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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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23.文明九年、春1






 播磨(ハリマ)の国、大河内(オオコウチ)城下に来た観智坊と弥兵は、太郎の客としての扱いを受けていた。城下の殿様である太郎の屋敷内の客間を与えられ、梅山という専属の侍女(ジジョ)まで付けられ、少し戸惑いながら新年を迎えていた。

 雪に埋もれている大河内城下の新年は、加賀で毎年、迎えていた新年と似ていたが、異国の地で、しかも、豪勢な武家屋敷で迎えた新年は、自分が下間蓮崇(シモツマレンソウ)から、新たに観智坊露香(カンチボウロコウ)に生まれ変わったという事を実感として感じていた。そして、去年、一年間で身に付けた様々な事を、今年は実践に移さなければならない。本願寺のために裏の組織を作り、門徒たちのために守護を倒さなければならないと決心を新たにしていた。

 観智坊は太郎から志能便(シノビ)の術を習うために、ここに来たわけだったが、太郎の弟子ではなかった。太郎の師、風眼坊舜香の弟子で、太郎とは兄弟弟子だった。同じ師を持った縁として、これから先、何かと協力する事もあるかもしれない。今、お互いをよく知っておくのはいい機会といえた。それと、太郎は自分ではどうしても理解できない本願寺の一揆とは一体、どんなものなのか、観智坊から聞いてみたかった。

 正月は太郎も何かと忙しく、観智坊の相手をしている暇はなかった。観智坊の事は五郎に任せていた。鳥居弥七郎が来た事によって、太郎は五郎を陰(カゲ)の衆からはずし、太郎の祐筆(ユウヒツ)として使う事とした。祐筆の最初の仕事として観智坊の接待を命じ、飯道山では教えない高度な志能便の術を教えるように命じていた。

 陰の衆二十一人は正月の半ばに各地に散って行った。行き先は前回と同じだったが、八郎たち三人だけは前回の摂津(セッツ)の国から、今回は加賀の国まで飛ばした。距離も遠いため、期間も一ケ月半に延ばし、非常時意外は途中連絡もしなくてもいいという事にした。観智坊のためにも加賀の情報は必要だった。八郎は芥川小三郎、上田彦三郎を連れて、張り切って北陸へと向かった。観智坊から、加賀では山伏は警戒されるので、商人とか農民に扮した方がいいと言われたので、三人は薬売りの商人に扮して出掛けて行った。

 正月も末になると、太郎にも暇ができて、観智坊とゆっくりと会う事ができた。太郎は観智坊を月影楼(ツキカゲロウ)の三階に誘って、お茶を点(タ)てて持て成した。太郎もようやく、人前でお茶を点てられるようになっていた。観智坊は茶の湯の事に詳しくはなかった。一応、飲み方を知っている程度で、点て方までは分からなかった。

 観智坊は太郎がお茶を点てる点前(テマエ)を見ながら、さすがに一流の武芸者だけあって、その動きには隙(スキ)がないと思っていた。

 不思議な事だった。一年余りの修行によって、物の見方まで変わっていた。以前の観智坊だったら、太郎の動きに隙のない事は分からない。ただ、ぼうっと太郎の動きを見ていたに過ぎなかった。また、他人の強さというものも分かるようになっていた。以前は、相手を見て、自分より強いという事は分かっても、どれ位強いかなど分からなかった。今では、相手の目付きや肩や腰の動きから、どれ程の腕を持っているか分かるようになっている。不思議な事だったが、以前、自分より絶対に強いと思っていた武士たちでさえも、実際に強いと思われる者は、ほんの僅かしかいないという事が分かった。観智坊は改めて、飯道山の武術の質の高さというものを感じていた。そんな観智坊でも、今、目の前でお茶を点てている太郎の強さが、どれ程のものなのか分からなかった。

 観智坊は五郎から志能便の術、ここでは『陰(カゲ)の術』と呼んでいるが、その術を習っていた。太郎からではなく、弟子の五郎から習うと聞いて、観智坊は少々がっかりしていたが、五郎の陰の術は見事なものだった。飯道山で教えていたのとは、まるで違い、かなり高度な技術を必要とするものばかりだった。五郎の陰の術に比べたら、飯道山で教えている志能便の術は子供騙(ダマ)しのようだった。弟子の五郎がこれ程の技を身に付けているとすれば、師匠の太郎はそれ以上に違いない。上には上がいるものだと、観智坊は修行に終わりのない事を感じていた。

 観智坊は五郎から陰流の棒術も習っていた。これも、飯道山で習った棒術とは違って、一撃必殺の技だった。飯道山の棒術は打って受け、また、打って受け、敵の態勢が崩れた所を狙って勝つというものだった。それらの技を使うには腕の力がものをいった。観智坊が井戸掘りの後、見る見る上達して行ったのも腕の力が付いたからだった。ところが、陰流の技は違った。腕の力よりも敵の動きの一瞬の隙を狙って打つというものだった。

 陰流では太刀先の見切りというものを重要視していた。太刀先の見切りとは、敵の太刀先がどこを通るかを見極める事だった。それを見極める事ができれば、最小限の動作で、敵の攻撃を避ける事ができる。最小限の動きで、攻撃を避ける事ができれば、一々、敵の太刀を自分の太刀で受ける必要もなかった。棒術においても同じだった。敵の棒の動きを見極める事ができれば、一々、受ける必要もない。敵が攻撃を仕掛けるのと同時に攻撃を掛ければ、一瞬のうちに敵を倒す事ができる。陰流の技は、決して、敵の攻撃を受ける事なく、一瞬のうちに決まる技ばかりだった。身に付けてしまえば怖い者なしと言えるが、身に付けるまでは大変な事だった。

 観智坊は五郎を相手に棒で戦ったが、飯道山での一年間が、まるで、嘘だったかのように相手にならなかった。観智坊が必ず当たると打った一撃は、すへて、ぎりぎりの所でかわされて行った。何度、打ってみても五郎の体には当たらず、五郎の体はフワッフワッと風に舞う木の葉のように、観智坊の一撃を避けていた。そして、五郎は簡単に観智坊を打つ事ができた。

 観智坊は棒を握る事を許されず、刀を手に持って、毎日、木に止めた反古(ホゴ)の紙切れを、下の木に傷を付けないように斬る稽古をしていた。簡単なようで難しかった。この稽古をしているのは観智坊だけではなかった。五人の若者たちと一緒だった。この紙切れ斬りは、陰流の基本だった。これを完全に身に付けない限り、陰流の技を教えては貰えなかった。

 観智坊は雪に埋まった広い道場の片隅で、毎日、紙切れを相手に戦っていたのだった。

 太郎の点てたお茶を飲みながら、観智坊は床の間に飾ってある『夢』という字を見ていた。まさしく、夢を感じさせる字だと思った。観智坊が掛軸を見ているので、「夢庵(ムアン)殿が書いたものです」と太郎は言った。

「夢庵殿が‥‥‥あの、夢庵殿というのは何者なのですか」

「何者なんでしょうか」と太郎は笑いながら首を傾げた。「わたしにもよく分かりません。不思議なお人です」

「はい、確かに不思議なお人ですね。殿のお弟子さんの一人なのですか」

「弟子だなんて‥‥‥わたしの方が夢庵殿から色々な事を教わっております」

「そうですか‥‥‥」

「陰の術の方はどうですか」と太郎は観智坊に聞いた。

「はい。山崎殿より色々と教わっております。ここに来て、本当に良かったと思っております。ここに来て、飯道山で習った事は、ほんの基本だった事が身にしみて分かりました。わたしは飯道山で一年間、修行して、師範代を倒した事で、少々、天狗になっておったような気がします。もし、あのまま加賀に帰っておりましたら、自分の強さに自惚れて、不覚を取ったに違いありません。ここに来て、上には上がおるという事がはっきりと分かりました」

「そうですか。それは良かった。武芸を修行するに当たって、自分の腕に自惚れて、天狗になるという事が一番の戒めです。天狗になった時、それは身を滅ぼす事となります。わたしも、その事では苦い経験がございます。この月影楼の一階の柱に天狗の面が飾ってあります。一階は、わたしの修行の場でもあります。わたしは戒めのため、天狗の面を飾り、そこを天狗の間と称しております」

「天狗の間ですか‥‥‥」

「はい。ここは夢の間です」

「夢の間ですか‥‥‥」

「ところで、観智坊殿、陰の術を何に使うつもりなのでしょうか。差し支えなければ、お教え願えないでしょうか」

「はい、それは‥‥‥」と言ったきり、観智坊は黙ってしまった。

「陰の術というのは、実はまだ、完成してはいないのです」と太郎は言った。「術というのは実際に役に立たなければ意味がありません。特に、陰の術というのは城や屋敷に忍び込む術も含まれております。この術は城や屋敷の防備が堅くなれば、それに合わせて変化させなければなりません。わたしが初めて陰の術を作ったのは、もう五年以上も前の事です。その五年の間で、城の造りも変化して来ました。各地で戦が長引いているお陰で、今の城は五年前の城よりも、ずっと警戒も厳しく、濠や土塁も深く、高くなってきております。早い話が、五年前の陰の術をそのまま、今、使っても役に立たないと言えます。陰の術は時と共に移り変わって行かなければならないのです。今、わたしが飯道山から呼んだ二十人程の者たちが、情報を集めるために各地に飛んでいます。彼らの目的は陰の術を使って、あらゆる情報を手に入れる事は勿論ですが、陰の術の不備な点を改めるというのも目的なのです。観智坊殿が陰の術を何に使うのかは分かりませんが、それに合わせて陰の術を考えるというのも、陰の術を完成させるために役に立つのです。もし、よろしければ、わたしに教えてほしいのです」

 観智坊は、本願寺の裏の組織を作りたいという事を太郎に告げた。太郎には、本願寺というものが、どんなものなのか知らなかった。太郎がその事を聞くと、観智坊は喜んで、本願寺の事を話してくれた。本願寺の法主(ホッス)である蓮如が越前の吉崎に来てから、一揆が起こり、蓮如が吉崎を去り、観智坊が本願寺から破門になった事まで、順を追って、分かり易く話してくれた。

 太郎は本願寺の組織というものに驚いた。蓮如が書いた『御文』という、教えを分かり易く書いたものが、十日もしないうちに、その組織に乗って加賀の国中に広まって行くと言う。十日もしないうちに、何万もいるという門徒たちの耳に蓮如の書いた御文が伝わり、蓮如が一言、戦を命じれば、何万もの門徒たちが一斉に立ち上がると言うのだった。門徒たちは百姓や河原者、山や海の民たちが多いとは言え、何万もの人たちが立ち上がれば、武士たちを倒す事も可能となる。また、観智坊の話によると、武士である国人たちの多くも、生き残るために本願寺の門徒となり、指導的立場にいると言う。

「それだけの組織があれば、裏の組織は必要ないでしょう」

 一通り、観智坊の話を理解すると太郎は観智坊に聞いた。

「それが、表の組織を使って戦を起こす事はできないのです」と観智坊は言った。

「よく分からんが?」

「表の組織は、上人様の教えが下々の者たちまで伝わるように作られた組織です。縦のつながりはありますが、横のつながりがないのです。勿論、近くの者たちはお互いにつながりはあります。しかし、北加賀の者と南加賀の者たちは、まったく、つながりがありません。今、加賀の門徒たちはバラバラです。門徒たちを一つにまとめる事ができるのは上人様だけなのです。ところが、上人様は門徒たちが戦を始める事に絶対、反対です。しかし、このままでは門徒たちは不当な扱いを受け、守護たちの思いのままになってしまいます。門徒たちは本願寺の門徒になった事で、ようやく、人並みに生きる事が分かり始めて来たのです。わたしは門徒たちのために守護と戦おうと決心しました。それには横のつながりを強化して裏の組織を作らなければならないのです」

「うむ‥‥‥それで、具体的にはどういう風に作るつもりなんです」

「はい。まず、若い者たちに陰の術を教えます。そして、各道場に配置します。そして、あらゆる情報を素早く、つかみます。敵の動きが分かれば、対処の仕方も分かりますから」

「うむ。すでに、表の組織が出来ているのだから、その組織を利用すればいいわけですね」

「はい」

「その道場というのは、どれ位あるのですか」

「およそ、二百位あると思います。加賀だけですが」

「加賀だけで二百ですか‥‥‥それは大したものですね。しかし、その道場に若い者たちを入れるとなると大変な事ですね。一人だけでは身動きが取れないし、少なくとも二人は必要でしょう。そうなると四百、予備として百、合わせて五百人は必要となりますね」

「五百人ですか‥‥‥」と観智坊は唸った。

「長期戦になりそうですね」と太郎は言った。

 観智坊は頷いた。「それは覚悟しております」

「観智坊殿も大変な仕事を背負い込んでしまいましたね」

「はい。しかし、裏の組織を作るには、一旦、本願寺を破門になった、わたしだからこそ、できると思っております」

「そうかもしれません。表の顔があると自由に動く事は難しいですからね。それだけ大きな組織を作るとなると裏側に専念しなければならないでしょう」

「はい。わたしも表には出ずに裏の世界に専念するつもりです」

「頑張って下さい。わたしも陰ながら応援させていただきます」

「ありがとうございます」

 いつの間にか、日が暮れ掛けていた。

 太郎と観智坊は、その後、遅くまで裏の組織作りに関して話し合った。





 二人の山伏とそれに従う下男が馬に乗って走っていた。

 もう、春であった。大河内の城下にはまだ雪が残っていたが、姫路の辺りまで来ると、風も暖かく、ようやく、冬も終わったと感じられた。今年は一月が閏月(ウルウヅキ)だったため、二度もあり、冬がいつもより長く感じられた。

 馬に乗っているのは太郎と観智坊と弥兵だった。

 観智坊は二ケ月余り、太郎のもとで修行に励んでいた。太刀先の見切りも体で覚え、陰流の棒術の『天狗勝(テングショウ)』も身に付けていた。陰の術の方も、太郎と一緒に、実際に屋敷や城に忍び込む事を体験し、手裏剣術や薬草に関する事も習っていた。組織作りの構想も練れ、蓮如と再会するために河内(カワチ)の国、出口(デグチ)村に向かっていた。

 加賀から戻った八郎より、加賀の状況と共に蓮如の居場所も聞いていた。加賀の状況は、冬に入っているため、膠着(コウチャク)状態が続いているが、本願寺側は中心となるべき大将を欠き、守護側は本願寺勢力の離間策(リカンサク)を着々と進めているようだと八郎は言った。そして、法主である蓮如は今、出口村に草坊(ソウボウ)を建てて、家族と共に暮らしているとの事だった。

 太郎の方は飯道山に向かっていた。孫次郎の百日行が二月五日に満願(マンガン)となるはずだった。ねぎらいの言葉を掛けると共に、正式に太郎の弟子として、飯道山の山伏名を貰い、改めて一年間、飯道山にて修行させるつもりでいた。

 二人は摂津の芥川(高槻市)で別れ、観智坊は南に向かい、太郎は東に向かった。

 太郎が飯道山に着いたのは四日の昼過ぎだった。馬をいつもの農家に預けると、花養院に顔を出し、智羅天(チラテン)の岩屋に向かった。夢庵がいると思ったが夢庵の姿はなかった。

 夢庵が使っていた文机だけが、ぽつんと岩屋の中に置いてある。その文机の上に一冊の書物が置いてあった。それは、前回来た時、夢庵に頼んでおいた『宗祇初心抄(ソウギショシンショウ)』だった。夢庵が写してくれた宗祇による連歌の指導書だった。太郎は今年の末までに写してくれと頼んだのに、夢庵はさっそく写してくれたのだった。太郎は夢庵に感謝しながら、その書物に目を通した。書物の中に、春になったので穴から出て行くという意味の歌が挟んであった。

 一通り、夢庵の書物に目を通すと、太郎は奥駈け道に向かった。今頃、行けば、丁度、金勝山(コンゼサン)から帰って来る孫次郎に会えるかも知れない。太郎は智羅天が座っていた岩の上に座って、孫次郎が来るのを待った。奥駈け道には、まだ、所々に雪が残っていたが、あちこちで樹木の若葉が芽を出していた。

 しはらくして、孫次郎がやって来た。

 太郎は岩陰に身を隠した。明日の満願の日まで、孫次郎の前に出たくはなかった。たとえ後一日だけだとしても、気の緩みは禁物だった。もし、太郎が今、顔を出して、孫次郎の気が緩んで、明日、歩けなくなったとしたら、また、最初からやり直さなければならない。太郎は黙って見守るだけにした。泥だらけになってはいたが、孫次郎の足取りは軽かった。回りの景色を楽しんでいるような余裕も感じられる。これなら大丈夫だ。よく、あの厳しい時期に一人で歩き抜いた。太郎は拍手を送りたいような気持ちで、孫次郎の後姿を見送ると岩屋に戻った。太郎は仏師(ブッシ)の姿になり、夢庵に会いに行く事にした。

 飯道山を越えて、柏木の飛鳥井(アスカイ)屋敷に着いた頃には日が暮れ掛かっていた。顔馴染みになった飛鳥井屋敷の門番に、夢庵の事を聞くと、夢庵は宗祇と一緒に京に出掛けたとかで留守だった。いつ頃、帰って来るのかと聞いたが分からなかった。三日前に行ったばかりだから、当分、帰って来ないだろうと言う。太郎は仕方なく帰る事にした。ただ、門番の話から、夢庵が正式に宗祇の弟子になったという事を聞いて、本当によかったと思った。去年の暮れ、ずっと、書き続けていた宗祇の聞き書き『弄花抄(ロウカショウ)』が宗祇に認められたのに違いなかった。一年以上も待って、ようやく、一番弟子になれた夢庵は言葉では言い表せない程、嬉しかったに違いない。夢庵がいたら、文句なく祝い酒を飲みたい所だが、いないのならしょうがない。一人で祝い酒を飲むかと、太郎は飯道山を越えて門前町に向かった。

 足は自然と『夕顔』に向いていた。暖簾(ノレン)をくぐると店内に三人の客がいた。山伏ではなかった。職人風の男たちだった。太郎の顔を見ると、夕顔は、「あら、珍しい事」と言ったが、心の中では驚いている事が分かった。太郎が今頃、こんな所に来るはずがないと思っている。志能便の術の稽古が始まるのは、もっと、ずっと先の事だった。

「今日は太郎坊じゃない。火山坊として大峯から来たんだ」と太郎は小声で夕顔に言った。

 夕顔は笑うと、「それは遠くから、わざわざ、火山坊様」と言って、酒の支度をしに奥に入った。

 三人の客は宮大工のようだった。門前町にある寺院の修築をしているらしかった。年配の者と若い者が何やら言い争い、もう一人の男が二人をなだめていた。

 夕顔は太郎に酒を持って来た時、ごゆっくりと言ったきり奥から出ては来なかった。太郎は夢庵の事を聞きたかったが、話し出すきっかけさえつかめないまま、一人、酒を飲んでいた。

 どうしたんだろう。

 俺が突然、来たので怒っているのだろうか。

 やはり、来るべきではなかった‥‥‥

 太郎は夕顔が持って来た酒を飲んだら帰ろうと思った。夕顔は、太郎が頼みもしないのに、三本のとっくりを持って来ていた。太郎が『夜叉亭(ヤシャテイ)』に通っていた頃の癖を覚えていたのだった。とっくりの中の酒はまだ、二本近く残っている。太郎が酒を飲み干す前に、三人の宮大工は帰って行った。

 夕顔は三人を見送ると暖簾をしまった。

「もう、店じまいか」と太郎は聞いた。

「そう。今日は気分が悪いの」と夕顔は軽く笑って言った。

「そうか」と太郎は頷き、「俺も帰るわ」と言った。

「まだ、お酒、残ってるんでしょ」

「ああ、あと少し」

「それ、飲んでからでいいわ」

「そうか‥‥‥」

 夕顔は太郎の横に腰掛けると酒を注いでやった。

「あたしねえ。あなたが今日、現れるような気がしてたわ」と夕顔は太郎の手を撫でながら言った。

「いつもの勘かい」

「そう、と言いたいけど町中の噂よ」

「噂?」

「そう。今、太郎坊様のお弟子さんが百日行をしてるでしょう。明日が満願の日だから、明日、太郎坊様が来るってもっぱらの噂よ」

「そうか、そんな事まで噂になるのか」

「あなたに関する事は何でも噂になるの。ここだけじゃないわ。あたし、伊賀の国にいた事あるけど、伊賀でも、あなたの噂は聞いたわ」

「どんな噂だ」

「一昨年の暮れの事よ。あなたはお弟子さんの風光坊様と一緒に、ここに来て、かつての教え子たちの所に現れて、何人かを選んで、京の愛宕山(アタゴヤマ)に連れて行ったわ。そして、お師匠様の風眼坊様と早雲という和尚様も一緒に愛宕山に連れて行ったって」

「へえ、京の愛宕山にか」

「そういう噂だったわ。あなたの事は甲賀、伊賀では常に注目されているのよ」

「それじゃあ、俺がここに来た事も噂になるのか」

「あたしが言い触らせばね。でも、今、ここにいるのは太郎坊様ではなくて、火山坊様でしょ。火山坊様の事は誰も噂しないわ」

「そうか‥‥‥火山坊の噂はないのか‥‥‥」

「火山坊様が大峯山に行って、帰って来なかった時、噂は流れたわ」

「どんな噂だ」

「火山坊様は酔っ払って、大峯山で死んじゃったって」

「火山坊は死んだのか」

「そういう噂はあったわ。でも、一月もしないうちに、誰も、火山坊様の事を言わなくなった」

「そうか‥‥‥太郎坊とは、えらい違いだな」

「でも、あたしは太郎坊様より、そんな火山坊様をずっと待っていたの‥‥‥今日、あたし、賭けをしたの。太郎坊様がきっと、ここに戻って来る事は分かっていたわ。でも、太郎坊様がこの店に来るかどうかは分からない。あたし、賭けたの。もし、太郎坊様がここに来たら‥‥‥」

「ここに来たら?」

「ここに来たら、あたし‥‥‥いいの、もう、太郎坊様は来なかったんだから。来たのは火山坊様だった‥‥‥」

「夕顔、お前は今、幸せなのか」と太郎は聞いた。

 夕顔は頷いた。しかし、その顔は幸せそうには見えなかった。

「あたし‥‥‥」

 夕顔は太郎に酒を注ごうとしたが、とっくりは空になっていた。

「ねえ、あたしんちで飲まない?」

「いいのか」

「いいの。火山坊様が帰って来てくれたんだもの」

 太郎は夕顔の家に行って続きの酒を飲んだ。

 夕顔は太郎の事を太郎坊とは呼ばずに、火山坊と呼び通した。火山坊は酔っ払って、大峯山で死んでしまうような情けない山伏だった。しかし、夕顔は、そんな火山坊の方が有名な太郎坊より好きなようだった。太郎は、これから先も火山坊として夕顔と付き合って行こうと思っていた。

 夕顔は本当の所、もし、太郎坊が店に来てくれたら、南蔵坊と別れて、太郎坊に付いて行こうと決めていた。太郎坊は城を持っている武将だった。南蔵坊より、ずっと財産も持っている。こんなちっぽけな店より、立派な店を播磨の国で持てるに違いない。南蔵坊の妾(メカケ)でいるより、太郎坊の妾になった方がずっといいだろうと思っていた。そして、太郎坊は店に来た。しかし、太郎坊とは名乗らずに火山坊と名乗った。太郎が火山坊と名乗った事で、夕顔は欲に目が眩(クラ)んでいた自分に気が付いた。夕顔は太郎が城持ちの武将だから惚れたのではなかった。太郎坊という有名な山伏だから惚れたのでもない。飯道山にとって、いてもいなくてもいいような酔っ払いの山伏、火山坊に惚れたのだった。そして、今でも、その火山坊に惚れている。一時は本当に死んでしまったのかもしれないと諦めていた火山坊がこうして生きている。一年に一度でもいい。火山坊が自分に会いに来てくれればいいと思うようになって行った。

 火山坊と夕顔は一期一会(イチゴイチエ)のような、激しい恋に燃えた。





 暖かかった。

 満願の日にふさわしい、いい天気だった。

 金勝山(コンゼサン)と阿星山(アボシサン)の中間にある岩の上に座って、太郎は孫次郎を待っていた。

 やがて、孫次郎が泥だらけの足で力強く歩いて来た。

 太郎の姿を見付けると立ち止まって、「師匠‥‥‥」と言ったが、何となく元気がないようだった。

 百日間の様々な事を思い出して、感慨無量なのだろうと思った。

「よく、やった」と太郎は言った。

「師匠‥‥‥」と言って孫次郎は顔を伏せた。

「百日間、歩き通すのは辛い事だ。様々な心の葛藤(カットウ)があった事だろう。しかし、お前は見事にそれに耐えた。一番、きつい時期によく歩き通した」

「師匠、実は‥‥‥」

「どうした。後、もう少しだ。頑張れ」

「実は、師匠、今日が満願ではないのです」と孫次郎は言った。

「なに」太郎は数え間違いたかな、と思った。「今日じゃなかったか。明日か」

「いえ。今日で、まだ、十一日目なのです」

「何だと、十一日目だ?」

「はい、すみません。途中で、やめてしまったのです」

「途中でやめた?」

「はい。八十六日目でした。急に腹が痛くなって、どうしても、歩けなくなってしまったのです」

「八十六日まで歩いて、やめてしまったのか」

「はい、すみません」と孫次郎は頭を下げた。

「どうしても、続けられなかったのか」と太郎は聞いた。

 孫次郎は力なく頷いた。「駄目でした」

「そして、また、始めからやり直したのか」

「はい」

「八十六日間、歩いて、また、始めからか‥‥‥」

「すみません‥‥‥」

「‥‥‥仕方がないな」と太郎は孫次郎を見ながら残念そうに言った。「今日で十一日目なんだな」

「はい」

「分かった。また、満願の日に来る。今度こそ、歩き通せ」

「はい」

「行っていいぞ」

「はい」孫次郎は頭を下げると阿星山の方へと歩いて行った。

「馬鹿な奴だ」と言うと太郎は岩から下りた。

 そのまま帰ろうかと思ったが、一応、孫次郎の事を高林坊に聞いてみようと思った。八十六日間も歩いて、腹痛くらいで、やめてしまうとは考えられなかった。後十四日で終わるというのに、途中でやめたのは何か訳があるに違いない。何かあったからこそ、孫次郎は、せっかく、八十六日も歩いたのにやめてしまったのだ、と太郎は何かあった事を願いながら飯道山に登った。

 高林坊は知っていた。

 高林坊も孫次郎からは腹痛で途中でやめてしまったので、また、初めからやり直すと言われたという。高林坊も腑に落ちなかったが、孫次郎は腹痛だと押し通した。もう一度、やる気があるのなら、やり直せと言ったという。それから何日かして、信楽(シガラキ)の商人が、先日、太郎坊の弟子と名乗る者に女房を助けられたと言ってお礼を言いに来た。

 高林坊が詳しく聞くと、その日、商人の女房は用があって大津に行った帰りだった。供を二人連れていたが、一人の方は重要な知らせを持たせて先に帰したと言う。女房は供の老人と一緒に街道を歩いていたが、突然、腹痛に襲われて歩けなくなってしまった。供の老人は荷物を背負っていたため、女房をおぶう事もできず、何とか、観音の滝の祠(ホコラ)の側まで来たが、そこから先は動けなくなってしまった。まごまごしていたら山の中で日が暮れてしまう。こんな所で一夜を明かしたら凍え死んでしまうだろう。

 困っていた所に来たのが孫次郎だった。老人は孫次郎に助けてくれと頼んだ。孫次郎は苦しそうな女房を見た。老人から訳を聞いたが、今、信楽まで行くわけには行かなかった。信楽は遠すぎた。信楽まで行ってしまえば日が暮れてしまい、飯道山には帰れなくなる。八十六日間、歩き通し、後十四日で百日行が終わるというのに、今更、どんな理由があっても、やめるわけには行かなかった。孫次郎は老人に断って、観音の滝の前で真言(シンゴン)を唱えた。

 真言を一心に唱えている最中、観音様が仕切りに、助けてやれと言っている声が聞こえて来た。孫次郎はそれを打ち消そうとしたが駄目だった。孫次郎はこんな時、師匠だったら、どうするだろうか、と考えた。師匠なら絶対に助けるだろうと思った。百日行は初めからやり直せばいい。もし、あの女房を見捨ててしまったら死んでしまうかもしれない。人を見殺しにして百日行をやり遂げたとしても、一生の間、助けなかった事を後悔するに違いなかった。孫次郎は百日行を諦め、女房をおぶって信楽に行った。

 女房は信楽焼きを扱う商家『山路(ヤマジ)屋』のおかみさんだった。主人が出て来て、孫次郎にお礼を言った。女房を家まで届けたら、すぐに引き返すつもりだったが、そうは行かなかった。せめて、名前だけでも教えてくれというので、孫次郎は、太郎坊の弟子の内藤孫次郎だと名乗った。太郎坊の名を出した途端、主人を初め、店の者たちの態度が変わって、孫次郎は強引に屋敷の中に入れられ御馳走で持て成された。

 太郎坊の名は信楽でも有名だった。信楽から飯道山に登り、太郎から『志能便の術』を習った者も何人かいた。しかも、孫次郎が助けたおかみさんの息子も去年、飯道山に登り、太郎坊から『志能便の術』を習っていたのだった。息子の名前は小川新太郎といい、孫次郎と同い年だった。新太郎はこの店の長男で、やがてはこの店を継ぐ事となるが、当時、商人にも武術は必要だった。商人といっても小川家は元々、この辺りの郷士だった。武士でもあり、商人でもあり、名主でもある。広い土地も持ち、大勢の百姓たちも抱えていた。

 孫次郎は、太郎坊の事を色々と聞かれたが、太郎から、ここでは播磨の事は黙っていろ、と言われていたので喋(シャベ)らなかった。ただ、播磨の山の中で太郎坊と出会い、弟子にしてくれと言ったら、ここに連れて来られたという事にした。新太郎は孫次郎の事は噂で知っていた。太郎坊の弟子が今、百日行をしているというのは、すでに噂になっていた。百日行を途中でやめてしまったと聞き、主人は申し訳ない事をしたと丁寧に謝った。

 孫次郎は、また、やり直すから大丈夫ですと言い、ただ、この事は改めて百日行が終わるまで黙っていて下さいと頼んだ。見事、百日行が無事に終われば、孫次郎がここのおかみさんを助けた事は美談となるが、もし、やり遂げられなかったとしたら、おかみさんは悪者になってしまう恐れがあった。主人は孫次郎の言う事に同意して、見事、百日行が終わるまでは誰にも喋べらないと約束した。

 新太郎には妹がいた。お夏という名の十六歳の娘だった。人買いに売られた孫次郎の妹と同い年だった。しかし、孫次郎には妹というよりも一人の異性として意識していた。

 孫次郎はお夏を一目、見た時から胸がドキドキしていた。孫次郎は三日間、山路屋の世話になった。孫次郎が帰ろうと思っても主人は帰してくれなかった。また、改めて百日行を始めるのなら、栄養を充分に取って体調を整えなければならないと言って、栄養の付く物を色々と出してくれた。孫次郎もお夏の側にいたかったため、引き留められるまま世話になっていた。息子の新太郎とも仲良くなり、妹のお夏とも散歩をしたり、色々な事を話す事もできた。いつまでも、お夏の側にいたいと思ったが、そうも行かない。世話になった山路屋のためにも、何としてでも百日行を成功させなければならなかった。別れる時、お夏は孫次郎に小さなお守りをくれた。孫次郎はそのお守りを首に下げて、飯道山に帰った。孫次郎の心の中からお夏の面影はいつまでも消えなかった。

 孫次郎は高林坊に告げて、改めて百日行を始めた。

 山路屋の主人、弥平太は孫次郎との約束はあったが、高林坊だけには一言、言っておいた方がいいと思い、飯道山に出掛けた。事の一部始終を告げて、孫次郎の事を見守ってくれと頼んだ。高林坊は、そんな事があったのかと孫次郎の事を見直していた。八十六日まで苦労して歩いて、人助けをしたにも拘(カカ)わらず、その事を一言も言わずに、また、初めからやり直している。こいつは太郎坊のように大物になるに違いないと思った。去年は風眼坊の弟子の観智坊が山の話題の的になった。そして、今年は風眼坊の孫弟子に当たる孫次郎が話題をさらう事になるだろう。今年も、あいつのお陰で面白くなりそうだと高林坊は思った。

 太郎は高林坊から、その話を聞くと納得した。よく、やったと言ってやりたかった。もし、助けを求めている者を置き去りにして百日行をやり遂げたとしても、そんなのは何の自慢にもならなかった。もし、そんな男が武術を身に付ければ、それは凶器にしかならない。そして、その凶器は、やがて身を滅ぼす事となろう。太郎の作った『陰流』は、人を助けるための武術だった。無益な争い事を避けるための武術だった。決して、人を殺(アヤ)めるためのものではなかった。孫次郎はきっと百日行をやり遂げるだろう。そして、太郎の四人目の弟子となる事だろう。

「いい男を見つけたな」と高林坊は言った。

「はい」

「わしも、時々、奴の事を見守ろう」

「ありがとうございます。また、満願の日に来ます」

「うむ。観智坊の奴はどうした」

「蓮如上人様に会いに出掛けました」

「そうか」

 山を下りる頃には、もう日が暮れていた。

 夕顔の顔がちらついて来たが太郎は行かなかった。孫次郎が世話になったという『山路屋』に向かった。最近、太郎も茶の湯をやるため、陶器に興味を持つようになっていた。茶人たちから信楽焼きの評判も聞いていた。お礼を言うのと同時に、ちょっと信楽焼きでも見て来ようと思った。太郎は馬に乗って仏師の格好のまま出掛けた。

 山路屋は思っていたより大きな店だった。頑丈そうな高い塀に囲まれていて門には警固の兵までいた。門をくぐると広い庭があり、そこには焼き物がずらりと並んでいる。それらは一般の家庭で使う甕(カメ)や壷(ツボ)など大きな物ばかりだった。それらを眺めながら、山路屋と書かれた暖簾の掛かった店の中に入った。壁際の棚に高価そうな皿や器、茶壷や花瓶などが幾つか飾られてあった。番頭らしい男がうさん臭そうな顔をして、太郎の姿を見ながら近寄って来た。

「いらっしゃいませ」とは言ったが、あまり歓迎されてはいないようだった。

「何か、御用でしょうか」

「うむ。実は、床の間に飾る花入れを捜しているのだが」と太郎は言った。

「花入れですか、少々、お待ち下さい」と番頭は店の奥に消えた。

 花入れを捜しているというのは本当だった。月影楼の三階の床の間に置く花入れが欲しかったのだった。夢庵からも、信楽にいい花入れがあると聞いてはいたが、なかなか手に入れる機会がなかった。孫次郎のお陰で、この店に来たからには、あの床の間に似合う花入れを買って行こうと思っていた。

 番頭は戻って来たが、番頭の持って来た物は、太郎が見ても安物と分かる物ばかりだった。太郎も一応は目利(メキ)き(鑑定)の修行はしている。安物には用がなかった。太郎はこの店で一番高価な奴を見せてくれと頼んだ。

 番頭は引っ込んだが、今度は主人らしい男と一緒に現れた。主人の後ろには新太郎がいた。新太郎は太郎の顔を見て驚いたが、太郎は首を横に振り、口に指を当て口止めをした。主人が持って来た花入れは最高級の物だった。これなら月影楼の三階の床の間にぴったりの花入れだった。夢庵の書いた掛軸とよく調和すると思った。その花入れも夢を感じさせる物だった。太郎はそれを買う事にした。太郎が銀で、その支払いをするのを見て番頭は驚いていた。

「御主人殿に、実は折り入って相談があるのですが」と太郎は言った。

「はい。何でしょうか」

 太郎は主人を番頭から離すと、太郎坊と名乗り、孫次郎が世話になった事の礼を言った。主人は驚いて、改めて太郎を見た。若いとは聞いてはいたが、この男が太郎坊だとは信じられなかった。しかし、孫次郎が家内を助けた事を知っているという事は太郎坊に違いなかった。太郎は自分が来た事を口止めし、帰ろうとしたが、主人は、もう暗いからと言って太郎を帰さなかった。

 太郎は三好日向(ミヨシヒュウガ)という仏師として山路屋の世話になる事となった。新太郎は太郎坊がうちに来てくれた事を大喜びしていた。太郎から志能便の術を習った者たちが、この事を聞いたら、みんな飛んで来るだろうと言ったが、太郎はやめさせた。信楽には去年、播磨に来て『陰の衆』となっている長野太郎三郎がいた。新太郎も勿論、その事は知っている。太郎三郎が太郎坊のもとに行った事は知っているが、どこに行ったのかは知らなかった。太郎が播磨で武将をしている事は、ここでは絶対に口にするなと太郎は言い聞かせていた。

 主人の弥平太も太郎を歓迎してくれた。驚いた事に弥平太は太郎の正体を知っていた。知ってはいても、息子の新太郎にもその事は話してはいないと言う。弥平太は古くから松恵尼と取り引きをしていた。松恵尼が娘のように育てていた楓が太郎坊と一緒になった事も知っている。しかも、楓が赤松家にさらわれた時、楓を守って播磨まで供をした弥平次は、何と弥平太の弟だった。弥平次は今、小川弾正忠(ダンジョウチュウ)と名乗って太郎の家老になっている。弥平次も信楽焼きの店を出していたが、今は弥平太に任せて、家族は皆、播磨に移っていた。その弥平次より時々、便りが届くが、毎回、太郎の事をいい殿様だと誉めているという。家内が太郎の弟子に助けられたのも、太郎がこうして訪ねてくれたのも、きっと、飯道権現のお陰に違いないと喜んでくれた。太郎も孫次郎のお陰で弥平次の兄に会うとは夢にも思っていなかった。来て良かったと思った。

 太郎は弥平太からお夏という娘を紹介された。お夏は孫次郎を気に入っているようだと言った。弥平太は初めから太郎が播磨で城持ちの武将だと知っていたため、お夏が孫次郎と仲良くなるのを見て見ぬ振りをしていたのだった。太郎の弟子なら立派な武将になる事だろう。その男の嫁にやるのなら悪くはないと思った。播磨には弟もいるし、お夏も淋しくはないだろう。弥平太はお夏が孫次郎と一緒になる事を願っていた。

 次の日、太郎は弥平太から持ち切れない程の土産を貰った。太郎がとても、こんなにも持って帰れないと断ると、弥平太は『小野屋』を通して、太郎の城下まで運ばせると言って聞かなかった。太郎は孫次郎の事を頼んで、弥平太と別れ、播磨に向かった。





 出口御坊(デグチゴボウ)は葦(アシ)の生い茂る湿原の中に出現した町だった。伏見と渡辺津(大阪)のほぼ中間に位置し、淀川の東南の岸にあった。対岸には奈良の興福寺の支配する三島の湊があり、淀川を上り下りする帆船で賑わっていた。

 蓮如が、ここ、河内の国茨田郡(マツタゴオリ)中振郷(ナカフリゴウ)出口に腰を落ち着けたのは去年の初めの事だった。

 越前吉崎を去ったのが一昨年の八月で、その年の暮れまで、若狭(ワカサ)の国、小浜(オバマ)の蓮興寺に滞在していた。突然の吉崎脱出だったので、行くべき場所がなかなか見つからなかったのだった。長男の順如(ジュンニョ)は、とりあえず大津の顕証寺(ケンショウジ)に行き、それから、先の事を考えた方がいいと言ったが、大津に行くのは危険だった。大津に行けば門徒たちが群衆して来る事は分かっている。また、叡山(エイザン)の衆徒たちと騒ぎが起こるに違いなかった。蓮如は、順如と蓮綱(レンコウ)、蓮誓(レンセイ)の家族たちを大津に帰し、自分は小浜に滞在したまま、慶覚坊(キョウガクボウ)、慶聞坊(キョウモンボウ)らを各地に飛ばして各地の状況を調べさせた。ようやく、その年の暮れに、淀川の川縁(カワベリ)に行こうと決心をした。淀川河畔の出口村に光善坊という熱心な門徒がいて、蓮如たちの事を引き受けてくれたからだった。光善坊は春日神社(興福寺)の供御人(クゴニン)であり、有力な商人だった。

 理由は光善坊だけではなかった。淀川沿いにいれば、京の情報を手に入れ易い事と、淀川の水運業に携(タズサ)わっている川の民(タミ)を門徒に獲得するためだった。農民たちに布教を広めれば、農民を支配している武士と対立する事になる。また、加賀の国の二の舞になるだろう。蓮如としては、どうしても生きているうちに京都に本願寺を再建したかった。それまでは、なるべく武士と争い事を起こしたくはなかった。淀川の川の民を対象に布教を広めても、武士と争う事はないだろうと思った。

 淀川の川の民の多くは奈良の興福寺と山崎の石清水(イワシミズ)八幡宮に隷属(レイゾク)している者が多かった。興福寺や八幡宮に隷属していると言っても、それらが直接に支配しているわけではなかった。直接、支配していたのは台頭(タイトウ)して来た有力商人たちだった。商人たちも一応、有力寺社に所属していたが、それ程、強い支配を受けていたわけではない。決められた物を本所(ホンジョ)に納めれば、後は比較的、自由に商売を行なう事ができた。

 応仁の乱のお陰で、淀川の商人たちは景気が良かった。京に長期滞在を続けている西国武士たちの消費する物資のほとんどは淀川によって京に運ばれていた。物資は次から次へと淀川河口に集まり、川船が間に合わない程だった。財力と先見の明のある商人は倉庫を建てて、船を集め、川の民を人足に雇い、運送業に専念した。戦は何年も続き、運送業は儲かった。やがて、勢力の弱い商人は強い者に吸収され、長者(チョウジャ)と呼ばれる大商人が出現した。蓮如はその有力商人たちも門徒にしようと考えていた。商人たちは武士に支配されてはいなかった。しかも、商人たちの活動範囲は広範囲に渡っている。以前、近江堅田の商人たちを門徒にした事によって、本願寺の教えは各地に広まって行った。今回も、淀川の商人たちを門徒にすれば、摂津の国、河内の国を初めとして、瀬戸内海沿岸に広まって行くに違いないと思った。

 川の民たちを門徒にすれば、自然、川の民たちを支配する商人たちも門徒になるだろうと思えた。加賀の国では、農民たちが門徒となって国人たちに反発するようになり、やがて、国人たちも生き残るために門徒とならざるを得ない状況となって行った。ここでも、川の民たちが門徒となって団結するようになれば、川の民を支配する商人たちは門徒となるだろう。また、商人たちに取っても門徒となった方が商売を広げる事が容易となるに違いない。彼らは本所である大寺院や大神社に属してはいても信仰を持ってはいなかった。本願寺の門徒になったからといっても、納める物さえ納めていれば本所も文句は言うまい。商人たちに教えを広めても、加賀の国のように戦になる事はないだろう。

 また、淀川河畔には運送業に携わる川の民の他にも、摂津の国椋橋(クラハシ)庄を本拠に活躍している檜物師(ヒモノシ)集団、淀川河口の今宮浜を本拠に活躍している漁民集団、石清水八幡宮に所属する油売り集団らがいた。河内国内には鋳物師(イモジ)集団、菅笠(スゲガサ)売りの集団、莚(ムシロ)売りの集団らがいて、各地を渡り歩いていた。それらの人々も蓮如が門徒にしようとしている者たちだった。

 蓮如がこの地に来て一年が過ぎていた。蓮如はここに落ち着くつもりはなかったが、光善坊を初めとした河内、摂津の門徒たちは蓮如をここに落ち着かせたいと願っていた。蓮如の意志とは反対に、出口御坊は立派な寺院としての形を整えて行った。

 去年の暮れ、蓮如たちが光善坊に呼ばれて、ここに来た時は、葦の生い茂る中にポツンと二軒の家が建っていただけだった。草庵というには立派すぎる家だったが、蓮如は満足して、家族と共にそこに住み着いた。もう一軒の方には供をしていた下間頼善(シモツマライゼン)、慶覚坊、慶聞坊らが家族と共に入った。それが、たった一年で、一つの町に出来上がってしまった。本堂が建ち、御影堂(ゴエイドウ)が建ち、書院が建ち、僧坊が建ち、山門が建った。門前には多屋(タヤ)が立ち並び、職人や商人の町もできた。門徒たちも続々と集まるようになり、市も立ち、賑やかな町となって行った。

 ここは雪が少なく、冬といっても、吉崎と比べたら、ずっと暖かかった。蓮如は慶聞坊や慶覚坊を連れて、毎日のように淀川の河原を歩いて教えを広めて行った。効果は着々と現れた。また、商人の町として賑わい始めている堺にも、よく足を運んだ。堺には、染め物業を営む円浄坊(エンジョウボウ)と旅籠屋(ハタゴヤ)を営む道顕坊(ドウケンボウ)という門徒が道場を開いていた。門徒の中には商人も多く、彼らのお陰で、材木が出口村に次々と運ばれ、あっと言う間に、町が出来上がって行った。

 夏の終わりには蓮綱と蓮誓の多屋も完成し、二人は家族と共に移って来た。二人共、蓮如を見習って、毎日のように河原に出ては布教活動に励んでいた。

 太郎と別れた観智坊と弥兵は人々で賑わう三島の湊まで来て、対岸を見ながら驚いていた。加賀の手取川も広かったが、目の前の淀川とは比べ物にはならなかった。川幅があり、水量も豊富で、何艘もの船が行き来している。噂には聞いていたが、まさか、これ程、大きな川だとは思ってもいなかった。とても、馬で渡れるような川ではなかった。二人は馬を木賃宿に預けると渡し舟に乗って対岸に渡った。船着き場から葦原の中の道を真っすぐ進むと、突然、目の前に町が現れた。

 左右に町人たちの家が並び、その先の左手に塀に囲まれた御坊が見えて来た。右側には、坊主たちの多屋も並んでいる。蓮如は草庵に暮らしていると聞いていたが、これは草庵ではなかった。立派な寺院だった。

 観智坊はここまで来て戸惑った。草庵だったら、簡単に蓮如に会う事もできるだろうと思ったが、これだけ立派な寺院に住んでいるとなるとそうは行かない。素性の分からない者が蓮如に会うのは難しかった。かと言って、素性を明かすわけにも行かない。観智坊は弥兵に慶覚坊の多屋を捜して来てくれと頼むと町はずれの葦原の中に隠れて待った。

 蓮如に会うまでは自分を知っている者に会いたくはなかった。蓮崇が来たといって騒ぎになれば、蓮如に会えなくなってしまう。観智坊は蓮如の側まで来て、少し動揺していた。自分の今の姿をすっかり忘れている。髪の毛を伸ばし、山伏の格好をし、しかも、顔付きから体付きまで変わっている観智坊を見て、蓮崇だと思う者などいるはずもなかった。

 弥兵はすぐに戻って来た。

「早いのう。もう、分かったのか」

「はい。すぐ、そこでした」

「そうか。それで、慶覚坊殿はおったか」

「いえ、おりませんでした」

「どこに行ったのか、聞いてみたか」

「はい。蓮誓殿と一緒に布教に出掛けたそうです」

「なに、蓮誓殿もここにおるのか」

「はい、そのようです」

「慶覚坊殿は留守か‥‥‥」

「上人様にお会いにはならないのですか」

「いや。慶覚坊殿に仲立ちになって貰おうと思ったんじゃが‥‥‥とにかく、慶覚坊殿の多屋に行こう」

 弥兵の言った通り、慶覚坊の多屋はすぐそこだった。観智坊がさっき立ち止まった右側にあった多屋が慶覚坊の多屋だった。

 観智坊はしばらく立ち止まって思案していたが、意を決して門をくぐった。慶覚坊の内方(ウチカタ、奥方)が現れると、観智坊は風眼坊に頼まれて、近江の飯道山から訪ねて来たと告げた。風眼坊の名を出した事によって、内方は観智坊を信用してくれたようだった。夕方には戻るだろうから待っていてくれと客間に通された。慶覚坊の内方は観智坊を知っているはずなのに気づかなかった。

 客間には誰もいなかった。何もかも新しく、木の香りが漂っている。部屋は庭に面していたが、庭には草が生い茂っているだけで何もなく、殺風景だった。

 観智坊は庭を眺めながら、蓮如が本泉寺の庭園を造っていた事を思い出していた。ここの御坊にも庭園を造ったのだろうか。いや、まだ、この地に来て一年だ。張り切って、布教に歩き回っている事だろう。庭園を造る暇などないだろうと思った。

 慶覚坊が帰って来たのは日暮れ近くだった。客間に入って来ると二人を眺め、腰を下ろした。

「わしが慶覚坊じゃが、風眼坊から頼まれて来たと聞いたが‥‥‥」

「はい。飯道山から参りました」と観智坊は言った。

「奴は今、飯道山におるのか」

「いえ、駿河の方におります」

「駿河か、新九郎の所に行ったんじゃな‥‥‥」

「はい」

「それで、わしに何の用じゃ」と言って慶覚坊は観智坊の後ろに控えている弥兵に気づいた。

「おぬしは確か、蓮崇殿の所にいた弥兵ではないか。どうして、こんな所におるんじゃ。蓮崇殿はどうした」

「蓮崇です。お久し振りです」と観智坊は頭を下げた。

「なに? 蓮崇‥‥‥」

「はい」

「本当か」

「はい。今は観智坊露香という風眼坊殿の弟子になりました」

「観智坊露香? 風眼坊の弟子?」

「はい。山伏となって、飯道山で一年間、修行を積みました」

「蓮崇殿が飯道山で修行をしておる事は伜から聞いてはおったが‥‥‥」

 慶覚坊は観智坊の顔を穴のあくほど見つめた。

「うむ。確かに、言われてみれば蓮崇殿のような気もするが‥‥‥しかし、変われば変わるものよのう」

「分かっていただけましたか」

「うむ。顔付きまで変わってしまったが、目は昔のままのようじゃ。久し振りじゃのう。何の音沙汰もないので心配しておった。飯道山で百日行をしたとか」

「はい。風眼坊殿と早雲殿と一緒に山の中を百日間、歩き通しました」

「そうか、百日行をやり遂げたか‥‥‥それで、その後、飯道山で武術の修行をしておったというのか」

「はい」

「しかし、何で、また、武術など始めたんじゃ」

「本願寺のためです。裏の組織を作ります」

「なに、裏の組織を? しかし、蓮崇殿は本願寺を」

「はい。破門となりました。そこで、生まれ変わって山伏となりました」

「確かに、生まれ変わったとは言えるが‥‥‥」

「ただ、生まれ変わっただけでは裏の組織を作る事はできません。そこで、武術を身に付けました」

「武術を身に付けただけで、裏の組織を作る事ができるかのう」

「陰の術も身に付けました」

「陰の術? 風眼坊が言ってたやつか」

 観智坊は力強く頷いた。

「しかしのう。そなたが山伏になって加賀に行ったとして、門徒たちが、そなたの言う事を聞くかどうかじゃ」

「そこで、慶覚坊殿の弟子という事にしていただきたいのです」

「なに、蓮崇殿が、わしの弟子か」

「はい。決して、慶覚坊殿には御迷惑はかけません」

「わしの弟子として加賀に乗り込むのか」

 観智坊は慶覚坊を見つめながら頷いた。

「うーむ。わしの弟子にするのは構わんが、わしに敵対している者もおるからのう。一番いいのは、上人様に門徒として認めて貰う事じゃのう」

「それは無理でしょう」

「いや、そなたが蓮崇殿だと気づく者は誰もおるまい。門徒になれるかもしれんぞ」

「上人様に嘘をつくのですか」

「うむ。それでもうまく行くじゃろう。しかし、蓮崇殿の気持ちを上人様にぶちまけてみるのもいいかもしれん。もしかしたら、門徒になれるかもしれん」

「しかし‥‥‥」

「蓮崇殿、そなたが、これから始めようとしておる事は生易しい事ではない。まず、手初めとして、上人様と会って、心の中をぶちまけてみるのもいいのではないかのう。会うのは辛いじゃろうが‥‥‥」

「‥‥‥分かりました。上人様にすべて話してみます」

「うむ。そうじゃのう。さっそく、行ってみるか」

「今からですか」

「早い方がいいじゃろう。話がついたら久し振りじゃ、一杯やろう。慶聞坊の奴も呼んでもいいじゃろ。奴もそなたの事を心配しておったからのう」

「はい。しかし、観智坊が蓮崇だという事は他の者には黙っていて下さい」

「分かっておるわ。今後、そなたは表には出んつもりじゃろう」

「はい。裏に徹するつもりです」

 慶覚坊は頷いた。

 二人はさっそく、蓮如のいる御坊に向かった。

 あれ程、会いたかった蓮如だったが、実際、会うとなると、やはり緊張した。

 慶覚坊は観智坊の顔色を窺(ウカガ)うと、ちょっと来てくれと多屋の方に戻った。慶覚坊は庭の方に行くと観智坊を振り返って、「飯道山での修行の成果を見せてくれ」と言った。

 観智坊は頷いた。

「得物(エモノ)は何じゃ」

「棒です」

「成程」

 観智坊は錫杖(シャクジョウ)の代わりに五尺棒を突いていた。兄弟子である太郎を真似たのだった。

 慶覚坊は家の中から薙刀(ナギナタ)を持って来た。しかも、それは真剣だった。

「いくぞ」と慶覚坊は薙刀を構えた。

 観智坊も棒を構えた。

 薙刀を構えた慶覚坊を見て、観智坊は思っていた以上に強いと思った。さすが、あの飯道山で四天王と呼ばれる程の強さだと思った。しかし、反撃はできないにしろ、避ける事はできると思った。太郎のもとで太刀先の見切りは完全に身に付けていた。

 一方、慶覚坊の方は、棒を構えた観智坊を見て、その強さに驚いていた。飯道山で一年間、修行したとは言え、観智坊はすでに四十歳を過ぎ、しかも、武術に関しては、まったくの素人といってもいい程だった。どうせ、大した事はあるまい。ただ、蓮如に会う前に緊張をほぐしてやろうと思い、構えだけを見て、誉めてやろうと思っていた。ところが、観智坊はそんな半端な覚悟ではなかった。たった一年間で、これ程までに強くなるには、並大抵な修行をして来たのではない。死に物狂いの修行を積んだに違いなかった。観智坊は本気だ。絶対に裏の組織を作るだろうと慶覚坊は確信した。

「分かった」と言うと慶覚坊は薙刀を下ろした。

「ありがとうございました」と観智坊は合掌した。

「実際、驚いたわ。蓮崇殿、いや、観智坊殿じゃったな。よくぞ、これ程までに修行を積んだものじゃ。それ程の腕を持っておれば、確かに裏の組織も作れるじゃろう」

 慶覚坊は薙刀をしまうと、改めて、蓮如のもとに向かった。
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