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21.雪溶け2
4
夜明け前だった。
朝を迎えて、早起きの鳥たちが鳴きながら飛び回っていた。
突然、馬のいななきが聞こえたかと思うと、ひづめの音と共に土煙を上げて、一頭の馬が勢いよく駈けて来た。馬には入道頭の武士が乗っていた。薙刀(ナギナタ)を背負った武士は飛ぶような速さで馬を走らせ、北へと向かって行った。
慶覚坊(キョウガクボウ)であった。
蓮崇からの知らせを受けた慶覚坊は、次の日の朝、まだ暗いうちから現場に飛んで行った。途中、手取川が雪溶け水で増水していて容易に渡れなかったが、安吉(ヤスヨシ)源左衛門の力を借りて、何とか、その日のうちに大桑の善福寺に着く事ができた。
すでに、善福寺は武装した門徒たちによって守られていた。
慶覚坊が馬から下りて名を告げると、門番は慌てて庫裏(クリ)の中に入って行った。しばらくして出て来た住職の順慶(ジュンキョウ)は慶覚坊の姿を見て驚いていた。
「早いのう。吉崎では、もう、今回の事件が噂になっておるのか」
「いや、噂にはなっておらん。上人様の耳に入る前に何とかせにゃならんので、こうして、やって来たわけじゃ」
「そうか、そうじゃのう。ところで、その格好はどうしたんじゃ」
慶覚坊は墨染(スミゾメ)の法衣(ホウエ)ではなく、武士の格好だった。
「なに、途中、川に落ちてのう。急いでいたもんで、安吉殿に借りて来たんじゃ」
「川に落ちたのか。それにしても、そなた、武士の姿も様になっておるのう」
「これでも昔は武士じゃったからのう」
「おお、そう言えば、そなた、薙刀の名人じゃったの。忘れておったわ。まあ、入ってくれ。今、高坂殿と松田殿、それと、田上殿と辰巳(タツミ)殿が来ておる」
善福寺の庫裏の一室では、囲炉裏を囲んで、小具足(コグソク)姿の砂子坂道場の高坂四郎左衛門、長江道場の松田次郎左衛門、田上道場の田上五郎兵衛、辰巳道場の辰巳右衛門佐(ウエモンノスケ)の四人が、緊張した面持ちで酒を飲んでいた。
慶覚坊はお互いに挨拶を済ませると現在の状況を皆から聞いた。
「木目谷は、すでに敵に占領されておる」と辰巳右衛門佐が言った。
右衛門佐は高橋新左衛門の一族で、犀川(サイガワ)の上流を本拠地に持つ国人だった。犀川上流の川の民と山の民を支配していた。犀川は浅野川とは違って川の上流に大寺院がないため、物資の流通は少なかった。もっとも犀川の河口には宮腰(ミヤノコシ)という加賀を代表する湊があり、その湊から犀川の支流である伏見川を上り、野々市へとつながる川は水上交通も盛んだった。しかし、犀川の本流の方は水量が豊富なわりには、それ程、栄えていなかった。特に、右衛門佐が領する上流辺りには荘園もなく、水上輸送は必要なかった。右衛門佐が抱えている川の民は物資を運ぶ者たちではなく、太い材木を筏(イカダ)に組んで宮腰まで運ぶ、勇ましい男たちだった。山の民はその材木を切る杣人(ソマビト)である。要するに、辰巳右衛門佐は国人とはいえ、材木商人の主(アルジ)とも言えた。
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「敵の数はどれ位ですか」と慶覚坊は聞いた。
「そうじゃのう、二千位かのう」
「二千か‥‥‥」
「不意討ちだったのです」と田上五郎兵衛は言った。
田上五郎兵衛は高橋新左衛門の配下だったが、木目谷よりも下流を本拠地としていたため、攻められる事はなかった。木目谷が襲われたとの急報を聞き、慌てて武装し、兵を引き連れて木目谷に向かったが、すでに遅かった。木目谷は槻橋近江守を大将とする大軍に占領され、三百人足らずの兵ではどうする事もできず、口惜しいが引き下がって来たのだった。
「野々市の方はどうじゃ。動く気配はあるのか」と慶覚坊は聞いた。
「各地から続々と兵が集まって来ておるそうじゃ」と順慶が言った。
「本気でやる気じゃな」
「山川(ヤマゴウ)の城にも、二千人近くの兵が詰めておる」と辰巳右衛門佐が言った。
「山川に二千か‥‥‥木目谷と合わせて四千か‥‥‥」
山川城は木目谷の南西にあり、その間を浅野川と犀川が流れているが半里程しか離れていなかった。南加賀の守護代、山川三河守の本拠地で、一族の山川亦次郎(マタジロウ)が守っていた。
「それで、今、湯涌谷には何人の門徒がおるんじゃ」
「そうじゃのう、五千人というところかのう。その中で兵力となるのは三千人といったところか」
「三千か‥‥‥木目谷を占領しただけで、敵はまだ、湯涌谷には攻めてはおらんのじゃな」
「ああ。動いておらん。兵を集めておるんじゃろう」
「多分な。不案内の山の中を攻めるのは難しいからのう」
「守護を倒すのなら、今が絶好の機会じゃ」と順慶は言った。
「敵の方から仕掛けて来たんじゃからのう」と高坂も言った。
「いや、それはできん」と慶覚坊は強く言った。
「どうして、できんのじゃ」
「上人様が絶対に許さん」
「何じゃと。現に門徒が守護にやられておるんじゃぞ。上人様は門徒を見殺しにするつもりか」
「仕方がないんじゃ。上人様には、守護を倒せと命ずる事はできんのじゃ」
「悪いのは守護の方じゃぞ。今回の戦では卑怯(ヒキョウ)にも不意討ちをして、抵抗もできない門徒たちを百人以上も殺したんじゃ」
「しかし、上人様は絶対に、守護を倒せとは命じない。守護を倒せ、と命ずる事は、幕府を倒せ、と命ずるようなものじゃ。いくら、幕府の勢力が衰えたとはいえ、幕府に刃向かったら本願寺は破滅する」
「それじゃあ、わしらが守護にどんな目に合わされても、上人様は動かんと言うのか」
「動かん」
「上人様が命令を下さなければ、この前のような大軍は集まらん」と高坂は慶覚坊を睨んだ。
「そういう事じゃ」と慶覚坊は厳しい顔付きで頷いた。
「大軍が集まる以前に、わしらは守護を敵にして戦う事もできんのか」と松田は、そんな事、信じられんという顔をして慶覚坊を見つめた。
「その通りじゃ。上人様は守護に刃向かう以前に、門徒たちが戦をする事も許さん。この前の戦の時、松岡寺が襲撃され、蓮綱(レンコウ)殿の命が危ない状況になっても、上人様は戦をする事を許さなかった。今回も、守護に攻められて門徒たちが犠牲になっても、上人様は戦の命令は出さんじゃろう」
「なら、この前は、どうして、戦の命令を出したのじゃ」と辰巳右衛門佐が若い松田を押さえるようにして聞いた。
蓮如の近くにいた坊主たちは当時の事情をよく知っていたが、吉崎から遠く離れた北加賀の門徒たちには詳しい事情は分からなかった。蓮如が戦の大義名分として掲げた『法敵打倒!』の法敵の意味は、教義上の敵、高田派門徒ではなく、本願寺門徒に害を及ぼす者だと理解していた。彼らの考えからいえば、守護の富樫次郎は、まさしく倒さなければならない法敵に違いなかった。
「この前の時は法敵となる高田派がいた。それに、幕府から富樫次郎を助けよ、との奉書が届いたんじゃ。今回は法敵となる高田派はおらんし、幕府も守護を倒せとは言わん。上人様としては門徒を助けたいのは山々じゃが正当な名分がないんじゃ」
「それじゃあ、わしらはどうしたらいいんじゃ。敵が攻めて来たら、黙って逃げろと言うのか」
「それも一つの手じゃ。この加賀の国から門徒全員が立ち退くのも面白い」
「馬鹿な事を言うな。そんな事、できるわけない」
「ああ。そこで残る手段は、今回の戦を本願寺から切り放して考えるんじゃ」
「なに」
「本願寺の門徒としては戦はできん。しかし、わしらは本願寺の門徒である以前に、まず、生きて行かなければならん。それぞれ、毎日の暮らしというものがある。その暮らしを脅かす者に対して戦うというのは当たり前の事じゃ。土地を奪われれば奪い返すというのは当然の事じゃ。わしらは坊主じゃが、他の者たちは皆、門徒である前に、それぞれの仕事がある。上人様もおっしゃっておられる。毎日の仕事に励み、そして、念仏を唱えろ、と」
「慶覚坊殿。一体、何が言いたいんじゃ」と順慶が口を挟んだ。
「要するに、今回の戦を本願寺の戦ではなく、国人たちの守護への反抗という形にしたいんじゃ」
「国人一揆か‥‥‥」と高坂が言った。
「そうじゃ。国人一揆じゃ。本願寺一揆ではなく、国人一揆にするんじゃ。国人たちの一揆となれば、上人様は関係ない。わしもそうじゃが、順慶殿も今回は動かないでもらいたいんじゃ。今回の戦は、飽くまで、国人たちだけの一揆にして、本願寺の坊主は一切、関係しないんじゃ」
「しかし、奴らが攻めて来たらどうするんじゃ」
「いや。奴らは本願寺の寺には攻めては来ないじゃろ。奴らが、今回の戦に掲げている大義名分は『荘園横領』じゃ。荘園を横領したかどによって高橋殿は攻められた。本願寺は今の所、所領を持ってはおらん。守護としても、本願寺の寺院を攻める理由はないんじゃよ。ただ、一揆の中に坊主の姿があるとまずい。同じ穴の貉(ムジナ)と見なされて、攻めて来る可能性はある」
「うむ。国人一揆か‥‥‥そなた、川に落ちたなどて言って、最初から、その格好で出て来たんじゃな」と順慶は言った。
「まあ、そういう事じゃ。この辺りを坊主がうろうろしているのはまずいからのう」
「成程のう。そなた、国人に成り済まして戦に参加するつもりじゃな」
「国人というよりは浪人じゃがな」
「浪人か‥‥‥わしも、その浪人とやらになるかのう」
「戦に参加するなら、それしかない。今回の戦には坊主は一切、参加せん。勿論、『南無阿弥陀仏』の旗も無しじゃ」
「坊主が浪人になるのはいいとしても、本願寺の名を出さないとなると難しいぞ」と高坂は言った。
「本願寺の名を出さないとすると、どれだけの兵が集められるじゃろううか。単なる国人一揆だとすると、関係のない百姓たちを動員する事は難しい」
「確かに、それは言える。しかし、富樫の兵力は今の所、どう多く見ても一万はおらんじゃろう。国人たちだけでも一万位の人数は集められると思うがのう。同じ位の兵力で戦うとすれば、後は作戦次第じゃ。しかも、野々市の守護所の守りは薄い。国人たちが一つにまとまれば守護を倒す事も夢ではない」
「一気に倒すか‥‥‥」
慶覚坊は大きく頷いた。
「すでに、各地に使いの者を送ってある。そろそろ、武装した門徒たちが各地から集まる頃じゃ」と順慶は言った。
「うむ。ただ、ここを本陣にするのはまずいのう。ここには、寺を守る最低の兵だけを置き、後は、どこかに移した方がいいのう」
「わしの所を本陣にすればいい」と田上が言った。
「おお、そうじゃのう」と順慶は言った。「おぬしの道場なら、丁度、木目谷の敵を挟み討ちにする位置じゃ。本陣とするには絶好の場所じゃのう」
「本陣はそこ、と言う事で、まず、敵の状況を調べんとならんのう」
「それも、すでに、やっておる」
「そうか、やっておるか。そのうち、蓮崇殿が来るとは思うが、それまで、順慶殿、本陣の方を頼みます」
「蓮崇殿が来られるのか」
「ええ。二、三日したら来るじゃろう」
「慶覚坊殿はどうするんじゃ」
「わしは湯涌谷に行って来るわ」
「木目谷に敵がうようよいるんですよ」と田上が言った。
「わしは元、山伏じゃからのう、山の中を通って行くわ」
「何と‥‥‥」
「向こうの状況を見て来るわ。それに、敵を挟み討ちをするには、上と下の息が合ってないと成功せんからのう。わしが、その連絡をしようと思ってのう」
「そうか。そいつは有り難い。わしらも湯涌谷には誰かを送らにゃならんとは思っておったんじゃが、慶覚坊殿が行ってくれるとは心強い。頼みますぞ」
「慶覚坊殿、わしも一緒に連れて行って下さい」と松田が言った。
「高橋殿はわしの義理の父親なんです。この目で無事な事を確かめたいのです。お願いします」
「道のない山の中を歩く事になるぞ」
「山歩きには慣れております」
「慶覚坊殿、そいつを連れて行ってやって下さい」と順慶は言った。「そして、そいつに湯涌谷の状況を持たせて山を下ろさせれば、慶覚坊殿がすぐに下りて来なくても済むじゃろう。慶覚坊殿をただの物見や伝令に使うのは勿体ない。上にいて兵の指揮をした方がいい」
「なに、上には高橋殿と石黒殿がおられる。わしの出番などないわ。じゃが、一人で行くよりは二人の方がいいかもしれんのう。明日の朝、一番で出掛けるぞ」と慶覚坊は松田に言った。
「はっ。有り難うございます」
「慶覚坊殿、まず、景気づけに一杯行こう」と順慶が酒盃を差し出した。
「すまんのう」と言って慶覚坊は酒を受けた。
「富樫次郎も、ようやく守護になれたものを、あえなく、国人一揆によって散る事になろうとはのう。可哀想な事じゃ」と辰巳右衛門佐は笑った。
「元々、守護になる器じゃなかったのよ」と順慶は言った。
「幸千代にしろ、次郎にしろ、哀れなもんじゃのう。国人たちは寝返れば済むが、奴らは寝返る事もできん。家臣たちに祭り上げられて、本願寺を敵に回すとはのう。いや、本願寺ではなく、国人たちをのう」と慶覚坊は言って酒を飲んだ。
「確かに、哀れと言えば、哀れな事じゃ」
雪溶けの季節になったとはいえ、夜になると、まだ寒さは厳しかった。
囲炉裏の火を囲みながら、六人は皆、今回の戦の勝利を確信して疑わなかった。
強い春風が吹いていた。
慶覚坊たちが善福寺にて囲炉裏を囲んでいた頃、善福寺より北に二里程の所にある倉月庄では、主立った者たちが山本若狭守の屋敷に集まって、今回の木目谷の戦について、どう対処したらいいのか検討していた。
こんなにも早く、守護と本願寺が争いを始めるとは、まったく意外な事だった。倉月庄の者たちは、前回の戦の時、共に協力して勝利を得た富樫次郎と本願寺が争う事などないだろうと思っていた。思っていたというよりは、誰もが、それを願っていた。いつかは争わなければならないという事は誰にも分かっていた。それでも、しばらくのうちは互いに争う事はないだろうと思っていた。
倉月庄は北西に河北潟(カホクガタ)、南西を浅野川、北東を森下川、南東を医王山(イオウゼン)へと続く山々に囲まれた、広々とした平野であった。
室町時代の初期、儒教(ジュキョウ)を専門とする家柄の中原氏が荘園領主となったが、後に庶流の摂津氏に、ほとんどの所領を奪われた。摂津氏は今でも幕府の奉公衆として幕府内で勢力を持っている。
摂津氏が倉月庄の領主といっても、倉月庄のすべてを領地としていたわけではなかった。当時の治水技術では、どんな土地でも田畑にするというわけには行かなかった。田畑になり易い土地から荘園となって行ったため、摂津氏の荘園も倉月庄内の各地に散らばっていた。
中原氏以前、源平の合戦の頃、自ら土地を開発して土着した者や、富樫氏と同じ斎藤氏の一族の者たちの中にも、この地に根を張る者があった。彼らは時代の変わり目をうまく乗り越えて、徐々に勢力を広げ、生き残って来た者たちであった。彼らは常に時の権力者と手を結び、隣の者たちの隙を狙いながら領土を広げて来たのだった。
富樫家の家督争いが始まり、加賀の国に戦乱が絶えなくなって来た頃より、倉月庄の者たちは生き残るために、今まで争って来た隣の者たちと手を結ぶようになり、前回の戦の時、本願寺の門徒となって以来、倉月庄の国人たちは完全に一つにまとまっていた。すでに、倉月庄内の土地の取り合いなどしている場合ではなかった。庄が一つにまとまらなければ、この先、生きて行く事も危ぶまれる状況になっていた。庄内の国人たちは、何かある毎に寄り合って物事を決めていた。
前回、会合(カイゴウ)を持ったのは正月だった。野々市の守護所に挨拶に行くべきかどうかが問題だった。本願寺の門徒になったとはいえ、倉月庄と野々市は近すぎた。門徒になっても武士である以上、知らん顔をしているわけにはいかなかった。結局、代表を送るという事に決まり、以前、次郎の家臣だった疋田豊次郎と幕府奉公衆である摂津氏の嫡流である中原兵庫助(ヒョウゴノスケ)が行く事となった。倉月庄の中には幸千代に付いていた者もかなりいたが、寝返ったという事で、特に問題もなく乗り越えた。そして、今回の戦騒ぎだった。
戦の事を最初に知らせて来たのは善福寺だった。至急、兵を集め、参陣してくれと言って来た。倉月庄の主立った者たちは集まった。答えの出ないまま顔を突き合わせている時、恐れていた守護からの使いが来た。至急、武装して野々市に集まれと言う。
中立でいる訳にはいかなかった。
前回の戦の時、中心になって活躍した山本若狭守、中原兵庫助、諸江丹後守、大場越中守、疋田豊次郎、千田(センダ)次郎左衛門、浅野右京亮(ウキョウノスケ)、高桑六郎左衛門の八人が、唸りながら顔を並べていた。
山本若狭守は賀茂社領の河北郡金津庄の庄官(代官)、山本氏の一族で、河北潟を渡って倉月庄に土着した国人で、河北潟の湖上運搬に携わる舟人たちを支配していた。
中原兵庫助は、かつては倉月庄内の各地に荘園を持つ名族で、今は荘園のほとんどを庶流の摂津氏に奪われてはいたが、名門として生き続けていた。
諸江丹後守と大場越中守の両名は源平の頃、源義仲と共に加賀に攻め入り、平氏を倒し、そのまま、この地に土着して勢力を広げ、早い時期から本願寺の門徒となっていた。
疋田豊次郎、千田次郎左衛門、浅野右京亮、高桑六郎左衛門の四人は、富樫氏と同族の斎藤氏の出であり、斎藤氏の系列は加賀の国の各地に散らばって国人化していた。
彼らの先祖が、この地に土着したのは二百年以上も前の事であり、その間に同族同士での争いも絶えず、弱い者は容赦なく滅び去って行った。そして、今も、それぞれが先祖代々の土地を失わないようにと必死になっていた。
「恐れていた事態が、とうとう来たのう」と山本若狭守が面々を見ながら言った。
「どっちかに決めなければならんのか」諸江丹後守が言った。
「どっちかに決めなければ、また、味方同士で戦う事になる」と疋田豊次郎が言った。
「わしは、守護についた方がいいと思うがの」と中原兵庫助は言った。「次郎殿は幸千代殿とは違い、幕府から正式に任命された守護じゃ。守護を敵に回す事は幕府を敵にするも同じじゃ。とても、そんな事はできん」
「かと言って、本願寺を敵にする事もできんぞ」と高桑六郎左衛門が言った。「この前の戦で、門徒にならなかった国人どもは本願寺にやられて土地を奪われておる。何しろ、兵力にしたら富樫と本願寺では比べものにならん」
「しかし、今回、本願寺の門徒たちが、どれ位集まるかが問題じゃ」と大場越中守が言った。「前回の戦の時は法敵である高田派を倒すために、上人様は戦の命を下した。しかし、今回の戦では上人様が動くとは思えん」
「門徒たちがやられておるのに、上人様は動かんと言うのか」千田次郎左衛門が聞いた
「多分、動かんのう」と諸江丹後守が言った。「越中守とわしは、そなたたちより古くから門徒となっておって、上人様の教えは、そなたたちよりは詳しいつもりじゃ。上人様の教えの中には戦というものはない。上人様は絶対に戦をする事を許さんのじゃ。まして、相手が守護では戦を命じる事など絶対にない」
「そうか、上人様は動かんのか‥‥‥」と豊次郎は言った。
「上人様が動かんのなら門徒たちも集まるまい。門徒たちが一つにならなかったら、守護の方が絶対に有利じゃ」と兵庫助が言った。
「それは、分からんぞ。上人様が命じなくても門徒たちが黙ってやられておるとは思えん」と右京亮が言った。
「上人様の教えに背いてまでも、守護と戦うと言うのか」と豊次郎は聞いた。
「生きるためじゃ。今回、守護は荘園の横領という名目を掲げて国人門徒を攻めておる。まず、最初に狙われたのが大桑庄を横領しておった高橋殿じゃ。国人門徒にしてみれば、誰でも狙われる可能性を持っておる。次の標的になる前に、手を組んで守護を倒そうとするかもしれん」
「それは言えるのう」と六郎左衛門は言った。「国人門徒だけでも、守護に対抗するだけの力は持っておるはずじゃ」
「そうなると、どっちが勝つか、まったく分からん事となるのう」と若狭守は言った。
「しばらく、様子を見るしかないのう」
「様子を見る? そんな悠長な事はしておれんぞ」と右京亮は言った。
「いや、様子を見るというのは両方に兵を送り、状況を見るという事じゃ」
「戦になったらどうする」
「負戦となった方が、何とか、その場をごまかして逃げて来るんじゃ」
「後になって、敵側に仲間がいたという事がばれたら、どうするつもりじゃ」と六郎左衛門が聞いた。
「その時はその時じゃ。勝手に抜駆けしたと言って、ごまかすしかあるまい。子供に家督を譲ってでも家だけは守らなくてはならん」
「うむ、それしかないようじゃのう」
話し合いの末、諸江丹後守と大場越中守と浅野右京亮の三人が本願寺方に行き、中原兵庫助と疋田豊次郎と千田次郎左衛門の三人が守護方に行き、山本若狭守と高桑六郎左衛門の二人は倉月庄に残り、守りを固めるという事となった。
次の日、それぞれ百人の兵を引き連れて戦場へと向かって行った。
川から湯気が立ち昇っていた。
岩陰に隠れた所に露天風呂があり、娘が五人、湯に浸かっていた。まだ、嫁入り前のあどけない顔をした娘たちだった。娘たちはキャーキャー言いながら楽しそうに温泉に入っていた。
のどかな風景だったが、その川を少し下って行くと同じ場所とは思えない風景が展開していた。そこには武装した兵がうようよいて、大声を上げながら忙しそうに作業をしていた。
浅野川の上流にある湯涌谷だった。
兵たちは濠を掘り、土塁を築いて柵を巡らし、守りを固めていた。本願寺の門徒たち、約三千人が武装して、下流の木目谷を占拠している敵の動きを見守っていた。
湯涌谷の大将は石黒孫左衛門といい、木目谷の高橋新左衛門とは従兄弟(イトコ)同士だった。その二人が兵たちの指揮を執り、兵たちは皆、意気込んでいた。
慶覚坊は松田次郎左衛門を連れて湯涌谷に来て、勇ましい兵たちの動きを見て安心した。この谷にいる門徒のほとんどは山や川で仕事をしているため、力もあり、山伏のように素早く敏捷だった。この狭い谷の中を、武士たちが攻め込んで来ても勝てるはずはないと確信した。
慶覚坊は新左衛門と孫左衛門と会い、今後の作戦を検討し、木目谷の下流にある田上の本陣の準備が出来次第、機先を制して、一気に敵を挟み討ちにしようと決めた。
松田次郎左衛門が、その作戦を知らせるため石黒孫左衛門の部下を一人連れて山を下りて行った。日取りが決まり次第、その部下が山に登って来る事になっていた。
この湯涌谷を本拠にする国人たちを湯涌谷衆と呼び、石黒孫左衛門がその代表となっているが、孫左衛門がこの谷すべてを支配していたわけではなかった。狭い谷の中に、多くの国人たちがひしめき合い、互いに争いを繰り返していた。
そんな状況だったこの谷に、蓮如の叔父、如乗(ニョジョウ)によって本願寺の教えが入って来た事により、この谷の様相も変わって行った。ここでも門徒化は下層階級から始まって国人たちを巻き込んで行った。そして、石黒氏は国人たちの中で真っ先に門徒となり、如乗のために道場を開いた。その道場には湯涌谷中の門徒たちが集まり、他の国人たちも黙って見ているわけにも行かず、次々と門徒となって行った。有力国人たちが皆、門徒になる事によって国人たちは一つにまとまった。
そして、如乗が亡くなった後、湯涌谷の道場に来たのが下間蓮崇だった。蓮崇はこの谷で八年間、教えを広めた後、蓮如のもとへと行った。蓮崇が蓮如の執事となった事により、蓮崇の門徒である湯涌谷衆の株も上がった。
加賀と越中の国境近くの山奥の谷が、蓮崇によって脚光を浴びる事となった。狭い山奥で、世間とはほとんど関係なく、ひっそりと暮らして来た湯涌谷衆にとって、急に世界が開けたようなものだった。そして、前回の戦では、門徒たちと力を合わせて、守護の富樫幸千代を倒した。今、思い出しても、それは夢の中の話のようだった。先祖代々、狭い谷の中で暮らし、戦と言えば隣同士で行なう喧嘩のようなものだった。何万もの兵が動くという大きな戦など、噂に聞く位で、実際、自分たちとは無縁なものだと思っていた。ところが実際に、数万もの兵の動く大戦に自ら参加し、しかも勝利したのだった。
湯涌谷の国人たちは、いつまでも、こんな谷に引っ込んでいる事はない。そろそろ、わしらも広い平野に出る頃だ、と自覚し始めていた。守護の富樫を倒し、谷から出て行くのも夢ではないと考えていた。
慶覚坊は蓮崇の豪華な屋敷で休んでいた。
凄い屋敷だった。まるで、殿様の屋敷といえる程だった。こんな山の中に、こんな豪勢な屋敷を建てるとは蓮崇も変わった奴だ、と慶覚坊は思っていた。蓮崇がこの屋敷で暮らすのは、一年の内でほんの数日に過ぎないだろう。その屋敷内で、普段、使われているのは、今、湯涌谷道場を任されている義弟の下間信永(シモツマシンエイ)家族が暮らしている一画だけだった。その他の部屋は、主人がいなくても下人たちが毎日、掃除をして、埃一つなく綺麗になっていた。
慶覚坊は、そんな屋敷の客間で、のんびり、くつろいでいた。
蓮崇は、この豪勢な屋敷で湯涌谷の国人たちを集めて、殿様のように振る舞っていたのだろうか、と慶覚坊は思った。
この谷の者たちから見れば、法主(ホッス)である蓮如の側近くに勤めている蓮崇は、殿様に違いなかった。詳しくは知らないが、蓮崇は如乗に連れられて本泉寺に来るまでは、越前本覚寺で下人だったという。子供の頃、貧しかった反動から、こんな屋敷をこの山中に建てたのかも知れなかった。
慶覚坊が、そんな事を思っている時だった。突然、外が騒がしくなった。
一体、何事じゃ、と外に出てみると、兵たちが慌てて逃げ惑っていた。
慶覚坊が一人を捕まえて事情を聞くと、敵が攻めて来た、と言う。
信じられなかった。
充分、見張りは立ててある。敵が動けば、すぐに分かるはずだった。一体、何事が起こったのか、と慶覚坊は薙刀を抱えて本陣に向かった。
本陣には石黒孫左衛門も高橋新左衛門もいなかった。兵の指図をしていた湯涌次郎左衛門に事情を聞くと、敵が横から攻めて来た、と言う。
「横? 山の方から攻めて来たのか」と慶覚坊は聞いた。
「そうです。木目谷にいる敵は囮(オトリ)だったんじゃ。正面から攻めて来ると思わせておいて、横から攻めて来やがったわ」
「山の中には、まだ、雪があるぞ。雪の中を通って来たとなれば、それ程、大勢ではあるまい」
「いや、二千人はおるだろうとの事じゃ」
「なに、二千人‥‥‥信じられん」
「山之内衆じゃ」
「なに、山之内衆か‥‥‥そうか、奴らならやりかねん。そうか、山之内衆か。すっかり、奴らの事を忘れておったわ。奴らはまだ門徒じゃなかったんじゃのう。失敗したわ」
とにかく、この谷は何としてでも守らなけりゃならん、と慶覚坊は前線に向かった。
山之内衆二千の兵は、湯涌谷の南にある高尾山から湯涌谷に攻め下りて来た。最初に、敵の軍隊を見つけたのは露天風呂に入っていた娘たちだった。雪を被った高尾山を眺めながら、のんきに湯に浸かっていた娘たちは身の危険など、まったく感じていなかった。
彼女たちは、敵が攻めて来るかもしれないので危ないからと指定された避難場所から抜け出して、のんきに温泉に浸かっていた。
娘たちは、川向こうから突然、武装した兵が続々と出て来るのを目にした。驚いた娘たちは腰が抜けたかのように動く事ができなかった。ただ、見つかったら殺されるという事は彼女たちにも分かった。娘たちは固まって、岩陰にじっと身を隠していた。幸いに敵に発見されなかったが、味方に早く知らせなければならない、と考える者は一人もいなかった。やがて、下流の方で合戦が始まり、人々の悲鳴が聞こえて来た。
娘たちは恐ろしくなって、着物を抱えると裸のまま避難場所へと逃げて行った。
完敗だった。
湯涌谷の下流にある木目谷の敵に対して防御を固めていたため、山之内衆の攻めて来た南方はまったくの無防備だった。敵が攻めて来た事を知った時、すでに手遅れとなっており、陣を立て直す事もできず、逃げるだけが精一杯だった。もしもの事を考え、年寄り、女、子供らは避難させてあった。まず、彼らを無事に逃がし、皆、越中の国へと落ちのびて行った。
慶覚坊も薙刀を振り回して、敵を倒して行ったが、ばらばらになってしまった味方を立て直す事は不可能だった。仕方なく、慶覚坊も越中へと逃げて行った。
山之内衆が湯涌谷で暴れている時、ようやく、木目谷と山川(ヤマゴウ)城にいた敵も動き出した。
これを見ていた田上の本陣も動き出した。決戦の予定は明日の早朝だった。今朝、その知らせを持たせて山に登らせた。予定は明日だったが、敵が動いたのなら動かないわけにはいかない。きっと、上の連中も敵の動きを見て、攻め下りて来るだろう。挟み討ちに合って敵は全滅するだろう、そう思いながら、田上に集まった門徒たちは浅野川を攻め登って行った。
田上の本陣には四千人近くの門徒が集まっていた。
その中心となって指揮を執っていたのは善福寺順慶(ジュンキョウ)とその兄である浄徳寺慶恵(キョウエ)だった。二人とも慶覚坊を真似て、武士の格好に甲冑を着けていた。そして、田上五郎兵衛、高坂四郎左衛門、辰巳右衛門佐、松田次郎左衛門が兵を引き連れて布陣し、高橋新左衛門の配下となっている若松庄と大桑庄の荘官二人も加わっていた。新たに加わった者としては、倶利伽羅(クリカラ)の国人、越智伯耆守(オチホウキノカミ)、倉月庄の浅野、諸江、大場の三人、手取川流域の国人、安吉源左衛門と笠間兵衛(ヒョウエ)が代理の者に兵を付けて派遣し、能美(ノミ)郡板津の国人、蛭川(ヒルカワ)新七郎と同じく能美郡山上の国人、中川三郎右衛門も代理を送って来た。吉崎からは和田長光坊が来ていた。蓮崇はまだ来ていなかった。
勝利を確信して攻め登って行った国人門徒たちの夢はあっけ無く、崩れ去った。
狭い谷間に入った途端、前を行く敵が一斉に向きを変えて、攻め下りて来た。攻め登る門徒たちは上から味方が攻め下りて来たので、敵は逃げて来るものと勘違いした。
敵が逃げて来るぞ、今だ、攻め登れ!
逃げて来る敵を倒すのはわけ無いが、攻め下りて来る敵を倒すのは難しい。しかも、山川城にいた敵が側面からも攻め、更に、知らないうちに、後方からも敵勢が攻め登って来ていた。後方から来たのは野々市に待機していた兵だった。
挟み討ちにするはずが、逆に、自分たちが挟み討ちにされ、全滅だった。
四千人の門徒の内、一千人近くが敵に斬られたり、川に落ちて溺れたりして死んで行った。何とか、その場から逃げる事ができた者たちも、執拗な残党狩りにあって殺された者も多かった。
倉月庄の三人の内、大場越中守が戦死し、連れて行った兵の半数以上が倉月庄に戻る事は無かった。その他、武将では山上庄の中川三郎右衛門の代理として来ていた和気六郎左衛門、手取川の笠間兵衛の代理として来ていた鹿島九郎左衛門、大桑庄の荘官、大桑讃岐守(サヌキノカミ)も戦死していた。
善福寺順慶、浄徳寺慶恵、和田長光坊、高坂四郎左衛門の四人は、敵の向こう側にいるはずの湯涌谷衆と合流しようと敵の中を突破した。ところが、敵の後ろに湯涌谷衆はいなかった。彼らは湯涌谷の連中が、すでにやられている事を知らない。とんでもない負け戦になったのは、湯涌谷衆が攻め下りて来ないからだと腹を立てながら湯涌谷へと登って行った。
彼ら四人は、それぞれ逃げ道を失い、必死になって敵中を突破して敵の後に出た。そして、同じ考えを持って敵中を突破して来た連中と会い、一時は戻って、後から敵を討とうとも考えたが、どう考えても勝ち目はない。とりあえずは湯涌谷衆と合流して、やり直そうと考え、手持ちの兵をまとめ湯涌谷へと向かった。総勢百人足らずだった。敵は後から追っては来なかった。
湯涌谷に近づき、様子がおかしいと気づいたのは高坂四郎左衛門だった。
旗が違うと四郎左衛門は言って、一行の足を止めた。今回の戦では『南無阿弥陀仏』の旗は掲げず、それぞれが代々伝わる旗印を使っていた。善福寺も浄徳寺も長光坊も、湯涌谷衆の旗印など知らなかった。
「今回の戦のために、新しく旗を作ったのだろう」と長光坊は言った。
「そうじゃよ。あんな所に敵がおるわけがない」と善福寺も言った。
「いや。あの旗は山之内衆じゃ」と四郎左衛門は言った。
「なに、山之内衆?」
皆の顔に一瞬、恐怖が走った。
皆、山之内衆の存在を忘れていた。確かに、山之内衆は次郎派だった。しかし、誰もが、今回、山之内衆が動くとは思ってもいなかった。
山之内衆とは手取川の上流を本拠地とする国人らの連合だった。山の中を本拠地としているため、普通の武士たちとは違って、山の中を自由に走り回り、少人数での奇襲攻撃を得意とする武装集団だった。湯涌谷衆と性格的に似ている集団だったが、規模が全然違った。山之内衆は少なくとも湯涌谷衆の三倍以上の兵力を抱えていた。
「確かに山之内衆じゃ」と浄徳寺が言った。「蓮台寺城を攻める時、わしらの陣の隣に山之内衆の陣があったので覚えておるが、あれは確かに山之内衆の旗印じゃ」
山之内衆は攻めては来なかった。味方だと思っているのかもしれない。しかし、このまま進む事はできなかった。
「どうする」と善福寺が言った。
「ここは敵から丸見えじゃ。逃げたら攻めて来るかもしれん」と浄徳寺は言った。
「攻めて来たら攻めて来たまでじゃ。この人数ではとても戦えまい」と長光坊が言うと皆、頷き、山の中に入って行った。幸いに山之内衆は攻めては来なかった。
一行はそのまま山の中を進み、四郎左衛門の砂子坂道場に行き、湯涌谷衆がどうなったのか情報を集めた。
うぐいすが鳴き、桃の花が咲いていた。
吉崎御坊の書院の広間から、蓮如は庭園を眺めていた。
吉崎の地に来て四回目の春だった。
ようやく、長い冬も終わったな、と蓮如は思った。
蓮如も年には勝てなかった。自分では健康なつもりでも、北陸の厳しい冬はこたえていた。寒さに耐え切れず、体のあちこちに痛みを感じるようになっていた。幸い、今年の冬は風眼坊が適切な処置を取ってくれたため、例年程の辛さはなかったが、やはり、春が来るのが待ち遠しかった。
石川郡浅野川流域での戦の事は、蓮如の耳にも入っていた。
蓮如は詳しい事情を聴くために蓮崇を呼んだ。蓮崇が書院に入って来ると蓮如は広間の方から声を掛けた。蓮崇は廊下を回って蓮如の側まで来ると坐り、畏(カシコ)まった。
蓮如は庭園の方を向いたまま縁側に腰を下ろすと、「一体、どうしたというのじゃ」と蓮崇に聞いた。「どうして、戦なんかが始まったんじゃ」
「はい」と蓮崇は言ったが、なかなか答えなかった。
「詳しく、申してみい」
「はい。実は、守護の富樫次郎殿が無理難題を押し付けて来て、いきなり、門徒たちを攻めて来たのです」
「無理難題とは何じゃ」
「本所(ホンジョ)に年貢を送れという事です」
「本所に年貢を送るのは当然の事じゃろ。無理難題ではない。それを守らん門徒たちの方が悪い」
「門徒たちも、決して年貢を払わないわけではありません。富樫家の家督争いも終わり、ようやく平和が訪れて、門徒たちも今年からはちゃんと年貢を払うつもりでおりました。ところが、次郎殿は去年の分を払えと言って来たのです。さもないと荘園横領のかどで成敗すると‥‥‥」
「去年の分が払ってないのなら、払えばよいではないか」
「払いたくても払うべきものがありません。去年の収穫の時、丁度、戦の最中でした。その時の収穫のほとんどは兵糧米となりました。余った兵糧米も、戦の後、家を無くしたり、行く当てもない門徒たちのための炊き出しに使ってしまいました」
「すべてか」
「すべてとは言えません。国人たちの中には、どさくさに紛れて溜め込んでおる者たちもおるでしょう。しかし、今回の戦で、そんな余裕を持っておった者はほんのわずかです。皆、死ぬか生きるかの瀬戸際に立って戦っておりました。石川郡に関しては去年の末、守護のために多額の米を払っております。野々市の守護所の蔵が空っぽだったため、何だかんだと理由を付けて門徒たちから米を集めました。門徒たちも次郎殿の事を共に戦った仲間だと思えばこそ、米を送ったのです。その恩も忘れ、急に手の平を返したように、門徒たちをいじめにかかったのです」
「信じられん」
「信じられなくても事実です。木目谷の高橋新左衛門殿は国人と言っても、浅野川の運送に携わる者たちの頭領といえる者です。事実、荘園の横領などしてはおりません。ただ、浅野川流域にある大桑庄と若松庄の荘官が身を守るために本願寺の門徒となり、この間の戦の時、高橋殿と共に出陣したというだけの事です。大桑庄にしろ、若松庄にしろ、去年までは戦続きで、不当な銭を守護に絞り取られ、また、年貢を運ぶにしろ、輸送する手だてもなく、送る事はできませんでしたが、今年からは必ず送るつもりでおったのです。それなのに、守護の次郎殿は不意を襲って、抵抗もできない門徒たちを殺して、高橋殿たちを追いやったのです」
「なぜじゃ。なぜ、守護はそんなむごい事をするんじゃ」
「本願寺の存在が恐ろしいからです。次郎殿は前回の戦で、本願寺門徒によって弟の幸千代殿がやられるのを目(マ)の当りにしました。次に狙われるのは自分だという脅迫観念があるのです。そこで、勝手な名目を掲げて高橋殿を攻め、門徒たちへの見せしめにしたのです。門徒たちにすれば、この加賀の国に戦がなくなってくれれば、それでいいのです。無理な事さえ言わなければ、門徒たちは決して守護に逆らうような事は致しません。ちゃんと、上人様の教えを守って、守護に従い、毎日を一生懸命に暮らし、念仏を唱えた事でしょう。しかし、守護のやり方は余りにも汚なすぎます。門徒たちが守護に刃向かえない事をいい事に女子供までも殺したのです」
「それは、本当なのか」
「本当です。今回の戦で亡くなった門徒たちは百人近くおりますが皆、武器を手にしておりません。いつものように仕事をしている所を襲われ、殺されたのです」
「ひどいのう‥‥‥」
「ひど過ぎます」
蓮如はしばらく、黙っていた。
蓮崇は蓮如の背中を眺めながら、蓮如の痛い程の苦しみを感じていた。
「それで、今はどんな状況なんじゃ」と蓮如は弱々しい声で聞いた。
「高橋殿たち、木目谷の衆は湯涌谷に逃げ込んで守りを固めております。敵は木目谷を占領して湯涌谷を睨んでおります」
「戦になるのは時間の問題というわけか」と蓮如は振り向いて、蓮崇の顔を見つめた。
蓮崇は頷いた。
「今、慶覚坊殿を現地に向かわせ、守護に刃向かってはならん、と伝えさせました。しかし、すでに身内の者を無くした門徒たちもおります。何も悪い事などしておらんのに殺されたのです。門徒たちも、このまま黙っておるとは思えません」
「なぜじゃ。なぜ、こう争い事ばかり起こるのじゃ。わしは争いをさせるために門徒たちを増やしたのではない‥‥‥もう、どうしたらいいのか、わしには分からん」
「上人様、何とかして門徒たちを助けなければなりません」
「分かっておる。分かっておるが、どうする事もできん‥‥‥」
「頼善(ライゼン)殿が近江から戻って来次第、わたしは現場に行って参ります」
「いや、今すぐに行ってくれ。そして、何とかうまい具合にまとめてくれ。そなたは次郎殿とも面識があるはずじゃ。何とか話し合いで解決するように努力してみてくれんか。戦はもう懲り懲りじゃ」
「畏まりました。早速、明日の早朝、現場に向かいます」
蓮如は頷いた。
その苦しそうな顔を、蓮崇はまともに見られなかった。
蓮崇は蓮如を残して書院を後にした。
自分の多屋に戻って来た蓮崇を待っていたのは不幸な知らせだった。
蓮崇は、野々市から急いでやって来た物見の者から、本願寺門徒が守護勢に完敗したという、信じられない事実を聞いた。
物見の報告によると、田上に集まった門徒五千人余りが浅野川の谷間にて挟み討ちに会い全滅したと言う。慶覚坊は湯涌谷に行ったままで、湯涌谷衆がどうなったのかは分からない。すぐに、新しい情報が届く手筈になっていると物見の者は言った。
蓮崇は現場に行く事を延期する事にした。状況が分からないまま現地に行っても、対処の仕方が分からない。慶覚坊が無事なら必ず、戻って来るはずだ。それまで待ってみようと思った。
それにしても、五千人もの門徒が全滅したとは信じられない事だった。しかし、敵は戦の専門家である武士である。ただ、兵の頭数だけを頼んで勝てる相手ではなかった。敵も戦を仕掛けて来たからには、それなりに周到な作戦を練っての事に違いなかった。蓮崇としても、野々市に見張りを置き、敵の動きを探ってはいたが見抜く事はできなかった。多分、蓮崇が思うに、敵の作戦を担当しているのは守護代の槻橋(ツキハシ)近江守に違いなかった。越前の一乗谷にて近江守とは何度か会った事があった。奴なら富樫家のために、本願寺門徒の弱体化を計るために、どんな手段でも取りかねなかった。
蓮崇は物見の者に、引き続き野々市を見張るよう命じて下がらせると、しばらく、一人で考え事をしていたが、やがて、立ち上がるとフラッと外に出て行った。
「そうじゃのう、二千位かのう」
「二千か‥‥‥」
「不意討ちだったのです」と田上五郎兵衛は言った。
田上五郎兵衛は高橋新左衛門の配下だったが、木目谷よりも下流を本拠地としていたため、攻められる事はなかった。木目谷が襲われたとの急報を聞き、慌てて武装し、兵を引き連れて木目谷に向かったが、すでに遅かった。木目谷は槻橋近江守を大将とする大軍に占領され、三百人足らずの兵ではどうする事もできず、口惜しいが引き下がって来たのだった。
「野々市の方はどうじゃ。動く気配はあるのか」と慶覚坊は聞いた。
「各地から続々と兵が集まって来ておるそうじゃ」と順慶が言った。
「本気でやる気じゃな」
「山川(ヤマゴウ)の城にも、二千人近くの兵が詰めておる」と辰巳右衛門佐が言った。
「山川に二千か‥‥‥木目谷と合わせて四千か‥‥‥」
山川城は木目谷の南西にあり、その間を浅野川と犀川が流れているが半里程しか離れていなかった。南加賀の守護代、山川三河守の本拠地で、一族の山川亦次郎(マタジロウ)が守っていた。
「それで、今、湯涌谷には何人の門徒がおるんじゃ」
「そうじゃのう、五千人というところかのう。その中で兵力となるのは三千人といったところか」
「三千か‥‥‥木目谷を占領しただけで、敵はまだ、湯涌谷には攻めてはおらんのじゃな」
「ああ。動いておらん。兵を集めておるんじゃろう」
「多分な。不案内の山の中を攻めるのは難しいからのう」
「守護を倒すのなら、今が絶好の機会じゃ」と順慶は言った。
「敵の方から仕掛けて来たんじゃからのう」と高坂も言った。
「いや、それはできん」と慶覚坊は強く言った。
「どうして、できんのじゃ」
「上人様が絶対に許さん」
「何じゃと。現に門徒が守護にやられておるんじゃぞ。上人様は門徒を見殺しにするつもりか」
「仕方がないんじゃ。上人様には、守護を倒せと命ずる事はできんのじゃ」
「悪いのは守護の方じゃぞ。今回の戦では卑怯(ヒキョウ)にも不意討ちをして、抵抗もできない門徒たちを百人以上も殺したんじゃ」
「しかし、上人様は絶対に、守護を倒せとは命じない。守護を倒せ、と命ずる事は、幕府を倒せ、と命ずるようなものじゃ。いくら、幕府の勢力が衰えたとはいえ、幕府に刃向かったら本願寺は破滅する」
「それじゃあ、わしらが守護にどんな目に合わされても、上人様は動かんと言うのか」
「動かん」
「上人様が命令を下さなければ、この前のような大軍は集まらん」と高坂は慶覚坊を睨んだ。
「そういう事じゃ」と慶覚坊は厳しい顔付きで頷いた。
「大軍が集まる以前に、わしらは守護を敵にして戦う事もできんのか」と松田は、そんな事、信じられんという顔をして慶覚坊を見つめた。
「その通りじゃ。上人様は守護に刃向かう以前に、門徒たちが戦をする事も許さん。この前の戦の時、松岡寺が襲撃され、蓮綱(レンコウ)殿の命が危ない状況になっても、上人様は戦をする事を許さなかった。今回も、守護に攻められて門徒たちが犠牲になっても、上人様は戦の命令は出さんじゃろう」
「なら、この前は、どうして、戦の命令を出したのじゃ」と辰巳右衛門佐が若い松田を押さえるようにして聞いた。
蓮如の近くにいた坊主たちは当時の事情をよく知っていたが、吉崎から遠く離れた北加賀の門徒たちには詳しい事情は分からなかった。蓮如が戦の大義名分として掲げた『法敵打倒!』の法敵の意味は、教義上の敵、高田派門徒ではなく、本願寺門徒に害を及ぼす者だと理解していた。彼らの考えからいえば、守護の富樫次郎は、まさしく倒さなければならない法敵に違いなかった。
「この前の時は法敵となる高田派がいた。それに、幕府から富樫次郎を助けよ、との奉書が届いたんじゃ。今回は法敵となる高田派はおらんし、幕府も守護を倒せとは言わん。上人様としては門徒を助けたいのは山々じゃが正当な名分がないんじゃ」
「それじゃあ、わしらはどうしたらいいんじゃ。敵が攻めて来たら、黙って逃げろと言うのか」
「それも一つの手じゃ。この加賀の国から門徒全員が立ち退くのも面白い」
「馬鹿な事を言うな。そんな事、できるわけない」
「ああ。そこで残る手段は、今回の戦を本願寺から切り放して考えるんじゃ」
「なに」
「本願寺の門徒としては戦はできん。しかし、わしらは本願寺の門徒である以前に、まず、生きて行かなければならん。それぞれ、毎日の暮らしというものがある。その暮らしを脅かす者に対して戦うというのは当たり前の事じゃ。土地を奪われれば奪い返すというのは当然の事じゃ。わしらは坊主じゃが、他の者たちは皆、門徒である前に、それぞれの仕事がある。上人様もおっしゃっておられる。毎日の仕事に励み、そして、念仏を唱えろ、と」
「慶覚坊殿。一体、何が言いたいんじゃ」と順慶が口を挟んだ。
「要するに、今回の戦を本願寺の戦ではなく、国人たちの守護への反抗という形にしたいんじゃ」
「国人一揆か‥‥‥」と高坂が言った。
「そうじゃ。国人一揆じゃ。本願寺一揆ではなく、国人一揆にするんじゃ。国人たちの一揆となれば、上人様は関係ない。わしもそうじゃが、順慶殿も今回は動かないでもらいたいんじゃ。今回の戦は、飽くまで、国人たちだけの一揆にして、本願寺の坊主は一切、関係しないんじゃ」
「しかし、奴らが攻めて来たらどうするんじゃ」
「いや。奴らは本願寺の寺には攻めては来ないじゃろ。奴らが、今回の戦に掲げている大義名分は『荘園横領』じゃ。荘園を横領したかどによって高橋殿は攻められた。本願寺は今の所、所領を持ってはおらん。守護としても、本願寺の寺院を攻める理由はないんじゃよ。ただ、一揆の中に坊主の姿があるとまずい。同じ穴の貉(ムジナ)と見なされて、攻めて来る可能性はある」
「うむ。国人一揆か‥‥‥そなた、川に落ちたなどて言って、最初から、その格好で出て来たんじゃな」と順慶は言った。
「まあ、そういう事じゃ。この辺りを坊主がうろうろしているのはまずいからのう」
「成程のう。そなた、国人に成り済まして戦に参加するつもりじゃな」
「国人というよりは浪人じゃがな」
「浪人か‥‥‥わしも、その浪人とやらになるかのう」
「戦に参加するなら、それしかない。今回の戦には坊主は一切、参加せん。勿論、『南無阿弥陀仏』の旗も無しじゃ」
「坊主が浪人になるのはいいとしても、本願寺の名を出さないとなると難しいぞ」と高坂は言った。
「本願寺の名を出さないとすると、どれだけの兵が集められるじゃろううか。単なる国人一揆だとすると、関係のない百姓たちを動員する事は難しい」
「確かに、それは言える。しかし、富樫の兵力は今の所、どう多く見ても一万はおらんじゃろう。国人たちだけでも一万位の人数は集められると思うがのう。同じ位の兵力で戦うとすれば、後は作戦次第じゃ。しかも、野々市の守護所の守りは薄い。国人たちが一つにまとまれば守護を倒す事も夢ではない」
「一気に倒すか‥‥‥」
慶覚坊は大きく頷いた。
「すでに、各地に使いの者を送ってある。そろそろ、武装した門徒たちが各地から集まる頃じゃ」と順慶は言った。
「うむ。ただ、ここを本陣にするのはまずいのう。ここには、寺を守る最低の兵だけを置き、後は、どこかに移した方がいいのう」
「わしの所を本陣にすればいい」と田上が言った。
「おお、そうじゃのう」と順慶は言った。「おぬしの道場なら、丁度、木目谷の敵を挟み討ちにする位置じゃ。本陣とするには絶好の場所じゃのう」
「本陣はそこ、と言う事で、まず、敵の状況を調べんとならんのう」
「それも、すでに、やっておる」
「そうか、やっておるか。そのうち、蓮崇殿が来るとは思うが、それまで、順慶殿、本陣の方を頼みます」
「蓮崇殿が来られるのか」
「ええ。二、三日したら来るじゃろう」
「慶覚坊殿はどうするんじゃ」
「わしは湯涌谷に行って来るわ」
「木目谷に敵がうようよいるんですよ」と田上が言った。
「わしは元、山伏じゃからのう、山の中を通って行くわ」
「何と‥‥‥」
「向こうの状況を見て来るわ。それに、敵を挟み討ちをするには、上と下の息が合ってないと成功せんからのう。わしが、その連絡をしようと思ってのう」
「そうか。そいつは有り難い。わしらも湯涌谷には誰かを送らにゃならんとは思っておったんじゃが、慶覚坊殿が行ってくれるとは心強い。頼みますぞ」
「慶覚坊殿、わしも一緒に連れて行って下さい」と松田が言った。
「高橋殿はわしの義理の父親なんです。この目で無事な事を確かめたいのです。お願いします」
「道のない山の中を歩く事になるぞ」
「山歩きには慣れております」
「慶覚坊殿、そいつを連れて行ってやって下さい」と順慶は言った。「そして、そいつに湯涌谷の状況を持たせて山を下ろさせれば、慶覚坊殿がすぐに下りて来なくても済むじゃろう。慶覚坊殿をただの物見や伝令に使うのは勿体ない。上にいて兵の指揮をした方がいい」
「なに、上には高橋殿と石黒殿がおられる。わしの出番などないわ。じゃが、一人で行くよりは二人の方がいいかもしれんのう。明日の朝、一番で出掛けるぞ」と慶覚坊は松田に言った。
「はっ。有り難うございます」
「慶覚坊殿、まず、景気づけに一杯行こう」と順慶が酒盃を差し出した。
「すまんのう」と言って慶覚坊は酒を受けた。
「富樫次郎も、ようやく守護になれたものを、あえなく、国人一揆によって散る事になろうとはのう。可哀想な事じゃ」と辰巳右衛門佐は笑った。
「元々、守護になる器じゃなかったのよ」と順慶は言った。
「幸千代にしろ、次郎にしろ、哀れなもんじゃのう。国人たちは寝返れば済むが、奴らは寝返る事もできん。家臣たちに祭り上げられて、本願寺を敵に回すとはのう。いや、本願寺ではなく、国人たちをのう」と慶覚坊は言って酒を飲んだ。
「確かに、哀れと言えば、哀れな事じゃ」
雪溶けの季節になったとはいえ、夜になると、まだ寒さは厳しかった。
囲炉裏の火を囲みながら、六人は皆、今回の戦の勝利を確信して疑わなかった。
5
強い春風が吹いていた。
慶覚坊たちが善福寺にて囲炉裏を囲んでいた頃、善福寺より北に二里程の所にある倉月庄では、主立った者たちが山本若狭守の屋敷に集まって、今回の木目谷の戦について、どう対処したらいいのか検討していた。
こんなにも早く、守護と本願寺が争いを始めるとは、まったく意外な事だった。倉月庄の者たちは、前回の戦の時、共に協力して勝利を得た富樫次郎と本願寺が争う事などないだろうと思っていた。思っていたというよりは、誰もが、それを願っていた。いつかは争わなければならないという事は誰にも分かっていた。それでも、しばらくのうちは互いに争う事はないだろうと思っていた。
倉月庄は北西に河北潟(カホクガタ)、南西を浅野川、北東を森下川、南東を医王山(イオウゼン)へと続く山々に囲まれた、広々とした平野であった。
室町時代の初期、儒教(ジュキョウ)を専門とする家柄の中原氏が荘園領主となったが、後に庶流の摂津氏に、ほとんどの所領を奪われた。摂津氏は今でも幕府の奉公衆として幕府内で勢力を持っている。
摂津氏が倉月庄の領主といっても、倉月庄のすべてを領地としていたわけではなかった。当時の治水技術では、どんな土地でも田畑にするというわけには行かなかった。田畑になり易い土地から荘園となって行ったため、摂津氏の荘園も倉月庄内の各地に散らばっていた。
中原氏以前、源平の合戦の頃、自ら土地を開発して土着した者や、富樫氏と同じ斎藤氏の一族の者たちの中にも、この地に根を張る者があった。彼らは時代の変わり目をうまく乗り越えて、徐々に勢力を広げ、生き残って来た者たちであった。彼らは常に時の権力者と手を結び、隣の者たちの隙を狙いながら領土を広げて来たのだった。
富樫家の家督争いが始まり、加賀の国に戦乱が絶えなくなって来た頃より、倉月庄の者たちは生き残るために、今まで争って来た隣の者たちと手を結ぶようになり、前回の戦の時、本願寺の門徒となって以来、倉月庄の国人たちは完全に一つにまとまっていた。すでに、倉月庄内の土地の取り合いなどしている場合ではなかった。庄が一つにまとまらなければ、この先、生きて行く事も危ぶまれる状況になっていた。庄内の国人たちは、何かある毎に寄り合って物事を決めていた。
前回、会合(カイゴウ)を持ったのは正月だった。野々市の守護所に挨拶に行くべきかどうかが問題だった。本願寺の門徒になったとはいえ、倉月庄と野々市は近すぎた。門徒になっても武士である以上、知らん顔をしているわけにはいかなかった。結局、代表を送るという事に決まり、以前、次郎の家臣だった疋田豊次郎と幕府奉公衆である摂津氏の嫡流である中原兵庫助(ヒョウゴノスケ)が行く事となった。倉月庄の中には幸千代に付いていた者もかなりいたが、寝返ったという事で、特に問題もなく乗り越えた。そして、今回の戦騒ぎだった。
戦の事を最初に知らせて来たのは善福寺だった。至急、兵を集め、参陣してくれと言って来た。倉月庄の主立った者たちは集まった。答えの出ないまま顔を突き合わせている時、恐れていた守護からの使いが来た。至急、武装して野々市に集まれと言う。
中立でいる訳にはいかなかった。
前回の戦の時、中心になって活躍した山本若狭守、中原兵庫助、諸江丹後守、大場越中守、疋田豊次郎、千田(センダ)次郎左衛門、浅野右京亮(ウキョウノスケ)、高桑六郎左衛門の八人が、唸りながら顔を並べていた。
山本若狭守は賀茂社領の河北郡金津庄の庄官(代官)、山本氏の一族で、河北潟を渡って倉月庄に土着した国人で、河北潟の湖上運搬に携わる舟人たちを支配していた。
中原兵庫助は、かつては倉月庄内の各地に荘園を持つ名族で、今は荘園のほとんどを庶流の摂津氏に奪われてはいたが、名門として生き続けていた。
諸江丹後守と大場越中守の両名は源平の頃、源義仲と共に加賀に攻め入り、平氏を倒し、そのまま、この地に土着して勢力を広げ、早い時期から本願寺の門徒となっていた。
疋田豊次郎、千田次郎左衛門、浅野右京亮、高桑六郎左衛門の四人は、富樫氏と同族の斎藤氏の出であり、斎藤氏の系列は加賀の国の各地に散らばって国人化していた。
彼らの先祖が、この地に土着したのは二百年以上も前の事であり、その間に同族同士での争いも絶えず、弱い者は容赦なく滅び去って行った。そして、今も、それぞれが先祖代々の土地を失わないようにと必死になっていた。
「恐れていた事態が、とうとう来たのう」と山本若狭守が面々を見ながら言った。
「どっちかに決めなければならんのか」諸江丹後守が言った。
「どっちかに決めなければ、また、味方同士で戦う事になる」と疋田豊次郎が言った。
「わしは、守護についた方がいいと思うがの」と中原兵庫助は言った。「次郎殿は幸千代殿とは違い、幕府から正式に任命された守護じゃ。守護を敵に回す事は幕府を敵にするも同じじゃ。とても、そんな事はできん」
「かと言って、本願寺を敵にする事もできんぞ」と高桑六郎左衛門が言った。「この前の戦で、門徒にならなかった国人どもは本願寺にやられて土地を奪われておる。何しろ、兵力にしたら富樫と本願寺では比べものにならん」
「しかし、今回、本願寺の門徒たちが、どれ位集まるかが問題じゃ」と大場越中守が言った。「前回の戦の時は法敵である高田派を倒すために、上人様は戦の命を下した。しかし、今回の戦では上人様が動くとは思えん」
「門徒たちがやられておるのに、上人様は動かんと言うのか」千田次郎左衛門が聞いた
「多分、動かんのう」と諸江丹後守が言った。「越中守とわしは、そなたたちより古くから門徒となっておって、上人様の教えは、そなたたちよりは詳しいつもりじゃ。上人様の教えの中には戦というものはない。上人様は絶対に戦をする事を許さんのじゃ。まして、相手が守護では戦を命じる事など絶対にない」
「そうか、上人様は動かんのか‥‥‥」と豊次郎は言った。
「上人様が動かんのなら門徒たちも集まるまい。門徒たちが一つにならなかったら、守護の方が絶対に有利じゃ」と兵庫助が言った。
「それは、分からんぞ。上人様が命じなくても門徒たちが黙ってやられておるとは思えん」と右京亮が言った。
「上人様の教えに背いてまでも、守護と戦うと言うのか」と豊次郎は聞いた。
「生きるためじゃ。今回、守護は荘園の横領という名目を掲げて国人門徒を攻めておる。まず、最初に狙われたのが大桑庄を横領しておった高橋殿じゃ。国人門徒にしてみれば、誰でも狙われる可能性を持っておる。次の標的になる前に、手を組んで守護を倒そうとするかもしれん」
「それは言えるのう」と六郎左衛門は言った。「国人門徒だけでも、守護に対抗するだけの力は持っておるはずじゃ」
「そうなると、どっちが勝つか、まったく分からん事となるのう」と若狭守は言った。
「しばらく、様子を見るしかないのう」
「様子を見る? そんな悠長な事はしておれんぞ」と右京亮は言った。
「いや、様子を見るというのは両方に兵を送り、状況を見るという事じゃ」
「戦になったらどうする」
「負戦となった方が、何とか、その場をごまかして逃げて来るんじゃ」
「後になって、敵側に仲間がいたという事がばれたら、どうするつもりじゃ」と六郎左衛門が聞いた。
「その時はその時じゃ。勝手に抜駆けしたと言って、ごまかすしかあるまい。子供に家督を譲ってでも家だけは守らなくてはならん」
「うむ、それしかないようじゃのう」
話し合いの末、諸江丹後守と大場越中守と浅野右京亮の三人が本願寺方に行き、中原兵庫助と疋田豊次郎と千田次郎左衛門の三人が守護方に行き、山本若狭守と高桑六郎左衛門の二人は倉月庄に残り、守りを固めるという事となった。
次の日、それぞれ百人の兵を引き連れて戦場へと向かって行った。
6
川から湯気が立ち昇っていた。
岩陰に隠れた所に露天風呂があり、娘が五人、湯に浸かっていた。まだ、嫁入り前のあどけない顔をした娘たちだった。娘たちはキャーキャー言いながら楽しそうに温泉に入っていた。
のどかな風景だったが、その川を少し下って行くと同じ場所とは思えない風景が展開していた。そこには武装した兵がうようよいて、大声を上げながら忙しそうに作業をしていた。
浅野川の上流にある湯涌谷だった。
兵たちは濠を掘り、土塁を築いて柵を巡らし、守りを固めていた。本願寺の門徒たち、約三千人が武装して、下流の木目谷を占拠している敵の動きを見守っていた。
湯涌谷の大将は石黒孫左衛門といい、木目谷の高橋新左衛門とは従兄弟(イトコ)同士だった。その二人が兵たちの指揮を執り、兵たちは皆、意気込んでいた。
慶覚坊は松田次郎左衛門を連れて湯涌谷に来て、勇ましい兵たちの動きを見て安心した。この谷にいる門徒のほとんどは山や川で仕事をしているため、力もあり、山伏のように素早く敏捷だった。この狭い谷の中を、武士たちが攻め込んで来ても勝てるはずはないと確信した。
慶覚坊は新左衛門と孫左衛門と会い、今後の作戦を検討し、木目谷の下流にある田上の本陣の準備が出来次第、機先を制して、一気に敵を挟み討ちにしようと決めた。
松田次郎左衛門が、その作戦を知らせるため石黒孫左衛門の部下を一人連れて山を下りて行った。日取りが決まり次第、その部下が山に登って来る事になっていた。
この湯涌谷を本拠にする国人たちを湯涌谷衆と呼び、石黒孫左衛門がその代表となっているが、孫左衛門がこの谷すべてを支配していたわけではなかった。狭い谷の中に、多くの国人たちがひしめき合い、互いに争いを繰り返していた。
そんな状況だったこの谷に、蓮如の叔父、如乗(ニョジョウ)によって本願寺の教えが入って来た事により、この谷の様相も変わって行った。ここでも門徒化は下層階級から始まって国人たちを巻き込んで行った。そして、石黒氏は国人たちの中で真っ先に門徒となり、如乗のために道場を開いた。その道場には湯涌谷中の門徒たちが集まり、他の国人たちも黙って見ているわけにも行かず、次々と門徒となって行った。有力国人たちが皆、門徒になる事によって国人たちは一つにまとまった。
そして、如乗が亡くなった後、湯涌谷の道場に来たのが下間蓮崇だった。蓮崇はこの谷で八年間、教えを広めた後、蓮如のもとへと行った。蓮崇が蓮如の執事となった事により、蓮崇の門徒である湯涌谷衆の株も上がった。
加賀と越中の国境近くの山奥の谷が、蓮崇によって脚光を浴びる事となった。狭い山奥で、世間とはほとんど関係なく、ひっそりと暮らして来た湯涌谷衆にとって、急に世界が開けたようなものだった。そして、前回の戦では、門徒たちと力を合わせて、守護の富樫幸千代を倒した。今、思い出しても、それは夢の中の話のようだった。先祖代々、狭い谷の中で暮らし、戦と言えば隣同士で行なう喧嘩のようなものだった。何万もの兵が動くという大きな戦など、噂に聞く位で、実際、自分たちとは無縁なものだと思っていた。ところが実際に、数万もの兵の動く大戦に自ら参加し、しかも勝利したのだった。
湯涌谷の国人たちは、いつまでも、こんな谷に引っ込んでいる事はない。そろそろ、わしらも広い平野に出る頃だ、と自覚し始めていた。守護の富樫を倒し、谷から出て行くのも夢ではないと考えていた。
慶覚坊は蓮崇の豪華な屋敷で休んでいた。
凄い屋敷だった。まるで、殿様の屋敷といえる程だった。こんな山の中に、こんな豪勢な屋敷を建てるとは蓮崇も変わった奴だ、と慶覚坊は思っていた。蓮崇がこの屋敷で暮らすのは、一年の内でほんの数日に過ぎないだろう。その屋敷内で、普段、使われているのは、今、湯涌谷道場を任されている義弟の下間信永(シモツマシンエイ)家族が暮らしている一画だけだった。その他の部屋は、主人がいなくても下人たちが毎日、掃除をして、埃一つなく綺麗になっていた。
慶覚坊は、そんな屋敷の客間で、のんびり、くつろいでいた。
蓮崇は、この豪勢な屋敷で湯涌谷の国人たちを集めて、殿様のように振る舞っていたのだろうか、と慶覚坊は思った。
この谷の者たちから見れば、法主(ホッス)である蓮如の側近くに勤めている蓮崇は、殿様に違いなかった。詳しくは知らないが、蓮崇は如乗に連れられて本泉寺に来るまでは、越前本覚寺で下人だったという。子供の頃、貧しかった反動から、こんな屋敷をこの山中に建てたのかも知れなかった。
慶覚坊が、そんな事を思っている時だった。突然、外が騒がしくなった。
一体、何事じゃ、と外に出てみると、兵たちが慌てて逃げ惑っていた。
慶覚坊が一人を捕まえて事情を聞くと、敵が攻めて来た、と言う。
信じられなかった。
充分、見張りは立ててある。敵が動けば、すぐに分かるはずだった。一体、何事が起こったのか、と慶覚坊は薙刀を抱えて本陣に向かった。
本陣には石黒孫左衛門も高橋新左衛門もいなかった。兵の指図をしていた湯涌次郎左衛門に事情を聞くと、敵が横から攻めて来た、と言う。
「横? 山の方から攻めて来たのか」と慶覚坊は聞いた。
「そうです。木目谷にいる敵は囮(オトリ)だったんじゃ。正面から攻めて来ると思わせておいて、横から攻めて来やがったわ」
「山の中には、まだ、雪があるぞ。雪の中を通って来たとなれば、それ程、大勢ではあるまい」
「いや、二千人はおるだろうとの事じゃ」
「なに、二千人‥‥‥信じられん」
「山之内衆じゃ」
「なに、山之内衆か‥‥‥そうか、奴らならやりかねん。そうか、山之内衆か。すっかり、奴らの事を忘れておったわ。奴らはまだ門徒じゃなかったんじゃのう。失敗したわ」
とにかく、この谷は何としてでも守らなけりゃならん、と慶覚坊は前線に向かった。
山之内衆二千の兵は、湯涌谷の南にある高尾山から湯涌谷に攻め下りて来た。最初に、敵の軍隊を見つけたのは露天風呂に入っていた娘たちだった。雪を被った高尾山を眺めながら、のんきに湯に浸かっていた娘たちは身の危険など、まったく感じていなかった。
彼女たちは、敵が攻めて来るかもしれないので危ないからと指定された避難場所から抜け出して、のんきに温泉に浸かっていた。
娘たちは、川向こうから突然、武装した兵が続々と出て来るのを目にした。驚いた娘たちは腰が抜けたかのように動く事ができなかった。ただ、見つかったら殺されるという事は彼女たちにも分かった。娘たちは固まって、岩陰にじっと身を隠していた。幸いに敵に発見されなかったが、味方に早く知らせなければならない、と考える者は一人もいなかった。やがて、下流の方で合戦が始まり、人々の悲鳴が聞こえて来た。
娘たちは恐ろしくなって、着物を抱えると裸のまま避難場所へと逃げて行った。
完敗だった。
湯涌谷の下流にある木目谷の敵に対して防御を固めていたため、山之内衆の攻めて来た南方はまったくの無防備だった。敵が攻めて来た事を知った時、すでに手遅れとなっており、陣を立て直す事もできず、逃げるだけが精一杯だった。もしもの事を考え、年寄り、女、子供らは避難させてあった。まず、彼らを無事に逃がし、皆、越中の国へと落ちのびて行った。
慶覚坊も薙刀を振り回して、敵を倒して行ったが、ばらばらになってしまった味方を立て直す事は不可能だった。仕方なく、慶覚坊も越中へと逃げて行った。
山之内衆が湯涌谷で暴れている時、ようやく、木目谷と山川(ヤマゴウ)城にいた敵も動き出した。
これを見ていた田上の本陣も動き出した。決戦の予定は明日の早朝だった。今朝、その知らせを持たせて山に登らせた。予定は明日だったが、敵が動いたのなら動かないわけにはいかない。きっと、上の連中も敵の動きを見て、攻め下りて来るだろう。挟み討ちに合って敵は全滅するだろう、そう思いながら、田上に集まった門徒たちは浅野川を攻め登って行った。
田上の本陣には四千人近くの門徒が集まっていた。
その中心となって指揮を執っていたのは善福寺順慶(ジュンキョウ)とその兄である浄徳寺慶恵(キョウエ)だった。二人とも慶覚坊を真似て、武士の格好に甲冑を着けていた。そして、田上五郎兵衛、高坂四郎左衛門、辰巳右衛門佐、松田次郎左衛門が兵を引き連れて布陣し、高橋新左衛門の配下となっている若松庄と大桑庄の荘官二人も加わっていた。新たに加わった者としては、倶利伽羅(クリカラ)の国人、越智伯耆守(オチホウキノカミ)、倉月庄の浅野、諸江、大場の三人、手取川流域の国人、安吉源左衛門と笠間兵衛(ヒョウエ)が代理の者に兵を付けて派遣し、能美(ノミ)郡板津の国人、蛭川(ヒルカワ)新七郎と同じく能美郡山上の国人、中川三郎右衛門も代理を送って来た。吉崎からは和田長光坊が来ていた。蓮崇はまだ来ていなかった。
勝利を確信して攻め登って行った国人門徒たちの夢はあっけ無く、崩れ去った。
狭い谷間に入った途端、前を行く敵が一斉に向きを変えて、攻め下りて来た。攻め登る門徒たちは上から味方が攻め下りて来たので、敵は逃げて来るものと勘違いした。
敵が逃げて来るぞ、今だ、攻め登れ!
逃げて来る敵を倒すのはわけ無いが、攻め下りて来る敵を倒すのは難しい。しかも、山川城にいた敵が側面からも攻め、更に、知らないうちに、後方からも敵勢が攻め登って来ていた。後方から来たのは野々市に待機していた兵だった。
挟み討ちにするはずが、逆に、自分たちが挟み討ちにされ、全滅だった。
四千人の門徒の内、一千人近くが敵に斬られたり、川に落ちて溺れたりして死んで行った。何とか、その場から逃げる事ができた者たちも、執拗な残党狩りにあって殺された者も多かった。
倉月庄の三人の内、大場越中守が戦死し、連れて行った兵の半数以上が倉月庄に戻る事は無かった。その他、武将では山上庄の中川三郎右衛門の代理として来ていた和気六郎左衛門、手取川の笠間兵衛の代理として来ていた鹿島九郎左衛門、大桑庄の荘官、大桑讃岐守(サヌキノカミ)も戦死していた。
善福寺順慶、浄徳寺慶恵、和田長光坊、高坂四郎左衛門の四人は、敵の向こう側にいるはずの湯涌谷衆と合流しようと敵の中を突破した。ところが、敵の後ろに湯涌谷衆はいなかった。彼らは湯涌谷の連中が、すでにやられている事を知らない。とんでもない負け戦になったのは、湯涌谷衆が攻め下りて来ないからだと腹を立てながら湯涌谷へと登って行った。
彼ら四人は、それぞれ逃げ道を失い、必死になって敵中を突破して敵の後に出た。そして、同じ考えを持って敵中を突破して来た連中と会い、一時は戻って、後から敵を討とうとも考えたが、どう考えても勝ち目はない。とりあえずは湯涌谷衆と合流して、やり直そうと考え、手持ちの兵をまとめ湯涌谷へと向かった。総勢百人足らずだった。敵は後から追っては来なかった。
湯涌谷に近づき、様子がおかしいと気づいたのは高坂四郎左衛門だった。
旗が違うと四郎左衛門は言って、一行の足を止めた。今回の戦では『南無阿弥陀仏』の旗は掲げず、それぞれが代々伝わる旗印を使っていた。善福寺も浄徳寺も長光坊も、湯涌谷衆の旗印など知らなかった。
「今回の戦のために、新しく旗を作ったのだろう」と長光坊は言った。
「そうじゃよ。あんな所に敵がおるわけがない」と善福寺も言った。
「いや。あの旗は山之内衆じゃ」と四郎左衛門は言った。
「なに、山之内衆?」
皆の顔に一瞬、恐怖が走った。
皆、山之内衆の存在を忘れていた。確かに、山之内衆は次郎派だった。しかし、誰もが、今回、山之内衆が動くとは思ってもいなかった。
山之内衆とは手取川の上流を本拠地とする国人らの連合だった。山の中を本拠地としているため、普通の武士たちとは違って、山の中を自由に走り回り、少人数での奇襲攻撃を得意とする武装集団だった。湯涌谷衆と性格的に似ている集団だったが、規模が全然違った。山之内衆は少なくとも湯涌谷衆の三倍以上の兵力を抱えていた。
「確かに山之内衆じゃ」と浄徳寺が言った。「蓮台寺城を攻める時、わしらの陣の隣に山之内衆の陣があったので覚えておるが、あれは確かに山之内衆の旗印じゃ」
山之内衆は攻めては来なかった。味方だと思っているのかもしれない。しかし、このまま進む事はできなかった。
「どうする」と善福寺が言った。
「ここは敵から丸見えじゃ。逃げたら攻めて来るかもしれん」と浄徳寺は言った。
「攻めて来たら攻めて来たまでじゃ。この人数ではとても戦えまい」と長光坊が言うと皆、頷き、山の中に入って行った。幸いに山之内衆は攻めては来なかった。
一行はそのまま山の中を進み、四郎左衛門の砂子坂道場に行き、湯涌谷衆がどうなったのか情報を集めた。
7
うぐいすが鳴き、桃の花が咲いていた。
吉崎御坊の書院の広間から、蓮如は庭園を眺めていた。
吉崎の地に来て四回目の春だった。
ようやく、長い冬も終わったな、と蓮如は思った。
蓮如も年には勝てなかった。自分では健康なつもりでも、北陸の厳しい冬はこたえていた。寒さに耐え切れず、体のあちこちに痛みを感じるようになっていた。幸い、今年の冬は風眼坊が適切な処置を取ってくれたため、例年程の辛さはなかったが、やはり、春が来るのが待ち遠しかった。
石川郡浅野川流域での戦の事は、蓮如の耳にも入っていた。
蓮如は詳しい事情を聴くために蓮崇を呼んだ。蓮崇が書院に入って来ると蓮如は広間の方から声を掛けた。蓮崇は廊下を回って蓮如の側まで来ると坐り、畏(カシコ)まった。
蓮如は庭園の方を向いたまま縁側に腰を下ろすと、「一体、どうしたというのじゃ」と蓮崇に聞いた。「どうして、戦なんかが始まったんじゃ」
「はい」と蓮崇は言ったが、なかなか答えなかった。
「詳しく、申してみい」
「はい。実は、守護の富樫次郎殿が無理難題を押し付けて来て、いきなり、門徒たちを攻めて来たのです」
「無理難題とは何じゃ」
「本所(ホンジョ)に年貢を送れという事です」
「本所に年貢を送るのは当然の事じゃろ。無理難題ではない。それを守らん門徒たちの方が悪い」
「門徒たちも、決して年貢を払わないわけではありません。富樫家の家督争いも終わり、ようやく平和が訪れて、門徒たちも今年からはちゃんと年貢を払うつもりでおりました。ところが、次郎殿は去年の分を払えと言って来たのです。さもないと荘園横領のかどで成敗すると‥‥‥」
「去年の分が払ってないのなら、払えばよいではないか」
「払いたくても払うべきものがありません。去年の収穫の時、丁度、戦の最中でした。その時の収穫のほとんどは兵糧米となりました。余った兵糧米も、戦の後、家を無くしたり、行く当てもない門徒たちのための炊き出しに使ってしまいました」
「すべてか」
「すべてとは言えません。国人たちの中には、どさくさに紛れて溜め込んでおる者たちもおるでしょう。しかし、今回の戦で、そんな余裕を持っておった者はほんのわずかです。皆、死ぬか生きるかの瀬戸際に立って戦っておりました。石川郡に関しては去年の末、守護のために多額の米を払っております。野々市の守護所の蔵が空っぽだったため、何だかんだと理由を付けて門徒たちから米を集めました。門徒たちも次郎殿の事を共に戦った仲間だと思えばこそ、米を送ったのです。その恩も忘れ、急に手の平を返したように、門徒たちをいじめにかかったのです」
「信じられん」
「信じられなくても事実です。木目谷の高橋新左衛門殿は国人と言っても、浅野川の運送に携わる者たちの頭領といえる者です。事実、荘園の横領などしてはおりません。ただ、浅野川流域にある大桑庄と若松庄の荘官が身を守るために本願寺の門徒となり、この間の戦の時、高橋殿と共に出陣したというだけの事です。大桑庄にしろ、若松庄にしろ、去年までは戦続きで、不当な銭を守護に絞り取られ、また、年貢を運ぶにしろ、輸送する手だてもなく、送る事はできませんでしたが、今年からは必ず送るつもりでおったのです。それなのに、守護の次郎殿は不意を襲って、抵抗もできない門徒たちを殺して、高橋殿たちを追いやったのです」
「なぜじゃ。なぜ、守護はそんなむごい事をするんじゃ」
「本願寺の存在が恐ろしいからです。次郎殿は前回の戦で、本願寺門徒によって弟の幸千代殿がやられるのを目(マ)の当りにしました。次に狙われるのは自分だという脅迫観念があるのです。そこで、勝手な名目を掲げて高橋殿を攻め、門徒たちへの見せしめにしたのです。門徒たちにすれば、この加賀の国に戦がなくなってくれれば、それでいいのです。無理な事さえ言わなければ、門徒たちは決して守護に逆らうような事は致しません。ちゃんと、上人様の教えを守って、守護に従い、毎日を一生懸命に暮らし、念仏を唱えた事でしょう。しかし、守護のやり方は余りにも汚なすぎます。門徒たちが守護に刃向かえない事をいい事に女子供までも殺したのです」
「それは、本当なのか」
「本当です。今回の戦で亡くなった門徒たちは百人近くおりますが皆、武器を手にしておりません。いつものように仕事をしている所を襲われ、殺されたのです」
「ひどいのう‥‥‥」
「ひど過ぎます」
蓮如はしばらく、黙っていた。
蓮崇は蓮如の背中を眺めながら、蓮如の痛い程の苦しみを感じていた。
「それで、今はどんな状況なんじゃ」と蓮如は弱々しい声で聞いた。
「高橋殿たち、木目谷の衆は湯涌谷に逃げ込んで守りを固めております。敵は木目谷を占領して湯涌谷を睨んでおります」
「戦になるのは時間の問題というわけか」と蓮如は振り向いて、蓮崇の顔を見つめた。
蓮崇は頷いた。
「今、慶覚坊殿を現地に向かわせ、守護に刃向かってはならん、と伝えさせました。しかし、すでに身内の者を無くした門徒たちもおります。何も悪い事などしておらんのに殺されたのです。門徒たちも、このまま黙っておるとは思えません」
「なぜじゃ。なぜ、こう争い事ばかり起こるのじゃ。わしは争いをさせるために門徒たちを増やしたのではない‥‥‥もう、どうしたらいいのか、わしには分からん」
「上人様、何とかして門徒たちを助けなければなりません」
「分かっておる。分かっておるが、どうする事もできん‥‥‥」
「頼善(ライゼン)殿が近江から戻って来次第、わたしは現場に行って参ります」
「いや、今すぐに行ってくれ。そして、何とかうまい具合にまとめてくれ。そなたは次郎殿とも面識があるはずじゃ。何とか話し合いで解決するように努力してみてくれんか。戦はもう懲り懲りじゃ」
「畏まりました。早速、明日の早朝、現場に向かいます」
蓮如は頷いた。
その苦しそうな顔を、蓮崇はまともに見られなかった。
蓮崇は蓮如を残して書院を後にした。
自分の多屋に戻って来た蓮崇を待っていたのは不幸な知らせだった。
蓮崇は、野々市から急いでやって来た物見の者から、本願寺門徒が守護勢に完敗したという、信じられない事実を聞いた。
物見の報告によると、田上に集まった門徒五千人余りが浅野川の谷間にて挟み討ちに会い全滅したと言う。慶覚坊は湯涌谷に行ったままで、湯涌谷衆がどうなったのかは分からない。すぐに、新しい情報が届く手筈になっていると物見の者は言った。
蓮崇は現場に行く事を延期する事にした。状況が分からないまま現地に行っても、対処の仕方が分からない。慶覚坊が無事なら必ず、戻って来るはずだ。それまで待ってみようと思った。
それにしても、五千人もの門徒が全滅したとは信じられない事だった。しかし、敵は戦の専門家である武士である。ただ、兵の頭数だけを頼んで勝てる相手ではなかった。敵も戦を仕掛けて来たからには、それなりに周到な作戦を練っての事に違いなかった。蓮崇としても、野々市に見張りを置き、敵の動きを探ってはいたが見抜く事はできなかった。多分、蓮崇が思うに、敵の作戦を担当しているのは守護代の槻橋(ツキハシ)近江守に違いなかった。越前の一乗谷にて近江守とは何度か会った事があった。奴なら富樫家のために、本願寺門徒の弱体化を計るために、どんな手段でも取りかねなかった。
蓮崇は物見の者に、引き続き野々市を見張るよう命じて下がらせると、しばらく、一人で考え事をしていたが、やがて、立ち上がるとフラッと外に出て行った。
22.桜咲く1
1
風眼坊とお雪の家の庭に、こぶしの花が咲いていた。
縁側に坐って、風眼坊とお雪と蓮如の三人がお茶を飲みながら小さな庭を眺めていた。
蓮如は忍びの旅の時のように職人姿だった。蓮如は時々、例の抜け穴から抜け出して、ここに遊びに来ていた。今日も蓮如は、蓮崇から石川郡での戦の話を聞くと、じっとしていられなくなって、ここに来たのだった。ここに来たからといって蓮如は風眼坊に何かを相談するわけではなかったが、たとえ、一時であっても、ここでは法主という自分の立場を忘れる事ができた。風眼坊とお雪も、蓮如のそんな気持ちをよく理解して、蓮如から余計な事は一切、聞かなかった。風眼坊もお雪も、今日、蓮如がここに来たのは、例の一揆の事を気にしているに違いないと気づいていたが、その事については一言も口に出さなかった。
「そろそろ、本泉寺の庭を完成せんとならんのう」と蓮如はポツリと言った。
「上人様、そろそろ、旅に出ますか」とお雪は笑いながら聞いた。
「もう、雪も溶けたじゃろうしのう」
「石を運ばなくてはなりませんね」と風眼坊は言った。
「そうじゃ。いい石を見つけんとのう。風眼坊殿に山の中に連れて行って貰わんとならんのう」
「山にはまだ雪が残ってますよ」
「そうか、まだ早すぎるか‥‥‥」
「来月になってからの方がいいでしょうね」
「そうか‥‥‥山はまだ雪か‥‥‥湯涌谷の辺りにも、まだ雪が残っておるのかのう」
「湯涌谷ですか‥‥‥多分、残っておるでしょう」
「そうか‥‥‥」
「湯涌谷には温泉があるんでしょう。一度、行ってみたいわね」とお雪が楽しそうに言った。
「そうじゃな、たまには温泉でのんびりするのもいいのう。あそこには蓮崇殿の屋敷があると言うし、今度、行ってみるか」
「あら、噂をすれば蓮崇様だわ」とお雪が言った。
「なに、蓮崇? わしは帰るぞ」
蓮如は素早かった。さっさと裏の方に消えた。
風眼坊がお雪に合図をすると、お雪は頷いて蓮如の後を追って行った。
蓮如と入れ違いのように蓮崇が入って来た。
「お客さんがいたようじゃったが‥‥‥」と蓮崇は言った。
「なに、近所の庭師じゃ。それより、蓮崇殿、戦のけりが着いたとみえるのう」と風眼坊は言った。
「まだ、詳しい情報が入らんので何とも言えんが、ほぼ、着いたらしいわ」
蓮崇はそう言いながら、さっさと縁側から部屋の中に入って行った。
「富樫次郎の命も、残りわずかという所か」と言いながら風眼坊も部屋に入った。
蓮崇は部屋の中央に絵地図を広げた。
「ほう。加賀の地図か‥‥‥色々と書き込んであるのう」
「負け戦だったそうじゃ」と蓮崇は言った。
「なに」風眼坊は絵地図から顔を上げると、蓮崇の顔を見つめた。
「門徒勢が守護勢に負けたんです」
「門徒が負けた?」
「はい、そうです」と言いながら蓮崇は庭の方に目をやった。
「負けたか‥‥‥門徒が負けたか‥‥‥」風眼坊はまた、地図に目を落とした。
風眼坊には、どうして門徒が負けたのか信じられなかった。
「負けたんじゃ。敵を甘く身過ぎておった‥‥‥」と蓮崇は庭の方を見たまま言った。
風眼坊は蓮崇の横顔を見ながら、蓮崇の悔しい気持ちがよく分かった。自分が現場にいたなら、こんな事にはならなかったはずだ、と蓮崇は思っているに違いなかった。
「どんなふうだったんじゃ」と風眼坊はしばらくしてから聞いた。
蓮崇は絵地図を見ながら、自分が知っている限りの状況を説明した。
風眼坊は黙って聞いていた。
「慶覚坊の奴は何しておるんじゃ」と蓮崇の話が終わると風眼坊は聞いた。
「分かりません。湯涌谷に行った事は確かなんじゃが、その先の事が皆目、分からんのです」
「奴の事だから死ぬ事などないとは思うが‥‥‥」
「どうも納得が行かんのです。なぜ、湯涌谷衆が動かなかったのか、どうしても分からん」
「野々市の兵はどれ位おったんじゃ」
「三千人程だそうです」
「三千か‥‥‥その三千と木目谷、山川城の四千で七千か‥‥‥その七千の敵に門徒五千が挟む討ちにされるのを見て、勝ち目はないと思ったんじゃないかのう」
「そうかもしれんが‥‥‥」
「それよりも野々市の動きをつかむ事はできなかったのか。それが分かっておれば、みすみす挟み討ちなど、ならなかったじゃろう」
「その事もよく分からんのです。善福寺におった物見が言うには、敵は突然、出て来て、門徒の軍勢を挟み討ちにしたと言うんです。わしが思うには、すでに、敵は野々市の守護所を出て、どこかで待機していたように思うんじゃが、敵がどう動いたのか、まったく分からん‥‥‥この吉崎の地と野々市は遠すぎるわ。このままじゃと敵の思う壷(ツボ)にはまって、北加賀の門徒は皆、やられてしまう」
「裏の組織を作らにゃならんのう」と風眼坊は言った。
「裏の組織?」と蓮崇は風眼坊の顔を見た。
「表の組織は蓮如殿が作った。その組織を利用して、兵を集めて戦をした。今度は裏の組織を作って門徒たちを一つにまとめなければならん」
「一体、どういう事です」
「前回の戦では、敵の数倍の兵力を持って敵を攻め立てて勝利を得た。それ程、敵の情報を集めなくても勝つ事ができた。今回、戦に負けたのは門徒たちが敵を見くびっていた事もあるかもしれんが、敵の動きをよく調べなかった。確かに、蓮崇殿は野々市に見張りを入れて敵の動きを知ろうとしておる。しかし、野々市と吉崎をつなぐだけでは駄目じゃ。蓮如殿の書いた御文(オフミ)はすぐに写し取られて各地の寺院に回り、そして、各道場へと行く。わしは詳しくは知らんが、その速さといったら相当な速さじゃろう」
「ええ、確かに速い」
「それを逆に行くんじゃ。各道場で何かがあった場合、次々に情報網を通って吉崎に知らせが、すぐに届くようにするんじゃ。それには、まず、情報集めを専門にする者たちを数多く使わなければならん。今回の場合だったら、敵の動きを探るために野々市や木目谷、山川(ヤマゴウ)城など重要な地点にばらまき、敵の動きが手に取るように分かるようにするんじゃ。この先、加賀の国を取るつもりなら、その位の事をせん事には難しいじゃろう。戦に勝つには敵を知る事が最も肝心なんじゃよ」
「成程‥‥‥」
「ただ、この事は飽くまでも裏の組織じゃ。まあ、陰の組織と言ってもいいのう。蓮如殿には絶対に気づかれてはならんがの」
「うーむ。確かに、情報を集める事は必要じゃが、それを組織するとなると難しいのう」
「確かに難しいが、蓮崇殿ならその位、できるとは思うがの」
「そう、おだてんで下さい。陰の組織か‥‥‥風眼坊殿、しかし、よく、そんな事を知ってますね」
「近江の甲賀に飯道山という山があってのう。そこでは若い者たちに武術を教えておるんじゃがのう。その山にわしの弟子がおって、陰の術というのを編み出して教えておるんじゃ。その陰の術というのが、敵地に忍び込んで敵の情報を盗み取る術なんじゃ。結構、人気があってのう。毎年、その術を習うために若い者たちが続々、登って来るんじゃよ」
「へえ。陰の術ですか‥‥‥」
「そう言えば、慶覚坊の伜が、今、飯道山で修行しておるはずじゃ」
「えっ、あの十郎が、その山に?」
「ああ。山の修行は一年間じゃから、今年の末には、十郎の奴も陰の術を身に付けて帰って来るはずじゃ。十郎を師範として、若い者たちに陰の術を教えれば、その陰の組織も作れるかもしれんぞ」
「そうですね‥‥‥」
「蓮崇殿の伜殿は幾つじゃったかのう」
「十三です」
「十三か、まだ早いのう。後、五年したら飯道山に送るがいい。ただ、あの山の修行は厳しいからのう。今のうちから腕を鍛えさせておいた方がいいのう」
「伜に武術ですか」
「そうじゃ。伜殿もやがて一軍の大将になるんじゃからのう」
「そうじゃのう。わしはからっきし武術は駄目じゃが、伜には強くなってもらわんとのう」
「慶覚坊の所で修行させればいい。奴の腕は一流じゃからの」
「そうですね。慶覚坊殿が戻って来たら頼んでみましょう」そう言ってから、蓮崇は風眼坊を見た。「ちょっと待って下さい。風眼坊殿も武術の腕は一流でしょう」
「一流という程でもないがのう」
「風眼坊殿。風眼坊殿がわしの伜に武術を教えてはくれませんか」
「わしがか?」
「はい。お願いします」
「わしが教えてもいいが、ここは蓮如殿の膝元じゃぞ。おぬしの伜殿はすでに出家しとるんじゃろう。まずくはないのか」
「大丈夫でしょう。現に慶聞坊だって武術の達人です。この先、上人様を守るために、武術を習わせると言えば文句は言わないでしょう」
「もっとも、蓮如殿も棒術の達人じゃしな、文句は言えんか」
「はっ、上人様が棒術の達人?」
「しまった。つい口をすべらしてしまったわ。蓮崇殿、今の事は聞かなかった事にしてくれ」
「それは構いませんが、上人様が棒術の達人だというのは本当の事ですか」
「この事は絶対に内緒じゃぞ。戦に反対しておる上人様が、棒術の達人だったなどという噂でも立てば、門徒たちを煽り立てる結果とも成りかねんからのう」
「ええ、分かっております」
「わしものう、実際に見たわけではないので、どれ位の腕なのかは知らんが、わしが見たところでは、かなりのもんじゃよ。ただ、蓮如殿はその棒術を使って誰かを倒したという事は一度もあるまい。しかし、蓮如殿が自分の足で歩き、これだけ教えを広める事ができたのも、その棒術のお陰かもしれんと言っておった。自分の身を守る術(スベ)を知っておれば、どんな連中の中にでも入って行く事ができるからのう。蓮如殿が教えを広めたのは百姓衆は勿論じゃが、河原者やら、杣人(ソマビト)やら、鋳物師(イモジ)集団やら、漁師やら、気の荒い連中が多いのは、実際に、蓮如殿がその中に入って行ったからじゃ。僧侶とはいえ、ああいう連中の中に入って行くのは難しい。しかも、その中で説教をする事はさらに難しい。初めの内は誰も聞いてはくれんじゃろう。それでも、蓮如殿は諦めずに教えを説いた。山や川で暮らしている連中たちは気が荒く、よそ者に対して警戒心が強い。しかし、一旦、気を許してしまえば根は純粋な奴が多い。心を開いてくれれば門徒にする事も可能じゃが、それまでは並大抵な苦労ではないじゃろう。しかし、蓮如殿はそれをやった。今でも、山の中を歩きながら、それをやっておる。大したお人じゃ」
「‥‥‥知らなかった。わしは上人様がそれ程までの事をして、門徒たちを増やしておったとは全然、知らなかったわ」
蓮崇は今まで、自ら門徒を増やすために、新しい土地に行って教えを説いた事はなかった。十五歳で本泉寺に来て、如乗の側に使え、時折、如乗に付いて各地の道場を巡った事はあったが、それらの土地には、すでに門徒たちがいた。道場があるのだから門徒がいるのは当然な事だが、今、思えば、道場があって門徒がいるのではなく、門徒がいるから道場ができ、その門徒を作ったのは如乗に違いなかった。
蓮崇が本泉寺に来て、二年か三年経った頃、蓮如が波佐谷(ハサダニ)の奥の池城に、生まれたばかりの蓮綱のために草坊を建てた事があった。如乗はさっそく、お祝いのために出掛けて行った。蓮崇も一緒に連れて行って貰ったが、あの時はただ新しい道場ができたんだな、としか考えなかった。しかし、よく考えてみれば、本願寺の道場が建つという事は、ただ、土地があったから、というような単純な事ではなかった。その辺りに相当な数の門徒がいて、その門徒の志しによって道場は建てられるのである。池城の道場のある光谷川沿いの山の中に教えを広めたのが蓮如自身だったに違いなかった。後に、池城の道場に入った蓮綱は教えを広めると共に古屋(松岡町)に道場を移し、さらに、波佐谷に移って松岡寺となっている。
蓮崇は今、ようやく、その事に気づいたのだった。
「内緒じゃ」と風眼坊は繰り返し言った。
蓮崇は頷いた。
「それで、これから、どうするつもりじゃ」
「慶覚坊殿が戻って来てから考えます」
「うむ、それしかないのう。向こうの状況が分からん事にはどうにもならんからのう」
「ただ、守護側が今回の戦に勝った事によって、勢いを得て、他の門徒の所を不意に襲いはしないか、という事が心配です」
「うむ。それはあり得るのう。おぬしが守護の立場だったら、どこを襲う」
「ここです」と蓮崇は絵地図の上を指した。
「やはりのう。わしも、そこじゃと思うわ」
蓮崇が指した所は手取川だった。
手取川には、安吉源左衛門率いる河原衆と、笠間兵衛(ヒョウエ)率いる革の衆がいた。安吉氏が手取川の河原者の内、輸送関係に携わる者たちを支配しているのに対し、笠間氏は同じ河原者でも、染め物を扱う紺屋(コウヤ)と皮革を生産する革屋たちを支配していた。
戦続きのお陰で、皮革はいくらあっても足らず、生産の方が間に合わない有り様だったが、本願寺の門徒になったため、門徒たちの死んだ牛馬の処理も扱うようになり、笠間氏は、益々、勢力を広げて行った。前回の戦で死んだ馬の処理の一斉を任されていたのも彼らだった。
笠間氏自身は安吉氏と同様に河原者ではない。れっきとした武士であった。遠い先祖は白山本宮の神主で、本宮を守るために武士となった者が手取川の河口にある小河の白山社に移り、その辺りに土着して勢力を広げて行った。笠間の地に土着した者が笠間を姓として名乗ったのが笠間氏の始まりだった。笠間氏は手取川流域の土地を開拓する一方で、神職である地位を利用して河原者たちも支配した。同じ様に河原者を支配しようとしている安吉氏とは何度も争い事を繰り返していたが、お互いに門徒となる事によって、初めて、腹を割って話し合い、お互いの縄張りをはっきりと決めた。そして、安吉氏の十四歳になる長男と笠間氏の十二歳になる長女との婚約がなり、堅く同盟を結んでいた。
「そこに違いないとは思うが、そこを攻める事は難しい」と蓮崇は言った。
「うむ。確かにのう。山の中とは違って広い河原ではごまかしが効かんからのう。お互いに正面から戦えば、勝ったにしろ損害はひどいじゃろう。ただでさえ、兵力のない守護側がそんな事はするまい」
「それだけではありません。安吉殿にしろ、笠間殿にしろ、ただの国人ではない。安吉殿が戦を始めれば手取川の運送は止まる。手取川の運送が止まって一番困るのは白山寺です。守護は白山までも敵に回す事になる。それに、笠間殿は革座を握っております。笠間殿を敵に回したら革は手に入らない。戦に必要な革が入らなくなったのでは、守護としても困るでしょう」
「と言う事は実力行使ではなく、何とかして守護側に抱き込むつもりじゃな」
「多分。安吉殿の奥方は、南加賀の守護代の山川三河守の妹なんです。多分、その線で、抱き込みに掛かると思うんですが」
「あの男の奥方が守護代の妹か‥‥‥そいつはまずいのう」
「風眼坊殿は安吉殿を御存じでしたか」
「ああ。蓮如殿と一緒に世話になった事がある。なかなかの男のように見えたがのう」
「はい。確かに、したたかな男です。あの二人に寝返られると、本願寺としても大変な事となります」
「大丈夫じゃよ。頭が寝返りたくても、すでに、門徒となっておる河原者たちは寝返りはせん」
「ええ、そうだといいんですけど‥‥‥」
「その二人を攻めないとなると、ここが危ないのう」と風眼坊は倉月庄を指した。
「倉月庄ですか‥‥‥ここの動きは微妙です」
「今回の戦に、疋田の奴は参加したのか」
「いえ、来ません。疋田は来ませんでしたが、浅野殿、諸江殿、大場殿の三人が兵を引き連れて来たそうです」
「そうか、倉月庄も参加したんじゃな‥‥‥野々市から近いからのう、危険じゃな」
お雪がようやく、戻って来た。蓮崇の顔を見ると、とぼけて、「蓮崇様、いらっしゃいませ」と笑った。
「奥さん、お邪魔しております」と蓮崇は軽く頭を下げた。
「蓮崇様、たまには、ゆっくりして行って下さいな。お酒でも付けますか」
「いえいえ、まだ、仕事がありますので‥‥‥」
蓮崇は絵地図をたたむと、「また、来ます」と言って座を立った。
「あっ、そうそう。風眼坊殿、伜の事を頼みます」
「おう、そうじゃったのう。明日にでも、よこしてくれ。わしが、びっしり鍛えてやるわ」
「お願いします」
蓮崇は、お雪にもう一度、頭を下げると帰って行った。
「御山まで送って行ったのか」と風眼坊はお雪に聞いた。
「ええ。久し振りにあの抜け穴を通ってね。子供さんたちと遊んでいたの。どうせ、また、蓮崇様と難しいお話をしてたんでしょ。あたしがいない方がいいと思ってね。戻って来るのが早すぎたかしら」
「いや、丁度、よかったよ」
「そう。蓮崇様の伜さんの事って何?」
「ああ、わしが蓮崇殿の伜に武術を教える事になってしまったんじゃ」
「へえ、あの滝の所で孫三郎さんに教えてたみたいに?」
「まあ、そういう事だ」
「ここで?」
「いや、ここじゃ狭いのう。北潟湖の湖畔辺りで教えるさ」
「あたしも習おうかしら」
「お前はいい。これ以上強くなったら、わしがたまらん」
「何ですって」とお雪はふざけて飛び付いて来た。
「これだから、たまらん」と風眼坊はお雪を抱きながら笑った。
石川郡では戦に敗れて、数多くの門徒たちが死んで行ったが、そんな事には関係なく、風眼坊とお雪の二人は幸せの真っ只中にいた。
戦に負け、越中の国に逃げた本願寺門徒たちは、松寺(才川七)の永福寺や井波の瑞泉寺を頼って加賀の状況を見守っていた。
砂子坂道場に逃げていた善福寺順慶(ジュンキョウ)、浄徳寺慶恵(キョウエ)、和田長光坊の三人も、湯涌谷衆が瑞泉寺にいると聞き、高坂四郎左衛門と共に瑞泉寺に向かった。途中に、この辺りの領主、石黒左近の福光城があるため、百人の兵たちを分散して瑞泉寺に向かわせた。
瑞泉寺では国を追い出された門徒たちの気持ちも知らず、桜の花が満開に咲き誇っていた。その桜の木の下には、武装したまま疲れ切った顔の門徒たちの顔が並んでいた。
瑞泉寺は明徳四年(一三九三年)、蓮如の曾祖父、綽如(シャクニョ)によって建てられた北陸の地で最も古い本願寺の一家衆寺院だった。この地を中心に、綽如の子や孫たちによって本願寺の教えは北陸の各地に広まって行った。綽如の孫、如乗が瑞泉寺の住持職となって、新たに加賀二俣に本泉寺を建立し、二寺の住持職を兼帯し、今は、如乗の養子となった蓮如の次男蓮乗が住持職を兼帯していた。
蓮乗は去年の戦の時は越中の門徒の中心になって国境を封鎖していた。蓮如の次男として、しっかりと門徒たちを束ねていた。結局、越中から幸千代を救うべく兵が動かなかったため、戦にはならず、加賀に比べれば越中のこの辺りはまだ平和だった。
その平和な瑞泉寺に、突然、加賀からの門徒たちが武装したまま逃げ込んで来た。蓮乗は何事かと驚いたが、てきぱきと門徒たちに指図をして、逃げて来た者たちを収容した。
蓮乗は幼い頃より蓮如の叔父夫婦、如乗と勝如尼に育てられた。二人から本願寺の教えを厳しくたたき込まれ、また、如乗からは武術も教わった。如乗は坊主でありながら武術の達人でもあった。蓮如に棒術を教えたように、本願寺の教えを広めるには、まず、自分が強くなければならない主張していた。強くなって荒くれ者の中に平気で入って行けなくてはならんと常に言っていた。そして、実際に蓮乗を連れて山中に住む荒くれ者たちに教えを広めて行った。何度も恐ろしい目に会いながらも、蓮乗はくじけずに如乗の後をついて行った。ところが、蓮乗が十五歳の時、如乗は突然、亡くなってしまい、蓮乗は如乗の跡を継ぐ事になった。十五歳の蓮乗にとって、それは責任が重すぎた。しかし、亡くなった如乗のためにも自分がしっかりしなければならないと強く決心を固めた蓮乗は、さらに武術の修行に励み、また、蓮如から贈られた本願寺に関する書物を読み、如乗のやり方を真似して勝如尼と共に教えを広めて行った。やがて、如乗と勝如尼の娘、如秀を嫁に貰って瑞泉寺の裏方を任せ、勝如尼のいる本泉寺と二つの寺の住寺職を立派にこなしていた。
瑞泉寺の境内は二千人近くの兵で埋まっていた。兵たちが避難しているのはここだけではなく、三里程離れた松寺の永福寺にも一千人余りの兵が避難していた。
戦に負け、越中に逃げて来た三月十四日から三日後の昼過ぎ、瑞泉寺の書院に武将たちが集められた。善福寺順慶、浄徳寺慶恵、和田長光坊の三人の坊主を中心に、今後の対策を練っていた。顔触れは湯涌谷衆の石黒孫左衛門、湯涌次郎左衛門、柴原助右衛門、横谷修理介(シュリノスケ)、木目谷衆の高橋新左衛門、一瀬勝三郎、辰巳右衛門佐(ウエモンノスケ)、田上五郎兵衛だった。
辰巳右衛門佐は田上の本陣から出撃して挟み討ちに合ったが、何とか無事に逃げ出す事ができた。傷付いた兵と共に本拠地の辰巳に帰ったが、すでに、辰巳の地は山川城の敵兵に占領されていた。帰る事もできず、山の中に隠れながら湯涌谷に向かった。山の上から湯涌谷の様子を窺い、ここも敵に占領されている事に気づき、そのまま国境を越えて、越中まで逃げて来て皆と合流した。
田上五郎兵衛も辰巳と同じく、帰る所がなくなって越中まで逃げて来ていた。
それに、蓮乗、高坂四郎左衛門、洲崎(スノザキ)慶覚坊が加わり、今後の事を決めていた。
善福寺、浄徳寺、長光坊の三人は主戦派だった。越中の門徒たちも集め、今すぐにでも湯涌谷に攻め登って一気に敵を倒し、そのまま野々市まで攻め込もうと主張した。
それに対して、慶覚坊はもう少し様子を見た方がいいと主張した。湯涌谷を占領している山之内衆はそう長くは滞陣しないだろう。やがて、山之内に帰るはずだ。敵が引き上げたら湯涌谷を取り戻し、改めて、加賀の門徒たちに集合を掛けた方がいいと言った。
慶覚坊の意見に賛成したのは湯涌次郎左衛門、田上五郎左衛門、辰巳右衛門佐の三人だった。三人共、今回の戦で多数の犠牲者を出していた。これ以上、犠牲者を出したくはなかった。
次郎左衛門は湯涌谷において、丁度、山之内衆が攻めて来た山のすぐ側に陣を敷いていたため、後方からの不意打ちをもろに受け、二百人いた部下の半数近くをやられていた。
五郎左衛門と右衛門佐も半数以上の犠牲者を出していた。
今回の戦で犠牲となって死んで行った者は、門徒たちが一千人余り、守護側では三百人余りだった。死んで行った一千人もの門徒たちは、ただの犬死に同然だった。去年の戦の犠牲者たちは、本願寺のために勇敢に戦って死んで行った者たちとして扱われ、皆、極楽に往生して行った。しかし、今回の戦では本願寺の名は出さなかった。出さなかったと言うより出せなかった。彼らは荘園を横領した国人たちの一味として守護に退治された、という形で死んで行った。このまま戦を続ければ犠牲者の数はもっと増えるだろう。蓮如が戦を命じない限り、それらは皆、犬死ににしかならなかった。また、蓮如が命じない限り、守護を倒す事も不可能と言えた。
「上人様に仲裁を頼んで、加賀に戻れるようにして貰おう」と湯涌次郎左衛門が言った。
「そんな弱きじゃいかん」と浄徳寺が大声を出した。
浄徳寺慶恵はこの中で一番の年配だった。越前超勝寺巧遵(ギョウジュン)の兄であり、善福寺順慶の兄でもあり、前回の戦で英雄死した藤島定善坊(ジョウゼンボウ)の兄でもあった。定善坊のお陰で、超勝寺の兄弟たちは有力門徒の中でも、益々、幅を利かせるようになって行った。吉崎御坊においても株を上げ、下間蓮崇と対立するようになっていた。当然、蓮崇派である慶覚坊も、彼ら兄弟たちから毛嫌いされていた。
「一度の負戦で脅えるな」と長光坊は言った。「戦はまだまだ、これからじゃ」
「しかし、越中の門徒たちをどうやって動かします」と高坂四郎左衛門が言って、チラッと蓮乗を見た。「蓮乗殿には失礼だが、勝如尼殿の了解を得ない限り、越中の門徒を動かす事はできないでしょう」
「残念ながら、わたしだけの力では動かないでしょう」と蓮乗は言った。
「勝如尼殿は、わしは苦手じゃ」と善福寺は首を振った。
「尼一人位、何とかできんでどうする」と浄徳寺が弟に言った。
「兄上は、勝如尼殿がどんな人か御存じないんじゃ」
「なに、知っておる。荒川の大叔父(興行寺周覚、蓮如の祖父の巧如の弟)の娘じゃろう。小さい頃、会った事がある。なかなか可愛いい女子(オナゴ)じゃった」
「兄上、何年前の事を言っておるんじゃ」
「そうさのう、三十年以上も前かのう」
「女子は三十年も経てば変わるもんじゃ。一度、会ってみればいい」
「ああ。勿論じゃ。会って来るとも、会って尼殿を納得させてみせる」
「浄徳寺殿、さっそく、明日にでも、わたしと一緒に本泉寺まで参りましょう」と蓮乗が言った。
「蓮乗殿、それはまずい」と慶覚坊が止めた。
なぜです、という顔をして蓮乗が慶覚坊を見た。
「今回の一揆は本願寺は一切、関係のない国人一揆なのです」と慶覚坊は言った。「敵はわしらがここに逃げて来た事を知っています。蓮乗殿がどう動くか見張っているかもしれません。逃げて来た門徒をかくまう位では、敵も何もしないとは思いますが、もし、蓮乗殿が少しでも変な動きをしたら、この一揆に関係していると見て、敵は本願寺も同類とみなし、あちこちの道場を襲撃して来る可能性があるのです。わしらがこんな武士の格好をしているのも、本願寺は関係ないと思わせるためなのです」
「そうだったのですか」と蓮乗は納得した。「しかし、そうなると本泉寺に行くのもまずいんじゃありませんか」
「いや、大丈夫じゃ」と善福寺が言った。「わしらは今度は普通の門徒に化けて行く。普通の門徒が本泉寺に出入りしても怪しむまい」
「それなら大丈夫じゃ」と長光坊が手を打った。
「わしも一緒に行きましょう」と高坂が言った。「どうせ、本泉寺に兵糧米を取りに行くつもりでしたから」
「なに、兵糧米があるのか」
「前回の戦の時の余りが、かなりあるはずです。何かがあった時のために使おうと、蓮崇殿が蔵にしまっておいたのです」
「蓮崇か‥‥‥なかなか、やりおるわい。で、その兵糧米はどれ位あるんじゃ」
「詳しくは分かりませんが、三千の兵と二千の女子供が十日間は食べられる位はあると思いますが‥‥‥」
「十日分か‥‥‥五千人ともなると食うからのう。まあ、十日もここにいる事もなかろう。十日分もあれば充分じゃ」
次の日、浄徳寺、善福寺、長光坊の主戦派の三人が高坂と共に本泉寺に向かうと、改めて、慶覚坊を中心に評定(ヒョウジョウ)を行なった。
「さて、一門衆が消えたところで、改めて、今後の事を話したいが、わしも湯涌殿の意見に賛成じゃ。ここの所は上人様に仲裁してもらって、何とか、加賀に戻れるようにして貰おうと思う」と慶覚坊は言った。
「うまく、行くかのう」と高橋新左衛門が言った。
「今回、わしらは何も悪い事をしてはおらん。上人様も分かってくれるはずじゃ」
「いや、わしが言うのは、上人様ではなくて守護の富樫が兵を引くかと言う事じゃ」
「それは分からん。奴らが戦を仕掛けて来た本当の理由というのは、わしが思うには、本願寺の解体じゃと思う。前回、幸千代がやられるのを見て、今度は自分の番だと恐れておるんじゃ。そこで、不意討ちを掛けて来た。奴らが狙っておるのは、前回、戦の指揮をしていた、わしらじゃと思う。だとすれば、わしらの首を要求するかもしれん」
「なに、首か」
「ただ、敵が今回の戦に掲げている大義名分は『荘園の横領』じゃ。荘園を本所に返すという事を誓えば、敵も首を取る事はできまい」
「わしらは荘園など横領しておらん。横領しておるのは守護の方じゃろうが」と辰巳右衛門佐は言った。
「高橋殿はどうです」
「わしも横領した覚えはない。ただ、荘園を横領されないように、荘官が門徒になってしまっておる。わしは奴らを保護するつもりでおるが、横領するつもりはないわ」
「それじゃあ、上人様に仲裁を頼むという事でいいですね」
「それしかあるまいのう」と石黒は言った。「越中の門徒たちが、上人様の命令なしに、わしらのために立ち上がるとは思えん。それに、三千人余りもの兵をいつまでも越中に置いておくわけにも行くまい。何もしなくても飯だけは食うからのう」
「飯を食うのは兵だけではない。女子供を入れたら五千を越えるじゃろう。女子供だけでも加賀に戻さん事にはのう」と高橋は言った。
話は決まり、さっそく、慶覚坊は湯涌次郎左衛門を連れて山の中を通り、吉崎へと向かった。
「なに、近所の庭師じゃ。それより、蓮崇殿、戦のけりが着いたとみえるのう」と風眼坊は言った。
「まだ、詳しい情報が入らんので何とも言えんが、ほぼ、着いたらしいわ」
蓮崇はそう言いながら、さっさと縁側から部屋の中に入って行った。
「富樫次郎の命も、残りわずかという所か」と言いながら風眼坊も部屋に入った。
蓮崇は部屋の中央に絵地図を広げた。
「ほう。加賀の地図か‥‥‥色々と書き込んであるのう」
「負け戦だったそうじゃ」と蓮崇は言った。
「なに」風眼坊は絵地図から顔を上げると、蓮崇の顔を見つめた。
「門徒勢が守護勢に負けたんです」
「門徒が負けた?」
「はい、そうです」と言いながら蓮崇は庭の方に目をやった。
「負けたか‥‥‥門徒が負けたか‥‥‥」風眼坊はまた、地図に目を落とした。
風眼坊には、どうして門徒が負けたのか信じられなかった。
「負けたんじゃ。敵を甘く身過ぎておった‥‥‥」と蓮崇は庭の方を見たまま言った。
風眼坊は蓮崇の横顔を見ながら、蓮崇の悔しい気持ちがよく分かった。自分が現場にいたなら、こんな事にはならなかったはずだ、と蓮崇は思っているに違いなかった。
「どんなふうだったんじゃ」と風眼坊はしばらくしてから聞いた。
蓮崇は絵地図を見ながら、自分が知っている限りの状況を説明した。
風眼坊は黙って聞いていた。
「慶覚坊の奴は何しておるんじゃ」と蓮崇の話が終わると風眼坊は聞いた。
「分かりません。湯涌谷に行った事は確かなんじゃが、その先の事が皆目、分からんのです」
「奴の事だから死ぬ事などないとは思うが‥‥‥」
「どうも納得が行かんのです。なぜ、湯涌谷衆が動かなかったのか、どうしても分からん」
「野々市の兵はどれ位おったんじゃ」
「三千人程だそうです」
「三千か‥‥‥その三千と木目谷、山川城の四千で七千か‥‥‥その七千の敵に門徒五千が挟む討ちにされるのを見て、勝ち目はないと思ったんじゃないかのう」
「そうかもしれんが‥‥‥」
「それよりも野々市の動きをつかむ事はできなかったのか。それが分かっておれば、みすみす挟み討ちなど、ならなかったじゃろう」
「その事もよく分からんのです。善福寺におった物見が言うには、敵は突然、出て来て、門徒の軍勢を挟み討ちにしたと言うんです。わしが思うには、すでに、敵は野々市の守護所を出て、どこかで待機していたように思うんじゃが、敵がどう動いたのか、まったく分からん‥‥‥この吉崎の地と野々市は遠すぎるわ。このままじゃと敵の思う壷(ツボ)にはまって、北加賀の門徒は皆、やられてしまう」
「裏の組織を作らにゃならんのう」と風眼坊は言った。
「裏の組織?」と蓮崇は風眼坊の顔を見た。
「表の組織は蓮如殿が作った。その組織を利用して、兵を集めて戦をした。今度は裏の組織を作って門徒たちを一つにまとめなければならん」
「一体、どういう事です」
「前回の戦では、敵の数倍の兵力を持って敵を攻め立てて勝利を得た。それ程、敵の情報を集めなくても勝つ事ができた。今回、戦に負けたのは門徒たちが敵を見くびっていた事もあるかもしれんが、敵の動きをよく調べなかった。確かに、蓮崇殿は野々市に見張りを入れて敵の動きを知ろうとしておる。しかし、野々市と吉崎をつなぐだけでは駄目じゃ。蓮如殿の書いた御文(オフミ)はすぐに写し取られて各地の寺院に回り、そして、各道場へと行く。わしは詳しくは知らんが、その速さといったら相当な速さじゃろう」
「ええ、確かに速い」
「それを逆に行くんじゃ。各道場で何かがあった場合、次々に情報網を通って吉崎に知らせが、すぐに届くようにするんじゃ。それには、まず、情報集めを専門にする者たちを数多く使わなければならん。今回の場合だったら、敵の動きを探るために野々市や木目谷、山川(ヤマゴウ)城など重要な地点にばらまき、敵の動きが手に取るように分かるようにするんじゃ。この先、加賀の国を取るつもりなら、その位の事をせん事には難しいじゃろう。戦に勝つには敵を知る事が最も肝心なんじゃよ」
「成程‥‥‥」
「ただ、この事は飽くまでも裏の組織じゃ。まあ、陰の組織と言ってもいいのう。蓮如殿には絶対に気づかれてはならんがの」
「うーむ。確かに、情報を集める事は必要じゃが、それを組織するとなると難しいのう」
「確かに難しいが、蓮崇殿ならその位、できるとは思うがの」
「そう、おだてんで下さい。陰の組織か‥‥‥風眼坊殿、しかし、よく、そんな事を知ってますね」
「近江の甲賀に飯道山という山があってのう。そこでは若い者たちに武術を教えておるんじゃがのう。その山にわしの弟子がおって、陰の術というのを編み出して教えておるんじゃ。その陰の術というのが、敵地に忍び込んで敵の情報を盗み取る術なんじゃ。結構、人気があってのう。毎年、その術を習うために若い者たちが続々、登って来るんじゃよ」
「へえ。陰の術ですか‥‥‥」
「そう言えば、慶覚坊の伜が、今、飯道山で修行しておるはずじゃ」
「えっ、あの十郎が、その山に?」
「ああ。山の修行は一年間じゃから、今年の末には、十郎の奴も陰の術を身に付けて帰って来るはずじゃ。十郎を師範として、若い者たちに陰の術を教えれば、その陰の組織も作れるかもしれんぞ」
「そうですね‥‥‥」
「蓮崇殿の伜殿は幾つじゃったかのう」
「十三です」
「十三か、まだ早いのう。後、五年したら飯道山に送るがいい。ただ、あの山の修行は厳しいからのう。今のうちから腕を鍛えさせておいた方がいいのう」
「伜に武術ですか」
「そうじゃ。伜殿もやがて一軍の大将になるんじゃからのう」
「そうじゃのう。わしはからっきし武術は駄目じゃが、伜には強くなってもらわんとのう」
「慶覚坊の所で修行させればいい。奴の腕は一流じゃからの」
「そうですね。慶覚坊殿が戻って来たら頼んでみましょう」そう言ってから、蓮崇は風眼坊を見た。「ちょっと待って下さい。風眼坊殿も武術の腕は一流でしょう」
「一流という程でもないがのう」
「風眼坊殿。風眼坊殿がわしの伜に武術を教えてはくれませんか」
「わしがか?」
「はい。お願いします」
「わしが教えてもいいが、ここは蓮如殿の膝元じゃぞ。おぬしの伜殿はすでに出家しとるんじゃろう。まずくはないのか」
「大丈夫でしょう。現に慶聞坊だって武術の達人です。この先、上人様を守るために、武術を習わせると言えば文句は言わないでしょう」
「もっとも、蓮如殿も棒術の達人じゃしな、文句は言えんか」
「はっ、上人様が棒術の達人?」
「しまった。つい口をすべらしてしまったわ。蓮崇殿、今の事は聞かなかった事にしてくれ」
「それは構いませんが、上人様が棒術の達人だというのは本当の事ですか」
「この事は絶対に内緒じゃぞ。戦に反対しておる上人様が、棒術の達人だったなどという噂でも立てば、門徒たちを煽り立てる結果とも成りかねんからのう」
「ええ、分かっております」
「わしものう、実際に見たわけではないので、どれ位の腕なのかは知らんが、わしが見たところでは、かなりのもんじゃよ。ただ、蓮如殿はその棒術を使って誰かを倒したという事は一度もあるまい。しかし、蓮如殿が自分の足で歩き、これだけ教えを広める事ができたのも、その棒術のお陰かもしれんと言っておった。自分の身を守る術(スベ)を知っておれば、どんな連中の中にでも入って行く事ができるからのう。蓮如殿が教えを広めたのは百姓衆は勿論じゃが、河原者やら、杣人(ソマビト)やら、鋳物師(イモジ)集団やら、漁師やら、気の荒い連中が多いのは、実際に、蓮如殿がその中に入って行ったからじゃ。僧侶とはいえ、ああいう連中の中に入って行くのは難しい。しかも、その中で説教をする事はさらに難しい。初めの内は誰も聞いてはくれんじゃろう。それでも、蓮如殿は諦めずに教えを説いた。山や川で暮らしている連中たちは気が荒く、よそ者に対して警戒心が強い。しかし、一旦、気を許してしまえば根は純粋な奴が多い。心を開いてくれれば門徒にする事も可能じゃが、それまでは並大抵な苦労ではないじゃろう。しかし、蓮如殿はそれをやった。今でも、山の中を歩きながら、それをやっておる。大したお人じゃ」
「‥‥‥知らなかった。わしは上人様がそれ程までの事をして、門徒たちを増やしておったとは全然、知らなかったわ」
蓮崇は今まで、自ら門徒を増やすために、新しい土地に行って教えを説いた事はなかった。十五歳で本泉寺に来て、如乗の側に使え、時折、如乗に付いて各地の道場を巡った事はあったが、それらの土地には、すでに門徒たちがいた。道場があるのだから門徒がいるのは当然な事だが、今、思えば、道場があって門徒がいるのではなく、門徒がいるから道場ができ、その門徒を作ったのは如乗に違いなかった。
蓮崇が本泉寺に来て、二年か三年経った頃、蓮如が波佐谷(ハサダニ)の奥の池城に、生まれたばかりの蓮綱のために草坊を建てた事があった。如乗はさっそく、お祝いのために出掛けて行った。蓮崇も一緒に連れて行って貰ったが、あの時はただ新しい道場ができたんだな、としか考えなかった。しかし、よく考えてみれば、本願寺の道場が建つという事は、ただ、土地があったから、というような単純な事ではなかった。その辺りに相当な数の門徒がいて、その門徒の志しによって道場は建てられるのである。池城の道場のある光谷川沿いの山の中に教えを広めたのが蓮如自身だったに違いなかった。後に、池城の道場に入った蓮綱は教えを広めると共に古屋(松岡町)に道場を移し、さらに、波佐谷に移って松岡寺となっている。
蓮崇は今、ようやく、その事に気づいたのだった。
「内緒じゃ」と風眼坊は繰り返し言った。
蓮崇は頷いた。
「それで、これから、どうするつもりじゃ」
「慶覚坊殿が戻って来てから考えます」
「うむ、それしかないのう。向こうの状況が分からん事にはどうにもならんからのう」
「ただ、守護側が今回の戦に勝った事によって、勢いを得て、他の門徒の所を不意に襲いはしないか、という事が心配です」
「うむ。それはあり得るのう。おぬしが守護の立場だったら、どこを襲う」
「ここです」と蓮崇は絵地図の上を指した。
「やはりのう。わしも、そこじゃと思うわ」
蓮崇が指した所は手取川だった。
手取川には、安吉源左衛門率いる河原衆と、笠間兵衛(ヒョウエ)率いる革の衆がいた。安吉氏が手取川の河原者の内、輸送関係に携わる者たちを支配しているのに対し、笠間氏は同じ河原者でも、染め物を扱う紺屋(コウヤ)と皮革を生産する革屋たちを支配していた。
戦続きのお陰で、皮革はいくらあっても足らず、生産の方が間に合わない有り様だったが、本願寺の門徒になったため、門徒たちの死んだ牛馬の処理も扱うようになり、笠間氏は、益々、勢力を広げて行った。前回の戦で死んだ馬の処理の一斉を任されていたのも彼らだった。
笠間氏自身は安吉氏と同様に河原者ではない。れっきとした武士であった。遠い先祖は白山本宮の神主で、本宮を守るために武士となった者が手取川の河口にある小河の白山社に移り、その辺りに土着して勢力を広げて行った。笠間の地に土着した者が笠間を姓として名乗ったのが笠間氏の始まりだった。笠間氏は手取川流域の土地を開拓する一方で、神職である地位を利用して河原者たちも支配した。同じ様に河原者を支配しようとしている安吉氏とは何度も争い事を繰り返していたが、お互いに門徒となる事によって、初めて、腹を割って話し合い、お互いの縄張りをはっきりと決めた。そして、安吉氏の十四歳になる長男と笠間氏の十二歳になる長女との婚約がなり、堅く同盟を結んでいた。
「そこに違いないとは思うが、そこを攻める事は難しい」と蓮崇は言った。
「うむ。確かにのう。山の中とは違って広い河原ではごまかしが効かんからのう。お互いに正面から戦えば、勝ったにしろ損害はひどいじゃろう。ただでさえ、兵力のない守護側がそんな事はするまい」
「それだけではありません。安吉殿にしろ、笠間殿にしろ、ただの国人ではない。安吉殿が戦を始めれば手取川の運送は止まる。手取川の運送が止まって一番困るのは白山寺です。守護は白山までも敵に回す事になる。それに、笠間殿は革座を握っております。笠間殿を敵に回したら革は手に入らない。戦に必要な革が入らなくなったのでは、守護としても困るでしょう」
「と言う事は実力行使ではなく、何とかして守護側に抱き込むつもりじゃな」
「多分。安吉殿の奥方は、南加賀の守護代の山川三河守の妹なんです。多分、その線で、抱き込みに掛かると思うんですが」
「あの男の奥方が守護代の妹か‥‥‥そいつはまずいのう」
「風眼坊殿は安吉殿を御存じでしたか」
「ああ。蓮如殿と一緒に世話になった事がある。なかなかの男のように見えたがのう」
「はい。確かに、したたかな男です。あの二人に寝返られると、本願寺としても大変な事となります」
「大丈夫じゃよ。頭が寝返りたくても、すでに、門徒となっておる河原者たちは寝返りはせん」
「ええ、そうだといいんですけど‥‥‥」
「その二人を攻めないとなると、ここが危ないのう」と風眼坊は倉月庄を指した。
「倉月庄ですか‥‥‥ここの動きは微妙です」
「今回の戦に、疋田の奴は参加したのか」
「いえ、来ません。疋田は来ませんでしたが、浅野殿、諸江殿、大場殿の三人が兵を引き連れて来たそうです」
「そうか、倉月庄も参加したんじゃな‥‥‥野々市から近いからのう、危険じゃな」
お雪がようやく、戻って来た。蓮崇の顔を見ると、とぼけて、「蓮崇様、いらっしゃいませ」と笑った。
「奥さん、お邪魔しております」と蓮崇は軽く頭を下げた。
「蓮崇様、たまには、ゆっくりして行って下さいな。お酒でも付けますか」
「いえいえ、まだ、仕事がありますので‥‥‥」
蓮崇は絵地図をたたむと、「また、来ます」と言って座を立った。
「あっ、そうそう。風眼坊殿、伜の事を頼みます」
「おう、そうじゃったのう。明日にでも、よこしてくれ。わしが、びっしり鍛えてやるわ」
「お願いします」
蓮崇は、お雪にもう一度、頭を下げると帰って行った。
「御山まで送って行ったのか」と風眼坊はお雪に聞いた。
「ええ。久し振りにあの抜け穴を通ってね。子供さんたちと遊んでいたの。どうせ、また、蓮崇様と難しいお話をしてたんでしょ。あたしがいない方がいいと思ってね。戻って来るのが早すぎたかしら」
「いや、丁度、よかったよ」
「そう。蓮崇様の伜さんの事って何?」
「ああ、わしが蓮崇殿の伜に武術を教える事になってしまったんじゃ」
「へえ、あの滝の所で孫三郎さんに教えてたみたいに?」
「まあ、そういう事だ」
「ここで?」
「いや、ここじゃ狭いのう。北潟湖の湖畔辺りで教えるさ」
「あたしも習おうかしら」
「お前はいい。これ以上強くなったら、わしがたまらん」
「何ですって」とお雪はふざけて飛び付いて来た。
「これだから、たまらん」と風眼坊はお雪を抱きながら笑った。
石川郡では戦に敗れて、数多くの門徒たちが死んで行ったが、そんな事には関係なく、風眼坊とお雪の二人は幸せの真っ只中にいた。
2
戦に負け、越中の国に逃げた本願寺門徒たちは、松寺(才川七)の永福寺や井波の瑞泉寺を頼って加賀の状況を見守っていた。
砂子坂道場に逃げていた善福寺順慶(ジュンキョウ)、浄徳寺慶恵(キョウエ)、和田長光坊の三人も、湯涌谷衆が瑞泉寺にいると聞き、高坂四郎左衛門と共に瑞泉寺に向かった。途中に、この辺りの領主、石黒左近の福光城があるため、百人の兵たちを分散して瑞泉寺に向かわせた。
瑞泉寺では国を追い出された門徒たちの気持ちも知らず、桜の花が満開に咲き誇っていた。その桜の木の下には、武装したまま疲れ切った顔の門徒たちの顔が並んでいた。
瑞泉寺は明徳四年(一三九三年)、蓮如の曾祖父、綽如(シャクニョ)によって建てられた北陸の地で最も古い本願寺の一家衆寺院だった。この地を中心に、綽如の子や孫たちによって本願寺の教えは北陸の各地に広まって行った。綽如の孫、如乗が瑞泉寺の住持職となって、新たに加賀二俣に本泉寺を建立し、二寺の住持職を兼帯し、今は、如乗の養子となった蓮如の次男蓮乗が住持職を兼帯していた。
蓮乗は去年の戦の時は越中の門徒の中心になって国境を封鎖していた。蓮如の次男として、しっかりと門徒たちを束ねていた。結局、越中から幸千代を救うべく兵が動かなかったため、戦にはならず、加賀に比べれば越中のこの辺りはまだ平和だった。
その平和な瑞泉寺に、突然、加賀からの門徒たちが武装したまま逃げ込んで来た。蓮乗は何事かと驚いたが、てきぱきと門徒たちに指図をして、逃げて来た者たちを収容した。
蓮乗は幼い頃より蓮如の叔父夫婦、如乗と勝如尼に育てられた。二人から本願寺の教えを厳しくたたき込まれ、また、如乗からは武術も教わった。如乗は坊主でありながら武術の達人でもあった。蓮如に棒術を教えたように、本願寺の教えを広めるには、まず、自分が強くなければならない主張していた。強くなって荒くれ者の中に平気で入って行けなくてはならんと常に言っていた。そして、実際に蓮乗を連れて山中に住む荒くれ者たちに教えを広めて行った。何度も恐ろしい目に会いながらも、蓮乗はくじけずに如乗の後をついて行った。ところが、蓮乗が十五歳の時、如乗は突然、亡くなってしまい、蓮乗は如乗の跡を継ぐ事になった。十五歳の蓮乗にとって、それは責任が重すぎた。しかし、亡くなった如乗のためにも自分がしっかりしなければならないと強く決心を固めた蓮乗は、さらに武術の修行に励み、また、蓮如から贈られた本願寺に関する書物を読み、如乗のやり方を真似して勝如尼と共に教えを広めて行った。やがて、如乗と勝如尼の娘、如秀を嫁に貰って瑞泉寺の裏方を任せ、勝如尼のいる本泉寺と二つの寺の住寺職を立派にこなしていた。
瑞泉寺の境内は二千人近くの兵で埋まっていた。兵たちが避難しているのはここだけではなく、三里程離れた松寺の永福寺にも一千人余りの兵が避難していた。
戦に負け、越中に逃げて来た三月十四日から三日後の昼過ぎ、瑞泉寺の書院に武将たちが集められた。善福寺順慶、浄徳寺慶恵、和田長光坊の三人の坊主を中心に、今後の対策を練っていた。顔触れは湯涌谷衆の石黒孫左衛門、湯涌次郎左衛門、柴原助右衛門、横谷修理介(シュリノスケ)、木目谷衆の高橋新左衛門、一瀬勝三郎、辰巳右衛門佐(ウエモンノスケ)、田上五郎兵衛だった。
辰巳右衛門佐は田上の本陣から出撃して挟み討ちに合ったが、何とか無事に逃げ出す事ができた。傷付いた兵と共に本拠地の辰巳に帰ったが、すでに、辰巳の地は山川城の敵兵に占領されていた。帰る事もできず、山の中に隠れながら湯涌谷に向かった。山の上から湯涌谷の様子を窺い、ここも敵に占領されている事に気づき、そのまま国境を越えて、越中まで逃げて来て皆と合流した。
田上五郎兵衛も辰巳と同じく、帰る所がなくなって越中まで逃げて来ていた。
それに、蓮乗、高坂四郎左衛門、洲崎(スノザキ)慶覚坊が加わり、今後の事を決めていた。
善福寺、浄徳寺、長光坊の三人は主戦派だった。越中の門徒たちも集め、今すぐにでも湯涌谷に攻め登って一気に敵を倒し、そのまま野々市まで攻め込もうと主張した。
それに対して、慶覚坊はもう少し様子を見た方がいいと主張した。湯涌谷を占領している山之内衆はそう長くは滞陣しないだろう。やがて、山之内に帰るはずだ。敵が引き上げたら湯涌谷を取り戻し、改めて、加賀の門徒たちに集合を掛けた方がいいと言った。
慶覚坊の意見に賛成したのは湯涌次郎左衛門、田上五郎左衛門、辰巳右衛門佐の三人だった。三人共、今回の戦で多数の犠牲者を出していた。これ以上、犠牲者を出したくはなかった。
次郎左衛門は湯涌谷において、丁度、山之内衆が攻めて来た山のすぐ側に陣を敷いていたため、後方からの不意打ちをもろに受け、二百人いた部下の半数近くをやられていた。
五郎左衛門と右衛門佐も半数以上の犠牲者を出していた。
今回の戦で犠牲となって死んで行った者は、門徒たちが一千人余り、守護側では三百人余りだった。死んで行った一千人もの門徒たちは、ただの犬死に同然だった。去年の戦の犠牲者たちは、本願寺のために勇敢に戦って死んで行った者たちとして扱われ、皆、極楽に往生して行った。しかし、今回の戦では本願寺の名は出さなかった。出さなかったと言うより出せなかった。彼らは荘園を横領した国人たちの一味として守護に退治された、という形で死んで行った。このまま戦を続ければ犠牲者の数はもっと増えるだろう。蓮如が戦を命じない限り、それらは皆、犬死ににしかならなかった。また、蓮如が命じない限り、守護を倒す事も不可能と言えた。
「上人様に仲裁を頼んで、加賀に戻れるようにして貰おう」と湯涌次郎左衛門が言った。
「そんな弱きじゃいかん」と浄徳寺が大声を出した。
浄徳寺慶恵はこの中で一番の年配だった。越前超勝寺巧遵(ギョウジュン)の兄であり、善福寺順慶の兄でもあり、前回の戦で英雄死した藤島定善坊(ジョウゼンボウ)の兄でもあった。定善坊のお陰で、超勝寺の兄弟たちは有力門徒の中でも、益々、幅を利かせるようになって行った。吉崎御坊においても株を上げ、下間蓮崇と対立するようになっていた。当然、蓮崇派である慶覚坊も、彼ら兄弟たちから毛嫌いされていた。
「一度の負戦で脅えるな」と長光坊は言った。「戦はまだまだ、これからじゃ」
「しかし、越中の門徒たちをどうやって動かします」と高坂四郎左衛門が言って、チラッと蓮乗を見た。「蓮乗殿には失礼だが、勝如尼殿の了解を得ない限り、越中の門徒を動かす事はできないでしょう」
「残念ながら、わたしだけの力では動かないでしょう」と蓮乗は言った。
「勝如尼殿は、わしは苦手じゃ」と善福寺は首を振った。
「尼一人位、何とかできんでどうする」と浄徳寺が弟に言った。
「兄上は、勝如尼殿がどんな人か御存じないんじゃ」
「なに、知っておる。荒川の大叔父(興行寺周覚、蓮如の祖父の巧如の弟)の娘じゃろう。小さい頃、会った事がある。なかなか可愛いい女子(オナゴ)じゃった」
「兄上、何年前の事を言っておるんじゃ」
「そうさのう、三十年以上も前かのう」
「女子は三十年も経てば変わるもんじゃ。一度、会ってみればいい」
「ああ。勿論じゃ。会って来るとも、会って尼殿を納得させてみせる」
「浄徳寺殿、さっそく、明日にでも、わたしと一緒に本泉寺まで参りましょう」と蓮乗が言った。
「蓮乗殿、それはまずい」と慶覚坊が止めた。
なぜです、という顔をして蓮乗が慶覚坊を見た。
「今回の一揆は本願寺は一切、関係のない国人一揆なのです」と慶覚坊は言った。「敵はわしらがここに逃げて来た事を知っています。蓮乗殿がどう動くか見張っているかもしれません。逃げて来た門徒をかくまう位では、敵も何もしないとは思いますが、もし、蓮乗殿が少しでも変な動きをしたら、この一揆に関係していると見て、敵は本願寺も同類とみなし、あちこちの道場を襲撃して来る可能性があるのです。わしらがこんな武士の格好をしているのも、本願寺は関係ないと思わせるためなのです」
「そうだったのですか」と蓮乗は納得した。「しかし、そうなると本泉寺に行くのもまずいんじゃありませんか」
「いや、大丈夫じゃ」と善福寺が言った。「わしらは今度は普通の門徒に化けて行く。普通の門徒が本泉寺に出入りしても怪しむまい」
「それなら大丈夫じゃ」と長光坊が手を打った。
「わしも一緒に行きましょう」と高坂が言った。「どうせ、本泉寺に兵糧米を取りに行くつもりでしたから」
「なに、兵糧米があるのか」
「前回の戦の時の余りが、かなりあるはずです。何かがあった時のために使おうと、蓮崇殿が蔵にしまっておいたのです」
「蓮崇か‥‥‥なかなか、やりおるわい。で、その兵糧米はどれ位あるんじゃ」
「詳しくは分かりませんが、三千の兵と二千の女子供が十日間は食べられる位はあると思いますが‥‥‥」
「十日分か‥‥‥五千人ともなると食うからのう。まあ、十日もここにいる事もなかろう。十日分もあれば充分じゃ」
次の日、浄徳寺、善福寺、長光坊の主戦派の三人が高坂と共に本泉寺に向かうと、改めて、慶覚坊を中心に評定(ヒョウジョウ)を行なった。
「さて、一門衆が消えたところで、改めて、今後の事を話したいが、わしも湯涌殿の意見に賛成じゃ。ここの所は上人様に仲裁してもらって、何とか、加賀に戻れるようにして貰おうと思う」と慶覚坊は言った。
「うまく、行くかのう」と高橋新左衛門が言った。
「今回、わしらは何も悪い事をしてはおらん。上人様も分かってくれるはずじゃ」
「いや、わしが言うのは、上人様ではなくて守護の富樫が兵を引くかと言う事じゃ」
「それは分からん。奴らが戦を仕掛けて来た本当の理由というのは、わしが思うには、本願寺の解体じゃと思う。前回、幸千代がやられるのを見て、今度は自分の番だと恐れておるんじゃ。そこで、不意討ちを掛けて来た。奴らが狙っておるのは、前回、戦の指揮をしていた、わしらじゃと思う。だとすれば、わしらの首を要求するかもしれん」
「なに、首か」
「ただ、敵が今回の戦に掲げている大義名分は『荘園の横領』じゃ。荘園を本所に返すという事を誓えば、敵も首を取る事はできまい」
「わしらは荘園など横領しておらん。横領しておるのは守護の方じゃろうが」と辰巳右衛門佐は言った。
「高橋殿はどうです」
「わしも横領した覚えはない。ただ、荘園を横領されないように、荘官が門徒になってしまっておる。わしは奴らを保護するつもりでおるが、横領するつもりはないわ」
「それじゃあ、上人様に仲裁を頼むという事でいいですね」
「それしかあるまいのう」と石黒は言った。「越中の門徒たちが、上人様の命令なしに、わしらのために立ち上がるとは思えん。それに、三千人余りもの兵をいつまでも越中に置いておくわけにも行くまい。何もしなくても飯だけは食うからのう」
「飯を食うのは兵だけではない。女子供を入れたら五千を越えるじゃろう。女子供だけでも加賀に戻さん事にはのう」と高橋は言った。
話は決まり、さっそく、慶覚坊は湯涌次郎左衛門を連れて山の中を通り、吉崎へと向かった。
23.桜咲く2
3
満開の桜の花の下、吉崎御坊は門徒たちで賑わっていた。
石川郡で守護と門徒が戦をして千五百人近くもの戦死者が出た事など、まるで嘘だったかのような浮かれようだった。
のんきに花見をしている門徒たちを横目で見ながら、慶覚坊と湯涌次郎左衛門は御山に向かって急いだ。蓮如に会う前に蓮崇に会わなければならなかった。
二人はまず、風眼坊舜香の家に寄った。風眼坊の家は総門の外にあるので、ちょっとした密会をするのに都合がよかった。
去年の戦の後、門徒たちが前以上に一つにまとまったのはよかったが、吉崎御坊内において勢力争いが始まっていた。蓮如に一番信頼されている蓮崇に対して、蓮如がこの地に来る以前より南加賀において勢力を持っていた超勝寺の一派が対立していた。去年の戦で超勝寺の弟、定善坊が英雄的な戦死をしたため、超勝寺の一派は門徒たちの人気を集め、隙あらば蓮崇を失脚させようとたくらんでいた。
蓮崇派である慶覚坊は当然、超勝寺派から睨まれていた。慶覚坊が蓮如に会う前に、蓮崇の多屋にでも行けば、超勝寺派の者たちの反発を買う事になるかも知れなかった。今は、本願寺内で派閥争いなどしている時ではなかった。慶覚坊は風眼坊の家で蓮崇と会うつもりでいた。
風眼坊の家には三人の年寄りが体の具合を診て貰いに来ていた。慶覚坊は風眼坊に合図をすると縁側の裏の方に回って待った。風眼坊はお雪に診察を代わって貰うと慶覚坊のいる方に向かった。
「無事じゃったか」と風眼坊は慶覚坊と湯涌次郎左衛門の二人を見比べながら言った。
「ああ。それにしても、この吉崎の浮かれようは何じゃ。戦の事を知らんのか」
「いや、噂は聞いておる。聞いておるが門徒たちには関係ないと思っておるんじゃ。侍同士の戦じゃと、みんな、思っておる」
「そうか‥‥‥そうじゃったのう‥‥‥それで、上人様の御様子はどうじゃ」
「苦しんでおるのう。どんな形にせよ、戦となれば犠牲になるのは名もない門徒たちじゃからのう」
「そうか‥‥‥蓮崇殿はおるかのう」
「おぬしの帰りを首を長くして待っておるわ」
「そうか、風眼坊、頼みがあるんじゃ。蓮崇殿を呼んで来てくれんか。上人様に会う前に、今後の事を相談したいからのう」
「ああ、分かった。それで、ここに呼ぶのか」
「ここなら会った事を気づかれまい。門の中に入るとうるさい奴らがおるからのう。余計な事を勘ぐられたくない」
「分かった。まあ、上がって待っていてくれ」
風眼坊が蓮崇を連れて来た。
年寄りたちは帰し、お雪もどこかに消えた。
風眼坊と蓮崇は慶覚坊から詳しい事情を聴いた。
負け戦の知らせの後、何人かが、その後の状況を知らせて来たが、湯涌谷衆の事はまったく分からなかった。慶覚坊の話によって、ようやく、すべての状況が理解できた。
「山之内衆か‥‥‥」と蓮崇は唸った。
蓮崇も山之内衆が守護側に参加していたとは夢にも思っていなかった。
「山之内衆がおるとなると敵の方が圧倒的に有利だったわけか‥‥‥」
「その山之内衆というのは何者なんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「手取川の上流を本拠地とする国人たちじゃ」と慶覚坊は言った。「元々は白山(ハクサン)の僧兵たちの集団じゃったが、本宮(ホングウ)と中宮(チュウグウ)が争いを繰り返しておるうちに勢力を持って国人化して行ったんじゃ。五千人以上の兵力を抱えておるといわれ、山の中で暮らしておるため山伏のようにすばしっこい。山中で戦をしたら山之内衆にかなう者はおるまい」
「ほう、そんな集団がおったのか」
「この先、何としても、奴らを門徒にしない事には守護を倒す事は難しいかもしれん」
「白山の膝元じゃ、難しいのう」
「山之内衆の事はおいといて、蓮崇殿、わしらは上人様に仲裁を頼みに来たんじゃが、どんなもんじゃろ」
「仲裁か‥‥‥」
「今、越中に五千人もの門徒たちが逃げて行っておるんじゃ。上人様に仲裁して貰って加賀に帰したいんじゃ。湯涌谷に山之内衆が陣を敷いておって帰る事ができん。山之内衆がそういつまでも陣を敷いておるとは思えんが、わしらの方が先に干(ヒ)上がってしまう」
「上人様の仲裁で、守護は兵を引くかのう」と蓮崇は言った。
「国人門徒たちに荘園を本所に返す事を誓わせる」
「しかし、守護側の本当の目的はその事ではないからのう。初めから無理難題を押し付けて門徒を攻めて来たんじゃ。そう簡単に兵を引くとも思えん。今の状態でおれば、守護とすれば本願寺の兵力削減に成功した事になるからのう。せっかく、加賀から追い出した門徒をまた戻すような事はするまい」
「しかし、荘園を返せば守護側も門徒らを攻める理由がなくなります」と湯涌次郎左衛門は言った。
「おそらく、国内にある荘園すべての年貢、去年、納めなかった年貢のすべてを本願寺の手によって本所のもとへ納めろと言い出すじゃろう」
「そんな無茶な‥‥‥」
「元々、守護にとって、荘園をどうのこうのというのは表向きの名目に過ぎん。本当の所は本願寺の兵力を削減する事じゃ。現に善福寺殿、浄徳寺殿、石黒殿、高橋殿といった本願寺の武将が越中に逃げておる。彼らを戻すような事はするまい」
「と言う事は、わしらは加賀には戻れないのですか」
「一応、上人様には仲裁を頼んでみよう。ただ、上人様の力でもどうにもならんとは思う」
「やはり、実力で奪い返すしかないのか」と慶覚坊は言った。
「山之内衆を寝返らせるしかないのう」
「それまでに、五千もの門徒たちは干上がってしまう」
「いや、その事は、越中の門徒たちに上人様よりお願いしてもらう。わしは医王山(イオウゼン)を使えないかと思っておるんじゃが、どうじゃろう」
「医王山海蔵寺か‥‥‥」
「医王山は浅野川の輸送が止まってしまったので困っておるはずです」と次郎左衛門は言った。
「医王山は前回の戦の時、どんな動きだったんじゃ」と蓮崇が次郎左衛門に聞いた。
「前回の時は動きません。もう、かなり以前になりますけど、医王山は富樫家の相続争いに巻き込まれて加賀側の所領のほとんどを奪われ、痛い目に会っております。それ以来、加賀に背を向け、越中の石黒氏と手を結んでおるようです。応仁の乱の時は西軍として動きましたが、加賀にはあまり首を突っ込まなかったようです。わしらが門徒になるに当たっても医王山は別に文句を言うわけではありませんでした。礼銭さえ、ちゃんと納めれば、門徒になろうと全然、気にしませんでした。如乗上人様が本泉寺を医王山の山麓に建てた当時、本願寺は叡山(エイザン)の末寺(マツジ)になっておりましたから、本願寺というのは天台宗の中の一派の念仏門だろうとしか思っておらなかったのでしょう。お陰で、医王山の回りは門徒だらけになりました。今頃になって、初めて、本願寺というものの恐ろしさに気づいたという所でしょうか。わしが思うには医王山も、そのうち、山そっくり本願寺の門徒となるような気がします」
「医王山の衆徒というのはどれ位おるんじゃ」と慶覚坊は聞いた。
「減って来ております。それでも、まだ、山の裾野に末寺が散らばっておりますから、多く見て五千という所でしょうか。すでに、加賀でも越中でも末寺の幾つかは本願寺に転宗しております」
「五千か‥‥‥その五千が本願寺側に付いたら反撃できん事はないのう」
「まあ、作戦の方は後で練るとして、まずは上人様に会いましょう。上人様の仲裁に、守護側がどう答えるか、その答え方によっては、こっちの動きも変わるかもしれません」
「わしは、何か手伝う事はないかのう」と風眼坊が口を挟んだ。
「風眼坊殿、実はあるのです」と蓮崇は言った。
「越中と吉崎を結ぶ連絡か」と慶覚坊は言った。
「いえ、それは、わたしの方から誰かを送ります。風眼坊殿にしてもらいたいのは医者として負傷者の手当です」
「そうか、そうじゃったのう。一体、どれ位の負傷者が出たんじゃ」
「重傷の者たちのほとんどは亡くなってしまったらしいんじゃが、まだ、百人以上の者が、ろくな治療もできず、善福寺に収容されておるそうです」
「百人以上か、そいつは大変な事じゃ」
「風眼坊殿、お願いします」
「分かった。さっそく準備に掛かるわ。百人もの負傷者がおるとすれば、充分な薬も用意せんとな」
蓮崇がまず、御山に戻った。
しばらくしてから慶覚坊と湯涌次郎左衛門は御山に向かった。
二人と入れ違いにお雪が帰って来た。風眼坊はお雪にわけを話して旅の支度を始めた。
桜の花弁が風に舞っていた。
湯涌次郎左衛門の願い通り、蓮如によって、門徒たちが加賀に戻れるように守護に頼んでみたが、その願いは聞き入れられなかった。
あっさりと、守護のやる事に本願寺が口出しするべき事ではない、と言い、今回、加賀から追い出したのは、荘園を横領した不届きな国人共であって、本願寺とは関係ない。飽くまでも追い出されたのが門徒だと言い張るのなら、本願寺こそ荘園を横領している張本人と見なして、守護としては退治しなければならなくなる。本願寺とは前回、共に戦った仲である。今更、仲たがいをしたくはない。口を挟まないで貰いたい、と白々しくも言い切っていた。
そうまで言われては、上人様とはいえ、どうする事もできなかった。
三月の二十二日、風眼坊は潮津(ウシオヅ)の道場から、去年の戦の時、共に負傷者の治療に当たった、元、時宗の者たち数人を呼び寄せ、お雪を連れて船に乗り、海路、犀川(サイガワ)河口の湊、宮腰(ミヤノコシ)へと向かった。宮腰からは、そのまま犀川をさかのぼって、大桑の善福寺に向かって行った。
吉崎の二十五日の恒例の講が終わると蓮崇は軽海(カルミ)の守護所に、守護代の山川三河守に会いに行った。牽制(ケンセイ)のためであった。北加賀のように不意を襲われないように、江沼郡、能美郡内にある荘園の横領は一切しないという、国人門徒による起請文(キショウモン)を持って行ったのだった。
軽海の守護所には、まだ、去年の戦の跡が生々しく残っていた。
軽海郷は軽海潟と呼ばれる湖に囲まれ、古くは加賀の国府の置かれた地であり、また、軽海潟を囲むように白山中宮八院と呼ばれる大寺院が建ち並び、白山中宮への入り口として古くから栄えていた。
富樫氏が守護職に就いて以来、国の中心は野々市に移されたが、軽海郷は南加賀の中心地として、依然、栄えていた。守護所の回りに武家屋敷が建ち並び、商人や職人たちも町を作って住み、城下町といえるたたずまいだった。ただ、守護所はまだ、城といえる程の防備を持ってはいなかった。
守護所は政務を行なう場所であり、中には守護代の住む屋敷もあったが、簡単な土塁と濠に囲まれているだけだった。応仁の乱以前は、国人たちがどんなに力を持ったとしても、守護所に攻め込んで来るという事は考えられなかった。幕府の権威というものが、それをさせなかった。しかし、応仁の乱になり、幕府が二つに分かれて争うようになると、幕府の権威も失われて行き、守護だからといって安心していられる時代ではなくなった。
応仁の乱の時、次郎政親が加賀に入部し、幸千代に攻められ、簡単に敗れて山之内庄に逃げて行ったのは、守護所が大軍に攻められた場合に持ちこたえるだけの機能を持っていなかったからだった。次郎を追い出した幸千代はその事を知っていたため、守護所に入るのをやめて、新たに山の上に蓮台寺城を築いた。守護所には狩野伊賀入道が入り、守りを固めるために広い濠を掘り、高い土塁を築いた。それでも、本願寺門徒の大軍の攻めに会って持ちこたえる事はできなかった。
蓮崇は馬上から、何本もの矢が刺さったままの土塁を眺めながら、空濠に沿って守護所の門へと向かった。あちこち崩れかけている土塁とは対象的に、土塁の中では桜の花が満開だった。
蓮崇は庭園に面した会所(カイショ)に案内され、三河守が現れるのを待っていた。腕自慢の二人の若い者を伴って来てはいたが、胸の中は心細さと恐ろしさで一杯だった。もし、ここで襲われでもしたら逃げる事は難しかった。
若い頃、本泉寺の如乗のもとで修行をし、如乗からは読み書きを初め、色々な事を教わったが、武術だけは教わらなかった。如乗が棒術の名人で、蓮崇にも教えてやると言ったのに、自分は武術などやる柄(ガラ)ではないと、いつも断っていた。どうせ、稽古なんかしたって強くなれるわけはないと自分で決めていた。そのくせ、武士には憧れていて、如乗が持っていた兵書を読み漁った。まさか、蓮崇も本願寺が戦などするとは思っていなかったが、なぜか、自分が大将になったつもりで戦の作戦を立てたりするのが好きだった。単なる道楽として、兵書を読み漁っていたのだったが、それが、今、こうして役に立っている。あの時、少しでも武術を習っていたら、もっと役に立っていただろうにと後悔していた。
廊下の軋(キシ)む音と共に、供を一人連れた三河守が現れた。
「結構な頂き物を頂戴したそうで、かたじけない事ですな」と言いながら部屋に入って来ると、三河守は正面に坐った。
決まり切った挨拶の後、本題に入ると、三河守は始終、機嫌のいい顔をして蓮崇の話を聞いていた。蓮崇の話が終わると、分かりましたと国人門徒たちの起請文を受け取った。
「蓮崇殿、言って置きますが、わしのやり方は北加賀とは違います。わしとしては、これから先、本願寺とはうまくやって行こうと思っております。わしも、この地に来て、色々と本願寺の事を学びました。上人様の書かれたという御文とやらも拝見いたしました。上人様というお人は大したお人じゃと、わしも感服している次第です。本願寺の教えには、戦というものはない。前回、戦に踏み切ったのは、幕府からの奉書のためだという事も充分に分かっております。わしは、お互いにいがみ合いをするよりも、お互いに相手の事をよく知り、相手を理解すれば、何も、血を見る事はないと思っております。わしは、この軽海の地に生まれ、四歳までここにおりました。太平の世じゃったら、わしは、ずっと守護代として、この地におった事でしょう。わしは二度も、京と加賀を行ったり来たりしております。守護が替わるたびに、守護代も替わるというわけで、わしは四歳の時、京に行き、十八まで京におりました。十八の時、また、守護が替わり、今度は親父が守護代となり、また、家族と共にこの地に戻って来ました。わしは三十三の時、親父の跡を継いで守護代となりました。そして、三十五の時、また、守護が替わり、わしは守護代を解任され、また、京に移りました。そして、十年経って、今、ようやく、この地に戻ったというわけです。どうして、加賀の守護が、こう何度も入れ替わるのか御存じですかな」
「さあ、そういう難しい事は、わたしにはよく分かりませんが」
「元を正せば、富樫家の家督争いなんですが、その家督争いに、幕府の上層部の勢力争いが絡んでおるのです。応仁の乱の頃は、細川氏と山名氏、その前は、細川氏と畠山氏、それらの勢力争いが、この加賀の地において行なわれておるのです。加賀の地には、幕府の奉公衆の領地がかなりあります。幕府内で勢力を広げるためには、将軍様の直臣(ジキシン)である奉公衆の支持を得なければなりません。そのために、自派の者を加賀の守護職に就け、奉公衆の領地を管理させて、年貢を確実に京に送らせねばならなかったのです。お屋形様(次郎)も、ようやく、手に入れた守護職を、幕府の思惑で、いつ替えられるか分かったものではありません。今、国内において、争いなどしている暇はないのです。この国を一つにまとめる事が、まず、先決なのです。このまま、戦など続けて行けば、必ず、幕府は介入して来ます。細川氏に対抗する勢力が現れ、もし、本願寺に付けば、もう、我々の意志ではどうにもならなくなります。わしらも本願寺も、幕府に躍らされる結果となるのです。わしは何とかして、この国を一つにまとめたい。蓮崇殿、そなたも、どうか、わしに協力して下され」
「山川殿が、そういうお気持ちでしたら、本願寺としても喜んで協力いたします。ただ、守護側の皆が、山川殿のようなお考えを持っておるとは納得致しかねます」
「分かっておる。そなたは北加賀の守護代、槻橋近江守の事を言っておるのじゃろう。近江守は、まだ、この国の事を分かっておらんのじゃ。奴はずっと京にいて、お屋形様の側に仕えておったんじゃ。四年前、お屋形様と一緒に加賀に進攻して来るまで、ずっと京におった。この国の事など全然、知らん。ただ、お屋形様のためじゃ、と言って、本願寺を倒す事を主張しておるんじゃ。年寄衆の本折(モトオリ)越前守が近江守の後押しするもんじゃから、他の者たちは何も言えん。ああいう結果となってしまったんじゃ」
「山川殿から、本願寺は守護に敵対はしないと、よく説明して下さい」
「わしが言っても無駄なんじゃ。すでに、野々市において、本願寺を倒せ、という雰囲気が充満しておる。わしが、本願寺と手を結ぶなどと言ったら、わしまで闇討ちにされそうな雰囲気じゃ」
「そうなのですか‥‥‥ところで、山之内衆ですが、どうして、今回の戦に参加しておるのです。山之内衆は南加賀の管轄ではないのですか」
「わしも、山之内衆の動きには、まったく気づかなかったんじゃ。迂闊(ウカツ)じゃった。前以て分かっておれば、何としてでも止めたんじゃがのう。山之内衆の頭領の河合藤左衛門の娘が、槻橋近江守の弟のもとに嫁に行っておるんじゃよ。その関係で、今回の戦に参加したんじゃと思うがのう。困ったもんじゃよ」
「山川殿の力で、越中に追いやられた門徒たちを戻して貰う事はできませんか」
「それは、できん。わしが北加賀の事に干渉すれば、今度は、南加賀の事に奴らは干渉して来る事になる。そうなったら南でも戦が始まる事になるぞ」
「山川殿でも、どうする事もできませんか‥‥‥」
「しばらく、様子を見る事じゃな。近江守も、続けて、どこかを襲うという事もあるまい。ただ、門徒たちに守護の力というものを見せておきたかったのじゃろう。この後、門徒たちがおとなしくしておれば、近江守としても不意に攻めるような事はするまい」
「分かりました。門徒たちにおとなしくしておるように命じます」
せっかく来たのだから、ゆっくりして行ってくれ、と山川三河守は蓮崇たちを自分の屋敷の方に連れて行った。守護所内のあちこちで修築の工事が行なわれていた。
「わしがここに戻って来た時、それはもうひどい有り様じゃった」と三河守は修築現場を見ながら言った。「もう二十年も前になるがのう。ここを大々的に建て直したんじゃ。今でもよく覚えておるが、立派な守護所じゃった。たとえ、将軍様がいらしたとしても充分に持て成しのできる位の建物じゃった。それが今はこの有り様じゃ。この前の戦の時、ここに五千もの兵が籠もったというんじゃから無理もないが、この有り様で、一冬、過ごしたのじゃからな。まったく、ひどいもんじゃったわ。これじゃあ、家族を呼ぶ事もできん」
三河守は蓮崇に内々の話があると言い、二人の従者を隣の部屋に控えさせ、奥の間において簡単な食事を取りながら密談を交わした。
三河守の話は蓮崇にとって驚くべき事だった。富樫家の家臣にならないか、と言うのだった。
「門徒のままでも構わん、武将として歓迎する。そなたが富樫家の家臣となれば、国人門徒たちも被官となるじゃろう。そうすれば、守護と本願寺が争わなくても済む。おかしいとは思わんか。どうして、守護と本願寺が争わなくてはならんのじゃ。守護というのは国をまとめるのが役目、本願寺は人々を法によって救うのが役目。それぞれ、目的は別のはずじゃ。守護側の武士の中に、本願寺の門徒がいても構わんのじゃないのかのう。例えば、わしは禅宗じゃが、わしの家臣の中には浄土宗もおれば天台宗、真言宗などもおる。しかし、お互いに宗派によって争う事などせん。どうして、本願寺だけが争い事をするんじゃ。わしには分からん」
「本願寺の門徒たちは下層階級の者たちが多いのです。彼らは今まで、支配する者にただ、服従しておっただけで、自分というものを持っておりませんでした。それが門徒になる事によって彼ら同士で手を結ぶ事になり、ようやく、今の世の中というものが見え始めたのです。はっきり言って、今の世の中は権力者中心の世の中です。彼らの存在はあまり重要視されておりません。権力者たちから見たら彼らは人間以下の存在でしょう。今までの彼らは、そんな自分たちをただ諦めの目で見ておりました。自分たちの力で世の中を変える事などできるはずはない。そう思って苦しい毎日を生きて来たのです。そんな彼らの中に、本願寺の教えは広まりました。念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという教えは、苦しい毎日の中で一つの支えとなったのです。やがて、門徒同士は結ばれ、今まで、自分の住む村の事しか考えられなかった門徒たちは、隣村の事や遠く離れた村の事なども耳にしたりして視野を広げて行きました。そして、去年の戦です。門徒たちは自分たちのような者でも、力を合わせれば世の中を変える事ができると実感したのです」
「そして、今度は、わしらを倒すというわけか」
「いえ、まだ、そこまでは誰も考えてはおらんでしょう。ただ、門徒たちは太平の世を願っておるのです。富樫家がこの国をひとつにまとめ、戦のない世の中にしてくれれば、門徒たちは何も言わないでしょう。ただ、今回の石川郡で起こったような事が、度々、続けば、門徒たちも黙ってはおらんでしょう。上人様がどう止めようとしても、門徒たちは蜂起するかもしれません。門徒たちも生きております。生命(イノチ)を脅(オビヤ)かされる状況にまで追い込まれれば、上人様が何と言おうと戦わなければなりません」
「そなたが門徒の代表として守護所に入り、わしらと相談の上で、政(マツリゴト)をやって行く事はできんのか」
「難しいでしょう」
「どうしてじゃ」
「今の本願寺の組織は、教えを広めるための組織で、門徒たちを支配するための組織ではありません。各道場の上に寺院があり、その上に古くからの大寺院があり、その上に吉崎御坊があります。しかし、実際に門徒たちを握っているのは道場です。たとえ、大寺院とはいえ、教え以外の事を命じたとしても、道場主がその命令に従うとは考えられません。門徒たち全員に命令を下す事ができるのは、吉崎におられる上人様、ただお一人だけなのです。たとえ、わたしが上人様に認められて、ここに入ったとしても、ここで決められた事を門徒たちに命じて、それが守られるかどうか自信はありません」
「そなたの命には従わんと言うのか」
「多分‥‥‥」
「そうか‥‥‥しかし、そなたが富樫家の武将になると言う事は考えてみてくれ」
「はい‥‥‥」
蓮崇は二人の従者を連れ、守護所を後にした。
三河守の言った言葉が頭の中を巡っていた。
武将‥‥‥
その言葉には子供の頃から憧れていた。朝倉氏の猶子(ユウシ)となったのも、その憧れからだった。富樫家の武将になる。悪くない話だった。三河守は、門徒のままでいいから武将になってくれと言った。しかし、今の状況ではそれは難しい事だった。その事はしばらく保留にしておくしかあるまい、と蓮崇は思った。
それよりも北加賀の事を何とかしなくてはならなかった。南加賀は山川三河守が守護代でいる限り、問題はないだろう。越中に追い出された門徒たちを何とかして加賀に戻す事はできないものか、と考えながら蓮崇は吉崎に向かっていた。
桜の花も散り、若葉の季節となっても、北加賀の状況は変わらなかった。
山之内衆は引き上げる事なく、湯涌谷に落ち着いていた。浅野川の運輸も山之内衆によって再開され、そのまま住み着いてしまうのではないか、と思われる程だった。
浅野川の運輸に頼っている医王山にとって、物資さえ、ちゃんと運んでくれれば、それが木目谷衆だろうと、山之内衆だろうと文句はなかった。
守護の権限により、湯涌谷の地は、今まで、山之内衆が富樫次郎のために尽くして来た恩賞として、湯涌谷衆を倒した暁(アカツキ)には、山之内衆に与えるという取り決めができていた。その取り決めがあったので、山之内衆は、わざわざ雪の積もる山の中を通ってまで湯涌谷を攻めたのだった。
山之内衆は初めから、この地に腰を落ち着けるため、今まで厄介者(ヤッカイモノ)だった部屋住みの次男、三男らで隊を組み、攻め込んで来ていた。彼らは今まで、肩身の狭い思いをして来たため、守護から与えられた新しい領地を守る事に必死だった。
木目谷の地は高尾(タコウ)若狭守に与えられていた。野々市の守護所では、防備が完璧でないため、高尾若狭守の領地の高尾の山の上に、新しく次郎の城を建て、その裾野に屋敷を建てる事となっていた。すでに普請作業も始まり、高尾若狭守に代わりの地として木目谷が与えられていた。
湯涌谷も木目谷も闕所(ケッショ、没収された土地)として、守護の権限によって勝手に家臣に与えてしまい、越中に追い出された門徒たちが戻る事は不可能に近かった。
善福寺順慶、浄徳寺慶恵、和田長光坊の三人が二俣の本泉寺に行き、勝如尼を口説いてみたが、越中の門徒を動かす事はできなかった。慶覚坊は医王山に登り、海蔵寺の衆徒たちに協力を頼んだが、加賀の事には干渉したくはないと断られた。また、手取川流域の国人、安吉源左衛門と笠間兵衛にも使いを出し、出陣を願ったが、門徒全員が動かない限り、勝ち目はないと言って、守りを固めるだけで動こうとはしなかった。
四月になると、再起を図るために越中にて待機していた三千もの兵たちは武装を解き、頼れる者がいる者はそれらを頼り、いない者は何人かづつにまとまって手取川の安吉、笠間、河北潟の伊藤、江沼郡の熊坂など有力門徒を頼って散って行った。
浄徳寺慶恵も、和田長光坊も、善福寺順慶も、慶覚坊も、ひとまず加賀に帰った。大桑の善福寺は戦場近くだったが、今回、表向きは戦に参加していなかったので無事だった。順慶は何食わぬ顔で善福寺に戻って行った。それでもまだ、越中には木目谷衆、湯湧谷衆ら二千人近くの兵と二千人余りの避難民が残り、井波瑞泉寺、松寺永福寺、土山坊(ドヤマボウ)の三ケ所に分散した。
浅野川流域の国人門徒を国外に追放する事に成功した守護代の槻橋近江守が、次に狙っていたのは、やはり、手取川流域を押える安吉源左衛門と笠間兵衛の二人だったが、この二人を倒す事は容易な事ではなかった。
二人の本拠とする地は、手取川の支流がいく筋も流れている広々とした平野だった。木目谷の時のような不意討ちなどできなかった。彼ら二人も当然、荘園の横領はしていた。攻めるのに大義名分はあった。しかし、攻めても絶対に勝てるという確信はなかった。すでに、彼らはあちこちに砦を築き、守りを固めていた。そこを攻めるとなると短期間でけりが着くとは言えない。長期戦になれば、土地感の明るい敵の方が圧倒的に有利だった。しかも、越中に追いやった者たちが戻って来て、後方から攻めて来るという可能性も充分にあった。山之内衆に前回のごとく、手取川流域の土地を餌(エサ)に誘ってもみたが、山の中ならともかく、平地での戦は得意ではないと断って来ていた。
まともに攻めて勝てない事を知ると槻橋近江守は、何とかして寝返らせるか、最悪の時は、刺客(シカク)を使って首領である二人の暗殺まで考えた。とりあえずは、手取川の近くの松任(マットウ)城の城主、鏑木兵衛尉(カブラギヒョウエノジョウ)に探りを入れさせた。兵衛尉の伜、右衛門尉は守護の富樫次郎の姉婿だった。
鏑木兵衛尉は応仁の乱が始まり、幸千代が西軍として加賀国内で勢力を強めていた頃、幸千代方になるという条件で、幸千代の姉を息子の嫁に貰った。しかし、本願寺と組んだ次郎が有利になる事によって、兵衛尉は次郎方に寝返った。幸千代の姉は次郎の姉でもあったため、長男である次郎が富樫家の家督を継ぐのが正当だという理由から、兵衛尉は寝返った。また、松任には本願寺の寺院、本誓寺があり、鏑木の家臣たちの中にも門徒となっている者が何人もいた。
鏑木兵衛尉は守護代、槻橋に命ぜられるまま安吉源左衛門と笠間兵衛を訪ね、富樫家の被官にならないかと勧めてみたが効果はなかった。
久し振りに彼らと会ったが、二人共、以前とはまったく変わっていた。以前は二人共、確かに武士だった。配下に河原者たちを大勢抱えているにしろ、彼らは武士に違いなかった。ところが、今回、二人共、烏帽子(エボシ)も被らず、見るからに河原者の親方という感じで、武士であるという事を忘れてしまったかのようだった。富樫家に仕えてくれと頼んでみても、すでに、本願寺の坊主として阿弥陀如来様に仕えている。今更、武士に戻って富樫家に奉公するつもりはないと、あっさりと断られた。ただし、わしらは守護に敵対するつもりはさらさらない、ともきっぱりと言った。
守護に敵対しないと言った二人の言葉は、充分に信じられるものと見た鏑木兵衛尉は、その事を守護代槻橋に伝えたが、槻橋はそれだけでは満足しなかった。槻橋は内密に、安吉源左衛門と笠間兵衛の二人を事故のように見せかけて暗殺するように命じて来た。
鏑木兵衛尉は断ったが、槻橋は、兵衛尉が断れば、伜の右衛門尉に命じると言って来た。右衛門尉はお屋形様の義理の兄上に当たるお人だ。お屋形様のためになる事なら断る事はあるまい、と兵衛尉を威(オド)して来た。伜に、そんな汚い仕事をさせるわけには行かなかった。
仕方なく、兵衛尉は引き受けた。それにしても槻橋のやり方は汚かった。前回の不意討ち、そして、今回の闇討ち。たとえ、お屋形様のためとはいえ卑劣なやり方だった。
闇討ちを引き受けた兵衛尉は、松任城に帰ると何日かの間、部屋に籠もったまま考え事をしていたが、何を思ったのか、供も連れずに城を出ると本誓寺に向かった。
兵衛尉は長い事、考え続け、本願寺の法主である蓮如に一度、会ってみようと決心をした。安吉にせよ、笠間にせよ、守護である富樫家の被官になるよりも、本願寺の坊主を選んだのは、なぜなのか。その事が兵衛尉には理解できなかった。
蓮如という男の噂は聞いているが、まだ、この目で見た事はない。守護代の槻橋のやり方は、完全に本願寺を敵として見ている。槻橋のそのやり方は気に入らないが、この先、守護側でいるとなれば、敵の親玉を見ておく必要があった。どうしても一度は会わなければならないと決めた兵衛尉は、突然、訪ねて行っても会ってはくれないだろうと思い、本誓寺の住職、憲誓(ケンセイ)に紹介状を頼みに来たのだった。
兵衛尉は憲誓に安吉や笠間から聞いた蓮如の話をし、それが本当なら自分も本願寺の門徒になりたいと言い、蓮如に会うための紹介状を頼んだ。憲誓は喜んで紹介状を書いてくれた。
その日から三日後、吉崎御坊の書院の一室に、蓮如と対座する鏑木兵衛尉の姿があった。蓮如の話を聞いているうちに、兵衛尉はすっかり蓮如の虜(トリコ)になってしまっていた。蓮如の口から出る言葉は、すべて、蓮如自身の体の一部であるかのような重みがあった。しかし、その重みというのは人を威圧するような所はなく、聴いている者たちを優しく包み込むような大きな心を感じさせた。
それは蓮如自身の魅力であった。これだけ本願寺が栄えたのは、蓮如による組織作りと、その組織を利用して配った『御文』であったが、何よりも、法主である蓮如という人格に惹かれ、蓮如に帰依(キエ)した他宗の坊主や武士たちが多かったためであった。
鏑木兵衛尉は、蓮如に会ったその日のうちに蓮如に帰依し『徳善(トクゼン)』という法名を貰った。まったく、予想もしてない展開だった。後先の事も何も考えずに蓮如に帰依してしまった。自分が本願寺の門徒となった事により、富樫次郎の姉婿となっている息子を苦しい立場に追い込む結果となってしまったが仕方のない事だった。
徳善となった鏑木兵衛尉は後悔はしていなかったが、これからどうしたらいいのか、改めて、考え直さなくてはならなかった。
蓮如は、徳善が門徒になった事によって難しい立場に立たなければならない、という事を理解し、何か困った事があれば執事の蓮崇に相談してみるがいい、と言った。
徳善も蓮崇の名は耳にした事があった。蓮如に最も信頼されている人物で、しかも、戦になれば軍師をも勤めると言われている男だった。せっかく、ここまで来たのだから、その男に会わない手はないと、さっそく、蓮崇の多屋に向かった。
蓮崇の多屋には、越中から戻って来た慶覚坊と和田長光坊がいた。
長光坊の兄は越前本覚寺(ホンガクジ)蓮光だった。本覚寺と超勝寺は共に越前にあり、去年の戦の前は共に協力して事に当たっていた。戦の時、超勝寺の定善坊が英雄的な死を遂げたため、超勝寺の兄弟は調子に乗って、蓮崇と対立するようになって行った。吉崎御坊の多屋衆は二つに分かれるという事になって行ったが、本覚寺は蓮如が吉崎に進出して以来、ずっと蓮崇派だった。
超勝寺を後ろで操っているのは、二年前に蓮如によって超勝寺の住職の座を降ろされ、隠居させられた定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)だった。その事は蓮崇も気づいてはいても気に掛けないようにしていた。
巧遵は一門の身でありながら蓮如の教えに背き、本堂に歴代住職の連座像を掲げ、上段の間にふんぞり返るように坐って、門徒たちと共に酒を飲み交わしていたという。その場を蓮如に見られて言い訳もできず、すぐ、その場で、まだ九歳だった長男に住持職を譲り、隠居させられた。巧遵は、あの場に突然、蓮如が現れたのは、蓮崇が陰口を利いたせいだと思っているが、蓮崇にそんな覚えはまったくなかった。
鏑木兵衛尉は蓮崇と慶覚坊と長光坊に歓迎された。
蓮崇も慶覚坊も長光坊も、今回の戦の事には一切触れず、蓮如の事について色々な話をしてくれた。兵衛尉は三人に誘われるまま、共に酒を飲み交わし、煩(ワズラ)わしい事をすべて忘れて楽しい一時を過ごした。
次の日、兵衛尉は蓮崇に、守護代の槻橋近江守が次に狙っているのは手取川だと告げ、吉崎を後にした。
負け戦の知らせの後、何人かが、その後の状況を知らせて来たが、湯涌谷衆の事はまったく分からなかった。慶覚坊の話によって、ようやく、すべての状況が理解できた。
「山之内衆か‥‥‥」と蓮崇は唸った。
蓮崇も山之内衆が守護側に参加していたとは夢にも思っていなかった。
「山之内衆がおるとなると敵の方が圧倒的に有利だったわけか‥‥‥」
「その山之内衆というのは何者なんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「手取川の上流を本拠地とする国人たちじゃ」と慶覚坊は言った。「元々は白山(ハクサン)の僧兵たちの集団じゃったが、本宮(ホングウ)と中宮(チュウグウ)が争いを繰り返しておるうちに勢力を持って国人化して行ったんじゃ。五千人以上の兵力を抱えておるといわれ、山の中で暮らしておるため山伏のようにすばしっこい。山中で戦をしたら山之内衆にかなう者はおるまい」
「ほう、そんな集団がおったのか」
「この先、何としても、奴らを門徒にしない事には守護を倒す事は難しいかもしれん」
「白山の膝元じゃ、難しいのう」
「山之内衆の事はおいといて、蓮崇殿、わしらは上人様に仲裁を頼みに来たんじゃが、どんなもんじゃろ」
「仲裁か‥‥‥」
「今、越中に五千人もの門徒たちが逃げて行っておるんじゃ。上人様に仲裁して貰って加賀に帰したいんじゃ。湯涌谷に山之内衆が陣を敷いておって帰る事ができん。山之内衆がそういつまでも陣を敷いておるとは思えんが、わしらの方が先に干(ヒ)上がってしまう」
「上人様の仲裁で、守護は兵を引くかのう」と蓮崇は言った。
「国人門徒たちに荘園を本所に返す事を誓わせる」
「しかし、守護側の本当の目的はその事ではないからのう。初めから無理難題を押し付けて門徒を攻めて来たんじゃ。そう簡単に兵を引くとも思えん。今の状態でおれば、守護とすれば本願寺の兵力削減に成功した事になるからのう。せっかく、加賀から追い出した門徒をまた戻すような事はするまい」
「しかし、荘園を返せば守護側も門徒らを攻める理由がなくなります」と湯涌次郎左衛門は言った。
「おそらく、国内にある荘園すべての年貢、去年、納めなかった年貢のすべてを本願寺の手によって本所のもとへ納めろと言い出すじゃろう」
「そんな無茶な‥‥‥」
「元々、守護にとって、荘園をどうのこうのというのは表向きの名目に過ぎん。本当の所は本願寺の兵力を削減する事じゃ。現に善福寺殿、浄徳寺殿、石黒殿、高橋殿といった本願寺の武将が越中に逃げておる。彼らを戻すような事はするまい」
「と言う事は、わしらは加賀には戻れないのですか」
「一応、上人様には仲裁を頼んでみよう。ただ、上人様の力でもどうにもならんとは思う」
「やはり、実力で奪い返すしかないのか」と慶覚坊は言った。
「山之内衆を寝返らせるしかないのう」
「それまでに、五千もの門徒たちは干上がってしまう」
「いや、その事は、越中の門徒たちに上人様よりお願いしてもらう。わしは医王山(イオウゼン)を使えないかと思っておるんじゃが、どうじゃろう」
「医王山海蔵寺か‥‥‥」
「医王山は浅野川の輸送が止まってしまったので困っておるはずです」と次郎左衛門は言った。
「医王山は前回の戦の時、どんな動きだったんじゃ」と蓮崇が次郎左衛門に聞いた。
「前回の時は動きません。もう、かなり以前になりますけど、医王山は富樫家の相続争いに巻き込まれて加賀側の所領のほとんどを奪われ、痛い目に会っております。それ以来、加賀に背を向け、越中の石黒氏と手を結んでおるようです。応仁の乱の時は西軍として動きましたが、加賀にはあまり首を突っ込まなかったようです。わしらが門徒になるに当たっても医王山は別に文句を言うわけではありませんでした。礼銭さえ、ちゃんと納めれば、門徒になろうと全然、気にしませんでした。如乗上人様が本泉寺を医王山の山麓に建てた当時、本願寺は叡山(エイザン)の末寺(マツジ)になっておりましたから、本願寺というのは天台宗の中の一派の念仏門だろうとしか思っておらなかったのでしょう。お陰で、医王山の回りは門徒だらけになりました。今頃になって、初めて、本願寺というものの恐ろしさに気づいたという所でしょうか。わしが思うには医王山も、そのうち、山そっくり本願寺の門徒となるような気がします」
「医王山の衆徒というのはどれ位おるんじゃ」と慶覚坊は聞いた。
「減って来ております。それでも、まだ、山の裾野に末寺が散らばっておりますから、多く見て五千という所でしょうか。すでに、加賀でも越中でも末寺の幾つかは本願寺に転宗しております」
「五千か‥‥‥その五千が本願寺側に付いたら反撃できん事はないのう」
「まあ、作戦の方は後で練るとして、まずは上人様に会いましょう。上人様の仲裁に、守護側がどう答えるか、その答え方によっては、こっちの動きも変わるかもしれません」
「わしは、何か手伝う事はないかのう」と風眼坊が口を挟んだ。
「風眼坊殿、実はあるのです」と蓮崇は言った。
「越中と吉崎を結ぶ連絡か」と慶覚坊は言った。
「いえ、それは、わたしの方から誰かを送ります。風眼坊殿にしてもらいたいのは医者として負傷者の手当です」
「そうか、そうじゃったのう。一体、どれ位の負傷者が出たんじゃ」
「重傷の者たちのほとんどは亡くなってしまったらしいんじゃが、まだ、百人以上の者が、ろくな治療もできず、善福寺に収容されておるそうです」
「百人以上か、そいつは大変な事じゃ」
「風眼坊殿、お願いします」
「分かった。さっそく準備に掛かるわ。百人もの負傷者がおるとすれば、充分な薬も用意せんとな」
蓮崇がまず、御山に戻った。
しばらくしてから慶覚坊と湯涌次郎左衛門は御山に向かった。
二人と入れ違いにお雪が帰って来た。風眼坊はお雪にわけを話して旅の支度を始めた。
桜の花弁が風に舞っていた。
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湯涌次郎左衛門の願い通り、蓮如によって、門徒たちが加賀に戻れるように守護に頼んでみたが、その願いは聞き入れられなかった。
あっさりと、守護のやる事に本願寺が口出しするべき事ではない、と言い、今回、加賀から追い出したのは、荘園を横領した不届きな国人共であって、本願寺とは関係ない。飽くまでも追い出されたのが門徒だと言い張るのなら、本願寺こそ荘園を横領している張本人と見なして、守護としては退治しなければならなくなる。本願寺とは前回、共に戦った仲である。今更、仲たがいをしたくはない。口を挟まないで貰いたい、と白々しくも言い切っていた。
そうまで言われては、上人様とはいえ、どうする事もできなかった。
三月の二十二日、風眼坊は潮津(ウシオヅ)の道場から、去年の戦の時、共に負傷者の治療に当たった、元、時宗の者たち数人を呼び寄せ、お雪を連れて船に乗り、海路、犀川(サイガワ)河口の湊、宮腰(ミヤノコシ)へと向かった。宮腰からは、そのまま犀川をさかのぼって、大桑の善福寺に向かって行った。
吉崎の二十五日の恒例の講が終わると蓮崇は軽海(カルミ)の守護所に、守護代の山川三河守に会いに行った。牽制(ケンセイ)のためであった。北加賀のように不意を襲われないように、江沼郡、能美郡内にある荘園の横領は一切しないという、国人門徒による起請文(キショウモン)を持って行ったのだった。
軽海の守護所には、まだ、去年の戦の跡が生々しく残っていた。
軽海郷は軽海潟と呼ばれる湖に囲まれ、古くは加賀の国府の置かれた地であり、また、軽海潟を囲むように白山中宮八院と呼ばれる大寺院が建ち並び、白山中宮への入り口として古くから栄えていた。
富樫氏が守護職に就いて以来、国の中心は野々市に移されたが、軽海郷は南加賀の中心地として、依然、栄えていた。守護所の回りに武家屋敷が建ち並び、商人や職人たちも町を作って住み、城下町といえるたたずまいだった。ただ、守護所はまだ、城といえる程の防備を持ってはいなかった。
守護所は政務を行なう場所であり、中には守護代の住む屋敷もあったが、簡単な土塁と濠に囲まれているだけだった。応仁の乱以前は、国人たちがどんなに力を持ったとしても、守護所に攻め込んで来るという事は考えられなかった。幕府の権威というものが、それをさせなかった。しかし、応仁の乱になり、幕府が二つに分かれて争うようになると、幕府の権威も失われて行き、守護だからといって安心していられる時代ではなくなった。
応仁の乱の時、次郎政親が加賀に入部し、幸千代に攻められ、簡単に敗れて山之内庄に逃げて行ったのは、守護所が大軍に攻められた場合に持ちこたえるだけの機能を持っていなかったからだった。次郎を追い出した幸千代はその事を知っていたため、守護所に入るのをやめて、新たに山の上に蓮台寺城を築いた。守護所には狩野伊賀入道が入り、守りを固めるために広い濠を掘り、高い土塁を築いた。それでも、本願寺門徒の大軍の攻めに会って持ちこたえる事はできなかった。
蓮崇は馬上から、何本もの矢が刺さったままの土塁を眺めながら、空濠に沿って守護所の門へと向かった。あちこち崩れかけている土塁とは対象的に、土塁の中では桜の花が満開だった。
蓮崇は庭園に面した会所(カイショ)に案内され、三河守が現れるのを待っていた。腕自慢の二人の若い者を伴って来てはいたが、胸の中は心細さと恐ろしさで一杯だった。もし、ここで襲われでもしたら逃げる事は難しかった。
若い頃、本泉寺の如乗のもとで修行をし、如乗からは読み書きを初め、色々な事を教わったが、武術だけは教わらなかった。如乗が棒術の名人で、蓮崇にも教えてやると言ったのに、自分は武術などやる柄(ガラ)ではないと、いつも断っていた。どうせ、稽古なんかしたって強くなれるわけはないと自分で決めていた。そのくせ、武士には憧れていて、如乗が持っていた兵書を読み漁った。まさか、蓮崇も本願寺が戦などするとは思っていなかったが、なぜか、自分が大将になったつもりで戦の作戦を立てたりするのが好きだった。単なる道楽として、兵書を読み漁っていたのだったが、それが、今、こうして役に立っている。あの時、少しでも武術を習っていたら、もっと役に立っていただろうにと後悔していた。
廊下の軋(キシ)む音と共に、供を一人連れた三河守が現れた。
「結構な頂き物を頂戴したそうで、かたじけない事ですな」と言いながら部屋に入って来ると、三河守は正面に坐った。
決まり切った挨拶の後、本題に入ると、三河守は始終、機嫌のいい顔をして蓮崇の話を聞いていた。蓮崇の話が終わると、分かりましたと国人門徒たちの起請文を受け取った。
「蓮崇殿、言って置きますが、わしのやり方は北加賀とは違います。わしとしては、これから先、本願寺とはうまくやって行こうと思っております。わしも、この地に来て、色々と本願寺の事を学びました。上人様の書かれたという御文とやらも拝見いたしました。上人様というお人は大したお人じゃと、わしも感服している次第です。本願寺の教えには、戦というものはない。前回、戦に踏み切ったのは、幕府からの奉書のためだという事も充分に分かっております。わしは、お互いにいがみ合いをするよりも、お互いに相手の事をよく知り、相手を理解すれば、何も、血を見る事はないと思っております。わしは、この軽海の地に生まれ、四歳までここにおりました。太平の世じゃったら、わしは、ずっと守護代として、この地におった事でしょう。わしは二度も、京と加賀を行ったり来たりしております。守護が替わるたびに、守護代も替わるというわけで、わしは四歳の時、京に行き、十八まで京におりました。十八の時、また、守護が替わり、今度は親父が守護代となり、また、家族と共にこの地に戻って来ました。わしは三十三の時、親父の跡を継いで守護代となりました。そして、三十五の時、また、守護が替わり、わしは守護代を解任され、また、京に移りました。そして、十年経って、今、ようやく、この地に戻ったというわけです。どうして、加賀の守護が、こう何度も入れ替わるのか御存じですかな」
「さあ、そういう難しい事は、わたしにはよく分かりませんが」
「元を正せば、富樫家の家督争いなんですが、その家督争いに、幕府の上層部の勢力争いが絡んでおるのです。応仁の乱の頃は、細川氏と山名氏、その前は、細川氏と畠山氏、それらの勢力争いが、この加賀の地において行なわれておるのです。加賀の地には、幕府の奉公衆の領地がかなりあります。幕府内で勢力を広げるためには、将軍様の直臣(ジキシン)である奉公衆の支持を得なければなりません。そのために、自派の者を加賀の守護職に就け、奉公衆の領地を管理させて、年貢を確実に京に送らせねばならなかったのです。お屋形様(次郎)も、ようやく、手に入れた守護職を、幕府の思惑で、いつ替えられるか分かったものではありません。今、国内において、争いなどしている暇はないのです。この国を一つにまとめる事が、まず、先決なのです。このまま、戦など続けて行けば、必ず、幕府は介入して来ます。細川氏に対抗する勢力が現れ、もし、本願寺に付けば、もう、我々の意志ではどうにもならなくなります。わしらも本願寺も、幕府に躍らされる結果となるのです。わしは何とかして、この国を一つにまとめたい。蓮崇殿、そなたも、どうか、わしに協力して下され」
「山川殿が、そういうお気持ちでしたら、本願寺としても喜んで協力いたします。ただ、守護側の皆が、山川殿のようなお考えを持っておるとは納得致しかねます」
「分かっておる。そなたは北加賀の守護代、槻橋近江守の事を言っておるのじゃろう。近江守は、まだ、この国の事を分かっておらんのじゃ。奴はずっと京にいて、お屋形様の側に仕えておったんじゃ。四年前、お屋形様と一緒に加賀に進攻して来るまで、ずっと京におった。この国の事など全然、知らん。ただ、お屋形様のためじゃ、と言って、本願寺を倒す事を主張しておるんじゃ。年寄衆の本折(モトオリ)越前守が近江守の後押しするもんじゃから、他の者たちは何も言えん。ああいう結果となってしまったんじゃ」
「山川殿から、本願寺は守護に敵対はしないと、よく説明して下さい」
「わしが言っても無駄なんじゃ。すでに、野々市において、本願寺を倒せ、という雰囲気が充満しておる。わしが、本願寺と手を結ぶなどと言ったら、わしまで闇討ちにされそうな雰囲気じゃ」
「そうなのですか‥‥‥ところで、山之内衆ですが、どうして、今回の戦に参加しておるのです。山之内衆は南加賀の管轄ではないのですか」
「わしも、山之内衆の動きには、まったく気づかなかったんじゃ。迂闊(ウカツ)じゃった。前以て分かっておれば、何としてでも止めたんじゃがのう。山之内衆の頭領の河合藤左衛門の娘が、槻橋近江守の弟のもとに嫁に行っておるんじゃよ。その関係で、今回の戦に参加したんじゃと思うがのう。困ったもんじゃよ」
「山川殿の力で、越中に追いやられた門徒たちを戻して貰う事はできませんか」
「それは、できん。わしが北加賀の事に干渉すれば、今度は、南加賀の事に奴らは干渉して来る事になる。そうなったら南でも戦が始まる事になるぞ」
「山川殿でも、どうする事もできませんか‥‥‥」
「しばらく、様子を見る事じゃな。近江守も、続けて、どこかを襲うという事もあるまい。ただ、門徒たちに守護の力というものを見せておきたかったのじゃろう。この後、門徒たちがおとなしくしておれば、近江守としても不意に攻めるような事はするまい」
「分かりました。門徒たちにおとなしくしておるように命じます」
せっかく来たのだから、ゆっくりして行ってくれ、と山川三河守は蓮崇たちを自分の屋敷の方に連れて行った。守護所内のあちこちで修築の工事が行なわれていた。
「わしがここに戻って来た時、それはもうひどい有り様じゃった」と三河守は修築現場を見ながら言った。「もう二十年も前になるがのう。ここを大々的に建て直したんじゃ。今でもよく覚えておるが、立派な守護所じゃった。たとえ、将軍様がいらしたとしても充分に持て成しのできる位の建物じゃった。それが今はこの有り様じゃ。この前の戦の時、ここに五千もの兵が籠もったというんじゃから無理もないが、この有り様で、一冬、過ごしたのじゃからな。まったく、ひどいもんじゃったわ。これじゃあ、家族を呼ぶ事もできん」
三河守は蓮崇に内々の話があると言い、二人の従者を隣の部屋に控えさせ、奥の間において簡単な食事を取りながら密談を交わした。
三河守の話は蓮崇にとって驚くべき事だった。富樫家の家臣にならないか、と言うのだった。
「門徒のままでも構わん、武将として歓迎する。そなたが富樫家の家臣となれば、国人門徒たちも被官となるじゃろう。そうすれば、守護と本願寺が争わなくても済む。おかしいとは思わんか。どうして、守護と本願寺が争わなくてはならんのじゃ。守護というのは国をまとめるのが役目、本願寺は人々を法によって救うのが役目。それぞれ、目的は別のはずじゃ。守護側の武士の中に、本願寺の門徒がいても構わんのじゃないのかのう。例えば、わしは禅宗じゃが、わしの家臣の中には浄土宗もおれば天台宗、真言宗などもおる。しかし、お互いに宗派によって争う事などせん。どうして、本願寺だけが争い事をするんじゃ。わしには分からん」
「本願寺の門徒たちは下層階級の者たちが多いのです。彼らは今まで、支配する者にただ、服従しておっただけで、自分というものを持っておりませんでした。それが門徒になる事によって彼ら同士で手を結ぶ事になり、ようやく、今の世の中というものが見え始めたのです。はっきり言って、今の世の中は権力者中心の世の中です。彼らの存在はあまり重要視されておりません。権力者たちから見たら彼らは人間以下の存在でしょう。今までの彼らは、そんな自分たちをただ諦めの目で見ておりました。自分たちの力で世の中を変える事などできるはずはない。そう思って苦しい毎日を生きて来たのです。そんな彼らの中に、本願寺の教えは広まりました。念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという教えは、苦しい毎日の中で一つの支えとなったのです。やがて、門徒同士は結ばれ、今まで、自分の住む村の事しか考えられなかった門徒たちは、隣村の事や遠く離れた村の事なども耳にしたりして視野を広げて行きました。そして、去年の戦です。門徒たちは自分たちのような者でも、力を合わせれば世の中を変える事ができると実感したのです」
「そして、今度は、わしらを倒すというわけか」
「いえ、まだ、そこまでは誰も考えてはおらんでしょう。ただ、門徒たちは太平の世を願っておるのです。富樫家がこの国をひとつにまとめ、戦のない世の中にしてくれれば、門徒たちは何も言わないでしょう。ただ、今回の石川郡で起こったような事が、度々、続けば、門徒たちも黙ってはおらんでしょう。上人様がどう止めようとしても、門徒たちは蜂起するかもしれません。門徒たちも生きております。生命(イノチ)を脅(オビヤ)かされる状況にまで追い込まれれば、上人様が何と言おうと戦わなければなりません」
「そなたが門徒の代表として守護所に入り、わしらと相談の上で、政(マツリゴト)をやって行く事はできんのか」
「難しいでしょう」
「どうしてじゃ」
「今の本願寺の組織は、教えを広めるための組織で、門徒たちを支配するための組織ではありません。各道場の上に寺院があり、その上に古くからの大寺院があり、その上に吉崎御坊があります。しかし、実際に門徒たちを握っているのは道場です。たとえ、大寺院とはいえ、教え以外の事を命じたとしても、道場主がその命令に従うとは考えられません。門徒たち全員に命令を下す事ができるのは、吉崎におられる上人様、ただお一人だけなのです。たとえ、わたしが上人様に認められて、ここに入ったとしても、ここで決められた事を門徒たちに命じて、それが守られるかどうか自信はありません」
「そなたの命には従わんと言うのか」
「多分‥‥‥」
「そうか‥‥‥しかし、そなたが富樫家の武将になると言う事は考えてみてくれ」
「はい‥‥‥」
蓮崇は二人の従者を連れ、守護所を後にした。
三河守の言った言葉が頭の中を巡っていた。
武将‥‥‥
その言葉には子供の頃から憧れていた。朝倉氏の猶子(ユウシ)となったのも、その憧れからだった。富樫家の武将になる。悪くない話だった。三河守は、門徒のままでいいから武将になってくれと言った。しかし、今の状況ではそれは難しい事だった。その事はしばらく保留にしておくしかあるまい、と蓮崇は思った。
それよりも北加賀の事を何とかしなくてはならなかった。南加賀は山川三河守が守護代でいる限り、問題はないだろう。越中に追い出された門徒たちを何とかして加賀に戻す事はできないものか、と考えながら蓮崇は吉崎に向かっていた。
5
桜の花も散り、若葉の季節となっても、北加賀の状況は変わらなかった。
山之内衆は引き上げる事なく、湯涌谷に落ち着いていた。浅野川の運輸も山之内衆によって再開され、そのまま住み着いてしまうのではないか、と思われる程だった。
浅野川の運輸に頼っている医王山にとって、物資さえ、ちゃんと運んでくれれば、それが木目谷衆だろうと、山之内衆だろうと文句はなかった。
守護の権限により、湯涌谷の地は、今まで、山之内衆が富樫次郎のために尽くして来た恩賞として、湯涌谷衆を倒した暁(アカツキ)には、山之内衆に与えるという取り決めができていた。その取り決めがあったので、山之内衆は、わざわざ雪の積もる山の中を通ってまで湯涌谷を攻めたのだった。
山之内衆は初めから、この地に腰を落ち着けるため、今まで厄介者(ヤッカイモノ)だった部屋住みの次男、三男らで隊を組み、攻め込んで来ていた。彼らは今まで、肩身の狭い思いをして来たため、守護から与えられた新しい領地を守る事に必死だった。
木目谷の地は高尾(タコウ)若狭守に与えられていた。野々市の守護所では、防備が完璧でないため、高尾若狭守の領地の高尾の山の上に、新しく次郎の城を建て、その裾野に屋敷を建てる事となっていた。すでに普請作業も始まり、高尾若狭守に代わりの地として木目谷が与えられていた。
湯涌谷も木目谷も闕所(ケッショ、没収された土地)として、守護の権限によって勝手に家臣に与えてしまい、越中に追い出された門徒たちが戻る事は不可能に近かった。
善福寺順慶、浄徳寺慶恵、和田長光坊の三人が二俣の本泉寺に行き、勝如尼を口説いてみたが、越中の門徒を動かす事はできなかった。慶覚坊は医王山に登り、海蔵寺の衆徒たちに協力を頼んだが、加賀の事には干渉したくはないと断られた。また、手取川流域の国人、安吉源左衛門と笠間兵衛にも使いを出し、出陣を願ったが、門徒全員が動かない限り、勝ち目はないと言って、守りを固めるだけで動こうとはしなかった。
四月になると、再起を図るために越中にて待機していた三千もの兵たちは武装を解き、頼れる者がいる者はそれらを頼り、いない者は何人かづつにまとまって手取川の安吉、笠間、河北潟の伊藤、江沼郡の熊坂など有力門徒を頼って散って行った。
浄徳寺慶恵も、和田長光坊も、善福寺順慶も、慶覚坊も、ひとまず加賀に帰った。大桑の善福寺は戦場近くだったが、今回、表向きは戦に参加していなかったので無事だった。順慶は何食わぬ顔で善福寺に戻って行った。それでもまだ、越中には木目谷衆、湯湧谷衆ら二千人近くの兵と二千人余りの避難民が残り、井波瑞泉寺、松寺永福寺、土山坊(ドヤマボウ)の三ケ所に分散した。
浅野川流域の国人門徒を国外に追放する事に成功した守護代の槻橋近江守が、次に狙っていたのは、やはり、手取川流域を押える安吉源左衛門と笠間兵衛の二人だったが、この二人を倒す事は容易な事ではなかった。
二人の本拠とする地は、手取川の支流がいく筋も流れている広々とした平野だった。木目谷の時のような不意討ちなどできなかった。彼ら二人も当然、荘園の横領はしていた。攻めるのに大義名分はあった。しかし、攻めても絶対に勝てるという確信はなかった。すでに、彼らはあちこちに砦を築き、守りを固めていた。そこを攻めるとなると短期間でけりが着くとは言えない。長期戦になれば、土地感の明るい敵の方が圧倒的に有利だった。しかも、越中に追いやった者たちが戻って来て、後方から攻めて来るという可能性も充分にあった。山之内衆に前回のごとく、手取川流域の土地を餌(エサ)に誘ってもみたが、山の中ならともかく、平地での戦は得意ではないと断って来ていた。
まともに攻めて勝てない事を知ると槻橋近江守は、何とかして寝返らせるか、最悪の時は、刺客(シカク)を使って首領である二人の暗殺まで考えた。とりあえずは、手取川の近くの松任(マットウ)城の城主、鏑木兵衛尉(カブラギヒョウエノジョウ)に探りを入れさせた。兵衛尉の伜、右衛門尉は守護の富樫次郎の姉婿だった。
鏑木兵衛尉は応仁の乱が始まり、幸千代が西軍として加賀国内で勢力を強めていた頃、幸千代方になるという条件で、幸千代の姉を息子の嫁に貰った。しかし、本願寺と組んだ次郎が有利になる事によって、兵衛尉は次郎方に寝返った。幸千代の姉は次郎の姉でもあったため、長男である次郎が富樫家の家督を継ぐのが正当だという理由から、兵衛尉は寝返った。また、松任には本願寺の寺院、本誓寺があり、鏑木の家臣たちの中にも門徒となっている者が何人もいた。
鏑木兵衛尉は守護代、槻橋に命ぜられるまま安吉源左衛門と笠間兵衛を訪ね、富樫家の被官にならないかと勧めてみたが効果はなかった。
久し振りに彼らと会ったが、二人共、以前とはまったく変わっていた。以前は二人共、確かに武士だった。配下に河原者たちを大勢抱えているにしろ、彼らは武士に違いなかった。ところが、今回、二人共、烏帽子(エボシ)も被らず、見るからに河原者の親方という感じで、武士であるという事を忘れてしまったかのようだった。富樫家に仕えてくれと頼んでみても、すでに、本願寺の坊主として阿弥陀如来様に仕えている。今更、武士に戻って富樫家に奉公するつもりはないと、あっさりと断られた。ただし、わしらは守護に敵対するつもりはさらさらない、ともきっぱりと言った。
守護に敵対しないと言った二人の言葉は、充分に信じられるものと見た鏑木兵衛尉は、その事を守護代槻橋に伝えたが、槻橋はそれだけでは満足しなかった。槻橋は内密に、安吉源左衛門と笠間兵衛の二人を事故のように見せかけて暗殺するように命じて来た。
鏑木兵衛尉は断ったが、槻橋は、兵衛尉が断れば、伜の右衛門尉に命じると言って来た。右衛門尉はお屋形様の義理の兄上に当たるお人だ。お屋形様のためになる事なら断る事はあるまい、と兵衛尉を威(オド)して来た。伜に、そんな汚い仕事をさせるわけには行かなかった。
仕方なく、兵衛尉は引き受けた。それにしても槻橋のやり方は汚かった。前回の不意討ち、そして、今回の闇討ち。たとえ、お屋形様のためとはいえ卑劣なやり方だった。
闇討ちを引き受けた兵衛尉は、松任城に帰ると何日かの間、部屋に籠もったまま考え事をしていたが、何を思ったのか、供も連れずに城を出ると本誓寺に向かった。
兵衛尉は長い事、考え続け、本願寺の法主である蓮如に一度、会ってみようと決心をした。安吉にせよ、笠間にせよ、守護である富樫家の被官になるよりも、本願寺の坊主を選んだのは、なぜなのか。その事が兵衛尉には理解できなかった。
蓮如という男の噂は聞いているが、まだ、この目で見た事はない。守護代の槻橋のやり方は、完全に本願寺を敵として見ている。槻橋のそのやり方は気に入らないが、この先、守護側でいるとなれば、敵の親玉を見ておく必要があった。どうしても一度は会わなければならないと決めた兵衛尉は、突然、訪ねて行っても会ってはくれないだろうと思い、本誓寺の住職、憲誓(ケンセイ)に紹介状を頼みに来たのだった。
兵衛尉は憲誓に安吉や笠間から聞いた蓮如の話をし、それが本当なら自分も本願寺の門徒になりたいと言い、蓮如に会うための紹介状を頼んだ。憲誓は喜んで紹介状を書いてくれた。
その日から三日後、吉崎御坊の書院の一室に、蓮如と対座する鏑木兵衛尉の姿があった。蓮如の話を聞いているうちに、兵衛尉はすっかり蓮如の虜(トリコ)になってしまっていた。蓮如の口から出る言葉は、すべて、蓮如自身の体の一部であるかのような重みがあった。しかし、その重みというのは人を威圧するような所はなく、聴いている者たちを優しく包み込むような大きな心を感じさせた。
それは蓮如自身の魅力であった。これだけ本願寺が栄えたのは、蓮如による組織作りと、その組織を利用して配った『御文』であったが、何よりも、法主である蓮如という人格に惹かれ、蓮如に帰依(キエ)した他宗の坊主や武士たちが多かったためであった。
鏑木兵衛尉は、蓮如に会ったその日のうちに蓮如に帰依し『徳善(トクゼン)』という法名を貰った。まったく、予想もしてない展開だった。後先の事も何も考えずに蓮如に帰依してしまった。自分が本願寺の門徒となった事により、富樫次郎の姉婿となっている息子を苦しい立場に追い込む結果となってしまったが仕方のない事だった。
徳善となった鏑木兵衛尉は後悔はしていなかったが、これからどうしたらいいのか、改めて、考え直さなくてはならなかった。
蓮如は、徳善が門徒になった事によって難しい立場に立たなければならない、という事を理解し、何か困った事があれば執事の蓮崇に相談してみるがいい、と言った。
徳善も蓮崇の名は耳にした事があった。蓮如に最も信頼されている人物で、しかも、戦になれば軍師をも勤めると言われている男だった。せっかく、ここまで来たのだから、その男に会わない手はないと、さっそく、蓮崇の多屋に向かった。
蓮崇の多屋には、越中から戻って来た慶覚坊と和田長光坊がいた。
長光坊の兄は越前本覚寺(ホンガクジ)蓮光だった。本覚寺と超勝寺は共に越前にあり、去年の戦の前は共に協力して事に当たっていた。戦の時、超勝寺の定善坊が英雄的な死を遂げたため、超勝寺の兄弟は調子に乗って、蓮崇と対立するようになって行った。吉崎御坊の多屋衆は二つに分かれるという事になって行ったが、本覚寺は蓮如が吉崎に進出して以来、ずっと蓮崇派だった。
超勝寺を後ろで操っているのは、二年前に蓮如によって超勝寺の住職の座を降ろされ、隠居させられた定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)だった。その事は蓮崇も気づいてはいても気に掛けないようにしていた。
巧遵は一門の身でありながら蓮如の教えに背き、本堂に歴代住職の連座像を掲げ、上段の間にふんぞり返るように坐って、門徒たちと共に酒を飲み交わしていたという。その場を蓮如に見られて言い訳もできず、すぐ、その場で、まだ九歳だった長男に住持職を譲り、隠居させられた。巧遵は、あの場に突然、蓮如が現れたのは、蓮崇が陰口を利いたせいだと思っているが、蓮崇にそんな覚えはまったくなかった。
鏑木兵衛尉は蓮崇と慶覚坊と長光坊に歓迎された。
蓮崇も慶覚坊も長光坊も、今回の戦の事には一切触れず、蓮如の事について色々な話をしてくれた。兵衛尉は三人に誘われるまま、共に酒を飲み交わし、煩(ワズラ)わしい事をすべて忘れて楽しい一時を過ごした。
次の日、兵衛尉は蓮崇に、守護代の槻橋近江守が次に狙っているのは手取川だと告げ、吉崎を後にした。
24.五月雨1
1
新緑の季節となり、陽気もよくなった。
その陽気に誘われて、つい、フラフラとどこかに行きたくて、イライラしている男が吉崎にいた。上人様と呼ばれている蓮如であった。
ただ、布教の旅に出るのなら慶聞坊(キョウモンボウ)を連れて行けばいいのだが、蓮如が行きたいのは布教の旅ではなかった。蓮如は去年、未完成のまま放ってある本泉寺の庭園を、どうしても早いうちに完成させたかった。本泉寺の庭園造りの事は吉崎の者は誰も知らなかったし、戦騒ぎのあった北加賀に行くと言えば、止められる事は分かっている。止められる事も分かっているし、庭園造りなどしている時ではない、という事も分かっているが、蓮如はなぜか、今年のうちに完成させなければならない、という焦りのようなものを感じていた。
蓮如が北陸の地に来て四年が経ち、加賀の国を中心に本願寺の教えは予想以上に広まって行った。しかし、加賀の国に浄土が出現したかというと、出現したのは戦という地獄だった。そして、一度、始まってしまった戦の火は陰でくすぶったまま消える気配はない。そろそろ、この地を離れなければならなくなるかもしれないと蓮如は感じていた。離れる前に、庭園だけは完成させたかった。布教も失敗、庭園も未完成では、この地を離れるにしても後味が悪かった。
蓮如が毎日、イライラしていたのは、本泉寺まで共に行ってくれるはずの風眼坊が、戦の前線に負傷者の手当に行ったまま、なかなか戻って来ないからだった。
そんな風眼坊が疲れた顔をして戻って来たのは四月の十二日だった。
蓮如のもとに挨拶に来た風眼坊とお雪の顔を見ると、蓮如は急にニコニコして二人を迎えた。そして、風眼坊の耳元で、本泉寺行きを囁いた。風眼坊は、一日、ゆっくり休ませてくれと頼み、蓮如は、勿論じゃ、ゆっくり休んでからでいいと言ったが、心はすでに本泉寺にあった。
次の日、松任(マットウ)城の鏑木兵衛尉(カブラギヒョウエノジョウ)が蓮如を訪ねて来た。蓮如は上機嫌で鏑木と対面した。この日、兵衛尉は本願寺門徒となった。
そして、次の日、留守を頼むため、妻の如勝と蓮崇と慶聞坊の三人だけに行き先を告げた。慶聞坊は一緒に行くと言い張った。蓮如も負けて、慶聞坊も一緒に行く事となった。
蓮如は庭師の格好になり、慶聞坊も職人姿になり、風眼坊とお雪を連れて、ひそかに吉崎を抜け出した。忙しい旅になりそうだった。二十五日の講会(コウエ)には戻って来なければならないので、十日余りしかなかった。
一行は船に乗って出掛けた。そして、本泉寺に着くと休む間もなく、庭石を捜すため山に入った。蓮如が入ると言った山、医王山(イオウゼン)は女人禁制(ニョニンキンゼイ)の山だったため、お雪は本泉寺に置いて行く事となった。いつもなら、一緒に行くと駄々をこねるお雪も、長い船旅で気分が悪かったため文句も言わずに素直に従った。
蓮如は慶聞坊を連れ、風眼坊を道案内に医王山に入った。蓮如は風眼坊に、とにかく東に向かってくれと言った。すでに、いい庭石をこの山の中で見つけてあるのだろうと風眼坊は思い、蓮如の言う通り東へと向かった。
東に向かって歩いているうちに山の尾根に出た。すでに、加賀と越中の国境であった。蓮如はさらに東に行けと言った。さらに進み、山の中から砺波平野が見える頃になって、ようやく、風眼坊は蓮如の行き先が分かった。蓮如は初めから庭石を捜すためではなく、越中に追い出された門徒の事を心配して瑞泉寺を訪れようとしていたのだった。
三人は砺波平野をさらに東へと向かった。
瑞泉寺に着いたのは日の暮れる少し前だった。
瑞泉寺には木目谷の高橋新左衛門と湯涌谷の石黒孫左衛門の二人が、瑞泉寺の南の地に仮小屋を建てて暮らしていた。彼らが越中に来て、すでに一月が過ぎていた。
五千人余りもいた加賀からの敗戦兵と避難民は、二千人近くの者が加賀に戻っていた。加賀に戻った兵たちは善福寺、浄徳寺、聖安寺、河北潟、犀川上流、倶利伽羅(クリカラ)などに分散して再起を狙っていた。越中に残っていたのは湯涌谷、木目谷の避難民二千人近くと、兵一千五百人近くが、砂子坂の近くの土山(ドヤマ)坊と松寺の永福寺、井波の瑞泉寺の三ケ所に分散していた。
瑞泉寺には高橋新左衛門と石黒孫左衛門の他、六百の兵と六百の避難民が生活していた。避難生活も一月になり、毎日、ブラブラしているわけにも行かず、働ける者は日雇いとして田畑や山や川に出掛けていた。それらの働き先は皆、越中の門徒たちのもとであった。
蓮如は今回、内密に来たため、瑞泉寺の蓮乗のもとには寄らず、直接、避難小屋の方に向かった。風眼坊は吉崎から来た医者という触れ込みで、高橋と石黒に面会を求めた。入り口を守っていた門徒はうさん臭そうな顔をして、風眼坊と蓮如と慶聞坊の三人を見ていたが、しぶしぶ案内してくれた。
避難所には柱に屋根を載せただけの粗末な小屋がいくつも建ち、門徒たちが苦しい避難生活を送っていた。幸いに最低限の食べ物だけは越中の門徒たちの好意によって、毎日、届けられていた。しかし、人数が多すぎた。いつまで続くか分からなかった。
三人は小屋の建ち並ぶ中を抜けて、少し広くなった所に出た。三人を珍しがって子供たちが騒ぎながら集まって来た。
風眼坊は回りの小屋を見回していた。負傷者や病人が何人もいるように思えた。山伏をやめて医者になってから、世の中を見る目が自然と変わって来ていた。今まで山伏だった時も負傷者や病人の治療はした。しかし、それは生きて行くための手段に過ぎなかった。旅を続ける途中、銭が無くなった時に銭を稼ぐつもりで治療をしていた。ところが、今はそうではなかった。食うためではなく、お雪ではないが、自分がしなければならないという使命感というものを感じていた。自分でも不思議に思う程だが、負傷者や病人を目の前にして治療せずにはいられなかった。風眼坊はもう山伏ではなく、完全に医者に成り切っていた。その医者の目で、風眼坊は小屋の中の負傷者や病人たちを見ていた。
三人は広場の右側にある他の小屋より一回り大きく、筵で囲われた小屋の中に入れられた。そこには何も無く、誰もいなかったが、正面に『南無阿弥陀仏』と書かれた掛軸が掛けられてあり、道場のようだった。
蓮如はその掛軸を見ながら小さな声で念仏を唱えた。
やがて、高橋新左衛門が一人で現れた。
「吉崎から来た医者じゃとな、丁度、いい所に来たわ。さすが、上人様じゃ。わしらの気持ちを遠く吉崎の地におられながら、ちゃんと御存じでいらっしゃる」
そう言いながら、新左衛門は入って来ると、三人を見た。
「三人共、医者な‥‥‥」と新左衛門の会話は途中で止まり、蓮如の顔をまじまじと見つめた。「上人様‥‥‥上人様ではありませんか‥‥‥それに、慶聞坊殿も‥‥‥一体、これはどうした事です‥‥‥」
「内緒じゃ」と蓮如は言った。「今回、わしがここに来たのは内密じゃ。誰にも言わんでくれ」
「しかし‥‥‥石黒には知らせても構わんでしょう」
「ああ、二人だけの秘密にしてくれ。今のわしはただの庭師じゃ」
「庭師?」
「ああ、庭師じゃ。だが、このお人は本物の医者じゃ」
高橋は風眼坊の方を見た。
「風眼坊です」
「風眼坊殿ですか、助かります。ここには怪我人や病人が、かなりおります。ろくに薬も無いため、皆、弱っております。すみませんが診てやって下さい」
「分かりました。早速、診る事にしましょう」
「そいつは有り難い。今、わしの娘を連れて来ます。今、その娘が中心になって怪我人の手当をしておりますので、何なりと手伝わせてやって下さい」
新左衛門は土間の上に筵を敷き、坐って待っていてくれと言うと道場から出て行った。
「あの人は?」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。
「高橋新左衛門殿と言って、浅野川の中流にある木目谷の国人門徒です。もう、古くから、本泉寺の熱心な門徒です」
「ほう、国人門徒ですか‥‥‥」
「国人と言っても、ただの武士ではありません。浅野川の川の民の頭のような存在です」
「ほう、川の民の頭か‥‥‥頭がこんな所におったのでは浅野川も大変じゃのう」
「多分、川による運送はかなり減っておるでしょう。浅野川流域に住んでおる者たちは、さぞ困っておる事でしょう」
新左衛門は石黒孫左衛門と娘を連れて戻って来た。
風眼坊は娘に案内されて道場から外に出た。娘に案内されて行った所は道場とは反対側の小屋だった。広場を挟んで道場と反対側に大きな台所があり、その裏に小屋がずらりと並んでいる。その中に重症の負傷者ばかり集めた小屋と重病患者を集めた小屋があった。
風眼坊は娘に、どんな薬があるか聞いた。娘はあるだけの薬を見せてくれたが、大した薬はなかった。
「瑞泉寺の門前には薬屋は無いのか」と風眼坊は聞いた。
「あります。ありますが薬を買うお代がありません」
「瑞泉寺は出してくれんのか」
「言えば出してくれるとは思いますが、食べ物のお世話になっているのに、それ以上の事は言えません」
「そうか‥‥‥」
娘の名はおさこと言い、新左衛門の長女で、先月の戦で夫を亡くしていた。八歳になる女の子と五歳になる男の子がいたが、男の子は敵兵から逃げる途中、足を滑らして転び、打ち所が悪かったとみえて、次の日、湯涌谷において急に頭が痛いと泣き出し、そのまま亡くなってしまった。
おさこは夫と息子を亡くした衝撃で、しばらく寝込んでいたが、また、敵が攻めて来たため、慌てて娘の手を引きながら越中へと逃げて来た。越中に逃げて来てからも、衝撃から立ち直れず、毎日、ふさぎ込んでいた。父親の新左衛門から怪我人たちの面倒を見てくれと頼まれても、自分の気持ちも押えられないのに怪我人の面倒なんか見られないと断った。お前しか頼める者がいないと言われ、仕方なく怪我人の面倒を見始めた。
怪我人の面倒をみているうちに、いつまでも、めそめそしてはいられない、強く生きなければ、と思うようになり、ようやく、立ち直る事ができた。立ち直る事はできたが、自分で歯痒く思う程、怪我人の治療は充分にできなかった。
風眼坊は怪我人を一人一人見て回り、隣の小屋に行って、病人も一人一人見て回った。
「どうでしょうか」とおさこは聞いた。
「うむ。薬によって治る者もおるが、すでに手遅れの者もおる」
「手遅れの者も‥‥‥」
「とにかく、全力を尽くす事じゃ」
風眼坊は道場に戻り、蓮如に一筆を書いて貰うと、おさこを連れて瑞泉寺に向かった。
瑞泉寺の蓮乗に蓮如の書状を見せ、銭を借りると薬屋に向かった。
蓮如が本泉寺に向かうと、吉崎にいた蓮崇は待っていましたと行動を開始した。
湯涌谷を占領している山之内衆を何とかしなければならなかった。この先、守護側に山之内衆が付いているとすれば、本願寺側は大分、不利だった。
山之内衆は手取川上流を本拠にする山之内八人衆と呼ばれる八人の国人たちの連合だった。その八人の国人たちが率いているのは、当然、山伏も含む山の民である。彼らの兵力は、はっきりと把握できない。五千はいると見られているが、もしかしたら、一万近くいるのかもしれなかった。山之内衆は古くより白山と関係あり、八人衆と呼ばれる国人たちは、元をただせば白山本宮と中宮の神主(カンヌシ)の一族だった。
本宮と中宮は同じ白山衆徒でありながら、年中、争っていた。本宮は叡山の寺門派(園城寺)と手を結び、中宮は山門派(延暦寺)と手を結んでいた。その争いの中心になって戦っていたのが山之内衆で、その争いのお陰で、勢力を強めて行ったのが八人衆と呼ばれる国人たちだった。
彼らは初めの頃は、本宮、中宮に従って争いを繰り返していたが、やがて、本宮、中宮に利用され、常に痛い目に合っているという愚に気づき、お互いに手を結んだ。国人たちが力を持って行くのと反比例するように旧勢力である白山の力は弱まって行った。山之内衆が一つにまとまり、本宮、中宮に反抗するようになった時、すでに、本宮、中宮には彼らに対抗するだけの力はなかった。
かつて、加賀、飛騨、越前の三国にまたがり、絶大な勢力を誇っていた白山も、時の流れには逆らえず、新しい勢力の顔色を窺って、事に対処しない事には存続して行く事も危ない時期にまで来ていた。
山之内衆は本宮と中宮に反抗したと言っても、それは、本宮と中宮が争う時、その戦に参加しないという事であって、依然、白山の衆徒には違いなかった。彼らの本拠地である山之内庄は白山禅定道(ゼンジョウドウ、登山道)に沿っていて、白山信仰に依存していた。彼らにとって白山に登る信者たちが落として行く銭は重要な財源であった。彼らは、岩本宮、金剣宮、本宮、三宮(サンノミヤ)、別宮、佐羅宮、中宮を中心に、幾つもの宿坊を経営して多くの山伏を抱え、山伏たちは各地の信者たちの家々を巡って、お札(フダ)を配ったり、薬を売り歩いたりしていた。
本願寺がこの地に教えを広めなかったのは、白山を刺激しないためだったが、山之内衆が守護側に付くとなると話は別だった。何とかして守護と切り放さなければならない。本願寺の門徒にならないにしろ、守護と本願寺の争いに首を突っ込まないようにしてもらわなければならなかった。
蓮崇はいつもの二人の供を連れ、馬に乗って軽海から三坂峠を越えて別宮に出た。手取川の支流、大日川に沿って下り、大日川が手取川と分かれる地、河合へと向かった。
山之内八人衆の頭領である河合藤左衛門の屋敷は、西側の山に張り付くように建っていた。深い空濠と土塁に囲まれ、門の側に高い見張り櫓が建ち、弓を構えた兵が蓮崇たちを見下ろしていた。
蓮崇は馬から下りると門番に、河合藤左衛門の面会を求めた。
蓮崇と藤左衛門は蓮台寺城攻めの時の松岡寺での軍議の時、面識があった。特に話をしたわけではなかったが、面会を断る事はないだろうと思った。ただ、山之内衆は守護に味方して本願寺門徒の湯涌谷衆を越中に追いやっている。もし、このまま山之内衆が本願寺に敵対するつもりでいた場合、蓮崇の身に危険が迫る可能性もあったが、蓮崇が見た所、山之内衆が本願寺に敵対するとは思えなかった。
山之内衆というのは手取川上流を本拠地に持つ国人たちの連合である。国人たちというのは自分たちの土地を保証して貰うために守護の被官となる。しかし、山之内衆はわざわざ守護に保証して貰わなくても、しっかりと土地に根を張り、一種の独立国のように、その土地を支配していた。山之内衆が守護の被官になるという事は考えられなかった。今回、守護側に付いたのは湯涌谷を与えるとの約束があったからだろうと蓮崇は思っていた。
蓮崇たちは、しばらく遠侍(トオザムライ)で待たされた後、塀で仕切られた庭園の方に連れて行かれた。広い庭園内には猿楽(サルガク)の舞台があり、池があり、池に面して小さな離れが建っていた。その離れの中で河合藤左衛門は一人で待っていた。
蓮崇の顔を見ると藤左衛門は懐かしい友と再会でもしたような笑顔で迎えた。
「お久し振りですな。ようこそ、こんな山の中まで」
「はい。お久し振りです」
「きっと、そなたが来るだろうと思っておりました」
「さようですか‥‥‥わたしが来る事が分かっておりましたか‥‥‥」
「まあ、お上がり下さい。見た通り、この庭には誰もおらん。もし、よろしければ、供の方はあちらの東屋(アズマヤ)で待っていて貰いたいのですが‥‥‥二人きりで腹を割って話したいのじゃが」
「分かりました」
蓮崇は供の者を東屋の方にやって、離れに上がった。
「この辺りもなかなか、いい所でしょう」と藤左衛門は聞いた。
蓮崇は回りを見回しながら頷いた。「結構な所です。こんな所で、のんびりと暮らせたら最高でしょう」
「のんびりできれば最高でしょうな‥‥‥蓮崇殿、そろそろ本題に移りますか。蓮崇殿がわざわざ来られたのは湯涌谷の事でしょう。分かっております。わしらは本願寺に敵対するつもりはなかったが、ああいう結果になってしまった。今更、何を言っても始まらんが、わしら山之内衆は何を決めるにも、八人の寄り合いによって決めるんじゃ。今回の事もそうじゃった。わしら八人共、本願寺に敵対するつもりはないと言う事は、はっきりしておる。ただ、わしらには土地がなかった。わしらは昔から狭い土地にすがって生きて来た。それでも、生きて来られたのは白山のお陰と言えた。白山の信者たちによって、わしらは生きて来られた。しかし、最近、加賀の国が戦続きのお陰で、お山に登る信者の数は激減して行った。時の流れというものじゃろう。わしらも平野に進出する事を考えた。しかし、山で育って来たわしらには平野に出て行く事には抵抗があるんじゃ。怖いのかも知れん。そんな時、守護から湯涌谷の話が来た。勝てる自信はあった。湯涌谷衆が本願寺門徒だという事は知っていた。しかし、背に腹は返られなかった。わしらは湯涌谷を攻めた‥‥‥」
「河合殿、はっきり申します。湯涌谷を返して貰うわけにはいきませんか」
「すまんが、それは無理じゃのう。わしの一存では決められんし、一度、新天地に移った者共を、また、部屋住みの厄介者(ヤッカイモノ)に戻すわけにもいかん」
「分かりました。湯涌谷の事はひとまず諦めましょう。ただ、この先、本願寺と守護との争いは続く事と思います。山之内衆としては、その争い事に干渉しないで貰いたいのですが、いかがでしょうか」
「それはできるじゃろう。山之内衆としては、どちらにも義理はないし、どちらに味方しても得る物は何もない。どちらかが、わしらを攻めて来ない限り、その事は守れるじゃろう」
「助かります。ただ、湯涌谷にいる山之内衆の事までは、わしにも責任はもてません。湯涌谷衆は今、越中に避難しておりますが、彼らはやはり、湯涌谷を取り戻そうとするでしょう。湯涌谷は彼らが代々暮らして来た場所です。簡単には諦める事はできないでしょう」
「うむ。そうじゃろうのう」
「もし、湯涌谷衆が湯涌谷を攻めたらどうします。助けに行きますか」
「多分、行くじゃろうのう。身内がやられるのを黙って見ておる事もできまい」
「そうなると、まずい事になります」
「仕方あるまい」
蓮崇は藤左衛門から視線をはずして庭園を眺めた。しばし、無言の後、「河合殿、本願寺の門徒になる気はありませんか」と聞いた。
「門徒になって、何の得がある」
「わしが言うべき事ではありませんが、国人が門徒になる事によって得る利益は、相当なものと言えます。河合殿も御存じの通り、本願寺は布教のための組織を持っております。その組織を利用して、昨年の合戦の時、あれだけの兵を集めました。本願寺の組織は、そのまま兵力として使えるのです。すでに国人門徒たちは、その組織を利用して自らの勢力を広げて来ております。この手取川の下流にいる安吉殿や笠間殿が、そのいい例です。彼らは本願寺の組織を利用して、手取川流域の河原者たちを完全に一つにまとめてしまいました」
「その事はわしも知っておる。しかし、それが本願寺の組織を利用したとは知らんかったわ。もう少し詳しく教えてくれんか」
「彼らはまず、本願寺の門徒となり、教えをきっちりと身に付け、坊主になります。坊主になれば道場を建て、門徒たちに教えを説く事ができ、また、弟子を作る事もできます。彼らは自分の弟子を目当ての荘園に送り込んで、そこの百姓たちに教えを説き、門徒とします。一度、門徒になってしまえば、その門徒も本願寺の組織の一員という事になります。門徒となった百姓たちは、後ろに本願寺が付いておるという事で強きになり、平気で荘官と対立します。百姓と荘官が対立を始めたら、門徒を助けろ、とその荘園に兵を入れ、武力を持って荘官を倒してしまうのです。倒された荘官は荘園を横領されたと言って、本所(領主)に伝えるでしょう。本所は幕府に訴え、幕府は守護に訴えるでしょう。しかし、その前に本所のもとに使いを送り、正式に荘官になってしまえばいいのです。本所としては荘官が誰であろうと、年貢さえ送ってやれば文句はありません。御存じの通り、今の荘園は本所に送るべき年貢を取る土地というのは、ほんの一部に過ぎません。後の土地は皆、在地の荘官が支配している土地です。その土地が、そっくり手に入るというわけです」
「そう、うまい具合に行くものかのう。信じられんのう」
「応仁の乱以降、はっきり言って幕府の力は地に落ちておると言ってもいいでしょう。国人たちによる荘園の横領はいたる所で起きております。横領を取り締まるべき立場にいる守護でさえ、堂々と荘園を横領しておるのです」
「そいつは、本当の事か」
「はい。本当です。富樫次郎殿は今回、木目谷を攻めるにあたって『荘園を横領する者を退治する』という名目を掲げましたが、富樫氏自身が、今まで荘園の横領をやって来て、大きくなったようなものです。今時、そんなお題目を掲げて、戦をする事自体が時代遅れもいいとこです」
「まあ、それは言えるのう。わしらの土地も元はと言えば、白山寺の荘園だったんじゃからのう」
「わたしは吉崎に来る前、三年近く、近江におりましたが、六角氏が荘園を横領するのを何度も耳にしました。有力寺院の荘園は元より、将軍様の奉公衆の荘園まで平気で横領しておりました。将軍様が何と言おうと言う事なんか全然、聞きません。京の近くの近江でさえ、そんな有り様です。まして、京から離れた地においては、幕府の言う事を聞く者など、ほとんど、いなくなっておると言ってもいいでしょう」
「うむ、成程のう。確かに世の中は変わっておるんじゃのう。わしらも、いつまでも、こんな山の中に籠もっておったのでは世の中から取り残されてしまうわ。本願寺の門徒か‥‥‥考えてみる価値はありそうじゃのう。ただ、本音を聞かせてくれんか。本願寺はこの先、守護とどうやって行くつもりなんじゃ」
「本音をずばり言いいますと、守護の富樫殿は倒します」
「なに、守護を倒す?」
「はい。守護を倒し、この加賀の国を本願寺の持つ国にいたします」
「できるのか」
「今、すぐには無理です。本願寺の組織を作り直さなくてはなりません。しかし、やがて、守護は本願寺に倒される事となるでしょう」
「うむ。そこまで、考えておったのか‥‥‥守護を倒すか‥‥‥」
「そんな事はできないとお思いですか」
「いや、この前の蓮台寺城の時のように、できない事はないじゃろう。前回のように門徒が一つになればじゃ」
「はい。多分、一つになるでしょう」
「多分のう‥‥‥そなたは恐ろしい男じゃのう。守護を倒す事をたくらむとはのう」
「わたしがたくらむのではありません。時の流れというものです。時が来れば自然と古い物は新しい物と変わらなければなりません」
「時の流れか‥‥‥蓮崇殿、そなたの話はよく分かった。本願寺の門徒となるという事は考えてみよう」
「お願いいたします。山之内衆が門徒となってくれれば、湯涌谷の事もうまくまとまるかもしれません」
「うむ」
「それでは、今日の所はこれで失礼いたします」
蓮崇は藤左衛門に頭を下げると離れから出た。
「蓮崇殿、守護側がそなたの事を狙っておる。気を付けなさるがいい」
「守護が、わたしを?」
「ああ。守護側では、そなたが本願寺の軍師だと思っておる。そなたがいなくなれば本願寺の力は半減すると思っておる。すでに、刺客が動いておるかもしれん。気を付けなさるがいい」
「分かりました。気を付けます」
蓮崇は河合藤左衛門屋敷を出て、山之内庄のはずれに建つ鮎滝坊(アユタキボウ)に向かった。
鮎滝坊は蓮綱がその土地の国人、二曲(フトウゲ)氏を門徒にして開いた道場であった。二曲氏も山之内八人衆の一人であり、山之内庄内唯一の国人門徒だった。二曲氏は当然、湯涌谷襲撃の件に関して反対したが、合議制によって事を決める掟によって、たった一人だけで反対しても無駄に終わってしまった。
蓮崇は鮎滝坊にて二曲右京進(ウキョウノシン)と会い、河合との会見の事を話して、山之内衆を本願寺門徒にするための協力を頼んだ。その晩は右京進の屋敷に世話になり、次の日の朝早くに吉崎に帰った。
守護側が自分の命を狙っているというのは驚きだった。
わしなんかを殺すために刺客まで放っているという。この前、軽海の守護所に山川三河守を訪ねた時、三河守はそんな素振りのかけらも見せなかった。しかし、三河守という男は油断のならない男だった。裏では刺客を放ち、表では本願寺と仲良くやろう、と平気で言いそうな男だった。命を狙われているとなると、これからは少しの油断もできなかった。恐ろしいと思う反面、自分も命を狙われる程の男になったのだ、という満足感もあった。
蓮崇は馬に揺られながら常に回りを気にしていた。特に、軽海の町中を通る時には、ちょっとした事にも脅えながら馬に揺られていた。
軽海の町中で、超勝寺の定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)の姿がチラッと目に入ったのが気になったが、そのまま無事に軽海を抜け、吉崎へと向かった。
瑞泉寺には木目谷の高橋新左衛門と湯涌谷の石黒孫左衛門の二人が、瑞泉寺の南の地に仮小屋を建てて暮らしていた。彼らが越中に来て、すでに一月が過ぎていた。
五千人余りもいた加賀からの敗戦兵と避難民は、二千人近くの者が加賀に戻っていた。加賀に戻った兵たちは善福寺、浄徳寺、聖安寺、河北潟、犀川上流、倶利伽羅(クリカラ)などに分散して再起を狙っていた。越中に残っていたのは湯涌谷、木目谷の避難民二千人近くと、兵一千五百人近くが、砂子坂の近くの土山(ドヤマ)坊と松寺の永福寺、井波の瑞泉寺の三ケ所に分散していた。
瑞泉寺には高橋新左衛門と石黒孫左衛門の他、六百の兵と六百の避難民が生活していた。避難生活も一月になり、毎日、ブラブラしているわけにも行かず、働ける者は日雇いとして田畑や山や川に出掛けていた。それらの働き先は皆、越中の門徒たちのもとであった。
蓮如は今回、内密に来たため、瑞泉寺の蓮乗のもとには寄らず、直接、避難小屋の方に向かった。風眼坊は吉崎から来た医者という触れ込みで、高橋と石黒に面会を求めた。入り口を守っていた門徒はうさん臭そうな顔をして、風眼坊と蓮如と慶聞坊の三人を見ていたが、しぶしぶ案内してくれた。
避難所には柱に屋根を載せただけの粗末な小屋がいくつも建ち、門徒たちが苦しい避難生活を送っていた。幸いに最低限の食べ物だけは越中の門徒たちの好意によって、毎日、届けられていた。しかし、人数が多すぎた。いつまで続くか分からなかった。
三人は小屋の建ち並ぶ中を抜けて、少し広くなった所に出た。三人を珍しがって子供たちが騒ぎながら集まって来た。
風眼坊は回りの小屋を見回していた。負傷者や病人が何人もいるように思えた。山伏をやめて医者になってから、世の中を見る目が自然と変わって来ていた。今まで山伏だった時も負傷者や病人の治療はした。しかし、それは生きて行くための手段に過ぎなかった。旅を続ける途中、銭が無くなった時に銭を稼ぐつもりで治療をしていた。ところが、今はそうではなかった。食うためではなく、お雪ではないが、自分がしなければならないという使命感というものを感じていた。自分でも不思議に思う程だが、負傷者や病人を目の前にして治療せずにはいられなかった。風眼坊はもう山伏ではなく、完全に医者に成り切っていた。その医者の目で、風眼坊は小屋の中の負傷者や病人たちを見ていた。
三人は広場の右側にある他の小屋より一回り大きく、筵で囲われた小屋の中に入れられた。そこには何も無く、誰もいなかったが、正面に『南無阿弥陀仏』と書かれた掛軸が掛けられてあり、道場のようだった。
蓮如はその掛軸を見ながら小さな声で念仏を唱えた。
やがて、高橋新左衛門が一人で現れた。
「吉崎から来た医者じゃとな、丁度、いい所に来たわ。さすが、上人様じゃ。わしらの気持ちを遠く吉崎の地におられながら、ちゃんと御存じでいらっしゃる」
そう言いながら、新左衛門は入って来ると、三人を見た。
「三人共、医者な‥‥‥」と新左衛門の会話は途中で止まり、蓮如の顔をまじまじと見つめた。「上人様‥‥‥上人様ではありませんか‥‥‥それに、慶聞坊殿も‥‥‥一体、これはどうした事です‥‥‥」
「内緒じゃ」と蓮如は言った。「今回、わしがここに来たのは内密じゃ。誰にも言わんでくれ」
「しかし‥‥‥石黒には知らせても構わんでしょう」
「ああ、二人だけの秘密にしてくれ。今のわしはただの庭師じゃ」
「庭師?」
「ああ、庭師じゃ。だが、このお人は本物の医者じゃ」
高橋は風眼坊の方を見た。
「風眼坊です」
「風眼坊殿ですか、助かります。ここには怪我人や病人が、かなりおります。ろくに薬も無いため、皆、弱っております。すみませんが診てやって下さい」
「分かりました。早速、診る事にしましょう」
「そいつは有り難い。今、わしの娘を連れて来ます。今、その娘が中心になって怪我人の手当をしておりますので、何なりと手伝わせてやって下さい」
新左衛門は土間の上に筵を敷き、坐って待っていてくれと言うと道場から出て行った。
「あの人は?」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。
「高橋新左衛門殿と言って、浅野川の中流にある木目谷の国人門徒です。もう、古くから、本泉寺の熱心な門徒です」
「ほう、国人門徒ですか‥‥‥」
「国人と言っても、ただの武士ではありません。浅野川の川の民の頭のような存在です」
「ほう、川の民の頭か‥‥‥頭がこんな所におったのでは浅野川も大変じゃのう」
「多分、川による運送はかなり減っておるでしょう。浅野川流域に住んでおる者たちは、さぞ困っておる事でしょう」
新左衛門は石黒孫左衛門と娘を連れて戻って来た。
風眼坊は娘に案内されて道場から外に出た。娘に案内されて行った所は道場とは反対側の小屋だった。広場を挟んで道場と反対側に大きな台所があり、その裏に小屋がずらりと並んでいる。その中に重症の負傷者ばかり集めた小屋と重病患者を集めた小屋があった。
風眼坊は娘に、どんな薬があるか聞いた。娘はあるだけの薬を見せてくれたが、大した薬はなかった。
「瑞泉寺の門前には薬屋は無いのか」と風眼坊は聞いた。
「あります。ありますが薬を買うお代がありません」
「瑞泉寺は出してくれんのか」
「言えば出してくれるとは思いますが、食べ物のお世話になっているのに、それ以上の事は言えません」
「そうか‥‥‥」
娘の名はおさこと言い、新左衛門の長女で、先月の戦で夫を亡くしていた。八歳になる女の子と五歳になる男の子がいたが、男の子は敵兵から逃げる途中、足を滑らして転び、打ち所が悪かったとみえて、次の日、湯涌谷において急に頭が痛いと泣き出し、そのまま亡くなってしまった。
おさこは夫と息子を亡くした衝撃で、しばらく寝込んでいたが、また、敵が攻めて来たため、慌てて娘の手を引きながら越中へと逃げて来た。越中に逃げて来てからも、衝撃から立ち直れず、毎日、ふさぎ込んでいた。父親の新左衛門から怪我人たちの面倒を見てくれと頼まれても、自分の気持ちも押えられないのに怪我人の面倒なんか見られないと断った。お前しか頼める者がいないと言われ、仕方なく怪我人の面倒を見始めた。
怪我人の面倒をみているうちに、いつまでも、めそめそしてはいられない、強く生きなければ、と思うようになり、ようやく、立ち直る事ができた。立ち直る事はできたが、自分で歯痒く思う程、怪我人の治療は充分にできなかった。
風眼坊は怪我人を一人一人見て回り、隣の小屋に行って、病人も一人一人見て回った。
「どうでしょうか」とおさこは聞いた。
「うむ。薬によって治る者もおるが、すでに手遅れの者もおる」
「手遅れの者も‥‥‥」
「とにかく、全力を尽くす事じゃ」
風眼坊は道場に戻り、蓮如に一筆を書いて貰うと、おさこを連れて瑞泉寺に向かった。
瑞泉寺の蓮乗に蓮如の書状を見せ、銭を借りると薬屋に向かった。
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蓮如が本泉寺に向かうと、吉崎にいた蓮崇は待っていましたと行動を開始した。
湯涌谷を占領している山之内衆を何とかしなければならなかった。この先、守護側に山之内衆が付いているとすれば、本願寺側は大分、不利だった。
山之内衆は手取川上流を本拠にする山之内八人衆と呼ばれる八人の国人たちの連合だった。その八人の国人たちが率いているのは、当然、山伏も含む山の民である。彼らの兵力は、はっきりと把握できない。五千はいると見られているが、もしかしたら、一万近くいるのかもしれなかった。山之内衆は古くより白山と関係あり、八人衆と呼ばれる国人たちは、元をただせば白山本宮と中宮の神主(カンヌシ)の一族だった。
本宮と中宮は同じ白山衆徒でありながら、年中、争っていた。本宮は叡山の寺門派(園城寺)と手を結び、中宮は山門派(延暦寺)と手を結んでいた。その争いの中心になって戦っていたのが山之内衆で、その争いのお陰で、勢力を強めて行ったのが八人衆と呼ばれる国人たちだった。
彼らは初めの頃は、本宮、中宮に従って争いを繰り返していたが、やがて、本宮、中宮に利用され、常に痛い目に合っているという愚に気づき、お互いに手を結んだ。国人たちが力を持って行くのと反比例するように旧勢力である白山の力は弱まって行った。山之内衆が一つにまとまり、本宮、中宮に反抗するようになった時、すでに、本宮、中宮には彼らに対抗するだけの力はなかった。
かつて、加賀、飛騨、越前の三国にまたがり、絶大な勢力を誇っていた白山も、時の流れには逆らえず、新しい勢力の顔色を窺って、事に対処しない事には存続して行く事も危ない時期にまで来ていた。
山之内衆は本宮と中宮に反抗したと言っても、それは、本宮と中宮が争う時、その戦に参加しないという事であって、依然、白山の衆徒には違いなかった。彼らの本拠地である山之内庄は白山禅定道(ゼンジョウドウ、登山道)に沿っていて、白山信仰に依存していた。彼らにとって白山に登る信者たちが落として行く銭は重要な財源であった。彼らは、岩本宮、金剣宮、本宮、三宮(サンノミヤ)、別宮、佐羅宮、中宮を中心に、幾つもの宿坊を経営して多くの山伏を抱え、山伏たちは各地の信者たちの家々を巡って、お札(フダ)を配ったり、薬を売り歩いたりしていた。
本願寺がこの地に教えを広めなかったのは、白山を刺激しないためだったが、山之内衆が守護側に付くとなると話は別だった。何とかして守護と切り放さなければならない。本願寺の門徒にならないにしろ、守護と本願寺の争いに首を突っ込まないようにしてもらわなければならなかった。
蓮崇はいつもの二人の供を連れ、馬に乗って軽海から三坂峠を越えて別宮に出た。手取川の支流、大日川に沿って下り、大日川が手取川と分かれる地、河合へと向かった。
山之内八人衆の頭領である河合藤左衛門の屋敷は、西側の山に張り付くように建っていた。深い空濠と土塁に囲まれ、門の側に高い見張り櫓が建ち、弓を構えた兵が蓮崇たちを見下ろしていた。
蓮崇は馬から下りると門番に、河合藤左衛門の面会を求めた。
蓮崇と藤左衛門は蓮台寺城攻めの時の松岡寺での軍議の時、面識があった。特に話をしたわけではなかったが、面会を断る事はないだろうと思った。ただ、山之内衆は守護に味方して本願寺門徒の湯涌谷衆を越中に追いやっている。もし、このまま山之内衆が本願寺に敵対するつもりでいた場合、蓮崇の身に危険が迫る可能性もあったが、蓮崇が見た所、山之内衆が本願寺に敵対するとは思えなかった。
山之内衆というのは手取川上流を本拠地に持つ国人たちの連合である。国人たちというのは自分たちの土地を保証して貰うために守護の被官となる。しかし、山之内衆はわざわざ守護に保証して貰わなくても、しっかりと土地に根を張り、一種の独立国のように、その土地を支配していた。山之内衆が守護の被官になるという事は考えられなかった。今回、守護側に付いたのは湯涌谷を与えるとの約束があったからだろうと蓮崇は思っていた。
蓮崇たちは、しばらく遠侍(トオザムライ)で待たされた後、塀で仕切られた庭園の方に連れて行かれた。広い庭園内には猿楽(サルガク)の舞台があり、池があり、池に面して小さな離れが建っていた。その離れの中で河合藤左衛門は一人で待っていた。
蓮崇の顔を見ると藤左衛門は懐かしい友と再会でもしたような笑顔で迎えた。
「お久し振りですな。ようこそ、こんな山の中まで」
「はい。お久し振りです」
「きっと、そなたが来るだろうと思っておりました」
「さようですか‥‥‥わたしが来る事が分かっておりましたか‥‥‥」
「まあ、お上がり下さい。見た通り、この庭には誰もおらん。もし、よろしければ、供の方はあちらの東屋(アズマヤ)で待っていて貰いたいのですが‥‥‥二人きりで腹を割って話したいのじゃが」
「分かりました」
蓮崇は供の者を東屋の方にやって、離れに上がった。
「この辺りもなかなか、いい所でしょう」と藤左衛門は聞いた。
蓮崇は回りを見回しながら頷いた。「結構な所です。こんな所で、のんびりと暮らせたら最高でしょう」
「のんびりできれば最高でしょうな‥‥‥蓮崇殿、そろそろ本題に移りますか。蓮崇殿がわざわざ来られたのは湯涌谷の事でしょう。分かっております。わしらは本願寺に敵対するつもりはなかったが、ああいう結果になってしまった。今更、何を言っても始まらんが、わしら山之内衆は何を決めるにも、八人の寄り合いによって決めるんじゃ。今回の事もそうじゃった。わしら八人共、本願寺に敵対するつもりはないと言う事は、はっきりしておる。ただ、わしらには土地がなかった。わしらは昔から狭い土地にすがって生きて来た。それでも、生きて来られたのは白山のお陰と言えた。白山の信者たちによって、わしらは生きて来られた。しかし、最近、加賀の国が戦続きのお陰で、お山に登る信者の数は激減して行った。時の流れというものじゃろう。わしらも平野に進出する事を考えた。しかし、山で育って来たわしらには平野に出て行く事には抵抗があるんじゃ。怖いのかも知れん。そんな時、守護から湯涌谷の話が来た。勝てる自信はあった。湯涌谷衆が本願寺門徒だという事は知っていた。しかし、背に腹は返られなかった。わしらは湯涌谷を攻めた‥‥‥」
「河合殿、はっきり申します。湯涌谷を返して貰うわけにはいきませんか」
「すまんが、それは無理じゃのう。わしの一存では決められんし、一度、新天地に移った者共を、また、部屋住みの厄介者(ヤッカイモノ)に戻すわけにもいかん」
「分かりました。湯涌谷の事はひとまず諦めましょう。ただ、この先、本願寺と守護との争いは続く事と思います。山之内衆としては、その争い事に干渉しないで貰いたいのですが、いかがでしょうか」
「それはできるじゃろう。山之内衆としては、どちらにも義理はないし、どちらに味方しても得る物は何もない。どちらかが、わしらを攻めて来ない限り、その事は守れるじゃろう」
「助かります。ただ、湯涌谷にいる山之内衆の事までは、わしにも責任はもてません。湯涌谷衆は今、越中に避難しておりますが、彼らはやはり、湯涌谷を取り戻そうとするでしょう。湯涌谷は彼らが代々暮らして来た場所です。簡単には諦める事はできないでしょう」
「うむ。そうじゃろうのう」
「もし、湯涌谷衆が湯涌谷を攻めたらどうします。助けに行きますか」
「多分、行くじゃろうのう。身内がやられるのを黙って見ておる事もできまい」
「そうなると、まずい事になります」
「仕方あるまい」
蓮崇は藤左衛門から視線をはずして庭園を眺めた。しばし、無言の後、「河合殿、本願寺の門徒になる気はありませんか」と聞いた。
「門徒になって、何の得がある」
「わしが言うべき事ではありませんが、国人が門徒になる事によって得る利益は、相当なものと言えます。河合殿も御存じの通り、本願寺は布教のための組織を持っております。その組織を利用して、昨年の合戦の時、あれだけの兵を集めました。本願寺の組織は、そのまま兵力として使えるのです。すでに国人門徒たちは、その組織を利用して自らの勢力を広げて来ております。この手取川の下流にいる安吉殿や笠間殿が、そのいい例です。彼らは本願寺の組織を利用して、手取川流域の河原者たちを完全に一つにまとめてしまいました」
「その事はわしも知っておる。しかし、それが本願寺の組織を利用したとは知らんかったわ。もう少し詳しく教えてくれんか」
「彼らはまず、本願寺の門徒となり、教えをきっちりと身に付け、坊主になります。坊主になれば道場を建て、門徒たちに教えを説く事ができ、また、弟子を作る事もできます。彼らは自分の弟子を目当ての荘園に送り込んで、そこの百姓たちに教えを説き、門徒とします。一度、門徒になってしまえば、その門徒も本願寺の組織の一員という事になります。門徒となった百姓たちは、後ろに本願寺が付いておるという事で強きになり、平気で荘官と対立します。百姓と荘官が対立を始めたら、門徒を助けろ、とその荘園に兵を入れ、武力を持って荘官を倒してしまうのです。倒された荘官は荘園を横領されたと言って、本所(領主)に伝えるでしょう。本所は幕府に訴え、幕府は守護に訴えるでしょう。しかし、その前に本所のもとに使いを送り、正式に荘官になってしまえばいいのです。本所としては荘官が誰であろうと、年貢さえ送ってやれば文句はありません。御存じの通り、今の荘園は本所に送るべき年貢を取る土地というのは、ほんの一部に過ぎません。後の土地は皆、在地の荘官が支配している土地です。その土地が、そっくり手に入るというわけです」
「そう、うまい具合に行くものかのう。信じられんのう」
「応仁の乱以降、はっきり言って幕府の力は地に落ちておると言ってもいいでしょう。国人たちによる荘園の横領はいたる所で起きております。横領を取り締まるべき立場にいる守護でさえ、堂々と荘園を横領しておるのです」
「そいつは、本当の事か」
「はい。本当です。富樫次郎殿は今回、木目谷を攻めるにあたって『荘園を横領する者を退治する』という名目を掲げましたが、富樫氏自身が、今まで荘園の横領をやって来て、大きくなったようなものです。今時、そんなお題目を掲げて、戦をする事自体が時代遅れもいいとこです」
「まあ、それは言えるのう。わしらの土地も元はと言えば、白山寺の荘園だったんじゃからのう」
「わたしは吉崎に来る前、三年近く、近江におりましたが、六角氏が荘園を横領するのを何度も耳にしました。有力寺院の荘園は元より、将軍様の奉公衆の荘園まで平気で横領しておりました。将軍様が何と言おうと言う事なんか全然、聞きません。京の近くの近江でさえ、そんな有り様です。まして、京から離れた地においては、幕府の言う事を聞く者など、ほとんど、いなくなっておると言ってもいいでしょう」
「うむ、成程のう。確かに世の中は変わっておるんじゃのう。わしらも、いつまでも、こんな山の中に籠もっておったのでは世の中から取り残されてしまうわ。本願寺の門徒か‥‥‥考えてみる価値はありそうじゃのう。ただ、本音を聞かせてくれんか。本願寺はこの先、守護とどうやって行くつもりなんじゃ」
「本音をずばり言いいますと、守護の富樫殿は倒します」
「なに、守護を倒す?」
「はい。守護を倒し、この加賀の国を本願寺の持つ国にいたします」
「できるのか」
「今、すぐには無理です。本願寺の組織を作り直さなくてはなりません。しかし、やがて、守護は本願寺に倒される事となるでしょう」
「うむ。そこまで、考えておったのか‥‥‥守護を倒すか‥‥‥」
「そんな事はできないとお思いですか」
「いや、この前の蓮台寺城の時のように、できない事はないじゃろう。前回のように門徒が一つになればじゃ」
「はい。多分、一つになるでしょう」
「多分のう‥‥‥そなたは恐ろしい男じゃのう。守護を倒す事をたくらむとはのう」
「わたしがたくらむのではありません。時の流れというものです。時が来れば自然と古い物は新しい物と変わらなければなりません」
「時の流れか‥‥‥蓮崇殿、そなたの話はよく分かった。本願寺の門徒となるという事は考えてみよう」
「お願いいたします。山之内衆が門徒となってくれれば、湯涌谷の事もうまくまとまるかもしれません」
「うむ」
「それでは、今日の所はこれで失礼いたします」
蓮崇は藤左衛門に頭を下げると離れから出た。
「蓮崇殿、守護側がそなたの事を狙っておる。気を付けなさるがいい」
「守護が、わたしを?」
「ああ。守護側では、そなたが本願寺の軍師だと思っておる。そなたがいなくなれば本願寺の力は半減すると思っておる。すでに、刺客が動いておるかもしれん。気を付けなさるがいい」
「分かりました。気を付けます」
蓮崇は河合藤左衛門屋敷を出て、山之内庄のはずれに建つ鮎滝坊(アユタキボウ)に向かった。
鮎滝坊は蓮綱がその土地の国人、二曲(フトウゲ)氏を門徒にして開いた道場であった。二曲氏も山之内八人衆の一人であり、山之内庄内唯一の国人門徒だった。二曲氏は当然、湯涌谷襲撃の件に関して反対したが、合議制によって事を決める掟によって、たった一人だけで反対しても無駄に終わってしまった。
蓮崇は鮎滝坊にて二曲右京進(ウキョウノシン)と会い、河合との会見の事を話して、山之内衆を本願寺門徒にするための協力を頼んだ。その晩は右京進の屋敷に世話になり、次の日の朝早くに吉崎に帰った。
守護側が自分の命を狙っているというのは驚きだった。
わしなんかを殺すために刺客まで放っているという。この前、軽海の守護所に山川三河守を訪ねた時、三河守はそんな素振りのかけらも見せなかった。しかし、三河守という男は油断のならない男だった。裏では刺客を放ち、表では本願寺と仲良くやろう、と平気で言いそうな男だった。命を狙われているとなると、これからは少しの油断もできなかった。恐ろしいと思う反面、自分も命を狙われる程の男になったのだ、という満足感もあった。
蓮崇は馬に揺られながら常に回りを気にしていた。特に、軽海の町中を通る時には、ちょっとした事にも脅えながら馬に揺られていた。
軽海の町中で、超勝寺の定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)の姿がチラッと目に入ったのが気になったが、そのまま無事に軽海を抜け、吉崎へと向かった。
25.五月雨2
3
山ツツジがあちこちに咲いていた。
蓮如は慶聞坊を連れて、毎日、山に入って庭石と植木を捜し回っていた。
風眼坊はお雪を連れて避難所を巡り、負傷者や病人の治療に忙しかった。
一応、役目を果たして、一行が吉崎に戻って来たのは月例の講の前日だった。
陽気もよくなって来たため、今月の講は賑やかだった。
石川郡で戦騒ぎがあった事について、蓮如が何か言いはしないか、という期待を持って、江沼郡の坊主のほとんどが、その日、吉崎に集まって来ていた。
蓮如は、戦の事については一言も触れなかった。
坊主たちは、昨年の戦の時のように、講の終わった後、集合が掛けられるかもしれないと待っていたが、それもなかった。
皆、期待はずれという面持ちで、次の日、各道場に帰って行った。
二十八日の報恩講も無事に終わり、また、蓮如が本泉寺に行くと言い出すだろう、と待っていた風眼坊とお雪だったが、蓮如は風眼坊の家に忍んで来なかった。
蓮如は来なかったが、蓮崇は毎日のように来ていた。
風眼坊は以前、蓮崇に頼まれて、蓮崇の息子、乗円に剣術を教えていた。それは夕方の一時だったが、その時、蓮崇も一緒に来て、蓮崇も風眼坊から剣術を習っていた。自分が刺客に狙われていると聞き、刀の使い方くらい知らないと自分の身も守れないと、四十を過ぎて剣術を習い始めたのだった。
蓮崇と乗円の帰った後、風眼坊とお雪は縁側に並んで坐り、お茶を飲んでいた。
村田珠光(ジュコウ)に会って以来、風眼坊はお雪と二人でお茶会の真似事をして、毎日、仕事の終わった夕暮れ時に、お茶を楽しんでいた。
「上人様、どうしたんでしょうね」とお雪がお茶をすすりながら言った。
「この前、集めた庭石の配置でも考えておるんじゃないか。どうせ、来月になったら、出掛けようと言って来るさ」
「越中に避難している人たち、もう加賀には戻れないのでしょうか」
「難しいのう。国境は封鎖されておるし、山の中を通って加賀に戻っても住むべき土地がない」
「守護も随分、ひどい事をするのね。何もしてないのに勝手に土地を取り上げて、国外に追い出すなんて」
「ああ、ひどいのう。上人様も悩んでおる事じゃろうのう。上人様の力を持ってしても、どうする事もできんのじゃからのう」
「それじゃあ、あの人たちは、ずっと、あんな生活を続ける事になるの」
「いや、高橋殿と石黒殿は、いつか戻るつもりでおるじゃろうがのう。いつの事になるやら分からんのう」
「また、戦になるのね」
「多分な‥‥‥」
「いつになったら戦のない世の中になるのかしら」
「分からん‥‥‥」
蓮如は風眼坊の思った通り、五月になると、庭師に化けて風眼坊の家にやって来た。
「いい天気じゃのう」と縁側に腰を下ろすと蓮如は笑った。
「そろそろ、出掛けますか」と風眼坊も笑いながら聞いた。
「相変わらず、物分かりが早いのう」
「そろそろ、梅雨になりますからね。その前に片付けたいのでしょう」
「いや。本泉寺には行かん。庭造りは梅雨が明けてからでいい」
「と言う事は、一体、どこに行くのです」
お雪がお茶を持って来た。
「お雪殿、ますます美しくなられたのう」と蓮如はお雪をしみじみと見ながら言った。
「嫌ですよ、上人様。何を言ってるんです」
「いや、実はのう。お雪殿に頼みがあるんじゃ」
「何です、改まって」
「実は、御主人殿を二、三日、貸して貰いたいんじゃ」
「えっ! あたしが一緒に行ってはいけないのですか」
「今回の旅は危険じゃ。お雪殿には留守番していて貰いたいんじゃ。ここに一人でいるのが心細いようなら御山におっても構わんが、とにかく、留守番していて欲しいんじゃ」
「一体、どこに行くつもりです」と風眼坊は聞いた。
「山之内」と蓮如は言った。
「湯涌谷の事ですか」
「そうじゃ。何とかせにゃならん」
「山之内の頭は河合藤左衛門とか聞いておりますが、そいつと会うつもりですか」
「ああ。会って、話してみるつもりじゃ。そなたに道案内を頼みたい」
「蓮如殿、その河合とかに会った事はありますか」
「いや、ない。じゃが、鮎滝坊を建てた二曲右京進(フトウゲウキョウノシン)なら会った事はある」
「その二曲右京進とやらに、河合との面会を頼むつもりですか」
「ああ、そのつもりじゃ」
「分かりました」
風眼坊もお雪も、先月の半ば、蓮崇がひそかに河合藤左衛門に会っていた事を知っていたが口には出さなかった。
次の日、風眼坊は久し振りに山伏姿となって、蓮如は信証坊に扮して、久し振りの徒歩の旅で出掛けた。鮎滝坊には、その日の夕方に着き、二曲右京進と会った。
右京進はまだ二十二歳の若者だった。父親は戦で負傷し、歩くのも不自由なため、息子に右京進の名と共に家督を譲っていた。右京進は目の前にいる蓮如の姿を見ても、蓮如が今、ここにいるという事が信じられないかのようだった。
蓮如は右京進から、蓮崇が来た事を知って驚いた。右京進は、蓮如がその事を知らなかった事に驚いた。蓮崇が、ここに来たのは丁度、蓮如が本泉寺の庭石を捜している頃だった。蓮如は今回、ここに来る事を蓮崇には知らせなかった。お互いに内緒にして、同じ事をやっていたのだった。
次の日、二曲右京進の案内で、二人は河合藤左衛門の屋敷に向かった。広間の隣にある会所(カイショ)において面談は行なわれた。
蓮如と初めて会った藤左衛門は、蓮如と初めて会った者が、誰でも思う事と同じ事をやはり感じていた。目の前にいる蓮如は、どう見ても本願寺の頂点に立つ法主(ホッス)という感じではなかった。加賀国内に五万以上もの門徒を持ち、蓮如が一言命ずれば、その五万が武器を取って兵となって戦う。それ程の男には、どうしても見えなかった。
山之内衆は白山の衆徒であった。白山の長吏(チョウリ)は勿論の事、末寺(マツジ)の住職でさえ贅沢に身を飾り、寺院の奥の豪勢な書院で贅沢三昧(ゼイタクザンマイ)をして、ふんぞり返っていた。そんな法師たちを見慣れている河合の目から見ると、当然、本願寺の法主たる蓮如も、大勢の門徒に囲まれて贅沢な暮らしをしているものと思っていた。ところが、目の前にいる蓮如は、藤左衛門の予想をまったく、くつがえした。
藤左衛門は、二曲から蓮如が来たと聞いて、前回、蓮崇を送り、いよいよ、親玉が現れたか、と思った。蓮如から、どんなに偉そうな事を言われても、決して門徒にはなるまいと思い、きらびやかな法衣(ホウエ)にくるまれ、人を見下したような蓮如を想像しながら意気込んで会所に現れた。ところが、会所にいたのは粗末な墨衣(スミゴロモ)を来た年配の僧侶と、体格のいい目付きの鋭い山伏、そして、二曲がいただけだった。藤左衛門の想像していた蓮如像は、そこには影も形も見当たらなかった。
二曲が、墨衣の僧侶を蓮如だと紹介した。
藤左衛門は気が抜けたように蓮如を見ながら、この男が蓮如か‥‥‥と何度も、心の中で呟(ツブヤ)いていた。
蓮如は藤左衛門に、湯涌谷から手を引いてくれるよう頼んだ。頭まで下げて頼んだ。
藤左衛門には、なぜか、蓮崇に説明した通りの事を蓮如に言う事はできなかった。
「考えてみましょう」と藤左衛門は、やっとの思いで言った。
なぜだか、分からないが、藤左衛門は蓮如という男の持つ目に見えない不思議な力に圧倒されていた。今まで、こんな経験をした事はなかった。何度も戦を経験し、何度も恐ろしい目に会って来て、怖い物知らずだった藤左衛門が、目の前にいる粗末な墨衣を着た、ただ一人の僧侶が、なぜか、今まで経験した事ない程、恐ろしいもののように感じられた。背中を冷汗が流れ、握った手の中は汗でびっしょりだった。
藤左衛門はいたたまれず、少しの間、席をはずした。
藤左衛門は台所に行って、水を一杯飲み、気を落ち着かせると再び、会所に戻った。
湯涌谷の事を、蓮如はもう言わなかった。後は世間話をするだけだった。蓮如は本願寺の教えについても話さなかった。
半時程、話した後、藤左衛門は蓮如を引き留めた。
せっかく、何かの縁で、こうして会えたのだから、このまま別れるのは惜しい。ぜひ、今晩は共に酒を飲み交わしたい、と申し出た。蓮如は喜んで承諾した。
藤左衛門は家臣に命じ、蓮如と風眼坊を本宮四社を案内させた。蓮如は本宮や三宮の庭園を興味深そうに見て回った。それらの庭園を一度は見てみたかった蓮如だったが、思いもよらずに、その事が実現した事に喜びを隠せなかった。あちこちの庭園を見て回り、河合屋敷に帰って来たのは日が暮れる頃だった。
蓮如が庭園を見て回っていた頃、藤左衛門は山之内八人衆を集めて、今、蓮如が来ている事を告げ、一同に、この際、本願寺の門徒にならないかと勧めていた。
蓮如に会ってから、藤左衛門の考えは変わった。あの男が本願寺の法主なら門徒になるのもいい、と思うようになっていた。藤左衛門は蓮如の教えの事は何も知らなかった。何も知らなかったが、蓮如という人間に惹(ヒ)かれていた。あの男が本願寺の頂点に立っているのなら、その門下に入ってもいいと考えていた。藤左衛門は今まで、あれ程、大きな人間に会った事はなかった。言葉ではうまく説明できないが、藤左衛門には蓮如という男が、とてつもなく大きな人間に思えた。
結局、八人の意見はまとまらなかった。
藤左衛門は前回、蓮崇が来た時も八人を集めて、蓮崇が言った事を皆に告げた。国人門徒たちが、どういう風に勢力を広げて行ったか、という事を皆、興味深そうに聞いていたが、本気で門徒になろうと考えた者はいなかった。藤左衛門自身も門徒になろうとは考えなかった。ところが、蓮如に会った藤左衛門はしきりに門徒になる事を勧めた。皆、不思議がり、蓮如に何を言われたんだ、と聞いたが、藤左衛門にはうまく説明できなかった。とりあえず、一度、蓮如に会ってみてくれと言い、今晩の酒宴に八人、全員が参加するという事になった。
蓮如と風眼坊は一風呂浴びて、広い庭園に面して建つ客殿の一室でくつろいでいた。
「風眼坊殿、あの河合藤左衛門という男、どう見るかな」と蓮如が池の向こうに建つ茶屋のような建物を眺めながら聞いた。
「なかなかの男ですな。義理堅い所があり、曲がった事は嫌いのようじゃ。いつまでも、こんな山の中に納まっておるような男ではありませんね」
「やがて、山から出て行くか‥‥‥」
「多分‥‥‥」
「しかし、湯涌谷を返してくれそうもないのう」
「返して貰うのは難しいでしょう。山之内衆にしてみれば、守護から正式に貰ったと思っておるでしょう。もし、その土地を湯涌谷衆に戻したら、守護の命に背く事になって、山之内衆は守護に敵対するという結果になってしまいます」
「そうか‥‥‥簡単に返すというわけにはいかんのか‥‥‥」
「ただ、河合藤左衛門と親交を深めておけば、この先、この山之内の地に教えを広げるのに何かと有利になる事は確かです」
「白山の膝元であるこの地に教えを広めるのか‥‥‥それも難しい事じゃ」
「そうですかね。わしは、もう十年も前にここに来た事がありますが、その時は、今と比べられない程、栄えておりました。信者たちの数は勿論の事、山伏が物凄くおりました。ところが今回、山伏の数がやけに減っております。山之内の国人たちにしろ、すでに、白山とは以前程、深くつながってないように思われます」
「そんなもんかのう。だとすると、河合殿も門徒になる可能性もあり、というわけじゃな」
「あるかもしれません」
「うむ。時間を掛けて、やってみるか」
その晩、蓮如と風眼坊は客として上座に坐らせられ、八人の山之内衆に歓迎を受けた。
河合藤左衛門と二曲右京進以外の六人は、広間に入って来た蓮如の姿を見て、藤左衛門が感じたのと同じ衝撃を受けていた。初めのうち、ポカンとして蓮如を見ていた六人だったが、酒が入るに従って宴も盛り上がって行った。そして、六人が六人共、藤左衛門が思ったように、この人が本願寺の法主であるならば門徒になるのも悪くはない、と心の中で思い始めていた。
山之内庄から戻ると蓮如は、しばらく書斎に籠もっていた。そして、七日の日に御文を発表した。その御文には、門徒が守るべき十ケ条の篇目が掲げられてあった。
一、諸神、諸仏菩薩(ボサツ)等をかろしむべからざるよしの事。
一、外には王法をもっぱらにして、内には仏法を本とすべき事。
一、国にありては守護、地頭方において、決して、粗略にすべからず事。
一、当流の安心(アンジン)のおもむきを詳しく存知せしめて、すみやかに今度の報土往生(ホウドオウジョウ)を治定(ジジョウ)すべき事。
一、信心決定(シンジンケツジョウ)の上には、常に仏恩報尽のために称名(ショウミョウ)念仏すべき事。
一、他力の信心獲得せしめたらんともがら(仲間)は、必ず、人を勧化(カンゲ)せしめん思いをなすべきよしの事。
一、坊主分たらん人は、必ず、自心も安心決定して、また門徒をもあまねく信心のとおりをねんごろに勧化すべき事。
一、当流のうちにおいて沙汰せざるところのわたくしの名目を使いて、法流を乱すべからざる事。
一、仏法について、たとえ正義(ショウギ)たりというとも、しげからん事においては、かたく停止(チョウジ)すべき事。
一、当宗の姿をもて、わざと他人に対して、これを見せしめて、一宗のたたずまいをあさまになせる事。
山之内衆は蓮如と会って、共に酒を酌み交わし、そのまま門徒になるのでは、という徴候も見られたが、あの後、まったく動きは見られなかった。
蓮如は、松岡寺(ショウコウジ)の蓮綱に、山之内衆を門徒にするように命じていた。ただ、焦らずに、じっくり時間を掛けても構わんから、一人づつでも門徒にしろと命じた。
蓮如が十ケ条の篇目を書いた頃より、梅雨に入ったようだった。
風眼坊が大峯山を下りてから、もうすぐ一年だった。
この一年間で、風眼坊は自分でも不思議に思う位に変わっていた。まず、今の風眼坊は山伏ではなかった。去年まで、山伏以外の自分を想像する事すらできなかったのに、今は、町人たちと共に町中に住む医者だった。しかも、若くて可愛いい妻までもいた。決まった所に住まず、年中、旅をしていた風眼坊にとって、梅雨という、うっとおしい時期は一番嫌いだった。ところが、今年は屋根の下で暮らしていた。雨が続いても濡れる事はない。お雪と二人で縁側に坐り、庭の紫陽花(アジサイ)の花を眺めながら、のんびりと暮らしていた。
「越中で避難している人たち、雨の中、大変でしょうね」とお雪が言った。
「うむ。悪い病気が流行らなければいいが‥‥‥」
「子供たちが可哀想ね」
「そう言えば、大きなおなかを抱えておった女たちが何人かいたが、無事に子供を産んだかのう」
「生まれて来る子供も可哀想だわ」
「可哀想でもしょうがない。生まれた子供を殺すわけにも行くまい。いや、間引(マビ)きされたかもしれんのう」
「間引き?」
「生まれた赤ん坊の鼻と口をふさいで殺してしまうんじゃよ」
「ひどいわ。そんな事、実際にあるの」
「あるさ。ぎりぎりの生活をしておれば子供なんか育てられんからのう。寛正(カンショウ)の大飢饉の時なんか、ひどいものじゃったぞ。道端に生まれたばかりの赤ん坊が犬や猫のように捨ててあったわ。もっとも、あの時は赤ん坊だけじゃなく、京の都は人の死体だらけじゃったがのう。殺されるために生まれて来る赤ん坊は哀れなものじゃ」
「そう‥‥‥ひどいのね」
「あの時は、わしも京におったが、まさしく、この世の地獄じゃったのう」
「地獄‥‥‥」と言いながら、お雪はぼうっと雨垂れを見ていた。
「地獄を思い出したのか」と風眼坊は聞いた。
「えっ、違うわ‥‥‥ねえ、もう一度、越中に行きません」
「この雨の中をか」
「だって、あの人たち、あんな小屋の中にぎゅうぎゅう詰めになって暮らしてるのよ。きっと病気になるわ」
「それは分かるが、梅雨が上がってからにしよう」
「それでは遅いわ。今、行きましょう」
風眼坊はお雪の顔を見つめた。お雪の顔は本気だった。お雪の気の強さは風眼坊にはよく分かっていた。一度、決めたら、どんな事をしても実行に移すという頑固さだった。風眼坊が行かないと言っても、一人でも出掛けて行くに違いなかった。
風眼坊はお雪を抱き寄せると、「しょうがないのう」と言った。
お雪は風眼坊に抱かれながら、ニコっと笑った。
さっそく、風眼坊は御山に登り、蓮如に本泉寺の勝如尼と瑞泉寺の蓮乗宛の書状を書いて貰い、本泉寺までの船の手配を頼んだ。蓮如も一緒に行きたいようだったが、雨が降っていては庭造りはできない。梅雨が上がれば、すぐに本泉寺に行きたいので、それまでに帰って来てくれ、と風眼坊に頼んだ。
蓮如の代わりに、その場にいた蓮崇が共に行く事となった。
湯涌谷は蓮崇の本拠地だった。風眼坊が避難民のために、この雨の中、わざわざ出向くと言うのに、蓮崇が一度も顔を出していないのは申し訳ない。ぜひ、連れて行ってくれ、と言った。蓮如も許したので蓮崇はさっそく旅の準備を始めた。蓮崇が共に行ってくれれば、風眼坊にしても医療品の調達など、現地の門徒たちと交渉するのに何かと便利だった。
風眼坊はまた、元、時宗の徒だった潮津(ウシオツ)道場の門徒に声を掛けた。医術の心得のある者、男十人、女十人を吉崎に呼んで、共に本泉寺に向かった。
その頃、大桑の善福寺では、順慶(ジュンキョウ)と慶恵の兄弟を中心に、守護の富樫を攻める包囲網が着々と進んでいた。ただ、彼らの動きは守護代の槻橋(ツキハシ)近江守に筒抜けだった。
槻橋近江守の本拠地は、白山本宮のすぐ側の槻橋(月橋町)だった。槻橋家は古くから本宮とつながりを持っていた。近江守は、本願寺を倒すために白山衆徒と結び、白山の山伏を本願寺の各寺院を初め、有力門徒のもとに潜伏させていた。諜報活動に当たっては、白山の山伏たちの方が本願寺の門徒たちよりも、ずっと上手(ウワテ)である。昔に比べて白山の勢力は衰えているとはいえ、まだまだ、白山系の寺院は各地にあって山伏たちは活動している。本願寺の門徒でさえ、病気の時などには、未だに彼らの加持祈祷を頼みとしていた。
白山の山伏たちは門徒に化けて、本願寺の道場や寺院に出入りし、どんな些細な動きでも槻橋近江守のもとに知らせていた。順慶にしろ慶恵にしろ、そんな事にはまったく気づかず、大将になったつもりで得意になって打倒富樫の作戦を進めていた。
彼らの作戦は、梅雨明けの増水時を狙って富樫勢を手取川と犀川との間に封じ込め、一気に野々市を潰すというものだった。
敵の兵力は野々市に三千と木目谷に五百、山川城に五百で合わせて四千。
本願寺側は、手取川流域の安吉源左衛門、笠間兵衛の兵力が合わせて六千。河北潟の伊藤宗右衛門の兵力が五百、木目谷の高橋新左衛門の配下で、河北潟に避難している一瀬勝三郎率いる五百と合わせて一千。倉月庄磯部の聖安寺(ショウアンジ)に避難している田上五郎兵衛率いる五百と倉月庄の国人たち二千。それに、犀川上流で避難している辰巳右衛門佐率いる五百と、越中にいる千五百。総勢一万一千余りの兵力があれば、有力寺院の門徒たちが動かなくても充分に勝算があると言えた。
守護代の槻橋近江守は野々市にいながら本願寺の動きを手に取るようにつかんでいても、特に動く様子は見せなかった。槻橋としても、一気に倒すつもりでいた。敵が動き始めた出鼻を挫(クジ)くのが、一番いいだろうと思っていた。
勝負は梅雨が明けた時に決まると言えた。その時を目標にして、お互いに着々と準備を進めていた。
毎日、雨の降り続く梅雨の最中、山之内衆が動いた。
湯涌谷を占拠していた山之内衆が、どうした事か、全員、引き上げてしまった。
山の上から湯涌谷を見張っていた竹内弥右衛門は信じられない事のように、隊列を組んで去って行く山之内衆を見送っていた。全員が去った後、湯涌谷に下りた竹内は手下の者を瑞泉寺の石黒孫左衛門のもとに送り、村々を見て回った。
家々は破壊されてはいなかった。蔵の中には米も残っていた。そして、山之内衆が本陣として使用していたと思われる蓮崇の屋敷の中に、『この度、山之内衆は全員、蓮如上人に帰依(キエ)する事となった。ゆえに、湯涌谷は湯涌谷衆にお返しする』というような事が漢文で書かれてあった。その文の後には、山之内衆の代表八人の名前が並んでいた。
竹内からの知らせを聞いた石黒孫左衛門と高橋新左衛門は、突然、降って来たような幸運が、とても信じられず、敵の罠(ワナ)かもしれないと警戒した。そして、武装させた兵百人を石黒が自ら引き連れて偵察に出掛けた。偵察隊は湯涌谷で一晩様子を見てから安全を確認し、越中に避難していた湯涌谷衆と木目谷衆、全員を呼んだ。湯涌谷衆に取っては、二ケ月半振りの我家への帰還だった。
それは六月の三日、風眼坊たちが蓮崇と共に越中の避難所を巡り、吉崎に戻ってから五日後の出来事だった。さらに、山之内八人衆が松岡寺の蓮綱に帰依したのが、次の日の四日である。その日の内に、蓮綱によって、山之内衆が湯涌谷から手を引いた、との知らせが吉崎に入り、五日には、湯涌谷衆によって、越中に避難していた門徒全員が湯涌谷に戻ったという知らせが吉崎に届いた。
その知らせを聞いた時、さすがに、蓮如も蓮崇も嬉しそうだった。
蓮如の口から思わず『南無阿弥陀仏』と念仏がこぼれた。
蓮崇も念仏を唱えたが、蓮崇の念仏は蓮如の念仏と違い、阿弥陀如来に対する感謝の念仏ではなく、山之内衆に対する感謝の念仏であった。念仏を唱えながらも、蓮崇の頭の中では、次に木目谷をどうしたらいいかという事を考えていた。
「蓮崇、風眼坊殿に知らせてやってくれ。風眼坊殿にもお雪殿にも、随分と苦労させてしまったからのう」と蓮如は雨を眺めながら言った。
「畏まりました」
蓮崇は頭を下げると蓮如の書斎から出て行った。
久し振りに、強い日差しだった。
暑い夏の始まる兆(キザ)しだった。
待っていました、と蓮如は活動を始めた。
慶聞坊、風眼坊、お雪を連れて真っ青な海に船を乗り出した。目指すは勿論、本泉寺だった。今回の旅で、蓮如は庭園を完成させるつもりでいた。
梅雨明けを、指をくわえて待っていたのは蓮如だけではなかった。大桑の善福寺にいる順慶、慶恵の兄弟も、毎日、雨を睨みながら、その日が来るのを待っていた。
彼らは梅雨明けと同時に作戦を開始した。
湯涌谷にいる湯涌谷衆と木目谷衆一千五百の兵の内、五百を犀川上流に移し、辰巳右衛門佐の兵五百と合流させた。そして、その一千の兵を持って、下流にある山川城の山川亦次郎を攻撃させ、湯涌谷にいる兵一千を持って、木目谷城にいる高尾(タコウ)若狭守を攻撃させる。
山川城も木目谷城も守る兵の数は約五百だった。奇襲を掛ければ簡単に落ちるだろうと思われた。さらに、大野庄の吉藤専光寺に河北潟の国人、伊藤宗右衛門率いる五百の兵と伊藤のもとに避難していた木目谷衆の一瀬勝三郎率いる五百の兵、合わせて一千の兵が待機し、倉月庄の磯部聖安寺には田上五郎兵衛率いる五百の兵と倉月庄八人衆の兵、二千が待機し、善福寺にも倶利伽羅の越智伯耆守、砂子坂の高坂四郎左衛門、長江の松田次郎左衛門らの兵一千が待機して、木目谷城と山川城が落ち次第、一斉に野々市を攻める手筈になっていた。
本願寺の寺院を本陣としたのは、前回の戦の時、戦場の真っ只中にあった善福寺が、まったくの無傷だったため、守護側は、今回の戦では国人を敵としていて、本願寺を敵とはしていない、本願寺の寺院を攻める事はないだろうと判断したためだったが、それが甘い考えだったという事が、後になって悔やまれる結果となった。
守護側の大将である槻橋近江守は本願寺の動きを知っていながら、まったく気づかない振りをして、木目谷城、山川城には援軍を送らなかった。そして、木目谷とは反対方向の手取川において軍事行動を起こした。
松任(マットウ)城を守る鏑木右衛門尉(カブラギウエモンノジョウ)に安吉源左衛門を攻撃させた。すでに、右衛門尉の父親、兵衛尉(ヒョウエノジョウ)は本願寺の門徒となっていた。兵衛尉は本願寺門徒だったが、息子の右衛門尉は守護富樫次郎の姉婿(ムコ)という複雑な立場に立たされていた。
兵衛尉が門徒となったという事も、兵衛尉が自ら、近江守に知らせる以前に近江守は知っていた。兵衛尉は安吉と笠間を暗殺するために門徒となったのだと説明した。近江守が、その事を信じたとは思えないが、一応、納得したように見えた。しかし、兵衛尉の回りには常に近江守の目が光っていた。
近江守の命(メイ)が届くと、兵衛尉は息子に出陣を命じた。三百の兵を武装させ手取川に向かった。手取川の水量は増し、勢いよく流れていた。手取川を挟んで、鏑木と安吉の睨み合いが続いた。お互いに川を渡る事は不可能だった。
鏑木の兵と安吉の兵は睨み合ってはいても、戦をする気はまったくなかった。ただの形だけだった。鏑木兵衛尉と安吉源左衛門は近江守の放った間者(カンジャ)の目の光る中で、度々、会って、お互いの腹の内をすっかり相手に知らせてあった。間者の目をごまかすために、源左衛門を狙う振りもして見せた。今日の戦の事もすでに予想し、お互いに、打ち合わせも済んでいた。
また、守護代の近江守にしても、この手取川における戦は、敵の目をごまかすためのもので、本気で安吉を討つつもりではなかった。鏑木の兵三百足らずで、安吉に勝てるとは思っていない。ただ、敵の目を手取川に引き付けておくための手段に過ぎなかった。案の定、善福寺にいる順慶と慶恵の二人は、やはり、敵の次の目標は手取川の国人だったと勘違いした。敵の目が南を向いているうちに、木目谷はいただきだ、と自分たちの作戦の成功を確信して気分をよくしていた。
湯涌谷衆と木目谷衆の準備が調い、浅野川と犀川の上流から、木目谷城、山川城を目指して攻め下りて来たのは、手取川の睨み合いが始まった二日後だった。一気に踏み倒して行くはずだった。ところが、敵の守りは固かった。敵は一向に城から出て来て戦おうとはしなかった。攻めて来る事を前以て知っていたかのように、万全の準備をして待っていた。
一日中、攻めまくっても、味方の負傷者が増えるばかりで、まったく埓(ラチ)が明かなかった。
善福寺において、作戦の総指揮を取っていた順慶と慶恵はイライラしながら戦況を聞いていた。二つの城が落ちなければ作戦のすべてが破れてしまう。
結局、味方の損害ばかりが大きく、木目谷城も山川城もびくともしないで、その日は暮れて行った。
蓮崇と慶覚坊の二人が善福寺に来たのは、木目谷城、山川城で戦が行なわれている最中だった。二人は吉崎にて手取川の戦の事を聞いて慌てて飛んで来たが、安吉源左衛門より事情を聴き、手取川の事は安心し、せっかく、ここまで来たのだから善福寺まで行ってみるか、と来てみたら、この騒ぎだった。
その夜、善福寺において軍議が行なわれた。木目谷城を攻めている高橋新左衛門、山川城を攻めている石黒孫左衛門も来ていた。二人とも気が立っていた。
「一体、これはどうした事じゃ。奇襲どころではないわ。敵はわしらが来る事を知っておって、すっかり守りを固めておる。あれだけ守りが固かったら、一月経っても落ちるかどうか分からん」と高橋は怒鳴るように言った。
「内密に事を運んだはずなんじゃがのう。おかしいのう」と順慶は絵地図を見ながら言った。
「湯涌谷に戻った時点で、敵は、いつか攻めて来ると気づいたんじゃないかのう。そして、いつ、攻めて来てもいいように守りを固めて待っておった。そうとしか思えんのう」と蓮崇が言った。
「敵の動きをよく調べましたか」と慶覚坊は聞いた。
「敵の兵力は調べた。五百足らずしかおらんというので簡単に落ちると思っておった」と順慶が答えた。
「たとえ、五百足らずとはいえ、城を攻め落とすというのは容易な事ではない。それで、今日の被害はどんなもんじゃ」
「木目谷において、百人以上の負傷者が出ておる」と高橋は言った。
「山川城でも百人以上はおるのう。二百人近くおるかもしれん」と石黒は言った。
「早い内に落とさないと野々市から攻められ、また、越中に追い出されるかもしれん」
「これから、どうするつもりです」と蓮崇は聞いた。
「今、山向こうの長江の地に松田次郎左衛門、高坂四郎左衛門、越智伯耆守らが兵を引き連れ待機しておる」と慶恵は言った。「木目谷城と山川城を落としてから、ここで合流するはずだったんじゃが、奴らにも加わって貰うしかあるまい」
「連絡はしてありますか」
「ああ、明日の早朝には、こちらに向かうはずじゃ」と順慶が答えた。
「まあ、とにかく、明日一日、攻めてみて、もし、駄目だったら、その二つは後回しにした方がいいかもしれんのう。いつまでも、こんな所に引き留められておったら、他の場所で待機しておる兵の士気が落ちてしまう」と慶恵が言った。
「それがいい」と順慶が頷いた。「もし、敵が城から出て来て、後を追って来るようなら叩き、出て来なかったら後回しじゃ」
次の朝、善福寺に到着したのは予想に反して、松田次郎左衛門率いる三百足らずの兵だけだった。高坂と越智の兵は少し遅れるが、今日の内には到着するだろうとの事だった。
松田の兵は、そのまま木目谷に向かい、高橋新左衛門と合流した。また、山川城を攻めている兵の内、三百も木目谷に向かわせた。とりあえずは、山川城を落とすより、木目谷城の方が先決だった。山川城は囲むだけにして集中的に木目谷城を攻め立てた。
様々な作戦を立て、一日掛かりで攻め続けたが落とす事はできなかった。
高坂と越智の率いる兵八百余りが善福寺に到着したのは日の暮れ掛かった頃だった。森下川が氾濫して、なかなか渡れず、予定より遅れてしまったのだと言う。
すでに、この時、各地において準備は調っていた。
聖安寺に兵二千五百、専光寺に兵一千、手取川の下流では、笠間兵衛率いる三千の兵が川を渡り、安吉の兵も一千人が鏑木の兵と睨み合いを続け、後の二千は少し上流から川を渡っていた。全部合わせて一万余りの兵を持って、三千足らずの野々市の守護所を攻めるという作戦だった。作戦通りに行けば、守護の富樫家は明日か明後日のうちに、この世から消えるはずだった。
善福寺にいた蓮崇も慶覚坊も、順慶と慶恵の立てた作戦がうまく行くに違いないと思った。蓮崇が提案した通り、これは国人一揆だった。中心になっているのは国人たちで、本願寺は関係なかった。作戦を立てたのは本願寺の坊主だったが、二人は表には出ていない。しかし、本願寺が作戦に拘(カカ)わっているという事は重要な事を意味していた。もし、今回の戦に勝利した場合、国人だけの手によって勝ったとしたら、勝利を得た国人たちが富樫と入れ代わって、守護の地位に付く可能性があった。ところが、作戦を立てたのが本願寺の坊主なら、勝利を得た時点において、国人一揆を本願寺一揆にすり替える事ができる。本願寺一揆が守護を倒したとなれば、加賀の守護に付くのは本願寺だった。うまく行けば、加賀の国が『本願寺の持ちたる国』になるのも近い、と蓮崇は思った。
その晩、木目谷城と山川城の事を諦め、明日、野々市に攻め込む事が決定した。
東の空に満月が出ていた。その月明かりの中、各地の兵のもとに伝令が走った。
「いい天気じゃのう」と縁側に腰を下ろすと蓮如は笑った。
「そろそろ、出掛けますか」と風眼坊も笑いながら聞いた。
「相変わらず、物分かりが早いのう」
「そろそろ、梅雨になりますからね。その前に片付けたいのでしょう」
「いや。本泉寺には行かん。庭造りは梅雨が明けてからでいい」
「と言う事は、一体、どこに行くのです」
お雪がお茶を持って来た。
「お雪殿、ますます美しくなられたのう」と蓮如はお雪をしみじみと見ながら言った。
「嫌ですよ、上人様。何を言ってるんです」
「いや、実はのう。お雪殿に頼みがあるんじゃ」
「何です、改まって」
「実は、御主人殿を二、三日、貸して貰いたいんじゃ」
「えっ! あたしが一緒に行ってはいけないのですか」
「今回の旅は危険じゃ。お雪殿には留守番していて貰いたいんじゃ。ここに一人でいるのが心細いようなら御山におっても構わんが、とにかく、留守番していて欲しいんじゃ」
「一体、どこに行くつもりです」と風眼坊は聞いた。
「山之内」と蓮如は言った。
「湯涌谷の事ですか」
「そうじゃ。何とかせにゃならん」
「山之内の頭は河合藤左衛門とか聞いておりますが、そいつと会うつもりですか」
「ああ。会って、話してみるつもりじゃ。そなたに道案内を頼みたい」
「蓮如殿、その河合とかに会った事はありますか」
「いや、ない。じゃが、鮎滝坊を建てた二曲右京進(フトウゲウキョウノシン)なら会った事はある」
「その二曲右京進とやらに、河合との面会を頼むつもりですか」
「ああ、そのつもりじゃ」
「分かりました」
風眼坊もお雪も、先月の半ば、蓮崇がひそかに河合藤左衛門に会っていた事を知っていたが口には出さなかった。
次の日、風眼坊は久し振りに山伏姿となって、蓮如は信証坊に扮して、久し振りの徒歩の旅で出掛けた。鮎滝坊には、その日の夕方に着き、二曲右京進と会った。
右京進はまだ二十二歳の若者だった。父親は戦で負傷し、歩くのも不自由なため、息子に右京進の名と共に家督を譲っていた。右京進は目の前にいる蓮如の姿を見ても、蓮如が今、ここにいるという事が信じられないかのようだった。
蓮如は右京進から、蓮崇が来た事を知って驚いた。右京進は、蓮如がその事を知らなかった事に驚いた。蓮崇が、ここに来たのは丁度、蓮如が本泉寺の庭石を捜している頃だった。蓮如は今回、ここに来る事を蓮崇には知らせなかった。お互いに内緒にして、同じ事をやっていたのだった。
次の日、二曲右京進の案内で、二人は河合藤左衛門の屋敷に向かった。広間の隣にある会所(カイショ)において面談は行なわれた。
蓮如と初めて会った藤左衛門は、蓮如と初めて会った者が、誰でも思う事と同じ事をやはり感じていた。目の前にいる蓮如は、どう見ても本願寺の頂点に立つ法主(ホッス)という感じではなかった。加賀国内に五万以上もの門徒を持ち、蓮如が一言命ずれば、その五万が武器を取って兵となって戦う。それ程の男には、どうしても見えなかった。
山之内衆は白山の衆徒であった。白山の長吏(チョウリ)は勿論の事、末寺(マツジ)の住職でさえ贅沢に身を飾り、寺院の奥の豪勢な書院で贅沢三昧(ゼイタクザンマイ)をして、ふんぞり返っていた。そんな法師たちを見慣れている河合の目から見ると、当然、本願寺の法主たる蓮如も、大勢の門徒に囲まれて贅沢な暮らしをしているものと思っていた。ところが、目の前にいる蓮如は、藤左衛門の予想をまったく、くつがえした。
藤左衛門は、二曲から蓮如が来たと聞いて、前回、蓮崇を送り、いよいよ、親玉が現れたか、と思った。蓮如から、どんなに偉そうな事を言われても、決して門徒にはなるまいと思い、きらびやかな法衣(ホウエ)にくるまれ、人を見下したような蓮如を想像しながら意気込んで会所に現れた。ところが、会所にいたのは粗末な墨衣(スミゴロモ)を来た年配の僧侶と、体格のいい目付きの鋭い山伏、そして、二曲がいただけだった。藤左衛門の想像していた蓮如像は、そこには影も形も見当たらなかった。
二曲が、墨衣の僧侶を蓮如だと紹介した。
藤左衛門は気が抜けたように蓮如を見ながら、この男が蓮如か‥‥‥と何度も、心の中で呟(ツブヤ)いていた。
蓮如は藤左衛門に、湯涌谷から手を引いてくれるよう頼んだ。頭まで下げて頼んだ。
藤左衛門には、なぜか、蓮崇に説明した通りの事を蓮如に言う事はできなかった。
「考えてみましょう」と藤左衛門は、やっとの思いで言った。
なぜだか、分からないが、藤左衛門は蓮如という男の持つ目に見えない不思議な力に圧倒されていた。今まで、こんな経験をした事はなかった。何度も戦を経験し、何度も恐ろしい目に会って来て、怖い物知らずだった藤左衛門が、目の前にいる粗末な墨衣を着た、ただ一人の僧侶が、なぜか、今まで経験した事ない程、恐ろしいもののように感じられた。背中を冷汗が流れ、握った手の中は汗でびっしょりだった。
藤左衛門はいたたまれず、少しの間、席をはずした。
藤左衛門は台所に行って、水を一杯飲み、気を落ち着かせると再び、会所に戻った。
湯涌谷の事を、蓮如はもう言わなかった。後は世間話をするだけだった。蓮如は本願寺の教えについても話さなかった。
半時程、話した後、藤左衛門は蓮如を引き留めた。
せっかく、何かの縁で、こうして会えたのだから、このまま別れるのは惜しい。ぜひ、今晩は共に酒を飲み交わしたい、と申し出た。蓮如は喜んで承諾した。
藤左衛門は家臣に命じ、蓮如と風眼坊を本宮四社を案内させた。蓮如は本宮や三宮の庭園を興味深そうに見て回った。それらの庭園を一度は見てみたかった蓮如だったが、思いもよらずに、その事が実現した事に喜びを隠せなかった。あちこちの庭園を見て回り、河合屋敷に帰って来たのは日が暮れる頃だった。
蓮如が庭園を見て回っていた頃、藤左衛門は山之内八人衆を集めて、今、蓮如が来ている事を告げ、一同に、この際、本願寺の門徒にならないかと勧めていた。
蓮如に会ってから、藤左衛門の考えは変わった。あの男が本願寺の法主なら門徒になるのもいい、と思うようになっていた。藤左衛門は蓮如の教えの事は何も知らなかった。何も知らなかったが、蓮如という人間に惹(ヒ)かれていた。あの男が本願寺の頂点に立っているのなら、その門下に入ってもいいと考えていた。藤左衛門は今まで、あれ程、大きな人間に会った事はなかった。言葉ではうまく説明できないが、藤左衛門には蓮如という男が、とてつもなく大きな人間に思えた。
結局、八人の意見はまとまらなかった。
藤左衛門は前回、蓮崇が来た時も八人を集めて、蓮崇が言った事を皆に告げた。国人門徒たちが、どういう風に勢力を広げて行ったか、という事を皆、興味深そうに聞いていたが、本気で門徒になろうと考えた者はいなかった。藤左衛門自身も門徒になろうとは考えなかった。ところが、蓮如に会った藤左衛門はしきりに門徒になる事を勧めた。皆、不思議がり、蓮如に何を言われたんだ、と聞いたが、藤左衛門にはうまく説明できなかった。とりあえず、一度、蓮如に会ってみてくれと言い、今晩の酒宴に八人、全員が参加するという事になった。
蓮如と風眼坊は一風呂浴びて、広い庭園に面して建つ客殿の一室でくつろいでいた。
「風眼坊殿、あの河合藤左衛門という男、どう見るかな」と蓮如が池の向こうに建つ茶屋のような建物を眺めながら聞いた。
「なかなかの男ですな。義理堅い所があり、曲がった事は嫌いのようじゃ。いつまでも、こんな山の中に納まっておるような男ではありませんね」
「やがて、山から出て行くか‥‥‥」
「多分‥‥‥」
「しかし、湯涌谷を返してくれそうもないのう」
「返して貰うのは難しいでしょう。山之内衆にしてみれば、守護から正式に貰ったと思っておるでしょう。もし、その土地を湯涌谷衆に戻したら、守護の命に背く事になって、山之内衆は守護に敵対するという結果になってしまいます」
「そうか‥‥‥簡単に返すというわけにはいかんのか‥‥‥」
「ただ、河合藤左衛門と親交を深めておけば、この先、この山之内の地に教えを広げるのに何かと有利になる事は確かです」
「白山の膝元であるこの地に教えを広めるのか‥‥‥それも難しい事じゃ」
「そうですかね。わしは、もう十年も前にここに来た事がありますが、その時は、今と比べられない程、栄えておりました。信者たちの数は勿論の事、山伏が物凄くおりました。ところが今回、山伏の数がやけに減っております。山之内の国人たちにしろ、すでに、白山とは以前程、深くつながってないように思われます」
「そんなもんかのう。だとすると、河合殿も門徒になる可能性もあり、というわけじゃな」
「あるかもしれません」
「うむ。時間を掛けて、やってみるか」
その晩、蓮如と風眼坊は客として上座に坐らせられ、八人の山之内衆に歓迎を受けた。
河合藤左衛門と二曲右京進以外の六人は、広間に入って来た蓮如の姿を見て、藤左衛門が感じたのと同じ衝撃を受けていた。初めのうち、ポカンとして蓮如を見ていた六人だったが、酒が入るに従って宴も盛り上がって行った。そして、六人が六人共、藤左衛門が思ったように、この人が本願寺の法主であるならば門徒になるのも悪くはない、と心の中で思い始めていた。
4
山之内庄から戻ると蓮如は、しばらく書斎に籠もっていた。そして、七日の日に御文を発表した。その御文には、門徒が守るべき十ケ条の篇目が掲げられてあった。
一、諸神、諸仏菩薩(ボサツ)等をかろしむべからざるよしの事。
一、外には王法をもっぱらにして、内には仏法を本とすべき事。
一、国にありては守護、地頭方において、決して、粗略にすべからず事。
一、当流の安心(アンジン)のおもむきを詳しく存知せしめて、すみやかに今度の報土往生(ホウドオウジョウ)を治定(ジジョウ)すべき事。
一、信心決定(シンジンケツジョウ)の上には、常に仏恩報尽のために称名(ショウミョウ)念仏すべき事。
一、他力の信心獲得せしめたらんともがら(仲間)は、必ず、人を勧化(カンゲ)せしめん思いをなすべきよしの事。
一、坊主分たらん人は、必ず、自心も安心決定して、また門徒をもあまねく信心のとおりをねんごろに勧化すべき事。
一、当流のうちにおいて沙汰せざるところのわたくしの名目を使いて、法流を乱すべからざる事。
一、仏法について、たとえ正義(ショウギ)たりというとも、しげからん事においては、かたく停止(チョウジ)すべき事。
一、当宗の姿をもて、わざと他人に対して、これを見せしめて、一宗のたたずまいをあさまになせる事。
山之内衆は蓮如と会って、共に酒を酌み交わし、そのまま門徒になるのでは、という徴候も見られたが、あの後、まったく動きは見られなかった。
蓮如は、松岡寺(ショウコウジ)の蓮綱に、山之内衆を門徒にするように命じていた。ただ、焦らずに、じっくり時間を掛けても構わんから、一人づつでも門徒にしろと命じた。
蓮如が十ケ条の篇目を書いた頃より、梅雨に入ったようだった。
風眼坊が大峯山を下りてから、もうすぐ一年だった。
この一年間で、風眼坊は自分でも不思議に思う位に変わっていた。まず、今の風眼坊は山伏ではなかった。去年まで、山伏以外の自分を想像する事すらできなかったのに、今は、町人たちと共に町中に住む医者だった。しかも、若くて可愛いい妻までもいた。決まった所に住まず、年中、旅をしていた風眼坊にとって、梅雨という、うっとおしい時期は一番嫌いだった。ところが、今年は屋根の下で暮らしていた。雨が続いても濡れる事はない。お雪と二人で縁側に坐り、庭の紫陽花(アジサイ)の花を眺めながら、のんびりと暮らしていた。
「越中で避難している人たち、雨の中、大変でしょうね」とお雪が言った。
「うむ。悪い病気が流行らなければいいが‥‥‥」
「子供たちが可哀想ね」
「そう言えば、大きなおなかを抱えておった女たちが何人かいたが、無事に子供を産んだかのう」
「生まれて来る子供も可哀想だわ」
「可哀想でもしょうがない。生まれた子供を殺すわけにも行くまい。いや、間引(マビ)きされたかもしれんのう」
「間引き?」
「生まれた赤ん坊の鼻と口をふさいで殺してしまうんじゃよ」
「ひどいわ。そんな事、実際にあるの」
「あるさ。ぎりぎりの生活をしておれば子供なんか育てられんからのう。寛正(カンショウ)の大飢饉の時なんか、ひどいものじゃったぞ。道端に生まれたばかりの赤ん坊が犬や猫のように捨ててあったわ。もっとも、あの時は赤ん坊だけじゃなく、京の都は人の死体だらけじゃったがのう。殺されるために生まれて来る赤ん坊は哀れなものじゃ」
「そう‥‥‥ひどいのね」
「あの時は、わしも京におったが、まさしく、この世の地獄じゃったのう」
「地獄‥‥‥」と言いながら、お雪はぼうっと雨垂れを見ていた。
「地獄を思い出したのか」と風眼坊は聞いた。
「えっ、違うわ‥‥‥ねえ、もう一度、越中に行きません」
「この雨の中をか」
「だって、あの人たち、あんな小屋の中にぎゅうぎゅう詰めになって暮らしてるのよ。きっと病気になるわ」
「それは分かるが、梅雨が上がってからにしよう」
「それでは遅いわ。今、行きましょう」
風眼坊はお雪の顔を見つめた。お雪の顔は本気だった。お雪の気の強さは風眼坊にはよく分かっていた。一度、決めたら、どんな事をしても実行に移すという頑固さだった。風眼坊が行かないと言っても、一人でも出掛けて行くに違いなかった。
風眼坊はお雪を抱き寄せると、「しょうがないのう」と言った。
お雪は風眼坊に抱かれながら、ニコっと笑った。
さっそく、風眼坊は御山に登り、蓮如に本泉寺の勝如尼と瑞泉寺の蓮乗宛の書状を書いて貰い、本泉寺までの船の手配を頼んだ。蓮如も一緒に行きたいようだったが、雨が降っていては庭造りはできない。梅雨が上がれば、すぐに本泉寺に行きたいので、それまでに帰って来てくれ、と風眼坊に頼んだ。
蓮如の代わりに、その場にいた蓮崇が共に行く事となった。
湯涌谷は蓮崇の本拠地だった。風眼坊が避難民のために、この雨の中、わざわざ出向くと言うのに、蓮崇が一度も顔を出していないのは申し訳ない。ぜひ、連れて行ってくれ、と言った。蓮如も許したので蓮崇はさっそく旅の準備を始めた。蓮崇が共に行ってくれれば、風眼坊にしても医療品の調達など、現地の門徒たちと交渉するのに何かと便利だった。
風眼坊はまた、元、時宗の徒だった潮津(ウシオツ)道場の門徒に声を掛けた。医術の心得のある者、男十人、女十人を吉崎に呼んで、共に本泉寺に向かった。
その頃、大桑の善福寺では、順慶(ジュンキョウ)と慶恵の兄弟を中心に、守護の富樫を攻める包囲網が着々と進んでいた。ただ、彼らの動きは守護代の槻橋(ツキハシ)近江守に筒抜けだった。
槻橋近江守の本拠地は、白山本宮のすぐ側の槻橋(月橋町)だった。槻橋家は古くから本宮とつながりを持っていた。近江守は、本願寺を倒すために白山衆徒と結び、白山の山伏を本願寺の各寺院を初め、有力門徒のもとに潜伏させていた。諜報活動に当たっては、白山の山伏たちの方が本願寺の門徒たちよりも、ずっと上手(ウワテ)である。昔に比べて白山の勢力は衰えているとはいえ、まだまだ、白山系の寺院は各地にあって山伏たちは活動している。本願寺の門徒でさえ、病気の時などには、未だに彼らの加持祈祷を頼みとしていた。
白山の山伏たちは門徒に化けて、本願寺の道場や寺院に出入りし、どんな些細な動きでも槻橋近江守のもとに知らせていた。順慶にしろ慶恵にしろ、そんな事にはまったく気づかず、大将になったつもりで得意になって打倒富樫の作戦を進めていた。
彼らの作戦は、梅雨明けの増水時を狙って富樫勢を手取川と犀川との間に封じ込め、一気に野々市を潰すというものだった。
敵の兵力は野々市に三千と木目谷に五百、山川城に五百で合わせて四千。
本願寺側は、手取川流域の安吉源左衛門、笠間兵衛の兵力が合わせて六千。河北潟の伊藤宗右衛門の兵力が五百、木目谷の高橋新左衛門の配下で、河北潟に避難している一瀬勝三郎率いる五百と合わせて一千。倉月庄磯部の聖安寺(ショウアンジ)に避難している田上五郎兵衛率いる五百と倉月庄の国人たち二千。それに、犀川上流で避難している辰巳右衛門佐率いる五百と、越中にいる千五百。総勢一万一千余りの兵力があれば、有力寺院の門徒たちが動かなくても充分に勝算があると言えた。
守護代の槻橋近江守は野々市にいながら本願寺の動きを手に取るようにつかんでいても、特に動く様子は見せなかった。槻橋としても、一気に倒すつもりでいた。敵が動き始めた出鼻を挫(クジ)くのが、一番いいだろうと思っていた。
勝負は梅雨が明けた時に決まると言えた。その時を目標にして、お互いに着々と準備を進めていた。
毎日、雨の降り続く梅雨の最中、山之内衆が動いた。
湯涌谷を占拠していた山之内衆が、どうした事か、全員、引き上げてしまった。
山の上から湯涌谷を見張っていた竹内弥右衛門は信じられない事のように、隊列を組んで去って行く山之内衆を見送っていた。全員が去った後、湯涌谷に下りた竹内は手下の者を瑞泉寺の石黒孫左衛門のもとに送り、村々を見て回った。
家々は破壊されてはいなかった。蔵の中には米も残っていた。そして、山之内衆が本陣として使用していたと思われる蓮崇の屋敷の中に、『この度、山之内衆は全員、蓮如上人に帰依(キエ)する事となった。ゆえに、湯涌谷は湯涌谷衆にお返しする』というような事が漢文で書かれてあった。その文の後には、山之内衆の代表八人の名前が並んでいた。
竹内からの知らせを聞いた石黒孫左衛門と高橋新左衛門は、突然、降って来たような幸運が、とても信じられず、敵の罠(ワナ)かもしれないと警戒した。そして、武装させた兵百人を石黒が自ら引き連れて偵察に出掛けた。偵察隊は湯涌谷で一晩様子を見てから安全を確認し、越中に避難していた湯涌谷衆と木目谷衆、全員を呼んだ。湯涌谷衆に取っては、二ケ月半振りの我家への帰還だった。
それは六月の三日、風眼坊たちが蓮崇と共に越中の避難所を巡り、吉崎に戻ってから五日後の出来事だった。さらに、山之内八人衆が松岡寺の蓮綱に帰依したのが、次の日の四日である。その日の内に、蓮綱によって、山之内衆が湯涌谷から手を引いた、との知らせが吉崎に入り、五日には、湯涌谷衆によって、越中に避難していた門徒全員が湯涌谷に戻ったという知らせが吉崎に届いた。
その知らせを聞いた時、さすがに、蓮如も蓮崇も嬉しそうだった。
蓮如の口から思わず『南無阿弥陀仏』と念仏がこぼれた。
蓮崇も念仏を唱えたが、蓮崇の念仏は蓮如の念仏と違い、阿弥陀如来に対する感謝の念仏ではなく、山之内衆に対する感謝の念仏であった。念仏を唱えながらも、蓮崇の頭の中では、次に木目谷をどうしたらいいかという事を考えていた。
「蓮崇、風眼坊殿に知らせてやってくれ。風眼坊殿にもお雪殿にも、随分と苦労させてしまったからのう」と蓮如は雨を眺めながら言った。
「畏まりました」
蓮崇は頭を下げると蓮如の書斎から出て行った。
5
久し振りに、強い日差しだった。
暑い夏の始まる兆(キザ)しだった。
待っていました、と蓮如は活動を始めた。
慶聞坊、風眼坊、お雪を連れて真っ青な海に船を乗り出した。目指すは勿論、本泉寺だった。今回の旅で、蓮如は庭園を完成させるつもりでいた。
梅雨明けを、指をくわえて待っていたのは蓮如だけではなかった。大桑の善福寺にいる順慶、慶恵の兄弟も、毎日、雨を睨みながら、その日が来るのを待っていた。
彼らは梅雨明けと同時に作戦を開始した。
湯涌谷にいる湯涌谷衆と木目谷衆一千五百の兵の内、五百を犀川上流に移し、辰巳右衛門佐の兵五百と合流させた。そして、その一千の兵を持って、下流にある山川城の山川亦次郎を攻撃させ、湯涌谷にいる兵一千を持って、木目谷城にいる高尾(タコウ)若狭守を攻撃させる。
山川城も木目谷城も守る兵の数は約五百だった。奇襲を掛ければ簡単に落ちるだろうと思われた。さらに、大野庄の吉藤専光寺に河北潟の国人、伊藤宗右衛門率いる五百の兵と伊藤のもとに避難していた木目谷衆の一瀬勝三郎率いる五百の兵、合わせて一千の兵が待機し、倉月庄の磯部聖安寺には田上五郎兵衛率いる五百の兵と倉月庄八人衆の兵、二千が待機し、善福寺にも倶利伽羅の越智伯耆守、砂子坂の高坂四郎左衛門、長江の松田次郎左衛門らの兵一千が待機して、木目谷城と山川城が落ち次第、一斉に野々市を攻める手筈になっていた。
本願寺の寺院を本陣としたのは、前回の戦の時、戦場の真っ只中にあった善福寺が、まったくの無傷だったため、守護側は、今回の戦では国人を敵としていて、本願寺を敵とはしていない、本願寺の寺院を攻める事はないだろうと判断したためだったが、それが甘い考えだったという事が、後になって悔やまれる結果となった。
守護側の大将である槻橋近江守は本願寺の動きを知っていながら、まったく気づかない振りをして、木目谷城、山川城には援軍を送らなかった。そして、木目谷とは反対方向の手取川において軍事行動を起こした。
松任(マットウ)城を守る鏑木右衛門尉(カブラギウエモンノジョウ)に安吉源左衛門を攻撃させた。すでに、右衛門尉の父親、兵衛尉(ヒョウエノジョウ)は本願寺の門徒となっていた。兵衛尉は本願寺門徒だったが、息子の右衛門尉は守護富樫次郎の姉婿(ムコ)という複雑な立場に立たされていた。
兵衛尉が門徒となったという事も、兵衛尉が自ら、近江守に知らせる以前に近江守は知っていた。兵衛尉は安吉と笠間を暗殺するために門徒となったのだと説明した。近江守が、その事を信じたとは思えないが、一応、納得したように見えた。しかし、兵衛尉の回りには常に近江守の目が光っていた。
近江守の命(メイ)が届くと、兵衛尉は息子に出陣を命じた。三百の兵を武装させ手取川に向かった。手取川の水量は増し、勢いよく流れていた。手取川を挟んで、鏑木と安吉の睨み合いが続いた。お互いに川を渡る事は不可能だった。
鏑木の兵と安吉の兵は睨み合ってはいても、戦をする気はまったくなかった。ただの形だけだった。鏑木兵衛尉と安吉源左衛門は近江守の放った間者(カンジャ)の目の光る中で、度々、会って、お互いの腹の内をすっかり相手に知らせてあった。間者の目をごまかすために、源左衛門を狙う振りもして見せた。今日の戦の事もすでに予想し、お互いに、打ち合わせも済んでいた。
また、守護代の近江守にしても、この手取川における戦は、敵の目をごまかすためのもので、本気で安吉を討つつもりではなかった。鏑木の兵三百足らずで、安吉に勝てるとは思っていない。ただ、敵の目を手取川に引き付けておくための手段に過ぎなかった。案の定、善福寺にいる順慶と慶恵の二人は、やはり、敵の次の目標は手取川の国人だったと勘違いした。敵の目が南を向いているうちに、木目谷はいただきだ、と自分たちの作戦の成功を確信して気分をよくしていた。
湯涌谷衆と木目谷衆の準備が調い、浅野川と犀川の上流から、木目谷城、山川城を目指して攻め下りて来たのは、手取川の睨み合いが始まった二日後だった。一気に踏み倒して行くはずだった。ところが、敵の守りは固かった。敵は一向に城から出て来て戦おうとはしなかった。攻めて来る事を前以て知っていたかのように、万全の準備をして待っていた。
一日中、攻めまくっても、味方の負傷者が増えるばかりで、まったく埓(ラチ)が明かなかった。
善福寺において、作戦の総指揮を取っていた順慶と慶恵はイライラしながら戦況を聞いていた。二つの城が落ちなければ作戦のすべてが破れてしまう。
結局、味方の損害ばかりが大きく、木目谷城も山川城もびくともしないで、その日は暮れて行った。
蓮崇と慶覚坊の二人が善福寺に来たのは、木目谷城、山川城で戦が行なわれている最中だった。二人は吉崎にて手取川の戦の事を聞いて慌てて飛んで来たが、安吉源左衛門より事情を聴き、手取川の事は安心し、せっかく、ここまで来たのだから善福寺まで行ってみるか、と来てみたら、この騒ぎだった。
その夜、善福寺において軍議が行なわれた。木目谷城を攻めている高橋新左衛門、山川城を攻めている石黒孫左衛門も来ていた。二人とも気が立っていた。
「一体、これはどうした事じゃ。奇襲どころではないわ。敵はわしらが来る事を知っておって、すっかり守りを固めておる。あれだけ守りが固かったら、一月経っても落ちるかどうか分からん」と高橋は怒鳴るように言った。
「内密に事を運んだはずなんじゃがのう。おかしいのう」と順慶は絵地図を見ながら言った。
「湯涌谷に戻った時点で、敵は、いつか攻めて来ると気づいたんじゃないかのう。そして、いつ、攻めて来てもいいように守りを固めて待っておった。そうとしか思えんのう」と蓮崇が言った。
「敵の動きをよく調べましたか」と慶覚坊は聞いた。
「敵の兵力は調べた。五百足らずしかおらんというので簡単に落ちると思っておった」と順慶が答えた。
「たとえ、五百足らずとはいえ、城を攻め落とすというのは容易な事ではない。それで、今日の被害はどんなもんじゃ」
「木目谷において、百人以上の負傷者が出ておる」と高橋は言った。
「山川城でも百人以上はおるのう。二百人近くおるかもしれん」と石黒は言った。
「早い内に落とさないと野々市から攻められ、また、越中に追い出されるかもしれん」
「これから、どうするつもりです」と蓮崇は聞いた。
「今、山向こうの長江の地に松田次郎左衛門、高坂四郎左衛門、越智伯耆守らが兵を引き連れ待機しておる」と慶恵は言った。「木目谷城と山川城を落としてから、ここで合流するはずだったんじゃが、奴らにも加わって貰うしかあるまい」
「連絡はしてありますか」
「ああ、明日の早朝には、こちらに向かうはずじゃ」と順慶が答えた。
「まあ、とにかく、明日一日、攻めてみて、もし、駄目だったら、その二つは後回しにした方がいいかもしれんのう。いつまでも、こんな所に引き留められておったら、他の場所で待機しておる兵の士気が落ちてしまう」と慶恵が言った。
「それがいい」と順慶が頷いた。「もし、敵が城から出て来て、後を追って来るようなら叩き、出て来なかったら後回しじゃ」
次の朝、善福寺に到着したのは予想に反して、松田次郎左衛門率いる三百足らずの兵だけだった。高坂と越智の兵は少し遅れるが、今日の内には到着するだろうとの事だった。
松田の兵は、そのまま木目谷に向かい、高橋新左衛門と合流した。また、山川城を攻めている兵の内、三百も木目谷に向かわせた。とりあえずは、山川城を落とすより、木目谷城の方が先決だった。山川城は囲むだけにして集中的に木目谷城を攻め立てた。
様々な作戦を立て、一日掛かりで攻め続けたが落とす事はできなかった。
高坂と越智の率いる兵八百余りが善福寺に到着したのは日の暮れ掛かった頃だった。森下川が氾濫して、なかなか渡れず、予定より遅れてしまったのだと言う。
すでに、この時、各地において準備は調っていた。
聖安寺に兵二千五百、専光寺に兵一千、手取川の下流では、笠間兵衛率いる三千の兵が川を渡り、安吉の兵も一千人が鏑木の兵と睨み合いを続け、後の二千は少し上流から川を渡っていた。全部合わせて一万余りの兵を持って、三千足らずの野々市の守護所を攻めるという作戦だった。作戦通りに行けば、守護の富樫家は明日か明後日のうちに、この世から消えるはずだった。
善福寺にいた蓮崇も慶覚坊も、順慶と慶恵の立てた作戦がうまく行くに違いないと思った。蓮崇が提案した通り、これは国人一揆だった。中心になっているのは国人たちで、本願寺は関係なかった。作戦を立てたのは本願寺の坊主だったが、二人は表には出ていない。しかし、本願寺が作戦に拘(カカ)わっているという事は重要な事を意味していた。もし、今回の戦に勝利した場合、国人だけの手によって勝ったとしたら、勝利を得た国人たちが富樫と入れ代わって、守護の地位に付く可能性があった。ところが、作戦を立てたのが本願寺の坊主なら、勝利を得た時点において、国人一揆を本願寺一揆にすり替える事ができる。本願寺一揆が守護を倒したとなれば、加賀の守護に付くのは本願寺だった。うまく行けば、加賀の国が『本願寺の持ちたる国』になるのも近い、と蓮崇は思った。
その晩、木目谷城と山川城の事を諦め、明日、野々市に攻め込む事が決定した。
東の空に満月が出ていた。その月明かりの中、各地の兵のもとに伝令が走った。
26.庭園1
1
まだ、夜明け前だった。
異様な雰囲気を感じて慶覚坊は目を覚ました。
慶覚坊は蓮崇と共に善福寺の書院の一室に寝ていた。暑い夜だったので、板戸は開け放したままだった。
慶覚坊は起き上がると薙刀(ナギナタ)を手にして広縁に出ると、外の様子を眺めた。
月明かりで外は明るかった。特に、怪しい物影も物音もなかった。
善福寺は去年の戦の時、戦場外にあったため、まだ、城塞化していなかった。塀に囲まれているとはいえ、無防備状態と言えた。
今、善福寺には百人程の兵が待機していた。越智伯耆守と松田次郎左衛門が率いて来た兵八百人は、浅野川の河原に陣を敷いている。善福寺にいる百人の兵は善福寺の門徒たちで、明日の早朝、すぐに行軍できるように境内に待機しているのであって、善福寺を寝ずの番をしているわけではない。皆、庭のあちこちに横になって休んでいた。寝ずの番をしているのは、いつもの通り、門番の二人だけだった。この時、敵が善福寺を襲って来るだろうとは誰もが思っていなかった。
慶覚坊が広縁に立って回りを見回していると、蓮崇が部屋の中から声を掛けて来た。
「何となく、嫌な予感がするんじゃ」と慶覚坊は小声で言った。
「嫌な予感?」と蓮崇も広縁に出て来て、回りを見回した。
「気のせいじゃないのか」
「かもしれん」
「いい月じゃのう。明日も暑くなりそうじゃ」
「わしは一応、一回りして来るわ」
慶覚坊は広縁を書院の表の方に向かった。
蓮崇はあくびをすると、部屋に戻って、また、横になった。
夜明けまでは、まだ、一時(二時間)以上ありそうだった。
慶覚坊は外に下りると、本堂の横を通って門の方に向かった。
月明かりの下で、気持ちよさそうに武装した門徒たちがゴロゴロ寝ていた。
門番の二人も、槍にすがるようにして立ったまま眠りこけていた。
慶覚坊は門番を起こした。
門番はビクッとして目を開け、槍をつかみ直した。
「眠い所をすまんがのう、もう少し、我慢して起きておってくれ」
「はっ」
「いい月夜じゃのう。別に異常はないようじゃのう」
「はっ、異常ありません」
その時だった。奇妙な音と共に光が空をよぎった。その光は一つではなかった。寺の回りから一斉に寺の中へと飛び込んで来た。
火矢だった。
梅雨が上がってから、毎日、暑い日が続いていたため、乾燥していた茅(カヤ)葺きの屋根は見る見る炎に包まれて行った。
慶覚坊は、そこらに寝ている兵たちを起こしながら書院に向かった。皆をたたき起こして書院から出すと、書院の中を通り抜けて庫裏(クリ)に向かった。庫裏で眠っている順慶の家族たちを起こし、皆を外に出した。火災からは逃れられたが、今度は、燃えている建物から出て来た者たちを狙って、普通の矢が雨のように射られて来た。善福寺には武装した兵が百人程いたが、反撃するどころではなかった。皆、闇の中から飛んで来る矢を避ける事が精一杯だった。
慶覚坊は板戸をはずし、それを盾にして裏口から外に出ると、敵の中に突っ込んで行った。二、三人は倒したが、『引け!』という言葉と共に敵は引き上げて行った。
慶覚坊は表門の方まで追って行ったが、深追いするのはやめた。すでに、門前に並ぶ多屋からも火は出ていた。逃げて行く敵の影を見ながら、敵の数は思っていた程、多くはなさそうだと思った。多く見ても百人、いや、五十人位だったのかもしれなかった。
慶覚坊は表門を開けさせ、中に入った。
本堂の屋根は焼け落ち、まだ、盛んに燃えていた。庫裏も書院も同じく焼け落ちていた。何人かの兵たちが代わる代わる井戸から水を汲んで火に掛けていたが、火の勢いが強すぎた。まったく効果はなかった。
幸いに風はなかった。他の場所に火が移る事もないだろう。燃えるに任せるしかなかった。
廐から逃げ出した馬が火に脅えて暴れ回っていた。
親鸞像のある御影堂(ゴエイドウ)だけは、屋根の半分程が燃え落ちただけで、不思議と、すでに火は消えていた。
蓮崇が近づいて来た。
「ひでえ事をしやがる」と蓮崇は真っ黒な顔をして言った。
「大丈夫か」
「ああ、わしは大丈夫じゃ‥‥‥そなたの感が当たったようじゃのう」
「いや。以前、山伏の頃じゃったら、絶対に怪しいと確信できたんじゃが、最近、怠けておるもんで、その事がはっきり分からなかった。不覚じゃった」
「そなたのせいではない。敵を甘く見過ぎておったせいじゃ。敵の動きをよく調べなかった。前回の失敗をまた繰り返してしまったんじゃ」
「そうじゃのう。敵を甘く見過ぎておったのう‥‥‥怪我人の方はどうじゃ。順慶殿や慶恵殿は大丈夫じゃったか」
「それが、順慶殿の子供が一人‥‥‥」
「怪我したのか」
蓮崇は首を振った。
「亡くなったのか」
「ああ。間に合わなかった」
「そうか‥‥‥兵の方も大分、やられたようじゃのう」と慶覚坊は回りに倒れている兵たちを眺めた。
「うむ‥‥‥だが、木目谷にも、山川にも、浅野川の河原にも兵はおる。明日の作戦には支障はないじゃろう」蓮崇は燃えている本堂を見上げながら言った。
「まあな。しかし、守護側はどうして、ここを攻めて来たんじゃろう」
「ここが、中心になっておると気づいたんじゃないかのう」
「という事は、敵は今回の戦を守護対本願寺の戦にするつもりかのう」
「いや、そんな事はあるまい。本願寺を敵にする理由があるまい。本願寺自身は、土地など一つも持っておらんのじゃから荘園の横領という事はありえん」
本堂の太い柱が、大きな音を立てて倒れて来た。危うく、下敷になりそうな兵がいたが、無事、逃げる事ができた。火の粉が慶覚坊と蓮崇の所まで飛んで来た。
「もしかしたら、高田派かも知れん」と蓮崇はポツリと言った。
「高田派?」
「ああ、最近、高田派の坊主が野々市に出入りしておるとの情報があるんじゃ。守護代の槻橋が高田派を裏で操って、本願寺を倒そうとしておるのかも知れん」
「高田派か‥‥‥しかし、守護が高田派と組めば、幸千代の二の舞になる事ぐらい、槻橋だって承知しておるじゃろう。本願寺に戦をする名目を与えるようなものじゃからのう」
「しかし、利用するだけならできる」
「本願寺が何かを言って来たら、高田派の奴らを捕まえて突き出すとでも言うのか」
「そうじゃ」
「そんな、あくどい事はするまい」
「いや、槻橋という男ならやりかねん。かなり、冷酷な男じゃとの噂じゃ」
「ほう、そんな男が敵の大将だとすると何をするのか分からんのう」
「まあ、その槻橋の命も、もうすぐ消える事となろう」
ところが、そううまい具合には事は運ばなかった。
善福寺が襲撃された頃、浅野川に陣を敷いて休んでいた越智伯耆守、松田次郎左衛門率いる八百の兵も夜襲を受けていた。突然、四方から弓矢が飛んで来て、鬨(トキ)の声によって目覚めさせられた。その後は恐怖心と共に悲惨な同士討ちが始まった。
夜が明けるまで戦い続け、夜が明けた時には、半数以上の味方が傷付き、敵の姿はどこにもなかった。
木目谷でも、山川城でも敵の夜襲は行なわれたが、この二ケ所では、敵の思い通りにはならなかった。夜になっても、きちんと守りを固めていたため敵の夜襲に素早く気づき、逆に、城から出て来る敵を待ち構えて散々な目に会わせていた。
朝になって、浅野川での死傷者の数が余りに多いのに驚いた慶恵は、ひとまず、今回の作戦の延期を決め、各部署に伝令を送った。
順慶は我が子を失った悲しみで、状況の判断できる状態ではなかった。狂ったように、「富樫を殺せ!」と喚(ワメ)いていた。
蓮崇は、蓮如がいるはずの二俣の本泉寺の事が気に掛かり、本泉寺に向かい、慶覚坊は、聖安寺と専光寺は無事だろうかと、まず、聖安寺に向かった。
蝉(セミ)が喧(ヤカマ)しかった。
蓮如は慶聞坊、風眼坊と共に、近所の河原者を数人使って庭園造りに熱中していた。
完成も間近だった。
三つの大きな石を阿弥陀三尊にたとえて、その石を中心にして、築山(ツキヤマ)と池が配置され、様々な樹木が植えられ、浄土を表現していた。池にはまだ水が入っていないが、水が入れば、正しく浄土を感じる庭園となりそうだった。
蓮崇が馬に乗って本泉寺に駈け込んで来たのは、丁度、一休みしている時だった。
蓮崇は馬から降りると門番に馬を渡し、境内の中を見回し、何事も無かった事に安心して庭園の方にやって来た。
蓮崇のその顔色を見て、何か嫌な事件が起きたな、と感じたのは風眼坊だけではなかった。
蓮如は蓮崇を側に呼ぶと、静かな声で、「何が起こったんじゃ」と聞いた。
蓮崇は側に寄って来た風眼坊と慶聞坊の顔を見回してから、「善福寺が焼けました」と言った。
「そうか‥‥‥」蓮如はそう一言、言っただけで黙った。
蓮崇もそれ以上は言わなかった。
蓮如は上に上がって話そうと無言のまま合図をした。
蓮如、風眼坊、慶聞坊は井戸で手足を洗い、客間に上がった。河原者たちは、続けて庭造りの作業を始めた。
蓮崇は蓮如、風眼坊、慶聞坊の三人を前にして、手取川における戦の始まりから、善福寺が全焼するまでの経緯(イキサツ)を順を追って話した。
三人共、湯涌谷から山之内衆が引き上げ、越中に避難していた湯涌谷衆が戻ったと言う事は知っていた。湯涌谷衆は戻る事ができたが、まだ、木目谷衆がいた。木目谷衆が木目谷に戻る事は難しかった。
木目谷には、富樫次郎の家臣、高尾(タコウ)若狭守が新しい領主として納まっていた。木目谷衆が代々暮らしていた土地を汚いやり方で取り上げられ、このまま黙っているとは思えなかったが、蓮如とすれば、できれば我慢して欲しかった。できれば騒ぎを起こして欲しくなかった。しかも、その騒ぎの中心になっていたのが浄徳寺慶恵と善福寺順慶の兄弟だったという事は残念な事だった。二人は越前超勝寺の一族だった。彼らの祖父、頓円(トンエン)は蓮如の祖父、巧如(ギョウニョ)の弟だった。同じ一族の者である彼らが、国人たちを扇動して一揆を起こそうとしていたとは、蓮如はやり切れない気持ちになっていた。
二年前、教えに背いたため、超勝寺の住持職を辞めさせた巧遵(ギョウジュン)も、慶恵と順慶の兄弟だった。末っ子の定善坊が去年の戦で活躍して英雄視されているため、あの兄弟は益々、増長して行った。蓮如には詳しい事は分からないが、吉崎の多屋衆たちも蓮崇派と超勝寺派に分かれて対立しているという。
本願寺の法主(ホッス)とはいえ、蓮如の力では、もう、どうにもできない程に、門徒たちは蓮如から離れて行っているような気がした。そろそろ、北陸の地を去らなければならない日が近づいて来ているような気がしてならなかった。
「木目谷は落ちそうもないのか」と風眼坊は聞いた。
「無理です。完璧に守りを固めておるらしい。多分、充分な兵糧の用意もしてある事でしょう」
「すでに、守護側では善福寺の動きを知っておったという事じゃな」
「そういう事です。多分、槻橋近江守は白山の衆徒を使って、各地に探りを入れておるようです。吉崎の地にも奴らが潜伏しておりましたから」
「白山の山伏を使ったか‥‥‥奴らならやりかねんのう。しかし、どうして善福寺を焼き打ちなどしたんじゃろう」
「それなんですが、ここに来るまで、ずっと馬上で考えて気づいたんじゃが、守護は今回の戦を国人一揆から、本願寺の一揆にすり替えようとしているのかもしれません」
「国人一揆を本願寺一揆に?」と慶聞坊が言った。
蓮崇は頷いた。「今回、国人たちは本願寺の事は一切、表に出しておりません。守護側も、本願寺の事は表に出さず、荘園を横領した国人を敵として来ました。しかし、守護側の本当の目的は、本願寺の勢力を弱め、この加賀の国を一つにまとめる事です。国人たちを操っているのが善福寺だと知った守護側は、国人一揆を本願寺一揆にすり替えようと思ったに違いありません」
「守護は正式に、本願寺を敵にしたというのか」と蓮如が聞いた。
「そうです。もしかしたら、守護の富樫はこの際、一気に本願寺を叩くつもりなのではないでしょうか。三月の戦で木目谷と湯涌谷の国人を越中に追い出す事に成功しました。これは国人門徒たちに対する見せしめとして行なわれたものと思われます。守護はその戦の後、しばらく、国人門徒たちの様子を見ておりました。ところが、予想外な事が起こりました。山之内衆が本願寺に帰依(キエ)した事です。守護側は慌てた事でしょう。山之内衆はかなりの勢力を持っておりますからね。山之内衆を本願寺に取られた守護は、作戦を切り替えなくてはならないはめになりました。国人門徒たちを敵に回して戦っておったのでは切りがありません。この先、国をまとめて行くためには彼らの力が必要となります。そこで、攻撃の的を本願寺の有力寺院に切り替えたのに違いありません。各道場をつなぐ寺院が無くなれば、本願寺の組織は弱くなると考えたのだと思います」
「蓮崇殿の考えによると、ここも危ないと言う事になるのう」と風眼坊は言った。
「ええ。ここもやられたと思って、途中から走って来ました。無事で何よりです」
「吉崎も危ないですね」と慶聞坊が言った。
「いえ、吉崎は越前にあります。それに、南加賀の守護代の山川三河守は、北加賀の槻橋近江守のように武力を持って事に当たるような人ではありません。今のところは、まだ、吉崎は安全だとは思いますが」
「いや、分からんぞ」と風眼坊は言った。「越前の朝倉も守護じゃ。本願寺と富樫が争う事となれば、富樫に付く可能性の方が高い。富樫勢が吉崎を攻めたとしても、見て見ぬ振りをするに違いない。それに、朝倉と対立している甲斐の一党が超勝寺に出入りしておるとの噂もある。本願寺が甲斐と手を組んだなどと朝倉に勘ぐられたら朝倉も本願寺を敵にするかもしれん」
「超勝寺に甲斐党が出入りしておるというのは本当なのか」と蓮如は厳しい口調で聞いた。
「残念ながら本当です」と蓮崇が答えた。「甲斐八郎は朝倉と和解をして越前に戻ったにしろ、守護である朝倉の下におる事に満足しておりません。朝倉もその事は充分に承知しております。朝倉は甲斐党の有力な家臣たちを次々に懐柔し、自分の家臣に組み入れております。すでに、越前の国は朝倉によってまとまりつつあります。甲斐党の者たちも、このまま甲斐八郎の付いて朝倉に対抗するよりは、朝倉の家臣になった方が有利な状況になっております。甲斐八郎としては次々に家臣に裏切られ、以前、共に戦った富樫幸千代もおらなくなり、この先、朝倉と対抗して行くには本願寺を味方にするしか手が無くなって来ておるのです。かと言って、朝倉派である本願寺に近づく手だてもありません。そこで目を付けたのが、元超勝寺の住持の巧遵殿です。巧遵殿が上人様によって住持職を降ろされ、しかも、わたしを恨んでいるとの事を知って」
「待て、巧遵がそなたを恨んでおる?」と蓮如が口を挟んだ。
「はい。巧遵殿はわたしが上人様に告げ口をして、あの日、上人様が突然お見えになったと思っておるのです」
「逆(サカ)恨みといいところじゃ。それで、巧遵は甲斐と会っておるのか」
「はい。その事を利用して、甲斐は巧遵殿に近づいて来ました。しかし、巧遵殿も甲斐と手を結ぶなどという馬鹿な事はしません。しかし、甲斐は執拗(シツヨウ)に超勝寺に出入りしておった模様です。もしかしたら、門徒にしてくれと言って来たのかもしれません。巧遵殿も初めのうちは、朝倉と甲斐は和解した事だし、会っても別に問題はないだろうと会っておったようですが、そのうち、しつこさに溜まり切れずに越前から消えたようです」
「越前から消えた?」
「はい。しばらくは吉崎におったようですが、今は、どこに行ったのか、まったく分かりません」
「善福寺にもいなかったのか」
「はい。慶恵殿も順慶殿も、二ケ月程前に吉崎で会ったきり会っていないとの事でした」
「一体、どこに行ったんじゃ」
「分かりません」
「今でも、超勝寺には甲斐党の連中は出入りしておるのですか」と慶聞坊は聞いた。
「らしい。でも、蓮超殿の後見人の頓如尼(トンニョニ)殿がうまく追い返しておるらしい」
「そうか、そいつはよかった」
蓮如は安心したようだった。
蓮如の安心もつかの間、勝如尼が血相を変えて客間に飛び込んで来た。
「大変です。聖安寺(ショウアンジ)がやられたそうです」
勝如尼は息を切らせながら、それだけ言うと、力が抜けたように坐り込んだ。
「聖安寺がやられた? どうやられたんです」と蓮崇は勝如尼に詰め寄った。
「まあ、蓮崇、落ち着け。勝如尼殿、詳しく話して下さらんか」
「はい。あたしにも詳しい事は分かりませんが、何でも、夜中に襲撃されて、聖安寺は全焼してしまったそうです。幸いに、善忠殿は無事だったそうですが、かなりの死者や怪我人が出たようです」
「善福寺と一緒じゃ」と蓮崇は唸った。
「善福寺もやられたのですか」と勝如尼は力のない声で聞いた。
「はい。全焼です」
「まあ、恐ろしい。ここにも攻めて来るのでしょうか」
「その可能性がないとは言えません」
「上人様、どうしたらいいのでしょう」と勝如尼は蓮如にすがるような目をして聞いた。
蓮如は何と答えたらいいのか、分からなかった。
守護のやり方は汚かった。寝ている所を襲撃し、まして、火を掛けるとは、まともな戦ではなかった。数多くの負傷者が出、死者まで出たという。
蓮如個人は、今すぐにでも門徒たちに、守護を倒せ! と命じたかった。しかし、法主として、それはできなかった。親鸞聖人(シンランショウニン)様の教えの中に、戦という文字はなかった。
聖人様は、その地で布教する事が難しくなったら移動して、別の地で布教せよと言った。教えが本物だったら、その教えは必ず、その地に根を張って広まる事だろうと言った。
蓮如はそろそろ、この北陸の地から移動する時期が来ているかもしれないと実感した。この地を去っても悔いはなかった。各地を自分の足で歩き回り、出来る限りの布教をして来た。元々、この地に落ち着くつもりはなかった。近江に教えを広め、叡山(エイザン)との争いを避けるため、この地に来た。この地にも、充分に教えを広めた。そして、今度は、守護との争いを避け、新しい地に行くだけだった。
近江では、自分がいなくなったら、叡山ともうまくやっているようだった。ここでも、自分がいなくなれば、守護と門徒たちはうまくやって行くかもしれない。そう願うしかなかった。
蓮如はもう六十歳を過ぎていた。まだまだ健康だとはいえ、先はそう長くはなかった。死ぬ前にしなければならない事があった。新しい地に教えを広める事は勿論だが、一番肝心な事は本願寺の再建だった。大谷の本願寺を叡山に破却されて以来、本願寺には本寺がなかった。蓮如が今いる吉崎は本願寺ではない。本願寺の別院だった。長男の順如のいる大津顕証寺(ケンショウジ)も別院だった。別院はあるが本寺がなかった。死ぬまでに、本寺である本願寺を建てなければならなかった。できれば、京の都に建てたいが、それが無理なら、なるべく都の近くに建てたかった。
蓮如はこの日、口には出さなかったが吉崎を去る決心を固めた。
蓮崇が勝如尼に、本泉寺の夜の警固を厳重にするようにと言っていた。
蓮如は側で聞きながら口を挟まなかった。戦え、と言えない以上、守りを固めるしかなかった。
今度は、お雪が血相を変えて飛び込んで来た。
お雪はここに来て以来、毎日、孤児たちの所に行って、彼らの世話をしていたが、聖安寺の事を噂で聞いたらしかった。飛び込んで来るなり風眼坊を捕まえ、早く現場に行かなくちゃ、とせきたてた。
風眼坊は、分かった、分かったと言いながら、お雪と共に客間を出て、聖安寺に向かう準備を始めた。
聖安寺には蓮崇も共に付いて来た。慶聞坊も一緒に行きたいようだったが、蓮如を守らなければならないので、仕方なく本泉寺に残った。
一行を見送ると、蓮如はまた庭園に戻って作業を続けた。この庭だけは完成させないと、この地を離れるわけにはいかなかった。
子供が泣き叫んでいた。
母親らしい女が子供の側に来て慰めていたが、子供は泣きやまなかった。
聖安寺では倉月庄の門徒らによって、全焼した寺院の後片付けが進んでいた。
門徒たちを指揮している者の中に、慶覚坊と疋田豊次郎(ヒキタブンジロウ)の姿があった。
豊次郎は風眼坊とお雪の姿を見ると、顔の汗を拭きながら近づいて来た。
「とんだ事になったのう」と風眼坊は焼け落ちた寺院を眺めながら豊次郎に言った。
「ひどいもんじゃ。槻橋のやり方は汚すぎる」
「まったくのう」
「相変わらず、別嬪じゃのう」と豊次郎はお雪に言った。
「疋田様は珍しく酔ってないのね」とお雪は笑った。
「毎日、忙しくて、酔う暇もないわ」
蓮崇は慶覚坊と何かを話していた。
「おぬし、怪我人たちが、どこに収容されておるか知らんか」と風眼坊は豊次郎に聞いた。
「円性坊(エンショウボウ)殿の多屋(タヤ)です」
「どこじゃ」
「こっちです」と豊次郎は先に立って歩いた。
「倉月庄の連中も苦しい立場になってしまったのう」と風眼坊は言った。
「まったくです。正直言って、この先、どっちに付いたら生き延びられるのか、分かりません」
「野々市が近すぎるからのう。どっち付かずで、状況を見ておるというわけには行かんから難しいところじゃのう」
豊次郎は厳しい顔をして頷いた。「このまま、守護が強きで本願寺を攻めるようなら、わしらは守護側に付かざるを得なくなるかも知れませんよ。守護側は必死になって、本気で本願寺を倒すつもりでおります。本願寺も本気になって守護を倒すつもりにならない限り、本願寺に勝ち目はないでしょう。本願寺はいつも後手に回っております。上人様が動かない限り、本願寺に勝ち目はないと思います」
「そうじゃな。守っておるだけでは勝つ事はできん。しかし、上人様が、守護を倒せ、と命ずる事は絶対にないじゃろう」
「なぜなんじゃ。門徒たちが、こんなひどい目に会っておるというのに、どうして、上人様は、守護を倒せと言わんのじゃ」
「言わんのじゃなくて、言えんのじゃよ。守護が本願寺に対して、どんなにあくどい事をしたとしても、守護は幕府が任命したものじゃ。その守護を倒せ、と命じる事は、幕府に敵対する事となる。上人様とはいえ、幕府に刃向かう事などできはせん。守護を倒せと命じた時点で、本願寺は加賀の守護、富樫だけではなく、越前の守護、朝倉も敵に回す事になる。富樫だけならまだしも、朝倉を敵に回したら本願寺は全滅するじゃろう」
「上人様は、門徒たちに、ただ、我慢しろ、と言うだけなのか」
「仕方がない」
「仕方がないでは済まん。今朝の火事騒ぎで、死んだ者や、怪我をした者たちは、一体、どうなるんじゃ」
「どうにもならん。とにかく、今はじっと我慢するしかないんじゃ」
「三月の木目谷の戦において、わしらの仲間が五十人近く死に、百人以上の負傷者が出た。これ以上の犠牲者を出すわけにはいかん。あの時の不意討ちといい、今回の夜襲といい、悪いのは守護側だという事は分かっておる。悪いとは分かっておるが、良い悪いで、事を判断するわけにはいかん。木目谷のように、この土地を追い出されるわけにはいかんのじゃ。一族が生きて行くには、この土地を守り通さなくてはならん。このままで行けば、わしらは守護側に付くかもしれん」
「それも仕方ない事じゃ。ただ、守護側になっても、不意討ちや、夜襲などをして、門徒たちを苦しめんでくれ。わしにはその位の事しか言えん」
「ここです」と豊次郎は風眼坊とお雪を多屋の中を案内した。
多屋の中には、部屋に収まりきれない負傷者たちが庭にまで溢れていた。あちこちから、悲鳴や呻(ウメ)き声が聞こえて来る。すでに、何人かの元、時宗だった門徒たちが治療に当たっていた。火傷(ヤケド)による負傷者も何人かいたが、負傷者の多くは矢傷だった。燃えている寺院から逃げ出した所を狙いうちにされたらしい。
豊次郎の話によると、負傷者のほとんどは、挟み討ちにされた三月の戦の時、本陣を敷いていた木目谷の下流の田上郷の国人たちだった。彼らは戦に負け、土地を守護に奪われ、一時は越中まで逃げたが、四月になると、ひそかに加賀に戻り、河北潟のほとりに隠れて倉月庄の門徒たちの世話になっていた。そして、今回の野々市の包囲作戦に加わり、武装して聖安寺に集結し、翌朝の作戦開始を待っていた。その夜中に夜襲を受けたのだった。疋田豊次郎などの倉月庄の国人門徒たちは聖安寺には集結せずに、武装したまま各屋敷に集結していたため、敵の襲撃からは免(マヌガ)れる事ができた。
風眼坊とお雪は、さっそく、重傷者から治療に取り掛かった。
豊次郎は顔を歪めながら風眼坊の荒療治を見ていたが、真剣な顔で治療している風眼坊に命ぜられ、自然と手伝うはめとなって行った。
お雪も、すでに一人前の医者だった。どんなにひどい傷を見ても目を背ける事なく、てきぱきと治療して行った。
豊次郎は、そんな二人を呆気(アッケ)に取られたように見守っていた。
二人の治療は素早く正確だった。今まで治療していた時宗の門徒たちも、二人の手捌きに見とれる程だった。
いつの間にか、風眼坊とお雪の二人が中心となって治療は行なわれていた。
お雪が男たちを指図(サシズ)しているのを不思議そうに豊次郎は眺めていたが、皆、負傷者を助けるために真剣だった。一刻を争う場合、技術が上の者が下の者に指図するのは当然の事だった。
豊次郎は、男たちを指図して真剣に働いているお雪を眺めがら、大した女だと感心していた。こんな女がこの世の中にいるのかと信じられないような気がしていた。
結局、豊次郎は日が暮れるまで負傷者の治療を手伝っていた。
「先生、それに、お雪殿、わしは二人を見直しましたよ」と豊次郎は井戸端で言った。
「手伝わせて、すまなかったな」と風眼坊は手を拭きながら言った。
「いえ。今日は本当にためになりました。お二人が医者だとは知っておったが、あれだけの医術を身に付けておったとは、実際、驚きです。特に、お雪殿には感服です。女だてらにと言っては何ですが、大したものです」
「慣れですよ」とお雪は笑った。
「さっきは、お二人に向かって失礼な事を言って申し訳ありませんでした。今まで、戦の犠牲者たちの治療をやり続けて来たお二人が、一番、戦の悲惨さを知っておったのですね。それに比べ、わしらは自分たちの事ばかり考えておりました。いつも、どっちに付いたら有利だとか、少ない犠牲で済むとか‥‥‥もっと、大きな視野で物事を見なければならないのかもしれません」
「疋田殿、わしらは越中におる門徒たちの避難所も巡った。二千人近くの者たちが狭い掘立て小屋の中で暮らしておった。確かに、生活がいいとは言えない。ぎりぎりの所で生きておった。しかし、食糧は毎日、越中の門徒たちの好意によって届けられておった。わしはそれを見て、素晴らしい事じゃと思った。同じ本願寺の門徒だという事で助け合って生きておるんじゃ。戦に負け、土地を奪われた一族の末路は悲惨なものじゃ。一族はバラバラになり、あちこちをさまよいながら生きて行かなければならん。一度、落ちぶれた者が再起を図るなどという事は、ほとんど不可能じゃ。ところが、本願寺の門徒たちには助けてくれる仲間がおる。わしは越中の避難所を回ってみて、奴らは仲間がおる限り、いつか必ず、国元に帰る事ができるじゃろうと確信した。去年の戦に勝ったとはいえ、本願寺の組織、特に軍事面の組織は弱い。本願寺が守護に対抗して行くには、まだ時期が早いのかもしれん。しかし、時の流れというものがある。時代は少しづつ変わっておる。守護というものが、昔のように絶対の権力者ではなくなって来ておる事は確かじゃ。わしは、いつの日か、絶対に、守護は本願寺によって倒されるじゃろうと確信しておるよ」
「時の流れですか‥‥‥」
「その時の流れに乗り遅れると、一族を路頭(ロトウ)に迷わす事となるじゃろう」
「本願寺に付いた方がいいと言うのですか」
「本願寺に付いておれば、たとえ、この土地を追い出されても再起の可能性はあるが、守護側に付いて門徒と戦い、負けてしまえば、再起はできなくなるじゃろうと言うんじゃよ」
「しかし、守護が次々に本願寺の寺院を潰して行ったらどうなります。本願寺は守護と戦う力などなくなってしまいます」
「それはどうかな。本願寺の門徒というのは寺院で持っておるのではない。共通の教えによって門徒となっておるんじゃ。加賀中の本願寺系の寺院が、すべて焼かれたとしても、門徒の数が減る事はないし、寺院はまた、すぐに建てられるじゃろう」
豊次郎はその後、黙っていた。
風眼坊は蓮如と同じように、この国では他所(ヨソ)者だった。この地に根を張ってはいない。人の事だと思って何とでも言えた。しかし、この地に代々、住む豊次郎に取っては、そんな先の事よりも、今の事の方が切実な問題だった。三月の戦の時は、どちらが勝つか分からなかったため両方に兵を送り、本願寺側に付いた者は犠牲となった。今回は、本願寺の作戦を聞いて、本願寺が勝つと見極め、本願寺側に付いた。ところが、守護側の夜襲により、本願寺の作戦は無効に終わった。この先、倉月庄の国人たちは、どっちに付いたらいいのか、まったく分からない状況だった。
風眼坊とお雪は豊次郎と共に、蓮崇と慶覚坊がいるという明乗坊(ミョウジョウボウ)の多屋に向かった。
明乗坊の多屋の客間の一室で、蓮崇と慶覚坊の二人は無言のまま考え込んでいた。
風眼坊たちが顔を出すと、慶覚坊が、「御苦労じゃったな」と顔を上げたが、その顔は疲れ切っているようだった。
「風眼坊殿、また悪い知らせです」と蓮崇は言った。
「もしや、本泉寺が‥‥‥」と風眼坊は言った。
蓮崇は首を横に振って、「専光寺です。専光寺も、善福寺やここと同じ頃、夜襲を受けて、全焼したそうです」
「専光寺もか‥‥‥」
「ここよりも、ひどいそうじゃ。本坊は勿論、多屋もほとんど焼け、数百人の死傷者が出たそうじゃ」
専光寺には、夜襲を受けた頃、河北潟の国人、伊藤宗右衛門の率いる五百の兵と、木目谷の高橋新左衛門の配下である一瀬勝三郎率いる五百の兵が待機していた。彼らは本坊を初め、多屋に分散して寝ていたため、その多屋のほとんどが焼け、負傷者の数が多かった。
専光寺は海が近いため、出火当時、かなりの風があって、その風に乗って火が多屋に移り、あっという間に次々と燃え広がって行った。皆が寝静まっている時の火災で、逃げる暇もなく、焼け落ちて来た屋根の下敷となって亡くなった者が何人もいた。
「ひどいもんじゃ」と慶覚坊が言った。
「同じ時刻に三ケ所もやられるとは、こっちの動きが敵に筒抜けだった証拠じゃ」と蓮崇は言った。「それに比べ、味方側は勝つ事だけを考え、敵の動きにまったく気が付かんとは情けない事じゃ。いつか、風眼坊殿が言った通り、本願寺もちゃんとした情報網を作らん事には勝ち目はないわ」
次の日、蓮崇、慶覚坊、風眼坊、お雪の一行は吉藤(ヨシフジ)専光寺に向かった。
火矢だった。
梅雨が上がってから、毎日、暑い日が続いていたため、乾燥していた茅(カヤ)葺きの屋根は見る見る炎に包まれて行った。
慶覚坊は、そこらに寝ている兵たちを起こしながら書院に向かった。皆をたたき起こして書院から出すと、書院の中を通り抜けて庫裏(クリ)に向かった。庫裏で眠っている順慶の家族たちを起こし、皆を外に出した。火災からは逃れられたが、今度は、燃えている建物から出て来た者たちを狙って、普通の矢が雨のように射られて来た。善福寺には武装した兵が百人程いたが、反撃するどころではなかった。皆、闇の中から飛んで来る矢を避ける事が精一杯だった。
慶覚坊は板戸をはずし、それを盾にして裏口から外に出ると、敵の中に突っ込んで行った。二、三人は倒したが、『引け!』という言葉と共に敵は引き上げて行った。
慶覚坊は表門の方まで追って行ったが、深追いするのはやめた。すでに、門前に並ぶ多屋からも火は出ていた。逃げて行く敵の影を見ながら、敵の数は思っていた程、多くはなさそうだと思った。多く見ても百人、いや、五十人位だったのかもしれなかった。
慶覚坊は表門を開けさせ、中に入った。
本堂の屋根は焼け落ち、まだ、盛んに燃えていた。庫裏も書院も同じく焼け落ちていた。何人かの兵たちが代わる代わる井戸から水を汲んで火に掛けていたが、火の勢いが強すぎた。まったく効果はなかった。
幸いに風はなかった。他の場所に火が移る事もないだろう。燃えるに任せるしかなかった。
廐から逃げ出した馬が火に脅えて暴れ回っていた。
親鸞像のある御影堂(ゴエイドウ)だけは、屋根の半分程が燃え落ちただけで、不思議と、すでに火は消えていた。
蓮崇が近づいて来た。
「ひでえ事をしやがる」と蓮崇は真っ黒な顔をして言った。
「大丈夫か」
「ああ、わしは大丈夫じゃ‥‥‥そなたの感が当たったようじゃのう」
「いや。以前、山伏の頃じゃったら、絶対に怪しいと確信できたんじゃが、最近、怠けておるもんで、その事がはっきり分からなかった。不覚じゃった」
「そなたのせいではない。敵を甘く見過ぎておったせいじゃ。敵の動きをよく調べなかった。前回の失敗をまた繰り返してしまったんじゃ」
「そうじゃのう。敵を甘く見過ぎておったのう‥‥‥怪我人の方はどうじゃ。順慶殿や慶恵殿は大丈夫じゃったか」
「それが、順慶殿の子供が一人‥‥‥」
「怪我したのか」
蓮崇は首を振った。
「亡くなったのか」
「ああ。間に合わなかった」
「そうか‥‥‥兵の方も大分、やられたようじゃのう」と慶覚坊は回りに倒れている兵たちを眺めた。
「うむ‥‥‥だが、木目谷にも、山川にも、浅野川の河原にも兵はおる。明日の作戦には支障はないじゃろう」蓮崇は燃えている本堂を見上げながら言った。
「まあな。しかし、守護側はどうして、ここを攻めて来たんじゃろう」
「ここが、中心になっておると気づいたんじゃないかのう」
「という事は、敵は今回の戦を守護対本願寺の戦にするつもりかのう」
「いや、そんな事はあるまい。本願寺を敵にする理由があるまい。本願寺自身は、土地など一つも持っておらんのじゃから荘園の横領という事はありえん」
本堂の太い柱が、大きな音を立てて倒れて来た。危うく、下敷になりそうな兵がいたが、無事、逃げる事ができた。火の粉が慶覚坊と蓮崇の所まで飛んで来た。
「もしかしたら、高田派かも知れん」と蓮崇はポツリと言った。
「高田派?」
「ああ、最近、高田派の坊主が野々市に出入りしておるとの情報があるんじゃ。守護代の槻橋が高田派を裏で操って、本願寺を倒そうとしておるのかも知れん」
「高田派か‥‥‥しかし、守護が高田派と組めば、幸千代の二の舞になる事ぐらい、槻橋だって承知しておるじゃろう。本願寺に戦をする名目を与えるようなものじゃからのう」
「しかし、利用するだけならできる」
「本願寺が何かを言って来たら、高田派の奴らを捕まえて突き出すとでも言うのか」
「そうじゃ」
「そんな、あくどい事はするまい」
「いや、槻橋という男ならやりかねん。かなり、冷酷な男じゃとの噂じゃ」
「ほう、そんな男が敵の大将だとすると何をするのか分からんのう」
「まあ、その槻橋の命も、もうすぐ消える事となろう」
ところが、そううまい具合には事は運ばなかった。
善福寺が襲撃された頃、浅野川に陣を敷いて休んでいた越智伯耆守、松田次郎左衛門率いる八百の兵も夜襲を受けていた。突然、四方から弓矢が飛んで来て、鬨(トキ)の声によって目覚めさせられた。その後は恐怖心と共に悲惨な同士討ちが始まった。
夜が明けるまで戦い続け、夜が明けた時には、半数以上の味方が傷付き、敵の姿はどこにもなかった。
木目谷でも、山川城でも敵の夜襲は行なわれたが、この二ケ所では、敵の思い通りにはならなかった。夜になっても、きちんと守りを固めていたため敵の夜襲に素早く気づき、逆に、城から出て来る敵を待ち構えて散々な目に会わせていた。
朝になって、浅野川での死傷者の数が余りに多いのに驚いた慶恵は、ひとまず、今回の作戦の延期を決め、各部署に伝令を送った。
順慶は我が子を失った悲しみで、状況の判断できる状態ではなかった。狂ったように、「富樫を殺せ!」と喚(ワメ)いていた。
蓮崇は、蓮如がいるはずの二俣の本泉寺の事が気に掛かり、本泉寺に向かい、慶覚坊は、聖安寺と専光寺は無事だろうかと、まず、聖安寺に向かった。
2
蝉(セミ)が喧(ヤカマ)しかった。
蓮如は慶聞坊、風眼坊と共に、近所の河原者を数人使って庭園造りに熱中していた。
完成も間近だった。
三つの大きな石を阿弥陀三尊にたとえて、その石を中心にして、築山(ツキヤマ)と池が配置され、様々な樹木が植えられ、浄土を表現していた。池にはまだ水が入っていないが、水が入れば、正しく浄土を感じる庭園となりそうだった。
蓮崇が馬に乗って本泉寺に駈け込んで来たのは、丁度、一休みしている時だった。
蓮崇は馬から降りると門番に馬を渡し、境内の中を見回し、何事も無かった事に安心して庭園の方にやって来た。
蓮崇のその顔色を見て、何か嫌な事件が起きたな、と感じたのは風眼坊だけではなかった。
蓮如は蓮崇を側に呼ぶと、静かな声で、「何が起こったんじゃ」と聞いた。
蓮崇は側に寄って来た風眼坊と慶聞坊の顔を見回してから、「善福寺が焼けました」と言った。
「そうか‥‥‥」蓮如はそう一言、言っただけで黙った。
蓮崇もそれ以上は言わなかった。
蓮如は上に上がって話そうと無言のまま合図をした。
蓮如、風眼坊、慶聞坊は井戸で手足を洗い、客間に上がった。河原者たちは、続けて庭造りの作業を始めた。
蓮崇は蓮如、風眼坊、慶聞坊の三人を前にして、手取川における戦の始まりから、善福寺が全焼するまでの経緯(イキサツ)を順を追って話した。
三人共、湯涌谷から山之内衆が引き上げ、越中に避難していた湯涌谷衆が戻ったと言う事は知っていた。湯涌谷衆は戻る事ができたが、まだ、木目谷衆がいた。木目谷衆が木目谷に戻る事は難しかった。
木目谷には、富樫次郎の家臣、高尾(タコウ)若狭守が新しい領主として納まっていた。木目谷衆が代々暮らしていた土地を汚いやり方で取り上げられ、このまま黙っているとは思えなかったが、蓮如とすれば、できれば我慢して欲しかった。できれば騒ぎを起こして欲しくなかった。しかも、その騒ぎの中心になっていたのが浄徳寺慶恵と善福寺順慶の兄弟だったという事は残念な事だった。二人は越前超勝寺の一族だった。彼らの祖父、頓円(トンエン)は蓮如の祖父、巧如(ギョウニョ)の弟だった。同じ一族の者である彼らが、国人たちを扇動して一揆を起こそうとしていたとは、蓮如はやり切れない気持ちになっていた。
二年前、教えに背いたため、超勝寺の住持職を辞めさせた巧遵(ギョウジュン)も、慶恵と順慶の兄弟だった。末っ子の定善坊が去年の戦で活躍して英雄視されているため、あの兄弟は益々、増長して行った。蓮如には詳しい事は分からないが、吉崎の多屋衆たちも蓮崇派と超勝寺派に分かれて対立しているという。
本願寺の法主(ホッス)とはいえ、蓮如の力では、もう、どうにもできない程に、門徒たちは蓮如から離れて行っているような気がした。そろそろ、北陸の地を去らなければならない日が近づいて来ているような気がしてならなかった。
「木目谷は落ちそうもないのか」と風眼坊は聞いた。
「無理です。完璧に守りを固めておるらしい。多分、充分な兵糧の用意もしてある事でしょう」
「すでに、守護側では善福寺の動きを知っておったという事じゃな」
「そういう事です。多分、槻橋近江守は白山の衆徒を使って、各地に探りを入れておるようです。吉崎の地にも奴らが潜伏しておりましたから」
「白山の山伏を使ったか‥‥‥奴らならやりかねんのう。しかし、どうして善福寺を焼き打ちなどしたんじゃろう」
「それなんですが、ここに来るまで、ずっと馬上で考えて気づいたんじゃが、守護は今回の戦を国人一揆から、本願寺の一揆にすり替えようとしているのかもしれません」
「国人一揆を本願寺一揆に?」と慶聞坊が言った。
蓮崇は頷いた。「今回、国人たちは本願寺の事は一切、表に出しておりません。守護側も、本願寺の事は表に出さず、荘園を横領した国人を敵として来ました。しかし、守護側の本当の目的は、本願寺の勢力を弱め、この加賀の国を一つにまとめる事です。国人たちを操っているのが善福寺だと知った守護側は、国人一揆を本願寺一揆にすり替えようと思ったに違いありません」
「守護は正式に、本願寺を敵にしたというのか」と蓮如が聞いた。
「そうです。もしかしたら、守護の富樫はこの際、一気に本願寺を叩くつもりなのではないでしょうか。三月の戦で木目谷と湯涌谷の国人を越中に追い出す事に成功しました。これは国人門徒たちに対する見せしめとして行なわれたものと思われます。守護はその戦の後、しばらく、国人門徒たちの様子を見ておりました。ところが、予想外な事が起こりました。山之内衆が本願寺に帰依(キエ)した事です。守護側は慌てた事でしょう。山之内衆はかなりの勢力を持っておりますからね。山之内衆を本願寺に取られた守護は、作戦を切り替えなくてはならないはめになりました。国人門徒たちを敵に回して戦っておったのでは切りがありません。この先、国をまとめて行くためには彼らの力が必要となります。そこで、攻撃の的を本願寺の有力寺院に切り替えたのに違いありません。各道場をつなぐ寺院が無くなれば、本願寺の組織は弱くなると考えたのだと思います」
「蓮崇殿の考えによると、ここも危ないと言う事になるのう」と風眼坊は言った。
「ええ。ここもやられたと思って、途中から走って来ました。無事で何よりです」
「吉崎も危ないですね」と慶聞坊が言った。
「いえ、吉崎は越前にあります。それに、南加賀の守護代の山川三河守は、北加賀の槻橋近江守のように武力を持って事に当たるような人ではありません。今のところは、まだ、吉崎は安全だとは思いますが」
「いや、分からんぞ」と風眼坊は言った。「越前の朝倉も守護じゃ。本願寺と富樫が争う事となれば、富樫に付く可能性の方が高い。富樫勢が吉崎を攻めたとしても、見て見ぬ振りをするに違いない。それに、朝倉と対立している甲斐の一党が超勝寺に出入りしておるとの噂もある。本願寺が甲斐と手を組んだなどと朝倉に勘ぐられたら朝倉も本願寺を敵にするかもしれん」
「超勝寺に甲斐党が出入りしておるというのは本当なのか」と蓮如は厳しい口調で聞いた。
「残念ながら本当です」と蓮崇が答えた。「甲斐八郎は朝倉と和解をして越前に戻ったにしろ、守護である朝倉の下におる事に満足しておりません。朝倉もその事は充分に承知しております。朝倉は甲斐党の有力な家臣たちを次々に懐柔し、自分の家臣に組み入れております。すでに、越前の国は朝倉によってまとまりつつあります。甲斐党の者たちも、このまま甲斐八郎の付いて朝倉に対抗するよりは、朝倉の家臣になった方が有利な状況になっております。甲斐八郎としては次々に家臣に裏切られ、以前、共に戦った富樫幸千代もおらなくなり、この先、朝倉と対抗して行くには本願寺を味方にするしか手が無くなって来ておるのです。かと言って、朝倉派である本願寺に近づく手だてもありません。そこで目を付けたのが、元超勝寺の住持の巧遵殿です。巧遵殿が上人様によって住持職を降ろされ、しかも、わたしを恨んでいるとの事を知って」
「待て、巧遵がそなたを恨んでおる?」と蓮如が口を挟んだ。
「はい。巧遵殿はわたしが上人様に告げ口をして、あの日、上人様が突然お見えになったと思っておるのです」
「逆(サカ)恨みといいところじゃ。それで、巧遵は甲斐と会っておるのか」
「はい。その事を利用して、甲斐は巧遵殿に近づいて来ました。しかし、巧遵殿も甲斐と手を結ぶなどという馬鹿な事はしません。しかし、甲斐は執拗(シツヨウ)に超勝寺に出入りしておった模様です。もしかしたら、門徒にしてくれと言って来たのかもしれません。巧遵殿も初めのうちは、朝倉と甲斐は和解した事だし、会っても別に問題はないだろうと会っておったようですが、そのうち、しつこさに溜まり切れずに越前から消えたようです」
「越前から消えた?」
「はい。しばらくは吉崎におったようですが、今は、どこに行ったのか、まったく分かりません」
「善福寺にもいなかったのか」
「はい。慶恵殿も順慶殿も、二ケ月程前に吉崎で会ったきり会っていないとの事でした」
「一体、どこに行ったんじゃ」
「分かりません」
「今でも、超勝寺には甲斐党の連中は出入りしておるのですか」と慶聞坊は聞いた。
「らしい。でも、蓮超殿の後見人の頓如尼(トンニョニ)殿がうまく追い返しておるらしい」
「そうか、そいつはよかった」
蓮如は安心したようだった。
蓮如の安心もつかの間、勝如尼が血相を変えて客間に飛び込んで来た。
「大変です。聖安寺(ショウアンジ)がやられたそうです」
勝如尼は息を切らせながら、それだけ言うと、力が抜けたように坐り込んだ。
「聖安寺がやられた? どうやられたんです」と蓮崇は勝如尼に詰め寄った。
「まあ、蓮崇、落ち着け。勝如尼殿、詳しく話して下さらんか」
「はい。あたしにも詳しい事は分かりませんが、何でも、夜中に襲撃されて、聖安寺は全焼してしまったそうです。幸いに、善忠殿は無事だったそうですが、かなりの死者や怪我人が出たようです」
「善福寺と一緒じゃ」と蓮崇は唸った。
「善福寺もやられたのですか」と勝如尼は力のない声で聞いた。
「はい。全焼です」
「まあ、恐ろしい。ここにも攻めて来るのでしょうか」
「その可能性がないとは言えません」
「上人様、どうしたらいいのでしょう」と勝如尼は蓮如にすがるような目をして聞いた。
蓮如は何と答えたらいいのか、分からなかった。
守護のやり方は汚かった。寝ている所を襲撃し、まして、火を掛けるとは、まともな戦ではなかった。数多くの負傷者が出、死者まで出たという。
蓮如個人は、今すぐにでも門徒たちに、守護を倒せ! と命じたかった。しかし、法主として、それはできなかった。親鸞聖人(シンランショウニン)様の教えの中に、戦という文字はなかった。
聖人様は、その地で布教する事が難しくなったら移動して、別の地で布教せよと言った。教えが本物だったら、その教えは必ず、その地に根を張って広まる事だろうと言った。
蓮如はそろそろ、この北陸の地から移動する時期が来ているかもしれないと実感した。この地を去っても悔いはなかった。各地を自分の足で歩き回り、出来る限りの布教をして来た。元々、この地に落ち着くつもりはなかった。近江に教えを広め、叡山(エイザン)との争いを避けるため、この地に来た。この地にも、充分に教えを広めた。そして、今度は、守護との争いを避け、新しい地に行くだけだった。
近江では、自分がいなくなったら、叡山ともうまくやっているようだった。ここでも、自分がいなくなれば、守護と門徒たちはうまくやって行くかもしれない。そう願うしかなかった。
蓮如はもう六十歳を過ぎていた。まだまだ健康だとはいえ、先はそう長くはなかった。死ぬ前にしなければならない事があった。新しい地に教えを広める事は勿論だが、一番肝心な事は本願寺の再建だった。大谷の本願寺を叡山に破却されて以来、本願寺には本寺がなかった。蓮如が今いる吉崎は本願寺ではない。本願寺の別院だった。長男の順如のいる大津顕証寺(ケンショウジ)も別院だった。別院はあるが本寺がなかった。死ぬまでに、本寺である本願寺を建てなければならなかった。できれば、京の都に建てたいが、それが無理なら、なるべく都の近くに建てたかった。
蓮如はこの日、口には出さなかったが吉崎を去る決心を固めた。
蓮崇が勝如尼に、本泉寺の夜の警固を厳重にするようにと言っていた。
蓮如は側で聞きながら口を挟まなかった。戦え、と言えない以上、守りを固めるしかなかった。
今度は、お雪が血相を変えて飛び込んで来た。
お雪はここに来て以来、毎日、孤児たちの所に行って、彼らの世話をしていたが、聖安寺の事を噂で聞いたらしかった。飛び込んで来るなり風眼坊を捕まえ、早く現場に行かなくちゃ、とせきたてた。
風眼坊は、分かった、分かったと言いながら、お雪と共に客間を出て、聖安寺に向かう準備を始めた。
聖安寺には蓮崇も共に付いて来た。慶聞坊も一緒に行きたいようだったが、蓮如を守らなければならないので、仕方なく本泉寺に残った。
一行を見送ると、蓮如はまた庭園に戻って作業を続けた。この庭だけは完成させないと、この地を離れるわけにはいかなかった。
3
子供が泣き叫んでいた。
母親らしい女が子供の側に来て慰めていたが、子供は泣きやまなかった。
聖安寺では倉月庄の門徒らによって、全焼した寺院の後片付けが進んでいた。
門徒たちを指揮している者の中に、慶覚坊と疋田豊次郎(ヒキタブンジロウ)の姿があった。
豊次郎は風眼坊とお雪の姿を見ると、顔の汗を拭きながら近づいて来た。
「とんだ事になったのう」と風眼坊は焼け落ちた寺院を眺めながら豊次郎に言った。
「ひどいもんじゃ。槻橋のやり方は汚すぎる」
「まったくのう」
「相変わらず、別嬪じゃのう」と豊次郎はお雪に言った。
「疋田様は珍しく酔ってないのね」とお雪は笑った。
「毎日、忙しくて、酔う暇もないわ」
蓮崇は慶覚坊と何かを話していた。
「おぬし、怪我人たちが、どこに収容されておるか知らんか」と風眼坊は豊次郎に聞いた。
「円性坊(エンショウボウ)殿の多屋(タヤ)です」
「どこじゃ」
「こっちです」と豊次郎は先に立って歩いた。
「倉月庄の連中も苦しい立場になってしまったのう」と風眼坊は言った。
「まったくです。正直言って、この先、どっちに付いたら生き延びられるのか、分かりません」
「野々市が近すぎるからのう。どっち付かずで、状況を見ておるというわけには行かんから難しいところじゃのう」
豊次郎は厳しい顔をして頷いた。「このまま、守護が強きで本願寺を攻めるようなら、わしらは守護側に付かざるを得なくなるかも知れませんよ。守護側は必死になって、本気で本願寺を倒すつもりでおります。本願寺も本気になって守護を倒すつもりにならない限り、本願寺に勝ち目はないでしょう。本願寺はいつも後手に回っております。上人様が動かない限り、本願寺に勝ち目はないと思います」
「そうじゃな。守っておるだけでは勝つ事はできん。しかし、上人様が、守護を倒せ、と命ずる事は絶対にないじゃろう」
「なぜなんじゃ。門徒たちが、こんなひどい目に会っておるというのに、どうして、上人様は、守護を倒せと言わんのじゃ」
「言わんのじゃなくて、言えんのじゃよ。守護が本願寺に対して、どんなにあくどい事をしたとしても、守護は幕府が任命したものじゃ。その守護を倒せ、と命じる事は、幕府に敵対する事となる。上人様とはいえ、幕府に刃向かう事などできはせん。守護を倒せと命じた時点で、本願寺は加賀の守護、富樫だけではなく、越前の守護、朝倉も敵に回す事になる。富樫だけならまだしも、朝倉を敵に回したら本願寺は全滅するじゃろう」
「上人様は、門徒たちに、ただ、我慢しろ、と言うだけなのか」
「仕方がない」
「仕方がないでは済まん。今朝の火事騒ぎで、死んだ者や、怪我をした者たちは、一体、どうなるんじゃ」
「どうにもならん。とにかく、今はじっと我慢するしかないんじゃ」
「三月の木目谷の戦において、わしらの仲間が五十人近く死に、百人以上の負傷者が出た。これ以上の犠牲者を出すわけにはいかん。あの時の不意討ちといい、今回の夜襲といい、悪いのは守護側だという事は分かっておる。悪いとは分かっておるが、良い悪いで、事を判断するわけにはいかん。木目谷のように、この土地を追い出されるわけにはいかんのじゃ。一族が生きて行くには、この土地を守り通さなくてはならん。このままで行けば、わしらは守護側に付くかもしれん」
「それも仕方ない事じゃ。ただ、守護側になっても、不意討ちや、夜襲などをして、門徒たちを苦しめんでくれ。わしにはその位の事しか言えん」
「ここです」と豊次郎は風眼坊とお雪を多屋の中を案内した。
多屋の中には、部屋に収まりきれない負傷者たちが庭にまで溢れていた。あちこちから、悲鳴や呻(ウメ)き声が聞こえて来る。すでに、何人かの元、時宗だった門徒たちが治療に当たっていた。火傷(ヤケド)による負傷者も何人かいたが、負傷者の多くは矢傷だった。燃えている寺院から逃げ出した所を狙いうちにされたらしい。
豊次郎の話によると、負傷者のほとんどは、挟み討ちにされた三月の戦の時、本陣を敷いていた木目谷の下流の田上郷の国人たちだった。彼らは戦に負け、土地を守護に奪われ、一時は越中まで逃げたが、四月になると、ひそかに加賀に戻り、河北潟のほとりに隠れて倉月庄の門徒たちの世話になっていた。そして、今回の野々市の包囲作戦に加わり、武装して聖安寺に集結し、翌朝の作戦開始を待っていた。その夜中に夜襲を受けたのだった。疋田豊次郎などの倉月庄の国人門徒たちは聖安寺には集結せずに、武装したまま各屋敷に集結していたため、敵の襲撃からは免(マヌガ)れる事ができた。
風眼坊とお雪は、さっそく、重傷者から治療に取り掛かった。
豊次郎は顔を歪めながら風眼坊の荒療治を見ていたが、真剣な顔で治療している風眼坊に命ぜられ、自然と手伝うはめとなって行った。
お雪も、すでに一人前の医者だった。どんなにひどい傷を見ても目を背ける事なく、てきぱきと治療して行った。
豊次郎は、そんな二人を呆気(アッケ)に取られたように見守っていた。
二人の治療は素早く正確だった。今まで治療していた時宗の門徒たちも、二人の手捌きに見とれる程だった。
いつの間にか、風眼坊とお雪の二人が中心となって治療は行なわれていた。
お雪が男たちを指図(サシズ)しているのを不思議そうに豊次郎は眺めていたが、皆、負傷者を助けるために真剣だった。一刻を争う場合、技術が上の者が下の者に指図するのは当然の事だった。
豊次郎は、男たちを指図して真剣に働いているお雪を眺めがら、大した女だと感心していた。こんな女がこの世の中にいるのかと信じられないような気がしていた。
結局、豊次郎は日が暮れるまで負傷者の治療を手伝っていた。
「先生、それに、お雪殿、わしは二人を見直しましたよ」と豊次郎は井戸端で言った。
「手伝わせて、すまなかったな」と風眼坊は手を拭きながら言った。
「いえ。今日は本当にためになりました。お二人が医者だとは知っておったが、あれだけの医術を身に付けておったとは、実際、驚きです。特に、お雪殿には感服です。女だてらにと言っては何ですが、大したものです」
「慣れですよ」とお雪は笑った。
「さっきは、お二人に向かって失礼な事を言って申し訳ありませんでした。今まで、戦の犠牲者たちの治療をやり続けて来たお二人が、一番、戦の悲惨さを知っておったのですね。それに比べ、わしらは自分たちの事ばかり考えておりました。いつも、どっちに付いたら有利だとか、少ない犠牲で済むとか‥‥‥もっと、大きな視野で物事を見なければならないのかもしれません」
「疋田殿、わしらは越中におる門徒たちの避難所も巡った。二千人近くの者たちが狭い掘立て小屋の中で暮らしておった。確かに、生活がいいとは言えない。ぎりぎりの所で生きておった。しかし、食糧は毎日、越中の門徒たちの好意によって届けられておった。わしはそれを見て、素晴らしい事じゃと思った。同じ本願寺の門徒だという事で助け合って生きておるんじゃ。戦に負け、土地を奪われた一族の末路は悲惨なものじゃ。一族はバラバラになり、あちこちをさまよいながら生きて行かなければならん。一度、落ちぶれた者が再起を図るなどという事は、ほとんど不可能じゃ。ところが、本願寺の門徒たちには助けてくれる仲間がおる。わしは越中の避難所を回ってみて、奴らは仲間がおる限り、いつか必ず、国元に帰る事ができるじゃろうと確信した。去年の戦に勝ったとはいえ、本願寺の組織、特に軍事面の組織は弱い。本願寺が守護に対抗して行くには、まだ時期が早いのかもしれん。しかし、時の流れというものがある。時代は少しづつ変わっておる。守護というものが、昔のように絶対の権力者ではなくなって来ておる事は確かじゃ。わしは、いつの日か、絶対に、守護は本願寺によって倒されるじゃろうと確信しておるよ」
「時の流れですか‥‥‥」
「その時の流れに乗り遅れると、一族を路頭(ロトウ)に迷わす事となるじゃろう」
「本願寺に付いた方がいいと言うのですか」
「本願寺に付いておれば、たとえ、この土地を追い出されても再起の可能性はあるが、守護側に付いて門徒と戦い、負けてしまえば、再起はできなくなるじゃろうと言うんじゃよ」
「しかし、守護が次々に本願寺の寺院を潰して行ったらどうなります。本願寺は守護と戦う力などなくなってしまいます」
「それはどうかな。本願寺の門徒というのは寺院で持っておるのではない。共通の教えによって門徒となっておるんじゃ。加賀中の本願寺系の寺院が、すべて焼かれたとしても、門徒の数が減る事はないし、寺院はまた、すぐに建てられるじゃろう」
豊次郎はその後、黙っていた。
風眼坊は蓮如と同じように、この国では他所(ヨソ)者だった。この地に根を張ってはいない。人の事だと思って何とでも言えた。しかし、この地に代々、住む豊次郎に取っては、そんな先の事よりも、今の事の方が切実な問題だった。三月の戦の時は、どちらが勝つか分からなかったため両方に兵を送り、本願寺側に付いた者は犠牲となった。今回は、本願寺の作戦を聞いて、本願寺が勝つと見極め、本願寺側に付いた。ところが、守護側の夜襲により、本願寺の作戦は無効に終わった。この先、倉月庄の国人たちは、どっちに付いたらいいのか、まったく分からない状況だった。
風眼坊とお雪は豊次郎と共に、蓮崇と慶覚坊がいるという明乗坊(ミョウジョウボウ)の多屋に向かった。
明乗坊の多屋の客間の一室で、蓮崇と慶覚坊の二人は無言のまま考え込んでいた。
風眼坊たちが顔を出すと、慶覚坊が、「御苦労じゃったな」と顔を上げたが、その顔は疲れ切っているようだった。
「風眼坊殿、また悪い知らせです」と蓮崇は言った。
「もしや、本泉寺が‥‥‥」と風眼坊は言った。
蓮崇は首を横に振って、「専光寺です。専光寺も、善福寺やここと同じ頃、夜襲を受けて、全焼したそうです」
「専光寺もか‥‥‥」
「ここよりも、ひどいそうじゃ。本坊は勿論、多屋もほとんど焼け、数百人の死傷者が出たそうじゃ」
専光寺には、夜襲を受けた頃、河北潟の国人、伊藤宗右衛門の率いる五百の兵と、木目谷の高橋新左衛門の配下である一瀬勝三郎率いる五百の兵が待機していた。彼らは本坊を初め、多屋に分散して寝ていたため、その多屋のほとんどが焼け、負傷者の数が多かった。
専光寺は海が近いため、出火当時、かなりの風があって、その風に乗って火が多屋に移り、あっという間に次々と燃え広がって行った。皆が寝静まっている時の火災で、逃げる暇もなく、焼け落ちて来た屋根の下敷となって亡くなった者が何人もいた。
「ひどいもんじゃ」と慶覚坊が言った。
「同じ時刻に三ケ所もやられるとは、こっちの動きが敵に筒抜けだった証拠じゃ」と蓮崇は言った。「それに比べ、味方側は勝つ事だけを考え、敵の動きにまったく気が付かんとは情けない事じゃ。いつか、風眼坊殿が言った通り、本願寺もちゃんとした情報網を作らん事には勝ち目はないわ」
次の日、蓮崇、慶覚坊、風眼坊、お雪の一行は吉藤(ヨシフジ)専光寺に向かった。
27.庭園2
4
本泉寺の庭園は最後の仕上げに掛かっていた。
蓮如、慶聞坊、風眼坊、お雪、勝如尼の見守る中、十人の人足によって四つの池に水が溜められつつあった。
庭園は本泉寺の南西の角、十五間(ケン)四方のおよそ二百坪(ツボ)の地に造られた。
南西の一番奥に築山(ツキヤマ)があり、その右隣に竹林があり、その隣の小高い丘の上に阿弥陀三尊になぞらえた三つの石を置いた。その三つの石を中心に様々な形の石が散在し、右端には桜の木が植えられた。三尊石の前に、中の島のある大きな池があり、中の島には太鼓橋が架けられてある。池は心という字を模していた。一番大きな池の手前には砂が撒かれ、砂浜のようだった。中の島に鶴を現した石を置き、池を挟んで左側には、枝振りのいい松の木の下に亀を現した石が置かれた。
その庭園を眺める南東の隅の小高い所に、小さな東屋(アズマヤ)が建てられてあった。
蓮如、慶聞坊、風眼坊、お雪、勝如尼の五人は、その東屋から池に水が注がれるのを眺めていた。蓮如の造った庭園を眺め、極楽浄土とはこのような所かと皆、感心していた。
蓮如が言うには、池に水が入り、その池に蓮(ハス)の花が咲き、あちこちに置いた石が苔(コケ)むしてくれば完成だと言う。そして、この庭園を見るのに一番いい時刻は夕暮れ時で、しかも、夕日が丁度、三尊石の後ろに沈む、春分か秋分の頃が一番いいと言う。
蓮如の話を聴きながら、皆、蓮の花と苔むした石と夕暮れ時の庭園を頭の中に浮かべ、その素晴らしい光景に酔っていた。
庭園は無事に完成したが、蓮如とは別の所で行なわれた守護の富樫との戦は、本願寺の完敗で終わっていた。
十四日未明に行なわれた善福寺、聖安寺、専光寺の夜襲及び放火の後、野々市の兵は木目谷に向かって出陣した。
蓮崇が本泉寺に向かい、慶覚坊が専安寺に向かい、善福寺では子供を亡くした順慶が悲しみにくれている時だった。守護勢の三千の兵は焼け落ちた善福寺を踏み潰すように攻め、勢いに乗って木目谷城を包囲している本願寺勢を追い散らした。今まで城から出て来なかった木目谷城の高尾若狭守も、山川城の山川亦次郎の兵も、野々市の兵に呼応して城から打って出た。本願寺勢は三方から挟まれ、多くの死傷者を出しながら、陣を立て直す事もできずに湯涌谷に逃げ帰った。守護勢は湯涌谷までは追って来なかったが、完敗した事に違いはなかった。
誰もが勝てると思って、勇んで出掛けた戦だった。守護の富樫を攻め滅ぼし、木目谷衆は木目谷に戻れるはずだった。ところが、先手先手と守護側にやられ、富樫を滅ぼすどころか、多数の死傷者を出しただけで、木目谷を取り戻す事もできなかった。
木目谷衆の心は動揺していた。もう、木目谷に戻る事はできないのかもしれないと思う者も多く出て来ていた。木目谷衆の頭、高橋新左衛門も、今の状況では木目谷に戻る事は難しいと思っていた。やはり、本願寺の門徒が一丸とならない限り、守護、富樫を倒す事は不可能だし、富樫を倒さない事には野々市に近い木目谷を取り戻す事は不可能だった。
新左衛門は、このまま湯涌谷衆に迷惑を掛けるわけにもいかないので、また、越中の瑞泉寺の避難所に行き、しばらくは木目谷の事は諦め、越中に根を張って、時期を待とうと考えていた。
蓮崇と慶覚坊は、風眼坊とお雪と共に聖安寺から専光寺に向かい、専光寺の悲惨な状況を見て、順慶に今回の作戦の中止を告げるため、善福寺に帰って来た。すでに、善福寺は野々市の軍勢にやられ、焼け残っていた門前町の多屋も破壊されていた。
善福寺の焼け跡にいた門徒から、何があったのかを聞くと、蓮崇と慶覚坊は敵兵を避けながら湯涌谷に向かった。敵兵は木目谷の先の一瀬辺りに陣を敷いて湯涌谷を睨んでいた。
湯涌谷の蓮崇の屋敷の広間にて、順慶、慶恵、石黒孫左衛門、高橋新左衛門、越智伯耆守、高坂四郎左衛門、松田次郎左衛門らが集まって、今後の対策を練っていたが、いい考えは浮かばなかった。今まで中心になっていた順慶は、子供を失った悲しみと完敗した悔しさとで反狂乱の状態となり、今回の戦に負けたのは門徒の中に間者(カンジャ)がいたと言い出し、その間者は倉月庄の国人たちに違いないと言い張っていた。
途中から加わった蓮崇と慶覚坊は、倉月庄の国人たちは裏切ってはいないと言い、今は門徒同士で争っている時ではないと言ったが順慶は聞かなかった。
兄の慶恵が見兼ねて、順慶を広間から連れ出した。
二人が出て行った後、「時期が、少し早かったんじゃ」と慶覚坊は言った。
「敵を甘く見過ぎていた」と蓮崇は言った。「今回の作戦は敵に筒抜けだった事は確かじゃ。しかし、順慶殿が言ったように、門徒の誰かが裏切っておったわけではない。敵が我々のもとに間者を入れておったんじゃ。多分、ここにもおったのかもしれん。今回、夜襲を受けた善福寺、聖安寺、専光寺は勿論の事、越中の避難所にも敵の間者は侵入しておったに違いない。そして、我々の動きはすべて、守護代の槻橋近江守のもとに伝えられたのじゃろう。我々が攻める事を知っておったからこそ、木目谷も山川城も厳重に守りを固めておったのじゃろう」
「しかし、敵にそれだけの事ができる奴がおるかのう」と石黒が言った。
「それがおるんじゃ」と慶覚坊は言った。
「槻橋の本拠地は本宮の近くじゃ」
「白山の山伏か」と高橋が聞いた。
「そうじゃ。槻橋は山伏を使って、わしらの動きを探っておったに違いない」
「成程のう、敵もやるもんじゃのう」
「それに比べ、わしらは三月の負戦の時もそうじゃが、今回も勝つ事ばかりを考え、敵の動きを調べようともしなかった。敵の動きが分かれば敵の裏をかく事もできるし、敵の出端を挫(クジ)く事もできる。わしらも、これからは敵に負けずに敵の事を探らなければ、何度やっても負戦じゃ」
「しかし、敵の中に潜入させるとなると、誰でもいいというわけにはいかんのう。山伏のような特殊な術を身に付けなければなるまい」と高橋は言った。
「それだけでなく、情報を素早く伝えるためには新しい組織も作らなければなりません」と蓮崇は言った。
「組織?」
「ええ、各道場に少なくとも一人はそういう役目の者を置いて道場と道場をつなぎ、さらに寺と道場もつなぎます。たとえば、野々市に潜入している者は野々市で起こった事を一番近くの道場に知らせ、その道場から次々に道場に伝わり、その日のうちに吉崎に伝わるようにするのです」
「その日のうちに吉崎にか」
「それは吉崎でなくても構いません。中心となるべき所をどこかに決め、その中心となるべき所には充分な人員を置き、何かが起こった場合、各地にすぐ指示を与えられるようにします。それだけの組織ができれば、敵の動きはすべて分かり、敵を倒す事もできるでしょう」
「話は分かるが、それだけの組織を作る事ができるのか」と石黒は聞いた。
「作らなければならないのです」
「誰が作るんじゃ。蓮崇殿が作ってくれるか」
「わしが作りたいが、残念な事に、今すぐに吉崎を離れるわけにはいかんのです」
「わしも、今すぐに山田を離れるわけにもいかんのう」と慶覚坊は言った。
「わしがやろう」と高橋が言った。
「本当ですか」と蓮崇は聞いた。
「ああ。当分、木目谷には戻れそうもないしのう。その役をやるのは、わししかおるまい」
「高橋殿がやってくれますか。それは助かります」と蓮崇は頭を下げた。
「わしも出来る限り、手伝うわ」と慶覚坊は言った。
「わしも手伝う」と石黒も言った。
その後、情報網作りの具体的な話が進んで行った。中心をどこに置くかで色々な意見が出たが、結局、門前町のすべてが破壊されてしまった善福寺の門前に新たに建てる多屋を中心とする、という事に決まった。そして、これからは敵の間者に充分注意し、怪しい者はすぐに引っ捕らえ、こちらの動きが敵に伝わらないようにしなければならないと皆で誓い合った。
蓮崇と慶覚坊の二人が湯涌谷を下り、本泉寺に顔を出したのは六月十八日だった。
二人は庭園造りに熱中している蓮如に挨拶をすると、そのまま吉崎に帰った。帰る前に、勝如尼に、充分に守りを固め、日夜、見張りを怠らないようにと注意を与えた。本願寺の大寺院が守護の軍勢によって、一夜のうちに三つも攻め滅ぼされたので、さすがに勝ち気の勝如尼も気が動転していた。蓮崇と慶覚坊は勝如尼に適切な指示を与えた。
その日、高橋新左衛門は、湯涌谷にいる一千人近くの木目谷衆の女子供、年寄りたちを百人の兵と共に瑞泉寺の避難所に移した。
同じ日、負傷者の治療をして回っている風眼坊とお雪は、数人の元、時宗の門徒を連れ、専光寺を後にして善福寺に向かっていた。二人が負傷者の手当を終え、本泉寺に帰って来たのは二十日の夕方だった。
そして、次の日、蓮如による庭園が完成したのであった。その次の日、蓮如は本泉寺において門徒を集めて説教をして、門徒たちに庭園を公開した。その日は各地から門徒たちが集まり、本泉寺は祭りさながらの賑わいだった。
庭園に門徒たちが多数、押しかけて来たため、せっかく完成した庭園が壊されないよう、庭園の回りに綱を張って、中に入れないようにし、何人もの見張りを置かなければならない有り様だった。蓮如の説教はその日、一日たけだったのに、庭園の見物人の数は次の日も次の日も減らなかった。蓮如もそういつまでも庭園の番をしているわけには行かなかった。二十五日には吉崎の講がある。
二十三日の早朝、蓮如の一行は吉崎に向かった。
吉崎の講が賑やかに行なわれた翌日、守護の富樫次郎からの書状が、軽海の山川三河守を通して蓮如のもとに届けられた。
その書状には、徒党(トトウ)を組んで、本願寺の寺院を占拠していた不埓(フラチ)な国人連中は追い出した。残念な事に、寺院まで焼けてしまったが、悪いのは守護に楯突く国人たちである。懲りずにもまた、悪党らが本願寺の寺院を占拠するような事があれば、守護の力を持って、必ず退治してみせるので安心されたし、という意味の事が書かれてあった。
蓮如はその書状を読むと、顔を少し歪めながら書状を持って来た蓮崇に渡した。
蓮崇も一読すると苦笑した。敵ながら、うまい事を言うものだと思った。本願寺の寺院にいた国人たちが、門徒だという事を知りながら、寺院を占拠していた悪党だと言い、寺院を燃やす事が初めからの目的だった癖に、偶然に燃えてしまったかのように言っている。もし、蓮如も蓮崇も事実を知らなかったら、すっかり騙(ダマ)されてしまう所だが、蓮崇は現場にいたし、蓮如も本泉寺にて事実を聞いていた。
「もう、わしにはどうする事もできん」と蓮如は言った。
蓮崇は何も言えなかった。
「守護側がそういう考えで寺を焼いたのだとすると、この吉崎も危ないぞ。集まって来ている門徒たちを早く、地元に帰した方がいい」
三寺が焼かれて以来、吉崎御坊の警固も厳重になっていた。すでに、去年の戦が始まって以来、吉崎御坊は城塞と化し、武装した門徒たちが交替で守るという事になっていた。蓮如は門徒たちに、もう戦は終わったのだから武装を解いて吉崎から去れ、と命ずるが門徒たちは聞かなかった。
門徒たちにして見れば、上人様のいる吉崎御坊を守るというのは名誉ある任務だった。門徒たちの誰もが希望し、話し合いによって加賀江沼郡と越前坂井郡の各道場が交替で行なうという事になっていた。そして、今回の事件が起き、門徒たちは武装して続々と吉崎に集まって来た。蓮崇も彼らを何とか説得して帰したが、それでも、警固の兵の数は以前の倍になっていた。
「それは無理です」と蓮崇は言った。「門徒たちが自主的に吉崎を守ろうと集まって来るのです。彼らは本気で上人様の事を心配しております。彼らは純粋な門徒たちです。ここに来て、吉崎を守ったからといって褒美(ホウビ)が出るわけではありません。誰かに命ぜられて、ここにおるのではないのです。無償の行為なのです。一晩中寝ないで警備する夜警は誰もが嫌がるものですが、門徒たちは進んで夜警をしております。命ぜられてする夜警は嫌々ながらしておるため、皆、居眠りをしておりますが、彼らはそんな事はありません。みんな、一睡もせずに夜警をしております。誰に誉められるわけでもありませんが、一生懸命やっておるのです。そんな彼らに、帰れなどとは、とても言えません」
「わしのためにか‥‥‥」
「上人様は、本願寺の上人様です。加賀や越前の門徒たちだけの上人様ではありません。彼らは近江や三河やその他に国々におる門徒たちを代表して、上人様を守っておると自負しております。吉崎の地におる限りは、上人様は自分たちの手で守らなければならないと堅く心に決めておるのです」
「そうか‥‥‥」
蓮如はこの時、吉崎を去る決心を固めていた。しかし、その事はまだ誰にも話していなかった。蓮如はまず行動してから、その後で考えるという型の人間ではなかった。行動を実行に移すには、彼なりに充分な下準備が必要だった。
近江から、この吉崎に移った時も、蓮如は充分な下準備をしていた。御文では、気の向くままに吉崎に来て、この地が気にいって別院を建てたと書いているが、実際は、吉崎に移る三年前、東国への旅の途中、吉崎の地に初めて立った時より着々と準備を進めていたのだった。
今回も、行くべき所をはっきりと決め、その地を納得するまで調べないと移る事はできなかった。蓮如ただ一人が移動するのなら、どこだろうと構わないが、家族を連れて移動するとなると、どこでもいいというわけには行かない。新しい御坊が完成するまで、安心して家族が滞在できる場所でなくてはならなかった。
できれば、その地を捜しに旅に出たいと思っていた。そして、冬が来る前に、ここを去る事ができればいいと思っていた。今は六月の末、後三ケ月のうちに移動すべき所を捜し、家族を連れて吉崎を出ようと決めていた。
蓮如のそんな思いなど知らず、蓮崇は、蓮如が吉崎にいるうちに、何としてでも守護の富樫を倒そうとたくらんでいた。情報網をしっかりと張って敵の情報を確実につかめば、守護を攻める口実が見つかるに違いない。蓮如が納得できる口実を見つけ、蓮如に攻撃命令を出してもらえば、守護の富樫を倒す事など簡単な事だった。蓮崇は、蓮如は後二、三年は吉崎にいると勝手に決め込んでいた。そして、その二、三年のうちに守護を倒すと決めていた。
蓮崇は講が終わると、さっそく、吉崎に来ていた慶覚坊と一緒に湯涌谷に向かった。高橋新左衛門を助け、本願寺の裏の組織を作るためだった。
蓮如は夕食を済ませると、夕闇の中、例の抜け穴を使って風眼坊の家に向かった。
丁度、風眼坊とお雪が食事をしている時だった。
蓮如は縁側から部屋の中を覗いた。お雪が気づいて蓮如に声を掛け、縁側の方に向かった。
「一体、今頃、どうしたのです」風眼坊は、お雪と共に部屋に入って来た蓮如に聞いた。
「食事中、すまなかったのう」
「上人様も、いかがですか」とお雪は勧めた。
「いや。わしは今、食べて来たばかりじゃ」
「さては、もう、どこかに行きたくなったのですね」と風眼坊は箸(ハシ)を置いて笑った。
「いや、まあ、そなたに頼みがある事はあるんじゃが、今回は旅じゃないんじゃ。まあ、先に飯を食べてくれ。わしは縁側の方で待っておる」
蓮如は部屋から出て行った。
「一体、何かしら」とお雪は風眼坊に聞いた。
風眼坊は首を振った。
食事を済まして、風眼坊は蓮如の待つ縁側に行った。
「毎日、蒸し暑いのう」と蓮如は縁側で扇子を扇いでいた。
「ええ。まったく暑いですね。わしはいつも、暑い夏は山の上におるんじゃが、今年はそうもいかん。まったく、この暑さには参るわ」
「山か‥‥‥そなたは色々な山を登った事じゃろうのう」
「ええ。有名な山はほとんど登ったといってもいいでしょう」
「越中の立山もか」
「ええ。登りました」
「まさか、駿河の富士山は登ってはいまい」
「いえ。登りました」
「なに、富士山にも登ったのか」
「はい」
「凄いのう。山伏というのは富士山にも登るのか」
「ええ、登ります。しかし、山伏でも登れない山というのも、かなり、あります」
「登れない山もあるのか」
「はい。越中と信濃の国境や信濃と甲斐の国境辺りに連なる山々は、かなり険しく、まだ、誰も登った事がないといわれる山がかなりあります」
「ほう。そんな山もあるのか‥‥‥そなたでも登れん山がのう」
「蓮如殿、また、山に登りたくなったのですか」と風眼坊は聞いた。
「ああ。白山の頂上に登った時は、本当に気持ちよかったからのう。あの時の感激は今でもはっきりと覚えておる。もう一度、登ってみたいものじゃ」
「その事で、わざわざ、こんな遅くになって、ここに来たというわけですか」
「いや、そうじゃない。実はのう、さっき、蓮崇から吉崎を警固している門徒たちの事を聞いてのう。この目で、それらの者たちを見たくなったのじゃ」
「わざわざ、警固の状態を見て回るのですか」
「わしは今まで、多屋衆たちが門徒たちに命じて、ここを守らせておるんじゃと思っておった。しかし、蓮崇の話によると、門徒たちの方が自主的にここを守ろうとして集まって来ると言うんじゃ。わしはそんな事、全然知らなかった。その話を聞いたら、どうしても、それらの者たちに会って、一言、礼を言いたくなったというわけじゃよ。付き合ってくれんか」
「付き合っても構いませんが、上人様として見回るわけですか」
「そのつもりじゃ」
「しかし、上人様が直々に、そんな事をしたら門徒たちは感激して、益々、ここを守るために集まって来る事になりますよ」
「うむ。それはまずいのう。しかし、庭師に化けて、夜中にウロウロしておったら捕まってしまうじゃろう」
「蓮崇殿か、慶聞坊殿に頼んだらどうです。そして、蓮如殿は、その連れという事にして、一緒に回った方がいいと思いますが」
「連れとしてか‥‥‥それしかないかのう」
「わしは門徒ではないから無理です。見回りのできる立場の者でないと、真剣に吉崎を守っている門徒たちを見回る事などできないでしょう」
「じゃろうのう。慶聞坊の奴に頼んでみるかのう」
「わしも、一緒に行っても構いませんか」と風眼坊は聞いた。
「一緒に来てくれるか。そなたが一緒なら心強い」
風眼坊は蓮如と共に慶聞坊の多屋に向かい、その夜、吉崎を夜警している門徒たちを見て回った。
気の荒い連中が多かったが、皆、真剣な気持ちで、上人である蓮如を守っていた。
蓮如は心の中で、彼らに礼を言いながら見て回った。
総門を警護していた門徒の中に、風眼坊が剣術を教えた九谷道場の杉谷孫三郎の姿があった。孫三郎は見違える程、逞(タクマ)しくなっていた。風眼坊は孫三郎に気づいたが、孫三郎は気づかなかった。風眼坊はあえて声を掛けなかった。
蓮如は慶聞坊の後ろに隠れるようにして門徒たちを見ていた。見回りの間、蓮如は一言も喋らなかった。
一回りして、寝ずの番をしている門徒たちを見て回ると、風眼坊と慶聞坊は蓮如を御山まで送り、それぞれ、うちに帰った。
南の空から細い三日月が下界を見下ろしていた。
善福寺の焼け跡にいた門徒から、何があったのかを聞くと、蓮崇と慶覚坊は敵兵を避けながら湯涌谷に向かった。敵兵は木目谷の先の一瀬辺りに陣を敷いて湯涌谷を睨んでいた。
湯涌谷の蓮崇の屋敷の広間にて、順慶、慶恵、石黒孫左衛門、高橋新左衛門、越智伯耆守、高坂四郎左衛門、松田次郎左衛門らが集まって、今後の対策を練っていたが、いい考えは浮かばなかった。今まで中心になっていた順慶は、子供を失った悲しみと完敗した悔しさとで反狂乱の状態となり、今回の戦に負けたのは門徒の中に間者(カンジャ)がいたと言い出し、その間者は倉月庄の国人たちに違いないと言い張っていた。
途中から加わった蓮崇と慶覚坊は、倉月庄の国人たちは裏切ってはいないと言い、今は門徒同士で争っている時ではないと言ったが順慶は聞かなかった。
兄の慶恵が見兼ねて、順慶を広間から連れ出した。
二人が出て行った後、「時期が、少し早かったんじゃ」と慶覚坊は言った。
「敵を甘く見過ぎていた」と蓮崇は言った。「今回の作戦は敵に筒抜けだった事は確かじゃ。しかし、順慶殿が言ったように、門徒の誰かが裏切っておったわけではない。敵が我々のもとに間者を入れておったんじゃ。多分、ここにもおったのかもしれん。今回、夜襲を受けた善福寺、聖安寺、専光寺は勿論の事、越中の避難所にも敵の間者は侵入しておったに違いない。そして、我々の動きはすべて、守護代の槻橋近江守のもとに伝えられたのじゃろう。我々が攻める事を知っておったからこそ、木目谷も山川城も厳重に守りを固めておったのじゃろう」
「しかし、敵にそれだけの事ができる奴がおるかのう」と石黒が言った。
「それがおるんじゃ」と慶覚坊は言った。
「槻橋の本拠地は本宮の近くじゃ」
「白山の山伏か」と高橋が聞いた。
「そうじゃ。槻橋は山伏を使って、わしらの動きを探っておったに違いない」
「成程のう、敵もやるもんじゃのう」
「それに比べ、わしらは三月の負戦の時もそうじゃが、今回も勝つ事ばかりを考え、敵の動きを調べようともしなかった。敵の動きが分かれば敵の裏をかく事もできるし、敵の出端を挫(クジ)く事もできる。わしらも、これからは敵に負けずに敵の事を探らなければ、何度やっても負戦じゃ」
「しかし、敵の中に潜入させるとなると、誰でもいいというわけにはいかんのう。山伏のような特殊な術を身に付けなければなるまい」と高橋は言った。
「それだけでなく、情報を素早く伝えるためには新しい組織も作らなければなりません」と蓮崇は言った。
「組織?」
「ええ、各道場に少なくとも一人はそういう役目の者を置いて道場と道場をつなぎ、さらに寺と道場もつなぎます。たとえば、野々市に潜入している者は野々市で起こった事を一番近くの道場に知らせ、その道場から次々に道場に伝わり、その日のうちに吉崎に伝わるようにするのです」
「その日のうちに吉崎にか」
「それは吉崎でなくても構いません。中心となるべき所をどこかに決め、その中心となるべき所には充分な人員を置き、何かが起こった場合、各地にすぐ指示を与えられるようにします。それだけの組織ができれば、敵の動きはすべて分かり、敵を倒す事もできるでしょう」
「話は分かるが、それだけの組織を作る事ができるのか」と石黒は聞いた。
「作らなければならないのです」
「誰が作るんじゃ。蓮崇殿が作ってくれるか」
「わしが作りたいが、残念な事に、今すぐに吉崎を離れるわけにはいかんのです」
「わしも、今すぐに山田を離れるわけにもいかんのう」と慶覚坊は言った。
「わしがやろう」と高橋が言った。
「本当ですか」と蓮崇は聞いた。
「ああ。当分、木目谷には戻れそうもないしのう。その役をやるのは、わししかおるまい」
「高橋殿がやってくれますか。それは助かります」と蓮崇は頭を下げた。
「わしも出来る限り、手伝うわ」と慶覚坊は言った。
「わしも手伝う」と石黒も言った。
その後、情報網作りの具体的な話が進んで行った。中心をどこに置くかで色々な意見が出たが、結局、門前町のすべてが破壊されてしまった善福寺の門前に新たに建てる多屋を中心とする、という事に決まった。そして、これからは敵の間者に充分注意し、怪しい者はすぐに引っ捕らえ、こちらの動きが敵に伝わらないようにしなければならないと皆で誓い合った。
蓮崇と慶覚坊の二人が湯涌谷を下り、本泉寺に顔を出したのは六月十八日だった。
二人は庭園造りに熱中している蓮如に挨拶をすると、そのまま吉崎に帰った。帰る前に、勝如尼に、充分に守りを固め、日夜、見張りを怠らないようにと注意を与えた。本願寺の大寺院が守護の軍勢によって、一夜のうちに三つも攻め滅ぼされたので、さすがに勝ち気の勝如尼も気が動転していた。蓮崇と慶覚坊は勝如尼に適切な指示を与えた。
その日、高橋新左衛門は、湯涌谷にいる一千人近くの木目谷衆の女子供、年寄りたちを百人の兵と共に瑞泉寺の避難所に移した。
同じ日、負傷者の治療をして回っている風眼坊とお雪は、数人の元、時宗の門徒を連れ、専光寺を後にして善福寺に向かっていた。二人が負傷者の手当を終え、本泉寺に帰って来たのは二十日の夕方だった。
そして、次の日、蓮如による庭園が完成したのであった。その次の日、蓮如は本泉寺において門徒を集めて説教をして、門徒たちに庭園を公開した。その日は各地から門徒たちが集まり、本泉寺は祭りさながらの賑わいだった。
庭園に門徒たちが多数、押しかけて来たため、せっかく完成した庭園が壊されないよう、庭園の回りに綱を張って、中に入れないようにし、何人もの見張りを置かなければならない有り様だった。蓮如の説教はその日、一日たけだったのに、庭園の見物人の数は次の日も次の日も減らなかった。蓮如もそういつまでも庭園の番をしているわけには行かなかった。二十五日には吉崎の講がある。
二十三日の早朝、蓮如の一行は吉崎に向かった。
5
吉崎の講が賑やかに行なわれた翌日、守護の富樫次郎からの書状が、軽海の山川三河守を通して蓮如のもとに届けられた。
その書状には、徒党(トトウ)を組んで、本願寺の寺院を占拠していた不埓(フラチ)な国人連中は追い出した。残念な事に、寺院まで焼けてしまったが、悪いのは守護に楯突く国人たちである。懲りずにもまた、悪党らが本願寺の寺院を占拠するような事があれば、守護の力を持って、必ず退治してみせるので安心されたし、という意味の事が書かれてあった。
蓮如はその書状を読むと、顔を少し歪めながら書状を持って来た蓮崇に渡した。
蓮崇も一読すると苦笑した。敵ながら、うまい事を言うものだと思った。本願寺の寺院にいた国人たちが、門徒だという事を知りながら、寺院を占拠していた悪党だと言い、寺院を燃やす事が初めからの目的だった癖に、偶然に燃えてしまったかのように言っている。もし、蓮如も蓮崇も事実を知らなかったら、すっかり騙(ダマ)されてしまう所だが、蓮崇は現場にいたし、蓮如も本泉寺にて事実を聞いていた。
「もう、わしにはどうする事もできん」と蓮如は言った。
蓮崇は何も言えなかった。
「守護側がそういう考えで寺を焼いたのだとすると、この吉崎も危ないぞ。集まって来ている門徒たちを早く、地元に帰した方がいい」
三寺が焼かれて以来、吉崎御坊の警固も厳重になっていた。すでに、去年の戦が始まって以来、吉崎御坊は城塞と化し、武装した門徒たちが交替で守るという事になっていた。蓮如は門徒たちに、もう戦は終わったのだから武装を解いて吉崎から去れ、と命ずるが門徒たちは聞かなかった。
門徒たちにして見れば、上人様のいる吉崎御坊を守るというのは名誉ある任務だった。門徒たちの誰もが希望し、話し合いによって加賀江沼郡と越前坂井郡の各道場が交替で行なうという事になっていた。そして、今回の事件が起き、門徒たちは武装して続々と吉崎に集まって来た。蓮崇も彼らを何とか説得して帰したが、それでも、警固の兵の数は以前の倍になっていた。
「それは無理です」と蓮崇は言った。「門徒たちが自主的に吉崎を守ろうと集まって来るのです。彼らは本気で上人様の事を心配しております。彼らは純粋な門徒たちです。ここに来て、吉崎を守ったからといって褒美(ホウビ)が出るわけではありません。誰かに命ぜられて、ここにおるのではないのです。無償の行為なのです。一晩中寝ないで警備する夜警は誰もが嫌がるものですが、門徒たちは進んで夜警をしております。命ぜられてする夜警は嫌々ながらしておるため、皆、居眠りをしておりますが、彼らはそんな事はありません。みんな、一睡もせずに夜警をしております。誰に誉められるわけでもありませんが、一生懸命やっておるのです。そんな彼らに、帰れなどとは、とても言えません」
「わしのためにか‥‥‥」
「上人様は、本願寺の上人様です。加賀や越前の門徒たちだけの上人様ではありません。彼らは近江や三河やその他に国々におる門徒たちを代表して、上人様を守っておると自負しております。吉崎の地におる限りは、上人様は自分たちの手で守らなければならないと堅く心に決めておるのです」
「そうか‥‥‥」
蓮如はこの時、吉崎を去る決心を固めていた。しかし、その事はまだ誰にも話していなかった。蓮如はまず行動してから、その後で考えるという型の人間ではなかった。行動を実行に移すには、彼なりに充分な下準備が必要だった。
近江から、この吉崎に移った時も、蓮如は充分な下準備をしていた。御文では、気の向くままに吉崎に来て、この地が気にいって別院を建てたと書いているが、実際は、吉崎に移る三年前、東国への旅の途中、吉崎の地に初めて立った時より着々と準備を進めていたのだった。
今回も、行くべき所をはっきりと決め、その地を納得するまで調べないと移る事はできなかった。蓮如ただ一人が移動するのなら、どこだろうと構わないが、家族を連れて移動するとなると、どこでもいいというわけには行かない。新しい御坊が完成するまで、安心して家族が滞在できる場所でなくてはならなかった。
できれば、その地を捜しに旅に出たいと思っていた。そして、冬が来る前に、ここを去る事ができればいいと思っていた。今は六月の末、後三ケ月のうちに移動すべき所を捜し、家族を連れて吉崎を出ようと決めていた。
蓮如のそんな思いなど知らず、蓮崇は、蓮如が吉崎にいるうちに、何としてでも守護の富樫を倒そうとたくらんでいた。情報網をしっかりと張って敵の情報を確実につかめば、守護を攻める口実が見つかるに違いない。蓮如が納得できる口実を見つけ、蓮如に攻撃命令を出してもらえば、守護の富樫を倒す事など簡単な事だった。蓮崇は、蓮如は後二、三年は吉崎にいると勝手に決め込んでいた。そして、その二、三年のうちに守護を倒すと決めていた。
蓮崇は講が終わると、さっそく、吉崎に来ていた慶覚坊と一緒に湯涌谷に向かった。高橋新左衛門を助け、本願寺の裏の組織を作るためだった。
蓮如は夕食を済ませると、夕闇の中、例の抜け穴を使って風眼坊の家に向かった。
丁度、風眼坊とお雪が食事をしている時だった。
蓮如は縁側から部屋の中を覗いた。お雪が気づいて蓮如に声を掛け、縁側の方に向かった。
「一体、今頃、どうしたのです」風眼坊は、お雪と共に部屋に入って来た蓮如に聞いた。
「食事中、すまなかったのう」
「上人様も、いかがですか」とお雪は勧めた。
「いや。わしは今、食べて来たばかりじゃ」
「さては、もう、どこかに行きたくなったのですね」と風眼坊は箸(ハシ)を置いて笑った。
「いや、まあ、そなたに頼みがある事はあるんじゃが、今回は旅じゃないんじゃ。まあ、先に飯を食べてくれ。わしは縁側の方で待っておる」
蓮如は部屋から出て行った。
「一体、何かしら」とお雪は風眼坊に聞いた。
風眼坊は首を振った。
食事を済まして、風眼坊は蓮如の待つ縁側に行った。
「毎日、蒸し暑いのう」と蓮如は縁側で扇子を扇いでいた。
「ええ。まったく暑いですね。わしはいつも、暑い夏は山の上におるんじゃが、今年はそうもいかん。まったく、この暑さには参るわ」
「山か‥‥‥そなたは色々な山を登った事じゃろうのう」
「ええ。有名な山はほとんど登ったといってもいいでしょう」
「越中の立山もか」
「ええ。登りました」
「まさか、駿河の富士山は登ってはいまい」
「いえ。登りました」
「なに、富士山にも登ったのか」
「はい」
「凄いのう。山伏というのは富士山にも登るのか」
「ええ、登ります。しかし、山伏でも登れない山というのも、かなり、あります」
「登れない山もあるのか」
「はい。越中と信濃の国境や信濃と甲斐の国境辺りに連なる山々は、かなり険しく、まだ、誰も登った事がないといわれる山がかなりあります」
「ほう。そんな山もあるのか‥‥‥そなたでも登れん山がのう」
「蓮如殿、また、山に登りたくなったのですか」と風眼坊は聞いた。
「ああ。白山の頂上に登った時は、本当に気持ちよかったからのう。あの時の感激は今でもはっきりと覚えておる。もう一度、登ってみたいものじゃ」
「その事で、わざわざ、こんな遅くになって、ここに来たというわけですか」
「いや、そうじゃない。実はのう、さっき、蓮崇から吉崎を警固している門徒たちの事を聞いてのう。この目で、それらの者たちを見たくなったのじゃ」
「わざわざ、警固の状態を見て回るのですか」
「わしは今まで、多屋衆たちが門徒たちに命じて、ここを守らせておるんじゃと思っておった。しかし、蓮崇の話によると、門徒たちの方が自主的にここを守ろうとして集まって来ると言うんじゃ。わしはそんな事、全然知らなかった。その話を聞いたら、どうしても、それらの者たちに会って、一言、礼を言いたくなったというわけじゃよ。付き合ってくれんか」
「付き合っても構いませんが、上人様として見回るわけですか」
「そのつもりじゃ」
「しかし、上人様が直々に、そんな事をしたら門徒たちは感激して、益々、ここを守るために集まって来る事になりますよ」
「うむ。それはまずいのう。しかし、庭師に化けて、夜中にウロウロしておったら捕まってしまうじゃろう」
「蓮崇殿か、慶聞坊殿に頼んだらどうです。そして、蓮如殿は、その連れという事にして、一緒に回った方がいいと思いますが」
「連れとしてか‥‥‥それしかないかのう」
「わしは門徒ではないから無理です。見回りのできる立場の者でないと、真剣に吉崎を守っている門徒たちを見回る事などできないでしょう」
「じゃろうのう。慶聞坊の奴に頼んでみるかのう」
「わしも、一緒に行っても構いませんか」と風眼坊は聞いた。
「一緒に来てくれるか。そなたが一緒なら心強い」
風眼坊は蓮如と共に慶聞坊の多屋に向かい、その夜、吉崎を夜警している門徒たちを見て回った。
気の荒い連中が多かったが、皆、真剣な気持ちで、上人である蓮如を守っていた。
蓮如は心の中で、彼らに礼を言いながら見て回った。
総門を警護していた門徒の中に、風眼坊が剣術を教えた九谷道場の杉谷孫三郎の姿があった。孫三郎は見違える程、逞(タクマ)しくなっていた。風眼坊は孫三郎に気づいたが、孫三郎は気づかなかった。風眼坊はあえて声を掛けなかった。
蓮如は慶聞坊の後ろに隠れるようにして門徒たちを見ていた。見回りの間、蓮如は一言も喋らなかった。
一回りして、寝ずの番をしている門徒たちを見て回ると、風眼坊と慶聞坊は蓮如を御山まで送り、それぞれ、うちに帰った。
南の空から細い三日月が下界を見下ろしていた。
28.定地坊
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南加賀の中心地である軽海郷(カルミゴウ)は、大杉谷川と滓上(カスカミ)川が合流する地点にあり、そこには、かつて軽海潟と呼ばれる湖があった。その湖の東側に守護所があり、西側には白山中宮八院と呼ばれる大寺院が並んでいた。ここは中宮への入り口に当たり、湖上交通も盛んで、湖上に浮かぶ船は湖を行き来するだけでなく、梯(カケハシ)川を利用して日本海の安宅湊(アタカミナト)へも行き来していた。他国からの物資は船によって軽海潟まで運ばれ、ここから陸路を使って中宮まで運ばれて行った。
本宮が手取川の水運に頼っているのに対し、中宮は梯川の水運に頼っていた。手取川の水運が本願寺門徒の安吉源左衛門に握られているように、梯川の水運は板津(小松市)の国人門徒、蛭川(ヒルカワ)新七郎が握っていた。梯川の水運に頼っているのは中宮だけではなかった。山之内衆も同じだった。山之内衆は軽海潟からの陸路は握っていたが、水運が止まってしまえば、どうにもならなかった。山之内衆が本願寺の門徒になったのは、本願寺によって梯川の水運を止められたら困る事になるという理由もあった。
蛭川新七郎を初めとして水運業に携わる川の民たちを門徒に抱えていたのが、軽海潟から少し奥に入った所に建つ鵜川(ウカワ)の浄徳寺(ジョウトクジ)で、住持職は超勝寺の兄弟の一番上の慶恵(キョウエ)だった。
今、その浄徳寺に超勝寺の三兄弟、慶恵、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、順慶(ジュンキョウ)が集まっていた。
順慶は善福寺を焼かれ、守護の軍勢に攻められ、一時は家族を連れて湯涌谷に逃げたが、何かと不自由なため、兄の慶恵の住む浄徳寺に家族と共に世話になっていた。
焼け落ちた善福寺の再建は、山崎窪市(クボイチ、金沢市)の門徒と犀(サイ)川上流の門徒を中心に進んでいたが、ほとんど燃え落ちてしまったため、冬が来る前に完成するかどうか分からない状況だった。順慶は家族を預けると、すぐにまた湯涌谷に戻った。しかし、蓮崇と対立し、仕方なく浄徳寺に戻って、少し離れた所で、北加賀の状況を見守っていた。
定地坊巧遵の方は、しつこい甲斐党から逃げて吉崎に滞在した後、南加賀の守護代、山川三河守の家来に連れられて軽海に行き、山川三河守と会っていた。
山川三河守も、蓮崇と対立している定地坊の存在は利用できると思い、定地坊に近づいて行ったのだった。山川三河守は定地坊を本願寺の代表として接した。定地坊も悪い気はしなかった。
三河守は、定地坊に、わしのやり方は北加賀の槻橋(ツキハシ)近江守とは違う。わしは本願寺と仲良くやって行くつもりだ。そこで、そなたの力を借りたい。そなたが目代(モクダイ、代官)となって南加賀の門徒たちを一つにまとめて欲しい、と持ちかけた。蓮崇の事も持ち出して対抗意識を煽(アオ)り、定地坊が蓮崇の悪口を言うと適当に頷いてみせ、定地坊の味方をした。
定地坊はうまく三河守に乗せられて軽海の町に滞在し、三河守の提供する女たちに囲まれて毎日、酒を食らって、いい気になっていた。軽海に滞在しながら定地坊は兄のいる浄徳寺に時々、顔を出していた。兄の慶恵が先月の初め、弟のいる善福寺に行った事も知っていた。慶恵は定地坊にも一緒に行こうと誘ったが、北加賀の事は二人に任せる、わしは南加賀の事で頭が一杯じゃ、と断ったが、実は女の事で頭が一杯だった。
湯涌谷において、慶恵と順慶が蓮崇と対立して浄徳寺に戻って来たのは七月の十二日だった。前日の十一日、手取川で睨み合いを続けていた松任城の鏑木右衛門尉の兵と安吉源左衛門の兵が、白山の長吏(チョウリ)、澄栄(チョウエイ)の仲裁により、お互いに一度も敵を攻める事なく兵を引いていた。もう一度、守護を攻める事を主張していた順慶も、その事を聞くと諦めざるを得なかった。
順慶は手取川の安吉と笠間、それに、鏑木の兵も加えて一気に野々市を攻め、それに呼応して、倉月庄の国人と湯涌谷衆、木目谷衆が背後から攻めれば絶対に勝つと主張した。確かに、その作戦が成功すれば勝つだろうが、すでに、本願寺の動きは敵に筒抜けになっている。その作戦も未然に防がれ、また、本願寺の負戦となるだろう、と誰もが反対し、それよりも、蓮崇が提案した情報網を作る事が先決だと、蓮崇を中心に情報網作りに熱中していた。蓮崇と慶覚坊の二人は一度、吉崎に戻ったが、吉崎の講が終わるとまた湯涌谷に来て、高橋新左衛門らと共に裏の組織作りの事を検討していた。
順慶と慶恵の二人は蓮崇を中心とする集まりには参加せず、しばらくは様子を見るしかないと浄徳寺に戻って来た。
浄徳寺に戻って来た二人は軽海にいる定地坊を呼んだ。蓮崇の事について話があると書いてやると定地坊はすぐにやって来た。この時点において、三人は蓮崇に対立する事によって強く結ばれた。
以前から、定地坊が蓮崇を憎んでいた事は順慶も慶恵も知っていたが、二人は定地坊ほど蓮崇の事を悪くは思っていなかった。ところが今回、北加賀において常に先頭になって作戦を考え、国人たちを動かし、寺院や子供までも失ったというのに、途中から出て来た蓮崇に、すっかり主導権を奪われ、面目(メンボク)を失ってしまった。順慶は兄の定地坊と同じように、うまく行かない事をすべて蓮崇のせいにし、蓮崇を恨んでいた。一番上の慶恵は主戦派の二人に比べて物事をじっくりと考える男だったが、蓮崇の態度には腹を立てていた。
慶恵は嫡流ではないにしろ、蓮如と同じく、親鸞聖人の血を引いているという事に誇りを持っていた。蓮如が北陸に進出する前、本泉寺の如乗(ニョジョウ)と共に、この地に布教を広めたのは自分たちだと自負していた。蓮如が来てから門徒の数は驚くように増えて行ったが、その元を築いたのは自分たちだと自負していた。
慶恵は蓮如よりも八つ年下だった。慶恵が生まれた時、越前の本願寺の寺院は高田派や三門徒派などの寺院に比べて寂れていた。若い頃の慶恵は、何とかして本願寺派を栄えさせようと、当時、熱心に布教活動を行なっていた加賀二俣の本泉寺に行き、如乗のもとで修行を積んだ。慶恵の父親、如遵(ニョジュン)と如乗は従兄弟(イトコ)であった。
慶恵は如乗と共に加賀の村々や山の中を巡って教えを説いた。本泉寺において、まだ、法主になる前の蓮如とも会い、蓮如と共に布教の旅をした事もあった。お互いにまだ若く、危険な所まで行って危険な連中に教えを説いた事もあった。慶恵は若い頃の蓮如をよく知っており、心から蓮如の事を尊敬していた。蓮如がやがて法主となる身でありながら、自らの足で加賀や越前の国々を歩き回り、門徒を増やして行ったという事を知っていた。蓮如がこの地に来て、これだけ本願寺が栄えたのは当然の事と言えた。慶恵はそんな蓮如を見習い、自分も足で門徒を増やして来た。ただ、本願寺の一門というだけでなく、自分がやって来た事に誇りを持っていた。
ところが、蓮崇という男は自分で門徒を開拓したわけでもなく、ただ、蓮如にくっ付いているだけだった。元はといえば如乗の一門徒に過ぎない。たまたま、下間(シモツマ)家の娘を嫁に貰って蓮如の執事(シツジ)となったが、自分の足で門徒を開拓してはいない。湯涌谷に道場を持ってはいても、湯涌谷を開拓したのは如乗であって、蓮崇は如乗の開拓した道場に入っただけの事だった。吉崎において、かなりの権力を持ち、戦において作戦などを立てているが、慶恵は蓮崇を認めてはいなかった。
その三人が浄徳寺の書院に集まって話す事といえば蓮崇の悪口だった。
湯涌谷から帰って来た二人の話を聞きながら、定地坊は始終、ニコニコしながら頷いていた。
「そうじゃろう。蓮崇という奴は確かに頭がいい。上人様もきっと奴に騙(ダマ)されておるに違いない。どうせ、奴は上人様に、今回の戦が負けたのは兄貴と順慶の二人のせいだと言うに違いないわ。現場の状況など上人様には分かるまいからのう」
「多分な」と慶恵は言った。
「蓮崇の奴は今、湯涌谷におるんじゃな」
「ああ。慶覚坊と一緒にな」
「慶覚坊か‥‥‥奴も蓮崇に騙されておる口じゃな。わしは何とかして蓮崇の奴を破門に追い込みたいと考えておるんじゃが、なかなか、いい方法が浮かばん」
「奴を破門にするのか」と順慶が聞いた。
「当然じゃ。奴がいる限り、わしらは一門でありながら肩身の狭い思いをせにゃならんのじゃ。奴が破門になれば、加賀も越前も、わしらの思うようになる」
「それはそうじゃが、蓮崇を破門にするのは難しいぞ」と慶恵は言った。「奴は一番、上人様に信頼されておるからのう」
「そうじゃ」と順慶も頷いた。「わしらが上人様に何と言おうと、上人様は蓮崇の言い分の方を信じるじゃろう」
「そうなんじゃよ。わしも色々と考えてみたが、いい考えが思いつかんのじゃ。下手したら、蓮崇を破門にするどころか、わしらが破門にされかねんからのう」
「ちょっと待て」と慶恵は言った。「さっきから、破門、破門と言っておるが、果たして、上人様は破門などするかのう」
「それは、教えにそむいた者は破門になるに決まっておる」と定地坊は言った。
「そうかのう。上人様の教えは、すでに、皆、阿弥陀様に救われておる、という教えじゃ。どんな悪人でもじゃ。その教えの中に破門などというものがあるのか。破門する程の者でも、阿弥陀様に救われておると言うんじゃないかのう」
「まあ、そうかもしれんが、間違った教えを広めたりすれば破門になると思うがのう」と定地坊は言った。
「うむ。確かに、親鸞聖人(シンランショウニン)様は間違った教えを説いた息子の善鸞(ゼンラン)殿を破門になされた。しかし、今の蓮崇は間違った教えどころか、教え自体、門徒たちに説いてはおらんじゃろう」
「そう言われれば、奴が教えを説いておる所など見た事もないのう」と順慶は言った。
「湯涌谷の道場におった頃は、奴も教えを説いておったが、上人様の近くに仕えるようになってからは門徒たちの前で教えを説いた事はあるまい。もし、あったとしても自分の多屋の中で説く位じゃ。自分の多屋でも人任せかもしれん」
「そうなると、破門というのは難しいのう」と順慶はうなだれた。
「まあ、焦る事はあるまい。上人様は東国へ巡錫(ジュンシャク)の旅に出掛けられた。三、四ケ月は帰って来んじゃろう。その間に、蓮崇を陥(オトシイ)れる策を考えればいい」と定地坊は笑って言った。
「おぬし、知らんのか」と慶恵は言った。
「何を」
「上人様は、吉崎に戻られたんじゃ」
「なに?」
「瑞泉寺まで来て、蓮崇に説得されて東国への旅は中止にしたんじゃ」
「本当か」
「本当じゃ」と順慶も言った。
「また、奴がでしゃばったのか。まったく憎らしい奴じゃ」と定地坊は吐き捨てるように言った。
蓮如は先月の末、突然、東国に行くと言い出し、慶聞坊、法実坊、その他、数人を連れて旅立った。東国への布教の旅と言いながら、蓮如の本当の目的は三河の国(愛知県中東部)だった。次の本拠地を三河と決め、実際に、三河の地を見て、吉崎から三河に移動しようと思っていた。三河の地にも、佐々木の上宮寺(ジョウグウジ)、野寺の本証寺、針崎の勝鬘寺(ショウマンジ)を初めとして熱心な門徒がかなりいた。蓮如は次の移動先の下準備のために旅に出たのだった。しかし、瑞泉寺まで来た時、湯涌谷にいた蓮崇と慶覚坊が慌てて現れて蓮如を説得した。二人の説得に負けて、蓮如は今回の旅を中止したのだった。
二人は、今、蓮如がこの地からいなくなったら、守護の思う壷にはまって、本願寺は全滅してしまうだろうと言った。敵から見れば、蓮如がいなくなるという事は、敵の大将がいなくなるのと同じだった。大将が留守の間に、敵の勢力を削減するのは常套(ジョウトウ)手段と言えた。敵は、この前と同じように本願寺の寺院を攻めるに違いない。今、本願寺の寺院は皆、身を守るために武装した門徒たちに守られている。守護側はまた、それらの門徒たちを寺院を占拠する悪党と称して攻めて来るに違いない。もし、蓮如がこの地を留守にすれば、本泉寺、松岡寺、光教寺の三寺は間違いなく、やられる。
奴らがすぐに、それらを攻めないのは、上人様が吉崎にいるからです。奴らから見れば、上人様は恐ろしい存在なのです。上人様が門徒たちに一声掛ければ、たちまちに門徒たちが集まって、守護の富樫は滅ぼされるという事を知っています。守護側は常に、上人様の顔色を窺いながら門徒たちを倒しているのです。もし、今、上人様がこの地を離れたら、守護側にとって恐ろしい者が無くなるのです。守護側はやりたい放題に門徒たちを攻め、上人様が帰って来た時には、門徒たちは皆、やられている事でしょう。
蓮如は二人の話を聞いて、旅を中止し、吉崎に戻った。確かに、二人の言う通りだと思った。蓮如は自分の事しか考えなかった自分を恥じた。
浄徳寺において、三人が話していた頃、蓮如の一行は丁度、吉崎に帰り着いていた。
「上人様は吉崎に戻ったのか」と定地坊は唸った。
「ああ。上人様は吉崎に戻り、蓮崇の奴は湯涌谷じゃ」と慶恵は言った。
「せっかくの東国への旅を、蓮崇に説得されて戻って来るとは、上人様は余程、蓮崇を信頼しておると見えるのう。蓮崇の奴を破門にするのは難しいわ」と順慶は言った。
結局、いい考えも浮かばず、三人は浄徳寺の門前町に出て、やけ酒を飲み交わした。
軒下の風鈴(フウリン)が鳴っていた。
軽海の城下町にある観音屋という大きな旅籠屋の離れで、定地坊巧遵は小梅という若い女に酌(シャク)をさせ、昼間から酒を飲んでいた。
定地坊がこの離れに滞在してから、すでに三ケ月が過ぎようとしている。三日前に、浄徳寺にて慶恵と順慶と会い、蓮崇を失脚させようと相談したが、結局、いい案は浮かばず、定地坊は軽海に帰って来た。何か、いい考えが浮かべば連絡すると言っていたが、今日まで何も言っては来ない。定地坊にも、どうやればうまく行くのか分からなかった。まあ、焦る事もない、と定地坊は思っていた。
ここでの生活は快適だった。
山川三河守が自分の事を余程大事にしてくれているとみえて、何でもやりたい放題だった。酒も飲み放題、うまい物も食えるし、女に関しても遊女屋から好きな女を連れて来られた。出て行きたくなれば好きな時に出て行き、好きな時に戻って来る事もできた。三河守は定地坊が何をしても文句は言わないし、今の所、何をしろとも命じない。定地坊は毎日、放蕩三昧(ホウトウザンマイ)に暮らしていた。
この離れは十年以上前に、三河守の父親の隠居所として建てられたものだった。しかし、父親はここに二年近く住んだだけで、この地を離れなくてはならなくなった。以前、三河守が仕えていた守護の富樫五郎泰高が突然、隠居してしまい、次郎政親が守護となり、守護代には槻橋豊前守が任命された。三河守親子は京に行く事となり、隠居所は観音屋に預けた。その後、十年振りに軽海に戻って来た三河守は隠居所が無事に残っていた事を喜んだが、その隠居所に入るべき父親はすでに亡くなっていた。三河守は隠居所を特別の客が来た時の接待用に使う事にし、そのまま観音屋に管理させていた。立派な庭園もあり、ちょっとした広間も付いた、なかなか豪勢な屋敷だった。
定地坊は下帯(シタオビ)一つで庭園を眺めながら酒をちびちびと飲んでいた。小梅という小太りの女も浴衣(ユカタ)を身に付けただけで扇子(センス)を扇いでいた。
「どうやら、一雨、来そうじゃのう」と定地坊は空を見上げながら言った。
「助かります。こう暑いと何もしたくなくなります」と小梅は言った。
「暑いのは苦手か」
「はい。全然、駄目です。本願寺様にここに呼んでいただいて、あたし、本当に助かっています。お店にいる時は、こんな格好でいられませんもの。着物をちゃんと着て、畏まっていなければなりません。もう、暑くて暑くて、たまりませんわ」
「そうじゃろうの。なんなら、それも脱いで、裸でおっても、わしは構わんのじゃぞ」
「やだ、そんな。本願寺様ったら、こんな格好でいるのも恥ずかしいのに、裸だなんて」
「恥ずかしがる事はない。そなたの肌は白くて格別じゃ」
「やだわ。あたしなんて、太っていて駄目ですわ」
「なに、そなた位が一番、女子(オナゴ)らしいんじゃ」
「誰か来たようですわ」と小梅が言った。
裏口の方から誰かが、「本願寺様」と呼んでいた。
観音屋の仲居に違いなかった。以前は、用があると部屋の側まで来たが、定地坊がいつも裸同然の姿で部屋の中にいるので、仲居の方が遠慮して部屋の側まで来なくなった。
定地坊は帷子(カタビラ)をはおると裏口の方に向かった。
しばらくして戻って来ると定地坊は、「山川殿が何か用があるそうじゃ。わしはちょっと守護所まで行って来るわ」と言った。
小梅は定地坊の着替えを手伝い、早く帰って来て、と見送った。
守護所の中の自分の屋敷の方で三河守は待っていた。
決まり切った挨拶を済ますと、三河守は一枚の紙を定地坊に渡した。それは、蓮如が書いた御文(オフミ)だった。
「昨日、蓮如殿か発表した物じゃ」と三河守は言った。
「昨日? 昨日、発表した物が、もう、三河守殿の手に?」
「わしも、やるべき事は、ちゃんとやっておるつもりじゃ」
蓮如が発表した御文は、吉崎において何枚も写され、写された物は大寺院に届けられる。大寺院はそれをまた何枚も写し、その寺院に所属する末寺(マツジ)に配り、末寺は各道場に配るという仕組みになっていた。昨日、発表されたばかりだとすれば、吉崎の近くは別にして、まだ、この辺りの道場までは届いていないはずだった。その御文を三河守が手にしているという事は、末寺辺りから手に入れたのかもしれない。どういう手順で手に入れたのか分からなかったが、三河守も油断のならない相手だと、定地坊は思った。
「まあ、読んでみてくれ」
その御文には、六ケ条の掟が書かれてあった。ついこの間の五月の末に、十ケ条を書いたばかりで、また、今度は六ケ条の掟とは、一体、どうした事だろうと定地坊は御文を最後まで読んだ。内容は前回とほとんど同じで、項目を少なくし、一ケ条ごとに分かり易く説明したものだった。
「これが、何か」と読み終わると、定地坊は三河守に御文を返した。
「一つ、神社をかろしむる事あるべからず。
一つ、諸仏菩薩、ならびに諸堂をかろしむべからず。
一つ、諸宗諸法を誹謗すべからず。
一つ、守護、地頭を疎略にすべからず。
一つ、国の仏法の次第非義たるあいだ、正義(ショウギ)におもむくべき事。
一つ、当流にたつるところの他力信心をば内心に深く決定すべし」
三河守は、六ケ条の掟を読み上げた。
「上人様が常に言っておる事です」と定地坊は言った。
「なかなか、いい事を言うのう」
「はい。しかし、十ケ条の掟といい、六ケ条の掟といい、上人様が一々、こんな事を御文に書かなくてはならない程、門徒たちが上人様の言う事を聞かなくなったという事です。すでに、門徒たちは上人様の手を離れて、一人歩きを始めております」
「成程のう。上人様も上人様なりに色々と悩みが多いようじゃのう」
「ところで、三河守殿、その御文がどうかしたのですか」
三河守は御文をもう一度、定地坊に渡し、「その六ケ条の掟の前の文を読んでみてくれ」と言った。
「前の文?」
「もし、この旨(ムネ)をそむかんともがら(仲間)は、長く門徒中の一列たるべからざるものなり」と三河守は、その文を暗記していた。
「破門か‥‥‥」と定地坊は呟(ツブヤ)いた。
「やはり、破門という意味か」と三河守は聞いた。
「ええ、破門です」
「という事は、この六ケ条を破ったものは破門という事じゃな」
定地坊はもう一度、六ケ条を読んだ。
「ところで、蓮崇の事じゃがの、この六ケ条に違反してはおらんかのう」と三河守は聞いた。
「蓮崇が?」
「わしの耳に入った噂じゃがのう。北加賀での騒ぎの張本人は蓮崇だというではないか。蓮崇が国人たちを煽(アオ)って守護に敵対しておったというが、その事は四番目の、守護、地頭を疎略にすべからず、というのに当て嵌まると思うがのう」
「いや、それは蓮崇ではなく、実は‥‥‥」
「なに、蓮崇ではない? わしの耳には確かに蓮崇だと入って来たぞ。それに、今も蓮崇は湯涌谷において国人たちを煽り、また、騒ぎを起こそうとしておるらしい」
「はい。確かに蓮崇は今、湯涌谷におりますが‥‥‥」
「今時、湯涌谷におる事自体が、国人たちを扇動しておる何よりの証拠じゃ」
「確かに‥‥‥」
「どうじゃ、この際、蓮崇を破門にしてしまった方がいいんじゃないのか。蓮崇がおらなくなれば、吉崎はそなたたちの思いのままになるじゃろう」
「はっ、しかし、上人様は蓮崇の事をかなり信頼しておる。わしらが奴の事を悪く言っても、信用せんじゃろう」
「何も、そなたが直接、言う必要はない。蓮崇が国人たちを煽っておるとの噂を流せばいい。その噂が国中に広まれば、上人様も蓮崇を破門せざるを得ない状況となるじゃろう」
「噂か‥‥‥」
三河守はゆっくりと頷いた。「ただ、蓮崇を悪く言うような噂ではまずいのう。蓮崇はわりと門徒たちに人気があるらしいからのう。そういう噂はかえって逆効果になりかねん」
「という事は、どんな噂を流すのですか」
「蓮崇を誉める噂じゃ。蓮崇が国人たちを指揮して、無法にも本願寺の寺院を焼き、多数の門徒を殺した守護を倒すと言う。志しのある者は武器を取って湯涌谷に集まれ、というような噂じゃな」
「しかし、そんな噂を流したら、本当に門徒たちは武器を持って湯涌谷に集まりますよ」
「それを止めるのは、そなたたちの役目じゃろう。その御文を楯にして、門徒たちを引き留めればいいんじゃ。それに門徒たちが騒ぎだせば、ますます、蓮崇は破門となる事、確実じゃ」
「うーむ‥‥‥」
突然、雷が鳴り響き、大粒の雨が落ちて来た。
「どうじゃな。やってみる気はないかのう」
「‥‥‥やってみましょう」と定地坊は言ったが、その声は雷の音にかき消された。
三河守は、大きく頷き、「いい結果が出る事を願っておる」と言った。
定地坊は大雨の中、笠と蓑(ミノ)を借りて三河守の屋敷を後にした。三河守は、雨がやむまで、ゆっくりして行ってくれと言ったが、定地坊は三河守から聞いた事を早く、浄徳寺の二人に知らせたかった。
びしょ濡れになって軽海潟の船着き場に向かうと、定地坊は雷の鳴る大雨の中、無理やり船を出させて浄徳寺へと向かった。
順慶は手取川の安吉と笠間、それに、鏑木の兵も加えて一気に野々市を攻め、それに呼応して、倉月庄の国人と湯涌谷衆、木目谷衆が背後から攻めれば絶対に勝つと主張した。確かに、その作戦が成功すれば勝つだろうが、すでに、本願寺の動きは敵に筒抜けになっている。その作戦も未然に防がれ、また、本願寺の負戦となるだろう、と誰もが反対し、それよりも、蓮崇が提案した情報網を作る事が先決だと、蓮崇を中心に情報網作りに熱中していた。蓮崇と慶覚坊の二人は一度、吉崎に戻ったが、吉崎の講が終わるとまた湯涌谷に来て、高橋新左衛門らと共に裏の組織作りの事を検討していた。
順慶と慶恵の二人は蓮崇を中心とする集まりには参加せず、しばらくは様子を見るしかないと浄徳寺に戻って来た。
浄徳寺に戻って来た二人は軽海にいる定地坊を呼んだ。蓮崇の事について話があると書いてやると定地坊はすぐにやって来た。この時点において、三人は蓮崇に対立する事によって強く結ばれた。
以前から、定地坊が蓮崇を憎んでいた事は順慶も慶恵も知っていたが、二人は定地坊ほど蓮崇の事を悪くは思っていなかった。ところが今回、北加賀において常に先頭になって作戦を考え、国人たちを動かし、寺院や子供までも失ったというのに、途中から出て来た蓮崇に、すっかり主導権を奪われ、面目(メンボク)を失ってしまった。順慶は兄の定地坊と同じように、うまく行かない事をすべて蓮崇のせいにし、蓮崇を恨んでいた。一番上の慶恵は主戦派の二人に比べて物事をじっくりと考える男だったが、蓮崇の態度には腹を立てていた。
慶恵は嫡流ではないにしろ、蓮如と同じく、親鸞聖人の血を引いているという事に誇りを持っていた。蓮如が北陸に進出する前、本泉寺の如乗(ニョジョウ)と共に、この地に布教を広めたのは自分たちだと自負していた。蓮如が来てから門徒の数は驚くように増えて行ったが、その元を築いたのは自分たちだと自負していた。
慶恵は蓮如よりも八つ年下だった。慶恵が生まれた時、越前の本願寺の寺院は高田派や三門徒派などの寺院に比べて寂れていた。若い頃の慶恵は、何とかして本願寺派を栄えさせようと、当時、熱心に布教活動を行なっていた加賀二俣の本泉寺に行き、如乗のもとで修行を積んだ。慶恵の父親、如遵(ニョジュン)と如乗は従兄弟(イトコ)であった。
慶恵は如乗と共に加賀の村々や山の中を巡って教えを説いた。本泉寺において、まだ、法主になる前の蓮如とも会い、蓮如と共に布教の旅をした事もあった。お互いにまだ若く、危険な所まで行って危険な連中に教えを説いた事もあった。慶恵は若い頃の蓮如をよく知っており、心から蓮如の事を尊敬していた。蓮如がやがて法主となる身でありながら、自らの足で加賀や越前の国々を歩き回り、門徒を増やして行ったという事を知っていた。蓮如がこの地に来て、これだけ本願寺が栄えたのは当然の事と言えた。慶恵はそんな蓮如を見習い、自分も足で門徒を増やして来た。ただ、本願寺の一門というだけでなく、自分がやって来た事に誇りを持っていた。
ところが、蓮崇という男は自分で門徒を開拓したわけでもなく、ただ、蓮如にくっ付いているだけだった。元はといえば如乗の一門徒に過ぎない。たまたま、下間(シモツマ)家の娘を嫁に貰って蓮如の執事(シツジ)となったが、自分の足で門徒を開拓してはいない。湯涌谷に道場を持ってはいても、湯涌谷を開拓したのは如乗であって、蓮崇は如乗の開拓した道場に入っただけの事だった。吉崎において、かなりの権力を持ち、戦において作戦などを立てているが、慶恵は蓮崇を認めてはいなかった。
その三人が浄徳寺の書院に集まって話す事といえば蓮崇の悪口だった。
湯涌谷から帰って来た二人の話を聞きながら、定地坊は始終、ニコニコしながら頷いていた。
「そうじゃろう。蓮崇という奴は確かに頭がいい。上人様もきっと奴に騙(ダマ)されておるに違いない。どうせ、奴は上人様に、今回の戦が負けたのは兄貴と順慶の二人のせいだと言うに違いないわ。現場の状況など上人様には分かるまいからのう」
「多分な」と慶恵は言った。
「蓮崇の奴は今、湯涌谷におるんじゃな」
「ああ。慶覚坊と一緒にな」
「慶覚坊か‥‥‥奴も蓮崇に騙されておる口じゃな。わしは何とかして蓮崇の奴を破門に追い込みたいと考えておるんじゃが、なかなか、いい方法が浮かばん」
「奴を破門にするのか」と順慶が聞いた。
「当然じゃ。奴がいる限り、わしらは一門でありながら肩身の狭い思いをせにゃならんのじゃ。奴が破門になれば、加賀も越前も、わしらの思うようになる」
「それはそうじゃが、蓮崇を破門にするのは難しいぞ」と慶恵は言った。「奴は一番、上人様に信頼されておるからのう」
「そうじゃ」と順慶も頷いた。「わしらが上人様に何と言おうと、上人様は蓮崇の言い分の方を信じるじゃろう」
「そうなんじゃよ。わしも色々と考えてみたが、いい考えが思いつかんのじゃ。下手したら、蓮崇を破門にするどころか、わしらが破門にされかねんからのう」
「ちょっと待て」と慶恵は言った。「さっきから、破門、破門と言っておるが、果たして、上人様は破門などするかのう」
「それは、教えにそむいた者は破門になるに決まっておる」と定地坊は言った。
「そうかのう。上人様の教えは、すでに、皆、阿弥陀様に救われておる、という教えじゃ。どんな悪人でもじゃ。その教えの中に破門などというものがあるのか。破門する程の者でも、阿弥陀様に救われておると言うんじゃないかのう」
「まあ、そうかもしれんが、間違った教えを広めたりすれば破門になると思うがのう」と定地坊は言った。
「うむ。確かに、親鸞聖人(シンランショウニン)様は間違った教えを説いた息子の善鸞(ゼンラン)殿を破門になされた。しかし、今の蓮崇は間違った教えどころか、教え自体、門徒たちに説いてはおらんじゃろう」
「そう言われれば、奴が教えを説いておる所など見た事もないのう」と順慶は言った。
「湯涌谷の道場におった頃は、奴も教えを説いておったが、上人様の近くに仕えるようになってからは門徒たちの前で教えを説いた事はあるまい。もし、あったとしても自分の多屋の中で説く位じゃ。自分の多屋でも人任せかもしれん」
「そうなると、破門というのは難しいのう」と順慶はうなだれた。
「まあ、焦る事はあるまい。上人様は東国へ巡錫(ジュンシャク)の旅に出掛けられた。三、四ケ月は帰って来んじゃろう。その間に、蓮崇を陥(オトシイ)れる策を考えればいい」と定地坊は笑って言った。
「おぬし、知らんのか」と慶恵は言った。
「何を」
「上人様は、吉崎に戻られたんじゃ」
「なに?」
「瑞泉寺まで来て、蓮崇に説得されて東国への旅は中止にしたんじゃ」
「本当か」
「本当じゃ」と順慶も言った。
「また、奴がでしゃばったのか。まったく憎らしい奴じゃ」と定地坊は吐き捨てるように言った。
蓮如は先月の末、突然、東国に行くと言い出し、慶聞坊、法実坊、その他、数人を連れて旅立った。東国への布教の旅と言いながら、蓮如の本当の目的は三河の国(愛知県中東部)だった。次の本拠地を三河と決め、実際に、三河の地を見て、吉崎から三河に移動しようと思っていた。三河の地にも、佐々木の上宮寺(ジョウグウジ)、野寺の本証寺、針崎の勝鬘寺(ショウマンジ)を初めとして熱心な門徒がかなりいた。蓮如は次の移動先の下準備のために旅に出たのだった。しかし、瑞泉寺まで来た時、湯涌谷にいた蓮崇と慶覚坊が慌てて現れて蓮如を説得した。二人の説得に負けて、蓮如は今回の旅を中止したのだった。
二人は、今、蓮如がこの地からいなくなったら、守護の思う壷にはまって、本願寺は全滅してしまうだろうと言った。敵から見れば、蓮如がいなくなるという事は、敵の大将がいなくなるのと同じだった。大将が留守の間に、敵の勢力を削減するのは常套(ジョウトウ)手段と言えた。敵は、この前と同じように本願寺の寺院を攻めるに違いない。今、本願寺の寺院は皆、身を守るために武装した門徒たちに守られている。守護側はまた、それらの門徒たちを寺院を占拠する悪党と称して攻めて来るに違いない。もし、蓮如がこの地を留守にすれば、本泉寺、松岡寺、光教寺の三寺は間違いなく、やられる。
奴らがすぐに、それらを攻めないのは、上人様が吉崎にいるからです。奴らから見れば、上人様は恐ろしい存在なのです。上人様が門徒たちに一声掛ければ、たちまちに門徒たちが集まって、守護の富樫は滅ぼされるという事を知っています。守護側は常に、上人様の顔色を窺いながら門徒たちを倒しているのです。もし、今、上人様がこの地を離れたら、守護側にとって恐ろしい者が無くなるのです。守護側はやりたい放題に門徒たちを攻め、上人様が帰って来た時には、門徒たちは皆、やられている事でしょう。
蓮如は二人の話を聞いて、旅を中止し、吉崎に戻った。確かに、二人の言う通りだと思った。蓮如は自分の事しか考えなかった自分を恥じた。
浄徳寺において、三人が話していた頃、蓮如の一行は丁度、吉崎に帰り着いていた。
「上人様は吉崎に戻ったのか」と定地坊は唸った。
「ああ。上人様は吉崎に戻り、蓮崇の奴は湯涌谷じゃ」と慶恵は言った。
「せっかくの東国への旅を、蓮崇に説得されて戻って来るとは、上人様は余程、蓮崇を信頼しておると見えるのう。蓮崇の奴を破門にするのは難しいわ」と順慶は言った。
結局、いい考えも浮かばず、三人は浄徳寺の門前町に出て、やけ酒を飲み交わした。
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軒下の風鈴(フウリン)が鳴っていた。
軽海の城下町にある観音屋という大きな旅籠屋の離れで、定地坊巧遵は小梅という若い女に酌(シャク)をさせ、昼間から酒を飲んでいた。
定地坊がこの離れに滞在してから、すでに三ケ月が過ぎようとしている。三日前に、浄徳寺にて慶恵と順慶と会い、蓮崇を失脚させようと相談したが、結局、いい案は浮かばず、定地坊は軽海に帰って来た。何か、いい考えが浮かべば連絡すると言っていたが、今日まで何も言っては来ない。定地坊にも、どうやればうまく行くのか分からなかった。まあ、焦る事もない、と定地坊は思っていた。
ここでの生活は快適だった。
山川三河守が自分の事を余程大事にしてくれているとみえて、何でもやりたい放題だった。酒も飲み放題、うまい物も食えるし、女に関しても遊女屋から好きな女を連れて来られた。出て行きたくなれば好きな時に出て行き、好きな時に戻って来る事もできた。三河守は定地坊が何をしても文句は言わないし、今の所、何をしろとも命じない。定地坊は毎日、放蕩三昧(ホウトウザンマイ)に暮らしていた。
この離れは十年以上前に、三河守の父親の隠居所として建てられたものだった。しかし、父親はここに二年近く住んだだけで、この地を離れなくてはならなくなった。以前、三河守が仕えていた守護の富樫五郎泰高が突然、隠居してしまい、次郎政親が守護となり、守護代には槻橋豊前守が任命された。三河守親子は京に行く事となり、隠居所は観音屋に預けた。その後、十年振りに軽海に戻って来た三河守は隠居所が無事に残っていた事を喜んだが、その隠居所に入るべき父親はすでに亡くなっていた。三河守は隠居所を特別の客が来た時の接待用に使う事にし、そのまま観音屋に管理させていた。立派な庭園もあり、ちょっとした広間も付いた、なかなか豪勢な屋敷だった。
定地坊は下帯(シタオビ)一つで庭園を眺めながら酒をちびちびと飲んでいた。小梅という小太りの女も浴衣(ユカタ)を身に付けただけで扇子(センス)を扇いでいた。
「どうやら、一雨、来そうじゃのう」と定地坊は空を見上げながら言った。
「助かります。こう暑いと何もしたくなくなります」と小梅は言った。
「暑いのは苦手か」
「はい。全然、駄目です。本願寺様にここに呼んでいただいて、あたし、本当に助かっています。お店にいる時は、こんな格好でいられませんもの。着物をちゃんと着て、畏まっていなければなりません。もう、暑くて暑くて、たまりませんわ」
「そうじゃろうの。なんなら、それも脱いで、裸でおっても、わしは構わんのじゃぞ」
「やだ、そんな。本願寺様ったら、こんな格好でいるのも恥ずかしいのに、裸だなんて」
「恥ずかしがる事はない。そなたの肌は白くて格別じゃ」
「やだわ。あたしなんて、太っていて駄目ですわ」
「なに、そなた位が一番、女子(オナゴ)らしいんじゃ」
「誰か来たようですわ」と小梅が言った。
裏口の方から誰かが、「本願寺様」と呼んでいた。
観音屋の仲居に違いなかった。以前は、用があると部屋の側まで来たが、定地坊がいつも裸同然の姿で部屋の中にいるので、仲居の方が遠慮して部屋の側まで来なくなった。
定地坊は帷子(カタビラ)をはおると裏口の方に向かった。
しばらくして戻って来ると定地坊は、「山川殿が何か用があるそうじゃ。わしはちょっと守護所まで行って来るわ」と言った。
小梅は定地坊の着替えを手伝い、早く帰って来て、と見送った。
守護所の中の自分の屋敷の方で三河守は待っていた。
決まり切った挨拶を済ますと、三河守は一枚の紙を定地坊に渡した。それは、蓮如が書いた御文(オフミ)だった。
「昨日、蓮如殿か発表した物じゃ」と三河守は言った。
「昨日? 昨日、発表した物が、もう、三河守殿の手に?」
「わしも、やるべき事は、ちゃんとやっておるつもりじゃ」
蓮如が発表した御文は、吉崎において何枚も写され、写された物は大寺院に届けられる。大寺院はそれをまた何枚も写し、その寺院に所属する末寺(マツジ)に配り、末寺は各道場に配るという仕組みになっていた。昨日、発表されたばかりだとすれば、吉崎の近くは別にして、まだ、この辺りの道場までは届いていないはずだった。その御文を三河守が手にしているという事は、末寺辺りから手に入れたのかもしれない。どういう手順で手に入れたのか分からなかったが、三河守も油断のならない相手だと、定地坊は思った。
「まあ、読んでみてくれ」
その御文には、六ケ条の掟が書かれてあった。ついこの間の五月の末に、十ケ条を書いたばかりで、また、今度は六ケ条の掟とは、一体、どうした事だろうと定地坊は御文を最後まで読んだ。内容は前回とほとんど同じで、項目を少なくし、一ケ条ごとに分かり易く説明したものだった。
「これが、何か」と読み終わると、定地坊は三河守に御文を返した。
「一つ、神社をかろしむる事あるべからず。
一つ、諸仏菩薩、ならびに諸堂をかろしむべからず。
一つ、諸宗諸法を誹謗すべからず。
一つ、守護、地頭を疎略にすべからず。
一つ、国の仏法の次第非義たるあいだ、正義(ショウギ)におもむくべき事。
一つ、当流にたつるところの他力信心をば内心に深く決定すべし」
三河守は、六ケ条の掟を読み上げた。
「上人様が常に言っておる事です」と定地坊は言った。
「なかなか、いい事を言うのう」
「はい。しかし、十ケ条の掟といい、六ケ条の掟といい、上人様が一々、こんな事を御文に書かなくてはならない程、門徒たちが上人様の言う事を聞かなくなったという事です。すでに、門徒たちは上人様の手を離れて、一人歩きを始めております」
「成程のう。上人様も上人様なりに色々と悩みが多いようじゃのう」
「ところで、三河守殿、その御文がどうかしたのですか」
三河守は御文をもう一度、定地坊に渡し、「その六ケ条の掟の前の文を読んでみてくれ」と言った。
「前の文?」
「もし、この旨(ムネ)をそむかんともがら(仲間)は、長く門徒中の一列たるべからざるものなり」と三河守は、その文を暗記していた。
「破門か‥‥‥」と定地坊は呟(ツブヤ)いた。
「やはり、破門という意味か」と三河守は聞いた。
「ええ、破門です」
「という事は、この六ケ条を破ったものは破門という事じゃな」
定地坊はもう一度、六ケ条を読んだ。
「ところで、蓮崇の事じゃがの、この六ケ条に違反してはおらんかのう」と三河守は聞いた。
「蓮崇が?」
「わしの耳に入った噂じゃがのう。北加賀での騒ぎの張本人は蓮崇だというではないか。蓮崇が国人たちを煽(アオ)って守護に敵対しておったというが、その事は四番目の、守護、地頭を疎略にすべからず、というのに当て嵌まると思うがのう」
「いや、それは蓮崇ではなく、実は‥‥‥」
「なに、蓮崇ではない? わしの耳には確かに蓮崇だと入って来たぞ。それに、今も蓮崇は湯涌谷において国人たちを煽り、また、騒ぎを起こそうとしておるらしい」
「はい。確かに蓮崇は今、湯涌谷におりますが‥‥‥」
「今時、湯涌谷におる事自体が、国人たちを扇動しておる何よりの証拠じゃ」
「確かに‥‥‥」
「どうじゃ、この際、蓮崇を破門にしてしまった方がいいんじゃないのか。蓮崇がおらなくなれば、吉崎はそなたたちの思いのままになるじゃろう」
「はっ、しかし、上人様は蓮崇の事をかなり信頼しておる。わしらが奴の事を悪く言っても、信用せんじゃろう」
「何も、そなたが直接、言う必要はない。蓮崇が国人たちを煽っておるとの噂を流せばいい。その噂が国中に広まれば、上人様も蓮崇を破門せざるを得ない状況となるじゃろう」
「噂か‥‥‥」
三河守はゆっくりと頷いた。「ただ、蓮崇を悪く言うような噂ではまずいのう。蓮崇はわりと門徒たちに人気があるらしいからのう。そういう噂はかえって逆効果になりかねん」
「という事は、どんな噂を流すのですか」
「蓮崇を誉める噂じゃ。蓮崇が国人たちを指揮して、無法にも本願寺の寺院を焼き、多数の門徒を殺した守護を倒すと言う。志しのある者は武器を取って湯涌谷に集まれ、というような噂じゃな」
「しかし、そんな噂を流したら、本当に門徒たちは武器を持って湯涌谷に集まりますよ」
「それを止めるのは、そなたたちの役目じゃろう。その御文を楯にして、門徒たちを引き留めればいいんじゃ。それに門徒たちが騒ぎだせば、ますます、蓮崇は破門となる事、確実じゃ」
「うーむ‥‥‥」
突然、雷が鳴り響き、大粒の雨が落ちて来た。
「どうじゃな。やってみる気はないかのう」
「‥‥‥やってみましょう」と定地坊は言ったが、その声は雷の音にかき消された。
三河守は、大きく頷き、「いい結果が出る事を願っておる」と言った。
定地坊は大雨の中、笠と蓑(ミノ)を借りて三河守の屋敷を後にした。三河守は、雨がやむまで、ゆっくりして行ってくれと言ったが、定地坊は三河守から聞いた事を早く、浄徳寺の二人に知らせたかった。
びしょ濡れになって軽海潟の船着き場に向かうと、定地坊は雷の鳴る大雨の中、無理やり船を出させて浄徳寺へと向かった。
29.噂
1
小雨が降っていた。
八月になり、朝晩はいくらか凌ぎ易くなったが、それでも日中は暑かった。今日は朝から雨が降っているせいか、蒸し暑かった。
小雨の中、松岡寺(ショウコウジ)の裏庭で蓮綱(レンコウ)が木剣を振っていた。
ここの所、蓮綱は忙しかった。山之内衆が揃って本願寺の門徒になったため、山之内庄の鮎滝坊(アユタキボウ)と松岡寺を行ったり来たりしていた。山之内の事もようやく落ち着き、今日の昼過ぎ、久し振りに松岡寺に戻って来た蓮綱だった。山之内の国人たちと付き合う事によって、勝ち気な蓮綱はもっと強くならなければと思い、帰って来るとすぐに小雨が振っているにも拘わらず、裏庭に出て、工夫しながら木剣を振っていた。
蓮綱は子供の頃、本泉寺にいて如乗から剣術を習った事があった。しかし、如乗は蓮綱が十一歳の時、亡くなってしまった。その後、松岡寺に来てからは、大杉谷川の国人門徒の宇津呂備前守(ウツロビゼンノカミ)の家臣で、神道流(シントウリュウ)の使い手という大倉主水祐(モンドノスケ)という男に習っていた。基本はすでに身に付けていた。後は自分で工夫をしながら修行を積めばいいのだったが、なかなか修行に励む時間がなかった。
日の暮れる頃まで木剣を振り、蓮綱は井戸で水を浴びて汗を流すと居間に上がった。
二歳になる女の子が蓮綱にまとわり付いて来た。妻の如宗(ニョシュウ)が二人を見ながら笑っていた。どこにでもありそうな幸せな家庭の姿がここにもあった。
「しばらくは、ここにいらっしゃるのですね」と如宗は聞いた。
「多分な」と蓮綱は娘のあこを膝の上に乗せて笑っていた。
「あこが淋しがって困りますから、余り、留守にしないで下さいね」
「分かっておる‥‥‥あこや、淋しかったのか」
あこは父親の無精髭を撫でて、キャッキャッと笑っていた。
蓮綱は自分の頭を撫でた。髪の毛も伸びていた。
「頭を剃らなくてはいかんのう」
「本当は伸ばしたいんでしょ」と如宗は笑った。
「まあな。わしも一度位、髷(マゲ)というものを結ってみたいと思うが、そうもいかん。今ではもう諦めておる」
「でも、木剣を振っていなさったわ」
「武術は身を守るために必要じゃ。もしもの事があった場合、お前とあこを守らなけりゃならんからのう」
「頼もしいのね。でも、上人様に知れたら、また、怒られるわよ」
「内緒じゃ、内緒。だから、隠れて、裏庭で稽古しておるんじゃ。でもな、お前も知ってるだろう。慶聞坊と慶覚坊の二人は武術の名人じゃ。上人様は自分の側に、そんな二人を置いておきながら、どうして、わしらが武術を習う事に反対するんじゃろう。わしには分からん」
「それはやはり、お寺の住職さんが武器を振り回していたら、門徒たちもそれを真似して、示しがつかなくなるからじゃないの」
「かもしれんがのう。弱いよりは強い方がいいと思うがのう」
親子三人が水入らずでくつろいでいると、執事の下間盛頼(ジョウライ)が廊下から声を掛けて来た。
「何じゃ」と蓮綱は答えた。
「一大事でございます」と盛頼は言った。
「何事じゃ」
「はっ」と言うだけで盛頼は何も言わなかった。
「まったく、ゆっくりさせてもくれんわ」と蓮綱は、あこを如宗に渡すと部屋から出て行った。
書斎に行くと、盛頼は小声で、「ただならぬ噂が流れております」と言った。
「噂?」
「はい」
「くだらん噂など放って置けばいいじゃろう」
「それが、そうも行かないので‥‥‥」
「一体、どんな噂じゃ」
「それが‥‥‥」と言ったきり盛頼は口ごもった。
「どうしたんじゃ、はっきり言わんか」
「はい。実は、蓮崇が守護を倒すために兵を集めておるとか‥‥‥」
「何じゃと。一体、誰がそんな噂を流しておるんじゃ」
「それが、まったく分からんのです。昨日は、そんな噂は流れておらなかったのに、今日になって突然、町中がその噂で持ち切りです。門徒の中には武器を手にして湯涌谷に向かうなんて奴も現れて来ております」
「その噂は事実なのか」
「分かりません。でも、これだけ広まっておる所を見ると事実であるとしか思えません」
「しかし、蓮崇が、そんな事をするとは思えん」
「わたしも信じられません。上人様に無断でそんな事をするとは、とても、考えられません。しかし‥‥‥」
「蓮崇は今、どこにおるんじゃ」
「分かりません。先月の講の時は吉崎におりました」
「とにかく、わしは明日の朝、吉崎に行って来る。そなたは門徒たちを静めてくれ」
「しかし、門徒たちは皆、高ぶっております。皆、守護のやり方に我慢できなくなっております。皆、蓮崇を支持しておるようです」
「とにかく静めてくれ。この間、六ケ条の掟が出たばかりじゃ。今、騒ぎを起こしたら、皆、破門という事にもなりかねん。わしが吉崎から戻って来るまで、門徒たちを押えておれよ」
「はっ」と頭を下げると盛頼は出て行った。
蓮綱は広縁に出ると門前町の方を眺めた。
小雨の中に、いつもと変わらぬ風景が見えた。盛頼が松岡寺の警固の兵の詰所(ツメショ)に行き、十人ばかりの兵を連れて門から出て行った。
蓮綱は何事も起こらない事を願い、家族のもとへ戻った。
次の日の朝早く、蓮綱は支度をすると、二人の部下を連れて朝靄の立ち込める中、吉崎に向かった。
途中、波倉の本蓮寺に寄った。
去年、全壊した本蓮寺は見事に再建されていた。新たに、濠と土塁、見張り櫓(ヤグラ)も付けられ、松岡寺のように城塞化されていた。蓮綱は叔父の蓮照と会い、波倉の門前にも噂が広まっている事を確認した。蓮照に門徒たちを押えるように頼み、次には、弟の蓮誓(レンセイ)のいる山田の光教寺に向かった。
蓮綱が光教寺に着いた時、丁度、蓮誓は出掛ける所だった。供の者三人と一緒に門の所から近づいて来る兄の姿を見ていた。兄がここに来るのは珍しかった。何か用がある場合は、いつも蓮誓を松岡寺に呼んだ。どうしたんだろうと思いながら蓮誓は兄を迎えた。
「どこかに行くのか」と蓮綱は馬から下りると言った。
「いえ。急ぐ用ではありません」と蓮誓は答えた。
蓮誓は塩浜の道場に行こうと思っていた。道場において説教は勿論するが、本当の目的は海で泳ぐ事だった。蓮誓はこの地に来るまで、海というものを知らなかった。子供の頃、兄と一緒に本泉寺の近くの川で泳いで遊んだ事はあったが、海で泳いだ事はなかった。この地に来て、蓮誓は初めて広い海で泳いで以来、海の虜(トリコ)となっていた。夏の天気のいい日は海辺の道場を回り、説教が済むと海で思いきり泳いでいた。
「ちょっと、話がある」と蓮綱は言って馬を蓮誓の供の男に渡すと、さっさと庫裏(クリ)の方に向かった。
蓮誓は供の者に、待っていてくれ、と言うと兄の後を追った。
光教寺にはまだ噂は流れていなかった。蓮綱は蓮誓に松岡寺と本蓮寺の状況を話した。
「まさか、蓮崇が‥‥‥」と蓮誓には信じられなかった。
蓮誓は慶覚坊を呼びにやった。
慶覚坊はすぐに来た。蓮誓と共にいる蓮綱を見て、兄弟が揃っているとは珍しいと、まず思い、二人の顔を見て、何かがあったなと悟った。
慶覚坊が二人に声を掛ける前に、蓮誓の方が慶覚坊に聞いて来た。
「今、蓮崇はどこにいる」
「は? 蓮崇殿は吉崎におると思いますが‥‥‥」
「確かじゃな」
「いや。はっきりとは言えんが、多分、吉崎だと思いますが」
「まさか、湯涌谷にはおらんじゃろうな」
「はい。もし、湯涌谷に行くとすれば、わしを誘うはずです。先月の二十四日に湯涌谷から帰って来てからは、蓮崇殿も吉崎におると思いますが‥‥‥蓮崇殿が、どうかしたのですか」
蓮綱は慶覚坊に噂の事を話した。
「そんな、馬鹿な‥‥‥蓮崇殿がそんな事をするわけはない。わしは、いつも蓮崇殿と一緒だった。国人たちを煽っておったのは浄徳寺と善福寺の二人じゃよ。わしらは騒ぎが起きてから現場に駈け付けたんじゃ。北加賀において何が起こったのか、上人様もちゃんと御存じじゃ。蓮崇殿が国人たちを扇動しておったわけじゃない」
「しかし、噂の方はどんどん広まっております。門徒たちが武器を持って守護を倒そうとしておる事も事実です。今の所は何とか押えておりますが、このままでは一揆になりかねません」
「一体、誰がそんな噂を流したんでしょう」と蓮誓が二人の顔を見比べながら言った。
「分からん」と蓮綱が首を振った。「しかし、そのうちに、ここにも吉崎にも、その噂は流れるじゃろう」
慶覚坊は頷いた。「ここで何だかんだ言ってても始まらん。とにかく蓮崇殿に会って、これからの対処を考えなければならんでしょう」
三人は吉崎へと向かった。
厳しい残暑の中、蝉(セミ)が喧(ヤカマシ)しかった。
吉崎御坊は厳重に警固されていた。
「久し振りにここに来たが、凄いものじゃのう」と蓮綱は馬上から、あちこちにある濠や土塁を眺めながら驚いていた。
御山(オヤマ)に近づくに連れて、蓮綱と蓮誓の二人が揃って来たとの噂が広まり、一目、二人を見ようと門徒たちが続々と集まって来た。御山へと続く坂道の入り口に立つ北門まで来ると、慶覚坊は二人を待たせ、蓮崇の多屋に顔を出した。蓮崇の妻に聞くと、蓮崇は御山にいると言う。
一行は坂道を登って御山に向かった。道の両側には各多屋から出て来た門徒たちが、二人を見ようとずらりと並び、一行の後にはぞろぞろと大勢の見物人が付いて来ていた。
慶覚坊は御山の門番に、門を一旦、閉める事を命じ、馬を預けると、二人を庭園内の東屋(アヅマヤ)に案内した。慶覚坊としては、蓮如に会う前に、まず、蓮崇と話し合いたかった。
慶覚坊は書院に行って蓮崇と会った。
蓮崇は対面所の一室で、部屋中に書状を散らかして絵地図に何やら書き加えていた。
「何をやっておるんじゃ」と慶覚坊は部屋を覗くと声を掛けた。
蓮崇は顔を上げると、「慶覚坊殿か、丁度いい所に来てくれた」と笑い、熱心に書き物を続けた。「実はのう。石川郡のように江沼郡にも、ここを中心に裏の組織を作ろうと思ってのう。各道場の位置を調べておったんじゃ。慶覚坊殿も光教寺に所属しておる道場の事を教えてくれんか」
「蓮崇殿、ちょっと待ってくれ。それどころではないんじゃ。一大事が起きたんじゃ」
「一大事?」
「ああ。上人様は庫裏の方か」
「いや、上人様は留守じゃ」
「留守?」
「ああ。お忍びで、大津の顕証寺(ケンショウジ)に行った」
「なに、顕証寺に行った? こんな時に、どうして近江などに行かせたんじゃ」
「まずかったかのう。今月の講には戻って来ると言っておったしのう。慶聞坊と風眼坊殿が一緒じゃから、安心じゃと思って行かせたんじゃが」
「何でまた、急に顕証寺なんかに行ったんじゃ」
「久し振りに順如殿(蓮如の長男)に会いたくなったんじゃないか。それと、わしの推測じゃが、順如殿を通して幕府に何かを頼もうと思ったのかもしれん」
「幕府に?」
「上人様が何を言っても富樫は聞かんからのう。それとなく、幕府に本願寺の保護を頼みに行ったのかもしれん。わしの推測じゃがのう」
「上人様が幕府にか‥‥‥」
「それよりも、一大事とは一体、何じゃ」
「そなたの事じゃ」
「わしの事?」
「待っていてくれ。今、外で蓮綱殿と蓮誓殿が待っておる」
「なに、蓮綱殿と蓮誓殿が‥‥‥」
慶覚坊は二人を呼びに行った。
蓮崇は散らかっている書状を片付け、絵地図を丸めた。
蓮崇は二人を迎えると頭を下げ、部屋の隅に退いた。
蓮綱は松岡寺の様子と蓮崇に関する噂の事をなるべく詳しく話した。
蓮崇は黙って聞いていた。
「噂を流した張本人は誰だと思う」と慶覚坊は聞いた。
蓮崇は答えなかった。
「わしは善福寺と浄徳寺の二人だと思うんじゃが‥‥‥あの二人は湯涌谷におった時、もう一度、守護を倒す事を主張した。しかし、誰にも相手にされなかった。皆、蓮崇殿の案に賛成した。そこで蓮崇殿を恨み、あんな噂を流したんじゃと思うんじゃが」
「蓮崇の案というのは何です」と蓮綱が聞いた。
「敵に負けない位の情報網を作る事です」と慶覚坊が言った。
「情報網を‥‥‥それより、さっきの話ですけど、浄徳寺と善福寺の二人があんな噂を流したとは思えません。あの二人は本願寺の一門です。そんな二人が本願寺の不利になるような噂を流すでしょうか」
「あの二人はただ、蓮崇殿を恨み、蓮崇殿を失脚させようとたくらんだだけでしょう。門徒たちが、こんなに騒ぐとは思っておらなかったに違いありません」
「しかし‥‥‥」
「蓮崇殿はどう思う」と慶覚坊は聞いた。
「わしも、あの二人だと思いますが、あの二人だけではありません。多分、裏で糸を引いている者がおります」
「あの二人を操っている者がおる?」
「わしはこの前、山之内に行った時、軽海の町で定地坊殿の姿を見ました。初めは人違いだろうと思いましたが、気になったので探りを入れてみました。調べてみると、やはり、定地坊殿でした。定地坊殿は観音屋という旅籠屋の離れに滞在して、時々、山川(ヤマゴウ)三河守と会っておるとの事でした」
「定地坊殿といえば、あの二人とは兄弟じゃろう」と慶覚坊は言った。
「そうです。定地坊殿はわしを恨んでおります。山川三河守は定地坊を利用して、わしを本願寺から追い出そうと考えたに違いありません。北加賀において、守護代の槻橋近江守は着実に本願寺の勢力を潰しております。しかし、山川三河守はまだ何もやっていません。南加賀の守護代として、三河守としても何もしないわけには行きません。そこで、槻橋近江守とは違うやり方で、本願寺勢力を弱めようとしておるに違いありません。そのやり方というのが、本願寺の内部撹乱です。定地坊殿を使って、わしと対抗させ、吉崎を二つに分断し、今度はわしを失脚させるために、そんな噂を流したに違いありません」
「山川三河守ですか‥‥‥」と蓮綱は言った。
「山之内に行った時、わしは刺客(シカク)に狙われておると威されました。今の所、そんな危険な目には会っておりませんが、守護が、わしを狙っておる事は確かです」
「刺客か‥‥‥以前、高田派が上人様を狙って刺客を使った事があったが、今度は、守護が蓮崇殿を狙って刺客を放ったか‥‥‥」
「山川三河守は超勝寺の三人を使って、蓮崇を本願寺から除くために、あんな噂を流したと言うのですか」と蓮綱は言った。
「山川三河守という奴はなかなかの策士(サクシ)との噂じゃ。その位の事はやりかねんのう。蓮崇殿を除けば、確かに本願寺は弱くなるからのう」
「しかし、門徒たちが騒ぎ出せば、山川にとっても面倒な事となりますよ」
「いや」と慶覚坊は首を振った。「門徒が騒ぎ出せば、山川に取っては都合のいい事となる。騒ぎを静めるためと言って堂々と兵を動かす事ができるんじゃ。しかも、門徒たちはバラバラじゃ。正規の軍に攻められたら一溜まりもないじゃろう。善福寺や専光寺のように、松岡寺や光教寺は焼かれるかもしれん。ここも危ない事になるかもしれん。とくかく、門徒たちに騒ぎを起こさせないようにしなくてはならんのう」
「しかし、静められるかどうか難しい状況です。門徒たちは皆、すでに北加賀の事を知っております。上人様がその事に対して、どういう態度を取るか、皆が見守っておりました。門徒たちは去年の時のように、戦をしろ、と命ずる事を期待しておったのです。しかし、上人様は掟を出すばかりで、北加賀の事など、まるで知らない事のように装っております。そんな時、蓮崇が立った、との今回の噂です。蓮崇が立ったという事は、内密に上人様からの命令が出たものだと勝手に解釈しておるのです。すでに門徒たちは、去年の戦の時のような勝利に酔い、武器を手にして騒いでおるのです。いつ、爆発するやら分からない状況なんです」
「そうか、それ程の反響があるのか‥‥‥そうじゃろうのう。門徒たちから見れば、蓮崇殿というのは上人様の次に偉い人じゃと思っておるからのう。そんな人が、戦えと言えば、上人様の本当の気持ちなど分からん門徒たちは、守護を倒せ! といきり立つのも無理ないのう」
「明日あたりには、ここにも、その噂が流れる事となるでしょう。こんな時に上人様が留守だとは‥‥‥」
「蓮崇殿、どうしたらいいじゃろうのう」と慶覚坊は聞いた。
「この騒ぎを治めるのには、一つしか方法はないじゃろう」と蓮崇は言った。
「どんな方法があるのですか」と蓮綱は蓮崇の方に身を乗り出した。
「一つだけある。しかし、上人様がおらなくてはどうにもならん」
「一体、どんな方法なんじゃ」と慶覚坊も身を乗り出した。
蓮綱も蓮誓も慶覚坊も、蓮崇が言おうとしている対抗策が、どんなものなのか見当もつかなかった。
蓮崇は三人の顔を見比べてから、視線を落とすと、「わしの破門じゃ」と言った。
「破門? そんな事をしたら敵の思う壷にはまる事になるぞ」
「仕方がない。わしが破門になれば騒ぎは治まるじゃろう」
「蓮崇が破門か‥‥‥」と蓮綱は呟いた。
蓮綱は子供の頃、本泉寺において蓮崇によく遊んでもらった時の事を思い出していた。蓮崇からは色々な事を教わっていた。蓮崇が湯涌谷の道場を任されて移ってからも、よく遊びに行っていた。父親代わりだった本泉寺の如乗が十一歳の時に亡くなり、父親というには年が少し若かったが、蓮崇は蓮綱にとって父親に似た存在だった。その蓮崇が破門になるという。蓮綱にはそんな事、とても信じられない事だった。
慶覚坊は俯いたままの蓮崇を見つめて黙り込んでいた。確かに、蓮崇が破門になれば門徒たちは静まるだろう。しかし、本願寺から破門になったら、この先、どうやって生きて行くつもりなのだろう。加賀や越前、越中など、門徒がいる中では生きては行けない。一生、破門という事は付いて回る。もしかしたら、蓮崇は死を覚悟しているのだろうか。それにしても、たかが噂によって無実の罪で破門されるとは溜まったものではなかった。
「破門という事は最後の手段として、他にいい案があるかもしれん。もう一度、よく考えてみよう」と慶覚坊は言った。
「そうですよ。きっと、何かいい方法があるはずです」と蓮綱も言った。
「慶覚坊殿、すまんが、上人様を捜し出して連れ戻してくれんか」
「わしがか‥‥‥」
「そなたしかおらん。近江の事なら詳しいじゃろう」
「分かった。なるべく早いうちに連れて帰る。それまで、何とか騒ぎが起こらんようにしてくれ」
蓮崇は頷いた。
「蓮綱殿、蓮誓殿、頼みますよ。さっそく、わしは出掛けます」
二人も頷いた。
慶覚坊は、そのまま馬にまたがって近江へと向かった。
蓮綱と蓮誓の二人は、その後もしばらく蓮崇と今後の事を検討し、それぞれの寺院に戻った。
この日、吉崎の町はまだ何も知らず、いつもと変わらず、人々は穏やかな顔で暮らしていた。
慶覚坊が蓮如を捜しに近江に向かった後、蓮崇は、蓮綱と蓮誓の見守る中、蓮如の署名入りの偽(ニセ)の書状を書いていた。
蓮崇の呼びかけによって騒いでいる門徒たちを静めるには、やはり、蓮如の名前を出さなければ不可能と言えた。すでに破門を覚悟した蓮崇は、蓮綱と蓮誓の二人に許可を求め、この書状を蓮崇が書いた事は見なかった事にしてくれと頼み、この偽の書状の罪は自分が一切かぶって破門になると言った。
蓮綱も蓮誓も破門の覚悟を決めた蓮崇に対して、何も言う事ができなかった。
蓮崇は蓮如そっくりの字を書き、蓮如の署名もそっくりに真似た。
蓮崇は本泉寺において如乗に読み書きを習い、その後、大津にて蓮如の側に仕えていた頃、蓮如の御文(オフミ)を手本にして、毎日、夜、遅くまで手習いの稽古をしていた。吉崎に来てからは何かと忙しいので、毎晩、稽古をするという事はなくなったが、それでも、新しい御文が出る度に、必ず写していた。今では、すっかり蓮如の書体を真似て書く事ができるようになっていた。
蓮崇は偽の書状に、今度の二十五日の吉崎の講の時、重大な事を発表する。それまでは、皆、勝手に動かずに待機しているように。もし、今、勝手に騒ぎを起こせば、守護の思う壷にはまり、北加賀のように、寺院を初めとして道場は破壊されるであろう。今こそ、門徒たちは一丸となるべき時である。二十五日の講まで、各自、自重して欲しい、と書き、蓮如の署名をした。
蓮綱と蓮誓は、蓮崇の書いたその文を読みながら、まさしく父親の書いた物にそっくりだと思った。
蓮綱は、本泉寺にいた頃の蓮崇の字を知っていた。子供ながらも下手くそな字だと思い、よく笑った。そして、蓮崇が毎晩、遅くまで手習いをしていた事も知っていた。今、目の前で、すらすらと書いていたのを目にしながらも、蓮崇がこれ程までの字を書くとは信じられない事だった。そして、これだけの字を書くまでには、余程の稽古をしたに違いないと思い、凄い人だと改めて感心していた。そんな蓮崇が本願寺から破門にならなければならないとは、本願寺にとっても蓮綱にとっても辛い事だった。蓮綱は蓮崇が書いた偽の書状を読みながら、涙が出て来るのを止める事ができなかった。
蓮誓には、蓮綱のように蓮崇の思い出はなかったが、蓮崇は本願寺になくてはならない人だと思っていた。その蓮崇が本願寺からいなくなるなんて、とても、考えられなかった。
二人とも、しんみりとしながら書状を手にして吉崎を後にした。
独り残された蓮崇は、しばらく、ぼうっとしていた。
破門‥‥‥これから、どうしたらいいのか、まったく分からなかった。今まで、本願寺のために生きて来た。死ぬまで、蓮如のために生きようと誓っていた。破門になれば、二度と蓮如には会えないだろう。加賀にも越前にもいられない。これから、どうやって生きて行けばいいのだろうか。
蓮崇は家族の事を考えた。家族まで巻添えにしたくなかった。妻は下間(シモツマ)一族の娘である。離縁して実家に返そうと思った。可哀想だが、それしか方法はなかった。
蓮崇は自分の多屋に帰ると、妻にすべての事を話した。妻はなかなか納得しなかったが、蓮崇は無理やり離縁状を渡し、荷物をまとめさせた。そして、次の日、家族を船に乗せて本泉寺に送った。
家族を送り出し、一安心した蓮崇は御山に戻り、途中だった江沼郡における情報網作りに専念した。破門されてから後の事は考えなかった。それよりも蓮如が戻って来るまで、この吉崎を守り、情報網の事も形だけでも作っておきたかった。後の事は慶覚坊に任せればいい。残りわずかな数日を本願寺の門徒として、精一杯、やるべき事をやろうと決めた。
吉崎の地に、例の噂が広まったのは八月の五日、蓮綱と蓮誓が来た二日後の事だった。
蓮如を捜しに出掛けた慶覚坊は、その頃、ようやく、近江の堅田(カタダ)の本福寺に着き、義父の法住(ホウジュウ)と会っていた。蓮如一行が堅田に来たのは三日前で、二日前の朝、大津の顕証寺に向かったと言う。慶覚坊は、まだ、顕証寺に滞在しているかもしれないと、次の日の朝早く大津に向かったが、蓮如はいなかった。顕証寺の住持であり、蓮如の長男でもある順如も蓮如と一緒に出掛けて行って留守だった。留守を守る下間慶秀(キョウシュウ)に聞くと、一行は二日前の朝、金森(カネガモリ)に向かったと言う。慶覚坊は、すぐに金森に向かったが、蓮如一行は捕まらなかった。
吉崎に噂の広まる頃、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)と善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)の二人は吉崎に潜入していた。二人は御山への坂道の途中にある超勝寺の多屋(タヤ)の客間の一室で、イライラしながら次々に入って来る吉崎の状況を聞いていた。
噂を流した張本人は、この二人であった。
定地坊が軽海の守護所において、山川三河守より噂を流せば蓮崇を陥れる事ができると持ちかけられ、夕立の中を急いで、浄徳寺に向かったのは七月の十六日だった。
その日、定地坊から話を聞いた順慶と慶恵(キョウエ)の二人は噂を流す事に賛成した。しかし、誰がその噂を流すか、という事で三人の意見は割れた。そんな噂を流したという事がばれれば、逆に、こっちが破門と成りかねない。三人共、自分の門徒を使う事に反対した。一番いいのは蓮崇の門徒である湯涌谷の門徒を使うのがいいのだが、それは無理だった。そこで、実際に守護に痛い目に合わされた善福寺の門徒を使うのが一番いいだろうという事に決まり、順慶と定地坊は焼け跡の善福寺に向かった。そこで、適当と思われる者を十人捜して浄徳寺に戻って来たのは二十四日であった。
順慶も定地坊も自分の首が懸かっているので、適任者を捜すのに慎重だった。どこにでもいるような顔をしていて、体格も普通で、それでいて物覚えがよく、すばしっこい者を捜したので、思ったよりも時間が掛かってしまった。
二十四日は吉崎の講がある前の日にあたり、蓮崇は吉崎に戻って来ていた。蓮崇が吉崎にいたのでは噂を流しても、すぐに嘘だとばれてしまう。講が終わり、蓮崇がまた湯涌谷に行くのを待とうという事になったが、蓮崇はなかなか湯涌谷には行かなかった。
定地坊と順慶の二人は待ちくたびれて、蓮崇が吉崎にいようと構わないから、さっさと噂を流してしまえと考えた。一番上の慶恵は反対した。焦る事はない。蓮崇は必ず、湯涌谷に行く。ここで焦って失敗したら、わしらが破門になるんじゃ。奴が動くまで、じっくり待っていればいいと言った。
定地坊と順慶は七月一杯まで待ってみて、八月になると兄の慶恵には内緒で、まず、松岡寺の門前に噂をばらまいた。そして、一日、様子をみた。
噂はみるみる広まって行き、門徒たちが騒ぎ出した。門徒たちのほとんどが蓮崇を支持して武器を取って立ち上がろうとしていた。それは予想外の事だった。
定地坊たちの考えでは、門徒たちは、上人様の教えに反して戦をしようとしている蓮崇を批判するものと思っていた。先月、六ケ条の掟が発表され、掟を破った者は破門にすると書いてあった。門徒たちは皆、その事を知っているはずだった。
三人は本願寺の一門であり、上層部の人間だった。生れつき住持職に就くべき家柄に生まれていた。門徒たちの気持ちなど考えた事もなく、自ら門徒たちの中に入って行こうともしなかった。門徒の気持ちなど全然、分かっていなかったのである。彼らは彼らの考え方で門徒たちを見ていた。彼らは蓮如の教えをよく理解し、蓮如が争い事を絶対に許さないという事を充分に知っていた。蓮如は御文に何度も、守護に逆らうなと書き、彼らは、それを門徒たちに読んで聞かせた。当然、門徒たちも蓮如の教えを理解していると思っていた。
蓮崇が戦をしようと煽(アオ)れば、何人かの門徒は蓮崇に同意するだろうが、ほとんどの門徒たちは絶対に反対すると思っていた。ところが、門徒たちは蓮崇を支持して武器を手にして騒いでいた。今すぐにでも、一揆が始まりそうな雰囲気が漂っていた。
門徒たちにしてみれば、去年、多数の犠牲者を出しながらも戦に勝利し、少しは暮らしが楽になるものと信じていた。しかし、戦が終わってみると、守護が入れ代わっただけで門徒たちの暮らしは少しも変わらなかった。戦のお陰で多大な出費があったにも拘わらず、昨年の年貢を払えと言われたり、守護所の修復の費用を取られたり、かえって暮らしは苦しくなっていた。さらに、北加賀では本願寺の寺院が焼かれ、多数の門徒が死傷していた。
北加賀の事は他人事(ヒトゴト)ではなかった。南加賀においても、いつ、守護が攻めて来るとも分からない状況だった。北加賀で門徒たちが大勢、苦しんでいるというのに、蓮如は何も言わなかった。そんな蓮如を決して門徒たちは恨みはしなかったが、何かを言ってくれるのを期待していた。門徒たちにとって本願寺さえあれば、守護は無用の存在でしかなかった。
そんな思いでいる時に、蓮崇が守護に対して戦をするとの噂が流れた。門徒たちにとって蓮崇というのは蓮如と同じ位、偉い存在だった。その蓮崇が命令を下したという事は、蓮如の同意があっての事に違いない。蓮如が表立って戦の指揮はできないから、蓮崇が命令を下したのだと勝手に解釈した。門徒たちは、守護を倒せ!と各地で蜂起しようとしていた。
噂を流した二人は、予想外な門徒たちの反応を見て、この先、どうしたらいいか迷っていた。もし、本当に一揆が起きてしまえば、蓮如の力を持ってしても止める事はできなくなる。そして、このまま、門徒たちが去年のように一丸となってしまえば、守護を倒す事もあり得た。そうなってしまえば、蓮崇は破門どころか英雄となってしまう。
順慶と定地坊は兄の慶恵と相談し、噂を広める事を中止にした。善福寺から連れて来た十人の者たちも帰す事にした。しかし、その十人は帰らなかった。十人も門徒であった。武器を手にして騒いでいる門徒と同じ門徒だった。彼らは流した噂が真実だと信じた。いよいよ、蓮崇が門徒たちのために立ち上がったと思った。
十人は善福寺には帰らずに、能美郡、江沼郡の各地に噂をばらまき、そして、吉崎にも流した。さらに向きを変え、石川郡、河北郡、さらには越中までも噂を流そうと張り切っていた。
噂を聞いて、続々と各地の有力門徒たちが吉崎にやって来た。
蓮崇は吉崎の警固の兵を増やし、御山の門を堅く閉ざし、上人様は誰とも会わないと告げ、何枚も作った偽の書状を配った。蓮如の執事の下間頼善(ライゼン)にも、すべてを話して協力してもらい、有力門徒たちを説得させ、各地の門徒たちを静めるように頼んだ。偽の書状が功を成して、皆、何とか納得し、二十五日までに戦の準備をすると言って帰って行った。
順慶と定地坊の二人は、吉崎にて、上人様の教えに反して戦を主張する蓮崇を批判し、上人様の口から直接、蓮崇の破門を聞こうと思って来たわけだったが、吉崎の地は、蓮崇を支持する者たちばかりが現れ、そんな中に行って蓮崇を批判しようものなら、自分たちが危険な目に会いそうだった。吉崎には反蓮崇派の者も結構いたが、そんな者たちも、守護を倒すという蓮崇には同意し、それに反対する二人は孤立しているという状況だった。主戦派だった二人が戦に反対し、どちらかと言えば、蓮如の教えを守って戦に反対している蓮崇が、主戦派の大将として門徒たちの中心となってしまっていた。
皮肉な結果と言えた。
上人様は、こんな騒ぎを起こした蓮崇をどうして破門にしないのだ、とイライラしながら、蓮崇の書いた偽の書状を眺めながら、やけ酒を飲んでいた。
「重大発表というのは何じゃろ」と順慶は言った。
「戦の事に決まっておるじゃろう」と定地坊は言った。
「上人様もいよいよ、覚悟を決めたと言うのか」
「そうらしいのう」と吐き捨てるように定地坊は言った。
「しかし、上人様はこの前、掟を出したばかりじゃろう。まだ、一月も経っておらんのに気が変わったのか」
「上人様は、善福寺や専光寺が守護によって焼かれたという事を知らなかったんじゃ。それを知って、上人様も堪忍(カンニン)袋の緒が切れたんじゃろう」
「しかし、上人様が、守護を倒せ、と命ずるとは考えられんがのう」
「上人様も迷っておったんじゃろう。そんな時、噂を聞いた門徒たちが騒ぎ出したものじゃから、ようやく、決心を固めたに違いない」
「それじゃあ、わしらが、上人様の決心を固めさせたという事か」
「皮肉な事じゃが、そうらしいのう」
「わしらは、一体、何のために噂を流したんじゃ」
「世の中、思い通りには行かんという事じゃのう」
「上人様は、やはり、守護を法敵として退治するつもりなんじゃろうか」
「当然じゃ。本願寺に敵対する者は、すべて、法敵じゃ」
「こんな事になるんなら、蓮崇の名前など出さずに、わしらの名前で噂を流せばよかったのう。あほらしい事をしたわ」
「わしらも帰って戦の準備をした方がいいかもしれんのう」
「兄貴、ちょっと待て。兄貴に噂を流すように勧めた、三河守の奴は、こうなる事を知っておったんじゃろうか」
「三河守? まさか、奴だって、わしらと同じように蓮崇が破門になると思っておったに決まっとるわ」
「という事は、奴も困っておる事じゃろうのう。今頃、慌てて守護所の守りを固めておる事じゃろうのう」
「奴には世話になったが、門徒たちに攻め滅ぼされる事となろう。可哀想じゃが、仕方あるまい」
二人は蓮崇を失脚させる事を諦め、起こり得る次の戦において、指導的な立場に立つべく周到な準備をするため、やけ酒を祝い酒に変えて、次の日の朝早く、吉崎を後にした。
軽海の守護所において、南加賀守護代の山川三河守も定地坊らと同じように、噂に対する門徒たちの反応には驚いていた。蓮如が命令を下さない限り、門徒たちは動かないと信じていたが、蓮崇の命令でも門徒たちが蜂起するという事を知って、改めて、本願寺における蓮崇の力の大きさに気づき、何としてでも、蓮崇を本願寺から切り放さなければならないと感じていた。しかし、これだけ門徒が騒ぎ出しても、蓮崇は破門にはならなかった。破門になるどころか、蓮崇を中心にして守護打倒の声があちこちに上がっていた。
蓮如は一体、何を考えているのだろうか。
この間、守護を疎略にすべからず、という掟を発表したばかりなのに、なぜ、蓮崇を破門にしないのか。
もはや、蓮如の力では、門徒たちを静める事ができなくなり、蓮崇の事は見て見ぬ振りをするつもりか。
見て見ぬ振りをし、蓮崇を大将として守護を倒させ、その後、幕府から責められた場合に、責任の一切を蓮崇にかぶせて、蓮崇を破門にするつもりなのかもしれない‥‥‥
どうせ、破門にするなら、守護を倒してから破門にした方がいい‥‥‥
蓮如は、そう考えているのだろうか。
もし、そうだとしたら、こちらも戦闘体制を整えて、常に、敵の先手を取らなくてはならなかった。敵が一つにまとまってしまえば勝てる見込みはない。敵が一つにまとまる前に、有力な寺院を倒しておかなければならなかった。
山川三河守は軽海を初め、南加賀の各地の城に戦の準備をさせると共に、本願寺に対する情報網の強化をした。三河守も北加賀の槻橋近江守と同様に、確かな情報網を持っていた。槻橋近江守が白山本宮の山伏を使っているのに対し、山川三河守は軽海郷を囲むように存在する白山中宮八院に所属する山伏を使っていた。
軽海郷は、かつて、加賀の国府の置かれた地であり、加賀の中心地として栄えていた。
白山への禅定道は本宮から始まっているため、白山に登る信者たちは皆、本宮の山伏たちに率いられて白山に登って行った。中宮は、ただの中継地として宿坊を提供するのみで、信者からの奉納銭はほとんど本宮に取られていた。そこで、中宮は本宮を通らずに白山に登る道を考え、軽海を入り口にした。軽海から滓上川沿いにさかのぼり、三坂越えをして別宮に出るという道を作り、入り口である軽海に大寺院を建てた。それが、白山中宮八院と呼ばれる八つの大寺院だった。それらの大寺院には数多くの山伏が所属し、信者たちを連れて白山へと登った。また、それらの大寺院は数多くの末寺を持ち、その末寺は能美郡を中心に各地に散らばっていた。山伏たちはそれらの末寺(マツジ)を拠点にして信者獲得のための活動を行なっていた。
ところが、蓮如が吉崎に来て、布教を始めると、門徒たちの数が続々と増え、中宮八院の末寺だった寺院は、生き残るために次々に本願寺派に転宗して行った。数多くの信者を本願寺に取られ、八院としても生き残るために必死だった。生き残るためには本願寺に敵対しなければならず、守護と手を結んでいた。八院の山伏たちは本願寺の動きを探るため、寺院は勿論の事、各道場にまで山伏を潜入させていた。
山川三河守は次々に入る山伏からの情報を聴きながら、蓮如の息子のいる松岡寺を最初の標的に選んだ。しかし、慎重に事を運ばなくてはならなかった。まず、蓮如の本心を探らなければならない。北加賀と違って、南加賀は蓮如のいる吉崎が近かった。槻橋(ツキハシ)近江守のような強攻策に出るわけには行かなかった。蓮如を本気で怒らせてしまったら、守護は簡単に潰されてしまう。蓮如が戦をするつもりでいるのなら、先手を取らなければならないし、戦をしないつもりでいるのなら、松岡寺を攻める事は、かえって蓮如を戦に追いやる結果と成りかねない。三河守は何人もの山伏を変装させて吉崎に送った。
門徒たちの騒ぎは長くは続かなかった。どうした事か、あれだけ騒いでいた門徒たちは嘘のように不気味に静まった。一体、何が起こったのか、三河守には理解できなかった。
そんな時、吉崎から戻った山伏が一枚の書状を三河守に渡した。それは、蓮崇の書いた偽の書状だった。
三河守はその書状を読むと、いよいよ、蓮如は次の講の時、戦の命令を出すのか、と悟った。その日、吉崎には各地の有力門徒たちが集まって来るに違いなかった。総攻撃を掛けて本願寺を潰すのは、その日以外はなかった。三河守は講のある八月二十五日の未明に、吉崎に総攻撃を掛ける事に決定し、南加賀の各城の武将たちに内密に伝えた。
一方、蓮如を捜しに出掛けた慶覚坊は、なかなか蓮如を捕まえる事ができなかった。
大津顕証寺を蓮如に遅れる事、二日で後にした慶覚坊は安養寺に向かった。安養寺の幸子坊善淳(コウシボウゼンジュン)に聞くと、蓮如一行は今朝、三河の国(愛知県中東部)に向かって旅立って行ったと言う。明日のうちには追い付くだろうと慶覚坊は一安心した。ところが、蓮如たちはどこを寄り道したのか会う事はできなかった。八風越えをして桑名に出ると聞いていたが、桑名に着くまで蓮如一行に会う事はできなかった。どこかで追い越してしまったに違いなかった。桑名からは船で熱田に渡るのが普通だった。桑名の湊で、しばらく蓮如たちが来るのを待っていたが会う事ができず、慶覚坊は三河で待つ事にして熱田に渡った。三河に行くとすれば、佐々木の上宮寺(ジョウグウジ)に寄る事は確かだった。
大谷の本願寺が叡山によって破却された時、三河の門徒を引き連れて上京し、活躍したのが上宮寺の如光(ニョコウ)だった。如光は七年前に亡くなっていたが、上宮寺は百近い末寺や道場を抱え、三河を代表する本願寺の大寺院だった。
慶覚坊が上宮寺に着いたのは八月の九日だった。吉崎を出てから七日が過ぎていた。蓮如たちは、まだ着いていなかった。慶覚坊は加賀の国が無事である事を祈りながら、蓮如たちが到着するのをイライラしながら待っていた。
蓮如たちがのんきに上宮寺に到着したのは、次の日の十日の夕方だった。風眼坊は勿論の事、蓮如も順如も慶聞坊も町人姿であり、お雪ともう一人若い女が一緒だった。その女は顕証寺の下女だというが、どうも、順如の妾のようだった。一行は楽しそうに笑いながら上宮寺の門をくぐって来たが、門の脇に薙刀を杖代わりにして立っている慶覚坊を見て驚き、皆、目を点にした。
「出迎え、御苦労」と風眼坊はふざけながら言った。
「随分、ごゆっくりじゃったのう」と慶覚坊は言った。
「何かあったのか」と蓮如は真顔で聞いた。
慶覚坊はゆっくりと頷いた。
「一体、何があったのです」と順如が聞いた。
「中でお話します」と慶覚坊は言って皆を案内した。
風眼坊とお雪はお互いを見ながら頷き合った。
蓮如が三河の国に来たのは、勿論、次の本拠地を三河にしようと思って、本願寺別院を建てるべき恰好の地を捜すためだった。本願寺の本院は京の近くに建てたかったが、まだ、京の近辺は戦が完全に終わっていないので危険があった。後二、三年は、この三河にいて京の様子を見ながら、その後、本院を再建しようと考えていた。ところが、それどころではなくなった。加賀の国で、門徒と守護が戦を始めようとしている。その原因となったのが、蓮崇に関する噂だというのだった。蓮崇が門徒たちを扇動して戦を始めようとしているという。一体、誰が、何のために、そんな噂を流したのか分からないが、何としてでも門徒たちに戦をさせるわけにはいかなかった。早く帰って止めなければならない。せっかく、ここまで来たが、新しい地を捜す前に戻らなければならなかった。
蓮如は三河の門徒たちに大歓迎された。最初の予定では五日位、三河にいて、各寺院を巡るつもりだったが、さっそく、次の日の朝、戻らなければならなくなった。その日の晩、近くの坊主たちだけを集めて蓮如は法話を行ない、会食をした。吉崎の事を聞き、三河の坊主たちは自分たちも一緒に行くと騒ぎ出したが、蓮如は断った。
次の朝、生憎の雨降りの中、蓮如一行は三河の門徒たちに見送られ、夜明けと共に、真っすぐに吉崎へと向かった。
門徒たちの騒ぎは治まった。
吉崎の多屋衆たちは蓮崇の作戦を聞こうと蓮崇の多屋に集まって来た。
蓮崇はまず、敵の動きを確実につかまない限り、北加賀の二の舞に成りかねないと言い、軽海の守護所を初め、敵の城に探りを入れる事を提案した。また、一ケ所に大勢が武装して集まると、北加賀のように敵に夜襲を受ける事に成りかねないので、一ケ所に固まらないで分散したままで待機し、二十五日の講を待つようにと言った。
蓮崇の多屋に蓮崇の家族たちが見えない事を皆、不思議そうにしていたが、蓮崇は、妻の母親の具合が悪くなったので見舞いにやったとごまかした。こんな騒ぎが起こる前に、本泉寺に行ったのだが、戦が終わるまでは向こうにいてもらうつもりだ。今回はここも戦場になるかもしれないので、女子供たちは避難させた方がいいと言った。
多屋衆たちは、蓮崇の取り越し苦労だ、去年の時のように、大勢の門徒たちで軽海と野々市を包囲してしまえば、吉崎を攻めて来る余裕などないと笑った。
多屋衆たちは勿論の事、他の有力門徒たちも、今、蓮如が吉崎にいないという事を知らなかった。蓮崇は、噂を聞いた門徒たちが吉崎に集まって大騒ぎになった日より、御坊の山門を堅く閉ざしたまま誰も中には入れなかった。蓮崇が書いた偽の書状によって、ようやく騒ぎが治まっても山門は堅く閉ざされたままだった。
今日は八月の十一日だった。慶覚坊が蓮如を捜しに出掛けてから九日が経っていた。
蓮如に会う事ができただろうか。
もし、大津の顕証寺で会う事ができれば、もうそろそろ戻って来るはずだった。一応、騒ぎは治まったが、早く戻って来てもらいたかった。しかし、蓮如が戻って来れば、蓮崇の破門は確実だった。たとえ、噂が嘘であったとしても、門徒たちはその嘘を信じ、蓮崇を大将として戦を始める準備をしている。戦を止めるには、蓮崇を破門にする以外に方法はなかった。
掟を破った事により、蓮崇を門徒たちへの見せしめとして破門にすれば、国人門徒たちも静かになるに違いない。蓮如に一番信頼されているといわれている蓮崇が破門になるという事は、この先、誰もが破門になる可能性があるという事を意味していた。国人門徒たちにとって破門になるという事は死を意味している。本願寺の組織の中で、勢力を強めて行った国人門徒たちは破門を言い渡されれば、配下の門徒を失うだけでなく、門徒となった家臣たちからも見放され、先祖代々の土地も失い、追放される事になる。門徒たちにとって破門程、恐ろしいものはなかった。
多屋衆たちが引き上げた後、蓮崇は自分の多屋の客間の一室に座り込んで、塀の向こうに並ぶ四つの蔵を眺めていた。
四つの蔵の内の一番右は米蔵で、中にはたっぷりの米と味噌が入っていた。次の蔵は物置で、普段、使わないお膳や器類、吉崎に出入りする商人たちから貰った数々の貴重な品々、そして、吉崎に来てから溜め込んだ銭がしまってあった。銭の一部は本泉寺に帰った妻に持たせたが、まだ、たっぷりと残っていた。次の蔵は武器庫だった。武器庫はほとんど空っぽだった。湯涌谷衆と木目谷衆が越中に逃げた時、蔵の中の武器を能登を経由して越中に送り、残った武器は吉崎を守る警固兵に渡してあった。最後の蔵は密会に使うもので、中には何もなかった。蓮崇は一つ目と二つ目の蔵の中の物は、本願寺に寄進するつもりでいた。
今、客間には誰もいなかった。
蓮崇は蔵を眺めながら過去を振り返っていた。
子供の時の事を思えば、今の自分が、まるで嘘のように感じられた。
今まで、いい夢を見ていたんだ。そろそろ夢が覚める頃だ。ただ、昔のように無一文になるだけだ。どうって事ない。蓮崇はそう自分に言い聞かせていた。しかし、夢を見ている時間が長すぎた。蓮崇はもう四十一歳になっていた。四十一歳になって無一文になるというのはきついものがあった。しかも、蓮如との縁も切れてしまう。今まで、蓮如のためだけに生きて来た自分は、一体、これから、どうやって生きたらいいのか分からなかった。今の自分があるのは蓮如のお陰であり、蓮崇にとって蓮如は阿弥陀如来そのものだった。
蓮崇は越前麻生津(アソウヅ、浅水)の貧しい農家に生まれた。父親は知らない。安芸左衛門尉(アゲサエモンノジョウ)と名乗る武士だと母から聞いた事があるだけだった。母親が熱心な門徒だったため、七歳の時、和田の本覚寺(ホンガクジ)に預けられた。小僧として入ったわけではなかった。毎日、朝早くから夜遅くまで雑用をやらされた。それでも、飯だけは腹一杯食べられたので、子供の蓮崇には満足だった。本覚寺での蓮崇の身分は下人だった。夢など見る事もなく、毎日、辛い仕事に耐えていた。
そんな蓮崇に最初の転機がやって来たのは十五歳の時だった。加賀二俣の本泉寺の住職、如乗(ニョジョウ)が本覚寺にやって来た。如乗は本覚寺にしばらく滞在して、越前の門徒たちと会っていた。どういういきさつがあったのか分からないが、如乗が帰る時、蓮崇も如乗と一緒に行く事となった。蓮崇はただ命ぜられるまま、如乗と一緒に二俣本泉寺に向かった。
如乗が北陸に進出して来たのは、蓮崇と会う八年前だった。如乗は初め、越中井波の瑞泉寺の住職となって北陸に来た。瑞泉寺は立派な寺院だった。瑞泉寺は如乗の祖父、綽如(シャクニョ)が創建したものだったが、五十年もの間、本願寺から誰も下向しなかったため、突然、如乗が住職として下向したとしても、長い間、瑞泉寺を管理していた者たちの反発に合い、居心地の悪いものだった。また、瑞泉寺は純粋な浄土真宗の寺院ではなかった。
綽如の頃、ようやく本願寺は親鸞聖人の廟所(ビョウショ)から寺院として独立する事ができ、綽如は本願寺を寺院としての形を整える事に必死だった。本願寺が天台宗に属していたため、当然、瑞泉寺は天台色の強いきらびやかな寺院となった。井波を含む砺波(トナミ)郡は、越中と加賀の国境に聳(ソビ)える医王山(イオウゼン)惣海寺の勢力範囲にあったが、同じ天台宗の念仏門という事で、何の苦情もなく建てる事ができた。そして、門徒となったのは同じ念仏門の時宗の徒だった。
長年、瑞泉寺を守って来たのは、綽如の弟子だった杉谷慶善(キョウゼン)の娘の如蓮尼(ニョレンニ)だった。如蓮尼は浄土真宗ではなく時宗だった。如蓮尼はすでに六十歳を過ぎ、綽如の孫である如乗が瑞泉寺に来た事を喜んでくれたが、堂衆の中には快く思わない者も多かった。
如乗は翌年、加賀の二俣に新しく本泉寺を建てて、瑞泉寺から離れた。
本泉寺に移ってから蓮崇は如乗のもとで出家して、心源(シンゲン)という法名を貰った。もう下人ではなかった。蓮崇は常に如乗の側近くに仕え、如乗から読み書きも教わった。自分が字を習うなんて、今まで考えてもみなかった。字が読める人というのは偉い人だった。自分もその偉い人の仲間入りができるのだった。蓮崇は毎日、夜遅くまで一生懸命、手習いに励んだ。
蓮崇は如乗の供をして山の中を歩き回って門徒を増やして行った。湯涌谷、木目谷を開拓したのも如乗だった。その頃、蓮崇はまだ部屋住みだった蓮如に出会った。
蓮如は度々、本泉寺に現れ、如乗と共に加賀や越中の道場を巡って門徒たちに説教をしていた。蓮如と如乗は叔父と甥の関係だったが、年は三つしか違わず、蓮崇から見たら、仲のいい兄弟のようだった。蓮崇は如乗から、蓮如は本願寺の八代目を継ぐお人だと聞かされていた。でも、蓮崇にとっては蓮如よりも如乗の方が大切な人だった。
蓮崇は如乗のもとで読み書きだけではなく、本願寺の教えも充分にたたき込まれた。
本泉寺に来て十年目、二十五歳の時、如乗の執事である下間玄信の娘、妙阿(ミョウア)を嫁に貰った。嫁を貰ったというよりも、蓮崇が下間玄信の婿になったという方が正しい。その時から蓮崇は安芸(アゲ)心源から下間心源に変わった。嫁の妙阿は十七歳の可愛い娘だった。しかも、下間家という古くから本願寺の執事を勤めている家柄の娘だった。そんな家柄の娘を嫁に貰えるなんて、まるで夢のような気分だった。その頃の蓮崇は毎日が輝いていた。
ところが、翌年、恩人の如乗が急病に罹って亡くなってしまった。四十九歳であった。跡継ぎに恵まれなかった如乗の妻の勝如尼は、蓮如の次男、蓮乗を養子として育てていた。蓮乗が跡を継ぐ事に決まったが、蓮乗はまだ十五歳だった。
蓮崇は父親のように慕っていた如乗の死から、なかなか立ち直れなかった。まだまだ、如乗から教わるべき事が色々とあった。如乗がいなくなり、これから、どうしたらいいのか分からなかった。
如乗の死の翌年、長女のあやが生まれた。蓮崇は初めての我が子を可愛がった。あやのお陰で、如乗を失った悲しみを癒す事ができた。
その年の末、大谷の本願寺で、蓮如によって親鸞聖人の二百回忌が大々的に行なわれた。勝如尼は京都まで出掛け、帰りに十二歳の蓮綱と七歳の蓮誓を本泉寺に連れて来た。蓮崇は勝如尼と共に蓮乗を補佐しながら、蓮綱と蓮誓の二人の面倒を見ていた。
翌年、蓮崇は勝如尼から、湯涌谷の道場に行ってくれと頼まれた。蓮崇は自分などに道場主を勤める事はできないと断ったが、それは、亡くなった如乗の希望だったという。勝如尼は亡くなる前、その事を如乗から聞き、蓮崇なら大丈夫だろうと同意していた。ところが、突然、如乗が亡くなってしまい、今まで伸びてしまったが、ぜひ、湯涌谷に行ってほしいと頼まれた。蓮崇は受ける事にした。
湯涌谷の道場に移ってから五年目、流行り病に罹って長女のあやが亡くなった。蓮崇は悲しみに打ちひしがれた。そんな時、蓮如が本泉寺にやって来た。蓮崇は救いを求めて蓮如に会った。十二年振りの再会だった。お互いに変わっていた。蓮崇は道場主となり、蓮如は本願寺の法主となっていた。蓮崇は久し振りに蓮如と会い、蓮如が一回りも二回りも大きくなったように感じられた。
如乗が亡くなってから、蓮崇は誰にも頼らずに道場を守って来た。しかし、蓮崇という人間は、自分で何かをするよりも、誰かのために一心に働いていた方が才能を発揮する事のできる人間だった。実際、道場主を任された時よりも、如乗のために働いていた時の方が生き生きとしていた。それは自分でも気がついていた。
蓮崇は、蓮如のために生きようと決心し、無理を言って蓮如の東国への旅に付いて行った。旅から帰って来ても、大津の顕証寺にて蓮如の側に仕えた。蓮崇は改めて蓮如から法名を貰い、下間頼善と共に執事として活躍した。
そして、吉崎に進出。
如乗と出会ってから三十四年が過ぎていた。長いようで短い三十四年だった。如乗と会っていなければ、今の蓮崇はなかった。そして、如乗のお陰で、蓮如という度偉い人に会ったという事が、蓮崇の人生に取って一番重要な事だった。
その蓮如と別れなければならなかった。破門されたら、もう二度と会う事はできないだろう。お互いに生きていながら、会う事ができない程、辛い事はなかった。
蓮崇は蓮如に早く会いたかった。しかし、それは、別れを意味していた。
蓮崇は独り、薄暗くなった部屋の中で、蓮如と共に生きて来た自分の姿を思い出していた。
「何じゃ」と蓮綱は答えた。
「一大事でございます」と盛頼は言った。
「何事じゃ」
「はっ」と言うだけで盛頼は何も言わなかった。
「まったく、ゆっくりさせてもくれんわ」と蓮綱は、あこを如宗に渡すと部屋から出て行った。
書斎に行くと、盛頼は小声で、「ただならぬ噂が流れております」と言った。
「噂?」
「はい」
「くだらん噂など放って置けばいいじゃろう」
「それが、そうも行かないので‥‥‥」
「一体、どんな噂じゃ」
「それが‥‥‥」と言ったきり盛頼は口ごもった。
「どうしたんじゃ、はっきり言わんか」
「はい。実は、蓮崇が守護を倒すために兵を集めておるとか‥‥‥」
「何じゃと。一体、誰がそんな噂を流しておるんじゃ」
「それが、まったく分からんのです。昨日は、そんな噂は流れておらなかったのに、今日になって突然、町中がその噂で持ち切りです。門徒の中には武器を手にして湯涌谷に向かうなんて奴も現れて来ております」
「その噂は事実なのか」
「分かりません。でも、これだけ広まっておる所を見ると事実であるとしか思えません」
「しかし、蓮崇が、そんな事をするとは思えん」
「わたしも信じられません。上人様に無断でそんな事をするとは、とても、考えられません。しかし‥‥‥」
「蓮崇は今、どこにおるんじゃ」
「分かりません。先月の講の時は吉崎におりました」
「とにかく、わしは明日の朝、吉崎に行って来る。そなたは門徒たちを静めてくれ」
「しかし、門徒たちは皆、高ぶっております。皆、守護のやり方に我慢できなくなっております。皆、蓮崇を支持しておるようです」
「とにかく静めてくれ。この間、六ケ条の掟が出たばかりじゃ。今、騒ぎを起こしたら、皆、破門という事にもなりかねん。わしが吉崎から戻って来るまで、門徒たちを押えておれよ」
「はっ」と頭を下げると盛頼は出て行った。
蓮綱は広縁に出ると門前町の方を眺めた。
小雨の中に、いつもと変わらぬ風景が見えた。盛頼が松岡寺の警固の兵の詰所(ツメショ)に行き、十人ばかりの兵を連れて門から出て行った。
蓮綱は何事も起こらない事を願い、家族のもとへ戻った。
次の日の朝早く、蓮綱は支度をすると、二人の部下を連れて朝靄の立ち込める中、吉崎に向かった。
途中、波倉の本蓮寺に寄った。
去年、全壊した本蓮寺は見事に再建されていた。新たに、濠と土塁、見張り櫓(ヤグラ)も付けられ、松岡寺のように城塞化されていた。蓮綱は叔父の蓮照と会い、波倉の門前にも噂が広まっている事を確認した。蓮照に門徒たちを押えるように頼み、次には、弟の蓮誓(レンセイ)のいる山田の光教寺に向かった。
蓮綱が光教寺に着いた時、丁度、蓮誓は出掛ける所だった。供の者三人と一緒に門の所から近づいて来る兄の姿を見ていた。兄がここに来るのは珍しかった。何か用がある場合は、いつも蓮誓を松岡寺に呼んだ。どうしたんだろうと思いながら蓮誓は兄を迎えた。
「どこかに行くのか」と蓮綱は馬から下りると言った。
「いえ。急ぐ用ではありません」と蓮誓は答えた。
蓮誓は塩浜の道場に行こうと思っていた。道場において説教は勿論するが、本当の目的は海で泳ぐ事だった。蓮誓はこの地に来るまで、海というものを知らなかった。子供の頃、兄と一緒に本泉寺の近くの川で泳いで遊んだ事はあったが、海で泳いだ事はなかった。この地に来て、蓮誓は初めて広い海で泳いで以来、海の虜(トリコ)となっていた。夏の天気のいい日は海辺の道場を回り、説教が済むと海で思いきり泳いでいた。
「ちょっと、話がある」と蓮綱は言って馬を蓮誓の供の男に渡すと、さっさと庫裏(クリ)の方に向かった。
蓮誓は供の者に、待っていてくれ、と言うと兄の後を追った。
光教寺にはまだ噂は流れていなかった。蓮綱は蓮誓に松岡寺と本蓮寺の状況を話した。
「まさか、蓮崇が‥‥‥」と蓮誓には信じられなかった。
蓮誓は慶覚坊を呼びにやった。
慶覚坊はすぐに来た。蓮誓と共にいる蓮綱を見て、兄弟が揃っているとは珍しいと、まず思い、二人の顔を見て、何かがあったなと悟った。
慶覚坊が二人に声を掛ける前に、蓮誓の方が慶覚坊に聞いて来た。
「今、蓮崇はどこにいる」
「は? 蓮崇殿は吉崎におると思いますが‥‥‥」
「確かじゃな」
「いや。はっきりとは言えんが、多分、吉崎だと思いますが」
「まさか、湯涌谷にはおらんじゃろうな」
「はい。もし、湯涌谷に行くとすれば、わしを誘うはずです。先月の二十四日に湯涌谷から帰って来てからは、蓮崇殿も吉崎におると思いますが‥‥‥蓮崇殿が、どうかしたのですか」
蓮綱は慶覚坊に噂の事を話した。
「そんな、馬鹿な‥‥‥蓮崇殿がそんな事をするわけはない。わしは、いつも蓮崇殿と一緒だった。国人たちを煽っておったのは浄徳寺と善福寺の二人じゃよ。わしらは騒ぎが起きてから現場に駈け付けたんじゃ。北加賀において何が起こったのか、上人様もちゃんと御存じじゃ。蓮崇殿が国人たちを扇動しておったわけじゃない」
「しかし、噂の方はどんどん広まっております。門徒たちが武器を持って守護を倒そうとしておる事も事実です。今の所は何とか押えておりますが、このままでは一揆になりかねません」
「一体、誰がそんな噂を流したんでしょう」と蓮誓が二人の顔を見比べながら言った。
「分からん」と蓮綱が首を振った。「しかし、そのうちに、ここにも吉崎にも、その噂は流れるじゃろう」
慶覚坊は頷いた。「ここで何だかんだ言ってても始まらん。とにかく蓮崇殿に会って、これからの対処を考えなければならんでしょう」
三人は吉崎へと向かった。
厳しい残暑の中、蝉(セミ)が喧(ヤカマシ)しかった。
2
吉崎御坊は厳重に警固されていた。
「久し振りにここに来たが、凄いものじゃのう」と蓮綱は馬上から、あちこちにある濠や土塁を眺めながら驚いていた。
御山(オヤマ)に近づくに連れて、蓮綱と蓮誓の二人が揃って来たとの噂が広まり、一目、二人を見ようと門徒たちが続々と集まって来た。御山へと続く坂道の入り口に立つ北門まで来ると、慶覚坊は二人を待たせ、蓮崇の多屋に顔を出した。蓮崇の妻に聞くと、蓮崇は御山にいると言う。
一行は坂道を登って御山に向かった。道の両側には各多屋から出て来た門徒たちが、二人を見ようとずらりと並び、一行の後にはぞろぞろと大勢の見物人が付いて来ていた。
慶覚坊は御山の門番に、門を一旦、閉める事を命じ、馬を預けると、二人を庭園内の東屋(アヅマヤ)に案内した。慶覚坊としては、蓮如に会う前に、まず、蓮崇と話し合いたかった。
慶覚坊は書院に行って蓮崇と会った。
蓮崇は対面所の一室で、部屋中に書状を散らかして絵地図に何やら書き加えていた。
「何をやっておるんじゃ」と慶覚坊は部屋を覗くと声を掛けた。
蓮崇は顔を上げると、「慶覚坊殿か、丁度いい所に来てくれた」と笑い、熱心に書き物を続けた。「実はのう。石川郡のように江沼郡にも、ここを中心に裏の組織を作ろうと思ってのう。各道場の位置を調べておったんじゃ。慶覚坊殿も光教寺に所属しておる道場の事を教えてくれんか」
「蓮崇殿、ちょっと待ってくれ。それどころではないんじゃ。一大事が起きたんじゃ」
「一大事?」
「ああ。上人様は庫裏の方か」
「いや、上人様は留守じゃ」
「留守?」
「ああ。お忍びで、大津の顕証寺(ケンショウジ)に行った」
「なに、顕証寺に行った? こんな時に、どうして近江などに行かせたんじゃ」
「まずかったかのう。今月の講には戻って来ると言っておったしのう。慶聞坊と風眼坊殿が一緒じゃから、安心じゃと思って行かせたんじゃが」
「何でまた、急に顕証寺なんかに行ったんじゃ」
「久し振りに順如殿(蓮如の長男)に会いたくなったんじゃないか。それと、わしの推測じゃが、順如殿を通して幕府に何かを頼もうと思ったのかもしれん」
「幕府に?」
「上人様が何を言っても富樫は聞かんからのう。それとなく、幕府に本願寺の保護を頼みに行ったのかもしれん。わしの推測じゃがのう」
「上人様が幕府にか‥‥‥」
「それよりも、一大事とは一体、何じゃ」
「そなたの事じゃ」
「わしの事?」
「待っていてくれ。今、外で蓮綱殿と蓮誓殿が待っておる」
「なに、蓮綱殿と蓮誓殿が‥‥‥」
慶覚坊は二人を呼びに行った。
蓮崇は散らかっている書状を片付け、絵地図を丸めた。
蓮崇は二人を迎えると頭を下げ、部屋の隅に退いた。
蓮綱は松岡寺の様子と蓮崇に関する噂の事をなるべく詳しく話した。
蓮崇は黙って聞いていた。
「噂を流した張本人は誰だと思う」と慶覚坊は聞いた。
蓮崇は答えなかった。
「わしは善福寺と浄徳寺の二人だと思うんじゃが‥‥‥あの二人は湯涌谷におった時、もう一度、守護を倒す事を主張した。しかし、誰にも相手にされなかった。皆、蓮崇殿の案に賛成した。そこで蓮崇殿を恨み、あんな噂を流したんじゃと思うんじゃが」
「蓮崇の案というのは何です」と蓮綱が聞いた。
「敵に負けない位の情報網を作る事です」と慶覚坊が言った。
「情報網を‥‥‥それより、さっきの話ですけど、浄徳寺と善福寺の二人があんな噂を流したとは思えません。あの二人は本願寺の一門です。そんな二人が本願寺の不利になるような噂を流すでしょうか」
「あの二人はただ、蓮崇殿を恨み、蓮崇殿を失脚させようとたくらんだだけでしょう。門徒たちが、こんなに騒ぐとは思っておらなかったに違いありません」
「しかし‥‥‥」
「蓮崇殿はどう思う」と慶覚坊は聞いた。
「わしも、あの二人だと思いますが、あの二人だけではありません。多分、裏で糸を引いている者がおります」
「あの二人を操っている者がおる?」
「わしはこの前、山之内に行った時、軽海の町で定地坊殿の姿を見ました。初めは人違いだろうと思いましたが、気になったので探りを入れてみました。調べてみると、やはり、定地坊殿でした。定地坊殿は観音屋という旅籠屋の離れに滞在して、時々、山川(ヤマゴウ)三河守と会っておるとの事でした」
「定地坊殿といえば、あの二人とは兄弟じゃろう」と慶覚坊は言った。
「そうです。定地坊殿はわしを恨んでおります。山川三河守は定地坊を利用して、わしを本願寺から追い出そうと考えたに違いありません。北加賀において、守護代の槻橋近江守は着実に本願寺の勢力を潰しております。しかし、山川三河守はまだ何もやっていません。南加賀の守護代として、三河守としても何もしないわけには行きません。そこで、槻橋近江守とは違うやり方で、本願寺勢力を弱めようとしておるに違いありません。そのやり方というのが、本願寺の内部撹乱です。定地坊殿を使って、わしと対抗させ、吉崎を二つに分断し、今度はわしを失脚させるために、そんな噂を流したに違いありません」
「山川三河守ですか‥‥‥」と蓮綱は言った。
「山之内に行った時、わしは刺客(シカク)に狙われておると威されました。今の所、そんな危険な目には会っておりませんが、守護が、わしを狙っておる事は確かです」
「刺客か‥‥‥以前、高田派が上人様を狙って刺客を使った事があったが、今度は、守護が蓮崇殿を狙って刺客を放ったか‥‥‥」
「山川三河守は超勝寺の三人を使って、蓮崇を本願寺から除くために、あんな噂を流したと言うのですか」と蓮綱は言った。
「山川三河守という奴はなかなかの策士(サクシ)との噂じゃ。その位の事はやりかねんのう。蓮崇殿を除けば、確かに本願寺は弱くなるからのう」
「しかし、門徒たちが騒ぎ出せば、山川にとっても面倒な事となりますよ」
「いや」と慶覚坊は首を振った。「門徒が騒ぎ出せば、山川に取っては都合のいい事となる。騒ぎを静めるためと言って堂々と兵を動かす事ができるんじゃ。しかも、門徒たちはバラバラじゃ。正規の軍に攻められたら一溜まりもないじゃろう。善福寺や専光寺のように、松岡寺や光教寺は焼かれるかもしれん。ここも危ない事になるかもしれん。とくかく、門徒たちに騒ぎを起こさせないようにしなくてはならんのう」
「しかし、静められるかどうか難しい状況です。門徒たちは皆、すでに北加賀の事を知っております。上人様がその事に対して、どういう態度を取るか、皆が見守っておりました。門徒たちは去年の時のように、戦をしろ、と命ずる事を期待しておったのです。しかし、上人様は掟を出すばかりで、北加賀の事など、まるで知らない事のように装っております。そんな時、蓮崇が立った、との今回の噂です。蓮崇が立ったという事は、内密に上人様からの命令が出たものだと勝手に解釈しておるのです。すでに門徒たちは、去年の戦の時のような勝利に酔い、武器を手にして騒いでおるのです。いつ、爆発するやら分からない状況なんです」
「そうか、それ程の反響があるのか‥‥‥そうじゃろうのう。門徒たちから見れば、蓮崇殿というのは上人様の次に偉い人じゃと思っておるからのう。そんな人が、戦えと言えば、上人様の本当の気持ちなど分からん門徒たちは、守護を倒せ! といきり立つのも無理ないのう」
「明日あたりには、ここにも、その噂が流れる事となるでしょう。こんな時に上人様が留守だとは‥‥‥」
「蓮崇殿、どうしたらいいじゃろうのう」と慶覚坊は聞いた。
「この騒ぎを治めるのには、一つしか方法はないじゃろう」と蓮崇は言った。
「どんな方法があるのですか」と蓮綱は蓮崇の方に身を乗り出した。
「一つだけある。しかし、上人様がおらなくてはどうにもならん」
「一体、どんな方法なんじゃ」と慶覚坊も身を乗り出した。
蓮綱も蓮誓も慶覚坊も、蓮崇が言おうとしている対抗策が、どんなものなのか見当もつかなかった。
蓮崇は三人の顔を見比べてから、視線を落とすと、「わしの破門じゃ」と言った。
「破門? そんな事をしたら敵の思う壷にはまる事になるぞ」
「仕方がない。わしが破門になれば騒ぎは治まるじゃろう」
「蓮崇が破門か‥‥‥」と蓮綱は呟いた。
蓮綱は子供の頃、本泉寺において蓮崇によく遊んでもらった時の事を思い出していた。蓮崇からは色々な事を教わっていた。蓮崇が湯涌谷の道場を任されて移ってからも、よく遊びに行っていた。父親代わりだった本泉寺の如乗が十一歳の時に亡くなり、父親というには年が少し若かったが、蓮崇は蓮綱にとって父親に似た存在だった。その蓮崇が破門になるという。蓮綱にはそんな事、とても信じられない事だった。
慶覚坊は俯いたままの蓮崇を見つめて黙り込んでいた。確かに、蓮崇が破門になれば門徒たちは静まるだろう。しかし、本願寺から破門になったら、この先、どうやって生きて行くつもりなのだろう。加賀や越前、越中など、門徒がいる中では生きては行けない。一生、破門という事は付いて回る。もしかしたら、蓮崇は死を覚悟しているのだろうか。それにしても、たかが噂によって無実の罪で破門されるとは溜まったものではなかった。
「破門という事は最後の手段として、他にいい案があるかもしれん。もう一度、よく考えてみよう」と慶覚坊は言った。
「そうですよ。きっと、何かいい方法があるはずです」と蓮綱も言った。
「慶覚坊殿、すまんが、上人様を捜し出して連れ戻してくれんか」
「わしがか‥‥‥」
「そなたしかおらん。近江の事なら詳しいじゃろう」
「分かった。なるべく早いうちに連れて帰る。それまで、何とか騒ぎが起こらんようにしてくれ」
蓮崇は頷いた。
「蓮綱殿、蓮誓殿、頼みますよ。さっそく、わしは出掛けます」
二人も頷いた。
慶覚坊は、そのまま馬にまたがって近江へと向かった。
蓮綱と蓮誓の二人は、その後もしばらく蓮崇と今後の事を検討し、それぞれの寺院に戻った。
この日、吉崎の町はまだ何も知らず、いつもと変わらず、人々は穏やかな顔で暮らしていた。
3
慶覚坊が蓮如を捜しに近江に向かった後、蓮崇は、蓮綱と蓮誓の見守る中、蓮如の署名入りの偽(ニセ)の書状を書いていた。
蓮崇の呼びかけによって騒いでいる門徒たちを静めるには、やはり、蓮如の名前を出さなければ不可能と言えた。すでに破門を覚悟した蓮崇は、蓮綱と蓮誓の二人に許可を求め、この書状を蓮崇が書いた事は見なかった事にしてくれと頼み、この偽の書状の罪は自分が一切かぶって破門になると言った。
蓮綱も蓮誓も破門の覚悟を決めた蓮崇に対して、何も言う事ができなかった。
蓮崇は蓮如そっくりの字を書き、蓮如の署名もそっくりに真似た。
蓮崇は本泉寺において如乗に読み書きを習い、その後、大津にて蓮如の側に仕えていた頃、蓮如の御文(オフミ)を手本にして、毎日、夜、遅くまで手習いの稽古をしていた。吉崎に来てからは何かと忙しいので、毎晩、稽古をするという事はなくなったが、それでも、新しい御文が出る度に、必ず写していた。今では、すっかり蓮如の書体を真似て書く事ができるようになっていた。
蓮崇は偽の書状に、今度の二十五日の吉崎の講の時、重大な事を発表する。それまでは、皆、勝手に動かずに待機しているように。もし、今、勝手に騒ぎを起こせば、守護の思う壷にはまり、北加賀のように、寺院を初めとして道場は破壊されるであろう。今こそ、門徒たちは一丸となるべき時である。二十五日の講まで、各自、自重して欲しい、と書き、蓮如の署名をした。
蓮綱と蓮誓は、蓮崇の書いたその文を読みながら、まさしく父親の書いた物にそっくりだと思った。
蓮綱は、本泉寺にいた頃の蓮崇の字を知っていた。子供ながらも下手くそな字だと思い、よく笑った。そして、蓮崇が毎晩、遅くまで手習いをしていた事も知っていた。今、目の前で、すらすらと書いていたのを目にしながらも、蓮崇がこれ程までの字を書くとは信じられない事だった。そして、これだけの字を書くまでには、余程の稽古をしたに違いないと思い、凄い人だと改めて感心していた。そんな蓮崇が本願寺から破門にならなければならないとは、本願寺にとっても蓮綱にとっても辛い事だった。蓮綱は蓮崇が書いた偽の書状を読みながら、涙が出て来るのを止める事ができなかった。
蓮誓には、蓮綱のように蓮崇の思い出はなかったが、蓮崇は本願寺になくてはならない人だと思っていた。その蓮崇が本願寺からいなくなるなんて、とても、考えられなかった。
二人とも、しんみりとしながら書状を手にして吉崎を後にした。
独り残された蓮崇は、しばらく、ぼうっとしていた。
破門‥‥‥これから、どうしたらいいのか、まったく分からなかった。今まで、本願寺のために生きて来た。死ぬまで、蓮如のために生きようと誓っていた。破門になれば、二度と蓮如には会えないだろう。加賀にも越前にもいられない。これから、どうやって生きて行けばいいのだろうか。
蓮崇は家族の事を考えた。家族まで巻添えにしたくなかった。妻は下間(シモツマ)一族の娘である。離縁して実家に返そうと思った。可哀想だが、それしか方法はなかった。
蓮崇は自分の多屋に帰ると、妻にすべての事を話した。妻はなかなか納得しなかったが、蓮崇は無理やり離縁状を渡し、荷物をまとめさせた。そして、次の日、家族を船に乗せて本泉寺に送った。
家族を送り出し、一安心した蓮崇は御山に戻り、途中だった江沼郡における情報網作りに専念した。破門されてから後の事は考えなかった。それよりも蓮如が戻って来るまで、この吉崎を守り、情報網の事も形だけでも作っておきたかった。後の事は慶覚坊に任せればいい。残りわずかな数日を本願寺の門徒として、精一杯、やるべき事をやろうと決めた。
吉崎の地に、例の噂が広まったのは八月の五日、蓮綱と蓮誓が来た二日後の事だった。
蓮如を捜しに出掛けた慶覚坊は、その頃、ようやく、近江の堅田(カタダ)の本福寺に着き、義父の法住(ホウジュウ)と会っていた。蓮如一行が堅田に来たのは三日前で、二日前の朝、大津の顕証寺に向かったと言う。慶覚坊は、まだ、顕証寺に滞在しているかもしれないと、次の日の朝早く大津に向かったが、蓮如はいなかった。顕証寺の住持であり、蓮如の長男でもある順如も蓮如と一緒に出掛けて行って留守だった。留守を守る下間慶秀(キョウシュウ)に聞くと、一行は二日前の朝、金森(カネガモリ)に向かったと言う。慶覚坊は、すぐに金森に向かったが、蓮如一行は捕まらなかった。
吉崎に噂の広まる頃、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)と善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)の二人は吉崎に潜入していた。二人は御山への坂道の途中にある超勝寺の多屋(タヤ)の客間の一室で、イライラしながら次々に入って来る吉崎の状況を聞いていた。
噂を流した張本人は、この二人であった。
定地坊が軽海の守護所において、山川三河守より噂を流せば蓮崇を陥れる事ができると持ちかけられ、夕立の中を急いで、浄徳寺に向かったのは七月の十六日だった。
その日、定地坊から話を聞いた順慶と慶恵(キョウエ)の二人は噂を流す事に賛成した。しかし、誰がその噂を流すか、という事で三人の意見は割れた。そんな噂を流したという事がばれれば、逆に、こっちが破門と成りかねない。三人共、自分の門徒を使う事に反対した。一番いいのは蓮崇の門徒である湯涌谷の門徒を使うのがいいのだが、それは無理だった。そこで、実際に守護に痛い目に合わされた善福寺の門徒を使うのが一番いいだろうという事に決まり、順慶と定地坊は焼け跡の善福寺に向かった。そこで、適当と思われる者を十人捜して浄徳寺に戻って来たのは二十四日であった。
順慶も定地坊も自分の首が懸かっているので、適任者を捜すのに慎重だった。どこにでもいるような顔をしていて、体格も普通で、それでいて物覚えがよく、すばしっこい者を捜したので、思ったよりも時間が掛かってしまった。
二十四日は吉崎の講がある前の日にあたり、蓮崇は吉崎に戻って来ていた。蓮崇が吉崎にいたのでは噂を流しても、すぐに嘘だとばれてしまう。講が終わり、蓮崇がまた湯涌谷に行くのを待とうという事になったが、蓮崇はなかなか湯涌谷には行かなかった。
定地坊と順慶の二人は待ちくたびれて、蓮崇が吉崎にいようと構わないから、さっさと噂を流してしまえと考えた。一番上の慶恵は反対した。焦る事はない。蓮崇は必ず、湯涌谷に行く。ここで焦って失敗したら、わしらが破門になるんじゃ。奴が動くまで、じっくり待っていればいいと言った。
定地坊と順慶は七月一杯まで待ってみて、八月になると兄の慶恵には内緒で、まず、松岡寺の門前に噂をばらまいた。そして、一日、様子をみた。
噂はみるみる広まって行き、門徒たちが騒ぎ出した。門徒たちのほとんどが蓮崇を支持して武器を取って立ち上がろうとしていた。それは予想外の事だった。
定地坊たちの考えでは、門徒たちは、上人様の教えに反して戦をしようとしている蓮崇を批判するものと思っていた。先月、六ケ条の掟が発表され、掟を破った者は破門にすると書いてあった。門徒たちは皆、その事を知っているはずだった。
三人は本願寺の一門であり、上層部の人間だった。生れつき住持職に就くべき家柄に生まれていた。門徒たちの気持ちなど考えた事もなく、自ら門徒たちの中に入って行こうともしなかった。門徒の気持ちなど全然、分かっていなかったのである。彼らは彼らの考え方で門徒たちを見ていた。彼らは蓮如の教えをよく理解し、蓮如が争い事を絶対に許さないという事を充分に知っていた。蓮如は御文に何度も、守護に逆らうなと書き、彼らは、それを門徒たちに読んで聞かせた。当然、門徒たちも蓮如の教えを理解していると思っていた。
蓮崇が戦をしようと煽(アオ)れば、何人かの門徒は蓮崇に同意するだろうが、ほとんどの門徒たちは絶対に反対すると思っていた。ところが、門徒たちは蓮崇を支持して武器を手にして騒いでいた。今すぐにでも、一揆が始まりそうな雰囲気が漂っていた。
門徒たちにしてみれば、去年、多数の犠牲者を出しながらも戦に勝利し、少しは暮らしが楽になるものと信じていた。しかし、戦が終わってみると、守護が入れ代わっただけで門徒たちの暮らしは少しも変わらなかった。戦のお陰で多大な出費があったにも拘わらず、昨年の年貢を払えと言われたり、守護所の修復の費用を取られたり、かえって暮らしは苦しくなっていた。さらに、北加賀では本願寺の寺院が焼かれ、多数の門徒が死傷していた。
北加賀の事は他人事(ヒトゴト)ではなかった。南加賀においても、いつ、守護が攻めて来るとも分からない状況だった。北加賀で門徒たちが大勢、苦しんでいるというのに、蓮如は何も言わなかった。そんな蓮如を決して門徒たちは恨みはしなかったが、何かを言ってくれるのを期待していた。門徒たちにとって本願寺さえあれば、守護は無用の存在でしかなかった。
そんな思いでいる時に、蓮崇が守護に対して戦をするとの噂が流れた。門徒たちにとって蓮崇というのは蓮如と同じ位、偉い存在だった。その蓮崇が命令を下したという事は、蓮如の同意があっての事に違いない。蓮如が表立って戦の指揮はできないから、蓮崇が命令を下したのだと勝手に解釈した。門徒たちは、守護を倒せ!と各地で蜂起しようとしていた。
噂を流した二人は、予想外な門徒たちの反応を見て、この先、どうしたらいいか迷っていた。もし、本当に一揆が起きてしまえば、蓮如の力を持ってしても止める事はできなくなる。そして、このまま、門徒たちが去年のように一丸となってしまえば、守護を倒す事もあり得た。そうなってしまえば、蓮崇は破門どころか英雄となってしまう。
順慶と定地坊は兄の慶恵と相談し、噂を広める事を中止にした。善福寺から連れて来た十人の者たちも帰す事にした。しかし、その十人は帰らなかった。十人も門徒であった。武器を手にして騒いでいる門徒と同じ門徒だった。彼らは流した噂が真実だと信じた。いよいよ、蓮崇が門徒たちのために立ち上がったと思った。
十人は善福寺には帰らずに、能美郡、江沼郡の各地に噂をばらまき、そして、吉崎にも流した。さらに向きを変え、石川郡、河北郡、さらには越中までも噂を流そうと張り切っていた。
噂を聞いて、続々と各地の有力門徒たちが吉崎にやって来た。
蓮崇は吉崎の警固の兵を増やし、御山の門を堅く閉ざし、上人様は誰とも会わないと告げ、何枚も作った偽の書状を配った。蓮如の執事の下間頼善(ライゼン)にも、すべてを話して協力してもらい、有力門徒たちを説得させ、各地の門徒たちを静めるように頼んだ。偽の書状が功を成して、皆、何とか納得し、二十五日までに戦の準備をすると言って帰って行った。
順慶と定地坊の二人は、吉崎にて、上人様の教えに反して戦を主張する蓮崇を批判し、上人様の口から直接、蓮崇の破門を聞こうと思って来たわけだったが、吉崎の地は、蓮崇を支持する者たちばかりが現れ、そんな中に行って蓮崇を批判しようものなら、自分たちが危険な目に会いそうだった。吉崎には反蓮崇派の者も結構いたが、そんな者たちも、守護を倒すという蓮崇には同意し、それに反対する二人は孤立しているという状況だった。主戦派だった二人が戦に反対し、どちらかと言えば、蓮如の教えを守って戦に反対している蓮崇が、主戦派の大将として門徒たちの中心となってしまっていた。
皮肉な結果と言えた。
上人様は、こんな騒ぎを起こした蓮崇をどうして破門にしないのだ、とイライラしながら、蓮崇の書いた偽の書状を眺めながら、やけ酒を飲んでいた。
「重大発表というのは何じゃろ」と順慶は言った。
「戦の事に決まっておるじゃろう」と定地坊は言った。
「上人様もいよいよ、覚悟を決めたと言うのか」
「そうらしいのう」と吐き捨てるように定地坊は言った。
「しかし、上人様はこの前、掟を出したばかりじゃろう。まだ、一月も経っておらんのに気が変わったのか」
「上人様は、善福寺や専光寺が守護によって焼かれたという事を知らなかったんじゃ。それを知って、上人様も堪忍(カンニン)袋の緒が切れたんじゃろう」
「しかし、上人様が、守護を倒せ、と命ずるとは考えられんがのう」
「上人様も迷っておったんじゃろう。そんな時、噂を聞いた門徒たちが騒ぎ出したものじゃから、ようやく、決心を固めたに違いない」
「それじゃあ、わしらが、上人様の決心を固めさせたという事か」
「皮肉な事じゃが、そうらしいのう」
「わしらは、一体、何のために噂を流したんじゃ」
「世の中、思い通りには行かんという事じゃのう」
「上人様は、やはり、守護を法敵として退治するつもりなんじゃろうか」
「当然じゃ。本願寺に敵対する者は、すべて、法敵じゃ」
「こんな事になるんなら、蓮崇の名前など出さずに、わしらの名前で噂を流せばよかったのう。あほらしい事をしたわ」
「わしらも帰って戦の準備をした方がいいかもしれんのう」
「兄貴、ちょっと待て。兄貴に噂を流すように勧めた、三河守の奴は、こうなる事を知っておったんじゃろうか」
「三河守? まさか、奴だって、わしらと同じように蓮崇が破門になると思っておったに決まっとるわ」
「という事は、奴も困っておる事じゃろうのう。今頃、慌てて守護所の守りを固めておる事じゃろうのう」
「奴には世話になったが、門徒たちに攻め滅ぼされる事となろう。可哀想じゃが、仕方あるまい」
二人は蓮崇を失脚させる事を諦め、起こり得る次の戦において、指導的な立場に立つべく周到な準備をするため、やけ酒を祝い酒に変えて、次の日の朝早く、吉崎を後にした。
4
軽海の守護所において、南加賀守護代の山川三河守も定地坊らと同じように、噂に対する門徒たちの反応には驚いていた。蓮如が命令を下さない限り、門徒たちは動かないと信じていたが、蓮崇の命令でも門徒たちが蜂起するという事を知って、改めて、本願寺における蓮崇の力の大きさに気づき、何としてでも、蓮崇を本願寺から切り放さなければならないと感じていた。しかし、これだけ門徒が騒ぎ出しても、蓮崇は破門にはならなかった。破門になるどころか、蓮崇を中心にして守護打倒の声があちこちに上がっていた。
蓮如は一体、何を考えているのだろうか。
この間、守護を疎略にすべからず、という掟を発表したばかりなのに、なぜ、蓮崇を破門にしないのか。
もはや、蓮如の力では、門徒たちを静める事ができなくなり、蓮崇の事は見て見ぬ振りをするつもりか。
見て見ぬ振りをし、蓮崇を大将として守護を倒させ、その後、幕府から責められた場合に、責任の一切を蓮崇にかぶせて、蓮崇を破門にするつもりなのかもしれない‥‥‥
どうせ、破門にするなら、守護を倒してから破門にした方がいい‥‥‥
蓮如は、そう考えているのだろうか。
もし、そうだとしたら、こちらも戦闘体制を整えて、常に、敵の先手を取らなくてはならなかった。敵が一つにまとまってしまえば勝てる見込みはない。敵が一つにまとまる前に、有力な寺院を倒しておかなければならなかった。
山川三河守は軽海を初め、南加賀の各地の城に戦の準備をさせると共に、本願寺に対する情報網の強化をした。三河守も北加賀の槻橋近江守と同様に、確かな情報網を持っていた。槻橋近江守が白山本宮の山伏を使っているのに対し、山川三河守は軽海郷を囲むように存在する白山中宮八院に所属する山伏を使っていた。
軽海郷は、かつて、加賀の国府の置かれた地であり、加賀の中心地として栄えていた。
白山への禅定道は本宮から始まっているため、白山に登る信者たちは皆、本宮の山伏たちに率いられて白山に登って行った。中宮は、ただの中継地として宿坊を提供するのみで、信者からの奉納銭はほとんど本宮に取られていた。そこで、中宮は本宮を通らずに白山に登る道を考え、軽海を入り口にした。軽海から滓上川沿いにさかのぼり、三坂越えをして別宮に出るという道を作り、入り口である軽海に大寺院を建てた。それが、白山中宮八院と呼ばれる八つの大寺院だった。それらの大寺院には数多くの山伏が所属し、信者たちを連れて白山へと登った。また、それらの大寺院は数多くの末寺を持ち、その末寺は能美郡を中心に各地に散らばっていた。山伏たちはそれらの末寺(マツジ)を拠点にして信者獲得のための活動を行なっていた。
ところが、蓮如が吉崎に来て、布教を始めると、門徒たちの数が続々と増え、中宮八院の末寺だった寺院は、生き残るために次々に本願寺派に転宗して行った。数多くの信者を本願寺に取られ、八院としても生き残るために必死だった。生き残るためには本願寺に敵対しなければならず、守護と手を結んでいた。八院の山伏たちは本願寺の動きを探るため、寺院は勿論の事、各道場にまで山伏を潜入させていた。
山川三河守は次々に入る山伏からの情報を聴きながら、蓮如の息子のいる松岡寺を最初の標的に選んだ。しかし、慎重に事を運ばなくてはならなかった。まず、蓮如の本心を探らなければならない。北加賀と違って、南加賀は蓮如のいる吉崎が近かった。槻橋(ツキハシ)近江守のような強攻策に出るわけには行かなかった。蓮如を本気で怒らせてしまったら、守護は簡単に潰されてしまう。蓮如が戦をするつもりでいるのなら、先手を取らなければならないし、戦をしないつもりでいるのなら、松岡寺を攻める事は、かえって蓮如を戦に追いやる結果と成りかねない。三河守は何人もの山伏を変装させて吉崎に送った。
門徒たちの騒ぎは長くは続かなかった。どうした事か、あれだけ騒いでいた門徒たちは嘘のように不気味に静まった。一体、何が起こったのか、三河守には理解できなかった。
そんな時、吉崎から戻った山伏が一枚の書状を三河守に渡した。それは、蓮崇の書いた偽の書状だった。
三河守はその書状を読むと、いよいよ、蓮如は次の講の時、戦の命令を出すのか、と悟った。その日、吉崎には各地の有力門徒たちが集まって来るに違いなかった。総攻撃を掛けて本願寺を潰すのは、その日以外はなかった。三河守は講のある八月二十五日の未明に、吉崎に総攻撃を掛ける事に決定し、南加賀の各城の武将たちに内密に伝えた。
一方、蓮如を捜しに出掛けた慶覚坊は、なかなか蓮如を捕まえる事ができなかった。
大津顕証寺を蓮如に遅れる事、二日で後にした慶覚坊は安養寺に向かった。安養寺の幸子坊善淳(コウシボウゼンジュン)に聞くと、蓮如一行は今朝、三河の国(愛知県中東部)に向かって旅立って行ったと言う。明日のうちには追い付くだろうと慶覚坊は一安心した。ところが、蓮如たちはどこを寄り道したのか会う事はできなかった。八風越えをして桑名に出ると聞いていたが、桑名に着くまで蓮如一行に会う事はできなかった。どこかで追い越してしまったに違いなかった。桑名からは船で熱田に渡るのが普通だった。桑名の湊で、しばらく蓮如たちが来るのを待っていたが会う事ができず、慶覚坊は三河で待つ事にして熱田に渡った。三河に行くとすれば、佐々木の上宮寺(ジョウグウジ)に寄る事は確かだった。
大谷の本願寺が叡山によって破却された時、三河の門徒を引き連れて上京し、活躍したのが上宮寺の如光(ニョコウ)だった。如光は七年前に亡くなっていたが、上宮寺は百近い末寺や道場を抱え、三河を代表する本願寺の大寺院だった。
慶覚坊が上宮寺に着いたのは八月の九日だった。吉崎を出てから七日が過ぎていた。蓮如たちは、まだ着いていなかった。慶覚坊は加賀の国が無事である事を祈りながら、蓮如たちが到着するのをイライラしながら待っていた。
蓮如たちがのんきに上宮寺に到着したのは、次の日の十日の夕方だった。風眼坊は勿論の事、蓮如も順如も慶聞坊も町人姿であり、お雪ともう一人若い女が一緒だった。その女は顕証寺の下女だというが、どうも、順如の妾のようだった。一行は楽しそうに笑いながら上宮寺の門をくぐって来たが、門の脇に薙刀を杖代わりにして立っている慶覚坊を見て驚き、皆、目を点にした。
「出迎え、御苦労」と風眼坊はふざけながら言った。
「随分、ごゆっくりじゃったのう」と慶覚坊は言った。
「何かあったのか」と蓮如は真顔で聞いた。
慶覚坊はゆっくりと頷いた。
「一体、何があったのです」と順如が聞いた。
「中でお話します」と慶覚坊は言って皆を案内した。
風眼坊とお雪はお互いを見ながら頷き合った。
蓮如が三河の国に来たのは、勿論、次の本拠地を三河にしようと思って、本願寺別院を建てるべき恰好の地を捜すためだった。本願寺の本院は京の近くに建てたかったが、まだ、京の近辺は戦が完全に終わっていないので危険があった。後二、三年は、この三河にいて京の様子を見ながら、その後、本院を再建しようと考えていた。ところが、それどころではなくなった。加賀の国で、門徒と守護が戦を始めようとしている。その原因となったのが、蓮崇に関する噂だというのだった。蓮崇が門徒たちを扇動して戦を始めようとしているという。一体、誰が、何のために、そんな噂を流したのか分からないが、何としてでも門徒たちに戦をさせるわけにはいかなかった。早く帰って止めなければならない。せっかく、ここまで来たが、新しい地を捜す前に戻らなければならなかった。
蓮如は三河の門徒たちに大歓迎された。最初の予定では五日位、三河にいて、各寺院を巡るつもりだったが、さっそく、次の日の朝、戻らなければならなくなった。その日の晩、近くの坊主たちだけを集めて蓮如は法話を行ない、会食をした。吉崎の事を聞き、三河の坊主たちは自分たちも一緒に行くと騒ぎ出したが、蓮如は断った。
次の朝、生憎の雨降りの中、蓮如一行は三河の門徒たちに見送られ、夜明けと共に、真っすぐに吉崎へと向かった。
5
門徒たちの騒ぎは治まった。
吉崎の多屋衆たちは蓮崇の作戦を聞こうと蓮崇の多屋に集まって来た。
蓮崇はまず、敵の動きを確実につかまない限り、北加賀の二の舞に成りかねないと言い、軽海の守護所を初め、敵の城に探りを入れる事を提案した。また、一ケ所に大勢が武装して集まると、北加賀のように敵に夜襲を受ける事に成りかねないので、一ケ所に固まらないで分散したままで待機し、二十五日の講を待つようにと言った。
蓮崇の多屋に蓮崇の家族たちが見えない事を皆、不思議そうにしていたが、蓮崇は、妻の母親の具合が悪くなったので見舞いにやったとごまかした。こんな騒ぎが起こる前に、本泉寺に行ったのだが、戦が終わるまでは向こうにいてもらうつもりだ。今回はここも戦場になるかもしれないので、女子供たちは避難させた方がいいと言った。
多屋衆たちは、蓮崇の取り越し苦労だ、去年の時のように、大勢の門徒たちで軽海と野々市を包囲してしまえば、吉崎を攻めて来る余裕などないと笑った。
多屋衆たちは勿論の事、他の有力門徒たちも、今、蓮如が吉崎にいないという事を知らなかった。蓮崇は、噂を聞いた門徒たちが吉崎に集まって大騒ぎになった日より、御坊の山門を堅く閉ざしたまま誰も中には入れなかった。蓮崇が書いた偽の書状によって、ようやく騒ぎが治まっても山門は堅く閉ざされたままだった。
今日は八月の十一日だった。慶覚坊が蓮如を捜しに出掛けてから九日が経っていた。
蓮如に会う事ができただろうか。
もし、大津の顕証寺で会う事ができれば、もうそろそろ戻って来るはずだった。一応、騒ぎは治まったが、早く戻って来てもらいたかった。しかし、蓮如が戻って来れば、蓮崇の破門は確実だった。たとえ、噂が嘘であったとしても、門徒たちはその嘘を信じ、蓮崇を大将として戦を始める準備をしている。戦を止めるには、蓮崇を破門にする以外に方法はなかった。
掟を破った事により、蓮崇を門徒たちへの見せしめとして破門にすれば、国人門徒たちも静かになるに違いない。蓮如に一番信頼されているといわれている蓮崇が破門になるという事は、この先、誰もが破門になる可能性があるという事を意味していた。国人門徒たちにとって破門になるという事は死を意味している。本願寺の組織の中で、勢力を強めて行った国人門徒たちは破門を言い渡されれば、配下の門徒を失うだけでなく、門徒となった家臣たちからも見放され、先祖代々の土地も失い、追放される事になる。門徒たちにとって破門程、恐ろしいものはなかった。
多屋衆たちが引き上げた後、蓮崇は自分の多屋の客間の一室に座り込んで、塀の向こうに並ぶ四つの蔵を眺めていた。
四つの蔵の内の一番右は米蔵で、中にはたっぷりの米と味噌が入っていた。次の蔵は物置で、普段、使わないお膳や器類、吉崎に出入りする商人たちから貰った数々の貴重な品々、そして、吉崎に来てから溜め込んだ銭がしまってあった。銭の一部は本泉寺に帰った妻に持たせたが、まだ、たっぷりと残っていた。次の蔵は武器庫だった。武器庫はほとんど空っぽだった。湯涌谷衆と木目谷衆が越中に逃げた時、蔵の中の武器を能登を経由して越中に送り、残った武器は吉崎を守る警固兵に渡してあった。最後の蔵は密会に使うもので、中には何もなかった。蓮崇は一つ目と二つ目の蔵の中の物は、本願寺に寄進するつもりでいた。
今、客間には誰もいなかった。
蓮崇は蔵を眺めながら過去を振り返っていた。
子供の時の事を思えば、今の自分が、まるで嘘のように感じられた。
今まで、いい夢を見ていたんだ。そろそろ夢が覚める頃だ。ただ、昔のように無一文になるだけだ。どうって事ない。蓮崇はそう自分に言い聞かせていた。しかし、夢を見ている時間が長すぎた。蓮崇はもう四十一歳になっていた。四十一歳になって無一文になるというのはきついものがあった。しかも、蓮如との縁も切れてしまう。今まで、蓮如のためだけに生きて来た自分は、一体、これから、どうやって生きたらいいのか分からなかった。今の自分があるのは蓮如のお陰であり、蓮崇にとって蓮如は阿弥陀如来そのものだった。
蓮崇は越前麻生津(アソウヅ、浅水)の貧しい農家に生まれた。父親は知らない。安芸左衛門尉(アゲサエモンノジョウ)と名乗る武士だと母から聞いた事があるだけだった。母親が熱心な門徒だったため、七歳の時、和田の本覚寺(ホンガクジ)に預けられた。小僧として入ったわけではなかった。毎日、朝早くから夜遅くまで雑用をやらされた。それでも、飯だけは腹一杯食べられたので、子供の蓮崇には満足だった。本覚寺での蓮崇の身分は下人だった。夢など見る事もなく、毎日、辛い仕事に耐えていた。
そんな蓮崇に最初の転機がやって来たのは十五歳の時だった。加賀二俣の本泉寺の住職、如乗(ニョジョウ)が本覚寺にやって来た。如乗は本覚寺にしばらく滞在して、越前の門徒たちと会っていた。どういういきさつがあったのか分からないが、如乗が帰る時、蓮崇も如乗と一緒に行く事となった。蓮崇はただ命ぜられるまま、如乗と一緒に二俣本泉寺に向かった。
如乗が北陸に進出して来たのは、蓮崇と会う八年前だった。如乗は初め、越中井波の瑞泉寺の住職となって北陸に来た。瑞泉寺は立派な寺院だった。瑞泉寺は如乗の祖父、綽如(シャクニョ)が創建したものだったが、五十年もの間、本願寺から誰も下向しなかったため、突然、如乗が住職として下向したとしても、長い間、瑞泉寺を管理していた者たちの反発に合い、居心地の悪いものだった。また、瑞泉寺は純粋な浄土真宗の寺院ではなかった。
綽如の頃、ようやく本願寺は親鸞聖人の廟所(ビョウショ)から寺院として独立する事ができ、綽如は本願寺を寺院としての形を整える事に必死だった。本願寺が天台宗に属していたため、当然、瑞泉寺は天台色の強いきらびやかな寺院となった。井波を含む砺波(トナミ)郡は、越中と加賀の国境に聳(ソビ)える医王山(イオウゼン)惣海寺の勢力範囲にあったが、同じ天台宗の念仏門という事で、何の苦情もなく建てる事ができた。そして、門徒となったのは同じ念仏門の時宗の徒だった。
長年、瑞泉寺を守って来たのは、綽如の弟子だった杉谷慶善(キョウゼン)の娘の如蓮尼(ニョレンニ)だった。如蓮尼は浄土真宗ではなく時宗だった。如蓮尼はすでに六十歳を過ぎ、綽如の孫である如乗が瑞泉寺に来た事を喜んでくれたが、堂衆の中には快く思わない者も多かった。
如乗は翌年、加賀の二俣に新しく本泉寺を建てて、瑞泉寺から離れた。
本泉寺に移ってから蓮崇は如乗のもとで出家して、心源(シンゲン)という法名を貰った。もう下人ではなかった。蓮崇は常に如乗の側近くに仕え、如乗から読み書きも教わった。自分が字を習うなんて、今まで考えてもみなかった。字が読める人というのは偉い人だった。自分もその偉い人の仲間入りができるのだった。蓮崇は毎日、夜遅くまで一生懸命、手習いに励んだ。
蓮崇は如乗の供をして山の中を歩き回って門徒を増やして行った。湯涌谷、木目谷を開拓したのも如乗だった。その頃、蓮崇はまだ部屋住みだった蓮如に出会った。
蓮如は度々、本泉寺に現れ、如乗と共に加賀や越中の道場を巡って門徒たちに説教をしていた。蓮如と如乗は叔父と甥の関係だったが、年は三つしか違わず、蓮崇から見たら、仲のいい兄弟のようだった。蓮崇は如乗から、蓮如は本願寺の八代目を継ぐお人だと聞かされていた。でも、蓮崇にとっては蓮如よりも如乗の方が大切な人だった。
蓮崇は如乗のもとで読み書きだけではなく、本願寺の教えも充分にたたき込まれた。
本泉寺に来て十年目、二十五歳の時、如乗の執事である下間玄信の娘、妙阿(ミョウア)を嫁に貰った。嫁を貰ったというよりも、蓮崇が下間玄信の婿になったという方が正しい。その時から蓮崇は安芸(アゲ)心源から下間心源に変わった。嫁の妙阿は十七歳の可愛い娘だった。しかも、下間家という古くから本願寺の執事を勤めている家柄の娘だった。そんな家柄の娘を嫁に貰えるなんて、まるで夢のような気分だった。その頃の蓮崇は毎日が輝いていた。
ところが、翌年、恩人の如乗が急病に罹って亡くなってしまった。四十九歳であった。跡継ぎに恵まれなかった如乗の妻の勝如尼は、蓮如の次男、蓮乗を養子として育てていた。蓮乗が跡を継ぐ事に決まったが、蓮乗はまだ十五歳だった。
蓮崇は父親のように慕っていた如乗の死から、なかなか立ち直れなかった。まだまだ、如乗から教わるべき事が色々とあった。如乗がいなくなり、これから、どうしたらいいのか分からなかった。
如乗の死の翌年、長女のあやが生まれた。蓮崇は初めての我が子を可愛がった。あやのお陰で、如乗を失った悲しみを癒す事ができた。
その年の末、大谷の本願寺で、蓮如によって親鸞聖人の二百回忌が大々的に行なわれた。勝如尼は京都まで出掛け、帰りに十二歳の蓮綱と七歳の蓮誓を本泉寺に連れて来た。蓮崇は勝如尼と共に蓮乗を補佐しながら、蓮綱と蓮誓の二人の面倒を見ていた。
翌年、蓮崇は勝如尼から、湯涌谷の道場に行ってくれと頼まれた。蓮崇は自分などに道場主を勤める事はできないと断ったが、それは、亡くなった如乗の希望だったという。勝如尼は亡くなる前、その事を如乗から聞き、蓮崇なら大丈夫だろうと同意していた。ところが、突然、如乗が亡くなってしまい、今まで伸びてしまったが、ぜひ、湯涌谷に行ってほしいと頼まれた。蓮崇は受ける事にした。
湯涌谷の道場に移ってから五年目、流行り病に罹って長女のあやが亡くなった。蓮崇は悲しみに打ちひしがれた。そんな時、蓮如が本泉寺にやって来た。蓮崇は救いを求めて蓮如に会った。十二年振りの再会だった。お互いに変わっていた。蓮崇は道場主となり、蓮如は本願寺の法主となっていた。蓮崇は久し振りに蓮如と会い、蓮如が一回りも二回りも大きくなったように感じられた。
如乗が亡くなってから、蓮崇は誰にも頼らずに道場を守って来た。しかし、蓮崇という人間は、自分で何かをするよりも、誰かのために一心に働いていた方が才能を発揮する事のできる人間だった。実際、道場主を任された時よりも、如乗のために働いていた時の方が生き生きとしていた。それは自分でも気がついていた。
蓮崇は、蓮如のために生きようと決心し、無理を言って蓮如の東国への旅に付いて行った。旅から帰って来ても、大津の顕証寺にて蓮如の側に仕えた。蓮崇は改めて蓮如から法名を貰い、下間頼善と共に執事として活躍した。
そして、吉崎に進出。
如乗と出会ってから三十四年が過ぎていた。長いようで短い三十四年だった。如乗と会っていなければ、今の蓮崇はなかった。そして、如乗のお陰で、蓮如という度偉い人に会ったという事が、蓮崇の人生に取って一番重要な事だった。
その蓮如と別れなければならなかった。破門されたら、もう二度と会う事はできないだろう。お互いに生きていながら、会う事ができない程、辛い事はなかった。
蓮崇は蓮如に早く会いたかった。しかし、それは、別れを意味していた。
蓮崇は独り、薄暗くなった部屋の中で、蓮如と共に生きて来た自分の姿を思い出していた。
30.吉崎退去1
1
吉崎御坊が夕焼けの中に浮かんで見えた。
蓮如の一行が吉崎に帰って来たのは八月十八日の黄昏(タソガレ)時だった。吉崎は厳重に警固され、武装した門徒の数は増えていたが、不気味な程に静かだった。
一行は大津顕証寺の順如を先頭に、蓮如は慶覚坊と慶聞坊の間に隠れるようにしながら、厳重な警固の中を通り抜けた。順如がはるばる近江からやって来た事はすぐに噂になり、門徒たちは、いよいよ、戦が始まる事を改めて確信していた。
総門の前で、風眼坊とお雪は蓮如たちと別れた。かなりの急ぎ旅だったとみえて、さすがに、お雪は疲れた顔をしていた。
「やっと、帰って来たな」と風眼坊は我家の前に立つと言った。
お雪は笑った。疲れた、とは言わなかった。旅の途中でも、順如の連れのお駒は、疲れた、疲れたと連発して順如を困らせていたが、お雪は一度も弱音を吐かなかった。本当に気の強い女だった。
風眼坊も笑いかけ、二人は我家に入って行った。
北門の所まで来て、慶覚坊は蓮崇の多屋に向かった。普通なら蓮崇は本坊にいるはずだったが、今の状況を考えて、何となく、多屋にいるような予感があった。
慶覚坊が顔を出すと、やはり、蓮崇はいた。蓮崇は仏間で念仏を唱えていた。慶覚坊の顔を見ると溜息をついて、顔を撫で、慶覚坊に笑いかけた。何日も寝ていないような、やつれた顔付きだった。
蓮崇を先頭にして、順如、お駒、慶聞坊の三人は北門をくぐり、坂道を登って御山に向かい、蓮如と慶覚坊は墓場の中にある古井戸から抜け穴を通って御山に戻った。
蓮如と順如たちが庫裏にて旅支度を解いている間、蓮崇と慶覚坊は書院の対面所で待っていた。
「どんな様子じゃ」と慶覚坊は聞いた。
「今の所、一応、騒ぎは治まった」と蓮崇は言った。
「守護側はどうじゃ」
「戦の準備を始めておる。敵は、いよいよ、ここを攻める気でおる」
「なに、ここをか」
「ここだけじゃない。本泉寺、松岡寺、光教寺もじゃ」
「敵は攻撃目標を国人門徒から本願寺の一門寺院に変えたのか」
「そういう事じゃ。敵も切羽(セッパ)詰まった所まで来ておる。一気に本願寺の一族を殺す気でおる。本願寺一族がおらなくなれば、本願寺は自然消滅すると考えておるんじゃ」
「とうとう、そこまで来たか‥‥‥どうするつもりじゃ」
「上人様を初め、蓮綱殿、蓮誓殿に逃げてもらうしかない」
「蓮乗殿もじゃろう」
蓮崇は首を振った。「蓮乗殿は瑞泉寺におられる。越中におれば、今の所、安全じゃろう。全員が引き上げてしまったら門徒たちも淋しいじゃろう。蓮乗殿には瑞泉寺におってもらった方がいいと思うんじゃが」
「そうじゃな。蓮乗殿が瑞泉寺に残っておるだけでも心強いからのう」
「さっき、松岡寺と光教寺に使いを出した。明日一番に二人共、ここに来るじゃろう」
「手回しがいいのう」と言って、慶覚坊は軽く笑った。
蓮崇は笑い返す事もなく慶覚坊を見つめた。「のんびりしておる暇はないんじゃ。敵は二十四日に攻めて来る」
「なに、二十四日、そいつは確かか」慶覚坊は真顔になって聞き返した。
「確かじゃ。二十四日は講の前日じゃ。有力門徒たちが大勢、ここに集まる。敵は総攻撃を掛けて一気に潰すつもりじゃ」
「という事は夜襲じゃな」
「その可能性もある。湖の方から舟で攻めて来て、火を掛けるかもしれん」
「そして、逃げて来る者を陸の方で待ち受けて倒すというわけじゃな」
蓮崇は厳しい顔で頷いた。「その前に、上人様には逃げて貰わんとならん」
「うむ、そうじゃな。そろそろ、ここを離れる潮時(シオドキ)かもしれんのう‥‥‥もしかしたら、上人様もその事に気づいて、今回、急に三河まで行ったのかもしれん」
「なんじゃと、上人様は三河まで行ったのか」今度は蓮崇が驚いて、慶覚坊に聞いた。
慶覚坊は頷いた。「佐々木の上宮寺でやっと会えたんじゃ」
「三河か‥‥‥上人様は三河に進出なさるおつもりなのか‥‥‥」
「かもしれん。まだ、京に戻る事はできんからのう。三河にもかなりの門徒がおるから移るつもりでおるのかもしれん」
「ここと違って、三河は冬が厳しくないしのう」
「そうじゃな。上人様は、ここの冬の厳しさにはこたえておったようじゃった」
「上人様も達者でおるが、もう六十を越えておるからのう。暖かい所の方がいいじゃろう」
「そうじゃ‥‥‥ところで、おぬしはどうするつもりじゃ」
蓮崇は力なく笑って、「わしは破門じゃ」と言った。
「他に方法はないのか」
「ない」
慶覚坊は蓮崇の顔を見つめた。
蓮崇は俯いたままだったが、もう覚悟を決めているようだった。
「噂を流した奴らは分かったのか」
「分からん。もう、そんな事、どうでもいいんじゃ。分かったとしても、もう、どうにもならん」
「しかし、身に覚えのない事で破門になる事もあるまい」
「身に覚えのない事でも、今、現実に門徒たちは、わしを大将として守護に立ち向かおうとしておる。大将に祭り上げられた、このわしを破門にしない限り、門徒たちを止める事はできんじゃろう」
慶覚坊は何も言えなかった。
「いい夢を見させてもらったと思って、諦めるわ」
「これから、どうするつもりなんじゃ」
蓮崇は首を振った。「分からん‥‥‥」
慶覚坊は、破門を覚悟している蓮崇に向かって、何と言ったらいいのか分からなかった。
慶覚坊は立ち上がると部屋から出て、広縁から御影堂(ゴエイドウ)の方を眺めた。
風が心地よかった。
もう秋だった。夕闇の中、秋の虫が鳴いていた。
「でっかい狸がおったのう」と慶覚坊は突然、言った。
「はあ?」と蓮崇は顔を上げた。
「この辺りの木を切り払った時、でっかい狸が出て来たのう」
「おう、あの狸か、確かに、でっかかったのう‥‥‥わしは熊かと思ったわ」
この吉崎御坊を建てる前、この丘の上に大きな狸が住んでいた事をふと、慶覚坊は思い出したのだった。あれから四年余りが経っていた。
蓮如と順如が現れたのは、半時(ハントキ、一時間)程経ってからだった。
蓮崇は二人に、今までの事の成り行きを説明した。説明の途中で、蓮崇は自ら書いた偽の書状を蓮如に渡した。蓮如はそれを読むと順如に渡した。
「申し訳ありません。騒ぎを静めるためには、上人様の一声が、どうしても必要だったのです」蓮崇は深く頭を下げた。
「それで、騒ぎは治まったんじゃな」と蓮如は聞いた。
「はい‥‥‥申し訳ありません」
「面を上げよ。おぬしが悪いのではない。わしが勝手に留守にしたからじゃ。しかし、今度の講で発表する重大な事というのは、どういう意味じゃ」
「仕方なかったのです。門徒たちが武器を手にして騒ぎ出し、その騒ぎを静めるにはそうするしかなかったのです。もし、あの時、門徒たちに武器を捨てて守護に敵対するのをやめろ、と命じれば、かえって逆効果に成りかねなかったのです。門徒たちの中には、上人様の言う通りに武器を捨てる者もおったでしょう。しかし、飽くまでも戦うと言い張る連中も出た事でしょう。門徒たちは二つに分かれて争いを始める可能性があったのです。上人様が帰って来るまで門徒たちを静めて置くには、そう書くしかありませんでした」
「そうか‥‥‥」
「蓮崇、この書状は、そなたが書いたと言うのか」と順如が驚きながら聞いた。
蓮崇は頷いた。
「そっくりじゃ。誰が見ても、これは親父の字じゃ。そなたに、こんな才能があったとはのう」
「申し訳ありません」と蓮崇はまた謝った。
「おぬしが謝る事はない。一体、誰が、そんな噂を流したんじゃ」と蓮如は聞いた。
「分かりません」
「門徒の誰かが、戦を始めるために、そんな噂を流したのでしょうか」と順如が言った。
「その可能性もありますが、多分、違うと思います」と蓮崇は答えた。
「と言うと、何のために流したんじゃ」
「それは‥‥‥」
「蓮崇殿を陥れるために、あんな噂を流したのだと思います」と慶覚坊が答えた。「上人様は先月、六ケ条の掟を発表なされました。掟を破る者は破門にするとおっしゃいました。そこで、蓮崇殿を破門に陥れようと、あんな噂を流したのだと思います。噂を聞けば、門徒たちが蓮崇殿を非難して、蓮崇殿は破門になると考えたに違いありません。ところが、意に反して、門徒たちは蓮崇殿に同意して武器を取りました」
「どうして、蓮崇を破門にしなければならんのじゃ」
「本願寺は大きくなりました。本願寺には地位というものはありませんが、門徒たちから見れば、蓮崇殿というのは本願寺の中でも最も偉い人だと思っております。そんな蓮崇殿を妬(ネタ)む者が現れて来ておるのです。すでに、吉崎の多屋衆たちの間にも、つまらん派閥などが出来て勢力争いが始まっておるのです」
「と言う事は、噂を流した者というのは、この吉崎におる身内なのか」
慶覚坊も蓮崇も順如の問いに答えなかった。
「詮索はもういい」と蓮如は言った。「それよりも、これから、どうするかじゃ」
「上人様、お願いです。今月の講の前に、ここから退去して下さい」と蓮崇が言った。
「なに?」
「ここは危険です。敵が攻めて来ます。その前に退去して下さい。お願い致します」
「敵がここに攻めて来る?」
「はい。敵も必死になっております。幸千代の二の舞になる前に、本願寺を潰そうと思っております。敵は本気で上人様を殺すつもりなのです。蓮綱殿、蓮誓殿と御一緒に、この北陸の地から離れて下さい」
「わしらをここから追い出して、戦を始めるつもりなのか」
「いえ‥‥‥今すぐ、わたしを破門にして下さい」
「なに、破門じゃと?」
「はい。それしか方法がありません。戦をやめさせるには、それしか方法がないのです。わたしが破門になって、上人様が吉崎からおらなくなれば門徒たちも静まり、守護側も少しはおとなしくなると思います」
「おぬしは何も破門になるような事をしとらんじゃろう。そんな者を破門にするわけにはいかん」
「今、門徒たちは静かにしておりますが、皆、戦の準備をして、今度の講の時、上人様の口から、戦の命令が下されるのを待っておるのです。今度の講で、上人様が、武器を捨てよ、と命じたとしても、門徒たちは、黙って上人様の言う事を聞くとは思えません。わたしを破門しない限り、門徒たちは、上人様は表ではああ言っておるが、本当は裏で、わたしに戦を命じておるに違いないと勝手に解釈して蜂起するでしょう。門徒たちに戦をさせないためには、わたしを破門するしかないのです」
「破門になれば、おぬしは、ここにおられなくなるのじゃぞ」
「覚悟しております」
「家族はどうするんじゃ」
「離縁して本泉寺に送りました。家族たちに害が及ばないように、何とぞ、お願い致します」
「おぬしはどうするんじゃ」
「まだ、決めておりません。しかし、わたしは元々、貧しい農家の生まれです。本当なら、ただの門徒の一人に過ぎないでしょう。それが、上人様の側近く仕える事ができました。それだけで充分、満足しております。やるべき事は皆、やって参りました。少々早いですけど、隠居したつもりで、どこか静かな所で、ひっそりと生きて行きます」
「そうか‥‥‥」と蓮如は蓮崇をじっと見つめ、しばらくしてから頷いた。「それ程までに覚悟を決めたのなら仕方ないのう‥‥‥おぬし程の男を手放したくはなかったが、すまんのう。本願寺のために身を引いてくれ」
「はっ、色々とお世話になりました」
「それは、こっちの言う事じゃ」
「破門になっても、上人様の教えは決して忘れません」
「‥‥‥達者で暮らせよ」
慶覚坊と順如は二人のやり取りを黙って見ていた。二人とも目頭が熱くなっていた。
蓮崇は蓮如に深く頭を下げ、次に順如に向かって頭を下げ、そして、慶覚坊にも頭を下げると静かに部屋から出て行った。
「蓮崇が破門か‥‥‥」と順如は言った。
順如にも一つだけ蓮崇との思い出があった。蓮崇が大津の顕証寺にいた頃、一度だけだったが一緒に盛り場に出て遊んだ事があった。
順如は初めの頃、蓮崇の事が好きではなかった。蓮如の顔色ばかり窺って、いつも、ちょろちょろしている蓮崇が気に入らなかった。順如は蓮崇と口も利かなかったが、ある時、蓮崇の方から声を掛けて来た。順如に盛り場に連れて行ってくれと頼んで来た。順如は断ろうと思ったが、蓮崇が何か悩んでいたようだったので一緒に行く事にした。その時、何を悩んでいたのか、今もって分からないが、蓮崇は大いに酒を飲んで騒いだ。順如も酒は強いが、蓮崇も強かった。いつの間にか気が合って、二人は一晩中、飲み明かした。二人で歌を歌いながら朝帰りをして、二人揃って蓮如に怒られた。その日以来、二人の間に溝は無くなり、蓮崇はよく順如の所に来ては無駄話をしたりしていた。蓮崇と一緒に酒を飲んだのは、その時だけだったが、その時の蓮崇の馬鹿騒ぎは、七年も経った今でも昨日の事のように思い出された。
「明日の朝、蓮綱殿と蓮誓殿が、ここに来る手筈となっておるそうです」と慶覚坊は蓮如に言った。
「蓮崇が呼んだのか」
「はい」
「わしは疲れた。先に休む」蓮如はそう言うと部屋から出て行った。
「辛いでしょうね」と順如は慶覚坊に言った。
「蓮崇殿は上人様の片腕じゃったからのう」
「片腕以上でしょう。身内と言ってもいい位です」
「身内か‥‥‥かもしれんのう。上人様がここに来て、よく旅に出たのも蓮崇殿がおったから、安心して出掛けたんじゃろうのう」
「慶覚坊、蓮崇の所に行ってみないか」と順如は言った。
慶覚坊は順如を見た。
順如は笑って、「一緒に酒が飲みたくなった」と言った。
慶覚坊は頷いた。「いいでしょう。行きましょう」
月が出ていた。
蓮崇は月を見上げながら泣いていた。拭いても拭いても涙が流れて来た。
色んな事が思い出された。
蓮崇は振り返って、蓮如のいる書院の方を見ると両手を合わせた。念仏を唱え、頭を下げると、涙を拭いて山門を出た。
夜風に吹かれながら、ゆっくりと坂道を下りて行った。もうこの坂を登る事も下りる事もないだろうと思いながら、両側に並ぶ多屋を眺めながら、ゆっくりと下りて行った。
北門をくぐると、足は自然と風眼坊の家の方へと向かった。破門となった今、蓮崇が頼れる者は風眼坊より他になかった。
風眼坊とお雪の二人は風呂から上がって縁側で涼んでいた。
蓮崇は無理に笑顔を作って、二人の側に行った。
「いい夜じゃな」と蓮崇は言って、風眼坊の隣に腰を掛けた。
「騒ぎは、うまく静まりそうか」と風眼坊は聞いた。
「ああ、大丈夫じゃ。何とかなりそうです」
「そうか、よかったのう」
「風眼坊殿、頼みがあるんじゃ。わしを軽海まで連れて行ってくれませんか」
「軽海? 軽海といえば守護所のある所じゃろう。敵の本拠地に何か用があるのか」
「はい。最後のお勤めです」
「最後のお勤め? 何じゃ、そりゃ」
「わしは破門になったのです」
「破門? 蓮崇殿が破門? 何を言ってるんじゃ。そんな事、あるわけないじゃろう」
「いや、本当の事です」
蓮崇は詳しく説明した。
「蓮崇殿が破門とはのう」風眼坊はお雪と顔を見合わせてから、「これから、どうするつもりなんじゃ」と聞いた。
「まず、軽海に行って、それから、本泉寺に行って家族に別れを告げ、それから先の事は決めておりません」
「そうか‥‥‥蓮如殿もここからおらなくなるんじゃ、わしらもここを離れる事にするかのう」
「風眼坊殿もここを離れるのですか」
「蓮如殿のおらん吉崎におっても、つまらんしのう。どうじゃ、お雪、わしらも出る事にせんか」
「あたしは構いませんけど、どこに行くのです」
「播磨じゃ」
「播磨?」と蓮崇が聞いた。
「播磨にわしの伜(セガレ)がおるんじゃ。何でも赤松家の武将になったと聞くからのう。一目、会って来ようと思ってのう」
「息子さんが播磨におるんですか‥‥‥風眼坊殿、わしも一緒に連れて行ってくれませんか」
「それは構わんが‥‥‥」
「わしは、なるべく、この地から遠くに行きたい心境なんじゃ。知らない土地に行って、知らない人たちの中で静かに余生を送ろうと思っておるんじゃ」
「余生などと言うな。蓮崇殿はまだ若い。今からでも、充分、やり直しが利くわ」
「そうかもしれんが、今は無理じゃ。急に力が抜けたようで何をする気にもならん。とにかく遠くに行ってから、これからの事を考えるわ」
「まあ、そうじゃろうな。今まで本願寺のために生きて来た蓮崇殿に、急に生き方を変えろと言っても無理な事じゃ。しばらく、何も考えないで、のんびりする事じゃ」
「はい」
「ところで、最後のお勤めとは一体、何じゃ」
「実は軽海の山川三河守が、二十四日、吉崎に攻めて来るのです。それを何としてでも止めなくてはなりません」
「敵もとうとう吉崎を潰す気になったか‥‥‥しかし、敵を止める事などできるのか」
「できると思います。三河守が吉崎を攻める事に決めたのは、わしが書いた偽の書状を読んだからです。やられる前に倒せという切羽(セッパ)詰まった所まで来たからです。しかし、三河守の考えていた筋書通りに、わしが破門となって、上人様が吉崎から去って行けば、三河守は吉崎を攻める事はないでしょう。三河守は北加賀の槻橋とは違います。武力で門徒たちを押えようとはしません。なるべく、門徒たちと仲良くやる振りをしながら、門徒たちを骨抜きにしようとたくらんでおります。現に、三河守によって超勝寺の連中は骨抜きにされております。上人様とわしがおらなくなれば、三河守は超勝寺の連中を吉崎に送り込んで、門徒たちを懐柔して来るでしょう。そのためには、上人様のおらぬ吉崎を攻めて、わざわざ、門徒たちの恨みを買うような事は絶対にしないはずです」
「うむ、言えるな。そこで、そなたが三河守と会って事実を告げるというわけか」
「そのつもりです。本願寺を破門になった、わしなど殺しても意味ないから、安全だとは思いますが、一人で行くのは何となく心細いので、風眼坊殿にお願いに来たわけです」
「そうか、どうせ、わしらもここを離れる事に決めたんじゃ。蓮崇殿に付き合うわ」
「あのう‥‥‥」とお雪が言った。
「何じゃ」と風眼坊が聞いた。
「軽海だけは、あたし、行きたくはないんです‥‥‥」
「なぜじゃ‥‥‥ああ、そうか。すっかり、忘れておった。お前は富樫次郎の側室(ソクシツ)だったんじゃのう。お前の顔を知っておる奴がおらんとも限らんのう。まずいな」
「富樫次郎の側室?」と蓮崇は驚いて、聞き返した。
「蓮崇殿は知らなかったか。実は、お雪は富樫次郎の側室だったんじゃが、わしが一目惚れしてのう。一乗谷から、さらって来たんじゃよ」
「次郎の側室をさらって来た? 風眼坊殿も物騒な事を平気な顔をして言うのう。たまげたわ」
蓮崇は急に笑い出した。
「そんなに可笑しいか」
「いや、思い切った事をするもんじゃと感心しておるんじゃ。わしも、そんな事を一度でいいからやってみたいわ‥‥‥そう言えば、一乗谷から次郎の側室が消えたと大騒ぎしておったわ。あの下手人は風眼坊殿じゃったのか‥‥‥そして、側室というのはお雪殿じゃったのか‥‥‥こいつはたまげたわ」
「しかし、困ったのう。お雪を連れて軽海には行けんのう」
「城下には入らずに、どこかで待っておってもらうしかないかのう」
「あたし、男に化けようかしら」とお雪は言った。
「男に化ける?」と風眼坊はお雪の顔を眺めた。
「うーむ。結構、似合うかも知れんのう」と蓮崇は言った。
風眼坊は、飯道山に行った時、奈美の屋敷で見た金勝座の芝居を思い出していた。金勝座(コンゼザ)の舞姫たちが男装して踊っていたが、なかなか艶(ナマメ)かしかったのを覚えていた。お雪の男装姿を想像して、蓮崇の言う通り、結構、似合いそうだと思った。
「よし、それで行こう。お雪ではなくて、雪之介じゃ。風間雪之介じゃ」
「風間雪之介か、いい名じゃ‥‥‥ところで、どうして風間なんじゃ」
「風間というのは、わしの姓じゃ。山伏をやめたのに、いつまでも風眼坊ではおかしいんで、そろそろ、風間小太郎という本名に戻るかと最近、考えておったんじゃ」
「そうか、そう言えば、わしも本願寺を破門になって、下間蓮崇ではおかしいのう。わしも本名に戻るべきかのう」
「本名は何と言うんじゃ」
「安芸(アゲ)左衛門太郎じゃ」
「安芸左衛門太郎、ほう、随分、偉そうな名前じゃのう」
「親父の名前が安芸左衛門尉(サエモンノジョウ)といったらしい。わしは会った事もないが武士だったそうじゃ。お袋は親父の事はあまり喋らなかった。お袋は十五歳でわしを産み、わしはお袋の弟として育てられたんじゃ。随分と貧しかったが、わしが殺されなかったのは、親父の家から、わしを貰い受けるという話があったらしい。しかし、それは実現しなかった。七歳になった時、わしは本覚寺に出された。そのすぐ後、お袋がどこかに後妻に入ったと聞いた。お袋は一度だけ、本覚寺に会いに来てくれたが、それ以来、会う事はできなかった」
「そうじゃったのか‥‥‥わしはまた、下間という姓から、生れつき本願寺において、いい家柄に生まれたものと思っておった。蓮崇殿も苦労しておるんじゃのう」
「苦労なんてしてはおらんが、子供の頃の事を思えば、今の自分は信じられん位に出世した。破門となっても思い残す事はないわ」
「お母様は、今も生きてらっしゃるのでしょう」とお雪が聞いた。
蓮崇は首を振った。「わしが上人様の側近くに仕える事となって、上人様が吉崎に進出する前、わしは用を頼まれて本覚寺に行ったんじゃ。その時、自分の姿を一目見てもらおうと、お袋を訪ねたんじゃが、すでに亡くなっておった。話を聞いたら、お袋は後妻に入って三年もしないうちに亡くなっておったそうじゃ。わしがまだ本覚寺で小僧だった頃に、すでに亡くなっておったんじゃ。わしは全然知らなかった‥‥‥」
「御免なさい。思い出させちゃって‥‥‥」
「いや、いいんじゃよ‥‥‥しかし、何で、わしはお袋の話なんかしておるんじゃ」
風眼坊は首を振った。
「本名の話から始まったのよ」とお雪が言った。
「おお、そうじゃった。本名を名乗るかという話じゃったわ。安芸左衛門太郎殿じゃったな、いい名じゃ。それで、軽海にはいつ出掛けるんじゃ」
「できれば、明日の朝にでも」
「明日の朝か‥‥‥そいつは忙しい事じゃのう」
「まだ、わしの破門は公表されておりませんが、多屋衆たちがその事を知ったら、また、騒ぎになります。わしがここから消えれば、騒ぎも起きなくて済むでしょう。なるべく早く、ここから離れたいのです」
「成程。蓮崇殿に敵対しておる奴らは、それ見ろ、と蓮崇殿の多屋に押しかけて来る事になるのう」
「はい。その通りです」
「そうか‥‥‥明日の朝、出掛ける事になったが、お前、大丈夫か」と風眼坊はお雪に聞いた。
お雪は笑って頷いた。
「そうと決まれば、今晩は吉崎、最後の夜となるわけじゃ。酒でも飲まずにはおられまい。お雪、用意を頼む」
お雪は頷いて台所の方に行った。
「蓮崇殿も辛いじゃろうが、蓮如殿はもっと辛かった事じゃろうのう。まあ、上がってくれ」
二人が囲炉裏のある部屋に向かおうとした時、慶覚坊と順如が訪ねて来た。
「やっぱり、ここにおったのう」と慶覚坊は言いながら上がって来た。
「順如殿が蓮崇殿と酒を飲みたいと言ってのう。今、多屋の方に行ったんじゃが、まだ、帰っておらんと言う。それで、ここに来てみたんじゃが、やはり、ここにおったか」
「丁度いい。今から始める所じゃ」と風眼坊は二人を迎え入れた。
「蓮崇殿、悪いと思ったが、そなたの多屋から酒を貰って来た」と慶覚坊はとっくりを見せた。
「いいんじゃよ。足らなくなったら、わしも取りに行くつもりだったんじゃ」
囲炉裏を囲んで、ささやかな宴会が始まった。
誰も蓮崇の破門の事には触れなかった。それぞれが蓮崇との思い出を蓮崇と語った。
風眼坊とお雪は、二人の知らない蓮崇の話を聞いていた。
しばらくして、慶聞坊が酒をぶら下げてやって来た。蓮如を送って行った後、着替えるために、一度、自分の多屋に帰った慶聞坊は御山に登り、蓮崇の破門の事を聞いた。そして、自分の多屋に帰ったが、もしかしたら、もう二度と蓮崇に会えないかもしれないと思い、酒を持って蓮崇の多屋に行き、いなかったのでここに来たと言う。
慶聞坊も加わり、蓮崇、風眼坊、お雪に取って、吉崎、最後の夜は賑やかになった。宴もたけなわとなった頃、また、訪問者がやって来た。
蓮如であった。
「賑やかじゃと思ったら、みんな揃っておるのか」と言いながら蓮如は上がって来た。
「どうしたのです、もう休んだのでは」と順如が言った。
「いや、眠れなくてのう。つい、フラフラと出て来たんじゃ。わしも仲間に入れてくれ」
「親父、わしらがここにおると、どうして分かったんじゃ」
「なに、御山まで、お前の酔っ払った声が聞こえて来たんじゃよ」と蓮如は笑った。
「ほう。相変わらず、耳のいい事じゃのう」と順如も笑った。
もう、かなりの量の酒が入っていた。
蓮如の話から、蓮崇が蓮如に仕えるようになって七年になるが、二人が初めて会ったのは、もう二十年も前の事だと言う事を知った。蓮如は懐かしそうに、二俣の本泉寺にいた頃の若い蓮崇の事を話した。蓮崇はしきりに照れて、やめさせようとしたが、順如や慶覚坊は面白がって若い頃の蓮崇の事を聞いていた。
夜も更け、真夜中になっていた。
お雪は疲れたからと言って、先に休んでいた。
「達者でな」と蓮崇に言うと、蓮如はフラフラした足取りで立ち上がった。
珍しく酔っているようだった。伜の順如が蓮如を送って行った。
蓮如の後姿を見送りながら蓮崇は涙を浮かべていた。
慶覚坊は慶聞坊に二人を送るように頼んだ。慶聞坊は頷いて、二人の後を追った。
蓮崇は隠すようにして涙を拭くと、酒盃(サカヅキ)の酒を飲み干した。
「上人様はよく、夜になって、ここに来るのか」と慶覚坊が聞いた。
「いや、あんな遅くになって来たのは初めてじゃ」
「今日に限って、何でまた、遅くになって来たんじゃろう」
「蓮崇殿がここにおると思って来たんじゃないかのう」
「用があったのかのう」
「いや、蓮如殿は蓮崇殿を破門にした。破門にしてから、しばらくして、もう二度と蓮崇殿に会えないという事に気づいたんじゃろう。そして、上人様としてではなく、一人の人間として、もう一度、蓮崇殿と会って、別れを言いたかったのかもしれん」
「そうか、一人の人間としてか‥‥‥そう言えば、上人様は珍しく酔っていたようじゃのう」
「破門にしたくはないんじゃ‥‥‥」
「蓮崇殿が破門になり、上人様もおらなくなったら、この加賀は一体、どうなってしまうんじゃ。守護の思いのままになってしまうかもしれん」
「いや、大丈夫じゃよ」と風眼坊は力強く言った。「時は流れておる。時期を待つんじゃ。上人様がこの地に植え付けた教えは、そう簡単に消えはせん。上人様がどこに行こうと、門徒たちは守護に負けるような事はないじゃろう」
「風眼坊殿の言う通りです。門徒たちは負けないでしょう」と蓮崇も言った。
「そうじゃな。蓮崇殿の始めた組織作りを完璧にすれば、守護を倒す事もできるかもしれん」
「焦らず、気長に待てば、やるべき時はやって来るじゃろう」
慶覚坊と蓮崇は帰って行った。
風眼坊は、一年住む事もなく去る事となった我家を眺めていた。今まで、自分の家など持った事のない風眼坊にとって、我家というのはなかなかいいものだと思った。明日からまた、旅が続く事になる。お雪のためを思えば、どこかに落ち着いた方がいいのだろうが、ここを出たら、当分の間、宿無しだった。お雪には悪いが仕方ないと思いながら、風眼坊はお雪の隣にもぐり込んだ。
次の朝早く、蓮崇の多屋に慶聞坊がやって来た。
蓮如から頼まれたと言って、荷物を抱えていた。その荷物は、親鸞影像(シンランエイゾウ)と親鸞絵伝四幅(ヨンプク)だった。裏書(ウラガキ)の日付は八月八日になっていた。昨日のうちに書いたとしても、日付が十日もずれていた。そして、蓮崇の住所は吉崎でもなく、湯涌谷でもなく、蓮崇の生まれた越前の住所が書かれてあった。
蓮如は昨日、蓮崇に破門を言い渡した後、居間に帰って、やっとの思いで破門状を書いた。その破門状の日付が八月の十八日だった。破門状を書いた後、本願寺のために破門となる蓮崇のために何かを贈ろうと思った。丁度、手元に河内久宝寺(カワチキュウホウジ)道場の法円に下附(カフ)するはずの親鸞影像と親鸞絵伝があった。法円には悪いが、法円のための影像と絵伝は、改めて絵師に頼む事にして、それを蓮崇に贈る事にした。そして、裏書の日付を書く時になって、破門状と同じ日付ではまずいと思い、破門状の十日前の日付にしたのだった。
蓮崇は影像と絵伝に合掌し、そして、蓮如のいる御山に向かって合掌した。
蓮崇は慶聞坊に、蔵の中にある物をすべて、本願寺に寄進する事を告げ、蔵の鍵を渡した。慶聞坊が鍵を持って蔵の方に行くと、蓮崇は多屋で働いていた者たちの中の何人かを集め、急用ができて出掛けなければならなくなった。もしかしたら、今度の講までに帰れんかもしれん。その時は門徒たちの面倒をよく見てやってほしい、と告げた。破門の事は言わなかった。この者たちに言えば、あっという間に吉崎中に知れ渡ってしまう。二十五日の講までは内緒にしておきたかった。その後の彼らの事は、下間一族の長老である玄永(ゲンエイ)に任せてあった。
蓮崇は一人でここから出て行くつもりでいたが、弥兵はいつものように蓮崇の供をするつもりで旅支度をしていた。弥兵を連れて行くかどうか迷ったが、どうせ、湯涌谷にも寄るつもりだったので、弥兵とはそこで別れればいいと思い、荷物持ちとして連れて行く事にした。
風眼坊とお雪の二人が旅支度をしてやって来た。二人共、武士のなりをしていた。二人の姿を見て、皆、目を円くした。皆、風眼坊の侍姿を見るのは初めてだったし、それ以上に驚いたのは、お雪の若武者姿だった。
「どうしたんじゃ、その格好は」と慶覚坊は呆れた顔をして聞いた。
「どうじゃ、なかなかなもんじゃろう」
「まあ、おぬしは構わんが、お雪殿までが、何じゃ、その格好は」
「わけがあるんじゃ、わけが。お雪の侍姿もなかなかいいもんじゃろ」
「何を考えておるんだか、いい年をして、ふざけてやがる」
「わしらもここを去る事となった。慶覚坊、世話になったな。落ち着き先が決まったら知らせるわ。達者でな」
「ああ。蓮崇殿を頼むぞ」
「分かっておる」
「お雪殿。馬鹿な奴じゃが面倒を見てやってくれ」と慶覚坊はお雪に言った。
お雪は笑いながら頷いた。
「おお、そうじゃ。忘れる所じゃった。途中、飯道山に寄って行くつもりじゃ。伜に言伝(コトヅテ)があったら伝えてやるぞ」
「飯道山に寄って行くのか、そうじゃのう。別にないが、帰って来る時は強そうな奴を何人か引き連れて来い、と伝えてくれ」
「うむ。分かった。負けるなよ」
「ああ」
一行は大聖寺川の船着場に向かった。夕べ、蓮崇の多屋に泊まった慶覚坊と影像を持って来た慶聞坊の見送りを受けながら、蓮崇、弥兵、風眼坊、お雪の四人を乗せた小舟は大聖寺川をさかのぼり、軽海の守護所に向かって旅立って行った。
蓮崇は吉崎の御山が見えなくなるまで、ずっと両手を合わせながら眺めていた。
蓮崇たちが吉崎を去るのと入れ違いに、松岡寺蓮綱と光教寺蓮誓が揃ってやって来た。
吉崎の多屋衆たちは二人を見ながら噂していた。昨日、大津の順如殿が来て、今日は蓮綱殿と蓮誓殿が来た。いよいよ、上人様は決断なされた。戦も間近いぞと、ひそひそと話し合っていた。
蓮綱と蓮誓の二人は書院ではなく、庫裏の客間の一室に通された。
客間には二人の兄の順如がいた。二人が順如に会うのは久し振りだった。三人は懐かしそうに、お互いの事を話し合った。
しばらくして、慶覚坊と慶聞坊が現れた。
「蓮崇はどうした」と蓮綱は何気なく聞いた。
慶覚坊と慶聞坊は顔を見合わせるだけで答えなかった。
「もしや?」と蓮綱は言った。
慶覚坊と慶聞坊は同時に頷いた。
「いつじゃ」
「昨日」と慶覚坊は言った。
「まだ、吉崎にはおるんじゃろ」
「つい今し方、船で本泉寺に向かいました」と慶聞坊が言った。
「そうか‥‥‥蓮崇はしばらく、本泉寺におる事になったのか」
慶聞坊は首を振った。「本泉寺には蓮崇殿の家族がおります。別れを告げたら、どこかに行くつもりでしょう」
「どこに行くんじゃ」
「分かりません」
「蓮崇の馬鹿者めが‥‥‥わしに一言も告げんで、いなくなりおって‥‥‥」
蓮綱は目を押えていた。
蓮誓は、そんな兄を珍しい物でも見るかのように眺めていた。
蓮如が現れた。
蓮如は蓮綱と蓮誓の前に坐り込むと、二人の顔を眺めた。
「蓮綱、どうかしたのか」と蓮如は目を押えたままの蓮綱に聞いた。
「いえ、何でもありません」
「そうか‥‥‥お前たちも、今の加賀の状況は充分に知っておる事と思う。門徒たちは戦の準備を始めておるらしいが、絶対に戦をさせるわけにはいかん‥‥‥蓮崇は破門した。なぜ、破門になったか分かるか。蓮崇は本願寺のために、門徒たちに戦をさせないために、自ら破門となった。蓮崇の破門を無駄にしないためにも、わしはここを去る事にした。お前らも加賀から去るのじゃ」
「わしらもですか」と蓮綱は言った。
「そうじゃ。お前らが残れば、第二の蓮崇に成りかねん。戦を望んでおる門徒たちに、大将として祭り上げられる事になるじゃろう。もし、そんな事になったら、たとえ、子供であろうとも破門しなければなるまい」
「分かりました‥‥‥いつ、ここを去るのです」と蓮綱が聞いた。
「早い方がいい。お前らも何かと準備があろう。勿論、お前らの家族もここから去る事となる。わしは明日の夜中にここを出る。お前らも早いうちに加賀から出て、とりあえずは、大津の顕証寺に行ってくれ。遅くとも二十四日までには絶対に加賀から離れろ」
「今月の吉崎の講はどうするのですか」と蓮誓が聞いた。
「講の事は、本覚寺の蓮光に任せる。蓮光をここの留守職(ルスシキ)を頼むつもりじゃ。その講の時、わしらの吉崎退去と蓮崇の破門を公表してもらうつもりじゃ」
「本泉寺の兄貴は残るのですか」と蓮綱は聞いた。
「いや、蓮乗には瑞泉寺にいてもらう。本泉寺に行く事を禁止するつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥」
「どうじゃ、わしのやり方に賛成してくれるか」と蓮如は二人の顔を窺った。
「仕方ありません。父上がここを出るというのなら、俺も出ます」と蓮誓は言った。
「蓮綱はどうじゃ」
「わしは、ここが好きじゃ。しかし、まだ、一ケ所に落ち着く年じゃない。そろそろ、新しい土地に移るのも悪くない」
「そうか、分かってくれたか。すまんのう。蓮誓は慶覚坊と、蓮綱は慶聞坊と一緒に、今から帰って準備に掛かってくれ。できれば、執事だけに訳を話し、他の者たちには内緒に事を運んでもらいたい」
「夜逃げですね」と蓮誓は言った。
「知られると、また、門徒たちが騒ぎ出すからのう」
「夜逃げか、面白い」と蓮綱は笑った。「誰にも分からないように、夜中にこっそり抜け出すか」
蓮綱と蓮誓は、慶覚坊、慶聞坊を連れて帰って行った。
蓮如は妻の如勝に訳を話して、ここを出る準備をさせた。
蓮如一人が出て行くのならわけなかったが、吉崎には幼い蓮如の子供たちが五人もいた。引っ越しするのも大騒ぎだった。蓮如の執事の頼善の子供たちが何かと手伝ってくれた。
次の日、本覚寺の蓮光が呼ばれて、吉崎にやって来た。蓮光も勿論、蓮崇が書いた偽の書状を本物と思い、戦の準備を始めていた。今回、呼ばれたのは、その戦に関する作戦の打ち合わせだと思い込んで張り切ってやって来た。
対面所において蓮如と二人きりで会い、事の真相を聞かされて、驚くと同時に信じられなかった。まず、蓮崇が破門になったという事が信じられないし、蓮如がここから去るなんていう事は考えてもみない事だった。
蓮光は、蓮如から吉崎御坊の留守職を頼まれたが、頭の中が混乱していた、何と答えたらいいのか分からなかった。
蓮光は初め、蓮崇の噂を耳にした時、そんな事はあるまいと信じなかった。しかし、蓮如の書状を見て、とうとう、蓮如も戦の決心をしたのだと思った。
本覚寺は、本願寺三代目の覚如(カクニョ)の弟子、信性(シンショウ)が創立した古くからの本願寺の寺院だった。九頭竜(クズリュウ)川流域に数多くの門徒を持つ有力寺院だった。蓮如が吉崎に進出するのに、骨を折ってくれたのが本覚寺の蓮光で、蓮如は北陸の門徒たちの中でも、蓮光を一番、信頼していた。蓮光は蓮如が争い事を好まない事は充分に知っていた。しかし、蓮光は越前において朝倉弾正左衛門尉孝景という武将を身近に見て来ていた。朝倉弾正左衛門尉が守護である斯波(シバ)氏の被官(ヒカン)の身でありながら斯波氏と戦い、実力を持って守護の地位に就いたのを間近に見て来た。
去年、本願寺が戦をして、加賀の守護だった富樫幸千代を滅ぼした。その時以来、蓮光は、蓮如が朝倉弾正左衛門尉と同じ道を歩み、加賀の守護になるのではないか、と心の片隅で思っていた。ところが、戦が終わると、蓮如はそんな事をおくびにも出さなかった。守護の命には服せ、との掟まで書いていた。上人様は朝倉とは違う。もう二度と戦を命じる事はあるまい。変な勘ぐりをした自分が間違っていたと確信した。
蓮光も、北加賀で、富樫によって寺院が焼かれたとの噂は聞いていた。蓮如は動かなかった。超勝寺の連中が北加賀に行って、何やらしている事も知っていた。弟の長光坊が、もう一度、北加賀に行こうとしたが引き留めた。去年の戦が終わってから超勝寺の一派が何かと威張り出し、蓮崇に反発して行った。吉崎は完全に超勝寺派と蓮崇派に分かれていた。
本覚寺は超勝寺と同じ越前にあったが蓮崇派だった。蓮崇派だったため、木目谷が襲われた最初の北加賀の戦の時は、兵を引き連れて出掛けて行った長光坊も、その後、北加賀の事に首を突っ込まなかった。そんな時、蓮崇の噂を聞き、蓮如の書状を読んだ。蓮如も、とうとう本音を出したな、と思った。蓮如がやる気なら超勝寺の奴らに負けるものか、と長光坊を中心に戦の準備を着々と始めた。もう、すっかり準備が整い、いつ、命令が下されてもいい状況となった時、蓮光は吉崎に呼ばれた。蓮光は自分が蓮崇派だから、蓮崇から内密に作戦を聞かされるものと思って、勇んでやって来た。
対面所に通され、まず、蓮崇が出て来るものと待っていたが、蓮崇は現れず、蓮如が一人で来て、意外な事を聞かされる事となった。
蓮崇が破門されたと聞き、まず、思ったのは、蓮崇派だった自分も何か罰が下されるのかと心配した。ところが、蓮如は、吉崎御坊の留守職を務めてくれと言う。留守職と言われてもピンと来なかった。蓮如の説明を黙って聞いているうちに、留守職というのが、北陸の地において、蓮如の代理を務める事だという事がだんだんと理解できた。
蓮如、蓮綱、蓮誓は北陸から去ると言う。蓮乗は北陸からは去らないが、加賀から出て、越中に行くと言う。蓮崇は破門されて、すでに、いない。という事は、留守職に就けば、自分が北陸門徒の中心になるという事だった。信じられない事が起ころうとしていた。超勝寺は蓮如と血のつながりのある一門寺院だった。その超勝寺を差し置いて、自分が、吉崎の留守職になるとは考えられなかった。その疑問を蓮光は蓮如に聞いてみた。
「分かっておる」と蓮如は言った。「わしがおらんようになれば、当然、留守職となるのは超勝寺の一族じゃろう。しかし、超勝寺の巧遵は隠居し、跡を継いだ蓮超はまだ十一歳じゃ。巧遵の兄弟の浄徳寺の慶恵、善福寺の順慶の二人は、今回の北加賀での騒ぎの張本人ともいえる奴らじゃ。そんな奴らに吉崎を任せる事はできん。わしがおらんようになれば、邪魔者がいなくなったと言って、すぐにでも戦を始めるじゃろう。蓮崇が破門になったのも、わしらがここを去るのも、門徒たちに戦をさせんためじゃ。絶対に戦をさせてはならん。その事だけは、必ず守ってくれ。いいな」
「はい‥‥‥しかし、わたしに、そんな事ができるか自信がありません」
「大丈夫じゃ。今度の二十五日の講には、各地から有力門徒らが大勢集まる事じゃろう。そなたは、その席において重大発表を行なう。その重大発表とは、蓮崇の破門とわしの吉崎退去じゃ。蓮崇が破門された理由は、わしに事実を告げず、門徒たちを扇動して、戦をさせようとしたためじゃ。そして、わしの筆跡を真似て、偽の書状まで書いて門徒たちを惑わしたためじゃ」
「偽の書状?」
「そうじゃ。この前、ばらまかれた書状じゃ。蓮崇は、わしをここに閉じ込め、あんな書状を書いてばらまいたのじゃ」
「蓮崇殿が上人様を閉じ込めた?」
「そうじゃ。いいか。戦を扇動した蓮崇は破門した。たとえ、北陸の地を離れても、蓮崇と同じ事をしようとたくらむ者は破門にする。そう言い渡すのじゃ」
「‥‥‥かしこまりました」
「頼んだぞ」
「はい‥‥‥ところで、上人様は、いつ、ここを去られるのですか」
「今日の夜中じゃ。正確に言えば、明日の夜明け前じゃ。わしが、ここからいなくなった事は、二十五日まで内緒にしておいてくれ。また、門徒たちが騒ぐからのう。そなたは二十五日まで、ずっと、ここから出ないでもらいたい。ただ一つ問題がある。軽海の守護所の動きが気になる。大勢の門徒たちが集まっている二十四日に、山川三河守が攻めて来るとの噂もある。一応、手を打ってはあるが、もし、攻めて来た場合は、わしが逃げたという事を三河守に告げて貰いたい。絶対に戦ってはならんぞ」
「もし、上人様がいない事を告げても、敵が攻めて来た場合はどうします」
「留守職である、そなたの判断に任せる。なるべく、犠牲者を出さないようにしてもらいたい」
「かしこまりました」
「そなたには、ここに来るまで色々と世話になり、出て行く時も世話を掛ける事となったのう。すまんが、よろしく頼むわ。後の事は執事の玄永から聞いてくれ」
そう言うと蓮如は部屋から出て行った。
蓮光は、蓮如の後ろ姿に深く頭を下げた。
吉崎を後にして、大聖寺川をさかのぼった蓮崇一行は、菅生(スゴウ)の石部(イソベ)神社で上陸し、陸路、軽海に向かった。
軽海の城下に入ったのは七つ(午後四時)前だった。一行は守護所の近くの旅籠屋に部屋を取って、お雪と弥兵を残し、さっそく、山川三河守に会いに出掛けた。
守護所の警備は厳重だった。すでに、戦が始まっているかのように、武装した兵がうようよしている。皆、殺気立って走り回っていた。
「こいつは、三河守に会うのは難しそうじゃのう」と風眼坊はそれとなく回りを観察しながら言った。
蓮崇も侍のなりをしていた。敵地に乗り込むのに本願寺の坊主の格好では、三河守に会う前に捕まりかねなかった。石部神社の門前町で、古着と刀を捜して着替えていた。坊主頭はどうにもならないが、入道頭の武士は何人もいる。まあ、何とかなりそうだった。
「どうしたらいいかのう」蓮崇はあちこちでたむろしている武装兵を眺めながら言った。
「三河守は、当然、そなたが本願寺の大将だと思っておる。という事は、ここにおる連中は皆、そう思っておるじゃろう。もし、そなたの正体がばれたら殺される事も充分に考えられるのう」
「風眼坊殿、脅かさんでくれ」
「正門から堂々と入るか、忍び込むかじゃな」
「忍び込む?」
「まあ、無理じゃな。捕まってしまったら三河守に会う前に首を斬られるかもしれん」
「どうしたら、いいんです」
「覚悟を決めて、正門から突撃するかのう」
「正門からですか‥‥‥三河守の屋敷は東門から入るとすぐなんですが」
「東門? どこじゃ」
「そこの土塁に沿って右に曲がった所にあります」
「そうか、とりあえず、そこに行ってみるか」
守護所を囲む土塁の隅に見張り櫓(ヤグラ)があり、下を通る者たちを見張っていた。
風眼坊と蓮崇は高い土塁に沿って東門の方に向かった。大勢の人足たちが土塁と空濠の修繕に励んでいた。
風眼坊は、無駄な事をしているなと思いながら眺めていた。
いくら深い濠を掘って、高い土塁を積み上げたとしても、数万の門徒たちに攻められたら、平地にあるこんな守護所など一溜まりもなかった。この乱世の時期に、こんな平地に守護所があるのも不思議な事だったが、今まで、加賀の国では守護所を攻めて来る者などいなかったのに違いない。去年の本願寺の戦以前は、古いやり方のまま戦をしていたのだろう。城を攻める事はあまりなく、野戦を中心とした戦だったに違いなかった。今までは、こんな守りでも充分に通用したが、これから先、生き延びて行くためには、一乗谷の朝倉のように、山の上に城を構えなくては無理だろうと風眼坊は思った。
守護所の一画にある山川三河守の屋敷の門の前には、二人の兵が槍を突いて左右に立っていた。
「行くぞ」と風眼坊は蓮崇に小声で声を掛けると、さっさと門の方に向かって行った。
ちょっと待ってくれ、と蓮崇は言おうとしたが、風眼坊は真っすぐに門に向かっていた。
蓮崇も覚悟を決めて、風眼坊の後を追った。
風眼坊は門の前に立ち、二人の門番を交互に睨むと、頷いて、「よろしい」と言った。
「何じゃと。何者じゃ」
「三河守殿は御在宅か」と風眼坊は高飛車に言った。
「何者じゃ、名を名乗れ!」左側の若侍が槍を構えた。
「本折(モトオリ)越前守の家臣、風間小太郎じゃ。内密の命で三河守に会いたい。至急を要する事じゃ」
「はっ、少々お待ち下さい」と右側の年配の男が言った。
「いや、案内はいい。しっかりと門を守っておれ。左衛門尉殿、参ろう」
貫禄負けであった。
侍姿の風眼坊は堂々としていて、どう見ても一角(ヒトカド)の武将だった。門番の二人は風眼坊の気迫に負け、さらに、本折越前守の名を出されたので、すっかり、風眼坊の言う事を信用してしまった。風眼坊の後から来る蓮崇も、門番たちを睨みながら偉そうにして門をくぐった。
門の脇に小屋があり、五、六人の兵が詰めていたが、風眼坊たちをチラッと見ただけで、無駄話に熱中していた。
風眼坊は中門廊(ナカモンロウ)の脇から、まるで、我家に帰って来たかのごとく、さっさと屋敷の中に入り込んで行った。蓮崇も風眼坊に従った。
「三河守殿おるか」と風眼坊は声を掛けた。
すぐ側の部屋から、老武士が現れた。老武士は風眼坊と蓮崇の二人を見ながら、「どなたですかな」と静かな声で言った。
「本折越前守、家臣、風間小太郎と安芸(アゲ)左衛門尉。殿より内密の命を受けて参上した。至急を要す。すぐに三河守殿に伝えてくれ。書院の方で待っておる」
そう言うと風眼坊はさっさと書院の方に向かった。
「頼むぞ」と蓮崇は言って風眼坊の後に従った。
書院には誰もいなかった。
風眼坊は庭園の見える部屋に入ると、刀を腰から抜いて腰を下ろした。
「書院の場所がよく、分かりましたね」と蓮崇も刀を抜きながら聞いた。
「武家屋敷なんていうものは、どこでも似たようなもんじゃ。門をくぐって、入った途端に、すぐに分かったわ」
「成程。しかし、恐れいりました」
「なに、気合じゃ」
「気合?」
「敵の機先を制し、気合を入れて、相手を飲み込んでしまうんじゃ」
「ほう。なかなか難しいもんですな」
「たとえばのう、山の中で熊と出会った時の呼吸じゃ」
「熊ですか‥‥‥わしにはよく分からんのう」
「さて、これからじゃ。三河守がうまく来てくれればいいがのう」
「ここまで来れば、大丈夫でしょう」
庭園の後ろを通って門番の一人が守護所に向かうのが見えた。
「三河守は、どうやら守護所の方らしい」と蓮崇は言った。
「軍議に忙しいのじゃろう」
三河守は半時程して現れた。庭園の後ろを通って来る姿が見えた。予想に反して一人だった。
風眼坊と蓮崇は坐り直して、三河守を迎えた。
三河守は急ぎ足で廊下を歩いて来て、部屋の入り口に立ち止まると二人を眺めた。一瞬、不審そうな顔をしたが、気を取り直して入って来た。
「三河守殿、そなたに、是非、会わせたいお人がおります」と風眼坊は言った。
「殿からの内密の命で、いらしたとか‥‥‥」と三河守は二人の前に坐った。
「三河守殿、お久し振りです」と蓮崇は頭を下げた。
三河守は初め分からなかったようだったが、やがて、口を開けると、「蓮崇殿か‥‥‥」と呟(ツブヤ)いた。
蓮崇は頷いた。「三河守殿に是非とも聞いていただきたい話がございまして、こうして訪ねて参りました」
「蓮崇殿‥‥‥まさか、そなたが、ここにおるとはのう‥‥‥信じられん事じゃ」
「三河守殿、結論から言います。わたしは本願寺を破門になりました。そして、上人様は近いうちに吉崎から去ります」
「なに、そなたが破門になった?‥‥‥嘘を言うな。本願寺の門徒たちは皆、戦の準備を始めておるではないか。しかも、蓮如殿が二十五日の講の席で重大発表をするとの書状も出回っておる」
「門徒たちに戦をさせないために、わたしは破門になりました。そして、講の席での重大発表というのは、わたしの破門の事と上人様が吉崎を出て行ったという事です」
「信じられん‥‥‥戦をやめさせるために、そなたが破門になったと申すのか」
「はい。あれだけ噂が広まってしまえば、わたしが破門にならない限り、騒ぎは治まりません」
「うむ、しかし‥‥‥そなたが破門か‥‥‥そして、蓮如殿は吉崎を去るのか‥‥‥」
「皆、三河守殿の思い通りとなったわけです」
「わしの思い通りに?」
「例の噂を流したのは三河守殿でしょう」
「いや、わしは知らん」
「もう、済んだ事です。ただ、三河守殿にお願いしたい事がございます」
「何じゃ」
「本願寺が戦をやめたら、三河守殿も門徒たちの攻撃を中止してほしいのですが」
「‥‥‥よかろう。そなたの言う事が事実で、本願寺が戦をやめれば、わしらもやめるであろう」
「本当ですね」
「ああ。そなたの破門を無駄にはせん」
「その事を約束していただければ、門徒としての、わたしの最後の仕事は終わりです。有り難うございます」
「最後の仕事か‥‥‥蓮崇殿、これから、どうするつもりなのじゃ」
「まだ、決めてはおりませんが、しばらくは、この地を離れて考えます」
「そうか‥‥‥蓮崇殿もおらなくなるか‥‥‥」
「三河守殿、後の事はお願いします‥‥‥それでは、この辺で失礼致します」
「なに、もう、帰られるのか」
「はい。門徒たちは、まだ、わたしが破門になった事を知りません。なるべく早いうちに、加賀から出たいのです」
「そうか‥‥‥気を付けて行かれるがいい」
風眼坊は軽く頭を下げると立ち上がった。
「失礼致します」と言って、蓮崇も立ち上がった。
二人が出て行こうとした時、三河守が声を掛けた。
「蓮崇殿、戻って来たくなったら、いつでも戻って来るがいい」
「はい。分かりました」と蓮崇は答えた。
二人は来た時と同じように、門番に威勢よく声を掛けて、さっそうと出て行った。
「うまく、行ったな」と風眼坊は言った。
「ええ。これで、戦は起こらないでしょう」
「蓮崇殿、三河守が最後に言った事が気になるんじゃが、どう言う意味じゃ」
「あれは以前、三河守が、わしに富樫家に仕官しないかと誘った事があったのです。まだ、諦めておらんのでしょう」
「成程、三河守にしてみれば、蓮崇殿が本願寺から破門となれば、味方に引き入れる事も可能じゃからのう。本願寺の内部事情に詳しい蓮崇殿を味方に付ければ、何かと都合がいいからのう。三河守もなかなか食えん男じゃな」
風眼坊と蓮崇は旅籠屋に戻ると、お雪と弥兵を連れて軽海の城下を後にした。
風眼坊も蓮崇も何となく嫌な予感がしていた。三河守が今更、蓮崇を捕えに来るとは思えなかったが、この城下に泊まるという気分にはならなかった。お雪も、早くここから出たいと言うし、まだ日も暮れていなかったので、一行は軽海から離れる事にした。
「なに、二十四日、そいつは確かか」慶覚坊は真顔になって聞き返した。
「確かじゃ。二十四日は講の前日じゃ。有力門徒たちが大勢、ここに集まる。敵は総攻撃を掛けて一気に潰すつもりじゃ」
「という事は夜襲じゃな」
「その可能性もある。湖の方から舟で攻めて来て、火を掛けるかもしれん」
「そして、逃げて来る者を陸の方で待ち受けて倒すというわけじゃな」
蓮崇は厳しい顔で頷いた。「その前に、上人様には逃げて貰わんとならん」
「うむ、そうじゃな。そろそろ、ここを離れる潮時(シオドキ)かもしれんのう‥‥‥もしかしたら、上人様もその事に気づいて、今回、急に三河まで行ったのかもしれん」
「なんじゃと、上人様は三河まで行ったのか」今度は蓮崇が驚いて、慶覚坊に聞いた。
慶覚坊は頷いた。「佐々木の上宮寺でやっと会えたんじゃ」
「三河か‥‥‥上人様は三河に進出なさるおつもりなのか‥‥‥」
「かもしれん。まだ、京に戻る事はできんからのう。三河にもかなりの門徒がおるから移るつもりでおるのかもしれん」
「ここと違って、三河は冬が厳しくないしのう」
「そうじゃな。上人様は、ここの冬の厳しさにはこたえておったようじゃった」
「上人様も達者でおるが、もう六十を越えておるからのう。暖かい所の方がいいじゃろう」
「そうじゃ‥‥‥ところで、おぬしはどうするつもりじゃ」
蓮崇は力なく笑って、「わしは破門じゃ」と言った。
「他に方法はないのか」
「ない」
慶覚坊は蓮崇の顔を見つめた。
蓮崇は俯いたままだったが、もう覚悟を決めているようだった。
「噂を流した奴らは分かったのか」
「分からん。もう、そんな事、どうでもいいんじゃ。分かったとしても、もう、どうにもならん」
「しかし、身に覚えのない事で破門になる事もあるまい」
「身に覚えのない事でも、今、現実に門徒たちは、わしを大将として守護に立ち向かおうとしておる。大将に祭り上げられた、このわしを破門にしない限り、門徒たちを止める事はできんじゃろう」
慶覚坊は何も言えなかった。
「いい夢を見させてもらったと思って、諦めるわ」
「これから、どうするつもりなんじゃ」
蓮崇は首を振った。「分からん‥‥‥」
慶覚坊は、破門を覚悟している蓮崇に向かって、何と言ったらいいのか分からなかった。
慶覚坊は立ち上がると部屋から出て、広縁から御影堂(ゴエイドウ)の方を眺めた。
風が心地よかった。
もう秋だった。夕闇の中、秋の虫が鳴いていた。
「でっかい狸がおったのう」と慶覚坊は突然、言った。
「はあ?」と蓮崇は顔を上げた。
「この辺りの木を切り払った時、でっかい狸が出て来たのう」
「おう、あの狸か、確かに、でっかかったのう‥‥‥わしは熊かと思ったわ」
この吉崎御坊を建てる前、この丘の上に大きな狸が住んでいた事をふと、慶覚坊は思い出したのだった。あれから四年余りが経っていた。
蓮如と順如が現れたのは、半時(ハントキ、一時間)程経ってからだった。
蓮崇は二人に、今までの事の成り行きを説明した。説明の途中で、蓮崇は自ら書いた偽の書状を蓮如に渡した。蓮如はそれを読むと順如に渡した。
「申し訳ありません。騒ぎを静めるためには、上人様の一声が、どうしても必要だったのです」蓮崇は深く頭を下げた。
「それで、騒ぎは治まったんじゃな」と蓮如は聞いた。
「はい‥‥‥申し訳ありません」
「面を上げよ。おぬしが悪いのではない。わしが勝手に留守にしたからじゃ。しかし、今度の講で発表する重大な事というのは、どういう意味じゃ」
「仕方なかったのです。門徒たちが武器を手にして騒ぎ出し、その騒ぎを静めるにはそうするしかなかったのです。もし、あの時、門徒たちに武器を捨てて守護に敵対するのをやめろ、と命じれば、かえって逆効果に成りかねなかったのです。門徒たちの中には、上人様の言う通りに武器を捨てる者もおったでしょう。しかし、飽くまでも戦うと言い張る連中も出た事でしょう。門徒たちは二つに分かれて争いを始める可能性があったのです。上人様が帰って来るまで門徒たちを静めて置くには、そう書くしかありませんでした」
「そうか‥‥‥」
「蓮崇、この書状は、そなたが書いたと言うのか」と順如が驚きながら聞いた。
蓮崇は頷いた。
「そっくりじゃ。誰が見ても、これは親父の字じゃ。そなたに、こんな才能があったとはのう」
「申し訳ありません」と蓮崇はまた謝った。
「おぬしが謝る事はない。一体、誰が、そんな噂を流したんじゃ」と蓮如は聞いた。
「分かりません」
「門徒の誰かが、戦を始めるために、そんな噂を流したのでしょうか」と順如が言った。
「その可能性もありますが、多分、違うと思います」と蓮崇は答えた。
「と言うと、何のために流したんじゃ」
「それは‥‥‥」
「蓮崇殿を陥れるために、あんな噂を流したのだと思います」と慶覚坊が答えた。「上人様は先月、六ケ条の掟を発表なされました。掟を破る者は破門にするとおっしゃいました。そこで、蓮崇殿を破門に陥れようと、あんな噂を流したのだと思います。噂を聞けば、門徒たちが蓮崇殿を非難して、蓮崇殿は破門になると考えたに違いありません。ところが、意に反して、門徒たちは蓮崇殿に同意して武器を取りました」
「どうして、蓮崇を破門にしなければならんのじゃ」
「本願寺は大きくなりました。本願寺には地位というものはありませんが、門徒たちから見れば、蓮崇殿というのは本願寺の中でも最も偉い人だと思っております。そんな蓮崇殿を妬(ネタ)む者が現れて来ておるのです。すでに、吉崎の多屋衆たちの間にも、つまらん派閥などが出来て勢力争いが始まっておるのです」
「と言う事は、噂を流した者というのは、この吉崎におる身内なのか」
慶覚坊も蓮崇も順如の問いに答えなかった。
「詮索はもういい」と蓮如は言った。「それよりも、これから、どうするかじゃ」
「上人様、お願いです。今月の講の前に、ここから退去して下さい」と蓮崇が言った。
「なに?」
「ここは危険です。敵が攻めて来ます。その前に退去して下さい。お願い致します」
「敵がここに攻めて来る?」
「はい。敵も必死になっております。幸千代の二の舞になる前に、本願寺を潰そうと思っております。敵は本気で上人様を殺すつもりなのです。蓮綱殿、蓮誓殿と御一緒に、この北陸の地から離れて下さい」
「わしらをここから追い出して、戦を始めるつもりなのか」
「いえ‥‥‥今すぐ、わたしを破門にして下さい」
「なに、破門じゃと?」
「はい。それしか方法がありません。戦をやめさせるには、それしか方法がないのです。わたしが破門になって、上人様が吉崎からおらなくなれば門徒たちも静まり、守護側も少しはおとなしくなると思います」
「おぬしは何も破門になるような事をしとらんじゃろう。そんな者を破門にするわけにはいかん」
「今、門徒たちは静かにしておりますが、皆、戦の準備をして、今度の講の時、上人様の口から、戦の命令が下されるのを待っておるのです。今度の講で、上人様が、武器を捨てよ、と命じたとしても、門徒たちは、黙って上人様の言う事を聞くとは思えません。わたしを破門しない限り、門徒たちは、上人様は表ではああ言っておるが、本当は裏で、わたしに戦を命じておるに違いないと勝手に解釈して蜂起するでしょう。門徒たちに戦をさせないためには、わたしを破門するしかないのです」
「破門になれば、おぬしは、ここにおられなくなるのじゃぞ」
「覚悟しております」
「家族はどうするんじゃ」
「離縁して本泉寺に送りました。家族たちに害が及ばないように、何とぞ、お願い致します」
「おぬしはどうするんじゃ」
「まだ、決めておりません。しかし、わたしは元々、貧しい農家の生まれです。本当なら、ただの門徒の一人に過ぎないでしょう。それが、上人様の側近く仕える事ができました。それだけで充分、満足しております。やるべき事は皆、やって参りました。少々早いですけど、隠居したつもりで、どこか静かな所で、ひっそりと生きて行きます」
「そうか‥‥‥」と蓮如は蓮崇をじっと見つめ、しばらくしてから頷いた。「それ程までに覚悟を決めたのなら仕方ないのう‥‥‥おぬし程の男を手放したくはなかったが、すまんのう。本願寺のために身を引いてくれ」
「はっ、色々とお世話になりました」
「それは、こっちの言う事じゃ」
「破門になっても、上人様の教えは決して忘れません」
「‥‥‥達者で暮らせよ」
慶覚坊と順如は二人のやり取りを黙って見ていた。二人とも目頭が熱くなっていた。
蓮崇は蓮如に深く頭を下げ、次に順如に向かって頭を下げ、そして、慶覚坊にも頭を下げると静かに部屋から出て行った。
「蓮崇が破門か‥‥‥」と順如は言った。
順如にも一つだけ蓮崇との思い出があった。蓮崇が大津の顕証寺にいた頃、一度だけだったが一緒に盛り場に出て遊んだ事があった。
順如は初めの頃、蓮崇の事が好きではなかった。蓮如の顔色ばかり窺って、いつも、ちょろちょろしている蓮崇が気に入らなかった。順如は蓮崇と口も利かなかったが、ある時、蓮崇の方から声を掛けて来た。順如に盛り場に連れて行ってくれと頼んで来た。順如は断ろうと思ったが、蓮崇が何か悩んでいたようだったので一緒に行く事にした。その時、何を悩んでいたのか、今もって分からないが、蓮崇は大いに酒を飲んで騒いだ。順如も酒は強いが、蓮崇も強かった。いつの間にか気が合って、二人は一晩中、飲み明かした。二人で歌を歌いながら朝帰りをして、二人揃って蓮如に怒られた。その日以来、二人の間に溝は無くなり、蓮崇はよく順如の所に来ては無駄話をしたりしていた。蓮崇と一緒に酒を飲んだのは、その時だけだったが、その時の蓮崇の馬鹿騒ぎは、七年も経った今でも昨日の事のように思い出された。
「明日の朝、蓮綱殿と蓮誓殿が、ここに来る手筈となっておるそうです」と慶覚坊は蓮如に言った。
「蓮崇が呼んだのか」
「はい」
「わしは疲れた。先に休む」蓮如はそう言うと部屋から出て行った。
「辛いでしょうね」と順如は慶覚坊に言った。
「蓮崇殿は上人様の片腕じゃったからのう」
「片腕以上でしょう。身内と言ってもいい位です」
「身内か‥‥‥かもしれんのう。上人様がここに来て、よく旅に出たのも蓮崇殿がおったから、安心して出掛けたんじゃろうのう」
「慶覚坊、蓮崇の所に行ってみないか」と順如は言った。
慶覚坊は順如を見た。
順如は笑って、「一緒に酒が飲みたくなった」と言った。
慶覚坊は頷いた。「いいでしょう。行きましょう」
2
月が出ていた。
蓮崇は月を見上げながら泣いていた。拭いても拭いても涙が流れて来た。
色んな事が思い出された。
蓮崇は振り返って、蓮如のいる書院の方を見ると両手を合わせた。念仏を唱え、頭を下げると、涙を拭いて山門を出た。
夜風に吹かれながら、ゆっくりと坂道を下りて行った。もうこの坂を登る事も下りる事もないだろうと思いながら、両側に並ぶ多屋を眺めながら、ゆっくりと下りて行った。
北門をくぐると、足は自然と風眼坊の家の方へと向かった。破門となった今、蓮崇が頼れる者は風眼坊より他になかった。
風眼坊とお雪の二人は風呂から上がって縁側で涼んでいた。
蓮崇は無理に笑顔を作って、二人の側に行った。
「いい夜じゃな」と蓮崇は言って、風眼坊の隣に腰を掛けた。
「騒ぎは、うまく静まりそうか」と風眼坊は聞いた。
「ああ、大丈夫じゃ。何とかなりそうです」
「そうか、よかったのう」
「風眼坊殿、頼みがあるんじゃ。わしを軽海まで連れて行ってくれませんか」
「軽海? 軽海といえば守護所のある所じゃろう。敵の本拠地に何か用があるのか」
「はい。最後のお勤めです」
「最後のお勤め? 何じゃ、そりゃ」
「わしは破門になったのです」
「破門? 蓮崇殿が破門? 何を言ってるんじゃ。そんな事、あるわけないじゃろう」
「いや、本当の事です」
蓮崇は詳しく説明した。
「蓮崇殿が破門とはのう」風眼坊はお雪と顔を見合わせてから、「これから、どうするつもりなんじゃ」と聞いた。
「まず、軽海に行って、それから、本泉寺に行って家族に別れを告げ、それから先の事は決めておりません」
「そうか‥‥‥蓮如殿もここからおらなくなるんじゃ、わしらもここを離れる事にするかのう」
「風眼坊殿もここを離れるのですか」
「蓮如殿のおらん吉崎におっても、つまらんしのう。どうじゃ、お雪、わしらも出る事にせんか」
「あたしは構いませんけど、どこに行くのです」
「播磨じゃ」
「播磨?」と蓮崇が聞いた。
「播磨にわしの伜(セガレ)がおるんじゃ。何でも赤松家の武将になったと聞くからのう。一目、会って来ようと思ってのう」
「息子さんが播磨におるんですか‥‥‥風眼坊殿、わしも一緒に連れて行ってくれませんか」
「それは構わんが‥‥‥」
「わしは、なるべく、この地から遠くに行きたい心境なんじゃ。知らない土地に行って、知らない人たちの中で静かに余生を送ろうと思っておるんじゃ」
「余生などと言うな。蓮崇殿はまだ若い。今からでも、充分、やり直しが利くわ」
「そうかもしれんが、今は無理じゃ。急に力が抜けたようで何をする気にもならん。とにかく遠くに行ってから、これからの事を考えるわ」
「まあ、そうじゃろうな。今まで本願寺のために生きて来た蓮崇殿に、急に生き方を変えろと言っても無理な事じゃ。しばらく、何も考えないで、のんびりする事じゃ」
「はい」
「ところで、最後のお勤めとは一体、何じゃ」
「実は軽海の山川三河守が、二十四日、吉崎に攻めて来るのです。それを何としてでも止めなくてはなりません」
「敵もとうとう吉崎を潰す気になったか‥‥‥しかし、敵を止める事などできるのか」
「できると思います。三河守が吉崎を攻める事に決めたのは、わしが書いた偽の書状を読んだからです。やられる前に倒せという切羽(セッパ)詰まった所まで来たからです。しかし、三河守の考えていた筋書通りに、わしが破門となって、上人様が吉崎から去って行けば、三河守は吉崎を攻める事はないでしょう。三河守は北加賀の槻橋とは違います。武力で門徒たちを押えようとはしません。なるべく、門徒たちと仲良くやる振りをしながら、門徒たちを骨抜きにしようとたくらんでおります。現に、三河守によって超勝寺の連中は骨抜きにされております。上人様とわしがおらなくなれば、三河守は超勝寺の連中を吉崎に送り込んで、門徒たちを懐柔して来るでしょう。そのためには、上人様のおらぬ吉崎を攻めて、わざわざ、門徒たちの恨みを買うような事は絶対にしないはずです」
「うむ、言えるな。そこで、そなたが三河守と会って事実を告げるというわけか」
「そのつもりです。本願寺を破門になった、わしなど殺しても意味ないから、安全だとは思いますが、一人で行くのは何となく心細いので、風眼坊殿にお願いに来たわけです」
「そうか、どうせ、わしらもここを離れる事に決めたんじゃ。蓮崇殿に付き合うわ」
「あのう‥‥‥」とお雪が言った。
「何じゃ」と風眼坊が聞いた。
「軽海だけは、あたし、行きたくはないんです‥‥‥」
「なぜじゃ‥‥‥ああ、そうか。すっかり、忘れておった。お前は富樫次郎の側室(ソクシツ)だったんじゃのう。お前の顔を知っておる奴がおらんとも限らんのう。まずいな」
「富樫次郎の側室?」と蓮崇は驚いて、聞き返した。
「蓮崇殿は知らなかったか。実は、お雪は富樫次郎の側室だったんじゃが、わしが一目惚れしてのう。一乗谷から、さらって来たんじゃよ」
「次郎の側室をさらって来た? 風眼坊殿も物騒な事を平気な顔をして言うのう。たまげたわ」
蓮崇は急に笑い出した。
「そんなに可笑しいか」
「いや、思い切った事をするもんじゃと感心しておるんじゃ。わしも、そんな事を一度でいいからやってみたいわ‥‥‥そう言えば、一乗谷から次郎の側室が消えたと大騒ぎしておったわ。あの下手人は風眼坊殿じゃったのか‥‥‥そして、側室というのはお雪殿じゃったのか‥‥‥こいつはたまげたわ」
「しかし、困ったのう。お雪を連れて軽海には行けんのう」
「城下には入らずに、どこかで待っておってもらうしかないかのう」
「あたし、男に化けようかしら」とお雪は言った。
「男に化ける?」と風眼坊はお雪の顔を眺めた。
「うーむ。結構、似合うかも知れんのう」と蓮崇は言った。
風眼坊は、飯道山に行った時、奈美の屋敷で見た金勝座の芝居を思い出していた。金勝座(コンゼザ)の舞姫たちが男装して踊っていたが、なかなか艶(ナマメ)かしかったのを覚えていた。お雪の男装姿を想像して、蓮崇の言う通り、結構、似合いそうだと思った。
「よし、それで行こう。お雪ではなくて、雪之介じゃ。風間雪之介じゃ」
「風間雪之介か、いい名じゃ‥‥‥ところで、どうして風間なんじゃ」
「風間というのは、わしの姓じゃ。山伏をやめたのに、いつまでも風眼坊ではおかしいんで、そろそろ、風間小太郎という本名に戻るかと最近、考えておったんじゃ」
「そうか、そう言えば、わしも本願寺を破門になって、下間蓮崇ではおかしいのう。わしも本名に戻るべきかのう」
「本名は何と言うんじゃ」
「安芸(アゲ)左衛門太郎じゃ」
「安芸左衛門太郎、ほう、随分、偉そうな名前じゃのう」
「親父の名前が安芸左衛門尉(サエモンノジョウ)といったらしい。わしは会った事もないが武士だったそうじゃ。お袋は親父の事はあまり喋らなかった。お袋は十五歳でわしを産み、わしはお袋の弟として育てられたんじゃ。随分と貧しかったが、わしが殺されなかったのは、親父の家から、わしを貰い受けるという話があったらしい。しかし、それは実現しなかった。七歳になった時、わしは本覚寺に出された。そのすぐ後、お袋がどこかに後妻に入ったと聞いた。お袋は一度だけ、本覚寺に会いに来てくれたが、それ以来、会う事はできなかった」
「そうじゃったのか‥‥‥わしはまた、下間という姓から、生れつき本願寺において、いい家柄に生まれたものと思っておった。蓮崇殿も苦労しておるんじゃのう」
「苦労なんてしてはおらんが、子供の頃の事を思えば、今の自分は信じられん位に出世した。破門となっても思い残す事はないわ」
「お母様は、今も生きてらっしゃるのでしょう」とお雪が聞いた。
蓮崇は首を振った。「わしが上人様の側近くに仕える事となって、上人様が吉崎に進出する前、わしは用を頼まれて本覚寺に行ったんじゃ。その時、自分の姿を一目見てもらおうと、お袋を訪ねたんじゃが、すでに亡くなっておった。話を聞いたら、お袋は後妻に入って三年もしないうちに亡くなっておったそうじゃ。わしがまだ本覚寺で小僧だった頃に、すでに亡くなっておったんじゃ。わしは全然知らなかった‥‥‥」
「御免なさい。思い出させちゃって‥‥‥」
「いや、いいんじゃよ‥‥‥しかし、何で、わしはお袋の話なんかしておるんじゃ」
風眼坊は首を振った。
「本名の話から始まったのよ」とお雪が言った。
「おお、そうじゃった。本名を名乗るかという話じゃったわ。安芸左衛門太郎殿じゃったな、いい名じゃ。それで、軽海にはいつ出掛けるんじゃ」
「できれば、明日の朝にでも」
「明日の朝か‥‥‥そいつは忙しい事じゃのう」
「まだ、わしの破門は公表されておりませんが、多屋衆たちがその事を知ったら、また、騒ぎになります。わしがここから消えれば、騒ぎも起きなくて済むでしょう。なるべく早く、ここから離れたいのです」
「成程。蓮崇殿に敵対しておる奴らは、それ見ろ、と蓮崇殿の多屋に押しかけて来る事になるのう」
「はい。その通りです」
「そうか‥‥‥明日の朝、出掛ける事になったが、お前、大丈夫か」と風眼坊はお雪に聞いた。
お雪は笑って頷いた。
「そうと決まれば、今晩は吉崎、最後の夜となるわけじゃ。酒でも飲まずにはおられまい。お雪、用意を頼む」
お雪は頷いて台所の方に行った。
「蓮崇殿も辛いじゃろうが、蓮如殿はもっと辛かった事じゃろうのう。まあ、上がってくれ」
二人が囲炉裏のある部屋に向かおうとした時、慶覚坊と順如が訪ねて来た。
「やっぱり、ここにおったのう」と慶覚坊は言いながら上がって来た。
「順如殿が蓮崇殿と酒を飲みたいと言ってのう。今、多屋の方に行ったんじゃが、まだ、帰っておらんと言う。それで、ここに来てみたんじゃが、やはり、ここにおったか」
「丁度いい。今から始める所じゃ」と風眼坊は二人を迎え入れた。
「蓮崇殿、悪いと思ったが、そなたの多屋から酒を貰って来た」と慶覚坊はとっくりを見せた。
「いいんじゃよ。足らなくなったら、わしも取りに行くつもりだったんじゃ」
囲炉裏を囲んで、ささやかな宴会が始まった。
誰も蓮崇の破門の事には触れなかった。それぞれが蓮崇との思い出を蓮崇と語った。
風眼坊とお雪は、二人の知らない蓮崇の話を聞いていた。
しばらくして、慶聞坊が酒をぶら下げてやって来た。蓮如を送って行った後、着替えるために、一度、自分の多屋に帰った慶聞坊は御山に登り、蓮崇の破門の事を聞いた。そして、自分の多屋に帰ったが、もしかしたら、もう二度と蓮崇に会えないかもしれないと思い、酒を持って蓮崇の多屋に行き、いなかったのでここに来たと言う。
慶聞坊も加わり、蓮崇、風眼坊、お雪に取って、吉崎、最後の夜は賑やかになった。宴もたけなわとなった頃、また、訪問者がやって来た。
蓮如であった。
「賑やかじゃと思ったら、みんな揃っておるのか」と言いながら蓮如は上がって来た。
「どうしたのです、もう休んだのでは」と順如が言った。
「いや、眠れなくてのう。つい、フラフラと出て来たんじゃ。わしも仲間に入れてくれ」
「親父、わしらがここにおると、どうして分かったんじゃ」
「なに、御山まで、お前の酔っ払った声が聞こえて来たんじゃよ」と蓮如は笑った。
「ほう。相変わらず、耳のいい事じゃのう」と順如も笑った。
もう、かなりの量の酒が入っていた。
蓮如の話から、蓮崇が蓮如に仕えるようになって七年になるが、二人が初めて会ったのは、もう二十年も前の事だと言う事を知った。蓮如は懐かしそうに、二俣の本泉寺にいた頃の若い蓮崇の事を話した。蓮崇はしきりに照れて、やめさせようとしたが、順如や慶覚坊は面白がって若い頃の蓮崇の事を聞いていた。
夜も更け、真夜中になっていた。
お雪は疲れたからと言って、先に休んでいた。
「達者でな」と蓮崇に言うと、蓮如はフラフラした足取りで立ち上がった。
珍しく酔っているようだった。伜の順如が蓮如を送って行った。
蓮如の後姿を見送りながら蓮崇は涙を浮かべていた。
慶覚坊は慶聞坊に二人を送るように頼んだ。慶聞坊は頷いて、二人の後を追った。
蓮崇は隠すようにして涙を拭くと、酒盃(サカヅキ)の酒を飲み干した。
「上人様はよく、夜になって、ここに来るのか」と慶覚坊が聞いた。
「いや、あんな遅くになって来たのは初めてじゃ」
「今日に限って、何でまた、遅くになって来たんじゃろう」
「蓮崇殿がここにおると思って来たんじゃないかのう」
「用があったのかのう」
「いや、蓮如殿は蓮崇殿を破門にした。破門にしてから、しばらくして、もう二度と蓮崇殿に会えないという事に気づいたんじゃろう。そして、上人様としてではなく、一人の人間として、もう一度、蓮崇殿と会って、別れを言いたかったのかもしれん」
「そうか、一人の人間としてか‥‥‥そう言えば、上人様は珍しく酔っていたようじゃのう」
「破門にしたくはないんじゃ‥‥‥」
「蓮崇殿が破門になり、上人様もおらなくなったら、この加賀は一体、どうなってしまうんじゃ。守護の思いのままになってしまうかもしれん」
「いや、大丈夫じゃよ」と風眼坊は力強く言った。「時は流れておる。時期を待つんじゃ。上人様がこの地に植え付けた教えは、そう簡単に消えはせん。上人様がどこに行こうと、門徒たちは守護に負けるような事はないじゃろう」
「風眼坊殿の言う通りです。門徒たちは負けないでしょう」と蓮崇も言った。
「そうじゃな。蓮崇殿の始めた組織作りを完璧にすれば、守護を倒す事もできるかもしれん」
「焦らず、気長に待てば、やるべき時はやって来るじゃろう」
慶覚坊と蓮崇は帰って行った。
風眼坊は、一年住む事もなく去る事となった我家を眺めていた。今まで、自分の家など持った事のない風眼坊にとって、我家というのはなかなかいいものだと思った。明日からまた、旅が続く事になる。お雪のためを思えば、どこかに落ち着いた方がいいのだろうが、ここを出たら、当分の間、宿無しだった。お雪には悪いが仕方ないと思いながら、風眼坊はお雪の隣にもぐり込んだ。
3
次の朝早く、蓮崇の多屋に慶聞坊がやって来た。
蓮如から頼まれたと言って、荷物を抱えていた。その荷物は、親鸞影像(シンランエイゾウ)と親鸞絵伝四幅(ヨンプク)だった。裏書(ウラガキ)の日付は八月八日になっていた。昨日のうちに書いたとしても、日付が十日もずれていた。そして、蓮崇の住所は吉崎でもなく、湯涌谷でもなく、蓮崇の生まれた越前の住所が書かれてあった。
蓮如は昨日、蓮崇に破門を言い渡した後、居間に帰って、やっとの思いで破門状を書いた。その破門状の日付が八月の十八日だった。破門状を書いた後、本願寺のために破門となる蓮崇のために何かを贈ろうと思った。丁度、手元に河内久宝寺(カワチキュウホウジ)道場の法円に下附(カフ)するはずの親鸞影像と親鸞絵伝があった。法円には悪いが、法円のための影像と絵伝は、改めて絵師に頼む事にして、それを蓮崇に贈る事にした。そして、裏書の日付を書く時になって、破門状と同じ日付ではまずいと思い、破門状の十日前の日付にしたのだった。
蓮崇は影像と絵伝に合掌し、そして、蓮如のいる御山に向かって合掌した。
蓮崇は慶聞坊に、蔵の中にある物をすべて、本願寺に寄進する事を告げ、蔵の鍵を渡した。慶聞坊が鍵を持って蔵の方に行くと、蓮崇は多屋で働いていた者たちの中の何人かを集め、急用ができて出掛けなければならなくなった。もしかしたら、今度の講までに帰れんかもしれん。その時は門徒たちの面倒をよく見てやってほしい、と告げた。破門の事は言わなかった。この者たちに言えば、あっという間に吉崎中に知れ渡ってしまう。二十五日の講までは内緒にしておきたかった。その後の彼らの事は、下間一族の長老である玄永(ゲンエイ)に任せてあった。
蓮崇は一人でここから出て行くつもりでいたが、弥兵はいつものように蓮崇の供をするつもりで旅支度をしていた。弥兵を連れて行くかどうか迷ったが、どうせ、湯涌谷にも寄るつもりだったので、弥兵とはそこで別れればいいと思い、荷物持ちとして連れて行く事にした。
風眼坊とお雪の二人が旅支度をしてやって来た。二人共、武士のなりをしていた。二人の姿を見て、皆、目を円くした。皆、風眼坊の侍姿を見るのは初めてだったし、それ以上に驚いたのは、お雪の若武者姿だった。
「どうしたんじゃ、その格好は」と慶覚坊は呆れた顔をして聞いた。
「どうじゃ、なかなかなもんじゃろう」
「まあ、おぬしは構わんが、お雪殿までが、何じゃ、その格好は」
「わけがあるんじゃ、わけが。お雪の侍姿もなかなかいいもんじゃろ」
「何を考えておるんだか、いい年をして、ふざけてやがる」
「わしらもここを去る事となった。慶覚坊、世話になったな。落ち着き先が決まったら知らせるわ。達者でな」
「ああ。蓮崇殿を頼むぞ」
「分かっておる」
「お雪殿。馬鹿な奴じゃが面倒を見てやってくれ」と慶覚坊はお雪に言った。
お雪は笑いながら頷いた。
「おお、そうじゃ。忘れる所じゃった。途中、飯道山に寄って行くつもりじゃ。伜に言伝(コトヅテ)があったら伝えてやるぞ」
「飯道山に寄って行くのか、そうじゃのう。別にないが、帰って来る時は強そうな奴を何人か引き連れて来い、と伝えてくれ」
「うむ。分かった。負けるなよ」
「ああ」
一行は大聖寺川の船着場に向かった。夕べ、蓮崇の多屋に泊まった慶覚坊と影像を持って来た慶聞坊の見送りを受けながら、蓮崇、弥兵、風眼坊、お雪の四人を乗せた小舟は大聖寺川をさかのぼり、軽海の守護所に向かって旅立って行った。
蓮崇は吉崎の御山が見えなくなるまで、ずっと両手を合わせながら眺めていた。
蓮崇たちが吉崎を去るのと入れ違いに、松岡寺蓮綱と光教寺蓮誓が揃ってやって来た。
吉崎の多屋衆たちは二人を見ながら噂していた。昨日、大津の順如殿が来て、今日は蓮綱殿と蓮誓殿が来た。いよいよ、上人様は決断なされた。戦も間近いぞと、ひそひそと話し合っていた。
蓮綱と蓮誓の二人は書院ではなく、庫裏の客間の一室に通された。
客間には二人の兄の順如がいた。二人が順如に会うのは久し振りだった。三人は懐かしそうに、お互いの事を話し合った。
しばらくして、慶覚坊と慶聞坊が現れた。
「蓮崇はどうした」と蓮綱は何気なく聞いた。
慶覚坊と慶聞坊は顔を見合わせるだけで答えなかった。
「もしや?」と蓮綱は言った。
慶覚坊と慶聞坊は同時に頷いた。
「いつじゃ」
「昨日」と慶覚坊は言った。
「まだ、吉崎にはおるんじゃろ」
「つい今し方、船で本泉寺に向かいました」と慶聞坊が言った。
「そうか‥‥‥蓮崇はしばらく、本泉寺におる事になったのか」
慶聞坊は首を振った。「本泉寺には蓮崇殿の家族がおります。別れを告げたら、どこかに行くつもりでしょう」
「どこに行くんじゃ」
「分かりません」
「蓮崇の馬鹿者めが‥‥‥わしに一言も告げんで、いなくなりおって‥‥‥」
蓮綱は目を押えていた。
蓮誓は、そんな兄を珍しい物でも見るかのように眺めていた。
蓮如が現れた。
蓮如は蓮綱と蓮誓の前に坐り込むと、二人の顔を眺めた。
「蓮綱、どうかしたのか」と蓮如は目を押えたままの蓮綱に聞いた。
「いえ、何でもありません」
「そうか‥‥‥お前たちも、今の加賀の状況は充分に知っておる事と思う。門徒たちは戦の準備を始めておるらしいが、絶対に戦をさせるわけにはいかん‥‥‥蓮崇は破門した。なぜ、破門になったか分かるか。蓮崇は本願寺のために、門徒たちに戦をさせないために、自ら破門となった。蓮崇の破門を無駄にしないためにも、わしはここを去る事にした。お前らも加賀から去るのじゃ」
「わしらもですか」と蓮綱は言った。
「そうじゃ。お前らが残れば、第二の蓮崇に成りかねん。戦を望んでおる門徒たちに、大将として祭り上げられる事になるじゃろう。もし、そんな事になったら、たとえ、子供であろうとも破門しなければなるまい」
「分かりました‥‥‥いつ、ここを去るのです」と蓮綱が聞いた。
「早い方がいい。お前らも何かと準備があろう。勿論、お前らの家族もここから去る事となる。わしは明日の夜中にここを出る。お前らも早いうちに加賀から出て、とりあえずは、大津の顕証寺に行ってくれ。遅くとも二十四日までには絶対に加賀から離れろ」
「今月の吉崎の講はどうするのですか」と蓮誓が聞いた。
「講の事は、本覚寺の蓮光に任せる。蓮光をここの留守職(ルスシキ)を頼むつもりじゃ。その講の時、わしらの吉崎退去と蓮崇の破門を公表してもらうつもりじゃ」
「本泉寺の兄貴は残るのですか」と蓮綱は聞いた。
「いや、蓮乗には瑞泉寺にいてもらう。本泉寺に行く事を禁止するつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥」
「どうじゃ、わしのやり方に賛成してくれるか」と蓮如は二人の顔を窺った。
「仕方ありません。父上がここを出るというのなら、俺も出ます」と蓮誓は言った。
「蓮綱はどうじゃ」
「わしは、ここが好きじゃ。しかし、まだ、一ケ所に落ち着く年じゃない。そろそろ、新しい土地に移るのも悪くない」
「そうか、分かってくれたか。すまんのう。蓮誓は慶覚坊と、蓮綱は慶聞坊と一緒に、今から帰って準備に掛かってくれ。できれば、執事だけに訳を話し、他の者たちには内緒に事を運んでもらいたい」
「夜逃げですね」と蓮誓は言った。
「知られると、また、門徒たちが騒ぎ出すからのう」
「夜逃げか、面白い」と蓮綱は笑った。「誰にも分からないように、夜中にこっそり抜け出すか」
蓮綱と蓮誓は、慶覚坊、慶聞坊を連れて帰って行った。
蓮如は妻の如勝に訳を話して、ここを出る準備をさせた。
蓮如一人が出て行くのならわけなかったが、吉崎には幼い蓮如の子供たちが五人もいた。引っ越しするのも大騒ぎだった。蓮如の執事の頼善の子供たちが何かと手伝ってくれた。
次の日、本覚寺の蓮光が呼ばれて、吉崎にやって来た。蓮光も勿論、蓮崇が書いた偽の書状を本物と思い、戦の準備を始めていた。今回、呼ばれたのは、その戦に関する作戦の打ち合わせだと思い込んで張り切ってやって来た。
対面所において蓮如と二人きりで会い、事の真相を聞かされて、驚くと同時に信じられなかった。まず、蓮崇が破門になったという事が信じられないし、蓮如がここから去るなんていう事は考えてもみない事だった。
蓮光は、蓮如から吉崎御坊の留守職を頼まれたが、頭の中が混乱していた、何と答えたらいいのか分からなかった。
蓮光は初め、蓮崇の噂を耳にした時、そんな事はあるまいと信じなかった。しかし、蓮如の書状を見て、とうとう、蓮如も戦の決心をしたのだと思った。
本覚寺は、本願寺三代目の覚如(カクニョ)の弟子、信性(シンショウ)が創立した古くからの本願寺の寺院だった。九頭竜(クズリュウ)川流域に数多くの門徒を持つ有力寺院だった。蓮如が吉崎に進出するのに、骨を折ってくれたのが本覚寺の蓮光で、蓮如は北陸の門徒たちの中でも、蓮光を一番、信頼していた。蓮光は蓮如が争い事を好まない事は充分に知っていた。しかし、蓮光は越前において朝倉弾正左衛門尉孝景という武将を身近に見て来ていた。朝倉弾正左衛門尉が守護である斯波(シバ)氏の被官(ヒカン)の身でありながら斯波氏と戦い、実力を持って守護の地位に就いたのを間近に見て来た。
去年、本願寺が戦をして、加賀の守護だった富樫幸千代を滅ぼした。その時以来、蓮光は、蓮如が朝倉弾正左衛門尉と同じ道を歩み、加賀の守護になるのではないか、と心の片隅で思っていた。ところが、戦が終わると、蓮如はそんな事をおくびにも出さなかった。守護の命には服せ、との掟まで書いていた。上人様は朝倉とは違う。もう二度と戦を命じる事はあるまい。変な勘ぐりをした自分が間違っていたと確信した。
蓮光も、北加賀で、富樫によって寺院が焼かれたとの噂は聞いていた。蓮如は動かなかった。超勝寺の連中が北加賀に行って、何やらしている事も知っていた。弟の長光坊が、もう一度、北加賀に行こうとしたが引き留めた。去年の戦が終わってから超勝寺の一派が何かと威張り出し、蓮崇に反発して行った。吉崎は完全に超勝寺派と蓮崇派に分かれていた。
本覚寺は超勝寺と同じ越前にあったが蓮崇派だった。蓮崇派だったため、木目谷が襲われた最初の北加賀の戦の時は、兵を引き連れて出掛けて行った長光坊も、その後、北加賀の事に首を突っ込まなかった。そんな時、蓮崇の噂を聞き、蓮如の書状を読んだ。蓮如も、とうとう本音を出したな、と思った。蓮如がやる気なら超勝寺の奴らに負けるものか、と長光坊を中心に戦の準備を着々と始めた。もう、すっかり準備が整い、いつ、命令が下されてもいい状況となった時、蓮光は吉崎に呼ばれた。蓮光は自分が蓮崇派だから、蓮崇から内密に作戦を聞かされるものと思って、勇んでやって来た。
対面所に通され、まず、蓮崇が出て来るものと待っていたが、蓮崇は現れず、蓮如が一人で来て、意外な事を聞かされる事となった。
蓮崇が破門されたと聞き、まず、思ったのは、蓮崇派だった自分も何か罰が下されるのかと心配した。ところが、蓮如は、吉崎御坊の留守職を務めてくれと言う。留守職と言われてもピンと来なかった。蓮如の説明を黙って聞いているうちに、留守職というのが、北陸の地において、蓮如の代理を務める事だという事がだんだんと理解できた。
蓮如、蓮綱、蓮誓は北陸から去ると言う。蓮乗は北陸からは去らないが、加賀から出て、越中に行くと言う。蓮崇は破門されて、すでに、いない。という事は、留守職に就けば、自分が北陸門徒の中心になるという事だった。信じられない事が起ころうとしていた。超勝寺は蓮如と血のつながりのある一門寺院だった。その超勝寺を差し置いて、自分が、吉崎の留守職になるとは考えられなかった。その疑問を蓮光は蓮如に聞いてみた。
「分かっておる」と蓮如は言った。「わしがおらんようになれば、当然、留守職となるのは超勝寺の一族じゃろう。しかし、超勝寺の巧遵は隠居し、跡を継いだ蓮超はまだ十一歳じゃ。巧遵の兄弟の浄徳寺の慶恵、善福寺の順慶の二人は、今回の北加賀での騒ぎの張本人ともいえる奴らじゃ。そんな奴らに吉崎を任せる事はできん。わしがおらんようになれば、邪魔者がいなくなったと言って、すぐにでも戦を始めるじゃろう。蓮崇が破門になったのも、わしらがここを去るのも、門徒たちに戦をさせんためじゃ。絶対に戦をさせてはならん。その事だけは、必ず守ってくれ。いいな」
「はい‥‥‥しかし、わたしに、そんな事ができるか自信がありません」
「大丈夫じゃ。今度の二十五日の講には、各地から有力門徒らが大勢集まる事じゃろう。そなたは、その席において重大発表を行なう。その重大発表とは、蓮崇の破門とわしの吉崎退去じゃ。蓮崇が破門された理由は、わしに事実を告げず、門徒たちを扇動して、戦をさせようとしたためじゃ。そして、わしの筆跡を真似て、偽の書状まで書いて門徒たちを惑わしたためじゃ」
「偽の書状?」
「そうじゃ。この前、ばらまかれた書状じゃ。蓮崇は、わしをここに閉じ込め、あんな書状を書いてばらまいたのじゃ」
「蓮崇殿が上人様を閉じ込めた?」
「そうじゃ。いいか。戦を扇動した蓮崇は破門した。たとえ、北陸の地を離れても、蓮崇と同じ事をしようとたくらむ者は破門にする。そう言い渡すのじゃ」
「‥‥‥かしこまりました」
「頼んだぞ」
「はい‥‥‥ところで、上人様は、いつ、ここを去られるのですか」
「今日の夜中じゃ。正確に言えば、明日の夜明け前じゃ。わしが、ここからいなくなった事は、二十五日まで内緒にしておいてくれ。また、門徒たちが騒ぐからのう。そなたは二十五日まで、ずっと、ここから出ないでもらいたい。ただ一つ問題がある。軽海の守護所の動きが気になる。大勢の門徒たちが集まっている二十四日に、山川三河守が攻めて来るとの噂もある。一応、手を打ってはあるが、もし、攻めて来た場合は、わしが逃げたという事を三河守に告げて貰いたい。絶対に戦ってはならんぞ」
「もし、上人様がいない事を告げても、敵が攻めて来た場合はどうします」
「留守職である、そなたの判断に任せる。なるべく、犠牲者を出さないようにしてもらいたい」
「かしこまりました」
「そなたには、ここに来るまで色々と世話になり、出て行く時も世話を掛ける事となったのう。すまんが、よろしく頼むわ。後の事は執事の玄永から聞いてくれ」
そう言うと蓮如は部屋から出て行った。
蓮光は、蓮如の後ろ姿に深く頭を下げた。
4
吉崎を後にして、大聖寺川をさかのぼった蓮崇一行は、菅生(スゴウ)の石部(イソベ)神社で上陸し、陸路、軽海に向かった。
軽海の城下に入ったのは七つ(午後四時)前だった。一行は守護所の近くの旅籠屋に部屋を取って、お雪と弥兵を残し、さっそく、山川三河守に会いに出掛けた。
守護所の警備は厳重だった。すでに、戦が始まっているかのように、武装した兵がうようよしている。皆、殺気立って走り回っていた。
「こいつは、三河守に会うのは難しそうじゃのう」と風眼坊はそれとなく回りを観察しながら言った。
蓮崇も侍のなりをしていた。敵地に乗り込むのに本願寺の坊主の格好では、三河守に会う前に捕まりかねなかった。石部神社の門前町で、古着と刀を捜して着替えていた。坊主頭はどうにもならないが、入道頭の武士は何人もいる。まあ、何とかなりそうだった。
「どうしたらいいかのう」蓮崇はあちこちでたむろしている武装兵を眺めながら言った。
「三河守は、当然、そなたが本願寺の大将だと思っておる。という事は、ここにおる連中は皆、そう思っておるじゃろう。もし、そなたの正体がばれたら殺される事も充分に考えられるのう」
「風眼坊殿、脅かさんでくれ」
「正門から堂々と入るか、忍び込むかじゃな」
「忍び込む?」
「まあ、無理じゃな。捕まってしまったら三河守に会う前に首を斬られるかもしれん」
「どうしたら、いいんです」
「覚悟を決めて、正門から突撃するかのう」
「正門からですか‥‥‥三河守の屋敷は東門から入るとすぐなんですが」
「東門? どこじゃ」
「そこの土塁に沿って右に曲がった所にあります」
「そうか、とりあえず、そこに行ってみるか」
守護所を囲む土塁の隅に見張り櫓(ヤグラ)があり、下を通る者たちを見張っていた。
風眼坊と蓮崇は高い土塁に沿って東門の方に向かった。大勢の人足たちが土塁と空濠の修繕に励んでいた。
風眼坊は、無駄な事をしているなと思いながら眺めていた。
いくら深い濠を掘って、高い土塁を積み上げたとしても、数万の門徒たちに攻められたら、平地にあるこんな守護所など一溜まりもなかった。この乱世の時期に、こんな平地に守護所があるのも不思議な事だったが、今まで、加賀の国では守護所を攻めて来る者などいなかったのに違いない。去年の本願寺の戦以前は、古いやり方のまま戦をしていたのだろう。城を攻める事はあまりなく、野戦を中心とした戦だったに違いなかった。今までは、こんな守りでも充分に通用したが、これから先、生き延びて行くためには、一乗谷の朝倉のように、山の上に城を構えなくては無理だろうと風眼坊は思った。
守護所の一画にある山川三河守の屋敷の門の前には、二人の兵が槍を突いて左右に立っていた。
「行くぞ」と風眼坊は蓮崇に小声で声を掛けると、さっさと門の方に向かって行った。
ちょっと待ってくれ、と蓮崇は言おうとしたが、風眼坊は真っすぐに門に向かっていた。
蓮崇も覚悟を決めて、風眼坊の後を追った。
風眼坊は門の前に立ち、二人の門番を交互に睨むと、頷いて、「よろしい」と言った。
「何じゃと。何者じゃ」
「三河守殿は御在宅か」と風眼坊は高飛車に言った。
「何者じゃ、名を名乗れ!」左側の若侍が槍を構えた。
「本折(モトオリ)越前守の家臣、風間小太郎じゃ。内密の命で三河守に会いたい。至急を要する事じゃ」
「はっ、少々お待ち下さい」と右側の年配の男が言った。
「いや、案内はいい。しっかりと門を守っておれ。左衛門尉殿、参ろう」
貫禄負けであった。
侍姿の風眼坊は堂々としていて、どう見ても一角(ヒトカド)の武将だった。門番の二人は風眼坊の気迫に負け、さらに、本折越前守の名を出されたので、すっかり、風眼坊の言う事を信用してしまった。風眼坊の後から来る蓮崇も、門番たちを睨みながら偉そうにして門をくぐった。
門の脇に小屋があり、五、六人の兵が詰めていたが、風眼坊たちをチラッと見ただけで、無駄話に熱中していた。
風眼坊は中門廊(ナカモンロウ)の脇から、まるで、我家に帰って来たかのごとく、さっさと屋敷の中に入り込んで行った。蓮崇も風眼坊に従った。
「三河守殿おるか」と風眼坊は声を掛けた。
すぐ側の部屋から、老武士が現れた。老武士は風眼坊と蓮崇の二人を見ながら、「どなたですかな」と静かな声で言った。
「本折越前守、家臣、風間小太郎と安芸(アゲ)左衛門尉。殿より内密の命を受けて参上した。至急を要す。すぐに三河守殿に伝えてくれ。書院の方で待っておる」
そう言うと風眼坊はさっさと書院の方に向かった。
「頼むぞ」と蓮崇は言って風眼坊の後に従った。
書院には誰もいなかった。
風眼坊は庭園の見える部屋に入ると、刀を腰から抜いて腰を下ろした。
「書院の場所がよく、分かりましたね」と蓮崇も刀を抜きながら聞いた。
「武家屋敷なんていうものは、どこでも似たようなもんじゃ。門をくぐって、入った途端に、すぐに分かったわ」
「成程。しかし、恐れいりました」
「なに、気合じゃ」
「気合?」
「敵の機先を制し、気合を入れて、相手を飲み込んでしまうんじゃ」
「ほう。なかなか難しいもんですな」
「たとえばのう、山の中で熊と出会った時の呼吸じゃ」
「熊ですか‥‥‥わしにはよく分からんのう」
「さて、これからじゃ。三河守がうまく来てくれればいいがのう」
「ここまで来れば、大丈夫でしょう」
庭園の後ろを通って門番の一人が守護所に向かうのが見えた。
「三河守は、どうやら守護所の方らしい」と蓮崇は言った。
「軍議に忙しいのじゃろう」
三河守は半時程して現れた。庭園の後ろを通って来る姿が見えた。予想に反して一人だった。
風眼坊と蓮崇は坐り直して、三河守を迎えた。
三河守は急ぎ足で廊下を歩いて来て、部屋の入り口に立ち止まると二人を眺めた。一瞬、不審そうな顔をしたが、気を取り直して入って来た。
「三河守殿、そなたに、是非、会わせたいお人がおります」と風眼坊は言った。
「殿からの内密の命で、いらしたとか‥‥‥」と三河守は二人の前に坐った。
「三河守殿、お久し振りです」と蓮崇は頭を下げた。
三河守は初め分からなかったようだったが、やがて、口を開けると、「蓮崇殿か‥‥‥」と呟(ツブヤ)いた。
蓮崇は頷いた。「三河守殿に是非とも聞いていただきたい話がございまして、こうして訪ねて参りました」
「蓮崇殿‥‥‥まさか、そなたが、ここにおるとはのう‥‥‥信じられん事じゃ」
「三河守殿、結論から言います。わたしは本願寺を破門になりました。そして、上人様は近いうちに吉崎から去ります」
「なに、そなたが破門になった?‥‥‥嘘を言うな。本願寺の門徒たちは皆、戦の準備を始めておるではないか。しかも、蓮如殿が二十五日の講の席で重大発表をするとの書状も出回っておる」
「門徒たちに戦をさせないために、わたしは破門になりました。そして、講の席での重大発表というのは、わたしの破門の事と上人様が吉崎を出て行ったという事です」
「信じられん‥‥‥戦をやめさせるために、そなたが破門になったと申すのか」
「はい。あれだけ噂が広まってしまえば、わたしが破門にならない限り、騒ぎは治まりません」
「うむ、しかし‥‥‥そなたが破門か‥‥‥そして、蓮如殿は吉崎を去るのか‥‥‥」
「皆、三河守殿の思い通りとなったわけです」
「わしの思い通りに?」
「例の噂を流したのは三河守殿でしょう」
「いや、わしは知らん」
「もう、済んだ事です。ただ、三河守殿にお願いしたい事がございます」
「何じゃ」
「本願寺が戦をやめたら、三河守殿も門徒たちの攻撃を中止してほしいのですが」
「‥‥‥よかろう。そなたの言う事が事実で、本願寺が戦をやめれば、わしらもやめるであろう」
「本当ですね」
「ああ。そなたの破門を無駄にはせん」
「その事を約束していただければ、門徒としての、わたしの最後の仕事は終わりです。有り難うございます」
「最後の仕事か‥‥‥蓮崇殿、これから、どうするつもりなのじゃ」
「まだ、決めてはおりませんが、しばらくは、この地を離れて考えます」
「そうか‥‥‥蓮崇殿もおらなくなるか‥‥‥」
「三河守殿、後の事はお願いします‥‥‥それでは、この辺で失礼致します」
「なに、もう、帰られるのか」
「はい。門徒たちは、まだ、わたしが破門になった事を知りません。なるべく早いうちに、加賀から出たいのです」
「そうか‥‥‥気を付けて行かれるがいい」
風眼坊は軽く頭を下げると立ち上がった。
「失礼致します」と言って、蓮崇も立ち上がった。
二人が出て行こうとした時、三河守が声を掛けた。
「蓮崇殿、戻って来たくなったら、いつでも戻って来るがいい」
「はい。分かりました」と蓮崇は答えた。
二人は来た時と同じように、門番に威勢よく声を掛けて、さっそうと出て行った。
「うまく、行ったな」と風眼坊は言った。
「ええ。これで、戦は起こらないでしょう」
「蓮崇殿、三河守が最後に言った事が気になるんじゃが、どう言う意味じゃ」
「あれは以前、三河守が、わしに富樫家に仕官しないかと誘った事があったのです。まだ、諦めておらんのでしょう」
「成程、三河守にしてみれば、蓮崇殿が本願寺から破門となれば、味方に引き入れる事も可能じゃからのう。本願寺の内部事情に詳しい蓮崇殿を味方に付ければ、何かと都合がいいからのう。三河守もなかなか食えん男じゃな」
風眼坊と蓮崇は旅籠屋に戻ると、お雪と弥兵を連れて軽海の城下を後にした。
風眼坊も蓮崇も何となく嫌な予感がしていた。三河守が今更、蓮崇を捕えに来るとは思えなかったが、この城下に泊まるという気分にはならなかった。お雪も、早くここから出たいと言うし、まだ日も暮れていなかったので、一行は軽海から離れる事にした。
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