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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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21.雪溶け2






 夜明け前だった。

 朝を迎えて、早起きの鳥たちが鳴きながら飛び回っていた。

 突然、馬のいななきが聞こえたかと思うと、ひづめの音と共に土煙を上げて、一頭の馬が勢いよく駈けて来た。馬には入道頭の武士が乗っていた。薙刀(ナギナタ)を背負った武士は飛ぶような速さで馬を走らせ、北へと向かって行った。

 慶覚坊(キョウガクボウ)であった。

 蓮崇からの知らせを受けた慶覚坊は、次の日の朝、まだ暗いうちから現場に飛んで行った。途中、手取川が雪溶け水で増水していて容易に渡れなかったが、安吉(ヤスヨシ)源左衛門の力を借りて、何とか、その日のうちに大桑の善福寺に着く事ができた。

 すでに、善福寺は武装した門徒たちによって守られていた。

 慶覚坊が馬から下りて名を告げると、門番は慌てて庫裏(クリ)の中に入って行った。しばらくして出て来た住職の順慶(ジュンキョウ)は慶覚坊の姿を見て驚いていた。

「早いのう。吉崎では、もう、今回の事件が噂になっておるのか」

「いや、噂にはなっておらん。上人様の耳に入る前に何とかせにゃならんので、こうして、やって来たわけじゃ」

「そうか、そうじゃのう。ところで、その格好はどうしたんじゃ」

 慶覚坊は墨染(スミゾメ)の法衣(ホウエ)ではなく、武士の格好だった。

「なに、途中、川に落ちてのう。急いでいたもんで、安吉殿に借りて来たんじゃ」

「川に落ちたのか。それにしても、そなた、武士の姿も様になっておるのう」

「これでも昔は武士じゃったからのう」

「おお、そう言えば、そなた、薙刀の名人じゃったの。忘れておったわ。まあ、入ってくれ。今、高坂殿と松田殿、それと、田上殿と辰巳(タツミ)殿が来ておる」

 善福寺の庫裏の一室では、囲炉裏を囲んで、小具足(コグソク)姿の砂子坂道場の高坂四郎左衛門、長江道場の松田次郎左衛門、田上道場の田上五郎兵衛、辰巳道場の辰巳右衛門佐(ウエモンノスケ)の四人が、緊張した面持ちで酒を飲んでいた。

 慶覚坊はお互いに挨拶を済ませると現在の状況を皆から聞いた。

「木目谷は、すでに敵に占領されておる」と辰巳右衛門佐が言った。

 右衛門佐は高橋新左衛門の一族で、犀川(サイガワ)の上流を本拠地に持つ国人だった。犀川上流の川の民と山の民を支配していた。犀川は浅野川とは違って川の上流に大寺院がないため、物資の流通は少なかった。もっとも犀川の河口には宮腰(ミヤノコシ)という加賀を代表する湊があり、その湊から犀川の支流である伏見川を上り、野々市へとつながる川は水上交通も盛んだった。しかし、犀川の本流の方は水量が豊富なわりには、それ程、栄えていなかった。特に、右衛門佐が領する上流辺りには荘園もなく、水上輸送は必要なかった。右衛門佐が抱えている川の民は物資を運ぶ者たちではなく、太い材木を筏(イカダ)に組んで宮腰まで運ぶ、勇ましい男たちだった。山の民はその材木を切る杣人(ソマビト)である。要するに、辰巳右衛門佐は国人とはいえ、材木商人の主(アルジ)とも言えた。
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22.桜咲く1






 風眼坊とお雪の家の庭に、こぶしの花が咲いていた。

 縁側に坐って、風眼坊とお雪と蓮如の三人がお茶を飲みながら小さな庭を眺めていた。

 蓮如は忍びの旅の時のように職人姿だった。蓮如は時々、例の抜け穴から抜け出して、ここに遊びに来ていた。今日も蓮如は、蓮崇から石川郡での戦の話を聞くと、じっとしていられなくなって、ここに来たのだった。ここに来たからといって蓮如は風眼坊に何かを相談するわけではなかったが、たとえ、一時であっても、ここでは法主という自分の立場を忘れる事ができた。風眼坊とお雪も、蓮如のそんな気持ちをよく理解して、蓮如から余計な事は一切、聞かなかった。風眼坊もお雪も、今日、蓮如がここに来たのは、例の一揆の事を気にしているに違いないと気づいていたが、その事については一言も口に出さなかった。

「そろそろ、本泉寺の庭を完成せんとならんのう」と蓮如はポツリと言った。

「上人様、そろそろ、旅に出ますか」とお雪は笑いながら聞いた。

「もう、雪も溶けたじゃろうしのう」

「石を運ばなくてはなりませんね」と風眼坊は言った。

「そうじゃ。いい石を見つけんとのう。風眼坊殿に山の中に連れて行って貰わんとならんのう」

「山にはまだ雪が残ってますよ」

「そうか、まだ早すぎるか‥‥‥」

「来月になってからの方がいいでしょうね」

「そうか‥‥‥山はまだ雪か‥‥‥湯涌谷の辺りにも、まだ雪が残っておるのかのう」

「湯涌谷ですか‥‥‥多分、残っておるでしょう」

「そうか‥‥‥」

「湯涌谷には温泉があるんでしょう。一度、行ってみたいわね」とお雪が楽しそうに言った。

「そうじゃな、たまには温泉でのんびりするのもいいのう。あそこには蓮崇殿の屋敷があると言うし、今度、行ってみるか」

「あら、噂をすれば蓮崇様だわ」とお雪が言った。

「なに、蓮崇? わしは帰るぞ」

 蓮如は素早かった。さっさと裏の方に消えた。

 風眼坊がお雪に合図をすると、お雪は頷いて蓮如の後を追って行った。

 蓮如と入れ違いのように蓮崇が入って来た。
23.桜咲く2






 満開の桜の花の下、吉崎御坊は門徒たちで賑わっていた。

 石川郡で守護と門徒が戦をして千五百人近くもの戦死者が出た事など、まるで嘘だったかのような浮かれようだった。

 のんきに花見をしている門徒たちを横目で見ながら、慶覚坊と湯涌次郎左衛門は御山に向かって急いだ。蓮如に会う前に蓮崇に会わなければならなかった。

 二人はまず、風眼坊舜香の家に寄った。風眼坊の家は総門の外にあるので、ちょっとした密会をするのに都合がよかった。

 去年の戦の後、門徒たちが前以上に一つにまとまったのはよかったが、吉崎御坊内において勢力争いが始まっていた。蓮如に一番信頼されている蓮崇に対して、蓮如がこの地に来る以前より南加賀において勢力を持っていた超勝寺の一派が対立していた。去年の戦で超勝寺の弟、定善坊が英雄的な戦死をしたため、超勝寺の一派は門徒たちの人気を集め、隙あらば蓮崇を失脚させようとたくらんでいた。

 蓮崇派である慶覚坊は当然、超勝寺派から睨まれていた。慶覚坊が蓮如に会う前に、蓮崇の多屋にでも行けば、超勝寺派の者たちの反発を買う事になるかも知れなかった。今は、本願寺内で派閥争いなどしている時ではなかった。慶覚坊は風眼坊の家で蓮崇と会うつもりでいた。

 風眼坊の家には三人の年寄りが体の具合を診て貰いに来ていた。慶覚坊は風眼坊に合図をすると縁側の裏の方に回って待った。風眼坊はお雪に診察を代わって貰うと慶覚坊のいる方に向かった。

「無事じゃったか」と風眼坊は慶覚坊と湯涌次郎左衛門の二人を見比べながら言った。

「ああ。それにしても、この吉崎の浮かれようは何じゃ。戦の事を知らんのか」

「いや、噂は聞いておる。聞いておるが門徒たちには関係ないと思っておるんじゃ。侍同士の戦じゃと、みんな、思っておる」

「そうか‥‥‥そうじゃったのう‥‥‥それで、上人様の御様子はどうじゃ」

「苦しんでおるのう。どんな形にせよ、戦となれば犠牲になるのは名もない門徒たちじゃからのう」

「そうか‥‥‥蓮崇殿はおるかのう」

「おぬしの帰りを首を長くして待っておるわ」

「そうか、風眼坊、頼みがあるんじゃ。蓮崇殿を呼んで来てくれんか。上人様に会う前に、今後の事を相談したいからのう」

「ああ、分かった。それで、ここに呼ぶのか」

「ここなら会った事を気づかれまい。門の中に入るとうるさい奴らがおるからのう。余計な事を勘ぐられたくない」

「分かった。まあ、上がって待っていてくれ」

 風眼坊が蓮崇を連れて来た。

 年寄りたちは帰し、お雪もどこかに消えた。
24.五月雨1






 新緑の季節となり、陽気もよくなった。

 その陽気に誘われて、つい、フラフラとどこかに行きたくて、イライラしている男が吉崎にいた。上人様と呼ばれている蓮如であった。

 ただ、布教の旅に出るのなら慶聞坊(キョウモンボウ)を連れて行けばいいのだが、蓮如が行きたいのは布教の旅ではなかった。蓮如は去年、未完成のまま放ってある本泉寺の庭園を、どうしても早いうちに完成させたかった。本泉寺の庭園造りの事は吉崎の者は誰も知らなかったし、戦騒ぎのあった北加賀に行くと言えば、止められる事は分かっている。止められる事も分かっているし、庭園造りなどしている時ではない、という事も分かっているが、蓮如はなぜか、今年のうちに完成させなければならない、という焦りのようなものを感じていた。

 蓮如が北陸の地に来て四年が経ち、加賀の国を中心に本願寺の教えは予想以上に広まって行った。しかし、加賀の国に浄土が出現したかというと、出現したのは戦という地獄だった。そして、一度、始まってしまった戦の火は陰でくすぶったまま消える気配はない。そろそろ、この地を離れなければならなくなるかもしれないと蓮如は感じていた。離れる前に、庭園だけは完成させたかった。布教も失敗、庭園も未完成では、この地を離れるにしても後味が悪かった。

 蓮如が毎日、イライラしていたのは、本泉寺まで共に行ってくれるはずの風眼坊が、戦の前線に負傷者の手当に行ったまま、なかなか戻って来ないからだった。

 そんな風眼坊が疲れた顔をして戻って来たのは四月の十二日だった。

 蓮如のもとに挨拶に来た風眼坊とお雪の顔を見ると、蓮如は急にニコニコして二人を迎えた。そして、風眼坊の耳元で、本泉寺行きを囁いた。風眼坊は、一日、ゆっくり休ませてくれと頼み、蓮如は、勿論じゃ、ゆっくり休んでからでいいと言ったが、心はすでに本泉寺にあった。

 次の日、松任(マットウ)城の鏑木兵衛尉(カブラギヒョウエノジョウ)が蓮如を訪ねて来た。蓮如は上機嫌で鏑木と対面した。この日、兵衛尉は本願寺門徒となった。

 そして、次の日、留守を頼むため、妻の如勝と蓮崇と慶聞坊の三人だけに行き先を告げた。慶聞坊は一緒に行くと言い張った。蓮如も負けて、慶聞坊も一緒に行く事となった。

 蓮如は庭師の格好になり、慶聞坊も職人姿になり、風眼坊とお雪を連れて、ひそかに吉崎を抜け出した。忙しい旅になりそうだった。二十五日の講会(コウエ)には戻って来なければならないので、十日余りしかなかった。

 一行は船に乗って出掛けた。そして、本泉寺に着くと休む間もなく、庭石を捜すため山に入った。蓮如が入ると言った山、医王山(イオウゼン)は女人禁制(ニョニンキンゼイ)の山だったため、お雪は本泉寺に置いて行く事となった。いつもなら、一緒に行くと駄々をこねるお雪も、長い船旅で気分が悪かったため文句も言わずに素直に従った。

 蓮如は慶聞坊を連れ、風眼坊を道案内に医王山に入った。蓮如は風眼坊に、とにかく東に向かってくれと言った。すでに、いい庭石をこの山の中で見つけてあるのだろうと風眼坊は思い、蓮如の言う通り東へと向かった。

 東に向かって歩いているうちに山の尾根に出た。すでに、加賀と越中の国境であった。蓮如はさらに東に行けと言った。さらに進み、山の中から砺波平野が見える頃になって、ようやく、風眼坊は蓮如の行き先が分かった。蓮如は初めから庭石を捜すためではなく、越中に追い出された門徒の事を心配して瑞泉寺を訪れようとしていたのだった。

 三人は砺波平野をさらに東へと向かった。
25.五月雨2






 山ツツジがあちこちに咲いていた。

 蓮如は慶聞坊を連れて、毎日、山に入って庭石と植木を捜し回っていた。

 風眼坊はお雪を連れて避難所を巡り、負傷者や病人の治療に忙しかった。

 一応、役目を果たして、一行が吉崎に戻って来たのは月例の講の前日だった。

 陽気もよくなって来たため、今月の講は賑やかだった。

 石川郡で戦騒ぎがあった事について、蓮如が何か言いはしないか、という期待を持って、江沼郡の坊主のほとんどが、その日、吉崎に集まって来ていた。

 蓮如は、戦の事については一言も触れなかった。

 坊主たちは、昨年の戦の時のように、講の終わった後、集合が掛けられるかもしれないと待っていたが、それもなかった。

 皆、期待はずれという面持ちで、次の日、各道場に帰って行った。

 二十八日の報恩講も無事に終わり、また、蓮如が本泉寺に行くと言い出すだろう、と待っていた風眼坊とお雪だったが、蓮如は風眼坊の家に忍んで来なかった。

 蓮如は来なかったが、蓮崇は毎日のように来ていた。

 風眼坊は以前、蓮崇に頼まれて、蓮崇の息子、乗円に剣術を教えていた。それは夕方の一時だったが、その時、蓮崇も一緒に来て、蓮崇も風眼坊から剣術を習っていた。自分が刺客に狙われていると聞き、刀の使い方くらい知らないと自分の身も守れないと、四十を過ぎて剣術を習い始めたのだった。

 蓮崇と乗円の帰った後、風眼坊とお雪は縁側に並んで坐り、お茶を飲んでいた。

 村田珠光(ジュコウ)に会って以来、風眼坊はお雪と二人でお茶会の真似事をして、毎日、仕事の終わった夕暮れ時に、お茶を楽しんでいた。

「上人様、どうしたんでしょうね」とお雪がお茶をすすりながら言った。

「この前、集めた庭石の配置でも考えておるんじゃないか。どうせ、来月になったら、出掛けようと言って来るさ」

「越中に避難している人たち、もう加賀には戻れないのでしょうか」

「難しいのう。国境は封鎖されておるし、山の中を通って加賀に戻っても住むべき土地がない」

「守護も随分、ひどい事をするのね。何もしてないのに勝手に土地を取り上げて、国外に追い出すなんて」

「ああ、ひどいのう。上人様も悩んでおる事じゃろうのう。上人様の力を持ってしても、どうする事もできんのじゃからのう」

「それじゃあ、あの人たちは、ずっと、あんな生活を続ける事になるの」

「いや、高橋殿と石黒殿は、いつか戻るつもりでおるじゃろうがのう。いつの事になるやら分からんのう」

「また、戦になるのね」

「多分な‥‥‥」

「いつになったら戦のない世の中になるのかしら」

「分からん‥‥‥」
26.庭園1






 まだ、夜明け前だった。

 異様な雰囲気を感じて慶覚坊は目を覚ました。

 慶覚坊は蓮崇と共に善福寺の書院の一室に寝ていた。暑い夜だったので、板戸は開け放したままだった。

 慶覚坊は起き上がると薙刀(ナギナタ)を手にして広縁に出ると、外の様子を眺めた。

 月明かりで外は明るかった。特に、怪しい物影も物音もなかった。

 善福寺は去年の戦の時、戦場外にあったため、まだ、城塞化していなかった。塀に囲まれているとはいえ、無防備状態と言えた。

 今、善福寺には百人程の兵が待機していた。越智伯耆守と松田次郎左衛門が率いて来た兵八百人は、浅野川の河原に陣を敷いている。善福寺にいる百人の兵は善福寺の門徒たちで、明日の早朝、すぐに行軍できるように境内に待機しているのであって、善福寺を寝ずの番をしているわけではない。皆、庭のあちこちに横になって休んでいた。寝ずの番をしているのは、いつもの通り、門番の二人だけだった。この時、敵が善福寺を襲って来るだろうとは誰もが思っていなかった。

 慶覚坊が広縁に立って回りを見回していると、蓮崇が部屋の中から声を掛けて来た。

「何となく、嫌な予感がするんじゃ」と慶覚坊は小声で言った。

「嫌な予感?」と蓮崇も広縁に出て来て、回りを見回した。

「気のせいじゃないのか」

「かもしれん」

「いい月じゃのう。明日も暑くなりそうじゃ」

「わしは一応、一回りして来るわ」

 慶覚坊は広縁を書院の表の方に向かった。

 蓮崇はあくびをすると、部屋に戻って、また、横になった。

 夜明けまでは、まだ、一時(二時間)以上ありそうだった。

 慶覚坊は外に下りると、本堂の横を通って門の方に向かった。

 月明かりの下で、気持ちよさそうに武装した門徒たちがゴロゴロ寝ていた。

 門番の二人も、槍にすがるようにして立ったまま眠りこけていた。

 慶覚坊は門番を起こした。

 門番はビクッとして目を開け、槍をつかみ直した。

「眠い所をすまんがのう、もう少し、我慢して起きておってくれ」

「はっ」

「いい月夜じゃのう。別に異常はないようじゃのう」

「はっ、異常ありません」
27.庭園2






 本泉寺の庭園は最後の仕上げに掛かっていた。

 蓮如、慶聞坊、風眼坊、お雪、勝如尼の見守る中、十人の人足によって四つの池に水が溜められつつあった。

 庭園は本泉寺の南西の角、十五間(ケン)四方のおよそ二百坪(ツボ)の地に造られた。

 南西の一番奥に築山(ツキヤマ)があり、その右隣に竹林があり、その隣の小高い丘の上に阿弥陀三尊になぞらえた三つの石を置いた。その三つの石を中心に様々な形の石が散在し、右端には桜の木が植えられた。三尊石の前に、中の島のある大きな池があり、中の島には太鼓橋が架けられてある。池は心という字を模していた。一番大きな池の手前には砂が撒かれ、砂浜のようだった。中の島に鶴を現した石を置き、池を挟んで左側には、枝振りのいい松の木の下に亀を現した石が置かれた。

 その庭園を眺める南東の隅の小高い所に、小さな東屋(アズマヤ)が建てられてあった。

 蓮如、慶聞坊、風眼坊、お雪、勝如尼の五人は、その東屋から池に水が注がれるのを眺めていた。蓮如の造った庭園を眺め、極楽浄土とはこのような所かと皆、感心していた。

 蓮如が言うには、池に水が入り、その池に蓮(ハス)の花が咲き、あちこちに置いた石が苔(コケ)むしてくれば完成だと言う。そして、この庭園を見るのに一番いい時刻は夕暮れ時で、しかも、夕日が丁度、三尊石の後ろに沈む、春分か秋分の頃が一番いいと言う。

 蓮如の話を聴きながら、皆、蓮の花と苔むした石と夕暮れ時の庭園を頭の中に浮かべ、その素晴らしい光景に酔っていた。

 庭園は無事に完成したが、蓮如とは別の所で行なわれた守護の富樫との戦は、本願寺の完敗で終わっていた。

 十四日未明に行なわれた善福寺、聖安寺、専光寺の夜襲及び放火の後、野々市の兵は木目谷に向かって出陣した。

 蓮崇が本泉寺に向かい、慶覚坊が専安寺に向かい、善福寺では子供を亡くした順慶が悲しみにくれている時だった。守護勢の三千の兵は焼け落ちた善福寺を踏み潰すように攻め、勢いに乗って木目谷城を包囲している本願寺勢を追い散らした。今まで城から出て来なかった木目谷城の高尾若狭守も、山川城の山川亦次郎の兵も、野々市の兵に呼応して城から打って出た。本願寺勢は三方から挟まれ、多くの死傷者を出しながら、陣を立て直す事もできずに湯涌谷に逃げ帰った。守護勢は湯涌谷までは追って来なかったが、完敗した事に違いはなかった。

 誰もが勝てると思って、勇んで出掛けた戦だった。守護の富樫を攻め滅ぼし、木目谷衆は木目谷に戻れるはずだった。ところが、先手先手と守護側にやられ、富樫を滅ぼすどころか、多数の死傷者を出しただけで、木目谷を取り戻す事もできなかった。

 木目谷衆の心は動揺していた。もう、木目谷に戻る事はできないのかもしれないと思う者も多く出て来ていた。木目谷衆の頭、高橋新左衛門も、今の状況では木目谷に戻る事は難しいと思っていた。やはり、本願寺の門徒が一丸とならない限り、守護、富樫を倒す事は不可能だし、富樫を倒さない事には野々市に近い木目谷を取り戻す事は不可能だった。

 新左衛門は、このまま湯涌谷衆に迷惑を掛けるわけにもいかないので、また、越中の瑞泉寺の避難所に行き、しばらくは木目谷の事は諦め、越中に根を張って、時期を待とうと考えていた。
28.定地坊






 南加賀の中心地である軽海郷(カルミゴウ)は、大杉谷川と滓上(カスカミ)川が合流する地点にあり、そこには、かつて軽海潟と呼ばれる湖があった。その湖の東側に守護所があり、西側には白山中宮八院と呼ばれる大寺院が並んでいた。ここは中宮への入り口に当たり、湖上交通も盛んで、湖上に浮かぶ船は湖を行き来するだけでなく、梯(カケハシ)川を利用して日本海の安宅湊(アタカミナト)へも行き来していた。他国からの物資は船によって軽海潟まで運ばれ、ここから陸路を使って中宮まで運ばれて行った。

 本宮が手取川の水運に頼っているのに対し、中宮は梯川の水運に頼っていた。手取川の水運が本願寺門徒の安吉源左衛門に握られているように、梯川の水運は板津(小松市)の国人門徒、蛭川(ヒルカワ)新七郎が握っていた。梯川の水運に頼っているのは中宮だけではなかった。山之内衆も同じだった。山之内衆は軽海潟からの陸路は握っていたが、水運が止まってしまえば、どうにもならなかった。山之内衆が本願寺の門徒になったのは、本願寺によって梯川の水運を止められたら困る事になるという理由もあった。

 蛭川新七郎を初めとして水運業に携わる川の民たちを門徒に抱えていたのが、軽海潟から少し奥に入った所に建つ鵜川(ウカワ)の浄徳寺(ジョウトクジ)で、住持職は超勝寺の兄弟の一番上の慶恵(キョウエ)だった。

 今、その浄徳寺に超勝寺の三兄弟、慶恵、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、順慶(ジュンキョウ)が集まっていた。

 順慶は善福寺を焼かれ、守護の軍勢に攻められ、一時は家族を連れて湯涌谷に逃げたが、何かと不自由なため、兄の慶恵の住む浄徳寺に家族と共に世話になっていた。

 焼け落ちた善福寺の再建は、山崎窪市(クボイチ、金沢市)の門徒と犀(サイ)川上流の門徒を中心に進んでいたが、ほとんど燃え落ちてしまったため、冬が来る前に完成するかどうか分からない状況だった。順慶は家族を預けると、すぐにまた湯涌谷に戻った。しかし、蓮崇と対立し、仕方なく浄徳寺に戻って、少し離れた所で、北加賀の状況を見守っていた。

 定地坊巧遵の方は、しつこい甲斐党から逃げて吉崎に滞在した後、南加賀の守護代、山川三河守の家来に連れられて軽海に行き、山川三河守と会っていた。

 山川三河守も、蓮崇と対立している定地坊の存在は利用できると思い、定地坊に近づいて行ったのだった。山川三河守は定地坊を本願寺の代表として接した。定地坊も悪い気はしなかった。

 三河守は、定地坊に、わしのやり方は北加賀の槻橋(ツキハシ)近江守とは違う。わしは本願寺と仲良くやって行くつもりだ。そこで、そなたの力を借りたい。そなたが目代(モクダイ、代官)となって南加賀の門徒たちを一つにまとめて欲しい、と持ちかけた。蓮崇の事も持ち出して対抗意識を煽(アオ)り、定地坊が蓮崇の悪口を言うと適当に頷いてみせ、定地坊の味方をした。

 定地坊はうまく三河守に乗せられて軽海の町に滞在し、三河守の提供する女たちに囲まれて毎日、酒を食らって、いい気になっていた。軽海に滞在しながら定地坊は兄のいる浄徳寺に時々、顔を出していた。兄の慶恵が先月の初め、弟のいる善福寺に行った事も知っていた。慶恵は定地坊にも一緒に行こうと誘ったが、北加賀の事は二人に任せる、わしは南加賀の事で頭が一杯じゃ、と断ったが、実は女の事で頭が一杯だった。
29.噂


 小雨が降っていた。

 八月になり、朝晩はいくらか凌ぎ易くなったが、それでも日中は暑かった。今日は朝から雨が降っているせいか、蒸し暑かった。

 小雨の中、松岡寺(ショウコウジ)の裏庭で蓮綱(レンコウ)が木剣を振っていた。

 ここの所、蓮綱は忙しかった。山之内衆が揃って本願寺の門徒になったため、山之内庄の鮎滝坊(アユタキボウ)と松岡寺を行ったり来たりしていた。山之内の事もようやく落ち着き、今日の昼過ぎ、久し振りに松岡寺に戻って来た蓮綱だった。山之内の国人たちと付き合う事によって、勝ち気な蓮綱はもっと強くならなければと思い、帰って来るとすぐに小雨が振っているにも拘わらず、裏庭に出て、工夫しながら木剣を振っていた。

 蓮綱は子供の頃、本泉寺にいて如乗から剣術を習った事があった。しかし、如乗は蓮綱が十一歳の時、亡くなってしまった。その後、松岡寺に来てからは、大杉谷川の国人門徒の宇津呂備前守(ウツロビゼンノカミ)の家臣で、神道流(シントウリュウ)の使い手という大倉主水祐(モンドノスケ)という男に習っていた。基本はすでに身に付けていた。後は自分で工夫をしながら修行を積めばいいのだったが、なかなか修行に励む時間がなかった。

 日の暮れる頃まで木剣を振り、蓮綱は井戸で水を浴びて汗を流すと居間に上がった。

 二歳になる女の子が蓮綱にまとわり付いて来た。妻の如宗(ニョシュウ)が二人を見ながら笑っていた。どこにでもありそうな幸せな家庭の姿がここにもあった。

「しばらくは、ここにいらっしゃるのですね」と如宗は聞いた。

「多分な」と蓮綱は娘のあこを膝の上に乗せて笑っていた。

「あこが淋しがって困りますから、余り、留守にしないで下さいね」

「分かっておる‥‥‥あこや、淋しかったのか」

 あこは父親の無精髭を撫でて、キャッキャッと笑っていた。

 蓮綱は自分の頭を撫でた。髪の毛も伸びていた。

「頭を剃らなくてはいかんのう」

「本当は伸ばしたいんでしょ」と如宗は笑った。

「まあな。わしも一度位、髷(マゲ)というものを結ってみたいと思うが、そうもいかん。今ではもう諦めておる」

「でも、木剣を振っていなさったわ」

「武術は身を守るために必要じゃ。もしもの事があった場合、お前とあこを守らなけりゃならんからのう」

「頼もしいのね。でも、上人様に知れたら、また、怒られるわよ」

「内緒じゃ、内緒。だから、隠れて、裏庭で稽古しておるんじゃ。でもな、お前も知ってるだろう。慶聞坊と慶覚坊の二人は武術の名人じゃ。上人様は自分の側に、そんな二人を置いておきながら、どうして、わしらが武術を習う事に反対するんじゃろう。わしには分からん」

「それはやはり、お寺の住職さんが武器を振り回していたら、門徒たちもそれを真似して、示しがつかなくなるからじゃないの」

「かもしれんがのう。弱いよりは強い方がいいと思うがのう」
30.吉崎退去1






 吉崎御坊が夕焼けの中に浮かんで見えた。

 蓮如の一行が吉崎に帰って来たのは八月十八日の黄昏(タソガレ)時だった。吉崎は厳重に警固され、武装した門徒の数は増えていたが、不気味な程に静かだった。

 一行は大津顕証寺の順如を先頭に、蓮如は慶覚坊と慶聞坊の間に隠れるようにしながら、厳重な警固の中を通り抜けた。順如がはるばる近江からやって来た事はすぐに噂になり、門徒たちは、いよいよ、戦が始まる事を改めて確信していた。

 総門の前で、風眼坊とお雪は蓮如たちと別れた。かなりの急ぎ旅だったとみえて、さすがに、お雪は疲れた顔をしていた。

「やっと、帰って来たな」と風眼坊は我家の前に立つと言った。

 お雪は笑った。疲れた、とは言わなかった。旅の途中でも、順如の連れのお駒は、疲れた、疲れたと連発して順如を困らせていたが、お雪は一度も弱音を吐かなかった。本当に気の強い女だった。

 風眼坊も笑いかけ、二人は我家に入って行った。

 北門の所まで来て、慶覚坊は蓮崇の多屋に向かった。普通なら蓮崇は本坊にいるはずだったが、今の状況を考えて、何となく、多屋にいるような予感があった。

 慶覚坊が顔を出すと、やはり、蓮崇はいた。蓮崇は仏間で念仏を唱えていた。慶覚坊の顔を見ると溜息をついて、顔を撫で、慶覚坊に笑いかけた。何日も寝ていないような、やつれた顔付きだった。

 蓮崇を先頭にして、順如、お駒、慶聞坊の三人は北門をくぐり、坂道を登って御山に向かい、蓮如と慶覚坊は墓場の中にある古井戸から抜け穴を通って御山に戻った。

 蓮如と順如たちが庫裏にて旅支度を解いている間、蓮崇と慶覚坊は書院の対面所で待っていた。

「どんな様子じゃ」と慶覚坊は聞いた。

「今の所、一応、騒ぎは治まった」と蓮崇は言った。

「守護側はどうじゃ」

「戦の準備を始めておる。敵は、いよいよ、ここを攻める気でおる」

「なに、ここをか」

「ここだけじゃない。本泉寺、松岡寺、光教寺もじゃ」

「敵は攻撃目標を国人門徒から本願寺の一門寺院に変えたのか」

「そういう事じゃ。敵も切羽(セッパ)詰まった所まで来ておる。一気に本願寺の一族を殺す気でおる。本願寺一族がおらなくなれば、本願寺は自然消滅すると考えておるんじゃ」

「とうとう、そこまで来たか‥‥‥どうするつもりじゃ」

「上人様を初め、蓮綱殿、蓮誓殿に逃げてもらうしかない」

「蓮乗殿もじゃろう」

 蓮崇は首を振った。「蓮乗殿は瑞泉寺におられる。越中におれば、今の所、安全じゃろう。全員が引き上げてしまったら門徒たちも淋しいじゃろう。蓮乗殿には瑞泉寺におってもらった方がいいと思うんじゃが」

「そうじゃな。蓮乗殿が瑞泉寺に残っておるだけでも心強いからのう」

「さっき、松岡寺と光教寺に使いを出した。明日一番に二人共、ここに来るじゃろう」

「手回しがいいのう」と言って、慶覚坊は軽く笑った。
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