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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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第二部 赤松政則



1.悪霊



 雪が勢いよく舞っていた。

 昼過ぎから降り始め、もう、かなり積もっている。

 焼け跡のまま放置されている京の都も、雪化粧をして惨めな姿を隠していた。

 応仁の乱が始まって、すでに五年が経とうとしているが、戦はまだ、終わってはいなかった。京で始まった戦は地方にまで広がって行き、東軍、西軍が入り乱れて争い、東西の決着の見込みは、まったくわからない状況となっていた。

 ここ、京の都では相変わらず、東軍の細川勝元と西軍の山名宗全は睨み合っている。

 東軍は天皇と新将軍足利義尚を掲げ、西軍は南朝の皇子、小倉宮(オグラノミヤ)と足利義視を掲げ、睨み合っていた。

 辺りはすでに暗く、シーンと静まり返り、ただ、雪だけが音もなく舞っている。

 そんな中を一つの人影が急ぎ足で歩いていた。

 人影は錫杖(シャクジョウ)を突いた山伏であった。

 破れた笠をかぶり、鹿の毛皮をはおり、高下駄をはいている。雪の積もった破れ笠の下から覗く顔は髭に覆われ、目だけが異様に光っている。左目の横に古いが目立つ矢傷が残っていた。戦を何度も経験し、修羅場をくぐり抜けて来た武将のような面構えをしている。

 山伏は錫杖を突きながら黙々と相国寺(ショウコクジ)の方へと歩いて行った。

 相国寺は三代将軍足利義満が夢窓疎石(ムソウソセキ)禅師を開山として建てた臨済宗の大本山だったが、ここも戦火にやられ、七堂伽藍は焼け落ち、荒れ果てたままになっていた。

 山伏は相国寺の壊れた山門の前に立つと、境内の中を窺い、首を横に振った。

 それは惨めな姿だった。京都五山に列せられ、北山文化の中心をなした壮麗な相国寺の面影はまったく残っていなかった。

 山伏はしばらく、そこにたたずんだまま、片手拝みに何かを唱えていた。

 やがて、山伏は歩き出した。

 山伏の下駄の足跡が境内の中に続いて行った。足跡は崩れた本堂の脇を通り、裏の方へと抜けて行った。

 ひっそりとしていて人など誰もいないように思えるが、闇に目を凝らして良く見ると、雨宿りができそうな所には必ずといっていい程、乞食たちが群がっていた。この寒い雪の夜に身動きもせず、じっと、うずくまっている。

 山伏は乞食たちの存在を知っているのか知らないのか、辛うじて焼け残ったらしい一つの僧院に向かって、真っすぐに、他には目もくれずに歩いて行った。

 僧院の前まで来ると山伏は中を窺った。

 焼け残ってはいても、この僧院も荒れ果てていた。床はあちこち穴があき、柱も折れ、饐えたような異様な臭いが漂っている。なぜか、乞食たちはいないようだった。

 山伏は錫杖を何度か鳴らし、闇の中に目を凝らした。

 やがて、闇の中から声がした。

「阿修羅坊(アシュラボウ)か」

 山伏はそれには答えず、また、錫杖を鳴らした。

「まあ、上がれ」

 阿修羅坊と呼ばれた山伏は雪を払うと、下駄のまま上がり、中に入って行った。

 不思議な事に足音がまったく聞こえなかった。下駄を履き、しかも、これだけのボロ屋なら床の軋(キシ)む音がするはずなのに何も聞こえない。また、ここへ来るまでもそうだったが、錫杖を突きながら歩いているのに錫杖の音もしない。

 不思議だった。余程、腕の立つ武芸者なのかも知れなかった。

 暗闇の中に座り込んでいたのは身なりのいい武士だった。

 長い陣太刀を肩に担ぐようにして、あぐらをかいている。総髪(ソウハツ)を後ろに垂らし、革の鉢巻をして、腹巻き(鎧)を身に着けていた。年の頃は四十前後、身なりからして、かなり地位の高い武将のようだ。

「久し振りじゃのう」と阿修羅坊は言うと、笠をはずして武将の前に座り込んだ。「冷えるのう。この寒いのに火の気もなしかや」

「我慢せい。真冬に滝を浴びるおぬしにとっては何でもないじゃろうが」

「いや、京の寒さは格別じゃ」阿修羅坊は冷えた手をこすり合わせた。「この荒れ果てた都を見ただけで、薄ら寒くなるわい」

「それはそうじゃが、今の所はどうしようもない」と武将は眉間にしわをよせて外を眺めた。

「ところで何じゃ。わしを捜していたそうじゃのう」

「おう。おぬしに頼みがあるんじゃ。おぬしにしか頼めんのでのう」

「こんな結構な所で頼むとは余程の極秘な事じゃな」

「まあ、そういう事じゃ」

「赤入道(山名宗全)の寝首でも掻くのか」と阿修羅坊は声を殺して聞いた。

「いや」と武将は首を振った。「今更、赤入道の寝首を掻いたからといって、この戦が終わるわけでもあるまい」

「戦は終わらんかもしれんが、赤松家にとっては都合がいいんじゃないのかのう」

「おぬしにやって貰いたいのはそんな事じゃない。赤松家の内々の事じゃ」

「ほう。内々の事とはのう。もう、内輪揉めでも起きたのか」

「そう先走るな。実はのう、お屋形様の姉君を捜し出して欲しいのじゃ」

「なに、お屋形様の姉君?」

「おう」と武将は頷いた。

 阿修羅坊は武将の顔をじっと覗き込んでいたが、急に笑い出した。

「わしは帰るぞ。こんな所に呼び出して、何かと思えば、たわけた事を‥‥‥」

「本当の事じゃ」と武将は真面目な顔をして言った。

「信じられん。あの次郎殿に姉君がおったのかい」

「おったらしい。わしにも信じられんかった。しかし、確かにいたらしい。おぬしも知っておると思うが、今年の四月、申恩院(シンオンイン)殿(赤松義祐)の十三回忌が建仁寺で行なわれた。天隠龍沢(テンインリュウタク)殿が播磨から戻って来て行なったんじゃがの、その時、天隠殿の昔話から、ふと、その話が出たんじゃ‥‥‥幸いに、その話を聞いたのは、わししかおらん」

 武将は阿修羅坊の顔を見てから、外の方を眺め、話を続けた。

「天隠殿の話によると、その姉君というのはお屋形様より一つ上らしい。母親は近江(滋賀県)浅井(アザイ)郷の郷士の娘だそうだ。姉君が生まれた翌年、あの辺りで、ちょっとした戦があったらしい。申恩院殿の隠れ家も襲われそうになったそうだが、その郷士の家も襲われ、姉君の母親を初め、全員が殺されたそうじゃ。申恩院殿は丁度その時、京に行っていて隠れ家にいなかったらしいんじゃが、帰って来て、その事を知るとひどく悲しんだらしい。物凄く荒れたあげくに飯も食わず、しばらくの間、寝込んでしまったという。しかし、天隠殿の話によると、姉君だけは助けられたらしいと言うんじゃ‥‥‥その郷士の家が襲われた晩、赤ん坊をおぶった山伏が駈けて行くのを見たと言う者が何人もいたそうじゃ。その山伏が、どこの山伏で、どこに行ったのかはわからん。また、その赤ん坊がお屋形様の姉君かどうかもわからん。もし、その赤ん坊が姉君だとしたら、今も、どこかで生きている可能性はある‥‥‥それをおぬしに確かめて欲しいんじゃ」

 武将は阿修羅坊の反応を見た。阿修羅坊は腕を組んだまま黙り込んでいた。

「今のわしはこの京から離れるわけにはいかんのじゃよ。身動きができん。それに、山伏が絡んでいる。山伏の事は山伏に任せた方がよさそうだしの。おぬしにやって貰いたいんじゃ。どうじゃ」

 武将の話が終わると、阿修羅坊は目をつぶり、しばらく考えているようだった。やがて、目を開け、武将を見つめると、「難しいのう」と呟いた。

「難しいのはわかっておる。だから、おぬしに頼むのじゃ」

「もし、生きていたとすれば、その姉君はいくつじゃ」

「十八じゃ。もうすぐ、十九になるはずじゃ」

「うーむ、年頃じゃのう。もう、誰かの嫁さんになってるかもしれんのう」

「その可能性はある。とにかく、おぬしに捜し出して貰いたいんじゃ。どこにいるのか、見つけ出してくれればいい。後の事はわしが何とかする」

「成程」と阿修羅坊は武将を見ながらニヤリと笑った。「役に立つかどうか、見極めるというわけじゃな」

「違う。今のこの戦乱の世に生きていて、惨めな行き方をしてたら可哀想だからじゃ。幸せに生きていれば、そのまま、放っておくさ」

「成程のう‥‥‥まあいい。おぬしが何を考えていようと、わしの知った事ではない。ところで、その姉君の母親というのは余程、別嬪(ベッピン)だったとみえるのう」

「そんな事はどうでもいい」

「ふん。お屋形様の親父殿が悲しみのあまり寝込む程の別嬪だったとみえるわい。その娘なら、やはり、別嬪じゃろうのう」阿修羅坊は急に笑い出した。

「やってくれるか」

「おう、やってみよう。親父殿の隠れ家というのは近江のどこじゃと言ったかのう」

「近江浅井郷の須賀谷(スガダニ)じゃ。今浜(長浜)の北、小谷(オダニ)山の裾野じゃ」

「今浜の北の須賀谷じゃな」

「そうじゃ、頼むぞ。だが、くれぐれも内密にな。姉君の事はおぬしの胸にだけしまっておいてくれ」

「わかっておる」

「ついでに言っておくが、姉君の母親はいい女だったそうじゃ。天隠殿が言ってたが、天女のような女だったそうじゃ」

「ほう、天女ねえ。そいつは楽しみじゃ。さっそく、その天女の娘とやらを捜しに出掛けるか」阿修羅坊は立ち上がった。

「頼むぞ」と武将は阿修羅坊に何かを投げ付けた。「路銀じゃ」

 阿修羅坊はそれを受け取ると、手の平の上で弾ませた。

「ありがたい。天女を捜しに行く前に観音様でも拝んでいくかのう。体の底まで冷え切ってしまったわい。観音様でも抱かん事には凍え死ぬわ」

「観音様でも弁天様でも、好きな者を抱くがいい。いい知らせを待ってるぞ」

「任せとけ」

 阿修羅坊は路銀の入った革袋を懐にしまい、笠をかぶると、軽く手を振って外へと向かった。相変わらず足音はなかった。

 阿修羅坊は外に降りようとして、振り返り、闇の中に声を掛けた。

「ここには、どうして乞食がいないんじゃ」

「悪霊が出るそうじゃ」と闇の中から武将は答えた。「ここに住んでいた乞食が何人も狂い死にしたそうじゃ。それで、誰もここには近づかなくなったんじゃ」

「ふん。悪霊ね‥‥‥その悪霊というのはおぬしの事か」

「何じゃと」

 すでに、阿修羅坊の姿は消えていた。

 雪の降る中、阿修羅坊の姿はどこにも見当たらなかった。

 突然、闇の中から武将の笑い声が聞こえて来た。始めは低い笑い声だったが、やがて、それは、大笑いとなって行った。

 静まり返った雪の夜、不気味な笑い声だけが辺りに響いた。

 文明三年(一四七一年)の年の暮れ、京の都はすっかり雪化粧していた。
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