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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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4.風間光一郎






 正月も十日が過ぎたというのに、門前町はやけに賑やかだった。

 祭りさながらに参道脇に露店が並び、人々が行き交っている。

 着飾った村の娘たちが道端に固まって、キャーキャー騒いでいたり、まだ昼間だというのに、遊女屋の前では遊女たちが客を呼んでいる。

 行き交う客はほとんどが、十七、八の若い男たちだった。彼らはぞろぞろと飯道山の赤鳥居をくぐって参道を登って行く。また、山から下りて来た者たちは店を見て回り、中には遊女屋に入って行く者もいる。

 参道脇に出ている露店は武具を扱っている店が多かった。太刀や打刀(ウチガタナ)、小刀、匕首(アイクチ)、槍、弓矢、薙刀、長巻(ナガマキ)など、あらゆる武器が並んでいるが、それらの数は少なく、木剣や六尺棒、稽古用の槍や薙刀がずらりと並んでいる。そして、それら稽古用の物が良く売れているようだった。

 文明五年(一四七三年)正月の十四日、春のような暖かい日だった。例年のごとく、明日から始まる飯道山の武術修行の受付が今日だった。

 年々、集まって来る修行者の数は増えていった。世の中はどんどん物騒になって行く。強い者が生き、弱い者は滅ぼされるという時代になりつつあった。

 比較的平和だった、この甲賀の地にも戦乱の波は押し寄せて来ていた。

 近江国内で京極氏と六角氏が争い、一進一退で決着は着かず、六角氏は敗れると度々、甲賀の地に逃げ込んで来ていた。六角氏が逃げ込んで来れば、当然、敵の京極勢が攻め寄せて来る。田畑は荒らされ、民家は焼かれたり破壊された。飯道山の山伏たちも六角勢に加わり、戦に出て京極勢と戦い、活躍する者もあれば討ち死にする者も何人もいた。

 また、甲賀内での争い事も増えて来ていた。狭い領地の奪い合いで、親子、兄弟が争ったり、隣人の領地をふいに奪い取ったり、隙や弱みを見せれば、たちまちのうちにやられてしまう。

 他人は勿論のこと、身内さえも信じる事のできない殺伐な時代になって来ていた。生き残るために、誰もが強くなりたいと思い、この山にやって来た。

 以前は、ここに集まって来る若者たちは、ほとんどの者が地元甲賀の郷士の伜たちだった。しかし、去年あたりから、遠くの地から旅をして来る若者たちが増えて来ている。隣の伊賀の国の者はもとより、大和(奈良県)、美濃(岐阜県)、尾張(愛知県西部)の国からもはるばると修行に来ていた。

 ここにも一人、いかにも田舎から出て来たというような若者が目をキョロキョロさせながら、飯道山を目指して歩いていた。継ぎはぎだらけの綿入れの袖なしを着込み、太い木剣とボロ布に包んだ荷物を背負い、不釣合いな真新しい笠を被っている。若者はそんな格好など気にもせず、ウキウキと浮かれていた。その若者は、すぐ前を歩いている若者に声を掛けた。

「あの山かのう、飯道山ゆうのは」

 声を掛けられた若者は、ちらっと笠を被った若者を見て、「だろうな」と答えた。

「そうか、やっと、飯道山に来たんや‥‥‥」

 若者は立ち止まり、笠を持ち上げ、感慨深げに飯道山を見上げた。

「あの山に、愛洲殿がいる」と若者は独り、呟いた。

 この若者、伊勢の都、多気の百姓の伜、宮田八郎であった。去年の春、太郎が多気に行った時、川島先生の町道場で出会い、強くなりたいなら甲賀の飯道山に来い、と太郎に言われ、あれから一心に働き、金を溜めて、とうとう、やって来たのだった。多気の都は田舎ではない。『伊勢の京』と呼ばれる程の都振りだ。しかし、この八郎には、そんな都振りはかけらもなかった。

 八郎は腕を組み、独りで頷きながら飯道山を見上げていた。

「確か、愛洲殿は、あの山では太郎坊という山伏だって言ってたな‥‥‥待ってて下されや、太郎坊殿、宮田八郎、とうとう、やって来ただよう」

 八郎は急に走りだし、飯道山へと向かって行った。

 八郎が走り出した頃、もう一人、太郎坊を訪ねて、飯道山を目指す若者が信楽の庄を歩いていた。立派な大小を腰に差し、毛皮の袖なしに革袴をはいた身の丈、六尺(百八十センチ)はありそうな大男だった。まだ、あどけなさが残っている彫りの深い顔は自信に満ち溢れていた。若いが、かなり腕が立つようだ。若者はここに来るまで三日の旅をしていた。紀州熊野の山奥から出て来たのだった。

 そして、もう一人、太郎坊を訪ねて飯道山に向かっている若い山伏がいた。その山伏は裏側の参道から登っていた。長い太刀を背中に背負い、良く使い込んだ六尺棒を錫杖の代わりに突いている。去年、一年間、岩尾山で修行し、今年こそ、飯道山で修行しようと思っていた。去年も飯道山に登って来たが受付の日に間に合わず、断られてしまった。仕方なく岩尾山に行って修行を積み、岩尾山の棒術師範、明楽坊(ミョウガクボウ)応見の弟子となった。山伏になって、まだ、半年にもならない新米だった。

 岩尾山に登って、初めのうちは剣の修行をしていた。棒術というものを知ってから、そっちの方が自分に合っているような気がして、正式に明楽坊に弟子入りし、本格的に棒術を仕込まれた。自分ではかなり強くなったと思っているが、自分の腕を飯道山で試したかった。飯道山には明楽坊の師匠、高林坊がいる。今度は、高林坊に教わるつもりでいた。明楽坊が書いてくれた紹介状も懐に入っている。だが、それだけではなかった。強くなるのにはそれなりの目的があった。強くなり、父親の仇(カタキ)を討たなくてはならない。しかも、その仇がこの飯道山にいた。

 仇の名は太郎坊、またの名を天狗太郎。そして、この新米の山伏、今は探真坊見山(タンシンボウケンザン)と名乗っているが、以前の名は山崎五郎、三年前、天狗太郎と陰の五人衆に殺された山崎新十郎の長男であった。

 探真坊は仇の太郎坊の顔を知らない。太郎坊の本当の強さも知らない。噂では、まさしく、天狗の化身のごとく身が軽く、その強さは想像がつかない程だという。今の探真坊の腕ではとても勝てるとは思っていないが、まず、敵を倒すには敵を良く知れという。探真坊は敵の近くにいて、敵を良く知れば、いつの日か必ず、倒す日が来るだろうと思っていた。

 探真坊は力強い足取りで、飯道山の裏参道を登って行った。

 今年、飯道山に集まって来た若者の数は去年の三百五十人を軽く越え、五百人近くに達していた。当然、山内の宿坊には入り切らず、山下に作った仮小屋と町中の宿坊に分散して収容した。

 明日、行場巡りを行ない、明後日から、いよいよ、一ケ月の山歩きの行が始まる。

 今年は一ケ月後に何人残るだろうか。 

 去年は三百五十人の内、残ったのは百人ちょっとだった。今年は五百人もいるが、やはり、残るのは百人位だろうと飯道山の武術師範たちは予想していた。





 太神山(タナガミサン)の辺りに、夕日が沈もうとしていた。

 門前町もようやく静かになっていた。

 参道の両脇に並んでいた店も皆、たたみ始めている。

「よう売れたのう」と木剣を売っていた山伏が職人風の若い男に声を掛けた。

「おう。よく、集まって来たもんだ」

「明日から、また、忙しくなるわい」と山伏は笑った。

「そうだな。こりゃ大変じゃ」と職人は木剣をまとめて縛っていた。

「それにしても、おぬしの作った木剣はよう売れるのう」

 今日、参道に並んでいた木剣や六尺棒、稽古用の槍や薙刀は、ほとんどが飯道山で作った物である。修行者たちに作業として作らせていた。それを、山伏たちが売っていたのだが、この近辺の山々にいる木地師(キジシ)たちも飯道山の許可を得て、自分らで作った物を売りに来ていた。

 大方、片付け終わると職人は後の事を山伏に頼み、荷物を背負って参道を後にした。

 寺や旅籠屋の建ち並ぶ中を抜け、たんぼの中の畦道を歩き、山裾に抱かれた集落へと向かった。夕飯の支度をしているおかみさんたちに挨拶をしながら、職人は我家に帰って行った。

 この辺りに住んでいるのは飯道寺領の田畑で働いている百姓たちが多かった。百姓といっても、ただの農民ではない。飯道山の衆徒であり、皆、山伏としての名前を持っており、飯道山に何事か起これば、武器を持って戦う兵士となった。

「お帰りなさい」と職人を迎えた若い妻は楓であった。

 職人の格好をして、木剣を売っていたのは太郎である。

「どうだった」と楓は太郎の荷物を受け取りながら聞いた。

「凄かった。明日から大変だ。五百人近くはいそうだよ」

「まあ、五百人も‥‥‥凄いわね。それで、風眼坊様の息子さんは見つかったの」

「わからんな」と太郎は足を拭いて部屋に上がると食卓の前に腰を降ろした。「あれだけ、若い連中がいたら、ちょっとわからんよ。顔も知らんしな」

「そうね。五百人もいたら、ちょっと難しいわね。ねえ、お酒、飲むでしょ」

「うん」と太郎は笑って頷いた。「一月経ったらわかるさ。半分以上はいなくなる。もしかしたら、百人位しか残らんかもしれない」

「そうよね。どうせ、剣術の組に入って来て、あなたが教える事になるんですものね」

「ああ。どんな男かな、師匠の息子って‥‥‥」

「いくつなの、その子」

「今年、十八になるって書いてあったな」

「十八? やだ、あたしより二つ下なだけじゃない。風眼坊様、そんな大きな子がいたの‥‥‥とても、信じられないわ」

「そうだな、あの年で子供がいないのも変だが、師匠に子供は似合わないな」

 太郎は楓が酌をした酒を口に運んで、「うまい」と舌を鳴らした。

 最近、本当に酒がうまいと思うようになって来ていた。今までも酒は嫌いじゃなかったが、ほとんどが付き合いで飲んでいた。去年、多気にいた時、無為斎や川島先生と毎日、酒を飲んでいたせいか、最近は、うちにいる時でも楓と二人で少しづつ飲むようになっていた。

「百太郎(モモタロウ)は寝てるのか」と太郎は楓に聞いた。

「ええ、今さっき、寝たところよ」と楓は隣の部屋を示した。

 太郎も一児の父親になっていた。去年の十一月に楓は無事に元気な男の子を産んだ。

 太郎は楓と相談して百太郎と名付けた。初めは最初の男の子だから、一太郎にしようと思ったが、どうせなら多い方がいいと百を付けて、百太郎にしようと決めたのだった。

 忙しかった正月が過ぎ、久し振りに三日間の休みを貰った太郎は、一昨日、昨日と一日中、家にいて、百太郎と遊んでいた。今日は百太郎を連れて市に行こうとしたが、寒いから駄目よ、百太郎が風邪でもひいたらどうするの、と楓に怒られ、仕方なく、一人で行ったのだった。

「明後日から、また、山歩きね」と楓は太郎に酌をしながら言った。

「ああ、のんびり歩かなくちゃならないから余計に疲れるんだ」

 太郎は楓にも酌をしてやった。

 楓は一口、酒をなめると、太郎の顔を見て笑った。

 太郎はこの家にいる時は太郎坊移香ではなかった。勿論、愛洲太郎左衛門久忠でもない。山伏でも武士でもなく、伊勢より来た仏師(ブッシ)、三好日向(ミヨシヒュウガ)と名乗って住んでいた。

 仏師といっても立派な仏像など彫れないが、ちょっとした小物なら彫れた。暇をみて彫った彫り物が、いくつか作業場に並べてある。三好日向とは智羅天(チラテン)のもう一つの名前で、太郎は二代目の三好日向を名乗ったわけだった。

 去年の夏、太郎は岩尾山を下りてから、しばらくの間、智羅天の岩屋に籠もり、岩尾山で身に付けた棒、槍、薙刀を自分流にまとめて『陰流』に取り入れた。

 それと、陰の術ももう一度、まとめ直した。今までは、敵の城や屋敷に忍び込む事ばかり考えていたが、今度は、敵に発見された時や敵に囲まれた時など、うまく、敵をごまかしながら逃げる方法などを色々と考えてみた。また、力のない女や年寄りたちのための護身の術なども考えた。

 そして、九月の末、飯道山に戻った。剣術師範代として戻ったが、やはり、太郎坊は名乗らない方がいいだろうと高林坊に言われ、岩尾山で使った火山坊をそのまま名乗っていた。

 十一月の二十五日になり、ようやく、太郎坊に戻って『陰の術』、去年から名前が改まって『志能便(シノビ)の術』となったが、それを教えた。しかし、顔は隠さなければならなかった。火山坊が実は太郎坊だったとわかってしまえば、すぐに噂になり、来年から、火山坊は剣術の師範代をする事ができなくなってしまう。しかたなく、太郎は天狗の面を被ったまま志能便の術を教えた。

 去年、最後まで残っていたのは七十二人だった。七十二人を太郎坊、剣術師範代の金比羅坊と中之坊、それと、一昨年、去年と陰の術の稽古に参加してくれた槍術師範代の竹山坊(チクザンボウ)と棒術師範代の一泉坊(イッセンボウ)の五人で教えた。

 二十七日には天狗の面を付け、岩尾山にも顔を出した。すでに、岩尾山にも天狗太郎が来るというのが噂になってしまい、太郎坊としては行かないわけにはいかなかった。その時になって、初めて、太郎は明楽坊が天狗太郎は岩尾山に絶対に来ると言ったわけがわかった。明楽坊は噂が広まるという事を読み、そうすれば、天狗太郎は絶対に現れると、あんな芝居を演じたのだろう。

 これは使える、と太郎は思った。敵の情報を探るだけでなく、敵に偽りの情報を流して、それを信じ込ませ、敵を踊らせる事も陰の術だと思った。

 太郎は岩尾山に行くと本堂の屋根の上に登った。修行者たちが集まって来ると、「残念ながら、陰の術を教える程の腕のある者はこの山にはいない。もっと、修行に励め。来年もまた、来るであろう」と言って山を下りた。

 太郎坊を仇と狙っている山崎五郎が追って来るだろうと思ったので、太郎は素早く屋根から下りると、わざと通りづらい所を通って山を下りて行った。山崎五郎は追って来なかった。

 年末年始は忙しく、信者たちの接待で走り回り、十二日から十四日まで休みを貰い、のんびりと家族のもとで過ごしていたのだった。

「師匠の息子には会えなかったけど、珍しい奴に会ったよ。いや、会ったというより、見たと言ったほうが正しいな」と太郎は楓に言った。

「誰?」と楓はほんのりと赤い顔して太郎を見た。

「お前は知らないだろうけど、多気の川島先生の道場にいた百姓の伜さ。宮田八郎と言ってな、面白い奴だよ」

「ふうん、その人も飯道山で修行するために来たの」

「勿論、そうさ。剣術の腕はまだ大した事ないが素質はある。それに努力家だ。きっと強くなる」

「へえ、わざわざ、あんな遠くから来たの、大変ね」

「ああ、大変だったろうな‥‥‥」太郎は思い出したように笑い出した。

「何よ、急に、どうしたの」

「いや、奴の姿を思い出したら、急におかしくなって来た」

「そんな変な格好してたの」

「いや、そうじゃないが、こっけいなんだ。奴は何を急いでたのか知らないけど参道を走って来た。何人も人が行き交ってる参道を縫うように走っていたんだ。ところが、頭に乗せていた笠が風に飛ばされて転がって行ったんだ。その笠がやけに新しくてな、本人には悪いが、全然、似合っていなかった。その笠がどんどん転がって行き、ぬかるみに入って泥だらけになったんだ。奴は泥だらけの笠を拾って、泥を払ったんだが落ちやしない。しばらく、どうしようか考えていたらしいが、結局、その泥だらけの笠を頭に乗せて、また、走り出したよ。その時の仕草が面白くてな。また、泥だらけ笠が良く似合ってるんだよ。馬鹿な奴だと思って見てたんだが、よく見ると、そいつが宮田八郎だった。声を掛けようと思ったけど素早くてな、あっという間に消えちまった。お山を下りて来たら声を掛けようと思ってたら、それきり下りて来なかったよ」

「もしかしたら、お山であなたの事、捜してるんじゃないの」

「多分な。一ケ月経ったら、ゆっくり会えばいいさ。奴は必ず残る」

「その宮田八郎っていう人、あたし、知ってるわよ。橘屋さんに案内されて、川島先生の道場に行った時、薪割りをしていた人でしょ」

「そうだ、そう。お前、よく覚えているな」

「だって、あなた、言ってたでしょ。もしかしたら、あの人、飯道山に来るかもしれないって」

「そうだっけ」

「そうよ、言ってたわ。飯道山で一年修行すれば相当な腕になるだろうって」

「そうだったか、忘れちまった」

「今年は楽しみね、少なくても二人は強くなりそうなのがいるわね」

「ああ、風間光一郎と宮田八郎がな」

「しっかり、教えてやってね」

「お前もな。もう、天狗勝(テングショウ)の技、覚えたか」

「ええ、もう、すっかり覚えたわ。今度は陰の術よ。ちゃんと、あたしにも教えてよ」

「ああ、そのうちな」

「いつも、そのうちじゃない。三日も休みがあったんだから、教えてくれたってよかったのに‥‥‥」

「今は駄目だよ。百太郎がいるだろ。百太郎がもう少し大きくならなけりゃ駄目だ。今はちゃんと母親をやってくれなけりゃ」

「そうね‥‥‥でも、絶対、教えてよ」

「うん、わかったよ」

 太郎と楓は酒を飲みながら、懐かしい多気の都の事など思い出していた。

 この年、太郎は二十二歳、楓は二十歳、百太郎は二歳、五ケ所浦の屋敷とは比べられない程、小さな家でも幸せな家庭だった。





 一昨日、昨日と春のような暖かい日が続いたのに、今日はまた、冬が逆戻りして寒い一日となった。

 飯道山では朝早くから、修行者たちの山歩きの行が始まっていた。

 昨日は、山内の行場を巡って、山内をぞろぞろと見て回り、後はのんびりと過ごした修行者たちも、今朝は朝まだ暗いうちから叩き起こされ、水汲みや掃除をやり、読経をすますと武術道場に集合していた。

 五百人近くの修行者は百二十人位づつ四組に分けられ、先頭と最後に付けられた先達山伏に率いられ、飯道山の山頂を目指して、凍っている雪道を歩いて行った。

 初めの七日間は片道の六里半(約二十六キロ)の山歩きである。初日は第一隊と第二隊が太神山に向かい、その日は太神山に泊まって、次の日、戻って来る。第三隊と第四隊は金勝山(コンゼサン)まで行って戻り、次の日から太神山に向かった。

 太神山には去年から仮の宿坊が建っていたが、とても、五百人も収容できない。どう詰めてみても三百人がやっとだった。半分づづ、交替で利用するしかなかった。

 七日間が過ぎると、今度からは太神山への往復十三里を歩く事になる。

 火山坊を名乗る太郎は第四隊を率いていた。第四隊は全部で百二十三人、その中にただ一人、新参の山伏、探真坊見山が入っていた。太郎は先頭を槍術師範代の竹山坊に任せ、一番最後を探真坊と一緒に歩いていた。

「やはり、ここは凄いですね」と歩きながら探真坊が太郎に声を掛けてきた。「まさか、こんなにも集まって来るなんて思いもしませんでした」

「一月も経てば半分以上は消えるよ」と太郎は答えた。

「でしょうね。でも、まさか、ここで火山坊殿と会えるとは思わなかったな。大峯山に行ったのかと思っていました」

 太郎と探真坊は、かつて、岩尾山で会った事があった。その頃の探真坊はまだ山伏ではなく、山崎五郎と名乗っていて、太郎は彼に手裏剣を教えた事もあった。

 探真坊は太郎が父の仇だとはまだ知らないが、太郎の方は探真坊が自分を仇と狙っている事を知っている。知っていながら、太郎にはどうする事もできなかった。太郎の方こそ、まさか、山崎五郎がこの山にやって来るなんて思ってもいなかった。こうなったら、成り行きに任せるしかないと決めていた。

 昼過ぎから、とうとう雪が降って来た。

 暗くなる前には、第三隊も第四隊も飯道山に戻って来ていたが、やはり、何人か減っていた。まだ、それ程でもないが、このまま雪が降り続けば、明日はかなりの人数がいなくなる事だろう。

 次の日の朝、雪は止んでいた。それでも、夜通し降り続いた雪は一尺以上も積もっていた。昨日は第三隊が先に出発したので、今日は第四隊が先だった。太郎たちは新雪を踏み分け、皆、汗びっしょりになりながら金勝山まで進んだ。

 金勝寺には、すでに太神山から来た第二隊が待っていた。第二隊の連中も積もった雪と格闘して、汗と雪でびっしょり濡れていた。

 この金勝寺に、第一隊から第四隊まで全員が集まる事になる。山道は狭く、途中ですれ違う事はできなかった。太郎率いる第四隊が金勝寺に到着すると間もなく、太神山からの第一隊が到着した。

 第四隊は持って来た昼飯を食べると太神山へと向かった。そこから先は太神山から来た第二隊と第一隊が道の雪を踏み固めてくれたので、大分、楽だった。

 その日は全員の者が、どうにか雪の中を歩き通した。途中から抜けるにも雪が積もっていて、抜けようがなかったのである。しかし、朝になってみると、太神山にいた二百数十人の内、三十人近くが消えていた。

 太郎は、ここで師匠、風眼坊舜香の伜、風間光一郎を見た。彼は第三隊にいた。第三隊を率いる中之坊に風間光一郎の名を出して教えて貰った。中之坊は光一郎が風眼坊の伜だとは知らない。本人が父親の名を出さない以上、太郎から言う必要もないだろうと思った。太郎は光一郎には声を掛けずに、ちらっと垣間見た。父親、風眼坊よりも体格のいい男だった。背の丈は六尺近くあり、父親にたっぷりと鍛えられたらしく無駄のない引き締まった体付きをしている。こんな山歩きなど何でもないと言うような、ふてぶてしい態度だった。顔は父親によく似ていた。風眼坊の若き日の姿を見ているようだった。

 七日間の準備期間が終わり、残ったのは三百人程になっていた。すでに、二百人近くが山を下りている。雪の日が多かったせいもあるが、溢れる程いた修行者たちは見る見る減って行った。特に、四日目は一日中、吹雪だったため、次の日の朝には嘘のように少なくなっていた。

 いよいよ、本番の抖擻行(トソウギョウ)が始まった。往復十三里の山歩きである。初めのうちは夜明けと共に出発しても日が沈むまでには戻って来られない。おまけに、今年は例年に比べて雪が多かった。一番初めに行く隊はいつも、深い雪に足を取られながら進まなければならなかった。それでも雪が降っていなければ、まだいいが、朝から吹雪いていれば、さすがの太郎でさえ行くのをためらってしまう程だった。

 どんな状況でも山歩きは中止にはならない。嵐が来ようと槍が降ろうと病に倒れようとも、たとえ、一日でも歩くのを休めば、また、初めからやり直さなくてはならない。一ケ月のうちは、どんな事があっても休む事はできなかった。

 半月が過ぎてみると予想以上に減っていた。百二十三人いた第四隊は半分以上いなくなり、五十七人になっていた。それでも、五十七人も残っているのはいい方で、第二隊は四十三人、第三隊は四十八人に減っていた。全隊合わせて二百六人だった。まだ、半月も残っている。飯道山としては、今年は百五十人取るつもりでいた。この調子で行けば百人以下になってしまうかもしれないという不安が出始めていた。

 雪は毎日のように降っていた。山を下りて行く修行者の数も減らなかった。毎日のように少しづつ減って行った。

 二十日めあたりから雪も止み、いい天気が続いた。雪に埋もれなくもすんだが、今度は、毎日、泥だらけになって山道を歩いた。このあたりまで来ると山を下りて行く者もいなくなった。

 一ケ月の山歩きが終わり、結局、最後まで残っていたのは百十六人だった。この内、剣術の組に入ったのは三十四人。一番多かったのは槍で三十八人、次が剣術だった。一番、人気がないのは、やはり、薙刀で十八人だった。

 次の日から午前中の作業が始まった。

 最近になって、この辺りにも戦乱の波が押し寄せ、飯道山も山城のような城塞化が進んでいた。飯道寺は寺ではあるが、この辺りを支配している大名のようなもので、侵略して来る者があれば戦い、所領を守らなくてはならなかった。飯道山の山自体を城として、守りを固めて行った。あちこちで土木工事が始まり、修行者たちは毎日、土にまみれていた。

 太郎は修行者たちの作業の指揮に当たっていた。前のように自由な時間は少なくなって行った。

 午後になると、それぞれの武術修行が始まる。

 剣術の組は新入りの修行者三十四人を含め、六十人近くの者が修行する事になる。他の山から修行に来ている山伏が十六人、一年間の修行だけでは物足らず、更に修行を積もうと残っている郷士も八人いた。

 教えるのは師範の勝泉坊善栄、師範代の金比羅坊勝盛、中之坊円学、福智坊清正、そして、太郎こと火山坊移香の五人だった。去年まで師範代をしていた浄光坊智明は九州の彦山に帰り、代わりに、信濃(長野県)の戸隠山より来たのが福智坊清正だった。

 福智坊は三十歳位で必要な事以外はあまり喋らない物静かな男だった。実力の程は良くわからないが、落ち着いた物腰と鋭い目付きから、かなり腕は立つようだ。信濃の戸隠山から来たというが、太郎は信濃の国というのがどこにあるのかも知らなかった。師匠、風眼坊なら行った事があるのだろうが太郎も行ってみたいと思った。





 飯道山の山内や参道が、桜の花で埋まっていた。

 新入りの修行者たちが入って来て、早くも二ケ月が経とうといていた。

 剣術組の新入りの中で、特に目立ったのは風間光一郎と宮田八郎、そして、甲賀の鵜飼源八郎、伊賀の城戸新太郎の四人だった。

 風間光一郎は風眼坊の伜だけあって強かった。しかし、その強さより六尺近くある背の高さの方がより目立っていた。普通の者たちより顔一つ分位高い。金比羅坊も大男だが彼よりも背が高かった。

 宮田八郎はやたらとうるさくて目立っていた。黙っている事などないかのように、いつも誰かと何かを喋っている。誰とでも仲良くなり、剣術組の人気者だった。剣術の腕の方も以前、多気の都で太郎と会った時よりずっと強くなっていた。軽率そうな外見とは違って以外と努力家であった。

 鵜飼源八郎は腕はそれ程でもないが、柔軟な体をしていて身が軽く敏捷だった。陰の術を教えたら、すぐに身に付けてくれそうだった。

 城戸新八郎は筋が良く、素直で、よく稽古に励み、みるみると腕を上げていった。初めの頃は全然、目立たない存在だったが、わずか一月の間で、風間光一郎と大差ない程、腕を磨いていた。

 宮田八郎はこの山に来て以来、ずっと、太郎坊を捜していたが会う事はできなかった。八郎は山歩きの時、第一隊にいた。第一隊を率いていたのは西光坊だったが、太郎坊が今、火山坊と名乗って第四隊を率いているとは教えなかった。

 太郎坊の事を聞くのは八郎だけではない。この山に来る者は誰でも、すでに伝説上の人となっている太郎坊に会いたがった。本当の事を言えば修行どころではなくなってしまう。山伏たちは太郎坊は十一月になったら、どこからともなくやって来て、『志能便の術』を教えるとだけ答えていた。

 八郎が初めて太郎に会ったのは、山歩きが終わって、初めての剣術の稽古が始まる、ほんの少し前だった。太郎の方から会いに行った。道場で会って、八郎に太郎坊の名を大声で呼ばれたら飛んだ事になってしまう。十一月になるまでは、太郎坊ではなく火山坊でいなければならなかった。

 太郎は八郎に訳を話した。今は太郎坊ではない。太郎坊という名の山伏がもう一人いて、同じ名前だと具合が悪いので、火山坊という名に変えたと説明した。

 八郎は、そのもう一人の太郎坊は太郎よりも強いのか、と聞いた。太郎は、そうだと答えた。十一月になれば、その太郎坊がここに来ると付け加えた。

 それは聞いた事がある。そして、太郎坊の事は誰もが知っていた。八郎は、太郎坊があまりにも有名なので喜んでいたと言う。太郎から、そいつは別人で、もう一人、太郎坊がいると聞かされ、大分、がっかりしたようだった。

 風間光一郎も太郎坊を捜していた。父親より、飯道山に行ったら太郎坊に剣術を教われと言われて来た。太郎坊がどんな男だか知らないが、この山に来て、太郎坊があまりにも有名な事に驚いたのは光一郎も八郎と同じだった。父親の弟子だというが、一体、どんな男なんだろうか、と十一月に会えのるを楽しみにしていた。

 光一郎は父親の名前を出してはいなかった。わざわざ、父親の名前を出さなくても自分の剣術に自信を持っていた。風眼坊の伜だと知っているのは太郎と楓、そして、花養院の松恵尼の三人だけだった。太郎の方も自分が風眼坊の弟子だとは名乗らなかった。師匠の伜だからと特別扱いしたくなかったし、そのうちわかる事だから、わざわざ、言う必要もないと思っていた。

 日が沈み、今日の稽古は終わった。

 修行者たちは、それぞれ、自分の宿坊に帰って行った。太郎も帰ろうとした時、金比羅坊が声を掛けて来た。

「火山坊、今晩、飲みに行こうぜ」と金比羅棒はニヤニヤしながら言った。

「花見酒ですか」と太郎は聞いた。

「そうよ。満開じゃ。これが、飲めずにおられるかい」

「誰が行くんです」

「いつもの仲間よ」

「そうだな。久し振りだし、たまには飲むか」

「そう来なくっちゃな」

「いつもの仲間に、いつもの店ですか」

「いや」と金比羅坊は嬉しそうな顔して首を振った。「『七福亭』じゃ。最近、いい娘が入ってな」

「成程、それが目当てですか」と太郎もニヤニヤしながら金比羅坊を見た。

「まあな、おぬしも会ってみろ、気に入るに違いない。名は『毘沙門(ビシャモン)』といって勇ましいが、これが、またいい女子(オナゴ)でな、一目見ただけで震い付きたくなる程じゃ」

「へえ、そんな女子が入りましたか」

「わしはすぐに行って座敷を取っておくから、絶対に来いよ」と言うと金比羅坊は不動院の方に走って行った。

「花見酒か‥‥‥」と太郎は独り呟き、桜の花を見上げた。

 月日の経つのは早かった。

 飯道山に登って剣術の師範代をやるようになってから、自分の時間というものが、ほとんどなくなってしまった。

 毎日が同じ事の繰り返しで、しかも、何かと忙しく、自分の修行などやる暇はなかった。まだまだ、自分としては修行しなくてはならないと思っている。陰流も完成しなくてはならないし、陰の術もまだまだ未完成だ。やらなくてはならない事が一杯あるのに時間は全然なかった。

 このままで、いいのか、と最近、よく思うようになっていた。

 太郎はもう一度、満開の桜を見上げた。

 去年の今頃は丁度、故郷を去った時だった。五ケ所浦を出てからもう一年になる。五ケ所浦の水軍と陸軍はうまくやっているだろうか。

 あの頃、親父は九鬼氏と戦っていたが、勝っただろうか‥‥‥

 祖母は具合が悪いようだったが、良くなっただろうか‥‥‥

 多分、もう二度と故郷には帰らないだろう。

 皆、うまくやってくれればいいと太郎は願った。





 樹木(キギ)の隙間から、少し欠けた月が覗いていた。

 時々、風に吹かれて、木の葉が音を立てるだけで辺りは静まり返っていた。

 風間光一郎は深夜、ひっそりとした山の中で座り込んでいた。

 梅雨も上がり、夏がやって来ていた。それでも夜になると、まだ、山の中は肌寒かった。

 風で樹木が揺れた。

 光一郎はびくりともしないで、じっと座り込んでいた。山の中で座り込むのには慣れていた。ここよりも、もっと山奥の熊野で、毎日のように座らされていた。

 初めの頃は悲鳴をあげたい程、恐ろしかった。物音がするたびに、びくびくしていた。正体不明の物の怪(ケ)に脅えていた。今ではもう何ともない、かえって心を落ち着ける事ができた。

 光一郎は六歳頃より父親から剣を習った。しかし、父親はほとんど家にはいなかった。旅ばかりしていて、たまにしか家に帰って来なかった。その父親が、どうしたわけか、光一郎が十五歳の秋頃より旅に出なくなり、ずっと家にいた。光一郎は飯道山に来るまでの二年半近く、父親にびっしりと剣術を叩き込まれた。

 父親は厳しかったが、光一郎の腕はみるみる上達して行った。

 今年になって、父親は急に飯道山に行けと言った。後は飯道山のいる太郎坊に教われ。そして、これから自分が何をすべきかを考えろと言った。

 光一郎は飯道山に来た。腕には自信があった。同じ位の年の奴らには絶対に負けない自信があった。一ケ月の山歩きは何でもなかった。山歩きなら毎日のように父親にやらされていた。木剣を持って稽古をするより、山の中を走り回っていた方が多い程だった。雪が多くて歩きにくい事はあったが、歩く早さがゆっくりなので苦しいとも感じなかった。

 そして、いよいよ、剣術の稽古が始まった。鉄棒振り、立木打ちなどの基本から始まり、それぞれの腕によって、初級、中級に分けられた。初めから上級に入った者はいない。

 光一郎も中級に入れられた。中級に入ったのは三十四人中、二十一人いた。中級に入った連中を見回してみても、自分より強そうな奴はいそうもなかった。ところが、以外にも、光一郎と同じ位の腕の者はかなりいた。

 中でも宮田八郎は強かった。外見を見た所、全然、強そうに見えない。いつも、馬鹿な事を言って騒いでいた。つい昨日まで、全然、問題にしていなかった。自分が強そうだと思っていた連中は皆、倒し、同期の中では自分が一番強いと思っていた。後は、去年からいる連中の中で強そうな大原源三郎と山中十郎の二人を倒せば、修行者たちの中では一番になり、残るは師範たちだった。

 ところが、今日、上級に行く者を決めるための試合を行なった。光一郎の相手は宮田八郎だった。光一郎は軽くあしらってやるつもりでいたが、そうは行かなかった。以外にも八郎は強かった。もし、真剣だったら光一郎の方が負けたかもしれなかった。

 光一郎は八郎の他五人と共に上級に進んだが、見方を変えなければならなかった。父親から、いつも、物事の本質を見極める目を持たなくてはならないと聞かされていた。まったく、その通りだと思った。外見だけで判断すると飛んだ事になってしまうという事を改めて気づいた。

 それにしても、どう考えても、自分があの宮田八郎に負けるなんて不思議な事だった。あんなニヤけた調子者に負けるなんて考えられなかった。その事が気になって光一郎は寝られなかった。どうしても寝られないので、仕方なく、外に出て来た。道場まで来て、熊野にいた頃を思い出して座り込んでみたのだった。

 座り込んでいるうちに、宮田八郎の事も忘れ、頭の中はすっきりとしてきた。

 光一郎はその夜、朝まで座り込んでいた。

 一方、宮田八郎の方は鼾をかいて、ぐっすりと眠り込んでいた。

 八郎の方は自分の腕にそれ程、自信を持ってはいなかった。今まで、町人相手の道場で修行していたので、その中でいくら強くなったとしても、侍にはとても敵わないと思っている。町道場の先生、川島先生は侍たちに会うと逃げてばかりいた。そんな先生に教わっていたのだから、自分の強さなんて、たかが知れている。世の中には自分より強い者はいくらでもいると思っている。

 飯道山に来た時、五百人もの人が集まったのを見て、八郎は本当にたまげた。全員、自分よりも強そうに見えた。一ケ月の山歩きはきつかった。きつかったけれど頑張り通した。死に物狂いで歩き通し、一月経ってみると五百人もいたのが百二十人に減っていた。

 八郎は剣術の組に入った。三十四人入ったが、やはり、皆、自分よりも強そうに思えた。それでも、毎日、稽古をやって行くうちに、八郎も少しずつ自分の強さがわかって来た。自分が以外にも強いという事がわかって来た。それでも、八郎はまだまだ上には上がいると思っている。今日は風間光一郎と試合をして引き分けとなった。引き分けとなったが、八郎は光一郎の方が強いと思っている。まだまだ、修行を積まねばと思っていた。

 次の日から、光一郎と八郎は上級組で稽古に励んだ。

 上級組の師範は金比羅坊と福智坊だった。福智坊のやり方は容赦なかった。手加減などしなかった。掛かって来る者は皆、叩きのめされた。

 光一郎も八郎も傷だらけ、痣だらけになって修行に励んでいた。



 二人が飯道山で剣術の修行に励んでいたこの頃、京の都では重大な事件が起こっていた。

 この年の三月十八日、西軍の総大将、山名宗全が西陣の邸内で没した。七十歳であった。そして、後を追うように、五月十一日には東軍の総大将、細川勝元が疫病にかかり、四十四歳の若さで亡くなった。

 両軍の総大将の死によって終戦も期待されたが、実現は難しかった。

 今回の大乱は、一つの目的を持って東西に分かれ、争っている訳ではなかった。それぞれが勝手な思惑を持って、東西に分かれて戦っている。目的は仇敵を倒す事で、東軍でも、西軍でもどちらでも良かった。たまたま、敵が東軍だから、こちらは西軍だ、というようなもので、東軍や西軍というのは単なる名目に過ぎなくなっていた。

 両軍の総大将が亡くなったからといって、簡単に講和できるものではなかった。

 応仁の乱の一つの原因とも言える、管領家畠山氏は未だに家督争いを続けているし、将軍の座は日野富子の産んだ義尚に決定してはいたが、足利義視もまだ西軍にいて将軍の座を諦めてはいない。

 赤松氏と山名氏はお互いに播磨、備前、美作の国を取り戻そうと争っている。

 ここ近江でも守護職を狙って、同族の京極氏と六角氏が争っている。

 戦はまだまだ、終わりそうもなかった。
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