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11.三浦次郎左衛門尉
1
駿府屋形内の長谷川法栄(ホウエイ)の屋敷に隠れている富嶽、多米権兵衛、荒木兵庫助の三人から、お屋形内の詳しい状況を聞くと早雲と小太郎の二人は、三浦屋敷の南隣にある木田伯耆守(ホウキノカミ)の屋敷に潜入し、待機していた。
木田伯耆守は元、御番衆の一番組の頭だったが、小鹿新五郎がお屋形様になったために頭の地位を奪われ、家臣を引き連れて小河(コガワ)の長谷川屋敷に移っていた。四番組の頭だった入野兵庫頭(ヒョウゴノカミ)も木田と一緒に駿府屋形から去っていた。二人共、今川一族であるため、二の曲輪(クルワ)ではなく、本曲輪内に屋敷を持っていた。今は二人共、竜王丸の御番衆となって、入野は竜王丸のいる小河の長谷川屋敷を守り、木田は摂津守の青木城を守っていた。
早雲と小太郎は誰もいない木田屋敷の台所で夜が更けるのを待っていた。二人は武士の格好をしている。お屋形内をうろつくのに一番目立たない格好だった。
二人は下帯一つで北川に入り、水の中を潜って道賀亭の濠に出た。濠から上がると、すぐ側にある北川衆の屋敷に入った。北川衆の屋敷は四軒並んでいて、今は全部、空き家となっている。小太郎はいつも、その家に着替えを置いていた。そこで武士になった二人は堂々と本曲輪内を歩いて長谷川屋敷に入って行った。勿論、長谷川屋敷への出入りは誰にも見られないように注意を払った。そして、暗くなってから木田屋敷に忍び込んだのだった。
「さすがに、御番衆がウロウロしておるのう」と早雲は言った。
「まあな‥‥‥ここから抜け出すのは難しいわ」
「もし、三浦殿が本拠地に戻ると言っても出られないんじゃろうか」
「さあ、どうかのう。三浦は出られるかもしれんが、残った者は人質となろうのう。三浦が裏切ったら人質は殺される」
「うむ、じゃろうの」
「とにかく、三浦に会ってからじゃ」と小太郎は板の間に横になった。「本人が寝返る気もないのに、あれこれ考えてみてもしょうがない」
「それもそうじゃな」と早雲は板の間に上がった。
台所は綺麗に片付けられてあった。余裕を持って引き上げたようだ。木田伯耆守が引き上げる頃は去る者は追わずだったので、きちんと掃除をしてから引き上げたのだろう。
「小太郎、今、小鹿派の軍勢はどれ位なんじゃ」と早雲が振り返って聞いた。
「今、駿府におる軍勢か」と小太郎は天井を見上げたまま言った。
「ああ」
「ここ、本曲輪に三番組と五番組がおるじゃろう。三百人余りおるのう。それと、小鹿新五郎の屋敷を守る宿直(トノイ)衆が二百位おるかのう。二の曲輪には二番組が百五十人。詰(ツメ)の城に、庵原安房守(イハラアワノカミ)と矢部将監(ショウゲン)の兵が二百。お屋形の回りに興津、蒲原、矢部美濃守の兵が三百といった所かのう」
早雲は小太郎の側に腰を下ろすと懐から紙と筆を出して、小太郎の言う事を書きとめた。
「しめて、一千百五十か‥‥‥おい、福島越前守の兵は帰ったのか」
「おっ、忘れておった。越前守と葛山播磨守の兵、五百が阿部川におったわ」
「ほう。葛山の兵も来ておったのか」
「ああ。いくら遠いといっても兵を連れて来ないんじゃ越前守に主導権を握られるからのう」
「三浦の兵はおらんのか」
「五番組だけじゃな。阿部川を封鎖されて来られんのじゃろう」
「そうじゃのう‥‥‥しめて、一千六百五十人余りという事じゃな」
「一千六百五十か‥‥‥竜王丸殿の兵力はどんなもんじゃ」
「阿部川に六百、青木城に三百という所かのう」
「九百か」
「今、この辺りにおるのはのう。あと四百余りが三浦殿の大津城を包囲しておるじゃろう。それと、遠江勢によって天野兵部少輔の犬居城も包囲するつもりじゃが、これは、すぐにというわけにもいかんじゃろう」
「うむ‥‥‥三浦次郎左衛門を寝返らせたとして、その後はどうするんじゃ」
「後は葛山播磨と福島越前を仲間割れさせる」
「それで? どっちを味方に付けるんじゃ」
「ふむ。どっちがいいかのう」
「どっちも一筋縄で行く相手じゃない事は確かじゃ。下手をすれば関東の軍勢を呼び込む事も考えられるわ」
「関東か‥‥‥扇谷(オオギガヤツ)上杉か‥‥‥まずいのう。それだけはやめさせなくてはならんな」
二人は一時程待つと行動を開始した。
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下弦の月が出ていた。
木田屋敷の裏門から外に出ると、木田屋敷と三浦屋敷との間の通りに出た。通りに人影はなかった。小太郎が言うには警固の人数は増えたが以前程、警戒は厳しくはないという。以前は、お屋形内に敵、味方が共にいたので、それぞれが敵の動きを見張って、厳重に見回りをしていたが、今はお屋形内にいるのは皆、味方で、敵は外にいる。しかも、お屋形の回りにも軍勢が守っているので、敵が潜入する事など不可能だと安心しているようだった。
早雲は以前、忍び込んだ小太郎の案内で、三浦屋敷の塀を乗り越えて屋敷内に入った。
目の前に大きな建物があり、障子越しに明かりが見えた。
「あれが、湯殿じゃ」と小太郎は奥の方に見える建物を示しながら言った。
「この前、覗いたら、若い女子(オナゴ)が湯浴みをしておった。いい眺めじゃったぞ。三浦殿の愛妾(アイショウ)らしい。なかなかいい女子じゃった」
「ずっと、覗いておったのか」
「ああ。滅多に見られるもんじゃないからのう」
「のんきなもんじゃ」
「ちょっと覗いてみるか。また、おるかもしれん」
「明かりがついておらん。誰もおらんわ」
「そうか、残念じゃのう。もうちょっと早く来ればよかったかのう」
「そんな事より、三浦殿はどこにおるんじゃ」
「そこにおるじゃろ。向こう側の部屋じゃ」
二人は身を低くしながら建物の縁側に沿って向こう側に回った。障子の向こうに三浦次郎左衛門尉の姿が見えた。文机(フヅクエ)に座って何かを読んでいる。その部屋には次郎左衛門尉以外、誰もいなかった。隣の部屋は暗い。誰もいないようだ。
次郎左衛門尉のいる建物の西側にも大きな建物があり、どうやら、それは主殿(シュデン)のようだった。主殿の方にも人のいる気配はなかった。主殿の南面から西面にかけて庭園が広がり、庭園にも人影はなかった。
早雲は立ち上がると、小声で次郎左衛門尉に声を掛けた。
次郎左衛門尉は顔を上げると、正面に立っている早雲を見た。
「早雲です」と言いながら口を押える仕草をした。
「早雲殿か」と次郎左衛門尉は言った。驚いている様子は少しもなかった。じっと早雲を見つめてから、「一体、どうしたのじゃ。こんな所に」と落ち着いた声で聞いた。
「御無礼な事とは存じましたが、三浦殿と至急、お話をしなければならなくなりましたので、こうして、やって参りました。何卒、お許し下さい」早雲も次郎左衛門尉を見つめながら、静かな声で言った。
「わしに話?」
「はい。できれば内密にお願いしたいのですが」
「内密にか‥‥‥よかろう。わさわざ、危険を冒して、ここまで来たからには余程の話なんじゃろう。しかし、ここではまずいのう。よし、主殿の方で話を聞こう」
次郎左衛門尉は部屋から出ると主殿に向かった。早雲と小太郎は庭を通って主殿に向かった。主殿の向こうに表門が見えた。門は閉ざされ、門番小屋から明かりが漏れていたが、人影は見えなかった。やがて、主殿の廊下に手燭(テショク)を持った次郎左衛門尉が現れ、一室に入ると襖(フスマ)を閉めた。南側の門番から見えない襖が開くと、次郎左衛門尉は早雲と小太郎を手招きした。
そこは畳十二枚が敷き詰められた広間だった。回りは山水の画かれた襖で囲まれ、奥の方には上段の間があるようだった。
小太郎は耳を澄まして回りの状況を窺った。誰かが隠れて、二人を狙っている可能性もあったが、そんな気配は感じられなかった。
次郎左衛門尉は燭台に火を移すと二人を見た。
「それにしても、よく、お屋形内に入れたものじゃな。早雲殿は昔、行者(ギョウジャ)だったという噂を聞いた事があったが、まさしく、行者のようじゃ」
「風眼坊は紛れもない行者です」と早雲は小太郎を示した。「風眼坊の案内でここまで来る事が出来ました」
「風眼坊殿か‥‥‥北川殿におられた方じゃな」
小太郎は次郎左衛門尉を見つめながら頷いた。
「北川殿と竜王丸殿が急にお屋形内から消えられたが、それも、そなたの仕業と見えるのう。大したもんじゃ」次郎左衛門尉は軽く笑うと早雲の方を見て、「それで、至急の話とは?」と聞いた。
「はい。三浦殿、竜王丸派と摂津守派が一つになったのは御存じでしょうか」
「存じておる」
「そこで、お願いがございます」
次郎左衛門は何も言わずに、早雲を見ていた。
「実は、三浦殿に寝返ってもらいたいのです」と早雲は単刀直入に言った。
「わしに竜王丸派になれと申すのか」
「はい。竜王丸派と摂津守派が一つになった事により、阿部川以西は我らの勢力範囲となりました。三浦殿の本拠地を除けばです。このままの状態ですと、三浦殿の本拠地を我らの手で奪い取るという事になりかねません。我らのもとには血の気の多い者がかなりおります。摂津守殿を初めとして福島土佐守殿、岡部五郎兵衛殿などがおります。彼らは三浦殿の城を落とせと主張しております。彼らは戦がしたくて、うずうずしておるのです。わたしは今川家内で戦をするのは絶対に反対です。一つの戦が始まれば連鎖反応を起こして、駿河中で戦が始まる事でしょう。そうなったら、今川家は終わりです。誰をお屋形様にするかなどという家督争い以前に今川家の存亡に関わって参ります。戦を始めさせないためにも、三浦殿に寝返って欲しいのです。いかがでしょうか」
次郎左衛門は黙っていた。
「今川家のためです」と早雲は言った。「三浦殿が小鹿新五郎殿を押した気持ちは分かります。今の今川家を発展させて行くには、備前守殿よりも、摂津守殿よりも、まして、まだ六歳の竜王丸殿よりも、小鹿新五郎殿の方がふさわしいと思うのは当然です。しかし、強引にお屋形を占拠して新五郎殿をお屋形様にしても、それだけでは何も解決にもなりません。返って、それぞれの派閥の溝を深めただけです。竜王丸殿の後見役となっておられる摂津守殿は少々、頼りないとお思いでしょうが、何とぞ、重臣の方々が助けて、今後の今川家を見てやって下さい。お願い致します」
「‥‥‥今川家のためか」と次郎左衛門尉は呟いた。
「はい。お願いします」
「わしが寝返ったとして、それで、うまく行くと申すのか」
「とりあえずは、戦を避ける事ができます」
「‥‥‥そなたの言う事は分かった。しばらく、考えさせてくれ」
「はい。しかし、時があまり、ありません。今朝、福島土佐守殿が大津城を落とすと言って、兵を引き連れて現地に向かいました」
「そうか‥‥‥一つ、聞きたいのじゃが、もし、寝返ったとして、どうやって、ここから出ればいいんじゃな。今更、寝返ったから出ると言っても播磨守が頷くとは思えん」
「三浦殿が寝返った場合、三浦殿の身内は勿論の事、下男、下女にいたるまで、すべて、ここから逃がすつもりです」
「なに、下男、下女まで逃がすと?」
「はい」と早雲は力強く頷いた。
「そんな事ができるのか。わしの屋敷は最近、播磨守の手下に見張られておるのだぞ」
「やはり、そうでしたか」
「うむ。そなたらがわしの寝返りを考えたように、播磨守もわしが寝返りはせんかと怪しんでおるのじゃ」
「大丈夫です。三浦殿が寝返る気がおありなら何とか考えてみます」
「そうか‥‥‥」
「明日の今頃、また、参ります。その時、御返事をお聞かせ下さい」
「明日の今頃か‥‥‥分かった」
「失礼いたします」
早雲と小太郎の二人は次郎左衛門尉に頭を下げると庭に下り、闇の中に消えて行った。
次郎左衛門尉は二人の消えた庭園をじっと見つめていた。
次の日の夜、早雲と小太郎が三浦屋敷に行くと、次郎左衛門尉は身内の者を集めて、昨夜と同じ広間で待っていた。
二人を広間に入れると、宿直(トノイ)衆の格好をした武士が外を窺って襖を閉めた。
「信じられませんな。わしらの警戒を破って、ここに来るとは」と右京亮(ウキョウノスケ)が言った。
「いやあ、苦労しました」と早雲は言った。
小太郎は懐の中に隠した右手で手裏剣を握っていた。次郎左衛門尉の本意が分かるまでは油断できなかった。襖の向う側に敵が隠れてはいないか、耳を澄まして探っていた。
「さっそくですが、昨日の件の答えは出ましたでしょうか」と早雲は聞いた。
次郎左衛門尉は頷いた。そして、早雲と小太郎に同席している三人を紹介した。
次郎左衛門尉の左に座っていたのが寺社奉行の三浦石見守(イワミノカミ)、右側に座っている二人は弟の御番衆の五番組頭、三浦右京亮と甥の宿直衆の三番組頭、三浦彦五郎だった。
早雲は三人共、会うのは初めてだったが、小太郎は右京亮と石見守の二人を知っていた。小太郎の方は知っていても、勿論、相手の方は知らなかった。
「早雲殿、実際問題として、わしら一族の者たち、すべてがここから抜け出す事など、できるのですかな」と次郎左衛門尉は聞いた。
「はい。戦をやめさせるために、三浦殿に、ここから出ていただくわけですから、犠牲者は一人も出したくはありません。皆さんを無事に、ここからお出ししたいと思っております」
「女子供もおるのじゃぞ」と石見守が言った。
「はい。存じております」
「そなたが北川殿を知らぬ間に、ここからお連れした事は存じておるが、あの時とは数が全然違うぞ」
「はい。その事なんですが、詳しい人数などを教えていただけませんか」
「うむ。その前に、早雲殿、そなたの言う通りにしたとして、そなたが、わしらを裏切らないという証(アカシ)がないと、わしら一族の命をそなたに預けるという事はできかねるが」
「証ですか‥‥‥」
「そうじゃ。わしらを寝返らせておいて、その事を葛山播磨にでも知らせれば、小鹿派は分裂し、その方の思う壷(ツボ)という事になるからのう」と石見守は言った。
「うーむ。確かに‥‥‥しかし、わたしを信じてもらうしか‥‥‥」
「それは無理じゃ」と石見守は首を振った。「そなたを信じろと言っても、今、現在、わしらとそなたは敵という立場じゃからのう」
「うーむ。しかし、」
「そなたが人質として、ここに残る事じゃ」と石見守は言った。
「わしが人質ですか‥‥‥」
「そうじゃ」
「うむ‥‥‥しかし、わしがここにおっては作戦の指揮が執れんが‥‥‥」
「そなた以外の者でも構わんが、ただし、重臣に限るのう」
「‥‥‥分かりました。わたしが人質となりましょう」と早雲は言った。
「確かじゃな」
早雲は小太郎を見てから頷いた。
「それでは話を進めますかな」と次郎左衛門尉が言った。
次郎左衛門尉の屋敷には側室(ソクシツ)が一人と侍女(ジジョ)が二人、仲居が五人、門番が十二人いた。門番十二人のうち八人が通いで、城下に家を持ち、家族がいる。その他に、城下の方にも下屋敷があり、本拠地から連れて来ている家臣たち三十人が詰めていた。
寺社奉行の石見守の屋敷も本曲輪内にあり、家族も共に住み、三十人近い部下がいる。部下たちもほとんどの者が家族と共に城下に住んでいた。
五番組の右京亮と宿直衆の彦五郎は二曲輪内に屋敷を持ち、当然、家族と住んでいる。五番組の中の侍たちの三分の一は三浦家の家臣の子弟たちだった。彼らの中にも家庭を持っている者はいた。宿直衆の中にも三浦家の者が二十人程いて家庭持ちもいる。
総勢、五百人以上の一族あるいは家臣たちがいた。
「さて、どうやって、これだけの人数を播磨守に気づかれずに、ここから出すというのですかな」
「右京亮殿、お聞きしたいのですが、確か、右京亮殿の五番組は今晩から三日間、夜番で、二十五日から昼番に代わるとお聞きましましたが、その通りですか」と早雲は聞いた。
「はい。そうですが」
「という事は、二十四日の日暮れから二十五日の日暮れまで、丸一日、勤務に就くという事ですか」
「はい、その通りです」
「という事は、その日、三番組は丸一日、休みという事ですか」
「はい」
「という事は、三番組の連中は本曲輪にはいないという訳ですか」
「特に命令がない限りは、それぞれ、自分の家に帰っています。」
「その家というのは城下ですか」
「はい。頭とか数人の者は二の曲輪に屋敷を持っていますが、ほとんどの者は城下の長屋に住んでいます」
「そうですか‥‥‥」
「その日に抜け出すと言うのか」と次郎左衛門尉が聞いた。
「いえ。これだけ人数が多いと一度に出る事は難しい。しかし、一度にやらない事には、敵にばれてしまう可能性が高い」
「一度に? そんな事は不可能じゃ」と石見守が言った。
「そうです。女子供を先に逃がした方がいい」と右京亮が言った。
「はい。少しづつ逃がした方が確かかもしれませんが、家族たちにも近所付き合いというものがあるでしょう。突然、その家がも抜けの空になったら回りの者に怪しまれます。播磨守殿や越前守殿が気づいた時には、すでに全員がここから抜け出していなくてはなりません」
「成程。突然、隣の家に誰もいなくなったら確かに気づかれるわな」
「しかし、一度に、全員が消えるなどという事が本当にできるのか」
「そこを何とか考えなくてはなりません」
「うむ‥‥‥」
「右京亮殿、二十五日から二十七日まで昼番で、二十八日、二十九と夜番ですよね」と早雲は聞いた。
「はい。二十七日の日暮れから二十八日の日暮れまでは、我ら五番組が休みとなります」
「ふむ。来月の警固はどうなっておりますか」
「来月は、五番組は二の曲輪に移ります」
「今、二の曲輪には二番組が守っていますが、二番組と共に五番組も守りに加わるのですか」
「いえ。二番組は休みとなります。三番組も休みです。二番組、三番組は三月四月と二ケ月続けて勤務に就いていたので、来月は休みとなります。休みと言っても国元に帰る事は許されず、城下にいて待機していなければなりませんが」
「三番組は休みですか‥‥‥本曲輪は誰が守るのです」
「一番組と四番組です」
「新しく編成された組ですね」
「はい。ほとんどの者が、お屋形様、いえ、小鹿新五郎殿の家臣たちです」
「新五郎殿の家臣ですか‥‥‥頭も当然、新五郎殿の家臣という事ですね」
「はい。一番組の頭は新五郎殿の弟で新六郎殿、四番組の頭は草薙大炊助という首取りの名人です」
「来月になったら難しくなりますね。今月中に何とかしなければならない」
「今月と言ったら後七日しかない」と右京亮が言った。
「七日か‥‥‥」と次郎左衛門尉は唸った。
「早雲殿、女子供も含めて五百人程もいる我らを一体、どうやって大津に戻すつもりなんじゃ」と石見守は厳しい顔付きで聞いた。
「大津までは行きません」
「なに?」
「摂津守殿の青木城まで行けば後は安全です。摂津守殿を初めとして朝比奈殿、岡部殿、天野民部少輔殿らが三浦殿一族の方々を喜んで迎えましょう。後は陸路であれ、海路であれ、無事に国元までお帰りになれます」
「成程、そうじゃった。阿部川さえ渡ってしまえばいいわけじゃ。それなら、何とかなりそうじゃわ」
「しかし、気づかれずに事を運ばなくてはなりません。阿部川には五百余りの兵がおると聞いております」
「うむ、確かに、越前守と播磨守の兵が五百はおる。しかし、浅間神社の西の河原には今川の兵はおらん。浅間神社は今の所、中立の立場じゃ。小鹿派にしろ竜王丸派にしろ、浅間神社を敵に回したくないので、浅間神社の領域には踏み込まずにいる。摂津守派が阿部川を押えていると言っても、浅間神社への参拝客や商人たちを止めたりはせんのじゃ。あそこの河原を渡れば、簡単に川向こうに行く事ができるわ」
「そうでしたか、確かに、浅間神社の領域には武士はおりませんでした。僧兵や山伏ばかりがウロウロしておりました」
「女子供はお宮参りという事でお屋形を出て、阿部川を渡るとして、わしら御番衆や宿直衆はどうしたらいいのです」と右京亮が聞いた。
「宿直衆の勤務はどのようになっておりますか」
「宿直衆は三つに分かれていて、十日交替でお屋形様の屋敷を守っております。一番組が一日から十日まで、二番組が十一日から二十日まで、三番組が二十一日から三十日までという具合です」
「十日働いて、後の二十日は休みというわけか」と小太郎が聞いた。
「いえ、十日間はお屋形様の屋敷を守り、次の十日間は、お屋形様がお出掛けになる時は必ず、お供をしなければなりません。本当の休みというのは残りの十日間です。しかし、今は休みでも国元に帰るというわけには参りません」
「成程‥‥‥」
「彦五郎殿の休みはいつですか」
「今です。今月一杯休みです」
「そいつは都合がいい」と小太郎は膝を打った。
「彦五郎殿の組の者は皆、彦五郎殿の家臣なのですか」
「いえ、違います。しかし、三浦家の者たちは皆、わたしの組におります」
「という事は今、皆、休んでおるというわけですな」
「はい」
「宿直衆は何とかなりそうじゃな。問題は御番衆じゃのう」と石見守が言った。
「御番衆がいなくなれば、すぐに分かってしまう」と次郎左衛門尉が言った。
「御番衆が、いつ消えるかが問題ですね」と早雲は言った。
「勤務に就いている時か、休みの時か」と右京亮が言った。
「それと、わしが出て行くのも難しい」と次郎左衛門尉が言った。
「見張られておりますか」と小太郎が聞いた。
「朝比奈殿の屋敷から見張っているらしいのう」
「表門を見張っておるのですか」
「ああ。裏門も御番所から見張っているに違いない」
「という事は今、皆さんがここに集まっておるという事は気づかれておるわけですね」
「いえ、わしらがここを守っている時は裏門の方は安全です。多分、気づいてはいないと思いますが」と右京亮が言った。
「そうですか‥‥‥石見守殿も見張られておりますか」
「いや、わしは見張られてはおらんとは思うが‥‥‥」
今日の所は、ここまでという事でお開きとなり、早雲と小太郎は三浦屋敷の一室に泊まった。
三浦屋敷において、早雲らが脱出作戦を練っている頃、北川殿の客間では、葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)が弟の備後守(ビンゴノカミ)と妖気の漂う一人の山伏と酒を酌み交わしていた。
山伏の名は定願坊(ジョウガンボウ)といい、富士山の登山口、大宮の浅間(センゲン)神社の山伏だった。古くから葛山氏とはつながりがあり、葛山氏のために情報を集めたり、戦においては奇襲攻撃をかけ、敵を混乱させたりして活躍していた。中居の毒殺騒ぎや、北川殿を襲撃した例の河原者たち、中原摂津守の屋敷に火を付けた者たちは皆、定願坊の配下の山伏だった。
駿府屋形内には富士山の山伏の他にも、天野氏が連れて来た秋葉山の山伏も暗躍していたが、彼らも皆、定願坊の指揮下に入っていた。
「大津の様子はどうじゃ」と播磨守は酒盃(サカズキ)を口に運びながら定願坊に聞いた。
「籠城(ロウジョウ)の支度をしております」
「ふむ。敵の様子は?」
「朝比奈殿、福島土佐守(クシマトサノカミ)殿、長谷川殿がおのおのの城に帰り、戦(イクサ)の準備をしております」
「やはり、戦になるのか」
「土佐守殿はやる気満々ですな」
「じゃろうのう、参った事じゃ」
「播磨守殿らしくないですな。ようやく、播磨守殿の望んでいた戦になるというのに」
「ふん。負ける戦など誰も望んではおらん。三浦殿の方はどんな様子じゃ」と播磨守は弟の備後守に聞いた。
「特に変わった様子はないです」
「三浦殿は国元の状況を知らんのか」
「そんな事もないでしょうが、どうにもできないのでしょう」
「うむ。しかし、参った事よのう。まさか、竜王丸派と摂津守派が手を結ぶ事となるとはのう。一体、誰がそんな事を考えたんじゃ、天遊斎殿か」
「いや、天遊斎殿は伜殿を亡くして、今はそれどころではないでしょう」
「岡部美濃守殿か」
「いや、早雲殿じゃよ」と定願坊が言った。
「なに、早雲‥‥‥ふーむ。またも早雲か‥‥‥北川殿をここから連れ出したのも奴じゃろう。今まで気にもせんかったが、なかなかの曲者(クセモノ)じゃのう」
「その早雲殿が三浦殿を寝返らせるために動いている模様じゃ。昨日からどこに行ったのか姿が見えん」
「姿が見えん?」
「風眼坊とかいう大峯の山伏と共に姿を消した」
「風眼坊か‥‥‥わしはその風眼坊とやらにはまだ会った事はないが、どんな奴なんじゃ」
「大峯山の大先達(ダイセンダツ)じゃ。吉野から熊野にかけて知らぬ者はいないと言ってもいい程、有名な山伏じゃ」
「ほう、そんなに有名な男なのか」
「ああ、驚いたわ。わしも大峯には行った事があるが、もう二十年以上も前の事じゃ。その頃、風眼坊などという名など耳にした事もなかった。まだ、風眼坊も若かったから有名ではなかったんじゃろう。ところが、二、三年程前に大峯に行って来た者に聞くと、誰もが風眼坊を知っておるんじゃ。駿河に来ているなら、世話になったお礼をしたいと言い出す者までもおる」
「ほう。そんな有名な山伏がどうして、こんな所に来ておるんじゃ」
「それが、どうも早雲殿とかなり親しいようじゃな」
「早雲が以前、行者だったという噂を聞いた事があったが、早雲も大峯の行者だったのか」
「かもしれんのう。今出川殿(イマデガワドノ、足利義視)の申次衆(モウシツギシュウ)となったのが三十の半ばじゃ。それまで何をしていたのか、まったく分からん。大峯にいたという可能性も充分に考えられるのう」
「伊勢早雲か‥‥‥その早雲が三浦殿の寝返りをたくらんでおるのじゃな」
「ああ」
「三浦殿の寝返りか‥‥‥時間の問題じゃな」
「三浦殿を寝返らせてもいいのですか」と備後守は言った。
「今の状況を考えてみろ。三浦殿の本拠地は敵に囲まれている。助けようがないわ」
「しかし、三浦殿に寝返られたら、わしらはかなり不利な立場に立つ事になります」
「分かっておるわ。しかし、大津城を助けるために、わしらが出陣すれば、ここが手薄になる。敵はわしらの兵力を二つに分散しようとたくらんでおるのかもしれん」
「それでは、三浦殿が寝返るのを黙って見ていろと言うのですか」
「仕方あるまい。三浦殿が寝返らなくても国元の連中は寝返るかもしれん」
「そんな馬鹿な」
「国元の連中にすれば、今川家のお屋形様は小鹿新五郎殿でなくても構わんのじゃ。自分らの土地を守ってくれる者がお屋形様じゃ。竜王丸殿が土地を守ってやると言えば寝返るのは当然の事じゃ。三浦殿の伜を家督とし、三浦殿は知らぬ間に隠居じゃ。隠居した三浦殿が我らのもとにいたとしても何の得にもならんわ」
「三浦殿を寝返らせないようにはできないのですか」
「無理じゃな。勝間田、横地らが生きていれば、味方に引き入れて何とかする事もできたじゃろうが、今はそれも無理じゃ。遠江勢は皆、竜王丸派ときておる」
「三浦殿がここから出て行くのを黙って見てろ、と言うのですか」
「そうとは言わん。三浦殿をここから出すわけには行かん。国元が寝返った時の場合の人質じゃ」
「人質?」
「最悪の時は、三浦殿に見せしめとして死んでもらうかのう」
「えっ!」と驚いて、備後守は兄の顔を見つめた。
「戦の血祭りという奴じゃよ」と播磨守は平然と言って、酒を飲んだ。
「なかなかですな」と定願坊は気味の悪い笑みを浮かべた。「敵の作戦をこちらで利用するというわけですな」
「そういう事じゃ。今川家が四つや三つに分かれていたままでは戦にはならん。二つに分かれて初めて戦が起こる。三浦殿が寝返れば駿河の国は阿部川を境にして、はっきりと二つに分かれる。三浦殿を血祭りに上げれば、竜王丸派も黙ってはおるまい。戦が起こるのは確実じゃ」
「しかし、三浦殿が寝返れば、兵力において敵の方が上回る事になりませんか」
「いや、大丈夫じゃ。天野殿に国元に帰ってもらい、遠江勢が駿河に来られないようにする。そうすれば、兵力においては互角じゃろう。戦が始まれば、わしらは高みの見物じゃ。どっちが勝とうが関係ないというわけじゃよ」
「そううまく行けばいいんですけど」
「大丈夫じゃ。いくら、早雲でも三浦一族の者、すべてをここから出す事などできまい。三浦殿が無事にここから抜け出したとしても、弟の右京亮がいる。右京亮がここから抜け出す事は不可能じゃ」
「それもそうですね。三浦一族の者はかなりいる。三浦殿に逃げられても血祭りに上げる者はいくらでもいる。家族の者もいるし」
「三浦殿が抜け出したら、まず、最初に小松とかいう愛妾を血祭りに上げてやれ」
「あの小松殿ですか」と定願坊は首を振って、「勿体ないですな」と言った。
「なに、慰(ナグサ)み物にしてからでも構わんさ」と播磨守はニヤリと笑った。
備後守も笑った。
「しかし、見張りは怠るなよ」と播磨守は厳しい顔に戻って、弟に言った。
「はい」と備後守も真顔に戻って頷いた。
「定願坊殿、そなたには由比に向かってもらいたいのじゃが」と播磨守は言った。
「出羽守殿ですな」
「そうじゃ。出羽守殿は今、本拠地に戻って籠城の支度をしておる事じゃろう。そなたの手で寝返らせてくれんか」
「まあ、これも時間の問題ですかな」
「まあな」
「ところで、渚姫(ナギサヒメ)はいかがですか」と定願坊は聞いた。
「おう。いい女子(オナゴ)を見つけてくれたのう。お屋形様はもう渚姫に夢中じゃ。朝から晩まで、いや、勿論、夜もじゃ、一時も側から離さんわ。そろそろ、小鹿から奥方を呼んでもいい頃なんじゃが、危険じゃからと言って未だに呼び寄せんのじゃ。いい女子を連れて来てくれた。ほんとに礼を言うぞ」
「そいつはようございましたな」
「そろそろ、わしらも女子でも呼んで、楽しむ事にするかのう」
「ここにですか」と備後守は聞いた。
「おう、そうじゃとも。もう、呼んであるんじゃ。定願坊殿が戻って来ると聞いてのう。久し振りに騒ごうと思ってな。さあ、場所を替えようかのう」
播磨守は二人を遊女たちの待つ居間の方に案内した。
庭園の池のほとりに、あやめの花が並んで咲いていた。
早雲が三浦屋敷に人質として滞在してから四日が過ぎた。
二十六日の昼、小太郎が職人たちを引き連れて来て、三浦屋敷の庭園に簡単な舞台を作った。小太郎は仕事が済むと職人を連れて、さっさと帰って行った。
翌日、女芸人率いる旅の芸能一座がやって来て、三浦一族の家族の見守る中、芸人たちは舞台狭しと華麗に踊り、流行り歌を披露した。
舞台は一時程で終わり、芸能一座は喝采を浴びて帰って行った。
その日の晩、小太郎が一人で三浦屋敷にやって来た。小太郎は武家姿で、しかも、三浦家の家紋『丸に三つ引き』の付いた素襖(スオウ)を着ていた。今、本曲輪の警固を担当しているのは三浦右京亮の五番組だった。小太郎は堂々と門を通って来た。
小太郎は三浦屋敷内の遠侍(トオザムライ)にいる早雲の姿を見付けると、早雲と共に次郎左衛門尉の居室に向かった。次郎左衛門尉は一人、文机の前に座って書物を読んでいた。
二人は次郎左衛門尉の部屋に上がった。
「首尾はいかがじゃ」と次郎左衛門尉は小太郎を見ると聞いた。
「成功です。すべて、うまく行きました。小松殿を初め、侍女、仲居衆、門番、すべて、青木城に入りました」
「そうか‥‥‥」
「後は、明日の昼、一族の女子供たちが浅間(センゲン)さん参りと称して、浅間神社の渡しから阿部川を渡れば、向こう岸に長谷川殿が待っております。長谷川殿の船に乗って、藁科(ワラシナ)川を下れば、もう安全です」
「うむ。わしは明日の夜、ここを出ればいいのじゃな」
「はい。わたしがお供いたします」と早雲は言った。
「そうか‥‥‥播磨守殿と越前守殿はまだ、気づいてはおらんのじゃな」
「今の所は気づいておりませんが、明日が問題です」
「なに、明日は五番組は日暮れまで休みじゃ。休みの日に家族を連れ、浅間参りをしたからといって怪しみはせんじゃろう」
「はい。ただ、明日の天気が心配です」と小太郎が言った。
「雨か」
「かもしれません」
「まずいのう。雨が降ったら、やりずらい」と早雲は言った。
「運を天に任せるしかない」と小太郎は言った。
「そなたの祈祷(キトウ)で何とかならんのか」と次郎左衛門尉は小太郎に言った。
「今から祈祷を始めたとしても、明日では、とても間に合いません」
「そうか‥‥‥運を天に任すしかないか」と次郎左衛門尉は外を眺めた。
もう、暗くなっていた。確かに、雨が降りそうな空模様だった。
「早雲殿、人質として、そなたをここに閉じ込めたわけじゃったが、どうやら、今は、わしの方が人質になっているようじゃのう」と次郎左衛門尉は笑った。
三浦屋敷には次郎左衛門尉の他に側室の小松、侍女が二人、仲居が五人、門番が十二人、次郎左衛門尉の近習の侍が三十人仕えていた。その内、門番の八人と近習の二十人は通いだった。城下に家庭を持っている者や、城下にある三浦屋敷に住んでいる者たちだった。通いの者たちはどうにでもなったが、住み込みの者たちをここから出すのは難しかった。特に側室の小松が出て行ったまま戻って来ないと分かれば、葛山播磨守に怪しまれる。また、門番は次郎左衛門尉が抜け出した後も残っていなければ怪しまれる。全員を移動させるには身代わりが必要だった。
舞台を作るために、小太郎が連れて来たのは在竹兵衛(アリタケヒョウエ)率いる山賊衆だった。『普請奉行』と呼ばれる大林主殿助(トノモノスケ)を中心に舞台を作ると、彼らは住み込みの門番と近習侍と入れ代わった。小太郎は彼らを連れ、無事にお屋形の外に出た。次の日に来た芸能一座は、富嶽に率いられた春雨とお雪、それと河原者を集めた女ばかりの一座だった。舞台が終わると、側室の小松、侍女、仲居らと河原者は入れ代わった。富嶽と春雨、お雪に守られて、彼女らは無事に青木城に入った。残った河原者の女たちは侍女や仲居に扮し、もうしばらくは、ここに滞在して貰う事となった。こうして、三浦屋敷に住み込んでいた者たちの移動は終わった。石見守と右京亮の屋敷は次郎左衛門尉の屋敷のように見張られてはいないので、明日の昼、家族と共に抜け出し、空になった屋敷に門番として、多米や荒木などが入る事になっていた。
今、三浦屋敷にいるのは次郎左衛門尉と通いの近習の侍十人、早雲、在竹兵衛率いる山賊衆十三人と河原者の女たちだった。
「早雲殿の御家来衆は一風変わった者たちが多いですな」と次郎左衛門尉は笑った。
「はい。つい最近まで山賊でしたから」と早雲も笑った。
「なに、山賊?」
「はい。しかし、今は心を改めて、村人たちのために働いております」
「村人たちのために?」と次郎左衛門尉は怪訝な顔をした。
「はい。わたしの家来になると言って来たんですけど、わたしには奴らを食わせるだけの甲斐性がないものですから、それぞれが村人たちのために働いて稼いでいるわけです」
「そうであったか‥‥‥」
「奴らも元は皆、武士でした。戦に敗れ、浪人となり、仕方なく山賊稼業などを始めましたが、根っからの悪人ではありません。最近は刀など腰に差す事もなく、毎日、朝から晩まで汗を流して働いております。今回、わたしが頼んだら、今川家のためならと喜んで来てくれました」
「そうでしたか‥‥‥早雲殿、そなたという御仁は変わったお人ですな。山賊どもを家来にし、しかも、その山賊たちを更生させておる。普通の者にできる事ではない。また、村人たちのために働いていたとはのう」
「わたしは武士をやめて、この地に参りました。武士をやめて旅を続けておるうちに、今まで、気がつかなかった事が色々と見えて参りました。武士でおった頃のわたしは、百姓たちの事など考えてもみませんでした。しかし、武士をやめて旅をすると、自分が武士の世界ではなく、百姓や村人たちと同じ世界に住んでおるという事に気づいたのです。武士たちは、わたしをただの乞食坊主としか扱ってはくれません。初めのうちは、わたしも腹が立ちました。この田舎侍が何を言うと‥‥‥しかし、武士を捨てた今、昔の事を言っても仕方ないと諦めて、村人たちの世界に入って行こうと決めました。自分から進んで村人たちの中に入って行くと、結構、村人たちは乞食坊主のわたしでも大切に扱ってくれるのです。わたしは旅を続けておるうちに、武士も百姓も河原者も皆、同じではないのか、と思うようになりました。いや、同じようにならなければならないと思うようになったのです。そこで、わたしはここに落ち着いてからも、村人たちの世界に入って行って、今まで彼らと共に暮らして来たのです。わたしが今まで暮らして来られたのも、彼らのお陰と言ってもいいでしょう」
「成程のう」と次郎左衛門尉は何度も頷いた。
「世の中は武士たちの知らない所で、少しづつ変わって来ております。今までのように、守護という肩書だけで下々の者が言う事を聞くという時代ではなくなりつつあります。古くから土地と直接につながりのあった国人たちが力を持ち、守護に敵対しております。以前、守護の後ろには幕府がおりました。幕府の威光があって守護という地位は安泰でした。しかし、これからは幕府を頼りにしてはなりません」
「なに、幕府を頼りにしてはならんと」
「これからは今川家は独自に国人たちとの絆を強め、国をまとめなければなりません」
「幕府は頼りにならんと言うのか」
「はい。土地を直接に支配しておる者が勢力を広げて、残る事でしょう」
「土地を支配しておる者がか‥‥‥」
「守護でありながら国元の事は守護代に任せ、幕府に仕えておった者たちは皆、守護代に権力を奪われる事となるでしょう」
「それは本当なのか」
「本当です。お亡くなりになられたお屋形様は、京に行った時、幕府の実態を見て、その事に気づいておったに違いありません。お屋形様は新しい今川家、幕府の後ろ盾が無くても立派に生きて行ける今川家を作ろうとしておったのかもしれません。しかし、その途中で亡くなわれてしまわれた。失礼ながら、備前守殿、摂津守殿、小鹿新五郎殿は今現在の幕府のありようを御存じありません。その事が心配です」
「うーむ」と次郎左衛門尉は唸って、腕を組んだ。
「時は驚く程の速さで動いております」と早雲は言った。「その時に乗り遅れた者は滅びると言ってもいいでしょう」
「時が驚く程の速さで動いておるか‥‥‥わしには分からんのう」
「これからは戦をするにも、ただ勝てばいいというだけでなく、回りの状況を常に見ながら事を決めなければならなくなるでしょう。生き残るためには駆け引きという物が必要です。今回、三浦殿は寝返るという事に少し抵抗を感じておる事と思います。しかし、状況を判断して、生き残るためにはそれは仕方のない事と思います。三浦殿、竜王丸殿のために何卒、お願い致します。竜王丸殿を立派なお屋形様にするかはどうかは重臣の方々の手に掛かっております。お願い致します」
早雲は深く、頭を下げた。
「早雲殿、頭を上げて下され。わしらはどうも考え方が狭いようじゃのう。早雲殿のように広い視野に立って物を見るという事ができないようじゃ。寝返ると決めたからには、竜王丸殿をお屋形様として、新しい今川家を作る事を約束致します。早雲殿も竜王丸殿を立派なお屋形様に教育して下され」
「はい。それはもう」
「雨が降って来たようじゃ」と小太郎が言った。
「雨か‥‥‥」と次郎左衛門尉は耳を澄ました。
「明日の朝にはやんでくれるといいが‥‥‥」
「わしは、北川殿に行って敵の様子を見てくるわ」と小太郎は部屋から出て行った。
「北川殿に行ったのか」と次郎左衛門尉が早雲に聞いた。
「播磨守が今日の事を気づいたかどうか、調べに行ったのでしょう」
「どうやって、そんな事を調べるんじゃ」
「風眼坊は北川殿の事は隅から隅まで知っております。屋根裏にでも忍び込んで、播磨守の様子を探るのでしょう」
「屋根裏に忍び込むのか、あそこの警固はかなり厳しいぞ」
「山伏の考える事は武士とは違います。武士が厳しい警固をしておったとしても、山伏にとっては何でもありません。特に風眼坊は武術に関しては専門家ですから」
「ふーむ。この屋敷の屋根裏にも忍び込めるのか」
「はい。多分」
「恐ろしい男じゃのう」
「敵にはしたくない男ですね」
「ふむ、まさしく‥‥‥」
「わたしもそろそろ失礼致します」
早雲は次郎左衛門尉の居室から出た。
次郎左衛門尉はしばらく雨音を聞いていたが、何事もなかったかのように、また書物に目を落とした。
一晩中、降っていた雨は朝方にはやみ、日が差して来た。
三浦右京亮の率いる五番組は、昨日の昼番警固の終わった日暮れから今日の日暮れまで、丸一日休みだった。三浦一族の者たちは家族を連れ、浅間参りと称して、各自、屋敷を抜け出して浅間神社の横の阿部川の渡しに集まっていた。お参りと称しているため、皆、普段着のままで荷物など持ってはいなかった。寝返りが分かった後、家財を没収される可能性はあったが仕方なかった。阿部川の向こうには、山伏姿の小太郎が同じく山伏姿の荒川坊、才雲、孫雲らと待っていて、家族たちを藁科川まで連れて行き、藁科川には長谷川法栄の舟が待機していた。彼らは法栄の舟に乗って、青木城のすぐ側まで行く事ができた。
当時、阿部川と藁科川は合流していない。阿部川は賤機(シズハタ)山の西麓を流れ、浅間神社の所で二つに分かれ、一つはそのまま真っすぐ藁科川に平行するように流れ、もう一つは駿府屋形の北側を流れる北川となる。北川は駿府屋形の手前で二つに分かれ、一つは屋形の西側を阿部川の本流と平行するように流れる。北川の本流の方は駿府屋形の北側を流れてから北上し浅畑沼へと流れる。屋形の西側を流れる阿部川は駿河湾に流れ着くまでに、何本もの支流を生みながら流れていた。
小鹿派の軍勢は屋形の西側の二本の阿部川の間に陣を敷き、竜王丸派の方は藁科川の西岸に陣を敷いていた。阿部川と藁科川の間の距離は十五町(約一、六キロ)程あり、草原が続いていた。阿部川は洪水の度に流れを変えるため、当時の技術では開墾する事はできなかった。
浅間神社の領域内の阿部川の河原には当然、小鹿派の軍勢はなく、難無く、三浦一族及び家臣の家族たちは藁科川を下って青木城へと入って行った。
日暮れ時、五番組は昼番の三番組と入れ代わり、本曲輪の勤務に入った。五番組には三浦家の家臣以外の者もいたが、彼らには内密に事は運ばれて行った。寝返りを知らされた者たちは、裏切り者が出ないように誓紙を交わし、血判まで押して行動に移した。幸いに裏切り者は出なかったようだった。
夜も更けた頃、三浦次郎左衛門尉は山伏姿となって、早雲と一緒に屋敷を抜け出し、右京亮に連れられて本曲輪の北門から抜け出した。次郎左衛門の供の侍五人も山伏姿に変わっていた。北門を抜けた一行は浅間神社の門前町を抜け、阿部川の河原を渡り、長谷川法栄の舟に乗って青木城に入った。
夜明け前の勤務交替時間の半時程前、緊急命令によって、五番組の者たち全員が北門に集められた。
「急遽、敵に囲まれている大津城を救出せよ、との命が下った。我ら五番組は先陣として、直ちに現地に向かえとの事じゃ」と右京亮は全員に告げた。
「阿部川を福島越前守殿の舟にて下り、河口にて大型の船に乗り換え、海路、大津に向かえとの事じゃ。馬には乗らず、このまま阿部川に向かう。なお、敵に気づかれぬよう、浅間神社の河原から舟に乗り込む」
そう言うと右京亮は隊列を整え、北門を抜けて北川を渡り、すでに、人々が働き始めている門前町を抜け、阿部川の河原に出た。阿部川には越前守の舟はなかった。越前守の家臣に扮した小太郎らがいて、阿部川の下流に敵が陣しているので、予定を変更して、藁科川を下る事となったと告げた。藁科川を下って行けば敵に襲撃される、と寝返りの事を知らない者が反対したが、大丈夫だ、今、藁科川にはそれほどの敵はいない。敵は藁科川を渡って、阿部川を挟んで我らの兵と対峙しておる、と小太郎に言われて納得した。
五番組の百五十人余りの兵は阿部川を渡り、藁科川に用意してあった長谷川法栄の舟に乗って川を下った。小太郎の言った通り、藁科川には竜王丸派の軍勢の影はなかった。しかし、舟は河口まで行かず、青木城へと続く渡し場で止まり、皆、舟から降ろされた。そこまで来て、初めて、右京亮は全員に寝返る事を告げた。まったく、そんな事を知らなかった者たちは驚き、まさか、と信じられなかったが、敵の本拠地のすぐ近くまで来てしまった今、どうする事もできなかった。一行はそのまま青木城にと向かった。
藁科川を下って行く五番組を見送った小太郎は荒川坊、才雲、孫雲を連れて、門前町に戻り、福島家の着物から三浦家の着物に着替え、お屋形に戻った。まだ、北門には三番組の者はいなかった。警固の兵の消えた本曲輪はひっそりと静まっていた。
小太郎たちは素早く三浦屋敷に向かって在竹兵衛と会い、うまく行った事を告げ、全員に引き上げ命令を流した。さらに、小太郎は石見守の屋敷にいる富嶽、二の曲輪内の右京亮の屋敷にいる多米、彦五郎の屋敷にいる荒木にも退去せよと告げた。
夜が明け、三番組が本曲輪の勤務に就き、五番組がいない事に気づき、騒ぎ出した頃には、三浦屋敷の門番に扮していた早雲の配下、及び、仲居に扮していた河原者たちは全員、駿府屋形から抜け出し、三浦屋敷は門を閉ざしたまま誰もいなかった。
三番組の頭、葛山備後守は、すぐに右京亮の屋敷に使いの者を送ったが、誰もいないとの事だった。備後守自らが三浦次郎左衛門尉の屋敷に行き、閉ざされた門を打ち破って中に入ったが、やはり誰もいなかった。
備後守は慌てて、兄、播磨守のいる北川殿に向かった。播磨守はまだ寝ていた。備後守は緊急事態だと、播磨守を起こすよう頼み、対面の間で待った。
「何事じゃ」と播磨守は不機嫌そうな顔で現れ、備後守を客間の方に誘った。
「三浦殿が消えました」と備後守は言った。
「何じゃと」と播磨守は振り返ったが、何の事だか理解できないような顔をした。
「三浦殿の屋敷には誰もおりません」と備後守は繰り返した。
「何じゃと、誰もおらん?」播磨守はポカンとした顔で備後守を見た。
「はい」と備後守は頷いた。
ようやく、目が覚めたのか、「どういう事じゃ。昨日の昼はおったはずじゃろ」と播磨守は怒鳴った。
「昨日は確かにおりました。門番も仲居衆も、いつもの通りにいたはずです。一晩で、全員が消えたなどとは、とても信じられません」
「夜もちゃんと見張っていたんじゃろうのう」
「はい。表門は朝比奈屋敷から、裏門は宝処寺から見張っておりました。どちらも、別に異状ありませんでした。女たちがぞろぞろ屋敷から出て行けば気づかないはずはありません」
「ふん。早雲の仕業じゃろう。やはり、三浦殿は寝返ったか‥‥‥すぐに弟の右京亮を捕えろ」
「それが、右京亮の屋敷も誰もいません」
「なに?」
「右京亮だけじゃなく、五番組の者は誰もおりません」
「何じゃと。五番組全員が消えたというのか」
「はい‥‥‥」
「馬鹿な事を言うな。あれだけの者たちが、どこに消えたというのじゃ」
「分かりません。分かりませんが、我々が本曲輪に入った時は警固の兵は誰もおりませんでした」
「何という事じゃ‥‥‥信じられん」
「はい。信じられません」
「寺社奉行の石見守はどうじゃ。まさか、石見守も消えたのではあるまいの」
「さあ。そこまでは調べておりませんが‥‥‥」
「すぐに調べろ、いたら、有無を言わさずにすぐに捕えろ。宿直衆の彦五郎もじゃ。いいか、家族の者たちも全員、捕えろ」
「はい」と頷くと、備後守は飛び出して行った。
半時程して備後守は戻って来たが、その表情は暗かった。
「誰もおらんじゃと!」と怒鳴った後、播磨守はじっと黙り込んだ。
しばらくして、播磨守は急に笑い出した。
「敵ながら見事じゃわい‥‥‥早雲とやら、やるのう。三浦一族の者を一人残らず、ここから連れ出してしまうとはのう。敵ながら、あっぱれじゃ」
「どうするんです、これから」と備後守は兄に聞いた。
「考え方によっては、これで、すっきりしたとも言えるわ。これで、今川家は完全に二つに分かれた。決着を着けるには後は戦しかあるまい」
「しかし、戦を始めるきっかけとなる血祭りに上げる者がいなくなりました」
「きっかけなど何とでもなるわ。ただ、三浦殿が寝返った事により、味方の士気にかかわるような事があってはならん。当分の間は、三浦殿は一族の者を引き連れて、敵に囲まれた大津城を救出に出掛けたという事にしておけ」
「はい」
「早雲か」と播磨守はポツリと言った。「敵に回すのは勿体ない男よのう」
「確かに‥‥‥」と備後守は頷いた。
播磨守は去年の花見の時、チラッと見た早雲の顔を思い出していた。北川殿の兄上にしては粗末な墨染めを着て、あまり見栄えのいい男ではなかった。妹がお屋形様の奥方になったのをいい事にして、お屋形様に寄生している下らん奴だと思っていた。ところが、早雲という男はそんな男ではなく、恐るべき男だった。味方に引き入れたい程の男だったが、竜王丸の伯父に当たる早雲を味方にする事は不可能と言えた。しかし、策士(サクシ)である播磨守は、自分と同じ策士の早雲が敵にいる事によって、かえって、この先、面白くなって来たと心の中で思っていた。
木田屋敷の裏門から外に出ると、木田屋敷と三浦屋敷との間の通りに出た。通りに人影はなかった。小太郎が言うには警固の人数は増えたが以前程、警戒は厳しくはないという。以前は、お屋形内に敵、味方が共にいたので、それぞれが敵の動きを見張って、厳重に見回りをしていたが、今はお屋形内にいるのは皆、味方で、敵は外にいる。しかも、お屋形の回りにも軍勢が守っているので、敵が潜入する事など不可能だと安心しているようだった。
早雲は以前、忍び込んだ小太郎の案内で、三浦屋敷の塀を乗り越えて屋敷内に入った。
目の前に大きな建物があり、障子越しに明かりが見えた。
「あれが、湯殿じゃ」と小太郎は奥の方に見える建物を示しながら言った。
「この前、覗いたら、若い女子(オナゴ)が湯浴みをしておった。いい眺めじゃったぞ。三浦殿の愛妾(アイショウ)らしい。なかなかいい女子じゃった」
「ずっと、覗いておったのか」
「ああ。滅多に見られるもんじゃないからのう」
「のんきなもんじゃ」
「ちょっと覗いてみるか。また、おるかもしれん」
「明かりがついておらん。誰もおらんわ」
「そうか、残念じゃのう。もうちょっと早く来ればよかったかのう」
「そんな事より、三浦殿はどこにおるんじゃ」
「そこにおるじゃろ。向こう側の部屋じゃ」
二人は身を低くしながら建物の縁側に沿って向こう側に回った。障子の向こうに三浦次郎左衛門尉の姿が見えた。文机(フヅクエ)に座って何かを読んでいる。その部屋には次郎左衛門尉以外、誰もいなかった。隣の部屋は暗い。誰もいないようだ。
次郎左衛門尉のいる建物の西側にも大きな建物があり、どうやら、それは主殿(シュデン)のようだった。主殿の方にも人のいる気配はなかった。主殿の南面から西面にかけて庭園が広がり、庭園にも人影はなかった。
早雲は立ち上がると、小声で次郎左衛門尉に声を掛けた。
次郎左衛門尉は顔を上げると、正面に立っている早雲を見た。
「早雲です」と言いながら口を押える仕草をした。
「早雲殿か」と次郎左衛門尉は言った。驚いている様子は少しもなかった。じっと早雲を見つめてから、「一体、どうしたのじゃ。こんな所に」と落ち着いた声で聞いた。
「御無礼な事とは存じましたが、三浦殿と至急、お話をしなければならなくなりましたので、こうして、やって参りました。何卒、お許し下さい」早雲も次郎左衛門尉を見つめながら、静かな声で言った。
「わしに話?」
「はい。できれば内密にお願いしたいのですが」
「内密にか‥‥‥よかろう。わさわざ、危険を冒して、ここまで来たからには余程の話なんじゃろう。しかし、ここではまずいのう。よし、主殿の方で話を聞こう」
次郎左衛門尉は部屋から出ると主殿に向かった。早雲と小太郎は庭を通って主殿に向かった。主殿の向こうに表門が見えた。門は閉ざされ、門番小屋から明かりが漏れていたが、人影は見えなかった。やがて、主殿の廊下に手燭(テショク)を持った次郎左衛門尉が現れ、一室に入ると襖(フスマ)を閉めた。南側の門番から見えない襖が開くと、次郎左衛門尉は早雲と小太郎を手招きした。
そこは畳十二枚が敷き詰められた広間だった。回りは山水の画かれた襖で囲まれ、奥の方には上段の間があるようだった。
小太郎は耳を澄まして回りの状況を窺った。誰かが隠れて、二人を狙っている可能性もあったが、そんな気配は感じられなかった。
次郎左衛門尉は燭台に火を移すと二人を見た。
「それにしても、よく、お屋形内に入れたものじゃな。早雲殿は昔、行者(ギョウジャ)だったという噂を聞いた事があったが、まさしく、行者のようじゃ」
「風眼坊は紛れもない行者です」と早雲は小太郎を示した。「風眼坊の案内でここまで来る事が出来ました」
「風眼坊殿か‥‥‥北川殿におられた方じゃな」
小太郎は次郎左衛門尉を見つめながら頷いた。
「北川殿と竜王丸殿が急にお屋形内から消えられたが、それも、そなたの仕業と見えるのう。大したもんじゃ」次郎左衛門尉は軽く笑うと早雲の方を見て、「それで、至急の話とは?」と聞いた。
「はい。三浦殿、竜王丸派と摂津守派が一つになったのは御存じでしょうか」
「存じておる」
「そこで、お願いがございます」
次郎左衛門は何も言わずに、早雲を見ていた。
「実は、三浦殿に寝返ってもらいたいのです」と早雲は単刀直入に言った。
「わしに竜王丸派になれと申すのか」
「はい。竜王丸派と摂津守派が一つになった事により、阿部川以西は我らの勢力範囲となりました。三浦殿の本拠地を除けばです。このままの状態ですと、三浦殿の本拠地を我らの手で奪い取るという事になりかねません。我らのもとには血の気の多い者がかなりおります。摂津守殿を初めとして福島土佐守殿、岡部五郎兵衛殿などがおります。彼らは三浦殿の城を落とせと主張しております。彼らは戦がしたくて、うずうずしておるのです。わたしは今川家内で戦をするのは絶対に反対です。一つの戦が始まれば連鎖反応を起こして、駿河中で戦が始まる事でしょう。そうなったら、今川家は終わりです。誰をお屋形様にするかなどという家督争い以前に今川家の存亡に関わって参ります。戦を始めさせないためにも、三浦殿に寝返って欲しいのです。いかがでしょうか」
次郎左衛門は黙っていた。
「今川家のためです」と早雲は言った。「三浦殿が小鹿新五郎殿を押した気持ちは分かります。今の今川家を発展させて行くには、備前守殿よりも、摂津守殿よりも、まして、まだ六歳の竜王丸殿よりも、小鹿新五郎殿の方がふさわしいと思うのは当然です。しかし、強引にお屋形を占拠して新五郎殿をお屋形様にしても、それだけでは何も解決にもなりません。返って、それぞれの派閥の溝を深めただけです。竜王丸殿の後見役となっておられる摂津守殿は少々、頼りないとお思いでしょうが、何とぞ、重臣の方々が助けて、今後の今川家を見てやって下さい。お願い致します」
「‥‥‥今川家のためか」と次郎左衛門尉は呟いた。
「はい。お願いします」
「わしが寝返ったとして、それで、うまく行くと申すのか」
「とりあえずは、戦を避ける事ができます」
「‥‥‥そなたの言う事は分かった。しばらく、考えさせてくれ」
「はい。しかし、時があまり、ありません。今朝、福島土佐守殿が大津城を落とすと言って、兵を引き連れて現地に向かいました」
「そうか‥‥‥一つ、聞きたいのじゃが、もし、寝返ったとして、どうやって、ここから出ればいいんじゃな。今更、寝返ったから出ると言っても播磨守が頷くとは思えん」
「三浦殿が寝返った場合、三浦殿の身内は勿論の事、下男、下女にいたるまで、すべて、ここから逃がすつもりです」
「なに、下男、下女まで逃がすと?」
「はい」と早雲は力強く頷いた。
「そんな事ができるのか。わしの屋敷は最近、播磨守の手下に見張られておるのだぞ」
「やはり、そうでしたか」
「うむ。そなたらがわしの寝返りを考えたように、播磨守もわしが寝返りはせんかと怪しんでおるのじゃ」
「大丈夫です。三浦殿が寝返る気がおありなら何とか考えてみます」
「そうか‥‥‥」
「明日の今頃、また、参ります。その時、御返事をお聞かせ下さい」
「明日の今頃か‥‥‥分かった」
「失礼いたします」
早雲と小太郎の二人は次郎左衛門尉に頭を下げると庭に下り、闇の中に消えて行った。
次郎左衛門尉は二人の消えた庭園をじっと見つめていた。
2
次の日の夜、早雲と小太郎が三浦屋敷に行くと、次郎左衛門尉は身内の者を集めて、昨夜と同じ広間で待っていた。
二人を広間に入れると、宿直(トノイ)衆の格好をした武士が外を窺って襖を閉めた。
「信じられませんな。わしらの警戒を破って、ここに来るとは」と右京亮(ウキョウノスケ)が言った。
「いやあ、苦労しました」と早雲は言った。
小太郎は懐の中に隠した右手で手裏剣を握っていた。次郎左衛門尉の本意が分かるまでは油断できなかった。襖の向う側に敵が隠れてはいないか、耳を澄まして探っていた。
「さっそくですが、昨日の件の答えは出ましたでしょうか」と早雲は聞いた。
次郎左衛門尉は頷いた。そして、早雲と小太郎に同席している三人を紹介した。
次郎左衛門尉の左に座っていたのが寺社奉行の三浦石見守(イワミノカミ)、右側に座っている二人は弟の御番衆の五番組頭、三浦右京亮と甥の宿直衆の三番組頭、三浦彦五郎だった。
早雲は三人共、会うのは初めてだったが、小太郎は右京亮と石見守の二人を知っていた。小太郎の方は知っていても、勿論、相手の方は知らなかった。
「早雲殿、実際問題として、わしら一族の者たち、すべてがここから抜け出す事など、できるのですかな」と次郎左衛門尉は聞いた。
「はい。戦をやめさせるために、三浦殿に、ここから出ていただくわけですから、犠牲者は一人も出したくはありません。皆さんを無事に、ここからお出ししたいと思っております」
「女子供もおるのじゃぞ」と石見守が言った。
「はい。存じております」
「そなたが北川殿を知らぬ間に、ここからお連れした事は存じておるが、あの時とは数が全然違うぞ」
「はい。その事なんですが、詳しい人数などを教えていただけませんか」
「うむ。その前に、早雲殿、そなたの言う通りにしたとして、そなたが、わしらを裏切らないという証(アカシ)がないと、わしら一族の命をそなたに預けるという事はできかねるが」
「証ですか‥‥‥」
「そうじゃ。わしらを寝返らせておいて、その事を葛山播磨にでも知らせれば、小鹿派は分裂し、その方の思う壷(ツボ)という事になるからのう」と石見守は言った。
「うーむ。確かに‥‥‥しかし、わたしを信じてもらうしか‥‥‥」
「それは無理じゃ」と石見守は首を振った。「そなたを信じろと言っても、今、現在、わしらとそなたは敵という立場じゃからのう」
「うーむ。しかし、」
「そなたが人質として、ここに残る事じゃ」と石見守は言った。
「わしが人質ですか‥‥‥」
「そうじゃ」
「うむ‥‥‥しかし、わしがここにおっては作戦の指揮が執れんが‥‥‥」
「そなた以外の者でも構わんが、ただし、重臣に限るのう」
「‥‥‥分かりました。わたしが人質となりましょう」と早雲は言った。
「確かじゃな」
早雲は小太郎を見てから頷いた。
「それでは話を進めますかな」と次郎左衛門尉が言った。
次郎左衛門尉の屋敷には側室(ソクシツ)が一人と侍女(ジジョ)が二人、仲居が五人、門番が十二人いた。門番十二人のうち八人が通いで、城下に家を持ち、家族がいる。その他に、城下の方にも下屋敷があり、本拠地から連れて来ている家臣たち三十人が詰めていた。
寺社奉行の石見守の屋敷も本曲輪内にあり、家族も共に住み、三十人近い部下がいる。部下たちもほとんどの者が家族と共に城下に住んでいた。
五番組の右京亮と宿直衆の彦五郎は二曲輪内に屋敷を持ち、当然、家族と住んでいる。五番組の中の侍たちの三分の一は三浦家の家臣の子弟たちだった。彼らの中にも家庭を持っている者はいた。宿直衆の中にも三浦家の者が二十人程いて家庭持ちもいる。
総勢、五百人以上の一族あるいは家臣たちがいた。
「さて、どうやって、これだけの人数を播磨守に気づかれずに、ここから出すというのですかな」
「右京亮殿、お聞きしたいのですが、確か、右京亮殿の五番組は今晩から三日間、夜番で、二十五日から昼番に代わるとお聞きましましたが、その通りですか」と早雲は聞いた。
「はい。そうですが」
「という事は、二十四日の日暮れから二十五日の日暮れまで、丸一日、勤務に就くという事ですか」
「はい、その通りです」
「という事は、その日、三番組は丸一日、休みという事ですか」
「はい」
「という事は、三番組の連中は本曲輪にはいないという訳ですか」
「特に命令がない限りは、それぞれ、自分の家に帰っています。」
「その家というのは城下ですか」
「はい。頭とか数人の者は二の曲輪に屋敷を持っていますが、ほとんどの者は城下の長屋に住んでいます」
「そうですか‥‥‥」
「その日に抜け出すと言うのか」と次郎左衛門尉が聞いた。
「いえ。これだけ人数が多いと一度に出る事は難しい。しかし、一度にやらない事には、敵にばれてしまう可能性が高い」
「一度に? そんな事は不可能じゃ」と石見守が言った。
「そうです。女子供を先に逃がした方がいい」と右京亮が言った。
「はい。少しづつ逃がした方が確かかもしれませんが、家族たちにも近所付き合いというものがあるでしょう。突然、その家がも抜けの空になったら回りの者に怪しまれます。播磨守殿や越前守殿が気づいた時には、すでに全員がここから抜け出していなくてはなりません」
「成程。突然、隣の家に誰もいなくなったら確かに気づかれるわな」
「しかし、一度に、全員が消えるなどという事が本当にできるのか」
「そこを何とか考えなくてはなりません」
「うむ‥‥‥」
「右京亮殿、二十五日から二十七日まで昼番で、二十八日、二十九と夜番ですよね」と早雲は聞いた。
「はい。二十七日の日暮れから二十八日の日暮れまでは、我ら五番組が休みとなります」
「ふむ。来月の警固はどうなっておりますか」
「来月は、五番組は二の曲輪に移ります」
「今、二の曲輪には二番組が守っていますが、二番組と共に五番組も守りに加わるのですか」
「いえ。二番組は休みとなります。三番組も休みです。二番組、三番組は三月四月と二ケ月続けて勤務に就いていたので、来月は休みとなります。休みと言っても国元に帰る事は許されず、城下にいて待機していなければなりませんが」
「三番組は休みですか‥‥‥本曲輪は誰が守るのです」
「一番組と四番組です」
「新しく編成された組ですね」
「はい。ほとんどの者が、お屋形様、いえ、小鹿新五郎殿の家臣たちです」
「新五郎殿の家臣ですか‥‥‥頭も当然、新五郎殿の家臣という事ですね」
「はい。一番組の頭は新五郎殿の弟で新六郎殿、四番組の頭は草薙大炊助という首取りの名人です」
「来月になったら難しくなりますね。今月中に何とかしなければならない」
「今月と言ったら後七日しかない」と右京亮が言った。
「七日か‥‥‥」と次郎左衛門尉は唸った。
「早雲殿、女子供も含めて五百人程もいる我らを一体、どうやって大津に戻すつもりなんじゃ」と石見守は厳しい顔付きで聞いた。
「大津までは行きません」
「なに?」
「摂津守殿の青木城まで行けば後は安全です。摂津守殿を初めとして朝比奈殿、岡部殿、天野民部少輔殿らが三浦殿一族の方々を喜んで迎えましょう。後は陸路であれ、海路であれ、無事に国元までお帰りになれます」
「成程、そうじゃった。阿部川さえ渡ってしまえばいいわけじゃ。それなら、何とかなりそうじゃわ」
「しかし、気づかれずに事を運ばなくてはなりません。阿部川には五百余りの兵がおると聞いております」
「うむ、確かに、越前守と播磨守の兵が五百はおる。しかし、浅間神社の西の河原には今川の兵はおらん。浅間神社は今の所、中立の立場じゃ。小鹿派にしろ竜王丸派にしろ、浅間神社を敵に回したくないので、浅間神社の領域には踏み込まずにいる。摂津守派が阿部川を押えていると言っても、浅間神社への参拝客や商人たちを止めたりはせんのじゃ。あそこの河原を渡れば、簡単に川向こうに行く事ができるわ」
「そうでしたか、確かに、浅間神社の領域には武士はおりませんでした。僧兵や山伏ばかりがウロウロしておりました」
「女子供はお宮参りという事でお屋形を出て、阿部川を渡るとして、わしら御番衆や宿直衆はどうしたらいいのです」と右京亮が聞いた。
「宿直衆の勤務はどのようになっておりますか」
「宿直衆は三つに分かれていて、十日交替でお屋形様の屋敷を守っております。一番組が一日から十日まで、二番組が十一日から二十日まで、三番組が二十一日から三十日までという具合です」
「十日働いて、後の二十日は休みというわけか」と小太郎が聞いた。
「いえ、十日間はお屋形様の屋敷を守り、次の十日間は、お屋形様がお出掛けになる時は必ず、お供をしなければなりません。本当の休みというのは残りの十日間です。しかし、今は休みでも国元に帰るというわけには参りません」
「成程‥‥‥」
「彦五郎殿の休みはいつですか」
「今です。今月一杯休みです」
「そいつは都合がいい」と小太郎は膝を打った。
「彦五郎殿の組の者は皆、彦五郎殿の家臣なのですか」
「いえ、違います。しかし、三浦家の者たちは皆、わたしの組におります」
「という事は今、皆、休んでおるというわけですな」
「はい」
「宿直衆は何とかなりそうじゃな。問題は御番衆じゃのう」と石見守が言った。
「御番衆がいなくなれば、すぐに分かってしまう」と次郎左衛門尉が言った。
「御番衆が、いつ消えるかが問題ですね」と早雲は言った。
「勤務に就いている時か、休みの時か」と右京亮が言った。
「それと、わしが出て行くのも難しい」と次郎左衛門尉が言った。
「見張られておりますか」と小太郎が聞いた。
「朝比奈殿の屋敷から見張っているらしいのう」
「表門を見張っておるのですか」
「ああ。裏門も御番所から見張っているに違いない」
「という事は今、皆さんがここに集まっておるという事は気づかれておるわけですね」
「いえ、わしらがここを守っている時は裏門の方は安全です。多分、気づいてはいないと思いますが」と右京亮が言った。
「そうですか‥‥‥石見守殿も見張られておりますか」
「いや、わしは見張られてはおらんとは思うが‥‥‥」
今日の所は、ここまでという事でお開きとなり、早雲と小太郎は三浦屋敷の一室に泊まった。
3
三浦屋敷において、早雲らが脱出作戦を練っている頃、北川殿の客間では、葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)が弟の備後守(ビンゴノカミ)と妖気の漂う一人の山伏と酒を酌み交わしていた。
山伏の名は定願坊(ジョウガンボウ)といい、富士山の登山口、大宮の浅間(センゲン)神社の山伏だった。古くから葛山氏とはつながりがあり、葛山氏のために情報を集めたり、戦においては奇襲攻撃をかけ、敵を混乱させたりして活躍していた。中居の毒殺騒ぎや、北川殿を襲撃した例の河原者たち、中原摂津守の屋敷に火を付けた者たちは皆、定願坊の配下の山伏だった。
駿府屋形内には富士山の山伏の他にも、天野氏が連れて来た秋葉山の山伏も暗躍していたが、彼らも皆、定願坊の指揮下に入っていた。
「大津の様子はどうじゃ」と播磨守は酒盃(サカズキ)を口に運びながら定願坊に聞いた。
「籠城(ロウジョウ)の支度をしております」
「ふむ。敵の様子は?」
「朝比奈殿、福島土佐守(クシマトサノカミ)殿、長谷川殿がおのおのの城に帰り、戦(イクサ)の準備をしております」
「やはり、戦になるのか」
「土佐守殿はやる気満々ですな」
「じゃろうのう、参った事じゃ」
「播磨守殿らしくないですな。ようやく、播磨守殿の望んでいた戦になるというのに」
「ふん。負ける戦など誰も望んではおらん。三浦殿の方はどんな様子じゃ」と播磨守は弟の備後守に聞いた。
「特に変わった様子はないです」
「三浦殿は国元の状況を知らんのか」
「そんな事もないでしょうが、どうにもできないのでしょう」
「うむ。しかし、参った事よのう。まさか、竜王丸派と摂津守派が手を結ぶ事となるとはのう。一体、誰がそんな事を考えたんじゃ、天遊斎殿か」
「いや、天遊斎殿は伜殿を亡くして、今はそれどころではないでしょう」
「岡部美濃守殿か」
「いや、早雲殿じゃよ」と定願坊が言った。
「なに、早雲‥‥‥ふーむ。またも早雲か‥‥‥北川殿をここから連れ出したのも奴じゃろう。今まで気にもせんかったが、なかなかの曲者(クセモノ)じゃのう」
「その早雲殿が三浦殿を寝返らせるために動いている模様じゃ。昨日からどこに行ったのか姿が見えん」
「姿が見えん?」
「風眼坊とかいう大峯の山伏と共に姿を消した」
「風眼坊か‥‥‥わしはその風眼坊とやらにはまだ会った事はないが、どんな奴なんじゃ」
「大峯山の大先達(ダイセンダツ)じゃ。吉野から熊野にかけて知らぬ者はいないと言ってもいい程、有名な山伏じゃ」
「ほう、そんなに有名な男なのか」
「ああ、驚いたわ。わしも大峯には行った事があるが、もう二十年以上も前の事じゃ。その頃、風眼坊などという名など耳にした事もなかった。まだ、風眼坊も若かったから有名ではなかったんじゃろう。ところが、二、三年程前に大峯に行って来た者に聞くと、誰もが風眼坊を知っておるんじゃ。駿河に来ているなら、世話になったお礼をしたいと言い出す者までもおる」
「ほう。そんな有名な山伏がどうして、こんな所に来ておるんじゃ」
「それが、どうも早雲殿とかなり親しいようじゃな」
「早雲が以前、行者だったという噂を聞いた事があったが、早雲も大峯の行者だったのか」
「かもしれんのう。今出川殿(イマデガワドノ、足利義視)の申次衆(モウシツギシュウ)となったのが三十の半ばじゃ。それまで何をしていたのか、まったく分からん。大峯にいたという可能性も充分に考えられるのう」
「伊勢早雲か‥‥‥その早雲が三浦殿の寝返りをたくらんでおるのじゃな」
「ああ」
「三浦殿の寝返りか‥‥‥時間の問題じゃな」
「三浦殿を寝返らせてもいいのですか」と備後守は言った。
「今の状況を考えてみろ。三浦殿の本拠地は敵に囲まれている。助けようがないわ」
「しかし、三浦殿に寝返られたら、わしらはかなり不利な立場に立つ事になります」
「分かっておるわ。しかし、大津城を助けるために、わしらが出陣すれば、ここが手薄になる。敵はわしらの兵力を二つに分散しようとたくらんでおるのかもしれん」
「それでは、三浦殿が寝返るのを黙って見ていろと言うのですか」
「仕方あるまい。三浦殿が寝返らなくても国元の連中は寝返るかもしれん」
「そんな馬鹿な」
「国元の連中にすれば、今川家のお屋形様は小鹿新五郎殿でなくても構わんのじゃ。自分らの土地を守ってくれる者がお屋形様じゃ。竜王丸殿が土地を守ってやると言えば寝返るのは当然の事じゃ。三浦殿の伜を家督とし、三浦殿は知らぬ間に隠居じゃ。隠居した三浦殿が我らのもとにいたとしても何の得にもならんわ」
「三浦殿を寝返らせないようにはできないのですか」
「無理じゃな。勝間田、横地らが生きていれば、味方に引き入れて何とかする事もできたじゃろうが、今はそれも無理じゃ。遠江勢は皆、竜王丸派ときておる」
「三浦殿がここから出て行くのを黙って見てろ、と言うのですか」
「そうとは言わん。三浦殿をここから出すわけには行かん。国元が寝返った時の場合の人質じゃ」
「人質?」
「最悪の時は、三浦殿に見せしめとして死んでもらうかのう」
「えっ!」と驚いて、備後守は兄の顔を見つめた。
「戦の血祭りという奴じゃよ」と播磨守は平然と言って、酒を飲んだ。
「なかなかですな」と定願坊は気味の悪い笑みを浮かべた。「敵の作戦をこちらで利用するというわけですな」
「そういう事じゃ。今川家が四つや三つに分かれていたままでは戦にはならん。二つに分かれて初めて戦が起こる。三浦殿が寝返れば駿河の国は阿部川を境にして、はっきりと二つに分かれる。三浦殿を血祭りに上げれば、竜王丸派も黙ってはおるまい。戦が起こるのは確実じゃ」
「しかし、三浦殿が寝返れば、兵力において敵の方が上回る事になりませんか」
「いや、大丈夫じゃ。天野殿に国元に帰ってもらい、遠江勢が駿河に来られないようにする。そうすれば、兵力においては互角じゃろう。戦が始まれば、わしらは高みの見物じゃ。どっちが勝とうが関係ないというわけじゃよ」
「そううまく行けばいいんですけど」
「大丈夫じゃ。いくら、早雲でも三浦一族の者、すべてをここから出す事などできまい。三浦殿が無事にここから抜け出したとしても、弟の右京亮がいる。右京亮がここから抜け出す事は不可能じゃ」
「それもそうですね。三浦一族の者はかなりいる。三浦殿に逃げられても血祭りに上げる者はいくらでもいる。家族の者もいるし」
「三浦殿が抜け出したら、まず、最初に小松とかいう愛妾を血祭りに上げてやれ」
「あの小松殿ですか」と定願坊は首を振って、「勿体ないですな」と言った。
「なに、慰(ナグサ)み物にしてからでも構わんさ」と播磨守はニヤリと笑った。
備後守も笑った。
「しかし、見張りは怠るなよ」と播磨守は厳しい顔に戻って、弟に言った。
「はい」と備後守も真顔に戻って頷いた。
「定願坊殿、そなたには由比に向かってもらいたいのじゃが」と播磨守は言った。
「出羽守殿ですな」
「そうじゃ。出羽守殿は今、本拠地に戻って籠城の支度をしておる事じゃろう。そなたの手で寝返らせてくれんか」
「まあ、これも時間の問題ですかな」
「まあな」
「ところで、渚姫(ナギサヒメ)はいかがですか」と定願坊は聞いた。
「おう。いい女子(オナゴ)を見つけてくれたのう。お屋形様はもう渚姫に夢中じゃ。朝から晩まで、いや、勿論、夜もじゃ、一時も側から離さんわ。そろそろ、小鹿から奥方を呼んでもいい頃なんじゃが、危険じゃからと言って未だに呼び寄せんのじゃ。いい女子を連れて来てくれた。ほんとに礼を言うぞ」
「そいつはようございましたな」
「そろそろ、わしらも女子でも呼んで、楽しむ事にするかのう」
「ここにですか」と備後守は聞いた。
「おう、そうじゃとも。もう、呼んであるんじゃ。定願坊殿が戻って来ると聞いてのう。久し振りに騒ごうと思ってな。さあ、場所を替えようかのう」
播磨守は二人を遊女たちの待つ居間の方に案内した。
庭園の池のほとりに、あやめの花が並んで咲いていた。
4
早雲が三浦屋敷に人質として滞在してから四日が過ぎた。
二十六日の昼、小太郎が職人たちを引き連れて来て、三浦屋敷の庭園に簡単な舞台を作った。小太郎は仕事が済むと職人を連れて、さっさと帰って行った。
翌日、女芸人率いる旅の芸能一座がやって来て、三浦一族の家族の見守る中、芸人たちは舞台狭しと華麗に踊り、流行り歌を披露した。
舞台は一時程で終わり、芸能一座は喝采を浴びて帰って行った。
その日の晩、小太郎が一人で三浦屋敷にやって来た。小太郎は武家姿で、しかも、三浦家の家紋『丸に三つ引き』の付いた素襖(スオウ)を着ていた。今、本曲輪の警固を担当しているのは三浦右京亮の五番組だった。小太郎は堂々と門を通って来た。
小太郎は三浦屋敷内の遠侍(トオザムライ)にいる早雲の姿を見付けると、早雲と共に次郎左衛門尉の居室に向かった。次郎左衛門尉は一人、文机の前に座って書物を読んでいた。
二人は次郎左衛門尉の部屋に上がった。
「首尾はいかがじゃ」と次郎左衛門尉は小太郎を見ると聞いた。
「成功です。すべて、うまく行きました。小松殿を初め、侍女、仲居衆、門番、すべて、青木城に入りました」
「そうか‥‥‥」
「後は、明日の昼、一族の女子供たちが浅間(センゲン)さん参りと称して、浅間神社の渡しから阿部川を渡れば、向こう岸に長谷川殿が待っております。長谷川殿の船に乗って、藁科(ワラシナ)川を下れば、もう安全です」
「うむ。わしは明日の夜、ここを出ればいいのじゃな」
「はい。わたしがお供いたします」と早雲は言った。
「そうか‥‥‥播磨守殿と越前守殿はまだ、気づいてはおらんのじゃな」
「今の所は気づいておりませんが、明日が問題です」
「なに、明日は五番組は日暮れまで休みじゃ。休みの日に家族を連れ、浅間参りをしたからといって怪しみはせんじゃろう」
「はい。ただ、明日の天気が心配です」と小太郎が言った。
「雨か」
「かもしれません」
「まずいのう。雨が降ったら、やりずらい」と早雲は言った。
「運を天に任せるしかない」と小太郎は言った。
「そなたの祈祷(キトウ)で何とかならんのか」と次郎左衛門尉は小太郎に言った。
「今から祈祷を始めたとしても、明日では、とても間に合いません」
「そうか‥‥‥運を天に任すしかないか」と次郎左衛門尉は外を眺めた。
もう、暗くなっていた。確かに、雨が降りそうな空模様だった。
「早雲殿、人質として、そなたをここに閉じ込めたわけじゃったが、どうやら、今は、わしの方が人質になっているようじゃのう」と次郎左衛門尉は笑った。
三浦屋敷には次郎左衛門尉の他に側室の小松、侍女が二人、仲居が五人、門番が十二人、次郎左衛門尉の近習の侍が三十人仕えていた。その内、門番の八人と近習の二十人は通いだった。城下に家庭を持っている者や、城下にある三浦屋敷に住んでいる者たちだった。通いの者たちはどうにでもなったが、住み込みの者たちをここから出すのは難しかった。特に側室の小松が出て行ったまま戻って来ないと分かれば、葛山播磨守に怪しまれる。また、門番は次郎左衛門尉が抜け出した後も残っていなければ怪しまれる。全員を移動させるには身代わりが必要だった。
舞台を作るために、小太郎が連れて来たのは在竹兵衛(アリタケヒョウエ)率いる山賊衆だった。『普請奉行』と呼ばれる大林主殿助(トノモノスケ)を中心に舞台を作ると、彼らは住み込みの門番と近習侍と入れ代わった。小太郎は彼らを連れ、無事にお屋形の外に出た。次の日に来た芸能一座は、富嶽に率いられた春雨とお雪、それと河原者を集めた女ばかりの一座だった。舞台が終わると、側室の小松、侍女、仲居らと河原者は入れ代わった。富嶽と春雨、お雪に守られて、彼女らは無事に青木城に入った。残った河原者の女たちは侍女や仲居に扮し、もうしばらくは、ここに滞在して貰う事となった。こうして、三浦屋敷に住み込んでいた者たちの移動は終わった。石見守と右京亮の屋敷は次郎左衛門尉の屋敷のように見張られてはいないので、明日の昼、家族と共に抜け出し、空になった屋敷に門番として、多米や荒木などが入る事になっていた。
今、三浦屋敷にいるのは次郎左衛門尉と通いの近習の侍十人、早雲、在竹兵衛率いる山賊衆十三人と河原者の女たちだった。
「早雲殿の御家来衆は一風変わった者たちが多いですな」と次郎左衛門尉は笑った。
「はい。つい最近まで山賊でしたから」と早雲も笑った。
「なに、山賊?」
「はい。しかし、今は心を改めて、村人たちのために働いております」
「村人たちのために?」と次郎左衛門尉は怪訝な顔をした。
「はい。わたしの家来になると言って来たんですけど、わたしには奴らを食わせるだけの甲斐性がないものですから、それぞれが村人たちのために働いて稼いでいるわけです」
「そうであったか‥‥‥」
「奴らも元は皆、武士でした。戦に敗れ、浪人となり、仕方なく山賊稼業などを始めましたが、根っからの悪人ではありません。最近は刀など腰に差す事もなく、毎日、朝から晩まで汗を流して働いております。今回、わたしが頼んだら、今川家のためならと喜んで来てくれました」
「そうでしたか‥‥‥早雲殿、そなたという御仁は変わったお人ですな。山賊どもを家来にし、しかも、その山賊たちを更生させておる。普通の者にできる事ではない。また、村人たちのために働いていたとはのう」
「わたしは武士をやめて、この地に参りました。武士をやめて旅を続けておるうちに、今まで、気がつかなかった事が色々と見えて参りました。武士でおった頃のわたしは、百姓たちの事など考えてもみませんでした。しかし、武士をやめて旅をすると、自分が武士の世界ではなく、百姓や村人たちと同じ世界に住んでおるという事に気づいたのです。武士たちは、わたしをただの乞食坊主としか扱ってはくれません。初めのうちは、わたしも腹が立ちました。この田舎侍が何を言うと‥‥‥しかし、武士を捨てた今、昔の事を言っても仕方ないと諦めて、村人たちの世界に入って行こうと決めました。自分から進んで村人たちの中に入って行くと、結構、村人たちは乞食坊主のわたしでも大切に扱ってくれるのです。わたしは旅を続けておるうちに、武士も百姓も河原者も皆、同じではないのか、と思うようになりました。いや、同じようにならなければならないと思うようになったのです。そこで、わたしはここに落ち着いてからも、村人たちの世界に入って行って、今まで彼らと共に暮らして来たのです。わたしが今まで暮らして来られたのも、彼らのお陰と言ってもいいでしょう」
「成程のう」と次郎左衛門尉は何度も頷いた。
「世の中は武士たちの知らない所で、少しづつ変わって来ております。今までのように、守護という肩書だけで下々の者が言う事を聞くという時代ではなくなりつつあります。古くから土地と直接につながりのあった国人たちが力を持ち、守護に敵対しております。以前、守護の後ろには幕府がおりました。幕府の威光があって守護という地位は安泰でした。しかし、これからは幕府を頼りにしてはなりません」
「なに、幕府を頼りにしてはならんと」
「これからは今川家は独自に国人たちとの絆を強め、国をまとめなければなりません」
「幕府は頼りにならんと言うのか」
「はい。土地を直接に支配しておる者が勢力を広げて、残る事でしょう」
「土地を支配しておる者がか‥‥‥」
「守護でありながら国元の事は守護代に任せ、幕府に仕えておった者たちは皆、守護代に権力を奪われる事となるでしょう」
「それは本当なのか」
「本当です。お亡くなりになられたお屋形様は、京に行った時、幕府の実態を見て、その事に気づいておったに違いありません。お屋形様は新しい今川家、幕府の後ろ盾が無くても立派に生きて行ける今川家を作ろうとしておったのかもしれません。しかし、その途中で亡くなわれてしまわれた。失礼ながら、備前守殿、摂津守殿、小鹿新五郎殿は今現在の幕府のありようを御存じありません。その事が心配です」
「うーむ」と次郎左衛門尉は唸って、腕を組んだ。
「時は驚く程の速さで動いております」と早雲は言った。「その時に乗り遅れた者は滅びると言ってもいいでしょう」
「時が驚く程の速さで動いておるか‥‥‥わしには分からんのう」
「これからは戦をするにも、ただ勝てばいいというだけでなく、回りの状況を常に見ながら事を決めなければならなくなるでしょう。生き残るためには駆け引きという物が必要です。今回、三浦殿は寝返るという事に少し抵抗を感じておる事と思います。しかし、状況を判断して、生き残るためにはそれは仕方のない事と思います。三浦殿、竜王丸殿のために何卒、お願い致します。竜王丸殿を立派なお屋形様にするかはどうかは重臣の方々の手に掛かっております。お願い致します」
早雲は深く、頭を下げた。
「早雲殿、頭を上げて下され。わしらはどうも考え方が狭いようじゃのう。早雲殿のように広い視野に立って物を見るという事ができないようじゃ。寝返ると決めたからには、竜王丸殿をお屋形様として、新しい今川家を作る事を約束致します。早雲殿も竜王丸殿を立派なお屋形様に教育して下され」
「はい。それはもう」
「雨が降って来たようじゃ」と小太郎が言った。
「雨か‥‥‥」と次郎左衛門尉は耳を澄ました。
「明日の朝にはやんでくれるといいが‥‥‥」
「わしは、北川殿に行って敵の様子を見てくるわ」と小太郎は部屋から出て行った。
「北川殿に行ったのか」と次郎左衛門尉が早雲に聞いた。
「播磨守が今日の事を気づいたかどうか、調べに行ったのでしょう」
「どうやって、そんな事を調べるんじゃ」
「風眼坊は北川殿の事は隅から隅まで知っております。屋根裏にでも忍び込んで、播磨守の様子を探るのでしょう」
「屋根裏に忍び込むのか、あそこの警固はかなり厳しいぞ」
「山伏の考える事は武士とは違います。武士が厳しい警固をしておったとしても、山伏にとっては何でもありません。特に風眼坊は武術に関しては専門家ですから」
「ふーむ。この屋敷の屋根裏にも忍び込めるのか」
「はい。多分」
「恐ろしい男じゃのう」
「敵にはしたくない男ですね」
「ふむ、まさしく‥‥‥」
「わたしもそろそろ失礼致します」
早雲は次郎左衛門尉の居室から出た。
次郎左衛門尉はしばらく雨音を聞いていたが、何事もなかったかのように、また書物に目を落とした。
5
一晩中、降っていた雨は朝方にはやみ、日が差して来た。
三浦右京亮の率いる五番組は、昨日の昼番警固の終わった日暮れから今日の日暮れまで、丸一日休みだった。三浦一族の者たちは家族を連れ、浅間参りと称して、各自、屋敷を抜け出して浅間神社の横の阿部川の渡しに集まっていた。お参りと称しているため、皆、普段着のままで荷物など持ってはいなかった。寝返りが分かった後、家財を没収される可能性はあったが仕方なかった。阿部川の向こうには、山伏姿の小太郎が同じく山伏姿の荒川坊、才雲、孫雲らと待っていて、家族たちを藁科川まで連れて行き、藁科川には長谷川法栄の舟が待機していた。彼らは法栄の舟に乗って、青木城のすぐ側まで行く事ができた。
当時、阿部川と藁科川は合流していない。阿部川は賤機(シズハタ)山の西麓を流れ、浅間神社の所で二つに分かれ、一つはそのまま真っすぐ藁科川に平行するように流れ、もう一つは駿府屋形の北側を流れる北川となる。北川は駿府屋形の手前で二つに分かれ、一つは屋形の西側を阿部川の本流と平行するように流れる。北川の本流の方は駿府屋形の北側を流れてから北上し浅畑沼へと流れる。屋形の西側を流れる阿部川は駿河湾に流れ着くまでに、何本もの支流を生みながら流れていた。
小鹿派の軍勢は屋形の西側の二本の阿部川の間に陣を敷き、竜王丸派の方は藁科川の西岸に陣を敷いていた。阿部川と藁科川の間の距離は十五町(約一、六キロ)程あり、草原が続いていた。阿部川は洪水の度に流れを変えるため、当時の技術では開墾する事はできなかった。
浅間神社の領域内の阿部川の河原には当然、小鹿派の軍勢はなく、難無く、三浦一族及び家臣の家族たちは藁科川を下って青木城へと入って行った。
日暮れ時、五番組は昼番の三番組と入れ代わり、本曲輪の勤務に入った。五番組には三浦家の家臣以外の者もいたが、彼らには内密に事は運ばれて行った。寝返りを知らされた者たちは、裏切り者が出ないように誓紙を交わし、血判まで押して行動に移した。幸いに裏切り者は出なかったようだった。
夜も更けた頃、三浦次郎左衛門尉は山伏姿となって、早雲と一緒に屋敷を抜け出し、右京亮に連れられて本曲輪の北門から抜け出した。次郎左衛門の供の侍五人も山伏姿に変わっていた。北門を抜けた一行は浅間神社の門前町を抜け、阿部川の河原を渡り、長谷川法栄の舟に乗って青木城に入った。
夜明け前の勤務交替時間の半時程前、緊急命令によって、五番組の者たち全員が北門に集められた。
「急遽、敵に囲まれている大津城を救出せよ、との命が下った。我ら五番組は先陣として、直ちに現地に向かえとの事じゃ」と右京亮は全員に告げた。
「阿部川を福島越前守殿の舟にて下り、河口にて大型の船に乗り換え、海路、大津に向かえとの事じゃ。馬には乗らず、このまま阿部川に向かう。なお、敵に気づかれぬよう、浅間神社の河原から舟に乗り込む」
そう言うと右京亮は隊列を整え、北門を抜けて北川を渡り、すでに、人々が働き始めている門前町を抜け、阿部川の河原に出た。阿部川には越前守の舟はなかった。越前守の家臣に扮した小太郎らがいて、阿部川の下流に敵が陣しているので、予定を変更して、藁科川を下る事となったと告げた。藁科川を下って行けば敵に襲撃される、と寝返りの事を知らない者が反対したが、大丈夫だ、今、藁科川にはそれほどの敵はいない。敵は藁科川を渡って、阿部川を挟んで我らの兵と対峙しておる、と小太郎に言われて納得した。
五番組の百五十人余りの兵は阿部川を渡り、藁科川に用意してあった長谷川法栄の舟に乗って川を下った。小太郎の言った通り、藁科川には竜王丸派の軍勢の影はなかった。しかし、舟は河口まで行かず、青木城へと続く渡し場で止まり、皆、舟から降ろされた。そこまで来て、初めて、右京亮は全員に寝返る事を告げた。まったく、そんな事を知らなかった者たちは驚き、まさか、と信じられなかったが、敵の本拠地のすぐ近くまで来てしまった今、どうする事もできなかった。一行はそのまま青木城にと向かった。
藁科川を下って行く五番組を見送った小太郎は荒川坊、才雲、孫雲を連れて、門前町に戻り、福島家の着物から三浦家の着物に着替え、お屋形に戻った。まだ、北門には三番組の者はいなかった。警固の兵の消えた本曲輪はひっそりと静まっていた。
小太郎たちは素早く三浦屋敷に向かって在竹兵衛と会い、うまく行った事を告げ、全員に引き上げ命令を流した。さらに、小太郎は石見守の屋敷にいる富嶽、二の曲輪内の右京亮の屋敷にいる多米、彦五郎の屋敷にいる荒木にも退去せよと告げた。
夜が明け、三番組が本曲輪の勤務に就き、五番組がいない事に気づき、騒ぎ出した頃には、三浦屋敷の門番に扮していた早雲の配下、及び、仲居に扮していた河原者たちは全員、駿府屋形から抜け出し、三浦屋敷は門を閉ざしたまま誰もいなかった。
三番組の頭、葛山備後守は、すぐに右京亮の屋敷に使いの者を送ったが、誰もいないとの事だった。備後守自らが三浦次郎左衛門尉の屋敷に行き、閉ざされた門を打ち破って中に入ったが、やはり誰もいなかった。
備後守は慌てて、兄、播磨守のいる北川殿に向かった。播磨守はまだ寝ていた。備後守は緊急事態だと、播磨守を起こすよう頼み、対面の間で待った。
「何事じゃ」と播磨守は不機嫌そうな顔で現れ、備後守を客間の方に誘った。
「三浦殿が消えました」と備後守は言った。
「何じゃと」と播磨守は振り返ったが、何の事だか理解できないような顔をした。
「三浦殿の屋敷には誰もおりません」と備後守は繰り返した。
「何じゃと、誰もおらん?」播磨守はポカンとした顔で備後守を見た。
「はい」と備後守は頷いた。
ようやく、目が覚めたのか、「どういう事じゃ。昨日の昼はおったはずじゃろ」と播磨守は怒鳴った。
「昨日は確かにおりました。門番も仲居衆も、いつもの通りにいたはずです。一晩で、全員が消えたなどとは、とても信じられません」
「夜もちゃんと見張っていたんじゃろうのう」
「はい。表門は朝比奈屋敷から、裏門は宝処寺から見張っておりました。どちらも、別に異状ありませんでした。女たちがぞろぞろ屋敷から出て行けば気づかないはずはありません」
「ふん。早雲の仕業じゃろう。やはり、三浦殿は寝返ったか‥‥‥すぐに弟の右京亮を捕えろ」
「それが、右京亮の屋敷も誰もいません」
「なに?」
「右京亮だけじゃなく、五番組の者は誰もおりません」
「何じゃと。五番組全員が消えたというのか」
「はい‥‥‥」
「馬鹿な事を言うな。あれだけの者たちが、どこに消えたというのじゃ」
「分かりません。分かりませんが、我々が本曲輪に入った時は警固の兵は誰もおりませんでした」
「何という事じゃ‥‥‥信じられん」
「はい。信じられません」
「寺社奉行の石見守はどうじゃ。まさか、石見守も消えたのではあるまいの」
「さあ。そこまでは調べておりませんが‥‥‥」
「すぐに調べろ、いたら、有無を言わさずにすぐに捕えろ。宿直衆の彦五郎もじゃ。いいか、家族の者たちも全員、捕えろ」
「はい」と頷くと、備後守は飛び出して行った。
半時程して備後守は戻って来たが、その表情は暗かった。
「誰もおらんじゃと!」と怒鳴った後、播磨守はじっと黙り込んだ。
しばらくして、播磨守は急に笑い出した。
「敵ながら見事じゃわい‥‥‥早雲とやら、やるのう。三浦一族の者を一人残らず、ここから連れ出してしまうとはのう。敵ながら、あっぱれじゃ」
「どうするんです、これから」と備後守は兄に聞いた。
「考え方によっては、これで、すっきりしたとも言えるわ。これで、今川家は完全に二つに分かれた。決着を着けるには後は戦しかあるまい」
「しかし、戦を始めるきっかけとなる血祭りに上げる者がいなくなりました」
「きっかけなど何とでもなるわ。ただ、三浦殿が寝返った事により、味方の士気にかかわるような事があってはならん。当分の間は、三浦殿は一族の者を引き連れて、敵に囲まれた大津城を救出に出掛けたという事にしておけ」
「はい」
「早雲か」と播磨守はポツリと言った。「敵に回すのは勿体ない男よのう」
「確かに‥‥‥」と備後守は頷いた。
播磨守は去年の花見の時、チラッと見た早雲の顔を思い出していた。北川殿の兄上にしては粗末な墨染めを着て、あまり見栄えのいい男ではなかった。妹がお屋形様の奥方になったのをいい事にして、お屋形様に寄生している下らん奴だと思っていた。ところが、早雲という男はそんな男ではなく、恐るべき男だった。味方に引き入れたい程の男だったが、竜王丸の伯父に当たる早雲を味方にする事は不可能と言えた。しかし、策士(サクシ)である播磨守は、自分と同じ策士の早雲が敵にいる事によって、かえって、この先、面白くなって来たと心の中で思っていた。
12.二つの今川家
1
梅雨が始まった。
今川家は二つに分かれたまま膠着(コウチャク)状態に入っていた。
三浦次郎左衛門尉が寝返った後、岡部美濃守の義弟の由比出羽守が孤立して、小鹿派に寝返った。美濃守としても寝返らせたくはなかったが、どうする事もできなかった。今川家は阿部川を境にして、二つに分かれてしまっていた。
梅雨が始まってから五日後、備前守派だった天野兵部少輔が竜王丸派に寝返った。遠江にいる今川家の者たちが皆、竜王丸派となり、兵部少輔の犬居城を包囲されては寝返ざるを得なかった。兵部少輔は初めから本気で備前守を押していたわけではない。今川家を分裂させるために備前守派に付いただけだった。自分の本拠地が危なくなっている今、いつまでも備前守に付いて遊んでいる場合ではなかった。
兵部少輔は簡単に備前守を捨てて竜王丸派の本拠地、青木城に移って来た。見捨てられた備前守は上杉治部少輔を頼らざるを得なくなったが、当の治部少輔は摂津守を説得に行くと出掛けたまま、青木城から戻っては来なかった。誰からも見放され、孤立した備前守は茶臼山城下の屋敷に閉じこもったまま毎日、やけ酒を浴びていた。
竜王丸派からも、小鹿派からも、今川家の長老として迎えるから、との誘いが掛かったが、自分を見捨てた家臣たちのいる所に戻りたくはなかった。しかし、やがて気持ちが落ち着くとお屋形様の座を諦め、長老として今川家のために生きようと決心し、頭を丸めて棄山(キザン)と号し、小鹿派に迎えられた。棄山の山は富士山を現し、今川家の家督を富士山に例えて、自ら富士山を放棄して、禅境に入った事を意味していた。
備前守は小鹿派となったが、茶臼山の裾野に陣を敷いている上杉治部少輔は相変わらず、中立のまま今川家をまとめようと張り切っていた。とは言っても、小鹿派の駿府屋形に行っては御馳走になり、竜王丸派の青木城に行っては御馳走になっているだけで、成果はまったく上がらなかった。
早雲は早雲庵の縁側から降る雨を眺めていた。
小太郎、富嶽、多米、荒木らも皆、戻って来ている。
小太郎はお雪と一緒に浅間神社の門前町の家を引き払っていた。三浦一族の者たちがお屋形から消えて以来、葛山備後守は近くに敵の隠れ家があるに違いないと浅間神社の門前も捜し始めた。小太郎はお雪の身を案じて、しばらくの間、引き払う事にした。さらに、北川殿も長谷川屋敷に隠れている事が敵に知られて危険が迫り、朝比奈氏の本拠地の朝比奈城下に移っていた。お雪は北川殿を守るため、朝比奈城下の北川殿のもとに侍女として入っていた。
「備前守殿が小鹿派になったか‥‥‥」と早雲は縁側から雨を眺めながら言った。
「仕方あるまい」町医者姿の小太郎は縁側に寝そべっていた。「茶臼山は阿部川の東じゃからのう」
「これから、どうするんです」と久し振りに絵師に戻った富嶽が、早雲と小太郎の顔を交互に見た。
「遠江の者たちが戻って来れば、竜王丸派は圧倒的に有利な立場に立つ事となるのう」と小太郎は言った。
「しかし、戦を始めるわけには行かん。それこそ、葛山や天野の思う壷に嵌まる事となる」と早雲は言った。
「戦を起こさずに、今川家を一つにまとめるとなると難しい事じゃのう」と富嶽は言った。
「四つに分かれていたものが二つになった。後は二つを一つにまとめるだけじゃ」と早雲は気楽に言った。
「簡単に言うが難しい事じゃ」と小太郎は腕枕をしながら早雲を見た。「二つを一つにするという事は竜王丸殿をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見にするという事になるが、そうなると、小鹿派は賛成するかもしれんが、摂津守派が黙ってはおるまい。竜王丸派がまた二つに分かれる事になるぞ」
「確かにのう。摂津守派ではなく、小鹿派と手を結べば良かった、と今になって思うが、あの時点の状況では竜王丸派と小鹿派が手を結ぶという事は難しかったからのう」
「そいつは無理じゃ。葛山の奴が絶対に反対するに決まっておる」
「ああ。手を結ぶのが難しいとなると、残るは葛山播磨と福島越前を仲間割れさせ、どちらかを寝返らす事じゃな」
「どちらを寝返らすのです」と荒木が富嶽の後ろから顔を出した。
多米も一緒にやって来て話に加わった。
「さあのう」と早雲は首を振った。
「いよいよ、切札を使うか」と小太郎は早雲に聞いた。
「切札か‥‥‥」と早雲も頷いた。
「何です、切札とは」と多米が興味深そうに聞いた。
「長沢じゃ」と早雲は遠くを眺めながら言った。
「おお、そうじゃった。奴がおった。奴はまだ葛山と天野をつないでおるのか」と富嶽は聞いた。
「ああ。こちらの状況を葛山のもとに知らせておるようじゃ。葛山と天野は戦を起こしたい。しかし、葛山の側にいる福島越前守、両天野の側にいる岡部美濃守、朝比奈天遊斎、三浦次郎左衛門尉らは戦を起こす事に絶対、反対しておる。今の状態のままだと戦は起こらんじゃろうが、進展もないのう」
「その長沢とやらをどうするんです」と多米は聞いた。
「長沢を捕まえて、葛山と天野のたくらみを公表するのさ」と荒木が得意気に多米に説明した。
「いや。それはまずい」と早雲は言った。
「そうじゃ」と小太郎も言った。
「天野は今、味方じゃ。天野が何をたくらんでおろうとも、味方を分裂させるような事をするわけにはいかん」
「という事は長沢をどうするんです」
「長沢を捕まえて、葛山を威すんじゃよ」と小太郎は言った。
「成程、葛山を威すのか‥‥‥」と多米は唸った。
「でも、威してどうするんです。竜王丸派に寝返らせるのですか」
「いや」と早雲は誰もいない春雨庵を眺めながら言った。「葛山はそんな簡単に、こっちの手に乗るまい。長沢を捕えて威しても、そんな奴は知らんと言い張るに違いない。葛山よりも福島越前守を寝返らす」
「越前守か‥‥‥奴が寝返るかのう」と小太郎は言った。「もし、奴のもとに長沢を連れて行って、葛山の事を暴露(バクロ)したとして、越前守が寝返るじゃろうか‥‥‥越前守は葛山が何をたくらんでおるか位、気づいておるじゃろう。今更、その事を聞かせたとて寝返るじゃろうかのう」
「うむ。確かに、葛山のたくらみなどお見通しの上で、葛山と組んでおるのかもしれんのう」
「となると、長沢は使えないという事ですか」と富嶽は言った。
「いや。利用する事はできるじゃろう」
「利用する?」と多米が聞いた。
「越前守が寝返りそうだと天野に言えば、葛山に伝わる」と早雲が答えた。
「しかし、かなりの証拠を揃えん事には難しいじゃろう」と小太郎は言った。「長沢は騙(ダマ)せても葛山を騙すのは難しい」
「うむ‥‥‥何か、いい方法がないものかのう」早雲は皆の顔を見回した。
「とりあえず、長沢の奴を捕まえてみるか」と小太郎が言った。「長沢が突然、消えたら、どうなるかのう」
「葛山がどう出るかじゃな。葛山と天野とのつながりが消えるわけじゃからのう」と富嶽は言った。
「いや、長沢だけじゃない。葛山と天野をつないでおるのは長沢だけじゃなく、山伏もおるわ」と小太郎は言った。
「そうか、山伏がおったか‥‥‥やはり、秋葉山の山伏か」と早雲は小太郎に聞いた。
「秋葉山の山伏もおるが、大宮の山伏で定願坊(ジョウガンボウ)とかいうのが頭(カシラ)のようじゃのう」
「富士山の山伏か」
「そうじゃ。初めの頃は長沢も活躍しておったようじゃが、今は長沢などおらなくなっても、葛山はたいして困らんのかもしれん」
「その定願坊とやらを捕まえたらどうです」と富嶽が小太郎に言った。
「定願坊か‥‥‥捕まえられん事もないが、捕まえれば、富士山の山伏、すべてを敵に回す事になるぞ」
「駿府の浅間神社も敵になるという事ですか」
「多分」
「そいつはまずいのう。手を出さん方が無難じゃな」
「という事は、長沢も定願坊とやらも放っておくという事ですか」と多米は聞いた。
「そうなるのう」
「竜王丸派の重臣たちは、これから、どうするつもりでおるのです」と富嶽は聞いた。
「それぞれが小鹿派の重臣たちに寝返るように誘いを掛けておるらしいが、どうにもならんようじゃのう。阿部川を境に二つに分かれたため、寝返れば孤立する事となる。越前守が寝返れば、蒲原、興津、庵原らも寝返る事になろうがのう」
「越前守か‥‥‥寝返らすのは難しい」と早雲は唸った。「しかし、いつまでも、このままでおるわけにもいかん。葛山はどうする気でおるんじゃ」
「葛山はこのままの状況が続いてくれた方がいいらしいな」と小太郎は言った。「新しいお屋形様に取り入って、かなりの領地を手にいれておるようじゃ。富士川より東は、ほとんど葛山のものと言ってもいい位じゃ。葛山にとっては、今川家が一つになろうと二つのままでも、どうでもいいんじゃろう。今の所は何もしておらんようじゃな、ここではな」
「本拠地の方は大忙しというわけか」
「らしいのう。富士川以東には、お屋形様の直轄地や朝比奈殿、岡部殿の領地もあったらしい。それらが皆、葛山の領地となったわけじゃ」
「成程。それじゃあ、越前守の領地も増えたのか」
「多少はな」
「じゃろうな。しかし、何とかせにゃならんのう」
話し合いは続いたが、いい考えは浮かばなかった。
蒸し暑い中、雨はしとしと降り続いていた。
土砂降りのような雨の降る午後、北川殿の庭園内にある茶屋で、葛山播磨守と福島越前守の二人がお茶を飲みながら密談を交わしていた。
床の間には、とぼけた顔をした布袋(ホテイ)様を描いた掛軸が下がり、花入れには撫子の花が差してあり、香炉(コウロ)には香も焚かれてあった。
「この先、どうするつもりなんじゃ」と越前守が油滴天目(ユテキテンモク)の茶碗の中を覗きながら聞いた。
「どうしたら、いいもんかのう」と播磨守は外の雨を眺めていた。
「このままでは、今川家はいつまで経っても分かれたままじゃ。こんな状態がいつまでも続いていたら、敵が攻めて来るかもしれん」
「敵?」と播磨守は越前守を見た。
「ああ。甲斐(カイ)や信濃(シナノ)から敵が攻めて来ないとも限らん。関東からも攻めて来るかもしれん」
「関東は大丈夫じゃろう。お屋形様の身内じゃからな」
「しかし、このままでいいわけがなかろう。もし、関東が小鹿殿の後ろ盾となり、幕府が竜王丸殿の後ろ盾にでもなったら、ここ、駿河において戦が始まり、今川家はなくなるじゃろう」
「関東か‥‥‥関東も何かと大変のようじゃ。箱根を越えて、わざわざ来るとは思えんがのう」
「分からん。上杉治部少輔殿が自分の手に負えない事に気づけば、助っ人を呼ぶかもしれん」
「治部少輔殿か‥‥‥今の所はそんな動きもないようじゃ。助っ人を呼べば手柄を横取りされるからのう。治部少輔殿は自分の力で今川家を一つにしてみせると張り切っておるわ」
「無理じゃ」と越前守は香炉から立ち昇る煙を見ながら言った。
「治部少輔殿はそうは思っておらんらしいのう」
「まあいいわ。治部少輔殿は好きにさせておけばいい。それより、わしは小鹿派と竜王丸派が一つになればいいと思ってるんじゃが、どうじゃろう」
「越前守殿、今更、何を言い出すんじゃ。すでに、お屋形様は小鹿新五郎殿に決まったんじゃぞ。竜王丸派と手を組むという事は、竜王丸殿がお屋形様となり、新五郎殿はその後見という事になってしまうのじゃぞ」
「分かっておる。それでもいいではないか。竜王丸殿はまだ六つじゃ。成人なさるまでに十年近くある。十年もあれば、新五郎殿をお屋形様にする事もできるじゃろう」
「そう、うまく行けばいいがのう‥‥‥」
「考えてもみい。竜王丸派の重臣の中の大物と言えば、天遊斎殿と和泉守殿じゃろう。二人共、五十を過ぎておる。後、十年も生きられるとは思えん。その二人がいなくなれば、後の者たちは大した事はない」
「うむ。しかし、遠江の者たちも竜王丸派なんじゃぞ」
「遠江勢は、お屋形様が関東に近づき過ぎて、幕府の反感を買う事を恐れているんじゃ。新五郎殿が今川家をうまくまとめて行けば、新五郎殿に付いて来ると思うがのう。それに、遠江はこれからじゃ。これからも遠江には進撃しなくてはなるまい。その時に恩を売っておけばいいんじゃ」
「うむ。そうかもしれんが‥‥‥いや、早雲がおる。あいつは曲者じゃ」
「早雲か‥‥‥十年もあれば何とかなるじゃろう」
「まあな‥‥‥しかし、今更、竜王丸派と手を結ぶ事などできるかのう」
「その早雲を使えば、何とかなるとは思うがのう。竜王丸派の中で、どうしても摂津守殿を押している者と言えば岡部兄弟だけじゃ。他の者は竜王丸殿をお屋形様にし、新五郎殿を後見としても文句を言う奴はおるまいと思うがの」
「うむ。早雲を使うか‥‥‥しかし、その早雲とどうやって接触を持つんじゃ」
「そこは、播磨守殿の所にいる山伏を使えばわけないじゃろう」
「うむ。しかし、早雲が乗って来るかのう」
「乗って来ると、わしは睨んでおる。所詮、竜王丸派は誰かと組まなければならんのじゃ。摂津守と組んでいたら、いつまで経っても今川家は一つにならん。一つにするには竜王丸派と小鹿派が組む以外にはない」
「そうじゃのう。一つにするには、それしかないのう。しかし、新五郎殿がそれで納得するかのう」
「新五郎殿はわしが説得するわ。そなたは早雲と話を付けてくれんか」
「ふむ。まあ、やるだけはやってみるが、早雲がのこのこ、ここまでやって来るかのう」
「いや、ここまで来なくても、浅間神社でもどこでも構わん。何としてでも早雲と会って話をまとめなくてはならん。まごまごしていると、それこそ、関東から軍勢が来て、戦を始めなくてはならなくなるかもしれん。戦が始まってしまえば、もう取り返しのつかない状況となってしまうじゃろう」
「やってみよう」と播磨守は言った。
「頼むぞ。わしはさっそく、お屋形様のもとに行って説得するわ」
「うむ。わしは早雲を捜し出して話を付けてみるか」
越前守は茶屋を出ると傘をさし、そのまま、お屋形様の屋敷に向かった。
越前守が消えると入れ代わるように、定願坊が茶屋の縁側に腰を下ろした。
定願坊はずぶ濡れだった。
「そなた、いたのか」と播磨守は定願坊を見た。驚いている風でもなかった。
「話は聞いた」と定願坊は言った。
「そうか‥‥‥」
「早雲は今、早雲庵におる。風眼坊も一緒じゃ」
「そうか‥‥‥」
「早雲と会えば、越前守殿の言う通りになるじゃろう」
「早雲も越前守と同じ事を考えておると言うのか」
「ああ、今川家のために摂津守殿を捨てるじゃろうな」
「じゃろうのう‥‥‥」
「どうする」と定願坊は聞いた。
「うむ‥‥‥まだ、早いのう」
「いささか」と言って、定願坊は気味悪い笑みを浮かべた。
播磨守はゆっくりと頷いた。
「いっその事、早雲を消すか」と定願坊は言った。
「いや、それはまずい。消すのはいつでもできる。しばらくは早雲の動きを見張っていてくれ」
「うむ」
定願坊は消えた。
播磨守は一人、茶屋で考えていた。
今川家は二つに分かれ、阿部川を挟んで対峙しているが、戦をしようという者はいなかった。戦にならなくても、今の状況が続くだけでも播磨守にとっては有利だった。竜王丸派と小鹿派が結ぶのは具合が悪い。その二派が一つになれば、今川家が一つになるのと同じだった。まだ時期が早い。せめて、今年一杯は今の状況のままでいて欲しいと播磨守は願っていた。一年あれば、富士川以東を実力を以てまとめる事ができる。今、今川家が一つになってしまえば、せっかく手に入れた領地を返さなければならなくなる。何とかしなければならない。このまま放っておいたら、竜王丸派と小鹿派が一つになるのは時間の問題だった。
何とかしなければならない‥‥‥
しばらく、雨を眺めながら茶屋で冷めたお茶をすすっていた播磨守は一人、ニヤリと笑うと屋敷の方に戻って行った。
一方、お屋形様、小鹿新五郎と会っていた福島越前守は、ついさっき、北川殿で播磨守に言った事など、すっかり忘れたかのような変貌振りだった。
上段の間に眠そうな顔をして座っている新五郎の前に伺候すると、人払いをして、「お屋形様、播磨守殿には充分、御注意なさった方がよろしいですぞ」と言った。
「分かっておる。わしの目も節穴ではない。播磨が裏で何かをたくらんでいる事くらい気づいておるわ」
「はい。しかし、今回は容易ならざる事をたくらんでおりますぞ」
「何じゃ。勿体振らずに早く申せ」
「播磨守は竜王丸派と手を組もうとしております」
「何じゃと。竜王丸派と手を結ぶじゃと?」
「はい。播磨守は早雲とひそかに会っている模様ですな」
「播磨が早雲に?」
「配下の山伏を使って、ひそかに‥‥‥」
「播磨が竜王丸をお屋形にし、わしをお屋形の座から降ろすとたくらんでおると言うのか」
「今川家のためには、それしかないと‥‥‥」
「播磨め、裏切りおって‥‥‥何とかならんのか、せっかく、お屋形になれたというのに、ここから降りろと言うのか。わしは嫌じゃ」
「分かっております。そこで、お屋形様に相談したい議がございます」
「何かいい方法があるのか」
越前守は頷いた。「関東の力をお借りします」
「扇谷(オオギガヤツ)上杉家か」
「はい。扇谷上杉家に今川家の内紛を知らせれば、岩原(南足柄市)の大森寄栖庵(キセイアン)殿が来られる事でしょう。しかし、大森殿は葛山殿とは同じ一族です。大森殿が駿府に来れば、益々、播磨守の勢力が強くなると言えましょう。そこで、江戸城の太田備中守(ビッチュウノカミ)殿に来ていただきます」
「太田備中守にか」
「はい。備中守殿は関東で有名な武将です。備中守殿を仲裁役として今川家をまとめていただきます。勿論、お屋形様は新五郎殿としてまとめていただきます」
「備中守に頼むのか‥‥‥そう、うまく行けばいいがのう」
「備中守殿なら、うまくまとめてくれる事でしょう」
越前守は葛山播磨守には竜王丸派と手を結ぶと言ったが、本気で思っていたわけではない。最終的には、そうなるに違いないとは思っていても、播磨守同様、時期がまだ早いと思っていた。播磨守にその事を言えば、播磨守は絶対に邪魔をするだろうと睨み、牽制(ケンセイ)のつもりで言ったのだった。本気で竜王丸派と結ぶつもりなら、播磨守の力を借りなくても一人ででもできる。越前守の配下にも熊野の山伏がいて暗躍していた。早雲の居所など播磨守に頼まなくても捜し出す事は簡単だった。
どうして、駿河の国に紀伊(キイ)の国(和歌山県)の熊野の山伏がいるのかというと、当時、熊野の山伏は山の中だけでなく、海路も利用して各地の信者を集めていた。伊勢の五ケ所浦のように各地の要港には、必ず、熊野山伏の拠点があり、活動していた。当然、駿府の海の玄関口である江尻津にも熊野山伏はいて、支配者である越前守のために働いている者もいたのだった。
越前守は播磨守のように、今の時期を利用して領地を拡大しているわけではなかったが、別の所で稼いでいた。堀越公方の執事、上杉治部少輔が駿府に在陣して、すでに二ケ月が経ち、彼らの兵糧(ヒョウロウ)は伊豆の国から海路で江尻津(清水港)まで運ばれて来ていた。さらに、駿府屋形に集まっている兵たちの食糧も、各地から江尻津に入って来ている。江尻津を支配しているのは越前守だった。越前守は江尻津が各地からの船で賑わえば賑わう程、稼げるというわけだった。今川家が一つになってしまえば、上杉治部少輔は勿論の事、駿府屋形の兵たちも引き上げてしまう。後もう少し今の状況が続けば、伊豆の三島大社との取り引きの事もうまく行く。葛山播磨守と同様、越前守も今年一杯は、今の状況が続く事を願っていた。
越前守が帰った後、小鹿新五郎は離れの書院に戻った。
書院には渚(ナギサ)姫、千里(チサト)姫、桂(カツラ)姫、若菜(ワカナ)姫の四人の側室が首を長くして待っていた。
「お屋形様、いかがなさいました。浮かない顔をしてらっしゃいます」と千里姫が扇子を扇ぎながら言った。
部屋の中には高価な香が焚かれ、白粉(オシロイ)の匂いと混ざって妖艶(ヨウエン)さをなお一層、引き立てていた。
「何でもない」と新五郎は言うと料理の並んだお膳の前に腰を下ろした。
新五郎がお屋形様になって二ケ月が過ぎていた。二ケ月も過ぎたが、お屋形様らしい事は何もしていなかった。した事といえば、唯一、先代のお屋形様の葬儀の喪主になった事位だった。念願のお屋形様になれたら、あれをやろう、これをやろうと新五郎なりに色々と考えてはいたが、実際、お屋形様になっても、そんな事は一切できなかった。葛山播磨守と福島越前守の二人が何もかも決めてしまい、新五郎の出る幕はまったくなかった。
しかも、播磨守と越前守がもたもたしている隙に、竜王丸派は摂津守派と手を結び、竜王丸をお屋形様にし、摂津守を後見として、もう一つの今川家を作ってしまった。今川家が二つに分かれてしまったというのに、播磨守と越前守は何もしないでいる。新五郎が、戦を始めて、さっさと竜王丸派を倒せ、と命じても、二人は生返事をするばかりだった。
二人が言う事を聞かないのなら自分の力で何とかするしかないと、新五郎は手下の者を使って竜王丸を亡き者にしようとたくらんだが、すべて、失敗に終わっていた。竜王丸を殺すために送った刺客(シカク)は皆、戻っては来なかった。仕方なく、新五郎は浅間神社の山伏を使おうと思ったが、浅間神社は今川家の家督争いには拘(カカ)わりたくないと断って来た。
新五郎は成す術(スベ)もなく、毎日、酒と女に溺(オボ)れていた。政治的な事は何一つとして思うようにはならないが、酒と女に関しては不自由しなかった。播磨守も越前守も、その他の重臣たちも次々に綺麗な娘を新五郎のもとに届けて来た。屋敷内の常御殿には、彼らから送られて来た綺麗所が二十人近くも暮らしている。
新五郎は今年、三十歳の男盛りだった。家族は未だに小鹿の屋敷にいる。妻と三人の子供がいた。八歳になる長男の小五郎と五歳と二歳の女の子だった。このお屋形の屋敷に移ってから家族のもとには一度も帰っていなかった。
「お屋形様、さあ、どうぞ」と若菜姫が酒を注ごうとした。
「おう」と酒盃(サカズキ)を手にすると新五郎は注がれた酒を飲み干した。
「若菜、お前も飲め」と新五郎は酒盃を若菜姫に渡した。
「あい」と若菜姫は両手で酒盃を受けた。
若菜姫は興津美作守(オキツミマサカノカミ)から贈られて来た、ぽっちゃりとした二十歳の娘だった。控えめな性格だったが、情熱的で、着物がはち切れんばかりの肉体を誇っていた。新五郎が今、一番お気に入りの娘だった。
新五郎の右隣に座っている娘は渚姫といい、葛山播磨守から贈られた娘で、静かな雰囲気を持った別嬪(ベッピン)だった。若菜姫が来るまでは一番のお気に入りだったが、若菜姫の肉体に敗れて、二番になっていた。
若菜姫の隣は千里姫、福島越前守からの贈りもので、目のくりっと大きな娘で歌がうまかった。その隣は桂姫、庵原安房守からの贈りもので、小柄で可愛い娘だった。この四人の側室が、今の新五郎のお気に入りで、一日中、側から離さなかった。
無言のまま新五郎は四人の娘に酒盃を回すと、立ち上がって縁側に出て、広い庭を眺めた。
土砂降りは治まったが、雨は降り続いていた。
女たちは黙って新五郎の後姿を見つめていた。
「太田備中守か‥‥‥」と新五郎は呟(ツブヤ)いた。
備中守の噂は駿河にも聞こえていた。
扇谷(オオギガヤツ)上杉氏を支えているのは、家宰(カサイ、執事)である備中守の力だと言われている程の武将だった。ただ、戦に強いだけの武将ではない。足利学校で勉学に励み、和歌に堪能で、城の縄張りも巧みにこなすという文武両道の武将だった。その備中守を味方に付ければ、今川家を一つにまとめ、正式にお屋形様になれるかもしれない。備中守が後ろ盾になってくれれば、何とかなるような気がする。竜王丸派の朝比奈氏も三浦氏も岡部氏も、備中守の言う事なら聞くに違いない。ただ、扇谷上杉氏に応援を頼んだとして、備中守が、わざわざ、駿府まで来てくれるかどうかが問題だった。備中守ではなく、岩原の大森寄栖庵(キセイアン)が来たのでは葛山播磨守の思う壷となってしまう。何としてでも、備中守を呼ばなければならなかった。
「お屋形様、いかがなさいました」と桂姫が声を掛けた。
新五郎は返事をしなかった。
どうしたら、備中守を呼ぶ事ができるか‥‥‥
福島越前守に頼むか。
越前守の船で直接、備中守の江戸城まで行ってもらえば何とかなるのではないか‥‥‥もし、来てくれるとしても、江戸からここまで来るには時間が掛かる。兵を引き連れて来れば、かなりの時間が掛かるだろう。早いうちに江戸城に使いを送った方がいい。そう決めると新五郎は女たちには声も掛けず、主殿の方に向かった。大声で執事の名を呼ぶと、越前守をすぐに呼べと命じた。
一時程後、晴れ晴れとした顔をして、新五郎は書院に戻って来た。すでに、前のお膳は片付けられて、新しいお膳が並べられ、女たちも別の着物に着替えていた。
機嫌よく女たちを眺めると新五郎は床の間の前の上座に腰を下ろし、「喉が渇いた。酒じゃ」と酒盃を渚姫の前に差し出した。
「いい気分じゃ」と言うと新五郎は急に笑い出した。
女たちも新五郎の顔を見ながら、わけも分からず笑っていた。
「千里、一舞、舞ってくれ」
千里姫は笑いながら頷くと立ち上がり、次の間に行って扇を広げた。
〽忍ぶれど 色に出(イ)でにけり我が恋は~
色に出でにけり我が恋は~
千里姫は流行り歌を歌いながら、しとやかに舞った。
「最高じゃ」と新五郎は手をたたいて喜んだ。
「次は誰じゃ」
「あたし、踊りなんて駄目です」と若菜姫が手を振った。
「踊りじゃなくても構わんぞ」と新五郎は笑って若菜姫の懐に手を差し入れた。
「嫌ですわ、お屋形様」と若菜姫は言ったが、体を新五郎に擦り寄せていた。
「渚、次はそちじゃ」と新五郎は若菜姫の乳房を揉みながら言った。
「あたしも踊りはできません。お琴ならできますけど」
「おお、そちの琴が聞きたくなったわ」
「でも、お琴を取りにいかないと‥‥‥」
「なに、すぐに用意させるわ。いや、向こうに移って、皆で騒ごう。今宵は夜明けまで飲み明かそうぞ」
新五郎は四人の女を連れて常御殿の広間に移り、側室たち全員を呼び集めて、夜更けまで機嫌よく飲んで騒いだ。
新五郎にとって、まさに極楽だった。女たちは皆、新五郎の言いなりに酒に酔い、高価な着物を脱ぎ散らかし、あられもない姿で騒いでいる。この光景を誰かが見たら、もはや、今川家も終わりだと思うに違いなかった。
実際に、この光景を覗いている者がいた。
天井裏に忍び込んで、成り行きを見守っていた小太郎だった。
「情けない事じゃ」と小太郎は呟(ツブ)いた。
そして、しばらくして、「羨(ウラヤ)ましい事でもある」と言った。
しかし、竜王丸殿をあんなお屋形様には絶対にしてはならないと思った。
呆(アキ)れ果て、小太郎が引き上げようとした時、小太郎の他にも天井裏に忍び込んでいた者がいる事に気づいた。小太郎は手裏剣を手に持つと曲者(クセモノ)に近づいた。
相手も小太郎の事に気づき、刀の柄(ツカ)に手をやった。
「定願坊(ジョウガンボウ)か」と小太郎は小声で言った。
「風眼坊じゃな」と定願坊は言った。
「どう思う」と風眼坊は下を示しながら聞いた。
「年寄りには目の毒じゃ」
「まさしく」
「新五郎殿は播磨守殿の思いのままじゃ」
「うむ。播磨守はわしの命を狙っておるのか」
「いや」と定願坊は首を振った。
「そうか。それで、どうする」
「どうするとは」
「やるか」
「いや。わしらがやり合ったとしても、喜ぶのは下におられるお方だけじゃ」
「確かに」小太郎はそう言うと定願坊に背を向けた。
定願坊は攻撃を仕掛けて来なかった。
小太郎は誰もいない部屋に降りると御殿から出て、素早く土塁を乗り越え、屋敷から消えた。
残っていた定願坊は刀の柄から手を放すと、額の汗を拭った。
「できる‥‥‥」と呟くと、しばらく、小太郎のいた所を見つめていたが、やがて、身を伏せると下の光景を覗いた。
女たちは皆、酔っ払っていた。すでに、伸びている女たちもいた。中には女同士で体を撫で合っている者もいる。あちこちから嗚咽(オエツ)の声が聞こえて来る。新五郎は裸の女を三人抱えて大笑いしていた。
「たまらんわ」と言うと定願坊も屋根裏から消えた。
雨は毎日、降っていた。
お雪の吹く笛の音が朝比奈城下の天遊斎の屋敷から響いていた。
竜王丸と北川殿が駿府屋形から小河(コガワ)の長谷川法栄(ホウエイ)の屋敷に移り、さらに、天遊斎の屋敷に移ってから、すでに三ケ月が過ぎていた。
竜王丸派と摂津守派が一つになった時、北川殿は竜王丸を連れて摂津守の青木城に移った。しかし、それは一日だけだった。前線に近い青木城は危険だという事で、すぐに小河の法栄屋敷に戻ったが、北川殿が小河屋敷にいたという事が小鹿派の者たちにまで知れ渡り、危険が迫って来た。未だに竜王丸を亡き者にしようとたくらんでいる者がいるのだった。また、天野氏などは竜王丸を遠江にさらって、遠江に今川家を新しく作ろうと本気で考えている。早雲は北川殿母子を朝比奈川の上流の山の中にある朝比奈郷に隠す事にした。
朝比奈郷は古くから朝比奈氏の本拠地だった。鎌倉時代に祖先の左衛門尉(サエモンノジョウ)が朝比奈郷の地頭職(ジトウシキ)に就いて朝比奈姓を称し、今川家が駿河の守護職(シュゴシキ)になった早い時期に被官となり、以後、代々今川家の重臣の地位に就いていた。
天遊斎は家督を嫡男(チャクナン)に譲って隠居していたが、嫡男の肥後守(ヒゴノカミ)がお屋形様、義忠と共に戦死してしまったため、のんびり隠居などしている場合ではなくなっていた。家督は三男の左京亮(サキョウノスケ)という事に決まったが、左京亮はまだ二十歳で、独り立ちするには少々無理があった。しばらくの間は天遊斎が補佐しなければならなかった。
朝比奈郷に移った北川殿は天遊斎の隠居屋敷に入った。天遊斎の隠居屋敷は朝比奈屋敷の北東の隅にあり、本屋敷と同様に濠と土塁に囲まれていた。北川殿を迎える事となって天遊斎は本屋敷の方に移り、北川殿母子は駿府屋形の北川殿にいた時のように、北川衆に守られて暮らしていた。
隠居屋敷は本屋敷に隣接していたが、濠と土塁で隔てられて完全に独立していた。敷地内には天遊斎が客と会う時に使う表屋敷、普段、寝起きしている奥屋敷と広い台所を中心に、湯殿(ユドノ)、廐(ウマヤ)、侍(サムライ)部屋、蔵などが建っていた。
北川殿母子は二間ある奥屋敷に入り、侍女と仲居たちは表屋敷に入った。侍女の中には春雨とお雪の二人もいて、竜王丸の遊び相手として寅之助も一緒に来ていた。北川衆は以前のごとく交替で屋敷の門番に当たった。北川衆の中には家族と共に移って来ている者もいて、近くに家を借りて通っていた。
ここでも、小河屋敷にいた時と同じように北川殿は身分を隠し、京から下向して来た公家の母子という事になっていたため、あまり縛られる事もなく、のんびりと暮らす事ができた。かつての北川衆や侍女や仲居たちに囲まれて暮らしていても、以前のように出掛ける時は、どんな近くでも牛車(ギッシャ)に乗るという事もなく、自分の足でどこにでも行けた。どこにでもと言っても、あまり遠くまでは行けなかったが、朝比奈屋敷の回りの城下町や草原や田畑などを子供たちと一緒に散歩するのは楽しかった。草花を自分の手で摘んだり、蝶やトンボを追いかけたり、今まで想像するだけで、できるわけないと諦めていた事が、駿府を出てからは可能となっていた。お屋形様の突然の死は悲しかったが、別の生き方というものを味わえたのは、北川殿にとって充分な慰めになっていた。
梅雨となり、毎日、雨降りの日が続いていても、北川殿にとっては傘を差して雨の中を散歩するのも楽しみの一つだった。そんなある日、久し振りに早雲が孫雲と才雲を連れてやって来た。石脇の早雲庵から朝比奈城下までの距離は三里程だった。一時もあれば、すぐに来られる距離だった。
北川殿はお雪と長門(ナガト)の二人を連れて、小雨の中を傘を差して散歩に出掛ける所だった。三人の後ろには北川衆の清水と久保の二人が少し離れて見守っている。
北川殿は隠居屋敷の門を出ると大通りを南に向かい、朝比奈屋敷の門の前を通り過ぎた頃、正面からやって来る早雲たちと出会った。北川殿は早雲の姿を見ると嬉しそうに手を振った。早雲も元気そうな妹の姿を見ながら手を振り返した。駿府屋形にいた頃に比べて、最近の北川殿は心から嬉しそうに笑っていた。早雲に手を振っている今の北川殿の笑顔も、うっとおしい梅雨空とは関係なく、ほんとに楽しそうだった。
北川殿は早雲を伴って朝比奈川の河原に向かった。いつもの散歩の道だった。
朝比奈氏の本拠地である朝比奈城は北、西、南の三方を朝比奈川に囲まれた山の上にあった。城下は朝比奈城の南麓にあり、西側を北から南へ、南側を西から東へと朝比奈川が曲がって流れ、東側は野田沢川が北から南に流れ、朝比奈川と合流していた。三方を川、残る北側に城のある山に囲まれた一画が朝比奈氏の城下だった。
朝比奈屋敷と朝比奈氏の菩提寺を中心に東側に武家屋敷が並び、広い弓場や馬場があり、西側は商人や職人たちの住む町となっていた。朝比奈川の河原には二つの市場があって、市の立つ日は賑やかだった。しかし、駿府とは比べものにならない程、ささやかな城下だった。城下内には田畑や草原もかなりあり、のどかな雰囲気だった。
北川殿がよく来る河原は西側の河原で、人影もなく静かな所だった。草花が豊富にあって、向こう岸にはずっと山々が連なっていた。
北川殿は着物が濡れるのも構わず、早雲と一緒に河原の濡れた草木の中に入って行った。仕方なく、お雪は後を追ったが、後の者たちは道端から北川殿たちを見守っていた。
「兄上様、今川家はどうなって行くのでしょう」と北川殿は突然、聞いた。
「大丈夫です」と早雲は言ったが、妹の顔を見てはいなかった。
「兄上様、わたし、竜王丸の母として何かをしなければならないんじゃないかって、最近、思うようになりました。わたし、自分では何もできないと諦めておりました。兄上様や長谷川殿、朝比奈殿など重臣の方々に頼らなければ、生きて行けないと思っておりました。でも、最近、わたしにも何か、できるんじゃないかって思うようになりました。今まで、わたしは何かをする前に、もう諦めておりました。自分の意志で何かをしようと思った事なんてありませんでした。でも、そんなわたしでも、何かをやろうと思えば、できるんじゃないかって思うようになりました‥‥‥」
早雲は北川殿の横顔を見た。お屋形様が亡くなられてから強くなられたものだと思った。お屋形様が生きている頃は、他所から嫁いで来た嫁という感じだったが、今の北川殿は完全に今川家の一族の一人として今川家の事を思っていた。竜王丸の母親として立派に生きて行こうとしていた。
「お強くなられましたな」と早雲は言った。
「いいえ、少しも‥‥‥兄上様、兄上様は弓の名手だと聞いております。わたしに是非とも弓を教えて下さい」
「えっ!」と早雲は驚いて妹を見た。まさか、そんな事を言って来るとは思ってもいなかった。
「北川殿が弓術を習いたいと」と早雲は聞き返した。
北川殿は恥ずかしそうに頷いた。「わたし、駿府のお屋敷が襲撃された時、自分の無力さが身にしみました。春雨様やお雪様は自分を守る術(スベ)を知っております。同じ、女の身でありながら、わたしは自分を守る事もできません。お屋形様のお亡くなりになってしまった今、わたしは竜王丸たちを守らなければなりません。そして、今川家も‥‥‥今のわたしに今川家を守るなんて、大それた事は言えません。せめて、何かが起こった時のために、子供たちだけは守ってやりたいと思っております。お願いです。わたしに弓術を教えて下さい」
「それは構いませんが‥‥‥」と早雲は答えた。
「兄上様、ほんとですのね」と北川殿は嬉しそうに笑った。「教えて下さるのね」
早雲は妹を見ながら頷いた。「弓術は身を守るだけでなく、心を落ち着けるのにも役に立ちます。北川殿が、どうしてもとおっしゃるのなら、お教え致しましょう」
「まあ、嬉しい。わたし、今、お雪様より小太刀(コダチ)も教わっているんですよ」
「ほう、お雪殿から小太刀を‥‥‥そうでしたか」
北川殿は本気で身を守る術を習おうとしていた。まるで、別人を見ているかのような思いで早雲は妹を見ていた。
朝比奈屋敷に戻ると、早雲はさっそく弓場(ユバ)に交渉に出掛けたが、女は立ち入り禁止だと断られた。北川殿の名を出せば何とかなるとは思うが、これから先の事を考えると、弓場を使わせてもらうために正体をばらすのはまずかった。早雲はさっき北川殿と行った河原に出掛けた。仕方ないので、ここを弓場にしようと思った。ここは人影がないので、北川殿の弓術の稽古には丁度、具合がいいと言えた。ただ、雨の降り続く梅雨のうちは無理だった。梅雨が上がったら、ここに的を作って北川殿に教えようと思った。
その日の晩、早雲たちは天遊斎の本屋敷に招待された。北川殿も招待され、天遊斎の三男、左京亮と共に軽く酒を飲み、食事を御馳走になった。
食事も済み、北川殿と左京亮の帰った後、早雲は客間で天遊斎と二人きりで会っていた。
「天遊斎殿、太田備中守殿をどう思います」と早雲は天遊斎の点(タ)てた薄茶を飲みながら聞いた。
「どうとは」と天遊斎は突然の質問に驚いたようだった。
「小鹿新五郎殿は、どうやら、備中守殿を後ろ盾として駿府に呼ぶ模様です」
「何じゃと。新五郎殿が太田備中守殿を‥‥‥とうとう、関東の助けを借りるのか」
「らしいですねえ」と早雲は他人事のように言った。
「そうか‥‥‥備中守殿か‥‥‥備中守殿が小鹿派に付いたら竜王丸殿にとっては難しい事になりそうじゃ」
「やはり、そうですか‥‥‥」
「しかし、備中守殿は公平な目を持っているとの噂じゃ。もしかしたら、公平に裁いてくれるかもしれん」
「公平な目、ですか‥‥‥天遊斎殿は備中守殿に会った事はございますか」
「いや」と天遊斎は首を振った。「会った事はないが」
「そうですか。わたしは一度だけ、会った事がございます。会ったと言っても、お互いに名乗ったわけではなく、一言、二言、言葉を交わしただけでしたが、わたしは、あの時の武将は備中守殿だと確信を持っております。確かに、天遊斎殿のおっしゃる通りに、公平なお人のようにお見受けしました」
「そうじゃろう。備中守殿は噂通りの立派なお方に違いない。備中守殿が、この地に来る事となれば、小鹿派では大歓迎する事じゃろう。備中守殿が小鹿派の言いなりになるとは思わんが、我らとしても言い分だけは聞いてもらわん事にはのう」
「何とかして話し合いの場を持ちたいですね」
「うむ、頼むぞ。こういう場合、自由に動き回れる早雲殿が唯一の頼みじゃ」
「はい。やるだけの事はやってみますが、新五郎殿とは別に、葛山播磨守殿も扇谷(オオギガヤツ)上杉氏に誘いを掛けております。播磨守殿は備中守殿ではなくて、岩原城の大森寄栖庵(キセイアン)殿とかいうお方を駿府に呼ぶ事をたくらんでおるようです」
「大森寄栖庵殿を呼ぶのか」
「そのようです。その寄栖庵殿というお方はどんな人なのです」
「扇谷上杉家の重臣じゃ。太田備中守殿が有名になり過ぎて、隠れた存在となっておるが、なかなかの武将のようじゃのう。ただ、葛山氏とは同族じゃ。駿府に来たとしても、備中守殿のように公平に物を見るという事は期待できそうもないのう」
「そうですか‥‥‥どっちが来るかによって、こちらの出方も変わって来ますね」
「そうじゃのう。寄栖庵殿が来られたら、余計、面倒な事になりそうじゃ。備中守殿が来る事を願うしかない」
「こちらからも備中守殿に誘いを掛けたらどうです」と早雲は言った。
「いや、それはまずい。両方から関東に助けを求めたら、今川家の威信に拘わる事になる。助けを求めたのは小鹿派で、竜王丸派は他所の助けを借りなくても自力で解決する事ができると思わせておかなければならん。関東に借りを作ると竜王丸殿がお屋形様になった時、面倒な事に巻き込まれる可能性が出て来るじゃろう。借りを作るにしても、なるべく、小さい方がいい」
「成程、そうですね。相手の出方を見て対処して行った方がいいですね」
早雲は天遊斎から、今までの今川家の事を色々と聞き、夜遅くまで語り合っていた。
「長沢じゃ」と早雲は遠くを眺めながら言った。
「おお、そうじゃった。奴がおった。奴はまだ葛山と天野をつないでおるのか」と富嶽は聞いた。
「ああ。こちらの状況を葛山のもとに知らせておるようじゃ。葛山と天野は戦を起こしたい。しかし、葛山の側にいる福島越前守、両天野の側にいる岡部美濃守、朝比奈天遊斎、三浦次郎左衛門尉らは戦を起こす事に絶対、反対しておる。今の状態のままだと戦は起こらんじゃろうが、進展もないのう」
「その長沢とやらをどうするんです」と多米は聞いた。
「長沢を捕まえて、葛山と天野のたくらみを公表するのさ」と荒木が得意気に多米に説明した。
「いや。それはまずい」と早雲は言った。
「そうじゃ」と小太郎も言った。
「天野は今、味方じゃ。天野が何をたくらんでおろうとも、味方を分裂させるような事をするわけにはいかん」
「という事は長沢をどうするんです」
「長沢を捕まえて、葛山を威すんじゃよ」と小太郎は言った。
「成程、葛山を威すのか‥‥‥」と多米は唸った。
「でも、威してどうするんです。竜王丸派に寝返らせるのですか」
「いや」と早雲は誰もいない春雨庵を眺めながら言った。「葛山はそんな簡単に、こっちの手に乗るまい。長沢を捕えて威しても、そんな奴は知らんと言い張るに違いない。葛山よりも福島越前守を寝返らす」
「越前守か‥‥‥奴が寝返るかのう」と小太郎は言った。「もし、奴のもとに長沢を連れて行って、葛山の事を暴露(バクロ)したとして、越前守が寝返るじゃろうか‥‥‥越前守は葛山が何をたくらんでおるか位、気づいておるじゃろう。今更、その事を聞かせたとて寝返るじゃろうかのう」
「うむ。確かに、葛山のたくらみなどお見通しの上で、葛山と組んでおるのかもしれんのう」
「となると、長沢は使えないという事ですか」と富嶽は言った。
「いや。利用する事はできるじゃろう」
「利用する?」と多米が聞いた。
「越前守が寝返りそうだと天野に言えば、葛山に伝わる」と早雲が答えた。
「しかし、かなりの証拠を揃えん事には難しいじゃろう」と小太郎は言った。「長沢は騙(ダマ)せても葛山を騙すのは難しい」
「うむ‥‥‥何か、いい方法がないものかのう」早雲は皆の顔を見回した。
「とりあえず、長沢の奴を捕まえてみるか」と小太郎が言った。「長沢が突然、消えたら、どうなるかのう」
「葛山がどう出るかじゃな。葛山と天野とのつながりが消えるわけじゃからのう」と富嶽は言った。
「いや、長沢だけじゃない。葛山と天野をつないでおるのは長沢だけじゃなく、山伏もおるわ」と小太郎は言った。
「そうか、山伏がおったか‥‥‥やはり、秋葉山の山伏か」と早雲は小太郎に聞いた。
「秋葉山の山伏もおるが、大宮の山伏で定願坊(ジョウガンボウ)とかいうのが頭(カシラ)のようじゃのう」
「富士山の山伏か」
「そうじゃ。初めの頃は長沢も活躍しておったようじゃが、今は長沢などおらなくなっても、葛山はたいして困らんのかもしれん」
「その定願坊とやらを捕まえたらどうです」と富嶽が小太郎に言った。
「定願坊か‥‥‥捕まえられん事もないが、捕まえれば、富士山の山伏、すべてを敵に回す事になるぞ」
「駿府の浅間神社も敵になるという事ですか」
「多分」
「そいつはまずいのう。手を出さん方が無難じゃな」
「という事は、長沢も定願坊とやらも放っておくという事ですか」と多米は聞いた。
「そうなるのう」
「竜王丸派の重臣たちは、これから、どうするつもりでおるのです」と富嶽は聞いた。
「それぞれが小鹿派の重臣たちに寝返るように誘いを掛けておるらしいが、どうにもならんようじゃのう。阿部川を境に二つに分かれたため、寝返れば孤立する事となる。越前守が寝返れば、蒲原、興津、庵原らも寝返る事になろうがのう」
「越前守か‥‥‥寝返らすのは難しい」と早雲は唸った。「しかし、いつまでも、このままでおるわけにもいかん。葛山はどうする気でおるんじゃ」
「葛山はこのままの状況が続いてくれた方がいいらしいな」と小太郎は言った。「新しいお屋形様に取り入って、かなりの領地を手にいれておるようじゃ。富士川より東は、ほとんど葛山のものと言ってもいい位じゃ。葛山にとっては、今川家が一つになろうと二つのままでも、どうでもいいんじゃろう。今の所は何もしておらんようじゃな、ここではな」
「本拠地の方は大忙しというわけか」
「らしいのう。富士川以東には、お屋形様の直轄地や朝比奈殿、岡部殿の領地もあったらしい。それらが皆、葛山の領地となったわけじゃ」
「成程。それじゃあ、越前守の領地も増えたのか」
「多少はな」
「じゃろうな。しかし、何とかせにゃならんのう」
話し合いは続いたが、いい考えは浮かばなかった。
蒸し暑い中、雨はしとしと降り続いていた。
2
土砂降りのような雨の降る午後、北川殿の庭園内にある茶屋で、葛山播磨守と福島越前守の二人がお茶を飲みながら密談を交わしていた。
床の間には、とぼけた顔をした布袋(ホテイ)様を描いた掛軸が下がり、花入れには撫子の花が差してあり、香炉(コウロ)には香も焚かれてあった。
「この先、どうするつもりなんじゃ」と越前守が油滴天目(ユテキテンモク)の茶碗の中を覗きながら聞いた。
「どうしたら、いいもんかのう」と播磨守は外の雨を眺めていた。
「このままでは、今川家はいつまで経っても分かれたままじゃ。こんな状態がいつまでも続いていたら、敵が攻めて来るかもしれん」
「敵?」と播磨守は越前守を見た。
「ああ。甲斐(カイ)や信濃(シナノ)から敵が攻めて来ないとも限らん。関東からも攻めて来るかもしれん」
「関東は大丈夫じゃろう。お屋形様の身内じゃからな」
「しかし、このままでいいわけがなかろう。もし、関東が小鹿殿の後ろ盾となり、幕府が竜王丸殿の後ろ盾にでもなったら、ここ、駿河において戦が始まり、今川家はなくなるじゃろう」
「関東か‥‥‥関東も何かと大変のようじゃ。箱根を越えて、わざわざ来るとは思えんがのう」
「分からん。上杉治部少輔殿が自分の手に負えない事に気づけば、助っ人を呼ぶかもしれん」
「治部少輔殿か‥‥‥今の所はそんな動きもないようじゃ。助っ人を呼べば手柄を横取りされるからのう。治部少輔殿は自分の力で今川家を一つにしてみせると張り切っておるわ」
「無理じゃ」と越前守は香炉から立ち昇る煙を見ながら言った。
「治部少輔殿はそうは思っておらんらしいのう」
「まあいいわ。治部少輔殿は好きにさせておけばいい。それより、わしは小鹿派と竜王丸派が一つになればいいと思ってるんじゃが、どうじゃろう」
「越前守殿、今更、何を言い出すんじゃ。すでに、お屋形様は小鹿新五郎殿に決まったんじゃぞ。竜王丸派と手を組むという事は、竜王丸殿がお屋形様となり、新五郎殿はその後見という事になってしまうのじゃぞ」
「分かっておる。それでもいいではないか。竜王丸殿はまだ六つじゃ。成人なさるまでに十年近くある。十年もあれば、新五郎殿をお屋形様にする事もできるじゃろう」
「そう、うまく行けばいいがのう‥‥‥」
「考えてもみい。竜王丸派の重臣の中の大物と言えば、天遊斎殿と和泉守殿じゃろう。二人共、五十を過ぎておる。後、十年も生きられるとは思えん。その二人がいなくなれば、後の者たちは大した事はない」
「うむ。しかし、遠江の者たちも竜王丸派なんじゃぞ」
「遠江勢は、お屋形様が関東に近づき過ぎて、幕府の反感を買う事を恐れているんじゃ。新五郎殿が今川家をうまくまとめて行けば、新五郎殿に付いて来ると思うがのう。それに、遠江はこれからじゃ。これからも遠江には進撃しなくてはなるまい。その時に恩を売っておけばいいんじゃ」
「うむ。そうかもしれんが‥‥‥いや、早雲がおる。あいつは曲者じゃ」
「早雲か‥‥‥十年もあれば何とかなるじゃろう」
「まあな‥‥‥しかし、今更、竜王丸派と手を結ぶ事などできるかのう」
「その早雲を使えば、何とかなるとは思うがのう。竜王丸派の中で、どうしても摂津守殿を押している者と言えば岡部兄弟だけじゃ。他の者は竜王丸殿をお屋形様にし、新五郎殿を後見としても文句を言う奴はおるまいと思うがの」
「うむ。早雲を使うか‥‥‥しかし、その早雲とどうやって接触を持つんじゃ」
「そこは、播磨守殿の所にいる山伏を使えばわけないじゃろう」
「うむ。しかし、早雲が乗って来るかのう」
「乗って来ると、わしは睨んでおる。所詮、竜王丸派は誰かと組まなければならんのじゃ。摂津守と組んでいたら、いつまで経っても今川家は一つにならん。一つにするには竜王丸派と小鹿派が組む以外にはない」
「そうじゃのう。一つにするには、それしかないのう。しかし、新五郎殿がそれで納得するかのう」
「新五郎殿はわしが説得するわ。そなたは早雲と話を付けてくれんか」
「ふむ。まあ、やるだけはやってみるが、早雲がのこのこ、ここまでやって来るかのう」
「いや、ここまで来なくても、浅間神社でもどこでも構わん。何としてでも早雲と会って話をまとめなくてはならん。まごまごしていると、それこそ、関東から軍勢が来て、戦を始めなくてはならなくなるかもしれん。戦が始まってしまえば、もう取り返しのつかない状況となってしまうじゃろう」
「やってみよう」と播磨守は言った。
「頼むぞ。わしはさっそく、お屋形様のもとに行って説得するわ」
「うむ。わしは早雲を捜し出して話を付けてみるか」
越前守は茶屋を出ると傘をさし、そのまま、お屋形様の屋敷に向かった。
越前守が消えると入れ代わるように、定願坊が茶屋の縁側に腰を下ろした。
定願坊はずぶ濡れだった。
「そなた、いたのか」と播磨守は定願坊を見た。驚いている風でもなかった。
「話は聞いた」と定願坊は言った。
「そうか‥‥‥」
「早雲は今、早雲庵におる。風眼坊も一緒じゃ」
「そうか‥‥‥」
「早雲と会えば、越前守殿の言う通りになるじゃろう」
「早雲も越前守と同じ事を考えておると言うのか」
「ああ、今川家のために摂津守殿を捨てるじゃろうな」
「じゃろうのう‥‥‥」
「どうする」と定願坊は聞いた。
「うむ‥‥‥まだ、早いのう」
「いささか」と言って、定願坊は気味悪い笑みを浮かべた。
播磨守はゆっくりと頷いた。
「いっその事、早雲を消すか」と定願坊は言った。
「いや、それはまずい。消すのはいつでもできる。しばらくは早雲の動きを見張っていてくれ」
「うむ」
定願坊は消えた。
播磨守は一人、茶屋で考えていた。
今川家は二つに分かれ、阿部川を挟んで対峙しているが、戦をしようという者はいなかった。戦にならなくても、今の状況が続くだけでも播磨守にとっては有利だった。竜王丸派と小鹿派が結ぶのは具合が悪い。その二派が一つになれば、今川家が一つになるのと同じだった。まだ時期が早い。せめて、今年一杯は今の状況のままでいて欲しいと播磨守は願っていた。一年あれば、富士川以東を実力を以てまとめる事ができる。今、今川家が一つになってしまえば、せっかく手に入れた領地を返さなければならなくなる。何とかしなければならない。このまま放っておいたら、竜王丸派と小鹿派が一つになるのは時間の問題だった。
何とかしなければならない‥‥‥
しばらく、雨を眺めながら茶屋で冷めたお茶をすすっていた播磨守は一人、ニヤリと笑うと屋敷の方に戻って行った。
一方、お屋形様、小鹿新五郎と会っていた福島越前守は、ついさっき、北川殿で播磨守に言った事など、すっかり忘れたかのような変貌振りだった。
上段の間に眠そうな顔をして座っている新五郎の前に伺候すると、人払いをして、「お屋形様、播磨守殿には充分、御注意なさった方がよろしいですぞ」と言った。
「分かっておる。わしの目も節穴ではない。播磨が裏で何かをたくらんでいる事くらい気づいておるわ」
「はい。しかし、今回は容易ならざる事をたくらんでおりますぞ」
「何じゃ。勿体振らずに早く申せ」
「播磨守は竜王丸派と手を組もうとしております」
「何じゃと。竜王丸派と手を結ぶじゃと?」
「はい。播磨守は早雲とひそかに会っている模様ですな」
「播磨が早雲に?」
「配下の山伏を使って、ひそかに‥‥‥」
「播磨が竜王丸をお屋形にし、わしをお屋形の座から降ろすとたくらんでおると言うのか」
「今川家のためには、それしかないと‥‥‥」
「播磨め、裏切りおって‥‥‥何とかならんのか、せっかく、お屋形になれたというのに、ここから降りろと言うのか。わしは嫌じゃ」
「分かっております。そこで、お屋形様に相談したい議がございます」
「何かいい方法があるのか」
越前守は頷いた。「関東の力をお借りします」
「扇谷(オオギガヤツ)上杉家か」
「はい。扇谷上杉家に今川家の内紛を知らせれば、岩原(南足柄市)の大森寄栖庵(キセイアン)殿が来られる事でしょう。しかし、大森殿は葛山殿とは同じ一族です。大森殿が駿府に来れば、益々、播磨守の勢力が強くなると言えましょう。そこで、江戸城の太田備中守(ビッチュウノカミ)殿に来ていただきます」
「太田備中守にか」
「はい。備中守殿は関東で有名な武将です。備中守殿を仲裁役として今川家をまとめていただきます。勿論、お屋形様は新五郎殿としてまとめていただきます」
「備中守に頼むのか‥‥‥そう、うまく行けばいいがのう」
「備中守殿なら、うまくまとめてくれる事でしょう」
越前守は葛山播磨守には竜王丸派と手を結ぶと言ったが、本気で思っていたわけではない。最終的には、そうなるに違いないとは思っていても、播磨守同様、時期がまだ早いと思っていた。播磨守にその事を言えば、播磨守は絶対に邪魔をするだろうと睨み、牽制(ケンセイ)のつもりで言ったのだった。本気で竜王丸派と結ぶつもりなら、播磨守の力を借りなくても一人ででもできる。越前守の配下にも熊野の山伏がいて暗躍していた。早雲の居所など播磨守に頼まなくても捜し出す事は簡単だった。
どうして、駿河の国に紀伊(キイ)の国(和歌山県)の熊野の山伏がいるのかというと、当時、熊野の山伏は山の中だけでなく、海路も利用して各地の信者を集めていた。伊勢の五ケ所浦のように各地の要港には、必ず、熊野山伏の拠点があり、活動していた。当然、駿府の海の玄関口である江尻津にも熊野山伏はいて、支配者である越前守のために働いている者もいたのだった。
越前守は播磨守のように、今の時期を利用して領地を拡大しているわけではなかったが、別の所で稼いでいた。堀越公方の執事、上杉治部少輔が駿府に在陣して、すでに二ケ月が経ち、彼らの兵糧(ヒョウロウ)は伊豆の国から海路で江尻津(清水港)まで運ばれて来ていた。さらに、駿府屋形に集まっている兵たちの食糧も、各地から江尻津に入って来ている。江尻津を支配しているのは越前守だった。越前守は江尻津が各地からの船で賑わえば賑わう程、稼げるというわけだった。今川家が一つになってしまえば、上杉治部少輔は勿論の事、駿府屋形の兵たちも引き上げてしまう。後もう少し今の状況が続けば、伊豆の三島大社との取り引きの事もうまく行く。葛山播磨守と同様、越前守も今年一杯は、今の状況が続く事を願っていた。
3
越前守が帰った後、小鹿新五郎は離れの書院に戻った。
書院には渚(ナギサ)姫、千里(チサト)姫、桂(カツラ)姫、若菜(ワカナ)姫の四人の側室が首を長くして待っていた。
「お屋形様、いかがなさいました。浮かない顔をしてらっしゃいます」と千里姫が扇子を扇ぎながら言った。
部屋の中には高価な香が焚かれ、白粉(オシロイ)の匂いと混ざって妖艶(ヨウエン)さをなお一層、引き立てていた。
「何でもない」と新五郎は言うと料理の並んだお膳の前に腰を下ろした。
新五郎がお屋形様になって二ケ月が過ぎていた。二ケ月も過ぎたが、お屋形様らしい事は何もしていなかった。した事といえば、唯一、先代のお屋形様の葬儀の喪主になった事位だった。念願のお屋形様になれたら、あれをやろう、これをやろうと新五郎なりに色々と考えてはいたが、実際、お屋形様になっても、そんな事は一切できなかった。葛山播磨守と福島越前守の二人が何もかも決めてしまい、新五郎の出る幕はまったくなかった。
しかも、播磨守と越前守がもたもたしている隙に、竜王丸派は摂津守派と手を結び、竜王丸をお屋形様にし、摂津守を後見として、もう一つの今川家を作ってしまった。今川家が二つに分かれてしまったというのに、播磨守と越前守は何もしないでいる。新五郎が、戦を始めて、さっさと竜王丸派を倒せ、と命じても、二人は生返事をするばかりだった。
二人が言う事を聞かないのなら自分の力で何とかするしかないと、新五郎は手下の者を使って竜王丸を亡き者にしようとたくらんだが、すべて、失敗に終わっていた。竜王丸を殺すために送った刺客(シカク)は皆、戻っては来なかった。仕方なく、新五郎は浅間神社の山伏を使おうと思ったが、浅間神社は今川家の家督争いには拘(カカ)わりたくないと断って来た。
新五郎は成す術(スベ)もなく、毎日、酒と女に溺(オボ)れていた。政治的な事は何一つとして思うようにはならないが、酒と女に関しては不自由しなかった。播磨守も越前守も、その他の重臣たちも次々に綺麗な娘を新五郎のもとに届けて来た。屋敷内の常御殿には、彼らから送られて来た綺麗所が二十人近くも暮らしている。
新五郎は今年、三十歳の男盛りだった。家族は未だに小鹿の屋敷にいる。妻と三人の子供がいた。八歳になる長男の小五郎と五歳と二歳の女の子だった。このお屋形の屋敷に移ってから家族のもとには一度も帰っていなかった。
「お屋形様、さあ、どうぞ」と若菜姫が酒を注ごうとした。
「おう」と酒盃(サカズキ)を手にすると新五郎は注がれた酒を飲み干した。
「若菜、お前も飲め」と新五郎は酒盃を若菜姫に渡した。
「あい」と若菜姫は両手で酒盃を受けた。
若菜姫は興津美作守(オキツミマサカノカミ)から贈られて来た、ぽっちゃりとした二十歳の娘だった。控えめな性格だったが、情熱的で、着物がはち切れんばかりの肉体を誇っていた。新五郎が今、一番お気に入りの娘だった。
新五郎の右隣に座っている娘は渚姫といい、葛山播磨守から贈られた娘で、静かな雰囲気を持った別嬪(ベッピン)だった。若菜姫が来るまでは一番のお気に入りだったが、若菜姫の肉体に敗れて、二番になっていた。
若菜姫の隣は千里姫、福島越前守からの贈りもので、目のくりっと大きな娘で歌がうまかった。その隣は桂姫、庵原安房守からの贈りもので、小柄で可愛い娘だった。この四人の側室が、今の新五郎のお気に入りで、一日中、側から離さなかった。
無言のまま新五郎は四人の娘に酒盃を回すと、立ち上がって縁側に出て、広い庭を眺めた。
土砂降りは治まったが、雨は降り続いていた。
女たちは黙って新五郎の後姿を見つめていた。
「太田備中守か‥‥‥」と新五郎は呟(ツブヤ)いた。
備中守の噂は駿河にも聞こえていた。
扇谷(オオギガヤツ)上杉氏を支えているのは、家宰(カサイ、執事)である備中守の力だと言われている程の武将だった。ただ、戦に強いだけの武将ではない。足利学校で勉学に励み、和歌に堪能で、城の縄張りも巧みにこなすという文武両道の武将だった。その備中守を味方に付ければ、今川家を一つにまとめ、正式にお屋形様になれるかもしれない。備中守が後ろ盾になってくれれば、何とかなるような気がする。竜王丸派の朝比奈氏も三浦氏も岡部氏も、備中守の言う事なら聞くに違いない。ただ、扇谷上杉氏に応援を頼んだとして、備中守が、わざわざ、駿府まで来てくれるかどうかが問題だった。備中守ではなく、岩原の大森寄栖庵(キセイアン)が来たのでは葛山播磨守の思う壷となってしまう。何としてでも、備中守を呼ばなければならなかった。
「お屋形様、いかがなさいました」と桂姫が声を掛けた。
新五郎は返事をしなかった。
どうしたら、備中守を呼ぶ事ができるか‥‥‥
福島越前守に頼むか。
越前守の船で直接、備中守の江戸城まで行ってもらえば何とかなるのではないか‥‥‥もし、来てくれるとしても、江戸からここまで来るには時間が掛かる。兵を引き連れて来れば、かなりの時間が掛かるだろう。早いうちに江戸城に使いを送った方がいい。そう決めると新五郎は女たちには声も掛けず、主殿の方に向かった。大声で執事の名を呼ぶと、越前守をすぐに呼べと命じた。
一時程後、晴れ晴れとした顔をして、新五郎は書院に戻って来た。すでに、前のお膳は片付けられて、新しいお膳が並べられ、女たちも別の着物に着替えていた。
機嫌よく女たちを眺めると新五郎は床の間の前の上座に腰を下ろし、「喉が渇いた。酒じゃ」と酒盃を渚姫の前に差し出した。
「いい気分じゃ」と言うと新五郎は急に笑い出した。
女たちも新五郎の顔を見ながら、わけも分からず笑っていた。
「千里、一舞、舞ってくれ」
千里姫は笑いながら頷くと立ち上がり、次の間に行って扇を広げた。
〽忍ぶれど 色に出(イ)でにけり我が恋は~
色に出でにけり我が恋は~
千里姫は流行り歌を歌いながら、しとやかに舞った。
「最高じゃ」と新五郎は手をたたいて喜んだ。
「次は誰じゃ」
「あたし、踊りなんて駄目です」と若菜姫が手を振った。
「踊りじゃなくても構わんぞ」と新五郎は笑って若菜姫の懐に手を差し入れた。
「嫌ですわ、お屋形様」と若菜姫は言ったが、体を新五郎に擦り寄せていた。
「渚、次はそちじゃ」と新五郎は若菜姫の乳房を揉みながら言った。
「あたしも踊りはできません。お琴ならできますけど」
「おお、そちの琴が聞きたくなったわ」
「でも、お琴を取りにいかないと‥‥‥」
「なに、すぐに用意させるわ。いや、向こうに移って、皆で騒ごう。今宵は夜明けまで飲み明かそうぞ」
新五郎は四人の女を連れて常御殿の広間に移り、側室たち全員を呼び集めて、夜更けまで機嫌よく飲んで騒いだ。
新五郎にとって、まさに極楽だった。女たちは皆、新五郎の言いなりに酒に酔い、高価な着物を脱ぎ散らかし、あられもない姿で騒いでいる。この光景を誰かが見たら、もはや、今川家も終わりだと思うに違いなかった。
実際に、この光景を覗いている者がいた。
天井裏に忍び込んで、成り行きを見守っていた小太郎だった。
「情けない事じゃ」と小太郎は呟(ツブ)いた。
そして、しばらくして、「羨(ウラヤ)ましい事でもある」と言った。
しかし、竜王丸殿をあんなお屋形様には絶対にしてはならないと思った。
呆(アキ)れ果て、小太郎が引き上げようとした時、小太郎の他にも天井裏に忍び込んでいた者がいる事に気づいた。小太郎は手裏剣を手に持つと曲者(クセモノ)に近づいた。
相手も小太郎の事に気づき、刀の柄(ツカ)に手をやった。
「定願坊(ジョウガンボウ)か」と小太郎は小声で言った。
「風眼坊じゃな」と定願坊は言った。
「どう思う」と風眼坊は下を示しながら聞いた。
「年寄りには目の毒じゃ」
「まさしく」
「新五郎殿は播磨守殿の思いのままじゃ」
「うむ。播磨守はわしの命を狙っておるのか」
「いや」と定願坊は首を振った。
「そうか。それで、どうする」
「どうするとは」
「やるか」
「いや。わしらがやり合ったとしても、喜ぶのは下におられるお方だけじゃ」
「確かに」小太郎はそう言うと定願坊に背を向けた。
定願坊は攻撃を仕掛けて来なかった。
小太郎は誰もいない部屋に降りると御殿から出て、素早く土塁を乗り越え、屋敷から消えた。
残っていた定願坊は刀の柄から手を放すと、額の汗を拭った。
「できる‥‥‥」と呟くと、しばらく、小太郎のいた所を見つめていたが、やがて、身を伏せると下の光景を覗いた。
女たちは皆、酔っ払っていた。すでに、伸びている女たちもいた。中には女同士で体を撫で合っている者もいる。あちこちから嗚咽(オエツ)の声が聞こえて来る。新五郎は裸の女を三人抱えて大笑いしていた。
「たまらんわ」と言うと定願坊も屋根裏から消えた。
4
雨は毎日、降っていた。
お雪の吹く笛の音が朝比奈城下の天遊斎の屋敷から響いていた。
竜王丸と北川殿が駿府屋形から小河(コガワ)の長谷川法栄(ホウエイ)の屋敷に移り、さらに、天遊斎の屋敷に移ってから、すでに三ケ月が過ぎていた。
竜王丸派と摂津守派が一つになった時、北川殿は竜王丸を連れて摂津守の青木城に移った。しかし、それは一日だけだった。前線に近い青木城は危険だという事で、すぐに小河の法栄屋敷に戻ったが、北川殿が小河屋敷にいたという事が小鹿派の者たちにまで知れ渡り、危険が迫って来た。未だに竜王丸を亡き者にしようとたくらんでいる者がいるのだった。また、天野氏などは竜王丸を遠江にさらって、遠江に今川家を新しく作ろうと本気で考えている。早雲は北川殿母子を朝比奈川の上流の山の中にある朝比奈郷に隠す事にした。
朝比奈郷は古くから朝比奈氏の本拠地だった。鎌倉時代に祖先の左衛門尉(サエモンノジョウ)が朝比奈郷の地頭職(ジトウシキ)に就いて朝比奈姓を称し、今川家が駿河の守護職(シュゴシキ)になった早い時期に被官となり、以後、代々今川家の重臣の地位に就いていた。
天遊斎は家督を嫡男(チャクナン)に譲って隠居していたが、嫡男の肥後守(ヒゴノカミ)がお屋形様、義忠と共に戦死してしまったため、のんびり隠居などしている場合ではなくなっていた。家督は三男の左京亮(サキョウノスケ)という事に決まったが、左京亮はまだ二十歳で、独り立ちするには少々無理があった。しばらくの間は天遊斎が補佐しなければならなかった。
朝比奈郷に移った北川殿は天遊斎の隠居屋敷に入った。天遊斎の隠居屋敷は朝比奈屋敷の北東の隅にあり、本屋敷と同様に濠と土塁に囲まれていた。北川殿を迎える事となって天遊斎は本屋敷の方に移り、北川殿母子は駿府屋形の北川殿にいた時のように、北川衆に守られて暮らしていた。
隠居屋敷は本屋敷に隣接していたが、濠と土塁で隔てられて完全に独立していた。敷地内には天遊斎が客と会う時に使う表屋敷、普段、寝起きしている奥屋敷と広い台所を中心に、湯殿(ユドノ)、廐(ウマヤ)、侍(サムライ)部屋、蔵などが建っていた。
北川殿母子は二間ある奥屋敷に入り、侍女と仲居たちは表屋敷に入った。侍女の中には春雨とお雪の二人もいて、竜王丸の遊び相手として寅之助も一緒に来ていた。北川衆は以前のごとく交替で屋敷の門番に当たった。北川衆の中には家族と共に移って来ている者もいて、近くに家を借りて通っていた。
ここでも、小河屋敷にいた時と同じように北川殿は身分を隠し、京から下向して来た公家の母子という事になっていたため、あまり縛られる事もなく、のんびりと暮らす事ができた。かつての北川衆や侍女や仲居たちに囲まれて暮らしていても、以前のように出掛ける時は、どんな近くでも牛車(ギッシャ)に乗るという事もなく、自分の足でどこにでも行けた。どこにでもと言っても、あまり遠くまでは行けなかったが、朝比奈屋敷の回りの城下町や草原や田畑などを子供たちと一緒に散歩するのは楽しかった。草花を自分の手で摘んだり、蝶やトンボを追いかけたり、今まで想像するだけで、できるわけないと諦めていた事が、駿府を出てからは可能となっていた。お屋形様の突然の死は悲しかったが、別の生き方というものを味わえたのは、北川殿にとって充分な慰めになっていた。
梅雨となり、毎日、雨降りの日が続いていても、北川殿にとっては傘を差して雨の中を散歩するのも楽しみの一つだった。そんなある日、久し振りに早雲が孫雲と才雲を連れてやって来た。石脇の早雲庵から朝比奈城下までの距離は三里程だった。一時もあれば、すぐに来られる距離だった。
北川殿はお雪と長門(ナガト)の二人を連れて、小雨の中を傘を差して散歩に出掛ける所だった。三人の後ろには北川衆の清水と久保の二人が少し離れて見守っている。
北川殿は隠居屋敷の門を出ると大通りを南に向かい、朝比奈屋敷の門の前を通り過ぎた頃、正面からやって来る早雲たちと出会った。北川殿は早雲の姿を見ると嬉しそうに手を振った。早雲も元気そうな妹の姿を見ながら手を振り返した。駿府屋形にいた頃に比べて、最近の北川殿は心から嬉しそうに笑っていた。早雲に手を振っている今の北川殿の笑顔も、うっとおしい梅雨空とは関係なく、ほんとに楽しそうだった。
北川殿は早雲を伴って朝比奈川の河原に向かった。いつもの散歩の道だった。
朝比奈氏の本拠地である朝比奈城は北、西、南の三方を朝比奈川に囲まれた山の上にあった。城下は朝比奈城の南麓にあり、西側を北から南へ、南側を西から東へと朝比奈川が曲がって流れ、東側は野田沢川が北から南に流れ、朝比奈川と合流していた。三方を川、残る北側に城のある山に囲まれた一画が朝比奈氏の城下だった。
朝比奈屋敷と朝比奈氏の菩提寺を中心に東側に武家屋敷が並び、広い弓場や馬場があり、西側は商人や職人たちの住む町となっていた。朝比奈川の河原には二つの市場があって、市の立つ日は賑やかだった。しかし、駿府とは比べものにならない程、ささやかな城下だった。城下内には田畑や草原もかなりあり、のどかな雰囲気だった。
北川殿がよく来る河原は西側の河原で、人影もなく静かな所だった。草花が豊富にあって、向こう岸にはずっと山々が連なっていた。
北川殿は着物が濡れるのも構わず、早雲と一緒に河原の濡れた草木の中に入って行った。仕方なく、お雪は後を追ったが、後の者たちは道端から北川殿たちを見守っていた。
「兄上様、今川家はどうなって行くのでしょう」と北川殿は突然、聞いた。
「大丈夫です」と早雲は言ったが、妹の顔を見てはいなかった。
「兄上様、わたし、竜王丸の母として何かをしなければならないんじゃないかって、最近、思うようになりました。わたし、自分では何もできないと諦めておりました。兄上様や長谷川殿、朝比奈殿など重臣の方々に頼らなければ、生きて行けないと思っておりました。でも、最近、わたしにも何か、できるんじゃないかって思うようになりました。今まで、わたしは何かをする前に、もう諦めておりました。自分の意志で何かをしようと思った事なんてありませんでした。でも、そんなわたしでも、何かをやろうと思えば、できるんじゃないかって思うようになりました‥‥‥」
早雲は北川殿の横顔を見た。お屋形様が亡くなられてから強くなられたものだと思った。お屋形様が生きている頃は、他所から嫁いで来た嫁という感じだったが、今の北川殿は完全に今川家の一族の一人として今川家の事を思っていた。竜王丸の母親として立派に生きて行こうとしていた。
「お強くなられましたな」と早雲は言った。
「いいえ、少しも‥‥‥兄上様、兄上様は弓の名手だと聞いております。わたしに是非とも弓を教えて下さい」
「えっ!」と早雲は驚いて妹を見た。まさか、そんな事を言って来るとは思ってもいなかった。
「北川殿が弓術を習いたいと」と早雲は聞き返した。
北川殿は恥ずかしそうに頷いた。「わたし、駿府のお屋敷が襲撃された時、自分の無力さが身にしみました。春雨様やお雪様は自分を守る術(スベ)を知っております。同じ、女の身でありながら、わたしは自分を守る事もできません。お屋形様のお亡くなりになってしまった今、わたしは竜王丸たちを守らなければなりません。そして、今川家も‥‥‥今のわたしに今川家を守るなんて、大それた事は言えません。せめて、何かが起こった時のために、子供たちだけは守ってやりたいと思っております。お願いです。わたしに弓術を教えて下さい」
「それは構いませんが‥‥‥」と早雲は答えた。
「兄上様、ほんとですのね」と北川殿は嬉しそうに笑った。「教えて下さるのね」
早雲は妹を見ながら頷いた。「弓術は身を守るだけでなく、心を落ち着けるのにも役に立ちます。北川殿が、どうしてもとおっしゃるのなら、お教え致しましょう」
「まあ、嬉しい。わたし、今、お雪様より小太刀(コダチ)も教わっているんですよ」
「ほう、お雪殿から小太刀を‥‥‥そうでしたか」
北川殿は本気で身を守る術を習おうとしていた。まるで、別人を見ているかのような思いで早雲は妹を見ていた。
朝比奈屋敷に戻ると、早雲はさっそく弓場(ユバ)に交渉に出掛けたが、女は立ち入り禁止だと断られた。北川殿の名を出せば何とかなるとは思うが、これから先の事を考えると、弓場を使わせてもらうために正体をばらすのはまずかった。早雲はさっき北川殿と行った河原に出掛けた。仕方ないので、ここを弓場にしようと思った。ここは人影がないので、北川殿の弓術の稽古には丁度、具合がいいと言えた。ただ、雨の降り続く梅雨のうちは無理だった。梅雨が上がったら、ここに的を作って北川殿に教えようと思った。
その日の晩、早雲たちは天遊斎の本屋敷に招待された。北川殿も招待され、天遊斎の三男、左京亮と共に軽く酒を飲み、食事を御馳走になった。
食事も済み、北川殿と左京亮の帰った後、早雲は客間で天遊斎と二人きりで会っていた。
「天遊斎殿、太田備中守殿をどう思います」と早雲は天遊斎の点(タ)てた薄茶を飲みながら聞いた。
「どうとは」と天遊斎は突然の質問に驚いたようだった。
「小鹿新五郎殿は、どうやら、備中守殿を後ろ盾として駿府に呼ぶ模様です」
「何じゃと。新五郎殿が太田備中守殿を‥‥‥とうとう、関東の助けを借りるのか」
「らしいですねえ」と早雲は他人事のように言った。
「そうか‥‥‥備中守殿か‥‥‥備中守殿が小鹿派に付いたら竜王丸殿にとっては難しい事になりそうじゃ」
「やはり、そうですか‥‥‥」
「しかし、備中守殿は公平な目を持っているとの噂じゃ。もしかしたら、公平に裁いてくれるかもしれん」
「公平な目、ですか‥‥‥天遊斎殿は備中守殿に会った事はございますか」
「いや」と天遊斎は首を振った。「会った事はないが」
「そうですか。わたしは一度だけ、会った事がございます。会ったと言っても、お互いに名乗ったわけではなく、一言、二言、言葉を交わしただけでしたが、わたしは、あの時の武将は備中守殿だと確信を持っております。確かに、天遊斎殿のおっしゃる通りに、公平なお人のようにお見受けしました」
「そうじゃろう。備中守殿は噂通りの立派なお方に違いない。備中守殿が、この地に来る事となれば、小鹿派では大歓迎する事じゃろう。備中守殿が小鹿派の言いなりになるとは思わんが、我らとしても言い分だけは聞いてもらわん事にはのう」
「何とかして話し合いの場を持ちたいですね」
「うむ、頼むぞ。こういう場合、自由に動き回れる早雲殿が唯一の頼みじゃ」
「はい。やるだけの事はやってみますが、新五郎殿とは別に、葛山播磨守殿も扇谷(オオギガヤツ)上杉氏に誘いを掛けております。播磨守殿は備中守殿ではなくて、岩原城の大森寄栖庵(キセイアン)殿とかいうお方を駿府に呼ぶ事をたくらんでおるようです」
「大森寄栖庵殿を呼ぶのか」
「そのようです。その寄栖庵殿というお方はどんな人なのです」
「扇谷上杉家の重臣じゃ。太田備中守殿が有名になり過ぎて、隠れた存在となっておるが、なかなかの武将のようじゃのう。ただ、葛山氏とは同族じゃ。駿府に来たとしても、備中守殿のように公平に物を見るという事は期待できそうもないのう」
「そうですか‥‥‥どっちが来るかによって、こちらの出方も変わって来ますね」
「そうじゃのう。寄栖庵殿が来られたら、余計、面倒な事になりそうじゃ。備中守殿が来る事を願うしかない」
「こちらからも備中守殿に誘いを掛けたらどうです」と早雲は言った。
「いや、それはまずい。両方から関東に助けを求めたら、今川家の威信に拘わる事になる。助けを求めたのは小鹿派で、竜王丸派は他所の助けを借りなくても自力で解決する事ができると思わせておかなければならん。関東に借りを作ると竜王丸殿がお屋形様になった時、面倒な事に巻き込まれる可能性が出て来るじゃろう。借りを作るにしても、なるべく、小さい方がいい」
「成程、そうですね。相手の出方を見て対処して行った方がいいですね」
早雲は天遊斎から、今までの今川家の事を色々と聞き、夜遅くまで語り合っていた。
13.太田備中守1
1
梅雨が終わり、暑い日が続いていた。
今川家は二つに分かれたまま、阿部川を挟んでの睨み合いが続いている。
今年の梅雨は例年に比べて雨量が多く、阿部川は倍以上の幅になって勢いよく流れていた。そんな阿部川を初めて見る小太郎は勿論の事、四年目になる早雲でさえ驚いていた。何度も川止めがあり、浅間神社に参拝に来た旅人たちは阿部川を挟んで立ち往生している。藁科川と阿部川の間に陣を敷いている主戦派の福島土佐守や岡部五郎兵衛も今年の阿部川の水量には驚き、戦どころではなかった。両方の川の水嵩(カサ)が増して、前にも後にも動けず、孤立してしまう事もあった。
梅雨も終わって、ようやく水嵩も減っては来たが、流れる位置が変わっていた。小鹿派が陣を敷いている二本の阿部川の間は広くなり、下流の方では二本の流れは近づいていた。藁科川も幾分、東の方に流れを変えていた。
両天野氏が竜王丸派に付かざる得ない状況となって、東遠江もようやく落ち着き、遠江勢の重臣たちも駿府に戻って来ていた。兵力から言えば竜王丸派が圧倒的に有利になっていても、戦を始めるわけにも行かず、かといって話し合いで解決する事もならず、膠着状態が続いたままだった。今の状況を変えるには何かが起こらなければ無理と言える。たとえば、外部の敵が駿河の国に攻めて来れば、今川家は一つにまとまる事も考えられるが、今川家を倒して駿河を乗っ取ろうとたくらむ程の有力な大名は回りにはいなかった。
残るは、小鹿派が助っ人に頼んだ相模の国の守護、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏が誰を駿河によこすかだった。そして、その人物がどう出るかによって、今後の展開は変わって行くだろう。
六月二十七日、ついに、扇谷上杉氏の軍勢が駿府にやって来た。
三百騎余りの軍勢を率いていたのは、扇谷上杉氏の家宰(執事)である太田備中守資長(ビッチュウノカミスケナガ)だった。扇谷上杉勢は駿府屋形には入らずに駿府屋形の南十五町(約一、六キロ)程の所にある八幡山の西山麓に陣を敷いた。駿府屋形と八幡山との間には鎌倉街道が東西に走り、阿部川の支流が三本流れていた。また、竜王丸派の本陣である青木城とは一里程の距離があり、間には二本の阿部川と藁科川が流れていた。
太田備中守が八幡山に陣を敷くと、待っていたかのように小鹿派の福島越前守が挨拶にやって来た。越前守は備中守を駿府屋形に迎えようとしたが、備中守は疲れたからと言って断った。越前守は八幡山の山中にある八幡神社内の宿坊(シュクボウ)を本陣に使うように勧めた。備中守はその申し出は喜んで受け、本陣を八幡神社に移した。
越前守は宿坊の客間にて備中守に今の状況を詳しく説明して、力になって欲しいと頼むと日暮れ前に帰って行った。越前守が帰った後には、越前守が差し入た数々の贈り物が山のように残った。その品々の中には関東ではなかなか見られない唐物(カラモノ)の陶器類もあった。さすが、今川家だと備中守は感心しながら青磁(セイジ)の湯飲みを手にしていた。
備中守と越前守が話し合っている頃、石脇の早雲庵に、小太郎が備中守が来た事を伝えに来た。早雲はその事を小太郎から聞くと、「そうか‥‥‥太田備中守殿が来られたか」と大きく頷いた。
「三百騎程引き連れて八幡山に陣を敷いている」と小太郎は言った。
「八幡山にか‥‥‥駿府屋形には入らなかったんじゃな」と早雲き聞いた。
小太郎は頷いた。「しかし、分からんぞ。さっそく、福島越前守が出迎えに出掛けた。そのうち、お屋形の方に移るかもしれん」
「そうか、越前守が動いたか‥‥‥」
小太郎は浅間神社の門前町の家を出た後、早雲庵を本拠地として駿府屋形を探っていたが、距離があり過ぎて不便なので、駿府の城下のはずれにある木賃宿に薬売りの商人として泊まっていた。北川殿がお屋形から出た今となっては、山伏、風眼坊に戻る必要はなくなり、返って山伏姿でいれば、風眼坊を捜している葛山播磨守に見つかる危険もあった。小太郎は近江から来た商人に扮して、三浦次郎左衛門尉より貰った過書を利用して、お屋形内を自由に行き来していた。
「備中守殿が八幡山にいる内に会っておきたいものじゃな」と早雲は言った。
「おぬしが一度、会ったとかいう武将が備中守だといいんじゃがな」
「なに、こっちが覚えておっても向こうは覚えてはおるまい」
「栄意坊を連れて来れば良かったのう」と小太郎が、ふいに言った。
「栄意坊?」と早雲は怪訝(ケゲン)な顔をして小太郎を見た。どうして、ここに栄意坊が出て来るのか、早雲には理解できなかった。
「やっと思い出したんじゃよ。太田備中守という名、どこかで聞いた事あったんじゃが、よう思い出せなかったんじゃ。それが、備中守が江戸城から来たと聞いて、ようやく思い出したわ。栄意坊の奴、江戸城に三年近くも居候(イソウロウ)しておった事があったんじゃよ」
「何じゃと‥‥‥そいつは本当なのか」
「ああ。もう、十年以上も前の事じゃ」
「備中守にも会っておるのか」
「備中守の客人として江戸城におったそうじゃ」
「ほう。栄意坊がのう‥‥‥」
「詳しくは知らんのじゃが、栄意坊の奴、飯道山を下りて関東に旅に出て、女子(オナゴ)に惚れたらしい。その女子と共に暮らし始めたが、子供を産んだ時、女子も子供も共に死んでしまい、栄意坊は死ぬつもりになって戦に出たんじゃ。どういういきさつで備中守と出会ったのか知らんが、意気投合して江戸城に迎えられて、三年近く、備中守の客人として戦に出ておったらしいのう」
「ほう。そんな事があったのか‥‥‥」
「しかし、栄意坊がおらんのではどうしようもないのう」
「いや。本人がおらなくとも備中守と共通の知人がおるというのは大分、有利じゃ」
「まあな。今の状況では、おぬしも竜王丸殿の伯父という立場では備中守に会いに行けまい」
「越前守の兵もおる事じゃろうしな。備中守が会うと言っても越前守は許すまいのう」
「そこで、栄意坊の名を出して、以前、栄意坊が世話になったお礼を言うというのを口実に、山伏として備中守に会うというのはどうじゃ」
「わしも山伏になるのか」
「そういう事じゃのう」
「うむ」と早雲は頷いた。「そうするかのう。とにかく、一度、会っておけば、この先、有利となる事は確かじゃ」
「さっそく、今晩、出掛けるか」と小太郎は聞いた。
「今晩か‥‥‥栄意坊のお礼を言うのに、夜、訪ねるというのも変な話じゃ。怪しまれて断られれば、二度とその手は使えなくなる。明日の方がいいんじゃないかのう」
「そうじゃな。最初が肝心じゃ。焦(アセ)る事もないわな」
「ああ。明日の朝にしよう」
「ところで、富嶽たちがおらんようじゃが、どこかに行ったのか」と小太郎は聞いた。
「富嶽と多米、荒木の三人は朝比奈城じゃ」
「北川殿の警固か」
「いや、警固というより北川殿の武術指導じゃ」
「北川殿の武術指導? 竜王丸殿じゃろう」
「いや、北川殿じゃ。北川殿は今、武術に凝っておられるのじゃ」
「北川殿がか‥‥‥信じられん」
「わしも信じられんわ。あれ程、武術に熱中するとはのう」
早雲は北川殿に弓術(キュウジュツ)を教えてくれと頼まれた。北川殿は梅雨が上がるのを毎日、首を長くして待っていた。梅雨が上がると早雲は朝比奈城に向かい、北川殿に弓術を教えた。二日間、早雲は付きっきりで北川殿に弓術を教えたが、早雲もずっと朝比奈城にいるわけにもいかない。そこで、早雲の代わりに富嶽が教える事となった。富嶽も元は幕府に仕えていた武士で、弓術を得意としていた。その事は早雲も知らなかったが、早雲が困っているのを見て富嶽から言い出した事だった。そして、弓術なら、わしだって教えられると多米と荒木も付いて行ったと言う
「ほう。富嶽が弓術をのう。かなりの腕なのか」
「昨日、才雲が様子を見に行ったが、百発百中だと言う。多米や荒木など問題にならん程の腕らしい」
「人は見かけによらんもんじゃのう。富嶽が弓術の名人だったとはのう」
「ああ。頼もしい奴じゃ」
「富嶽が北川殿に弓術を教えておるのなら、多米と荒木の二人は何しておるんじゃ。あんな山の中に、あの二人がよくおられるもんじゃのう」
「山の中には違いないが、古くからの朝比奈殿の本拠地じゃ。城下には市も立つし、ちょっとした盛り場もある。博奕も打てるし、女も抱ける。ここにいるよりは羽根を伸ばせるんじゃう」
「成程な」と小太郎は笑った。「ここにおったんでは大っぴらに遊びにも行けんからのう。理由はどうであれ、しばらく、ここから出て遊びたかったという事か‥‥‥」
「そういう事じゃ。あの二人も奴らなりによくやってくれたからのう。今の所はここにおってもする事はないし、北川殿を守ってくれと一緒に行かせたんじゃ」
「山賊どもは何しておるんじゃ」
「毎日、泥だらけになって働いておるよ。奴らも変わったもんじゃ」
「何をやっておるんじゃ」
「梅雨時に川が氾濫(ハンラン)してのう。田畑が大分、やられてしまったんじゃ。家を流された者もおってのう。毎日、村人たちのために真っ黒になって働いておるんじゃ」
「ほう。奴らがのう。あの在竹(アリタケ)もか」
「ああ。奴が先頭になってやっておるわ。最近は皆、顔付きまで変わって来ておる。奴らがここに来てから、なぜか、ここに子供らが集まって来るんじゃ」
「奴らはガキの面倒も見ておるのか」
「ああ。祐筆(ユウヒツ)と呼ばれておる吉岡は、子供たちを集めて読み書きを教えておるらしいの」
「ただでか」
「無論じゃ」
「山賊がガキどもに読み書きを教えておるのか‥‥‥変われば変わるものよのう」
「まったくじゃ‥‥‥話は変わるが、小太郎、お雪殿がおぬしに会いたがっておったぞ。たまには、会いに行った方がいいぞ」
「わしも会いたいわい。しかし、北川殿の事を思うと、そうはしてられまい。早いうちに、竜王丸殿をお屋形様にして駿府屋形に戻って貰わなくてはのう」
「そうじゃのう‥‥‥まずは、何としてでも備中守殿を味方に付けなくてはならん」
日が暮れる頃、在竹率いる山賊らが汗と泥で真っ黒になって、どやどやと帰って来た。
早雲庵は急に騒がしくなった。
山賊たちが村人たちのために働くようになってから、頼んだわけではないのに、村の娘たちが早雲庵の飯の支度をしに来てくれていた。春雨とお雪がいなくなってから女気のなかった早雲庵も、村娘たちのお陰で、何となく華やいだ雰囲気となっていた。
小太郎も村娘たちの作ってくれた夕飯を御馳走になり、今晩はここに泊まる事となった。
日が暮れても、暑さは弱まらなかった。
縁側に出て、うちわを扇ぎながら、早雲と小太郎は酒をちびちびと飲んでいた。
山賊たちも仕事の後の酒を飲んでいるらしく、山の南側から賑やかな声が聞こえて来ていた。村娘たちもまだ、いるらしい。時折、甲高い笑い声が聞こえて来た。
そんな晩、珍しい客がやって来た。
一人の僧侶と見るからに浪人と分かる三人の武士だった。
僧侶は茶人の伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)だった。去年の九月に関東に旅立ち、ようやく帰って来たのだった。長い旅を続けていたわりには頭も綺麗に剃ってあり、着ている墨染めの衣も汚れてはいなかった。そして、連れの武士たちが何となく不釣合いだった。
「やあ、お久し振りです。暑いですな」と銭泡は笑いながら早雲たちに頭を下げた。
「銭泡殿‥‥‥一体、どこにおられておったのです」と早雲は驚いた顔をして銭泡を迎えた。
「はい。色々とありまして」と銭泡は笑った。「しかし、ここも随分と変わりましたなあ」
「ええ。住人が増えましたので‥‥‥」と早雲は銭泡の後ろにいる浪人を見た。
三人の浪人の内の一人に見覚えがあった。
早雲が頭を下げると、その浪人も頭を下げた。
信じられない事だったが、その浪人は太田備中守、その人に間違いなかった。着ているものは粗末な単衣(ヒトエ)でも、まさしく、備中守に違いなかった。
「失礼ですが、太田備中守殿では」と早雲は浪人に声を掛けた。
浪人は頷くと、「早雲殿ですな。お噂は伏見屋殿から伺っております」と言った。
小太郎は、備中守がここにいる事が信じられない事のように状況を見守っていた。
「お二人はお知り合いでしたか」と銭泡は二人を見比べていた。
「いえ。知り合いと言える程ではありません」と早雲は言った。
「一度、お会いしましたな」と備中守は言った。
「覚えておいででしたか」
「確か、早雲殿は鹿島、香取に向かわれている時じゃった」
「はい。もう二年前の事です」
「伏見屋殿から早雲殿のお噂を聞き、もしや、あの時の御坊が早雲殿ではないか、と思っておったが、やはり、そうであったか」と備中守は笑った。
「不思議な事もあるものですね」と銭泡は早雲と備中守の顔を見比べた。
「たった一度しか会った事がないのに、しかも、お互いに名乗りもせずに、お二人とも、その時の事を覚えておられるとは、まったく、不思議な事じゃ」
「縁というものかもしれんのう」と備中守は言った。
「はい」と早雲は頷いた。そして、銭泡を見て、「しかし、驚きですな。銭泡殿が備中守殿を御存じだったとは」と言った。
「いえ、わしらも京で一度会っただけなんです」と銭泡は笑った。
「そうでしたか‥‥‥」
早雲は四人を庵の中に迎え入れ、孫雲と才雲の二人に簡単な酒の用意をさせた。
「それにしても、銭泡殿、よく、ここまで来られましたね。途中、大勢の軍勢が陣を敷いておられたでしょう」
「はい、驚きました。阿部川を挟んで、河原には武装した兵で埋まっておりました。運がよかったのです。阿部川を渡った所で、斎藤加賀守殿と出会いました。早雲庵に帰るところだというと、途中まで兵を付けてくれました」
「加賀守殿と出会いましたか、それは運がよかったですね」
「はい。備中守殿には早雲庵に居候しておる浪人者に扮していただきました」
「これは、わざわざ、どうも」
「いや。伏見屋殿よりお噂を聞き、ぜひ、お会いしたいと思っておりましたので、こうして付いて来たわけです。突然、お訪ねして申し訳ない」
「いえいえ、わたしらも明日、備中守殿にお訪ねしようと思っておったところです」
「そうでしたか」
「ところで、備中守殿は栄意坊を御存じとか」と早雲は聞いた。
「栄意坊‥‥‥懐かしいのう」と備中守は目を細めて言った。「いい奴じゃった‥‥‥今頃、どうしておる事やら‥‥‥早雲殿は栄意坊を御存じなのですか」
「はい。共に飯道山で修行した事もございました」
「飯道山か‥‥‥栄意坊から、その話はよく聞いたものじゃ」
「その飯道山の四天王の一人がここにおります」と早雲は小太郎を備中守に紹介した。
「風眼坊‥‥‥うむ、確かにその名は聞いた事ある。ほう、そなたが四天王の一人か‥‥‥懐かしいのう。それで、今、栄意坊はどこにおるんです」
「飯道山におります。飯道山で若い者たちに槍術を教えております」
「そうか‥‥‥まさか、早雲殿の口から栄意坊の名が出るとは夢にも思わなかったわ。世の中、広いようで狭いものよのう」
「まことに‥‥‥銭泡殿と備中守殿がお知り合いだったというのも以外な事です。しかも、こんな時に備中守殿と一緒に銭泡殿が帰って来るとは‥‥‥まったく、不思議じゃのう」
「わたしが村田珠光(ジュコウ)殿に弟子入りしたばかりの頃、備中守殿が京に参りました」と銭泡が言った。「わたしは弟子になったばかりで、備中守殿と同席などできませんでしたが、珠光殿の後ろに付いて歩いておりました、わたしの事を備中守殿は覚えておいででした」
「そうでしたか、珠光殿のもとでお会いしておられたのですか」
「はい。わしも珠光殿から茶の湯を教わりたかったのですが、時がありませんでした。今回、伏見屋殿が江戸に来てくれましたので、珠光殿の茶の湯を教わる事ができました。長年の念願が適(カナ)ったというわけです。ほんとに喜ばしい事です」
「そうでしたか‥‥‥」
「ところで、早雲殿、とんだ事になりましたなあ。おおよその事は福島越前守殿より伺いましたが、早雲殿のお考えをお聞きしたいのですが‥‥‥」
備中守は以外にも単刀直入に聞いて来た。早雲にとっても、その方が話し易かった。
「結論から申しましょう。わたしの願う所は、竜王丸殿をお屋形様にし、小鹿新五郎殿を後見とする事です」
「成程。竜王丸殿に小鹿新五郎殿か‥‥‥中原摂津守殿はいかがなさるおつもりじゃな」
「諦めていただくよりありません」
「今更、諦めるじゃろうかのう」
「今川家のためにも、諦めていただくより他に道はありません」
「うむ‥‥‥」と備中守は早雲の顔を見つめた。早雲の心の中まで探っているような目付きだった。
「備中守殿、備中守殿のお考えもお教え願いたいのですが」と早雲は聞いた。
「わしの考えのう‥‥‥わしの考えというよりは、上杉氏の考えとしては、今川家が元のように一つになってくれれば、それが一番いいと思っておるんじゃ。関東も今、利根川を境に東西に分かれて争いが続いておる。古河公方(コガクボウ)と関東管領(カントウカンレイ)の争いじゃ。関東を一つにまとめるには、是非とも今川家の力が必要なんじゃよ。関東にとっても、幕府にとっても、今川家には駿河の国をしっかりと守っていて貰わなくてはならんのじゃ」
「その事を聞いて安心致しました。備中守殿にお願いがございます。小鹿派の重臣たちを説得して頂きたいのですが‥‥‥わたしは竜王丸派の重臣たちを説得致します」
「竜王丸殿をお屋形様に、小鹿新五郎殿を後見という事でじゃな」
「はい。今の今川家を一つにするには、それしか方法はないようです」
「うむ」と備中守は頷き、しばらくしてから、「やってみましょう」と言った。
「ありがとうございます」と早雲は頭を下げた。「ただ、備中守殿がわたしに会ったという事は内緒にしておいた方がいいように思います。小鹿派の重臣たちも備中守殿のおっしゃる事なら聞くかもしれませんが、わたしが絡(カラ)んでいる事を知ると反発して来るでしょうから」
「分かりました。わしが早雲殿と初めて会うのは、今川家が一つになる時という事ですな」
「はい。そう願いたいものです」
その後、小太郎より小鹿派の重臣たちのたくらみや、暗躍している山伏の事などを備中守に知らせた。
難しい話が終わると、銭泡の旅の事や備中守の江戸城の事や茶の湯、連歌の事など夜更けまで話し続け、夜明け前、備中守は銭泡と一緒に、小河湊から長谷川法栄の船に乗って阿部川の向う側に帰って行った。
伏見屋銭泡が太田備中守を連れて早雲庵に訪ねて来るとは、早雲も小太郎も考えてもみない事だった。世の中、思ってもいない事が起こるものだと、二人は備中守と銭泡を送り出すと不思議がった。
銭泡は去年の九月、早雲と富嶽が京に向かった後、早雲庵を後にして関東に旅立った。駿河に滞在している時は、早雲と一緒にお屋形様を初め重臣たちの屋敷に招待されて、茶の湯の指導に当たっていた。重臣たちからは多額の礼銭を貰っていたが、困っている人たちのために使ってくれと早雲庵の留守を守っていた春雨に渡し、来た時と同じく無一文に粗末な衣だけを身に付けて関東に向かって行った。春雨には、年末には帰って来ると言って出て行ったが、結局、昨日まで何の連絡もなく、突然、物凄い土産(ミヤゲ)を持って帰って来たのだった。
銭泡は箱根を越え、関東に入ると相模の国(神奈川県)を抜けて武蔵(ムサシ)の国(東京都と埼玉県)に入り、武蔵の国を北上した。特に行く当てはなかった。その日その日の気分で足の向くまま、気の向くままに旅を続けた。
初めて見る関東の地は広かった。見渡す限り草原が続いている。歩いても歩いても人家が見つからない事が何度もあった。それでも、村人たちは親切で、遠くから来た旅の僧を充分に持て成してくれた。
月日の経つのは早かった。
武蔵の国を抜け、下総(シモウサ)の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取神宮を参拝し、まるで、琵琶湖のような霞ケ浦を渡って、常陸(ヒタチ)の国(茨城県北東部)の鹿島神宮を参拝し、常陸の国を北上して下野(シモツケ)の国(栃木県)に入り、下野の国から上野(コウヅケ)の国(群馬県)を回って武蔵の国に戻って来た。
途中、戦の場面にも遭遇したが、京での戦を経験している銭泡の目には、何となく、戦ものんびりしているように思えた。土地が広いため騎馬武者中心の戦で、河原とか広い草原で行なわれるため、村々が戦の被害に会う事は稀(マレ)で、京の戦のように女子供が悲鳴を上げて逃げ回っているという場面はあまり目にしなかった。また、足軽などという荒くれ者たちも、まだ、いなかった。
年の暮れ近く、武蔵の国を南下して、そのまま駿河の国に帰るつもりだったが、銭泡は腹をこわしてしまった。軽い食当たりだろうと歩き続けたが下痢が続いて体中の力が抜け、とうとう道端に倒れ込んでしまった。
これで、わしも終わりか‥‥‥
それもいいじゃろう‥‥‥
やりたい事はやって来た。そろそろ家族の待つ冥土とやらに旅立つか‥‥‥
銭泡は覚悟を決めて目を閉じた。
悪運が強いのか、銭泡は助けられた。
銭泡を助けたのは越生(オゴセ)に隠居していた太田備中守の父親、太田道真(ドウシン)だった。太田道真は越生の龍穏寺(リュウオンジ)の側に自得軒(ジトクケン)という隠居所を建て、頭を丸めて隠棲していた。すでに六十歳を越えた老人だった。
銭泡は自得軒の客間で目を覚まし、初めて道真を見た時、どこかの僧に助けられたと思って思わず合掌をした。しかし、道真は僧ではなかった。
道真の住んでいる隠居所は武家屋敷の作りで、家来も大勢いて、道真は若い側室と一緒に風雅に暮らしていた。隠居する前はかなり有力な武士だったに違いないとは思ったが、その正体は分からなかった。
銭泡が道真の正体を知ったのは正月の事だった。ひっそりとしていた自得軒が、年が明けると様々な人が挨拶に訪れて来た。そのほとんどが立派な身なりをした武士だった。武士たちの話から道真と名乗る老人が、元、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の執事で、歌人としても有名な太田左衛門大夫(サエモンダユウ)だったという事を知った。道真が河越城にて、連歌師の宗祇(ソウギ)と心敬(シンケイ)を招いて、『河越千句』の連歌会を催したという事は銭泡も噂に聞いて知っていた。
太田道真ともあろう人が、ただの乞食坊主である自分を助けて充分に持て成してくれた事に銭泡は心から感謝し、道真のために訪ねて来た客たちに茶の湯で持て成す事にした。
銭泡の茶の湯の手捌(テサバ)きは見ている者たちをうっとりさせる程、見事な腕だった。
関東でも名のある武将たちは皆、村田珠光の名を知っていて、茶の湯を嗜(タシナ)んでいた。しかし、今まで本物の佗(ワ)び茶を目にした事はない。道真にしても京から旅をして来た文化人たちから珠光の噂を聞き、是非、自分も習いたいものだと常々、思っていた。しかし、今まで本物の佗び茶を知っている者はいなかった。それが、たまたま助けた旅の僧が、それを知っていたのだから驚きも異常な程だった。
正月には江戸城にいる息子、備中守も挨拶に訪れて来た。道真は得意になって息子に銭泡の茶の湯を披露した。備中守は目を丸くして驚いた。どうして、親父の所に珠光流の茶の湯を知っている者がいるのか信じられなかった。話をして行くと備中守と銭泡は京において面識があった。
銭泡が珠光の弟子になった年、備中守は上京して将軍義政に拝謁(ハイエツ)した。その折り、備中守は珠光から茶の湯の持て成しを受けた。備中守は珠光より茶の湯の指導を願ったが、備中守も何かと京では忙しく、心残りながら関東へと帰って行った。あの時以来、備中守も珠光流の茶の湯を知っている者が関東に流れて来るのを待っていたが、それは、かなえられなかった。
備中守は、すぐにでも銭泡を江戸城に連れて行って茶の湯を習いたいと思ったが、父親の道真は銭泡を離さなかった。まず、わしが習ってからじゃ、と言い張り、とうとう、備中守は諦め、親父が習ったら絶対に江戸城にお送りしてくれと約束すると帰って行った。
銭泡は三月の初めまで道真の自得軒に滞在し、道真に茶の湯の指導をしながら、あちこちの武将たちの屋敷に招待されて道真と共に出掛けたりしていた。その間にも、江戸城からは、まだか、まだか、と何度も催促(サイソク)の便りが届いたが、道真は無視していた。三月になると、備中守自らが銭泡を迎えに来て、道真も諦め、銭泡は江戸城に迎えられる事となった。
江戸城は備中守によって二十年程前に建てられた城だった。当時の一般的な城とは異なり、山の上にあるのではなく、小高い丘の上に建つ城だった。当時は山の上に詰(ツメ)の城を築き、その裾野に屋敷を作るのが一般的な城だったが、備中守の作った江戸城は詰の城と山裾の屋敷を兼ねたものを丘の上に建てた独特の城だった。
当時、利根川は熊谷の辺りから南下し、岩槻の辺りで荒川と合流して江戸城の東を通って江戸湾に流れていた。この利根川を境にして関東は東西に分かれ、東側を古河公方が押さえ、西側を関東管領上杉氏が押さえていた。江戸城は下総、上総の敵に対するために建てられた前線に位置する城だった。
平川(神田川)を外濠に利用し、丘の上は深い空濠によって三つに区切られ、南側が根城(ネジロ、本曲輪)、中央が中城(ナカジロ、二の曲輪)、北側が外城(トジロ、三の曲輪)と呼ばれている。根城、中城、外城は段差を持ち、根城が一番高く、徐々に低くなっていた。丘の東側に城下町が広がり、その外側を城全体を守るように平川が流れていた。
城下から坂道を上って大手門をくぐると、そこは広々とした外城となる。外城には大きな廐(ウマヤ)や、いくつもの蔵が建ち、家臣たちの長屋が並んでいた。中央の広い広場では、兵たちが弓や槍の稽古に励んでいる。外城から空濠に掛けられた橋を渡ると中城となる。
中城には備中守の家族らの住む香月亭(コウゲツテイ)という屋敷があり、叔父の周厳禅師(シュウゲンゼンシ)を住職とする香泉寺(コウセンジ)、平川神社、梅林、竹林などがあり、そして、武家屋敷も並んでいた。中城を抜け、また、空濠に掛かる橋を渡ると根城に着く。空濠の幅は六間(約十一メートル)程で、深さは五丈(約十五メートル)程もあった。
根城は塀によって二つに区切られ、手前には奉行所を中心に重臣たちの屋敷や大きな蔵が並んでいた。向こう側には公式の場である広間を持つ主殿(シュデン)を中心に、備中守の居館(キョカン)であり書院でもある静勝軒(セイショウケン)、客殿である含雪斎(ガンセツサイ)、泊船亭(ハクセンテイ)などが並び、見事な山水庭園もあった。その中でも最も目を引くのは、江戸城の最南端に建てられた静勝軒だった。京の鹿苑寺(ロクオンジ)内に建つ金閣のように、三層建ての建物で、三階からの眺めは最高だった。どこを見渡しても雄大な眺めを見る事ができた。南に目をやれば遥かに海が広がり、西には富士山が聳(ソビ)え、北には武蔵野が広がり、筑波山も見える。東には利根川が流れ、その向こうに下総、上総の山々が広がっていた。備中守の建てた、この三層の建物は関東の武将たちに影響を与え、各地の城に同じように高い建物が建てられて行った。後の天守閣の走りといってもいい建物だった。
丁度、桜の花の満開の頃、江戸城に入った銭泡は根城の西側に建つ含雪斎に案内され、ここを我家と思って使ってくれと言われた。含雪斎は八畳敷きの部屋が四つからなる書院で、各部屋は豪華な絵の描かれた襖(フスマ)に囲まれ、床の間や違い棚も付いた贅沢(ゼイタク)な客殿だった。銭泡が一人で利用するには広すぎ、立派すぎる屋敷だった。部屋からは富士山が眺められ、専属の侍女も二人付いて、何から何まで侍女がやってくれた。まるで、殿様にでもなったかのような豪勢な暮らしだった。備中守も何かと忙しいようだったが、暇を見付けると銭泡を静勝軒に呼んで、熱心に茶の湯を習った。
江戸城には武将は勿論の事だが、武将以外の文化人の出入りも多かった。京から戦を避けて来た公家たちも何人か城下に住んでいたし、旅の禅僧、連歌師、芸人らが備中守を訪ねて集まって来ていた。中でも、江戸城のすぐ近くの品川津の鈴木道胤(ドウイン)は度々、静勝軒に訪れて来た。道胤は品川の長者とも呼ばれ、備中守の家老でもあり、水軍の大将でもあり、御用商人でもあり、歌人としても有名だった。度々、備中守と連歌会も催し、連歌師、心敬を江戸に呼んだのも道胤だった。年は備中守と同じ位の四十半ばで頭を丸めた熱心な日蓮宗の信者だった。
銭泡も道胤とは気が合い、道胤の案内で、各地の名所に連れて行ってもらったり、道胤の屋敷で催される闘茶会(トウチャカイ)に参加したり、楽しい日々を過ごした。
駿河守護、今川治部大輔(ジブノタイフ)義忠の死を真っ先に備中守に知らせたのも道胤だった。四月の十日頃、駿河の国、江尻津から品川津に入って来た船より、その知らせを聞いた道胤は、すぐに備中守に知らせた。備中守は、この事はしばらく内密しておくようにと頼み、配下の者を駿府に送った。その後の駿府の状況は、すべて、備中守のもとに届いたが、備中守は動かなかった。また、動きたくても動けなかった。備中守は扇谷上杉修理大夫定正(シュリノタイフサダマサ)の執事であり、修理大夫の許可なく勝手な振る舞いはできなかった。
六月になり、福島越前守の家臣が今川家のお屋形、小鹿新五郎の代理として江戸城を訪れた。備中守は家臣たちに出陣の準備を命令して、越前守の家臣と共に修理大夫が陣を敷いている五十子(イカッコ、本庄市)に向かった。修理大夫は小鹿新五郎の書状を読むと、備中守に駿河に出陣して新五郎を助ける事を命じた。新五郎の書状には、自分が扇谷上杉氏の一族である事を強調して、今川家をまとめるのに力を貸してくれ、と書いてあった。修理大夫は、助けを求めている身内を見殺しにはできまい。新五郎を助けて今川家をまとめて来い、と備中守に命じた。
銭泡は、備中守が駿河に出陣する事を聞き、駿河で世話になった早雲の事を備中守に話した。早雲が先代のお屋形様の忘れ形見、竜王丸殿の伯父に当たる人だという事を知ると、備中守は興味深そうに早雲の事を色々と聞いて来た。銭泡は、早雲の事が心配なので、是非、自分も一緒に連れて行ってくれと頼み、備中守の軍勢と共に江戸城を後にし、駿河に向かったのだった。
駿府の城下は混乱していた。
阿部川で小鹿派と竜王丸派の軍勢の睨み合いが続いているさなか、今度は関東から軍勢がやって来た。今度こそ、戦が始まるに違いないと城下に住む者たちは大慌てだった。皆、戸締りをして荷物をまとめ、近くに避難する場所のある者は逃げ、逃げ場のない者は、戦が起こらない事を祈りながら事の成り行きをじっと見守っていた。関東から来て八幡山に陣を敷いた軍勢は茶臼山の軍勢と同じく、不気味に駿府屋形を睨んだまま動かなかった。
やがて、七月になると、大将の太田備中守が駿府屋形に迎えられ、本曲輪の西南に建つ客殿、清流亭(セイリュウテイ)に入った。城下の者たちは一安心して戸を開け、暑苦しい家の中に風を入れた。関東勢が小鹿派となれば、城下が戦火に見舞われる可能性は低くなる。小鹿派と竜王丸派が戦を始めたとしても、戦場となるのは阿部川辺りだろうと城下の者たちは安堵の吐息を漏らしていた。
茶臼山山麓に陣を敷いている堀越公方の軍勢の大将、上杉治部少輔(ジブショウユウ)は小鹿派に行ったり、竜王丸派に行ったりして重臣たちを説得し、今川家を一つにしようと頑張っていたが、一向に成果は現れず、今は駿府屋形内の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在していた。備中守が来た事により、自分の手で今川家を一つにまとめようとする意欲は薄れ、どうせ、手柄は備中守に取られるものと諦めていた。手柄が得られないなら駿河にいるうちに贅沢を楽しもうと、国元では味わう事のできない淫蕩(イントウ)な日々を送っていた。
望嶽亭も清流亭も、北川殿の側に建つ道賀亭も皆、濠に囲まれ、庭園を持つ二層建ての客殿で、将軍義教(ヨシノリ)が駿河に来た時に使用したものだった。その後は、京から下向して来た公家や僧侶たちを持て成すために使われていた。応仁の乱の始まった当初は京から逃げて来た公家たちが大勢、住んでいたが、やがて、公家たちも城下の方に屋敷を持つようになってそちらに移り、最近はどこの客殿も空いていた。
清流亭では備中守を持て成すための準備に怠りなかった。福島越前守も葛山播磨守も備中守の機嫌を取るのに夢中だった。越前守は備中守を味方に引き入れるため、播磨守は今回の事より、さらに先の事を考えて備中守の関心を引こうとしていた。
備中守は清流亭に入り、二階の回廊からの眺めを楽しむと、御馳走の用意された広間には向かわず、犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔が滞在している望嶽亭に挨拶に出掛けた。
治部少輔は堀越公方、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事、もし、政知が鎌倉に入って関東公方となっていれば、治部少輔は関東管領と呼ばれていたかもしれなかった。しかし、現実は鎌倉に入る事はできず、伊豆の国に落ち着いてしまった。治部少輔も関東管領にはなれず、公方とは名のみで、ろくに兵力さえ持たない政知の執事でしか過ぎなかった。勢力を持たないとはいえ、治部少輔は公方の執事、備中守は相模守護、扇谷上杉修理大夫の執事だった。備中守の方が治部少輔の方に挨拶に行くのが当然の礼儀と言えた。
治部少輔は機嫌よく備中守を迎えた。
治部少輔は二階から富士山を眺めながら、女たちに囲まれてお茶を飲んでいた。
治部少輔は酒が飲めなかった。酒が飲めないかわりにお茶にはうるさく、二十四歳まで京にいて将軍義政の側近く仕えていたため、能阿弥(ノウアミ)や村田珠光より茶の湯を習っていた。
いい所に来た、是非、備中守殿のお点前(テマエ)を見たいものだ、と治部少輔は備中守にお茶を点(タ)ててくれと所望(ショモウ)した。備中守は断ったが、治部少輔は聞かなかった。仕方なく、備中守は治部少輔と女たちの見守る中、お茶を点てた。
治部少輔は備中守の茶の湯の腕を知っている。女たちの見守る中で恥をかかせてやろうとたくらんでいたが、そのたくらみは見事に裏切られた。備中守は信じられない程の手捌(テサバ)きで、流れるような振る舞いでお茶を点てた。すべてが珠光流に適(カナ)っていた。女たちはうっとりとした目をして備中守に見とれていた。
治部少輔には信じられなかった。一体、いつの間に、これ程の腕を上げたのか、村田珠光、あるいは、その弟子が関東に下向して来たというのを聞いてはいない。もし、下向して来たとすれば、自分のもとに寄らないわけがない。備中守が一体、誰から習ったのか、まったく納得の行かない事だった。
「見事じゃな」と治部少輔はお茶をすすりながら言った。
「ありがとうございます。名人と言われる治部少輔殿に誉められ、稽古に励んだ甲斐がございました」と備中守は頭を下げた。
「備中、一体、どなたの指導を受けられたのじゃ」
「治部少輔殿は京の商人だった伏見屋殿を御存じでしょうか」
「いや、知らんが‥‥‥」
「伏見屋殿は村田珠光殿のお弟子さんです」
「ほう。珠光殿のお弟子か、その伏見屋から習ったと申すのか」
「はい。伏見屋殿は幕府にも出入りしていた商人でしたが、応仁の乱で店を焼かれ、頭を丸めて銭泡と名乗って関東にやって来たのです」
「思い出したわ」と治部少輔は手を打った。「伏見屋と言えばかなりの店構えじゃったが、伏見屋があの店をたたんだのか‥‥‥信じられん事じゃ」
「財産もすべて使い果して、無一文になって旅に出たそうです」
「ほう。無一文になってのう。関東に来たのなら、わしの所に寄ってくれれば歓迎したものを‥‥‥」
「伏見屋殿は乞食坊主として旅をしていたようです。あれだけの腕を持ちながら、茶の湯の事は一切、口には出さずに、腹を空かしながら旅を続けていたようです。わたしの親父が道に行き倒れていた伏見屋殿を助け、越生(オゴセ)の隠居所に連れて来ました。病も治り、しばらく、親父のもとにいましたが、茶の湯の事など一言も口にしなかったそうです。ようやく正月となり、伏見屋殿もただの乞食坊主に親切にしてくれた親父に、お礼の気持ちを込めて茶の湯を披露して、正体を明かしたというわけです」
「真の佗び茶というものを実践しておったという事か‥‥‥」
「そのようです。しかし、あそこまで徹底する事は、普通の者には真似のできない事でしょう」
「うむ‥‥‥それで、伏見屋はまだ越生におるのか」
「いえ。わたしと共に、この地に来ております。伏見屋殿は関東に旅立つ前、ここの先代のお屋形様にもお茶の指導をしたとの事で、お屋形様がお亡くなりになられたと聞くと、一緒に連れて行ってくれと‥‥‥今、清流亭におります」
「そうか、清流亭におるのか。備中、頼む。ここに伏見屋をよこしてくれ。積もる話もあるしのう。将軍様や珠光殿の事も聞きたいしのう」
「はい、かしこまりました」
「頼むぞ。それとのう、今川家の事もそなたに任せるわ。わしもやるだけの事はやったが、どうも、わしの手には負えんようじゃ。そなた、今川家をまとめてくれ。今川家が争いを始めたら伊豆の国も騒ぎ出して、公方様も危なくなる。公方様と言っても直属の兵が少ないのでのう。伊豆で騒ぎが起きたら静める事も難しい事となろう。何としてでも、今川家を元のようにしてもらわん事には困るのじゃ。頼むぞ」
「はい、かしこまりました。できるだけの事をするつもりでおりますが、治部少輔殿にも、何卒、この備中にお力添えをお願い致します」
「うむ。分かっておる。力が欲しい時には、いつでも言って来るがいい」
備中守は深く頭を下げると望嶽亭を後にした。
清流亭に戻った備中守は、銭泡に望嶽亭に行くように頼むと、三番組の頭、葛山備後守と三浦右京亮に代わって五番組の頭となった福島越前守の弟、兵庫助の待つ広間へと向かった。今回の宴は備中守の旅の疲れを癒(イヤ)すねぎらいの宴なので、今川家の重臣たちの顔はなく、備中守と数人の家臣の他は皆、女たちだった。接待役の葛山備後守と福島兵庫助の二人も、それぞれ播磨守、越前守の代理として簡単な挨拶を済ますと広間から出て行った。
山のような御馳走を前に、綺麗どころの女たちに囲まれて備中守も機嫌よく酒を飲んでいた。浅間神社から芸人たちも呼ばれて、様々な芸が披露された。城下に住んでいる公家たちも手土産を持って備中守を訪ねて来ていた。相変わらず武装した兵が闊歩(カッポ)しているお屋形内とは思えない程、清流亭は華やかだった。
夜も更け、宴もお開きとなると備中守はお気に入りの女に連れられ、二階に上がった。
二階には、すでに臥所(フシド)の用意がしてあった。備中守は回廊の手摺りを握ると夜空を見上げた。風も心地よく、降るような星が見事だった。
「およの」と備中守は隣にいる娘の名を呼んだ。
「はい」とおよのは備中守の顔を見上げた。
「およのは今宵、命じられて、ここに来たのか」
「いいえ」とおよのは首を振った。「わたしがお父上にお願いして参りました」
「自分の意志で来たと申すのか」
「はい」
「なぜじゃ」
「わたしの夫となるべき人は、祝言(シュウゲン)を上げる前に戦で亡くなってしまいました。二年前の事です。その日以来、わたしは家の中に閉じ籠もりっきりでした。やがて、お屋形様がお亡くなりになられました。今川家は二つに割れてしまいました‥‥‥お父上は毎日、忙しそうに働いております。いつまでも悲しみにくれているわたしは、いつまでもこんな事ではいけない。わたしも今川家のために何かをしなければならないと気づきました。しかし、女の身であるわたしには、お父上を助ける事はできません。そんな時、お父上とお母上が話している事を耳にしたのです。関東から来られた備中守様を持て成すために、わたしを備中守様のもとに差し出すようにと頼まれたと言うのです。お父上は、わたしが病気だといって断るつもりだったようです。わたしはお父上のために、今川家のために決心をして、こうして参りました」
「今川家のためにか‥‥‥」
「はい‥‥‥」
「そなたのお父上はどなたじゃな」
「石川志摩守(シマノカミ)と申します。福島越前守様の家来です」
「そうか、越前守殿の御家来衆か」
「備中守様、今川家は前のようになるのでしょうか」
「うむ。難しい事じゃが、やらねばなるまい」
「わたしには難しい事は分かりませんが、お父上から備中守様の事は聞いて参りました。備中守様は関東で有名な立派な武将だとお聞きしました。備中守様なら今川家を一つにまとめて下さるだろうとお父上は言いました。どうか、お願いします、今川家を前のように戻して下さい」
「そなたの目は綺麗じゃのう」と備中守は言った。
およのは顔を伏せた。「申し訳ありません。余計な事を言ってしまいました」
「いや。世の中がこう乱れて来ると、女子といえども強く生きなければならん。自分の思った事をはっきりと口に出すのはいい事じゃ」
およのは顔を上げて、備中守の顔を見つめた。
備中守は空を見上げていた。
およのは備中守の横顔を見ながら不思議な人だと感じていた。どう不思議なのか分からなかったが、およのが今まで見て来た男の人とは違う種類の男のようだった。年は父親程も違うのに父親とは全然違って、その静かな横顔には惹(ヒ)かれるものがあった。もしかしたら、備中守と夜を共にしなければならないと覚悟は決めていても、初めて備中守を目にした時はやはり恐ろしかった。ギョロッとした目に見つめられると目を伏せずにはいられなかった。
幸い、およのの席は備中守と離れていた。およのの隣には備中守の側近の若い侍が座った。その若侍は行儀正しくしたまま、およのに声も掛けなかった。およのの方も酒を注いでやる位で、ほとんど話もしなかった。このまま宴も終わるだろうと、ホッとしていた時、突然、およのは備中守に呼ばれて備中守の隣に座った。
備中守はおよのの名を聞くと、「いい名じゃ」と言ったが、それ以上の事は聞かなかった。ただ、およのの前に空になった酒盃を差し出すたびに、およのはそれに酒を注いでいた。
どうして、わたしなんかが呼ばれたのだろうと、およのは不安で一杯で、どうしたらいいのか分からなかった。宴が終わる頃、およのは隣に座っていた女から耳元で、備中守様を二階にお連れしなさいと命じられた。およのは言われた通りに備中守を二階に案内した。
二階に来て部屋の中の臥所を見た時、およのは恐ろしくてしょうがなかった。ここまで来てしまったら、もう逃げる事はできなかった。いっその事、ここから飛び降りて死のうかとも思った。しかし、備中守と二人きりで夜風に吹かれながら話をしているうちに、およのの感じていた不安や恐怖心は消え、もしかしたら、わたしはこの人と出会うために生まれて来たのかもしれないと、とんでもない事を真剣に思うようになっていた。
備中守はおよのの肩を優しく抱き寄せると部屋の中に入って行った。
「八幡山にか‥‥‥駿府屋形には入らなかったんじゃな」と早雲き聞いた。
小太郎は頷いた。「しかし、分からんぞ。さっそく、福島越前守が出迎えに出掛けた。そのうち、お屋形の方に移るかもしれん」
「そうか、越前守が動いたか‥‥‥」
小太郎は浅間神社の門前町の家を出た後、早雲庵を本拠地として駿府屋形を探っていたが、距離があり過ぎて不便なので、駿府の城下のはずれにある木賃宿に薬売りの商人として泊まっていた。北川殿がお屋形から出た今となっては、山伏、風眼坊に戻る必要はなくなり、返って山伏姿でいれば、風眼坊を捜している葛山播磨守に見つかる危険もあった。小太郎は近江から来た商人に扮して、三浦次郎左衛門尉より貰った過書を利用して、お屋形内を自由に行き来していた。
「備中守殿が八幡山にいる内に会っておきたいものじゃな」と早雲は言った。
「おぬしが一度、会ったとかいう武将が備中守だといいんじゃがな」
「なに、こっちが覚えておっても向こうは覚えてはおるまい」
「栄意坊を連れて来れば良かったのう」と小太郎が、ふいに言った。
「栄意坊?」と早雲は怪訝(ケゲン)な顔をして小太郎を見た。どうして、ここに栄意坊が出て来るのか、早雲には理解できなかった。
「やっと思い出したんじゃよ。太田備中守という名、どこかで聞いた事あったんじゃが、よう思い出せなかったんじゃ。それが、備中守が江戸城から来たと聞いて、ようやく思い出したわ。栄意坊の奴、江戸城に三年近くも居候(イソウロウ)しておった事があったんじゃよ」
「何じゃと‥‥‥そいつは本当なのか」
「ああ。もう、十年以上も前の事じゃ」
「備中守にも会っておるのか」
「備中守の客人として江戸城におったそうじゃ」
「ほう。栄意坊がのう‥‥‥」
「詳しくは知らんのじゃが、栄意坊の奴、飯道山を下りて関東に旅に出て、女子(オナゴ)に惚れたらしい。その女子と共に暮らし始めたが、子供を産んだ時、女子も子供も共に死んでしまい、栄意坊は死ぬつもりになって戦に出たんじゃ。どういういきさつで備中守と出会ったのか知らんが、意気投合して江戸城に迎えられて、三年近く、備中守の客人として戦に出ておったらしいのう」
「ほう。そんな事があったのか‥‥‥」
「しかし、栄意坊がおらんのではどうしようもないのう」
「いや。本人がおらなくとも備中守と共通の知人がおるというのは大分、有利じゃ」
「まあな。今の状況では、おぬしも竜王丸殿の伯父という立場では備中守に会いに行けまい」
「越前守の兵もおる事じゃろうしな。備中守が会うと言っても越前守は許すまいのう」
「そこで、栄意坊の名を出して、以前、栄意坊が世話になったお礼を言うというのを口実に、山伏として備中守に会うというのはどうじゃ」
「わしも山伏になるのか」
「そういう事じゃのう」
「うむ」と早雲は頷いた。「そうするかのう。とにかく、一度、会っておけば、この先、有利となる事は確かじゃ」
「さっそく、今晩、出掛けるか」と小太郎は聞いた。
「今晩か‥‥‥栄意坊のお礼を言うのに、夜、訪ねるというのも変な話じゃ。怪しまれて断られれば、二度とその手は使えなくなる。明日の方がいいんじゃないかのう」
「そうじゃな。最初が肝心じゃ。焦(アセ)る事もないわな」
「ああ。明日の朝にしよう」
「ところで、富嶽たちがおらんようじゃが、どこかに行ったのか」と小太郎は聞いた。
「富嶽と多米、荒木の三人は朝比奈城じゃ」
「北川殿の警固か」
「いや、警固というより北川殿の武術指導じゃ」
「北川殿の武術指導? 竜王丸殿じゃろう」
「いや、北川殿じゃ。北川殿は今、武術に凝っておられるのじゃ」
「北川殿がか‥‥‥信じられん」
「わしも信じられんわ。あれ程、武術に熱中するとはのう」
早雲は北川殿に弓術(キュウジュツ)を教えてくれと頼まれた。北川殿は梅雨が上がるのを毎日、首を長くして待っていた。梅雨が上がると早雲は朝比奈城に向かい、北川殿に弓術を教えた。二日間、早雲は付きっきりで北川殿に弓術を教えたが、早雲もずっと朝比奈城にいるわけにもいかない。そこで、早雲の代わりに富嶽が教える事となった。富嶽も元は幕府に仕えていた武士で、弓術を得意としていた。その事は早雲も知らなかったが、早雲が困っているのを見て富嶽から言い出した事だった。そして、弓術なら、わしだって教えられると多米と荒木も付いて行ったと言う
「ほう。富嶽が弓術をのう。かなりの腕なのか」
「昨日、才雲が様子を見に行ったが、百発百中だと言う。多米や荒木など問題にならん程の腕らしい」
「人は見かけによらんもんじゃのう。富嶽が弓術の名人だったとはのう」
「ああ。頼もしい奴じゃ」
「富嶽が北川殿に弓術を教えておるのなら、多米と荒木の二人は何しておるんじゃ。あんな山の中に、あの二人がよくおられるもんじゃのう」
「山の中には違いないが、古くからの朝比奈殿の本拠地じゃ。城下には市も立つし、ちょっとした盛り場もある。博奕も打てるし、女も抱ける。ここにいるよりは羽根を伸ばせるんじゃう」
「成程な」と小太郎は笑った。「ここにおったんでは大っぴらに遊びにも行けんからのう。理由はどうであれ、しばらく、ここから出て遊びたかったという事か‥‥‥」
「そういう事じゃ。あの二人も奴らなりによくやってくれたからのう。今の所はここにおってもする事はないし、北川殿を守ってくれと一緒に行かせたんじゃ」
「山賊どもは何しておるんじゃ」
「毎日、泥だらけになって働いておるよ。奴らも変わったもんじゃ」
「何をやっておるんじゃ」
「梅雨時に川が氾濫(ハンラン)してのう。田畑が大分、やられてしまったんじゃ。家を流された者もおってのう。毎日、村人たちのために真っ黒になって働いておるんじゃ」
「ほう。奴らがのう。あの在竹(アリタケ)もか」
「ああ。奴が先頭になってやっておるわ。最近は皆、顔付きまで変わって来ておる。奴らがここに来てから、なぜか、ここに子供らが集まって来るんじゃ」
「奴らはガキの面倒も見ておるのか」
「ああ。祐筆(ユウヒツ)と呼ばれておる吉岡は、子供たちを集めて読み書きを教えておるらしいの」
「ただでか」
「無論じゃ」
「山賊がガキどもに読み書きを教えておるのか‥‥‥変われば変わるものよのう」
「まったくじゃ‥‥‥話は変わるが、小太郎、お雪殿がおぬしに会いたがっておったぞ。たまには、会いに行った方がいいぞ」
「わしも会いたいわい。しかし、北川殿の事を思うと、そうはしてられまい。早いうちに、竜王丸殿をお屋形様にして駿府屋形に戻って貰わなくてはのう」
「そうじゃのう‥‥‥まずは、何としてでも備中守殿を味方に付けなくてはならん」
日が暮れる頃、在竹率いる山賊らが汗と泥で真っ黒になって、どやどやと帰って来た。
早雲庵は急に騒がしくなった。
山賊たちが村人たちのために働くようになってから、頼んだわけではないのに、村の娘たちが早雲庵の飯の支度をしに来てくれていた。春雨とお雪がいなくなってから女気のなかった早雲庵も、村娘たちのお陰で、何となく華やいだ雰囲気となっていた。
小太郎も村娘たちの作ってくれた夕飯を御馳走になり、今晩はここに泊まる事となった。
2
日が暮れても、暑さは弱まらなかった。
縁側に出て、うちわを扇ぎながら、早雲と小太郎は酒をちびちびと飲んでいた。
山賊たちも仕事の後の酒を飲んでいるらしく、山の南側から賑やかな声が聞こえて来ていた。村娘たちもまだ、いるらしい。時折、甲高い笑い声が聞こえて来た。
そんな晩、珍しい客がやって来た。
一人の僧侶と見るからに浪人と分かる三人の武士だった。
僧侶は茶人の伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)だった。去年の九月に関東に旅立ち、ようやく帰って来たのだった。長い旅を続けていたわりには頭も綺麗に剃ってあり、着ている墨染めの衣も汚れてはいなかった。そして、連れの武士たちが何となく不釣合いだった。
「やあ、お久し振りです。暑いですな」と銭泡は笑いながら早雲たちに頭を下げた。
「銭泡殿‥‥‥一体、どこにおられておったのです」と早雲は驚いた顔をして銭泡を迎えた。
「はい。色々とありまして」と銭泡は笑った。「しかし、ここも随分と変わりましたなあ」
「ええ。住人が増えましたので‥‥‥」と早雲は銭泡の後ろにいる浪人を見た。
三人の浪人の内の一人に見覚えがあった。
早雲が頭を下げると、その浪人も頭を下げた。
信じられない事だったが、その浪人は太田備中守、その人に間違いなかった。着ているものは粗末な単衣(ヒトエ)でも、まさしく、備中守に違いなかった。
「失礼ですが、太田備中守殿では」と早雲は浪人に声を掛けた。
浪人は頷くと、「早雲殿ですな。お噂は伏見屋殿から伺っております」と言った。
小太郎は、備中守がここにいる事が信じられない事のように状況を見守っていた。
「お二人はお知り合いでしたか」と銭泡は二人を見比べていた。
「いえ。知り合いと言える程ではありません」と早雲は言った。
「一度、お会いしましたな」と備中守は言った。
「覚えておいででしたか」
「確か、早雲殿は鹿島、香取に向かわれている時じゃった」
「はい。もう二年前の事です」
「伏見屋殿から早雲殿のお噂を聞き、もしや、あの時の御坊が早雲殿ではないか、と思っておったが、やはり、そうであったか」と備中守は笑った。
「不思議な事もあるものですね」と銭泡は早雲と備中守の顔を見比べた。
「たった一度しか会った事がないのに、しかも、お互いに名乗りもせずに、お二人とも、その時の事を覚えておられるとは、まったく、不思議な事じゃ」
「縁というものかもしれんのう」と備中守は言った。
「はい」と早雲は頷いた。そして、銭泡を見て、「しかし、驚きですな。銭泡殿が備中守殿を御存じだったとは」と言った。
「いえ、わしらも京で一度会っただけなんです」と銭泡は笑った。
「そうでしたか‥‥‥」
早雲は四人を庵の中に迎え入れ、孫雲と才雲の二人に簡単な酒の用意をさせた。
「それにしても、銭泡殿、よく、ここまで来られましたね。途中、大勢の軍勢が陣を敷いておられたでしょう」
「はい、驚きました。阿部川を挟んで、河原には武装した兵で埋まっておりました。運がよかったのです。阿部川を渡った所で、斎藤加賀守殿と出会いました。早雲庵に帰るところだというと、途中まで兵を付けてくれました」
「加賀守殿と出会いましたか、それは運がよかったですね」
「はい。備中守殿には早雲庵に居候しておる浪人者に扮していただきました」
「これは、わざわざ、どうも」
「いや。伏見屋殿よりお噂を聞き、ぜひ、お会いしたいと思っておりましたので、こうして付いて来たわけです。突然、お訪ねして申し訳ない」
「いえいえ、わたしらも明日、備中守殿にお訪ねしようと思っておったところです」
「そうでしたか」
「ところで、備中守殿は栄意坊を御存じとか」と早雲は聞いた。
「栄意坊‥‥‥懐かしいのう」と備中守は目を細めて言った。「いい奴じゃった‥‥‥今頃、どうしておる事やら‥‥‥早雲殿は栄意坊を御存じなのですか」
「はい。共に飯道山で修行した事もございました」
「飯道山か‥‥‥栄意坊から、その話はよく聞いたものじゃ」
「その飯道山の四天王の一人がここにおります」と早雲は小太郎を備中守に紹介した。
「風眼坊‥‥‥うむ、確かにその名は聞いた事ある。ほう、そなたが四天王の一人か‥‥‥懐かしいのう。それで、今、栄意坊はどこにおるんです」
「飯道山におります。飯道山で若い者たちに槍術を教えております」
「そうか‥‥‥まさか、早雲殿の口から栄意坊の名が出るとは夢にも思わなかったわ。世の中、広いようで狭いものよのう」
「まことに‥‥‥銭泡殿と備中守殿がお知り合いだったというのも以外な事です。しかも、こんな時に備中守殿と一緒に銭泡殿が帰って来るとは‥‥‥まったく、不思議じゃのう」
「わたしが村田珠光(ジュコウ)殿に弟子入りしたばかりの頃、備中守殿が京に参りました」と銭泡が言った。「わたしは弟子になったばかりで、備中守殿と同席などできませんでしたが、珠光殿の後ろに付いて歩いておりました、わたしの事を備中守殿は覚えておいででした」
「そうでしたか、珠光殿のもとでお会いしておられたのですか」
「はい。わしも珠光殿から茶の湯を教わりたかったのですが、時がありませんでした。今回、伏見屋殿が江戸に来てくれましたので、珠光殿の茶の湯を教わる事ができました。長年の念願が適(カナ)ったというわけです。ほんとに喜ばしい事です」
「そうでしたか‥‥‥」
「ところで、早雲殿、とんだ事になりましたなあ。おおよその事は福島越前守殿より伺いましたが、早雲殿のお考えをお聞きしたいのですが‥‥‥」
備中守は以外にも単刀直入に聞いて来た。早雲にとっても、その方が話し易かった。
「結論から申しましょう。わたしの願う所は、竜王丸殿をお屋形様にし、小鹿新五郎殿を後見とする事です」
「成程。竜王丸殿に小鹿新五郎殿か‥‥‥中原摂津守殿はいかがなさるおつもりじゃな」
「諦めていただくよりありません」
「今更、諦めるじゃろうかのう」
「今川家のためにも、諦めていただくより他に道はありません」
「うむ‥‥‥」と備中守は早雲の顔を見つめた。早雲の心の中まで探っているような目付きだった。
「備中守殿、備中守殿のお考えもお教え願いたいのですが」と早雲は聞いた。
「わしの考えのう‥‥‥わしの考えというよりは、上杉氏の考えとしては、今川家が元のように一つになってくれれば、それが一番いいと思っておるんじゃ。関東も今、利根川を境に東西に分かれて争いが続いておる。古河公方(コガクボウ)と関東管領(カントウカンレイ)の争いじゃ。関東を一つにまとめるには、是非とも今川家の力が必要なんじゃよ。関東にとっても、幕府にとっても、今川家には駿河の国をしっかりと守っていて貰わなくてはならんのじゃ」
「その事を聞いて安心致しました。備中守殿にお願いがございます。小鹿派の重臣たちを説得して頂きたいのですが‥‥‥わたしは竜王丸派の重臣たちを説得致します」
「竜王丸殿をお屋形様に、小鹿新五郎殿を後見という事でじゃな」
「はい。今の今川家を一つにするには、それしか方法はないようです」
「うむ」と備中守は頷き、しばらくしてから、「やってみましょう」と言った。
「ありがとうございます」と早雲は頭を下げた。「ただ、備中守殿がわたしに会ったという事は内緒にしておいた方がいいように思います。小鹿派の重臣たちも備中守殿のおっしゃる事なら聞くかもしれませんが、わたしが絡(カラ)んでいる事を知ると反発して来るでしょうから」
「分かりました。わしが早雲殿と初めて会うのは、今川家が一つになる時という事ですな」
「はい。そう願いたいものです」
その後、小太郎より小鹿派の重臣たちのたくらみや、暗躍している山伏の事などを備中守に知らせた。
難しい話が終わると、銭泡の旅の事や備中守の江戸城の事や茶の湯、連歌の事など夜更けまで話し続け、夜明け前、備中守は銭泡と一緒に、小河湊から長谷川法栄の船に乗って阿部川の向う側に帰って行った。
3
伏見屋銭泡が太田備中守を連れて早雲庵に訪ねて来るとは、早雲も小太郎も考えてもみない事だった。世の中、思ってもいない事が起こるものだと、二人は備中守と銭泡を送り出すと不思議がった。
銭泡は去年の九月、早雲と富嶽が京に向かった後、早雲庵を後にして関東に旅立った。駿河に滞在している時は、早雲と一緒にお屋形様を初め重臣たちの屋敷に招待されて、茶の湯の指導に当たっていた。重臣たちからは多額の礼銭を貰っていたが、困っている人たちのために使ってくれと早雲庵の留守を守っていた春雨に渡し、来た時と同じく無一文に粗末な衣だけを身に付けて関東に向かって行った。春雨には、年末には帰って来ると言って出て行ったが、結局、昨日まで何の連絡もなく、突然、物凄い土産(ミヤゲ)を持って帰って来たのだった。
銭泡は箱根を越え、関東に入ると相模の国(神奈川県)を抜けて武蔵(ムサシ)の国(東京都と埼玉県)に入り、武蔵の国を北上した。特に行く当てはなかった。その日その日の気分で足の向くまま、気の向くままに旅を続けた。
初めて見る関東の地は広かった。見渡す限り草原が続いている。歩いても歩いても人家が見つからない事が何度もあった。それでも、村人たちは親切で、遠くから来た旅の僧を充分に持て成してくれた。
月日の経つのは早かった。
武蔵の国を抜け、下総(シモウサ)の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取神宮を参拝し、まるで、琵琶湖のような霞ケ浦を渡って、常陸(ヒタチ)の国(茨城県北東部)の鹿島神宮を参拝し、常陸の国を北上して下野(シモツケ)の国(栃木県)に入り、下野の国から上野(コウヅケ)の国(群馬県)を回って武蔵の国に戻って来た。
途中、戦の場面にも遭遇したが、京での戦を経験している銭泡の目には、何となく、戦ものんびりしているように思えた。土地が広いため騎馬武者中心の戦で、河原とか広い草原で行なわれるため、村々が戦の被害に会う事は稀(マレ)で、京の戦のように女子供が悲鳴を上げて逃げ回っているという場面はあまり目にしなかった。また、足軽などという荒くれ者たちも、まだ、いなかった。
年の暮れ近く、武蔵の国を南下して、そのまま駿河の国に帰るつもりだったが、銭泡は腹をこわしてしまった。軽い食当たりだろうと歩き続けたが下痢が続いて体中の力が抜け、とうとう道端に倒れ込んでしまった。
これで、わしも終わりか‥‥‥
それもいいじゃろう‥‥‥
やりたい事はやって来た。そろそろ家族の待つ冥土とやらに旅立つか‥‥‥
銭泡は覚悟を決めて目を閉じた。
悪運が強いのか、銭泡は助けられた。
銭泡を助けたのは越生(オゴセ)に隠居していた太田備中守の父親、太田道真(ドウシン)だった。太田道真は越生の龍穏寺(リュウオンジ)の側に自得軒(ジトクケン)という隠居所を建て、頭を丸めて隠棲していた。すでに六十歳を越えた老人だった。
銭泡は自得軒の客間で目を覚まし、初めて道真を見た時、どこかの僧に助けられたと思って思わず合掌をした。しかし、道真は僧ではなかった。
道真の住んでいる隠居所は武家屋敷の作りで、家来も大勢いて、道真は若い側室と一緒に風雅に暮らしていた。隠居する前はかなり有力な武士だったに違いないとは思ったが、その正体は分からなかった。
銭泡が道真の正体を知ったのは正月の事だった。ひっそりとしていた自得軒が、年が明けると様々な人が挨拶に訪れて来た。そのほとんどが立派な身なりをした武士だった。武士たちの話から道真と名乗る老人が、元、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の執事で、歌人としても有名な太田左衛門大夫(サエモンダユウ)だったという事を知った。道真が河越城にて、連歌師の宗祇(ソウギ)と心敬(シンケイ)を招いて、『河越千句』の連歌会を催したという事は銭泡も噂に聞いて知っていた。
太田道真ともあろう人が、ただの乞食坊主である自分を助けて充分に持て成してくれた事に銭泡は心から感謝し、道真のために訪ねて来た客たちに茶の湯で持て成す事にした。
銭泡の茶の湯の手捌(テサバ)きは見ている者たちをうっとりさせる程、見事な腕だった。
関東でも名のある武将たちは皆、村田珠光の名を知っていて、茶の湯を嗜(タシナ)んでいた。しかし、今まで本物の佗(ワ)び茶を目にした事はない。道真にしても京から旅をして来た文化人たちから珠光の噂を聞き、是非、自分も習いたいものだと常々、思っていた。しかし、今まで本物の佗び茶を知っている者はいなかった。それが、たまたま助けた旅の僧が、それを知っていたのだから驚きも異常な程だった。
正月には江戸城にいる息子、備中守も挨拶に訪れて来た。道真は得意になって息子に銭泡の茶の湯を披露した。備中守は目を丸くして驚いた。どうして、親父の所に珠光流の茶の湯を知っている者がいるのか信じられなかった。話をして行くと備中守と銭泡は京において面識があった。
銭泡が珠光の弟子になった年、備中守は上京して将軍義政に拝謁(ハイエツ)した。その折り、備中守は珠光から茶の湯の持て成しを受けた。備中守は珠光より茶の湯の指導を願ったが、備中守も何かと京では忙しく、心残りながら関東へと帰って行った。あの時以来、備中守も珠光流の茶の湯を知っている者が関東に流れて来るのを待っていたが、それは、かなえられなかった。
備中守は、すぐにでも銭泡を江戸城に連れて行って茶の湯を習いたいと思ったが、父親の道真は銭泡を離さなかった。まず、わしが習ってからじゃ、と言い張り、とうとう、備中守は諦め、親父が習ったら絶対に江戸城にお送りしてくれと約束すると帰って行った。
銭泡は三月の初めまで道真の自得軒に滞在し、道真に茶の湯の指導をしながら、あちこちの武将たちの屋敷に招待されて道真と共に出掛けたりしていた。その間にも、江戸城からは、まだか、まだか、と何度も催促(サイソク)の便りが届いたが、道真は無視していた。三月になると、備中守自らが銭泡を迎えに来て、道真も諦め、銭泡は江戸城に迎えられる事となった。
江戸城は備中守によって二十年程前に建てられた城だった。当時の一般的な城とは異なり、山の上にあるのではなく、小高い丘の上に建つ城だった。当時は山の上に詰(ツメ)の城を築き、その裾野に屋敷を作るのが一般的な城だったが、備中守の作った江戸城は詰の城と山裾の屋敷を兼ねたものを丘の上に建てた独特の城だった。
当時、利根川は熊谷の辺りから南下し、岩槻の辺りで荒川と合流して江戸城の東を通って江戸湾に流れていた。この利根川を境にして関東は東西に分かれ、東側を古河公方が押さえ、西側を関東管領上杉氏が押さえていた。江戸城は下総、上総の敵に対するために建てられた前線に位置する城だった。
平川(神田川)を外濠に利用し、丘の上は深い空濠によって三つに区切られ、南側が根城(ネジロ、本曲輪)、中央が中城(ナカジロ、二の曲輪)、北側が外城(トジロ、三の曲輪)と呼ばれている。根城、中城、外城は段差を持ち、根城が一番高く、徐々に低くなっていた。丘の東側に城下町が広がり、その外側を城全体を守るように平川が流れていた。
城下から坂道を上って大手門をくぐると、そこは広々とした外城となる。外城には大きな廐(ウマヤ)や、いくつもの蔵が建ち、家臣たちの長屋が並んでいた。中央の広い広場では、兵たちが弓や槍の稽古に励んでいる。外城から空濠に掛けられた橋を渡ると中城となる。
中城には備中守の家族らの住む香月亭(コウゲツテイ)という屋敷があり、叔父の周厳禅師(シュウゲンゼンシ)を住職とする香泉寺(コウセンジ)、平川神社、梅林、竹林などがあり、そして、武家屋敷も並んでいた。中城を抜け、また、空濠に掛かる橋を渡ると根城に着く。空濠の幅は六間(約十一メートル)程で、深さは五丈(約十五メートル)程もあった。
根城は塀によって二つに区切られ、手前には奉行所を中心に重臣たちの屋敷や大きな蔵が並んでいた。向こう側には公式の場である広間を持つ主殿(シュデン)を中心に、備中守の居館(キョカン)であり書院でもある静勝軒(セイショウケン)、客殿である含雪斎(ガンセツサイ)、泊船亭(ハクセンテイ)などが並び、見事な山水庭園もあった。その中でも最も目を引くのは、江戸城の最南端に建てられた静勝軒だった。京の鹿苑寺(ロクオンジ)内に建つ金閣のように、三層建ての建物で、三階からの眺めは最高だった。どこを見渡しても雄大な眺めを見る事ができた。南に目をやれば遥かに海が広がり、西には富士山が聳(ソビ)え、北には武蔵野が広がり、筑波山も見える。東には利根川が流れ、その向こうに下総、上総の山々が広がっていた。備中守の建てた、この三層の建物は関東の武将たちに影響を与え、各地の城に同じように高い建物が建てられて行った。後の天守閣の走りといってもいい建物だった。
丁度、桜の花の満開の頃、江戸城に入った銭泡は根城の西側に建つ含雪斎に案内され、ここを我家と思って使ってくれと言われた。含雪斎は八畳敷きの部屋が四つからなる書院で、各部屋は豪華な絵の描かれた襖(フスマ)に囲まれ、床の間や違い棚も付いた贅沢(ゼイタク)な客殿だった。銭泡が一人で利用するには広すぎ、立派すぎる屋敷だった。部屋からは富士山が眺められ、専属の侍女も二人付いて、何から何まで侍女がやってくれた。まるで、殿様にでもなったかのような豪勢な暮らしだった。備中守も何かと忙しいようだったが、暇を見付けると銭泡を静勝軒に呼んで、熱心に茶の湯を習った。
江戸城には武将は勿論の事だが、武将以外の文化人の出入りも多かった。京から戦を避けて来た公家たちも何人か城下に住んでいたし、旅の禅僧、連歌師、芸人らが備中守を訪ねて集まって来ていた。中でも、江戸城のすぐ近くの品川津の鈴木道胤(ドウイン)は度々、静勝軒に訪れて来た。道胤は品川の長者とも呼ばれ、備中守の家老でもあり、水軍の大将でもあり、御用商人でもあり、歌人としても有名だった。度々、備中守と連歌会も催し、連歌師、心敬を江戸に呼んだのも道胤だった。年は備中守と同じ位の四十半ばで頭を丸めた熱心な日蓮宗の信者だった。
銭泡も道胤とは気が合い、道胤の案内で、各地の名所に連れて行ってもらったり、道胤の屋敷で催される闘茶会(トウチャカイ)に参加したり、楽しい日々を過ごした。
駿河守護、今川治部大輔(ジブノタイフ)義忠の死を真っ先に備中守に知らせたのも道胤だった。四月の十日頃、駿河の国、江尻津から品川津に入って来た船より、その知らせを聞いた道胤は、すぐに備中守に知らせた。備中守は、この事はしばらく内密しておくようにと頼み、配下の者を駿府に送った。その後の駿府の状況は、すべて、備中守のもとに届いたが、備中守は動かなかった。また、動きたくても動けなかった。備中守は扇谷上杉修理大夫定正(シュリノタイフサダマサ)の執事であり、修理大夫の許可なく勝手な振る舞いはできなかった。
六月になり、福島越前守の家臣が今川家のお屋形、小鹿新五郎の代理として江戸城を訪れた。備中守は家臣たちに出陣の準備を命令して、越前守の家臣と共に修理大夫が陣を敷いている五十子(イカッコ、本庄市)に向かった。修理大夫は小鹿新五郎の書状を読むと、備中守に駿河に出陣して新五郎を助ける事を命じた。新五郎の書状には、自分が扇谷上杉氏の一族である事を強調して、今川家をまとめるのに力を貸してくれ、と書いてあった。修理大夫は、助けを求めている身内を見殺しにはできまい。新五郎を助けて今川家をまとめて来い、と備中守に命じた。
銭泡は、備中守が駿河に出陣する事を聞き、駿河で世話になった早雲の事を備中守に話した。早雲が先代のお屋形様の忘れ形見、竜王丸殿の伯父に当たる人だという事を知ると、備中守は興味深そうに早雲の事を色々と聞いて来た。銭泡は、早雲の事が心配なので、是非、自分も一緒に連れて行ってくれと頼み、備中守の軍勢と共に江戸城を後にし、駿河に向かったのだった。
4
駿府の城下は混乱していた。
阿部川で小鹿派と竜王丸派の軍勢の睨み合いが続いているさなか、今度は関東から軍勢がやって来た。今度こそ、戦が始まるに違いないと城下に住む者たちは大慌てだった。皆、戸締りをして荷物をまとめ、近くに避難する場所のある者は逃げ、逃げ場のない者は、戦が起こらない事を祈りながら事の成り行きをじっと見守っていた。関東から来て八幡山に陣を敷いた軍勢は茶臼山の軍勢と同じく、不気味に駿府屋形を睨んだまま動かなかった。
やがて、七月になると、大将の太田備中守が駿府屋形に迎えられ、本曲輪の西南に建つ客殿、清流亭(セイリュウテイ)に入った。城下の者たちは一安心して戸を開け、暑苦しい家の中に風を入れた。関東勢が小鹿派となれば、城下が戦火に見舞われる可能性は低くなる。小鹿派と竜王丸派が戦を始めたとしても、戦場となるのは阿部川辺りだろうと城下の者たちは安堵の吐息を漏らしていた。
茶臼山山麓に陣を敷いている堀越公方の軍勢の大将、上杉治部少輔(ジブショウユウ)は小鹿派に行ったり、竜王丸派に行ったりして重臣たちを説得し、今川家を一つにしようと頑張っていたが、一向に成果は現れず、今は駿府屋形内の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在していた。備中守が来た事により、自分の手で今川家を一つにまとめようとする意欲は薄れ、どうせ、手柄は備中守に取られるものと諦めていた。手柄が得られないなら駿河にいるうちに贅沢を楽しもうと、国元では味わう事のできない淫蕩(イントウ)な日々を送っていた。
望嶽亭も清流亭も、北川殿の側に建つ道賀亭も皆、濠に囲まれ、庭園を持つ二層建ての客殿で、将軍義教(ヨシノリ)が駿河に来た時に使用したものだった。その後は、京から下向して来た公家や僧侶たちを持て成すために使われていた。応仁の乱の始まった当初は京から逃げて来た公家たちが大勢、住んでいたが、やがて、公家たちも城下の方に屋敷を持つようになってそちらに移り、最近はどこの客殿も空いていた。
清流亭では備中守を持て成すための準備に怠りなかった。福島越前守も葛山播磨守も備中守の機嫌を取るのに夢中だった。越前守は備中守を味方に引き入れるため、播磨守は今回の事より、さらに先の事を考えて備中守の関心を引こうとしていた。
備中守は清流亭に入り、二階の回廊からの眺めを楽しむと、御馳走の用意された広間には向かわず、犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔が滞在している望嶽亭に挨拶に出掛けた。
治部少輔は堀越公方、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事、もし、政知が鎌倉に入って関東公方となっていれば、治部少輔は関東管領と呼ばれていたかもしれなかった。しかし、現実は鎌倉に入る事はできず、伊豆の国に落ち着いてしまった。治部少輔も関東管領にはなれず、公方とは名のみで、ろくに兵力さえ持たない政知の執事でしか過ぎなかった。勢力を持たないとはいえ、治部少輔は公方の執事、備中守は相模守護、扇谷上杉修理大夫の執事だった。備中守の方が治部少輔の方に挨拶に行くのが当然の礼儀と言えた。
治部少輔は機嫌よく備中守を迎えた。
治部少輔は二階から富士山を眺めながら、女たちに囲まれてお茶を飲んでいた。
治部少輔は酒が飲めなかった。酒が飲めないかわりにお茶にはうるさく、二十四歳まで京にいて将軍義政の側近く仕えていたため、能阿弥(ノウアミ)や村田珠光より茶の湯を習っていた。
いい所に来た、是非、備中守殿のお点前(テマエ)を見たいものだ、と治部少輔は備中守にお茶を点(タ)ててくれと所望(ショモウ)した。備中守は断ったが、治部少輔は聞かなかった。仕方なく、備中守は治部少輔と女たちの見守る中、お茶を点てた。
治部少輔は備中守の茶の湯の腕を知っている。女たちの見守る中で恥をかかせてやろうとたくらんでいたが、そのたくらみは見事に裏切られた。備中守は信じられない程の手捌(テサバ)きで、流れるような振る舞いでお茶を点てた。すべてが珠光流に適(カナ)っていた。女たちはうっとりとした目をして備中守に見とれていた。
治部少輔には信じられなかった。一体、いつの間に、これ程の腕を上げたのか、村田珠光、あるいは、その弟子が関東に下向して来たというのを聞いてはいない。もし、下向して来たとすれば、自分のもとに寄らないわけがない。備中守が一体、誰から習ったのか、まったく納得の行かない事だった。
「見事じゃな」と治部少輔はお茶をすすりながら言った。
「ありがとうございます。名人と言われる治部少輔殿に誉められ、稽古に励んだ甲斐がございました」と備中守は頭を下げた。
「備中、一体、どなたの指導を受けられたのじゃ」
「治部少輔殿は京の商人だった伏見屋殿を御存じでしょうか」
「いや、知らんが‥‥‥」
「伏見屋殿は村田珠光殿のお弟子さんです」
「ほう。珠光殿のお弟子か、その伏見屋から習ったと申すのか」
「はい。伏見屋殿は幕府にも出入りしていた商人でしたが、応仁の乱で店を焼かれ、頭を丸めて銭泡と名乗って関東にやって来たのです」
「思い出したわ」と治部少輔は手を打った。「伏見屋と言えばかなりの店構えじゃったが、伏見屋があの店をたたんだのか‥‥‥信じられん事じゃ」
「財産もすべて使い果して、無一文になって旅に出たそうです」
「ほう。無一文になってのう。関東に来たのなら、わしの所に寄ってくれれば歓迎したものを‥‥‥」
「伏見屋殿は乞食坊主として旅をしていたようです。あれだけの腕を持ちながら、茶の湯の事は一切、口には出さずに、腹を空かしながら旅を続けていたようです。わたしの親父が道に行き倒れていた伏見屋殿を助け、越生(オゴセ)の隠居所に連れて来ました。病も治り、しばらく、親父のもとにいましたが、茶の湯の事など一言も口にしなかったそうです。ようやく正月となり、伏見屋殿もただの乞食坊主に親切にしてくれた親父に、お礼の気持ちを込めて茶の湯を披露して、正体を明かしたというわけです」
「真の佗び茶というものを実践しておったという事か‥‥‥」
「そのようです。しかし、あそこまで徹底する事は、普通の者には真似のできない事でしょう」
「うむ‥‥‥それで、伏見屋はまだ越生におるのか」
「いえ。わたしと共に、この地に来ております。伏見屋殿は関東に旅立つ前、ここの先代のお屋形様にもお茶の指導をしたとの事で、お屋形様がお亡くなりになられたと聞くと、一緒に連れて行ってくれと‥‥‥今、清流亭におります」
「そうか、清流亭におるのか。備中、頼む。ここに伏見屋をよこしてくれ。積もる話もあるしのう。将軍様や珠光殿の事も聞きたいしのう」
「はい、かしこまりました」
「頼むぞ。それとのう、今川家の事もそなたに任せるわ。わしもやるだけの事はやったが、どうも、わしの手には負えんようじゃ。そなた、今川家をまとめてくれ。今川家が争いを始めたら伊豆の国も騒ぎ出して、公方様も危なくなる。公方様と言っても直属の兵が少ないのでのう。伊豆で騒ぎが起きたら静める事も難しい事となろう。何としてでも、今川家を元のようにしてもらわん事には困るのじゃ。頼むぞ」
「はい、かしこまりました。できるだけの事をするつもりでおりますが、治部少輔殿にも、何卒、この備中にお力添えをお願い致します」
「うむ。分かっておる。力が欲しい時には、いつでも言って来るがいい」
備中守は深く頭を下げると望嶽亭を後にした。
清流亭に戻った備中守は、銭泡に望嶽亭に行くように頼むと、三番組の頭、葛山備後守と三浦右京亮に代わって五番組の頭となった福島越前守の弟、兵庫助の待つ広間へと向かった。今回の宴は備中守の旅の疲れを癒(イヤ)すねぎらいの宴なので、今川家の重臣たちの顔はなく、備中守と数人の家臣の他は皆、女たちだった。接待役の葛山備後守と福島兵庫助の二人も、それぞれ播磨守、越前守の代理として簡単な挨拶を済ますと広間から出て行った。
山のような御馳走を前に、綺麗どころの女たちに囲まれて備中守も機嫌よく酒を飲んでいた。浅間神社から芸人たちも呼ばれて、様々な芸が披露された。城下に住んでいる公家たちも手土産を持って備中守を訪ねて来ていた。相変わらず武装した兵が闊歩(カッポ)しているお屋形内とは思えない程、清流亭は華やかだった。
夜も更け、宴もお開きとなると備中守はお気に入りの女に連れられ、二階に上がった。
二階には、すでに臥所(フシド)の用意がしてあった。備中守は回廊の手摺りを握ると夜空を見上げた。風も心地よく、降るような星が見事だった。
「およの」と備中守は隣にいる娘の名を呼んだ。
「はい」とおよのは備中守の顔を見上げた。
「およのは今宵、命じられて、ここに来たのか」
「いいえ」とおよのは首を振った。「わたしがお父上にお願いして参りました」
「自分の意志で来たと申すのか」
「はい」
「なぜじゃ」
「わたしの夫となるべき人は、祝言(シュウゲン)を上げる前に戦で亡くなってしまいました。二年前の事です。その日以来、わたしは家の中に閉じ籠もりっきりでした。やがて、お屋形様がお亡くなりになられました。今川家は二つに割れてしまいました‥‥‥お父上は毎日、忙しそうに働いております。いつまでも悲しみにくれているわたしは、いつまでもこんな事ではいけない。わたしも今川家のために何かをしなければならないと気づきました。しかし、女の身であるわたしには、お父上を助ける事はできません。そんな時、お父上とお母上が話している事を耳にしたのです。関東から来られた備中守様を持て成すために、わたしを備中守様のもとに差し出すようにと頼まれたと言うのです。お父上は、わたしが病気だといって断るつもりだったようです。わたしはお父上のために、今川家のために決心をして、こうして参りました」
「今川家のためにか‥‥‥」
「はい‥‥‥」
「そなたのお父上はどなたじゃな」
「石川志摩守(シマノカミ)と申します。福島越前守様の家来です」
「そうか、越前守殿の御家来衆か」
「備中守様、今川家は前のようになるのでしょうか」
「うむ。難しい事じゃが、やらねばなるまい」
「わたしには難しい事は分かりませんが、お父上から備中守様の事は聞いて参りました。備中守様は関東で有名な立派な武将だとお聞きしました。備中守様なら今川家を一つにまとめて下さるだろうとお父上は言いました。どうか、お願いします、今川家を前のように戻して下さい」
「そなたの目は綺麗じゃのう」と備中守は言った。
およのは顔を伏せた。「申し訳ありません。余計な事を言ってしまいました」
「いや。世の中がこう乱れて来ると、女子といえども強く生きなければならん。自分の思った事をはっきりと口に出すのはいい事じゃ」
およのは顔を上げて、備中守の顔を見つめた。
備中守は空を見上げていた。
およのは備中守の横顔を見ながら不思議な人だと感じていた。どう不思議なのか分からなかったが、およのが今まで見て来た男の人とは違う種類の男のようだった。年は父親程も違うのに父親とは全然違って、その静かな横顔には惹(ヒ)かれるものがあった。もしかしたら、備中守と夜を共にしなければならないと覚悟は決めていても、初めて備中守を目にした時はやはり恐ろしかった。ギョロッとした目に見つめられると目を伏せずにはいられなかった。
幸い、およのの席は備中守と離れていた。およのの隣には備中守の側近の若い侍が座った。その若侍は行儀正しくしたまま、およのに声も掛けなかった。およのの方も酒を注いでやる位で、ほとんど話もしなかった。このまま宴も終わるだろうと、ホッとしていた時、突然、およのは備中守に呼ばれて備中守の隣に座った。
備中守はおよのの名を聞くと、「いい名じゃ」と言ったが、それ以上の事は聞かなかった。ただ、およのの前に空になった酒盃を差し出すたびに、およのはそれに酒を注いでいた。
どうして、わたしなんかが呼ばれたのだろうと、およのは不安で一杯で、どうしたらいいのか分からなかった。宴が終わる頃、およのは隣に座っていた女から耳元で、備中守様を二階にお連れしなさいと命じられた。およのは言われた通りに備中守を二階に案内した。
二階に来て部屋の中の臥所を見た時、およのは恐ろしくてしょうがなかった。ここまで来てしまったら、もう逃げる事はできなかった。いっその事、ここから飛び降りて死のうかとも思った。しかし、備中守と二人きりで夜風に吹かれながら話をしているうちに、およのの感じていた不安や恐怖心は消え、もしかしたら、わたしはこの人と出会うために生まれて来たのかもしれないと、とんでもない事を真剣に思うようになっていた。
備中守はおよのの肩を優しく抱き寄せると部屋の中に入って行った。
14.太田備中守2
5
風のまったくない蒸し暑い日だった。
早雲は四人の山伏を連れて朝比奈川をさかのぼっていた。一人は小太郎、もう一人は太田備中守、そして、備中守の側近の上原紀三郎と鈴木兵庫助だった。兵庫助は鈴木道胤(ドウイン)の長男で、紀三郎と共に備中守から兵法(ヒョウホウ)をみっちりとたたき込まれた若手の部将だった。
備中守は清流亭に半月程、滞在して、また八幡神社に戻っていた。半月の滞在中、備中守は福島越前守、葛山播磨守と会って、それぞれの考えを聞いた。そして、備中守の考えとして、今川家をまとめるには竜王丸をお屋形様とし小鹿新五郎を後見人にする以外にないと提案した。越前守は備中守の意見に同意して、是非、竜王丸派を説得してくれるよう頼んで来たが、播磨守の方は一筋縄では行かなかった。関東の軍勢をもって阿部川以西の竜王丸派を遠江の国まで追いやってくれと言う。そうすれば、駿河の国は以前のように落ち着くと言い張った。備中守は、竜王丸派を遠江に追う事はできるだろう、しかし、竜王丸が生きている限り、遠江で勢力を強めた竜王丸はいつの日か、駿河に攻めて来るだろうと言った。
「なに、一度、追い出してしまえば、後は何とでもなる」と播磨守は強きだった。
備中守は、播磨守という男は竜王丸の暗殺さえもやりかねない男だと悟った。備中守は播磨守を威(オド)してやろうと考えた。
「播磨守殿、もし、竜王丸殿を遠江に追い出す事に成功した場合、恩賞として、我らは何をいただけるのですかな」と備中守は聞いた。
「備中守程のお人が恩賞を当てに戦をすると申すのですか」と播磨守はふてぶてしい顔をして言った。
備中守は笑った。「ここの所、関東は戦続きで兵たちは疲れておる。決着が着かないまま戦が長引いているため、兵たちが活躍しても恩賞もろくに与えられんのじゃ。そんな兵たちを引き連れて箱根を越えるんじゃ。確かな恩賞がなければ兵たちは動かんじゃろうのう」
「成程、恩賞ですか‥‥‥」
「富士川より東の土地を我らにくれますかな。そうすれば、兵たちも喜んで小鹿殿を応援する事でしょう」
「それは‥‥‥」と播磨守は口ごもった。
富士川以東の土地とは葛山播磨守の領地だった。たとえ、駿河一国が小鹿派のものとなっても、本拠地である領地を失うわけにはいかなかった。
「阿部川以西の竜王丸派の土地でしたら差し上げる事もできるかと思いますが、富士川以東はちょっと‥‥‥」
「富士川以東は播磨守殿の領地でしたな。たとえ、今川家のためとはいえ、本拠地を失う事はできませんか」
「それは、ちょっと‥‥‥」播磨守は額の汗を拭いながら困った表情をしていた。
「播磨守殿、播磨守殿がわたしの立場になったとして考えてみて下さい。駿河の国が東西に二つに分かれています。どちらの味方をした方が得か考えてみて下さい。播磨守殿なら、どちらの味方をしますかな」
「‥‥‥西です」と播磨守は仕方なく答えた。
「そうじゃろう。西と手を組んで、東を挟討ちにするというのが常套(ジョウトウ)手段と言えよう。勝てば東を山分けにする。たとえ負けたとしても、本国に引き上げるのに、それ程の距離もない。しかし、東と手を組んで阿部川辺りまで出張って来て、勝ったとしても近くの土地は貰えず、負戦(マケイクサ)になれば、全滅という事にもなりかねんからのう」
「備中守殿は竜王丸派と手を結ぶという事ですか」
「今川家がいつまでも二つに分かれたままだったら、そういう事になる可能性は充分にあるのう。我らの殿も富士川以東が手に入るとなれば、喜んで攻めて来る事じゃろう。そうならないように、わしは今川家を元に戻そうとやって来たわけじゃ。どうじゃろう、ここの所は身を引いて、竜王丸殿をお屋形様にし、小鹿新五郎殿を後見という事で妥協してもらえんものかのう」
「はい‥‥‥しかし、小鹿新五郎殿は扇谷上杉氏の一族ですが、その新五郎殿を見捨てるという事ですか」
「今の御時世は、関東では一族同士でも敵味方になって争っておるんじゃよ。同じ一族だからというだけで味方とは言い切れんのじゃ」
播磨守は黙っていたが、ようやく、「少し、考えさせて下さい」と小声で言った。
「そうしてくれ。わしももう少し、ここでのんびりするつもりじゃ。関東に戻れば、また、戦に明け暮れる事になろうからの。しばらく骨休みのつもりで、のんびりするつもりじゃ」
「はい‥‥‥備中守殿、小鹿派の者が備中守殿の提案に賛成したとしても、竜王丸派の者たちが何と言うか問題です」
「竜王丸派の者に文句はあるまい」
「それが、竜王丸派には中原摂津守殿を押している者たちもおります。竜王丸派は摂津守殿を後見にするという事で、摂津守派と手を結びました。竜王丸派は、竜王丸殿をお屋形様とし摂津守殿を後見という事で、小鹿派と対抗しております。備中守殿のお考えを素直に認めるとは思われませんが‥‥‥」
「ふむ。なかなか複雑になっておるのう。とにかくは竜王丸派の者と話し合わなければならん。播磨守殿、竜王丸派の中心になっておられるのは、どなたですかな」
「竜王丸派の中心といえば朝比奈天遊斎殿でしょう。そして、摂津守派の中心は岡部美濃守殿です」
「朝比奈天遊斎殿と岡部美濃守殿か」
「表向きはそうですが、実際に、竜王丸派の中心となっているのは伊勢早雲でしょう」
「伊勢早雲?」と備中守は首を傾げた。
「先代のお屋形様の奥方、北川殿の兄上です。竜王丸殿の伯父に当たるお人です。竜王丸殿の執事という事になっておりますが、正式に今川家の家臣ではありません。しかし、なかなか手ごわい男です。敵に回したくない男とでもいいましょうか」
「ほう。播磨守殿がそれ程までに言うとは余程の男らしいのう。是非、会ってみたいものじゃ」
「備中守殿が動かなくても、早雲の方から近づいて来る事でしょう」
「そうか‥‥‥しかし、ここにいては早雲といえども入っては来れまい」
「いえ。早雲は元、山伏だったらしく、厳重な警戒など屁とも思わず、お屋形内に潜入して来ます」
「ほう。面白そうな男じゃのう」
備中守は福島越前守、葛山播磨守の小鹿派の大物二人を説得させると、清流亭を出て八幡神社に戻って来た。そして、今、早雲の案内で、竜王丸に会うために山伏姿となって朝比奈の城下に向かっていた。野田沢川に架かる橋を渡って、町並を抜け、朝比奈屋敷の隠居屋敷の門をくぐったが、北川殿も竜王丸もいなかった。
留守を守っていた荒木が出て来て、北川殿も竜王丸も河原の弓場だと言う。相変わらず、熱心に弓の稽古に励んでいるらしい。
「おぬし、よく、こんな山の中にいつまでもおられるな」と早雲は荒木に聞いた。
「はい。静かでいい所です」と荒木は答えた。
「静かでいい所か‥‥‥確かにそうじゃが、おぬしらしくない事を言うのう。多米は何しておるんじゃ」
「はい。多米の奴も河原に行きました」
「ほう。北川殿の護衛をしておるのか」
「はい。それだけではありませんが‥‥‥」
「一体、どうしたんじゃ。おぬしら二人がこんな山の中でおとなしくしておるとはのう。信じられん事じゃ」
早雲は四人の山伏を連れて西の河原に向かった。北川衆の清水と山本の二人が河原の手前の道を見張っていた。
河原では、北川殿が汗びっしょりになって弓を引いていた。竜王丸と美鈴が、寅之助と侍女の菅乃、お雪、春雨と一緒に北川殿を見ている。多米が的の近くに立って、富嶽が北川殿が弓を射るのを手伝っていた。
「ほう、北川殿の侍女は弓の稽古もなさっておるのか。さすがじゃのう」と備中守は北川殿を見ながら言った。
「あれが、北川殿です」と早雲は言った。
「なに、あのお方が北川殿?‥‥‥信じられん」
「あちらにおられるのが、竜王丸殿です」と早雲は竜王丸の方を示した。
「どちらじゃ」と備中守は聞いた。
竜王丸と寅之助は同じ格好をして、しかも、二人とも真っ黒に日に焼けていた。双子のように良く似ていた。
「小さい方のお方です」
「ふーむ。驚きじゃわ。まさか、北川殿が弓を引いておられるとはのう。誰に話したとて、信じては貰えまい」
北川殿の放った矢は見事に的の中央に当たった。
「お見事!」と多米が叫んだ。
北川殿は早雲の姿を見ると、弓を富嶽に渡し、汗を拭きながら近づいて来た。
「兄上様、いかがでした。大分、上達したでしょう」
「はい。大したものです。これ程までに早く上達するとは驚きです」
「風間殿もご一緒でしたか。お久し振りです。そうそう、お雪が風間殿に会いたがっておりますよ。お雪のためにも、風間殿、ちょくちょく訪ねて来て下さいね」
「はい」と小太郎は照れながら答えた。
「あの、そちらのお方は?」と北川殿は備中守を見て、早雲に聞いた。
「北川殿、こちらのお方は江戸から来られた太田備中守殿です。御存じでしょうか」
「太田備中守殿‥‥‥お噂は亡きお屋形様より伺っております。嫌ですわ、こんな姿を見られて」北川殿は急に恥ずかしそうに俯いた。「兄上様もどうして、こんな所に太田様をお連れするのです。困りますわ」
「申し訳ございません」と早雲は謝った。「備中守殿に北川殿の本当のお姿を見ていただきたかったのです。それに、今回は非公式な対面です。北川殿と備中守殿ではなく、京から下向して来られた御料人様と関東から来られた一山伏として、会ってもらいたいのです」
「分かりました」と北川殿は早雲に頷き、備中守を見て、軽く頭を下げた。
備中守も軽く頭を下げた。
「兄上様、お屋敷の方でお待ち下さい。わたしもすぐに戻ります」
「北川殿」と備中守が言った。「わたしに遠慮なさる事はございません。充分にお稽古なされてからお帰り下さい。わたしは待っております」
「ありがとうございます」
早雲は備中守を連れて屋敷に向かった。後を追って、お雪と春雨がやって来た。
「どうしたんじゃ」と小太郎がお雪に聞いた。
「北川殿が一緒に行けと言ってきかないんです」とお雪は答えた。
「二人が抜けたら向こうが大変じゃ」と早雲は言った。
「はい。そう言ってもききません。弓を構えて、行かなければ射ると言うのです」
「困ったものじゃ。わしが残るわ」と小太郎は言った。
「うむ、そうしてくれ。お雪殿も小太郎と戻ってくれ」
小太郎とお雪が河原に戻り、早雲らは屋敷に向かった。
備中守は、弓の稽古をしていた時とは、まるで別人のように着飾った北川殿と竜王丸に対面し、関東の話などを半時程すると早雲と共に帰って行った。
帰り道、早雲は備中守に、「竜王丸殿をどう見ますか」と聞いた。
「父親に負けない程の武将になる事じゃろう」と備中守は力強く答えた。
小太郎は早雲たちと一緒に帰って来なかった。北川殿がお雪に暇を出したので、早雲も、久し振りにお雪と共に過ごせ、と置いて来たのだった。
小太郎とお雪は積もる話をしながら城下を散歩して、北川殿が手配してくれた旅籠屋に入り、二ケ月振りに、二人だけで、のんびりと過ごした。
「お雪というより、お黒じゃな」と小太郎はお雪の顔を眺めながら言った。
「しょうがないでしょ、北川殿があれだもの。あたしたちが笠を被っているわけにはいかないわ」
「まあ、そうじゃな。働き者の女房って感じで、なかなかいい」と小太郎は笑った。
「ありがとう。でも、北川殿が武芸に熱心になってくれたお陰で、前よりは退屈しなくても済むわ。前は、毎日、する事がなくて逃げ出したいくらいだった」
「そうじゃろうのう。お前はじっとしておられない性格じゃからのう」
「あたし、北川殿に小太刀(コダチ)を教えているのよ」
「そうだってな。小太刀の方も上達しておるのか」
「小太刀の方はそれ程でもないけど、弓術の方は凄い上達振りよ。ほんと、驚く程、見る見る上達して行くの」
「早雲と同じ伊勢家の血が流れておるからのう。元々、素質はあるんじゃろうのう」
「ほんと、早雲様の弓術には驚いたわ。まるで神業よ。凄いなんてもんじゃないわ。富嶽様も初めて見たみたい。口を開けたまま驚いていたわ」
「確かにな」と小太郎は頷いた。「奴の弓は神業じゃ。しかし、弓だけじゃない。馬術も神業じゃ。奴はまるで、馬の言葉が分かるかのように、どんな馬でも乗りこなすんじゃ。奴にかかったら、どんな駄馬でも名馬に早変わりじゃ」
「へえ、そうなの。人は見かけによらないのね」
「それは言えるな。お前の笛を初めて聞いた時、わしもそう思ったわ」
「あたしだって、そうよ。初めて、あなたの治療を見た時、凄い人だって見直したのよ。それから、あなたから離れられなくなっちゃったんじゃない」
「そうじゃったのか‥‥‥わしはお前を初めて見た時から、面白い女子(オナゴ)じゃと興味を持っておったぞ」
「それ、もしかして、一目惚れっていうの」
「そうなるかのう」
「まあ、嬉しい」とお雪は小太郎に抱き着いて来た。
小太郎とお雪がいちゃいちゃしている頃、夕暮れの城下を以外な二人が散歩していた。
多米権兵衛と北川殿の侍女、菅乃だった。二人は並んで北川殿の弓の稽古場のある河原へと向かっていた。菅乃は俯き、多米は真面目な顔付きでブスッとして歩いていた。
河原まで来ると、多米は川の側まで行って対岸の方を見た。
日が山陰に沈もうとしていた。
菅乃も多米の隣に立つと夕日を眺めた。
「子供の頃、兄上や弟と一緒に、ここでよく遊びました」と菅乃は言った。
「そうでしたか‥‥‥」
「まさか、弥太郎兄さん(朝比奈肥後守)が、亡くなってしまうなんて‥‥‥」
多米は黙って、菅乃の横顔を見ていた。
「弥次郎兄さん(朝比奈備中守)は、遠くに行ってしまうし」
「今は帰っておられるのでしょう」
「はい。でも、北川殿のお屋敷に一度、御挨拶に来ただけで、ここと青木城を忙しそうに行ったり来たりしております」
「そうですか‥‥‥」
「多米様は竜王丸殿の御家来にはならないのですか」
「わたしは早雲殿の家来です。早雲殿がこの先、武士に戻るかどうかは分かりませんが、わたしは早雲殿に付いて行こうと決めております」
「早雲殿に?」
「はい。わたしだけではありません。荒木も、富嶽殿も、早雲庵にいる者たちは皆、早雲殿を慕っております。早雲殿のためなら命も惜しくないと思っております。わたしは長い間、浪人をして各地を旅して参りました。しかるべき武将に仕官しようと思って旅を続けておりました。そして、早雲殿と出会い、このお人より他にないと決心したのです」
「そうだったのですか‥‥‥」
「菅乃殿はこの先、ずっと、北川殿にお仕えするおつもりなのですか」
「はい。そのつもりです。北川殿はいい人ですし、それに、わたしには他の生き方は分かりません。わたしは十六の時から北川殿にお仕えしています。十六の時まで、ここで暮らし、その後はずっと駿府の北川殿で暮らしています。その他の所は全然知らないのです」
「そうでしたか‥‥‥」
「北川殿にお仕えする前、お嫁に行くというお話もありました。でも、相手のお方がどうしても好きになれず、北川殿にお仕えする道を選びました。わたしはもう二十四です。お嫁に行く事は諦めております。一生、北川殿にお仕えし、竜王丸殿の御成長を見守ろうと思っております」
「菅乃殿、そなたのような美しいお方が何を申されます。北川殿にお仕えするのもいいが、もっと御自分を大切にすべきだと思います。もっと御自分の幸せも考えるべきです」
「自分の幸せですか‥‥‥今も幸せです‥‥‥多米様、わたしの本当の名前は八重と言います。どうぞ、八重とお呼び下さい」
「お八重殿ですか」
「はい。多米様、八重のような者でも、お嫁に貰って頂けますか」
「えっ? 今、何と申しました」
「いいんです‥‥‥」
多米は八重の顔を見つめた。
八重は俯いていた。美しい人だと思った。
信じられなかったが、多米は八重が言った事をはっきりと耳にしていた。耳にしていたが、今の多米にはどうする事もできなかった。八重は朝比奈天遊斎の娘だった。今川家の重臣の娘だった。三河の国の片田舎の郷士の三男の多米とは、どう考えても釣り合いが取れなかった。
多米は八重こと菅乃に一目惚れしていた。北川殿を守るために、早雲に命じられて駿府の屋敷に入って、初めて菅乃を目にした時から惚れていた。惚れてはいても、相手は北川殿の侍女、高根の花で、自分が思いを寄せる事さえできない人だと諦めていた。それが今回、富嶽と一緒に朝比奈城下にやって来て、その高根の花と以前より近くに接する事ができるようになった。
駿府の北川殿にいた頃の菅乃はほとんど屋敷内にいたため、言葉を交わす事は勿論の事、遠くから見る事しかできなかったが、ここでは北川殿を初め、皆、のびのびと暮らしていた。北川殿は城下を散歩したり、武芸の稽古に励んだり、駿府にいた頃には想像もできない程、気ままに暮らしている。当然、侍女や仲居たちも屋敷ばかりにいる事もなく、北川殿と一緒に出歩いていた。多米や荒木も自然に侍女や仲居たちと言葉を交わすようになり、身分という壁が取り払われたような感じだった。
ある日、多米は菅乃と二人だけになった時、自分の思いを打ち明けた。もう、どうしようもなく、胸がはち切れそうになり、駄目で元々、打ち明けてしまえば、かえって、すっきりするだろうと、多米は、「好きです」と打ち明けた。
菅乃はポカンとしたまま何も言わなかったが、多米は胸のつかえが、やっと取れたかのように気分はすっきりした。その日から菅乃が自分を見る目が変わった事に気づき、多米は信じられなかったが嬉しかった。そして、今日、ついに声を掛けて、菅乃を誘って河原まで来たのだった。
菅乃は十六歳の時から北川殿に仕えて来たため、男を知らなかった。北川殿に仕えるまでは朝比奈家のお姫様として屋敷の奥で育てられたので、男に言い寄られた事もないし、北川殿に仕えてからも、ほとんど屋敷から出なかったので、男に言い寄られた事は一度もなかった。そして、そんな事など一生ありえないだろうと思っていた。それが突然、多米から好きだと言われた。信じられなかった。信じられなかったが嬉しかった。
多米は嫌いな男ではなかった。駿府にいた時の活躍も知っている菅乃には、頼もしい男として多米は写っていた。しかし、好きという感情は特になかった。多米も北川衆と同じように北川殿を守るための侍の一人に過ぎなく、自分とは縁のないものだと思っていた。それが、多米の一言によって、多米という男がずっと身近に感じられるようになり、さらに、好意さえ感じるようになって行った。多米の姿を見ると小娘のように胸が時めき、体中がポーッと熱くなって来た。
菅乃が多米に、お嫁に貰ってくれるか、と聞いたのは本心だった。本心だったが、それが適えられない事だという事も知っていた。知ってはいても、一度、口に出して言ってみたかったのだった。
「お八重殿、待っていて下さい。わたしは必ず、お八重殿をお迎えに参ります」と多米は思い切って言った。
「えっ?」と菅乃は驚いた顔を多米に向けた。
「いつか、必ず‥‥‥」
「はい‥‥‥」と菅乃は多米を見つめた。
多米は菅乃に見つめられ、夢でも見ているのではないかと、地に足が着いていない状態だった。
「そろそろ、戻りますか」と多米はやっとの事で言うと夕焼け空に目を移した。
「はい」
夕暮れの中、二人の影は寄り添いながら河原を後にした。
多米が菅乃に愛の告白をしたように、荒木も仲居の淡路に自分の気持ちを告白していた。
淡路は今川一族の堀越陸奥守の姪だった。荒木の方も多米と同様、前途多難な恋の道程(ミチノリ)だった。二人とも、こちらに来てからは人が変わったかのように、女遊びは勿論の事、博奕(バクチ)さえもせず、朝は早くから起き、真面目に仕事に励んでいた。以前の二人を知っている者が見たら、こっけいに思う程、二人とも真剣に女に惚れていた。
「はい‥‥‥備中守殿、小鹿派の者が備中守殿の提案に賛成したとしても、竜王丸派の者たちが何と言うか問題です」
「竜王丸派の者に文句はあるまい」
「それが、竜王丸派には中原摂津守殿を押している者たちもおります。竜王丸派は摂津守殿を後見にするという事で、摂津守派と手を結びました。竜王丸派は、竜王丸殿をお屋形様とし摂津守殿を後見という事で、小鹿派と対抗しております。備中守殿のお考えを素直に認めるとは思われませんが‥‥‥」
「ふむ。なかなか複雑になっておるのう。とにかくは竜王丸派の者と話し合わなければならん。播磨守殿、竜王丸派の中心になっておられるのは、どなたですかな」
「竜王丸派の中心といえば朝比奈天遊斎殿でしょう。そして、摂津守派の中心は岡部美濃守殿です」
「朝比奈天遊斎殿と岡部美濃守殿か」
「表向きはそうですが、実際に、竜王丸派の中心となっているのは伊勢早雲でしょう」
「伊勢早雲?」と備中守は首を傾げた。
「先代のお屋形様の奥方、北川殿の兄上です。竜王丸殿の伯父に当たるお人です。竜王丸殿の執事という事になっておりますが、正式に今川家の家臣ではありません。しかし、なかなか手ごわい男です。敵に回したくない男とでもいいましょうか」
「ほう。播磨守殿がそれ程までに言うとは余程の男らしいのう。是非、会ってみたいものじゃ」
「備中守殿が動かなくても、早雲の方から近づいて来る事でしょう」
「そうか‥‥‥しかし、ここにいては早雲といえども入っては来れまい」
「いえ。早雲は元、山伏だったらしく、厳重な警戒など屁とも思わず、お屋形内に潜入して来ます」
「ほう。面白そうな男じゃのう」
備中守は福島越前守、葛山播磨守の小鹿派の大物二人を説得させると、清流亭を出て八幡神社に戻って来た。そして、今、早雲の案内で、竜王丸に会うために山伏姿となって朝比奈の城下に向かっていた。野田沢川に架かる橋を渡って、町並を抜け、朝比奈屋敷の隠居屋敷の門をくぐったが、北川殿も竜王丸もいなかった。
留守を守っていた荒木が出て来て、北川殿も竜王丸も河原の弓場だと言う。相変わらず、熱心に弓の稽古に励んでいるらしい。
「おぬし、よく、こんな山の中にいつまでもおられるな」と早雲は荒木に聞いた。
「はい。静かでいい所です」と荒木は答えた。
「静かでいい所か‥‥‥確かにそうじゃが、おぬしらしくない事を言うのう。多米は何しておるんじゃ」
「はい。多米の奴も河原に行きました」
「ほう。北川殿の護衛をしておるのか」
「はい。それだけではありませんが‥‥‥」
「一体、どうしたんじゃ。おぬしら二人がこんな山の中でおとなしくしておるとはのう。信じられん事じゃ」
早雲は四人の山伏を連れて西の河原に向かった。北川衆の清水と山本の二人が河原の手前の道を見張っていた。
河原では、北川殿が汗びっしょりになって弓を引いていた。竜王丸と美鈴が、寅之助と侍女の菅乃、お雪、春雨と一緒に北川殿を見ている。多米が的の近くに立って、富嶽が北川殿が弓を射るのを手伝っていた。
「ほう、北川殿の侍女は弓の稽古もなさっておるのか。さすがじゃのう」と備中守は北川殿を見ながら言った。
「あれが、北川殿です」と早雲は言った。
「なに、あのお方が北川殿?‥‥‥信じられん」
「あちらにおられるのが、竜王丸殿です」と早雲は竜王丸の方を示した。
「どちらじゃ」と備中守は聞いた。
竜王丸と寅之助は同じ格好をして、しかも、二人とも真っ黒に日に焼けていた。双子のように良く似ていた。
「小さい方のお方です」
「ふーむ。驚きじゃわ。まさか、北川殿が弓を引いておられるとはのう。誰に話したとて、信じては貰えまい」
北川殿の放った矢は見事に的の中央に当たった。
「お見事!」と多米が叫んだ。
北川殿は早雲の姿を見ると、弓を富嶽に渡し、汗を拭きながら近づいて来た。
「兄上様、いかがでした。大分、上達したでしょう」
「はい。大したものです。これ程までに早く上達するとは驚きです」
「風間殿もご一緒でしたか。お久し振りです。そうそう、お雪が風間殿に会いたがっておりますよ。お雪のためにも、風間殿、ちょくちょく訪ねて来て下さいね」
「はい」と小太郎は照れながら答えた。
「あの、そちらのお方は?」と北川殿は備中守を見て、早雲に聞いた。
「北川殿、こちらのお方は江戸から来られた太田備中守殿です。御存じでしょうか」
「太田備中守殿‥‥‥お噂は亡きお屋形様より伺っております。嫌ですわ、こんな姿を見られて」北川殿は急に恥ずかしそうに俯いた。「兄上様もどうして、こんな所に太田様をお連れするのです。困りますわ」
「申し訳ございません」と早雲は謝った。「備中守殿に北川殿の本当のお姿を見ていただきたかったのです。それに、今回は非公式な対面です。北川殿と備中守殿ではなく、京から下向して来られた御料人様と関東から来られた一山伏として、会ってもらいたいのです」
「分かりました」と北川殿は早雲に頷き、備中守を見て、軽く頭を下げた。
備中守も軽く頭を下げた。
「兄上様、お屋敷の方でお待ち下さい。わたしもすぐに戻ります」
「北川殿」と備中守が言った。「わたしに遠慮なさる事はございません。充分にお稽古なされてからお帰り下さい。わたしは待っております」
「ありがとうございます」
早雲は備中守を連れて屋敷に向かった。後を追って、お雪と春雨がやって来た。
「どうしたんじゃ」と小太郎がお雪に聞いた。
「北川殿が一緒に行けと言ってきかないんです」とお雪は答えた。
「二人が抜けたら向こうが大変じゃ」と早雲は言った。
「はい。そう言ってもききません。弓を構えて、行かなければ射ると言うのです」
「困ったものじゃ。わしが残るわ」と小太郎は言った。
「うむ、そうしてくれ。お雪殿も小太郎と戻ってくれ」
小太郎とお雪が河原に戻り、早雲らは屋敷に向かった。
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備中守は、弓の稽古をしていた時とは、まるで別人のように着飾った北川殿と竜王丸に対面し、関東の話などを半時程すると早雲と共に帰って行った。
帰り道、早雲は備中守に、「竜王丸殿をどう見ますか」と聞いた。
「父親に負けない程の武将になる事じゃろう」と備中守は力強く答えた。
小太郎は早雲たちと一緒に帰って来なかった。北川殿がお雪に暇を出したので、早雲も、久し振りにお雪と共に過ごせ、と置いて来たのだった。
小太郎とお雪は積もる話をしながら城下を散歩して、北川殿が手配してくれた旅籠屋に入り、二ケ月振りに、二人だけで、のんびりと過ごした。
「お雪というより、お黒じゃな」と小太郎はお雪の顔を眺めながら言った。
「しょうがないでしょ、北川殿があれだもの。あたしたちが笠を被っているわけにはいかないわ」
「まあ、そうじゃな。働き者の女房って感じで、なかなかいい」と小太郎は笑った。
「ありがとう。でも、北川殿が武芸に熱心になってくれたお陰で、前よりは退屈しなくても済むわ。前は、毎日、する事がなくて逃げ出したいくらいだった」
「そうじゃろうのう。お前はじっとしておられない性格じゃからのう」
「あたし、北川殿に小太刀(コダチ)を教えているのよ」
「そうだってな。小太刀の方も上達しておるのか」
「小太刀の方はそれ程でもないけど、弓術の方は凄い上達振りよ。ほんと、驚く程、見る見る上達して行くの」
「早雲と同じ伊勢家の血が流れておるからのう。元々、素質はあるんじゃろうのう」
「ほんと、早雲様の弓術には驚いたわ。まるで神業よ。凄いなんてもんじゃないわ。富嶽様も初めて見たみたい。口を開けたまま驚いていたわ」
「確かにな」と小太郎は頷いた。「奴の弓は神業じゃ。しかし、弓だけじゃない。馬術も神業じゃ。奴はまるで、馬の言葉が分かるかのように、どんな馬でも乗りこなすんじゃ。奴にかかったら、どんな駄馬でも名馬に早変わりじゃ」
「へえ、そうなの。人は見かけによらないのね」
「それは言えるな。お前の笛を初めて聞いた時、わしもそう思ったわ」
「あたしだって、そうよ。初めて、あなたの治療を見た時、凄い人だって見直したのよ。それから、あなたから離れられなくなっちゃったんじゃない」
「そうじゃったのか‥‥‥わしはお前を初めて見た時から、面白い女子(オナゴ)じゃと興味を持っておったぞ」
「それ、もしかして、一目惚れっていうの」
「そうなるかのう」
「まあ、嬉しい」とお雪は小太郎に抱き着いて来た。
小太郎とお雪がいちゃいちゃしている頃、夕暮れの城下を以外な二人が散歩していた。
多米権兵衛と北川殿の侍女、菅乃だった。二人は並んで北川殿の弓の稽古場のある河原へと向かっていた。菅乃は俯き、多米は真面目な顔付きでブスッとして歩いていた。
河原まで来ると、多米は川の側まで行って対岸の方を見た。
日が山陰に沈もうとしていた。
菅乃も多米の隣に立つと夕日を眺めた。
「子供の頃、兄上や弟と一緒に、ここでよく遊びました」と菅乃は言った。
「そうでしたか‥‥‥」
「まさか、弥太郎兄さん(朝比奈肥後守)が、亡くなってしまうなんて‥‥‥」
多米は黙って、菅乃の横顔を見ていた。
「弥次郎兄さん(朝比奈備中守)は、遠くに行ってしまうし」
「今は帰っておられるのでしょう」
「はい。でも、北川殿のお屋敷に一度、御挨拶に来ただけで、ここと青木城を忙しそうに行ったり来たりしております」
「そうですか‥‥‥」
「多米様は竜王丸殿の御家来にはならないのですか」
「わたしは早雲殿の家来です。早雲殿がこの先、武士に戻るかどうかは分かりませんが、わたしは早雲殿に付いて行こうと決めております」
「早雲殿に?」
「はい。わたしだけではありません。荒木も、富嶽殿も、早雲庵にいる者たちは皆、早雲殿を慕っております。早雲殿のためなら命も惜しくないと思っております。わたしは長い間、浪人をして各地を旅して参りました。しかるべき武将に仕官しようと思って旅を続けておりました。そして、早雲殿と出会い、このお人より他にないと決心したのです」
「そうだったのですか‥‥‥」
「菅乃殿はこの先、ずっと、北川殿にお仕えするおつもりなのですか」
「はい。そのつもりです。北川殿はいい人ですし、それに、わたしには他の生き方は分かりません。わたしは十六の時から北川殿にお仕えしています。十六の時まで、ここで暮らし、その後はずっと駿府の北川殿で暮らしています。その他の所は全然知らないのです」
「そうでしたか‥‥‥」
「北川殿にお仕えする前、お嫁に行くというお話もありました。でも、相手のお方がどうしても好きになれず、北川殿にお仕えする道を選びました。わたしはもう二十四です。お嫁に行く事は諦めております。一生、北川殿にお仕えし、竜王丸殿の御成長を見守ろうと思っております」
「菅乃殿、そなたのような美しいお方が何を申されます。北川殿にお仕えするのもいいが、もっと御自分を大切にすべきだと思います。もっと御自分の幸せも考えるべきです」
「自分の幸せですか‥‥‥今も幸せです‥‥‥多米様、わたしの本当の名前は八重と言います。どうぞ、八重とお呼び下さい」
「お八重殿ですか」
「はい。多米様、八重のような者でも、お嫁に貰って頂けますか」
「えっ? 今、何と申しました」
「いいんです‥‥‥」
多米は八重の顔を見つめた。
八重は俯いていた。美しい人だと思った。
信じられなかったが、多米は八重が言った事をはっきりと耳にしていた。耳にしていたが、今の多米にはどうする事もできなかった。八重は朝比奈天遊斎の娘だった。今川家の重臣の娘だった。三河の国の片田舎の郷士の三男の多米とは、どう考えても釣り合いが取れなかった。
多米は八重こと菅乃に一目惚れしていた。北川殿を守るために、早雲に命じられて駿府の屋敷に入って、初めて菅乃を目にした時から惚れていた。惚れてはいても、相手は北川殿の侍女、高根の花で、自分が思いを寄せる事さえできない人だと諦めていた。それが今回、富嶽と一緒に朝比奈城下にやって来て、その高根の花と以前より近くに接する事ができるようになった。
駿府の北川殿にいた頃の菅乃はほとんど屋敷内にいたため、言葉を交わす事は勿論の事、遠くから見る事しかできなかったが、ここでは北川殿を初め、皆、のびのびと暮らしていた。北川殿は城下を散歩したり、武芸の稽古に励んだり、駿府にいた頃には想像もできない程、気ままに暮らしている。当然、侍女や仲居たちも屋敷ばかりにいる事もなく、北川殿と一緒に出歩いていた。多米や荒木も自然に侍女や仲居たちと言葉を交わすようになり、身分という壁が取り払われたような感じだった。
ある日、多米は菅乃と二人だけになった時、自分の思いを打ち明けた。もう、どうしようもなく、胸がはち切れそうになり、駄目で元々、打ち明けてしまえば、かえって、すっきりするだろうと、多米は、「好きです」と打ち明けた。
菅乃はポカンとしたまま何も言わなかったが、多米は胸のつかえが、やっと取れたかのように気分はすっきりした。その日から菅乃が自分を見る目が変わった事に気づき、多米は信じられなかったが嬉しかった。そして、今日、ついに声を掛けて、菅乃を誘って河原まで来たのだった。
菅乃は十六歳の時から北川殿に仕えて来たため、男を知らなかった。北川殿に仕えるまでは朝比奈家のお姫様として屋敷の奥で育てられたので、男に言い寄られた事もないし、北川殿に仕えてからも、ほとんど屋敷から出なかったので、男に言い寄られた事は一度もなかった。そして、そんな事など一生ありえないだろうと思っていた。それが突然、多米から好きだと言われた。信じられなかった。信じられなかったが嬉しかった。
多米は嫌いな男ではなかった。駿府にいた時の活躍も知っている菅乃には、頼もしい男として多米は写っていた。しかし、好きという感情は特になかった。多米も北川衆と同じように北川殿を守るための侍の一人に過ぎなく、自分とは縁のないものだと思っていた。それが、多米の一言によって、多米という男がずっと身近に感じられるようになり、さらに、好意さえ感じるようになって行った。多米の姿を見ると小娘のように胸が時めき、体中がポーッと熱くなって来た。
菅乃が多米に、お嫁に貰ってくれるか、と聞いたのは本心だった。本心だったが、それが適えられない事だという事も知っていた。知ってはいても、一度、口に出して言ってみたかったのだった。
「お八重殿、待っていて下さい。わたしは必ず、お八重殿をお迎えに参ります」と多米は思い切って言った。
「えっ?」と菅乃は驚いた顔を多米に向けた。
「いつか、必ず‥‥‥」
「はい‥‥‥」と菅乃は多米を見つめた。
多米は菅乃に見つめられ、夢でも見ているのではないかと、地に足が着いていない状態だった。
「そろそろ、戻りますか」と多米はやっとの事で言うと夕焼け空に目を移した。
「はい」
夕暮れの中、二人の影は寄り添いながら河原を後にした。
多米が菅乃に愛の告白をしたように、荒木も仲居の淡路に自分の気持ちを告白していた。
淡路は今川一族の堀越陸奥守の姪だった。荒木の方も多米と同様、前途多難な恋の道程(ミチノリ)だった。二人とも、こちらに来てからは人が変わったかのように、女遊びは勿論の事、博奕(バクチ)さえもせず、朝は早くから起き、真面目に仕事に励んでいた。以前の二人を知っている者が見たら、こっけいに思う程、二人とも真剣に女に惚れていた。
15.岡部美濃守
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藁科(ワラシナ)川の河原に赤とんぼが飛び回り、夜になれば秋の虫が鳴く季節となっていた。北川殿と竜王丸に会った数日後、太田備中守は中原摂津守の青木城下の客殿に入っていた。
手引きをしたのは伏見屋銭泡だった。早雲庵にいた頃、銭泡は摂津守にも岡部美濃守にも茶の湯の指導をした事があった。銭泡は青木城下に行って摂津守と美濃守に会い、備中守が今川家を一つにするために、竜王丸派の重臣方と会う事を望んでいると告げた。
摂津守も美濃守も備中守が駿府屋形に入ったと聞いて、やはり、小鹿派の味方をするつもりかと思っていたが、備中守が中立の立場として竜王丸派の意見も聞きたいと分かると、喜んで備中守を迎える事にした。備中守を味方にする事ができれば、小鹿派を倒す事もわけない。備中守に葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)の本拠地を攻撃して貰えば、播磨守は本拠地に帰らなくてはならなくなる。そうすれば、残るは福島越前守(クシマエチゼンノカミ)を何とかすれば、今川家は一つになる事も可能だった。美濃守はさっそく、備中守を迎える準備を始めた。
備中守が青木城下の客殿に入ったのは七月二十四日だった。その日は清流亭の時と同じく歓迎の宴があり、重臣たちは顔を出さなかった。
次の日、備中守は摂津守の屋敷内にて摂津守と対面し、同屋敷内の広間において竜王丸派の重臣たちと語り合った。
岡部美濃守、朝比奈和泉守、斎藤加賀守、堀越陸奥守、三浦次郎左衛門尉、福島土佐守、長谷川法栄、天野兵部少輔、天野民部少輔、福島左衛門尉、朝比奈備中守、伊勢早雲らの、それぞれの意見を聞いた後、太田備中守は、これからどうするつもりか、と聞いた。
美濃守は、備中守に是非とも味方になって小鹿派を倒す事を主張した。福島土佐守も美濃守の意見に賛成したが、他の者たちは同意しなかった。できれば、関東の軍勢の力は借りたくはないと誰もが思い、できれば話し合いによって事を解決したいと願っていた。
早雲が、竜王丸をお屋形様とし、小鹿新五郎を後見という事にして、今川家を一つにしたらどうか、と提案した。美濃守は早雲を睨みながら顔を真っ赤にして怒った。摂津守派と竜王丸派を一つにまとめたのは早雲だった。その早雲が、今度は小鹿派と手を結ぼうと言う。摂津守派の美濃守が怒るのは当然だった。福島土佐守も早雲をなじった。天野兵部少輔も早雲のやり方は汚いと言い張った。しかし、元、竜王丸派の者たちは、それしか方法はあるまい、と早雲の意見に賛成した。
ここに集まっている者たちは、まだ誰も早雲と備中守がつながっているという事を知らない。また、備中守が小鹿派の者たちに、竜王丸派と一つになるように画策(カクサク)している事も知らない。ただ、元、竜王丸派の者たちは前以て、早雲から相談を受け、小鹿派と手を結ぶ事に同意していた。
備中守が駿府屋形に滞在していた頃、早雲は美濃守にそれとなく、小鹿派と手を結んだらどうかと聞いてみたが、そんな事、問題外じゃと相手にされなかった。摂津守派の岡部美濃守、岡部五郎兵衛、福島土佐守、この三人を落とせば、後はうまく行くのに、それは難しい事だった。早雲は自分の力でこの三人を落とす事ができないと悟り、備中守に頼んだのだった。備中守は青木城に入る以前から、この場に座る重臣たちの意見はすべて、早雲から聞き知っていたのだった。その日、備中守は皆の意見を聞くだけにとどまり、自らの意見は口に出さなかった。
客殿に帰ると備中守はのんびりと湯を浴びた。湯から出ると、また御馳走攻めが待っていた。昨日に引き続き、広間には仲居たちが山のような料理をずらりと並べている。備中守はその様子を横目で眺めながら居間の方に向かった。
居間では銭泡が待っていた。
「やあ、帰っておったか。御苦労じゃったのう」と備中守は銭泡をねぎらった。
銭泡は今日も、上杉治部少輔を訪ねて望嶽亭に行っていたのだった。
「随分とご執心(シュウシン)のようじゃな」と備中守は部屋を抜けると庭園に面した縁側に行って腰を下ろした。
「治部少輔殿がご執心なのはお茶よりも女子(オナゴ)です。まったく見てはおられません」と銭泡も縁側に行き、備中守の側に座った。
「ほう、女子にご執心か‥‥‥酒を召し上がらんお方じゃから、それも仕方あるまい。国元に帰られたら、今のような極楽な気分には浸(ヒタ)れまいからのう」
「まさに極楽です」と銭泡は苦笑した。
「新しい女子が次から次へと参りますからね。しかし、お酒も召し上がらずに、よく、あんな真似ができると感心いたします」
「ほう、どんな真似をしておるんじゃ」と備中守は扇子(センス)を扇ぎながら聞いた。
「それは、とても口に出して言えるような事では‥‥‥」
「何じゃ。勿体振らずに申してみい」
「それが‥‥‥」
「治部少輔殿の女子好きは有名じゃ。どうせ、破廉恥(ハレンチ)な事じゃろう」
「はい。破廉恥の極みと申せましょう」
「益々、聞きたくなったわい。教えてくれ」
「あの有り様を口ではとても申せませんが‥‥‥治部少輔殿は気に入った女子の下(シモ)の毛を剃るのがお好きのようで‥‥‥」
「何じゃ?」と備中守は目を丸くして、銭泡を見た。
「今日、わたしが訪ねた時、丁度、その最中でございました」
「その最中?」
「はい。その、剃っている最中でした」
「女子のあそこをか」
銭泡は頷いた。
「おぬし、それを見たのか」
「どうしてもとおっしゃるもので‥‥‥」
「ほう、治部少輔殿が女子の股座(マタグラ)を剃っているのを見たと申すか‥‥‥まさに破廉恥の極みじゃのう。それで、女子の方は喜んで、そんな真似をさせておるのか」
「いえ、剃られておる女子は恥ずかしくて泣いておりますが、見ている女子たちは自分も同じ目に会っておるので、中には囃し立てておる者もございます」
「そうか‥‥‥変わった事をする御仁じゃな。わしも一度、そんな光景を見てみたいものじゃ」
「およしになった方がよろしいかと存じます。剃られている女子が可哀想で見ておられません」
「そうか‥‥‥そうじゃろうのう。他にも変わった事をしておるんじゃろう」
「昼間からあの有り様です。夜になったら何をしておられるのか、わたしにはとても想像すらできません」
「じゃろうの‥‥‥それで、茶の湯の方はどうなんじゃ」
「はい。越前守殿から、かなり高価なお茶やお茶道具が届きますので、贅沢なお茶会をやっておられます。不思議なものでお茶会の時だけは女子の事もすっかり忘れて、まるで別人のように熱中しておられます」
「ほう。女子の事も忘れてか‥‥‥」
「はい。女子たちにも茶の湯を教えておりますが、まことに厳しい教え方でした。中には泣いてしまう女子もおりました」
「まったく不思議な御仁じゃ」
備中守の接待役を仰せつかった木田伯耆守(キダホウキノカミ)が宴会の用意ができたと呼びに来ると、備中守は銭泡を連れて広間に向かった。
広間には着飾った美女たちが並んで備中守を迎えた。
「こちらも極楽のようですな」と銭泡は備中守に言った。
「まさしく。わし一人ではとても手に負えん。伏見屋殿も極楽気分を味わってくれ」
「いえいえ、わたしは正月より、ずっと極楽気分でおります。あまり、いい思いばかりしておりますと乞食坊主に戻れなくなってしまいます」
「なに、今は成り行きに任せておればいい。地獄の覚悟さえしておれば極楽に溺れる事もあるまい」
備中守と銭泡は若い女たちに囲まれて、山海の珍味を味わい、うまい酒を楽しんだ。
備中守が青木城に滞在している間、趣向を凝らした宴会は毎晩行なわれた。清流亭にいた時もそうだったが、さすがに今川家の城下だと備中守は感心していた。江戸にいたら見る事のできないような芸人たちが豊富に揃い、歌人、連歌師、絵師などの文化人も数多く住んでいた。備中守は、今晩はどんな奴が現れるかと毎晩の宴会を楽しみにしていた。勿論、重臣たちの評定も数度行なわれたが、摂津守派は竜王丸派の意見には絶対に同意しなかった。
裏山では蝉が一時も休まず鳴きまくっている。おまけに蝿(ハエ)までもが、うるさくまとわり付いて来る。
岡部美濃守は摂津守の屋敷の離れで、摂津守と摂津守の側室、朝日姫と会っていた。
朝日姫は美濃守の妹だった。しかも、朝日姫は摂津守の長男と次男を産んでいた。摂津守の正妻は三州殿と呼ばれ、今川家の一族である三河の木田氏だった。正妻の三州殿には二人の娘がいたが、男の子には恵まれなかった。摂津守の跡を継ぐのは朝日姫の産んだ男の子だった。美濃守の甥に当たる子が摂津守の跡を継ぐ事になるので、美濃守は摂津守をお屋形様にしようと躍起になっていたのだった。
「何じゃと。早雲が小鹿派と手を結ぼうとたくらんでおるじゃと‥‥‥」
摂津守は胸を広げて、扇子で風を入れていた。
「はい」と美濃守は頷いた。
「竜王丸派の者たちは皆、早雲に同意しているようで‥‥‥」
「わしを見捨てて新五郎の奴を後見にすると言うのか」摂津守は苦々しい顔をして吐き捨てた 。
「そのようですな」
「一体、どうなっておるんじゃ。約束が違うぞ。そなたは太田備中守を味方にすれば、小鹿派など蹴散らして、お屋形に入れるのも時間の問題じゃ、そう申しておったじゃろう」
「それが、備中守殿も煮え切らん。何を考えておるんだか、さっぱり分からんのじゃ」
「兄上様、どうなるんですの」と朝日姫が額の汗を拭きながら美濃守に聞いた。
「何とかする。何とかせにゃならん」
「そうじゃ」と摂津守は扇子で自分の膝を叩いた。
「何とかせにゃならん。絶対に何とかせにゃならん。お屋形の座を諦めて、竜王丸の後見に収まったものを、今更、後見の座さえも諦められるか」
「そうよ、兄上様、何とかして下さいね」
「うるさい」と美濃守は蝿を扇子で払った。
「備中守を何としてでも味方にするんじゃ」と摂津守は怒鳴った。
「備中守さえ味方にすれば、早雲など、どうにでもなる。備中守を味方にして葛山播磨守の本拠地を攻めるんじゃ。播磨守がいなくなれば後は越前守だけじゃ。越前守の本拠地、江尻津を攻めれば越前守も抜ける。そうなれば、お屋形にいる小鹿勢など簡単に蹴散らせるわ。のう、美濃、内密に備中守と会って備中守を口説き落とせ」
「兄上様、そうして、お願いよ」
美濃守は摂津守と朝日姫を見ながら、決心を新たにすると頷いた。
「分かりました‥‥‥やってみましょう」
朝日姫の離れから去ると美濃守は城下の自分の宿所に帰って、使いの者を備中守の滞在する客殿に送った。使いの者はすぐに帰って来た。
美濃守は備中守に会いに出掛けた。
美濃守は木田伯耆守の案内で庭に面した一室に通された。
部屋には誰もおらず、備中守が庭で刀を振っているのが見えた。縁側に一人の娘が座って備中守を見守っていた。美濃守の見た事のない娘だった。
「さすが、備中守殿ですな。武芸の方も怠りがないというわけですか」と美濃守は縁側に出ると庭の備中守に声を掛けた。
「これは美濃守殿、わざわざ、どうも。いや、いや、お陰様で最近、うまい物ばかり食べて綺麗所に囲まれておりますので体が鈍りましてな。このまま関東に戻ったら、戦どころではありませんからのう」 備中守は刀を納めると、娘から手拭いを受け取り、汗を拭きながら、「美濃守殿、しばらくお待ち下さい。すぐに着替えて参ります」と言って隣の部屋に上がった。
娘も後を追うように隣の部屋に消えた。
その娘はおよのだった。清流亭を出る時、そのまま連れて来て、今では備中守の側室のように側に仕えていた。
しばらくして、備中守はさっぱりした顔をして一人で現れた。
「わざわざ、お越し頂いて申し訳ない事です」と備中守は軽く、頭を下げた。
「当然の事です。備中守殿は大切なお客人ですから」
「ところで、急なお話とは?」
「はい。実は備中守殿の本心をお聞きしたいのです。このままでは、何度、評定を重ねたとしても結果が出るとは思われません。今の状況になる以前、駿府屋形において行なわれた評定とまるで同じです。このまま行けば必ず、誰かが武力に訴える事となるでしょう。備中守殿がこの先、どうしたいと考えておられるのか、そこの所をはっきりと伺いたいと思いまして、こうして訪ねて参ったわけです」
「わたしの本心ですか」そう言って備中守は少し間を置いてから、「本心をはっきりと言えば、戦は避けたいという事です」と言った。
「もっともな事です」と美濃守は頷いた。「戦を避けたいというのは我々としても同感です。しかし、今川家を一つにまとめるためには、最小限の戦は覚悟しなければならないとも思っております。我々としては備中守殿に我々の味方になっていただき、駿河に進攻していただきたいと願っております。葛山播磨守の本拠地を攻撃さえしていただければ、それだけで、我々は小鹿派を倒し、以前のごとく、今川家を一つにまとめる事ができます」
「ふむ。しかし、以前のごとくとはならんじゃろう。わしらとしても今川家のために、ただ働きするわけにはいかん。播磨守殿の本拠地位は恩賞として頂きたいものじゃ」
「はい。その事は当然の事として考えております」
「うむ。しかしのう、わしもその事は考えて播磨守殿に言ってみたんじゃ。播磨守殿も困っておられたようじゃったが、播磨守殿はなかなかの曲者(クセモノ)じゃ。美濃守殿のお考え通りに筋が運ぶとは思えんのう。わしらが播磨守殿を攻めたとしたら、播磨守殿はあっさりと降参するじゃろう。そして、わしらの先鋒として駿府目指して攻めて来るじゃろうと見たがどうじゃな」
「うーむ。確かに‥‥‥確かに、それはあり得ますな。播磨守にとっては自分の領地さえ広がれば、今川家など、どうなろうとも関係ないと思っているに違いない」
「そうじゃろうのう。わしの見た所、播磨守殿は今川家が争いを続けていた方が都合がいいと思っているようじゃな」
「ふむ」
「それにのう、小鹿新五郎殿は扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の一族でもあるんじゃ。それがまた、厄介な問題じゃ」
「扇谷上杉氏が新五郎殿を応援しているという事ですか」
「まあ、そういう事じゃ。今、上杉氏は一つになって古河の公方様と対抗しておるが、上杉氏同士でも勢力争いのようなものがあってのう。今、関東の上杉氏は四つに分かれておるんじゃ。山内(ヤマノウチ)、扇谷、犬懸(イヌカケ)、宅間(タクマ)の四つじゃ。中でも一番の勢力を持つのは関東管領(カンレイ)である山内上杉氏じゃ。次が扇谷上杉氏というわけじゃ。山内上杉氏は、上野(コウヅケ)、武蔵、伊豆の三国の守護職(シュゴシキ)に就き、扇谷上杉氏は相模の守護職に就いておるんじゃ。扇谷上杉氏の当主は修理大夫(シュリノタイフ)殿(定正)じゃが、修理大夫殿にも野心があるんじゃよ。山内上杉氏より強い勢力を持って、やがては関東管領になるという野心じゃ。そんな折り、駿河のお屋形様に一族の小鹿殿がなるかもしれないと聞き、修理大夫殿は駿河の国を扇谷上杉氏の勢力範囲にしたいと考えるのは当然の事じゃ。修理大夫殿は小鹿新五郎殿を駿河のお屋形様にするために、このわしをこの地に送ったというわけじゃ」
「それが本心だったのですか」
「いや。それは修理大夫殿の願望じゃ。修理大夫殿はそう願うが、実際問題として考えると、そううまく行くはずはない。わしらがここまで進攻して来て、そなたたちと戦って簡単に勝てるとは思えん。長期戦となるのは、まず間違いあるまい。わしらが駿河を手に入れようと、はるばる、こんな所まで来ているうちに、古河(コガ)の公方様が暴れ出すのは目に見えている。わしらは挟み打ちにあった形となり、勢力を広げるどころか、勢力を弱める結果ともなりかねんのじゃ。実の所、わしらとしても、今、駿河に進攻して来る事など、できんというわけじゃ。しかし、今の状況が長く続けば、どうなるかは、わしには分からん。修理大夫殿が小鹿新五郎殿を助けるために駿河に進攻せよ、と命じれば、わしが止めようとしても無理じゃろうのう。そうなったら、わしは何としてでも関東の留守を守らなくてはなるまい」 「修理大夫殿は新五郎殿がお屋形様になる事を願っておりますか‥‥‥」
「そうじゃ。修理大夫殿が駿河進攻を命ずる前に、今川家を一つにまとめん事には、今川家は危ない事になりそうですな」
美濃守は黙ったまま、庭の方を見つめていた。
「わしの調べた所によると、今川家には葛山殿だけではなく、西の方にも危険な者を抱えておるようですな」と備中守は言った。
「上杉勢が駿河に進攻して来れば、それに呼応するように、西の方でも騒ぎが始まり、今川家は滅亡という事もありえますぞ」
「西の方の危険な者とは天野氏の事ですか」
「さよう。天野氏も葛山氏と同じく今川家の被官となってはいるが、今の領地は元々、今川家から貰ったものではない。自力で広げたものじゃ。今川家が弱くなれば当然、今川家には背く。いや、今川家が弱体化する事を願っているのかもしれんのう」
美濃守は微かに頷いて、また庭に目をやった。
「美濃守殿、小さな欲に囚われていると大きな損を致しますぞ」と備中守は言った。
美濃守ははっとして備中守を見た。
「ここの所は我を捨て、今川家の事を考えないと、とんだ事になってしまいますぞ。わしは何度か、美濃守殿のお噂は耳にした事があります。しかし、今回の美濃守殿の行動はどうも腑に落ちませんな。いつも公明正大である美濃守殿とは思えません。今川家のために、もう一度、考え直してみては頂けませんか」
美濃守はしばらく黙っていたが、備前守を見つめながら頷いた。
「さて、話はこれ位にして、どうです、お茶でもいかがですか」と備中守は笑った。
「美濃守殿もなかなか、お茶にはうるさいと伏見屋殿より聞いております。どうぞ、茶屋の方に用意させましたので、一服いかがです」
「はあ、どうも‥‥‥伏見屋殿がお茶を?」
「いえ、伏見屋殿も忙しいようで、今日もまた、望嶽亭の方に出掛けております。」
「望嶽亭というと、治部少輔殿の所へ?」
「はい、治部少輔殿も今川家が元通りに戻らない事には国元へは帰れず、毎日、苦しんでおられるようです」
「そうですか‥‥‥」
「さあ、どうぞ」 美濃守は備中守に案内されるまま、庭園内に建つ茶屋に向かった。
3
早雲庵を小雨が濡らしていた。
暑い夏も終わりに近づき、秋になろうとしていた。昨日までの暑さが嘘のように、今日は肌寒かった。
早雲が孫雲、才雲、荒川坊を引き連れて、早朝の海での一泳ぎから戻って来ると、以外な人物が早雲庵の縁側に腰掛けて待っていた。
供侍を二人連れた岡部美濃守だった。
美濃守は太田備中守と二人だけで会った時から、ずっと悩んでいた。確かに、備中守の言う通りだった。我欲を捨て、大局の立場に立って考えなければ、今川家を滅亡に追い込む事に成りかねなかった。しかし、頭では分かっていても、摂津守の屋敷に戻って、摂津守や妹、甥の顔を見て、何とかしてくれと迫られると、そう簡単に考えを変えられるものではなかった。
備中守は半月程、青木城下の客殿に滞在して、また八幡山に帰って行った。その間、重臣たちの評定は数回行なわれたが、結論の出る事はなかった。福島土佐守と天野兵部少輔が小鹿派と手を組む事に猛反対していたが、美濃守は不気味に黙り通していた。
備中守が八幡山に戻った後、美濃守は今川家のために我欲を捨てる決心をした。今川家を一つにまとめるには、早雲の言う通り、竜王丸をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見とする以外にはなかった。摂津守を説得するのは難しい事は分かっていても、しなければならなかった。
美濃守は朝から晩まで怒鳴りまくる摂津守と泣き喚(ワメ)く朝日姫を相手にを説得に励んでいた。結局、摂津守は美濃守の言う事を納得しなかったが、半ば、諦めたかのように気落ちして行った。さらに、美濃守は摂津守派の者たちを集めて、一時も早く、今川家を一つにまとめなければならない、そのためには、摂津守殿には手を引いてもらうよりはないと言った。初めのうちは皆、美濃守の言う事を聞かなかったが、関東の上杉氏が駿河の国を乗っ取ろうと狙っている事を告げると、美濃守の力強い説得に耳を傾けるようになった。やがて、美濃守が諦めたのならしょうがないと皆、竜王丸をお屋形様にし、小鹿新五郎を後見とする事に賛成してくれた。話が決まると、それぞれが、それぞれの思惑によって行動を開始した。摂津守を諦めたとなると、早いうちに竜王丸派の者と接触をして、新しい今川家内での自分の地位を獲得しなければならなかった。昨日まで竜王丸派の者たちを相手に大声で怒鳴り合っていた者たちが、手の平を返すように竜王丸派の重臣たちに近づいて行った。
美濃守は何とか摂津守派の者たちを説得すると、その事を竜王丸派の朝比奈和泉守に告げた。和泉守は、これで今川家も安泰じゃと喜び、早く早雲に伝えてやろうと言った。和泉守によると、竜王丸派では今回の事は早雲に任せてあるとの事だった。今回の事は早雲の裏での活躍があって、今の状況にまで来られた。もし、早雲がいなかったら竜王丸は殺され、小鹿派の思い通りになっていたに違いないと言った。噂では早雲が何やらやっていた事は知っていたが、改めて、和泉守から早雲の活躍を聞いて、美濃守は早雲という男を見直していた。
早雲は竜王丸の伯父であった。普通なら、その立場を利用して今川家中に入って来て、堂々と自分の意見を主張するだろう。しかし、早雲は表に出る事はなく、今川家のために裏側で活躍していた。そんな早雲と自分を比べて、今川家の事も考えずに、ただ、妹の亭主であるというだけで摂津守をお屋形様にする事に固執していた自分が恥ずかしいと、今になって美濃守は後悔していた。美濃守は改めて早雲という男に会いたくなって、こうして、わざわざ、朝早くから早雲庵にやって来たのだった。
「美濃守殿、一体、どうしたのです」と早雲は驚いた顔をして聞いて来た。
「こんな早くから。御用がおありなら、わたしの方から出向いたものを」
「いやいや、一度、そなたの庵(イオリ)というものを見てみたかったのでな」と美濃守は言った。「来て見てびっくりしたわ。いくつも庵が建っておるんじゃのう」
「はい。初めは一つだったのですが、いつのまにか住人が増えまして、この有り様です」
「なかなか、いい所じゃ」
「はい。住み易いもので、つい、ここに腰を落着けてしまいました」
美濃守は笑った。
久し振りに笑ったような気がした。お屋形様が亡くなってから、毎日、権謀術数(ケンボウジュッスウ)の中に身を置いて、安らぎというものはなかった。早雲庵に来て、小雨の降る中、のんびりと早雲の帰りを待っているうちに、心は安らぎ、自然と口がほころんで来たのだった。
「この雨の中、海の方に行かれていたとか」と美濃守は聞いた。
「はい。ここにいる時は毎朝、海で泳ぐのを日課にしております」
「ほう。泳いでおったのか‥‥‥さぞ、気持ちいい事じゃろうのう」
「一度、始めたら病み付きになります」
「そうか‥‥‥」
「どうぞ、狭い所ですがお上がり下さい」
美濃守は部屋に上がると部屋の中を見回した。余計な物など何もないと言ってもいい程、質素な暮らし振りだった。美濃守は早雲が茶の湯を嗜(タシナ)む事を知っている。美濃守は早雲が住んでいる早雲庵とは村田珠光流の茶室だろうと思っていた。床の間があり、壁には有名な山水画が掛かり、違い棚には名物と呼ばれるような茶道具が並んでいるものと思っていた。しかし、実際の早雲庵には床の間も違い棚もなく、まして、名物と言われる程の茶道具など、どこにも見当たらない。ただ、壁に表装もしていない富士山の絵が飾ってあるだけだった。
「早雲殿。摂津守殿は後見の座を降りる事に致しました」と美濃守は言った。
「えっ? まことですか」と早雲は信じられないといった顔をして聞いた。
美濃守は頷いた。「今川家のために」
「そうですか‥‥‥摂津守殿が身を引いてくれましたか。ありがたい事です。これで今川家は一つに戻れます。ほんとに喜ばしい事です」
早雲は心から喜んでいた。よかった、よかったと何度も言っていた。
「そこで、早雲殿、この事を太田備中守殿に伝えてほしいんじゃが」と美濃守は言った。
「畏まりました」と早雲は頷いた。「銭泡殿が備中守殿のもとにおります。銭泡殿の手引によって備中守殿と会う事はできると思います」
「うむ。しかし、銭泡殿が備中守殿と一緒に駿府に来るとは驚きましたな」
「はい。わたしも驚きました。銭泡殿が備中守殿を知っておったとは」
「ところで、こちらの意見は一つになったが、果たして、小鹿派の者たちがお屋形様の座を竜王丸殿に譲るじゃろうかのう」
「分かりません。しかし、福島越前守殿は同意する事と思います。問題は葛山播磨守殿がどうでるかですね。備中守殿がうまく話を付けてくれる事を願うしかありません」
「確かに‥‥‥早雲殿、お聞きしたいのじゃが、前以て、備中守殿と会っていたのではないかのう」
早雲は美濃守を見つめながら、「どうしてです」と聞いた。
「銭泡殿じゃ。備中守殿と一緒に銭泡殿も帰って来たとすれば、銭泡殿が早雲殿を訪ねないわけがない。そして、銭泡殿から早雲殿の事を聞けば、備中守殿は内密に早雲殿に会いに来たのではないかと思えるんじゃ」
「成程、さすがですな」と早雲は笑った。「確かに、銭泡殿が備中守殿をここにお連れしました」
「やはり。という事は備中守殿は早雲殿の意見に同意して、その考えのもと、行動していたという事じゃな」
「はい、そうなります。備中守殿も戦にならないように、今川家をまとめようと考えておいででしたので‥‥‥」
「成程のう。備中守殿といい、早雲殿といい、なかなかの名将ですな。今回、今川家の重臣たちは、お二人には頭が上がりませんのう」
「いえ、わたしの立場としては、こうするしかなかったのです。美濃守殿がわたしの立場だとしたら、やはり、同じような事をした事でしょう。ただ、備中守殿は確かに名将と呼ぶにふさわしいお人です」
「確かに」と美濃守は言って、苦笑した。「わしもその事はこの前、二人きりで会った時、嫌という程、思い知らされたわ」
「二人きりでお会いになったのですか」
「備中守殿を味方に引き入れようと勇んで出掛けたが、備中守殿にこてんぱんにやられたわ。やはり、関東のような広い地を舞台に活躍している武将は考える事が大きいわ。備中守殿の話を聞いておると、自分の考えていた事があまりにも小さかった事を思い知らされた。まったく情けない事じゃ」
「備中守殿は常に自分の立場を見極めた上で、相手の立場も充分に考えておられます。相手の立場に立って考えると敵の裏をかく事も可能だと言っておりました」
「相手の立場に立つか‥‥‥言ってしまえば何でもない事じゃが、実際の戦において、それを実行して行く事はなかなか難しい事じゃ。つい、自分の策に溺(オボ)れて、敵を侮(アナド)ってしまう。いつも、冷静な目で自分と敵を見つめて行く事は至難な事じゃな」
「はい。確かにそうです」
「早雲殿、お願いしますぞ。備中守殿と共に小鹿派を説得して下され」
「はい。畏まりました」
「何やら、ここにいるとホッとするのう」と美濃守は外を眺めながら言った。
「駿府とは一山離れておりますから、こちらは静かです」
「いや、それもあるがのう。何となく、新鮮な雰囲気があるのう、ここには」
「そんなもんですか‥‥‥」
「和尚さん、おるかね」と近所の村人が、いつものように訪ねて来た。
「お客のようじゃが」と美濃守が言った。
「いえ、いいんですよ」と早雲は笑った。「別に用があるわけではないんですから」
村人は早雲庵の中をチラッと覗くと、「お客さんですか、失礼、失礼」と言いながら消えた。
「何者じゃ」
「近所の者です。よく遊びに来るんですよ」
「遊びに?」
「はい。いつの間にか、ここは、この辺りの村人たちの寄り合い所みたいになってしまって、年寄り連中やら子供たちが集まって来るのです」
「ほう、村の寄り合い所か‥‥‥早雲殿も変わっておるのう」
「いえ。わたしはただの僧ですから、村人たちの中に入って行かないと、ここで暮らして行くわけには行きませんので」
「失礼じゃが、お屋形様のお世話になっていたのではなかったのか」
「いえ、こちらに移ってからは、その件はお断り致しました。住む所さえあれば、わたし一人、食う事位、何とでもなりますから」
「そうじゃったのか‥‥‥」
「わたしが今までここで暮らして来られたのも、村人たちのお陰だったというわけです」
「ふーむ。そなたも欲のないお方よのう。先代のお屋形様に頼めば、立派な寺の一つも建ててくれたじゃろうに」
「性分と申しますか、わたしはどうも大きな屋敷というのは苦手でして、この位の庵が一番、住み良いのです。それに、立派な屋敷を持ちますと屋敷に縛られてしまいますから」
「屋敷に縛られる?」
「はい。わたしはよく旅に出ます。旅に出る時も、ここはいつも開けっ放しです。旅から帰って来ると、必ず、見ず知らずの者が我家のごとくに住んでおります」
「見ず知らずの者がここにか」
「はい。でも、わたしはそれでいいと思っております。誰でも気軽に利用してこそ、この庵も価値があると思っております。わたしは旅に出ると、この庵の事はすっかり忘れてしまいます。旅に出た時は旅の事しか考えず、もし、別の地に落ち着く事になったとしても、それはそれで構わないと思っております。ところが、立派な屋敷に住んでおりますと色々な物を集めます。それは、やがて財産となり、もし、旅に出るとすれば厳重に戸締りをしなければなりません。そして、旅の間にも屋敷の事が心配となるでしょう。必ず、屋敷に帰って来なくてはならなくなるでしょう。屋敷に縛られる事になるのです」
「成程、本来無一物の境地でいたいという事じゃな」
「その通りです。なるべく、その境地の近くにおりたいと願っております」
急に賑やかな娘たちの声が聞こえて来たかと思うと、どやどやと娘たちが台所に入って来た。おはようございます、と元気よく早雲に挨拶をすると、それぞれが抱えて来た野菜やら米やらを使って食事の支度を始めた。
「いつも悪いのう」と早雲は娘たちに礼を言った。
「ここにも、下女はちゃんとおるようじゃのう」と美濃守は娘たちを見ながら言った。
「いえ、下女ではありません。村の娘たちが、わざわざ、食事を作りに通ってくれておるのです」
「村の娘が、ただでか」
「はい。その代わり、ここにいる者たちが毎日、村に出て行って、村人たちのために働いております」
「ほう、浪人風の者たちが何人かいたようじゃったが、奴らが村に出て行って働いているというのか」
「はい。村人たちのために河川の堤防を築いたり、用水を引いたり、朝から晩まで泥だらけになって働いております」 「あいつらがか。信じられんのう。奴らもただ働きなのか」
「銭にはなりませんが、村人たちからは充分な差し入れがございます」
「ふむ‥‥‥早雲殿、そなたは変わっておられるのう。伊勢家という名門の出でありながら、百姓どものために働いておるとはのう」
「時代はどんどん変わって来ております。これからは土地を直接に耕している百姓たちを大切に扱わないと、彼らも国人たちと手を結び、守護大名に反抗して来る事でしょう。すでに、近畿の方では、力を持った国人たちが百姓たちと共に大名に反抗するという事が頻繁(ヒンパン)に行なわれております」
「一揆という奴じゃな」
「はい。一揆です」
「この駿河では、そんな事は起こらん」
「はい。そうは思いますが油断は禁物です。新しい今川家は以前よりも増して、家臣たちが団結しなければならないと思いますが」
「それは勿論の事じゃ。二度と分裂しないように、しっかりと家中をまとめなくてはならん」
美濃守は村娘たちの手作りの料理を食べると帰って行った。それは決して贅沢な食事とは言えないが、気持ちのこもった暖かい料理だった。
「やあ、帰っておったか。御苦労じゃったのう」と備中守は銭泡をねぎらった。
銭泡は今日も、上杉治部少輔を訪ねて望嶽亭に行っていたのだった。
「随分とご執心(シュウシン)のようじゃな」と備中守は部屋を抜けると庭園に面した縁側に行って腰を下ろした。
「治部少輔殿がご執心なのはお茶よりも女子(オナゴ)です。まったく見てはおられません」と銭泡も縁側に行き、備中守の側に座った。
「ほう、女子にご執心か‥‥‥酒を召し上がらんお方じゃから、それも仕方あるまい。国元に帰られたら、今のような極楽な気分には浸(ヒタ)れまいからのう」
「まさに極楽です」と銭泡は苦笑した。
「新しい女子が次から次へと参りますからね。しかし、お酒も召し上がらずに、よく、あんな真似ができると感心いたします」
「ほう、どんな真似をしておるんじゃ」と備中守は扇子(センス)を扇ぎながら聞いた。
「それは、とても口に出して言えるような事では‥‥‥」
「何じゃ。勿体振らずに申してみい」
「それが‥‥‥」
「治部少輔殿の女子好きは有名じゃ。どうせ、破廉恥(ハレンチ)な事じゃろう」
「はい。破廉恥の極みと申せましょう」
「益々、聞きたくなったわい。教えてくれ」
「あの有り様を口ではとても申せませんが‥‥‥治部少輔殿は気に入った女子の下(シモ)の毛を剃るのがお好きのようで‥‥‥」
「何じゃ?」と備中守は目を丸くして、銭泡を見た。
「今日、わたしが訪ねた時、丁度、その最中でございました」
「その最中?」
「はい。その、剃っている最中でした」
「女子のあそこをか」
銭泡は頷いた。
「おぬし、それを見たのか」
「どうしてもとおっしゃるもので‥‥‥」
「ほう、治部少輔殿が女子の股座(マタグラ)を剃っているのを見たと申すか‥‥‥まさに破廉恥の極みじゃのう。それで、女子の方は喜んで、そんな真似をさせておるのか」
「いえ、剃られておる女子は恥ずかしくて泣いておりますが、見ている女子たちは自分も同じ目に会っておるので、中には囃し立てておる者もございます」
「そうか‥‥‥変わった事をする御仁じゃな。わしも一度、そんな光景を見てみたいものじゃ」
「およしになった方がよろしいかと存じます。剃られている女子が可哀想で見ておられません」
「そうか‥‥‥そうじゃろうのう。他にも変わった事をしておるんじゃろう」
「昼間からあの有り様です。夜になったら何をしておられるのか、わたしにはとても想像すらできません」
「じゃろうの‥‥‥それで、茶の湯の方はどうなんじゃ」
「はい。越前守殿から、かなり高価なお茶やお茶道具が届きますので、贅沢なお茶会をやっておられます。不思議なものでお茶会の時だけは女子の事もすっかり忘れて、まるで別人のように熱中しておられます」
「ほう。女子の事も忘れてか‥‥‥」
「はい。女子たちにも茶の湯を教えておりますが、まことに厳しい教え方でした。中には泣いてしまう女子もおりました」
「まったく不思議な御仁じゃ」
備中守の接待役を仰せつかった木田伯耆守(キダホウキノカミ)が宴会の用意ができたと呼びに来ると、備中守は銭泡を連れて広間に向かった。
広間には着飾った美女たちが並んで備中守を迎えた。
「こちらも極楽のようですな」と銭泡は備中守に言った。
「まさしく。わし一人ではとても手に負えん。伏見屋殿も極楽気分を味わってくれ」
「いえいえ、わたしは正月より、ずっと極楽気分でおります。あまり、いい思いばかりしておりますと乞食坊主に戻れなくなってしまいます」
「なに、今は成り行きに任せておればいい。地獄の覚悟さえしておれば極楽に溺れる事もあるまい」
備中守と銭泡は若い女たちに囲まれて、山海の珍味を味わい、うまい酒を楽しんだ。
備中守が青木城に滞在している間、趣向を凝らした宴会は毎晩行なわれた。清流亭にいた時もそうだったが、さすがに今川家の城下だと備中守は感心していた。江戸にいたら見る事のできないような芸人たちが豊富に揃い、歌人、連歌師、絵師などの文化人も数多く住んでいた。備中守は、今晩はどんな奴が現れるかと毎晩の宴会を楽しみにしていた。勿論、重臣たちの評定も数度行なわれたが、摂津守派は竜王丸派の意見には絶対に同意しなかった。
2
風のまったくない、うだるような暑さだった。裏山では蝉が一時も休まず鳴きまくっている。おまけに蝿(ハエ)までもが、うるさくまとわり付いて来る。
岡部美濃守は摂津守の屋敷の離れで、摂津守と摂津守の側室、朝日姫と会っていた。
朝日姫は美濃守の妹だった。しかも、朝日姫は摂津守の長男と次男を産んでいた。摂津守の正妻は三州殿と呼ばれ、今川家の一族である三河の木田氏だった。正妻の三州殿には二人の娘がいたが、男の子には恵まれなかった。摂津守の跡を継ぐのは朝日姫の産んだ男の子だった。美濃守の甥に当たる子が摂津守の跡を継ぐ事になるので、美濃守は摂津守をお屋形様にしようと躍起になっていたのだった。
「何じゃと。早雲が小鹿派と手を結ぼうとたくらんでおるじゃと‥‥‥」
摂津守は胸を広げて、扇子で風を入れていた。
「はい」と美濃守は頷いた。
「竜王丸派の者たちは皆、早雲に同意しているようで‥‥‥」
「わしを見捨てて新五郎の奴を後見にすると言うのか」摂津守は苦々しい顔をして吐き捨てた 。
「そのようですな」
「一体、どうなっておるんじゃ。約束が違うぞ。そなたは太田備中守を味方にすれば、小鹿派など蹴散らして、お屋形に入れるのも時間の問題じゃ、そう申しておったじゃろう」
「それが、備中守殿も煮え切らん。何を考えておるんだか、さっぱり分からんのじゃ」
「兄上様、どうなるんですの」と朝日姫が額の汗を拭きながら美濃守に聞いた。
「何とかする。何とかせにゃならん」
「そうじゃ」と摂津守は扇子で自分の膝を叩いた。
「何とかせにゃならん。絶対に何とかせにゃならん。お屋形の座を諦めて、竜王丸の後見に収まったものを、今更、後見の座さえも諦められるか」
「そうよ、兄上様、何とかして下さいね」
「うるさい」と美濃守は蝿を扇子で払った。
「備中守を何としてでも味方にするんじゃ」と摂津守は怒鳴った。
「備中守さえ味方にすれば、早雲など、どうにでもなる。備中守を味方にして葛山播磨守の本拠地を攻めるんじゃ。播磨守がいなくなれば後は越前守だけじゃ。越前守の本拠地、江尻津を攻めれば越前守も抜ける。そうなれば、お屋形にいる小鹿勢など簡単に蹴散らせるわ。のう、美濃、内密に備中守と会って備中守を口説き落とせ」
「兄上様、そうして、お願いよ」
美濃守は摂津守と朝日姫を見ながら、決心を新たにすると頷いた。
「分かりました‥‥‥やってみましょう」
朝日姫の離れから去ると美濃守は城下の自分の宿所に帰って、使いの者を備中守の滞在する客殿に送った。使いの者はすぐに帰って来た。
美濃守は備中守に会いに出掛けた。
美濃守は木田伯耆守の案内で庭に面した一室に通された。
部屋には誰もおらず、備中守が庭で刀を振っているのが見えた。縁側に一人の娘が座って備中守を見守っていた。美濃守の見た事のない娘だった。
「さすが、備中守殿ですな。武芸の方も怠りがないというわけですか」と美濃守は縁側に出ると庭の備中守に声を掛けた。
「これは美濃守殿、わざわざ、どうも。いや、いや、お陰様で最近、うまい物ばかり食べて綺麗所に囲まれておりますので体が鈍りましてな。このまま関東に戻ったら、戦どころではありませんからのう」 備中守は刀を納めると、娘から手拭いを受け取り、汗を拭きながら、「美濃守殿、しばらくお待ち下さい。すぐに着替えて参ります」と言って隣の部屋に上がった。
娘も後を追うように隣の部屋に消えた。
その娘はおよのだった。清流亭を出る時、そのまま連れて来て、今では備中守の側室のように側に仕えていた。
しばらくして、備中守はさっぱりした顔をして一人で現れた。
「わざわざ、お越し頂いて申し訳ない事です」と備中守は軽く、頭を下げた。
「当然の事です。備中守殿は大切なお客人ですから」
「ところで、急なお話とは?」
「はい。実は備中守殿の本心をお聞きしたいのです。このままでは、何度、評定を重ねたとしても結果が出るとは思われません。今の状況になる以前、駿府屋形において行なわれた評定とまるで同じです。このまま行けば必ず、誰かが武力に訴える事となるでしょう。備中守殿がこの先、どうしたいと考えておられるのか、そこの所をはっきりと伺いたいと思いまして、こうして訪ねて参ったわけです」
「わたしの本心ですか」そう言って備中守は少し間を置いてから、「本心をはっきりと言えば、戦は避けたいという事です」と言った。
「もっともな事です」と美濃守は頷いた。「戦を避けたいというのは我々としても同感です。しかし、今川家を一つにまとめるためには、最小限の戦は覚悟しなければならないとも思っております。我々としては備中守殿に我々の味方になっていただき、駿河に進攻していただきたいと願っております。葛山播磨守の本拠地を攻撃さえしていただければ、それだけで、我々は小鹿派を倒し、以前のごとく、今川家を一つにまとめる事ができます」
「ふむ。しかし、以前のごとくとはならんじゃろう。わしらとしても今川家のために、ただ働きするわけにはいかん。播磨守殿の本拠地位は恩賞として頂きたいものじゃ」
「はい。その事は当然の事として考えております」
「うむ。しかしのう、わしもその事は考えて播磨守殿に言ってみたんじゃ。播磨守殿も困っておられたようじゃったが、播磨守殿はなかなかの曲者(クセモノ)じゃ。美濃守殿のお考え通りに筋が運ぶとは思えんのう。わしらが播磨守殿を攻めたとしたら、播磨守殿はあっさりと降参するじゃろう。そして、わしらの先鋒として駿府目指して攻めて来るじゃろうと見たがどうじゃな」
「うーむ。確かに‥‥‥確かに、それはあり得ますな。播磨守にとっては自分の領地さえ広がれば、今川家など、どうなろうとも関係ないと思っているに違いない」
「そうじゃろうのう。わしの見た所、播磨守殿は今川家が争いを続けていた方が都合がいいと思っているようじゃな」
「ふむ」
「それにのう、小鹿新五郎殿は扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の一族でもあるんじゃ。それがまた、厄介な問題じゃ」
「扇谷上杉氏が新五郎殿を応援しているという事ですか」
「まあ、そういう事じゃ。今、上杉氏は一つになって古河の公方様と対抗しておるが、上杉氏同士でも勢力争いのようなものがあってのう。今、関東の上杉氏は四つに分かれておるんじゃ。山内(ヤマノウチ)、扇谷、犬懸(イヌカケ)、宅間(タクマ)の四つじゃ。中でも一番の勢力を持つのは関東管領(カンレイ)である山内上杉氏じゃ。次が扇谷上杉氏というわけじゃ。山内上杉氏は、上野(コウヅケ)、武蔵、伊豆の三国の守護職(シュゴシキ)に就き、扇谷上杉氏は相模の守護職に就いておるんじゃ。扇谷上杉氏の当主は修理大夫(シュリノタイフ)殿(定正)じゃが、修理大夫殿にも野心があるんじゃよ。山内上杉氏より強い勢力を持って、やがては関東管領になるという野心じゃ。そんな折り、駿河のお屋形様に一族の小鹿殿がなるかもしれないと聞き、修理大夫殿は駿河の国を扇谷上杉氏の勢力範囲にしたいと考えるのは当然の事じゃ。修理大夫殿は小鹿新五郎殿を駿河のお屋形様にするために、このわしをこの地に送ったというわけじゃ」
「それが本心だったのですか」
「いや。それは修理大夫殿の願望じゃ。修理大夫殿はそう願うが、実際問題として考えると、そううまく行くはずはない。わしらがここまで進攻して来て、そなたたちと戦って簡単に勝てるとは思えん。長期戦となるのは、まず間違いあるまい。わしらが駿河を手に入れようと、はるばる、こんな所まで来ているうちに、古河(コガ)の公方様が暴れ出すのは目に見えている。わしらは挟み打ちにあった形となり、勢力を広げるどころか、勢力を弱める結果ともなりかねんのじゃ。実の所、わしらとしても、今、駿河に進攻して来る事など、できんというわけじゃ。しかし、今の状況が長く続けば、どうなるかは、わしには分からん。修理大夫殿が小鹿新五郎殿を助けるために駿河に進攻せよ、と命じれば、わしが止めようとしても無理じゃろうのう。そうなったら、わしは何としてでも関東の留守を守らなくてはなるまい」 「修理大夫殿は新五郎殿がお屋形様になる事を願っておりますか‥‥‥」
「そうじゃ。修理大夫殿が駿河進攻を命ずる前に、今川家を一つにまとめん事には、今川家は危ない事になりそうですな」
美濃守は黙ったまま、庭の方を見つめていた。
「わしの調べた所によると、今川家には葛山殿だけではなく、西の方にも危険な者を抱えておるようですな」と備中守は言った。
「上杉勢が駿河に進攻して来れば、それに呼応するように、西の方でも騒ぎが始まり、今川家は滅亡という事もありえますぞ」
「西の方の危険な者とは天野氏の事ですか」
「さよう。天野氏も葛山氏と同じく今川家の被官となってはいるが、今の領地は元々、今川家から貰ったものではない。自力で広げたものじゃ。今川家が弱くなれば当然、今川家には背く。いや、今川家が弱体化する事を願っているのかもしれんのう」
美濃守は微かに頷いて、また庭に目をやった。
「美濃守殿、小さな欲に囚われていると大きな損を致しますぞ」と備中守は言った。
美濃守ははっとして備中守を見た。
「ここの所は我を捨て、今川家の事を考えないと、とんだ事になってしまいますぞ。わしは何度か、美濃守殿のお噂は耳にした事があります。しかし、今回の美濃守殿の行動はどうも腑に落ちませんな。いつも公明正大である美濃守殿とは思えません。今川家のために、もう一度、考え直してみては頂けませんか」
美濃守はしばらく黙っていたが、備前守を見つめながら頷いた。
「さて、話はこれ位にして、どうです、お茶でもいかがですか」と備中守は笑った。
「美濃守殿もなかなか、お茶にはうるさいと伏見屋殿より聞いております。どうぞ、茶屋の方に用意させましたので、一服いかがです」
「はあ、どうも‥‥‥伏見屋殿がお茶を?」
「いえ、伏見屋殿も忙しいようで、今日もまた、望嶽亭の方に出掛けております。」
「望嶽亭というと、治部少輔殿の所へ?」
「はい、治部少輔殿も今川家が元通りに戻らない事には国元へは帰れず、毎日、苦しんでおられるようです」
「そうですか‥‥‥」
「さあ、どうぞ」 美濃守は備中守に案内されるまま、庭園内に建つ茶屋に向かった。
3
暑い夏も終わりに近づき、秋になろうとしていた。昨日までの暑さが嘘のように、今日は肌寒かった。
早雲が孫雲、才雲、荒川坊を引き連れて、早朝の海での一泳ぎから戻って来ると、以外な人物が早雲庵の縁側に腰掛けて待っていた。
供侍を二人連れた岡部美濃守だった。
美濃守は太田備中守と二人だけで会った時から、ずっと悩んでいた。確かに、備中守の言う通りだった。我欲を捨て、大局の立場に立って考えなければ、今川家を滅亡に追い込む事に成りかねなかった。しかし、頭では分かっていても、摂津守の屋敷に戻って、摂津守や妹、甥の顔を見て、何とかしてくれと迫られると、そう簡単に考えを変えられるものではなかった。
備中守は半月程、青木城下の客殿に滞在して、また八幡山に帰って行った。その間、重臣たちの評定は数回行なわれたが、結論の出る事はなかった。福島土佐守と天野兵部少輔が小鹿派と手を組む事に猛反対していたが、美濃守は不気味に黙り通していた。
備中守が八幡山に戻った後、美濃守は今川家のために我欲を捨てる決心をした。今川家を一つにまとめるには、早雲の言う通り、竜王丸をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見とする以外にはなかった。摂津守を説得するのは難しい事は分かっていても、しなければならなかった。
美濃守は朝から晩まで怒鳴りまくる摂津守と泣き喚(ワメ)く朝日姫を相手にを説得に励んでいた。結局、摂津守は美濃守の言う事を納得しなかったが、半ば、諦めたかのように気落ちして行った。さらに、美濃守は摂津守派の者たちを集めて、一時も早く、今川家を一つにまとめなければならない、そのためには、摂津守殿には手を引いてもらうよりはないと言った。初めのうちは皆、美濃守の言う事を聞かなかったが、関東の上杉氏が駿河の国を乗っ取ろうと狙っている事を告げると、美濃守の力強い説得に耳を傾けるようになった。やがて、美濃守が諦めたのならしょうがないと皆、竜王丸をお屋形様にし、小鹿新五郎を後見とする事に賛成してくれた。話が決まると、それぞれが、それぞれの思惑によって行動を開始した。摂津守を諦めたとなると、早いうちに竜王丸派の者と接触をして、新しい今川家内での自分の地位を獲得しなければならなかった。昨日まで竜王丸派の者たちを相手に大声で怒鳴り合っていた者たちが、手の平を返すように竜王丸派の重臣たちに近づいて行った。
美濃守は何とか摂津守派の者たちを説得すると、その事を竜王丸派の朝比奈和泉守に告げた。和泉守は、これで今川家も安泰じゃと喜び、早く早雲に伝えてやろうと言った。和泉守によると、竜王丸派では今回の事は早雲に任せてあるとの事だった。今回の事は早雲の裏での活躍があって、今の状況にまで来られた。もし、早雲がいなかったら竜王丸は殺され、小鹿派の思い通りになっていたに違いないと言った。噂では早雲が何やらやっていた事は知っていたが、改めて、和泉守から早雲の活躍を聞いて、美濃守は早雲という男を見直していた。
早雲は竜王丸の伯父であった。普通なら、その立場を利用して今川家中に入って来て、堂々と自分の意見を主張するだろう。しかし、早雲は表に出る事はなく、今川家のために裏側で活躍していた。そんな早雲と自分を比べて、今川家の事も考えずに、ただ、妹の亭主であるというだけで摂津守をお屋形様にする事に固執していた自分が恥ずかしいと、今になって美濃守は後悔していた。美濃守は改めて早雲という男に会いたくなって、こうして、わざわざ、朝早くから早雲庵にやって来たのだった。
「美濃守殿、一体、どうしたのです」と早雲は驚いた顔をして聞いて来た。
「こんな早くから。御用がおありなら、わたしの方から出向いたものを」
「いやいや、一度、そなたの庵(イオリ)というものを見てみたかったのでな」と美濃守は言った。「来て見てびっくりしたわ。いくつも庵が建っておるんじゃのう」
「はい。初めは一つだったのですが、いつのまにか住人が増えまして、この有り様です」
「なかなか、いい所じゃ」
「はい。住み易いもので、つい、ここに腰を落着けてしまいました」
美濃守は笑った。
久し振りに笑ったような気がした。お屋形様が亡くなってから、毎日、権謀術数(ケンボウジュッスウ)の中に身を置いて、安らぎというものはなかった。早雲庵に来て、小雨の降る中、のんびりと早雲の帰りを待っているうちに、心は安らぎ、自然と口がほころんで来たのだった。
「この雨の中、海の方に行かれていたとか」と美濃守は聞いた。
「はい。ここにいる時は毎朝、海で泳ぐのを日課にしております」
「ほう。泳いでおったのか‥‥‥さぞ、気持ちいい事じゃろうのう」
「一度、始めたら病み付きになります」
「そうか‥‥‥」
「どうぞ、狭い所ですがお上がり下さい」
美濃守は部屋に上がると部屋の中を見回した。余計な物など何もないと言ってもいい程、質素な暮らし振りだった。美濃守は早雲が茶の湯を嗜(タシナ)む事を知っている。美濃守は早雲が住んでいる早雲庵とは村田珠光流の茶室だろうと思っていた。床の間があり、壁には有名な山水画が掛かり、違い棚には名物と呼ばれるような茶道具が並んでいるものと思っていた。しかし、実際の早雲庵には床の間も違い棚もなく、まして、名物と言われる程の茶道具など、どこにも見当たらない。ただ、壁に表装もしていない富士山の絵が飾ってあるだけだった。
「早雲殿。摂津守殿は後見の座を降りる事に致しました」と美濃守は言った。
「えっ? まことですか」と早雲は信じられないといった顔をして聞いた。
美濃守は頷いた。「今川家のために」
「そうですか‥‥‥摂津守殿が身を引いてくれましたか。ありがたい事です。これで今川家は一つに戻れます。ほんとに喜ばしい事です」
早雲は心から喜んでいた。よかった、よかったと何度も言っていた。
「そこで、早雲殿、この事を太田備中守殿に伝えてほしいんじゃが」と美濃守は言った。
「畏まりました」と早雲は頷いた。「銭泡殿が備中守殿のもとにおります。銭泡殿の手引によって備中守殿と会う事はできると思います」
「うむ。しかし、銭泡殿が備中守殿と一緒に駿府に来るとは驚きましたな」
「はい。わたしも驚きました。銭泡殿が備中守殿を知っておったとは」
「ところで、こちらの意見は一つになったが、果たして、小鹿派の者たちがお屋形様の座を竜王丸殿に譲るじゃろうかのう」
「分かりません。しかし、福島越前守殿は同意する事と思います。問題は葛山播磨守殿がどうでるかですね。備中守殿がうまく話を付けてくれる事を願うしかありません」
「確かに‥‥‥早雲殿、お聞きしたいのじゃが、前以て、備中守殿と会っていたのではないかのう」
早雲は美濃守を見つめながら、「どうしてです」と聞いた。
「銭泡殿じゃ。備中守殿と一緒に銭泡殿も帰って来たとすれば、銭泡殿が早雲殿を訪ねないわけがない。そして、銭泡殿から早雲殿の事を聞けば、備中守殿は内密に早雲殿に会いに来たのではないかと思えるんじゃ」
「成程、さすがですな」と早雲は笑った。「確かに、銭泡殿が備中守殿をここにお連れしました」
「やはり。という事は備中守殿は早雲殿の意見に同意して、その考えのもと、行動していたという事じゃな」
「はい、そうなります。備中守殿も戦にならないように、今川家をまとめようと考えておいででしたので‥‥‥」
「成程のう。備中守殿といい、早雲殿といい、なかなかの名将ですな。今回、今川家の重臣たちは、お二人には頭が上がりませんのう」
「いえ、わたしの立場としては、こうするしかなかったのです。美濃守殿がわたしの立場だとしたら、やはり、同じような事をした事でしょう。ただ、備中守殿は確かに名将と呼ぶにふさわしいお人です」
「確かに」と美濃守は言って、苦笑した。「わしもその事はこの前、二人きりで会った時、嫌という程、思い知らされたわ」
「二人きりでお会いになったのですか」
「備中守殿を味方に引き入れようと勇んで出掛けたが、備中守殿にこてんぱんにやられたわ。やはり、関東のような広い地を舞台に活躍している武将は考える事が大きいわ。備中守殿の話を聞いておると、自分の考えていた事があまりにも小さかった事を思い知らされた。まったく情けない事じゃ」
「備中守殿は常に自分の立場を見極めた上で、相手の立場も充分に考えておられます。相手の立場に立って考えると敵の裏をかく事も可能だと言っておりました」
「相手の立場に立つか‥‥‥言ってしまえば何でもない事じゃが、実際の戦において、それを実行して行く事はなかなか難しい事じゃ。つい、自分の策に溺(オボ)れて、敵を侮(アナド)ってしまう。いつも、冷静な目で自分と敵を見つめて行く事は至難な事じゃな」
「はい。確かにそうです」
「早雲殿、お願いしますぞ。備中守殿と共に小鹿派を説得して下され」
「はい。畏まりました」
「何やら、ここにいるとホッとするのう」と美濃守は外を眺めながら言った。
「駿府とは一山離れておりますから、こちらは静かです」
「いや、それもあるがのう。何となく、新鮮な雰囲気があるのう、ここには」
「そんなもんですか‥‥‥」
「和尚さん、おるかね」と近所の村人が、いつものように訪ねて来た。
「お客のようじゃが」と美濃守が言った。
「いえ、いいんですよ」と早雲は笑った。「別に用があるわけではないんですから」
村人は早雲庵の中をチラッと覗くと、「お客さんですか、失礼、失礼」と言いながら消えた。
「何者じゃ」
「近所の者です。よく遊びに来るんですよ」
「遊びに?」
「はい。いつの間にか、ここは、この辺りの村人たちの寄り合い所みたいになってしまって、年寄り連中やら子供たちが集まって来るのです」
「ほう、村の寄り合い所か‥‥‥早雲殿も変わっておるのう」
「いえ。わたしはただの僧ですから、村人たちの中に入って行かないと、ここで暮らして行くわけには行きませんので」
「失礼じゃが、お屋形様のお世話になっていたのではなかったのか」
「いえ、こちらに移ってからは、その件はお断り致しました。住む所さえあれば、わたし一人、食う事位、何とでもなりますから」
「そうじゃったのか‥‥‥」
「わたしが今までここで暮らして来られたのも、村人たちのお陰だったというわけです」
「ふーむ。そなたも欲のないお方よのう。先代のお屋形様に頼めば、立派な寺の一つも建ててくれたじゃろうに」
「性分と申しますか、わたしはどうも大きな屋敷というのは苦手でして、この位の庵が一番、住み良いのです。それに、立派な屋敷を持ちますと屋敷に縛られてしまいますから」
「屋敷に縛られる?」
「はい。わたしはよく旅に出ます。旅に出る時も、ここはいつも開けっ放しです。旅から帰って来ると、必ず、見ず知らずの者が我家のごとくに住んでおります」
「見ず知らずの者がここにか」
「はい。でも、わたしはそれでいいと思っております。誰でも気軽に利用してこそ、この庵も価値があると思っております。わたしは旅に出ると、この庵の事はすっかり忘れてしまいます。旅に出た時は旅の事しか考えず、もし、別の地に落ち着く事になったとしても、それはそれで構わないと思っております。ところが、立派な屋敷に住んでおりますと色々な物を集めます。それは、やがて財産となり、もし、旅に出るとすれば厳重に戸締りをしなければなりません。そして、旅の間にも屋敷の事が心配となるでしょう。必ず、屋敷に帰って来なくてはならなくなるでしょう。屋敷に縛られる事になるのです」
「成程、本来無一物の境地でいたいという事じゃな」
「その通りです。なるべく、その境地の近くにおりたいと願っております」
急に賑やかな娘たちの声が聞こえて来たかと思うと、どやどやと娘たちが台所に入って来た。おはようございます、と元気よく早雲に挨拶をすると、それぞれが抱えて来た野菜やら米やらを使って食事の支度を始めた。
「いつも悪いのう」と早雲は娘たちに礼を言った。
「ここにも、下女はちゃんとおるようじゃのう」と美濃守は娘たちを見ながら言った。
「いえ、下女ではありません。村の娘たちが、わざわざ、食事を作りに通ってくれておるのです」
「村の娘が、ただでか」
「はい。その代わり、ここにいる者たちが毎日、村に出て行って、村人たちのために働いております」
「ほう、浪人風の者たちが何人かいたようじゃったが、奴らが村に出て行って働いているというのか」
「はい。村人たちのために河川の堤防を築いたり、用水を引いたり、朝から晩まで泥だらけになって働いております」 「あいつらがか。信じられんのう。奴らもただ働きなのか」
「銭にはなりませんが、村人たちからは充分な差し入れがございます」
「ふむ‥‥‥早雲殿、そなたは変わっておられるのう。伊勢家という名門の出でありながら、百姓どものために働いておるとはのう」
「時代はどんどん変わって来ております。これからは土地を直接に耕している百姓たちを大切に扱わないと、彼らも国人たちと手を結び、守護大名に反抗して来る事でしょう。すでに、近畿の方では、力を持った国人たちが百姓たちと共に大名に反抗するという事が頻繁(ヒンパン)に行なわれております」
「一揆という奴じゃな」
「はい。一揆です」
「この駿河では、そんな事は起こらん」
「はい。そうは思いますが油断は禁物です。新しい今川家は以前よりも増して、家臣たちが団結しなければならないと思いますが」
「それは勿論の事じゃ。二度と分裂しないように、しっかりと家中をまとめなくてはならん」
美濃守は村娘たちの手作りの料理を食べると帰って行った。それは決して贅沢な食事とは言えないが、気持ちのこもった暖かい料理だった。
16.早雲登場
1
岡部美濃守が早雲庵に来た日の午後、早雲は小太郎と一緒に八幡山内の太田備中守の本陣、八幡神社に向かった。
雨は上がり、日が出て来て、また蒸し暑くなっていた。
神社の境内には桔梗紋の描かれた旗が並び、厳重に警戒されていた。早雲は備中守から貰っていた備中守直筆の書状を警固の武士に見せ、備中守のいる宿坊に案内して貰った。
宿坊には備中守はいなかった。宿坊にいた上原紀三郎の案内で、二人は備中守がいるという河原に向かった。河原なんかで何をしているのだろうと二人は首を傾げながら紀三郎の後に従った。
阿部川の支流の広い河原では、備中守の指揮のもと、戦の稽古が始まっていた。騎馬武者は一人もおらず、皆、徒歩(カチ)武者だった。弓と長槍を持った徒歩武者が二手に分かれ、備中守の掛声に合わせて一斉に動いていた。
「ほう。見事なもんじゃのう」と小太郎が言った。
「うむ。一糸乱れぬ動きじゃな」と早雲も言った。
紀三郎が備中守に声を掛けると、備中守は隣の武将に軍配団扇(グンバイウチワ)を渡して、二人の方に近づいて来た。
「こんな所まで、わざわざどうも」と備中守は笑いながら言った。
「見事ですね」と早雲は兵の動きを見ながら言った。
「いや。早いもので、駿河に来て、もうすぐ二ケ月になりますからな。皆、だらけて来ておるんじゃ。ちょっと気合を入れていた所じゃよ」
「騎馬武者がおらんようじゃが」と小太郎は不思議に思って聞いた。
「ああ。奴らは正規の武士ですからな。怠けておったら首が飛びます」
「というと、あの連中は?」
「あれは、今回のために集めて連れて来た百姓の伜たちじゃ。これからの戦は奴らが主役となろう」
「奴らが主役?」
「うむ」と頷いて備中守は兵たちを眺めながら、「早雲殿は応仁の乱の時、京で活躍した足軽というものを御存じでしょう」と聞いた。
「はい、知っております」と早雲は言った。「しかし、活躍したというよりは都の荒廃をさらに大きくしたと言った方が正しいでしょう」
「うむ、それも聞いた。わしはその噂を聞いて、こいつは使えると思ったんじゃ。今までも百姓たちは戦に参加しておった。しかし、騎馬武者にくっついて戦場を走り回っていただけじゃ。騎馬武者を助けて戦をしていても、騎馬武者がやられてしまえば四散してしまう。戦力とは言えんかった。今までの戦の中心は騎馬武者たちの一騎討ちじゃ。しかし、こう戦が大きくなって、決着も着かないまま長引いて来ると、戦のやり方も変わって来る。のんびりと一騎討ちなどやってる場合ではなくなって来ているんじゃ。これからは個人個人の戦から集団の戦に変わって行くじゃろう。そうなると、奴らが戦の主役となるわけじゃ。奴らの進退一つによって戦の勝ち負けが決まってしまう事になる。奴らを命令一つで自由自在に操る事が重要となるんじゃ。そこで、こうして訓練をしているというわけじゃ」
「確かに、戦の仕方は変わって来ている」と小太郎は言った。「本願寺一揆の戦のやり方は、まさしく、備中守殿の申される通りです」
「本願寺一揆というと加賀の?」と備中守は小太郎を見ると聞いた。
小太郎は頷いた。「一揆の連中はほとんどが徒歩武者で、一団となって行動し、一々、兜首(カブトクビ)など取りません」
「そうか、兜首も取らんのか‥‥‥うーむ。確かに、兜首など一々気にしなければ、戦もうまく行くかもしれんが、兜首を取る事を禁じれば士気が落ちる事も考えられるのう」
「武士から兜首を取る事を禁じる事はできないでしょう」と早雲は言った。
「うむ。難しい‥‥‥いや、失礼した。こんな所で立ち話もなんじゃ、とにかく、宿坊の方に参ろう」
「こっちの方はよろしいのですか」
備中守は笑いながら頷いた。
宿坊の中の広間では、小具足姿の武将たちが何やら険しい顔を並べて評定をしていた。備中守は広間の方には目もくれず、そのまま、早雲たちを奥の方の部屋に案内した。その部屋はちょっとした庭に面していて、襖には絵が描かれ、押板(床の間の原型)の上には花が飾られてあった。
「備中守殿、先程の広間ですが、ただならぬ雰囲気でございましたが」と早雲は腰を下ろすと聞いた。
「ちょっと関東の方で騒ぎが起こってのう。その事について話し合っておるのじゃ」
「そうでしたか‥‥‥備中守殿がこちらに来ている隙を狙われたというわけですか」
「そればかりでもないがのう、困った事じゃ」
「それでは、早いうちに関東に引き上げなくてはなりませんね」
「いや。一応は手を打ったから、ひとまずは安心じゃろう」
「そうですか‥‥‥」
「さて、こちらの事に話を移そうか」
早雲は頷き、「備中守殿のお陰で、摂津守殿が身を引いてくれる事となりました。ありがとうございました」とお礼を言った。
「そうか、そいつはよかった」と備中守はホッとしたように笑った。「美濃守殿も分かってくれましたか。これで、何とかなりそうじゃのう」
早雲と小太郎も頷き合った。
「美濃守殿が備中守殿をお訪ねになったとか」と早雲は聞いた。
「うむ。訪ねて参った。美濃守殿は真面目なお方のようじゃの。話せば分かってくれると思っておった」
「はい。自分の考えが小さかったと言っておりました」
「そうか。良かったのう」
「小鹿派の方はいかがでしょう」
「葛山播磨守殿から、しきりに清流亭に戻ってくれとの誘いが掛かっておるんじゃ。播磨守殿も考えを変えたように思えるがのう」
「そうですか‥‥‥しかし、あの播磨守殿がよく同意してくれましたね」
「ちょっとな、威してやったんじゃよ。播磨守殿の本拠地をわしらが頂くと言ってのう。困った顔をしておったわ」
「そうでしたか‥‥‥」
銭泡がのっそりと顔を出した。
「おう、今日は早かったのう。伏見屋殿もどうぞ、お入り下さい」と備中守は笑顔で迎えた。
銭泡は早雲と小太郎に挨拶をすると部屋に入って来た。
「伏見屋殿は治部少輔殿に気に入られてのう。最近、毎日のように望嶽亭に通っておられるんじゃよ」
「銭泡殿も何かと忙しかったようですな」と早雲が疲れたような顔をした銭泡を見ながら言った。「最初の日に顔を見せただけで、一度も来ないものじゃから、どうしたんじゃろうと思っておりました」
「ようやく、解放されそうです」と銭泡は苦笑した。
「なに、もう、来なくもよいと申したのか」と備中守が驚いた。
「いえ。そうは申しませんが、わたしの代わりが現れました」
「ほう。どんな代わりじゃ」
「福島越前守殿が京から来た絵師を連れて参りました。小栗宗湛(オグリソウタン)殿という有名な絵師のお弟子さんだそうです」
「小栗宗湛殿と言えば将軍様の御用絵師じゃのう」と早雲は言った。
「ほう」と備中守が唸った。「将軍様の御用絵師殿のお弟子か。余程の絵を描くと見えるのう」
「はい。まさしく、その通りでございます。まるで、筆が生き物のごとくに動きまして、あっと言う間に素晴らしい絵が現れます。まるで、魔術でも見ているようでございます」
「それで、治部少輔殿は、その絵師に夢中になったという事か」
「はい。さっそく、絵を習っております」
「そうか。これで治部少輔殿は当分、絵に熱中する事になるのう」
「はい。元々、治部少輔殿は絵を描く事が好きだったようですから、大変な喜びようでした」
「銭泡殿、その絵師は何というお名前ですか」と早雲が聞いた。
「狩野越前守(正信)殿です」
「越前守というと、その絵師というのは武士なのか」と備中守は聞いた。
「はい、頭は丸めてはおりません。武士です。伊豆の国の出身だそうで、今回、国元に帰国する途中、福島越前守殿に頼まれて駿府に連れて来られたそうです」
「成程。早雲殿は、その狩野越前守というお方を御存じですか」
「いえ、直接には知りませんが、狩野越前守が描いたという絵を一度、見た事あるような気がします」
「ほう。絵を見ましたか」
「はい。今出川殿(足利義視)が絵に関心を持っておりましたものですから、わたしもよくお供を致しました。その折り、その名を耳にしました。残念ながら、どんな絵だったかまでは覚えておりませんが」
「今出川殿か」と備中守は懐かしい名を聞いたような顔をして、押板に飾られた花に目をやった。「西軍に寝返ったとは聞いておるが、今頃、どうしておられるんじゃろうのう」
「さあ」と早雲は首を振った。「何をしているか分かりませんが、将軍様になれない事は確かでしょう」
「多分な」と備中守も同意した。「将軍家が家督争いを始める御時世じゃ。今川家が家督争いに走るのも無理ないとは言えるが、何とか収まりそうじゃのう」
「お陰様で‥‥‥」
「さっそく、清流亭の方に行ってみるかのう」備中守が早雲と小太郎の顔を見比べながら言った。「早い内にまとめんと、葛山播磨守が、また、何かをたくらむかもしれんからのう」
早雲と小太郎は頷いた。
備中守は側近の上原紀三郎に、今から駿府屋形に向かう事を告げ、いつもの連中を連れて来てくれと命じると、早雲、小太郎、銭泡を連れて、先に清流亭に向かった。
見事な客殿だった。
あちこちに金が使われ、眩しい程だった。六代目の将軍、義教(ヨシノリ)が四十年程前に来た時に建てられたものだと言うが、見事な御殿だった。三代将軍が鹿苑寺(ロクオンジ)内に建てた金閣に似せて作ったという。金閣のように三層ではなく、外側に金は使われてはいないが、二層建ての内部は、この世のものとは思われない程、美しく飾られてあった。
清流亭に入った備中守と早雲は、清流亭の留守を守っていた葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)に頼み、さっそく、葛山播磨守を呼んだ。
播磨守は飛ぶような速さでやって来た。
播磨守は備中守から、竜王丸派と手を結んで駿河に攻め、播磨守の本拠地を攻め取ると威されてから、色々と対抗策を考えてみたが、やはり、いい考えは浮かばなかった。
扇谷上杉氏が竜王丸派と結び、播磨守の本拠地を攻めて来た場合、播磨守としては扇谷上杉氏と戦うわけには行かない。戦っても勝てる見込みはまったくなかった。小鹿新五郎と共に滅び去るという馬鹿な真似をするわけには行かなかった。となると、降参するしかない。降参して関東軍の先鋒となり、小鹿新五郎を倒す事になる。しかし、上杉氏に降参するという事は、竜王丸派に降参するのと同じで、小鹿派を倒し、竜王丸派の今川家が誕生した場合、播磨守の立場はすこぶる悪いという事になってしまう。そんな事になるのなら、今のうちに竜王丸派と結んだ方が、まだ、ましだった。
播磨守は備中守が竜王丸派の本拠地、青木城に入ったと聞き、もしや、竜王丸派と手を結ぶのではと気が気ではなかった。定願坊(ジョウガンボウ)を青木城に送り、城内の様子を探らせてはいたが、裏で、早雲と備中守がつながっているような気がして不安でたまらなかった。
こんな思いをするのは播磨守にとって初めての事だった。噂には聞いていたが、備中守という男は本当に恐ろしい男だと思った。策略家としての自分に自惚れていた播磨守だったが、上には上がいるものだと反省をしていた。そして、備中守が自分以上の人物だと気づくと、播磨守は以外にも素直に備中守を尊敬した。
備中守が青木城を出て、八幡山に戻った事を知ると、毎日のように備中守に清流亭に戻って来てくれと頼んでいた。備後守から、備中守が清流亭に入ったとの知らせを受けると、取るものも取らずに清流亭に向かったのだった。その様は、弟の備後守も呆れる程の喜びようだった。備後守はそんな兄の姿を見るのは初めてだった。いつも苦虫をかみ殺したような顔をしている兄が、まるで子供のように喜んでいる。一体、どうした事かと不思議がりながらも兄の後を追っていた。
備中守と早雲、小太郎、銭泡は清流亭の二階から眺めを楽しんでいた。
いくつにも分かれて流れている阿部川の向こうに駿河湾が広がっていた。
「さすがにいい眺めじゃのう」と小太郎は目を細めて言った。
「あそこに治部少輔殿がおられるのですか」と早雲は東に見える望嶽亭を眺めながら備中守に聞いた。
備中守は望嶽亭を見ながら頷いた。「今頃、あそこで、富士山でも描いておられる事でしょう」
突然、誰かが慌ただしく階段を上って来る音がしたと思うと、播磨守が現れ、備中守の足元に座り込むと、「よく、いらして下さいました‥‥‥お待ちしておりました」と息を切らせながら言った。
「播磨守殿、いかがなさいました。そんなに慌てて」と備中守が不思議そうに聞いた。
「いや。なに、一刻も早く、お会いしたいと思いまして‥‥‥」
「さようか、わしらも一刻も早く、播磨守殿にお会いしたかったわ」
「それは‥‥‥」と播磨守は早雲、小太郎、銭泡を見た。
「これは、早雲殿に風眼坊殿に伏見屋殿もお揃いで‥‥‥」
一瞬、やはり、備中守と早雲はつながっていたのか、と思ったが、もう、そんな事はどうでもよかった。先の事はすべて、備中守に任せようと播磨守は決めていた。
この日の播磨守は、今まで様々な策略を巡らして敵対していた播磨守とは、まるで別人のように素直だった。早雲も小太郎も目の前に座る播磨守が、今まで、ずっと敵として戦って来た男だったとは信じられない程だった。
播磨守が、小鹿派としては竜王丸派と手を結ぶ事に同意すると告げると、さっそく、具体的な話へと進んで行った。
まず、両軍とも兵を納め、それぞれの本拠地に帰る事、小鹿新五郎はひとまず、お屋形様の屋敷から退去する事、竜王丸と北川殿は北川殿に戻る事などが決められた。
具体的な日取りを決める段になって、播磨守は自分の一存だけでは決められないと言い、福島越前守も呼ぼうと言い出した。
越前守も備中守が清流亭に入ったと聞くと、すぐにやって来た。
清流亭の二階に上がり、その席に早雲がいる事に不審の念を抱いたが、播磨守に言われるまま、席に着いた。
「越前守殿、わさわざ、お呼びして申し訳ありません」と備中守はまず、一言言ってから、早雲を竜王丸派の代表として、この席にいる事を紹介した。
「成程、早雲殿が竜王丸派の代表ですか」と越前守は苦笑いをした。
すでに、小太郎と銭泡の二人は姿を消していた。
「早雲殿は摂津守派も含めて竜王丸派の代表。そして、お二人は小鹿派の代表。ようするに、この場に今川家の縮図があるわけです。そこで、この席において、今後の今川家の事を決めたいと思っております。わたしが立会人になりますがよろしいですかな」
備中守は皆の顔を見渡した。
早雲、播磨守、美濃守は頷いた。
「それでは、まず今川家の家督を継ぐお方ですが、先代のお屋形様の嫡男であられる竜王丸殿。竜王丸殿が幼少であられるため、竜王丸殿が成人なさるまで、竜王丸殿を後見していただくお方に小鹿新五郎殿、以上のように決めたいと思いますが、いかがですかな」
「我らには依存はありませんが、早雲殿」と越前守が早雲に聞いた。「摂津守殿は確かに、後見の座から降りたのでしょうな」
「はい。今川家のために身を引いていただきました」
「ほう、岡部美濃守を説得したと申すのか」
「はい」
「うむ。それなら何も問題はないじゃろう」
その後、具体的な日取りが決定した。
十日以内に両軍とも兵を引き上げる。今日が八月の十六日なので、二十六日までに引き上げるという事に決まった。そして、小鹿新五郎はお屋形様の屋敷から元の自分の屋敷に戻り、葛山播磨守も北川殿から出て、元の屋敷に戻る。駿府屋形から出て行った竜王丸派の重臣及び、その関係者は駿府屋形に戻り、すべてが、小鹿派がお屋形を占拠する以前に戻る事と決められた。そして、吉日である九月の六日に、両派の重臣たちはすべて、お屋形様の屋敷の大広間に集まり、備中守と上杉治部少輔の立会いのもと、めでたく、一つになるという事に決まった。
翌日より阿部川に布陣していた両軍の兵が撤退し始めた。
兵たちは皆、戦にならずに済んだ事に喜んでいた。兵たちから見れば、ただ、上からの命令で睨み合いをしていただけで、どうして、今川家中で戦をしなければならないのか分からない。敵味方に分かれた兵たちの中には知り合い同士もかなりいた。命令だからと言って、知り合いと殺し合いをしたくはなかった。どうして、急に撤退命令が出たのか分からなかったが、皆、良かったと心の中でホッとしていた。
二十六日には両軍ともすべての兵が国元に帰って武装を解き、家族と共に無事だった事を祝っていた。駿府屋形を守っているのは本曲輪に葛山備後守率いる三番組、二曲輪には蒲原左衛門佐率いる二番組だけとなった。一番組、四番組、五番組の頭は竜王丸派だったため、新たに小鹿派の者に変えられたが、それらは解雇され、以前の頭が迎えられる事となった。
小鹿新五郎はお屋形様の屋敷を出る事を拒み、播磨守と越前守をてこずらせたが、二人の説得によって元の屋敷に戻り、新たに宿直衆になっていた新五郎の家臣たちは小鹿の庄に帰った。播磨守も半年近く住んでいた北川殿を綺麗にして、二曲輪内の自分の屋敷に戻って行った。
竜王丸派は、まず、御番衆の頭、木田伯耆守(ホウキノカミ)、入野兵庫頭(ヒョウゴノカミ)、三浦右京亮(ウキョウノスケ)の三人に配下の者を引き連れさせて駿府屋形に入れた。そして、安全を確認した上で、重臣たちの家臣たちが入って来て、半年の間、留守にしていた屋敷を改めた。
北川殿も、まず北川衆が戻り、安全を確認した上で、北川殿母子と侍女や仲居を迎えた。
まさに吉日にふさわしく秋晴れの一日だった。
駿府屋形のお屋形様の屋敷の大広間では、予定通りに今川家の重臣たちが集まって評定が行なわれていた。顔触れは、小鹿派がお屋形を占拠する以前のごとくに全員が集まった。以前と違うのは上段の間に竜王丸と北川殿が座り、竜王丸の執事として早雲の顔があり、立会人として太田備中守と上杉治部少輔の二人が見守っていた。
上段の間の下には小鹿新五郎が座り、少し離れて、河合備前守、中原摂津守が並んだ。備前守も摂津守も綺麗さっぱりと頭を丸めていた。
備前守は自分を支持していた天野兵部少輔が竜王丸派に寝返ったために孤立してしまい、仕方なく、小鹿派に今川家の長老として迎えられる事になった時、頭を剃った。誰かに勧められたわけではなく、自分の意志で頭を丸めたのだった。亡きお屋形様の弟である自分を見捨てた重臣たちに、恨みを込めての反抗の表現として頭を丸めたのだった。摂津守も自分を見捨てた岡部美濃守に対する腹いせとして頭を丸めていた。
備前守は棄山(キザン)入道、摂津守は虚山(コザン)入道と号していた。二人共、入道名に山を付けたのは、亡くなった兄が晩年、桂山(ケイザン)と号していたのを真似たのだった。兄は入道になったわけではなく、連歌会の時にその号を使っていたに過ぎなかった。二人共、まさか、自分たちが本当の入道になって、兄と同じように何山と号すとは夢にも思ってもいない事だった。
以前のごとく、今川家の長老である朝比奈天遊斎と小鹿逍遙の二人の進行で評定は始まり、嘘のように速やかに進行して行った。お屋形様に竜王丸、後見に小鹿新五郎、天遊斎と逍遙の二人は隠居し、新たに、備前守と摂津守の二人が今川家の長老と決定した。駿河の守護職は、改めて幕府に認めて貰わなければならなかったが、竜王丸は先代のお屋形様の嫡男なので、すんなりと認めてくれるだろうと考えられた。
お屋形様の屋敷で評定の続いていた頃、北川殿の客間では、小太郎、富嶽、多米、荒木らが早雲たちの帰りを待っていた。
「ようやく、終わったのう」と小太郎は柱にもたれながら言った。
「これで、うまく行くんじゃろうか」と富嶽はお屋形様の屋敷の方を眺めながら言った。
「竜王丸殿が成人なさるまで十年はあるからのう」と小太郎は言った。「その十年の間、小鹿新五郎が黙っているとは思えんのう。その十年間の活躍いかんでは、そのまま、お屋形様の座に就くという事もありえるかもしれん」
「まだまだ、前途多難ですな」と荒木が言った。
「竜王丸殿は前のように、ここに住むんじゃろうか」と多米は聞いた。
「お屋形様の屋敷には小鹿新五郎が入るじゃろうからの。やはり、ここに住む事になるんじゃないかのう」と富嶽は言った。
「危険はないのかのう」と多米は心配した。
「分からんな。成人なさる前に病死という事もありえるじゃろうな」と小太郎は言った。
「ここにいたら危険ですよ」と荒木は言った。「朝比奈城にいた方がいいんじゃないですか」
「それはそうかもしれんが、北川殿の住む所を、わしらで勝手に決める事はできん」と富嶽は言った。
「早雲が帰って来たら、この事は改めて考えなければなるまいな」と小太郎は言った。
「早雲殿はどうなるんじゃろう」と多米は聞いた。
「どうなるとは?」と小太郎が聞いた。
「今川家の家臣になるんじゃろうか」
「うむ。竜王丸殿を守って行かなければならんからのう。竜王丸殿が成人なさるまでは、側に仕えるという事になるじゃろうな」
「という事は武士の戻るのですか」
「それは分からん」
「わしらはどうなるんです」と荒木は聞いた。
「それはおぬしら次第じゃろう。おぬしらが竜王丸殿を守りたいと思えば、早雲の奴が何とかしてくれるじゃろう。北川衆の数が足らんから北川衆にでもなったらよかろう」
「まさか、わしらが北川衆になれるわけがないわ」と多米は首を振った。
「そいつは分からんぞ」と富嶽は言った。「早雲殿に頼んでみれば何とかなるかもしれん。しかし、北川衆になったら前のように自由気ままには生きられんぞ」
「そうじゃのう。わしにはちょっと勤まらんわ」と多米は言って、荒木を見た。
荒木は頷き、「北川衆になるよりは、以前のように早雲殿の家来として竜王丸殿を守っておった方が気楽でいいのう」と言った。
お雪と春雨の二人が客間に入って来た。
「北川殿はまた、ここに住む事になるの」とお雪が小太郎に聞いた。
「多分な」と小太郎は言った。
「無理だと思うわ」とお雪は首を振った。
「なぜじゃ」
「だって、朝比奈のお城下にいた時、毎日、お城下を出歩いていた北川殿がここに入ったら、ここからほとんど出られなくなるんでしょ。絶対に無理だわ」
「そうか‥‥‥北川殿は以前の北川殿とは違うんじゃったな」
「そうよ。北川殿だけじゃないわ。侍女や仲居の人たちだって、毎日、お屋敷にいるよりは外にいた方が多かったのよ。こんな堅苦しい所なんか嫌だって思っているに違いないわ。口に出しては決して言わないけど、みんな、つまらなそうな顔をしてるわ」
「それは言えるわね」と春雨も言った。「みんな、いい所のお姫様ばかりで、子供の頃からお屋敷の中で大切に育てられて、そして、ここに来たのよ。みんな、お屋敷の中だけで暮らす事が当然だと思っていたから、以前の様に暮らす事ができたけど、朝比奈のお城下では最初のうちは皆、戸惑っていたけど、自由に出歩く事の楽しさを覚えてしまったのよ。今更、このお屋敷内だけで暮らせと言っても無理だと思うわ」
「確かにのう。この屋敷内だけで暮らせといっても無理じゃのう。ここでは弓の稽古もできんしのう。かと言って、ここから出て行くには牛車に乗らなければならん。そんな生活を続ける事は不可能と言えるのう」
「早雲殿に頼んで、また、朝比奈のお城下に住む事ができるようにした方がいいわよ。竜王丸殿のためにも、こんな所にいるより朝比奈のお城下を走り回っていた方がいいと思うわ」
「うむ。それはそうじゃ」と小太郎は頷いた。「立派なお屋形様に育てるにも、こんな屋敷に閉じ込めておいたのではいかんのう。野山を飛び回って、自然から色々な事を学ばなければならん‥‥‥うむ。この事は本気で考えんといかんのう」
「ねえ、あたしたちは、これから、どうするの」とお雪は聞いた。
「ここから出たいのか」
「北川殿が安全なら、あたしもここから出てもいいんじゃないかと思って」
「わしは浅間神社の門前に戻るつもりじゃ」
「また、町医者に戻るの」
「まあな。お前はもう少し、ここにいてくれ」
「うん。迎えに来てね」
いつの間にか、多米と荒木の二人が消えていた。
「春雨殿はどうするつもりじゃ」と富嶽は聞いた。
「わたしも、そろそろ早雲庵に帰りたいとは思うけど、みんな、いなくなっちゃったら北川殿が淋しがるだろうし、わたしはもう少し、ここにいようと思っているの」
「そうか、それがいいじゃろうの。美鈴殿も淋しがるじゃろうしの」
北川殿と竜王丸殿を乗せた牛車が戻って来たのは、未(ヒツジ)の刻(午後二時)頃だった。
牛車には北川衆の吉田と小田の二人が付き添い、侍女の萩乃が従っていた。その後ろに早雲と長谷川法栄と五条安次郎が付いて来た。
北川殿と竜王丸を奥の間に送ると、早雲は皆の待つ客間に現れた。
「どうじゃった」と小太郎は聞いた。
「うまく行った」と早雲は笑った。
早雲は評定の場で、正式に竜王丸の執事となり、竜王丸が継いだお屋形様の直轄地より所領を貰う事に決まった。知行場所や知行高はまだ決まってはいないが、今川家の家臣になる事は決定したとの事だった。以前とは違い、決まった収入が得られる事になったので、早雲は改めて早雲庵にいる者たちを家臣として召し抱える事にした。ただ、小太郎だけは早雲の家臣にはならず、町医者として、お雪と共にのんびり暮らすと言った。ただし、北川殿の御祈祷師(ゴキトウシ)として、北川殿や竜王丸とは自由に会う事ができるようにすると早雲は約束した。お雪の方も美鈴の笛の師匠として、北川殿に出入りできるようにするとの事だった。
「早雲殿、もしかしたら、お城も貰ったのでは?」と富嶽は聞いた。
「いや、その件はお断りした」
「どうしてです」
「城を持つと、それがどこだとしても、その城に縛られる事になる。竜王丸殿が成人なさるまでは、竜王丸殿の側におりたいのでな、竜王丸殿が成人なさる暁まで、その事は待ってもらい、今のまま石脇の地を法栄殿にお借りするつもりじゃ」
「はい」と法栄は頷いた。「その事はもう、わしとしても早雲殿にあそこにいて貰った方が心強いのでな」
「よろしく、お願いいたします」
「なに、わしよりも早雲殿があそこから出て行かれる事となれば、あの辺りの村人たちが許すまい」
「確かに、長谷川殿の言う通りですね。村人たちが騒ぎ出す事でしょう」と安次郎も言った。
「必要ならば、あそこを城のようにすればいい」と法栄は言った。
「いえ。今のままでいいでしょう。濠を掘ったり、土塁を築いたりしたら、村人たちが近寄りがたくなってしまう」
「そうですな。あそこは今まで通り、村人たちの寄り合い所みたいになっておった方がいいかもしれんのう」と富嶽も言った。
「早雲。何もかもうまく行っておるようじゃが、一つだけ問題があるんじゃ」と小太郎が渋い顔をして言った。
「問題?」と早雲は小太郎を見た。
「ああ、ここの事じゃ。北川殿は以前のように、ここに住む事になったのか」
「そうじゃが」
「竜王丸殿が成人なさるまでか」
「まあ、そういう事になろうのう」
「それが具合が悪いんじゃ」
「なに? 誰かが竜王丸殿の命を狙うとでも言うのか」
「それもあるかもしれん。が、それ以上の問題があるんじゃ」
「何じゃ、それ以上の問題とは」
「おぬしは竜王丸殿をどのようにお育てするつもりじゃ」
「どのようにだと? 立派なお屋形様にお育てするのに決まっておろう」
「ここでか」
「なに?」と早雲は改めて、部屋の中を見回した。「そうか、そこまでは考えなかったわ。確かに、こんな所に十年も閉じ込められて、立派なお屋形様に育つわけがなかったわ」
「そうじゃ」と小太郎は頷いた。「こんな所におったら、どこに行くにも重臣たちに監視され、のびのびと育つ事もできん」
「かと言って、ここから出て行ったら、また、小鹿派の天下となりえんぞ」
「それは、ここにおっても同じじゃろう。後見となった小鹿新五郎は北川殿など無視して事を決めて行く事は目に見えておる。じゃが、関東の太田備中守殿が睨みを効かせておるうちは大それた事はできまい」
「うむ。確かにのう」
「十年というのは長い。その間に小鹿新五郎が何をしたとしても、竜王丸殿が立派に成長なされば、重臣たちは竜王丸殿に付いて行く事じゃろう。何よりも一番重要な事は、竜王丸殿を立派なお屋形様に成長させる事じゃ」
「法栄殿はどう思われます」と早雲は聞いた。
「確かにのう。先代のお屋形様が生きておられたならば、竜王丸殿はここにいたとしても、のびのびとお育ちになる事じゃろうが、今の状況では、それは難しい事といえるのう。竜王丸殿はこの屋敷に軟禁されているような状況じゃからのう。わしも竜王丸殿の事を考えると、ここからは出た方がいいような気がするわ」
「それに、北川殿の事もあります」と春雨は言った。
「北川殿?」
「はい。まだ、ここに移ってから十日も経っていませんけど、朝比奈殿の御城下を懐かしがっておられます」
「そうか‥‥‥竜王丸殿よりも北川殿の方がこんな所にいつまでも閉じ籠もってはおられんのう。これは考えてみなければならん‥‥‥しかし、北川殿がここから出て行く事を重臣たちが賛成してくれるかのう」
「難しいですな」と法栄は首をひねった。
「備中守殿がおられるうちに、何とかした方がいいと思うがのう」と小太郎は言った。
「うむ、確かに‥‥‥しかし、どうやって重臣たちを納得させるかじゃな‥‥‥」
竜王丸の命が危ないからと言えば小鹿派を刺激する事になる。かといって、北川殿が堅苦しい北川殿から出たいと言っているからと言っても、今川家のお屋形様の母親として、そんな我がままが許されるわけもない。竜王丸の成長のためには北川殿にいるよりは、もっと、のびのびとした所で育った方がいいと言っても、お屋形様をそんな所で育てるわけにはいかんと反対するに決まっていた。
その日はいい考えは浮かばなかったが、何とかしなければならなかった。
九月の十五日、浅間神社の神前において、今川家の重臣たちは竜王丸をお屋形様として盛り立て、団結する事を誓い合った。これで、はるばる関東から来ていた上杉治部少輔、太田備中守の役目はようやく終わった。
その日の晩、重臣たちが全員参加して、治部少輔と備中守をねぎらう宴が、お屋形様の屋敷の大広間で行なわれた。早雲も勿論、参加していた。
竜王丸と北川殿が今の屋敷から出る件については、うまく行っていた。評定の席で、早雲は、北川殿が今の屋敷で恐怖に脅(オビ)えていて、顔色もよくないので、別の所に移動したいと提案した。北川殿はあの屋敷にいると、仲居が殺された事や、河原者の襲撃にあった恐ろしい事が思い出されて食事もろくにできず、毎日、脅えて暮らしていると説明した。
初め、それならば、お屋形様の屋敷に移ればいいとか、道賀亭に移ればいいとかの意見も出たが、竜王丸が成人するまでは、今川家の事は小鹿新五郎殿と重臣たちに任せ、竜王丸は別の所でのびのびと育てた方が、今川家のためにいいのではないかと早雲が言うと、まず、太田備中守がその意見に同意した。小鹿新五郎にしても竜王丸が駿府屋形から出て行った方が、この先、やりやすいので、竜王丸のためにはその方がいいと同意した。葛山播磨守、岡部美濃守も、その意見に賛成すると、皆、同意した。そして、どこに移ったらいいかという事に関して色々と検討した上、駿府からも、そう離れていない斎藤加賀守の城下、鞠子(マリコ)と決められた。すでに、もう、鞠子城下の加賀守の屋敷の南側、日当たりのいい地において、竜王丸のための屋敷の普請(フシン)が始まっていた。今年中には完成し、来年の正月は新しい屋敷で迎える手筈になっていた。北川衆たちの屋敷も竜王丸の屋敷の回りに並ぶ予定で、執事である早雲の屋敷も建つ予定だった。
小太郎とお雪は久し振りに、浅間神社の門前町の我家に帰って来た。
二人は四ケ月間、京の方に旅に出ていた事になっていたので、二人が帰って来た事を知ると、向かいの紙漉(ス)き屋の隠居が、さっそく遊びに来た。小太郎たちは隠居に作り話をしなければならないと思ったが、風眼坊が早雲と共に、今川家のために活躍した事を隠居は知っていた。そして、町人たちが今回、竜王丸がお屋形様になった事について、どう思っていたかを教えてくれた。事件の真っ只中にいた小太郎たちとは違って、事件を外から眺めていた町人たちは、まったく違った見方をしていた。
小太郎は風間小太郎の名で町医者を開いたが、北川殿がここに来た時、北川衆の小田が小太郎の事を、京で有名な医者、風眼坊と紹介したため、風眼坊の名の方が有名になってしまった。そして、風眼坊という名のまま駿府屋形に出入りしていたため、風眼坊の活躍が町人たちの話題に上っていたのだった。
隠居の話によると、先代のお屋形様は遠江の出陣から帰って来た後、急病に罹って、四月に亡くなった事になっていた。それは、当然の事だった。凱旋(ガイセン)した時、お屋形様は確かに生きていたのだった。誰もが、お屋形様が本物だと思い、小鹿新五郎がお屋形様に扮していたとは思いもしなかった。
その後、各地の重臣たちが駿府に集まって来た。徐々に、駿府屋形の警戒も厳重になり、町人たちも何かあったに違いないと思うようになり、恒例の花見も中止となった。この頃から、お屋形様が病を患(ワズラ)ったと思う者が多くなった。そして、お屋形様の病の治療をしていたのが、何と、風眼坊だったという事になっていた。その当時、そんな事を思った者は勿論、誰もいなかったが、その後、北川殿が風眼坊の所に出入りした事が噂になると、当然、お屋形様の病の治療に当たっていたのも風眼坊に違いないと町人たちは噂していた。その頃、風眼坊とお雪は北川殿の側にいて、門前町の家は長い間、留守となっていた。町人たちが勘違いするのも無理なかったが、小太郎とお雪は隠居から、その事を問い詰められて、何と答えたらいいものか戸惑ってしまった。
四月になると関東から軍勢がやって来た。戦が始まるのかと思ったが、その気配はない。そして、四月の六日、お屋形様の葬儀が行なわれ、関東の軍勢が葬儀に参加するために、わざわざ、来たという事が分かった。町人たちも誰が一体、新しいお屋形様になるのだろうと考え、一騒ぎ起こるに違いないと思った。葬儀の喪主は小鹿新五郎だったが、そのまま、すんなりと新五郎がお屋形様に決まるとは町人たちも思ってはいなかった。案の定、今川家は二つに分かれ、いつ、戦が始まるとも分からない状況に突入して行った。浅間神社でも僧兵たちが武装して門前町を練り歩き、町人たちは戸締りをして家の中に籠もっていたと言う。
その時、突然、出現して、活躍したのが竜王丸殿の伯父、伊勢早雲だと言う。
駿府の町人たちは今まで、早雲の存在を知らなかった。駿府屋形に何度も出入りしていても、町人たちの噂に上る程の事はなかった。石脇の早雲庵の近辺では早雲の名は有名だったが、その地でも早雲が竜王丸の伯父だという事は知らない。駿府の町人たちにとって、早雲という僧が突然、お屋形様の死と共に出現したように思われた。
最初に早雲の名が出て来たのは、三浦次郎左衛門尉の寝返りの時だった。四月の末、三浦一族の者が全員、駿府屋形から姿を消すという事件が起こった。普通、お屋形内で起きた事件は町人の噂にはならない。町人の噂にならないように、堅く口止めされる事になっている。北川殿や小鹿屋敷の仲居が殺された事件や、北川殿が河原者たちに襲撃された事件、北川殿が駿府屋形から逃げ出した事など、町人たちはまったく知らなかった。ところが、三浦一族の者が駿府屋形から消えた事件では、事件の後、三番組の頭、葛山備後守が配下の者たちを使って、城下や浅間神社の門前町に早雲の隠れ家があるに違いないとしらみ潰しに捜し回ったため、瞬く間に町人たちに知れ渡り、早雲という名も有名になって行った。早雲には風眼坊という大峯の山伏が付いており、二人は摩訶不思議な術を使って、一瞬のうちに三浦一族を女子供に至るまで駿府屋形から脱出させたという。早雲の名と共に風眼坊の名も城下の隅々にまで知れ渡って行った。名医としての風眼坊の名は浅間神社の門前町だけの噂に留まったが、大峯の山伏、風眼坊の名は駿府一帯に広まって行った。
その次に早雲の名を有名にしたのは、八月の十六日、備中守と一緒に早雲らが駿府屋形内の清流亭に入った時だった。その時、備中守は早雲、小太郎、銭泡の三人だけを連れて馬に乗り、駿府屋形にやって来た。屋形に入る時、ちょっとした騒ぎが起こった。その時、本曲輪の警固に当たっていたのは三番組だった。南門を通ろうとした一行は門番に止められた。門番の中に、早雲と小太郎の顔を知っている者がいたのだった。備中守が通るのは構わないが、敵である早雲と小太郎を許可なく通すわけにはいかなかった。門番は一行を止め、頭の葛山備後守に伝えに行った。武装した御番衆たちは、早雲、小太郎、銭泡を馬から降ろして槍で囲んだ。
その場面を目撃していた商人がいた。福島越前守のもとに出入りしている江尻津の『河内屋』という商人で、越前守に頼まれて備中守が陣を敷いている八幡山に差し入れをした帰りだった。河内屋の一行が南門に差しかかった時、目の前で早雲らが囲まれたのだった。河内屋には何が起こったのか分からなかったが、知り合いの御番衆の者から訳を聞いて、囲まれているのが早雲と風眼坊だという事を知った。河内屋も二人の噂は知っていた。小鹿派に敵対している竜王丸派の中心になっているという二人だった。その二人が護衛の者も付けずに、備中守と一緒に敵中に入って行くというのは興味深い事だった。
やがて、備後守が現れ、備中守と話すと頷き、早雲たちは御番衆に囲まれたまま清流亭に入って行った。御番衆らが清流亭を囲むのを見ると、河内屋は越前守の屋敷へ、今、目撃した事を知らせに走った。
越前守は河内屋に早雲が来た事を口止めしたが、河内屋のもとで働いていた人足たちによって、その事は瞬(マタタ)く間に、城下及び浅間神社の門前町に広まって行った。町人たちは敵陣に乗り込んで来た早雲が、今度は何をしでかすのか、期待の目で見守っていた。
それから三日後だった。阿部川から両軍の兵が撤退して行った。五日後には駿府屋形を囲んでいた兵も帰って行った。そして、十日経った二十六日には、お屋形内にいた小鹿新五郎の兵も去り、御番衆だけが残った。そして、お屋形から出て行った竜王丸派の重臣たちが続々と戻って来た。
町人たちは、ようやく、今川家が元に戻ったと安心し、喜び会った。そして、今川家を一つに戻したのは、太田備中守の力もあるが、早雲のお陰だと誰もが思っていた。もし、早雲がいなければ駿河の国は戦になり、駿府の城下は灰燼(カイジン)と化していたかもしれないと誰もが早雲に感謝し、町人の中には早雲大明神様、早雲大菩薩様などと呼んでいる者さえいると言う。
小太郎とお雪は紙漉き屋の隠居から、その事を聞いて、さすがに驚きを隠す事はできなかった。そして、噂というものの恐ろしさを改めて思い知った。
情報というものは戦に勝つために絶対に必要なものだった。敵を知り、己を知らなければ、戦に勝つ事はできない。武将たちは適確な情報を求めるため、あらゆる手段を使う。武将たちが情報に飢えている事は小太郎も知っていたが、情報に飢えているのは武将たちだけではなく、町人たちも同じだった。町人たちも町人なりに、今、何が起こっているのか知りたがり、その情報はあっと言う間に町人たちの間に流れて行くという事を改めて思い知らされた。
加賀にいた頃、一つの噂によって蓮崇は本願寺から破門となり、ここでは、小太郎たちの知らないうちに、早雲は町人たちの間で英雄となっている。世の中、面白いものだと思った。勿論、当の本人、早雲もまだこの事は知らないだろう。駿府の町人たちの英雄となってしまった早雲は、この先、益々、回りから縛られる事になる。何物にも縛られないで、自由自在の境地で生きたいと言う早雲は、何かをやる度に、皮肉にも、自ら自分の首を絞めているように小太郎には思えた。早雲はこれから先、町人たちの思う通りの英雄でいなければならなかった。この地を離れない限り、早雲の理想とする生き方はできないだろう。しかし、奴にはそれもできまい。これも、奴の運命なのだろう、と小太郎は思った。
次の日から、小太郎とお雪は町医者を再開した。毎日、大勢の者たちが小太郎を訪ねて来た。ほとんどの者が患者ではなく、風眼坊の口から直接、早雲の活躍を聞きに来た者たちばかりだった。小太郎も初めの頃は、町人から聞かれるまま事の成り行きを話していたが、毎日、毎日、同じ事を聞かれるとうんざりとして、毎日のように来ていた隠居にすべてを任せて、奥の部屋に籠もってしまった。
九月の十五日の浅間神社の神前の儀が行なわれた時には、一目、早雲を見ようと町人たちが押しかけ、急遽、御番衆や僧兵たちが町人たちの整理をしなければならない程だった。そして、早雲を見た町人たちは、その事を告げるために、また、小太郎の家に押しかけて来たのだった。わりと我慢強い方のお雪も、いい加減うんざりして、ここから出ようと言い出し、しばらく旅に出ると称して北川殿に入った。
お雪は北川殿の侍女に戻り、小太郎は富嶽らが住んでいる北川衆の屋敷に入った。富嶽、多米、荒木の三人は殺された大谷の家族が住んでいた北川殿のすぐ前の屋敷に住んでいた。大谷の家族は大谷が殺されてから実家の方に帰り、空き家となっていたため、三人が入ったのだった。以前よりも北川衆は三人少なかった。補充の人員が決まるまで、この三人が代わりとなって交替で北川殿を守っていた。小太郎はこの屋敷で、町人たちから解放されて、のんびりと暮らした。
浅間神社の誓いの儀に立ち会った後、太田備中守と上杉治部少輔は毎日のように重臣たちから招待を受け、忙しく駿府屋形内を行き来していた。
備中守としては、関東に騒ぎが起こったため、早く帰りたかったが、長い目で見ると、今、今川家の重臣たちとつながりを持っておけば、後々、援軍を頼む時に有利になるだろうと思い、嫌な顔もせずに、誘いを受ければ気安く出掛けて行った。ただし、今回、引き連れて来た三百騎の内の百騎と徒歩武者のほとんどは、すでに江戸に向かっていた。
治部少輔には備中守のような政治的な考えはない。ただ、もう少し贅沢を楽しみたいだけだった。伊豆の堀越(ホリゴエ)に帰れば、愚痴(グチ)ばかりこぼしている不機嫌な公方(クボウ)の側に仕えなければならない。ここでの優雅な暮らしなど、もう二度とできないだろう。今の内に、一生分の贅沢を味わってやろうと張り切っていた。
大将の治部少輔はそう思っていても、付いて来た兵たちにすれば、たまったものではなかった。駿河に来て、すでに半年が経っている。戦があるわけでもないのに、半年もの間、茶臼山の裾野に陣を敷いたままだった。彼らは治部少輔の家来ではない。堀越公方の命によって、かき集められた農民たちがほとんどだった。四月から十月といえば農繁期である。その忙しい時期に、こんな所まで連れて来られ、する事もなく、毎日、遊んでいるようなものだった。出兵したからといって恩賞が貰えるわけでもなく、まして、年貢が減るわけでもなかった。今川家からの差し入れもあって、食う事には困らないが、誰もが、一刻も早く帰りたいと願っていた。
今川家の重臣たちから見れば、幕府が当てにできない今、現実的に見て、備中守は一番頼りになる存在だった。それぞれが、それぞれの思惑を持って備中守に近づいて行った。また、治部少輔に近づいて行った者たちは、未だに幕府の権威を信じ、将軍義政の弟である堀越公方、政知(マサトモ)の関心を買おうとしていた。思惑は色々とあったが、本当の所は名門である今川家の重臣であるという誇りが、備中守と治部少輔を引き留めていたのだった。誰々が備中守を招待して御馳走で持て成したと聞けば、自分はそれ以上に持て成そうと考え、治部少輔を招待したと聞けば、自分も負けじと招待した。こんな風に、備中守と治部少輔は、今川家中の重臣たちの誇りというものに振り回されて、御馳走責めにあっていたのだった。
竜王丸と北川殿が駿府に帰って来て以来、早雲は早雲庵には帰らず、北川殿の屋敷に滞在していた。正式に竜王丸の執事になっても、早雲にはまだ屋敷がなかった。二曲輪内に空き屋敷があるので、そこを使うようにと言われたが、早雲は断っていた。北川殿母子が駿府から出る事になれば、執事である早雲も当然、ここから出て行く事になる。今、屋敷を貰ってもしょうがなかった。後で、小太郎に、くれると言うものは貰って置けと言われたが、屋敷を貰ってしまえば、小鹿新五郎に仕えなくてはならなくなるかもしれん。なるべく、借りは作りたくはないんじゃと言って笑った。
駿府に帰って来て二十日が過ぎた。
竜王丸は朝比奈の城下に帰って、山や川で遊びたいと言い、北川殿は毎日、つまらなそうに溜息を付いていた。朝比奈城下にいた頃の竜王丸は寅之助と一緒に、毎日、泥だらけになって野山を走り回っていた。こんな屋敷内に黙っていられるわけがなかった。毎日のように母親や侍女、仲居たちに、早く山の中に帰ろうと言ってはたしなめられていた。北川殿はここに帰って来てからも弓術や剣術の稽古は欠かさなかったが、朝比奈城下にいた頃と違って、何となく息苦しいと感じていた。
早雲は今日、鞠子の城下に行くつもりでいた。今、鞠子では鞠子城の城主、斎藤加賀守が中心になって、竜王丸の新しい屋敷を作っていた。北川殿より新しい屋敷には絶対に弓術の稽古をする射場(イバ)を作ってくれ、と頼まれていたので、その事を伝えに行こうと思っていた。北川殿のためだけでなく、竜王丸のためにも射場は必要だと早雲は思い、北川殿の意見に同意したのだった。今、地ならしをしている所で、竜王丸の屋敷は濠で囲まれる事になっている。濠を掘ってしまったら屋敷内に射場を作る事は難しくなる。濠を掘る前に縄張りの変更しなければならなかった。
早雲が台所に顔を出し、仲居に弁当を頼んでいると北川殿が顔を出した。以前の北川殿だったら仲居たちの働く台所に入って来た事などなかったが、今の北川殿は平気な顔をして台所にも来るし、仲居たちの休んでいる部屋にも入って行って、一緒に話し合ったりしていた。ここから逃れ、小河屋敷や朝比奈屋敷で共に苦労したお陰で、以前の主人と使用人というだけの関係から、隔(ヘダ)てのない家族的な関係となっていた。
「兄上様、わたしも行きます」と北川殿は言った。
「えっ?」と早雲は驚いた。
「鞠子にいらっしゃるのでしょ。わたしも新しいお屋敷が見たいのです」
「北川殿。もうしばらくの辛抱(シンボウ)です。お屋敷ができるまで、ここでお待ち下さい」
「しばらくとは、いつまでですか」
「あと三ケ月、いや、二ケ月です」
「長過ぎます‥‥‥今日、一緒に連れて行ってくれましたら、二ケ月でも三ケ月でも我慢いたします」
「困りましたな」
「兄上様、お願いです。わたしも竜王丸も、このまま、あと二ケ月も我慢できるとは思えません。今日、一度、外に出る事ができれば、何とか我慢してみます」
仲居たちも北川殿の意見に賛成だった。仲居たちも北川殿の苦しさは身を持って感じていた。口にこそ出さないが、仲居たちも早く、ここから出たいと思っていたのだった。
早雲は門前の北川衆の屋敷から小太郎を呼ぶと、さっそく、脱出作戦を開始した。
北川殿は侍女と北川衆に守られ、牛車に乗って、浅間神社に出掛けた。今川家が一つにまとまり、竜王丸がお屋形様になったお礼参りに行くという理由だった。浅間神社でお参りを済ますと、北川殿は春雨と入れ代わった。春雨は牛車に乗って屋敷に帰り、北川殿と美鈴と竜王丸は町人に扮して鞠子に向かった。供として、早雲、小太郎、お雪、菅乃、淡路、多米、荒木、寅之助が従った。
駿府から鞠子までは二里と離れていない。ゆっくり歩いても一時は掛からなかった。
一行は阿部川の渡しを渡り、鎌倉街道をのんびり西に向かって歩いた。阿部川を渡る時から、北川殿も美鈴も竜王丸も顔色が変わり、嬉しそうにニコニコしていた。竜王丸は川の中に身を乗り出すようにして、はしゃぎ、北川殿と美鈴は空を見上げながら体を思い切り伸ばしていた。今まで考えても見なかったが、あの屋敷から出る事がこんなにも楽しいものなのかと、北川殿には不思議に思えた。
「みんなに悪い事しているみたい」と北川殿は歩きながら言った。
「そうですね。今頃、悔しがってるに違いないわ」と菅乃は言った。
「やっぱり、気持ちいいわ」と北川殿は笑った。
早雲は嬉しそうな妹と姪、甥の姿を目を細くして眺めていた。
一行は藁科(ワラシナ)川を渡って、山の中へと入って行った。
竜王丸と寅之助の二人は走り回っていた。早雲から二人のお守りを命じられた多米と荒木は汗をかきながら二人を追いかけている。
歓昌院坂(カンショウインザカ)を越えると鞠子の城下はすぐだった。
城下は山に囲まれた谷の中にあった。
鎌倉街道を中心にして、東側に町人たちの家が並び、西側に武家屋敷が並んでいる。武家屋敷の奥の小高い丘の上に、山を背にして建っている屋敷が城主、斎藤加賀守の屋敷だった。詰の城である鞠子城はその山の上にある。鞠子の城下はそれ程広くはなく、武家屋敷を抜けると田畑が広がっていた。その田畑の先が、竜王丸の屋敷を建てる土地だった。城下の最も南に位置し、街道と山に囲まれている一画だった。
人足たちが汗と土にまみれて働いていた。
一行は普請場(フシンバ)の片隅に建てられた小屋に入った。小屋の中では、普請奉行の村松修理亮(シュリノスケ)が縄張りの図面に寸法を書き入れていた。
修理亮は今川家の普請奉行で、駿府屋形内の北川殿を建てたのも修理亮だった。早雲たちが顔を出すと修理亮は恐縮して、こんな所にわざわざ起こしいただいて申し訳ないと頭を下げた。
早雲が北川殿と美鈴、竜王丸を紹介すると、たまげて土下座してしまった。
修理亮は北川殿を作ったが、そこに住んでいる北川殿に会った事はなかった。修理亮の身分では、お屋形様の奥方である北川殿は雲の上の人と同じで、目にする機会などあり得なかった。その北川殿とお屋形様である竜王丸が、突然、自分の目の前に現れたのだ。信じられない事だったし、どうしたらいいのか分からず、土下座するしかなかったのだった。
「修理亮殿、この事は内緒じゃ。立って下され」と早雲が言っても無駄だった。
北川殿が立ってくれと言っても、さらに畏まるばかりだった。仕方がないので、早雲は小太郎に北川殿たちを城下の方を案内してくれと頼んだ。
北川殿たちが小屋から出て行くと、ようやく、修理亮は立ち上がった。
「息が止まるかと思いました」と冷汗を拭きながら修理亮は言った。
「すまなかったのう。北川殿がどうしても、ここを見たいとおっしゃって聞かんのでのう。さっきも言った通り、この事は内緒に頼むぞ。今回、北川殿がここにいらしたのはお忍びじゃ」
「はい。畏まりました」
「どうじゃ。進み具合は?」
「はい。幸い、いい天気が続きますので順調に行っております」
「そうか。そいつは良かった。ところで、相談じゃがのう」と早雲は縄張りの図面を覗き、「ここにのう。射場を作って欲しいんじゃ」と言った。
「射場というと弓を射る?」
「そうじゃ。竜王丸殿を立派なお屋形様にするには、武術を仕込まなければならんのでのう」
「射場ですか‥‥‥射場を作るとなると、四十間(ケン、約七十二メートル)は必要ですね」
「まあ、そうじゃな」
「ふむ」と言いながら、修理亮は図面を睨んだ。
「どうじゃ。できそうか」と早雲は修理亮の顔色を見ながら聞いた。
「はい。作るとすれば裏の方になりますね」
「うむ。そうじゃろうな」
「南に少し伸ばせば何とかなるでしょう」
「そうか。何とかなるか。そいつは助かる」
「北側は濠を掘りましたが、南はこれからですから、測り直して射場が作れるようにいたしましょう」
「頼むぞ。実は北川殿のたっての頼みなんじゃよ」
「そうでしたか。母君として竜王丸殿を立派なお屋形様にしようと熱心なのですね」
「いや。そうじゃないんじゃ。北川殿が今、弓術に熱中しておられるんじゃ」
「えっ、北川殿が?」
早雲は笑いながら頷いた。「北川殿もお屋形様がお亡くなりになられてから変わりなすった。頼もしい母君になられた」
「そうですか‥‥‥早雲殿、お屋形の門前の事ですが、こんなものでいかがでしょう」と修理亮は別の図面を早雲に見せた。
その図面には、竜王丸の屋敷と街道との間の地に屋敷が並び、それぞれの屋敷に名前が書いてあった。大きな屋敷が四つあり、そこに、吉田、小田、清水、そして、早雲の名があり、その屋敷より少し小さい敷地に、小島、久保、村田の名前が書いてある。
「わしの屋敷もあるのか」と早雲は聞いた。
「それは当然です。早雲殿はお屋形様の執事殿であります。お屋敷を持つのは当然の事です」
「そういうものかのう‥‥‥」
「もし、何かあった場合、やはり、お屋敷は必要でしょう」
「うむ、そうじゃのう。そこの所はそなたに任せるわ。まずは、お屋形を作る事が先決じゃ。なるべく、早いうちに作ってくれ」
「はい。畏まりました」
その後、早雲は修理亮と一緒に普請場を歩き回った。
その頃、北川殿母子は城下町を散策していた。丁度、神社の前で、ちょっとした市が開かれていた。売っている物はどこでもある野菜や雑貨類だったが、北川殿は珍しい物でも見るかのように眺めていた。竜王丸と寅之助の二人は多米と荒木の目を盗んでは、好き勝手な所に行って遊んでいた。
北川殿母子にとって、今日は久し振りに楽しい一日となった。
「備中守殿、先程の広間ですが、ただならぬ雰囲気でございましたが」と早雲は腰を下ろすと聞いた。
「ちょっと関東の方で騒ぎが起こってのう。その事について話し合っておるのじゃ」
「そうでしたか‥‥‥備中守殿がこちらに来ている隙を狙われたというわけですか」
「そればかりでもないがのう、困った事じゃ」
「それでは、早いうちに関東に引き上げなくてはなりませんね」
「いや。一応は手を打ったから、ひとまずは安心じゃろう」
「そうですか‥‥‥」
「さて、こちらの事に話を移そうか」
早雲は頷き、「備中守殿のお陰で、摂津守殿が身を引いてくれる事となりました。ありがとうございました」とお礼を言った。
「そうか、そいつはよかった」と備中守はホッとしたように笑った。「美濃守殿も分かってくれましたか。これで、何とかなりそうじゃのう」
早雲と小太郎も頷き合った。
「美濃守殿が備中守殿をお訪ねになったとか」と早雲は聞いた。
「うむ。訪ねて参った。美濃守殿は真面目なお方のようじゃの。話せば分かってくれると思っておった」
「はい。自分の考えが小さかったと言っておりました」
「そうか。良かったのう」
「小鹿派の方はいかがでしょう」
「葛山播磨守殿から、しきりに清流亭に戻ってくれとの誘いが掛かっておるんじゃ。播磨守殿も考えを変えたように思えるがのう」
「そうですか‥‥‥しかし、あの播磨守殿がよく同意してくれましたね」
「ちょっとな、威してやったんじゃよ。播磨守殿の本拠地をわしらが頂くと言ってのう。困った顔をしておったわ」
「そうでしたか‥‥‥」
銭泡がのっそりと顔を出した。
「おう、今日は早かったのう。伏見屋殿もどうぞ、お入り下さい」と備中守は笑顔で迎えた。
銭泡は早雲と小太郎に挨拶をすると部屋に入って来た。
「伏見屋殿は治部少輔殿に気に入られてのう。最近、毎日のように望嶽亭に通っておられるんじゃよ」
「銭泡殿も何かと忙しかったようですな」と早雲が疲れたような顔をした銭泡を見ながら言った。「最初の日に顔を見せただけで、一度も来ないものじゃから、どうしたんじゃろうと思っておりました」
「ようやく、解放されそうです」と銭泡は苦笑した。
「なに、もう、来なくもよいと申したのか」と備中守が驚いた。
「いえ。そうは申しませんが、わたしの代わりが現れました」
「ほう。どんな代わりじゃ」
「福島越前守殿が京から来た絵師を連れて参りました。小栗宗湛(オグリソウタン)殿という有名な絵師のお弟子さんだそうです」
「小栗宗湛殿と言えば将軍様の御用絵師じゃのう」と早雲は言った。
「ほう」と備中守が唸った。「将軍様の御用絵師殿のお弟子か。余程の絵を描くと見えるのう」
「はい。まさしく、その通りでございます。まるで、筆が生き物のごとくに動きまして、あっと言う間に素晴らしい絵が現れます。まるで、魔術でも見ているようでございます」
「それで、治部少輔殿は、その絵師に夢中になったという事か」
「はい。さっそく、絵を習っております」
「そうか。これで治部少輔殿は当分、絵に熱中する事になるのう」
「はい。元々、治部少輔殿は絵を描く事が好きだったようですから、大変な喜びようでした」
「銭泡殿、その絵師は何というお名前ですか」と早雲が聞いた。
「狩野越前守(正信)殿です」
「越前守というと、その絵師というのは武士なのか」と備中守は聞いた。
「はい、頭は丸めてはおりません。武士です。伊豆の国の出身だそうで、今回、国元に帰国する途中、福島越前守殿に頼まれて駿府に連れて来られたそうです」
「成程。早雲殿は、その狩野越前守というお方を御存じですか」
「いえ、直接には知りませんが、狩野越前守が描いたという絵を一度、見た事あるような気がします」
「ほう。絵を見ましたか」
「はい。今出川殿(足利義視)が絵に関心を持っておりましたものですから、わたしもよくお供を致しました。その折り、その名を耳にしました。残念ながら、どんな絵だったかまでは覚えておりませんが」
「今出川殿か」と備中守は懐かしい名を聞いたような顔をして、押板に飾られた花に目をやった。「西軍に寝返ったとは聞いておるが、今頃、どうしておられるんじゃろうのう」
「さあ」と早雲は首を振った。「何をしているか分かりませんが、将軍様になれない事は確かでしょう」
「多分な」と備中守も同意した。「将軍家が家督争いを始める御時世じゃ。今川家が家督争いに走るのも無理ないとは言えるが、何とか収まりそうじゃのう」
「お陰様で‥‥‥」
「さっそく、清流亭の方に行ってみるかのう」備中守が早雲と小太郎の顔を見比べながら言った。「早い内にまとめんと、葛山播磨守が、また、何かをたくらむかもしれんからのう」
早雲と小太郎は頷いた。
備中守は側近の上原紀三郎に、今から駿府屋形に向かう事を告げ、いつもの連中を連れて来てくれと命じると、早雲、小太郎、銭泡を連れて、先に清流亭に向かった。
2
見事な客殿だった。
あちこちに金が使われ、眩しい程だった。六代目の将軍、義教(ヨシノリ)が四十年程前に来た時に建てられたものだと言うが、見事な御殿だった。三代将軍が鹿苑寺(ロクオンジ)内に建てた金閣に似せて作ったという。金閣のように三層ではなく、外側に金は使われてはいないが、二層建ての内部は、この世のものとは思われない程、美しく飾られてあった。
清流亭に入った備中守と早雲は、清流亭の留守を守っていた葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)に頼み、さっそく、葛山播磨守を呼んだ。
播磨守は飛ぶような速さでやって来た。
播磨守は備中守から、竜王丸派と手を結んで駿河に攻め、播磨守の本拠地を攻め取ると威されてから、色々と対抗策を考えてみたが、やはり、いい考えは浮かばなかった。
扇谷上杉氏が竜王丸派と結び、播磨守の本拠地を攻めて来た場合、播磨守としては扇谷上杉氏と戦うわけには行かない。戦っても勝てる見込みはまったくなかった。小鹿新五郎と共に滅び去るという馬鹿な真似をするわけには行かなかった。となると、降参するしかない。降参して関東軍の先鋒となり、小鹿新五郎を倒す事になる。しかし、上杉氏に降参するという事は、竜王丸派に降参するのと同じで、小鹿派を倒し、竜王丸派の今川家が誕生した場合、播磨守の立場はすこぶる悪いという事になってしまう。そんな事になるのなら、今のうちに竜王丸派と結んだ方が、まだ、ましだった。
播磨守は備中守が竜王丸派の本拠地、青木城に入ったと聞き、もしや、竜王丸派と手を結ぶのではと気が気ではなかった。定願坊(ジョウガンボウ)を青木城に送り、城内の様子を探らせてはいたが、裏で、早雲と備中守がつながっているような気がして不安でたまらなかった。
こんな思いをするのは播磨守にとって初めての事だった。噂には聞いていたが、備中守という男は本当に恐ろしい男だと思った。策略家としての自分に自惚れていた播磨守だったが、上には上がいるものだと反省をしていた。そして、備中守が自分以上の人物だと気づくと、播磨守は以外にも素直に備中守を尊敬した。
備中守が青木城を出て、八幡山に戻った事を知ると、毎日のように備中守に清流亭に戻って来てくれと頼んでいた。備後守から、備中守が清流亭に入ったとの知らせを受けると、取るものも取らずに清流亭に向かったのだった。その様は、弟の備後守も呆れる程の喜びようだった。備後守はそんな兄の姿を見るのは初めてだった。いつも苦虫をかみ殺したような顔をしている兄が、まるで子供のように喜んでいる。一体、どうした事かと不思議がりながらも兄の後を追っていた。
備中守と早雲、小太郎、銭泡は清流亭の二階から眺めを楽しんでいた。
いくつにも分かれて流れている阿部川の向こうに駿河湾が広がっていた。
「さすがにいい眺めじゃのう」と小太郎は目を細めて言った。
「あそこに治部少輔殿がおられるのですか」と早雲は東に見える望嶽亭を眺めながら備中守に聞いた。
備中守は望嶽亭を見ながら頷いた。「今頃、あそこで、富士山でも描いておられる事でしょう」
突然、誰かが慌ただしく階段を上って来る音がしたと思うと、播磨守が現れ、備中守の足元に座り込むと、「よく、いらして下さいました‥‥‥お待ちしておりました」と息を切らせながら言った。
「播磨守殿、いかがなさいました。そんなに慌てて」と備中守が不思議そうに聞いた。
「いや。なに、一刻も早く、お会いしたいと思いまして‥‥‥」
「さようか、わしらも一刻も早く、播磨守殿にお会いしたかったわ」
「それは‥‥‥」と播磨守は早雲、小太郎、銭泡を見た。
「これは、早雲殿に風眼坊殿に伏見屋殿もお揃いで‥‥‥」
一瞬、やはり、備中守と早雲はつながっていたのか、と思ったが、もう、そんな事はどうでもよかった。先の事はすべて、備中守に任せようと播磨守は決めていた。
この日の播磨守は、今まで様々な策略を巡らして敵対していた播磨守とは、まるで別人のように素直だった。早雲も小太郎も目の前に座る播磨守が、今まで、ずっと敵として戦って来た男だったとは信じられない程だった。
播磨守が、小鹿派としては竜王丸派と手を結ぶ事に同意すると告げると、さっそく、具体的な話へと進んで行った。
まず、両軍とも兵を納め、それぞれの本拠地に帰る事、小鹿新五郎はひとまず、お屋形様の屋敷から退去する事、竜王丸と北川殿は北川殿に戻る事などが決められた。
具体的な日取りを決める段になって、播磨守は自分の一存だけでは決められないと言い、福島越前守も呼ぼうと言い出した。
越前守も備中守が清流亭に入ったと聞くと、すぐにやって来た。
清流亭の二階に上がり、その席に早雲がいる事に不審の念を抱いたが、播磨守に言われるまま、席に着いた。
「越前守殿、わさわざ、お呼びして申し訳ありません」と備中守はまず、一言言ってから、早雲を竜王丸派の代表として、この席にいる事を紹介した。
「成程、早雲殿が竜王丸派の代表ですか」と越前守は苦笑いをした。
すでに、小太郎と銭泡の二人は姿を消していた。
「早雲殿は摂津守派も含めて竜王丸派の代表。そして、お二人は小鹿派の代表。ようするに、この場に今川家の縮図があるわけです。そこで、この席において、今後の今川家の事を決めたいと思っております。わたしが立会人になりますがよろしいですかな」
備中守は皆の顔を見渡した。
早雲、播磨守、美濃守は頷いた。
「それでは、まず今川家の家督を継ぐお方ですが、先代のお屋形様の嫡男であられる竜王丸殿。竜王丸殿が幼少であられるため、竜王丸殿が成人なさるまで、竜王丸殿を後見していただくお方に小鹿新五郎殿、以上のように決めたいと思いますが、いかがですかな」
「我らには依存はありませんが、早雲殿」と越前守が早雲に聞いた。「摂津守殿は確かに、後見の座から降りたのでしょうな」
「はい。今川家のために身を引いていただきました」
「ほう、岡部美濃守を説得したと申すのか」
「はい」
「うむ。それなら何も問題はないじゃろう」
その後、具体的な日取りが決定した。
十日以内に両軍とも兵を引き上げる。今日が八月の十六日なので、二十六日までに引き上げるという事に決まった。そして、小鹿新五郎はお屋形様の屋敷から元の自分の屋敷に戻り、葛山播磨守も北川殿から出て、元の屋敷に戻る。駿府屋形から出て行った竜王丸派の重臣及び、その関係者は駿府屋形に戻り、すべてが、小鹿派がお屋形を占拠する以前に戻る事と決められた。そして、吉日である九月の六日に、両派の重臣たちはすべて、お屋形様の屋敷の大広間に集まり、備中守と上杉治部少輔の立会いのもと、めでたく、一つになるという事に決まった。
翌日より阿部川に布陣していた両軍の兵が撤退し始めた。
兵たちは皆、戦にならずに済んだ事に喜んでいた。兵たちから見れば、ただ、上からの命令で睨み合いをしていただけで、どうして、今川家中で戦をしなければならないのか分からない。敵味方に分かれた兵たちの中には知り合い同士もかなりいた。命令だからと言って、知り合いと殺し合いをしたくはなかった。どうして、急に撤退命令が出たのか分からなかったが、皆、良かったと心の中でホッとしていた。
二十六日には両軍ともすべての兵が国元に帰って武装を解き、家族と共に無事だった事を祝っていた。駿府屋形を守っているのは本曲輪に葛山備後守率いる三番組、二曲輪には蒲原左衛門佐率いる二番組だけとなった。一番組、四番組、五番組の頭は竜王丸派だったため、新たに小鹿派の者に変えられたが、それらは解雇され、以前の頭が迎えられる事となった。
小鹿新五郎はお屋形様の屋敷を出る事を拒み、播磨守と越前守をてこずらせたが、二人の説得によって元の屋敷に戻り、新たに宿直衆になっていた新五郎の家臣たちは小鹿の庄に帰った。播磨守も半年近く住んでいた北川殿を綺麗にして、二曲輪内の自分の屋敷に戻って行った。
竜王丸派は、まず、御番衆の頭、木田伯耆守(ホウキノカミ)、入野兵庫頭(ヒョウゴノカミ)、三浦右京亮(ウキョウノスケ)の三人に配下の者を引き連れさせて駿府屋形に入れた。そして、安全を確認した上で、重臣たちの家臣たちが入って来て、半年の間、留守にしていた屋敷を改めた。
北川殿も、まず北川衆が戻り、安全を確認した上で、北川殿母子と侍女や仲居を迎えた。
3
まさに吉日にふさわしく秋晴れの一日だった。
駿府屋形のお屋形様の屋敷の大広間では、予定通りに今川家の重臣たちが集まって評定が行なわれていた。顔触れは、小鹿派がお屋形を占拠する以前のごとくに全員が集まった。以前と違うのは上段の間に竜王丸と北川殿が座り、竜王丸の執事として早雲の顔があり、立会人として太田備中守と上杉治部少輔の二人が見守っていた。
上段の間の下には小鹿新五郎が座り、少し離れて、河合備前守、中原摂津守が並んだ。備前守も摂津守も綺麗さっぱりと頭を丸めていた。
備前守は自分を支持していた天野兵部少輔が竜王丸派に寝返ったために孤立してしまい、仕方なく、小鹿派に今川家の長老として迎えられる事になった時、頭を剃った。誰かに勧められたわけではなく、自分の意志で頭を丸めたのだった。亡きお屋形様の弟である自分を見捨てた重臣たちに、恨みを込めての反抗の表現として頭を丸めたのだった。摂津守も自分を見捨てた岡部美濃守に対する腹いせとして頭を丸めていた。
備前守は棄山(キザン)入道、摂津守は虚山(コザン)入道と号していた。二人共、入道名に山を付けたのは、亡くなった兄が晩年、桂山(ケイザン)と号していたのを真似たのだった。兄は入道になったわけではなく、連歌会の時にその号を使っていたに過ぎなかった。二人共、まさか、自分たちが本当の入道になって、兄と同じように何山と号すとは夢にも思ってもいない事だった。
以前のごとく、今川家の長老である朝比奈天遊斎と小鹿逍遙の二人の進行で評定は始まり、嘘のように速やかに進行して行った。お屋形様に竜王丸、後見に小鹿新五郎、天遊斎と逍遙の二人は隠居し、新たに、備前守と摂津守の二人が今川家の長老と決定した。駿河の守護職は、改めて幕府に認めて貰わなければならなかったが、竜王丸は先代のお屋形様の嫡男なので、すんなりと認めてくれるだろうと考えられた。
お屋形様の屋敷で評定の続いていた頃、北川殿の客間では、小太郎、富嶽、多米、荒木らが早雲たちの帰りを待っていた。
「ようやく、終わったのう」と小太郎は柱にもたれながら言った。
「これで、うまく行くんじゃろうか」と富嶽はお屋形様の屋敷の方を眺めながら言った。
「竜王丸殿が成人なさるまで十年はあるからのう」と小太郎は言った。「その十年の間、小鹿新五郎が黙っているとは思えんのう。その十年間の活躍いかんでは、そのまま、お屋形様の座に就くという事もありえるかもしれん」
「まだまだ、前途多難ですな」と荒木が言った。
「竜王丸殿は前のように、ここに住むんじゃろうか」と多米は聞いた。
「お屋形様の屋敷には小鹿新五郎が入るじゃろうからの。やはり、ここに住む事になるんじゃないかのう」と富嶽は言った。
「危険はないのかのう」と多米は心配した。
「分からんな。成人なさる前に病死という事もありえるじゃろうな」と小太郎は言った。
「ここにいたら危険ですよ」と荒木は言った。「朝比奈城にいた方がいいんじゃないですか」
「それはそうかもしれんが、北川殿の住む所を、わしらで勝手に決める事はできん」と富嶽は言った。
「早雲が帰って来たら、この事は改めて考えなければなるまいな」と小太郎は言った。
「早雲殿はどうなるんじゃろう」と多米は聞いた。
「どうなるとは?」と小太郎が聞いた。
「今川家の家臣になるんじゃろうか」
「うむ。竜王丸殿を守って行かなければならんからのう。竜王丸殿が成人なさるまでは、側に仕えるという事になるじゃろうな」
「という事は武士の戻るのですか」
「それは分からん」
「わしらはどうなるんです」と荒木は聞いた。
「それはおぬしら次第じゃろう。おぬしらが竜王丸殿を守りたいと思えば、早雲の奴が何とかしてくれるじゃろう。北川衆の数が足らんから北川衆にでもなったらよかろう」
「まさか、わしらが北川衆になれるわけがないわ」と多米は首を振った。
「そいつは分からんぞ」と富嶽は言った。「早雲殿に頼んでみれば何とかなるかもしれん。しかし、北川衆になったら前のように自由気ままには生きられんぞ」
「そうじゃのう。わしにはちょっと勤まらんわ」と多米は言って、荒木を見た。
荒木は頷き、「北川衆になるよりは、以前のように早雲殿の家来として竜王丸殿を守っておった方が気楽でいいのう」と言った。
お雪と春雨の二人が客間に入って来た。
「北川殿はまた、ここに住む事になるの」とお雪が小太郎に聞いた。
「多分な」と小太郎は言った。
「無理だと思うわ」とお雪は首を振った。
「なぜじゃ」
「だって、朝比奈のお城下にいた時、毎日、お城下を出歩いていた北川殿がここに入ったら、ここからほとんど出られなくなるんでしょ。絶対に無理だわ」
「そうか‥‥‥北川殿は以前の北川殿とは違うんじゃったな」
「そうよ。北川殿だけじゃないわ。侍女や仲居の人たちだって、毎日、お屋敷にいるよりは外にいた方が多かったのよ。こんな堅苦しい所なんか嫌だって思っているに違いないわ。口に出しては決して言わないけど、みんな、つまらなそうな顔をしてるわ」
「それは言えるわね」と春雨も言った。「みんな、いい所のお姫様ばかりで、子供の頃からお屋敷の中で大切に育てられて、そして、ここに来たのよ。みんな、お屋敷の中だけで暮らす事が当然だと思っていたから、以前の様に暮らす事ができたけど、朝比奈のお城下では最初のうちは皆、戸惑っていたけど、自由に出歩く事の楽しさを覚えてしまったのよ。今更、このお屋敷内だけで暮らせと言っても無理だと思うわ」
「確かにのう。この屋敷内だけで暮らせといっても無理じゃのう。ここでは弓の稽古もできんしのう。かと言って、ここから出て行くには牛車に乗らなければならん。そんな生活を続ける事は不可能と言えるのう」
「早雲殿に頼んで、また、朝比奈のお城下に住む事ができるようにした方がいいわよ。竜王丸殿のためにも、こんな所にいるより朝比奈のお城下を走り回っていた方がいいと思うわ」
「うむ。それはそうじゃ」と小太郎は頷いた。「立派なお屋形様に育てるにも、こんな屋敷に閉じ込めておいたのではいかんのう。野山を飛び回って、自然から色々な事を学ばなければならん‥‥‥うむ。この事は本気で考えんといかんのう」
「ねえ、あたしたちは、これから、どうするの」とお雪は聞いた。
「ここから出たいのか」
「北川殿が安全なら、あたしもここから出てもいいんじゃないかと思って」
「わしは浅間神社の門前に戻るつもりじゃ」
「また、町医者に戻るの」
「まあな。お前はもう少し、ここにいてくれ」
「うん。迎えに来てね」
いつの間にか、多米と荒木の二人が消えていた。
「春雨殿はどうするつもりじゃ」と富嶽は聞いた。
「わたしも、そろそろ早雲庵に帰りたいとは思うけど、みんな、いなくなっちゃったら北川殿が淋しがるだろうし、わたしはもう少し、ここにいようと思っているの」
「そうか、それがいいじゃろうの。美鈴殿も淋しがるじゃろうしの」
北川殿と竜王丸殿を乗せた牛車が戻って来たのは、未(ヒツジ)の刻(午後二時)頃だった。
牛車には北川衆の吉田と小田の二人が付き添い、侍女の萩乃が従っていた。その後ろに早雲と長谷川法栄と五条安次郎が付いて来た。
北川殿と竜王丸を奥の間に送ると、早雲は皆の待つ客間に現れた。
「どうじゃった」と小太郎は聞いた。
「うまく行った」と早雲は笑った。
早雲は評定の場で、正式に竜王丸の執事となり、竜王丸が継いだお屋形様の直轄地より所領を貰う事に決まった。知行場所や知行高はまだ決まってはいないが、今川家の家臣になる事は決定したとの事だった。以前とは違い、決まった収入が得られる事になったので、早雲は改めて早雲庵にいる者たちを家臣として召し抱える事にした。ただ、小太郎だけは早雲の家臣にはならず、町医者として、お雪と共にのんびり暮らすと言った。ただし、北川殿の御祈祷師(ゴキトウシ)として、北川殿や竜王丸とは自由に会う事ができるようにすると早雲は約束した。お雪の方も美鈴の笛の師匠として、北川殿に出入りできるようにするとの事だった。
「早雲殿、もしかしたら、お城も貰ったのでは?」と富嶽は聞いた。
「いや、その件はお断りした」
「どうしてです」
「城を持つと、それがどこだとしても、その城に縛られる事になる。竜王丸殿が成人なさるまでは、竜王丸殿の側におりたいのでな、竜王丸殿が成人なさる暁まで、その事は待ってもらい、今のまま石脇の地を法栄殿にお借りするつもりじゃ」
「はい」と法栄は頷いた。「その事はもう、わしとしても早雲殿にあそこにいて貰った方が心強いのでな」
「よろしく、お願いいたします」
「なに、わしよりも早雲殿があそこから出て行かれる事となれば、あの辺りの村人たちが許すまい」
「確かに、長谷川殿の言う通りですね。村人たちが騒ぎ出す事でしょう」と安次郎も言った。
「必要ならば、あそこを城のようにすればいい」と法栄は言った。
「いえ。今のままでいいでしょう。濠を掘ったり、土塁を築いたりしたら、村人たちが近寄りがたくなってしまう」
「そうですな。あそこは今まで通り、村人たちの寄り合い所みたいになっておった方がいいかもしれんのう」と富嶽も言った。
「早雲。何もかもうまく行っておるようじゃが、一つだけ問題があるんじゃ」と小太郎が渋い顔をして言った。
「問題?」と早雲は小太郎を見た。
「ああ、ここの事じゃ。北川殿は以前のように、ここに住む事になったのか」
「そうじゃが」
「竜王丸殿が成人なさるまでか」
「まあ、そういう事になろうのう」
「それが具合が悪いんじゃ」
「なに? 誰かが竜王丸殿の命を狙うとでも言うのか」
「それもあるかもしれん。が、それ以上の問題があるんじゃ」
「何じゃ、それ以上の問題とは」
「おぬしは竜王丸殿をどのようにお育てするつもりじゃ」
「どのようにだと? 立派なお屋形様にお育てするのに決まっておろう」
「ここでか」
「なに?」と早雲は改めて、部屋の中を見回した。「そうか、そこまでは考えなかったわ。確かに、こんな所に十年も閉じ込められて、立派なお屋形様に育つわけがなかったわ」
「そうじゃ」と小太郎は頷いた。「こんな所におったら、どこに行くにも重臣たちに監視され、のびのびと育つ事もできん」
「かと言って、ここから出て行ったら、また、小鹿派の天下となりえんぞ」
「それは、ここにおっても同じじゃろう。後見となった小鹿新五郎は北川殿など無視して事を決めて行く事は目に見えておる。じゃが、関東の太田備中守殿が睨みを効かせておるうちは大それた事はできまい」
「うむ。確かにのう」
「十年というのは長い。その間に小鹿新五郎が何をしたとしても、竜王丸殿が立派に成長なされば、重臣たちは竜王丸殿に付いて行く事じゃろう。何よりも一番重要な事は、竜王丸殿を立派なお屋形様に成長させる事じゃ」
「法栄殿はどう思われます」と早雲は聞いた。
「確かにのう。先代のお屋形様が生きておられたならば、竜王丸殿はここにいたとしても、のびのびとお育ちになる事じゃろうが、今の状況では、それは難しい事といえるのう。竜王丸殿はこの屋敷に軟禁されているような状況じゃからのう。わしも竜王丸殿の事を考えると、ここからは出た方がいいような気がするわ」
「それに、北川殿の事もあります」と春雨は言った。
「北川殿?」
「はい。まだ、ここに移ってから十日も経っていませんけど、朝比奈殿の御城下を懐かしがっておられます」
「そうか‥‥‥竜王丸殿よりも北川殿の方がこんな所にいつまでも閉じ籠もってはおられんのう。これは考えてみなければならん‥‥‥しかし、北川殿がここから出て行く事を重臣たちが賛成してくれるかのう」
「難しいですな」と法栄は首をひねった。
「備中守殿がおられるうちに、何とかした方がいいと思うがのう」と小太郎は言った。
「うむ、確かに‥‥‥しかし、どうやって重臣たちを納得させるかじゃな‥‥‥」
竜王丸の命が危ないからと言えば小鹿派を刺激する事になる。かといって、北川殿が堅苦しい北川殿から出たいと言っているからと言っても、今川家のお屋形様の母親として、そんな我がままが許されるわけもない。竜王丸の成長のためには北川殿にいるよりは、もっと、のびのびとした所で育った方がいいと言っても、お屋形様をそんな所で育てるわけにはいかんと反対するに決まっていた。
その日はいい考えは浮かばなかったが、何とかしなければならなかった。
4
九月の十五日、浅間神社の神前において、今川家の重臣たちは竜王丸をお屋形様として盛り立て、団結する事を誓い合った。これで、はるばる関東から来ていた上杉治部少輔、太田備中守の役目はようやく終わった。
その日の晩、重臣たちが全員参加して、治部少輔と備中守をねぎらう宴が、お屋形様の屋敷の大広間で行なわれた。早雲も勿論、参加していた。
竜王丸と北川殿が今の屋敷から出る件については、うまく行っていた。評定の席で、早雲は、北川殿が今の屋敷で恐怖に脅(オビ)えていて、顔色もよくないので、別の所に移動したいと提案した。北川殿はあの屋敷にいると、仲居が殺された事や、河原者の襲撃にあった恐ろしい事が思い出されて食事もろくにできず、毎日、脅えて暮らしていると説明した。
初め、それならば、お屋形様の屋敷に移ればいいとか、道賀亭に移ればいいとかの意見も出たが、竜王丸が成人するまでは、今川家の事は小鹿新五郎殿と重臣たちに任せ、竜王丸は別の所でのびのびと育てた方が、今川家のためにいいのではないかと早雲が言うと、まず、太田備中守がその意見に同意した。小鹿新五郎にしても竜王丸が駿府屋形から出て行った方が、この先、やりやすいので、竜王丸のためにはその方がいいと同意した。葛山播磨守、岡部美濃守も、その意見に賛成すると、皆、同意した。そして、どこに移ったらいいかという事に関して色々と検討した上、駿府からも、そう離れていない斎藤加賀守の城下、鞠子(マリコ)と決められた。すでに、もう、鞠子城下の加賀守の屋敷の南側、日当たりのいい地において、竜王丸のための屋敷の普請(フシン)が始まっていた。今年中には完成し、来年の正月は新しい屋敷で迎える手筈になっていた。北川衆たちの屋敷も竜王丸の屋敷の回りに並ぶ予定で、執事である早雲の屋敷も建つ予定だった。
小太郎とお雪は久し振りに、浅間神社の門前町の我家に帰って来た。
二人は四ケ月間、京の方に旅に出ていた事になっていたので、二人が帰って来た事を知ると、向かいの紙漉(ス)き屋の隠居が、さっそく遊びに来た。小太郎たちは隠居に作り話をしなければならないと思ったが、風眼坊が早雲と共に、今川家のために活躍した事を隠居は知っていた。そして、町人たちが今回、竜王丸がお屋形様になった事について、どう思っていたかを教えてくれた。事件の真っ只中にいた小太郎たちとは違って、事件を外から眺めていた町人たちは、まったく違った見方をしていた。
小太郎は風間小太郎の名で町医者を開いたが、北川殿がここに来た時、北川衆の小田が小太郎の事を、京で有名な医者、風眼坊と紹介したため、風眼坊の名の方が有名になってしまった。そして、風眼坊という名のまま駿府屋形に出入りしていたため、風眼坊の活躍が町人たちの話題に上っていたのだった。
隠居の話によると、先代のお屋形様は遠江の出陣から帰って来た後、急病に罹って、四月に亡くなった事になっていた。それは、当然の事だった。凱旋(ガイセン)した時、お屋形様は確かに生きていたのだった。誰もが、お屋形様が本物だと思い、小鹿新五郎がお屋形様に扮していたとは思いもしなかった。
その後、各地の重臣たちが駿府に集まって来た。徐々に、駿府屋形の警戒も厳重になり、町人たちも何かあったに違いないと思うようになり、恒例の花見も中止となった。この頃から、お屋形様が病を患(ワズラ)ったと思う者が多くなった。そして、お屋形様の病の治療をしていたのが、何と、風眼坊だったという事になっていた。その当時、そんな事を思った者は勿論、誰もいなかったが、その後、北川殿が風眼坊の所に出入りした事が噂になると、当然、お屋形様の病の治療に当たっていたのも風眼坊に違いないと町人たちは噂していた。その頃、風眼坊とお雪は北川殿の側にいて、門前町の家は長い間、留守となっていた。町人たちが勘違いするのも無理なかったが、小太郎とお雪は隠居から、その事を問い詰められて、何と答えたらいいものか戸惑ってしまった。
四月になると関東から軍勢がやって来た。戦が始まるのかと思ったが、その気配はない。そして、四月の六日、お屋形様の葬儀が行なわれ、関東の軍勢が葬儀に参加するために、わざわざ、来たという事が分かった。町人たちも誰が一体、新しいお屋形様になるのだろうと考え、一騒ぎ起こるに違いないと思った。葬儀の喪主は小鹿新五郎だったが、そのまま、すんなりと新五郎がお屋形様に決まるとは町人たちも思ってはいなかった。案の定、今川家は二つに分かれ、いつ、戦が始まるとも分からない状況に突入して行った。浅間神社でも僧兵たちが武装して門前町を練り歩き、町人たちは戸締りをして家の中に籠もっていたと言う。
その時、突然、出現して、活躍したのが竜王丸殿の伯父、伊勢早雲だと言う。
駿府の町人たちは今まで、早雲の存在を知らなかった。駿府屋形に何度も出入りしていても、町人たちの噂に上る程の事はなかった。石脇の早雲庵の近辺では早雲の名は有名だったが、その地でも早雲が竜王丸の伯父だという事は知らない。駿府の町人たちにとって、早雲という僧が突然、お屋形様の死と共に出現したように思われた。
最初に早雲の名が出て来たのは、三浦次郎左衛門尉の寝返りの時だった。四月の末、三浦一族の者が全員、駿府屋形から姿を消すという事件が起こった。普通、お屋形内で起きた事件は町人の噂にはならない。町人の噂にならないように、堅く口止めされる事になっている。北川殿や小鹿屋敷の仲居が殺された事件や、北川殿が河原者たちに襲撃された事件、北川殿が駿府屋形から逃げ出した事など、町人たちはまったく知らなかった。ところが、三浦一族の者が駿府屋形から消えた事件では、事件の後、三番組の頭、葛山備後守が配下の者たちを使って、城下や浅間神社の門前町に早雲の隠れ家があるに違いないとしらみ潰しに捜し回ったため、瞬く間に町人たちに知れ渡り、早雲という名も有名になって行った。早雲には風眼坊という大峯の山伏が付いており、二人は摩訶不思議な術を使って、一瞬のうちに三浦一族を女子供に至るまで駿府屋形から脱出させたという。早雲の名と共に風眼坊の名も城下の隅々にまで知れ渡って行った。名医としての風眼坊の名は浅間神社の門前町だけの噂に留まったが、大峯の山伏、風眼坊の名は駿府一帯に広まって行った。
その次に早雲の名を有名にしたのは、八月の十六日、備中守と一緒に早雲らが駿府屋形内の清流亭に入った時だった。その時、備中守は早雲、小太郎、銭泡の三人だけを連れて馬に乗り、駿府屋形にやって来た。屋形に入る時、ちょっとした騒ぎが起こった。その時、本曲輪の警固に当たっていたのは三番組だった。南門を通ろうとした一行は門番に止められた。門番の中に、早雲と小太郎の顔を知っている者がいたのだった。備中守が通るのは構わないが、敵である早雲と小太郎を許可なく通すわけにはいかなかった。門番は一行を止め、頭の葛山備後守に伝えに行った。武装した御番衆たちは、早雲、小太郎、銭泡を馬から降ろして槍で囲んだ。
その場面を目撃していた商人がいた。福島越前守のもとに出入りしている江尻津の『河内屋』という商人で、越前守に頼まれて備中守が陣を敷いている八幡山に差し入れをした帰りだった。河内屋の一行が南門に差しかかった時、目の前で早雲らが囲まれたのだった。河内屋には何が起こったのか分からなかったが、知り合いの御番衆の者から訳を聞いて、囲まれているのが早雲と風眼坊だという事を知った。河内屋も二人の噂は知っていた。小鹿派に敵対している竜王丸派の中心になっているという二人だった。その二人が護衛の者も付けずに、備中守と一緒に敵中に入って行くというのは興味深い事だった。
やがて、備後守が現れ、備中守と話すと頷き、早雲たちは御番衆に囲まれたまま清流亭に入って行った。御番衆らが清流亭を囲むのを見ると、河内屋は越前守の屋敷へ、今、目撃した事を知らせに走った。
越前守は河内屋に早雲が来た事を口止めしたが、河内屋のもとで働いていた人足たちによって、その事は瞬(マタタ)く間に、城下及び浅間神社の門前町に広まって行った。町人たちは敵陣に乗り込んで来た早雲が、今度は何をしでかすのか、期待の目で見守っていた。
それから三日後だった。阿部川から両軍の兵が撤退して行った。五日後には駿府屋形を囲んでいた兵も帰って行った。そして、十日経った二十六日には、お屋形内にいた小鹿新五郎の兵も去り、御番衆だけが残った。そして、お屋形から出て行った竜王丸派の重臣たちが続々と戻って来た。
町人たちは、ようやく、今川家が元に戻ったと安心し、喜び会った。そして、今川家を一つに戻したのは、太田備中守の力もあるが、早雲のお陰だと誰もが思っていた。もし、早雲がいなければ駿河の国は戦になり、駿府の城下は灰燼(カイジン)と化していたかもしれないと誰もが早雲に感謝し、町人の中には早雲大明神様、早雲大菩薩様などと呼んでいる者さえいると言う。
小太郎とお雪は紙漉き屋の隠居から、その事を聞いて、さすがに驚きを隠す事はできなかった。そして、噂というものの恐ろしさを改めて思い知った。
情報というものは戦に勝つために絶対に必要なものだった。敵を知り、己を知らなければ、戦に勝つ事はできない。武将たちは適確な情報を求めるため、あらゆる手段を使う。武将たちが情報に飢えている事は小太郎も知っていたが、情報に飢えているのは武将たちだけではなく、町人たちも同じだった。町人たちも町人なりに、今、何が起こっているのか知りたがり、その情報はあっと言う間に町人たちの間に流れて行くという事を改めて思い知らされた。
加賀にいた頃、一つの噂によって蓮崇は本願寺から破門となり、ここでは、小太郎たちの知らないうちに、早雲は町人たちの間で英雄となっている。世の中、面白いものだと思った。勿論、当の本人、早雲もまだこの事は知らないだろう。駿府の町人たちの英雄となってしまった早雲は、この先、益々、回りから縛られる事になる。何物にも縛られないで、自由自在の境地で生きたいと言う早雲は、何かをやる度に、皮肉にも、自ら自分の首を絞めているように小太郎には思えた。早雲はこれから先、町人たちの思う通りの英雄でいなければならなかった。この地を離れない限り、早雲の理想とする生き方はできないだろう。しかし、奴にはそれもできまい。これも、奴の運命なのだろう、と小太郎は思った。
次の日から、小太郎とお雪は町医者を再開した。毎日、大勢の者たちが小太郎を訪ねて来た。ほとんどの者が患者ではなく、風眼坊の口から直接、早雲の活躍を聞きに来た者たちばかりだった。小太郎も初めの頃は、町人から聞かれるまま事の成り行きを話していたが、毎日、毎日、同じ事を聞かれるとうんざりとして、毎日のように来ていた隠居にすべてを任せて、奥の部屋に籠もってしまった。
九月の十五日の浅間神社の神前の儀が行なわれた時には、一目、早雲を見ようと町人たちが押しかけ、急遽、御番衆や僧兵たちが町人たちの整理をしなければならない程だった。そして、早雲を見た町人たちは、その事を告げるために、また、小太郎の家に押しかけて来たのだった。わりと我慢強い方のお雪も、いい加減うんざりして、ここから出ようと言い出し、しばらく旅に出ると称して北川殿に入った。
お雪は北川殿の侍女に戻り、小太郎は富嶽らが住んでいる北川衆の屋敷に入った。富嶽、多米、荒木の三人は殺された大谷の家族が住んでいた北川殿のすぐ前の屋敷に住んでいた。大谷の家族は大谷が殺されてから実家の方に帰り、空き家となっていたため、三人が入ったのだった。以前よりも北川衆は三人少なかった。補充の人員が決まるまで、この三人が代わりとなって交替で北川殿を守っていた。小太郎はこの屋敷で、町人たちから解放されて、のんびりと暮らした。
5
浅間神社の誓いの儀に立ち会った後、太田備中守と上杉治部少輔は毎日のように重臣たちから招待を受け、忙しく駿府屋形内を行き来していた。
備中守としては、関東に騒ぎが起こったため、早く帰りたかったが、長い目で見ると、今、今川家の重臣たちとつながりを持っておけば、後々、援軍を頼む時に有利になるだろうと思い、嫌な顔もせずに、誘いを受ければ気安く出掛けて行った。ただし、今回、引き連れて来た三百騎の内の百騎と徒歩武者のほとんどは、すでに江戸に向かっていた。
治部少輔には備中守のような政治的な考えはない。ただ、もう少し贅沢を楽しみたいだけだった。伊豆の堀越(ホリゴエ)に帰れば、愚痴(グチ)ばかりこぼしている不機嫌な公方(クボウ)の側に仕えなければならない。ここでの優雅な暮らしなど、もう二度とできないだろう。今の内に、一生分の贅沢を味わってやろうと張り切っていた。
大将の治部少輔はそう思っていても、付いて来た兵たちにすれば、たまったものではなかった。駿河に来て、すでに半年が経っている。戦があるわけでもないのに、半年もの間、茶臼山の裾野に陣を敷いたままだった。彼らは治部少輔の家来ではない。堀越公方の命によって、かき集められた農民たちがほとんどだった。四月から十月といえば農繁期である。その忙しい時期に、こんな所まで連れて来られ、する事もなく、毎日、遊んでいるようなものだった。出兵したからといって恩賞が貰えるわけでもなく、まして、年貢が減るわけでもなかった。今川家からの差し入れもあって、食う事には困らないが、誰もが、一刻も早く帰りたいと願っていた。
今川家の重臣たちから見れば、幕府が当てにできない今、現実的に見て、備中守は一番頼りになる存在だった。それぞれが、それぞれの思惑を持って備中守に近づいて行った。また、治部少輔に近づいて行った者たちは、未だに幕府の権威を信じ、将軍義政の弟である堀越公方、政知(マサトモ)の関心を買おうとしていた。思惑は色々とあったが、本当の所は名門である今川家の重臣であるという誇りが、備中守と治部少輔を引き留めていたのだった。誰々が備中守を招待して御馳走で持て成したと聞けば、自分はそれ以上に持て成そうと考え、治部少輔を招待したと聞けば、自分も負けじと招待した。こんな風に、備中守と治部少輔は、今川家中の重臣たちの誇りというものに振り回されて、御馳走責めにあっていたのだった。
竜王丸と北川殿が駿府に帰って来て以来、早雲は早雲庵には帰らず、北川殿の屋敷に滞在していた。正式に竜王丸の執事になっても、早雲にはまだ屋敷がなかった。二曲輪内に空き屋敷があるので、そこを使うようにと言われたが、早雲は断っていた。北川殿母子が駿府から出る事になれば、執事である早雲も当然、ここから出て行く事になる。今、屋敷を貰ってもしょうがなかった。後で、小太郎に、くれると言うものは貰って置けと言われたが、屋敷を貰ってしまえば、小鹿新五郎に仕えなくてはならなくなるかもしれん。なるべく、借りは作りたくはないんじゃと言って笑った。
駿府に帰って来て二十日が過ぎた。
竜王丸は朝比奈の城下に帰って、山や川で遊びたいと言い、北川殿は毎日、つまらなそうに溜息を付いていた。朝比奈城下にいた頃の竜王丸は寅之助と一緒に、毎日、泥だらけになって野山を走り回っていた。こんな屋敷内に黙っていられるわけがなかった。毎日のように母親や侍女、仲居たちに、早く山の中に帰ろうと言ってはたしなめられていた。北川殿はここに帰って来てからも弓術や剣術の稽古は欠かさなかったが、朝比奈城下にいた頃と違って、何となく息苦しいと感じていた。
早雲は今日、鞠子の城下に行くつもりでいた。今、鞠子では鞠子城の城主、斎藤加賀守が中心になって、竜王丸の新しい屋敷を作っていた。北川殿より新しい屋敷には絶対に弓術の稽古をする射場(イバ)を作ってくれ、と頼まれていたので、その事を伝えに行こうと思っていた。北川殿のためだけでなく、竜王丸のためにも射場は必要だと早雲は思い、北川殿の意見に同意したのだった。今、地ならしをしている所で、竜王丸の屋敷は濠で囲まれる事になっている。濠を掘ってしまったら屋敷内に射場を作る事は難しくなる。濠を掘る前に縄張りの変更しなければならなかった。
早雲が台所に顔を出し、仲居に弁当を頼んでいると北川殿が顔を出した。以前の北川殿だったら仲居たちの働く台所に入って来た事などなかったが、今の北川殿は平気な顔をして台所にも来るし、仲居たちの休んでいる部屋にも入って行って、一緒に話し合ったりしていた。ここから逃れ、小河屋敷や朝比奈屋敷で共に苦労したお陰で、以前の主人と使用人というだけの関係から、隔(ヘダ)てのない家族的な関係となっていた。
「兄上様、わたしも行きます」と北川殿は言った。
「えっ?」と早雲は驚いた。
「鞠子にいらっしゃるのでしょ。わたしも新しいお屋敷が見たいのです」
「北川殿。もうしばらくの辛抱(シンボウ)です。お屋敷ができるまで、ここでお待ち下さい」
「しばらくとは、いつまでですか」
「あと三ケ月、いや、二ケ月です」
「長過ぎます‥‥‥今日、一緒に連れて行ってくれましたら、二ケ月でも三ケ月でも我慢いたします」
「困りましたな」
「兄上様、お願いです。わたしも竜王丸も、このまま、あと二ケ月も我慢できるとは思えません。今日、一度、外に出る事ができれば、何とか我慢してみます」
仲居たちも北川殿の意見に賛成だった。仲居たちも北川殿の苦しさは身を持って感じていた。口にこそ出さないが、仲居たちも早く、ここから出たいと思っていたのだった。
早雲は門前の北川衆の屋敷から小太郎を呼ぶと、さっそく、脱出作戦を開始した。
北川殿は侍女と北川衆に守られ、牛車に乗って、浅間神社に出掛けた。今川家が一つにまとまり、竜王丸がお屋形様になったお礼参りに行くという理由だった。浅間神社でお参りを済ますと、北川殿は春雨と入れ代わった。春雨は牛車に乗って屋敷に帰り、北川殿と美鈴と竜王丸は町人に扮して鞠子に向かった。供として、早雲、小太郎、お雪、菅乃、淡路、多米、荒木、寅之助が従った。
駿府から鞠子までは二里と離れていない。ゆっくり歩いても一時は掛からなかった。
一行は阿部川の渡しを渡り、鎌倉街道をのんびり西に向かって歩いた。阿部川を渡る時から、北川殿も美鈴も竜王丸も顔色が変わり、嬉しそうにニコニコしていた。竜王丸は川の中に身を乗り出すようにして、はしゃぎ、北川殿と美鈴は空を見上げながら体を思い切り伸ばしていた。今まで考えても見なかったが、あの屋敷から出る事がこんなにも楽しいものなのかと、北川殿には不思議に思えた。
「みんなに悪い事しているみたい」と北川殿は歩きながら言った。
「そうですね。今頃、悔しがってるに違いないわ」と菅乃は言った。
「やっぱり、気持ちいいわ」と北川殿は笑った。
早雲は嬉しそうな妹と姪、甥の姿を目を細くして眺めていた。
一行は藁科(ワラシナ)川を渡って、山の中へと入って行った。
竜王丸と寅之助の二人は走り回っていた。早雲から二人のお守りを命じられた多米と荒木は汗をかきながら二人を追いかけている。
歓昌院坂(カンショウインザカ)を越えると鞠子の城下はすぐだった。
城下は山に囲まれた谷の中にあった。
鎌倉街道を中心にして、東側に町人たちの家が並び、西側に武家屋敷が並んでいる。武家屋敷の奥の小高い丘の上に、山を背にして建っている屋敷が城主、斎藤加賀守の屋敷だった。詰の城である鞠子城はその山の上にある。鞠子の城下はそれ程広くはなく、武家屋敷を抜けると田畑が広がっていた。その田畑の先が、竜王丸の屋敷を建てる土地だった。城下の最も南に位置し、街道と山に囲まれている一画だった。
人足たちが汗と土にまみれて働いていた。
一行は普請場(フシンバ)の片隅に建てられた小屋に入った。小屋の中では、普請奉行の村松修理亮(シュリノスケ)が縄張りの図面に寸法を書き入れていた。
修理亮は今川家の普請奉行で、駿府屋形内の北川殿を建てたのも修理亮だった。早雲たちが顔を出すと修理亮は恐縮して、こんな所にわざわざ起こしいただいて申し訳ないと頭を下げた。
早雲が北川殿と美鈴、竜王丸を紹介すると、たまげて土下座してしまった。
修理亮は北川殿を作ったが、そこに住んでいる北川殿に会った事はなかった。修理亮の身分では、お屋形様の奥方である北川殿は雲の上の人と同じで、目にする機会などあり得なかった。その北川殿とお屋形様である竜王丸が、突然、自分の目の前に現れたのだ。信じられない事だったし、どうしたらいいのか分からず、土下座するしかなかったのだった。
「修理亮殿、この事は内緒じゃ。立って下され」と早雲が言っても無駄だった。
北川殿が立ってくれと言っても、さらに畏まるばかりだった。仕方がないので、早雲は小太郎に北川殿たちを城下の方を案内してくれと頼んだ。
北川殿たちが小屋から出て行くと、ようやく、修理亮は立ち上がった。
「息が止まるかと思いました」と冷汗を拭きながら修理亮は言った。
「すまなかったのう。北川殿がどうしても、ここを見たいとおっしゃって聞かんのでのう。さっきも言った通り、この事は内緒に頼むぞ。今回、北川殿がここにいらしたのはお忍びじゃ」
「はい。畏まりました」
「どうじゃ。進み具合は?」
「はい。幸い、いい天気が続きますので順調に行っております」
「そうか。そいつは良かった。ところで、相談じゃがのう」と早雲は縄張りの図面を覗き、「ここにのう。射場を作って欲しいんじゃ」と言った。
「射場というと弓を射る?」
「そうじゃ。竜王丸殿を立派なお屋形様にするには、武術を仕込まなければならんのでのう」
「射場ですか‥‥‥射場を作るとなると、四十間(ケン、約七十二メートル)は必要ですね」
「まあ、そうじゃな」
「ふむ」と言いながら、修理亮は図面を睨んだ。
「どうじゃ。できそうか」と早雲は修理亮の顔色を見ながら聞いた。
「はい。作るとすれば裏の方になりますね」
「うむ。そうじゃろうな」
「南に少し伸ばせば何とかなるでしょう」
「そうか。何とかなるか。そいつは助かる」
「北側は濠を掘りましたが、南はこれからですから、測り直して射場が作れるようにいたしましょう」
「頼むぞ。実は北川殿のたっての頼みなんじゃよ」
「そうでしたか。母君として竜王丸殿を立派なお屋形様にしようと熱心なのですね」
「いや。そうじゃないんじゃ。北川殿が今、弓術に熱中しておられるんじゃ」
「えっ、北川殿が?」
早雲は笑いながら頷いた。「北川殿もお屋形様がお亡くなりになられてから変わりなすった。頼もしい母君になられた」
「そうですか‥‥‥早雲殿、お屋形の門前の事ですが、こんなものでいかがでしょう」と修理亮は別の図面を早雲に見せた。
その図面には、竜王丸の屋敷と街道との間の地に屋敷が並び、それぞれの屋敷に名前が書いてあった。大きな屋敷が四つあり、そこに、吉田、小田、清水、そして、早雲の名があり、その屋敷より少し小さい敷地に、小島、久保、村田の名前が書いてある。
「わしの屋敷もあるのか」と早雲は聞いた。
「それは当然です。早雲殿はお屋形様の執事殿であります。お屋敷を持つのは当然の事です」
「そういうものかのう‥‥‥」
「もし、何かあった場合、やはり、お屋敷は必要でしょう」
「うむ、そうじゃのう。そこの所はそなたに任せるわ。まずは、お屋形を作る事が先決じゃ。なるべく、早いうちに作ってくれ」
「はい。畏まりました」
その後、早雲は修理亮と一緒に普請場を歩き回った。
その頃、北川殿母子は城下町を散策していた。丁度、神社の前で、ちょっとした市が開かれていた。売っている物はどこでもある野菜や雑貨類だったが、北川殿は珍しい物でも見るかのように眺めていた。竜王丸と寅之助の二人は多米と荒木の目を盗んでは、好き勝手な所に行って遊んでいた。
北川殿母子にとって、今日は久し振りに楽しい一日となった。
17.五条安次郎
1
山々が色付き始め、あちこちで、冬の準備が始まっていた。
十月になって、太田備中守(ビッチュウノカミ)と上杉治部少輔(ジブショウユウ)が関東に帰って行くと、駿府屋形もひっそりと静まり、急に薄ら寒くなったようだった。
重臣たちも一人、二人と国元に帰って行った。遠江から来ていた者たちは、天野氏も含め、皆、帰って行った。蒲原越後守、由比出羽守、矢部将監(ショウゲン)、興津美作守、庵原安房守(イハラアワノカミ)らも帰って行った。そして、葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)も帰って行った。
葛山播磨守は備中守と会ってから、まるで、人が変わったようだった。もしかしたら、早雲を暗殺するかもしれないと思われる程、早雲と敵対していたくせに、清流亭で会ってからは手の平を返すように、親しみを持って、やたらと早雲に近づいて来た。
早雲殿、早雲殿と言って、毎日のように用もないのに、北川殿に訪ねて来ては世間話をしていた。今川家の重臣たちも、その変わりように呆れていた。
初めのうちは早雲たちも、また、何かをたくらんでいるに違いないと警戒していたが、播磨守の態度は、見ていておかしくなる程、素直だった。まず、初めに気を許したのは北川殿だった。北川殿は、播磨守が小鹿(オジカ)派の中心になって竜王丸をお屋形様の座から引き落とそうとしていた事を知らない。播磨守が毎日のように訪ねて来るので、竜王丸を押してくれた重臣の一人だと思い込んでいた。また、播磨守は自分の本拠地、富士山の裾野での事を面白可笑しく、北川殿に話して聞かせるので、北川殿も播磨守を歓迎した。そればかりでなく、播磨守は竜王丸や美鈴ともよく遊んでくれた。早雲たちもやがて気を許して、気楽に話をするようになって行った。播磨守は早雲や小太郎よりも十歳も年下だった。憎らしい所もあるが、可愛い弟ができたような感じで播磨守と付き合っていた。
最後の日、播磨守は北川殿に別れの挨拶をしに来た。早雲たちに是非、葛山に来てくれと勧め、正月にまた来ると言って、八ケ月も滞在していた駿府を後にした。
早雲と小太郎は播磨守を城下のはずれまで見送った。
「おかしな奴じゃったのう」と小太郎は馬上の播磨守を見送りながら言った。
「まったくじゃ」と早雲は苦笑しながら頷いた。「あんな奴は初めてじゃ」
「策士には違いないが正直者じゃ。自分が正しいと思えば、とことんやり通すが、間違ったと気づけば、すぐに間違いを改めるという奴じゃな」
「らしいのう。人の上に立つ者は正直でないと家来たちが付いては来んからのう。ああいう大将の家来になった者は働きがいもあるじゃろうのう」
「ぼやぼやしておると、小鹿新五郎の奴は、あいつに駿河の半国、取られる事に成りかねんぞ」
「新五郎だけじゅない。竜王丸殿も立派な大将に成らなかったら、奴に駿河を取られるかもしれん」
「立派な大将に成らんと思うか」と小太郎は早雲を見た。
「いや。なる」と早雲は力強く頷いた。
「わしもそう思うわ。なかなか利発な子じゃ。ただ、これからは並の大将では生きては行けんじゃろう。備中守殿も言っておられたが、名門というだけでは駄目じゃ。名門である事を忘れ、民衆たちの心をとらえ、国人たちを含めて、民衆たちを一つにまとめなければならん」
「本願寺の蓮如殿のようにか」
「まあ、そうじゃが。直接に民衆たちの中に入って行くお屋形様でなくてはならんのじゃ。お屋形様が百姓たちと直接、話をしたからと言って、お屋形様の価値が下がるわけではない。お屋形様は何をやってもお屋形様なんじゃ。身分など関係なく、すべての者たちの事を親身に思えるようなお屋形様になって欲しいんじゃ」
「小太郎、おぬし、竜王丸殿が成人するまで、ここにおってくれんか」と早雲は言った。
「なに?」と小太郎は早雲を見た。本気で言っているようだった。
「後十年もここにおるのか」と小太郎は少し戸惑ったような顔をして、早雲に聞いた。
「ここにおって竜王丸殿を導いてやって欲しいんじゃ。勿論、わしもやる。しかし、世の中は色々な見方があるという事を教えるには、色々な人が回りにおった方がいいと思うんじゃ。なに、改まって何かを教えなくてもいい。時々、側に行って、それとなく教えてやればいい。どうじゃ、やってくれんか」
「先の事までは分からんのう。十年と言えば長いからのう。後、十年、生きられるかも分からん。まあ、当分はここにおるとは思うがのう」
「うむ。頼むぞ」
二人が北川殿に帰ると五条安次郎が待っていた。
安次郎は引き続き祐筆(ユウヒツ)となって、小鹿新五郎のもとに仕えていた。今川家が新しくなって何かと忙しいとみえて、安次郎がここに来るのは竜王丸がお屋形様に決まった時、挨拶に来た以来の事だった。
「ご無沙汰しております」と安次郎は早雲と小太郎に言った。
何となく、いつもの安次郎ではないような気がした。
「どうしたんじゃ。何かあったのか」と早雲は安五郎の顔を覗き込んだ。
「いえ。別に‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「小鹿新五郎殿が何かをたくらんでおるとでもいうのか」と小太郎が聞いた。
「いえ。新五郎殿は何もしておりません。うるさい重臣たちもいなくなったと、今頃はのんびり、昼寝でもしておられるでしょう」
「昼寝とはいい気なもんじゃのう」と小太郎は笑ったが、早雲は真顔で、「五条殿」と声を掛けた。
「五条殿の目から見て、新五郎殿は竜王丸殿が成人なさる十年間、立派に今川家を治める事ができると思うか。正直に答えてくれ」
「それは大丈夫だと思います」と安次郎は答えた。「重臣たちが一つになって、新五郎殿を守り立てて行けば、今川家は安泰だと思います」
「そうか、それを聞いて安心じゃ」
「早雲殿」と今度は安次郎が真顔で早雲に声を掛けた。「今日は、相談したい事がありまして参りました」
「何じゃ」と早雲は安次郎を見た。
安次郎は早雲と小太郎を見てから、視線をそらして、「実は、今川家をやめたいと思っております」と言った。
「なに、やめる?」早雲も小太郎も驚いて、安次郎を見つめた。
「はい」と安次郎は頷いた。「これは突然、思い付いた事ではないのです。前々から考えていた事なのです」
「連歌の道に入るという事か」と早雲は聞いた。
「はい。今が一番いい機会のような気がします。今を逃したら、もう、自分は好きな連歌の道に入れないような気がするのです」
「うむ。確かに、今はいい機会とは言えるが‥‥‥」
「実は、もう決心しました。早雲殿には一言言ってから旅に出ようと思いまして‥‥‥」
「そうか‥‥‥決心してしまったのなら仕方がないのう。自分が決めた道を行くしかあるまい」
「はい‥‥‥」
「新五郎殿の許しは得たのか」
「はい」
「そうか‥‥‥新五郎殿は引き留めたか」
「いえ。やめたいと言ったら、ただ頷いただけで、訳も聞きませんでした。竜王丸派だった自分がいなくなって清々している事でしょう。祐筆は何人もおりますから」
「そうか‥‥‥それで、これから、どうするつもりなんじゃ」
「とりあえず、京に出て宗祇(ソウギ)殿を捜します」
「そして、弟子になるのか」
「はい、必ず」
「そうか」と早雲は頷いてから、小太郎の方を見て、「五条殿に嬉しい知らせと嬉しくない知らせがあるんじゃ」と言った。
「何ですか」と安次郎は二人を見比べた。
「今回の騒ぎで言いそびれてしまったんじゃが、実は、この前の旅の時、わしは宗祇殿とお会いしたんじゃよ」
「えっ! 早雲殿が宗祇殿と?」
安次郎は飛び上がらんばかりに驚き、目の色まで輝いていた。
「小太郎も一緒じゃった」
「早雲殿は宗祇殿を御存じだったのですか」
「いや、偶然だったんじゃ。宗祇殿は今、近江甲賀の飛鳥井殿のお屋敷におられる」
「近江の甲賀におられるんですね」
「そうじゃ。ただ、宗祇殿は弟子は取らないそうじゃ。嬉しくない知らせとはその事じゃ」
「えっ、どうしてです。もう弟子はいらないという事ですか」
「もう、じゃなくて、まだ、じゃ」と小太郎が言った。
「まだ?」
「わしらも驚いたんじゃが、宗祇殿は、自分はまだ修行中の身と言って、弟子をお取りにならんそうじゃ」
「えっ? という事は宗祇殿には、今までお弟子さんはいなかったと言うのですか」
「そうらしいのう。今、夢庵(ムアン)殿という人が、宗祇殿の一番弟子になると言って頑張っておるはずじゃ」
「夢庵殿?」
「おお。面白い男じゃ」と小太郎は笑いながら言った。
「面白いし、ちょっと変わった男じゃな。きっと、五条殿と気が合うに違いない」と早雲も笑っていた。
「夢庵殿ですか‥‥‥」
「年の頃は三十の半ばという所かのう。五条殿より少し年上じゃな。しかし、いい男じゃ」
「わしの弟子に太郎坊というのがおってのう」と小太郎が言った。「今、赤松家の武将になっておるが、その太郎坊と夢庵殿が知り合いになってのう。夢庵殿を通じて宗祇殿に出会ったというわけじゃ」
「夢庵殿は連歌だけじゃなく、茶の湯も一流らしい」と早雲が言った。「村田珠光(ジュコウ)殿のお弟子だったそうじゃ。銭泡殿も夢庵殿の事を知っておった。それに、剣術の方も太郎坊から習って、かなりの腕らしいのう」
「へえ。ほんとに面白そうなお人ですね。是非、会ってみたいものです」
「うむ。わしらから夢庵殿に手紙を書いてやる。夢庵殿を訪ねて行かれるがいい。後は、そなた次第じゃ。わしの見た所、宗祇殿の弟子になるのは並大抵ではないと思うが、やるだけ、やってみるさ。それと、五条殿、一休(イッキュウ)禅師を御存じかな」
「はい。噂だけは聞いておりますが、何でも、突拍子もない事を平気でやる禅僧だとか‥‥‥しかし、偉い和尚さんだと伺っております」
「うむ。確かに偉い。一休殿は本物の禅を実行している唯一のお方じゃろう。宗祇殿も珠光殿も一休殿のもとで禅の修行をなさっておるのじゃ」
「宗祇殿が一休禅師のもとで修行なさったのですか」
「そうじゃ。他にも、能の役者だとか、絵師だとか、一流の芸人たちで、一休殿のもとで修行した者は多い。本物の禅は、すべての道に通じるものがあるんじゃよ。もし、そなたが一休禅師のもとで修行する気があれば訪ねてみるがいい。そなたがこの先、どんな道に進むにしろ、一休禅師のもとで修行をした事は必ず、役に立つ事じゃろう」
「早雲殿はやはり、一休禅師のもとで修行していたのですね」と安次郎が聞いた。
「修行という程の事もしてはおらんが、わしが、こうして頭を丸めたのも、一休殿の影響というものじゃな」
「そうだったのですか‥‥‥」
「わしが手紙を書いてやる」
「ありがとうございます。わたしは本当に幸せです」
安次郎は感激して、目に涙を溜ていた。
「本当は、今川家をやめて旅に出ると決めましたが、不安でたまらなかったのです。果たして、自分が銭泡殿のように乞食をしてまで旅を続ける事ができるかどうか、不安でたまりませんでした。すべてを失っても、連歌の道に生きて行く覚悟が本当にあるのだろうか不安でした。それが、宗祇殿の居場所まで分かり、しかも、早雲殿が書状まで持たせてくれるなんて、まるで、夢のようです。自分が幸運すぎて、恐ろしい位です。ほんとに、どうもありがとうございます」
「喜ぶのは、まだまだ早いぞ。連歌の世界に生きる事は武士の世界に生きる以上に難しいかもしれん」
「はい。お二人の御恩に報いるためにも、立派な連歌師となって、竜王丸殿のもとに帰って参ります」
「うむ。楽しみに待っておるぞ」
「それで、いつ立つんじゃ」
「明日にでも立とうと思っておりました」
「気の早い事じゃ」
「はい。すぐに実行に移さないと、覚悟が揺らぐと思ったものですから‥‥‥」
「明日立つとなると、今晩は駿河最後の夜となるわけじゃのう。別れの宴を張らずにはおれんのう」と小太郎が笑いながら言った。
「そうじゃのう」と早雲も頷いたが、「しかし、ここではまずいのう」と奥の間の方を見た。
「法栄(ホウエイ)殿の所はどうじゃ」と小太郎が言った。
「そうじゃのう。ついでに、法栄殿の船に乗せて貰えばいいんじゃないか」
「そんな‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「まあ、頼んでみるさ。法栄殿だって五条殿が連歌師になると言えば、喜んで送ってくれるじゃろう」
「わしは、さっそく、法栄殿の所に行って来るわ」と小太郎はいそいそと出掛けて行った。
「富嶽(フガク)の奴が言っておった通りになったのう」と早雲は笑った。
「富嶽殿が?」
「ああ。わしが留守の時、二人で飲んだそうじゃのう。その時の話を聞いて富嶽は、五条殿はやがて武士をやめるじゃろうと言っておったわ」
「そうですか‥‥‥」
「富嶽も連れて行くわ。今、裏門を守っておるから夜はあいておる」
「すみません」
「なに、今回、うまく行ったのも五条殿のお陰じゃ。五条殿がわしらにお屋形様の死を知らせてくれなかったら、今頃、竜王丸殿はお屋形様にはなれなかったかもしれん。お礼を言いたいのはわしらの方じゃ」
「竜王丸殿の事、よろしくお願いいたします」と安次郎は頭を下げた。
「今度、五条殿が駿河に帰って来る頃には、立派なお屋形様となっている事じゃろう」
「はい」
安次郎は北川殿と竜王丸に別れの挨拶をすると、ひとまず帰って行った。
風が強くなり、落ち葉が風に舞っていた。
早いものだった。正月に帰って来て、もう十月だった。今年もあと二ケ月で終わりだった。年を取る毎に月日の経つのは早くなるものだ、と早雲は庭の枯葉を眺めながら、しみじみと思っていた。
枯葉の舞い散る十月の半ば、五条安次郎は近江(オウミ)の国、甲賀(コウカ)郡を野洲(ヤス)川に沿って、西に向かって歩いていた。駿河の国、小河(コガワ)津を出てから五日目の事だった。
駿府最後の宴を駿府屋形内の長谷川法栄の屋敷で催してもらい、次の日には旅立つはずだったが、法栄が、四日後に伊勢に向かう船が出るから、是非、それに乗って行けと勧めたため、安次郎も快く法栄の気持ちを受ける事にした。早雲のお陰で宗祇の居場所も分かったので、自分を励まして、逃げるように慌てて旅立たなくてもいいと思うようになっていた。旅立ちまでの四日間、世話になった人々に挨拶を済ませ、三浦氏の大津城下にいる両親のもとにも挨拶に行く事もできた。
安次郎の父親は刀鍛冶(カジ)の頭だった。祖父の代から今川家の御用職人となり、数十人もの鍛冶師を抱え、今川家のために刀や槍を製作していた。安次郎は次男だったため跡継ぎにはならず、幼い頃より禅寺にて学問を習い、十二歳の頃から先代のお屋形様の側に仕えた。その頃から安次郎の字のうまさは有名で、禅寺の和尚の推薦によって、お屋形様の祐筆に抜擢されたのだった。
祐筆となった安次郎は、お屋形様からもその才能を認められ、お屋形様の許しを得て、京から下向して来ていた公家から和歌や連歌の修行に励んだ。十六歳になった時、京から下向して来た連歌師、宗祇と出会い、弟子にしてくれと頼んだが、まだ若過ぎる、もっと色々な学問を身に付けなさいと断られた。その後は、宗祇に言われたように様々な学問を身に付けようと熱心に勉学に励んだ。幸い、お屋形様の所持している書物を自由に見てもいいとの許可を得たので、暇さえあれば書物を読んでいた。十九歳の時、再び下向した宗祇と再会して、連歌会に同座する事もできた。宗祇と同座してみて、自分の未熟さが厭という程、分かった安次郎は益々、書物に没頭して行った。
ところが、翌年、嫁を貰うと自然と生活は変わった。以前の様に自由な時間は少なくなり、さらに、その年、応仁の乱が始まった。安次郎はお屋形様と共に京には行かなかったが、優雅に歌などを歌っている時代ではなくなった。お屋形様が京から戻って来ると、さっそく戦が始まった。安次郎もお屋形様と共に戦陣に出掛けた。祐筆だったため、実際に戦をする事はなかったが、安次郎も戦において活躍したいという思いはあった。武士になったからには、歌なんか詠んでいるより戦での活躍が一番ものを言った。
安次郎はひそかに武術の修行に励んだ。基礎はできている。刀鍛冶の子として生まれたので、刀の使い方は幼い頃より父親から仕込まれていた。安次郎は歌の事など、すっかり忘れたかのように武術修行に励んだ。
数度の戦に参加したが、実際に人を殺す事はなかった。しかし、お屋形様の側近らしく、危険な目に会っても怖(オ)じける事はなかった。いつも堂々としていて、甲冑姿が様になっていた。戦が始まった当初、書物ばかり読んでいたため、軟弱者は戦に来る必要はない、などと陰口を利く者もあったが、誰もそんな事を言わなくなった。安次郎がお屋形様の側にいる事で、皆、安心して、お屋形様の事を安次郎に任せるようになって行った。
そんな頃、突然、北川殿の兄上と名乗る早雲という僧が駿府に現れた。早雲はしばらくの間、お屋形様の屋敷の離れの書院に滞在していた。安次郎はお屋形様や北川殿の使いとして、何回か早雲と会ううちに、今まで忘れていた西行(サイギョウ)法師の事を思い出した。安次郎が宗祇と出会った十六歳の頃、安次郎は西行法師に憧れていた。西行法師のように歌を歌いながら自由気ままに旅をするのが安次郎の夢だった。宗祇の弟子になりたいと思ったのも、宗祇と一緒に各地を旅して歩けると思ったからだった。しかし、あの時から十年の歳月が流れ、いつの間にか、あの頃の夢を忘れてしまった。それが、早雲に会ってから急に、その頃の夢が蘇(ヨミガエ)って来たのだった。早雲は僧になる前は将軍様に仕えていた武士だったと言う。それが、突然、頭を丸めて旅に出た。まさしく、西行法師と同じだった。安次郎は早雲の生き方に憧れた。早雲と色々な事を話せば話す程、益々、惹かれて行った。
やがて、早雲は山西の石脇に庵を結んで移って行った。安次郎は度々、早雲のもとを訪ね、自分も早雲のように生きたいと願ったが、お屋形様が戦に忙しい今、今川家をやめるわけには行かなかった。
そして、突然のお屋形様の討ち死に、今川家の内訌(ナイコウ)と続き、ようやく、竜王丸がお屋形様となり、安次郎は今川家をやめる決心をしたのだった。妻との間には子供ができなかった。安次郎は妻を説得して実家に帰ってもらった。妻は三浦家の重臣の娘だった。お屋形様の勧めもあって一緒になったのだが、あまりうまく行かなかった。美しい女だったが、我がままで、安次郎が鍛冶師の出という事もあって、どこか馬鹿にした所があり、贅沢な暮らししかできなかった。お屋形様の手前、安次郎も何とか我慢していたが、お屋形様も亡くなってしまい、思い切って離縁する事にしたのだった。妻の方も喜んで実家に帰って行った。
ようやく、自由の身となった安次郎は晴れ晴れとした顔付きで旅を楽しんでいた。遠江の国より西に行くのは初めてだった。見る物、何もかもが珍しく、心は浮き浮きしていた。長谷川法栄の船に乗り、広い海を渡って伊勢の安濃津(アノウツ、津市)に着き、そこからは景色を楽しみながら鈴鹿越えをして、近江の国に入った。野洲川に沿って街道を進み、宗祇のいるという甲賀柏木(水口町)は、もう目と鼻の先だった。
安次郎は早雲に書いてもらった絵地図を眺めながら歩いていた。
「あれが飯道山(ハンドウサン)か‥‥‥」と安次郎は立ち止まって山を眺めた。
あそこで、風眼坊殿が剣術を教えていたのか‥‥‥
宗祇のいる飛鳥井雅親(アスカイマサチカ)の屋敷は野洲川の側だった。安次郎にもすぐに分かった。たんぼの中に、そこだけ何となく華やいだ大きな屋敷が建っている。屋敷は濠と土類に囲まれていて、武家屋敷のようだが、どことなく、公家らしい雰囲気があった。安次郎は野洲川に架かる舟橋を渡ると飛鳥井屋敷の表門に向かった。
安次郎は門番に夢庵殿に会いたいと告げた。
「どなたですかな」と門番は安次郎をじろじろ見ながら聞いた。
「元、今川家の臣、五条安次郎と申します」
「今川家? 駿河の今川家ですか」と門番は不思議そうな顔をして聞き返した。
「はい」と安次郎は頷いた。
「少々、お待ちを」と言って門番は屋敷の中に入って行った。
しばらくして、門番は戻って来たが、「夢庵殿は、そなたの事を御存じないとの事です」と素っ気なかった。
「はい。それは当然です。実は、伊勢早雲殿の紹介で参りました」
「伊勢早雲?」
「はい。伊勢早雲殿、それと、風眼坊殿の書状を持っております」
「風眼坊殿の書状をか」
「はい。風眼坊殿を御存じですか」
「当然じゃ。この辺りで、風眼坊殿の名を知らん者はおるまい」
「そうですか。風眼坊殿は今、駿河におられます。わたしは風眼坊殿より夢庵殿の事を伺い、是非、お会いしたいと訪ねて参りました」
「そうか、風眼坊殿は駿河におられるのか‥‥‥待っていなされ、夢庵殿に伝えて参る」
今度は、門番と一緒に夢庵も現れた。
早雲や風眼坊から変わった人だと聞いてはいたが、まさしく変わっていた。夢庵は総髪の頭に革の鉢巻を巻いて、熊の毛皮を身に着けていたのだった。その姿は狩人、あるいは山賊だった。そんな姿をした者が、この屋敷から出て来るとは、まるで、夢でも見ているかのようだった。
「風眼坊殿のお知り合いじゃそうな。よう来られた。風眼坊殿は今、駿河におるのか‥‥‥そうか、懐かしいのう。さあさ、入ってくれ」
夢庵は安次郎を歓迎して、さっさと屋敷の中に入って行った。
門をくぐると正面に大きな屋敷があったが、人影はなかった。夢庵は安次郎を塀で仕切られた左側に案内した。塀の向こう側には正面に屋敷があり、その右側に広い庭園があった。庭園の右側に御殿のような大きな屋敷が二つ並んで見えた。
夢庵は庭園の中の池の側に建つ茶室に安次郎を案内した。
茶室の中は四畳半と狭く、物がやたらと散らかっていた。床の間と違い棚の付いた珠光流の本格的な茶室であったが、お茶を点(タ)てるどころか坐る場所もない程、書物やら紙屑やら、食べ残した物やらが散らかっている。床の間には茶の湯の台子(ダイス)と花のない花入れが置かれ、壁には、力強い字で『肖柏(ショウハク)』と書かれた掛軸が掛かっていたが、安次郎には何を意味するのか理解できなかった。違い棚には棚が落ちてしまうのではと思える程、書物がぎっしりと並んでいた。
夢庵は散らかっている物をどけて、安次郎が坐る所を作ると、自分は文机(フヅクエ)の前に坐った。何やら書いている途中らしかった。
「懐かしいのう。風眼坊殿は相変わらず、達者か」と夢庵は聞いた。
「はい。書状を預かって来ています」と安次郎は風眼坊と早雲の書状を夢庵に渡した。
「ほう。早雲殿の書状もあるのか。そういえば、早雲殿は駿河に住んでおると言っておったのう。懐かしいのう。去年、二人と一緒に山の中を歩き回ったが、あの時は実に辛かったわ‥‥」
夢庵は二人の書状を時々笑いながら懐かしいそうに読んでいた。
「五条殿と申されるか」と夢庵は書状を読みながら聞いた。
「はい」
「宗祇殿の弟子になるために、やって来たのか」
「はい」
「うむ‥‥‥」
夢庵は二つの書状を読み終わると安次郎に返した。
「駿河の地でも大変だったらしいのう」
「はい。戦になりそうでしたが、お二人の活躍によって何とか無事に治まりました」
「そうか‥‥‥二人の手紙を読んだら、わしも駿河に行ってみたくなったのう」
「いい所です」
「らしいのう‥‥‥それで、宗祇殿の弟子になりたいというのは本当なのか」
「はい。宗祇殿に弟子入りして立派な連歌師になるために、今川家をやめて、こうしてやって参りました」
「うむ‥‥‥難しいのう」と夢庵は首を振った。
「失礼ですが、夢庵殿は宗祇殿のお弟子さんになられたのでしょうか」
夢庵はもう一度、首を振った。「わしがここに来て、もう一年にもなるが、未だに宗祇殿は弟子にしてくれんのじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「うむ。しかし、わしは諦めん。弟子にしてもらうまで、ずっと、ここにおるつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、とにかく、一度、宗祇殿に会ってみるか」
「はい。是非、お会いしたいと思っております」
「うむ。じゃあ、行ってみるか」と夢庵は気楽に立ち上がった。
安次郎は胸を躍らせながら夢庵の後に従った。
宗祇は書物の中に埋もれるような格好で『源氏物語』に没頭(ボットウ)していた。髪も髭も伸び放題という有り様で、暖かそうな綿入れを着込んで文机にしがみ付いていた。
安次郎は宗祇と会ったが、弟子にして欲しいと言う事はできなかった。宗祇の姿からは、命懸けで歌の道を極めるという気迫が感じられ、弟子の事を口に出す事さえできなかった。
宗祇は安次郎の事を覚えていてくれた。そして、お屋形様が亡くなった事を告げると信じられないという顔をして驚き、お屋形様に世話になった時の事を色々と話してくれた。
半時程、駿河の思い出話を懐かしそうにすると、また文机に向かって何やら書き始めた。宗祇は安次郎に対して、どうして、ここに来たのかは聞かなかった。未だに、今川家の家臣として、何か用があって出て来たついでに寄ったものだと思っているらしかった。
安次郎は、その日から夢庵の茶室に居候(イソウロウ)する事になった。
安次郎は初め、夢庵が書き物をしていた茶室は夢庵の書斎だと思っていたが、夢庵はその狭い部屋で寝起きしていたのだった。夢庵は好きなだけ、そこにいていいと言ったが、二人で暮らすには四畳半は狭かった。夢庵はそんな事を一向に気にせず、気ままに暮らしていた。
夢庵の話によると、夢庵も宗祇も、この屋敷の主、飛鳥井雅親の和歌の弟子だと言う。二人は兄弟弟子という関係にあり、この屋敷内に住まわせて貰っている。宗祇の住んでいる屋敷は種玉庵(シュギョクアン)と呼び、夢庵の住んでいる茶室は夢庵と呼び、雅親が二人のために建ててくれたものだと言う。雅親はもう少し広い屋敷を建ててやると言ったが、夢庵がどうしても、珠光流の茶室がいいと無理にお願いして建てて貰ったのだと言った。建物こそ小さいが、材料も吟味(ギンミ)されていて、安次郎には分からないが、かなり費用が掛かったとの事だった。
その日の晩、安次郎は夢庵と一緒に屋敷の主人、飛鳥井雅親の招待を受け、夕食を御馳走になった。その席に宗祇は出て来なかった。いつもの事だと言う。宗祇は書物に没頭すると時の過ぎるのも忘れてしまい、食事に来ない事もあり、そういう時は後で差し入れをするのだと言う。
雅親は紛れもない公家だった。年の頃は宗祇と同じ位の六十前後の物静かな人だった。後で聞いて、安次郎は驚いたが、雅親は天皇に拝謁(ハイエツ)する事もできる程の高い身分を持ち、権大納言(ゴンノダイナゴン)という官職に就いていた。普通なら、浪人である安次郎が同席などできるような人ではなかったのだった。
翌日、安次郎は夢庵と一緒に飯道山に登った。裏側の参道から登ったため、あまり賑やかではなく、安次郎は風眼坊の話とは大違いだなと感じた。しかし、山の上まで行くと、そこは山の上とは信じられない程、寺院が立ち並び、大勢の若い者たちが武術の修行をしていた。まさしく、風眼坊の言う通りだった。凄いと安次郎は感激していた。こんな所が実際にあったのかと安次郎は驚きながら、夢庵に連れられて山内を歩き回った。
夢庵は山の中で顔が広かった。山伏たちと気軽に挨拶を交わしていた。山の中を一通り、見て歩くと、安次郎は夢庵に連れられて表参道の方に下りた。表参道側の門前町は賑やかだった。夢庵は花養院(カヨウイン)に安次郎を連れて行った。花養院には子供たちが大勢いて、夢庵が顔を出すと子供たちがワアッと寄って来た。子供たちは皆、孤児だと言う。花養院の主である松恵尼(ショウケイニ)が孤児たちを集めて育てているのだと言う。安次郎はその松恵尼と会わされ、駿河にいる早雲や風眼坊の事を色々と聞かれた。また、安次郎は松恵尼から若い頃の二人の事を話してもらった。楽しい一時だった。
いつの間にか、日が暮れていた。
花養院を後にすると、今度は『伊勢屋』という旅籠屋(ハタゴヤ)に連れて行かれた。ここでも夢庵は有名だった。旅籠屋の女将(オカミ)を初め、女中たちが皆、夢庵を歓迎した。安次郎はのんびりと風呂に入って旅の疲れを取ると、夢庵に連れられて盛り場に向かった。盛り場は賑やかだった。浅間神社の門前町に負けない程の賑やかさだった。夢庵が連れて行った所は『とんぼ』という小さな飲屋だった。
まだ時間が早いのか、店の中には客が三人いただけだった。夢庵と二人で酒を飲み始めると、やがて、二人の山伏がやって来た。高林坊と栄意坊という飯道山の武術師範だと言う。二人とも早雲と風眼坊を知っていて、二人が駿河で何をやっているのか、しきりに聞きたがった。
安次郎は不思議な気持ちだった。今、一緒に酒を飲んでいる三人は、安次郎が今まで知らない世界の人たちだった。安次郎が思いもしない事を色々と知っていた。三人の話を聞きながら、安次郎はこれから先、連歌の世界で生きて行くには、あらゆる世界の事を知らなければならないと感じていた。その晩は遅くまで飲んで語りあった。
安次郎は久し振りに酔い、心の中で思っていた事を初めて人に語った。目の前にいる三人には何でも言えると感じ、心を許したのだった。武士でいた頃、心から話し合えるような友はいなかった。同僚たちは常に回りの者を蹴落として出世する事ばかり考えていた。打ち解けているように振る舞いながら、裏では何を考えているのか分からない者たちばかりだった。ところが、今、目の前にいる三人は、昨日、今日、会ったばかりなのに、安次郎はなぜか、心を許す事ができた。安次郎の話を聞きながら三人は親身になって、あれこれ意見を言ってくれた。
次の日、伊勢屋の一室で目を覚ました安次郎は、夢庵に連れられて山の中に連れて行かれた。いい所に連れて行ってやると言うだけで、夢庵はどこに行くかは教えてくれなかった。かなり険しい山道を歩いて、たどり着いた所は岩々に囲まれた平地だった。まるで、山水画の中にいるような感じだった。正面にそそり立つ岩には洞穴があり、奥が深そうだった。その光景を目にした時、安次郎は思わず、「おおっ!」と声を発した。
そこは、安次郎がいつも夢に見ていた光景に似ていた。こんな光景の中で、気ままに酒を飲み、歌を詠み、琴を鳴らして仙人のように生きるのが安次郎の夢だった。
「どうじゃ、いい所じゃろう」と夢庵は岩屋の入り口から回りを見渡しながら言った。
「はい。こんな所が実際にあったなんて‥‥‥」
「風眼坊殿の弟子に太郎坊殿というのがおってのう。その太郎坊殿がここを見つけたんじゃ。ここは『智羅天(チラテン)の岩屋』と言ってのう。なかなか住み易い岩屋じゃ」
「その太郎坊殿の事は風眼坊殿より聞いております」
「そうか。今は播磨で赤松家の武将になっておるが、剣術の名人じゃ。実は、わしも太郎坊殿の弟子なんじゃよ」
「夢庵殿も剣術の名人なのですか」
「いや。わしはただ、自分の身を守る程度じゃ」と夢庵は笑った。
夢庵は岩屋の中を案内してくれた。岩屋の中は想像していたよりもずっと深く広かった。迷路のように道が入り組み、部屋がいくつもあり、岩屋の中は暖かかった。
夢庵は観音様の壁画の描かれた一番広い部屋の中で焚火を焚くと、持って来た酒を飲み始めた。安次郎は夢庵の姿を眺めながら羨ましいと感じていた。まさしく、夢庵は、安次郎の夢見る自由人だった。西行法師のように瓢々(ヒョウヒョウ)と生きていた。安次郎も見習いたかったが、自分に果たして、あんな生き方ができるかどうか自信がなかった。
「夢庵殿、宗祇殿はいつになったら弟子を持つようになるのでしょうか」と酒を飲みながら安次郎は夢庵に聞いた。
「分からん。しかし、わしが思うには、来年あたりから宗祇殿も動き出すような気もするんじゃ」
「来年ですか」
「ああ。宗祇殿は今年の正月、初めて将軍様の連歌会に参加したんじゃ。宗祇殿の名声も一部の者だけでなく、京の町人たちの噂にも上り始めておる。京の戦もそろそろ終わろうとしておるしのう。来年になれば、宗祇殿がまだ古典の研究をしたいと願っても、世間の方が黙ってはおるまい。宗祇殿はあちこちから連歌会の招待を受けるじゃろう。そうすれば、弟子も取らなくてはならなくなると思うがのう」
「来年ですか‥‥‥」
「どうする、来年まで待つか。わしは別に構わんぞ。あそこにおりたければ、おっても構わん」
「はい‥‥‥」
来年までと言っても、まだ二ケ月半もある。二ケ月半もの間、何もしないで、夢庵の四畳半に居候するわけにはいかなかった。
「わしの所が嫌なら、ここにおっても構わん。ここなら誰にも気兼ねする事もない。この岩屋の事を知っておるのは、太郎坊殿と早雲殿と風眼坊殿だけじゃ。飯道山におる山伏でさえ、ここの事は知らん。ここに籠もって書物でも読んで暮らすか。書物なら飛鳥井殿の屋敷に幾らでもあるぞ。めったに読めないような貴重な物まである。飛鳥井殿は何でも自由に貸してくれる」
「はい‥‥‥しかし‥‥‥」
まだ、駿河から出て来たばかりだった。どうせ、来年まで待つのなら、ここに籠もるよりは各地を旅して見たかった。京の都も見たいし、南都奈良も見たい、琵琶湖も見たいし、瀬戸内も見たい。見たい所はいくらでもあった。安次郎は来年まで旅をしようと思った。
「夢庵殿は一年もの間、何をしていたのですか」
「わしか‥‥‥わしは今と同じような事を一年間、やっておったのう。飯道山で修行者たちに剣術を教えた事もあったし、盛り場で飲んだり、女を抱いたり、花養院で子供たちと遊んだり、ここに来て、一人静かに瞑想(メイソウ)したり‥‥‥また、宗祇殿の講義を聞く事もあった。弟子としてではなく、兄弟弟子という立場でな」
「そうでしたか‥‥‥」
「ここに来て一年になるが、住んでみるとなかなかいい所じゃよ、ここは」
「はい‥‥‥」と安次郎は焚き火越しに夢庵を見た。うまそうに酒を飲んでいた。
「話は変わりますが、飯道山で修行している若い者たちは、皆、この辺りの者たちなのですか」と安次郎は聞いた。
「いや」と夢庵は首を振った。「最近は遠くから来る者も多いらしいのう。甲賀、伊賀の者たちが半数以上だが、伊勢、大和、加賀辺りから来る者もおるらしい」
「修行したい者は誰でも修行できるのですか」
「いや、とんでもない。毎年、正月の十四日に受付があるんじゃ。年々、修行者の数は増えて来て、五百人以上も集まって来るんじゃ。わしも今年の正月、集まって来る修行者たちを見たが、それは物凄い数じゃった。まるで、祭りのようじゃ。集まった五百人は一ケ月の間、朝から晩まで、休まず山の中を歩かされるんじゃ。わしも一ケ月程、歩いたが、あれは、かなりきつい修行じゃ。早雲殿や風眼坊殿は平気な顔して百日間も歩き通した」
「百日間も?」
「ああ、そうじゃ。あれは去年の十二月じゃった。雪の降る中、歩き通したんじゃ。今思うと、よく歩けたと思うわ」
「それで、修行者たちも一ケ月間、山の中を歩くのですか」
「そうじゃ。第一関門というわけじゃ。その山歩きによって、耐えられない者たちは次々に山を下りて行くんじゃ。結局、一ケ月経って、残るのは百人ちょっとというわけじゃ。その百人ちょっとが山に残り、一年間、武術を習うんじゃ」
「へえ‥‥‥という事は、あの山で修行するためには、正月の受付をして、一ケ月間の山歩きをしなければならないという事ですか」
「そういう事じゃ」
「武術の修行をするのも大変なんですね」
「ああ、大変じゃな。それだけじゃなく銭もかかるんじゃよ」
「銭?」
「ああ。いくら武術の素質があっても、所詮、銭のない者は飯道山で修行すらできんのじゃ」
「そうですか‥‥‥夢庵殿、宗祇殿の弟子になるのにも銭がいるのでしょうか」
「さあな。銭はいらんとは思うが、それ相当の物を見せん事には無理かもしれん」
「それ相当の物?」
「ああ。今は、宗祇殿はひっそりと一人で古典に没頭しておられるが、宗祇殿が活動を始めれば、弟子になりたいと思う者は、それこそ何百人と現れて来るじゃろう。その中から弟子に選ばれるとなると、自分の才能を表現して、宗祇殿に認められなくてはならんと思うがのう」
「自分の才能を表現するんですか‥‥‥」
「うむ」
確かに、夢庵の言う通りだった。宗祇程の人の弟子になるには、自分を表現して見せなければならない。安次郎は、今まで書きためた自分の作品を持って来ていた。その作品を宗祇に見せて、宗祇が認めてくれるか、というと自信はなかった。宗祇はあの年になっても書物に没頭して古典の研究をしている。そんな宗祇から見たら、自分の作品など薄っぺらな人真似としか映らないだろう。どうしたらいいのか、安次郎には分からなかった。
夢庵は焚火を眺めながら気楽に酒を飲んでいた。夢庵は宗祇と兄弟弟子であった。宗祇が弟子を取る事になれば、夢庵が一番弟子になるのは間違いない。しかし、自分が二番弟子になる可能性はほとんどなかった。
「どうした、夕べ、飲み過ぎたか」と夢庵は笑った。
「いえ」と安次郎は力なく首を振った。
夢庵は意味もなく笑って、岩屋の中を見回した。
「ここの岩屋は不思議な岩屋じゃ。わしはここに来る時はいつも一人じゃった。太郎坊殿より、ここを自由に使ってもいいと言われたが、ここに誰かを連れて来たのは、おぬしが初めてじゃ。夕べ、一緒に飲んだ二人は太郎坊殿の師匠にあたる人たちじゃが、ここの事は知らない。どうして、おぬしをここに連れて来たのかは、わしにも分からん。何となく、この岩屋に、おぬしを連れて来いと言われたような気がして連れて来たんじゃ。おぬし、どうして、ここに来たのか分かるか」
「さあ、分りませんが‥‥‥ただ、険しい岩の中を抜けて、この岩屋を初めて見た時、何となく、前に見た事があったような懐かしさを感じた事は確かです」
「そうか‥‥‥やはり、何かつながりがあったんじゃのう。おぬし、しばらく、ここでのんびり暮らせ。ここにいると世俗の事などすっかり忘れ、生まれ変わったかのような気分になれるぞ」
「はい‥‥‥」
酒を飲み干すと、夢庵はそのまま眠ってしまった。
「不思議なお人だ」と安次郎は夢庵を見ながら呟(ツブヤ)いた。
安次郎は夢庵の言うように、智羅天の岩屋に籠もってみようと思った。そのための準備のため、一度、飛鳥井屋敷に戻って来ていた。安次郎が夢庵を訪ねて、この屋敷に来た時から、すでに八日が過ぎていた。
夢庵はいい遊び相手が来たと、安次郎をあちこち引っ張り回した。
最初の日は夢庵と名づけられた四畳半で、紙屑の中で寝たが、次の日から様々な所に連れて行かれた。次の晩は高林坊、栄意坊たちと酒を飲み、伊勢屋という立派な旅籠屋に泊まり、その次の晩は結局、智羅天の岩屋で夜を明かした。
夢庵は酒を飲んで眠ったまま、朝まで起きなかったのだった。安次郎は腹を減らしたまま、ろくに寝る事もできなかった。ようやく、夜明け近くになって眠りについたかと思うと、夢庵にたたき起こされ、飯を食いに行こうと山を下りた。
伊勢屋に戻って食事をして腹一杯になると、今度は体でも動かすかと飯道山に登って武術道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。稽古が始まるのは午後からだと言う。夢庵は勝手に道場に入ると木剣を見つけて、安次郎にも渡し、無理やり稽古をさせられた。安次郎も武術の稽古は一通りしているので、夢庵なんかに負けるものかと思っていたが、まったく相手にならなかった。夢庵は思っていたよりもずっと強かった。やがて、修行者たちがぞろぞろとやって来た。夢庵は剣術の師範とも親しいらしく、若い者たちに教えてやってくれ、などと言われていた。夢庵は遠慮して剣術道場を後にすると、今度は棒術の道場に向かった。
棒術の道場には、この間、一緒に飲んだ高林坊がいた。夢庵は高林坊に挨拶をすると、一人の山伏を安次郎に紹介した。風眼坊の弟子で観智坊(カンチボウ)だと言う。元、本願寺の坊主で、一緒に酒でも飲めば面白い話が聞けるんだが、残念ながら観智坊は今年一杯、山から下りられないと言う。安次郎は観智坊に早雲や風眼坊の事を簡単に話した。
その後、不動院という宿坊に行って、山伏たちと無駄話をして山を下り、また、伊勢屋に戻るのかと思っていると、『七福亭』という遊女屋に連れて行かれた。好きな女を選べと安次郎に言うと夢庵は馴染みの女を連れて、さっさと奥の方に行ってしまった。仕方なく、安次郎は恵比須(エビス)という名の娘を選んで奥の部屋に入った。次の日は雨降りだったため、そのまま七福亭に居続け、その次の日の朝早く、安次郎は夢庵に起こされた。
今日は天気がいいから山歩きをしようと、酒をぶら下げて飯道山の山頂まで登り、さらに奥駈けと称する山道を太神山まで歩いた。山歩きに慣れていない安次郎はくたくただった。本当なら一日で往復するんだと言われたが、そんな気力はなかった。その夜は太神山(タナガミサン)の門前町で、また、遊女と遊んだ。安次郎は遊女屋に泊まるより静かな宿で、ぐっすりと眠りたかったが、夢庵に言われるままに女を選んだ。次の日、奥駈け道を通って、やっと飛鳥井屋敷に帰って来たのだった。
こんな夢庵といつまでも付き合っていたら体がもたない。安次郎は智羅天の岩屋に一人で籠もって書物でも読もうと決心をした。
山に籠もる用意も整い、いよいよ明日は岩屋に向かう晩だった。
安次郎は夢庵の四畳半で寝そべっていた。
夢庵は文机に向かって、ここに来てから一年の間に宗祇から聞いた事を書きまとめていた。安次郎は不思議そうに、そんな夢庵を見ていた。何事にもこだわらないで、成すがままにという気ままさがあるかと思うと、宗祇から聞いた事を一々書き留めておくという几帳面な所もあった。飽きっぽい所があるかと思えば、一心に一つの事に熱中する事もある。まるで、何人もの人間が夢庵という体の中に生きているようだった。まったく捕え所のない人だと思った。
安次郎は床の間の壁に飾ってある『肖柏』という字を見ていた。安次郎は祐筆をしていただけあって、書に関しては結構、詳しかった。初めて見た時は別に何も感じなかったが、何度も目にしているうちに何となく気になる字だった。流れるような、うまさというのはないが、力強く、字そのものが、まるで生きているかのように感じられた。一体、誰が書いたものだろうか、ただ、肖柏と書いてあるだけで、署名もないし押印(オウイン)もない。初め、夢庵本人が書いたものだろうと思ったが、夢庵の書体とはまるで違った。夢庵の書体は公家流とでも言うか、流れるような達筆だった。
「夢庵殿、その掛軸はどなたが書いたのですか」と安次郎は聞いた。
どうせ、答えてはくれないだろうと思ったが、以外にも、夢庵は手を止めて振り返ると、真面目な顔をして安次郎を見た。「おぬし、字は分かるか」
「はい。少々は」
「どう見る?」
「味のある字だと思いますが」
「どう味がある?」
「はい。厳しさの中に暖かさが‥‥‥」
夢庵は掛軸を見つめ、「さすが、今川家の祐筆だっただけの事はあるな」とゆっくりと頷いた。
「どなたが書かれたのですか」
「一休禅師殿じゃ」
「えっ、一休禅師」と安次郎は起き上がって正座をすると、改めて書を見つめた。
「まさしく、おぬしの言うように、この字には厳しさと暖かさが同居しておる。まさに、一休禅師殿、そのものなんじゃ」
「一休禅師殿の書でしたか‥‥‥」
「おぬし、一休禅師殿を知っておったのか」
「はい。噂だけは‥‥‥今回、もし機会があれば訪ねてみよ、と早雲殿より言われておりました」
「そうか‥‥‥そう言えば、早雲殿は一休殿のお弟子さんじゃったのう」
「やはり、そうでしたか‥‥‥」
「詳しい事は知らんが、一休殿のもとで修行をした事は確かじゃ」
「肖柏というのは、どういう意味なのですか」
「一休殿が、わしに付けてくれた名前じゃ。わしの名は夢庵肖柏というんじゃよ」
「という事は、夢庵殿も一休禅師殿のお弟子さんだったわけですか」
「いや。一休殿のもとで修行した事はあったが、正式な弟子ではないのう。わしの茶の湯の師匠、村田珠光殿が一休殿のお弟子さんじゃ。宗祇殿も正式な弟子ではないが、一休殿のもとで修行をなさっておるんじゃよ」
「そうですか‥‥‥でも、名前を貰うというのはお弟子になったようなものなんでしょう」
「さあ、どうかな。一休殿、独特の戯(タワム)れかもしれん」
「どうして、肖柏という名前になったのですか」
「本当はのう」と言って、夢庵は紙に何やら書くと安次郎に見せた。
その紙には『小伯』と書かれてあった。
「本当は小さい伯なんじゃよ」
「小さい伯?」
「昔、明(ミン)の国に伯倫(ハクリン)という仙人のような人がおったそうじゃ。わしが珠光殿の供をして一休殿を訪ねた時、その伯倫を描いた絵が飾ってあったんじゃ。牛の上に寝そべって、のんきに旅をしておる絵じゃった。その姿がわしにそっくりじゃと言って、一休殿が、わしの事を小さい伯倫と言う意味でショウハク、ショウハクと呼んだんじゃよ。そのうちに、師匠の珠光殿まで、わしの事をショウハクと呼ぶようになって、わしは一休殿にショウハクと書いてくれって頼んだんじゃ。そしたら、一休殿は『小伯』とは書かずに『肖柏』と書いたというわけじゃ。どういう意味か聞いたら、笑っておるだけで教えてはくれなかった」
「へえ‥‥‥」
「その時のひらめきで、ただ、そう書いたのだろうと思うが、わしは気に入っておるんじゃ。だから、こうして表装して大切にしておるというわけじゃ」
「一休禅師殿ですか‥‥‥一体、どんなお人なのです」
「どんなと言われてものう。言葉で言い表せるようなお人ではないのう。しいて言えば、鏡のようなお人かのう」
「鏡のようなお人?」
「うむ」
鏡のような人と言われても、安次郎には何だか、さっぱり分からなかった。
「どういう意味です」と安次郎は聞いた。
「言葉で説明するのは難しいのう。鏡というのは顔とかを映すじゃろう。一休殿は、その人の心を映すとでも言おうかのう」
夢庵はしばらく間をおいてから、話を続けた。
「一休殿のもとで修行をすれば分かるが、一休殿の側におると、不思議と自分というものが見えて来るんじゃよ。本物の自分の姿と言うものがな。わしらが普段、自分だと信じておるものは、実は偽(イツワ)りの姿で、本物の自分というものは奥の方に隠れておるんじゃ。その奥の方に隠れておる本物の自分というものが、見えて来るような気がするんじゃ。人間は生まれながらにして色々な物を背負って生きておる。身分だとか、地位だとか、財産だとか、その他、色々な物を知らず知らずのうちに身に付け、それら、すべてを引っくるめて自分だと思い込んでおる。しかし、それは仮の姿、偽りの姿に過ぎんのじゃ。身に付けておる、あらゆる物を捨てて、捨てて、捨てまくって、何もなくなった時、初めて本当の自分の姿が現れて来るんじゃ。それが、本来無一物の境地と言って、何物にも囚われない境地じゃ。茶の湯のおいて、その境地に至らないと名人とは言えないと珠光殿は言っておられた。連歌においても、その境地まで至らないと名人とは言えないと宗祇殿も言っておられた。連歌の場合、歌を作ろうと思っておるうちは、まだ、駄目じゃと言う。前の句を聞いたら、何も思わず、フッと次の句が浮かんで来るようにならなくては駄目じゃと言うんじゃ。禅問答と同じじゃな。質問されたら、すぐに答えなくてはならん。考えたり、迷ったりしておっては駄目なんじゃ。事実、宗祇殿の連歌は禅問答のようじゃった。前の人が句を詠むと、初めから、そういう歌があったかのごとく、間をおかずに、次の句を詠み上げるんじゃ‥‥‥わしは禅僧ではないが、禅というのは、あらゆる芸の道につながっておるように思えるんじゃ。茶の湯においての珠光殿の流れるような手捌き、あれはまさしく動く禅じゃ。ああしよう、こうしようと思ってできるものではない。自然と同じじゃ。風が吹けば樹木や草花はそよぐ。そこに一点の迷いはない。それは武術にも言えるんじゃ。わしは以前、智羅天の岩屋で、太郎坊殿と太郎坊殿の弟子の試合を見たんじゃ。あれもまさしく、動く禅じゃった」
「禅ですか‥‥‥」
「おぬし、山に籠もって書物を読むのもいいが、一休禅師殿のもとで修行するのもいいかもしれんぞ。何もかも捨ててみて、生まれ変わって見るのもいいかもしれん。その後、どうしても連歌の道に入りたかったら戻って来るがいい。一休殿のもとで修行した事は決して無駄にはなるまい」
「はい‥‥‥」と安次郎は頷いた。
「会ってみれば分かる。おぬしなら一休禅師殿の偉大さが分かるはずじゃ」
安次郎は岩屋行きを変更した。
次の朝、世話になった飛鳥井雅親、宗祇、夢庵に挨拶をすると、颯爽(サッソウ)と、一休禅師のいる薪(タキギ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(シュウオンアン)を目指した。
「ご無沙汰しております」と安次郎は早雲と小太郎に言った。
何となく、いつもの安次郎ではないような気がした。
「どうしたんじゃ。何かあったのか」と早雲は安五郎の顔を覗き込んだ。
「いえ。別に‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「小鹿新五郎殿が何かをたくらんでおるとでもいうのか」と小太郎が聞いた。
「いえ。新五郎殿は何もしておりません。うるさい重臣たちもいなくなったと、今頃はのんびり、昼寝でもしておられるでしょう」
「昼寝とはいい気なもんじゃのう」と小太郎は笑ったが、早雲は真顔で、「五条殿」と声を掛けた。
「五条殿の目から見て、新五郎殿は竜王丸殿が成人なさる十年間、立派に今川家を治める事ができると思うか。正直に答えてくれ」
「それは大丈夫だと思います」と安次郎は答えた。「重臣たちが一つになって、新五郎殿を守り立てて行けば、今川家は安泰だと思います」
「そうか、それを聞いて安心じゃ」
「早雲殿」と今度は安次郎が真顔で早雲に声を掛けた。「今日は、相談したい事がありまして参りました」
「何じゃ」と早雲は安次郎を見た。
安次郎は早雲と小太郎を見てから、視線をそらして、「実は、今川家をやめたいと思っております」と言った。
「なに、やめる?」早雲も小太郎も驚いて、安次郎を見つめた。
「はい」と安次郎は頷いた。「これは突然、思い付いた事ではないのです。前々から考えていた事なのです」
「連歌の道に入るという事か」と早雲は聞いた。
「はい。今が一番いい機会のような気がします。今を逃したら、もう、自分は好きな連歌の道に入れないような気がするのです」
「うむ。確かに、今はいい機会とは言えるが‥‥‥」
「実は、もう決心しました。早雲殿には一言言ってから旅に出ようと思いまして‥‥‥」
「そうか‥‥‥決心してしまったのなら仕方がないのう。自分が決めた道を行くしかあるまい」
「はい‥‥‥」
「新五郎殿の許しは得たのか」
「はい」
「そうか‥‥‥新五郎殿は引き留めたか」
「いえ。やめたいと言ったら、ただ頷いただけで、訳も聞きませんでした。竜王丸派だった自分がいなくなって清々している事でしょう。祐筆は何人もおりますから」
「そうか‥‥‥それで、これから、どうするつもりなんじゃ」
「とりあえず、京に出て宗祇(ソウギ)殿を捜します」
「そして、弟子になるのか」
「はい、必ず」
「そうか」と早雲は頷いてから、小太郎の方を見て、「五条殿に嬉しい知らせと嬉しくない知らせがあるんじゃ」と言った。
「何ですか」と安次郎は二人を見比べた。
「今回の騒ぎで言いそびれてしまったんじゃが、実は、この前の旅の時、わしは宗祇殿とお会いしたんじゃよ」
「えっ! 早雲殿が宗祇殿と?」
安次郎は飛び上がらんばかりに驚き、目の色まで輝いていた。
「小太郎も一緒じゃった」
「早雲殿は宗祇殿を御存じだったのですか」
「いや、偶然だったんじゃ。宗祇殿は今、近江甲賀の飛鳥井殿のお屋敷におられる」
「近江の甲賀におられるんですね」
「そうじゃ。ただ、宗祇殿は弟子は取らないそうじゃ。嬉しくない知らせとはその事じゃ」
「えっ、どうしてです。もう弟子はいらないという事ですか」
「もう、じゃなくて、まだ、じゃ」と小太郎が言った。
「まだ?」
「わしらも驚いたんじゃが、宗祇殿は、自分はまだ修行中の身と言って、弟子をお取りにならんそうじゃ」
「えっ? という事は宗祇殿には、今までお弟子さんはいなかったと言うのですか」
「そうらしいのう。今、夢庵(ムアン)殿という人が、宗祇殿の一番弟子になると言って頑張っておるはずじゃ」
「夢庵殿?」
「おお。面白い男じゃ」と小太郎は笑いながら言った。
「面白いし、ちょっと変わった男じゃな。きっと、五条殿と気が合うに違いない」と早雲も笑っていた。
「夢庵殿ですか‥‥‥」
「年の頃は三十の半ばという所かのう。五条殿より少し年上じゃな。しかし、いい男じゃ」
「わしの弟子に太郎坊というのがおってのう」と小太郎が言った。「今、赤松家の武将になっておるが、その太郎坊と夢庵殿が知り合いになってのう。夢庵殿を通じて宗祇殿に出会ったというわけじゃ」
「夢庵殿は連歌だけじゃなく、茶の湯も一流らしい」と早雲が言った。「村田珠光(ジュコウ)殿のお弟子だったそうじゃ。銭泡殿も夢庵殿の事を知っておった。それに、剣術の方も太郎坊から習って、かなりの腕らしいのう」
「へえ。ほんとに面白そうなお人ですね。是非、会ってみたいものです」
「うむ。わしらから夢庵殿に手紙を書いてやる。夢庵殿を訪ねて行かれるがいい。後は、そなた次第じゃ。わしの見た所、宗祇殿の弟子になるのは並大抵ではないと思うが、やるだけ、やってみるさ。それと、五条殿、一休(イッキュウ)禅師を御存じかな」
「はい。噂だけは聞いておりますが、何でも、突拍子もない事を平気でやる禅僧だとか‥‥‥しかし、偉い和尚さんだと伺っております」
「うむ。確かに偉い。一休殿は本物の禅を実行している唯一のお方じゃろう。宗祇殿も珠光殿も一休殿のもとで禅の修行をなさっておるのじゃ」
「宗祇殿が一休禅師のもとで修行なさったのですか」
「そうじゃ。他にも、能の役者だとか、絵師だとか、一流の芸人たちで、一休殿のもとで修行した者は多い。本物の禅は、すべての道に通じるものがあるんじゃよ。もし、そなたが一休禅師のもとで修行する気があれば訪ねてみるがいい。そなたがこの先、どんな道に進むにしろ、一休禅師のもとで修行をした事は必ず、役に立つ事じゃろう」
「早雲殿はやはり、一休禅師のもとで修行していたのですね」と安次郎が聞いた。
「修行という程の事もしてはおらんが、わしが、こうして頭を丸めたのも、一休殿の影響というものじゃな」
「そうだったのですか‥‥‥」
「わしが手紙を書いてやる」
「ありがとうございます。わたしは本当に幸せです」
安次郎は感激して、目に涙を溜ていた。
「本当は、今川家をやめて旅に出ると決めましたが、不安でたまらなかったのです。果たして、自分が銭泡殿のように乞食をしてまで旅を続ける事ができるかどうか、不安でたまりませんでした。すべてを失っても、連歌の道に生きて行く覚悟が本当にあるのだろうか不安でした。それが、宗祇殿の居場所まで分かり、しかも、早雲殿が書状まで持たせてくれるなんて、まるで、夢のようです。自分が幸運すぎて、恐ろしい位です。ほんとに、どうもありがとうございます」
「喜ぶのは、まだまだ早いぞ。連歌の世界に生きる事は武士の世界に生きる以上に難しいかもしれん」
「はい。お二人の御恩に報いるためにも、立派な連歌師となって、竜王丸殿のもとに帰って参ります」
「うむ。楽しみに待っておるぞ」
「それで、いつ立つんじゃ」
「明日にでも立とうと思っておりました」
「気の早い事じゃ」
「はい。すぐに実行に移さないと、覚悟が揺らぐと思ったものですから‥‥‥」
「明日立つとなると、今晩は駿河最後の夜となるわけじゃのう。別れの宴を張らずにはおれんのう」と小太郎が笑いながら言った。
「そうじゃのう」と早雲も頷いたが、「しかし、ここではまずいのう」と奥の間の方を見た。
「法栄(ホウエイ)殿の所はどうじゃ」と小太郎が言った。
「そうじゃのう。ついでに、法栄殿の船に乗せて貰えばいいんじゃないか」
「そんな‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「まあ、頼んでみるさ。法栄殿だって五条殿が連歌師になると言えば、喜んで送ってくれるじゃろう」
「わしは、さっそく、法栄殿の所に行って来るわ」と小太郎はいそいそと出掛けて行った。
「富嶽(フガク)の奴が言っておった通りになったのう」と早雲は笑った。
「富嶽殿が?」
「ああ。わしが留守の時、二人で飲んだそうじゃのう。その時の話を聞いて富嶽は、五条殿はやがて武士をやめるじゃろうと言っておったわ」
「そうですか‥‥‥」
「富嶽も連れて行くわ。今、裏門を守っておるから夜はあいておる」
「すみません」
「なに、今回、うまく行ったのも五条殿のお陰じゃ。五条殿がわしらにお屋形様の死を知らせてくれなかったら、今頃、竜王丸殿はお屋形様にはなれなかったかもしれん。お礼を言いたいのはわしらの方じゃ」
「竜王丸殿の事、よろしくお願いいたします」と安次郎は頭を下げた。
「今度、五条殿が駿河に帰って来る頃には、立派なお屋形様となっている事じゃろう」
「はい」
安次郎は北川殿と竜王丸に別れの挨拶をすると、ひとまず帰って行った。
風が強くなり、落ち葉が風に舞っていた。
早いものだった。正月に帰って来て、もう十月だった。今年もあと二ケ月で終わりだった。年を取る毎に月日の経つのは早くなるものだ、と早雲は庭の枯葉を眺めながら、しみじみと思っていた。
2
枯葉の舞い散る十月の半ば、五条安次郎は近江(オウミ)の国、甲賀(コウカ)郡を野洲(ヤス)川に沿って、西に向かって歩いていた。駿河の国、小河(コガワ)津を出てから五日目の事だった。
駿府最後の宴を駿府屋形内の長谷川法栄の屋敷で催してもらい、次の日には旅立つはずだったが、法栄が、四日後に伊勢に向かう船が出るから、是非、それに乗って行けと勧めたため、安次郎も快く法栄の気持ちを受ける事にした。早雲のお陰で宗祇の居場所も分かったので、自分を励まして、逃げるように慌てて旅立たなくてもいいと思うようになっていた。旅立ちまでの四日間、世話になった人々に挨拶を済ませ、三浦氏の大津城下にいる両親のもとにも挨拶に行く事もできた。
安次郎の父親は刀鍛冶(カジ)の頭だった。祖父の代から今川家の御用職人となり、数十人もの鍛冶師を抱え、今川家のために刀や槍を製作していた。安次郎は次男だったため跡継ぎにはならず、幼い頃より禅寺にて学問を習い、十二歳の頃から先代のお屋形様の側に仕えた。その頃から安次郎の字のうまさは有名で、禅寺の和尚の推薦によって、お屋形様の祐筆に抜擢されたのだった。
祐筆となった安次郎は、お屋形様からもその才能を認められ、お屋形様の許しを得て、京から下向して来ていた公家から和歌や連歌の修行に励んだ。十六歳になった時、京から下向して来た連歌師、宗祇と出会い、弟子にしてくれと頼んだが、まだ若過ぎる、もっと色々な学問を身に付けなさいと断られた。その後は、宗祇に言われたように様々な学問を身に付けようと熱心に勉学に励んだ。幸い、お屋形様の所持している書物を自由に見てもいいとの許可を得たので、暇さえあれば書物を読んでいた。十九歳の時、再び下向した宗祇と再会して、連歌会に同座する事もできた。宗祇と同座してみて、自分の未熟さが厭という程、分かった安次郎は益々、書物に没頭して行った。
ところが、翌年、嫁を貰うと自然と生活は変わった。以前の様に自由な時間は少なくなり、さらに、その年、応仁の乱が始まった。安次郎はお屋形様と共に京には行かなかったが、優雅に歌などを歌っている時代ではなくなった。お屋形様が京から戻って来ると、さっそく戦が始まった。安次郎もお屋形様と共に戦陣に出掛けた。祐筆だったため、実際に戦をする事はなかったが、安次郎も戦において活躍したいという思いはあった。武士になったからには、歌なんか詠んでいるより戦での活躍が一番ものを言った。
安次郎はひそかに武術の修行に励んだ。基礎はできている。刀鍛冶の子として生まれたので、刀の使い方は幼い頃より父親から仕込まれていた。安次郎は歌の事など、すっかり忘れたかのように武術修行に励んだ。
数度の戦に参加したが、実際に人を殺す事はなかった。しかし、お屋形様の側近らしく、危険な目に会っても怖(オ)じける事はなかった。いつも堂々としていて、甲冑姿が様になっていた。戦が始まった当初、書物ばかり読んでいたため、軟弱者は戦に来る必要はない、などと陰口を利く者もあったが、誰もそんな事を言わなくなった。安次郎がお屋形様の側にいる事で、皆、安心して、お屋形様の事を安次郎に任せるようになって行った。
そんな頃、突然、北川殿の兄上と名乗る早雲という僧が駿府に現れた。早雲はしばらくの間、お屋形様の屋敷の離れの書院に滞在していた。安次郎はお屋形様や北川殿の使いとして、何回か早雲と会ううちに、今まで忘れていた西行(サイギョウ)法師の事を思い出した。安次郎が宗祇と出会った十六歳の頃、安次郎は西行法師に憧れていた。西行法師のように歌を歌いながら自由気ままに旅をするのが安次郎の夢だった。宗祇の弟子になりたいと思ったのも、宗祇と一緒に各地を旅して歩けると思ったからだった。しかし、あの時から十年の歳月が流れ、いつの間にか、あの頃の夢を忘れてしまった。それが、早雲に会ってから急に、その頃の夢が蘇(ヨミガエ)って来たのだった。早雲は僧になる前は将軍様に仕えていた武士だったと言う。それが、突然、頭を丸めて旅に出た。まさしく、西行法師と同じだった。安次郎は早雲の生き方に憧れた。早雲と色々な事を話せば話す程、益々、惹かれて行った。
やがて、早雲は山西の石脇に庵を結んで移って行った。安次郎は度々、早雲のもとを訪ね、自分も早雲のように生きたいと願ったが、お屋形様が戦に忙しい今、今川家をやめるわけには行かなかった。
そして、突然のお屋形様の討ち死に、今川家の内訌(ナイコウ)と続き、ようやく、竜王丸がお屋形様となり、安次郎は今川家をやめる決心をしたのだった。妻との間には子供ができなかった。安次郎は妻を説得して実家に帰ってもらった。妻は三浦家の重臣の娘だった。お屋形様の勧めもあって一緒になったのだが、あまりうまく行かなかった。美しい女だったが、我がままで、安次郎が鍛冶師の出という事もあって、どこか馬鹿にした所があり、贅沢な暮らししかできなかった。お屋形様の手前、安次郎も何とか我慢していたが、お屋形様も亡くなってしまい、思い切って離縁する事にしたのだった。妻の方も喜んで実家に帰って行った。
ようやく、自由の身となった安次郎は晴れ晴れとした顔付きで旅を楽しんでいた。遠江の国より西に行くのは初めてだった。見る物、何もかもが珍しく、心は浮き浮きしていた。長谷川法栄の船に乗り、広い海を渡って伊勢の安濃津(アノウツ、津市)に着き、そこからは景色を楽しみながら鈴鹿越えをして、近江の国に入った。野洲川に沿って街道を進み、宗祇のいるという甲賀柏木(水口町)は、もう目と鼻の先だった。
安次郎は早雲に書いてもらった絵地図を眺めながら歩いていた。
「あれが飯道山(ハンドウサン)か‥‥‥」と安次郎は立ち止まって山を眺めた。
あそこで、風眼坊殿が剣術を教えていたのか‥‥‥
宗祇のいる飛鳥井雅親(アスカイマサチカ)の屋敷は野洲川の側だった。安次郎にもすぐに分かった。たんぼの中に、そこだけ何となく華やいだ大きな屋敷が建っている。屋敷は濠と土類に囲まれていて、武家屋敷のようだが、どことなく、公家らしい雰囲気があった。安次郎は野洲川に架かる舟橋を渡ると飛鳥井屋敷の表門に向かった。
安次郎は門番に夢庵殿に会いたいと告げた。
「どなたですかな」と門番は安次郎をじろじろ見ながら聞いた。
「元、今川家の臣、五条安次郎と申します」
「今川家? 駿河の今川家ですか」と門番は不思議そうな顔をして聞き返した。
「はい」と安次郎は頷いた。
「少々、お待ちを」と言って門番は屋敷の中に入って行った。
しばらくして、門番は戻って来たが、「夢庵殿は、そなたの事を御存じないとの事です」と素っ気なかった。
「はい。それは当然です。実は、伊勢早雲殿の紹介で参りました」
「伊勢早雲?」
「はい。伊勢早雲殿、それと、風眼坊殿の書状を持っております」
「風眼坊殿の書状をか」
「はい。風眼坊殿を御存じですか」
「当然じゃ。この辺りで、風眼坊殿の名を知らん者はおるまい」
「そうですか。風眼坊殿は今、駿河におられます。わたしは風眼坊殿より夢庵殿の事を伺い、是非、お会いしたいと訪ねて参りました」
「そうか、風眼坊殿は駿河におられるのか‥‥‥待っていなされ、夢庵殿に伝えて参る」
今度は、門番と一緒に夢庵も現れた。
早雲や風眼坊から変わった人だと聞いてはいたが、まさしく変わっていた。夢庵は総髪の頭に革の鉢巻を巻いて、熊の毛皮を身に着けていたのだった。その姿は狩人、あるいは山賊だった。そんな姿をした者が、この屋敷から出て来るとは、まるで、夢でも見ているかのようだった。
「風眼坊殿のお知り合いじゃそうな。よう来られた。風眼坊殿は今、駿河におるのか‥‥‥そうか、懐かしいのう。さあさ、入ってくれ」
夢庵は安次郎を歓迎して、さっさと屋敷の中に入って行った。
門をくぐると正面に大きな屋敷があったが、人影はなかった。夢庵は安次郎を塀で仕切られた左側に案内した。塀の向こう側には正面に屋敷があり、その右側に広い庭園があった。庭園の右側に御殿のような大きな屋敷が二つ並んで見えた。
夢庵は庭園の中の池の側に建つ茶室に安次郎を案内した。
茶室の中は四畳半と狭く、物がやたらと散らかっていた。床の間と違い棚の付いた珠光流の本格的な茶室であったが、お茶を点(タ)てるどころか坐る場所もない程、書物やら紙屑やら、食べ残した物やらが散らかっている。床の間には茶の湯の台子(ダイス)と花のない花入れが置かれ、壁には、力強い字で『肖柏(ショウハク)』と書かれた掛軸が掛かっていたが、安次郎には何を意味するのか理解できなかった。違い棚には棚が落ちてしまうのではと思える程、書物がぎっしりと並んでいた。
夢庵は散らかっている物をどけて、安次郎が坐る所を作ると、自分は文机(フヅクエ)の前に坐った。何やら書いている途中らしかった。
「懐かしいのう。風眼坊殿は相変わらず、達者か」と夢庵は聞いた。
「はい。書状を預かって来ています」と安次郎は風眼坊と早雲の書状を夢庵に渡した。
「ほう。早雲殿の書状もあるのか。そういえば、早雲殿は駿河に住んでおると言っておったのう。懐かしいのう。去年、二人と一緒に山の中を歩き回ったが、あの時は実に辛かったわ‥‥」
夢庵は二人の書状を時々笑いながら懐かしいそうに読んでいた。
「五条殿と申されるか」と夢庵は書状を読みながら聞いた。
「はい」
「宗祇殿の弟子になるために、やって来たのか」
「はい」
「うむ‥‥‥」
夢庵は二つの書状を読み終わると安次郎に返した。
「駿河の地でも大変だったらしいのう」
「はい。戦になりそうでしたが、お二人の活躍によって何とか無事に治まりました」
「そうか‥‥‥二人の手紙を読んだら、わしも駿河に行ってみたくなったのう」
「いい所です」
「らしいのう‥‥‥それで、宗祇殿の弟子になりたいというのは本当なのか」
「はい。宗祇殿に弟子入りして立派な連歌師になるために、今川家をやめて、こうしてやって参りました」
「うむ‥‥‥難しいのう」と夢庵は首を振った。
「失礼ですが、夢庵殿は宗祇殿のお弟子さんになられたのでしょうか」
夢庵はもう一度、首を振った。「わしがここに来て、もう一年にもなるが、未だに宗祇殿は弟子にしてくれんのじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「うむ。しかし、わしは諦めん。弟子にしてもらうまで、ずっと、ここにおるつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、とにかく、一度、宗祇殿に会ってみるか」
「はい。是非、お会いしたいと思っております」
「うむ。じゃあ、行ってみるか」と夢庵は気楽に立ち上がった。
安次郎は胸を躍らせながら夢庵の後に従った。
3
宗祇は書物の中に埋もれるような格好で『源氏物語』に没頭(ボットウ)していた。髪も髭も伸び放題という有り様で、暖かそうな綿入れを着込んで文机にしがみ付いていた。
安次郎は宗祇と会ったが、弟子にして欲しいと言う事はできなかった。宗祇の姿からは、命懸けで歌の道を極めるという気迫が感じられ、弟子の事を口に出す事さえできなかった。
宗祇は安次郎の事を覚えていてくれた。そして、お屋形様が亡くなった事を告げると信じられないという顔をして驚き、お屋形様に世話になった時の事を色々と話してくれた。
半時程、駿河の思い出話を懐かしそうにすると、また文机に向かって何やら書き始めた。宗祇は安次郎に対して、どうして、ここに来たのかは聞かなかった。未だに、今川家の家臣として、何か用があって出て来たついでに寄ったものだと思っているらしかった。
安次郎は、その日から夢庵の茶室に居候(イソウロウ)する事になった。
安次郎は初め、夢庵が書き物をしていた茶室は夢庵の書斎だと思っていたが、夢庵はその狭い部屋で寝起きしていたのだった。夢庵は好きなだけ、そこにいていいと言ったが、二人で暮らすには四畳半は狭かった。夢庵はそんな事を一向に気にせず、気ままに暮らしていた。
夢庵の話によると、夢庵も宗祇も、この屋敷の主、飛鳥井雅親の和歌の弟子だと言う。二人は兄弟弟子という関係にあり、この屋敷内に住まわせて貰っている。宗祇の住んでいる屋敷は種玉庵(シュギョクアン)と呼び、夢庵の住んでいる茶室は夢庵と呼び、雅親が二人のために建ててくれたものだと言う。雅親はもう少し広い屋敷を建ててやると言ったが、夢庵がどうしても、珠光流の茶室がいいと無理にお願いして建てて貰ったのだと言った。建物こそ小さいが、材料も吟味(ギンミ)されていて、安次郎には分からないが、かなり費用が掛かったとの事だった。
その日の晩、安次郎は夢庵と一緒に屋敷の主人、飛鳥井雅親の招待を受け、夕食を御馳走になった。その席に宗祇は出て来なかった。いつもの事だと言う。宗祇は書物に没頭すると時の過ぎるのも忘れてしまい、食事に来ない事もあり、そういう時は後で差し入れをするのだと言う。
雅親は紛れもない公家だった。年の頃は宗祇と同じ位の六十前後の物静かな人だった。後で聞いて、安次郎は驚いたが、雅親は天皇に拝謁(ハイエツ)する事もできる程の高い身分を持ち、権大納言(ゴンノダイナゴン)という官職に就いていた。普通なら、浪人である安次郎が同席などできるような人ではなかったのだった。
翌日、安次郎は夢庵と一緒に飯道山に登った。裏側の参道から登ったため、あまり賑やかではなく、安次郎は風眼坊の話とは大違いだなと感じた。しかし、山の上まで行くと、そこは山の上とは信じられない程、寺院が立ち並び、大勢の若い者たちが武術の修行をしていた。まさしく、風眼坊の言う通りだった。凄いと安次郎は感激していた。こんな所が実際にあったのかと安次郎は驚きながら、夢庵に連れられて山内を歩き回った。
夢庵は山の中で顔が広かった。山伏たちと気軽に挨拶を交わしていた。山の中を一通り、見て歩くと、安次郎は夢庵に連れられて表参道の方に下りた。表参道側の門前町は賑やかだった。夢庵は花養院(カヨウイン)に安次郎を連れて行った。花養院には子供たちが大勢いて、夢庵が顔を出すと子供たちがワアッと寄って来た。子供たちは皆、孤児だと言う。花養院の主である松恵尼(ショウケイニ)が孤児たちを集めて育てているのだと言う。安次郎はその松恵尼と会わされ、駿河にいる早雲や風眼坊の事を色々と聞かれた。また、安次郎は松恵尼から若い頃の二人の事を話してもらった。楽しい一時だった。
いつの間にか、日が暮れていた。
花養院を後にすると、今度は『伊勢屋』という旅籠屋(ハタゴヤ)に連れて行かれた。ここでも夢庵は有名だった。旅籠屋の女将(オカミ)を初め、女中たちが皆、夢庵を歓迎した。安次郎はのんびりと風呂に入って旅の疲れを取ると、夢庵に連れられて盛り場に向かった。盛り場は賑やかだった。浅間神社の門前町に負けない程の賑やかさだった。夢庵が連れて行った所は『とんぼ』という小さな飲屋だった。
まだ時間が早いのか、店の中には客が三人いただけだった。夢庵と二人で酒を飲み始めると、やがて、二人の山伏がやって来た。高林坊と栄意坊という飯道山の武術師範だと言う。二人とも早雲と風眼坊を知っていて、二人が駿河で何をやっているのか、しきりに聞きたがった。
安次郎は不思議な気持ちだった。今、一緒に酒を飲んでいる三人は、安次郎が今まで知らない世界の人たちだった。安次郎が思いもしない事を色々と知っていた。三人の話を聞きながら、安次郎はこれから先、連歌の世界で生きて行くには、あらゆる世界の事を知らなければならないと感じていた。その晩は遅くまで飲んで語りあった。
安次郎は久し振りに酔い、心の中で思っていた事を初めて人に語った。目の前にいる三人には何でも言えると感じ、心を許したのだった。武士でいた頃、心から話し合えるような友はいなかった。同僚たちは常に回りの者を蹴落として出世する事ばかり考えていた。打ち解けているように振る舞いながら、裏では何を考えているのか分からない者たちばかりだった。ところが、今、目の前にいる三人は、昨日、今日、会ったばかりなのに、安次郎はなぜか、心を許す事ができた。安次郎の話を聞きながら三人は親身になって、あれこれ意見を言ってくれた。
次の日、伊勢屋の一室で目を覚ました安次郎は、夢庵に連れられて山の中に連れて行かれた。いい所に連れて行ってやると言うだけで、夢庵はどこに行くかは教えてくれなかった。かなり険しい山道を歩いて、たどり着いた所は岩々に囲まれた平地だった。まるで、山水画の中にいるような感じだった。正面にそそり立つ岩には洞穴があり、奥が深そうだった。その光景を目にした時、安次郎は思わず、「おおっ!」と声を発した。
そこは、安次郎がいつも夢に見ていた光景に似ていた。こんな光景の中で、気ままに酒を飲み、歌を詠み、琴を鳴らして仙人のように生きるのが安次郎の夢だった。
「どうじゃ、いい所じゃろう」と夢庵は岩屋の入り口から回りを見渡しながら言った。
「はい。こんな所が実際にあったなんて‥‥‥」
「風眼坊殿の弟子に太郎坊殿というのがおってのう。その太郎坊殿がここを見つけたんじゃ。ここは『智羅天(チラテン)の岩屋』と言ってのう。なかなか住み易い岩屋じゃ」
「その太郎坊殿の事は風眼坊殿より聞いております」
「そうか。今は播磨で赤松家の武将になっておるが、剣術の名人じゃ。実は、わしも太郎坊殿の弟子なんじゃよ」
「夢庵殿も剣術の名人なのですか」
「いや。わしはただ、自分の身を守る程度じゃ」と夢庵は笑った。
夢庵は岩屋の中を案内してくれた。岩屋の中は想像していたよりもずっと深く広かった。迷路のように道が入り組み、部屋がいくつもあり、岩屋の中は暖かかった。
夢庵は観音様の壁画の描かれた一番広い部屋の中で焚火を焚くと、持って来た酒を飲み始めた。安次郎は夢庵の姿を眺めながら羨ましいと感じていた。まさしく、夢庵は、安次郎の夢見る自由人だった。西行法師のように瓢々(ヒョウヒョウ)と生きていた。安次郎も見習いたかったが、自分に果たして、あんな生き方ができるかどうか自信がなかった。
「夢庵殿、宗祇殿はいつになったら弟子を持つようになるのでしょうか」と酒を飲みながら安次郎は夢庵に聞いた。
「分からん。しかし、わしが思うには、来年あたりから宗祇殿も動き出すような気もするんじゃ」
「来年ですか」
「ああ。宗祇殿は今年の正月、初めて将軍様の連歌会に参加したんじゃ。宗祇殿の名声も一部の者だけでなく、京の町人たちの噂にも上り始めておる。京の戦もそろそろ終わろうとしておるしのう。来年になれば、宗祇殿がまだ古典の研究をしたいと願っても、世間の方が黙ってはおるまい。宗祇殿はあちこちから連歌会の招待を受けるじゃろう。そうすれば、弟子も取らなくてはならなくなると思うがのう」
「来年ですか‥‥‥」
「どうする、来年まで待つか。わしは別に構わんぞ。あそこにおりたければ、おっても構わん」
「はい‥‥‥」
来年までと言っても、まだ二ケ月半もある。二ケ月半もの間、何もしないで、夢庵の四畳半に居候するわけにはいかなかった。
「わしの所が嫌なら、ここにおっても構わん。ここなら誰にも気兼ねする事もない。この岩屋の事を知っておるのは、太郎坊殿と早雲殿と風眼坊殿だけじゃ。飯道山におる山伏でさえ、ここの事は知らん。ここに籠もって書物でも読んで暮らすか。書物なら飛鳥井殿の屋敷に幾らでもあるぞ。めったに読めないような貴重な物まである。飛鳥井殿は何でも自由に貸してくれる」
「はい‥‥‥しかし‥‥‥」
まだ、駿河から出て来たばかりだった。どうせ、来年まで待つのなら、ここに籠もるよりは各地を旅して見たかった。京の都も見たいし、南都奈良も見たい、琵琶湖も見たいし、瀬戸内も見たい。見たい所はいくらでもあった。安次郎は来年まで旅をしようと思った。
「夢庵殿は一年もの間、何をしていたのですか」
「わしか‥‥‥わしは今と同じような事を一年間、やっておったのう。飯道山で修行者たちに剣術を教えた事もあったし、盛り場で飲んだり、女を抱いたり、花養院で子供たちと遊んだり、ここに来て、一人静かに瞑想(メイソウ)したり‥‥‥また、宗祇殿の講義を聞く事もあった。弟子としてではなく、兄弟弟子という立場でな」
「そうでしたか‥‥‥」
「ここに来て一年になるが、住んでみるとなかなかいい所じゃよ、ここは」
「はい‥‥‥」と安次郎は焚き火越しに夢庵を見た。うまそうに酒を飲んでいた。
「話は変わりますが、飯道山で修行している若い者たちは、皆、この辺りの者たちなのですか」と安次郎は聞いた。
「いや」と夢庵は首を振った。「最近は遠くから来る者も多いらしいのう。甲賀、伊賀の者たちが半数以上だが、伊勢、大和、加賀辺りから来る者もおるらしい」
「修行したい者は誰でも修行できるのですか」
「いや、とんでもない。毎年、正月の十四日に受付があるんじゃ。年々、修行者の数は増えて来て、五百人以上も集まって来るんじゃ。わしも今年の正月、集まって来る修行者たちを見たが、それは物凄い数じゃった。まるで、祭りのようじゃ。集まった五百人は一ケ月の間、朝から晩まで、休まず山の中を歩かされるんじゃ。わしも一ケ月程、歩いたが、あれは、かなりきつい修行じゃ。早雲殿や風眼坊殿は平気な顔して百日間も歩き通した」
「百日間も?」
「ああ、そうじゃ。あれは去年の十二月じゃった。雪の降る中、歩き通したんじゃ。今思うと、よく歩けたと思うわ」
「それで、修行者たちも一ケ月間、山の中を歩くのですか」
「そうじゃ。第一関門というわけじゃ。その山歩きによって、耐えられない者たちは次々に山を下りて行くんじゃ。結局、一ケ月経って、残るのは百人ちょっとというわけじゃ。その百人ちょっとが山に残り、一年間、武術を習うんじゃ」
「へえ‥‥‥という事は、あの山で修行するためには、正月の受付をして、一ケ月間の山歩きをしなければならないという事ですか」
「そういう事じゃ」
「武術の修行をするのも大変なんですね」
「ああ、大変じゃな。それだけじゃなく銭もかかるんじゃよ」
「銭?」
「ああ。いくら武術の素質があっても、所詮、銭のない者は飯道山で修行すらできんのじゃ」
「そうですか‥‥‥夢庵殿、宗祇殿の弟子になるのにも銭がいるのでしょうか」
「さあな。銭はいらんとは思うが、それ相当の物を見せん事には無理かもしれん」
「それ相当の物?」
「ああ。今は、宗祇殿はひっそりと一人で古典に没頭しておられるが、宗祇殿が活動を始めれば、弟子になりたいと思う者は、それこそ何百人と現れて来るじゃろう。その中から弟子に選ばれるとなると、自分の才能を表現して、宗祇殿に認められなくてはならんと思うがのう」
「自分の才能を表現するんですか‥‥‥」
「うむ」
確かに、夢庵の言う通りだった。宗祇程の人の弟子になるには、自分を表現して見せなければならない。安次郎は、今まで書きためた自分の作品を持って来ていた。その作品を宗祇に見せて、宗祇が認めてくれるか、というと自信はなかった。宗祇はあの年になっても書物に没頭して古典の研究をしている。そんな宗祇から見たら、自分の作品など薄っぺらな人真似としか映らないだろう。どうしたらいいのか、安次郎には分からなかった。
夢庵は焚火を眺めながら気楽に酒を飲んでいた。夢庵は宗祇と兄弟弟子であった。宗祇が弟子を取る事になれば、夢庵が一番弟子になるのは間違いない。しかし、自分が二番弟子になる可能性はほとんどなかった。
「どうした、夕べ、飲み過ぎたか」と夢庵は笑った。
「いえ」と安次郎は力なく首を振った。
夢庵は意味もなく笑って、岩屋の中を見回した。
「ここの岩屋は不思議な岩屋じゃ。わしはここに来る時はいつも一人じゃった。太郎坊殿より、ここを自由に使ってもいいと言われたが、ここに誰かを連れて来たのは、おぬしが初めてじゃ。夕べ、一緒に飲んだ二人は太郎坊殿の師匠にあたる人たちじゃが、ここの事は知らない。どうして、おぬしをここに連れて来たのかは、わしにも分からん。何となく、この岩屋に、おぬしを連れて来いと言われたような気がして連れて来たんじゃ。おぬし、どうして、ここに来たのか分かるか」
「さあ、分りませんが‥‥‥ただ、険しい岩の中を抜けて、この岩屋を初めて見た時、何となく、前に見た事があったような懐かしさを感じた事は確かです」
「そうか‥‥‥やはり、何かつながりがあったんじゃのう。おぬし、しばらく、ここでのんびり暮らせ。ここにいると世俗の事などすっかり忘れ、生まれ変わったかのような気分になれるぞ」
「はい‥‥‥」
酒を飲み干すと、夢庵はそのまま眠ってしまった。
「不思議なお人だ」と安次郎は夢庵を見ながら呟(ツブヤ)いた。
4
安次郎は夢庵の言うように、智羅天の岩屋に籠もってみようと思った。そのための準備のため、一度、飛鳥井屋敷に戻って来ていた。安次郎が夢庵を訪ねて、この屋敷に来た時から、すでに八日が過ぎていた。
夢庵はいい遊び相手が来たと、安次郎をあちこち引っ張り回した。
最初の日は夢庵と名づけられた四畳半で、紙屑の中で寝たが、次の日から様々な所に連れて行かれた。次の晩は高林坊、栄意坊たちと酒を飲み、伊勢屋という立派な旅籠屋に泊まり、その次の晩は結局、智羅天の岩屋で夜を明かした。
夢庵は酒を飲んで眠ったまま、朝まで起きなかったのだった。安次郎は腹を減らしたまま、ろくに寝る事もできなかった。ようやく、夜明け近くになって眠りについたかと思うと、夢庵にたたき起こされ、飯を食いに行こうと山を下りた。
伊勢屋に戻って食事をして腹一杯になると、今度は体でも動かすかと飯道山に登って武術道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。稽古が始まるのは午後からだと言う。夢庵は勝手に道場に入ると木剣を見つけて、安次郎にも渡し、無理やり稽古をさせられた。安次郎も武術の稽古は一通りしているので、夢庵なんかに負けるものかと思っていたが、まったく相手にならなかった。夢庵は思っていたよりもずっと強かった。やがて、修行者たちがぞろぞろとやって来た。夢庵は剣術の師範とも親しいらしく、若い者たちに教えてやってくれ、などと言われていた。夢庵は遠慮して剣術道場を後にすると、今度は棒術の道場に向かった。
棒術の道場には、この間、一緒に飲んだ高林坊がいた。夢庵は高林坊に挨拶をすると、一人の山伏を安次郎に紹介した。風眼坊の弟子で観智坊(カンチボウ)だと言う。元、本願寺の坊主で、一緒に酒でも飲めば面白い話が聞けるんだが、残念ながら観智坊は今年一杯、山から下りられないと言う。安次郎は観智坊に早雲や風眼坊の事を簡単に話した。
その後、不動院という宿坊に行って、山伏たちと無駄話をして山を下り、また、伊勢屋に戻るのかと思っていると、『七福亭』という遊女屋に連れて行かれた。好きな女を選べと安次郎に言うと夢庵は馴染みの女を連れて、さっさと奥の方に行ってしまった。仕方なく、安次郎は恵比須(エビス)という名の娘を選んで奥の部屋に入った。次の日は雨降りだったため、そのまま七福亭に居続け、その次の日の朝早く、安次郎は夢庵に起こされた。
今日は天気がいいから山歩きをしようと、酒をぶら下げて飯道山の山頂まで登り、さらに奥駈けと称する山道を太神山まで歩いた。山歩きに慣れていない安次郎はくたくただった。本当なら一日で往復するんだと言われたが、そんな気力はなかった。その夜は太神山(タナガミサン)の門前町で、また、遊女と遊んだ。安次郎は遊女屋に泊まるより静かな宿で、ぐっすりと眠りたかったが、夢庵に言われるままに女を選んだ。次の日、奥駈け道を通って、やっと飛鳥井屋敷に帰って来たのだった。
こんな夢庵といつまでも付き合っていたら体がもたない。安次郎は智羅天の岩屋に一人で籠もって書物でも読もうと決心をした。
山に籠もる用意も整い、いよいよ明日は岩屋に向かう晩だった。
安次郎は夢庵の四畳半で寝そべっていた。
夢庵は文机に向かって、ここに来てから一年の間に宗祇から聞いた事を書きまとめていた。安次郎は不思議そうに、そんな夢庵を見ていた。何事にもこだわらないで、成すがままにという気ままさがあるかと思うと、宗祇から聞いた事を一々書き留めておくという几帳面な所もあった。飽きっぽい所があるかと思えば、一心に一つの事に熱中する事もある。まるで、何人もの人間が夢庵という体の中に生きているようだった。まったく捕え所のない人だと思った。
安次郎は床の間の壁に飾ってある『肖柏』という字を見ていた。安次郎は祐筆をしていただけあって、書に関しては結構、詳しかった。初めて見た時は別に何も感じなかったが、何度も目にしているうちに何となく気になる字だった。流れるような、うまさというのはないが、力強く、字そのものが、まるで生きているかのように感じられた。一体、誰が書いたものだろうか、ただ、肖柏と書いてあるだけで、署名もないし押印(オウイン)もない。初め、夢庵本人が書いたものだろうと思ったが、夢庵の書体とはまるで違った。夢庵の書体は公家流とでも言うか、流れるような達筆だった。
「夢庵殿、その掛軸はどなたが書いたのですか」と安次郎は聞いた。
どうせ、答えてはくれないだろうと思ったが、以外にも、夢庵は手を止めて振り返ると、真面目な顔をして安次郎を見た。「おぬし、字は分かるか」
「はい。少々は」
「どう見る?」
「味のある字だと思いますが」
「どう味がある?」
「はい。厳しさの中に暖かさが‥‥‥」
夢庵は掛軸を見つめ、「さすが、今川家の祐筆だっただけの事はあるな」とゆっくりと頷いた。
「どなたが書かれたのですか」
「一休禅師殿じゃ」
「えっ、一休禅師」と安次郎は起き上がって正座をすると、改めて書を見つめた。
「まさしく、おぬしの言うように、この字には厳しさと暖かさが同居しておる。まさに、一休禅師殿、そのものなんじゃ」
「一休禅師殿の書でしたか‥‥‥」
「おぬし、一休禅師殿を知っておったのか」
「はい。噂だけは‥‥‥今回、もし機会があれば訪ねてみよ、と早雲殿より言われておりました」
「そうか‥‥‥そう言えば、早雲殿は一休殿のお弟子さんじゃったのう」
「やはり、そうでしたか‥‥‥」
「詳しい事は知らんが、一休殿のもとで修行をした事は確かじゃ」
「肖柏というのは、どういう意味なのですか」
「一休殿が、わしに付けてくれた名前じゃ。わしの名は夢庵肖柏というんじゃよ」
「という事は、夢庵殿も一休禅師殿のお弟子さんだったわけですか」
「いや。一休殿のもとで修行した事はあったが、正式な弟子ではないのう。わしの茶の湯の師匠、村田珠光殿が一休殿のお弟子さんじゃ。宗祇殿も正式な弟子ではないが、一休殿のもとで修行をなさっておるんじゃよ」
「そうですか‥‥‥でも、名前を貰うというのはお弟子になったようなものなんでしょう」
「さあ、どうかな。一休殿、独特の戯(タワム)れかもしれん」
「どうして、肖柏という名前になったのですか」
「本当はのう」と言って、夢庵は紙に何やら書くと安次郎に見せた。
その紙には『小伯』と書かれてあった。
「本当は小さい伯なんじゃよ」
「小さい伯?」
「昔、明(ミン)の国に伯倫(ハクリン)という仙人のような人がおったそうじゃ。わしが珠光殿の供をして一休殿を訪ねた時、その伯倫を描いた絵が飾ってあったんじゃ。牛の上に寝そべって、のんきに旅をしておる絵じゃった。その姿がわしにそっくりじゃと言って、一休殿が、わしの事を小さい伯倫と言う意味でショウハク、ショウハクと呼んだんじゃよ。そのうちに、師匠の珠光殿まで、わしの事をショウハクと呼ぶようになって、わしは一休殿にショウハクと書いてくれって頼んだんじゃ。そしたら、一休殿は『小伯』とは書かずに『肖柏』と書いたというわけじゃ。どういう意味か聞いたら、笑っておるだけで教えてはくれなかった」
「へえ‥‥‥」
「その時のひらめきで、ただ、そう書いたのだろうと思うが、わしは気に入っておるんじゃ。だから、こうして表装して大切にしておるというわけじゃ」
「一休禅師殿ですか‥‥‥一体、どんなお人なのです」
「どんなと言われてものう。言葉で言い表せるようなお人ではないのう。しいて言えば、鏡のようなお人かのう」
「鏡のようなお人?」
「うむ」
鏡のような人と言われても、安次郎には何だか、さっぱり分からなかった。
「どういう意味です」と安次郎は聞いた。
「言葉で説明するのは難しいのう。鏡というのは顔とかを映すじゃろう。一休殿は、その人の心を映すとでも言おうかのう」
夢庵はしばらく間をおいてから、話を続けた。
「一休殿のもとで修行をすれば分かるが、一休殿の側におると、不思議と自分というものが見えて来るんじゃよ。本物の自分の姿と言うものがな。わしらが普段、自分だと信じておるものは、実は偽(イツワ)りの姿で、本物の自分というものは奥の方に隠れておるんじゃ。その奥の方に隠れておる本物の自分というものが、見えて来るような気がするんじゃ。人間は生まれながらにして色々な物を背負って生きておる。身分だとか、地位だとか、財産だとか、その他、色々な物を知らず知らずのうちに身に付け、それら、すべてを引っくるめて自分だと思い込んでおる。しかし、それは仮の姿、偽りの姿に過ぎんのじゃ。身に付けておる、あらゆる物を捨てて、捨てて、捨てまくって、何もなくなった時、初めて本当の自分の姿が現れて来るんじゃ。それが、本来無一物の境地と言って、何物にも囚われない境地じゃ。茶の湯のおいて、その境地に至らないと名人とは言えないと珠光殿は言っておられた。連歌においても、その境地まで至らないと名人とは言えないと宗祇殿も言っておられた。連歌の場合、歌を作ろうと思っておるうちは、まだ、駄目じゃと言う。前の句を聞いたら、何も思わず、フッと次の句が浮かんで来るようにならなくては駄目じゃと言うんじゃ。禅問答と同じじゃな。質問されたら、すぐに答えなくてはならん。考えたり、迷ったりしておっては駄目なんじゃ。事実、宗祇殿の連歌は禅問答のようじゃった。前の人が句を詠むと、初めから、そういう歌があったかのごとく、間をおかずに、次の句を詠み上げるんじゃ‥‥‥わしは禅僧ではないが、禅というのは、あらゆる芸の道につながっておるように思えるんじゃ。茶の湯においての珠光殿の流れるような手捌き、あれはまさしく動く禅じゃ。ああしよう、こうしようと思ってできるものではない。自然と同じじゃ。風が吹けば樹木や草花はそよぐ。そこに一点の迷いはない。それは武術にも言えるんじゃ。わしは以前、智羅天の岩屋で、太郎坊殿と太郎坊殿の弟子の試合を見たんじゃ。あれもまさしく、動く禅じゃった」
「禅ですか‥‥‥」
「おぬし、山に籠もって書物を読むのもいいが、一休禅師殿のもとで修行するのもいいかもしれんぞ。何もかも捨ててみて、生まれ変わって見るのもいいかもしれん。その後、どうしても連歌の道に入りたかったら戻って来るがいい。一休殿のもとで修行した事は決して無駄にはなるまい」
「はい‥‥‥」と安次郎は頷いた。
「会ってみれば分かる。おぬしなら一休禅師殿の偉大さが分かるはずじゃ」
安次郎は岩屋行きを変更した。
次の朝、世話になった飛鳥井雅親、宗祇、夢庵に挨拶をすると、颯爽(サッソウ)と、一休禅師のいる薪(タキギ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(シュウオンアン)を目指した。
18.陰の二十一人衆
1
ここで、しはらく、場面を播磨に移して、時をさかのぼると、雪に覆われた大河内城下の山の中で、ひそかに陰(カゲ)の術の修行が行なわれていた。
早雲と小太郎夫婦を正月に迎えた太郎は、二月になると、楓との約束を守って、楓と助六の二人に陰の術を教えていた。太郎は他所(ヨソ)の女(きさ)に子供を作った罰として、二人に陰の術を教えなければならなかった。
太郎は城下の西のはずれの夢庵の屋敷を建てる予定地にて、二人に陰の術を教えた。稽古の時間は昼過ぎの一時(イットキ、二時間)だけだったが、二人は熱心で、太郎が帰った後も、毎日、日暮れまで稽古に励んでいた。二人共、子供の頃から武術を習っていて、特に、助六は踊りを得意としているので、身が軽く、覚えは早かった。手裏剣術も教えたが、石つぶてを得意とする楓はすぐに身に付けてしまった。楓も助六もお互いに負けるものかと稽古に励むので、二人は見る見る上達して行った。
稽古を始めた頃、太郎は、どうせ、女なんかに陰の術なんて無理だろうと思っていたが、考えを改めなくてはならなかった。女の方が小柄で身が軽いので、かえって、向いているかもしれないとも思うようになっていった。二人は白づくめの装束(ショウゾク)を着て、雪山の中で稽古に励んでいた。
楓と助六は、太郎が一ケ月間教えようとしていた事を半月で身に付けてしまったので、残りの半月で実地訓練を行なった。まず、月影楼(ツキカゲロウ)を稽古場にして、太郎に見つからないように、太郎が隠したある物を捜させた。太郎に見つかったら、また、外に出てやり直すというようにして稽古させた。初めの頃はお互いに対抗意識を燃やして、別々に行動していたが、どうしても太郎に見つかってしまうので、やがて、二人は手を組んで行動を共にするようになった。捜す物は大きな物からだんだんと小さくして行き、最後には、ただの紙切れを捜させた。二人はあらゆる手段を使って太郎を翻弄(ホンロウ)して、ついには、その紙切れも見つけ出した。その頃になると、二人の腕はかなり高度になっていた。もし、誰かが知らずに月影楼に入って来たとしても、月影楼の中にいる三人の存在に気づく事はないと言えた。月影楼での実地訓練は十日間で終わった。
最後の五日間は、太郎と一緒に城下のあらゆる所に忍び込んだ。評定所(ヒョウジョウショ)、重臣たちの屋敷、商人たちの屋敷、町人たちの長屋、旅籠屋、遊女屋などに忍び込み、住んでいる者たちの人数を数えさせ、屋敷の間取り図を書かせた。
最後の仕上げとして、太郎の弟子、風間光一郎、宮田八郎、山崎五郎の三人のうちの誰でもいいから、姿を見られずに、首に墨で線を書いて来いと命じた。二人は力を合わせて、光一郎と八郎の二人の首に見事、線を書いて来た。
一ケ月の稽古の後、太郎は月影楼の三階に楓と助六を呼んで、ねぎらいのため、ささやかな宴を開いた。
「二人共、御苦労だった。事故も起こらずに無事に終わった。二人共、思っていたより、よく陰の術を身に付けてくれた。はっきり言って以外だった」と太郎は二人に言った。
「以外?」と楓は笑いながら太郎を睨んだ。
「ああ」と太郎は頷いた。「初め、女なんかに陰の術を教えてもしょうがないと思っていた。仕方なく、教えていたんだが教えているうちに、陰の術に男も女もないという事に気づいた」
「そうよ。女だって立派にできるのよ」と助六が胸をたたいた。
「うむ。その事が分かっただけでも、今回、二人に教えてよかったと思っている。しかし、今回、二人に教えたのは陰の術の基本だ。これで、すっかり陰の術を身に付けたと思ってはいかん」
楓が太郎を見ながら笑っていた。
「どうした」と太郎は聞いた。
「だって、あなた、しゃべり方まで、すっかり、師範みたいなんだもの」
「そうか‥‥‥」と太郎は二人の顔を見ながら照れた。
「あたし、今まで、あなたが若い人たちに剣術や陰の術を教えている所を見た事なかったから、やっぱり、師範なんだなって改めて感じてたのよ」
「そうね。あたしも何だか怖かったわ」と助六も言った。「陰の術を教えている時の太郎様、何だか、別人のような気がしてたわ」
「そうかな、気がつかなかったけど‥‥‥」
「でも、教え方はうまいんじゃない」と助六は楓に言った。
「そうね。うまいわ」
「そうか、ありがとう。ところで、さっきの続きだけど、二人に教えたのは基本だという事は覚えておいてくれ。陰の術はまだまだ奥が深い。後は、それぞれが工夫をして、自分だけの陰の術を作ってくれ」
「自分だけの陰の術を?」と楓が聞いた。
「そう、自分だけの陰の術だ。人それぞれ得意とするものがあるだろう。それを伸ばして行くんだよ。陰の術を使う時は命懸けだからな。中途半端な術では、身を滅ぼす事に成りかねない。だから、自分の一番得意とするものは絶対に失敗しないようにしなければならないんだよ」
「あたしたちが習ったのは基本だったの」と楓が言った。
「後、どんな事があるの」と助六が聞いた。
「まだ、色々ある。今回やらなかったが、基本の基本もあるんだ」
「基本の基本?」
「山歩きだよ。飯道山でも修行者に一番始めにやらせるのが一ケ月の山歩きだろ。あれが基本の基本なんだ。体を作る事も勿論だが、陰の術で一番重要な事は、つかんだ情報を一刻も早く知らせる事だ。危険を冒して、せっかくつかんでも、知らせるのが遅れたら、まったく価値がなくなってしまうんだよ。そこで、最短距離を素早く走って伝えなければならない。それには山の中の裏道を通らなければならない」
「山の中の裏道?」と楓が不思議そうに聞いた。
「うん。山の中には普通の者には見えないが、様々な道があるんだ。それを知らなくてはならない」
「へえ、そんな道があるんだ‥‥‥」
「あたし、聞いた事はあるわ」と助六が言った。
「それが、基本の基本だ。それに、夜道を歩くというのも基本の基本かな」
「夜道?」
「そう、真っ暗な月も出ていない夜道でも歩けるようにするんだ。これは真っ暗闇の中で修行を積むしかないな。修行すれば不思議に真っ暗闇でも歩けるようになる」
「あなた、そんな事できるの」と楓が不思議そうに聞いた。
「ああ、智羅天(チラテン)の岩屋で修行させられたんだ」
「あの智羅天様に?」
「そう。さすがに俺も智羅天殿のように、暗闇の中で彫り物をする事はできないが、歩く事はできるようになった」
「へえ、凄いのね‥‥‥後はどんな事があるの」と助六が聞いた。
「後は、地形の見方、敵の城の立つ地形を見るんだ。そして、濠(ホリ)の深さや幅を計ったり、櫓(ヤグラ)の高さを計ったり、敵の軍勢の数を数えたり、薬の使い方を覚えるのも陰の術に入るな」
「薬も?」
「そうさ。薬にも色々ある。病や傷を直すだけが薬じゃない。毒薬もあるんだよ。敵を毒殺するだけじゃなく、自分が毒殺されないためにも、それらの事は知っていなければならないんだ」
「ふーん。恐ろしいのね」
「それから、天候を知る事、人相を知る事も陰の術に入る。人の心を読む事ができれば、それも陰の術に入るだろう」
「あなた、人の心も読めるの」
「いや、俺にはまだ、できん。しかし、相手の立場とか、回りの状況とかが分かれば、相手の気持ちを察する事はできるだろう」
「うん、そうね」
「陰の術というのは、今まで話したような危険な事ばかりが陰の術じゃないっていう事も覚えていてほしい。たとえば、松恵尼様のやり方も陰の術だ。松恵尼様は商人として各地に店を持っている。この城下にも置塩の城下にもある。彼らは特に危険な事はしない。商人として何年もその地に住む事によって、その地に根を張って信用を得る。信用を得れば、自然と情報は集まって来る。その情報を松恵尼様のもとに運ぶ。これも立派な陰の術なんだよ」
「成程ね」と楓と助六は顔を見合わせて頷き合った。
「それで、これから、その陰の術をどう使うつもりなんだ」と太郎は二人に聞いた。
「今すぐっていうのは無理よ」と楓は言った。「あたしの場合は百合がまだ二つだし、助六さんの場合は今の所、金勝座(コンゼザ)から抜けられないし、後、二、三年したら、松恵尼様のように何かを始めようと思っているの」
「松恵尼様のように尼さんになるのか」
「それもいいかもね」と楓は笑った。「尼さんなら、あちこちに潜入できるし」
「商人もいいんじゃない」と助六が言った。
「しかし、女の商人が遠くまで商(アキナ)いに行くというのは、あまり聞かんぞ」
「そうか‥‥‥」と助六は首を傾げた。
「尼さんとか、巫女(ミコ)とか、後は芸人だろうな」
「孤児院も始めたいわね」と楓は言った。
「始めるのはいいが、また忙しくなるぞ」
「忙しいのは慣れてるわよ、ね」と楓は助六に言った。
「そうね。何もしないではいられないものね」
「陰の術を実行に移すのは、まだ、先の事として、あたし、また、娘さんたちに薙刀(ナギナタ)を教えたいんだけど駄目かしら」
「侍女たちだけじゃなく、城下の娘たちに教えるのか」
「ええ」
「お前が薙刀を教えるとなると、大勢の娘が集まって来るぞ」
「そうかしら」
「そうさ。お前はこの城下の殿様の奥方なんだぞ。その奥方が自ら薙刀を教えるとなると、城下中の娘が集まって来るだろう」
「あたしもそう思うわ」と助六も言う。
「お前、一人じゃ、とても無理だ。侍女たちをもっと鍛えて、侍女たちが人に教えられる位の腕になってからの方がいいと思うがな」
「そうか‥‥‥そうよね。そんなに集まって来たんじゃ、とても、教えられないわね」
「ただ、お前の考えはいいと思う。城下の娘たちが皆、薙刀を身に付ければ、何かが起こった時、混乱状態に陥る事もなくなるだろう。それに、中には素質のある娘もいるに違いないからな」
「そうね。素質ある娘を集めて、女ばかりの騎馬隊も作らなくっちゃ」
「おいおい。そんなものまで作られたんじゃ。危なくって見てられないぞ」
「大丈夫よ」と楓が言うと、
「任せなさい」と助六が言った。
その日から五日後、金勝座は京に向かって旅立って行った。新しい人材集めと、京の状況を調べるためだった。金勝座が旅立って行った頃より、近江甲賀の飯道山から若い者たちが、二、三人づつまとまって大河内城下にやって来た。十八人全員が揃ったのは三月の半ばだった。
彼らは皆、飯道山にて一年間、修行した者ばかりで、勿論、太郎から陰の術を習っていた。そして、皆、次男や三男たちで、甲賀にいても部屋住みの者たちばかりだった。彼らは新しい生き方、新しい土地を手にする事を夢見て、他国へとやって来たのだった。太郎は彼らを直属の馬廻(ウママワリ)衆として抱えた。戦の時は太郎の回りに仕える事となるが、戦のない時は太郎のために必要な情報を集めるのが役目だった。彼ら十八人に光一郎、八郎、五郎の三人を加えて、太郎は『陰(カゲ)の二十一人衆』と名付けた。二十一人を三人づつ七組に分けて、太郎はそれぞれ好きな場所に行かせた。そして、つかんだ情報によっては地位も俸給も上がるというので、皆、張り切って出掛けて行った。だだし、十日間に一回は三人の内の一人が、手に入れた情報を太郎に知らせるのが条件だった。
どこにでも好きな所に行ってもいいと言ったので、光一郎、八郎、五郎の三人も大喜びだった。ここに来てからというもの、三人は毎日、作業や武術師範の仕事に追われて、ほとんど、ここから出た事がなかった。五郎は家庭を持ったため、それ程でもないが、光一郎と八郎の二人は、そろそろ旅に出たいと思っていたところだった。
光一郎は三雲源次郎、藤林平五郎の二人を連れて、紀伊の国、熊野に向かった。三雲源次郎は太郎と同期であった源太の弟であり五期生、藤林平五郎は太郎が岩尾山で修行していた時、一緒だった十兵衛の従弟(イトコ)で去年の修行者だった。
光一郎は二人を引き連れて、三年振りの帰郷だった。熊野の山の中には母親がたった一人で残っていた。近所には祖父と祖母が叔父の家族と共に暮らしていたが、母親は淋しい思いで暮らしているに違いなかった。父親である風眼坊は若い女を作ってしまった。光一郎はお雪の身の上を知っていた。お雪本人から、その話を聞いて、光一郎は父親に何も言えなかった。何も言えなかったが、母親の事を思うと父親の事を許す事はできなかった。光一郎は母親を大河内城下に呼ぼうと思っていた。
八郎は芥川小三郎、上田彦三郎を連れて、伊勢の国、多気(タゲ)に向かった。芥川小三郎は太郎と同期の左京亮(サキョウノスケ)の従弟で五期生、上田彦三郎は去年の修行者だった。八郎は立派な武士になった晴姿を早く、両親や兄、そして、町道場の川島先生たちに見せたいと張り切って出掛けて行った。
五郎は杉谷新五郎、黒川助三郎を連れて、河内の国、赤坂村に向かった。杉谷新五郎は太郎が初めて『陰の術』を教えた与藤次(ヨトウジ)の弟、黒川助三郎は去年の修行者だった。五郎は二人を連れて故郷に向かった。五郎の両親はもういない。嫁に行った妹がいるだけだったが、妹が嫁に行ったのは郷士の三男だった。もし、部屋住みのまま辛い思いをしていたら、大河内城下に連れて来ようと思っていた。それぞれ、皆、久し振りの帰郷だった。勿論、ただの帰郷ではない。それぞれ、各地の状況を太郎に知らせなければならなかった。
その他、太郎と同期だった服部藤十郎の弟、孫十郎が、岩根与五郎、新庄七郎を連れて、但馬の国(兵庫県北部)に向かい、池田庄次郎が、望月弥次郎と長野太郎三郎を連れて、美作(ミマサカ)の国(岡山県北東部)に向かい、多岐勘九郎が、和田新吾と高山源三郎を連れて、備前(ビゼン)の国(岡山県南東部)に向かい、松尾藤六郎が、山中新十郎と伴与七郎を連れて、丹波の国(京都府中部、兵庫県中東部)に向かった。望月弥次郎は太郎と同期の三郎の従弟だった。
今回、師匠の太郎を頼って播磨に来た者たちは皆、若く、十九歳から二十一歳までの者たちだった。太郎の三人の弟子たちと一緒に修行した四期生が二人、五期生が六人、去年の修行者が十人だった。各自、山伏や商人に扮して極秘で貴重な情報を手に入れようと、張り切って旅立って行った。
銀山の開発も、今年から本格的に始まっていた。去年は試行錯誤(シコウサクゴ)しながら開発を進め、段取りも、ようやく軌道に乗って来た。去年一年で生産した銀は二十三貫(カン)にも達していた。銭にしたら三千貫文(モン)近くにものぼる額だった。三千貫文と言えば、太郎がお屋形、赤松政則からいただいた所領と同じ額となる。政則にしても、一年目にして、それ程の銀が取れるとは思っていなかったとみえて驚き、そして、喜んでくれた。今年の予定は三十貫だった。
太郎は雪が溶けるとすぐに播磨側の猪篠(イザキ)村の奥の方に新しい作業場を建設した。鬼山(キノヤマ)村からその作業場まで約一里半の距離だった。鬼山村では銀鉱を細かく砕き、勘三郎らによって銀を多く含む砂にするまでの作業をやり、その砂は猪篠村の作業場に運ばれて、左京大夫(サキョウダユウ)ら鬼山一族の者たちによって銀に製錬された。
作業場を猪篠村に作った事によって鬼山一族の者たちは皆、かつての鬼山村から猪篠村に移る事となった。鬼山村は銀山目付の相川勘三郎が中心になって職人や人足たちを取り仕切っていた。生野銀山の存在を隠すため、以前よりも警戒は厳重になり、鬼山村は高い塀で囲まれ、職人や人足たちの出入りは厳しく取り締まられた。早い話が、この作業場に入った者は二度と外には出られないという事となった。
去年、人足たちは大河内城下の河原者の頭、権左衛門によって集められたが、今年からは、町奉行の鬼山(キノヤマ)銀太から悪事をして捕えられた罪人や浮浪者たちが送られて来た。去年来た人足を含め、彼らは死ぬまで、ここで働くというわけだった。勿論、彼らは日当を貰う事はできた。しかし、その日当は賭場(トバ)、あるいは遊女屋で使い果すという仕組みだった。以前、鬼山一族の者が住んでいた小屋には十数人の遊女が入っていた。彼女らには言ってはいないが、勿論、彼女らも死ぬまで、ここから出られなかった。脱走を試みた者は皆、殺された。太郎はそんな非情な事には絶対、反対だったが、お屋形、政則の命なので従うより他なかった。
人足たちを見張る役目として『見廻組』が新たに設けられ、その『見廻組』を見張る者として、置塩(オキシオ)のお屋形様から直接命じられた者が派遣されて来ていた。
見廻組は鬼山村だけでなく猪篠村の作業場にもいた。猪篠村の人足たちを見張るためだった。猪篠村の人足は鬼山村に比べてずっと少なかったが、ここの人足たちもここから出る事はできなかった。鬼山村から銀の砂を猪篠村まで運ぶ人足たちは鬼山村に住み、毎日、同じ道を行き来していた。猪篠村から大河内城下に銀を運ぶのは、銀山奉行、鬼山小五郎の配下の者たちの武士に率いられた大河内城下の人足だったが、彼らは荷物の中身が銀だとは知らない。炭だと思って運んでいた。
鬼山一族の者たちは作業場から出る事はできた。しかし、いつも見張られていた。太郎はそんな事をしたくはなかったが、これも仕方なかった。太郎の命によって鬼山一族の者たちは皆、見張られていた。また、見張られているのは鬼山一族だけでなく、太郎も含め、太郎の家臣すべてが、お屋形様の命によって上原性祐(ショウユウ)、喜多野性守(ショウシュ)の放った間者(カンジャ)に見張られていた。性祐も性守も好きで、そんな事をやっているのではない事を太郎は知っている。銀山開発という赤松家にとって極秘事項を担当しているのだから、その位の事は仕方ないと思っていた。
お屋形の政則は四月になると軍勢を引き連れて、美作及び備前へと出陣して行った。戦の前の評定の席には太郎も呼ばれたが、戦には行かなかった。今年一杯は銀山開発に専念して事業を軌道に乗せてくれとの事だった。銀山の事を知らない重臣たちは、太郎が特別扱いされていると陰口をたたく者もいたが、太郎は堂々としていた。戦に出て活躍する自信はあった。戦はすぐには終わらないだろう。来年、再来年には活躍の場が与えられるに違いない。焦る必要はないと自分に言い聞かせていた。
太郎は度々、銀山の作業場に足を運んで、人足たちの苦情を聞き、一生、ここから出る事のできない彼らのために、できるだけの事をしてやろうと努力していた。賭場を作り、遊女を入れ、小間物を売る店も作り、酒を飲ます店も作った。太郎は彼らのために、それらの施設を作ったが、結局、彼らの稼いだ銭を絞り取る結果となってしまった。
八月にお屋形、政則は凱旋して来た。ようやく、以前のごとく、播磨、美作、備前の三国をまとめたらしかった。太郎はお屋形様を迎えるために置塩城下に行った。城下は祭りのように賑やかだった。太郎はお屋形様の供として、毎日のように重臣たちの屋敷で催される宴に参加した。
太郎も大河内城主となってから、武術だけでなく、連歌や茶の湯、流行り歌や舞、尺八や鼓(ツヅミ)などの芸能の修行も怠りなく励んでいた。連歌や茶の湯の専門家である夢庵が去ってしまった事は残念だったが、置塩城下には夢庵程ではないにしろ、連歌や茶の湯に詳しい者たちは多かった。太郎は彼らを客として大河内に迎えて習っていた。流行り歌、舞、尺八、鼓は金勝座の者たちに習った。特に尺八は太郎も熱中して、金勝座に入った鬼山小次郎より基本から習っていた。ただ、連歌は難しかった。難しい式目(シキモク、規則)があり、古典の和歌を知らなくてはどうにもならなかった。『古今集(コキンシュウ)』『新古今集』などを読んで、歌を覚えようとはしていたが、前の人の詠んだ歌に、うまくつなげる事はなかなかできなかった。甲賀に行った時、夢庵から指導を受け、連歌の指導書などを貰って来ては修行を積んではいても、まだ、赤松家の武将たちの催す連歌会に参加できる程の腕にはなっていなかった。
重臣たちの宴に出席すると必ず、太郎は酒肴(シュコウ、座興)を所望(ショモウ)された。重臣たちの中には、太郎が突然、お屋形様の義兄として現れた事に快く思っていない者もいて、太郎に恥をかかせてやろうとたくらむ者もいた。太郎もその事を承知していたから、芸能の修行も真剣にしていたのだった。西播磨の守護代、宇野越前守の屋敷の宴の席にて、太郎は天狗の舞を披露した。太郎の前の者が素晴らしい舞を披露したので、次の太郎にも舞を所望して来た。太郎は迷わず、天狗の舞を舞った。天狗の面は付けなかったが、太郎は見事な舞を披露した。見ている者たちは、その素早い動きに、まさしく天狗を見ていた。そして、舞いながら高く跳びはねるのに、着地する時、床がまったく音のしない事に驚いた。その天狗の舞の噂はすぐに広まって、太郎はお屋形様の供をして、重臣の屋敷に行く度に披露しなければならなかった。
その頃、大河内城下もほぼ完成し、太郎は五ケ所浦にいる家族を呼んだ。旅の手配はすべて、小野屋の松恵尼(ショウケイニ)がしてくれた。祖父、白峰(ハクホウ)と祖母、母親と末弟の兵庫助の四人が長い旅をして来てくれた。四人は松恵尼の配下の者たちに守られ、伊勢神宮から北畠(キタバタケ)氏の本拠地、多気(タゲ)の都、そして、吉野を通って、南都、奈良に入った。奈良から西に堺に向かった方が近かったが、みんなが、どうしても太郎が剣術の修行をした飯道山を一目見たいというので、奈良から甲賀に向かった。飯道山では松恵尼に迎えられ、三日間、のんびりと過ごした。松恵尼も急遽、一緒に行く事になり、一行は琵琶湖を見て、京都に入り、伏見から船にて淀川を下り、堺にて大型の船に乗り換えて、播磨の国、飾磨津(シカマツ)に向かった。飾磨津からは陸路、置塩城下に向かった。太郎は松恵尼から連絡を受けて、置塩城下で待っていた。太郎は家族を新しい北の城下に建てたばかりの屋敷に案内した。
祖父の白峰は昔、愛洲の殿様の供をして、多気の都や奈良、京都などに行った事もあったが、祖母、母親、弟は伊勢神宮より遠くに出た事がなかった。祖母も母親もこんな遠くまで旅ができるなんて夢みたいだと喜んでいた。祖母はもう六十三歳で、こんな年になって、こんな遠くの国に来られるなんて、いい冥土(メイド)への土産(ミヤゲ)ができたと、涙ぐみながら太郎にお礼を言った。
次の日、大河内城下に入った一行は、城下の中央にある立派な屋敷に案内され、これが太郎の屋敷だとは信じられないと、キョトンとして眺めていた。特に左奥に見える三重の塔には驚いていた。愛洲の殿様の屋敷よりも広くて立派だと白峰は夢を見ているような気持ちだった。自分の孫がこんなにも偉くなったのか、と知らず知らずのうちに涙が滲み出て来た。子供の頃から、きっと、度偉い事をやりそうだと期待していたが、こんな屋敷に住む殿様になるとは本当に信じられない事だった。
広い屋敷の中を太郎に案内されるままに奥の方へと行き、そして、楓と百太郎(モモタロウ)、百合の姿を目にすると母親は立ち尽くしてしまった。楓が五ケ所浦にいたのは一年足らずだったが、母親は楓の事を気に入っていた。旅に出る前から、楓と、まだ見ぬ孫に会いたかった母親だったが、お姫様の様な綺麗な着物を纏(マト)った楓を見て、どうしたらいいのか戸惑ってしまった。母親だけでなく、祖母も祖父も同じ気持ちだった。楓が赤松のお屋形様の姉上だったという事を急に思い出し、どう接していいのか分からなかったのだった。
立ち尽くしている母親のもとに百太郎が近づいて行って、「おばあさま」と言うと、ようやく緊張も溶け、松恵尼に促(ウナガ)されるまま、皆、部屋の中に入った。
挨拶を済ませ、話をしていくうちに母親も祖母も祖父も安心していった。楓は五ケ所にいた頃と少しも変わっていなかった。そして、百太郎と百合の二人もすぐに、みんなになついて行った。母親と祖母が楓と松恵尼と話に弾んでいる時、太郎は祖父と弟を連れて月影楼に登った。三階まで上がり、舞良戸(マイラド、板戸)を開けると、城下が一望のもとに見渡せた。弟は凄い、凄いと感激していた。
「俺がここに来たのは二年前でした。その頃、ここにはほんの少しの田畑があっただけで、何もありませんでした。それが二年でこんな町になりました。不思議な事です」
「ほう、二年間で、これだけの町がのう‥‥‥」と白峰が驚きながら城下を見渡した。
「ねえ、兄上、兄上様は、ここのお殿様なの」と弟の兵庫助が聞いた。
兵庫助はかつて三郎丸と呼ばれていた。去年、元服(ゲンブク)して兵庫助(ヒョウゴノスケ)直忠と名乗り、十六歳になっていた。太郎が最後に見たのは、まだ十二歳の子供だったが、もう、すっかり大人だった。体格も立派になり、もう少しで太郎を追い越しそうだった。
「そうだよ」と太郎は笑いながら頷いた。「山の上に城がある。後で連れて行ってやる」
「ほんと? 凄いな」
太郎は眼下に見える建物を二人に説明した。祖父、白峰はただ頷きながら太郎の話を聞いていた。太郎は祖父に一番、この城下を見せたかった。勿論、父親にも見せたかったが、父親が来られないのは分かっている。せめて、祖父の口から父親に話してもらいたかった。子供の頃から太郎は祖父のもとで育てられ、無断で京都に行った時から、ずっと、心配の掛け通しだった。そして、いつも陰ながら見守ってくれていた祖父に、せめてもの恩返しができた事が太郎には嬉しかった。
笛や太鼓の囃(ハヤ)しが磨羅(マラ)寺の方から聞こえて来る。
九月の四日、朝早くから大河内城下は祭りで賑わっていた。
城下もようやく完成に近づき、太郎がこの地に入部して来た九月五日を祭礼の日とし、四日から六日までの三日間を磨羅寺の本尊である吉祥天(キッショウテン)の縁日とした。住職の宗湛(ソウタン)が、どこから吉祥天の像を持って来たのかは知らないが、本尊として立派な仏像だった。吉祥天の他にも観音菩薩像、弥勒菩薩(ミロクボサツ)像、弁財天(ベンザイテン)像もあったが、気のせいか、何となく皆、女性的な仏様だった。どうしてなのかと宗湛に聞くと、「寺の名が磨羅(男根)じゃからのう。自然と女子(オナゴ)のような仏様が集まるんじゃろう」と笑っていた。
丁度、明日が太郎がこの地に来て二年目だった。太郎は城主として、この三日間、武士から人足に至るまで、すべての者たちの仕事をやめさせた。稲荷(イナリ)神社と磨羅寺を中心に露店がずらりと並び、河原にも様々な芸人たちが集まっていた。金勝座(コンゼザ)のみんなも戻って来ていたが、金勝座もその日は休みで充分に祭りを楽しんでいた。
太郎は五ケ所浦から来た祖父、祖母、母親、弟、そして、松恵尼、楓と子供たちをぞろぞろと連れて祭り見物に出掛けた。太郎は殿様の姿から仏師(ブッシ)の姿になっていた。祖父と弟も面白そうだと太郎に倣(ナラ)い、祖母、母親、楓と子供たちは質素な町人のなりをして城下に出掛けた。
太郎たちは屋敷の裏口から出ると重臣たちの屋敷を抜け、中級武士や下級武士たちの屋敷や長屋の立ち並ぶ中を抜けて小田原川の河原へと向かった。下級武士たちの長屋はまだ建設中だったが、今年中には出来上がり、今年の冬は皆、屋根の下で暮らせる事になるだろう。城下造りに頑張っていた人足たちも作業が終われば、ほとんどの者が武士として、それらの長屋に入る事となっていた。
河原には置塩城下の河原者の頭、片目の銀左が協力してくれたので、芸人たちが大勢、集まってくれた。祖父たちはその賑やかさに驚き、まるで、京の都のようだと言って喜んでくれた。芸人たちの中には、確かに京から流れて来たような一流の芸人たちもいた。松恵尼も飯道山の祭り以上だと驚いていた。太郎も実際、これだけの芸人が集まるとは思ってはいなかった。さすが、片目の銀左だと、今更ながら彼の実力に驚いていた。芸人たちは小田原川の河原から市川の河原まで、ずっと河原を埋めていた。これだけの芸人が、こんな小さな城下に集まるなんて、まったく、驚くべき事だった。
太郎たちは河原を一回りして、城下の東側にある奉行所(ブギョウショ)の所から大通りに入り、町中に入って行った。その大通りの両脇には商人たちの大きな店や蔵が立ち並んでいたが、その店の前にも遠くからやって来た商人たちが様々な露店を開いていた。櫛(クシ)やかんざし、古着や反物(タンモノ)、薪(タキギ)や炭、檜物(ヒモノ)や陶器、竹細工や木工細工、饅頭(マンジュウ)やお菓子、武具や甲冑(カッチュウ)など、ないものはないと言ってもいい程、色々な物を売っていた。馬場では馬の市もやっているという。太郎たちは露店を見ながら磨羅寺まで行き、吉祥天を参拝した。珍しく、宗湛和尚は偉そうな袈裟(ケサ)を身にまとって参拝客の挨拶を受けていた。磨羅寺から隣にある稲荷神社に行き、参拝すると裏通りを通って屋敷に帰って来た。
いつの間にか、もう夕暮れ近くになっていた。
祖母と母親はさすがに疲れたらしく、部屋に入ったまま出ては来なかった。百太郎と百合は買ってもらったおもちゃで弟の兵庫助と遊んでいた。楓は松恵尼と楽しそうに話し込んでいる。太郎は祖父を誘って月影楼に登った。
「凄い、賑わいじゃのう」と祖父は外を眺めながら言った。
「ええ、俺もこれ程、賑わうとは思ってもおりませんでした。昨日まで、朝から晩まで働き詰めだったから、皆、楽しんでくれているようです」
「うむ」と祖父は目を細めながら太郎を見て頷いた。「わしは城下の者たちが話しておるのを聞いておったが、皆、殿様であるお前のお陰じゃと喜んでおった。わしはそれを聞いて、ほんとに嬉しかったぞ。今の気持ちを忘れない事じゃ。城下に住む者たち、みんなのために、これからもいい殿様でおってくれ」
「はい」と太郎は嬉しそうな祖父を見ながら頷いた。
「お前は今日、職人の格好をして城下に出て行ったが、あんな事をよくやっておるのか」
「時々、やっております。あまり、堅苦しいのは好きではありませんので、それに、あの格好だと人足たちにも気軽に声を掛けられますから」
「うむ。いい事じゃ。わしは安心したわ。こんな立派な屋敷に住んでおるので、上段の間から踏ん反り返って、あれこれ命じておるのではないか、と心配したが、そんな事もなかったようじゃな」
「はい」
祖父は満足そうに頷いて、城下を見下ろした。そして、遠くの山々に視線を移すと、「太郎、五ケ所浦の事じゃがのう」と言った。
太郎には祖父が何を言おうとしているのかが分かった。
「次郎に父上の跡を継いで貰って下さい」と太郎は言った。
祖父は太郎の顔を見つめて、「それで、いいのじゃな」と聞いた。
太郎は頷いた。「俺も父上のように水軍の大将になるのが夢でした。しかし、海と同じように山々がずっと連なっている事を知った時、俺の生き方は変わって行きました。海から離れて、山というものに惹かれて行ったのです。多分、俺はもう五ケ所浦には帰れないでしょう。次郎の奴に五ケ所浦の事は任せます。次郎なら立派にやり遂げると思います」
「うむ。お前がおらなくなってから、次郎の奴は、お前が帰って来るまで、お前の代わりを務めようと一生懸命やっておる」
「そうですか‥‥‥俺の代わりを‥‥‥」
「そうじゃ。次郎の奴はお前の事を尊敬しておるんじゃ。もっとも、お前の事を尊敬しておるのは次郎だけじゃない。水軍の若い奴らはみんなじゃ。皆、お前がいつか帰って来る事を信じておる」
「そうですか」と太郎は遠くを見つめた。五ケ所浦にいた時、陰流を教えた若い者たちの事を思い出していたが、祖父を振り返って、「水軍と陸軍のいさかいはどうなりました」と聞いた。
「消えたとは言えんが、お前と池田の奴らが城下からおらんようになってから、いくらかは納まったようじゃな」
「そうですか」太郎はよかったと言うように、軽く笑ってから、「次郎は今年、二十二ですか」と聞いた。
「そうじゃ。お前が殿の御前で剣術を披露したのは二十一の時じゃったな。あの時のお前と比べれば、次郎の奴は少々頼りない所はあるがな‥‥‥お前がおらなくなってから、次郎も一回り大きくなったようじゃ」
「次郎に水軍の事を頼むと伝えて下さい」
「うむ」
「そして、母上、お祖母様の事も頼むと‥‥‥」
「分かった」
「お祖父様とお祖母様は、このまま、こちらにおられても構わないんですけど、駄目でしょうね」
「ここはいい所じゃ。しかし、わしには向こうにする事が残っておるんじゃ。お前が始めた陰流の道場じゃ。いつか、お前が帰って来る時までは、道場を潰すわけにはいかんからのう」
「すみません‥‥‥」
祖父は首を振った。「毎日が楽しいんじゃよ。子供たちに剣術を教えるのが楽しいんじゃ。わしは足を怪我して隠居した。隠居してからのわしは、ただ、お前たち孫の成長だけが唯一の楽しみだったんじゃ。それが今は毎日、子供たちに囲まれて、子供たちに剣術を教えておる。第二の生き方とでも言うのかのう。わしは今、幸せじゃよ。もうろくして、子供たちに剣術を教えられなくなったら、婆さんと一緒にお前の世話になろう」
「はい‥‥‥道場の事、お願いします」
「うむ‥‥‥しかし、以外じゃったのう。お前が赤松家の武将になったと聞いた時、わしはお前が赤松家の水軍を任されたのかと思っておった。それが、来てみれば、こんな山の中じゃった‥‥‥わしには、よく播磨の事は分からんが、この場所は赤松家にとって重要な所なのか」
「はい。ここは播磨と但馬の国境の近くなんです。但馬の国には赤松家と敵対しておる山名氏がおります。今の所は山名氏も播磨には攻めて来ませんが、やがて、播磨に進攻して来る事となりましょう。そうなると、ここは最前線となるのです。そこを任されたというわけです」
「成程のう。ここは最前線か」
「山名氏との争いが終われば、俺は改めて、赤松家の水軍を任される事となるでしょう」
「そうか‥‥‥お前にこんな事を言う必要はないとは思うが、無駄死にだけはするなよ」
「はい」
「おっ、何じゃ、あれは」と祖父が外を見ながら言った。
大通りを山車(ダシ)のような物が走り、山車の上で下帯(シタオビ)一丁の男が扇子(センス)を手に持って踊っていた。山車の回りを人々が囲み、何やら叫びながら踊っている。
「和尚だ」と太郎は言って、笑った。
「和尚?」
「はい。さっき、お寺に偉そうな和尚がいたでしょ。あの人です」
「なに、あれが和尚か」と祖父は口をポカンと開けて驚いていた。「変われば変わるものじゃのう」
「変わった和尚です。あれでも、かなり偉い和尚との事ですが、まったく、何をやるやら、見当も付かないお人です」
「ふむ。確かに変わっておるのう。昔、五ケ所浦にも、変わった和尚がおったが、あれ以上じゃのう」
「快晴和尚の事ですか」と太郎は聞いた。
「そうじゃ。お前も知っておったのう」
「快晴和尚は五ケ所浦に帰って来ましたか」
「いや、京に戦が始まった頃、どこかに行ったきり戻っては来ん。しかし、去年だったかのう。和尚さんのお弟子さんとか言うのが来てのう。今、長円寺におるわ」
「お弟子さん? もしかしたら、曇天(ドンテン)ですか」
「いや。あいつもどこに行ったのか戻って来んのう。今度、来たのは晴旦(セイタン)和尚という面白いお人じゃ」
「晴旦和尚?」
「快晴ではなく、今度は晴れた朝じゃよ」
「へえ、それじゃあ。朝は早そうですね」
「ところが、早起きなんてした事もないような、ぐうたらな和尚じゃ」
「そうですか‥‥‥快晴和尚のお弟子さんらしいとは言えますが」
「まあな」
「念仏踊りみたいですね」と太郎は外を眺めながら言った。
「ああ、南無阿弥陀仏と言っておるようじゃのう」
「行ってみますか」
「面白そうじゃ」
太郎は祖父、白峰と一緒に月影楼を降りると、弟の兵庫助を連れて賑やかな大通りに出て行った。
三日間の大河内城下の祭りは予想以上に盛況だった。
磨羅寺の宗湛和尚の山車のお陰で、城下の者たち全員が、三日間、踊り狂った。宗湛の乗っていた山車は、荷車にちょっとした飾りを付けた簡単な物だったので、すぐに真似する事ができ、次の日には、小野屋と大和屋が真似をして山車を出して大通りを練り歩いた。すると、次から次へと山車が現れ、城下中のどの道にも山車がいるという有り様となり、城下中、いたる所で狂ったように念仏踊りが行なわれた。町人はもとより、武士たちまでが仮装して踊り狂っていた。男は女の着物を着て化粧をし、女は男に扮して、朝から晩まで城下を練り歩いていた。
三日目には、赤松家の重臣である喜多野性守入道と上原性祐入道の二人までもが、山車に乗って練り歩くと、今まで押えていた武将たちも次々に山車に乗って現れた。太郎の家臣となった武将たちは根っからの武士ではない。次郎吉、伊助、金比羅坊(コンピラボウ)、藤吉らは皆、祭り好きだった。待ってました、と様々な衣装に扮して山車に乗った。とうとう、太郎も次郎吉たちに勧められて山車を出すはめとなった。太郎は天狗に扮して、山車の上で跳びはね舞った。金勝座の三人娘も山車に乗って華麗に踊った。楓もついに我慢できずに、金勝座の山車に乗って助六たちと一緒に踊った。百太郎と百合も侍女たちと一緒に踊った。松恵尼も踊った。祖父、祖母、母親も皆に混ざって踊っていた。
三日間、城下の者たちが一つになったかのように、全員が思い切り踊って、騒ぎまくった。
祭りも終わり、次の日から、いつものように、皆、仕事を始めたが、誰の顔もすっきりと晴れ晴れとしていた。
太郎の家族たちは祭りの後、五日間、のんびりと過ごしてから帰って行った。松恵尼は飯道山の祭りが十四日から始まるため、祭りの終わった次の日、金勝座と共に帰って行った。来た時と同じく、松恵尼の手下の者たちに守られながら、祖父、祖母、母親、弟の四人はたくさんの土産を持って帰って行った。太郎は金比羅坊と共に置塩城下まで見送った。
陰の二十一人衆も祭りの時は戻って来ていたが、祭りが終わるとまた、各地に散って行った。今回が三度目だった。太郎はいつも、一月後には戻って来るように命じていた。
一回目は、三月の下旬から四月の下旬までだった。太郎は帰って来た二十一人から様々な意見を聞き、それを参考にして陰の術を完成させようとしていた。一回目で分かった事は連絡方法だった。太郎は十日に一度は連絡を入れるように命じたが、何か情報がつかめた時は、ここまで戻って来るのは構わないが、何も得られないのに、一々、戻って来るのは時間の無駄になると彼らは言った。何か、狼煙(ノロシ)とかで、その事を知らせる事ができれば、もっと、やり易くなるだろうとの事だった。それと、山伏に扮して旅をするのはいいが、本物の山伏ではないので、宿坊に泊まる時もばれやしないかと冷や冷やしながら泊まっている。できれば、太郎の三人の弟子のように正式な山伏になりたいと言った。太郎は考えておくと答えた。
二回目の旅は梅雨が明けた六月の末から七月の末だった。連絡方法はいい考えが浮かばなかった。狼煙を上げるのは赤松家の者に誤解される恐れがあるので使えなかった。これから先、徐々に、各地に拠点を作って行き、その拠点と拠点を結ぶ連絡網を作らなければならないと思った。彼らには、特に情報がない時は十日に一度の連絡を入れなくもいいと命じた。ただし、どうしても一ケ月以内に帰って来られない場合は、情報がなくても、誰かを送れと命じた。本物の山伏になる件も検討して、置塩城下の大円寺の勝岳(ショウガク)和尚に相談してみた。和尚によると、銭次第で、その位の事は何とかなるだろうと言った。太郎は和尚に頼もうか、とも思ったが、播磨国内の山伏では、すぐに赤松家の者と分かってしまう恐れもあるので、やめる事にした。十一月に飯道山に行ったら高林坊に相談しようと思った。
服部、池田、多岐、松尾らは前回と同じ但馬、美作、備前、丹波に送り、光一郎は因幡、八郎は摂津、五郎は河内の堺に送った。
前回、五郎は河内の妹のもとに行った帰りに堺に寄って来た。そこで、偶然、堺から遣明船(ケンミンセン)が出て行くのを目にしたと言う。そして、堺の町が他の町とはまったく違う賑わいを持っている事を太郎に知らせた。五郎から、堺の湊には琉球(リュウキュウ)や朝鮮から来たという変わった形の船が泊まり、わけの分からない言葉を喋(シャベ)る異人(イジン)らがいて、珍しい物が一杯あると聞くと、太郎も興味を持った。太郎も元々は船乗りだった。遠い明の国に行きたいと夢を見た事もあった。太郎は五郎に書状を持たせ、堺にある小野屋に行って、もっと、堺の情報を集めろと命じた。
そして、今度が三度目だった。行き先は前回と同じだった。同じ場所に行かせた方が馴染みもでき、情報も集め易いだろうと思ったからだった。彼らも、彼らなりに拠点となるべき場所を見つけて活動しているようだった。彼らは旅に出ないで城下にいる時は、道場にて武術の修行をしていた。彼らも一年間、飯道山で修行しているので、得意とする武術は人に教えられる程の腕を持っていたが、この先、陰の術で生きて行くなら、すべての武術を身に付けなければならないと言える。彼らは自分が苦手とするものを修行者たちと共に習っていた。皆、命懸けの仕事をしているので修行にも気合が入っていた。
太郎は五郎を二十一人衆の頭にしようと思っていたが、今回、戻って来たら、この仕事をやめさせようと考えを変えた。この仕事は旅が多すぎ、家庭持ちの五郎には不向きと言えた。五郎は張り切ってやっているが、家族には悪い事をしているように思えた。今年の末、飯道山に行ったら誰か一人連れて来て、五郎には抜けてもらおうと決めていた。
二十一人衆が出掛けて行くと、太郎は久し振りに道場に顔を出した。家族が来ている時、一度、祖父の白峰と弟の兵庫助を連れて行ったが、自ら木剣を振りはしなかった。剣術で汗を流すのも久し振りだった。
道場には今、住み込みの修行者が三十人余りと通いの者が二十人程いた。飯道山と同じで、稽古は午後からで、住み込みの者たちは午前中は作業という事になっていた。城下に出掛けて人足と共に働いていた。住み込みの修行者の中で一人、太郎の目を引く若者がいた。石田村から出て来たという内藤孫次郎という十八になる若者だった。
孫次郎は初め、人足として働いていた。太郎は今年の初め、河原の掘立て小屋で暮らしている孫次郎と出会った。雪の積もった冬の間は城下作りの作業は中止になった。人足や職人たちは皆、雪のない所に行って正月を迎える。雪の中、寒い掘立て小屋に住んでいる者など誰もいなかった。
よく晴れた天気のいい日だった。太郎はその日、いつものように仏師の姿になって、城下町を歩いた。建設途中の城下を一回りして小田原川の河原に出た。
河原には人影もなく、幾つも並んでいる掘立て小屋も雪の中に埋もれていた。中には雪の重みで潰れている小屋もあった。
太郎は鳥や獣の足跡しか付いていない雪の中を歩いて、川のほとりまで行くと上流の方を眺めた。真っ白の中を水が輝きながら流れていた。太郎は川に沿って下流に歩いた。
その時、誰もいないと思っていた小屋の中から、人が出て来るのが見えた。太郎は瞬間的に身を低くして雪の中に隠れた。
若い男だった。毛皮の袖なしを着て、頭にはぼろ布を巻き付け、藁沓(ワラグツ)をはき、薪をもっていた。男は小屋の前の雪を踏み固めると、薪を並べて藁くずに火を点けた。次に鍋を持って来て、鍋の中に雪を山盛りにすると火の上に掛けた。雪は見る見る溶けて行き、水になった所に、男は米や麦を入れた。
そこまで見ると太郎は身を起こして、男の方に近づいて行った。男は驚いて太郎を見たが、太郎が武士でなく職人の格好をしていたので、安心したようだった。男は太郎を一度見ただけで、今度は小屋の屋根の雪降ろしを始めた。
「いい天気じゃな」と太郎は男に声を掛けた。
「はい」と男は返事をしたが、棒切れで雪を落としていた。
「お前は、城下造りの人足か」
男は面倒くさそうに頷いた。
「どうして、こんな所におる」
「おって悪いのか」
「悪くはないが、寒いだろう」
「冬は寒いのが当然だ」
「まあ、そうじゃな。しかし、他の人足たちは皆、雪のない所に行った。お前は、どうして行かないんだ」
「俺の勝手だろう」
「まあ、そうじゃ。春まで、ここにおるつもりか」
「そうだ」
「食う物はあるのか」
「ある」
「そうか‥‥‥まあ、頑張れ」
太郎は若い男と別れた。その後、太郎はその男の事は忘れていた。
もうすぐ春になるという二月の末、大雪があった。建設途中の建物が幾つも雪によって潰されてしまった。太郎は城下を見回った時、ふと、河原にいた男の事を思い出した。
太郎が河原に行くと男は掘立て小屋を直していた。
「おお、生きておったか」と太郎は男に声を掛けた。
男は太郎を無視して、ぶつぶつ文句を言いながら作業を続けていた。
「お前の名は何という」と太郎は聞いたが、男は答えなかった。
太郎は男を手伝う事にした。二人は一言も喋らずに作業を続けた。何とか、小屋の修復が終わると、男は太郎に礼を言って、内藤孫次郎と名乗った。太郎は三好日向という仏師だと名乗り、「一冬、よく頑張ったな」と言った。
「後、もう少しで雪も溶ける。そしたら、また働ける」孫次郎は眩(マブ)しそうに空を見上げた。
話を聞くと孫次郎は、この城下の殿様の家来になりたくて、どこにも行かずに、雪の中、頑張っていたのだと言う。孫次郎の父親は武士だった。武士と言っても郷士と呼ばれる半農の武士だった。父親は八年前、赤松家の武士に殺され、母親はどこかにさらわれたと言う。
八年前、応仁の乱が始まった当初、播磨の国の守護職は山名氏で、赤松氏が侵入して来て、あちこちで戦が行なわれた。播磨の国の中心部には赤松氏の残党たちもかなり残っていたので、逸速く赤松氏に味方して行ったが、この辺りの国人たちは山名氏の本拠地、但馬の国も近い事から、いつまでも山名方だった。太郎も人から聞いたが、この辺りの国人たちは赤松氏にやられて全滅したと言う。そして、この辺りはお屋形、政則の直轄地となり、代官を置いて治めていた。孫次郎の父親も国人たちと共に滅ぼされたのだろう。
両親が殺された時、十歳だった孫次郎は七歳の妹と一緒に名主(ミョウシュ)のもとに引き取られた。孫次郎兄妹は朝から晩まで、毎日、こき使われた。
去年の夏の事だった。孫次郎が仕事から帰って来ると妹の姿が見当たらなかった。人買いに売られたと言う。孫次郎は妹を取り戻そうと妹の後を追ったが見つける事はできなかった。孫次郎がここの河原まで来た時、日が暮れてしまい、仕方なく、夜を明かした。
朝、人々の喧噪で目が覚めた。大勢の人足たちが河原に小屋掛けをして住んでいて、その人足たちがぞろぞろと、どこかに向かって行った。孫次郎は何事だろうと人足たちの後を追った。孫次郎は驚いた。こんな所に突然、町ができようとしていた。大きな屋敷が二つでき、あちこちに屋敷を建てていた。孫次郎は人足の一人から何が始まるのか訳を聞いて、孫次郎もすぐに人足となった。日当もちゃんと貰えると言う。銭なんて、今まで手にした事もなかった孫次郎には、働けば働いたたげ銭が貰えるというのは嬉しかった。
孫次郎は毎日、土と汗にまみれて働き、銭は自然と溜まって行った。銭を溜れば、妹を取り戻せるかもしれないと孫次郎は一生懸命になって働いた。そのうち、人足たちも働き用によっては、ここの殿様の家来に取り立てられる事もあるという事を知った。事実、太郎の家臣となった者たちが、見込みのありそうな若者を捜しては、自分の家来に取り立てていた。孫次郎の知っている人足にも武士になった者もいた。しかし、孫次郎には、そんな声は掛からなかった。それでも、孫次郎はいつか、誰かが自分の才能を見つけてくれるだろうと諦めてはいなかった。冬の間中、ここを去らなかったのも、せっかく溜めた銭を使いたくなかったからだった。人足たちは、ほとんどの者が置塩城下に出て、正月は贅沢をするんだと行って出掛けて行った。孫次郎もそんな事をしてみたかったが、妹の事を思うと、そんな事はできなかった。
「妹を捜すつもりなのか」と太郎は孫次郎の話を聞くと聞いた。
「絶対に‥‥‥」と孫次郎は言った。
「そうか‥‥‥お前、武士になりたいのか」
「はい。よく覚えてはおりませんが、爺様はちゃんとした武士だったそうです。しかし、石田村で百姓になってしまったと言います。父上も武士に戻りたかったらしいけど、戻れませんでした。俺は爺様のように、ちゃんとした武士になりたい」
「そうか‥‥‥お前、刀を持った事はあるか」
「ある‥‥‥今も持っている」
「ほう、今も持っているのか」
「うん。爺様の形見だ」
「ほう、それを見せてくれんか」
「お前様は刀の事が分かるのか」
「少しは」
孫次郎は小屋の中から莚(ムシロ)に包まれた刀を持って来た。莚の中から出て来た刀は脇差のようだった。脇差と言っても刃渡りは二尺程ある、かなり頑丈そうな刀だった。太郎はその刀を手に取ると抜いてみた。
「こいつはひどいのう」
刀の刃は錆(サビ)だらけだった。何年もの間、使われた形跡はなかった。錆だらけでも、何となく気品があり、もしかしたら、名のある刀かもしれなかった。
「いい刀だろう」と孫次郎は言った。
「うむ。研げば、なかなかの名刀になるだろう」
刀を孫次郎に返すと、「ちょっと、そいつを振ってみろ」と太郎は言った。
孫次郎は太郎を見ながら頷いた。仏師と言っていたが、もしかしたら、この男、ここの殿様の知り合いかもしれない。もしかしたら、武士になれるかもしれないと思いながら孫次郎は刀を腰に差した。しかし、剣術は得意ではなかった。子供の頃、父親に教わった事はあったが、父親が死んでから刀を振った事はなかった。勿論、人を斬った事などない。
孫次郎は刀を抜くと、子供の頃を思い出しながら、目の前に父親がいるかのごとく刀を構え、振りかぶると斬り下ろした。そして、また、中段に構えた。
「いいぞ」と太郎は言った。
孫次郎の剣術の腕は大した事なかった。あの振り方では人を斬る事もできないだろう。しかし、刀を構えた時の顔付きは武士の顔だった。目付きもいい。太郎は孫次郎の中に、素質がある事を見つけた。
孫次郎は刀を納めると太郎を見た。太郎の顔に変化はなかった。やはり、駄目だったかと孫次郎は諦め、刀をまた莚で巻いた。
「ついて来い」と太郎は言った。
「どこへ」と孫次郎は怪訝(ケゲン)な顔をした。
「付いてくれば分かる」と太郎は言って笑った。
孫次郎は小屋の中に入って荷物をまとめようとしたが、太郎は荷物は後で取りにくればいいと言って、孫次郎を連れて城下の方に向かった。孫次郎が連れて来られた所は、陰流(カゲリュウ)の武術道場だった。孫次郎はその日から、修行者の一人として道場に住み込む事となった。
あれから、八ケ月近くが過ぎ、太郎が思っていた通り、孫次郎の腕は見る見る上達して行った。孫次郎が太郎の正体を知ったのは道場に移ってから二ケ月程、過ぎた頃だった。自分をここに連れて来てくれた仏師が、実は、ここの殿様だったとは信じられない事だった。まるで、夢でも見ている心地だった。殿様が自分を認めてくれたと気づいてからの孫次郎はますます剣術の修行に励んだ。
太郎は道場に入ると修行者たちの稽古を見て歩いた。道場では、槍術、剣術、棒術、薙刀術の四つに分かれて修行している。一通り見て歩くと太郎は木剣を手に取って、修行者一人一人を相手に汗を流した。孫次郎の腕は太郎も驚く程の上達振りだった。一月程前、立ち合った時とは別人のように強くなって行った。このまま行けば、後一年もしたら太郎の弟子たちと互角あるいはそれ以上の腕になるのは確実だった。
太郎は孫次郎を四人目の弟子にする事に決め、十一月に飯道山に連れて行って、一年間、修行させようと決めた。
「だって、あなた、しゃべり方まで、すっかり、師範みたいなんだもの」
「そうか‥‥‥」と太郎は二人の顔を見ながら照れた。
「あたし、今まで、あなたが若い人たちに剣術や陰の術を教えている所を見た事なかったから、やっぱり、師範なんだなって改めて感じてたのよ」
「そうね。あたしも何だか怖かったわ」と助六も言った。「陰の術を教えている時の太郎様、何だか、別人のような気がしてたわ」
「そうかな、気がつかなかったけど‥‥‥」
「でも、教え方はうまいんじゃない」と助六は楓に言った。
「そうね。うまいわ」
「そうか、ありがとう。ところで、さっきの続きだけど、二人に教えたのは基本だという事は覚えておいてくれ。陰の術はまだまだ奥が深い。後は、それぞれが工夫をして、自分だけの陰の術を作ってくれ」
「自分だけの陰の術を?」と楓が聞いた。
「そう、自分だけの陰の術だ。人それぞれ得意とするものがあるだろう。それを伸ばして行くんだよ。陰の術を使う時は命懸けだからな。中途半端な術では、身を滅ぼす事に成りかねない。だから、自分の一番得意とするものは絶対に失敗しないようにしなければならないんだよ」
「あたしたちが習ったのは基本だったの」と楓が言った。
「後、どんな事があるの」と助六が聞いた。
「まだ、色々ある。今回やらなかったが、基本の基本もあるんだ」
「基本の基本?」
「山歩きだよ。飯道山でも修行者に一番始めにやらせるのが一ケ月の山歩きだろ。あれが基本の基本なんだ。体を作る事も勿論だが、陰の術で一番重要な事は、つかんだ情報を一刻も早く知らせる事だ。危険を冒して、せっかくつかんでも、知らせるのが遅れたら、まったく価値がなくなってしまうんだよ。そこで、最短距離を素早く走って伝えなければならない。それには山の中の裏道を通らなければならない」
「山の中の裏道?」と楓が不思議そうに聞いた。
「うん。山の中には普通の者には見えないが、様々な道があるんだ。それを知らなくてはならない」
「へえ、そんな道があるんだ‥‥‥」
「あたし、聞いた事はあるわ」と助六が言った。
「それが、基本の基本だ。それに、夜道を歩くというのも基本の基本かな」
「夜道?」
「そう、真っ暗な月も出ていない夜道でも歩けるようにするんだ。これは真っ暗闇の中で修行を積むしかないな。修行すれば不思議に真っ暗闇でも歩けるようになる」
「あなた、そんな事できるの」と楓が不思議そうに聞いた。
「ああ、智羅天(チラテン)の岩屋で修行させられたんだ」
「あの智羅天様に?」
「そう。さすがに俺も智羅天殿のように、暗闇の中で彫り物をする事はできないが、歩く事はできるようになった」
「へえ、凄いのね‥‥‥後はどんな事があるの」と助六が聞いた。
「後は、地形の見方、敵の城の立つ地形を見るんだ。そして、濠(ホリ)の深さや幅を計ったり、櫓(ヤグラ)の高さを計ったり、敵の軍勢の数を数えたり、薬の使い方を覚えるのも陰の術に入るな」
「薬も?」
「そうさ。薬にも色々ある。病や傷を直すだけが薬じゃない。毒薬もあるんだよ。敵を毒殺するだけじゃなく、自分が毒殺されないためにも、それらの事は知っていなければならないんだ」
「ふーん。恐ろしいのね」
「それから、天候を知る事、人相を知る事も陰の術に入る。人の心を読む事ができれば、それも陰の術に入るだろう」
「あなた、人の心も読めるの」
「いや、俺にはまだ、できん。しかし、相手の立場とか、回りの状況とかが分かれば、相手の気持ちを察する事はできるだろう」
「うん、そうね」
「陰の術というのは、今まで話したような危険な事ばかりが陰の術じゃないっていう事も覚えていてほしい。たとえば、松恵尼様のやり方も陰の術だ。松恵尼様は商人として各地に店を持っている。この城下にも置塩の城下にもある。彼らは特に危険な事はしない。商人として何年もその地に住む事によって、その地に根を張って信用を得る。信用を得れば、自然と情報は集まって来る。その情報を松恵尼様のもとに運ぶ。これも立派な陰の術なんだよ」
「成程ね」と楓と助六は顔を見合わせて頷き合った。
「それで、これから、その陰の術をどう使うつもりなんだ」と太郎は二人に聞いた。
「今すぐっていうのは無理よ」と楓は言った。「あたしの場合は百合がまだ二つだし、助六さんの場合は今の所、金勝座(コンゼザ)から抜けられないし、後、二、三年したら、松恵尼様のように何かを始めようと思っているの」
「松恵尼様のように尼さんになるのか」
「それもいいかもね」と楓は笑った。「尼さんなら、あちこちに潜入できるし」
「商人もいいんじゃない」と助六が言った。
「しかし、女の商人が遠くまで商(アキナ)いに行くというのは、あまり聞かんぞ」
「そうか‥‥‥」と助六は首を傾げた。
「尼さんとか、巫女(ミコ)とか、後は芸人だろうな」
「孤児院も始めたいわね」と楓は言った。
「始めるのはいいが、また忙しくなるぞ」
「忙しいのは慣れてるわよ、ね」と楓は助六に言った。
「そうね。何もしないではいられないものね」
「陰の術を実行に移すのは、まだ、先の事として、あたし、また、娘さんたちに薙刀(ナギナタ)を教えたいんだけど駄目かしら」
「侍女たちだけじゃなく、城下の娘たちに教えるのか」
「ええ」
「お前が薙刀を教えるとなると、大勢の娘が集まって来るぞ」
「そうかしら」
「そうさ。お前はこの城下の殿様の奥方なんだぞ。その奥方が自ら薙刀を教えるとなると、城下中の娘が集まって来るだろう」
「あたしもそう思うわ」と助六も言う。
「お前、一人じゃ、とても無理だ。侍女たちをもっと鍛えて、侍女たちが人に教えられる位の腕になってからの方がいいと思うがな」
「そうか‥‥‥そうよね。そんなに集まって来たんじゃ、とても、教えられないわね」
「ただ、お前の考えはいいと思う。城下の娘たちが皆、薙刀を身に付ければ、何かが起こった時、混乱状態に陥る事もなくなるだろう。それに、中には素質のある娘もいるに違いないからな」
「そうね。素質ある娘を集めて、女ばかりの騎馬隊も作らなくっちゃ」
「おいおい。そんなものまで作られたんじゃ。危なくって見てられないぞ」
「大丈夫よ」と楓が言うと、
「任せなさい」と助六が言った。
その日から五日後、金勝座は京に向かって旅立って行った。新しい人材集めと、京の状況を調べるためだった。金勝座が旅立って行った頃より、近江甲賀の飯道山から若い者たちが、二、三人づつまとまって大河内城下にやって来た。十八人全員が揃ったのは三月の半ばだった。
彼らは皆、飯道山にて一年間、修行した者ばかりで、勿論、太郎から陰の術を習っていた。そして、皆、次男や三男たちで、甲賀にいても部屋住みの者たちばかりだった。彼らは新しい生き方、新しい土地を手にする事を夢見て、他国へとやって来たのだった。太郎は彼らを直属の馬廻(ウママワリ)衆として抱えた。戦の時は太郎の回りに仕える事となるが、戦のない時は太郎のために必要な情報を集めるのが役目だった。彼ら十八人に光一郎、八郎、五郎の三人を加えて、太郎は『陰(カゲ)の二十一人衆』と名付けた。二十一人を三人づつ七組に分けて、太郎はそれぞれ好きな場所に行かせた。そして、つかんだ情報によっては地位も俸給も上がるというので、皆、張り切って出掛けて行った。だだし、十日間に一回は三人の内の一人が、手に入れた情報を太郎に知らせるのが条件だった。
どこにでも好きな所に行ってもいいと言ったので、光一郎、八郎、五郎の三人も大喜びだった。ここに来てからというもの、三人は毎日、作業や武術師範の仕事に追われて、ほとんど、ここから出た事がなかった。五郎は家庭を持ったため、それ程でもないが、光一郎と八郎の二人は、そろそろ旅に出たいと思っていたところだった。
光一郎は三雲源次郎、藤林平五郎の二人を連れて、紀伊の国、熊野に向かった。三雲源次郎は太郎と同期であった源太の弟であり五期生、藤林平五郎は太郎が岩尾山で修行していた時、一緒だった十兵衛の従弟(イトコ)で去年の修行者だった。
光一郎は二人を引き連れて、三年振りの帰郷だった。熊野の山の中には母親がたった一人で残っていた。近所には祖父と祖母が叔父の家族と共に暮らしていたが、母親は淋しい思いで暮らしているに違いなかった。父親である風眼坊は若い女を作ってしまった。光一郎はお雪の身の上を知っていた。お雪本人から、その話を聞いて、光一郎は父親に何も言えなかった。何も言えなかったが、母親の事を思うと父親の事を許す事はできなかった。光一郎は母親を大河内城下に呼ぼうと思っていた。
八郎は芥川小三郎、上田彦三郎を連れて、伊勢の国、多気(タゲ)に向かった。芥川小三郎は太郎と同期の左京亮(サキョウノスケ)の従弟で五期生、上田彦三郎は去年の修行者だった。八郎は立派な武士になった晴姿を早く、両親や兄、そして、町道場の川島先生たちに見せたいと張り切って出掛けて行った。
五郎は杉谷新五郎、黒川助三郎を連れて、河内の国、赤坂村に向かった。杉谷新五郎は太郎が初めて『陰の術』を教えた与藤次(ヨトウジ)の弟、黒川助三郎は去年の修行者だった。五郎は二人を連れて故郷に向かった。五郎の両親はもういない。嫁に行った妹がいるだけだったが、妹が嫁に行ったのは郷士の三男だった。もし、部屋住みのまま辛い思いをしていたら、大河内城下に連れて来ようと思っていた。それぞれ、皆、久し振りの帰郷だった。勿論、ただの帰郷ではない。それぞれ、各地の状況を太郎に知らせなければならなかった。
その他、太郎と同期だった服部藤十郎の弟、孫十郎が、岩根与五郎、新庄七郎を連れて、但馬の国(兵庫県北部)に向かい、池田庄次郎が、望月弥次郎と長野太郎三郎を連れて、美作(ミマサカ)の国(岡山県北東部)に向かい、多岐勘九郎が、和田新吾と高山源三郎を連れて、備前(ビゼン)の国(岡山県南東部)に向かい、松尾藤六郎が、山中新十郎と伴与七郎を連れて、丹波の国(京都府中部、兵庫県中東部)に向かった。望月弥次郎は太郎と同期の三郎の従弟だった。
今回、師匠の太郎を頼って播磨に来た者たちは皆、若く、十九歳から二十一歳までの者たちだった。太郎の三人の弟子たちと一緒に修行した四期生が二人、五期生が六人、去年の修行者が十人だった。各自、山伏や商人に扮して極秘で貴重な情報を手に入れようと、張り切って旅立って行った。
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銀山の開発も、今年から本格的に始まっていた。去年は試行錯誤(シコウサクゴ)しながら開発を進め、段取りも、ようやく軌道に乗って来た。去年一年で生産した銀は二十三貫(カン)にも達していた。銭にしたら三千貫文(モン)近くにものぼる額だった。三千貫文と言えば、太郎がお屋形、赤松政則からいただいた所領と同じ額となる。政則にしても、一年目にして、それ程の銀が取れるとは思っていなかったとみえて驚き、そして、喜んでくれた。今年の予定は三十貫だった。
太郎は雪が溶けるとすぐに播磨側の猪篠(イザキ)村の奥の方に新しい作業場を建設した。鬼山(キノヤマ)村からその作業場まで約一里半の距離だった。鬼山村では銀鉱を細かく砕き、勘三郎らによって銀を多く含む砂にするまでの作業をやり、その砂は猪篠村の作業場に運ばれて、左京大夫(サキョウダユウ)ら鬼山一族の者たちによって銀に製錬された。
作業場を猪篠村に作った事によって鬼山一族の者たちは皆、かつての鬼山村から猪篠村に移る事となった。鬼山村は銀山目付の相川勘三郎が中心になって職人や人足たちを取り仕切っていた。生野銀山の存在を隠すため、以前よりも警戒は厳重になり、鬼山村は高い塀で囲まれ、職人や人足たちの出入りは厳しく取り締まられた。早い話が、この作業場に入った者は二度と外には出られないという事となった。
去年、人足たちは大河内城下の河原者の頭、権左衛門によって集められたが、今年からは、町奉行の鬼山(キノヤマ)銀太から悪事をして捕えられた罪人や浮浪者たちが送られて来た。去年来た人足を含め、彼らは死ぬまで、ここで働くというわけだった。勿論、彼らは日当を貰う事はできた。しかし、その日当は賭場(トバ)、あるいは遊女屋で使い果すという仕組みだった。以前、鬼山一族の者が住んでいた小屋には十数人の遊女が入っていた。彼女らには言ってはいないが、勿論、彼女らも死ぬまで、ここから出られなかった。脱走を試みた者は皆、殺された。太郎はそんな非情な事には絶対、反対だったが、お屋形、政則の命なので従うより他なかった。
人足たちを見張る役目として『見廻組』が新たに設けられ、その『見廻組』を見張る者として、置塩(オキシオ)のお屋形様から直接命じられた者が派遣されて来ていた。
見廻組は鬼山村だけでなく猪篠村の作業場にもいた。猪篠村の人足たちを見張るためだった。猪篠村の人足は鬼山村に比べてずっと少なかったが、ここの人足たちもここから出る事はできなかった。鬼山村から銀の砂を猪篠村まで運ぶ人足たちは鬼山村に住み、毎日、同じ道を行き来していた。猪篠村から大河内城下に銀を運ぶのは、銀山奉行、鬼山小五郎の配下の者たちの武士に率いられた大河内城下の人足だったが、彼らは荷物の中身が銀だとは知らない。炭だと思って運んでいた。
鬼山一族の者たちは作業場から出る事はできた。しかし、いつも見張られていた。太郎はそんな事をしたくはなかったが、これも仕方なかった。太郎の命によって鬼山一族の者たちは皆、見張られていた。また、見張られているのは鬼山一族だけでなく、太郎も含め、太郎の家臣すべてが、お屋形様の命によって上原性祐(ショウユウ)、喜多野性守(ショウシュ)の放った間者(カンジャ)に見張られていた。性祐も性守も好きで、そんな事をやっているのではない事を太郎は知っている。銀山開発という赤松家にとって極秘事項を担当しているのだから、その位の事は仕方ないと思っていた。
お屋形の政則は四月になると軍勢を引き連れて、美作及び備前へと出陣して行った。戦の前の評定の席には太郎も呼ばれたが、戦には行かなかった。今年一杯は銀山開発に専念して事業を軌道に乗せてくれとの事だった。銀山の事を知らない重臣たちは、太郎が特別扱いされていると陰口をたたく者もいたが、太郎は堂々としていた。戦に出て活躍する自信はあった。戦はすぐには終わらないだろう。来年、再来年には活躍の場が与えられるに違いない。焦る必要はないと自分に言い聞かせていた。
太郎は度々、銀山の作業場に足を運んで、人足たちの苦情を聞き、一生、ここから出る事のできない彼らのために、できるだけの事をしてやろうと努力していた。賭場を作り、遊女を入れ、小間物を売る店も作り、酒を飲ます店も作った。太郎は彼らのために、それらの施設を作ったが、結局、彼らの稼いだ銭を絞り取る結果となってしまった。
八月にお屋形、政則は凱旋して来た。ようやく、以前のごとく、播磨、美作、備前の三国をまとめたらしかった。太郎はお屋形様を迎えるために置塩城下に行った。城下は祭りのように賑やかだった。太郎はお屋形様の供として、毎日のように重臣たちの屋敷で催される宴に参加した。
太郎も大河内城主となってから、武術だけでなく、連歌や茶の湯、流行り歌や舞、尺八や鼓(ツヅミ)などの芸能の修行も怠りなく励んでいた。連歌や茶の湯の専門家である夢庵が去ってしまった事は残念だったが、置塩城下には夢庵程ではないにしろ、連歌や茶の湯に詳しい者たちは多かった。太郎は彼らを客として大河内に迎えて習っていた。流行り歌、舞、尺八、鼓は金勝座の者たちに習った。特に尺八は太郎も熱中して、金勝座に入った鬼山小次郎より基本から習っていた。ただ、連歌は難しかった。難しい式目(シキモク、規則)があり、古典の和歌を知らなくてはどうにもならなかった。『古今集(コキンシュウ)』『新古今集』などを読んで、歌を覚えようとはしていたが、前の人の詠んだ歌に、うまくつなげる事はなかなかできなかった。甲賀に行った時、夢庵から指導を受け、連歌の指導書などを貰って来ては修行を積んではいても、まだ、赤松家の武将たちの催す連歌会に参加できる程の腕にはなっていなかった。
重臣たちの宴に出席すると必ず、太郎は酒肴(シュコウ、座興)を所望(ショモウ)された。重臣たちの中には、太郎が突然、お屋形様の義兄として現れた事に快く思っていない者もいて、太郎に恥をかかせてやろうとたくらむ者もいた。太郎もその事を承知していたから、芸能の修行も真剣にしていたのだった。西播磨の守護代、宇野越前守の屋敷の宴の席にて、太郎は天狗の舞を披露した。太郎の前の者が素晴らしい舞を披露したので、次の太郎にも舞を所望して来た。太郎は迷わず、天狗の舞を舞った。天狗の面は付けなかったが、太郎は見事な舞を披露した。見ている者たちは、その素早い動きに、まさしく天狗を見ていた。そして、舞いながら高く跳びはねるのに、着地する時、床がまったく音のしない事に驚いた。その天狗の舞の噂はすぐに広まって、太郎はお屋形様の供をして、重臣の屋敷に行く度に披露しなければならなかった。
その頃、大河内城下もほぼ完成し、太郎は五ケ所浦にいる家族を呼んだ。旅の手配はすべて、小野屋の松恵尼(ショウケイニ)がしてくれた。祖父、白峰(ハクホウ)と祖母、母親と末弟の兵庫助の四人が長い旅をして来てくれた。四人は松恵尼の配下の者たちに守られ、伊勢神宮から北畠(キタバタケ)氏の本拠地、多気(タゲ)の都、そして、吉野を通って、南都、奈良に入った。奈良から西に堺に向かった方が近かったが、みんなが、どうしても太郎が剣術の修行をした飯道山を一目見たいというので、奈良から甲賀に向かった。飯道山では松恵尼に迎えられ、三日間、のんびりと過ごした。松恵尼も急遽、一緒に行く事になり、一行は琵琶湖を見て、京都に入り、伏見から船にて淀川を下り、堺にて大型の船に乗り換えて、播磨の国、飾磨津(シカマツ)に向かった。飾磨津からは陸路、置塩城下に向かった。太郎は松恵尼から連絡を受けて、置塩城下で待っていた。太郎は家族を新しい北の城下に建てたばかりの屋敷に案内した。
祖父の白峰は昔、愛洲の殿様の供をして、多気の都や奈良、京都などに行った事もあったが、祖母、母親、弟は伊勢神宮より遠くに出た事がなかった。祖母も母親もこんな遠くまで旅ができるなんて夢みたいだと喜んでいた。祖母はもう六十三歳で、こんな年になって、こんな遠くの国に来られるなんて、いい冥土(メイド)への土産(ミヤゲ)ができたと、涙ぐみながら太郎にお礼を言った。
次の日、大河内城下に入った一行は、城下の中央にある立派な屋敷に案内され、これが太郎の屋敷だとは信じられないと、キョトンとして眺めていた。特に左奥に見える三重の塔には驚いていた。愛洲の殿様の屋敷よりも広くて立派だと白峰は夢を見ているような気持ちだった。自分の孫がこんなにも偉くなったのか、と知らず知らずのうちに涙が滲み出て来た。子供の頃から、きっと、度偉い事をやりそうだと期待していたが、こんな屋敷に住む殿様になるとは本当に信じられない事だった。
広い屋敷の中を太郎に案内されるままに奥の方へと行き、そして、楓と百太郎(モモタロウ)、百合の姿を目にすると母親は立ち尽くしてしまった。楓が五ケ所浦にいたのは一年足らずだったが、母親は楓の事を気に入っていた。旅に出る前から、楓と、まだ見ぬ孫に会いたかった母親だったが、お姫様の様な綺麗な着物を纏(マト)った楓を見て、どうしたらいいのか戸惑ってしまった。母親だけでなく、祖母も祖父も同じ気持ちだった。楓が赤松のお屋形様の姉上だったという事を急に思い出し、どう接していいのか分からなかったのだった。
立ち尽くしている母親のもとに百太郎が近づいて行って、「おばあさま」と言うと、ようやく緊張も溶け、松恵尼に促(ウナガ)されるまま、皆、部屋の中に入った。
挨拶を済ませ、話をしていくうちに母親も祖母も祖父も安心していった。楓は五ケ所にいた頃と少しも変わっていなかった。そして、百太郎と百合の二人もすぐに、みんなになついて行った。母親と祖母が楓と松恵尼と話に弾んでいる時、太郎は祖父と弟を連れて月影楼に登った。三階まで上がり、舞良戸(マイラド、板戸)を開けると、城下が一望のもとに見渡せた。弟は凄い、凄いと感激していた。
「俺がここに来たのは二年前でした。その頃、ここにはほんの少しの田畑があっただけで、何もありませんでした。それが二年でこんな町になりました。不思議な事です」
「ほう、二年間で、これだけの町がのう‥‥‥」と白峰が驚きながら城下を見渡した。
「ねえ、兄上、兄上様は、ここのお殿様なの」と弟の兵庫助が聞いた。
兵庫助はかつて三郎丸と呼ばれていた。去年、元服(ゲンブク)して兵庫助(ヒョウゴノスケ)直忠と名乗り、十六歳になっていた。太郎が最後に見たのは、まだ十二歳の子供だったが、もう、すっかり大人だった。体格も立派になり、もう少しで太郎を追い越しそうだった。
「そうだよ」と太郎は笑いながら頷いた。「山の上に城がある。後で連れて行ってやる」
「ほんと? 凄いな」
太郎は眼下に見える建物を二人に説明した。祖父、白峰はただ頷きながら太郎の話を聞いていた。太郎は祖父に一番、この城下を見せたかった。勿論、父親にも見せたかったが、父親が来られないのは分かっている。せめて、祖父の口から父親に話してもらいたかった。子供の頃から太郎は祖父のもとで育てられ、無断で京都に行った時から、ずっと、心配の掛け通しだった。そして、いつも陰ながら見守ってくれていた祖父に、せめてもの恩返しができた事が太郎には嬉しかった。
3
笛や太鼓の囃(ハヤ)しが磨羅(マラ)寺の方から聞こえて来る。
九月の四日、朝早くから大河内城下は祭りで賑わっていた。
城下もようやく完成に近づき、太郎がこの地に入部して来た九月五日を祭礼の日とし、四日から六日までの三日間を磨羅寺の本尊である吉祥天(キッショウテン)の縁日とした。住職の宗湛(ソウタン)が、どこから吉祥天の像を持って来たのかは知らないが、本尊として立派な仏像だった。吉祥天の他にも観音菩薩像、弥勒菩薩(ミロクボサツ)像、弁財天(ベンザイテン)像もあったが、気のせいか、何となく皆、女性的な仏様だった。どうしてなのかと宗湛に聞くと、「寺の名が磨羅(男根)じゃからのう。自然と女子(オナゴ)のような仏様が集まるんじゃろう」と笑っていた。
丁度、明日が太郎がこの地に来て二年目だった。太郎は城主として、この三日間、武士から人足に至るまで、すべての者たちの仕事をやめさせた。稲荷(イナリ)神社と磨羅寺を中心に露店がずらりと並び、河原にも様々な芸人たちが集まっていた。金勝座(コンゼザ)のみんなも戻って来ていたが、金勝座もその日は休みで充分に祭りを楽しんでいた。
太郎は五ケ所浦から来た祖父、祖母、母親、弟、そして、松恵尼、楓と子供たちをぞろぞろと連れて祭り見物に出掛けた。太郎は殿様の姿から仏師(ブッシ)の姿になっていた。祖父と弟も面白そうだと太郎に倣(ナラ)い、祖母、母親、楓と子供たちは質素な町人のなりをして城下に出掛けた。
太郎たちは屋敷の裏口から出ると重臣たちの屋敷を抜け、中級武士や下級武士たちの屋敷や長屋の立ち並ぶ中を抜けて小田原川の河原へと向かった。下級武士たちの長屋はまだ建設中だったが、今年中には出来上がり、今年の冬は皆、屋根の下で暮らせる事になるだろう。城下造りに頑張っていた人足たちも作業が終われば、ほとんどの者が武士として、それらの長屋に入る事となっていた。
河原には置塩城下の河原者の頭、片目の銀左が協力してくれたので、芸人たちが大勢、集まってくれた。祖父たちはその賑やかさに驚き、まるで、京の都のようだと言って喜んでくれた。芸人たちの中には、確かに京から流れて来たような一流の芸人たちもいた。松恵尼も飯道山の祭り以上だと驚いていた。太郎も実際、これだけの芸人が集まるとは思ってはいなかった。さすが、片目の銀左だと、今更ながら彼の実力に驚いていた。芸人たちは小田原川の河原から市川の河原まで、ずっと河原を埋めていた。これだけの芸人が、こんな小さな城下に集まるなんて、まったく、驚くべき事だった。
太郎たちは河原を一回りして、城下の東側にある奉行所(ブギョウショ)の所から大通りに入り、町中に入って行った。その大通りの両脇には商人たちの大きな店や蔵が立ち並んでいたが、その店の前にも遠くからやって来た商人たちが様々な露店を開いていた。櫛(クシ)やかんざし、古着や反物(タンモノ)、薪(タキギ)や炭、檜物(ヒモノ)や陶器、竹細工や木工細工、饅頭(マンジュウ)やお菓子、武具や甲冑(カッチュウ)など、ないものはないと言ってもいい程、色々な物を売っていた。馬場では馬の市もやっているという。太郎たちは露店を見ながら磨羅寺まで行き、吉祥天を参拝した。珍しく、宗湛和尚は偉そうな袈裟(ケサ)を身にまとって参拝客の挨拶を受けていた。磨羅寺から隣にある稲荷神社に行き、参拝すると裏通りを通って屋敷に帰って来た。
いつの間にか、もう夕暮れ近くになっていた。
祖母と母親はさすがに疲れたらしく、部屋に入ったまま出ては来なかった。百太郎と百合は買ってもらったおもちゃで弟の兵庫助と遊んでいた。楓は松恵尼と楽しそうに話し込んでいる。太郎は祖父を誘って月影楼に登った。
「凄い、賑わいじゃのう」と祖父は外を眺めながら言った。
「ええ、俺もこれ程、賑わうとは思ってもおりませんでした。昨日まで、朝から晩まで働き詰めだったから、皆、楽しんでくれているようです」
「うむ」と祖父は目を細めながら太郎を見て頷いた。「わしは城下の者たちが話しておるのを聞いておったが、皆、殿様であるお前のお陰じゃと喜んでおった。わしはそれを聞いて、ほんとに嬉しかったぞ。今の気持ちを忘れない事じゃ。城下に住む者たち、みんなのために、これからもいい殿様でおってくれ」
「はい」と太郎は嬉しそうな祖父を見ながら頷いた。
「お前は今日、職人の格好をして城下に出て行ったが、あんな事をよくやっておるのか」
「時々、やっております。あまり、堅苦しいのは好きではありませんので、それに、あの格好だと人足たちにも気軽に声を掛けられますから」
「うむ。いい事じゃ。わしは安心したわ。こんな立派な屋敷に住んでおるので、上段の間から踏ん反り返って、あれこれ命じておるのではないか、と心配したが、そんな事もなかったようじゃな」
「はい」
祖父は満足そうに頷いて、城下を見下ろした。そして、遠くの山々に視線を移すと、「太郎、五ケ所浦の事じゃがのう」と言った。
太郎には祖父が何を言おうとしているのかが分かった。
「次郎に父上の跡を継いで貰って下さい」と太郎は言った。
祖父は太郎の顔を見つめて、「それで、いいのじゃな」と聞いた。
太郎は頷いた。「俺も父上のように水軍の大将になるのが夢でした。しかし、海と同じように山々がずっと連なっている事を知った時、俺の生き方は変わって行きました。海から離れて、山というものに惹かれて行ったのです。多分、俺はもう五ケ所浦には帰れないでしょう。次郎の奴に五ケ所浦の事は任せます。次郎なら立派にやり遂げると思います」
「うむ。お前がおらなくなってから、次郎の奴は、お前が帰って来るまで、お前の代わりを務めようと一生懸命やっておる」
「そうですか‥‥‥俺の代わりを‥‥‥」
「そうじゃ。次郎の奴はお前の事を尊敬しておるんじゃ。もっとも、お前の事を尊敬しておるのは次郎だけじゃない。水軍の若い奴らはみんなじゃ。皆、お前がいつか帰って来る事を信じておる」
「そうですか」と太郎は遠くを見つめた。五ケ所浦にいた時、陰流を教えた若い者たちの事を思い出していたが、祖父を振り返って、「水軍と陸軍のいさかいはどうなりました」と聞いた。
「消えたとは言えんが、お前と池田の奴らが城下からおらんようになってから、いくらかは納まったようじゃな」
「そうですか」太郎はよかったと言うように、軽く笑ってから、「次郎は今年、二十二ですか」と聞いた。
「そうじゃ。お前が殿の御前で剣術を披露したのは二十一の時じゃったな。あの時のお前と比べれば、次郎の奴は少々頼りない所はあるがな‥‥‥お前がおらなくなってから、次郎も一回り大きくなったようじゃ」
「次郎に水軍の事を頼むと伝えて下さい」
「うむ」
「そして、母上、お祖母様の事も頼むと‥‥‥」
「分かった」
「お祖父様とお祖母様は、このまま、こちらにおられても構わないんですけど、駄目でしょうね」
「ここはいい所じゃ。しかし、わしには向こうにする事が残っておるんじゃ。お前が始めた陰流の道場じゃ。いつか、お前が帰って来る時までは、道場を潰すわけにはいかんからのう」
「すみません‥‥‥」
祖父は首を振った。「毎日が楽しいんじゃよ。子供たちに剣術を教えるのが楽しいんじゃ。わしは足を怪我して隠居した。隠居してからのわしは、ただ、お前たち孫の成長だけが唯一の楽しみだったんじゃ。それが今は毎日、子供たちに囲まれて、子供たちに剣術を教えておる。第二の生き方とでも言うのかのう。わしは今、幸せじゃよ。もうろくして、子供たちに剣術を教えられなくなったら、婆さんと一緒にお前の世話になろう」
「はい‥‥‥道場の事、お願いします」
「うむ‥‥‥しかし、以外じゃったのう。お前が赤松家の武将になったと聞いた時、わしはお前が赤松家の水軍を任されたのかと思っておった。それが、来てみれば、こんな山の中じゃった‥‥‥わしには、よく播磨の事は分からんが、この場所は赤松家にとって重要な所なのか」
「はい。ここは播磨と但馬の国境の近くなんです。但馬の国には赤松家と敵対しておる山名氏がおります。今の所は山名氏も播磨には攻めて来ませんが、やがて、播磨に進攻して来る事となりましょう。そうなると、ここは最前線となるのです。そこを任されたというわけです」
「成程のう。ここは最前線か」
「山名氏との争いが終われば、俺は改めて、赤松家の水軍を任される事となるでしょう」
「そうか‥‥‥お前にこんな事を言う必要はないとは思うが、無駄死にだけはするなよ」
「はい」
「おっ、何じゃ、あれは」と祖父が外を見ながら言った。
大通りを山車(ダシ)のような物が走り、山車の上で下帯(シタオビ)一丁の男が扇子(センス)を手に持って踊っていた。山車の回りを人々が囲み、何やら叫びながら踊っている。
「和尚だ」と太郎は言って、笑った。
「和尚?」
「はい。さっき、お寺に偉そうな和尚がいたでしょ。あの人です」
「なに、あれが和尚か」と祖父は口をポカンと開けて驚いていた。「変われば変わるものじゃのう」
「変わった和尚です。あれでも、かなり偉い和尚との事ですが、まったく、何をやるやら、見当も付かないお人です」
「ふむ。確かに変わっておるのう。昔、五ケ所浦にも、変わった和尚がおったが、あれ以上じゃのう」
「快晴和尚の事ですか」と太郎は聞いた。
「そうじゃ。お前も知っておったのう」
「快晴和尚は五ケ所浦に帰って来ましたか」
「いや、京に戦が始まった頃、どこかに行ったきり戻っては来ん。しかし、去年だったかのう。和尚さんのお弟子さんとか言うのが来てのう。今、長円寺におるわ」
「お弟子さん? もしかしたら、曇天(ドンテン)ですか」
「いや。あいつもどこに行ったのか戻って来んのう。今度、来たのは晴旦(セイタン)和尚という面白いお人じゃ」
「晴旦和尚?」
「快晴ではなく、今度は晴れた朝じゃよ」
「へえ、それじゃあ。朝は早そうですね」
「ところが、早起きなんてした事もないような、ぐうたらな和尚じゃ」
「そうですか‥‥‥快晴和尚のお弟子さんらしいとは言えますが」
「まあな」
「念仏踊りみたいですね」と太郎は外を眺めながら言った。
「ああ、南無阿弥陀仏と言っておるようじゃのう」
「行ってみますか」
「面白そうじゃ」
太郎は祖父、白峰と一緒に月影楼を降りると、弟の兵庫助を連れて賑やかな大通りに出て行った。
4
三日間の大河内城下の祭りは予想以上に盛況だった。
磨羅寺の宗湛和尚の山車のお陰で、城下の者たち全員が、三日間、踊り狂った。宗湛の乗っていた山車は、荷車にちょっとした飾りを付けた簡単な物だったので、すぐに真似する事ができ、次の日には、小野屋と大和屋が真似をして山車を出して大通りを練り歩いた。すると、次から次へと山車が現れ、城下中のどの道にも山車がいるという有り様となり、城下中、いたる所で狂ったように念仏踊りが行なわれた。町人はもとより、武士たちまでが仮装して踊り狂っていた。男は女の着物を着て化粧をし、女は男に扮して、朝から晩まで城下を練り歩いていた。
三日目には、赤松家の重臣である喜多野性守入道と上原性祐入道の二人までもが、山車に乗って練り歩くと、今まで押えていた武将たちも次々に山車に乗って現れた。太郎の家臣となった武将たちは根っからの武士ではない。次郎吉、伊助、金比羅坊(コンピラボウ)、藤吉らは皆、祭り好きだった。待ってました、と様々な衣装に扮して山車に乗った。とうとう、太郎も次郎吉たちに勧められて山車を出すはめとなった。太郎は天狗に扮して、山車の上で跳びはね舞った。金勝座の三人娘も山車に乗って華麗に踊った。楓もついに我慢できずに、金勝座の山車に乗って助六たちと一緒に踊った。百太郎と百合も侍女たちと一緒に踊った。松恵尼も踊った。祖父、祖母、母親も皆に混ざって踊っていた。
三日間、城下の者たちが一つになったかのように、全員が思い切り踊って、騒ぎまくった。
祭りも終わり、次の日から、いつものように、皆、仕事を始めたが、誰の顔もすっきりと晴れ晴れとしていた。
太郎の家族たちは祭りの後、五日間、のんびりと過ごしてから帰って行った。松恵尼は飯道山の祭りが十四日から始まるため、祭りの終わった次の日、金勝座と共に帰って行った。来た時と同じく、松恵尼の手下の者たちに守られながら、祖父、祖母、母親、弟の四人はたくさんの土産を持って帰って行った。太郎は金比羅坊と共に置塩城下まで見送った。
陰の二十一人衆も祭りの時は戻って来ていたが、祭りが終わるとまた、各地に散って行った。今回が三度目だった。太郎はいつも、一月後には戻って来るように命じていた。
一回目は、三月の下旬から四月の下旬までだった。太郎は帰って来た二十一人から様々な意見を聞き、それを参考にして陰の術を完成させようとしていた。一回目で分かった事は連絡方法だった。太郎は十日に一度は連絡を入れるように命じたが、何か情報がつかめた時は、ここまで戻って来るのは構わないが、何も得られないのに、一々、戻って来るのは時間の無駄になると彼らは言った。何か、狼煙(ノロシ)とかで、その事を知らせる事ができれば、もっと、やり易くなるだろうとの事だった。それと、山伏に扮して旅をするのはいいが、本物の山伏ではないので、宿坊に泊まる時もばれやしないかと冷や冷やしながら泊まっている。できれば、太郎の三人の弟子のように正式な山伏になりたいと言った。太郎は考えておくと答えた。
二回目の旅は梅雨が明けた六月の末から七月の末だった。連絡方法はいい考えが浮かばなかった。狼煙を上げるのは赤松家の者に誤解される恐れがあるので使えなかった。これから先、徐々に、各地に拠点を作って行き、その拠点と拠点を結ぶ連絡網を作らなければならないと思った。彼らには、特に情報がない時は十日に一度の連絡を入れなくもいいと命じた。ただし、どうしても一ケ月以内に帰って来られない場合は、情報がなくても、誰かを送れと命じた。本物の山伏になる件も検討して、置塩城下の大円寺の勝岳(ショウガク)和尚に相談してみた。和尚によると、銭次第で、その位の事は何とかなるだろうと言った。太郎は和尚に頼もうか、とも思ったが、播磨国内の山伏では、すぐに赤松家の者と分かってしまう恐れもあるので、やめる事にした。十一月に飯道山に行ったら高林坊に相談しようと思った。
服部、池田、多岐、松尾らは前回と同じ但馬、美作、備前、丹波に送り、光一郎は因幡、八郎は摂津、五郎は河内の堺に送った。
前回、五郎は河内の妹のもとに行った帰りに堺に寄って来た。そこで、偶然、堺から遣明船(ケンミンセン)が出て行くのを目にしたと言う。そして、堺の町が他の町とはまったく違う賑わいを持っている事を太郎に知らせた。五郎から、堺の湊には琉球(リュウキュウ)や朝鮮から来たという変わった形の船が泊まり、わけの分からない言葉を喋(シャベ)る異人(イジン)らがいて、珍しい物が一杯あると聞くと、太郎も興味を持った。太郎も元々は船乗りだった。遠い明の国に行きたいと夢を見た事もあった。太郎は五郎に書状を持たせ、堺にある小野屋に行って、もっと、堺の情報を集めろと命じた。
そして、今度が三度目だった。行き先は前回と同じだった。同じ場所に行かせた方が馴染みもでき、情報も集め易いだろうと思ったからだった。彼らも、彼らなりに拠点となるべき場所を見つけて活動しているようだった。彼らは旅に出ないで城下にいる時は、道場にて武術の修行をしていた。彼らも一年間、飯道山で修行しているので、得意とする武術は人に教えられる程の腕を持っていたが、この先、陰の術で生きて行くなら、すべての武術を身に付けなければならないと言える。彼らは自分が苦手とするものを修行者たちと共に習っていた。皆、命懸けの仕事をしているので修行にも気合が入っていた。
太郎は五郎を二十一人衆の頭にしようと思っていたが、今回、戻って来たら、この仕事をやめさせようと考えを変えた。この仕事は旅が多すぎ、家庭持ちの五郎には不向きと言えた。五郎は張り切ってやっているが、家族には悪い事をしているように思えた。今年の末、飯道山に行ったら誰か一人連れて来て、五郎には抜けてもらおうと決めていた。
二十一人衆が出掛けて行くと、太郎は久し振りに道場に顔を出した。家族が来ている時、一度、祖父の白峰と弟の兵庫助を連れて行ったが、自ら木剣を振りはしなかった。剣術で汗を流すのも久し振りだった。
道場には今、住み込みの修行者が三十人余りと通いの者が二十人程いた。飯道山と同じで、稽古は午後からで、住み込みの者たちは午前中は作業という事になっていた。城下に出掛けて人足と共に働いていた。住み込みの修行者の中で一人、太郎の目を引く若者がいた。石田村から出て来たという内藤孫次郎という十八になる若者だった。
孫次郎は初め、人足として働いていた。太郎は今年の初め、河原の掘立て小屋で暮らしている孫次郎と出会った。雪の積もった冬の間は城下作りの作業は中止になった。人足や職人たちは皆、雪のない所に行って正月を迎える。雪の中、寒い掘立て小屋に住んでいる者など誰もいなかった。
よく晴れた天気のいい日だった。太郎はその日、いつものように仏師の姿になって、城下町を歩いた。建設途中の城下を一回りして小田原川の河原に出た。
河原には人影もなく、幾つも並んでいる掘立て小屋も雪の中に埋もれていた。中には雪の重みで潰れている小屋もあった。
太郎は鳥や獣の足跡しか付いていない雪の中を歩いて、川のほとりまで行くと上流の方を眺めた。真っ白の中を水が輝きながら流れていた。太郎は川に沿って下流に歩いた。
その時、誰もいないと思っていた小屋の中から、人が出て来るのが見えた。太郎は瞬間的に身を低くして雪の中に隠れた。
若い男だった。毛皮の袖なしを着て、頭にはぼろ布を巻き付け、藁沓(ワラグツ)をはき、薪をもっていた。男は小屋の前の雪を踏み固めると、薪を並べて藁くずに火を点けた。次に鍋を持って来て、鍋の中に雪を山盛りにすると火の上に掛けた。雪は見る見る溶けて行き、水になった所に、男は米や麦を入れた。
そこまで見ると太郎は身を起こして、男の方に近づいて行った。男は驚いて太郎を見たが、太郎が武士でなく職人の格好をしていたので、安心したようだった。男は太郎を一度見ただけで、今度は小屋の屋根の雪降ろしを始めた。
「いい天気じゃな」と太郎は男に声を掛けた。
「はい」と男は返事をしたが、棒切れで雪を落としていた。
「お前は、城下造りの人足か」
男は面倒くさそうに頷いた。
「どうして、こんな所におる」
「おって悪いのか」
「悪くはないが、寒いだろう」
「冬は寒いのが当然だ」
「まあ、そうじゃな。しかし、他の人足たちは皆、雪のない所に行った。お前は、どうして行かないんだ」
「俺の勝手だろう」
「まあ、そうじゃ。春まで、ここにおるつもりか」
「そうだ」
「食う物はあるのか」
「ある」
「そうか‥‥‥まあ、頑張れ」
太郎は若い男と別れた。その後、太郎はその男の事は忘れていた。
もうすぐ春になるという二月の末、大雪があった。建設途中の建物が幾つも雪によって潰されてしまった。太郎は城下を見回った時、ふと、河原にいた男の事を思い出した。
太郎が河原に行くと男は掘立て小屋を直していた。
「おお、生きておったか」と太郎は男に声を掛けた。
男は太郎を無視して、ぶつぶつ文句を言いながら作業を続けていた。
「お前の名は何という」と太郎は聞いたが、男は答えなかった。
太郎は男を手伝う事にした。二人は一言も喋らずに作業を続けた。何とか、小屋の修復が終わると、男は太郎に礼を言って、内藤孫次郎と名乗った。太郎は三好日向という仏師だと名乗り、「一冬、よく頑張ったな」と言った。
「後、もう少しで雪も溶ける。そしたら、また働ける」孫次郎は眩(マブ)しそうに空を見上げた。
話を聞くと孫次郎は、この城下の殿様の家来になりたくて、どこにも行かずに、雪の中、頑張っていたのだと言う。孫次郎の父親は武士だった。武士と言っても郷士と呼ばれる半農の武士だった。父親は八年前、赤松家の武士に殺され、母親はどこかにさらわれたと言う。
八年前、応仁の乱が始まった当初、播磨の国の守護職は山名氏で、赤松氏が侵入して来て、あちこちで戦が行なわれた。播磨の国の中心部には赤松氏の残党たちもかなり残っていたので、逸速く赤松氏に味方して行ったが、この辺りの国人たちは山名氏の本拠地、但馬の国も近い事から、いつまでも山名方だった。太郎も人から聞いたが、この辺りの国人たちは赤松氏にやられて全滅したと言う。そして、この辺りはお屋形、政則の直轄地となり、代官を置いて治めていた。孫次郎の父親も国人たちと共に滅ぼされたのだろう。
両親が殺された時、十歳だった孫次郎は七歳の妹と一緒に名主(ミョウシュ)のもとに引き取られた。孫次郎兄妹は朝から晩まで、毎日、こき使われた。
去年の夏の事だった。孫次郎が仕事から帰って来ると妹の姿が見当たらなかった。人買いに売られたと言う。孫次郎は妹を取り戻そうと妹の後を追ったが見つける事はできなかった。孫次郎がここの河原まで来た時、日が暮れてしまい、仕方なく、夜を明かした。
朝、人々の喧噪で目が覚めた。大勢の人足たちが河原に小屋掛けをして住んでいて、その人足たちがぞろぞろと、どこかに向かって行った。孫次郎は何事だろうと人足たちの後を追った。孫次郎は驚いた。こんな所に突然、町ができようとしていた。大きな屋敷が二つでき、あちこちに屋敷を建てていた。孫次郎は人足の一人から何が始まるのか訳を聞いて、孫次郎もすぐに人足となった。日当もちゃんと貰えると言う。銭なんて、今まで手にした事もなかった孫次郎には、働けば働いたたげ銭が貰えるというのは嬉しかった。
孫次郎は毎日、土と汗にまみれて働き、銭は自然と溜まって行った。銭を溜れば、妹を取り戻せるかもしれないと孫次郎は一生懸命になって働いた。そのうち、人足たちも働き用によっては、ここの殿様の家来に取り立てられる事もあるという事を知った。事実、太郎の家臣となった者たちが、見込みのありそうな若者を捜しては、自分の家来に取り立てていた。孫次郎の知っている人足にも武士になった者もいた。しかし、孫次郎には、そんな声は掛からなかった。それでも、孫次郎はいつか、誰かが自分の才能を見つけてくれるだろうと諦めてはいなかった。冬の間中、ここを去らなかったのも、せっかく溜めた銭を使いたくなかったからだった。人足たちは、ほとんどの者が置塩城下に出て、正月は贅沢をするんだと行って出掛けて行った。孫次郎もそんな事をしてみたかったが、妹の事を思うと、そんな事はできなかった。
「妹を捜すつもりなのか」と太郎は孫次郎の話を聞くと聞いた。
「絶対に‥‥‥」と孫次郎は言った。
「そうか‥‥‥お前、武士になりたいのか」
「はい。よく覚えてはおりませんが、爺様はちゃんとした武士だったそうです。しかし、石田村で百姓になってしまったと言います。父上も武士に戻りたかったらしいけど、戻れませんでした。俺は爺様のように、ちゃんとした武士になりたい」
「そうか‥‥‥お前、刀を持った事はあるか」
「ある‥‥‥今も持っている」
「ほう、今も持っているのか」
「うん。爺様の形見だ」
「ほう、それを見せてくれんか」
「お前様は刀の事が分かるのか」
「少しは」
孫次郎は小屋の中から莚(ムシロ)に包まれた刀を持って来た。莚の中から出て来た刀は脇差のようだった。脇差と言っても刃渡りは二尺程ある、かなり頑丈そうな刀だった。太郎はその刀を手に取ると抜いてみた。
「こいつはひどいのう」
刀の刃は錆(サビ)だらけだった。何年もの間、使われた形跡はなかった。錆だらけでも、何となく気品があり、もしかしたら、名のある刀かもしれなかった。
「いい刀だろう」と孫次郎は言った。
「うむ。研げば、なかなかの名刀になるだろう」
刀を孫次郎に返すと、「ちょっと、そいつを振ってみろ」と太郎は言った。
孫次郎は太郎を見ながら頷いた。仏師と言っていたが、もしかしたら、この男、ここの殿様の知り合いかもしれない。もしかしたら、武士になれるかもしれないと思いながら孫次郎は刀を腰に差した。しかし、剣術は得意ではなかった。子供の頃、父親に教わった事はあったが、父親が死んでから刀を振った事はなかった。勿論、人を斬った事などない。
孫次郎は刀を抜くと、子供の頃を思い出しながら、目の前に父親がいるかのごとく刀を構え、振りかぶると斬り下ろした。そして、また、中段に構えた。
「いいぞ」と太郎は言った。
孫次郎の剣術の腕は大した事なかった。あの振り方では人を斬る事もできないだろう。しかし、刀を構えた時の顔付きは武士の顔だった。目付きもいい。太郎は孫次郎の中に、素質がある事を見つけた。
孫次郎は刀を納めると太郎を見た。太郎の顔に変化はなかった。やはり、駄目だったかと孫次郎は諦め、刀をまた莚で巻いた。
「ついて来い」と太郎は言った。
「どこへ」と孫次郎は怪訝(ケゲン)な顔をした。
「付いてくれば分かる」と太郎は言って笑った。
孫次郎は小屋の中に入って荷物をまとめようとしたが、太郎は荷物は後で取りにくればいいと言って、孫次郎を連れて城下の方に向かった。孫次郎が連れて来られた所は、陰流(カゲリュウ)の武術道場だった。孫次郎はその日から、修行者の一人として道場に住み込む事となった。
あれから、八ケ月近くが過ぎ、太郎が思っていた通り、孫次郎の腕は見る見る上達して行った。孫次郎が太郎の正体を知ったのは道場に移ってから二ケ月程、過ぎた頃だった。自分をここに連れて来てくれた仏師が、実は、ここの殿様だったとは信じられない事だった。まるで、夢でも見ている心地だった。殿様が自分を認めてくれたと気づいてからの孫次郎はますます剣術の修行に励んだ。
太郎は道場に入ると修行者たちの稽古を見て歩いた。道場では、槍術、剣術、棒術、薙刀術の四つに分かれて修行している。一通り見て歩くと太郎は木剣を手に取って、修行者一人一人を相手に汗を流した。孫次郎の腕は太郎も驚く程の上達振りだった。一月程前、立ち合った時とは別人のように強くなって行った。このまま行けば、後一年もしたら太郎の弟子たちと互角あるいはそれ以上の腕になるのは確実だった。
太郎は孫次郎を四人目の弟子にする事に決め、十一月に飯道山に連れて行って、一年間、修行させようと決めた。
19.観智坊露香1
1
場面は変わって、近江の国、甲賀の飯道山。
百日行を無事に終えた下間蓮崇(シモツマレンソウ)は観智坊露香(カンチボウロコウ)という山伏に生まれ変わって、武術の修行を始めた。観智坊の百日行が終わったのは去年の十二月の十九日だった。観智坊は昔の太郎と同じように吉祥院(キッショウイン)の修徳坊(シュウトクボウ)に入って、一年間の修行を積むように師の風眼坊から命じられた。午前中は作業として弓矢の矢を作り、午後は棒術の稽古だった。
丁度、その頃、太郎が光一郎を連れて『志能便(シノビ)の術』を教えるために播磨から来ていた。そして、志能便の術の修行者の中には、本願寺の坊主、慶覚坊(キョウガクボウ)の息子、洲崎(スノザキ)十郎左衛門がいた。十郎左衛門は変身した蓮崇から、蓮如(レンニョ)が加賀を去った事や、守護の富樫(トガシ)次郎と本願寺門徒の争いなど、国元の事情を聴き、急いで加賀へと帰って行った。
その年の棒術の稽古は六日間だけで終わった。二十六日から翌年の正月の十四日までは稽古(ケイコ)も休み、作業も休みだった。新米山伏の観智坊は年末年始の忙しい中、怒鳴られながら山の中を走り回っていた。
正月の十四日、飯道山に大勢の若者たちが各地から、ぞくぞくと集まって来た。その日は一日中、雪が強く降っていたが、そんな事にはお構いなしに、次から次へと若者たちは期待に胸を膨らませて山に登って来た。その数には観智坊も驚いた。先輩の山伏から話には聞いていたが、まさか、これ程多くの若者が集まって来るとは驚くべき事だった。今年、集まって来たのは六百人を越えていたと言う。山内の宿坊はすべて若者たちで埋まり、山下の宿坊や旅籠屋も若者たちで埋まっていた。
次の日、若者たちは行場(ギョウバ)を巡り、山内を案内され、後は最後の自由時間だった。観智坊は山から下りられないので実際に見てはいないが、昼間っから遊女屋には若者たちが並んで順番を待っていたと言う。また、この日、若者たちが集まって来る事は有名になっていて、各地から遊女たちが門前町に集まり、不動町の横を流れる小川のほとりに粗末な小屋を掛けて、若者たちを引き入れていたと言う。先輩の山伏たちが言うには、この日、人気の遊女は一日に何十人もの若者をくわえ込むので、しばらくの間は、遊女屋には行かん方がいいと笑っていた。
いよいよ、次の日から一ケ月の山歩きが始まった。今年も雪が多かった。
観智坊は若者たちが山歩きをしている間、道場で棒術の基本を習っていた。
棒術の師範は高林坊だったが、高林坊は毎日、稽古には出られなかった。師範代の西光坊(サイコウボウ)が中心になって教えていた。西光坊は以前、太郎がこの山に来た時、太郎を奥駈道(オクガケミチ)に案内した山伏だった。あの当時、西光坊は棒術師範代でも下の方だったが、今では高林坊の代わりを務める程に出世していた。西光坊の下に東海坊、一泉坊、明遊坊(ミョウユウボウ)の三人の師範代がいた。
棒術の修行者は一年間の若者たちの他に、各地の山から修行に来ている山伏も多かった。山伏たちはしかるべき先達(センダツ)の紹介があれば、いつでも飯道山に来て修行する事ができたが、最近は修行者の数が多くなっているので、山伏たちもなるべく、正月から修行を始めるようにしていた。今年は棒術の組には十八人の山伏がいた。そして、去年一年間、修行して、さらに、もう一年修行をしようと残っている若者が六人いた。観智坊は彼らと共に棒術の修行に励んだ。
観智坊が風眼坊の弟子だと知っているのは師範と師範代だけだった。誰もが、四十歳を過ぎている観智坊が、今頃、棒術の修行をするのを不思議がった。観智坊は、その事を聞かれるたびに笑って、若い頃、ろくな事をしなかったので、今になって修行をするのだと言った。師範の高林坊を除き、師範代たちも含め、観智坊は一番の年長だった。知らず知らずのうちに、誰もが観智坊の事を名前では呼ばずに『親爺』と呼ぶようになって行った。
棒の持ち方すら知らない観智坊だったが、一ケ月のうちで基本はしっかりと身に付けて行った。何も知らなかった事がかえって良かったのかもしれない。自分は年は取っていても、武術に関してはまったくの素人だと年下の者たちから素直に教わっていた。また、人一倍、努力もした。稽古が終わってからも、毎日、その日に習った事を体で覚えようと何回も何回も稽古に励んだ。百日間の山歩きのお陰で足腰は強くなっていたが、腕の力は人と比べると、まったく弱かった。観智坊は毎日、鉄の棒を振り回して上半身も鍛えた。
一ケ月の山歩きも、ようやく終わった。
六百人余りもいた若者たちは、ほとんどが山を去って、残ったのは百二十人程だった。その内、棒術組に入って来たのは三十一人だった。新しい若者たちが入って来ると道場も賑やかになって来た。棒術の組には他の武術と違って、初心者の者も結構いた。彼らも剣術や槍術は子供の頃から習っていたが、棒術を習うのは初めてだった。その事を知って、観智坊もいくらか安心した。先輩の山伏たちから、この山に来る若者たちは皆、子供の頃から武術を習っているので、皆、人並み以上の腕を持っている。お前も、奴らが山歩きをしているうちに、基本だけは身に付けないと置いて行かれるぞと威(オド)しを掛けられたのだった。
観智坊は午前は矢作りの作業に励み、午後は遅くまで棒を振り回していた。この山にいる間は武術の事だけを考え、蓮如や本願寺門徒の事は考えないようにしようと思ってはいたが、夜になって横になると、時折、門徒たちの悲鳴や叫びが観智坊を苦しめていた。
ようやく雪も溶け、春になり、山々の桜が満開となった。その頃になると、観智坊も新しい生活に慣れ、若い修行者たちにも溶け込んで、何人かの仲間もできていた。山伏では、葛城山(カツラギサン)から来た真照坊(シンショウボウ)、伊吹山から来た自在坊、油日山(アブラヒサン)から来た東陽坊、愛宕山(アタゴサン)から来た流厳坊、多賀神社から来た妙賢坊(ミョウケンボウ)の六人と仲よくなり、若い修行者では、野田七郎、小川弥六郎、大原源八、高野宗太郎、野村太郎三郎、黒田小五郎の六人と仲よくなった。野村太郎三郎は伊賀出身で、他の者は皆、甲賀出身だった。観智坊は彼らから『親爺』と呼ばれて慕われていた。
自分の兄弟子である太郎坊の事も彼らから、よく聞かされた。太郎坊は『志能便の術』を編み出し、若者たちは皆、その術を身に付けたくて、この山に登って来るのだと言う。この山で一年間、修行して、志能便の術を身に付けると、甲賀では一目置かれる存在となると言う。志能便の術を身に付けたお陰で、六角(ロッカク)氏のもとに仕官した者もいる。また、伝説になっている太郎坊に会う事ができるだけでも凄い事なのだと言った。観智坊は彼らから、太郎坊の伝説を耳にたこができる程、聞かされていた。
観智坊は一度、太郎坊に会った事があった。師の風眼坊から噂は聞いていたが、実際に目にして、思っていたよりも若い男だった。若いが山伏としての貫禄はあった。かなり、修行を積んでいるという事は分かったが、あの男がこの山で、これ程、人気があり、伝説になっていたとは知らなかった。また、師の風眼坊の事も年配の山伏たちから聞いていた。風眼坊もこの山では伝説となっている有名人だった。師といい、兄弟子といい、凄い人たちだと思った。自分も負けられないとは思うが、二人のように有名になる事などありえなかった。師の風眼坊が自分の事を弟子だと公表しなくて良かったと観智坊は心から思っていた。公表されていたら、これが風眼坊の弟子か、と師や兄弟子まで笑われる事になりかねない。観智坊は二人を笑い者にしないためにも、精一杯、頑張っていた。
棒術は不思議な武術だった。観智坊はただ、棒なら人を殺さなくても済むと思って、迷わず棒術を選んだが、棒でも簡単に人を殺す事ができる事を知って驚いた。棒術というのは、刀の代わりに棒を持って、ただ、打ったり受けたりするものだろうと簡単に考えていたが、もっと、ずっと奥の深いものだった。棒というものは使い方によっては、刀にもなるし、槍にもなるし、薙刀にもなるという事をまず学んだ。持ち方も色々とあって、構え方、打ち方、突き方、受け方にも色々とあった。基本を身に付けた観智坊が、次に教わったのは敵を突いたり、打ったりする場所、すなわち、急所だった。人間の体には幾つもの急所と呼ばれる場所のある事を観智坊は知った。そこを打ったり、突いたりすれば、人間は簡単に死ぬと言う。観智坊は立木を相手に、敵の急所を狙って打ったり突いたりする事を毎日のように稽古した。
この山で教えているのは武術だった。自分の身を守るなどという生易しいものではない。敵をいかに確実に素早く殺せるかを訓練しているのだった。稽古中に怪我をする者も多かった。軽い怪我なら山を下りる事はないが、重傷を負ってしまえば、自分の意志に拘わらず、山を下りなくてはならなかった。皆、一ケ月間、歯を食いしばって雪の中を歩き通し、一年間の最後に行なわれる志能便の術を楽しみにしているのに、怪我をして山を下りるのは悔しくて辛い事だった。観智坊は絶対に怪我をして山を下りるわけには行かなかった。もう後がなかった。怪我をして山を下りてしまったら、もう二度と師の前には出られないし、それ以上に、蓮如の前に出られなかった。観智坊は怪我だけはしないように、いつも、心を引き締めて稽古に励んでいた。
四月の暑い日だった。観智坊は飯道神社の前で以外な人物と出会った。奈良の小野屋の手代(テダイ)、平蔵(ヘイゾウ)だった。平蔵は蓮台寺城(レンダイジジョウ)の戦(イクサ)の時、本願寺のために加賀まで武器を運んでくれた男だった。平蔵には観智坊が蓮崇だとは気づかなかったが、観智坊にはすぐに分かった。観智坊は声を掛けた。平蔵は信じられないという顔をして観智坊を見ていたが、話を聞いて納得した。しかし、蓮崇が飯道山にいたとは夢でも見ているようだと驚いていた。
平蔵が飯道山に来たのは、やはり、本願寺の事だった。飯道山で作っている矢を、今度、小野屋が取り引きする事になったのだという。今、各地で戦があるため、矢の需要は高かった。しかし、戦が長引いているお陰で供給の方も昔に比べて、かなり多くなり、奈良の興福寺(コウフクジ)と京の延暦寺(エンリャクジ)が座を仕切って、各地で生産されていた。飯道山も延暦寺の座に入って矢の製作と販売をしていたが、飛ぶように売れるという程でもなく、蔵の中には眠っている矢もかなりあった。そこで、小野屋としては刀や槍を飯道山に提供し、代わりに矢を手に入れるという事に決まった。飯道山としても矢を処分して、他の武器を手に入れたかったのだった。小野屋は手に入れた矢を、そっくり加賀に運ぶつもりでいた。飯道山としても矢の使い道までは聞かなかった。飯道山自身が敵味方なく、矢を売っている。商売に政治は抜きというのが建前(タテマエ)だった。
観智坊は平蔵から加賀の状況を聞いた。越中に追い出された本願寺門徒は、未だに加賀に帰れないでいる。守護の富樫次郎は蓮如がいなくなった事によって、強きになって門徒たちを苦しめている。門徒たちは指導的立場にあった蓮崇と慶覚坊が加賀から消えたため、一つにまとまらず、あちこちで一揆騒ぎは起こるが皆、守護方にやられていると言う。特に北加賀は富樫の言いなりとなってしまい、南加賀では超勝寺(チョウショウジ)の者たちが頑張っているようだが、守護代の山川三河守(ヤマゴウミカワノカミ)に丸め込まれるのも時間の問題だろうとの事だった。観智坊は平蔵から加賀の状況を聞くと、自分が強くなって加賀に戻らなければならない、加賀に帰って裏の組織を作り、門徒たちを一つにまとめなければならない、と改めて決心を固めた。
観智坊はその日、夜中まで鉄棒を振り続けて、とうとう気絶してしまった。
五月の中頃、観智坊のような男でも問題を起こした。
一ケ月の山歩きが終わって三ケ月目、修行者たちも山の生活に慣れて気が緩み、ちょっと山を下りてみようと思う者が毎年、必ず現れた。太郎の時もそうだったが、山を下りる事は大目に見られた。修行が辛くて、夜逃げする者もいたからだった。しかし、山を下りて、また山に戻って来るのは具合が悪かった。戻って来た者は必ず捕まり、何かしらの罰を受けた。その罰に耐えられなくて逃げ出す者もいた。
今回、観智坊はいつもの仲間、野田、小川、大原、高野、野村、黒田らに山を下りて、ちょっと酒を飲んで来ようと誘われた。観智坊はやめろと止めたが、彼らは聞かなかった。山を下りて行くのを黙って見ていられなかった観智坊は仕方なく彼らと一緒に山を下りた。見つかって、山から追い出されはしないかと冷や冷やしながら観智坊は彼らに従った。山の中を抜けて山を下りた七人は小さな飲屋に入って、酒を一杯だけ飲むと、すぐに山に戻った。彼らも見つかりはしないかと冷や冷やしていたのだった。彼らにとっては、山を抜け出して酒を飲んで来れば、それだけで満足だった。ほんの一時だったので、ばれる事はないだろうと、それぞれ、自分の宿坊(シュクボウ)に帰って休んだ。観智坊のいる修徳坊では、観智坊がいつも遅くまで道場で稽古しているので、少し位、遅くなっても、誰も変だとは思わなかった。観智坊は、ばれなくて良かったと安心して眠りに就いた。
ところが、次の朝、観智坊を訪ねて師範代の西光坊がやって来た。西光坊は観智坊が山を下りた事を知っていた。
「観智坊殿、まずいですよ」と西光坊は言った。「お山を下りた事が見つかってしまいました」
「えっ?」と観智坊は驚いて、身を硬くした。
「よく、お山を下りて酒を飲んでおったのですか」と西光坊は聞いた。
「いえ‥‥‥初めてです。わしは‥‥‥」
みんなに誘われて、と言おうとして観智坊は口をつぐんだ。他の者たちも見つかってしまったのだろうか‥‥‥
「観智坊殿が一人で飲屋に入って行く所を見た者がおったのです」と西光坊は言った。
一人で、と西光坊は言った。観智坊はみんなの最後に付いて飲屋に入った。もしかしたら、他の者は見られなかったのかもしれないと思った。
「どうして、一人でお山を下りたのです」
「それが‥‥‥どうしても酒が飲みたくなって‥‥‥」
「酒ですか‥‥‥酒なら、お山におっても飲む事はできたのに‥‥‥しかし、お山を下りた事がばれてしまったからには、他の修行者たちの手前もあるし‥‥‥」
「お山を下りなくてはならないのですか」と観智坊は心配しながら聞いた。
「いや。お山は下りなくてはいいが、それ相当の罰を受けなければならんのじゃ」
「どんな罰です」
「まだ、決まっていません。しかし、かなり厳しいものとなるでしょう。今後、お山を抜け出す者がおらなくなるように、観智坊殿は見せしめとならなければならないのです」
「見せしめか‥‥‥」
「太郎坊殿を御存じですね」と西光坊は聞いた。
「ええ。わしの兄弟子にあたるお方です」
「その太郎坊殿も一年間の修行中、お山を抜け出しました」
「えっ、太郎坊殿が‥‥‥」
西光坊は頷いた。「罰として、鐘(カネ)をお山の上に引き上げたんですよ」
「鐘?」
「ええ。鐘撞堂(カネツキドウ)のあの鐘です。あの鐘を里から、見事、引き上げたんですよ。おまけに、雨まで降らせましたよ」
「その話は聞きました。鐘を上げたのは、お山を抜け出した罰としてやったのでしたか」
「そうです。不思議な事に、毎年、必ず、誰かがお山を抜け出します。去年は三人が抜け出しました。罰として、三人は山の東側に深い濠(ホリ)を掘らされました。掘り挙げるのに一ケ月以上も掛かったかのう。その濠は今、みせしめ濠と呼ばれております。そのうち、掘った三人の名前と共に、このお山の伝説の一つになる事でしょう」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、午後までには観智坊殿の罰も決まるでしょう。午前中はいつも通り、作業に行き、午後になったら、覚悟を決めて道場に来る事ですね」
「はい。お山を下りなくても済むのでしたら何でもいたします」
「うむ」と頷くと西光坊は帰って行った。
観智坊の罰は決まった。修行者たちの宿坊に新しく井戸を掘る事だった。前にあった井戸は、飯道山を城塞化するためにあちこちに濠を掘ったので干上がってしまった。修行者たちは毎朝、吉祥院の側にある井戸まで水を汲みに行かなければならなくなった。百人以上もの修行者たちが暮らしている宿坊の側に井戸がないのは不便なので、観智坊に井戸を掘る事を命じたのだった。
一人で井戸を掘るのは難しい仕事だった。まして、どこでも掘れば、水が出て来るというものでもない。井戸を掘るには専門とする井戸掘り人足が必要だった。彼らは長年の勘によって土地を見て、水の出る所を探り当てる事ができた。飯道山にも井戸掘り人足はいたが、今、六角氏の本拠地、観音寺城に行っていた。戦が長引くに連れて、飯道山は甲賀の国人や郷士らと共に六角氏と手を組んでいた。六角氏が観音寺城を拡張するというので、飯道山からも職人や人足たちが助っ人として出掛けて行った。観智坊に井戸掘りを命じた師範たちも観智坊に井戸が掘れるとは思ってはいない。一ケ月程、修行者たちの見守る中で、穴を掘り続ければ、それで、立派な見せしめとなる。一ケ月間、穴を掘って水が出なくても、それはそれでいいと思っていた。専門家が戻って来たら、改めて、井戸の事を頼むつもりだった。
観智坊は干上がってしまった井戸を見た後、山内のあちこちに掘った濠を見て歩いた。そして、濠を掘った時に水が滲(ニジ)み出て来なかったかを聞いて回った。観智坊のその行動は、井戸掘りを命じた師範たちにとって予想外な行動だった。師範たちは、観智坊はすぐに穴を掘り始めるだろうと思っていたが、そんな気配はなく、三日の間、観智坊は山内を歩き回って絵図面を書き、掘るべき場所を捜していた。師範たちを初め、修行者たちも皆、興味深そうに観智坊の行動を見守っていた。観智坊のやる事はまるで専門家のようだった。もしかしたら、本当に井戸を掘るかもしれないと期待する者たちも出て来た。
観智坊は以前、吉崎御坊を作る時、中心になって職人や人足たちの指図をしていた。井戸を掘るのも見ていたし、後に、抜け穴を掘る時、金(カネ)掘りたちが、どうやって深い穴を掘って行くのかも見ていた。実際に井戸を掘った事はなかったが、地面の中にどのように地下水があるのか、およその事は知っていた。
ここの井戸が涸れたという事は、井戸の下にあった地下水が、どこかに流れ出てしまったに違いないと思った。観智坊は山の中をあちこち歩いて見て、南側の濠が、その原因だった事に気づいた。南側の濠を掘った時、水が滲み出て来て、止める事ができず、今、その濠は池のように水が溜まり、水はさらに溢れて、流れ出していると言う。もう、その地下水は使えない。新しい地下水を見つけなければならなかった。あちこちの濠を調べた結果、涸れた井戸よりも深く掘らなければならないという事は分かったが、どこを掘ったらいいのかは分からなかった。前の井戸の深さはおよそ五丈(約十五メートル)だった。それ以上深く掘らなければならない。しかも、たった一人で‥‥‥
観智坊と一緒に山を抜け出した六人は申し訳なさそうに、観智坊のする事を見つめていた。観智坊は、みんなの事はばれていないから、絶対に口に出すなと口止めした。そして、自分の分まで棒術の修行に励んでくれと頼んだ。彼らは黙って頷いた。
前の井戸は食堂(ジキドウ)と米蔵の間にあった。あったと言うよりは、井戸の近くに食堂を建てたと言った方が正しい。百人以上の食事を作る食堂の台所が、一番、井戸を必要としていた。新しく井戸を掘るとすれば、やはり、食堂の側の方がいい。観智坊は食堂の回りを一回りしてみたが、どこを掘ったらいいのか分からなかった。観智坊は本願寺の阿弥陀如来(アミダニョライ)様にすがる事にした。無心になって、ひたすら祈った末、ここだというお告げがあった。
そこは前の井戸より三間(ケン)程、北の地点だった。食堂からも遠くはない。観智坊は場所を決めると、西光坊に頼んで、地の神を鎮(シズ)め、水が沸き出るように祈祷(キトウ)して貰った。観智坊も西光坊と共に一心に阿弥陀如来様に祈った。
次の日から観智坊の穴掘りが始まった。一丈程までは順調に進んだが、その後、岩盤に突き当たった。観智坊はまず、掘った穴の回りを板で固定してから岩盤に取り掛かった。岩盤は手ごわかった。一日中、掘り続けても少しも進まなかった。そればかりでなく、生憎と梅雨に入ってしまった。観智坊は穴の上に屋根を掛けてから作業を続けた。屋根を掛けても雨は入って来た。特に、夜の間に雨は穴の中に溜まり、毎朝、雨水の汲み上げから始めなければならなかった。毎日、朝から晩まで泥だらけになって、穴掘りに熱中していた。観智坊は元々、何かを始めると、その事に熱中する性格だった。本願寺の門徒になったのもそうだったし、特に普請(フシン、土木工事)や作事(サクジ、建築工事)は好きだった。観智坊は武術の事も忘れて、穴掘りに熱中した。
穴を掘り始めて一ケ月が過ぎた。
二尺程の厚さの岩盤を何とか砕き、深さ三丈(九メートル)程の穴が掘れたが、水は出ては来なかった。師範の高林坊は、ここまで掘れば、もういい、と言ったが、観智坊はやめなかった。今、このままでやめてしまったら、これから先、何もかもが中途半端になってしまうような気がして、どうしてもやめられなかった。棒術の修行はやりたかったが、この仕事を途中でやめるわけには行かなかった。また、穴の中で、たった一人で土と格闘していると、自然が持っている力というものを思い知らされ、これも一つの修行に違いないと思うようになっていた。長雨で地盤が緩み、泥土に埋まった事もあった。太く長い木の根に邪魔された事もあった。穴が深くなるにつれて、雨水を掻い出すのも、掘った土を外に出すのも一苦労し、色々と考えなければならなかった。
梅雨も終わり、暑い日々が続いた。
観智坊の穴掘りは続いていた。穴の深さは六丈(約十八メートル)を越えていたが、水の出て来る気配はなかった。観智坊も毎日、休まず働いていたので、疲れがかなり溜まっていた。さすがに、観智坊も弱きになっていた。もしかしたら、いくら掘っても水など出て来ないのではないかと焦りが出ていた。しかし、ここまで掘って、やめるわけにはいかない。水が出て来る事を信じて掘り続けるしかなかった。
観智坊は知らず知らずの内に念仏を唱えながら掘り続けていた。観智坊は何かに取り憑かれたかのように、宿坊に帰る事もなく、暗くなると穴の側で眠り、夜が明けると穴の中に入って行って掘り続けた。外も暑かったが、穴の中は物凄く暑かった。観智坊と一緒に山を下りた六人が心配して、水を運んでくれたり、飯を運んでくれたりしてくれた。それでも観智坊の体は日増しに衰弱して行き、頬はこけ、目はくぼみ、気力だけで穴を掘っているようだった。観智坊の唱える念仏だけが穴の中から不気味に聞こえ、気味悪がる修行者たちもいた。
夜が明け、いつものように観智坊は穴の中に入って行った。いつものように念仏を唱えた時、ふと、何かを感じた。阿弥陀如来様がほほ笑んだような気がした。阿弥陀如来様ではなく、それは蓮如だったかも知れなかった。そして、蓮如が言った言葉を観智坊は思い出した。
願い事をかなえてもらうために念仏を唱えてはいけない。阿弥陀如来様はすでに、みんなの願いをかなえていらっしゃるのだ。その事に気づき、その事に感謝する気持ちになって、念仏を唱えなければいけない‥‥‥
観智坊はその事に気づいた。観智坊は感謝の気持ちを込めて念仏を唱えた。そして、穴を掘った。水が滲み出て来た。水はじわじわと広がって行き、観智坊の足を濡らした。
観智坊は水を見つめながら、本当に阿弥陀如来様に感謝して念仏を唱えた。そして、大声で、「やった!」と叫んだ。
観智坊の掘った穴から水が出て来た日は六月の二十八日だった。観智坊が井戸掘りを命じられてから四十五日目の事だった。その日、二十八日は親鸞忌(シンランキ)だった。毎月、本願寺では報恩講(ホウオンコウ)の行なわれる日だった。観智坊は改めて、自分が本願寺の門徒である事を感じ、親鸞聖人、蓮如上人、阿弥陀如来様に感謝した。
観智坊の掘った井戸は、修行者たちから『念仏の井戸』と呼ばれるようになり、その井戸から水を汲む者は、誰に言われたわけでもないのに、念仏を唱えてから水を汲むようになって行った。
井戸を掘り遂げた観智坊は、再び、棒術の道場に戻った。
一月半振りに握った棒だったが、不思議と体の一部のように感じられた。毎日、鋤(スキ)や鍬(クワ)を持って力仕事をしていたため、知らず知らずのうちに腕の力が付き、棒を構えていても、棒を持っているという意識はなく、本当に体の一部のようだった。一月半も休んでいたとは思えない程、棒が自由自在に使えるようになっていた。
観智坊は七月の半ば、初級から中級に進んだ。
観智坊と共に山を下りた野田、小川、大原、高野、野村、黒田の六人も皆、腕を上げていた。彼らは観智坊に言われたように、観智坊の分まで修行を積んでいた。彼らにとって、自分たちの身代わりとなって、朝から晩まで、泥だらけになって井戸を掘っている観智坊を見るのは辛かった。観智坊がどこか遠くの所で井戸を掘っていれば、彼らだって別に気にはしなかっただろうが、観智坊は彼らが暮らしている宿坊の敷地内で井戸を掘っていた。見たくなくても、毎日、見ないわけには行かなかった。彼らは死に物狂いで穴を掘っている観智坊を見るたびに、観智坊の分まで修行に励まなければ観智坊に申し訳ないと思った。彼らは真剣に修行をするようになり、どんどんと腕を上げて行った。彼ら六人も観智坊と一緒に皆、初級から中級に進んだ。
井戸を掘った後、観智坊の人気は上がって行った。棒術組の修行者たちからだけでなく、他の組の修行者たちからも『親爺』と呼ばれるようになり、何かと相談を受けたり、頼りにされるようになって行った。そんな中、棒術組にいる神保(ジンボ)新助、中山次郎五郎の二人は、なぜか、観智坊たち反抗的だった。観智坊は二人から何を言われても別に気にもしなかったが、彼の回りにいる六人は、その二人とよく言い争いをしていた。争いの原因となるのは、いつも観智坊の事だった。観智坊の事を老いぼれと言い、どうせ、この山にいるのも、何か悪い事をして隠れているに違いないと言ったり、観智坊が掘った井戸の事も、あんなの誰でも掘れる。老いぼれだから一月半も掛かったが、俺たちが掘れば一月で掘れると言っていた。観智坊は六人に対して、相手にするなと常に言っていたが争いは止まらなかった。修行者の中でも二人の棒術の腕がかなり上なので、腕に溺れて、言いたい放題の事を言っても、誰も敵対しなかった。二人は、さらに天狗になって行った。
観智坊の回りにいる六人は、神保と中山の二人を、この山にいるうちに何としてでも倒したいと観智坊と一緒に、毎日、夜遅くまで修行に励んだ。
八月の末、とうとう、六人の中の大原と神保が決闘をしてしまった。大原はいつものように、夕飯を済ました後、観智坊と一緒に稽古をしようと思って道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。その時、たまたま通り掛かった神保が一人で道場にいる大原に声を掛けた。
「お前らが、いくら、稽古を積んでも無駄だ。無駄な事はやめて、さっさと糞(クソ)でもして寝ろ」
「何だと!」と大原は棒を構えた。
「ほう、面白い。俺とやる気か」
「お前のその鼻をへし折ってやる」
大原も毎日、遅くまで稽古に励んでいたので、幾分、自信を持っていた。もしかしたら、勝てるかもしれない。奴に勝てば修行者の中では一番の腕になる。よし、やってやろうと燃えていた。
「ふん。怪我をするぞ」と神保は鼻で笑った。
「その言葉、そっくり、お前に返してやる」
神保は道場の隅に建つ小屋の中から棒を持って出て来ると、ニヤニヤしながら大原の方を見て、「よし、いつでも掛かって来い。鍛えてやる」と言って棒を構えた。
「よし」と大原もと言うと棒を構えた。
神保は大原の構えを見ながら、思っていたよりできるなと思った。簡単にあしらってやるつもりだったが、気を緩めると、こっちがやられるかもしれなかった。神保は構え直して、本気を出してやろうと決めた。
大原の方は初めから本気だった。神保の構えを見て、もしかしたら勝てるかもしれないと思っていた。
二人が棒を構えて睨み合っている時、観智坊が道場に来た。観智坊は、「やめろ!」と怒鳴った。
観智坊の声が合図だったかのように、二人はお互いに近づいて行き、棒を振り上げた。
一打目はお互いに避けた。
観智坊は二人の間に割って入ろうとした。しかし、遅かった。大原の二打目をぎりぎりの所で、はずした神保は大原の右腕をしたたかに打った。
観智坊が二人を分けた時、大原の顔は苦痛に歪み、彼の右腕は力なくぶら下がっていた。
小川と高野が道場に入って来た。異様な雰囲気に気づくと、二人は大原の側に駈け寄って来た。二人は大原の右腕を見ると、かっとなって神保を睨み、神保に飛び掛かろうとした。観智坊は二人を止め、大原を不動院に連れて行かせた。不動院には修行者たちの怪我の治療を専門にしている医者がいた。
二人が大原を不動院に連れて行くと、観智坊は神保に近づいた。
神保は棒を持ったまま、うなだれていた。
「今日の所は帰った方がいい」と観智坊は言った。
「‥‥‥仕方なかったんです」と神保は言った。
「騒ぎが大きくならないうちに、今日の所は帰った方がいい」
「はい‥‥‥」
神保は棒を観智坊に渡すと宿坊の方に帰って行った。
やがて、黒田と野田と野村がやって来た。観智坊は大原と神保の事を三人に話し、この事はしばらく黙っているように頼んだ。三人は怒りに顔を震わせ、絶対に許せないと喚(ワメ)いたが、観智坊は何とかして三人をなだめた。三人は納得して不動院に向かった。
大原の腕の怪我は重傷だった。骨が砕けていた。うまく行けば骨がつながり、元に戻る事も考えられるが、このまま使えなくなる事も考えられた。もし、元に戻るとしても、一月の間は右腕を使う事はできないだろう。大原としては絶対に山を下りたくはなかったが、山を下りるように命じられた。怪我をしてから三日後、大原は仲間に見送られながら山を下りて行った。
あの事件が起きてから、大原の仲間だった五人は、絶対に大原の仇を打ってやると、神保を倒そうと稽古を積んでいた。一方、神保の方はあの時以来、人が変わったかのように、おとなしくなっていた。いつも一緒にいた中山とも離れ、独りで孤立していた。
九月十四日から始まる祭りの準備で忙しい頃だった。観智坊は寿命院(ジュミョウイン)の前の石段に一人で腰掛けている神保の姿を目にした。何か思い詰めているようなので観智坊は側に行って声を掛けた。
神保は顔を上げたが何も言わなかった。
「どうしたんじゃ」と観智坊は言って隣に腰を下ろした。
しばらく黙っていたが、神保はボソボソと話し始めた。
「俺、お山を下りようと思っています。このまま、お山にいても稽古に身が入りません」
「まだ、あの時の事を気にしておるのか」と観智坊は聞いた。
神保は頷いた。「奴は俺の事を恨んでおるでしょう。でも、あの時、ああするしかなかったのです。俺は奴があれ程までに腕を上げていたとは知らなかった。簡単にあしらってやるつもりだったが、そんな余裕はなかった。真剣にやらなければ、俺の方がやられると思った‥‥‥俺は奴の打って来る棒を必死で避けて反撃した。手加減をする余裕なんて、まったく、なかったんだ‥‥‥結果はああなってしまった。しかし、それはほんの一瞬の差だった。もしかしたら、俺の方がああなってしまったかもしれなかった‥‥‥」
「そうじゃったのか‥‥‥みんなはお前がわざとやったに違いないと思っておるぞ」
「分かっております‥‥‥みんながどう思おうと構わない。ただ、大原の奴だけには本当の所を伝えたいんだ」
「そうか‥‥‥それで山を下りるのか‥‥‥しかし、山を下りたら、もう二度と戻っては来れなくなるぞ」
「分かっております。しかし、今のまま、ここにいても、大原の事が気になって修行にならない」
「そうか‥‥‥」
「修行なら、やる気になれば、どこにいてもできます。しかし、今、大原と会っておかないと、一生、後悔するような気がするのです」
「そうじゃな‥‥‥自分の気持ちはごまかせんからのう。自分でそう決めたのなら、やるべきじゃ」
神保は観智坊を見つめながら頷いた。「観智坊殿、今まで、すみませんでした。俺も本当は観智坊殿たちと一緒にわいわいやりたかった。しかし、俺にはできなかった。つまらない意地を張っていたのです‥‥‥すみませんでした」
「そんな事は別にいいんじゃ」と観智坊は笑った。
神保も笑った。神保の笑顔を見たのは初めてだと観智坊は思った。
神保は観智坊の事を親爺と呼んで、山を下りて行った。
その後、神保と大原の間で何があったのか分からないが、飯道山の祭りの最後の日、神保と大原は揃って山に登って来た。神保は人が変わったかのように陽気だった。大原の怪我も順調に回復に向かっているとの事だった。二人は修行者たちの宿坊に挨拶に来た。二人があまりにも仲がいい事に、皆、びっくりしていた。神保が急に山からいなくなったので、逃げて行ったに違いないと思っていた五人も、二人の様子に驚き、訳を聞くと、皆、神保の事を許して、以前のわだかまりはすっかりと消えた。
その後、神保と大原の二人は、里にて一緒に棒術の修行に励み、時折、山に顔を見せに来ていた。
六百人余りもいた若者たちは、ほとんどが山を去って、残ったのは百二十人程だった。その内、棒術組に入って来たのは三十一人だった。新しい若者たちが入って来ると道場も賑やかになって来た。棒術の組には他の武術と違って、初心者の者も結構いた。彼らも剣術や槍術は子供の頃から習っていたが、棒術を習うのは初めてだった。その事を知って、観智坊もいくらか安心した。先輩の山伏たちから、この山に来る若者たちは皆、子供の頃から武術を習っているので、皆、人並み以上の腕を持っている。お前も、奴らが山歩きをしているうちに、基本だけは身に付けないと置いて行かれるぞと威(オド)しを掛けられたのだった。
観智坊は午前は矢作りの作業に励み、午後は遅くまで棒を振り回していた。この山にいる間は武術の事だけを考え、蓮如や本願寺門徒の事は考えないようにしようと思ってはいたが、夜になって横になると、時折、門徒たちの悲鳴や叫びが観智坊を苦しめていた。
ようやく雪も溶け、春になり、山々の桜が満開となった。その頃になると、観智坊も新しい生活に慣れ、若い修行者たちにも溶け込んで、何人かの仲間もできていた。山伏では、葛城山(カツラギサン)から来た真照坊(シンショウボウ)、伊吹山から来た自在坊、油日山(アブラヒサン)から来た東陽坊、愛宕山(アタゴサン)から来た流厳坊、多賀神社から来た妙賢坊(ミョウケンボウ)の六人と仲よくなり、若い修行者では、野田七郎、小川弥六郎、大原源八、高野宗太郎、野村太郎三郎、黒田小五郎の六人と仲よくなった。野村太郎三郎は伊賀出身で、他の者は皆、甲賀出身だった。観智坊は彼らから『親爺』と呼ばれて慕われていた。
自分の兄弟子である太郎坊の事も彼らから、よく聞かされた。太郎坊は『志能便の術』を編み出し、若者たちは皆、その術を身に付けたくて、この山に登って来るのだと言う。この山で一年間、修行して、志能便の術を身に付けると、甲賀では一目置かれる存在となると言う。志能便の術を身に付けたお陰で、六角(ロッカク)氏のもとに仕官した者もいる。また、伝説になっている太郎坊に会う事ができるだけでも凄い事なのだと言った。観智坊は彼らから、太郎坊の伝説を耳にたこができる程、聞かされていた。
観智坊は一度、太郎坊に会った事があった。師の風眼坊から噂は聞いていたが、実際に目にして、思っていたよりも若い男だった。若いが山伏としての貫禄はあった。かなり、修行を積んでいるという事は分かったが、あの男がこの山で、これ程、人気があり、伝説になっていたとは知らなかった。また、師の風眼坊の事も年配の山伏たちから聞いていた。風眼坊もこの山では伝説となっている有名人だった。師といい、兄弟子といい、凄い人たちだと思った。自分も負けられないとは思うが、二人のように有名になる事などありえなかった。師の風眼坊が自分の事を弟子だと公表しなくて良かったと観智坊は心から思っていた。公表されていたら、これが風眼坊の弟子か、と師や兄弟子まで笑われる事になりかねない。観智坊は二人を笑い者にしないためにも、精一杯、頑張っていた。
棒術は不思議な武術だった。観智坊はただ、棒なら人を殺さなくても済むと思って、迷わず棒術を選んだが、棒でも簡単に人を殺す事ができる事を知って驚いた。棒術というのは、刀の代わりに棒を持って、ただ、打ったり受けたりするものだろうと簡単に考えていたが、もっと、ずっと奥の深いものだった。棒というものは使い方によっては、刀にもなるし、槍にもなるし、薙刀にもなるという事をまず学んだ。持ち方も色々とあって、構え方、打ち方、突き方、受け方にも色々とあった。基本を身に付けた観智坊が、次に教わったのは敵を突いたり、打ったりする場所、すなわち、急所だった。人間の体には幾つもの急所と呼ばれる場所のある事を観智坊は知った。そこを打ったり、突いたりすれば、人間は簡単に死ぬと言う。観智坊は立木を相手に、敵の急所を狙って打ったり突いたりする事を毎日のように稽古した。
この山で教えているのは武術だった。自分の身を守るなどという生易しいものではない。敵をいかに確実に素早く殺せるかを訓練しているのだった。稽古中に怪我をする者も多かった。軽い怪我なら山を下りる事はないが、重傷を負ってしまえば、自分の意志に拘わらず、山を下りなくてはならなかった。皆、一ケ月間、歯を食いしばって雪の中を歩き通し、一年間の最後に行なわれる志能便の術を楽しみにしているのに、怪我をして山を下りるのは悔しくて辛い事だった。観智坊は絶対に怪我をして山を下りるわけには行かなかった。もう後がなかった。怪我をして山を下りてしまったら、もう二度と師の前には出られないし、それ以上に、蓮如の前に出られなかった。観智坊は怪我だけはしないように、いつも、心を引き締めて稽古に励んでいた。
四月の暑い日だった。観智坊は飯道神社の前で以外な人物と出会った。奈良の小野屋の手代(テダイ)、平蔵(ヘイゾウ)だった。平蔵は蓮台寺城(レンダイジジョウ)の戦(イクサ)の時、本願寺のために加賀まで武器を運んでくれた男だった。平蔵には観智坊が蓮崇だとは気づかなかったが、観智坊にはすぐに分かった。観智坊は声を掛けた。平蔵は信じられないという顔をして観智坊を見ていたが、話を聞いて納得した。しかし、蓮崇が飯道山にいたとは夢でも見ているようだと驚いていた。
平蔵が飯道山に来たのは、やはり、本願寺の事だった。飯道山で作っている矢を、今度、小野屋が取り引きする事になったのだという。今、各地で戦があるため、矢の需要は高かった。しかし、戦が長引いているお陰で供給の方も昔に比べて、かなり多くなり、奈良の興福寺(コウフクジ)と京の延暦寺(エンリャクジ)が座を仕切って、各地で生産されていた。飯道山も延暦寺の座に入って矢の製作と販売をしていたが、飛ぶように売れるという程でもなく、蔵の中には眠っている矢もかなりあった。そこで、小野屋としては刀や槍を飯道山に提供し、代わりに矢を手に入れるという事に決まった。飯道山としても矢を処分して、他の武器を手に入れたかったのだった。小野屋は手に入れた矢を、そっくり加賀に運ぶつもりでいた。飯道山としても矢の使い道までは聞かなかった。飯道山自身が敵味方なく、矢を売っている。商売に政治は抜きというのが建前(タテマエ)だった。
観智坊は平蔵から加賀の状況を聞いた。越中に追い出された本願寺門徒は、未だに加賀に帰れないでいる。守護の富樫次郎は蓮如がいなくなった事によって、強きになって門徒たちを苦しめている。門徒たちは指導的立場にあった蓮崇と慶覚坊が加賀から消えたため、一つにまとまらず、あちこちで一揆騒ぎは起こるが皆、守護方にやられていると言う。特に北加賀は富樫の言いなりとなってしまい、南加賀では超勝寺(チョウショウジ)の者たちが頑張っているようだが、守護代の山川三河守(ヤマゴウミカワノカミ)に丸め込まれるのも時間の問題だろうとの事だった。観智坊は平蔵から加賀の状況を聞くと、自分が強くなって加賀に戻らなければならない、加賀に帰って裏の組織を作り、門徒たちを一つにまとめなければならない、と改めて決心を固めた。
観智坊はその日、夜中まで鉄棒を振り続けて、とうとう気絶してしまった。
2
五月の中頃、観智坊のような男でも問題を起こした。
一ケ月の山歩きが終わって三ケ月目、修行者たちも山の生活に慣れて気が緩み、ちょっと山を下りてみようと思う者が毎年、必ず現れた。太郎の時もそうだったが、山を下りる事は大目に見られた。修行が辛くて、夜逃げする者もいたからだった。しかし、山を下りて、また山に戻って来るのは具合が悪かった。戻って来た者は必ず捕まり、何かしらの罰を受けた。その罰に耐えられなくて逃げ出す者もいた。
今回、観智坊はいつもの仲間、野田、小川、大原、高野、野村、黒田らに山を下りて、ちょっと酒を飲んで来ようと誘われた。観智坊はやめろと止めたが、彼らは聞かなかった。山を下りて行くのを黙って見ていられなかった観智坊は仕方なく彼らと一緒に山を下りた。見つかって、山から追い出されはしないかと冷や冷やしながら観智坊は彼らに従った。山の中を抜けて山を下りた七人は小さな飲屋に入って、酒を一杯だけ飲むと、すぐに山に戻った。彼らも見つかりはしないかと冷や冷やしていたのだった。彼らにとっては、山を抜け出して酒を飲んで来れば、それだけで満足だった。ほんの一時だったので、ばれる事はないだろうと、それぞれ、自分の宿坊(シュクボウ)に帰って休んだ。観智坊のいる修徳坊では、観智坊がいつも遅くまで道場で稽古しているので、少し位、遅くなっても、誰も変だとは思わなかった。観智坊は、ばれなくて良かったと安心して眠りに就いた。
ところが、次の朝、観智坊を訪ねて師範代の西光坊がやって来た。西光坊は観智坊が山を下りた事を知っていた。
「観智坊殿、まずいですよ」と西光坊は言った。「お山を下りた事が見つかってしまいました」
「えっ?」と観智坊は驚いて、身を硬くした。
「よく、お山を下りて酒を飲んでおったのですか」と西光坊は聞いた。
「いえ‥‥‥初めてです。わしは‥‥‥」
みんなに誘われて、と言おうとして観智坊は口をつぐんだ。他の者たちも見つかってしまったのだろうか‥‥‥
「観智坊殿が一人で飲屋に入って行く所を見た者がおったのです」と西光坊は言った。
一人で、と西光坊は言った。観智坊はみんなの最後に付いて飲屋に入った。もしかしたら、他の者は見られなかったのかもしれないと思った。
「どうして、一人でお山を下りたのです」
「それが‥‥‥どうしても酒が飲みたくなって‥‥‥」
「酒ですか‥‥‥酒なら、お山におっても飲む事はできたのに‥‥‥しかし、お山を下りた事がばれてしまったからには、他の修行者たちの手前もあるし‥‥‥」
「お山を下りなくてはならないのですか」と観智坊は心配しながら聞いた。
「いや。お山は下りなくてはいいが、それ相当の罰を受けなければならんのじゃ」
「どんな罰です」
「まだ、決まっていません。しかし、かなり厳しいものとなるでしょう。今後、お山を抜け出す者がおらなくなるように、観智坊殿は見せしめとならなければならないのです」
「見せしめか‥‥‥」
「太郎坊殿を御存じですね」と西光坊は聞いた。
「ええ。わしの兄弟子にあたるお方です」
「その太郎坊殿も一年間の修行中、お山を抜け出しました」
「えっ、太郎坊殿が‥‥‥」
西光坊は頷いた。「罰として、鐘(カネ)をお山の上に引き上げたんですよ」
「鐘?」
「ええ。鐘撞堂(カネツキドウ)のあの鐘です。あの鐘を里から、見事、引き上げたんですよ。おまけに、雨まで降らせましたよ」
「その話は聞きました。鐘を上げたのは、お山を抜け出した罰としてやったのでしたか」
「そうです。不思議な事に、毎年、必ず、誰かがお山を抜け出します。去年は三人が抜け出しました。罰として、三人は山の東側に深い濠(ホリ)を掘らされました。掘り挙げるのに一ケ月以上も掛かったかのう。その濠は今、みせしめ濠と呼ばれております。そのうち、掘った三人の名前と共に、このお山の伝説の一つになる事でしょう」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、午後までには観智坊殿の罰も決まるでしょう。午前中はいつも通り、作業に行き、午後になったら、覚悟を決めて道場に来る事ですね」
「はい。お山を下りなくても済むのでしたら何でもいたします」
「うむ」と頷くと西光坊は帰って行った。
観智坊の罰は決まった。修行者たちの宿坊に新しく井戸を掘る事だった。前にあった井戸は、飯道山を城塞化するためにあちこちに濠を掘ったので干上がってしまった。修行者たちは毎朝、吉祥院の側にある井戸まで水を汲みに行かなければならなくなった。百人以上もの修行者たちが暮らしている宿坊の側に井戸がないのは不便なので、観智坊に井戸を掘る事を命じたのだった。
一人で井戸を掘るのは難しい仕事だった。まして、どこでも掘れば、水が出て来るというものでもない。井戸を掘るには専門とする井戸掘り人足が必要だった。彼らは長年の勘によって土地を見て、水の出る所を探り当てる事ができた。飯道山にも井戸掘り人足はいたが、今、六角氏の本拠地、観音寺城に行っていた。戦が長引くに連れて、飯道山は甲賀の国人や郷士らと共に六角氏と手を組んでいた。六角氏が観音寺城を拡張するというので、飯道山からも職人や人足たちが助っ人として出掛けて行った。観智坊に井戸掘りを命じた師範たちも観智坊に井戸が掘れるとは思ってはいない。一ケ月程、修行者たちの見守る中で、穴を掘り続ければ、それで、立派な見せしめとなる。一ケ月間、穴を掘って水が出なくても、それはそれでいいと思っていた。専門家が戻って来たら、改めて、井戸の事を頼むつもりだった。
観智坊は干上がってしまった井戸を見た後、山内のあちこちに掘った濠を見て歩いた。そして、濠を掘った時に水が滲(ニジ)み出て来なかったかを聞いて回った。観智坊のその行動は、井戸掘りを命じた師範たちにとって予想外な行動だった。師範たちは、観智坊はすぐに穴を掘り始めるだろうと思っていたが、そんな気配はなく、三日の間、観智坊は山内を歩き回って絵図面を書き、掘るべき場所を捜していた。師範たちを初め、修行者たちも皆、興味深そうに観智坊の行動を見守っていた。観智坊のやる事はまるで専門家のようだった。もしかしたら、本当に井戸を掘るかもしれないと期待する者たちも出て来た。
観智坊は以前、吉崎御坊を作る時、中心になって職人や人足たちの指図をしていた。井戸を掘るのも見ていたし、後に、抜け穴を掘る時、金(カネ)掘りたちが、どうやって深い穴を掘って行くのかも見ていた。実際に井戸を掘った事はなかったが、地面の中にどのように地下水があるのか、およその事は知っていた。
ここの井戸が涸れたという事は、井戸の下にあった地下水が、どこかに流れ出てしまったに違いないと思った。観智坊は山の中をあちこち歩いて見て、南側の濠が、その原因だった事に気づいた。南側の濠を掘った時、水が滲み出て来て、止める事ができず、今、その濠は池のように水が溜まり、水はさらに溢れて、流れ出していると言う。もう、その地下水は使えない。新しい地下水を見つけなければならなかった。あちこちの濠を調べた結果、涸れた井戸よりも深く掘らなければならないという事は分かったが、どこを掘ったらいいのかは分からなかった。前の井戸の深さはおよそ五丈(約十五メートル)だった。それ以上深く掘らなければならない。しかも、たった一人で‥‥‥
観智坊と一緒に山を抜け出した六人は申し訳なさそうに、観智坊のする事を見つめていた。観智坊は、みんなの事はばれていないから、絶対に口に出すなと口止めした。そして、自分の分まで棒術の修行に励んでくれと頼んだ。彼らは黙って頷いた。
前の井戸は食堂(ジキドウ)と米蔵の間にあった。あったと言うよりは、井戸の近くに食堂を建てたと言った方が正しい。百人以上の食事を作る食堂の台所が、一番、井戸を必要としていた。新しく井戸を掘るとすれば、やはり、食堂の側の方がいい。観智坊は食堂の回りを一回りしてみたが、どこを掘ったらいいのか分からなかった。観智坊は本願寺の阿弥陀如来(アミダニョライ)様にすがる事にした。無心になって、ひたすら祈った末、ここだというお告げがあった。
そこは前の井戸より三間(ケン)程、北の地点だった。食堂からも遠くはない。観智坊は場所を決めると、西光坊に頼んで、地の神を鎮(シズ)め、水が沸き出るように祈祷(キトウ)して貰った。観智坊も西光坊と共に一心に阿弥陀如来様に祈った。
次の日から観智坊の穴掘りが始まった。一丈程までは順調に進んだが、その後、岩盤に突き当たった。観智坊はまず、掘った穴の回りを板で固定してから岩盤に取り掛かった。岩盤は手ごわかった。一日中、掘り続けても少しも進まなかった。そればかりでなく、生憎と梅雨に入ってしまった。観智坊は穴の上に屋根を掛けてから作業を続けた。屋根を掛けても雨は入って来た。特に、夜の間に雨は穴の中に溜まり、毎朝、雨水の汲み上げから始めなければならなかった。毎日、朝から晩まで泥だらけになって、穴掘りに熱中していた。観智坊は元々、何かを始めると、その事に熱中する性格だった。本願寺の門徒になったのもそうだったし、特に普請(フシン、土木工事)や作事(サクジ、建築工事)は好きだった。観智坊は武術の事も忘れて、穴掘りに熱中した。
穴を掘り始めて一ケ月が過ぎた。
二尺程の厚さの岩盤を何とか砕き、深さ三丈(九メートル)程の穴が掘れたが、水は出ては来なかった。師範の高林坊は、ここまで掘れば、もういい、と言ったが、観智坊はやめなかった。今、このままでやめてしまったら、これから先、何もかもが中途半端になってしまうような気がして、どうしてもやめられなかった。棒術の修行はやりたかったが、この仕事を途中でやめるわけには行かなかった。また、穴の中で、たった一人で土と格闘していると、自然が持っている力というものを思い知らされ、これも一つの修行に違いないと思うようになっていた。長雨で地盤が緩み、泥土に埋まった事もあった。太く長い木の根に邪魔された事もあった。穴が深くなるにつれて、雨水を掻い出すのも、掘った土を外に出すのも一苦労し、色々と考えなければならなかった。
梅雨も終わり、暑い日々が続いた。
観智坊の穴掘りは続いていた。穴の深さは六丈(約十八メートル)を越えていたが、水の出て来る気配はなかった。観智坊も毎日、休まず働いていたので、疲れがかなり溜まっていた。さすがに、観智坊も弱きになっていた。もしかしたら、いくら掘っても水など出て来ないのではないかと焦りが出ていた。しかし、ここまで掘って、やめるわけにはいかない。水が出て来る事を信じて掘り続けるしかなかった。
観智坊は知らず知らずの内に念仏を唱えながら掘り続けていた。観智坊は何かに取り憑かれたかのように、宿坊に帰る事もなく、暗くなると穴の側で眠り、夜が明けると穴の中に入って行って掘り続けた。外も暑かったが、穴の中は物凄く暑かった。観智坊と一緒に山を下りた六人が心配して、水を運んでくれたり、飯を運んでくれたりしてくれた。それでも観智坊の体は日増しに衰弱して行き、頬はこけ、目はくぼみ、気力だけで穴を掘っているようだった。観智坊の唱える念仏だけが穴の中から不気味に聞こえ、気味悪がる修行者たちもいた。
夜が明け、いつものように観智坊は穴の中に入って行った。いつものように念仏を唱えた時、ふと、何かを感じた。阿弥陀如来様がほほ笑んだような気がした。阿弥陀如来様ではなく、それは蓮如だったかも知れなかった。そして、蓮如が言った言葉を観智坊は思い出した。
願い事をかなえてもらうために念仏を唱えてはいけない。阿弥陀如来様はすでに、みんなの願いをかなえていらっしゃるのだ。その事に気づき、その事に感謝する気持ちになって、念仏を唱えなければいけない‥‥‥
観智坊はその事に気づいた。観智坊は感謝の気持ちを込めて念仏を唱えた。そして、穴を掘った。水が滲み出て来た。水はじわじわと広がって行き、観智坊の足を濡らした。
観智坊は水を見つめながら、本当に阿弥陀如来様に感謝して念仏を唱えた。そして、大声で、「やった!」と叫んだ。
観智坊の掘った穴から水が出て来た日は六月の二十八日だった。観智坊が井戸掘りを命じられてから四十五日目の事だった。その日、二十八日は親鸞忌(シンランキ)だった。毎月、本願寺では報恩講(ホウオンコウ)の行なわれる日だった。観智坊は改めて、自分が本願寺の門徒である事を感じ、親鸞聖人、蓮如上人、阿弥陀如来様に感謝した。
観智坊の掘った井戸は、修行者たちから『念仏の井戸』と呼ばれるようになり、その井戸から水を汲む者は、誰に言われたわけでもないのに、念仏を唱えてから水を汲むようになって行った。
3
井戸を掘り遂げた観智坊は、再び、棒術の道場に戻った。
一月半振りに握った棒だったが、不思議と体の一部のように感じられた。毎日、鋤(スキ)や鍬(クワ)を持って力仕事をしていたため、知らず知らずのうちに腕の力が付き、棒を構えていても、棒を持っているという意識はなく、本当に体の一部のようだった。一月半も休んでいたとは思えない程、棒が自由自在に使えるようになっていた。
観智坊は七月の半ば、初級から中級に進んだ。
観智坊と共に山を下りた野田、小川、大原、高野、野村、黒田の六人も皆、腕を上げていた。彼らは観智坊に言われたように、観智坊の分まで修行を積んでいた。彼らにとって、自分たちの身代わりとなって、朝から晩まで、泥だらけになって井戸を掘っている観智坊を見るのは辛かった。観智坊がどこか遠くの所で井戸を掘っていれば、彼らだって別に気にはしなかっただろうが、観智坊は彼らが暮らしている宿坊の敷地内で井戸を掘っていた。見たくなくても、毎日、見ないわけには行かなかった。彼らは死に物狂いで穴を掘っている観智坊を見るたびに、観智坊の分まで修行に励まなければ観智坊に申し訳ないと思った。彼らは真剣に修行をするようになり、どんどんと腕を上げて行った。彼ら六人も観智坊と一緒に皆、初級から中級に進んだ。
井戸を掘った後、観智坊の人気は上がって行った。棒術組の修行者たちからだけでなく、他の組の修行者たちからも『親爺』と呼ばれるようになり、何かと相談を受けたり、頼りにされるようになって行った。そんな中、棒術組にいる神保(ジンボ)新助、中山次郎五郎の二人は、なぜか、観智坊たち反抗的だった。観智坊は二人から何を言われても別に気にもしなかったが、彼の回りにいる六人は、その二人とよく言い争いをしていた。争いの原因となるのは、いつも観智坊の事だった。観智坊の事を老いぼれと言い、どうせ、この山にいるのも、何か悪い事をして隠れているに違いないと言ったり、観智坊が掘った井戸の事も、あんなの誰でも掘れる。老いぼれだから一月半も掛かったが、俺たちが掘れば一月で掘れると言っていた。観智坊は六人に対して、相手にするなと常に言っていたが争いは止まらなかった。修行者の中でも二人の棒術の腕がかなり上なので、腕に溺れて、言いたい放題の事を言っても、誰も敵対しなかった。二人は、さらに天狗になって行った。
観智坊の回りにいる六人は、神保と中山の二人を、この山にいるうちに何としてでも倒したいと観智坊と一緒に、毎日、夜遅くまで修行に励んだ。
八月の末、とうとう、六人の中の大原と神保が決闘をしてしまった。大原はいつものように、夕飯を済ました後、観智坊と一緒に稽古をしようと思って道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。その時、たまたま通り掛かった神保が一人で道場にいる大原に声を掛けた。
「お前らが、いくら、稽古を積んでも無駄だ。無駄な事はやめて、さっさと糞(クソ)でもして寝ろ」
「何だと!」と大原は棒を構えた。
「ほう、面白い。俺とやる気か」
「お前のその鼻をへし折ってやる」
大原も毎日、遅くまで稽古に励んでいたので、幾分、自信を持っていた。もしかしたら、勝てるかもしれない。奴に勝てば修行者の中では一番の腕になる。よし、やってやろうと燃えていた。
「ふん。怪我をするぞ」と神保は鼻で笑った。
「その言葉、そっくり、お前に返してやる」
神保は道場の隅に建つ小屋の中から棒を持って出て来ると、ニヤニヤしながら大原の方を見て、「よし、いつでも掛かって来い。鍛えてやる」と言って棒を構えた。
「よし」と大原もと言うと棒を構えた。
神保は大原の構えを見ながら、思っていたよりできるなと思った。簡単にあしらってやるつもりだったが、気を緩めると、こっちがやられるかもしれなかった。神保は構え直して、本気を出してやろうと決めた。
大原の方は初めから本気だった。神保の構えを見て、もしかしたら勝てるかもしれないと思っていた。
二人が棒を構えて睨み合っている時、観智坊が道場に来た。観智坊は、「やめろ!」と怒鳴った。
観智坊の声が合図だったかのように、二人はお互いに近づいて行き、棒を振り上げた。
一打目はお互いに避けた。
観智坊は二人の間に割って入ろうとした。しかし、遅かった。大原の二打目をぎりぎりの所で、はずした神保は大原の右腕をしたたかに打った。
観智坊が二人を分けた時、大原の顔は苦痛に歪み、彼の右腕は力なくぶら下がっていた。
小川と高野が道場に入って来た。異様な雰囲気に気づくと、二人は大原の側に駈け寄って来た。二人は大原の右腕を見ると、かっとなって神保を睨み、神保に飛び掛かろうとした。観智坊は二人を止め、大原を不動院に連れて行かせた。不動院には修行者たちの怪我の治療を専門にしている医者がいた。
二人が大原を不動院に連れて行くと、観智坊は神保に近づいた。
神保は棒を持ったまま、うなだれていた。
「今日の所は帰った方がいい」と観智坊は言った。
「‥‥‥仕方なかったんです」と神保は言った。
「騒ぎが大きくならないうちに、今日の所は帰った方がいい」
「はい‥‥‥」
神保は棒を観智坊に渡すと宿坊の方に帰って行った。
やがて、黒田と野田と野村がやって来た。観智坊は大原と神保の事を三人に話し、この事はしばらく黙っているように頼んだ。三人は怒りに顔を震わせ、絶対に許せないと喚(ワメ)いたが、観智坊は何とかして三人をなだめた。三人は納得して不動院に向かった。
大原の腕の怪我は重傷だった。骨が砕けていた。うまく行けば骨がつながり、元に戻る事も考えられるが、このまま使えなくなる事も考えられた。もし、元に戻るとしても、一月の間は右腕を使う事はできないだろう。大原としては絶対に山を下りたくはなかったが、山を下りるように命じられた。怪我をしてから三日後、大原は仲間に見送られながら山を下りて行った。
あの事件が起きてから、大原の仲間だった五人は、絶対に大原の仇を打ってやると、神保を倒そうと稽古を積んでいた。一方、神保の方はあの時以来、人が変わったかのように、おとなしくなっていた。いつも一緒にいた中山とも離れ、独りで孤立していた。
九月十四日から始まる祭りの準備で忙しい頃だった。観智坊は寿命院(ジュミョウイン)の前の石段に一人で腰掛けている神保の姿を目にした。何か思い詰めているようなので観智坊は側に行って声を掛けた。
神保は顔を上げたが何も言わなかった。
「どうしたんじゃ」と観智坊は言って隣に腰を下ろした。
しばらく黙っていたが、神保はボソボソと話し始めた。
「俺、お山を下りようと思っています。このまま、お山にいても稽古に身が入りません」
「まだ、あの時の事を気にしておるのか」と観智坊は聞いた。
神保は頷いた。「奴は俺の事を恨んでおるでしょう。でも、あの時、ああするしかなかったのです。俺は奴があれ程までに腕を上げていたとは知らなかった。簡単にあしらってやるつもりだったが、そんな余裕はなかった。真剣にやらなければ、俺の方がやられると思った‥‥‥俺は奴の打って来る棒を必死で避けて反撃した。手加減をする余裕なんて、まったく、なかったんだ‥‥‥結果はああなってしまった。しかし、それはほんの一瞬の差だった。もしかしたら、俺の方がああなってしまったかもしれなかった‥‥‥」
「そうじゃったのか‥‥‥みんなはお前がわざとやったに違いないと思っておるぞ」
「分かっております‥‥‥みんながどう思おうと構わない。ただ、大原の奴だけには本当の所を伝えたいんだ」
「そうか‥‥‥それで山を下りるのか‥‥‥しかし、山を下りたら、もう二度と戻っては来れなくなるぞ」
「分かっております。しかし、今のまま、ここにいても、大原の事が気になって修行にならない」
「そうか‥‥‥」
「修行なら、やる気になれば、どこにいてもできます。しかし、今、大原と会っておかないと、一生、後悔するような気がするのです」
「そうじゃな‥‥‥自分の気持ちはごまかせんからのう。自分でそう決めたのなら、やるべきじゃ」
神保は観智坊を見つめながら頷いた。「観智坊殿、今まで、すみませんでした。俺も本当は観智坊殿たちと一緒にわいわいやりたかった。しかし、俺にはできなかった。つまらない意地を張っていたのです‥‥‥すみませんでした」
「そんな事は別にいいんじゃ」と観智坊は笑った。
神保も笑った。神保の笑顔を見たのは初めてだと観智坊は思った。
神保は観智坊の事を親爺と呼んで、山を下りて行った。
その後、神保と大原の間で何があったのか分からないが、飯道山の祭りの最後の日、神保と大原は揃って山に登って来た。神保は人が変わったかのように陽気だった。大原の怪我も順調に回復に向かっているとの事だった。二人は修行者たちの宿坊に挨拶に来た。二人があまりにも仲がいい事に、皆、びっくりしていた。神保が急に山からいなくなったので、逃げて行ったに違いないと思っていた五人も、二人の様子に驚き、訳を聞くと、皆、神保の事を許して、以前のわだかまりはすっかりと消えた。
その後、神保と大原の二人は、里にて一緒に棒術の修行に励み、時折、山に顔を見せに来ていた。
20.観智坊露香2
4
賑やかな飯道山の祭りも終わり、秋も深まって行った。
観智坊がこの山に来て、すでに一年が過ぎていた。長かったようで、短かった一年だった。この山に来て観智坊は色々な事を学んだ。今まで考えてもみなかった様々な事を知った。体付きや顔付きまでも、すっかりと変わり、もう、どこから見ても立派な山伏だった。
観智坊はすっかり生まれ変わっていた。
若い者たちから『親爺、親爺』と慕われ、今の生活に充分に満足していた。棒術の腕も自分でも信じられない程に上達して行った。若い者たちの面倒味がいいので、先輩の山伏たちからも、このまま、この山に残らないかと誘われる事もあった。今のまま修行を積んで行けば、ここの師範代になる事も夢ではないとも言われた。
観智坊もすでに四十歳を過ぎていた。先もそう長いわけではない。加賀の事は気になるが、果たして、自分が加賀に戻ったとして、一体、何ができるのだろうか、裏の組織を作るといっても、そう簡単にはできないだろう。自分がしなくても、誰かがやるに違いない。加賀の事は門徒たちに任せて、自分はここで新しい人生を送ろうと考えるようになって行った。やがて、師範代になる事ができれば、家族を呼んで、この地で暮らそう。そして、息子をこの山に入れて鍛え、加賀に送ってもいい。自分がこれから何かをやるより、若い息子に託した方がいいかもしれないと思うようになって行った。
若い者たちに囲まれて、観智坊は毎日、楽しかった。若者たちは観智坊を頼って色々な相談を持ちかけて来た。観智坊は親身になって相談に乗り、解決してやった。観智坊は若者たちから、一年間の修行が終わったら、是非、うちに来てくれと誘われたり、一緒に酒を飲もうと誘われたり、女遊びをしようと誘われたり、引っ張り凧だった。観智坊も皆のために、どうしても師範代にならなければならないと稽古に励んでいた。
観智坊の一日は夜明け前の修徳坊の掃除で始まり、本尊の阿弥陀如来の前での法華経(ホケキョウ)の読経をし、朝飯を食べると矢作りの作業場へと行き、午後は棒術の稽古だった。
十月の初めの事だった。観智坊がいつものように読経を済ませ、自分の部屋に戻ろうとした時、仏壇の片隅に見慣れた字の書かれた紙切れが目に付いた。一瞬、誰の字だったか分からなかったが、その字に懐かしいものを感じた。観智坊は仏壇に近づいて、その紙切れを手に取って調べた。それは蓮如の書いた『御文(オフミ)』だった。勿論、蓮如の自筆ではない。誰かによって写されたものだった。よく見れば、全然、蓮如の筆跡とは違った。しかし、観智坊には一瞬、それが蓮如の自筆のように見えた。目の錯覚だったかと観智坊は思い、その御文を読んでみた。
御文は今年の七月に書かれたものだった。どこの誰が写したのかは分からない。内容は、いつもの御文と同じような事が繰り返し書かれてあった。観智坊はその御文を読みながら、胸の奥に熱い物を感じていた。自然と涙が溢れ出て来て止める事はできなかった。涙で目が曇り、最後まで読めなかった。観智坊はその御文を読みながら、蓮如と初めて会った時から、別れた時までの事を一瞬の内に思い出していた。
観智坊はその御文を握ったまま、棒術の道場へと走って行った。
道場には誰もいなかった。
観智坊は片隅に建つ武具小屋に入って、思いきり涙を流した。
様々な事が急に思い出された。
若くして死んだ母親‥‥‥
本覚寺に奉公に出て、こき使われた事‥‥‥
本泉寺の如乗との出会い‥‥‥
娘、あやの病死‥‥‥
そして、蓮如との出会い‥‥‥
今の観智坊がいるのは蓮如のお陰だった。蓮如と会わなければ、自分は本願寺の一門徒として終わっていたに違いない。蓮如あってこその自分だった。
蓮如はすでに六十歳を越えている。六十歳を過ぎても蓮如は門徒たちのために戦っていた。それを四十歳を過ぎたから、そろそろ、楽をしようと考えていた自分が恥ずかしく思えた。自分は蓮如よりも二十歳も若いのだ。加賀の事も、誰かがやるから、自分がやらなくてもいいと思っていた自分が恥ずかしかった。誰かがやるからではなく、自分がやらなければならないのだった。自分はその事をやるために、この山で修行しているのだった。やれるかどうかが問題ではなかった。やらなければならない事をやれる所までやり通す事が重要なのだ。特に、本願寺の裏の組織を作るという事は山伏となった観智坊にしかできない仕事だった。辛い事も色々とあったが、この山で若者たちに囲まれて暮らしているうちに、いつの間にか、その事を忘れて、楽な方、楽な方へと考えるようになってしまっていた。
観智坊はその日、小屋の中で、加賀で起こった事をすべて思い出し、決心を新たにした。
修徳坊に帰って、御文を誰が持って来たのか聞いて回ったが、誰もそんな事を知らなかった。みんな、それが蓮如の御文という事さえ知らない。結局、誰か信者が持って来たのだろうという事となり、観智坊はその御文を貰う事ができた。誰がここに持って来たのか分からないが、観智坊は、その誰かに感謝した。もし、その御文を見なかったら、観智坊の一生が変わってしまったかも知れなかった。観智坊はその御文を今後の戒(イマシ)めとして、常に、肌身離さず持っている事に決めた。
その日から、観智坊は今まで以上に稽古に励んだ。この山で師範代になる事は諦め、加賀に戻るために稽古に励んだ。この山を下りるまで後三ケ月もなかった。三ケ月のうちで、身に付けられる事はすべて身に付けたかった。
今まで棒術の稽古をする時、相手も棒術だった。しかし、山を下りて敵と実際に戦う場合、相手も棒で掛かって来るとは限らない。刀の事もあるし、槍の事もあるし、薙刀の事もある。あるいは弓矢や手裏剣のような飛び道具の事もあるだろう。山を下りたら、すべての物を相手にしなければならない。
観智坊は稽古が終わった後、他の組の修行者たちに頼み、稽古を付けて貰う事にした。剣術組の大久保源内、槍組の牧村右馬介(ウマノスケ)、薙刀組の西山左近の三人がよく付き合ってくれた。三人共、同じ武器同士で稽古するより、ためになると言って喜んで付き合ってくれた。
剣術を相手に戦うのは棒術とそれ程は変わらなかったが、槍や薙刀を相手にするのは難しかった。また、木剣を相手にするのと真剣を相手にするのとでは全然、違った。木剣なら棒で受けても切られる事はないが、真剣の場合、下手をすれば棒を切られる事も考えられる。切られる事を想定した上で戦わなければならなかった。切られないようにするためには樫の棒を鉄板か鉄の棒で補強するか、樫の棒のままで使うなら、絶対に刀の刃を受け止めない事だった。敵が打とうとして来た瞬間に刀の横面、鎬(シノギ)を払うか、敵の太刀筋を見極めて避けるしかなかった。槍や薙刀の場合も、真剣だと思って稽古に励んだ。
観智坊は山を下りるまで、一時も無駄にしたくはなかった。眠る時間も惜しんで武術に熱中した。休みたいと思ったり、怠け心が起きると、蓮如の御文を読んで心を励ました。
四十を過ぎた親爺が頑張っている姿を見て、若い修行者たちもやる気を出していた。毎年、夜遅くまで稽古に励んでいる者が何人かいたが、今年は異例だった。どこの道場も十人以上の者たちが夜遅くまで稽古に励んでいる。そして、今まで、組が違うと余り交流もなかったが、今年は違う組同士の者たちがお互いの腕を磨くために協力し合っていた。
武術総師範の高林坊もこの現象には驚いていた。夜遅くまで稽古に励んでいる若者たちを見ながら、自分たちの若かった頃の事を思い出していた。高林坊が四天王と呼ばれていた頃、修行者の数は今程、いなかったが、師範も修行者も皆、若く、夜遅くまで稽古に励んだものだった。あの頃は道場も一つしかなく、剣術も棒術も槍術も薙刀術も皆、一緒になって稽古に励んでいた。違う得物(エモノ)を使う者と稽古をする事は、同じ得物同士で稽古をするよりも、ずっと学ぶものが多かった。高林坊自身も風眼坊、栄意坊、火乱坊らを相手にして腕を磨いて行った。その事は分かっていたが、修行者の数が多くなるにつれて、自然と組に分かれて修行するようになり、それが当然の事のようになってしまった。
高林坊は観智坊が他の組の者と稽古しているのを見て、その当時の事を思い出した。そして、これは是非ともやらなければならないと思った。月に一度位は他の組の者と稽古ができるようにしようと高林坊は思った。高林坊は観智坊に、忘れてしまっていた重要な事を思い出させてくれた事に陰ながら感謝していた。
観智坊は太郎坊とは違って、格別な強さというものはないが、若い者たちを引っ張って行く、何か不思議な魅力を持っているのかもしれないと高林坊は思った。風眼坊が観智坊を自分の弟子にすると言った時、はっきり言って、風眼坊がふざけているのだろうと思っていた。百日行をすると言った時も、観智坊が歩き通すとは思ってもいなかった。観智坊が見事に百日行をやりとげ、棒術組に入って来た時も、ただ、一年間、頑張れと思っただけだった。まあ、一年間、稽古に励めば、人並み程には強くなれるだろうと思っただけで、別に何も期待はしなかったし、一々、気にも止めなかった。ところが、観智坊がこの山にいる事によって、山の雰囲気は変わって行った。若者たちが皆、やる気を出して修行に励んでいるのだった。こんな事は今までにない事だった。毎年、何人かの者が遅くまで修行に励んでいた。太郎坊がそうだったし、太郎坊の弟子となった、光一郎、八郎、五郎がそうだった。毎年、二、三人はそんなのがいた。しかし、今年は二、三人どころではなかった。修行者の半分近くの者たちが、観智坊に影響されて遅くまで稽古に励んでいる。
高林坊は改めて、観智坊という男を見直した。自分には見抜く事ができなかったが、観智坊という男には、風眼坊が弟子にするだけの何かがあるのかもしれないと思うようになって行った。
高林坊はその日から観智坊という男を陰ながら見守る事にした。
早雲と小太郎が駿河にて活躍して、竜王丸をお屋形様にする事に成功した頃、観智坊は下界の事とはまったく隔離(カクリ)されて、武術だけに熱中していた。
十一月になり、枯葉も散って、寒さも厳しくなって来ると、観智坊はこの山にいる時間が短くなった事を気にして、やたらと焦り始めていた。山を下りるまで、もう二ケ月もなかった。時はどんどん過ぎて行くが、まだまだ、身に付けるべきものは色々と残っていた。気持ちが焦れば焦る程、厳しい稽古を積んでいるのにも拘わらず、上達はしなかった。持ち慣れている棒までが重く感じ、自分の思うように振れなかった。
「観智坊殿、疲れが出て来たんですよ」と野村が言った。
「稽古ばかりではなく、時には休む事も重要です」と小川は言った。
「いや、休む暇などない。もう、時がないんだ」
「観智坊殿、これは聞いた話ですけど、武術の稽古をしていて行き詰まった時は、何も考えないで座り込むのがいいそうですよ」と黒田が言った。
「座り込む?」
「はい。座禅と言うんですか、静かに座って、無になるんだそうです」
「無になる?」
「はい。何もかも忘れて座るんです。そうすると、何かがひらめくそうです」
「ひらめくのか‥‥‥」
観智坊は以前、風眼坊から、そんなような事を聞いた事があった。何かが分からなくなった時は、すべてを忘れて座っていると自然と心が落ち着き、物事が解決する事もあると風眼坊は言っていた。観智坊は自分が焦っているという事を自覚していた。焦ってはよくないという事も以前の経験から知っている。しかし、この焦りを止める事はできなかった。焦るな、焦るな、と思えば思う程、さらに焦っている自分を感じていた。このままでは駄目だった。こんな気持ちのままで、この山を下りる事はできなかった。
観智坊は黒田の言うように、しばらく、何も考えないで座ってみようと思った。黒田に座り方を教わると、観智坊はすぐに、その場に座り込んだ。
「観智坊殿、こんな所に座っては体を冷しますよ。部屋に帰ってから座って下さい」
黒田がそう言ったが、観智坊は返事をしなかった。仕方なく、その場にいた野村、小川、黒田、西山の四人は観智坊に従って、寒い道場内に座り込んだ。半時程して、寒さに耐えられず、四人は帰って行ったが、観智坊は一人で座り続けた。
何も考えるな、と言っても無理だった。次々に頭の中に考えが巡った。一つの考えを打ち消すと次の考えが出て来て、それを打ち消すと、また、違う考えが現れた。
最初に出て来たのは、観智坊が実際に今、答えが出ないで焦っている武術の事だった。木剣を構えている大久保の姿が頭の中に浮かび、大久保に対して、どう戦おうかと考えを巡らした。大久保の事は忘れろと打ち消すと、今度は薙刀を構えた西山の姿が浮かび、観智坊はまた、薙刀に対して、どう戦おうか考えた。それを打ち消すと、今度は槍を構えた牧村が現れ、次には、棒を構えた西光坊が現れた。次々に色々な相手が現れ、ついには、太郎坊も現れ、師の風眼坊までもが現れた。観智坊はそれらを皆、打ち消して行った。
武術の事から、ようやく離れる事ができたと思ったら、今度は加賀の本泉寺に置いて来た家族の事が頭に浮かんだ。本泉寺にいる妻や子供たちの姿が、実際に見ているかのように浮かんだ。息子の乗円(ジョウエン)が娘のすぎと一緒に、蓮如の作った庭園の掃除をしていた。やがて、妻の妙阿(ミョウア)が勝如尼(ショウニョニ)と一緒に出て来て庭園を眺めていた。丁度、庭園の向こうに日が沈む時で、蓮如の作った庭園は極楽浄土のように美しかった。その光景を頭に浮かべ、いい気持ちになっていた観智坊だったが、それも慌てて打ち消した。
無になるん、無に‥‥‥
しかし、それは難しかった。
次に現れたのは妻の姿だった。肌衣(ハダギヌ)姿の妻は布団の中で観智坊を誘っていた。観智坊は妻の体に飛び付いて行った。やがて、妻の顔は若い娘に変わった。それは、観智坊が加賀を離れて蓮如と共に近江の大津にいた頃、観智坊が囲っていた娘だった。娘は大胆な姿態で観智坊を誘った。女は次々と違う女に代わって行き、あられもない姿で観智坊を誘った。観智坊はニヤニヤしながら女たちに挑んで行った。
観智坊は我に返って、頭を振ると頭の中の思いを断ち切った。
わしは何を考えておるんじゃ。確かに、女には飢えている。しかし、今はそんな事を考えてはいられないんだ。山を下りれば、女なんて好きなだけ抱けばいい。今は、そんな事を考えている暇はないんだ‥‥‥
とにかく、何も考えるな‥‥‥
考えるな、考えるな、と思っても、頭の方は言う事を聞かない。
蓮如の顔が浮かんで来た。蓮如は息子たちに囲まれて笑っていた。大津の順如(ジュンニョ)がいた。波佐谷(ハサダニ)の蓮綱(レンコウ)がいた。山田の蓮誓(レンセイ)がいた。そして、実如(ジツニョ)、蓮淳(レンジュン)、蓮悟(レンゴ)がいた。そこが、どこなのか観智坊には分からなかったが、蓮如は幸せそうだった。慶覚坊(キョウガクボウ)と慶聞坊(キョウモンボウ)と下間頼善(シモツマライゼン)が現れた。そこでは一揆は起こらないのだろうか、皆、和(ナゴ)やかな顔をしていた。
蓮如の幸せそうな顔をもっと見ていたかったが、場面は急に変わった。そこには痩せ衰えた子供たちの姿があった。女たちが泣いていた。男たちは武器を持って戦の支度をしていたが、絶望的な顔色だった。そこは、越中の瑞泉寺(ズイセンジ)の横にある避難所だった。木目谷(キメダニ)の高橋新左衛門の姿があった。何だか急に老け込んだようだった。以前のような精悍(セイカン)さはなく、死んだような情けない目付きだった。新左衛門は本願寺の裏の組織を作るために頑張っているはずだった。それなのに、これは一体、どうした事なんだ‥‥‥
場面はまた変わった。次に浮かんで来たのは吉崎御坊だった。観智坊は北門をくぐって懐かしい御坊への坂道を登っていた。本堂が見えた。そして、御影堂(ゴエイドウ)、庫裏(クリ)、書院が見えた。観智坊は庫裏の側で遊んでいた蓮如の子供たちを思い出した。観智坊は庫裏に入った。蓮如はいなかった。また、旅に出たんだなと思った。書院に顔を出した。執事(シツジ)の下間玄永がいるだろうと思ったが、玄永はいなかった。書院では本覚寺蓮光(ホンガクジレンコウ)と超勝寺(チョウショウジ)の三兄弟、浄徳寺慶恵(ジョウトクジキョウエ)、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)が何やら密談を交わしていた。観智坊は超勝寺の者に近づいては駄目だと蓮光に言ったが、お前は何者だ、と言われ、吉崎御坊から追い出されてしまった。蓮崇だと言っても、蓮崇は破門された。のこのこと、こんな所には来られまいと言って相手にされなかった。観智坊は「上人様!」と叫んだ。
知らず知らず、観智坊は本当に叫んでいた。
目を開けると、もう、夜が明けようとしていた。
東の空がうっすらと明るくなりかけていた。どの位、座っていただろうか、結局、心を無にする事はできなかった。様々な思いが頭の中に浮かんでは消え、何の解決にもならなかった。観智坊は東の空を見つめながら、どうしたらいいのだろうと考えていた。その時、人の気配を感じて、観智坊は振り返った。
高林坊が道場に入って来た。こんな早くから、何で、高林坊がこんな所に来るのだろうと不思議に思いながら見ていると、高林坊は観智坊の側まで来て座り込んだ。
「どうじゃ、答えは見つかったか」と高林坊は言った。
「いえ‥‥‥」と観智坊は首を振った。
今まで、高林坊と二人だけで言葉を交わした事はなかった。時折、道場に出て来ても、直接に話した事はなかった。どうして、高林坊がこんな朝早くから自分に声を掛けて来たのか、観智坊には分からなかった。
「壁にぶつかったようじゃのう」と高林坊は言った。
「壁?」と観智坊は聞いた。
「武術というのは不思議なもんじゃ」と高林坊は言った。「稽古を積めば積む程、強くなるというのは事実じゃが、ある程度の強さまで行くと、誰でも必ず、壁に突き当たる」
観智坊は黙って、高林坊の顔を見つめた。
「太郎坊の奴も壁に突き当たって悩んでおった。そして、その壁を自力で突き破って行った‥‥‥強くなれば強くなる程、その壁というのは大きくなって立ちはだかるもんじゃ。観智坊、そなたも今、その壁にぶち当たったんじゃよ。何としてでも、その壁を突き破らん事には、それ以上強くはなれんぞ」
「壁ですか‥‥‥どうして、強くなると壁に突き当たるのですか」
「どうしてかのう‥‥‥うまく説明する事はできんが、武術というものは、ただ、技術だけでは敵に勝つ事はできんと言う事じゃな。技術というのは教える事はできる。ある程度、技術を身に付けてしまえば、それから先の事は、決して誰からも教わる事はできんのじゃ。自分で身に付けて行くしかないんじゃ‥‥‥武術というのは人と人との戦いじゃ。敵にも心はあるし、自分にも心はある。刃(ヤイバ)を交わして、構える。誰もが怖いと思う。それは当然の事じゃ。負ければ死ぬ。誰でもその事は考える。敵に勝つためには、その恐れを克服(コクフク)しなければならん。恐れを克服して敵に勝てるようになったとする。敵に勝って満足する。しかし、そこでまた壁にぶつかるんじゃ。敵に勝った。しかし、敵を殺してしまった事に対しての悔いが残るんじゃよ‥‥‥わしも今までに何人かの人を殺した。未だに悔いておる。何であんな事をしてしまったのじゃろうとな。武術というのは、確かに人を殺すための技術じゃ。しかし、わしはそれを越えた所に、本当の武術というものがあるような気がするんじゃ。矛盾かも知れんが、争い事を無くすための武術というものがあるような気がするんじゃよ」
「争いを無くすための武術‥‥‥」
「ああ。よく分からんが、武術には使う者の心というものが多分に作用する事は確かじゃ。心の修行も大切だという事じゃ‥‥‥わしは太郎坊と二度、立ち合った事があった。一度目は完全にわしの勝ちじゃった。太郎坊はその後、再び、百日行をやり、山の中に半年程、籠もった。何をやっておったのかは知らん。山から出て来た時、わしは太郎坊と二度目の立ち合いをした。お互いに構えただけで終わったが、わしは心で太郎坊に負けたと思った。言葉ではうまく説明できないが、太郎坊の大きな心にふわっと包み込まれたように感じたんじゃ。心というのは決して見る事はできないが、武術においては、心の動きというものは大きく作用するんじゃよ。わしが見た所、そなたも今、心の問題で悩んでおると思う。心が何かに囚われておると、体まで自由に動かなくなるもんじゃ。そんな時は稽古を離れて、そうやって座り込む事が一番じゃ‥‥‥わしは、そなたの事を風眼坊から頼まれておった。しかし、わしは今まで、そなたの力にはなれなかった。矢作りの作業の事じゃが、もう、充分に身に付けたじゃろう」
「はい‥‥‥」
「今日から作業はしなくてもいいようにしてやる。思い切り、その壁にぶち当たってみろ」
そう言うと高林坊は立ち上がった。
「ありがとうございます」と観智坊は頭を下げた。
「なに、そなたがやるだけの事をやったからじゃ」と高林坊は笑った。「精一杯、努力をすれば、必ず、誰かが力を貸すもんじゃ」
高林坊は去って行った。
観智坊は、もうしばらく座り続けてみようと思った。ただ、この道場では邪魔になる。観智坊は修徳坊の裏山の中で座り込む事にした。そこで座り込んでみても様々な思いが頭に巡った。それを打ち消しながら観智坊は座り続けた。日差しを浴びて、そのうちに気持ちよくなって、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めたら、もう日暮れ近かった。こんな事では駄目だと思い、気持ちを引き締めて座り続けたが、今度は腹がぐうぐう鳴って来た。考えてみたら今日は何も食べていなかった。食べずに座り続けるか、食べてから、また座ろうか考えたが、腹が減っては戦もできないと思い、修徳坊に帰って飯を食い、また裏山に登った。
三日目になって、ようやく、無の境地というものが少しづつ分かり掛けて来た。何も考えないでいる事の快感というものが分かり掛けて来た。何となく、自分が自然の中に溶け込んで行くように感じられた。以前、自分は自分で、自然は自然だったものが、自分も自然の中の一部で、自然という大きな力に優しく包み込まれているような、何とも言えない、いい気持ちになって行った。もしかしたら、この自然というのは蓮如上人の言う阿弥陀如来様の事ではないのだろうか、と観智坊は思った。
阿弥陀如来様に優しく包まれている事に気づけば、自然と感謝の念は起きて来る。観智坊の心の中から、自然と『南無阿弥陀仏』という念仏が起こって来た。それは本当に自然な事だった。その念仏には何の欲も絡んでいなかった。純粋な感謝の気持ちだった。
観智坊は目を開けた。
見慣れた自然の姿が、まるで、極楽浄土のように感じられた。観智坊はまた、知らずのうちに念仏を唱えた。まったく無意識の念仏だった。
観智坊には、ようやく、蓮如が繰り返し、繰り返し言っていた念仏の意味が分かったような気がした。今まで、観智坊が唱えていた念仏は本物ではなかった。蓮如は、阿弥陀如来様の偉大なる心が分かれば、自然と感謝の念仏が心の底から涌き出て来ると、何度も御文で言っていた。頭では分かったつもりでいたが、本当に分かってはいなかった。今、無意識のうちに出た念仏こそが、蓮如が言っていた念仏だったのだと観智坊は思った。
観智坊は自然に対して合掌をした。本当に阿弥陀如来様に抱かれているような感じだった。
観智坊は静かにその場を離れると道場に向かった。道場では皆がいつものように稽古に励んでいた。
観智坊は棒を手にした。井戸掘りが終わった時のように、その棒は体の一部のように感じられた。不思議な事だったが棒も自由に使う事ができた。高林坊の言っていた『壁』というものを乗り越えたようだった。
稽古が終わり、夜になって、剣術や槍術や薙刀術を相手にしても棒は思うように使えた。心が何かに囚われていると体も自由に使えなくなると高林坊は言っていた。観智坊は剣、槍、薙刀という得物(エモノ)にこだわり過ぎていたのだった。敵がこう来たら、ああやって、ああ来たら、こうやろうというような細かい事にこだわり過ぎていたのだった。剣、槍、薙刀をそれぞれ別に考えて、剣でこう来たら、ああやる、槍がこう来たら、ああやる、薙刀でこう来たら、ああやらなければならないと色々と考えた結果、頭の中は混乱し、体の自由が利かなくなったのだった。剣も槍も薙刀も、刃の通る道はただ一つだった。その事さえ見極めれば、皆、同じ事だった。敵の出方によって臨機応変に応えればいいのだった。観智坊はやっと、その事に気がついた。
壁を乗り越えた観智坊は、また一段と腕を上げて行った。壁を乗り越えた日から七日後、観智坊は上級に上がった。
観智坊は片隅に建つ武具小屋に入って、思いきり涙を流した。
様々な事が急に思い出された。
若くして死んだ母親‥‥‥
本覚寺に奉公に出て、こき使われた事‥‥‥
本泉寺の如乗との出会い‥‥‥
娘、あやの病死‥‥‥
そして、蓮如との出会い‥‥‥
今の観智坊がいるのは蓮如のお陰だった。蓮如と会わなければ、自分は本願寺の一門徒として終わっていたに違いない。蓮如あってこその自分だった。
蓮如はすでに六十歳を越えている。六十歳を過ぎても蓮如は門徒たちのために戦っていた。それを四十歳を過ぎたから、そろそろ、楽をしようと考えていた自分が恥ずかしく思えた。自分は蓮如よりも二十歳も若いのだ。加賀の事も、誰かがやるから、自分がやらなくてもいいと思っていた自分が恥ずかしかった。誰かがやるからではなく、自分がやらなければならないのだった。自分はその事をやるために、この山で修行しているのだった。やれるかどうかが問題ではなかった。やらなければならない事をやれる所までやり通す事が重要なのだ。特に、本願寺の裏の組織を作るという事は山伏となった観智坊にしかできない仕事だった。辛い事も色々とあったが、この山で若者たちに囲まれて暮らしているうちに、いつの間にか、その事を忘れて、楽な方、楽な方へと考えるようになってしまっていた。
観智坊はその日、小屋の中で、加賀で起こった事をすべて思い出し、決心を新たにした。
修徳坊に帰って、御文を誰が持って来たのか聞いて回ったが、誰もそんな事を知らなかった。みんな、それが蓮如の御文という事さえ知らない。結局、誰か信者が持って来たのだろうという事となり、観智坊はその御文を貰う事ができた。誰がここに持って来たのか分からないが、観智坊は、その誰かに感謝した。もし、その御文を見なかったら、観智坊の一生が変わってしまったかも知れなかった。観智坊はその御文を今後の戒(イマシ)めとして、常に、肌身離さず持っている事に決めた。
その日から、観智坊は今まで以上に稽古に励んだ。この山で師範代になる事は諦め、加賀に戻るために稽古に励んだ。この山を下りるまで後三ケ月もなかった。三ケ月のうちで、身に付けられる事はすべて身に付けたかった。
今まで棒術の稽古をする時、相手も棒術だった。しかし、山を下りて敵と実際に戦う場合、相手も棒で掛かって来るとは限らない。刀の事もあるし、槍の事もあるし、薙刀の事もある。あるいは弓矢や手裏剣のような飛び道具の事もあるだろう。山を下りたら、すべての物を相手にしなければならない。
観智坊は稽古が終わった後、他の組の修行者たちに頼み、稽古を付けて貰う事にした。剣術組の大久保源内、槍組の牧村右馬介(ウマノスケ)、薙刀組の西山左近の三人がよく付き合ってくれた。三人共、同じ武器同士で稽古するより、ためになると言って喜んで付き合ってくれた。
剣術を相手に戦うのは棒術とそれ程は変わらなかったが、槍や薙刀を相手にするのは難しかった。また、木剣を相手にするのと真剣を相手にするのとでは全然、違った。木剣なら棒で受けても切られる事はないが、真剣の場合、下手をすれば棒を切られる事も考えられる。切られる事を想定した上で戦わなければならなかった。切られないようにするためには樫の棒を鉄板か鉄の棒で補強するか、樫の棒のままで使うなら、絶対に刀の刃を受け止めない事だった。敵が打とうとして来た瞬間に刀の横面、鎬(シノギ)を払うか、敵の太刀筋を見極めて避けるしかなかった。槍や薙刀の場合も、真剣だと思って稽古に励んだ。
観智坊は山を下りるまで、一時も無駄にしたくはなかった。眠る時間も惜しんで武術に熱中した。休みたいと思ったり、怠け心が起きると、蓮如の御文を読んで心を励ました。
四十を過ぎた親爺が頑張っている姿を見て、若い修行者たちもやる気を出していた。毎年、夜遅くまで稽古に励んでいる者が何人かいたが、今年は異例だった。どこの道場も十人以上の者たちが夜遅くまで稽古に励んでいる。そして、今まで、組が違うと余り交流もなかったが、今年は違う組同士の者たちがお互いの腕を磨くために協力し合っていた。
武術総師範の高林坊もこの現象には驚いていた。夜遅くまで稽古に励んでいる若者たちを見ながら、自分たちの若かった頃の事を思い出していた。高林坊が四天王と呼ばれていた頃、修行者の数は今程、いなかったが、師範も修行者も皆、若く、夜遅くまで稽古に励んだものだった。あの頃は道場も一つしかなく、剣術も棒術も槍術も薙刀術も皆、一緒になって稽古に励んでいた。違う得物(エモノ)を使う者と稽古をする事は、同じ得物同士で稽古をするよりも、ずっと学ぶものが多かった。高林坊自身も風眼坊、栄意坊、火乱坊らを相手にして腕を磨いて行った。その事は分かっていたが、修行者の数が多くなるにつれて、自然と組に分かれて修行するようになり、それが当然の事のようになってしまった。
高林坊は観智坊が他の組の者と稽古しているのを見て、その当時の事を思い出した。そして、これは是非ともやらなければならないと思った。月に一度位は他の組の者と稽古ができるようにしようと高林坊は思った。高林坊は観智坊に、忘れてしまっていた重要な事を思い出させてくれた事に陰ながら感謝していた。
観智坊は太郎坊とは違って、格別な強さというものはないが、若い者たちを引っ張って行く、何か不思議な魅力を持っているのかもしれないと高林坊は思った。風眼坊が観智坊を自分の弟子にすると言った時、はっきり言って、風眼坊がふざけているのだろうと思っていた。百日行をすると言った時も、観智坊が歩き通すとは思ってもいなかった。観智坊が見事に百日行をやりとげ、棒術組に入って来た時も、ただ、一年間、頑張れと思っただけだった。まあ、一年間、稽古に励めば、人並み程には強くなれるだろうと思っただけで、別に何も期待はしなかったし、一々、気にも止めなかった。ところが、観智坊がこの山にいる事によって、山の雰囲気は変わって行った。若者たちが皆、やる気を出して修行に励んでいるのだった。こんな事は今までにない事だった。毎年、何人かの者が遅くまで修行に励んでいた。太郎坊がそうだったし、太郎坊の弟子となった、光一郎、八郎、五郎がそうだった。毎年、二、三人はそんなのがいた。しかし、今年は二、三人どころではなかった。修行者の半分近くの者たちが、観智坊に影響されて遅くまで稽古に励んでいる。
高林坊は改めて、観智坊という男を見直した。自分には見抜く事ができなかったが、観智坊という男には、風眼坊が弟子にするだけの何かがあるのかもしれないと思うようになって行った。
高林坊はその日から観智坊という男を陰ながら見守る事にした。
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早雲と小太郎が駿河にて活躍して、竜王丸をお屋形様にする事に成功した頃、観智坊は下界の事とはまったく隔離(カクリ)されて、武術だけに熱中していた。
十一月になり、枯葉も散って、寒さも厳しくなって来ると、観智坊はこの山にいる時間が短くなった事を気にして、やたらと焦り始めていた。山を下りるまで、もう二ケ月もなかった。時はどんどん過ぎて行くが、まだまだ、身に付けるべきものは色々と残っていた。気持ちが焦れば焦る程、厳しい稽古を積んでいるのにも拘わらず、上達はしなかった。持ち慣れている棒までが重く感じ、自分の思うように振れなかった。
「観智坊殿、疲れが出て来たんですよ」と野村が言った。
「稽古ばかりではなく、時には休む事も重要です」と小川は言った。
「いや、休む暇などない。もう、時がないんだ」
「観智坊殿、これは聞いた話ですけど、武術の稽古をしていて行き詰まった時は、何も考えないで座り込むのがいいそうですよ」と黒田が言った。
「座り込む?」
「はい。座禅と言うんですか、静かに座って、無になるんだそうです」
「無になる?」
「はい。何もかも忘れて座るんです。そうすると、何かがひらめくそうです」
「ひらめくのか‥‥‥」
観智坊は以前、風眼坊から、そんなような事を聞いた事があった。何かが分からなくなった時は、すべてを忘れて座っていると自然と心が落ち着き、物事が解決する事もあると風眼坊は言っていた。観智坊は自分が焦っているという事を自覚していた。焦ってはよくないという事も以前の経験から知っている。しかし、この焦りを止める事はできなかった。焦るな、焦るな、と思えば思う程、さらに焦っている自分を感じていた。このままでは駄目だった。こんな気持ちのままで、この山を下りる事はできなかった。
観智坊は黒田の言うように、しばらく、何も考えないで座ってみようと思った。黒田に座り方を教わると、観智坊はすぐに、その場に座り込んだ。
「観智坊殿、こんな所に座っては体を冷しますよ。部屋に帰ってから座って下さい」
黒田がそう言ったが、観智坊は返事をしなかった。仕方なく、その場にいた野村、小川、黒田、西山の四人は観智坊に従って、寒い道場内に座り込んだ。半時程して、寒さに耐えられず、四人は帰って行ったが、観智坊は一人で座り続けた。
何も考えるな、と言っても無理だった。次々に頭の中に考えが巡った。一つの考えを打ち消すと次の考えが出て来て、それを打ち消すと、また、違う考えが現れた。
最初に出て来たのは、観智坊が実際に今、答えが出ないで焦っている武術の事だった。木剣を構えている大久保の姿が頭の中に浮かび、大久保に対して、どう戦おうかと考えを巡らした。大久保の事は忘れろと打ち消すと、今度は薙刀を構えた西山の姿が浮かび、観智坊はまた、薙刀に対して、どう戦おうか考えた。それを打ち消すと、今度は槍を構えた牧村が現れ、次には、棒を構えた西光坊が現れた。次々に色々な相手が現れ、ついには、太郎坊も現れ、師の風眼坊までもが現れた。観智坊はそれらを皆、打ち消して行った。
武術の事から、ようやく離れる事ができたと思ったら、今度は加賀の本泉寺に置いて来た家族の事が頭に浮かんだ。本泉寺にいる妻や子供たちの姿が、実際に見ているかのように浮かんだ。息子の乗円(ジョウエン)が娘のすぎと一緒に、蓮如の作った庭園の掃除をしていた。やがて、妻の妙阿(ミョウア)が勝如尼(ショウニョニ)と一緒に出て来て庭園を眺めていた。丁度、庭園の向こうに日が沈む時で、蓮如の作った庭園は極楽浄土のように美しかった。その光景を頭に浮かべ、いい気持ちになっていた観智坊だったが、それも慌てて打ち消した。
無になるん、無に‥‥‥
しかし、それは難しかった。
次に現れたのは妻の姿だった。肌衣(ハダギヌ)姿の妻は布団の中で観智坊を誘っていた。観智坊は妻の体に飛び付いて行った。やがて、妻の顔は若い娘に変わった。それは、観智坊が加賀を離れて蓮如と共に近江の大津にいた頃、観智坊が囲っていた娘だった。娘は大胆な姿態で観智坊を誘った。女は次々と違う女に代わって行き、あられもない姿で観智坊を誘った。観智坊はニヤニヤしながら女たちに挑んで行った。
観智坊は我に返って、頭を振ると頭の中の思いを断ち切った。
わしは何を考えておるんじゃ。確かに、女には飢えている。しかし、今はそんな事を考えてはいられないんだ。山を下りれば、女なんて好きなだけ抱けばいい。今は、そんな事を考えている暇はないんだ‥‥‥
とにかく、何も考えるな‥‥‥
考えるな、考えるな、と思っても、頭の方は言う事を聞かない。
蓮如の顔が浮かんで来た。蓮如は息子たちに囲まれて笑っていた。大津の順如(ジュンニョ)がいた。波佐谷(ハサダニ)の蓮綱(レンコウ)がいた。山田の蓮誓(レンセイ)がいた。そして、実如(ジツニョ)、蓮淳(レンジュン)、蓮悟(レンゴ)がいた。そこが、どこなのか観智坊には分からなかったが、蓮如は幸せそうだった。慶覚坊(キョウガクボウ)と慶聞坊(キョウモンボウ)と下間頼善(シモツマライゼン)が現れた。そこでは一揆は起こらないのだろうか、皆、和(ナゴ)やかな顔をしていた。
蓮如の幸せそうな顔をもっと見ていたかったが、場面は急に変わった。そこには痩せ衰えた子供たちの姿があった。女たちが泣いていた。男たちは武器を持って戦の支度をしていたが、絶望的な顔色だった。そこは、越中の瑞泉寺(ズイセンジ)の横にある避難所だった。木目谷(キメダニ)の高橋新左衛門の姿があった。何だか急に老け込んだようだった。以前のような精悍(セイカン)さはなく、死んだような情けない目付きだった。新左衛門は本願寺の裏の組織を作るために頑張っているはずだった。それなのに、これは一体、どうした事なんだ‥‥‥
場面はまた変わった。次に浮かんで来たのは吉崎御坊だった。観智坊は北門をくぐって懐かしい御坊への坂道を登っていた。本堂が見えた。そして、御影堂(ゴエイドウ)、庫裏(クリ)、書院が見えた。観智坊は庫裏の側で遊んでいた蓮如の子供たちを思い出した。観智坊は庫裏に入った。蓮如はいなかった。また、旅に出たんだなと思った。書院に顔を出した。執事(シツジ)の下間玄永がいるだろうと思ったが、玄永はいなかった。書院では本覚寺蓮光(ホンガクジレンコウ)と超勝寺(チョウショウジ)の三兄弟、浄徳寺慶恵(ジョウトクジキョウエ)、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)が何やら密談を交わしていた。観智坊は超勝寺の者に近づいては駄目だと蓮光に言ったが、お前は何者だ、と言われ、吉崎御坊から追い出されてしまった。蓮崇だと言っても、蓮崇は破門された。のこのこと、こんな所には来られまいと言って相手にされなかった。観智坊は「上人様!」と叫んだ。
知らず知らず、観智坊は本当に叫んでいた。
目を開けると、もう、夜が明けようとしていた。
東の空がうっすらと明るくなりかけていた。どの位、座っていただろうか、結局、心を無にする事はできなかった。様々な思いが頭の中に浮かんでは消え、何の解決にもならなかった。観智坊は東の空を見つめながら、どうしたらいいのだろうと考えていた。その時、人の気配を感じて、観智坊は振り返った。
高林坊が道場に入って来た。こんな早くから、何で、高林坊がこんな所に来るのだろうと不思議に思いながら見ていると、高林坊は観智坊の側まで来て座り込んだ。
「どうじゃ、答えは見つかったか」と高林坊は言った。
「いえ‥‥‥」と観智坊は首を振った。
今まで、高林坊と二人だけで言葉を交わした事はなかった。時折、道場に出て来ても、直接に話した事はなかった。どうして、高林坊がこんな朝早くから自分に声を掛けて来たのか、観智坊には分からなかった。
「壁にぶつかったようじゃのう」と高林坊は言った。
「壁?」と観智坊は聞いた。
「武術というのは不思議なもんじゃ」と高林坊は言った。「稽古を積めば積む程、強くなるというのは事実じゃが、ある程度の強さまで行くと、誰でも必ず、壁に突き当たる」
観智坊は黙って、高林坊の顔を見つめた。
「太郎坊の奴も壁に突き当たって悩んでおった。そして、その壁を自力で突き破って行った‥‥‥強くなれば強くなる程、その壁というのは大きくなって立ちはだかるもんじゃ。観智坊、そなたも今、その壁にぶち当たったんじゃよ。何としてでも、その壁を突き破らん事には、それ以上強くはなれんぞ」
「壁ですか‥‥‥どうして、強くなると壁に突き当たるのですか」
「どうしてかのう‥‥‥うまく説明する事はできんが、武術というものは、ただ、技術だけでは敵に勝つ事はできんと言う事じゃな。技術というのは教える事はできる。ある程度、技術を身に付けてしまえば、それから先の事は、決して誰からも教わる事はできんのじゃ。自分で身に付けて行くしかないんじゃ‥‥‥武術というのは人と人との戦いじゃ。敵にも心はあるし、自分にも心はある。刃(ヤイバ)を交わして、構える。誰もが怖いと思う。それは当然の事じゃ。負ければ死ぬ。誰でもその事は考える。敵に勝つためには、その恐れを克服(コクフク)しなければならん。恐れを克服して敵に勝てるようになったとする。敵に勝って満足する。しかし、そこでまた壁にぶつかるんじゃ。敵に勝った。しかし、敵を殺してしまった事に対しての悔いが残るんじゃよ‥‥‥わしも今までに何人かの人を殺した。未だに悔いておる。何であんな事をしてしまったのじゃろうとな。武術というのは、確かに人を殺すための技術じゃ。しかし、わしはそれを越えた所に、本当の武術というものがあるような気がするんじゃ。矛盾かも知れんが、争い事を無くすための武術というものがあるような気がするんじゃよ」
「争いを無くすための武術‥‥‥」
「ああ。よく分からんが、武術には使う者の心というものが多分に作用する事は確かじゃ。心の修行も大切だという事じゃ‥‥‥わしは太郎坊と二度、立ち合った事があった。一度目は完全にわしの勝ちじゃった。太郎坊はその後、再び、百日行をやり、山の中に半年程、籠もった。何をやっておったのかは知らん。山から出て来た時、わしは太郎坊と二度目の立ち合いをした。お互いに構えただけで終わったが、わしは心で太郎坊に負けたと思った。言葉ではうまく説明できないが、太郎坊の大きな心にふわっと包み込まれたように感じたんじゃ。心というのは決して見る事はできないが、武術においては、心の動きというものは大きく作用するんじゃよ。わしが見た所、そなたも今、心の問題で悩んでおると思う。心が何かに囚われておると、体まで自由に動かなくなるもんじゃ。そんな時は稽古を離れて、そうやって座り込む事が一番じゃ‥‥‥わしは、そなたの事を風眼坊から頼まれておった。しかし、わしは今まで、そなたの力にはなれなかった。矢作りの作業の事じゃが、もう、充分に身に付けたじゃろう」
「はい‥‥‥」
「今日から作業はしなくてもいいようにしてやる。思い切り、その壁にぶち当たってみろ」
そう言うと高林坊は立ち上がった。
「ありがとうございます」と観智坊は頭を下げた。
「なに、そなたがやるだけの事をやったからじゃ」と高林坊は笑った。「精一杯、努力をすれば、必ず、誰かが力を貸すもんじゃ」
高林坊は去って行った。
観智坊は、もうしばらく座り続けてみようと思った。ただ、この道場では邪魔になる。観智坊は修徳坊の裏山の中で座り込む事にした。そこで座り込んでみても様々な思いが頭に巡った。それを打ち消しながら観智坊は座り続けた。日差しを浴びて、そのうちに気持ちよくなって、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めたら、もう日暮れ近かった。こんな事では駄目だと思い、気持ちを引き締めて座り続けたが、今度は腹がぐうぐう鳴って来た。考えてみたら今日は何も食べていなかった。食べずに座り続けるか、食べてから、また座ろうか考えたが、腹が減っては戦もできないと思い、修徳坊に帰って飯を食い、また裏山に登った。
三日目になって、ようやく、無の境地というものが少しづつ分かり掛けて来た。何も考えないでいる事の快感というものが分かり掛けて来た。何となく、自分が自然の中に溶け込んで行くように感じられた。以前、自分は自分で、自然は自然だったものが、自分も自然の中の一部で、自然という大きな力に優しく包み込まれているような、何とも言えない、いい気持ちになって行った。もしかしたら、この自然というのは蓮如上人の言う阿弥陀如来様の事ではないのだろうか、と観智坊は思った。
阿弥陀如来様に優しく包まれている事に気づけば、自然と感謝の念は起きて来る。観智坊の心の中から、自然と『南無阿弥陀仏』という念仏が起こって来た。それは本当に自然な事だった。その念仏には何の欲も絡んでいなかった。純粋な感謝の気持ちだった。
観智坊は目を開けた。
見慣れた自然の姿が、まるで、極楽浄土のように感じられた。観智坊はまた、知らずのうちに念仏を唱えた。まったく無意識の念仏だった。
観智坊には、ようやく、蓮如が繰り返し、繰り返し言っていた念仏の意味が分かったような気がした。今まで、観智坊が唱えていた念仏は本物ではなかった。蓮如は、阿弥陀如来様の偉大なる心が分かれば、自然と感謝の念仏が心の底から涌き出て来ると、何度も御文で言っていた。頭では分かったつもりでいたが、本当に分かってはいなかった。今、無意識のうちに出た念仏こそが、蓮如が言っていた念仏だったのだと観智坊は思った。
観智坊は自然に対して合掌をした。本当に阿弥陀如来様に抱かれているような感じだった。
観智坊は静かにその場を離れると道場に向かった。道場では皆がいつものように稽古に励んでいた。
観智坊は棒を手にした。井戸掘りが終わった時のように、その棒は体の一部のように感じられた。不思議な事だったが棒も自由に使う事ができた。高林坊の言っていた『壁』というものを乗り越えたようだった。
稽古が終わり、夜になって、剣術や槍術や薙刀術を相手にしても棒は思うように使えた。心が何かに囚われていると体も自由に使えなくなると高林坊は言っていた。観智坊は剣、槍、薙刀という得物(エモノ)にこだわり過ぎていたのだった。敵がこう来たら、ああやって、ああ来たら、こうやろうというような細かい事にこだわり過ぎていたのだった。剣、槍、薙刀をそれぞれ別に考えて、剣でこう来たら、ああやる、槍がこう来たら、ああやる、薙刀でこう来たら、ああやらなければならないと色々と考えた結果、頭の中は混乱し、体の自由が利かなくなったのだった。剣も槍も薙刀も、刃の通る道はただ一つだった。その事さえ見極めれば、皆、同じ事だった。敵の出方によって臨機応変に応えればいいのだった。観智坊はやっと、その事に気がついた。
壁を乗り越えた観智坊は、また一段と腕を上げて行った。壁を乗り越えた日から七日後、観智坊は上級に上がった。
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