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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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16.河原にて2






 機嫌の悪そうな顔をして阿修羅坊が、置塩城下に戻って来たのは、太郎たちより二日遅れた八月の一日だった。

 二人の山伏を連れていた。美作の国の戦場から呼び戻した宝輪坊、永輪坊の二人だった。

 笠形山で自分の他にも宝を捜している者がいる事を知った阿修羅坊は、笠形山中を充分に捜し回り、何も得られないまま坂本城に向かった。

 もう一度、当時の事を詳しく調べようと、坂本城に残されている資料をすべて目を通してみたが、古い物はほとんど残っておらず、何の新事実も得られなかった。

 そして次に、赤松家の最期の地、城山城へと向かった。雨に降られながらも城跡まで登り、あちこち調べていると急に大雨に襲われ、これはたまらんと木の陰に隠れて雨宿りをしていた。すると、何と目の前に太郎坊の一行が現れた。目の錯覚かと思ったが、紛れもない事実だった。

 阿修羅坊は木の陰に隠れて、太郎坊たちの様子を窺った。幸いに雨のため、太郎坊たちに気づかれないですんだ。しかし、驚きだった。

 どうして、こんな所に太郎坊が‥‥‥わからなかった。

 やがて、雨も止み、太郎坊たちの声が聞こえて来た。宝という言葉が聞こえて来た。

 どうして、太郎坊が宝の事を知っている。

 阿修羅坊は頭の中が混乱して来て、何が何だか、まったくわからなくなって来た。

 太郎坊には何から何まで、やられ通しの阿修羅坊だった。

 一体、これはどうした事じゃ。まるで、悪夢でも見ているようだった。

 阿修羅坊は心を落着けて、太郎坊たちを見守った。

 よく見ると、太郎坊ともう一人は職人の格好をしていた。そして、山伏姿の三人の内の一人は三十半ば位の大男で、あとの二人は若い。まさしく、笠形山で宝捜しをしていた連中だった。正明坊ではなく、あれは、この五人だったのだ。

 だが、どうして、太郎坊が宝の事を知っている。浦上美作守と自分しか知らないはずだった。

 待てよ。浦上美作守から宝の話を聞いた次の朝、わしの頭の上に、太郎坊は月輪坊の吹矢を置いて行った。という事は、あの晩、太郎坊は浦上屋敷にいたという事になる。あの話をどこかで聞いていたというのか。それ以外に考えられないが、あの時、太郎坊がどこかに隠れて話を聞いていたなど信じられない事だった。

 志能便の術‥‥‥大した事ないと侮っていたが、恐るべき技だった。さらに、もう一つ恐るべき事に、太郎坊は四つめの言葉も知っていた。志能便の術を使って、伊勢の北畠のもとから盗み出して来たのだろうか。

 まったく、恐るべき相手だった。そして、その四つめの言葉が『瑠璃』だと言うのも驚きだった。瑠璃と言えば、やはり、瑠璃寺だろう。太郎坊たちは瑠璃寺から、ここに来たに違いなかった。瑠璃寺で何も得る物がなく、仕方なく、この城跡に来たのだろう。

 阿修羅坊の調べたところ、ここにも宝捜しの手掛かりになる物は何もなかった。

 阿修羅坊は太郎坊たちに気づかれないように山を下りると、真っすぐに瑠璃寺に向かった。

阿修羅坊は太郎たちとは違う道を登って来たのだった。太郎たちは城主の屋形のあった所から登る『大手道』を、阿修羅坊は『兵糧(ヒョウロウ)道』と呼ばれる、城山城への最短距離を登って来た。阿修羅坊は下りる時も、その兵糧道を通って下りたので、太郎たちには、まったく気づかれなかった。また、大雨のお陰で、阿修羅坊の痕跡はまったく消されてしまっていた。

 瑠璃寺に着くと、阿修羅坊はまず太郎坊たち五人の事を調べた。確かに、そのような五人が飯道山の宿坊、普賢院にいたという事がわかった。ふてぶてしくも、ここでも阿修羅坊の名を出して、法道仙人の隠したという黄金の阿弥陀像を捜し回っていた。奴らは二日間、この辺りを捜し回っていたが、結局、諦めたのか、今朝早く、山を下りて行ったと言う。

 太郎坊たちがここにいたという事は、こちらの動きを知っているという事だった。今の所、太郎坊たちはあの五人だけだろう。しかし、こちらが三十人集めている事を知れば、飯道山から仲間を呼ぶかもしれなかった。

 例の志能便の術を使う連中を何人も呼ばれたら、かなわなかった。おちおち眠る事もできない。しかし、仲間を呼んだとしても、すぐには来られないだろう。ここから、近江の飯道山まで行くには早くても四日は掛かる。そして、戻って来るのに四日だとして、早くても八日は掛かる事になる。仲間が来ないうちに太郎坊を倒してしまおうと阿修羅坊は決心した。

 奴らは今晩はまだ城山城にいるだろう。そして、明日、一日中、城山城を調べて、次は、やはり、坂本城に行くだろう。そして、置塩城下に戻るのは二、三日後という所だ。奴らが準備をしないうちにさっさと倒してしまおうと決めた。

 南光坊にいた老山伏に聞くと、宝輪坊と永輪坊の二人はまだ、美作から戻って来ないが、他の三十人は、ほとんど置塩城下に向かったとの事だった。

 阿修羅坊はとりあえずは、ここで宝の事を調べて置塩城下に帰ろうと思った。

 四つめの言葉が『瑠璃』だったとは、阿修羅坊にしても、まったく意外な事だった。この瑠璃寺に『不二』『岩戸』『合掌』に関する物があるのか、瑠璃寺に残る古い絵地図や古文書(コモンジョ)などを調べてみた。

 昔、行基菩薩(ギョウキボサツ)が尊善坊という天狗の案内で、瑠璃色の光を発している岩戸に行き、この世に二つとない瑠璃色に光る不思議な玉を見つけた、と書いてあった。しかし、その岩戸がどこにあるのかわからなかった。また、その瑠璃色に輝く玉というのも今はなかった。

 別の古文書には、行基菩薩が山の中の瑠璃色に光る怪しい光に合掌すると、その光は三丈余り(約十メートル)もある薬師如来に変わったと書いてあった。

 この二つの古文書を合わせると、昔、行基菩薩が瑠璃色の光を発している岩戸に行き、この世に二つとない不思議な玉を見つけ、その玉に合掌すると、その玉は薬師如来に変身したという事になる。

 この中に四つの謎の言葉、すべてが含まれていた。瑠璃色の光の『瑠璃』、その光を発していたという『岩戸』、二つとない不思議な玉の『不二』、その玉に行基菩薩が合掌したという『合掌』、この四つの言葉は皆、薬師如来につながっていた。

 薬師如来といえば瑠璃寺の本尊であり、本堂を初めとして、あちこちの子院や末院に置いてある。また、山の上の奥の院にも薬師堂があった。あの薬師堂のどこかに宝が隠されているのか。

 阿修羅坊はさっそく、奥の院まで行って調べてみたが何もわからなかった。

 次の日は船越山一帯の薬師如来を調べ回ったが何の収穫もなかった。

 阿修羅坊はもう一度、古文書を調べてみた。性具入道がこの瑠璃寺に何かを寄進していないかを調べてみたが、当時の赤松氏に関する物はすべて削除してあり、何もわからなかった。阿修羅坊が古文書を調べている時、宝輪坊、永輪坊の二人がようやく到着したとの連絡が入った。

 その晩、阿修羅坊は二人を料理屋に招待し、遊女を呼んで大いに騒いだ。そして、今朝早く、置塩城下に向かったのだった。

 阿修羅坊は城下に入ると置塩山大円寺内の延齢院に向かった。

 大円寺は赤松政則の叔父、勝岳性存(ショウガクショウソン)和尚を住職とする天台宗の大寺院で、領国内の天台宗寺院を支配下に置いていた。天台宗寺院を支配するという事は各寺院に所属している僧兵、山伏らを支配する事を意味していた。一国を支配するには武士だけでなく、力を持った寺院をも味方にしなければ難しい事だった。

 大円寺は政則によって、寺院を支配するために、置塩城を建てたのと同時に城下に建てられたものだった。大円寺が支配しているのは寺院だけでなく、商人の座や山の民、川の民、河原者など、土地によって支配されている農民以外の者たち、すべてを支配していた。

 当時、人々の支配するやり方には二通りあった。一つは武士や貴族や寺社による土地の支配。この支配には、当然、その土地を耕す農民が含まれる。もう一つは土地ではなく、人を直接支配するやり方で、商人や職人たちを座として支配していた。

 元々、商人や職人たちは朝廷や寺社に所属していた『供御人(クゴニン)』『寄人(ヨリウド)』『神人(ジニン)』と呼ばれる者たちや、荘園に所属していた『散所者(サンジョモノ)』と呼ばれる者たちだった。供御人は朝廷や伊勢神宮に、寄人は寺院に、神人は神社に所属し、彼らは手工業、漁や狩り、運送業など、農業以外の仕事に携わって朝廷や寺社に奉仕していた。その見返りとして、その工芸品や収穫物の販売独占権や、国家権力からの課役免除、治外法権や各国を自由に渡り歩く許可などの特権を得ていた。散所者も同じく、荘園内の片隅に住み、領主のために農業以外の事を奉仕して来た者たちだった。やがて、彼らは分業して行き、商人や職人、運送業、漁師、猟師、整塩業、芸人などに分かれて行った。次第に朝廷や大寺院、公家たちの権力が弱まって行くと、彼らは領主たちから離れて独立するが、特権を得るために、依然、力のある寺社に所属していた。

 武士が彼らを直接に支配するという事は、この当時はまだ行なわれていない。これより約百年後、織田信長が楽市楽座をやり、商人や職人を寺社から切り放して自らの支配下に置くまで、彼らは有力な寺社の保護の下で活動していた。

 夢前川にいる河原者たちも、一見すると勝手に集まって来て、勝手に住んでいるように見えるが、乞食や流民(ルミン)に至るまで、すべての者たちが、どこかの寺社に所属しており、夢前川の河原にいる限りは大円寺の支配下にいる事になっていた。

 金勝座は近江の国の飯道寺に所属しており、夢前川で興業している間は大円寺の支配下にあり、あの河原を仕切っている片目の銀左衛門は、夢前川の水源にある雪彦山金剛寺に所属し、大円寺より城下の河原を任されていたのだった。また、大通りに店を出している大手の商人でさえ、一応、有力な寺社に所属していた。赤松家と取引きしてはいても、直接的に赤松家の支配を受けているわけではなかった。

 赤松政則は武士や農民だけでなく、寺社および、商人や職人など、領国内のすべての者たちを支配するために、叔父の勝岳性存を大円寺に置いたのだった。

 その大円寺内にある延齢院が阿修羅坊の置塩城下における本拠地だった。瑠璃寺から呼んだ三十人の山伏たちは、ここ延齢院と大円寺より南東にある性海寺の東光院、城下の南方にある白旗神社内の霊仙坊の三ケ所に分かれて滞在していた。

 阿修羅坊はさっそく、延齢院にいた正蔵坊に太郎坊の事を聞いてみた。

 太郎坊の姿はどこにもないとの事だった。もしかしたら、城下にいないのではないかと言っていた。多分、まだ戻って来ていないのだろうと阿修羅坊は思った。しかし、今日か明日には戻って来るに違いない。

 阿修羅坊は太郎坊と仲間の四人の人相書を描かせ、手下の者たちに配り、二人づつ組ませて城下の回りを固めた。この前、懲りているので充分に注意し、太郎坊一行を見つけても戦う事を禁じ、居場所を突き止めたら、一人は見張りとして残り、もう一人はすぐに延齢院に知らせる事を命じた。

 夕方近く、太郎坊を見つけたという情報が入った。情報を持って来た山伏は、城下の南の大門の外の河原に太郎坊らしい五人がいると言った。もう一人が今、街道の側にある道祖神の祠の陰から見張っているので、すぐに来てくれと言う。

「そいつらは、本当に太郎坊たちか」と側にいた正蔵坊がおかしいという顔付きで聞いた。

 昨日、正蔵坊はその河原に行って来たと言う。大門を見張っていた者から、その河原に不審な者がいると聞き、調べに行ってみたら、二人の乞食がその河原の奥の方にある破れ寺に住んでいた。雪彦山の祭りに行く所だが、一人の乞食が病にかかって動けないので、もうしばらく、ここで休ませてくれと言った。物凄く臭い乞食で、近寄る事もできない程だったという。

「破れ寺の事まではわかりませんが、五人の山伏が河原で飯の支度をしているのは確かです」と太郎坊を見つけた山伏は言った。

「よし、とりあえず、そこに行ってみるか」

 阿修羅坊は正蔵坊を連れて街道筋の祠に向かった。太郎坊たちに気づかれないように山沿いに隠れながら祠まで行き、対岸の河原を見た。

 山伏が三人、河原でのんきに酒を飲んでいた。太郎坊の姿は見えなかったが、城山城で見た若い三人に違いなかった。見張りをしていた者に聞くと、あとの二人は奥の方に行ったまま戻って来ないと言う。

 阿修羅坊は河原の三人を見ながら、回りの風景を頭に入れた。太郎坊たちを倒すのに絶好の場所だと思った。そこは城下の外である。城下内で騒ぎを起こすのはまずいと思っていた阿修羅坊にとって、そこは絶好の場所だった。

 太郎坊たちは多分、ついさっき、そこに着いたのだろう。城下にわしの手下が三十人いる事を知っている太郎坊は城下には入らず、そこを隠れ家に決め、志能便の術を使って、わしの手下を一人づつ倒して行くつもりに違いない。今晩は長旅に疲れて、ぐっすり眠っている事だろう。太郎坊を倒すのは今晩をおいてはないと思った。

 阿修羅坊は二人の山伏をそのまま見張りとして残し、延齢院に帰ると作戦を練った。置塩城築城の時の普請奉行(フシンブギョウ)だった志水主計助(カズエノスケ)を呼び、あの辺りの地形を詳しく聞いた。

 主計助の話によると、あの河原の奥に廃寺があり、その廃寺の裏の谷を通ると丁度、清水峠の辺りに出ると言う。多分、そこの寺に誰かがいた頃には、そこが道だったのだろうと主計助は言った。

 阿修羅坊は主計助に、あの辺りの地図を書かせ、じっくりと作戦を練った。

 太郎坊の事だ、いくら長旅で疲れているにしろ、見張りくらいは置くだろう。見張りを置くとすれば、この稲荷神社か、その上の山の上に違いない。たとえ見張りを置いたとしても、昼ならともかく、夜になれば大して見えない。しかし、太郎坊がこちらの動きに気づいて、逃げられでもしたら絶好の機会を逸してしまう。見つからないように気をつけなければならなかった。

 外はすでに暗くなっていた。

 今日は一日なので、うまい具合に月は新月だった。

 主計助から現場の状況は詳しく聞いたが、実際にこの目で確かめていないので、どこがどうなっているのかわからない。暗い夜中に攻めて、同士討ちにでもなったら余計な犠牲者を出してしまう。夜明け前の、いくらか明るくなってから攻める事にした。

 夜明け頃、すでに太郎坊が起きている可能性はあったが、起きていたからといって、三十人で同時に攻めれば何とかなるだろう。しかし、夜が明ける前にあの寺を包囲しておく必要はあった。

 作戦は念のために三十人を三手に分け、宝輪坊と十人は清水谷の渡しから対岸に渡って北から向かう。永輪坊と十人は太郎坊たちがいる河原より少し下流を舟で渡って南から向かう。正蔵坊と十人は清水谷の渡しから清水峠まで行き、山の中を通って裏から向かう。月は出ていないし、敵に気づかれる事もあるまいと思った。もし、気づかれたとしても、三方から攻めれば逃がす事はあるまい。

 正蔵坊と十人は少し早めに行って、太郎坊たちの寝ている寺のすぐ裏まで近づいて待機している。そして、宝輪坊と永輪坊は寺の前の草むらに隠れ、夜が明けると共に同時に攻めて行くという事に決めた。二十人が攻め始め、敵が裏の方に逃げて行ったら、正蔵坊率いる十人は片っ端から倒して行くという作戦だった。

 宝輪坊と永輪坊の二人は、たった五人を倒すのに、この大袈裟な作戦は何事かと不服のようだった。太郎坊の事は二人に任せる、ただ、逃げられないように三十人で包囲しておくのだと言って納得させた。

 阿修羅坊は本拠地を大円寺から現場に近い白旗寺社の霊仙坊に移し、全員を霊仙坊に集めた。

 城下も寝静まった真夜中の丑(ウシ)の刻(午前二時)頃、正蔵坊率いる十人が、星空の下、清水峠に向かって出発した。それから、半時(一時間)程経って、宝輪坊と永輪坊がそれぞれ十人を率いて出発して行った。

 今度こそ、太郎坊の命はないだろう。楓には悪いが、これが運命というものだ。誰も運命には逆らえないと諦めてもらうしかない。

 阿修羅坊は星空を見上げながら、そんな事を考えていた。





 静かだった。

 川の水音だけが聞こえていた。

 宝輪坊は十人の山伏を引き連れて、清水谷の渡しを渡ろうとしていた。

 二艘の舟に分かれて夢前川を渡った。

 夢前川はこの渡し場の少し下流の所で、清水谷を流れる川と合流する。二艘の舟はその合流点を越えて対岸に上陸した。上陸すると、宝輪坊と十人は草の中に隠れながら河原を下流の方へと進んで行った。

 月はないが星は出ていて、何も見えない程、真っ暗ではなかった。また、彼らは全員、山伏である。常人よりは暗い夜道に慣れていた。

 宝輪坊の一行が丁度、川向こうに城下への入り口の大門が見える辺りまで来た時、下流の方から騒がしい物音が聞こえて来た。人の悲鳴も聞こえて来る。

「一体、何事じゃ」と宝輪坊たちは下流の方へ急いだ。

 一方、下流の方では永輪坊率いる十人が夢前川を渡っている所だった。

 前もって用意しておいた舟に乗って川に漕ぎ出したが、その舟に穴があいていて、水が見る見るうちに溢れてきた。舟に乗っていた者たちは騒ぐが、どうする事もできず、舟は川の中程で沈んでしまった。

 ほとんどの者が持っている武器を捨て、慌てて岸へと泳いだ。

 泳げないで手をばたつかせていた者は何者かに斬られ、川の水を血に染めながら流されて行った。また、元の岸に戻って行った者も何者かに斬られた。

 何とか対岸まで泳いでたどり着いた者には、休む間もなく手裏剣が待っていた。しかも、その手裏剣は川の中から飛んで来た。手裏剣を避け、上陸できたのは永輪坊を含めて、たったの五人だった。

 川から飛んで来る手裏剣を避けて山側に行った五人に、今度は山から手裏剣が飛んで来た。また、二人が倒れた。

 永輪坊たちは恐怖に襲われていた。姿の見えない敵に味方がどんどん殺されて行く。すでに三人しか残っていなかった。阿修羅坊は、敵は五人と言っていたが、とても信じられなかった。ここだけでも五人以上はいるだろう。

 阿修羅坊の奴め、騙しやがったな。太郎坊を片付けたら、阿修羅坊の奴もただでは置かない、と永輪坊は怒り狂っていた。

 三人は手裏剣から逃げた。

 今度は何本もの丸太が音を立てて上から落ちて来た。一人が避け切れずに丸太の下敷になって死んだ。

 残りの二人の前に、ようやく二人の敵が現れた。一人は金勝座の謡方の三郎、もう一人は研師の次郎吉だった。二人共、簡単な鎧を身に着けていた。三郎は太刀を構えて棒を持った山伏を相手にし、次郎吉も太刀を持って永輪坊の太刀を相手にした。

 上流の方に目を移すと、下流の騒ぎを聞いた宝輪坊率いる十人は急いで下流へと向かった。これが命取りとなった。

 先頭を走っていた四人の山伏が、次々と落とし穴に落ちて行った。落とし穴の底には何本もの竹槍が刺してあり、落ちた四人は見事に竹槍に串刺しにされた。

 落とし穴に落ちないように慌てて立ち止まった者も、二人は弓矢にやられ、一人は手裏剣にやられた。

 宝輪坊は川の中に逃げて無事だったが、川の中に飛び込もうとして、また一人、弓矢でやられた。

 宝輪坊は、やはり、阿修羅坊の言っていた通り、太郎坊という奴は手ごわい奴だと思った。相手を甘く見過ぎていたようだ。しかし、今頃、後悔しても遅かった。すでに、ほとんどの者がやられ、残っていたのは宝輪坊とたったの二人だけだった。

 その三人の前に姿を現したのは探真坊、そして、金勝座の左近、鎧師の吉次だった。

 それより少し前、太郎坊を裏から攻めるため、清水峠から山の中を進んでいた正蔵坊と十人はのんきに歩いていた。

 どうせ、出る幕はないだろう、高処の見物でもしているか、と気楽な気持ちで進んでいた。まったく、戦う意志がなかったと言ってよかった。ここなら火を使っても敵にはわからないだろうと、正蔵坊たちは松明(タイマツ)を手にして暗い山の中を歩いていた。

 ところが、突然、先頭を歩いていた二人の男が消えた。落とし穴に落ちたのだった。二人の後を歩いていた三人は一瞬、何が起こったのかわからず、立ち止まり、二人が落ちた穴の中を覗き込んだ。落ちた二人が持っていた松明が、二人の無残な姿を照らしていた。二人共、目を剥き、大口を開けたまま事切れていた。二人の体は何本もの竹槍に串刺しにされていた。

 後ろを歩いていた正蔵坊たち六人は何事が起こったのか、まだ、気づいていない。前の三人が立ち止まっているのを見て、「どうした、太郎坊でも出たのか」と正蔵坊は笑いながら声を掛けた。

「殺された!」と穴の中を覗いていた山伏が言って武器を構えた。

「何だと!」と正蔵坊たちは駈け寄って来た。

 六人が穴の中を覗いている時、一人が悲鳴を上げた。

 落とし穴を避け、先に行こうとしていた男が宙吊りにされ、胸には竹槍が刺さり、その竹槍は背中まで抜けていた。

 まったく、予想外の事だった。何の障害もなく、目的地に行けるはずだった。そして、宝輪坊と永輪坊の二人が太郎坊たちを倒すのを、ただ、見ていればいいだけだった。死ぬ者など出るはずはなかった。ところが、すでに三人も殺された。しかも、敵の姿はどこにも見えない。

 目の前で仲間が宙づりにされ、竹槍に刺されるのを見た男は恐怖のあまり逃げ出した。悲鳴を上げながら逃げて行ったが、その悲鳴は絶叫となって消えた。一人が後を追って調べてみると、悲鳴を上げて逃げた男は首から斜めに袈裟斬りに斬られていた。明らかに刀傷だった。

 誰かがいる。しかし、姿は見えなかった。

 残った七人は松明を捨て、落とし穴と罠に気をつけながら、武器を構えて見えない敵に備えた。

「固まるな。固まると、一遍にやられるぞ」と正蔵坊は指図した。

「離れるな、離れるとやられるぞ」とも正蔵坊は言った。

 突然、音を立てて竹槍が飛んで来た。竹槍は一人の山伏の腕をかすって木に刺さった。

 弓矢を持った山伏が、竹槍の飛んで来た方に何本もの矢を放ったが、何の反応もなかった。

 正蔵坊は棒を構えながら竹槍の飛んで来た方に向かった。竹で作った大きな弓が木に縛り付けてあったが敵の姿はなかった。

「気をつけろ。敵は近くにいるぞ」と正蔵坊は怒鳴った。

 誰かが悲鳴を上げた。悲鳴を上げながら落とし穴に落ちて行った。

 落とし穴の方に行こうとした二人が弓矢に刺されて倒れた。

 弓矢は二方向から同時に飛んで来た。

 生き残っている四人は二手に分かれて弓矢の飛んで来た方に向かった。弓矢が再び、飛んで来たが弾き返した。

 敵が姿を現した。一人は金比羅坊、もう一人は金勝座の右近だった。二人は弓を捨てると刀を構えて四人に対した。

 金比羅坊は二人を難無く倒す事ができたが、右近は正蔵坊を倒すのに少してこずり、もう一人の相手に背中を斬られた。その時、八郎が現れ、右近の背中を斬った山伏を斬り捨てた。

 清水峠から来た十一人は宝輪坊たちが川を渡る前に、すでに全滅していたのだった。

 時を元に戻すと、下流の方では次郎吉が永輪坊と戦い、金勝座の三郎は棒術を使う山伏を相手にしていた。三郎は敵の棒に右腕をやられたが、そこに現れた太郎に救われた。次郎吉と永輪坊はいい勝負をしていた。ほんの一瞬の差で次郎吉が勝った。

 上流の方では、鎧師の吉次が槍で宝輪坊の薙刀と戦い、左近が槍で棒を持った山伏と戦い、探真坊が棒で太刀を構えた山伏を相手にしていた。左近と探真坊はわけなく敵を倒したが、吉次は宝輪坊の薙刀に左股(モモ)を斬られて倒れた。

 宝輪坊は吉次を倒すと、「太郎坊はどこだ」と叫びながら廃寺の方に向かった。

 寺の方では金比羅坊と八郎と白粉売りの藤吉が待ち構えていたが、宝輪坊の前に突然、太郎が現れた。

「太郎坊は俺だ」と太郎は刀を構えた。

「お前か、お前が月輪坊と日輪坊を倒したのか」

「名前は知らん。名前は知らんが、阿修羅坊と一緒にいた二人なら倒した」

「お前を殺す」と宝輪坊は薙刀を構えた。

 太郎は刀を中段に構えた。

 宝輪坊は左足を前に出し、薙刀の刃を上にして右肩の上にかつぐようにして体の前に斜めに構えた。

 ようやく、明るくなりかかって来た。

 太郎は右足を後ろに引くと刀も後ろに引いた。

 宝輪坊は右足を大きく踏み込み、太郎の首を狙って薙刀を振り下ろして来た。

 太郎は体をほんの少しずらして薙刀を避けると、宝輪坊の右腕を狙って刀を横に払った。

 宝輪坊は太郎の刀を薙刀で弾くと、そのまま、太郎の足元を狙って薙刀を振り回した。

 太郎は飛び上がって薙刀を避け、宝輪坊の右腕を狙い、刀を振り下ろした。

 宝輪坊は太郎の刀を避け、薙刀を振りかぶった。その時、太郎の振り上げた刀に右腕を斬られた。

 宝輪坊の体は一瞬、ぐらついたが、倒れずに持ちこたえた。斬られた右腕は血を流しながら薙刀にぶら下がっていた。宝輪坊は右腕を斬られても左手で薙刀を構えていた。

「おぬしに恨みはない」と太郎は言った。「帰って、阿修羅坊に伝えてくれ。今度、また、攻めて来るようなら阿修羅坊の命はないし、浦上美作守の命もないとな」

 太郎はそう言うと、刀に付いている血を振った。

「お前らは一体、何者じゃ」と宝輪坊は聞いた。

「おぬしたちと同じ山伏だ。何の恨みもないのに山伏同士で殺し会う事もないだろう」

「‥‥‥わかった」と言うと、宝輪坊は右腕から血を流しながら、斬られた腕のぶら下がったままの薙刀を担ぐと去って行った。

 太郎の回りに皆が集まって来ていた。皆が去って行く宝輪坊を見送っていた。

 敵で生き残ったのは宝輪坊、ただ一人だけだった。





 さて、太郎たちが、どのようにして阿修羅坊の差し向けた瑠璃寺の山伏三十三人を見事に倒したのか、太郎の方から見てみよう。

 太郎たち五人が、この廃寺に着いた次の日の朝、伊助が助六たちを連れて来た。そして、助六たちが帰ると、さっそく現場を見回って作戦を立てた。

 まず、八郎を山の上の見張りに立たせ、裏山の敵が通りそうな所に落とし穴を掘り始めた。午後になって阿修羅坊の手下が一人来た。正蔵坊である。八郎はすぐに太郎に知らせた。この時は金比羅坊と八郎が乞食に化けてごまかした。

 夕方、百姓に化けた伊助が来た。武器は揃えたが、どうやって、ここに運んだらいいのか相談に来たのだった。太郎は、武器はこちらから取りに行くと言い、伊助から金勝座の座員たちの事を聞いた。作戦は立てたが、どうしても味方の人数が足らなかった。金勝座にも手伝ってもらうしかなかった。伊助の話だと、金勝座の者たちは皆、かなり使えると言う。

 その夜、木賃宿『浦浪』の一室に全員が集まり、作戦会議を行なった。武器は空が曇っているのを幸いに、闇の中、舟に積み込んで運び出した。

 その夜のうちに、上流の入り口に大きな落とし穴を掘って竹槍を埋めた。そして、敵が舟で正面の河原に上陸した場合、隠れたまま弓矢を射れるように、人が潜れる程の穴を幾つも掘った。その穴は落とし穴としても使うつもりでいた。

 次の日には、金勝座の舞台作りの甚助の指揮によって、山の中や河原に幾つもの罠が作られた。その日の午後、阿修羅坊が城下に戻って来たとの情報を藤吉が持って来た。藤吉は足が速いので、城下とこことの連絡係として活躍した。

 準備が完了した、その日の夕方、太郎たち五人はわざと河原に出て酒を飲む真似をした。思っていた通り、二人の山伏が太郎たちを発見し、阿修羅坊が調べに来た。

 この時、城下の阿修羅坊の本拠地、大円寺には伊助と助六、性海寺には金勝座の大鼓打ちの弥助と太一、白旗神社には謡方の小助と藤若、清水谷の渡しの近くにある八幡神社には藤吉と千代が待機していた。それぞれ、敵に動きがあれば娘たちが藤吉に知らせに走り、藤吉はその情報を太郎たちに知らせる手筈となっていた。

 藤吉は清水谷の渡しを渡らず、川沿いに河原を走り、南の大門の前の小川を飛び越え、太郎たちのいる河原の対岸まで来て、簡単な情報の場合は矢文を弓で飛ばした。重要な情報は、こちら側の木から対岸の木に縛り付けてある綱を滑車で滑りながら川を渡って知らせる事になっていた。この仕掛けも甚助が作った物だった。勿論、太郎たちは阿修羅坊の手下が街道筋の祠から、こちらを見張っている事を知っている。藤吉も、その見張りに気づかれないように行動した。

 日が暮れ、暗くなってから阿修羅坊は動き出した。大円寺にいた阿修羅坊を初め、宝輪坊、永輪坊など山伏十人余りが南に向かって移動した。大円寺を見張っていた助六は藤吉のもとへ走り、伊助は阿修羅坊たちの後を追った。性海寺の山伏たちも動き出した。太一が藤吉のもとへ走り、弥助は後を追った。

 助六からの情報を得た藤吉は河原を走って太郎に矢文で知らせた。戻る途中、小川の所で助六と会い、助六から太一の情報を聞くと再び戻って太郎に知らせた。

 大門の所の小川は身の軽い藤吉だから飛び越える事ができるが、普通の者が飛び越える事はまず不可能と見てよかった。助六と藤吉は八幡神社に向かった。八幡神社には太一が待っていた。やがて、藤若が大円寺の山伏も性海寺の山伏も皆、白旗神社に集合したとの情報を持って来た。藤吉はその情報を太郎に知らせた。三人娘はそのまま八幡神社に待機していた。白旗神社には伊助、弥助、小助の三人が見張っていた。

 その後、しばらく、阿修羅坊の動きは止まった。

 丑の刻(午前二時)頃、十人程の山伏が河原の方に向かっているとの情報を持って、弥助が八幡神社に来た。弥助が来るのと同時くらいに、こちらに向かって来る一団が見えた。一団は清水谷の渡しに向かった。その中に阿修羅坊の姿もあった。一団の後を付けていた伊助が八幡神社に来た。伊助は弥助を白旗神社に戻し、藤吉と共に阿修羅坊たちの後を追った。

 阿修羅坊は正蔵坊と十人を川向こうに渡し、一人の船頭に二艘の舟を下流まで運ぶように命じた。正蔵坊たちが向こう岸にたどり着くのを確認すると、阿修羅坊は白旗神社には戻らずに大門の方に向かった。

 阿修羅坊は大門の見張りの者に、「この先の河原でちょっとした騒ぎが起こるが心配しないでくれ。すべて、自分が責任を持つから目をつぶっていてくれ」と言い渡した。そして、しばらくしたら渡し場の船頭が一人、戻って来るから、入れてやってくれと頼むと、その場を去り、白旗神社に戻って行った。

 後を付けていた伊助は藤吉を太郎のもとに走らせ、自分はまた阿修羅坊の後を追った。

 藤吉からの情報を受けた太郎は、全員を戦闘配置に付けた。

 まず、金比羅坊と右近、八郎の三人を清水峠に通じる谷道に向かわせた。もう一ケ所、山の中を通って廃寺の横辺りに出る谷があり、万一のために、そこを次郎吉に守らせた。

 あとの者にはとりあえず、弓矢を持たせて草むらの穴に中に潜らせた。

 やがて、目の前の川を二艘の舟がつながって下って行くのが見えた。乗っているのは船頭一人のようだった。二艘の舟は下流の岩が飛び出ている所より少し手前の対岸に上げられた。乗っていた船頭は舟を河原に上げると街道の方に消えた。

 下流に舟を置いたという事は、あそこを渡るつもりだろう。二艘という事は、多分、十人位だろう。太郎は下流の上陸地点の上の山の中に、手裏剣を使う小鼓打ちの新八と、丸太を落とす役として謡方の三郎を配置した。そして、太郎は泳ぎの達者な風光坊を連れて川の中に入って対岸まで泳ぐと、二艘の舟に穴をあけた。風光坊はそのまま舟の側に待機させ、太郎は元の河原に戻って、次の情報を待った。

 あとは残りの十人が、どこから来るか、だった。舟で正面の河原に上陸するか、清水谷の渡しを渡って、河原を歩いて来るか、どちらかだった。

 それから半時程して、阿修羅坊たちの動きが伊助から藤吉に伝わり、藤吉は滑車を使って対岸に渡ると綱を切り、太郎に知らせた。

 残りの二十人が二手に分かれ、一つは今、清水谷の渡しを渡り、もう一つは街道沿いに南に下っているとの事だった。

 太郎はすぐに上流の入り口、大きな落とし穴を掘った所の山の中に、弓矢を持った甚助と左近、手裏剣を使う探真坊を配置し、そこを通り抜けて来た者を倒すため、槍を持った鎧師の吉次を配置した。藤吉は次郎吉の所に配置し、太郎自身は川に入って風光坊が待機している対岸の舟の所に向かった。

 こうして、戦闘は開始された。

 裏山の方では、落とし穴に落ちて死んだ者が三人。宙吊りにされて竹槍に刺されて死んだ者が一人。逃げようとして八郎に斬られて死んだ者が一人。金比羅坊と右近の弓矢に刺されて死んだ者が、それぞれ一人づつで二人。金比羅坊に斬られて死んだ者が二人。右近の背中を斬ったが、八郎に斬られて死んだ者が一人。正蔵坊は右近に斬られて死んで行った。裏山では全員が死んだ。

 下流の方では、沈んだ舟から川に落ち、泳げずに暴れている所を太郎に斬られて流れて行った者が二人。同じく、風光坊に斬られて流れて行った者が一人。元の岸に戻り、風光坊に斬られて死んだ者が一人。泳いで対岸までたどり着いたが、川の中からの太郎の手裏剣にやられて死んだ者が二人。無事に対岸に上がったが、山からの新八の手裏剣にやられて死んだ者が二人。三郎が落とした丸太の下敷になって死んだ者が一人。六尺棒で三郎の右腕を折るが、太郎に右腕を斬られた者が一人。この山伏は三郎に止めを刺されて死んだ。永輪坊は次郎吉の太刀に袈裟に斬られて死んだ。ここでは手足を斬られて流されて行った者が三人いたが、あとの者は皆、死んで行った。

 上流の方では、落とし穴に落ちて死んだ者が四人。甚助と左近の弓矢に刺されて死んだ者が二人。甚助の弓矢に背中を刺されたが、まだ生きていて探真坊の左股を刀で刺して、探真坊に止めを刺された者が一人。探真坊の手裏剣に顔と首を刺されて死んだ者が一人。探真坊の棒で喉を突かれて死んだ者が一人。左近の槍で胸を突かれて死んだ者が一人。宝輪坊は吉次の左股を薙刀で斬ったが、太郎に右腕を斬られた。ここでも、宝輪坊以外は全員、死んで行った。

 伊助が宝輪坊たちの後を追って来た時には、戦闘はほとんど終わっていて、太郎が宝輪坊と戦っている所だった。

 作戦は大成功だった。思っていたより、うまく行ったと言えた。

 敵が夜明け前のまだ暗いうちに襲って来た事が、返って、うまく行ったとも言えた。夜明け近くの明るくなってからでは、こうも、うまく落とし穴には落ちなかっただろう。

 味方の負傷者を調べてみると、鎧師の吉次が宝輪坊の薙刀に左股を斬られ、金勝座の右近が背中を斬られ、同じく金勝座の三郎が右腕を骨折していた。そして、風光坊が右頬と左腕を軽く斬られ、探真坊が左股を刺された。

 探真坊は上流で宝輪坊たちと戦っていたが、一人の敵を棒術で倒した後、敵がまだ、どこかに隠れてはいないかと、落とし穴の辺りを探っていた。落とし穴の中の無残な死体を覗いている時、弓矢でやられて倒れていた男が、ふいに探真坊の左股を刀で刺して来た。探真坊はその男の止めを刺したが、まったくの不覚だった。

 幸いにも、死に至るような深い傷を負った者はいなかった。

 やがて、藤吉が助六たちを連れて来て負傷者の手当を行なった。

 怪我をしなかった者たちは敵の死体を片付けた。敵の武器は回収し、死体はすべて、落とし穴の中に埋められ、冥福を祈るため、お経が唱えられた。そして、辰の刻(午前八時)頃には、何事もなかったかのように綺麗に片付けられた。





 小鳥が鳴きながら飛び回っていた。

 いつもと変わらぬ朝だった。

 夢前川はいつもの様に流れ、街道にはいつもの様に旅人の姿も行き交っていた。

 太郎は独り、河原に座って川の流れを眺めていた。着ている黒い志能便装束は泥だらけだった。

 阿修羅坊の一味は倒した。作戦は成功した。しかし、いつものように戦闘の後の空しさに襲われていた。倒した三十人余りの山伏たちは、太郎とは何の関係も無い連中だった。ただ、阿修羅坊に命令されただけで、ここに来て戦い、死んで行った。

 奴らは一体、何の為に死んで行ったのだろう。

 幸い、味方には死人はでなかったが、怪我人は出た。彼らは何の為に怪我をしなければならなかったのだろう。

 昨日までは、阿修羅坊一味を倒すために無我夢中になって作戦を練り、ろくに眠りもしないで、落とし穴を掘ったり罠を仕掛けていた。やらなければ殺される。殺されないために必死だった。しかし‥‥‥

「太郎坊様」と誰かが呼んだ。

 太郎は振り返った。いつの間にか、すぐ後ろに助六が立っていた。

「どうしたんですか」と助六は首を傾げながら聞いた。

「いや‥‥‥」と太郎は首を振った。

「奥さんとお子さんの事を考えていたのですか」

「えっ、いや、そうじゃない」

「見事でしたね」と助六は笑った。

「怪我人の方はどうです」と太郎は聞いた。

「皆、大丈夫です。それ程、深い傷の人はいません」

「そうでしたか。でも、右近殿と三郎殿が怪我をして、金勝座の方は大丈夫ですか」

「三郎さんは手を骨折しただけですから唄は歌えます。ただ、右近さんの方は、しばらくは舞台に上がれません。でも大丈夫です。お頭が代わりに舞台に上がるでしょうから」

「そうですか。迷惑をかけて、すみません」

「迷惑だなんて」と助六は首を振った。「わたしたちは、これまでも危ない事を何度もして来ました。今回程、危ない事はなかったけど、これだけの怪我で済んだなんて、まるで嘘のようです。怪我をした人たちも、みんな、今回の戦がうまく行った事が嬉しくてしょうがないみたいです。わたしもほんとに驚いています」

「風光坊と探真坊の具合はどうです」

「風光坊様は左腕を斬られましたけど、それ程、深くありません。十日もすれば治るんじゃないでしょうか。探真坊様の左足の傷は結構、深いです。しばらくの間は起きられないでしょう。それと、吉次様の傷も結構、深いみたいです。探真坊様と吉次様と右近さんは小野屋さんが面倒を見てくれるそうです」

「小野屋さんが‥‥‥そうですか」

「これから、どうするつもりですか」と助六は聞いた。

 太郎には答えられなかった。先の事など、まだ何も考えてはいなかった。

「もう、ここに隠れる必要もないんでしょ。『浦浪』に戻って来て、今日はゆっくりと休んだ方がいいですよ」

「そうですね」と太郎は頷いた。

 助六は太郎に笑いかけて、川の側まで行くと、しゃがんだ。

「太郎坊様、今日は金勝座の公演があるんですよ。ぜひ、見に来て下さい」

「そうですね」と太郎は助六の後ろ姿に言った。「みんな、疲れ切っていますから、今日は、のんびりと芝居見物でもさせましょう」

「太郎坊様」と助六が振り返った。「奥さんとお子さんは、いつ、助け出すのですか」

「わかりません。ここのお屋形様が戻って来て、楓が弟に会ってからにしようと思います」

「いつ頃、戻って来るんでしょう」

「それも、わかりません。しかし、それまでに宝を捜し出さなくてはなりません」

「ああ、そうでしたね。一体、どこにあるんでしょう」

「さあ」と太郎は首を振った。「助六殿、そなたも一睡もしていないんでしょう」

「ええ」

「午後から舞台があるのなら、少し、休んだ方がいいですよ」

「わたしは大丈夫ですよ。それより、太郎坊様の方こそ疲れているでしょうに」

「わたしは、今日は、のんびりするつもりですから」

 助六は笑った。太郎も笑った。

「太郎坊様、わたしの本名は奈々って言うんですよ。変でしょ。七日に生まれたから『なな』なんですって」

「奈々殿ですか」

「殿なんて変ですよ」

「わたしの本名は愛洲太郎左衛門と言います」

「愛洲? 愛洲っていえば、南伊勢の愛洲様ですか」

「御存じですか」

「はい、わたしが生まれたのは伊勢の国、松坂の近くの櫛田(クシダ)と言う所です。もう、昔の事ですけど、愛洲様のお城下、玉丸(田丸)や五ケ所浦で踊った事もありました」

「そうでしたか。五ケ所浦に行った事があるんですか」

「太郎坊様は五ケ所浦の出身なんですか」

「ええ」

「五ケ所浦といえば、海賊(水軍)ですか」

「まあ、そうです」

「そうだったのですか。金勝座の人はほとんどが伊勢の出身ですよ。お頭は松坂ですし、太一は山田です。藤若は愛洲殿のお城下、玉丸の生まれです。左近さんと大鼓の弥助さんと小鼓の新八さんの三人が大和の国の出身で、謡方の三郎さんと見習いのお千代ちゃんが近江の国の出身ですけど、後のみんなは伊勢です」

「そうですか。ところで、金勝座の人たちは、どうして、みんな、武術をやるんですか」

「みんなとは言いませんけど、わたしたち芸能一座の者たちは、ほとんどの者が身を守るために何らかの武術を身に付けています。わたしたちは一生、旅をして暮らします。知らない他所の地で、何かあった時に、頼りになるのは自分たちだけなんです。誰も助けてはくれません。わたしたちは芸を習うのと一緒に武術も習うのです。武術といっても護身のためのものですから、それ程大したものではありませんけど、金勝座の人たちは皆、一流の腕を持っています。松恵尼様が金勝座を作る時、芸だけでなく、武術の腕も持っている者たちを集めたのです」

「成程、そうだったのですか。それじゃあ、助六殿」

「奈々と呼んで下さい」

「奈々殿、いや、奈々さん、女の人も皆、武術を使うわけですか」

「ええ、皆、使います」

「あの、見習いのお千代さんも?」

「ええ、お千代ちゃんも小太刀(コダチ)を使います。か弱そうに見えるけど、お千代ちゃんの小太刀は本物ですよ。最近の中途半端なお侍さんなんか簡単にやっつけちゃうわ」

「へえ、あの娘(コ)がね」

「お千代ちゃんは一人娘だったんです。お父さんに、これからの世の中は、女でも強くなければ生きては行けないと、小さい頃から厳しく仕込まれたらしいの。お父さんはお侍だったけど戦で亡くなりました。お母さんはお千代ちゃんが小さい頃に亡くなったらしい。お千代ちゃんは去年、金勝座に入ったんです。踊りなんて全然知らなかったけど、小太刀の名人だけあって、覚えが早いし、筋もいいわ。武術と芸事っていうのは、どこか通じる所があるのかもしれませんね。武術が上達すると芸事も上達するし、その逆も言えます。よくわからないけど、武術のお稽古をすると心が澄んで来て、その心で踊るとうまく踊れます。だから、わたしは芸事のお稽古と一緒に武術のお稽古もしています」

「奈々さんは何をやるんです」

「わたしも小太刀です。太郎様、今度、私に剣術を教えて下さいな」

「わたしの方が負けるかも知れない」

「何を言ってるんですか、あなたに敵う人なんて、どこにもいませんよ」

「いや、男は女には弱いものです」

 助六は笑った。「女も男の人には弱いものですよ」

 太郎も笑った。

「今日も、暑くなりそうですね」と助六が言った。

「ええ」と太郎は頷いた。

「お姉さん」と誰かが助六を呼んでいた。

 助六は立ち上がった。

 藤若が来た。

「お姉さん、みんな、帰るそうよ」と藤若は助六と太郎を見ながら言った。

「そう、太郎坊様も帰るでしょ」と助六は聞いた。

「うん」と太郎も立ち上がった。

「太郎坊様も『浦波』に来るんでしょ」と藤若が聞いた。

 太郎は頷いた。

 藤若が助六を見ながら笑った。

三人は廃寺の方に戻った。
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