25.五月雨2
3
山ツツジがあちこちに咲いていた。
蓮如は慶聞坊を連れて、毎日、山に入って庭石と植木を捜し回っていた。
風眼坊はお雪を連れて避難所を巡り、負傷者や病人の治療に忙しかった。
一応、役目を果たして、一行が吉崎に戻って来たのは月例の講の前日だった。
陽気もよくなって来たため、今月の講は賑やかだった。
石川郡で戦騒ぎがあった事について、蓮如が何か言いはしないか、という期待を持って、江沼郡の坊主のほとんどが、その日、吉崎に集まって来ていた。
蓮如は、戦の事については一言も触れなかった。
坊主たちは、昨年の戦の時のように、講の終わった後、集合が掛けられるかもしれないと待っていたが、それもなかった。
皆、期待はずれという面持ちで、次の日、各道場に帰って行った。
二十八日の報恩講も無事に終わり、また、蓮如が本泉寺に行くと言い出すだろう、と待っていた風眼坊とお雪だったが、蓮如は風眼坊の家に忍んで来なかった。
蓮如は来なかったが、蓮崇は毎日のように来ていた。
風眼坊は以前、蓮崇に頼まれて、蓮崇の息子、乗円に剣術を教えていた。それは夕方の一時だったが、その時、蓮崇も一緒に来て、蓮崇も風眼坊から剣術を習っていた。自分が刺客に狙われていると聞き、刀の使い方くらい知らないと自分の身も守れないと、四十を過ぎて剣術を習い始めたのだった。
蓮崇と乗円の帰った後、風眼坊とお雪は縁側に並んで坐り、お茶を飲んでいた。
村田珠光(ジュコウ)に会って以来、風眼坊はお雪と二人でお茶会の真似事をして、毎日、仕事の終わった夕暮れ時に、お茶を楽しんでいた。
「上人様、どうしたんでしょうね」とお雪がお茶をすすりながら言った。
「この前、集めた庭石の配置でも考えておるんじゃないか。どうせ、来月になったら、出掛けようと言って来るさ」
「越中に避難している人たち、もう加賀には戻れないのでしょうか」
「難しいのう。国境は封鎖されておるし、山の中を通って加賀に戻っても住むべき土地がない」
「守護も随分、ひどい事をするのね。何もしてないのに勝手に土地を取り上げて、国外に追い出すなんて」
「ああ、ひどいのう。上人様も悩んでおる事じゃろうのう。上人様の力を持ってしても、どうする事もできんのじゃからのう」
「それじゃあ、あの人たちは、ずっと、あんな生活を続ける事になるの」
「いや、高橋殿と石黒殿は、いつか戻るつもりでおるじゃろうがのう。いつの事になるやら分からんのう」
「また、戦になるのね」
「多分な‥‥‥」
「いつになったら戦のない世の中になるのかしら」
「分からん‥‥‥」
蓮如は風眼坊の思った通り、五月になると、庭師に化けて風眼坊の家にやって来た。
「いい天気じゃのう」と縁側に腰を下ろすと蓮如は笑った。
「そろそろ、出掛けますか」と風眼坊も笑いながら聞いた。
「相変わらず、物分かりが早いのう」
「そろそろ、梅雨になりますからね。その前に片付けたいのでしょう」
「いや。本泉寺には行かん。庭造りは梅雨が明けてからでいい」
「と言う事は、一体、どこに行くのです」
お雪がお茶を持って来た。
「お雪殿、ますます美しくなられたのう」と蓮如はお雪をしみじみと見ながら言った。
「嫌ですよ、上人様。何を言ってるんです」
「いや、実はのう。お雪殿に頼みがあるんじゃ」
「何です、改まって」
「実は、御主人殿を二、三日、貸して貰いたいんじゃ」
「えっ! あたしが一緒に行ってはいけないのですか」
「今回の旅は危険じゃ。お雪殿には留守番していて貰いたいんじゃ。ここに一人でいるのが心細いようなら御山におっても構わんが、とにかく、留守番していて欲しいんじゃ」
「一体、どこに行くつもりです」と風眼坊は聞いた。
「山之内」と蓮如は言った。
「湯涌谷の事ですか」
「そうじゃ。何とかせにゃならん」
「山之内の頭は河合藤左衛門とか聞いておりますが、そいつと会うつもりですか」
「ああ。会って、話してみるつもりじゃ。そなたに道案内を頼みたい」
「蓮如殿、その河合とかに会った事はありますか」
「いや、ない。じゃが、鮎滝坊を建てた二曲右京進(フトウゲウキョウノシン)なら会った事はある」
「その二曲右京進とやらに、河合との面会を頼むつもりですか」
「ああ、そのつもりじゃ」
「分かりました」
風眼坊もお雪も、先月の半ば、蓮崇がひそかに河合藤左衛門に会っていた事を知っていたが口には出さなかった。
次の日、風眼坊は久し振りに山伏姿となって、蓮如は信証坊に扮して、久し振りの徒歩の旅で出掛けた。鮎滝坊には、その日の夕方に着き、二曲右京進と会った。
右京進はまだ二十二歳の若者だった。父親は戦で負傷し、歩くのも不自由なため、息子に右京進の名と共に家督を譲っていた。右京進は目の前にいる蓮如の姿を見ても、蓮如が今、ここにいるという事が信じられないかのようだった。
蓮如は右京進から、蓮崇が来た事を知って驚いた。右京進は、蓮如がその事を知らなかった事に驚いた。蓮崇が、ここに来たのは丁度、蓮如が本泉寺の庭石を捜している頃だった。蓮如は今回、ここに来る事を蓮崇には知らせなかった。お互いに内緒にして、同じ事をやっていたのだった。
次の日、二曲右京進の案内で、二人は河合藤左衛門の屋敷に向かった。広間の隣にある会所(カイショ)において面談は行なわれた。
蓮如と初めて会った藤左衛門は、蓮如と初めて会った者が、誰でも思う事と同じ事をやはり感じていた。目の前にいる蓮如は、どう見ても本願寺の頂点に立つ法主(ホッス)という感じではなかった。加賀国内に五万以上もの門徒を持ち、蓮如が一言命ずれば、その五万が武器を取って兵となって戦う。それ程の男には、どうしても見えなかった。
山之内衆は白山の衆徒であった。白山の長吏(チョウリ)は勿論の事、末寺(マツジ)の住職でさえ贅沢に身を飾り、寺院の奥の豪勢な書院で贅沢三昧(ゼイタクザンマイ)をして、ふんぞり返っていた。そんな法師たちを見慣れている河合の目から見ると、当然、本願寺の法主たる蓮如も、大勢の門徒に囲まれて贅沢な暮らしをしているものと思っていた。ところが、目の前にいる蓮如は、藤左衛門の予想をまったく、くつがえした。
藤左衛門は、二曲から蓮如が来たと聞いて、前回、蓮崇を送り、いよいよ、親玉が現れたか、と思った。蓮如から、どんなに偉そうな事を言われても、決して門徒にはなるまいと思い、きらびやかな法衣(ホウエ)にくるまれ、人を見下したような蓮如を想像しながら意気込んで会所に現れた。ところが、会所にいたのは粗末な墨衣(スミゴロモ)を来た年配の僧侶と、体格のいい目付きの鋭い山伏、そして、二曲がいただけだった。藤左衛門の想像していた蓮如像は、そこには影も形も見当たらなかった。
二曲が、墨衣の僧侶を蓮如だと紹介した。
藤左衛門は気が抜けたように蓮如を見ながら、この男が蓮如か‥‥‥と何度も、心の中で呟(ツブヤ)いていた。
蓮如は藤左衛門に、湯涌谷から手を引いてくれるよう頼んだ。頭まで下げて頼んだ。
藤左衛門には、なぜか、蓮崇に説明した通りの事を蓮如に言う事はできなかった。
「考えてみましょう」と藤左衛門は、やっとの思いで言った。
なぜだか、分からないが、藤左衛門は蓮如という男の持つ目に見えない不思議な力に圧倒されていた。今まで、こんな経験をした事はなかった。何度も戦を経験し、何度も恐ろしい目に会って来て、怖い物知らずだった藤左衛門が、目の前にいる粗末な墨衣を着た、ただ一人の僧侶が、なぜか、今まで経験した事ない程、恐ろしいもののように感じられた。背中を冷汗が流れ、握った手の中は汗でびっしょりだった。
藤左衛門はいたたまれず、少しの間、席をはずした。
藤左衛門は台所に行って、水を一杯飲み、気を落ち着かせると再び、会所に戻った。
湯涌谷の事を、蓮如はもう言わなかった。後は世間話をするだけだった。蓮如は本願寺の教えについても話さなかった。
半時程、話した後、藤左衛門は蓮如を引き留めた。
せっかく、何かの縁で、こうして会えたのだから、このまま別れるのは惜しい。ぜひ、今晩は共に酒を飲み交わしたい、と申し出た。蓮如は喜んで承諾した。
藤左衛門は家臣に命じ、蓮如と風眼坊を本宮四社を案内させた。蓮如は本宮や三宮の庭園を興味深そうに見て回った。それらの庭園を一度は見てみたかった蓮如だったが、思いもよらずに、その事が実現した事に喜びを隠せなかった。あちこちの庭園を見て回り、河合屋敷に帰って来たのは日が暮れる頃だった。
蓮如が庭園を見て回っていた頃、藤左衛門は山之内八人衆を集めて、今、蓮如が来ている事を告げ、一同に、この際、本願寺の門徒にならないかと勧めていた。
蓮如に会ってから、藤左衛門の考えは変わった。あの男が本願寺の法主なら門徒になるのもいい、と思うようになっていた。藤左衛門は蓮如の教えの事は何も知らなかった。何も知らなかったが、蓮如という人間に惹(ヒ)かれていた。あの男が本願寺の頂点に立っているのなら、その門下に入ってもいいと考えていた。藤左衛門は今まで、あれ程、大きな人間に会った事はなかった。言葉ではうまく説明できないが、藤左衛門には蓮如という男が、とてつもなく大きな人間に思えた。
結局、八人の意見はまとまらなかった。
藤左衛門は前回、蓮崇が来た時も八人を集めて、蓮崇が言った事を皆に告げた。国人門徒たちが、どういう風に勢力を広げて行ったか、という事を皆、興味深そうに聞いていたが、本気で門徒になろうと考えた者はいなかった。藤左衛門自身も門徒になろうとは考えなかった。ところが、蓮如に会った藤左衛門はしきりに門徒になる事を勧めた。皆、不思議がり、蓮如に何を言われたんだ、と聞いたが、藤左衛門にはうまく説明できなかった。とりあえず、一度、蓮如に会ってみてくれと言い、今晩の酒宴に八人、全員が参加するという事になった。
蓮如と風眼坊は一風呂浴びて、広い庭園に面して建つ客殿の一室でくつろいでいた。
「風眼坊殿、あの河合藤左衛門という男、どう見るかな」と蓮如が池の向こうに建つ茶屋のような建物を眺めながら聞いた。
「なかなかの男ですな。義理堅い所があり、曲がった事は嫌いのようじゃ。いつまでも、こんな山の中に納まっておるような男ではありませんね」
「やがて、山から出て行くか‥‥‥」
「多分‥‥‥」
「しかし、湯涌谷を返してくれそうもないのう」
「返して貰うのは難しいでしょう。山之内衆にしてみれば、守護から正式に貰ったと思っておるでしょう。もし、その土地を湯涌谷衆に戻したら、守護の命に背く事になって、山之内衆は守護に敵対するという結果になってしまいます」
「そうか‥‥‥簡単に返すというわけにはいかんのか‥‥‥」
「ただ、河合藤左衛門と親交を深めておけば、この先、この山之内の地に教えを広げるのに何かと有利になる事は確かです」
「白山の膝元であるこの地に教えを広めるのか‥‥‥それも難しい事じゃ」
「そうですかね。わしは、もう十年も前にここに来た事がありますが、その時は、今と比べられない程、栄えておりました。信者たちの数は勿論の事、山伏が物凄くおりました。ところが今回、山伏の数がやけに減っております。山之内の国人たちにしろ、すでに、白山とは以前程、深くつながってないように思われます」
「そんなもんかのう。だとすると、河合殿も門徒になる可能性もあり、というわけじゃな」
「あるかもしれません」
「うむ。時間を掛けて、やってみるか」
その晩、蓮如と風眼坊は客として上座に坐らせられ、八人の山之内衆に歓迎を受けた。
河合藤左衛門と二曲右京進以外の六人は、広間に入って来た蓮如の姿を見て、藤左衛門が感じたのと同じ衝撃を受けていた。初めのうち、ポカンとして蓮如を見ていた六人だったが、酒が入るに従って宴も盛り上がって行った。そして、六人が六人共、藤左衛門が思ったように、この人が本願寺の法主であるならば門徒になるのも悪くはない、と心の中で思い始めていた。
山之内庄から戻ると蓮如は、しばらく書斎に籠もっていた。そして、七日の日に御文を発表した。その御文には、門徒が守るべき十ケ条の篇目が掲げられてあった。
一、諸神、諸仏菩薩(ボサツ)等をかろしむべからざるよしの事。
一、外には王法をもっぱらにして、内には仏法を本とすべき事。
一、国にありては守護、地頭方において、決して、粗略にすべからず事。
一、当流の安心(アンジン)のおもむきを詳しく存知せしめて、すみやかに今度の報土往生(ホウドオウジョウ)を治定(ジジョウ)すべき事。
一、信心決定(シンジンケツジョウ)の上には、常に仏恩報尽のために称名(ショウミョウ)念仏すべき事。
一、他力の信心獲得せしめたらんともがら(仲間)は、必ず、人を勧化(カンゲ)せしめん思いをなすべきよしの事。
一、坊主分たらん人は、必ず、自心も安心決定して、また門徒をもあまねく信心のとおりをねんごろに勧化すべき事。
一、当流のうちにおいて沙汰せざるところのわたくしの名目を使いて、法流を乱すべからざる事。
一、仏法について、たとえ正義(ショウギ)たりというとも、しげからん事においては、かたく停止(チョウジ)すべき事。
一、当宗の姿をもて、わざと他人に対して、これを見せしめて、一宗のたたずまいをあさまになせる事。
山之内衆は蓮如と会って、共に酒を酌み交わし、そのまま門徒になるのでは、という徴候も見られたが、あの後、まったく動きは見られなかった。
蓮如は、松岡寺(ショウコウジ)の蓮綱に、山之内衆を門徒にするように命じていた。ただ、焦らずに、じっくり時間を掛けても構わんから、一人づつでも門徒にしろと命じた。
蓮如が十ケ条の篇目を書いた頃より、梅雨に入ったようだった。
風眼坊が大峯山を下りてから、もうすぐ一年だった。
この一年間で、風眼坊は自分でも不思議に思う位に変わっていた。まず、今の風眼坊は山伏ではなかった。去年まで、山伏以外の自分を想像する事すらできなかったのに、今は、町人たちと共に町中に住む医者だった。しかも、若くて可愛いい妻までもいた。決まった所に住まず、年中、旅をしていた風眼坊にとって、梅雨という、うっとおしい時期は一番嫌いだった。ところが、今年は屋根の下で暮らしていた。雨が続いても濡れる事はない。お雪と二人で縁側に坐り、庭の紫陽花(アジサイ)の花を眺めながら、のんびりと暮らしていた。
「越中で避難している人たち、雨の中、大変でしょうね」とお雪が言った。
「うむ。悪い病気が流行らなければいいが‥‥‥」
「子供たちが可哀想ね」
「そう言えば、大きなおなかを抱えておった女たちが何人かいたが、無事に子供を産んだかのう」
「生まれて来る子供も可哀想だわ」
「可哀想でもしょうがない。生まれた子供を殺すわけにも行くまい。いや、間引(マビ)きされたかもしれんのう」
「間引き?」
「生まれた赤ん坊の鼻と口をふさいで殺してしまうんじゃよ」
「ひどいわ。そんな事、実際にあるの」
「あるさ。ぎりぎりの生活をしておれば子供なんか育てられんからのう。寛正(カンショウ)の大飢饉の時なんか、ひどいものじゃったぞ。道端に生まれたばかりの赤ん坊が犬や猫のように捨ててあったわ。もっとも、あの時は赤ん坊だけじゃなく、京の都は人の死体だらけじゃったがのう。殺されるために生まれて来る赤ん坊は哀れなものじゃ」
「そう‥‥‥ひどいのね」
「あの時は、わしも京におったが、まさしく、この世の地獄じゃったのう」
「地獄‥‥‥」と言いながら、お雪はぼうっと雨垂れを見ていた。
「地獄を思い出したのか」と風眼坊は聞いた。
「えっ、違うわ‥‥‥ねえ、もう一度、越中に行きません」
「この雨の中をか」
「だって、あの人たち、あんな小屋の中にぎゅうぎゅう詰めになって暮らしてるのよ。きっと病気になるわ」
「それは分かるが、梅雨が上がってからにしよう」
「それでは遅いわ。今、行きましょう」
風眼坊はお雪の顔を見つめた。お雪の顔は本気だった。お雪の気の強さは風眼坊にはよく分かっていた。一度、決めたら、どんな事をしても実行に移すという頑固さだった。風眼坊が行かないと言っても、一人でも出掛けて行くに違いなかった。
風眼坊はお雪を抱き寄せると、「しょうがないのう」と言った。
お雪は風眼坊に抱かれながら、ニコっと笑った。
さっそく、風眼坊は御山に登り、蓮如に本泉寺の勝如尼と瑞泉寺の蓮乗宛の書状を書いて貰い、本泉寺までの船の手配を頼んだ。蓮如も一緒に行きたいようだったが、雨が降っていては庭造りはできない。梅雨が上がれば、すぐに本泉寺に行きたいので、それまでに帰って来てくれ、と風眼坊に頼んだ。
蓮如の代わりに、その場にいた蓮崇が共に行く事となった。
湯涌谷は蓮崇の本拠地だった。風眼坊が避難民のために、この雨の中、わざわざ出向くと言うのに、蓮崇が一度も顔を出していないのは申し訳ない。ぜひ、連れて行ってくれ、と言った。蓮如も許したので蓮崇はさっそく旅の準備を始めた。蓮崇が共に行ってくれれば、風眼坊にしても医療品の調達など、現地の門徒たちと交渉するのに何かと便利だった。
風眼坊はまた、元、時宗の徒だった潮津(ウシオツ)道場の門徒に声を掛けた。医術の心得のある者、男十人、女十人を吉崎に呼んで、共に本泉寺に向かった。
その頃、大桑の善福寺では、順慶(ジュンキョウ)と慶恵の兄弟を中心に、守護の富樫を攻める包囲網が着々と進んでいた。ただ、彼らの動きは守護代の槻橋(ツキハシ)近江守に筒抜けだった。
槻橋近江守の本拠地は、白山本宮のすぐ側の槻橋(月橋町)だった。槻橋家は古くから本宮とつながりを持っていた。近江守は、本願寺を倒すために白山衆徒と結び、白山の山伏を本願寺の各寺院を初め、有力門徒のもとに潜伏させていた。諜報活動に当たっては、白山の山伏たちの方が本願寺の門徒たちよりも、ずっと上手(ウワテ)である。昔に比べて白山の勢力は衰えているとはいえ、まだまだ、白山系の寺院は各地にあって山伏たちは活動している。本願寺の門徒でさえ、病気の時などには、未だに彼らの加持祈祷を頼みとしていた。
白山の山伏たちは門徒に化けて、本願寺の道場や寺院に出入りし、どんな些細な動きでも槻橋近江守のもとに知らせていた。順慶にしろ慶恵にしろ、そんな事にはまったく気づかず、大将になったつもりで得意になって打倒富樫の作戦を進めていた。
彼らの作戦は、梅雨明けの増水時を狙って富樫勢を手取川と犀川との間に封じ込め、一気に野々市を潰すというものだった。
敵の兵力は野々市に三千と木目谷に五百、山川城に五百で合わせて四千。
本願寺側は、手取川流域の安吉源左衛門、笠間兵衛の兵力が合わせて六千。河北潟の伊藤宗右衛門の兵力が五百、木目谷の高橋新左衛門の配下で、河北潟に避難している一瀬勝三郎率いる五百と合わせて一千。倉月庄磯部の聖安寺(ショウアンジ)に避難している田上五郎兵衛率いる五百と倉月庄の国人たち二千。それに、犀川上流で避難している辰巳右衛門佐率いる五百と、越中にいる千五百。総勢一万一千余りの兵力があれば、有力寺院の門徒たちが動かなくても充分に勝算があると言えた。
守護代の槻橋近江守は野々市にいながら本願寺の動きを手に取るようにつかんでいても、特に動く様子は見せなかった。槻橋としても、一気に倒すつもりでいた。敵が動き始めた出鼻を挫(クジ)くのが、一番いいだろうと思っていた。
勝負は梅雨が明けた時に決まると言えた。その時を目標にして、お互いに着々と準備を進めていた。
毎日、雨の降り続く梅雨の最中、山之内衆が動いた。
湯涌谷を占拠していた山之内衆が、どうした事か、全員、引き上げてしまった。
山の上から湯涌谷を見張っていた竹内弥右衛門は信じられない事のように、隊列を組んで去って行く山之内衆を見送っていた。全員が去った後、湯涌谷に下りた竹内は手下の者を瑞泉寺の石黒孫左衛門のもとに送り、村々を見て回った。
家々は破壊されてはいなかった。蔵の中には米も残っていた。そして、山之内衆が本陣として使用していたと思われる蓮崇の屋敷の中に、『この度、山之内衆は全員、蓮如上人に帰依(キエ)する事となった。ゆえに、湯涌谷は湯涌谷衆にお返しする』というような事が漢文で書かれてあった。その文の後には、山之内衆の代表八人の名前が並んでいた。
竹内からの知らせを聞いた石黒孫左衛門と高橋新左衛門は、突然、降って来たような幸運が、とても信じられず、敵の罠(ワナ)かもしれないと警戒した。そして、武装させた兵百人を石黒が自ら引き連れて偵察に出掛けた。偵察隊は湯涌谷で一晩様子を見てから安全を確認し、越中に避難していた湯涌谷衆と木目谷衆、全員を呼んだ。湯涌谷衆に取っては、二ケ月半振りの我家への帰還だった。
それは六月の三日、風眼坊たちが蓮崇と共に越中の避難所を巡り、吉崎に戻ってから五日後の出来事だった。さらに、山之内八人衆が松岡寺の蓮綱に帰依したのが、次の日の四日である。その日の内に、蓮綱によって、山之内衆が湯涌谷から手を引いた、との知らせが吉崎に入り、五日には、湯涌谷衆によって、越中に避難していた門徒全員が湯涌谷に戻ったという知らせが吉崎に届いた。
その知らせを聞いた時、さすがに、蓮如も蓮崇も嬉しそうだった。
蓮如の口から思わず『南無阿弥陀仏』と念仏がこぼれた。
蓮崇も念仏を唱えたが、蓮崇の念仏は蓮如の念仏と違い、阿弥陀如来に対する感謝の念仏ではなく、山之内衆に対する感謝の念仏であった。念仏を唱えながらも、蓮崇の頭の中では、次に木目谷をどうしたらいいかという事を考えていた。
「蓮崇、風眼坊殿に知らせてやってくれ。風眼坊殿にもお雪殿にも、随分と苦労させてしまったからのう」と蓮如は雨を眺めながら言った。
「畏まりました」
蓮崇は頭を下げると蓮如の書斎から出て行った。
久し振りに、強い日差しだった。
暑い夏の始まる兆(キザ)しだった。
待っていました、と蓮如は活動を始めた。
慶聞坊、風眼坊、お雪を連れて真っ青な海に船を乗り出した。目指すは勿論、本泉寺だった。今回の旅で、蓮如は庭園を完成させるつもりでいた。
梅雨明けを、指をくわえて待っていたのは蓮如だけではなかった。大桑の善福寺にいる順慶、慶恵の兄弟も、毎日、雨を睨みながら、その日が来るのを待っていた。
彼らは梅雨明けと同時に作戦を開始した。
湯涌谷にいる湯涌谷衆と木目谷衆一千五百の兵の内、五百を犀川上流に移し、辰巳右衛門佐の兵五百と合流させた。そして、その一千の兵を持って、下流にある山川城の山川亦次郎を攻撃させ、湯涌谷にいる兵一千を持って、木目谷城にいる高尾(タコウ)若狭守を攻撃させる。
山川城も木目谷城も守る兵の数は約五百だった。奇襲を掛ければ簡単に落ちるだろうと思われた。さらに、大野庄の吉藤専光寺に河北潟の国人、伊藤宗右衛門率いる五百の兵と伊藤のもとに避難していた木目谷衆の一瀬勝三郎率いる五百の兵、合わせて一千の兵が待機し、倉月庄の磯部聖安寺には田上五郎兵衛率いる五百の兵と倉月庄八人衆の兵、二千が待機し、善福寺にも倶利伽羅の越智伯耆守、砂子坂の高坂四郎左衛門、長江の松田次郎左衛門らの兵一千が待機して、木目谷城と山川城が落ち次第、一斉に野々市を攻める手筈になっていた。
本願寺の寺院を本陣としたのは、前回の戦の時、戦場の真っ只中にあった善福寺が、まったくの無傷だったため、守護側は、今回の戦では国人を敵としていて、本願寺を敵とはしていない、本願寺の寺院を攻める事はないだろうと判断したためだったが、それが甘い考えだったという事が、後になって悔やまれる結果となった。
守護側の大将である槻橋近江守は本願寺の動きを知っていながら、まったく気づかない振りをして、木目谷城、山川城には援軍を送らなかった。そして、木目谷とは反対方向の手取川において軍事行動を起こした。
松任(マットウ)城を守る鏑木右衛門尉(カブラギウエモンノジョウ)に安吉源左衛門を攻撃させた。すでに、右衛門尉の父親、兵衛尉(ヒョウエノジョウ)は本願寺の門徒となっていた。兵衛尉は本願寺門徒だったが、息子の右衛門尉は守護富樫次郎の姉婿(ムコ)という複雑な立場に立たされていた。
兵衛尉が門徒となったという事も、兵衛尉が自ら、近江守に知らせる以前に近江守は知っていた。兵衛尉は安吉と笠間を暗殺するために門徒となったのだと説明した。近江守が、その事を信じたとは思えないが、一応、納得したように見えた。しかし、兵衛尉の回りには常に近江守の目が光っていた。
近江守の命(メイ)が届くと、兵衛尉は息子に出陣を命じた。三百の兵を武装させ手取川に向かった。手取川の水量は増し、勢いよく流れていた。手取川を挟んで、鏑木と安吉の睨み合いが続いた。お互いに川を渡る事は不可能だった。
鏑木の兵と安吉の兵は睨み合ってはいても、戦をする気はまったくなかった。ただの形だけだった。鏑木兵衛尉と安吉源左衛門は近江守の放った間者(カンジャ)の目の光る中で、度々、会って、お互いの腹の内をすっかり相手に知らせてあった。間者の目をごまかすために、源左衛門を狙う振りもして見せた。今日の戦の事もすでに予想し、お互いに、打ち合わせも済んでいた。
また、守護代の近江守にしても、この手取川における戦は、敵の目をごまかすためのもので、本気で安吉を討つつもりではなかった。鏑木の兵三百足らずで、安吉に勝てるとは思っていない。ただ、敵の目を手取川に引き付けておくための手段に過ぎなかった。案の定、善福寺にいる順慶と慶恵の二人は、やはり、敵の次の目標は手取川の国人だったと勘違いした。敵の目が南を向いているうちに、木目谷はいただきだ、と自分たちの作戦の成功を確信して気分をよくしていた。
湯涌谷衆と木目谷衆の準備が調い、浅野川と犀川の上流から、木目谷城、山川城を目指して攻め下りて来たのは、手取川の睨み合いが始まった二日後だった。一気に踏み倒して行くはずだった。ところが、敵の守りは固かった。敵は一向に城から出て来て戦おうとはしなかった。攻めて来る事を前以て知っていたかのように、万全の準備をして待っていた。
一日中、攻めまくっても、味方の負傷者が増えるばかりで、まったく埓(ラチ)が明かなかった。
善福寺において、作戦の総指揮を取っていた順慶と慶恵はイライラしながら戦況を聞いていた。二つの城が落ちなければ作戦のすべてが破れてしまう。
結局、味方の損害ばかりが大きく、木目谷城も山川城もびくともしないで、その日は暮れて行った。
蓮崇と慶覚坊の二人が善福寺に来たのは、木目谷城、山川城で戦が行なわれている最中だった。二人は吉崎にて手取川の戦の事を聞いて慌てて飛んで来たが、安吉源左衛門より事情を聴き、手取川の事は安心し、せっかく、ここまで来たのだから善福寺まで行ってみるか、と来てみたら、この騒ぎだった。
その夜、善福寺において軍議が行なわれた。木目谷城を攻めている高橋新左衛門、山川城を攻めている石黒孫左衛門も来ていた。二人とも気が立っていた。
「一体、これはどうした事じゃ。奇襲どころではないわ。敵はわしらが来る事を知っておって、すっかり守りを固めておる。あれだけ守りが固かったら、一月経っても落ちるかどうか分からん」と高橋は怒鳴るように言った。
「内密に事を運んだはずなんじゃがのう。おかしいのう」と順慶は絵地図を見ながら言った。
「湯涌谷に戻った時点で、敵は、いつか攻めて来ると気づいたんじゃないかのう。そして、いつ、攻めて来てもいいように守りを固めて待っておった。そうとしか思えんのう」と蓮崇が言った。
「敵の動きをよく調べましたか」と慶覚坊は聞いた。
「敵の兵力は調べた。五百足らずしかおらんというので簡単に落ちると思っておった」と順慶が答えた。
「たとえ、五百足らずとはいえ、城を攻め落とすというのは容易な事ではない。それで、今日の被害はどんなもんじゃ」
「木目谷において、百人以上の負傷者が出ておる」と高橋は言った。
「山川城でも百人以上はおるのう。二百人近くおるかもしれん」と石黒は言った。
「早い内に落とさないと野々市から攻められ、また、越中に追い出されるかもしれん」
「これから、どうするつもりです」と蓮崇は聞いた。
「今、山向こうの長江の地に松田次郎左衛門、高坂四郎左衛門、越智伯耆守らが兵を引き連れ待機しておる」と慶恵は言った。「木目谷城と山川城を落としてから、ここで合流するはずだったんじゃが、奴らにも加わって貰うしかあるまい」
「連絡はしてありますか」
「ああ、明日の早朝には、こちらに向かうはずじゃ」と順慶が答えた。
「まあ、とにかく、明日一日、攻めてみて、もし、駄目だったら、その二つは後回しにした方がいいかもしれんのう。いつまでも、こんな所に引き留められておったら、他の場所で待機しておる兵の士気が落ちてしまう」と慶恵が言った。
「それがいい」と順慶が頷いた。「もし、敵が城から出て来て、後を追って来るようなら叩き、出て来なかったら後回しじゃ」
次の朝、善福寺に到着したのは予想に反して、松田次郎左衛門率いる三百足らずの兵だけだった。高坂と越智の兵は少し遅れるが、今日の内には到着するだろうとの事だった。
松田の兵は、そのまま木目谷に向かい、高橋新左衛門と合流した。また、山川城を攻めている兵の内、三百も木目谷に向かわせた。とりあえずは、山川城を落とすより、木目谷城の方が先決だった。山川城は囲むだけにして集中的に木目谷城を攻め立てた。
様々な作戦を立て、一日掛かりで攻め続けたが落とす事はできなかった。
高坂と越智の率いる兵八百余りが善福寺に到着したのは日の暮れ掛かった頃だった。森下川が氾濫して、なかなか渡れず、予定より遅れてしまったのだと言う。
すでに、この時、各地において準備は調っていた。
聖安寺に兵二千五百、専光寺に兵一千、手取川の下流では、笠間兵衛率いる三千の兵が川を渡り、安吉の兵も一千人が鏑木の兵と睨み合いを続け、後の二千は少し上流から川を渡っていた。全部合わせて一万余りの兵を持って、三千足らずの野々市の守護所を攻めるという作戦だった。作戦通りに行けば、守護の富樫家は明日か明後日のうちに、この世から消えるはずだった。
善福寺にいた蓮崇も慶覚坊も、順慶と慶恵の立てた作戦がうまく行くに違いないと思った。蓮崇が提案した通り、これは国人一揆だった。中心になっているのは国人たちで、本願寺は関係なかった。作戦を立てたのは本願寺の坊主だったが、二人は表には出ていない。しかし、本願寺が作戦に拘(カカ)わっているという事は重要な事を意味していた。もし、今回の戦に勝利した場合、国人だけの手によって勝ったとしたら、勝利を得た国人たちが富樫と入れ代わって、守護の地位に付く可能性があった。ところが、作戦を立てたのが本願寺の坊主なら、勝利を得た時点において、国人一揆を本願寺一揆にすり替える事ができる。本願寺一揆が守護を倒したとなれば、加賀の守護に付くのは本願寺だった。うまく行けば、加賀の国が『本願寺の持ちたる国』になるのも近い、と蓮崇は思った。
その晩、木目谷城と山川城の事を諦め、明日、野々市に攻め込む事が決定した。
東の空に満月が出ていた。その月明かりの中、各地の兵のもとに伝令が走った。
「いい天気じゃのう」と縁側に腰を下ろすと蓮如は笑った。
「そろそろ、出掛けますか」と風眼坊も笑いながら聞いた。
「相変わらず、物分かりが早いのう」
「そろそろ、梅雨になりますからね。その前に片付けたいのでしょう」
「いや。本泉寺には行かん。庭造りは梅雨が明けてからでいい」
「と言う事は、一体、どこに行くのです」
お雪がお茶を持って来た。
「お雪殿、ますます美しくなられたのう」と蓮如はお雪をしみじみと見ながら言った。
「嫌ですよ、上人様。何を言ってるんです」
「いや、実はのう。お雪殿に頼みがあるんじゃ」
「何です、改まって」
「実は、御主人殿を二、三日、貸して貰いたいんじゃ」
「えっ! あたしが一緒に行ってはいけないのですか」
「今回の旅は危険じゃ。お雪殿には留守番していて貰いたいんじゃ。ここに一人でいるのが心細いようなら御山におっても構わんが、とにかく、留守番していて欲しいんじゃ」
「一体、どこに行くつもりです」と風眼坊は聞いた。
「山之内」と蓮如は言った。
「湯涌谷の事ですか」
「そうじゃ。何とかせにゃならん」
「山之内の頭は河合藤左衛門とか聞いておりますが、そいつと会うつもりですか」
「ああ。会って、話してみるつもりじゃ。そなたに道案内を頼みたい」
「蓮如殿、その河合とかに会った事はありますか」
「いや、ない。じゃが、鮎滝坊を建てた二曲右京進(フトウゲウキョウノシン)なら会った事はある」
「その二曲右京進とやらに、河合との面会を頼むつもりですか」
「ああ、そのつもりじゃ」
「分かりました」
風眼坊もお雪も、先月の半ば、蓮崇がひそかに河合藤左衛門に会っていた事を知っていたが口には出さなかった。
次の日、風眼坊は久し振りに山伏姿となって、蓮如は信証坊に扮して、久し振りの徒歩の旅で出掛けた。鮎滝坊には、その日の夕方に着き、二曲右京進と会った。
右京進はまだ二十二歳の若者だった。父親は戦で負傷し、歩くのも不自由なため、息子に右京進の名と共に家督を譲っていた。右京進は目の前にいる蓮如の姿を見ても、蓮如が今、ここにいるという事が信じられないかのようだった。
蓮如は右京進から、蓮崇が来た事を知って驚いた。右京進は、蓮如がその事を知らなかった事に驚いた。蓮崇が、ここに来たのは丁度、蓮如が本泉寺の庭石を捜している頃だった。蓮如は今回、ここに来る事を蓮崇には知らせなかった。お互いに内緒にして、同じ事をやっていたのだった。
次の日、二曲右京進の案内で、二人は河合藤左衛門の屋敷に向かった。広間の隣にある会所(カイショ)において面談は行なわれた。
蓮如と初めて会った藤左衛門は、蓮如と初めて会った者が、誰でも思う事と同じ事をやはり感じていた。目の前にいる蓮如は、どう見ても本願寺の頂点に立つ法主(ホッス)という感じではなかった。加賀国内に五万以上もの門徒を持ち、蓮如が一言命ずれば、その五万が武器を取って兵となって戦う。それ程の男には、どうしても見えなかった。
山之内衆は白山の衆徒であった。白山の長吏(チョウリ)は勿論の事、末寺(マツジ)の住職でさえ贅沢に身を飾り、寺院の奥の豪勢な書院で贅沢三昧(ゼイタクザンマイ)をして、ふんぞり返っていた。そんな法師たちを見慣れている河合の目から見ると、当然、本願寺の法主たる蓮如も、大勢の門徒に囲まれて贅沢な暮らしをしているものと思っていた。ところが、目の前にいる蓮如は、藤左衛門の予想をまったく、くつがえした。
藤左衛門は、二曲から蓮如が来たと聞いて、前回、蓮崇を送り、いよいよ、親玉が現れたか、と思った。蓮如から、どんなに偉そうな事を言われても、決して門徒にはなるまいと思い、きらびやかな法衣(ホウエ)にくるまれ、人を見下したような蓮如を想像しながら意気込んで会所に現れた。ところが、会所にいたのは粗末な墨衣(スミゴロモ)を来た年配の僧侶と、体格のいい目付きの鋭い山伏、そして、二曲がいただけだった。藤左衛門の想像していた蓮如像は、そこには影も形も見当たらなかった。
二曲が、墨衣の僧侶を蓮如だと紹介した。
藤左衛門は気が抜けたように蓮如を見ながら、この男が蓮如か‥‥‥と何度も、心の中で呟(ツブヤ)いていた。
蓮如は藤左衛門に、湯涌谷から手を引いてくれるよう頼んだ。頭まで下げて頼んだ。
藤左衛門には、なぜか、蓮崇に説明した通りの事を蓮如に言う事はできなかった。
「考えてみましょう」と藤左衛門は、やっとの思いで言った。
なぜだか、分からないが、藤左衛門は蓮如という男の持つ目に見えない不思議な力に圧倒されていた。今まで、こんな経験をした事はなかった。何度も戦を経験し、何度も恐ろしい目に会って来て、怖い物知らずだった藤左衛門が、目の前にいる粗末な墨衣を着た、ただ一人の僧侶が、なぜか、今まで経験した事ない程、恐ろしいもののように感じられた。背中を冷汗が流れ、握った手の中は汗でびっしょりだった。
藤左衛門はいたたまれず、少しの間、席をはずした。
藤左衛門は台所に行って、水を一杯飲み、気を落ち着かせると再び、会所に戻った。
湯涌谷の事を、蓮如はもう言わなかった。後は世間話をするだけだった。蓮如は本願寺の教えについても話さなかった。
半時程、話した後、藤左衛門は蓮如を引き留めた。
せっかく、何かの縁で、こうして会えたのだから、このまま別れるのは惜しい。ぜひ、今晩は共に酒を飲み交わしたい、と申し出た。蓮如は喜んで承諾した。
藤左衛門は家臣に命じ、蓮如と風眼坊を本宮四社を案内させた。蓮如は本宮や三宮の庭園を興味深そうに見て回った。それらの庭園を一度は見てみたかった蓮如だったが、思いもよらずに、その事が実現した事に喜びを隠せなかった。あちこちの庭園を見て回り、河合屋敷に帰って来たのは日が暮れる頃だった。
蓮如が庭園を見て回っていた頃、藤左衛門は山之内八人衆を集めて、今、蓮如が来ている事を告げ、一同に、この際、本願寺の門徒にならないかと勧めていた。
蓮如に会ってから、藤左衛門の考えは変わった。あの男が本願寺の法主なら門徒になるのもいい、と思うようになっていた。藤左衛門は蓮如の教えの事は何も知らなかった。何も知らなかったが、蓮如という人間に惹(ヒ)かれていた。あの男が本願寺の頂点に立っているのなら、その門下に入ってもいいと考えていた。藤左衛門は今まで、あれ程、大きな人間に会った事はなかった。言葉ではうまく説明できないが、藤左衛門には蓮如という男が、とてつもなく大きな人間に思えた。
結局、八人の意見はまとまらなかった。
藤左衛門は前回、蓮崇が来た時も八人を集めて、蓮崇が言った事を皆に告げた。国人門徒たちが、どういう風に勢力を広げて行ったか、という事を皆、興味深そうに聞いていたが、本気で門徒になろうと考えた者はいなかった。藤左衛門自身も門徒になろうとは考えなかった。ところが、蓮如に会った藤左衛門はしきりに門徒になる事を勧めた。皆、不思議がり、蓮如に何を言われたんだ、と聞いたが、藤左衛門にはうまく説明できなかった。とりあえず、一度、蓮如に会ってみてくれと言い、今晩の酒宴に八人、全員が参加するという事になった。
蓮如と風眼坊は一風呂浴びて、広い庭園に面して建つ客殿の一室でくつろいでいた。
「風眼坊殿、あの河合藤左衛門という男、どう見るかな」と蓮如が池の向こうに建つ茶屋のような建物を眺めながら聞いた。
「なかなかの男ですな。義理堅い所があり、曲がった事は嫌いのようじゃ。いつまでも、こんな山の中に納まっておるような男ではありませんね」
「やがて、山から出て行くか‥‥‥」
「多分‥‥‥」
「しかし、湯涌谷を返してくれそうもないのう」
「返して貰うのは難しいでしょう。山之内衆にしてみれば、守護から正式に貰ったと思っておるでしょう。もし、その土地を湯涌谷衆に戻したら、守護の命に背く事になって、山之内衆は守護に敵対するという結果になってしまいます」
「そうか‥‥‥簡単に返すというわけにはいかんのか‥‥‥」
「ただ、河合藤左衛門と親交を深めておけば、この先、この山之内の地に教えを広げるのに何かと有利になる事は確かです」
「白山の膝元であるこの地に教えを広めるのか‥‥‥それも難しい事じゃ」
「そうですかね。わしは、もう十年も前にここに来た事がありますが、その時は、今と比べられない程、栄えておりました。信者たちの数は勿論の事、山伏が物凄くおりました。ところが今回、山伏の数がやけに減っております。山之内の国人たちにしろ、すでに、白山とは以前程、深くつながってないように思われます」
「そんなもんかのう。だとすると、河合殿も門徒になる可能性もあり、というわけじゃな」
「あるかもしれません」
「うむ。時間を掛けて、やってみるか」
その晩、蓮如と風眼坊は客として上座に坐らせられ、八人の山之内衆に歓迎を受けた。
河合藤左衛門と二曲右京進以外の六人は、広間に入って来た蓮如の姿を見て、藤左衛門が感じたのと同じ衝撃を受けていた。初めのうち、ポカンとして蓮如を見ていた六人だったが、酒が入るに従って宴も盛り上がって行った。そして、六人が六人共、藤左衛門が思ったように、この人が本願寺の法主であるならば門徒になるのも悪くはない、と心の中で思い始めていた。
4
山之内庄から戻ると蓮如は、しばらく書斎に籠もっていた。そして、七日の日に御文を発表した。その御文には、門徒が守るべき十ケ条の篇目が掲げられてあった。
一、諸神、諸仏菩薩(ボサツ)等をかろしむべからざるよしの事。
一、外には王法をもっぱらにして、内には仏法を本とすべき事。
一、国にありては守護、地頭方において、決して、粗略にすべからず事。
一、当流の安心(アンジン)のおもむきを詳しく存知せしめて、すみやかに今度の報土往生(ホウドオウジョウ)を治定(ジジョウ)すべき事。
一、信心決定(シンジンケツジョウ)の上には、常に仏恩報尽のために称名(ショウミョウ)念仏すべき事。
一、他力の信心獲得せしめたらんともがら(仲間)は、必ず、人を勧化(カンゲ)せしめん思いをなすべきよしの事。
一、坊主分たらん人は、必ず、自心も安心決定して、また門徒をもあまねく信心のとおりをねんごろに勧化すべき事。
一、当流のうちにおいて沙汰せざるところのわたくしの名目を使いて、法流を乱すべからざる事。
一、仏法について、たとえ正義(ショウギ)たりというとも、しげからん事においては、かたく停止(チョウジ)すべき事。
一、当宗の姿をもて、わざと他人に対して、これを見せしめて、一宗のたたずまいをあさまになせる事。
山之内衆は蓮如と会って、共に酒を酌み交わし、そのまま門徒になるのでは、という徴候も見られたが、あの後、まったく動きは見られなかった。
蓮如は、松岡寺(ショウコウジ)の蓮綱に、山之内衆を門徒にするように命じていた。ただ、焦らずに、じっくり時間を掛けても構わんから、一人づつでも門徒にしろと命じた。
蓮如が十ケ条の篇目を書いた頃より、梅雨に入ったようだった。
風眼坊が大峯山を下りてから、もうすぐ一年だった。
この一年間で、風眼坊は自分でも不思議に思う位に変わっていた。まず、今の風眼坊は山伏ではなかった。去年まで、山伏以外の自分を想像する事すらできなかったのに、今は、町人たちと共に町中に住む医者だった。しかも、若くて可愛いい妻までもいた。決まった所に住まず、年中、旅をしていた風眼坊にとって、梅雨という、うっとおしい時期は一番嫌いだった。ところが、今年は屋根の下で暮らしていた。雨が続いても濡れる事はない。お雪と二人で縁側に坐り、庭の紫陽花(アジサイ)の花を眺めながら、のんびりと暮らしていた。
「越中で避難している人たち、雨の中、大変でしょうね」とお雪が言った。
「うむ。悪い病気が流行らなければいいが‥‥‥」
「子供たちが可哀想ね」
「そう言えば、大きなおなかを抱えておった女たちが何人かいたが、無事に子供を産んだかのう」
「生まれて来る子供も可哀想だわ」
「可哀想でもしょうがない。生まれた子供を殺すわけにも行くまい。いや、間引(マビ)きされたかもしれんのう」
「間引き?」
「生まれた赤ん坊の鼻と口をふさいで殺してしまうんじゃよ」
「ひどいわ。そんな事、実際にあるの」
「あるさ。ぎりぎりの生活をしておれば子供なんか育てられんからのう。寛正(カンショウ)の大飢饉の時なんか、ひどいものじゃったぞ。道端に生まれたばかりの赤ん坊が犬や猫のように捨ててあったわ。もっとも、あの時は赤ん坊だけじゃなく、京の都は人の死体だらけじゃったがのう。殺されるために生まれて来る赤ん坊は哀れなものじゃ」
「そう‥‥‥ひどいのね」
「あの時は、わしも京におったが、まさしく、この世の地獄じゃったのう」
「地獄‥‥‥」と言いながら、お雪はぼうっと雨垂れを見ていた。
「地獄を思い出したのか」と風眼坊は聞いた。
「えっ、違うわ‥‥‥ねえ、もう一度、越中に行きません」
「この雨の中をか」
「だって、あの人たち、あんな小屋の中にぎゅうぎゅう詰めになって暮らしてるのよ。きっと病気になるわ」
「それは分かるが、梅雨が上がってからにしよう」
「それでは遅いわ。今、行きましょう」
風眼坊はお雪の顔を見つめた。お雪の顔は本気だった。お雪の気の強さは風眼坊にはよく分かっていた。一度、決めたら、どんな事をしても実行に移すという頑固さだった。風眼坊が行かないと言っても、一人でも出掛けて行くに違いなかった。
風眼坊はお雪を抱き寄せると、「しょうがないのう」と言った。
お雪は風眼坊に抱かれながら、ニコっと笑った。
さっそく、風眼坊は御山に登り、蓮如に本泉寺の勝如尼と瑞泉寺の蓮乗宛の書状を書いて貰い、本泉寺までの船の手配を頼んだ。蓮如も一緒に行きたいようだったが、雨が降っていては庭造りはできない。梅雨が上がれば、すぐに本泉寺に行きたいので、それまでに帰って来てくれ、と風眼坊に頼んだ。
蓮如の代わりに、その場にいた蓮崇が共に行く事となった。
湯涌谷は蓮崇の本拠地だった。風眼坊が避難民のために、この雨の中、わざわざ出向くと言うのに、蓮崇が一度も顔を出していないのは申し訳ない。ぜひ、連れて行ってくれ、と言った。蓮如も許したので蓮崇はさっそく旅の準備を始めた。蓮崇が共に行ってくれれば、風眼坊にしても医療品の調達など、現地の門徒たちと交渉するのに何かと便利だった。
風眼坊はまた、元、時宗の徒だった潮津(ウシオツ)道場の門徒に声を掛けた。医術の心得のある者、男十人、女十人を吉崎に呼んで、共に本泉寺に向かった。
その頃、大桑の善福寺では、順慶(ジュンキョウ)と慶恵の兄弟を中心に、守護の富樫を攻める包囲網が着々と進んでいた。ただ、彼らの動きは守護代の槻橋(ツキハシ)近江守に筒抜けだった。
槻橋近江守の本拠地は、白山本宮のすぐ側の槻橋(月橋町)だった。槻橋家は古くから本宮とつながりを持っていた。近江守は、本願寺を倒すために白山衆徒と結び、白山の山伏を本願寺の各寺院を初め、有力門徒のもとに潜伏させていた。諜報活動に当たっては、白山の山伏たちの方が本願寺の門徒たちよりも、ずっと上手(ウワテ)である。昔に比べて白山の勢力は衰えているとはいえ、まだまだ、白山系の寺院は各地にあって山伏たちは活動している。本願寺の門徒でさえ、病気の時などには、未だに彼らの加持祈祷を頼みとしていた。
白山の山伏たちは門徒に化けて、本願寺の道場や寺院に出入りし、どんな些細な動きでも槻橋近江守のもとに知らせていた。順慶にしろ慶恵にしろ、そんな事にはまったく気づかず、大将になったつもりで得意になって打倒富樫の作戦を進めていた。
彼らの作戦は、梅雨明けの増水時を狙って富樫勢を手取川と犀川との間に封じ込め、一気に野々市を潰すというものだった。
敵の兵力は野々市に三千と木目谷に五百、山川城に五百で合わせて四千。
本願寺側は、手取川流域の安吉源左衛門、笠間兵衛の兵力が合わせて六千。河北潟の伊藤宗右衛門の兵力が五百、木目谷の高橋新左衛門の配下で、河北潟に避難している一瀬勝三郎率いる五百と合わせて一千。倉月庄磯部の聖安寺(ショウアンジ)に避難している田上五郎兵衛率いる五百と倉月庄の国人たち二千。それに、犀川上流で避難している辰巳右衛門佐率いる五百と、越中にいる千五百。総勢一万一千余りの兵力があれば、有力寺院の門徒たちが動かなくても充分に勝算があると言えた。
守護代の槻橋近江守は野々市にいながら本願寺の動きを手に取るようにつかんでいても、特に動く様子は見せなかった。槻橋としても、一気に倒すつもりでいた。敵が動き始めた出鼻を挫(クジ)くのが、一番いいだろうと思っていた。
勝負は梅雨が明けた時に決まると言えた。その時を目標にして、お互いに着々と準備を進めていた。
毎日、雨の降り続く梅雨の最中、山之内衆が動いた。
湯涌谷を占拠していた山之内衆が、どうした事か、全員、引き上げてしまった。
山の上から湯涌谷を見張っていた竹内弥右衛門は信じられない事のように、隊列を組んで去って行く山之内衆を見送っていた。全員が去った後、湯涌谷に下りた竹内は手下の者を瑞泉寺の石黒孫左衛門のもとに送り、村々を見て回った。
家々は破壊されてはいなかった。蔵の中には米も残っていた。そして、山之内衆が本陣として使用していたと思われる蓮崇の屋敷の中に、『この度、山之内衆は全員、蓮如上人に帰依(キエ)する事となった。ゆえに、湯涌谷は湯涌谷衆にお返しする』というような事が漢文で書かれてあった。その文の後には、山之内衆の代表八人の名前が並んでいた。
竹内からの知らせを聞いた石黒孫左衛門と高橋新左衛門は、突然、降って来たような幸運が、とても信じられず、敵の罠(ワナ)かもしれないと警戒した。そして、武装させた兵百人を石黒が自ら引き連れて偵察に出掛けた。偵察隊は湯涌谷で一晩様子を見てから安全を確認し、越中に避難していた湯涌谷衆と木目谷衆、全員を呼んだ。湯涌谷衆に取っては、二ケ月半振りの我家への帰還だった。
それは六月の三日、風眼坊たちが蓮崇と共に越中の避難所を巡り、吉崎に戻ってから五日後の出来事だった。さらに、山之内八人衆が松岡寺の蓮綱に帰依したのが、次の日の四日である。その日の内に、蓮綱によって、山之内衆が湯涌谷から手を引いた、との知らせが吉崎に入り、五日には、湯涌谷衆によって、越中に避難していた門徒全員が湯涌谷に戻ったという知らせが吉崎に届いた。
その知らせを聞いた時、さすがに、蓮如も蓮崇も嬉しそうだった。
蓮如の口から思わず『南無阿弥陀仏』と念仏がこぼれた。
蓮崇も念仏を唱えたが、蓮崇の念仏は蓮如の念仏と違い、阿弥陀如来に対する感謝の念仏ではなく、山之内衆に対する感謝の念仏であった。念仏を唱えながらも、蓮崇の頭の中では、次に木目谷をどうしたらいいかという事を考えていた。
「蓮崇、風眼坊殿に知らせてやってくれ。風眼坊殿にもお雪殿にも、随分と苦労させてしまったからのう」と蓮如は雨を眺めながら言った。
「畏まりました」
蓮崇は頭を下げると蓮如の書斎から出て行った。
5
久し振りに、強い日差しだった。
暑い夏の始まる兆(キザ)しだった。
待っていました、と蓮如は活動を始めた。
慶聞坊、風眼坊、お雪を連れて真っ青な海に船を乗り出した。目指すは勿論、本泉寺だった。今回の旅で、蓮如は庭園を完成させるつもりでいた。
梅雨明けを、指をくわえて待っていたのは蓮如だけではなかった。大桑の善福寺にいる順慶、慶恵の兄弟も、毎日、雨を睨みながら、その日が来るのを待っていた。
彼らは梅雨明けと同時に作戦を開始した。
湯涌谷にいる湯涌谷衆と木目谷衆一千五百の兵の内、五百を犀川上流に移し、辰巳右衛門佐の兵五百と合流させた。そして、その一千の兵を持って、下流にある山川城の山川亦次郎を攻撃させ、湯涌谷にいる兵一千を持って、木目谷城にいる高尾(タコウ)若狭守を攻撃させる。
山川城も木目谷城も守る兵の数は約五百だった。奇襲を掛ければ簡単に落ちるだろうと思われた。さらに、大野庄の吉藤専光寺に河北潟の国人、伊藤宗右衛門率いる五百の兵と伊藤のもとに避難していた木目谷衆の一瀬勝三郎率いる五百の兵、合わせて一千の兵が待機し、倉月庄の磯部聖安寺には田上五郎兵衛率いる五百の兵と倉月庄八人衆の兵、二千が待機し、善福寺にも倶利伽羅の越智伯耆守、砂子坂の高坂四郎左衛門、長江の松田次郎左衛門らの兵一千が待機して、木目谷城と山川城が落ち次第、一斉に野々市を攻める手筈になっていた。
本願寺の寺院を本陣としたのは、前回の戦の時、戦場の真っ只中にあった善福寺が、まったくの無傷だったため、守護側は、今回の戦では国人を敵としていて、本願寺を敵とはしていない、本願寺の寺院を攻める事はないだろうと判断したためだったが、それが甘い考えだったという事が、後になって悔やまれる結果となった。
守護側の大将である槻橋近江守は本願寺の動きを知っていながら、まったく気づかない振りをして、木目谷城、山川城には援軍を送らなかった。そして、木目谷とは反対方向の手取川において軍事行動を起こした。
松任(マットウ)城を守る鏑木右衛門尉(カブラギウエモンノジョウ)に安吉源左衛門を攻撃させた。すでに、右衛門尉の父親、兵衛尉(ヒョウエノジョウ)は本願寺の門徒となっていた。兵衛尉は本願寺門徒だったが、息子の右衛門尉は守護富樫次郎の姉婿(ムコ)という複雑な立場に立たされていた。
兵衛尉が門徒となったという事も、兵衛尉が自ら、近江守に知らせる以前に近江守は知っていた。兵衛尉は安吉と笠間を暗殺するために門徒となったのだと説明した。近江守が、その事を信じたとは思えないが、一応、納得したように見えた。しかし、兵衛尉の回りには常に近江守の目が光っていた。
近江守の命(メイ)が届くと、兵衛尉は息子に出陣を命じた。三百の兵を武装させ手取川に向かった。手取川の水量は増し、勢いよく流れていた。手取川を挟んで、鏑木と安吉の睨み合いが続いた。お互いに川を渡る事は不可能だった。
鏑木の兵と安吉の兵は睨み合ってはいても、戦をする気はまったくなかった。ただの形だけだった。鏑木兵衛尉と安吉源左衛門は近江守の放った間者(カンジャ)の目の光る中で、度々、会って、お互いの腹の内をすっかり相手に知らせてあった。間者の目をごまかすために、源左衛門を狙う振りもして見せた。今日の戦の事もすでに予想し、お互いに、打ち合わせも済んでいた。
また、守護代の近江守にしても、この手取川における戦は、敵の目をごまかすためのもので、本気で安吉を討つつもりではなかった。鏑木の兵三百足らずで、安吉に勝てるとは思っていない。ただ、敵の目を手取川に引き付けておくための手段に過ぎなかった。案の定、善福寺にいる順慶と慶恵の二人は、やはり、敵の次の目標は手取川の国人だったと勘違いした。敵の目が南を向いているうちに、木目谷はいただきだ、と自分たちの作戦の成功を確信して気分をよくしていた。
湯涌谷衆と木目谷衆の準備が調い、浅野川と犀川の上流から、木目谷城、山川城を目指して攻め下りて来たのは、手取川の睨み合いが始まった二日後だった。一気に踏み倒して行くはずだった。ところが、敵の守りは固かった。敵は一向に城から出て来て戦おうとはしなかった。攻めて来る事を前以て知っていたかのように、万全の準備をして待っていた。
一日中、攻めまくっても、味方の負傷者が増えるばかりで、まったく埓(ラチ)が明かなかった。
善福寺において、作戦の総指揮を取っていた順慶と慶恵はイライラしながら戦況を聞いていた。二つの城が落ちなければ作戦のすべてが破れてしまう。
結局、味方の損害ばかりが大きく、木目谷城も山川城もびくともしないで、その日は暮れて行った。
蓮崇と慶覚坊の二人が善福寺に来たのは、木目谷城、山川城で戦が行なわれている最中だった。二人は吉崎にて手取川の戦の事を聞いて慌てて飛んで来たが、安吉源左衛門より事情を聴き、手取川の事は安心し、せっかく、ここまで来たのだから善福寺まで行ってみるか、と来てみたら、この騒ぎだった。
その夜、善福寺において軍議が行なわれた。木目谷城を攻めている高橋新左衛門、山川城を攻めている石黒孫左衛門も来ていた。二人とも気が立っていた。
「一体、これはどうした事じゃ。奇襲どころではないわ。敵はわしらが来る事を知っておって、すっかり守りを固めておる。あれだけ守りが固かったら、一月経っても落ちるかどうか分からん」と高橋は怒鳴るように言った。
「内密に事を運んだはずなんじゃがのう。おかしいのう」と順慶は絵地図を見ながら言った。
「湯涌谷に戻った時点で、敵は、いつか攻めて来ると気づいたんじゃないかのう。そして、いつ、攻めて来てもいいように守りを固めて待っておった。そうとしか思えんのう」と蓮崇が言った。
「敵の動きをよく調べましたか」と慶覚坊は聞いた。
「敵の兵力は調べた。五百足らずしかおらんというので簡単に落ちると思っておった」と順慶が答えた。
「たとえ、五百足らずとはいえ、城を攻め落とすというのは容易な事ではない。それで、今日の被害はどんなもんじゃ」
「木目谷において、百人以上の負傷者が出ておる」と高橋は言った。
「山川城でも百人以上はおるのう。二百人近くおるかもしれん」と石黒は言った。
「早い内に落とさないと野々市から攻められ、また、越中に追い出されるかもしれん」
「これから、どうするつもりです」と蓮崇は聞いた。
「今、山向こうの長江の地に松田次郎左衛門、高坂四郎左衛門、越智伯耆守らが兵を引き連れ待機しておる」と慶恵は言った。「木目谷城と山川城を落としてから、ここで合流するはずだったんじゃが、奴らにも加わって貰うしかあるまい」
「連絡はしてありますか」
「ああ、明日の早朝には、こちらに向かうはずじゃ」と順慶が答えた。
「まあ、とにかく、明日一日、攻めてみて、もし、駄目だったら、その二つは後回しにした方がいいかもしれんのう。いつまでも、こんな所に引き留められておったら、他の場所で待機しておる兵の士気が落ちてしまう」と慶恵が言った。
「それがいい」と順慶が頷いた。「もし、敵が城から出て来て、後を追って来るようなら叩き、出て来なかったら後回しじゃ」
次の朝、善福寺に到着したのは予想に反して、松田次郎左衛門率いる三百足らずの兵だけだった。高坂と越智の兵は少し遅れるが、今日の内には到着するだろうとの事だった。
松田の兵は、そのまま木目谷に向かい、高橋新左衛門と合流した。また、山川城を攻めている兵の内、三百も木目谷に向かわせた。とりあえずは、山川城を落とすより、木目谷城の方が先決だった。山川城は囲むだけにして集中的に木目谷城を攻め立てた。
様々な作戦を立て、一日掛かりで攻め続けたが落とす事はできなかった。
高坂と越智の率いる兵八百余りが善福寺に到着したのは日の暮れ掛かった頃だった。森下川が氾濫して、なかなか渡れず、予定より遅れてしまったのだと言う。
すでに、この時、各地において準備は調っていた。
聖安寺に兵二千五百、専光寺に兵一千、手取川の下流では、笠間兵衛率いる三千の兵が川を渡り、安吉の兵も一千人が鏑木の兵と睨み合いを続け、後の二千は少し上流から川を渡っていた。全部合わせて一万余りの兵を持って、三千足らずの野々市の守護所を攻めるという作戦だった。作戦通りに行けば、守護の富樫家は明日か明後日のうちに、この世から消えるはずだった。
善福寺にいた蓮崇も慶覚坊も、順慶と慶恵の立てた作戦がうまく行くに違いないと思った。蓮崇が提案した通り、これは国人一揆だった。中心になっているのは国人たちで、本願寺は関係なかった。作戦を立てたのは本願寺の坊主だったが、二人は表には出ていない。しかし、本願寺が作戦に拘(カカ)わっているという事は重要な事を意味していた。もし、今回の戦に勝利した場合、国人だけの手によって勝ったとしたら、勝利を得た国人たちが富樫と入れ代わって、守護の地位に付く可能性があった。ところが、作戦を立てたのが本願寺の坊主なら、勝利を得た時点において、国人一揆を本願寺一揆にすり替える事ができる。本願寺一揆が守護を倒したとなれば、加賀の守護に付くのは本願寺だった。うまく行けば、加賀の国が『本願寺の持ちたる国』になるのも近い、と蓮崇は思った。
その晩、木目谷城と山川城の事を諦め、明日、野々市に攻め込む事が決定した。
東の空に満月が出ていた。その月明かりの中、各地の兵のもとに伝令が走った。
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