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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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31.赤松日向守2






 肌寒い朝だった。

 太郎は政則の屋敷の庭で、政則の剣術師範、上原弥五郎を相手に木剣を構えていた。

 書院の縁側に腰掛け、政則が二人を見つめている。

 太郎は今朝、まだ、夜が明ける前から政則に付き合っていた。

 まだ暗い内に、仲居の松島が、お屋形様がお呼びだと太郎を起こしに来た。太郎は慌てて起きて、顔を洗うと松島の後に従った。

 庭に出ると政則が馬に乗って待っていた。供の侍が、もう一頭の馬を引いていた。政則は、太郎にその馬に乗れと言うと突然、駈け出した。太郎は馬に乗り、急いで後を追った。

 政則は大通りに出ると北へと向かった。すでに、大門は開いていた。

 大門を抜け、更に北へと走って行った。

 政則は速かった。

 夢前川に沿って、北へと休まずに進んだ。

 太郎は乗馬はあまり得意ではなかった。普通に乗れるという程度で、馬を全力で走らせた事はなかった。それでも、必死になって政則の後に付いて行った。

 二里近く走っただろうか、政則は止まり、河原へと降りて行った。

 太郎も後に従った。

「ここが、前之庄じゃ」と政則は言った。「そなたに、ここをやるつもりだったが、やめた。わしは毎朝、馬でここまで来る。ここなら、いつでも、姉上に会えると思っておったんじゃ」

「いつも、一人で、ここまで来るのですか」と太郎は聞いた。

「いや。今日は、そなたと二人だけで話がしたかったので、来るなと命じた」

「そうですか」

「銀山の事じゃが、どれ位の銀が取れるんじゃ」

「一千貫は取れるだろうとの事です」

「一千貫か‥‥‥」

「銭にして、十二万貫文位だそうです」

「よし。そなたを銀山奉行に命ずる」

「はっ、かしこまりました」太郎は頭を下げた。

「百太郎とか言ったな。なかなか、しっかりした子じゃな」

「はい、ありがとうございます」

「わしにもこの間、子供ができた。残念ながら女の子じゃった」

「そうですか‥‥‥」

 馬が二騎、近づいて来た。

「来るなと言ったのに、馬鹿な奴らだ」と政則は近づいて来る家来を見ながら言った。

 屋敷に戻ると、今度は弓の稽古だった。

 弓の稽古をしている時、剣術師範の上原弥五郎が来た。いつもなら、この後、政則は弥五郎と剣術の稽古をするのだが、今日は是非、太郎の陰流が見たいと言うので、念流を使う上原弥五郎と試合をする事になった。

 念流と言えば、太郎を殺しに来た松阿弥と同じ流派だった。

 太郎と弥五郎はお互いに中段に構えていた。

 太郎は弥五郎の構えを見ながら、勝てると思った。しかし、この場合、勝っていいものかどうか迷った。見ているのは政則しかいないが、弥五郎が負けてしまえば、剣術師範としての面目(メンボク)を無くしてしまう。剣術師範として赤松家に仕えたわけではないのだから、ここは負けた方が丸く治まるだろう、と太郎は思った。

 太郎は木剣を下段に下げた。

 弥五郎の構えは変わらなかった。

 下段のまま太郎は弥五郎に近づいて行った。

 間合が一間(ケン)になった時、二人の剣が動いた。しかし、その剣はお互いに空を斬っただけだった。二人は二間の間合をおいて、また構えた。

 弥五郎はやはり、中段。

 太郎は八相に構えた。

 今度は弥五郎の方から近づいて来た。弥五郎は中段のまま近づいて来て、そのまま剣を上段に上げると、太郎を袈裟がけに打って来た。

 動きは緩慢に見えるが、物凄い一撃だった。たとえ、木剣でも、こんな一撃を食らったら即死してしまうに違いなかった。

 太郎はその一撃を避けると、弥五郎の両小手を狙って打ち下ろした。

 弥五郎は太郎の剣を剣で受け止めた。そのまま鍔競(ツバゼ)り合いになったが、太郎は身を引いた。太郎の陰流には鍔競り合いはなかった。鍔競り合いを続けたら太郎の方が不利になる。

 二人はまた離れて、構えた。

 太郎は左足と左肩を前に付きだし、剣を後ろに引いた下段に構えた。

 弥五郎も中段の構えから左足を踏み出すと、太郎と同じ構えになった。

 松阿弥の時もそうだったが、念流には、この構えがあるようだった。ただ、太郎と弥五郎の違う所は、太郎は前足に重心を置き、弥五郎は後足に重心を置いていた。

 二人は同じ構えのまま、少しづつ近づいて行った。

 弥五郎の剣がほんの僅かだが速く動いた。

 太郎は左肩を狙って打つ弥五郎の剣を避け、弥五郎の右肩を狙って剣を打った。

 弥五郎は身をかわし、太郎の剣を避けると、素早く、太郎の左肩を狙って来た。

 太郎にはその剣を避ける事はできなかった。ぎりぎりの所で、太郎は剣で弥五郎の剣を受け止めた。

 そのまま弥五郎の剣を弾くと、二人はまた離れて、構えた。

「それまで!」と政則が言った。「相打ちじゃ。うーむ、凄いのお。そなたがこれ程、強いとは思ってもいなかったわ」

「わたしもこれ程、使える者は、今まで一人しか知りません」と弥五郎は言った。

「例の松阿弥という奴じゃろ」と政則が言った。

「はい。もし、生きていればの事ですけど」

「松阿弥殿は但馬に帰りました」と太郎は二人に言った。

「なに、日向守殿は松阿弥を御存じなのですか」と弥五郎は驚きながら聞いた。

「はい。労咳にやられていました。わたしの仲間が看病して、大分、良くなったようです」

「松阿弥が労咳か‥‥‥それで、日向守殿は、どこで、松阿弥と会ったのですか」

「わたしの仲間が、旅の途中で出会いました。血を吐いていたのを見て、わたしが泊まっていた宿に連れて来たのです」

「そうだったのですか‥‥‥松阿弥も念流の達人です」

「はい。聞きました。でも、今は剣を捨てたそうです」

「松阿弥が剣を捨てた?」

「はい」

「信じられん‥‥‥」

「松阿弥とやらは、また、どうして、念流を捨てたんじゃろうのう」と政則が言った。

「わかりません」

「うむ、奴が剣を捨てたとはのう‥‥‥」弥五郎は、どうしてだと言うように遠くの方を見つめていた。

「日向守、今度はわしの相手を頼む。遠慮はいらんぞ」と政則が言った。

 太郎は政則と剣術の稽古を半時程やって汗を流した。

 政則の腕は思っていたより強かった。太郎の三人の弟子とやっても、いい勝負となるだろう、と思った。

 剣術の後は、槍の稽古をやり、朝の日課は終わりとなった。

 これだけの事を毎朝、欠かさずやっているとは、なかなか立派な武将と言えた。

 稽古が終わると、政則は太郎に、自慢の鷹を見せてくれた。

 鷹小屋には十二羽もの鷹が飼われていた。太郎から見ると、どれも、みんな同じように見えるが、政則には一羽一羽、違うように見えるらしく、それぞれに名前まで付いていた。

 部屋に戻ると、食事の支度がしてあった。

 太郎は食事をしながら、上原弥五郎との試合の事を考えていた。

 政則は相打ちと言ったが、あの試合は完全に太郎の負けだった。初め、わざと負けるつもりでいたが、試合を始めてみると、そんな事をする余裕などなかった。そして、最後、太郎は弥五郎の剣を剣で受け止めた。見ている者から見れば、確かに、あれは受け止めた様に見える。しかし、実際は、太郎が受け止めたのではなかった。太郎が受け止める前に、弥五郎の剣は太郎の首すれすれの所で止まっていたのだった。完全に負けだった。自分が負けるなんて思ってもいない事だった。

「どうしたの」と楓が太郎の顔を覗きながら聞いた。

「負けた」と太郎は言った。「俺の陰流が、念流に負けた」

「あなたが、誰かに負けたの」

「ああ。俺より強い奴がいた」

「誰なの、その人は」

「お屋形様の剣術師範、上原弥五郎というお人だ」

「へえ、あなたより強い人がいたの‥‥‥」

「お父さんより強い人なんて、いないよ、ねえ」と百太郎が言った。

「そうよ。そうよね」と楓も言った。

 二人はそう言うが、太郎には納得がいかなかった。納得がいかなかったが、過去を振り返って見れば、二年前の今頃、飯道山に戻ってからというもの、修行らしい修行など、全然していなかった。毎日、飲んだくれていたのだった。剣術の腕が下がる事はあっても、上達するはずがなかった。

 みんなから強い強いと言われて、少々、自惚れていたのかもしれない。毎日、稽古を重ねている弥五郎に負けたとしても、それは当然の事と言えた。当然の事とは言え、悔しかった。これからは毎日、稽古をしなければならないと自分に言い聞かせた。

 次の日の朝は、太郎の方が夜明け前に政則を廐の所で待っていた。

 そして、この屋敷にいる間中、太郎は毎日、政則と一緒に朝の稽古を一通りこなした。





 赤松日向守久忠と楓御料人の披露式典の日取りは、文明六年(一四七四年)十月十五日と決定した。

 お屋形、政則としても、太郎たちにしても、早いうちに済ませたいのだが、会場の方が、まだ完成していなかった。

 どうせやるなら、多少、日にちを延ばしてでも、立派な会場で盛大にした方が効果がある。被官となる国人や郷士たちを贅沢に持て成し、赤松家の力というものを充分に見せつけて、赤松家の被官になった方が得だと思わせ、服従させなければならなかった。

 式典会場は今の城下町の北側の地に作っていた。

 東側に置塩城のある置塩山があり、その山裾を囲むように夢前川が流れ、その夢前川の西側にかなり広い平地が広がっていた。

 川の側にたんぼや畑があるが、半分以上は荒れ地のままだった。その荒れ地の中に、式典会場と客将(カクショウ)たちの宿所を作っていた。播磨、備前、美作の有力国人たちを呼ぶとなると、宿所だけでも、かなりの設備が必要だった。

 太郎も政則に連れられて見物に行ったが、披露式典会場は重々しい大寺院のような建物だった。

 門をくぐると左右に大きな廐があり、正面の庭の中央には、まだ、水は入っていないが、大きな池があった。池の中央に島があり、弁財天(ベンザイテン)を祀る祠が建っている。その島には赤い太鼓橋が架けられてあった。

 建物は庭を三方から囲むように三つからなり、左右の建物から中央の建物へと渡り廊下でつながっていた。三つとも地面よりも四尺程の高さがあり、手すりのついた廊下に上がるには、階段のついている入り口から昇る他はなかった。もっとも、太郎なら簡単に飛び乗る事はできたが、普通の者は、ちょっと苦労しなければならない高さだった。

 左右の建物は客の待合室で、中央の廊下を挟んで、畳を敷き詰めた八畳間と板の間の四畳間の部屋が十部屋づつ並んでいる。待合室は全部で四十部屋もあった。

 正面の建物は対面所として使われる大広間だった。

 正面の階段を上がると、左右の待合室に通じる広い廊下があり、廊下の先に大広間があった。太郎が見た時は、まだ襖もなく、畳も入っていなかったが、金箔をたっぷり使った絵を描いた襖がずらりと並び、畳は二百八十枚も入ると言う。

 上座は少し高くなっていて、上座の左側にある八畳はさらに高くなっていた。そこは、御門(ミカド、天皇)の座だと言う。御門が、この播磨の国に来る事などないとは思うが、こういう座を作っておけば、国人たちは、御門がいつか、ここに来るものと思うだろう、そのための飾りだ、と政則は言った。

 その広間の両脇に重臣たちの控えの間が並び、その奥に広い台所があった。

 太郎はその建物の規模の大きさに圧倒された。

 こんな所に招待されて、あんなに広い広間において、両側に重臣たちが居並ぶ、はるか向こうに座っているお屋形様と対面させられたら、お屋形様の大きさに比べ、自分の小ささを感じないわけにはいかないだろう。招待された国人たちは文句なく、お屋形様に従う事になるに違いなかった。その事を考えれば、これだけの物を建てたとしても、決して、無駄にはならないだろう。それにしても、赤松家には物凄い財力があるものだ、と改めて感心した。

 式典会場の前には客将たちの宿所を建てていた。宿所もかなり大きな建物で、式典会場に続く大通りの両側に、同じ作りの建物がずらりと並んでいる。

 政則の話によると、すべてが完成すれば、この地に五千人の客を収容できると言う。それでも、この宿所に入れるのは上の方の者たちだけで、供の兵たちは、そこらの荒れ地に露営する事になるだろうと言った。

 式典の当日は、お祭り騒ぎの大騒ぎになりそうだった。

 太郎は七日間、お屋形様の屋敷で過ごした。

 毎日、欠かさず、お屋形様と一緒に朝の武術稽古をやった。

 お屋形、政則は、だんだんと太郎とも馴染んで来て、気楽に何でも話すようになって行った。

 太郎たちの部屋にもよく遊びに来たし、置塩城や鞍掛城を案内して見せてくれたり、鷹狩りにも連れて行ってくれた。

 また、内緒だぞ、と言って、美作の国から連れて来た、お柳(リュウ)殿という娘とも会わせてくれた。時期を見て、側室として屋敷に入れるつもりだが、今は赤松下野守の屋敷に預かってもらっていると言う。政則の正妻は亜喜殿と呼ばれ、今は亡き細川勝元の娘だった。どうやら、政則も奥方の亜喜殿には頭が上がらないようだった。

 お柳殿は十六歳で、目がくりっとして、ぽっちゃりとした可愛いい娘だった。美作の国のある豪族の娘だと言う。その豪族の屋敷に世話になったとき、一目見て気に入り、貰って来たのだと言う。年のわりには、しっかりした娘のようだった。

 政則は金勝座の舞台も気に入ったようで、二度も屋敷に呼んで見物し、二度目の時には金勝座のみんなを座敷に上げて御馳走までした。

 一方、京にいる浦上美作守は別所加賀守より、楓御料人の御主人、京極次郎右衛門が無事に置塩城下に入った、との連絡を受け、信じられなかった。正明坊より阿修羅坊を倒す事は失敗したが、偽者は確かに殺したと聞いたばかりだった。

 美作守はさっそく城下の状況を探るため、山伏を送った。

 正明坊を送りたかったが、すでに、正明坊は野武士として、山名の領国で暴れるために出掛けてしまっていた。正明坊は美作守より、阿修羅坊を殺せ、と命じられていたが、瑠璃寺からも美作守からも見放された、今の阿修羅坊は何の力も持っていない、わざわざ、殺すこともないだろうと自分で勝手に決めて、さっさと、野武士になって但馬の国に行ってしまったのだった。美作守にしてみれば、今までの事を色々と知り尽くしている阿修羅坊を生かしておくわけには行かなかったのだが、正明坊にはそこまで考える頭はなかった。

 美作守の送った山伏は、置塩城下で様々な情報を探って美作守に伝えた。

 楓御料人の御主人は赤松日向守と名乗り、お屋形様の屋敷に滞在している事、阿修羅坊は捜してみたが、どうも、城下にはいないらしい事を伝えた。

 どうして、そんな風になったのか、まったくわからなかった。しかし、太郎坊がお屋形様と会ってしまった以上、もう、どうする事もできなかった。ただ、阿修羅坊だけは殺さなければならなかった。今、城下にいないという事は、きっと、例の宝を捜しているに違いない。宝を捜し出す前に殺さなければならないが、正明坊が但馬に行ってしまった今、阿修羅坊を倒せる程の者は、手持ちの駒の中にはいなかった。とにかく、阿修羅坊の居場所だけは突き止めなくてはならない。美作守は、城下まで行った山伏に、改めて、阿修羅坊を捜し出す事を命じ、阿修羅坊を倒せる刺客(シカク)を捜す事にした。

 九月の一日、赤松日向守こと太郎は正式に銀山奉行に任命され、大河内庄三千貫を与えられた。銀山の開発に、すぐに取り掛かってくれとの事なので、太郎はさっそく、九月三日には家臣を引き連れて大河内庄に向かった。

 太郎としてもこれ以上、お屋形様の屋敷にいるのに退屈していた所だし、家臣たちも毎日、する事もなく、ぶらぶらしているのはたまらない事だった。

 楓と百太郎は改めて迎えに来るという事にして、お屋形様の屋敷にそのまま預ける事にした。楓は一緒に行きたがったが、まだ、住む場所も決まってないのに連れて行くわけにもいかなかった。

 太郎は家臣八十八人と夢庵、銀左、そして、医者の磨羅宗湛を連れて、新しい領地に向かって旅立った。

 夢庵は披露式典の当日まで用がないので暇潰しについて行くと言い、銀左は新しく城下を作るのに、河原者たちが必要だろうから河原者の手配をしてやると言う。

 医者の磨羅宗湛は面白そうだからついて行くと言う。見かけは乞食坊主だが、わりと色々な事を知っていて、連れて行けば何かと便利だろう、と太郎も連れて行く事にした。それに、夢庵の話によると、磨羅宗湛は京の大徳寺の禅僧で、一休宗純(イッキュウソウジュン)という偉い和尚の弟子だと言う。夢庵はその一休禅師に参禅した事もあり、尊敬しているようで、その人の弟子なら立派な人に違いない、ここで会ったのも何かの縁だ、是非、連れて行くべきだと勧めた。太郎は一休禅師なんて知らなかったが、夢庵がそれ程、言うのなら、きっと偉い坊さんなのだと、改めて、和尚を見直していた。

 また、お屋形様の命で、相談役として赤松家の年寄衆が二人、ついて来た。上原対馬守と喜多野飛騨守の二人だった。二人とも別所屋敷にいた時から、よく遊びに来ていて、太郎も二人には気を許していた。二人は別所加賀守とも仲がいいようで、どうやら、銀山の事を知っているのはお屋形様と加賀守と、この二人だけのようだった。

 二人ともすでに五十歳を過ぎていて、今回の美作遠征が終わったら隠居するつもりだったらしい。加賀守から銀山の事を聞き、面白そうだと太郎を助けてやる気になったようだ。それでも、いくら、お屋形様の義理の兄上に当たる人の相談役とは言え、赤松家の年寄衆が二人もついて行くのは不自然なので、二人とも隠居して、年寄衆の役を息子に譲ってから出掛ける事となった。どうせ、隠居したのだからと二人とも頭を丸め、上原対馬守は性祐(ショウユウ)入道と名乗り、喜多野飛騨守は性守(シュウシュ)入道と名乗った。

 二人の入道はそれぞれ三十人の兵を引き連れて、太郎たちについて来た。その中には、新しい城下町を作るための普請(土木)奉行の太田典膳(テンゼン)と、作事(建築)奉行の菅原主殿助(トノモノスケ)の二人が加わっていた。

 太郎たちが大河内庄に向かう、その日、金勝座の者たちは甲賀に帰って行った。

 金勝座が飯道山に所属している限り、九月十五日の飯道山の祭りには、どうしても出なければならなかった。太郎は十月の十五日の披露式典には必ず、戻って来てくれと頼んだ。金勝座の頭、助五郎は松恵尼殿を連れて、必ず、戻って来ると約束してくれた。別れる時の助六の淋しそうな顔が、太郎の頭の中に、しばらく染み付いて離れなかった。

 甲賀に向かった藤吉はまだ、戻って来ていなかったが、木賃宿『浦浪』の主人に伝言を頼み、先に行く事にした。

 太郎たちは城下に入って来る時に着ていた黒い甲冑を身に付け、颯爽と、まだ見ぬ領地、大河内庄を目指して置塩城下を後にした。

 珍しく、秋晴れのいい天気だった。



陰の流れ《愛洲移香斎》第二部 赤松政則 終
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