26.銀山2
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彼らは皆、働き者だった。
朝早くから皆、働きに出て行った。男たちは武器を持って、見張りや、狩りや、炭焼きに出掛け、女たちは川に行って、水を汲んだり、洗濯をしたり、畑仕事に励んでいた。二十七人もいる孫たちは、年長の子供が小さい子供の面倒をよく見ていた。
銀山の事を知っていながら、銀に手を付けない彼らは、炭焼きで生計を立てていた。田や畑はあっても、それだけでは、とても五十何人もを食わせて行く事はできない。銀を製錬するには炭も必要であり、彼らは上等な炭を作る技術を持っていた。彼らは炭を作り、岩屋谷の市場に持って行って売っていた。
太郎たちは左京大夫と小五郎に連れられて、銀の鉱脈を見に行った。それは谷川をさかのぼり、少し山の中に入った所にあった。
草木を掻き分け、急斜面をよじ登り、奥の方に入って行くと急に岩場にでた。目の前に大きな岩が迫り出ている。さらに、岩と岩の間をよじ登って、その大きな岩の裏側辺りに出た。
「あれじゃ」と左京大夫は山肌に飛び出している岩を指さした。
「あれが、銀ですか」と探真坊が聞いた。
「光ってないやんか」と八郎坊は言った。
「ほれ、あそこに筋が見えるじゃろ。あれが銀の鉱脈じゃ」と小五郎が言った。
よく見ると、その岩には斜めに帯のような縞模様が入っていた。あれが銀だと言われれば、そのような気もするが、言われなければ、ただの岩にしか見えない。とても、素人(シロウト)に捜せるような代物(シロモノ)ではなかった。
「あれで、どの位の銀が取れるのですか」と太郎は鉱脈を眺めながら聞いた。
「そうさのう。この鉱脈はかなりの銀を含んでおるからのう。鉱脈の深さにもよるが、露頭(ロトウ、地表に現れている部分)だけでも、二貫(七、五キロ)余りの銀は取れるじゃろう」と小五郎は言った。
「二貫(カン)‥‥‥銀二貫と言えば、銭にしたら、ええと‥‥‥」探真坊が計算しようとした。
「大体、二百五十貫文(カンモン)位かのう」と左京大夫が言った。
「二百五十貫文か‥‥‥」と八郎坊は唸った。二百五十貫文と言われても、八郎坊には想像すらできなかった。
当時、米一石(コク)当たりの値段は変動がかなりあったが、大体、七百文前後だった。二百五十貫文と言えば、米にして、およそ三百六十石という計算になった。米を一日一升食べたとして、百年間は食べて行けるだけの米を買う事ができた。
「露頭だけで、そんなもんじゃ」と小五郎は言った。「この鉱脈が、ずっと深くまで続いていれば、その何十倍、何百倍にもなる」
「ここの他にも、まだ、銀の鉱脈はあるのですか」と風光坊が聞いた。
「ああ、まだ、ある」と左京大夫は言った。「じゃが、ここ程、いい鉱脈はない。ここ程ではないと言ってもの、よその銀山の鉱脈と比べれば、はるかに、いい鉱脈じゃがのう」
山を下りて河原に戻ると、小五郎は小次郎を連れて来た。
小次郎は生れつき目が見えないと言う。小次郎は手に杖と尺八を持っていた。
左京大夫は小屋の裏の方にある小さな祠(ホコラ)の前で、神妙に何事か唱えると、祠の後ろにある細い山道へと入って行った。
太郎たちも小五郎、小次郎と一緒に裏山の、その細い山道に入った。
山道を登って行くと山の頂上近くに、また、小さな祠が建っていた。
その祠は変わった作りの祠だった。どうも、明の国の祠を真似て作った物らしかった。
左京大夫と小五郎は祠の前に立つと、持って来た酒を祠に置いてある器に入れ、熱心に何かを唱え始めた。明の言葉のようだった。太郎たちには何を言っているのか、さっぱりわからなかった。小次郎は左京大夫の隣に立って尺八を吹いていた。その尺八の調べも、聞いた事もないような綺麗な調べで、明の曲のようだった。
太郎たちは三人の後ろに立ち、静かに三人のする事を見守っていた。
やがて、儀式が終わると、左京大夫は祠の扉を開けた。中にもう一つ扉があり、頑丈そうな錠前が付いていた。左京大夫は鍵を懐から出すと錠前を開けた。
中には漆(ウルシ)塗りの小箱が入っていた。左京大夫はその小箱を取り出すと、太郎たちに見せて、静かに蓋を開けた。箱の中には絹にくるまった長さ二寸、幅一寸程の楕円の形をした銀の塊が三つ入っていた。
「あそこの鉱脈で作った物じゃ」と左京大夫は言った。
「すげえなあ」と太郎たちは銀を眺めた。
「これで、いくら位ですか」と探真坊が聞いた。
「そうさのう、二十五匁(約百グラム)はあるかのう」
「二十五匁(モンメ)‥‥‥」
「ああ、銭にしたら三貫文位じゃ」
「これで、三貫文もあるんですか‥‥‥」と八郎坊はじっと銀を見つめた。
三貫文と言うのは銭三千枚の事だった。これ位なら八郎坊にも理解できた。
左京大夫は銀を一つ手に取ると太郎に渡した。「それをお屋形様に見せて下され」
太郎は左京大夫の顔を見ながら頷いた。
「長老殿、ちょっと聞いていいですか」と探真坊が言った。
「何じゃ」と左京大夫は探真坊を見た。
「どうして、自分たちで銀を作ったのに、それを使わないのですか」
「わしらは所詮、職人なんじゃよ。商人にはなれんのじゃ。わしらが、そんな銀を持ち歩いていたら、怪しまれて、どんな目に会うかわからん。今の世の中は物騒じゃからのう。自分で作った銀で、殺されでもしたら、かなわんからのう」
確かに、銀や金など一般の者たちには縁のない物だった。やたらに、そんな物を見せびらかしたら、返って自分の身の方が危なくなってしまう。左京大夫の言う事はもっともな事だった。
裏山から下りると太郎たちは、「また、改めて出直して来ます」と言って、そのまま帰ろうとした。しかし、左京大夫は引き留めた。
「わしらのしきたりでな、お祝い事は二晩続けてやる事になっておるんじゃよ」と小五郎が笑った。「すまんがのう、もう一晩付き合ってくれんか。今晩はみんなを紹介する」
太郎は断る事ができなかった。目的は達したし、どうせ明日のうちに帰ればいい事だし、今日はのんびりして明日の朝早く帰る事にした。
太郎たちは昨日の晩、泊めてもらった小屋に案内された。昨日は暗くてわからなかったが、まだ、建てたばかりの新しい小屋だった。
「これはお客さん用のうちですか」と太郎は案内してくれた左京大夫の家にいる、おちいという名の娘に聞いた。
「いえ、違います。お客さんなんて誰も来ません。このうちは、もう少ししたら、あたしのうちになるんです」
彼女の話によると、この村では、女の子が十八になると一人前として認められ、小屋を一つ貰って独立するという珍しいしきたりがあると言う。
「おちいちゃん、一人でこのうちに住むのかい」と聞くと、「やだあ」と言って顔を赤らめた。赤くなるところをみると、どうやら、亭主となる人が決まっているのだろう。ぽっちゃりとしていて、なかなか可愛いい娘だった。
「ゆっくりしていて下さい」とおちいちゃんは戻って行った。
「可愛いいな」と八郎坊が後ろ姿を見送りながら言った。
「お師匠、いいんですか、こんな、のんびりしていて」と探真坊が言った。
「仕方ないだろ。あれだけ勧められたら断れん。それに、ここの人達とは、この先ずっと付き合う事になるかもしれんからな」
「どうしてです」
「赤松家が本格的に、ここの銀山の開発に乗り出したら、俺がここの担当になるような気がするんだ」
「本当ですか」と八郎坊が聞いた。
「そんな事はわからん」と太郎は言うと、部屋の中のまだ新しい筵の上に寝そべった。「わからんが、そんな気がするんだ。俺がこの銀山の事を別所加賀守に言うだろう。加賀守はお屋形様に言うだろう。多分、そこで止まるような気がする。ここの事は他の重臣たちには内緒にするような気がするんだ。勿論、浦上美作守には絶対に言わないだろう。そうなると、ここの事をすでに知っている、この俺がここの担当になるような気がするんだよ」
「そうなるかもしれませんねえ」と探真坊は言って頷いた。
「そうなると、ここの連中たちと仲良くしておいた方がいいな」と風光坊がニヤッと笑って八郎坊に言った。
「そうやな」と八郎坊もニヤッとして頷いた。
知らない間に、何人もの子供達が窓から中を覗いていた。
八郎坊は風光坊を誘って外に出て行った。子供達がわあっと八郎坊の後に付いて行った。
「あいつら、子供が好きだな」と太郎は探真坊に言った。
「目当ては子供じゃないんですよ」と探真坊は笑った。
「あの、おちいちゃんか」
「さあ」と探真坊は笑いながら首を振った。
「おちいちゃんは、どうやら決まった男がいるようだぞ」
「そうですかね‥‥‥お師匠、八郎坊から聞いた話ですけどね、この村は誰と誰が夫婦って決まってないみたいですよ」と探真坊は太郎の隣に座った。
「何だって? どういう事だ」
「昨日、一緒に山に登った四人がいるでしょ。小太郎と小三郎は兄弟です。助五郎と助六郎も兄弟です。しかし、四人とも自分の母親は知ってますけど、父親は誰だか知らないんですよ」
「何だと」と太郎は驚いて上体を起こした。
「つまり、三人の女の所に三人の男が替わりばんこだか、どうだか知りませんけど通っていたというわけです」
「という事は、子供たちは、みんな、父親が誰だかわからんのか」
「ええ、知りません。あそこで遊んでいる子供たちもです」
「あの子たちも?」
「そうです。ここの女たちは十八になると小屋を貰います。さっき、おちいちゃんが言ってたでしょう。そして、その女の小屋に男が通うわけです」
「好きな女の所にか」
「ええ。ただし、同じ兄弟同士は禁止されてるみたいですけど」
「そりゃ、そうだろう‥‥‥と言う事は、男たちはどこに住んでいるんだ」
「女がいていいと言えば、女の所にいますし、行く場所のない男は小五郎さんのうちか、若者小屋です」
「若者小屋、そんな小屋があるのか」
「ええ、村の入り口の所にある見張り小屋です。若者たちが交替で見張りをしてるんですけど、行く当てのない奴はそこにいるみたいですよ」
「へえ、それじゃあ、男で自分の小屋を持っているのは長老と小五郎さんだけか」
「そうみたいです」
「ふうん、変わった村だな」
「だから、あの二人、張り切ってるんですよ」
「成程‥‥‥女が小屋に入れてくれれば、後は、いい思いができるというわけだな」
「そうです。より取り見取りというわけです。ちょっと年増が多いけど」
「よくまあ、そんなに詳しく調べたもんだな」
「のんきそうに見えて、八郎坊の奴、女子(オナゴ)の事となると割りと小まめに動くんですよ」
「ほう、あいつがね」
「俺も行って来ます」
「おい、問題を起こすような事をするなよ」
「わかってます」と探真坊も子供達の遊んでいる方に向かって行った。
より取り見取りか‥‥‥まさに、男にとって極楽のような所だな‥‥‥
あのおちいちゃんも、もう少ししたら、この小屋に男を誘うのか‥‥‥
誘うと言っても、この村にいる男は決まっている。毎日、顔を合わせている男が代わる代わる来るというわけか‥‥‥
おちいちゃんにとって、それが幸せなのかどうかわからないが、どうせ、そういう風に育てられたのだろうし、この山以外の世界は知らないのだろう。しかし、今の世の中は返って戦の事も知らずに、この山にいて、子供を産んで平和に暮らした方が幸せなのかもしれない‥‥‥
俺がおちいちゃんの事を心配してもしょうがないか、と太郎はまた寝そべった。
太郎は横になったまま長老の事を考えた。
三十三年間、この銀山を守り通せたのは、やはり、長老が赤松性具入道という男を死んでからも信じ通したからなのだろうか‥‥‥
生きている時は信じる事はできるだろう。しかし、死んでしまっても信じ通す事など、できるのだろうか。
これだけの銀山を捜し出し、自分の手で銀を作り出す技術を持っていながら、自分で使おうとはしない。長老の言う通り、下手をすれば殺されるかもしれない。しかし、うまくすれば長者になって贅沢な暮らしができたのではないだろうか。
性具入道が、いつの日か、赤松家の者が来ると言ったって、そんなのいつの事か、まったくわからない。もし、太郎たちがあの時世の連歌の謎を解かなかったら、何年先の事になったのかわからない。それなのに、長老はずっと待っていた。
太郎には長老の気持ちがわからなかった。三十三年間、たった一つの言葉だけをずっと信じて、この場所を守っていたとは、とても信じられない事だった。長老のお屋形様だった性具入道という男は、それ程、立派な男だったのだろうか。
そうに違いなかった。長老にとっては性具入道だけが、この異郷の地において、ただ一人、頼れる人だったに違いなかった。そして、性具入道も異国の人、長老たちを大事にしていたのだろう。自分の名前を長老に与える位だから、彼らの技術を高く買っていたに違いない。その人から、待っていてくれ、と言われたた長老は何も考える事なく、ずっと三十三年の長い間、待ち続けていたのだろう。
長老は昨日の晩、涙を溜ていた。余程、嬉しかったに違いなかった。もしかしたら、生きているうちに赤松家の者は現れないだろうと諦めていたのかもしれない。
銀山を見つける事ができただけではなく、長老たちと出会えてよかったと太郎は思った。
屋根裏を眺めながら考え事をしていると、誰かが小屋に入って来た。
見ると女だった。さっき、畑にいた女だった。
「あら、お休みのところ、すみません」と女は謝った。
「いえ」と太郎は上体を起こした。
女は頭にかぶった手拭いをはずすと、太郎を見て笑った。なかなかの美人だった。
「ねえ、太郎坊様、京に行った事はあります」と女は聞きながら太郎の横に腰を下ろした。
「ええ、ありますけど」と太郎は言った。
「そう、どんな所です」
「今の京は焼け野原です。そして、東軍と西軍の侍たちがうようよいます」
「そう、戦をやってるのね」
「はい。ひどいものです。あそこはもう、都なんかじゃないですよ」
「そう」と頷いて、女はぼんやりと外を眺めた。
太郎は女の横顔を見つめながら、「京にでも行くのですか」と聞いた。
「いいえ」と女は太郎を見て首を振った。「あたしは行きません。でも、あたしの兄は京に行くと言って出て行ったまま戻ってきません」
「戦に行ったのですか」
「ええ、二人して。あたしの兄は銀次って言うんですけど、助次郎さんと一緒に出て行ったまま、もう七年近くが経ちます」
「そうだったのですか」
「太郎坊様は戦に出た事あります?」
「ええ、ありますけど」
「戦って、どんな感じ。怖いの」
「怖い事は怖いですよ。命懸けですからね」
「そうよね、怖いわよね。でも、太郎坊様はお強いんでしょ」
「まあ、それ程でもないですけど」
「嘘!」と女は大きな目をして太郎を睨んだ。すぐに笑って、「あたし、おとくさんから聞いたわ」と言った。「助太郎さんを簡単に倒しちゃったんでしょ。あの人、この村で一番強いのよ。今まで、誰とやっても負けた事ないの。それを簡単にやっつけちゃうなんて相当なものよ。あたし、強い人、大好きなの。ねえ、あたしのうちに来て。見せたい物があるの」
女は素早く太郎の手を握った。
「何です、見せたい物って」太郎は笑って、女の手を握り返した。
「来れば見せてあげる。あら、まだ、名前を言ってなかったわね。あたし、きさって言うの」
「おきささんですか」
「そう、おきさよ、変な名前でしょ」
「いや。おきささんは銀太さんの妹さんですか」
「そう。銀太の下に銀次がいて、その下に、りん、そして、あたし、あたしの下に、くりがいるわ。あたしたちのお母さん、早く死んじゃったから、あたしたち、兄弟が少ないの。助太郎さんなんか九人いるし、おろくさんとこだって九人も兄弟がいるわ」
「おろくさんていうのは?」
「一番上の姉御よ」
「あの男みたいな格好してる人?」
「いえ、あれは、おとくさんよ。男嫌いなんて言って男の格好しているくせに、子供だけは三人も作っているのよ。変態よ」
「失礼ですけど、おきささんは子供はいるんですか」
「ええ、あたしも三人いるわ」
「三人ですか‥‥‥」
見たところ年は二十五位か、年からすれば子供が三人いてもおかしくないが、何となく、気が若いというか、おおらかに育ったせいか、子持ちの女には見えなかった。
「なぜか、みんな、男の子なのよ」とおきさは笑った。
「三人とも男の子ですか。女の子だったら、お母さんに似て美人だったのに残念ですね」
「やだ! 美人だなんて」とおきさは照れながら、太郎の肩をたたいた。
「あたしもね、女の子が欲しかったのよ。でも、駄目だったわ」
「男の子でも、お母さんに似れば、いい男ですよ」
「まあね。三人ともいい男よ。ね、行きましょ」とおきさは太郎の手を引っ張った。
「どこへです」
「あたしんち、すぐ、そこなのよ」
おきさは強引だった。
太郎には断るだけの度胸はなかった。また、太郎の男の部分が、おきさという女の魅力に引かれていた。
おきさの小屋は、太郎のいた小屋の隣の隣だった。
小屋の前に洗濯物が干してあった。畑仕事をしている女が、おきさの小屋に入って行く太郎をじろじろと見ていた。おきさに聞くと、おすなという女で、隣の小屋に住んでいて、男の格好をしている、おとくという女の妹だと言う。そう説明されても、太郎にはよくわからなかった。
小屋の中には誰もいなかった。
小屋の作りは皆、同じようで、半分が土間で半分に筵が敷かれてあった。竃(カマド)の上には大きな鍋が乗せてあり、何かを煮ているようだった。
おきさの子供は八歳と六歳と三歳の男の子で、ようやく手が掛からなくなって、一安心だと言う。当分の間は、もう子供はいらないと言った。
「でも、あなたの子供なら産んでもいいわ」と鍋の中を覗きながら言って、太郎を見ると笑った。
太郎は何と答えていいのかわからず、話題をそらした。
「ところで、俺に見せたい物って何です」
「ああ、そうそう。見て貰いたいのはねえ、刀なのよ」
「刀?」
「ええ、お母さんの形見なの」
おきさは行李(コウリ)の中に首を突っ込んで、何やら捜していた。裾の短い着物から出ている白い足がやけに色っぽかった。
「あったわ!」とおきさは漆塗りの匕首(アイクチ、鍔のない短刀)を太郎に渡した。「ねえ、その刀、名刀? お母さんがとても大事にしてたの」
太郎は匕首を抜いてみた。
刀の事はあまり詳しくはないが、名刀か、そうでないかはわかるつもりでいた。おきさの持っていた匕首は名刀に違いなかった。刀に品があり、魂がこもっているというか、見る者を吸い寄せるような感じがした。
太郎はじっと匕首を見つめていた。
「ねえ、どうなの。それ、名刀なの」
「ああ、名刀だよ」と太郎は匕首を鞘に納めて、おきさに頷いた。
「やっぱりね、あたしもそんなような気がしてたのよ」おきさは嬉しそうに笑った。
「これ、お母さんの形見だって?」
「そうよ」と、おきさは太郎の隣に腰を下ろした。
「お母さんは武士の出だったのかい」
「そう、お母さんは言ってた。でも、お母さんは、さらわれたのよ」
「さらわれた?」
「ええ。お母さん、播磨のお侍の娘だったの。山名の大軍に攻められて、家族と離れ離れになって、焼け跡をうろうろしてたら人買いに捕まったの。そして、但馬の国に連れて来られて、長老様に会って、ここに来たのよ」
「人買いに捕まったのか‥‥‥ひどい目に会ったんだろうな」
「でも、お母さん、ここに来て良かったって言ってたわ‥‥‥お母さんが死んだ時、あたしはまだ五歳だったけど、お母さんの口から、ここはいい所だって何回も聞いたわ」
「そのお母さんが、この匕首を肌身離さず持っていたんだな。しかし、よく人買いの連中に取り上げられなかったな」
「お母さん、それで首を突こうとしたんですって。そしたら、人買いも諦めて取り上げなかったそうよ」
「そうか、大事な商品に死なれたら元も子もなくなるからな」
「お母さん、ここに連れて来られた時も、何かあったら死ぬつもりだったみたい。でも、結局、使わなかった」
「幸せだったんだ」
「うん。長老様たち、お母さんたちを大事にしたみたい。お母さんと一緒に来た、おせんさんと、おさえさんから、よく、昔の思い出話を聞くけど、毎日が忙しくて、きつかったけど、毎日毎日がとても楽しかったって懐かしそうに話すわ」
「みんなで、この村を作って来たんだな」
「そう。たった六人でね」
「今、この村にはどの位いるんだ」
「今、五十二人と半分」
「半分?」
「そう、今、おりん姉さんのお腹の中に子供がいるの」
「へえ、五十二人と半分か‥‥‥凄いもんだな」
太郎は匕首をおきさに返した。
おきさは匕首を元通りに行李にしまうと、竃の鍋を見に行った。
「ねえ、あたし、これから今晩の準備に行かなくちゃならないのよ。あなた、準備ができるまで、ここで休んでいて」
「いいんですか」
「いいのよ。そして、宴が終わったら、また、ここに来てね。絶対よ。見せたい物があるのよ」
「今度は、何ですか」
「後でね」と、おきさは鍋の中の料理を器にあけると、それを抱えて出て行った。
どうする、太郎坊‥‥‥美女からお誘いが掛かったぞ。
断るか‥‥‥できそうもないな。
成り行きに任せるしかないか、と太郎はおきさの小屋から出た。
畑には誰もいなかった。みんな、今晩の準備に狩り出されているのだろう。
太郎は村を一回りしてみようとぶらぶらと歩いた。村の中に小屋は全部で十八棟あった。そのうちの二つが物置になっていて、長老と小五郎の小屋の裏にあった。
太郎が一列に並んでいる小屋の前を散歩してると、ちらっと風光坊の姿が目に入った。ちゃっかり小屋の中に入っていた。小屋の中を覗くと、風光坊しかいないようなので太郎は声を掛けた。
「おい、何してるんだ」
「あっ、お師匠、いえ、別に‥‥‥」
「可愛いい娘(コ)か」と太郎は聞いた。
風光坊は照れながら、「可愛いいというより、綺麗な女(ヒト)です」と言った。
「そうか」と太郎は頷くと、その場を離れた。
何と、隣の小屋では、赤ん坊と一緒に探真坊が鼾をかいて寝ていた。何も言わないが、太郎は探真坊が昨夜、寝ずの番をしていたのを知っていた。疲れが出たのだろう、女の所で安心して眠っていた。
八郎坊もこの辺りの小屋にいるかな、と思ったがいなかった。
太郎たちが案内された新しい小屋と、丁度、反対側のはずれにも新しい小屋ができていた。まだ、誰も入っていなかった。昨夜、おちいちゃんの隣に、おちいちゃんと同じ位の年の娘がいたが、あの娘がその小屋に入るのだろう。
隅の方に厠があったので用を済ませて河原に向かった。
たんぼには稲の穂が重そうに垂れていた。そろそろ稲刈りだなと思った。
河原の方から子供たちの声が聞こえて来た。八郎坊がいるかなと太郎は声の方に向かった。
子供が裸で水浴びをしていた。子供だけなら別に構わないが、子供たちの中に女がいた。勿論、女も裸だった。小さい子供を洗っていた。女は太郎に気づいたが、別に恥ずかしがるでもなく、笑って太郎に頭を下げた。太郎の方が恥ずかしくなり、頭を下げると慌ててその場から離れた。
ああ、びっくりした。あんな所で、女が行水しているなんて思ってもいなかった。他の女たちも平気で河原で行水するのだろうか‥‥‥
まさに、ここは男にとっては極楽だった。まだ、全員を見たわけではないが、ここの女たちはみんな綺麗だった。明の国の血が混ざっているからだろうか‥‥‥
さっきの裸の女も確かに綺麗だった。一体、誰だろうと思ったが、太郎にはわからなかった。まごまごしていたら、ここの女たちに骨抜きにされて、ここから出る事ができなくなりそうだった。
そんな事を考えながら河原を歩いていると、子供たちと遊んでいる八郎坊がいた。
「お前は、やっぱり子守りか」と太郎は八郎坊に声を掛けた。
「あっ、お師匠、代わって下さいよ」と八郎坊は子供たちの中から抜け出して来た。
「いや、お前には似合っている。それに、お目当ての娘さんに頼まれたんだろう」
「へへへ」と八郎坊は笑った。「何だ、お師匠、知ってたんすか。おとみさんて言うんですけどね。おらより年上なんですけど可愛いいんすよ」
「ふうん。みんな、うまくやってるようだな」
「風光坊の奴なんか、あんな綺麗な人とうまく、やってるんですよ」と八郎坊は悔しそうに言った。
「誰だ、その綺麗な人って」と太郎は聞いた。
「おこんさんですよ。お師匠、知ってます?」
「いや、知らん」
「ほんに、天女のように綺麗なんやから」
「天女か、見てみたいものだな。探真坊の相手は誰なんだ」
「さあ、知りませんけど。あいつも、うまく、やってるんですか」
「ああ、誰の小屋か知らんが、赤ん坊と一緒に昼寝しておったぞ」
「あいつが赤ん坊と昼寝? こいつはおかしいや」八郎坊は声を出して笑った。「赤ん坊がいる小屋と言えば、おろくさんか、おきくさんの二人のうち、どっちかやな。おろくさんじゃないやろうから、探真坊の相手はおきくさんやな」
「お前、詳しいな。どうして、おろくさんじゃないんだ」
「おろくさんは一番上の姉御ですよ。まあ、綺麗な人やけど、年が離れすぎてますわ」
「そうか‥‥‥探真坊がおきくさんで、風光坊がおこんさんで、お前がおとみさんか」
八郎坊は頷き、ニヤニヤしながら、「お師匠は誰です」と太郎に聞いた。
「俺は、誰もおらんよ」太郎は笑いながら首を振った。
「ほんとですか」と八郎坊は疑うように太郎を見て、「お師匠、気を付けた方がいいです。みんな、お師匠の事を狙ってますよ」と言った。
「狙ってる?」
「ええ、何だかんだ言っても、お師匠が一番もてますわ。羨ましいわ」
「何を言ってるんだ」
「お師匠、知ってます? ここの娘たちはみんな、決まった亭主がいないんですよ」
「探真坊から聞いたよ」
「ああ、そうですか。それでね、噂なんですけど、今晩、ここの男たちは女の所に行くのを禁止されるみたいなんですよ」
「何だと」
「小三郎から聞いたんですけどね。あいつ、ぼやいてましたよ。長老様の命令は絶対だから、今晩は、たっぷり酒を飲んで寝るしかねえなってね。と言う事はですよ、お師匠、おらたちは好きな女の所に行ってもいいと言う事ですよ」
「ほんとか、信じられんな」
「それに、今晩の宴会は娘たちも全員、出るんですよ。長老はおらたちに娘たちを紹介するんですよ」
「どうして、そんな事をするんだ」
「おらにはわからんけど、助四郎さんが言うには明の国の習慣なんやないかって。明の国ではお客さんを持て成すのに、酒や料理だけやなくて女も提供するんやないかって。それと、新しい血が欲しいんやないかって。早い話が身内ばかりで子供を作っているから、新しい血の子供が欲しいんやないかって言ってたわ」
「ふうん」
「理由はどうでも、おらは今晩が楽しみや。師匠もいい女子を見つけてや」
八郎坊はまた、子供たちの所に戻って行った。
太郎は河原を端まで歩くと、この村の入り口辺りに建っている若者小屋と呼ばれる見張り小屋の前を通って、最初の小屋に戻って来た。小屋に入って一休みするかと思ったが、自然と足は二つ隣のおきさの小屋に向かっていた。小屋の中には誰もいなかった。
太郎は小屋の中に入ると、筵の上に寝転がった。
目を閉じたら、何故か、助六の顔が浮かんだ。太郎は打ち消して、楓と百太郎の事を思った。そして、うとうとと気持ち良く眠りの中に落ちて行った。
満月が出ていた。
太郎坊、風光坊、探真坊、八郎坊の四人は、まだ、夜の明ける前に山を下りていた。
皆、寝不足の顔をしているが、まだ、夢の中にいるようにニヤニヤしている。
昨夜は極楽だった。
長老の小屋での宴会は、一昨日とは打って変わって華やかだった。
長老の他、男は誰も出なかった。娘たちだけだった。しかも、皆、自分の小屋を持っている娘たちで、まだ、小屋のない、おちい、おまる、おすぎの三人はいなかった。八郎坊が言っていた通り、長老の目的ははっきりしていた。
太郎たちは長老に九人の娘たちを紹介された。娘たちは皆、着飾るという程ではないが、こざっぱりとした身なりに薄化粧をしていた。
まず、一番上の姉御のおろく。小太郎、小次郎、小三郎たちの姉だった。落ち着いていて、まさしく姉御という感じだった。太郎が河原で見た、子供たちと一緒に行水していた美人だった。
次に、おとく。ずんぐりむっくりの助太郎の妹で、助五郎、助六郎の姉だった。最初に会った時、男の格好をしていた女だった。今は長い髪を垂らして女の格好をしている。女の格好をしていると、男の格好していたのが嘘のように女らしく、しかも、美しかった。
次が、おりん。お腹の中に子供がいた。おきさの姉で、どことなく、おきさに似ていた。
次は、おすな。細面で目が潤んでいた。おとくの妹だと言うが、全然、似ていない。柳腰の美人という感じで、今日は出ていないが、末娘のおまるが、おすなに似ていた。
次に、おこん。おろくの妹で、色が白く、目が大きく、鼻筋が通っていて、非の打ち所のない美女だった。まさしく、八郎坊が言っていたように、天女のようだった。風光坊がこんな美女とうまくやるなんて信じられないし、羨ましくもあった。
次に、おきさ。おこんのような完璧な美女ではないが、すっきりとした感じの美人だった。おきさは長老から紹介されると太郎を見て、ニコッと笑った。美女が九人も並んでいると目移りするが、太郎の好みは、おきさかもしれなかった。
次は、おきさの妹のおくり。何となく控えめで、優しそうな娘だった。皆、乗り出すように自己主張しているが、この娘だけは一歩下がっているような気がした。
次は、おこんの妹のおきく。色が白く、まるで京人形のような顔をした娘だった。探真坊が安心して昼寝していた小屋の主だった。確かに、男に安らぎを与えてくれるような感じがした。
最後が、おきくの妹のおとみ。九人の中では一番若く、美人というより、ぽっちゃりとした可愛いい娘だった。八郎坊が好きになるのもわかる気がした。
年の頃は、おろく、おとく、おりん、おすなまでが三十前後、おこん、おきさ、おくり、おきくが二十の半ば、そして、おとみが二十歳位に見えた。
長老の紹介が終わると宴は始まった。
娘たちが代わる代わる酒を注ぎに来た。娘たちは皆、酒が強かった。酔うに連れて、娘たちは踊りや歌を披露してくれた。
長老はいつの間にか、いなくなっていた。お腹の大きなおりんも消えていた。
太郎の横には、おとくとおきさ、風光坊の横には、おろくとおこん、探真坊の横には、おすなとおきく、八郎坊の横には、おくりとおとみが座っていた。
おすなは余程、酒好きと見えて、探真坊に酌をさせながら、一人でぐいぐい飲んでいた。
風光坊の奴がまた飲み過ぎて、つぶれてしまわないかと心配したが、今日は計算して飲んでいるようだった。
太郎は途中で座を立って厠(カワヤ)に行った。
月が出ていて、外は明るかった。
厠まで行くと若者小屋から、男たちの声が聞こえて来た。男たちが女たちのお預けを食らって酒を飲んでいるらしかった。何となく言い争いをしているようだったので、太郎はそっと若者小屋に近づいて中の声を聞いてみた。
若者たちは太郎たちをやっつける相談をしていた。銀太が止めようとしているようだったが、若い連中は聞かなかった。それでも、長老の言った事には逆らえないから、夜が明けるのを待って、夜が明けたら小屋に踏み込んで、一人づつ片付けようと言っていた。
やめろ、この村の中で騒ぎを起こすのはまずい。どうせ、やるなら、この村を出てからにしろ、と銀太は言うが、そんなのは無理だ、かなうわけない。一人づつ、しかも、女と一緒なら敵も安心している。その時を狙うしかない。そうだ、そうだと若い連中たちは言っていた。女子供が怪我をする、と言って止めるが、大丈夫だ、うまくやる、と若い連中はいきり立っていた。
太郎はその場を離れた。
まずい事になった。騒ぎは起こしたくなかった。夜が明ける前に逃げるしかないな、と太郎は思った。
宴会に戻ろうとしたら、太郎たちが昨日、泊まった新しい小屋の前に、おきさが立っていた。おきさは太郎を見つけると駈け寄って来た。
「どこ行ってたの」
「厠」
「随分、長いのね」
「ちょっと、河原で月を見ていたんだ」
「あたし、心配しちゃったわよ」
「何を」
「他の娘の所に行ったのかと思って」
「まさか。戻ろう」
「もう、みんな、いないわよ」
「えっ」
「もう、お開き。みんな、帰ったわ」
「俺の連れもか」
「ええ、みんな」
「あいつら、どこに行ったんだ」
「風光坊様はおこんさんち、探真坊様はおきくちゃん、八郎坊様はおとみちゃんちよ。そして、太郎坊様はあたしんち」
おきさは太郎を自分の小屋に引っ張って行った。
三人の男の子は気持ちよさそうに眠っていた。
太郎はおきさから、三人がどこの小屋にいるのか聞いた。風光坊と探真坊はわかっているが、八郎坊の小屋がわからなかった。八郎坊がいるおとみちゃんちは探真坊のいるおきくちゃんちの隣だと言う。うまい具合に三人のいる小屋は並んでいた。
おきさが昼間、見せたい物があると言ったのは、三人の息子の事だった。
この三人を侍にしたいのだと言う。太郎に、赤松家の侍にしてくれ、とおきさは頼んだ。母親が侍の娘だったので、どうしても子供たちを侍にしたいのだと言う。太郎が無事に赤松家の武将になれば、できない事はないが、一応、長老に断らなければならないだろう。太郎ははっきりと約束はせず、考えておくと答えた。
「もう一つ、見せたい物があるのよ」と言って、おきさは笑った。
「今度は何です」と太郎が聞くと、「このあたしよ」と言って、帯をほどいて着物を脱ぎ捨てた。
見事な裸身が現れた。とても、三人も子供を産んだとは思えない綺麗な体だった。
裸のおきさは太郎に抱き着いて来た。太郎にはとても抵抗できなかった。
激しく、おきさと抱き合った太郎は、おきさが眠るのを待って起き上がった。支度をすると静かに小屋から出た。
名残惜しかったが仕方なかった。いつまでも、のんびりしていられなかった。置塩城下に、まだ大事な用が残っていた。
外は静まり返っていた。川の流れだけが聞こえた。
太郎は、あられもない格好で寝ていた風光坊、探真坊、八郎坊を起こすと、素早く支度をさせた。
おこんが目を覚ました。太郎は、おこんに帰る事を告げ、長老に改めて出直して来る、と伝えてくれと頼んだ。おこんは何も言わず、ただ頷いた。
四人は河原に出ると、この村に別れを告げて山を下りた。
若者小屋も、みんな眠っているらしく、シーンとしていた。
月明かりの中、谷川を下り、夜が明ける頃には国境を越えて播磨の国に入っていた。
「露頭だけで、そんなもんじゃ」と小五郎は言った。「この鉱脈が、ずっと深くまで続いていれば、その何十倍、何百倍にもなる」
「ここの他にも、まだ、銀の鉱脈はあるのですか」と風光坊が聞いた。
「ああ、まだ、ある」と左京大夫は言った。「じゃが、ここ程、いい鉱脈はない。ここ程ではないと言ってもの、よその銀山の鉱脈と比べれば、はるかに、いい鉱脈じゃがのう」
山を下りて河原に戻ると、小五郎は小次郎を連れて来た。
小次郎は生れつき目が見えないと言う。小次郎は手に杖と尺八を持っていた。
左京大夫は小屋の裏の方にある小さな祠(ホコラ)の前で、神妙に何事か唱えると、祠の後ろにある細い山道へと入って行った。
太郎たちも小五郎、小次郎と一緒に裏山の、その細い山道に入った。
山道を登って行くと山の頂上近くに、また、小さな祠が建っていた。
その祠は変わった作りの祠だった。どうも、明の国の祠を真似て作った物らしかった。
左京大夫と小五郎は祠の前に立つと、持って来た酒を祠に置いてある器に入れ、熱心に何かを唱え始めた。明の言葉のようだった。太郎たちには何を言っているのか、さっぱりわからなかった。小次郎は左京大夫の隣に立って尺八を吹いていた。その尺八の調べも、聞いた事もないような綺麗な調べで、明の曲のようだった。
太郎たちは三人の後ろに立ち、静かに三人のする事を見守っていた。
やがて、儀式が終わると、左京大夫は祠の扉を開けた。中にもう一つ扉があり、頑丈そうな錠前が付いていた。左京大夫は鍵を懐から出すと錠前を開けた。
中には漆(ウルシ)塗りの小箱が入っていた。左京大夫はその小箱を取り出すと、太郎たちに見せて、静かに蓋を開けた。箱の中には絹にくるまった長さ二寸、幅一寸程の楕円の形をした銀の塊が三つ入っていた。
「あそこの鉱脈で作った物じゃ」と左京大夫は言った。
「すげえなあ」と太郎たちは銀を眺めた。
「これで、いくら位ですか」と探真坊が聞いた。
「そうさのう、二十五匁(約百グラム)はあるかのう」
「二十五匁(モンメ)‥‥‥」
「ああ、銭にしたら三貫文位じゃ」
「これで、三貫文もあるんですか‥‥‥」と八郎坊はじっと銀を見つめた。
三貫文と言うのは銭三千枚の事だった。これ位なら八郎坊にも理解できた。
左京大夫は銀を一つ手に取ると太郎に渡した。「それをお屋形様に見せて下され」
太郎は左京大夫の顔を見ながら頷いた。
「長老殿、ちょっと聞いていいですか」と探真坊が言った。
「何じゃ」と左京大夫は探真坊を見た。
「どうして、自分たちで銀を作ったのに、それを使わないのですか」
「わしらは所詮、職人なんじゃよ。商人にはなれんのじゃ。わしらが、そんな銀を持ち歩いていたら、怪しまれて、どんな目に会うかわからん。今の世の中は物騒じゃからのう。自分で作った銀で、殺されでもしたら、かなわんからのう」
確かに、銀や金など一般の者たちには縁のない物だった。やたらに、そんな物を見せびらかしたら、返って自分の身の方が危なくなってしまう。左京大夫の言う事はもっともな事だった。
裏山から下りると太郎たちは、「また、改めて出直して来ます」と言って、そのまま帰ろうとした。しかし、左京大夫は引き留めた。
「わしらのしきたりでな、お祝い事は二晩続けてやる事になっておるんじゃよ」と小五郎が笑った。「すまんがのう、もう一晩付き合ってくれんか。今晩はみんなを紹介する」
太郎は断る事ができなかった。目的は達したし、どうせ明日のうちに帰ればいい事だし、今日はのんびりして明日の朝早く帰る事にした。
太郎たちは昨日の晩、泊めてもらった小屋に案内された。昨日は暗くてわからなかったが、まだ、建てたばかりの新しい小屋だった。
「これはお客さん用のうちですか」と太郎は案内してくれた左京大夫の家にいる、おちいという名の娘に聞いた。
「いえ、違います。お客さんなんて誰も来ません。このうちは、もう少ししたら、あたしのうちになるんです」
彼女の話によると、この村では、女の子が十八になると一人前として認められ、小屋を一つ貰って独立するという珍しいしきたりがあると言う。
「おちいちゃん、一人でこのうちに住むのかい」と聞くと、「やだあ」と言って顔を赤らめた。赤くなるところをみると、どうやら、亭主となる人が決まっているのだろう。ぽっちゃりとしていて、なかなか可愛いい娘だった。
「ゆっくりしていて下さい」とおちいちゃんは戻って行った。
「可愛いいな」と八郎坊が後ろ姿を見送りながら言った。
「お師匠、いいんですか、こんな、のんびりしていて」と探真坊が言った。
「仕方ないだろ。あれだけ勧められたら断れん。それに、ここの人達とは、この先ずっと付き合う事になるかもしれんからな」
「どうしてです」
「赤松家が本格的に、ここの銀山の開発に乗り出したら、俺がここの担当になるような気がするんだ」
「本当ですか」と八郎坊が聞いた。
「そんな事はわからん」と太郎は言うと、部屋の中のまだ新しい筵の上に寝そべった。「わからんが、そんな気がするんだ。俺がこの銀山の事を別所加賀守に言うだろう。加賀守はお屋形様に言うだろう。多分、そこで止まるような気がする。ここの事は他の重臣たちには内緒にするような気がするんだ。勿論、浦上美作守には絶対に言わないだろう。そうなると、ここの事をすでに知っている、この俺がここの担当になるような気がするんだよ」
「そうなるかもしれませんねえ」と探真坊は言って頷いた。
「そうなると、ここの連中たちと仲良くしておいた方がいいな」と風光坊がニヤッと笑って八郎坊に言った。
「そうやな」と八郎坊もニヤッとして頷いた。
知らない間に、何人もの子供達が窓から中を覗いていた。
八郎坊は風光坊を誘って外に出て行った。子供達がわあっと八郎坊の後に付いて行った。
「あいつら、子供が好きだな」と太郎は探真坊に言った。
「目当ては子供じゃないんですよ」と探真坊は笑った。
「あの、おちいちゃんか」
「さあ」と探真坊は笑いながら首を振った。
「おちいちゃんは、どうやら決まった男がいるようだぞ」
「そうですかね‥‥‥お師匠、八郎坊から聞いた話ですけどね、この村は誰と誰が夫婦って決まってないみたいですよ」と探真坊は太郎の隣に座った。
「何だって? どういう事だ」
「昨日、一緒に山に登った四人がいるでしょ。小太郎と小三郎は兄弟です。助五郎と助六郎も兄弟です。しかし、四人とも自分の母親は知ってますけど、父親は誰だか知らないんですよ」
「何だと」と太郎は驚いて上体を起こした。
「つまり、三人の女の所に三人の男が替わりばんこだか、どうだか知りませんけど通っていたというわけです」
「という事は、子供たちは、みんな、父親が誰だかわからんのか」
「ええ、知りません。あそこで遊んでいる子供たちもです」
「あの子たちも?」
「そうです。ここの女たちは十八になると小屋を貰います。さっき、おちいちゃんが言ってたでしょう。そして、その女の小屋に男が通うわけです」
「好きな女の所にか」
「ええ。ただし、同じ兄弟同士は禁止されてるみたいですけど」
「そりゃ、そうだろう‥‥‥と言う事は、男たちはどこに住んでいるんだ」
「女がいていいと言えば、女の所にいますし、行く場所のない男は小五郎さんのうちか、若者小屋です」
「若者小屋、そんな小屋があるのか」
「ええ、村の入り口の所にある見張り小屋です。若者たちが交替で見張りをしてるんですけど、行く当てのない奴はそこにいるみたいですよ」
「へえ、それじゃあ、男で自分の小屋を持っているのは長老と小五郎さんだけか」
「そうみたいです」
「ふうん、変わった村だな」
「だから、あの二人、張り切ってるんですよ」
「成程‥‥‥女が小屋に入れてくれれば、後は、いい思いができるというわけだな」
「そうです。より取り見取りというわけです。ちょっと年増が多いけど」
「よくまあ、そんなに詳しく調べたもんだな」
「のんきそうに見えて、八郎坊の奴、女子(オナゴ)の事となると割りと小まめに動くんですよ」
「ほう、あいつがね」
「俺も行って来ます」
「おい、問題を起こすような事をするなよ」
「わかってます」と探真坊も子供達の遊んでいる方に向かって行った。
より取り見取りか‥‥‥まさに、男にとって極楽のような所だな‥‥‥
あのおちいちゃんも、もう少ししたら、この小屋に男を誘うのか‥‥‥
誘うと言っても、この村にいる男は決まっている。毎日、顔を合わせている男が代わる代わる来るというわけか‥‥‥
おちいちゃんにとって、それが幸せなのかどうかわからないが、どうせ、そういう風に育てられたのだろうし、この山以外の世界は知らないのだろう。しかし、今の世の中は返って戦の事も知らずに、この山にいて、子供を産んで平和に暮らした方が幸せなのかもしれない‥‥‥
俺がおちいちゃんの事を心配してもしょうがないか、と太郎はまた寝そべった。
太郎は横になったまま長老の事を考えた。
三十三年間、この銀山を守り通せたのは、やはり、長老が赤松性具入道という男を死んでからも信じ通したからなのだろうか‥‥‥
生きている時は信じる事はできるだろう。しかし、死んでしまっても信じ通す事など、できるのだろうか。
これだけの銀山を捜し出し、自分の手で銀を作り出す技術を持っていながら、自分で使おうとはしない。長老の言う通り、下手をすれば殺されるかもしれない。しかし、うまくすれば長者になって贅沢な暮らしができたのではないだろうか。
性具入道が、いつの日か、赤松家の者が来ると言ったって、そんなのいつの事か、まったくわからない。もし、太郎たちがあの時世の連歌の謎を解かなかったら、何年先の事になったのかわからない。それなのに、長老はずっと待っていた。
太郎には長老の気持ちがわからなかった。三十三年間、たった一つの言葉だけをずっと信じて、この場所を守っていたとは、とても信じられない事だった。長老のお屋形様だった性具入道という男は、それ程、立派な男だったのだろうか。
そうに違いなかった。長老にとっては性具入道だけが、この異郷の地において、ただ一人、頼れる人だったに違いなかった。そして、性具入道も異国の人、長老たちを大事にしていたのだろう。自分の名前を長老に与える位だから、彼らの技術を高く買っていたに違いない。その人から、待っていてくれ、と言われたた長老は何も考える事なく、ずっと三十三年の長い間、待ち続けていたのだろう。
長老は昨日の晩、涙を溜ていた。余程、嬉しかったに違いなかった。もしかしたら、生きているうちに赤松家の者は現れないだろうと諦めていたのかもしれない。
銀山を見つける事ができただけではなく、長老たちと出会えてよかったと太郎は思った。
屋根裏を眺めながら考え事をしていると、誰かが小屋に入って来た。
見ると女だった。さっき、畑にいた女だった。
「あら、お休みのところ、すみません」と女は謝った。
「いえ」と太郎は上体を起こした。
女は頭にかぶった手拭いをはずすと、太郎を見て笑った。なかなかの美人だった。
「ねえ、太郎坊様、京に行った事はあります」と女は聞きながら太郎の横に腰を下ろした。
「ええ、ありますけど」と太郎は言った。
「そう、どんな所です」
「今の京は焼け野原です。そして、東軍と西軍の侍たちがうようよいます」
「そう、戦をやってるのね」
「はい。ひどいものです。あそこはもう、都なんかじゃないですよ」
「そう」と頷いて、女はぼんやりと外を眺めた。
太郎は女の横顔を見つめながら、「京にでも行くのですか」と聞いた。
「いいえ」と女は太郎を見て首を振った。「あたしは行きません。でも、あたしの兄は京に行くと言って出て行ったまま戻ってきません」
「戦に行ったのですか」
「ええ、二人して。あたしの兄は銀次って言うんですけど、助次郎さんと一緒に出て行ったまま、もう七年近くが経ちます」
「そうだったのですか」
「太郎坊様は戦に出た事あります?」
「ええ、ありますけど」
「戦って、どんな感じ。怖いの」
「怖い事は怖いですよ。命懸けですからね」
「そうよね、怖いわよね。でも、太郎坊様はお強いんでしょ」
「まあ、それ程でもないですけど」
「嘘!」と女は大きな目をして太郎を睨んだ。すぐに笑って、「あたし、おとくさんから聞いたわ」と言った。「助太郎さんを簡単に倒しちゃったんでしょ。あの人、この村で一番強いのよ。今まで、誰とやっても負けた事ないの。それを簡単にやっつけちゃうなんて相当なものよ。あたし、強い人、大好きなの。ねえ、あたしのうちに来て。見せたい物があるの」
女は素早く太郎の手を握った。
「何です、見せたい物って」太郎は笑って、女の手を握り返した。
「来れば見せてあげる。あら、まだ、名前を言ってなかったわね。あたし、きさって言うの」
「おきささんですか」
「そう、おきさよ、変な名前でしょ」
「いや。おきささんは銀太さんの妹さんですか」
「そう。銀太の下に銀次がいて、その下に、りん、そして、あたし、あたしの下に、くりがいるわ。あたしたちのお母さん、早く死んじゃったから、あたしたち、兄弟が少ないの。助太郎さんなんか九人いるし、おろくさんとこだって九人も兄弟がいるわ」
「おろくさんていうのは?」
「一番上の姉御よ」
「あの男みたいな格好してる人?」
「いえ、あれは、おとくさんよ。男嫌いなんて言って男の格好しているくせに、子供だけは三人も作っているのよ。変態よ」
「失礼ですけど、おきささんは子供はいるんですか」
「ええ、あたしも三人いるわ」
「三人ですか‥‥‥」
見たところ年は二十五位か、年からすれば子供が三人いてもおかしくないが、何となく、気が若いというか、おおらかに育ったせいか、子持ちの女には見えなかった。
「なぜか、みんな、男の子なのよ」とおきさは笑った。
「三人とも男の子ですか。女の子だったら、お母さんに似て美人だったのに残念ですね」
「やだ! 美人だなんて」とおきさは照れながら、太郎の肩をたたいた。
「あたしもね、女の子が欲しかったのよ。でも、駄目だったわ」
「男の子でも、お母さんに似れば、いい男ですよ」
「まあね。三人ともいい男よ。ね、行きましょ」とおきさは太郎の手を引っ張った。
「どこへです」
「あたしんち、すぐ、そこなのよ」
おきさは強引だった。
太郎には断るだけの度胸はなかった。また、太郎の男の部分が、おきさという女の魅力に引かれていた。
5
おきさの小屋は、太郎のいた小屋の隣の隣だった。
小屋の前に洗濯物が干してあった。畑仕事をしている女が、おきさの小屋に入って行く太郎をじろじろと見ていた。おきさに聞くと、おすなという女で、隣の小屋に住んでいて、男の格好をしている、おとくという女の妹だと言う。そう説明されても、太郎にはよくわからなかった。
小屋の中には誰もいなかった。
小屋の作りは皆、同じようで、半分が土間で半分に筵が敷かれてあった。竃(カマド)の上には大きな鍋が乗せてあり、何かを煮ているようだった。
おきさの子供は八歳と六歳と三歳の男の子で、ようやく手が掛からなくなって、一安心だと言う。当分の間は、もう子供はいらないと言った。
「でも、あなたの子供なら産んでもいいわ」と鍋の中を覗きながら言って、太郎を見ると笑った。
太郎は何と答えていいのかわからず、話題をそらした。
「ところで、俺に見せたい物って何です」
「ああ、そうそう。見て貰いたいのはねえ、刀なのよ」
「刀?」
「ええ、お母さんの形見なの」
おきさは行李(コウリ)の中に首を突っ込んで、何やら捜していた。裾の短い着物から出ている白い足がやけに色っぽかった。
「あったわ!」とおきさは漆塗りの匕首(アイクチ、鍔のない短刀)を太郎に渡した。「ねえ、その刀、名刀? お母さんがとても大事にしてたの」
太郎は匕首を抜いてみた。
刀の事はあまり詳しくはないが、名刀か、そうでないかはわかるつもりでいた。おきさの持っていた匕首は名刀に違いなかった。刀に品があり、魂がこもっているというか、見る者を吸い寄せるような感じがした。
太郎はじっと匕首を見つめていた。
「ねえ、どうなの。それ、名刀なの」
「ああ、名刀だよ」と太郎は匕首を鞘に納めて、おきさに頷いた。
「やっぱりね、あたしもそんなような気がしてたのよ」おきさは嬉しそうに笑った。
「これ、お母さんの形見だって?」
「そうよ」と、おきさは太郎の隣に腰を下ろした。
「お母さんは武士の出だったのかい」
「そう、お母さんは言ってた。でも、お母さんは、さらわれたのよ」
「さらわれた?」
「ええ。お母さん、播磨のお侍の娘だったの。山名の大軍に攻められて、家族と離れ離れになって、焼け跡をうろうろしてたら人買いに捕まったの。そして、但馬の国に連れて来られて、長老様に会って、ここに来たのよ」
「人買いに捕まったのか‥‥‥ひどい目に会ったんだろうな」
「でも、お母さん、ここに来て良かったって言ってたわ‥‥‥お母さんが死んだ時、あたしはまだ五歳だったけど、お母さんの口から、ここはいい所だって何回も聞いたわ」
「そのお母さんが、この匕首を肌身離さず持っていたんだな。しかし、よく人買いの連中に取り上げられなかったな」
「お母さん、それで首を突こうとしたんですって。そしたら、人買いも諦めて取り上げなかったそうよ」
「そうか、大事な商品に死なれたら元も子もなくなるからな」
「お母さん、ここに連れて来られた時も、何かあったら死ぬつもりだったみたい。でも、結局、使わなかった」
「幸せだったんだ」
「うん。長老様たち、お母さんたちを大事にしたみたい。お母さんと一緒に来た、おせんさんと、おさえさんから、よく、昔の思い出話を聞くけど、毎日が忙しくて、きつかったけど、毎日毎日がとても楽しかったって懐かしそうに話すわ」
「みんなで、この村を作って来たんだな」
「そう。たった六人でね」
「今、この村にはどの位いるんだ」
「今、五十二人と半分」
「半分?」
「そう、今、おりん姉さんのお腹の中に子供がいるの」
「へえ、五十二人と半分か‥‥‥凄いもんだな」
太郎は匕首をおきさに返した。
おきさは匕首を元通りに行李にしまうと、竃の鍋を見に行った。
「ねえ、あたし、これから今晩の準備に行かなくちゃならないのよ。あなた、準備ができるまで、ここで休んでいて」
「いいんですか」
「いいのよ。そして、宴が終わったら、また、ここに来てね。絶対よ。見せたい物があるのよ」
「今度は、何ですか」
「後でね」と、おきさは鍋の中の料理を器にあけると、それを抱えて出て行った。
どうする、太郎坊‥‥‥美女からお誘いが掛かったぞ。
断るか‥‥‥できそうもないな。
成り行きに任せるしかないか、と太郎はおきさの小屋から出た。
畑には誰もいなかった。みんな、今晩の準備に狩り出されているのだろう。
太郎は村を一回りしてみようとぶらぶらと歩いた。村の中に小屋は全部で十八棟あった。そのうちの二つが物置になっていて、長老と小五郎の小屋の裏にあった。
太郎が一列に並んでいる小屋の前を散歩してると、ちらっと風光坊の姿が目に入った。ちゃっかり小屋の中に入っていた。小屋の中を覗くと、風光坊しかいないようなので太郎は声を掛けた。
「おい、何してるんだ」
「あっ、お師匠、いえ、別に‥‥‥」
「可愛いい娘(コ)か」と太郎は聞いた。
風光坊は照れながら、「可愛いいというより、綺麗な女(ヒト)です」と言った。
「そうか」と太郎は頷くと、その場を離れた。
何と、隣の小屋では、赤ん坊と一緒に探真坊が鼾をかいて寝ていた。何も言わないが、太郎は探真坊が昨夜、寝ずの番をしていたのを知っていた。疲れが出たのだろう、女の所で安心して眠っていた。
八郎坊もこの辺りの小屋にいるかな、と思ったがいなかった。
太郎たちが案内された新しい小屋と、丁度、反対側のはずれにも新しい小屋ができていた。まだ、誰も入っていなかった。昨夜、おちいちゃんの隣に、おちいちゃんと同じ位の年の娘がいたが、あの娘がその小屋に入るのだろう。
隅の方に厠があったので用を済ませて河原に向かった。
たんぼには稲の穂が重そうに垂れていた。そろそろ稲刈りだなと思った。
河原の方から子供たちの声が聞こえて来た。八郎坊がいるかなと太郎は声の方に向かった。
子供が裸で水浴びをしていた。子供だけなら別に構わないが、子供たちの中に女がいた。勿論、女も裸だった。小さい子供を洗っていた。女は太郎に気づいたが、別に恥ずかしがるでもなく、笑って太郎に頭を下げた。太郎の方が恥ずかしくなり、頭を下げると慌ててその場から離れた。
ああ、びっくりした。あんな所で、女が行水しているなんて思ってもいなかった。他の女たちも平気で河原で行水するのだろうか‥‥‥
まさに、ここは男にとっては極楽だった。まだ、全員を見たわけではないが、ここの女たちはみんな綺麗だった。明の国の血が混ざっているからだろうか‥‥‥
さっきの裸の女も確かに綺麗だった。一体、誰だろうと思ったが、太郎にはわからなかった。まごまごしていたら、ここの女たちに骨抜きにされて、ここから出る事ができなくなりそうだった。
そんな事を考えながら河原を歩いていると、子供たちと遊んでいる八郎坊がいた。
「お前は、やっぱり子守りか」と太郎は八郎坊に声を掛けた。
「あっ、お師匠、代わって下さいよ」と八郎坊は子供たちの中から抜け出して来た。
「いや、お前には似合っている。それに、お目当ての娘さんに頼まれたんだろう」
「へへへ」と八郎坊は笑った。「何だ、お師匠、知ってたんすか。おとみさんて言うんですけどね。おらより年上なんですけど可愛いいんすよ」
「ふうん。みんな、うまくやってるようだな」
「風光坊の奴なんか、あんな綺麗な人とうまく、やってるんですよ」と八郎坊は悔しそうに言った。
「誰だ、その綺麗な人って」と太郎は聞いた。
「おこんさんですよ。お師匠、知ってます?」
「いや、知らん」
「ほんに、天女のように綺麗なんやから」
「天女か、見てみたいものだな。探真坊の相手は誰なんだ」
「さあ、知りませんけど。あいつも、うまく、やってるんですか」
「ああ、誰の小屋か知らんが、赤ん坊と一緒に昼寝しておったぞ」
「あいつが赤ん坊と昼寝? こいつはおかしいや」八郎坊は声を出して笑った。「赤ん坊がいる小屋と言えば、おろくさんか、おきくさんの二人のうち、どっちかやな。おろくさんじゃないやろうから、探真坊の相手はおきくさんやな」
「お前、詳しいな。どうして、おろくさんじゃないんだ」
「おろくさんは一番上の姉御ですよ。まあ、綺麗な人やけど、年が離れすぎてますわ」
「そうか‥‥‥探真坊がおきくさんで、風光坊がおこんさんで、お前がおとみさんか」
八郎坊は頷き、ニヤニヤしながら、「お師匠は誰です」と太郎に聞いた。
「俺は、誰もおらんよ」太郎は笑いながら首を振った。
「ほんとですか」と八郎坊は疑うように太郎を見て、「お師匠、気を付けた方がいいです。みんな、お師匠の事を狙ってますよ」と言った。
「狙ってる?」
「ええ、何だかんだ言っても、お師匠が一番もてますわ。羨ましいわ」
「何を言ってるんだ」
「お師匠、知ってます? ここの娘たちはみんな、決まった亭主がいないんですよ」
「探真坊から聞いたよ」
「ああ、そうですか。それでね、噂なんですけど、今晩、ここの男たちは女の所に行くのを禁止されるみたいなんですよ」
「何だと」
「小三郎から聞いたんですけどね。あいつ、ぼやいてましたよ。長老様の命令は絶対だから、今晩は、たっぷり酒を飲んで寝るしかねえなってね。と言う事はですよ、お師匠、おらたちは好きな女の所に行ってもいいと言う事ですよ」
「ほんとか、信じられんな」
「それに、今晩の宴会は娘たちも全員、出るんですよ。長老はおらたちに娘たちを紹介するんですよ」
「どうして、そんな事をするんだ」
「おらにはわからんけど、助四郎さんが言うには明の国の習慣なんやないかって。明の国ではお客さんを持て成すのに、酒や料理だけやなくて女も提供するんやないかって。それと、新しい血が欲しいんやないかって。早い話が身内ばかりで子供を作っているから、新しい血の子供が欲しいんやないかって言ってたわ」
「ふうん」
「理由はどうでも、おらは今晩が楽しみや。師匠もいい女子を見つけてや」
八郎坊はまた、子供たちの所に戻って行った。
太郎は河原を端まで歩くと、この村の入り口辺りに建っている若者小屋と呼ばれる見張り小屋の前を通って、最初の小屋に戻って来た。小屋に入って一休みするかと思ったが、自然と足は二つ隣のおきさの小屋に向かっていた。小屋の中には誰もいなかった。
太郎は小屋の中に入ると、筵の上に寝転がった。
目を閉じたら、何故か、助六の顔が浮かんだ。太郎は打ち消して、楓と百太郎の事を思った。そして、うとうとと気持ち良く眠りの中に落ちて行った。
6
満月が出ていた。
太郎坊、風光坊、探真坊、八郎坊の四人は、まだ、夜の明ける前に山を下りていた。
皆、寝不足の顔をしているが、まだ、夢の中にいるようにニヤニヤしている。
昨夜は極楽だった。
長老の小屋での宴会は、一昨日とは打って変わって華やかだった。
長老の他、男は誰も出なかった。娘たちだけだった。しかも、皆、自分の小屋を持っている娘たちで、まだ、小屋のない、おちい、おまる、おすぎの三人はいなかった。八郎坊が言っていた通り、長老の目的ははっきりしていた。
太郎たちは長老に九人の娘たちを紹介された。娘たちは皆、着飾るという程ではないが、こざっぱりとした身なりに薄化粧をしていた。
まず、一番上の姉御のおろく。小太郎、小次郎、小三郎たちの姉だった。落ち着いていて、まさしく姉御という感じだった。太郎が河原で見た、子供たちと一緒に行水していた美人だった。
次に、おとく。ずんぐりむっくりの助太郎の妹で、助五郎、助六郎の姉だった。最初に会った時、男の格好をしていた女だった。今は長い髪を垂らして女の格好をしている。女の格好をしていると、男の格好していたのが嘘のように女らしく、しかも、美しかった。
次が、おりん。お腹の中に子供がいた。おきさの姉で、どことなく、おきさに似ていた。
次は、おすな。細面で目が潤んでいた。おとくの妹だと言うが、全然、似ていない。柳腰の美人という感じで、今日は出ていないが、末娘のおまるが、おすなに似ていた。
次に、おこん。おろくの妹で、色が白く、目が大きく、鼻筋が通っていて、非の打ち所のない美女だった。まさしく、八郎坊が言っていたように、天女のようだった。風光坊がこんな美女とうまくやるなんて信じられないし、羨ましくもあった。
次に、おきさ。おこんのような完璧な美女ではないが、すっきりとした感じの美人だった。おきさは長老から紹介されると太郎を見て、ニコッと笑った。美女が九人も並んでいると目移りするが、太郎の好みは、おきさかもしれなかった。
次は、おきさの妹のおくり。何となく控えめで、優しそうな娘だった。皆、乗り出すように自己主張しているが、この娘だけは一歩下がっているような気がした。
次は、おこんの妹のおきく。色が白く、まるで京人形のような顔をした娘だった。探真坊が安心して昼寝していた小屋の主だった。確かに、男に安らぎを与えてくれるような感じがした。
最後が、おきくの妹のおとみ。九人の中では一番若く、美人というより、ぽっちゃりとした可愛いい娘だった。八郎坊が好きになるのもわかる気がした。
年の頃は、おろく、おとく、おりん、おすなまでが三十前後、おこん、おきさ、おくり、おきくが二十の半ば、そして、おとみが二十歳位に見えた。
長老の紹介が終わると宴は始まった。
娘たちが代わる代わる酒を注ぎに来た。娘たちは皆、酒が強かった。酔うに連れて、娘たちは踊りや歌を披露してくれた。
長老はいつの間にか、いなくなっていた。お腹の大きなおりんも消えていた。
太郎の横には、おとくとおきさ、風光坊の横には、おろくとおこん、探真坊の横には、おすなとおきく、八郎坊の横には、おくりとおとみが座っていた。
おすなは余程、酒好きと見えて、探真坊に酌をさせながら、一人でぐいぐい飲んでいた。
風光坊の奴がまた飲み過ぎて、つぶれてしまわないかと心配したが、今日は計算して飲んでいるようだった。
太郎は途中で座を立って厠(カワヤ)に行った。
月が出ていて、外は明るかった。
厠まで行くと若者小屋から、男たちの声が聞こえて来た。男たちが女たちのお預けを食らって酒を飲んでいるらしかった。何となく言い争いをしているようだったので、太郎はそっと若者小屋に近づいて中の声を聞いてみた。
若者たちは太郎たちをやっつける相談をしていた。銀太が止めようとしているようだったが、若い連中は聞かなかった。それでも、長老の言った事には逆らえないから、夜が明けるのを待って、夜が明けたら小屋に踏み込んで、一人づつ片付けようと言っていた。
やめろ、この村の中で騒ぎを起こすのはまずい。どうせ、やるなら、この村を出てからにしろ、と銀太は言うが、そんなのは無理だ、かなうわけない。一人づつ、しかも、女と一緒なら敵も安心している。その時を狙うしかない。そうだ、そうだと若い連中たちは言っていた。女子供が怪我をする、と言って止めるが、大丈夫だ、うまくやる、と若い連中はいきり立っていた。
太郎はその場を離れた。
まずい事になった。騒ぎは起こしたくなかった。夜が明ける前に逃げるしかないな、と太郎は思った。
宴会に戻ろうとしたら、太郎たちが昨日、泊まった新しい小屋の前に、おきさが立っていた。おきさは太郎を見つけると駈け寄って来た。
「どこ行ってたの」
「厠」
「随分、長いのね」
「ちょっと、河原で月を見ていたんだ」
「あたし、心配しちゃったわよ」
「何を」
「他の娘の所に行ったのかと思って」
「まさか。戻ろう」
「もう、みんな、いないわよ」
「えっ」
「もう、お開き。みんな、帰ったわ」
「俺の連れもか」
「ええ、みんな」
「あいつら、どこに行ったんだ」
「風光坊様はおこんさんち、探真坊様はおきくちゃん、八郎坊様はおとみちゃんちよ。そして、太郎坊様はあたしんち」
おきさは太郎を自分の小屋に引っ張って行った。
三人の男の子は気持ちよさそうに眠っていた。
太郎はおきさから、三人がどこの小屋にいるのか聞いた。風光坊と探真坊はわかっているが、八郎坊の小屋がわからなかった。八郎坊がいるおとみちゃんちは探真坊のいるおきくちゃんちの隣だと言う。うまい具合に三人のいる小屋は並んでいた。
おきさが昼間、見せたい物があると言ったのは、三人の息子の事だった。
この三人を侍にしたいのだと言う。太郎に、赤松家の侍にしてくれ、とおきさは頼んだ。母親が侍の娘だったので、どうしても子供たちを侍にしたいのだと言う。太郎が無事に赤松家の武将になれば、できない事はないが、一応、長老に断らなければならないだろう。太郎ははっきりと約束はせず、考えておくと答えた。
「もう一つ、見せたい物があるのよ」と言って、おきさは笑った。
「今度は何です」と太郎が聞くと、「このあたしよ」と言って、帯をほどいて着物を脱ぎ捨てた。
見事な裸身が現れた。とても、三人も子供を産んだとは思えない綺麗な体だった。
裸のおきさは太郎に抱き着いて来た。太郎にはとても抵抗できなかった。
激しく、おきさと抱き合った太郎は、おきさが眠るのを待って起き上がった。支度をすると静かに小屋から出た。
名残惜しかったが仕方なかった。いつまでも、のんびりしていられなかった。置塩城下に、まだ大事な用が残っていた。
外は静まり返っていた。川の流れだけが聞こえた。
太郎は、あられもない格好で寝ていた風光坊、探真坊、八郎坊を起こすと、素早く支度をさせた。
おこんが目を覚ました。太郎は、おこんに帰る事を告げ、長老に改めて出直して来る、と伝えてくれと頼んだ。おこんは何も言わず、ただ頷いた。
四人は河原に出ると、この村に別れを告げて山を下りた。
若者小屋も、みんな眠っているらしく、シーンとしていた。
月明かりの中、谷川を下り、夜が明ける頃には国境を越えて播磨の国に入っていた。
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