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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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11.浦上屋敷






 夜になっても、浦上屋敷の警戒は厳重だった。

 屋敷の表門には篝火(カガリビ)を昼間の様に焚き、武装した武士たちが寝ずの番をしていた。裏門の方にも二人の見張りが目を光らせている。忍び込むには屋敷を囲んでいる高い塀を乗り越えるしかなかった。塀の高さは一丈(約三メートル)余り、登れない事はない。塀の廻りに空濠が掘ってあるが、戦が長引いたせいか、ゴミ捨て場のようになっていて、ほとんど埋まっていた。もともと、大して深い濠ではなかったようだ。ただ、塀の上に尖った竹がいくつも差してあった。

 太郎は浦上屋敷と隣の屋敷との間の路地に入り、人通りのないのを確かめると、五尺の杖を塀に立て掛け、その上に乗って塀の中を覗いた。中は暗く、人の気配はなかった。尖った竹に気を付けながら塀の上に登り、杖に縛り付けた紐を手繰り寄せて、杖を持つと静かに塀から降りた。

 塀の中の地面には何の仕掛けもなく、見張りもいなかった。太郎は身を伏せて、中の様子を窺った。

 広い庭園の向こうに御殿のような大きな屋敷が建っている。大広間の縁側を何人もの人が慌ただしく動いているのが見えた。これから、宴会でも始まるのだろうか。

 浦上屋敷の見取り図は、すべて、太郎の頭の中に入っていた。

 庭園の左側に見える離れの建物が浦上美作守の書院のはずだった。明かりはついていない。誰もいないようだった。美作守もあの大広間にいるのだろうか。

 書院とは反対の右側に目を移すと庭園の中に小さな茶屋があり、そこから、明かりが漏れていた。大きな池にせり出している島のような所に茶屋は建っていた。

 太郎は木陰や岩陰に隠れながら近づいてみた。近くまで行っても人の気配はなかった。茶屋の中には誰もいなかった。ただ、明かりの油だけが燃えている。

 宴会の後に、美作守がここでお茶でも飲むのだろうか‥‥‥

 それとも、毎晩、ここに明かりを点ける習慣なのだろうか‥‥‥

 太郎は迷った。ここで待っていた方がいいか、それとも、今のうちに美作守の書院に忍び込んだ方がいいか‥‥‥

 結局、書院に忍び込む事にした。

 太郎が書院の方に行こうとした時、書院にも明かりがついた。美作守が来たかと思ったが違った。背中の曲がった年寄りが書院から出て来て、渡り廊下を去って行った。

 太郎は素早く、書院の縁の下まで行って気配を窺った。

 宴会が始まったのか、大広間の方から賑やかな人の声が聞こえて来たが、ここには誰もいないようだった。

 広間の方を窺いながら、太郎は脱いだ草履を懐(フトコロ)にしまい、素早く、書院の廊下に上がった。一旦、壁際に隠れ、大広間から見えない事を確認すると、静かに障子を開けて部屋の中に入った。

 その部屋は半分だけ畳が敷かれ、板の間の方には鎧兜(ヨロイカブト)が飾ってあり、太刀や槍も並んでいた。太郎は自分の影が外に出ないように、部屋の奥まで行き、天井を眺め、杖で突いてみた。忍び込めそうだった。

 隣の部屋も見てみた。こちらは一面に畳が敷かれてあり、床の間も付いている。客と会う時に使っている部屋のようだった。

 太郎は部屋の隅に五尺杖を立て掛け、杖の上に乗り、天井の板をずらすと、素早く屋根裏に消えた。

 屋根裏から見ると天井板は隙間だらけだった。明かりがあちこちから漏れている。

 太郎は二つの部屋の真ん中にある太い梁(ハリ)の上に座り、美作守が現れるのを待った。阿修羅坊に自分を殺せと命令したのは美作守に違いなかった。どんな男か見ておく必要があった。

 しばらく、待っていたが誰も来なかった。広間の方からは相変わらず、賑やかな声が聞こえて来る。

 美作守も一緒になって宴会で騒いでいるのか。

 それとも、美作守は抜け出して、あの茶屋の方に行ってしまったか。

 しかし、太郎は待った。

 志能便の術に焦りは禁物だと、太郎が自分で教えている事だった。それなのに、こんな事では駄目だ、気長に待つ事だ、と自分に言い聞かせた。どっちにしろ、今はここにいるしかなかった。阿修羅坊を捜すにも、みんなが寝静まってからでないと無理だった。

 一時(二時間)程たった頃、ようやく、人の足音が近づいて来た。

 足音は一人だった。足音は鎧のある部屋に入って来た。

 太郎は静かに身を移動させ、天井板をわずかにずらして部屋を覗いた。

 真下に浦上美作守らしい男がいた。歳は四十の半ば位だろう、顔はよく見えないが、さすがに、赤松家の重臣という貫禄はあった。

 美作守は鎧櫃(ヨロイビツ)の蓋を開け、中から三振りの脇差を出して、畳の上に並べた。そして、自分はその前に座り込んだ。

 一体、何をするつもりか、と太郎は天井の隙間から見下ろしていた。やがて、もう一人の足音が近づいて来た。

「作州(サクシュウ)殿、入ってもよろしいかな」と廊下から声がした。

「おお、入れ」と美作守は言った。

 入って来たのは山伏だった。阿修羅坊に違いなかった。

 一目見た途端、できると思った。かなり腕が立ちそうだった。もしかしたら、太郎の存在を見破られる可能性があると思った。

 太郎は息を殺した。

「悪かったのう。宴の最中に呼び出したりして」と美作守は言った。

「何の、気にする事はない。夜は長いわ」と阿修羅坊は豪快に笑った。

「わしも都の事とか国元の事とか、何かと忙しくてのう。おぬしに礼を言う暇もなかった。改めて、礼を言うぞ。よく、やってくれた。まあ、座ってくれ」

「いや。まあ、わしも苦労した甲斐があったというもんじゃ」

「おう。よくぞ、捜し出してくれた」

「で、どうするつもりじゃ」と阿修羅坊は美作守の前に座り込んだ。

「何を」

「あの姉君様じゃ」

「どうもこうもない。あれは紛れもなく、お屋形様の姉君じゃ。それより、太郎坊とやらはどうした。もう、片付けたか」

「いや、まだ、何の連絡もない。大峯から、まだ、帰って来んのじゃろう」

「ふむ。あの二人で大丈夫なのか」

「いくら、強いと言っても、まだ、二十歳そこそこの小僧じゃ。実戦の経験など大してないじゃろ。月輪坊の吹矢でいちころじゃ。心配はいらん」

「だといいがな。ところでじゃ、おぬしに見てもらいたい物があるんじゃがのう」

「また、仕事かい」

「いや、ちょっと、おぬしの意見とやらを聞きたいのでな」

「意見だけで済めばいいがのう」

「まあ、そう言うな。こいつじゃ」と美作守は阿修羅坊に三振りの脇差を示した。

「何じゃい、この古くさい刀がどうかしたんか」

「まず、こいつじゃが、性具(ショウグ)入道殿(赤松満祐)の弟、左馬助殿(則繁)の脇差じゃ。こいつは入道殿の甥の彦五郎殿(則尚)の脇差。そして、こいつは楓殿が持っていたんじゃが、お屋形の爺様の伊予守殿(義雅)の脇差じゃ」

「楓殿が持っていたのは、わしも知っているが、よく、そんな物を揃えたのう」

 阿修羅坊はその中の一振りを手に取って、抜いてみた。「ほう‥‥‥それ程の名刀には見えんがのう」

「そうなんじゃ。三振りが三振りとも大した刀じゃない。おかしいと思わんか。普通、太刀の方は実戦で使うので、それ程の名刀でもなく、頑丈な奴を持つ事もあるが、脇差の方はいざと言う時、腹を斬る時に使う物で、立派な物を腰に差しているもんじゃがのう」

「そういや、そうじゃのう。三人には似つかわしくないのう」

「どう見ても、赤松家の一族が持つ刀ではない」

「ふーむ、左馬助殿に、彦五郎殿に、伊予守殿の脇差ねえ‥‥‥そう言えば、三人とも、自害して果てたと聞いておるが、この脇差で自害したのか」

「多分、そうじゃろうのう」

 阿修羅坊はもう一度、一振りの脇差を手に取ると刀身を抜いて見た。よく手入れがしてあり、曇り一つなかった。

「もう一つ、謎がある。そいつの目貫(メヌキ)を抜いてみろ」と美作守は阿修羅坊に竹の棒切れを渡した。

 阿修羅坊はその竹の棒切れを使って、手にしていた脇差の目貫を抜いた。

 刀身の茎(ナカゴ)に紙が巻き付けてあった。紙を広げて見ると『岩戸』と書いてあり、下に性具入道の花押(カオウ)が書いてあった。

「何じゃ、こりゃ」

「こっちのにも入っている。見てみるがいい」

 阿修羅坊は残りの二振りも目貫を抜いてみた。茎から出て来た紙切れには、それぞれ、『合掌』『不二』と書いてあった。

「一体、これは何なんじゃ」

「わからん。わからんから、おぬしの知恵を借りたいんじゃ」

「不二、合掌、岩戸、一体、何じゃ、これは」

「わしの勘じゃがのう。軍資金の隠し場所を示すものじゃと思うがのう」

「軍資金?」

「そうじゃ。嘉吉の変の時、赤松家は余りにもあっけなく負けてしまっている。あの当時、赤松家は莫大な財産を持っていたはずじゃ。坂本城から引き上げる時、それを城山城に持って行き、どこかに隠したかしたはずじゃ。性具入道殿は、すでに負ける事を覚悟して、坂本城にあった軍資金をどこかに隠し、いつの日か、赤松家の再興される日を願って、このような紙切れを残したに違いないと思うんじゃ」

「という事は、入道殿はこの紙切れを後世に残すために、左馬助殿、伊予守殿、彦五郎殿を逃がしたというのか」

「いや、勿論、そのためだけじゃないが、軍資金を山名氏には渡したくはなかったんじゃろうのう。いつの日か、赤松家が再興された時に、その軍資金を使ってもらおうと思って、そんな事をしたんじゃろう‥‥‥左馬助殿と彦五郎殿の刀から、その紙切れが出て来た時、何かあると思って、わしは、その当時の事を色々と調べてみたんじゃ。

 嘉吉(カキツ)の変が起こったのが嘉吉元年の六月の二十四日じゃ。それから、一族は播磨に戻って戦の準備をした。幕府がもたもたしてたんで、明石において最初の戦があったのが一月後の七月二十五日じゃ。この時点においては、性具入道殿は負けるとは思ってもみなかったじゃろう。そして、また一月後の八月二十六日から山名軍の攻撃が始まり、赤松家は不利になって行った。そして、九月三日には坂本城は落城して、国人たちの多くが幕府軍に投降したんじゃ。すでに、一族の者たちは、その前の日に城山城(キノヤマジョウ)に移っている。

 入道殿は改めて、城山城において山名軍と戦おう思ったが、山名軍の大軍を見て、投降者が相次ぎ、以外にも、城山城に集まった味方は五百騎余りしかいなかったと言う。この時点において、入道殿も敗戦の覚悟をしたものと思われる。

 城山城が落城するのが九月十日じゃから、三日から十日までの八日間の間に軍資金はどこかに隠されたんじゃろう。

 その時、城山城にいた赤松一族の者は入道殿、伊予守殿、左馬助殿、彦五郎殿、そして、嫡男の彦次郎殿(教康)、この五人じゃ。そして、入道殿以外の四人は城山城を脱出している。入道殿は山名軍の総攻撃が始まった九日の晩に、伊予守殿と彦五郎殿を逃がし、落城したその日に、彦次郎殿と左馬助殿を逃がしている。

 という事はじゃ、その四人の脇差の中に、入道殿は軍資金の隠し場所を知らせるための謎の言葉を隠したに違いないと、わしは睨んだんじゃ。そして、楓殿が持っていた伊予守殿の脇差からも紙切れが出て来た時、わしは、はっきりと確信を持った。絶対に、赤松家の軍資金が、どこかに隠されているとな。そうは思わんか」

「成程のう。そう言われれば、そんなような気もするが‥‥‥しかし、入道殿は、なぜ、こんな安っぽい脇差に、その重要な紙切れを隠したんじゃろう」

「おう、それは、わしも考えてみた。多分な、入道殿は高価な名刀だと横取りされると考えたんじゃろう。城山城を無事に抜け出せたとしても、残党狩りに会って、敵に囲まれ、無念にも自害して果てたとする。しかし、赤松一族の者を粗略には扱う事は、まず、あるまい。腹を斬った脇差は遺品として、兜首と共に、必ず、敵の大将のもとに届けられるじゃろう。そして、それが大した刀でなければ保管され、いつの日か、赤松家のもとに届くじゃろうと考えたに違いない」

「名刀じゃったら、今頃、山名氏の腰にあるかも知れんのじゃな」

「そういう事じゃ。ただ、もう一振り、あるはずなんじゃ」

「入道殿の嫡子、彦次郎殿か」

「そうじゃ。彦次郎殿も左馬助殿と一緒に城山城から脱出している。そして、伊勢に行き、殺された。彦次郎殿の脇差にも多分、このような紙切れが入っていたはずじゃ。しかし、今、どこにあるのかわからん‥‥‥」

「北畠か」

「多分な。彦次郎殿の首は京で梟されている。もし、首と一緒に京に届けられたとすれば、すでに、細川殿からお屋形のもとに届けられているはずじゃ。」

「うーむ、それを捜すのは難しいぞ。その頃の北畠の当主だった教具はもう死んでおる。今の当主、政郷に聞いてもわかるまい」

「だろうな。しかし、おぬしならできるじゃろう。見事、姉君を捜し出したのじゃからな」

「また、わしにやらせる気か」

「無理にとは言わんが、おぬしの事じゃ。きっと、やりたくなるじゃろうて」

「高くつくぜ」

「ふん。ところでじゃ、この三つの言葉、何だかわからんか」

「不二、合掌、岩戸か‥‥‥富士山で合掌すると岩戸が開き、そこに軍資金が眠っているというのはどうじゃ」

「なかなか、いいじゃないか。ところで、その富士山ていうのはどこの富士じゃ。まさか、駿河の富士山じゃないだろうな」

「その通り、駿河の富士山さ」

「入道殿があの戦の最中、駿河まで行って宝を隠すのか。大したもんじゃのう」

「待てよ、播磨富士というのもあるのう」

「ああ、播磨富士もあるし、有馬富士も、丹波富士も、備前富士もあるぞ」

「もっとあるじゃろうのう」

「確かにな。しかし、入道殿が軍資金を隠したとなると限られる」

「まあな。妥当な所は、やはり、播磨富士かのう」

「だと思うがな。次の岩戸というのは何じゃ」

「岩戸ねえ、天の岩戸の事かのう。それとも、あれかのう」阿修羅坊はニヤニヤしながら美作守を見た。

「何じゃ、あれとは」と美作守は聞いた。

「あれじゃよ。女子(オナゴ)のあそこじゃ」そう言って、阿修羅坊は声を出して笑った。

「何じゃと、ふざけるな」

「別にふざけていやしない。女子のあそこも岩戸と呼ぶ事があると言っただけじゃ」

「まあ、いい。それで、岩戸が女子のあそこだとして、不二と合掌と、どう結び付くんじゃ」

「うむ、難しいのお。播磨富士のてっぺんで女子の岩戸に合掌すると‥‥‥待てよ、確か、播磨富士の裾野に岩戸という村があったぞ」

「なに、そいつは本当か」

「ああ、本当じゃとも。播磨富士、笠形山(カサガタヤマ)の山頂近くには笠形寺(リュウケイジ)があってのう、そこにも、山伏が大勢おる。わしは二度ばかり登った事があるが、確か、その登り口が岩戸村じゃ」

「そうか、やはりそうか。わしも不二というのは播磨富士の事に違いないと思っておったが、その播磨富士に岩戸があったか‥‥‥播磨富士なら城山城から近い、隠そうと思えば隠せない事もない‥‥‥やはり、播磨富士であったか‥‥‥」

「だが、もう一つの合掌というのはわからんのう」

「なに、ここまでわかれば何とかなる。播磨富士に行って調べれば、合掌に関する物があるはずじゃ。どうじゃ、調べてみる気はないか」

「参ったのう。うまく、おぬしに乗せられたようじゃのう」

「やってくれるか」

「仕方ない。宝捜しとやらをやってみるか」

「ありがたい。わしもやりたいんじゃがのう。何せ、この京から離れるわけには行かんのでな。頼むぞ」

「礼金はたっぷり貰うぞ」

「わかっておる」

 美作守と阿修羅坊の二人は刀を元通りにすると、鎧櫃の中にしまった。

「まあ、今晩は、たっぷりと酒でも飲んで、気に入った女子でも抱いていってくれ」

「言われなくても、やる事はやるさ」

「宝捜しの前に、太郎坊の事も忘れるなよ」

「わかっておるわ」

 阿修羅坊は出て行った。美作守も、しばらくすると出て行った。

 太郎は天井裏で一部始終を聞いていた。

 赤松家の軍資金‥‥‥

 不二、岩戸、合掌と書いてある紙切れもはっきりと目にしていた。そして、北畠氏のもとにあるだろうという、もう一つの脇差‥‥‥

 こいつは面白くなって来たぞ、と太郎はニヤリと笑った。





 浦上屋敷の客間で目を覚ました阿修羅坊は、隣に寝ている女の顔を見ながら笑った。

 軽い寝息をたてながら無邪気な顔をして眠っている。あどけない顔に似合わず、豊満な乳房が夜具をはねのけ覗いていた。

 夕べは、よく飲んで騒いだ。いい女子も抱いたし‥‥‥さっそく、今日から宝捜しにでも出掛けるか。『不二』と『岩戸』と『合掌』‥‥‥あと一つあると言う。果たして、北畠氏が赤松彦次郎の脇差を持っているか。

 もう三十年以上も前の事である。もし、あったとしても、蔵の奥の方で眠っているに違いない。北畠氏の蔵奉行でも買収して、捜し出すしかないか。とにかく、誰かを北畠氏の城下、多気に送り込んで調べさせなくてはならない。

 阿修羅坊は女を起こさないように、静かに布団から出た。その時、自分の頭から何かが落ちて来た。

 何だと思って、拾ってみると吹矢の矢だった。見覚えがあった。月輪坊の物だった。しかし、なぜ、月輪坊の吹矢の矢がここにあるんじゃろう‥‥‥

 月輪坊がこんな事をするはずはないし、誰かが、わしの寝ている間に、ここに来たという事か。そして、わざわざ、これを置いて行ったという事か‥‥‥

 阿修羅坊は身震いした。

 何者かはわからないが、もし、そいつに殺意があったとすれば、わしは完全に殺されていたという事だった。いくら、酔っ払っていたとはいえ、誰かが近づいてくれば目を覚ますはずだった。それ位の修行は積んで来たはずだ。しかし、まったく、気が付かなかった。

 浦上屋敷の中だという事で、いつもよりは油断していたかもしれないが、まさか、寝ている間に、わしの頭の上にこんな物を置いて行く奴がいるとは信じられない事だった。

 一体、何者だ‥‥‥

 太郎坊か‥‥‥信じたくはなかったが、それ以外に考えられなかった。

 もし、これが、太郎坊の仕業だとすると、太郎坊という奴は余程の達人だった。大した事はないと侮っていたが、まごまごしていたら、こっちの命が危なくなる程の強敵に違いない。あの二人、日輪坊、月輪坊の手に負える相手ではなかった。

 もしや、すでに、あの二人は太郎坊に殺されているかもしれない。その可能性は充分にあった。のんびりしている場合ではなかった。

 阿修羅坊は支度をすると、すぐに甲賀に向かった。

 まだ、夜明け前だった。

 阿修羅坊は飛ぶような速さで、賀茂川に出ると川に沿って南下した。

 粟田口から山科を抜け、逢坂山を越えて琵琶湖に出た。

 崩れかけた瀬田の唐橋を渡り、街道からはずれ、山の中に入って行った。

 その時、うめき声が聞こえた。情けない声だった。

 阿修羅坊はその声を聞いて、ほっとした。日輪坊と月輪坊の声だった。少なくとも、あの二人は生きていた。二人は木に縛り付けられて、もがいていた。

「いい眺めじゃのう」と二人を見ながら阿修羅坊は笑った。

「助かった‥‥‥」と月輪坊が溜め息をついた。

「阿修羅坊殿‥‥‥」と日輪坊はかすれた声で言った。

「情けないのう」

「すみません。ちょっと油断した隙に‥‥‥」と日輪坊は言い訳をした。

「何じゃ、この様は! と怒鳴りたい所じゃが相手が強すぎた」

「そんな事はありません。今度こそ、必ず、やっつけます」

「まあ、無理だとは思うがのう」

 阿修羅坊は二人の縄をほどいてやった。

 二人は思い切り、体を伸ばした。太郎坊に水を掛けられたため、尻の辺りが、まだ濡れていて気持ち悪かった。

 日輪坊は太郎の棒に突かれて腫れている喉を押え、月輪坊は太郎にたたかれて腫れている右足のすねをさすった。

 阿修羅坊は二人から成り行きを聞いた。

 一通り話し終わると日輪坊は、「阿修羅坊殿、太郎坊に会ったのですか」と聞いた。

「多分な。これが何だかわかるか」と阿修羅坊は吹矢の矢を見せた。

「俺のだ」と月輪坊が矢を手に取って言った。

「太郎坊に使ったのか」

「へい。しかし、失敗しました」

「どうして、阿修羅坊殿がそれを」と日輪坊が聞いた。

「今朝、わしの枕元に置いてあった」

「え、まさか!」

「まさか、と思うが本当じゃ」

 日輪坊と月輪坊は顔を見合わせた。

「相手を甘く見過ぎていたようじゃ」と阿修羅坊は苦々しく言った。「お屋形様の姉君は大した男と一緒になったものよ」

「確かに、強かった」と月輪坊はしみじみと言った。「奴は俺たちが付けていた事を知らなかった。俺は奴が寝ている所を狙った。奴は絶対に、こいつが刺さって死ぬはずだった。ところが、奴は避けた。そして、あっと言う間だった。一瞬のうちに俺はやられ、気が付いた時は縛られていた。今まで、あんな強い奴に会った事もない」

「確かにな」と日輪坊も同意した。「俺の棒も奴には当たらなかった。まるで、天狗のようだった」

「しかし、わしらは奴を消さなければならない。奴は多分、播磨に向かっているじゃろう。楓殿を取り戻すつもりじゃ。何としても、奴が楓殿に会う前にやらなければならない。急ぐぞ」

「へい」

 三人の山伏は急いで、故郷、播磨へと向かった。
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