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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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18.金勝座1






 目をしょぼしょぼさせながら、久し振りに『浦浪』に戻った太郎は助六に迎えられた。

 助六は大通りまで出て、太郎の帰りを待っていた。

 太陽の光が眩しいのに、助六の姿はもっと眩しかった。

「どうかしたのですか」と太郎は助六に聞いた。

「いえ、何となく心配だったので‥‥‥」助六はそう言って、ほっとしたように笑った。

「俺がですか」と太郎は聞いた。

 助六は太郎を見つめたまま頷いた。「先程の太郎坊様の様子から、何となく、いやな予感がしたのです。もしかしたら、一人で阿修羅坊に会いに行ったのではないかと‥‥‥」

 太郎はじっと助六の目を見つめた。

「いやですわ。そんなに見つめて‥‥‥」助六は恥ずかしそうに視線をはずした。

「恐ろしいものですね、女というのは」

「では、やはり?」

「ええ、誰にも気づかれないと思ってましたが、奈々さんには気づかれましたか」

「阿修羅坊に会ったのですね」

 太郎は頷いた。助六に話すつもりはなかったが、気づかれたのなら仕方がなかった。

「大丈夫だったのですか」と助六は太郎が怪我をしていないか観察した。

「大丈夫です。阿修羅坊は大分、がっくり来てましたよ。もう、手を引くそうです」

「えっ、それじゃあ、もう、安心して御城下にいられるのですね」

「当分の間は大丈夫でしょう」

「当分の間ですか」

「阿修羅坊が手を引いても、浦上美作守が手を引くとは限りません」

「また、誰かをよこすと言うのですか」

「多分‥‥‥ところで、伊助殿は帰って来ましたか」

「ええ、帰っています。伊助さんも太郎坊様を待ってますよ」

「そうですか」

 二人は宿に入った。

 伊助は部屋で待っていた。次郎吉と藤吉が気持ち良さそうに眠っている。

「河原者のお頭に何の用があったのです」と伊助は聞いた。

「嘘ついたんですよ」と助六が太郎の横で言った。「一人で、阿修羅坊に会って来たんですって」

「何ですって、そんな危険な事を‥‥‥まったく、あなたには目が離せませんな」

「これ以上、犠牲者を出したくなかったのです」

「阿修羅坊はどう出ました」

「手を引くそうです」

「ほんとですか」

「そう言ってました。そこで頼みがあるのですが」

「何です」

「阿修羅坊の事なんですが、もし、それが本当なら、一度、京に帰ると思うんですよ。それで、誰かに後を付けてもらいたいのです。口ではああ言ってましたけど、本当の事を知りたいし、それと、浦上美作守の出方も知りたい」

「わかりました。わたしが行きましょう」と伊助は即答した。

「いえ。別に、伊助殿じゃなくてもいいんですよ」

「実は、わたしも一度、帰ろうと思ってたんです。その事を言おうとして、こうして待っていたのです。商売道具の薬の方が、そろそろ切れそうなんですよ。一応、一段落しましたし、松恵尼殿にもその後の事など連絡しないと心配してるでしょうからね」

「そうですか、伊助殿が行ってくれれば、それに越した事はありません。当分の間は、こっちの方は安全でしょう。お願いします」

「ええ、それじゃあ、さっそく阿修羅坊でも見張りに行きますか」

「えっ、さっそくですか」

「逃げられたら大変ですからな」

「少し、休まないと無理ですよ」

「そうですよ、少し休んだ方がいいわ」と助六も心配顔で言った。「そう、急がなくても阿修羅坊の行き先はわかっていますし」

「大丈夫です」と伊助は笑った。「わたしは歩きながらでも寝られるんですよ」

「そんな」と太郎は助六と顔を見合わせた。

 伊助はすでに荷物をまとめて帰る支度をしていた。

「なるべく、早く帰って来ます。何か、松恵尼殿に言伝(コトヅテ)はありませんか」

「お礼を言っておいて下さい。それと、飯道山に当分、帰れそうもないと伝えて下さい」

「わかりました」

 伊助は荷物を背負うと出掛けて行った。

 太郎と助六は伊助を見送った。

「働き者だなあ」と太郎は伊助の後姿を見ながら言った。

「ほんと」

「さて、少し寝るか。さすがに疲れた。奈々さんも少し寝た方がいいですよ。午後から舞台でしょ」

「そうね」



 一眠りして起きたら、もう、昼過ぎだった。

 風光坊はまだ眠っていたが、八郎と金比羅坊の姿はなかった。

 厠から戻って来ると、金比羅坊がいた。

「起きたか」と金比羅坊は言った。

「ああ、よく寝た」と太郎は体を伸ばした。

「まだ、寝足りんじゃろう」

「もう、大丈夫ですよ」

「おぬしが寝てる時、別所屋敷から若侍が来たぞ」

「えっ?」と太郎は金比羅坊を見た。

「別所屋敷から、若侍が来たんじゃ」と金比羅坊はもう一度、言った。

「何で」と太郎は聞いた。

「金勝座を招待したいそうじゃ」

「本当ですか」

「ああ」

「いつです」

「明日じゃ。どうも、楓殿が呼んだらしい」

「明日か‥‥‥」太郎は風光坊の寝顔を眺めながら部屋を横切り、窓際に行って腰を下ろした。

「舞台を作るために甚助殿が別所屋敷に出掛けた」と言いながら金比羅坊も窓際に来た。「八郎を連れて行ったよ。わしも行こうとしたんじゃがな、目立ち過ぎると言うんじゃ。別所の侍どもに顔を覚えられたら、これから先、動きづらくなるからやめておいた方がいいって言うんでな」

「どうして、俺を起こしてくれなかったんです」と太郎は不満気に聞いた。

「よく寝ていたしな。それに、もし、別所屋敷に阿修羅坊でもおれば、おぬしと金勝座のつながりがわかってしまうからのう」

「そうか、そいつはまずい」

「しかし、その心配もなくなった」と金比羅坊は言った。「つい、さっき、旅の鋳物師(イモジ)が来ての、こんな物を置いて行ったわ」

 金比羅坊は一枚の紙切れを太郎に見せた。その紙切れには、『八部衆の一人が帝釈天(タイシャクテン)と戦いに行った、伊の字』と書いてあった。

「阿修羅坊が京に行ったと言う意味ですか」と太郎は聞いた。

「じゃろうな。八部衆の一人というのは阿修羅の事じゃ。帝釈天は十二天の一つで東を守っておる。じゃから、阿修羅が東に行ったという意味じゃな」

「戦いに行ったというのは?」

「それは別に意味はないじゃろ。阿修羅は帝釈天と戦って敗れ、お釈迦様に教化されて八部衆の一人となり、お釈迦様を守っているとされてるんじゃ」

「ほう、伊助殿も色々な事を知ってますね」

「どうする。別所屋敷に行くか」

「そうですねえ」と太郎は言って、伊助の手紙をたたむと庭を眺めた。「行ったとしても楓と話ができるわけじゃないし、明日、行きますよ。明日、行けば、別所加賀守や赤松家の家臣たちの顔が見られるかも知れないですからね」

「成程な‥‥‥しかし、おぬしの子供もおるんじゃろう。子供に見つかったら、まずいんじゃないかのう」

「見つからないように面をかぶって行くつもりです」

「得意の天狗の面でもかぶって行くか」

「ええ」と太郎は頷き、手紙を金比羅坊に返した。「ところで、金比羅坊殿、久し振りにゆっくりしている所をすみませんが、明日から、また、宝捜しの方をお願いしたいのですけど」

「おお、わかっとる」

「すみません」

「なに、楓殿を取り戻すまでは、のんびりなどしておられんわ」

「助かります。探真坊が怪我をしたので、八郎を連れて行って下さい」

「奴は大丈夫かのう」と金比羅坊は気持ちよさそうに眠っている風光坊を見た。

「鼾をかいて、あれだけ寝られれば大丈夫でしょう。俺も明日、別所屋敷から帰ったら、すぐに後を追います」

 今度は太郎が、懐から一枚の紙を出して金比羅坊に見せた。

「何じゃ。こいつは阿修羅坊が書いた物じゃないか。どうして、こんな物を持ってるんじゃ」

「阿修羅坊に会って来ました」

「何じゃと、河原者の頭とかに会いに行ったんじゃなかったのか」

「お頭にも会って来ました。でも、阿修羅坊にも会いました」

「一人で行ったのか」

 太郎は頷いた。

「まったく、おぬしは何をしでかすか、わからん奴じゃのう」

「阿修羅坊は手を引くそうです。俺を殺すのも、宝を捜すのも」

「ほんとか。信じられん」

「宝を捜し出したら、浦上美作守との取り引きの仲立ちをしてくれるとも言いました」

「そんな事、信じられるか。おぬし、まさか、奴の言う事を信じたんじゃあるまいな」

「信じてはいません。伊助殿に後を追わせたので、阿修羅坊がどう出るかは、そのうち、わかると思います」

「そうか、伊助殿は京まで付いて行くのか」と金比羅坊は言って、改めて、阿修羅坊の書いた物を読んだ。「それで、阿修羅坊の奴は、宝と楓殿の交換をうまく取り持つと言ったのか」

「いえ、交換は無理だそうです。俺を赤松家の武将に取り立てると言いました」

「なに? おぬしを赤松家の武将に? 成程、これ以上、犠牲者を出すより味方にした方がいいと言うわけか。しかし、そんな事ができるか」

「わかりません」

「おぬしを武将として迎えるのはいいが、ただの武将では済まんぞ。お屋形様の姉君の旦那じゃからな。余程、地位の高い武将でなければまずいじゃろう。果たして、浦上美作守がそんな事をするかのう」

「わかりません」

「うむ。もし、迎えるとしたら、おぬしはどうする」

「わかりません。とにかく、ここのお屋形、赤松政則に会ってからです、決めるのは」

「うむ、そうじゃろうのう。それで、もし、赤松政則が立派な大将だったら、どうするつもりじゃ」

「とりあえず、赤松家の武将になります」

「なるのか」

 太郎は頷いた。「それしか、道がないような気がします。初めは、宝と楓を交換するつもりでいましたが、そう簡単には行きそうもありません。もし、宝を見つけたとします。例えば、その宝を別所屋敷に持って行って、楓との交換を申し込んだとします。宝の事を知っているのは浦上美作守だけです。何だかんだ、説明してみても、どこのどいつだかわからん奴の話なんか、まともに聞いてはくれないでしょう。あげくの果てには、盗っ人呼ばわりされて、第二の阿修羅坊に狙われ、また、殺し合いをしなくちゃならなくなるでしょう。また、楓と百太郎を無事、助け出して逃げたにしろ、赤松家はどこまでも追って来るでしょう。一生、隠れて暮らさねばならなくなります。そう思いませんか」

「うむ、確かにそうじゃのう。楓殿を連れ出しても追っ手は来るじゃろうのう」

「追われるよりは赤松家の武将になった方がいい。実際、楓は赤松家の娘なんだから、婿に行ったと思えばいいだけです」

「そうじゃのう。じゃが、浦上美作守という奴が、そう簡単に、おぬしを迎えてくれるか、じゃな」

「さっき、河原者のお頭から面白い事を聞きました。浦上美作守と別所加賀守は犬猿の仲だそうです。浦上は国元の連中には、どうも嫌われているようですね。赤松家の中で一番の実力を持っているらしいけど、国元の事も考えないで、何でも自分で決めてしまうそうです。だから、もし、浦上が俺を武将に取り立てようとしても、別所加賀守が反対する可能性があります」

「国元で、一番、力を持ってるのは別所加賀守なのか」

「そうみたいです」

「それじゃあ、もし、別所加賀守がおぬしの存在を知って、浦上美作守がおぬしを消そうとしている事を知れば、逆に、加賀守はおぬしを助けようとするかもしれんのう」

「かもしれませんね」

「別所加賀守におぬしの存在を知らせる必要があるな。ところで、楓殿は加賀守におぬしの事を話さんのじゃろうか」

「俺は、すでに死んだ事になってるんですよ」

「それは聞いたが、楓殿が生きていると言い張れば、加賀守も楓殿の事を信じるんじゃないかのう」

「楓は赤松家が俺の命を狙っている事を知っています。加賀守も俺を殺そうとしている一味だと思って、何も喋らずにいるんだと思います」

「そうか‥‥‥いい方法はないかの。加賀守におぬしが生きてる事を知らせる方法は」

「しかし、俺の存在がわかったら、また、命を狙われる可能性もあります」

「それもあるのう」

「しかも、別所加賀守が相手となると、今度は本当に、赤松家を相手に戦わなければならなくなります。百人もの武士に囲まれたら間違いなく殺されます」

「そうじゃのう。加賀守だけじゃ駄目じゃのう。いっそ、この城下の者、みんながおぬしの存在を知ればいいじゃ。そうすれば、赤松家もおぬしを殺せなくなる」

「どうしてです」

「赤松家がお屋形様の姉の亭主を殺したなんて噂が立ってみろ。国中の豪族や国人たちが、赤松家を信用しなくなるわ。実の姉の亭主を殺すような大名にくっついていたら、自分らの命も危ないと、みんな、離れて行ってしまうじゃろう。せっかく、まとめた国が、また、ばらばらになってしまう。そんな事は赤松家だってするまい」

「成程‥‥‥」

「おぬしの存在を城下の者みんなにわからせればいいんじゃ」

「言う事はわかりますが、そんな事、不可能ですよ。俺が楓の亭主ですって城下中に触れ回って歩くのですか‥‥‥待てよ、噂を流すっていう手があるな。」

「おぬしが生きていたという噂を流すのか‥‥‥うむ、そいつはいいかもしれんな」

「こんな時、伊助殿がいてくれたらな」

「そうじゃのう。伊助殿ならうまくやりそうじゃの」

「伊助殿を帰したのは失敗だったな」

「太郎坊様」と誰かが呼んでいた。

 太郎が部屋から出て見ると、金勝座の千代が太郎を捜していた。

「あっ、太郎坊様」

「どうしたんです、そんなに慌てて」

「どうしたじゃないですよ。助六姉さんが怒ってますよ」と千代は目を丸くして口を尖らせていた。

「はあ?」

「舞台を見に来るって約束したんでしょ。もうすぐ、二回目の舞台が始まりますよ。助六姉さん、怒らせたら物凄く怖いんですから、あたし、知りませんよ」

「ああ、そうだった。もう、そんな時間になるのか。すぐ行く」

 太郎は金比羅坊を誘って河原に出掛けた。

 千代にせきたてられながら、二人は金勝座の舞台に向かった。





 頭の中で、鐘が鳴っていた。

 昨夜は久し振りに酔っ払った。

 昨日、金勝座の舞台を見てから、小野屋に探真坊と右近と吉次の三人を見舞い、太郎と金比羅坊は『浦浪』に帰って来た。

 風光坊が寝ぼけた顔をして起きていた。ゆっくり休んだせいか、傷の痛みはほとんど消えた、もう大丈夫ですと笑った。目が覚めたら誰もいないので、独り、追いてきぼりを食らったのかと、がっかりしていたのだと言う。

 やがて、八郎と甚助が別所屋敷から戻って来た。話を聞くと、舞台はほとんどでき上がり、明日、ちょっと仕上げをすれば完成する。明日は甚助一人でも充分だと言った。

 楓と百太郎にも会ったと八郎は言う。金比羅坊が、楓殿と話なんかしなかっただろうな、と聞くと、八郎は少しだけした、と言った。向こうから太郎の事を聞いて来たので、少しだけ話をした。でも、側に別所の侍はいなかった。奥さんとお子さんと桃恵尼の三人だけしかいなかった、と言った。

 お子さんは師匠そっくりで、いたずら小僧で、奥さんは前に多気で見た時より、ずっと綺麗だったと言った。太郎が、綺麗な着物を着ていたからだろう、と言うと、そうかもしれない、と言ってから慌てて首を横に振った。

 阿修羅坊も倒した事だし、約束通り、遊女屋にでも繰り出して、今日は騒ごうと皆で言っている時、座頭の助五郎が顔を出して、小野屋さんが御馳走を用意してくれたというので、みんなして出掛けましょう、と誘ってくれた。まあ、素面(シラフ)で遊女屋に行くのも何だから、ちょっと一杯引っかけてから行くかと、みんなで小野屋に出掛けた。

 小野屋の広い座敷に豪華な料理が並び、次郎吉、藤吉、それと、太郎は知らないが、楓と一緒に別所屋敷にいる弥平次、それに、金勝座の面々もいた。そして、太郎、金比羅坊、風光坊、八郎と今回の関係者が勢揃いした。遊女も八人加わって賑やかな宴会となった。

 太郎の隣には、当然のように助六がいた。太郎にとっても嬉しい事だったが、酔っ払った自分に責任が持てなかった。また、自己嫌悪に陥りそうな気がした。

 助六の隣に金比羅坊がいて、その隣にしっとりした雰囲気の遊女が入った。金比羅坊は鼻の下を伸ばして嬉しそうだった。

 八郎の隣はお千代ちゃんで、八郎もやたらとお千代ちゃんを口説いている。お千代ちゃんも結構、楽しそうだった。

 風光坊の隣は太一だったが、風光坊はただ、ひたすら酒を飲んでいた。太一の隣には次郎吉がいて、これもまた、むっつりと酒を飲んでいる。誰が席を決めたのか知らないが、人の心を読み取った席順だった。みんな、楽しそうに酒を飲んでいた。

 ちょっと一杯飲んだら抜け出して、遊女屋に行こうと約束していたが、誰も行こうと言う奴はいなかった。皆、現在の状況に充分、満足していた。

 夜が更けるに従って、一人づつ消えて行った。金比羅坊は隣にいた遊女とどこかに消えた。いつの間にか、次郎吉もいなかった。風光坊は飲み過ぎて伸びていた。

 八郎と千代はしんみりと話し込んでいる。何を話しているのか知らないが、八郎は真面目くさった顔をして、お千代ちゃんに何かを言っている。聞いているお千代ちゃんの方も頷きながら真面目に聞いていた。うまく行っているようだった。

 太郎は助六と太一を相手に飲んでいた。両手に花で、いい気分だった。

 助六は太一に邪魔だからどっかに消えてよと言うが、太一は次郎吉に逃げられた腹いせか、じっくり腰を落着けて飲む気でいる。太一が片膝立てて足をあらわにすると、負けるものかと、助六は腕まくりをして対抗する。そんな二人の間に挟まれて太郎は御機嫌だった。

 久し振りに緊張が溶けたせいか、太郎もすっかり酔っ払ってしまった。どうやって浦浪まで戻って来たのか覚えていないが、朝、目が覚めたら、浦浪の部屋で八郎、風光坊と一緒に寝ていた。

 どうやら、助六と太一の部屋にもぐり込みはしなかったようだ。助かった、と太郎は胸を撫で下ろした。楓を救い出すために、みんなの助けを借りているのに、太郎が助六か太一に手を出したなんて事になったら、みんなに合わす顔がなかった。酔っ払っても自制心は働いたらしい。ほんとに助かったと思った。反面、勿体なかったなあ、とも思う太郎だった。

 太郎が顔を洗っていると、金比羅坊が次郎吉と一緒にさっぱりした顔をして帰って来た。すっかり、二人は意気投合しているようだった。

 太郎は八郎と風光坊を起こし、さっそく、金比羅坊と八郎を笠形山に、次郎吉と風光坊を瑠璃寺に、宝捜しに行かせた。そして、太郎は商売道具を持って早朝の河原に出て、金勝座の舞台まで来ると鬼の面を彫り始めた。

 頭の中が、がんがんしていた。

 昨日、金勝座の舞台を初めて見て、太郎は久々に感動した。

 助六、太一、藤若の踊りも勿論良かったが、やはり、助五郎の作った狂言には感動した。

 昨日の出し物は、小野小町(オノノコマチ)を題材にした狂言だった。

 藤若扮する小菊という娘が母親を捜しに京に来て、昔、絶世の美女と謳われた母親、小野小町に再会するという話だった。母親の思い出の場面では、若き日の小町に扮した助六が舞台狭しと踊り、唄い、語った。普段の助六からは、まったく想像もできないような情熱的な素晴らしい演技だった。左近が、いい男だがちょっと抜けた所のある、とぼけた恋人、深草の少将役をうまく演じていた。太一は助六の恋仇として登場し、妖艶な踊りを披露した。最後の場面では、年を取って昔の面影もない老婆となった小町を助六は見事に演じていた。そして、その場面に、小町の有名な歌が小助によって唄われた。

 花の色は、移りにけりな、いたづらに~
             わが身、世にふる、ながめせし間に~

 昨日、太郎は助五郎から、別所屋敷で演じる狂言に、ぜひ出演してくれと頼まれていた。右近が怪我をしたので人が足らないのだと言う。芝居や踊りなんてした事のない太郎は、そんな事、無理だと断ったが、難しい役じゃないから是非にと頼まれ、断り切れなかった。今日は金勝座の一員に成り済まして別所屋敷まで付いて行くつもりではいたが、まさか、舞台に上がるとは思ってもいなかった。

 別所屋敷で上演する狂言は『太平記』を題材にしたもので、赤松家の初代の当主、赤松円心が登場する話だと言う。

 助五郎は播磨に行くと決まった時から、是非、赤松円心の狂言を書こうと思っていて、太平記読みから話を聞いたりして色々と調べていたと言う。その狂言もようやく完成し、少しづつ稽古も始めていたらしい。そんな時、別所屋敷より招待され、その狂言を別所屋敷で初演する事に決めたのだと言う。

 狂言は赤松円心が大塔宮(オオトウノミヤ)から令旨(リョウジ)を賜る場面から始まり、次の場面では、鎌倉幕府を倒すのに挙兵して活躍したにも拘わらず、後醍醐(ゴダイゴ)天皇の建武の新政には乾されて嘆いている円心を描き、次の場面では、後醍醐天皇に反旗を翻(ヒルガエ)した足利尊氏と会い、九州に逃げる尊氏に助言を与え、最後の場面では、白旗城において新田義貞と戦い、再び、九州より大軍を率いて上って来た尊氏と再会して、尊氏と共に京に攻め入るというところで終わっている。

 円心役を左近がやり、尊氏役を助五郎がやり、円心の息子、信濃守範資(シナノノカミノリスケ)を助六、雅楽助貞範(ウタノスケサダノリ)を太一、播磨守則祐(ハリマノカミノリスケ)を藤若、弾正少弼氏範(ダンジョウショウヒツウジノリ)を千代がやり、太郎の役は二つめの場面に登場する白旗明神の化身という役だった。結構、重要な役処だが、舞台の上で、助六と太一の太刀をかわしながら跳びはねてくれればいいと言う。

 昨日、少し稽古したが、今日もびっしり稽古を積まなければならなかった。ただ、素顔で演じるわけにはいかなかった。楓と共に百太郎も見ているに違いない。舞台の上の太郎を見たら、きっと、お父さんと叫ぶに違いなかった。まだ、太郎の存在を気づかせるには早すぎた。その事を助五郎に言うと、白旗明神の役は面をかぶる役だから大丈夫だと言った。

 初め、鬼のような憤怒の相の面をかぶり、助六たちと戦ってからは穏やかな翁(オキナ)の面をかぶると言う。翁の面はあるが、鬼の面がないと言うので、太郎が自分で作る事にしたのだった。

 太郎は金比羅坊と考えた、噂を流すという作戦をさっそく始めていた。白粉売りの藤吉に頼み、商人たちの間は勿論、商売先の町人たちの間にも噂を流させた。

 噂の内容は『楓御料人様の旦那様は生きていて、もうすぐ、城下に来るだろう』というものだった。噂の性質上、すぐに城下中に広まるだろうと思った。

 宝捜しの四人にも行く先々で、噂を流してもらう事にした。播磨の国中の者が、この噂を信じてしまえば、赤松家としても楓の旦那を登場させなくてはならないはめになるだろう。

 太郎が河原で鬼の面を彫っていると、片目の銀左が通り掛かって覗き込んだ。

「おっ、なかなか、やるのう。鬼の面か」

 太郎は顔を上げて銀左を見ると頷いた。

「観音像はやめて、今度は面打ちか」と銀左は笑った。

「いえ。ここの一座が、今日、別所屋敷で踊るんだそうです。鬼の面が足らんと言うので、ついでに作ってやってるんです」

「ほう。それにしても、おぬし、酒臭いのお。昨夜はお楽しみだったと見えるのう」

 銀左はニヤニヤしながら太郎を見ていた。

 太郎は首を振った。「楽しみだったんだか何だか、全然、覚えてないんですよ」

「何を言うか、この色男が。あまり、女子(オナゴ)を泣かせるなよ。後が怖いぞ」

「女子を口説く前に、酔い潰れてしまったらしい」

「情けないのう。酒を飲むのも修行じゃ。真剣に飲まなけりゃいかん。確か、ここの一座は金勝座じゃったのう。金勝座が別所屋敷にのう」

 太郎は頷き、彫りかけの鬼の面を眺めた。

「銀左殿、楓御料人というお方には旦那さんがいたって知ってました?」

「おう、その位、知ってるわ。何でも、子供が一緒だと言うからの。しかし、その旦那っていうのは戦で死んだって言う話じゃぞ」

「ところが生きていたんですよ。昨日、別所屋敷でちょっと耳にしたんだけど、旦那さんは生きていて、もうすぐ城下に来るんだそうですよ」

「なに、そいつは本当か」

「本当みたいですよ。加賀守殿にしても、楓御料人様の旦那さんが、突然、現れると聞いて困っているみたいですよ」

「そうか‥‥‥旦那が生きておったか‥‥‥」

「ええ。ところで、銀左殿はどこに行くんです」

「あっ? ああ、新しい城下じゃよ。その楓御料人様の披露式典の会場の回りに宿屋をずらりと建てるそうじゃ」

「へえ、いよいよ、始めますか」

「おう。また、忙しくなるわ。それじゃあのう」

 銀左は人足を引き連れて去って行った。

 銀左でさえ、浦上美作守が京で流した噂を知っていた。という事は、太郎の噂もあっという間に広まるに違いなかった。銀左はそう簡単には信じないだろうが、後ろで聞いていた人足たちが噂を広めてくれるだろう。

 太郎はまた、鬼の面作りに熱中して行った。





 祭りが始まろうとしていた。

 残暑の残る秋晴れの昼過ぎ、別所屋敷の広い庭園は人で埋まり、賑やかだった。

 別所屋敷はうまい具合にできていた。くの字に曲がっている屋敷の庭に面している所は広い廊下になっていて、戸が全部はずされていた。

 その廊下に着飾った身分の高そうな奥方や娘たちが、ずらりと並んでいる。その下の庭の筵(ムシロ)を敷いた所には家臣たちの奥方や子供たちが、そして、何も敷いてない所には女中や下女、使用人たちが舞台の側までびっしりと埋まっていた。

 舞台の回りを四、五人の子供がはしゃいで走り回っている。その中に、元気に遊び回っている百太郎の姿もあった。

 金勝座の舞台を見るために集まった客たちは、今や遅しと芝居が始まるのを楽しみに待っていた。座頭の助五郎の予想に反して、観客はほとんどが女子供だった。別所加賀守の姿も重臣たちの姿も見当たらない。

 着飾った楓は侍女たちに囲まれて、南の客殿の回廊から舞台の回りで遊んでいる百太郎を見ていた。

 太郎は舞台の後ろに建てられた支度小屋から楓や百太郎の様子を見ていた。百太郎に見られたらまずいと顔を面で隠しながら別所屋敷に入った太郎だったが、支度小屋が裏門のすぐ側にあったので、庭で遊んでいた百太郎に気づかれずにすんだ。

 金勝座の者たちが別所屋敷に入った時は、まだ、見物人の数もそれ程でもなく、屋敷の回廊にも見物客の姿はなかったが、開演の四半時(三十分)前に太鼓を打ち鳴らすと、裏門から続々と客が詰め掛け、庭に作られた席は埋まってしまい、屋敷の回廊も着飾った女たちで埋まってしまった。

 男の観客は少なかったが、楓の側に夢庵の姿があったのには太郎もびっくりした。この城下に着いた途端に消えてしまい、まだ、お礼さえも言っていない。きっと、赤松家の重臣の屋敷にいるに違いないとは思っていたが、まさか、別所屋敷にいたなんて、まったく以外な事だった。もしかしたら、楓も夢庵の事を知っているのかもしれない。夢庵とはもう一度、会って話がしたいと思った。

 太鼓の音がもう一度、鳴り響き、観客が静まると、おすみの吹く笛の調べで舞台は始まった。おすみの笛に合わせて、新八の小鼓、弥助の大鼓が入り、小助が流行歌(ハヤリウタ)を歌った。その歌に合わせて三人の舞姫たちが男装で登場し、華麗な曲舞(クセマイ)を演じた。

 ついさっきまで稽古していた『太平記』は急遽、変更となった。観客が女子供ばかりでは、あの話では面白くないだろうと、女子供に人気のある『義経』をやる事になった。

 太郎の作った鬼の面は必要なくなったが、太郎は天狗の面をかぶって鞍馬山の天狗の役を演じる事になった。天狗になるのには慣れている太郎でも、まさか、舞台の上で、天狗を演じるとは思ってもいなかった。

 三人の曲舞が終わると、座頭の助五郎と左京がこっけい芝居をやって客を笑わせ、その間に、舞姫たちが着替えを済ませて狂言芝居『源九郎(ゲンクロウ)義経』が始まった。

 第一幕は鞍馬の山の中で、義経が天狗を相手に剣術の稽古をしている場面だった。義経役の藤若が、烏(カラス)天狗に扮した助六と太一を相手に剣術の稽古をしている姿を華麗に舞いながら演じた。やがて、義経が二人の烏天狗を倒すと、いよいよ、天狗に扮した太郎の登場だった。

 太郎は義経役の藤若を相手に、舞台の上を所せましと飛び回った。稽古していた役とは違うが、やる事は同じだったので、太郎もうまくこなす事ができた。決めるべき所をきちんとやれば、後は天狗になったつもりで飛び回っていればよかった。最後に、太郎は義経に巻物を渡して舞台を降りた。

 第二幕は五条の大橋、義経と弁慶の出会いの場面。弁慶の役は左京が演じた。

 第三幕は吉野の山、義経と静御前の別れの場面。義経の家来、佐藤忠信に扮した太一が、山法師覚範(カクハン)に扮した左京を相手に艶やかに舞い、最後に、静御前に扮した助六が華麗な舞を見せた。

 幕と幕の間には、助五郎が出て来て、場面のつながりを曲に合わせて説明をした。

 狂言『義経』が終わると、小助と左京の二人がこっけい芝居をして、客をまた笑わせた。小助は謡方なのに芝居の方も結構うまかった。そして、助六、太一、藤若、千代の四人が巫女(ミコ)姿で登場し、鉦の音に合わせて賑やかな『念仏踊り』で舞台は終わった。

 一時余りの舞台は、観客の喝采を浴び、大成功に終わった。

 観客たちも帰り、後片付けをしている時だった。楓が老武士と夢庵を連れて、支度小屋にやって来た。

 老武士は別所加賀守の執事(シツジ)で別所織部祐(オリベノスケ)といい、舞台がとても素晴らしかったと誉め、主人から預かった物だと言って、金一封を助五郎に渡すと帰って行った。

 太郎もその場に居合わせ、楓の顔を見た途端、声が出そうになったが必死に抑え、ただ、楓の顔を見つめていた。

 楓の方も同じだった。まさか、太郎が一緒に来るなんて思ってもいなかったのに、天狗の役をやっていたのは紛れもなく太郎に違いなかった。支度小屋の中にいた太郎を見つけ、思わず、声が出そうになり慌てて口を押えたのだった。

 赤松家に命を狙われているのに、こんな所に来るなんて危険すぎる。幸いに、今日は加賀守様はいないけど、見つかったら大変な事になってしまう、と心配しながら楓は太郎を見つめていた。

 執事が帰ってから、まず声を出したのは、太郎でも楓でもなく、楓の隣にいた夢庵だった。

「やはり、おぬしだったな」と夢庵は太郎に向かって言った。「あの天狗の物腰が、何となく、おぬしに似ていたんで、もしやと思って来てみたんだが、やはり、おぬしだったか」

「お久し振りです、夢庵殿」

「何やら、わけありのようじゃのう」と夢庵は太郎と楓の顔を見比べてから、「今、どこにおるんじゃ」と太郎に聞いた。

「『浦浪』という木賃宿です。河原の側の」

「河原の側?」

「ええ、紺屋たちがいる河原の側です」

「ああ、あの辺りか」と夢庵は頷いた。「今晩にでも行く。ちょっと話があるんでな」

「わかりました。待っています」

「さて、楓殿、そろそろ行きましょう。片付けの邪魔をしても悪いしな」

「はい」と楓は素直に頷いた。「皆さん、どうも、ありがとうございました。楽しい舞台を見させていただき、皆、喜んでおります。また、この次もよろしくお願いします」

 夢庵と楓は帰って行った。

 金勝座の者たちは荷物をまとめると別所屋敷を後にした。甚助が舞台を壊すために残ろうとしたが、舞台はそのままでいいと言うので、甚助も一緒に帰った。

 もう一度、百太郎の顔を見たいと太郎は思った。しかし、百太郎は屋敷の中に戻ったまま、顔を出さなかった。
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