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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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4.一乗谷1






 今日も暑かった。

 朝から蝉がやかましく鳴いていた。

 和田の本覚寺から朝倉氏の本拠地、一乗谷はすぐ側だった。

 足羽(アスワ)川に沿って遡(サカノボ)り、途中で川を渡って、さらに川に沿って進んだ。両側に山が迫って来る辺りで、南側の谷から足羽川に流れ込んでいる川があった。その谷の入り口まで来ると蓮崇は風眼坊に、この先が一乗谷だと言った。あの山の上に城があると言って指差したが、山の上の建物までは見えなかった。

 風眼坊と蓮崇はその支流に沿って一乗谷に入って行った。しばらく行くと門があり、門の両脇には一丈半程(約四、五メートル)の高さのある土塁が築かれてあった。

 蓮崇は門番の侍と一言二言、喋(シャベ)ると、風眼坊たちに合図をして門の中に入って行った。

 門をくぐり抜けると蓮崇は、ここは下城戸(シモキド)と呼ばれ、裏口に当たる門だと説明した。大手口に当たる上城戸は二十町程(約二キロ)先の反対側にあるという。

 下城戸の辺りには下級武士の長屋や職人たちの長屋が並んでいた。あまり賑やかではなかった。大きな屋敷が並ぶ間を抜けると、今度は町人たちの家が並び、人々が行き交っていた。

 大きな武家屋敷らしい建物の所を左に曲がると河原に出た。対岸の方を見ると、正面の少し高くなった所に土塁に囲まれた大きな屋敷があった。その屋敷の回りにずらりと武家屋敷が並んでいる。

「あれが、お屋形じゃ」と蓮崇は大きな屋敷を見ながら言った。「お屋形の横を通って、この道を真っすぐ行けば山の上の城に通じている」

 広い河原を歩き、川に架けられた橋を渡った。

 河原には小屋がいくつも立ち、人足やら流人(ルニン)やらが住んでいた。橋の上から城下を見回すと、山の上の城へと続く右岸に武士たちの屋敷が多く並び、左岸の方に町人たちが住んでいるようだった。

 お屋形の回りには濠(ホリ)が掘ってあり、水が溜めてあった。幅五間(約九メートル)はありそうな広い濠だった。濠の向こうの土塁も城戸の所と同じく一丈半はありそうだ。土塁の角の所には見張り櫓(ヤグラ)があり、弓を持った武士が風眼坊たちを見下ろしていた。

 これは、なかなか守りを固めているな、と風眼坊は思った。

 お屋形の正門は川に面している方にあった。濠に橋が架けられ、大きな門の両脇に武装した武士が二人、守っていた。

 蓮崇は門番に何かを話した。

 門番はどこかに行き、偉そうな髭を伸ばした武士を連れて来た。髭の武士は蓮崇を見ると顔をほころばせ、蓮崇の事を本願寺殿と呼んで歓迎した。

 蓮崇は馬に積んである荷物の中から包みを一つ出すと、その髭の武士に、つまらない物ですが、と言って渡した。

 髭の武士は蓮崇と並びながら、お屋形の中に入って行った。

 風眼坊は馬を引いている下男の弥兵と一緒に後に従った。

 門の中を入ると両側に木の塀があり、広い庭は仕切ってあった。

 左の塀の向こうから馬のいななきが聞こえて来た。どうやら左手に見える大きな建物は廐(ウマヤ)らしい。それにしても大きな廐だった。十頭以上の馬がいるようだ。これ程の廐を持つとは余程の馬好きらしい。蓮崇がわざわざ馬を連れて来た意味が、ようやく風眼坊にも理解できた。

 蓮崇は武士と共に正面の屋敷に入って行った。

 風眼坊は弥兵と一緒に外で待った。やがて、髭の武士は出て来て門の方に帰って行った。武士は蓮崇から貰った包みを手の平の上で弾ませながらニヤニヤしていた。風眼坊たちの側を通って行ったが、風眼坊たちの方には見向きもしなかった。

 あんな男に門番を任せて置くとは朝倉弾正も人を見る目はないな、と風眼坊は思った。あの手の男は金でどうにでもなる。いくら、濠や土塁で守りを固めても、このお屋形は守っている兵によって落ちるだろう。

 しばらくして蓮崇は戻って来た。

「向こうに回ってくれとの事じゃ。風眼坊殿、すまんが、この中で待っていてくれんか。そう時間は掛からんじゃろ。何しろ弾正殿も何かと忙しそうじゃからの」

 蓮崇はそう言うと弥兵を連れて奥の方に行った。

 風眼坊は屋敷の中に入った。

 土間が奥の方まで続き、左側に広い部屋があった。その部屋には誰もいなかった。どうやら、ここは遠侍(トオザムライ)と呼ばれる侍たちの待機の部屋らしかった。土間は廐の方にも続いていた。

 風眼坊は廐の方に行ってみた。外を覗くと正面に大きな廐があり、左の方に厠(カワヤ)があり、さらに奥には馬糞が積んであった。

 風眼坊が外に出ようとした時、後ろから声を掛けられた。

「本願寺殿のお連れの方ですかな」

 風眼坊は振り返った。若い侍が立っていた。

「そうじゃ」と風眼坊は答えた。

「どうぞ、こちらの方でお待ち下さい」若侍は、さっきの誰もいない広い部屋に案内した。

「こちらで、お待ち下さい」と若侍はもう一度言うと隣の部屋の方に上がって行った。

 風眼坊は隣の部屋を覗いて見た。

 その部屋には五人の侍がいた。皆、若い侍だった。取り次ぎの者たちに違いない。

「何か、御用ですか」と先程の侍が言った。

「いや、用と言う程の事ではないが、汚れた足で上がっても構わんのか」

「構いません。どうぞ、上がってお待ち下さい」

 風眼坊は誰もいない部屋に戻ると草鞋(ワラジ)を脱いで、上に上がると板の間にごろっと寝そべった。

 弥兵が戻って来て、恐る恐る屋敷の中を覗いた。

 風眼坊は手招きして呼んでやった。弥兵は恐縮するように中に入って来て、足の汚れを綺麗に落として部屋に上がると隅の方に畏(カシコ)まって坐った。

「おぬしも門徒か」と風眼坊は寝そべったまま聞いた。

「はい」と弥兵は頷いた。

「だろうな‥‥‥蓮崇殿の所で働いておるのか」

「はい。そうです」

「子供はおるのか」と風眼坊は聞いてみた。

「はい。湯涌谷(ユワクダニ)におります」

「湯涌谷? どこじゃ」

「はい。加賀と越中の境目辺りですじゃ」

「ほう、吉崎とまるで反対じゃのう。よく、そんな遠くから来たものよのう」

「蓮崇殿の道場がそこにありました。わしは昔から蓮崇殿の道場に通っておりました」

「ほう。その湯涌谷というのが蓮崇殿の本拠地というわけか」

「はい。わしは蓮崇殿が吉崎に来た時、一緒に来ました」

「そうじゃったのか‥‥‥蓮崇殿はそんな所から来たのか」

「はい。しかし、蓮崇殿は越前の生まれじゃと聞いております」

「越前? 越前の者が、どうして、そんな所に道場を持つんじゃ」

「よくは知りませんが、蓮崇殿は二俣(フタマタ)の本泉寺で修行なされ、湯涌谷の道場を任されたんじゃと思います」

「二俣の本泉寺か、あそこにおったのか」

「本泉寺を御存じですか」と弥兵は聞いた。

「おお、ついこの間、蓮如殿と行って来たわ」

「えっ、お上人様と御一緒に‥‥‥」急に、弥兵は黙り込んだ。

「どうしたんじゃ」と風眼坊は聞いた。

「お上人様と御一緒に旅をなさるようなお方とは知らなかったもので‥‥‥」

 弥兵は畏まった体をさらに小さくして俯いていた。

「そんなに畏まらなくてもいい。わしはただ偶然に、山の中で蓮如殿と出会っただけじゃ。それに、わしはまだ門徒ではない。慶覚坊を知っておるか」

「はい」

「わしは慶覚坊の古い知り合いでな、久し振りに会ったもんで、一緒にこの地に来ただけじゃ。今日、蓮崇殿と一緒に来たのは、ただ、この腕を見込まれただけじゃよ。おぬしが恐縮する程の者ではない。そう畏まってばかりいたら肩が凝るぞ」

「はい、しかし‥‥‥」

「もっと、ゆっくりせい」

「はい」とは言ったが、弥兵は足を崩さなかった。

「おぬし、阿弥陀如来様の教えを知っておるか」と風眼坊は聞いた。

「はい。それは‥‥‥」

「阿弥陀如来様は言っておられる。人は皆、平等じゃと」

「はい、しかし‥‥‥」

「おぬしの言いたい事は分かる。現実は、そう、うまい具合にはいかん。しかしのう、わしはその事を蓮如殿から聞いた時、わしは蓮如殿を尊敬した。今のこの乱世に、そんな教えを広めておるとは、まったくの驚きじゃった。わしらはいつの日か、それはずっと先の事じゃろう。しかし、いつの日か、そんな時代の来る事を願わなくてはならんのじゃないかと思ったんじゃ」

 弥兵は神妙な顔をして風眼坊の言う事を聞いていた。

「のう、そうじゃろう。いつの日か、阿弥陀如来様の言う、すべての者たちが平等だという世の中が来るはずじゃ」

 弥兵は畏まったまま頷いた。

「しかしのう、そんな世の中を作るためには、かなりの犠牲が出るじゃろうのう」

 弥兵は畏まった体は崩さなかったが、風眼坊を見る目は輝いて来ていた。

「わしは蓮如殿に会ってから、阿弥陀如来様を見る目が変わって来たわい。阿弥陀如来様が、そんなにでかい心を持った仏様だとは思ってもいなかったわ」

 門番の男が入って来て風眼坊たちをチラッと見て、隣の部屋に行き、取り次ぎの若侍と何やら話して出て行った。

 やがて、武士が二人入って来て、風眼坊たちのいる部屋に上がった。

「おい、そこの山伏、起きろ」と武士の一人が言った。

「寝ていては悪いのか」と風眼坊は聞いた。

「当たり前じゃ。ここをどこと心得る」

「おう、そうか。こういう所には慣れんのでな」と風眼坊は言うと体を起こして坐り込んだ。

「そこの下郎、下に降りろ」武士は今度は弥兵に言った。

「はい」と返事をすると、弥兵は慌てて下に降りようとした。

 風眼坊は弥兵の手を押え、「どうして、下に降りるのじゃ」と武士に聞いた。

「ここは侍の坐る場所じゃ」

「そうか。わしらはここで待てと言われた。降りろと言うのなら降りても構わんが、お屋形様が何と言うかのう」

「なに? おぬしらはどこの者じゃ」

「本願寺じゃ」

「嘘を言うな。本願寺の山伏など聞いた事もないわ」

「ところが、ここに一人おるんじゃ」

 風眼坊がちょっと手を緩めた隙に、弥兵は土間に降りてしまった。

「下郎の方が、物分かりがいいのう」と武士は笑った。

「わしは降りなくてもいいのか」

「山武士と言う位じゃから構わんじゃろ」と二人の武士は笑った。

 くだらんとは思ったが風眼坊は声には出さなかった。

 今度は奥の方から武士が一人現れた。風眼坊たちに文句を言った武士が、その武士に声を掛けた。

「大橋殿も呼ばれておったのか」

「嶋田殿もか」

「おお、何事じゃ」

 奥から出て来た武士は風眼坊たちをちらっと見て、「また、戦じゃ」と言った。

「とうとう、加賀に攻めるのか」

「いや、逆じゃよ」と言いながら、武士はまた風眼坊の方を見た。

 風眼坊の方も奥から出て来た武士を見ていた。どこかで会った事あるような気がしたが、思い出せなかった。

「逆というと、大野か」

「そういう事じゃ。おぬしに兵站(ヘイタン)の事でも頼むんじゃろう」

「多分な」

 武士たちは世間話をし始めた。

 風眼坊は、一体、誰だったろうと思い出そうとしていた。武士たちの話が剣術の話になった時、風眼坊はようやく思い出した。

「失礼じゃが、大橋長次郎殿ではありませんか」と風眼坊は奥から出て来た武士に声を掛けた。

 武士たちは話をやめ、風眼坊の方を見た。

「確かに、わしは長次郎じゃが」と武士は言って、思い出したらしく、「もしかしたら、風眼坊殿ですか」と聞いて来た。

「そうじゃ、風眼坊じゃ。やはり、大橋長次郎か、久し振りじゃのう」

「風眼坊殿‥‥‥お久し振りです。しかし、また、どうして、風眼坊殿がここに」

「色々とわけがあるんじゃよ。ああ、おぬし、火乱坊を知っておるじゃろう」

「はい、勿論、知っておりますよ」

「その火乱坊が、今、本願寺の坊主になって吉崎におるんじゃよ」

「えっ? 火乱坊殿が本願寺に」長次郎は目を丸くして驚いた。「あの火乱坊殿が‥‥‥とても、信じられません」

「わしも信じられんかったが、事実じゃ」

「すると、風眼坊殿も?」

「いや、わしは違う。この間、久し振りに火乱坊と会っての。まあ、遊びに来たわけじゃ」

「そうだったのですか‥‥‥それで、今日はお屋形様に何か用でも」

「いや。今日、ここに来たのはただの連れじゃ」

「そうですか‥‥‥せっかく会えたのですから、どうです、用が済みましたら、わしの家まで来てくれませんか」

「おう、そうじゃのう。積もる話もあるしのう‥‥‥そうじゃ、わしの用はもう済んだんじゃ。荷物も無事じゃったし、わしはもう用がないというわけじゃ。よし、おぬしのうちに行くか」

 風眼坊は弥兵に訳を話し、蓮崇が戻って来たら先に帰ってくれ、と伝言した。

 風眼坊は大橋長次郎という武士と一緒にお屋形を後にした。





 若い侍たちが汗びっしょりになって、剣や槍を振っていた。

 風眼坊は懐かしそうに彼らを眺めていた。

 風眼坊は朝倉家のお屋形で大橋勘解由左衛門(カゲユザエモン)と出会い、わしの家に来ないか、と誘われて付いて来た。大橋は家に帰る前に、ちょっと寄る所があると言って、風眼坊をここに連れて来た。

 ここは朝倉家の武術道場だった。入り口には『中条流平法(チュウジョウリュウヘイホウ)指南所』と書いてあり、大橋がここの責任者だと言う。

 大橋勘解由左衛門‥‥‥風眼坊にとっては大橋長次郎だったが、彼は若い頃、飯道山に来て、風眼坊が剣を教えた教え子の一人だった。当時、長次郎は十九歳、風眼坊の方は二十二歳で『飯道山の四天王』と呼ばれていた。長次郎はあの時の同期の教え子たちの中では一番強かった。

 長次郎は十七歳の時、中条流の使い手、甲斐豊前守(カイブゼンノカミ)の弟子となって剣術を習った。

 二年間、修行に励み、かなり腕も上がった。戦に出て活躍もした。若いせいもあって自分の腕に自惚れ、少々、天狗になっていた。そんな時、長次郎は師匠の甲斐豊前守に近江の国の飯道山に行って、一年間、修行して来いと言われた。

 甲斐豊前守は故郷の越前に落ち着く前、諸国を旅して回り、飯道山で武術が盛んな事を知っていた。豊前守は、天狗になった長次郎の鼻を折らなければ、せっかくの才能がここで止まってしまうと思い、飯道山に送った。

 長次郎は、すでに自分より強いのは師匠以外にはいないと思っていた。飯道山だろうが、何だろうが片っ端から倒してやると意気込んで飯道山に向かった。

 飯道山は武術道場として栄えていた。修行者たちはほとんどが地元の者たちばかりで、百人余りの若者が山に集まっていた。こんな所があったのか、と長次郎は驚いたが、集まった若者たちを見て、大した奴はいないと思った。

 例年のごとく一ケ月の山歩きから始まった。長次郎もこれには参った。剣術の修行に来たのに、なぜ、こんな事をしなければならないのだと腹を立てながら山を歩いた。こんな事をやめて、こんな山、下りようかとも思ったが、山を下りてしまったら、二度と師匠の前に出られなくなる。何としても、一年間はここにいなければならないと思い、一ケ月間、歩き通した。山歩きが終わってみると修行者たちの数は半分位に減っていた。

 長次郎は剣術道場に入った。山伏が十数人、去年からいる修行者が八人、今年の修行者が長次郎も入れて十五人いた。そして、師範として風眼坊舜香がいたのだった。

 長次郎の天狗の鼻は、道場に入った初日に見事に折られてしまった。今まで自分より強い者は師匠だけだと思っていたのが、ここには長次郎より強い奴は少なくとも十人はいた。この山に来る者で全くの初心者というのは一人もいなかった。皆、幼い頃より修行を重ね、さらに修行を積むために、この山に登って来たのだった。

 長次郎は今までの自分を恥じ、誰にも負けない程、修行に励んだ。元々、素質を持っていた長次郎は見る見る上達していった。腕は強くなったが以前のように天狗にはならなかった。特に師範の風眼坊には色々と教わった。風眼坊の強さは格別だった。風眼坊を目標に、一年間、修行に励んだが、とうとう風眼坊に勝てる事なく、長次郎は山を下り、越前の師匠のもとへと帰った。

 豊前守は、飯道山から戻った長次郎を見て、ようやく心の病(ヤマイ)が取れたようじゃな、と言った。長次郎は以前の自分が恥ずかしく思えた。

 越前に帰っても、長次郎の修行は終わらなかった。いつの日か、風眼坊より強くならなければならないと、毎日、厳しい修行を積んだ。

 長次郎が二十五歳の時、今まで仕えていた堀江家が、越前守護職斯波(シバ)氏と守護代甲斐氏の争いに巻き込まれて滅んだ。長次郎は朝倉家に仕官した。

 翌年、豊前守は長次郎に中条流平法の極意を授け、中条流を広めてくれと言い残して、どこかに旅立って行った。それ以来、師匠の姿は見ていない。

 長次郎は戦での活躍によって朝倉弾正左衛門尉に認められ、弾正左衛門尉の武術指南となった。やがて、道場も建てられ、今では朝倉家中に長次郎の弟子が一千人はいるだろうと言われる程、中条流は栄えていた。

 中条流平法とは、念流(ネンリュウ)の流れを汲む流派であった。鎌倉時代、幕府評定(ヒョウジョウ)衆の一人、中条兵庫頭長秀(チュウジョウヒョウゴノカミナガヒデ)が、慈恩(ジオン)という禅僧から極意を授かり、中条流平法を称したのが始まりである。兵法と言わず平法と言ったのは、争うための武術ではなく、平和の為にのみ使う武術という意味が込められていた。中条流平法は中条兵庫頭から甲斐豊前守に伝わり、大橋長次郎に伝わったのだった。

 風眼坊は広い道場の隅に建てられた師範たちが休む建物の縁側に坐り、若い者たちの稽古を眺めていた。

 この道場は、剣、槍、薙刀の三つに分かれていて、今、二十人程の者たちが稽古に励んでいた。その中に一人、風眼坊の目に付いた若者がいた。動きが柔軟で素早かった。風眼坊は弟子の太郎を思い出していた。今頃、息子の光一郎を連れて飯道山の山の中でも歩き回っているかな、と思った。

 長次郎が用を済ませて戻って来た。

「どうです、昔のように、若い者たちに教えたくなりましたかな」

「いや。ただ、あの男は、なかなかなものですな」と風眼坊は目に付いた若者を見ながら言った。

「ああ、あいつですか」と長次郎はその若者を見て笑った。「さすがですな、風眼坊殿は。あいつは富田(トダ)九郎右衛門と言って、わしも目を掛けております。そうじゃ、わしも師匠を真似て、奴を飯道山に送ろうかのう」

 それがいいと言うように風眼坊は頷いた。「わしも最近、山には帰ってないので詳しくは知らんが、飯道山の人気は凄いものだそうじゃ。毎年、正月には五百人もの修行者が集まると言う」

「なに、五百人も? そいつは凄いものですな。わしがいた頃も凄かったが、あの頃はせいぜい百人じゃったが、今では五百人ですか‥‥‥うーむ、それ程、集まるとすれば腕の方もかなり高いと言うわけですな」

「いや。腕の方は昔とあまり大差ないと思うがのう。五百人集まっても、一月後に残るのは百人ちょっとだそうじゃ」

「そうですか、しかし、そういう所を経験しておくのは、いいかもしれんのう。わしは、あの山に行ったお陰で、本当の強さというものを知りました。あそこでの一年は本当にためになりました。みんな、風眼坊殿のお陰です。実は、わしはあの後一度だけ、飯道山に行ったのですよ、風眼坊殿に会いたくて。しかし、風眼坊殿はおられなかった」

「知らなかった。それはいつの事じゃ」

「もう、十年も前の事です。わしはお屋形様のお供で京にいたのです。その時、暇を貰って飯道山に行きました」

「十年前か‥‥‥山城(京都府南東部)辺りにいたのかもしれんのう。ところで、おぬしの師匠は健在か」

「分かりません。多分、もう亡くなったと思います。生きておるとしたら、八十歳を越えておるはずです。わしに中条流の極意を授けると旅に出たまま帰っては来ませんでした」

「そうじゃったか‥‥‥」

「さて、行きますか」

 風眼坊と長次郎は道場を出ると河原に下りた。

 対岸には小屋が幾つも立って河原者たちが住んでいるが、こちら側の河原には誰も住んでいなかった。

「芸人たちが、かなり、集まっておるのう」と風眼坊は対岸を見ながら言った。

「ええ、京で戦が始まってからというもの、かなりの連中がここに流れ込んで来ております。河原者たちだけではありません。京のお公家さんたちも逃げて来ております。上城戸の辺りは、以前はうちなどほとんどなかったのに、今ではお公家さんの屋敷が、ずらりと並んでおります」

「そうか、公家の奴らもこんなとこまで逃げて来たのか」

「ええ。困った事に、公家たちの言葉が若い者たちの間で流行っておるらしい」

「ほう‥‥‥こっち側には河原者たちはおらんようじゃが禁止しておるのか」

「お屋形の前は勿論、禁止しておりますが、ここには以前、人足たちがかなり住んでおりました。この河原を道場が使うようになって、人足たちはもっと下流の方に移したのです。今ではあの道場だけでは狭くなって来ました。道場を広げるという話はありますが場所がありません。しかし、そのうち山の方に追いやられるでしょうな。朝倉家が大きくなるに従って家臣たちも増えて来ます。この辺りには武家屋敷が並ぶ事になるでしょう。道場は山の方に追いやられますよ」

「そうか‥‥‥」と風眼坊は山の方を見た。

「あの上に城があります」と長次郎も山を見上げた。「わしが、この城下に来たのはもう十五年も前の事ですが、淋しい山の中だと思いました。今でこそ、城下として栄えておりますが、あの当時は、ほんとに淋しい所でしたよ」

 二人は話をしながら橋を渡り、盛り場の方へと入って行った。

 大橋長次郎の屋敷は、まさに盛り場のど真ん中と言える辺りにあった。

「えらい所に住んでおるのう」と風眼坊は笑った。

 長次郎も苦笑した。「昔は何にもなかった所なのにのう。当時、わしは禅に凝っておりまして、雲正寺に通っておったんです。それで、こんな所にうちを建てたんじゃが、まさか、こんなに賑やかな所になるとは思ってもおらなんだ」

 左手に雲正寺があり、右手の方には赤淵(アカブチ)神社があった。その間に挟まれた格好となり、長次郎の屋敷の回りには茶屋、飲屋、旅籠屋、遊女屋などが並び、隣には大きな酒屋の蔵が建っていた。

 風眼坊は長次郎の屋敷で昼飯を御馳走になり、昔話などして過ごした。せっかくだから酒でも飲みたいのだが、夕方、一仕事あると言う。それが終わるまで待ってくれと長次郎は言った。





 夕方、風眼坊は長次郎と共に、朝倉のお屋形様が富樫次郎政親(マサチカ)のために建てたという屋敷に向かっていた。

 富樫の屋敷はかなり南の方にあった。

 橋を渡り、風眼坊と長次郎は広い馬場を囲む塀に沿って歩いていた。馬場の片隅には射場(イバ)もあり、侍たちが弓の稽古に励んでいた。馬場の方でも何人かが馬に乗っている。いくつも廐があるようだが、廐に入りきらない程、馬の数が多かった。

「随分、馬が多いのう」と風眼坊は馬場を見ながら言った。

「富樫勢の馬が、かなり、おるんです」と長次郎は言った。

「そうか、成程のう。富樫の馬の面倒まで見てやっておるのか。朝倉殿も大変な事じゃのう」

 朝倉弾正左衛門尉孝景の孫の孫次郎貞景の時に、新しく屋形をこの馬場の地に移し、ここが城下の中心地となるが、今はこの広い馬場と上城戸の間には、公家たちの屋敷が並ぶだけの静かな一画だった。

 富樫次郎の屋敷は馬場のすぐ南にあり、公家の屋敷町に隣接していた。

 次郎が弟の幸千代に敗れ、白山麓の山之内庄から朝倉弾正左衛門尉を頼って、この地に来たのは去年の七月だった。もうすぐ一年になるが、今のところ、弾正左衛門尉は次郎のために加賀に進攻する気はないようだった。加賀に進攻する前に越前を一つにまとめなければならなかった。

 弾正左衛門尉は去年、冬が来る前に、次郎のための仮の屋敷を造り、陣中見舞いと称して京から来ている公家を出入りさせ、酒と女に溺れさせた。

 長次郎が通うようになったのは今年の正月、次郎の前で中条流平法の模範試合を行なってからだった。是非、自分も習いたいものだと言い出し、長次郎に取っては迷惑な話だったが、弾正左衛門尉より御機嫌取りのつもりで教えてやってくれと頼まれ、三日に一度は富樫屋敷を訪ねていた。また、次郎の重臣たちの動きをそれとなく探るのも長次郎の任務だった。

 次郎は女に溺れていて問題ないが、重臣たちは陰で動いていた。加賀に残っている反幸千代方と連絡を取り合い、一刻も早く、加賀に帰ろうとしていた。弾正左衛門尉としては、もう少し越前を固めるまでは加賀に行くわけにはいかなかった。せっかく寝返りまでして、守護職を手にしたからには越前一国は我物にしなければならなかった。

 弾正左衛門尉は今年の一月、宿敵の甲斐八郎と手を結んで敵対していた杣山(ソマヤマ)城(南条町)の増沢氏を倒し、残るは大野郡の二宮氏だけとなっていた。しかし、邪魔なのは甲斐八郎だった。ついこの間も越前に攻めて来て、さんざんな目に合わされていた。兵糧(ヒョウロウ)が底を突いたのか、何を思ったのか、加賀に戻ってしまったので助かったが、危ないところだった。

 弾正左衛門尉はうるさい甲斐八郎を黙らせるため、一時的に和睦(ワボク)しようと決めていた。そして、さっそく、家臣の前波播磨守(マエバハリマノカミ)を美濃の国(岐阜県中南部)に送った。仲裁役を美濃の国の守護代の斎藤妙椿(ミョウチン)に頼むつもりでいた。弾正左衛門尉も八郎も斎藤妙椿とは京において面識があった。仲裁役には持って来いの人物だった。東海方面を封鎖されたため、美濃の国は塩に苦しんでいるとの情報を得た弾正左衛門尉は、塩を送る事を条件に仲裁を頼んだ。近い内に結果が分かるはずだった。

 富樫次郎政親は仮住まいとは言え、立派な屋敷に住んでいた。

 門をくぐると細長い庭があり、隅の方に弓の堋(アヅチ)があり、ここで剣術の稽古をした、と長次郎は言った。

「した、と言う事は、今は別の所でやっておるのか」と風眼坊は聞いた。

 長次郎は笑いながら首を振った。「今は、ほとんど、やらんと言う事です」

「それじゃあ、何のために来ておるんじゃ」

「単なる、御機嫌伺いですかな」

「そうか‥‥‥おぬしも、なかなか大変じゃのう」

 遠侍(トオザムライ)に行き、若侍に取り次いで貰うと茶屋の方に行ってくれとの事だった。

 大広間があるという大きな建物を回り、塀で仕切られた中庭に入ると見事な庭園があり、その中央辺りに草庵のような茶屋があった。築山(ツキヤマ)があり、大きな石があり、池があり、茶屋は池の中に半分程、飛び出して建てられてあった。

 茶屋の中に三人の人影が見えた。

 近づくにつれて、一人は若い女、一人は若い男、もう一人は老人だと分かった。若い男は何かを書いているようだった。

 若い男はチラッと顔を上げ、こちらの方を見ると、「勘解由か、ちょっと待ってろ」と横柄な態度で言った。

 側まで行って覗いてみると、富樫次郎は絵を描いていた。

 木の上に止まって下を睨んでいる鷹の絵を描いていた。はっきり言って、あまり、うまいとは言えなかった。鋭さが全然、感じられず、鷹と言うよりもカラスのようだった。

 老人は熱心に次郎の筆の運びを見ていた。禅僧のようだった。

 若い娘の方は、ぼんやりと池に浮かぶ蓮(ハス)を見ていた。その横顔は確かに美しかったが、どことなく険のある顔付きだった。

「できた!」と次郎は叫ぶと満足気に頷いた。

「勘解由、見てくれ」

 長次郎は茶屋の縁側に手を付いて覗き込むと、ゆっくりと頷いた。

「なかなかの上達振りですな」と長次郎は言った。

 これで上達したとは、以前は余程、ひどかったとみえると風眼坊は思った。

「もう少し、鋭さが出ると完璧ですな」

「鋭さか」と唸りながら、次郎は自分で描いた絵を見つめた。

「勘解由、鋭さを出すにはどうしたらいいと思う」

「そうですな、わしは剣術の事しか分かりませんが、剣術において鋭さを出すには、やはり、稽古しかありません」

「うむ、やはり、稽古しかないか‥‥‥」

 鋭さか、と唸りながら、次郎はまた絵を見つめたが、娘の方を向くと、「そなたはどう思う」と今度は娘に聞いた。

「はい、わたしも鋭さが足らないように思います。鷹と言うよりも、わたしにはカラスのように見えます」と娘は思った通りの事を言った。

 風眼坊は、まさか、この娘がそれ程の事を平気で口に出すとは思ってもみなかった。そんな事を次郎に言って、次郎がどんな反応を示すのだろうと期待して見守った。

「カラスか‥‥‥鷹には見えんか‥‥‥」

 次郎は自分の描いた絵を、うなだれたように見つめていた。特に、怒ってはいないようだった。

 娘の方はそんな下手な絵などどうでもいいと言うように、また、池の方を見ていた。

「絵にはその人の心が現れます。殿はきっと心のお優しい方なのでしょう」と老人が、この場を取り作ろうように言った。

「殿、本日の剣術のお稽古はいかがなさいますか」と長次郎は話題を変えた。

「そうじゃのう。剣術の稽古をやれば少しは鋭さが出て来るかのう」と言って、次郎は長次郎の後にいる風眼坊を見た。「その行者は何者じゃ」

「はい。わしの師匠のようなお人です」

「なに、勘解由の師匠? という事は、おぬしよりも強いのか」

「はい」

「ほう‥‥‥おぬしより強い奴がいるとは驚きじゃのう」

 風眼坊は首を振った。「いや。わしはもう年じゃ。勘解由殿にはかないません」

「おぬし、名は何と申す」と次郎が聞いた。

「風眼坊と申します」

「平泉寺の行者か」

「いえ、大峯です」

「大峯? あの大和の国の大峯か」

「はい」

「ほう」と言いながら次郎は改めて、風眼坊を見た。「大峯と言えば修験者(シュゲンジャ)の本場じゃのう。大峯の行者は摩訶不思議な術を使うと聞いておるが、おぬしもできるのか」

「摩訶不思議な術とは、どんな術ですかな」

「空を飛ぶとか、人を呪い殺すとか、色々あるじゃろう」

「空を飛ぶ事は、わしにはできません。空を飛ぶには、かなりの修行が必要です」

「やはり、修行を積めば空を飛べるのか」

 風眼坊は頷いた。「しかし、最近は、そんな厳しい修行をする者もおりません。昔は何人か、おったようですけど」

「そうか‥‥‥どんな修行を積めば空を飛べるんじゃ」次郎は目を輝かせながら風眼坊に聞いた。

「まず、千日間、山奥の窟(イワヤ)に籠もって、毎日、呪文を唱えます」

「どんな呪文じゃ」

「例えば、オンマユラキランデイソワカ、とか色々あります」

「ふーん。それから、どうするんじゃ」

「その修行が済みましたら、今度は、釈迦(シャカ)ケ岳と言う山の頂上で一年間、呪文を唱えます」

「なに、山の頂上でか。その山というのは高いのか」

「はい。大峯でも最も高い山です」

「その山の頂上で一年間か‥‥‥そうすれば、空を飛べるようになるのか」

「はい。ただし、山頂での一年間は穀物を断たなければなりません」

「なに、穀物を断つ。何を食って生きるのじゃ」

「木の実だけで、一年間、生きるのです」

「ふーむ。それは厳しいのう」

「はい。今でも千日行をする者は何人かおりますが、さすがに、釈迦ケ岳の山頂で、一年間の木食行(モクジキギョウ)をする者はおりません」

「成程のう。そうじゃろうのう‥‥‥それで、人を呪い殺す術というのはどんなじゃ」

「護摩(ゴマ)を焚いて祈祷(キトウ)をします。ただ、これはすぐには効きません。時間が掛かります」

「どの位じゃ」

「早くても一年は掛かるでしょう」

「そんなに掛かるものなのか」

「はい。困った事にそれをいい事に、いかさまの祈祷師がかなりおります。信者たちから多額の銭を巻き上げて、頃を見計らって消えるという輩(ヤカラ)です」

「おぬしは、その祈祷の仕方を知っておるのじゃな」

「知っておりますが、わしは、めったにやりません」

「なぜじゃ」

「そういう事を頼みに来る奴らは皆、欲の皮が突っ張っておる奴ばかりで、自分の利益のために相手を呪い殺せと言う。そんな奴らに付き合っておったら、わしの方まで、おかしくなり、祈祷も効かなくなります」

「祈祷が効かなくなる?」

「はい。邪心(ジャシン)が入ると祈祷は効かなくなります」

「ふーむ。邪心がのう‥‥‥」

 風眼坊は次郎の隣にいる娘が気になっていた。風眼坊が人を呪い殺す話をし出したら、今まで無関心のように、そっぽを向いていたのに、急に興味ありそうな顔をして話に耳を傾けていた。何かあるな、と風眼坊は思った。

 風眼坊と長次郎は、次郎の命で、試合をする事となった。お互いに本気を出してやるつもりはなかった。

 一本目は長次郎が負け、二本目は風眼坊が負け、三本目は相打ちに終わった。

 次郎は目を見張って二人の試合を見ていたが、試合が終わると、御苦労と一言、言って、娘を連れて屋敷の中に帰ってしまった。

 茶屋の中で坐っている時は気づかなかったが、立ち上がるとかなりの大男だった。身の丈、六尺(約百八十センチ)近くもあり、体格も良かった。武術の稽古に励めば立派な武将になりそうだが、有り余る精力は、すべて女に使われているらしかった。

 取り残された三人は、ただ、次郎たちの後姿を見送るだけだった。

 次郎の姿が消えると、「いつもの事じゃ」と老人が言った。

「試合を見て、興奮して、女子(オナゴ)が抱きたくなったのじゃろう」と長次郎は言った。

「いつも、あんな風なのか」と風眼坊は長次郎に聞いた。

「まあ、そうです。お屋形様の思う壷(ツボ)にはまっておると言うわけですよ」

「あの女子も朝倉殿が付けたのか」

「いや、あの女子は加賀から連れて来た女子です。お屋形様も何人もの女子を送り込みましたが、次郎殿はあの女子が一番のお気に入りらしい」

「ほう、正妻というわけでもないんじゃな」

「ええ。正妻は尾張の熱田神宮の娘なんですが、去年、加賀を追い出された時、危険じゃからと尾張に返したまま未だに呼び戻さんのです。今はあの女子に狂っておるようです」

「それにしても、はっきりと物を言う女子じゃな」

「はい。見ていて、いつも、わしらの方がはらはらします。しかし、そこが次郎殿のお気に入りらしい。あの娘がどんなにきつい事を言っても、次郎殿は素直に聞き入れます。もっとも、あの娘の言う事はいつも正しいが、なかなかあれだけの事は言えません」

「そうじゃのう。わしも、あの絵はまさしくカラスじゃと思ったが、口に出しては言えんのう。あの娘がそう言った時、よく言ったと誉めたい位じゃったわ」

 とにかく、今日の用は済んだので帰る事にした。

 長次郎は老人とは親しいようで、久し振りに一緒に飲みませんかと老人を誘い、三人して長次郎の家へと向かった。
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