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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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28.定地坊






 南加賀の中心地である軽海郷(カルミゴウ)は、大杉谷川と滓上(カスカミ)川が合流する地点にあり、そこには、かつて軽海潟と呼ばれる湖があった。その湖の東側に守護所があり、西側には白山中宮八院と呼ばれる大寺院が並んでいた。ここは中宮への入り口に当たり、湖上交通も盛んで、湖上に浮かぶ船は湖を行き来するだけでなく、梯(カケハシ)川を利用して日本海の安宅湊(アタカミナト)へも行き来していた。他国からの物資は船によって軽海潟まで運ばれ、ここから陸路を使って中宮まで運ばれて行った。

 本宮が手取川の水運に頼っているのに対し、中宮は梯川の水運に頼っていた。手取川の水運が本願寺門徒の安吉源左衛門に握られているように、梯川の水運は板津(小松市)の国人門徒、蛭川(ヒルカワ)新七郎が握っていた。梯川の水運に頼っているのは中宮だけではなかった。山之内衆も同じだった。山之内衆は軽海潟からの陸路は握っていたが、水運が止まってしまえば、どうにもならなかった。山之内衆が本願寺の門徒になったのは、本願寺によって梯川の水運を止められたら困る事になるという理由もあった。

 蛭川新七郎を初めとして水運業に携わる川の民たちを門徒に抱えていたのが、軽海潟から少し奥に入った所に建つ鵜川(ウカワ)の浄徳寺(ジョウトクジ)で、住持職は超勝寺の兄弟の一番上の慶恵(キョウエ)だった。

 今、その浄徳寺に超勝寺の三兄弟、慶恵、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、順慶(ジュンキョウ)が集まっていた。

 順慶は善福寺を焼かれ、守護の軍勢に攻められ、一時は家族を連れて湯涌谷に逃げたが、何かと不自由なため、兄の慶恵の住む浄徳寺に家族と共に世話になっていた。

 焼け落ちた善福寺の再建は、山崎窪市(クボイチ、金沢市)の門徒と犀(サイ)川上流の門徒を中心に進んでいたが、ほとんど燃え落ちてしまったため、冬が来る前に完成するかどうか分からない状況だった。順慶は家族を預けると、すぐにまた湯涌谷に戻った。しかし、蓮崇と対立し、仕方なく浄徳寺に戻って、少し離れた所で、北加賀の状況を見守っていた。

 定地坊巧遵の方は、しつこい甲斐党から逃げて吉崎に滞在した後、南加賀の守護代、山川三河守の家来に連れられて軽海に行き、山川三河守と会っていた。

 山川三河守も、蓮崇と対立している定地坊の存在は利用できると思い、定地坊に近づいて行ったのだった。山川三河守は定地坊を本願寺の代表として接した。定地坊も悪い気はしなかった。

 三河守は、定地坊に、わしのやり方は北加賀の槻橋(ツキハシ)近江守とは違う。わしは本願寺と仲良くやって行くつもりだ。そこで、そなたの力を借りたい。そなたが目代(モクダイ、代官)となって南加賀の門徒たちを一つにまとめて欲しい、と持ちかけた。蓮崇の事も持ち出して対抗意識を煽(アオ)り、定地坊が蓮崇の悪口を言うと適当に頷いてみせ、定地坊の味方をした。

 定地坊はうまく三河守に乗せられて軽海の町に滞在し、三河守の提供する女たちに囲まれて毎日、酒を食らって、いい気になっていた。軽海に滞在しながら定地坊は兄のいる浄徳寺に時々、顔を出していた。兄の慶恵が先月の初め、弟のいる善福寺に行った事も知っていた。慶恵は定地坊にも一緒に行こうと誘ったが、北加賀の事は二人に任せる、わしは南加賀の事で頭が一杯じゃ、と断ったが、実は女の事で頭が一杯だった。

 湯涌谷において、慶恵と順慶が蓮崇と対立して浄徳寺に戻って来たのは七月の十二日だった。前日の十一日、手取川で睨み合いを続けていた松任城の鏑木右衛門尉の兵と安吉源左衛門の兵が、白山の長吏(チョウリ)、澄栄(チョウエイ)の仲裁により、お互いに一度も敵を攻める事なく兵を引いていた。もう一度、守護を攻める事を主張していた順慶も、その事を聞くと諦めざるを得なかった。

 順慶は手取川の安吉と笠間、それに、鏑木の兵も加えて一気に野々市を攻め、それに呼応して、倉月庄の国人と湯涌谷衆、木目谷衆が背後から攻めれば絶対に勝つと主張した。確かに、その作戦が成功すれば勝つだろうが、すでに、本願寺の動きは敵に筒抜けになっている。その作戦も未然に防がれ、また、本願寺の負戦となるだろう、と誰もが反対し、それよりも、蓮崇が提案した情報網を作る事が先決だと、蓮崇を中心に情報網作りに熱中していた。蓮崇と慶覚坊の二人は一度、吉崎に戻ったが、吉崎の講が終わるとまた湯涌谷に来て、高橋新左衛門らと共に裏の組織作りの事を検討していた。

 順慶と慶恵の二人は蓮崇を中心とする集まりには参加せず、しばらくは様子を見るしかないと浄徳寺に戻って来た。

 浄徳寺に戻って来た二人は軽海にいる定地坊を呼んだ。蓮崇の事について話があると書いてやると定地坊はすぐにやって来た。この時点において、三人は蓮崇に対立する事によって強く結ばれた。

 以前から、定地坊が蓮崇を憎んでいた事は順慶も慶恵も知っていたが、二人は定地坊ほど蓮崇の事を悪くは思っていなかった。ところが今回、北加賀において常に先頭になって作戦を考え、国人たちを動かし、寺院や子供までも失ったというのに、途中から出て来た蓮崇に、すっかり主導権を奪われ、面目(メンボク)を失ってしまった。順慶は兄の定地坊と同じように、うまく行かない事をすべて蓮崇のせいにし、蓮崇を恨んでいた。一番上の慶恵は主戦派の二人に比べて物事をじっくりと考える男だったが、蓮崇の態度には腹を立てていた。

 慶恵は嫡流ではないにしろ、蓮如と同じく、親鸞聖人の血を引いているという事に誇りを持っていた。蓮如が北陸に進出する前、本泉寺の如乗(ニョジョウ)と共に、この地に布教を広めたのは自分たちだと自負していた。蓮如が来てから門徒の数は驚くように増えて行ったが、その元を築いたのは自分たちだと自負していた。

 慶恵は蓮如よりも八つ年下だった。慶恵が生まれた時、越前の本願寺の寺院は高田派や三門徒派などの寺院に比べて寂れていた。若い頃の慶恵は、何とかして本願寺派を栄えさせようと、当時、熱心に布教活動を行なっていた加賀二俣の本泉寺に行き、如乗のもとで修行を積んだ。慶恵の父親、如遵(ニョジュン)と如乗は従兄弟(イトコ)であった。

 慶恵は如乗と共に加賀の村々や山の中を巡って教えを説いた。本泉寺において、まだ、法主になる前の蓮如とも会い、蓮如と共に布教の旅をした事もあった。お互いにまだ若く、危険な所まで行って危険な連中に教えを説いた事もあった。慶恵は若い頃の蓮如をよく知っており、心から蓮如の事を尊敬していた。蓮如がやがて法主となる身でありながら、自らの足で加賀や越前の国々を歩き回り、門徒を増やして行ったという事を知っていた。蓮如がこの地に来て、これだけ本願寺が栄えたのは当然の事と言えた。慶恵はそんな蓮如を見習い、自分も足で門徒を増やして来た。ただ、本願寺の一門というだけでなく、自分がやって来た事に誇りを持っていた。

 ところが、蓮崇という男は自分で門徒を開拓したわけでもなく、ただ、蓮如にくっ付いているだけだった。元はといえば如乗の一門徒に過ぎない。たまたま、下間(シモツマ)家の娘を嫁に貰って蓮如の執事(シツジ)となったが、自分の足で門徒を開拓してはいない。湯涌谷に道場を持ってはいても、湯涌谷を開拓したのは如乗であって、蓮崇は如乗の開拓した道場に入っただけの事だった。吉崎において、かなりの権力を持ち、戦において作戦などを立てているが、慶恵は蓮崇を認めてはいなかった。

 その三人が浄徳寺の書院に集まって話す事といえば蓮崇の悪口だった。

 湯涌谷から帰って来た二人の話を聞きながら、定地坊は始終、ニコニコしながら頷いていた。

「そうじゃろう。蓮崇という奴は確かに頭がいい。上人様もきっと奴に騙(ダマ)されておるに違いない。どうせ、奴は上人様に、今回の戦が負けたのは兄貴と順慶の二人のせいだと言うに違いないわ。現場の状況など上人様には分かるまいからのう」

「多分な」と慶恵は言った。

「蓮崇の奴は今、湯涌谷におるんじゃな」

「ああ。慶覚坊と一緒にな」

「慶覚坊か‥‥‥奴も蓮崇に騙されておる口じゃな。わしは何とかして蓮崇の奴を破門に追い込みたいと考えておるんじゃが、なかなか、いい方法が浮かばん」

「奴を破門にするのか」と順慶が聞いた。

「当然じゃ。奴がいる限り、わしらは一門でありながら肩身の狭い思いをせにゃならんのじゃ。奴が破門になれば、加賀も越前も、わしらの思うようになる」

「それはそうじゃが、蓮崇を破門にするのは難しいぞ」と慶恵は言った。「奴は一番、上人様に信頼されておるからのう」

「そうじゃ」と順慶も頷いた。「わしらが上人様に何と言おうと、上人様は蓮崇の言い分の方を信じるじゃろう」

「そうなんじゃよ。わしも色々と考えてみたが、いい考えが思いつかんのじゃ。下手したら、蓮崇を破門にするどころか、わしらが破門にされかねんからのう」

「ちょっと待て」と慶恵は言った。「さっきから、破門、破門と言っておるが、果たして、上人様は破門などするかのう」

「それは、教えにそむいた者は破門になるに決まっておる」と定地坊は言った。

「そうかのう。上人様の教えは、すでに、皆、阿弥陀様に救われておる、という教えじゃ。どんな悪人でもじゃ。その教えの中に破門などというものがあるのか。破門する程の者でも、阿弥陀様に救われておると言うんじゃないかのう」

「まあ、そうかもしれんが、間違った教えを広めたりすれば破門になると思うがのう」と定地坊は言った。

「うむ。確かに、親鸞聖人(シンランショウニン)様は間違った教えを説いた息子の善鸞(ゼンラン)殿を破門になされた。しかし、今の蓮崇は間違った教えどころか、教え自体、門徒たちに説いてはおらんじゃろう」

「そう言われれば、奴が教えを説いておる所など見た事もないのう」と順慶は言った。

「湯涌谷の道場におった頃は、奴も教えを説いておったが、上人様の近くに仕えるようになってからは門徒たちの前で教えを説いた事はあるまい。もし、あったとしても自分の多屋の中で説く位じゃ。自分の多屋でも人任せかもしれん」

「そうなると、破門というのは難しいのう」と順慶はうなだれた。

「まあ、焦る事はあるまい。上人様は東国へ巡錫(ジュンシャク)の旅に出掛けられた。三、四ケ月は帰って来んじゃろう。その間に、蓮崇を陥(オトシイ)れる策を考えればいい」と定地坊は笑って言った。

「おぬし、知らんのか」と慶恵は言った。

「何を」

「上人様は、吉崎に戻られたんじゃ」

「なに?」

「瑞泉寺まで来て、蓮崇に説得されて東国への旅は中止にしたんじゃ」

「本当か」

「本当じゃ」と順慶も言った。

「また、奴がでしゃばったのか。まったく憎らしい奴じゃ」と定地坊は吐き捨てるように言った。

 蓮如は先月の末、突然、東国に行くと言い出し、慶聞坊、法実坊、その他、数人を連れて旅立った。東国への布教の旅と言いながら、蓮如の本当の目的は三河の国(愛知県中東部)だった。次の本拠地を三河と決め、実際に、三河の地を見て、吉崎から三河に移動しようと思っていた。三河の地にも、佐々木の上宮寺(ジョウグウジ)、野寺の本証寺、針崎の勝鬘寺(ショウマンジ)を初めとして熱心な門徒がかなりいた。蓮如は次の移動先の下準備のために旅に出たのだった。しかし、瑞泉寺まで来た時、湯涌谷にいた蓮崇と慶覚坊が慌てて現れて蓮如を説得した。二人の説得に負けて、蓮如は今回の旅を中止したのだった。

 二人は、今、蓮如がこの地からいなくなったら、守護の思う壷にはまって、本願寺は全滅してしまうだろうと言った。敵から見れば、蓮如がいなくなるという事は、敵の大将がいなくなるのと同じだった。大将が留守の間に、敵の勢力を削減するのは常套(ジョウトウ)手段と言えた。敵は、この前と同じように本願寺の寺院を攻めるに違いない。今、本願寺の寺院は皆、身を守るために武装した門徒たちに守られている。守護側はまた、それらの門徒たちを寺院を占拠する悪党と称して攻めて来るに違いない。もし、蓮如がこの地を留守にすれば、本泉寺、松岡寺、光教寺の三寺は間違いなく、やられる。

 奴らがすぐに、それらを攻めないのは、上人様が吉崎にいるからです。奴らから見れば、上人様は恐ろしい存在なのです。上人様が門徒たちに一声掛ければ、たちまちに門徒たちが集まって、守護の富樫は滅ぼされるという事を知っています。守護側は常に、上人様の顔色を窺いながら門徒たちを倒しているのです。もし、今、上人様がこの地を離れたら、守護側にとって恐ろしい者が無くなるのです。守護側はやりたい放題に門徒たちを攻め、上人様が帰って来た時には、門徒たちは皆、やられている事でしょう。

 蓮如は二人の話を聞いて、旅を中止し、吉崎に戻った。確かに、二人の言う通りだと思った。蓮如は自分の事しか考えなかった自分を恥じた。

 浄徳寺において、三人が話していた頃、蓮如の一行は丁度、吉崎に帰り着いていた。

「上人様は吉崎に戻ったのか」と定地坊は唸った。

「ああ。上人様は吉崎に戻り、蓮崇の奴は湯涌谷じゃ」と慶恵は言った。

「せっかくの東国への旅を、蓮崇に説得されて戻って来るとは、上人様は余程、蓮崇を信頼しておると見えるのう。蓮崇の奴を破門にするのは難しいわ」と順慶は言った。

 結局、いい考えも浮かばず、三人は浄徳寺の門前町に出て、やけ酒を飲み交わした。





 軒下の風鈴(フウリン)が鳴っていた。

 軽海の城下町にある観音屋という大きな旅籠屋の離れで、定地坊巧遵は小梅という若い女に酌(シャク)をさせ、昼間から酒を飲んでいた。

 定地坊がこの離れに滞在してから、すでに三ケ月が過ぎようとしている。三日前に、浄徳寺にて慶恵と順慶と会い、蓮崇を失脚させようと相談したが、結局、いい案は浮かばず、定地坊は軽海に帰って来た。何か、いい考えが浮かべば連絡すると言っていたが、今日まで何も言っては来ない。定地坊にも、どうやればうまく行くのか分からなかった。まあ、焦る事もない、と定地坊は思っていた。

 ここでの生活は快適だった。

 山川三河守が自分の事を余程大事にしてくれているとみえて、何でもやりたい放題だった。酒も飲み放題、うまい物も食えるし、女に関しても遊女屋から好きな女を連れて来られた。出て行きたくなれば好きな時に出て行き、好きな時に戻って来る事もできた。三河守は定地坊が何をしても文句は言わないし、今の所、何をしろとも命じない。定地坊は毎日、放蕩三昧(ホウトウザンマイ)に暮らしていた。

 この離れは十年以上前に、三河守の父親の隠居所として建てられたものだった。しかし、父親はここに二年近く住んだだけで、この地を離れなくてはならなくなった。以前、三河守が仕えていた守護の富樫五郎泰高が突然、隠居してしまい、次郎政親が守護となり、守護代には槻橋豊前守が任命された。三河守親子は京に行く事となり、隠居所は観音屋に預けた。その後、十年振りに軽海に戻って来た三河守は隠居所が無事に残っていた事を喜んだが、その隠居所に入るべき父親はすでに亡くなっていた。三河守は隠居所を特別の客が来た時の接待用に使う事にし、そのまま観音屋に管理させていた。立派な庭園もあり、ちょっとした広間も付いた、なかなか豪勢な屋敷だった。

 定地坊は下帯(シタオビ)一つで庭園を眺めながら酒をちびちびと飲んでいた。小梅という小太りの女も浴衣(ユカタ)を身に付けただけで扇子(センス)を扇いでいた。

「どうやら、一雨、来そうじゃのう」と定地坊は空を見上げながら言った。

「助かります。こう暑いと何もしたくなくなります」と小梅は言った。

「暑いのは苦手か」

「はい。全然、駄目です。本願寺様にここに呼んでいただいて、あたし、本当に助かっています。お店にいる時は、こんな格好でいられませんもの。着物をちゃんと着て、畏まっていなければなりません。もう、暑くて暑くて、たまりませんわ」

「そうじゃろうの。なんなら、それも脱いで、裸でおっても、わしは構わんのじゃぞ」

「やだ、そんな。本願寺様ったら、こんな格好でいるのも恥ずかしいのに、裸だなんて」

「恥ずかしがる事はない。そなたの肌は白くて格別じゃ」

「やだわ。あたしなんて、太っていて駄目ですわ」

「なに、そなた位が一番、女子(オナゴ)らしいんじゃ」

「誰か来たようですわ」と小梅が言った。

 裏口の方から誰かが、「本願寺様」と呼んでいた。

 観音屋の仲居に違いなかった。以前は、用があると部屋の側まで来たが、定地坊がいつも裸同然の姿で部屋の中にいるので、仲居の方が遠慮して部屋の側まで来なくなった。

 定地坊は帷子(カタビラ)をはおると裏口の方に向かった。

 しばらくして戻って来ると定地坊は、「山川殿が何か用があるそうじゃ。わしはちょっと守護所まで行って来るわ」と言った。

 小梅は定地坊の着替えを手伝い、早く帰って来て、と見送った。

 守護所の中の自分の屋敷の方で三河守は待っていた。

 決まり切った挨拶を済ますと、三河守は一枚の紙を定地坊に渡した。それは、蓮如が書いた御文(オフミ)だった。

「昨日、蓮如殿か発表した物じゃ」と三河守は言った。

「昨日? 昨日、発表した物が、もう、三河守殿の手に?」

「わしも、やるべき事は、ちゃんとやっておるつもりじゃ」

 蓮如が発表した御文は、吉崎において何枚も写され、写された物は大寺院に届けられる。大寺院はそれをまた何枚も写し、その寺院に所属する末寺(マツジ)に配り、末寺は各道場に配るという仕組みになっていた。昨日、発表されたばかりだとすれば、吉崎の近くは別にして、まだ、この辺りの道場までは届いていないはずだった。その御文を三河守が手にしているという事は、末寺辺りから手に入れたのかもしれない。どういう手順で手に入れたのか分からなかったが、三河守も油断のならない相手だと、定地坊は思った。

「まあ、読んでみてくれ」

 その御文には、六ケ条の掟が書かれてあった。ついこの間の五月の末に、十ケ条を書いたばかりで、また、今度は六ケ条の掟とは、一体、どうした事だろうと定地坊は御文を最後まで読んだ。内容は前回とほとんど同じで、項目を少なくし、一ケ条ごとに分かり易く説明したものだった。

「これが、何か」と読み終わると、定地坊は三河守に御文を返した。

「一つ、神社をかろしむる事あるべからず。

 一つ、諸仏菩薩、ならびに諸堂をかろしむべからず。

 一つ、諸宗諸法を誹謗すべからず。

 一つ、守護、地頭を疎略にすべからず。

 一つ、国の仏法の次第非義たるあいだ、正義(ショウギ)におもむくべき事。

 一つ、当流にたつるところの他力信心をば内心に深く決定すべし」

 三河守は、六ケ条の掟を読み上げた。

「上人様が常に言っておる事です」と定地坊は言った。

「なかなか、いい事を言うのう」

「はい。しかし、十ケ条の掟といい、六ケ条の掟といい、上人様が一々、こんな事を御文に書かなくてはならない程、門徒たちが上人様の言う事を聞かなくなったという事です。すでに、門徒たちは上人様の手を離れて、一人歩きを始めております」

「成程のう。上人様も上人様なりに色々と悩みが多いようじゃのう」

「ところで、三河守殿、その御文がどうかしたのですか」

 三河守は御文をもう一度、定地坊に渡し、「その六ケ条の掟の前の文を読んでみてくれ」と言った。

「前の文?」

「もし、この旨(ムネ)をそむかんともがら(仲間)は、長く門徒中の一列たるべからざるものなり」と三河守は、その文を暗記していた。

「破門か‥‥‥」と定地坊は呟(ツブヤ)いた。

「やはり、破門という意味か」と三河守は聞いた。

「ええ、破門です」

「という事は、この六ケ条を破ったものは破門という事じゃな」

 定地坊はもう一度、六ケ条を読んだ。

「ところで、蓮崇の事じゃがの、この六ケ条に違反してはおらんかのう」と三河守は聞いた。

「蓮崇が?」

「わしの耳に入った噂じゃがのう。北加賀での騒ぎの張本人は蓮崇だというではないか。蓮崇が国人たちを煽(アオ)って守護に敵対しておったというが、その事は四番目の、守護、地頭を疎略にすべからず、というのに当て嵌まると思うがのう」

「いや、それは蓮崇ではなく、実は‥‥‥」

「なに、蓮崇ではない? わしの耳には確かに蓮崇だと入って来たぞ。それに、今も蓮崇は湯涌谷において国人たちを煽り、また、騒ぎを起こそうとしておるらしい」

「はい。確かに蓮崇は今、湯涌谷におりますが‥‥‥」

「今時、湯涌谷におる事自体が、国人たちを扇動しておる何よりの証拠じゃ」

「確かに‥‥‥」

「どうじゃ、この際、蓮崇を破門にしてしまった方がいいんじゃないのか。蓮崇がおらなくなれば、吉崎はそなたたちの思いのままになるじゃろう」

「はっ、しかし、上人様は蓮崇の事をかなり信頼しておる。わしらが奴の事を悪く言っても、信用せんじゃろう」

「何も、そなたが直接、言う必要はない。蓮崇が国人たちを煽っておるとの噂を流せばいい。その噂が国中に広まれば、上人様も蓮崇を破門せざるを得ない状況となるじゃろう」

「噂か‥‥‥」

 三河守はゆっくりと頷いた。「ただ、蓮崇を悪く言うような噂ではまずいのう。蓮崇はわりと門徒たちに人気があるらしいからのう。そういう噂はかえって逆効果になりかねん」

「という事は、どんな噂を流すのですか」

「蓮崇を誉める噂じゃ。蓮崇が国人たちを指揮して、無法にも本願寺の寺院を焼き、多数の門徒を殺した守護を倒すと言う。志しのある者は武器を取って湯涌谷に集まれ、というような噂じゃな」

「しかし、そんな噂を流したら、本当に門徒たちは武器を持って湯涌谷に集まりますよ」

「それを止めるのは、そなたたちの役目じゃろう。その御文を楯にして、門徒たちを引き留めればいいんじゃ。それに門徒たちが騒ぎだせば、ますます、蓮崇は破門となる事、確実じゃ」

「うーむ‥‥‥」

 突然、雷が鳴り響き、大粒の雨が落ちて来た。

「どうじゃな。やってみる気はないかのう」

「‥‥‥やってみましょう」と定地坊は言ったが、その声は雷の音にかき消された。

 三河守は、大きく頷き、「いい結果が出る事を願っておる」と言った。

 定地坊は大雨の中、笠と蓑(ミノ)を借りて三河守の屋敷を後にした。三河守は、雨がやむまで、ゆっくりして行ってくれと言ったが、定地坊は三河守から聞いた事を早く、浄徳寺の二人に知らせたかった。

 びしょ濡れになって軽海潟の船着き場に向かうと、定地坊は雷の鳴る大雨の中、無理やり船を出させて浄徳寺へと向かった。
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