3.水軍剣法
愛洲太郎左衛門宗忠の長男、太郎は七歳になっていた。
京都や奈良では土民や馬借らが蜂起し、民家や寺は焼かれ、庶民は逃げ惑っていても、ここ、五ケ所浦はまだまだ平和だった。現世利益(ゲンゼリヤク)と極楽往生を願い、熊野詣で、伊勢参りの旅人たちが行きかっていた。
太郎はそんな平和な町で、のびのびと育っていた。毎日、近所の子供たちと真っ黒になって海で遊んでいる。代々、水軍の家柄だけあって、泳ぎは教わらなくても自然に覚えてしまい、朝から晩まで海に行って遊んでいた。
後の江戸時代の武士とは違い、武士の子は武士らしくなどと言って、枠にはめて育てるという事はまだなく、町の子供たちと一緒になって遊び回っていた。
今年になって、春から祖父の白峰より剣と槍を習い始め、祖母より読み書きを習い始めた。四歳になる次郎丸という弟や昨年、生まれたばかりの澪(ミオ)という妹もできた。
今日も太郎は木剣を振っていた。
この頃はまだ、後のように剣術の流派などなく、ほとんどが力にまかせて相手を打つというものだった。お互いに鎧(ヨロイ)に身を固めていては、そうやたらと斬れるものではない。しかも、馬上での戦いでは、片手だけで太刀を操らなければならない。三尺余りもある太刀(刃渡りが一メートル近くある太刀)を片手で使うには、力がなければ話にならなかった。
しかし、水軍の剣法は陸の戦とは少し違っていた。まず、重い鎧は身に付けなかった。狭い船内で、しかも、揺れる船上でも活動しやすいように、邪魔になる物は一切省き、軽量の兜と腹巻を身に付けるだけであった。海の戦では陸とは違い、敵の兜首を取ったり、一番槍というものはなく、敵船に近づいたら槍や長柄の太刀で敵を海にたたき落とすというやり方だった。
狭い船上での戦いなので、やたらと振り回す薙刀(ナギナタ)を使う事はなく、もっぱら槍が使われた。槍も普通のとは違い、十文字の槍を使った。十文字と言っても刃が三方に付いているのではなく、横に飛び出ているのには刃は付いていない。ただの鉄の棒になっている。一尺弱の鉄の棒で、それを利用して敵を引っかけ、海にたたき落としたり、刀の鍔(ツバ)のような役割も果たした。
剣の使い方も陸とは違った。足場が不安定なため、しっかりとバランスを取らなくてはならない。しかも、お互い鎧で完全武装しているわけではないので、斬る所はいくらでもある。バランスを崩した事が、命取りになるという事が何度もあった。
鎧に身を固めて使う剣法の事を介者(カイシャ)剣法という。それに対し、鎧をはずして使うのを素肌剣法と言った。
介者剣法では重い鎧を着ているため、動きも自由ではなく、腰を低く構え、斬る所にも制限がある。首を斬るには太刀を兜と鎧の隙間に突き入れなくてはならず、表籠手も鉄板や鎖でおおわれているので内側を狙わなければならない。その他、狙える所は鎧の胴と草摺(クサズリ)を繋ぐ糸の部分、足は佩楯(ハイダテ)の間から内股を突く位であった。戦国時代のこの当時は皆、この介者剣法である。やがて、江戸時代になって戦がなくなり、平和になるに従って、素肌剣法へと発達していく。しかし、水軍の剣法は早いうちから素肌剣法に近いものだったのかもしれない。
太郎は祖父、白峰を相手に木剣を振っていた。
「エーイ!」と太郎は掛声と共に白峰に打ちかかる。
白峰は太郎の木剣を受けると払い落とし、そのまま、太郎の両腕を打つ真似をした。
「もう、お前の両腕はないぞ。どうする」と白峰は太郎に聞いた。
太郎は自分の両腕の上で止まっている白峰の木剣を見つめていたが、「エイ!」と掛声をかけ、白峰の木剣を自分の木剣で打ち上げた。
愛洲白峰‥‥‥かつては、愛洲水軍の大将として、熊野から志摩にかけて名を轟かせていた。『愛洲の隼人(ハヤト)』と言えば海の猛者たちの間で恐れられ、また、尊敬もされていた。
八年前の戦の時、左脚に矢を射られ、射られた場所が悪かったとみえて、それ以来、左脚が自由にならなくなった。歩くにはたいして気にならないが、船上で自由に動き廻る事は難しくなった。それでも、水軍の大将として頑張っていたが、孫の太郎も生まれ、息子の宗忠も一人前になったので『隼人正』の名を宗忠に譲り、二年前から隠居して白峰と号していた。
「お爺ちゃん、もう手が痛いよ」と太郎は木剣を構えたまま白峰を見た。
「太郎、そんな事じゃ大将にはなれんぞ」
白峰は太郎の頭めがけて木剣を打った。
太郎はかろうじて、木剣でそれを受け止めた。
「よし、今日はこれまでにしておくか」
二人は木剣を引き、互いに礼をかわした。
「太郎、剣術は好きか」と白峰は海の方を見ながら言った。
「はい」と太郎も海を見ながら答えた。
「そうか、好きか‥‥‥」
のんびりとした春の海だった。
ちょうど旅人たちを乗せた船が、愛洲水軍に守られながら熊野に向かって出て行くところだった。船旅の無事を願う法螺(ホラ)貝や太鼓の音が港の方から賑やかに聞こえて来た。
「ねえ、お爺ちゃん、もうお船に乗らないの」
「うん、そうだな‥‥‥お前、船に乗りたいのか」
「うん、乗りたい」
「そうか、今度、お父さんに頼んで乗せて貰おう」
「ほんと?」と太郎は白峰の袖を引っ張った。
「ああ、本当だとも」白峰は太郎の肩を抱いた。
「わぁい、お船に乗れる。あの、お父さんが乗っている大きいお船がいいや」
「大きい船でも小さい船でも、何でも乗れるさ」
「ねえ、いつ? いつ乗れるの」
「それは、お父さんに聞いてみないとわからんよ。お父さんもお仕事が忙しいからな」
「早く乗りたいな‥‥‥ねえ、遊びに行っていい?」
「ああ。じゃが、気をつけるんじゃよ。海を甘くみちゃいかんぞ」
「大丈夫だよ」
「お前も海のように大きくなるんだぞ」
「海のように?」
太郎はきょとんとした顔で白峰の横顔を見ていたが、やがて、木剣を白峰に渡すと外に駈け出して行った。
白峰は目を細くして孫の後姿を見送った。
この頃はまだ、後のように剣術の流派などなく、ほとんどが力にまかせて相手を打つというものだった。お互いに鎧(ヨロイ)に身を固めていては、そうやたらと斬れるものではない。しかも、馬上での戦いでは、片手だけで太刀を操らなければならない。三尺余りもある太刀(刃渡りが一メートル近くある太刀)を片手で使うには、力がなければ話にならなかった。
しかし、水軍の剣法は陸の戦とは少し違っていた。まず、重い鎧は身に付けなかった。狭い船内で、しかも、揺れる船上でも活動しやすいように、邪魔になる物は一切省き、軽量の兜と腹巻を身に付けるだけであった。海の戦では陸とは違い、敵の兜首を取ったり、一番槍というものはなく、敵船に近づいたら槍や長柄の太刀で敵を海にたたき落とすというやり方だった。
狭い船上での戦いなので、やたらと振り回す薙刀(ナギナタ)を使う事はなく、もっぱら槍が使われた。槍も普通のとは違い、十文字の槍を使った。十文字と言っても刃が三方に付いているのではなく、横に飛び出ているのには刃は付いていない。ただの鉄の棒になっている。一尺弱の鉄の棒で、それを利用して敵を引っかけ、海にたたき落としたり、刀の鍔(ツバ)のような役割も果たした。
剣の使い方も陸とは違った。足場が不安定なため、しっかりとバランスを取らなくてはならない。しかも、お互い鎧で完全武装しているわけではないので、斬る所はいくらでもある。バランスを崩した事が、命取りになるという事が何度もあった。
鎧に身を固めて使う剣法の事を介者(カイシャ)剣法という。それに対し、鎧をはずして使うのを素肌剣法と言った。
介者剣法では重い鎧を着ているため、動きも自由ではなく、腰を低く構え、斬る所にも制限がある。首を斬るには太刀を兜と鎧の隙間に突き入れなくてはならず、表籠手も鉄板や鎖でおおわれているので内側を狙わなければならない。その他、狙える所は鎧の胴と草摺(クサズリ)を繋ぐ糸の部分、足は佩楯(ハイダテ)の間から内股を突く位であった。戦国時代のこの当時は皆、この介者剣法である。やがて、江戸時代になって戦がなくなり、平和になるに従って、素肌剣法へと発達していく。しかし、水軍の剣法は早いうちから素肌剣法に近いものだったのかもしれない。
太郎は祖父、白峰を相手に木剣を振っていた。
「エーイ!」と太郎は掛声と共に白峰に打ちかかる。
白峰は太郎の木剣を受けると払い落とし、そのまま、太郎の両腕を打つ真似をした。
「もう、お前の両腕はないぞ。どうする」と白峰は太郎に聞いた。
太郎は自分の両腕の上で止まっている白峰の木剣を見つめていたが、「エイ!」と掛声をかけ、白峰の木剣を自分の木剣で打ち上げた。
愛洲白峰‥‥‥かつては、愛洲水軍の大将として、熊野から志摩にかけて名を轟かせていた。『愛洲の隼人(ハヤト)』と言えば海の猛者たちの間で恐れられ、また、尊敬もされていた。
八年前の戦の時、左脚に矢を射られ、射られた場所が悪かったとみえて、それ以来、左脚が自由にならなくなった。歩くにはたいして気にならないが、船上で自由に動き廻る事は難しくなった。それでも、水軍の大将として頑張っていたが、孫の太郎も生まれ、息子の宗忠も一人前になったので『隼人正』の名を宗忠に譲り、二年前から隠居して白峰と号していた。
「お爺ちゃん、もう手が痛いよ」と太郎は木剣を構えたまま白峰を見た。
「太郎、そんな事じゃ大将にはなれんぞ」
白峰は太郎の頭めがけて木剣を打った。
太郎はかろうじて、木剣でそれを受け止めた。
「よし、今日はこれまでにしておくか」
二人は木剣を引き、互いに礼をかわした。
「太郎、剣術は好きか」と白峰は海の方を見ながら言った。
「はい」と太郎も海を見ながら答えた。
「そうか、好きか‥‥‥」
のんびりとした春の海だった。
ちょうど旅人たちを乗せた船が、愛洲水軍に守られながら熊野に向かって出て行くところだった。船旅の無事を願う法螺(ホラ)貝や太鼓の音が港の方から賑やかに聞こえて来た。
「ねえ、お爺ちゃん、もうお船に乗らないの」
「うん、そうだな‥‥‥お前、船に乗りたいのか」
「うん、乗りたい」
「そうか、今度、お父さんに頼んで乗せて貰おう」
「ほんと?」と太郎は白峰の袖を引っ張った。
「ああ、本当だとも」白峰は太郎の肩を抱いた。
「わぁい、お船に乗れる。あの、お父さんが乗っている大きいお船がいいや」
「大きい船でも小さい船でも、何でも乗れるさ」
「ねえ、いつ? いつ乗れるの」
「それは、お父さんに聞いてみないとわからんよ。お父さんもお仕事が忙しいからな」
「早く乗りたいな‥‥‥ねえ、遊びに行っていい?」
「ああ。じゃが、気をつけるんじゃよ。海を甘くみちゃいかんぞ」
「大丈夫だよ」
「お前も海のように大きくなるんだぞ」
「海のように?」
太郎はきょとんとした顔で白峰の横顔を見ていたが、やがて、木剣を白峰に渡すと外に駈け出して行った。
白峰は目を細くして孫の後姿を見送った。
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