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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
6.駿河






 満開の桜の花越しに、雪を被った富士山が春の日差しを浴びて輝いていた。

 駿河(静岡県)の春は暖かかった。

 駿府(スンプ、駿河の府中)から一山越えた、山西の小高い丘の上に小さな庵(イオリ)が立っている。その庵の屋根の上に人影があった。

 早雲である。

 早雲こと伊勢新九郎は雨漏りの修理をしていた。

 早いもので、早雲が駿河の地に住み着いて、すでに、二年の月日が流れようとしていた。

 二年前、突然、駿府を訪れた早雲は、今川治部大輔(ジブノタイフ)義忠とその奥方になっている妹の美和に歓迎された。

 足利幕府とも縁が切れ、一介の僧侶となっている早雲だったが、京の都から来た一人の文化人として予想以上の歓迎を受けた。特に、妹の美和の喜びようは格別だった。兄妹といっても、今まで、兄妹のような付き合いはまったくなかったと言ってもいい二人なのに、やはり、血がつながっているのか、また、異郷において再会したせいか、美和は兄の突然の来訪を心から喜んでくれた。

 武士としてではなく、俗世間と縁を切った僧侶として来たため、今川家中の者たちも心を許して、気持ち良く、早雲と付き合ってくれた。

 ここに落ち着くつもりはなかったが、つい、居心地が良かったため居着いてしまった。また、妹が早雲を駿河の地から帰そうとはしなかった。別に行くあてもないのなら、ずっとここにいてくれと言い、義忠も身内の者が側にいてくれた方が美和も何かと心強いだろうから、ぜひ、そうしてくれと勧めてくれた。

 早雲は義忠の客人として、しばらくは駿府屋形内の義忠の屋敷に滞在していた。やがて、今川家の家臣、長谷川次郎左衛門尉正宣(ジロウザエモンノジョウマサノブ)という武士と仲良くなり、次郎左衛門尉の居館のある小河(コガワ)の庄(焼津市)に移り住む事になった。

 長谷川氏は肥沃な土地を領土に持ち、また、船の出入りで賑わう小河津の商人たちを取り仕切り、自らも船を持って各地の物産の取り引きを行なっていた。『小河の長者』とも呼ばれ、今川家でも重きをなす存在だった。

 次郎左衛門尉は早雲と同じ位の年頃で、知識見聞も広く、早雲とは良く気が合った。駿府屋形に訪ねて来る次郎左衛門尉と何度か会っているうちに、ぜひ、小河に来てくれと誘われ、誘われるまま小河に行き、結局、そこに住み着いてしまった。

 駿府屋形内にしばらく滞在してわかった事だが、安泰のように見える今川家も身内同士の派閥争いがあり、義忠をお屋形様の座から落とそうと企んでいる者たちもいた。義忠の義兄としての早雲の存在を快く思っていない者たちもいる。義忠や美和はずっと、駿府にいてくれと言ってくれるが、早雲自身、何となく居づらい雰囲気だった。そんな時、次郎左衛門尉に誘われ、小河の庄に来て、そのまま居着いてしまったというわけだった。

 早雲は小河の庄の北、高草山の南麓の石脇という地の小高い丘の上に小さな庵を建て、早雲庵と名付けて、風流を楽しみながら暮らしていた。

 ここからだと駿府まで約四里(十二キロ)、遠からず近からずで丁度いい距離だった。早雲はちょくちょく駿府に出て行き、妹や妹の子供たちと会っていた。そして、気が向けば、ふらふらと旅にもよく出掛けていた。

 今回も伊豆に湯治の旅に出ていて、昨日、雨の降る中を帰って来たばかりだった。夕べは雨漏りが気になって、ろくに眠れず、今朝、起きるとすぐ、屋根に登って修繕を始めていた。

 早雲は京の伊勢家で居候(イソウロウ)していた若い頃、色々な雑用をやらされていたので、ちょっとした事は何でも直す事ができた。また、元々、手先も器用だった。

 伊勢家では代々、将軍が乗る馬の鞍(クラ)と鐙(アブミ)を作っていた。それを早雲も手伝わされた。早雲自身、馬術が得意で、一度、あんな鞍で馬に乗ってみたいと思い、自分で自分の鞍を作ってみたかった。初めの頃はほんの手伝い程度だったが、覚えも早く、腕もいいので、さすがに将軍の鞍こそ作らなかったが、諸大名からの注文の鞍は早雲に任されていた時期もあった。ここのお屋形、今川義忠も伊勢家の鞍を持っているが、実は早雲が作った物だった。

 早雲が屋根の上で、ガタガタやっていると、寝ぼけ面をした男が早雲庵から出て来た。

「何事ですか、朝っぱらから」とその男は屋根の上を見上げた。

「すまんのう。うるさかったか」

「いえいえ」と男は首の後ろを掻いた。

 この男、多米権兵衛(タメゴンベエ)という浪人だった。

 早雲が昨日、帰って来たら早雲庵にいた。早雲の知らない男だった。荒木兵庫助(ヒョウゴノスケ)に早雲の事を紹介され、会いに来たと言う。

 荒木兵庫助は早雲も知っていた。早雲がここに来る前から、長谷川次郎左衛門尉の所に居候していた男で、この庵を建てるのを手伝ってくれ、その後もよく遊びに来ていた。どこかに出掛けたのか、最近は顔を見ていなかった。

 多米の話によると、荒木とは三河の国(愛知県東部)で会ったと言う。意気投合し、駿河に行くなら、小河の庄に早雲という変わった坊さんがいるから会いに行ってみろと言われた。来てみたら、早雲庵には誰もいなかった。近所の年寄りに、待っていれば、そのうち戻って来るじゃろうと言われ、五日間も待っていたと言う。

 待っていたからと言って、別に、早雲に用があるわけではなかった。荒木から話を聞いて、一度、早雲という男に会ってみたかっただけだった。それに、五日間、ここで待っているうちに、益々、早雲という男に興味を持って行った。

 五日の間、毎日のように色々な連中が、この早雲庵に訪ねて来ていた。今川家の家中の武士から近所の百姓の親爺まで、実に多彩な客だった。旅の僧侶や山伏、旅の芸人、薬売り、鍛冶師(カジシ)、研師(トギシ)、小河津の商人、水夫(カコ)や荷揚げ人足、変わった所では、旅の絵師や連歌師、琵琶を持った座頭(ザトウ)などもいた。

 彼らは皆、早雲庵の主(アルジ)に特に用が会って訪ねて来たのではなく、ただ、何となく、遊びに来たという感じだった。多米が早雲庵から出て来ても変な顔をするでもなく、早雲が留守だと言っても帰ろうともしないで、勝手に早雲庵の中に入って来て一休みしたり、多米と世間話をしたりしては帰って行った。

 近所の百姓たちにも人気があるらしく、野菜などを持っては訪ねて来ていた。百姓たちは皆、早雲の事を『和尚さん』と親しみを持って呼んでいた。彼らに早雲の事を聞くと、京の都から来た偉い和尚様で、わしらのために色々と骨を折ってくれると言う。よく聞いてみると、早雲は百姓たちのために潅漑用水を治したり、橋を治したりしているらしい。

 また、水夫や荷揚げ人足たちに、どうして、ここに来るのか、と聞いてみると、人足の親方らしい大男が言うには、早雲殿の侠気(オトコギ)に惚れたと言う。

 もう、前の事になるが、小河津で人足たちの間に大きな争い事が起こった。水夫たちも巻き込み、怪我人も多く出て、騒ぎは大きくなるばかりだった。そこに現れたのが、早雲だった。早雲はたった一人で騒ぎを静めてしまった。恐ろしく強いと言う。親方の話によると、早雲殿は今は頭を丸めているが、以前は立派な武将だったに違いないと言った。

 また、旅の僧侶の話だと、早雲殿は京の大徳寺の一休禅師に参禅した立派な禅僧だと言うし、旅の山伏は、早雲殿はただの坊主ではない。越中(富山県)の立山で修行を積んだ立派な行者だと言う。

 話を聞けば聞く程、多米権兵衛は早雲という男に興味を持って行った。

 一体、何者なのだろうか。

 皆の話をまとめてみると、以前は武士で、立山で修行を積み、一休禅師のもとで参禅し、治水工事も行ない、百姓や人足たちにも人気のある禅僧という事になる。会ってみて損はないと思い、多米は帰って来るまで待ってみる事に決めた。

 二日前、早雲らしい体格のいい僧が、こちらに向かって来るのを見て、あれが早雲に違いないと待っていたら人違いだった。旅の絵師だと言う。一月程、富士の山を描きに行っていたと言う。

 早雲は留守だと言うと、帰るまで待っているか、と早雲庵の中に入って行き、勝手知っている我家のごとく、さっさと飯の支度を始めた。その日から、二人して早雲の帰りを待っていた。

 旅の絵師は一見した所、乱暴な荒法師という感じの僧だが、外見とはまったく違って、細かい事まで良く気が付く便利な男だった。飯の支度から掃除、洗濯まで、さっさとやってくれた。彼が描いた富士山の絵も見せてもらったが、本当に、この僧が描いたのかと疑いたくなる程、丁寧で細かい絵だった。

 そして、昨日の夜、雨の降る中、びしょ濡れになって早雲庵に飛び込んで来たのが、この庵の主、早雲だった。

「参った、参った」と言いながら濡れた着物を着替えると、疲れたと言って、さっさと寝てしまった。

 多米を見て、ただ一言、「やあ」と言っただけだった。

 絵画きの僧はこまめに動き、早雲の世話をしていた。

 実際の早雲は多米が想像していた早雲像とはまったく違っていた。人の良さそうな、ただの田舎の和尚さんだった。人足たちが言うような、恐ろしく強い男には全然、見えなかった。

 多米権兵衛は屋根の上の早雲を見ていた。

 早雲は慣れた手付きで屋根の修繕をしていた。

「手伝いましょうか」と多米は声を掛けた。

「いや、もうすぐ、終わる」と早雲は言った。

 絵画きの僧はどこに行ったのか、すでにいなかった。

 早雲は屋根から降りて来ると、「腹が減った。飯にでもするか」と多米に言って、庵の中に入って行った。

 多米はまだ、早雲に挨拶もしていなかった。不思議な事に早雲は、多米に何者で、どうしてここにいるのか、尋ねもしなかった。名前も知らない男が自分のうちにいるというのに何も聞きもしない。荒木が言うように、確かに変わった男だった。

 飯の支度はすでに出来ていた。絵画きの僧が用意していったと言う。絵画きの僧の名は富嶽(フガク)というらしかった。おかしな事だが、二日間、一緒に留守番していたのに、お互いに相手の名前を知らなかった。どうも、この早雲庵では俗世間の挨拶とか、決まり事など不用なようだった。

 食事を済ませ、後片付けをしていると、いつものように誰かが訪ねて来た。立派な格好をした若い武士だった。

「やあ、五条殿」と早雲は若い武士を迎えた。

 若い武士は、今晩、お屋形様が浅間(センゲン)神社で花見の宴を張るので、ぜひ、早雲殿にも参加して欲しい、と誘いに来たのだった。

「そうじゃのう。お屋形様にも最近、会ってないしのう。久し振りに駿府に行ってみるか」

「ぜひ、おいで下さい。北川殿も、早雲殿はどうしているのか、と心配しておりました」

「美鈴殿や竜王丸(タツオウマル)殿は相変わらず、健やかに育っておりますかな」

「そりゃもう、お二人とも元気一杯に遊び回っております」

 早雲は嬉しそうな顔をして頷いた。「それは良かった」

「ところで、その御仁は」と五条という侍は多米の方を見た。

 早雲も多米の方を見て、さあと首を傾げた。

「拙者は多米権兵衛泰英と申す浪人者でござる」と多米は二人に自己紹介をした。

「多米殿と申すか、どうじゃ、おぬしも一緒に花見に行かんか」と早雲は言った。

「そうですな。どうぞ、多米殿もいらして下さい」と五条という侍も口を合わせた。

「はあ、どうも」と多米は慌てて頭を下げた。

 早雲とこの五条という侍の話を、ただ、ぼうっとして聞いていた多米だった。

 二人は駿府のお屋形様の事を世間話のように話していた。

 早雲というのは一体、何者なのだろう。駿府のお屋形様とも面識がある程、偉い僧なのだろうか。

 多米はここに来てからというもの、なぜか、調子が狂っていた。

 早雲といい、この侍といい、見ず知らずの浪人を、まるで、隣の山に花見にでも行くような軽い気持ちで、駿府のお屋形様の花見に誘っている。

 駿府のお屋形様と言えば、多米のような浪人者が一生かかってもお目に懸かれるような人ではなかった。雲の上の人だった。その雲の上の人が催す花見に誘われるなんて、一体、どうなっているのだろう。

 不思議な心境だった。

 五条という侍は半時程、早雲と話をして帰って行った。

 多米も側で聞いていたが、早雲は昨日までの旅の話をしていた。早雲は湯治を兼ねて、三所詣でをして来たのだと言っていた。

 三所詣でとは、熱海の伊豆山権現と箱根権現、そして、三島大社を詣でる事で、昔から盛んに行なわれていた。今は伊豆の地も戦が行なわれているので、参詣者も減ってはいたが門前町や温泉町は賑わっていた。

 早雲の話を聞きながら、五条という侍は、自分も行ってみたいが、暇がなくて、なかなか行けない。早雲のような気ままな身分が羨ましいと言っていた。

 午後になり、富嶽が戻って来ると三人して駿府に出掛けて行った。

 多米は、やはり、そんな身分の高い人の宴に出るわけにはいかないからと尻込みしたが、早雲に、「腕に自信はあるか」と聞かれ、あると答えたら、それなら、わしらの護衛のために付いて来いと言われた。

「世の中、物騒になっておるからのう。最近は、坊主でも身ぐるみを剥がされると聞いておる。頼むぞ」と早雲は笑った。

 成り行きに任せるしかないかと覚悟を決め、多米権兵衛は槍を手に持ち、二人の坊主頭の後を付いて行った。





 その頃の関東の状況は複雑だった。

 まず、公方(クボウ)様と呼ばれる人が二人もいた。

 一人は下総の古河にいて『古河公方』と呼ばれ、もう一人は、伊豆の堀越(韮山町)にいて『堀越公方』と呼ばれていた。

 本来、公方というのは鎌倉にいて『関東公方』または『鎌倉公方』と呼ばれていた。幕府が関東の地を支配するために置いた出先機関であった。

 室町幕府を開いた足利尊氏が次男の基氏(モトウジ)を鎌倉の地に置いたのが始まりである。代々、基氏の子孫が跡を継いで公方となった。そして、代が下るにしたがって、京にいる将軍と対立して行くようになって行く。同じ、尊氏の子孫ながら長男義詮(ヨシアキラ)の系統ばかりが将軍職に就いているという不満をいつも抱えていた。

 四代将軍足利義持は嫡男義量(ヨシカズ)に将軍職を譲り、出家して引退したが、五代目の将軍となった義量はわずか十九歳で世を去ってしまった。

 五年後、義量より他に子供に恵まれなかった義持は跡継ぎを決めないまま病で亡くなった。幕府の首脳は評議を重ね、義持の弟、四人のうちから、くじ引きによって跡継ぎを決める事にした。そこで、くじに当たったのが青蓮院義円(セイレンインギエン)、還俗(ゲンゾク)して六代将軍となる義教だった。

 当時の鎌倉公方、持氏は将軍義持に跡継ぎがいない事を知っていた。義持の弟たちは皆、出家して僧侶となっている。次の将軍の座に付くのは自分をおいて他にはないと自信を持って期待していた。しかし、期待は見事に裏切られた。しかも、将軍職をくじ引きで決めるとは、完全に自分の存在は無視されていた。

 持氏は幕府の重役を恨み、義教を憎んだ。

 新将軍の祝賀の使節も送らず、年号が改元されても、それを使用せず、旧年号をそのまま用いたりしていた。また、幕府の直轄領を押領したり、幕府の息の掛かった豪族たちを討伐したり、徹底的に幕府に反抗していった。

 鎌倉公方の初代より執事(シツジ)となっていたのが上杉氏である。

 幕府の執事と同じく、管領(カンレイ)と呼ばれていた。持氏の時の関東管領は上杉安房守憲実(アワノカミノリザネ)だった。安房守は幕府と持氏の間に立って、両者を和解させようと苦心していた。持氏には、それが気に入らなかった。とうとう、持氏と安房守は対立してしまい、もう勝手にしろと安房守は領国上野の平井城(群馬県藤岡市)に引き上げてしまった。

 公方と管領の対立は関東の武士たちを動揺させた。これを機に、幕府は持氏征伐に踏みきり、二万五千の大軍を鎌倉に向けた。

 関東の実力を以て、幕府を倒すつもりでいた持氏だったが、幕府の大軍を前に寝返る者が続出し、旗色は悪くなって行った。追い詰められた持氏は敗戦を覚悟し、髪を下ろして出家した。

 関東管領の安房守は将軍義教に持氏の助命を懇願したが、許されず、持氏と嫡男の義久は自害して果てた。

 その後、持氏の二人の遺児を匿う下総の結城中務大輔(ナカツカサノタイフ)氏朝と幕府軍の戦いがあり、中務大輔は討ち死にし、二人の遺児は殺され、ここに鎌倉御所は滅亡した。

 それから十年近くの間、関東管領の上杉氏が関東の地を支配し、関東の地に公方は存在しなかった。しかし、関東の豪族たちをまとめて行くには、やはり、幕府の権威として公方の存在が必要だった。そこで、宝徳元年(一四四九年)、新たに鎌倉公方として迎えたられたのが、生き残っていた持氏の遺児、当時十二歳の成氏(シゲウジ)だった。

 関東管領には安房守の子、右京亮憲忠(ウキョウノスケノリタダ)がなっていた。こちらも、まだ十七歳という若さだった。二人が若すぎたため、上杉氏の家宰の長尾左衛門尉景仲と太田備中守か資清(ビッチュウノカミスケキヨ)とが政務に当たる事になった。

 初めのうちは、新たに公方を迎え、関東の豪族たちもまとまり、うまく行っていた。ところが、成氏が生き残っていた結城中務大輔氏朝の子、四郎成朝と手を結ぶ事によって、再び、上杉氏と対立するようになった。ついに、享徳三年(一四五四年)十二月、成氏は四郎成朝らと共に管領右京亮憲忠を謀殺してしまった。

 成氏と成朝、二人にとっては右京亮は父の仇の子供であった。そんな奴を生かしておくくわけにはいかないと右京亮を鎌倉御所に呼び出し、騙し討ちにしてしまったのだった。

 激怒した上杉氏は急遽、右京亮の弟、兵部少輔房顕(ヒョウブショウユウフサアキ)に跡を継がせ、翌年の正月より、鎌倉公方成氏軍と関東管領上杉軍の戦が武蔵の国分倍(ブバイ)河原(府中市)において始まった。

 公方の権威により成氏軍が優勢だったが、駿河の今川民部大輔範忠(義忠の父)、越後の上杉兵庫頭(ヒョウゴノカミ)房定を大将とした幕府軍が上杉氏を助ける事によって、情勢は逆転し、成氏は鎌倉を追われ、結城氏の本拠地に近い下総の古河(コガ)に逃げて行った。

 それ以来、成氏は鎌倉に戻る事ができず、『古河公方』と呼ばれるようになった。

 長禄元年(一四五七年)、成氏を押えるため、将軍義政は弟を還俗させて政知と名乗らせ、鎌倉公方として関東に送った。しかし、政知は鎌倉へは入る事ができず、伊豆の堀越に落ち着いた。以後『堀越公方』と呼ばれる。

 こうして、関東の地に二人の公方が存在するという複雑な事態になって行った。

 また、関東管領家の上杉氏も山内(ヤマノウチ)家と扇谷(オウギガヤツ)家の二つに分かれていた。

 山内家は上野の国の平井城を本拠にし、扇谷家は武蔵の国の河越城を本拠にしていた。代々、管領職に就いていたのは、勢力の強かった山内家である。そして、山内家の家宰として長尾氏、扇谷家の家宰として太田氏が、それぞれの実権を握っていた。

 文正元年(一四六六年)、管領の山内上杉兵部少輔房顕が成氏と対戦中、陣中で病没すると、越後守護上杉兵庫頭房定の次男、民部大輔顕定(アキサダ)が養子となって跡を継いだ。

 翌年、扇谷家でも修理大夫(シュリノタイフ)持朝が死んで、孫の三郎政真が跡を継いでいる。

 古河公方成氏と上杉氏の戦いは各地で行なわれ、文明三年(一四七一年)、成氏は本拠地、古河を攻められて千葉に逃げるが、勢力を盛り返し、翌年には古河を奪回した。

 文明五年(一四七三年)、扇谷上杉三郎政真は武蔵五十子(イカッコ、埼玉県本庄市)において、成氏と戦うが敗死し、政真の叔父、修理大夫定正が跡を継いだ。

 また、この年、山内上杉氏の家宰、長尾左衛門尉景信(景仲の子)が死ぬと、子の四郎右衛門尉景春と叔父の尾張守忠景との間に相続争いが生じた。管領上杉民部大輔顕定が左衛門尉の弟、尾張守に家宰職を継がせると、不満を持った四郎右衛門尉は管領に背き、五十子の陣から本拠地の上野白井(シロイ、群馬県子持村)に引き上げてしまった。

 早雲が駿河に来た時の関東の情勢は以上である。

 古河公方足利成氏と関東管領上杉氏が対立し、各地の豪族たちはそれに巻き込まれ、身の保全のため、力のある者と手を結び、弱い者は滅ぼされ、自らも勢力を広げるために戦いに明け暮れていた。





 春の日差しの中、そよ風が心地よかった。

 浅間神社での花見の宴を大いに楽しんだ早雲、富嶽、多米権兵衛の三人は次の日の昼過ぎ、石脇の早雲庵に向かっていた。

 早雲はいつも持ち歩いている杖を突き、多米と富嶽は重そうな荷物を背負っていた。何が入っているのか知らないが、やたらと重かった。早雲が駿府のお屋形様から戴いた物だと言う。

 多米権兵衛はまだ興奮していた。

 あんな豪勢な宴を見たのは初めてだったし、まがりなりにも、それに参加したという事が今でも信じられなかった。

 駿府のお屋形様の姿も遠くからであったが見る事ができたし、まるで天女のような、着飾った女房たちも見る事ができた。見た事もないような御馳走も食べたし、うまい酒も思う存分に飲んだ。ただ、堅苦しい礼装を着せられ、宴の間中、緊張のし通しだった。多米も今までに何回か戦に出て、命のやり取りをした事もあったが、これ程、緊張したのは生まれて初めての経験だった。

 多米は富嶽と一緒に歩きながら、昨夜(ユウベ)の事を話しまくっていた。

 早雲は二人の前をのんびりと回りの風景を眺めながら歩いている。

「昨夜の酒は、ほんとに、うまかったのう。桜の花も綺麗じゃったが、眩しい程に綺麗な女子(オナゴ)が大勢おったのう。まるで、極楽のようじゃった。一度でいいから、あんな女子を抱いてみたいもんじゃのう。たまらんわ」多米は一人で喋っていた。

「ところで、富嶽殿。一体、早雲殿は何者なんじゃ」と多米は富嶽に小声で聞いた。

「何者とは」と富嶽は面倒臭そうに言った。

「駿府のお屋形様と随分、親しいようじゃったし‥‥‥そんな偉い坊さんなのか」

「おぬし、何も知らんのか」と富嶽は多米を見ながら鼻で笑った。「早雲殿はのう、室町御所にも出入りできる程、偉い和尚様じゃ」

「室町御所?」

「将軍様のおられる御殿じゃ」

「えっ、早雲殿は将軍様も知っておるのか」

「そうじゃ」

「凄いのお‥‥‥」多米は前を歩く早雲の後姿を見直した。

 そう言われてみると、どこか、高貴な感じがしないでもない。とんでもないお人と出会ってしまったもんじゃ、と多米は思った。

 早雲が、お屋形様の奥方の兄上だという事を知っているのは、今川家の家中でも、お屋形様に近侍している上層部の者、数人だけだった。

 早雲自身、今の自分は俗世間と縁を切っているので、兄としてではなく、一僧侶として、駿河の地にいさせてくれと、前もって、お屋形様と約束していた。お屋形様も約束を守り、改めて、家臣たちに早雲を紹介したりはしなかった。また、早雲自身も自分の事を人に話したりはしなかった。そこで、色々な噂が飛び交い、富嶽のように偉い坊さんだと信じ切っている者が何人もいた。

 三人は鎌倉街道を西に進み、木枯らしの森で藁科川(ワラシナガワ)を渡り、歓昌院坂を越え、斎藤氏の守る鞠子の城下を通って宇津の谷峠へと向かって行った。

 この峠道は『蔦の細道』という名で呼ばれ、歌にも詠まれ、かつては細い道だったが、今は軍事的にも重要な道となって道幅は広くなっていた。

 早雲は駿府に行く時も帰る時も、この街道を通る事はあまりなかった。いつもは小坂の山(日本坂)を越えて行く。その方がずっと近かった。今日は、どうしたわけか、こちらの道を通っていた。富嶽は、いつもの気まぐれだろうと黙って付いて来ていた。

 山道は沢に沿って奥へと続いている。人通りは少なかった。

 もうすぐ、峠に差し掛かろうとした時、早雲が急に立ち止まった。

 後に続く、二人も止まり、早雲の顔を見た。

 早雲はただ、前をじっと見ているだけだった。

「どうしたんです」と多米は聞いた。

「お客さんが出たらしい」と富嶽は耳を澄ませた。

「お客さん?」と多米は前をじっと見るが人影は見えない。

「おぬしの出番じゃ。任せたぞ」と早雲は多米に言うと後ろへ身を引いた。

 早雲が身を引くのと同時に、山道の両脇から、二人づつ、四人の男が飛び出して来た。皆、ニヤニヤと笑っていた。

 一人は槍を肩に担ぎ、一人は山羊のような顎髭を撫で、一人は太刀に手をやり、最後の一人は腕がかゆいのか、ボリボリと掻いていた。四人共、人相の悪い、見るからに山賊という連中だった。

「何だ、おぬしらは」と多米は四人の男を見回した。

 腕を掻いていた男が、「ひっひっひ」と笑った。

 槍を担いだ男が、「見た通りじゃ」と言った。

「成程、どこぞの足軽が道に迷ったのか」と多米は言って、笑った。

 隣で富嶽も笑っている。

「何だと、ふざけるな!」太刀に手をやっていた男が太刀を抜いて構えた。

「命が惜しかったら、その荷物を置いて、さっさと逃げるんだな」山羊髭の男が空を見上げながら言った。

 槍を担いでいた男が富嶽に向かって槍を構えた。

「そいつは有り難い。この荷物、重くてかなわねんだ」と多米は荷物を下ろした。

「そっちの坊主も下ろしな」と山羊髭は言った。

 富嶽も黙って荷物を下ろした。

 腕を掻いている男が、また、「ひっひっひ」と笑った。

「命は助けてやる。さっさと行け」と山羊髭は峠の方を指さした。

「命を助けて貰って悪いんだが、そうは行かねんだ」と多米は手に持っていた槍を繰り出し、太刀を構えていた男の太刀を巻き落とすと、そのまま、その男の右手を斬った。

「野郎!」と腕を掻いていた男が太刀を抜いた。

 多米が富嶽を見ると、富嶽は槍を担いでいた男から槍を奪って振り回していた。

 一瞬、あれ、と思ったが、考えている暇はなかった。

 腕を掻いていた男が多米に向かって斬り掛かって来た。

 多米はその太刀をかわし、腕を掻いていた男の左股を突いた。

 富嶽の方は山羊髭とやり合っていた。富嶽が槍の石突き(柄の先端)で山羊髭のみぞおちを突くと、山羊髭は簡単に伸びてしまった。

「覚えて、いやがれ」

 怪我をした三人は山羊髭を置いたまま、山の中に逃げて行った。

 富嶽は槍を放り投げると、「馬鹿な奴らじゃ」と呟いた。

「ただ者じゃないと思ってはいたが、やはり、ただ者じゃなかったな」と多米は富嶽に言った。

 富嶽はフンと鼻を鳴らした。

「さて、行くか」と早雲は何事もなかったかのように歩き出した。

 多米は慌てて、荷物を取りに行った。

「それは、もう、いい」と早雲は言った。

「はあ?」と多米と富嶽は早雲を見た。

「それは、ただの石ころじゃ」と早雲は笑った。

「何だって!」と多米は荷物を開いてみた。

 木箱の中には、布にくるまれた大きな石ころが一つ入っているだけだった。

「何だ、これは。わしは重い思いをして、こんな物を運んでいたのか‥‥‥」

「悪く思うな」と早雲は笑いながら言った。

「そいつは見せ金じゃ」と富嶽は言った。

「見せ金?」と多米は富嶽を見上げた。

 富嶽も声を出して笑った。「早雲殿はな、山賊どもをおびき寄せるために、わしらにその荷物を持たせたんじゃ」

「と言うわけじゃ」と早雲は歩き出した。

「くそ!」石ころを放り投げると多米は早雲の後を追った。

「どういう事だ、これは」と多米は富嶽に聞いた。

「最近になって、この辺りに山賊が出て、旅人が困っているという噂を早雲殿も耳にしたんじゃろ」

「それで、わしらが山賊退治をしたっていうわけか」

「まあ、そういう事じゃな」

「成程な。ところで、おぬしは何者じゃ」

「おぬしも詮索好きじゃのう。さっきは早雲殿で、今度はわしの番か」

「別に隠しておく程の事でもあるまい」

「ふん。昔の事など、どうでもいいわい。今のわしはただの絵画きじゃ」

「勿体ぶりやがって、まあ、そのうちわかるだろう。ところで、さっきの連中だが、もう二度と、この辺りには現れんかのう」

「さあな、奴らに聞いてみん事にはわからんのう」

「ふん、勝手にしやがれ」

 二人の前を早雲はのんきに歩いていた。





 花見から帰って来て三日目だった。

 朝早くから珍客が訪れた。まだ、朝日が昇る前の早朝だった。

 珍客は十人程で早雲庵を囲み、中に押し入って来た。しかし、すでに、早雲と富嶽は起きていて早雲庵にはいなかった。

 早雲はいつも、朝、起きるとすぐに海に出掛けた。海に行き、毎朝、泳ぐ事を日課としている。今日も二人して、まだ薄暗いうちから海に出掛けて行った。早雲庵から海まで半里(二キロ)もなかった。

 この時、早雲庵で気持ち良く寝ていたのは多米権兵衛だけだった。

 多米は戸が蹴破られる音で目を覚ました。反射的に、側に置いてある刀に手を伸ばした。暗くて何もわからず、ただ、外からの明かりで戸口の所に人影が二つ見えるだけだった。

「おい、坊主ら、出て来い」と人影が怒鳴った。

「随分と捜したぜ。まさか、こんな所にいたとはな」と別の声が言った。

 多米は息を殺し、目が慣れるまで、じっとしていた。

「坊主、ここにいる事はわかってるんだ。おとなしく出て来い。この間のお礼をたっぷりとしてやるぜ」

「この間は油断してたんで、あの様だが、今日はそうはいかねえ。すでに、この小屋は囲まれている。無駄な抵抗はやめるんだな」

 多米は目が慣れると早雲を捜した。早雲も富嶽もいないようだった。

「何てこった」と多米は呟いた。

 外の気配からして、敵は十人はいるだろう。たった一人で、どうしたらいいんだ。

「出て来ねえと、こっちから行くぜ」

「待て!」と多米は叫んだ。「せっかく、来てくれて悪いが坊主は二人とも留守だ。出直して来てくれ」

「嘘つくな!」

「本当だ。わし一人しかおらん。多分、海にでも行ったんだろう。用があるんなら、そっちに行ってみろ」

「うるせえ! てめえにも用があるんだ。さっさと出て来い」

「出て行ってもいいが何もするなよ。わしは気が小さいんでな」

「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと出て来ねえか」

 多米は刀を腰に差すと、何とかなるだろう、と外に出て行った。

 外に出ると、刀を突き付けられ囲まれた。その中に見覚えのある山羊髭がいた。

「おう、達者だったか」と多米は山羊髭に声を掛けた。

「ふざけるな」

 三人の男が庵の中に入って行った。

「気を付けろ。一人の坊主は腕が立つ」と山羊髭は言った。

 多米は素早く、敵を見回し、飛び道具がないか調べた。

 二人が弓を持っていた。

 多米から見える所には七人の敵がいた。あと、庵の横と後ろに五人はいるだろうと思った。頭らしい男が後ろで控えていた。腕を組み、つまらなそうな顔をして高草山の方を見ていた。俺には関係ねえとでも言ってるかのようだが、見た感じ、腕はかなり立ちそうだった。あとの雑魚(ザコ)たちは大した事ないが、あの頭は曲者(クセモノ)だった。

「誰もいねえ」と三人は板戸を蹴破り、縁側の方から出て来た。

「だから、いねえと言ったろ」と多米は言った。

「うるせえ!」と山羊髭は多米の横っ面を殴った。

「お頭、こいつ、どうしますか」と山羊髭はもう一度、多米を殴った。

「縛って、その辺に転がしておけ」と頭は多米の方を見ようともしないで言った。



 早雲と富嶽が帰って来たのは、それから半時(一時間)程経ってからだった。

 漁師から貰った魚をぶら下げ、のんきに話をしながら戻って来た。

 早雲庵の側まで来て、まず、立ち止まったのは富嶽だった。富嶽は早雲を押えるように足を止めた。

「おかしい」と富嶽は呟いた。

 早雲も庵の方を見て、頷いた。戸口が壊れ、縁側の板戸がはずれていた。

 二人は身を低くしながら、庵に近づいて行った。

 弓矢が続けざまに飛んで来た。

 二人は持っている杖で弓矢を弾いた。

 弓矢が切れると、庵の中から十人程の男たちが武器を手にして飛び出して来た。

 早雲と富嶽は杖を武器に掛かって来る者たちを倒して行った。

 十人程の男たちは皆、呻き声を上げながら倒れて行った。

 早雲と富嶽は注意を払いながら庵の中を窺った。縛られた多米が土間に転がり、側に一人の男が座り込んでいた。

 男は二人を見ても何の反応も示さなかった。ただ、座ったまま、ぼんやりと二人の方を見ていた。

 早雲と富嶽はゆっくりと近づいて行った。

「面目ない」と縛られている多米が情けない声を出した。

「騒がしたな」と男は低い声で言った。

「何か用か」と早雲は聞いた。

「用があったのは俺じゃねえ。外で伸びてる連中どもだ」

「おぬしは、その連中の頭じゃろう」と富嶽が杖を構えながら聞いた。

「まあ、そういう事になるかな‥‥‥連中も気が済んだろう」

「なぜ、山賊など、やっておる」と早雲が聞いた。

「食うためだ」

「人から物を盗んでか」

「そうだ」

「面白いか」

「まあな。早雲とか言ったな。なぜ、坊主なんかやってる」と今度は山賊の頭の方が聞いてきた。

「遊びじゃ」と早雲は答えた。

「遊び?」

「俗世間と縁を切って、遊んでおる」

「面白いか」

「まあな」

「遊びか‥‥‥」と頭は笑った。

「邪魔したな」と言うと頭は立ち上がった。

 頭は早雲と富嶽の間を抜けて、外に出て行った。

「おぬし、名は何と言う」早雲が声を掛けた。

「在竹兵衛(アリタケヒョウエ)」頭は振り返らずに答えた。

「遊びたくなったら、また、来るがいい」と早雲は言った。

「ああ」と返事をすると、在竹と名乗る頭は真っすぐ帰って行った。

「何だ、あれは」頭が消えると多米が言った。

 富嶽は多米が縛られている縄を斬ってやった。

「いい様だ。いつまでも寝ているから、こういう目に会う」

「参った、参った」と多米は体を伸ばした。

「あの男、山賊にしておくには勿体ない男じゃな」と富嶽が早雲に言った。

「そうじゃな」と言って、早雲は頷いた。

「おう、そうだ。魚を忘れた」と富嶽が言った。「おい、権兵衛、魚を取って来てくれ。ついでに、雑魚どもも起こしてやれ」

「ほいきた」と多米は出て行った。





 広い庭園に山吹の花が咲いていた。

 早雲は久し振りに、妹の美和に会いに来ていた。

 妹は、ここでは『北川殿』と呼ばれていた。

 美和が駿河に嫁いで来た時、今川義忠が屋敷の隣の北川の流れの側に、立派な屋敷を新築して迎えたからだった。

 美和は将軍の執事、伊勢伊勢守貞親の娘として京の都から輿入れしたため、お屋形様にふさわしい嫁として駿河の国衆から絶大な歓迎を受けて迎えられた。

 駿河も含め、関東の地から見ると京の都というのは憧れの地であった。特に、今川家では京の文化を取り入れる事に熱心だったので、下々の者までが京に憧れを持っていた。そこに、美和が京の都からお屋形様の嫁として来たものだから、もう、大騒ぎとなる有り様だった。それに増して、美和の美貌がさらに輪をかけ、大変な歓迎振りだった。

 その美和も今では二児の母親だった。二児の母親となっても美和の美貌は衰えてはいない。兄の早雲でさえも、美和に見つめられ、笑いかけられると、どぎまぎしてしまう事もあった。

 二人の子供は上が六歳の女の子、美鈴で、下が四歳の男の子、竜王丸だった。美鈴は母親似で色が白く、目がくりっとしていた。竜王丸は父親似で芯が強そうだった。二人とも何不自由なく、元気に育っていた。

 二人の父親、今川治部大輔義忠は今、隣国、遠江(トオトウミ)の国に出陣していた。

 遠江の国の守護、斯波義廉(シバヨシカド)は西軍の武将として京の都にいる。また、遠江の有力な豪族、横地氏、勝間田氏、原氏、狩野氏 井伊氏、大河内氏なども斯波氏と共に在京している。

 義忠は、この機会に遠江を昔のごとく今川氏の領国にしようと決め、今年になってから本格的に進攻作戦を立て、実行に移していた。今までも遠江に進撃していたが、それは、東軍の作戦の一つとして後方撹乱していたに過ぎなかった。

 去年の三月、西軍の大将、山名宗全が亡くなり、五月には東軍の大将、細川勝元が流行り病にかかって死んでしまった。一時は、これで戦も終わりかと思われたが、そう簡単に、一度始まってしまった戦が終わるわけにはいかなかった。しかし、厭戦気分はあちこちから聞こえ、京の戦が終わるのも時間の問題とも言えた。

 隣国の遠江に守護も有力豪族たちもいない今、放って置く手はないと義忠は思った。このまま戦が終わってしまえば、遠江は以前のごとく斯波氏のものとなる。

 遠江を取るなら、今をおいて他になかった。今なら、堂々と東軍の将として遠江に攻め入る事ができた。戦が終わるまでに遠江を我物としてしまえば、正式に、遠江の守護職は今川氏のものとなるのは間違いなかった。

 義忠は情報を収集し、綿密な計画を立て、遠江に進攻して行った。

 美鈴が竜王丸を連れて侍女と共に部屋を出て行くのを見送ると、美和は早雲の方を向いて笑いかけた。

「兄上様、また、旅に出るおつもりですね」と美和は言った。

「わかりますか」と早雲も笑った。

「わかりますとも。陽気も良くなりましたし、兄上様は山西の早雲庵にいるより、旅に出ている方が多いのですもの。私も兄上様が羨ましい。今度はどちらの方へ」

「今度は、常陸の国(茨城県東北部)の鹿島大社と下総の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取大社にでも行こうかと思っております」

「常陸の国に下総の国‥‥‥随分と遠いのでしょうねえ」

「ええ、遠いと言えば遠いでしょうな」

「箱根の向こうなんでしょう。箱根の向こうは戦をしていると聞いておりますが、大丈夫なのでしょうか」美和は心配そうな顔をして聞いた。

「戦には慣れております。坊主、一人、どこに行っても平気ですよ」早雲は安心させるように言った。

「あまり、危ない所には行かないで下さいね」

「わかっております。香取も鹿島も武神を祀っておるのです。お屋形様の武運を祈って来るだけです。戦をやっている所は避けて通りますよ」

「まあ、お屋形様の‥‥‥それは、わざわざ」

「私が武将でしたら、勿論、お屋形様と共に戦に出掛けますが、今の私はこの通り、ただの坊主です。その位しか、お屋形様に御恩返しができませんからな」

「御恩返しなど、そんな事‥‥‥兄上様はただ、側にいてくれれば、それだけで私は心強いのです」

「性分ですかな」

「本当に気を付けて下さいね」

「はい」

 早雲は広い座敷の隅に置かれた、山水の描かれた屏風(ビョウブ)を見ていた。かなりの値打物のようだった。

 早雲は、それ程、絵に興味を持っていたわけではなかったが、四年近く、足利義視の側近くに仕えていたため、唐物(カラモノ)の陶器や絵を見る目は肥えていた。将軍義政にしろ、義視にしろ、あの兄弟は政治の方はまったく駄目だが、なぜか、芸事の才能はあるようだった。まだ、戦の始まる前、早雲はよく義視の供をして、名画と言われる絵を見て歩いたものだった。

 そんな早雲が、この駿河に来て驚いたのは、数多くの名画や名物と言われている唐物の茶道具を今川義忠が持っている事だった。それらの高価な物が、義忠の屋敷やこの妹の屋敷にも、さりげなく置いてあるのだった。

 屋敷自体は勿論、素晴らしいが、駿河の大守程の財力があれば造る事ができる。しかし、名画や名物はいくら財力があっても手に入れる事は難しい。将軍でさえ、欲しい物を手にするのは難しかった。今川氏が代々、文化面に強い関心を持ち、集めて来たに違いなかった。さすがは今川氏だ、妹もいい所に嫁に来たものだ、と早雲は思っていた。

「そういえば」と妹が言った。

 早雲は屏風から、妹に目を移した。

「この間のお花見の時、一緒に見えた方たちはどうしてらっしゃいます」

「あいつら、御存じでしたか」

「はい。五条殿よりお話は伺いました。絵画きさんと用心棒さんですって」

「はあ、絵画きさんは、また、富士山を描きに出掛けました。用心棒の方は毎日、ぶらぶらしてますよ」

「この間は山賊退治をしたんですってね」

 早雲は笑った。「そんな事まで五条殿は話したのですか」

「どうやら、五条殿は兄上様を尊敬しているようですわ。兄上様の所に行って来て、と頼むと喜んで飛んで行きますよ」

「五条殿は連歌が好きなようですね。この間、彼が作ったという歌を見せてもらいましたが、なかなかなものですな」

「はい。確かに、五条殿は歌がお上手です。でも、兄上様もお上手だって言っておりましたよ」

「私のはただの道楽にすぎません。五条殿の連歌は本物ですよ」

「もう、前の事ですけれど、あの有名な宗祇(ソウギ)殿がこの駿府に来た事がございます。その時、五条殿は本気で宗祇殿のお弟子さんになろうとしたそうです。その時は、五条殿もまだ十六歳で、若すぎるからと宗祇殿にたしなめられて、お弟子さんになる事は諦めたものの、連歌だけはやめずに続けているそうです」

「そうですか、宗祇殿に会っていたのですか」

「兄上様も宗祇殿に会った事があるのですか」

「いえ、会った事はありませんが、連歌師、宗祇殿と言えば京の都でも有名でした。名前だけは何度も聞いた事がありますが、実際に会った事はありません。そうでしたか、五条殿が、あの宗祇殿のお弟子さんに‥‥‥」

「はい。今頃、遠江の国の戦陣で歌を作っているかもしれませんね」

「そうですな。戦場に出ても、それ位の余裕が必要です」

「そう言えば、兄上様も京にいた頃は戦に出ていたのでしたわね。すっかり、忘れていましたわ」

「もう、本当に昔の事です」

 その晩は、留守を守る義忠の弟、河合備前守範勝に招待されて夕食を御馳走になり、次の日、我家、早雲庵に帰って行った。

 早雲庵に帰ると、さっそく旅の支度を始めた。支度と言っても大した事はない。すぐに終わった。そして、そのまま旅に出ようとした時だった。

 早雲庵を訪ねて来た二人の若い男があった。

 早雲を見ると二人は土下座して、どうか、弟子にしてくれと頼んできた。

 話を聞くと、二人はこの辺りの百姓の三男と四男で、村を飛び出して来て、しばらく、小河津で荷揚げ人足をしていたが、山賊を退治したと言う早雲の噂を聞いて、どうしても、早雲の弟子になりたくて、やって来たのだと言う。

 細くて背の高い方は山中村の才四郎、小太りで背の低い方は富沢村の孫三郎と言い、対照的な二人だった。

 早雲は弟子など取る気などなく、坊主頭になれと言えば帰ると思っていた。さすがに、坊主頭になる事をためらっていた二人だったが、まず、孫三郎が坊主になると言ったため、才四郎も覚悟を決めた。

 さっそく、多米に頭を剃ってもらい、二つの青坊主が出来上がった。早雲は、一人の名を孫雲、もう一人の名を才雲と名付けた。

 二つの青坊主を見て、しょうがない、そのうち諦めるだろう、と早雲は二人を旅に連れて行く事にした。

 多米に留守番を頼み、早雲は二人の弟子、才雲、孫雲を連れて、鹿島、香取へ向けて旅立って行った。





 今日もいい天気だった。

 陽気も良くなり、日中は汗ばむ程だった。

 早雲、そして、才雲、孫雲の三人が旅に出て四日目、一行は、相模の国(神奈川県)に入っていた。

 才雲も孫雲も駿河の国から出たのは初めてで、何だかんだと無駄話をしながら賑やかに旅を続けていた。

 小田原を過ぎ、酒匂(サカワ)川を渡ってしばらく行くと、つい最近、戦があったらしく、草の中に兵士の死体が転がっていた。

 すでに、戦は終わっているらしく、見渡す限り、茫々とした平原に人の気配は感じられない。死体の兵士はまだ若い男だった。無残にも脇腹から臓腑(ハラワタ)がはみ出し、蝿がたかり、蟻が群れをなしていた。

「南無阿弥陀仏」と早雲は唱えた。

 才雲と孫雲は顔をしかめて目をそらしていたが、早雲に命ぜられて念仏を唱えた。

 死体はいくつも転がっていた。皆、苦しそうに顔を歪め、無残な姿をさらしている。

「ギャー」と才雲が、突然、悲鳴を上げた。

 何事だと行ってみると、首のない死体が転がっていた。

 武器や鎧、着物もはぎ取られていて、身に着けているのは下帯一つだけだったが、身分の高い武将のようだった。兜首として、討ち取った者が掻き斬って行ったのだろう。

 首のない死体を見るのが初めてではない早雲でもいやな気分だった。戦場で討ち死にし、首を掻き斬られるのは武士としては本望な死に方だが、首のないまま捨てられている死体は哀れだったし、不気味だった。

 早雲は念仏を唱えると、才雲と孫雲の二人に手伝わせ、首のない武将の死体を土の中に埋めてやった。

 才雲は気分が悪くなったと口を押えていたが、堪えきれず吐いてしまった。

「百姓に戻った方がいいんじゃないのか」と早雲が才雲に言うと、吐きながらも首を横に振っていた。

 次に出会ったのは若い女の死体だった。

 戦に巻き込まれてしまったのだろう。惨い死に方だった。破れた着物ははだけ、股を大きく開いたまま、喉を絞められて死んでいた。口惜しさから来る女の執念か、はだけた着物から覗く白い肌は、死んでいても生々しく色気を放っていた。

「やられたんかな」と才雲が目をそむけながらも、ちらちら見ながら言った。

「当たり前だろ」と孫雲は死人の着物を直してやった。

「埋めてやれ」と早雲は言った。

 二人は黙って穴を掘り始めた。

 三人は草をかき分け、広々とした草原を歩いていた。

 才雲と孫雲の二人は今日一日で、この世の地獄をいやになる程、経験していた。

 戦の話は毎日のように聞いてはいても、これ程、残酷で悲惨なものだとは思ってもいなかった。武将たちの英雄譚を聞いて、自分たちも戦に出て活躍したいと思っていた二人だったが、恨めしそうな顔をして、打ち捨てられたままの死体たちを見ると、恐ろしくて身震いがして来る程だった。

 戦場から離れても、青白い顔をした二人は黙ったまま俯きながら歩いていた。

 遠くで、馬のいななきが聞こえた。

 才雲と孫雲はビクッとして顔を上げた。

 早雲も遠くに目をやった。

「戦かな」と脅えた声で才雲が言った。

 三頭の馬が、こちらに向かって駈けて来た。

「こっちに来ますよ、大丈夫ですか」と孫雲は早雲の顔を窺った。

「俺たち、殺されるのかな」と才雲は脅えていた。

「まさか‥‥‥」と孫雲は言ったが顔は青ざめていた。

 早雲はただ、近づいて来る馬を見つめていた。

 三頭の馬は三人の側まで来ると止まり、三人の坊主を見下ろした。

 一人は貫禄のある武将で、あとの二人はその側近の武士のようだった。二人の若い武士はじろじろと三人を睨んでいたが、貫禄のある武将は早雲をちらっと見ただけで、遠くの方をぼんやりと見ていた。

「御坊、いい眺めじゃのう」と武将は海の方を眺めながら穏やかな声で言った。

 早雲も海の方を見た。

 才雲も孫雲も海の方を見た。

 二人は初めて、海の側にいるという事に気づいた。死体ばかりが目に付いて離れなかった二人にとって、海の青さは素晴らしく綺麗に感じられた。二人は初めて海を見たかのように、ボーッとして海を見つめていた。

「この大地を血で染めたくはないものじゃ」と武将は海と反対の方を見ながら言った。

 早雲は武将の顔を見上げた。

 早雲の知らない男だった。もっとも、早雲は関東の武将はほとんど知らなかった。人の話や噂から、名前を聞いた事のある武将は何人かいても、実際に会った事のある武将はいなかった。以前のように、幕府の申次衆でもしていれば、関東の武将たちに会う機会もあっただろうが、今のような、ただの旅の僧では武将たちに会う機会はなかった。住む世界がまったく違っていた。

「御坊、宗祇殿を御存じか」と武将は突然、早雲に声を掛けた。

「いえ、名は存じておりますが面識はございません」

「そうか‥‥‥何となく、御坊は宗祇殿と雰囲気が似ておる」

 早雲は改めて、武将の顔を見上げた。

 そして、ぴんと来た。この武将、江戸城の城主であり、扇谷上杉氏の家宰である太田備中守資長に違いないと思った。

「御坊、これから、どちらに行かれる」と武将は早雲に聞いた。

「鹿島、香取へ」

「うむ。あそこもいい所じゃ。気を付けて行かれるがいい」そう言うと武将は馬の手綱を引き、海の方へと駈けて行った。二人の武士も後を追って行った。

 三頭の馬が波打ち際を走って行くのを三人の坊主は見送った。

 才雲と孫雲が大きく溜息をついた。

「首が飛ぶかと思った」と才雲は言って自分の首を撫でた。

「お知り合いだったのですか」と孫雲は聞いた。

 早雲は首を横に振った。まだ、三頭の馬が去って行った方を見ていた。

「偉そうな武将だったな」と才雲は孫雲に言った。

「ああ、凄い貫禄だったな。きっと、有名な武将に違いない」

「坊主頭にしておいて、よかったな」と才雲は頭を撫でた。

「うん。坊主じゃなかったら、今頃、あの死体たちの仲間入りだったかもな」

「ああ。俺はもう、喉がからっからだぜ」

「俺だってさ」

 二人が何だかんだ話しているうちに、早雲はさっさと歩いていた。

 間違いないと思っていた。

 あの武将は太田備中守に違いない。彼の噂はよく聞いていた。軍略に長け、戦上手で、城の縄張りもし、学問に長じ、歌もうまく、扇谷上杉氏を支えているのは太田備中守だと言われる程の名将だった。

 あの男が太田備中守か‥‥‥

 確かに、名将と言われるだけの貫禄があった。しかし、今の早雲には関係のない事だった。俗世間と縁を切った今、あの武将が太田備中守だろうと、また別人だろうと、どうでもいい事だった。

 今の早雲には、ただ、早く、戦のない世の中になって欲しいと祈る事しかできなかった。彼が太田備中守だとすれば、関東の戦も彼に任せておけば早く終わるかもしれない、彼がうまく、関東の地をまとめてくれるかもしれない、と早雲は思った。

 そして、一度、じっくりと語り合いたい相手だと早雲は心の中で思っていた。

 才雲と孫雲は早雲に追い付くと、また、あの武将の事を話し始めた。もう、あの無残な死体の事はすっかり忘れたらしく、笑いながら話していた。
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