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- 第三部 本願寺蓮如の記事タイトル一覧
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31.吉崎退去2
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二十一日の夜明け前、空はまだ暗かったが、あちこちで燃えている篝火(カガリビ)によって、吉崎御坊は暗闇の中に浮かび上がっていた。
御山への入口である総門の両脇に続く高い土塁の前にも篝火が並び、大勢の門徒たちが、寝ずの番をしていた。
堅く閉ざされていた門が開いて、二人の男が外に出て来た。
二人が出ると、また、門は閉ざされた。
二人の男は篝火の光りを背に受けながら、濠に架けられた橋を渡って町人たちの町の中に入って行った。町人たちの住む町も、北潟湖と大聖寺川から水を引き入れた外濠で囲まれていたが、まだ、御山程の厳重な警固はされていなかった。
総門から出て来た二人は、空き家になっているはずの風眼坊とお雪の家に入って行った。その二人というのは、旅支度をした順如と荷物を担いだ下人だった。順如は縁側から家の中に上がると、真っ暗な部屋の中に声を掛けた。
「準備はできておるか」
「はい。大丈夫です」
暗闇の中で答えたのは、蓮如の執事の下間頼善(シモツマライゼン)だった。頼善の他にも部屋の中には人影があった。
「よし、行くぞ」と順如は言った。
部屋からぞろぞろと出て来たのは、蓮如の五人の子供と、蓮如の妻の如勝、頼善の父親の玄永、それと、蓮誓夫婦と慶覚坊だった。
蓮誓夫婦と慶覚坊は昨日の朝、まだ暗いうちに山田を出て、巳(ミ)の刻(午前十時)前に吉崎に着いていた。三人は蓮如たちと合流しようと思い、蓮誓夫婦を風眼坊の家に置いて、慶覚坊は御山に登った。
その頃、御山では蓮如と順如と頼善の三人が、どうやって吉崎を去るかを検討していた。いい考えが浮かばないようだった。
夜中に、ここを出ると簡単な気持ちでいたが、実際に、ここから、こっそり消えるというのは大変な事だった。抜け穴を使えば御山からは出られる。しかし、そこから先は無理だった。総門は勿論の事、船着き場にも大勢の門徒たちが寝ずの番をしている。そんな中を子供を連れて、誰にも気づかれずに外に出られるはずはなかった。
慶覚坊も一緒に加わって考えた。
「とにかく、総門の外に出る事ですね」と慶覚坊は言った。「総門から出てしまえば、後はどうにでもなります。陸路で行こうが舟で行こうが」
「そうじゃ、総門の外にも船着き場がある。そこから塩屋に向かえばいい」と頼善は言った。
「あそこの船着き場には門徒たちはおらん」と慶覚坊は言った。
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さっそく、総門の外に抜け出す作戦は実行に移された。まず、子供たちは昼間のうちから二組に分けて、頼善と頼善の父親、玄永の二人によって風眼坊の家に連れて行った。
吉崎を守っている門徒たちも、蓮如の子供たちとはあまり面識がないので、玄永の孫、頼善の子供として、ごまかして総門から出る事ができた。
問題は蓮如の妻の如勝だった。如勝の顔を知っている者は多かった。如勝が総門から出て行く分には何も問題なかったが、戻って来ないとなると問題になる。考えたあげく、如勝には化粧をさせ、派手な着物を着せて、遊女に扮して順如と一緒に出て行く事にした。順如の遊び癖は門徒たちの間でも有名だった。順如なら一晩位、戻って来なくても誰も心配しなかった。二、三日、戻って来なかったら、気が変わって、そのまま、近江に帰ったのだろうと思うに違いなかった。
順如は如勝を子供たちのもとに送ると、また、御山に戻った。頼善は船着き場に行って船の手配をした。塩屋の湊まで行けば、若狭の国、小浜(オバマ)まで行く船が待っているという手筈になっていた。
順如は御山に戻ると夜明け前を待ち、蓮如と共に御山を下りた。下人に化けていたのは蓮如だった。順如は女のもとに行くと言いながら門番にいくらかの銭を渡して総門を開けさせた。
蓮如の家族、蓮誓夫婦、それに、順如とお駒、慶覚坊、下間頼善の十三人と、荷物持ちの下男が三人、子供の面倒を見る下女が三人、合わせて十九人が船に乗り込んだ。
大聖寺川は吉崎の辺りでは、かなりの川幅があった。船は向こう岸を目指して川を横切り、対岸に沿って川を下った。
対岸から見る吉崎の御山は篝火に照らされ、そこだけが、まるで昼間のように明るかった。
船の中から皆、黙って、川向こうに浮かぶ御山を見つめていた。
文明三年(一四七一年)、吉崎に来てから四年余りの月日が流れていた。
蓮如は、初めて吉崎に来た時の事を思い出していた。
京で戦が始まり、堅田が叡山に攻められて焼かれ、堅田の住民が琵琶湖の中に浮かぶ沖の島に避難している頃だった。すでに、大谷の本願寺も叡山に焼かれ、当時、蓮如の家族は住む所もなくバラバラになって、近江門徒の世話になっていた。蓮如はしばらく、叡山のふもとから離れようと決心した。
蓮如は落ち着くべき場所を捜すために、東国へ布教の旅に出た。そして、この吉崎の地を見つけた。その旅の途中で会ったのが蓮崇だった。蓮崇は吉崎に移るための事前工作に奔走(ホンソウ)した。朝倉との交渉を初め、吉崎の地の木の伐採(バッサイ)から、寺の普請(フシン)、町割りなど、中心になってやったのが蓮崇だった。もし、蓮崇がいなかったら、蓮如が吉崎に来られなかったかも知れなかった。吉崎は蓮崇と共に始まり、蓮崇と共に終わったと言えた。吉崎を去る蓮如の側には蓮崇はいなかった。
慶覚坊も蓮崇の事を思っていた。
慶覚坊が初めて蓮崇に会ったのも東国への旅の時だった。蓮如の供をして北陸に来た慶覚坊は、二俣本泉寺にて湯涌谷から来たという蓮崇と出会った。蓮崇は蓮如にしつこく頼み込んで、東国への旅に付いて来た。
慶覚坊は初め、蓮崇の事を代々本願寺の執事である下間一族の一人だと思い、一緒にいた蓮如の執事の下間頼善同様に少し間をおいて付き合っていた。しかし、蓮崇はこまごまとした事にまでよく気づき、下人たちと一緒によく動き回っていた。下間一族にも変わった男がいるものだと思いながら眺めていた。やがて、蓮崇が一族には違いないが、下間一族の娘と一緒になって、婿に入ったという事を聞いた。
慶覚坊と同じ立場だった。慶覚坊は婿に入ったわけではなかったが、堅田の法住という近江門徒の中心をなす男の娘を妻にしたため、本願寺の門徒になったのだった。年は慶覚坊の方が二つ上だったが、同じ立場という事もあって、何となく気が合った。
吉崎に進出するに当たって、蓮崇と共に越前に来て下準備をしたのも慶覚坊だった。慶覚坊と違って、口がうまい蓮崇は常に表に立っていた。慶覚坊は蓮崇の護衛という立場だったが、蓮崇と付き合う事によって慶覚坊も少しづつ口が達者になって行き、加賀に来てからは山の中を歩き回って、門徒を増やす事ができたのだった。
蓮崇は武芸の方はまったく駄目でも、口を使う事と、普請や作事(サクジ、土木建築)に関しては驚く程の才能を持っていた。吉崎御坊の建設の中心になって職人たちをうまく使い、てきぱきと作業を進めて行った。勿論、蓮崇にとっても寺の建設など初めての事だったが、職人たちも驚く程の早さで工事は進んで行った。吉崎を去って、今度はどこに落ち着くのか、まだ分からないが、また、寺院を建てるのは確かだった。しかし、もう、蓮崇はいない。今更になって、慶覚坊は蓮崇を失った事が、本願寺にとって大きな損失だったという事に改めて気づき、噂を流したに違いない超勝寺の兄弟たちを恨んでいた。
蓮如の妻の如勝は、初めて吉崎に来た時の事を思い出していた。老いた母親と蓮如の子供たちを連れて、如勝は吉崎にやって来た。吉崎には、まだ町はなく、御山の回りに何軒かの多屋が建っているだけだった。
如勝は京都の商人の娘として生まれた。姉の影響もあって、十七歳の時、大谷の本願寺に行き、蓮如の法話を聞いて門徒となった。如勝は熱心な門徒だった。毎月の講には必ず、顔を出した。当時、蓮如の妻だった如祐とも親しくなり、時には台所に入って手伝いをしたり、子供たちの世話をしたりもした。
本願寺が叡山の悪僧たちに破壊された後は、近江の堅田や金森(カネガモリ)までも出掛けて行った。
やがて、応仁の乱が始まり、如勝の家は焼かれ、近江の坂本にいる親戚を頼って避難した。翌年、父親が亡くなった。戦騒ぎで婚期を逃してしまった如勝は、父親が死ぬと兄夫婦と別れ、母親を連れて金森に移った。金森には蓮如の家族が避難していた。蓮如はその頃、東国の旅に出ていて留守だったが、如勝は金森の門徒たちの世話になりながら暮らした。
翌年、大津に近松顕証寺ができると、如勝母子も金森から大津に移り、金森の道西(ドウセイ)の口添えもあって顕証寺で働く事になった。大谷の本願寺が焼かれてから家族がバラバラになって生活していた蓮如たちも、ようやく、顕証寺に落ち着く事ができ、蓮如の妻、如祐は幸せそうだった。しかし、その幸せも長くは続かず、顕証寺に移って二年足らずで、如祐は亡くなってしまった。まだ三十三歳の若さだった。如祐の側に仕えていた如勝は、自然と母親を亡くした子供たちの世話をするようになって行った。
二年後、蓮如は吉崎に進出し、御坊が完成すると家族を呼んだ。如勝も年老いた母親と蓮如の子供たちを連れて吉崎に移った。その頃の如勝は、すでに蓮如の子供たちの母親代わりだった。子供たちも如勝によくなついていた。如勝は蓮如の子供たちの世話をしていたが、蓮如の身の回りの世話をしていたわけではなかった。蓮如の世話をしていたのは蓮如の娘の見玉(ケンギョク)だった。
見玉は蓮如の四番目の子供だった。見玉は幼い頃、禅宗の喝食(カッシキ)に出されて出家し、蓮如の叔母、見秀尼(ケンシュウニ)のもとで修行していたが、見秀尼が亡くなると蓮如のもとに戻って来た。その見玉が吉崎に来て一年経った頃、二十五歳の若さで急に亡くなってしまった。見玉がいなくなると如勝は蓮如の世話もするようになった。執事である下間玄永の勧めもあって、蓮如は如勝を正式に妻とする事となった。
自然の成り行きと言えた。古くからの門徒たちは皆、如勝が熱心な門徒である事を知っていた。身分的にいえば釣り合わなかったが、阿弥陀如来のもとでは皆、平等であると主張し、寺院から上段の間まで取り払ってしまった蓮如に対して、その事を言い出す者はいなかった。その事を一番気にしていたのは如勝だった。如勝は何度も断ったが、蓮崇に説得されて蓮如の妻になる事に決めた。母親も蓮如のもとに引き取られた。母親は蓮如よりも若かったが、娘が蓮如の妻になる事に対して信じられない事のように喜んでくれた。
母親としては、娘の幸せが一番の気掛かりだった。婚期を逃し、すでに二十六歳になってしまった娘が嫁に行く事を半ば諦めていたのに、上人様の嫁になるという、奇跡に近い事が現実に起こり、阿弥陀如来様のお陰だと、一心に感謝の気持ちを込めて念仏を唱えていた。
戦で家を焼かれ、翌年、夫を亡くして以来、急に老け込み、心から笑うという事のなかった母親も、蓮如のもとで暮らすようになってから笑いが戻り、本当に幸せそうだった。その母も、すでに亡くなっていた。念仏を唱えながら静かにあの世へと旅立って行った。
吉崎という土地は、如勝にとって一生忘れられない思い出の多い土地だった。
如勝は七歳になる祐心(ユウシン)を抱きながら、篝火に照らされた吉崎御坊を見つめていた。
鹿島の森を過ぎた辺りで、ようやく、東の空が白み始めて来た。
塩屋の湊に着くと、一行は素早く大型の船に乗り移り、若狭の国、小浜を目指して海に乗り出して行った。
霧のような、小雨が降っていた。
八月の二十四日、肌寒い一日だった。
小雨の中、吉崎には各地からの門徒が続々と押しかけて来た。
時節がら各地の坊主たちは皆、数十人の兵を引き連れて吉崎にやって来た。連れて来た兵が吉崎警固に加わったため、門前町を囲む外濠まで警固を拡大し、また、大聖寺川や北潟湖の水上にも船に乗った兵が配置された。今日か明日にも、山川三河守が吉崎を攻めて来るとの噂もあり、今回、吉崎に集まって来た者の中に女子供の数は少なかった。
御山の山門は閉ざされたままだった。
山門だけでなく、御山へと続く坂道の入口に立つ北門も閉ざされ、坂道の両脇にある多屋に用のある者だけが通る事を許されていた。
どこの多屋も武装した門徒たちで埋まっていた。蓮崇の多屋は下間一族が管理する事となり、一族の者が加賀河北郡から来た門徒たちの世話をしていた。
蓮崇と慶聞坊の姿が見当たらなかった。誰もが御山にいるものと信じていたため、不思議に思う者はいなかった。吉崎は念仏一色に染まっていた。そして、誰もが、明日から始まるに違いない戦の事を考えていた。
夜になっても念仏は絶えなかった。篝火があちこちで焚かれ、祭りのように賑やかだったが、皆、緊張した面持ちでいた。
長かった夜が明けた。
結局、山川三河守は攻めて来なかった。
当日の早朝、各地の有力坊主のもとに執事の下間玄永からの知らせが届いた。講の始まる前に集まってくれとの事だった。
御山の太鼓が鳴ると同時に御山の山門が開いた。坊主たちがぞろぞろと入って来た。さすがに、武装したままの坊主はいなかった。皆、墨染めの法衣を身に着けていた。
坊主たちが案内されたのは御影堂(ゴエイドウ)ではなく、書院の広間だった。去年、戦の命が出された場所だった。いよいよだな、と思いながら、皆、広間に畏まって座り、蓮如の現れるのを待っていた。
この日、広間に集まったのは二十一人だった。
多屋衆の法実坊、長光坊、法覚坊、円光坊、善光坊、本向坊。
越前から、超勝寺蓮超の代理として定地坊巧遵。
加賀江沼郡からは、熊坂願生坊、黒瀬藤兵衛、庄四郎五郎、坂東四郎左衛門、柴山八郎左衛門、篠原太郎兵衛、黒崎源五郎。
能美郡からは、浄徳寺の慶恵、蛭川新七郎、中川三郎右衛門、宇津呂備前守、そして、山之内衆の河合藤左衛門と二曲右京進(フトウゲウキョウノシン)。
北加賀からは、代表として善福寺の順慶が来ていた。
戦となった場合、南加賀において武将となるべき者たちは、すべて集まっていた。
しばらくして、執事の玄永が現れて正面の脇に座った。
いよいよ、上人様の登場かと、皆、前回の時を思い出しながら、蓮如が現れるのを黙って待っていた。
確か、前回の時、笛の調べが流れていたのを何人かの者が思い出していた。今回も流れるだろうかと期待している者もあったが、笛の調べは流れなかった。
足跡が近づいて来た。
皆、固唾(カタヅ)を呑んで、入り口の方を見守った。
予想に反し、現れたのは本覚寺の蓮光だった。蓮光は集まっている皆を見回しながら、広間に入って来ると正面に座った。
静まっていた広間が、ざわざわとしだした。誰もが、蓮光が上座に座る事に納得しなかった。
「蓮光殿、そなたがどうして、その席に座るのか、まず、その事を説明して貰いたい」と浄徳寺の慶恵が言った。
喋り方は静かだったが、一門である我らを差し置いて、その席に座る事は許せないという気持ちがこもっていた。巧遵と順慶の二人も乗り出すようにして蓮光を責めた。
蓮光は落ち着いていた。
超勝寺の連中が騒ぐ事は前以て分かっていた。蓮如から直々に留守職(ルスシキ)を頼まれた蓮光にとって、たとえ、一門であろうとも恐ろしくはなかった。
「浄徳寺殿の質問に答える前に、発表すべき事柄が三つ、ございます。それをまず、お聞き下さい」と蓮光はよく通る声で言った。
順慶が何かを言おうとしたが、隣にいた慶恵が押えた。
「まず、一つは、前回の掟を破り、門徒たちを扇動したかどにより、下間蓮崇は破門となりました」
「何じゃと」と言ったのは定地坊巧遵だった。
あちこちから、「嘘じゃ」「信じられん」とか言う声が聞こえて来た。
「上人様はどうした。はっきりと上人様の口から聞かない限り、そんな事は信じられん」と言ったのは熊坂願生坊だった。
「そうじゃ、そうじゃ」と皆、熊坂に同意した。
「静かに!」と執事の玄永が言った。
この中でも、最年長である玄永の一言で皆、口をつぐんだ。
「二つ目は、上人様は急に吉崎を去る事となりました」
皆、信じられないという顔をして蓮光を見つめていた。
誰もが、黙っていた。
「いつじゃ」と慶恵は聞いた。
「二十一日です」と玄永が答えた。「上人様は門徒たちが戦をしようとしているのを嘆き、もはや自分の力では門徒たちを止める事ができない、とおっしゃって吉崎を出て行かれました。上人様は門徒たちが戦をしない事を願いながら、吉崎を去って行ったのです」
「蓮崇殿が破門になったというのは事実なのですか」と願生坊が聞いた。
「蓮崇は上人様に事実を伝えず、門徒たちを扇動し、戦をさせようとたくらみました。今日のこの日に、重大発表を行なうという偽の書状を書いて、門徒たちに武装させたのも、蓮崇がたくらんだ事です」
「偽の書状? あれは蓮崇が書いたと言うのか」と定地坊が聞いた。
玄永は頷いた。「しかし、松岡寺の蓮綱殿と光教寺の蓮誓殿がおかしいとお気づきになり、大津の順如殿をお呼びになって、蓮崇のたくらみはすべてばれ、破門となったのです」
玄永はそう説明しながら蓮崇に詫びていた。
玄永は蓮崇が本願寺のために身を引いて、破門になった事を知っていた。しかし、事実を言うわけには行かなかった。事実を言えば、蓮崇を破門に追いやった例の噂を誰が流したのかが問題となってくる。蓮崇派だった者たちは必ず、その犯人を見つける事になるだろう。はっきりとした証拠は上がっていないが、蓮如を初め、事実を知っている者たちは、超勝寺の者たちの仕業ではないかと疑っていた。もし、それが事実だった場合、本願寺は内部分裂を起こしてしまう事になる。今は事実を究明する事よりも、門徒たちに戦をやめさせる事がなによりも先決だった。蓮崇には悪いが、門徒たちへの見せしめとなってもらうより他はなかった。掟を破った事により、蓮如に一番信頼されていた蓮崇が破門になったと聞けば、門徒たちは戦をやめるに違いないと玄永は思っていた。
皆、俯いていた。
「三つ目は」と蓮光が言った。「吉崎御坊の留守職として、上人様より、このわたしが任命を受けました」
誰も何も言わなかった。
確かに、重大発表だった。誰もが予想もしていない程の重大発表だった。
蓮崇の破門‥‥‥
そして、上人様の吉崎退去‥‥‥
明日から戦だ、と誰もが張り切って吉崎にやって来た。ところが、戦どころではなかった。大将と仰ぐべき蓮崇は破門になり、上人様はすでにいない。蓮崇程の者が破門になるという事は、自分たちも破門になりかねなかった。
破門を言い渡されたら、すべてを失う事となった。寺の坊主は寺を追い出され、国人門徒は家臣を失い、土地も失う事になった。国人門徒たちにとって、破門という言葉は、門徒たちを威して兵に狩り出すための決まり文句だった。門徒たちは破門になる事を恐れて武器を手にして集まって来た。その決まり文句が、自分の身に懸かるなんて考えてもみなかった。ところが、蓮崇が破門になったという事で、そんな事は絶対にあり得ないとは言い切れなかった。皆、破門が自分の身に降り懸かる事を恐れながら御山を後にした。そして、皆、不機嫌な顔をしながら、引き連れて来た兵をまとめると吉崎から去って行った。
昼頃には、有力門徒たちは皆、吉崎を去り、今日の日が、講のある二十五日だとは思えない程、吉崎はひっそりとしてしまった。
御山では留守職の蓮光によって講が続けられていた。
昼頃には、吉崎中に蓮如の吉崎退去と蓮崇の破門は知れ渡っていた。誰もが信じられず、二人の指導者を失った門徒たちは、これから、どうしたらいいのか、まったく分からない状況だった。
本願寺が戦をしない、という事だけは門徒たちにも分かったが、吉崎を警固している門徒たちは、上人様のいなくなった御山をこのまま守り続けたらいいのか、警固をやめて家に帰った方がいいのか、誰も命じてくれなかった。もっとも、警固に加わっていた門徒たちは、自分の意志で上人様を守るために吉崎に来た者が多かったが、自分の意志で来たのだからといっても、警固兵の一員になったからには自分勝手に帰るわけには行かなかった。しかし、隊長といえる者たちはどこかに消えてしまい、警固兵たちは、これからどうしたらいいのかまったく分からず、混乱していた。この混乱を静めるべき立場にいた蓮光も弟の長光坊も、御山に登って来る門徒たちを静めるのに必死で、警固兵の事まで考える余裕はなかった。慶覚坊や慶聞坊がいたら警固兵の事も考えただろうが、二人とも蓮如たちの供をして吉崎にはいなかった。
次の日になって、ようやく、警固兵たちに撤退命令が下された。自主的に参加していた門徒たちはすべて帰され、初めから吉崎を守っていた警固隊だけが残った。そして、新たに本覚寺から来た門徒たちが蓮光を守るために配置された。
軽海の守護所の山川三河守は蓮崇と会った後、吉崎に探りを入れた。勿論、それ以前にも探りを入れていたが、武装した門徒たちがうようよいる事と、昼夜、厳重に警固されているという事しか分からなかった。山門は堅く閉ざされたままで侵入する事は不可能だったし、誰も、蓮如がいなくなったなどと疑いを持つ者もいなかった。
新しく吉崎に入った間者(カンジャ)は、まず、蓮崇がいない事を確認した。そして、何とかして御坊の中に侵入し、蓮如がいるかどうか確認しようとした。何人もの連中が挑戦し、忍び込もうとしたが皆、途中で捕まって首をはねられた。
しかし、一人だけ成功した者があった。その間者は大聖寺川の対岸から鹿島の森に渡り、夜を待って御山の下まで泳いで渡った。そして、切り立った絶壁をよじ登って御坊に潜入した。一旦、中に入ってしまえば後は楽だった。その間者は本堂、御影堂、書院、庫裏とすべてを見て回った。
蓮如の姿はなかった。蓮如の妻も子供もいなかった。庫裏にいたのは老人が一人と、坊主が二人、後は、下人たちの小屋に数人の下人や下女がいただけだった。間者は持って来た縄を使って絶壁を滑り下りると対岸まで泳ぎ、急いで軽海に知らせた。
その知らせを聞いた三河守は、二十四日の吉崎への出撃命令を中止し、軽海を守るために待機させた。
講の当日になり、次々に入って来る吉崎の状況を聞きながら、三河守は満足気に頷き、さっそく、野々市の富樫次郎宛に、自分の作戦が成功して蓮崇が破門となり、蓮如が吉崎を退去して行った事を告げた。そして、軽海の女のもとに帰って来ている定地坊を呼ぶと、祝い酒じゃと言って、定地坊を鄭重に持て成した。すでに、三河守は定地坊を初めとした超勝寺の者たちを手なづけて、本願寺を思いのままに操ろうという次の作戦を開始していた。
吉崎を守っている門徒たちも、蓮如の子供たちとはあまり面識がないので、玄永の孫、頼善の子供として、ごまかして総門から出る事ができた。
問題は蓮如の妻の如勝だった。如勝の顔を知っている者は多かった。如勝が総門から出て行く分には何も問題なかったが、戻って来ないとなると問題になる。考えたあげく、如勝には化粧をさせ、派手な着物を着せて、遊女に扮して順如と一緒に出て行く事にした。順如の遊び癖は門徒たちの間でも有名だった。順如なら一晩位、戻って来なくても誰も心配しなかった。二、三日、戻って来なかったら、気が変わって、そのまま、近江に帰ったのだろうと思うに違いなかった。
順如は如勝を子供たちのもとに送ると、また、御山に戻った。頼善は船着き場に行って船の手配をした。塩屋の湊まで行けば、若狭の国、小浜(オバマ)まで行く船が待っているという手筈になっていた。
順如は御山に戻ると夜明け前を待ち、蓮如と共に御山を下りた。下人に化けていたのは蓮如だった。順如は女のもとに行くと言いながら門番にいくらかの銭を渡して総門を開けさせた。
蓮如の家族、蓮誓夫婦、それに、順如とお駒、慶覚坊、下間頼善の十三人と、荷物持ちの下男が三人、子供の面倒を見る下女が三人、合わせて十九人が船に乗り込んだ。
大聖寺川は吉崎の辺りでは、かなりの川幅があった。船は向こう岸を目指して川を横切り、対岸に沿って川を下った。
対岸から見る吉崎の御山は篝火に照らされ、そこだけが、まるで昼間のように明るかった。
船の中から皆、黙って、川向こうに浮かぶ御山を見つめていた。
文明三年(一四七一年)、吉崎に来てから四年余りの月日が流れていた。
蓮如は、初めて吉崎に来た時の事を思い出していた。
京で戦が始まり、堅田が叡山に攻められて焼かれ、堅田の住民が琵琶湖の中に浮かぶ沖の島に避難している頃だった。すでに、大谷の本願寺も叡山に焼かれ、当時、蓮如の家族は住む所もなくバラバラになって、近江門徒の世話になっていた。蓮如はしばらく、叡山のふもとから離れようと決心した。
蓮如は落ち着くべき場所を捜すために、東国へ布教の旅に出た。そして、この吉崎の地を見つけた。その旅の途中で会ったのが蓮崇だった。蓮崇は吉崎に移るための事前工作に奔走(ホンソウ)した。朝倉との交渉を初め、吉崎の地の木の伐採(バッサイ)から、寺の普請(フシン)、町割りなど、中心になってやったのが蓮崇だった。もし、蓮崇がいなかったら、蓮如が吉崎に来られなかったかも知れなかった。吉崎は蓮崇と共に始まり、蓮崇と共に終わったと言えた。吉崎を去る蓮如の側には蓮崇はいなかった。
慶覚坊も蓮崇の事を思っていた。
慶覚坊が初めて蓮崇に会ったのも東国への旅の時だった。蓮如の供をして北陸に来た慶覚坊は、二俣本泉寺にて湯涌谷から来たという蓮崇と出会った。蓮崇は蓮如にしつこく頼み込んで、東国への旅に付いて来た。
慶覚坊は初め、蓮崇の事を代々本願寺の執事である下間一族の一人だと思い、一緒にいた蓮如の執事の下間頼善同様に少し間をおいて付き合っていた。しかし、蓮崇はこまごまとした事にまでよく気づき、下人たちと一緒によく動き回っていた。下間一族にも変わった男がいるものだと思いながら眺めていた。やがて、蓮崇が一族には違いないが、下間一族の娘と一緒になって、婿に入ったという事を聞いた。
慶覚坊と同じ立場だった。慶覚坊は婿に入ったわけではなかったが、堅田の法住という近江門徒の中心をなす男の娘を妻にしたため、本願寺の門徒になったのだった。年は慶覚坊の方が二つ上だったが、同じ立場という事もあって、何となく気が合った。
吉崎に進出するに当たって、蓮崇と共に越前に来て下準備をしたのも慶覚坊だった。慶覚坊と違って、口がうまい蓮崇は常に表に立っていた。慶覚坊は蓮崇の護衛という立場だったが、蓮崇と付き合う事によって慶覚坊も少しづつ口が達者になって行き、加賀に来てからは山の中を歩き回って、門徒を増やす事ができたのだった。
蓮崇は武芸の方はまったく駄目でも、口を使う事と、普請や作事(サクジ、土木建築)に関しては驚く程の才能を持っていた。吉崎御坊の建設の中心になって職人たちをうまく使い、てきぱきと作業を進めて行った。勿論、蓮崇にとっても寺の建設など初めての事だったが、職人たちも驚く程の早さで工事は進んで行った。吉崎を去って、今度はどこに落ち着くのか、まだ分からないが、また、寺院を建てるのは確かだった。しかし、もう、蓮崇はいない。今更になって、慶覚坊は蓮崇を失った事が、本願寺にとって大きな損失だったという事に改めて気づき、噂を流したに違いない超勝寺の兄弟たちを恨んでいた。
蓮如の妻の如勝は、初めて吉崎に来た時の事を思い出していた。老いた母親と蓮如の子供たちを連れて、如勝は吉崎にやって来た。吉崎には、まだ町はなく、御山の回りに何軒かの多屋が建っているだけだった。
如勝は京都の商人の娘として生まれた。姉の影響もあって、十七歳の時、大谷の本願寺に行き、蓮如の法話を聞いて門徒となった。如勝は熱心な門徒だった。毎月の講には必ず、顔を出した。当時、蓮如の妻だった如祐とも親しくなり、時には台所に入って手伝いをしたり、子供たちの世話をしたりもした。
本願寺が叡山の悪僧たちに破壊された後は、近江の堅田や金森(カネガモリ)までも出掛けて行った。
やがて、応仁の乱が始まり、如勝の家は焼かれ、近江の坂本にいる親戚を頼って避難した。翌年、父親が亡くなった。戦騒ぎで婚期を逃してしまった如勝は、父親が死ぬと兄夫婦と別れ、母親を連れて金森に移った。金森には蓮如の家族が避難していた。蓮如はその頃、東国の旅に出ていて留守だったが、如勝は金森の門徒たちの世話になりながら暮らした。
翌年、大津に近松顕証寺ができると、如勝母子も金森から大津に移り、金森の道西(ドウセイ)の口添えもあって顕証寺で働く事になった。大谷の本願寺が焼かれてから家族がバラバラになって生活していた蓮如たちも、ようやく、顕証寺に落ち着く事ができ、蓮如の妻、如祐は幸せそうだった。しかし、その幸せも長くは続かず、顕証寺に移って二年足らずで、如祐は亡くなってしまった。まだ三十三歳の若さだった。如祐の側に仕えていた如勝は、自然と母親を亡くした子供たちの世話をするようになって行った。
二年後、蓮如は吉崎に進出し、御坊が完成すると家族を呼んだ。如勝も年老いた母親と蓮如の子供たちを連れて吉崎に移った。その頃の如勝は、すでに蓮如の子供たちの母親代わりだった。子供たちも如勝によくなついていた。如勝は蓮如の子供たちの世話をしていたが、蓮如の身の回りの世話をしていたわけではなかった。蓮如の世話をしていたのは蓮如の娘の見玉(ケンギョク)だった。
見玉は蓮如の四番目の子供だった。見玉は幼い頃、禅宗の喝食(カッシキ)に出されて出家し、蓮如の叔母、見秀尼(ケンシュウニ)のもとで修行していたが、見秀尼が亡くなると蓮如のもとに戻って来た。その見玉が吉崎に来て一年経った頃、二十五歳の若さで急に亡くなってしまった。見玉がいなくなると如勝は蓮如の世話もするようになった。執事である下間玄永の勧めもあって、蓮如は如勝を正式に妻とする事となった。
自然の成り行きと言えた。古くからの門徒たちは皆、如勝が熱心な門徒である事を知っていた。身分的にいえば釣り合わなかったが、阿弥陀如来のもとでは皆、平等であると主張し、寺院から上段の間まで取り払ってしまった蓮如に対して、その事を言い出す者はいなかった。その事を一番気にしていたのは如勝だった。如勝は何度も断ったが、蓮崇に説得されて蓮如の妻になる事に決めた。母親も蓮如のもとに引き取られた。母親は蓮如よりも若かったが、娘が蓮如の妻になる事に対して信じられない事のように喜んでくれた。
母親としては、娘の幸せが一番の気掛かりだった。婚期を逃し、すでに二十六歳になってしまった娘が嫁に行く事を半ば諦めていたのに、上人様の嫁になるという、奇跡に近い事が現実に起こり、阿弥陀如来様のお陰だと、一心に感謝の気持ちを込めて念仏を唱えていた。
戦で家を焼かれ、翌年、夫を亡くして以来、急に老け込み、心から笑うという事のなかった母親も、蓮如のもとで暮らすようになってから笑いが戻り、本当に幸せそうだった。その母も、すでに亡くなっていた。念仏を唱えながら静かにあの世へと旅立って行った。
吉崎という土地は、如勝にとって一生忘れられない思い出の多い土地だった。
如勝は七歳になる祐心(ユウシン)を抱きながら、篝火に照らされた吉崎御坊を見つめていた。
鹿島の森を過ぎた辺りで、ようやく、東の空が白み始めて来た。
塩屋の湊に着くと、一行は素早く大型の船に乗り移り、若狭の国、小浜を目指して海に乗り出して行った。
6
霧のような、小雨が降っていた。
八月の二十四日、肌寒い一日だった。
小雨の中、吉崎には各地からの門徒が続々と押しかけて来た。
時節がら各地の坊主たちは皆、数十人の兵を引き連れて吉崎にやって来た。連れて来た兵が吉崎警固に加わったため、門前町を囲む外濠まで警固を拡大し、また、大聖寺川や北潟湖の水上にも船に乗った兵が配置された。今日か明日にも、山川三河守が吉崎を攻めて来るとの噂もあり、今回、吉崎に集まって来た者の中に女子供の数は少なかった。
御山の山門は閉ざされたままだった。
山門だけでなく、御山へと続く坂道の入口に立つ北門も閉ざされ、坂道の両脇にある多屋に用のある者だけが通る事を許されていた。
どこの多屋も武装した門徒たちで埋まっていた。蓮崇の多屋は下間一族が管理する事となり、一族の者が加賀河北郡から来た門徒たちの世話をしていた。
蓮崇と慶聞坊の姿が見当たらなかった。誰もが御山にいるものと信じていたため、不思議に思う者はいなかった。吉崎は念仏一色に染まっていた。そして、誰もが、明日から始まるに違いない戦の事を考えていた。
夜になっても念仏は絶えなかった。篝火があちこちで焚かれ、祭りのように賑やかだったが、皆、緊張した面持ちでいた。
長かった夜が明けた。
結局、山川三河守は攻めて来なかった。
当日の早朝、各地の有力坊主のもとに執事の下間玄永からの知らせが届いた。講の始まる前に集まってくれとの事だった。
御山の太鼓が鳴ると同時に御山の山門が開いた。坊主たちがぞろぞろと入って来た。さすがに、武装したままの坊主はいなかった。皆、墨染めの法衣を身に着けていた。
坊主たちが案内されたのは御影堂(ゴエイドウ)ではなく、書院の広間だった。去年、戦の命が出された場所だった。いよいよだな、と思いながら、皆、広間に畏まって座り、蓮如の現れるのを待っていた。
この日、広間に集まったのは二十一人だった。
多屋衆の法実坊、長光坊、法覚坊、円光坊、善光坊、本向坊。
越前から、超勝寺蓮超の代理として定地坊巧遵。
加賀江沼郡からは、熊坂願生坊、黒瀬藤兵衛、庄四郎五郎、坂東四郎左衛門、柴山八郎左衛門、篠原太郎兵衛、黒崎源五郎。
能美郡からは、浄徳寺の慶恵、蛭川新七郎、中川三郎右衛門、宇津呂備前守、そして、山之内衆の河合藤左衛門と二曲右京進(フトウゲウキョウノシン)。
北加賀からは、代表として善福寺の順慶が来ていた。
戦となった場合、南加賀において武将となるべき者たちは、すべて集まっていた。
しばらくして、執事の玄永が現れて正面の脇に座った。
いよいよ、上人様の登場かと、皆、前回の時を思い出しながら、蓮如が現れるのを黙って待っていた。
確か、前回の時、笛の調べが流れていたのを何人かの者が思い出していた。今回も流れるだろうかと期待している者もあったが、笛の調べは流れなかった。
足跡が近づいて来た。
皆、固唾(カタヅ)を呑んで、入り口の方を見守った。
予想に反し、現れたのは本覚寺の蓮光だった。蓮光は集まっている皆を見回しながら、広間に入って来ると正面に座った。
静まっていた広間が、ざわざわとしだした。誰もが、蓮光が上座に座る事に納得しなかった。
「蓮光殿、そなたがどうして、その席に座るのか、まず、その事を説明して貰いたい」と浄徳寺の慶恵が言った。
喋り方は静かだったが、一門である我らを差し置いて、その席に座る事は許せないという気持ちがこもっていた。巧遵と順慶の二人も乗り出すようにして蓮光を責めた。
蓮光は落ち着いていた。
超勝寺の連中が騒ぐ事は前以て分かっていた。蓮如から直々に留守職(ルスシキ)を頼まれた蓮光にとって、たとえ、一門であろうとも恐ろしくはなかった。
「浄徳寺殿の質問に答える前に、発表すべき事柄が三つ、ございます。それをまず、お聞き下さい」と蓮光はよく通る声で言った。
順慶が何かを言おうとしたが、隣にいた慶恵が押えた。
「まず、一つは、前回の掟を破り、門徒たちを扇動したかどにより、下間蓮崇は破門となりました」
「何じゃと」と言ったのは定地坊巧遵だった。
あちこちから、「嘘じゃ」「信じられん」とか言う声が聞こえて来た。
「上人様はどうした。はっきりと上人様の口から聞かない限り、そんな事は信じられん」と言ったのは熊坂願生坊だった。
「そうじゃ、そうじゃ」と皆、熊坂に同意した。
「静かに!」と執事の玄永が言った。
この中でも、最年長である玄永の一言で皆、口をつぐんだ。
「二つ目は、上人様は急に吉崎を去る事となりました」
皆、信じられないという顔をして蓮光を見つめていた。
誰もが、黙っていた。
「いつじゃ」と慶恵は聞いた。
「二十一日です」と玄永が答えた。「上人様は門徒たちが戦をしようとしているのを嘆き、もはや自分の力では門徒たちを止める事ができない、とおっしゃって吉崎を出て行かれました。上人様は門徒たちが戦をしない事を願いながら、吉崎を去って行ったのです」
「蓮崇殿が破門になったというのは事実なのですか」と願生坊が聞いた。
「蓮崇は上人様に事実を伝えず、門徒たちを扇動し、戦をさせようとたくらみました。今日のこの日に、重大発表を行なうという偽の書状を書いて、門徒たちに武装させたのも、蓮崇がたくらんだ事です」
「偽の書状? あれは蓮崇が書いたと言うのか」と定地坊が聞いた。
玄永は頷いた。「しかし、松岡寺の蓮綱殿と光教寺の蓮誓殿がおかしいとお気づきになり、大津の順如殿をお呼びになって、蓮崇のたくらみはすべてばれ、破門となったのです」
玄永はそう説明しながら蓮崇に詫びていた。
玄永は蓮崇が本願寺のために身を引いて、破門になった事を知っていた。しかし、事実を言うわけには行かなかった。事実を言えば、蓮崇を破門に追いやった例の噂を誰が流したのかが問題となってくる。蓮崇派だった者たちは必ず、その犯人を見つける事になるだろう。はっきりとした証拠は上がっていないが、蓮如を初め、事実を知っている者たちは、超勝寺の者たちの仕業ではないかと疑っていた。もし、それが事実だった場合、本願寺は内部分裂を起こしてしまう事になる。今は事実を究明する事よりも、門徒たちに戦をやめさせる事がなによりも先決だった。蓮崇には悪いが、門徒たちへの見せしめとなってもらうより他はなかった。掟を破った事により、蓮如に一番信頼されていた蓮崇が破門になったと聞けば、門徒たちは戦をやめるに違いないと玄永は思っていた。
皆、俯いていた。
「三つ目は」と蓮光が言った。「吉崎御坊の留守職として、上人様より、このわたしが任命を受けました」
誰も何も言わなかった。
確かに、重大発表だった。誰もが予想もしていない程の重大発表だった。
蓮崇の破門‥‥‥
そして、上人様の吉崎退去‥‥‥
明日から戦だ、と誰もが張り切って吉崎にやって来た。ところが、戦どころではなかった。大将と仰ぐべき蓮崇は破門になり、上人様はすでにいない。蓮崇程の者が破門になるという事は、自分たちも破門になりかねなかった。
破門を言い渡されたら、すべてを失う事となった。寺の坊主は寺を追い出され、国人門徒は家臣を失い、土地も失う事になった。国人門徒たちにとって、破門という言葉は、門徒たちを威して兵に狩り出すための決まり文句だった。門徒たちは破門になる事を恐れて武器を手にして集まって来た。その決まり文句が、自分の身に懸かるなんて考えてもみなかった。ところが、蓮崇が破門になったという事で、そんな事は絶対にあり得ないとは言い切れなかった。皆、破門が自分の身に降り懸かる事を恐れながら御山を後にした。そして、皆、不機嫌な顔をしながら、引き連れて来た兵をまとめると吉崎から去って行った。
昼頃には、有力門徒たちは皆、吉崎を去り、今日の日が、講のある二十五日だとは思えない程、吉崎はひっそりとしてしまった。
御山では留守職の蓮光によって講が続けられていた。
昼頃には、吉崎中に蓮如の吉崎退去と蓮崇の破門は知れ渡っていた。誰もが信じられず、二人の指導者を失った門徒たちは、これから、どうしたらいいのか、まったく分からない状況だった。
本願寺が戦をしない、という事だけは門徒たちにも分かったが、吉崎を警固している門徒たちは、上人様のいなくなった御山をこのまま守り続けたらいいのか、警固をやめて家に帰った方がいいのか、誰も命じてくれなかった。もっとも、警固に加わっていた門徒たちは、自分の意志で上人様を守るために吉崎に来た者が多かったが、自分の意志で来たのだからといっても、警固兵の一員になったからには自分勝手に帰るわけには行かなかった。しかし、隊長といえる者たちはどこかに消えてしまい、警固兵たちは、これからどうしたらいいのかまったく分からず、混乱していた。この混乱を静めるべき立場にいた蓮光も弟の長光坊も、御山に登って来る門徒たちを静めるのに必死で、警固兵の事まで考える余裕はなかった。慶覚坊や慶聞坊がいたら警固兵の事も考えただろうが、二人とも蓮如たちの供をして吉崎にはいなかった。
次の日になって、ようやく、警固兵たちに撤退命令が下された。自主的に参加していた門徒たちはすべて帰され、初めから吉崎を守っていた警固隊だけが残った。そして、新たに本覚寺から来た門徒たちが蓮光を守るために配置された。
軽海の守護所の山川三河守は蓮崇と会った後、吉崎に探りを入れた。勿論、それ以前にも探りを入れていたが、武装した門徒たちがうようよいる事と、昼夜、厳重に警固されているという事しか分からなかった。山門は堅く閉ざされたままで侵入する事は不可能だったし、誰も、蓮如がいなくなったなどと疑いを持つ者もいなかった。
新しく吉崎に入った間者(カンジャ)は、まず、蓮崇がいない事を確認した。そして、何とかして御坊の中に侵入し、蓮如がいるかどうか確認しようとした。何人もの連中が挑戦し、忍び込もうとしたが皆、途中で捕まって首をはねられた。
しかし、一人だけ成功した者があった。その間者は大聖寺川の対岸から鹿島の森に渡り、夜を待って御山の下まで泳いで渡った。そして、切り立った絶壁をよじ登って御坊に潜入した。一旦、中に入ってしまえば後は楽だった。その間者は本堂、御影堂、書院、庫裏とすべてを見て回った。
蓮如の姿はなかった。蓮如の妻も子供もいなかった。庫裏にいたのは老人が一人と、坊主が二人、後は、下人たちの小屋に数人の下人や下女がいただけだった。間者は持って来た縄を使って絶壁を滑り下りると対岸まで泳ぎ、急いで軽海に知らせた。
その知らせを聞いた三河守は、二十四日の吉崎への出撃命令を中止し、軽海を守るために待機させた。
講の当日になり、次々に入って来る吉崎の状況を聞きながら、三河守は満足気に頷き、さっそく、野々市の富樫次郎宛に、自分の作戦が成功して蓮崇が破門となり、蓮如が吉崎を退去して行った事を告げた。そして、軽海の女のもとに帰って来ている定地坊を呼ぶと、祝い酒じゃと言って、定地坊を鄭重に持て成した。すでに、三河守は定地坊を初めとした超勝寺の者たちを手なづけて、本願寺を思いのままに操ろうという次の作戦を開始していた。
32.再会1
1
雲一つない秋空が広がっていた。
近江の国の野洲(ヤス)川沿いをのんびりと歩いている旅人の一行があった。
風眼坊舜香、お雪、下間蓮崇、弥兵の四人だった。風眼坊と蓮崇は侍姿のままだったが、お雪は女の姿に戻っていた。
加賀の国、軽海郷を出てから十三日が過ぎていた。
一行は軽海から本泉寺に向かい、蓮崇は家族に別れを告げた。そして、湯涌谷に行き、そこで弥兵と別れるつもりでいたが、弥兵は、どうしても付いて行くと言い張った。蓮崇は、自分はすでに本願寺を破門になった身だから、一緒に来ても肩身の狭い思いをするだけだと言って説得した。弥兵は、それなら自分も破門になるから一緒に連れて行ってくれと言い張った。結局、蓮崇の方が負けて、弥兵は付いて来る事となった。
その後、越中に入り、飛騨(岐阜県北部)、美濃(岐阜県中南部)を抜けて近江に入り、ようやく、飯道山の裾野までやって来た。二、三日は、ここで旅の疲れを取り、播磨に向かうつもりでいた。
蓮崇は湯涌谷を下りてから、ずっと、沈んだ顔をして俯(ウツム)きながら歩いていた。風眼坊やお雪が冗談を言って笑わせようとしても、蓮崇はただ頷くだけで笑おうとはしなかった。旅の疲れもあるだろうが、この数日間で急に年を取ったかのように妙に老け込んでしまった。時が解決してくれるだろうと思い、風眼坊は蓮崇の事を気に掛けないようにしていた。
一行は飯道山の裾野を回って飯道山の門前町へと入った。
ここも昔のような活気はなかった。風眼坊が四天王として活躍していた頃は、毎日、信者たちが行き交って賑やかだったが、年が経つにつれて信者の数が減っているようだった。他の寺院と違って信者が減っても、武術修行者の数は年を追う事に増えているので、飯道山の財政が苦しくなるという事はないが、やはり、淋しいものがあった。
風眼坊はお雪と蓮崇たちに、この山の事を説明しながら花養院へと向かった。
蓮崇は風眼坊の説明を聞いているのかいないのか、時折、顔を上げて回りを見るが、暗い顔をしたままだった。
風眼坊は花養院に行くのに、何となく気まずい思いがあった。お雪を何と言って、松恵尼に説明したらいいのだろうか迷っていた。蓮崇の娘という事にして、何とか、ごまかそうとも思ったが、松恵尼は感が鋭い、騙(ダマ)し通せるとは思えなかった。成り行きに任せるしかないと覚悟を決めて、風眼坊は花養院の門をくぐった。
相変わらず、子供たちが賑やかだった。
「もしかして、あの子たちは孤児?」とお雪は聞いた。
「そうじゃ」と風眼坊は答えた。
「ここの院主さんは松恵尼殿といってな。孤児たちを引き取って世話をしておるんじゃよ」
「風眼坊様」と金比羅坊の娘、おちいが寄って来た。
「しばらくじゃな」と風眼坊は言った。
「風眼坊様は本当は何者なんですか」とおちいは聞いた。
「はあ?」
「昔は行者(ギョウジャ)さんでした。この前はお医者様でした。そして、今度はお侍さん、一体、本当は何なんですか」
「本当は何なんじゃろうのう」と風眼坊は笑った。「最近、わしにも分からなくなってしまったわ」
「おかしいの」おちいはフフフと笑った。金比羅坊の娘とは思えないほど可愛い笑顔だった。
「親父殿から何か連絡あったか」と風眼坊は聞いた。
おちいは笑いながら頷いた。「もう少ししたらお屋敷が完成するから播磨に来いって」
「ほう、お屋敷か‥‥‥凄いのう」
「お父さん、太郎坊様の年寄衆(トシヨリシュウ)っていう役に就いたんですって、年寄衆って偉いの?」
「年寄衆か、凄いのう。おちいちゃん、年寄衆っていうのは殿様の次に偉いんじゃよ」
「ほんと、凄い」
「おちいちゃんも播磨に行ったら、お姫様じゃのう」
「あたしがお姫様? やだあ、風眼坊様ったら」
「おちいちゃん、松恵尼殿はおるか」
「あっ、そうだ、忘れてたわ。楓様に女の子が生まれたのよ。それで、松恵尼様、播磨に行ったの」
「なに、楓殿の子供がのう。そいつはめでたい事じゃ。初めての子供か」
「いいえ。風眼坊様、御存じなかったの。上に男の子がいるわ。百太郎(モモタロウ)さんていうの」
「ほう。男の子もおったのか、知らなかった‥‥‥松恵尼殿はいつ頃、帰って来るんじゃ」
「よく分からないけど、お祭りまでには帰って来るんじゃない」
「お祭り? そうか、もうすぐ祭りじゃのう。そう言えば、去年、ここに来たのも祭りの前じゃったな。あれからもう一年か‥‥‥」
「風眼坊様。仲恵尼(チュウケイニ)様、御存じでしょう」とおちいが言った。
「仲恵尼? 誰じゃろ」
「仲恵尼様は風眼坊様の事、知ってるのよ。風眼坊様がお山で剣術を教えていた頃、ここにいたんですって」
「‥‥‥ああ、思い出したわ。懐かしいのう。その仲恵尼殿が今、ここにおるのか」
おちいは頷いた。
仲恵尼というのは、当時、まだ二十歳そこそこだった松恵尼を補佐していた尼僧だった。風眼坊も当時はまだ二十歳そこそこで、松恵尼に会うために花養院に忍び込んでは、仲恵尼に怒られていた。風眼坊にとって仲恵尼は鬼よりも恐い存在だった。
風眼坊たちは客間に通され、仲恵尼と会った。もう五十歳を越えているはずなのに、相変わらず威勢のいい尼さんだった。
「風眼坊か、懐かしいのう。何しに、また舞い戻って来たんじゃ」
「何しにと言ってものう。やはり、ここは、わしにとって故郷みたいなもんじゃからのう」
「何を言っておる、お目当ては松恵尼だろうが。生憎、松恵尼は留守じゃ。当分、帰って来んじゃろう。残念じゃったな」
「仲恵尼殿には、かなわんのう。松恵尼殿が目当てで来たわけじゃないわい」
「ふん、分かるものか。松恵尼はいくつになっても綺麗じゃからのう。男どもが擦り寄って来るのも当然じゃがのう」
「仲恵尼殿はいつから、ここに?」
「今年の春からじゃ」
「今までどこに」
「伊勢の多気(タゲ)じゃ」
「ほう、北畠の所におったんですか」
「そういう事じゃ。どうじゃ、わしがいなくなってから松恵尼とはうまく行ったか」
「何を言っておるんです。松恵尼殿は男なんか近づけません」
「そうかのう。あんな、うまそうな女子は滅多におらんのにのう。おぬしでも落ちなかったか。勿体ない事よのう」
「まったく、仲恵尼殿にはかなわんのう。松恵尼殿にも面と向かってそんな事言っておるんですか」
「ああ、言うとも。しかし、松恵尼は不思議な女子(オナゴ)じゃ。もう四十は過ぎておるはずなのに、どう見ても三十位にしか見えん。松恵尼と一緒におると、わしだけが年を取ってしまったような錯覚に落ちいるわ。わしが男じゃったら絶対にものにするがのう」
「手ごわいですぞ」
「分かっておるわい。ところで、そこにおる別嬪(ベッピン)は何者じゃ」
「ああ、そうだ、紹介します」
風眼坊は、お雪、そして、蓮崇と弥兵を紹介した。
「風眼坊の妻です」とお雪は言ってしまった。
「なに、おぬしの嫁御か‥‥‥ほう、若い女子をたらし込みおったのう」
「別にたらし込んだわけではないがのう。成り行きというもんじゃ」
「ほう、成り行きね‥‥‥そう言えば、栄意坊の奴も若い女子を連れて戻って来おったわ。どいつもこいつも若い女子に手を出しおって」
「栄意坊が戻って来た?」
「ああ。お山で槍を教えておるわ」
「ほう、栄意坊の奴、今、お山におるのか。あいつに会うのも久し振りじゃのう」
風眼坊はお雪を花養院に残し、蓮崇と弥兵を連れて飯道山に登った。
山の中に、木剣の打ち合う音が響いていた。
蓮崇と弥兵の二人は、不思議な所に来たというように辺りをキョロキョロ見回していた。風眼坊は二人に飯道山の事を説明しながら赤鳥居をくぐった。
不動院に顔を出してみたが、高林坊はいなかった。
道場の方に向かう途中で高林坊とばったり出会った。
「よう、どうした、また、武器の買い付けか」と高林坊は笑いながら言った。
「いや、あれはもう終わりじゃ。今日は栄意坊に会いに来たんじゃ。奴はいつ戻って来たんじゃ」
「おう。まだ来たばかりじゃ。二ケ月位前かのう、突然、フラッと現れてのう。わしはまだ、見てはおらんが女子と一緒じゃ。奴もようやく身を固める気になったようじゃのう」
「それで、奴は今、槍を教えておるのか」
「おお、そうじゃ」
高林坊は風眼坊の後ろにいる蓮崇をじっと見ていた。
「‥‥‥勧知坊(カンチボウ)殿じゃないのか」と高林坊は蓮崇に聞いた。
「高林坊、その勧知坊というのは何者じゃ。ここに来る途中で会った山伏も、蓮崇殿を見て、勧知坊じゃないかと言っておったが」
「人違いか‥‥‥そうじゃろうのう。しかし、似ておる。そっくりじゃ」
「何者なんじゃ」
「もう二十年も前になるかのう。一年間だけじゃったが、奴はおぬしの代わりに剣術を教えておったんじゃ。かなりの腕じゃった。その頃、勧知坊殿とおぬしがやったら、どっちが強いかというのが、よく噂になったもんじゃった」
「ほう、そんな奴がおったのか、初耳じゃな。一年間で山を下りて、その後、どこに行ったんじゃ」
「わしもその頃、葛城(カツラギ)山に戻っていたんで詳しい事は知らんのじゃが、六角氏の争い事に巻き込まれて戦死したらしい」
「何じゃ、死んじまったのか」
「ああ。しかし、よく似ておるわ」
「蓮崇殿も災難じゃのう、死んだ者に間違えられるとはのう」
「まあ、もし、生きておったとしても、もう六十に近いはずじゃ。いつまでも、あの頃と同じ顔をしておるわけないからのう。あの頃の勧知坊殿にそっくりなんじゃよ」
「ふうん。勧知坊ね‥‥‥そいつは髪を剃っておったのか」
「ああ。真言の行者じゃった」
四人は槍術の道場に向かった。
栄意坊の方は風眼坊を見て、すぐに分かったようだったが、風眼坊の方は栄意坊が分からなかった。栄意坊には髭(ヒゲ)がなかった。
「風眼坊!」と喚(ワメ)きながら栄意坊は飛んで来た。「久し振りじゃのう。どこ行っておったんじゃ」
「おぬし、髭を剃るとなかなかいい男じゃのう。髭のないおぬしの顔、初めて見たぞ」
「わしが剃ったら、今度は、おぬしが口髭を伸ばしたのか」
「ああ。ちょっと町医者をやってたもんでな」
「町医者?」
「おう。気楽に町人暮らしを楽しんでおったのよ」
「ちょっと待ってろ」と栄意坊は道場に戻ると師範に一言、言って戻って来た。
蓮崇は修行者たちをじっと見ていた。
「懐かしいのう。何年振りじゃ」
「さあな。おぬしと一緒に四国まで旅したのが最後じゃったのう。あれから色々な事があったわ」
「わしも色々とあったぞ」
五人は不動院の方に向かった。
槍術の道場の隣には剣術道場があった。蓮崇は剣術道場もじっと見ていた。
「高林坊、剣術道場に慶覚坊、いや、火乱坊の伜がおるはずなんじゃが知らんか」
「なに、火乱坊の伜? そんな事、聞いておらんぞ」
「やはりのう。洲崎(スノザキ)十郎左衛門という名じゃ。なかなか、素質のある奴じゃ」
「ほう、火乱坊の伜がここにおるのか」と栄意坊は驚いた。「火乱坊の奴は今、何をしておるんじゃ」
「後で教えてやる。わしはついこの間まで奴と一緒じゃった。この蓮崇殿も一緒じゃ。奴と一緒に戦をしておったわ」
「ほう」
不動院で一休みし、今夜、『とんぼ』で飲む約束をして、風眼坊と蓮崇と弥兵は山を下りた。
山を下りる前、蓮崇は風眼坊にもう一度、道場を見たいと言い、風眼坊は喜んで蓮崇を道場に連れて行った。棒術道場を見て、剣術道場に来た時、十郎左衛門が二人に気づいた。十郎左衛門は稽古をやめて、師範に何かを言うと近づいて来た。
「風眼坊殿と蓮崇殿、お久し振りです。一体、どうしてここへ」
「ちょっとな、用があってな」と風眼坊は言った。
「そうですか‥‥‥風眼坊殿、ここは凄いです。本当に来て良かったと思います」
「そいつは良かった。親父の名前は出しておらんようじゃな」
「ええ、親父は親父です。俺は親父を乗り越えるつもりです」
「そうか、親父を乗り越えるか、頼もしい奴じゃ。後三ケ月じゃ、頑張れ」
「はい。もうすぐ、天狗太郎とも会えます。頑張ります」
「おお、そうか、十二月になれば太郎坊が来るんじゃのう」
「はい。志能便(シノビ)の術を習います」
「志能便の術か‥‥‥」
「志能便の術とは何です」と蓮崇が聞いた。
「いつか、蓮崇殿に話したじゃろう。わしの弟子の太郎坊が編み出した『陰の術』の事じゃよ」
「ああ、陰の術ですか‥‥‥」
「ここで一年間の修行に耐えた者だけに、最後の一ケ月間、その志能便の術を教える事になっておるんじゃ」
「風眼坊殿、天狗太郎は風眼坊殿のお弟子さんなのですか」と十郎が驚いた顔して聞いた。
「おお、知らなかったのか。わしのたった一人の弟子じゃ」
「風眼坊殿が天狗太郎の師匠‥‥‥そいつは凄いや。その事を知っていたら、加賀におった頃、風眼坊殿からもっと教わればよかった」
「なに、加賀におった頃のわしは医者じゃよ。人を倒すのではなくて、人を助けるのが仕事じゃ」
「お二人は、しばらく、ここにおるのですか」
「そうじゃのう。長旅で疲れたから、二、三日はのんびりするつもりじゃ」
「そうですか、山を下りられないのが残念です」
「後三ケ月の我慢じゃ。頑張れよ」
十郎と別れると、三人は槍術、薙刀術の道場を回り、飯道寺と飯道神社を参拝して山を下りた。
山を下りる頃には日が暮れかかっていた。
蓮崇は、ずっと何かを考えているようだったが、風眼坊はあえて声を掛けなかった。本願寺のために、若い者たちをここに送って鍛えようと思っているのだろうが、本願寺を破門になってしまった蓮崇には、もう、それはできない。蓮崇に本願寺の事を忘れさせるには時の流れに任せるより他はなかった。
花養院に戻るとお雪を連れて、松恵尼の経営する旅籠屋『伊勢屋』に移った。
伊勢屋から『とんぼ』はすぐ側だった。風呂に入って旅の疲れを取り、夕食を済ますと風眼坊と蓮崇は『とんぼ』に向かった。弥兵も誘ったが、わしが行っても話が分かりませんからと遠慮して旅籠屋に残った。
旅籠屋『伊勢屋』の正面に『不動町』と呼ばれる盛り場があった。この一画には、小さな居酒屋が並んでいた。『とんぼ』という店は、この一画の中で一番古い店だった。小さな店のほとんどは、二、三年もすれば名前が変わって行ったが、『とんぼ』だけは変わらず、久し振りにここに来た山伏たちは必ず、『とんぼ』の親爺の所に顔を出していた。
『とんぼ』には、まだ、誰もいなかった。
「不景気そうじゃのう」と風眼坊は親爺に声を掛けた。
「おお、風眼坊か‥‥‥一年振りか。今度は医者をやめて侍になったのか」
「浪人じゃ。仕官口はないかのう」
「おぬし程の腕があれば、どこでも仕官できるわ。その気があればの話じゃがな」
「残念ながら、その気がないんで困っておるわ‥‥‥どうじゃ、景気いいか」
「最近はさっぱりじゃ」
「お山の連中もあまり来んのか」
「来ない事もないが景気は悪いのう。お山に登る信者たちの数が減っておるからのう。遊女屋なんか、かなり、こたえておるようじゃ。最近になって遊女の数が減って来ておる。ただ飯を食わせておくわけにはいかんからのう」
「そうか。不景気か‥‥‥」
「戦場が儲かるといって、遊女たちを引き連れて戦場に行った者もおったが、どうなった事やら」
「戦場に女子を連れて行ったのか‥‥‥確かに儲かるかもしれんが、女子たちが可哀想じゃのう」
「ああ、可哀想じゃ」
「ついこの間も遊女の一人が首を吊ったわ。可哀想な事じゃ」
「首を吊ったか‥‥‥」
「首を吊るのもおれば、足を洗って飲屋を出すのもいる。世の中様々じゃ」
「ほう。遊女が店を出したか」
「お山のお偉いさんが後ろに付いておるんじゃろ」
「じゃろうのう」
「戦で大儲けした奴もおるんじゃ。人々を救うべきお山が、先頭になって戦の後押しをしておるんじゃから世も末じゃ。まあ、そんな事は今に始まったわけじゃないがのう。わしは、おぬしが医者をやっておると聞いて嬉しかったぞ。あれだけの腕を持ちながら戦に参加しないで、戦の負傷者の治療をしておるとはのう。さすがじゃのう」
「なに、成り行きじゃ‥‥‥そうじゃ、親爺、聞きたかった事があったんじゃ」
「何じゃ」
「去年の暮れ、太郎坊の奴は来たのか」
「おお、来たとも。弟子を一人連れて、現れたわ」
「弟子? どんな奴じゃ」
「八郎坊とかいったのう。とぼけた奴じゃった。あれで、志能便の術など教えられるのか、と思う程の調子者じゃったわ」
「そうか、八郎坊か‥‥‥」
「今年も、もうすぐじゃな。今、播磨の方におるとか言っておったが、太郎坊の奴、一回りも二回りも大きくなったようじゃった。貫禄が付いて来たわ」
「そうか、貫禄が付いて来たか‥‥‥これから、播磨に行ってみようと思っとるんじゃ。会うのが楽しみじゃわ」
「太郎坊も、そなたに会いたがっておったぞ」
「奴はここに来たのか」
「ああ。最後に恒例の飲み会があるじゃろ。その帰りにフラッと来て、寄って行ったわ」
「そうか、ここで飲んで行ったか‥‥‥やはり、親爺に聞けば何でも分かるのう。親爺は、ここの主(ヌシ)じゃのう」
高林坊と栄意坊が揃って入って来た。
「ほう、四天王のうちの三人のお揃いか、珍しい事じゃのう。後の一人は全然、見んのう」
「後の一人の息子が今、お山におる」と風眼坊は言った。
「なに、火乱坊の息子がおるのか‥‥‥そろそろ世代交代の時期か‥‥‥みんな、年を取ったという事じゃのう」
酒を飲みながら、四人は別れて以来のお互いの事を話し合った。話はいつになっても尽きなかった。
蓮崇は興味深そうに三人の話を聞いていた。蓮崇にはまったく縁のない話だったが、黙って聞いていた。三人が羨ましかった。皆、一流の武芸者だった。ここの親爺が言う通り、武士になれば一角(ヒトカド)の武将になる事は確かだった。しかし、彼らは自分の腕を売るという事はしなかった。
慶覚坊(火乱坊)の話になった。蓮崇は本願寺の事を二人に説明した。蓮崇の話を聞いて、高林坊も栄意坊もようやく、火乱坊が何をしようとしているのか分かったようだった。
「火乱坊の奴、そんな事をしておったのか」と栄意坊は言った。
「羨ましい奴よ。奴は本願寺のために命を張っておる」と風眼坊は言った。
「そうか、命を張っておるか‥‥‥」と高林坊は言った。
高林坊は四人の中で一番真面目な男だった。
四天王と呼ばれていた頃、初めに山を下りたのは栄意坊だった。次に風眼坊と火乱坊が山を下りた。最後に残った高林坊は責任者として各道場をまとめなくてはならなかった。それでも、各道場にそれぞれ四天王に代わる後継者もでき、高林坊は風眼坊たちが山を下りた二年後には葛城山に帰った。他の三人は山を下りるとフラフラと旅に出たが、高林坊は旅には出ず、まっすぐに葛城山に帰った。葛城山に帰って嫁を貰った。
高林坊は葛城山の先達(センダツ)として信者たちの面倒を見ていた。やがて、子供も生まれ、高林坊は大先達となり、葛城山の修行者たちの面倒も見るようになった。そして、飯道山を去ってから十年後、飯道山に武術道場を作り、その中心となっていた親爺と呼ばれる山伏が訪ねて来た。親爺は高林坊に、自分の後継者となって飯道山の武術道場を盛んにしてくれと頼んだ。他の三人はどこにいるのやら、まったく、分からん。高林坊だけが頼りだと言われて頼まれた。
高林坊は飯道山に戻る決心をして、家族を連れて飯道山にやって来た。それから、すでに八年が経っていた。そして、このまま、死ぬまでここにいるだろうと思っていた。決して、ここでの仕事が嫌なわけではないが、高林坊にしても、火乱坊や風眼坊、栄意坊のような気ままな事がしてみたかった。火乱坊の話を聞いて、羨ましいと思ったのは高林坊も同じだった。ここにいて、毎日、同じ事をしているより、火乱坊のように命を懸けて何かをしてみたかった。
高林坊には三人の子供がいた。十六歳の娘と十四歳の息子と十一歳の息子だった。娘を嫁に出し、息子たちがもう少し大きくなったら、この山を下りようか、と最近、本気になって考えていた。別に何をするという当てもないが、ここを離れて何かがしたかった。蓮崇と風眼坊の話を聞きながら、火乱坊に会ってみたいと高林坊は思っていた。
「加賀か‥‥‥」と栄意坊が言った。
栄意坊は風眼坊と同じように、今まで、ずっとフラフラしていた。何かをしたいのだが、何をしたらいいのか分からず、一ケ所に長くいる事もなく、フラフラしていた。
二年前、百地(モモチ)弥五郎の所を去って東国に旅立った。そして、三河の山の中で一人の女と出会った。山奥に小屋を建てて、女は一人で暮らしていた。
栄意坊は不思議に思って、女に近づいた。女は警戒して小屋に逃げ、刀を手にした。栄意坊が何を言っても聞かなかった。女は自分の首に刀を当てた。栄意坊は女から離れた。女の住む小屋は小川のほとりに立っていた。栄意坊は小川を渡り、女の小屋の対岸に小屋を建てて、そこで暮らし始めた。
山奥に二人だけでいるのに、お互いに何も喋らずに一ケ月が流れた。
誰も、こんな山奥には入って来なかった。
一ケ月が過ぎ、お互いに何も喋らなかったが、次第に、気持ちは通じ合うようになっていた。栄意坊は川で魚を取ると女の方に放り投げてやったりした。時には、女の方から木の実などをくれる事もあった。
二ケ月が過ぎた。
ある日、大雨が降って川の水は増え、栄意坊の小屋は流された。女の小屋は大丈夫だった。雨がやみ、川の水が引けると、栄意坊はまた、小屋を建てようとした。女がそれを見ながら栄意坊を手招きした。栄意坊は川を渡って、女の小屋の方に向かった。
女はようやく、栄意坊を信用して自分の身の上を語った。
女の名前はお円(エン)といい、戦に負けて、家も土地も失い、亭主と子供を連れて山に逃げて来た。他にも家来たちが何人かいたが、途中ではぐれてしまい、お円と亭主と子供と家来の一人が、ここにたどり着いた。ここに小屋を建て、隠れて暮らしていたが、昨日のような大雨に会って小屋は流され、その時、子供も流されてしまった。
子供を失い、お円は悲しみ、亭主は跡継ぎを無くしたと半狂乱になったという。跡継ぎを亡くしてしまったら、お家の再興はできない、わしは一人でも敵と戦うと亭主は山から出ようとした。一緒にいた家来は亭主に命じられ、偵察をしに山から出て行った。しかし、それきり戻っては来なかった。亭主は家来が裏切ったと思い込み、お円に八つ当りをした。子供はまた作ればいいと慰めたが駄目だった。亭主はとうとう、お円を置いて山から出て行った。亭主が山から出て行ってから、もう四年も経っているという。
栄意坊は、まだ、亭主を待っているつもりか、と聞いた。
お円は首を振った。
二年目までは待っていたが、それから後は、もう諦めたと言う。山から出ようと思ったが、どうやって出たらいいのか分からないし、山から出ても頼る人はいない。ここに隠れていれば誰も来ないし、生きて行く事はできる。尼僧になったつもりで、子供と一族の菩提(ボダイ)を弔(トムラ)いながら、一生、ここで暮らそうと覚悟を決めていたという。
その後、二人は一つの小屋で、一冬を過ごした。
栄意坊もお円も幸せだった。誰にも邪魔されないで、二人とも子供に返ったように、二人だけの時を充分に楽しんだ。そして、春になり、二人は山を下りた。
お円の亭主の消息は分からなかった。両親は亡くなっていた。
栄意坊はお円を連れて飯道山に来た。高林坊に頼み、お円と暮らすために槍術の師範となった。二人は山のふもとの宿坊の立ち並ぶ一画に小さな家を借りて住んでいた。
火乱坊の話から、女の話になり、栄意坊は事の成り行きをみんなに話した。
「ほう。今が一番、幸せな時じゃのう」と風眼坊は言った。
栄意坊は照れながら頷いた。
「いつか、おぬしから死んだ女の事を聞いた事があったな。おぬしが女と暮らすのは、それ以来じゃな」
「ああ。そうじゃ。もう二十年も前の事じゃ。わしは、おれいが死んだ後、死ぬつもりじゃった。死ぬつもりで戦に出た‥‥‥しかし、死ねなかった‥‥‥」
「死ねなくてよかったわけじゃ。お円殿に会えたんじゃからな」
「まあ、そうじゃのう。しかし、お円はおれいにそっくりなんじゃよ。顔は似ておらんがのう。仕草とか、性格とか、そっくりなんじゃ」
「それで、おぬしはその女の側を離れなかったんじゃな」
「不思議な事に離れられなかったんじゃ」
「ほう、離れられなかったと来たか」と高林坊は笑った。
「実は、わしも若い女房ができたんじゃ」と風眼坊が今度は言った。
風眼坊はお雪との出会いから話した。蓮崇も知らない事だった。皆、面白がって風眼坊の話を聞いていた。
夜は更け、客たちは入れ代わっていたが、四人の話はいつまで経っても尽きなかった。一番最初から一番最後まで居座っていた。店の親爺は朝までやっていても構わんぞと言ってくれたが、親爺の言葉に甘えるわけにもいかないのでお開きにした。このまま、伊勢屋に行って飲もうと誘ったが、栄意坊は帰りたそうだったので無理に引き留めなかった。
高林坊と栄意坊の二人は帰って行った。
風眼坊と蓮崇は二人を見送る伊勢屋に向かった。
「みんな、いい奴じゃろう。わしらは若い頃、一緒に騒いだ仲間なんじゃ。三人が揃ったのは、もう五年以上前じゃったのう。慶覚坊の奴が来れば、二十年振りに四人揃うんじゃがのう。奴は当分、それどころではないのう」
「羨ましい事です」と蓮崇は言った。
「何を言っておる。わしは、そなたが羨ましかったわ。本願寺のために生きておる仲間が大勢、おるんじゃからな」
「もう、いません」
「いや、それは違う。そなたが破門になったからといって、たとえば、慶覚坊じゃが、奴はそなたが破門になっても、以前のごとく仲間じゃと思っておるはずじゃ。慶覚坊だけじゃないじゃろう。慶聞坊だって、蓮如殿だって、みんな、そなたの事を忘れる事はない」
「しかし、わしにはもう何もできません」
「そうかな。それは、そなた次第じゃ」
「どういう意味です」
「破門になったとしても、そなた次第で、本願寺のために生きる事はできる」
「それは、どういう意味です」
「それは自分で決めるしかない」
伊勢屋に帰るとお雪はもう寝ていたが、弥兵は寝ずに待っていた。
「さて、ゆっくりと寝るか。蓮崇殿、たまには、昼頃まで、のんびり寝てみるのもいいもんじゃぞ」と風眼坊は言うと、お雪の寝ている部屋に入った。
蓮崇は弥兵を連れて、隣の部屋に入った。
「もう、お前はわしの下男ではない。ただの連れじゃ。わざわざ、わしを待っておる事はない。先に寝ておってもいいんじゃぞ」
「へい」
「もう寝ろ」
「へい。蓮崇殿は、まだ寝ないのですか」
「わしも寝る」
弥兵は横になった。
蓮崇は坐り込んだまま、風眼坊の言った事を考え込んでいた。
風眼坊は、破門になっても本願寺のために何かがやれる、と言った。しかし、そんな事ができるとは思えなかった。
蓮崇は夜が明けるまで、考え続けていたが結論は出なかった。
風眼坊は昼近くまで、のんきに寝ていた。この地に来ると風眼坊はすっかり安心して高鼾(タカイビキ)をかいて眠っていた。
お雪は朝早くから起きて、弥兵を連れて町をブラブラと散歩し、花養院まで来て子供たちと遊んでいた。子供の中の一人が腹をこわしたというので、お雪は診てやった。
それを見ていた妙恵尼と孝恵尼は、お雪の適切な処置に驚いた。まだ若い娘が、これ程までも医術を心得ているとは信じられない事だった。さっそく、お雪の事は仲恵尼に告げられ、お雪は仲恵尼に呼ばれた。
お雪は仲恵尼に、風眼坊から教わったという事を話した。
仲恵尼はお雪から、加賀の国で戦の負傷者を治療して回ったという事を聞き、何度も頷きながら、あの風眼坊がそんな事をしていたのか、と涙を溜めて喜んでいた。まるで、母親が息子の事を聞いているかのように、お雪の話を聞いていた。
「そうか、風眼坊がのう‥‥‥そうか、そうか」と仲恵尼は何度も言った。
お雪は、そんな仲恵尼を見ながら風眼坊の昔話を聞いていた。
お客が訪ねて来て、仲恵尼は部屋から出て行った。
お雪は子供たちの所に戻った。しばらくして、お雪はまた呼ばれ、一人の僧侶と会わされた。その僧侶を風眼坊の所に連れて行ってくれと頼まれた。
その僧侶は風眼坊の事をよく知っていた。伊勢屋に行く途中、僧侶はしきりに、「懐かしいのう」と言いながら町を眺めていた。
お雪に向かって、「小太郎も若いのう」と一言、笑いながら言ったが、自分と風眼坊の関係は話してくれなかった。
お雪が僧侶を連れて部屋に行くと、風眼坊はまだ寝ていた。
起こそうとして、お雪が部屋に入って行こうとしたら僧侶は引き留めた。
僧侶はそおっと部屋に入って行き、風眼坊の頭の下の枕を蹴飛ばした。
風眼坊の動きは素早かった。
枕が飛ぶのと同時に起き、側に置いておいた刀を手に取ると、刀身を半分程抜いて構えた。僧侶の方も持っていた杖を構えていた。
お雪もとっさに帯に差してある笛をつかんでいた。
緊張していた風眼坊の顔がだんだんと緩んで、「新九郎か」と言った。
僧侶は頷いた。
「脅かすな」と言うと風眼坊は刀を納めた。
「若い女子を女房にして、腑抜けになってはおらんかと心配してやったんじゃ」
「余計なお世話じゃ。しかし、どうしたんじゃ、どうして、ここにおる」
「おぬしの方こそ、どうしてここにおるんじゃ。わしはおぬしが駿河に来るじゃろうと待っておったが、いつになっても来ん。まあ、こんな若い女子と一緒にいたら、それも無理ない事じゃがのう」
「まあ、焼くな。しかし、不思議な縁じゃのう。みんな、お山の力に引かれるように、ここに集まって来るのう。栄意坊も今、ここにおるんじゃ」
「なに、栄意坊もおるのか」
「ああ、夕べ、『とんぼ』で飲んだんじゃ。こいつは今晩も飲む事になりそうじゃのう。しかし、その頭、なかなか似合っておるのう。火乱坊の奴も今、そんな頭をしておる」
「なに! 火乱坊もおるのか」
「いや、火乱坊は加賀じゃ。ついこの間まで、わしらは加賀におったんじゃ」
二人はさっそく話し込んでいた。
お雪は側に坐って、二人のやり取りを聞いていた。そのうちに蓮崇も現れ、話を聞いていた。
蓮崇は一睡もしなかったと見えて、やつれた顔をしていた。
話が一段落すると、風眼坊は早雲と蓮崇と共に山に登り、お雪と弥兵は花養院に行った。
山の上では風眼坊が来ている事が噂になっていて、風眼坊は修行者の前で剣術を披露しなければならなかった。
風眼坊と早雲は木剣を持って試合をした。腕は風眼坊の方が上だったが、早雲の腕も大したもので、今いる師範以上の腕を持っていた。
修行者たちは目を見張って、二人の技の冴えを見ていた。
蓮崇も二人の動きをじっと見ていた。
蓮崇にとっても風眼坊の腕を見るのは初めてだった。実際にこの目で見て、驚かずにはいられなかった。越前の大橋勘解由左衛門(カゲユザエモン)の師匠だったと話では聞いていたが、凄いものだった。これだけの腕を持っていれば、戦に出ても向かう所、敵なしだろうと思った。慶覚坊が風眼坊を本願寺の門徒にしたかった訳も充分に納得できた。蓮崇は風眼坊の強さを見て、さらに自己嫌悪に陥って行った。
その晩、早雲も加わって、また『とんぼ』で一緒に飲んだ。その晩の話題の中心は、やはり、早雲だった。頭を丸めて東国に旅立って以来、四年振りに飯道山に来たのだった。
今回、早雲が戻って来たのは娘を嫁に出すためだった。
早雲には十七歳になる娘が一人あった。早雲は十八年前、居候(イソウロウ)していた伊勢駿河守貞高の薦めで、同じ伊勢一族の娘を嫁に貰っていた。子供は娘一人だけだった。妻と娘は京に戦が始まってから、妻の実家に預けたままだった。僧侶として駿河に行ったため、妻と娘を呼ぶ事はできなかった。また、呼んだとしても、知らない土地に来るような妻ではなかった。知らない土地に行くより、一族のもとにいれば何不自由なく暮らして行く事ができる。妻にとって、早雲など、いてもいなくてもいい存在だった。早雲の方でも妻の我がままを持て余していた。妻の所に戻る気はなかった。妻の所に戻れば、また、幕府に仕えなければならなくなるだろう。もう、幕府との縁は切りたかった。煩(ワズラ)わしい事など考えず、駿河で気楽に暮らしていた方が楽しかった。しかし、一人娘の事は気になっていた。その娘も、どうせ、一族の者の所に嫁いで、退屈な日々を送る事になるだろうが、早雲が口出しする事はできなかった。せめて、嫁に行く時位は祝ってやりたかった。
知らせを受けると早雲は駿河を後にして京に向かった。無事、娘も嫁に行き、早雲は早々と京から離れた。
早雲は今回、京に行くに当たって、是非、会いたい人がいた。
それは一休禅師だった。駿河では早雲は一休禅師の弟子で通っていた。しかし、面識はあっても弟子ではなかった。早雲は正式に弟子にはなれないにしろ、もう一度、一休と会って教えを受けたかった。
早雲は京を出ると、一休のいる薪(タキギ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(シュウオンアン)に向かった。
一休は早雲の事を覚えていてくれた。しかし、教えを請う事はできなかった。一休はお森(シン)という盲目の女と一緒に暮らしていた。
早雲は一瞬、目を疑った。一休ともあろう禅師が女犯(ニョボン)を犯していた。早雲も一休の風変わりな行ないは知っていた。しかし、それは、今の禅宗の在り方を批判するための行動だと思っていた。まさか、実際に、女と一緒に暮らしているとは思ってもいなかった。
早雲は、一休とお森という女のやり取りを見ながら、見なければよかったと後悔した。
早雲はほんの少しの間、一休と話をしただけで酬恩庵を後にした。
一休を見損なった、と思った。
昔はあんな人ではなかった、と思った。
一休の禅こそ、本物だと信じていた。
一休は、どうして、あんな風になってしまったのだろう。
早雲は歩きながら考えていた。考えながら、本物の禅とは一体何なんだろう、と思った。
女と一緒に暮らせば、禅者ではなくなるのだろうか。
禅とは、そんなものではないはずだった。
禅とは何か、という答えを見つけるため、早雲はもう一度、酬恩庵に戻る事にした。
早雲は一休とお森の仲睦まじい生活を見守りながら、本物の禅とは何か、真剣に考えた。
座禅をするだけが禅ではない。
常住坐臥(ジョウジュウザガ)、すべてに置いて禅の境地でいなければならないはずだ。
禅は大寺院の中にいる坊主だけのものではない。人間本来の姿で生活し、その生活の中に生きていなければ無意味と言えた。
一休は本物の禅をさらに進め、それを実践しているのかもしれない‥‥‥と早雲は考え直した。
形式にこだわり過ぎていたのかもしれないと思った。世を捨て、禅の世界に生きようと、頭を剃って禅僧のなりをした。確かに禅僧の格好をしていれば、回りは早雲を禅僧と見てくれた。正式に出家したわけではなかったが、駿河では早雲禅師で通っていた。回りから偉い和尚さんだと言われ、得意になっていた。しかし、反面、偽者だとばれやしないかと心配した事もないわけではなかった。今回、一休を訪ねたのも、本当の所を言えば、一休の正式の弟子となって、できれば、一休から印可状を貰い、本物の禅僧になりたかったからだった。そんな思いで訪ねた一休の姿を見て、早雲は初め、失望した。しかし、そのうちに、一休に思いきり殴られたような衝撃を感じるようになって行った。
早雲は自分がかつて一休と共に語った堕落した禅僧というものに、知らないうちに自分が近づいていたという事に気づいた。二人が語った堕落した禅僧というものは、ろくに修行もしないで、師匠からの印可状ばかり欲しがり、禅僧とは名ばかりで俗世間において出世する事ばかり考えている者たちの事だった。
禅の世界は自力本願だった。自分の力で悟らなければならず、決して、人から教えられて分かるものではなかった。たとえ師匠であっても、助ける事はできるが教える事はできない。
一休から見れば、印可状などというのは、単なる自己満足でしかない無用な物であった。禅僧とはいえ、心というものは脆い。自分が開いた悟りを誰かに認められたいと誰もが思う。そして、師匠から印可状を貰って、初めて悟った事を確信する。しかし、一度、悟れば、それで終わりというわけではない。人間、生きている以上、次々に悩みは生まれて来る。それを次々に乗り越える事によって、さらに大きな悟りの境地に達する。悩み、悟り、そして悩み、また悟る、生きている以上、その繰り返しだった。
本物の禅には印可状など、ないはずだった。
早雲はその印可状が欲しいために、ここを訪れ、一休の姿を見て、思いきり殴られたような衝撃を感じ、そんな事を考えていた自分を恥じた。一休は自分が考えていた以上に先を歩いていた。早雲は俗世間における形式にこだわっていた自分を恥じた。
早雲も男だった。女を見ても何にも感じないような木偶(デク)の坊ではなかった。しかし、僧侶の振りをしているため、今まで色欲(シキヨク)を抑えて来た。禅僧として、それが当然な事だと思っていた。禅僧としては当然かもしれないが、それは、本物の禅とは言えなかった。
本物の禅とは、何事にも縛られない、融通無碍(ユウヅウムゲ)の境地の事だと思った。欲望を抑えて女を避けているうちは融通無碍の境地とは言えない。何人もの女に囲まれながらも、心を奪われないような境地にならなければならないのだった。
何事にも囚われず、まったくの自由な境地‥‥‥
その境地まで行くのは、決して簡単な事ではない。しかし、本物の禅の境地とは、そのようなものに違いないと悟った。
一休は八十歳を過ぎ、まさしく、その境地に達しようとしているのであった。すでに、融通無碍の境地の中で、お森という女と遊んでいるのかもしれない。
早雲は一休だけでなく、お森という盲の女も観察していた。この女も一休と同じ境地にいるように思えた。目が見えないため、一休のように苦労しなくても、その境地にたどり着く事ができたのかもしれなかった。
早雲は晴れ晴れした気持ちで酬恩庵を後にした。そして、久し振りに松恵尼に挨拶をして行こうと思い、飯道山に向かった。
「ほう。おぬし、一休禅師を知っておったのか」と風眼坊は驚いた。
最近、やけに一休禅師と縁のある風眼坊だった。本人には会った事はないが、一休と縁のある人間に何人も会っていた。彼らは皆、一休を慕っていた。越前の絵師の曾我蛇足(ソガジャソク)、茶人の村田珠光(ジュコウ)、彼らは一休の弟子で、蓮如も一休の事は気に掛けていた。そして、新九郎(早雲)までもが、一休の影響を受けていた。
風眼坊も是非、一度、一休禅師と会ってみたいと思った。
早雲は今回の旅の事を話すと、今度は駿河の事を話した。いい所じゃから、是非、来てくれと皆に薦めた。
風眼坊は行くと答えた。しかし、その前に播磨に行くと言った。
「播磨に伜がおるんでな。ちょっと、顔を見て来る」
「ほう。おぬしの伜が播磨におるのか、播磨で何をしてるんじゃ」
「武士になったらしい。そういえば、おぬしも太郎の事、知っておるんじゃったのう」
「太郎?」
「ああ、そうじゃ。応仁の戦が始まった頃、おぬしが京まで連れて行った小僧じゃ」
「ああ、水軍の小伜か‥‥‥確か、奴は花養院にいた娘と一緒になって、愛洲の里に帰ったと松恵尼殿から聞いたぞ」
「ああ。一度は帰ったんじゃがの。しかし、不思議な事があるもんじゃのう。わしがあいつに会う前に、あいつがおぬしと会っておったとはのう」
「ああ、わしも驚いたわ。あの時の小僧がおぬしの弟子になって、このお山で修行をしておったと聞いた時はのう。しかも、陰の術など編み出して、知らん者がおらん程、有名になるとはのう。まったく信じられん事じゃった」
「その太郎の奴が、また、ここに戻って来て、一騒ぎあっての、今、播磨で赤松家の武将になっておるんじゃ。わしの伜は太郎の弟子になって播磨に行き、太郎の家臣だそうじゃ」
「赤松家の武将?」
「ああ、そうじゃ。まあ、詳しい事は後で話す。それより駿河の事をみんなに聞かせろ」
その日の晩も、遅くまで『とんぼ』で飲んでいた。
伊勢屋に帰ってからも風眼坊と早雲は話し続けていた。夜が明ける頃になって、ようやく二人は横になった。
早雲は風眼坊たちと一緒に播磨に行く事になった。駿河に急いで帰る理由はなかった。早雲も太郎と再会したかった。播磨でのんびりして、どうせ、太郎は十一月の末には飯道山に来るはずだから、一緒にここに戻って来て、それから、今度は駿河に向かおうという事に決まった。
「もしかして、あの子たちは孤児?」とお雪は聞いた。
「そうじゃ」と風眼坊は答えた。
「ここの院主さんは松恵尼殿といってな。孤児たちを引き取って世話をしておるんじゃよ」
「風眼坊様」と金比羅坊の娘、おちいが寄って来た。
「しばらくじゃな」と風眼坊は言った。
「風眼坊様は本当は何者なんですか」とおちいは聞いた。
「はあ?」
「昔は行者(ギョウジャ)さんでした。この前はお医者様でした。そして、今度はお侍さん、一体、本当は何なんですか」
「本当は何なんじゃろうのう」と風眼坊は笑った。「最近、わしにも分からなくなってしまったわ」
「おかしいの」おちいはフフフと笑った。金比羅坊の娘とは思えないほど可愛い笑顔だった。
「親父殿から何か連絡あったか」と風眼坊は聞いた。
おちいは笑いながら頷いた。「もう少ししたらお屋敷が完成するから播磨に来いって」
「ほう、お屋敷か‥‥‥凄いのう」
「お父さん、太郎坊様の年寄衆(トシヨリシュウ)っていう役に就いたんですって、年寄衆って偉いの?」
「年寄衆か、凄いのう。おちいちゃん、年寄衆っていうのは殿様の次に偉いんじゃよ」
「ほんと、凄い」
「おちいちゃんも播磨に行ったら、お姫様じゃのう」
「あたしがお姫様? やだあ、風眼坊様ったら」
「おちいちゃん、松恵尼殿はおるか」
「あっ、そうだ、忘れてたわ。楓様に女の子が生まれたのよ。それで、松恵尼様、播磨に行ったの」
「なに、楓殿の子供がのう。そいつはめでたい事じゃ。初めての子供か」
「いいえ。風眼坊様、御存じなかったの。上に男の子がいるわ。百太郎(モモタロウ)さんていうの」
「ほう。男の子もおったのか、知らなかった‥‥‥松恵尼殿はいつ頃、帰って来るんじゃ」
「よく分からないけど、お祭りまでには帰って来るんじゃない」
「お祭り? そうか、もうすぐ祭りじゃのう。そう言えば、去年、ここに来たのも祭りの前じゃったな。あれからもう一年か‥‥‥」
「風眼坊様。仲恵尼(チュウケイニ)様、御存じでしょう」とおちいが言った。
「仲恵尼? 誰じゃろ」
「仲恵尼様は風眼坊様の事、知ってるのよ。風眼坊様がお山で剣術を教えていた頃、ここにいたんですって」
「‥‥‥ああ、思い出したわ。懐かしいのう。その仲恵尼殿が今、ここにおるのか」
おちいは頷いた。
仲恵尼というのは、当時、まだ二十歳そこそこだった松恵尼を補佐していた尼僧だった。風眼坊も当時はまだ二十歳そこそこで、松恵尼に会うために花養院に忍び込んでは、仲恵尼に怒られていた。風眼坊にとって仲恵尼は鬼よりも恐い存在だった。
風眼坊たちは客間に通され、仲恵尼と会った。もう五十歳を越えているはずなのに、相変わらず威勢のいい尼さんだった。
「風眼坊か、懐かしいのう。何しに、また舞い戻って来たんじゃ」
「何しにと言ってものう。やはり、ここは、わしにとって故郷みたいなもんじゃからのう」
「何を言っておる、お目当ては松恵尼だろうが。生憎、松恵尼は留守じゃ。当分、帰って来んじゃろう。残念じゃったな」
「仲恵尼殿には、かなわんのう。松恵尼殿が目当てで来たわけじゃないわい」
「ふん、分かるものか。松恵尼はいくつになっても綺麗じゃからのう。男どもが擦り寄って来るのも当然じゃがのう」
「仲恵尼殿はいつから、ここに?」
「今年の春からじゃ」
「今までどこに」
「伊勢の多気(タゲ)じゃ」
「ほう、北畠の所におったんですか」
「そういう事じゃ。どうじゃ、わしがいなくなってから松恵尼とはうまく行ったか」
「何を言っておるんです。松恵尼殿は男なんか近づけません」
「そうかのう。あんな、うまそうな女子は滅多におらんのにのう。おぬしでも落ちなかったか。勿体ない事よのう」
「まったく、仲恵尼殿にはかなわんのう。松恵尼殿にも面と向かってそんな事言っておるんですか」
「ああ、言うとも。しかし、松恵尼は不思議な女子(オナゴ)じゃ。もう四十は過ぎておるはずなのに、どう見ても三十位にしか見えん。松恵尼と一緒におると、わしだけが年を取ってしまったような錯覚に落ちいるわ。わしが男じゃったら絶対にものにするがのう」
「手ごわいですぞ」
「分かっておるわい。ところで、そこにおる別嬪(ベッピン)は何者じゃ」
「ああ、そうだ、紹介します」
風眼坊は、お雪、そして、蓮崇と弥兵を紹介した。
「風眼坊の妻です」とお雪は言ってしまった。
「なに、おぬしの嫁御か‥‥‥ほう、若い女子をたらし込みおったのう」
「別にたらし込んだわけではないがのう。成り行きというもんじゃ」
「ほう、成り行きね‥‥‥そう言えば、栄意坊の奴も若い女子を連れて戻って来おったわ。どいつもこいつも若い女子に手を出しおって」
「栄意坊が戻って来た?」
「ああ。お山で槍を教えておるわ」
「ほう、栄意坊の奴、今、お山におるのか。あいつに会うのも久し振りじゃのう」
風眼坊はお雪を花養院に残し、蓮崇と弥兵を連れて飯道山に登った。
2
山の中に、木剣の打ち合う音が響いていた。
蓮崇と弥兵の二人は、不思議な所に来たというように辺りをキョロキョロ見回していた。風眼坊は二人に飯道山の事を説明しながら赤鳥居をくぐった。
不動院に顔を出してみたが、高林坊はいなかった。
道場の方に向かう途中で高林坊とばったり出会った。
「よう、どうした、また、武器の買い付けか」と高林坊は笑いながら言った。
「いや、あれはもう終わりじゃ。今日は栄意坊に会いに来たんじゃ。奴はいつ戻って来たんじゃ」
「おう。まだ来たばかりじゃ。二ケ月位前かのう、突然、フラッと現れてのう。わしはまだ、見てはおらんが女子と一緒じゃ。奴もようやく身を固める気になったようじゃのう」
「それで、奴は今、槍を教えておるのか」
「おお、そうじゃ」
高林坊は風眼坊の後ろにいる蓮崇をじっと見ていた。
「‥‥‥勧知坊(カンチボウ)殿じゃないのか」と高林坊は蓮崇に聞いた。
「高林坊、その勧知坊というのは何者じゃ。ここに来る途中で会った山伏も、蓮崇殿を見て、勧知坊じゃないかと言っておったが」
「人違いか‥‥‥そうじゃろうのう。しかし、似ておる。そっくりじゃ」
「何者なんじゃ」
「もう二十年も前になるかのう。一年間だけじゃったが、奴はおぬしの代わりに剣術を教えておったんじゃ。かなりの腕じゃった。その頃、勧知坊殿とおぬしがやったら、どっちが強いかというのが、よく噂になったもんじゃった」
「ほう、そんな奴がおったのか、初耳じゃな。一年間で山を下りて、その後、どこに行ったんじゃ」
「わしもその頃、葛城(カツラギ)山に戻っていたんで詳しい事は知らんのじゃが、六角氏の争い事に巻き込まれて戦死したらしい」
「何じゃ、死んじまったのか」
「ああ。しかし、よく似ておるわ」
「蓮崇殿も災難じゃのう、死んだ者に間違えられるとはのう」
「まあ、もし、生きておったとしても、もう六十に近いはずじゃ。いつまでも、あの頃と同じ顔をしておるわけないからのう。あの頃の勧知坊殿にそっくりなんじゃよ」
「ふうん。勧知坊ね‥‥‥そいつは髪を剃っておったのか」
「ああ。真言の行者じゃった」
四人は槍術の道場に向かった。
栄意坊の方は風眼坊を見て、すぐに分かったようだったが、風眼坊の方は栄意坊が分からなかった。栄意坊には髭(ヒゲ)がなかった。
「風眼坊!」と喚(ワメ)きながら栄意坊は飛んで来た。「久し振りじゃのう。どこ行っておったんじゃ」
「おぬし、髭を剃るとなかなかいい男じゃのう。髭のないおぬしの顔、初めて見たぞ」
「わしが剃ったら、今度は、おぬしが口髭を伸ばしたのか」
「ああ。ちょっと町医者をやってたもんでな」
「町医者?」
「おう。気楽に町人暮らしを楽しんでおったのよ」
「ちょっと待ってろ」と栄意坊は道場に戻ると師範に一言、言って戻って来た。
蓮崇は修行者たちをじっと見ていた。
「懐かしいのう。何年振りじゃ」
「さあな。おぬしと一緒に四国まで旅したのが最後じゃったのう。あれから色々な事があったわ」
「わしも色々とあったぞ」
五人は不動院の方に向かった。
槍術の道場の隣には剣術道場があった。蓮崇は剣術道場もじっと見ていた。
「高林坊、剣術道場に慶覚坊、いや、火乱坊の伜がおるはずなんじゃが知らんか」
「なに、火乱坊の伜? そんな事、聞いておらんぞ」
「やはりのう。洲崎(スノザキ)十郎左衛門という名じゃ。なかなか、素質のある奴じゃ」
「ほう、火乱坊の伜がここにおるのか」と栄意坊は驚いた。「火乱坊の奴は今、何をしておるんじゃ」
「後で教えてやる。わしはついこの間まで奴と一緒じゃった。この蓮崇殿も一緒じゃ。奴と一緒に戦をしておったわ」
「ほう」
不動院で一休みし、今夜、『とんぼ』で飲む約束をして、風眼坊と蓮崇と弥兵は山を下りた。
山を下りる前、蓮崇は風眼坊にもう一度、道場を見たいと言い、風眼坊は喜んで蓮崇を道場に連れて行った。棒術道場を見て、剣術道場に来た時、十郎左衛門が二人に気づいた。十郎左衛門は稽古をやめて、師範に何かを言うと近づいて来た。
「風眼坊殿と蓮崇殿、お久し振りです。一体、どうしてここへ」
「ちょっとな、用があってな」と風眼坊は言った。
「そうですか‥‥‥風眼坊殿、ここは凄いです。本当に来て良かったと思います」
「そいつは良かった。親父の名前は出しておらんようじゃな」
「ええ、親父は親父です。俺は親父を乗り越えるつもりです」
「そうか、親父を乗り越えるか、頼もしい奴じゃ。後三ケ月じゃ、頑張れ」
「はい。もうすぐ、天狗太郎とも会えます。頑張ります」
「おお、そうか、十二月になれば太郎坊が来るんじゃのう」
「はい。志能便(シノビ)の術を習います」
「志能便の術か‥‥‥」
「志能便の術とは何です」と蓮崇が聞いた。
「いつか、蓮崇殿に話したじゃろう。わしの弟子の太郎坊が編み出した『陰の術』の事じゃよ」
「ああ、陰の術ですか‥‥‥」
「ここで一年間の修行に耐えた者だけに、最後の一ケ月間、その志能便の術を教える事になっておるんじゃ」
「風眼坊殿、天狗太郎は風眼坊殿のお弟子さんなのですか」と十郎が驚いた顔して聞いた。
「おお、知らなかったのか。わしのたった一人の弟子じゃ」
「風眼坊殿が天狗太郎の師匠‥‥‥そいつは凄いや。その事を知っていたら、加賀におった頃、風眼坊殿からもっと教わればよかった」
「なに、加賀におった頃のわしは医者じゃよ。人を倒すのではなくて、人を助けるのが仕事じゃ」
「お二人は、しばらく、ここにおるのですか」
「そうじゃのう。長旅で疲れたから、二、三日はのんびりするつもりじゃ」
「そうですか、山を下りられないのが残念です」
「後三ケ月の我慢じゃ。頑張れよ」
十郎と別れると、三人は槍術、薙刀術の道場を回り、飯道寺と飯道神社を参拝して山を下りた。
山を下りる頃には日が暮れかかっていた。
蓮崇は、ずっと何かを考えているようだったが、風眼坊はあえて声を掛けなかった。本願寺のために、若い者たちをここに送って鍛えようと思っているのだろうが、本願寺を破門になってしまった蓮崇には、もう、それはできない。蓮崇に本願寺の事を忘れさせるには時の流れに任せるより他はなかった。
花養院に戻るとお雪を連れて、松恵尼の経営する旅籠屋『伊勢屋』に移った。
伊勢屋から『とんぼ』はすぐ側だった。風呂に入って旅の疲れを取り、夕食を済ますと風眼坊と蓮崇は『とんぼ』に向かった。弥兵も誘ったが、わしが行っても話が分かりませんからと遠慮して旅籠屋に残った。
3
旅籠屋『伊勢屋』の正面に『不動町』と呼ばれる盛り場があった。この一画には、小さな居酒屋が並んでいた。『とんぼ』という店は、この一画の中で一番古い店だった。小さな店のほとんどは、二、三年もすれば名前が変わって行ったが、『とんぼ』だけは変わらず、久し振りにここに来た山伏たちは必ず、『とんぼ』の親爺の所に顔を出していた。
『とんぼ』には、まだ、誰もいなかった。
「不景気そうじゃのう」と風眼坊は親爺に声を掛けた。
「おお、風眼坊か‥‥‥一年振りか。今度は医者をやめて侍になったのか」
「浪人じゃ。仕官口はないかのう」
「おぬし程の腕があれば、どこでも仕官できるわ。その気があればの話じゃがな」
「残念ながら、その気がないんで困っておるわ‥‥‥どうじゃ、景気いいか」
「最近はさっぱりじゃ」
「お山の連中もあまり来んのか」
「来ない事もないが景気は悪いのう。お山に登る信者たちの数が減っておるからのう。遊女屋なんか、かなり、こたえておるようじゃ。最近になって遊女の数が減って来ておる。ただ飯を食わせておくわけにはいかんからのう」
「そうか。不景気か‥‥‥」
「戦場が儲かるといって、遊女たちを引き連れて戦場に行った者もおったが、どうなった事やら」
「戦場に女子を連れて行ったのか‥‥‥確かに儲かるかもしれんが、女子たちが可哀想じゃのう」
「ああ、可哀想じゃ」
「ついこの間も遊女の一人が首を吊ったわ。可哀想な事じゃ」
「首を吊ったか‥‥‥」
「首を吊るのもおれば、足を洗って飲屋を出すのもいる。世の中様々じゃ」
「ほう。遊女が店を出したか」
「お山のお偉いさんが後ろに付いておるんじゃろ」
「じゃろうのう」
「戦で大儲けした奴もおるんじゃ。人々を救うべきお山が、先頭になって戦の後押しをしておるんじゃから世も末じゃ。まあ、そんな事は今に始まったわけじゃないがのう。わしは、おぬしが医者をやっておると聞いて嬉しかったぞ。あれだけの腕を持ちながら戦に参加しないで、戦の負傷者の治療をしておるとはのう。さすがじゃのう」
「なに、成り行きじゃ‥‥‥そうじゃ、親爺、聞きたかった事があったんじゃ」
「何じゃ」
「去年の暮れ、太郎坊の奴は来たのか」
「おお、来たとも。弟子を一人連れて、現れたわ」
「弟子? どんな奴じゃ」
「八郎坊とかいったのう。とぼけた奴じゃった。あれで、志能便の術など教えられるのか、と思う程の調子者じゃったわ」
「そうか、八郎坊か‥‥‥」
「今年も、もうすぐじゃな。今、播磨の方におるとか言っておったが、太郎坊の奴、一回りも二回りも大きくなったようじゃった。貫禄が付いて来たわ」
「そうか、貫禄が付いて来たか‥‥‥これから、播磨に行ってみようと思っとるんじゃ。会うのが楽しみじゃわ」
「太郎坊も、そなたに会いたがっておったぞ」
「奴はここに来たのか」
「ああ。最後に恒例の飲み会があるじゃろ。その帰りにフラッと来て、寄って行ったわ」
「そうか、ここで飲んで行ったか‥‥‥やはり、親爺に聞けば何でも分かるのう。親爺は、ここの主(ヌシ)じゃのう」
高林坊と栄意坊が揃って入って来た。
「ほう、四天王のうちの三人のお揃いか、珍しい事じゃのう。後の一人は全然、見んのう」
「後の一人の息子が今、お山におる」と風眼坊は言った。
「なに、火乱坊の息子がおるのか‥‥‥そろそろ世代交代の時期か‥‥‥みんな、年を取ったという事じゃのう」
酒を飲みながら、四人は別れて以来のお互いの事を話し合った。話はいつになっても尽きなかった。
蓮崇は興味深そうに三人の話を聞いていた。蓮崇にはまったく縁のない話だったが、黙って聞いていた。三人が羨ましかった。皆、一流の武芸者だった。ここの親爺が言う通り、武士になれば一角(ヒトカド)の武将になる事は確かだった。しかし、彼らは自分の腕を売るという事はしなかった。
慶覚坊(火乱坊)の話になった。蓮崇は本願寺の事を二人に説明した。蓮崇の話を聞いて、高林坊も栄意坊もようやく、火乱坊が何をしようとしているのか分かったようだった。
「火乱坊の奴、そんな事をしておったのか」と栄意坊は言った。
「羨ましい奴よ。奴は本願寺のために命を張っておる」と風眼坊は言った。
「そうか、命を張っておるか‥‥‥」と高林坊は言った。
高林坊は四人の中で一番真面目な男だった。
四天王と呼ばれていた頃、初めに山を下りたのは栄意坊だった。次に風眼坊と火乱坊が山を下りた。最後に残った高林坊は責任者として各道場をまとめなくてはならなかった。それでも、各道場にそれぞれ四天王に代わる後継者もでき、高林坊は風眼坊たちが山を下りた二年後には葛城山に帰った。他の三人は山を下りるとフラフラと旅に出たが、高林坊は旅には出ず、まっすぐに葛城山に帰った。葛城山に帰って嫁を貰った。
高林坊は葛城山の先達(センダツ)として信者たちの面倒を見ていた。やがて、子供も生まれ、高林坊は大先達となり、葛城山の修行者たちの面倒も見るようになった。そして、飯道山を去ってから十年後、飯道山に武術道場を作り、その中心となっていた親爺と呼ばれる山伏が訪ねて来た。親爺は高林坊に、自分の後継者となって飯道山の武術道場を盛んにしてくれと頼んだ。他の三人はどこにいるのやら、まったく、分からん。高林坊だけが頼りだと言われて頼まれた。
高林坊は飯道山に戻る決心をして、家族を連れて飯道山にやって来た。それから、すでに八年が経っていた。そして、このまま、死ぬまでここにいるだろうと思っていた。決して、ここでの仕事が嫌なわけではないが、高林坊にしても、火乱坊や風眼坊、栄意坊のような気ままな事がしてみたかった。火乱坊の話を聞いて、羨ましいと思ったのは高林坊も同じだった。ここにいて、毎日、同じ事をしているより、火乱坊のように命を懸けて何かをしてみたかった。
高林坊には三人の子供がいた。十六歳の娘と十四歳の息子と十一歳の息子だった。娘を嫁に出し、息子たちがもう少し大きくなったら、この山を下りようか、と最近、本気になって考えていた。別に何をするという当てもないが、ここを離れて何かがしたかった。蓮崇と風眼坊の話を聞きながら、火乱坊に会ってみたいと高林坊は思っていた。
「加賀か‥‥‥」と栄意坊が言った。
栄意坊は風眼坊と同じように、今まで、ずっとフラフラしていた。何かをしたいのだが、何をしたらいいのか分からず、一ケ所に長くいる事もなく、フラフラしていた。
二年前、百地(モモチ)弥五郎の所を去って東国に旅立った。そして、三河の山の中で一人の女と出会った。山奥に小屋を建てて、女は一人で暮らしていた。
栄意坊は不思議に思って、女に近づいた。女は警戒して小屋に逃げ、刀を手にした。栄意坊が何を言っても聞かなかった。女は自分の首に刀を当てた。栄意坊は女から離れた。女の住む小屋は小川のほとりに立っていた。栄意坊は小川を渡り、女の小屋の対岸に小屋を建てて、そこで暮らし始めた。
山奥に二人だけでいるのに、お互いに何も喋らずに一ケ月が流れた。
誰も、こんな山奥には入って来なかった。
一ケ月が過ぎ、お互いに何も喋らなかったが、次第に、気持ちは通じ合うようになっていた。栄意坊は川で魚を取ると女の方に放り投げてやったりした。時には、女の方から木の実などをくれる事もあった。
二ケ月が過ぎた。
ある日、大雨が降って川の水は増え、栄意坊の小屋は流された。女の小屋は大丈夫だった。雨がやみ、川の水が引けると、栄意坊はまた、小屋を建てようとした。女がそれを見ながら栄意坊を手招きした。栄意坊は川を渡って、女の小屋の方に向かった。
女はようやく、栄意坊を信用して自分の身の上を語った。
女の名前はお円(エン)といい、戦に負けて、家も土地も失い、亭主と子供を連れて山に逃げて来た。他にも家来たちが何人かいたが、途中ではぐれてしまい、お円と亭主と子供と家来の一人が、ここにたどり着いた。ここに小屋を建て、隠れて暮らしていたが、昨日のような大雨に会って小屋は流され、その時、子供も流されてしまった。
子供を失い、お円は悲しみ、亭主は跡継ぎを無くしたと半狂乱になったという。跡継ぎを亡くしてしまったら、お家の再興はできない、わしは一人でも敵と戦うと亭主は山から出ようとした。一緒にいた家来は亭主に命じられ、偵察をしに山から出て行った。しかし、それきり戻っては来なかった。亭主は家来が裏切ったと思い込み、お円に八つ当りをした。子供はまた作ればいいと慰めたが駄目だった。亭主はとうとう、お円を置いて山から出て行った。亭主が山から出て行ってから、もう四年も経っているという。
栄意坊は、まだ、亭主を待っているつもりか、と聞いた。
お円は首を振った。
二年目までは待っていたが、それから後は、もう諦めたと言う。山から出ようと思ったが、どうやって出たらいいのか分からないし、山から出ても頼る人はいない。ここに隠れていれば誰も来ないし、生きて行く事はできる。尼僧になったつもりで、子供と一族の菩提(ボダイ)を弔(トムラ)いながら、一生、ここで暮らそうと覚悟を決めていたという。
その後、二人は一つの小屋で、一冬を過ごした。
栄意坊もお円も幸せだった。誰にも邪魔されないで、二人とも子供に返ったように、二人だけの時を充分に楽しんだ。そして、春になり、二人は山を下りた。
お円の亭主の消息は分からなかった。両親は亡くなっていた。
栄意坊はお円を連れて飯道山に来た。高林坊に頼み、お円と暮らすために槍術の師範となった。二人は山のふもとの宿坊の立ち並ぶ一画に小さな家を借りて住んでいた。
火乱坊の話から、女の話になり、栄意坊は事の成り行きをみんなに話した。
「ほう。今が一番、幸せな時じゃのう」と風眼坊は言った。
栄意坊は照れながら頷いた。
「いつか、おぬしから死んだ女の事を聞いた事があったな。おぬしが女と暮らすのは、それ以来じゃな」
「ああ。そうじゃ。もう二十年も前の事じゃ。わしは、おれいが死んだ後、死ぬつもりじゃった。死ぬつもりで戦に出た‥‥‥しかし、死ねなかった‥‥‥」
「死ねなくてよかったわけじゃ。お円殿に会えたんじゃからな」
「まあ、そうじゃのう。しかし、お円はおれいにそっくりなんじゃよ。顔は似ておらんがのう。仕草とか、性格とか、そっくりなんじゃ」
「それで、おぬしはその女の側を離れなかったんじゃな」
「不思議な事に離れられなかったんじゃ」
「ほう、離れられなかったと来たか」と高林坊は笑った。
「実は、わしも若い女房ができたんじゃ」と風眼坊が今度は言った。
風眼坊はお雪との出会いから話した。蓮崇も知らない事だった。皆、面白がって風眼坊の話を聞いていた。
夜は更け、客たちは入れ代わっていたが、四人の話はいつまで経っても尽きなかった。一番最初から一番最後まで居座っていた。店の親爺は朝までやっていても構わんぞと言ってくれたが、親爺の言葉に甘えるわけにもいかないのでお開きにした。このまま、伊勢屋に行って飲もうと誘ったが、栄意坊は帰りたそうだったので無理に引き留めなかった。
高林坊と栄意坊の二人は帰って行った。
風眼坊と蓮崇は二人を見送る伊勢屋に向かった。
「みんな、いい奴じゃろう。わしらは若い頃、一緒に騒いだ仲間なんじゃ。三人が揃ったのは、もう五年以上前じゃったのう。慶覚坊の奴が来れば、二十年振りに四人揃うんじゃがのう。奴は当分、それどころではないのう」
「羨ましい事です」と蓮崇は言った。
「何を言っておる。わしは、そなたが羨ましかったわ。本願寺のために生きておる仲間が大勢、おるんじゃからな」
「もう、いません」
「いや、それは違う。そなたが破門になったからといって、たとえば、慶覚坊じゃが、奴はそなたが破門になっても、以前のごとく仲間じゃと思っておるはずじゃ。慶覚坊だけじゃないじゃろう。慶聞坊だって、蓮如殿だって、みんな、そなたの事を忘れる事はない」
「しかし、わしにはもう何もできません」
「そうかな。それは、そなた次第じゃ」
「どういう意味です」
「破門になったとしても、そなた次第で、本願寺のために生きる事はできる」
「それは、どういう意味です」
「それは自分で決めるしかない」
伊勢屋に帰るとお雪はもう寝ていたが、弥兵は寝ずに待っていた。
「さて、ゆっくりと寝るか。蓮崇殿、たまには、昼頃まで、のんびり寝てみるのもいいもんじゃぞ」と風眼坊は言うと、お雪の寝ている部屋に入った。
蓮崇は弥兵を連れて、隣の部屋に入った。
「もう、お前はわしの下男ではない。ただの連れじゃ。わざわざ、わしを待っておる事はない。先に寝ておってもいいんじゃぞ」
「へい」
「もう寝ろ」
「へい。蓮崇殿は、まだ寝ないのですか」
「わしも寝る」
弥兵は横になった。
蓮崇は坐り込んだまま、風眼坊の言った事を考え込んでいた。
風眼坊は、破門になっても本願寺のために何かがやれる、と言った。しかし、そんな事ができるとは思えなかった。
蓮崇は夜が明けるまで、考え続けていたが結論は出なかった。
4
風眼坊は昼近くまで、のんきに寝ていた。この地に来ると風眼坊はすっかり安心して高鼾(タカイビキ)をかいて眠っていた。
お雪は朝早くから起きて、弥兵を連れて町をブラブラと散歩し、花養院まで来て子供たちと遊んでいた。子供の中の一人が腹をこわしたというので、お雪は診てやった。
それを見ていた妙恵尼と孝恵尼は、お雪の適切な処置に驚いた。まだ若い娘が、これ程までも医術を心得ているとは信じられない事だった。さっそく、お雪の事は仲恵尼に告げられ、お雪は仲恵尼に呼ばれた。
お雪は仲恵尼に、風眼坊から教わったという事を話した。
仲恵尼はお雪から、加賀の国で戦の負傷者を治療して回ったという事を聞き、何度も頷きながら、あの風眼坊がそんな事をしていたのか、と涙を溜めて喜んでいた。まるで、母親が息子の事を聞いているかのように、お雪の話を聞いていた。
「そうか、風眼坊がのう‥‥‥そうか、そうか」と仲恵尼は何度も言った。
お雪は、そんな仲恵尼を見ながら風眼坊の昔話を聞いていた。
お客が訪ねて来て、仲恵尼は部屋から出て行った。
お雪は子供たちの所に戻った。しばらくして、お雪はまた呼ばれ、一人の僧侶と会わされた。その僧侶を風眼坊の所に連れて行ってくれと頼まれた。
その僧侶は風眼坊の事をよく知っていた。伊勢屋に行く途中、僧侶はしきりに、「懐かしいのう」と言いながら町を眺めていた。
お雪に向かって、「小太郎も若いのう」と一言、笑いながら言ったが、自分と風眼坊の関係は話してくれなかった。
お雪が僧侶を連れて部屋に行くと、風眼坊はまだ寝ていた。
起こそうとして、お雪が部屋に入って行こうとしたら僧侶は引き留めた。
僧侶はそおっと部屋に入って行き、風眼坊の頭の下の枕を蹴飛ばした。
風眼坊の動きは素早かった。
枕が飛ぶのと同時に起き、側に置いておいた刀を手に取ると、刀身を半分程抜いて構えた。僧侶の方も持っていた杖を構えていた。
お雪もとっさに帯に差してある笛をつかんでいた。
緊張していた風眼坊の顔がだんだんと緩んで、「新九郎か」と言った。
僧侶は頷いた。
「脅かすな」と言うと風眼坊は刀を納めた。
「若い女子を女房にして、腑抜けになってはおらんかと心配してやったんじゃ」
「余計なお世話じゃ。しかし、どうしたんじゃ、どうして、ここにおる」
「おぬしの方こそ、どうしてここにおるんじゃ。わしはおぬしが駿河に来るじゃろうと待っておったが、いつになっても来ん。まあ、こんな若い女子と一緒にいたら、それも無理ない事じゃがのう」
「まあ、焼くな。しかし、不思議な縁じゃのう。みんな、お山の力に引かれるように、ここに集まって来るのう。栄意坊も今、ここにおるんじゃ」
「なに、栄意坊もおるのか」
「ああ、夕べ、『とんぼ』で飲んだんじゃ。こいつは今晩も飲む事になりそうじゃのう。しかし、その頭、なかなか似合っておるのう。火乱坊の奴も今、そんな頭をしておる」
「なに! 火乱坊もおるのか」
「いや、火乱坊は加賀じゃ。ついこの間まで、わしらは加賀におったんじゃ」
二人はさっそく話し込んでいた。
お雪は側に坐って、二人のやり取りを聞いていた。そのうちに蓮崇も現れ、話を聞いていた。
蓮崇は一睡もしなかったと見えて、やつれた顔をしていた。
話が一段落すると、風眼坊は早雲と蓮崇と共に山に登り、お雪と弥兵は花養院に行った。
山の上では風眼坊が来ている事が噂になっていて、風眼坊は修行者の前で剣術を披露しなければならなかった。
風眼坊と早雲は木剣を持って試合をした。腕は風眼坊の方が上だったが、早雲の腕も大したもので、今いる師範以上の腕を持っていた。
修行者たちは目を見張って、二人の技の冴えを見ていた。
蓮崇も二人の動きをじっと見ていた。
蓮崇にとっても風眼坊の腕を見るのは初めてだった。実際にこの目で見て、驚かずにはいられなかった。越前の大橋勘解由左衛門(カゲユザエモン)の師匠だったと話では聞いていたが、凄いものだった。これだけの腕を持っていれば、戦に出ても向かう所、敵なしだろうと思った。慶覚坊が風眼坊を本願寺の門徒にしたかった訳も充分に納得できた。蓮崇は風眼坊の強さを見て、さらに自己嫌悪に陥って行った。
その晩、早雲も加わって、また『とんぼ』で一緒に飲んだ。その晩の話題の中心は、やはり、早雲だった。頭を丸めて東国に旅立って以来、四年振りに飯道山に来たのだった。
今回、早雲が戻って来たのは娘を嫁に出すためだった。
早雲には十七歳になる娘が一人あった。早雲は十八年前、居候(イソウロウ)していた伊勢駿河守貞高の薦めで、同じ伊勢一族の娘を嫁に貰っていた。子供は娘一人だけだった。妻と娘は京に戦が始まってから、妻の実家に預けたままだった。僧侶として駿河に行ったため、妻と娘を呼ぶ事はできなかった。また、呼んだとしても、知らない土地に来るような妻ではなかった。知らない土地に行くより、一族のもとにいれば何不自由なく暮らして行く事ができる。妻にとって、早雲など、いてもいなくてもいい存在だった。早雲の方でも妻の我がままを持て余していた。妻の所に戻る気はなかった。妻の所に戻れば、また、幕府に仕えなければならなくなるだろう。もう、幕府との縁は切りたかった。煩(ワズラ)わしい事など考えず、駿河で気楽に暮らしていた方が楽しかった。しかし、一人娘の事は気になっていた。その娘も、どうせ、一族の者の所に嫁いで、退屈な日々を送る事になるだろうが、早雲が口出しする事はできなかった。せめて、嫁に行く時位は祝ってやりたかった。
知らせを受けると早雲は駿河を後にして京に向かった。無事、娘も嫁に行き、早雲は早々と京から離れた。
早雲は今回、京に行くに当たって、是非、会いたい人がいた。
それは一休禅師だった。駿河では早雲は一休禅師の弟子で通っていた。しかし、面識はあっても弟子ではなかった。早雲は正式に弟子にはなれないにしろ、もう一度、一休と会って教えを受けたかった。
早雲は京を出ると、一休のいる薪(タキギ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(シュウオンアン)に向かった。
一休は早雲の事を覚えていてくれた。しかし、教えを請う事はできなかった。一休はお森(シン)という盲目の女と一緒に暮らしていた。
早雲は一瞬、目を疑った。一休ともあろう禅師が女犯(ニョボン)を犯していた。早雲も一休の風変わりな行ないは知っていた。しかし、それは、今の禅宗の在り方を批判するための行動だと思っていた。まさか、実際に、女と一緒に暮らしているとは思ってもいなかった。
早雲は、一休とお森という女のやり取りを見ながら、見なければよかったと後悔した。
早雲はほんの少しの間、一休と話をしただけで酬恩庵を後にした。
一休を見損なった、と思った。
昔はあんな人ではなかった、と思った。
一休の禅こそ、本物だと信じていた。
一休は、どうして、あんな風になってしまったのだろう。
早雲は歩きながら考えていた。考えながら、本物の禅とは一体何なんだろう、と思った。
女と一緒に暮らせば、禅者ではなくなるのだろうか。
禅とは、そんなものではないはずだった。
禅とは何か、という答えを見つけるため、早雲はもう一度、酬恩庵に戻る事にした。
早雲は一休とお森の仲睦まじい生活を見守りながら、本物の禅とは何か、真剣に考えた。
座禅をするだけが禅ではない。
常住坐臥(ジョウジュウザガ)、すべてに置いて禅の境地でいなければならないはずだ。
禅は大寺院の中にいる坊主だけのものではない。人間本来の姿で生活し、その生活の中に生きていなければ無意味と言えた。
一休は本物の禅をさらに進め、それを実践しているのかもしれない‥‥‥と早雲は考え直した。
形式にこだわり過ぎていたのかもしれないと思った。世を捨て、禅の世界に生きようと、頭を剃って禅僧のなりをした。確かに禅僧の格好をしていれば、回りは早雲を禅僧と見てくれた。正式に出家したわけではなかったが、駿河では早雲禅師で通っていた。回りから偉い和尚さんだと言われ、得意になっていた。しかし、反面、偽者だとばれやしないかと心配した事もないわけではなかった。今回、一休を訪ねたのも、本当の所を言えば、一休の正式の弟子となって、できれば、一休から印可状を貰い、本物の禅僧になりたかったからだった。そんな思いで訪ねた一休の姿を見て、早雲は初め、失望した。しかし、そのうちに、一休に思いきり殴られたような衝撃を感じるようになって行った。
早雲は自分がかつて一休と共に語った堕落した禅僧というものに、知らないうちに自分が近づいていたという事に気づいた。二人が語った堕落した禅僧というものは、ろくに修行もしないで、師匠からの印可状ばかり欲しがり、禅僧とは名ばかりで俗世間において出世する事ばかり考えている者たちの事だった。
禅の世界は自力本願だった。自分の力で悟らなければならず、決して、人から教えられて分かるものではなかった。たとえ師匠であっても、助ける事はできるが教える事はできない。
一休から見れば、印可状などというのは、単なる自己満足でしかない無用な物であった。禅僧とはいえ、心というものは脆い。自分が開いた悟りを誰かに認められたいと誰もが思う。そして、師匠から印可状を貰って、初めて悟った事を確信する。しかし、一度、悟れば、それで終わりというわけではない。人間、生きている以上、次々に悩みは生まれて来る。それを次々に乗り越える事によって、さらに大きな悟りの境地に達する。悩み、悟り、そして悩み、また悟る、生きている以上、その繰り返しだった。
本物の禅には印可状など、ないはずだった。
早雲はその印可状が欲しいために、ここを訪れ、一休の姿を見て、思いきり殴られたような衝撃を感じ、そんな事を考えていた自分を恥じた。一休は自分が考えていた以上に先を歩いていた。早雲は俗世間における形式にこだわっていた自分を恥じた。
早雲も男だった。女を見ても何にも感じないような木偶(デク)の坊ではなかった。しかし、僧侶の振りをしているため、今まで色欲(シキヨク)を抑えて来た。禅僧として、それが当然な事だと思っていた。禅僧としては当然かもしれないが、それは、本物の禅とは言えなかった。
本物の禅とは、何事にも縛られない、融通無碍(ユウヅウムゲ)の境地の事だと思った。欲望を抑えて女を避けているうちは融通無碍の境地とは言えない。何人もの女に囲まれながらも、心を奪われないような境地にならなければならないのだった。
何事にも囚われず、まったくの自由な境地‥‥‥
その境地まで行くのは、決して簡単な事ではない。しかし、本物の禅の境地とは、そのようなものに違いないと悟った。
一休は八十歳を過ぎ、まさしく、その境地に達しようとしているのであった。すでに、融通無碍の境地の中で、お森という女と遊んでいるのかもしれない。
早雲は一休だけでなく、お森という盲の女も観察していた。この女も一休と同じ境地にいるように思えた。目が見えないため、一休のように苦労しなくても、その境地にたどり着く事ができたのかもしれなかった。
早雲は晴れ晴れした気持ちで酬恩庵を後にした。そして、久し振りに松恵尼に挨拶をして行こうと思い、飯道山に向かった。
「ほう。おぬし、一休禅師を知っておったのか」と風眼坊は驚いた。
最近、やけに一休禅師と縁のある風眼坊だった。本人には会った事はないが、一休と縁のある人間に何人も会っていた。彼らは皆、一休を慕っていた。越前の絵師の曾我蛇足(ソガジャソク)、茶人の村田珠光(ジュコウ)、彼らは一休の弟子で、蓮如も一休の事は気に掛けていた。そして、新九郎(早雲)までもが、一休の影響を受けていた。
風眼坊も是非、一度、一休禅師と会ってみたいと思った。
早雲は今回の旅の事を話すと、今度は駿河の事を話した。いい所じゃから、是非、来てくれと皆に薦めた。
風眼坊は行くと答えた。しかし、その前に播磨に行くと言った。
「播磨に伜がおるんでな。ちょっと、顔を見て来る」
「ほう。おぬしの伜が播磨におるのか、播磨で何をしてるんじゃ」
「武士になったらしい。そういえば、おぬしも太郎の事、知っておるんじゃったのう」
「太郎?」
「ああ、そうじゃ。応仁の戦が始まった頃、おぬしが京まで連れて行った小僧じゃ」
「ああ、水軍の小伜か‥‥‥確か、奴は花養院にいた娘と一緒になって、愛洲の里に帰ったと松恵尼殿から聞いたぞ」
「ああ。一度は帰ったんじゃがの。しかし、不思議な事があるもんじゃのう。わしがあいつに会う前に、あいつがおぬしと会っておったとはのう」
「ああ、わしも驚いたわ。あの時の小僧がおぬしの弟子になって、このお山で修行をしておったと聞いた時はのう。しかも、陰の術など編み出して、知らん者がおらん程、有名になるとはのう。まったく信じられん事じゃった」
「その太郎の奴が、また、ここに戻って来て、一騒ぎあっての、今、播磨で赤松家の武将になっておるんじゃ。わしの伜は太郎の弟子になって播磨に行き、太郎の家臣だそうじゃ」
「赤松家の武将?」
「ああ、そうじゃ。まあ、詳しい事は後で話す。それより駿河の事をみんなに聞かせろ」
その日の晩も、遅くまで『とんぼ』で飲んでいた。
伊勢屋に帰ってからも風眼坊と早雲は話し続けていた。夜が明ける頃になって、ようやく二人は横になった。
早雲は風眼坊たちと一緒に播磨に行く事になった。駿河に急いで帰る理由はなかった。早雲も太郎と再会したかった。播磨でのんびりして、どうせ、太郎は十一月の末には飯道山に来るはずだから、一緒にここに戻って来て、それから、今度は駿河に向かおうという事に決まった。
33.再会2
5
風眼坊が起きたのは、今日も昼過ぎだった。
お雪はいなかった。
寝過ぎたかな、と思って、早雲の部屋を覗いたら、早雲は鼾をかいて、まだ寝ていた。
「幸せな奴じゃ」と風眼坊は笑った。
蓮崇の部屋も覗いたが、誰もいなかった。みんな、どこに行ったのだろうと思いながら厠(カワヤ)に向かった。
井戸端で顔を洗いながら空を見上げると、いい天気だった。
「のどかじゃのう」と風眼坊は独り言を呟(ツブヤ)いた。
台所にいた仲居に声を掛け、お雪や蓮崇の事を聞くと、お雪は花養院に行ったが、蓮崇の方は分からないと言った。
仲居の一人が笑いながら風眼坊に声を掛けて来た。
「風眼坊様、女将さんが留守でよかったですね」
風眼坊と松恵尼の仲を知っている女だった。
「まあ、それは言えるのう。もし、いたら、女将は何と言うかのう」
「さあ、分かりませんけど、女の嫉妬は恐ろしいですからね。風眼坊様が女将さんの見えない所で遊ぶ分には、女将さんも何も言わないでしょうけど、一緒に連れて来て、しかも、女房だなんて言ったら、女将さんだって怒るんじゃないですか」
「そうか、やはり、怒るか‥‥‥戻って来んうちに退散した方がよさそうじゃのう」
「そうですよ。お酒ばかり飲んでないで、そろそろ出掛けないと帰って来ますよ」
「うむ。女将には内緒じゃぞ」
「それは無理ですよ。あたしが内緒にしたって、町中、知ってますよ」
「まさか、大袈裟な事を言うな」
「風眼坊様は自分が誰だか忘れたんですか。この町では風眼坊様は有名人なんですよ。風眼坊様の事はすぐに噂になるのです」
「本当か」
「本当ですとも」
「それじゃあ、わしと女将との仲も町中、知っておると言うのか」
女は頷いた。「知らないと思ってるのは御本人だけです。町中、そんな事、知ってますよ。そして、今、みんなの注目を集めているのが、女将さんが帰って来て、どういう反応を示すかです」
「何じゃと。それじゃあ、わしらはいい見世物になっておるんじゃないか」
「そういう事です。有名人というのは、そういうものなんです」
「まいったのう‥‥‥見世物なんかになっておられるか。早いうちに、ここから出るぞ」
「その方がいいですよ」
風眼坊は花養院に向かった。
自分が町の噂になっているなんて、ちっとも知らなかった。どうせ、松恵尼も知らないに違いない。もしかしたら、松恵尼が伊勢屋の女将という事も町の連中は知っているのだろうか。わしらの仲を知っている位だから、どうせ、何もかも知っているのだろう。まったく、気が置けなかった。あの仲居の言う通り、松恵尼が留守で本当に助かったと風眼坊は思った。
お雪は子供と遊んでいた。
お雪に蓮崇の事を聞くと、弥兵を連れてお山に登った、と言った。
「お山へ?」と風眼坊は首を傾げた。
「蓮崇様、全然、寝てないみたい。今朝、あたしが起きた時、ずっと坐り込んでいたわ。昨日の朝もそうよ。何かをずっと悩んでいるみたい」
「そうか‥‥‥」
「相談に乗ってあげたら?」
風眼坊は首を振った。「自分で答えを見つけるしかないんじゃ。蓮崇殿は今まで、ずっと本願寺のために生きて来た。その本願寺が蓮崇殿の前から消えた。これからどう生きたらいいのか、自分で答えを見つけなければならん」
「でも‥‥‥」
「大丈夫じゃ。蓮崇殿はそんなやわな男じゃない。絶対に自分で答えを見つけるさ」
「そうだといいんだけど、このままで行ったら、蓮崇様、病気になっちゃうわ」
「病気になったら治療してやるさ。名医がここに二人もおるんじゃからな。それよりも、明日の朝、旅立つぞ。早雲も一緒に行く事になった」
「早雲様も‥‥‥早雲様って、あなたの幼馴染みだったのね」
「まあ、そういう事じゃな。播磨に一緒に行ってから、今度は駿河に行く」
「駿河?」
「ああ。しばらくは駿河に落ち着く事になるかもしれん」
「駿河って富士山があるのよね。見てみたいわ」
「綺麗な山じゃ」
「楽しみだわ」お雪は嬉しそうに笑った。
「うむ‥‥‥それにしても、蓮崇殿はどうしてお山に登ったんじゃろう」
「さあ、武術でも習いたくなったんじゃないの」
風眼坊は飯道山を見ながら頷いた。「しかし、あの年から始めるのは、言っては悪いが、ちょっと無理じゃな」
「蓮崇様って幾つなの」
「四十一だと思ったがのう」
「四十一からじゃ武術を習うのは無理なの」
「若い頃、少しでもやった事があれば、見込みがない事もないが、蓮崇殿はその経験はない。やる気があっても、もう体の方が言う事を聞かんじゃろうのう。吉崎におった頃、少し教えたが、まあ、ものにはならんな」
「そう‥‥‥残念ね」
夕方、風眼坊とお雪が帰ると、蓮崇と早雲が何やら話していた。
「よう。仲良くお出掛けか」と早雲は二人が入って来ると囃(ハヤ)し立てた。
「羨ましいじゃろう」と風眼坊は言って腰を下ろした。
「今、蓮崇殿から本願寺の事を聞いておったんじゃ。本願寺では坊主の妻帯を許しておるんだそうじゃのう」
「ああ、そうじゃ。蓮如殿には十人以上も子供がおるわ」
「十人以上もか、そいつは凄いのう」
「蓮崇殿、明日の朝、ここを発つ事にした」と風眼坊は言った。「今晩は、ゆっくり休んだ方がいいぞ。長旅になるからのう」
「風眼坊殿」と蓮崇は突然、大きな声を出した。
「何じゃ」
蓮崇は風眼坊を見つめていた。その顔は何かを決心したかのように感じられた。
風眼坊は改めて蓮崇の方を向いて、蓮崇の言葉を待った。
「わしを弟子にして下さい」と蓮崇は両手を付いて頭を下げた。
「弟子というのは、武術の弟子か」
「はい、そうです」
「弟子になってどうするつもりじゃ」
「わしは本願寺を破門になり、本願寺の事はすっかり忘れて、新しい人生を送ろうと思いました。しかし、加賀では門徒たちは苦しんでおります。破門になったからといって、もう関係ないと見て見ぬ振りは、わしにはできません。そんな事をする位なら、いっそ、死んだ方が増しだと思いました。どこか、遠くの山の中にでも行って死のうと決心しました。ところが、この前、風眼坊殿は破門されても本願寺のために生きる事はできると言いました。わしはそんな事ができるわけないと思いました。しかし、ようやく、風眼坊殿の言いたかった事が分かりました」
「分かったか」
「はい、わしは本願寺の裏の組織を完成させるつもりです」
「うむ。わしもその事を蓮崇殿にやってもらいたかったのじゃ。裏の組織というのは絶対に表には出ない。たとえ、破門の身であっても蓮崇殿ならできる。わしはそう思っておった」
「しかし、実際、破門された身で加賀に乗り込んでも組織作りなんてできません」
「いや、蓮崇殿ならできると思うがのう」
「いえ、まず、破門されたわしは門徒たちに相手にされません。生まれ変わらなければならないと気づいたのです」
「それで、山伏になるというのか」
「はい。山伏になって武術を身に付けます。まず、強くなければ誰にも相手にされません。裏の組織を作るにしても口だけでは誰も動きません」
「うむ、そうかもしれんのう。もう下間一族の蓮崇殿ではないからのう。口だけでは誰も動かんのう」
「風眼坊殿、お願いです。わしを弟子にして武術を教えて下さい」
「弟子にするのは簡単じゃ。しかしのう‥‥‥」
「わしも年の事は考えました。この年になって武術を始めても、ものになるかどうか分かりません。しかし、一度、死ぬ覚悟をしました。死ぬ気で頑張るつもりです。どうか、お願いします」
「うーむ‥‥‥」風眼坊は腕を組んで考えた。
「お願いします」と蓮崇は頭を畳(タタミ)にこすり付けて頼んでいた。
「蓮崇殿、こうしよう。蓮崇殿が死ぬ気で武術を習いたいのなら、まず、基本である体を作らなければならん。飯道山には奥駈けといって、山の中を修行する道がある。その道を百日間休まずに歩き通す百日行というのがある。雨が降っても、風が吹いても、体の具合が悪くても、一日も休む事はならん。今から始めれば、冬になり、雪が降る事もあろう。しかし、一日でも休めば、その行は初めからやり直さなくてはならん。蓮崇殿、まず、その行から始める。その行に耐える事ができれば、武術を身に付ける事もできるじゃろう。その行に耐えられたら、わしの弟子として、この山で一年間、修行を積むがいい。どうじゃな」
「百日行‥‥‥道のりはどれ位なんですか」
「一日、およそ十三里(約五十キロ)じゃ」
「山の中を十三里ですか‥‥‥」
「きついぞ。しかし、わしの弟子になるには、それが第一関門じゃ。わしのたった一人の弟子である太郎坊は、百日行を二回しておる。早雲も一回やっておるのう」
「ああ、あれには参ったわ。しかし、あれを経験しておくと大低の事には耐えられるのう」
「やります。やらせて下さい」と蓮崇は迷わずに言った。
「よし、分かった‥‥‥今日はゆっくり休んだ方がいい。そうじゃのう、明日、準備をして、あさってから始めるか。それまで体調を整えておけ、始めたら百日間は休めんからのう」
「はい。分かりました。お願いします」
「予定変更じゃ。どうするかのう、おぬし、先に播磨に行くか」と風眼坊は早雲に聞いた。
「いや、わしも付き合うよ」と早雲は言った。
「なに、おぬしも百日行をやると言うのか」
「ああ。どうせ、おぬしは最後まで付き合うつもりじゃろ。わしも負けられんわ」
「また、張り合うのか」
「そうじゃ。おぬしがやると言うのに、わしが見ているわけにはいかん」
「相変わらずじゃのう。そうなると問題は、お雪じゃのう」
「あたしは花養院で待っています。仲恵尼様が、あたしが子供の病気の治療をした事を聞いて、しばらく、いてくれたら助かると言っておりましたから、あそこで子供たちの面倒を見ています」
「そうか、あそこで待っていてくれるか」
「はい‥‥‥蓮崇様、頑張って下さいね」
お雪が百日間、いる所となると花養院より他にはなかったが、花養院にいれば、当然、松恵尼と顔を合わす事となる。まずい、と思ったが仕方なかった。成るように成れ、と開き直るより他になかった。
その日は皆、早く寝た。
次の日、風眼坊はわけを話して、お雪の事を仲恵尼に頼んだ。仲恵尼は喜んで、お雪の事を引き受けてくれた。何となく、仲恵尼が自分を見る目が変わったような気がした。以前のように、皮肉を込めた目付きではなかった。どうしたんだろうと思いながらも、たまたま機嫌がいいだけなんだろうと思って山に登った。
高林坊と会い、蓮崇の事を話し、百日行の許可を取った。
高林坊も話を聞いて驚いていた。あの年で、初めて百日行をやるとは信じられないようだったが、風眼坊と早雲が最後まで付き合うというので、高林坊も安心して許可をした。
高林坊から三人分の山伏の支度を借りると風眼坊は山を下りた。
明日から始めて、百日行が無事に終わるのは十二月の半ばだった。丁度、太郎が志能便の術を教えている頃だった。行が無事に終わったら蓮崇をお山に預け、太郎と一緒に播磨に向かおうと風眼坊は思った。
百日行が始まった。
初日から雨降りだった。
雨の降る中、山伏姿の三人は太神山(タナガミサン)へと向かった。初日から四日目までは足慣らしのため、半分の片道だけなので、別に問題はなかった。
風眼坊も早雲も、蓮崇に合わせて、のんびりと歩いていた。
蓮崇は真剣だった。しかし、体が気持ちに付いて行くかが問題だった。はっきり言って、蓮崇の体は武術をする体付きではなかった。今まで、体の事に気を配った事もないのだろう。体全体に余計な肉が付き過ぎていた。百日間、歩き通す事ができれば、見違える程の体になるだろうが、果たして、やり通す事ができるかどうか不安だった。
早雲は、まあ持って一ケ月じゃろうな、半分の五十日歩き通せば、大したもんだと風眼坊に言った。
風眼坊も五十日持てば、いい方だろうと思った。やるだけやって駄目だったら、本人も諦めるだろう。それでも諦めなかったら、来年の一月に、若い修行者たちと一緒に、一年間の修行をやらせようと思っていた。
五日目から本格的な抖擻行(トソウギョウ)が始まった。
蓮崇はその日から、もう危なそうだった。帰り道の途中から腹を押えながら、足を引きずり歩いていた。宿坊にたどり着いた頃には、もう真っ暗になっていた。
次の朝には、もう起きられないかもしれない、と風眼坊も早雲も思った。
次の日、蓮崇は気力を振り絞って起き、歩き出した。
風眼坊も早雲も何も言わず、蓮崇の後ろを歩いた。
それぞれの山の山頂には、その山の本尊が祀(マツ)ってあった。
飯道山頂には飯道権現と役小角(エンノオヅヌ)、地蔵山には地蔵菩薩、大納言山には虚空蔵菩薩(コクウゾウボサツ)、阿星(アボシ)山には釈迦如来(シャカニョライ)、金勝(コンゼ)山には千手観音、竜王山には八大竜王、弥勒(ミロク)山には弥勒菩薩、薬師山には薬師如来、最後の太神山には不動明王と役小角、そして、金勝寺の奥の院の狛坂寺(コマサカジ)には阿弥陀如来、弥勒山と薬師山の途中にある観音の滝には十一面観音が祀ってあった。
それらの所では決められた印(イン)を結び、決められた真言(シンゴン)を唱えなければならなかった。
蓮崇は風眼坊の言う通りに真似をした。本願寺の門徒であった蓮崇にとって、念仏以外の真言を唱えるのに抵抗を感じていたようだったが、「生まれ変わるのじゃ」と風眼坊に言われ、仕方なく風眼坊の真似をした。
七日目に蓮崇は歩きながら血を吐いた。
毎日、疲れ切っているので、食欲もわかず、ほとんど何も食べないで歩き通していた。目はくぼみ、頬はげっそりとして、すっかり顔付きが変わっていた。足の裏は血だらけになっていた。
早雲は、もうやめさせた方がいいと言ったが、風眼坊は、まだ死にはせんと言って、やめさせなかった。
「このまま続けたら、一ケ月で死ぬぞ」と早雲は言った。
「生まれ変わるには、一度、死ななくてはならん」と風眼坊は言った。
「きつい事を言うのう」
「わしの弟子になるには、それだけの事をしてもらわんとな」
「おぬしの名が落ちると言うわけか」
「いや、わしの事など、どうでもいいが、わしには太郎という弟子がおる。蓮崇殿がわしの弟子になれば、太郎とは兄弟弟子という事になる。蓮崇殿はどうしても、太郎と比べられる事になるんじゃ。このお山で修行する事になれば、常に太郎と比べられておるという事を意識しなければならん。それに耐える事ができるかが問題じゃ」
「成程な。できのいい兄貴を持った弟が肩身の狭い思いをするのと同じというわけか」
「そうじゃ。蓮崇殿が、そんな事を一々気にしなければ何も問題はないが、わりと繊細な所があるからのう。それに耐えるには、自分に自信を持たなければならんのじゃ。百日行をやり通す事によって、その自信は付くはずじゃ」
「百日間、歩かせるつもりか」
「あの姿を見ておったら、何としても歩かせたいと思うじゃろう」
「それはそうじゃがのう、後九十三日、先はまだまだ長いぞ」
「まあ、やってみるしかない」
蓮崇は荒い息をしながら、足元の道だけを見て、杖を突き、一歩一歩進んでいた。頭は重く、石ころが一杯詰まっているようだった。何も考える事ができなかった。ただ、やらなければならないという気持ちだけで動いていた。なぜ、こんな事をやらなければならないのか分からなかったが、この修行の後には必ず、浄土があると信じていた。しかし、浄土にたどり着くまでの道のりは辛く長いものだった。蓮崇は心の中で、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら歩いていた。
十日間が過ぎた。
相変わらず、蓮崇は苦しそうだった。
血を吐く事はなくなったが、金剛杖を頼りに足を引きずりながら歩いていた。それでも、歩く速さは少し速くなったようだった。蓮崇の速さに合わせて歩いているため、風眼坊と早雲の方が返って疲れが溜まって来ていた。
「おい、小太郎、わしらは何も奴に付き合う事はないんじゃないのか」と早雲は言い出した。
「ああ、無理に付き合う事はないさ」
「おぬしもそろそろ、お雪殿に会いたくなったんじゃないのか」
「そりゃ、会いたいさ」
「蓮崇なんか放っておいて、山を下りようぜ。わしも女子が恋しくなった」
「何を言っておる。おぬしは坊主になったんじゃろうが」
「正式になったわけではない。わしは本願寺の坊主になる事にするわ」
「いい加減な奴じゃのう」
「二人も女房を持っておる、おぬし程じゃないわ」
「それを言うな。成り行きで、そうなっただけじゃ」
「わしも成り行きで坊主になったが、これからは本物の禅をするんじゃ」
「ほう。おぬしの話じゃと、歩く事も立派な禅じゃろ」
「そりゃそうじゃが‥‥‥」
「百日禅じゃと思って続けるんじゃな」
「百日禅か‥‥‥そいつは面白い、百日禅か‥‥‥よし、わしは百日禅をするぞ。いいか、小太郎、これからは話し掛けるな。わしは先に行くぞ」
「何を言ってやがる。話し掛けたのはそっちじゃろ」
早雲は何を思ったのか、一人で先に行った。蓮崇も追い越し、一人でさっさと歩いて行った。
蓮崇は念仏を唱えながら、ただ、ひたすら歩いていた。
苦しかった。しかし、やめようとは思わなかった。やめたら、この先、生きて行く望みはなかった。たとえ、途中で死ぬ事になろうとも、その方がましだった。
蓮崇は死ぬか、やり遂げるか、自分に賭けていた。まだ九十日もあった。
早雲は蓮崇に付き合うつもりで百日行を始めたが、せっかくやるなら、人に付き合うより、自分のためにやった方がいいと気づき、百日間の歩く禅をやる事に決めた。歩きながら無の心境になろうと考えた。
その日から早雲は二人に付き合わないで、一人で歩き、二人よりも一時(イットキ、二時間)近く早く宿坊に帰り、座禅をしながら待っていた。
一休と出会い、本物の禅は分かったが、それをどうやって実行に移したらいいのか分からなかった。駿河において早雲は立派な禅僧という事になっている。今川のお屋形様(義忠)の義兄として、一休のような真似はできなかった。どうしたら、本物と言える禅を実行できるかを考えていた。
早雲の側にも女がいた。春雨という芸人だった。半年近く一緒に暮らして、お互いに惹かれている事に気づいていた。春雨はしきりに早雲に誘いを掛けるが、早雲はそれをかわして来た。自分が僧侶だからという理由で避けて来たが、それは本心ではなかった。
早雲も春雨が好きだった。抱きたいと思う気持ちをしきりに抑えていた。なぜ、そんな事をして来たかというと、外聞(ガイブン)をはばかっていたからに他ならなかった。皆から偉い禅僧だと思われている早雲が、女犯を犯したら、誰にも相手にされなくなるという事を恐れていたからだった。それは本物の禅ではなかった。ただの逃げでしかない。逃げている以上、本物の禅の境地に達する事はできなかった。かと言って、一休のように堂々と春雨を抱く事ができるか、と問われれば、今の早雲にはできなかった。
何もかも捨て、無一物の境地になって駿河に行ったはずが、いつの間にか、回りから偉い和尚だと思われる事によって、捨てる事のできない地位というものを身に付けてしまっていた。今、早雲が春雨を抱けば、その地位を失い、ただの生臭(ナマグサ)坊主になってしまう。この先、本物の禅に生きるつもりなら、それを覚悟しなければならなかった。偽坊主のままでいれば、今まで通り、人々から敬(ウヤマ)われる和尚でいられる。早雲はどっちを選んだらいいか迷っていた。
一ケ月が過ぎた。
山々が色づき始めた。
蓮崇は歩き通していた。
体付きや顔付きはすっかり変わって来ていた。髭や髪が伸びて来たせいもあるが、目がギラギラと輝き、一種の気魄(キハク)というものが感じられた。
風眼坊は、もしかしたら、蓮崇は百日間、歩き通すかも知れないと思った。なぜか、早雲の方がおかしくなって来ていた。ほとんど口も利かなくなり、苦しそうに歩いていた。
早雲も風眼坊も蓮崇よりも年上だった。風眼坊の方は一年半前までは大峯にいたので、まだ体はできているが、早雲の方は山歩きに慣れているとはいえない。蓮崇程ではないにしろ、かなり、きついはずだった。
早雲が一番先を歩き、蓮崇が歩き、風眼坊は一番最後を散歩している気分で歩いていた。
今が一番、きつい時だろう。今を乗り越え、半分の五十日を乗り越えれば、何とか歩き通す事ができるだろうと風眼坊は思った。
三十三日目だった。
怪石奇岩の並ぶ、竜王山へと続く道を歩いている時、突然、前を歩く蓮崇が崩れるようにして倒れ込んだ。
風眼坊は駈け寄った。
蓮崇は苦しい息をしながら目を剥き、風眼坊の方を見ながら手を高く差し延べ、何かをつかもうとしていた。やがて、その手は力なく落ちると蓮崇は目をつむり、『南無阿弥陀仏』と呟くと、ガクッとなった。
風眼坊は慌てて、前を行く早雲を呼んだ。
蓮崇は意識を失い、夢を見ていた。
蓮崇はお花畑の中に立っていた。
遠くの方から何とも言えない妙な調べが流れていた。
空には紫色した雲がたなびいている。
浄土だな、と思った。
やっと、浄土に来られた。辛い山歩きも、もう終わったんだな、と思った。
お花畑の向こうから女の子が蓮崇の方に走って来た。
誰だろう。
何となく、見た事あるような気がした。近づいて来るにしたがって、その女の子が蓮崇の娘だと分かった。流行り病に罹って七歳で亡くなった、あや、という娘だった。
あやは蓮崇に飛び付いて来た。そして、淋しかったと言いながら泣き出した。
蓮崇は娘と手をつないで、お花畑を歩いていた。
急に娘が蓮崇の手を引っ張った。蓮崇は引っ張られるままに娘に付いて行った。
娘に引かれて行った所には綺麗な大きな湖があった。湖の中央に円錐形の形のいい山が聳(ソビ)えていた。
娘は蓮崇を水際まで連れて行った。
水際に女がしゃがみ込んで何かを拾っていた。
女は蓮崇に気づいて振り向き、ゆっくりと立ち上がった。
その女は蓮崇の母親だった。しかし、蓮崇がまだ子供だった頃のままで、蓮崇よりも年がずっと若かった。
女は蓮崇を見て笑った。
蓮崇も笑ったが、変な気分だった。自分の母親が自分よりも若いという事がおかしかった。
母親は蓮崇の名を呼んだ。懐かしい声だった。蓮崇は子供に戻ったかのように母親に抱き着いて行った。不思議な事に蓮崇は母親に抱かれた瞬間、子供に変わった。
蓮崇は母親に聞きたい事が一杯あったが、母親に会った瞬間、そのすべての事が分かったような気がした。
子供に返った蓮崇は母親に舟に乗せられ、湖に漕ぎ出した。
蓮崇は、母親が湖の中央に聳える山に連れて行ってくれるものと思っていた。あの山にはきっと阿弥陀如来様がいらっしゃるんだと信じていた。きっと親鸞聖人(シンランショウニン)様も本泉寺の如乗(ニョジョウ)様もいらっしゃると思った。
湖の中程まで来た時、母親は舟を止めた。
「母ちゃん、どうしたの」と蓮崇は聞いた。
「左衛門太郎や、下をごらん」と母親は言った。
蓮崇は湖の中を覗き込んだ。
綺麗な水の下に何かが見えた。大勢の人々が苦しんでいた。
「地獄なんだね」と蓮崇は母親に言った。
「よく見るのよ」
地獄なんか見たくはない、と思ったが、蓮崇は母親に言われた通り、もう一度、湖の中を見た。
人々は血を流しなから苦しんでいた。地獄の鬼どもはひどい事をするな、と思ったが、鬼の姿はなかった。人々を苦しめていたのは同じ人間だった。何という悪い事をしてるんだと蓮崇は思いながら目をそむけた。
「駄目よ。よく見なさい」と母親は厳しい口調で言った。
蓮崇には母親がどうして怒るのか、分からなかった。
蓮崇はもう一度、湖の中を見た。
『南無阿弥陀仏』と書かれた旗が見えた。やられているのは本願寺の門徒たちだった。女や子供も逃げ惑っていた。門徒たちを苦しめていたのは守護の兵だった。兵たちは面白がって無抵抗の門徒たちを攻めていた。
「やめろ!」と蓮崇は湖に向かって叫んだ。
「左衛門太郎や、お前は、あの人たちを見捨てるつもりなの」と母親は言った。
「だって、俺にはどうする事もできないよ」
「左衛門太郎や、あのお山には親鸞聖人様や如乗様もいらっしゃるのよ。今のお前が、その方たちの前に行けるの。もう少しすれば蓮如上人様もいらっしゃるでしょう。お前は蓮如上人様と会って何というつもりだい」
「母ちゃん‥‥‥俺、まだ、やらなきゃならない事があるんだ。まだ、あのお山には行けないよ」
「分かってくれたんだね」
「母ちゃん、どうすればいいの」
「飛び込むのよ」
「この中に?」
「そう」
蓮崇はじっと母親の顔を見つめた。
母親は頷いた。
蓮崇は思い切って湖の中に飛び込んだ。
大きな渦に巻き込まれて、どんどん下に落ちて行くようだった。
蓮崇は目を明けた。
風眼坊と早雲の顔があった。
「おい、大丈夫か」と風眼坊の声が聞こえて来た。
「蓮崇!」と早雲は怒鳴っていた。
「大丈夫です」と蓮崇は言って体を起こした。
「よかった‥‥‥死んじまったんかと思ったわ。脅かすな」
「死んだ‥‥‥死んだのかもしれない」
「何を言っておるんじゃ。脅かすなよ」と早雲は言った。
「浄土を見たんじゃ‥‥‥」と蓮崇は言った。
「浄土を見た?」と風眼坊は聞いた。
「はい‥‥‥わしは生き返ったのかもしれん‥‥‥」
「蓮崇、大丈夫か‥‥‥もう、やめた方がいいぞ。もう、充分やったろう、もう、気が済んだはずじゃ」と早雲は言った。
「いえ、大丈夫です。わしは本当に生き返ったんです。生まれ変わったんです」
蓮崇は立ち上がった。
体が軽くなったような気がした。
蓮崇は杖を取り直すと歩き始めた。
「あいつ、大丈夫か」と早雲は風眼坊に聞いた。
「あれを見て見ろ」と風眼坊は蓮崇の歩く後ろ姿を見ながら言った。
「空元気というやつじゃないのか」
「いや。奴の言う通り、本当に一度死んで、生き返ったのかもしれん」
「そんな事があるのか」
「ある。奇跡と言われるもんじゃ。厳しい行を積んでおると信じられないような奇跡が起こるもんじゃ。三途の川を渡る所まで行ったが、戻って来て、生き返る事ができた、という話をよく聞く」
「奴もその経験をしたと言うのか」
「多分‥‥‥」
「ほう、三途の川から戻って来たか‥‥‥」
その時を区切りにして蓮崇は変わって行った。
急に身が軽くなったかのように歩くのが速くなった。
先頭を歩く早雲と同じ早さで歩く事ができるようになって行った。
紅葉(モミジ)の映える山の中を三人の山伏の行は続いていた。
お雪は子供と遊んでいた。
お雪に蓮崇の事を聞くと、弥兵を連れてお山に登った、と言った。
「お山へ?」と風眼坊は首を傾げた。
「蓮崇様、全然、寝てないみたい。今朝、あたしが起きた時、ずっと坐り込んでいたわ。昨日の朝もそうよ。何かをずっと悩んでいるみたい」
「そうか‥‥‥」
「相談に乗ってあげたら?」
風眼坊は首を振った。「自分で答えを見つけるしかないんじゃ。蓮崇殿は今まで、ずっと本願寺のために生きて来た。その本願寺が蓮崇殿の前から消えた。これからどう生きたらいいのか、自分で答えを見つけなければならん」
「でも‥‥‥」
「大丈夫じゃ。蓮崇殿はそんなやわな男じゃない。絶対に自分で答えを見つけるさ」
「そうだといいんだけど、このままで行ったら、蓮崇様、病気になっちゃうわ」
「病気になったら治療してやるさ。名医がここに二人もおるんじゃからな。それよりも、明日の朝、旅立つぞ。早雲も一緒に行く事になった」
「早雲様も‥‥‥早雲様って、あなたの幼馴染みだったのね」
「まあ、そういう事じゃな。播磨に一緒に行ってから、今度は駿河に行く」
「駿河?」
「ああ。しばらくは駿河に落ち着く事になるかもしれん」
「駿河って富士山があるのよね。見てみたいわ」
「綺麗な山じゃ」
「楽しみだわ」お雪は嬉しそうに笑った。
「うむ‥‥‥それにしても、蓮崇殿はどうしてお山に登ったんじゃろう」
「さあ、武術でも習いたくなったんじゃないの」
風眼坊は飯道山を見ながら頷いた。「しかし、あの年から始めるのは、言っては悪いが、ちょっと無理じゃな」
「蓮崇様って幾つなの」
「四十一だと思ったがのう」
「四十一からじゃ武術を習うのは無理なの」
「若い頃、少しでもやった事があれば、見込みがない事もないが、蓮崇殿はその経験はない。やる気があっても、もう体の方が言う事を聞かんじゃろうのう。吉崎におった頃、少し教えたが、まあ、ものにはならんな」
「そう‥‥‥残念ね」
夕方、風眼坊とお雪が帰ると、蓮崇と早雲が何やら話していた。
「よう。仲良くお出掛けか」と早雲は二人が入って来ると囃(ハヤ)し立てた。
「羨ましいじゃろう」と風眼坊は言って腰を下ろした。
「今、蓮崇殿から本願寺の事を聞いておったんじゃ。本願寺では坊主の妻帯を許しておるんだそうじゃのう」
「ああ、そうじゃ。蓮如殿には十人以上も子供がおるわ」
「十人以上もか、そいつは凄いのう」
「蓮崇殿、明日の朝、ここを発つ事にした」と風眼坊は言った。「今晩は、ゆっくり休んだ方がいいぞ。長旅になるからのう」
「風眼坊殿」と蓮崇は突然、大きな声を出した。
「何じゃ」
蓮崇は風眼坊を見つめていた。その顔は何かを決心したかのように感じられた。
風眼坊は改めて蓮崇の方を向いて、蓮崇の言葉を待った。
「わしを弟子にして下さい」と蓮崇は両手を付いて頭を下げた。
「弟子というのは、武術の弟子か」
「はい、そうです」
「弟子になってどうするつもりじゃ」
「わしは本願寺を破門になり、本願寺の事はすっかり忘れて、新しい人生を送ろうと思いました。しかし、加賀では門徒たちは苦しんでおります。破門になったからといって、もう関係ないと見て見ぬ振りは、わしにはできません。そんな事をする位なら、いっそ、死んだ方が増しだと思いました。どこか、遠くの山の中にでも行って死のうと決心しました。ところが、この前、風眼坊殿は破門されても本願寺のために生きる事はできると言いました。わしはそんな事ができるわけないと思いました。しかし、ようやく、風眼坊殿の言いたかった事が分かりました」
「分かったか」
「はい、わしは本願寺の裏の組織を完成させるつもりです」
「うむ。わしもその事を蓮崇殿にやってもらいたかったのじゃ。裏の組織というのは絶対に表には出ない。たとえ、破門の身であっても蓮崇殿ならできる。わしはそう思っておった」
「しかし、実際、破門された身で加賀に乗り込んでも組織作りなんてできません」
「いや、蓮崇殿ならできると思うがのう」
「いえ、まず、破門されたわしは門徒たちに相手にされません。生まれ変わらなければならないと気づいたのです」
「それで、山伏になるというのか」
「はい。山伏になって武術を身に付けます。まず、強くなければ誰にも相手にされません。裏の組織を作るにしても口だけでは誰も動きません」
「うむ、そうかもしれんのう。もう下間一族の蓮崇殿ではないからのう。口だけでは誰も動かんのう」
「風眼坊殿、お願いです。わしを弟子にして武術を教えて下さい」
「弟子にするのは簡単じゃ。しかしのう‥‥‥」
「わしも年の事は考えました。この年になって武術を始めても、ものになるかどうか分かりません。しかし、一度、死ぬ覚悟をしました。死ぬ気で頑張るつもりです。どうか、お願いします」
「うーむ‥‥‥」風眼坊は腕を組んで考えた。
「お願いします」と蓮崇は頭を畳(タタミ)にこすり付けて頼んでいた。
「蓮崇殿、こうしよう。蓮崇殿が死ぬ気で武術を習いたいのなら、まず、基本である体を作らなければならん。飯道山には奥駈けといって、山の中を修行する道がある。その道を百日間休まずに歩き通す百日行というのがある。雨が降っても、風が吹いても、体の具合が悪くても、一日も休む事はならん。今から始めれば、冬になり、雪が降る事もあろう。しかし、一日でも休めば、その行は初めからやり直さなくてはならん。蓮崇殿、まず、その行から始める。その行に耐える事ができれば、武術を身に付ける事もできるじゃろう。その行に耐えられたら、わしの弟子として、この山で一年間、修行を積むがいい。どうじゃな」
「百日行‥‥‥道のりはどれ位なんですか」
「一日、およそ十三里(約五十キロ)じゃ」
「山の中を十三里ですか‥‥‥」
「きついぞ。しかし、わしの弟子になるには、それが第一関門じゃ。わしのたった一人の弟子である太郎坊は、百日行を二回しておる。早雲も一回やっておるのう」
「ああ、あれには参ったわ。しかし、あれを経験しておくと大低の事には耐えられるのう」
「やります。やらせて下さい」と蓮崇は迷わずに言った。
「よし、分かった‥‥‥今日はゆっくり休んだ方がいい。そうじゃのう、明日、準備をして、あさってから始めるか。それまで体調を整えておけ、始めたら百日間は休めんからのう」
「はい。分かりました。お願いします」
「予定変更じゃ。どうするかのう、おぬし、先に播磨に行くか」と風眼坊は早雲に聞いた。
「いや、わしも付き合うよ」と早雲は言った。
「なに、おぬしも百日行をやると言うのか」
「ああ。どうせ、おぬしは最後まで付き合うつもりじゃろ。わしも負けられんわ」
「また、張り合うのか」
「そうじゃ。おぬしがやると言うのに、わしが見ているわけにはいかん」
「相変わらずじゃのう。そうなると問題は、お雪じゃのう」
「あたしは花養院で待っています。仲恵尼様が、あたしが子供の病気の治療をした事を聞いて、しばらく、いてくれたら助かると言っておりましたから、あそこで子供たちの面倒を見ています」
「そうか、あそこで待っていてくれるか」
「はい‥‥‥蓮崇様、頑張って下さいね」
お雪が百日間、いる所となると花養院より他にはなかったが、花養院にいれば、当然、松恵尼と顔を合わす事となる。まずい、と思ったが仕方なかった。成るように成れ、と開き直るより他になかった。
その日は皆、早く寝た。
次の日、風眼坊はわけを話して、お雪の事を仲恵尼に頼んだ。仲恵尼は喜んで、お雪の事を引き受けてくれた。何となく、仲恵尼が自分を見る目が変わったような気がした。以前のように、皮肉を込めた目付きではなかった。どうしたんだろうと思いながらも、たまたま機嫌がいいだけなんだろうと思って山に登った。
高林坊と会い、蓮崇の事を話し、百日行の許可を取った。
高林坊も話を聞いて驚いていた。あの年で、初めて百日行をやるとは信じられないようだったが、風眼坊と早雲が最後まで付き合うというので、高林坊も安心して許可をした。
高林坊から三人分の山伏の支度を借りると風眼坊は山を下りた。
明日から始めて、百日行が無事に終わるのは十二月の半ばだった。丁度、太郎が志能便の術を教えている頃だった。行が無事に終わったら蓮崇をお山に預け、太郎と一緒に播磨に向かおうと風眼坊は思った。
6
百日行が始まった。
初日から雨降りだった。
雨の降る中、山伏姿の三人は太神山(タナガミサン)へと向かった。初日から四日目までは足慣らしのため、半分の片道だけなので、別に問題はなかった。
風眼坊も早雲も、蓮崇に合わせて、のんびりと歩いていた。
蓮崇は真剣だった。しかし、体が気持ちに付いて行くかが問題だった。はっきり言って、蓮崇の体は武術をする体付きではなかった。今まで、体の事に気を配った事もないのだろう。体全体に余計な肉が付き過ぎていた。百日間、歩き通す事ができれば、見違える程の体になるだろうが、果たして、やり通す事ができるかどうか不安だった。
早雲は、まあ持って一ケ月じゃろうな、半分の五十日歩き通せば、大したもんだと風眼坊に言った。
風眼坊も五十日持てば、いい方だろうと思った。やるだけやって駄目だったら、本人も諦めるだろう。それでも諦めなかったら、来年の一月に、若い修行者たちと一緒に、一年間の修行をやらせようと思っていた。
五日目から本格的な抖擻行(トソウギョウ)が始まった。
蓮崇はその日から、もう危なそうだった。帰り道の途中から腹を押えながら、足を引きずり歩いていた。宿坊にたどり着いた頃には、もう真っ暗になっていた。
次の朝には、もう起きられないかもしれない、と風眼坊も早雲も思った。
次の日、蓮崇は気力を振り絞って起き、歩き出した。
風眼坊も早雲も何も言わず、蓮崇の後ろを歩いた。
それぞれの山の山頂には、その山の本尊が祀(マツ)ってあった。
飯道山頂には飯道権現と役小角(エンノオヅヌ)、地蔵山には地蔵菩薩、大納言山には虚空蔵菩薩(コクウゾウボサツ)、阿星(アボシ)山には釈迦如来(シャカニョライ)、金勝(コンゼ)山には千手観音、竜王山には八大竜王、弥勒(ミロク)山には弥勒菩薩、薬師山には薬師如来、最後の太神山には不動明王と役小角、そして、金勝寺の奥の院の狛坂寺(コマサカジ)には阿弥陀如来、弥勒山と薬師山の途中にある観音の滝には十一面観音が祀ってあった。
それらの所では決められた印(イン)を結び、決められた真言(シンゴン)を唱えなければならなかった。
蓮崇は風眼坊の言う通りに真似をした。本願寺の門徒であった蓮崇にとって、念仏以外の真言を唱えるのに抵抗を感じていたようだったが、「生まれ変わるのじゃ」と風眼坊に言われ、仕方なく風眼坊の真似をした。
七日目に蓮崇は歩きながら血を吐いた。
毎日、疲れ切っているので、食欲もわかず、ほとんど何も食べないで歩き通していた。目はくぼみ、頬はげっそりとして、すっかり顔付きが変わっていた。足の裏は血だらけになっていた。
早雲は、もうやめさせた方がいいと言ったが、風眼坊は、まだ死にはせんと言って、やめさせなかった。
「このまま続けたら、一ケ月で死ぬぞ」と早雲は言った。
「生まれ変わるには、一度、死ななくてはならん」と風眼坊は言った。
「きつい事を言うのう」
「わしの弟子になるには、それだけの事をしてもらわんとな」
「おぬしの名が落ちると言うわけか」
「いや、わしの事など、どうでもいいが、わしには太郎という弟子がおる。蓮崇殿がわしの弟子になれば、太郎とは兄弟弟子という事になる。蓮崇殿はどうしても、太郎と比べられる事になるんじゃ。このお山で修行する事になれば、常に太郎と比べられておるという事を意識しなければならん。それに耐える事ができるかが問題じゃ」
「成程な。できのいい兄貴を持った弟が肩身の狭い思いをするのと同じというわけか」
「そうじゃ。蓮崇殿が、そんな事を一々気にしなければ何も問題はないが、わりと繊細な所があるからのう。それに耐えるには、自分に自信を持たなければならんのじゃ。百日行をやり通す事によって、その自信は付くはずじゃ」
「百日間、歩かせるつもりか」
「あの姿を見ておったら、何としても歩かせたいと思うじゃろう」
「それはそうじゃがのう、後九十三日、先はまだまだ長いぞ」
「まあ、やってみるしかない」
蓮崇は荒い息をしながら、足元の道だけを見て、杖を突き、一歩一歩進んでいた。頭は重く、石ころが一杯詰まっているようだった。何も考える事ができなかった。ただ、やらなければならないという気持ちだけで動いていた。なぜ、こんな事をやらなければならないのか分からなかったが、この修行の後には必ず、浄土があると信じていた。しかし、浄土にたどり着くまでの道のりは辛く長いものだった。蓮崇は心の中で、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら歩いていた。
十日間が過ぎた。
相変わらず、蓮崇は苦しそうだった。
血を吐く事はなくなったが、金剛杖を頼りに足を引きずりながら歩いていた。それでも、歩く速さは少し速くなったようだった。蓮崇の速さに合わせて歩いているため、風眼坊と早雲の方が返って疲れが溜まって来ていた。
「おい、小太郎、わしらは何も奴に付き合う事はないんじゃないのか」と早雲は言い出した。
「ああ、無理に付き合う事はないさ」
「おぬしもそろそろ、お雪殿に会いたくなったんじゃないのか」
「そりゃ、会いたいさ」
「蓮崇なんか放っておいて、山を下りようぜ。わしも女子が恋しくなった」
「何を言っておる。おぬしは坊主になったんじゃろうが」
「正式になったわけではない。わしは本願寺の坊主になる事にするわ」
「いい加減な奴じゃのう」
「二人も女房を持っておる、おぬし程じゃないわ」
「それを言うな。成り行きで、そうなっただけじゃ」
「わしも成り行きで坊主になったが、これからは本物の禅をするんじゃ」
「ほう。おぬしの話じゃと、歩く事も立派な禅じゃろ」
「そりゃそうじゃが‥‥‥」
「百日禅じゃと思って続けるんじゃな」
「百日禅か‥‥‥そいつは面白い、百日禅か‥‥‥よし、わしは百日禅をするぞ。いいか、小太郎、これからは話し掛けるな。わしは先に行くぞ」
「何を言ってやがる。話し掛けたのはそっちじゃろ」
早雲は何を思ったのか、一人で先に行った。蓮崇も追い越し、一人でさっさと歩いて行った。
蓮崇は念仏を唱えながら、ただ、ひたすら歩いていた。
苦しかった。しかし、やめようとは思わなかった。やめたら、この先、生きて行く望みはなかった。たとえ、途中で死ぬ事になろうとも、その方がましだった。
蓮崇は死ぬか、やり遂げるか、自分に賭けていた。まだ九十日もあった。
早雲は蓮崇に付き合うつもりで百日行を始めたが、せっかくやるなら、人に付き合うより、自分のためにやった方がいいと気づき、百日間の歩く禅をやる事に決めた。歩きながら無の心境になろうと考えた。
その日から早雲は二人に付き合わないで、一人で歩き、二人よりも一時(イットキ、二時間)近く早く宿坊に帰り、座禅をしながら待っていた。
一休と出会い、本物の禅は分かったが、それをどうやって実行に移したらいいのか分からなかった。駿河において早雲は立派な禅僧という事になっている。今川のお屋形様(義忠)の義兄として、一休のような真似はできなかった。どうしたら、本物と言える禅を実行できるかを考えていた。
早雲の側にも女がいた。春雨という芸人だった。半年近く一緒に暮らして、お互いに惹かれている事に気づいていた。春雨はしきりに早雲に誘いを掛けるが、早雲はそれをかわして来た。自分が僧侶だからという理由で避けて来たが、それは本心ではなかった。
早雲も春雨が好きだった。抱きたいと思う気持ちをしきりに抑えていた。なぜ、そんな事をして来たかというと、外聞(ガイブン)をはばかっていたからに他ならなかった。皆から偉い禅僧だと思われている早雲が、女犯を犯したら、誰にも相手にされなくなるという事を恐れていたからだった。それは本物の禅ではなかった。ただの逃げでしかない。逃げている以上、本物の禅の境地に達する事はできなかった。かと言って、一休のように堂々と春雨を抱く事ができるか、と問われれば、今の早雲にはできなかった。
何もかも捨て、無一物の境地になって駿河に行ったはずが、いつの間にか、回りから偉い和尚だと思われる事によって、捨てる事のできない地位というものを身に付けてしまっていた。今、早雲が春雨を抱けば、その地位を失い、ただの生臭(ナマグサ)坊主になってしまう。この先、本物の禅に生きるつもりなら、それを覚悟しなければならなかった。偽坊主のままでいれば、今まで通り、人々から敬(ウヤマ)われる和尚でいられる。早雲はどっちを選んだらいいか迷っていた。
一ケ月が過ぎた。
山々が色づき始めた。
蓮崇は歩き通していた。
体付きや顔付きはすっかり変わって来ていた。髭や髪が伸びて来たせいもあるが、目がギラギラと輝き、一種の気魄(キハク)というものが感じられた。
風眼坊は、もしかしたら、蓮崇は百日間、歩き通すかも知れないと思った。なぜか、早雲の方がおかしくなって来ていた。ほとんど口も利かなくなり、苦しそうに歩いていた。
早雲も風眼坊も蓮崇よりも年上だった。風眼坊の方は一年半前までは大峯にいたので、まだ体はできているが、早雲の方は山歩きに慣れているとはいえない。蓮崇程ではないにしろ、かなり、きついはずだった。
早雲が一番先を歩き、蓮崇が歩き、風眼坊は一番最後を散歩している気分で歩いていた。
今が一番、きつい時だろう。今を乗り越え、半分の五十日を乗り越えれば、何とか歩き通す事ができるだろうと風眼坊は思った。
三十三日目だった。
怪石奇岩の並ぶ、竜王山へと続く道を歩いている時、突然、前を歩く蓮崇が崩れるようにして倒れ込んだ。
風眼坊は駈け寄った。
蓮崇は苦しい息をしながら目を剥き、風眼坊の方を見ながら手を高く差し延べ、何かをつかもうとしていた。やがて、その手は力なく落ちると蓮崇は目をつむり、『南無阿弥陀仏』と呟くと、ガクッとなった。
風眼坊は慌てて、前を行く早雲を呼んだ。
蓮崇は意識を失い、夢を見ていた。
蓮崇はお花畑の中に立っていた。
遠くの方から何とも言えない妙な調べが流れていた。
空には紫色した雲がたなびいている。
浄土だな、と思った。
やっと、浄土に来られた。辛い山歩きも、もう終わったんだな、と思った。
お花畑の向こうから女の子が蓮崇の方に走って来た。
誰だろう。
何となく、見た事あるような気がした。近づいて来るにしたがって、その女の子が蓮崇の娘だと分かった。流行り病に罹って七歳で亡くなった、あや、という娘だった。
あやは蓮崇に飛び付いて来た。そして、淋しかったと言いながら泣き出した。
蓮崇は娘と手をつないで、お花畑を歩いていた。
急に娘が蓮崇の手を引っ張った。蓮崇は引っ張られるままに娘に付いて行った。
娘に引かれて行った所には綺麗な大きな湖があった。湖の中央に円錐形の形のいい山が聳(ソビ)えていた。
娘は蓮崇を水際まで連れて行った。
水際に女がしゃがみ込んで何かを拾っていた。
女は蓮崇に気づいて振り向き、ゆっくりと立ち上がった。
その女は蓮崇の母親だった。しかし、蓮崇がまだ子供だった頃のままで、蓮崇よりも年がずっと若かった。
女は蓮崇を見て笑った。
蓮崇も笑ったが、変な気分だった。自分の母親が自分よりも若いという事がおかしかった。
母親は蓮崇の名を呼んだ。懐かしい声だった。蓮崇は子供に戻ったかのように母親に抱き着いて行った。不思議な事に蓮崇は母親に抱かれた瞬間、子供に変わった。
蓮崇は母親に聞きたい事が一杯あったが、母親に会った瞬間、そのすべての事が分かったような気がした。
子供に返った蓮崇は母親に舟に乗せられ、湖に漕ぎ出した。
蓮崇は、母親が湖の中央に聳える山に連れて行ってくれるものと思っていた。あの山にはきっと阿弥陀如来様がいらっしゃるんだと信じていた。きっと親鸞聖人(シンランショウニン)様も本泉寺の如乗(ニョジョウ)様もいらっしゃると思った。
湖の中程まで来た時、母親は舟を止めた。
「母ちゃん、どうしたの」と蓮崇は聞いた。
「左衛門太郎や、下をごらん」と母親は言った。
蓮崇は湖の中を覗き込んだ。
綺麗な水の下に何かが見えた。大勢の人々が苦しんでいた。
「地獄なんだね」と蓮崇は母親に言った。
「よく見るのよ」
地獄なんか見たくはない、と思ったが、蓮崇は母親に言われた通り、もう一度、湖の中を見た。
人々は血を流しなから苦しんでいた。地獄の鬼どもはひどい事をするな、と思ったが、鬼の姿はなかった。人々を苦しめていたのは同じ人間だった。何という悪い事をしてるんだと蓮崇は思いながら目をそむけた。
「駄目よ。よく見なさい」と母親は厳しい口調で言った。
蓮崇には母親がどうして怒るのか、分からなかった。
蓮崇はもう一度、湖の中を見た。
『南無阿弥陀仏』と書かれた旗が見えた。やられているのは本願寺の門徒たちだった。女や子供も逃げ惑っていた。門徒たちを苦しめていたのは守護の兵だった。兵たちは面白がって無抵抗の門徒たちを攻めていた。
「やめろ!」と蓮崇は湖に向かって叫んだ。
「左衛門太郎や、お前は、あの人たちを見捨てるつもりなの」と母親は言った。
「だって、俺にはどうする事もできないよ」
「左衛門太郎や、あのお山には親鸞聖人様や如乗様もいらっしゃるのよ。今のお前が、その方たちの前に行けるの。もう少しすれば蓮如上人様もいらっしゃるでしょう。お前は蓮如上人様と会って何というつもりだい」
「母ちゃん‥‥‥俺、まだ、やらなきゃならない事があるんだ。まだ、あのお山には行けないよ」
「分かってくれたんだね」
「母ちゃん、どうすればいいの」
「飛び込むのよ」
「この中に?」
「そう」
蓮崇はじっと母親の顔を見つめた。
母親は頷いた。
蓮崇は思い切って湖の中に飛び込んだ。
大きな渦に巻き込まれて、どんどん下に落ちて行くようだった。
蓮崇は目を明けた。
風眼坊と早雲の顔があった。
「おい、大丈夫か」と風眼坊の声が聞こえて来た。
「蓮崇!」と早雲は怒鳴っていた。
「大丈夫です」と蓮崇は言って体を起こした。
「よかった‥‥‥死んじまったんかと思ったわ。脅かすな」
「死んだ‥‥‥死んだのかもしれない」
「何を言っておるんじゃ。脅かすなよ」と早雲は言った。
「浄土を見たんじゃ‥‥‥」と蓮崇は言った。
「浄土を見た?」と風眼坊は聞いた。
「はい‥‥‥わしは生き返ったのかもしれん‥‥‥」
「蓮崇、大丈夫か‥‥‥もう、やめた方がいいぞ。もう、充分やったろう、もう、気が済んだはずじゃ」と早雲は言った。
「いえ、大丈夫です。わしは本当に生き返ったんです。生まれ変わったんです」
蓮崇は立ち上がった。
体が軽くなったような気がした。
蓮崇は杖を取り直すと歩き始めた。
「あいつ、大丈夫か」と早雲は風眼坊に聞いた。
「あれを見て見ろ」と風眼坊は蓮崇の歩く後ろ姿を見ながら言った。
「空元気というやつじゃないのか」
「いや。奴の言う通り、本当に一度死んで、生き返ったのかもしれん」
「そんな事があるのか」
「ある。奇跡と言われるもんじゃ。厳しい行を積んでおると信じられないような奇跡が起こるもんじゃ。三途の川を渡る所まで行ったが、戻って来て、生き返る事ができた、という話をよく聞く」
「奴もその経験をしたと言うのか」
「多分‥‥‥」
「ほう、三途の川から戻って来たか‥‥‥」
その時を区切りにして蓮崇は変わって行った。
急に身が軽くなったかのように歩くのが速くなった。
先頭を歩く早雲と同じ早さで歩く事ができるようになって行った。
紅葉(モミジ)の映える山の中を三人の山伏の行は続いていた。
34.百合と千太郎1
1
職人や人足が忙しそうに走り回っていた。
人足の中には、女の人足もかなり混ざって働いていた。
活気があった。
皆、新しい町作りに張り切って仕事に励んでいた。
播磨の国、大河内(オオコウチ)庄、赤松日向守(ヒュウガノカミ、太郎)の城下は完成しつつあった。すでに、太郎の屋敷と磨羅寺は完成し、小野屋を初め、大通りに面して建つ大手の商人たちの蔵や屋敷も完成していた。置塩のお屋形様、赤松政則より目付として派遣されている上原性祐(ショウユウ)入道と喜多野性守(ショウシュ)入道の屋敷ももうすぐ完成するので、二人は八月に置塩城下から下向して来ていた。
今、評定所(ヒョウジョウショ)と太郎の重臣たちの屋敷を建設中だった。
完成したばかりの太郎の屋敷の常御殿(ツネゴテン)の一室で、松恵尼と楓が楽しそうに話していた。
松恵尼は、今年の三月に生まれた百合という名の女の子を抱いていた。四歳になった百太郎は中庭で楓の侍女の住吉と遊んでいる。
京の浦上屋敷から連れて来た五人の侍女も皆、この屋敷に移って来ていた。さらに、政則からも五人の侍女を付けられ、楓は十人の侍女に囲まれて暮らしていた。楓にしたら侍女など必要なかったが仕方がなかった。
楓は三月、置塩城下の政則の屋敷内に特別に建てられた産屋において百合を産んだ。そして、八月に大河内の太郎の屋敷が完成すると、十人の侍女を引き連れて移って来た。
太郎の新しい屋敷は驚く程、大きな屋敷だった。勿論、置塩城下の政則の屋敷よりは小さかったが、最初に滞在していた別所加賀守の屋敷よりも大きいようだった。こんな大きな屋敷に住む事になるなんて夢のようだった。
百太郎は喜んで屋敷の中を走り回っていた。
屋敷の縄張りをしたのは夢庵肖柏(ムアンショウハク)であった。
南に面した表門を入ると、正面に主殿と呼ばれる接客用の建物がある。主殿には、上段の間付きの大広間としての機能を持つ部屋と、客との対面する会所(カイショ)、執事(シツジ)の部屋、客間などがあり、遠侍(トオザムライ)と呼ばれる侍の溜まり場とつながっていた。
門の右側には大きな廐(ウマヤ)と侍たちの長屋があり、左側の方には大きな台所があった。その台所の奥に、太郎と楓たちの住む常御殿があった。常御殿の後ろに、この屋敷の特徴とも言える三階建ての見張り櫓(ヤグラ)が建っていた。
見張り櫓と言っても、常にここに見張りの兵がいるわけではない。この見張り櫓は太郎が月見をしたり、考え事をしたりする時に使う個人的なものだった。
太郎は高い所が好きだった。屋根の上で昼寝をしたり、回りを眺めたりするのが好きだった。太郎は飯道山にいた頃、よく寺院の三重の塔の屋根によじ登り、一番上に坐り込んで回りの景色を楽しんでいた。ここに自分の屋敷を建てる事となって、どうしても、屋敷内に三重の塔のような高い建物を建てたかった。それは太郎の夢だった。そして、その夢は実現した。太郎はこの屋敷にいる時は、毎日のように月影楼と名づけた見張り櫓に登っていた。
月影楼を作ったのは金勝座(コンゼザ)の舞台作りの甚助だった。助六から、甚助が元、宮大工だった事を聞いていたので、太郎は甚助に相談した。甚助は太郎の話に乗って来た。久し振りに一仕事できると喜んで引き受けてくれた。太郎と夢庵と甚助の三人で相談しながら図面を引いて作った傑作だった。
一階は東西三間(約五、四メートル)南北二間(ケン)半(約四、五メートル)の板の間だった。その部屋の回りに半間幅の回廊(カイロウ)が付き、部屋の中央には太い柱があり、その柱は三階の床下までつながっていた。太郎はここで剣を振り、新しい技を考えていた。中央の柱に天狗の面が掛けられ、太郎はここを『天狗の間』と名づけた。西の端に階段があって、階段を登ると一階の屋根裏に出る。ここは二階に直接に階段を付けると急になり過ぎるため、階段の中継地だった。屋根の中なので、二階への登り口から光りが入って来るだけで中は薄暗かった。
この屋根裏部屋は中程から二つに仕切られていた。階段の側はただの通路で、仕切りの向こうに隠し部屋があった。仕切りは一見した所、ただの板壁にしか見えないが、甚助が細工した隠し戸が付いていた。その隠し部屋には、天井に明かり取りの小さな窓があり、畳を敷いた四畳半の座敷があった。そこは太郎が座禅を組む所で『瞑想(メイソウ)の間』と名づけた。
二階は回廊付きの畳敷きの六畳間だったが、部屋の中程を太い柱があるため、畳は五枚半敷いてあった。ここには北の壁に楓の絵を画く予定で『楓の間』と名づけた。北の壁だけでなく、部屋の回りの板戸にも山水画を描く予定だが、まだ、一枚も描かれていない。夢庵が、そのうちに知り合いの絵師を連れて来てやると言ったまま、未だに実行されていなかった。
二階の上には、また屋根裏部屋があった。ここは高さが五尺そこそこしかないので、階段から階段への通路としか使い道はなかった。太郎はこの部屋には特に名前をつけなかったが、百太郎を連れて来た時、太郎たちが頭をかがめなければならないのに、百太郎は平気で走り回っていた。太郎はここを『百太郎の間』と名づけた。
三階は回廊なしの四畳半だった。回廊はないが、北側に床の間と違い棚が付き、茶室のような構えだった。床の間には、夢庵が書いた『夢』という一文字の掛軸が掛けられ、夢庵が商人から貰ったという新茶の入った茶壷が飾ってあった。太郎はここを『夢の間』と名づけた。この三階の部屋は地上から約四丈(ジョウ、約十二メートル)の高さがあり、城下町を一望のもとに見渡す事ができた。天気のいい日、東西南の板戸を全開にして、大の字になって昼寝をするのが最高の楽しみだった。
三階の部屋の上にも屋根裏部屋があった。部屋という程の広さもなく、立つ事もできないが、最上階のその部屋には守り神として、太郎が彫った智羅天(チラテン)の像が飾ってあり、『天の間』と名づけられていた。
勿論、敵が下から攻めて来た場合の事も考えて、逃げ道も用意されている。各階の目立たない所に抜け穴があり、階段を通らなくても、そこから下の階に降りられるようになっていた。さらに、一階の階段の下にも抜け穴があり、そこを通ると屋敷の外の山の中に出る事ができた。
太郎はこの城下にいる時は、ほとんどの時をこの月影楼で過ごしていた。この楼閣のすべてが、太郎にとっては書斎だと言えた。
松恵尼は百合を抱きながら、庭で遊ぶ百太郎を見ていた。実際に、孫を抱いている祖母のようには見えないが、松恵尼は目を細めて幸せそうだった。
松恵尼がここに来たのは九月の一日だった。楓に引き留められるまま、いつの間にか八日間も滞在していた。松恵尼も久し振りにのんびりしているようだった。大河内城下にも、銀山開発のための『小野屋』の出店があったが、松恵尼は一度だけ顔を見せただけで、後の事はすべて藤兵衛に任せていた。
「御主人様は、また、月影楼に登っているの」と松恵尼は聞いた。
「いえ。今日は、朝早く出掛けました」
「へえ、忙しいのね」
「そんな事ないわ。有能な家臣が一杯いるから、飯道山にいる時より自分の時間が持てると言って喜んでるわ。暇さえあれば月影楼に籠もって剣術の工夫をしているの」
「剣術の工夫?」
「そう。飯道山にいた時は忙しくて、陰流を完成する事ができなかったでしょ。やりたい事ができなくて焦り始めて、おかしくなって大峯山に行ったんですって。こっちに来てから、もう二つの技を考えたって言ってたわ」
「へえ。そうだったの。あたしはまた戦の事でも考えていたのかと思ったわ」
「今の所、戦に行く予定はないみたい。とにかく、銀山を軌道に乗せるまではそれに付きっきりみたい。今年一年は戦には行かないだろうって。今のうちに、できるだけ陰流と陰の術を完成させるんだって張り切ってるわ」
「殿様がそれ程、真剣に剣術をやってるなら、この城下の者たちは、みんな強くなるわね」
楓は笑いながら頷いた。「道場の方も忙しいらしいわ」
「道場の方はあの三人のお弟子さんが見てるの」
「そう。それと、槍の名人の福井様と薙刀の名人の高田様が教えてるわ」
「ふうん。有能な家臣がたくさんいるのね」
「個性の強い人が一杯いるわ」
「そうね。次郎吉や伊助も重臣ですものね。でも、太郎殿の命を狙っていた阿修羅坊殿も、重臣になってるなんて驚きだわ」
「阿修羅坊様と金比羅坊様は主人の両腕とも言える人だわ。阿修羅坊様はこの前の但馬に進攻する時も大活躍したらしいし、今度、銀山を掘るのに中心となる生野という所にお城を作るらしいんですけど、そこのお城を阿修羅坊様が守る事に決まったんですって。生野にお城下を作るために、今朝早く、夢庵さんを連れて出掛けて行ったの」
「夢庵殿も変わったお方ですね。あの方も家臣なの」
「いいえ。夢庵さんはお客様。何となく居心地がいいんで、ここにいるみたい。あれでも御公家さんなのよ。お兄様は大臣をしている偉い人なんですって。ちょっと信じられないけどね、本当みたい」
「へえ、あの人、御公家さんなの? 見えないわね」
「あの人の乗ってる牛、見ました?」
「ええ、金色の角をした牛でしょ。あんな牛に乗って、のんきに歌なんか歌ってるんですもの、初めて見た時、びっくりしたわ。わたしも色々な人を見てるけど、あんなに変わった人は初めてだわ。あの人が御公家さんとはね、世の中も変わったものね」
「夢庵さん、あの牛に乗って、どこでも行くらしいわ。天子(テンシ)様や公方(クボウ)様にも会った事があるんですって、凄い人よ」
「そうなの、凄い人ね。その人も例の牛に乗って、太郎殿と一緒に新しいお城下に行ったのね」
「そう。夢庵さんは色々な事を知ってるの。幕府にも出入りしていて、お茶や連歌にも詳しいでしょう。色んな所から招待されたりして出掛けているので、色んなお城下の事を知ってるの。お屋敷に関しても、将軍様の花の御所にも入った事あるし、各地の大名のお屋敷の事も知ってるのよ。このお屋敷のお部屋の配置を考えたのも夢庵さんだし、御城下の縄張りをしたのも夢庵さんなんですって。それで、今度も、生野のお城下の縄張りを夢庵さんに頼むんじゃないかしら」
「へえ、あの人が、このお屋敷をねえ。人は見かけによらないものね」
「そうね。でも、主人もいいお人に巡り会ったわ。夢庵さんのお陰で、主人も別所様と会って話がうまく言ったの。夢庵さんに会えなかったら、主人は亡くなっていたかもしれないわ」
「大丈夫よ。太郎殿は運の強いお人よ、その運が付いている限り、決して死にはしないわ」
「そうね、運だけは強いわね」楓は頷いてから、フフフと笑った。「初めて会った日に、その事は分かったわ」
「雨乞いの天狗騒ぎね。懐かしいわね。あの日、初めて会って、もう、二人の子供がいるんですものね。わたしも年を取るはずだわ」
「何を言ってるんです。松恵尼様は全然、変わってないわ。松恵尼様といると、あたしだけが、どんどん年を取ってるように感じられるわ」
「そんな事はないのよ。わたしも最近、年の事が気になってるの。気はいつまでも若いつもりなんだけどね‥‥‥ねえ、楓、わたしの頼みを聞いてくれる」
「何です、頼みって。松恵尼様の頼みなら何でも聞くわ」
「実はね」と楓の顔を見てから、松恵尼は意を決したかのように、「太郎殿と楓の子供、女の子を一人、養子に貰いたいのよ」と言った。
「えっ、養子?」楓は松恵尼の突然の申し出に驚いて、松恵尼に抱かれて眠そうな顔をしている百合の顔を見つめた。
「わたしの跡取りに欲しいのよ」と松恵尼は言った。
「花養院のですか」
「花養院と『小野屋』の両方よ」
「小野屋の跡取りですか」
松恵尼は頷いた。「小野屋も大きくなり過ぎたわ。わたしが亡くなったら誰かが跡を継ぐ事になるけど、わたしの下にいる人たちじゃ駄目なの。誰を跡継ぎにしても『小野屋』は分裂してしまうわ。『小野屋』を一つにまとめて行くには、わたしの娘が一番いいんだけど、わたしには娘はいないし、楓が跡を継いでくれたらいいと思ってたけど、楓は太郎殿と一緒になっちゃったし、それで、あなたたちの子を養子にして、跡を継がせたいの。あなたたちの子なら間違いなく、うまくやってくれると思うの、どう、お願い、聞いてくれる」
「この百合をですか」
「ううん。百合はあなたたちの最初の女の子でしょ。あなたたちも手放したくはないでしょ。次の女の子でも、その次の女の子でもいいわ」
「‥‥‥分かりました。主人と相談してみます。きっと、喜んで松恵尼様の養子にすると思います。でも、女の子の方がいいんですか」
「ええ。女の子の方がいいの。男の人だと、どうしても危ない橋を渡りたがるでしょ。危ない橋を渡れば、儲けも多いかもしれないけど損する事も多いわ。その点、女の方が慎重だし、ケチな所もあるから『小野屋』を潰さないで続けて行く事ができると思うのよ」
「ふうん。商人の世界も難しいのね。うちの人には向いてないみたい」
「そんな事はないわ。太郎殿は人を使うのがうまいわ。そういう人は商人に向いてるの。これからのお侍さんは商人をうまく使いこなせるかどうかで、生き延びて行くか、滅びて行くかが決まると思うの。昔のように、ただ、お百姓さんから絞り取っていただけでは駄目だわ」
「ふうん。よく、分からないけど、うちの人、人を使うのがうまいのかしら」
「そりゃ、うまいわよ。わたしの所でも変わり者で通っている次郎吉が、太郎殿の家臣に納まってるのよ。あの人を使いこなしただけでも大したもんだわ」
「次郎吉さん‥‥‥そういえば、あの人も変わってるわね」
「まあ、太郎殿は人を使いこなしてるとは思ってないでしょうね。太郎殿には自然と人が付いて来るような魅力が、生まれながらにしてあるのよ。愛洲水軍の大将の息子さんとして生まれた事も影響してるかも知れないわね。生まれながらにして大将なのよ。たとえ、何をしていてもね」
「そうかもしれないわね。飯道山でも、すぐに有名になっちゃたしね」
「あなたは大したお人を旦那様にしたんだから最高の幸せ者よ」
「やだわ、松恵尼様。松恵尼様は、その旦那様の母親代わりなのよ」
「そうそう、太郎殿の本当の御両親の方は、ここにお見えになったの」
「まだなの」
「どうして、呼ばないの」
「呼ぶとは言ってるんだけど、まだ、何だかんだと忙しいでしょ。それに、お城下も完成してないから、来年の春になったら呼ぶって言ってたわ」
「そう。御両親に立派なお城下を見せたいのかしら」
「遠くから、わざわざ来てもらうんだし、そう何度も来られないでしょうから、完成したお城下を見せたいんじゃないかしら」
「そうよね。伊勢の国の一番南だものね。遠いわ。今、来て貰っても、あちこち普請(フシン)中で、うるさいものね。せっかく来るのなら完成した方がいいわね。どうせ、ずっと、ここにいる事になるんだろうし、焦る事もないわね」
百合は松恵尼に抱かれて、気持ちよさそうに眠っていた。
「ねえ、月影楼に登ってみない?」と松恵尼は言った。「一度、登ったけど、わたしもね、高い所って好きなの」
「本当? あたしたちもね、子供が寝た後で、夜、あそこに登ってお月様を見てるの。気持ちいいわ。子供たちを侍女に預けて行ってみましょうか」
「行きましょう」
「色んな仕掛けがあるのよ。教えてあげるわ」
「甚助さんが作ったんですって? 甚助さんならやりかねないわ」
百合を寝かせ、百太郎の事を侍女に頼むと、二人ははしゃぎながら月影楼の方に向かった。
どう見ても、親子というより仲のいい姉妹だった。
見事な紅葉だった。
太郎は一人、鬼山(キノヤマ)一族の村に来ていた。山伏姿だった。
夢庵を連れて生野に行ったが、太郎の用はなかった。夢庵と大沢播磨守(阿修羅坊)と小川弾正忠(ダンジョウチュウ、弥兵次)の三人で、城下の縄張りを決めていた。
今、生野には、大沢播磨守を大将として、四百人近くの兵が敵に備えて待機していた。勿論、すべてが太郎の兵ではない。太郎の兵はその内の百人足らずで、残りの兵は置塩のお屋形様が付けてくれた者たちだった。上原性祐入道、喜多野性守入道、別所加賀守らの兵だった。
太郎は今年の春、雪が溶けると同時に但馬に進攻し、生野を占領する事に成功した。生野より北にある鷲原寺(ワシハラジ)の協力もあって、大した苦労もなく、生野の地を落とす事ができた。
鷲原寺のさらに北にある安井の地を本拠地とする山名氏の武将、太田垣(オオタガキ)氏は一端は太郎たち赤松勢を播磨に追い出そうと攻め寄せて来たが、太田垣氏の支配圏までは攻めて来ない事を知ると、鷲原寺との勢力圏との境に百人余りの兵を残して、安井城に引き上げてしまった。
敵の大将の山名右衛門督(ウエモンノカミ)政豊は大勢の兵を率いたまま未だに在京し、安井城の城主、太田垣土佐守も京にいた。安井城を守る土佐守の息子、三河守は今、赤松氏を相手に戦をしたくはなかった。赤松氏がそれ以上攻めて来ない限りは、今のところは放っておこうと思っていた。山名宗全が亡くなって以来、山名氏の領国内も国人たちが騒ぎ始めていた。太田垣三河守を初め、留守を守っている武将たちは国人たちを静めるのに忙しかった。山名政豊が帰って来るまで、なるべく騒ぎを起こしたくはなかった。朝来(アサゴ)郡の一部を赤松氏が占領したとしても、政豊が帰って来れば播磨に追い出す事は簡単だった。今の所、放っておいても差し支えないだろうと三河守は判断した。お陰で、太郎たちは犠牲者を出す事もなく、山名側の砦を幾つか落として簡単に生野を占拠する事ができた。
太郎は後の事を大沢播磨守に任せると、今朝早く、一人で銀山に登って来ていた。
早いもので、この村に初めて来てから一年が過ぎていた。
山奥のこの村も銀山開発のお陰ですっかり変わってしまった。以前、この村の女たちが耕していた田畑はなくなり、大きな作業場が立ち、その回りに鍛冶師(カジシ)や大工などの職人小屋、人足たちの小屋が立ち並んでいた。
村を去って行った者も多かった。
銀太はおろくを連れて大河内城下に移り、町奉行になっていた。小太郎もおすなを連れて大河内城下に移り、銀太を補佐している。太郎は生野に城下ができたら、小太郎を生野の町奉行にするつもりだった。
男まさりだったおとくは、すっかり女らしくなって、小野屋藤兵衛の妾(メカケ)になり、盲目の小次郎はおくりを連れて金勝座の一員になっていた。おきくは山崎五郎(探真坊)と所帯を持ち、大河内城下で暮らしている。そして、おきさは太郎の子供、千太郎を七月の初めに産み、今、銀太の屋敷で暮らしていた。
銀山開発の方は小野屋藤兵衛と鬼山小五郎を中心にうまく進んでいた。
長老の左京大夫は一族の者以外、立ち入り禁止の作業小屋に入って、息子たちに銀の製錬の仕方を仕込んでいた。仕込まれていたのは助太郎、助四郎、助五郎、助六郎、助七郎、小三郎の六人だった。
一族以外の者に先進技術である銀の製錬術を教えないと言うのは、先代の赤松性具(ショウグ)入道(満祐)以来からの取り決めだった。それは明国(ミンコク、中国)から、はるばる異国に来た彼らの生きるための知恵だった。異国の地において生き抜いて行くには、身に付けている特殊技術を決して日本人に盗まれてはならなかった。盗まれてしまえば自分たち一族の者の値打は下がり、しまいには異国にて野垂れ死にするかもしれなかった。長老は銀山開発に当たって、その事をまず条件に出した。太郎はお屋形の政則に告げて許しを得た。
政則にとって銀山を開発する事は、どうしてもしなければならないという程、切羽(セッパ)詰まったものではなかった。赤松家は鉄の生産と販売を一手に握っていた。鉄は武器の原料であり、今の時勢、一番重要なものだった。銀はないよりもあった方がいいが、それ程の期待をかけていなかった。
銀が重要な物となり、大名たちが争って銀山を開発するようになるのは、もう少し時が下ってからの事であった。海外貿易が盛んになり、取り引きに銀が使われるようになると、大名たちは銀を獲得するために血眼(チマナコ)になって銀山の奪い合いで戦をするようになるが、まだ、銀の需要は低かった。
彼ら一族が明国から持って来た特殊技術とは『灰吹き法』と呼ばれるものだった。
当時、日本において銀を採掘する場合、天然に露出している銀鉱を砕き、細かくして水に流し、比重の重い銀だけを選んで、熱によって固めるという方法を取っていた。この場合だと、かなりの不純物が含まれ、しかも、一見しただけで銀と分かるような、かなりの銀を含んだ銀鉱でなければならなかった。すでに、それら天然の銀は取り尽くされていた。
彼らの持って来た技術は、銀を含んだ鉱脈の中から銀を取り出すもので、当時の日本においては考える事もできない程、進んだ技術だった。まず、地表に出ている鉱脈に沿って岩を掘り、掘り出した岩は細かくされて鬼山村まで運ばれた。運ばれた鉱石はさらに細かく砕き、粉状にして砂金を取る時のように、板の上に乗せた粉鉱を水中で揺すり、比重の重い銀だけを選び出す。これには熟練した技術を要したが、太郎の家臣となった金掘りの勘三郎が、砂金取りの仲間を使って慣れた手付きで行なっていた。揺り分けられた銀の砂は長老たちのいる立ち入り禁止の小屋に運ばれた。ここまでの作業は人足たちの手で行なわれたが、ここから先は鬼山一族だけで行なわれた。
ここまでの作業は金掘りである勘三郎も知っている。勘三郎たちが揺り分けた銀の砂を加熱しても銀の塊(カタマリ)になった。しかし、それには不純物がかなり含まれ、海外から来る銀とは比べものにならない程、お粗末な物だった。苦労して、そんな物を作っても銀としては扱われなかった。
長老の元に行った銀の砂はタタラを使って加熱され、どろどろに溶けている鉛の中に入れられた。砂の中の銀は鉛と一緒になり、この工程において、ほとんどの不純物が除かれた。この時使う鉛は前以て採ってあった。生野の山には鉛を多く含む鉱石もかなり分布していた。銀と鉛が一緒になった塊から鉛を取り除くのが『灰吹き法』と呼ばれる技術だった。灰を入れた炉の中に、その銀を含んだ鉛を入れ、タタラを使って加熱すると溶けた鉛は灰に染み込み、銀だけが残る、その銀は『灰吹き銀』と呼ばれ、かなり純粋な銀だった。しかし、その銀の中には金も含まれていた。灰吹き銀から、さらに金を抜き取る技術は、まだ、長老たちも知らなかった。
およそ、五十年後、この『灰吹き法』は博多の商人、神谷寿貞(ジュテイ)が朝鮮から連れて来た技術者によって、石見(イワミ、島根県西部)の銀山の開発に使用された。大名ではなく商人が中心になって開発を行なったため、その技術は各地の銀山に伝わり、銀山採掘の最盛期を迎える事になるが、この時期、日本において、この技術を知っていたのは鬼山一族の者だけだった。
太郎も小野屋藤兵衛も長老たちの作業小屋に入る事はできなかった。
今年の春から本格的に掘り始め、長老たちはすでに二十貫(約七十五キロ)近くの銀を製錬していた。銀一貫が銭にして百二十貫文(カンモン)だとして、二千四百貫文の銀を掘った事になる。米にして、およそ三千石(ゴク)余りという所だった。開発が軌道に乗って順調に行けば、年間、五十貫以上の銀が取れるだろうとの事だった。
取れた銀の半分は置塩のお屋形様に献上され、三割を太郎が取り、残りの二割を小野屋が取るという事になっていた。しかし、大河内城下を建設するために、小野屋に多額の借金をしているので、当分の間、太郎の取り分も小野屋の物となった。
置塩のお屋形様は、一旦、献上された銀を受け取るが、その銀は小野屋によって銭に替えられ、戦のための費用となった。小野屋藤兵衛は手に入れた銀を堺の小野屋伝兵衛のもとに送った。堺では近いうち遣明船を出す事に決まり、取り引きに使う銀を集めていた。その銀は明国に渡り、銅銭や生糸、高級な織物などと交換された。
太郎は、長老たちが作業する小屋から立ち昇る黒い煙を見ながら、この煙が敵に発見されはしないかと心配した。それと、村中に立ち込めた異様な臭いが気になった。
今年のうちは、ここでも仕方ないが、もっと大規模に開発が始まれば、ここでは狭すぎる。それに、銀を作る事によってできる鉱石のカスの量が思ったよりも多く、川の水も汚れていた。この村には山を掘る人足たちだけを置き、鉱石を砕く作業から長老たちの作業は別の場所に移した方がいいと思った。できれば但馬ではなく、一山越えた播磨側に移したかった。生野の地は鷲原寺の協力もあって占拠する事ができたが、生野に作業場を移す事はできなかった。生野は飽くまでも赤松家の最前線の軍事基地とし、敵に銀山を掘っているという事を気づかせてはならなかった。太郎は大河内城下に帰る途中、作業場を移すべき土地を捜そうと思った。
村の中央辺りに建てられた奉行所に寄って、鬼山小五郎から現場の状況を聞くと、太郎はお屋形と呼ばれる太郎専用の小屋に戻った。この小屋は以前、長老の小屋が建っていた位置に新しく建てられたものだった。長老の小屋の北側に建っていた古い三軒の小屋が壊され、長老と小五郎の小屋が新しくでき、鬼山一族の者たちは長老の小屋より北側に集まっていた。以前、きさたちが住んでいた南の方には作業場が並び、人足たちが住んでいた。
お屋形に戻ると、おこんが待っていた。
おこんは今、助四郎の妻になって、三人の女の子と共に助四郎と暮らしていた。
太郎がこの村に来ると必ず、一族の娘が交替で、太郎の世話をする事になっていた。皆、それぞれ夫婦となるという取り決めに従った今でも、長老は太郎に娘たちを差し出して、夜の世話までさせようとしていた。長老からすれば、おきさのように娘たちが太郎の子供を産んでくれれば、一族の将来が安心できるのだったが、太郎にしてみればかなわなかった。おきさが子供を産んだ事でまいっているのに、第二、第三のおきさが現れてはたまらなかった。太郎は、なるべく、この村には泊まらないようにし、どうしても泊まらなければならない時は、酔った振りをして先に寝てしまう事にしていた。
今日の太郎の担当はおこんだった。おこんは以前、光一郎と関係のあった女だった。色っぽく魅力的な女で、抱いてみたいとは思うが太郎は諦めた。
「お屋形様、あたしをお城下に連れてって下さいよ」とおこんは言った。
「この村が、いいのではなかったのか」と太郎は聞いた。
「前はよかったわ。でも、今は、もう駄目。臭くて鼻が曲がりそうだわ」
「確かに、臭いな」
「あたし、お城下って、どんな所だか知らなかったのよ。この村から出た事ないし、この村に残っている男たちは、村から出ればろくな事はないって言うし、恐かったの。でも、この間、帰って来たおろく姉さんから話を聞くと、とってもいい所だって言ってたわ。色々な物があって、色々な物が食べられて、綺麗な着物も着られるって。おろく姉さん、この間、来た時、綺麗なかんざしなんか髪に付けてたわ。あたしもおろく姉さんみたいに綺麗な着物を着てみたいし、綺麗なかんざしも欲しいわ。ねえ、あたしも連れてって下さいよ」
「まあ、城下に来るのは構わないが、助四郎さんはどうする。助四郎さんが許さないんじゃないのか」
「あんなのいいのよ。好きで夫婦になったわけじゃないし。お城下には一杯、いい男がいるんでしょ」
「いい男もいるが、悪い男もいる。長老殿の許しが出たら来るがいい。もう少しすれば生野に城下ができる。そうすれば、みんな、そっちに移る事になっている。今年の冬には間に合わないが来年には移る事ができるだろう」
「来年まで待てないわ。今すぐ、ここを出たいの。こんな所にいたら、子供だって病気になっちゃうわ」
「子供の具合が悪いのか」
「時々、ひどい咳をするの」
「そうか‥‥‥それはまずいな。長老殿と相談して子供の事は考えた方がよさそうだな」
「長老様は出て行った方がいいと言ったわ。ここは人足たちが増えて来るだろうから、女子供はお城下に移った方がいいって」
「分かった。考えておくよ。まだ、城下の方も完成してないから、すぐに移るというわけにはいかないが、銀太殿と小太郎殿の屋敷が完成すれば、おこんさんもそこに移る事ができるだろう」
「いつ頃、完成するの」
「冬が来る前には完成するだろう」
「今年の冬はこの山から下りられるのね」
「多分」
「よかった。ねえ、お屋形様、今晩は泊まっていかれるんでしょ」とおこんは太郎に擦り寄って来た。
「いや、そろそろ帰るよ」と太郎は笑うと立ち上がった。
「何だ、つまんないの」とおこんはふくれてみせた。
太郎はおこんから逃げるように、錫杖を鳴らしながら播磨側の山へと下りて行った。
市川の渡しを渡ると、太郎は城下に入る大通りの方に向かった。
船着き場の近くの河原には芸人たちが小屋掛けして住んでいた。金勝座はもう河原にはいない。太郎の家臣として太郎の屋敷の側に土地を与えられ、今、屋敷を建てていた。
大通りの入り口の所に建つ代官所は、かつて、太郎や重臣たちが住んでいたが、今は奉行所となり、町奉行の鬼山銀太、銀太を補佐する鬼山小太郎、勘定奉行の松井山城守(吉次)、作事(サクジ)奉行の菅原主殿助(トノモノスケ)、普請奉行の太田典膳、材木奉行の堀次郎らが詰めていた。
太郎は奉行所の所を曲がり、大通りに入ると両脇に並ぶ商人たちの蔵や屋敷を眺めながら歩いた。大通りは人通りが激しかった。材木を積んだ荷車や食糧を積んだ荷車が、忙しそうに行き来していた。
大通りに面して左側に、酒屋、伊勢屋、紀州屋、備中屋、山崎屋、京屋など、大きな商人たちの店と屋敷が建ち並んでいる。丁度、その裏には広い馬場があり、何頭もの馬が飼われ、馬術の稽古も行なわれていた。馬場の責任者である廐(ウマヤ)奉行は川上伊勢守(藤吉)だった。藤吉は足が速いので、馬など必要ないだろうと誰もが思っていたが、実は、藤吉は子供の頃から馬と一緒に育っていた。
関東の牧場(マキバ)の博労(バクロウ)の子として生まれた藤吉は、生まれた時から馬の中で暮らして来たといえた。子供の頃から馬と共に走り回っていたため足が速くなったのだった。当然、馬術も心得ているし、馬の良し悪しを見分ける目も持っていた。そこで、藤吉が廐奉行となり、新しく太郎の家臣になった者たちに馬術を教えていた。
大通りの右側にも、三河屋、信州屋、大和屋、讃岐屋、奈良屋などの商人の屋敷が並び、その奥の方に町人たちの長屋や職人たちの長屋が建つ予定だった。讃岐屋と奈良屋の間に磨羅寺(マラジ)へと続く参道があり、その参道の両側がこの城下の盛り場だった。
馬場への入り口の所、城下の中心ともいえる所に小野屋があった。商人たちの中でも一番いい場所で、しかも、一番広い土地を持っていた。小野屋はまだ完成していなかった。藤兵衛たちの住む屋敷と大きな蔵が一つ建っていたが、まだ、大通りに面して建つ店構えはできていなかった。
小野屋は大通りと稲荷神社へと続く通りが交差する四つ角に面していた。その稲荷神社へと続く通りによって城下は東西に二つに分けられ、西側が武家屋敷の建つ一画となった。小野屋と通りを挟んで、斜め向かいに鬼山銀太の屋敷があった。
銀太の屋敷はほぼ完成していた。家族たちの住む建物は完成し、今、広間や会所(カイショ)などの晴れの間のある建物を作っていた。
その建物の裏に離れがあり、おきさと子供たちが住んでいた。
おきさがこの城下に移って来たのは先月の初めだった。楓たちが置塩城下から、ここに移って来た日よりも半月程前の事だった。銀太は自分の屋敷よりも先に、おきさの住む事となる、この離れを建てていた。
銀太はおきさの腹の中にいる太郎の子供をこの離れで産ませたかった。この城下で産めば太郎の側で産む事ができる。生まれて来る子供の事を考えると、山の中の粗末な小屋で生まれたと言うよりも、城下町で生まれたと言う方が、後々、都合がいいような気がした。しかし、間に合わなかった。おきさは離れの完成する三日前に、山の中の鬼山村で男の子を産んだ。その知らせを受けると太郎は鬼山村に飛んで行き、子供と会って、千太郎と名づけた。元気のいい赤ん坊だった。
太郎は楓に、おきさと千太郎の事は言っていなかった。できれば内緒にしておきたかった。太郎の正妻、楓は赤松家の当主、政則の姉だった。その姉を妻にしながら、他の女に子供を生ませたなどと世間に知れたら大変な事になる。政則としても、そんな男の所に姉はやれないと言い出すかもしれない。せっかく、楓を赤松家から取り戻す事ができたのに、また、奪われるという事もあり得た。太郎が実績を上げて、お屋形様の姉の婿という立場以上に、太郎自身が認められる時になるまでは隠しておこうと思っていた。
おきさも銀太も太郎の言う事を分かってくれた。おきさにすれば自分が産んだ四人の男の子が太郎の家臣となってくれれば、それでよかった。太郎にはすでに跡継ぎである百太郎がいる。千太郎が跡を継ぐという事はあり得なかった。
おきさは離れの中庭にいた。
おきさは山の中にいた頃のように中庭に畑を作って野菜を育てていた。元々、ここは畑だったので土は良かった。
おきさは太郎の顔を見ると嬉しそうに笑った。
「今、山に行っていた」と太郎は言うと縁側に腰を下ろした。
「みんな、元気だった?」とおきさは手に付いた土を払いながら聞いた。
「ああ。ただ、村中、物凄い臭いだった。あれじゃあ、子供たちにはよくないな。人足たちが大勢、山に入って来たんで遊び場所もなくなったしな。女子供はあそこから移動させた方がよさそうだ」
「みんな、こっちに移って来るの」
太郎は頷いた。
「ここか、生野だな。生野の城下ができるのは来年以降になりそうだから、取りあえずは、ここに移る事となるだろう」
「そう。みんな、ここに来るの。賑やかになるわね。でも、ここに来てもする事がなくて退屈だわ」
「退屈か‥‥‥」
楓も退屈だと言っていた。花養院にいた時は朝から晩まで働いて忙しかったが、播磨に連れて来られてから何もする事がなくて退屈だと言う。今は百合の面倒を見ているので退屈だとは言わないが、百合の手が掛からなくなったら、花養院のような孤児院を作って子供たちの面倒でもみようかと言っていた。
鬼山一族の娘たちは皆、働き者だった。彼女たちがここに来ても何もする事がなかった。銀山のためとはいえ、のどかで静かだったあの村があんな風になってしまって、鬼山一族のためには悪い事をしてしまったのかもしれなかった。彼女たちが子供たちを連れて、ここに来たとしても、やがて、山が恋しくなるかもしれない。しかし、かつての山は、もうなかった。
「千太郎は元気か」と太郎は聞いた。
「元気よ。今、おすぎちゃんが見ててくれてるの。静かになったから、おすぎちゃんも一緒に寝ちゃたんじゃないかしら」
「おすぎちゃんが来てるのか。他の子たちは?」
「おろくさんちの子と遊んでるわ。きっとまた、お寺に行ったんじゃない」
「磨羅寺か」
「そう。あそこの和尚さん、子供たちが何をしても怒らないんですって。いい遊び相手だと思ってるわ」
「そうか。あの和尚も変わってるからな」
太郎は奥の部屋を覗き、眠っている千太郎とおすぎをチラッと見ると、また縁側に戻った。おすぎというのは銀太の妻、おろくの一番下の妹だった。十六歳の娘で、同い年の助七郎と一緒になる事に決まっているが、十八になるまでは銀太の世話になっていた。
縁側に戻るとおきさの姿はなかった。
銀太の屋敷に行ったのかな、と思いながら太郎は野菜畑を見ていた。
おきさは手を拭きながら帰って来た。ニコニコしながら太郎の隣に坐ると、「井戸っていうの、どうも、苦手だわ」と言った。
「どうして」
「だって、山にいた時は、ずっと川の水を使ってたでしょ。何となく使いづらいわ」
「そうか、井戸なんか使った事なかったんだな」
「井戸だけじゃないわ。ここに来て、見た事ないもの一杯見たわ」
「そうだろうな。おきさはここに来てよかったと思うか」
おきさはしばらく考えていたが、太郎の顔を見つめると頷いた。
「そうか‥‥‥」
「ねえ、お屋形様、今晩は泊まって行けるの」
「いや。駄目だ。今、お客さんが来てるんでな。大事な客なんだ。そのお客が帰ったら、ゆっくりしに来るよ」
「奥方様は大丈夫なの」
「大丈夫だ。うまく抜け出すさ」
「待ってるわ」とおきさは太郎の手を握った。
太郎はおきさの手を握り返すと軽く抱き寄せ、おきさと別れた。
来た時と同じく裏口から出ると通りを北に向かった。
おきさのいる銀太の屋敷の隣には鬼山小太郎の屋敷があった。
小太郎の屋敷もまだ未完成だった。その隣に材木奉行の堀次郎の屋敷があり、その隣には公人(クニン)奉行の田口弥太郎の屋敷があり、両方共、建設中だった。
田口の屋敷の正面に評定所(ヒョウジョウショ)があり、その向こうに太郎の屋敷内に建つ月影楼が見えた。
太郎は月影楼を眺めながら評定所の裏を通って、突き当たりにある敷地の中に入って行った。
そこは太郎の三人の弟子の家が建つ予定地だった。今、一軒だけ北西の角に家が建っていた。山崎五郎(探真坊)の家だった。
五郎は三月に鬼山一族の娘おきくと一緒になっていた。おきくはおきさのように五郎の子供を身ごもったわけではなかったが、五郎はおきくに惚れてしまった。おきくも決まった相手がいなかったため、時折、訪ねて来る五郎の事を首を長くして待つようになった。
二人が初めて会ったのは、去年の八月、銀山を捜しに山に入った時で、その後、九月の半ばと十一月の初めに、五郎は太郎と共に鬼山村を訪ねた。その後、冬の間は太郎は二月に一度、行っただけだったが、五郎は小野屋藤兵衛を連れて、ちょくちょく鬼山村に行っていた。その頃、一緒になる事を決めたらしい。太郎が五郎から相談を受けたのは春になってからだった。但馬進攻のための戦の準備に忙しい頃、太郎は五郎から、その話を打ち明けられた。太郎は五郎の話を聞いて長老と掛け合う事を引き受けた。
五郎は二十一歳、おきくは二十六歳、五つも年上で、しかも、子供が三人もいた。その三人の子供の父親は、一番初めの子が行方不明になっている助次郎、二番目の子が銀太、三番目の子が助太郎だと言う。五郎はそれを承知で、おきくと一緒になる覚悟を決めていた。太郎は長老と掛け合って許しを得、その日のうちに鬼山村において彼ら流の祝言(シュウゲン)が挙げられた。例によって祝い事は三日間も行なわれ、一緒に行った光一郎と八郎も五郎たちを羨ましそうに眺めていた。彼らも、それぞれ、おこんとおとみを口説いていたらしいが、うまくは行かなかった。
太郎はさっそく五郎夫婦の屋敷を建てるための土地を捜して家を建てさせた。
太郎は弟子の三人を自分の屋敷か、武術道場に住ませようと考えていたため、屋敷を建てる土地など用意していなかった。しかし、嫁を貰えば独立させなければならない。光一郎と八郎もそのうち嫁を貰う事になるだろうと思い、三人の家を同じ一画に建てさせようと考えた。その一画は評定所の北で、太郎の屋敷や道場にも近かった。今はまだ、五郎の家しか建っていなかった。
おきくが子供を連れてここに移って来たのは、おきさと一緒で八月の初めだった。
おきくは井戸の側で食事の支度をしていた。子供たちは庭で遊んでいた。太郎が入って来るのを見ると、おきくは頭を下げて迎えた。
「ここの暮らしは慣れたか」と太郎は言いながら子供の方に行った。
「はい。何とか‥‥‥」
おきくの長男の久太郎は八歳で、一つ年上のおきさの長男の紀次郎とは父親が同じだった。太郎は久太郎を眺めながら、紀次郎と似ているな、と思った。二番目の子は四歳の女の子、一番下は二歳の女の子だった。二歳の女の子がよちよち歩きをしながら、太郎の方にやって来た。
「女の子は可愛いいな」と太郎は言った。
「お屋形様も女のお子さんが生まれたそうで、おめでとうございます」とおきくは言った。
「ああ、女の子と男の子の二人が一遍に生まれたわ」
「おめでたい事です」
「まあ、そうだな。ところで、八郎や光一郎の奴らがここにしょっちゅう来てはいないか」
「はい。毎日、来ておりますけど‥‥‥」
「やはりな。最近、俺の所に顔を見せんから、おかしいと思ってたんだ。あんな奴らが毎日、来てたんじゃ邪魔だろう。今度、来たら追い出しても構わんからな」
「いえ。子供たちと遊んでくれるので助かってます。それにしても、あの三人、仲がいいですね」
「三人揃うと、うるさくてかなわんだろ」
「子供たちは喜んでいます。特に八郎さんは面白いって」
「そうか。まあ、適当にあしらってやってくれ」
「はい。分かりました」
太郎はおきくと別れると武術道場に顔を出して、一汗かくと屋敷に帰った。
一階は東西三間(約五、四メートル)南北二間(ケン)半(約四、五メートル)の板の間だった。その部屋の回りに半間幅の回廊(カイロウ)が付き、部屋の中央には太い柱があり、その柱は三階の床下までつながっていた。太郎はここで剣を振り、新しい技を考えていた。中央の柱に天狗の面が掛けられ、太郎はここを『天狗の間』と名づけた。西の端に階段があって、階段を登ると一階の屋根裏に出る。ここは二階に直接に階段を付けると急になり過ぎるため、階段の中継地だった。屋根の中なので、二階への登り口から光りが入って来るだけで中は薄暗かった。
この屋根裏部屋は中程から二つに仕切られていた。階段の側はただの通路で、仕切りの向こうに隠し部屋があった。仕切りは一見した所、ただの板壁にしか見えないが、甚助が細工した隠し戸が付いていた。その隠し部屋には、天井に明かり取りの小さな窓があり、畳を敷いた四畳半の座敷があった。そこは太郎が座禅を組む所で『瞑想(メイソウ)の間』と名づけた。
二階は回廊付きの畳敷きの六畳間だったが、部屋の中程を太い柱があるため、畳は五枚半敷いてあった。ここには北の壁に楓の絵を画く予定で『楓の間』と名づけた。北の壁だけでなく、部屋の回りの板戸にも山水画を描く予定だが、まだ、一枚も描かれていない。夢庵が、そのうちに知り合いの絵師を連れて来てやると言ったまま、未だに実行されていなかった。
二階の上には、また屋根裏部屋があった。ここは高さが五尺そこそこしかないので、階段から階段への通路としか使い道はなかった。太郎はこの部屋には特に名前をつけなかったが、百太郎を連れて来た時、太郎たちが頭をかがめなければならないのに、百太郎は平気で走り回っていた。太郎はここを『百太郎の間』と名づけた。
三階は回廊なしの四畳半だった。回廊はないが、北側に床の間と違い棚が付き、茶室のような構えだった。床の間には、夢庵が書いた『夢』という一文字の掛軸が掛けられ、夢庵が商人から貰ったという新茶の入った茶壷が飾ってあった。太郎はここを『夢の間』と名づけた。この三階の部屋は地上から約四丈(ジョウ、約十二メートル)の高さがあり、城下町を一望のもとに見渡す事ができた。天気のいい日、東西南の板戸を全開にして、大の字になって昼寝をするのが最高の楽しみだった。
三階の部屋の上にも屋根裏部屋があった。部屋という程の広さもなく、立つ事もできないが、最上階のその部屋には守り神として、太郎が彫った智羅天(チラテン)の像が飾ってあり、『天の間』と名づけられていた。
勿論、敵が下から攻めて来た場合の事も考えて、逃げ道も用意されている。各階の目立たない所に抜け穴があり、階段を通らなくても、そこから下の階に降りられるようになっていた。さらに、一階の階段の下にも抜け穴があり、そこを通ると屋敷の外の山の中に出る事ができた。
太郎はこの城下にいる時は、ほとんどの時をこの月影楼で過ごしていた。この楼閣のすべてが、太郎にとっては書斎だと言えた。
松恵尼は百合を抱きながら、庭で遊ぶ百太郎を見ていた。実際に、孫を抱いている祖母のようには見えないが、松恵尼は目を細めて幸せそうだった。
松恵尼がここに来たのは九月の一日だった。楓に引き留められるまま、いつの間にか八日間も滞在していた。松恵尼も久し振りにのんびりしているようだった。大河内城下にも、銀山開発のための『小野屋』の出店があったが、松恵尼は一度だけ顔を見せただけで、後の事はすべて藤兵衛に任せていた。
「御主人様は、また、月影楼に登っているの」と松恵尼は聞いた。
「いえ。今日は、朝早く出掛けました」
「へえ、忙しいのね」
「そんな事ないわ。有能な家臣が一杯いるから、飯道山にいる時より自分の時間が持てると言って喜んでるわ。暇さえあれば月影楼に籠もって剣術の工夫をしているの」
「剣術の工夫?」
「そう。飯道山にいた時は忙しくて、陰流を完成する事ができなかったでしょ。やりたい事ができなくて焦り始めて、おかしくなって大峯山に行ったんですって。こっちに来てから、もう二つの技を考えたって言ってたわ」
「へえ。そうだったの。あたしはまた戦の事でも考えていたのかと思ったわ」
「今の所、戦に行く予定はないみたい。とにかく、銀山を軌道に乗せるまではそれに付きっきりみたい。今年一年は戦には行かないだろうって。今のうちに、できるだけ陰流と陰の術を完成させるんだって張り切ってるわ」
「殿様がそれ程、真剣に剣術をやってるなら、この城下の者たちは、みんな強くなるわね」
楓は笑いながら頷いた。「道場の方も忙しいらしいわ」
「道場の方はあの三人のお弟子さんが見てるの」
「そう。それと、槍の名人の福井様と薙刀の名人の高田様が教えてるわ」
「ふうん。有能な家臣がたくさんいるのね」
「個性の強い人が一杯いるわ」
「そうね。次郎吉や伊助も重臣ですものね。でも、太郎殿の命を狙っていた阿修羅坊殿も、重臣になってるなんて驚きだわ」
「阿修羅坊様と金比羅坊様は主人の両腕とも言える人だわ。阿修羅坊様はこの前の但馬に進攻する時も大活躍したらしいし、今度、銀山を掘るのに中心となる生野という所にお城を作るらしいんですけど、そこのお城を阿修羅坊様が守る事に決まったんですって。生野にお城下を作るために、今朝早く、夢庵さんを連れて出掛けて行ったの」
「夢庵殿も変わったお方ですね。あの方も家臣なの」
「いいえ。夢庵さんはお客様。何となく居心地がいいんで、ここにいるみたい。あれでも御公家さんなのよ。お兄様は大臣をしている偉い人なんですって。ちょっと信じられないけどね、本当みたい」
「へえ、あの人、御公家さんなの? 見えないわね」
「あの人の乗ってる牛、見ました?」
「ええ、金色の角をした牛でしょ。あんな牛に乗って、のんきに歌なんか歌ってるんですもの、初めて見た時、びっくりしたわ。わたしも色々な人を見てるけど、あんなに変わった人は初めてだわ。あの人が御公家さんとはね、世の中も変わったものね」
「夢庵さん、あの牛に乗って、どこでも行くらしいわ。天子(テンシ)様や公方(クボウ)様にも会った事があるんですって、凄い人よ」
「そうなの、凄い人ね。その人も例の牛に乗って、太郎殿と一緒に新しいお城下に行ったのね」
「そう。夢庵さんは色々な事を知ってるの。幕府にも出入りしていて、お茶や連歌にも詳しいでしょう。色んな所から招待されたりして出掛けているので、色んなお城下の事を知ってるの。お屋敷に関しても、将軍様の花の御所にも入った事あるし、各地の大名のお屋敷の事も知ってるのよ。このお屋敷のお部屋の配置を考えたのも夢庵さんだし、御城下の縄張りをしたのも夢庵さんなんですって。それで、今度も、生野のお城下の縄張りを夢庵さんに頼むんじゃないかしら」
「へえ、あの人が、このお屋敷をねえ。人は見かけによらないものね」
「そうね。でも、主人もいいお人に巡り会ったわ。夢庵さんのお陰で、主人も別所様と会って話がうまく言ったの。夢庵さんに会えなかったら、主人は亡くなっていたかもしれないわ」
「大丈夫よ。太郎殿は運の強いお人よ、その運が付いている限り、決して死にはしないわ」
「そうね、運だけは強いわね」楓は頷いてから、フフフと笑った。「初めて会った日に、その事は分かったわ」
「雨乞いの天狗騒ぎね。懐かしいわね。あの日、初めて会って、もう、二人の子供がいるんですものね。わたしも年を取るはずだわ」
「何を言ってるんです。松恵尼様は全然、変わってないわ。松恵尼様といると、あたしだけが、どんどん年を取ってるように感じられるわ」
「そんな事はないのよ。わたしも最近、年の事が気になってるの。気はいつまでも若いつもりなんだけどね‥‥‥ねえ、楓、わたしの頼みを聞いてくれる」
「何です、頼みって。松恵尼様の頼みなら何でも聞くわ」
「実はね」と楓の顔を見てから、松恵尼は意を決したかのように、「太郎殿と楓の子供、女の子を一人、養子に貰いたいのよ」と言った。
「えっ、養子?」楓は松恵尼の突然の申し出に驚いて、松恵尼に抱かれて眠そうな顔をしている百合の顔を見つめた。
「わたしの跡取りに欲しいのよ」と松恵尼は言った。
「花養院のですか」
「花養院と『小野屋』の両方よ」
「小野屋の跡取りですか」
松恵尼は頷いた。「小野屋も大きくなり過ぎたわ。わたしが亡くなったら誰かが跡を継ぐ事になるけど、わたしの下にいる人たちじゃ駄目なの。誰を跡継ぎにしても『小野屋』は分裂してしまうわ。『小野屋』を一つにまとめて行くには、わたしの娘が一番いいんだけど、わたしには娘はいないし、楓が跡を継いでくれたらいいと思ってたけど、楓は太郎殿と一緒になっちゃったし、それで、あなたたちの子を養子にして、跡を継がせたいの。あなたたちの子なら間違いなく、うまくやってくれると思うの、どう、お願い、聞いてくれる」
「この百合をですか」
「ううん。百合はあなたたちの最初の女の子でしょ。あなたたちも手放したくはないでしょ。次の女の子でも、その次の女の子でもいいわ」
「‥‥‥分かりました。主人と相談してみます。きっと、喜んで松恵尼様の養子にすると思います。でも、女の子の方がいいんですか」
「ええ。女の子の方がいいの。男の人だと、どうしても危ない橋を渡りたがるでしょ。危ない橋を渡れば、儲けも多いかもしれないけど損する事も多いわ。その点、女の方が慎重だし、ケチな所もあるから『小野屋』を潰さないで続けて行く事ができると思うのよ」
「ふうん。商人の世界も難しいのね。うちの人には向いてないみたい」
「そんな事はないわ。太郎殿は人を使うのがうまいわ。そういう人は商人に向いてるの。これからのお侍さんは商人をうまく使いこなせるかどうかで、生き延びて行くか、滅びて行くかが決まると思うの。昔のように、ただ、お百姓さんから絞り取っていただけでは駄目だわ」
「ふうん。よく、分からないけど、うちの人、人を使うのがうまいのかしら」
「そりゃ、うまいわよ。わたしの所でも変わり者で通っている次郎吉が、太郎殿の家臣に納まってるのよ。あの人を使いこなしただけでも大したもんだわ」
「次郎吉さん‥‥‥そういえば、あの人も変わってるわね」
「まあ、太郎殿は人を使いこなしてるとは思ってないでしょうね。太郎殿には自然と人が付いて来るような魅力が、生まれながらにしてあるのよ。愛洲水軍の大将の息子さんとして生まれた事も影響してるかも知れないわね。生まれながらにして大将なのよ。たとえ、何をしていてもね」
「そうかもしれないわね。飯道山でも、すぐに有名になっちゃたしね」
「あなたは大したお人を旦那様にしたんだから最高の幸せ者よ」
「やだわ、松恵尼様。松恵尼様は、その旦那様の母親代わりなのよ」
「そうそう、太郎殿の本当の御両親の方は、ここにお見えになったの」
「まだなの」
「どうして、呼ばないの」
「呼ぶとは言ってるんだけど、まだ、何だかんだと忙しいでしょ。それに、お城下も完成してないから、来年の春になったら呼ぶって言ってたわ」
「そう。御両親に立派なお城下を見せたいのかしら」
「遠くから、わざわざ来てもらうんだし、そう何度も来られないでしょうから、完成したお城下を見せたいんじゃないかしら」
「そうよね。伊勢の国の一番南だものね。遠いわ。今、来て貰っても、あちこち普請(フシン)中で、うるさいものね。せっかく来るのなら完成した方がいいわね。どうせ、ずっと、ここにいる事になるんだろうし、焦る事もないわね」
百合は松恵尼に抱かれて、気持ちよさそうに眠っていた。
「ねえ、月影楼に登ってみない?」と松恵尼は言った。「一度、登ったけど、わたしもね、高い所って好きなの」
「本当? あたしたちもね、子供が寝た後で、夜、あそこに登ってお月様を見てるの。気持ちいいわ。子供たちを侍女に預けて行ってみましょうか」
「行きましょう」
「色んな仕掛けがあるのよ。教えてあげるわ」
「甚助さんが作ったんですって? 甚助さんならやりかねないわ」
百合を寝かせ、百太郎の事を侍女に頼むと、二人ははしゃぎながら月影楼の方に向かった。
どう見ても、親子というより仲のいい姉妹だった。
2
見事な紅葉だった。
太郎は一人、鬼山(キノヤマ)一族の村に来ていた。山伏姿だった。
夢庵を連れて生野に行ったが、太郎の用はなかった。夢庵と大沢播磨守(阿修羅坊)と小川弾正忠(ダンジョウチュウ、弥兵次)の三人で、城下の縄張りを決めていた。
今、生野には、大沢播磨守を大将として、四百人近くの兵が敵に備えて待機していた。勿論、すべてが太郎の兵ではない。太郎の兵はその内の百人足らずで、残りの兵は置塩のお屋形様が付けてくれた者たちだった。上原性祐入道、喜多野性守入道、別所加賀守らの兵だった。
太郎は今年の春、雪が溶けると同時に但馬に進攻し、生野を占領する事に成功した。生野より北にある鷲原寺(ワシハラジ)の協力もあって、大した苦労もなく、生野の地を落とす事ができた。
鷲原寺のさらに北にある安井の地を本拠地とする山名氏の武将、太田垣(オオタガキ)氏は一端は太郎たち赤松勢を播磨に追い出そうと攻め寄せて来たが、太田垣氏の支配圏までは攻めて来ない事を知ると、鷲原寺との勢力圏との境に百人余りの兵を残して、安井城に引き上げてしまった。
敵の大将の山名右衛門督(ウエモンノカミ)政豊は大勢の兵を率いたまま未だに在京し、安井城の城主、太田垣土佐守も京にいた。安井城を守る土佐守の息子、三河守は今、赤松氏を相手に戦をしたくはなかった。赤松氏がそれ以上攻めて来ない限りは、今のところは放っておこうと思っていた。山名宗全が亡くなって以来、山名氏の領国内も国人たちが騒ぎ始めていた。太田垣三河守を初め、留守を守っている武将たちは国人たちを静めるのに忙しかった。山名政豊が帰って来るまで、なるべく騒ぎを起こしたくはなかった。朝来(アサゴ)郡の一部を赤松氏が占領したとしても、政豊が帰って来れば播磨に追い出す事は簡単だった。今の所、放っておいても差し支えないだろうと三河守は判断した。お陰で、太郎たちは犠牲者を出す事もなく、山名側の砦を幾つか落として簡単に生野を占拠する事ができた。
太郎は後の事を大沢播磨守に任せると、今朝早く、一人で銀山に登って来ていた。
早いもので、この村に初めて来てから一年が過ぎていた。
山奥のこの村も銀山開発のお陰ですっかり変わってしまった。以前、この村の女たちが耕していた田畑はなくなり、大きな作業場が立ち、その回りに鍛冶師(カジシ)や大工などの職人小屋、人足たちの小屋が立ち並んでいた。
村を去って行った者も多かった。
銀太はおろくを連れて大河内城下に移り、町奉行になっていた。小太郎もおすなを連れて大河内城下に移り、銀太を補佐している。太郎は生野に城下ができたら、小太郎を生野の町奉行にするつもりだった。
男まさりだったおとくは、すっかり女らしくなって、小野屋藤兵衛の妾(メカケ)になり、盲目の小次郎はおくりを連れて金勝座の一員になっていた。おきくは山崎五郎(探真坊)と所帯を持ち、大河内城下で暮らしている。そして、おきさは太郎の子供、千太郎を七月の初めに産み、今、銀太の屋敷で暮らしていた。
銀山開発の方は小野屋藤兵衛と鬼山小五郎を中心にうまく進んでいた。
長老の左京大夫は一族の者以外、立ち入り禁止の作業小屋に入って、息子たちに銀の製錬の仕方を仕込んでいた。仕込まれていたのは助太郎、助四郎、助五郎、助六郎、助七郎、小三郎の六人だった。
一族以外の者に先進技術である銀の製錬術を教えないと言うのは、先代の赤松性具(ショウグ)入道(満祐)以来からの取り決めだった。それは明国(ミンコク、中国)から、はるばる異国に来た彼らの生きるための知恵だった。異国の地において生き抜いて行くには、身に付けている特殊技術を決して日本人に盗まれてはならなかった。盗まれてしまえば自分たち一族の者の値打は下がり、しまいには異国にて野垂れ死にするかもしれなかった。長老は銀山開発に当たって、その事をまず条件に出した。太郎はお屋形の政則に告げて許しを得た。
政則にとって銀山を開発する事は、どうしてもしなければならないという程、切羽(セッパ)詰まったものではなかった。赤松家は鉄の生産と販売を一手に握っていた。鉄は武器の原料であり、今の時勢、一番重要なものだった。銀はないよりもあった方がいいが、それ程の期待をかけていなかった。
銀が重要な物となり、大名たちが争って銀山を開発するようになるのは、もう少し時が下ってからの事であった。海外貿易が盛んになり、取り引きに銀が使われるようになると、大名たちは銀を獲得するために血眼(チマナコ)になって銀山の奪い合いで戦をするようになるが、まだ、銀の需要は低かった。
彼ら一族が明国から持って来た特殊技術とは『灰吹き法』と呼ばれるものだった。
当時、日本において銀を採掘する場合、天然に露出している銀鉱を砕き、細かくして水に流し、比重の重い銀だけを選んで、熱によって固めるという方法を取っていた。この場合だと、かなりの不純物が含まれ、しかも、一見しただけで銀と分かるような、かなりの銀を含んだ銀鉱でなければならなかった。すでに、それら天然の銀は取り尽くされていた。
彼らの持って来た技術は、銀を含んだ鉱脈の中から銀を取り出すもので、当時の日本においては考える事もできない程、進んだ技術だった。まず、地表に出ている鉱脈に沿って岩を掘り、掘り出した岩は細かくされて鬼山村まで運ばれた。運ばれた鉱石はさらに細かく砕き、粉状にして砂金を取る時のように、板の上に乗せた粉鉱を水中で揺すり、比重の重い銀だけを選び出す。これには熟練した技術を要したが、太郎の家臣となった金掘りの勘三郎が、砂金取りの仲間を使って慣れた手付きで行なっていた。揺り分けられた銀の砂は長老たちのいる立ち入り禁止の小屋に運ばれた。ここまでの作業は人足たちの手で行なわれたが、ここから先は鬼山一族だけで行なわれた。
ここまでの作業は金掘りである勘三郎も知っている。勘三郎たちが揺り分けた銀の砂を加熱しても銀の塊(カタマリ)になった。しかし、それには不純物がかなり含まれ、海外から来る銀とは比べものにならない程、お粗末な物だった。苦労して、そんな物を作っても銀としては扱われなかった。
長老の元に行った銀の砂はタタラを使って加熱され、どろどろに溶けている鉛の中に入れられた。砂の中の銀は鉛と一緒になり、この工程において、ほとんどの不純物が除かれた。この時使う鉛は前以て採ってあった。生野の山には鉛を多く含む鉱石もかなり分布していた。銀と鉛が一緒になった塊から鉛を取り除くのが『灰吹き法』と呼ばれる技術だった。灰を入れた炉の中に、その銀を含んだ鉛を入れ、タタラを使って加熱すると溶けた鉛は灰に染み込み、銀だけが残る、その銀は『灰吹き銀』と呼ばれ、かなり純粋な銀だった。しかし、その銀の中には金も含まれていた。灰吹き銀から、さらに金を抜き取る技術は、まだ、長老たちも知らなかった。
およそ、五十年後、この『灰吹き法』は博多の商人、神谷寿貞(ジュテイ)が朝鮮から連れて来た技術者によって、石見(イワミ、島根県西部)の銀山の開発に使用された。大名ではなく商人が中心になって開発を行なったため、その技術は各地の銀山に伝わり、銀山採掘の最盛期を迎える事になるが、この時期、日本において、この技術を知っていたのは鬼山一族の者だけだった。
太郎も小野屋藤兵衛も長老たちの作業小屋に入る事はできなかった。
今年の春から本格的に掘り始め、長老たちはすでに二十貫(約七十五キロ)近くの銀を製錬していた。銀一貫が銭にして百二十貫文(カンモン)だとして、二千四百貫文の銀を掘った事になる。米にして、およそ三千石(ゴク)余りという所だった。開発が軌道に乗って順調に行けば、年間、五十貫以上の銀が取れるだろうとの事だった。
取れた銀の半分は置塩のお屋形様に献上され、三割を太郎が取り、残りの二割を小野屋が取るという事になっていた。しかし、大河内城下を建設するために、小野屋に多額の借金をしているので、当分の間、太郎の取り分も小野屋の物となった。
置塩のお屋形様は、一旦、献上された銀を受け取るが、その銀は小野屋によって銭に替えられ、戦のための費用となった。小野屋藤兵衛は手に入れた銀を堺の小野屋伝兵衛のもとに送った。堺では近いうち遣明船を出す事に決まり、取り引きに使う銀を集めていた。その銀は明国に渡り、銅銭や生糸、高級な織物などと交換された。
太郎は、長老たちが作業する小屋から立ち昇る黒い煙を見ながら、この煙が敵に発見されはしないかと心配した。それと、村中に立ち込めた異様な臭いが気になった。
今年のうちは、ここでも仕方ないが、もっと大規模に開発が始まれば、ここでは狭すぎる。それに、銀を作る事によってできる鉱石のカスの量が思ったよりも多く、川の水も汚れていた。この村には山を掘る人足たちだけを置き、鉱石を砕く作業から長老たちの作業は別の場所に移した方がいいと思った。できれば但馬ではなく、一山越えた播磨側に移したかった。生野の地は鷲原寺の協力もあって占拠する事ができたが、生野に作業場を移す事はできなかった。生野は飽くまでも赤松家の最前線の軍事基地とし、敵に銀山を掘っているという事を気づかせてはならなかった。太郎は大河内城下に帰る途中、作業場を移すべき土地を捜そうと思った。
村の中央辺りに建てられた奉行所に寄って、鬼山小五郎から現場の状況を聞くと、太郎はお屋形と呼ばれる太郎専用の小屋に戻った。この小屋は以前、長老の小屋が建っていた位置に新しく建てられたものだった。長老の小屋の北側に建っていた古い三軒の小屋が壊され、長老と小五郎の小屋が新しくでき、鬼山一族の者たちは長老の小屋より北側に集まっていた。以前、きさたちが住んでいた南の方には作業場が並び、人足たちが住んでいた。
お屋形に戻ると、おこんが待っていた。
おこんは今、助四郎の妻になって、三人の女の子と共に助四郎と暮らしていた。
太郎がこの村に来ると必ず、一族の娘が交替で、太郎の世話をする事になっていた。皆、それぞれ夫婦となるという取り決めに従った今でも、長老は太郎に娘たちを差し出して、夜の世話までさせようとしていた。長老からすれば、おきさのように娘たちが太郎の子供を産んでくれれば、一族の将来が安心できるのだったが、太郎にしてみればかなわなかった。おきさが子供を産んだ事でまいっているのに、第二、第三のおきさが現れてはたまらなかった。太郎は、なるべく、この村には泊まらないようにし、どうしても泊まらなければならない時は、酔った振りをして先に寝てしまう事にしていた。
今日の太郎の担当はおこんだった。おこんは以前、光一郎と関係のあった女だった。色っぽく魅力的な女で、抱いてみたいとは思うが太郎は諦めた。
「お屋形様、あたしをお城下に連れてって下さいよ」とおこんは言った。
「この村が、いいのではなかったのか」と太郎は聞いた。
「前はよかったわ。でも、今は、もう駄目。臭くて鼻が曲がりそうだわ」
「確かに、臭いな」
「あたし、お城下って、どんな所だか知らなかったのよ。この村から出た事ないし、この村に残っている男たちは、村から出ればろくな事はないって言うし、恐かったの。でも、この間、帰って来たおろく姉さんから話を聞くと、とってもいい所だって言ってたわ。色々な物があって、色々な物が食べられて、綺麗な着物も着られるって。おろく姉さん、この間、来た時、綺麗なかんざしなんか髪に付けてたわ。あたしもおろく姉さんみたいに綺麗な着物を着てみたいし、綺麗なかんざしも欲しいわ。ねえ、あたしも連れてって下さいよ」
「まあ、城下に来るのは構わないが、助四郎さんはどうする。助四郎さんが許さないんじゃないのか」
「あんなのいいのよ。好きで夫婦になったわけじゃないし。お城下には一杯、いい男がいるんでしょ」
「いい男もいるが、悪い男もいる。長老殿の許しが出たら来るがいい。もう少しすれば生野に城下ができる。そうすれば、みんな、そっちに移る事になっている。今年の冬には間に合わないが来年には移る事ができるだろう」
「来年まで待てないわ。今すぐ、ここを出たいの。こんな所にいたら、子供だって病気になっちゃうわ」
「子供の具合が悪いのか」
「時々、ひどい咳をするの」
「そうか‥‥‥それはまずいな。長老殿と相談して子供の事は考えた方がよさそうだな」
「長老様は出て行った方がいいと言ったわ。ここは人足たちが増えて来るだろうから、女子供はお城下に移った方がいいって」
「分かった。考えておくよ。まだ、城下の方も完成してないから、すぐに移るというわけにはいかないが、銀太殿と小太郎殿の屋敷が完成すれば、おこんさんもそこに移る事ができるだろう」
「いつ頃、完成するの」
「冬が来る前には完成するだろう」
「今年の冬はこの山から下りられるのね」
「多分」
「よかった。ねえ、お屋形様、今晩は泊まっていかれるんでしょ」とおこんは太郎に擦り寄って来た。
「いや、そろそろ帰るよ」と太郎は笑うと立ち上がった。
「何だ、つまんないの」とおこんはふくれてみせた。
太郎はおこんから逃げるように、錫杖を鳴らしながら播磨側の山へと下りて行った。
3
市川の渡しを渡ると、太郎は城下に入る大通りの方に向かった。
船着き場の近くの河原には芸人たちが小屋掛けして住んでいた。金勝座はもう河原にはいない。太郎の家臣として太郎の屋敷の側に土地を与えられ、今、屋敷を建てていた。
大通りの入り口の所に建つ代官所は、かつて、太郎や重臣たちが住んでいたが、今は奉行所となり、町奉行の鬼山銀太、銀太を補佐する鬼山小太郎、勘定奉行の松井山城守(吉次)、作事(サクジ)奉行の菅原主殿助(トノモノスケ)、普請奉行の太田典膳、材木奉行の堀次郎らが詰めていた。
太郎は奉行所の所を曲がり、大通りに入ると両脇に並ぶ商人たちの蔵や屋敷を眺めながら歩いた。大通りは人通りが激しかった。材木を積んだ荷車や食糧を積んだ荷車が、忙しそうに行き来していた。
大通りに面して左側に、酒屋、伊勢屋、紀州屋、備中屋、山崎屋、京屋など、大きな商人たちの店と屋敷が建ち並んでいる。丁度、その裏には広い馬場があり、何頭もの馬が飼われ、馬術の稽古も行なわれていた。馬場の責任者である廐(ウマヤ)奉行は川上伊勢守(藤吉)だった。藤吉は足が速いので、馬など必要ないだろうと誰もが思っていたが、実は、藤吉は子供の頃から馬と一緒に育っていた。
関東の牧場(マキバ)の博労(バクロウ)の子として生まれた藤吉は、生まれた時から馬の中で暮らして来たといえた。子供の頃から馬と共に走り回っていたため足が速くなったのだった。当然、馬術も心得ているし、馬の良し悪しを見分ける目も持っていた。そこで、藤吉が廐奉行となり、新しく太郎の家臣になった者たちに馬術を教えていた。
大通りの右側にも、三河屋、信州屋、大和屋、讃岐屋、奈良屋などの商人の屋敷が並び、その奥の方に町人たちの長屋や職人たちの長屋が建つ予定だった。讃岐屋と奈良屋の間に磨羅寺(マラジ)へと続く参道があり、その参道の両側がこの城下の盛り場だった。
馬場への入り口の所、城下の中心ともいえる所に小野屋があった。商人たちの中でも一番いい場所で、しかも、一番広い土地を持っていた。小野屋はまだ完成していなかった。藤兵衛たちの住む屋敷と大きな蔵が一つ建っていたが、まだ、大通りに面して建つ店構えはできていなかった。
小野屋は大通りと稲荷神社へと続く通りが交差する四つ角に面していた。その稲荷神社へと続く通りによって城下は東西に二つに分けられ、西側が武家屋敷の建つ一画となった。小野屋と通りを挟んで、斜め向かいに鬼山銀太の屋敷があった。
銀太の屋敷はほぼ完成していた。家族たちの住む建物は完成し、今、広間や会所(カイショ)などの晴れの間のある建物を作っていた。
その建物の裏に離れがあり、おきさと子供たちが住んでいた。
おきさがこの城下に移って来たのは先月の初めだった。楓たちが置塩城下から、ここに移って来た日よりも半月程前の事だった。銀太は自分の屋敷よりも先に、おきさの住む事となる、この離れを建てていた。
銀太はおきさの腹の中にいる太郎の子供をこの離れで産ませたかった。この城下で産めば太郎の側で産む事ができる。生まれて来る子供の事を考えると、山の中の粗末な小屋で生まれたと言うよりも、城下町で生まれたと言う方が、後々、都合がいいような気がした。しかし、間に合わなかった。おきさは離れの完成する三日前に、山の中の鬼山村で男の子を産んだ。その知らせを受けると太郎は鬼山村に飛んで行き、子供と会って、千太郎と名づけた。元気のいい赤ん坊だった。
太郎は楓に、おきさと千太郎の事は言っていなかった。できれば内緒にしておきたかった。太郎の正妻、楓は赤松家の当主、政則の姉だった。その姉を妻にしながら、他の女に子供を生ませたなどと世間に知れたら大変な事になる。政則としても、そんな男の所に姉はやれないと言い出すかもしれない。せっかく、楓を赤松家から取り戻す事ができたのに、また、奪われるという事もあり得た。太郎が実績を上げて、お屋形様の姉の婿という立場以上に、太郎自身が認められる時になるまでは隠しておこうと思っていた。
おきさも銀太も太郎の言う事を分かってくれた。おきさにすれば自分が産んだ四人の男の子が太郎の家臣となってくれれば、それでよかった。太郎にはすでに跡継ぎである百太郎がいる。千太郎が跡を継ぐという事はあり得なかった。
おきさは離れの中庭にいた。
おきさは山の中にいた頃のように中庭に畑を作って野菜を育てていた。元々、ここは畑だったので土は良かった。
おきさは太郎の顔を見ると嬉しそうに笑った。
「今、山に行っていた」と太郎は言うと縁側に腰を下ろした。
「みんな、元気だった?」とおきさは手に付いた土を払いながら聞いた。
「ああ。ただ、村中、物凄い臭いだった。あれじゃあ、子供たちにはよくないな。人足たちが大勢、山に入って来たんで遊び場所もなくなったしな。女子供はあそこから移動させた方がよさそうだ」
「みんな、こっちに移って来るの」
太郎は頷いた。
「ここか、生野だな。生野の城下ができるのは来年以降になりそうだから、取りあえずは、ここに移る事となるだろう」
「そう。みんな、ここに来るの。賑やかになるわね。でも、ここに来てもする事がなくて退屈だわ」
「退屈か‥‥‥」
楓も退屈だと言っていた。花養院にいた時は朝から晩まで働いて忙しかったが、播磨に連れて来られてから何もする事がなくて退屈だと言う。今は百合の面倒を見ているので退屈だとは言わないが、百合の手が掛からなくなったら、花養院のような孤児院を作って子供たちの面倒でもみようかと言っていた。
鬼山一族の娘たちは皆、働き者だった。彼女たちがここに来ても何もする事がなかった。銀山のためとはいえ、のどかで静かだったあの村があんな風になってしまって、鬼山一族のためには悪い事をしてしまったのかもしれなかった。彼女たちが子供たちを連れて、ここに来たとしても、やがて、山が恋しくなるかもしれない。しかし、かつての山は、もうなかった。
「千太郎は元気か」と太郎は聞いた。
「元気よ。今、おすぎちゃんが見ててくれてるの。静かになったから、おすぎちゃんも一緒に寝ちゃたんじゃないかしら」
「おすぎちゃんが来てるのか。他の子たちは?」
「おろくさんちの子と遊んでるわ。きっとまた、お寺に行ったんじゃない」
「磨羅寺か」
「そう。あそこの和尚さん、子供たちが何をしても怒らないんですって。いい遊び相手だと思ってるわ」
「そうか。あの和尚も変わってるからな」
太郎は奥の部屋を覗き、眠っている千太郎とおすぎをチラッと見ると、また縁側に戻った。おすぎというのは銀太の妻、おろくの一番下の妹だった。十六歳の娘で、同い年の助七郎と一緒になる事に決まっているが、十八になるまでは銀太の世話になっていた。
縁側に戻るとおきさの姿はなかった。
銀太の屋敷に行ったのかな、と思いながら太郎は野菜畑を見ていた。
おきさは手を拭きながら帰って来た。ニコニコしながら太郎の隣に坐ると、「井戸っていうの、どうも、苦手だわ」と言った。
「どうして」
「だって、山にいた時は、ずっと川の水を使ってたでしょ。何となく使いづらいわ」
「そうか、井戸なんか使った事なかったんだな」
「井戸だけじゃないわ。ここに来て、見た事ないもの一杯見たわ」
「そうだろうな。おきさはここに来てよかったと思うか」
おきさはしばらく考えていたが、太郎の顔を見つめると頷いた。
「そうか‥‥‥」
「ねえ、お屋形様、今晩は泊まって行けるの」
「いや。駄目だ。今、お客さんが来てるんでな。大事な客なんだ。そのお客が帰ったら、ゆっくりしに来るよ」
「奥方様は大丈夫なの」
「大丈夫だ。うまく抜け出すさ」
「待ってるわ」とおきさは太郎の手を握った。
太郎はおきさの手を握り返すと軽く抱き寄せ、おきさと別れた。
来た時と同じく裏口から出ると通りを北に向かった。
おきさのいる銀太の屋敷の隣には鬼山小太郎の屋敷があった。
小太郎の屋敷もまだ未完成だった。その隣に材木奉行の堀次郎の屋敷があり、その隣には公人(クニン)奉行の田口弥太郎の屋敷があり、両方共、建設中だった。
田口の屋敷の正面に評定所(ヒョウジョウショ)があり、その向こうに太郎の屋敷内に建つ月影楼が見えた。
太郎は月影楼を眺めながら評定所の裏を通って、突き当たりにある敷地の中に入って行った。
そこは太郎の三人の弟子の家が建つ予定地だった。今、一軒だけ北西の角に家が建っていた。山崎五郎(探真坊)の家だった。
五郎は三月に鬼山一族の娘おきくと一緒になっていた。おきくはおきさのように五郎の子供を身ごもったわけではなかったが、五郎はおきくに惚れてしまった。おきくも決まった相手がいなかったため、時折、訪ねて来る五郎の事を首を長くして待つようになった。
二人が初めて会ったのは、去年の八月、銀山を捜しに山に入った時で、その後、九月の半ばと十一月の初めに、五郎は太郎と共に鬼山村を訪ねた。その後、冬の間は太郎は二月に一度、行っただけだったが、五郎は小野屋藤兵衛を連れて、ちょくちょく鬼山村に行っていた。その頃、一緒になる事を決めたらしい。太郎が五郎から相談を受けたのは春になってからだった。但馬進攻のための戦の準備に忙しい頃、太郎は五郎から、その話を打ち明けられた。太郎は五郎の話を聞いて長老と掛け合う事を引き受けた。
五郎は二十一歳、おきくは二十六歳、五つも年上で、しかも、子供が三人もいた。その三人の子供の父親は、一番初めの子が行方不明になっている助次郎、二番目の子が銀太、三番目の子が助太郎だと言う。五郎はそれを承知で、おきくと一緒になる覚悟を決めていた。太郎は長老と掛け合って許しを得、その日のうちに鬼山村において彼ら流の祝言(シュウゲン)が挙げられた。例によって祝い事は三日間も行なわれ、一緒に行った光一郎と八郎も五郎たちを羨ましそうに眺めていた。彼らも、それぞれ、おこんとおとみを口説いていたらしいが、うまくは行かなかった。
太郎はさっそく五郎夫婦の屋敷を建てるための土地を捜して家を建てさせた。
太郎は弟子の三人を自分の屋敷か、武術道場に住ませようと考えていたため、屋敷を建てる土地など用意していなかった。しかし、嫁を貰えば独立させなければならない。光一郎と八郎もそのうち嫁を貰う事になるだろうと思い、三人の家を同じ一画に建てさせようと考えた。その一画は評定所の北で、太郎の屋敷や道場にも近かった。今はまだ、五郎の家しか建っていなかった。
おきくが子供を連れてここに移って来たのは、おきさと一緒で八月の初めだった。
おきくは井戸の側で食事の支度をしていた。子供たちは庭で遊んでいた。太郎が入って来るのを見ると、おきくは頭を下げて迎えた。
「ここの暮らしは慣れたか」と太郎は言いながら子供の方に行った。
「はい。何とか‥‥‥」
おきくの長男の久太郎は八歳で、一つ年上のおきさの長男の紀次郎とは父親が同じだった。太郎は久太郎を眺めながら、紀次郎と似ているな、と思った。二番目の子は四歳の女の子、一番下は二歳の女の子だった。二歳の女の子がよちよち歩きをしながら、太郎の方にやって来た。
「女の子は可愛いいな」と太郎は言った。
「お屋形様も女のお子さんが生まれたそうで、おめでとうございます」とおきくは言った。
「ああ、女の子と男の子の二人が一遍に生まれたわ」
「おめでたい事です」
「まあ、そうだな。ところで、八郎や光一郎の奴らがここにしょっちゅう来てはいないか」
「はい。毎日、来ておりますけど‥‥‥」
「やはりな。最近、俺の所に顔を見せんから、おかしいと思ってたんだ。あんな奴らが毎日、来てたんじゃ邪魔だろう。今度、来たら追い出しても構わんからな」
「いえ。子供たちと遊んでくれるので助かってます。それにしても、あの三人、仲がいいですね」
「三人揃うと、うるさくてかなわんだろ」
「子供たちは喜んでいます。特に八郎さんは面白いって」
「そうか。まあ、適当にあしらってやってくれ」
「はい。分かりました」
太郎はおきくと別れると武術道場に顔を出して、一汗かくと屋敷に帰った。
35.百合と千太郎2
4
冷たい風が吹いていた。
もうすぐ、長い冬がやって来る。二度目の冬だった。
太郎の屋敷は完成していても、重臣たちの屋敷は上原性祐(ショウユウ)と喜多野性守(ショウシュ)の屋敷以外は、まだ完成していなかった。中級武士や下級武士たちの家に関しては建設予定地が決まっているだけで、まだ何も建っていない。彼らは掘立て小屋のまま、もう一冬を越さなければならなかった。太郎は家臣となってくれた彼らに、辛いが頑張ってくれ、という一言しか言えなかった。
風の音を聞きながら薄暗い月影楼の一階の屋根裏部屋で、太郎は座り込んでいた。
頭の中で、太郎は剣を構え、師匠、風眼坊舜香と対峙していた。
陰流の新しい技を考えていた。
陰流の中の『天狗勝(テングショウ)』は八つの技でできている。その八つの技は、すべて師匠から教わった技だった。太郎はその他に、自分で編み出した技を八つ加えて陰流を完成させようとしていた。ここに移ってから二つの技を考えた。あと六つの技を編み出さなければならなかった。
太郎はこの城下に武術道場を作るに当たって飯道山の道場を手本とした。
飯道山では武術を教える前に、体を作るため、一ケ月の山歩きを行なっていた。それは多すぎる修行者たちを振り分ける手段として行なっているものだが、足腰を鍛えるのには都合のいい修行方法だった。太郎はそれをまず取り入れようと思った。
この城下の道場も無制限に修行者を取るというわけにはいかない。定員を五十人とし、主に若い者を中心に教えようと思った。今はまだ、五十人もいないが、二年、三年後には溢れる程の修行者が集まるだろう。この城下だけでなく、置塩城下からも若い者たちが集まって来るだろうと思っていた。
太郎は生野の事が一段落すると、三人の弟子を連れて山に入った。城下を見下ろす城から更に奥の方へと入って行った。
大河内城から北へ尾根沿いに半里程進むと見晴らしのいい山頂に出た。更に尾根は北へ続いていた。太郎は三人の弟子と一緒に道を作りながら進んで行った。
三日間かけて、道場から片道、およそ二里程の山道ができあがった。飯道山の片道六里半に比べれば、まだまだ足りないが徐々に増やして行こうと思った。
次の日、三人の弟子に率いられて二十人余りの修行者が山の中に入って行った。まだ、道も完全でなく、途中、危険な所も幾つかあるので、初日は朝早く出掛けて行ったが、戻って来たのは昼をかなり回ってからだった。修行者たちは七日間、山の中を歩かされ、自然に道はでき上がった。
武術道場は南北が三十三間(約六十メートル)、東西が二十七間(約五十メートル)で、北側に師範たちの待機するための建物が建ち、北東の隅に修行者たち五十人が収容できる長屋を建設中だった。今の所、修行者たちは通いだった。通いといっても城下に彼らの家はまだない。空き地に掘立て小屋を立てて暮らしていた。師範部屋で寝起きしているのは、槍術師範の福井弥兵衛、薙刀師範の高田主水(モンド)、剣術師範の細野外記(ゲキ)、そして、風間光一郎、宮田八郎、夢庵肖柏(ムアンショウハク)だった。
福井、高田、細野の三人は太郎が置塩城下に行軍した時、参加した浪人組だった。浪人組の中に、細野は別にして、槍術の福井と薙刀の高田がいたのは太郎にとって都合のいい事だった。太郎の三人の弟子の中に槍術と薙刀術を教えられる者はいなかった。太郎は教えられるが、そうちょくちょく道場に出られない。特に福井の槍術はかなりの腕で、太郎の弟子たちでも太刀打ちできない程だった。太郎は福井を武術道場の責任者とし、道場奉行に任命していた。その他、浪人組には弓術の名人の朝田河内守がいた。朝田は城下のはずれにある射場(イバ)の責任者で、そこにも五十人の修行者を置くつもりでいた。
夢庵がここにいるのは変な事だったが、本人は気に入っているようだった。太郎は自分の屋敷内に、夢庵のための部屋を用意したのに、一晩いただけで、また、こっちに戻ってしまった。
夢庵は不思議な術を身に付けていた。棒術の一種で、六尺の棒を使うのではなく、三尺の棒を二本使う術だった。剣術において二刀を使うのと似ているが、棒でなければできない技もあった。夢庵はその術を京の鞍馬山(クラマヤマ)の山伏に習ったという。
夢庵は公家の中院(ナカノイン)家に生まれた。中院家は和歌を家業とする家柄で三大臣家(オオミケ)と呼ばれ、正親町(オオギマチ)三条家、三条西家と共に清華家(セイガケ)に継ぐ家格で、代々、大臣職に就いていた。村上天皇を祖とする源氏であり、赤松氏、北畠氏とは同じ流れであった。
京の公家の世界には古くから京流と呼ばれる武術があった。京流は鞍馬山の山伏から生まれ、公家たちの間に伝わり、古くは御所を護衛する者たちが身に付けて実戦の中で使われていたが、武士たちが台頭して公家の力が弱まるにつれて、京流の武術は個人的な護身の術になって行った。甲冑を身に付けない公家たちが自分の身を守るための武術だった。夢庵が子供の頃、その京流の武術はほとんど形だけが残っていて、踊りのようになり、実際に役に立つとは言えないものだった。ただ一つ、京流の中の吉岡流だけは当時も盛んで、将軍家の兵法(ヒョウホウ)指南となっていたが、吉岡流は武術よりも軍学が中心だった。
夢庵は子供の頃からフラフラと旅に出るのが好きだった。十五、六歳の頃、家を抜け出して一人で近江に旅に出た時だった。その時、山賊に会い、ひどい目にあった。命だけは何とか無事だったが、身ぐるみを剥がされ裸同然の姿で家に帰った。それは気位(キグライ)の高い夢庵にとって屈辱的な事だった。
夢庵は強くなろうと決心し、父親に頼んで吉岡兵法所に入る事ができた。しかし、用兵術や戦術を机上(キジョウ)で教えるだけで、剣術は教えてくれなかった。夢庵が剣術を教えてくれと頼むと、師範は勿体ぶって戦術を頭に入れてから実戦を教えると言った。
夢庵は兵法所を飛び出して鞍馬山に登った。
鞍馬山には昔、源義経が天狗から剣術を習ったという伝説があった。天狗というのは山伏の事だった。夢庵も義経のように鞍馬山の山伏から武術を習おうと勇んで山に登った。鞍馬山は大勢の信者たちが山伏に連れられて登っていた。夢庵は天狗の住む人気のない所を想像していたが、山の中の鞍馬寺は予想に反して賑やかだった。参道を行き来する山伏たちも武術の名人というよりは、ただの道案内に過ぎなかった。薙刀を構えた僧兵はかなりいたが、夢庵の考えていた天狗像とは全然、違っていた。
夢庵は失望しながら鞍馬寺をお参りした。そのまま帰ろうと思ったが、せっかく来たのだからと義経の伝説のある僧正(ソウジョウ)ケ谷に向かった。さすがに、その辺りまで来ると人影もなく、今にも天狗が現れそうな雰囲気があった。
夢庵はそこで天狗が出て来るのを待った。夢庵には生れつき気長な所があった。比較的のんびりとした公家社会で育ったため、何もしないで長時間いる事は苦痛ではなかった。旅に出て景色のいい所に行った時など、時が経つのも忘れて暗くなるまで、ずっと景色を眺めている事が何度もあった。僧正ケ谷に来た時もそうだった。夢庵は石の上に座り込んで、ずっと、天狗が現れるのを待っていた。
夢庵は三日間、何も食わずにそこにいた。
三日目にとうとう天狗が現れた。それは、ただの山伏だったが夢庵には天狗に見えた。
その山伏は僧正ケ谷の先にある奥の院にいる山伏で、鞍馬寺への行き帰りに夢庵の姿を見ていた。初日は夢庵の事など気に掛けなかった。二日目、同じ場所にいる夢庵を見ながら、一体、あんな所で何をしているのだろうと思った。しかし、声も掛けずに通り過ぎた。三日目、まだ同じ場所にいる夢庵を見て、山伏はぞっとなった。もしかしたら、義経の霊かもしれないと思った。山伏は夢庵を横目で見ながら鞍馬寺の方に去って行った。夕方、鞍馬寺から奥の院に向かう山伏は、まだ、そこにいる夢庵の姿を見て、恐る恐る近づいて声を掛けた。
夢庵は顔を上げて山伏を見ると急にニヤッと笑った。
山伏は恐れて太刀に手を掛け、抜こうとした。
夢庵は山伏に、「剣術を教えて下さい」と言った。
山伏は益々怪しみ、義経の幽霊に違いないと思った。
夢庵は座っていた石から下りると山伏に頭を下げた。
「お願いです。わたしに剣術を教えて下さい」
山伏は太刀を構えたまま夢庵に名を聞いた。
夢庵は本名を告げた。
山伏は夢庵の父親を知っていた。知っていたといっても名前を知っている程度だったが、名門である中院家の御曹司(オンゾウシ)が、どうして、こんな所に三日もいるのか訳を聞いて山伏は夢庵を奥の院に連れて行った。その山伏に紹介されたのが、例の棒術を使う賢光坊(ケンコウボウ)という山伏だった。夢庵は賢光坊について一月余り修行を積み、二本の棒を使う棒術を身に付けた。
その棒術は賢光坊が編み出した術だったが、まだ、完成していなかった。賢光坊はある日、武士と戦い、六尺棒を真っ二つに斬られ、仕方なく斬られた二本の棒を使って武士を倒した。その時はとっさの事で無意識に二本の棒で戦ったが、後で考えてみると、これはなかなか使えると思い、その技の工夫するために鞍馬山に帰って来た。その工夫をしている時、夢庵と出会い、夢庵を稽古相手に工夫を重ねた。
賢光坊の棒は普段は六尺で、中央から二つに割れるような仕掛けがしてあった。敵と戦う場合、初めは六尺棒として戦い、途中から二つに分ける。そんな仕掛けを知らない敵は不意を突かれて敗れるという具合だった。
夢庵も鞍馬山を下りた後、そんな六尺棒を杖代わりに持ち歩いていた。そのうち、自分の身を守るだけなら二本の棒は必要ないと思うようになり、棒の代わりに脇差を持ち歩くようになっていた。
夢庵は鞍馬山で棒術を身に付けて以来、自分に自信を持ち、一人でどんな所でも行けるようになったが、実際、その棒術を使って誰かを倒したという事はなかった。太郎と出会って、太郎の強さを聞き、久々に武術に興味を持って、太郎の弟子を相手に稽古に励んでいた。
夢庵は今まで自分の強さがどれ程なのか知らなかった。それを試すのにもいい機会だった。夢庵は八郎を相手に久し振りに二本の棒を持って打ち合った。
勝負は互角だった。
八郎は勿論の事、見ていた光一郎、五郎も驚いていた。夢庵がそれ程の腕を持っていたとは誰もが信じられなかった。毎日、ブラブラしていて、のんきに歌を歌っている夢庵が、これ程強かったとは思いもよらない事だった。しかも見た事もない術だった。二本の三尺棒を両手に持ち、片方の棒で相手の木剣を押えておいて、もう一本の棒で相手を打つ。もし、八郎が相手でなかったら簡単にやられていた所だった。
太郎もその話を聞き、夢庵の棒術と打ち合った。勿論、太郎の勝ちだったが、太郎は夢庵の棒術から学ぶべきものがあると感じ、自分も同じ物を作って色々と工夫して、陰流に取り入れる事にした。
夢庵は自分の腕を試した後、武術道場に住み着いて、八郎と光一郎から陰流の剣術を習っていた。今の所、特に行くべき所はないし、太郎と出会ったのも何かの縁だろう。ここにいる間に剣術を身に付けようと思っていた。
夢庵は何かに熱中すると、とことんやるという性格だった。
まず、最初に熱中したのはお家芸である和歌だった。和歌に熱中したあまり、和歌の舞台になった地を自分の目で見たくなって旅に出た。
次に熱中したのは女だった。気に入った女のもとに通い続けたり、遊女屋に泊まり続けたり、女と一緒にいない夜はない程、女に狂っていた。
次が棒術。一月余り鞍馬山で修行した後も、一年近くは棒術に熱中していた。
その次に熱中したのは笛だった。夢庵は徳大寺家に通って笛を習った。
次はお茶で、村田珠光(ジュコウ)の弟子となって侘(ワ)び茶と唐物(カラモノ)の目利きを習い、さらに、香道(コウドウ)を志野宗信(ソウシン)に習い、連歌は心敬(シンケイ)に学び、その他、流行り歌や絵にも凝った事もあった。
公家の名門に生まれたため、食べる事の心配はしなくて済んだ。長男に生まれなかったため、好きな事をやる事ができた。元々、器用なのか、興味を持った物は何でも身に付ける事ができた。その身に付けた芸が身を助ける事となり、戦で京を離れる事になっても、各地の大名たちから歓迎されるという具合だった。
そして、今、夢庵は陰流に凝っていた。夢庵は太郎の弟子たちから陰の術も学んでいた。太郎の直接の弟子ではないにしろ、陰流を身に付けた夢庵は弟子と同じようなものだった。
そんな夢庵がひょっこりと太郎のいる月影楼に現れた。夢庵は太郎のいる隠し部屋の仕切りまで来ると中に声を掛けた。
夢庵は太郎の事を太郎坊殿と呼んでいた。それは、夢庵が太郎の事を赤松家の一人として見ているのではなく、同じ芸術家の一人として太郎を見ているのだった。夢庵が本名を名乗らず、庵号を名乗っているのと同じく、太郎も坊号で呼んでいたのだった。
太郎は夢庵の声を聞くと、何事だろうと顔を出した。
「ちょっと話があるんじゃが、いいかのう」と夢庵は言った。
「はい。構いませんが‥‥‥上に行きましょう」
二人は二階に上がった。太郎は南の板戸を開けた。風はそれ程入って来なかった。
夢庵は腰を下ろすと、まだ、何も描いてない壁を見ながら、「絵師を連れて来るんだったな」と言った。
「急がなくてもいいですよ」と太郎は言った。
「いや、これじゃあ、せっかくの楼閣が台なしじゃ。誰かを連れて来よう」
「お願いします。ところで、話とは何です」
「実はのう。そろそろ、ここから出ようと思っておるんじゃ」
「どこかに行かれるんですか」
「ああ。長い事、世話になったのう。おぬしに会えて本当によかったと思っておる。陰流も身に付けたしな。もう、怖い者なしじゃ」
「どこに行かれるのですか」
「近江じゃ。近江の甲賀じゃ」
「甲賀? 甲賀に用でもあるのですか」
「ああ、宗祇(ソウギ)殿が、そこにいるという事が分かったんじゃ」
「宗祇殿?」
「連歌師じゃ。わしは宗祇殿の弟子になるつもりじゃ」
「連歌師ですか‥‥‥」
「宗祇殿は今、連歌師の最高峰なんじゃ。わしは以前から宗祇殿に色々と教わりたかった。しかし、東国の方に旅に出ていて、どこにおるのか分からなかったんじゃ。それが、最近になって、甲賀柏木の飛鳥井殿の屋敷に滞在しておる事が分かったんじゃ。わしは会って弟子にして貰うつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥甲賀の柏木と言えば飯道山の近くです」
「飯道山というと、そなたが年末に陰の術を教えに行く山じゃな」
「はい。今年ももう少ししたら行く事になります」
「向こうでまた会えるかもしれんな」
「はい。飯道山に行ったら訪ねて行きますよ」
「いや、わしの方から行こう。わしもその飯道山というのを一度見たいしな」
「それで、いつ、出掛けるのです」
「このまま、出掛けようと思っておる」
「えっ、今すぐですか」
夢庵は頷いた。
「そうですか‥‥‥」
太郎は引き留めても無駄だと思った。しかし、このまま別れるのは残念だった。太郎としては夢庵を送るために宴を開きたかったが、夢庵がそういう事を好まないのは知っていた。
「夢庵殿、せめて、楓にだけは出て行く事を言って下さい。楓も色々とお世話になりましたから」
「わしは何もしてはおらん‥‥‥が、分かった」
「また、来て下さい」
「近江で会おう」
そう言うと夢庵は立ち上がって、回廊に出て城下を見渡した。
「今度、来る時には、ここも賑やかに栄えている事じゃろうのう」
太郎も回廊に出て城下を見た。
「不思議な事です。何もなかった所に、こんな町が出現するなんて‥‥‥」
「確かにのう‥‥‥」
夢庵は部屋に戻ると、下に降りる階段の方に向かった。
「楓殿には挨拶して行く。そなたはそのままでいてくれ」
「飯道山で会いましょう」と太郎は階段を降りて行く夢庵の足音に向かって言った。
太郎は三階に登って自分の屋敷を見下ろした。しばらくして、夢庵が楓と楓の侍女たちと一緒に庭に出て来た。夢庵は廐から金色の角を持った牛を連れて来ると、月影楼を見上げて太郎に手を振った。太郎も手を振り返した。
夢庵は楓に何かを喋ると牛に乗って門から出て行った。
太郎は月影楼から、のんびりと歩く牛を見守っていた。
夢庵の姿が見えなくなるまで、太郎はずっと見送った。
夢庵の姿が見えなくなると太郎は板戸を閉めた。下に降りようとした時、床の間の掛軸が目に入った。
夢庵の書いた『夢』という字だった。
「夢か‥‥‥」太郎は独り呟き、夢庵らしいと思った。
太郎は床の間の前に座り込むと、しばらく、夢という字を見つめていた。
雪が降っていた。
あっと言う間に、辺り一面、真っ白になってしまった。
この雪は根雪になるかも知れなかった。
銀山の作業は雪のため春まで中止となり、人足たちは冬の間は炭焼きをする事となっていた。山を下りる事は許されなかった。銀山開発は赤松家にとって絶対に極秘にしなければならない事だった。銀山に携わった職人や人足たちは常に見張られ、山から逃げ出せば殺されるという事となった。太郎はそんな事をしたくはなかったが仕方がなかった。
銀山奉行の小五郎は冬の間に、来年の開発計画を練るため、おさえを連れて大河内城下の太郎の屋敷に移った。長老とおせんは銀山を守るため山に残り、助太郎と助五郎は長老を守るため山に残った。助六郎と小三郎の二人は、十八歳になったおちいとおまると夫婦になって城下の小太郎の屋敷に移り、助四郎はおこんを連れて銀太の屋敷に移っていた。
生野も雪で埋まり、置塩城下から助っ人に来ていた兵は皆、引き上げ、大沢播磨守と小川弾正忠の率いる百人足らずの兵が守っていた。
太郎は楓と二人で月影楼の三階から雪の降る城下を見下ろしていた。
「綺麗ね」と楓が言った。
「ああ。長い冬の始まりだ」
「いよいよ、明日、出掛けるの」
「うん」と太郎は頷いた。
「今年は誰を連れて行くの」
「光一郎を連れて行く」
「親子の再会をさせるのね」
「そういう事だ。久し振りだな、師匠に会うのは」
「百日行をしてるんですって?」
「らしいな。師匠もよくやるよ。伊勢新九郎殿も一緒だそうだし、栄意坊殿も飯道山にいるらしいし、みんなと会える。楽しみだよ」
「久し振りだもんね」
「会ってみないと分からないけど、師匠に、ここを見てもらおうと思ってるんだ」
「みんな、連れて来てよ。あたしも会いたいわ」
「うん。何としてでも連れて来るよ」
九月の初め、松恵尼と一緒に飯道山の祭りに帰った金勝座が戻って来て、向こうの状況を太郎たちに知らせてくれた。
太郎は師匠に会いたかった。以前、師匠を捜しに大峯山に登った時よりも、今の太郎は一回りも二回りも大きくなっていた。あの時の自分は惨めだった。師匠にすがる思いで、師匠を捜していた。結局、師匠には会えなかった。あの時、会えなくてよかった、と今の太郎は思っている。そして、今、ようやく、師匠と会える時が来た。自分の成長振りを堂々と師匠に見て貰いたかった。
「ねえ、あなたのお弟子さんの中で、誰が一番、陰の術、得意なの」と楓は聞いた。
「そうだな‥‥‥五郎かな」
「五郎さん‥‥‥五郎さんも大変ね。一遍に三人の子供を持っちゃって。でも、しっかりした人みたいだから安心ね」
「お前、五郎の嫁さんに会ったのか」
「ええ、ちょっとね。挨拶に行ったのよ」
「そうか‥‥‥」と言いながら、太郎は楓を横目でちらっと見た。
「ねえ、五郎さんて、あなたを仇と狙っていたはずでしょ。もう、やめたの」
太郎はほっとして、「さあな」と首を振った。「聞いた事はないが、どう思ってるんだろうな」
「家族を持ったら仇討ちどころじゃないわよ。きっと、あなたが悪かったんじゃないって気づいたんじゃない」
「そうだといいんだけどな」
楓は部屋の中に目を移し、床の間の掛軸を見ながら座り込んだ。
「ねえ、夢庵さんと会って来るの」
「ああ。せっかくだからな。夢庵殿が飯道山に来るって言っていたけど、来なかったら、こっちから訪ねて行くさ」
「何してるのかしら」
「連歌に熱中してるんじゃないのか。何もしないでブラブラしてるかと思うと、一つの事に熱中して、とことんまでやる人だからな。夢庵殿があんなにも剣術に熱中するなんて思ってもいなかったよ」
「夢庵さん、強いんですって?」
「ああ、強いな。最初見た時、あんな格好でウロウロしてるからには少しはできるな、とは思ったけど、あれ程の腕を持っていたとは知らなかった」
「また、ここに来てくれるかしら」
「忘れた頃に、例の牛に乗って、ひょっこりと現れるんじゃないのか」
「そうね‥‥‥ねえ、あなたの夢って何なの」
「俺の夢? 俺の夢は陰流を完成させて、それを広める事だな」
「戦をするために?」
「いや、そうじゃない。俺の陰流は戦のためじゃない」
「じゃあ、何のため」
「夢庵殿の剣と同じさ。身を守るためと、後は‥‥‥」
「後は‥‥‥」
「無益な争いを避けるためだ。自分の強さが分かれば、敵を殺さなくても済む」
「でも、戦になったら敵を殺さなくてはならないんでしょ」
「まあ、そうだな。戦は個人の戦いと違うからな。殺さなけりゃならない」
「あなたの陰流によって、死ぬ人もいるのね」
「それはしょうがないだろう。皆、必死だからな。負ければ、すべてを失う事になってしまう」
「そうね。再興される前の赤松家のように、この世から消えちゃうのね‥‥‥」
「楓、お前の夢は何なんだ」
「あたしの夢‥‥‥ここに来るまでは、松恵尼様の跡を継いで孤児院をやって行こうと思ってたの。でも、こっちに来てから分からなくなったわ。こんなお屋敷に住んで、侍女に囲まれて暮らしていると、花養院にいた頃の事が嘘のように思えて来るの。このままではいけない。何かをやらなければならないとは思うんだけど、何をやったらいいのか分からないわ」
「今は百合の事だけ考えていればいい。百合がもう少し大きくなったら、孤児院でも何でも始めればいいさ。天から授かった今の地位を逆に利用すればいいのさ。何かをやろうと思えば、今なら何でもできる。俺は自分の道場を持つ事ができたし、こんな楼閣も持つ事ができた。お前も何かをやろうと思えば何でもできるさ」
「そうね‥‥‥」
「俺は今まで通り、ここの殿様だけでいるつもりはない。太郎坊という山伏にもなるし、三好日向という仏師(ブッシ)にもなるつもりでいるんだ。ただの武士にはならないよ」
「そうね。あたしも、もう一人の自分を作ろうかしら」
「そうさ。こんな所に籠もっていたら本当におかしくなっちゃうぜ。回りが見えなくなってしまうよ」
「ねえ、鬼山銀太様のお屋敷にいる、おきささんていう人、綺麗な人ね」と楓は突然、話題を変えた。それは、太郎にとって不意打ちだった。
「えっ?」と言いながら、太郎は楓を横目で見た。
楓は夢庵が書いた掛軸を見つめていた。
「千太郎って男の子がいたわ」
「‥‥‥知ってたのか」と太郎は覚悟を決めて聞いた。
「松恵尼様が来た時、一緒に城下を歩いて色んな所に挨拶に行ったの。そして、偶然に会ったのよ。あたし、びっくりして、どうしたらいいのか分からなかったわ。でも、松恵尼様が一緒にいたので助かったの。おきささんから訳を聞いたわ‥‥‥松恵尼様は、あなたには黙っていた方がいいって言ったわ‥‥‥」
太郎は楓の前に座ると、「悪かった」と謝った。「あの時は仕方なかったんだ」
「聞いたわ‥‥‥おきささんが、みんな話してくれたわ‥‥‥」
「話そうと思ったが話せなかった‥‥‥」
「あの人、このお屋敷に入れるつもりなの」
太郎は首を振った。「いや。それはできない。その事はおきさも分かってくれている」
「あの子も、ずっと、あそこに置いておくつもりなの」
「仕方がない‥‥‥」
「どうして、隠してたの」
「言えなかったんだ‥‥‥」
「そう‥‥‥」
「怒ってるのか」
「怒ってるわ‥‥‥どうしょうもない位、怒ってるわ」
「だろうな‥‥‥」
「罰として、あたしに陰の術を教える事」と楓は言った。
「許してくれるのか」
「陰の術を教えてくれるまで、許さないわ」
「分かった。教える。しかし、陰の術を習ってどうするつもりなんだ」
「あなたをこっそり尾行するのよ」
「何だって」
「嘘よ。あたしねえ、女だけの兵隊を作ろうと思ってるの」
「女だけの兵隊? 女武者という奴か」
「そう。でも、戦を実際にするんじゃなくて敵情視察をするのよ」
「女を使ってか」
「そう。男にはできない事でも、女ならできるっていう事あるでしょ」
「まあ、それはそうだが‥‥‥」
「あなたは知らないでしょうけど、金勝座の助六さんとあたし、とても仲良しになったのよ。助六さんから色々と話を聞いたの。それでね、二人で松恵尼様みたいに女たちを使って情報集めをしようって決めたのよ」
「助六さんと二人でか‥‥‥」
「そうよ。それには、まず、あたしが陰の術を身に付けて、そうだ、助六さんも一緒の方がいいわ。ねえ、二人に陰の術を教えて。いいえ、罰として絶対に教えるのよ」
「分かった。飯道山から帰って来たら、さっそく教えるよ。そうだな、正月は何かと忙しいから二月だな、二月に一ケ月間、みっちりたたき込んでやるよ」
「絶対よ」
太郎は頷いた。
「楓、今晩はここで寝ようか」
「そうね、一ケ月間、お別れだもんね。罰として、今晩は寝せないから」
「参ったな」
「参ったじゃないのよ」と楓は太郎を睨みながら、太郎にもたれて来た。
「はい、はい。楓御料人(ゴリョウニン)様」と太郎は楓の体を膝の上に横たえた。
楓は太郎を見つめて笑っていた。
太郎も楓を見つめながら笑った。
外では、雪が静かに降っていた。
あっと言う間に、辺り一面、真っ白になってしまった。
この雪は根雪になるかも知れなかった。
福井、高田、細野の三人は太郎が置塩城下に行軍した時、参加した浪人組だった。浪人組の中に、細野は別にして、槍術の福井と薙刀の高田がいたのは太郎にとって都合のいい事だった。太郎の三人の弟子の中に槍術と薙刀術を教えられる者はいなかった。太郎は教えられるが、そうちょくちょく道場に出られない。特に福井の槍術はかなりの腕で、太郎の弟子たちでも太刀打ちできない程だった。太郎は福井を武術道場の責任者とし、道場奉行に任命していた。その他、浪人組には弓術の名人の朝田河内守がいた。朝田は城下のはずれにある射場(イバ)の責任者で、そこにも五十人の修行者を置くつもりでいた。
夢庵がここにいるのは変な事だったが、本人は気に入っているようだった。太郎は自分の屋敷内に、夢庵のための部屋を用意したのに、一晩いただけで、また、こっちに戻ってしまった。
夢庵は不思議な術を身に付けていた。棒術の一種で、六尺の棒を使うのではなく、三尺の棒を二本使う術だった。剣術において二刀を使うのと似ているが、棒でなければできない技もあった。夢庵はその術を京の鞍馬山(クラマヤマ)の山伏に習ったという。
夢庵は公家の中院(ナカノイン)家に生まれた。中院家は和歌を家業とする家柄で三大臣家(オオミケ)と呼ばれ、正親町(オオギマチ)三条家、三条西家と共に清華家(セイガケ)に継ぐ家格で、代々、大臣職に就いていた。村上天皇を祖とする源氏であり、赤松氏、北畠氏とは同じ流れであった。
京の公家の世界には古くから京流と呼ばれる武術があった。京流は鞍馬山の山伏から生まれ、公家たちの間に伝わり、古くは御所を護衛する者たちが身に付けて実戦の中で使われていたが、武士たちが台頭して公家の力が弱まるにつれて、京流の武術は個人的な護身の術になって行った。甲冑を身に付けない公家たちが自分の身を守るための武術だった。夢庵が子供の頃、その京流の武術はほとんど形だけが残っていて、踊りのようになり、実際に役に立つとは言えないものだった。ただ一つ、京流の中の吉岡流だけは当時も盛んで、将軍家の兵法(ヒョウホウ)指南となっていたが、吉岡流は武術よりも軍学が中心だった。
夢庵は子供の頃からフラフラと旅に出るのが好きだった。十五、六歳の頃、家を抜け出して一人で近江に旅に出た時だった。その時、山賊に会い、ひどい目にあった。命だけは何とか無事だったが、身ぐるみを剥がされ裸同然の姿で家に帰った。それは気位(キグライ)の高い夢庵にとって屈辱的な事だった。
夢庵は強くなろうと決心し、父親に頼んで吉岡兵法所に入る事ができた。しかし、用兵術や戦術を机上(キジョウ)で教えるだけで、剣術は教えてくれなかった。夢庵が剣術を教えてくれと頼むと、師範は勿体ぶって戦術を頭に入れてから実戦を教えると言った。
夢庵は兵法所を飛び出して鞍馬山に登った。
鞍馬山には昔、源義経が天狗から剣術を習ったという伝説があった。天狗というのは山伏の事だった。夢庵も義経のように鞍馬山の山伏から武術を習おうと勇んで山に登った。鞍馬山は大勢の信者たちが山伏に連れられて登っていた。夢庵は天狗の住む人気のない所を想像していたが、山の中の鞍馬寺は予想に反して賑やかだった。参道を行き来する山伏たちも武術の名人というよりは、ただの道案内に過ぎなかった。薙刀を構えた僧兵はかなりいたが、夢庵の考えていた天狗像とは全然、違っていた。
夢庵は失望しながら鞍馬寺をお参りした。そのまま帰ろうと思ったが、せっかく来たのだからと義経の伝説のある僧正(ソウジョウ)ケ谷に向かった。さすがに、その辺りまで来ると人影もなく、今にも天狗が現れそうな雰囲気があった。
夢庵はそこで天狗が出て来るのを待った。夢庵には生れつき気長な所があった。比較的のんびりとした公家社会で育ったため、何もしないで長時間いる事は苦痛ではなかった。旅に出て景色のいい所に行った時など、時が経つのも忘れて暗くなるまで、ずっと景色を眺めている事が何度もあった。僧正ケ谷に来た時もそうだった。夢庵は石の上に座り込んで、ずっと、天狗が現れるのを待っていた。
夢庵は三日間、何も食わずにそこにいた。
三日目にとうとう天狗が現れた。それは、ただの山伏だったが夢庵には天狗に見えた。
その山伏は僧正ケ谷の先にある奥の院にいる山伏で、鞍馬寺への行き帰りに夢庵の姿を見ていた。初日は夢庵の事など気に掛けなかった。二日目、同じ場所にいる夢庵を見ながら、一体、あんな所で何をしているのだろうと思った。しかし、声も掛けずに通り過ぎた。三日目、まだ同じ場所にいる夢庵を見て、山伏はぞっとなった。もしかしたら、義経の霊かもしれないと思った。山伏は夢庵を横目で見ながら鞍馬寺の方に去って行った。夕方、鞍馬寺から奥の院に向かう山伏は、まだ、そこにいる夢庵の姿を見て、恐る恐る近づいて声を掛けた。
夢庵は顔を上げて山伏を見ると急にニヤッと笑った。
山伏は恐れて太刀に手を掛け、抜こうとした。
夢庵は山伏に、「剣術を教えて下さい」と言った。
山伏は益々怪しみ、義経の幽霊に違いないと思った。
夢庵は座っていた石から下りると山伏に頭を下げた。
「お願いです。わたしに剣術を教えて下さい」
山伏は太刀を構えたまま夢庵に名を聞いた。
夢庵は本名を告げた。
山伏は夢庵の父親を知っていた。知っていたといっても名前を知っている程度だったが、名門である中院家の御曹司(オンゾウシ)が、どうして、こんな所に三日もいるのか訳を聞いて山伏は夢庵を奥の院に連れて行った。その山伏に紹介されたのが、例の棒術を使う賢光坊(ケンコウボウ)という山伏だった。夢庵は賢光坊について一月余り修行を積み、二本の棒を使う棒術を身に付けた。
その棒術は賢光坊が編み出した術だったが、まだ、完成していなかった。賢光坊はある日、武士と戦い、六尺棒を真っ二つに斬られ、仕方なく斬られた二本の棒を使って武士を倒した。その時はとっさの事で無意識に二本の棒で戦ったが、後で考えてみると、これはなかなか使えると思い、その技の工夫するために鞍馬山に帰って来た。その工夫をしている時、夢庵と出会い、夢庵を稽古相手に工夫を重ねた。
賢光坊の棒は普段は六尺で、中央から二つに割れるような仕掛けがしてあった。敵と戦う場合、初めは六尺棒として戦い、途中から二つに分ける。そんな仕掛けを知らない敵は不意を突かれて敗れるという具合だった。
夢庵も鞍馬山を下りた後、そんな六尺棒を杖代わりに持ち歩いていた。そのうち、自分の身を守るだけなら二本の棒は必要ないと思うようになり、棒の代わりに脇差を持ち歩くようになっていた。
夢庵は鞍馬山で棒術を身に付けて以来、自分に自信を持ち、一人でどんな所でも行けるようになったが、実際、その棒術を使って誰かを倒したという事はなかった。太郎と出会って、太郎の強さを聞き、久々に武術に興味を持って、太郎の弟子を相手に稽古に励んでいた。
夢庵は今まで自分の強さがどれ程なのか知らなかった。それを試すのにもいい機会だった。夢庵は八郎を相手に久し振りに二本の棒を持って打ち合った。
勝負は互角だった。
八郎は勿論の事、見ていた光一郎、五郎も驚いていた。夢庵がそれ程の腕を持っていたとは誰もが信じられなかった。毎日、ブラブラしていて、のんきに歌を歌っている夢庵が、これ程強かったとは思いもよらない事だった。しかも見た事もない術だった。二本の三尺棒を両手に持ち、片方の棒で相手の木剣を押えておいて、もう一本の棒で相手を打つ。もし、八郎が相手でなかったら簡単にやられていた所だった。
太郎もその話を聞き、夢庵の棒術と打ち合った。勿論、太郎の勝ちだったが、太郎は夢庵の棒術から学ぶべきものがあると感じ、自分も同じ物を作って色々と工夫して、陰流に取り入れる事にした。
夢庵は自分の腕を試した後、武術道場に住み着いて、八郎と光一郎から陰流の剣術を習っていた。今の所、特に行くべき所はないし、太郎と出会ったのも何かの縁だろう。ここにいる間に剣術を身に付けようと思っていた。
夢庵は何かに熱中すると、とことんやるという性格だった。
まず、最初に熱中したのはお家芸である和歌だった。和歌に熱中したあまり、和歌の舞台になった地を自分の目で見たくなって旅に出た。
次に熱中したのは女だった。気に入った女のもとに通い続けたり、遊女屋に泊まり続けたり、女と一緒にいない夜はない程、女に狂っていた。
次が棒術。一月余り鞍馬山で修行した後も、一年近くは棒術に熱中していた。
その次に熱中したのは笛だった。夢庵は徳大寺家に通って笛を習った。
次はお茶で、村田珠光(ジュコウ)の弟子となって侘(ワ)び茶と唐物(カラモノ)の目利きを習い、さらに、香道(コウドウ)を志野宗信(ソウシン)に習い、連歌は心敬(シンケイ)に学び、その他、流行り歌や絵にも凝った事もあった。
公家の名門に生まれたため、食べる事の心配はしなくて済んだ。長男に生まれなかったため、好きな事をやる事ができた。元々、器用なのか、興味を持った物は何でも身に付ける事ができた。その身に付けた芸が身を助ける事となり、戦で京を離れる事になっても、各地の大名たちから歓迎されるという具合だった。
そして、今、夢庵は陰流に凝っていた。夢庵は太郎の弟子たちから陰の術も学んでいた。太郎の直接の弟子ではないにしろ、陰流を身に付けた夢庵は弟子と同じようなものだった。
そんな夢庵がひょっこりと太郎のいる月影楼に現れた。夢庵は太郎のいる隠し部屋の仕切りまで来ると中に声を掛けた。
夢庵は太郎の事を太郎坊殿と呼んでいた。それは、夢庵が太郎の事を赤松家の一人として見ているのではなく、同じ芸術家の一人として太郎を見ているのだった。夢庵が本名を名乗らず、庵号を名乗っているのと同じく、太郎も坊号で呼んでいたのだった。
太郎は夢庵の声を聞くと、何事だろうと顔を出した。
「ちょっと話があるんじゃが、いいかのう」と夢庵は言った。
「はい。構いませんが‥‥‥上に行きましょう」
二人は二階に上がった。太郎は南の板戸を開けた。風はそれ程入って来なかった。
夢庵は腰を下ろすと、まだ、何も描いてない壁を見ながら、「絵師を連れて来るんだったな」と言った。
「急がなくてもいいですよ」と太郎は言った。
「いや、これじゃあ、せっかくの楼閣が台なしじゃ。誰かを連れて来よう」
「お願いします。ところで、話とは何です」
「実はのう。そろそろ、ここから出ようと思っておるんじゃ」
「どこかに行かれるんですか」
「ああ。長い事、世話になったのう。おぬしに会えて本当によかったと思っておる。陰流も身に付けたしな。もう、怖い者なしじゃ」
「どこに行かれるのですか」
「近江じゃ。近江の甲賀じゃ」
「甲賀? 甲賀に用でもあるのですか」
「ああ、宗祇(ソウギ)殿が、そこにいるという事が分かったんじゃ」
「宗祇殿?」
「連歌師じゃ。わしは宗祇殿の弟子になるつもりじゃ」
「連歌師ですか‥‥‥」
「宗祇殿は今、連歌師の最高峰なんじゃ。わしは以前から宗祇殿に色々と教わりたかった。しかし、東国の方に旅に出ていて、どこにおるのか分からなかったんじゃ。それが、最近になって、甲賀柏木の飛鳥井殿の屋敷に滞在しておる事が分かったんじゃ。わしは会って弟子にして貰うつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥甲賀の柏木と言えば飯道山の近くです」
「飯道山というと、そなたが年末に陰の術を教えに行く山じゃな」
「はい。今年ももう少ししたら行く事になります」
「向こうでまた会えるかもしれんな」
「はい。飯道山に行ったら訪ねて行きますよ」
「いや、わしの方から行こう。わしもその飯道山というのを一度見たいしな」
「それで、いつ、出掛けるのです」
「このまま、出掛けようと思っておる」
「えっ、今すぐですか」
夢庵は頷いた。
「そうですか‥‥‥」
太郎は引き留めても無駄だと思った。しかし、このまま別れるのは残念だった。太郎としては夢庵を送るために宴を開きたかったが、夢庵がそういう事を好まないのは知っていた。
「夢庵殿、せめて、楓にだけは出て行く事を言って下さい。楓も色々とお世話になりましたから」
「わしは何もしてはおらん‥‥‥が、分かった」
「また、来て下さい」
「近江で会おう」
そう言うと夢庵は立ち上がって、回廊に出て城下を見渡した。
「今度、来る時には、ここも賑やかに栄えている事じゃろうのう」
太郎も回廊に出て城下を見た。
「不思議な事です。何もなかった所に、こんな町が出現するなんて‥‥‥」
「確かにのう‥‥‥」
夢庵は部屋に戻ると、下に降りる階段の方に向かった。
「楓殿には挨拶して行く。そなたはそのままでいてくれ」
「飯道山で会いましょう」と太郎は階段を降りて行く夢庵の足音に向かって言った。
太郎は三階に登って自分の屋敷を見下ろした。しばらくして、夢庵が楓と楓の侍女たちと一緒に庭に出て来た。夢庵は廐から金色の角を持った牛を連れて来ると、月影楼を見上げて太郎に手を振った。太郎も手を振り返した。
夢庵は楓に何かを喋ると牛に乗って門から出て行った。
太郎は月影楼から、のんびりと歩く牛を見守っていた。
夢庵の姿が見えなくなるまで、太郎はずっと見送った。
夢庵の姿が見えなくなると太郎は板戸を閉めた。下に降りようとした時、床の間の掛軸が目に入った。
夢庵の書いた『夢』という字だった。
「夢か‥‥‥」太郎は独り呟き、夢庵らしいと思った。
太郎は床の間の前に座り込むと、しばらく、夢という字を見つめていた。
5
雪が降っていた。
あっと言う間に、辺り一面、真っ白になってしまった。
この雪は根雪になるかも知れなかった。
銀山の作業は雪のため春まで中止となり、人足たちは冬の間は炭焼きをする事となっていた。山を下りる事は許されなかった。銀山開発は赤松家にとって絶対に極秘にしなければならない事だった。銀山に携わった職人や人足たちは常に見張られ、山から逃げ出せば殺されるという事となった。太郎はそんな事をしたくはなかったが仕方がなかった。
銀山奉行の小五郎は冬の間に、来年の開発計画を練るため、おさえを連れて大河内城下の太郎の屋敷に移った。長老とおせんは銀山を守るため山に残り、助太郎と助五郎は長老を守るため山に残った。助六郎と小三郎の二人は、十八歳になったおちいとおまると夫婦になって城下の小太郎の屋敷に移り、助四郎はおこんを連れて銀太の屋敷に移っていた。
生野も雪で埋まり、置塩城下から助っ人に来ていた兵は皆、引き上げ、大沢播磨守と小川弾正忠の率いる百人足らずの兵が守っていた。
太郎は楓と二人で月影楼の三階から雪の降る城下を見下ろしていた。
「綺麗ね」と楓が言った。
「ああ。長い冬の始まりだ」
「いよいよ、明日、出掛けるの」
「うん」と太郎は頷いた。
「今年は誰を連れて行くの」
「光一郎を連れて行く」
「親子の再会をさせるのね」
「そういう事だ。久し振りだな、師匠に会うのは」
「百日行をしてるんですって?」
「らしいな。師匠もよくやるよ。伊勢新九郎殿も一緒だそうだし、栄意坊殿も飯道山にいるらしいし、みんなと会える。楽しみだよ」
「久し振りだもんね」
「会ってみないと分からないけど、師匠に、ここを見てもらおうと思ってるんだ」
「みんな、連れて来てよ。あたしも会いたいわ」
「うん。何としてでも連れて来るよ」
九月の初め、松恵尼と一緒に飯道山の祭りに帰った金勝座が戻って来て、向こうの状況を太郎たちに知らせてくれた。
太郎は師匠に会いたかった。以前、師匠を捜しに大峯山に登った時よりも、今の太郎は一回りも二回りも大きくなっていた。あの時の自分は惨めだった。師匠にすがる思いで、師匠を捜していた。結局、師匠には会えなかった。あの時、会えなくてよかった、と今の太郎は思っている。そして、今、ようやく、師匠と会える時が来た。自分の成長振りを堂々と師匠に見て貰いたかった。
「ねえ、あなたのお弟子さんの中で、誰が一番、陰の術、得意なの」と楓は聞いた。
「そうだな‥‥‥五郎かな」
「五郎さん‥‥‥五郎さんも大変ね。一遍に三人の子供を持っちゃって。でも、しっかりした人みたいだから安心ね」
「お前、五郎の嫁さんに会ったのか」
「ええ、ちょっとね。挨拶に行ったのよ」
「そうか‥‥‥」と言いながら、太郎は楓を横目でちらっと見た。
「ねえ、五郎さんて、あなたを仇と狙っていたはずでしょ。もう、やめたの」
太郎はほっとして、「さあな」と首を振った。「聞いた事はないが、どう思ってるんだろうな」
「家族を持ったら仇討ちどころじゃないわよ。きっと、あなたが悪かったんじゃないって気づいたんじゃない」
「そうだといいんだけどな」
楓は部屋の中に目を移し、床の間の掛軸を見ながら座り込んだ。
「ねえ、夢庵さんと会って来るの」
「ああ。せっかくだからな。夢庵殿が飯道山に来るって言っていたけど、来なかったら、こっちから訪ねて行くさ」
「何してるのかしら」
「連歌に熱中してるんじゃないのか。何もしないでブラブラしてるかと思うと、一つの事に熱中して、とことんまでやる人だからな。夢庵殿があんなにも剣術に熱中するなんて思ってもいなかったよ」
「夢庵さん、強いんですって?」
「ああ、強いな。最初見た時、あんな格好でウロウロしてるからには少しはできるな、とは思ったけど、あれ程の腕を持っていたとは知らなかった」
「また、ここに来てくれるかしら」
「忘れた頃に、例の牛に乗って、ひょっこりと現れるんじゃないのか」
「そうね‥‥‥ねえ、あなたの夢って何なの」
「俺の夢? 俺の夢は陰流を完成させて、それを広める事だな」
「戦をするために?」
「いや、そうじゃない。俺の陰流は戦のためじゃない」
「じゃあ、何のため」
「夢庵殿の剣と同じさ。身を守るためと、後は‥‥‥」
「後は‥‥‥」
「無益な争いを避けるためだ。自分の強さが分かれば、敵を殺さなくても済む」
「でも、戦になったら敵を殺さなくてはならないんでしょ」
「まあ、そうだな。戦は個人の戦いと違うからな。殺さなけりゃならない」
「あなたの陰流によって、死ぬ人もいるのね」
「それはしょうがないだろう。皆、必死だからな。負ければ、すべてを失う事になってしまう」
「そうね。再興される前の赤松家のように、この世から消えちゃうのね‥‥‥」
「楓、お前の夢は何なんだ」
「あたしの夢‥‥‥ここに来るまでは、松恵尼様の跡を継いで孤児院をやって行こうと思ってたの。でも、こっちに来てから分からなくなったわ。こんなお屋敷に住んで、侍女に囲まれて暮らしていると、花養院にいた頃の事が嘘のように思えて来るの。このままではいけない。何かをやらなければならないとは思うんだけど、何をやったらいいのか分からないわ」
「今は百合の事だけ考えていればいい。百合がもう少し大きくなったら、孤児院でも何でも始めればいいさ。天から授かった今の地位を逆に利用すればいいのさ。何かをやろうと思えば、今なら何でもできる。俺は自分の道場を持つ事ができたし、こんな楼閣も持つ事ができた。お前も何かをやろうと思えば何でもできるさ」
「そうね‥‥‥」
「俺は今まで通り、ここの殿様だけでいるつもりはない。太郎坊という山伏にもなるし、三好日向という仏師(ブッシ)にもなるつもりでいるんだ。ただの武士にはならないよ」
「そうね。あたしも、もう一人の自分を作ろうかしら」
「そうさ。こんな所に籠もっていたら本当におかしくなっちゃうぜ。回りが見えなくなってしまうよ」
「ねえ、鬼山銀太様のお屋敷にいる、おきささんていう人、綺麗な人ね」と楓は突然、話題を変えた。それは、太郎にとって不意打ちだった。
「えっ?」と言いながら、太郎は楓を横目で見た。
楓は夢庵が書いた掛軸を見つめていた。
「千太郎って男の子がいたわ」
「‥‥‥知ってたのか」と太郎は覚悟を決めて聞いた。
「松恵尼様が来た時、一緒に城下を歩いて色んな所に挨拶に行ったの。そして、偶然に会ったのよ。あたし、びっくりして、どうしたらいいのか分からなかったわ。でも、松恵尼様が一緒にいたので助かったの。おきささんから訳を聞いたわ‥‥‥松恵尼様は、あなたには黙っていた方がいいって言ったわ‥‥‥」
太郎は楓の前に座ると、「悪かった」と謝った。「あの時は仕方なかったんだ」
「聞いたわ‥‥‥おきささんが、みんな話してくれたわ‥‥‥」
「話そうと思ったが話せなかった‥‥‥」
「あの人、このお屋敷に入れるつもりなの」
太郎は首を振った。「いや。それはできない。その事はおきさも分かってくれている」
「あの子も、ずっと、あそこに置いておくつもりなの」
「仕方がない‥‥‥」
「どうして、隠してたの」
「言えなかったんだ‥‥‥」
「そう‥‥‥」
「怒ってるのか」
「怒ってるわ‥‥‥どうしょうもない位、怒ってるわ」
「だろうな‥‥‥」
「罰として、あたしに陰の術を教える事」と楓は言った。
「許してくれるのか」
「陰の術を教えてくれるまで、許さないわ」
「分かった。教える。しかし、陰の術を習ってどうするつもりなんだ」
「あなたをこっそり尾行するのよ」
「何だって」
「嘘よ。あたしねえ、女だけの兵隊を作ろうと思ってるの」
「女だけの兵隊? 女武者という奴か」
「そう。でも、戦を実際にするんじゃなくて敵情視察をするのよ」
「女を使ってか」
「そう。男にはできない事でも、女ならできるっていう事あるでしょ」
「まあ、それはそうだが‥‥‥」
「あなたは知らないでしょうけど、金勝座の助六さんとあたし、とても仲良しになったのよ。助六さんから色々と話を聞いたの。それでね、二人で松恵尼様みたいに女たちを使って情報集めをしようって決めたのよ」
「助六さんと二人でか‥‥‥」
「そうよ。それには、まず、あたしが陰の術を身に付けて、そうだ、助六さんも一緒の方がいいわ。ねえ、二人に陰の術を教えて。いいえ、罰として絶対に教えるのよ」
「分かった。飯道山から帰って来たら、さっそく教えるよ。そうだな、正月は何かと忙しいから二月だな、二月に一ケ月間、みっちりたたき込んでやるよ」
「絶対よ」
太郎は頷いた。
「楓、今晩はここで寝ようか」
「そうね、一ケ月間、お別れだもんね。罰として、今晩は寝せないから」
「参ったな」
「参ったじゃないのよ」と楓は太郎を睨みながら、太郎にもたれて来た。
「はい、はい。楓御料人(ゴリョウニン)様」と太郎は楓の体を膝の上に横たえた。
楓は太郎を見つめて笑っていた。
太郎も楓を見つめながら笑った。
外では、雪が静かに降っていた。
あっと言う間に、辺り一面、真っ白になってしまった。
この雪は根雪になるかも知れなかった。
36.再会その二
1
夕べ降った雪が、五寸程、積もっていた。
人の足跡など、まったくない奥駈け道を、朝日を浴びながら山伏姿の早雲が歩いていた。
今日で七十二日目だった。
蓮崇は、まだ歩き続けていた。
髭は伸び、髪は伸び、腰の回りの余計な肉はすっかりなくなり、昔の蓮崇の面影はまったくなかった。目がギラギラと輝き、野生の獣を思わせるような張り詰めた雰囲気が回りに漂っていた。
一番先を歩く早雲も変わって来ていた。
初めの頃、一休禅師の幻と戦いながら俯き加減で歩いていた早雲も、今は晴れ晴れとした顔付きで、回りの景色を眺めながら余裕を持って歩いていた。
本物の禅とは何か、という問題に囚われていた早雲だったが、その答えが出ていた。
百日行も一歩一歩の積み重ね。
毎日の暮らしも一瞬一瞬の積み重ね。
一瞬一瞬をおろそかにしないで生きていければ、それでいいのではないか‥‥‥
形はどうでもいい。坊主であってもいいし、坊主でなくてもいい。禅であってもいいし、念仏であってもいい。
自然のように無理なく、あるがままでいればいい。
女に関しても無理に抑える事なく、自然に任せて、抱きたくなったら抱けばいい。ただ、その女に心を囚われる事があってはならない。女だけでなく、地位とか、銭とか、物とか、どんな物や事にも心を囚われてはならない。
一瞬一瞬、何事にも囚われないで、常に自由自在の境地でいられればいい。
早雲は一瞬、一瞬、一歩、一歩を楽しみながら自然の中を歩いていた。
阿星山から金勝山に向かう途中だった。
早雲は妙な物を目にして立ち止まった。
岩の上に天狗が座っていた。
幻でも見ているのだろうか、と早雲は目をこすった。
天狗の姿は消えた。消えたと思ったら、今度は違う岩の上に現れた。
どちらの岩も簡単に登れるような岩ではないし、一瞬のうちに移動など、できるはずがなかった。朝っぱらから狐か狸に化かされているのだろうか、と早雲はまた目をこすった。
天狗はまた消え、また別の岩に移動した。
一体、どうした事だ。
すっかり迷いが晴れて、いい気持ちでいたのに、今頃になって幻を見るとは‥‥‥
早雲はその場に座り込んで、天狗を睨みつけた。
天狗は何も言わず、早雲を見ては、あちこちの岩に移動していた。
蓮崇がやって来て、道に座り込んでいる早雲を見た。
早雲は首で天狗の方を示した。
蓮崇も天狗を見た。
一瞬のうちに違う岩の上に移動する天狗を見て、蓮崇も自分の目を疑った。
風眼坊がやって来て、早雲と蓮崇を見、二人が見ている天狗に目をやった。
「小太郎、いつから、あんな物が出るようになったんじゃ」と早雲は風眼坊に聞いた。
風眼坊は天狗を見ながら笑っていた。
「何が、可笑(オカ)しい」
「太郎じゃ」と風眼坊は言った。
「太郎?」
「ああ。おぬしも知っておろう。愛洲の太郎じゃ」
「なに、あいつか‥‥‥あんな凄い事ができるのか」
「なに、簡単な事じゃ。天狗が二人おるんじゃ。もう一人はわしの伜じゃ」
風眼坊は天狗に向かって、「久し振りじゃのう。太郎と光一郎、出て来い」と言った。
岩の上に二人の天狗が現れた。天狗は面を外した。
「お久し振りです。師匠」
「お久し振りです。父上」
太郎と光一郎は岩から降りると奥駈け道にやって来た。
風眼坊は蓮崇を先に行かせた。
話す事はお互いに、いくらでもあった。
太郎と光一郎は金勝山まで一緒に歩くと別れた。
その日は花養院に行って、松恵尼と会い、楓と子供たちの事を話し、その後、望月三郎と久し振りに会って、夜になってから飯道山に登り、風眼坊たちのいる吉祥院に顔を出した。
吉祥院の一室で、太郎と光一郎は風眼坊と早雲に会った。蓮崇は吉祥院の中の修徳坊で、修行中の山伏と共に読経をしていた。
修徳坊は以前、太郎が世話になっていた宿坊だった。
「ここに来るのも久し振りです」と太郎は言った。
「久し振り? 毎年、年末にはここに来るんじゃろう」
「いえ。最初の一年間はここにおりましたが、その後、ここには泊まっておりません」
「どこの世話になっておるんじゃ」
「山の中から通ってるんです。いい所があるんです。後で、師匠にも教えます」
「ほう、山の中に岩屋でもあるのか」
「凄い岩屋ですよ」と光一郎が言った。「父上も見たらびっくりするでしょう」
「そいつは楽しみじゃのう」
「百日行はいつ終わりますか」と太郎は聞いた。
「十二月の十九日が満願じゃ」
「十九日ですか。それが終わったら播磨に来てくれませんか。今、新しい城下町を作っておるんです。まだ、完成はしてませんが、いい所ですよ」
「そのつもりじゃ。新九郎と一緒に行くつもりじゃったんじゃ」
「そうですか。それはよかった。楓も会いたがっております」
「子供が二人もおるそうじゃのう」
「はい。男の子と女の子です」
「太郎よ」と早雲が言った。「しかし、立派になったもんじゃのう」
「あの時は随分とお世話になりました」と太郎は笑いながら頭を下げた。「でも、京に着いた途端にいなくなっちゃって、あれから大変だったんですよ。右も左も分からないし、京という所は恐ろしい所でした」
「あの時の相棒はどうした」
「あの時、別れたきり会っておりません。堺に行くと言って別れました。わたしは一人、逃げるようにして故郷に帰って来ました。そして、山の中で剣術の稽古をしている時、師匠と出会ったのです。今のわたしがあるのも、お二人のお陰です。お二人に会わなければ、今頃、水軍の大将になっていたかも知れませんが、世の中の事など全然分からず、狭い世界の中で生きていた事でしょう」
「しかし、不思議な縁じゃな。京で別れて、こんな所で再会するとはのう」
「縁というのは本当に不思議です。会いたいと思っても、会えない時はどうしても会えないし、会える時は無理をしなくても自然に会う事ができます」
「大峯に来たんだってのう」と風眼坊が言った。
「はい。山の中を捜し回りました」
「奥駈けは歩いたか」
「熊野の本宮まで行って、また戻って来て、あちこち捜し回りました」
「丁度、入れ違いだったんじゃ」
「はい。仕方なく、諦めて、笙(ショウ)の窟(イワヤ)に籠もって、座り込んでから帰って来ました。
「笙の窟か‥‥‥確か、あの頃、あそこで千日行をしておる聖人がおらなかったか」
「おりました。丁度、満願の日に立ち会う事ができました」
「そうか、見事に千日行をやり遂げたか‥‥‥」
「はい。満願の日、妙空聖人殿は座ったまま成仏(ジョウブツ)なされました」
「なに、座ったまま亡くなったのか」
「はい。穏やかな顔をして成仏なさいました。聖人様は今、窟の側の土の中で眠っております」
「そうか、あの聖人様は成仏したのか‥‥‥」
栄意坊がやって来た。
「よう、太郎坊、久し振りじゃのう」と大声で言いながら入って来たが、太郎には分からなかった。
「栄意坊じゃよ」と風眼坊が言った。
「栄意坊殿‥‥‥どうしたんです。髭がないから分かりませんでしたよ」
「はっはっは、人間、時が経てば変わるもんじゃ」
「女ができたんじゃ」と風眼坊は説明した。
栄意坊は太郎の側に座り込むと、「何年振りじゃ。確か、百地(モモチ)の弥五郎の所、以来じゃのう。いや、懐かしいのう」
風眼坊は栄意坊に伜の光一郎を紹介した。
「ほう、おぬしにこんな立派な息子がおったとは驚きじゃのう。親父よりでっかいんではないか」
「ああ。わしよりも背が高いわ」
「ふーん。火乱坊の伜といい、おぬしの伜といい、伜がこんなに大きくなっちゃあ、わしらは年を取るわけじゃ」
「そうじゃな。年の経つのは早いもんじゃ」と早雲も言った。
「太郎、殿様になったそうじゃのう」と栄意坊は言った。
「殿様だなんて‥‥‥小さな城の主です」
「小さな城でも大したもんじゃ。大きな屋敷で暮らしておるんじゃろう」
「ええ、まあ」
「栄意坊殿も一度、播磨に来て下さい」
「お前も行くか」と風眼坊は栄意坊に言った。「わしら、百日行が終わったら、太郎と一緒に播磨に行くんじゃが、お前も行かんか」
「うむ、行きたいが無理じゃのう。わしはここに来たばかりじゃからな。正月の一番忙しい時期に抜けるわけにはいかんのじゃ」
「そうか、正月だったのう。来年の正月は太郎のもとで迎える事になりそうじゃの」
「はい。大歓迎です」
百日行の最中なので、一緒に酒を飲むわけにもいかず、太郎と光一郎は栄意坊と共に山を下り、栄意坊が是非、うちに寄って行けと言うので、栄意坊のうちに行って、三人で昔話をしながら酒を飲んだ。
栄意坊の妻は落ち着いた感じの小柄な美人だった。栄意坊が大男なので余計に小さく見えたが、仲のいい夫婦だった。
太郎と光一郎は栄意坊と遅くまで酒を飲み、その晩は泊めて貰った。
風眼坊が百日行をしている間、お雪は花養院の孤児院の子供の面倒を見ていた。
蓮崇の連れの弥兵は、松恵尼の屋敷にいる義助(ヨシスケ)のもとに預け、義助と共に畑仕事や屋敷の留守番をしていた。
松恵尼は九月十三日に、金勝座と一緒に播磨の太郎の所から飯道山に帰って来た。
次の日から飯道山の祭りが始まり、門前町は賑やかだった。
松恵尼は花養院に戻って来て、子供たちと遊んでいるお雪を見て、仲恵尼に、誰なのと聞いた。
仲恵尼は、あの娘は風眼坊のおかみさんだ、と言った。風眼坊が今、お山で百日行をしているので預かっている。なかなか腕のいい医者で、子供たちの面倒もよく見てくれていると説明した。
「風眼坊殿のおかみさん?」と松恵尼は聞き返した。
「はい。ちょっと若過ぎる感じですけど、なかなか、いい娘ですよ。子供たちもすっかりなついています」
「そう‥‥‥」と言いながら、松恵尼は庫裏の縁側からお雪を見ていた。
風眼坊は一体、どういうつもりなんだろう、と思った。熊野に奥さんがいるくせに、あんな若い娘を奥さんとして連れて来るなんて。しかも、わたしの所へ‥‥‥
「風眼坊殿が百日行をしてるんですって」と松恵尼は仲恵尼に聞いた。
「はい。まだ、始めたばかりです。今日で六日目かしら」
「どうして、また、百日行なんて始めたの」
「それが、詳しい事は分からないんですけど、お連れの方が急にやりたいと言い出したらしいんです。それで、風眼坊殿と早雲殿が付き合って一緒にやってるみたいですよ」
「えっ? 早雲殿も一緒なの」
「はい」
「それで、お連れの方っていうのは?」
「本願寺のお坊さんのようです」
「本願寺のお坊さんが百日行を?」松恵尼は訳が分からないといった顔をして仲恵尼を見た。
「何でも、本願寺を破門になって、今度、山伏になるんだとか‥‥‥」
「何だか、よく分からないわね」
「お雪さん、呼びましょうか。お雪さんなら詳しい事情を知ってると思いますけど」
「えっ? ええ、そうね。呼んで貰おうかしら」
松恵尼はお雪と対面した。
何となく、変な気持ちだった。
お雪は楓よりも若そうだった。松恵尼から見れば、娘と言ってもいい程の若さだった。当然、風眼坊から見ても娘のように若い娘だった。どうして、風眼坊が、こんな若い娘なんかを連れて来たのか理解できなかった。
松恵尼は自分を抑えようとしていたが、嫉妬の気持ちを抑える事はできなかった。それでも冷静を装って、お雪の口から、風眼坊がどうして百日行を始めたのか、その理由を聞いた。
お雪は松恵尼を見ながら、素直に綺麗な人だと思った。しかし、今日は、何となく、機嫌が悪そうだという事も感じていた。つんと澄まして庭の方を見ている松恵尼に、お雪は事の成り行きを説明した。
黙って話を聞いていた松恵尼は、お雪の話が終わると、お雪の方を見て、「と言う事は、急に百日行をする事になったというわけなのね」と聞いた。
「はい。本当は播磨の国に行く予定でした。ところが、急に蓮崇様が先生のお弟子さんになりたいと言い出して、百日行をする事になったのです」
「それに、早雲殿も付き合っているのね」
「はい」
「それで、あなたをここに預けたのね」
「はい。松恵尼様、わたしをここに置いて下さい。お願いします」
「他に行く所はないんでしょ」
「はい」
「仕方ないわね‥‥‥しっかり、子供たちの面倒を見るのよ」
「はい。ありがとうございます」とお雪は頭を下げた。
松恵尼はお雪を見ながら、どうして、わたしが風眼坊の女の面倒を見なけりゃならないの、と腹を立てたが口には出せなかった。
播磨にいた時、太郎に新しい女ができた事を知って、じっと我慢しなけりゃ駄目よ、と楓に言い聞かせて来たばかりだった。まさか、自分が楓と同じ立場になるなんて思ってもみない事だった。
松恵尼は風眼坊の妻ではない。風眼坊がどこで、どんな女と付き合おうが、松恵尼は平気だった。自分が知らない所で、知らない女と付き合おうが、そんな事は関係なかった。しかし、ここに女を連れて来るなんて許せなかった。しかも、その女の面倒まで見させるとは絶対に許せなかった。腹の中は風眼坊に対する怒りで煮え繰り返っていた。
その日はそれだけの会話で終わった。次の日からは祭りの準備で忙しく、お雪の事など構っていられなかった。
祭りも終わり、一段落した頃、松恵尼は再び、お雪を呼んだ。
お雪は花養院の近くの家に、仲恵尼と一緒に暮らしていた。太郎と楓が一緒になって初めて暮らした家の隣の家だった。
松恵尼はお雪が現れると、今度はお雪の身の上を聞いた。
松恵尼はお雪の顔を見ていると、また、風眼坊に対する怒りが涌き上がって来るのを抑える事ができなかった。なるべく、お雪の顔を見ないように冷静を装って話を聞いていた
お雪の身の上は予想もしていなかった程、悲惨なものだった。そして、お雪を地獄から救ったのが風眼坊だったと聞いて、お雪の気持ちも分かるような気がした。
お雪には頼れる人は風眼坊しかいなかった。風眼坊はお雪を地獄から救ってくれただけでなく、新しく生まれ変わったお雪の生き方までも教えたのだった。お雪にしてみれば、風眼坊は掛け替えのない恩人であり、尊敬のできる男だった。尊敬の念が、いつしか愛情に変わったのは当然の成り行きだった。お雪にとって風眼坊のいない世界は考えられず、風眼坊としても、お雪一人を加賀に置いて来る事はできなかった。
松恵尼はお雪の身の上を聞いて、お雪に同情し、お雪を地獄から救った風眼坊を偉いと思った。頭では二人の関係を理解する事ができても感情は別だった。お雪の身の上を聞いた後でも感情を抑える事はできなかった。
お雪はよく子供たちの面倒を見ていた。病気の治療も適切だった。子供たちからも好かれ、一緒に働いている尼僧や近所の女の子たちの評判もよかった。松恵尼もお雪の事を認めていたが、心のわだかまりを取る事はできなかった。
百日間は長かった。
毎日、お雪を見ているうちに松恵尼の心のわだかまりも少しづつ溶けて行った。
お雪は風眼坊と松恵尼の関係を知らない。そして、お雪には何の悪い所もなかった。お雪に当たるのは筋違いだった。一緒に暮らしている仲恵尼から、お雪は百日行をしている風眼坊の身を案じて、毎日、念仏を唱えているという。仲恵尼が、風眼坊は何度も百日行をしているから心配ないと言っても、心配そうな顔をして風眼坊の身を案じている。その姿はいじらしい程だという。風眼坊はあんないい娘にそれ程までに思われて果報者だと仲恵尼は言った。松恵尼は自分の心に素直に生きているお雪が羨ましかった。自分には決して真似のできない事だった。
松恵尼はお雪に負けたと感じていた。
松恵尼はお雪を呼んだ。
「雪が降って来たようね」と松恵尼は外を見ながら言った。
「はい」とお雪も外を見た。
「ありがとう」と松恵尼はお礼を言った。
子供の一人が風邪をひいて熱を出し、お雪は一晩中、看病していた。ようやく、今朝になって熱も下がり、食事も取れるようになっていた。松恵尼はその事に対してお礼を言った。
「いえ‥‥‥」とお雪は言って、松恵尼を見た。
何となく、いつもと違うような気がしていた。今までと違って松恵尼が自分を見る目に優しさが感じられた。
「これから、山歩きもきつくなるわね」と松恵尼はお雪を見ながら言った。
いつも、松恵尼はなぜか目をそらしながら話していたが、今日は違っていた。優しい目をしてお雪を見ていた。
「はい‥‥‥」とお雪は答えた。
「今日で何日目かしら」
「はい。七十三日目です」とお雪は迷わずに答えた。
「そう‥‥‥もう少しね。心配しなくても大丈夫よ。風眼坊様はお山の事なら何でも知ってるから。百日行をするのも、もう五回以上になるんじゃないかしら。蓮崇殿って言ったかしら、その人も頑張るわね。ここまで来れば最後まで歩き通すでしょうね」
「はい」
「ねえ。今まで、子供たちの面倒をよく見てくれたお礼と言っては何だけど、今晩、わたしに付き合ってくれないかしら」
「はい、でも‥‥‥」
「あなた、お酒は飲めるんでしょ」
「はい、少しなら」
「今晩、一緒に飲みましょ。たまには女同士で飲むのもいいものよ」
「はい」
お雪は、その晩、松恵尼と旅籠屋『伊勢屋』の一室で、二人だけで御馳走を食べて酒を飲んだ。
松恵尼は尼僧姿ではなかった。お雪は松恵尼から、この旅籠屋が松恵尼の物だという事を聞いて驚いた。
松恵尼は酒を飲みながら風眼坊の若い頃の事をお雪に話した。勿論、自分と風眼坊の関係は話さなかったが、若き日の風眼坊の活躍は知っている限りの事をお雪に話した。
お雪は目を輝かせて松恵尼の話を聞いていた。
酔うにつれて、松恵尼は自分の身の上も話し始めた。
お雪は、松恵尼が自分と同じように殿様の側室だったという事を知った。側室だった事は似ていたが、殿様を恨んでいたお雪と、殿様を愛していた松恵尼の違いは大きかった。
お雪はその晩、普段、見られない松恵尼の別の面を知った。
夜、遅くまで、二人は話をしながら酒を飲んでいた。
次の朝、目が覚めると、すでに松恵尼はいなかった。枕元に、今まで休まずに働いていたので、今日は一日、ゆっくり休みなさい、と置き手紙が置いてあった。
お雪はその手紙を見ながら、何となく、松恵尼に母親を感じていた。
十二歳の時、母親を亡くしてから、今まで母親というものは忘れていた。それが、昨夜、松恵尼と一緒に過ごして色々な事を話し合った。
母親が亡くなってから、お雪には親身になって話を聞いてくれるような人はいなかった。叔母の智春尼はいたが、あの頃は仇(カタキ)討ちの事しか考えていなかったため、心を打ち明けるという事はなかった。加持祈祷(カジキトウ)の後は、叔母にはこれ以上、迷惑を掛けられないため、叔母に頼るのはやめていた。風眼坊には何でも話せたが、やはり、男と女では違った。
その日から、お雪は松恵尼に母親を感じるようになり、松恵尼に何でも話せるようになって行った。松恵尼もまた、お雪の事を楓に代わる娘のように思うようになり、親身になって話を聞くようになって行った。
伊勢屋を出ると、お雪は飯道山を見上げた。
山の上は真っ白に雪化粧していた。お雪は、今も山の中を歩き続けている風眼坊たちの事を思い、心の中で念仏を唱えた。
志能便(シノビ)の術は十一月二十五日の七つ(午後四時)からだった。いつもなら前日に着いて、次の日から志能便の術を教えていたが、今回は十九日の夜には、太郎はもう飯道山に着いていた。
今回、こんなにも早くここに来たのは、早く師匠の風眼坊に会いたかった事もあるが、それだけではなかった。かつての陰の術の教え子に会って、その中の何人かを播磨に連れて行こうと思ったからだった。彼らを連れて行き、播磨において諜報活動をさせようと思っていた。
伊助や次郎吉たちは太郎の重臣となってしまったため、以前のように、あちこちに潜入して情報を集めるという事はできなくなっていた。勿論、伊助や次郎吉たちもそれぞれ、自分の家来を使って情報集めはしていたが、太郎は自分に直属の諜報機関が欲しかった。陰の術を身に付けた者たちを使って実際に情報を集めれば、置塩城下の状況も、敵の状況も分かる事は当然だが、さらに、陰の術の不備な点も分かるだろう。足らない所が分かれば、さらに、陰の術を完璧なものにできると思っていた。
太郎は飯道山に着いた次の日、奥駈け道で風眼坊と早雲に再会すると、望月三郎の屋敷に向かった。
この屋敷は、陰の術の発祥の地と言える所だった。太郎たちが三郎を助けて、この屋敷を襲ったのは、もう六年も前の事だった。あの時以来、太郎は陰の術の師範となった。次の年から修行者たちに教え始め、去年までに太郎が陰の術を教えた者たちの数は三百人を越えていた。その三百人のうち、部屋住みのままブラブラしている者がいたら播磨に連れて行こうと思っていた。
三郎と会うのは二年振りだった。
三郎は今、出雲守(イズモノカミ)を名乗り、二年前に嫁を貰って、生まれたばかりの男の子がいた。三郎は忙しそうだったが、太郎の顔を見ると喜んで、早速、仲間たちを呼んでくれた。
集まったのは、芥川左京亮(サキョウノスケ)、杉谷与藤次(ヨトウジ)、野田五郎、野尻右馬介(ウマノスケ)、葛城五郎太、池田平一郎と庄次郎の兄弟、隠岐右近(オキウコン)、神保兵内(ヘイナイ)の九人だった。皆、師匠の太郎坊が来たと聞いて、慌てて飛んで来たのだった。
芥川左京亮は望月三郎と共に太郎とは同期で、一緒に望月屋敷を襲撃した仲間だった。襲撃の後、三郎の妹のコノミと一緒になり、すでに二人の子持ちだった。
杉谷与藤次、野田五郎、池田平一郎、隠岐右近の四人は、太郎が初めて陰の術を教えた者たちだった。まだ、陰の術は正式に飯道山で教えるという事にはなっていなかったが、杉谷らに教えてくれとせがまれ、太郎は皆の稽古が終わってから一ケ月足らず、陰の術を教えた。
野尻右馬介と葛城五郎太、神保兵内の三人は、次の年の教え子だった。太郎が正式に陰の術の師範となったが、楓と共に故郷、五ケ所浦に帰っていて、十一月に飯道山にやって来て教えた者たちだった。
池田平一郎の弟の庄次郎は、一昨年の教え子で、光一郎たちと同期だった。庄次郎だけが太郎坊の素顔を知らなかった。庄次郎は太郎坊の素顔が見られると思って楽しみにして来たが、何と、太郎坊が火山坊と同一人物だったと知って信じられないようだった。
しばらく見ないうちに、皆、立派な武士になっていた。やがて、彼らが甲賀を背負って立つ者たちだった。
太郎は彼らに、自分が赤松家の武将になった事を告げ、陰の術の教え子の中に播磨に来たい者がいたら知らせてくれと伝えた。
「なに、おぬしが赤松家の武将になった?」と三郎が不思議そうな顔をして聞いた。
太郎は事の成り行きを簡単に皆に話した。太郎の話をききながら皆、驚いていた。
「播磨か‥‥‥わしも是非、行ってみたいのう」と芥川が言った。
「おぬしは長男じゃろ。無理じゃ」と三郎が手を振った。
「次男や三男で、ブラブラしてる奴を捜して貰いたいんだ」と太郎は言った。
「ここに一人、おります」と池田平一郎が弟を示した。
「師匠、俺、行きます」と弟の庄次郎が言った。
「おぬし、来てくれるか」
「はい。師匠の側にいれば、もっと修行できるし‥‥‥」
「そうか、来てくれるか。そいつは有り難い」
「何人位、連れて行くつもりなんだ」と三郎は聞いた。
「そうだな。十人、いや、二十人位、連れて行くつもりだ」
「二十人か‥‥‥その位なら、すぐ集まるだろう」
「そうか。しかし、無理に二十人も集める事はない。向こうも戦の最中だ。向こうで陰の術を実践するとなると、かなり危険な目にも会う事となる。悪くすれば、二度と、この地に帰れないかもしれん。それでも、行きたいと思う者だけでいいんだ」
「戦をやっておるのは、ここも一緒だ。すでに、おぬしの教え子の何人かが戦死しておる」
「聞いたよ‥‥‥残念な事だ」
太郎は、来月の末、志能便の術の稽古が終わるまでに、何人でもいいから、そんな奴を捜してくれと頼み、話題を変えて、甲賀に来ている夢庵の事を皆に聞いた。
夢庵から詳しい居場所は聞かなかったが、金色の角の牛に乗って、あんな目立つ格好をしていれば、すぐに見つかると思っていた。案の定、夢庵の事は皆、知っていた。
「おぬし、あんな奴と知り合いなのか」と芥川が顔をしかめながら聞いた。
「ああ。色々と世話になったんだ」
「へえ。一体、何者なんじゃ」
「茶人であり、連歌師でもあり、笛吹きでもあり、お公家さんでもあり、兵法者でもある不思議なお方だ」
「あいつが兵法者?」と三郎が驚いた。
「不思議な棒術を使う。それに、陰の術も身に付けている」
「えっ、陰の術も?」三郎が信じられないと言った顔付きで、皆の顔を見た。
みんなも口をポカンと開けて驚いていた。
太郎は笑いながら、「播磨の俺の城下にも武術道場があって、そこで、一年近く、修行していたんだよ」と説明した。
「へえ。それじゃあ、わしらの仲間だな」
「そういう事だ。なかなか面白いお方だ。知り合いになっておくと何かとためになるぞ」
夢庵肖柏は、柏木(水口町)の野洲川の側にある飛鳥井権大納言雅親(アスカイゴンノダイナゴンマサチカ)という公家の屋敷内に、種玉庵宗祇(シュギョクアンソウギ)という連歌師と一緒にいるとの事だった。
太郎は次の日、光一郎を連れて夢庵を訪ねた。
飛鳥井雅親が公家だというので、風雅な公家屋敷を想像していたが、実際の屋敷は濠と土塁に囲まれていて武家屋敷と変わりがなかった。違う所と言えば、侍たちの溜まり場である遠侍(トオザムライ)が主殿(シュデン)に付属していない位だった。
門の前には二人の武士が薙刀を持って守り、土塁の隅には誰もいなかったが、見張り櫓まであった。
太郎は門番に、飯道山の太郎坊だと名乗り、夢庵殿に会いたいと告げた。さすが、地元だけあって門番も太郎坊の名は知っていた。しかし、太郎を目の前にして、太郎があまりに若いため、不思議そうな顔をしていた。それでも取り次いでくれた。しばらくして、夢庵が現れた。相変わらず派手な格好だった。
夢庵は太郎たちを見ると笑いながら、「やあ、来たな」と言った。
「お久し振りです」と太郎と光一郎は挨拶した。
「いつからじゃ、陰の術を教えるのは」
「二十五日からです」
「そうか、まあ、入れ。宗祇殿を紹介するわ」
正門をくぐって左側にある中門をくぐると、正面に屋敷があり、屋敷の右側に広い庭園があった。その庭園の右側に大きな御殿が二つ建ち、ここまで入ると、やはり、公家屋敷という優雅さが感じられた。
夢庵は太郎たちを正面の屋敷に連れて行った。この屋敷が『種玉庵』という宗祇の住む屋敷だと言う。
飛鳥井家は代々、和歌と蹴鞠(ケマリ)の師範を継ぐ家柄であり、この辺り一帯を領する荘園領主でもあった。この屋敷は飛鳥井家の別荘のようなもので、京の屋敷が戦によって焼かれたため、当主の雅親は家族と家来を連れて、ここに避難していた。
連歌師の宗祇は応仁の乱の始まる前に関東の方に旅に出て、そのまま各地を回って連歌の指導をし、二年前の秋頃、ここに落ち着いて、雅親より和歌の教えを受けながら古典と連歌の研究に没頭していた。
太郎と光一郎は夢庵に案内されて、宗祇と会った。
二人共、連歌師というのは夢庵しか知らなかった。宗祇という男も一風変わったお公家さんに違いないと思っていたが、全然、違っていた。
宗祇は墨染衣を着た僧侶だった。年の頃は五十歳を越えた老人だった。
太郎たちが部屋に入った時、宗祇は庭園の方を向いて文机(フヅクエ)に座って何かを真剣に読んでいた。夢庵と共に太郎たちは宗祇の後ろに控えて座った。しばらくして、宗祇は机から顔を上げて振り返った。
夢庵は宗祇に太郎たちを紹介した。夢庵は太郎の事を赤松日向守とは言わなかった。飯道山の山伏、太郎坊だと紹介した。
宗祇はしばらく、山伏姿の二人を見ていた。
「わしも飯道山にはお参りしました。噂には聞いておりましたが、本当に武術の盛んな所ですな」とゆっくりとした静かな口調で言った。
「太郎坊殿は、わしの武術の師でもあります」と夢庵は言った。
「ほう。お若いようじゃが、なかなかなものですな」
宗祇は太郎に飯道山の武術の事など色々と訪ねた。そして、関東を旅した時、香取、鹿島に行き、そこでも武術が盛んだったという事を太郎たちに話してくれた。
太郎は初め、宗祇は堅苦しい感じの人だと思ったが、実際、話してみて、そんな事はないと感じた。夢庵と同じく宗祇も各地の大名たちと親交を持っていて、色々な事を知っていた。連歌や和歌とは、まったく関係の無い事も色々と知っていて、太郎が話す武術の事も興味深そうに聞いていた。
半時(ハントキ)程、宗祇と話をすると太郎たちは夢庵と一緒に部屋から出た。
夢庵は太郎たちを土塁の上の見張り櫓の上に連れて行った。
「なかなかいい所じゃな」と夢庵は右手に見える飯道山を眺めながら言った。
「夢庵殿、宗祇殿というお人は禅僧なのですか」と太郎は聞いた。
「まあ、一応は禅僧じゃのう。若い頃、相国寺(ショウコクジ)で修行しておったらしいからのう」
「相国寺?」
「将軍様が建てた京の大寺院じゃ。戦で焼けてしまったがのう」
「そうですか‥‥‥」
「わしがここに来てから二ケ月になるが、宗祇殿はまだ、わしを弟子にしてくれんのじゃ」と夢庵はこぼした。
「えっ、お弟子さんになってないのですか」と太郎は驚いて、夢庵の顔を見た。
夢庵は頷いた。「宗祇殿はまだ修行中の身、弟子など持つ身ではないとおっしゃるんじゃ」
「あの年で、まだ修行中なのですか」
「だ、そうじゃ」
「凄いお人ですね。あの年になってまで修行を続けてるなんて‥‥‥それで、夢庵殿はどうするつもりなんです」
「弟子になるさ。ここまで来たんじゃ。一番弟子になってやる」
「わたしは知りませんが、宗祇殿って有名な連歌師なんでしょ。それなのに、まだ、お弟子さんもいないなんて不思議ですね」
「ああ。わしも驚いた。わしは宗祇殿は大勢の弟子に囲まれて暮らしておると思っておった。しかし、わしがここに来た時、宗祇殿の側には一人の僧がおっただけじゃった」
「その人も、宗祇殿のお弟子さんになろうとしているんですか」
「そうだったらしいが、わしが来ると、諦めて出て行ったわ」
「えっ、出て行った?」
「ああ。その僧は宗祇殿と一緒に関東の地をずっと旅をして回っておったそうじゃ。その僧だけじゃなく、四、五人おったそうじゃが、皆、宗祇殿が弟子にしてくれないもんで、諦めて出て行ったそうじゃ。最後に出て行った僧も、諦めて出て行きたかったんじゃが、宗祇殿を一人残して行く事もできず、わしが来た途端に逃げて行ったと言うわけじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥でも、どうして、みんな、そう簡単に諦めちゃうんですか」
「宗祇殿と一緒におれば分かるが、宗祇殿は今、真剣に古典の修行をしておられる。まさに真剣じゃ。人を寄せ付けないという所がある。普通の奴らじゃ、逃げ出したくなるじゃろうのう」
「夢庵殿は大丈夫なのですか」
「ここの主の飛鳥井殿というのは、わしの歌の師匠でもあるんじゃよ。言ってみれば、今の所、わしと宗祇殿は兄弟弟子という関係じゃ。わしもそのつもりで宗祇殿と付き合っておるし、宗祇殿もわしを対等に扱っておる。じゃから、わしもここにおる事ができるんじゃ。今のわしは宗祇殿の所に居候しておるんじゃなくて、宗祇殿と一緒に飛鳥井殿の所に居候しておるんじゃよ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「なあ、太郎坊殿、わしをどこかに連れて行ってくれんか」
「えっ?」
「ここにばかりおるのも飽きたんでな。おぬし、知り合いも多いんじゃろ。誰か、面白い奴を紹介してくれ」
「面白い奴ですか‥‥‥」
太郎は、面白い奴と言われて、すぐに思い浮かべたのは年甲斐もなく、百日行をしている師匠の風眼坊と早雲だった。あの二人なら夢庵とも気が合うかもしれないと思った。
「分かりました」と太郎は言って、夢庵を連れて飛鳥井屋敷を出た。
夢庵は例の牛には乗って来なかった。
三人は太郎と同期だった三雲源太の家に向かった。
志能便の術が始まった。
太郎は今年の教え子を一人も知らなかった。ただ、師匠の風眼坊から、教え子の中に火乱坊の伜がいる事を聞いていたが、風眼坊は名前を教えてはくれなかった。自分で捜せと言う。自分で捜せと言われても、太郎は火乱坊を知らない。知らない人の伜なんて分かるわけないと言っても教えてはくれなかった。
今年、最後まで残っていた修行者は八十五人だった。
今年から太郎は天狗の面を被るのをやめた。例年のように、太郎は光一郎と共に智羅天の岩屋から雪の中を毎日、通った。今年は風眼坊たちの百日行がまだ続いているため、雪の上に足跡が残っていて、いつもよりは歩き易かった。
百日行をしているのは三人から四人になっていた。
新たに夢庵が加わったのだった。夢庵の場合は百日ではなく、ほんの一月だったが、面白そうだと言って一緒に歩いていた。
夢庵が面白い奴に会わせてくれというので、太郎は夢庵を飯道山に連れて行き、風眼坊と早雲を紹介した。太郎が夢庵の事を連歌師と紹介したため、風眼坊は興味なさそうだったが、早雲の方が話に乗って来た。
早雲の口から宗祇の名前が出た。早雲は、宗祇が今、この飯道山と目と鼻の先にいると聞いて、びっくりしていた。百日行が終わったら是非、会わせてくれと夢庵に頼んでいた。
話が弾むに連れて、夢庵は早雲と以前、どこかで会った事あるような気がすると言い出した。確かに、早雲の方も会った事あるような気がしていたが、夢庵という名の連歌師は聞いた事がなかった。早雲が以前、伊勢新九郎という名で幕府に出仕していた事があったと言うと、夢庵はようやく思い出した。
「新九郎殿でしたか。義視殿の側近をなさっておりましたね。一度、今出川の御所でのお茶会に、師の珠光殿と出た事がありました」と夢庵は言った。
「そうか、そうじゃた、やっと思い出したわ。そなたは、あの頃は連歌師というより珠光殿のお弟子さんじゃった」
「はい。あの頃は連歌よりもお茶に夢中でした」
「なに、珠光殿のお弟子さん‥‥‥」と風眼坊が言った。
村田珠光の名前が出た事で、風眼坊も興味をおぼえて話に加わって来た。
風眼坊が珠光に会った事があると言うと、今度は早雲と夢庵の二人がびっくりした。
三人の話題はお茶に移って行った。
夢庵は今、駿河にいる銭泡こと伏見屋も知っていた。ただ、伏見屋が無一文になって乞食坊主をやっていると聞いて、信じられない事のように驚いていた。
風眼坊が、珠光が加賀に蓮如に会いにやって来たと話すと、夢庵は加賀の一揆の状況を風眼坊から詳しく聞いていた。加賀の江沼郡には夢庵の実家、中院(ナカノイン)家の荘園があるが、年貢の届きが悪いと言う。
太郎は三人の話を聞きながら不思議なもんだと思っていた。一見した所、何の共通点もないように思えるが、お互いに何らかの共通点を持って、つながっていた。どう見ても、お茶なんかに縁のなさそうな師匠までもが村田珠光を知っている。三人の共通する知り合いに、茶人の珠光がいるというのは、何となく変な気がしていた。
次の日から、夢庵は奥駈け道を一緒に歩く事となった。
太郎と光一郎は志能便の術の始まる初日、例のごとく、突飛(トッピ)な現れ方をして修行者たちを驚かせた。
今年は、播磨の月影楼にて工夫を重ねたため、新しい技がかなり入っていた。
基本はやはり、鉤縄(カギナワ)を使っての木登りと手裏剣だったが、さらに、新しく作った道具を紹介して、その使い方を教えた。それらの道具はほとんど、城や屋敷に潜入するための道具で、常にすべてを持ち歩くのは不可能だった。一応、こういう物があり、こういう使い方をするというのを教えるもので、さらに、各自で工夫するようにと教えた。
最近、どこに行っても戦が続いているため、城や屋敷は以前よりも守りが堅くなっていた。深い濠を掘り、高い土塁に囲まれ、見張りも厳重だった。そういう城や屋敷に忍び込むには、さらに高度の技術を必要とした。
以前、鉤縄は高い所に登る時に利用したが、今回からは幅広い濠を渡る時にも利用できる事を教えた。縄を木と木の間に水平に張り、そこを修行者たちに渡らせた。修行次第でこういう事もできるようになると、まず、風光坊(光一郎)に錫杖でバランスを取らせながら縄の上を歩かせた。修行者たちはポカンとした顔をして、縄の上を歩いている風光坊を見上げていた。
濠を渡り、土塁を乗り越え、屋敷内に侵入したとして、次は敵に発見されないような隠れ方を教えた。木陰、月影などの陰を利用した隠れ方を教え、さらに、敵に発見された時の逃げ方も教えた。鉄菱(テツビシ)を撒いて逃げる、目潰しを使って逃げるなど、敵のちょっとした隙を利用して逃げるやり方を教えた。
屋敷の潜入の仕方も、天井裏に入るやり方と床下に潜るやり方を教え、不動院を使って実際に演じてみせた。
その他、大勢の敵兵の数え方、濠の幅や深さ、土塁の高さなどの測り方なども教えた。
一ケ月はあっという間に過ぎて行った。
太郎はまだまだ教えたい事が色々あったが、後は各自が工夫して、自分だけの志能便の術を身に付けて欲しいと言って、今年の稽古は終わった。
風眼坊たちの百日行が終わったのは、太郎が志能便の術を教えていた十二月の十九日だった。
蓮崇はすっかり変わっていた。髪や髭が伸びたのは勿論の事だが、体付きまで、すっかり変わっていた。以前の蓮崇を知っている者が、今の蓮崇を見ても同じ人間だとは絶対に気がつかないだろう。余計な肉はすっかり取れ、自分でも驚く程、身が軽くなっていた。歩く速さも速くなり、早雲や風眼坊たちと同じ速さで歩く事ができた。
後半から加わった夢庵が一番遅かった。軽い気持ちで参加した夢庵だったが、山歩きは思っていた以上に辛かった。しかも、季節が悪かった。丁度、雪が本格的に降る頃だった。始めた以上、今更、やめるとは言えず、夢庵は雪の降る中、足を引きずりながらも歩き通した。
夢庵は風眼坊たちよりも十歳も年が若かった。自分よりも年寄りが百日間も歩くというのに、自分が一ケ月も歩けないのでは、この先、彼らの前には出られなかった。夢庵は歯を食いしばって、約一ケ月間、歩き通した。
蓮崇は無事、百日行を終えると、正式に飯道山の山伏となって風眼坊の弟子となった。
蓮崇の山伏名は観智坊露香(カンチボウロコウ)と決まった。観智坊というのは、以前、飯道山にいた山伏で、蓮崇にそっくりだったという勧知坊と同じ名前だった。ただ、字を変えただけだった。高林坊が付けた名前で、今は亡き、その勧知坊に負けない位に強くなれと風眼坊は言った。諱(イミナ)の露香の方は、風眼坊の一番弟子の太郎坊移香と同じく、イロハのロを付けてロ香と名付け、露という字を当てたのだった。
観智坊露香となった蓮崇は、師の風眼坊より、そのまま一年間、飯道山において武術修行をする事を命じられた。観智坊は棒術の組に入る事となり、宿坊の方はそのまま吉祥院の修徳坊から通う事となった。棒術を選んだのは、やはり同じ武術であっても、棒術なら人を斬る事なく相手を倒せるからだった。武術を身に付ける事を決心した観智坊だったが、心の中には蓮如が常に言っていた、争い事は避けるべきじゃ、という言葉が染み付いていた。それに、蓮如が棒術の名人だと風眼坊から聞いていたため、迷わず棒術を選んだ。
百日間、伸ばし放題だった髭は剃ったが、髪の方は伸ばすつもりで、そのままだった。山伏としてはまだ短く、兜巾を頭に乗せても中途半端な長さで、見栄えはあまりよくないが、本人は全然、気にしてないようだった。
蓮崇は観智坊になる事によって、完全に生まれ変わろうと思っていた。本願寺の事、蓮如の事を忘れる事はできなかったが、後一年間は本願寺も蓮如も忘れ、ただ、ひたすら、武術を身に付けようと決心していた。そして、最後に兄弟子である太郎坊より志能便の術を習い、北陸の地に戻るつもりでいた。
百日行が終わった次の日から観智坊となった蓮崇の新しい日々が始まった。
午前中は作業だった。
太郎の時は午前中は天台宗の講義だったが、観智坊には天台宗の講義は必要なかった。風眼坊は観智坊を弓矢の矢を作る作業場に入れた。この作業をしているのは若い修行者たちではなく、飯道神社に所属している下級神官たちだった。山伏がその作業に加わる事は無かったが、風眼坊の頼みによって実現した。観智坊は午前中、矢作りの作業をして、午後になって棒術道場に通った。
観智坊はまったくの素人だった。六尺棒の持ち方さえ知らなかった。修行者の中では一番の年長者でも、ここでは自分は一番の新米なんだと自分に言い聞かせ、自分の息子とも言える程、若い者たちからも素直に教えを受けた。その年の稽古は六日間だけで終わった。
最後の日、一年間の修行を終えた者たちは試合を行ない、山を下りて行った。
その日の晩、観智坊の宿坊に慶覚坊の息子、洲崎十郎左衛門が訪ねて来た。十郎は観智坊を見ても蓮崇だと気づかなかった。観智坊の方が十郎に気づいて声を掛けた。十郎はすっかり変わってしまった蓮崇を見て、人間、これ程までに変われるものなのかと信じられなかった。
十郎は、明日、加賀に帰ると言う。十郎はまだ、蓮崇がなぜ、こんな所で山伏の修行をしているのか知らなかった。
観智坊は加賀で起こった事を話した。十郎は信じられない事のように観智坊の話を聞いていた。すでに蓮如が吉崎にいない、と聞いた時には言葉が出ない程、びっくりした。
観智坊は十郎に、父親の慶覚坊を助けて守護の富樫と戦って欲しいと告げ、自分が今、ここで修行している事を伝えてくれと頼んだ。かつての蓮崇は死んだ。自分は山伏に生まれ変わって北陸に行くだろう。それまで、門徒たちの事を頼むと十郎に言った。
十郎は次の日、急いで、加賀へと向かった。
十二月二十六日から正月の十四日まで、武術の稽古も矢作りの作業も休みだった。その代わり、年末年始の準備で忙しく、何も分からない観智坊は怒鳴られながらも山の中を走り回っていた。
夜中から雪が降り続いていた。
明け方には一尺近くも積もり、まだ降り続いていた。
風眼坊と早雲と夢庵は飯道山の宿坊から旅籠屋『伊勢屋』に移っていた。お雪と弥兵も一緒だった。
風眼坊は昨日、飯道山を下りると花養院にお雪を迎えに行った。松恵尼と顔を合わせたくなかったが、松恵尼は風眼坊が来るのを待っていた。
「御苦労様でした」と松恵尼は愛想よく風眼坊を迎えた。
「いや、参ったわ。軽い気持ちで始めたが、年には勝てんのう。多分、今回が最後になりそうじゃ」
「何を情けない事を。そんな事を言ってたら、あんな若い奥さんの相手なんて勤まりませんよ」
「いや、あれには色々と訳があるんじゃ」
「そりゃあ、訳ぐらいあるでしょうとも。まったく、ずうずうしくも、ここに預けて置くなんて、どういう神経してるんでしょ。あなたの頭の中を一度、見てみたいわ」
「仕方なかったんじゃ。何しろ急な事だったんで、ここしか思いつかなかった」
「辛かったわ。百日間も、あなたの若い奥さんと一緒に暮らすのは」
「すまなかった。お雪は子供たちの面倒をよく見てたじゃろう」
「そうね。初めの頃はね」
「初めの頃?」
「もう、ここにはいないの。わたしも女だったわ。あの娘の顔を見てられなくてね、追い出しちゃったのよ」
「お雪を追い出した?」
「仕方なかったのよ。わたしも我慢しようと思ったわ。でも‥‥‥できなかった」
「そうか‥‥‥もう、ここにはおらんのか‥‥‥」
「あなたには悪かったと思うわ。でも、仕方なかったのよ。わたしの気持ちも分かってよ」
「そうか‥‥‥」
風眼坊は、こんな事になるかもしれないと覚悟はしていた。しかし、松恵尼は絶対に、そんな大人気ない事はしないだろうと確信していた。ところが、松恵尼もやはり女だった。松恵尼の気持ちも分かるが、ここを追い出されたお雪は、西も東も分からない他国で放り出されて、今頃、一人で加賀に向かっているのだろうか‥‥‥風眼坊には放って置く事はできなかった。
「御免なさい。本当に、あなたには悪かったって思っているわ」
「いや‥‥‥」
「あの娘の事、心配してるのね」
「いや‥‥‥」
松恵尼は、お雪の事から播磨の太郎と楓の事に話題を変え、二人の子供たちの事を風眼坊に話していたが、風眼坊の耳には入らなかった。早く、お雪を捜さなければならない、と頭の中はお雪の事で一杯だった。
「松恵尼様」と誰かが呼んだ。
その声までも、お雪の声に似ていた。
「準備はできた?」と松恵尼は答えた。
「はい。終わりました」
「こちらにいらっしゃいな。あなたの大事な人が帰って来たわよ」
縁側から顔を出したのは、お雪だった。
お雪は風眼坊をじっと見つめていた。風眼坊を見つめるお雪の目からは涙がこぼれ落ちて来た。
「松恵尼殿。わしをかついだな」と風眼坊は言った。
松恵尼は笑った。
「お雪、わたしがあなたをここから追い出したって言ったら、風眼坊様、本気にして、今にもあなたを捜しに行こうとしてたわよ」
「松恵尼様‥‥‥」
「よかったわね」
お雪の涙はなかなか止まらなかった。涙を流しながらも笑おうとしているお雪を見ながら、風眼坊と松恵尼も何となく湿っぽくなって行った。
お雪は松恵尼に頼まれて伊勢屋に行っていた。風眼坊と早雲の百日行満願を祝う宴を張るための準備に行っていた。丁度、その時に風眼坊が花養院に来たため、松恵尼は風眼坊に対する恨みの言葉を言って、風眼坊を困らせていたのだった。
すでにもう、松恵尼はお雪の事を恨んではいなかった。お雪を自分の娘のように思うようになっていた。心の中の葛藤(カットウ)は色々とあったが、それは乗り越えていた。風眼坊に対するお雪の思いは、松恵尼にはとても真似のできないものだった。お雪のためにも松恵尼は風眼坊の事は諦めていた。もっと早く諦めるべきだった。諦めるべきだったが、諦めきれずにだらだらと続いていた。今回がいい機会だと思った。松恵尼はきっぱりと風眼坊の事は諦める事にした。
その晩、太郎と光一郎、栄意坊も呼んで、風眼坊と早雲の百日行満願と夢庵の一ケ月近くの行の終わった事を祝った。高林坊も呼びにやったが、留守でいなかった。観智坊となった蓮崇は一年間は山から下りられなかった。
お雪は窓から雪を眺めていた。
風眼坊はまだ寝ていた。
隣の部屋では早雲と夢庵も寝ているようだった。
お雪は昨日、風眼坊の息子、光一郎と会っていた。光一郎はお雪と同い年だった。
不思議な気持ちだった。光一郎の母親に対して悪い事をしているような気がしてならなかった。光一郎は父親に対して何も言わなかったが、心の中では自分の事を恨んでいるのかもしれないと思っていた。恨まれたとしても仕方なかった。仕方なかったが、もう、お雪は風眼坊から離れる事はできなかった。
百日行の疲れが出て来たのか、風眼坊はいつまで経っても起きなかった。
お雪は雪の中、花養院に向かった。風邪を引いている子供が何人かいて、その事が心配だった。
雪は昼頃、ようやく、やんだ。
お雪は子供たちと一緒に花養院の境内の雪掻きをしていた。
風眼坊、早雲、夢庵の三人が晴れ晴れとした顔をして、太郎と光一郎と共に花養院にやって来た。風眼坊は医者の姿に戻り、早雲は禅僧に戻り、夢庵も派手な着物に戻っていた。
これから太郎の隠れ家に行くと言う。お雪も一緒に行く事にした。
積もった雪と格闘しながら、ようやく着いた隠れ家は、誰もが驚く程、素晴らしいものだった。特に、夢庵は気に入って、その日から智羅天の岩屋の住人となってしまった。
その岩屋の前の広場で風眼坊と光一郎は試合を行なった。まだまだ、風眼坊の方がずっと強かった。
次に太郎は光一郎を相手に陰流の技を披露した。天狗勝の八つの技と、新しく作った二つの技を風眼坊に見てもらった。
「見違える程、強くなったのう」と風眼坊は嬉しそうに言った。
「凄いのう‥‥‥陰流か‥‥‥」と早雲は唸った。
「さすがじゃのう」と夢庵も感嘆した。
お雪もただ凄いと驚いていた。こんな凄い弟子を持っていたなんて、風眼坊という男は計り知れない人だと思った。
風眼坊と太郎は試合をしなかった。二人共、一々、立ち会わなくてもお互いの腕が分かっていた。太郎はまだまだ、師匠にはかなわないと感じていた。風眼坊の方は相打ちになるだろうと思っていた。
夕方になり、太郎は光一郎を連れて飯道山に行き、志能便の術を教え、暗くなってから戻って来た。その晩は、みんなして岩屋に泊まる事となり、焚火を囲んで語り明かした。
太郎はここの主だった智羅天の事を皆に話した。そんな事があったのか、と風眼坊も驚きながら話を聞いていた。
二十四日、志能便の術は終わった。
二十五日の晩、恒例の武術師範の宴会があり、志能便の術師範の太郎坊、志能便の術師範代の風光坊、元剣術師範の風眼坊、そして、早雲と夢庵も特別に招待された。早雲は弓術師範として、夢庵は志能便の術の師範代として参加していた。
いつものように料亭『湊(ミナト)屋』の宴会が終わると、一行は『とんぼ』に移った。
相変わらず無愛想な親爺も、さすがに風眼坊たちの顔を見ると嬉しそうに迎えた。
そして、次の日の早朝、夢庵に送られて、太郎、光一郎、風眼坊、お雪、早雲の五人は馬に乗って、播磨の国、大河内城下に向かって行った。
弥兵は観智坊(蓮崇)が山から下りて来るまで、待っていると言って付いては来なかった。
いい天気だった。
五日前に積もった雪は、もう溶けてなくなっていた。
朝日を浴びて山に積もった雪が輝いていた。
今年もあと僅かで終わりだった。
五頭の馬は朝日を浴びながら、飯道山の門前町を後にして行った。
天狗は何も言わず、早雲を見ては、あちこちの岩に移動していた。
蓮崇がやって来て、道に座り込んでいる早雲を見た。
早雲は首で天狗の方を示した。
蓮崇も天狗を見た。
一瞬のうちに違う岩の上に移動する天狗を見て、蓮崇も自分の目を疑った。
風眼坊がやって来て、早雲と蓮崇を見、二人が見ている天狗に目をやった。
「小太郎、いつから、あんな物が出るようになったんじゃ」と早雲は風眼坊に聞いた。
風眼坊は天狗を見ながら笑っていた。
「何が、可笑(オカ)しい」
「太郎じゃ」と風眼坊は言った。
「太郎?」
「ああ。おぬしも知っておろう。愛洲の太郎じゃ」
「なに、あいつか‥‥‥あんな凄い事ができるのか」
「なに、簡単な事じゃ。天狗が二人おるんじゃ。もう一人はわしの伜じゃ」
風眼坊は天狗に向かって、「久し振りじゃのう。太郎と光一郎、出て来い」と言った。
岩の上に二人の天狗が現れた。天狗は面を外した。
「お久し振りです。師匠」
「お久し振りです。父上」
太郎と光一郎は岩から降りると奥駈け道にやって来た。
風眼坊は蓮崇を先に行かせた。
話す事はお互いに、いくらでもあった。
太郎と光一郎は金勝山まで一緒に歩くと別れた。
その日は花養院に行って、松恵尼と会い、楓と子供たちの事を話し、その後、望月三郎と久し振りに会って、夜になってから飯道山に登り、風眼坊たちのいる吉祥院に顔を出した。
吉祥院の一室で、太郎と光一郎は風眼坊と早雲に会った。蓮崇は吉祥院の中の修徳坊で、修行中の山伏と共に読経をしていた。
修徳坊は以前、太郎が世話になっていた宿坊だった。
「ここに来るのも久し振りです」と太郎は言った。
「久し振り? 毎年、年末にはここに来るんじゃろう」
「いえ。最初の一年間はここにおりましたが、その後、ここには泊まっておりません」
「どこの世話になっておるんじゃ」
「山の中から通ってるんです。いい所があるんです。後で、師匠にも教えます」
「ほう、山の中に岩屋でもあるのか」
「凄い岩屋ですよ」と光一郎が言った。「父上も見たらびっくりするでしょう」
「そいつは楽しみじゃのう」
「百日行はいつ終わりますか」と太郎は聞いた。
「十二月の十九日が満願じゃ」
「十九日ですか。それが終わったら播磨に来てくれませんか。今、新しい城下町を作っておるんです。まだ、完成はしてませんが、いい所ですよ」
「そのつもりじゃ。新九郎と一緒に行くつもりじゃったんじゃ」
「そうですか。それはよかった。楓も会いたがっております」
「子供が二人もおるそうじゃのう」
「はい。男の子と女の子です」
「太郎よ」と早雲が言った。「しかし、立派になったもんじゃのう」
「あの時は随分とお世話になりました」と太郎は笑いながら頭を下げた。「でも、京に着いた途端にいなくなっちゃって、あれから大変だったんですよ。右も左も分からないし、京という所は恐ろしい所でした」
「あの時の相棒はどうした」
「あの時、別れたきり会っておりません。堺に行くと言って別れました。わたしは一人、逃げるようにして故郷に帰って来ました。そして、山の中で剣術の稽古をしている時、師匠と出会ったのです。今のわたしがあるのも、お二人のお陰です。お二人に会わなければ、今頃、水軍の大将になっていたかも知れませんが、世の中の事など全然分からず、狭い世界の中で生きていた事でしょう」
「しかし、不思議な縁じゃな。京で別れて、こんな所で再会するとはのう」
「縁というのは本当に不思議です。会いたいと思っても、会えない時はどうしても会えないし、会える時は無理をしなくても自然に会う事ができます」
「大峯に来たんだってのう」と風眼坊が言った。
「はい。山の中を捜し回りました」
「奥駈けは歩いたか」
「熊野の本宮まで行って、また戻って来て、あちこち捜し回りました」
「丁度、入れ違いだったんじゃ」
「はい。仕方なく、諦めて、笙(ショウ)の窟(イワヤ)に籠もって、座り込んでから帰って来ました。
「笙の窟か‥‥‥確か、あの頃、あそこで千日行をしておる聖人がおらなかったか」
「おりました。丁度、満願の日に立ち会う事ができました」
「そうか、見事に千日行をやり遂げたか‥‥‥」
「はい。満願の日、妙空聖人殿は座ったまま成仏(ジョウブツ)なされました」
「なに、座ったまま亡くなったのか」
「はい。穏やかな顔をして成仏なさいました。聖人様は今、窟の側の土の中で眠っております」
「そうか、あの聖人様は成仏したのか‥‥‥」
栄意坊がやって来た。
「よう、太郎坊、久し振りじゃのう」と大声で言いながら入って来たが、太郎には分からなかった。
「栄意坊じゃよ」と風眼坊が言った。
「栄意坊殿‥‥‥どうしたんです。髭がないから分かりませんでしたよ」
「はっはっは、人間、時が経てば変わるもんじゃ」
「女ができたんじゃ」と風眼坊は説明した。
栄意坊は太郎の側に座り込むと、「何年振りじゃ。確か、百地(モモチ)の弥五郎の所、以来じゃのう。いや、懐かしいのう」
風眼坊は栄意坊に伜の光一郎を紹介した。
「ほう、おぬしにこんな立派な息子がおったとは驚きじゃのう。親父よりでっかいんではないか」
「ああ。わしよりも背が高いわ」
「ふーん。火乱坊の伜といい、おぬしの伜といい、伜がこんなに大きくなっちゃあ、わしらは年を取るわけじゃ」
「そうじゃな。年の経つのは早いもんじゃ」と早雲も言った。
「太郎、殿様になったそうじゃのう」と栄意坊は言った。
「殿様だなんて‥‥‥小さな城の主です」
「小さな城でも大したもんじゃ。大きな屋敷で暮らしておるんじゃろう」
「ええ、まあ」
「栄意坊殿も一度、播磨に来て下さい」
「お前も行くか」と風眼坊は栄意坊に言った。「わしら、百日行が終わったら、太郎と一緒に播磨に行くんじゃが、お前も行かんか」
「うむ、行きたいが無理じゃのう。わしはここに来たばかりじゃからな。正月の一番忙しい時期に抜けるわけにはいかんのじゃ」
「そうか、正月だったのう。来年の正月は太郎のもとで迎える事になりそうじゃの」
「はい。大歓迎です」
百日行の最中なので、一緒に酒を飲むわけにもいかず、太郎と光一郎は栄意坊と共に山を下り、栄意坊が是非、うちに寄って行けと言うので、栄意坊のうちに行って、三人で昔話をしながら酒を飲んだ。
栄意坊の妻は落ち着いた感じの小柄な美人だった。栄意坊が大男なので余計に小さく見えたが、仲のいい夫婦だった。
太郎と光一郎は栄意坊と遅くまで酒を飲み、その晩は泊めて貰った。
2
風眼坊が百日行をしている間、お雪は花養院の孤児院の子供の面倒を見ていた。
蓮崇の連れの弥兵は、松恵尼の屋敷にいる義助(ヨシスケ)のもとに預け、義助と共に畑仕事や屋敷の留守番をしていた。
松恵尼は九月十三日に、金勝座と一緒に播磨の太郎の所から飯道山に帰って来た。
次の日から飯道山の祭りが始まり、門前町は賑やかだった。
松恵尼は花養院に戻って来て、子供たちと遊んでいるお雪を見て、仲恵尼に、誰なのと聞いた。
仲恵尼は、あの娘は風眼坊のおかみさんだ、と言った。風眼坊が今、お山で百日行をしているので預かっている。なかなか腕のいい医者で、子供たちの面倒もよく見てくれていると説明した。
「風眼坊殿のおかみさん?」と松恵尼は聞き返した。
「はい。ちょっと若過ぎる感じですけど、なかなか、いい娘ですよ。子供たちもすっかりなついています」
「そう‥‥‥」と言いながら、松恵尼は庫裏の縁側からお雪を見ていた。
風眼坊は一体、どういうつもりなんだろう、と思った。熊野に奥さんがいるくせに、あんな若い娘を奥さんとして連れて来るなんて。しかも、わたしの所へ‥‥‥
「風眼坊殿が百日行をしてるんですって」と松恵尼は仲恵尼に聞いた。
「はい。まだ、始めたばかりです。今日で六日目かしら」
「どうして、また、百日行なんて始めたの」
「それが、詳しい事は分からないんですけど、お連れの方が急にやりたいと言い出したらしいんです。それで、風眼坊殿と早雲殿が付き合って一緒にやってるみたいですよ」
「えっ? 早雲殿も一緒なの」
「はい」
「それで、お連れの方っていうのは?」
「本願寺のお坊さんのようです」
「本願寺のお坊さんが百日行を?」松恵尼は訳が分からないといった顔をして仲恵尼を見た。
「何でも、本願寺を破門になって、今度、山伏になるんだとか‥‥‥」
「何だか、よく分からないわね」
「お雪さん、呼びましょうか。お雪さんなら詳しい事情を知ってると思いますけど」
「えっ? ええ、そうね。呼んで貰おうかしら」
松恵尼はお雪と対面した。
何となく、変な気持ちだった。
お雪は楓よりも若そうだった。松恵尼から見れば、娘と言ってもいい程の若さだった。当然、風眼坊から見ても娘のように若い娘だった。どうして、風眼坊が、こんな若い娘なんかを連れて来たのか理解できなかった。
松恵尼は自分を抑えようとしていたが、嫉妬の気持ちを抑える事はできなかった。それでも冷静を装って、お雪の口から、風眼坊がどうして百日行を始めたのか、その理由を聞いた。
お雪は松恵尼を見ながら、素直に綺麗な人だと思った。しかし、今日は、何となく、機嫌が悪そうだという事も感じていた。つんと澄まして庭の方を見ている松恵尼に、お雪は事の成り行きを説明した。
黙って話を聞いていた松恵尼は、お雪の話が終わると、お雪の方を見て、「と言う事は、急に百日行をする事になったというわけなのね」と聞いた。
「はい。本当は播磨の国に行く予定でした。ところが、急に蓮崇様が先生のお弟子さんになりたいと言い出して、百日行をする事になったのです」
「それに、早雲殿も付き合っているのね」
「はい」
「それで、あなたをここに預けたのね」
「はい。松恵尼様、わたしをここに置いて下さい。お願いします」
「他に行く所はないんでしょ」
「はい」
「仕方ないわね‥‥‥しっかり、子供たちの面倒を見るのよ」
「はい。ありがとうございます」とお雪は頭を下げた。
松恵尼はお雪を見ながら、どうして、わたしが風眼坊の女の面倒を見なけりゃならないの、と腹を立てたが口には出せなかった。
播磨にいた時、太郎に新しい女ができた事を知って、じっと我慢しなけりゃ駄目よ、と楓に言い聞かせて来たばかりだった。まさか、自分が楓と同じ立場になるなんて思ってもみない事だった。
松恵尼は風眼坊の妻ではない。風眼坊がどこで、どんな女と付き合おうが、松恵尼は平気だった。自分が知らない所で、知らない女と付き合おうが、そんな事は関係なかった。しかし、ここに女を連れて来るなんて許せなかった。しかも、その女の面倒まで見させるとは絶対に許せなかった。腹の中は風眼坊に対する怒りで煮え繰り返っていた。
その日はそれだけの会話で終わった。次の日からは祭りの準備で忙しく、お雪の事など構っていられなかった。
祭りも終わり、一段落した頃、松恵尼は再び、お雪を呼んだ。
お雪は花養院の近くの家に、仲恵尼と一緒に暮らしていた。太郎と楓が一緒になって初めて暮らした家の隣の家だった。
松恵尼はお雪が現れると、今度はお雪の身の上を聞いた。
松恵尼はお雪の顔を見ていると、また、風眼坊に対する怒りが涌き上がって来るのを抑える事ができなかった。なるべく、お雪の顔を見ないように冷静を装って話を聞いていた
お雪の身の上は予想もしていなかった程、悲惨なものだった。そして、お雪を地獄から救ったのが風眼坊だったと聞いて、お雪の気持ちも分かるような気がした。
お雪には頼れる人は風眼坊しかいなかった。風眼坊はお雪を地獄から救ってくれただけでなく、新しく生まれ変わったお雪の生き方までも教えたのだった。お雪にしてみれば、風眼坊は掛け替えのない恩人であり、尊敬のできる男だった。尊敬の念が、いつしか愛情に変わったのは当然の成り行きだった。お雪にとって風眼坊のいない世界は考えられず、風眼坊としても、お雪一人を加賀に置いて来る事はできなかった。
松恵尼はお雪の身の上を聞いて、お雪に同情し、お雪を地獄から救った風眼坊を偉いと思った。頭では二人の関係を理解する事ができても感情は別だった。お雪の身の上を聞いた後でも感情を抑える事はできなかった。
お雪はよく子供たちの面倒を見ていた。病気の治療も適切だった。子供たちからも好かれ、一緒に働いている尼僧や近所の女の子たちの評判もよかった。松恵尼もお雪の事を認めていたが、心のわだかまりを取る事はできなかった。
百日間は長かった。
毎日、お雪を見ているうちに松恵尼の心のわだかまりも少しづつ溶けて行った。
お雪は風眼坊と松恵尼の関係を知らない。そして、お雪には何の悪い所もなかった。お雪に当たるのは筋違いだった。一緒に暮らしている仲恵尼から、お雪は百日行をしている風眼坊の身を案じて、毎日、念仏を唱えているという。仲恵尼が、風眼坊は何度も百日行をしているから心配ないと言っても、心配そうな顔をして風眼坊の身を案じている。その姿はいじらしい程だという。風眼坊はあんないい娘にそれ程までに思われて果報者だと仲恵尼は言った。松恵尼は自分の心に素直に生きているお雪が羨ましかった。自分には決して真似のできない事だった。
松恵尼はお雪に負けたと感じていた。
松恵尼はお雪を呼んだ。
「雪が降って来たようね」と松恵尼は外を見ながら言った。
「はい」とお雪も外を見た。
「ありがとう」と松恵尼はお礼を言った。
子供の一人が風邪をひいて熱を出し、お雪は一晩中、看病していた。ようやく、今朝になって熱も下がり、食事も取れるようになっていた。松恵尼はその事に対してお礼を言った。
「いえ‥‥‥」とお雪は言って、松恵尼を見た。
何となく、いつもと違うような気がしていた。今までと違って松恵尼が自分を見る目に優しさが感じられた。
「これから、山歩きもきつくなるわね」と松恵尼はお雪を見ながら言った。
いつも、松恵尼はなぜか目をそらしながら話していたが、今日は違っていた。優しい目をしてお雪を見ていた。
「はい‥‥‥」とお雪は答えた。
「今日で何日目かしら」
「はい。七十三日目です」とお雪は迷わずに答えた。
「そう‥‥‥もう少しね。心配しなくても大丈夫よ。風眼坊様はお山の事なら何でも知ってるから。百日行をするのも、もう五回以上になるんじゃないかしら。蓮崇殿って言ったかしら、その人も頑張るわね。ここまで来れば最後まで歩き通すでしょうね」
「はい」
「ねえ。今まで、子供たちの面倒をよく見てくれたお礼と言っては何だけど、今晩、わたしに付き合ってくれないかしら」
「はい、でも‥‥‥」
「あなた、お酒は飲めるんでしょ」
「はい、少しなら」
「今晩、一緒に飲みましょ。たまには女同士で飲むのもいいものよ」
「はい」
お雪は、その晩、松恵尼と旅籠屋『伊勢屋』の一室で、二人だけで御馳走を食べて酒を飲んだ。
松恵尼は尼僧姿ではなかった。お雪は松恵尼から、この旅籠屋が松恵尼の物だという事を聞いて驚いた。
松恵尼は酒を飲みながら風眼坊の若い頃の事をお雪に話した。勿論、自分と風眼坊の関係は話さなかったが、若き日の風眼坊の活躍は知っている限りの事をお雪に話した。
お雪は目を輝かせて松恵尼の話を聞いていた。
酔うにつれて、松恵尼は自分の身の上も話し始めた。
お雪は、松恵尼が自分と同じように殿様の側室だったという事を知った。側室だった事は似ていたが、殿様を恨んでいたお雪と、殿様を愛していた松恵尼の違いは大きかった。
お雪はその晩、普段、見られない松恵尼の別の面を知った。
夜、遅くまで、二人は話をしながら酒を飲んでいた。
次の朝、目が覚めると、すでに松恵尼はいなかった。枕元に、今まで休まずに働いていたので、今日は一日、ゆっくり休みなさい、と置き手紙が置いてあった。
お雪はその手紙を見ながら、何となく、松恵尼に母親を感じていた。
十二歳の時、母親を亡くしてから、今まで母親というものは忘れていた。それが、昨夜、松恵尼と一緒に過ごして色々な事を話し合った。
母親が亡くなってから、お雪には親身になって話を聞いてくれるような人はいなかった。叔母の智春尼はいたが、あの頃は仇(カタキ)討ちの事しか考えていなかったため、心を打ち明けるという事はなかった。加持祈祷(カジキトウ)の後は、叔母にはこれ以上、迷惑を掛けられないため、叔母に頼るのはやめていた。風眼坊には何でも話せたが、やはり、男と女では違った。
その日から、お雪は松恵尼に母親を感じるようになり、松恵尼に何でも話せるようになって行った。松恵尼もまた、お雪の事を楓に代わる娘のように思うようになり、親身になって話を聞くようになって行った。
伊勢屋を出ると、お雪は飯道山を見上げた。
山の上は真っ白に雪化粧していた。お雪は、今も山の中を歩き続けている風眼坊たちの事を思い、心の中で念仏を唱えた。
3
志能便(シノビ)の術は十一月二十五日の七つ(午後四時)からだった。いつもなら前日に着いて、次の日から志能便の術を教えていたが、今回は十九日の夜には、太郎はもう飯道山に着いていた。
今回、こんなにも早くここに来たのは、早く師匠の風眼坊に会いたかった事もあるが、それだけではなかった。かつての陰の術の教え子に会って、その中の何人かを播磨に連れて行こうと思ったからだった。彼らを連れて行き、播磨において諜報活動をさせようと思っていた。
伊助や次郎吉たちは太郎の重臣となってしまったため、以前のように、あちこちに潜入して情報を集めるという事はできなくなっていた。勿論、伊助や次郎吉たちもそれぞれ、自分の家来を使って情報集めはしていたが、太郎は自分に直属の諜報機関が欲しかった。陰の術を身に付けた者たちを使って実際に情報を集めれば、置塩城下の状況も、敵の状況も分かる事は当然だが、さらに、陰の術の不備な点も分かるだろう。足らない所が分かれば、さらに、陰の術を完璧なものにできると思っていた。
太郎は飯道山に着いた次の日、奥駈け道で風眼坊と早雲に再会すると、望月三郎の屋敷に向かった。
この屋敷は、陰の術の発祥の地と言える所だった。太郎たちが三郎を助けて、この屋敷を襲ったのは、もう六年も前の事だった。あの時以来、太郎は陰の術の師範となった。次の年から修行者たちに教え始め、去年までに太郎が陰の術を教えた者たちの数は三百人を越えていた。その三百人のうち、部屋住みのままブラブラしている者がいたら播磨に連れて行こうと思っていた。
三郎と会うのは二年振りだった。
三郎は今、出雲守(イズモノカミ)を名乗り、二年前に嫁を貰って、生まれたばかりの男の子がいた。三郎は忙しそうだったが、太郎の顔を見ると喜んで、早速、仲間たちを呼んでくれた。
集まったのは、芥川左京亮(サキョウノスケ)、杉谷与藤次(ヨトウジ)、野田五郎、野尻右馬介(ウマノスケ)、葛城五郎太、池田平一郎と庄次郎の兄弟、隠岐右近(オキウコン)、神保兵内(ヘイナイ)の九人だった。皆、師匠の太郎坊が来たと聞いて、慌てて飛んで来たのだった。
芥川左京亮は望月三郎と共に太郎とは同期で、一緒に望月屋敷を襲撃した仲間だった。襲撃の後、三郎の妹のコノミと一緒になり、すでに二人の子持ちだった。
杉谷与藤次、野田五郎、池田平一郎、隠岐右近の四人は、太郎が初めて陰の術を教えた者たちだった。まだ、陰の術は正式に飯道山で教えるという事にはなっていなかったが、杉谷らに教えてくれとせがまれ、太郎は皆の稽古が終わってから一ケ月足らず、陰の術を教えた。
野尻右馬介と葛城五郎太、神保兵内の三人は、次の年の教え子だった。太郎が正式に陰の術の師範となったが、楓と共に故郷、五ケ所浦に帰っていて、十一月に飯道山にやって来て教えた者たちだった。
池田平一郎の弟の庄次郎は、一昨年の教え子で、光一郎たちと同期だった。庄次郎だけが太郎坊の素顔を知らなかった。庄次郎は太郎坊の素顔が見られると思って楽しみにして来たが、何と、太郎坊が火山坊と同一人物だったと知って信じられないようだった。
しばらく見ないうちに、皆、立派な武士になっていた。やがて、彼らが甲賀を背負って立つ者たちだった。
太郎は彼らに、自分が赤松家の武将になった事を告げ、陰の術の教え子の中に播磨に来たい者がいたら知らせてくれと伝えた。
「なに、おぬしが赤松家の武将になった?」と三郎が不思議そうな顔をして聞いた。
太郎は事の成り行きを簡単に皆に話した。太郎の話をききながら皆、驚いていた。
「播磨か‥‥‥わしも是非、行ってみたいのう」と芥川が言った。
「おぬしは長男じゃろ。無理じゃ」と三郎が手を振った。
「次男や三男で、ブラブラしてる奴を捜して貰いたいんだ」と太郎は言った。
「ここに一人、おります」と池田平一郎が弟を示した。
「師匠、俺、行きます」と弟の庄次郎が言った。
「おぬし、来てくれるか」
「はい。師匠の側にいれば、もっと修行できるし‥‥‥」
「そうか、来てくれるか。そいつは有り難い」
「何人位、連れて行くつもりなんだ」と三郎は聞いた。
「そうだな。十人、いや、二十人位、連れて行くつもりだ」
「二十人か‥‥‥その位なら、すぐ集まるだろう」
「そうか。しかし、無理に二十人も集める事はない。向こうも戦の最中だ。向こうで陰の術を実践するとなると、かなり危険な目にも会う事となる。悪くすれば、二度と、この地に帰れないかもしれん。それでも、行きたいと思う者だけでいいんだ」
「戦をやっておるのは、ここも一緒だ。すでに、おぬしの教え子の何人かが戦死しておる」
「聞いたよ‥‥‥残念な事だ」
太郎は、来月の末、志能便の術の稽古が終わるまでに、何人でもいいから、そんな奴を捜してくれと頼み、話題を変えて、甲賀に来ている夢庵の事を皆に聞いた。
夢庵から詳しい居場所は聞かなかったが、金色の角の牛に乗って、あんな目立つ格好をしていれば、すぐに見つかると思っていた。案の定、夢庵の事は皆、知っていた。
「おぬし、あんな奴と知り合いなのか」と芥川が顔をしかめながら聞いた。
「ああ。色々と世話になったんだ」
「へえ。一体、何者なんじゃ」
「茶人であり、連歌師でもあり、笛吹きでもあり、お公家さんでもあり、兵法者でもある不思議なお方だ」
「あいつが兵法者?」と三郎が驚いた。
「不思議な棒術を使う。それに、陰の術も身に付けている」
「えっ、陰の術も?」三郎が信じられないと言った顔付きで、皆の顔を見た。
みんなも口をポカンと開けて驚いていた。
太郎は笑いながら、「播磨の俺の城下にも武術道場があって、そこで、一年近く、修行していたんだよ」と説明した。
「へえ。それじゃあ、わしらの仲間だな」
「そういう事だ。なかなか面白いお方だ。知り合いになっておくと何かとためになるぞ」
夢庵肖柏は、柏木(水口町)の野洲川の側にある飛鳥井権大納言雅親(アスカイゴンノダイナゴンマサチカ)という公家の屋敷内に、種玉庵宗祇(シュギョクアンソウギ)という連歌師と一緒にいるとの事だった。
太郎は次の日、光一郎を連れて夢庵を訪ねた。
飛鳥井雅親が公家だというので、風雅な公家屋敷を想像していたが、実際の屋敷は濠と土塁に囲まれていて武家屋敷と変わりがなかった。違う所と言えば、侍たちの溜まり場である遠侍(トオザムライ)が主殿(シュデン)に付属していない位だった。
門の前には二人の武士が薙刀を持って守り、土塁の隅には誰もいなかったが、見張り櫓まであった。
太郎は門番に、飯道山の太郎坊だと名乗り、夢庵殿に会いたいと告げた。さすが、地元だけあって門番も太郎坊の名は知っていた。しかし、太郎を目の前にして、太郎があまりに若いため、不思議そうな顔をしていた。それでも取り次いでくれた。しばらくして、夢庵が現れた。相変わらず派手な格好だった。
夢庵は太郎たちを見ると笑いながら、「やあ、来たな」と言った。
「お久し振りです」と太郎と光一郎は挨拶した。
「いつからじゃ、陰の術を教えるのは」
「二十五日からです」
「そうか、まあ、入れ。宗祇殿を紹介するわ」
正門をくぐって左側にある中門をくぐると、正面に屋敷があり、屋敷の右側に広い庭園があった。その庭園の右側に大きな御殿が二つ建ち、ここまで入ると、やはり、公家屋敷という優雅さが感じられた。
夢庵は太郎たちを正面の屋敷に連れて行った。この屋敷が『種玉庵』という宗祇の住む屋敷だと言う。
飛鳥井家は代々、和歌と蹴鞠(ケマリ)の師範を継ぐ家柄であり、この辺り一帯を領する荘園領主でもあった。この屋敷は飛鳥井家の別荘のようなもので、京の屋敷が戦によって焼かれたため、当主の雅親は家族と家来を連れて、ここに避難していた。
連歌師の宗祇は応仁の乱の始まる前に関東の方に旅に出て、そのまま各地を回って連歌の指導をし、二年前の秋頃、ここに落ち着いて、雅親より和歌の教えを受けながら古典と連歌の研究に没頭していた。
太郎と光一郎は夢庵に案内されて、宗祇と会った。
二人共、連歌師というのは夢庵しか知らなかった。宗祇という男も一風変わったお公家さんに違いないと思っていたが、全然、違っていた。
宗祇は墨染衣を着た僧侶だった。年の頃は五十歳を越えた老人だった。
太郎たちが部屋に入った時、宗祇は庭園の方を向いて文机(フヅクエ)に座って何かを真剣に読んでいた。夢庵と共に太郎たちは宗祇の後ろに控えて座った。しばらくして、宗祇は机から顔を上げて振り返った。
夢庵は宗祇に太郎たちを紹介した。夢庵は太郎の事を赤松日向守とは言わなかった。飯道山の山伏、太郎坊だと紹介した。
宗祇はしばらく、山伏姿の二人を見ていた。
「わしも飯道山にはお参りしました。噂には聞いておりましたが、本当に武術の盛んな所ですな」とゆっくりとした静かな口調で言った。
「太郎坊殿は、わしの武術の師でもあります」と夢庵は言った。
「ほう。お若いようじゃが、なかなかなものですな」
宗祇は太郎に飯道山の武術の事など色々と訪ねた。そして、関東を旅した時、香取、鹿島に行き、そこでも武術が盛んだったという事を太郎たちに話してくれた。
太郎は初め、宗祇は堅苦しい感じの人だと思ったが、実際、話してみて、そんな事はないと感じた。夢庵と同じく宗祇も各地の大名たちと親交を持っていて、色々な事を知っていた。連歌や和歌とは、まったく関係の無い事も色々と知っていて、太郎が話す武術の事も興味深そうに聞いていた。
半時(ハントキ)程、宗祇と話をすると太郎たちは夢庵と一緒に部屋から出た。
夢庵は太郎たちを土塁の上の見張り櫓の上に連れて行った。
「なかなかいい所じゃな」と夢庵は右手に見える飯道山を眺めながら言った。
「夢庵殿、宗祇殿というお人は禅僧なのですか」と太郎は聞いた。
「まあ、一応は禅僧じゃのう。若い頃、相国寺(ショウコクジ)で修行しておったらしいからのう」
「相国寺?」
「将軍様が建てた京の大寺院じゃ。戦で焼けてしまったがのう」
「そうですか‥‥‥」
「わしがここに来てから二ケ月になるが、宗祇殿はまだ、わしを弟子にしてくれんのじゃ」と夢庵はこぼした。
「えっ、お弟子さんになってないのですか」と太郎は驚いて、夢庵の顔を見た。
夢庵は頷いた。「宗祇殿はまだ修行中の身、弟子など持つ身ではないとおっしゃるんじゃ」
「あの年で、まだ修行中なのですか」
「だ、そうじゃ」
「凄いお人ですね。あの年になってまで修行を続けてるなんて‥‥‥それで、夢庵殿はどうするつもりなんです」
「弟子になるさ。ここまで来たんじゃ。一番弟子になってやる」
「わたしは知りませんが、宗祇殿って有名な連歌師なんでしょ。それなのに、まだ、お弟子さんもいないなんて不思議ですね」
「ああ。わしも驚いた。わしは宗祇殿は大勢の弟子に囲まれて暮らしておると思っておった。しかし、わしがここに来た時、宗祇殿の側には一人の僧がおっただけじゃった」
「その人も、宗祇殿のお弟子さんになろうとしているんですか」
「そうだったらしいが、わしが来ると、諦めて出て行ったわ」
「えっ、出て行った?」
「ああ。その僧は宗祇殿と一緒に関東の地をずっと旅をして回っておったそうじゃ。その僧だけじゃなく、四、五人おったそうじゃが、皆、宗祇殿が弟子にしてくれないもんで、諦めて出て行ったそうじゃ。最後に出て行った僧も、諦めて出て行きたかったんじゃが、宗祇殿を一人残して行く事もできず、わしが来た途端に逃げて行ったと言うわけじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥でも、どうして、みんな、そう簡単に諦めちゃうんですか」
「宗祇殿と一緒におれば分かるが、宗祇殿は今、真剣に古典の修行をしておられる。まさに真剣じゃ。人を寄せ付けないという所がある。普通の奴らじゃ、逃げ出したくなるじゃろうのう」
「夢庵殿は大丈夫なのですか」
「ここの主の飛鳥井殿というのは、わしの歌の師匠でもあるんじゃよ。言ってみれば、今の所、わしと宗祇殿は兄弟弟子という関係じゃ。わしもそのつもりで宗祇殿と付き合っておるし、宗祇殿もわしを対等に扱っておる。じゃから、わしもここにおる事ができるんじゃ。今のわしは宗祇殿の所に居候しておるんじゃなくて、宗祇殿と一緒に飛鳥井殿の所に居候しておるんじゃよ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「なあ、太郎坊殿、わしをどこかに連れて行ってくれんか」
「えっ?」
「ここにばかりおるのも飽きたんでな。おぬし、知り合いも多いんじゃろ。誰か、面白い奴を紹介してくれ」
「面白い奴ですか‥‥‥」
太郎は、面白い奴と言われて、すぐに思い浮かべたのは年甲斐もなく、百日行をしている師匠の風眼坊と早雲だった。あの二人なら夢庵とも気が合うかもしれないと思った。
「分かりました」と太郎は言って、夢庵を連れて飛鳥井屋敷を出た。
夢庵は例の牛には乗って来なかった。
三人は太郎と同期だった三雲源太の家に向かった。
4
志能便の術が始まった。
太郎は今年の教え子を一人も知らなかった。ただ、師匠の風眼坊から、教え子の中に火乱坊の伜がいる事を聞いていたが、風眼坊は名前を教えてはくれなかった。自分で捜せと言う。自分で捜せと言われても、太郎は火乱坊を知らない。知らない人の伜なんて分かるわけないと言っても教えてはくれなかった。
今年、最後まで残っていた修行者は八十五人だった。
今年から太郎は天狗の面を被るのをやめた。例年のように、太郎は光一郎と共に智羅天の岩屋から雪の中を毎日、通った。今年は風眼坊たちの百日行がまだ続いているため、雪の上に足跡が残っていて、いつもよりは歩き易かった。
百日行をしているのは三人から四人になっていた。
新たに夢庵が加わったのだった。夢庵の場合は百日ではなく、ほんの一月だったが、面白そうだと言って一緒に歩いていた。
夢庵が面白い奴に会わせてくれというので、太郎は夢庵を飯道山に連れて行き、風眼坊と早雲を紹介した。太郎が夢庵の事を連歌師と紹介したため、風眼坊は興味なさそうだったが、早雲の方が話に乗って来た。
早雲の口から宗祇の名前が出た。早雲は、宗祇が今、この飯道山と目と鼻の先にいると聞いて、びっくりしていた。百日行が終わったら是非、会わせてくれと夢庵に頼んでいた。
話が弾むに連れて、夢庵は早雲と以前、どこかで会った事あるような気がすると言い出した。確かに、早雲の方も会った事あるような気がしていたが、夢庵という名の連歌師は聞いた事がなかった。早雲が以前、伊勢新九郎という名で幕府に出仕していた事があったと言うと、夢庵はようやく思い出した。
「新九郎殿でしたか。義視殿の側近をなさっておりましたね。一度、今出川の御所でのお茶会に、師の珠光殿と出た事がありました」と夢庵は言った。
「そうか、そうじゃた、やっと思い出したわ。そなたは、あの頃は連歌師というより珠光殿のお弟子さんじゃった」
「はい。あの頃は連歌よりもお茶に夢中でした」
「なに、珠光殿のお弟子さん‥‥‥」と風眼坊が言った。
村田珠光の名前が出た事で、風眼坊も興味をおぼえて話に加わって来た。
風眼坊が珠光に会った事があると言うと、今度は早雲と夢庵の二人がびっくりした。
三人の話題はお茶に移って行った。
夢庵は今、駿河にいる銭泡こと伏見屋も知っていた。ただ、伏見屋が無一文になって乞食坊主をやっていると聞いて、信じられない事のように驚いていた。
風眼坊が、珠光が加賀に蓮如に会いにやって来たと話すと、夢庵は加賀の一揆の状況を風眼坊から詳しく聞いていた。加賀の江沼郡には夢庵の実家、中院(ナカノイン)家の荘園があるが、年貢の届きが悪いと言う。
太郎は三人の話を聞きながら不思議なもんだと思っていた。一見した所、何の共通点もないように思えるが、お互いに何らかの共通点を持って、つながっていた。どう見ても、お茶なんかに縁のなさそうな師匠までもが村田珠光を知っている。三人の共通する知り合いに、茶人の珠光がいるというのは、何となく変な気がしていた。
次の日から、夢庵は奥駈け道を一緒に歩く事となった。
太郎と光一郎は志能便の術の始まる初日、例のごとく、突飛(トッピ)な現れ方をして修行者たちを驚かせた。
今年は、播磨の月影楼にて工夫を重ねたため、新しい技がかなり入っていた。
基本はやはり、鉤縄(カギナワ)を使っての木登りと手裏剣だったが、さらに、新しく作った道具を紹介して、その使い方を教えた。それらの道具はほとんど、城や屋敷に潜入するための道具で、常にすべてを持ち歩くのは不可能だった。一応、こういう物があり、こういう使い方をするというのを教えるもので、さらに、各自で工夫するようにと教えた。
最近、どこに行っても戦が続いているため、城や屋敷は以前よりも守りが堅くなっていた。深い濠を掘り、高い土塁に囲まれ、見張りも厳重だった。そういう城や屋敷に忍び込むには、さらに高度の技術を必要とした。
以前、鉤縄は高い所に登る時に利用したが、今回からは幅広い濠を渡る時にも利用できる事を教えた。縄を木と木の間に水平に張り、そこを修行者たちに渡らせた。修行次第でこういう事もできるようになると、まず、風光坊(光一郎)に錫杖でバランスを取らせながら縄の上を歩かせた。修行者たちはポカンとした顔をして、縄の上を歩いている風光坊を見上げていた。
濠を渡り、土塁を乗り越え、屋敷内に侵入したとして、次は敵に発見されないような隠れ方を教えた。木陰、月影などの陰を利用した隠れ方を教え、さらに、敵に発見された時の逃げ方も教えた。鉄菱(テツビシ)を撒いて逃げる、目潰しを使って逃げるなど、敵のちょっとした隙を利用して逃げるやり方を教えた。
屋敷の潜入の仕方も、天井裏に入るやり方と床下に潜るやり方を教え、不動院を使って実際に演じてみせた。
その他、大勢の敵兵の数え方、濠の幅や深さ、土塁の高さなどの測り方なども教えた。
一ケ月はあっという間に過ぎて行った。
太郎はまだまだ教えたい事が色々あったが、後は各自が工夫して、自分だけの志能便の術を身に付けて欲しいと言って、今年の稽古は終わった。
風眼坊たちの百日行が終わったのは、太郎が志能便の術を教えていた十二月の十九日だった。
蓮崇はすっかり変わっていた。髪や髭が伸びたのは勿論の事だが、体付きまで、すっかり変わっていた。以前の蓮崇を知っている者が、今の蓮崇を見ても同じ人間だとは絶対に気がつかないだろう。余計な肉はすっかり取れ、自分でも驚く程、身が軽くなっていた。歩く速さも速くなり、早雲や風眼坊たちと同じ速さで歩く事ができた。
後半から加わった夢庵が一番遅かった。軽い気持ちで参加した夢庵だったが、山歩きは思っていた以上に辛かった。しかも、季節が悪かった。丁度、雪が本格的に降る頃だった。始めた以上、今更、やめるとは言えず、夢庵は雪の降る中、足を引きずりながらも歩き通した。
夢庵は風眼坊たちよりも十歳も年が若かった。自分よりも年寄りが百日間も歩くというのに、自分が一ケ月も歩けないのでは、この先、彼らの前には出られなかった。夢庵は歯を食いしばって、約一ケ月間、歩き通した。
蓮崇は無事、百日行を終えると、正式に飯道山の山伏となって風眼坊の弟子となった。
蓮崇の山伏名は観智坊露香(カンチボウロコウ)と決まった。観智坊というのは、以前、飯道山にいた山伏で、蓮崇にそっくりだったという勧知坊と同じ名前だった。ただ、字を変えただけだった。高林坊が付けた名前で、今は亡き、その勧知坊に負けない位に強くなれと風眼坊は言った。諱(イミナ)の露香の方は、風眼坊の一番弟子の太郎坊移香と同じく、イロハのロを付けてロ香と名付け、露という字を当てたのだった。
観智坊露香となった蓮崇は、師の風眼坊より、そのまま一年間、飯道山において武術修行をする事を命じられた。観智坊は棒術の組に入る事となり、宿坊の方はそのまま吉祥院の修徳坊から通う事となった。棒術を選んだのは、やはり同じ武術であっても、棒術なら人を斬る事なく相手を倒せるからだった。武術を身に付ける事を決心した観智坊だったが、心の中には蓮如が常に言っていた、争い事は避けるべきじゃ、という言葉が染み付いていた。それに、蓮如が棒術の名人だと風眼坊から聞いていたため、迷わず棒術を選んだ。
百日間、伸ばし放題だった髭は剃ったが、髪の方は伸ばすつもりで、そのままだった。山伏としてはまだ短く、兜巾を頭に乗せても中途半端な長さで、見栄えはあまりよくないが、本人は全然、気にしてないようだった。
蓮崇は観智坊になる事によって、完全に生まれ変わろうと思っていた。本願寺の事、蓮如の事を忘れる事はできなかったが、後一年間は本願寺も蓮如も忘れ、ただ、ひたすら、武術を身に付けようと決心していた。そして、最後に兄弟子である太郎坊より志能便の術を習い、北陸の地に戻るつもりでいた。
百日行が終わった次の日から観智坊となった蓮崇の新しい日々が始まった。
午前中は作業だった。
太郎の時は午前中は天台宗の講義だったが、観智坊には天台宗の講義は必要なかった。風眼坊は観智坊を弓矢の矢を作る作業場に入れた。この作業をしているのは若い修行者たちではなく、飯道神社に所属している下級神官たちだった。山伏がその作業に加わる事は無かったが、風眼坊の頼みによって実現した。観智坊は午前中、矢作りの作業をして、午後になって棒術道場に通った。
観智坊はまったくの素人だった。六尺棒の持ち方さえ知らなかった。修行者の中では一番の年長者でも、ここでは自分は一番の新米なんだと自分に言い聞かせ、自分の息子とも言える程、若い者たちからも素直に教えを受けた。その年の稽古は六日間だけで終わった。
最後の日、一年間の修行を終えた者たちは試合を行ない、山を下りて行った。
その日の晩、観智坊の宿坊に慶覚坊の息子、洲崎十郎左衛門が訪ねて来た。十郎は観智坊を見ても蓮崇だと気づかなかった。観智坊の方が十郎に気づいて声を掛けた。十郎はすっかり変わってしまった蓮崇を見て、人間、これ程までに変われるものなのかと信じられなかった。
十郎は、明日、加賀に帰ると言う。十郎はまだ、蓮崇がなぜ、こんな所で山伏の修行をしているのか知らなかった。
観智坊は加賀で起こった事を話した。十郎は信じられない事のように観智坊の話を聞いていた。すでに蓮如が吉崎にいない、と聞いた時には言葉が出ない程、びっくりした。
観智坊は十郎に、父親の慶覚坊を助けて守護の富樫と戦って欲しいと告げ、自分が今、ここで修行している事を伝えてくれと頼んだ。かつての蓮崇は死んだ。自分は山伏に生まれ変わって北陸に行くだろう。それまで、門徒たちの事を頼むと十郎に言った。
十郎は次の日、急いで、加賀へと向かった。
十二月二十六日から正月の十四日まで、武術の稽古も矢作りの作業も休みだった。その代わり、年末年始の準備で忙しく、何も分からない観智坊は怒鳴られながらも山の中を走り回っていた。
5
夜中から雪が降り続いていた。
明け方には一尺近くも積もり、まだ降り続いていた。
風眼坊と早雲と夢庵は飯道山の宿坊から旅籠屋『伊勢屋』に移っていた。お雪と弥兵も一緒だった。
風眼坊は昨日、飯道山を下りると花養院にお雪を迎えに行った。松恵尼と顔を合わせたくなかったが、松恵尼は風眼坊が来るのを待っていた。
「御苦労様でした」と松恵尼は愛想よく風眼坊を迎えた。
「いや、参ったわ。軽い気持ちで始めたが、年には勝てんのう。多分、今回が最後になりそうじゃ」
「何を情けない事を。そんな事を言ってたら、あんな若い奥さんの相手なんて勤まりませんよ」
「いや、あれには色々と訳があるんじゃ」
「そりゃあ、訳ぐらいあるでしょうとも。まったく、ずうずうしくも、ここに預けて置くなんて、どういう神経してるんでしょ。あなたの頭の中を一度、見てみたいわ」
「仕方なかったんじゃ。何しろ急な事だったんで、ここしか思いつかなかった」
「辛かったわ。百日間も、あなたの若い奥さんと一緒に暮らすのは」
「すまなかった。お雪は子供たちの面倒をよく見てたじゃろう」
「そうね。初めの頃はね」
「初めの頃?」
「もう、ここにはいないの。わたしも女だったわ。あの娘の顔を見てられなくてね、追い出しちゃったのよ」
「お雪を追い出した?」
「仕方なかったのよ。わたしも我慢しようと思ったわ。でも‥‥‥できなかった」
「そうか‥‥‥もう、ここにはおらんのか‥‥‥」
「あなたには悪かったと思うわ。でも、仕方なかったのよ。わたしの気持ちも分かってよ」
「そうか‥‥‥」
風眼坊は、こんな事になるかもしれないと覚悟はしていた。しかし、松恵尼は絶対に、そんな大人気ない事はしないだろうと確信していた。ところが、松恵尼もやはり女だった。松恵尼の気持ちも分かるが、ここを追い出されたお雪は、西も東も分からない他国で放り出されて、今頃、一人で加賀に向かっているのだろうか‥‥‥風眼坊には放って置く事はできなかった。
「御免なさい。本当に、あなたには悪かったって思っているわ」
「いや‥‥‥」
「あの娘の事、心配してるのね」
「いや‥‥‥」
松恵尼は、お雪の事から播磨の太郎と楓の事に話題を変え、二人の子供たちの事を風眼坊に話していたが、風眼坊の耳には入らなかった。早く、お雪を捜さなければならない、と頭の中はお雪の事で一杯だった。
「松恵尼様」と誰かが呼んだ。
その声までも、お雪の声に似ていた。
「準備はできた?」と松恵尼は答えた。
「はい。終わりました」
「こちらにいらっしゃいな。あなたの大事な人が帰って来たわよ」
縁側から顔を出したのは、お雪だった。
お雪は風眼坊をじっと見つめていた。風眼坊を見つめるお雪の目からは涙がこぼれ落ちて来た。
「松恵尼殿。わしをかついだな」と風眼坊は言った。
松恵尼は笑った。
「お雪、わたしがあなたをここから追い出したって言ったら、風眼坊様、本気にして、今にもあなたを捜しに行こうとしてたわよ」
「松恵尼様‥‥‥」
「よかったわね」
お雪の涙はなかなか止まらなかった。涙を流しながらも笑おうとしているお雪を見ながら、風眼坊と松恵尼も何となく湿っぽくなって行った。
お雪は松恵尼に頼まれて伊勢屋に行っていた。風眼坊と早雲の百日行満願を祝う宴を張るための準備に行っていた。丁度、その時に風眼坊が花養院に来たため、松恵尼は風眼坊に対する恨みの言葉を言って、風眼坊を困らせていたのだった。
すでにもう、松恵尼はお雪の事を恨んではいなかった。お雪を自分の娘のように思うようになっていた。心の中の葛藤(カットウ)は色々とあったが、それは乗り越えていた。風眼坊に対するお雪の思いは、松恵尼にはとても真似のできないものだった。お雪のためにも松恵尼は風眼坊の事は諦めていた。もっと早く諦めるべきだった。諦めるべきだったが、諦めきれずにだらだらと続いていた。今回がいい機会だと思った。松恵尼はきっぱりと風眼坊の事は諦める事にした。
その晩、太郎と光一郎、栄意坊も呼んで、風眼坊と早雲の百日行満願と夢庵の一ケ月近くの行の終わった事を祝った。高林坊も呼びにやったが、留守でいなかった。観智坊となった蓮崇は一年間は山から下りられなかった。
お雪は窓から雪を眺めていた。
風眼坊はまだ寝ていた。
隣の部屋では早雲と夢庵も寝ているようだった。
お雪は昨日、風眼坊の息子、光一郎と会っていた。光一郎はお雪と同い年だった。
不思議な気持ちだった。光一郎の母親に対して悪い事をしているような気がしてならなかった。光一郎は父親に対して何も言わなかったが、心の中では自分の事を恨んでいるのかもしれないと思っていた。恨まれたとしても仕方なかった。仕方なかったが、もう、お雪は風眼坊から離れる事はできなかった。
百日行の疲れが出て来たのか、風眼坊はいつまで経っても起きなかった。
お雪は雪の中、花養院に向かった。風邪を引いている子供が何人かいて、その事が心配だった。
雪は昼頃、ようやく、やんだ。
お雪は子供たちと一緒に花養院の境内の雪掻きをしていた。
風眼坊、早雲、夢庵の三人が晴れ晴れとした顔をして、太郎と光一郎と共に花養院にやって来た。風眼坊は医者の姿に戻り、早雲は禅僧に戻り、夢庵も派手な着物に戻っていた。
これから太郎の隠れ家に行くと言う。お雪も一緒に行く事にした。
積もった雪と格闘しながら、ようやく着いた隠れ家は、誰もが驚く程、素晴らしいものだった。特に、夢庵は気に入って、その日から智羅天の岩屋の住人となってしまった。
その岩屋の前の広場で風眼坊と光一郎は試合を行なった。まだまだ、風眼坊の方がずっと強かった。
次に太郎は光一郎を相手に陰流の技を披露した。天狗勝の八つの技と、新しく作った二つの技を風眼坊に見てもらった。
「見違える程、強くなったのう」と風眼坊は嬉しそうに言った。
「凄いのう‥‥‥陰流か‥‥‥」と早雲は唸った。
「さすがじゃのう」と夢庵も感嘆した。
お雪もただ凄いと驚いていた。こんな凄い弟子を持っていたなんて、風眼坊という男は計り知れない人だと思った。
風眼坊と太郎は試合をしなかった。二人共、一々、立ち会わなくてもお互いの腕が分かっていた。太郎はまだまだ、師匠にはかなわないと感じていた。風眼坊の方は相打ちになるだろうと思っていた。
夕方になり、太郎は光一郎を連れて飯道山に行き、志能便の術を教え、暗くなってから戻って来た。その晩は、みんなして岩屋に泊まる事となり、焚火を囲んで語り明かした。
太郎はここの主だった智羅天の事を皆に話した。そんな事があったのか、と風眼坊も驚きながら話を聞いていた。
二十四日、志能便の術は終わった。
二十五日の晩、恒例の武術師範の宴会があり、志能便の術師範の太郎坊、志能便の術師範代の風光坊、元剣術師範の風眼坊、そして、早雲と夢庵も特別に招待された。早雲は弓術師範として、夢庵は志能便の術の師範代として参加していた。
いつものように料亭『湊(ミナト)屋』の宴会が終わると、一行は『とんぼ』に移った。
相変わらず無愛想な親爺も、さすがに風眼坊たちの顔を見ると嬉しそうに迎えた。
そして、次の日の早朝、夢庵に送られて、太郎、光一郎、風眼坊、お雪、早雲の五人は馬に乗って、播磨の国、大河内城下に向かって行った。
弥兵は観智坊(蓮崇)が山から下りて来るまで、待っていると言って付いては来なかった。
いい天気だった。
五日前に積もった雪は、もう溶けてなくなっていた。
朝日を浴びて山に積もった雪が輝いていた。
今年もあと僅かで終わりだった。
五頭の馬は朝日を浴びながら、飯道山の門前町を後にして行った。
陰の流れ《愛洲移香斎》第三部 本願寺蓮如 終
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