思想がある。たとえば、越前の朝倉じゃが斯波(シバ)氏の被官の身でありながら、応仁の乱で寝返って、越前の守護職(シュゴシキ)に納まってしまった。それができたのは、ただ欲だけではない。国人たちを引き付ける何かを持っておったからじゃ。朝倉も朝倉なりに、越前の国を浄土にしたかったのかも知れん。誰もが争いなどない太平の世を願っておる。その太平の世を作るために争っておるんじゃないかのう。自分流の太平の世を作るためにのう」

「争わんと太平の世にはならんのかのう」

「太平の世を作るという事は全国を一つに統一するという事じゃ。統一するためには邪魔物は倒さなくてはなるまい」

「いや、争い事はいかん。本願寺の教えが広まれば、誰もが争い事などしなくなるはずじゃ」

「確かに、広まれば争い事はなくなるかもしれん。しかし、広める途中で争い事は起きる。たとえば、日蓮宗は『南無妙法蓮華経』と唱えれば太平の世が来ると言う。浄土宗は『南無阿弥陀仏』と唱えれば太平の世になると言う。どちらも目的は太平の世じゃ。太平の世にいいも悪いもない。たどり着く所は同じじゃ。しかし、日蓮宗では『南無妙法蓮華経』の太平の世じゃないといかんと言い、浄土宗では『南無阿弥陀仏』の太平の世じゃないといかんと言う。そうじゃないのか」

「わしは日蓮宗の事はよく知らんが、日蓮宗よりは浄土真宗の方がいいと思っておる」

「これがいい、あれが悪いと言うのも、欲のうちに入らんのかのう」

「ただ、本願寺の教えでは、決して、他の宗派の事を悪く言ってはおらん」

「わしから見れば、『南無阿弥陀仏』も『南無妙法蓮華経』も同じように思えるんじゃ」

 信証坊は、しばらく黙り込んだ。

 慶聞坊は黙って二人の顔を見比べながら、やり取りを聞いていた。

 信証坊は顔を上げ、雨を眺めながら、「風眼坊殿」と言った。「実に、阿弥陀如来様のお導きじゃ。よいお人と巡り会えたものじゃ。いい勉強になった」

「老師殿。老師殿にそんな事を言われたら照れ臭いわい」

「いや、わしも少し自惚れておったのかもしれん。ただ本願寺のため、本願寺の教えを広めなければならん、ただ、それだけで脇目も振らずに一筋に生きて来た。親鸞聖人様の素晴らしい教えを広めようと、ただ、それだけで生きて来た。現実の世の中を見る目が少し甘かったのかも知れん」

「老師殿、もしかしたら老師殿は‥‥‥」と風眼坊は信証坊をじっと見つめた。

「ああ」と信証坊は頷いた。「わしが蓮如じゃ。本願寺の法主の蓮如じゃ」

 風眼坊は何も言えなかった。ただ、蓮如と名乗った隣の老僧を見つめていた。

「わしは、今まで現実の世から逃げておったのかも知れん‥‥‥」

「上人様‥‥‥」と慶聞坊が言った。

「老師殿が、蓮如上人殿でしたか」と風眼坊は、やっとの事で言えた。

 知らなかったとは言え、言い過ぎてしまったような気がして後悔していた。この老僧が蓮如だったとは、まったく信じられない事だった。法主ともあろう人が、こんな山奥をさまよっている。わずかな門徒を増やすために自分の足で歩き、自分の口で教えを説いている。

 風眼坊は改めて老僧を見直していた。

「やはり、争い事は避けられんのじゃろうか」と蓮如は言った。

「蓮如殿、どうして、名を隠して旅をなさっておるんですか」

「有名になり過ぎて、名前を隠さないと布教どころじゃなくなってしまうんですよ」と慶聞坊が説明した。「人が集まり過ぎて、説教どころではないんです。去年、越中まで行った時など、上人様を一目見ようと門徒たちが集まって来て、死傷者まで出る始末です。その時以来、上人様は本名を隠して布教に出るようになったのですよ」

「ほう、死傷者まで出るとは凄いもんじゃのう」

「そんなもの自慢にもならんわ。そろそろ、出掛けるかのう」

「そろそろ、雨も上がりそうじゃな」

 鳥が鳴き始めていた。

 三人は小雨の中、山を下りて行った。

 三人の姿は霧の中に消えた。





 風眼坊と蓮如と慶聞坊の三人は真砂(マナゴ)の村から、さらに山奥へと入って行った。大日山に登り、越前と加賀の国境に沿って尾根道を進み、手取川の上流の牛首村(白峰村)に下りた。

 途中、蓮如は信証坊として山の中で出会った杣人(ソマビト、きこり)や炭焼き、猟師らに教えを説いた。彼らは、なかなか蓮如の教えを受け付けなかったが、蓮如は根気よく教えを説いていた。

 ここ牛首村は、かなり山奥だが、加賀の白山本宮と越前平泉寺を結ぶ街道が通り、また、白山三箇寺から白山に登る禅定道(ゼンジョウドウ、登山道)も通り、牛首白山社を中心にして門前町が広がり、白山への中継地として栄えていた。街道脇には三箇寺や越前平泉寺などの別院や宿坊が数多く並び、山伏や参詣者たちが行き交っていた。

 この村は白山社に奉仕する社家(シャケ)と社人(シャニン)たちで成り立っている村だった。社家はこの辺りの山の領主として社人たちを支配していた。社人たちは社家の土地で焼畑をやり、冬は木地師をやっていた。木地師と言っても、ここでは轆轤(ロクロ)を使って作るお椀類よりも、農具の柄や金剛杖など棒類を中心に作っていた。また、社人たちの下に下人がいて、社家の雑用や社人の小作などをしていた。

 この白山信仰の真っ只中とも言える、この地にも、すでに本願寺の教えは広まっていた。ここに教えを持って来たのは、やはり、元山伏の慶覚坊だった。

 慶覚坊はこの村を門徒化するに当たって、まず、下人たちから門徒にして行き、次第に社人まで門徒化しようと計画した。慶覚坊の努力のお陰で、去年、林西寺(リンサイジ)の弘泰(コウタイ)が蓮如に帰依(キエ)し、天台宗から浄土真宗本願寺派となっていた。そして、下人たちはほとんどの者が門徒となり、熱心に念仏を唱えていた。

「まさか、この村には本願寺の門徒はおらんじゃろう」と風眼坊は賑やかな門前町を眺めながら言った。

「いえ、おります」と慶聞坊は得意気に言った。

「なに、ここにも門徒がおるのか」と風眼坊は街道を行き来する者たちを眺めた。

「はい。慶覚坊殿のお陰です。上人様、林西寺に寄りますか」

「いや、騒ぎは起こしたくない」と蓮如は首を横に振った。

「そうですね」と慶聞坊は頷いた。

「そろそろ、この辺で別れる事にするかのう」と風眼坊は立ち止まると二人に言った。

「なぜじゃ」と蓮如は聞いた。

「わしは、これから白山に登ります。お二人はこのまま下りて行って下さい。この道を真っすぐ下りれば本宮に出られるはずです」

 牛首まで来れば白山はすぐそこだった。

 蓮如は風眼坊に連れられて、二日間、道なき山の中を歩かされた。もう懲りて、ここからは手取川に沿って山を下りて行くだろうと思っていたが、意に反して、蓮如は風眼坊と一緒に白山に登ると言い出した。

 前から登りたかったのだが、しきたりが色々とあるし、また、本願寺の法主たるものが、宗敵である白山に登るなどとはとんでもない事だと、回りの者たちが許してくれんのだと言う。風眼坊に会ったのも阿弥陀如来様のお導きじゃから、この際、思い切って登ってみようと言った。慶聞坊も、白山の山頂には阿弥陀如来様が祀ってあると聞く、是非、拝みたいものじゃと言って蓮如の言う事に賛成した。

 風眼坊は仕方なく二人を連れて白山を目指した。手取川をさかのぼり、越前平泉寺からの禅定道に合流して、その日は市ノ瀬に泊まり、次の日、白山山頂へと向かった。

 山頂に着いた日は生憎、霧が立ち込めて、回りは何も見えなかったが、翌朝は見事に晴れ渡り、最高の眺めだった。

 蓮如も慶聞坊も、こんな高い山に登ったのは初めてだとみえて、飽きる事なく景色を眺め、まさしく、ここは極楽浄土じゃと言い合っていた。

 白山に登ったのだから、もう吉崎に帰るのだろうと思ったら、今度は、飛騨(岐阜県北部)側に下りようと言い出した。そして、また阿弥陀如来様を持ち出して、風眼坊に案内してくれと言う。風眼坊にしても別に急いで帰る必要もないので、はいはい、と付き合う事にした。

 飛騨白川郷の鳩ケ谷の道場に寄って、越中の国(富山県)に入り、五箇山の赤尾の道場に寄って、井波の瑞泉寺(ズイセンジ)へと向かった。

 瑞泉寺には蓮如の次男の蓮乗(レンジョウ)がいた。突然の蓮如の訪問に驚いたが、慌てる事なく落ち着いて一行を迎えた。蓮乗は蓮誓の兄で、年は三十前後、見るからに頭のよさそうな坊主だった。

 次の日、蓮乗と一緒に一行は加賀に戻り、二俣(フタマタ)の本泉寺(ホンセンジ)に向かった。そこで風眼坊は、蓮誓の育ての親、勝如尼(ショウニョニ)と出会った。蓮如の叔母だというが蓮如よりはずっと若かった。そして、その叔母、勝如尼は何事にも良く気が付き、じっとしている事などない位、よく働いていた。蓮誓の嫁の如専(ニョセン)も、この叔母に色々と仕込まれたのだろう、と風眼坊は納得した。

 瑞泉寺では、蓮如は蓮乗に、今回は忍びの旅だからと蓮如の来た事を公表させなかったが、本泉寺ではそうは行かなかった。勝如は、蓮如が来た事を早々と公表してしまい、蓮如は大勢の門徒たちに説教をしなければならなかった。

 風眼坊と慶聞坊の二人は本泉寺の坊主たちと一緒に、集まって来た大勢の門徒たちの整理をしなければならなかった。

 風眼坊はその門徒たちの数を見て、実際、驚いた。

 蓮如が来たというだけで、これだけの人が集まって来るとは凄いものだった。この熱狂的な門徒たちの力というものは、やはり危険なものを含んでいた。蓮如は勿論、この門徒たちを利用して何かをしようとはしない。しかし、この門徒たちの力を利用しようとする者が必ず、出て来るに違いなかった。あるいは、すでに出て来ているのかもしれない。その時、蓮如は一体、どうするつもりなのだろうか、風眼坊は他人事ながら心配した。

 門徒たちに囲まれて大忙しだった本泉寺を後にし、一行はあちこちの小さな道場に立ち寄りながら、波佐谷(ハサダニ)の松岡寺(ショウコウジ)に向かった。

 途中、手取川の下流にある島田道場に寄った時、一行は物凄い歓待を受けた。その道場でも蓮如は本名を隠していたが、たまたま蓮如の顔を知っている者がいて、強引に、ある屋敷に連れて行かれた。

 その屋敷は深い濠と高い土塁に囲まれた大きな屋敷だった。その屋敷の片隅に立派な道場が建てられ、門徒たちが数人集まって世間話をしていた。

 屋敷の主は安吉(ヤスヨシ)源左衛門という手取川流域一帯を支配する国人だった。源左衛門の先祖は源氏で、源平の兵乱の頃、源義仲に従って加賀に来て、この地に土着し、代を重ねるごとに勢力を広げて行った。今では百姓だけでなく、手取川の河原者までも支配している豪族だった。

 河原者と言っても町中に住む河原者たちとは違って、乞食とか芸人とかはいない。ほとんどの者たちが手取川を利用した運送業に携わっている者たちだった。源左衛門は武士でありながら白山の社人となり、手取川の運送の権利を手に入れて河原者たちを支配し、手取川に於ける運送業を独占していた。当時の一般的な武士とは違い、土地だけに囚われず、商人的な発想を持った新しい種類の武士と言えた。その源左衛門が今度は熱心な本願寺門徒となったのだった。

 源左衛門も初めは好きで門徒になったわけではなかった。百姓や河原者たちが続々と門徒になってしまい、自分に反抗までするようになったので、仕方なく門徒となり、道場の坊主として、百姓や河原者たちを支配して行く事にしたのだった。しかし、本願寺の門徒となり道場主になってみると、自分の勢力を広げるのに、本願寺の組織は好都合にできている事を知った。教えを広めるという名目で勢力を広げる事が堂々とできるのだった。

 源左衛門は他所の荘園の百姓たちに熱心に教えを広めて門徒化し、荘園の代官と対立させ、代官が武力を持って門徒たちを押えようとすると、門徒たちを救えと攻め寄せ、代官を追い出して荘園の横領をした。そうして着々と勢力を伸ばして行った。

 源左衛門は蓮如を鄭重に持て成した。

 島田道場は蓮如の弟子の法敬坊順誓(ホウキョウボウジュンセイ)が建てたもので、源左衛門は法敬坊の弟子となり、了海坊(リョウカイボウ)と名乗っていた。源左衛門は自分の道場に門徒たちを集め、蓮如の説教を聞いた。源左衛門も道場の片隅で、上人様、直々の教えを聞いていた。心の底から有り難い教えだと思い、熱心に念仏を唱えた。

 風眼坊はそんな源左衛門をじっと見ていたが、この辺り一帯を支配している豪族には全然見えない、本当に熱心な門徒だと思った。確かに、この時の源左衛門は熱心な門徒に違いなかった。しかし、心の奥では上人様がこの道場に来たというだけで、道場の格が上がり、門徒が益々、増えるだろうと計算していた。

 説教が済むと広間の方に案内され、御馳走攻めだった。どこから呼んだのか、曲舞(クセマイ)女たちの華麗な舞も披露され、綺麗どころの遊女たちも現れた。

 蓮如がどんな反応を示すだろう、と風眼坊は見守っていた。蓮如は女たちを避けるような堅物(カタブツ)ではなかった。ニコニコしながら遊女の酌を受けていた。そんな蓮如に比べ、慶聞坊の方が余程、堅いらしく妙に畏まっていた。最も、隣に蓮如がいては慶聞坊としても騒ぐわけには行かないのかもしれなかった。

 次の日、源左衛門の屋敷を後にして、手取川の支流が何本も流れ、大きな石がごろごろしている広い河原を歩き、山上(辰口町)の道場、板津(小松市)の道場に寄り、波佐谷の松岡寺に着いた。

 松岡寺には蓮如の三男の蓮綱(レンコウ)がいた。蓮綱は日に焼けて真っ黒な顔をした若者だった。父親に似て布教のために毎日、歩き回っているようだった。蓮如と蓮綱の話を聞いていると、松岡寺の門徒たちは大杉谷川流域の川の民や木地師、猟師、炭焼き、鍛冶師、鋳物師(イモジ)、金掘りなどの山の民たちが多いようだった。

 松岡寺から今度は海岸に出て、漁師たちの道場を巡って、山田光教寺に帰って来た。

 風眼坊が白山に登って来ると言って慶覚坊の多屋を出てから、すでに十七日が過ぎていた。

 慶覚坊は多屋にいた。

 風眼坊が顔を出すと、「随分、のんびりと山に行ってたのう。どこぞに、いい女子(オナゴ)でもおったのか」と笑った。

「いや。女子には縁がなかったが、山の中で、ちょっと変わったお人に出会ってのう。ずっと一緒に旅しておったんじゃ」

「ほう、相変わらず物好きじゃのう」

「なに、わしが頼んだんじゃよ」と風眼坊の後ろから蓮如が言った。

 蓮如と慶聞坊が風眼坊の後ろから顔を出して笑った。

「楽しい旅じゃったわ」と蓮如は言った。

「上人様‥‥‥慶聞坊も一体、どうしたんじゃ。風眼坊、もしかして、山の中で会ったお人と言うのは上人様じゃったのか」

「そういう事じゃ。阿弥陀如来様のお導きでな、ずっと旅をしておったというわけじゃ」

「ほう。そいつは驚きじゃのう。上人様、さあ、どうぞ、お上がり下さい」

 蓮如と慶聞坊は慶覚坊に旅の話をして、慶覚坊の妻、おつたが沸かしてくれた風呂に入ってさっぱりすると、光教寺の蓮誓に会いに出掛けた。

 慶覚坊も二人と一緒に光教寺に行った。

 風眼坊はのんびりと風呂に浸かり、客間に戻ると横になった。

 慶聞坊の多屋には客間が四部屋あり、泊まりの門徒たちが朝夕、念仏を唱える部屋が一部屋あった。風眼坊が寝泊りしている部屋は一番奥の部屋だった。

 風眼坊は部屋で横になりながら本願寺の事を考えていた。ずっと一緒に旅をしていて、蓮如の教えは良く分かった。誰にでも分かる簡単な教えだった。分かり易い反面、取り違えてしまう可能性も多いような気がした。

 本願寺の門徒は、ほとんどの者が百姓や山の民、川の民、海の民などの下層階級の者たちだった。はっきり言って、今まで仏教など縁のなかった者たちと言ってもいい。仏教というのは公家や武士たちのもの、あるいは都に住む裕福な町人たちのものだった。彼らの宗教と言えば、古くからの山の神や先祖を祀る位のものだったろう。そこには思想と言えるものはなかった。

 蓮如の前にも、彼らを対象とした浄土真宗はあったし、時宗というのもあった。しかし、それらは本願寺のように組織されなかった。蓮如は各村々に講と言う寄り合いを作り、門徒たちを団結させた。講は各道場で行なわれ、道場主は坊主と呼ばれた。坊主と言っても出家するわけではなく、一応、法名で呼ばれるが俗体のままだった。

 蓮如の教えを各道場まで伝えるために、道場の上に末寺(マツジ)を置き、その上に有力寺院を置いた。蓮如の書いた『御文』は、その組織によって各道場に配られた。

 蓮如が作った組織は教えを広めるためのもので、門徒よりも道場主、道場主よりも寺の坊主の方が偉い、というものではなかったが、組織には必ず権力が付きものだった。現に、道場主、あるいは、寺の坊主の中に百姓たちを支配するために、門徒となった国人や地侍がかなり入り込んでいた。彼らは常に隙あらば領土を拡大しようと思っている。初めのうちは百姓たちの支配を続けるために仕方なく門徒になった国人たちも、今は、門徒たちを利用して領土を拡大しようとたくらんでいる。

 土地を手に入れるには、まず、そこを耕している百姓を自分の道場の門徒にして、蓮如の教え、阿弥陀如来のもとでは皆、平等だと説き、領主に年貢など払う必要などないと教え込み、年貢をそっくり本願寺への貢物(ミツギモノ)だと言って奪い取るに違いなかった。そして、奪い取った年貢の一部を本願寺に送り、後はそっくり自分の懐(フトコロ)に入れるという具合だろう。

 加賀の国には京や奈良の大寺院や公家たちの荘園及び、幕府の御領所が、かなりあると聞く。そのうち、必ず問題が起きるのは確実だった。

 慶覚坊が戻って来た。

「上人様を白山に連れて行ったそうじゃのう」と慶覚坊は縁側に腰を下ろすと言った。

「ああ、感激しておった」

「そいつは良かったのう。しかし、上人様も危険な事をなさるもんじゃ」

「白山は危険じゃったのか」と風眼坊は聞いた。

「ああ、危険じゃ。もし、正体がばれたら殺された事じゃろう」

「そうか‥‥‥ところで、おぬし、付火の下手人を捜しておったそうじゃのう。見つかったのか」

「ああ、見つかった。吉野でな」

「吉野? それじゃあ、おぬし、下手人を追って吉野に来たのか」

「そういう事じゃ。そして、おぬしの事を聞いて山に登ったんじゃ」

「そうじゃったのか。それで、下手人はどいつだったんじゃ」

「平泉寺の山伏じゃ」

「平泉寺? 豊原寺じゃなかったのか」

「ああ。わしも初めは豊原寺じゃと思った。しかし、平泉寺じゃった」

「平泉寺が、どうして、また」

「吉崎御坊が出来てからというもの、越前と加賀の信者の数が半分近くも減ったそうじゃ。白山に登らずに、皆、吉崎にお参りに来てしまうんじゃと。この戦続きで、ただでさえ、白山に登る信者の数が減っておると言うのに、地元の信者まで取られてしまい、平泉寺としても、せっぱ詰まった所まで来ておるらしいのう」

「確かにのう」と風眼坊は頷いた。「吉野や熊野でさえ、今回の戦はこたえておるからのう‥‥‥本願寺は白山も敵に回したか‥‥‥」

「まあ、敵には違いないが、実際、今のこの辺りの事情はそんな簡単なもんじゃない。えらく、複雑なんじゃよ」

「どう、複雑なんじゃ」

「まず、加賀の守護職(シュゴシキ)の富樫(トガシ)が、兄の次郎政親(マサチカ)派と弟の幸千代(コウチヨ)派の二つに分かれて争っておる。そして、越前では朝倉弾正左衛門と甲斐八郎が戦っておる。本願寺は戦はせんが、応仁の乱が始まった頃より東軍方じゃ。朝倉と富樫次郎が東軍で、甲斐と富樫幸千代が西軍じゃ。白山も朝倉と富樫次郎と手を結んで東軍なんじゃよ。豊原寺は甲斐と手を結んで西軍方なんじゃが、甲斐はついこの間、またもや朝倉との戦に負けて、今は富樫幸千代のいる蓮台寺城におる。豊原寺は孤立してしまい、今では朝倉と組もうとしておる。富樫次郎の方は、去年、幸千代に負けて加賀を追い出され、今、越前の朝倉の一乗谷におるんじゃ。そして、もう一つ厄介なものがおる。本願寺と同じ浄土真宗の高田派じゃ。高田派は本願寺と対抗するために、西軍の富樫幸千代と手を結んだんじゃ。今の所は、幸千代も本願寺を敵に回したくはないので高田派の動きを押えておるが、いつ爆発するのか分からん状態なんじゃ」

「成程のう。入り乱れておるのう」

「鍵を握っておるのは本願寺なんじゃよ。上人様は戦など絶対に許さんじゃろう。しかし、門徒たちが勝手に動き出したら、たとえ、上人様でも止める事はできんじゃろう」

「動く気配はあるのか」

「ある。上人様が知らないだけで多屋衆は動き始めておる」

「どう、動き始めておるんじゃ」

「高田派を加賀から追い出すために富樫次郎、朝倉弾正左衛門と連絡と取り始めておる」

「本願寺も、とうとう戦を始めるのか」

 慶覚坊は頷いた。「時間の問題じゃろうのう」

「しかし、蓮如殿が戦を許さんじゃろう。いくら門徒が多いとは言え、やはり、蓮如殿が命令を下さん事には門徒たちも一丸とはなるまい」

「まあ、そうじゃろうのう。明日、上人様を送って吉崎に行くんじゃが、おぬしも一緒に来てくれ。会わせたい人がおる」

「誰じゃ」

「付いて来れば、分かる」

「ああ、いいだろう。確かに、おぬしの言った通り、面白くなりそうじゃのう」

「近いうちに、おぬしの剣術が役に立つようになるわ」

「らしいのう」と風眼坊は苦笑いをした。
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