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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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35.百合と千太郎2






 冷たい風が吹いていた。

 もうすぐ、長い冬がやって来る。二度目の冬だった。

 太郎の屋敷は完成していても、重臣たちの屋敷は上原性祐(ショウユウ)と喜多野性守(ショウシュ)の屋敷以外は、まだ完成していなかった。中級武士や下級武士たちの家に関しては建設予定地が決まっているだけで、まだ何も建っていない。彼らは掘立て小屋のまま、もう一冬を越さなければならなかった。太郎は家臣となってくれた彼らに、辛いが頑張ってくれ、という一言しか言えなかった。

 風の音を聞きながら薄暗い月影楼の一階の屋根裏部屋で、太郎は座り込んでいた。

 頭の中で、太郎は剣を構え、師匠、風眼坊舜香と対峙していた。

 陰流の新しい技を考えていた。

 陰流の中の『天狗勝(テングショウ)』は八つの技でできている。その八つの技は、すべて師匠から教わった技だった。太郎はその他に、自分で編み出した技を八つ加えて陰流を完成させようとしていた。ここに移ってから二つの技を考えた。あと六つの技を編み出さなければならなかった。

 太郎はこの城下に武術道場を作るに当たって飯道山の道場を手本とした。

 飯道山では武術を教える前に、体を作るため、一ケ月の山歩きを行なっていた。それは多すぎる修行者たちを振り分ける手段として行なっているものだが、足腰を鍛えるのには都合のいい修行方法だった。太郎はそれをまず取り入れようと思った。

 この城下の道場も無制限に修行者を取るというわけにはいかない。定員を五十人とし、主に若い者を中心に教えようと思った。今はまだ、五十人もいないが、二年、三年後には溢れる程の修行者が集まるだろう。この城下だけでなく、置塩城下からも若い者たちが集まって来るだろうと思っていた。

 太郎は生野の事が一段落すると、三人の弟子を連れて山に入った。城下を見下ろす城から更に奥の方へと入って行った。

 大河内城から北へ尾根沿いに半里程進むと見晴らしのいい山頂に出た。更に尾根は北へ続いていた。太郎は三人の弟子と一緒に道を作りながら進んで行った。

 三日間かけて、道場から片道、およそ二里程の山道ができあがった。飯道山の片道六里半に比べれば、まだまだ足りないが徐々に増やして行こうと思った。

 次の日、三人の弟子に率いられて二十人余りの修行者が山の中に入って行った。まだ、道も完全でなく、途中、危険な所も幾つかあるので、初日は朝早く出掛けて行ったが、戻って来たのは昼をかなり回ってからだった。修行者たちは七日間、山の中を歩かされ、自然に道はでき上がった。

 武術道場は南北が三十三間(約六十メートル)、東西が二十七間(約五十メートル)で、北側に師範たちの待機するための建物が建ち、北東の隅に修行者たち五十人が収容できる長屋を建設中だった。今の所、修行者たちは通いだった。通いといっても城下に彼らの家はまだない。空き地に掘立て小屋を立てて暮らしていた。師範部屋で寝起きしているのは、槍術師範の福井弥兵衛、薙刀師範の高田主水(モンド)、剣術師範の細野外記(ゲキ)、そして、風間光一郎、宮田八郎、夢庵肖柏(ムアンショウハク)だった。

 福井、高田、細野の三人は太郎が置塩城下に行軍した時、参加した浪人組だった。浪人組の中に、細野は別にして、槍術の福井と薙刀の高田がいたのは太郎にとって都合のいい事だった。太郎の三人の弟子の中に槍術と薙刀術を教えられる者はいなかった。太郎は教えられるが、そうちょくちょく道場に出られない。特に福井の槍術はかなりの腕で、太郎の弟子たちでも太刀打ちできない程だった。太郎は福井を武術道場の責任者とし、道場奉行に任命していた。その他、浪人組には弓術の名人の朝田河内守がいた。朝田は城下のはずれにある射場(イバ)の責任者で、そこにも五十人の修行者を置くつもりでいた。

 夢庵がここにいるのは変な事だったが、本人は気に入っているようだった。太郎は自分の屋敷内に、夢庵のための部屋を用意したのに、一晩いただけで、また、こっちに戻ってしまった。

 夢庵は不思議な術を身に付けていた。棒術の一種で、六尺の棒を使うのではなく、三尺の棒を二本使う術だった。剣術において二刀を使うのと似ているが、棒でなければできない技もあった。夢庵はその術を京の鞍馬山(クラマヤマ)の山伏に習ったという。

 夢庵は公家の中院(ナカノイン)家に生まれた。中院家は和歌を家業とする家柄で三大臣家(オオミケ)と呼ばれ、正親町(オオギマチ)三条家、三条西家と共に清華家(セイガケ)に継ぐ家格で、代々、大臣職に就いていた。村上天皇を祖とする源氏であり、赤松氏、北畠氏とは同じ流れであった。

 京の公家の世界には古くから京流と呼ばれる武術があった。京流は鞍馬山の山伏から生まれ、公家たちの間に伝わり、古くは御所を護衛する者たちが身に付けて実戦の中で使われていたが、武士たちが台頭して公家の力が弱まるにつれて、京流の武術は個人的な護身の術になって行った。甲冑を身に付けない公家たちが自分の身を守るための武術だった。夢庵が子供の頃、その京流の武術はほとんど形だけが残っていて、踊りのようになり、実際に役に立つとは言えないものだった。ただ一つ、京流の中の吉岡流だけは当時も盛んで、将軍家の兵法(ヒョウホウ)指南となっていたが、吉岡流は武術よりも軍学が中心だった。

 夢庵は子供の頃からフラフラと旅に出るのが好きだった。十五、六歳の頃、家を抜け出して一人で近江に旅に出た時だった。その時、山賊に会い、ひどい目にあった。命だけは何とか無事だったが、身ぐるみを剥がされ裸同然の姿で家に帰った。それは気位(キグライ)の高い夢庵にとって屈辱的な事だった。

 夢庵は強くなろうと決心し、父親に頼んで吉岡兵法所に入る事ができた。しかし、用兵術や戦術を机上(キジョウ)で教えるだけで、剣術は教えてくれなかった。夢庵が剣術を教えてくれと頼むと、師範は勿体ぶって戦術を頭に入れてから実戦を教えると言った。

 夢庵は兵法所を飛び出して鞍馬山に登った。

 鞍馬山には昔、源義経が天狗から剣術を習ったという伝説があった。天狗というのは山伏の事だった。夢庵も義経のように鞍馬山の山伏から武術を習おうと勇んで山に登った。鞍馬山は大勢の信者たちが山伏に連れられて登っていた。夢庵は天狗の住む人気のない所を想像していたが、山の中の鞍馬寺は予想に反して賑やかだった。参道を行き来する山伏たちも武術の名人というよりは、ただの道案内に過ぎなかった。薙刀を構えた僧兵はかなりいたが、夢庵の考えていた天狗像とは全然、違っていた。

 夢庵は失望しながら鞍馬寺をお参りした。そのまま帰ろうと思ったが、せっかく来たのだからと義経の伝説のある僧正(ソウジョウ)ケ谷に向かった。さすがに、その辺りまで来ると人影もなく、今にも天狗が現れそうな雰囲気があった。

 夢庵はそこで天狗が出て来るのを待った。夢庵には生れつき気長な所があった。比較的のんびりとした公家社会で育ったため、何もしないで長時間いる事は苦痛ではなかった。旅に出て景色のいい所に行った時など、時が経つのも忘れて暗くなるまで、ずっと景色を眺めている事が何度もあった。僧正ケ谷に来た時もそうだった。夢庵は石の上に座り込んで、ずっと、天狗が現れるのを待っていた。

 夢庵は三日間、何も食わずにそこにいた。

 三日目にとうとう天狗が現れた。それは、ただの山伏だったが夢庵には天狗に見えた。

 その山伏は僧正ケ谷の先にある奥の院にいる山伏で、鞍馬寺への行き帰りに夢庵の姿を見ていた。初日は夢庵の事など気に掛けなかった。二日目、同じ場所にいる夢庵を見ながら、一体、あんな所で何をしているのだろうと思った。しかし、声も掛けずに通り過ぎた。三日目、まだ同じ場所にいる夢庵を見て、山伏はぞっとなった。もしかしたら、義経の霊かもしれないと思った。山伏は夢庵を横目で見ながら鞍馬寺の方に去って行った。夕方、鞍馬寺から奥の院に向かう山伏は、まだ、そこにいる夢庵の姿を見て、恐る恐る近づいて声を掛けた。

 夢庵は顔を上げて山伏を見ると急にニヤッと笑った。

 山伏は恐れて太刀に手を掛け、抜こうとした。

 夢庵は山伏に、「剣術を教えて下さい」と言った。

 山伏は益々怪しみ、義経の幽霊に違いないと思った。

 夢庵は座っていた石から下りると山伏に頭を下げた。

「お願いです。わたしに剣術を教えて下さい」

 山伏は太刀を構えたまま夢庵に名を聞いた。

 夢庵は本名を告げた。

 山伏は夢庵の父親を知っていた。知っていたといっても名前を知っている程度だったが、名門である中院家の御曹司(オンゾウシ)が、どうして、こんな所に三日もいるのか訳を聞いて山伏は夢庵を奥の院に連れて行った。その山伏に紹介されたのが、例の棒術を使う賢光坊(ケンコウボウ)という山伏だった。夢庵は賢光坊について一月余り修行を積み、二本の棒を使う棒術を身に付けた。

 その棒術は賢光坊が編み出した術だったが、まだ、完成していなかった。賢光坊はある日、武士と戦い、六尺棒を真っ二つに斬られ、仕方なく斬られた二本の棒を使って武士を倒した。その時はとっさの事で無意識に二本の棒で戦ったが、後で考えてみると、これはなかなか使えると思い、その技の工夫するために鞍馬山に帰って来た。その工夫をしている時、夢庵と出会い、夢庵を稽古相手に工夫を重ねた。

 賢光坊の棒は普段は六尺で、中央から二つに割れるような仕掛けがしてあった。敵と戦う場合、初めは六尺棒として戦い、途中から二つに分ける。そんな仕掛けを知らない敵は不意を突かれて敗れるという具合だった。

 夢庵も鞍馬山を下りた後、そんな六尺棒を杖代わりに持ち歩いていた。そのうち、自分の身を守るだけなら二本の棒は必要ないと思うようになり、棒の代わりに脇差を持ち歩くようになっていた。

 夢庵は鞍馬山で棒術を身に付けて以来、自分に自信を持ち、一人でどんな所でも行けるようになったが、実際、その棒術を使って誰かを倒したという事はなかった。太郎と出会って、太郎の強さを聞き、久々に武術に興味を持って、太郎の弟子を相手に稽古に励んでいた。

 夢庵は今まで自分の強さがどれ程なのか知らなかった。それを試すのにもいい機会だった。夢庵は八郎を相手に久し振りに二本の棒を持って打ち合った。

 勝負は互角だった。

 八郎は勿論の事、見ていた光一郎、五郎も驚いていた。夢庵がそれ程の腕を持っていたとは誰もが信じられなかった。毎日、ブラブラしていて、のんきに歌を歌っている夢庵が、これ程強かったとは思いもよらない事だった。しかも見た事もない術だった。二本の三尺棒を両手に持ち、片方の棒で相手の木剣を押えておいて、もう一本の棒で相手を打つ。もし、八郎が相手でなかったら簡単にやられていた所だった。

 太郎もその話を聞き、夢庵の棒術と打ち合った。勿論、太郎の勝ちだったが、太郎は夢庵の棒術から学ぶべきものがあると感じ、自分も同じ物を作って色々と工夫して、陰流に取り入れる事にした。

 夢庵は自分の腕を試した後、武術道場に住み着いて、八郎と光一郎から陰流の剣術を習っていた。今の所、特に行くべき所はないし、太郎と出会ったのも何かの縁だろう。ここにいる間に剣術を身に付けようと思っていた。

 夢庵は何かに熱中すると、とことんやるという性格だった。

 まず、最初に熱中したのはお家芸である和歌だった。和歌に熱中したあまり、和歌の舞台になった地を自分の目で見たくなって旅に出た。

 次に熱中したのは女だった。気に入った女のもとに通い続けたり、遊女屋に泊まり続けたり、女と一緒にいない夜はない程、女に狂っていた。

 次が棒術。一月余り鞍馬山で修行した後も、一年近くは棒術に熱中していた。

 その次に熱中したのは笛だった。夢庵は徳大寺家に通って笛を習った。

 次はお茶で、村田珠光(ジュコウ)の弟子となって侘(ワ)び茶と唐物(カラモノ)の目利きを習い、さらに、香道(コウドウ)を志野宗信(ソウシン)に習い、連歌は心敬(シンケイ)に学び、その他、流行り歌や絵にも凝った事もあった。

 公家の名門に生まれたため、食べる事の心配はしなくて済んだ。長男に生まれなかったため、好きな事をやる事ができた。元々、器用なのか、興味を持った物は何でも身に付ける事ができた。その身に付けた芸が身を助ける事となり、戦で京を離れる事になっても、各地の大名たちから歓迎されるという具合だった。

 そして、今、夢庵は陰流に凝っていた。夢庵は太郎の弟子たちから陰の術も学んでいた。太郎の直接の弟子ではないにしろ、陰流を身に付けた夢庵は弟子と同じようなものだった。

 そんな夢庵がひょっこりと太郎のいる月影楼に現れた。夢庵は太郎のいる隠し部屋の仕切りまで来ると中に声を掛けた。

 夢庵は太郎の事を太郎坊殿と呼んでいた。それは、夢庵が太郎の事を赤松家の一人として見ているのではなく、同じ芸術家の一人として太郎を見ているのだった。夢庵が本名を名乗らず、庵号を名乗っているのと同じく、太郎も坊号で呼んでいたのだった。

 太郎は夢庵の声を聞くと、何事だろうと顔を出した。

「ちょっと話があるんじゃが、いいかのう」と夢庵は言った。

「はい。構いませんが‥‥‥上に行きましょう」

 二人は二階に上がった。太郎は南の板戸を開けた。風はそれ程入って来なかった。

 夢庵は腰を下ろすと、まだ、何も描いてない壁を見ながら、「絵師を連れて来るんだったな」と言った。

「急がなくてもいいですよ」と太郎は言った。

「いや、これじゃあ、せっかくの楼閣が台なしじゃ。誰かを連れて来よう」

「お願いします。ところで、話とは何です」

「実はのう。そろそろ、ここから出ようと思っておるんじゃ」

「どこかに行かれるんですか」

「ああ。長い事、世話になったのう。おぬしに会えて本当によかったと思っておる。陰流も身に付けたしな。もう、怖い者なしじゃ」

「どこに行かれるのですか」

「近江じゃ。近江の甲賀じゃ」

「甲賀? 甲賀に用でもあるのですか」

「ああ、宗祇(ソウギ)殿が、そこにいるという事が分かったんじゃ」

「宗祇殿?」

「連歌師じゃ。わしは宗祇殿の弟子になるつもりじゃ」

「連歌師ですか‥‥‥」

「宗祇殿は今、連歌師の最高峰なんじゃ。わしは以前から宗祇殿に色々と教わりたかった。しかし、東国の方に旅に出ていて、どこにおるのか分からなかったんじゃ。それが、最近になって、甲賀柏木の飛鳥井殿の屋敷に滞在しておる事が分かったんじゃ。わしは会って弟子にして貰うつもりじゃ」

「そうですか‥‥‥甲賀の柏木と言えば飯道山の近くです」

「飯道山というと、そなたが年末に陰の術を教えに行く山じゃな」

「はい。今年ももう少ししたら行く事になります」

「向こうでまた会えるかもしれんな」

「はい。飯道山に行ったら訪ねて行きますよ」

「いや、わしの方から行こう。わしもその飯道山というのを一度見たいしな」

「それで、いつ、出掛けるのです」

「このまま、出掛けようと思っておる」

「えっ、今すぐですか」

 夢庵は頷いた。

「そうですか‥‥‥」

 太郎は引き留めても無駄だと思った。しかし、このまま別れるのは残念だった。太郎としては夢庵を送るために宴を開きたかったが、夢庵がそういう事を好まないのは知っていた。

「夢庵殿、せめて、楓にだけは出て行く事を言って下さい。楓も色々とお世話になりましたから」

「わしは何もしてはおらん‥‥‥が、分かった」

「また、来て下さい」

「近江で会おう」

 そう言うと夢庵は立ち上がって、回廊に出て城下を見渡した。

「今度、来る時には、ここも賑やかに栄えている事じゃろうのう」

 太郎も回廊に出て城下を見た。

「不思議な事です。何もなかった所に、こんな町が出現するなんて‥‥‥」

「確かにのう‥‥‥」

 夢庵は部屋に戻ると、下に降りる階段の方に向かった。

「楓殿には挨拶して行く。そなたはそのままでいてくれ」

「飯道山で会いましょう」と太郎は階段を降りて行く夢庵の足音に向かって言った。

 太郎は三階に登って自分の屋敷を見下ろした。しばらくして、夢庵が楓と楓の侍女たちと一緒に庭に出て来た。夢庵は廐から金色の角を持った牛を連れて来ると、月影楼を見上げて太郎に手を振った。太郎も手を振り返した。

 夢庵は楓に何かを喋ると牛に乗って門から出て行った。

 太郎は月影楼から、のんびりと歩く牛を見守っていた。

 夢庵の姿が見えなくなるまで、太郎はずっと見送った。

 夢庵の姿が見えなくなると太郎は板戸を閉めた。下に降りようとした時、床の間の掛軸が目に入った。

 夢庵の書いた『夢』という字だった。

「夢か‥‥‥」太郎は独り呟き、夢庵らしいと思った。

 太郎は床の間の前に座り込むと、しばらく、夢という字を見つめていた。





 雪が降っていた。

 あっと言う間に、辺り一面、真っ白になってしまった。

 この雪は根雪になるかも知れなかった。

 銀山の作業は雪のため春まで中止となり、人足たちは冬の間は炭焼きをする事となっていた。山を下りる事は許されなかった。銀山開発は赤松家にとって絶対に極秘にしなければならない事だった。銀山に携わった職人や人足たちは常に見張られ、山から逃げ出せば殺されるという事となった。太郎はそんな事をしたくはなかったが仕方がなかった。

 銀山奉行の小五郎は冬の間に、来年の開発計画を練るため、おさえを連れて大河内城下の太郎の屋敷に移った。長老とおせんは銀山を守るため山に残り、助太郎と助五郎は長老を守るため山に残った。助六郎と小三郎の二人は、十八歳になったおちいとおまると夫婦になって城下の小太郎の屋敷に移り、助四郎はおこんを連れて銀太の屋敷に移っていた。

 生野も雪で埋まり、置塩城下から助っ人に来ていた兵は皆、引き上げ、大沢播磨守と小川弾正忠の率いる百人足らずの兵が守っていた。

 太郎は楓と二人で月影楼の三階から雪の降る城下を見下ろしていた。

「綺麗ね」と楓が言った。

「ああ。長い冬の始まりだ」

「いよいよ、明日、出掛けるの」

「うん」と太郎は頷いた。

「今年は誰を連れて行くの」

「光一郎を連れて行く」

「親子の再会をさせるのね」

「そういう事だ。久し振りだな、師匠に会うのは」

「百日行をしてるんですって?」

「らしいな。師匠もよくやるよ。伊勢新九郎殿も一緒だそうだし、栄意坊殿も飯道山にいるらしいし、みんなと会える。楽しみだよ」

「久し振りだもんね」

「会ってみないと分からないけど、師匠に、ここを見てもらおうと思ってるんだ」

「みんな、連れて来てよ。あたしも会いたいわ」

「うん。何としてでも連れて来るよ」

 九月の初め、松恵尼と一緒に飯道山の祭りに帰った金勝座が戻って来て、向こうの状況を太郎たちに知らせてくれた。

 太郎は師匠に会いたかった。以前、師匠を捜しに大峯山に登った時よりも、今の太郎は一回りも二回りも大きくなっていた。あの時の自分は惨めだった。師匠にすがる思いで、師匠を捜していた。結局、師匠には会えなかった。あの時、会えなくてよかった、と今の太郎は思っている。そして、今、ようやく、師匠と会える時が来た。自分の成長振りを堂々と師匠に見て貰いたかった。

「ねえ、あなたのお弟子さんの中で、誰が一番、陰の術、得意なの」と楓は聞いた。

「そうだな‥‥‥五郎かな」

「五郎さん‥‥‥五郎さんも大変ね。一遍に三人の子供を持っちゃって。でも、しっかりした人みたいだから安心ね」

「お前、五郎の嫁さんに会ったのか」

「ええ、ちょっとね。挨拶に行ったのよ」

「そうか‥‥‥」と言いながら、太郎は楓を横目でちらっと見た。

「ねえ、五郎さんて、あなたを仇と狙っていたはずでしょ。もう、やめたの」

 太郎はほっとして、「さあな」と首を振った。「聞いた事はないが、どう思ってるんだろうな」

「家族を持ったら仇討ちどころじゃないわよ。きっと、あなたが悪かったんじゃないって気づいたんじゃない」

「そうだといいんだけどな」

 楓は部屋の中に目を移し、床の間の掛軸を見ながら座り込んだ。

「ねえ、夢庵さんと会って来るの」

「ああ。せっかくだからな。夢庵殿が飯道山に来るって言っていたけど、来なかったら、こっちから訪ねて行くさ」

「何してるのかしら」

「連歌に熱中してるんじゃないのか。何もしないでブラブラしてるかと思うと、一つの事に熱中して、とことんまでやる人だからな。夢庵殿があんなにも剣術に熱中するなんて思ってもいなかったよ」

「夢庵さん、強いんですって?」

「ああ、強いな。最初見た時、あんな格好でウロウロしてるからには少しはできるな、とは思ったけど、あれ程の腕を持っていたとは知らなかった」

「また、ここに来てくれるかしら」

「忘れた頃に、例の牛に乗って、ひょっこりと現れるんじゃないのか」

「そうね‥‥‥ねえ、あなたの夢って何なの」

「俺の夢? 俺の夢は陰流を完成させて、それを広める事だな」

「戦をするために?」

「いや、そうじゃない。俺の陰流は戦のためじゃない」

「じゃあ、何のため」

「夢庵殿の剣と同じさ。身を守るためと、後は‥‥‥」

「後は‥‥‥」

「無益な争いを避けるためだ。自分の強さが分かれば、敵を殺さなくても済む」

「でも、戦になったら敵を殺さなくてはならないんでしょ」

「まあ、そうだな。戦は個人の戦いと違うからな。殺さなけりゃならない」

「あなたの陰流によって、死ぬ人もいるのね」

「それはしょうがないだろう。皆、必死だからな。負ければ、すべてを失う事になってしまう」

「そうね。再興される前の赤松家のように、この世から消えちゃうのね‥‥‥」

「楓、お前の夢は何なんだ」

「あたしの夢‥‥‥ここに来るまでは、松恵尼様の跡を継いで孤児院をやって行こうと思ってたの。でも、こっちに来てから分からなくなったわ。こんなお屋敷に住んで、侍女に囲まれて暮らしていると、花養院にいた頃の事が嘘のように思えて来るの。このままではいけない。何かをやらなければならないとは思うんだけど、何をやったらいいのか分からないわ」

「今は百合の事だけ考えていればいい。百合がもう少し大きくなったら、孤児院でも何でも始めればいいさ。天から授かった今の地位を逆に利用すればいいのさ。何かをやろうと思えば、今なら何でもできる。俺は自分の道場を持つ事ができたし、こんな楼閣も持つ事ができた。お前も何かをやろうと思えば何でもできるさ」

「そうね‥‥‥」

「俺は今まで通り、ここの殿様だけでいるつもりはない。太郎坊という山伏にもなるし、三好日向という仏師(ブッシ)にもなるつもりでいるんだ。ただの武士にはならないよ」

「そうね。あたしも、もう一人の自分を作ろうかしら」

「そうさ。こんな所に籠もっていたら本当におかしくなっちゃうぜ。回りが見えなくなってしまうよ」

「ねえ、鬼山銀太様のお屋敷にいる、おきささんていう人、綺麗な人ね」と楓は突然、話題を変えた。それは、太郎にとって不意打ちだった。

「えっ?」と言いながら、太郎は楓を横目で見た。

 楓は夢庵が書いた掛軸を見つめていた。

「千太郎って男の子がいたわ」

「‥‥‥知ってたのか」と太郎は覚悟を決めて聞いた。

「松恵尼様が来た時、一緒に城下を歩いて色んな所に挨拶に行ったの。そして、偶然に会ったのよ。あたし、びっくりして、どうしたらいいのか分からなかったわ。でも、松恵尼様が一緒にいたので助かったの。おきささんから訳を聞いたわ‥‥‥松恵尼様は、あなたには黙っていた方がいいって言ったわ‥‥‥」

 太郎は楓の前に座ると、「悪かった」と謝った。「あの時は仕方なかったんだ」

「聞いたわ‥‥‥おきささんが、みんな話してくれたわ‥‥‥」

「話そうと思ったが話せなかった‥‥‥」

「あの人、このお屋敷に入れるつもりなの」

 太郎は首を振った。「いや。それはできない。その事はおきさも分かってくれている」

「あの子も、ずっと、あそこに置いておくつもりなの」

「仕方がない‥‥‥」

「どうして、隠してたの」

「言えなかったんだ‥‥‥」

「そう‥‥‥」

「怒ってるのか」

「怒ってるわ‥‥‥どうしょうもない位、怒ってるわ」

「だろうな‥‥‥」

「罰として、あたしに陰の術を教える事」と楓は言った。

「許してくれるのか」

「陰の術を教えてくれるまで、許さないわ」

「分かった。教える。しかし、陰の術を習ってどうするつもりなんだ」

「あなたをこっそり尾行するのよ」

「何だって」

「嘘よ。あたしねえ、女だけの兵隊を作ろうと思ってるの」

「女だけの兵隊? 女武者という奴か」

「そう。でも、戦を実際にするんじゃなくて敵情視察をするのよ」

「女を使ってか」

「そう。男にはできない事でも、女ならできるっていう事あるでしょ」

「まあ、それはそうだが‥‥‥」

「あなたは知らないでしょうけど、金勝座の助六さんとあたし、とても仲良しになったのよ。助六さんから色々と話を聞いたの。それでね、二人で松恵尼様みたいに女たちを使って情報集めをしようって決めたのよ」

「助六さんと二人でか‥‥‥」

「そうよ。それには、まず、あたしが陰の術を身に付けて、そうだ、助六さんも一緒の方がいいわ。ねえ、二人に陰の術を教えて。いいえ、罰として絶対に教えるのよ」

「分かった。飯道山から帰って来たら、さっそく教えるよ。そうだな、正月は何かと忙しいから二月だな、二月に一ケ月間、みっちりたたき込んでやるよ」

「絶対よ」

 太郎は頷いた。

「楓、今晩はここで寝ようか」

「そうね、一ケ月間、お別れだもんね。罰として、今晩は寝せないから」

「参ったな」

「参ったじゃないのよ」と楓は太郎を睨みながら、太郎にもたれて来た。

「はい、はい。楓御料人(ゴリョウニン)様」と太郎は楓の体を膝の上に横たえた。

 楓は太郎を見つめて笑っていた。

 太郎も楓を見つめながら笑った。

 外では、雪が静かに降っていた。

 あっと言う間に、辺り一面、真っ白になってしまった。

 この雪は根雪になるかも知れなかった。
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