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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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21.松阿弥1






 太郎たちが城山城で宝を捜している頃、右手を首から吊った阿修羅坊が、渋い顔をして播磨の国に向かっていた。

 一人ではなかった。

 痩せ細った僧侶が一緒だった。年期の入った杖を突き、時々、苦しそうに咳き込んでいる。ちょっと見ただけだと、どこにでもいるような時宗の遊行僧(ユギョウソウ)に見えるが、死神のような、近寄りがたい殺気が漂っていた。

 僧の名を松阿弥(マツアミ)といい、浦上美作守が太郎を殺すために差し向けた刺客(シカク)だった。

 阿修羅坊は京に帰ると、事実をすべて打ち明けた。美作守は阿修羅坊から話を聞いて、とても信じられないようだった。

 山伏の小僧一人、消す事など何でもない事だと思っていた。すでに、太郎坊などこの世にいないものと思い込み、すっかり、太郎坊の事など忘れていたと言ってもよかった。久し振りに阿修羅坊が戻って来たと聞いて、さては例の宝を捜し当てたな、と機嫌よく阿修羅坊を迎えた美作守だった。

 ところが、阿修羅坊の口からは思ってもいなかった事が飛び出して来た。阿修羅坊の手下が四十人もやられ、太郎坊は無事に生きていて置塩城下にいると言うのだ。阿修羅坊が、いつものように戯(ザ)れ事を言っているのかと思ったが、阿修羅坊の表情は真剣そのものだった。しかも、右手を怪我している。

 詳しく聞いてみると、宝輪坊と永輪坊の二人も太郎坊にやられて、永輪坊は死に、宝輪坊は片腕を失ったとの事だった。美作守も宝輪坊と永輪坊の二人は知っている。彼らの実力も知っている。戦の先陣にたって、彼らが活躍している所を見た事もある。美作守が知っている限り、武士でさえ、あの二人にかなうものはいないだろうと思っていた。それが二人ともやられたとは、とても信じられなかった。さらに、この屋敷に忍び込んで、例の宝の話を天井裏から聞いていたというのだから驚くよりほかなかった。

 ──何という奴じゃ‥‥‥

 ──まったく、信じられん‥‥‥

 美作守は厳しい顔で、何度も首を振った後、阿修羅坊を見て苦笑した。

「楓殿も大した男と一緒になったものよのう。楓殿の方はどうなんじゃ」

「大丈夫じゃ。別所屋敷で、のんびりと暮らしておる」

「太郎坊に盗まれはせんじゃろうのう」

「奴もそれ程、馬鹿ではないじゃろう。赤松家を相手に戦っても勝てない事くらい知っておるわ」

「奴は、どうするつもりなんじゃ」

「とりあえずは、お屋形様の帰りを待っておるんじゃろう。一度、対面させて、それから、どうするかは、奴もまだ考えていないらしい」

「まあ、どっちにしろ、あの城下から生きては出られまい」

 阿修羅坊は頷いた。「ただ、こっちも、かなりの被害は出るじゃろう。奴の事じゃ。お屋形様を道連れにするかもしれんのう」

「そんな事ができるものか」

「いや、奴ならやる。この屋敷に忍び込んだくらいじゃからな」阿修羅坊は天井を見てから、美作守を見て、渋い顔のまま笑った。「そして、もし、生きて城下から出る事ができたら、まず、おぬしの首はないというわけじゃ」

「脅かすな」

「脅しじゃない。ありうる事じゃ。奴はただ強いだけじゃない。兵法(ヒョウホウ)も心得ておる。人の虚を突いて来るのがうまい。もしかしたら、すでに、この屋敷に忍び込んでおるかもしれん」

「ふん」と言ってから、美作守は気味悪そうに天井を眺めた。「おぬしの考えはどうなんじゃ」

「わしか‥‥‥わしはいっその事、味方にしたら、どうかと思うんじゃ」

「なに、楓殿の婿として赤松家に迎えろというのか」

「そういう事になるかのう」

「どこの馬の骨ともわからん奴をか」

「馬の骨かも知れんが腕が立つ。敵に回すよりは適策じゃと思うがのう」

「しかしのう‥‥‥」

「今の赤松家は優秀な人材が欲しい時じゃろう。とにかく、利用するだけ利用してみたらどうじゃ。消すのは後でもできる」

「今、できんものが後になってできるか」

「一度、味方にしてしまえば、奴だって油断するじゃろう」

「うむ」と美作守は仕方なさそうに頷いた。「おぬしがそれ程言うからには、余程の男なんじゃろうのう」

「味方にして損はない」と阿修羅坊は断定した。「家格など、どうにでもなるじゃろう」

「まあな。とにかく、一度、会ってみん事にはのう」

「わしが話を付けて、連れて来てもいいが」

「うむ。いや、その前に、奴をもう一度、試そう」

「試す?」

「ああ、今、うちに変わった奴が居候(イソウロウ)しておるんじゃ」

「何者じゃ」

「坊主じゃ。だが、ただの坊主じゃない。念流(ネンリュウ)の達人じゃ」

「念流? 剣術使いか」

「ああ、お屋形様の剣術師範、上原弥五郎殿と兄弟弟子じゃそうじゃ」

「と言う事は、上原慈幻(ジゲン)殿の弟子と言う事か」

「そうじゃ」

「ほう、そんな奴が、いつからおるんじゃ」

「去年の秋頃じゃ。ひょっこり現れてのう。わしの命はあと僅かしかない。最期に、赤松家のために働かせてくれ、と言って来たんじゃ」

「命が、あと僅か?」

「労咳(ロウガイ、肺結核)病みじゃ。かなり、重いらしいのう。だが、剣術の腕は一流じゃ」

「そいつを使うつもりか」

「ああ。奴が、もし、そいつより強かったら、おぬしの言う事も考えてみよう」

 こうして、阿修羅坊は松阿弥という念流の達人を連れて播磨に向かう事になった。

 美作守の話だと、松阿弥は浦上屋敷に来るまで、どこで何をしていたのかは、まったく語りたがらないという。ただ、時宗の徒として、あちこち旅をしていた、とだけ言ったという。しかし、阿修羅坊の見た所では、ただ、旅をしていたというだけには見えなかった。何度も修羅場をくぐり抜けて来た男のように思えた。また、はっきりと見たわけではないが、松阿弥の持っている杖は刀身が仕込んであるに違いなかった。そして、その刀は何人もの血を吸って来たに違いなかった。

 松阿弥は時々、咳き込む以外はまったく静かな男だった。一言も松阿弥から話しかける事はなかった。阿修羅坊が話しかけても、ああとか、いやとか返事をするだけで、何も話そうとはしなかった。かといって、ぶすっとしているわけではなく、ちょっとした事で笑ったりもするが、余計な事は何も喋らなかった。

 山伏と遊行僧の奇妙な二人連れの旅は続いた。





 松阿弥は歩きながら、過去を振り返っていた。

 自分の命が、あと一年と持たないだろうと覚悟を決めていた松阿弥は、浦上美作守から与えられた仕事を見事にやり遂げ、山の中にでも入って静かに死のうと思っていた。

 赤松一族の庶流(ショリュウ)の子として生まれ、最期に、赤松家のために仕事ができれば本望だった。

 過去を振り返れば、運命のいたずらというか、数奇な生涯と言えた。

 松阿弥は本名を中島松右衛門といい、赤松一族の上原民部大輔頼政(ミンブノタイフヨリマサ)の家老、中島兵庫助の三男として、播磨の国の北条郷に生まれた。上原民部大輔は赤松性具入道の弟、祐政(スケマサ)の嫡男だった。

 松右衛門が九歳の時、嘉吉の変が起こり、父親は上原民部大輔と共に戦死し、赤松家は滅び去った。

 松右衛門は民部大輔の四男、弥五郎と共に鎌倉に逃げた。当時、鎌倉の禅寺に民部大輔の弟が慈幻(ジゲン)と称して出家していた。松右衛門と弥五郎は共に出家して禅寺に隠れていた。

 弥五郎の叔父、慈幻は禅僧であったが、念流という武術の達人でもあった。

 念流と呼ばれる武術は、この頃より百年近く前、念阿弥慈恩(ネンアミジオン)という禅僧によって開かれた武術の流派の一つだった。

 慈恩には十数人の高弟がいて、中でも、中条(チュウジョウ)兵庫助、堤宝山、二階堂出羽守、樋口太郎、赤松慈三(ジサン)の五人が秀でていた。

 中条兵庫助は中条流平法(チュウジョウリュウヘイホウ)を開き、その流れは越前の国(福井県)に伝わり、やがて、名人越後と呼ばれる富田(トダ)越後守が現れて富田流となり、伊藤一刀斎によって一刀流となって現在まで伝わっている。

 堤宝山の流れは下野(シモツケ)の国(栃木県)に伝わって宝山流となり、二階堂出羽守の流れは美濃の国(岐阜県中南部)に伝わり、後に、松山主水(モンド)が現れる。樋口太郎の流れは信濃の国(長野県)から上野(コウヅケ)の国(群馬県)へと伝わり、馬庭(マニワ)念流となって現在まで伝わっている。

 そして、最後の赤松慈三というのは性具入道の弟だった。早くから出家し、鎌倉の寿福寺において慈恩と出会い、弟子となり、念流を極めたのだった。その慈三の弟子となったのが上原慈幻で、松右衛門と弥五郎の二人は、その慈幻の弟子となった。

 弟子となった二人は慈幻のもとで修行に励み、腕を磨いて行った。二人とも素質があったのか、兄弟子たちを追い越し、慈幻門下の二天狗と呼ばれる程の腕になっていた。二人の腕はまったくの互角だった。いつの日か、赤松家が再興される事を夢見て、二人は修行に励んでいた。

 松右衛門が十九歳の時、千阿弥という時宗の老僧と出会った。松右衛門は千阿弥に感化され、松阿弥という時宗の僧となって鎌倉を後にし、千阿弥と共に遊行の旅に出た。旅は二年間にも及んだ。旅の途中で千阿弥は亡くなり、松阿弥は一人、鎌倉に戻って来た。

 二十三歳の時、赤松彦五郎が赤松家再興のため、山名氏相手に合戦するというので、師匠、慈幻と共に播磨の国に向かった。合戦は、初めのうちはうまく行っていたが、山名勢の大軍が攻めて来ると逃げてしまう味方が多く、必死の思いで戦ったが負け戦となってしまった。ついに、彦五郎は備前の国、鹿久居(カクイ)島にて自害して果てた。

 上原慈幻も戦死し、松阿弥も弥五郎も重傷を負った。二人とも、そのまま放って置かれたら死んでしまっただろう。しかし、二人とも悪運が強いのか無事に助けられた。

 その時、助けてくれた相手によって、二人の人生は、まったく別々の道をたどる事となった。

 まず、弥五郎を助けてくれたのは、備中の国の守護、細川治部少輔氏久の家臣、田中玄審助(ゲンバノスケ)だった。細川氏は当時より山名氏と敵対していたので、赤松一族の弥五郎を匿った。

 傷の治った弥五郎は田中家の家臣たちに剣術を教え、やがて、諸国に修行の旅に出た。そして、赤松家が再興されてからは京に戻り、幼かった政則に近侍した。応仁の乱の時も政則の側にいて主君を守り、また、活躍もした。今でも政則の剣術師範として、時には軍師として側近く仕えている。

 さて、松阿弥を助けたのは妙泉尼(ミョウセンニ)という美しい尼僧だった。それが、ただの尼僧だったら、松阿弥も弥五郎と似たような生涯を送っていたに違いなかった。しかし、その尼僧というのは、何と、宿敵、山名宗全の娘だった。

 妙泉尼は小さいが立派な僧院に、五人の尼僧と暮らしていた。

 倒れていた松阿弥は隣の禅寺に運び込まれ、妙泉尼は熱心に看病した。看病の甲斐があって、虫の息だった松阿弥は助かった。すっかり、傷の癒えた松阿弥は身の危険も顧みず、その禅寺から出て行こうとはしなかった。

 そこは播磨の国内だった。当時、山名氏の領国となっていた。毎日、赤松の残党狩りをしているとの噂は聞いていた。しかし、誰も、松阿弥を赤松方だと思っている者はいなかった。旅の遊行僧が戦に巻き込まれて怪我をしたと思っていた。

 松阿弥がそこから離れなかったのは、妙泉尼の美しさのせいだった。松阿弥も出家しているとはいえ若い男だった。美しい女を目の前にして、何とかしたいと思うのは当然の事だった。しかし、相手は出家していた。何とかしたいと思いながらも、何ともならずに、ただ、月日だけが矢のように流れて行った。

 妙泉尼は毎日、近所を散歩するのを日課としていた。松阿弥は時々、妙泉尼を待ち伏せして、一緒に散歩するのを唯一の楽しみとしていた。

 妙泉尼はいつも供の尼僧を連れていたが、そのうちに、松阿弥の姿を見つけると供の尼僧を先に帰すようになって行った。ほんの短い時間だったが、松阿弥は妙泉尼と二人だけの散歩を楽しんだ。

 松阿弥は妙泉尼に自分が赤松家の家臣だった事は隠していた。関東で生まれて、鎌倉で僧になったと説明していた。妙泉尼は知らない関東の地の事を色々と松阿弥に尋ねた。松阿弥は千阿弥に連れられて、二年間、各地を旅していたため、色々な土地を知っていた。妙泉尼は松阿弥から自分の知らない国の話を興味深そうに聞いていた。自分の話を真剣な顔をして聞いている妙泉尼の顔を見るのが、その頃の松阿弥の最高の喜びだった。

「この国は百年以上もずっと、赤松家が治めていました」と妙泉尼は小川のほとりにしゃがむと言った。「今は赤松家は滅んでしまいましたが、いつか、きっとまた、赤松家が攻めて来るに違いありません」

 妙泉尼の回りを赤とんぼが飛び回っていた。

「赤松家はもう攻めて来ないと思います。もう、当主と仰ぐ一族の者もいないでしょう」と松阿弥は妙泉尼の細い背中を見ながら言った。

「いいえ。赤松家はきっと再興されて、ここに攻めて来ます。わたしは詳しい事は知りませんが、播磨、備前、美作と三国を治めていた程の赤松家がそう簡単に滅びたままでいるはずがありません‥‥‥わたしが五歳の時、赤松家は滅びました。でも、八歳の時、生き残っていた赤松家の一族のお方が播磨に攻めて来ました。十二歳の時も、赤松家のお屋形様の弟というお方が兵を挙げました。そして、今年もまた、お屋形様の甥といわれるお方が攻めて来ました。きっと、また、一族のお方が攻めて来るに違いありません」

 妙泉尼は松阿弥を見上げた。その目は悲しそうだった。

「ええ。そうかもしれません‥‥‥」松阿弥も妙泉尼の言う通りだと思った。きっと、いつか、赤松家は再興されると思っていた。思っていたというより願っていた。しかし、赤松家が再興されるという事は、ここ、播磨の国が戦場となるという事だった。

「人の国を取れば、必ず、報いはやって来ます‥‥‥戦が始まれば、また、大勢の人たちが苦しみます。松阿弥様のように、戦に関係ないのに戦に巻き込まれて怪我をする人や死んでしまう人も大勢います。絶対に戦をしてはいけないのです」

 妙泉尼はいつも戦に反対していた。争い事のない平和な世の中が来る事を願っていた。

 そして、ある日、妙泉尼が山名宗全の娘だと知らされた。信じられなかったが、本当の事だった。宗全と言えば父の仇であり、師匠の仇であり、赤松家の仇であった。皮肉にも、その仇の娘に命を助けられたのだった。

 妙泉尼が仇の娘だとわかっても、松阿弥の妙泉尼を思う気持ちは変わらなかった。妙泉尼は、いつも、太平の世が来る事を望んでいた。戦をする父親を憎んでいた。松阿弥が父親の事を言うと、耳をふさぐ程、嫌っていた。わたしは出家した身、すでに、父親はいないものと思っていますとも言った。

 松阿弥は覚悟を決めた。

 素性を隠し、時宗の一僧侶として、山名宗全に近づいて宗全を殺そうと決心した。宗全がいなくなれば、いくらかは妙泉尼の望む太平の世になるだろうと思った。

 松阿弥はさっそく行動に移した。山名家の重臣である垣屋(カキヤ)越前守の家臣、藤田修理亮(シュリノスケ)の食客(ショッカク)となり、剣術の腕によって、だんだんと頭角を現して行った。

 十年の月日が流れた。

 松阿弥はとうとう宗全の目に止まり、山名家の武術指南役となった。指南役となっても、松阿弥は欠かさず妙泉尼のもとへは通っていた。

 松阿弥と妙泉尼との仲は十年前と変わらなかった。相変わらず、時々、会って話をするだけだった。ただ、十年前のように待ち伏せをする必要はなくなった。堂々と妙泉尼の寺に訪ねて行き、妙泉尼に歓迎された。妙泉尼の側に仕える尼僧たちも、何かと松阿弥を頼るようになっていた。

 その頃、赤松家が再興されたとの噂を聞いたが、松阿弥は戻らなかった。

 自分が元赤松家の家臣であった事など、すでに忘れていた。すっかり、山名家の家臣になりきっていた。山名家の家臣になってはいても、それは山名宗全に近づく手段に過ぎなかった。宗全に近づき、宗全を殺す。その頃の松阿弥は宗全を殺す事だけが生きがいになっていた。

 親の仇や赤松家の仇のために、宗全を討つのではなかった。妙泉尼の願う、戦のない太平の世を作るためには、どうしても宗全には死んでもらわなければならないのだった。

 宗全という男は松阿弥にとって乱世の象徴となっていた。この男さえ消えれば、世の中はいくらかは平和になるに違いないと信じていた。

 妙泉尼の寺の庭に梅の花が咲いていた。

 松阿弥は縁側に座って妙泉尼と話をしていた。

「赤松家が再興されて、また、ここで戦が始まるのかしら」と妙泉尼は言った。

「かもしれません。赤松家の残党たちが動き始めているようです」と松阿弥は言った。

「いやですね」と妙泉尼は悲しそうな顔をして、遠くの山を見つめていた。

 松阿弥が妙泉尼に助けられてから十年の歳月が流れているのに、不思議と妙泉尼の美しさは変わらなかった。そして、松阿弥が妙泉尼を思う気持ちは強くなるばかりだった。しかし、どうにもならなかった。

 十年の月日の間、何度、妙泉尼を抱きしめたいと思った事だろう‥‥‥

 自分の気持ちを打ち明けて、一緒に暮らしたいと何度、思った事だろう‥‥‥

 それでも、口にする事はできなかった。

 松阿弥は妙泉尼の横顔を見つめながら、この人だけは絶対に戦に巻き込んではいけないと思った。

 やがて、応仁の乱が始まり、松阿弥は京に呼ばれた。剣術の腕を見込まれて、宗全の身辺警固を命ぜられたのだった。

 いよいよ、機会がやって来た。宗全も馬鹿な奴だ。自分の命を狙っている者に身辺の警固をやらせるとは愚かな奴だと思いながら、妙泉尼にしばしの別れを告げて松阿弥は京に向かった。

 京に行った松阿弥は宗全の側に仕えた。殺す機会は何度もあった。しかし、松阿弥にはできなかった。いくら、仇だと思ってもできなかった。今まで自分が思い描いていた宗全と、実際の宗全とはまったく違っていた。鬼のような憎らしい男だと思っていた宗全は、人のいい親爺に過ぎなかった。勿論、西軍の大将として厳しく非情な面も持ってはいたが、松阿弥の前では人間味のある、ただの親爺だった。

 宗全は松阿弥の事を気に入ったとみえて、常に側に置き、色々な事を相談して来た。妙泉尼から松阿弥の事は色々と聞いているらしく、まるで、松阿弥が身内であるかのように、何でも相談しに来た。

 いつの間にか、宗全が自分の父親のような気がする程だった。仇を討つどころではなかった。宗全の嫡男、伊予守教豊が戦死した時、人前で涙など絶対に見せなかった宗全が、松阿弥の前で大声を出して泣いたのには驚きだった。

 そんな頃、松阿弥は初めて血を吐いた。

 時々、咳き込み、息苦しくなる事はあったが、大した事はないだろうと思っていた松阿弥はひどい衝撃を受けた。まるで、胸が破れたかと思う程、大量の血が口から溢れ出たのだった。自分の命がそう長い事はないと悟った松阿弥は、生きているうちに妙泉尼の願う、戦のない太平の世にしなければならないと思った。

 戦を止めさせるにはどうしたらいいのか‥‥‥

 すでに、応仁の乱は一年以上続いていた。

 この戦をやめさせるには、どうしたらいいんだ‥‥‥

 松阿弥は考えた。考えたが、とても一人の力で、どうなるものではなかった。

 今回の戦は大きすぎた。普通の戦だったら大将を倒せば戦は終わりになる。しかし、今回はそう簡単には行かなかった。将軍や天皇まで巻き込み、全国が二つに分かれてしまっている。お互いに、大将が倒れたからといって簡単に手を引くとは思えなかった。戦に参加している大名たちは、勝てば守護職(シュゴシキ)を手に入れて領土を拡大できるが、負ければ今まで持っていた領土をすべて失い、路頭に迷う事になる。東軍も西軍も絶対に負ける事はできない戦だった。

 松阿弥は死ぬまでに、何かをしなければならないと焦りながらも、相変わらず、宗全の側近くに仕えていた。

 文明四年(一四七二年)の一月、宗全は細川勝元に和平を申し入れたが失敗に終わった。その頃より、宗全の体の具合が悪くなっていた。

 松阿弥はすでに四十歳になっていた。痩せ細り、目は落ち込み、頬はこけ、実際の歳よりはずっと老けて見えた。

 その年の十一月、妙泉尼が病に倒れたとの知らせが、京の宗全のもとに届いた。

 松阿弥は宗全からも頼まれ、妙泉尼のいる但馬の国(兵庫県)に馬にまたがり大急ぎで向かった。死なないでくれ、と祈りながら松阿弥は休まず馬を走らせた。

 馬を乗り換えながら、一睡もせずに松阿弥は妙泉尼のいる尼寺に向かった。

 妙泉尼の思っていた通り、応仁の乱が始まると赤松軍が播磨に攻めて来た。妙泉尼は播磨から避難し、但馬の国の山名氏の本拠地、出石(イズシ)の城下に戻っていた。

 今にも雪の降りそうな空模様だった。

 松阿弥は馬から飛び降りると、「妙泉尼様!」と叫びながら尼寺に入って行った。

 薄暗い奥の間に妙泉尼は横になっていた。思っていたよりも元気そうだった。松阿弥は一安心して、妙泉尼の枕元に座った。

 妙泉尼は松阿弥の顔を見て笑った。

「大丈夫よ。そんなに慌てて、来なくてもよかったのに」

「心配で、心配で‥‥‥」と松阿弥は息を切らせながら言った。

「ありがとう‥‥‥」

「今度はわたしの番です」と松阿弥は言った。

「えっ?」

「妙泉尼様は、昔、死にそうだったわたしの看病を寝ずにしてくれました。今度はわたしの番です」

「そうね‥‥‥お願いしようかしら」

「はい。早く、よくなって下さい」

 妙泉尼は笑った。「わたしね、今まで、逃げ続けて来たような気がするの」

「逃げて来た?」

「ええ。あらゆるものから逃げて来たわ‥‥‥まず、お父上から逃げたわ‥‥‥わたしの姉上はお父上のために利用されて、細川勝元様のもとに嫁いで行ったの。今、お父上が戦っている敵の大将のもとに嫁いで行ったのよ。さいわい、今の状況を知らないで亡くなってしまったのでよかったけど、生きていたら辛い思いをしたと思うわ‥‥‥弟の七郎は細川勝元様の養子にさせられたわ‥‥‥でも、勝元様に男の子が産まれると出家させられて、お父上は怒って手元に引き取ったの。知らない遠い国に行った姉上もいるわ。妹も二人いるけど、幕府内の有力者のもとに嫁いで行った‥‥‥わたしは、お父上には絶対に利用されないと思って、お父上に無断で尼になったの‥‥‥お父上はわたしのした事を許してくれて、わたしのためにお寺を建ててくれたわ。あの播磨のお寺よ。わたしはそのお寺で何不自由なく暮らしていた‥‥‥いつも、平和な世の中になればいいと祈っていたけど、自分では何もしなかったの。回りの人たちが戦で家を焼かれて、食べる物もなくて、さまよっていても、わたしは何もしてあげなかった。ただ、平和の世の中になるようにと祈るだけだった‥‥‥わたしは食べ物に不自由した事なんてなかったわ。わたしの食べ物をみんなに分けてあげたなら助かった人がいたかもしれない‥‥‥でも、わたしは何もしなかった‥‥‥」

 松阿弥は黙って妙泉尼の話を聞いていた。何となく、いつもの妙泉尼と違うような気がした。

「わたしね、病で倒れて、うなされていた時、自分は今まで何をして来たんだろうって思ったの‥‥‥何もしてない事に気づいたわ‥‥‥何もしないで、ただ、平和が来る事を祈っていたなんて‥‥‥今、この時にも苦しんでいる人が大勢いるというのに‥‥‥わたし、病が治ったら、生まれ変わったつもりで困っている人たちのために何かをやろうと思ったの‥‥‥松阿弥様、わたしに力を貸して下さいね」

「はい。それは、もう‥‥‥」

「よかった‥‥‥」と言って妙泉尼はまた、笑った。本当に嬉しそうな笑いだった。その笑いは、松阿弥が最後に見た妙泉尼の笑いだった。

 妙泉尼は翌朝、二度と目を覚まさなかった。

 太平の世を願いながら、妙泉尼は三十六歳の若さで静かに死んで行った。

 外では静かに雪が降っていた。

 松阿弥は涙を流しながら、何度も何度も念仏を唱えた。

 妙泉尼の葬儀の終わった後、松阿弥は、妙泉尼と共に暮らしていた尼僧から、病に倒れた妙泉尼が熱にうなされていた時、何度も松阿弥の名を呼んでいたという事を知った。

 松阿弥は妙泉尼が大切にしていた小さな観音像を形見に貰って、京に戻った。

 京に戻った松阿弥は、まるで、抜け殻のようになってしまった。以前に増して口数は少なくなり、用がなければ部屋に籠もったきり、妙泉尼の観音像に向かって念仏を唱え続けていた。

 誰もが、松阿弥を気味悪がって近づかなくなって行った。

 妙泉尼のいない、この世に何の未練もなかった。

 咳込み、血を吐きながら、ただ、死が訪れるのを待っていた。

 妙泉尼の死から四ケ月後、今度は宗全が亡くなった。七十歳の大往生だった。

 宗全は死の直前、松阿弥を枕元に呼び、「わしは、もうすぐ死ぬ‥‥‥後は、右京大夫(勝元)が死ねば、この長い戦も終わる事じゃろうのう‥‥‥妙泉尼が、いつも言ってたように、どうして、人間という者は争い事を好むんじゃろうのう‥‥‥早く、太平の世が来ればいいのう‥‥‥」と力のない声で言った。

 妙泉尼が死んでからというもの、生きる気力も無くなり、ただ、死を待っているだけの松阿弥だったが、妙泉尼と世話になった宗全のためにも、細川勝元を道連れにして死のうと思った。

 宗全が亡くなり、そして、勝元が亡くなったとしても、今の戦が終わるとは思えない。しかし、両方の大将がいなくなれば、今の状況よりは少しはよくなるだろう。どうせ、自分の命はそう長くはない。どうせ、死ぬなら勝元を道連れにしようと決心した。

 宗全が亡くなってから四十九日目、近くの寺院で法要がおごそかに行なわれていた。

 松阿弥は行動を開始した。

 勝元の屋敷は厳重に警固されていた。しかし、戦が長引いているせいと、敵の総大将、宗全が亡くなったためか、それ程、警戒している様子はなかった。警固している兵たちも形式的に仕事をしているだけで、敵が、ここに攻めて来る事など絶対にあるはずはないと高をくくっているようだった。

 松阿弥は細川屋敷に忍び込むと、皆が寝静まるのを待った。

 勝元は若い側室を連れて、新築したばかりの離れで酒を飲んでいた。うまい具合に、近くには警固の兵の姿はなかった。

 松阿弥は床下に潜って勝元が眠るのを待った。勝元は若い側室と戯れながら、いつまで経っても眠らなかった。松阿弥は辛抱強く待った。ただ、若い側室の嬌声には悩まされた。妙泉尼には失礼だとは思うが、どうしても、妙泉尼を抱いている自分を想像してしまった。

 明け方近くになった頃、ようやく、静かになった。

 松阿弥は部屋に忍び込むと、夜具をはねのけ、あられもない姿で眠りこけている若い女と初老の男を見下ろした。

「これが、細川勝元か‥‥‥」と松阿弥はつぶやいた。

 目の前で眠っている男は、ただのすけべな親爺に過ぎなかった。

 どう見ても東軍の総大将には見えない。一瞬、こんな男を殺してもしょうがないと思ったが、宗全の最後の言葉を思い出し、松阿弥は刀を抜いた。

 一瞬のうちに、勝元と女の首を斬り落とした松阿弥は、静かに屋敷から抜け出した。

 それは、あまりにもあっけなかった。自分も一緒に死ぬ覚悟でいたのに、無事に抜け出す事ができた。

 次の日、細川屋敷は大騒ぎするはずだったが、普段とまったく変わらなかった。次の日も何事もなく、四日目になって、ようやく、細川勝元が流行り病に罹って急死したと発表があった。

 勝元をやったのは自分だと言い触らす気持ちなど初めからなかった。それでも、勝元が病死と発表されるとは、ちょっと、気が抜けた感じだった。

 松阿弥は京を後にし、妙泉尼の眠る但馬の国に向かった。

 妙泉尼の一年忌を済ませた松阿弥は再び、京に戻った。山名屋敷には戻らずに、浦上美作守の屋敷を訪ねた。

 死ぬ前に、最期の仕事として赤松家のために何かをしたかった。もう先がいくらもない事はわかっていた。長い事、山名宗全のもとにいたので、赤松家の実力者が浦上美作守だという事は知っていた。浦上美作守に頼めば、最期の一花を咲かす事ができるだろう。そして、妙泉尼の待つ死後の世界に行きたかった。

 浦上美作守はなかなか仕事をくれなかった。

 両軍の大将が亡くなってから一年が経ち、それぞれの息子たちによって和睦が成立していた。大将同士が和睦したからといって、完全に戦が終わったわけではないが、京の都に平和が戻りつつある気配はあった。

 八月の初めの暑い日だった。とうとう、美作守より重要な仕事が与えられた。ひそかに、赤松家のお屋形様の命を狙っている太郎坊という強敵を倒してくれと言う。太郎坊という男に恨みはないが、赤松家の害となる男なら倒さなくてはならなかった。

 これが最期の仕事だ。これが終わったら但馬に帰り、妙泉尼のもとで静かに死を待とうと思っていた。





 置塩城下は、楓御料人様の旦那様の噂で持ち切りだった。

 誰もが、楓御料人様の旦那様がこの城下に現れると信じていた。

 赤松家の侍たちも、その噂を聞き、重臣たちは京から何の連絡もないのに、これはどうした事だとうろたえ、真相をつかむために使いの者を京に走らせたりしていた。

 別所加賀守は楓から、今まで一言も触れようとしなかった旦那の事を遠慮しながらも聞き出していた。

 楓は何と答えたらいいのかわからなかったが、ありのままに、本名は愛洲太郎左衛門久忠ですと告げ、愛洲の水軍の大将の伜ですと言った。加賀守はしつこく聞いてきた。あとの事は適当にごまかし、今は山伏をやっているという事は隠した。

 当の旦那様の太郎の方は木賃宿『浦浪』でごろごろしていた。無事に宝は捜し出したし、後は、お屋形の赤松政則が帰って来るのを待つだけだった。

 宝が見つかったら遊女屋に繰り出して大騒ぎしようと、みんなで楽しみにしていたのに、その宝物がお経ではどうしようもなかった。大騒ぎするにも元手がない。今までの色々な資金は小野屋喜兵衛が都合をつけてくれたが、遊ぶ銭まで出して貰うわけにはいかなかった。

 みんな、溜息を付きながら、ごろごろしていた。ただ一人、夢庵だけはお経の中にあった赤松一族の百韻(ヒャクイン)連歌と、毎日、睨めっこしている。

 そんな時、伊助が戻って来た。伊助は荷物を置くより早く、太郎を捜すと、「大変です。阿修羅坊が戻って来ました」と顔色を変えて告げた。

 部屋にいたのは太郎と金比羅坊だけだった。風光坊と八郎、そして、傷の治った探真坊の三人はどこに行ったのか、いなかった。

 伊助は、阿修羅坊が松阿弥という時宗の遊行僧を連れて戻り、二人は浦上屋敷に入ったと知らせた。

「その松阿弥というのは何者です」太郎は百太郎のために彫っていた馬の彫り物を傍らに置くと、厳しい顔付きで伊助を見た。

「詳しくはわかりませんが、何でも念流とかいう剣術の使い手だとか聞いています」

「念流?」太郎は念流という流派を知らなかった。

「念流といえば、昔、それを使う奴が飯道山に来た事がある」と金比羅坊が言った。「丁度、風眼坊殿が留守の時でな、師範代の何と言ったかのう、名前はちと忘れたが相手をしたんだが見事に敗れた。そいつは、風眼坊殿の帰るのをしばらく待っておったが待ち切れなくて、そのうち、どこかに旅立って行ったわ」

「そいつが、松阿弥とかいう奴ですか」

「いや、違うじゃろう。名前は忘れたが、れっきとした武士じゃった」

「一体、念流とはどんなものなんでしょう」

「何でも、鎌倉の禅僧が編み出したものらしい」

「禅僧?」

「ああ、鎌倉から出た中条流、二階堂流など、皆、同じ流れらしい」

「中条流に二階堂流‥‥‥」

 中条流というのは飯道山にいた時、太郎も聞いた事があるが、一体、それが、どんなものなのか見当も付かなかった。禅僧が編み出したという所が少し気になった。武士が考え出したものなら、当然、鎧兜(ヨロイカブト)を身に付けての剣術だが、禅僧が考え出したとなると山伏流剣術のように身軽な剣術かもしれなかった。

「敵が何を使うにしろ、やらなければならないな」と太郎は言った。

「敵は、その松阿弥とかいう奴、一人だけか」と金比羅坊が聞いた。

「はい、そのようです。余程、腕が立つに違いありません」

「一人か‥‥‥」

「俺がやります。伊助殿、金比羅坊殿、この事は、みんなには伏せておいて下さい。敵も、俺以外の者には手を出さないでしょう」

「しかし‥‥‥」と伊助は言った。

「これ以上、犠牲者を出したくないし、念流という剣術をこの目で見てみたいのです。お願いします。みんなに知らせれば騒ぎが大きくなります」

 伊助は太郎を見つめながら頷いた。

「伊助殿、すみませんけど、浦上屋敷を誰かに見張らせて下さい」

「ええ、わかってます。私がやります‥‥‥それでは、私はまだ帰って来ない事にしておいた方がいいですね。幸い、誰にも会ってませんから」

「すみません。お願いします」

「わかりました」伊助は頷くと出て行った。

「とうとう、戻って来たか」と金比羅坊は腕を組んで唸り、「一人で大丈夫か」と太郎に聞いた。

「今回は、念流と陰流の戦いです。もし、俺が負ければ俺の修行が足らなかったという事です」

「しかしのう、おぬしが負けるとは思わんが、敵がどんな手で来るのかわからんというのは不気味じゃのう」

「戦う前に、どんな奴か、見ておいた方がいいかもしれませんね」

「おい、まさか、浦上屋敷に忍び込むつもりじゃあるまいな」

「そんな事はしませんよ」と太郎は言って、馬の彫り物を手にした。

「本当だな」と金比羅坊は太郎の顔を覗いた。

「ええ、危険な事はしませんよ」と太郎が言っても、

「おぬしは何をするかわからんからのう」と金比羅坊は疑っていた。「今回の敵は大物だぞ。おぬしが忍び込んでいるのを気づくかもしれん」

「大丈夫です。そんな事はしません」

「きっとだぞ」と金比羅坊は念を押して、「ところで、あの三人はどこ行ったんじゃ」と聞いた。

「さあ、ニヤニヤして、どこかに行きましたけど」太郎は何事もなかったかのように、また馬を彫り始めた。

「昼間っから、女でも買いに行ったのか」

「まさか、そんな銭は持ってないでしょう。多分、金勝座の舞台にでも行ったんじゃないですか」

「舞台? 今日は休みじゃろ」

「休みでも稽古をしています」

「おお、そうか、助六殿たちに会いに行っとるのか。金勝座にはいい女子が揃っておるからの。しかし、あの三人の手に負えるような女子らじゃないわい」

 夢庵がのっそりと入って来た。

「わかったぞ」と太郎と金比羅坊を見ながら言った。「えらい事が隠してあったわ」

 夢庵は太郎と金比羅坊の側に座り込むと、巻物を広げた。太郎と金比羅坊は、連歌の書かれた巻物を眺めた。夢庵は、この中に謎が隠されていると言うが、二人にはまったく、わからなかった。

「連歌において一番重要なのは、この初めにある発句(ホック)と言う奴じゃ」と夢庵は言った。

「発句?」と太郎は聞いた。

「この最初の句じゃ」と夢庵は最初にある性具入道の句を指した。

「『山陰(ヤマカゲ)に、赤松の葉は枯れにける』ですか」と太郎は読んだ。

「そう、それと、次の脇句(ワキク)と第三句も重要じゃ」

「『三浦が庵(イオ)の十三月夜』と『虫の音に夜も更けゆく草枕』か」と金比羅坊が読んだ。

「まず、発句じゃが、『山陰』にというのは山名の事で、山名によって赤松家が滅ぼされたという意味じゃが、ただ、それだけではない」

 太郎と金比羅坊は巻物を見ながら、黙って、夢庵の話を聞いていた。

「問題は脇句なんじゃ。『三浦が庵』というのが意味がわからん。この辺りに三浦などという地はないし、それに『十三月夜』というのもおかしい」

「どうして、おかしいのですか」太郎にはわからなかった。

「これを書いたのが九月五日だから、もうすぐ、十三夜になるから詠んだというのならわかるが、脇句というのは発句を受けて詠むものじゃ。発句は『枯れにける』というから季節は冬じゃ。ところが、脇句の季節は秋じゃ。基本としては、脇句は発句と同じ季節を詠む事になっておる。それなのに、わざわざ、『十三夜』と秋の語を入れておる。第三句は脇句を受けて、秋を詠んでおる。第三句としては、もう少し変化が欲しい所じゃが、まあ、問題はない」

 夢庵は、太郎と金比羅坊の顔を見比べた。二人とも、何が出て来るのか期待しながら、夢庵の話を聞いていた。

「さて、問題の『三浦が庵』じゃが、三浦というのは場所じゃなくて、『三裏』の事だったんじゃ」

「は?」と金比羅坊も太郎も夢庵の言った意味がわからなかった。

「詠んだ連歌を書くのに四枚の懐紙(カイシ)を使うんじゃが、その懐紙を二つ折りにして、一枚目を初折(ショオリ)といい、表に連歌を催した月日や賦物(フシモノ)を書き、初めの八句を書く。そして、裏に十四句を書き、二枚目を二折(ニノオリ)といい、表と裏に十四句づつ書く。三枚目を三折(サンノオリ)といい、四枚目を名残折(ナゴリノオリ)というんじゃ。この三浦というのは、三折の裏の事だったんじゃ」

 夢庵は巻物をさらに広げ、小さく、『三、裏』と書いてある所を指差した。

「ここが、三折の裏じゃ。三浦というのは、ここの事だったんじゃよ。何句あるか、数えてみろ」

 太郎と金比羅坊は数えた。

「十三です」と太郎は言った。

「うむ、十三じゃ。普通、十四あるはずなのに、ここには十三句しかない」

「一句は、どこに行ったんですか」

「一句ずれて、名残折の裏に九句ある。脇句にあった『十三月夜』というのは、この事だったんじゃよ」

「成程、三裏の十三か」と金比羅坊は十三句を眺めながら言った。

「この十三句に、何かが隠されているのですか」と太郎は聞いた。

「ああ、凄い事が隠されておる。ちょっと見た所、おかしい事があるんじゃがわかるかな」

 太郎と金比羅坊は十三の句を読んでみたが、どこがおかしいのか、まったくわからなかった。太郎にしても、金比羅坊にしても、今まで連歌など全然、縁がなかった。一応、読む事ができると言うだけで、その歌の意味するものまではわからなかった。

「松という字じゃ」と夢庵は言った。

 そう言われても、二人には何だかわからない。

「この中に、松と言う字が三つも出て来る。まず、この『松原』、そして『松の下(モト)』、そして、最後の『松に夢おき』じゃ。連歌において『松』という字は、七句以上隔てなければ使えないという決まりがあるんじゃ」

「へえ」と金比羅坊は感心した。

「どうして、隔てなければならないのですか」と太郎は聞いた。

「連歌において、一番嫌うのが同じような事を繰り返し詠む事じゃ。前の句の連想から次の句を詠む。その次の句の連想から、また次の句を詠む。しかし、三番目の句が一番初めの句と似ていたのでは、同じ所をぐるぐる回っているようで、全然、変化も発展もないんじゃよ。それで、次々と発展させるために、この言葉は何回まで使っていいとか、この言葉は何句か隔てれば、また、使ってもいいというような決まりができたんじゃ」

「という事は、『松』という字が、こう何回も出て来るのは良くないという事ですか」

「そういう事になる。まさか、性具入道殿を初め、誰も気づかなかったというわけではあるまい。また、戦の最中で、一々直す暇がなかったのかもしれんが、わしは、そこの所がどうも臭いと思った。何か、『松』という字を並べなければならない理由があるに違いないと思ったんじゃ」

 夢庵が筆と紙を貸してくれというので、太郎は用意した。

 夢庵は巻物を見ながら、まず、最初に、性具の発句を写し、その後に、三折の裏の十三句を全部、ひらがなに書き直した。

 太郎と金比羅坊は、夢庵のする事を黙って見ていた。



  山陰に赤松の葉は枯れにける 性具


  あだに散るらん 生きのびるより 則尚

  かかる世を 待ちはびて今 雲かかる 性具

  露の命を 後の世にかけ 義雅

  あかつきに 西行く雁の 影消えて 則繁

  白旗なびく 松原の磯 則康

  釣舟の 哀おほかる 櫓のひびき 則尚

  悲しかるらむ 風の寒さに 性具

  願はくは また来る春の 月を待つ 義雅

  野に散る花の 浅き命を 則繁

  甲斐なくて 闇にぞ迷ふ 松の下 教康

  尽きぬ命を 舞ふ風に乗せ 則尚

  秋空に 重ねる色の 哀なり 性具

  流水行雲 松に夢おき 義雅



    山陰に赤松の葉は枯れにける


    あだにちるらん いきのびるより

    かかるよを まちはびていま くもかかる

    つゆのいのちを のちのよにかけ

    あかつきに にしゆくかりの かげきえて

    しらはたなびく まつばらのいそ

    つりふねの あはれおほかる ろのひびき

    かなしかるらむ かぜのさむさに

    ねがはくは またくるはるの つきをまつ

    のにちるはなの あさきいのちを

    かひなくて やみにぞまよふ まつのもと

    つきぬいのちを まふかぜにのせ

    あきぞらに かさねるいろの あはれなり

    りゅうすいこううん まつにゆめおき



「成程のう。口惜しそうに死んで行ったのが、何となくわかるのう」と金比羅坊は言った。

「いつの日か、また、再興されるのを願っているようにも感じられる」と太郎は言った。

「わしは歌の事はよくわからんが、『甲斐なくて闇にぞ迷ふ松の下』なんていうのは、いい歌じゃのう。敵の軍勢が城の回りまで攻め寄せて来て、もう終わりじゃ、という事が、実によく伝わって来る。そして、その次の句がまたいい。『尽きぬ命を舞ふ風に乗せ、秋空に重ねる色の哀なり』もう、死ぬ覚悟を決めたんじゃのう。そして最後が『流水行雲、松に夢おき』‥‥‥いいのう」

 金比羅坊は一人で歌の批判をして、一人で感心していた。

「金比羅坊殿、なかなか、歌がわかるじゃないですか」と夢庵が褒めた。

「なに、そんな事はないわ」と金比羅坊は照れていた。

「この歌のどこに、謎が隠されているのです」と太郎は聞いた。

「まずな、一番簡単なのは、それぞれの句の頭の文字を読んで行くと、何か、意味のある言葉になるという奴じゃ」

 太郎と金比羅坊は、句の頭の文字をつなげて読んでみた。

「あかつあしつかねのかつあり‥‥‥」

 文章になっていなかった。

「これは、そんな単純なものではない」と夢庵は言った。「和歌にしろ、連歌にしろ、五文字と七文字の組み合わせでできている。五、七、五、七、七という風にな」

 夢庵は、その五七五七七の頭の文字をすべて、丸で囲んだ。

「何か、気づかんか」

「うむ‥‥‥『ま』と『か』がやけに多いのう」と金比羅坊は言った。

「『あ』も多いですよ」と太郎は言った。

「鍵は、発句の歌にあるんじゃ」と夢庵は発句を指さした。

「『山陰に赤松の葉は枯れにける』‥‥‥この歌が鍵? わからんのう」と金比羅坊は首を傾げた。

「『山陰に』は、どうでもいい。問題は、その次ぎの『赤松の葉は枯れにける』じゃ。赤松の葉というのは、赤松の言(コト)の葉じゃ」

「赤松の言の葉は枯れにける‥‥‥」

「そうじゃ」

「『あかまつ』という四文字を抜くという意味ですか」と太郎が言った。

「その通り」

 夢庵は、先刻、丸印を付けた文字から、『あかまつ』という四文字を抜いてみた。『あかまつ』という文字が五つも隠されていた。そして、残された文字を読むと、『いくのにしろかねのやまあり』という文になった。



    山陰に赤松の葉は枯れにける


    だにちるらん きのびるより

    かるよを ちはびていま もかかる

    ゆのいのちを ちのよにかけ

    かつきに しゆくかりの げきえて

    らはたなびく つばらのいそ

    りふねの はれおほかる のひびき

    なしかるらむ ぜのさむさに

    がはくは たくるはるの きをまつ

    にちるはなの さきいのちを

    ひなくて みにぞまよふ つのもと

    きぬいのちを ふかぜにのせ

    きぞらに さねるいろの はれなり

    ゅうすいこううん まつにゆめおき



「生野に白銀(シロガネ)の山あり‥‥‥」と金比羅坊が言った。

「白銀‥‥‥」と太郎も呟いた。

「というわけじゃ」と夢庵は笑った。

「生野とはどこじゃ」と金比羅坊が夢庵に聞いた。

「丁度、播磨と但馬の国境辺りじゃ」

「夢庵殿、行った事はあります?」と太郎は聞いた。

「ああ、行った事ある。市川をずっと遡(サカノボ)って行くと真弓峠に出る。そこを越えれば但馬の国じゃ。生野というのは峠を越えてすぐの所じゃ」

「ほう。という事は笠形山のもっと北の方というわけじゃな」

「但馬の国か‥‥‥山名氏の領土ですね」

「そうじゃな。山の中で何もない所じゃった。昔は山名宗全の親父殿の隠居所として、立派な屋敷があったらしいが、今は何も残っていない。山の上に小さな砦があって、播磨の方を睨んでいるくらいのものじゃ」

「夢庵殿は、どうして、そんな山の中まで行ったのですか」

「その生野より、もっと向こうの山奥に黒川谷というのがあってのう。そこに大明寺という禅寺があるんじゃが、そこの和尚が連歌に凝っていてのう。連歌会をやるから、是非、来てくれというんでな、牛に揺られて行ったわけじゃよ」

「成程のう。連歌師というのも、なかなかいいもんじゃのう。敵も味方もなく、付き合いができるんじゃのう。山名に行ったり、赤松に行ったり」

「何を言う。おぬしら山伏だって似たようなもんじゃろうが」

「そう言われてみればそうじゃ。わしらもどこに行こうと勝手だったわい」

「ところで、この白銀の事は赤松家は勿論の事、山名家も知らないのでしょうか」

「知らんじゃろう。あんな所で銀を掘っている様子など、まったくなかった。銀が出れば警戒が厳重になり、山名家でも有能の奴が出張って来るはずじゃ」

「という事は、性具入道が極秘で突き止めた事実という事ですね」

「多分、そうじゃろう。嘉吉の変が起こって銀を掘る事ができず、性具入道殿は連歌の中にその事を隠した。いつの日か、赤松家が再興されて、誰かがこの謎を解いて、生野の銀を赤松家のために使って欲しいと願いながら死んで行ったんじゃろうのう」

「しかし、凄いのう。この連歌の中に、そんな謎が隠されておったとはのう。もし、夢庵殿がいなかったら、わしらではとうてい、この謎は解けなかったわ」

「ええ、ほんとです。この歌の中にそんな事が隠してあったなんて‥‥‥赤松家では昔から連歌をやっていたんですね」

「赤松家は幕府の重臣じゃからな。幕府に出入りするには連歌くらいできなくてはならんのじゃよ。特に、性具入道殿は熱心じゃったようじゃのう。まあ、昔に限らん。今でも、そうじゃ。幕府の重臣たちは皆、連歌に熱中しておる。お陰で、わしも、その連歌で食って行けるというわけじゃ」と夢庵は笑った。

 太郎は父親の事は良く知らないが、祖父が時折、連歌会をやっていたのは知っていた。太郎はただ大人の遊びだろうと思っていた。武士の嗜(タシナ)みの一つとして、連歌というものが、それ程、重要な位置をしめていたとは思ってもみなかった。

「これが本当だとすると、えらい事になるぞ」と金比羅坊が難しい顔をして太郎を見た。

「大した宝が出て来たのう。おぬし、どうするつもりじゃ」と夢庵も太郎を見た。

「どうしたら、いいでしょう」と太郎は二人の顔を見た。

「難しいな」と夢庵は首を振った。「お宝が大きすぎるからのう。こんな事を、やたら、人に喋ったら殺される羽目になりかねんぞ」

「殺される?」

「赤松にしろ、山名にしろ、銀山が本物かどうか確認した上で、口封じのために殺すじゃろう」

「成程のう。重要な軍事秘密となるわけじゃからのう」

「そうじゃ。どっちにしろ、銀を掘るとなると赤松か山名、どちらかの力を借りなければ無理じゃろうな」

「楓殿がいるんじゃから、当然、赤松じゃろうのう」と金比羅坊が言った。

 太郎は頷いた。「楓を取り戻そうと乗り込んで来たけど、どうやって取り戻したらいいのか、わからなくなって来た」

「おいおい、どうした、急に弱気になって」

「初めのうちは、楓と宝を交換して帰ろうと思ったけど、そう簡単には行きそうもない」

「確かにな。今、楓殿を取り戻すというのは、はっきり言って不可能に近いのう」と夢庵も言った。

「おぬし、あんな噂を流したんじゃから、お屋形様が帰って来たら堂々と乗り込むつもりじゃろう。そして、宝の事を話して楓殿を取り戻すつもりだったんじゃろう」

「そのつもりでした」

「いっその事、おぬしも楓殿と一緒に、ここに残ったらどうじゃ」と夢庵は言った。

「えっ」と太郎は驚いて、夢庵を見た。

「あれだけ噂が流れてしまえば、赤松家でも楓殿の旦那を迎えるしかあるまい。とりあえずは迎えるじゃろう。そして、ほとぼりがさめた頃、病死してもらうという筋書じゃろうな」

「まさか、そんな汚い事をするのか」と金比羅坊が言った。

「楓殿を利用する気なら、その位の事はするじゃろう。あれだけの別嬪じゃ。嫁に出して、実力者と手を結ぶという事も考えられるしな」

「うむ、それは考えられるのう」

「おぬし、別所加賀守殿に会ってみんか」と夢庵は言った。「わしが思うに、腹を割って話せば加賀守殿ならわかってくれるかもしれんぞ。浦上美作守がおぬしの命を狙っているなら、余計、加賀守殿はおぬしを助けたがるかもしれん。手土産として一切経を持って行けばいい。ただ、銀山の事はまだ隠しておいた方がいいな。最後の切札として取っておいた方がいいじゃろう」

「わしも、そうした方がいいような気がするのう」と金比羅坊も言った。

 太郎は二人の顔を見ながら考えていた。

 急に騒がしい話声がして、風光坊、探真坊、八郎の三人と金勝座の連中が帰って来た。

「みんなが戻って来たようじゃの。まあ、考えてみてくれ。段取りはわしがする」

 夢庵はそう言うと巻物を丸め、太郎に渡すと部屋から出て行った。
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