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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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26.庭園1






 まだ、夜明け前だった。

 異様な雰囲気を感じて慶覚坊は目を覚ました。

 慶覚坊は蓮崇と共に善福寺の書院の一室に寝ていた。暑い夜だったので、板戸は開け放したままだった。

 慶覚坊は起き上がると薙刀(ナギナタ)を手にして広縁に出ると、外の様子を眺めた。

 月明かりで外は明るかった。特に、怪しい物影も物音もなかった。

 善福寺は去年の戦の時、戦場外にあったため、まだ、城塞化していなかった。塀に囲まれているとはいえ、無防備状態と言えた。

 今、善福寺には百人程の兵が待機していた。越智伯耆守と松田次郎左衛門が率いて来た兵八百人は、浅野川の河原に陣を敷いている。善福寺にいる百人の兵は善福寺の門徒たちで、明日の早朝、すぐに行軍できるように境内に待機しているのであって、善福寺を寝ずの番をしているわけではない。皆、庭のあちこちに横になって休んでいた。寝ずの番をしているのは、いつもの通り、門番の二人だけだった。この時、敵が善福寺を襲って来るだろうとは誰もが思っていなかった。

 慶覚坊が広縁に立って回りを見回していると、蓮崇が部屋の中から声を掛けて来た。

「何となく、嫌な予感がするんじゃ」と慶覚坊は小声で言った。

「嫌な予感?」と蓮崇も広縁に出て来て、回りを見回した。

「気のせいじゃないのか」

「かもしれん」

「いい月じゃのう。明日も暑くなりそうじゃ」

「わしは一応、一回りして来るわ」

 慶覚坊は広縁を書院の表の方に向かった。

 蓮崇はあくびをすると、部屋に戻って、また、横になった。

 夜明けまでは、まだ、一時(二時間)以上ありそうだった。

 慶覚坊は外に下りると、本堂の横を通って門の方に向かった。

 月明かりの下で、気持ちよさそうに武装した門徒たちがゴロゴロ寝ていた。

 門番の二人も、槍にすがるようにして立ったまま眠りこけていた。

 慶覚坊は門番を起こした。

 門番はビクッとして目を開け、槍をつかみ直した。

「眠い所をすまんがのう、もう少し、我慢して起きておってくれ」

「はっ」

「いい月夜じゃのう。別に異常はないようじゃのう」

「はっ、異常ありません」

 その時だった。奇妙な音と共に光が空をよぎった。その光は一つではなかった。寺の回りから一斉に寺の中へと飛び込んで来た。

 火矢だった。

 梅雨が上がってから、毎日、暑い日が続いていたため、乾燥していた茅(カヤ)葺きの屋根は見る見る炎に包まれて行った。

 慶覚坊は、そこらに寝ている兵たちを起こしながら書院に向かった。皆をたたき起こして書院から出すと、書院の中を通り抜けて庫裏(クリ)に向かった。庫裏で眠っている順慶の家族たちを起こし、皆を外に出した。火災からは逃れられたが、今度は、燃えている建物から出て来た者たちを狙って、普通の矢が雨のように射られて来た。善福寺には武装した兵が百人程いたが、反撃するどころではなかった。皆、闇の中から飛んで来る矢を避ける事が精一杯だった。

 慶覚坊は板戸をはずし、それを盾にして裏口から外に出ると、敵の中に突っ込んで行った。二、三人は倒したが、『引け!』という言葉と共に敵は引き上げて行った。

 慶覚坊は表門の方まで追って行ったが、深追いするのはやめた。すでに、門前に並ぶ多屋からも火は出ていた。逃げて行く敵の影を見ながら、敵の数は思っていた程、多くはなさそうだと思った。多く見ても百人、いや、五十人位だったのかもしれなかった。

 慶覚坊は表門を開けさせ、中に入った。

 本堂の屋根は焼け落ち、まだ、盛んに燃えていた。庫裏も書院も同じく焼け落ちていた。何人かの兵たちが代わる代わる井戸から水を汲んで火に掛けていたが、火の勢いが強すぎた。まったく効果はなかった。

 幸いに風はなかった。他の場所に火が移る事もないだろう。燃えるに任せるしかなかった。

 廐から逃げ出した馬が火に脅えて暴れ回っていた。

 親鸞像のある御影堂(ゴエイドウ)だけは、屋根の半分程が燃え落ちただけで、不思議と、すでに火は消えていた。

 蓮崇が近づいて来た。

「ひでえ事をしやがる」と蓮崇は真っ黒な顔をして言った。

「大丈夫か」

「ああ、わしは大丈夫じゃ‥‥‥そなたの感が当たったようじゃのう」

「いや。以前、山伏の頃じゃったら、絶対に怪しいと確信できたんじゃが、最近、怠けておるもんで、その事がはっきり分からなかった。不覚じゃった」

「そなたのせいではない。敵を甘く見過ぎておったせいじゃ。敵の動きをよく調べなかった。前回の失敗をまた繰り返してしまったんじゃ」

「そうじゃのう。敵を甘く見過ぎておったのう‥‥‥怪我人の方はどうじゃ。順慶殿や慶恵殿は大丈夫じゃったか」

「それが、順慶殿の子供が一人‥‥‥」

「怪我したのか」

 蓮崇は首を振った。

「亡くなったのか」

「ああ。間に合わなかった」

「そうか‥‥‥兵の方も大分、やられたようじゃのう」と慶覚坊は回りに倒れている兵たちを眺めた。

「うむ‥‥‥だが、木目谷にも、山川にも、浅野川の河原にも兵はおる。明日の作戦には支障はないじゃろう」蓮崇は燃えている本堂を見上げながら言った。

「まあな。しかし、守護側はどうして、ここを攻めて来たんじゃろう」

「ここが、中心になっておると気づいたんじゃないかのう」

「という事は、敵は今回の戦を守護対本願寺の戦にするつもりかのう」

「いや、そんな事はあるまい。本願寺を敵にする理由があるまい。本願寺自身は、土地など一つも持っておらんのじゃから荘園の横領という事はありえん」

 本堂の太い柱が、大きな音を立てて倒れて来た。危うく、下敷になりそうな兵がいたが、無事、逃げる事ができた。火の粉が慶覚坊と蓮崇の所まで飛んで来た。

「もしかしたら、高田派かも知れん」と蓮崇はポツリと言った。

「高田派?」

「ああ、最近、高田派の坊主が野々市に出入りしておるとの情報があるんじゃ。守護代の槻橋が高田派を裏で操って、本願寺を倒そうとしておるのかも知れん」

「高田派か‥‥‥しかし、守護が高田派と組めば、幸千代の二の舞になる事ぐらい、槻橋だって承知しておるじゃろう。本願寺に戦をする名目を与えるようなものじゃからのう」

「しかし、利用するだけならできる」

「本願寺が何かを言って来たら、高田派の奴らを捕まえて突き出すとでも言うのか」

「そうじゃ」

「そんな、あくどい事はするまい」

「いや、槻橋という男ならやりかねん。かなり、冷酷な男じゃとの噂じゃ」

「ほう、そんな男が敵の大将だとすると何をするのか分からんのう」

「まあ、その槻橋の命も、もうすぐ消える事となろう」

 ところが、そううまい具合には事は運ばなかった。

 善福寺が襲撃された頃、浅野川に陣を敷いて休んでいた越智伯耆守、松田次郎左衛門率いる八百の兵も夜襲を受けていた。突然、四方から弓矢が飛んで来て、鬨(トキ)の声によって目覚めさせられた。その後は恐怖心と共に悲惨な同士討ちが始まった。

 夜が明けるまで戦い続け、夜が明けた時には、半数以上の味方が傷付き、敵の姿はどこにもなかった。

 木目谷でも、山川城でも敵の夜襲は行なわれたが、この二ケ所では、敵の思い通りにはならなかった。夜になっても、きちんと守りを固めていたため敵の夜襲に素早く気づき、逆に、城から出て来る敵を待ち構えて散々な目に会わせていた。

 朝になって、浅野川での死傷者の数が余りに多いのに驚いた慶恵は、ひとまず、今回の作戦の延期を決め、各部署に伝令を送った。

 順慶は我が子を失った悲しみで、状況の判断できる状態ではなかった。狂ったように、「富樫を殺せ!」と喚(ワメ)いていた。

 蓮崇は、蓮如がいるはずの二俣の本泉寺の事が気に掛かり、本泉寺に向かい、慶覚坊は、聖安寺と専光寺は無事だろうかと、まず、聖安寺に向かった。





 蝉(セミ)が喧(ヤカマ)しかった。

 蓮如は慶聞坊、風眼坊と共に、近所の河原者を数人使って庭園造りに熱中していた。

 完成も間近だった。

 三つの大きな石を阿弥陀三尊にたとえて、その石を中心にして、築山(ツキヤマ)と池が配置され、様々な樹木が植えられ、浄土を表現していた。池にはまだ水が入っていないが、水が入れば、正しく浄土を感じる庭園となりそうだった。

 蓮崇が馬に乗って本泉寺に駈け込んで来たのは、丁度、一休みしている時だった。

 蓮崇は馬から降りると門番に馬を渡し、境内の中を見回し、何事も無かった事に安心して庭園の方にやって来た。

 蓮崇のその顔色を見て、何か嫌な事件が起きたな、と感じたのは風眼坊だけではなかった。

 蓮如は蓮崇を側に呼ぶと、静かな声で、「何が起こったんじゃ」と聞いた。

 蓮崇は側に寄って来た風眼坊と慶聞坊の顔を見回してから、「善福寺が焼けました」と言った。

「そうか‥‥‥」蓮如はそう一言、言っただけで黙った。

 蓮崇もそれ以上は言わなかった。

 蓮如は上に上がって話そうと無言のまま合図をした。

 蓮如、風眼坊、慶聞坊は井戸で手足を洗い、客間に上がった。河原者たちは、続けて庭造りの作業を始めた。

 蓮崇は蓮如、風眼坊、慶聞坊の三人を前にして、手取川における戦の始まりから、善福寺が全焼するまでの経緯(イキサツ)を順を追って話した。

 三人共、湯涌谷から山之内衆が引き上げ、越中に避難していた湯涌谷衆が戻ったと言う事は知っていた。湯涌谷衆は戻る事ができたが、まだ、木目谷衆がいた。木目谷衆が木目谷に戻る事は難しかった。

 木目谷には、富樫次郎の家臣、高尾(タコウ)若狭守が新しい領主として納まっていた。木目谷衆が代々暮らしていた土地を汚いやり方で取り上げられ、このまま黙っているとは思えなかったが、蓮如とすれば、できれば我慢して欲しかった。できれば騒ぎを起こして欲しくなかった。しかも、その騒ぎの中心になっていたのが浄徳寺慶恵と善福寺順慶の兄弟だったという事は残念な事だった。二人は越前超勝寺の一族だった。彼らの祖父、頓円(トンエン)は蓮如の祖父、巧如(ギョウニョ)の弟だった。同じ一族の者である彼らが、国人たちを扇動して一揆を起こそうとしていたとは、蓮如はやり切れない気持ちになっていた。

 二年前、教えに背いたため、超勝寺の住持職を辞めさせた巧遵(ギョウジュン)も、慶恵と順慶の兄弟だった。末っ子の定善坊が去年の戦で活躍して英雄視されているため、あの兄弟は益々、増長して行った。蓮如には詳しい事は分からないが、吉崎の多屋衆たちも蓮崇派と超勝寺派に分かれて対立しているという。

 本願寺の法主(ホッス)とはいえ、蓮如の力では、もう、どうにもできない程に、門徒たちは蓮如から離れて行っているような気がした。そろそろ、北陸の地を去らなければならない日が近づいて来ているような気がしてならなかった。

「木目谷は落ちそうもないのか」と風眼坊は聞いた。

「無理です。完璧に守りを固めておるらしい。多分、充分な兵糧の用意もしてある事でしょう」

「すでに、守護側では善福寺の動きを知っておったという事じゃな」

「そういう事です。多分、槻橋近江守は白山の衆徒を使って、各地に探りを入れておるようです。吉崎の地にも奴らが潜伏しておりましたから」

「白山の山伏を使ったか‥‥‥奴らならやりかねんのう。しかし、どうして善福寺を焼き打ちなどしたんじゃろう」

「それなんですが、ここに来るまで、ずっと馬上で考えて気づいたんじゃが、守護は今回の戦を国人一揆から、本願寺の一揆にすり替えようとしているのかもしれません」

「国人一揆を本願寺一揆に?」と慶聞坊が言った。

 蓮崇は頷いた。「今回、国人たちは本願寺の事は一切、表に出しておりません。守護側も、本願寺の事は表に出さず、荘園を横領した国人を敵として来ました。しかし、守護側の本当の目的は、本願寺の勢力を弱め、この加賀の国を一つにまとめる事です。国人たちを操っているのが善福寺だと知った守護側は、国人一揆を本願寺一揆にすり替えようと思ったに違いありません」

「守護は正式に、本願寺を敵にしたというのか」と蓮如が聞いた。

「そうです。もしかしたら、守護の富樫はこの際、一気に本願寺を叩くつもりなのではないでしょうか。三月の戦で木目谷と湯涌谷の国人を越中に追い出す事に成功しました。これは国人門徒たちに対する見せしめとして行なわれたものと思われます。守護はその戦の後、しばらく、国人門徒たちの様子を見ておりました。ところが、予想外な事が起こりました。山之内衆が本願寺に帰依(キエ)した事です。守護側は慌てた事でしょう。山之内衆はかなりの勢力を持っておりますからね。山之内衆を本願寺に取られた守護は、作戦を切り替えなくてはならないはめになりました。国人門徒たちを敵に回して戦っておったのでは切りがありません。この先、国をまとめて行くためには彼らの力が必要となります。そこで、攻撃の的を本願寺の有力寺院に切り替えたのに違いありません。各道場をつなぐ寺院が無くなれば、本願寺の組織は弱くなると考えたのだと思います」

「蓮崇殿の考えによると、ここも危ないと言う事になるのう」と風眼坊は言った。

「ええ。ここもやられたと思って、途中から走って来ました。無事で何よりです」

「吉崎も危ないですね」と慶聞坊が言った。

「いえ、吉崎は越前にあります。それに、南加賀の守護代の山川三河守は、北加賀の槻橋近江守のように武力を持って事に当たるような人ではありません。今のところは、まだ、吉崎は安全だとは思いますが」

「いや、分からんぞ」と風眼坊は言った。「越前の朝倉も守護じゃ。本願寺と富樫が争う事となれば、富樫に付く可能性の方が高い。富樫勢が吉崎を攻めたとしても、見て見ぬ振りをするに違いない。それに、朝倉と対立している甲斐の一党が超勝寺に出入りしておるとの噂もある。本願寺が甲斐と手を組んだなどと朝倉に勘ぐられたら朝倉も本願寺を敵にするかもしれん」

「超勝寺に甲斐党が出入りしておるというのは本当なのか」と蓮如は厳しい口調で聞いた。

「残念ながら本当です」と蓮崇が答えた。「甲斐八郎は朝倉と和解をして越前に戻ったにしろ、守護である朝倉の下におる事に満足しておりません。朝倉もその事は充分に承知しております。朝倉は甲斐党の有力な家臣たちを次々に懐柔し、自分の家臣に組み入れております。すでに、越前の国は朝倉によってまとまりつつあります。甲斐党の者たちも、このまま甲斐八郎の付いて朝倉に対抗するよりは、朝倉の家臣になった方が有利な状況になっております。甲斐八郎としては次々に家臣に裏切られ、以前、共に戦った富樫幸千代もおらなくなり、この先、朝倉と対抗して行くには本願寺を味方にするしか手が無くなって来ておるのです。かと言って、朝倉派である本願寺に近づく手だてもありません。そこで目を付けたのが、元超勝寺の住持の巧遵殿です。巧遵殿が上人様によって住持職を降ろされ、しかも、わたしを恨んでいるとの事を知って」

「待て、巧遵がそなたを恨んでおる?」と蓮如が口を挟んだ。

「はい。巧遵殿はわたしが上人様に告げ口をして、あの日、上人様が突然お見えになったと思っておるのです」

「逆(サカ)恨みといいところじゃ。それで、巧遵は甲斐と会っておるのか」

「はい。その事を利用して、甲斐は巧遵殿に近づいて来ました。しかし、巧遵殿も甲斐と手を結ぶなどという馬鹿な事はしません。しかし、甲斐は執拗(シツヨウ)に超勝寺に出入りしておった模様です。もしかしたら、門徒にしてくれと言って来たのかもしれません。巧遵殿も初めのうちは、朝倉と甲斐は和解した事だし、会っても別に問題はないだろうと会っておったようですが、そのうち、しつこさに溜まり切れずに越前から消えたようです」

「越前から消えた?」

「はい。しばらくは吉崎におったようですが、今は、どこに行ったのか、まったく分かりません」

「善福寺にもいなかったのか」

「はい。慶恵殿も順慶殿も、二ケ月程前に吉崎で会ったきり会っていないとの事でした」

「一体、どこに行ったんじゃ」

「分かりません」

「今でも、超勝寺には甲斐党の連中は出入りしておるのですか」と慶聞坊は聞いた。

「らしい。でも、蓮超殿の後見人の頓如尼(トンニョニ)殿がうまく追い返しておるらしい」

「そうか、そいつはよかった」

 蓮如は安心したようだった。

 蓮如の安心もつかの間、勝如尼が血相を変えて客間に飛び込んで来た。

「大変です。聖安寺(ショウアンジ)がやられたそうです」

 勝如尼は息を切らせながら、それだけ言うと、力が抜けたように坐り込んだ。

「聖安寺がやられた? どうやられたんです」と蓮崇は勝如尼に詰め寄った。

「まあ、蓮崇、落ち着け。勝如尼殿、詳しく話して下さらんか」

「はい。あたしにも詳しい事は分かりませんが、何でも、夜中に襲撃されて、聖安寺は全焼してしまったそうです。幸いに、善忠殿は無事だったそうですが、かなりの死者や怪我人が出たようです」

「善福寺と一緒じゃ」と蓮崇は唸った。

「善福寺もやられたのですか」と勝如尼は力のない声で聞いた。

「はい。全焼です」

「まあ、恐ろしい。ここにも攻めて来るのでしょうか」

「その可能性がないとは言えません」

「上人様、どうしたらいいのでしょう」と勝如尼は蓮如にすがるような目をして聞いた。

 蓮如は何と答えたらいいのか、分からなかった。

 守護のやり方は汚かった。寝ている所を襲撃し、まして、火を掛けるとは、まともな戦ではなかった。数多くの負傷者が出、死者まで出たという。

 蓮如個人は、今すぐにでも門徒たちに、守護を倒せ! と命じたかった。しかし、法主として、それはできなかった。親鸞聖人(シンランショウニン)様の教えの中に、戦という文字はなかった。

 聖人様は、その地で布教する事が難しくなったら移動して、別の地で布教せよと言った。教えが本物だったら、その教えは必ず、その地に根を張って広まる事だろうと言った。

 蓮如はそろそろ、この北陸の地から移動する時期が来ているかもしれないと実感した。この地を去っても悔いはなかった。各地を自分の足で歩き回り、出来る限りの布教をして来た。元々、この地に落ち着くつもりはなかった。近江に教えを広め、叡山(エイザン)との争いを避けるため、この地に来た。この地にも、充分に教えを広めた。そして、今度は、守護との争いを避け、新しい地に行くだけだった。

 近江では、自分がいなくなったら、叡山ともうまくやっているようだった。ここでも、自分がいなくなれば、守護と門徒たちはうまくやって行くかもしれない。そう願うしかなかった。

 蓮如はもう六十歳を過ぎていた。まだまだ健康だとはいえ、先はそう長くはなかった。死ぬ前にしなければならない事があった。新しい地に教えを広める事は勿論だが、一番肝心な事は本願寺の再建だった。大谷の本願寺を叡山に破却されて以来、本願寺には本寺がなかった。蓮如が今いる吉崎は本願寺ではない。本願寺の別院だった。長男の順如のいる大津顕証寺(ケンショウジ)も別院だった。別院はあるが本寺がなかった。死ぬまでに、本寺である本願寺を建てなければならなかった。できれば、京の都に建てたいが、それが無理なら、なるべく都の近くに建てたかった。

 蓮如はこの日、口には出さなかったが吉崎を去る決心を固めた。

 蓮崇が勝如尼に、本泉寺の夜の警固を厳重にするようにと言っていた。

 蓮如は側で聞きながら口を挟まなかった。戦え、と言えない以上、守りを固めるしかなかった。

 今度は、お雪が血相を変えて飛び込んで来た。

 お雪はここに来て以来、毎日、孤児たちの所に行って、彼らの世話をしていたが、聖安寺の事を噂で聞いたらしかった。飛び込んで来るなり風眼坊を捕まえ、早く現場に行かなくちゃ、とせきたてた。

 風眼坊は、分かった、分かったと言いながら、お雪と共に客間を出て、聖安寺に向かう準備を始めた。

 聖安寺には蓮崇も共に付いて来た。慶聞坊も一緒に行きたいようだったが、蓮如を守らなければならないので、仕方なく本泉寺に残った。

 一行を見送ると、蓮如はまた庭園に戻って作業を続けた。この庭だけは完成させないと、この地を離れるわけにはいかなかった。





 子供が泣き叫んでいた。

 母親らしい女が子供の側に来て慰めていたが、子供は泣きやまなかった。

 聖安寺では倉月庄の門徒らによって、全焼した寺院の後片付けが進んでいた。

 門徒たちを指揮している者の中に、慶覚坊と疋田豊次郎(ヒキタブンジロウ)の姿があった。

 豊次郎は風眼坊とお雪の姿を見ると、顔の汗を拭きながら近づいて来た。

「とんだ事になったのう」と風眼坊は焼け落ちた寺院を眺めながら豊次郎に言った。

「ひどいもんじゃ。槻橋のやり方は汚すぎる」

「まったくのう」

「相変わらず、別嬪じゃのう」と豊次郎はお雪に言った。

「疋田様は珍しく酔ってないのね」とお雪は笑った。

「毎日、忙しくて、酔う暇もないわ」

 蓮崇は慶覚坊と何かを話していた。

「おぬし、怪我人たちが、どこに収容されておるか知らんか」と風眼坊は豊次郎に聞いた。

「円性坊(エンショウボウ)殿の多屋(タヤ)です」

「どこじゃ」

「こっちです」と豊次郎は先に立って歩いた。

「倉月庄の連中も苦しい立場になってしまったのう」と風眼坊は言った。

「まったくです。正直言って、この先、どっちに付いたら生き延びられるのか、分かりません」

「野々市が近すぎるからのう。どっち付かずで、状況を見ておるというわけには行かんから難しいところじゃのう」

 豊次郎は厳しい顔をして頷いた。「このまま、守護が強きで本願寺を攻めるようなら、わしらは守護側に付かざるを得なくなるかも知れませんよ。守護側は必死になって、本気で本願寺を倒すつもりでおります。本願寺も本気になって守護を倒すつもりにならない限り、本願寺に勝ち目はないでしょう。本願寺はいつも後手に回っております。上人様が動かない限り、本願寺に勝ち目はないと思います」

「そうじゃな。守っておるだけでは勝つ事はできん。しかし、上人様が、守護を倒せ、と命ずる事は絶対にないじゃろう」

「なぜなんじゃ。門徒たちが、こんなひどい目に会っておるというのに、どうして、上人様は、守護を倒せと言わんのじゃ」

「言わんのじゃなくて、言えんのじゃよ。守護が本願寺に対して、どんなにあくどい事をしたとしても、守護は幕府が任命したものじゃ。その守護を倒せ、と命じる事は、幕府に敵対する事となる。上人様とはいえ、幕府に刃向かう事などできはせん。守護を倒せと命じた時点で、本願寺は加賀の守護、富樫だけではなく、越前の守護、朝倉も敵に回す事になる。富樫だけならまだしも、朝倉を敵に回したら本願寺は全滅するじゃろう」

「上人様は、門徒たちに、ただ、我慢しろ、と言うだけなのか」

「仕方がない」

「仕方がないでは済まん。今朝の火事騒ぎで、死んだ者や、怪我をした者たちは、一体、どうなるんじゃ」

「どうにもならん。とにかく、今はじっと我慢するしかないんじゃ」

「三月の木目谷の戦において、わしらの仲間が五十人近く死に、百人以上の負傷者が出た。これ以上の犠牲者を出すわけにはいかん。あの時の不意討ちといい、今回の夜襲といい、悪いのは守護側だという事は分かっておる。悪いとは分かっておるが、良い悪いで、事を判断するわけにはいかん。木目谷のように、この土地を追い出されるわけにはいかんのじゃ。一族が生きて行くには、この土地を守り通さなくてはならん。このままで行けば、わしらは守護側に付くかもしれん」

「それも仕方ない事じゃ。ただ、守護側になっても、不意討ちや、夜襲などをして、門徒たちを苦しめんでくれ。わしにはその位の事しか言えん」

「ここです」と豊次郎は風眼坊とお雪を多屋の中を案内した。

 多屋の中には、部屋に収まりきれない負傷者たちが庭にまで溢れていた。あちこちから、悲鳴や呻(ウメ)き声が聞こえて来る。すでに、何人かの元、時宗だった門徒たちが治療に当たっていた。火傷(ヤケド)による負傷者も何人かいたが、負傷者の多くは矢傷だった。燃えている寺院から逃げ出した所を狙いうちにされたらしい。

 豊次郎の話によると、負傷者のほとんどは、挟み討ちにされた三月の戦の時、本陣を敷いていた木目谷の下流の田上郷の国人たちだった。彼らは戦に負け、土地を守護に奪われ、一時は越中まで逃げたが、四月になると、ひそかに加賀に戻り、河北潟のほとりに隠れて倉月庄の門徒たちの世話になっていた。そして、今回の野々市の包囲作戦に加わり、武装して聖安寺に集結し、翌朝の作戦開始を待っていた。その夜中に夜襲を受けたのだった。疋田豊次郎などの倉月庄の国人門徒たちは聖安寺には集結せずに、武装したまま各屋敷に集結していたため、敵の襲撃からは免(マヌガ)れる事ができた。

 風眼坊とお雪は、さっそく、重傷者から治療に取り掛かった。

 豊次郎は顔を歪めながら風眼坊の荒療治を見ていたが、真剣な顔で治療している風眼坊に命ぜられ、自然と手伝うはめとなって行った。

 お雪も、すでに一人前の医者だった。どんなにひどい傷を見ても目を背ける事なく、てきぱきと治療して行った。

 豊次郎は、そんな二人を呆気(アッケ)に取られたように見守っていた。

 二人の治療は素早く正確だった。今まで治療していた時宗の門徒たちも、二人の手捌きに見とれる程だった。

 いつの間にか、風眼坊とお雪の二人が中心となって治療は行なわれていた。

 お雪が男たちを指図(サシズ)しているのを不思議そうに豊次郎は眺めていたが、皆、負傷者を助けるために真剣だった。一刻を争う場合、技術が上の者が下の者に指図するのは当然の事だった。

 豊次郎は、男たちを指図して真剣に働いているお雪を眺めがら、大した女だと感心していた。こんな女がこの世の中にいるのかと信じられないような気がしていた。

 結局、豊次郎は日が暮れるまで負傷者の治療を手伝っていた。

「先生、それに、お雪殿、わしは二人を見直しましたよ」と豊次郎は井戸端で言った。

「手伝わせて、すまなかったな」と風眼坊は手を拭きながら言った。

「いえ。今日は本当にためになりました。お二人が医者だとは知っておったが、あれだけの医術を身に付けておったとは、実際、驚きです。特に、お雪殿には感服です。女だてらにと言っては何ですが、大したものです」

「慣れですよ」とお雪は笑った。

「さっきは、お二人に向かって失礼な事を言って申し訳ありませんでした。今まで、戦の犠牲者たちの治療をやり続けて来たお二人が、一番、戦の悲惨さを知っておったのですね。それに比べ、わしらは自分たちの事ばかり考えておりました。いつも、どっちに付いたら有利だとか、少ない犠牲で済むとか‥‥‥もっと、大きな視野で物事を見なければならないのかもしれません」

「疋田殿、わしらは越中におる門徒たちの避難所も巡った。二千人近くの者たちが狭い掘立て小屋の中で暮らしておった。確かに、生活がいいとは言えない。ぎりぎりの所で生きておった。しかし、食糧は毎日、越中の門徒たちの好意によって届けられておった。わしはそれを見て、素晴らしい事じゃと思った。同じ本願寺の門徒だという事で助け合って生きておるんじゃ。戦に負け、土地を奪われた一族の末路は悲惨なものじゃ。一族はバラバラになり、あちこちをさまよいながら生きて行かなければならん。一度、落ちぶれた者が再起を図るなどという事は、ほとんど不可能じゃ。ところが、本願寺の門徒たちには助けてくれる仲間がおる。わしは越中の避難所を回ってみて、奴らは仲間がおる限り、いつか必ず、国元に帰る事ができるじゃろうと確信した。去年の戦に勝ったとはいえ、本願寺の組織、特に軍事面の組織は弱い。本願寺が守護に対抗して行くには、まだ時期が早いのかもしれん。しかし、時の流れというものがある。時代は少しづつ変わっておる。守護というものが、昔のように絶対の権力者ではなくなって来ておる事は確かじゃ。わしは、いつの日か、絶対に、守護は本願寺によって倒されるじゃろうと確信しておるよ」

「時の流れですか‥‥‥」

「その時の流れに乗り遅れると、一族を路頭(ロトウ)に迷わす事となるじゃろう」

「本願寺に付いた方がいいと言うのですか」

「本願寺に付いておれば、たとえ、この土地を追い出されても再起の可能性はあるが、守護側に付いて門徒と戦い、負けてしまえば、再起はできなくなるじゃろうと言うんじゃよ」

「しかし、守護が次々に本願寺の寺院を潰して行ったらどうなります。本願寺は守護と戦う力などなくなってしまいます」

「それはどうかな。本願寺の門徒というのは寺院で持っておるのではない。共通の教えによって門徒となっておるんじゃ。加賀中の本願寺系の寺院が、すべて焼かれたとしても、門徒の数が減る事はないし、寺院はまた、すぐに建てられるじゃろう」

 豊次郎はその後、黙っていた。

 風眼坊は蓮如と同じように、この国では他所(ヨソ)者だった。この地に根を張ってはいない。人の事だと思って何とでも言えた。しかし、この地に代々、住む豊次郎に取っては、そんな先の事よりも、今の事の方が切実な問題だった。三月の戦の時は、どちらが勝つか分からなかったため両方に兵を送り、本願寺側に付いた者は犠牲となった。今回は、本願寺の作戦を聞いて、本願寺が勝つと見極め、本願寺側に付いた。ところが、守護側の夜襲により、本願寺の作戦は無効に終わった。この先、倉月庄の国人たちは、どっちに付いたらいいのか、まったく分からない状況だった。

 風眼坊とお雪は豊次郎と共に、蓮崇と慶覚坊がいるという明乗坊(ミョウジョウボウ)の多屋に向かった。

 明乗坊の多屋の客間の一室で、蓮崇と慶覚坊の二人は無言のまま考え込んでいた。

 風眼坊たちが顔を出すと、慶覚坊が、「御苦労じゃったな」と顔を上げたが、その顔は疲れ切っているようだった。

「風眼坊殿、また悪い知らせです」と蓮崇は言った。

「もしや、本泉寺が‥‥‥」と風眼坊は言った。

 蓮崇は首を横に振って、「専光寺です。専光寺も、善福寺やここと同じ頃、夜襲を受けて、全焼したそうです」

「専光寺もか‥‥‥」

「ここよりも、ひどいそうじゃ。本坊は勿論、多屋もほとんど焼け、数百人の死傷者が出たそうじゃ」

 専光寺には、夜襲を受けた頃、河北潟の国人、伊藤宗右衛門の率いる五百の兵と、木目谷の高橋新左衛門の配下である一瀬勝三郎率いる五百の兵が待機していた。彼らは本坊を初め、多屋に分散して寝ていたため、その多屋のほとんどが焼け、負傷者の数が多かった。

 専光寺は海が近いため、出火当時、かなりの風があって、その風に乗って火が多屋に移り、あっという間に次々と燃え広がって行った。皆が寝静まっている時の火災で、逃げる暇もなく、焼け落ちて来た屋根の下敷となって亡くなった者が何人もいた。

「ひどいもんじゃ」と慶覚坊が言った。

「同じ時刻に三ケ所もやられるとは、こっちの動きが敵に筒抜けだった証拠じゃ」と蓮崇は言った。「それに比べ、味方側は勝つ事だけを考え、敵の動きにまったく気が付かんとは情けない事じゃ。いつか、風眼坊殿が言った通り、本願寺もちゃんとした情報網を作らん事には勝ち目はないわ」

 次の日、蓮崇、慶覚坊、風眼坊、お雪の一行は吉藤(ヨシフジ)専光寺に向かった。
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