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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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23.別所加賀守1






 松阿弥との決闘のあった雨降りの日、太郎は夢庵肖柏に、今までのいきさつをすべて話していた。そして、別所加賀守に会わせてくれるように頼んだ。

 夢庵は快く引き受け、さっそく、別所屋敷へと向かった。

 その頃、別所屋敷では楓の旦那である愛洲太郎左衛門久忠という男の正体をつかむため、御嶽山清水寺(ミタケサンキヨミズデラ)の山伏を愛洲氏の本拠地、五ケ所浦に送っていた。

 浦上美作守が瑠璃寺の山伏を使っているのと同様に、別所加賀守は清水寺の山伏を使って情報集めをしていた。

 すでに、赤松家の重臣たちの間にも、楓御料人様の旦那様が生きていて、もうすぐ城下にやって来る、という噂は流れていた。

 新しく作る城下町の事と楓の披露式典の事で、毎日、開かれている評定(ヒョウジョウ)の場でも、その噂は問題となり、別所加賀守は真相を確かめるために、三日前に京の浦上美作守のもとに早馬を飛ばしていた。また、町奉行の後藤伊勢守も噂の出所の追及に乗り出していた。

 後藤伊勢守は金勝座の『楓御料人物語』も見ていた。金勝座の者たちは後藤伊勢守の姿を見つけ、一騒動、起こりそうだと心配したが、後藤伊勢守は座頭の助五郎から物語の内容に関する、ちょっとした話を聞くと帰って行った。捕まるかもしれないと覚悟していた金勝座の者たちは、ほっと胸を撫で下ろした反面、気抜けしたような感じだった。

 後藤伊勢守は、金勝座がこの前、別所屋敷で上演し、成功していたのを知っていた。現に後藤伊勢守の妻と娘も金勝座の舞台を見て、良かったと伊勢守に話していた。確かではないが、金勝座は楓御料人が京から呼んだ芸人たちだ、という噂も流れていた。簡単に捕まえて、取り調べをする訳にはいかなかった。

 後藤伊勢守は調べて行くうちに、この噂が城下だけに広まっているのではないという事を知った。すでに、播磨の国一円に流れていた。

 播磨国内の国人たちは、常に赤松家の情勢に耳をそば立てている。ちょっとした事でも、自分たちの運命を左右する場合があった。お屋形様である赤松政則が、今、どこで何をしているか、また、何をしようとしているかを素早く知り、それに対処して行かなければならなかった。

 国人たちは常に新しい情報を求めていた。後の時代のように間者(カンジャ)を放ってまで情報収集をしていたわけではないが、旅の商人や僧侶、山伏などから色々な情報を手に入れていた。

 国人たちはすでに、お屋形様の姉上様が置塩城下に来ているという事は知っていた。まだ日取りまでは決まっていないが、お屋形様が戻って来たら披露の式典をやるので、必ず、参加してほしいとの連絡を受けていた。その姉上様の旦那様が生きていて城下に来るという噂は、大問題として国人たちの間に広まって行った。

 何が、大問題なのかというと土地であった。

 国人たちは今、自分が手にしている土地を守らなければならなかった。嘉吉の変で赤松家は滅び、播磨の国は山名家の支配下となった。国人たちのある者は赤松家と共に滅び、土地も失った。また、ある者は土地と家臣たちを守るため、山名家の被官となった。そして、応仁の乱となり、また、赤松家が播磨に入って来た。早々と赤松家の味方となった者は無事だったが、最後まで山名家にくっついていた者たちは土地を奪われ滅ぼされた。権力者が変わるたびに、うまく立ち回らないと、土地は奪われ、家臣たちと共に路頭に迷う事となった。

 今回、お屋形様の姉上様の旦那様が播磨に入って来ると言う。姉上様だけだったら、化粧料として僅かな土地を与えれば済むが、その旦那様となれば、お屋形様の義理の兄上として、かなり広い土地を手に入れるに違いなかった。かつて、山名家の被官となっていた国人たちは、もしや、自分の土地が奪われやしないかと冷や冷やしながら置塩城下の動向を探っていた。

 国中に広まってしまったからには、今更、噂の出所など調べるのは難しい事だった。それよりも、もし噂が真実だとしたら、生きているという楓殿の旦那様が、今、どこにいるのか捜し出さなくてはならない。また、出まかせだとしたら、誰が、一体、何の為に、そんな噂を流したのか確かめなくてはならなかった。しかし、そんな噂を流して、得する者がいるとは思えなかった。もし、いるとすれば、それは浦上美作守に違いない、と別所加賀守は思った。

 浦上美作守は赤松家が再興された当初より、幼かった政則の側にいて、よく尽くして来た。幼い主君を立てて、数ある戦で活躍して来た。政則も美作守を父親のように慕って、言う事を聞いて来た。細川勝元の後ろ盾はあったにしろ、今のように赤松家を立て直したのは自分の力だと美作守は自負していた。ところが、政則もすでに二十歳となり、赤松家のお屋形としての自覚を持ち、何だかんだと、うるさい美作守を疎ましく思うようになって行った。政則は幕府の侍所の頭人の身でありながら京を去り、領国経営に乗り出した。すでに、政則は美作守の思うようには行かなくなっていた。

 浦上美作守が、自分の言いなりにならなくなった政則をお屋形の座から降ろして、義理の兄にあたる、その男をお屋形にすげ替えようとたくらんでいるのかもしれないと加賀守は思った。

 楓殿を京にいる重臣たちに紹介してから国元に送り込み、旦那は戦死したと言って安心させ、そして、今度は生きていたという噂を流し、噂が国中に広まった頃を見計らって登場させる。そして、浦上美作守がその兄上の後ろ盾となり、政則の手落ちに付け込み、お屋形の交替に持ち込もうとたくらんでいるのかもしれなかった。

 もし、美作守が、そんな大それた事をたくらんでいるとすると、こちらも慎重に対処して行かなければならない。それだけの事をするには事前工作が必要だった。国元にいる浦上派の重臣たちの動きも調べなければならなかった。そう、美作守の思い通りにさせるわけにはいかない。絶対に食い止めなければならなかった。

 まず、楓が本当に政則の姉かどうか確認しなければならない。加賀守は楓を捜し出したという山伏、阿修羅坊を捜し、楓を捜し出した一件に付いて詳しく聞こうと思った。

 阿修羅坊も美作守の一味だから、本当の事は言うまいとは思うが、何らかの手掛かりはつかめるかもしれない。しかし、阿修羅坊は城下にはいなかった。すでに、京に帰ったのか、城下には見当たらなかった。ところが、昨日、城下の入り口を守る門番から、阿修羅坊が戻って来たとの連絡が入り、さっそく、加賀守は阿修羅坊を呼んで話を聞いた。

 楓殿が会いたがっていると言ったら、阿修羅坊はすぐに別所屋敷にやって来た。

 加賀守は楓のいる前で、阿修羅坊から、どうやって楓を捜し出したのかを聞いた。そして、今、流れている噂についても聞いてみた。

 楓を捜し出した一件については、どうも、嘘を言っているようには思えなかった。加賀守も、美作守が偽の姉上まで仕立てはしないだろうと思った。

 そして、噂については阿修羅坊もまったく知らないようだった。阿修羅坊がこの間、城下を出て行く時には、そんな噂は聞かなかった。ところが、今回、戻ってみると城下は勿論の事、国中、その噂で持ち切りなので驚いていると言う。

 美作守はその事について何か言わなかったか、と聞いてみたが、何も言わなかったと言う。

 美作守が何も知らないというのは信じられなかった。阿修羅坊が隠しているに違いない。もしかしたら、阿修羅坊が噂を流した張本人かも知れないと思った。

 楓の方は、その噂を信じて、本当に喜んでいるようだった。

 ただ、楓の旦那の正体がつかめなかった。楓もはっきりとした事を言わないし、阿修羅坊も詳しくは知らないようだった。

 阿修羅坊が加賀守に呼ばれたのは、丁度、太郎と河原で会った後だった。太郎に、名前を変えた方がいいと言ったばかりだった。加賀守は楓から聞いて、名前と素性を知っていた。しかし、山伏だという事は知らないようだった。楓もそこまでは喋っていないようだ。阿修羅坊も言いたくはなかったが、楓を甲賀で見つけたと言った手前、どうして、甲賀にいるのか説明しなければならなかった。阿修羅坊は、太郎が愛洲家で何らかの問題を起こして国元を出て、甲賀飯道山に身を隠して剣術の修行をしていたが、国元で戦が始まったので、太郎は楓を甲賀に残して帰り、戦に出たが行方不明になったと説明した。楓も、阿修羅坊の話が本当だと認めた。

 話の筋は通っているが、加賀守は納得しなかった。楓にしろ、阿修羅坊にしろ、何かを隠しているような気がしたが、その時は、それ位でやめた。

 そして、今朝になって、清水寺の山伏を大円寺から呼び、五ケ所浦に送った。

 そんな時、夢庵がひょっこり現れ、楓の旦那について話があると言ったのだった。夢庵が、どうして、そんな事に首を突っ込んでいるのかわからなかったが、とりあえず、聞いてみる事にした。

 加賀守は夢庵を書斎に連れて行き、執事の織部祐(オリベノスケ)に、誰も近づけるなと命じた。

 夢庵が語った事は、まったく、驚くべき事だった。

 夢庵は楓の旦那を知っており、今、会って来たばかりだと言った。

 加賀守が、どこにいる、と聞いても、夢庵は教えてくれなかった。それより、話を全部、聞いてくれと、太郎から聞いた話を話し始めた。

 阿修羅坊が楓を捜し出し、京に連れて来た所から、その後を追って、太郎がこの城下に来て、阿修羅坊たちを倒し、そして、今朝、松阿弥と戦って倒した、という所まで順を追って話した。

 加賀守は黙って夢庵の話を聞いていた。

 阿修羅坊が、この城下において何かをやっていたらしいというのは加賀守も知っていた。瑠璃寺から続々、山伏が集まって来ていたし、何かをやっているという事は知っていたが、別に気にも止めなかった。そのうち、その山伏たちはどこに行ったのか城下から消えた。どうせ、阿修羅坊が京にでも連れて行ったのだろうと思っていた。ところが、その山伏たちが、楓の旦那を殺すために城下に呼ばれ、そして、城下のはずれの河原において、全員が楓の旦那に殺されたとは、まったく驚くべき事だった。

 夢庵が話し終わると、加賀守は外を眺めながら、しばらく黙っていた。

 雨は音を立てて降っていた。

 やがて、加賀守は夢庵の方を見ると口を開いた。「という事は、楓殿の御亭主は山伏という事か」

「本当は武士のようですが、山伏でもあり、仏師でもあるらしい」

「仏師?」

「ええ、わたしが初めて会った時、彼は仏師でした。職人のなりをして播磨に向かっておりました」

「仏師に、山伏に、愛洲水軍の大将か、一体、どれが本物じゃろうかのう」

「わかりませんね。わかりませんけど楓殿の御亭主という事は確かのようです」

「どうして、確かだとわかる」

「この間、金勝座と一緒に御亭主がここに来ました。子供にわからないように面を付けていましたけど、わたしはぴんと来て、舞台が終わった後、楓殿を連れて金勝座に会いに行きました。そして、二人の様子を見ました。二人共、一言も喋らなかったが、すぐにわかりましたよ。二人が夫婦だってね」

「そうか‥‥‥金勝座も仲間だったのか‥‥‥ところで、美作守は初めから楓殿の御亭主が生きているという事を知っていて、殺してしまう気だったのじゃな」

「多分、そうでしょう。ところが、御亭主を簡単に殺す事はできなかった。浦上殿の考えでは、御亭主はこの城下に入る前に消えているはずでした」

「うむ‥‥‥楓殿の御亭主というのは、そんなにも強いのか」

「らしいですね。身のこなしからして、かなり、できる事は確かです」

「できるか‥‥‥」

「今朝、倒した松阿弥とかいう男は念流の達人とか聞いてます」

「念流の達人?」

「ええ、その男を倒したのだから腕は確かでしょう」

「念流といえば、お屋形様の剣術師範の上原弥五郎と同じじゃな」

「そうですか。そんな人がおるんですか」

「ああ、かなり、強い」

「それと、もう一つ、話があります」と夢庵は言って、腰に差して来た脇差を加賀守に渡した。

「何じゃ、これは」

「赤松彦次郎殿の刀です」

「なに、彦次郎殿の刀‥‥‥」と加賀守は刀を抜いて調べた。「ほんとに、この刀が彦次郎殿の刀なのか」

「ええ、確かです。その刀の茎(ナカゴ)を見て下さい」

「茎?」

 加賀守は笄(コウガイ)を使って目貫(メヌキ)を抜いて柄(ツカ)をはずした。茎に紙が巻いてあり、その紙には、『瑠璃』そして、赤松性具入道の花押(カオウ)が書いてあった。

「一体、どうして、こんな物が今頃になって‥‥‥」

「浦上殿が集めております」

「美作守が?」

「ええ、性具入道殿の書いた紙切れの入った刀が四振りあります」

「一体、この紙は何じゃ」

「楓殿が持っていた刀にも、そんな紙切れが入っておりました」

「楓殿も、こんな刀を持っておったのか」

「ええ、父上の形見として伊予守殿の刀を持っておりました」

「そいつは、本当か」

「本当です。その事が決め手となって、浦上殿は楓殿をお屋形様の姉上と確信したのでしょう」

「そうだったのか‥‥‥楓殿が伊予守殿の刀をのう‥‥‥ところで、この紙切れは一体、何を意味するんじゃ」

 夢庵は、その紙切れの事から、太郎たちが捜し出した宝について順を追って話した。ただ、時世の連歌の事と、そこに書いてあった銀山の事は隠しておいた。

「一切経か‥‥‥赤松村の宝林寺の和尚から性具入道殿が一切経を朝鮮から買ったはずじゃが、惜しい事に嘉吉の変の時、入道殿と一緒に燃えてしまったという話を聞いた事はあったが、まさか、城の下に隠してあったとはのう‥‥‥」

「わたしが、見た所、一千巻以上はあったと思います」

 夢庵はその中の一巻だといって、懐から巻物を出して加賀守に見せた。

 加賀守は巻物の紐を解くと静かに広げてみた。それは豪華な物だった。黒地に金箔を使って、お経が書かれてあった。その一巻は妙法蓮華経(ミョウホウレンゲキョウ)の五巻目だった。

「これが、一千巻以上もあるのか」

「はい」

「そいつは凄い。将軍家でさえも、これ程の物は持ってはいまい。よく、捜し出してくれた。それで、今、その一千巻はどこにあるんじゃ」

「太郎殿が隠しました」

「どこだかわかるか」

「わたしは知りません」

「そうか‥‥‥」

「太郎殿は一体、それをどうするつもりなんじゃ」

「赤松家に戻すつもりです。ただし、赤松家が太郎殿を楓殿の御亭主として迎えるならばです」

「成程」

「どうします」と夢庵は聞いた。

 加賀守は丁寧にお経を巻き戻してから夢庵を見て、「もし、迎えなかったら、どうするつもりなんじゃ」と逆に聞いて来た。

「別所殿が断れば、太郎殿は浦上殿を頼るでしょう」

「美作守を? 美作守は太郎殿の命を狙っていたのではないのか」

「敵にするより、味方にして利用した方が得だと気づいたのでしょう。今回の松阿弥で太郎殿の実力を試し、勝ったら赤松家の武将に取り立てる気でいるようです。それを取り持っているのが阿修羅坊というわけです」

「本当か、それは」

「確かです。太郎殿も迷っています。浦上殿に任せた方がいいか、それとも、別所殿に任せた方がいいか。そこで、わたしが別所殿の方がいいと薦め、こうやって、やって来たわけです」

「うーむ‥‥‥そなたはどうして、こんな事を引き受けたんじゃ」と加賀守は聞いた。

「まあ、気まぐれですかな」と夢庵は笑った。「百太郎殿が可哀想じゃからな。母親が赤松家の者だったというだけで、父親と切り離されておる。子供にとっては母親が赤松家の者であろうが、ただの孤児であろうと関係ありません。親子で一緒にいられるのが一番の幸せだと思ったんですよ」

「親子か‥‥‥」と加賀守は呟いた。

 加賀守自身、二歳の時、嘉吉の変で父親を亡くしていた。父親の記憶はほとんど無かった。ただ、人から父親の話を聞いて、自分の中で父親像を作り、それを大切にして生きて来たのだった。自分の子供には、そんな思いはさせたくなかった。加賀守にも百太郎と同じ年の小三郎という息子がいた。

「どうします」と夢庵は聞いた。

「こう、噂が広まっては迎えるしかあるまい」と加賀守は言った。「もしかしたら、この噂を流したのは楓殿の御亭主か」

「ええ、そうです。そして、金勝座の『楓御料人物語』を考えたのも御亭主です」

「ほう、やるのう‥‥‥」

「楓殿の御亭主殿は、なかなか、兵法を心得ておりますよ。味方にして損はないと思いますがね」

 加賀守は頷いた。外の雨を眺めてから夢庵に視線を戻し、「とにかく、一度、会ってみん事にはのう」と言った。

 夢庵も頷き、「会った方がいいですね」と言った。

「場所と日時は、おぬしに任せる」

「早い方がいいですね。明日の今頃、ここではどうです」

「ここでも構わんのか」

「ええ、ただ、楓殿と百太郎殿も呼んでおいて下さい」

「わかった」

「その刀とお経一巻はお預けしておきます。それでは、わたしは失礼します」

「夢庵殿、今、どこにおられるんじゃ」

「大円寺に居候(イソウロウ)していますよ」

「勝岳(ショウガク)殿の所か」

「ええ」

「明日の事、頼む。ただ、まだ、他の者には知らせたくないので内密にな」

「わかっております」

 夢庵が帰っても、加賀守は一人、書斎に籠もったまま考え事をしていた。

 どれ位、経ったろう。執事の織部祐が、使いの者が京から戻って来たと知らせに来た。

 加賀守は、通せ、と言い、使いの者と会った。使いの者は浦上美作守の書状を差し出した。

 書状を開いて見ると、見慣れた美作守の書体が並んでいた。

 文の内容は、戦死したと思っていた楓殿の御主人は、喜ぶべき事に生きていた。つい先程、京に戻って来たが、かなりの怪我を負っている。怪我が治り次第、国元に送る。盛大に出迎えるよう、準備をして待っていて欲しい、という事が、美辞麗句を並べて書いてあった。

 書状を読み終わると、加賀守は使いの者に、「どうじゃ、美作守は、ここで広まっている噂の事を知っておったか」と聞いた。

「いえ、知らないようでした。返って、驚いていたようです」

「そうか。それで、美作守は楓殿の御亭主について、何か言わなかったか」

「生きている事は確かじゃ、と仰せになりました。でも、それ以上は何も‥‥‥」

「わかった。御苦労、下がっていいぞ」

 使いの者は下がって行った。

「美作め、おぬしの思うようにはさせん」と加賀守は呟くと、書斎から出て楓のいる南の客殿に向かった。





 雨は勢いよく降っていた。

 風も強くなり、樹木を揺らしている。

 金勝座の甚助が左近と新八を連れて、河原の舞台が大丈夫かどうかを確かめるため、雨の中を飛び出して行った。このまま降り続いたら、今日の舞台は中止するしかなかった。

 夢庵が別所加賀守と会っている頃、太郎は浦浪の一室で、阿修羅坊と会っていた。

 阿修羅坊は、血を吐いて倒れた松阿弥を金勝座のお文さんに託すと、一旦は浦上屋敷に帰った。さて、これからどうしたものか、と屋敷の中の客間で休んでいると、京から使いの者が来たと言われた。一体、何だろうと会ってみると、浦上美作守からの使いの者で、書状を開いてみると、松阿弥との決闘は中止して、太郎を至急、京に連れて来いと書いてあった。なぜ、急に気が変わったのかわからなかった。

 使いの者に聞いてみると、詳しくはわからないが、別所加賀守の使いの者が京に来て、すぐ、戻って行った。その使いの者が帰ったら、すぐに、この書状を渡され、国元に行けと言われたと言う。

 別所加賀守が京に使いの者を‥‥‥

 一体、何だったのだろう、と思ったが、謎はすぐに解けた。今、この城下で話題になっている噂の真相を確かめるために、加賀守が京に使いを送ったに違いなかった。思ってもいなかった事に慌てた美作守は、噂通り、楓の亭主は生きていると言ったのだろう。そこで、太郎をすぐに京に連れて来いと言い出したのに違いなかった。

 太郎を連れて来いと言われても、そう簡単に太郎が京に行くとは思えなかった。とにかく、太郎と相談してみようと、阿修羅坊は雨の中、浦浪に戻って来たのだった。

 太郎の部屋に行くと、太郎と金比羅坊、そして、助六とおすみが松阿弥の事を話していた。阿修羅坊が顔を出すと、話をしていた四人の声が急に止まり、四人の顔が阿修羅坊を見た。

「どうしました。松阿弥なら大丈夫、眠っています」と太郎は言った。

「いや、その事じゃない。ちょっと話があるんじゃ」

 助六とおすみが部屋から出て行こうとしたが、別に隠す程の事でもないから、いても構わん、と阿修羅坊は止めた。

 阿修羅坊は部屋に上がると、浦上美作守からの使いの事を太郎たちに話した。自分の憶測も含め、話し終わると、「どうしたものかのう」と太郎に聞いた。

「勝手な事を言うな。今更、京なんかに戻れるか」と金比羅坊が阿修羅坊を睨んだ。

「そうよ。京なんか行っちゃ駄目よ」と助六も強い口調で言った。

「わしが思うには、美作守はおぬしを京に呼んで、体裁を整えてから、ここに送り込もうと考えているらしい」

「いや、それはわからんぞ。京に呼んでおいて殺すかもしれん」と金比羅坊は言った。

「いや、それはないと思う。噂がこれだけ広まってしまったら、おぬしを登場させなくてはならなくなっておる。今更、殺すまい」

「わかるものか、殺しておいて、身代わりを送るかも知れん」

「身代わりなんか送っても、楓殿と会ったら、すぐにばれてしまうじゃろう。それに、浦上美作守という男は利用できる者は何でも利用する男じゃ。おぬしを殺すより利用した方がいいと思っているに違いない。おぬしに恩を売って、この後、利用するつもりじゃ」

「利用なんかされるか、のう」と金比羅坊は太郎を見た。

 太郎は黙って考え込んでいた。

「まあ、おぬしの事じゃ。そう簡単に利用されるとは思わんが、今は、おぬしが美作守を利用するかどうかじゃ」

「太郎坊、どうする」と金比羅坊は聞いた。

「太郎様」と助六が太郎を見つめた。

「俺が京に行くわけにはいきません」と太郎はきっぱりと言った。

「じゃろうのう。わしもそう言うと思っておった」と阿修羅坊は言った。「そこで、どうしたらいいものかのう。まさか、手ぶらで戻るわけにもいかんしの」

「もし、俺が松阿弥にやられたとしたら、どうします」

「そうなったら、証人として、松阿弥と一緒に戻るしかあるまい」

「松阿弥さんを動かすわけにはいかないわ」とおすみが首を振った。

「そうよ、無理よ」と助六も言った。

「松阿弥の事はおいておくとして、俺がやられたとしたら浦上美作守はどう出ますかね」

「うむ。それこそ、身代わりを立てて、ここに送るじゃろうのう」

「身代わりを立てても、楓と会えば、ばれてしまいますよ」

「ああ、しかし、とりあえずは替玉を仕立てて国元に送るじゃろう」

「そして、途中で殺すか‥‥‥」と金比羅坊が首を斬る真似をした。

「多分な。楓殿に会わせるわけにはいかんからの。途中で、何者かに襲わせて殺すじゃろうのう」

「こっちから身代わりを送ったら、どうでしょう」と太郎は言った。

「身代わり?」

「ええ、浦上美作守は俺の顔を知らないはずです。誰かを俺に仕立てて京に送る。そしたら、どうでしょう」

「うまく行くかも知れんが、おぬしの身代わりなど、できる奴がいるか。美作守だって馬鹿じゃない。一応、人を見る目は持っている。美作守がおぬしと会って、おぬしを味方にした方が得だと考えるのはわかるが、身代わりを送って、その身代わりと会ってみて、使えそうもないと見たら、やはり、殺される可能性はあるぞ」

「殺したら、うまくないじゃろう」と金比羅坊は言った。

「いや、だから、途中で何者かに襲わせるというわけじゃよ」

「成程‥‥‥ありえるな」

「一体、誰を身代わりにするんじゃ」と阿修羅坊が聞いた。

 身代わりになれるのは太郎の弟子の三人しかいなかった。しかし、残念ながら、その三人の内で、無事に勤められそうな者はいなかった。また、太郎の身代わりとして殺させたくはなかった。

「いませんね」と太郎は言った。

「まいったのう。どうしたらいいものかのう」

 阿修羅坊は濡れている髪をかき上げると、眉間にしわを寄せて、四人の顔を見回した。

「いっその事、松阿弥さんと相打ちになって二人とも死んだ事にすれば」と助六が太郎から阿修羅坊に視線を移した。

「うむ。それしかないかもしれんのう」と阿修羅坊は頷いた。

「それにしても、浦上は身代わりを出す事になるじゃろうのう」と金比羅坊は言った。

「仕方あるまい。身代わりには悪いが死んでもらうしかないのう‥‥‥身代わりが死んだら、おぬしが交替して、この城下に入るという筋書きじゃな」

「ええ、そうなるでしょう。でも、阿修羅坊殿、もし、そうなったら、あなたは嘘を付いた事になってしまいますが、大丈夫ですか」

「なに、そんな事は何とかなるじゃろう。おぬしが、ずっと偽物を仕立てていて、わしもすっかり騙されておったという事にでもするさ」

「おぬしが太郎坊だと信じていたのが別人で、本物の太郎坊は別にいた、と言うわけか、そいつは有り得るな」そう言って金比羅坊は笑った。

「まさか、本当に、別に本物の太郎坊がいるんじゃないじゃろな」と阿修羅坊は一瞬、本気にした。

「いや、まさしく、ここにいるのが本物じゃ。しかし、こいつは化けるのがうまいからのう。『志能便の術』を使って、何をやるかわかったもんではないわ」

「志能便の術か‥‥‥」と阿修羅坊は呟いた。「わしは、おぬしの『志能便の術』の事は松恵尼殿から聞いた。しかし、大した事ないと侮っておったが、それが、そもそもの間違いじゃったのう。おぬしが、これ程の男だとは思ってもおらなかったわ。はっきり言って、おぬしは一軍の大将でも立派に務める事のできる男じゃよ」

「それはそうよ」と助六が、当然じゃないという顔付きで阿修羅坊を見た。「この前の時なんて、ほんと凄かったわ」

「あたしも凄いと思ったわ」とおすみも言った。「あたしは、あの時、参加しなかったけど、後で話を聞いたら、ほんとに凄いと思ったわ」

「ああ、確かに凄いよ」と阿修羅坊は怪我をした右手首をさすった。

 阿修羅坊は松阿弥の仕込み杖と太郎の刀を持って帰る事にして、それだけでは怪しまれるかもしれないと葬送地まで行って、太郎と似ている髪の毛を切り、仕込み杖と刀を使って死体を斬り、刀に脂を残した。

 仕込み杖と太郎の刀と死体の髪の毛を持って、阿修羅坊は京に帰って行った。

 何かあった時、すぐに知らせられるように伊助と藤吉が阿修羅坊の後を追って行った。
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