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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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29.噂






 小雨が降っていた。

 八月になり、朝晩はいくらか凌ぎ易くなったが、それでも日中は暑かった。今日は朝から雨が降っているせいか、蒸し暑かった。

 小雨の中、松岡寺(ショウコウジ)の裏庭で蓮綱(レンコウ)が木剣を振っていた。

 ここの所、蓮綱は忙しかった。山之内衆が揃って本願寺の門徒になったため、山之内庄の鮎滝坊(アユタキボウ)と松岡寺を行ったり来たりしていた。山之内の事もようやく落ち着き、今日の昼過ぎ、久し振りに松岡寺に戻って来た蓮綱だった。山之内の国人たちと付き合う事によって、勝ち気な蓮綱はもっと強くならなければと思い、帰って来るとすぐに小雨が振っているにも拘わらず、裏庭に出て、工夫しながら木剣を振っていた。

 蓮綱は子供の頃、本泉寺にいて如乗から剣術を習った事があった。しかし、如乗は蓮綱が十一歳の時、亡くなってしまった。その後、松岡寺に来てからは、大杉谷川の国人門徒の宇津呂備前守(ウツロビゼンノカミ)の家臣で、神道流(シントウリュウ)の使い手という大倉主水祐(モンドノスケ)という男に習っていた。基本はすでに身に付けていた。後は自分で工夫をしながら修行を積めばいいのだったが、なかなか修行に励む時間がなかった。

 日の暮れる頃まで木剣を振り、蓮綱は井戸で水を浴びて汗を流すと居間に上がった。

 二歳になる女の子が蓮綱にまとわり付いて来た。妻の如宗(ニョシュウ)が二人を見ながら笑っていた。どこにでもありそうな幸せな家庭の姿がここにもあった。

「しばらくは、ここにいらっしゃるのですね」と如宗は聞いた。

「多分な」と蓮綱は娘のあこを膝の上に乗せて笑っていた。

「あこが淋しがって困りますから、余り、留守にしないで下さいね」

「分かっておる‥‥‥あこや、淋しかったのか」

 あこは父親の無精髭を撫でて、キャッキャッと笑っていた。

 蓮綱は自分の頭を撫でた。髪の毛も伸びていた。

「頭を剃らなくてはいかんのう」

「本当は伸ばしたいんでしょ」と如宗は笑った。

「まあな。わしも一度位、髷(マゲ)というものを結ってみたいと思うが、そうもいかん。今ではもう諦めておる」

「でも、木剣を振っていなさったわ」

「武術は身を守るために必要じゃ。もしもの事があった場合、お前とあこを守らなけりゃならんからのう」

「頼もしいのね。でも、上人様に知れたら、また、怒られるわよ」

「内緒じゃ、内緒。だから、隠れて、裏庭で稽古しておるんじゃ。でもな、お前も知ってるだろう。慶聞坊と慶覚坊の二人は武術の名人じゃ。上人様は自分の側に、そんな二人を置いておきながら、どうして、わしらが武術を習う事に反対するんじゃろう。わしには分からん」

「それはやはり、お寺の住職さんが武器を振り回していたら、門徒たちもそれを真似して、示しがつかなくなるからじゃないの」

「かもしれんがのう。弱いよりは強い方がいいと思うがのう」

 親子三人が水入らずでくつろいでいると、執事の下間盛頼(ジョウライ)が廊下から声を掛けて来た。

「何じゃ」と蓮綱は答えた。

「一大事でございます」と盛頼は言った。

「何事じゃ」

「はっ」と言うだけで盛頼は何も言わなかった。

「まったく、ゆっくりさせてもくれんわ」と蓮綱は、あこを如宗に渡すと部屋から出て行った。

 書斎に行くと、盛頼は小声で、「ただならぬ噂が流れております」と言った。

「噂?」

「はい」

「くだらん噂など放って置けばいいじゃろう」

「それが、そうも行かないので‥‥‥」

「一体、どんな噂じゃ」

「それが‥‥‥」と言ったきり盛頼は口ごもった。

「どうしたんじゃ、はっきり言わんか」

「はい。実は、蓮崇が守護を倒すために兵を集めておるとか‥‥‥」

「何じゃと。一体、誰がそんな噂を流しておるんじゃ」

「それが、まったく分からんのです。昨日は、そんな噂は流れておらなかったのに、今日になって突然、町中がその噂で持ち切りです。門徒の中には武器を手にして湯涌谷に向かうなんて奴も現れて来ております」

「その噂は事実なのか」

「分かりません。でも、これだけ広まっておる所を見ると事実であるとしか思えません」

「しかし、蓮崇が、そんな事をするとは思えん」

「わたしも信じられません。上人様に無断でそんな事をするとは、とても、考えられません。しかし‥‥‥」

「蓮崇は今、どこにおるんじゃ」

「分かりません。先月の講の時は吉崎におりました」

「とにかく、わしは明日の朝、吉崎に行って来る。そなたは門徒たちを静めてくれ」

「しかし、門徒たちは皆、高ぶっております。皆、守護のやり方に我慢できなくなっております。皆、蓮崇を支持しておるようです」

「とにかく静めてくれ。この間、六ケ条の掟が出たばかりじゃ。今、騒ぎを起こしたら、皆、破門という事にもなりかねん。わしが吉崎から戻って来るまで、門徒たちを押えておれよ」

「はっ」と頭を下げると盛頼は出て行った。

 蓮綱は広縁に出ると門前町の方を眺めた。

 小雨の中に、いつもと変わらぬ風景が見えた。盛頼が松岡寺の警固の兵の詰所(ツメショ)に行き、十人ばかりの兵を連れて門から出て行った。

 蓮綱は何事も起こらない事を願い、家族のもとへ戻った。

 次の日の朝早く、蓮綱は支度をすると、二人の部下を連れて朝靄の立ち込める中、吉崎に向かった。

 途中、波倉の本蓮寺に寄った。

 去年、全壊した本蓮寺は見事に再建されていた。新たに、濠と土塁、見張り櫓(ヤグラ)も付けられ、松岡寺のように城塞化されていた。蓮綱は叔父の蓮照と会い、波倉の門前にも噂が広まっている事を確認した。蓮照に門徒たちを押えるように頼み、次には、弟の蓮誓(レンセイ)のいる山田の光教寺に向かった。

 蓮綱が光教寺に着いた時、丁度、蓮誓は出掛ける所だった。供の者三人と一緒に門の所から近づいて来る兄の姿を見ていた。兄がここに来るのは珍しかった。何か用がある場合は、いつも蓮誓を松岡寺に呼んだ。どうしたんだろうと思いながら蓮誓は兄を迎えた。

「どこかに行くのか」と蓮綱は馬から下りると言った。

「いえ。急ぐ用ではありません」と蓮誓は答えた。

 蓮誓は塩浜の道場に行こうと思っていた。道場において説教は勿論するが、本当の目的は海で泳ぐ事だった。蓮誓はこの地に来るまで、海というものを知らなかった。子供の頃、兄と一緒に本泉寺の近くの川で泳いで遊んだ事はあったが、海で泳いだ事はなかった。この地に来て、蓮誓は初めて広い海で泳いで以来、海の虜(トリコ)となっていた。夏の天気のいい日は海辺の道場を回り、説教が済むと海で思いきり泳いでいた。

「ちょっと、話がある」と蓮綱は言って馬を蓮誓の供の男に渡すと、さっさと庫裏(クリ)の方に向かった。

 蓮誓は供の者に、待っていてくれ、と言うと兄の後を追った。

 光教寺にはまだ噂は流れていなかった。蓮綱は蓮誓に松岡寺と本蓮寺の状況を話した。

「まさか、蓮崇が‥‥‥」と蓮誓には信じられなかった。

 蓮誓は慶覚坊を呼びにやった。

 慶覚坊はすぐに来た。蓮誓と共にいる蓮綱を見て、兄弟が揃っているとは珍しいと、まず思い、二人の顔を見て、何かがあったなと悟った。

 慶覚坊が二人に声を掛ける前に、蓮誓の方が慶覚坊に聞いて来た。

「今、蓮崇はどこにいる」

「は? 蓮崇殿は吉崎におると思いますが‥‥‥」

「確かじゃな」

「いや。はっきりとは言えんが、多分、吉崎だと思いますが」

「まさか、湯涌谷にはおらんじゃろうな」

「はい。もし、湯涌谷に行くとすれば、わしを誘うはずです。先月の二十四日に湯涌谷から帰って来てからは、蓮崇殿も吉崎におると思いますが‥‥‥蓮崇殿が、どうかしたのですか」

 蓮綱は慶覚坊に噂の事を話した。

「そんな、馬鹿な‥‥‥蓮崇殿がそんな事をするわけはない。わしは、いつも蓮崇殿と一緒だった。国人たちを煽っておったのは浄徳寺と善福寺の二人じゃよ。わしらは騒ぎが起きてから現場に駈け付けたんじゃ。北加賀において何が起こったのか、上人様もちゃんと御存じじゃ。蓮崇殿が国人たちを扇動しておったわけじゃない」

「しかし、噂の方はどんどん広まっております。門徒たちが武器を持って守護を倒そうとしておる事も事実です。今の所は何とか押えておりますが、このままでは一揆になりかねません」

「一体、誰がそんな噂を流したんでしょう」と蓮誓が二人の顔を見比べながら言った。

「分からん」と蓮綱が首を振った。「しかし、そのうちに、ここにも吉崎にも、その噂は流れるじゃろう」

 慶覚坊は頷いた。「ここで何だかんだ言ってても始まらん。とにかく蓮崇殿に会って、これからの対処を考えなければならんでしょう」

 三人は吉崎へと向かった。

 厳しい残暑の中、蝉(セミ)が喧(ヤカマシ)しかった。





 吉崎御坊は厳重に警固されていた。

「久し振りにここに来たが、凄いものじゃのう」と蓮綱は馬上から、あちこちにある濠や土塁を眺めながら驚いていた。

 御山(オヤマ)に近づくに連れて、蓮綱と蓮誓の二人が揃って来たとの噂が広まり、一目、二人を見ようと門徒たちが続々と集まって来た。御山へと続く坂道の入り口に立つ北門まで来ると、慶覚坊は二人を待たせ、蓮崇の多屋に顔を出した。蓮崇の妻に聞くと、蓮崇は御山にいると言う。

 一行は坂道を登って御山に向かった。道の両側には各多屋から出て来た門徒たちが、二人を見ようとずらりと並び、一行の後にはぞろぞろと大勢の見物人が付いて来ていた。

 慶覚坊は御山の門番に、門を一旦、閉める事を命じ、馬を預けると、二人を庭園内の東屋(アヅマヤ)に案内した。慶覚坊としては、蓮如に会う前に、まず、蓮崇と話し合いたかった。

 慶覚坊は書院に行って蓮崇と会った。

 蓮崇は対面所の一室で、部屋中に書状を散らかして絵地図に何やら書き加えていた。

「何をやっておるんじゃ」と慶覚坊は部屋を覗くと声を掛けた。

 蓮崇は顔を上げると、「慶覚坊殿か、丁度いい所に来てくれた」と笑い、熱心に書き物を続けた。「実はのう。石川郡のように江沼郡にも、ここを中心に裏の組織を作ろうと思ってのう。各道場の位置を調べておったんじゃ。慶覚坊殿も光教寺に所属しておる道場の事を教えてくれんか」

「蓮崇殿、ちょっと待ってくれ。それどころではないんじゃ。一大事が起きたんじゃ」

「一大事?」

「ああ。上人様は庫裏の方か」

「いや、上人様は留守じゃ」

「留守?」

「ああ。お忍びで、大津の顕証寺(ケンショウジ)に行った」

「なに、顕証寺に行った? こんな時に、どうして近江などに行かせたんじゃ」

「まずかったかのう。今月の講には戻って来ると言っておったしのう。慶聞坊と風眼坊殿が一緒じゃから、安心じゃと思って行かせたんじゃが」

「何でまた、急に顕証寺なんかに行ったんじゃ」

「久し振りに順如殿(蓮如の長男)に会いたくなったんじゃないか。それと、わしの推測じゃが、順如殿を通して幕府に何かを頼もうと思ったのかもしれん」

「幕府に?」

「上人様が何を言っても富樫は聞かんからのう。それとなく、幕府に本願寺の保護を頼みに行ったのかもしれん。わしの推測じゃがのう」

「上人様が幕府にか‥‥‥」

「それよりも、一大事とは一体、何じゃ」

「そなたの事じゃ」

「わしの事?」

「待っていてくれ。今、外で蓮綱殿と蓮誓殿が待っておる」

「なに、蓮綱殿と蓮誓殿が‥‥‥」

 慶覚坊は二人を呼びに行った。

 蓮崇は散らかっている書状を片付け、絵地図を丸めた。

 蓮崇は二人を迎えると頭を下げ、部屋の隅に退いた。

 蓮綱は松岡寺の様子と蓮崇に関する噂の事をなるべく詳しく話した。

 蓮崇は黙って聞いていた。

「噂を流した張本人は誰だと思う」と慶覚坊は聞いた。

 蓮崇は答えなかった。

「わしは善福寺と浄徳寺の二人だと思うんじゃが‥‥‥あの二人は湯涌谷におった時、もう一度、守護を倒す事を主張した。しかし、誰にも相手にされなかった。皆、蓮崇殿の案に賛成した。そこで蓮崇殿を恨み、あんな噂を流したんじゃと思うんじゃが」

「蓮崇の案というのは何です」と蓮綱が聞いた。

「敵に負けない位の情報網を作る事です」と慶覚坊が言った。

「情報網を‥‥‥それより、さっきの話ですけど、浄徳寺と善福寺の二人があんな噂を流したとは思えません。あの二人は本願寺の一門です。そんな二人が本願寺の不利になるような噂を流すでしょうか」

「あの二人はただ、蓮崇殿を恨み、蓮崇殿を失脚させようとたくらんだだけでしょう。門徒たちが、こんなに騒ぐとは思っておらなかったに違いありません」

「しかし‥‥‥」

「蓮崇殿はどう思う」と慶覚坊は聞いた。

「わしも、あの二人だと思いますが、あの二人だけではありません。多分、裏で糸を引いている者がおります」

「あの二人を操っている者がおる?」

「わしはこの前、山之内に行った時、軽海の町で定地坊殿の姿を見ました。初めは人違いだろうと思いましたが、気になったので探りを入れてみました。調べてみると、やはり、定地坊殿でした。定地坊殿は観音屋という旅籠屋の離れに滞在して、時々、山川(ヤマゴウ)三河守と会っておるとの事でした」

「定地坊殿といえば、あの二人とは兄弟じゃろう」と慶覚坊は言った。

「そうです。定地坊殿はわしを恨んでおります。山川三河守は定地坊を利用して、わしを本願寺から追い出そうと考えたに違いありません。北加賀において、守護代の槻橋近江守は着実に本願寺の勢力を潰しております。しかし、山川三河守はまだ何もやっていません。南加賀の守護代として、三河守としても何もしないわけには行きません。そこで、槻橋近江守とは違うやり方で、本願寺勢力を弱めようとしておるに違いありません。そのやり方というのが、本願寺の内部撹乱です。定地坊殿を使って、わしと対抗させ、吉崎を二つに分断し、今度はわしを失脚させるために、そんな噂を流したに違いありません」

「山川三河守ですか‥‥‥」と蓮綱は言った。

「山之内に行った時、わしは刺客(シカク)に狙われておると威されました。今の所、そんな危険な目には会っておりませんが、守護が、わしを狙っておる事は確かです」

「刺客か‥‥‥以前、高田派が上人様を狙って刺客を使った事があったが、今度は、守護が蓮崇殿を狙って刺客を放ったか‥‥‥」

「山川三河守は超勝寺の三人を使って、蓮崇を本願寺から除くために、あんな噂を流したと言うのですか」と蓮綱は言った。

「山川三河守という奴はなかなかの策士(サクシ)との噂じゃ。その位の事はやりかねんのう。蓮崇殿を除けば、確かに本願寺は弱くなるからのう」

「しかし、門徒たちが騒ぎ出せば、山川にとっても面倒な事となりますよ」

「いや」と慶覚坊は首を振った。「門徒が騒ぎ出せば、山川に取っては都合のいい事となる。騒ぎを静めるためと言って堂々と兵を動かす事ができるんじゃ。しかも、門徒たちはバラバラじゃ。正規の軍に攻められたら一溜まりもないじゃろう。善福寺や専光寺のように、松岡寺や光教寺は焼かれるかもしれん。ここも危ない事になるかもしれん。とくかく、門徒たちに騒ぎを起こさせないようにしなくてはならんのう」

「しかし、静められるかどうか難しい状況です。門徒たちは皆、すでに北加賀の事を知っております。上人様がその事に対して、どういう態度を取るか、皆が見守っておりました。門徒たちは去年の時のように、戦をしろ、と命ずる事を期待しておったのです。しかし、上人様は掟を出すばかりで、北加賀の事など、まるで知らない事のように装っております。そんな時、蓮崇が立った、との今回の噂です。蓮崇が立ったという事は、内密に上人様からの命令が出たものだと勝手に解釈しておるのです。すでに門徒たちは、去年の戦の時のような勝利に酔い、武器を手にして騒いでおるのです。いつ、爆発するやら分からない状況なんです」

「そうか、それ程の反響があるのか‥‥‥そうじゃろうのう。門徒たちから見れば、蓮崇殿というのは上人様の次に偉い人じゃと思っておるからのう。そんな人が、戦えと言えば、上人様の本当の気持ちなど分からん門徒たちは、守護を倒せ! といきり立つのも無理ないのう」

「明日あたりには、ここにも、その噂が流れる事となるでしょう。こんな時に上人様が留守だとは‥‥‥」

「蓮崇殿、どうしたらいいじゃろうのう」と慶覚坊は聞いた。

「この騒ぎを治めるのには、一つしか方法はないじゃろう」と蓮崇は言った。

「どんな方法があるのですか」と蓮綱は蓮崇の方に身を乗り出した。

「一つだけある。しかし、上人様がおらなくてはどうにもならん」

「一体、どんな方法なんじゃ」と慶覚坊も身を乗り出した。

 蓮綱も蓮誓も慶覚坊も、蓮崇が言おうとしている対抗策が、どんなものなのか見当もつかなかった。

 蓮崇は三人の顔を見比べてから、視線を落とすと、「わしの破門じゃ」と言った。

「破門? そんな事をしたら敵の思う壷にはまる事になるぞ」

「仕方がない。わしが破門になれば騒ぎは治まるじゃろう」

「蓮崇が破門か‥‥‥」と蓮綱は呟いた。

 蓮綱は子供の頃、本泉寺において蓮崇によく遊んでもらった時の事を思い出していた。蓮崇からは色々な事を教わっていた。蓮崇が湯涌谷の道場を任されて移ってからも、よく遊びに行っていた。父親代わりだった本泉寺の如乗が十一歳の時に亡くなり、父親というには年が少し若かったが、蓮崇は蓮綱にとって父親に似た存在だった。その蓮崇が破門になるという。蓮綱にはそんな事、とても信じられない事だった。

 慶覚坊は俯いたままの蓮崇を見つめて黙り込んでいた。確かに、蓮崇が破門になれば門徒たちは静まるだろう。しかし、本願寺から破門になったら、この先、どうやって生きて行くつもりなのだろう。加賀や越前、越中など、門徒がいる中では生きては行けない。一生、破門という事は付いて回る。もしかしたら、蓮崇は死を覚悟しているのだろうか。それにしても、たかが噂によって無実の罪で破門されるとは溜まったものではなかった。

「破門という事は最後の手段として、他にいい案があるかもしれん。もう一度、よく考えてみよう」と慶覚坊は言った。

「そうですよ。きっと、何かいい方法があるはずです」と蓮綱も言った。

「慶覚坊殿、すまんが、上人様を捜し出して連れ戻してくれんか」

「わしがか‥‥‥」

「そなたしかおらん。近江の事なら詳しいじゃろう」

「分かった。なるべく早いうちに連れて帰る。それまで、何とか騒ぎが起こらんようにしてくれ」

 蓮崇は頷いた。

「蓮綱殿、蓮誓殿、頼みますよ。さっそく、わしは出掛けます」

 二人も頷いた。

 慶覚坊は、そのまま馬にまたがって近江へと向かった。

 蓮綱と蓮誓の二人は、その後もしばらく蓮崇と今後の事を検討し、それぞれの寺院に戻った。

 この日、吉崎の町はまだ何も知らず、いつもと変わらず、人々は穏やかな顔で暮らしていた。





 慶覚坊が蓮如を捜しに近江に向かった後、蓮崇は、蓮綱と蓮誓の見守る中、蓮如の署名入りの偽(ニセ)の書状を書いていた。

 蓮崇の呼びかけによって騒いでいる門徒たちを静めるには、やはり、蓮如の名前を出さなければ不可能と言えた。すでに破門を覚悟した蓮崇は、蓮綱と蓮誓の二人に許可を求め、この書状を蓮崇が書いた事は見なかった事にしてくれと頼み、この偽の書状の罪は自分が一切かぶって破門になると言った。

 蓮綱も蓮誓も破門の覚悟を決めた蓮崇に対して、何も言う事ができなかった。

 蓮崇は蓮如そっくりの字を書き、蓮如の署名もそっくりに真似た。

 蓮崇は本泉寺において如乗に読み書きを習い、その後、大津にて蓮如の側に仕えていた頃、蓮如の御文(オフミ)を手本にして、毎日、夜、遅くまで手習いの稽古をしていた。吉崎に来てからは何かと忙しいので、毎晩、稽古をするという事はなくなったが、それでも、新しい御文が出る度に、必ず写していた。今では、すっかり蓮如の書体を真似て書く事ができるようになっていた。

 蓮崇は偽の書状に、今度の二十五日の吉崎の講の時、重大な事を発表する。それまでは、皆、勝手に動かずに待機しているように。もし、今、勝手に騒ぎを起こせば、守護の思う壷にはまり、北加賀のように、寺院を初めとして道場は破壊されるであろう。今こそ、門徒たちは一丸となるべき時である。二十五日の講まで、各自、自重して欲しい、と書き、蓮如の署名をした。

 蓮綱と蓮誓は、蓮崇の書いたその文を読みながら、まさしく父親の書いた物にそっくりだと思った。

 蓮綱は、本泉寺にいた頃の蓮崇の字を知っていた。子供ながらも下手くそな字だと思い、よく笑った。そして、蓮崇が毎晩、遅くまで手習いをしていた事も知っていた。今、目の前で、すらすらと書いていたのを目にしながらも、蓮崇がこれ程までの字を書くとは信じられない事だった。そして、これだけの字を書くまでには、余程の稽古をしたに違いないと思い、凄い人だと改めて感心していた。そんな蓮崇が本願寺から破門にならなければならないとは、本願寺にとっても蓮綱にとっても辛い事だった。蓮綱は蓮崇が書いた偽の書状を読みながら、涙が出て来るのを止める事ができなかった。

 蓮誓には、蓮綱のように蓮崇の思い出はなかったが、蓮崇は本願寺になくてはならない人だと思っていた。その蓮崇が本願寺からいなくなるなんて、とても、考えられなかった。

 二人とも、しんみりとしながら書状を手にして吉崎を後にした。

 独り残された蓮崇は、しばらく、ぼうっとしていた。

 破門‥‥‥これから、どうしたらいいのか、まったく分からなかった。今まで、本願寺のために生きて来た。死ぬまで、蓮如のために生きようと誓っていた。破門になれば、二度と蓮如には会えないだろう。加賀にも越前にもいられない。これから、どうやって生きて行けばいいのだろうか。

 蓮崇は家族の事を考えた。家族まで巻添えにしたくなかった。妻は下間(シモツマ)一族の娘である。離縁して実家に返そうと思った。可哀想だが、それしか方法はなかった。

 蓮崇は自分の多屋に帰ると、妻にすべての事を話した。妻はなかなか納得しなかったが、蓮崇は無理やり離縁状を渡し、荷物をまとめさせた。そして、次の日、家族を船に乗せて本泉寺に送った。

 家族を送り出し、一安心した蓮崇は御山に戻り、途中だった江沼郡における情報網作りに専念した。破門されてから後の事は考えなかった。それよりも蓮如が戻って来るまで、この吉崎を守り、情報網の事も形だけでも作っておきたかった。後の事は慶覚坊に任せればいい。残りわずかな数日を本願寺の門徒として、精一杯、やるべき事をやろうと決めた。

 吉崎の地に、例の噂が広まったのは八月の五日、蓮綱と蓮誓が来た二日後の事だった。

 蓮如を捜しに出掛けた慶覚坊は、その頃、ようやく、近江の堅田(カタダ)の本福寺に着き、義父の法住(ホウジュウ)と会っていた。蓮如一行が堅田に来たのは三日前で、二日前の朝、大津の顕証寺に向かったと言う。慶覚坊は、まだ、顕証寺に滞在しているかもしれないと、次の日の朝早く大津に向かったが、蓮如はいなかった。顕証寺の住持であり、蓮如の長男でもある順如も蓮如と一緒に出掛けて行って留守だった。留守を守る下間慶秀(キョウシュウ)に聞くと、一行は二日前の朝、金森(カネガモリ)に向かったと言う。慶覚坊は、すぐに金森に向かったが、蓮如一行は捕まらなかった。

 吉崎に噂の広まる頃、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)と善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)の二人は吉崎に潜入していた。二人は御山への坂道の途中にある超勝寺の多屋(タヤ)の客間の一室で、イライラしながら次々に入って来る吉崎の状況を聞いていた。

 噂を流した張本人は、この二人であった。

 定地坊が軽海の守護所において、山川三河守より噂を流せば蓮崇を陥れる事ができると持ちかけられ、夕立の中を急いで、浄徳寺に向かったのは七月の十六日だった。

 その日、定地坊から話を聞いた順慶と慶恵(キョウエ)の二人は噂を流す事に賛成した。しかし、誰がその噂を流すか、という事で三人の意見は割れた。そんな噂を流したという事がばれれば、逆に、こっちが破門と成りかねない。三人共、自分の門徒を使う事に反対した。一番いいのは蓮崇の門徒である湯涌谷の門徒を使うのがいいのだが、それは無理だった。そこで、実際に守護に痛い目に合わされた善福寺の門徒を使うのが一番いいだろうという事に決まり、順慶と定地坊は焼け跡の善福寺に向かった。そこで、適当と思われる者を十人捜して浄徳寺に戻って来たのは二十四日であった。

 順慶も定地坊も自分の首が懸かっているので、適任者を捜すのに慎重だった。どこにでもいるような顔をしていて、体格も普通で、それでいて物覚えがよく、すばしっこい者を捜したので、思ったよりも時間が掛かってしまった。

 二十四日は吉崎の講がある前の日にあたり、蓮崇は吉崎に戻って来ていた。蓮崇が吉崎にいたのでは噂を流しても、すぐに嘘だとばれてしまう。講が終わり、蓮崇がまた湯涌谷に行くのを待とうという事になったが、蓮崇はなかなか湯涌谷には行かなかった。

 定地坊と順慶の二人は待ちくたびれて、蓮崇が吉崎にいようと構わないから、さっさと噂を流してしまえと考えた。一番上の慶恵は反対した。焦る事はない。蓮崇は必ず、湯涌谷に行く。ここで焦って失敗したら、わしらが破門になるんじゃ。奴が動くまで、じっくり待っていればいいと言った。

 定地坊と順慶は七月一杯まで待ってみて、八月になると兄の慶恵には内緒で、まず、松岡寺の門前に噂をばらまいた。そして、一日、様子をみた。

 噂はみるみる広まって行き、門徒たちが騒ぎ出した。門徒たちのほとんどが蓮崇を支持して武器を取って立ち上がろうとしていた。それは予想外の事だった。

 定地坊たちの考えでは、門徒たちは、上人様の教えに反して戦をしようとしている蓮崇を批判するものと思っていた。先月、六ケ条の掟が発表され、掟を破った者は破門にすると書いてあった。門徒たちは皆、その事を知っているはずだった。

 三人は本願寺の一門であり、上層部の人間だった。生れつき住持職に就くべき家柄に生まれていた。門徒たちの気持ちなど考えた事もなく、自ら門徒たちの中に入って行こうともしなかった。門徒の気持ちなど全然、分かっていなかったのである。彼らは彼らの考え方で門徒たちを見ていた。彼らは蓮如の教えをよく理解し、蓮如が争い事を絶対に許さないという事を充分に知っていた。蓮如は御文に何度も、守護に逆らうなと書き、彼らは、それを門徒たちに読んで聞かせた。当然、門徒たちも蓮如の教えを理解していると思っていた。

 蓮崇が戦をしようと煽(アオ)れば、何人かの門徒は蓮崇に同意するだろうが、ほとんどの門徒たちは絶対に反対すると思っていた。ところが、門徒たちは蓮崇を支持して武器を手にして騒いでいた。今すぐにでも、一揆が始まりそうな雰囲気が漂っていた。

 門徒たちにしてみれば、去年、多数の犠牲者を出しながらも戦に勝利し、少しは暮らしが楽になるものと信じていた。しかし、戦が終わってみると、守護が入れ代わっただけで門徒たちの暮らしは少しも変わらなかった。戦のお陰で多大な出費があったにも拘わらず、昨年の年貢を払えと言われたり、守護所の修復の費用を取られたり、かえって暮らしは苦しくなっていた。さらに、北加賀では本願寺の寺院が焼かれ、多数の門徒が死傷していた。

 北加賀の事は他人事(ヒトゴト)ではなかった。南加賀においても、いつ、守護が攻めて来るとも分からない状況だった。北加賀で門徒たちが大勢、苦しんでいるというのに、蓮如は何も言わなかった。そんな蓮如を決して門徒たちは恨みはしなかったが、何かを言ってくれるのを期待していた。門徒たちにとって本願寺さえあれば、守護は無用の存在でしかなかった。

 そんな思いでいる時に、蓮崇が守護に対して戦をするとの噂が流れた。門徒たちにとって蓮崇というのは蓮如と同じ位、偉い存在だった。その蓮崇が命令を下したという事は、蓮如の同意があっての事に違いない。蓮如が表立って戦の指揮はできないから、蓮崇が命令を下したのだと勝手に解釈した。門徒たちは、守護を倒せ!と各地で蜂起しようとしていた。

 噂を流した二人は、予想外な門徒たちの反応を見て、この先、どうしたらいいか迷っていた。もし、本当に一揆が起きてしまえば、蓮如の力を持ってしても止める事はできなくなる。そして、このまま、門徒たちが去年のように一丸となってしまえば、守護を倒す事もあり得た。そうなってしまえば、蓮崇は破門どころか英雄となってしまう。

 順慶と定地坊は兄の慶恵と相談し、噂を広める事を中止にした。善福寺から連れて来た十人の者たちも帰す事にした。しかし、その十人は帰らなかった。十人も門徒であった。武器を手にして騒いでいる門徒と同じ門徒だった。彼らは流した噂が真実だと信じた。いよいよ、蓮崇が門徒たちのために立ち上がったと思った。

 十人は善福寺には帰らずに、能美郡、江沼郡の各地に噂をばらまき、そして、吉崎にも流した。さらに向きを変え、石川郡、河北郡、さらには越中までも噂を流そうと張り切っていた。

 噂を聞いて、続々と各地の有力門徒たちが吉崎にやって来た。

 蓮崇は吉崎の警固の兵を増やし、御山の門を堅く閉ざし、上人様は誰とも会わないと告げ、何枚も作った偽の書状を配った。蓮如の執事の下間頼善(ライゼン)にも、すべてを話して協力してもらい、有力門徒たちを説得させ、各地の門徒たちを静めるように頼んだ。偽の書状が功を成して、皆、何とか納得し、二十五日までに戦の準備をすると言って帰って行った。

 順慶と定地坊の二人は、吉崎にて、上人様の教えに反して戦を主張する蓮崇を批判し、上人様の口から直接、蓮崇の破門を聞こうと思って来たわけだったが、吉崎の地は、蓮崇を支持する者たちばかりが現れ、そんな中に行って蓮崇を批判しようものなら、自分たちが危険な目に会いそうだった。吉崎には反蓮崇派の者も結構いたが、そんな者たちも、守護を倒すという蓮崇には同意し、それに反対する二人は孤立しているという状況だった。主戦派だった二人が戦に反対し、どちらかと言えば、蓮如の教えを守って戦に反対している蓮崇が、主戦派の大将として門徒たちの中心となってしまっていた。

 皮肉な結果と言えた。

 上人様は、こんな騒ぎを起こした蓮崇をどうして破門にしないのだ、とイライラしながら、蓮崇の書いた偽の書状を眺めながら、やけ酒を飲んでいた。

「重大発表というのは何じゃろ」と順慶は言った。

「戦の事に決まっておるじゃろう」と定地坊は言った。

「上人様もいよいよ、覚悟を決めたと言うのか」

「そうらしいのう」と吐き捨てるように定地坊は言った。

「しかし、上人様はこの前、掟を出したばかりじゃろう。まだ、一月も経っておらんのに気が変わったのか」

「上人様は、善福寺や専光寺が守護によって焼かれたという事を知らなかったんじゃ。それを知って、上人様も堪忍(カンニン)袋の緒が切れたんじゃろう」

「しかし、上人様が、守護を倒せ、と命ずるとは考えられんがのう」

「上人様も迷っておったんじゃろう。そんな時、噂を聞いた門徒たちが騒ぎ出したものじゃから、ようやく、決心を固めたに違いない」

「それじゃあ、わしらが、上人様の決心を固めさせたという事か」

「皮肉な事じゃが、そうらしいのう」

「わしらは、一体、何のために噂を流したんじゃ」

「世の中、思い通りには行かんという事じゃのう」

「上人様は、やはり、守護を法敵として退治するつもりなんじゃろうか」

「当然じゃ。本願寺に敵対する者は、すべて、法敵じゃ」

「こんな事になるんなら、蓮崇の名前など出さずに、わしらの名前で噂を流せばよかったのう。あほらしい事をしたわ」

「わしらも帰って戦の準備をした方がいいかもしれんのう」

「兄貴、ちょっと待て。兄貴に噂を流すように勧めた、三河守の奴は、こうなる事を知っておったんじゃろうか」

「三河守? まさか、奴だって、わしらと同じように蓮崇が破門になると思っておったに決まっとるわ」

「という事は、奴も困っておる事じゃろうのう。今頃、慌てて守護所の守りを固めておる事じゃろうのう」

「奴には世話になったが、門徒たちに攻め滅ぼされる事となろう。可哀想じゃが、仕方あるまい」

 二人は蓮崇を失脚させる事を諦め、起こり得る次の戦において、指導敵な立場に立つべく周到な準備をするため、やけ酒を祝い酒に変えて、次の日の朝早く、吉崎を後にした。





 軽海の守護所において、南加賀守護代の山川三河守も定地坊らと同じように、噂に対する門徒たちの反応には驚いていた。蓮如が命令を下さない限り、門徒たちは動かないと信じていたが、蓮崇の命令でも門徒たちが蜂起するという事を知って、改めて、本願寺における蓮崇の力の大きさに気づき、何としてでも、蓮崇を本願寺から切り放さなければならないと感じていた。しかし、これだけ門徒が騒ぎ出しても、蓮崇は破門にはならなかった。破門になるどころか、蓮崇を中心にして守護打倒の声があちこちに上がっていた。

 蓮如は一体、何を考えているのだろうか。

 この間、守護を疎略にすべからず、という掟を発表したばかりなのに、なぜ、蓮崇を破門にしないのか。

 もはや、蓮如の力では、門徒たちを静める事ができなくなり、蓮崇の事は見て見ぬ振りをするつもりか。

 見て見ぬ振りをし、蓮崇を大将として守護を倒させ、その後、幕府から責められた場合に、責任の一切を蓮崇にかぶせて、蓮崇を破門にするつもりなのかもしれない‥‥‥

 どうせ、破門にするなら、守護を倒してから破門にした方がいい‥‥‥

 蓮如は、そう考えているのだろうか。

 もし、そうだとしたら、こちらも戦闘体制を整えて、常に、敵の先手を取らなくてはならなかった。敵が一つにまとまってしまえば勝てる見込みはない。敵が一つにまとまる前に、有力な寺院を倒しておかなければならなかった。

 山川三河守は軽海を初め、南加賀の各地の城に戦の準備をさせると共に、本願寺に対する情報網の強化をした。三河守も北加賀の槻橋近江守と同様に、確かな情報網を持っていた。槻橋近江守が白山本宮の山伏を使っているのに対し、山川三河守は軽海郷を囲むように存在する白山中宮八院に所属する山伏を使っていた。

 軽海郷は、かつて、加賀の国府の置かれた地であり、加賀の中心地として栄えていた。

 白山への禅定道は本宮から始まっているため、白山に登る信者たちは皆、本宮の山伏たちに率いられて白山に登って行った。中宮は、ただの中継地として宿坊を提供するのみで、信者からの奉納銭はほとんど本宮に取られていた。そこで、中宮は本宮を通らずに白山に登る道を考え、軽海を入り口にした。軽海から滓上川沿いにさかのぼり、三坂越えをして別宮に出るという道を作り、入り口である軽海に大寺院を建てた。それが、白山中宮八院と呼ばれる八つの大寺院だった。それらの大寺院には数多くの山伏が所属し、信者たちを連れて白山へと登った。また、それらの大寺院は数多くの末寺を持ち、その末寺は能美郡を中心に各地に散らばっていた。山伏たちはそれらの末寺(マツジ)を拠点にして信者獲得のための活動を行なっていた。

 ところが、蓮如が吉崎に来て、布教を始めると、門徒たちの数が続々と増え、中宮八院の末寺だった寺院は、生き残るために次々に本願寺派に転宗して行った。数多くの信者を本願寺に取られ、八院としても生き残るために必死だった。生き残るためには本願寺に敵対しなければならず、守護と手を結んでいた。八院の山伏たちは本願寺の動きを探るため、寺院は勿論の事、各道場にまで山伏を潜入させていた。

 山川三河守は次々に入る山伏からの情報を聴きながら、まず、蓮如の息子のいる松岡寺を最初の標的に選んだ。しかし、慎重に事を運ばなくてはならなかった。まず、蓮如の本心を探らなければない。北加賀と違って、南加賀は蓮如のいる吉崎が近かった。槻橋(ツキハシ)近江守のような強攻策に出るわけには行かなかった。蓮如を本気で怒らせてしまったら、守護は簡単に潰されてしまう。蓮如が戦をするつもりでいるのなら、先手を取らなければならないし、戦をしないつもりでいるのなら、松岡寺を攻める事は、かえって蓮如を戦に追いやる結果と成りかねない。三河守は何人もの山伏を変装させて吉崎に送った。

 門徒たちの騒ぎは長くは続かなかった。どうした事か、あれだけ騒いでいた門徒たちは嘘のように不気味に静まった。一体、何が起こったのか、三河守には理解できなかった。

 そんな時、吉崎から戻った山伏が一枚の書状を三河守に渡した。それは、蓮崇の書いた偽の書状だった。

 三河守はその書状を読むと、いよいよ、蓮如は次の講の時、戦の命令を出すのか、と悟った。その日、吉崎には各地の有力門徒たちが集まって来るに違いなかった。総攻撃を掛けて本願寺を潰すのは、その日以外はなかった。三河守は講のある八月二十五日の未明に、吉崎に総攻撃を掛ける事に決定し、南加賀の各城の武将たちに内密に伝えた。

 一方、蓮如を捜しに出掛けた慶覚坊は、なかなか蓮如を捕まえる事ができなかった。

 大津顕証寺を蓮如に遅れる事、二日で後にした慶覚坊は安養寺に向かった。安養寺の幸子坊善淳(コウシボウゼンジュン)に聞くと、蓮如一行は今朝、三河の国(愛知県中東部)に向かって旅立って行ったと言う。明日のうちには追い付くだろうと慶覚坊は一安心した。ところが、蓮如たちはどこを寄り道したのか会う事はできなかった。八風越えをして桑名に出ると聞いていたが、桑名に着くまで蓮如一行に会う事はできなかった。どこかで追い越してしまったに違いなかった。桑名からは船で熱田に渡るのが普通だった。桑名の湊で、しばらく蓮如たちが来るのを待っていたが会う事ができず、慶覚坊は三河で待つ事にして熱田に渡った。三河に行くとすれば、佐々木の上宮寺(ジョウグウジ)に寄る事は確かだった。

 大谷の本願寺が叡山によって破却された時、三河の門徒を引き連れて上京し、活躍したのが上宮寺の如光(ニョコウ)だった。如光は七年前に亡くなっていたが、上宮寺は百近い末寺や道場を抱え、三河を代表する本願寺の大寺院だった。

 慶覚坊が上宮寺に着いたのは八月の九日だった。吉崎を出てから七日が過ぎていた。蓮如たちは、まだ着いていなかった。慶覚坊は加賀の国が無事である事を祈りながら、蓮如たちが到着するのをイライラしながら待っていた。

 蓮如たちがのんきに上宮寺に到着したのは、次の日の十日の夕方だった。風眼坊は勿論の事、蓮如も順如も慶聞坊も町人姿であり、お雪ともう一人若い女が一緒だった。その女は顕証寺の下女だというが、どうも、順如の妾のようだった。一行は楽しそうに笑いながら上宮寺の門をくぐって来たが、門の脇に薙刀を杖代わりにして立っている慶覚坊を見て驚き、皆、目を点にした。

「出迎え、御苦労」と風眼坊はふざけながら言った。

「随分、ごゆっくりじゃったのう」と慶覚坊は言った。

「何かあったのか」と蓮如は真顔で聞いた。

 慶覚坊はゆっくりと頷いた。

「一体、何があったのです」と順如が聞いた。

「中でお話します」と慶覚坊は言って皆を案内した。

 風眼坊とお雪はお互いを見ながら頷き合った。

 蓮如が三河の国に来たのは、勿論、次の本拠地を三河にしようと思って、本願寺別院を建てるべき恰好の地を捜すためだった。本願寺の本院は京の近くに建てたかったが、まだ、京の近辺は戦が完全に終わっていないので危険があった。後二、三年は、この三河にいて京の様子を見ながら、その後、本院を再建しようと考えていた。ところが、それどころではなくなった。加賀の国で、門徒と守護が戦を始めようとしている。その原因となったのが、蓮崇に関する噂だというのだった。蓮崇が門徒たちを扇動して戦を始めようとしているという。一体、誰が、何のために、そんな噂を流したのか分からないが、何としてでも門徒たちに戦をさせるわけにはいかなかった。早く帰って止めなければならない。せっかく、ここまで来たが、新しい地を捜す前に戻らなければならなかった。

 蓮如は三河の門徒たちに大歓迎された。最初の予定では五日位、三河にいて、各寺院を巡るつもりだったが、さっそく、次の日の朝、戻らなければならなくなった。その日の晩、近くの坊主たちだけを集めて蓮如は法話を行ない、会食をした。吉崎の事を聞き、三河の坊主たちは自分たちも一緒に行くと騒ぎ出したが、蓮如は断った。

 次の朝、生憎の雨降りの中、蓮如一行は三河の門徒たちに見送られ、夜明けと共に、真っすぐに吉崎へと向かった。





 門徒たちの騒ぎは治まった。

 吉崎の多屋衆たちは蓮崇の作戦を聞こうと蓮崇の多屋に集まって来た。

 蓮崇はまず、敵の動きを確実につかまない限り、北加賀の二の舞に成りかねないと言い、軽海の守護所を初め、敵の城に探りを入れる事を提案した。また、一ケ所に大勢が武装して集まると、北加賀のように敵に夜襲を受ける事に成りかねないので、一ケ所に固まらないで分散したままで待機し、二十五日の講を待つようにと言った。

 蓮崇の多屋に蓮崇の家族たちが見えない事を皆、不思議そうにしていたが、蓮崇は、妻の母親の具合が悪くなったので見舞いにやったとごまかした。こんな騒ぎが起こる前に、本泉寺に行ったのだが、戦が終わるまでは向こうにいてもらうつもりだ。今回はここも戦場になるかもしれないので、女子供たちは避難させた方がいいと言った。

 多屋衆たちは、蓮崇の取り越し苦労だ、去年の時のように、大勢の門徒たちで軽海と野々市を包囲してしまえば、吉崎を攻めて来る余裕などないと笑った。

 多屋衆たちは勿論の事、他の有力門徒たちも、今、蓮如が吉崎にいないという事を知らなかった。蓮崇は、噂を聞いた門徒たちが吉崎に集まって大騒ぎになった日より、御坊の山門を堅く閉ざしたまま誰も中には入れなかった。蓮崇が書いた偽の書状によって、ようやく騒ぎが治まっても山門は堅く閉ざされたままだった。

 今日は八月の十一日だった。慶覚坊が蓮如を捜しに出掛けてから九日が経っていた。

 蓮如に会う事ができただろうか。

 もし、大津の顕証寺で会う事ができれば、もうそろそろ戻って来るはずだった。一応、騒ぎは治まったが、早く戻って来てもらいたかった。しかし、蓮如が戻って来れば、蓮崇の破門は確実だった。たとえ、噂が嘘であったとしても、門徒たちはその嘘を信じ、蓮崇を大将として戦を始める準備をしている。戦を止めるには、蓮崇を破門にする以外に方法はなかった。

 掟を破った事により、蓮崇を門徒たちへの見せしめとして破門にすれば、国人門徒たちも静かになるに違いない。蓮如に一番信頼されているといわれている蓮崇が破門になるという事は、この先、誰もが破門になる可能性があるという事を意味していた。国人門徒たちにとって破門になるという事は死を意味している。本願寺の組織の中で、勢力を強めて行った国人門徒たちは破門を言い渡されれば、配下の門徒を失うだけでなく、門徒となった家臣たちからも見放され、先祖代々の土地も失い、追放される事になる。門徒たちにとって破門程、恐ろしいものはなかった。

 多屋衆たちが引き上げた後、蓮崇は自分の多屋の客間の一室に座り込んで、塀の向こうに並ぶ四つの蔵を眺めていた。

 四つの蔵の内の一番右は米蔵で、中にはたっぷりの米と味噌が入っていた。次の蔵は物置で、普段、使わないお膳や器類、吉崎に出入りする商人たちから貰った数々の貴重な品々、そして、吉崎に来てから溜め込んだ銭がしまってあった。銭の一部は本泉寺に帰った妻に持たせたが、まだ、たっぷりと残っていた。次の蔵は武器庫だった。武器庫はほとんど空っぽだった。湯涌谷衆と木目谷衆が越中に逃げた時、蔵の中の武器を能登を経由して越中に送り、残った武器は吉崎を守る警固兵に渡してあった。最後の蔵は密会に使うもので、中には何もなかった。蓮崇は一つ目と二つ目の蔵の中の物は、本願寺に寄進するつもりでいた。

 今、客間には誰もいなかった。

 蓮崇は蔵を眺めながら過去を振り返っていた。

 子供の時の事を思えば、今の自分が、まるで嘘のように感じられた。

 今まで、いい夢を見ていたんだ。そろそろ夢が覚める頃だ。ただ、昔のように無一文になるだけだ。どうって事ない。蓮崇はそう自分に言い聞かせていた。しかし、夢を見ている時間が長すぎた。蓮崇はもう四十一歳になっていた。四十一歳になって無一文になるというのはきついものがあった。しかも、蓮如との縁も切れてしまう。今まで、蓮如のためだけに生きて来た自分は、一体、これから、どうやって生きたらいいのか分からなかった。今の自分があるのは蓮如のお陰であり、蓮崇にとって蓮如は阿弥陀如来そのものだった。

 蓮崇は越前麻生津(アソウヅ、浅水)の貧しい農家に生まれた。父親は知らない。安芸左衛門尉(アゲサエモンノジョウ)と名乗る武士だと母から聞いた事があるだけだった。母親が熱心な門徒だったため、七歳の時、和田の本覚寺(ホンガクジ)に預けられた。小僧として入ったわけではなかった。毎日、朝早くから夜遅くまで雑用をやらされた。それでも、飯だけは腹一杯食べられたので、子供の蓮崇には満足だった。本覚寺での蓮崇の身分は下人だった。夢など見る事もなく、毎日、辛い仕事に耐えていた。

 そんな蓮崇に最初の転機がやって来たのは十五歳の時だった。加賀二俣の本泉寺の住職、如乗(ニョジョウ)が本覚寺にやって来た。如乗は本覚寺にしばらく滞在して、越前の門徒たちと会っていた。どういういきさつがあったのか分からないが、如乗が帰る時、蓮崇も如乗と一緒に行く事となった。蓮崇はただ命ぜられるまま、如乗と一緒に二俣本泉寺に向かった。

 如乗が北陸に進出して来たのは、蓮崇と会う八年前だった。如乗は初め、越中井波の瑞泉寺の住職となって北陸に来た。瑞泉寺は立派な寺院だった。瑞泉寺は如乗の祖父、綽如(シャクニョ)が創建したものだったが、五十年もの間、本願寺から誰も下向しなかったため、突然、如乗が住職として下向したとしても、長い間、瑞泉寺を管理していた者たちの反発に合い、居心地の悪いものだった。また、瑞泉寺は純粋な浄土真宗の寺院ではなかった。

 綽如の頃、ようやく本願寺は親鸞聖人の廟所(ビョウショ)から寺院として独立する事ができ、綽如は本願寺を寺院としての形を整える事に必死だった。本願寺が天台宗に属していたため、当然、瑞泉寺は天台色の強いきらびやかな寺院となった。井波を含む砺波(トナミ)郡は、越中と加賀の国境に聳(ソビ)える医王山(イオウゼン)惣海寺の勢力範囲にあったが、同じ天台宗の念仏門という事で、何の苦情もなく建てる事ができた。そして、門徒となったのは同じ念仏門の時宗の徒だった。

 長年、瑞泉寺を守って来たのは、綽如の弟子だった杉谷慶善(キョウゼン)の娘の如蓮尼(ニョレンニ)だった。如蓮尼は浄土真宗ではなく時宗だった。如蓮尼はすでに六十歳を過ぎ、綽如の孫である如乗が瑞泉寺に来た事を喜んでくれたが、堂衆の中には快く思わない者も多かった。

 如乗は翌年、加賀の二俣に新しく本泉寺を建てて、瑞泉寺から離れた。

 本泉寺に移ってから蓮崇は如乗のもとで出家して、心源(シンゲン)という法名を貰った。もう下人ではなかった。蓮崇は常に如乗の側近くに仕え、如乗から読み書きも教わった。自分が字を習うなんて、今まで考えてもみなかった。字が読める人というのは偉い人だった。自分もその偉い人の仲間入りができるのだった。蓮崇は毎日、夜遅くまで一生懸命、手習いに励んだ。

 蓮崇は如乗の供をして山の中を歩き回って門徒を増やして行った。湯涌谷、木目谷を開拓したのも如乗だった。その頃、蓮崇はまだ部屋住みだった蓮如に出会った。

 蓮如は度々、本泉寺に現れ、如乗と共に加賀や越中の道場を巡って門徒たちに説教をしていた。蓮如と如乗は叔父と甥の関係だったが、年は三つしか違わず、蓮崇から見たら、仲のいい兄弟のようだった。蓮崇は如乗から、蓮如は本願寺の八代目を継ぐお人だと聞かされていた。でも、蓮崇にとっては蓮如よりも如乗の方が大切な人だった。

 蓮崇は如乗のもとで読み書きだけではなく、本願寺の教えも充分にたたき込まれた。

 本泉寺に来て十年目、二十五歳の時、如乗の執事である下間玄信の娘、妙阿(ミョウア)を嫁に貰った。嫁を貰ったというよりも、蓮崇が下間玄信の婿になったという方が正しい。その時から蓮崇は安芸(アゲ)心源から下間心源に変わった。嫁の妙阿は十七歳の可愛い娘だった。しかも、下間家という古くから本願寺の執事を勤めている家柄の娘だった。そんな家柄の娘を嫁に貰えるなんて、まるで夢のような気分だった。その頃の蓮崇は毎日が輝いていた。

 ところが、翌年、恩人の如乗が急病に罹って亡くなってしまった。四十九歳であった。跡継ぎに恵まれなかった如乗の妻の勝如尼は、蓮如の次男、蓮乗を養子として育てていた。蓮乗が跡を継ぐ事に決まったが、蓮乗はまだ十五歳だった。

 蓮崇は父親のように慕っていた如乗の死から、なかなか立ち直れなかった。まだまだ、如乗から教わるべき事が色々とあった。如乗がいなくなり、これから、どうしたらいいのか分からなかった。

 如乗の死の翌年、長女のあやが生まれた。蓮崇は初めての我が子を可愛がった。あやのお陰で、如乗を失った悲しみを癒す事ができた。

 その年の末、大谷の本願寺で、蓮如によって親鸞聖人の二百回忌が大々的に行なわれた。勝如尼は京都まで出掛け、帰りに十二歳の蓮綱と七歳の蓮誓を本泉寺に連れて来た。蓮崇は勝如尼と共に蓮乗を補佐しながら、蓮綱と蓮誓の二人の面倒を見ていた。

 翌年、蓮崇は勝如尼から、湯涌谷の道場に行ってくれと頼まれた。蓮崇は自分などに道場主を勤める事はできないと断ったが、それは、亡くなった如乗の希望だったという。勝如尼は亡くなる前、その事を如乗から聞き、蓮崇なら大丈夫だろうと同意していた。ところが、突然、如乗が亡くなってしまい、今まで伸びてしまったが、ぜひ、湯涌谷に行ってほしいと頼まれた。蓮崇は受ける事にした。

 湯涌谷の道場に移ってから五年目、流行り病に罹って長女のあやが亡くなった。蓮崇は悲しみに打ちひしがれた。そんな時、蓮如が本泉寺にやって来た。蓮崇は救いを求めて蓮如に会った。十二年振りの再会だった。お互いに変わっていた。蓮崇は道場主となり、蓮如は本願寺の法主となっていた。蓮崇は久し振りに蓮如と会い、蓮如が一回りも二回りも大きくなったように感じられた。

 如乗が亡くなってから、蓮崇は誰にも頼らずに道場を守って来た。しかし、蓮崇という人間は、自分で何かをするよりも、誰かのために一心に働いていた方が才能を発揮する事のできる人間だった。実際、道場主を任された時よりも、如乗のために働いていた時の方が生き生きとしていた。それは自分でも気がついていた。

 蓮崇は、蓮如のために生きようと決心し、無理を言って蓮如の東国への旅に付いて行った。旅から帰って来ても、大津の顕証寺にて蓮如の側に仕えた。蓮崇は改めて蓮如から法名を貰い、下間頼善と共に執事として活躍した。

 そして、吉崎に進出。

 如乗と出会ってから三十四年が過ぎていた。長いようで短い三十四年だった。如乗と会っていなければ、今の蓮崇はなかった。そして、如乗のお陰で、蓮如という度偉い人に会ったという事が、蓮崇の人生に取って一番重要な事だった。

 その蓮如と別れなければならなかった。破門されたら、もう二度と会う事はできないだろう。お互いに生きていながら、会う事ができない程、辛い事はなかった。

 蓮崇は蓮如に早く会いたかった。しかし、それは、別れを意味していた。

 蓮崇は独り、薄暗くなった部屋の中で、蓮如と共に生きて来た自分の姿を思い出していた。
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