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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
8.笛の音1






 下界は物凄く暑かった。

 もう一度、山の中に戻って、思い切り滝を浴びたい気分だった。

 孫三郎は顔に流れる汗を拭いながら、「暑い、暑い」と文句を言っている。

 智春尼も暑くて溜まらないと、時折、恨めしそうに太陽を仰いでいた。しかし、風眼坊とお雪の二人は、そんな事、まったく気にならないかのようだった。

 お雪は何が嬉しいのか、始終ニコニコしながら歩いていた。照り付ける強い日差しも、流れる汗も、何もかもが楽しくてしょうがないようだった。

 一方、風眼坊の方は何か考え事をしているらしく、黙り込んだまま歩いている。つい、急ぎ足になってしまい、ふと、みんなの事に気づいて足を緩めるが、また、いつの間にか、速足になってしまっていた。

 風眼坊は、甲斐八郎という心強い味方を失った富樫幸千代の事を考えていた。

 果たして、幸千代はどう動くか。

 甲斐八郎は世話になった幸千代のもとを離れるに当たって、朝倉弾正左衛門尉が富樫次郎のために動かないようにさせると約束したに違いない。そして、弾正左衛門尉としても次郎を匿っているにしろ、次郎が加賀に進攻するに当たって表立って兵を出す事はないだろう。

 多分、朝倉としては今、越前の国をまとめる事に躍起になっている。甲斐と和解したというのも単なる方便に違いない。

 朝倉と甲斐が加賀の事から手を引いたとなると、やはり、両者の鍵を握っているのは本願寺という事になる。本願寺を味方に付けた方が勝利を納めるという事になるだろう。

 それと、白山の衆徒がどう動くかも問題だった。

 幸千代には高田派の門徒が付いている。高田派の門徒が付いている限り、本願寺の敵という事になるが、幸千代は高田派門徒のために本願寺を敵にする事になるのか。

 それとも、本願寺に恨みを持っている白山の衆徒を味方に引き入れるか。

 いや、白山衆徒も朝倉に逆らってまで幸千代の味方はするまい。

 となると、やはり、幸千代と高田派門徒対次郎と本願寺門徒の戦という事になりそうじゃ。本願寺が一つにまとまれば勝ち目は絶対だが、蓮如が見て見ぬ振りをしていると勝ち目はないかもしれん。蓮如の命令一つで、幸千代の命も、本願寺の命も決まるという事になりそうじゃ。

 決め手は蓮崇の画策した幕府の奉書次第じゃなと風眼坊は思った。

 吉崎に着くと、風眼坊はお雪を蓮如の妻、如勝に預けた。

「これからの事をゆっくりと考えるんじゃな」と風眼坊はお雪に言って笑った。

「はい」と頷くと、お雪もニコッと笑った。

 お雪の素直な笑顔を見て、本当にいい女だと風眼坊は思った。自分の娘程も年が離れているが、風眼坊もやはり男だった。今まで一緒に暮らして来て、お雪を抱きたいと思った事は一度もなかったとは言い切れなかった。

「風眼坊殿はどこに行かれるのですか」とお雪は聞いた。

「わしか、ちょっと、知り合いに会って来る」

「この吉崎には、いらっしゃるのですね」

「ああ、当分はいる事になるじゃろう」

「もし、この地を離れる時は黙って行かないで下さいね」

「ああ、分かった」

 風眼坊は孫三郎を連れて庫裏を出た。とりあえずは蓮崇に会おうと思って、蓮崇の多屋に向かおうとしたら、途中の坂道で慶聞坊とばったり出会った。

「風眼坊殿、一体、どこに行っておったんです。大変な事が起こったんですよ」

「甲斐の事じゃろう」

「ええ、それもですが、それだけじゃありません。まあ、ここじゃ何ですから、わしの所まで来て下さい」

 風眼坊たちは慶聞坊の多屋の一室に案内された。

 先客がいた。

 安藤九郎と言う名の三十前後の武士で、慶聞坊と同じ位の年の男だった。九郎は山田光教寺の少し先にある弓波(ユナミ)勝光寺の門徒だと言う。

 風眼坊は杉谷孫三郎を二人に紹介して部屋に上がった。

「風眼坊殿、大変な事が起きたのですよ」と慶聞坊は部屋と戸を閉めると、風眼坊の顔を見ながら言った。そして、風眼坊の前に座ると事の成り行きを小声で説明した。

 まず、六月十日、美濃の国の守護代、斎藤妙椿の仲裁によって、朝倉と甲斐の和解が成り立った。翌十一日には、甲斐の軍勢が幸千代の蓮台寺城から越前に帰って行った。

 そこまでは風眼坊も聞いて知っていた。それからが大変だった。

 翌、十二日、高田派門徒が蜂起して蓮台寺城の近くの本蓮寺(ホンレンジ)を襲撃し、寺を破壊して火を付け、門徒たちを殺し回った。

 本蓮寺としても、甲斐が去って行くのを見て、何かが起こりそうな予感がして、一応、警固を固めていたが、あまりにも急だったため、どうする事もできなかった。

 高田派門徒は武器を持って山の上から本蓮寺になだれ込み、目の前にいる者たち、誰彼構わず撫で斬りにし、本蓮寺に押し込むと手当り次第に破壊、金目の物を奪って、最後には寺に火を掛けた。本蓮寺だけでなく多屋にも押し入り、好き放題に暴れ回って女たちを暴行し、年寄り、子供までも殺して行った。

 本蓮寺には蓮如の異母弟、蓮照(レンショウ)がいたが、門徒たちに守られて無事に脱出し、近くの波佐谷(ハサダニ)の松岡寺(ショウコウジ)に逃げ込んだ。

 高田派門徒らは勝った勢いに乗って、次には松岡寺に襲い掛かった。松岡寺は本蓮寺の事を聞くと、すぐに守りを固めたので、何とか襲撃はまぬがれたものの、松岡寺の門前に並ぶ家々は襲撃されて破壊された。その日の襲撃による被害者の数は正確には分からないが、少なくとも百人に及ぶ死者が出ているらしい。

 もう、戦が始まったのかと風眼坊は驚き、「どうして、また、高田派門徒は急に蜂起したんじゃ」と慶聞坊に聞いた。

「それが、どうも、幸千代方が二つに分かれたらしいのです」と安藤九郎が答えた。

「どういう事じゃ」

「甲斐八郎に去られて、有力な味方を失った幸千代にとって、本願寺の存在が不気味に思えて来たのでしょう。今まで通りに、高田派と共に本願寺を敵に回しては自分らが危ないと思う連中が現れ、高田派を見捨てて、本願寺と手を組もうとする奴が出て来たらしいのです。元々、幸千代は本願寺を敵にしようとは思っていません。高田派門徒が頼って来たので、反本願寺という立場に立っておりますが、今まで、逸る高田派の動きを押えて来た事も事実です。そこで、本蓮寺の蓮照殿のもとに使いを送ったらしいのですが、その事が高田派にばれて、急に、あんな行動に出たものと思われます。事実、高田派の連中は本蓮寺を襲撃した時、幸千代の名を出しておりました」

「成程のう。高田派としても、幸千代から見放されたら勝ち目はないからのう。本願寺が一つにまとまる前に先手を打って出たわけじゃな。しかも、幸千代を巻添えにして」

「そういうわけです」

「それで、松岡寺の方はどうなったんじゃ。蓮綱(レンコウ)殿は勿論、大丈夫なんじゃろうな」

「はい、蓮綱殿は大丈夫です。しかし、もう十日も経ちますが、未だに、高田派と本願寺派の門徒の睨み合いが続いております」

「幸千代は動かんのか」

「まだ動いておりません。正式に本願寺を敵に回すのを恐れておるんでしょう。門徒同士の争いだから、富樫家には関係ないと言った有り様です。本願寺の門徒は、上人様が戦を許しませんから高田派を攻める事はできません。高田派の方も幸千代が味方になってくれないと攻めても負けるというわけで、お互いに睨み合っておるだけです。しかし、ちょっとしたきっかけがあれば、すぐにでも戦になる可能性は充分にあります」

「一乗谷にいる次郎の方はどうじゃ、動く気配はあるのか」

「その次郎ですが、とうとう、ここに来ましたよ」と慶聞坊が言った。

「なに、ここに来たのか」

「はい、十五日です。松岡寺で睨み合いが続いている最中、上人様に会いに来ました」

「それで、上人様は会ったのか」

「会いました。会いたくはなかったようでしたが、上人様は、来る者は拒まずという方針ですから仕方なく会ったようです。次郎は幸千代に横領された幕府の御領所(ゴリョウショ)や寺社や公家の荘園の事などを話し、是非、幸千代を倒すのに力を貸してくれと頼みました。また、自分が加賀に戻って、改めて守護になったあかつきには、本願寺を保護し、上人様の布教活動の応援まですると言いましたが、上人様のお考えは変わりません。門徒たちに戦をさせるわけにはいかん、ときっぱりお断りになりました」

「とうとう、あの次郎も動きだしたか‥‥‥」

「次郎は上人様と会った後、蓮崇殿に会いたかったようでしたが、蓮崇殿は松岡寺の騒ぎに行っておって、生憎、留守だったので仕方なく引き上げて行きました」

「蓮崇殿は松岡寺に行かれたのか‥‥‥もしかしたら慶覚坊の奴も今、松岡寺におるのか」

「いえ」と九郎が首を振った。「慶覚坊殿はもう山田に帰りました。もしものために敵を後ろから攻める準備をしておるはずです」

「そうか」と風眼坊は頷き、「ところで、例の物は、まだ、来ないのか」と慶聞坊に聞いた。

「例の物?‥‥‥ああ、まだです。しかし、それが届いたら上人様は辛い事でしょう。今もかなり悩んでおられます。とても側で見ておられません」

「そうじゃろうのう‥‥‥」

 風眼坊は慶聞坊に孫三郎を預けると御山の方に戻って行った。

 書院に顔を出し、取り次ぎの坊主に蓮如の事を聞くと、書斎に籠もったまま誰とも会おうとしないと言った。

 風眼坊は構わず、蓮如の書斎の外から声を掛けた。

「風眼坊殿か。どこに行っておったのじゃ。まあ、入れ」と力のない蓮如の声が返って来た。

 風眼坊は中に入った。

 蓮如は何かを読んでいた。

「もう、大峯に帰ってしまったのかと思っておったわ」と言って、蓮如は笑った。

 しばらく見ないうちに、随分と年を取ってしまったような気がした。

「そなたがいない間に、とんでもない事が起こってのう。わしには、どうしたらいいのか分からなくなってしもうたわ。どうしたらいいのか、親鸞聖人様も答えを教えてはくれん。わしはもう、この北陸の地から逃げ出したくなったわ」

 風眼坊には何と答えたらいいのか分からなかった。ただ、黙って蓮如の話を聞いているしかできなかった。





 蓮如と別れた風眼坊は本堂の裏手に出て、海を眺めていた。

 とうとう、始まってしまったか‥‥‥

 蓮如はどう出るか。

 敵が攻めて来ても戦ってはいかん、と言うのだろうか。

 蓮如には逃げる場所があるが、門徒たちにはない。門徒たちには、この土地に生活がある。生活を脅かされるような切羽(セッパ)詰まった状況になれば、蓮如が何を言おうと自分たちの力で戦うより他ないだろう。もし、そうなったとして、蓮如は自分に背いた門徒たちをどうするのだろうか。

 破門か。

 蓮如としても、本願寺のために戦った者たちを破門する事はできまい。そんな事をしたら、せっかく築き上げた本願寺が崩壊してしまうだろう。

 逆に、本願寺のために戦え、と命じたらどうなるか。

 そんな事をしたら、この北陸の地は戦乱に明け暮れる事になるのは間違いなかった。門徒たちの中に紛れこんでいる国人たちが、待っていましたと『本願寺のために』と言う名目を掲げ、領土拡大に乗り出すに違いなかった。そして、いつの日か、守護を追い出し、蓮崇や慶覚坊の言っていた『本願寺の持ちたる国』というのが出現するかもしれない。しかし、それを実現するには、多大な犠牲者を出す事になろう。そして、その犠牲者のほとんどが名もない本願寺の門徒たちに違いなかった。純粋な気持ちで蓮如に帰依(キエ)している名もなく弱い門徒たちに違いなかった。

 蓮如は多分、先の事まで考えた上で悩んでいるのだろう。名もない門徒たちを戦に巻き込み、犠牲者にしたくはないのだろう。しかし、いつまでも悩んでもいられない。答えを出さなくてはならない時期が迫っていた。

 ここもやられるかもしれないな、と風眼坊は本堂の方に目をやった。

 お雪が働いている姿が目に入った。何だか、楽しそうだった。

 あの娘を、また、悲惨な戦には巻き込みたくはないな、と思った。

 一人の坊主が風眼坊の方に近づいて来て、声を掛けて来た。

「蓮崇殿に頼まれました。多屋の方に来てくれとの事です」

「なに、蓮崇殿は帰って来られたのか」

「はい。ついさっき帰って来られました。上人様に松岡寺の状況を説明して、今、多屋の方にお帰りになりました」

「そうか、分かった。すぐに行く」

 日に焼けた蓮崇が井戸の所で水を浴びていた。

 風眼坊の顔を見ると、「一緒に水を浴びんか、気持ちいいぞ」と笑った。

 水を浴びて、さっぱりすると風眼坊と蓮崇は蔵の方に向かった。この間、慶覚坊たちが作戦会議をしていた例の蔵だった。

 中には誰もいなかった。

 蓮崇は明かりを点けると座り込んだ。

「山に籠もっておったそうですな」

「ええ。松岡寺の方はどんな様子です」と風眼坊は蓮崇の前に座ると聞いた。

「今のところは膠着状態が続いております。松岡寺の守りを固めて来ましたから、総攻撃を受けても三日は持ちこたえられるでしょう。三日間、持ちこたえれば、敵を完全に包囲する事ができるような手筈になっております」

「もし、敵が攻めて来たら、やるのか」

「松岡寺には蓮綱殿がおられます。見殺しにはできません」

「上人様が反対してもか」

「仕方ありません‥‥‥」

「そうか‥‥‥ところで聞きたいんじゃが、高田派の門徒というのはどれ位おるんじゃ」

「そうですね。兵力となるのはざっと一万というところでしょうか。ただし、これは加賀の国内だけです。越前にも一万はいると見ていいでしょう。ただ、越前の高田派がすべて、加賀の高田派に味方する事はないでしょう。加賀の高田派に味方するという事は、幸千代に味方をするという事になり、次郎派の朝倉に敵対する事になります。朝倉に敵対してまで、加賀の高田派を助けるとは思えません」

「成程、加賀の高田派を助けたら自分の足元が危なくなると言うわけじゃな」

「そう言う事です」

「となると、越前の高田派は数に入れなくてもいいわけじゃな」

「まあ、数に入れても一千、あるいは二千位が、ここ、吉崎に攻めて来るだろうとは思いますが‥‥‥」

「うむ。幸千代の兵力はどれ位じゃ」

「幸千代は何せ、地元ですからね。今の所は二万はおると思いますが、状況次第で、半分以上は次郎方に寝返ります」

「本願寺の方はどれ位じゃ」

「残念ながら、今のところは一万ちょっとです。越前の門徒を入れて一万五、六千と言うところでしょうか」

「なに! この前、五万と言わなかったか」

「ええ、確かに兵力となる門徒は五万はおります。しかし、上人様が命令を下さない限り、五万は動きません。今回、あちこちに行ってみて、改めて、上人様の大きさが分かりました。上人様の教えに背いてまでも戦うと言う者はほんの一万余りでした。それも、ほとんどの者が国人上がりの坊主たちです。在地の領主たちというわけです。彼らは負ければ土地を失う事になる。戦わずにはおれんのです」

「そうか、一万五、六千か‥‥‥富樫次郎の兵力を入れても二万余りか」

「まあ、そんなところです」

「二万と三万か‥‥‥不利じゃのう」

 蓮崇は厳しい顔付きで頷いた。「今の状況では、はっきり言って不利と言えます。今、次郎が加賀に攻め込んで来たら、先手を打って、幸千代は高田派と組んで松岡寺を攻撃する事になるでしょう。幸千代の二万と高田派の一万で松岡寺を総攻撃されたら、完全に本願寺方の負けです。戦の流れとして、一度、敗北を帰してしまうと立て直すのは不可能と言ってもいいでしょう。勢いに乗った幸千代と高田派の連合軍は本願寺の寺院を片っ端から破壊する事でしょう。次郎は恐れをなして越前に逃げ、本願寺の門徒も越前に逃げる事になるかもしれません」

「ありえるな‥‥‥」

「問題は河北(カホク)郡なんです。河北郡の中心をなしておる二俣の本泉寺が絶対に動こうとしないのです。本泉寺の勝如尼(ショウニョニ)殿の力は未だ絶大です。有力門徒を抱える鳥越(トリゴエ)の弘願寺(グガンジ)、木越(キゴシ)の光徳寺、磯部の聖安寺(ショウアンジ)、それに石川郡なんですが、吉藤(ヨシフジ)の専光寺がまったく動こうとしません。それらの門徒だけでも二万はおるはずです」

「ほう、河北郡にそんなにも門徒がおるのか」

「ええ、本願寺の門徒はほとんどが北加賀に集中しております。北加賀は白山とも離れておりますし、政治上でも、年中、守護が入れ代わっておりましたから、教線を広げ易かったのです。五万いる門徒の内、三分の二以上、北加賀におると言ってもいい程です」

「ほう、北の方に門徒が多いのか‥‥‥」

「何とか、勝如尼殿を説得しようと試みましたが、無駄でした」

「それで、これから、どうするつもりじゃ」

「それなんです。実は風眼坊殿に上人様をここから連れ出して貰いたいのです」

「なに」

「この前のように、しばらくの間、旅に連れて行って欲しいのです。できれば、もう一度、白山の山の中にでも連れて行って欲しいのですが‥‥‥」

「ここから上人様を追い出して、何をしようとするんじゃ」

 蓮崇は風眼坊の目を見つめてから視線をそらし、薄暗い蔵の中を照らしている炎を見つめながら低い声で言った。

「偽の『御文』を書いて、ばらまきます」

「高田派を倒せ、と書くのか」

 蓮崇は頷いた。

「上人様にその事がばれたら、いや、ばれるに決まっておるが、とんでもない事になるぞ」

「分かっております。多分、破門されるでしょう。しかし、今、本願寺を一つにまとめなければ本願寺は負けます‥‥‥負けるのを知りながら、何もしないで見ておるわけにはいきません。」

「そのことを誰か知っておるのか」

 蓮崇は首を振った。「風眼坊殿しか知りません」

「一人で罪を背負うというわけか。いや、おぬしの話を聞いたからには、わしも共犯という事じゃな」

「風眼坊殿は聞かなかった事にして下さい」

「うーむ」と唸って、風眼坊は蓮崇の顔を見た。すでに、覚悟を決めている顔付きだった。「大それた事を考えたものじゃな」

「ここまで来たら、他に方法はありません」

「しかしのう、わしには賛成できん。おぬしの作戦が失敗すれば勿論の事、成功したとしても、おぬしは破門という事になるじゃろう」

「分かっております。しかし‥‥‥」

「幕府の奉書の方はどうなっておるんじゃ」

「分かりません。多分、間に会わないでしょう」

「ここまで来たんじゃ。もう少し待ってみたらどうじゃ」

「はい。しかし、待っても五日が限度でしょう。それ以上遅くなると手遅れになります」

「分かった。五日、待つ事にしよう。五日、待って幕府の奉書が来なかったら、何とか、蓮如殿をここから連れ出す事にしよう」

「風眼坊殿、お願いします」

 蓮崇は頭を下げた。蓮崇の両拳は強く握られ、震えていた。

「風眼坊殿、ただ、慶聞坊は連れて行かないで下さい」

「うむ、分かった」

 薄暗い蔵の中から外に出ると、もう日が暮れかかっていた。

 旅に出るまで、のんびりしていてくれ、と風眼坊は客間の一室を与えられた。





 蓮崇は毎日、熱心に土木工事の指揮を執っていた。

 松岡寺の近くの金平(カネヒラ)という所にある金山から連れて来た金(カネ)掘り衆を使って、吉崎御坊を完璧な城塞へと変えて行った。

 蓮如は蓮崇のしている事を知ってはいても何も言わなかった。今現在も、息子、蓮綱のいる松岡寺が敵に囲まれている状況なので、やめろとは口に出して言えなかった。

 風眼坊はする事もなく、門前町をぶらぶらしたり、部屋でごろごろしていた。

 杉谷孫三郎は慶聞坊のもとで雑用に励んでいた。

 お雪も如勝のもとで雑用に励んでいた。

 風眼坊にはやる事が何もなかった。

 蓮崇と約束した手前、五日間はここにいて、幕府の奉書が届くのを待たなければならなかった。蓮崇のためにも五日間のうちに奉書が届く事を願わずにはいられなかった。

 風眼坊がお雪を連れて山に入ったのが先月の閏(ウルウ)五月の二十八日、山から下りて来たのが六月の二十二日だった。

 その間の六月十日に朝倉と甲斐の和解があり、十二日に高田派門徒が蜂起し、本蓮寺を襲い、松岡寺にも迫った。そして、未だに松岡寺において本願寺門徒と高田派門徒の睨み合いが続いている。六月十五日、一乗谷にいる富樫次郎が蓮如の助けを借りに吉崎に来た。蓮崇からの情報によると、次郎は一乗谷において加賀に進攻する準備を着々と進めていると言う。これが、今の状況だった。

 二十四日の昼過ぎ、慶覚坊が吉崎にやって来た。

 慶覚坊だけではない。明日の二十五日に恒例の吉崎の講があるので、各地から門徒たちが続々と押し寄せて来た。

 慶覚坊は風眼坊のいる客間に来ると、「大変な事になったわい」と暇そうに寝そべっている風眼坊に言った。

「わしはつまらん」と風眼坊はこぼした。

「まあ、そう言うな」

「本願寺に勝ち目はあるのか」風眼坊は体を起こすと聞いた。

「はっきり言って五分五分じゃな。以外に高田派の連中もしぶといわ」

「上人様次第というわけじゃな」

「そういう事じゃ。明日、講が行なわれるが、上人様が何とおっしゃるか、みんな、期待しておる」

「上人様が『戦え』と言う事をか」

「そうじゃ。今、蓮綱殿が危険な状態にある。上人様にとっても他人事では済まされんじゃろ」

「上人様は『戦え』と言うと思うか」

「いや。言うまい」

「だろうな。たとえ、蓮綱殿を殺されても、蓮如殿は教えに逆らうような事を自分の口からは言うまい」

「ああ」と慶覚坊は頷いた。「しかし、もし、蓮綱殿が殺されるような事になれば、上人様が何と言おうと本願寺門徒は立つじゃろう」

「弔(トムラ)い合戦か‥‥‥」

「そうはさせたくないがな」

 風眼坊と慶覚坊は蓮崇が帰って来るのをずっと待っていたが、蓮崇はなかなか帰って来なかった。

「遅いのう」

「どうせ、暗くなるまで戻って来んじゃろう。穴を掘ったり、土塁を作ったりするのが、余程、好きらしい」

 慶覚坊は笑いながら頷いた。「蓮崇殿は、なかなか城作りのつぼを心得ておる。城を作るような事になったら、蓮崇殿に頼むがいい」

「わしが城をか。わしが城を作る事など、まず、あるまい」

「分からんぞ。これからは実力がものを言う。おぬし程の男なら城の主になったとて、おかしくはない」

「何を言うか」

「わしものう、本願寺の坊主になっておらなかったら、実力を持って、この加賀の国を盗み取ってみたいと思う事があるわ」

「一国の主(アルジ)になると言うのか」

「夢じゃ‥‥‥夢じゃよ」と慶覚坊は笑った。

 風眼坊は慶覚坊の顔をまじまじと見ていた。

「なあ、風眼坊、おぬしの夢は何じゃ」

「わしの夢か‥‥‥夢なんて言葉、すっかり、忘れておったわい。わしの夢か‥‥‥何じゃろうのう」

「昔、おぬしとよく夢の事ばかり話しておったのう」

「そうじゃったのう」

「あの頃、これやりたいだの、あれやりたいだの、やりたい事が色々あったが、結局、やった事っていうのは大した事ないのう」

「火乱坊」と風眼坊は慶覚坊の昔の名前を呼んだ。「わしの夢というのを聞いてくれるか」

「何じゃ、おぬしも夢を持っておるんじゃないか」

「ああ。誰でも夢は持っておるんじゃないか。たとえ、ささやかでも夢は持っておるんじゃないのか」

「うむ、そうかもしれんのう。夢でも持たん事には生きていけんのかもしれん。それで、おぬしの夢とやらは一体、何じゃ」

「笑うなよ。わしの夢というのは蓮如殿と同じじゃ」

「なに!」

「蓮如殿は本願寺の教えを以て、この世を阿弥陀の浄土にしようとしておる。戦のない、人々が平等で、平和に暮らせる世の中を作ろうとしておる。わしは蓮如殿とは違うやり方で、平和な世の中を作りたいと思っておる。それが、わしの夢じゃ」

「ほう。でっかく出たな」

「夢じゃ」と風眼坊は笑った。

「その平和な世の中というのをどこに作るんじゃ」

「分からん。分からんが、ここではない事は確かじゃ」

「なぜ、ここではないんじゃ」

「ここには俺の居場所はない」

「何を言う。おぬしが門徒になれば、いくらでも居場所はあるぞ」

「わしの性分なんじゃ。門徒にはならん」

「そうか‥‥‥まあ、いい。とにかく、今回は戦のけりが着くまでは上人様の事を頼むぞ」

「分かっておる」

「蓮崇殿は遅いのう。どうだ、酒でも飲んで待っているか」

「そうするかのう」

 二人が酒を飲み始め、お雪の事を話している時、蓮崇が飛び込んで来た。

 息を切らせながら部屋に上がると一息に酒を飲み干して、風眼坊と慶覚坊の二人の顔を見比べながら急に笑い出した。

「一体、どうしたんじゃ」と慶覚坊が聞いた。

「来たんじゃ。とうとう、来たんじゃよ」と蓮崇は笑いながら言った。

「来た? 敵が攻めて来たのか」と慶覚坊は怪訝な顔で、蓮崇を見ながら聞いた。

「もしかしたら、幕府の奉書が来たのか」と風眼坊は聞いた。

「そうじゃ。来たんじゃ。とうとう来たんじゃ。祝い酒じゃ。飲もう、飲もう」

 幕府からの奉書には、加賀の国の守護職、富樫介(トガシノスケ)政親(次郎)を助け、加賀の国の兵乱を治めよ、と書いてあったと言う。蓮如はその奉書を受け取った後、書斎に籠もってしまった。

 蓮崇は今まで、奉書を持って来た幕府からの使いの者の接待に付き合っていたという。

「よかったのう」と風眼坊は蓮崇に言った。

「ああ、よかった、よかった、助かった。これで、本願寺の勝利、間違いなしじゃ」

「蓮如殿はどうなさるじゃろう」と風眼坊は言った。

「上人様も幕府には逆らえんじゃろうのう」と慶覚坊は言った。

「奉書通りに、富樫次郎を助け、幸千代を倒せ、と命ずるのか」

「いや、そうは言わんじゃろう。多分、上人様は法敵、高田派を倒せ、と命ずるじゃろう」

「その通り」と蓮崇は手を打った。「上人様は今回の戦を宗教上での神聖なる戦いとお考えなのじゃ。そうにでも考えなければ、とても戦の命令などできないじゃろう」

「神聖なる戦か‥‥‥」と風眼坊は呟いた。

「明日から、忙しくなるぞ」

「そうじゃのう。風眼坊には上人様共々、この吉崎を守って貰う事になるじゃろう」

「その事は任せておけ」

「とにかく、間に合ってよかった」と蓮崇は喜んでいた。

「間に合って? おお、間に合ってよかったのう」と慶覚坊も喜んだ。

 蓮崇は偽の御文を書く前でよかったと喜び、慶覚坊は松岡寺が攻撃される前でよかったと喜んでいた。

「とにかく、前祝いじゃ。飲もう」蓮崇は酒を飲み干した。

 本当に嬉しそうだった。蓮崇は死ぬ覚悟で、偽の御文を書くつもりだったのだろう。ぎりぎりの所で首がつながったというわけだった。

 慶覚坊はそんな蓮崇の覚悟は知らなかった。知らなかったが蓮崇の肩を叩きながら、よかった、よかったと喜んでいた。

 慶覚坊は慶覚坊なりに、今回の戦に、やはり、死ぬ覚悟をしていたのかも知れなかった。

 風眼坊はそんな二人を見ながら、しみじみと酒を飲んでいた。

 風眼坊から見たら二人は幸せ者と言えた。自分の命を賭けてまでも守り抜かなければならない本願寺というものがあった。しかし、風眼坊には命を賭けられる程のものは何もなかった。

 今までの自分の人生を振り返って見ても、命を賭けてまで、やって来た事は何もなかった。いつも、行きあたりばったりの人生だったような気がする。

 羨ましそうに二人を見ながら風眼坊は黙々と酒を飲んでいた。
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