30.赤松日向守1
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赤松政則が帰って来た次の日、太郎と楓は別所屋敷で、堅苦しい正装を着せられ、加賀守が迎えに来るのを朝からずっと待っていた。迎えはなかなか来なかった。
昼過ぎになって、やっと迎えが来て、別所屋敷から目と鼻の先にあるお屋形様の屋敷まで、わざわざ太郎は馬に乗り、楓は豪華な牛車(ギッシャ)に乗って向かった。
太郎の名前は色々と検討した結果、赤松姓を名乗る事となり、赤松日向守久忠という名に決まっていた。
赤松日向守久忠となった太郎は別所加賀守の後に従い、楓と共に豪華で立派なお屋形様の屋敷へと入って行った。南側にある正門をくぐると両脇に警固の侍が並び、正面に大きな屋敷が見えた。広い庭は塀によって幾つかに区切られていた。
後でわかった事だが、右側の塀の向こうには弓矢の稽古をする広い射場があり、侍たちの長屋があった。左側の塀の向こうには槍の稽古をする所と大きな廐があり、鷹(タカ)を飼っている小屋もあった。小屋といっても、鷹がいる、その小屋は一般庶民が住む家よりも広くて立派な造りだった。そして、さらに向こうに、太郎が兵を引き連れて城下に入った時、見物人たちが引き上げるまで、しばらくの間、待機していた細長い馬場があった。
太郎と楓は加賀守の後に従って屋敷の中に入ると、政則の執事、櫛田内蔵助(クシダクラノスケ)の案内で書院に連れて行かれた。
玄関を上がると広い廊下が真っすぐ続いていた。左側には大広間があるらしく、水墨で描かれた山水画の襖(フスマ)がずらりと並んでいる。その山水画が切れると、小さな橋を渡って奥へと進んだ。橋の下には細い川が流れていて、川の両側には花を咲かせた草木が植えてあった。
小さな部屋が幾つも並んでいる所を通り抜けると、右側に池や山のある見事な庭園が見えた。萩の花が咲き乱れ、池の中には金色に塗られたお堂のような建物まで建っている。まさに、極楽浄土といえるような庭だった。
その庭園を右に見ながら進み、太郎と楓は左側にある一室に通された。
そこは畳十八畳が敷き詰められた書院だった。極楽浄土の庭園とは反対側にある庭に面していて、その庭の中央には猿楽の舞台が建てられてあった。こちらも広い庭だったが池や山などは無く、舞台の他には隅の方に休憩用の小屋が一つあるだけだった。
太郎と楓は加賀守と共に、その書院で待った。
しばらくして、二人の侍が現れ、「お屋形様のお越しでございます」と言った。
太郎と楓は加賀守に言われるまま、姿勢を正して頭を下げた。
二人の侍は正面の襖を静かに左右に開いた。
「面(オモテ)を上げられよ」と正面より声がかかり、太郎と楓は頭を上げた。
襖の向こうは、こちらよりも一段高くなっている八畳の間だった。大きな山水画を背にして座っていたのが、お屋形、赤松兵部少輔政則だった。側に太刀を持った若い侍が控えていた。
加賀守がお屋形様に楓と太郎を紹介した。
お屋形様は頷き、しばらく、二人を見比べていたが何も喋らなかった。そして、また、襖は閉められ、対面は終わった。
太郎はお屋形様の顔を見て、まず、思った事は楓にそっくりだという事だった。評判通りのいい男だった。そして、態度や顔付きからして、播磨、備前、美作三国を治める大名のお屋形として、ふさわしい男だと思った。人を引き付ける何かを持っている男だった。
人の上に立つには実力は勿論の事、この、人を引き付ける何かを持っていなければならなかった。その何かというのは言葉では説明できないが、その何かがあるからこそ、人々は信頼して付いて行く。その人が持っている、運という物かもしれなかった。
太郎はこの時、赤松家の家臣となる事を決心した。赤松家の家臣となり、楓の弟であるお屋形様を助け、赤松家のために生きていこうと決心した。
お屋形様との対面が終わると、太郎たちは隣の部屋へと連れて行かれた。隣は四十畳敷きの書院だった。
その書院に、赤松家の重臣たちが並んで座っていた。
太郎と楓は上座に座らせられ、重臣たちを紹介された。
年寄衆の喜多野飛騨守則綱、上原対馬守頼祐、櫛橋豊後守則伊、富田備後守宗真、阿閇(アエ)豊前守重能、馬場因幡守則家、志水孫左衛門尉清実、衣笠左京亮朝親、赤松下野守政秀の九人と、西播磨国守護代の宇野越前守則秀、町奉行の後藤伊勢守則季、鞍掛城主の中村弾正少弼正満、番城主の間島左馬助則光、清水谷城の赤松備前守永政、そして、大円寺の住職、勝岳性尊和尚が紹介された。
喜多野飛騨守と上原対馬守と櫛橋豊後守の三人は、すでに、太郎は会っていた。
櫛橋豊後守は城下に入る時、先導してくれたし、喜多野飛騨守と上原対馬守は、お屋形様と一緒に美作の国まで行っていたが、昨日、帰って来ると早速、別所屋敷にやって来て、太郎と楓に会っていた。内密にという事で、喜多野飛騨守も上原対馬守も気軽な気持ちで、太郎たちの客間にやって来て、世間話をして帰って行った。昨日は二人共、五十年配の真っ黒に日に焼けた気さくな親爺さんだったが、さすがに、今日の二人は赤松家の重臣として堂々たるもので、居並ぶ重臣たちの中でも最も貫禄があった。
お屋形様の叔父という大円寺の住職、勝岳性尊はきらびやかな法衣を身に纏い、怒った様な顔をして座っていた。太郎たちを、あまり歓迎していないようだった。
そこでも、ただ、紹介するだけで終わった。
一通り紹介が終わると、加賀守と共に太郎と楓はその書院から出て、来た時と同じ廊下を通って屋敷を出ると別所屋敷へと戻った。
加賀守は、近いうちにお屋形様の屋敷の方に移る事になるだろうが、もう少し、ここで我慢してくれと言った。
太郎にしてみれば、あんな大きな屋敷に入るよりは、ここの方がずっと気楽なので、ここにいたかったが、楓にしてみれば弟と対面したとは言え、一言も話をしていないので、早く向こうに移って弟と話がしたいのだろうと思った。
太郎と楓が部屋に戻ると、桃恵尼と侍女たちが二人の帰りを待っていた。
太郎はみんなに対面の様子を話した。
楓はお屋形様を一目見た途端、自分の弟だとわかったと言った。会うまでは半信半疑でいたけど、今日、会ってみて、自分に弟がいたという事が初めて、実感として伝わって来たと言う。
太郎は楓に、このまま播磨の国にいる事に決めたと告げた。
楓は驚いた様な顔をして、太郎を見つめた。
太郎は桃恵尼と侍女たちを部屋から出して、二人っきりになると、もう一度、ここにいようと思うと言った。
「いやか」と太郎は楓を見つめながら聞いた。
「また、武士に戻るの」と楓は聞いた。
「うん。しばらくはな」
「それで、いいの」
「俺は今日、お屋形様と会ってみて、赤松家の武将になる事に決めた」
「でも、武士になったら、また、色々と忙しくなって、剣術の修行なんてできなくなるかもしれないわよ」
「それは心がけ次第でどうにでもなるような気がする。飯道山にいた時も、何かと忙しくて自分の修行なんてできなかった。どこにいても、何をしていても、やる気があればできるんじゃないかと思う」
楓は太郎を見つめながら頷いた。「あなたがそう決めたのなら、あたしの方は構わないけど。でも、このまま松恵尼様とお別れだなんて、ちょっと淋しいわ」
「松恵尼様か‥‥‥色々と世話になったからな‥‥‥そうだ、披露式典に松恵尼様も呼んでくれと加賀守殿から言われていたんだ。さっそく、藤吉殿に甲賀に帰ってもらおう。松恵尼様もきっと喜んでくれるさ」
「加賀守様が、呼んでもいいって?」
「ああ。お前の親同然だもんな、呼ぶのは当然だろう」
「松恵尼様に会えるのね。良かった」楓は嬉しそうに笑った後、「ねえ、あなたの御両親は呼ばないの」と聞いた。
太郎は首を振った。
「赤松家の武将になる事を知らせなくていいの」
「今は、まだいい。もう少し落ち着いたら知らせる」
「落ち着いたら?」
「ああ。立派な屋敷を建てたら、そこに招待するんだ」
「お屋敷を建てるの」
「そりゃそうだよ。お前はお屋形様の姉さんなんだぜ。お屋形様の屋敷に負けない位な豪華な御殿を建てなくちゃな」
「いいわよ。そんな大きな御殿なんて‥‥‥」
「そうもいかないのさ。俺も、そんな御殿なんかいらないが、お前はもう、すでに、この国のみんなから注目されているんだよ。お屋形様の姉上として、それなりに、ふさわしい屋敷に住み、ふさわしい格好をし、ふさわしい態度を取らなければならないんだ。俺も二百人位の家来を持たなければならないし、それにふさわしいお屋形にならなけりゃならないんだ」
「えっ、二百人も家来を持つの?」楓は目を丸くして太郎を見た。
「多分、その位の家来はいるだろうって夢庵殿が言っていた」
「二百人も‥‥‥大変ね‥‥‥」
「そうさ。その二百人の命を俺が預かる事になるんだ。この先、戦にも行く事になるだろう。家来たちを生かすも殺すも俺のやり方次第で決まってしまう。大変な事だよ」
「そうね‥‥‥あの三人は勿論、家来になるんでしょう」
「あの三人だけじゃない。金比羅坊殿も阿修羅坊殿も俺の家来になってくれるらしい」
「えっ、金比羅坊様に阿修羅坊様も?」
「伊助殿や次郎吉殿、藤吉殿もみんな、俺の家来になるって言うんだ」
「えっ、だって、あの人たちは松恵尼様の下で働いている人たちでしょ。大丈夫なの」
「わからない。一応、松恵尼様と相談しなけりゃならないだろうな」
「でも、みんなが、あなたの家来になってくれたら最高だわね」
「ああ。まったく最高さ。ありがたい事だよ」
「みんなが家来になってくれるなんて‥‥‥ほんと、頼もしいわね」
「うん。俺はちょっと出掛けて来る。正式に家来になってくれるように頼んで来るよ」
太郎は堅苦しい狩衣(カリギヌ)を脱ぎ、いつもの単衣(ヒトエ)に立っつけ袴の職人姿になった。
「今晩は帰って来るんでしょうね」楓は太郎の着替えを手伝いながら睨んだ。
「帰って来るよ。大丈夫だ」
楓は頷き、「行ってらっしゃい」と言って、「助六さんによろしくね」と付け加えた。
「は?」と太郎は楓を見た。
「何でもないわ」と楓は笑った。
「行って来る」と太郎は浦浪に出掛けた。
職人姿で別所屋敷を出た太郎だったが、正式に家臣になってもらうのに、この格好ではまずいと気づき、まず、小野屋に向かった。あそこに、いつか借りた武士の着物があったはずだった。
小野屋に行くと、珍しく、主人の喜兵衛はいた。主人に、正式に赤松家の武将になった事を告げ、これからもよろしくお願いしますと頼んだら、逆に、こちらこそお願いしますよと頼まれた。
太郎は武士の姿に着替え、刀も二本、腰に差すと、改めて浦浪に向かった。
金勝座の者たちはまだ帰って来ていなかった。三人の弟子もいなかった。
次郎吉は赤松家の重臣に腕が認められ、仕事がどんどん入って来るので、てんてこ舞いしているらしい。吉次の方も美作の国から帰って来た武士たちの鎧の修繕が忙しくてしょうがないと言う。お屋形様が帰って来てから、藤吉の白粉の売れ行きも上がっていると言う。男たちが帰って来たので、女たちが化粧に精を出したのかどうかは知らないが、飛ぶようによく売れると言う。伊助の薬も同様だった。
お屋形様が帰って来てから、この城下は益々、景気が良くなって行った。
する事もなく、浦浪で、ごろごろしていたのは阿修羅坊と金比羅坊の二人だけだった。
夢庵も今朝、侍が呼びに来て、どこかに出て行ったまま戻って来ないと言う。きっと、披露式典の事で呼ばれたのだろうと、太郎は思った。
金比羅坊は太郎の侍姿を見ると、「いよいよ、ここに残る決心をしたとみえるのう」と言った。
「どうじゃ、お屋形様はなかなかの男じゃろう」と阿修羅坊は言った。
太郎は頷いた。
「まあ、上がれ」
太郎は部屋に上がると、二人の前に座って深く頭を下げた。
「金比羅坊殿、阿修羅坊殿、これからも、よろしくお願い致します」
「太郎坊殿、それは逆じゃ。頭を下げるのはわしらの方じゃ」と阿修羅坊は言った。
「そうじゃ。おぬしはすでに、ここのお屋形様の兄上に当たるお人じゃ。庶民から見れば、おぬしは天上人のようなものじゃ。軽々しく頭など下げるものではないぞ」
「ありがとうございます」
金比羅坊は座り直して姿勢を改めると、この間の起請文を太郎に渡した。
「八十九人いる」と金比羅坊は言った。
「八十九人も?」
「今の所はそれだけじゃ。まだまだ、集めなけりゃならんじゃろうな」
「それでも、八十九人も良く集まりましたね」
「この間、手伝ってくれた連中にも声を掛けたら、そのまま、おぬしの家来になりたいと言う者がおったんでな、そいつらにも名を書いて貰った」
「そうですか。できれば、みんな連れて行きたいが、そうも行きませんね」
太郎は改めて起請文を見た。
まず、太郎の弟子、三人の名前が山伏になる前の名前で並んでいた。そして、その次に見慣れない名前があった。
「あの、岩瀬七郎勝盛っていうのは誰です」と太郎は聞いた。
「わしじゃよ」と金比羅坊が照れ臭そうに笑いながら言った。「わしが昔、侍だった時の名じゃ。もう十年も前の事じゃ。何となく照れ臭いのう」
「金比羅坊殿が岩瀬殿ですか‥‥‥」
その後、次郎吉たちの名前が並んでいたが皆、聞いた事のなかった名字が付いていた。伊藤次郎吉、青木伊助、小川弥平次、川上藤吉、松井吉次と並んでいた。
「次郎吉殿や伊助殿は松恵尼殿に断らなくても大丈夫なのでしょうか」
「一応は断るつもりだが、多分、大丈夫だろうと言っておった」
その後に、朝田新右衛門たち浪人十二人の名前が並んでいた。そして、馬借が三人、金掘り人足が二十四人、乞食が十八人、散所者が十人。川の民が六人、皮屋が三人、紺屋が三人いた。そして、最後に、大沢平太郎康健(ヤスタケ)という名前があった。聞いた事ない名前だったが、阿修羅坊に違いないと思い、聞いてみたら、やはり、そうだった。
「大沢なんていう名字、使った事はないがのう、わしの爺様は大沢某という武士だったそうじゃ」と阿修羅坊も照れ臭そうに笑った。
「さっそく、みんなに知らせてやらん事にはのう」と金比羅坊は言った。
「あっ、忘れていましたが、俺の名前は今日から赤松日向守久忠です」
「なに、赤松姓を名乗るのか」と阿修羅坊が驚いて聞いた。
「はい。浦上美作守が俺の事を京極次郎右衛門だと言い触らしてしまったお陰で、今更、本名の愛洲氏を名乗るわけにもいかないし、かと言って、京極も名乗れないので赤松を名乗る事になったらしいです」
「そうか、赤松日向守殿か‥‥‥」と阿修羅坊はゆっくりと頷いた。
「わしらのお屋形様は赤松日向守殿か‥‥‥」と金比羅坊も頷いた。
「ところで、その赤松日向守として、二人にお願いしたいのですが、日向守の年寄衆として家臣団の編成を頼みたいのです」
「わしらが年寄衆か」と阿修羅坊が聞いた。
「はい。お願いします」
「お願いしますと言われてものう。わしにはそんな事、わからんぞ」と金比羅坊が嬉しいような困ったような顔をして言った。
「わしも、そこまではのう」と阿修羅坊も頭をかいた。
「夢庵殿ならわかると思いますが‥‥‥」
「おお、そうじゃ、夢庵殿がおったわい。夢庵殿なら何でも知っておる。夢庵殿に聞けば何とかなるじゃろう」
「お願いします」
「よし、引き受けた」
「ところで、太郎坊、いや、日向守殿」と金比羅坊は言った。「家来になった者たちの宿はないかのう。いつまでも、銀左殿の所に世話になっているわけにもいくまい」
「そうですね、何とか捜してみます」
「そうしてくれ。河原にいる奴らもおるからのう。奴らに、武士になったという自覚をさせなけりゃならん」
「そうじゃのう。おぬしの家来が河原にいるというのも、体裁の悪い事じゃ。ところで、披露式典の日取りは決まったのか」
「まだ、決まってないようです。初めの予定では、来月の初め頃やるはずだったらしいんですけど、会場の方がなかなか、はかどらないようで、どうも、一月位遅れて十月になるようです」
「十月か、まだ、一月もあるのう。それまで、わしらは何をしてるんじゃ」
「明日、銀山の事を加賀守殿に話そうと思っています。そうすれば、多分、その一ケ月間は生野の方に行くようになるかもしれません」
「おう。そうしてくれ。いつまでも、こんな所でごろごろしてるのも飽きて来たわ」
太郎は金比羅坊、阿修羅坊と共に銀左の屋敷に行き、みんなを正式に家来にするという事を告げた。みんなは喜んでくれた。
銀左はやはり、新しい城下の方に行っていて、いなかった。
阿修羅坊と金比羅坊は早速、家臣団の編成のため、それぞれ、個人個人に面接をして、特技やらを聞くと言うので、二人に任せて太郎は浦浪に戻った。
浦浪には金勝座を初め、ほとんどの者が帰って来ていた。
太郎は伊助たちの部屋に行き、これからの事を話し、藤吉に一度、甲賀に帰るように頼んだ。楓が松恵尼に会いたがっているので、松恵尼に披露式典に出てくれるように伝えてくれと頼んだ。
藤吉は喜んで引き受けてくれた。どうせ、結果報告と太郎の家臣になる事を許してもらう為に、一度、帰らなければならなかった。早速、明日にでも帰りましょうと言った。
みんなが太郎の家来になると聞いて、金勝座の者たちの中にも家来になりたいと言う者が現れて来た。しかし、それはできなかった。一人でも抜けたら金勝座は潰れてしまう。あれだけの芸を持った金勝座を潰す事はできなかった。
太郎は座頭の助五郎と相談した。
助五郎としては一人もやめて貰いたくはなかったが、本人がどうしても武士になりたいと言うのを無理に引き留める事はできなかった。そこで、太郎は金勝座そっくりを家臣という事にして、新しい人材を求め、補充出来次第、一人づつ武士にして行くという事にした。みんなも、それで納得してくれた。
太郎は三人の弟子たちにも武士になる事を告げ、金比羅坊たちを手伝うために、夢庵と一緒に銀左の屋敷に向かわせた。
一通り用が済んだので帰ろうとしたら、助六が追って来て、「冷たいのね」と言った。「あたしには家来になれって言ってくれないの」
「奈々さんが金勝座から抜けたら金勝座はやって行けないだろう」
「あたしの代わりになる人が入ったら家来にしてくれる?」
「家来になるって、女の侍にでもなるのですか」
「それもいいわね」と助六は笑った。「女だてらに鎧を着て戦に出るのもいいわ」
「それは楓がやりそうだ」と太郎は苦笑した。
「えっ、楓様も何かやってるの」
「ここに来る前は娘たちに薙刀を教えていたんです」
「あ、そうだったわね。松恵尼様が薙刀の名人だものね。その松恵尼様に育てられたのなら楓様も薙刀の名人よね。そうか、楓様は薙刀か‥‥‥そうだ、あたし、楓様の侍女でもいいわ」
「楓の侍女か‥‥‥考えとくよ」
「ほんとはね、あなたのお妾(メカケ)さんがいいんだけどね」と助六は思い切った事を言った。
「えっ、そんなの無理だよ」と太郎は慌てて手を振った。
「だって、お殿様になったんでしょ。お妾さんの一人や二人、いたっておかしくないじゃない」
「まだ、なったばかりで、そんなの無理だ」
「もし、お妾さんを持つようになったら、あたしをお願いね」
「うん‥‥‥考えておく」
「良かった。あたし、あなたの子が産みたいのよ」
「何を言うんだよ」
「だって、本当だもの」と助六はニコッと笑った。
太郎は助六と別れ、別所屋敷に向かった。
妾か‥‥‥助六が妾になってくれれば最高な事だが、楓が許すわけないなと思った。
楓の怒っている顔が浮かんだ。太郎は助六の事は夢と諦めた。
久し振りに、太郎が楓を相手に剣術の稽古をしていると、執事の織部祐が太郎を呼びに来た。
書斎に行くと加賀守が待っていた。あまり寝ていないとみえて、真っ赤な目をしていて、顔色もあまり良くなかった。
「久し振りに、今日はいい天気じゃのう。こんな日はのんびりと昼寝でもしていたいんじゃが、そうもいかんわ」と加賀守は言って笑った。
「何か手伝う事でもあれば、どうぞ、おっしゃって下さい」と太郎は言った。
「なに、そなたは今の所は、ゆっくりしておればいい。そのうち、そなたも忙しくなるじゃろうからな。今のうちに充分、休んでおく事じゃ。ところで、そなたの事じゃが、行く行くは赤松家の水軍として働いてもらう事になると思うが、とりあえず、前之庄の天神山城に入って貰う事になるじゃろう」
前之庄の天神山城と聞いて、太郎は播磨の地図を思い描いたが、どこだかわからなかった。笠形山から瑠璃寺に向かう時、通ったような気もするが、はっきりと覚えていない。
「ここより二里程、北に行った所じゃよ」と加賀守は説明した。「天神山城は今は城というより砦に過ぎないが、以前はちゃんとした城じゃった。その地に新たに城を構え、そなたに守って貰うつもりじゃ。楓殿にしても、ここからすぐ近くだし、お屋形様に会おうと思えばすぐに来られる。とりあえずは、そこに落ち着いて欲しいのじゃが」
「はい」と太郎は頷いたが、意を決して、「実は、その事に付きまして、加賀守殿に相談したい事があるのですけど」と言った。
「何じゃ」と加賀守は少し厳しい顔付きになって太郎を見た。
「お城をいただけるのはありがたいのですが、できれば、但馬への入り口、大河内庄辺りを守りたいのです」
「なに、大河内庄?」
太郎の言った事があまりに以外だったので、加賀守は一瞬、戸惑ったようだった。しばらく、太郎を見つめていたが、やがて納得したように頷くと、「あそこは山名氏の侵入を防ぐ重要な地点には違いないが、かなり山の中じゃぞ。冬は雪が多いしのう。あまり、勧められんのう」と言った。
「今は、どなたが守っておられるのですか」と太郎は聞いた。
「大河内庄はお屋形様の御領所で代官がおるだけじゃ。あとは真弓峠を初めとして要所要所に砦がある位じゃな」
「もし、山名勢が攻めて来たらどうするのですか」
「大河内庄は捨て、永良庄で迎え討つんじゃよ。そなたの気持ちはわかるが、あんな山の中に行く事もあるまい」
「加賀守殿、お見せしたい物があります。少々お待ち下さい」
太郎は客殿に行き、赤松性具入道の時世の連歌の巻物と銀の塊(カタマリ)を持って戻った。
巻物を加賀守に見せ、その巻物が一切経の中に入っていた事、夢庵がその巻物の謎を解き、太郎たちが生野に行って、謎の言葉が事実であるのを確かめた事を順を追って説明した。そして、最後に、鬼山一族から預かった銀の塊を加賀守に見せた。
「こいつは凄い‥‥‥」と加賀守は銀塊を眺めながら唸った。「生野に銀山か‥‥‥しかし、よく、こんな宝を捜し出したものよのう」加賀守はもう一度、唸り、太郎を見ると、「この事はまだ、誰も知らんのじゃな」と聞いた。
「はい。わたしの仲間以外は誰も知りません」
「うむ‥‥‥こういう事は内密にしておかなければならん。しかし、生野とはのう、敵国じゃのう」
「敵国だと言っても、山名の方でも、あそこは余り重要視していないようです。見張りという程の砦があるだけです」
「うむ。しかし、銀山を掘るとなると、生野の地を山名から取らなければならんのう。かつて、あの辺り朝来(アサゴ)郡は赤松家の領土だった事もあったがのう」
「できれば、わたしに銀山の事を任せて貰えれば、ありがたいのですが」
「そうじゃのう。わしの一存では決められんが、そなたが見つけ出したものじゃしのう。その鬼山(キノヤマ)一族とやらも、そなたを信用しておるようじゃ。内密に事を運ぶとなると、そなたしかいないとは思うが、まあ、とにかく、お屋形様と相談してみる。そなたの方も、この事は内密に頼むぞ」
「はい。お願いいたします」
「うむ、銀か‥‥‥」と加賀守は銀の塊を見つめていた。
「その銀はどうぞ、お屋形様にお渡し下さい」
「わかった。戦続きで、やたらと出費の多い、この時勢に、銀山を見つけたとなると大助かりじゃ。しかし、そなたもやるのう。楓殿もいい男を見つけたものじゃ。赤松家の将来が益々、明るくなったというものじゃ」
「ただ、今のところは運がいいだけです」
「いや、それだけではあるまい‥‥‥うむ、生野に銀山があったとはのう‥‥‥話は変わるが、そなた、今日からお屋形様の屋敷に移ってくれとの事じゃ。楓殿と百太郎殿を連れてな。それと、京から連れて来た五人の侍女と、そなたの家来も五人位なら連れて行っていいそうじゃ」
「わかりました。実は、わたしの家来の事なんですが、今、八十九人、集まりました。しかし、彼らの宿がないのです。何とかなりませんか」
「この間の奴らか」
「はい」
「河原者たちもおるのか」
「はい。何人かは」
「河原者を家臣にするというのも、あまり関心せん事じゃが、この間はみんな、よくやってくれたようだしのう。その辺の所は目をつぶるか。わかった。何とかしよう。そなたの家臣を河原辺りに放って置くわけにはいかんからのう」
「お願いします」
「それじゃあ、わしはお屋形様の所に行って、こいつの事を相談して来る」
加賀守は手の中の銀を弄(モテアソ)びながら立ち上がった。
「そなたは荷物をまとめておいてくれ。そのうち、迎えの者が来るじゃろう」
太郎は客殿に戻ると、みんなに荷物をまとめさせた。
昼頃、迎えの者が来て、太郎たちはお屋形様の客人となった。
太郎たち三人が案内された部屋は、この前、お屋形様と対面した書院のすぐ近くで、極楽浄土の庭園の中に突き出た豪華な部屋だった。
『六花寄(ロッカキ)』という洒落た名前の付いた八畳と六畳の二間からなり、部屋からの眺めは最高だった。この屋敷の中でも最高の部屋に違いなかった。『六花寄』というのは、六花というのが雪の異名で、雪見をするための部屋だと言う。お屋形様が夢庵らを呼んで、雪を見ながら、お茶会をしたり、連歌会をしたりするための部屋なのだろう。
今はまだ、雪などないが、雪がなくても素晴らしい眺めだった。こんな所で、毎日、寝起きしていたら、世の中の煩わしい事など、すべてを忘れて、何もしたくなくなってしまうのではないかと思った。
楓の五人の侍女と桃恵尼は側にある藤の間と松の間という客間に入れられた。両方とも八畳間で、池のある中庭に面していて綺麗な部屋だった。
太郎と楓と百太郎が部屋の回廊から庭を眺めていると、美しい女が現れた。太郎たちの世話を命ぜられた松島という名の仲居だと言う。
何か用があったら隣の部屋にいるから、何なりと申し付けてくれとの事だった。
太郎がボーッとして、その仲居に見とれていると、「わかりました、今の所は何もございません」と楓が言って、仲居を下がらせた。
「まさしく極楽だな、ここは」と太郎は言った。
「そうね」と楓はぶすっとしていた。
「今の人、綺麗な人だね」と百太郎が言った。
「ああ、綺麗だな」
「でも、お母さんの方が綺麗だよ」
「そうだよな」と太郎も言った。
「調子のいい事、言ったって駄目よ」
「ねえ、あのお池の所に行きたい」と百太郎が言った。
「駄目よ。ちゃんと綺麗にお掃除してあるんだから」
「どうぞ、構いませんよ」と後ろで声がした。
お屋形の政則だった。
太郎と楓は慌てて座り直して頭を下げた。
「面(オモテ)をお上げ下さい。そなたたちは、わしの姉上に兄上ですから」
「お世話になります」と太郎は言った。
「いえ、ここにいるうちは、どうぞ、ご遠慮なさらずに、何でも松島に申し付けて下さい」と言うと政則は三人の側に座り込んだ。
「はい、ありがとうございます」
「わしは実に喜んでおります。わしに姉上がいたなんて、ほんとに夢のようじゃ。赤松家の当主となって、色々な物を手に入れる事はできても、身内だけはそうはいかん。その身内が一遍に三人も増えたのだから喜ばしい事じゃ。わしも初めのうちは疑っていた。誰かが何かをたくらんでいるに違いないと思った。しかし、昨日、初めて会ってみて、その疑いは晴れた。一目見て、血のつながった実の姉だと確信した。大方の事は加賀守より聞いておるが、姉上の事をもっと詳しく教えて下さい」
「はい」と楓は頭を下げた。
政則は女中の松島を呼ぶと、百太郎を池の所に連れて行ってやれと命じた。百太郎は松島に連れられて、庭に降りて行った。
楓は赤ん坊の頃、ある山伏に助けられて、甲賀の尼寺に預けられたという事から、ここに来るまでの事を簡単に話し始めた。
政則は静かに聞いていた。
楓が話し終わると、今度は、政則が自分の過去を話した。
政則も楓と同じく、近江の国、浅井(アザイ)郷で生まれていた。
四歳の時、赤松家が再興され、当主となって京に移った。
翌年の初夏、吉野において重傷を負い、ずっと、寝たきりだった父親が亡くなった。
応仁の乱の時、政則はまだ十三歳だったが、浦上美作守を初め、重臣たちの活躍によって、播磨、備前、美作と三ケ国の旧領を取り戻す事ができた。かつて、領国の中心地だった越部(コシベ)庄の城山城は捨て、新たに書写山の北に置塩城を建設した。
文明五年(一四七三年)、山名宗全、細川勝元が相次いで死ぬと、政則は京の事は浦上美作守に任せ、自ら領国に赴(オモム)き、経営に乗り出した。播磨と備前は何とかまとまり、残るは美作だけとなり、自ら兵を引き連れて出掛けて行ったのが今年の五月の末で、ようやく、一昨日、帰って来たのだった。
太郎も楓も黙って聞いていた。
政則は話し終わると、太郎の方を向き、「そなたの剣術の事も聞いておる。明日にでも是非、見せて下さい」と言った。
「はい。喜んで」
「銀の事、加賀守より聞きました。そなたに任せる事になるじゃろう」
「はっ、かしこまりました」
「また、来ます」と言うと政則は帰って行った。
庭の方を見ると、百太郎はまだ遊んでいた。いつの間にか、松島の代わりに桃恵尼と楓の侍女、住吉が一緒にいた。
「ねえ、銀の事って何?」と楓が太郎に聞いた。
「銀山だよ」
「銀山?」
「披露式典が終わったら、俺たちは銀山を掘りに行かなければならないんだ」
「へえ。赤松家のお侍になったばかりなのに、もう、そんな重要なお仕事が貰えたの」
「うん、後で、ゆっくりと説明するよ」
「何だかよくわからないけど、あなたが一回りも二回りも大きくなったように感じるわ」
「大峯山に旅立ってからというもの、色々な事があったからな。たった三ケ月で、三年以上の経験をしたみたいだ」
「そうよね。色々な事があり過ぎたわ」
「今、思うと奇跡のようだよ。みんなの協力がなければ、とてもじゃないが俺は殺されていたな」
「みんなには、ほんとにお世話になりっぱなしね」
「これからもお世話になるだろうな」
「そうね。ところで、大峯山でお師匠さんには会えたの」
太郎は首を振った。「でも、縁があれば、きっと、いつか会えるよ。その時までに、もっと強くなっておかなけりゃな」
「陰流を完成させなくちゃね」
「そう。陰の術もな」
「そう言えば、今年も十一月になったら、陰の術を教えに飯道山に戻らなけりゃならないんでしょ。どうするの」
「俺が行ければ行くけど、駄目だったら、三人のうち、誰かを送らなけりゃならないだろうな」
「あなたが、一ケ月も抜け出すのは難しいんじゃないの」
「うん。多分な」
「あの三人で大丈夫かしら」
「大丈夫だろう。あいつらも今回、結構、活躍したよ。奴らの甲冑姿というのも、なかなか様になってるぜ」
「そうよね。あなたが初めて、みんなに陰の術を教えたのが、丁度、あの人たちと同じ位の年だったものね」
「そうだったっけ」
「そうよ。あたしとあなたが一緒になったのは、あなたが十九で、あたしが十七の時だったのよ。その年の暮れに初めて、陰の術をみんなに教えたのよ」
「そうだっけ。俺があいつらの年の時はもう、お前と一緒だったのか‥‥‥」
「そうよ。あなたったら祝言を挙げた途端に半年もお山に籠もっちゃうんだもの。あたし、淋しかったんだから」
「そうだったな。そんな事もあったな‥‥‥」
「お母さん、お父さん、ちょっと来て」と百太郎が呼んだ。
二人は目を細めながら極楽浄土の庭に降りて行った。
「面(オモテ)を上げられよ」と正面より声がかかり、太郎と楓は頭を上げた。
襖の向こうは、こちらよりも一段高くなっている八畳の間だった。大きな山水画を背にして座っていたのが、お屋形、赤松兵部少輔政則だった。側に太刀を持った若い侍が控えていた。
加賀守がお屋形様に楓と太郎を紹介した。
お屋形様は頷き、しばらく、二人を見比べていたが何も喋らなかった。そして、また、襖は閉められ、対面は終わった。
太郎はお屋形様の顔を見て、まず、思った事は楓にそっくりだという事だった。評判通りのいい男だった。そして、態度や顔付きからして、播磨、備前、美作三国を治める大名のお屋形として、ふさわしい男だと思った。人を引き付ける何かを持っている男だった。
人の上に立つには実力は勿論の事、この、人を引き付ける何かを持っていなければならなかった。その何かというのは言葉では説明できないが、その何かがあるからこそ、人々は信頼して付いて行く。その人が持っている、運という物かもしれなかった。
太郎はこの時、赤松家の家臣となる事を決心した。赤松家の家臣となり、楓の弟であるお屋形様を助け、赤松家のために生きていこうと決心した。
お屋形様との対面が終わると、太郎たちは隣の部屋へと連れて行かれた。隣は四十畳敷きの書院だった。
その書院に、赤松家の重臣たちが並んで座っていた。
太郎と楓は上座に座らせられ、重臣たちを紹介された。
年寄衆の喜多野飛騨守則綱、上原対馬守頼祐、櫛橋豊後守則伊、富田備後守宗真、阿閇(アエ)豊前守重能、馬場因幡守則家、志水孫左衛門尉清実、衣笠左京亮朝親、赤松下野守政秀の九人と、西播磨国守護代の宇野越前守則秀、町奉行の後藤伊勢守則季、鞍掛城主の中村弾正少弼正満、番城主の間島左馬助則光、清水谷城の赤松備前守永政、そして、大円寺の住職、勝岳性尊和尚が紹介された。
喜多野飛騨守と上原対馬守と櫛橋豊後守の三人は、すでに、太郎は会っていた。
櫛橋豊後守は城下に入る時、先導してくれたし、喜多野飛騨守と上原対馬守は、お屋形様と一緒に美作の国まで行っていたが、昨日、帰って来ると早速、別所屋敷にやって来て、太郎と楓に会っていた。内密にという事で、喜多野飛騨守も上原対馬守も気軽な気持ちで、太郎たちの客間にやって来て、世間話をして帰って行った。昨日は二人共、五十年配の真っ黒に日に焼けた気さくな親爺さんだったが、さすがに、今日の二人は赤松家の重臣として堂々たるもので、居並ぶ重臣たちの中でも最も貫禄があった。
お屋形様の叔父という大円寺の住職、勝岳性尊はきらびやかな法衣を身に纏い、怒った様な顔をして座っていた。太郎たちを、あまり歓迎していないようだった。
そこでも、ただ、紹介するだけで終わった。
一通り紹介が終わると、加賀守と共に太郎と楓はその書院から出て、来た時と同じ廊下を通って屋敷を出ると別所屋敷へと戻った。
加賀守は、近いうちにお屋形様の屋敷の方に移る事になるだろうが、もう少し、ここで我慢してくれと言った。
太郎にしてみれば、あんな大きな屋敷に入るよりは、ここの方がずっと気楽なので、ここにいたかったが、楓にしてみれば弟と対面したとは言え、一言も話をしていないので、早く向こうに移って弟と話がしたいのだろうと思った。
太郎と楓が部屋に戻ると、桃恵尼と侍女たちが二人の帰りを待っていた。
太郎はみんなに対面の様子を話した。
楓はお屋形様を一目見た途端、自分の弟だとわかったと言った。会うまでは半信半疑でいたけど、今日、会ってみて、自分に弟がいたという事が初めて、実感として伝わって来たと言う。
太郎は楓に、このまま播磨の国にいる事に決めたと告げた。
楓は驚いた様な顔をして、太郎を見つめた。
太郎は桃恵尼と侍女たちを部屋から出して、二人っきりになると、もう一度、ここにいようと思うと言った。
「いやか」と太郎は楓を見つめながら聞いた。
「また、武士に戻るの」と楓は聞いた。
「うん。しばらくはな」
「それで、いいの」
「俺は今日、お屋形様と会ってみて、赤松家の武将になる事に決めた」
「でも、武士になったら、また、色々と忙しくなって、剣術の修行なんてできなくなるかもしれないわよ」
「それは心がけ次第でどうにでもなるような気がする。飯道山にいた時も、何かと忙しくて自分の修行なんてできなかった。どこにいても、何をしていても、やる気があればできるんじゃないかと思う」
楓は太郎を見つめながら頷いた。「あなたがそう決めたのなら、あたしの方は構わないけど。でも、このまま松恵尼様とお別れだなんて、ちょっと淋しいわ」
「松恵尼様か‥‥‥色々と世話になったからな‥‥‥そうだ、披露式典に松恵尼様も呼んでくれと加賀守殿から言われていたんだ。さっそく、藤吉殿に甲賀に帰ってもらおう。松恵尼様もきっと喜んでくれるさ」
「加賀守様が、呼んでもいいって?」
「ああ。お前の親同然だもんな、呼ぶのは当然だろう」
「松恵尼様に会えるのね。良かった」楓は嬉しそうに笑った後、「ねえ、あなたの御両親は呼ばないの」と聞いた。
太郎は首を振った。
「赤松家の武将になる事を知らせなくていいの」
「今は、まだいい。もう少し落ち着いたら知らせる」
「落ち着いたら?」
「ああ。立派な屋敷を建てたら、そこに招待するんだ」
「お屋敷を建てるの」
「そりゃそうだよ。お前はお屋形様の姉さんなんだぜ。お屋形様の屋敷に負けない位な豪華な御殿を建てなくちゃな」
「いいわよ。そんな大きな御殿なんて‥‥‥」
「そうもいかないのさ。俺も、そんな御殿なんかいらないが、お前はもう、すでに、この国のみんなから注目されているんだよ。お屋形様の姉上として、それなりに、ふさわしい屋敷に住み、ふさわしい格好をし、ふさわしい態度を取らなければならないんだ。俺も二百人位の家来を持たなければならないし、それにふさわしいお屋形にならなけりゃならないんだ」
「えっ、二百人も家来を持つの?」楓は目を丸くして太郎を見た。
「多分、その位の家来はいるだろうって夢庵殿が言っていた」
「二百人も‥‥‥大変ね‥‥‥」
「そうさ。その二百人の命を俺が預かる事になるんだ。この先、戦にも行く事になるだろう。家来たちを生かすも殺すも俺のやり方次第で決まってしまう。大変な事だよ」
「そうね‥‥‥あの三人は勿論、家来になるんでしょう」
「あの三人だけじゃない。金比羅坊殿も阿修羅坊殿も俺の家来になってくれるらしい」
「えっ、金比羅坊様に阿修羅坊様も?」
「伊助殿や次郎吉殿、藤吉殿もみんな、俺の家来になるって言うんだ」
「えっ、だって、あの人たちは松恵尼様の下で働いている人たちでしょ。大丈夫なの」
「わからない。一応、松恵尼様と相談しなけりゃならないだろうな」
「でも、みんなが、あなたの家来になってくれたら最高だわね」
「ああ。まったく最高さ。ありがたい事だよ」
「みんなが家来になってくれるなんて‥‥‥ほんと、頼もしいわね」
「うん。俺はちょっと出掛けて来る。正式に家来になってくれるように頼んで来るよ」
太郎は堅苦しい狩衣(カリギヌ)を脱ぎ、いつもの単衣(ヒトエ)に立っつけ袴の職人姿になった。
「今晩は帰って来るんでしょうね」楓は太郎の着替えを手伝いながら睨んだ。
「帰って来るよ。大丈夫だ」
楓は頷き、「行ってらっしゃい」と言って、「助六さんによろしくね」と付け加えた。
「は?」と太郎は楓を見た。
「何でもないわ」と楓は笑った。
「行って来る」と太郎は浦浪に出掛けた。
2
職人姿で別所屋敷を出た太郎だったが、正式に家臣になってもらうのに、この格好ではまずいと気づき、まず、小野屋に向かった。あそこに、いつか借りた武士の着物があったはずだった。
小野屋に行くと、珍しく、主人の喜兵衛はいた。主人に、正式に赤松家の武将になった事を告げ、これからもよろしくお願いしますと頼んだら、逆に、こちらこそお願いしますよと頼まれた。
太郎は武士の姿に着替え、刀も二本、腰に差すと、改めて浦浪に向かった。
金勝座の者たちはまだ帰って来ていなかった。三人の弟子もいなかった。
次郎吉は赤松家の重臣に腕が認められ、仕事がどんどん入って来るので、てんてこ舞いしているらしい。吉次の方も美作の国から帰って来た武士たちの鎧の修繕が忙しくてしょうがないと言う。お屋形様が帰って来てから、藤吉の白粉の売れ行きも上がっていると言う。男たちが帰って来たので、女たちが化粧に精を出したのかどうかは知らないが、飛ぶようによく売れると言う。伊助の薬も同様だった。
お屋形様が帰って来てから、この城下は益々、景気が良くなって行った。
する事もなく、浦浪で、ごろごろしていたのは阿修羅坊と金比羅坊の二人だけだった。
夢庵も今朝、侍が呼びに来て、どこかに出て行ったまま戻って来ないと言う。きっと、披露式典の事で呼ばれたのだろうと、太郎は思った。
金比羅坊は太郎の侍姿を見ると、「いよいよ、ここに残る決心をしたとみえるのう」と言った。
「どうじゃ、お屋形様はなかなかの男じゃろう」と阿修羅坊は言った。
太郎は頷いた。
「まあ、上がれ」
太郎は部屋に上がると、二人の前に座って深く頭を下げた。
「金比羅坊殿、阿修羅坊殿、これからも、よろしくお願い致します」
「太郎坊殿、それは逆じゃ。頭を下げるのはわしらの方じゃ」と阿修羅坊は言った。
「そうじゃ。おぬしはすでに、ここのお屋形様の兄上に当たるお人じゃ。庶民から見れば、おぬしは天上人のようなものじゃ。軽々しく頭など下げるものではないぞ」
「ありがとうございます」
金比羅坊は座り直して姿勢を改めると、この間の起請文を太郎に渡した。
「八十九人いる」と金比羅坊は言った。
「八十九人も?」
「今の所はそれだけじゃ。まだまだ、集めなけりゃならんじゃろうな」
「それでも、八十九人も良く集まりましたね」
「この間、手伝ってくれた連中にも声を掛けたら、そのまま、おぬしの家来になりたいと言う者がおったんでな、そいつらにも名を書いて貰った」
「そうですか。できれば、みんな連れて行きたいが、そうも行きませんね」
太郎は改めて起請文を見た。
まず、太郎の弟子、三人の名前が山伏になる前の名前で並んでいた。そして、その次に見慣れない名前があった。
「あの、岩瀬七郎勝盛っていうのは誰です」と太郎は聞いた。
「わしじゃよ」と金比羅坊が照れ臭そうに笑いながら言った。「わしが昔、侍だった時の名じゃ。もう十年も前の事じゃ。何となく照れ臭いのう」
「金比羅坊殿が岩瀬殿ですか‥‥‥」
その後、次郎吉たちの名前が並んでいたが皆、聞いた事のなかった名字が付いていた。伊藤次郎吉、青木伊助、小川弥平次、川上藤吉、松井吉次と並んでいた。
「次郎吉殿や伊助殿は松恵尼殿に断らなくても大丈夫なのでしょうか」
「一応は断るつもりだが、多分、大丈夫だろうと言っておった」
その後に、朝田新右衛門たち浪人十二人の名前が並んでいた。そして、馬借が三人、金掘り人足が二十四人、乞食が十八人、散所者が十人。川の民が六人、皮屋が三人、紺屋が三人いた。そして、最後に、大沢平太郎康健(ヤスタケ)という名前があった。聞いた事ない名前だったが、阿修羅坊に違いないと思い、聞いてみたら、やはり、そうだった。
「大沢なんていう名字、使った事はないがのう、わしの爺様は大沢某という武士だったそうじゃ」と阿修羅坊も照れ臭そうに笑った。
「さっそく、みんなに知らせてやらん事にはのう」と金比羅坊は言った。
「あっ、忘れていましたが、俺の名前は今日から赤松日向守久忠です」
「なに、赤松姓を名乗るのか」と阿修羅坊が驚いて聞いた。
「はい。浦上美作守が俺の事を京極次郎右衛門だと言い触らしてしまったお陰で、今更、本名の愛洲氏を名乗るわけにもいかないし、かと言って、京極も名乗れないので赤松を名乗る事になったらしいです」
「そうか、赤松日向守殿か‥‥‥」と阿修羅坊はゆっくりと頷いた。
「わしらのお屋形様は赤松日向守殿か‥‥‥」と金比羅坊も頷いた。
「ところで、その赤松日向守として、二人にお願いしたいのですが、日向守の年寄衆として家臣団の編成を頼みたいのです」
「わしらが年寄衆か」と阿修羅坊が聞いた。
「はい。お願いします」
「お願いしますと言われてものう。わしにはそんな事、わからんぞ」と金比羅坊が嬉しいような困ったような顔をして言った。
「わしも、そこまではのう」と阿修羅坊も頭をかいた。
「夢庵殿ならわかると思いますが‥‥‥」
「おお、そうじゃ、夢庵殿がおったわい。夢庵殿なら何でも知っておる。夢庵殿に聞けば何とかなるじゃろう」
「お願いします」
「よし、引き受けた」
「ところで、太郎坊、いや、日向守殿」と金比羅坊は言った。「家来になった者たちの宿はないかのう。いつまでも、銀左殿の所に世話になっているわけにもいくまい」
「そうですね、何とか捜してみます」
「そうしてくれ。河原にいる奴らもおるからのう。奴らに、武士になったという自覚をさせなけりゃならん」
「そうじゃのう。おぬしの家来が河原にいるというのも、体裁の悪い事じゃ。ところで、披露式典の日取りは決まったのか」
「まだ、決まってないようです。初めの予定では、来月の初め頃やるはずだったらしいんですけど、会場の方がなかなか、はかどらないようで、どうも、一月位遅れて十月になるようです」
「十月か、まだ、一月もあるのう。それまで、わしらは何をしてるんじゃ」
「明日、銀山の事を加賀守殿に話そうと思っています。そうすれば、多分、その一ケ月間は生野の方に行くようになるかもしれません」
「おう。そうしてくれ。いつまでも、こんな所でごろごろしてるのも飽きて来たわ」
太郎は金比羅坊、阿修羅坊と共に銀左の屋敷に行き、みんなを正式に家来にするという事を告げた。みんなは喜んでくれた。
銀左はやはり、新しい城下の方に行っていて、いなかった。
阿修羅坊と金比羅坊は早速、家臣団の編成のため、それぞれ、個人個人に面接をして、特技やらを聞くと言うので、二人に任せて太郎は浦浪に戻った。
浦浪には金勝座を初め、ほとんどの者が帰って来ていた。
太郎は伊助たちの部屋に行き、これからの事を話し、藤吉に一度、甲賀に帰るように頼んだ。楓が松恵尼に会いたがっているので、松恵尼に披露式典に出てくれるように伝えてくれと頼んだ。
藤吉は喜んで引き受けてくれた。どうせ、結果報告と太郎の家臣になる事を許してもらう為に、一度、帰らなければならなかった。早速、明日にでも帰りましょうと言った。
みんなが太郎の家来になると聞いて、金勝座の者たちの中にも家来になりたいと言う者が現れて来た。しかし、それはできなかった。一人でも抜けたら金勝座は潰れてしまう。あれだけの芸を持った金勝座を潰す事はできなかった。
太郎は座頭の助五郎と相談した。
助五郎としては一人もやめて貰いたくはなかったが、本人がどうしても武士になりたいと言うのを無理に引き留める事はできなかった。そこで、太郎は金勝座そっくりを家臣という事にして、新しい人材を求め、補充出来次第、一人づつ武士にして行くという事にした。みんなも、それで納得してくれた。
太郎は三人の弟子たちにも武士になる事を告げ、金比羅坊たちを手伝うために、夢庵と一緒に銀左の屋敷に向かわせた。
一通り用が済んだので帰ろうとしたら、助六が追って来て、「冷たいのね」と言った。「あたしには家来になれって言ってくれないの」
「奈々さんが金勝座から抜けたら金勝座はやって行けないだろう」
「あたしの代わりになる人が入ったら家来にしてくれる?」
「家来になるって、女の侍にでもなるのですか」
「それもいいわね」と助六は笑った。「女だてらに鎧を着て戦に出るのもいいわ」
「それは楓がやりそうだ」と太郎は苦笑した。
「えっ、楓様も何かやってるの」
「ここに来る前は娘たちに薙刀を教えていたんです」
「あ、そうだったわね。松恵尼様が薙刀の名人だものね。その松恵尼様に育てられたのなら楓様も薙刀の名人よね。そうか、楓様は薙刀か‥‥‥そうだ、あたし、楓様の侍女でもいいわ」
「楓の侍女か‥‥‥考えとくよ」
「ほんとはね、あなたのお妾(メカケ)さんがいいんだけどね」と助六は思い切った事を言った。
「えっ、そんなの無理だよ」と太郎は慌てて手を振った。
「だって、お殿様になったんでしょ。お妾さんの一人や二人、いたっておかしくないじゃない」
「まだ、なったばかりで、そんなの無理だ」
「もし、お妾さんを持つようになったら、あたしをお願いね」
「うん‥‥‥考えておく」
「良かった。あたし、あなたの子が産みたいのよ」
「何を言うんだよ」
「だって、本当だもの」と助六はニコッと笑った。
太郎は助六と別れ、別所屋敷に向かった。
妾か‥‥‥助六が妾になってくれれば最高な事だが、楓が許すわけないなと思った。
楓の怒っている顔が浮かんだ。太郎は助六の事は夢と諦めた。
3
久し振りに、太郎が楓を相手に剣術の稽古をしていると、執事の織部祐が太郎を呼びに来た。
書斎に行くと加賀守が待っていた。あまり寝ていないとみえて、真っ赤な目をしていて、顔色もあまり良くなかった。
「久し振りに、今日はいい天気じゃのう。こんな日はのんびりと昼寝でもしていたいんじゃが、そうもいかんわ」と加賀守は言って笑った。
「何か手伝う事でもあれば、どうぞ、おっしゃって下さい」と太郎は言った。
「なに、そなたは今の所は、ゆっくりしておればいい。そのうち、そなたも忙しくなるじゃろうからな。今のうちに充分、休んでおく事じゃ。ところで、そなたの事じゃが、行く行くは赤松家の水軍として働いてもらう事になると思うが、とりあえず、前之庄の天神山城に入って貰う事になるじゃろう」
前之庄の天神山城と聞いて、太郎は播磨の地図を思い描いたが、どこだかわからなかった。笠形山から瑠璃寺に向かう時、通ったような気もするが、はっきりと覚えていない。
「ここより二里程、北に行った所じゃよ」と加賀守は説明した。「天神山城は今は城というより砦に過ぎないが、以前はちゃんとした城じゃった。その地に新たに城を構え、そなたに守って貰うつもりじゃ。楓殿にしても、ここからすぐ近くだし、お屋形様に会おうと思えばすぐに来られる。とりあえずは、そこに落ち着いて欲しいのじゃが」
「はい」と太郎は頷いたが、意を決して、「実は、その事に付きまして、加賀守殿に相談したい事があるのですけど」と言った。
「何じゃ」と加賀守は少し厳しい顔付きになって太郎を見た。
「お城をいただけるのはありがたいのですが、できれば、但馬への入り口、大河内庄辺りを守りたいのです」
「なに、大河内庄?」
太郎の言った事があまりに以外だったので、加賀守は一瞬、戸惑ったようだった。しばらく、太郎を見つめていたが、やがて納得したように頷くと、「あそこは山名氏の侵入を防ぐ重要な地点には違いないが、かなり山の中じゃぞ。冬は雪が多いしのう。あまり、勧められんのう」と言った。
「今は、どなたが守っておられるのですか」と太郎は聞いた。
「大河内庄はお屋形様の御領所で代官がおるだけじゃ。あとは真弓峠を初めとして要所要所に砦がある位じゃな」
「もし、山名勢が攻めて来たらどうするのですか」
「大河内庄は捨て、永良庄で迎え討つんじゃよ。そなたの気持ちはわかるが、あんな山の中に行く事もあるまい」
「加賀守殿、お見せしたい物があります。少々お待ち下さい」
太郎は客殿に行き、赤松性具入道の時世の連歌の巻物と銀の塊(カタマリ)を持って戻った。
巻物を加賀守に見せ、その巻物が一切経の中に入っていた事、夢庵がその巻物の謎を解き、太郎たちが生野に行って、謎の言葉が事実であるのを確かめた事を順を追って説明した。そして、最後に、鬼山一族から預かった銀の塊を加賀守に見せた。
「こいつは凄い‥‥‥」と加賀守は銀塊を眺めながら唸った。「生野に銀山か‥‥‥しかし、よく、こんな宝を捜し出したものよのう」加賀守はもう一度、唸り、太郎を見ると、「この事はまだ、誰も知らんのじゃな」と聞いた。
「はい。わたしの仲間以外は誰も知りません」
「うむ‥‥‥こういう事は内密にしておかなければならん。しかし、生野とはのう、敵国じゃのう」
「敵国だと言っても、山名の方でも、あそこは余り重要視していないようです。見張りという程の砦があるだけです」
「うむ。しかし、銀山を掘るとなると、生野の地を山名から取らなければならんのう。かつて、あの辺り朝来(アサゴ)郡は赤松家の領土だった事もあったがのう」
「できれば、わたしに銀山の事を任せて貰えれば、ありがたいのですが」
「そうじゃのう。わしの一存では決められんが、そなたが見つけ出したものじゃしのう。その鬼山(キノヤマ)一族とやらも、そなたを信用しておるようじゃ。内密に事を運ぶとなると、そなたしかいないとは思うが、まあ、とにかく、お屋形様と相談してみる。そなたの方も、この事は内密に頼むぞ」
「はい。お願いいたします」
「うむ、銀か‥‥‥」と加賀守は銀の塊を見つめていた。
「その銀はどうぞ、お屋形様にお渡し下さい」
「わかった。戦続きで、やたらと出費の多い、この時勢に、銀山を見つけたとなると大助かりじゃ。しかし、そなたもやるのう。楓殿もいい男を見つけたものじゃ。赤松家の将来が益々、明るくなったというものじゃ」
「ただ、今のところは運がいいだけです」
「いや、それだけではあるまい‥‥‥うむ、生野に銀山があったとはのう‥‥‥話は変わるが、そなた、今日からお屋形様の屋敷に移ってくれとの事じゃ。楓殿と百太郎殿を連れてな。それと、京から連れて来た五人の侍女と、そなたの家来も五人位なら連れて行っていいそうじゃ」
「わかりました。実は、わたしの家来の事なんですが、今、八十九人、集まりました。しかし、彼らの宿がないのです。何とかなりませんか」
「この間の奴らか」
「はい」
「河原者たちもおるのか」
「はい。何人かは」
「河原者を家臣にするというのも、あまり関心せん事じゃが、この間はみんな、よくやってくれたようだしのう。その辺の所は目をつぶるか。わかった。何とかしよう。そなたの家臣を河原辺りに放って置くわけにはいかんからのう」
「お願いします」
「それじゃあ、わしはお屋形様の所に行って、こいつの事を相談して来る」
加賀守は手の中の銀を弄(モテアソ)びながら立ち上がった。
「そなたは荷物をまとめておいてくれ。そのうち、迎えの者が来るじゃろう」
太郎は客殿に戻ると、みんなに荷物をまとめさせた。
昼頃、迎えの者が来て、太郎たちはお屋形様の客人となった。
太郎たち三人が案内された部屋は、この前、お屋形様と対面した書院のすぐ近くで、極楽浄土の庭園の中に突き出た豪華な部屋だった。
『六花寄(ロッカキ)』という洒落た名前の付いた八畳と六畳の二間からなり、部屋からの眺めは最高だった。この屋敷の中でも最高の部屋に違いなかった。『六花寄』というのは、六花というのが雪の異名で、雪見をするための部屋だと言う。お屋形様が夢庵らを呼んで、雪を見ながら、お茶会をしたり、連歌会をしたりするための部屋なのだろう。
今はまだ、雪などないが、雪がなくても素晴らしい眺めだった。こんな所で、毎日、寝起きしていたら、世の中の煩わしい事など、すべてを忘れて、何もしたくなくなってしまうのではないかと思った。
楓の五人の侍女と桃恵尼は側にある藤の間と松の間という客間に入れられた。両方とも八畳間で、池のある中庭に面していて綺麗な部屋だった。
太郎と楓と百太郎が部屋の回廊から庭を眺めていると、美しい女が現れた。太郎たちの世話を命ぜられた松島という名の仲居だと言う。
何か用があったら隣の部屋にいるから、何なりと申し付けてくれとの事だった。
太郎がボーッとして、その仲居に見とれていると、「わかりました、今の所は何もございません」と楓が言って、仲居を下がらせた。
「まさしく極楽だな、ここは」と太郎は言った。
「そうね」と楓はぶすっとしていた。
「今の人、綺麗な人だね」と百太郎が言った。
「ああ、綺麗だな」
「でも、お母さんの方が綺麗だよ」
「そうだよな」と太郎も言った。
「調子のいい事、言ったって駄目よ」
「ねえ、あのお池の所に行きたい」と百太郎が言った。
「駄目よ。ちゃんと綺麗にお掃除してあるんだから」
「どうぞ、構いませんよ」と後ろで声がした。
お屋形の政則だった。
太郎と楓は慌てて座り直して頭を下げた。
「面(オモテ)をお上げ下さい。そなたたちは、わしの姉上に兄上ですから」
「お世話になります」と太郎は言った。
「いえ、ここにいるうちは、どうぞ、ご遠慮なさらずに、何でも松島に申し付けて下さい」と言うと政則は三人の側に座り込んだ。
「はい、ありがとうございます」
「わしは実に喜んでおります。わしに姉上がいたなんて、ほんとに夢のようじゃ。赤松家の当主となって、色々な物を手に入れる事はできても、身内だけはそうはいかん。その身内が一遍に三人も増えたのだから喜ばしい事じゃ。わしも初めのうちは疑っていた。誰かが何かをたくらんでいるに違いないと思った。しかし、昨日、初めて会ってみて、その疑いは晴れた。一目見て、血のつながった実の姉だと確信した。大方の事は加賀守より聞いておるが、姉上の事をもっと詳しく教えて下さい」
「はい」と楓は頭を下げた。
政則は女中の松島を呼ぶと、百太郎を池の所に連れて行ってやれと命じた。百太郎は松島に連れられて、庭に降りて行った。
楓は赤ん坊の頃、ある山伏に助けられて、甲賀の尼寺に預けられたという事から、ここに来るまでの事を簡単に話し始めた。
政則は静かに聞いていた。
楓が話し終わると、今度は、政則が自分の過去を話した。
政則も楓と同じく、近江の国、浅井(アザイ)郷で生まれていた。
四歳の時、赤松家が再興され、当主となって京に移った。
翌年の初夏、吉野において重傷を負い、ずっと、寝たきりだった父親が亡くなった。
応仁の乱の時、政則はまだ十三歳だったが、浦上美作守を初め、重臣たちの活躍によって、播磨、備前、美作と三ケ国の旧領を取り戻す事ができた。かつて、領国の中心地だった越部(コシベ)庄の城山城は捨て、新たに書写山の北に置塩城を建設した。
文明五年(一四七三年)、山名宗全、細川勝元が相次いで死ぬと、政則は京の事は浦上美作守に任せ、自ら領国に赴(オモム)き、経営に乗り出した。播磨と備前は何とかまとまり、残るは美作だけとなり、自ら兵を引き連れて出掛けて行ったのが今年の五月の末で、ようやく、一昨日、帰って来たのだった。
太郎も楓も黙って聞いていた。
政則は話し終わると、太郎の方を向き、「そなたの剣術の事も聞いておる。明日にでも是非、見せて下さい」と言った。
「はい。喜んで」
「銀の事、加賀守より聞きました。そなたに任せる事になるじゃろう」
「はっ、かしこまりました」
「また、来ます」と言うと政則は帰って行った。
庭の方を見ると、百太郎はまだ遊んでいた。いつの間にか、松島の代わりに桃恵尼と楓の侍女、住吉が一緒にいた。
「ねえ、銀の事って何?」と楓が太郎に聞いた。
「銀山だよ」
「銀山?」
「披露式典が終わったら、俺たちは銀山を掘りに行かなければならないんだ」
「へえ。赤松家のお侍になったばかりなのに、もう、そんな重要なお仕事が貰えたの」
「うん、後で、ゆっくりと説明するよ」
「何だかよくわからないけど、あなたが一回りも二回りも大きくなったように感じるわ」
「大峯山に旅立ってからというもの、色々な事があったからな。たった三ケ月で、三年以上の経験をしたみたいだ」
「そうよね。色々な事があり過ぎたわ」
「今、思うと奇跡のようだよ。みんなの協力がなければ、とてもじゃないが俺は殺されていたな」
「みんなには、ほんとにお世話になりっぱなしね」
「これからもお世話になるだろうな」
「そうね。ところで、大峯山でお師匠さんには会えたの」
太郎は首を振った。「でも、縁があれば、きっと、いつか会えるよ。その時までに、もっと強くなっておかなけりゃな」
「陰流を完成させなくちゃね」
「そう。陰の術もな」
「そう言えば、今年も十一月になったら、陰の術を教えに飯道山に戻らなけりゃならないんでしょ。どうするの」
「俺が行ければ行くけど、駄目だったら、三人のうち、誰かを送らなけりゃならないだろうな」
「あなたが、一ケ月も抜け出すのは難しいんじゃないの」
「うん。多分な」
「あの三人で大丈夫かしら」
「大丈夫だろう。あいつらも今回、結構、活躍したよ。奴らの甲冑姿というのも、なかなか様になってるぜ」
「そうよね。あなたが初めて、みんなに陰の術を教えたのが、丁度、あの人たちと同じ位の年だったものね」
「そうだったっけ」
「そうよ。あたしとあなたが一緒になったのは、あなたが十九で、あたしが十七の時だったのよ。その年の暮れに初めて、陰の術をみんなに教えたのよ」
「そうだっけ。俺があいつらの年の時はもう、お前と一緒だったのか‥‥‥」
「そうよ。あなたったら祝言を挙げた途端に半年もお山に籠もっちゃうんだもの。あたし、淋しかったんだから」
「そうだったな。そんな事もあったな‥‥‥」
「お母さん、お父さん、ちょっと来て」と百太郎が呼んだ。
二人は目を細めながら極楽浄土の庭に降りて行った。
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