17.白旗神社
1
太郎は一人で白旗神社に向かっていた。
吉次と右近と探真坊の三人を小野屋に移す事を金比羅坊と八郎と伊助に頼み、あとの者たちを木賃宿『浦浪』に帰すと、太郎は一人、阿修羅坊に会いに出掛けた。皆に言えば、一緒に行くと言い出すので、河原者の頭、片目の銀左に用があって、ちょっと会いに行って来る、と嘘を付いて来たのだった。
これ以上、無駄な戦いは避けたかった。できれば話し合いで事を解決したかった。阿修羅坊にしても、ただ、浦上美作守に命令されて動いているに過ぎない。簡単な気持ちで、俺を殺す事を引き受けたのだろう。楓の話によれば阿修羅坊もそう悪い奴ではなさそうだ。話し合えばわかってくれるかもしれないと思った。
白旗神社の境内は薄暗く、蝉(セミ)がうるさく鳴いていた。
小坊主が二人、庭を掃いているが、あとは人影もなく、ひっそりとしている。
白旗神社は赤松氏発祥の地、赤松村にある白旗明神を勧請(カンジョウ)して祀った神社だった。境内には神宮寺として大円寺の末寺である徹源寺(テツゲンジ)があり、その徹源寺の僧坊が五つ並んで建っている。阿修羅坊のいる霊仙坊は、その一つだった。
薄暗い霊仙坊の中で、阿修羅坊は長卓の前の椅子に腰掛け、うなだれていた。
長卓の上には、太郎たちの隠れ家の近辺を詳しく書いた絵地図が広げられてあった。
壁に宝輪坊の汚れた薙刀が立て掛けてあり、阿修羅坊のらしい錫杖が土間に倒れていた。
太郎は阿修羅坊の側まで行った。
阿修羅坊は顔を上げて太郎を見たが、もう、太郎を倒そうとする気力も残っていないようだった。
「見事じゃな」と阿修羅坊はかすれた声で言った。
「まだ、やるつもりですか」と太郎は聞いた。
「わからん」と阿修羅坊は左手で髪を撫で上げた。
「これ以上、犠牲者は出したくありません」
「ああ‥‥‥おぬしらは一体、何人いたんじゃ」
「実際、戦ったのは十三人です」
「十三人‥‥‥そんなにもいたのか‥‥‥しかし、信じられん。十三人で三十三人を倒したとはな。宝輪坊しか戻って来んが、あとの者は皆、死んだのか」
「成仏しました」
「やはりな‥‥‥おぬしの方は何人、死んだ」
「一人も死にません」
「何じゃと、一人も死なんのか‥‥‥信じられん‥‥‥一体、どうやって、あいつらを倒したんじゃ」
「ただ、正確な情報を集めただけです」
「成程、戦の基本じゃな。わしは、その基本を怠ったというわけじゃな」
「そういう事です」
阿修羅坊は溜め息をつくと俯いたまま黙っていたが、情けない顔で太郎を見ると、「黄金の阿弥陀像は見つかったのか」と聞いた。
「見つかりません」と太郎は答えた。
「見つけたら、どうするつもりじゃ」
「楓と交換します」
「楓殿とな、それは難しいかも知れんぞ。浦上美作守は今更、楓殿を手放すまい」
「飽くまでも、私を殺すというのですか」
「わからん‥‥‥わしはおぬしの事からは、もう手を引くつもりじゃ」
「本当ですか」
「もう、わしの持ち駒はなくなった‥‥‥だが、わしが手を引いても別の刺客が来るじゃろう」
「やはり、浦上美作守を消さんと駄目ですか」と太郎は言った。
阿修羅坊は顔を上げて太郎を見た。「やるつもりか」
「これ以上、続けるつもりなら」
阿修羅坊は太郎の顔を見つめながら頷いた。「おぬしなら、やるじゃろうのう」
「浦上美作守一人をやれば、他の者が死ななくて済みます」
「美作守をやったとしても、楓殿を取り戻すのは難しいぞ。すでに、赤松家の重臣たちは楓殿の存在を知ってしまっている」
「楓を取り戻す事は不可能だと言うのですか」
「多分な‥‥‥ところで、宝の事じゃが、なぜ、知っておるんじゃ」
「京の浦上屋敷で聞きました」
「どこで?」
「天井裏で」
「やはり、あそこにおったのか‥‥‥四つめの言葉はどうして知った」
「知りません」
「ごまかさなくてもいい。城山城で、おぬしらの話を聞いた」
「城山城で? あそこにいたのですか」
「ああ。わしが雨宿りをしていた時、おぬしらが登って来た。話は全部、聞いた」
「そうですか。あれは松恵尼殿が持っていたのです」
「ふん、また、松恵尼殿にやられたというわけか。それで、宝は見つかりそうなのか」
「全然、見当も付きません」
「わしも、まったくお手上げじゃ」
太郎は長卓を挟んで、阿修羅坊の向かい側に腰を下ろした。
「のう、太郎坊、宝の事はおぬしに任せるわ。どうせ、また、おぬしにやられるじゃろうしな」
「宝からも手を引くのですか」
「ああ」と阿修羅坊は力のない返事をした。「おぬし、さっき、楓殿と宝を交換すると言っておったのう。その話、わしに任せてくれんかのう」
「なぜです」
「おぬしが直接、取り引きしようとしても、おぬしの事を知っている者はおらん。おぬしが宝の事を説明しても誰も信じはせんじゃろう。返って、危険な目に会うだけじゃ。それより、わしが浦上美作守と話を付けてやる」
「楓との交換をですか」
「それは無理じゃ。無理じゃが、今、赤松家では有能な人材を捜している。おぬし程の者なら武将に取り立てても立派にやって行くじゃろう。どうじゃ、赤松家の武将にならんか。楓殿の夫として赤松家のために働いてみんか。おぬしがお屋形様の姉君、楓殿と出会って夫婦になったのも何かの縁じゃろう。おぬしの技を赤松家のために使ってみんか」
「どうして、急に、そんな気になったのです」
「おぬしが強すぎるからじゃ。まさか、これ程、強いとは思ってもいなかった。ただ、強いだけじゃない。戦も充分に知っている。これ以上、戦って味方を減らすより、味方にした方がいいと気づいたんじゃ。それに、楓殿のためにも、それが一番いいしのう」
「楓が、阿修羅坊殿には世話になったと言っていました」
「そうか」と言った後、阿修羅坊は眠りから覚めたかのような顔をして太郎を見つめた。「楓殿に会ったのか」
太郎は頷いた。
「一体、いつじゃ」
「阿修羅坊殿と戦う前の日です」
「なに、あの前の日? 前の日というと、おぬしがこの城下に着いた日じゃないのか」
「そうです」
「その日のうちに楓殿に会ったと言うのか」
「はい」
「まったく、おぬしという奴はとんでもない奴じゃのう」
「ところで、今、言った話はうまく行きますか」
「おぬしが見事、宝を捜し出す事ができれば、浦上殿にも、おぬしの才能がわかるじゃろう。そうすれば、おぬしはその宝を持って楓殿の亭主として迎えられるように、わしが取り図る」
「わかりました。考えておきます」
「宝の事を頼むぞ」
「阿修羅坊殿は、どこにあると思います」
「わしは瑠璃寺のどこかにあると思っておるが、どこだか、まったくわからん」
「瑠璃寺ですか」
「あそこの古文書を読めば何かわかるかも知れん。わしが一筆書いてやる。それを見せれば、古文書やら資料やらが見られるじゃろう」
阿修羅坊から書き付けを貰うと、太郎は霊仙坊を出た。
外は眩しく、暑かった。
蝉がうるさい位に鳴いていた。
太郎は空を見上げた。青空の中に白い雲が浮かんでいた。
ほんとに疲れた‥‥‥
ゆっくりと眠りたかった。
白旗神社から木賃宿『浦浪』に向かう途中、大通りで、太郎は河原者の頭、片目の銀左衛門と出会った。
「おい、若造」と銀左は後ろから声を掛けて来た。
太郎が振り返ると、六尺棒をかついだ銀左が手下の者を二人連れていた。
「観音は彫れたか」と銀左は聞いた。
「まだです」と太郎は答えた。
「人の解体はしたのか」と銀左は笑いながら聞いた。
「まあ、適当に斬り刻みました」と太郎も笑いながら答えた。
「物好きじゃのう。今、下流でな、溺死者が上がった。ちょっと傷はあるがの、新鮮な死体じゃ。斬りたけりゃやるぞ」
「溺死者?」
「おう、どこぞの山伏じゃ。三人上がったが、一人はまだ生きておった。誰にやられたのか知らんが、二人は腕を斬られ、一人は足を斬られておった。なかなかの凄腕じゃ。どうせ、侍と喧嘩して、やられたんじゃろ」
「そなたたちは人の死体の処理もするのですか」と太郎は聞いた。
「河原に上がればの。河原で起こった事は、すべて、わしらの領分じゃ。死人を処理する代わりに、死人が持っていた物は、すべて、わしらの物になる」
よく見ると、銀左の後ろの二人が抱えているのは死んだ山伏の着物や武器だった。
「その収穫はどうするんです」
「市で売るのさ」
「売れるんですか」
「ああ、よく売れる。今は戦続きで品不足じゃ。何でも売れるわ」
「成程‥‥‥銀左殿、ちょっと、聞きたい事があるんですけど、いいですか」
「何じゃ」
「ここじゃ何だから、河原にでも行って話したいんですが‥‥‥」
「おう。お前ら、先に行ってろ」と銀左は手下に命じて、河原の方に降りて行った。
二人が降りて行った河原では、紺屋(コウヤ)または紺掻(コウカ)きと呼ばれる藍(アイ)染めの職人たちが仕事をしていた。革作りの職人たちのいる所より、ほんの少し上流だった。
銀左は大きな石の上に腰を下ろした。
「毎日、暑い日が続くのう」と銀左は汗を拭きながら対岸の方を見ていた。
太郎も近くの石に腰を下ろした。
「話というのは何じゃ」
「別所加賀守殿の事なんですが、あの人はこの城下で一番偉いのですか」と太郎は聞いた。
「そんな事を聞いてどうする」
「どうも、別所殿はけちでして」と太郎はいい加減な事を言った。
「ほう、別所殿はけちかね。それで?」
「観音像を彫ってるんですが、実は銭を出したがらない。何でも、京から来たという御料人様に頼まれた観音様だと言うが、できれば、もう少し弾んで貰いたいのです」
「成程のう。別所殿は偉いと言えば偉いには違いないが、偉い奴なら長老がかなりいる。だが、実際、赤松家の中で力を持っている者と言えば、やはり、別所殿じゃろうのう。この城下ではじゃ。京の都も含めれば、やはり、一番、力を持っているのは浦上美作守殿じゃな」
「浦上殿の方が、別所殿より力があるんですか」
「そりゃそうじゃ。浦上殿は幕府にも顔が売れておる。だがな、城下にいる重臣たちの評判はあまり良くない。国元の事も考えずに、何でも独善的に決めてしまうのでな。特に、別所殿とは犬猿の仲じゃ。浦上殿のやる事には必ず反対するのが別所殿じゃ。わしらから見れば、京にいて幕府にくっついている浦上殿よりは、別所殿の方がよっぽど頼りになると言うものじゃ」
「別所殿は浦上殿のやる事には必ず反対するのですか」
「必ずと言っても、国元の事を考えて反対するんじゃ。浦上殿は国元の事など考えず、幕府の言いなりじゃからな」
「成程、しかし、浦上殿が京にいるんじゃ話にならんな。城下には浦上派はいないのですか」
「浦上派で力のある者と言えば、姫路城の小寺(コデラ)伊勢守殿、金鑵(カナツルベ)城の中村駿河守殿、豊地(トイチ)城の依藤(ヨリフジ)豊後守殿、枝吉(エダヨシ)城の明石兵庫助殿くらいかのう」
太郎は四人の名を頭に刻み、「その人たちは城下にいるんですか」と聞いた。
「依藤殿はお屋形様と一緒に美作に行っておるが、あとの三人は城下におるじゃろう」
「自分の城には帰らないのですか」
「今は、お屋形様が留守じゃからの。留守番のようなものじゃ。それにの、城下をもう少し広げるらしいからの、その縄張りの相談でもしておるんじゃないかのう」
「城下を広げる?」
「ああ。この辺りはそうでもないが、船着き場の辺りは、もう、びっしりじゃろう。赤松家が盛り返して来たものじゃから、城下にどんどん人が集まって来るんじゃ。もう、うちを建てる場所がなくなっちまったんじゃ。かと言って、たんぼを潰すわけにもいかんしのう。そこで、城下を北の方に伸ばすんじゃよ」
「北と言うと、あの市場の向こうに?」
「おう、四日市場の向こうにな。あの向こうはちょっと狭くなっておるんじゃが、その先が、この城下くらいの平地があるんじゃ。たんぼがいくらかあるが、あとは荒れ地のままじゃ。開墾すれば、かなりのたんぼができるし、町もできるというわけじゃ。もう、すでに荒れ地の開墾は始まっておる。材木もどんどん上流から運んでいるしのう」
「城下を広げるのか‥‥‥銭が掛かるだろうな。赤松家はそんなに銭を持ってるのか」
「持ってるんじゃろう」と銀左は他人事のように言った。
「別所加賀守も、それに銭が掛かるから俺の観音像に銭を出さんのだな」と太郎は探りを入れた。
「それは、どうか知らんがのう。おぬしの観音像、京から来た御料人様に頼まれたとか言ってたのう」
太郎は頷いた。
「その御料人様というのは、お屋形様の姉君様じゃないのか」と銀左は聞いた。
「よくは知りませんが」と太郎はとぼけた。
「京から来たと言えば、まさしく、そうに違いない。その御料人様の披露の式典が、お屋形様が帰って来たら大々的に行なわれるらしいの。その会場を今、新しくできる城下の地に作っている最中じゃ。その会場をなるべく早く完成させるために、大円寺から人足をもっと集めろと命ぜられたわ。何でも、その披露の式典には赤松家の被官を全部、呼ぶらしい。そうなったら偉い騒ぎじゃ。この城下は人で埋まってしまう。宿屋も新しく建てなくてはならんじゃろ。また、忙しくなるわ」
「その御料人様の披露式典とかを、そんな大袈裟にするのですか」
「おお、そうじゃ。なにせ、お屋形様の姉君じゃからの。それに、噂じゃが、えらい別嬪だそうじゃ」
「それにしても、大袈裟な事をするもんだな」
「なに、表向きは披露式典じゃが、本当の目的は赤松家を固める事なんじゃ。赤松家が再興されてから、まだ日が浅いからのう。国人たちの本心というものを確かめんと、いつ、ひっくり返されるとも限らん。祝い事に招待されたとなれば、兵を引き連れ、大人数で来るわけにもいかんからのう。祝い事にかこつけて、国人たちの忠誠振りを確かめるつもりなんじゃよ」
「成程ね。それにしても、赤松家は再興されたばかりなのに、えらい景気いいんだな」
「確かに景気がいい。人足たちにもちゃんと銭を払ってくれるしな」
「銭の出所は一体、何です」
「そんな事を聞いて、どうする」
「ほんとに景気いいのなら、お頭を呼んで、ここに腰を落ち着けた方がいいと思ってね」
「そういう事か。それなら呼んだ方がいいかもしれんぞ。城下を広げるとなれば、向こうの土地に、必ず、寺を建てる。そうすれば仏像が必要となるわけじゃ。おぬしのお頭が誰だか知らんが、その寺の仏像を任されれば相当な稼ぎになるはずじゃ」
「俺もそう思うが、確かな証(アカシ)がないとな。財源は一体、何です」
「よくは知らんが、鉄じゃないかの。今、どこの国でも戦続きで、武器はいくらあっても足らん。その材料が鉄じゃ。鉄は瑠璃寺が一括して扱っておるが、赤松家はその鉄を全部、買い取り、鍛冶師に武器を作らせて商人に売っている。その儲けがかなりあるんじゃろう」
「赤松家は鍛冶師も支配してるのか」
「実際に支配してるのは大円寺の勝岳上人(ショウガクショウニン)殿じゃがな。赤松家で支配しているのと同じじゃ」
「と言う事は、名刀の産地、備前の長船(オサフネ)も赤松家の支配下なのか」
「備前の長船と言ったら、赤松家というよりは浦上殿の支配下のようなものじゃ」
「浦上殿の財源か‥‥‥」
「だから、浦上殿は強きなんじゃよ」
「成程な、赤松家が鉄で商売してるのなら儲かるわ」
「おぬしも、お頭を呼んで、ここに腰を落ち着けた方がいいぞ」
「わかった。そうしましょう」
銀左はニヤニヤしながら太郎を見ながら、「おぬし、ほんとに仏師か」と聞いた。
「はい」と太郎は答えた。
「わしには、どうも信じられん。最初、会った時、わしの刀を軽く弾きおった。しかも、最小限の動作でじゃ。あの時は気づかなかったが、後で考えてみると、どうも腑に落ちん。あの時、おぬしはわしの刀を弾くのに、わしの方を一度も見ん。それなのに簡単に杖で弾きおった。あれ程の事を平気な顔をしてやるとは、おぬしは並大抵の奴じゃない。はっきり言って、わしは今まで、あれ程、使える奴には会った事もない。おぬしは一体、何者なんじゃ」
「あの時、大峯の山伏だと言ったでしょう」
「ふん。まあいい、そのうち、わかるじゃろう」
「多分‥‥‥」
太郎は、銀左に礼を言って別れた。
「今度、おぬしの彫った観音像を見たいもんじゃ」と銀左は言った。
太郎はただ、頷いた。
「見事じゃな」と阿修羅坊はかすれた声で言った。
「まだ、やるつもりですか」と太郎は聞いた。
「わからん」と阿修羅坊は左手で髪を撫で上げた。
「これ以上、犠牲者は出したくありません」
「ああ‥‥‥おぬしらは一体、何人いたんじゃ」
「実際、戦ったのは十三人です」
「十三人‥‥‥そんなにもいたのか‥‥‥しかし、信じられん。十三人で三十三人を倒したとはな。宝輪坊しか戻って来んが、あとの者は皆、死んだのか」
「成仏しました」
「やはりな‥‥‥おぬしの方は何人、死んだ」
「一人も死にません」
「何じゃと、一人も死なんのか‥‥‥信じられん‥‥‥一体、どうやって、あいつらを倒したんじゃ」
「ただ、正確な情報を集めただけです」
「成程、戦の基本じゃな。わしは、その基本を怠ったというわけじゃな」
「そういう事です」
阿修羅坊は溜め息をつくと俯いたまま黙っていたが、情けない顔で太郎を見ると、「黄金の阿弥陀像は見つかったのか」と聞いた。
「見つかりません」と太郎は答えた。
「見つけたら、どうするつもりじゃ」
「楓と交換します」
「楓殿とな、それは難しいかも知れんぞ。浦上美作守は今更、楓殿を手放すまい」
「飽くまでも、私を殺すというのですか」
「わからん‥‥‥わしはおぬしの事からは、もう手を引くつもりじゃ」
「本当ですか」
「もう、わしの持ち駒はなくなった‥‥‥だが、わしが手を引いても別の刺客が来るじゃろう」
「やはり、浦上美作守を消さんと駄目ですか」と太郎は言った。
阿修羅坊は顔を上げて太郎を見た。「やるつもりか」
「これ以上、続けるつもりなら」
阿修羅坊は太郎の顔を見つめながら頷いた。「おぬしなら、やるじゃろうのう」
「浦上美作守一人をやれば、他の者が死ななくて済みます」
「美作守をやったとしても、楓殿を取り戻すのは難しいぞ。すでに、赤松家の重臣たちは楓殿の存在を知ってしまっている」
「楓を取り戻す事は不可能だと言うのですか」
「多分な‥‥‥ところで、宝の事じゃが、なぜ、知っておるんじゃ」
「京の浦上屋敷で聞きました」
「どこで?」
「天井裏で」
「やはり、あそこにおったのか‥‥‥四つめの言葉はどうして知った」
「知りません」
「ごまかさなくてもいい。城山城で、おぬしらの話を聞いた」
「城山城で? あそこにいたのですか」
「ああ。わしが雨宿りをしていた時、おぬしらが登って来た。話は全部、聞いた」
「そうですか。あれは松恵尼殿が持っていたのです」
「ふん、また、松恵尼殿にやられたというわけか。それで、宝は見つかりそうなのか」
「全然、見当も付きません」
「わしも、まったくお手上げじゃ」
太郎は長卓を挟んで、阿修羅坊の向かい側に腰を下ろした。
「のう、太郎坊、宝の事はおぬしに任せるわ。どうせ、また、おぬしにやられるじゃろうしな」
「宝からも手を引くのですか」
「ああ」と阿修羅坊は力のない返事をした。「おぬし、さっき、楓殿と宝を交換すると言っておったのう。その話、わしに任せてくれんかのう」
「なぜです」
「おぬしが直接、取り引きしようとしても、おぬしの事を知っている者はおらん。おぬしが宝の事を説明しても誰も信じはせんじゃろう。返って、危険な目に会うだけじゃ。それより、わしが浦上美作守と話を付けてやる」
「楓との交換をですか」
「それは無理じゃ。無理じゃが、今、赤松家では有能な人材を捜している。おぬし程の者なら武将に取り立てても立派にやって行くじゃろう。どうじゃ、赤松家の武将にならんか。楓殿の夫として赤松家のために働いてみんか。おぬしがお屋形様の姉君、楓殿と出会って夫婦になったのも何かの縁じゃろう。おぬしの技を赤松家のために使ってみんか」
「どうして、急に、そんな気になったのです」
「おぬしが強すぎるからじゃ。まさか、これ程、強いとは思ってもいなかった。ただ、強いだけじゃない。戦も充分に知っている。これ以上、戦って味方を減らすより、味方にした方がいいと気づいたんじゃ。それに、楓殿のためにも、それが一番いいしのう」
「楓が、阿修羅坊殿には世話になったと言っていました」
「そうか」と言った後、阿修羅坊は眠りから覚めたかのような顔をして太郎を見つめた。「楓殿に会ったのか」
太郎は頷いた。
「一体、いつじゃ」
「阿修羅坊殿と戦う前の日です」
「なに、あの前の日? 前の日というと、おぬしがこの城下に着いた日じゃないのか」
「そうです」
「その日のうちに楓殿に会ったと言うのか」
「はい」
「まったく、おぬしという奴はとんでもない奴じゃのう」
「ところで、今、言った話はうまく行きますか」
「おぬしが見事、宝を捜し出す事ができれば、浦上殿にも、おぬしの才能がわかるじゃろう。そうすれば、おぬしはその宝を持って楓殿の亭主として迎えられるように、わしが取り図る」
「わかりました。考えておきます」
「宝の事を頼むぞ」
「阿修羅坊殿は、どこにあると思います」
「わしは瑠璃寺のどこかにあると思っておるが、どこだか、まったくわからん」
「瑠璃寺ですか」
「あそこの古文書を読めば何かわかるかも知れん。わしが一筆書いてやる。それを見せれば、古文書やら資料やらが見られるじゃろう」
阿修羅坊から書き付けを貰うと、太郎は霊仙坊を出た。
外は眩しく、暑かった。
蝉がうるさい位に鳴いていた。
太郎は空を見上げた。青空の中に白い雲が浮かんでいた。
ほんとに疲れた‥‥‥
ゆっくりと眠りたかった。
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白旗神社から木賃宿『浦浪』に向かう途中、大通りで、太郎は河原者の頭、片目の銀左衛門と出会った。
「おい、若造」と銀左は後ろから声を掛けて来た。
太郎が振り返ると、六尺棒をかついだ銀左が手下の者を二人連れていた。
「観音は彫れたか」と銀左は聞いた。
「まだです」と太郎は答えた。
「人の解体はしたのか」と銀左は笑いながら聞いた。
「まあ、適当に斬り刻みました」と太郎も笑いながら答えた。
「物好きじゃのう。今、下流でな、溺死者が上がった。ちょっと傷はあるがの、新鮮な死体じゃ。斬りたけりゃやるぞ」
「溺死者?」
「おう、どこぞの山伏じゃ。三人上がったが、一人はまだ生きておった。誰にやられたのか知らんが、二人は腕を斬られ、一人は足を斬られておった。なかなかの凄腕じゃ。どうせ、侍と喧嘩して、やられたんじゃろ」
「そなたたちは人の死体の処理もするのですか」と太郎は聞いた。
「河原に上がればの。河原で起こった事は、すべて、わしらの領分じゃ。死人を処理する代わりに、死人が持っていた物は、すべて、わしらの物になる」
よく見ると、銀左の後ろの二人が抱えているのは死んだ山伏の着物や武器だった。
「その収穫はどうするんです」
「市で売るのさ」
「売れるんですか」
「ああ、よく売れる。今は戦続きで品不足じゃ。何でも売れるわ」
「成程‥‥‥銀左殿、ちょっと、聞きたい事があるんですけど、いいですか」
「何じゃ」
「ここじゃ何だから、河原にでも行って話したいんですが‥‥‥」
「おう。お前ら、先に行ってろ」と銀左は手下に命じて、河原の方に降りて行った。
二人が降りて行った河原では、紺屋(コウヤ)または紺掻(コウカ)きと呼ばれる藍(アイ)染めの職人たちが仕事をしていた。革作りの職人たちのいる所より、ほんの少し上流だった。
銀左は大きな石の上に腰を下ろした。
「毎日、暑い日が続くのう」と銀左は汗を拭きながら対岸の方を見ていた。
太郎も近くの石に腰を下ろした。
「話というのは何じゃ」
「別所加賀守殿の事なんですが、あの人はこの城下で一番偉いのですか」と太郎は聞いた。
「そんな事を聞いてどうする」
「どうも、別所殿はけちでして」と太郎はいい加減な事を言った。
「ほう、別所殿はけちかね。それで?」
「観音像を彫ってるんですが、実は銭を出したがらない。何でも、京から来たという御料人様に頼まれた観音様だと言うが、できれば、もう少し弾んで貰いたいのです」
「成程のう。別所殿は偉いと言えば偉いには違いないが、偉い奴なら長老がかなりいる。だが、実際、赤松家の中で力を持っている者と言えば、やはり、別所殿じゃろうのう。この城下ではじゃ。京の都も含めれば、やはり、一番、力を持っているのは浦上美作守殿じゃな」
「浦上殿の方が、別所殿より力があるんですか」
「そりゃそうじゃ。浦上殿は幕府にも顔が売れておる。だがな、城下にいる重臣たちの評判はあまり良くない。国元の事も考えずに、何でも独善的に決めてしまうのでな。特に、別所殿とは犬猿の仲じゃ。浦上殿のやる事には必ず反対するのが別所殿じゃ。わしらから見れば、京にいて幕府にくっついている浦上殿よりは、別所殿の方がよっぽど頼りになると言うものじゃ」
「別所殿は浦上殿のやる事には必ず反対するのですか」
「必ずと言っても、国元の事を考えて反対するんじゃ。浦上殿は国元の事など考えず、幕府の言いなりじゃからな」
「成程、しかし、浦上殿が京にいるんじゃ話にならんな。城下には浦上派はいないのですか」
「浦上派で力のある者と言えば、姫路城の小寺(コデラ)伊勢守殿、金鑵(カナツルベ)城の中村駿河守殿、豊地(トイチ)城の依藤(ヨリフジ)豊後守殿、枝吉(エダヨシ)城の明石兵庫助殿くらいかのう」
太郎は四人の名を頭に刻み、「その人たちは城下にいるんですか」と聞いた。
「依藤殿はお屋形様と一緒に美作に行っておるが、あとの三人は城下におるじゃろう」
「自分の城には帰らないのですか」
「今は、お屋形様が留守じゃからの。留守番のようなものじゃ。それにの、城下をもう少し広げるらしいからの、その縄張りの相談でもしておるんじゃないかのう」
「城下を広げる?」
「ああ。この辺りはそうでもないが、船着き場の辺りは、もう、びっしりじゃろう。赤松家が盛り返して来たものじゃから、城下にどんどん人が集まって来るんじゃ。もう、うちを建てる場所がなくなっちまったんじゃ。かと言って、たんぼを潰すわけにもいかんしのう。そこで、城下を北の方に伸ばすんじゃよ」
「北と言うと、あの市場の向こうに?」
「おう、四日市場の向こうにな。あの向こうはちょっと狭くなっておるんじゃが、その先が、この城下くらいの平地があるんじゃ。たんぼがいくらかあるが、あとは荒れ地のままじゃ。開墾すれば、かなりのたんぼができるし、町もできるというわけじゃ。もう、すでに荒れ地の開墾は始まっておる。材木もどんどん上流から運んでいるしのう」
「城下を広げるのか‥‥‥銭が掛かるだろうな。赤松家はそんなに銭を持ってるのか」
「持ってるんじゃろう」と銀左は他人事のように言った。
「別所加賀守も、それに銭が掛かるから俺の観音像に銭を出さんのだな」と太郎は探りを入れた。
「それは、どうか知らんがのう。おぬしの観音像、京から来た御料人様に頼まれたとか言ってたのう」
太郎は頷いた。
「その御料人様というのは、お屋形様の姉君様じゃないのか」と銀左は聞いた。
「よくは知りませんが」と太郎はとぼけた。
「京から来たと言えば、まさしく、そうに違いない。その御料人様の披露の式典が、お屋形様が帰って来たら大々的に行なわれるらしいの。その会場を今、新しくできる城下の地に作っている最中じゃ。その会場をなるべく早く完成させるために、大円寺から人足をもっと集めろと命ぜられたわ。何でも、その披露の式典には赤松家の被官を全部、呼ぶらしい。そうなったら偉い騒ぎじゃ。この城下は人で埋まってしまう。宿屋も新しく建てなくてはならんじゃろ。また、忙しくなるわ」
「その御料人様の披露式典とかを、そんな大袈裟にするのですか」
「おお、そうじゃ。なにせ、お屋形様の姉君じゃからの。それに、噂じゃが、えらい別嬪だそうじゃ」
「それにしても、大袈裟な事をするもんだな」
「なに、表向きは披露式典じゃが、本当の目的は赤松家を固める事なんじゃ。赤松家が再興されてから、まだ日が浅いからのう。国人たちの本心というものを確かめんと、いつ、ひっくり返されるとも限らん。祝い事に招待されたとなれば、兵を引き連れ、大人数で来るわけにもいかんからのう。祝い事にかこつけて、国人たちの忠誠振りを確かめるつもりなんじゃよ」
「成程ね。それにしても、赤松家は再興されたばかりなのに、えらい景気いいんだな」
「確かに景気がいい。人足たちにもちゃんと銭を払ってくれるしな」
「銭の出所は一体、何です」
「そんな事を聞いて、どうする」
「ほんとに景気いいのなら、お頭を呼んで、ここに腰を落ち着けた方がいいと思ってね」
「そういう事か。それなら呼んだ方がいいかもしれんぞ。城下を広げるとなれば、向こうの土地に、必ず、寺を建てる。そうすれば仏像が必要となるわけじゃ。おぬしのお頭が誰だか知らんが、その寺の仏像を任されれば相当な稼ぎになるはずじゃ」
「俺もそう思うが、確かな証(アカシ)がないとな。財源は一体、何です」
「よくは知らんが、鉄じゃないかの。今、どこの国でも戦続きで、武器はいくらあっても足らん。その材料が鉄じゃ。鉄は瑠璃寺が一括して扱っておるが、赤松家はその鉄を全部、買い取り、鍛冶師に武器を作らせて商人に売っている。その儲けがかなりあるんじゃろう」
「赤松家は鍛冶師も支配してるのか」
「実際に支配してるのは大円寺の勝岳上人(ショウガクショウニン)殿じゃがな。赤松家で支配しているのと同じじゃ」
「と言う事は、名刀の産地、備前の長船(オサフネ)も赤松家の支配下なのか」
「備前の長船と言ったら、赤松家というよりは浦上殿の支配下のようなものじゃ」
「浦上殿の財源か‥‥‥」
「だから、浦上殿は強きなんじゃよ」
「成程な、赤松家が鉄で商売してるのなら儲かるわ」
「おぬしも、お頭を呼んで、ここに腰を落ち着けた方がいいぞ」
「わかった。そうしましょう」
銀左はニヤニヤしながら太郎を見ながら、「おぬし、ほんとに仏師か」と聞いた。
「はい」と太郎は答えた。
「わしには、どうも信じられん。最初、会った時、わしの刀を軽く弾きおった。しかも、最小限の動作でじゃ。あの時は気づかなかったが、後で考えてみると、どうも腑に落ちん。あの時、おぬしはわしの刀を弾くのに、わしの方を一度も見ん。それなのに簡単に杖で弾きおった。あれ程の事を平気な顔をしてやるとは、おぬしは並大抵の奴じゃない。はっきり言って、わしは今まで、あれ程、使える奴には会った事もない。おぬしは一体、何者なんじゃ」
「あの時、大峯の山伏だと言ったでしょう」
「ふん。まあいい、そのうち、わかるじゃろう」
「多分‥‥‥」
太郎は、銀左に礼を言って別れた。
「今度、おぬしの彫った観音像を見たいもんじゃ」と銀左は言った。
太郎はただ、頷いた。
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