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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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18.陰の二十一人衆






 ここで、しはらく、場面を播磨に移して、時をさかのぼると、雪に覆われた大河内城下の山の中で、ひそかに陰(カゲ)の術の修行が行なわれていた。

 早雲と小太郎夫婦を正月に迎えた太郎は、二月になると、楓との約束を守って、楓と助六の二人に陰の術を教えていた。太郎は他所(ヨソ)の女(きさ)に子供を作った罰として、二人に陰の術を教えなければならなかった。

 太郎は城下の西のはずれの夢庵の屋敷を建てる予定地にて、二人に陰の術を教えた。稽古の時間は昼過ぎの一時(イットキ、二時間)だけだったが、二人は熱心で、太郎が帰った後も、毎日、日暮れまで稽古に励んでいた。二人共、子供の頃から武術を習っていて、特に、助六は踊りを得意としているので、身が軽く、覚えは早かった。手裏剣術も教えたが、石つぶてを得意とする楓はすぐに身に付けてしまった。楓も助六もお互いに負けるものかと稽古に励むので、二人は見る見る上達して行った。

 稽古を始めた頃、太郎は、どうせ、女なんかに陰の術なんて無理だろうと思っていたが、考えを改めなくてはならなかった。女の方が小柄で身が軽いので、かえって、向いているかもしれないとも思うようになっていった。二人は白づくめの装束(ショウゾク)を着て、雪山の中で稽古に励んでいた。

 楓と助六は、太郎が一ケ月間教えようとしていた事を半月で身に付けてしまったので、残りの半月で実地訓練を行なった。まず、月影楼(ツキカゲロウ)を稽古場にして、太郎に見つからないように、太郎が隠したある物を捜させた。太郎に見つかったら、また、外に出てやり直すというようにして稽古させた。初めの頃はお互いに対抗意識を燃やして、別々に行動していたが、どうしても太郎に見つかってしまうので、やがて、二人は手を組んで行動を共にするようになった。捜す物は大きな物からだんだんと小さくして行き、最後には、ただの紙切れを捜させた。二人はあらゆる手段を使って太郎を翻弄(ホンロウ)して、ついには、その紙切れも見つけ出した。その頃になると、二人の腕はかなり高度になっていた。もし、誰かが知らずに月影楼に入って来たとしても、月影楼の中にいる三人の存在に気づく事はないと言えた。月影楼での実地訓練は十日間で終わった。

 最後の五日間は、太郎と一緒に城下のあらゆる所に忍び込んだ。評定所(ヒョウジョウショ)、重臣たちの屋敷、商人たちの屋敷、町人たちの長屋、旅籠屋、遊女屋などに忍び込み、住んでいる者たちの人数を数えさせ、屋敷の間取り図を書かせた。

 最後の仕上げとして、太郎の弟子、風間光一郎、宮田八郎、山崎五郎の三人のうちの誰でもいいから、姿を見られずに、首に墨で線を書いて来いと命じた。二人は力を合わせて、光一郎と八郎の二人の首に見事、線を書いて来た。

 一ケ月の稽古の後、太郎は月影楼の三階に楓と助六を呼んで、ねぎらいのため、ささやかな宴を開いた。

「二人共、御苦労だった。事故も起こらずに無事に終わった。二人共、思っていたより、よく陰の術を身に付けてくれた。はっきり言って以外だった」と太郎は二人に言った。

「以外?」と楓は笑いながら太郎を睨んだ。

「ああ」と太郎は頷いた。「初め、女なんかに陰の術を教えてもしょうがないと思っていた。仕方なく、教えていたんだが教えているうちに、陰の術に男も女もないという事に気づいた」

「そうよ。女だって立派にできるのよ」と助六が胸をたたいた。

「うむ。その事が分かっただけでも、今回、二人に教えてよかったと思っている。しかし、今回、二人に教えたのは陰の術の基本だ。これで、すっかり陰の術を身に付けたと思ってはいかん」

 楓が太郎を見ながら笑っていた。

「どうした」と太郎は聞いた。

「だって、あなた、しゃべり方まで、すっかり、師範みたいなんだもの」

「そうか‥‥‥」と太郎は二人の顔を見ながら照れた。

「あたし、今まで、あなたが若い人たちに剣術や陰の術を教えている所を見た事なかったから、やっぱり、師範なんだなって改めて感じてたのよ」

「そうね。あたしも何だか怖かったわ」と助六も言った。「陰の術を教えている時の太郎様、何だか、別人のような気がしてたわ」

「そうかな、気がつかなかったけど‥‥‥」

「でも、教え方はうまいんじゃない」と助六は楓に言った。

「そうね。うまいわ」

「そうか、ありがとう。ところで、さっきの続きだけど、二人に教えたのは基本だという事は覚えておいてくれ。陰の術はまだまだ奥が深い。後は、それぞれが工夫をして、自分だけの陰の術を作ってくれ」

「自分だけの陰の術を?」と楓が聞いた。

「そう、自分だけの陰の術だ。人それぞれ得意とするものがあるだろう。それを伸ばして行くんだよ。陰の術を使う時は命懸けだからな。中途半端な術では、身を滅ぼす事に成りかねない。だから、自分の一番得意とするものは絶対に失敗しないようにしなければならないんだよ」

「あたしたちが習ったのは基本だったの」と楓が言った。

「後、どんな事があるの」と助六が聞いた。

「まだ、色々ある。今回やらなかったが、基本の基本もあるんだ」

「基本の基本?」

「山歩きだよ。飯道山でも修行者に一番始めにやらせるのが一ケ月の山歩きだろ。あれが基本の基本なんだ。体を作る事も勿論だが、陰の術で一番重要な事は、つかんだ情報を一刻も早く知らせる事だ。危険を冒して、せっかくつかんでも、知らせるのが遅れたら、まったく価値がなくなってしまうんだよ。そこで、最短距離を素早く走って伝えなければならない。それには山の中の裏道を通らなければならない」

「山の中の裏道?」と楓が不思議そうに聞いた。

「うん。山の中には普通の者には見えないが、様々な道があるんだ。それを知らなくてはならない」

「へえ、そんな道があるんだ‥‥‥」

「あたし、聞いた事はあるわ」と助六が言った。

「それが、基本の基本だ。それに、夜道を歩くというのも基本の基本かな」

「夜道?」

「そう、真っ暗な月も出ていない夜道でも歩けるようにするんだ。これは真っ暗闇の中で修行を積むしかないな。修行すれば不思議に真っ暗闇でも歩けるようになる」

「あなた、そんな事できるの」と楓が不思議そうに聞いた。

「ああ、智羅天(チラテン)の岩屋で修行させられたんだ」

「あの智羅天様に?」

「そう。さすがに俺も智羅天殿のように、暗闇の中で彫り物をする事はできないが、歩く事はできるようになった」

「へえ、凄いのね‥‥‥後はどんな事があるの」と助六が聞いた。

「後は、地形の見方、敵の城の立つ地形を見るんだ。そして、濠(ホリ)の深さや幅を計ったり、櫓(ヤグラ)の高さを計ったり、敵の軍勢の数を数えたり、薬の使い方を覚えるのも陰の術に入るな」

「薬も?」

「そうさ。薬にも色々ある。病や傷を直すだけが薬じゃない。毒薬もあるんだよ。敵を毒殺するだけじゃなく、自分が毒殺されないためにも、それらの事は知っていなければならないんだ」

「ふーん。恐ろしいのね」

「それから、天候を知る事、人相を知る事も陰の術に入る。人の心を読む事ができれば、それも陰の術に入るだろう」

「あなた、人の心も読めるの」

「いや、俺にはまだ、できん。しかし、相手の立場とか、回りの状況とかが分かれば、相手の気持ちを察する事はできるだろう」

「うん、そうね」

「陰の術というのは、今まで話したような危険な事ばかりが陰の術じゃないっていう事も覚えていてほしい。たとえば、松恵尼様のやり方も陰の術だ。松恵尼様は商人として各地に店を持っている。この城下にも置塩の城下にもある。彼らは特に危険な事はしない。商人として何年もその地に住む事によって、その地に根を張って信用を得る。信用を得れば、自然と情報は集まって来る。その情報を松恵尼様のもとに運ぶ。これも立派な陰の術なんだよ」

「成程ね」と楓と助六は顔を見合わせて頷き合った。

「それで、これから、その陰の術をどう使うつもりなんだ」と太郎は二人に聞いた。

「今すぐっていうのは無理よ」と楓は言った。「あたしの場合は百合がまだ二つだし、助六さんの場合は今の所、金勝座(コンゼザ)から抜けられないし、後、二、三年したら、松恵尼様のように何かを始めようと思っているの」

「松恵尼様のように尼さんになるのか」

「それもいいかもね」と楓は笑った。「尼さんなら、あちこちに潜入できるし」

「商人もいいんじゃない」と助六が言った。

「しかし、女の商人が遠くまで商(アキナ)いに行くというのは、あまり聞かんぞ」

「そうか‥‥‥」と助六は首を傾げた。

「尼さんとか、巫女(ミコ)とか、後は芸人だろうな」

「孤児院も始めたいわね」と楓は言った。

「始めるのはいいが、また忙しくなるぞ」

「忙しいのは慣れてるわよ、ね」と楓は助六に言った。

「そうね。何もしないではいられないものね」

「陰の術を実行に移すのは、まだ、先の事として、あたし、また、娘さんたちに薙刀(ナギナタ)を教えたいんだけど駄目かしら」

「侍女たちだけじゃなく、城下の娘たちに教えるのか」

「ええ」

「お前が薙刀を教えるとなると、大勢の娘が集まって来るぞ」

「そうかしら」

「そうさ。お前はこの城下の殿様の奥方なんだぞ。その奥方が自ら薙刀を教えるとなると、城下中の娘が集まって来るだろう」

「あたしもそう思うわ」と助六も言う。

「お前、一人じゃ、とても無理だ。侍女たちをもっと鍛えて、侍女たちが人に教えられる位の腕になってからの方がいいと思うがな」

「そうか‥‥‥そうよね。そんなに集まって来たんじゃ、とても、教えられないわね」

「ただ、お前の考えはいいと思う。城下の娘たちが皆、薙刀を身に付ければ、何かが起こった時、混乱状態に陥る事もなくなるだろう。それに、中には素質のある娘もいるに違いないからな」

「そうね。素質ある娘を集めて、女ばかりの騎馬隊も作らなくっちゃ」

「おいおい。そんなものまで作られたんじゃ。危なくって見てられないぞ」

「大丈夫よ」と楓が言うと、

「任せなさい」と助六が言った。

 その日から五日後、金勝座は京に向かって旅立って行った。新しい人材集めと、京の状況を調べるためだった。金勝座が旅立って行った頃より、近江甲賀の飯道山から若い者たちが、二、三人づつまとまって大河内城下にやって来た。十八人全員が揃ったのは三月の半ばだった。

 彼らは皆、飯道山にて一年間、修行した者ばかりで、勿論、太郎から陰の術を習っていた。そして、皆、次男や三男たちで、甲賀にいても部屋住みの者たちばかりだった。彼らは新しい生き方、新しい土地を手にする事を夢見て、他国へとやって来たのだった。太郎は彼らを直属の馬廻(ウママワリ)衆として抱えた。戦の時は太郎の回りに仕える事となるが、戦のない時は太郎のために必要な情報を集めるのが役目だった。彼ら十八人に光一郎、八郎、五郎の三人を加えて、太郎は『陰(カゲ)の二十一人衆』と名付けた。二十一人を三人づつ七組に分けて、太郎はそれぞれ好きな場所に行かせた。そして、つかんだ情報によっては地位も俸給も上がるというので、皆、張り切って出掛けて行った。だだし、十日間に一回は三人の内の一人が、手に入れた情報を太郎に知らせるのが条件だった。

 どこにでも好きな所に行ってもいいと言ったので、光一郎、八郎、五郎の三人も大喜びだった。ここに来てからというもの、三人は毎日、作業や武術師範の仕事に追われて、ほとんど、ここから出た事がなかった。五郎は家庭を持ったため、それ程でもないが、光一郎と八郎の二人は、そろそろ旅に出たいと思っていたところだった。

 光一郎は三雲源次郎、藤林平五郎の二人を連れて、紀伊の国、熊野に向かった。三雲源次郎は太郎と同期であった源太の弟であり五期生、藤林平五郎は太郎が岩尾山で修行していた時、一緒だった十兵衛の従弟(イトコ)で去年の修行者だった。

 光一郎は二人を引き連れて、三年振りの帰郷だった。熊野の山の中には母親がたった一人で残っていた。近所には祖父と祖母が叔父の家族と共に暮らしていたが、母親は淋しい思いで暮らしているに違いなかった。父親である風眼坊は若い女を作ってしまった。光一郎はお雪の身の上を知っていた。お雪本人から、その話を聞いて、光一郎は父親に何も言えなかった。何も言えなかったが、母親の事を思うと父親の事を許す事はできなかった。光一郎は母親を大河内城下に呼ぼうと思っていた。

 八郎は芥川小三郎、上田彦三郎を連れて、伊勢の国、多気(タゲ)に向かった。芥川小三郎は太郎と同期の左京亮(サキョウノスケ)の従弟で五期生、上田彦三郎は去年の修行者だった。八郎は立派な武士になった晴姿を早く、両親や兄、そして、町道場の川島先生たちに見せたいと張り切って出掛けて行った。

 五郎は杉谷新五郎、黒川助三郎を連れて、河内の国、赤坂村に向かった。杉谷新五郎は太郎が初めて『陰の術』を教えた与藤次(ヨトウジ)の弟、黒川助三郎は去年の修行者だった。五郎は二人を連れて故郷に向かった。五郎の両親はもういない。嫁に行った妹がいるだけだったが、妹が嫁に行ったのは郷士の三男だった。もし、部屋住みのまま辛い思いをしていたら、大河内城下に連れて来ようと思っていた。それぞれ、皆、久し振りの帰郷だった。勿論、ただの帰郷ではない。それぞれ、各地の状況を太郎に知らせなければならなかった。

 その他、太郎と同期だった服部藤十郎の弟、孫十郎が、岩根与五郎、新庄七郎を連れて、但馬の国(兵庫県北部)に向かい、池田庄次郎が、望月弥次郎と長野太郎三郎を連れて、美作(ミマサカ)の国(岡山県北東部)に向かい、多岐勘九郎が、和田新吾と高山源三郎を連れて、備前(ビゼン)の国(岡山県南東部)に向かい、松尾藤六郎が、山中新十郎と伴与七郎を連れて、丹波の国(京都府中部、兵庫県中東部)に向かった。望月弥次郎は太郎と同期の三郎の従弟だった。

 今回、師匠の太郎を頼って播磨に来た者たちは皆、若く、十九歳から二十一歳までの者たちだった。太郎の三人の弟子たちと一緒に修行した四期生が二人、五期生が六人、去年の修行者が十人だった。各自、山伏や商人に扮して極秘で貴重な情報を手に入れようと、張り切って旅立って行った。





 銀山の開発も、今年から本格的に始まっていた。去年は試行錯誤(シコウサクゴ)しながら開発を進め、段取りも、ようやく軌道に乗って来た。去年一年で生産した銀は二十三貫(カン)にも達していた。銭にしたら三千貫文(モン)近くにものぼる額だった。三千貫文と言えば、太郎がお屋形、赤松政則からいただいた所領と同じ額となる。政則にしても、一年目にして、それ程の銀が取れるとは思っていなかったとみえて驚き、そして、喜んでくれた。今年の予定は三十貫だった。

 太郎は雪が溶けるとすぐに播磨側の猪篠(イザキ)村の奥の方に新しい作業場を建設した。鬼山(キノヤマ)村からその作業場まで約一里半の距離だった。鬼山村では銀鉱を細かく砕き、勘三郎らによって銀を多く含む砂にするまでの作業をやり、その砂は猪篠村の作業場に運ばれて、左京大夫(サキョウダユウ)ら鬼山一族の者たちによって銀に製錬された。

 作業場を猪篠村に作った事によって鬼山一族の者たちは皆、かつての鬼山村から猪篠村に移る事となった。鬼山村は銀山目付の相川勘三郎が中心になって職人や人足たちを取り仕切っていた。生野銀山の存在を隠すため、以前よりも警戒は厳重になり、鬼山村は高い塀で囲まれ、職人や人足たちの出入りは厳しく取り締まられた。早い話が、この作業場に入った者は二度と外には出られないという事となった。

 去年、人足たちは大河内城下の河原者の頭、権左衛門によって集められたが、今年からは、町奉行の鬼山(キノヤマ)銀太から悪事をして捕えられた罪人や浮浪者たちが送られて来た。去年来た人足を含め、彼らは死ぬまで、ここで働くというわけだった。勿論、彼らは日当を貰う事はできた。しかし、その日当は賭場(トバ)、あるいは遊女屋で使い果すという仕組みだった。以前、鬼山一族の者が住んでいた小屋には十数人の遊女が入っていた。彼女らには言ってはいないが、勿論、彼女らも死ぬまで、ここから出られなかった。脱走を試みた者は皆、殺された。太郎はそんな非情な事には絶対、反対だったが、お屋形、政則の命なので従うより他なかった。

 人足たちを見張る役目として『見廻組』が新たに設けられ、その『見廻組』を見張る者として、置塩(オキシオ)のお屋形様から直接命じられた者が派遣されて来ていた。

 見廻組は鬼山村だけでなく猪篠村の作業場にもいた。猪篠村の人足たちを見張るためだった。猪篠村の人足は鬼山村に比べてずっと少なかったが、ここの人足たちもここから出る事はできなかった。鬼山村から銀の砂を猪篠村まで運ぶ人足たちは鬼山村に住み、毎日、同じ道を行き来していた。猪篠村から大河内城下に銀を運ぶのは、銀山奉行、鬼山小五郎の配下の者たちの武士に率いられた大河内城下の人足だったが、彼らは荷物の中身が銀だとは知らない。炭だと思って運んでいた。

 鬼山一族の者たちは作業場から出る事はできた。しかし、いつも見張られていた。太郎はそんな事をしたくはなかったが、これも仕方なかった。太郎の命によって鬼山一族の者たちは皆、見張られていた。また、見張られているのは鬼山一族だけでなく、太郎も含め、太郎の家臣すべてが、お屋形様の命によって上原性祐(ショウユウ)、喜多野性守(ショウシュ)の放った間者(カンジャ)に見張られていた。性祐も性守も好きで、そんな事をやっているのではない事を太郎は知っている。銀山開発という赤松家にとって極秘事項を担当しているのだから、その位の事は仕方ないと思っていた。

 お屋形の政則は四月になると軍勢を引き連れて、美作及び備前へと出陣して行った。戦の前の評定の席には太郎も呼ばれたが、戦には行かなかった。今年一杯は銀山開発に専念して事業を軌道に乗せてくれとの事だった。銀山の事を知らない重臣たちは、太郎が特別扱いされていると陰口をたたく者もいたが、太郎は堂々としていた。戦に出て活躍する自信はあった。戦はすぐには終わらないだろう。来年、再来年には活躍の場が与えられるに違いない。焦る必要はないと自分に言い聞かせていた。

 太郎は度々、銀山の作業場に足を運んで、人足たちの苦情を聞き、一生、ここから出る事のできない彼らのために、できるだけの事をしてやろうと努力していた。賭場を作り、遊女を入れ、小間物を売る店も作り、酒を飲ます店も作った。太郎は彼らのために、それらの施設を作ったが、結局、彼らの稼いだ銭を絞り取る結果となってしまった。

 八月にお屋形、政則は凱旋して来た。ようやく、以前のごとく、播磨、美作、備前の三国をまとめたらしかった。太郎はお屋形様を迎えるために置塩城下に行った。城下は祭りのように賑やかだった。太郎はお屋形様の供として、毎日のように重臣たちの屋敷で催される宴に参加した。

 太郎も大河内城主となってから、武術だけでなく、連歌や茶の湯、流行り歌や舞、尺八や鼓(ツヅミ)などの芸能の修行も怠りなく励んでいた。連歌や茶の湯の専門家である夢庵が去ってしまった事は残念だったが、置塩城下には夢庵程ではないにしろ、連歌や茶の湯に詳しい者たちは多かった。太郎は彼らを客として大河内に迎えて習っていた。流行り歌、舞、尺八、鼓は金勝座の者たちに習った。特に尺八は太郎も熱中して、金勝座に入った鬼山小次郎より基本から習っていた。ただ、連歌は難しかった。難しい式目(シキモク、規則)があり、古典の和歌を知らなくてはどうにもならなかった。『古今集(コキンシュウ)』『新古今集』などを読んで、歌を覚えようとはしていたが、前の人の詠んだ歌に、うまくつなげる事はなかなかできなかった。甲賀に行った時、夢庵から指導を受け、連歌の指導書などを貰って来ては修行を積んではいても、まだ、赤松家の武将たちの催す連歌会に参加できる程の腕にはなっていなかった。

 重臣たちの宴に出席すると必ず、太郎は酒肴(シュコウ、座興)を所望(ショモウ)された。重臣たちの中には、太郎が突然、お屋形様の義兄として現れた事に快く思っていない者もいて、太郎に恥をかかせてやろうとたくらむ者もいた。太郎もその事を承知していたから、芸能の修行も真剣にしていたのだった。西播磨の守護代、宇野越前守の屋敷の宴の席にて、太郎は天狗の舞を披露した。太郎の前の者が素晴らしい舞を披露したので、次の太郎にも舞を所望して来た。太郎は迷わず、天狗の舞を舞った。天狗の面は付けなかったが、太郎は見事な舞を披露した。見ている者たちは、その素早い動きに、まさしく天狗を見ていた。そして、舞いながら高く跳びはねるのに、着地する時、床がまったく音のしない事に驚いた。その天狗の舞の噂はすぐに広まって、太郎はお屋形様の供をして、重臣の屋敷に行く度に披露しなければならなかった。

 その頃、大河内城下もほぼ完成し、太郎は五ケ所浦にいる家族を呼んだ。旅の手配はすべて、小野屋の松恵尼(ショウケイニ)がしてくれた。祖父、白峰(ハクホウ)と祖母、母親と末弟の兵庫助の四人が長い旅をして来てくれた。四人は松恵尼の配下の者たちに守られ、伊勢神宮から北畠(キタバタケ)氏の本拠地、多気(タゲ)の都、そして、吉野を通って、南都、奈良に入った。奈良から西に堺に向かった方が近かったが、みんなが、どうしても太郎が剣術の修行をした飯道山を一目見たいというので、奈良から甲賀に向かった。飯道山では松恵尼に迎えられ、三日間、のんびりと過ごした。松恵尼も急遽、一緒に行く事になり、一行は琵琶湖を見て、京都に入り、伏見から船にて淀川を下り、堺にて大型の船に乗り換えて、播磨の国、飾磨津(シカマツ)に向かった。飾磨津からは陸路、置塩城下に向かった。太郎は松恵尼から連絡を受けて、置塩城下で待っていた。太郎は家族を新しい北の城下に建てたばかりの屋敷に案内した。

 祖父の白峰は昔、愛洲の殿様の供をして、多気の都や奈良、京都などに行った事もあったが、祖母、母親、弟は伊勢神宮より遠くに出た事がなかった。祖母も母親もこんな遠くまで旅ができるなんて夢みたいだと喜んでいた。祖母はもう六十三歳で、こんな年になって、こんな遠くの国に来られるなんて、いい冥土(メイド)への土産(ミヤゲ)ができたと、涙ぐみながら太郎にお礼を言った。

 次の日、大河内城下に入った一行は、城下の中央にある立派な屋敷に案内され、これが太郎の屋敷だとは信じられないと、キョトンとして眺めていた。特に左奥に見える三重の塔には驚いていた。愛洲の殿様の屋敷よりも広くて立派だと白峰は夢を見ているような気持ちだった。自分の孫がこんなにも偉くなったのか、と知らず知らずのうちに涙が滲み出て来た。子供の頃から、きっと、度偉い事をやりそうだと期待していたが、こんな屋敷に住む殿様になるとは本当に信じられない事だった。

 広い屋敷の中を太郎に案内されるままに奥の方へと行き、そして、楓と百太郎(モモタロウ)、百合の姿を目にすると母親は立ち尽くしてしまった。楓が五ケ所浦にいたのは一年足らずだったが、母親は楓の事を気に入っていた。旅に出る前から、楓と、まだ見ぬ孫に会いたかった母親だったが、お姫様の様な綺麗な着物を纏(マト)った楓を見て、どうしたらいいのか戸惑ってしまった。母親だけでなく、祖母も祖父も同じ気持ちだった。楓が赤松のお屋形様の姉上だったという事を急に思い出し、どう接していいのか分からなかったのだった。

 立ち尽くしている母親のもとに百太郎が近づいて行って、「おばあさま」と言うと、ようやく緊張も溶け、松恵尼に促(ウナガ)されるまま、皆、部屋の中に入った。

 挨拶を済ませ、話をしていくうちに母親も祖母も祖父も安心していった。楓は五ケ所にいた頃と少しも変わっていなかった。そして、百太郎と百合の二人もすぐに、みんなになついて行った。母親と祖母が楓と松恵尼と話に弾んでいる時、太郎は祖父と弟を連れて月影楼に登った。三階まで上がり、舞良戸(マイラド、板戸)を開けると、城下が一望のもとに見渡せた。弟は凄い、凄いと感激していた。

「俺がここに来たのは二年前でした。その頃、ここにはほんの少しの田畑があっただけで、何もありませんでした。それが二年でこんな町になりました。不思議な事です」

「ほう、二年間で、これだけの町がのう‥‥‥」と白峰が驚きながら城下を見渡した。

「ねえ、兄上、兄上様は、ここのお殿様なの」と弟の兵庫助が聞いた。

 兵庫助はかつて三郎丸と呼ばれていた。去年、元服(ゲンブク)して兵庫助(ヒョウゴノスケ)直忠と名乗り、十六歳になっていた。太郎が最後に見たのは、まだ十二歳の子供だったが、もう、すっかり大人だった。体格も立派になり、もう少しで太郎を追い越しそうだった。

「そうだよ」と太郎は笑いながら頷いた。「山の上に城がある。後で連れて行ってやる」

「ほんと? 凄いな」

 太郎は眼下に見える建物を二人に説明した。祖父、白峰はただ頷きながら太郎の話を聞いていた。太郎は祖父に一番、この城下を見せたかった。勿論、父親にも見せたかったが、父親が来られないのは分かっている。せめて、祖父の口から父親に話してもらいたかった。子供の頃から太郎は祖父のもとで育てられ、無断で京都に行った時から、ずっと、心配の掛け通しだった。そして、いつも陰ながら見守ってくれていた祖父に、せめてもの恩返しができた事が太郎には嬉しかった。





 笛や太鼓の囃(ハヤ)しが磨羅(マラ)寺の方から聞こえて来る。

 九月の四日、朝早くから大河内城下は祭りで賑わっていた。

 城下もようやく完成に近づき、太郎がこの地に入部して来た九月五日を祭礼の日とし、四日から六日までの三日間を磨羅寺の本尊である吉祥天(キッショウテン)の縁日とした。住職の宗湛(ソウタン)が、どこから吉祥天の像を持って来たのかは知らないが、本尊として立派な仏像だった。吉祥天の他にも観音菩薩像、弥勒菩薩(ミロクボサツ)像、弁財天(ベンザイテン)像もあったが、気のせいか、何となく皆、女性的な仏様だった。どうしてなのかと宗湛に聞くと、「寺の名が磨羅(男根)じゃからのう。自然と女子(オナゴ)のような仏様が集まるんじゃろう」と笑っていた。

 丁度、明日が太郎がこの地に来て二年目だった。太郎は城主として、この三日間、武士から人足に至るまで、すべての者たちの仕事をやめさせた。稲荷(イナリ)神社と磨羅寺を中心に露店がずらりと並び、河原にも様々な芸人たちが集まっていた。金勝座(コンゼザ)のみんなも戻って来ていたが、金勝座もその日は休みで充分に祭りを楽しんでいた。

 太郎は五ケ所浦から来た祖父、祖母、母親、弟、そして、松恵尼、楓と子供たちをぞろぞろと連れて祭り見物に出掛けた。太郎は殿様の姿から仏師(ブッシ)の姿になっていた。祖父と弟も面白そうだと太郎に倣(ナラ)い、祖母、母親、楓と子供たちは質素な町人のなりをして城下に出掛けた。

 太郎たちは屋敷の裏口から出ると重臣たちの屋敷を抜け、中級武士や下級武士たちの屋敷や長屋の立ち並ぶ中を抜けて小田原川の河原へと向かった。下級武士たちの長屋はまだ建設中だったが、今年中には出来上がり、今年の冬は皆、屋根の下で暮らせる事になるだろう。城下造りに頑張っていた人足たちも作業が終われば、ほとんどの者が武士として、それらの長屋に入る事となっていた。

 河原には置塩城下の河原者の頭、片目の銀左が協力してくれたので、芸人たちが大勢、集まってくれた。祖父たちはその賑やかさに驚き、まるで、京の都のようだと言って喜んでくれた。芸人たちの中には、確かに京から流れて来たような一流の芸人たちもいた。松恵尼も飯道山の祭り以上だと驚いていた。太郎も実際、これだけの芸人が集まるとは思ってはいなかった。さすが、片目の銀左だと、今更ながら彼の実力に驚いていた。芸人たちは小田原川の河原から市川の河原まで、ずっと河原を埋めていた。これだけの芸人が、こんな小さな城下に集まるなんて、まったく、驚くべき事だった。

 太郎たちは河原を一回りして、城下の東側にある奉行所(ブギョウショ)の所から大通りに入り、町中に入って行った。その大通りの両脇には商人たちの大きな店や蔵が立ち並んでいたが、その店の前にも遠くからやって来た商人たちが様々な露店を開いていた。櫛(クシ)やかんざし、古着や反物(タンモノ)、薪(タキギ)や炭、檜物(ヒモノ)や陶器、竹細工や木工細工、饅頭(マンジュウ)やお菓子、武具や甲冑(カッチュウ)など、ないものはないと言ってもいい程、色々な物を売っていた。馬場では馬の市もやっているという。太郎たちは露店を見ながら磨羅寺まで行き、吉祥天を参拝した。珍しく、宗湛和尚は偉そうな袈裟(ケサ)を身にまとって参拝客の挨拶を受けていた。磨羅寺から隣にある稲荷神社に行き、参拝すると裏通りを通って屋敷に帰って来た。

 いつの間にか、もう夕暮れ近くになっていた。

 祖母と母親はさすがに疲れたらしく、部屋に入ったまま出ては来なかった。百太郎と百合は買ってもらったおもちゃで弟の兵庫助と遊んでいた。楓は松恵尼と楽しそうに話し込んでいる。太郎は祖父を誘って月影楼に登った。

「凄い、賑わいじゃのう」と祖父は外を眺めながら言った。

「ええ、俺もこれ程、賑わうとは思ってもおりませんでした。昨日まで、朝から晩まで働き詰めだったから、皆、楽しんでくれているようです」

「うむ」と祖父は目を細めながら太郎を見て頷いた。「わしは城下の者たちが話しておるのを聞いておったが、皆、殿様であるお前のお陰じゃと喜んでおった。わしはそれを聞いて、ほんとに嬉しかったぞ。今の気持ちを忘れない事じゃ。城下に住む者たち、みんなのために、これからもいい殿様でおってくれ」

「はい」と太郎は嬉しそうな祖父を見ながら頷いた。

「お前は今日、職人の格好をして城下に出て行ったが、あんな事をよくやっておるのか」

「時々、やっております。あまり、堅苦しいのは好きではありませんので、それに、あの格好だと人足たちにも気軽に声を掛けられますから」

「うむ。いい事じゃ。わしは安心したわ。こんな立派な屋敷に住んでおるので、上段の間から踏ん反り返って、あれこれ命じておるのではないか、と心配したが、そんな事もなかったようじゃな」

「はい」

 祖父は満足そうに頷いて、城下を見下ろした。そして、遠くの山々に視線を移すと、「太郎、五ケ所浦の事じゃがのう」と言った。

 太郎には祖父が何を言おうとしているのかが分かった。

「次郎に父上の跡を継いで貰って下さい」と太郎は言った。

 祖父は太郎の顔を見つめて、「それで、いいのじゃな」と聞いた。

 太郎は頷いた。「俺も父上のように水軍の大将になるのが夢でした。しかし、海と同じように山々がずっと連なっている事を知った時、俺の生き方は変わって行きました。海から離れて、山というものに惹かれて行ったのです。多分、俺はもう五ケ所浦には帰れないでしょう。次郎の奴に五ケ所浦の事は任せます。次郎なら立派にやり遂げると思います」

「うむ。お前がおらなくなってから、次郎の奴は、お前が帰って来るまで、お前の代わりを務めようと一生懸命やっておる」

「そうですか‥‥‥俺の代わりを‥‥‥」

「そうじゃ。次郎の奴はお前の事を尊敬しておるんじゃ。もっとも、お前の事を尊敬しておるのは次郎だけじゃない。水軍の若い奴らはみんなじゃ。皆、お前がいつか帰って来る事を信じておる」

「そうですか」と太郎は遠くを見つめた。五ケ所浦にいた時、陰流を教えた若い者たちの事を思い出していたが、祖父を振り返って、「水軍と陸軍のいさかいはどうなりました」と聞いた。

「消えたとは言えんが、お前と池田の奴らが城下からおらんようになってから、いくらかは納まったようじゃな」

「そうですか」太郎はよかったと言うように、軽く笑ってから、「次郎は今年、二十二ですか」と聞いた。

「そうじゃ。お前が殿の御前で剣術を披露したのは二十一の時じゃったな。あの時のお前と比べれば、次郎の奴は少々頼りない所はあるがな‥‥‥お前がおらなくなってから、次郎も一回り大きくなったようじゃ」

「次郎に水軍の事を頼むと伝えて下さい」

「うむ」

「そして、母上、お祖母様の事も頼むと‥‥‥」

「分かった」

「お祖父様とお祖母様は、このまま、こちらにおられても構わないんですけど、駄目でしょうね」

「ここはいい所じゃ。しかし、わしには向こうにする事が残っておるんじゃ。お前が始めた陰流の道場じゃ。いつか、お前が帰って来る時までは、道場を潰すわけにはいかんからのう」

「すみません‥‥‥」

 祖父は首を振った。「毎日が楽しいんじゃよ。子供たちに剣術を教えるのが楽しいんじゃ。わしは足を怪我して隠居した。隠居してからのわしは、ただ、お前たち孫の成長だけが唯一の楽しみだったんじゃ。それが今は毎日、子供たちに囲まれて、子供たちに剣術を教えておる。第二の生き方とでも言うのかのう。わしは今、幸せじゃよ。もうろくして、子供たちに剣術を教えられなくなったら、婆さんと一緒にお前の世話になろう」

「はい‥‥‥道場の事、お願いします」

「うむ‥‥‥しかし、以外じゃったのう。お前が赤松家の武将になったと聞いた時、わしはお前が赤松家の水軍を任されたのかと思っておった。それが、来てみれば、こんな山の中じゃった‥‥‥わしには、よく播磨の事は分からんが、この場所は赤松家にとって重要な所なのか」

「はい。ここは播磨と但馬の国境の近くなんです。但馬の国には赤松家と敵対しておる山名氏がおります。今の所は山名氏も播磨には攻めて来ませんが、やがて、播磨に進攻して来る事となりましょう。そうなると、ここは最前線となるのです。そこを任されたというわけです」

「成程のう。ここは最前線か」

「山名氏との争いが終われば、俺は改めて、赤松家の水軍を任される事となるでしょう」

「そうか‥‥‥お前にこんな事を言う必要はないとは思うが、無駄死にだけはするなよ」

「はい」

「おっ、何じゃ、あれは」と祖父が外を見ながら言った。

 大通りを山車(ダシ)のような物が走り、山車の上で下帯(シタオビ)一丁の男が扇子(センス)を手に持って踊っていた。山車の回りを人々が囲み、何やら叫びながら踊っている。

「和尚だ」と太郎は言って、笑った。

「和尚?」

「はい。さっき、お寺に偉そうな和尚がいたでしょ。あの人です」

「なに、あれが和尚か」と祖父は口をポカンと開けて驚いていた。「変われば変わるものじゃのう」

「変わった和尚です。あれでも、かなり偉い和尚との事ですが、まったく、何をやるやら、見当も付かないお人です」

「ふむ。確かに変わっておるのう。昔、五ケ所浦にも、変わった和尚がおったが、あれ以上じゃのう」

「快晴和尚の事ですか」と太郎は聞いた。

「そうじゃ。お前も知っておったのう」

「快晴和尚は五ケ所浦に帰って来ましたか」

「いや、京に戦が始まった頃、どこかに行ったきり戻っては来ん。しかし、去年だったかのう。和尚さんのお弟子さんとか言うのが来てのう。今、長円寺におるわ」

「お弟子さん? もしかしたら、曇天(ドンテン)ですか」

「いや。あいつもどこに行ったのか戻って来んのう。今度、来たのは晴旦(セイタン)和尚という面白いお人じゃ」

「晴旦和尚?」

「快晴ではなく、今度は晴れた朝じゃよ」

「へえ、それじゃあ。朝は早そうですね」

「ところが、早起きなんてした事もないような、ぐうたらな和尚じゃ」

「そうですか‥‥‥快晴和尚のお弟子さんらしいとは言えますが」

「まあな」

「念仏踊りみたいですね」と太郎は外を眺めながら言った。

「ああ、南無阿弥陀仏と言っておるようじゃのう」

「行ってみますか」

「面白そうじゃ」

 太郎は祖父、白峰と一緒に月影楼を降りると、弟の兵庫助を連れて賑やかな大通りに出て行った。





 三日間の大河内城下の祭りは予想以上に盛況だった。

 磨羅寺の宗湛和尚の山車のお陰で、城下の者たち全員が、三日間、踊り狂った。宗湛の乗っていた山車は、荷車にちょっとした飾りを付けた簡単な物だったので、すぐに真似する事ができ、次の日には、小野屋と大和屋が真似をして山車を出して大通りを練り歩いた。すると、次から次へと山車が現れ、城下中のどの道にも山車がいるという有り様となり、城下中、いたる所で狂ったように念仏踊りが行なわれた。町人はもとより、武士たちまでが仮装して踊り狂っていた。男は女の着物を着て化粧をし、女は男に扮して、朝から晩まで城下を練り歩いていた。

 三日目には、赤松家の重臣である喜多野性守入道と上原性祐入道の二人までもが、山車に乗って練り歩くと、今まで押えていた武将たちも次々に山車に乗って現れた。太郎の家臣となった武将たちは根っからの武士ではない。次郎吉、伊助、金比羅坊(コンピラボウ)、藤吉らは皆、祭り好きだった。待ってました、と様々な衣装に扮して山車に乗った。とうとう、太郎も次郎吉たちに勧められて山車を出すはめとなった。太郎は天狗に扮して、山車の上で跳びはね舞った。金勝座の三人娘も山車に乗って華麗に踊った。楓もついに我慢できずに、金勝座の山車に乗って助六たちと一緒に踊った。百太郎と百合も侍女たちと一緒に踊った。松恵尼も踊った。祖父、祖母、母親も皆に混ざって踊っていた。

 三日間、城下の者たちが一つになったかのように、全員が思い切り踊って、騒ぎまくった。

 祭りも終わり、次の日から、いつものように、皆、仕事を始めたが、誰の顔もすっきりと晴れ晴れとしていた。

 太郎の家族たちは祭りの後、五日間、のんびりと過ごしてから帰って行った。松恵尼は飯道山の祭りが十四日から始まるため、祭りの終わった次の日、金勝座と共に帰って行った。来た時と同じく、松恵尼の手下の者たちに守られながら、祖父、祖母、母親、弟の四人はたくさんの土産を持って帰って行った。太郎は金比羅坊と共に置塩城下まで見送った。

 陰の二十一人衆も祭りの時は戻って来ていたが、祭りが終わるとまた、各地に散って行った。今回が三度目だった。太郎はいつも、一月後には戻って来るように命じていた。

 一回目は、三月の下旬から四月の下旬までだった。太郎は帰って来た二十一人から様々な意見を聞き、それを参考にして陰の術を完成させようとしていた。一回目で分かった事は連絡方法だった。太郎は十日に一度は連絡を入れるように命じたが、何か情報がつかめた時は、ここまで戻って来るのは構わないが、何も得られないのに、一々、戻って来るのは時間の無駄になると彼らは言った。何か、狼煙(ノロシ)とかで、その事を知らせる事ができれば、もっと、やり易くなるだろうとの事だった。それと、山伏に扮して旅をするのはいいが、本物の山伏ではないので、宿坊に泊まる時もばれやしないかと冷や冷やしながら泊まっている。できれば、太郎の三人の弟子のように正式な山伏になりたいと言った。太郎は考えておくと答えた。

 二回目の旅は梅雨が明けた六月の末から七月の末だった。連絡方法はいい考えが浮かばなかった。狼煙を上げるのは赤松家の者に誤解される恐れがあるので使えなかった。これから先、徐々に、各地に拠点を作って行き、その拠点と拠点を結ぶ連絡網を作らなければならないと思った。彼らには、特に情報がない時は十日に一度の連絡を入れなくもいいと命じた。ただし、どうしても一ケ月以内に帰って来られない場合は、情報がなくても、誰かを送れと命じた。本物の山伏になる件も検討して、置塩城下の大円寺の勝岳(ショウガク)和尚に相談してみた。和尚によると、銭次第で、その位の事は何とかなるだろうと言った。太郎は和尚に頼もうか、とも思ったが、播磨国内の山伏では、すぐに赤松家の者と分かってしまう恐れもあるので、やめる事にした。十一月に飯道山に行ったら高林坊に相談しようと思った。

 服部、池田、多岐、松尾らは前回と同じ但馬、美作、備前、丹波に送り、光一郎は因幡、八郎は摂津、五郎は河内の堺に送った。

 前回、五郎は河内の妹のもとに行った帰りに堺に寄って来た。そこで、偶然、堺から遣明船(ケンミンセン)が出て行くのを目にしたと言う。そして、堺の町が他の町とはまったく違う賑わいを持っている事を太郎に知らせた。五郎から、堺の湊には琉球(リュウキュウ)や朝鮮から来たという変わった形の船が泊まり、わけの分からない言葉を喋(シャベ)る異人(イジン)らがいて、珍しい物が一杯あると聞くと、太郎も興味を持った。太郎も元々は船乗りだった。遠い明の国に行きたいと夢を見た事もあった。太郎は五郎に書状を持たせ、堺にある小野屋に行って、もっと、堺の情報を集めろと命じた。

 そして、今度が三度目だった。行き先は前回と同じだった。同じ場所に行かせた方が馴染みもでき、情報も集め易いだろうと思ったからだった。彼らも、彼らなりに拠点となるべき場所を見つけて活動しているようだった。彼らは旅に出ないで城下にいる時は、道場にて武術の修行をしていた。彼らも一年間、飯道山で修行しているので、得意とする武術は人に教えられる程の腕を持っていたが、この先、陰の術で生きて行くなら、すべての武術を身に付けなければならないと言える。彼らは自分が苦手とするものを修行者たちと共に習っていた。皆、命懸けの仕事をしているので修行にも気合が入っていた。

 太郎は五郎を二十一人衆の頭にしようと思っていたが、今回、戻って来たら、この仕事をやめさせようと考えを変えた。この仕事は旅が多すぎ、家庭持ちの五郎には不向きと言えた。五郎は張り切ってやっているが、家族には悪い事をしているように思えた。今年の末、飯道山に行ったら誰か一人連れて来て、五郎には抜けてもらおうと決めていた。

 二十一人衆が出掛けて行くと、太郎は久し振りに道場に顔を出した。家族が来ている時、一度、祖父の白峰と弟の兵庫助を連れて行ったが、自ら木剣を振りはしなかった。剣術で汗を流すのも久し振りだった。

 道場には今、住み込みの修行者が三十人余りと通いの者が二十人程いた。飯道山と同じで、稽古は午後からで、住み込みの者たちは午前中は作業という事になっていた。城下に出掛けて人足と共に働いていた。住み込みの修行者の中で一人、太郎の目を引く若者がいた。石田村から出て来たという内藤孫次郎という十八になる若者だった。

 孫次郎は初め、人足として働いていた。太郎は今年の初め、河原の掘立て小屋で暮らしている孫次郎と出会った。雪の積もった冬の間は城下作りの作業は中止になった。人足や職人たちは皆、雪のない所に行って正月を迎える。雪の中、寒い掘立て小屋に住んでいる者など誰もいなかった。

 よく晴れた天気のいい日だった。太郎はその日、いつものように仏師の姿になって、城下町を歩いた。建設途中の城下を一回りして小田原川の河原に出た。

 河原には人影もなく、幾つも並んでいる掘立て小屋も雪の中に埋もれていた。中には雪の重みで潰れている小屋もあった。

 太郎は鳥や獣の足跡しか付いていない雪の中を歩いて、川のほとりまで行くと上流の方を眺めた。真っ白の中を水が輝きながら流れていた。太郎は川に沿って下流に歩いた。

 その時、誰もいないと思っていた小屋の中から、人が出て来るのが見えた。太郎は瞬間的に身を低くして雪の中に隠れた。

 若い男だった。毛皮の袖なしを着て、頭にはぼろ布を巻き付け、藁沓(ワラグツ)をはき、薪をもっていた。男は小屋の前の雪を踏み固めると、薪を並べて藁くずに火を点けた。次に鍋を持って来て、鍋の中に雪を山盛りにすると火の上に掛けた。雪は見る見る溶けて行き、水になった所に、男は米や麦を入れた。

 そこまで見ると太郎は身を起こして、男の方に近づいて行った。男は驚いて太郎を見たが、太郎が武士でなく職人の格好をしていたので、安心したようだった。男は太郎を一度見ただけで、今度は小屋の屋根の雪降ろしを始めた。

「いい天気じゃな」と太郎は男に声を掛けた。

「はい」と男は返事をしたが、棒切れで雪を落としていた。

「お前は、城下造りの人足か」

 男は面倒くさそうに頷いた。

「どうして、こんな所におる」

「おって悪いのか」

「悪くはないが、寒いだろう」

「冬は寒いのが当然だ」

「まあ、そうじゃな。しかし、他の人足たちは皆、雪のない所に行った。お前は、どうして行かないんだ」

「俺の勝手だろう」

「まあ、そうじゃ。春まで、ここにおるつもりか」

「そうだ」

「食う物はあるのか」

「ある」

「そうか‥‥‥まあ、頑張れ」

 太郎は若い男と別れた。その後、太郎はその男の事は忘れていた。

 もうすぐ春になるという二月の末、大雪があった。建設途中の建物が幾つも雪によって潰されてしまった。太郎は城下を見回った時、ふと、河原にいた男の事を思い出した。

 太郎が河原に行くと男は掘立て小屋を直していた。

「おお、生きておったか」と太郎は男に声を掛けた。

 男は太郎を無視して、ぶつぶつ文句を言いながら作業を続けていた。

「お前の名は何という」と太郎は聞いたが、男は答えなかった。

 太郎は男を手伝う事にした。二人は一言も喋らずに作業を続けた。何とか、小屋の修復が終わると、男は太郎に礼を言って、内藤孫次郎と名乗った。太郎は三好日向という仏師だと名乗り、「一冬、よく頑張ったな」と言った。

「後、もう少しで雪も溶ける。そしたら、また働ける」孫次郎は眩(マブ)しそうに空を見上げた。

 話を聞くと孫次郎は、この城下の殿様の家来になりたくて、どこにも行かずに、雪の中、頑張っていたのだと言う。孫次郎の父親は武士だった。武士と言っても郷士と呼ばれる半農の武士だった。父親は八年前、赤松家の武士に殺され、母親はどこかにさらわれたと言う。

 八年前、応仁の乱が始まった当初、播磨の国の守護職は山名氏で、赤松氏が侵入して来て、あちこちで戦が行なわれた。播磨の国の中心部には赤松氏の残党たちもかなり残っていたので、逸速く赤松氏に味方して行ったが、この辺りの国人たちは山名氏の本拠地、但馬の国も近い事から、いつまでも山名方だった。太郎も人から聞いたが、この辺りの国人たちは赤松氏にやられて全滅したと言う。そして、この辺りはお屋形、政則の直轄地となり、代官を置いて治めていた。孫次郎の父親も国人たちと共に滅ぼされたのだろう。

 両親が殺された時、十歳だった孫次郎は七歳の妹と一緒に名主(ミョウシュ)のもとに引き取られた。孫次郎兄妹は朝から晩まで、毎日、こき使われた。

 去年の夏の事だった。孫次郎が仕事から帰って来ると妹の姿が見当たらなかった。人買いに売られたと言う。孫次郎は妹を取り戻そうと妹の後を追ったが見つける事はできなかった。孫次郎がここの河原まで来た時、日が暮れてしまい、仕方なく、夜を明かした。

 朝、人々の喧噪で目が覚めた。大勢の人足たちが河原に小屋掛けをして住んでいて、その人足たちがぞろぞろと、どこかに向かって行った。孫次郎は何事だろうと人足たちの後を追った。孫次郎は驚いた。こんな所に突然、町ができようとしていた。大きな屋敷が二つでき、あちこちに屋敷を建てていた。孫次郎は人足の一人から何が始まるのか訳を聞いて、孫次郎もすぐに人足となった。日当もちゃんと貰えると言う。銭なんて、今まで手にした事もなかった孫次郎には、働けば働いたたげ銭が貰えるというのは嬉しかった。

 孫次郎は毎日、土と汗にまみれて働き、銭は自然と溜まって行った。銭を溜れば、妹を取り戻せるかもしれないと孫次郎は一生懸命になって働いた。そのうち、人足たちも働き用によっては、ここの殿様の家来に取り立てられる事もあるという事を知った。事実、太郎の家臣となった者たちが、見込みのありそうな若者を捜しては、自分の家来に取り立てていた。孫次郎の知っている人足にも武士になった者もいた。しかし、孫次郎には、そんな声は掛からなかった。それでも、孫次郎はいつか、誰かが自分の才能を見つけてくれるだろうと諦めてはいなかった。冬の間中、ここを去らなかったのも、せっかく溜めた銭を使いたくなかったからだった。人足たちは、ほとんどの者が置塩城下に出て、正月は贅沢をするんだと行って出掛けて行った。孫次郎もそんな事をしてみたかったが、妹の事を思うと、そんな事はできなかった。

「妹を捜すつもりなのか」と太郎は孫次郎の話を聞くと聞いた。

「絶対に‥‥‥」と孫次郎は言った。

「そうか‥‥‥お前、武士になりたいのか」

「はい。よく覚えてはおりませんが、爺様はちゃんとした武士だったそうです。しかし、石田村で百姓になってしまったと言います。父上も武士に戻りたかったらしいけど、戻れませんでした。俺は爺様のように、ちゃんとした武士になりたい」

「そうか‥‥‥お前、刀を持った事はあるか」

「ある‥‥‥今も持っている」

「ほう、今も持っているのか」

「うん。爺様の形見だ」

「ほう、それを見せてくれんか」

「お前様は刀の事が分かるのか」

「少しは」

 孫次郎は小屋の中から莚(ムシロ)に包まれた刀を持って来た。莚の中から出て来た刀は脇差のようだった。脇差と言っても刃渡りは二尺程ある、かなり頑丈そうな刀だった。太郎はその刀を手に取ると抜いてみた。

「こいつはひどいのう」

 刀の刃は錆(サビ)だらけだった。何年もの間、使われた形跡はなかった。錆だらけでも、何となく気品があり、もしかしたら、名のある刀かもしれなかった。

「いい刀だろう」と孫次郎は言った。

「うむ。研げば、なかなかの名刀になるだろう」

 刀を孫次郎に返すと、「ちょっと、そいつを振ってみろ」と太郎は言った。

 孫次郎は太郎を見ながら頷いた。仏師と言っていたが、もしかしたら、この男、ここの殿様の知り合いかもしれない。もしかしたら、武士になれるかもしれないと思いながら孫次郎は刀を腰に差した。しかし、剣術は得意ではなかった。子供の頃、父親に教わった事はあったが、父親が死んでから刀を振った事はなかった。勿論、人を斬った事などない。

 孫次郎は刀を抜くと、子供の頃を思い出しながら、目の前に父親がいるかのごとく刀を構え、振りかぶると斬り下ろした。そして、また、中段に構えた。

「いいぞ」と太郎は言った。

 孫次郎の剣術の腕は大した事なかった。あの振り方では人を斬る事もできないだろう。しかし、刀を構えた時の顔付きは武士の顔だった。目付きもいい。太郎は孫次郎の中に、素質がある事を見つけた。

 孫次郎は刀を納めると太郎を見た。太郎の顔に変化はなかった。やはり、駄目だったかと孫次郎は諦め、刀をまた莚で巻いた。

「ついて来い」と太郎は言った。

「どこへ」と孫次郎は怪訝(ケゲン)な顔をした。

「付いてくれば分かる」と太郎は言って笑った。

 孫次郎は小屋の中に入って荷物をまとめようとしたが、太郎は荷物は後で取りにくればいいと言って、孫次郎を連れて城下の方に向かった。孫次郎が連れて来られた所は、陰流(カゲリュウ)の武術道場だった。孫次郎はその日から、修行者の一人として道場に住み込む事となった。

 あれから、八ケ月近くが過ぎ、太郎が思っていた通り、孫次郎の腕は見る見る上達して行った。孫次郎が太郎の正体を知ったのは道場に移ってから二ケ月程、過ぎた頃だった。自分をここに連れて来てくれた仏師が、実は、ここの殿様だったとは信じられない事だった。まるで、夢でも見ている心地だった。殿様が自分を認めてくれたと気づいてからの孫次郎はますます剣術の修行に励んだ。

 太郎は道場に入ると修行者たちの稽古を見て歩いた。道場では、槍術、剣術、棒術、薙刀術の四つに分かれて修行している。一通り見て歩くと太郎は木剣を手に取って、修行者一人一人を相手に汗を流した。孫次郎の腕は太郎も驚く程の上達振りだった。一月程前、立ち合った時とは別人のように強くなって行った。このまま行けば、後一年もしたら太郎の弟子たちと互角あるいはそれ以上の腕になるのは確実だった。

 太郎は孫次郎を四人目の弟子にする事に決め、十一月に飯道山に連れて行って、一年間、修行させようと決めた。
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