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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
19.観智坊露香1






 場面は変わって、近江の国、甲賀の飯道山。

 百日行を無事に終えた下間蓮崇(シモツマレンソウ)は観智坊露香(カンチボウロコウ)という山伏に生まれ変わって、武術の修行を始めた。観智坊の百日行が終わったのは去年の十二月の十九日だった。観智坊は昔の太郎と同じように吉祥院(キッショウイン)の修徳坊(シュウトクボウ)に入って、一年間の修行を積むように師の風眼坊から命じられた。午前中は作業として弓矢の矢を作り、午後は棒術の稽古だった。

 丁度、その頃、太郎が光一郎を連れて『志能便(シノビ)の術』を教えるために播磨から来ていた。そして、志能便の術の修行者の中には、本願寺の坊主、慶覚坊(キョウガクボウ)の息子、洲崎(スノザキ)十郎左衛門がいた。十郎左衛門は変身した蓮崇から、蓮如(レンニョ)が加賀を去った事や、守護の富樫(トガシ)次郎と本願寺門徒の争いなど、国元の事情を聴き、急いで加賀へと帰って行った。

 その年の棒術の稽古は六日間だけで終わった。二十六日から翌年の正月の十四日までは稽古(ケイコ)も休み、作業も休みだった。新米山伏の観智坊は年末年始の忙しい中、怒鳴られながら山の中を走り回っていた。

 正月の十四日、飯道山に大勢の若者たちが各地から、ぞくぞくと集まって来た。その日は一日中、雪が強く降っていたが、そんな事にはお構いなしに、次から次へと若者たちは期待に胸を膨らませて山に登って来た。その数には観智坊も驚いた。先輩の山伏から話には聞いていたが、まさか、これ程多くの若者が集まって来るとは驚くべき事だった。今年、集まって来たのは六百人を越えていたと言う。山内の宿坊はすべて若者たちで埋まり、山下の宿坊や旅籠屋も若者たちで埋まっていた。

 次の日、若者たちは行場(ギョウバ)を巡り、山内を案内され、後は最後の自由時間だった。観智坊は山から下りられないので実際に見てはいないが、昼間っから遊女屋には若者たちが並んで順番を待っていたと言う。また、この日、若者たちが集まって来る事は有名になっていて、各地から遊女たちが門前町に集まり、不動町の横を流れる小川のほとりに粗末な小屋を掛けて、若者たちを引き入れていたと言う。先輩の山伏たちが言うには、この日、人気の遊女は一日に何十人もの若者をくわえ込むので、しばらくの間は、遊女屋には行かん方がいいと笑っていた。

 いよいよ、次の日から一ケ月の山歩きが始まった。今年も雪が多かった。

 観智坊は若者たちが山歩きをしている間、道場で棒術の基本を習っていた。

 棒術の師範は高林坊だったが、高林坊は毎日、稽古には出られなかった。師範代の西光坊(サイコウボウ)が中心になって教えていた。西光坊は以前、太郎がこの山に来た時、太郎を奥駈道(オクガケミチ)に案内した山伏だった。あの当時、西光坊は棒術師範代でも下の方だったが、今では高林坊の代わりを務める程に出世していた。西光坊の下に東海坊、一泉坊、明遊坊(ミョウユウボウ)の三人の師範代がいた。

 棒術の修行者は一年間の若者たちの他に、各地の山から修行に来ている山伏も多かった。山伏たちはしかるべき先達(センダツ)の紹介があれば、いつでも飯道山に来て修行する事ができたが、最近は修行者の数が多くなっているので、山伏たちもなるべく、正月から修行を始めるようにしていた。今年は棒術の組には十八人の山伏がいた。そして、去年一年間、修行して、さらに、もう一年修行をしようと残っている若者が六人いた。観智坊は彼らと共に棒術の修行に励んだ。

 観智坊が風眼坊の弟子だと知っているのは師範と師範代だけだった。誰もが、四十歳を過ぎている観智坊が、今頃、棒術の修行をするのを不思議がった。観智坊は、その事を聞かれるたびに笑って、若い頃、ろくな事をしなかったので、今になって修行をするのだと言った。師範の高林坊を除き、師範代たちも含め、観智坊は一番の年長だった。知らず知らずのうちに、誰もが観智坊の事を名前では呼ばずに『親爺』と呼ぶようになって行った。

 棒の持ち方すら知らない観智坊だったが、一ケ月のうちで基本はしっかりと身に付けて行った。何も知らなかった事がかえって良かったのかもしれない。自分は年は取っていても、武術に関してはまったくの素人だと年下の者たちから素直に教わっていた。また、人一倍、努力もした。稽古が終わってからも、毎日、その日に習った事を体で覚えようと何回も何回も稽古に励んだ。百日間の山歩きのお陰で足腰は強くなっていたが、腕の力は人と比べると、まったく弱かった。観智坊は毎日、鉄の棒を振り回して上半身も鍛えた。

 一ケ月の山歩きも、ようやく終わった。

 六百人余りもいた若者たちは、ほとんどが山を去って、残ったのは百二十人程だった。その内、棒術組に入って来たのは三十一人だった。新しい若者たちが入って来ると道場も賑やかになって来た。棒術の組には他の武術と違って、初心者の者も結構いた。彼らも剣術や槍術は子供の頃から習っていたが、棒術を習うのは初めてだった。その事を知って、観智坊もいくらか安心した。先輩の山伏たちから、この山に来る若者たちは皆、子供の頃から武術を習っているので、皆、人並み以上の腕を持っている。お前も、奴らが山歩きをしているうちに、基本だけは身に付けないと置いて行かれるぞと威(オド)しを掛けられたのだった。

 観智坊は午前は矢作りの作業に励み、午後は遅くまで棒を振り回していた。この山にいる間は武術の事だけを考え、蓮如や本願寺門徒の事は考えないようにしようと思ってはいたが、夜になって横になると、時折、門徒たちの悲鳴や叫びが観智坊を苦しめていた。

 ようやく雪も溶け、春になり、山々の桜が満開となった。その頃になると、観智坊も新しい生活に慣れ、若い修行者たちにも溶け込んで、何人かの仲間もできていた。山伏では、葛城山(カツラギサン)から来た真照坊(シンショウボウ)、伊吹山から来た自在坊、油日山(アブラヒサン)から来た東陽坊、愛宕山(アタゴサン)から来た流厳坊、多賀神社から来た妙賢坊(ミョウケンボウ)の六人と仲よくなり、若い修行者では、野田七郎、小川弥六郎、大原源八、高野宗太郎、野村太郎三郎、黒田小五郎の六人と仲よくなった。野村太郎三郎は伊賀出身で、他の者は皆、甲賀出身だった。観智坊は彼らから『親爺』と呼ばれて慕われていた。

 自分の兄弟子である太郎坊の事も彼らから、よく聞かされた。太郎坊は『志能便の術』を編み出し、若者たちは皆、その術を身に付けたくて、この山に登って来るのだと言う。この山で一年間、修行して、志能便の術を身に付けると、甲賀では一目置かれる存在となると言う。志能便の術を身に付けたお陰で、六角(ロッカク)氏のもとに仕官した者もいる。また、伝説になっている太郎坊に会う事ができるだけでも凄い事なのだと言った。観智坊は彼らから、太郎坊の伝説を耳にたこができる程、聞かされていた。

 観智坊は一度、太郎坊に会った事があった。師の風眼坊から噂は聞いていたが、実際に目にして、思っていたよりも若い男だった。若いが山伏としての貫禄はあった。かなり、修行を積んでいるという事は分かったが、あの男がこの山で、これ程、人気があり、伝説になっていたとは知らなかった。また、師の風眼坊の事も年配の山伏たちから聞いていた。風眼坊もこの山では伝説となっている有名人だった。師といい、兄弟子といい、凄い人たちだと思った。自分も負けられないとは思うが、二人のように有名になる事などありえなかった。師の風眼坊が自分の事を弟子だと公表しなくて良かったと観智坊は心から思っていた。公表されていたら、これが風眼坊の弟子か、と師や兄弟子まで笑われる事になりかねない。観智坊は二人を笑い者にしないためにも、精一杯、頑張っていた。

 棒術は不思議な武術だった。観智坊はただ、棒なら人を殺さなくても済むと思って、迷わず棒術を選んだが、棒でも簡単に人を殺す事ができる事を知って驚いた。棒術というのは、刀の代わりに棒を持って、ただ、打ったり受けたりするものだろうと簡単に考えていたが、もっと、ずっと奥の深いものだった。棒というものは使い方によっては、刀にもなるし、槍にもなるし、薙刀にもなるという事をまず学んだ。持ち方も色々とあって、構え方、打ち方、突き方、受け方にも色々とあった。基本を身に付けた観智坊が、次に教わったのは敵を突いたり、打ったりする場所、すなわち、急所だった。人間の体には幾つもの急所と呼ばれる場所のある事を観智坊は知った。そこを打ったり、突いたりすれば、人間は簡単に死ぬと言う。観智坊は立木を相手に、敵の急所を狙って打ったり突いたりする事を毎日のように稽古した。

 この山で教えているのは武術だった。自分の身を守るなどという生易しいものではない。敵をいかに確実に素早く殺せるかを訓練しているのだった。稽古中に怪我をする者も多かった。軽い怪我なら山を下りる事はないが、重傷を負ってしまえば、自分の意志に拘わらず、山を下りなくてはならなかった。皆、一ケ月間、歯を食いしばって雪の中を歩き通し、一年間の最後に行なわれる志能便の術を楽しみにしているのに、怪我をして山を下りるのは悔しくて辛い事だった。観智坊は絶対に怪我をして山を下りるわけには行かなかった。もう後がなかった。怪我をして山を下りてしまったら、もう二度と師の前には出られないし、それ以上に、蓮如の前に出られなかった。観智坊は怪我だけはしないように、いつも、心を引き締めて稽古に励んでいた。

 四月の暑い日だった。観智坊は飯道神社の前で以外な人物と出会った。奈良の小野屋の手代(テダイ)、平蔵(ヘイゾウ)だった。平蔵は蓮台寺城(レンダイジジョウ)の戦(イクサ)の時、本願寺のために加賀まで武器を運んでくれた男だった。平蔵には観智坊が蓮崇だとは気づかなかったが、観智坊にはすぐに分かった。観智坊は声を掛けた。平蔵は信じられないという顔をして観智坊を見ていたが、話を聞いて納得した。しかし、蓮崇が飯道山にいたとは夢でも見ているようだと驚いていた。

 平蔵が飯道山に来たのは、やはり、本願寺の事だった。飯道山で作っている矢を、今度、小野屋が取り引きする事になったのだという。今、各地で戦があるため、矢の需要は高かった。しかし、戦が長引いているお陰で供給の方も昔に比べて、かなり多くなり、奈良の興福寺(コウフクジ)と京の延暦寺(エンリャクジ)が座を仕切って、各地で生産されていた。飯道山も延暦寺の座に入って矢の製作と販売をしていたが、飛ぶように売れるという程でもなく、蔵の中には眠っている矢もかなりあった。そこで、小野屋としては刀や槍を飯道山に提供し、代わりに矢を手に入れるという事に決まった。飯道山としても矢を処分して、他の武器を手に入れたかったのだった。小野屋は手に入れた矢を、そっくり加賀に運ぶつもりでいた。飯道山としても矢の使い道までは聞かなかった。飯道山自身が敵味方なく、矢を売っている。商売に政治は抜きというのが建前(タテマエ)だった。

 観智坊は平蔵から加賀の状況を聞いた。越中に追い出された本願寺門徒は、未だに加賀に帰れないでいる。守護の富樫次郎は蓮如がいなくなった事によって、強きになって門徒たちを苦しめている。門徒たちは指導的立場にあった蓮崇と慶覚坊が加賀から消えたため、一つにまとまらず、あちこちで一揆騒ぎは起こるが皆、守護方にやられていると言う。特に北加賀は富樫の言いなりとなってしまい、南加賀では超勝寺(チョウショウジ)の者たちが頑張っているようだが、守護代の山川三河守(ヤマゴウミカワノカミ)に丸め込まれるのも時間の問題だろうとの事だった。観智坊は平蔵から加賀の状況を聞くと、自分が強くなって加賀に戻らなければならない、加賀に帰って裏の組織を作り、門徒たちを一つにまとめなければならない、と改めて決心を固めた。

 観智坊はその日、夜中まで鉄棒を振り続けて、とうとう気絶してしまった。





 五月の中頃、観智坊のような男でも問題を起こした。

 一ケ月の山歩きが終わって三ケ月目、修行者たちも山の生活に慣れて気が緩み、ちょっと山を下りてみようと思う者が毎年、必ず現れた。太郎の時もそうだったが、山を下りる事は大目に見られた。修行が辛くて、夜逃げする者もいたからだった。しかし、山を下りて、また山に戻って来るのは具合が悪かった。戻って来た者は必ず捕まり、何かしらの罰を受けた。その罰に耐えられなくて逃げ出す者もいた。

 今回、観智坊はいつもの仲間、野田、小川、大原、高野、野村、黒田らに山を下りて、ちょっと酒を飲んで来ようと誘われた。観智坊はやめろと止めたが、彼らは聞かなかった。山を下りて行くのを黙って見ていられなかった観智坊は仕方なく彼らと一緒に山を下りた。見つかって、山から追い出されはしないかと冷や冷やしながら観智坊は彼らに従った。山の中を抜けて山を下りた七人は小さな飲屋に入って、酒を一杯だけ飲むと、すぐに山に戻った。彼らも見つかりはしないかと冷や冷やしていたのだった。彼らにとっては、山を抜け出して酒を飲んで来れば、それだけで満足だった。ほんの一時だったので、ばれる事はないだろうと、それぞれ、自分の宿坊(シュクボウ)に帰って休んだ。観智坊のいる修徳坊では、観智坊がいつも遅くまで道場で稽古しているので、少し位、遅くなっても、誰も変だとは思わなかった。観智坊は、ばれなくて良かったと安心して眠りに就いた。

 ところが、次の朝、観智坊を訪ねて師範代の西光坊がやって来た。西光坊は観智坊が山を下りた事を知っていた。

「観智坊殿、まずいですよ」と西光坊は言った。「お山を下りた事が見つかってしまいました」

「えっ?」と観智坊は驚いて、身を硬くした。

「よく、お山を下りて酒を飲んでおったのですか」と西光坊は聞いた。

「いえ‥‥‥初めてです。わしは‥‥‥」

 みんなに誘われて、と言おうとして観智坊は口をつぐんだ。他の者たちも見つかってしまったのだろうか‥‥‥

「観智坊殿が一人で飲屋に入って行く所を見た者がおったのです」と西光坊は言った。

 一人で、と西光坊は言った。観智坊はみんなの最後に付いて飲屋に入った。もしかしたら、他の者は見られなかったのかもしれないと思った。

「どうして、一人でお山を下りたのです」

「それが‥‥‥どうしても酒が飲みたくなって‥‥‥」

「酒ですか‥‥‥酒なら、お山におっても飲む事はできたのに‥‥‥しかし、お山を下りた事がばれてしまったからには、他の修行者たちの手前もあるし‥‥‥」

「お山を下りなくてはならないのですか」と観智坊は心配しながら聞いた。

「いや。お山は下りなくてはいいが、それ相当の罰を受けなければならんのじゃ」

「どんな罰です」

「まだ、決まっていません。しかし、かなり厳しいものとなるでしょう。今後、お山を抜け出す者がおらなくなるように、観智坊殿は見せしめとならなければならないのです」

「見せしめか‥‥‥」

「太郎坊殿を御存じですね」と西光坊は聞いた。

「ええ。わしの兄弟子にあたるお方です」

「その太郎坊殿も一年間の修行中、お山を抜け出しました」

「えっ、太郎坊殿が‥‥‥」

 西光坊は頷いた。「罰として、鐘(カネ)をお山の上に引き上げたんですよ」

「鐘?」

「ええ。鐘撞堂(カネツキドウ)のあの鐘です。あの鐘を里から、見事、引き上げたんですよ。おまけに、雨まで降らせましたよ」

「その話は聞きました。鐘を上げたのは、お山を抜け出した罰としてやったのでしたか」

「そうです。不思議な事に、毎年、必ず、誰かがお山を抜け出します。去年は三人が抜け出しました。罰として、三人は山の東側に深い濠(ホリ)を掘らされました。掘り挙げるのに一ケ月以上も掛かったかのう。その濠は今、みせしめ濠と呼ばれております。そのうち、掘った三人の名前と共に、このお山の伝説の一つになる事でしょう」

「そうですか‥‥‥」

「まあ、午後までには観智坊殿の罰も決まるでしょう。午前中はいつも通り、作業に行き、午後になったら、覚悟を決めて道場に来る事ですね」

「はい。お山を下りなくても済むのでしたら何でもいたします」

「うむ」と頷くと西光坊は帰って行った。

 観智坊の罰は決まった。修行者たちの宿坊に新しく井戸を掘る事だった。前にあった井戸は、飯道山を城塞化するためにあちこちに濠を掘ったので干上がってしまった。修行者たちは毎朝、吉祥院の側にある井戸まで水を汲みに行かなければならなくなった。百人以上もの修行者たちが暮らしている宿坊の側に井戸がないのは不便なので、観智坊に井戸を掘る事を命じたのだった。

 一人で井戸を掘るのは難しい仕事だった。まして、どこでも掘れば、水が出て来るというものでもない。井戸を掘るには専門とする井戸掘り人足が必要だった。彼らは長年の勘によって土地を見て、水の出る所を探り当てる事ができた。飯道山にも井戸掘り人足はいたが、今、六角氏の本拠地、観音寺城に行っていた。戦が長引くに連れて、飯道山は甲賀の国人や郷士らと共に六角氏と手を組んでいた。六角氏が観音寺城を拡張するというので、飯道山からも職人や人足たちが助っ人として出掛けて行った。観智坊に井戸掘りを命じた師範たちも観智坊に井戸が掘れるとは思ってはいない。一ケ月程、修行者たちの見守る中で、穴を掘り続ければ、それで、立派な見せしめとなる。一ケ月間、穴を掘って水が出なくても、それはそれでいいと思っていた。専門家が戻って来たら、改めて、井戸の事を頼むつもりだった。

 観智坊は干上がってしまった井戸を見た後、山内のあちこちに掘った濠を見て歩いた。そして、濠を掘った時に水が滲(ニジ)み出て来なかったかを聞いて回った。観智坊のその行動は、井戸掘りを命じた師範たちにとって予想外な行動だった。師範たちは、観智坊はすぐに穴を掘り始めるだろうと思っていたが、そんな気配はなく、三日の間、観智坊は山内を歩き回って絵図面を書き、掘るべき場所を捜していた。師範たちを初め、修行者たちも皆、興味深そうに観智坊の行動を見守っていた。観智坊のやる事はまるで専門家のようだった。もしかしたら、本当に井戸を掘るかもしれないと期待する者たちも出て来た。

 観智坊は以前、吉崎御坊を作る時、中心になって職人や人足たちの指図をしていた。井戸を掘るのも見ていたし、後に、抜け穴を掘る時、金(カネ)掘りたちが、どうやって深い穴を掘って行くのかも見ていた。実際に井戸を掘った事はなかったが、地面の中にどのように地下水があるのか、およその事は知っていた。

 ここの井戸が涸れたという事は、井戸の下にあった地下水が、どこかに流れ出てしまったに違いないと思った。観智坊は山の中をあちこち歩いて見て、南側の濠が、その原因だった事に気づいた。南側の濠を掘った時、水が滲み出て来て、止める事ができず、今、その濠は池のように水が溜まり、水はさらに溢れて、流れ出していると言う。もう、その地下水は使えない。新しい地下水を見つけなければならなかった。あちこちの濠を調べた結果、涸れた井戸よりも深く掘らなければならないという事は分かったが、どこを掘ったらいいのかは分からなかった。前の井戸の深さはおよそ五丈(約十五メートル)だった。それ以上深く掘らなければならない。しかも、たった一人で‥‥‥

 観智坊と一緒に山を抜け出した六人は申し訳なさそうに、観智坊のする事を見つめていた。観智坊は、みんなの事はばれていないから、絶対に口に出すなと口止めした。そして、自分の分まで棒術の修行に励んでくれと頼んだ。彼らは黙って頷いた。

 前の井戸は食堂(ジキドウ)と米蔵の間にあった。あったと言うよりは、井戸の近くに食堂を建てたと言った方が正しい。百人以上の食事を作る食堂の台所が、一番、井戸を必要としていた。新しく井戸を掘るとすれば、やはり、食堂の側の方がいい。観智坊は食堂の回りを一回りしてみたが、どこを掘ったらいいのか分からなかった。観智坊は本願寺の阿弥陀如来(アミダニョライ)様にすがる事にした。無心になって、ひたすら祈った末、ここだというお告げがあった。

 そこは前の井戸より三間(ケン)程、北の地点だった。食堂からも遠くはない。観智坊は場所を決めると、西光坊に頼んで、地の神を鎮(シズ)め、水が沸き出るように祈祷(キトウ)して貰った。観智坊も西光坊と共に一心に阿弥陀如来様に祈った。

 次の日から観智坊の穴掘りが始まった。一丈程までは順調に進んだが、その後、岩盤に突き当たった。観智坊はまず、掘った穴の回りを板で固定してから岩盤に取り掛かった。岩盤は手ごわかった。一日中、掘り続けても少しも進まなかった。そればかりでなく、生憎と梅雨に入ってしまった。観智坊は穴の上に屋根を掛けてから作業を続けた。屋根を掛けても雨は入って来た。特に、夜の間に雨は穴の中に溜まり、毎朝、雨水の汲み上げから始めなければならなかった。毎日、朝から晩まで泥だらけになって、穴掘りに熱中していた。観智坊は元々、何かを始めると、その事に熱中する性格だった。本願寺の門徒になったのもそうだったし、特に普請(フシン、土木工事)や作事(サクジ、建築工事)は好きだった。観智坊は武術の事も忘れて、穴掘りに熱中した。

 穴を掘り始めて一ケ月が過ぎた。

 二尺程の厚さの岩盤を何とか砕き、深さ三丈(九メートル)程の穴が掘れたが、水は出ては来なかった。師範の高林坊は、ここまで掘れば、もういい、と言ったが、観智坊はやめなかった。今、このままでやめてしまったら、これから先、何もかもが中途半端になってしまうような気がして、どうしてもやめられなかった。棒術の修行はやりたかったが、この仕事を途中でやめるわけには行かなかった。また、穴の中で、たった一人で土と格闘していると、自然が持っている力というものを思い知らされ、これも一つの修行に違いないと思うようになっていた。長雨で地盤が緩み、泥土に埋まった事もあった。太く長い木の根に邪魔された事もあった。穴が深くなるにつれて、雨水を掻い出すのも、掘った土を外に出すのも一苦労し、色々と考えなければならなかった。

 梅雨も終わり、暑い日々が続いた。

 観智坊の穴掘りは続いていた。穴の深さは六丈(約十八メートル)を越えていたが、水の出て来る気配はなかった。観智坊も毎日、休まず働いていたので、疲れがかなり溜まっていた。さすがに、観智坊も弱きになっていた。もしかしたら、いくら掘っても水など出て来ないのではないかと焦りが出ていた。しかし、ここまで掘って、やめるわけにはいかない。水が出て来る事を信じて掘り続けるしかなかった。

 観智坊は知らず知らずの内に念仏を唱えながら掘り続けていた。観智坊は何かに取り憑かれたかのように、宿坊に帰る事もなく、暗くなると穴の側で眠り、夜が明けると穴の中に入って行って掘り続けた。外も暑かったが、穴の中は物凄く暑かった。観智坊と一緒に山を下りた六人が心配して、水を運んでくれたり、飯を運んでくれたりしてくれた。それでも観智坊の体は日増しに衰弱して行き、頬はこけ、目はくぼみ、気力だけで穴を掘っているようだった。観智坊の唱える念仏だけが穴の中から不気味に聞こえ、気味悪がる修行者たちもいた。

 夜が明け、いつものように観智坊は穴の中に入って行った。いつものように念仏を唱えた時、ふと、何かを感じた。阿弥陀如来様がほほ笑んだような気がした。阿弥陀如来様ではなく、それは蓮如だったかも知れなかった。そして、蓮如が言った言葉を観智坊は思い出した。

 願い事をかなえてもらうために念仏を唱えてはいけない。阿弥陀如来様はすでに、みんなの願いをかなえていらっしゃるのだ。その事に気づき、その事に感謝する気持ちになって、念仏を唱えなければいけない‥‥‥

 観智坊はその事に気づいた。観智坊は感謝の気持ちを込めて念仏を唱えた。そして、穴を掘った。水が滲み出て来た。水はじわじわと広がって行き、観智坊の足を濡らした。

 観智坊は水を見つめながら、本当に阿弥陀如来様に感謝して念仏を唱えた。そして、大声で、「やった!」と叫んだ。

 観智坊の掘った穴から水が出て来た日は六月の二十八日だった。観智坊が井戸掘りを命じられてから四十五日目の事だった。その日、二十八日は親鸞忌(シンランキ)だった。毎月、本願寺では報恩講(ホウオンコウ)の行なわれる日だった。観智坊は改めて、自分が本願寺の門徒である事を感じ、親鸞聖人、蓮如上人、阿弥陀如来様に感謝した。

 観智坊の掘った井戸は、修行者たちから『念仏の井戸』と呼ばれるようになり、その井戸から水を汲む者は、誰に言われたわけでもないのに、念仏を唱えてから水を汲むようになって行った。





 井戸を掘り遂げた観智坊は、再び、棒術の道場に戻った。

 一月半振りに握った棒だったが、不思議と体の一部のように感じられた。毎日、鋤(スキ)や鍬(クワ)を持って力仕事をしていたため、知らず知らずのうちに腕の力が付き、棒を構えていても、棒を持っているという意識はなく、本当に体の一部のようだった。一月半も休んでいたとは思えない程、棒が自由自在に使えるようになっていた。

 観智坊は七月の半ば、初級から中級に進んだ。

 観智坊と共に山を下りた野田、小川、大原、高野、野村、黒田の六人も皆、腕を上げていた。彼らは観智坊に言われたように、観智坊の分まで修行を積んでいた。彼らにとって、自分たちの身代わりとなって、朝から晩まで、泥だらけになって井戸を掘っている観智坊を見るのは辛かった。観智坊がどこか遠くの所で井戸を掘っていれば、彼らだって別に気にはしなかっただろうが、観智坊は彼らが暮らしている宿坊の敷地内で井戸を掘っていた。見たくなくても、毎日、見ないわけには行かなかった。彼らは死に物狂いで穴を掘っている観智坊を見るたびに、観智坊の分まで修行に励まなければ観智坊に申し訳ないと思った。彼らは真剣に修行をするようになり、どんどんと腕を上げて行った。彼ら六人も観智坊と一緒に皆、初級から中級に進んだ。

 井戸を掘った後、観智坊の人気は上がって行った。棒術組の修行者たちからだけでなく、他の組の修行者たちからも『親爺』と呼ばれるようになり、何かと相談を受けたり、頼りにされるようになって行った。そんな中、棒術組にいる神保(ジンボ)新助、中山次郎五郎の二人は、なぜか、観智坊たち反抗的だった。観智坊は二人から何を言われても別に気にもしなかったが、彼の回りにいる六人は、その二人とよく言い争いをしていた。争いの原因となるのは、いつも観智坊の事だった。観智坊の事を老いぼれと言い、どうせ、この山にいるのも、何か悪い事をして隠れているに違いないと言ったり、観智坊が掘った井戸の事も、あんなの誰でも掘れる。老いぼれだから一月半も掛かったが、俺たちが掘れば一月で掘れると言っていた。観智坊は六人に対して、相手にするなと常に言っていたが争いは止まらなかった。修行者の中でも二人の棒術の腕がかなり上なので、腕に溺れて、言いたい放題の事を言っても、誰も敵対しなかった。二人は、さらに天狗になって行った。

 観智坊の回りにいる六人は、神保と中山の二人を、この山にいるうちに何としてでも倒したいと観智坊と一緒に、毎日、夜遅くまで修行に励んだ。

 八月の末、とうとう、六人の中の大原と神保が決闘をしてしまった。大原はいつものように、夕飯を済ました後、観智坊と一緒に稽古をしようと思って道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。その時、たまたま通り掛かった神保が一人で道場にいる大原に声を掛けた。

「お前らが、いくら、稽古を積んでも無駄だ。無駄な事はやめて、さっさと糞(クソ)でもして寝ろ」

「何だと!」と大原は棒を構えた。

「ほう、面白い。俺とやる気か」

「お前のその鼻をへし折ってやる」

 大原も毎日、遅くまで稽古に励んでいたので、幾分、自信を持っていた。もしかしたら、勝てるかもしれない。奴に勝てば修行者の中では一番の腕になる。よし、やってやろうと燃えていた。

「ふん。怪我をするぞ」と神保は鼻で笑った。

「その言葉、そっくり、お前に返してやる」

 神保は道場の隅に建つ小屋の中から棒を持って出て来ると、ニヤニヤしながら大原の方を見て、「よし、いつでも掛かって来い。鍛えてやる」と言って棒を構えた。

「よし」と大原もと言うと棒を構えた。

 神保は大原の構えを見ながら、思っていたよりできるなと思った。簡単にあしらってやるつもりだったが、気を緩めると、こっちがやられるかもしれなかった。神保は構え直して、本気を出してやろうと決めた。

 大原の方は初めから本気だった。神保の構えを見て、もしかしたら勝てるかもしれないと思っていた。

 二人が棒を構えて睨み合っている時、観智坊が道場に来た。観智坊は、「やめろ!」と怒鳴った。

 観智坊の声が合図だったかのように、二人はお互いに近づいて行き、棒を振り上げた。

 一打目はお互いに避けた。

 観智坊は二人の間に割って入ろうとした。しかし、遅かった。大原の二打目をぎりぎりの所で、はずした神保は大原の右腕をしたたかに打った。

 観智坊が二人を分けた時、大原の顔は苦痛に歪み、彼の右腕は力なくぶら下がっていた。

 小川と高野が道場に入って来た。異様な雰囲気に気づくと、二人は大原の側に駈け寄って来た。二人は大原の右腕を見ると、かっとなって神保を睨み、神保に飛び掛かろうとした。観智坊は二人を止め、大原を不動院に連れて行かせた。不動院には修行者たちの怪我の治療を専門にしている医者がいた。

 二人が大原を不動院に連れて行くと、観智坊は神保に近づいた。

 神保は棒を持ったまま、うなだれていた。

「今日の所は帰った方がいい」と観智坊は言った。

「‥‥‥仕方なかったんです」と神保は言った。

「騒ぎが大きくならないうちに、今日の所は帰った方がいい」

「はい‥‥‥」

 神保は棒を観智坊に渡すと宿坊の方に帰って行った。

 やがて、黒田と野田と野村がやって来た。観智坊は大原と神保の事を三人に話し、この事はしばらく黙っているように頼んだ。三人は怒りに顔を震わせ、絶対に許せないと喚(ワメ)いたが、観智坊は何とかして三人をなだめた。三人は納得して不動院に向かった。

 大原の腕の怪我は重傷だった。骨が砕けていた。うまく行けば骨がつながり、元に戻る事も考えられるが、このまま使えなくなる事も考えられた。もし、元に戻るとしても、一月の間は右腕を使う事はできないだろう。大原としては絶対に山を下りたくはなかったが、山を下りるように命じられた。怪我をしてから三日後、大原は仲間に見送られながら山を下りて行った。

 あの事件が起きてから、大原の仲間だった五人は、絶対に大原の仇を打ってやると、神保を倒そうと稽古を積んでいた。一方、神保の方はあの時以来、人が変わったかのように、おとなしくなっていた。いつも一緒にいた中山とも離れ、独りで孤立していた。

 九月十四日から始まる祭りの準備で忙しい頃だった。観智坊は寿命院(ジュミョウイン)の前の石段に一人で腰掛けている神保の姿を目にした。何か思い詰めているようなので観智坊は側に行って声を掛けた。

 神保は顔を上げたが何も言わなかった。

「どうしたんじゃ」と観智坊は言って隣に腰を下ろした。

 しばらく黙っていたが、神保はボソボソと話し始めた。

「俺、お山を下りようと思っています。このまま、お山にいても稽古に身が入りません」

「まだ、あの時の事を気にしておるのか」と観智坊は聞いた。

 神保は頷いた。「奴は俺の事を恨んでおるでしょう。でも、あの時、ああするしかなかったのです。俺は奴があれ程までに腕を上げていたとは知らなかった。簡単にあしらってやるつもりだったが、そんな余裕はなかった。真剣にやらなければ、俺の方がやられると思った‥‥‥俺は奴の打って来る棒を必死で避けて反撃した。手加減をする余裕なんて、まったく、なかったんだ‥‥‥結果はああなってしまった。しかし、それはほんの一瞬の差だった。もしかしたら、俺の方がああなってしまったかもしれなかった‥‥‥」

「そうじゃったのか‥‥‥みんなはお前がわざとやったに違いないと思っておるぞ」

「分かっております‥‥‥みんながどう思おうと構わない。ただ、大原の奴だけには本当の所を伝えたいんだ」

「そうか‥‥‥それで山を下りるのか‥‥‥しかし、山を下りたら、もう二度と戻っては来れなくなるぞ」

「分かっております。しかし、今のまま、ここにいても、大原の事が気になって修行にならない」

「そうか‥‥‥」

「修行なら、やる気になれば、どこにいてもできます。しかし、今、大原と会っておかないと、一生、後悔するような気がするのです」

「そうじゃな‥‥‥自分の気持ちはごまかせんからのう。自分でそう決めたのなら、やるべきじゃ」

 神保は観智坊を見つめながら頷いた。「観智坊殿、今まで、すみませんでした。俺も本当は観智坊殿たちと一緒にわいわいやりたかった。しかし、俺にはできなかった。つまらない意地を張っていたのです‥‥‥すみませんでした」

「そんな事は別にいいんじゃ」と観智坊は笑った。

 神保も笑った。神保の笑顔を見たのは初めてだと観智坊は思った。

 神保は観智坊の事を親爺と呼んで、山を下りて行った。

 その後、神保と大原の間で何があったのか分からないが、飯道山の祭りの最後の日、神保と大原は揃って山に登って来た。神保は人が変わったかのように陽気だった。大原の怪我も順調に回復に向かっているとの事だった。二人は修行者たちの宿坊に挨拶に来た。二人があまりにも仲がいい事に、皆、びっくりしていた。神保が急に山からいなくなったので、逃げて行ったに違いないと思っていた五人も、二人の様子に驚き、訳を聞くと、皆、神保の事を許して、以前のわだかまりはすっかりと消えた。

 その後、神保と大原の二人は、里にて一緒に棒術の修行に励み、時折、山に顔を見せに来ていた。
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