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21.水軍と陸軍
1
師走の二十五日、最後の稽古を終えると太郎は金比羅坊と中之坊と一緒に里へ下りて行った。
毎年、稽古仕舞いには師範、師範代が集まって宴を張るのだそうで、今年は太郎もそれに参加する事になっていた。皆はもう下で待っているというので、三人は急いで山を下りて行った。
参道に面した『湊屋』という大きな料亭で、遊女らも何人か混じり、宴は一時ばかり続き、その後、皆、好きな所に散って行った。太郎は金比羅坊らと共に『おかめ』という遊女屋に行った。遊女屋に入るのは初めてだった。
太郎も久し振りに酔い潰れるまで酒を飲んだ。金比羅坊たちはお気に入りの遊女を連れて部屋にしけ込んだが、太郎は遊女を抱く気にはならなかった。かと言って、一人で先に帰るわけにもいかず、ひばりという名の遊女を相手に明け方近くまで飲み続け、結局、酔い潰れてしまった。
次の日の昼過ぎ、金比羅坊に見送られて太郎は五ケ所浦に向かった。
二年振りに家族と共に迎える正月だった。
太郎は飛ぶような早さで山の中を走り、楓の待つ故郷へと向かった。
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年末年始は忙しかった。
堅苦しい武家のしきたりに慣れていない太郎と楓にとって色々と面倒な事が多かった。
しかも、一月六日には、太郎は殿の御前で剣術の技を披露するという事に決まっていた。水軍での太郎の活躍や剣術の事が殿、愛洲三河守忠氏の耳に入り、ぜひとも、太郎の剣術が見たいものだという事になった。そして、太郎が留守の間に一月六日に御前試合を行なうという事に決定してしまっていた。
太郎の相手は陸軍の猛者、切原城の池田長左衛門が選ばれた。
長左衛門は太郎より四つ年上の二十五歳、戦に出ては兜首をいくつも取り、彼の進む所、敵はすべて薙ぎ倒されると言われていた。
普段から仲の良くない水軍と陸軍は、この試合によって益々あおられ、太郎と長左衛門の試合は個人的なものから水軍対陸軍の決闘というような形となって行った。
太郎としても、この試合はどうしても勝たなくてはならない。陸軍の連中は太郎の剣術を認めていなかった。あんな棒振りをやっても船の上では役に立つかも知れないが、陸の上で役に立つわけはない。あんなものは子供の遊びだと馬鹿にしていた。陸でも充分に役に立つという事を証明しなくてはならなかった。
試合はお互い、陸の戦場と同じように甲冑(カッチュウ)を付けて、木剣で行う事と決まった。
太郎は今まで、陸軍の重い甲冑を付けて剣を振った事はなかったが、陸でも通用する事を証明するためには、それも仕方ないと思った。試合に備えて甲冑に慣れるため、甲冑を付けて剣の稽古を始めた。多少、動きにくいが慣れてしまえば何ともなくなった。
いよいよ、当日となった。
五ケ所城内の射場(イバ)に、紅白の幕が張られ、見物人たちが溢れていた。
自然、水軍と陸軍、二手に分かれて試合が始まるのを見守っている。
やがて、正面の桟敷(サジキ)に殿、三河守忠氏が供を連れて現れた。太郎の父、隼人正宗忠の姿も、その中にあった。
太鼓の音が響きわたった。
見物人たちが静かになると、射場奉行の平田右衛門尉直盛が新年の挨拶をした。続いて、本日の御前試合の奉行役の酒井内蔵助時重が挨拶をし、試合の前の余興の説明をした。
まず、余興として、京の都から来たという一座によって曲舞(クセマイ)が演じられた。
華やかな衣装を着た京の曲舞女は華麗に舞い踊り、観客の喝采を浴びた。
太郎も楓や家族の者たちと一緒に見ていた。曲舞は前にも見た事があったが、こんなにも派手で華麗でもなかった。今はまだ、戦が続いていて、焼け野原になってしまっているのに、こういう芸人が出て来るなんて、さすが、京の都だと太郎は感心していた。
楓も澪も、うっとりしながら見とれていた。
続いて、弓始めの儀式が行なわれた。これは毎年、正月に行なわれ、今年一年の武運を祈る儀式である。
その儀式が終わると、愛洲家に代々伝わる『鬼丸』という重籘(シゲドウ)の剛弓が重々しく運ばれて来た。
この『鬼丸』は愛洲一族が、初めて、ここ五ケ所浦に上陸した時、ここに住み着いていた鬼共を退治するのに使われた、と言い伝えられていた。見るからに、重く、強そうな弓だった。
毎年、一回だけ、この弓は人々の前に姿を現した。
今日が、その日だった。
この弓を引くために、毎年、その日になると力自慢が集まって来た。その弓を引いて、うまく的に当てる事ができれば、次の年の弓始めの儀式に参加する事ができた。その儀式に参加するというのは武士として大変な名誉であった。しかも、その日、『鬼丸』を引く事ができるのは武士だけではなく、農民でも漁師でも誰でも良かった。農民でも見事に『鬼丸』を引き、的に当てる事ができれば、その日から、立派な武士になれるのだった。
今年は十三人の力自慢が集まって来ていた。内訳は武士八人、農民二人、漁師二人、杣人(ソマビト)一人というものだった。皆、力士のような大男ばかりだった。
検分役に名を呼ばれると、それぞれ『鬼丸』に挑戦していった。
太郎が見た所、半分の六、七人は引く事ができるだろうと思ったが、そんなに生易しいものではなかった。弓を最後まで引く事ができたのは、たったの三人だけだった。そのうち、的に当てる事ができたのは二人。惜しくも、的を外してしまった男は、もう一度やらせてくれ、と二度目の挑戦をしたが、二度目は弓を引く事はできなかった。
『鬼丸』を無事に引く事のできた二人は共に武士で、うまい具合に水軍と陸軍、一人づつだった。
いよいよ、太郎の出番が来た。
試合の前に、太郎の剣術の技を披露する事になっていた。
披露するに当たって、前もって、奉行の酒井内蔵助から太郎の剣術に名前を付けてくれと頼まれていた。技の名前なら『天狗勝』と付けてあると言ったが、技の名前じゃなくて、『何々流』という名を付けてくれと言う。
太郎は困った。今まで、そんな事、考えても見なかったし、第一、自分の剣術はまだ、完成していないと思っている。『何々流』なんて、大それた名前なんて付けられなかった。しかし、奉行は何でもいいから名前を付けてくれ、そうしないと御前に披露できないとしつこかった。
太郎は考えた。今までに、鹿島、香取の『神道(シントウ)流』と鎌倉の『中条(チュウジョウ)流』というのは聞いた事があった。神道流は鹿島神宮、香取神宮の神道から出たので神道流、中条流は中条兵庫助とかいう人が開いたとか聞いている。他に義経公が習ったという『鞍馬流』というのも聞いた事はあるが、実際にあるのかどうかわからない。
さて、何と付けるか。
師匠が山伏だから『山伏流』か。
師匠に断りもなく、『何々流』なんて付けたら怒られるだろうな‥‥‥
でも、仕方がない。一時的な仮の名前だ。
飯道山で修行したから『飯道流』か。
それとも、師匠が大峯山で修行したから『大峯流』か。
愛洲流‥‥‥これは無理だ。殿の断りもなしに『愛洲流』は名乗れない。
それじゃあ、『移香流』、『太郎坊流』、『風眼坊流』、『天狗流』‥‥‥
なかなか、いい名前が見つからなかった。
奉行の酒井内蔵助は試合の前日までには決めてくれと言った。
太郎はずっと一人で考えていたが、二日前の夜になって楓に相談した。
「『飯道流』って名を付けようと思うけど、どうだろう」と楓に聞いた。
「いいんじゃないの」と楓は言った。「技の名前が飯道山の天狗たちなんだから、それでいいんじゃない」
「そうだな」と太郎もそれに決めようと思った。
その後、楓は、「陰流なんてどう」と何気なく言った。「陰の術からとって陰流なんてどう」
陰流‥‥‥何となく、響きがいい。
陰の術の名を付けたのは太郎ではない。自然発生的に出来た名だった。しかし、太郎は『陰の術』という名は気に入っていた。
陰流‥‥‥楓のお陰で、太郎の剣術の名は『陰流』と決まった。
『陰流』の技を披露するために、太郎は西村藤次郎教弘を連れて庭の中央まで出た。藤次郎は太郎が剣術指南になって、すぐに集まって来た者たちの一人で、呑み込みが早く、今の所、一番強いので師範代をやっていた。
奉行の酒井内蔵助が、「これより、愛洲太郎左衛門と西村藤次郎によって、『陰流、天狗勝』の太刀を披露いたします」と言った。
太郎と藤次郎は正面の殿に礼をし、左右に礼をし、見物人たちに礼をして、『天狗勝』の形を演じた。
風眼坊、高林坊、栄意坊、太郎坊、金比羅坊、修徳坊と演じていった。
両手に太刀と小刀を持ち、小刀を投げ付けて来る相手に使う技、火乱坊、そして、二人を同時に相手にする技、智羅天は演じなかった。
二人は演じ終わると再び、礼をして下がった。
見物席から喝采が上がった。特に、水軍側は凄かった。反して、陸軍側はぶすっとしたまま、水軍側を睨んでいた。池田長左衛門は、その中で太郎を馬鹿にしたように笑いながら太郎を見ていた。
太鼓が鳴り響いた。
観衆が静まると奉行が御前試合の開始を告げた。
検分役の寺田月翁斎(ゲツオウサイ)が登場した。月翁斎は神津佐(コンサ)城の武将で、今は隠居しているが、現役の頃は百戦錬磨の陸軍の武将として名を轟かせていた。
月翁斎が太郎と長左衛門の名を読み上げ、二人は登場した。
甲冑に身を固めた二人は殿に向かって礼をし、検分役に礼をし、互いに礼をした。
「始め!」の合図と共に、二人は三間(約五メートル)の間をおいて木剣を構えた。
太郎の木剣は約三尺、普通の物だったが、長左衛門の木剣は四尺以上もあり、太く黒光りしていた。
太郎は下段に構え、長左衛門は木剣を右肩の上にかつぐように構えていた。
場内はシーンと静まり返り、二人の動きを固唾を呑んで見守っていた。
長左衛門は少しづつ、太郎ににじり寄って来た。
太郎もそれに合わせて間合を詰めて行った。
間合が二間になった時、長左衛門は木剣を振り上げ、太郎に飛び掛かって来た。
太郎も同じく、長左衛門に飛び掛かるようにして、長左衛門が上から打ってくる剣を下からすくい上げるように打ち上げ、長左衛門の裏小手を打った。
太郎が『風眼坊』と名付けた、下段から敵の裏小手を斬る技であった。
「それまで!」と月翁斎が二人を止めた。
月翁斎が太郎の勝ちを宣言しようとした時、長左衛門が本当の勝負は真剣でないとわからないと言い出した。
月翁斎は真剣試合は危険だからやめさせようとしたが、殿、三河守忠氏が、「構わん、真剣でやらせい」と言ったため、長左衛門の意見が通って真剣試合となった。
太郎は仕方なく承知した。
長左衛門は刃渡り三尺以上もある長い太刀を先程と同じく、右肩にかつぐように構えた。
太郎の太刀は刃渡り二尺五寸の父から借りた物だった。
太郎も先程と同じく、下段に構えた。
試合の運びも同じだった。長左衛門の打ち下ろす太刀を太郎は下段から打ち上げたが、小手は斬らず、長左衛門の打ち下ろす太刀の鍔元を強く打った。
長左衛門の太刀は手から離れ、高く飛び上がった。
太郎は太刀を長左衛門の喉元に詰めた。しかし、長左衛門は負けを認めず、「組み討ち」と言って来た。
太郎は太刀を捨てた。
長左衛門は勢いよく飛び掛かって来たが、太郎は簡単に投げ飛ばした。
「それまで!」と月翁斎は言った。
太郎は太刀を拾い、鞘に収めた。
長左衛門は起き上がると太刀を拾い、そのまま、後ろから太郎の腰を狙って突いて来た。太郎は横にかわすと、素早く、太刀を抜き、片手打ちに長左衛門の右小手を斬り上げた。
長左衛門の右手首から血が吹き出し、長左衛門の太刀は手元から落ちた。
太郎は太刀に付いた血を懐紙(カイシ)で拭うと鞘に収め、殿と月翁斎、そして、長左衛門に礼をすると引き下がった。
長左衛門は手首を押えたまま、仲間に抱えられて去って行った。
水軍の連中は太郎を拍手で迎えたが、太郎は何となく、後味が悪かった。
太郎は初めから相手を傷付けるつもりはなかった。しかし、試合が終わったというのに斬り付けて来た長左衛門のやり方は気に入らなかった。しかも、後ろからである。武士として許されない行為だった。
太郎は長左衛門の右手首を斬った。もう、あの右手は使いものにならないだろう。長左衛門の武将としての命は、もう終わりと言えた。
太郎はあの時、とっさに太刀を抜き、長左衛門の小手を斬った。何もそんな事をしなくても、太刀だけを長左衛門の手から落とす事もできた。それにもかかわらず、長左衛門の小手を斬った。誰もが、それは正しいやり方だと称賛したが、太郎は何となく、いやな予感がした。
殿、愛洲三河守も太郎の『陰流』が気に入ったとみえて、大いに誉め、褒美として、太刀を一振り下賜(カシ)した。そして、奉行、酒井内蔵助によって殿の言葉が伝えられた。
「これからは、水軍だけでなく、陸軍の若い者たちにも教えるように」
太郎はただ、「はい」と頷いた。
それは難しい事だった。しかし、今のままで行ったら愛洲家は二つに分かれてしまう。この戦乱の世に、一族が二つに割れてしまったら、敵に付け込まれて滅ぼされてしまうとも限らない。こんな時代だからこそ、一族がしっかりと団結しなければならなかった。
太郎の剣術によって、水軍と陸軍を一つにまとめる事ができればいいと願った。
御前試合が終わってから、太郎の剣術道場は水軍の若い連中で一杯になって行った。若い連中と言っても、それは若すぎた。皆、元服前の子供たちばかりだった。
太郎としては十七、八の若者たちに教えたかったが、それは時節がら無理な事だった。働ける人間は皆、戦で忙しかった。剣術を習っている暇などない。それでも、去年、太郎の道場に通っていた連中は暇を見つけては顔を出し、自分たちの稽古をしたり、子供たちの相手をしたりしてくれていた。
今、愛洲水軍は九鬼氏を相手に戦っていた。これが、なかなかしぶとく、容易には落ちそうもなかった。陸軍の方は志摩の中央を押えている三浦氏を内陸から攻めているが、これも、なかなか手ごわかった。
正月の数日間はのんびりしていた城下も、だんだんと慌ただしくなり、武将たちは兵を率いて戦へと出掛けて行った。
太郎は祖父、白峰と共に子供たちに剣術を教えていた。太郎も戦に行きたかったが、今回の九鬼氏との戦は長期戦になるから来なくてもいいと父に言われ、残ったのだった。
御前試合の後、太郎の剣術道場は父の城のある田曽浦から五ケ所浦の城下に移っていた。どうせ、剣術を教えるなら田曽浦にいて、あそこの水軍だけに教えるより、城下に来てみんなに教えてくれ、との殿からの言葉だった。
道場と言ってもただの広場である。屋根もなければ何もない。ただ、みんなが稽古できる広さの土地があれば、それで良かった。戦が終われば、改めて、城下に『陰流』の道場を作ってやると殿の言葉もあったが、今は白峰の居館の近くの土地を平にならして道場としていた。
最初、太郎の道場に集まって来た子供たちの中には陸軍の子供たちもかなりいた。ところが、一月もしないうちに皆、やめたしまった。御前試合で太郎に負けた池田長左衛門が後ろで糸を引いているのはわかっていた。しかし、太郎は黙っていた。
あの試合以来、太郎は長左衛門一味に狙われていた。彼らは城下で、太郎に会うと何かと言い掛かりを付けて来た。太郎は何を言われても相手にしなかった。
どうやっても太郎が乗って来ないので、今度は道場に通う水軍の者を見つけては誰彼構わず、言い掛かりを付けて喧嘩を売った。太郎の教え子の一人が彼らにやられた。太郎は相手にするなと止めたが教え子たちは言う事を聞かず、長左衛門の一味の一人を血祭りに上げた。
この事件は喧嘩両成敗という事で、関係した者はしばらくの謹慎という形で片が付いた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
謹慎が解けると長左衛門一味は太郎を闇討ちにしようと狙い始めた。太郎は刃向かわず、陰の術を使って相手の目をくらまし逃げていた。
太郎を闇討ちにできないとわかると、彼らはまた、身代わりとして水軍の者をやっつけた。今度、やられたのは太郎の道場とは、まったく関係のない者だった。ただ、水軍というだけで長左衛門たちに袋叩きにされた。
水軍の者たちは黙っていなかった。長左衛門一味を叩き殺せといきり立った。
「俺に任せてくれ」と太郎はその場を静めた。
このまま、長左衛門一味を放っておくわけには行かなかった。このまま、放っておいたら水軍と陸軍が二つに分かれてしまう。この大事な時期に家中が分裂したら大変な事になる。
太郎は覚悟を決めた。
家中での私闘は禁じられている。長左衛門を倒せば、太郎も無事ではいられない。故郷を離れなくてはならなくなるだろう。
太郎は楓に相談した。
「俺はここを出ようと思う」と太郎は楓に言った。
「えっ? どうしたの、急に」楓は不思議そうな顔をして太郎を見た。
「池田長左衛門を知ってるだろう」
「ええ‥‥‥とうとう、やるの」
「やらなければ、家中が二つに割れてしまう」
「どうしても、あなたがやらなければならないの」
「奴らは俺を狙っている。俺が相手をしなければ、誰か他の者がやられる‥‥‥しかし、俺が奴らを倒したら、ここにいる事はできなくなる‥‥‥それでもいいか」
楓は太郎の顔をじっと見つめていたが、やがて頷いた。
「ここにいれば、俺はやがて、水軍の大将になるだろう。お前は水軍の大将の奥方だ。だが、ここを出たら、この先、どうなるかわからん。それでもいいか」
楓は頷いた。「でも、あなたは、いいの」
「しかたないさ。俺の剣術を習いに来てくれた者たちには悪いが、俺もまだまだ修行が足らない。『陰流』なんて名前を付けて、いい気になっていたけど、まだまだ、人に教えるには早すぎる。もっと修行を積まなくちゃ駄目だ」
「飯道山に帰るのね」
「うん、取り合えずは‥‥‥」
「あたしは平気よ。元々、あなたが水軍の大将の息子だなんて知らなかったし、それに、あなたが決めた事ですもの、あたしはあなたに付いてくだけよ。どこでも付いて行くわ」
太郎は楓の肩を抱き、大きく頷いた。
「でも」と楓は言った。「何も相手を倒す事もないんじゃない。あなたがここからいなくなれば相手もおとなしくなるんじゃないかしら」
「うん‥‥‥そうかもしれないな‥‥‥」
翌日、太郎は父、隼人正の城に行った。うまい具合に父は城にいた。夕べ、戦場から帰って来たばかりで、今、重臣たちと戦評定(イクサヒョウジョウ)をしている所だと言う。
太郎は待たせてもらう事にした。
父は半時(ハントキ)程して現れた。また、すぐに戦に出掛けるのだろうか、戦支度のままだった。
「どうした。剣術道場はうまく行ってるか」父は太郎の顔を見るとそう言って、太郎の前に腰を下ろした。
「ええ、まあ‥‥‥戦の方はどうです」
「なかなか、手ごわいぞ」
「九鬼氏ですか」
「ああ、奴らは元々、わしらと同じ熊野水軍じゃ。一筋縄ではいかん。骨が一本通っている。お互いに恨みはないんじゃがな。時勢がらしょうがないのう。ところで、話とは何じゃ」
「実はちょっと言いにくいんですけど、もう一度、修行をやり直したいのですが」
「修行? 剣のか」
「はい。自分としてはまだまだ修行が足りません。まだ、人に教えるなんて早過ぎました」
「そうか」と父はゆっくりと頷き、「池田の事だな」と言った。
「知ってたんですか」
「ああ‥‥‥あいつも悪い奴じゃないが、あの試合以来、すっかり拗ねてしまった。あいつは今まで一度も負けた事がなくて、お前に初めて負けた‥‥‥わしは御前試合には反対だった。殿がお前の技をどうしても見たいと言った。見せるだけなら、相手はお前の道場に通っている若い者でも良かった。初めは、そういう約束だった。しかし、ああいう形になってしまった‥‥‥政治が色々とからんでおるんじゃ。派閥とか色々な‥‥‥先代の殿の死が早過ぎたんじゃ。今の殿は若過ぎる。そして、殿の回りにいるのが、また、ろくでもない奴らばかりじゃ」父は、ふんと鼻で笑った。「それで、これから、どうする」
「はい、甲賀に戻ります」
「そうか‥‥‥それも、しょうがあるまい」
「すみません」
「殿には、わしから言っておく‥‥‥また、戻って来いよ」
「はい、もう一回り大きくなって、戻って来ます」
父、隼人正は頷くと立ち上がって、出て行った。出て行く時、振り返り、「気を付けてな」と言った。
太郎は頷き、父の後ろ姿を見送った。
父はまた、すぐに戻って来た。「お前、多気の都に行った事あるか」と聞いた。
「多気?」
「ああ、北畠殿の城下だ」
「行った事ありませんけど」
「そうか、それじゃあ、甲賀に行く途中だから寄って行け」
「何か、用があるんですか」
「いや、そうじゃない。多気にお前に会わせたい人がいる」
「えっ?」
「無為斎(ムイサイ)殿という老人じゃ。もう隠居しておるが、あそこで香取の神道流を教えている。先代の教具卿も無為斎殿に習っていたそうじゃ。この間、五ケ所浦に来て、わしも会ったが、なかなかの人物じゃ。会っておけばお前の剣術のためにもなるだろう。後で、祐筆(ユウヒツ)の水谷の所に寄ってくれ。紹介状を書いておく」
「はい。わかりました‥‥‥」
「それじゃあな、頑張れよ」父は軽く手を上げると出て行った。
太郎はすでにいない父に向かって頭を下げた。
太郎と楓は、その日のうちに五ケ所浦を去って行った。
皆には、もう一度、修行の旅に出る、とだけ言って別れを告げた。
道場の方は祖父、白峰と弟の次郎右衛門、それと師範代の西村藤次郎に任せた。
祖父、白峰は毎日、張り切って子供たちに剣術を教えていた。道場が出来てから、祖父は若返ったかのように、毎日、生き生きとしていた。
桜の花弁が風に舞っている。
太郎と楓は伊勢街道からそれて山の中に入って行った。
普通ならば、剣峠を越えて宇治山田に出るのだが、途中、池田長左衛門の一味がいる切原を通らなければならない。太郎はそこを避けて、山の中を抜けて行く事にした。
三年前の丁度今頃、風眼坊に剣を習っていた時、毎日、通っていた道であった。
三年間、誰もこの山に登らなかったとみえて、あの頃の道はほとんど草で埋まっていた。しかし、元々、道のない所を太郎が作った道である。太郎は楓の手を引きながら草の中をわけもなく登って行った。
頂上の少し下には、風眼坊が暮らしていた山小屋があの時のまま残っていた。
懐かしかった。
太郎は楓に、風眼坊と出会った時の事や、ここでやった剣術の稽古の事など楽しそうに話した。小屋の中にはあの頃、太郎が使っていた木剣も風眼坊が使っていた酒のとっくりも、そのまま置いてあった。
「しばらく、こことも、お別れだな」
太郎と楓は城下と海を見下ろしていた。
これで三度目だった。山の上から城下を見下ろして、ここを去って行くのは‥‥‥
初めての時は二十日余り、二度目は二年、今度は、もっと長くなるような気がした。
「楽しかったわ」と楓が感慨深げに言った。「あなたの母上様も父上様もいい人だった‥‥‥それに妹のお澪さんも‥‥‥」
楓は両親を知らない。子供の頃から尼寺で育てられたため、家庭というものを知らなかった。楓は父とも母ともうまくやっていた。このまま、ずっと、ここにいた方が楓にとっては幸せだったのかもしれない、と太郎は楓の横顔を見ながら思っていた。
「さあ、行きましょ。二人の新しい旅立ちよ」と楓は笑って言った。
「すまんな」と太郎は言った。
楓は首を振った。「ここを離れるのは淋しいけど、ちょっと、ほっとしている所もあるの。あなたには悪いんだけど、武家の世界って何となく堅苦しいわ」
「そうか、実は、俺もそう思っていた」と太郎は笑った。
水軍の大将として、ここで一生、暮らすよりも、太郎は風眼坊のように色々な所を旅して、色々な事が知りたかった。
「よし、行くか、二人の新しい旅立ちだ」
二人が五ケ所浦に別れを告げ、山を下りようとした時だった。
「待て!」と言う声が二人を止めた。
「逃げるのか」と言ったのは太郎に右手を斬られた池田長左衛門だった。
長左衛門を囲んで、いつもの一味四人が太郎と楓を睨んでいた。
「俺は逃げる。もう二度と騒ぎは起こさないでくれ」と太郎は言った。
「俺が怖くて逃げたと言い触らすぞ」と長左衛門は言った。
「何とでも言え。ただし、水軍の連中には手を出すな」
「ほう、笑い者になりてえのか」
「笑い者でも何にでもしろ。俺は二度とここへは戻って来ない」
「逃げるお前はいいだろう。しかし、笑い者にされたお前の親父は何と言うかのう。お前には確か、弟もいたのう‥‥‥」
「弟には手を出すな」
「さあ、それはどうかな」と長左衛門の隣に立つ男が言った。「それに可愛いい妹もおるしのう。なかなかの別嬪らしいのう」
「妹にも手を出すな」
「お前がいなくなれば水軍の奴らなんて、ちょろいもんさ。片っ端から片輪にしてくれるわ」
「やめろ!」
「やめてもいいぞ」と、また別の男が言った。「その女をおいて行けば、やめてやる」
「何だと!」
「ねえちゃん、可愛いがってやるぜ」
「許さん!」
太郎は刀に手をやって鯉口(コイグチ)を切った。智羅天の形見の来国光だった。太刀拵えだったのを太郎は使い易いように打刀(ウチガタナ)拵えに変えていた。
「やめて!」と楓は止めた。
「こいつら、口で言ってもわからん。根っから、ひねくれている」
「やっと、やる気になったとみえるな」と五人は一斉に刀を抜いた。
太郎は楓を後ろにやると、刀を抜いて前に進み出た。
五人は刀を構え、太郎を囲んだ。
「殺せ!」と長左衛門が叫ぶと、太郎の左横にいた者が掛かって来た。
太郎はその刀をかわし、まず右横の相手を斬り、そして、後ろ、左横、前の相手と、あっという間に四人を斬り倒した。
剣と剣がぶつかる音は一度もしなかった。
四人共、喉を斬られ、血を噴き出して、息絶えた。
残るは長左衛門一人、左片手で刀を振り上げ、太郎の右横から掛かって来た。
太郎は長左衛門の喉も斬り払った。
長左衛門は刀を振り上げたまま、喉から血を噴き出し、後ろに倒れた。
太郎は刀の血を拭い、鞘に収めると楓の方を見た。
楓は茫然と立ち尽くしていた。
太郎は楓に向かって、首を横に振ってみせた。
「お前に見せる物じゃなかったな」
「仕方なかったのよ‥‥‥」と楓は目を伏せながら言った。「あの人たちは、初めから、あなたを殺そうとしてたのよ」
「見るな」と太郎は楓の顔を胸に抱き寄せた。「仕方なかった‥‥‥奴らがいたら五ケ所浦は二つに分かれてしまう‥‥‥」
「埋めた方がいいわ」と楓は言った。「いくら、悪い人でも、このままでは可哀想だわ」
「うん、そうしよう」
太郎は楓を風眼坊の小屋の中にやると、穴を掘って五人を埋め、お経を唱えて五人の冥福を祈った。
そして、二人は山を下りて行った。
堅苦しい武家のしきたりに慣れていない太郎と楓にとって色々と面倒な事が多かった。
しかも、一月六日には、太郎は殿の御前で剣術の技を披露するという事に決まっていた。水軍での太郎の活躍や剣術の事が殿、愛洲三河守忠氏の耳に入り、ぜひとも、太郎の剣術が見たいものだという事になった。そして、太郎が留守の間に一月六日に御前試合を行なうという事に決定してしまっていた。
太郎の相手は陸軍の猛者、切原城の池田長左衛門が選ばれた。
長左衛門は太郎より四つ年上の二十五歳、戦に出ては兜首をいくつも取り、彼の進む所、敵はすべて薙ぎ倒されると言われていた。
普段から仲の良くない水軍と陸軍は、この試合によって益々あおられ、太郎と長左衛門の試合は個人的なものから水軍対陸軍の決闘というような形となって行った。
太郎としても、この試合はどうしても勝たなくてはならない。陸軍の連中は太郎の剣術を認めていなかった。あんな棒振りをやっても船の上では役に立つかも知れないが、陸の上で役に立つわけはない。あんなものは子供の遊びだと馬鹿にしていた。陸でも充分に役に立つという事を証明しなくてはならなかった。
試合はお互い、陸の戦場と同じように甲冑(カッチュウ)を付けて、木剣で行う事と決まった。
太郎は今まで、陸軍の重い甲冑を付けて剣を振った事はなかったが、陸でも通用する事を証明するためには、それも仕方ないと思った。試合に備えて甲冑に慣れるため、甲冑を付けて剣の稽古を始めた。多少、動きにくいが慣れてしまえば何ともなくなった。
いよいよ、当日となった。
五ケ所城内の射場(イバ)に、紅白の幕が張られ、見物人たちが溢れていた。
自然、水軍と陸軍、二手に分かれて試合が始まるのを見守っている。
やがて、正面の桟敷(サジキ)に殿、三河守忠氏が供を連れて現れた。太郎の父、隼人正宗忠の姿も、その中にあった。
太鼓の音が響きわたった。
見物人たちが静かになると、射場奉行の平田右衛門尉直盛が新年の挨拶をした。続いて、本日の御前試合の奉行役の酒井内蔵助時重が挨拶をし、試合の前の余興の説明をした。
まず、余興として、京の都から来たという一座によって曲舞(クセマイ)が演じられた。
華やかな衣装を着た京の曲舞女は華麗に舞い踊り、観客の喝采を浴びた。
太郎も楓や家族の者たちと一緒に見ていた。曲舞は前にも見た事があったが、こんなにも派手で華麗でもなかった。今はまだ、戦が続いていて、焼け野原になってしまっているのに、こういう芸人が出て来るなんて、さすが、京の都だと太郎は感心していた。
楓も澪も、うっとりしながら見とれていた。
続いて、弓始めの儀式が行なわれた。これは毎年、正月に行なわれ、今年一年の武運を祈る儀式である。
その儀式が終わると、愛洲家に代々伝わる『鬼丸』という重籘(シゲドウ)の剛弓が重々しく運ばれて来た。
この『鬼丸』は愛洲一族が、初めて、ここ五ケ所浦に上陸した時、ここに住み着いていた鬼共を退治するのに使われた、と言い伝えられていた。見るからに、重く、強そうな弓だった。
毎年、一回だけ、この弓は人々の前に姿を現した。
今日が、その日だった。
この弓を引くために、毎年、その日になると力自慢が集まって来た。その弓を引いて、うまく的に当てる事ができれば、次の年の弓始めの儀式に参加する事ができた。その儀式に参加するというのは武士として大変な名誉であった。しかも、その日、『鬼丸』を引く事ができるのは武士だけではなく、農民でも漁師でも誰でも良かった。農民でも見事に『鬼丸』を引き、的に当てる事ができれば、その日から、立派な武士になれるのだった。
今年は十三人の力自慢が集まって来ていた。内訳は武士八人、農民二人、漁師二人、杣人(ソマビト)一人というものだった。皆、力士のような大男ばかりだった。
検分役に名を呼ばれると、それぞれ『鬼丸』に挑戦していった。
太郎が見た所、半分の六、七人は引く事ができるだろうと思ったが、そんなに生易しいものではなかった。弓を最後まで引く事ができたのは、たったの三人だけだった。そのうち、的に当てる事ができたのは二人。惜しくも、的を外してしまった男は、もう一度やらせてくれ、と二度目の挑戦をしたが、二度目は弓を引く事はできなかった。
『鬼丸』を無事に引く事のできた二人は共に武士で、うまい具合に水軍と陸軍、一人づつだった。
いよいよ、太郎の出番が来た。
試合の前に、太郎の剣術の技を披露する事になっていた。
披露するに当たって、前もって、奉行の酒井内蔵助から太郎の剣術に名前を付けてくれと頼まれていた。技の名前なら『天狗勝』と付けてあると言ったが、技の名前じゃなくて、『何々流』という名を付けてくれと言う。
太郎は困った。今まで、そんな事、考えても見なかったし、第一、自分の剣術はまだ、完成していないと思っている。『何々流』なんて、大それた名前なんて付けられなかった。しかし、奉行は何でもいいから名前を付けてくれ、そうしないと御前に披露できないとしつこかった。
太郎は考えた。今までに、鹿島、香取の『神道(シントウ)流』と鎌倉の『中条(チュウジョウ)流』というのは聞いた事があった。神道流は鹿島神宮、香取神宮の神道から出たので神道流、中条流は中条兵庫助とかいう人が開いたとか聞いている。他に義経公が習ったという『鞍馬流』というのも聞いた事はあるが、実際にあるのかどうかわからない。
さて、何と付けるか。
師匠が山伏だから『山伏流』か。
師匠に断りもなく、『何々流』なんて付けたら怒られるだろうな‥‥‥
でも、仕方がない。一時的な仮の名前だ。
飯道山で修行したから『飯道流』か。
それとも、師匠が大峯山で修行したから『大峯流』か。
愛洲流‥‥‥これは無理だ。殿の断りもなしに『愛洲流』は名乗れない。
それじゃあ、『移香流』、『太郎坊流』、『風眼坊流』、『天狗流』‥‥‥
なかなか、いい名前が見つからなかった。
奉行の酒井内蔵助は試合の前日までには決めてくれと言った。
太郎はずっと一人で考えていたが、二日前の夜になって楓に相談した。
「『飯道流』って名を付けようと思うけど、どうだろう」と楓に聞いた。
「いいんじゃないの」と楓は言った。「技の名前が飯道山の天狗たちなんだから、それでいいんじゃない」
「そうだな」と太郎もそれに決めようと思った。
その後、楓は、「陰流なんてどう」と何気なく言った。「陰の術からとって陰流なんてどう」
陰流‥‥‥何となく、響きがいい。
陰の術の名を付けたのは太郎ではない。自然発生的に出来た名だった。しかし、太郎は『陰の術』という名は気に入っていた。
陰流‥‥‥楓のお陰で、太郎の剣術の名は『陰流』と決まった。
『陰流』の技を披露するために、太郎は西村藤次郎教弘を連れて庭の中央まで出た。藤次郎は太郎が剣術指南になって、すぐに集まって来た者たちの一人で、呑み込みが早く、今の所、一番強いので師範代をやっていた。
奉行の酒井内蔵助が、「これより、愛洲太郎左衛門と西村藤次郎によって、『陰流、天狗勝』の太刀を披露いたします」と言った。
太郎と藤次郎は正面の殿に礼をし、左右に礼をし、見物人たちに礼をして、『天狗勝』の形を演じた。
風眼坊、高林坊、栄意坊、太郎坊、金比羅坊、修徳坊と演じていった。
両手に太刀と小刀を持ち、小刀を投げ付けて来る相手に使う技、火乱坊、そして、二人を同時に相手にする技、智羅天は演じなかった。
二人は演じ終わると再び、礼をして下がった。
見物席から喝采が上がった。特に、水軍側は凄かった。反して、陸軍側はぶすっとしたまま、水軍側を睨んでいた。池田長左衛門は、その中で太郎を馬鹿にしたように笑いながら太郎を見ていた。
太鼓が鳴り響いた。
観衆が静まると奉行が御前試合の開始を告げた。
検分役の寺田月翁斎(ゲツオウサイ)が登場した。月翁斎は神津佐(コンサ)城の武将で、今は隠居しているが、現役の頃は百戦錬磨の陸軍の武将として名を轟かせていた。
月翁斎が太郎と長左衛門の名を読み上げ、二人は登場した。
甲冑に身を固めた二人は殿に向かって礼をし、検分役に礼をし、互いに礼をした。
「始め!」の合図と共に、二人は三間(約五メートル)の間をおいて木剣を構えた。
太郎の木剣は約三尺、普通の物だったが、長左衛門の木剣は四尺以上もあり、太く黒光りしていた。
太郎は下段に構え、長左衛門は木剣を右肩の上にかつぐように構えていた。
場内はシーンと静まり返り、二人の動きを固唾を呑んで見守っていた。
長左衛門は少しづつ、太郎ににじり寄って来た。
太郎もそれに合わせて間合を詰めて行った。
間合が二間になった時、長左衛門は木剣を振り上げ、太郎に飛び掛かって来た。
太郎も同じく、長左衛門に飛び掛かるようにして、長左衛門が上から打ってくる剣を下からすくい上げるように打ち上げ、長左衛門の裏小手を打った。
太郎が『風眼坊』と名付けた、下段から敵の裏小手を斬る技であった。
「それまで!」と月翁斎が二人を止めた。
月翁斎が太郎の勝ちを宣言しようとした時、長左衛門が本当の勝負は真剣でないとわからないと言い出した。
月翁斎は真剣試合は危険だからやめさせようとしたが、殿、三河守忠氏が、「構わん、真剣でやらせい」と言ったため、長左衛門の意見が通って真剣試合となった。
太郎は仕方なく承知した。
長左衛門は刃渡り三尺以上もある長い太刀を先程と同じく、右肩にかつぐように構えた。
太郎の太刀は刃渡り二尺五寸の父から借りた物だった。
太郎も先程と同じく、下段に構えた。
試合の運びも同じだった。長左衛門の打ち下ろす太刀を太郎は下段から打ち上げたが、小手は斬らず、長左衛門の打ち下ろす太刀の鍔元を強く打った。
長左衛門の太刀は手から離れ、高く飛び上がった。
太郎は太刀を長左衛門の喉元に詰めた。しかし、長左衛門は負けを認めず、「組み討ち」と言って来た。
太郎は太刀を捨てた。
長左衛門は勢いよく飛び掛かって来たが、太郎は簡単に投げ飛ばした。
「それまで!」と月翁斎は言った。
太郎は太刀を拾い、鞘に収めた。
長左衛門は起き上がると太刀を拾い、そのまま、後ろから太郎の腰を狙って突いて来た。太郎は横にかわすと、素早く、太刀を抜き、片手打ちに長左衛門の右小手を斬り上げた。
長左衛門の右手首から血が吹き出し、長左衛門の太刀は手元から落ちた。
太郎は太刀に付いた血を懐紙(カイシ)で拭うと鞘に収め、殿と月翁斎、そして、長左衛門に礼をすると引き下がった。
長左衛門は手首を押えたまま、仲間に抱えられて去って行った。
水軍の連中は太郎を拍手で迎えたが、太郎は何となく、後味が悪かった。
太郎は初めから相手を傷付けるつもりはなかった。しかし、試合が終わったというのに斬り付けて来た長左衛門のやり方は気に入らなかった。しかも、後ろからである。武士として許されない行為だった。
太郎は長左衛門の右手首を斬った。もう、あの右手は使いものにならないだろう。長左衛門の武将としての命は、もう終わりと言えた。
太郎はあの時、とっさに太刀を抜き、長左衛門の小手を斬った。何もそんな事をしなくても、太刀だけを長左衛門の手から落とす事もできた。それにもかかわらず、長左衛門の小手を斬った。誰もが、それは正しいやり方だと称賛したが、太郎は何となく、いやな予感がした。
殿、愛洲三河守も太郎の『陰流』が気に入ったとみえて、大いに誉め、褒美として、太刀を一振り下賜(カシ)した。そして、奉行、酒井内蔵助によって殿の言葉が伝えられた。
「これからは、水軍だけでなく、陸軍の若い者たちにも教えるように」
太郎はただ、「はい」と頷いた。
それは難しい事だった。しかし、今のままで行ったら愛洲家は二つに分かれてしまう。この戦乱の世に、一族が二つに割れてしまったら、敵に付け込まれて滅ぼされてしまうとも限らない。こんな時代だからこそ、一族がしっかりと団結しなければならなかった。
太郎の剣術によって、水軍と陸軍を一つにまとめる事ができればいいと願った。
2
御前試合が終わってから、太郎の剣術道場は水軍の若い連中で一杯になって行った。若い連中と言っても、それは若すぎた。皆、元服前の子供たちばかりだった。
太郎としては十七、八の若者たちに教えたかったが、それは時節がら無理な事だった。働ける人間は皆、戦で忙しかった。剣術を習っている暇などない。それでも、去年、太郎の道場に通っていた連中は暇を見つけては顔を出し、自分たちの稽古をしたり、子供たちの相手をしたりしてくれていた。
今、愛洲水軍は九鬼氏を相手に戦っていた。これが、なかなかしぶとく、容易には落ちそうもなかった。陸軍の方は志摩の中央を押えている三浦氏を内陸から攻めているが、これも、なかなか手ごわかった。
正月の数日間はのんびりしていた城下も、だんだんと慌ただしくなり、武将たちは兵を率いて戦へと出掛けて行った。
太郎は祖父、白峰と共に子供たちに剣術を教えていた。太郎も戦に行きたかったが、今回の九鬼氏との戦は長期戦になるから来なくてもいいと父に言われ、残ったのだった。
御前試合の後、太郎の剣術道場は父の城のある田曽浦から五ケ所浦の城下に移っていた。どうせ、剣術を教えるなら田曽浦にいて、あそこの水軍だけに教えるより、城下に来てみんなに教えてくれ、との殿からの言葉だった。
道場と言ってもただの広場である。屋根もなければ何もない。ただ、みんなが稽古できる広さの土地があれば、それで良かった。戦が終われば、改めて、城下に『陰流』の道場を作ってやると殿の言葉もあったが、今は白峰の居館の近くの土地を平にならして道場としていた。
最初、太郎の道場に集まって来た子供たちの中には陸軍の子供たちもかなりいた。ところが、一月もしないうちに皆、やめたしまった。御前試合で太郎に負けた池田長左衛門が後ろで糸を引いているのはわかっていた。しかし、太郎は黙っていた。
あの試合以来、太郎は長左衛門一味に狙われていた。彼らは城下で、太郎に会うと何かと言い掛かりを付けて来た。太郎は何を言われても相手にしなかった。
どうやっても太郎が乗って来ないので、今度は道場に通う水軍の者を見つけては誰彼構わず、言い掛かりを付けて喧嘩を売った。太郎の教え子の一人が彼らにやられた。太郎は相手にするなと止めたが教え子たちは言う事を聞かず、長左衛門の一味の一人を血祭りに上げた。
この事件は喧嘩両成敗という事で、関係した者はしばらくの謹慎という形で片が付いた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
謹慎が解けると長左衛門一味は太郎を闇討ちにしようと狙い始めた。太郎は刃向かわず、陰の術を使って相手の目をくらまし逃げていた。
太郎を闇討ちにできないとわかると、彼らはまた、身代わりとして水軍の者をやっつけた。今度、やられたのは太郎の道場とは、まったく関係のない者だった。ただ、水軍というだけで長左衛門たちに袋叩きにされた。
水軍の者たちは黙っていなかった。長左衛門一味を叩き殺せといきり立った。
「俺に任せてくれ」と太郎はその場を静めた。
このまま、長左衛門一味を放っておくわけには行かなかった。このまま、放っておいたら水軍と陸軍が二つに分かれてしまう。この大事な時期に家中が分裂したら大変な事になる。
太郎は覚悟を決めた。
家中での私闘は禁じられている。長左衛門を倒せば、太郎も無事ではいられない。故郷を離れなくてはならなくなるだろう。
太郎は楓に相談した。
「俺はここを出ようと思う」と太郎は楓に言った。
「えっ? どうしたの、急に」楓は不思議そうな顔をして太郎を見た。
「池田長左衛門を知ってるだろう」
「ええ‥‥‥とうとう、やるの」
「やらなければ、家中が二つに割れてしまう」
「どうしても、あなたがやらなければならないの」
「奴らは俺を狙っている。俺が相手をしなければ、誰か他の者がやられる‥‥‥しかし、俺が奴らを倒したら、ここにいる事はできなくなる‥‥‥それでもいいか」
楓は太郎の顔をじっと見つめていたが、やがて頷いた。
「ここにいれば、俺はやがて、水軍の大将になるだろう。お前は水軍の大将の奥方だ。だが、ここを出たら、この先、どうなるかわからん。それでもいいか」
楓は頷いた。「でも、あなたは、いいの」
「しかたないさ。俺の剣術を習いに来てくれた者たちには悪いが、俺もまだまだ修行が足らない。『陰流』なんて名前を付けて、いい気になっていたけど、まだまだ、人に教えるには早すぎる。もっと修行を積まなくちゃ駄目だ」
「飯道山に帰るのね」
「うん、取り合えずは‥‥‥」
「あたしは平気よ。元々、あなたが水軍の大将の息子だなんて知らなかったし、それに、あなたが決めた事ですもの、あたしはあなたに付いてくだけよ。どこでも付いて行くわ」
太郎は楓の肩を抱き、大きく頷いた。
「でも」と楓は言った。「何も相手を倒す事もないんじゃない。あなたがここからいなくなれば相手もおとなしくなるんじゃないかしら」
「うん‥‥‥そうかもしれないな‥‥‥」
翌日、太郎は父、隼人正の城に行った。うまい具合に父は城にいた。夕べ、戦場から帰って来たばかりで、今、重臣たちと戦評定(イクサヒョウジョウ)をしている所だと言う。
太郎は待たせてもらう事にした。
父は半時(ハントキ)程して現れた。また、すぐに戦に出掛けるのだろうか、戦支度のままだった。
「どうした。剣術道場はうまく行ってるか」父は太郎の顔を見るとそう言って、太郎の前に腰を下ろした。
「ええ、まあ‥‥‥戦の方はどうです」
「なかなか、手ごわいぞ」
「九鬼氏ですか」
「ああ、奴らは元々、わしらと同じ熊野水軍じゃ。一筋縄ではいかん。骨が一本通っている。お互いに恨みはないんじゃがな。時勢がらしょうがないのう。ところで、話とは何じゃ」
「実はちょっと言いにくいんですけど、もう一度、修行をやり直したいのですが」
「修行? 剣のか」
「はい。自分としてはまだまだ修行が足りません。まだ、人に教えるなんて早過ぎました」
「そうか」と父はゆっくりと頷き、「池田の事だな」と言った。
「知ってたんですか」
「ああ‥‥‥あいつも悪い奴じゃないが、あの試合以来、すっかり拗ねてしまった。あいつは今まで一度も負けた事がなくて、お前に初めて負けた‥‥‥わしは御前試合には反対だった。殿がお前の技をどうしても見たいと言った。見せるだけなら、相手はお前の道場に通っている若い者でも良かった。初めは、そういう約束だった。しかし、ああいう形になってしまった‥‥‥政治が色々とからんでおるんじゃ。派閥とか色々な‥‥‥先代の殿の死が早過ぎたんじゃ。今の殿は若過ぎる。そして、殿の回りにいるのが、また、ろくでもない奴らばかりじゃ」父は、ふんと鼻で笑った。「それで、これから、どうする」
「はい、甲賀に戻ります」
「そうか‥‥‥それも、しょうがあるまい」
「すみません」
「殿には、わしから言っておく‥‥‥また、戻って来いよ」
「はい、もう一回り大きくなって、戻って来ます」
父、隼人正は頷くと立ち上がって、出て行った。出て行く時、振り返り、「気を付けてな」と言った。
太郎は頷き、父の後ろ姿を見送った。
父はまた、すぐに戻って来た。「お前、多気の都に行った事あるか」と聞いた。
「多気?」
「ああ、北畠殿の城下だ」
「行った事ありませんけど」
「そうか、それじゃあ、甲賀に行く途中だから寄って行け」
「何か、用があるんですか」
「いや、そうじゃない。多気にお前に会わせたい人がいる」
「えっ?」
「無為斎(ムイサイ)殿という老人じゃ。もう隠居しておるが、あそこで香取の神道流を教えている。先代の教具卿も無為斎殿に習っていたそうじゃ。この間、五ケ所浦に来て、わしも会ったが、なかなかの人物じゃ。会っておけばお前の剣術のためにもなるだろう。後で、祐筆(ユウヒツ)の水谷の所に寄ってくれ。紹介状を書いておく」
「はい。わかりました‥‥‥」
「それじゃあな、頑張れよ」父は軽く手を上げると出て行った。
太郎はすでにいない父に向かって頭を下げた。
3
太郎と楓は、その日のうちに五ケ所浦を去って行った。
皆には、もう一度、修行の旅に出る、とだけ言って別れを告げた。
道場の方は祖父、白峰と弟の次郎右衛門、それと師範代の西村藤次郎に任せた。
祖父、白峰は毎日、張り切って子供たちに剣術を教えていた。道場が出来てから、祖父は若返ったかのように、毎日、生き生きとしていた。
桜の花弁が風に舞っている。
太郎と楓は伊勢街道からそれて山の中に入って行った。
普通ならば、剣峠を越えて宇治山田に出るのだが、途中、池田長左衛門の一味がいる切原を通らなければならない。太郎はそこを避けて、山の中を抜けて行く事にした。
三年前の丁度今頃、風眼坊に剣を習っていた時、毎日、通っていた道であった。
三年間、誰もこの山に登らなかったとみえて、あの頃の道はほとんど草で埋まっていた。しかし、元々、道のない所を太郎が作った道である。太郎は楓の手を引きながら草の中をわけもなく登って行った。
頂上の少し下には、風眼坊が暮らしていた山小屋があの時のまま残っていた。
懐かしかった。
太郎は楓に、風眼坊と出会った時の事や、ここでやった剣術の稽古の事など楽しそうに話した。小屋の中にはあの頃、太郎が使っていた木剣も風眼坊が使っていた酒のとっくりも、そのまま置いてあった。
「しばらく、こことも、お別れだな」
太郎と楓は城下と海を見下ろしていた。
これで三度目だった。山の上から城下を見下ろして、ここを去って行くのは‥‥‥
初めての時は二十日余り、二度目は二年、今度は、もっと長くなるような気がした。
「楽しかったわ」と楓が感慨深げに言った。「あなたの母上様も父上様もいい人だった‥‥‥それに妹のお澪さんも‥‥‥」
楓は両親を知らない。子供の頃から尼寺で育てられたため、家庭というものを知らなかった。楓は父とも母ともうまくやっていた。このまま、ずっと、ここにいた方が楓にとっては幸せだったのかもしれない、と太郎は楓の横顔を見ながら思っていた。
「さあ、行きましょ。二人の新しい旅立ちよ」と楓は笑って言った。
「すまんな」と太郎は言った。
楓は首を振った。「ここを離れるのは淋しいけど、ちょっと、ほっとしている所もあるの。あなたには悪いんだけど、武家の世界って何となく堅苦しいわ」
「そうか、実は、俺もそう思っていた」と太郎は笑った。
水軍の大将として、ここで一生、暮らすよりも、太郎は風眼坊のように色々な所を旅して、色々な事が知りたかった。
「よし、行くか、二人の新しい旅立ちだ」
二人が五ケ所浦に別れを告げ、山を下りようとした時だった。
「待て!」と言う声が二人を止めた。
「逃げるのか」と言ったのは太郎に右手を斬られた池田長左衛門だった。
長左衛門を囲んで、いつもの一味四人が太郎と楓を睨んでいた。
「俺は逃げる。もう二度と騒ぎは起こさないでくれ」と太郎は言った。
「俺が怖くて逃げたと言い触らすぞ」と長左衛門は言った。
「何とでも言え。ただし、水軍の連中には手を出すな」
「ほう、笑い者になりてえのか」
「笑い者でも何にでもしろ。俺は二度とここへは戻って来ない」
「逃げるお前はいいだろう。しかし、笑い者にされたお前の親父は何と言うかのう。お前には確か、弟もいたのう‥‥‥」
「弟には手を出すな」
「さあ、それはどうかな」と長左衛門の隣に立つ男が言った。「それに可愛いい妹もおるしのう。なかなかの別嬪らしいのう」
「妹にも手を出すな」
「お前がいなくなれば水軍の奴らなんて、ちょろいもんさ。片っ端から片輪にしてくれるわ」
「やめろ!」
「やめてもいいぞ」と、また別の男が言った。「その女をおいて行けば、やめてやる」
「何だと!」
「ねえちゃん、可愛いがってやるぜ」
「許さん!」
太郎は刀に手をやって鯉口(コイグチ)を切った。智羅天の形見の来国光だった。太刀拵えだったのを太郎は使い易いように打刀(ウチガタナ)拵えに変えていた。
「やめて!」と楓は止めた。
「こいつら、口で言ってもわからん。根っから、ひねくれている」
「やっと、やる気になったとみえるな」と五人は一斉に刀を抜いた。
太郎は楓を後ろにやると、刀を抜いて前に進み出た。
五人は刀を構え、太郎を囲んだ。
「殺せ!」と長左衛門が叫ぶと、太郎の左横にいた者が掛かって来た。
太郎はその刀をかわし、まず右横の相手を斬り、そして、後ろ、左横、前の相手と、あっという間に四人を斬り倒した。
剣と剣がぶつかる音は一度もしなかった。
四人共、喉を斬られ、血を噴き出して、息絶えた。
残るは長左衛門一人、左片手で刀を振り上げ、太郎の右横から掛かって来た。
太郎は長左衛門の喉も斬り払った。
長左衛門は刀を振り上げたまま、喉から血を噴き出し、後ろに倒れた。
太郎は刀の血を拭い、鞘に収めると楓の方を見た。
楓は茫然と立ち尽くしていた。
太郎は楓に向かって、首を横に振ってみせた。
「お前に見せる物じゃなかったな」
「仕方なかったのよ‥‥‥」と楓は目を伏せながら言った。「あの人たちは、初めから、あなたを殺そうとしてたのよ」
「見るな」と太郎は楓の顔を胸に抱き寄せた。「仕方なかった‥‥‥奴らがいたら五ケ所浦は二つに分かれてしまう‥‥‥」
「埋めた方がいいわ」と楓は言った。「いくら、悪い人でも、このままでは可哀想だわ」
「うん、そうしよう」
太郎は楓を風眼坊の小屋の中にやると、穴を掘って五人を埋め、お経を唱えて五人の冥福を祈った。
そして、二人は山を下りて行った。
22.多気の都1
1
太郎と楓はのんびりと旅をしていた。
とりあえず、目指す所は伊勢の国司、北畠氏の本拠地、多気の都だった。
太郎はどうも後味が悪いとずっと気にしていた。
自分では正しい事をしたつもりでも、五人もの生命を断ってしまった。他にもっといい方法はなかったのだろうか‥‥‥
奴らを生かしておいたら愛洲家は分裂してしまう。それに、奴らは妹や弟の事も言っていた。俺がいなくなったら、奴らは俺の代わりに妹や弟に手を出したに違いない。やはり、殺すしかなかったんだ‥‥‥
しかし、何かが引っ掛かっていて、自分で自分を納得させる事ができなかった。
「まだ、さっきの事を考えてるの」と楓が太郎の顔を覗いた。
「いや」と太郎は首を振った。
「ああするしか、しょうがなかったのよ。早く忘れた方がいいわ」
「ああ」
「あの五人がいなくなったんだから五ケ所浦も平和になるわ。きっと、水軍も陸軍も仲良くなって、一つになれるわ。あなたは新しい旅の門出に五ケ所浦の悪い鬼を退治したのよ。もしかしたら、天狗の太郎坊様があなたに乗り移って鬼退治したのかもしれないわ」
「天狗の太郎坊か‥‥‥懐かしいな」
「二人の新しい旅の門出なんだから、いやな事なんて忘れましょう」
「そうだな‥‥‥」
楓の言う通り、新しい旅の門出だった。
去年の五月、飯道山を後にして、五ケ所浦に帰って来た。まさか、こんなにも早く、故郷を後にして、また、旅に出るとは思ってもいなかった。しかし、『陰流』を完成させなければならなかった。『陰の術』もまだ完成してない。もっと、もっと修行を積んで、それらを完成させなければならない。それは五ケ所浦にいては無理だった。何かと忙しくて、そんな事をしている暇はなかった。また、もっと色々な人にも会いたいし、色々な所へも行ってみたかった。
楓の言う通り、いやな事は忘れてしまおうと太郎は思った。
多気の都には三日目に着いた。
途中、街道にはいくつも関所が設けてあり、通行の取り締まりが厳しかったが、父が用意してくれた手形のお陰で問題なく通る事ができた。
さすがに『伊勢の京』と言われるだけあって、多気の都は賑やかだった。驚く程の家々が建ち並び、大勢の人で賑わっていた。
街道の両脇には市が立ち、街道に沿って流れる川の河原にまで、びっしりと店が並んでいる。食べ物はもとより日用雑貨、衣服、農具から武器や甲冑、馬までも、あらゆる物が売っていた。また、河原の一画では念仏踊りや猿楽(サルガク)などの見世物もやっている。
伊勢神宮の門前町、宇治と山田も賑やかだが、また、あそことは違う、華やかさがあった。
これが都というものか、と太郎は人波に揉まれながら感心していた。戦が始まる前の京の都もこんな風に賑わっていたんだろうな、と思った。
楓は着物や櫛(クシ)やかんざしなどの店を見つけると太郎の手を引っ張って連れて行き、楽しそうに見て回った。
とりあえず、二人は父の紹介してくれた旅籠屋『橘屋』に落ち着いた。
それは立派な旅籠屋だった。
この辺りには宿屋がかなり並んでいるが、その中でも橘屋の大きさは際立っていた。あまりに立派過ぎて、かえって、二人はまごついて、おどおどしてしまった。太郎の身分からすれば、この位の旅籠屋に泊まるのは当然な事なのだが、あまり慣れていない。今まで、旅はしても、ほとんどが野宿か寺に泊まるかで、ちょっと贅沢をしても、木賃宿か安い旅籠屋に泊まる位だった。
父も何度か、この旅籠屋を利用しているらしく、旅籠屋の主人は父の事を知っていた。海にばかりいるものだと思っていた父が、こんな所に何度も来ていたなんて、何となく変な気がした。
旅籠屋の主人は太郎たちを丁寧に持て成してくれた。太郎たちが驚いていたのと同じく、主人の方でも驚いていた。この物騒な時期に供も連れずに、たった二人だけで、しかも、女連れで五ケ所浦から来るなんて、大した度胸だと感心していた。
この旅籠屋の主人の名は弥兵衛といい、四十半ば位の年で、腰の低い、生まれながらの商人という感じの男だった。旅籠屋を始めてから五代目で、北畠氏がここを本拠地に決め、ここに移って来てから、ずっと、ここで旅籠屋をやっているとの事だった。
五ケ所浦の方々はよく利用してくれるが、二人だけで来たのは初めてだと笑いながら言った。
太郎は父から紹介してもらった倉田無為斎の事をさりさりげなく聞いてみた。
弥兵衛は無為斎を知っていた。知っているが、今、どこにいるかはわからない。町にいると、あちこちから武術の修行者が訪ねて来て、うるさいので山に隠れてしまったのだと言う。
弥兵衛は太郎に、「武術の修行をなさっておられるのでございますか」と聞いた。
「はい」と太郎は答えた。
「そうでしたか」と弥兵衛は頷くと、「恥ずかしながら、実は、私もやっているんですよ」と笑いながら言った。
弥兵衛の話によると、多気の都には武士たちの道場はもとより、町人や農民たちに武術を教える道場もあるという。
多気では神道流の武術が盛んだった。
神道流は下総(シモウサ)の国(千葉県北部と茨城県南西部)の住人、飯篠長威斎(イイザサチョウイサイ)が鹿島、香取の両神宮に祈願して編み出した武術流派で、長威斎は一時、京に出て来て将軍義政にも武術指南をした事があった。
今は亡き先代の北畠権大納言(ゴンダイナゴン)教具は上京した時、長威斎の武術を見て、自分も習いたいと思い、長威斎の弟子の無為斎を多気に連れて来たのだった。教具は無為斎のために立派な道場を建て、自らも武術に励んだため、神道流は益々、盛んになって行った。
今の殿、北畠右近衛少将(ウコノエショウショウ)政郷は武術よりも風流を好んだが、時代が乱世だけに、町人や農民たちの中にも武術を習いたいと言う者も多くいて、町の道場も栄えているとの事だった。
弥兵衛は無為斎の居場所を、明日、町道場の先生に聞いてみてあげましょう、と言って出て行った。
「よかったわね」と楓は笑った。「あの人、いい人みたいだし、きっと、無為斎っていう人、捜してくれるわよ」
「うん、そうだな。でも、無為斎ってどんな人かな。父上の話だと、もう隠居した老人だと言うし、今の主人の話だと山の中に隠れていると言うし‥‥‥」
「仙人みたいな人かしら」
「かもな」
「ねえ、もう一度、市に行きましょうよ。珍しい物が一杯あるわ。さすが、多気の御所様だわ。ねえ、そう言えば松恵尼様、良くは知らないけど北畠のお殿様と関係あるのよねえ。よく、ここの事を聞かされたわ」
「松恵尼様か‥‥‥」と太郎は窓から外を眺めながら言った。
丁度、庭を挟んで街道に面している部屋で、人々が行き交っているのが見えた。
「そうだ。何か、お土産、買って行かなくちゃ」と楓も外を見ながら言った。
「そうだな。急に出て来たから、何も、お土産、持って来なかったな」
「ねえ、早く行きましょうよ」
楓にせきたてられて、太郎は楓と共に賑わいの中に入って行った。
次の日の昼過ぎ、太郎と楓は橘屋弥兵衛に連れられて、大きくて豪勢な北畠氏の居館、多気御所の前を通って町道場へと向かった。
御所の辺りには武家屋敷がずらりと並んでいた。同じ通りなのに橘屋の前とは雰囲気が全然違っている。御所の回りは勿論の事、武家屋敷の門の前には重々しく武装した武士たちが道行く人々を睨みつけていた。
武家屋敷の建ち並ぶ一画を抜けると、また、町人たちの町となり、寺の門前には市が立っていた。その市の中を通り抜け、細い路地に入り、河原に下りて舟橋を渡って、しばらく行くとたんぼの中に出た。そのたんぼの中に町道場はあった。
竹垣に囲まれた道場の門に『天真正伝神道流兵法(テンシンショウデンシントウリュウヒョウホウ)指南所』と書かれた板が掲げてあった。
道場内には稽古している者は誰もいない。隅の方で若い男が一人、薪を割っていた。
皆、仕事をしているため、稽古が始まるのは夕方からだと言う。
門をくぐると弥兵衛は若い男に声を掛けた。「八郎や、先生はおるかね」
八郎という男はこちらを向くと、「あっ、旦那、ええ、先生はいますよ。夕べ、遅くまで飲んでいて、今さっき、起きたばっかや、今、飯を食ってますわ」と言って、太郎たちを見ながら頭を下げた。
「またかい、しょうがないのう」
弥兵衛は、ちょっと待っててくれと太郎たちに言って、道場の隅に建つ小さな家に入って行った。
八郎という男も家の中に入って行った。
「飲兵衛みたいね、ここの先生」と楓が言った。
「うん。俺の師匠も飲兵衛だったぜ」と太郎は言った。
「あの、風眼坊様が?」
「ああ、酒を飲むのも修行のうちだって、よく言っていた」
「へえ、そうなの‥‥‥あなたもお酒の修行をしたの」
「いや、俺はたまに飲むだけさ」
「無為斎っていう人も飲兵衛かしら」
「どうかな‥‥‥」
「山に隠れて何やってるのかしら」
「さあな‥‥‥」
「だって、もう、お年寄りでしょ、今さら修行でもないし、やっぱり、毎日、お酒、飲んでるのよ」
弥兵衛が出て来て、手で差し招いた。
「先生は無為斎殿の居場所を御存じだそうです」と弥兵衛は小声で言った。
太郎と楓は弥兵衛と一緒に家に入った。
町道場の先生、川島与三郎は、「狭い所ですが、まあ、どうぞ」と二人を部屋に上げた。
「ちょっと、散らかってますがな、何せ、女っ気がないもんで」
川島与三郎は小太りの目のくりっとした四十半ば位の男だった。
「愛洲殿、無為斎殿に会いたいそうじゃが、何か、御用でもおありですかな」川島は太郎たちを囲炉裏端に案内し、腰を下ろすと言った。
「いえ、用という程の事ではありませんが、一緒にお酒でも飲みたいと思いまして‥‥‥」
「何、酒を」と川島は丸い目をさらに大きくして太郎を見つめた。「わざわざ、無為斎殿と酒を飲むために訪ねて参ったと申すか」
「はい」と太郎は頷いた。
川島はしばらく、太郎と楓を交互に見ていたが、「こいつはいい」と膝をたたくと急に大笑いした。
「愛洲殿とやら、おぬし、面白い奴よのう。いや、失礼した。無為斎殿の神道流を見に来たと言うのなら断ろうと思っておったが、酒を飲みに来たと言うのでは断れんのう。色んな奴らがあちこちから無為斎殿を訪ねて来てのう。無為斎殿はうるさがって山の中に隠れてしまったんじゃ。まあ、それだけじゃないがの‥‥‥ここだけの話じゃが、本当は若い女子と二人きりで山の中で楽しんでおるんじゃよ」
川島はまた、大口をあけて笑った。
「無為斎殿はもう、お年寄りだと聞きましたが‥‥‥」と太郎は聞いた。
「ああ、もう七十の爺いじゃよ、いい年して、みっともないと言うか羨ましいと言うか、五十も違う若い女子と二人で暮らしておるわ。橘屋の旦那、これは内緒だぞ」
「はい、わかっております」と弥兵衛は真面目な顔で頷いた。
「そうか、酒を飲みに参ったか‥‥‥うむ、わしも最近、無為斎殿に会っておらんし、久々に酒でも飲みに行こうかのう。どうじゃ、橘屋も一緒に行かんか」
「はい。私も、ぜひ、無為斎殿に会ってみたいと思っておりました」
「よし、それじゃあな、七つ時(午後四時)頃どうじゃな。わしが橘屋に行く。無為斎殿のいる山は白口門の先じゃからな」
「はい、かしこまりました。お酒の方は私が用意いたしましょう」
「そいつは助かる」
「しかし、先生、道場の方はいいんですか」
「ああ、大丈夫じゃ。わしなどおらんでも、中村と宮田がちゃんとやってくれておる。奴らも強くなったもんじゃ。そこいらの威張っているだけのへなちょこ侍よりは、よっぽど強いぞ」と川島は笑った。
三人は道場を後にした。
「なかなか、やりますな」と弥兵衛は道場の外に出ると太郎に言った。
「一緒に酒を飲みたいというのはいい。私も驚きましたよ。まさか、あんな事を言うなんて思いもしませんでした。川島先生もあれで、ちょっと臍が曲がってる所がありますからな、兵法の話などしたら無為斎殿に会わせてもらえなかったかもしれません。あれは、初めからの作戦だったのですか」
「いえ」と太郎は答えて、楓と顔を見合わせると笑った。「あの時、川島殿を見て、ひらめいたのです」
「そうでしたか。さすが、違いますな、大将になられるお方は」
弥兵衛は太郎が照れてしまう程、太郎を誉めた。
楓は太郎の横で笑っていた。
弥兵衛は川島与三郎の事を道々、話してくれた。
今から十年程前、北畠教具に呼ばれて倉田無為斎が多気に来た時、三人の弟子を連れて来た。その中の一人が川島与三郎だった。あとの二人は新発田権右衛門、森本辰之介で、新発田は今、北畠氏の家臣となり武家の武術指南をしている。森本はここに二年ばかりいたが下総に帰ってしまった。
川島はなぜか、武家を嫌って北畠氏の家臣にもならず、六年前から町に出て来て道場を開き、町民、農民を相手に気楽にやっている。若い頃から飯篠長威斎について旅ばかりしていたため、未だに嫁も貰わず、独り者で、回りの者が色々と世話をやいてるが、なかなかうまく行かない。
ちょっと酒が好きじゃが、いい人なのにな、と弥兵衛は言った。
「ついでじゃから、お武家様の道場も見て行きなさるかな」と弥兵衛は御所の側まで来ると太郎に聞いた。
「はい、できれば‥‥‥」
弥兵衛は頷くと御所の手前を左に曲がった。
御所を囲む濠に沿って奥の方へと進んで行った。御所の反対側には犬追物(イヌオウモノ)の馬場があり、その奥に武術道場はあった。進むにつれて、木剣の音や掛声が聞こえて来た。盛んに稽古をやっているらしい。
さすが、北畠氏の武術指南所だけあって立派な道場だった。広い庭があり、正面に大きな建物が建っていた。まるで、大寺院の本堂を思わせる、その建物が室内道場だと言う。庭の左側は高い塀で隔てられ、中は見えなかったが、弥兵衛が言うには町道場の倍程もある広い道場だと言う。塀の向こう側は静かだった。皆、建物の中で稽古をしているらしい。
弥兵衛は二人を庭の所に待たせ、道場の中に入って行った。
弥兵衛は随分と顔が広いようだった。父はいい人を紹介してくれた、と太郎は父に感謝した。
弥兵衛はなかなか戻って来なかった。
太郎は塀の隅にある木戸を開けてみた。鍵は掛かっていなかった。太郎はちょっと中を覗いた。確かに、そこは広い道場だった。そして、塵一つない程、綺麗に掃かれてあった。室内道場の方を見ると、大きな扉が開け放しになっていて中の様子がよく見えた。
およそ、三十人位の者が稽古に励んでいる。時節がらか、槍と薙刀の稽古をしている者がほとんどで、剣の稽古をしている者はいなかった。
「ねえ、早く帰りましょうよ」と楓が声を掛けた。「何か、いやな予感がするわ」
「そうだな、ここで問題は起こしたくないしな」と太郎は木戸を閉めた。
弥兵衛はやっと戻って来た。
「新発田殿は留守じゃった。師範代の藤田殿がおったが、よそ者には見せるわけにはいかないそうじゃ。どうしても見たかったら町道場に行けと言っていた。見たからといって減るものでもないのにのう」
「いいですよ。帰りましょう」
帰り道、武士たちは町道場の先生を馬鹿にしておるんじゃと弥兵衛は話した。
先生は武士たちに何を言われても気にしないで平気でいるが、それが、また、良くない。一度、奴らを懲らしめてやればいいんじゃ。あそこの道場の師範、新発田殿より川島先生の方が本当はずっと強いんじゃと弥兵衛は言った。
それは本当ですか、と太郎が聞くと、ああ、わしは知っていると答えた。
あれは、もう十年も前の事だが、無為斎殿がまだ来たばかりの頃、先代の御所様が御前試合を行なった。京からも飯篠長威斎殿や、そのお弟子さんたちもかなり来て賑わった。わしは、ある人の紹介で特別にその試合を見る事ができた。その時、川島先生と新発田殿が試合をしたんじゃ。圧倒的に川島先生の方が強かったんじゃよ。あの試合を見たのは武士でもお偉方ばかりじゃったから、今、道場で稽古している連中は誰も知らん。だが、川島先生の方が強いのは事実じゃ。
弥兵衛は橘屋に着くまで、川島先生の事を話し続けた。
太郎と楓は川島先生が来るまで部屋で待つ事にした。
太郎と楓、橘屋弥兵衛は川島先生に連れられて多気の都を抜け、北を守る白口の砦の門をくぐり、川に沿って北上した。小さな村を過ぎた所で右に曲がり、山の中へと入って行った。
薄暗い細い山道を四半時(三十分)程、歩くと急に視界が開け、眺めのいい所に無為斎の隠居する屋敷があった。
太郎は粗末な草庵を想像していたが、とんでもなかった。それは、大きくて立派な公家の御殿のようだった。
門をくぐると綺麗な水の流れている小川に橋が掛かり、その橋を渡ると、また、大きな門があり、その門をくぐると広い庭に出た。
左側に庭園があり、右側に大きな屋敷が並んでいた。その屋敷の大きさは田曽浦にある太郎の屋敷は勿論の事、父の屋敷よりも、愛洲の殿の屋敷よりも大きかった。その大きな屋敷が二つ並び、渡り廊下でつながっている。くぐって来た門の方を見ると、その門の上が渡り廊下になっていて、池の側に建つ離れの屋敷へと続いていた。
「ほう、随分、御立派なお屋敷で‥‥‥」と弥兵衛は口をあけたまま感心していた。
「凄いわね、まるで御殿だわ」と楓も目を見開いて無為斎の隠居所を見ていた。
「凄い‥‥‥」と太郎もあいた口がふさがらなかった。
誰だって山の中にこんな建物があるなんて思いはしない。驚くのは当然だった。
立派なのは建物だけではなかった。庭園も立派だった。広い庭に色々な木が植えられ、大きな石が並べられ、山があり、池があり、川まで流れていた。池には島が浮かび、その島には赤い太鼓橋が架けられてあった。太鼓橋はもう一つ、川にも架けられ、向う側にも行けるようになっている。そして、その庭園の向こうには山々の連なる大自然が広がっていた。
「これは、先代の御所様の道楽なんですよ」と川島先生は言った。
先代の北畠教具は上京した時、将軍義政の花の御所の建物や庭園を見て、その華麗さ、贅沢さに驚き、ぜひ、多気の御所もこのようにしたいと思った。そして、京から建築、造園の専門家、宮大工や山水河原者らを呼び寄せ、御所の改築を行なった。
それが病み付きになり、足利義視が伊勢に逃げて来た時には、わざわざ、教具みずから采配をふるい、迎賓館まで建てている。
無為斎が隠居して山に籠もりたいと言うと、さっそく、いい場所を捜しだして工事を始めてしまった。無為斎としてはわざわざ、隠居所など作ってもらう気など毛頭なかったが、教具は任せておけと立派な隠居所を作ってしまった。
教具としては将来、自分の隠居所を作ろうと思い、そのための手本として、無為斎の隠居所を作っていたわけだが、作っているうちに熱中してしまい、初めの計画よりもかなり贅沢なものとなってしまった。ところが、教具は無為斎の隠居所の完成から二年後に亡くなってしまい、自分の隠居所を作る事はできなかった。
「ちょっと、待っていて下され」と川島先生は言うと屋敷の入り口の階段を昇って行った。
屋敷の戸は開けられたままで、中まで見えたが、人影は見当たらなかった。これ程の屋敷なら、使用人も数多くいるはずなのに、やけに静かだった。
三人は庭園を散歩しながら待っていた。
庭園の方から屋敷を見ると、奥の方は全く使っていないのか、戸が締め切ったままになっている。武家屋敷で言えば手前の屋敷が、常に暮らしている屋敷で、奥の屋敷が客の接待に使う晴れの屋敷のようだった。今は亡き教具卿が来た時は、その屋敷で接待したに違いない。しかし、今、その晴れの屋敷は戸を閉ざしたままになっていた。その屋敷の奥にも小さな離れが付いていた。
辺りは暗くなって来た。
「ねえ、凄いわね」と楓が小声で太郎に言った。「無為斎っていう人、こんなお屋敷を貰って隠居してるなんて、よっぽど偉い人だったのね」
「ああ、凄いな」
「もしかしたら、あたしたちなんか、直接、口も聞けないような偉い人なんじゃないかしら」
「まさか、そんな事はないだろう」と太郎は言ったが、無為斎っいう人間がどんな人なのか、まったくわからなくなって来ていた。
神道流の達人で、隠居して山に籠もっていると聞いた時、太郎は智羅天を思い出していた。山伏でないにしろ、あんな感じの人だと思っていた。それが、川島先生の話だと、若い娘と一緒に暮らして楽しんでいると言うし、隠居して住んでいる所はこの立派な御殿だし‥‥‥太郎には無為斎がどんな人間なのか、さっぱりわからなかった。
川島先生は戻って来ると首を振った。「おかしいな、誰もいませんよ」
「誰もいない? こんな大きな屋敷に」と弥兵衛は屋敷を眺めながら言った。
「ええ、前に来た時には、使用人が随分、居て、賑やかだったんですけどねえ」と川島先生は首を傾げた。
「どうしたんでしょうな、無為斎殿はもう、どこかに行かれてしまったのでしょうかねえ」
「いえ、人が住んでる気配はあります。もしかしたら、ちょっと、市にでも出掛けたのかもしれません」
「そうですな、それでは少し待ってみますか」
四人が太鼓橋を渡って、中の島に行こうとした時だった。
門とは反対側の方から話し声が聞こえ、やがて、汚れた野良着を着た老人と若い娘が現れた。
老人は鍬をかつぎ、娘の方は野菜を抱え、笑いながら話をしていた。
川島先生は二人の方に近づくと、「お久し振りです」と言って、頭を下げた。
「やあ、川島か、珍しいのう」と老人は日に焼けた皺(シワ)の深い顔で笑った。
「今日はお客さんを連れて参りました」
「おお、そうか。今、畑から野菜を取って来た所じゃ。まあ、上がれ。さあ、皆さん、どうぞ」
太郎、楓、橘屋の三人は橋の上で呆然としていた。
川島先生が声を掛けなければ、誰も、この老人が無為斎だとは信じはしないだろう。この屋敷の使用人が畑から帰って来たものだと思っていた。どう考えてみても、この屋敷と、この鍬をかついだ主人は絶対に不釣合いだった。しかし、太郎も楓も橘屋もどこか、ほっとしていた。
無為斎は広い屋敷の中の一番狭い部屋にみんなを案内した。
この部屋しか使っていないと言う。前は何人もの使用人を置いていたが、全員、追い返した。こんな広い屋敷にいて、使用人に囲まれていたら下界にいるのと同じで、隠居して山に隠れた意味がない。今ではたった二人きりで、のんびり楽しく暮らしていると言う。
それでも、先代の御所様の生きていた頃は、結構、訪ねて来る客もあったが、御所様が亡くなってからというもの、忘れられたように誰も来なくなって、少し寂しい気持ちもしていたと言う。
太郎たちは無為斎たちに歓迎された。
その晩は、無為斎の若妻、お涼の手料理を肴に六人は飲み明かした。
楓が思っていた通り、無為斎は飲兵衛だった。しかし、仙人のようではなかった。仙人のように長い白髪に長い白髭などなく、頭はつるつるに光っていて、髭は綺麗に剃ってあった。体つきもがっしりとしていて、顔色も良く、とても、七十歳には見えなかった。長年、神道流で鍛えているせいか動きもてきぱきとしている。見た感じは武術の達人というよりは禅僧のような感じを受けた。
無為斎は酔うにつれて、若い頃の修行の事や戦の事、師の飯篠長威斎の事など、懐かしそうに話し出した。
長威斎は若い頃、鹿島に古くから伝わる中古流の名手として戦にも何度も出て、一度として負けた事がなかったという。六十余歳で隠居してのち、思う所あって、香取大神に祈願して、千日間の厳しい修行をし、満願の日に自ら悟って、『天真正伝神道流』を開いたのだと無為斎は言った。
「わしよりも十五歳も年上じゃが、長威斎殿は未だに元気でいらっしゃる」
太郎の知らない関東の地の話もしきりに出た。
常陸(茨城県北東部)の鹿島神宮と下総の香取神宮は霞ケ浦を挟んで、向かい合って建っている。三里程しか離れていなかった。鹿島、香取の両神は武術の神として崇拝され、古くから両神宮では武術の研究が盛んで、武術の聖地として、各地から武芸者たちが集まり栄えていた。鹿島、香取に伝わる古流をまとめ、自らも工夫をし、神道流としたのが長威斎だった。神道流は総合武術で剣、槍、薙刀、棒、弓、すべての武術が含まれていた。
無為斎も川島先生も若い頃、師の長威斎と共に両神宮で修行を積んで来たと言った。また、武術の修行をする者は一度は必ず、両神宮を訪れなければならないとも言った。
太郎も行ってみたいと思った。今の自分はまったくの自由の身である。行こうと思えば、明日にでも行けた。いっその事、このまま関東の地まで、行ってしまおうかとも思った。
朝、目が覚めたら、楓はすでに起きていて、いなかった。
昨夜(ユウベ)、楓とお涼は先に休んだが、太郎たちは遅くまで飲んでいた。無為斎は久し振りに客人を迎え、嬉しかったのか、一人で喋りまくっていた。
太郎は起きると支度をして厠(カワヤ)に向かった。
すでに外は明るかった。昨夜は、つい調子に乗って飲み過ぎたようだった。
頭が少し重かった。厠で用を済ませ、昨夜、みんなで飲んでいた部屋を覗いて見ると、綺麗に片付けられ、楓が朝食の用意をしていた。
「早いな」と太郎は楓に言った。
「何、言ってんのよ。橘屋さんは、もう、ずっと前に帰って行ったわよ」
「へえ、もう、みんな、帰っちまったのか、俺たちは取り残されたのか」
楓は首を振った。
「帰ったのは、橘屋さん一人よ。川島の先生はまだ寝てるわ」
「何だ、そうか。俺が一番最後まで寝てたんかと思った。無為斎殿は?」
「わからないわ。起きてる事は確かだけど、どこで何してるのかわからないわ」
「ふうん。元気な爺さんだな」
「とても、七十には見えないわね」
「ああ。俺はちょっと散歩でもして来るよ」
「もうすぐ、御飯よ」
太郎は頷くと庭の方に向かった。
それにしても、立派な庭園だった。
太郎は石に腰掛けて池を覗いた。鯉が何匹も泳いでいた。
昨夜は酔った。しかし、気持ちのいい酔い方だった。
無為斎殿も川島先生も酒が強かった。途中までははっきりと覚えているが、後半の方はあまり覚えていない。二人の話を聞いてばかりいて、自分ではあまり喋らなかったつもりだが、はっきりと覚えていない。
調子に乗って、陰の術や陰流の事などの話しはしなかっただろうか。
その二つはまだ、人に自慢して話せるような事ではなかった。まして、大先輩の前で言える事ではなかった。多分、言ってはいないと思うが、よくわからなかった。やはり、師匠の言う通り、酒の修行もしなければ駄目だなと思った。
それにしても、神道流というものを一度、見てみたいものだ。成り行きから、見せてくれとは言えなくなってしまったが、ここまで来たら神道流を見るまでは帰れないなと思った。
「愛洲殿」
川島先生の声がした。
太郎が振り返ると、川島先生は大きなあくびをして体を伸ばしていた。
「おはようございます」と太郎は挨拶をした。
「おお、昨夜はよく飲んだのう」
「はい、ちょっと飲み過ぎました」
「何を言うか、若いもんが。橘屋はどうした、まだ、寝てるのか」
「いいえ。もう、帰ったそうです」
「何だ、もう、帰った? 相変わらず忙しい奴よのう」
川島先生はまた、大きなあくびをした。
「どうじゃ、朝飯前にちょっと体を動かさないか」
「えっ?」
「おぬしの山伏流剣術とやらを見たいんでな」
「はい、ぜひ、お願いします」
「よし、待っておれ。木剣を見つけて来る」
川島先生が木剣を持って来ると、二人は間を置いて構えた。
お互いに中段の構えだったが、川島の方が腰の位置が低かった。やはり、神道流は甲冑を身に着けての陸の剣法だった。
「いくぞ」と川島は言うと間合を詰め、剣を振りかぶった。振りかぶり方も、やはり、兜を意識して、頭上ではなく右肩の上だった。
右肩に振りかぶった剣を川島は、太郎の左腰を狙って横に打って来た。
太郎はそれを、剣を振りかぶると共に体を後方にずらして、ぎりぎりの所で避けた。避けると同時に川島の右手を狙って剣を打ち下ろした。
川島は太郎の剣を木剣で受け止めると、そのまま、力まかせに太郎の剣をはじき、はじかれて体勢を崩した所を打とうと思ったが、太郎は体勢を崩さなかった。
太郎は下段に構えた。
川島は不思議な構えをした。左足を大きく踏み出し、両手を胸の辺りで交差させ、剣の刃を上に向け、剣先を太郎に向け、剣を左上腕に載せるように構えていた。以前、師の風眼坊から教わった『霞(カスミ)の太刀』の変形だった。
太郎は下段から、八相に構えを変えた。
川島はその構えから右足を踏み込みながら、剣を巻き返すように太郎の左首を狙って来た。
太郎はそれをかわすと、伸びきった川島の両手を狙って剣を打ち下ろした。しかし、太郎の剣は川島の剣に受け止められた。太郎は剣をはじかれる前に引き、また、八相の構えに戻った。
川島は中段の構えに戻った。
しばらくは二人共、そのままで動かなかった。
「それまでじゃ」と無為斎の声がした。
太郎と川島は構えを解き、木剣を下ろした。
いつの間にか、無為斎が庭園の太鼓橋のそばに立って、二人を見ていた。
屋敷の方では、楓とお涼も二人の方を見ている。
無為斎はニコニコしながら、二人に近づいて来た。
「いい勝負じゃな」
「やあ、なかなかやりますよ」と川島は笑った。「まさか、これ程、強いとは‥‥‥山伏の剣術などと軽い気持ちでかかったら、とんでもない。やあ、参った、参った」
「愛洲殿、今度は、わしの相手をしてくれんかな」と無為斎が言った。
「はい、よろしくお願いします」と太郎は頭を下げた。
願ってもない事だった。まさか、無為斎が相手をしてくれるとは思ってもいなかった。
太郎と無為斎は木剣を構えた。
太郎は中段、無為斎は下段だった。
無為斎は下段に構えるといっても、構える風ではなく、ただ、木剣を持っているだけという感じだった。隙だらけだった。
太郎は中段に構えたまま、無為斎の目を見つめた。
無為斎の目はぼんやりとしていた。何を考えているのかまったくわからない。やる気がないというか、ただ、ぼんやりと立っているだけだった。
太郎は木剣を上段に上げた。
無為斎の変化はなかった。
打とうと思えば、どこでも打てた。
ところが、なぜか、打つ事ができなかった。
太郎は少しづつ間合いを詰め、上段から、八相の構えに移した。
無為斎はまったく、変化しない。
どうした事か、太郎には打ち込む事ができなかった。
前に、飯道山で高林坊と初めて立ち会った時と同じだった。何もしないでいる無為斎の存在が、やたらと大きく感じられる。しかし、あの時の高林坊は太郎を押しつぶすかのようだったが、無為斎の場合は太郎を静かに包みこんで行くようだった。
不思議な力に包み込まれ、太郎は身動きができなかった。
無為斎の木剣が少しづつ上がって、中段の構えとなった。
無為斎の木剣の剣先が太郎の胸を刺すかのように向けられた。
太郎は八相に構えたまま動けなかった。
無為斎は静かに間合を詰めながら、少しづつ剣を上げていった。
やがて、剣は天を刺すかのように、無為斎の頭上に真っすぐに立った。
そして、その剣は太郎の左腕めがけて落ちて来た。それは、ゆっくりと落ちて来たように思えたが素早かった。
太郎に避ける間がなかった。
無為斎の剣は太郎の左腕をかすりながら落ちて行った。
無為斎は元の下段に戻ると剣を引いた。
太郎も剣を引き、無為斎に頭を下げた。
「どうじゃな、今の剣が神道流の極意、天の太刀じゃ」と無為斎は言った。
「天の太刀?」
「うむ、鹿島に古くから伝わる鹿島の太刀の一つじゃ。剣の極意なんていうものは、昔から変わりはせんものじゃ」
「天の太刀‥‥‥初めて見せていただきました」と川島先生が厳粛な面持ちで言った。
「愛洲殿、そなたは確かに強い」と無為斎が言った。「強いが、今のそなたには心に迷いがある。心に曇りがあると剣はにぶる。どんな達人でも心が曇っていれば、それは命取りになる。人は生きている。生きている限り、色々な迷いが生じてくる。その迷いを一つ一つ乗り越えなければならん。剣の道で生きていく限り、常に、心を磨いていなければならんのじゃ」
「参ったな。わしの事を言われているみたいじゃのう」と川島先生が笑った。
「はい、おしまいよ」とお涼が手を打った。「朝飯前のお稽古はおしまいよ。ご飯の用意ができてますよ」
「そうか、腹、減ったのう」と無為斎は木剣をかつぎながら屋敷の方に行った。
「皆さんもどうぞ」とお涼は皆をうながした。
途中、街道にはいくつも関所が設けてあり、通行の取り締まりが厳しかったが、父が用意してくれた手形のお陰で問題なく通る事ができた。
さすがに『伊勢の京』と言われるだけあって、多気の都は賑やかだった。驚く程の家々が建ち並び、大勢の人で賑わっていた。
街道の両脇には市が立ち、街道に沿って流れる川の河原にまで、びっしりと店が並んでいる。食べ物はもとより日用雑貨、衣服、農具から武器や甲冑、馬までも、あらゆる物が売っていた。また、河原の一画では念仏踊りや猿楽(サルガク)などの見世物もやっている。
伊勢神宮の門前町、宇治と山田も賑やかだが、また、あそことは違う、華やかさがあった。
これが都というものか、と太郎は人波に揉まれながら感心していた。戦が始まる前の京の都もこんな風に賑わっていたんだろうな、と思った。
楓は着物や櫛(クシ)やかんざしなどの店を見つけると太郎の手を引っ張って連れて行き、楽しそうに見て回った。
とりあえず、二人は父の紹介してくれた旅籠屋『橘屋』に落ち着いた。
それは立派な旅籠屋だった。
この辺りには宿屋がかなり並んでいるが、その中でも橘屋の大きさは際立っていた。あまりに立派過ぎて、かえって、二人はまごついて、おどおどしてしまった。太郎の身分からすれば、この位の旅籠屋に泊まるのは当然な事なのだが、あまり慣れていない。今まで、旅はしても、ほとんどが野宿か寺に泊まるかで、ちょっと贅沢をしても、木賃宿か安い旅籠屋に泊まる位だった。
父も何度か、この旅籠屋を利用しているらしく、旅籠屋の主人は父の事を知っていた。海にばかりいるものだと思っていた父が、こんな所に何度も来ていたなんて、何となく変な気がした。
旅籠屋の主人は太郎たちを丁寧に持て成してくれた。太郎たちが驚いていたのと同じく、主人の方でも驚いていた。この物騒な時期に供も連れずに、たった二人だけで、しかも、女連れで五ケ所浦から来るなんて、大した度胸だと感心していた。
この旅籠屋の主人の名は弥兵衛といい、四十半ば位の年で、腰の低い、生まれながらの商人という感じの男だった。旅籠屋を始めてから五代目で、北畠氏がここを本拠地に決め、ここに移って来てから、ずっと、ここで旅籠屋をやっているとの事だった。
五ケ所浦の方々はよく利用してくれるが、二人だけで来たのは初めてだと笑いながら言った。
太郎は父から紹介してもらった倉田無為斎の事をさりさりげなく聞いてみた。
弥兵衛は無為斎を知っていた。知っているが、今、どこにいるかはわからない。町にいると、あちこちから武術の修行者が訪ねて来て、うるさいので山に隠れてしまったのだと言う。
弥兵衛は太郎に、「武術の修行をなさっておられるのでございますか」と聞いた。
「はい」と太郎は答えた。
「そうでしたか」と弥兵衛は頷くと、「恥ずかしながら、実は、私もやっているんですよ」と笑いながら言った。
弥兵衛の話によると、多気の都には武士たちの道場はもとより、町人や農民たちに武術を教える道場もあるという。
多気では神道流の武術が盛んだった。
神道流は下総(シモウサ)の国(千葉県北部と茨城県南西部)の住人、飯篠長威斎(イイザサチョウイサイ)が鹿島、香取の両神宮に祈願して編み出した武術流派で、長威斎は一時、京に出て来て将軍義政にも武術指南をした事があった。
今は亡き先代の北畠権大納言(ゴンダイナゴン)教具は上京した時、長威斎の武術を見て、自分も習いたいと思い、長威斎の弟子の無為斎を多気に連れて来たのだった。教具は無為斎のために立派な道場を建て、自らも武術に励んだため、神道流は益々、盛んになって行った。
今の殿、北畠右近衛少将(ウコノエショウショウ)政郷は武術よりも風流を好んだが、時代が乱世だけに、町人や農民たちの中にも武術を習いたいと言う者も多くいて、町の道場も栄えているとの事だった。
弥兵衛は無為斎の居場所を、明日、町道場の先生に聞いてみてあげましょう、と言って出て行った。
「よかったわね」と楓は笑った。「あの人、いい人みたいだし、きっと、無為斎っていう人、捜してくれるわよ」
「うん、そうだな。でも、無為斎ってどんな人かな。父上の話だと、もう隠居した老人だと言うし、今の主人の話だと山の中に隠れていると言うし‥‥‥」
「仙人みたいな人かしら」
「かもな」
「ねえ、もう一度、市に行きましょうよ。珍しい物が一杯あるわ。さすが、多気の御所様だわ。ねえ、そう言えば松恵尼様、良くは知らないけど北畠のお殿様と関係あるのよねえ。よく、ここの事を聞かされたわ」
「松恵尼様か‥‥‥」と太郎は窓から外を眺めながら言った。
丁度、庭を挟んで街道に面している部屋で、人々が行き交っているのが見えた。
「そうだ。何か、お土産、買って行かなくちゃ」と楓も外を見ながら言った。
「そうだな。急に出て来たから、何も、お土産、持って来なかったな」
「ねえ、早く行きましょうよ」
楓にせきたてられて、太郎は楓と共に賑わいの中に入って行った。
2
次の日の昼過ぎ、太郎と楓は橘屋弥兵衛に連れられて、大きくて豪勢な北畠氏の居館、多気御所の前を通って町道場へと向かった。
御所の辺りには武家屋敷がずらりと並んでいた。同じ通りなのに橘屋の前とは雰囲気が全然違っている。御所の回りは勿論の事、武家屋敷の門の前には重々しく武装した武士たちが道行く人々を睨みつけていた。
武家屋敷の建ち並ぶ一画を抜けると、また、町人たちの町となり、寺の門前には市が立っていた。その市の中を通り抜け、細い路地に入り、河原に下りて舟橋を渡って、しばらく行くとたんぼの中に出た。そのたんぼの中に町道場はあった。
竹垣に囲まれた道場の門に『天真正伝神道流兵法(テンシンショウデンシントウリュウヒョウホウ)指南所』と書かれた板が掲げてあった。
道場内には稽古している者は誰もいない。隅の方で若い男が一人、薪を割っていた。
皆、仕事をしているため、稽古が始まるのは夕方からだと言う。
門をくぐると弥兵衛は若い男に声を掛けた。「八郎や、先生はおるかね」
八郎という男はこちらを向くと、「あっ、旦那、ええ、先生はいますよ。夕べ、遅くまで飲んでいて、今さっき、起きたばっかや、今、飯を食ってますわ」と言って、太郎たちを見ながら頭を下げた。
「またかい、しょうがないのう」
弥兵衛は、ちょっと待っててくれと太郎たちに言って、道場の隅に建つ小さな家に入って行った。
八郎という男も家の中に入って行った。
「飲兵衛みたいね、ここの先生」と楓が言った。
「うん。俺の師匠も飲兵衛だったぜ」と太郎は言った。
「あの、風眼坊様が?」
「ああ、酒を飲むのも修行のうちだって、よく言っていた」
「へえ、そうなの‥‥‥あなたもお酒の修行をしたの」
「いや、俺はたまに飲むだけさ」
「無為斎っていう人も飲兵衛かしら」
「どうかな‥‥‥」
「山に隠れて何やってるのかしら」
「さあな‥‥‥」
「だって、もう、お年寄りでしょ、今さら修行でもないし、やっぱり、毎日、お酒、飲んでるのよ」
弥兵衛が出て来て、手で差し招いた。
「先生は無為斎殿の居場所を御存じだそうです」と弥兵衛は小声で言った。
太郎と楓は弥兵衛と一緒に家に入った。
町道場の先生、川島与三郎は、「狭い所ですが、まあ、どうぞ」と二人を部屋に上げた。
「ちょっと、散らかってますがな、何せ、女っ気がないもんで」
川島与三郎は小太りの目のくりっとした四十半ば位の男だった。
「愛洲殿、無為斎殿に会いたいそうじゃが、何か、御用でもおありですかな」川島は太郎たちを囲炉裏端に案内し、腰を下ろすと言った。
「いえ、用という程の事ではありませんが、一緒にお酒でも飲みたいと思いまして‥‥‥」
「何、酒を」と川島は丸い目をさらに大きくして太郎を見つめた。「わざわざ、無為斎殿と酒を飲むために訪ねて参ったと申すか」
「はい」と太郎は頷いた。
川島はしばらく、太郎と楓を交互に見ていたが、「こいつはいい」と膝をたたくと急に大笑いした。
「愛洲殿とやら、おぬし、面白い奴よのう。いや、失礼した。無為斎殿の神道流を見に来たと言うのなら断ろうと思っておったが、酒を飲みに来たと言うのでは断れんのう。色んな奴らがあちこちから無為斎殿を訪ねて来てのう。無為斎殿はうるさがって山の中に隠れてしまったんじゃ。まあ、それだけじゃないがの‥‥‥ここだけの話じゃが、本当は若い女子と二人きりで山の中で楽しんでおるんじゃよ」
川島はまた、大口をあけて笑った。
「無為斎殿はもう、お年寄りだと聞きましたが‥‥‥」と太郎は聞いた。
「ああ、もう七十の爺いじゃよ、いい年して、みっともないと言うか羨ましいと言うか、五十も違う若い女子と二人で暮らしておるわ。橘屋の旦那、これは内緒だぞ」
「はい、わかっております」と弥兵衛は真面目な顔で頷いた。
「そうか、酒を飲みに参ったか‥‥‥うむ、わしも最近、無為斎殿に会っておらんし、久々に酒でも飲みに行こうかのう。どうじゃ、橘屋も一緒に行かんか」
「はい。私も、ぜひ、無為斎殿に会ってみたいと思っておりました」
「よし、それじゃあな、七つ時(午後四時)頃どうじゃな。わしが橘屋に行く。無為斎殿のいる山は白口門の先じゃからな」
「はい、かしこまりました。お酒の方は私が用意いたしましょう」
「そいつは助かる」
「しかし、先生、道場の方はいいんですか」
「ああ、大丈夫じゃ。わしなどおらんでも、中村と宮田がちゃんとやってくれておる。奴らも強くなったもんじゃ。そこいらの威張っているだけのへなちょこ侍よりは、よっぽど強いぞ」と川島は笑った。
三人は道場を後にした。
「なかなか、やりますな」と弥兵衛は道場の外に出ると太郎に言った。
「一緒に酒を飲みたいというのはいい。私も驚きましたよ。まさか、あんな事を言うなんて思いもしませんでした。川島先生もあれで、ちょっと臍が曲がってる所がありますからな、兵法の話などしたら無為斎殿に会わせてもらえなかったかもしれません。あれは、初めからの作戦だったのですか」
「いえ」と太郎は答えて、楓と顔を見合わせると笑った。「あの時、川島殿を見て、ひらめいたのです」
「そうでしたか。さすが、違いますな、大将になられるお方は」
弥兵衛は太郎が照れてしまう程、太郎を誉めた。
楓は太郎の横で笑っていた。
弥兵衛は川島与三郎の事を道々、話してくれた。
今から十年程前、北畠教具に呼ばれて倉田無為斎が多気に来た時、三人の弟子を連れて来た。その中の一人が川島与三郎だった。あとの二人は新発田権右衛門、森本辰之介で、新発田は今、北畠氏の家臣となり武家の武術指南をしている。森本はここに二年ばかりいたが下総に帰ってしまった。
川島はなぜか、武家を嫌って北畠氏の家臣にもならず、六年前から町に出て来て道場を開き、町民、農民を相手に気楽にやっている。若い頃から飯篠長威斎について旅ばかりしていたため、未だに嫁も貰わず、独り者で、回りの者が色々と世話をやいてるが、なかなかうまく行かない。
ちょっと酒が好きじゃが、いい人なのにな、と弥兵衛は言った。
「ついでじゃから、お武家様の道場も見て行きなさるかな」と弥兵衛は御所の側まで来ると太郎に聞いた。
「はい、できれば‥‥‥」
弥兵衛は頷くと御所の手前を左に曲がった。
御所を囲む濠に沿って奥の方へと進んで行った。御所の反対側には犬追物(イヌオウモノ)の馬場があり、その奥に武術道場はあった。進むにつれて、木剣の音や掛声が聞こえて来た。盛んに稽古をやっているらしい。
さすが、北畠氏の武術指南所だけあって立派な道場だった。広い庭があり、正面に大きな建物が建っていた。まるで、大寺院の本堂を思わせる、その建物が室内道場だと言う。庭の左側は高い塀で隔てられ、中は見えなかったが、弥兵衛が言うには町道場の倍程もある広い道場だと言う。塀の向こう側は静かだった。皆、建物の中で稽古をしているらしい。
弥兵衛は二人を庭の所に待たせ、道場の中に入って行った。
弥兵衛は随分と顔が広いようだった。父はいい人を紹介してくれた、と太郎は父に感謝した。
弥兵衛はなかなか戻って来なかった。
太郎は塀の隅にある木戸を開けてみた。鍵は掛かっていなかった。太郎はちょっと中を覗いた。確かに、そこは広い道場だった。そして、塵一つない程、綺麗に掃かれてあった。室内道場の方を見ると、大きな扉が開け放しになっていて中の様子がよく見えた。
およそ、三十人位の者が稽古に励んでいる。時節がらか、槍と薙刀の稽古をしている者がほとんどで、剣の稽古をしている者はいなかった。
「ねえ、早く帰りましょうよ」と楓が声を掛けた。「何か、いやな予感がするわ」
「そうだな、ここで問題は起こしたくないしな」と太郎は木戸を閉めた。
弥兵衛はやっと戻って来た。
「新発田殿は留守じゃった。師範代の藤田殿がおったが、よそ者には見せるわけにはいかないそうじゃ。どうしても見たかったら町道場に行けと言っていた。見たからといって減るものでもないのにのう」
「いいですよ。帰りましょう」
帰り道、武士たちは町道場の先生を馬鹿にしておるんじゃと弥兵衛は話した。
先生は武士たちに何を言われても気にしないで平気でいるが、それが、また、良くない。一度、奴らを懲らしめてやればいいんじゃ。あそこの道場の師範、新発田殿より川島先生の方が本当はずっと強いんじゃと弥兵衛は言った。
それは本当ですか、と太郎が聞くと、ああ、わしは知っていると答えた。
あれは、もう十年も前の事だが、無為斎殿がまだ来たばかりの頃、先代の御所様が御前試合を行なった。京からも飯篠長威斎殿や、そのお弟子さんたちもかなり来て賑わった。わしは、ある人の紹介で特別にその試合を見る事ができた。その時、川島先生と新発田殿が試合をしたんじゃ。圧倒的に川島先生の方が強かったんじゃよ。あの試合を見たのは武士でもお偉方ばかりじゃったから、今、道場で稽古している連中は誰も知らん。だが、川島先生の方が強いのは事実じゃ。
弥兵衛は橘屋に着くまで、川島先生の事を話し続けた。
太郎と楓は川島先生が来るまで部屋で待つ事にした。
3
太郎と楓、橘屋弥兵衛は川島先生に連れられて多気の都を抜け、北を守る白口の砦の門をくぐり、川に沿って北上した。小さな村を過ぎた所で右に曲がり、山の中へと入って行った。
薄暗い細い山道を四半時(三十分)程、歩くと急に視界が開け、眺めのいい所に無為斎の隠居する屋敷があった。
太郎は粗末な草庵を想像していたが、とんでもなかった。それは、大きくて立派な公家の御殿のようだった。
門をくぐると綺麗な水の流れている小川に橋が掛かり、その橋を渡ると、また、大きな門があり、その門をくぐると広い庭に出た。
左側に庭園があり、右側に大きな屋敷が並んでいた。その屋敷の大きさは田曽浦にある太郎の屋敷は勿論の事、父の屋敷よりも、愛洲の殿の屋敷よりも大きかった。その大きな屋敷が二つ並び、渡り廊下でつながっている。くぐって来た門の方を見ると、その門の上が渡り廊下になっていて、池の側に建つ離れの屋敷へと続いていた。
「ほう、随分、御立派なお屋敷で‥‥‥」と弥兵衛は口をあけたまま感心していた。
「凄いわね、まるで御殿だわ」と楓も目を見開いて無為斎の隠居所を見ていた。
「凄い‥‥‥」と太郎もあいた口がふさがらなかった。
誰だって山の中にこんな建物があるなんて思いはしない。驚くのは当然だった。
立派なのは建物だけではなかった。庭園も立派だった。広い庭に色々な木が植えられ、大きな石が並べられ、山があり、池があり、川まで流れていた。池には島が浮かび、その島には赤い太鼓橋が架けられてあった。太鼓橋はもう一つ、川にも架けられ、向う側にも行けるようになっている。そして、その庭園の向こうには山々の連なる大自然が広がっていた。
「これは、先代の御所様の道楽なんですよ」と川島先生は言った。
先代の北畠教具は上京した時、将軍義政の花の御所の建物や庭園を見て、その華麗さ、贅沢さに驚き、ぜひ、多気の御所もこのようにしたいと思った。そして、京から建築、造園の専門家、宮大工や山水河原者らを呼び寄せ、御所の改築を行なった。
それが病み付きになり、足利義視が伊勢に逃げて来た時には、わざわざ、教具みずから采配をふるい、迎賓館まで建てている。
無為斎が隠居して山に籠もりたいと言うと、さっそく、いい場所を捜しだして工事を始めてしまった。無為斎としてはわざわざ、隠居所など作ってもらう気など毛頭なかったが、教具は任せておけと立派な隠居所を作ってしまった。
教具としては将来、自分の隠居所を作ろうと思い、そのための手本として、無為斎の隠居所を作っていたわけだが、作っているうちに熱中してしまい、初めの計画よりもかなり贅沢なものとなってしまった。ところが、教具は無為斎の隠居所の完成から二年後に亡くなってしまい、自分の隠居所を作る事はできなかった。
「ちょっと、待っていて下され」と川島先生は言うと屋敷の入り口の階段を昇って行った。
屋敷の戸は開けられたままで、中まで見えたが、人影は見当たらなかった。これ程の屋敷なら、使用人も数多くいるはずなのに、やけに静かだった。
三人は庭園を散歩しながら待っていた。
庭園の方から屋敷を見ると、奥の方は全く使っていないのか、戸が締め切ったままになっている。武家屋敷で言えば手前の屋敷が、常に暮らしている屋敷で、奥の屋敷が客の接待に使う晴れの屋敷のようだった。今は亡き教具卿が来た時は、その屋敷で接待したに違いない。しかし、今、その晴れの屋敷は戸を閉ざしたままになっていた。その屋敷の奥にも小さな離れが付いていた。
辺りは暗くなって来た。
「ねえ、凄いわね」と楓が小声で太郎に言った。「無為斎っていう人、こんなお屋敷を貰って隠居してるなんて、よっぽど偉い人だったのね」
「ああ、凄いな」
「もしかしたら、あたしたちなんか、直接、口も聞けないような偉い人なんじゃないかしら」
「まさか、そんな事はないだろう」と太郎は言ったが、無為斎っいう人間がどんな人なのか、まったくわからなくなって来ていた。
神道流の達人で、隠居して山に籠もっていると聞いた時、太郎は智羅天を思い出していた。山伏でないにしろ、あんな感じの人だと思っていた。それが、川島先生の話だと、若い娘と一緒に暮らして楽しんでいると言うし、隠居して住んでいる所はこの立派な御殿だし‥‥‥太郎には無為斎がどんな人間なのか、さっぱりわからなかった。
川島先生は戻って来ると首を振った。「おかしいな、誰もいませんよ」
「誰もいない? こんな大きな屋敷に」と弥兵衛は屋敷を眺めながら言った。
「ええ、前に来た時には、使用人が随分、居て、賑やかだったんですけどねえ」と川島先生は首を傾げた。
「どうしたんでしょうな、無為斎殿はもう、どこかに行かれてしまったのでしょうかねえ」
「いえ、人が住んでる気配はあります。もしかしたら、ちょっと、市にでも出掛けたのかもしれません」
「そうですな、それでは少し待ってみますか」
四人が太鼓橋を渡って、中の島に行こうとした時だった。
門とは反対側の方から話し声が聞こえ、やがて、汚れた野良着を着た老人と若い娘が現れた。
老人は鍬をかつぎ、娘の方は野菜を抱え、笑いながら話をしていた。
川島先生は二人の方に近づくと、「お久し振りです」と言って、頭を下げた。
「やあ、川島か、珍しいのう」と老人は日に焼けた皺(シワ)の深い顔で笑った。
「今日はお客さんを連れて参りました」
「おお、そうか。今、畑から野菜を取って来た所じゃ。まあ、上がれ。さあ、皆さん、どうぞ」
太郎、楓、橘屋の三人は橋の上で呆然としていた。
川島先生が声を掛けなければ、誰も、この老人が無為斎だとは信じはしないだろう。この屋敷の使用人が畑から帰って来たものだと思っていた。どう考えてみても、この屋敷と、この鍬をかついだ主人は絶対に不釣合いだった。しかし、太郎も楓も橘屋もどこか、ほっとしていた。
無為斎は広い屋敷の中の一番狭い部屋にみんなを案内した。
この部屋しか使っていないと言う。前は何人もの使用人を置いていたが、全員、追い返した。こんな広い屋敷にいて、使用人に囲まれていたら下界にいるのと同じで、隠居して山に隠れた意味がない。今ではたった二人きりで、のんびり楽しく暮らしていると言う。
それでも、先代の御所様の生きていた頃は、結構、訪ねて来る客もあったが、御所様が亡くなってからというもの、忘れられたように誰も来なくなって、少し寂しい気持ちもしていたと言う。
太郎たちは無為斎たちに歓迎された。
その晩は、無為斎の若妻、お涼の手料理を肴に六人は飲み明かした。
楓が思っていた通り、無為斎は飲兵衛だった。しかし、仙人のようではなかった。仙人のように長い白髪に長い白髭などなく、頭はつるつるに光っていて、髭は綺麗に剃ってあった。体つきもがっしりとしていて、顔色も良く、とても、七十歳には見えなかった。長年、神道流で鍛えているせいか動きもてきぱきとしている。見た感じは武術の達人というよりは禅僧のような感じを受けた。
無為斎は酔うにつれて、若い頃の修行の事や戦の事、師の飯篠長威斎の事など、懐かしそうに話し出した。
長威斎は若い頃、鹿島に古くから伝わる中古流の名手として戦にも何度も出て、一度として負けた事がなかったという。六十余歳で隠居してのち、思う所あって、香取大神に祈願して、千日間の厳しい修行をし、満願の日に自ら悟って、『天真正伝神道流』を開いたのだと無為斎は言った。
「わしよりも十五歳も年上じゃが、長威斎殿は未だに元気でいらっしゃる」
太郎の知らない関東の地の話もしきりに出た。
常陸(茨城県北東部)の鹿島神宮と下総の香取神宮は霞ケ浦を挟んで、向かい合って建っている。三里程しか離れていなかった。鹿島、香取の両神は武術の神として崇拝され、古くから両神宮では武術の研究が盛んで、武術の聖地として、各地から武芸者たちが集まり栄えていた。鹿島、香取に伝わる古流をまとめ、自らも工夫をし、神道流としたのが長威斎だった。神道流は総合武術で剣、槍、薙刀、棒、弓、すべての武術が含まれていた。
無為斎も川島先生も若い頃、師の長威斎と共に両神宮で修行を積んで来たと言った。また、武術の修行をする者は一度は必ず、両神宮を訪れなければならないとも言った。
太郎も行ってみたいと思った。今の自分はまったくの自由の身である。行こうと思えば、明日にでも行けた。いっその事、このまま関東の地まで、行ってしまおうかとも思った。
朝、目が覚めたら、楓はすでに起きていて、いなかった。
昨夜(ユウベ)、楓とお涼は先に休んだが、太郎たちは遅くまで飲んでいた。無為斎は久し振りに客人を迎え、嬉しかったのか、一人で喋りまくっていた。
太郎は起きると支度をして厠(カワヤ)に向かった。
すでに外は明るかった。昨夜は、つい調子に乗って飲み過ぎたようだった。
頭が少し重かった。厠で用を済ませ、昨夜、みんなで飲んでいた部屋を覗いて見ると、綺麗に片付けられ、楓が朝食の用意をしていた。
「早いな」と太郎は楓に言った。
「何、言ってんのよ。橘屋さんは、もう、ずっと前に帰って行ったわよ」
「へえ、もう、みんな、帰っちまったのか、俺たちは取り残されたのか」
楓は首を振った。
「帰ったのは、橘屋さん一人よ。川島の先生はまだ寝てるわ」
「何だ、そうか。俺が一番最後まで寝てたんかと思った。無為斎殿は?」
「わからないわ。起きてる事は確かだけど、どこで何してるのかわからないわ」
「ふうん。元気な爺さんだな」
「とても、七十には見えないわね」
「ああ。俺はちょっと散歩でもして来るよ」
「もうすぐ、御飯よ」
太郎は頷くと庭の方に向かった。
それにしても、立派な庭園だった。
太郎は石に腰掛けて池を覗いた。鯉が何匹も泳いでいた。
昨夜は酔った。しかし、気持ちのいい酔い方だった。
無為斎殿も川島先生も酒が強かった。途中までははっきりと覚えているが、後半の方はあまり覚えていない。二人の話を聞いてばかりいて、自分ではあまり喋らなかったつもりだが、はっきりと覚えていない。
調子に乗って、陰の術や陰流の事などの話しはしなかっただろうか。
その二つはまだ、人に自慢して話せるような事ではなかった。まして、大先輩の前で言える事ではなかった。多分、言ってはいないと思うが、よくわからなかった。やはり、師匠の言う通り、酒の修行もしなければ駄目だなと思った。
それにしても、神道流というものを一度、見てみたいものだ。成り行きから、見せてくれとは言えなくなってしまったが、ここまで来たら神道流を見るまでは帰れないなと思った。
「愛洲殿」
川島先生の声がした。
太郎が振り返ると、川島先生は大きなあくびをして体を伸ばしていた。
「おはようございます」と太郎は挨拶をした。
「おお、昨夜はよく飲んだのう」
「はい、ちょっと飲み過ぎました」
「何を言うか、若いもんが。橘屋はどうした、まだ、寝てるのか」
「いいえ。もう、帰ったそうです」
「何だ、もう、帰った? 相変わらず忙しい奴よのう」
川島先生はまた、大きなあくびをした。
「どうじゃ、朝飯前にちょっと体を動かさないか」
「えっ?」
「おぬしの山伏流剣術とやらを見たいんでな」
「はい、ぜひ、お願いします」
「よし、待っておれ。木剣を見つけて来る」
川島先生が木剣を持って来ると、二人は間を置いて構えた。
お互いに中段の構えだったが、川島の方が腰の位置が低かった。やはり、神道流は甲冑を身に着けての陸の剣法だった。
「いくぞ」と川島は言うと間合を詰め、剣を振りかぶった。振りかぶり方も、やはり、兜を意識して、頭上ではなく右肩の上だった。
右肩に振りかぶった剣を川島は、太郎の左腰を狙って横に打って来た。
太郎はそれを、剣を振りかぶると共に体を後方にずらして、ぎりぎりの所で避けた。避けると同時に川島の右手を狙って剣を打ち下ろした。
川島は太郎の剣を木剣で受け止めると、そのまま、力まかせに太郎の剣をはじき、はじかれて体勢を崩した所を打とうと思ったが、太郎は体勢を崩さなかった。
太郎は下段に構えた。
川島は不思議な構えをした。左足を大きく踏み出し、両手を胸の辺りで交差させ、剣の刃を上に向け、剣先を太郎に向け、剣を左上腕に載せるように構えていた。以前、師の風眼坊から教わった『霞(カスミ)の太刀』の変形だった。
太郎は下段から、八相に構えを変えた。
川島はその構えから右足を踏み込みながら、剣を巻き返すように太郎の左首を狙って来た。
太郎はそれをかわすと、伸びきった川島の両手を狙って剣を打ち下ろした。しかし、太郎の剣は川島の剣に受け止められた。太郎は剣をはじかれる前に引き、また、八相の構えに戻った。
川島は中段の構えに戻った。
しばらくは二人共、そのままで動かなかった。
「それまでじゃ」と無為斎の声がした。
太郎と川島は構えを解き、木剣を下ろした。
いつの間にか、無為斎が庭園の太鼓橋のそばに立って、二人を見ていた。
屋敷の方では、楓とお涼も二人の方を見ている。
無為斎はニコニコしながら、二人に近づいて来た。
「いい勝負じゃな」
「やあ、なかなかやりますよ」と川島は笑った。「まさか、これ程、強いとは‥‥‥山伏の剣術などと軽い気持ちでかかったら、とんでもない。やあ、参った、参った」
「愛洲殿、今度は、わしの相手をしてくれんかな」と無為斎が言った。
「はい、よろしくお願いします」と太郎は頭を下げた。
願ってもない事だった。まさか、無為斎が相手をしてくれるとは思ってもいなかった。
太郎と無為斎は木剣を構えた。
太郎は中段、無為斎は下段だった。
無為斎は下段に構えるといっても、構える風ではなく、ただ、木剣を持っているだけという感じだった。隙だらけだった。
太郎は中段に構えたまま、無為斎の目を見つめた。
無為斎の目はぼんやりとしていた。何を考えているのかまったくわからない。やる気がないというか、ただ、ぼんやりと立っているだけだった。
太郎は木剣を上段に上げた。
無為斎の変化はなかった。
打とうと思えば、どこでも打てた。
ところが、なぜか、打つ事ができなかった。
太郎は少しづつ間合いを詰め、上段から、八相の構えに移した。
無為斎はまったく、変化しない。
どうした事か、太郎には打ち込む事ができなかった。
前に、飯道山で高林坊と初めて立ち会った時と同じだった。何もしないでいる無為斎の存在が、やたらと大きく感じられる。しかし、あの時の高林坊は太郎を押しつぶすかのようだったが、無為斎の場合は太郎を静かに包みこんで行くようだった。
不思議な力に包み込まれ、太郎は身動きができなかった。
無為斎の木剣が少しづつ上がって、中段の構えとなった。
無為斎の木剣の剣先が太郎の胸を刺すかのように向けられた。
太郎は八相に構えたまま動けなかった。
無為斎は静かに間合を詰めながら、少しづつ剣を上げていった。
やがて、剣は天を刺すかのように、無為斎の頭上に真っすぐに立った。
そして、その剣は太郎の左腕めがけて落ちて来た。それは、ゆっくりと落ちて来たように思えたが素早かった。
太郎に避ける間がなかった。
無為斎の剣は太郎の左腕をかすりながら落ちて行った。
無為斎は元の下段に戻ると剣を引いた。
太郎も剣を引き、無為斎に頭を下げた。
「どうじゃな、今の剣が神道流の極意、天の太刀じゃ」と無為斎は言った。
「天の太刀?」
「うむ、鹿島に古くから伝わる鹿島の太刀の一つじゃ。剣の極意なんていうものは、昔から変わりはせんものじゃ」
「天の太刀‥‥‥初めて見せていただきました」と川島先生が厳粛な面持ちで言った。
「愛洲殿、そなたは確かに強い」と無為斎が言った。「強いが、今のそなたには心に迷いがある。心に曇りがあると剣はにぶる。どんな達人でも心が曇っていれば、それは命取りになる。人は生きている。生きている限り、色々な迷いが生じてくる。その迷いを一つ一つ乗り越えなければならん。剣の道で生きていく限り、常に、心を磨いていなければならんのじゃ」
「参ったな。わしの事を言われているみたいじゃのう」と川島先生が笑った。
「はい、おしまいよ」とお涼が手を打った。「朝飯前のお稽古はおしまいよ。ご飯の用意ができてますよ」
「そうか、腹、減ったのう」と無為斎は木剣をかつぎながら屋敷の方に行った。
「皆さんもどうぞ」とお涼は皆をうながした。
23.多気の都2
4
太郎と楓が多気の都に来てから、すでに、十日が経とうとしていた。
あれからずっと、無為斎の屋敷にお世話になっている。楓とお涼が仲良くなり、引き留められるままに十日も経ってしまった。
太郎にしても、なぜか、立ち去りがたかった。
無為斎という人間に、なぜか、惹かれていた。神道流の剣術の事もそうだったが、ただ、それだけではなかった。どこに惹かれるのかわからないが、無為斎が何かを持っていて、その何かに惹かれて行くようだった。それは人間的なもの、無為斎の人間的な大きさかもしれなかった。
無為斎は毎日、百姓のように土にまみれて畑仕事をしていた。剣を持つ事はない。一度、太郎と立ち会った時以外、木剣さえ手にしなかった。
太郎は無為斎と一緒に百姓仕事をやったり、町に下りて、川島先生の道場で町民や農民を相手に剣術を教えていた。川島先生もよく、酒を飲みにやって来た。
太郎が夕方、町道場に行き、稽古が終わり、ここに帰って来る時は、いつも、川島先生は一緒に付いて来た。
橘屋の旦那も時々、顔を見せた。そんな時はいつも、気を利かせて酒をぶら下げて来た。
太郎は十日間、心の迷いについて考えていた。
前に高林坊と立ち会った後、心の迷いが生じ、百日間の山歩きで、それを乗り越えた。しかし、また、新しい心の迷いが生じた。
無為斎は人間、生きている限り、迷いは必ず生まれて来ると言った。それも一度や二度ではない。一つの迷いを乗り越えれば、また、新しい迷いが生まれる。それを次々に乗り越えて、人間は成長して行く。また、成長すればする程、難しい迷いにぶつかる。迷いにぶつかり、それを乗り越えて行く事が生きるという事なんじゃと言った。
心の迷い‥‥‥それは、池田長左衛門の事だった。
楓に言われて、いやな事は忘れようと思った。しかし、忘れきれなかった。それが、心の迷いとなって剣に現れ、無為斎に感づかれた。やはり、忘れようとしないで、その問題に真っ向から取り組まなければならなかった。
太郎は毎日、その事を考えていた。
五ケ所浦を出る時、あの山で池田一味五人を斬り捨てた。あれは仕方のなかった事だ。ああするしか仕方がなかった。それは太郎も楓と同じように思っている。しかし、楓は正しい事をしたと思って納得しているが、太郎にはなぜか、納得できなかった。何かが引っ掛かっていた。それは、一体、何なんだろうか‥‥‥
どうして、ああいう結果になってしまったのか、太郎は落ち着いて、一つ一つさかのぼって考えてみる事にした。
水軍の者が池田一味にやられた。
太郎は池田一味に付け狙われていた。
水軍と陸軍の対立。
原因は御前試合にあった。太郎の知らない内に決められた御前試合。
その御前試合でも、太郎はやるべき事をやっただけだった。初め、木剣でやって勝ち、真剣でやって勝ち、組み討ちでも勝ち、そして、最後に、後ろから斬り掛かって来た池田長左衛門の手首を斬った。武士として当然の事をしたまでだった。しかし、あの時も後味が悪かった。なぜなんだろう‥‥‥
わからなかった。
何かが引っ掛かっていた。
その何かがわからなかった。
楓とお涼は仲が良かった。いつも、二人で何かをやっていた。お涼は楓よりも一つ年上で、京から来た研師(トギシ)の娘だそうで、どういういきさつで無為斎と一緒にいるのかは知らないが、無為斎と一緒に暮らし出してから、もう三年は経つと言う。
お涼はいつも手拭いを頭に被って、何かしら仕事をしていた。
川島先生の町道場には、夕方になると道場があふれる程の人が集まって来ていた。若い連中がほとんどだが、中には橘屋のような年配の人も若者たちに交じって稽古に励んでいる。また、稽古とは関係なく道場に来て、川島先生と世間話をしていく年寄りたちもいた。あの道場は町の寄合所のような感じだった。
稽古の内容は剣術と槍術の二つに分かれていた。
この当時はまだ、武士と農民、町民ははっきりと分かれていない。戦が起これば皆、狩り出される。農民や町民でも刀の一振り位は持っている者が多い。また、竹を切れば竹槍がすぐできる。剣と槍が農民や町民にとって手頃な武器と言えた。
川島先生は何人かの若い者に任せっきりで、ほとんど道場には出ないで、年寄りたちと無駄話をしていた。そして、夜になると決まって酒を飲んでいた。お陰で太郎も多気にいる間は毎晩、酒を飲むという事になった。
太郎は愛洲の水軍剣法の達人と紹介され、皆に剣術を教えていた。水軍という事が皆に珍しがられ、海や船の事など色々な事を聞かれ、道場に集まる人達の中に溶け込んで行った。
太郎は初めの頃は大小二本の刀を差していたが、なぜか、場違いな気がして、やがて、小刀だけを差して行くようになっていた。川島先生は町民に成り切ってしまったのか、普段、刀を持ち歩いてはいなかった。
ある日、一人の旅の武士が訪ねて来た。武家道場に行って試合を申し込んだら断られ、こちらに行けと言われたと言う。
「そうですか。それでは私がお相手いたしましょう」と川島先生は気軽に言って、木剣を持って道場に出た。
その時は、まだ、みんなが集まって来る前で、川島先生と太郎ともう一人、良く遊びに来る油屋の隠居爺さんの三人しかいなかった。
旅の武士は備後(ビンゴ、広島県東部)の浪人、丸山左馬助(サマノスケ)と名乗り、背負っていた太い木剣を構えた。
「一本勝負では実力は良くわからないでしょうから、三本勝負という事にしましょう」と川島先生が言うと、相手の浪人は、「かしこまった」と頷いた。
川島先生と浪人は木剣を構えて、向かい合った。
太郎と油屋の隠居爺さんは先生の家の縁側から試合を見ていた。
「いつもと同じじゃ」と隠居爺さんは言った。
「いつもと同じ?」と太郎は隠居爺さんを見た。
「見ていればわかる」と隠居爺さんは笑った。
三本勝負はすぐに終わった。一本目は先生が勝ち、二本目は浪人が勝ち、三本目は先生が勝った。
「ほら、いつもの通りじゃ」と隠居爺さんは言った。
隠居爺さんの話によると、今までに何人もの侍が先生に試合を申し込んできたが、先生はいつも三本勝負をして、二本は勝って一本は相手に勝たせていると言った。
「それじゃあ、今のもわざと負けたのですか」と太郎は聞いた。
隠居爺さんは笑いながら、頷いた。
試合の終わった二人は、話をしながら戻って来た。
浪人は、先生に身の上話や世間話をして、東の方へ行くと旅立って行った。
浪人が帰った後、太郎は、「どうして、わざと負けるのですか」と聞いてみた。
「それは、相手によって決める」と先生は答えた。「ここに来る連中はほとんど神道流がどんなものか知りたくて来る者ばかりだ。そんな奴には三本のうち一本を勝たせてやれば、おとなしく帰って行く。余計な争い事を避けるのも神道流の極意だ」
「争い事を避ける‥‥‥」
「ああ。『天真正伝神道流』の天真とは自然のまま、あるがまま、自然の真理という事じゃ。その自然の真理を正しく伝える神の道だ。それは争い事のない太平の世のために使う剣の事だ。つまらない争い事や喧嘩などに使う剣ではない。まあ、わしにもよくわからんがのう。長威斎殿がそんなような事を言っていた」
太郎は川島先生の言った事をよく噛みしめていた。
つまらない争い事や喧嘩などに使う剣ではない‥‥‥
争い事を避けるのも神道流の極意‥‥‥
太郎は稽古を終えての帰り道、ずっと、その事を考えていた。川島先生は今日はちょっと用があると言って付いては来なかった。
川島先生とあの浪人は試合をしたが、お互いに恨みがあってしたわけではない。お互いに剣を志す者として、自分の腕を試したまでだった。お互いに相手を認め合って、気持ち良く別れて行った。
太郎と池田長左衛門の試合はあんな風になってしまった。
もし、あの時、太郎がわざと負けていたらどうなっただろうか。
そんな事をしたら、太郎の道場はつぶれてしまっただろう。そして、陸軍の奴らは完全に水軍を馬鹿にするに違いない。
池田長左衛門‥‥‥決して、悪い奴ではないと父は言っていた。今まで、誰にも負けた事がなく、太郎に初めて負けたとも言っていた。
太郎はなぜ、池田があんな風になったのか、相手の立場になって考えてみる事にした。
まず、池田は戦に出て、一度も負けた事のない陸軍の勇者だった。多分、愛洲家の中で、自分が一番強いと思っていたのかもしれない。
そこに、俺が帰って来て剣術道場を開き、戦でも活躍した。俺の活躍は殿にまで聞こえた位だから、当然、池田の耳にも入っただろう。池田はそれを聞いて面白くなかったに違いない。池田だけでなく陸軍全員が快く思わなかったのかもしれない。
そして、御前試合。
父の話だと、初めの予定では、俺が自分の道場の者を相手に剣術を披露するはずだった。それがああいう形になってしまった。もしかしたら、陸軍の者が手を回して、俺を公衆の面前でたたきのめしてしまおうとたくらんだのかもしれなかった。池田にしろ、陸軍の連中にしろ、絶対に勝つ自信があったに違いない。しかし、ああいう結果になってしまった。負けるなんて思ってもいなかった池田は公衆の面前で、しかも、殿の見ている前で負けてしまい、逆上して、あんな態度に出てしまったのだろうか‥‥‥
そして、右手首を斬られ、二度と戦に行けない体となって、やけになり、俺を恨んで、つけ狙い、水軍の者たちにいやがらせをして行くようになって行った。
それじゃあ、俺が戦で活躍した事がいけなかったのか‥‥‥
俺はみんなに俺の剣術をわかってもらおうと必死だった。しかし‥‥‥よく考えてみると、自分の強さをみんなに見せたいと思っていなかったとは言えない。飯道山で厳しい修行に耐えて来た、その成果をみんなに見てもらいたかった。道場のためとは言いながら、あの頃の俺は得意になっていた。それが、陸軍の連中には鼻持ちならなかったのだろう。
水軍と陸軍が仲の良くないのは知っていた。それは今に始まった事ではない。しかし、二年も留守にしていて、今、愛洲家がどういう状態になっているのかなんて考えてもみなかった。俺は自分の事しか考えていなかった‥‥‥
御前試合が終わって、水軍と陸軍の対立が激しくなって来てから、俺の剣術によって、二つが一つにまとまってくれればいいなどと虫のいい事を考えていた。
結局は自分の事しか考えなかった俺が、水軍と陸軍の対立をなお一層、煽ってしまい、ああいう結果になってしまったんだ‥‥‥
俺が剣術の修行をしたのは、強いとみんなから誉めて貰いたいためではなかったはずだ。そんな、ちっぽけな剣術ではなかったはずだった。
去年の俺は本当にいい気になっていた。自分の道場を持ち、みんなから、強い、凄いと誉められ、回りの事など考えもせず、有頂天でいた。一人で浮いている存在だった。
いくら、強くなったとしても、その使い方がわからなかったら何にもならない。かえって、弱い方が回りを傷つけないだけ、ましだろう。
快晴和尚が前に言った事があった。
‥‥‥世の中の事をはっきりと見極める目を持たなくてはならん。
そんな事はすっかり忘れていた。世の中を見極めるどころじゃなかった。全然、見ようともしなかった。五ケ所浦に帰って来た時、今の五ケ所浦の状況、水軍と陸軍の対立の様子などをはっきりと見極めれば、自分のいる立場というのがわかっただろう。そうすれば、あんな結末にはならなかったかもしれなかった。
『陰の術』を使えば何だって調べられた。五ケ所城に忍び込んで、殿様の事だって調べられた。しかし、そんな事はやらなかったし、やろうとも思わなかった。
これからは武術だけでなく、物事を見極める目や、心の修行もしなければ駄目だと太郎は悟った。そして、太郎の剣術、『陰流』も神道流のような、大きなものにしなければならなかった。
太郎の心の迷いはなくなった。
しかし、今度は無為斎という存在が太郎の前に立ちはだかって来た。
隙だらけに見えた無為斎を、なぜか、打つ事ができなかった。
無為斎の発する目に見えない、何か大きな力で包み込まれるような気がした。あれは、一体、何なんだろう‥‥‥
そして、『天の太刀』。太郎には無為斎が打って来るのがわかっていた。なのに、避ける事ができなかった。どうしてだろう‥‥‥
心に迷いがあったからか。
いや、それだけではない。無為斎と太郎では実力が全然違う。五ケ所浦で道場を持ち、いい気になっていた自分が恥ずかしく思えた。まだ、上には上がいるものだ。修行を積まねばならない。修行を積んで、無為斎と同じ位の境地、いや、それ以上の境地に行かなければならない。
太郎は楓とも相談をして飯道山に帰る事にした。
無為斎にその事を言うと、せっかくだから、もう少し待ちなさいと言った。
五日後に、先代の教具卿の一周忌の法要があるという。色々な人が集まって来るから、将来のために顔を見ておいても損にはならないだろう。わしの供という事で連れていってやると言った。
北畠氏の法要なら、各地から大物が集まって来るに違いない。愛洲の殿も来るかもしれない。太郎はまだ、政治に興味を持っていなかったが、無為斎の言う通り、見て行く価値はありそうだと思い、出立を延期した。
太郎は川島先生の道場に通っているうちに、宮田の八郎という男と仲良くなって行った。
八郎は百姓の三男に生まれ、太郎より三つ年下の十八歳で、侍になるのが夢だった。
八郎の家は小さな百姓で、持っている土地も狭く、その土地は長兄のものになっている。次兄は山奥の土地を切り開き、家を出て分家していた。八郎は長兄の世話になっているが、厄介者扱いされていた。
八郎もいつまでも長兄の世話になってるわけにはいかなかった。いつかは家を出なければならない。しかし、次兄のように山の中の狭い土地を耕して、分家したくはなかった。朝から晩まで苦労して働いても、食っていくのが精一杯な暮らしはしたくなかった。それよりも、戦に出て活躍をして侍になりたかった。
八郎は十六の時に一度だけ、戦に出た事があった。その時はただ逃げ回っていただけだった。人を斬るのは恐ろしかったし、斬られるのはもっと恐ろしかった。
八郎は強くなるために町道場に通い始めた。しかし、銭がなかった。川島先生もただで武術を教えているわけではない。いくらかの銭か、銭に代わる物を貰っていた。八郎は何も持っていない。飯を食わせて貰っているだけでも肩身の狭い思いをしているのに、銭など貰えるはずはなかった。そこで、八郎は先生に頼み、銭の代わりに雑用をして働くという条件で剣術を習っていた。
八郎は朝早くから道場に来て、道場の掃除や先生の身の回りの世話をやき、剣術の稽古に励んだ。先生の道場に通い始めて二年になり、今では先生の代わりに皆に教える程の腕になった。もう、雑用などしなくてもいいと言われているが、家にいても邪魔物扱いされるだけだと道場に来ては雑用をやっていた。
太郎はそんな八郎に剣術を教えてやった。
八郎は太郎に、「どうして、そんなに強くなったんや」と羨ましそうに聞いた。
「子供の頃から剣の修行をしていたからさ」と太郎は答えた。
「そうか、お侍さんは小せえ頃から剣を持ってるんやな」
「それだけじゃない。俺は二年間、山で厳しい修行を積んで来た」
「山で修行?」
「おお、天狗に剣を教わっていた」
「えっ! 天狗に?」
「それは戯れ言だが」と太郎は笑うと、八郎に飯道山の事を話してやった。
八郎は目を輝かして太郎の話を聞いていた。
「おらも行ってみてえ」と八郎は夢見るように言った。
飯道山の一年間の修行は正月の十四日に受け付けがあり、十五日から始まった。
毎年、修行者が多くなっているので、その日以外は受け付けなかった。今年はもう駄目だった。それに、飯道山もただでやっているわけではなかった。銭が必要だった。しかも、食費は自分持ちだった。太郎の場合はすべて、師匠の風眼坊が面倒をみてくれたが、後で、望月や芥川に聞いてみたら、かなりの費用が掛かったと言っていた。あの山の近くにいても、ある程度、裕福な家の者しか修行できないのだった。いくら、剣の素質のある者でも銭がなければ修行はできなかった。太郎はその事を八郎に話した。
八郎は、これから、一生懸命、銭をためると言った。
太郎が大丈夫か、と聞くと、何とかなると胸をたたいた。
剣の修行をする前は、自分に自信がなくて何もできなかったが、剣の修行をしてからは、自分に自信が持てるようになった。二年間、一生懸命やったら、自分でも驚く位、強くなった。やろうと思えばできない事はない。きっと、来年の正月までに銭をためて、飯道山に行くと八郎は力強く言った。
「よし、山で待っているぞ」と太郎も力強く答えた。
八郎は銭をためると言う。どういう風にためるのか聞かなかったが、八郎はきっと、ためて山に来るだろうと太郎は思った。
太郎は自分と八郎を比べてみた。
太郎は侍の家に、しかも、水軍の大将の家に生まれた。生まれながらにして侍だった。そして、それは当然の事と思っていた。八郎は貧しい農家に生まれ、侍になろうとしている。銭をためて剣を習おうとしている。もし、これが逆だったらどうなったろう。
太郎は侍の家に生まれて良かったと思った。反面、どうして同じ人間なのに、こうも差があるのだろうと思った。
前に師匠が、まず、侍である事をやめて、ただの人間になれと言った事があった。あの時は、何を言っているのかよくわからなかったが、今、ようやく、わかりかけていた。
侍の目には見えない物というものがある。今の世の中をはっきり見るには侍の目から見たり、百姓の目から見たり、町人の目から見たり、木地師の目から見たり、あらゆる目で見なければならない。ただの人間に成り切って、ただの人間の目で、はっきりと見なければならない。無為斎もそうに違いない。剣術の達人だが、それだけでなく、それを越えて、ただの人間になりきっているのだ。本物の人間に‥‥‥
世の中には色々な人間がいる。太郎はその色々な人間に会いたくなった。色々な人間を知り、色々な世界を知り、人間の本当の姿というものが知りたかった。そして、しばらくは侍をやめてみようと思った。
北畠教具卿の法要は盛大だった。
驚く程の人が各地から集まって来た。時節がら、皆、武装してやって来る。警備も厳重になり、街道の脇のあちこちに、各地から来た武装した武士たちがたむろしていた。
太郎は無為斎に連れられて法要に参加し、無為斎に色々な人を教えてもらった。
まず、将軍足利義政の代理として政所執事(マンドコロシツジ)の伊勢伊勢守貞宗、管領(カンレイ)の細川右京大夫勝元の代理として三好式部大輔長之、侍所頭人(サムライドコロトウニン)の赤松兵部少輔政則の代理として浦上美作守則宗、何を考えているのか西軍に寝返った足利義視も代理を出して来ていた。
守護大名では河内の畠山弾正少弼政長、尾張の斯波左兵衛佐義敏、近江の京極治部少輔政高、若狭の武田大膳大夫国信、越前の朝倉弾正左衛門尉孝景、駿河の今川治部大輔義忠、甲斐の武田刑部大輔信昌、東軍の面々が、それぞれ代理を出していた。
伊勢国内の豪族たちは、ほとんど、顔を見せている。
一族の主な者には大河内氏、坂内氏、大宮氏、木造氏、藤方氏、岩内氏、波瀬氏など、被官では、関氏、神戸氏、長野氏、雲林院氏、家城氏、中山氏、奥山氏、野呂氏、本田氏、榊原氏などがいた。
愛洲氏も勿論、来ている。五ケ所浦の殿、愛洲三河守忠氏、玉丸城の愛洲弾正少弼吉忠、一之瀬城の愛洲伊予守忠方の三人の城主が顔を見せていた。もしかしたら、父が来ているかもしれないと思って捜してみたが見当たらなかった。
その他、公家衆が十数人、変わった所では刀工の村正、明珍派の甲冑師、連歌師の春楊坊専順、茶人の村田珠光、猿楽の観世座の大夫などがいた。
法要が終わり、無為斎と共に帰りながら、さすが、北畠氏は凄いと思った。あの中にいたら、愛洲氏など小さいものだった。
しかし、疲れた。法要がこれ程に疲れるものとは知らなかった。
無為斎の屋敷に戻ってみると、珍しい客が待っていた。
松恵尼だった。
法要に来たのだが、久し振りに無為斎に会って行こうと思って、ここに寄ってみたら、楓が出て来たので、びっくりしたと言った。
楓の方も同じだった。お涼は畑に行っていて、楓は屋敷の掃除をしていた。ほとんど、人など訪ねて来ないのに誰かが訪ねて来た。しかも、女の声だったので出て行ってみると、松恵尼がそこにいた。
楓は最初、狐にでも化かされているのかと思った。
「無為斎殿と松恵尼様は知り合いだったのですか」と太郎は不思議そうに聞いた。
「ええ、そうですよ」と松恵尼は笑った。「無為斎殿がここに来た当時から知っています。初めて会ったのが、あの御前試合だったかしら」
「そうだったのう。早いもんじゃ。あれから、もう十年か‥‥‥」
「この御隠居所が完成した時も偶然、ここに来ていて、御所様に連れて来ていただきました」
「そうじゃったのう」と無為斎は懐かしそうに頷いた。「御所様は自分の御隠居所を造らずに、このわしのために、こんな立派な御屋敷を造ってお亡くなりになってしまわれた。まさか、わしより先にお亡くなりになるとはのう‥‥‥」
「ええ‥‥‥まだ、四十九だというのに‥‥‥」
太郎は松恵尼と北畠教具との関係が知りたかったが、そんな事を聞ける雰囲気ではなかった。松恵尼はしんみりとしていた。
一時程、松恵尼は無為斎と昔話をして帰って行った。
これから、ちょっと奈良に用があるので、奈良に寄ってから甲賀に帰るとの事だった。
「楓から聞いたわよ。また、戻って来るんですって。みんな、あなたに会いたがってるわ。みんな、待ってるわよ。いつでも帰ってらっしゃい」と松恵尼は言って手を振った。
松恵尼を送って囲炉裏端に腰を下ろすと、無為斎は、「そろそろ、帰りますかな」と太郎に聞いた。
「はい、明日にでも」と太郎は楓を見ながら言った。
「そうか、それじゃあ、また、川島でも呼んで酒でも飲もうかのう」
「はい、私が呼んで参ります。ところで、無為斎殿、松恵尼殿は一体どんなお人か、御存じないでしょうか」と太郎は聞いてみた。
「わしも、よくは知らんのじゃがのう」
「お願いです、教えて下さい」と楓が言った。「私は松恵尼様に育てられました。でも、私にも松恵尼様の事は少しもわかりません。これから、また、甲賀に帰って、松恵尼様のお世話になります。松恵尼様にはお世話になりっぱなしです。少しでも松恵尼様の事がわかれば、松恵尼様のために何かしてあげられるかもしれません。お願いです、知っている事だけでも教えて下さい」
「そうか、そなたは松恵尼殿に育てられたのか。母親同然というわけじゃな」
「はい」
「わしも本人の口からは何も聞いとらん。皆、人から聞いた事じゃ。本当だか嘘だかは知らん。それでもいいかな」と無為斎は楓と太郎を見比べた。
「はい」と楓は頷いた。
「そうじゃのう。まず、生まれだが伊勢平氏、関氏の一族の娘として生まれたそうじゃ。いきさつは知らんが御所様に見初められて側室に上がったらしい。一年後に子供を産んだが死産じゃったそうじゃ。前後して、父親が戦で討ち死にして、不幸が重なり、また、側室同士での女の揉め事もあったらしい。松恵尼殿は出家なさった。そして、母親と二人して、この城下から消えたんじゃ。甲賀に行ったのは母親の実家が甲賀だったらしい。わしの知っているのはこんな所じゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」と太郎は言って楓を見た。
楓は俯いたまま黙りこんでいた。しばらくして顔を上げると、「御所様の側室‥‥‥」と小声で言った。
「今でも綺麗じゃが、若い頃はもっと綺麗だったんじゃろのう」
「無為斎殿、松恵尼様にはもう一つ顔があります。御存じですか」と太郎は聞いた。
「もう一つの顔?」
「はい。奈美殿と言って、よくはわかりませんが、どうも、商人のようです」
「商人‥‥‥商人と尼僧の二つの顔か‥‥‥成程のう」
「わかりますか」
「わしの推測じゃがのう、多分、松恵尼殿は御所様のために情報集めをしていたのかもしれんのう」
「情報集め?」
「そうじゃ、こう戦があちこちで頻繁に起こると、いつ、どこで、誰と誰が戦をやっているのか、誰と誰が手を結ぼうとしているのか、色々な情報を早く知り、それに対しての対応を考えなければならん。北畠氏は今の所、伊勢の国をほとんど平定しているが、豪族たちが、いつ、寝返るとも限らん。また、伊勢の回り、尾張、近江、伊賀、大和、志摩などの国の状況も知らなければならん。勿論、京の都の事もじゃ。あらゆる情報をいち早く手に入れ、事が大きくならないうちに対処しなければならんのじゃ。これからの戦はただ、力だけを以て敵を倒すという事では駄目じゃ。回りはすべて敵だと思い、手を結ぶべき相手とは手を結び、倒すべき敵は戦を始める前にあらゆる手をうち、絶対に勝てると思う戦だけをやるんじゃ。そのためにはまず、情報集めが重要になる。御所様はあちこちに、そういう情報を集める者を置いたに違いない。松恵尼殿もそのうちの一人として働いていたのじゃろう」
太郎は無為斎の話を聞いていて、情報集めというのは『陰の術』だと思った。
松恵尼は陰の術を使って、北畠氏のために情報集めをしていたのだった‥‥‥
表向きは尼僧として、裏では商人として活躍していたのだろう。松恵尼の事だから、何人もの尼僧や商人たちを使って、彼らをあらゆる所に潜入させ、情報を集めていたに違いない。以前に世話になった小野屋長兵衛という奈良の商人も松恵尼の手下だったのかもしれない。とすると松恵尼は余程大きな組織を持って情報集めをしていたに違いない。北畠氏が後ろ盾にいれば、それも可能だろう。しかし、驚きだった。松恵尼がそれ程の人だったとは‥‥‥
ところで、師匠の風眼坊は知っているのだろうか‥‥‥
知っているだろうな。師匠はとぼけるのがうまいからな。知っていながら知らん振りっていうわけだ。
「それでは、情報集めをするために尼さんになって甲賀に行ったのでしょうか」と太郎は聞いた。
「それはどうかな、多分、その時は本当に出家したんじゃろう」
楓は黙って無為斎の話を聞いていた。
「わしがここに来た当時は、松恵尼殿も一年に一、二度、顔を出す程度じゃったが、京に戦が始まってからというもの、頻繁に、ここに来るようになった。松恵尼殿が情報を集めていたというのなら、それも納得のできる事じゃ」
知らない間に外は暗くなっていた。
「川島先生を呼んで来ます」と太郎は言うと外に出て行った。
「橘屋の旦那も呼んで来るがいい」と無為斎が太郎の背中に声を掛けた。
「わかりました」と答え、太郎は町道場に向かった。
楓に言われて、いやな事は忘れようと思った。しかし、忘れきれなかった。それが、心の迷いとなって剣に現れ、無為斎に感づかれた。やはり、忘れようとしないで、その問題に真っ向から取り組まなければならなかった。
太郎は毎日、その事を考えていた。
五ケ所浦を出る時、あの山で池田一味五人を斬り捨てた。あれは仕方のなかった事だ。ああするしか仕方がなかった。それは太郎も楓と同じように思っている。しかし、楓は正しい事をしたと思って納得しているが、太郎にはなぜか、納得できなかった。何かが引っ掛かっていた。それは、一体、何なんだろうか‥‥‥
どうして、ああいう結果になってしまったのか、太郎は落ち着いて、一つ一つさかのぼって考えてみる事にした。
水軍の者が池田一味にやられた。
太郎は池田一味に付け狙われていた。
水軍と陸軍の対立。
原因は御前試合にあった。太郎の知らない内に決められた御前試合。
その御前試合でも、太郎はやるべき事をやっただけだった。初め、木剣でやって勝ち、真剣でやって勝ち、組み討ちでも勝ち、そして、最後に、後ろから斬り掛かって来た池田長左衛門の手首を斬った。武士として当然の事をしたまでだった。しかし、あの時も後味が悪かった。なぜなんだろう‥‥‥
わからなかった。
何かが引っ掛かっていた。
その何かがわからなかった。
楓とお涼は仲が良かった。いつも、二人で何かをやっていた。お涼は楓よりも一つ年上で、京から来た研師(トギシ)の娘だそうで、どういういきさつで無為斎と一緒にいるのかは知らないが、無為斎と一緒に暮らし出してから、もう三年は経つと言う。
お涼はいつも手拭いを頭に被って、何かしら仕事をしていた。
川島先生の町道場には、夕方になると道場があふれる程の人が集まって来ていた。若い連中がほとんどだが、中には橘屋のような年配の人も若者たちに交じって稽古に励んでいる。また、稽古とは関係なく道場に来て、川島先生と世間話をしていく年寄りたちもいた。あの道場は町の寄合所のような感じだった。
稽古の内容は剣術と槍術の二つに分かれていた。
この当時はまだ、武士と農民、町民ははっきりと分かれていない。戦が起これば皆、狩り出される。農民や町民でも刀の一振り位は持っている者が多い。また、竹を切れば竹槍がすぐできる。剣と槍が農民や町民にとって手頃な武器と言えた。
川島先生は何人かの若い者に任せっきりで、ほとんど道場には出ないで、年寄りたちと無駄話をしていた。そして、夜になると決まって酒を飲んでいた。お陰で太郎も多気にいる間は毎晩、酒を飲むという事になった。
太郎は愛洲の水軍剣法の達人と紹介され、皆に剣術を教えていた。水軍という事が皆に珍しがられ、海や船の事など色々な事を聞かれ、道場に集まる人達の中に溶け込んで行った。
太郎は初めの頃は大小二本の刀を差していたが、なぜか、場違いな気がして、やがて、小刀だけを差して行くようになっていた。川島先生は町民に成り切ってしまったのか、普段、刀を持ち歩いてはいなかった。
ある日、一人の旅の武士が訪ねて来た。武家道場に行って試合を申し込んだら断られ、こちらに行けと言われたと言う。
「そうですか。それでは私がお相手いたしましょう」と川島先生は気軽に言って、木剣を持って道場に出た。
その時は、まだ、みんなが集まって来る前で、川島先生と太郎ともう一人、良く遊びに来る油屋の隠居爺さんの三人しかいなかった。
旅の武士は備後(ビンゴ、広島県東部)の浪人、丸山左馬助(サマノスケ)と名乗り、背負っていた太い木剣を構えた。
「一本勝負では実力は良くわからないでしょうから、三本勝負という事にしましょう」と川島先生が言うと、相手の浪人は、「かしこまった」と頷いた。
川島先生と浪人は木剣を構えて、向かい合った。
太郎と油屋の隠居爺さんは先生の家の縁側から試合を見ていた。
「いつもと同じじゃ」と隠居爺さんは言った。
「いつもと同じ?」と太郎は隠居爺さんを見た。
「見ていればわかる」と隠居爺さんは笑った。
三本勝負はすぐに終わった。一本目は先生が勝ち、二本目は浪人が勝ち、三本目は先生が勝った。
「ほら、いつもの通りじゃ」と隠居爺さんは言った。
隠居爺さんの話によると、今までに何人もの侍が先生に試合を申し込んできたが、先生はいつも三本勝負をして、二本は勝って一本は相手に勝たせていると言った。
「それじゃあ、今のもわざと負けたのですか」と太郎は聞いた。
隠居爺さんは笑いながら、頷いた。
試合の終わった二人は、話をしながら戻って来た。
浪人は、先生に身の上話や世間話をして、東の方へ行くと旅立って行った。
浪人が帰った後、太郎は、「どうして、わざと負けるのですか」と聞いてみた。
「それは、相手によって決める」と先生は答えた。「ここに来る連中はほとんど神道流がどんなものか知りたくて来る者ばかりだ。そんな奴には三本のうち一本を勝たせてやれば、おとなしく帰って行く。余計な争い事を避けるのも神道流の極意だ」
「争い事を避ける‥‥‥」
「ああ。『天真正伝神道流』の天真とは自然のまま、あるがまま、自然の真理という事じゃ。その自然の真理を正しく伝える神の道だ。それは争い事のない太平の世のために使う剣の事だ。つまらない争い事や喧嘩などに使う剣ではない。まあ、わしにもよくわからんがのう。長威斎殿がそんなような事を言っていた」
太郎は川島先生の言った事をよく噛みしめていた。
つまらない争い事や喧嘩などに使う剣ではない‥‥‥
争い事を避けるのも神道流の極意‥‥‥
太郎は稽古を終えての帰り道、ずっと、その事を考えていた。川島先生は今日はちょっと用があると言って付いては来なかった。
川島先生とあの浪人は試合をしたが、お互いに恨みがあってしたわけではない。お互いに剣を志す者として、自分の腕を試したまでだった。お互いに相手を認め合って、気持ち良く別れて行った。
太郎と池田長左衛門の試合はあんな風になってしまった。
もし、あの時、太郎がわざと負けていたらどうなっただろうか。
そんな事をしたら、太郎の道場はつぶれてしまっただろう。そして、陸軍の奴らは完全に水軍を馬鹿にするに違いない。
池田長左衛門‥‥‥決して、悪い奴ではないと父は言っていた。今まで、誰にも負けた事がなく、太郎に初めて負けたとも言っていた。
太郎はなぜ、池田があんな風になったのか、相手の立場になって考えてみる事にした。
まず、池田は戦に出て、一度も負けた事のない陸軍の勇者だった。多分、愛洲家の中で、自分が一番強いと思っていたのかもしれない。
そこに、俺が帰って来て剣術道場を開き、戦でも活躍した。俺の活躍は殿にまで聞こえた位だから、当然、池田の耳にも入っただろう。池田はそれを聞いて面白くなかったに違いない。池田だけでなく陸軍全員が快く思わなかったのかもしれない。
そして、御前試合。
父の話だと、初めの予定では、俺が自分の道場の者を相手に剣術を披露するはずだった。それがああいう形になってしまった。もしかしたら、陸軍の者が手を回して、俺を公衆の面前でたたきのめしてしまおうとたくらんだのかもしれなかった。池田にしろ、陸軍の連中にしろ、絶対に勝つ自信があったに違いない。しかし、ああいう結果になってしまった。負けるなんて思ってもいなかった池田は公衆の面前で、しかも、殿の見ている前で負けてしまい、逆上して、あんな態度に出てしまったのだろうか‥‥‥
そして、右手首を斬られ、二度と戦に行けない体となって、やけになり、俺を恨んで、つけ狙い、水軍の者たちにいやがらせをして行くようになって行った。
それじゃあ、俺が戦で活躍した事がいけなかったのか‥‥‥
俺はみんなに俺の剣術をわかってもらおうと必死だった。しかし‥‥‥よく考えてみると、自分の強さをみんなに見せたいと思っていなかったとは言えない。飯道山で厳しい修行に耐えて来た、その成果をみんなに見てもらいたかった。道場のためとは言いながら、あの頃の俺は得意になっていた。それが、陸軍の連中には鼻持ちならなかったのだろう。
水軍と陸軍が仲の良くないのは知っていた。それは今に始まった事ではない。しかし、二年も留守にしていて、今、愛洲家がどういう状態になっているのかなんて考えてもみなかった。俺は自分の事しか考えていなかった‥‥‥
御前試合が終わって、水軍と陸軍の対立が激しくなって来てから、俺の剣術によって、二つが一つにまとまってくれればいいなどと虫のいい事を考えていた。
結局は自分の事しか考えなかった俺が、水軍と陸軍の対立をなお一層、煽ってしまい、ああいう結果になってしまったんだ‥‥‥
俺が剣術の修行をしたのは、強いとみんなから誉めて貰いたいためではなかったはずだ。そんな、ちっぽけな剣術ではなかったはずだった。
去年の俺は本当にいい気になっていた。自分の道場を持ち、みんなから、強い、凄いと誉められ、回りの事など考えもせず、有頂天でいた。一人で浮いている存在だった。
いくら、強くなったとしても、その使い方がわからなかったら何にもならない。かえって、弱い方が回りを傷つけないだけ、ましだろう。
快晴和尚が前に言った事があった。
‥‥‥世の中の事をはっきりと見極める目を持たなくてはならん。
そんな事はすっかり忘れていた。世の中を見極めるどころじゃなかった。全然、見ようともしなかった。五ケ所浦に帰って来た時、今の五ケ所浦の状況、水軍と陸軍の対立の様子などをはっきりと見極めれば、自分のいる立場というのがわかっただろう。そうすれば、あんな結末にはならなかったかもしれなかった。
『陰の術』を使えば何だって調べられた。五ケ所城に忍び込んで、殿様の事だって調べられた。しかし、そんな事はやらなかったし、やろうとも思わなかった。
これからは武術だけでなく、物事を見極める目や、心の修行もしなければ駄目だと太郎は悟った。そして、太郎の剣術、『陰流』も神道流のような、大きなものにしなければならなかった。
5
太郎の心の迷いはなくなった。
しかし、今度は無為斎という存在が太郎の前に立ちはだかって来た。
隙だらけに見えた無為斎を、なぜか、打つ事ができなかった。
無為斎の発する目に見えない、何か大きな力で包み込まれるような気がした。あれは、一体、何なんだろう‥‥‥
そして、『天の太刀』。太郎には無為斎が打って来るのがわかっていた。なのに、避ける事ができなかった。どうしてだろう‥‥‥
心に迷いがあったからか。
いや、それだけではない。無為斎と太郎では実力が全然違う。五ケ所浦で道場を持ち、いい気になっていた自分が恥ずかしく思えた。まだ、上には上がいるものだ。修行を積まねばならない。修行を積んで、無為斎と同じ位の境地、いや、それ以上の境地に行かなければならない。
太郎は楓とも相談をして飯道山に帰る事にした。
無為斎にその事を言うと、せっかくだから、もう少し待ちなさいと言った。
五日後に、先代の教具卿の一周忌の法要があるという。色々な人が集まって来るから、将来のために顔を見ておいても損にはならないだろう。わしの供という事で連れていってやると言った。
北畠氏の法要なら、各地から大物が集まって来るに違いない。愛洲の殿も来るかもしれない。太郎はまだ、政治に興味を持っていなかったが、無為斎の言う通り、見て行く価値はありそうだと思い、出立を延期した。
太郎は川島先生の道場に通っているうちに、宮田の八郎という男と仲良くなって行った。
八郎は百姓の三男に生まれ、太郎より三つ年下の十八歳で、侍になるのが夢だった。
八郎の家は小さな百姓で、持っている土地も狭く、その土地は長兄のものになっている。次兄は山奥の土地を切り開き、家を出て分家していた。八郎は長兄の世話になっているが、厄介者扱いされていた。
八郎もいつまでも長兄の世話になってるわけにはいかなかった。いつかは家を出なければならない。しかし、次兄のように山の中の狭い土地を耕して、分家したくはなかった。朝から晩まで苦労して働いても、食っていくのが精一杯な暮らしはしたくなかった。それよりも、戦に出て活躍をして侍になりたかった。
八郎は十六の時に一度だけ、戦に出た事があった。その時はただ逃げ回っていただけだった。人を斬るのは恐ろしかったし、斬られるのはもっと恐ろしかった。
八郎は強くなるために町道場に通い始めた。しかし、銭がなかった。川島先生もただで武術を教えているわけではない。いくらかの銭か、銭に代わる物を貰っていた。八郎は何も持っていない。飯を食わせて貰っているだけでも肩身の狭い思いをしているのに、銭など貰えるはずはなかった。そこで、八郎は先生に頼み、銭の代わりに雑用をして働くという条件で剣術を習っていた。
八郎は朝早くから道場に来て、道場の掃除や先生の身の回りの世話をやき、剣術の稽古に励んだ。先生の道場に通い始めて二年になり、今では先生の代わりに皆に教える程の腕になった。もう、雑用などしなくてもいいと言われているが、家にいても邪魔物扱いされるだけだと道場に来ては雑用をやっていた。
太郎はそんな八郎に剣術を教えてやった。
八郎は太郎に、「どうして、そんなに強くなったんや」と羨ましそうに聞いた。
「子供の頃から剣の修行をしていたからさ」と太郎は答えた。
「そうか、お侍さんは小せえ頃から剣を持ってるんやな」
「それだけじゃない。俺は二年間、山で厳しい修行を積んで来た」
「山で修行?」
「おお、天狗に剣を教わっていた」
「えっ! 天狗に?」
「それは戯れ言だが」と太郎は笑うと、八郎に飯道山の事を話してやった。
八郎は目を輝かして太郎の話を聞いていた。
「おらも行ってみてえ」と八郎は夢見るように言った。
飯道山の一年間の修行は正月の十四日に受け付けがあり、十五日から始まった。
毎年、修行者が多くなっているので、その日以外は受け付けなかった。今年はもう駄目だった。それに、飯道山もただでやっているわけではなかった。銭が必要だった。しかも、食費は自分持ちだった。太郎の場合はすべて、師匠の風眼坊が面倒をみてくれたが、後で、望月や芥川に聞いてみたら、かなりの費用が掛かったと言っていた。あの山の近くにいても、ある程度、裕福な家の者しか修行できないのだった。いくら、剣の素質のある者でも銭がなければ修行はできなかった。太郎はその事を八郎に話した。
八郎は、これから、一生懸命、銭をためると言った。
太郎が大丈夫か、と聞くと、何とかなると胸をたたいた。
剣の修行をする前は、自分に自信がなくて何もできなかったが、剣の修行をしてからは、自分に自信が持てるようになった。二年間、一生懸命やったら、自分でも驚く位、強くなった。やろうと思えばできない事はない。きっと、来年の正月までに銭をためて、飯道山に行くと八郎は力強く言った。
「よし、山で待っているぞ」と太郎も力強く答えた。
八郎は銭をためると言う。どういう風にためるのか聞かなかったが、八郎はきっと、ためて山に来るだろうと太郎は思った。
太郎は自分と八郎を比べてみた。
太郎は侍の家に、しかも、水軍の大将の家に生まれた。生まれながらにして侍だった。そして、それは当然の事と思っていた。八郎は貧しい農家に生まれ、侍になろうとしている。銭をためて剣を習おうとしている。もし、これが逆だったらどうなったろう。
太郎は侍の家に生まれて良かったと思った。反面、どうして同じ人間なのに、こうも差があるのだろうと思った。
前に師匠が、まず、侍である事をやめて、ただの人間になれと言った事があった。あの時は、何を言っているのかよくわからなかったが、今、ようやく、わかりかけていた。
侍の目には見えない物というものがある。今の世の中をはっきり見るには侍の目から見たり、百姓の目から見たり、町人の目から見たり、木地師の目から見たり、あらゆる目で見なければならない。ただの人間に成り切って、ただの人間の目で、はっきりと見なければならない。無為斎もそうに違いない。剣術の達人だが、それだけでなく、それを越えて、ただの人間になりきっているのだ。本物の人間に‥‥‥
世の中には色々な人間がいる。太郎はその色々な人間に会いたくなった。色々な人間を知り、色々な世界を知り、人間の本当の姿というものが知りたかった。そして、しばらくは侍をやめてみようと思った。
北畠教具卿の法要は盛大だった。
驚く程の人が各地から集まって来た。時節がら、皆、武装してやって来る。警備も厳重になり、街道の脇のあちこちに、各地から来た武装した武士たちがたむろしていた。
太郎は無為斎に連れられて法要に参加し、無為斎に色々な人を教えてもらった。
まず、将軍足利義政の代理として政所執事(マンドコロシツジ)の伊勢伊勢守貞宗、管領(カンレイ)の細川右京大夫勝元の代理として三好式部大輔長之、侍所頭人(サムライドコロトウニン)の赤松兵部少輔政則の代理として浦上美作守則宗、何を考えているのか西軍に寝返った足利義視も代理を出して来ていた。
守護大名では河内の畠山弾正少弼政長、尾張の斯波左兵衛佐義敏、近江の京極治部少輔政高、若狭の武田大膳大夫国信、越前の朝倉弾正左衛門尉孝景、駿河の今川治部大輔義忠、甲斐の武田刑部大輔信昌、東軍の面々が、それぞれ代理を出していた。
伊勢国内の豪族たちは、ほとんど、顔を見せている。
一族の主な者には大河内氏、坂内氏、大宮氏、木造氏、藤方氏、岩内氏、波瀬氏など、被官では、関氏、神戸氏、長野氏、雲林院氏、家城氏、中山氏、奥山氏、野呂氏、本田氏、榊原氏などがいた。
愛洲氏も勿論、来ている。五ケ所浦の殿、愛洲三河守忠氏、玉丸城の愛洲弾正少弼吉忠、一之瀬城の愛洲伊予守忠方の三人の城主が顔を見せていた。もしかしたら、父が来ているかもしれないと思って捜してみたが見当たらなかった。
その他、公家衆が十数人、変わった所では刀工の村正、明珍派の甲冑師、連歌師の春楊坊専順、茶人の村田珠光、猿楽の観世座の大夫などがいた。
法要が終わり、無為斎と共に帰りながら、さすが、北畠氏は凄いと思った。あの中にいたら、愛洲氏など小さいものだった。
しかし、疲れた。法要がこれ程に疲れるものとは知らなかった。
無為斎の屋敷に戻ってみると、珍しい客が待っていた。
松恵尼だった。
法要に来たのだが、久し振りに無為斎に会って行こうと思って、ここに寄ってみたら、楓が出て来たので、びっくりしたと言った。
楓の方も同じだった。お涼は畑に行っていて、楓は屋敷の掃除をしていた。ほとんど、人など訪ねて来ないのに誰かが訪ねて来た。しかも、女の声だったので出て行ってみると、松恵尼がそこにいた。
楓は最初、狐にでも化かされているのかと思った。
「無為斎殿と松恵尼様は知り合いだったのですか」と太郎は不思議そうに聞いた。
「ええ、そうですよ」と松恵尼は笑った。「無為斎殿がここに来た当時から知っています。初めて会ったのが、あの御前試合だったかしら」
「そうだったのう。早いもんじゃ。あれから、もう十年か‥‥‥」
「この御隠居所が完成した時も偶然、ここに来ていて、御所様に連れて来ていただきました」
「そうじゃったのう」と無為斎は懐かしそうに頷いた。「御所様は自分の御隠居所を造らずに、このわしのために、こんな立派な御屋敷を造ってお亡くなりになってしまわれた。まさか、わしより先にお亡くなりになるとはのう‥‥‥」
「ええ‥‥‥まだ、四十九だというのに‥‥‥」
太郎は松恵尼と北畠教具との関係が知りたかったが、そんな事を聞ける雰囲気ではなかった。松恵尼はしんみりとしていた。
一時程、松恵尼は無為斎と昔話をして帰って行った。
これから、ちょっと奈良に用があるので、奈良に寄ってから甲賀に帰るとの事だった。
「楓から聞いたわよ。また、戻って来るんですって。みんな、あなたに会いたがってるわ。みんな、待ってるわよ。いつでも帰ってらっしゃい」と松恵尼は言って手を振った。
松恵尼を送って囲炉裏端に腰を下ろすと、無為斎は、「そろそろ、帰りますかな」と太郎に聞いた。
「はい、明日にでも」と太郎は楓を見ながら言った。
「そうか、それじゃあ、また、川島でも呼んで酒でも飲もうかのう」
「はい、私が呼んで参ります。ところで、無為斎殿、松恵尼殿は一体どんなお人か、御存じないでしょうか」と太郎は聞いてみた。
「わしも、よくは知らんのじゃがのう」
「お願いです、教えて下さい」と楓が言った。「私は松恵尼様に育てられました。でも、私にも松恵尼様の事は少しもわかりません。これから、また、甲賀に帰って、松恵尼様のお世話になります。松恵尼様にはお世話になりっぱなしです。少しでも松恵尼様の事がわかれば、松恵尼様のために何かしてあげられるかもしれません。お願いです、知っている事だけでも教えて下さい」
「そうか、そなたは松恵尼殿に育てられたのか。母親同然というわけじゃな」
「はい」
「わしも本人の口からは何も聞いとらん。皆、人から聞いた事じゃ。本当だか嘘だかは知らん。それでもいいかな」と無為斎は楓と太郎を見比べた。
「はい」と楓は頷いた。
「そうじゃのう。まず、生まれだが伊勢平氏、関氏の一族の娘として生まれたそうじゃ。いきさつは知らんが御所様に見初められて側室に上がったらしい。一年後に子供を産んだが死産じゃったそうじゃ。前後して、父親が戦で討ち死にして、不幸が重なり、また、側室同士での女の揉め事もあったらしい。松恵尼殿は出家なさった。そして、母親と二人して、この城下から消えたんじゃ。甲賀に行ったのは母親の実家が甲賀だったらしい。わしの知っているのはこんな所じゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」と太郎は言って楓を見た。
楓は俯いたまま黙りこんでいた。しばらくして顔を上げると、「御所様の側室‥‥‥」と小声で言った。
「今でも綺麗じゃが、若い頃はもっと綺麗だったんじゃろのう」
「無為斎殿、松恵尼様にはもう一つ顔があります。御存じですか」と太郎は聞いた。
「もう一つの顔?」
「はい。奈美殿と言って、よくはわかりませんが、どうも、商人のようです」
「商人‥‥‥商人と尼僧の二つの顔か‥‥‥成程のう」
「わかりますか」
「わしの推測じゃがのう、多分、松恵尼殿は御所様のために情報集めをしていたのかもしれんのう」
「情報集め?」
「そうじゃ、こう戦があちこちで頻繁に起こると、いつ、どこで、誰と誰が戦をやっているのか、誰と誰が手を結ぼうとしているのか、色々な情報を早く知り、それに対しての対応を考えなければならん。北畠氏は今の所、伊勢の国をほとんど平定しているが、豪族たちが、いつ、寝返るとも限らん。また、伊勢の回り、尾張、近江、伊賀、大和、志摩などの国の状況も知らなければならん。勿論、京の都の事もじゃ。あらゆる情報をいち早く手に入れ、事が大きくならないうちに対処しなければならんのじゃ。これからの戦はただ、力だけを以て敵を倒すという事では駄目じゃ。回りはすべて敵だと思い、手を結ぶべき相手とは手を結び、倒すべき敵は戦を始める前にあらゆる手をうち、絶対に勝てると思う戦だけをやるんじゃ。そのためにはまず、情報集めが重要になる。御所様はあちこちに、そういう情報を集める者を置いたに違いない。松恵尼殿もそのうちの一人として働いていたのじゃろう」
太郎は無為斎の話を聞いていて、情報集めというのは『陰の術』だと思った。
松恵尼は陰の術を使って、北畠氏のために情報集めをしていたのだった‥‥‥
表向きは尼僧として、裏では商人として活躍していたのだろう。松恵尼の事だから、何人もの尼僧や商人たちを使って、彼らをあらゆる所に潜入させ、情報を集めていたに違いない。以前に世話になった小野屋長兵衛という奈良の商人も松恵尼の手下だったのかもしれない。とすると松恵尼は余程大きな組織を持って情報集めをしていたに違いない。北畠氏が後ろ盾にいれば、それも可能だろう。しかし、驚きだった。松恵尼がそれ程の人だったとは‥‥‥
ところで、師匠の風眼坊は知っているのだろうか‥‥‥
知っているだろうな。師匠はとぼけるのがうまいからな。知っていながら知らん振りっていうわけだ。
「それでは、情報集めをするために尼さんになって甲賀に行ったのでしょうか」と太郎は聞いた。
「それはどうかな、多分、その時は本当に出家したんじゃろう」
楓は黙って無為斎の話を聞いていた。
「わしがここに来た当時は、松恵尼殿も一年に一、二度、顔を出す程度じゃったが、京に戦が始まってからというもの、頻繁に、ここに来るようになった。松恵尼殿が情報を集めていたというのなら、それも納得のできる事じゃ」
知らない間に外は暗くなっていた。
「川島先生を呼んで来ます」と太郎は言うと外に出て行った。
「橘屋の旦那も呼んで来るがいい」と無為斎が太郎の背中に声を掛けた。
「わかりました」と答え、太郎は町道場に向かった。
24.百地砦
1
太郎と楓は一月近くも滞在した多気の都を後にした。
二人は赤目の滝に向かっていた。多気から赤目の滝はすぐだった。ついでだから、栄意坊行信に会って行こうと思っていた。
途中、道にも迷ったが、のんびりと旅をしていたので、赤目の滝に着いた時には、すでに暗くなってしまった。さいわいに月が出ていたので助かった。
不動の滝の側の庵には誰もいなかった。
栄意坊の槍も錫杖も酒のとっくりも何もなかった。すでに、ここにはいないようだった。どこかに旅に出てしまったのだろうか。
仕方がない。今晩はここに泊まる事にした。
滝の音が聞こえていた。
月明かりの下で、太郎と楓は酒盛りをしていた。
昨夜、みんなで飲んだ酒が残ったので、持って行けと言われ、そのまま、とっくりをぶら下げて来たのだった。お涼が作ってくれた握り飯も残っていた。握り飯を肴にして、二人は酒を飲んでいた。
「おかしいわね」と楓が笑いながら言った。
「何が」と太郎は聞いた。
「昨日まで、あんなにすごいお屋敷にいて、今日はこんな所にいる。あまりにも差があり過ぎるわ」
「そう言えばそうだな。昨日まで、ずっと贅沢をしてたな。田曽浦の屋敷も立派だったし、橘屋も立派だったし、無為斎殿の屋敷ときたら、もう、愛洲の殿様の屋敷よりもすごかったもんな。あれ程の贅沢はもう、二度とできないだろうな」
「そうよね。あんなすごい御殿に一月近くも暮らしていたなんて、今、思うと、とても信じられないわね」
「うん。でも、まさか、あそこで松恵尼殿に会うとは思わなかったな」
「そうよ。びっくりしたわ。それに松恵尼様が先代の御所様のお妾さんだったなんて、もう、ほんと驚いたわ」
「うん。確かにな。しかし、俺は松恵尼殿が『陰の術』をやっていた、と言う事の方が驚きだったよ」
「陰の術?」
「そうさ。松恵尼殿がやっていたのは、まさしく、陰の術だよ。木登りなんかはしなくても、北畠殿のために敵の情報を探っていたんだから立派に陰の術さ。きっと、すごい組織を持って、あちこちに潜入させて情報を集めていたに違いないよ」
「そうね。今、思えば、あの花養院に色んな商人の人たちが出入りしてたわ。客間で松恵尼様と何かを話すと、また、どこかに出掛けて行ったわ。松恵尼様のお弟子さんの尼さんもあちこちにいっぱいいるみたいだし」
「そうだろう。北畠の殿様が後ろに付いていれば、人だってすぐに集められるからな。きっと、松恵尼殿は手下をいっぱい持っているんだよ」
「すごいわね‥‥‥」
「ああ。確かにすごいよ‥‥‥酒が終わっちまったな」
「あなた、お酒、強くなったんじゃない」
「毎日、飲んでいたからな、強くなるだろう」
「飲兵衛にならないでよ」
「酒も修行さ」
「もう、寝ましょ」
「そうだな。女子の修行もしなくっちゃな」
「そうよ」
朝、目が覚めると雨が降っていた。夕べは月が出ていたというのに‥‥‥
太郎は今日、楓にここの色々な滝を見せようと思っていたのに、この雨では駄目だった。昼近くになって、ようやく小降りになったので、不動の滝だけを見て百地弥五郎の家に向かった。とにかく、腹が減っていた。あそこに行けば飯くらい食わせて貰えるだろうと思った。
弥五郎の家は相変わらず、山に囲まれてひっそりと建っていた。
懐かしかった。
ここは、山伏、太郎坊移香の誕生の地だった。ここから、山伏としての太郎の生活が始まった。師の風眼坊と栄意坊、そして、弥五郎と楽しく過ごしたあの夜を太郎は思い出していた。
生憎、弥五郎も留守だった。
太郎は楓と顔を見合わせた。なぜか、ついていなかった。
二人を迎えたのは弥五郎の奥さんのようだった。あの夜、師匠が別嬪(ベッピン)だと誉めていた奥さんだった。確かに綺麗な人だった。可愛いい顔した小さな女の子がまとい付くように一緒にいた。
奥さんは太郎と楓の姿をまじまじと見ていた。
太郎は本名を名乗らずに風眼坊の弟子の太郎坊移香と名乗った。そして、今は、ちょっとした都合で侍のなりをしていると付け加えた。
奥さんは、そうですかと納得してくれ、主人は今、裏山にいるでしょうと教えてくれた。二人は裏山の道を聞いて、訪ねてみる事にした。
「今の人、どこか、お前に似てるな」と太郎は言った。
「えっ? どこが」と楓が不思議そうに聞いた。
「あの人、小太刀の名人だよ」
「ほんとなの」
「松恵尼様の所にいたそうだ」
「えっ? あたし、知らないわよ」
「お前が、まだ、小さかった頃じゃないのか」
「そうね‥‥‥覚えてないわ」
山の中の細い道はどこまでも続いていた。
一体、こんな山の中で何をしてるのだろう。
やがて、騒がしい、人の声と物音が聞こえて来た。
懐かしかった。それは、飯道山の音と同じだった。
若い者たちが武術の稽古に励んでいた。
弥五郎もいた。そして、何と、栄意坊もいた。
二人が顔を出すと、皆、稽古をやめた。
中には二人を睨みつけて、今にも掛かって来そうな者もいた。その緊張をほぐしたのは栄意坊だった。相変わらず、髭だらけの顔で笑いながら、「おお、太郎坊! どうしたんじゃ、懐かしいのう」と言いながら近づいて来た。
弥五郎も近づいて来た。
皆はまだ、二人の方を見ていたが、警戒心は消え、今度は何かに驚いているように、なぜか、そわそわとしていた。
弥五郎は皆に、稽古に戻れと命じた。皆は稽古に戻ったが、まだ、太郎たちを気にしていた。
「どうしたんじゃ、一体」と栄意坊は言った。「どうして、こんな所にいるんじゃ」
太郎は飯道山を下りてから、今日までの事を簡単に説明をした。
「そうじゃったんか、成程のう」
「まあ、こんな所で立ち話も何じゃ、うちへ行こう」と弥五郎が誘った。
「そうか、懐かしいのう。おぬしの噂はわしもよく耳にしたぞ。特に、おぬしの『陰の術』は伊賀のこんなはずれにまで聞こえとるわい」と栄意坊は歩きながら言った。
「さっきの連中たちは、おぬしが太郎坊だと聞いてびっくりしていたんじゃよ」と弥五郎は言った。「おぬしは知らんじゃろうが、太郎坊と陰の術というのは、伊賀、甲賀の若い連中は誰でも知っておる。今年は伊賀からも陰の術を習おうと飯道山に登った者がかなりいる。何年振りじゃろうのう。おぬしと初めて会った時、まさか、こんなに有名になるとは思いもしなかったぞ。さすが、風眼坊殿じゃのう。たいした弟子を持ったもんじゃ」
「ところで、太郎坊よ。おぬし、陰の術を使って、楓殿まで盗み出して来たのか」と栄意坊は二人を見比べた。
「はい、楓の心を盗みました」
「まったく、おぬしにはかなわんのう」と栄意坊は大声で笑った。
弥五郎は、どうせ、今日はまだ、何も食べていないのだろうと気をきかせて、食事の支度をしてくれた。太郎と楓は有り難く頂戴した。
しばらく話をしてから、弥五郎は、「ゆっくりしていってくれ」と言い、また、裏山に戻って行った。
栄意坊は残っていた。
楓は弥五郎の奥さんの手伝いをしている。奥さんに昔の事を色々と聞いているのだろう。
「いつから、ここにいるんですか」と太郎は栄意坊に聞いた。
「そうさのう、もう、半年にもなるかのう」
「ここで、みんなに槍を教えてるんですか」
「ああ、弥五郎に頼まれてのう。別にやる事もなかったしな。のう、太郎坊、ちょっと外にでも出んか」と栄意坊は言うと、先に外に出て行った。
太郎はどうしたんだろうと思いながら、栄意坊の後を追った。
栄意坊はどんどんと先に立って歩いて行った。
ちょっとした原っぱまで来ると、栄意坊は草の上に腰を下ろした。
太郎も隣に腰を下ろした。
「なあ、太郎坊、おぬし、これから、どうするんじゃ」と栄意坊は下を向いて、草をいじりながら聞いた。
なぜか、栄意坊は変だった。何となく、気弱に見えた。こんな栄意坊を見るのは初めてだった。前は、いつも陽気で豪快だった。何かあったのだろうか。
「とりあえずは飯道山に戻って、また、修行をします」と太郎は言った。
「また、修行か‥‥‥おぬしはまだ若いからのう」
「どうかしたんですか」と太郎は聞いてみた。
「おぬし、今、いくつじゃ」と栄意坊は聞いた。
「二十一です」と太郎は答えた。
「二十一か、若いのう。わしは、もう四十じゃ。もう、四十にもなってしまった‥‥‥最近のう、やたらと年が気になるんじゃよ」
栄意坊は自分の過去を振り返って、ぽつりぽつりと太郎に聞かせた。
栄意坊は遠江(トオトウミ)の国(静岡県、西部)の川の民の子として生まれた。
川の民というのは、川で魚やスッポンを取ったり、竹で籠を作ったり、菅で笠や蓑を作ったりして、それを売って暮らしている人たちであった。山の民と同じく、一ケ所に定住しないで移動しながら暮らし、一般の人たちとは付き合わなかった。
栄意坊は川の民の掟によって育てられ、成長して行った。
ある日、事件が起きた。
栄意坊がいつものように川で魚を取っていると、そこに、馬に乗った二人の侍が通り掛かった。その侍は馬に水を飲ませながら、栄意坊が持っていた見事な魚をくれと言った。
いつもの栄意坊だったら、誰か人の気配がしたら身を隠しただろう。そのように躾られていた。しかし、その日はたまたま虫の居所が悪かった。侍たちが来ようと平気で魚を取っていた。
栄意坊は魚を侍に渡した。当然、礼金をくれるだろうと思っていた。ところが、侍たちは銭もくれずに、栄意坊を馬鹿にして、そのまま帰ろうとした。
栄意坊は引き留めた。
侍は刀を抜いた。
栄意坊はかっときて、持前の馬鹿力で侍を投げ飛ばした。一人は打ち所が悪くて死んでしまい、もう一人はやっとの思いで逃げて行った。
それから、一騒ぎとなった。
侍たちが大勢、山狩りに来た。栄意坊の仲間たちは皆、逃げて行った。
栄意坊は彼らと一緒にいると彼らに迷惑が掛かるので、両親とも別れ、一人で別の方へ逃げた。
栄意坊はそのまま京の都まで逃げた。
栄意坊、十七歳の時だった。
川で魚を取って、それを都で売れば、何とか生きて行く事はできた。
そんなある日、一人の山伏と出会った。
山伏は魚を取っている栄意坊を見て笑った。栄意坊は腹を立てて山伏に掛かって行った。山伏は馬鹿力の栄意坊を投げ飛ばした。栄意坊には信じられなかった。何度、掛かって行っても投げ飛ばされた。栄意坊は素直に負けを認め、山伏の弟子となった。
その山伏は、風眼坊たちが親爺と呼んでいる、あの山伏だった。栄意坊は飯道山に連れて来られ、山伏となった。
その当時はまだ、飯道山もそれ程、武術が盛んではなかった。武術の修行はしていても、それは山伏に限り、一般の者たちには教えていなかった。栄意坊は親爺に槍術を教わった。親爺のやり方は厳しかったが栄意坊は耐えた。
親爺は飯道山を武術道場にしようと考えていた。山伏だけでなく、侍や郷士たちにも山伏流武術を教えようと考えていた。親爺はあちこちを回って強い者を集めていた。
やがて、葛城山より高林坊が飯道山に来た。そして、大峯山より風眼坊、伊吹山より火乱坊と集まり、その三人と栄意坊を飯道山の四天王として武術道場は栄えて行った。
「あの頃は楽しかった」と栄意坊は懐かしそうに言った。
飯道山には五年もいた。
その後、栄意坊は旅に出た。東から南まで、あらゆる所を旅して回った。
武蔵の国(東京都、埼玉県、神奈川県北東部)で、れいと言う娘と出会い一緒に暮らした。二年間、幸せな毎日が続いた。ところが、れいは子供を流産し、子供と共にあっけなく死んでしまった。
栄意坊は荒れた。自分も死ぬ気になって、戦に出て、狂ったように暴れた。しかし、死ぬ事はできなかった。
そんな時、栄意坊は江戸城の太田備中守資長(ビッチュウノカミスケナガ)と出会い、意気投合した。しばらく、江戸城で暮らし、備中守と共に戦で活躍した。三年が経ち、ようやく悲しみも癒え、栄意坊はまた、旅に出た。
そして、赤目の滝に落ち着き、しばらく、のんびりとやっていた。今までは平気でのんびりとやって行けた。しかし、今年になってから、それができなくなった。やたらと年が気になってしょうがない。
「もう、四十じゃ。わしは今まで、何をして来たんじゃろう。これから何をしたらいいんじゃ。なあ、太郎坊、わしは一体、何をしたらいいんじゃ」
栄意坊は草をつかんだまま俯いていた。
太郎には何と言っていいのかわからなかった。
「わしはのう、何かがしたいんじゃ。何か、こう、生きてるっていう実感の涌くような事がのう‥‥‥」
太郎は黙っていた。
「あ~あ」と栄意坊は両手を上に伸ばすと、そのまま、後ろに倒れて横になった。
「太郎坊よ、すまんな」と栄意坊は言った。「何か、すっきりしたわい。胸の内というか、思っている事をみんな言ったら、すっきりした‥‥‥わしが川の民の出だと話したのは、おぬしが初めてじゃ。風眼坊の奴も知らん‥‥‥おぬしは何か、でっかい事をやりそうだしのう。わしにもその何かをやる時には手伝わしてくれよ」
「そんな、今の俺は、ただ、剣の修行をするだけです」
「わかっとる。ただ、今のわしの言葉を覚えておいてくれればいい‥‥‥さて、胸もすっきりした事だし、ちょっと、体でも動かして来るか。おぬしも一緒に来い」
栄意坊は起き上がると、「行くぞ」と吠えながら裏山に走って行った。
よくわからないが、いつもの栄意坊に戻ったらしい。
太郎も栄意坊の後を追って裏山に登って行った。
太郎と楓は真っすぐ、飯道山に帰る事はできなくなった。
栄意坊の話を聞いてから裏山に行くと、みんなが太郎を待っていた。太郎を待っていたというより太郎坊を待っていた。太郎坊にぜひ、陰の術を教えてくれ、とみんなして迫って来た。これから、すぐ、飯道山に帰るとは言えなくなってしまった。
「少し、教えてやってくれ」と弥五郎も言った。
弥五郎に頼まれたら断るわけには行かなかった。栄意坊までも、もう少し、ここにいろと言う。太郎は次の日から陰の術を教えるという事になってしまった。
楓に相談すると、「いいじゃない。陰の術がそれだけ有名なのよ。いい機会だから、伊賀の国にも、あなたの陰の術を広めればいいわ」と賛成した。
「お前はどうする」
「あたしなら平気よ。お祐さんのお手伝いをしてるわ。若い人たちがたくさんいるから何かと大変らしいの。それに、お子さんと遊んでいたっていいし」
「そうか‥‥‥修行はどこでもできるしな。ここで、しばらく、陰の術を教えながら陰の術を完成させるようにしよう」
「ねえ、あたし、お祐さんの事、思い出したわ。お祐さん、あたしの事、覚えてたの。でも、びっくりしてた。お祐さんからその頃の話を聞いて、だんだんと思い出して来たの。お祐さんの話だと、あたし、二歳の時にあのお寺に来たんですって。お祐さん、あたしの事、妹みたいに可愛いがってくれたんですって‥‥‥あたし、お祐さんがいつも、庭で剣術のお稽古をしていたのを思い出したわ。あたしねえ、お祐さんがお嫁に行って、あのお寺から出て行く時、物すごく泣いたんですって‥‥‥お祐さん、出て行くのが辛かったって言ったわ‥‥‥あたしが薙刀のお稽古を一生懸命やったのは、もしかしたら、子供心にお祐さんの剣術のお稽古の事を覚えていたのかもしれないわ‥‥‥あたし、お祐さんに会えて良かった」
「そうだったのか‥‥‥それじゃあ、お祐さんはお前のお姉さんみたいなもんだな」
「そうね」
「それじゃあ、弥五郎殿は兄貴だな。兄貴から頼まれたんじゃ断れないな」
「そうよ。いくらかでも恩返ししなくちゃね」
「そうだな」と太郎は頷いた。
「ところで、どの位、ここにいるの」
「そうだな、飯道山では時間が短かったから一月かかったけど、二日分を一日で教えれば、半月もいれば充分じゃないか」
「頑張ってね。あたしも何か手伝う事があれば手伝うわ」
百地弥五郎の所に武術の稽古に来ているのは、この近所の者がほとんどだったが、ここから二里程離れた、名張から来ている者も数人いた。また、裏山というのが丁度、伊賀と大和の国境にあるため、大和の国(奈良県)から来ている者もいた。全部で二十人近い若い連中が集まっている。弥五郎の所に世話になっている者も七人いた。今、三人は用があって出掛けていていないが、四人は稽古に励んでいた。
弥五郎がここに来たのは七年前の事だった。
弥五郎の生まれた百地家は服部氏の一族だった。服部氏は古くからこの伊賀の地に入って勢力を広げ、一族は伊賀の各地に散らばっていた。中でも上野の西南の予野を本拠に持つ本家の服部家と、北部の甲賀との国境近くの湯舟に本拠を持つ藤林家と、中東部の喰代(ホオジロ)を本拠とする百地家の三家が今、勢力を持っていた。
弥五郎は百地家の三男に生まれ、子供の頃から剣槍の稽古に励んでいた。十六歳の時、親爺と呼ばれている飯道山の山伏と出会い、彼に連れられて飯道山に登った。その頃、飯道山の武術道場の創成期で、親爺は各地から才能の有りそうな者を集めていた。弥五郎も親爺に選ばれた一人だった。
飯道山には五年間もいた。四天王のもとで剣、槍、棒、薙刀とすべての武術を修行し、さらに自分で工夫して手裏剣術をものにした。そして、松恵尼の世話で花養院にいたお祐を嫁に貰い、喰代に帰った。
お祐は北畠一族の娘だった。一族と言っても本家の北畠教具に逆らって敵対し、滅ぼされた家の者だった。父親は討ち死にし、母親は自害した。お祐は当時、十三歳だったが助けられ、教具の計らいで松恵尼の所に預けられた。
松恵尼の所に来た当時のお祐は教具を両親の仇(カタキ)と憎んでいた。仇を討つために女だてらに剣の修行を積んだ。しかし、松恵尼と一緒に暮らしていくうちに、だんだんと、その恨みも薄れて行った。そして、松恵尼に連れられて教具に会い、直接、話もして、自分の目で教具がどんな人なのか確かめた。
お祐の中の恨みは消えていった。そんな時、弥五郎と出会った。何度か会っているうちにお互いに惹かれて行った。
喰代に帰った弥五郎とお祐は子供も二人でき、幸せに暮らしていた。
ある日、二人の所に松恵尼が訪ねて来た。
一仕事しないか、と言う。北畠氏のために働いてみないか、と言った。
北畠氏のために大和方面の情報集めをして欲しい。表向きは北畠氏のためだが、それは自分のためにもなる事だ。これからは正確で早い情報というのは一つの武器になる。その情報の使い方次第では城を一つ、つぶす事もできるし、人の命を助ける事もできる。どうだ、やってみないか、と松恵尼は言った。
弥五郎とお祐は思い切って、やってみる事にした。どうせ、ここにいて、兄の下で働くより、いっそ、自分たちで何かを始めた方が面白そうだった。
二人は子供と若い者を三人連れて、伊賀と大和の国境近くの竜口にやって来た。表向きは郷士として、若い者たちを使って百姓仕事をやり、裏では、彼らを使って北畠氏のために大和を中心に情報集めをしていた。
その事を知っているのは、北畠教具と松恵尼だけだった。栄意坊も知らない。裏で何かをやっているというのは感付いているが、本当の所は知らなかった。
弥五郎には三人の子供がいた。一番上は十四歳になる女の子でサクラ、二番目は男の子で十歳になる小五郎、一番下はまだ四歳の女の子、ナツメだった。
サクラは母親似の綺麗な子で、母親の手伝いをしてよく働いていた。小五郎は午前中、姉のサクラから読み書きを習い、午後は裏山に行って剣術の稽古に励んでいた。ナツメは楓になついて、よく一緒に遊んでいた。
ここでも武術の稽古は午後からだった。午前中はみんな、田や畑に出て働いている。午後になるとぞろぞろと山に集まって来た。
太郎は朝から誰もいない裏山に行き、その日に教える事を考え、そして、立木を無為斎だと思って剣術の稽古をした。
裏山に集まって来る若い連中の数は日を追って増えていった。初め、二十人位だったのが、五日も経つと倍の四十人にもなっていた。
太郎坊本人から陰の術を習う機会など滅多にないからと、弥五郎は来る者は誰でも拒まず稽古に参加させていた。
稽古する者の数が増えて来ると、教えるのも大変だった。弥五郎や栄意坊に手伝ってもらっても、なかなか、うまく行かなかった。第一、飯道山とは教える相手が全然、違った。飯道山では皆、一年間の厳しい修行に耐えて来た者ばかりだったので、皆、呑み込みが早かったが、ここの連中ははっきり言って素人と大差ない連中ばかりだった。
栄意坊が何となく、おかしくなったわけがわかるような気がした。毎日、こんな連中を相手にしていたら、だんだんと自分がいやになって行くだろう。かと言って、基本からやっている暇はなかった。形だけでも教えて、後は彼らの修行に任せるしかない。
太郎は十七日間、彼らに陰の術を教えた。教えるべき事はすべて教えた。
十七日目の最後の日、この山に集まって来ていたのは、何と百人を越えていた。教えるどころではなかった。みんな、お祭り気分だった。そのうちの半分以上は陰の術を習うためではなく、ただ、一目、陰の術を作り出した太郎坊を見たいために集まって来た連中だった。
お祭りは終わった。
太郎と楓は百地弥五郎の家を後にした。三人の子供たちが手を振ってくれた。
「おねえちゃん、また、来てね」とナツメが小さな手を振りながら言った。
太郎と楓も手を振って、別れた。
太郎は今日、楓にここの色々な滝を見せようと思っていたのに、この雨では駄目だった。昼近くになって、ようやく小降りになったので、不動の滝だけを見て百地弥五郎の家に向かった。とにかく、腹が減っていた。あそこに行けば飯くらい食わせて貰えるだろうと思った。
弥五郎の家は相変わらず、山に囲まれてひっそりと建っていた。
懐かしかった。
ここは、山伏、太郎坊移香の誕生の地だった。ここから、山伏としての太郎の生活が始まった。師の風眼坊と栄意坊、そして、弥五郎と楽しく過ごしたあの夜を太郎は思い出していた。
生憎、弥五郎も留守だった。
太郎は楓と顔を見合わせた。なぜか、ついていなかった。
二人を迎えたのは弥五郎の奥さんのようだった。あの夜、師匠が別嬪(ベッピン)だと誉めていた奥さんだった。確かに綺麗な人だった。可愛いい顔した小さな女の子がまとい付くように一緒にいた。
奥さんは太郎と楓の姿をまじまじと見ていた。
太郎は本名を名乗らずに風眼坊の弟子の太郎坊移香と名乗った。そして、今は、ちょっとした都合で侍のなりをしていると付け加えた。
奥さんは、そうですかと納得してくれ、主人は今、裏山にいるでしょうと教えてくれた。二人は裏山の道を聞いて、訪ねてみる事にした。
「今の人、どこか、お前に似てるな」と太郎は言った。
「えっ? どこが」と楓が不思議そうに聞いた。
「あの人、小太刀の名人だよ」
「ほんとなの」
「松恵尼様の所にいたそうだ」
「えっ? あたし、知らないわよ」
「お前が、まだ、小さかった頃じゃないのか」
「そうね‥‥‥覚えてないわ」
山の中の細い道はどこまでも続いていた。
一体、こんな山の中で何をしてるのだろう。
やがて、騒がしい、人の声と物音が聞こえて来た。
懐かしかった。それは、飯道山の音と同じだった。
若い者たちが武術の稽古に励んでいた。
弥五郎もいた。そして、何と、栄意坊もいた。
二人が顔を出すと、皆、稽古をやめた。
中には二人を睨みつけて、今にも掛かって来そうな者もいた。その緊張をほぐしたのは栄意坊だった。相変わらず、髭だらけの顔で笑いながら、「おお、太郎坊! どうしたんじゃ、懐かしいのう」と言いながら近づいて来た。
弥五郎も近づいて来た。
皆はまだ、二人の方を見ていたが、警戒心は消え、今度は何かに驚いているように、なぜか、そわそわとしていた。
弥五郎は皆に、稽古に戻れと命じた。皆は稽古に戻ったが、まだ、太郎たちを気にしていた。
「どうしたんじゃ、一体」と栄意坊は言った。「どうして、こんな所にいるんじゃ」
太郎は飯道山を下りてから、今日までの事を簡単に説明をした。
「そうじゃったんか、成程のう」
「まあ、こんな所で立ち話も何じゃ、うちへ行こう」と弥五郎が誘った。
「そうか、懐かしいのう。おぬしの噂はわしもよく耳にしたぞ。特に、おぬしの『陰の術』は伊賀のこんなはずれにまで聞こえとるわい」と栄意坊は歩きながら言った。
「さっきの連中たちは、おぬしが太郎坊だと聞いてびっくりしていたんじゃよ」と弥五郎は言った。「おぬしは知らんじゃろうが、太郎坊と陰の術というのは、伊賀、甲賀の若い連中は誰でも知っておる。今年は伊賀からも陰の術を習おうと飯道山に登った者がかなりいる。何年振りじゃろうのう。おぬしと初めて会った時、まさか、こんなに有名になるとは思いもしなかったぞ。さすが、風眼坊殿じゃのう。たいした弟子を持ったもんじゃ」
「ところで、太郎坊よ。おぬし、陰の術を使って、楓殿まで盗み出して来たのか」と栄意坊は二人を見比べた。
「はい、楓の心を盗みました」
「まったく、おぬしにはかなわんのう」と栄意坊は大声で笑った。
弥五郎は、どうせ、今日はまだ、何も食べていないのだろうと気をきかせて、食事の支度をしてくれた。太郎と楓は有り難く頂戴した。
しばらく話をしてから、弥五郎は、「ゆっくりしていってくれ」と言い、また、裏山に戻って行った。
栄意坊は残っていた。
楓は弥五郎の奥さんの手伝いをしている。奥さんに昔の事を色々と聞いているのだろう。
「いつから、ここにいるんですか」と太郎は栄意坊に聞いた。
「そうさのう、もう、半年にもなるかのう」
「ここで、みんなに槍を教えてるんですか」
「ああ、弥五郎に頼まれてのう。別にやる事もなかったしな。のう、太郎坊、ちょっと外にでも出んか」と栄意坊は言うと、先に外に出て行った。
太郎はどうしたんだろうと思いながら、栄意坊の後を追った。
栄意坊はどんどんと先に立って歩いて行った。
ちょっとした原っぱまで来ると、栄意坊は草の上に腰を下ろした。
太郎も隣に腰を下ろした。
「なあ、太郎坊、おぬし、これから、どうするんじゃ」と栄意坊は下を向いて、草をいじりながら聞いた。
なぜか、栄意坊は変だった。何となく、気弱に見えた。こんな栄意坊を見るのは初めてだった。前は、いつも陽気で豪快だった。何かあったのだろうか。
「とりあえずは飯道山に戻って、また、修行をします」と太郎は言った。
「また、修行か‥‥‥おぬしはまだ若いからのう」
「どうかしたんですか」と太郎は聞いてみた。
「おぬし、今、いくつじゃ」と栄意坊は聞いた。
「二十一です」と太郎は答えた。
「二十一か、若いのう。わしは、もう四十じゃ。もう、四十にもなってしまった‥‥‥最近のう、やたらと年が気になるんじゃよ」
栄意坊は自分の過去を振り返って、ぽつりぽつりと太郎に聞かせた。
栄意坊は遠江(トオトウミ)の国(静岡県、西部)の川の民の子として生まれた。
川の民というのは、川で魚やスッポンを取ったり、竹で籠を作ったり、菅で笠や蓑を作ったりして、それを売って暮らしている人たちであった。山の民と同じく、一ケ所に定住しないで移動しながら暮らし、一般の人たちとは付き合わなかった。
栄意坊は川の民の掟によって育てられ、成長して行った。
ある日、事件が起きた。
栄意坊がいつものように川で魚を取っていると、そこに、馬に乗った二人の侍が通り掛かった。その侍は馬に水を飲ませながら、栄意坊が持っていた見事な魚をくれと言った。
いつもの栄意坊だったら、誰か人の気配がしたら身を隠しただろう。そのように躾られていた。しかし、その日はたまたま虫の居所が悪かった。侍たちが来ようと平気で魚を取っていた。
栄意坊は魚を侍に渡した。当然、礼金をくれるだろうと思っていた。ところが、侍たちは銭もくれずに、栄意坊を馬鹿にして、そのまま帰ろうとした。
栄意坊は引き留めた。
侍は刀を抜いた。
栄意坊はかっときて、持前の馬鹿力で侍を投げ飛ばした。一人は打ち所が悪くて死んでしまい、もう一人はやっとの思いで逃げて行った。
それから、一騒ぎとなった。
侍たちが大勢、山狩りに来た。栄意坊の仲間たちは皆、逃げて行った。
栄意坊は彼らと一緒にいると彼らに迷惑が掛かるので、両親とも別れ、一人で別の方へ逃げた。
栄意坊はそのまま京の都まで逃げた。
栄意坊、十七歳の時だった。
川で魚を取って、それを都で売れば、何とか生きて行く事はできた。
そんなある日、一人の山伏と出会った。
山伏は魚を取っている栄意坊を見て笑った。栄意坊は腹を立てて山伏に掛かって行った。山伏は馬鹿力の栄意坊を投げ飛ばした。栄意坊には信じられなかった。何度、掛かって行っても投げ飛ばされた。栄意坊は素直に負けを認め、山伏の弟子となった。
その山伏は、風眼坊たちが親爺と呼んでいる、あの山伏だった。栄意坊は飯道山に連れて来られ、山伏となった。
その当時はまだ、飯道山もそれ程、武術が盛んではなかった。武術の修行はしていても、それは山伏に限り、一般の者たちには教えていなかった。栄意坊は親爺に槍術を教わった。親爺のやり方は厳しかったが栄意坊は耐えた。
親爺は飯道山を武術道場にしようと考えていた。山伏だけでなく、侍や郷士たちにも山伏流武術を教えようと考えていた。親爺はあちこちを回って強い者を集めていた。
やがて、葛城山より高林坊が飯道山に来た。そして、大峯山より風眼坊、伊吹山より火乱坊と集まり、その三人と栄意坊を飯道山の四天王として武術道場は栄えて行った。
「あの頃は楽しかった」と栄意坊は懐かしそうに言った。
飯道山には五年もいた。
その後、栄意坊は旅に出た。東から南まで、あらゆる所を旅して回った。
武蔵の国(東京都、埼玉県、神奈川県北東部)で、れいと言う娘と出会い一緒に暮らした。二年間、幸せな毎日が続いた。ところが、れいは子供を流産し、子供と共にあっけなく死んでしまった。
栄意坊は荒れた。自分も死ぬ気になって、戦に出て、狂ったように暴れた。しかし、死ぬ事はできなかった。
そんな時、栄意坊は江戸城の太田備中守資長(ビッチュウノカミスケナガ)と出会い、意気投合した。しばらく、江戸城で暮らし、備中守と共に戦で活躍した。三年が経ち、ようやく悲しみも癒え、栄意坊はまた、旅に出た。
そして、赤目の滝に落ち着き、しばらく、のんびりとやっていた。今までは平気でのんびりとやって行けた。しかし、今年になってから、それができなくなった。やたらと年が気になってしょうがない。
「もう、四十じゃ。わしは今まで、何をして来たんじゃろう。これから何をしたらいいんじゃ。なあ、太郎坊、わしは一体、何をしたらいいんじゃ」
栄意坊は草をつかんだまま俯いていた。
太郎には何と言っていいのかわからなかった。
「わしはのう、何かがしたいんじゃ。何か、こう、生きてるっていう実感の涌くような事がのう‥‥‥」
太郎は黙っていた。
「あ~あ」と栄意坊は両手を上に伸ばすと、そのまま、後ろに倒れて横になった。
「太郎坊よ、すまんな」と栄意坊は言った。「何か、すっきりしたわい。胸の内というか、思っている事をみんな言ったら、すっきりした‥‥‥わしが川の民の出だと話したのは、おぬしが初めてじゃ。風眼坊の奴も知らん‥‥‥おぬしは何か、でっかい事をやりそうだしのう。わしにもその何かをやる時には手伝わしてくれよ」
「そんな、今の俺は、ただ、剣の修行をするだけです」
「わかっとる。ただ、今のわしの言葉を覚えておいてくれればいい‥‥‥さて、胸もすっきりした事だし、ちょっと、体でも動かして来るか。おぬしも一緒に来い」
栄意坊は起き上がると、「行くぞ」と吠えながら裏山に走って行った。
よくわからないが、いつもの栄意坊に戻ったらしい。
太郎も栄意坊の後を追って裏山に登って行った。
2
太郎と楓は真っすぐ、飯道山に帰る事はできなくなった。
栄意坊の話を聞いてから裏山に行くと、みんなが太郎を待っていた。太郎を待っていたというより太郎坊を待っていた。太郎坊にぜひ、陰の術を教えてくれ、とみんなして迫って来た。これから、すぐ、飯道山に帰るとは言えなくなってしまった。
「少し、教えてやってくれ」と弥五郎も言った。
弥五郎に頼まれたら断るわけには行かなかった。栄意坊までも、もう少し、ここにいろと言う。太郎は次の日から陰の術を教えるという事になってしまった。
楓に相談すると、「いいじゃない。陰の術がそれだけ有名なのよ。いい機会だから、伊賀の国にも、あなたの陰の術を広めればいいわ」と賛成した。
「お前はどうする」
「あたしなら平気よ。お祐さんのお手伝いをしてるわ。若い人たちがたくさんいるから何かと大変らしいの。それに、お子さんと遊んでいたっていいし」
「そうか‥‥‥修行はどこでもできるしな。ここで、しばらく、陰の術を教えながら陰の術を完成させるようにしよう」
「ねえ、あたし、お祐さんの事、思い出したわ。お祐さん、あたしの事、覚えてたの。でも、びっくりしてた。お祐さんからその頃の話を聞いて、だんだんと思い出して来たの。お祐さんの話だと、あたし、二歳の時にあのお寺に来たんですって。お祐さん、あたしの事、妹みたいに可愛いがってくれたんですって‥‥‥あたし、お祐さんがいつも、庭で剣術のお稽古をしていたのを思い出したわ。あたしねえ、お祐さんがお嫁に行って、あのお寺から出て行く時、物すごく泣いたんですって‥‥‥お祐さん、出て行くのが辛かったって言ったわ‥‥‥あたしが薙刀のお稽古を一生懸命やったのは、もしかしたら、子供心にお祐さんの剣術のお稽古の事を覚えていたのかもしれないわ‥‥‥あたし、お祐さんに会えて良かった」
「そうだったのか‥‥‥それじゃあ、お祐さんはお前のお姉さんみたいなもんだな」
「そうね」
「それじゃあ、弥五郎殿は兄貴だな。兄貴から頼まれたんじゃ断れないな」
「そうよ。いくらかでも恩返ししなくちゃね」
「そうだな」と太郎は頷いた。
「ところで、どの位、ここにいるの」
「そうだな、飯道山では時間が短かったから一月かかったけど、二日分を一日で教えれば、半月もいれば充分じゃないか」
「頑張ってね。あたしも何か手伝う事があれば手伝うわ」
百地弥五郎の所に武術の稽古に来ているのは、この近所の者がほとんどだったが、ここから二里程離れた、名張から来ている者も数人いた。また、裏山というのが丁度、伊賀と大和の国境にあるため、大和の国(奈良県)から来ている者もいた。全部で二十人近い若い連中が集まっている。弥五郎の所に世話になっている者も七人いた。今、三人は用があって出掛けていていないが、四人は稽古に励んでいた。
弥五郎がここに来たのは七年前の事だった。
弥五郎の生まれた百地家は服部氏の一族だった。服部氏は古くからこの伊賀の地に入って勢力を広げ、一族は伊賀の各地に散らばっていた。中でも上野の西南の予野を本拠に持つ本家の服部家と、北部の甲賀との国境近くの湯舟に本拠を持つ藤林家と、中東部の喰代(ホオジロ)を本拠とする百地家の三家が今、勢力を持っていた。
弥五郎は百地家の三男に生まれ、子供の頃から剣槍の稽古に励んでいた。十六歳の時、親爺と呼ばれている飯道山の山伏と出会い、彼に連れられて飯道山に登った。その頃、飯道山の武術道場の創成期で、親爺は各地から才能の有りそうな者を集めていた。弥五郎も親爺に選ばれた一人だった。
飯道山には五年間もいた。四天王のもとで剣、槍、棒、薙刀とすべての武術を修行し、さらに自分で工夫して手裏剣術をものにした。そして、松恵尼の世話で花養院にいたお祐を嫁に貰い、喰代に帰った。
お祐は北畠一族の娘だった。一族と言っても本家の北畠教具に逆らって敵対し、滅ぼされた家の者だった。父親は討ち死にし、母親は自害した。お祐は当時、十三歳だったが助けられ、教具の計らいで松恵尼の所に預けられた。
松恵尼の所に来た当時のお祐は教具を両親の仇(カタキ)と憎んでいた。仇を討つために女だてらに剣の修行を積んだ。しかし、松恵尼と一緒に暮らしていくうちに、だんだんと、その恨みも薄れて行った。そして、松恵尼に連れられて教具に会い、直接、話もして、自分の目で教具がどんな人なのか確かめた。
お祐の中の恨みは消えていった。そんな時、弥五郎と出会った。何度か会っているうちにお互いに惹かれて行った。
喰代に帰った弥五郎とお祐は子供も二人でき、幸せに暮らしていた。
ある日、二人の所に松恵尼が訪ねて来た。
一仕事しないか、と言う。北畠氏のために働いてみないか、と言った。
北畠氏のために大和方面の情報集めをして欲しい。表向きは北畠氏のためだが、それは自分のためにもなる事だ。これからは正確で早い情報というのは一つの武器になる。その情報の使い方次第では城を一つ、つぶす事もできるし、人の命を助ける事もできる。どうだ、やってみないか、と松恵尼は言った。
弥五郎とお祐は思い切って、やってみる事にした。どうせ、ここにいて、兄の下で働くより、いっそ、自分たちで何かを始めた方が面白そうだった。
二人は子供と若い者を三人連れて、伊賀と大和の国境近くの竜口にやって来た。表向きは郷士として、若い者たちを使って百姓仕事をやり、裏では、彼らを使って北畠氏のために大和を中心に情報集めをしていた。
その事を知っているのは、北畠教具と松恵尼だけだった。栄意坊も知らない。裏で何かをやっているというのは感付いているが、本当の所は知らなかった。
弥五郎には三人の子供がいた。一番上は十四歳になる女の子でサクラ、二番目は男の子で十歳になる小五郎、一番下はまだ四歳の女の子、ナツメだった。
サクラは母親似の綺麗な子で、母親の手伝いをしてよく働いていた。小五郎は午前中、姉のサクラから読み書きを習い、午後は裏山に行って剣術の稽古に励んでいた。ナツメは楓になついて、よく一緒に遊んでいた。
ここでも武術の稽古は午後からだった。午前中はみんな、田や畑に出て働いている。午後になるとぞろぞろと山に集まって来た。
太郎は朝から誰もいない裏山に行き、その日に教える事を考え、そして、立木を無為斎だと思って剣術の稽古をした。
裏山に集まって来る若い連中の数は日を追って増えていった。初め、二十人位だったのが、五日も経つと倍の四十人にもなっていた。
太郎坊本人から陰の術を習う機会など滅多にないからと、弥五郎は来る者は誰でも拒まず稽古に参加させていた。
稽古する者の数が増えて来ると、教えるのも大変だった。弥五郎や栄意坊に手伝ってもらっても、なかなか、うまく行かなかった。第一、飯道山とは教える相手が全然、違った。飯道山では皆、一年間の厳しい修行に耐えて来た者ばかりだったので、皆、呑み込みが早かったが、ここの連中ははっきり言って素人と大差ない連中ばかりだった。
栄意坊が何となく、おかしくなったわけがわかるような気がした。毎日、こんな連中を相手にしていたら、だんだんと自分がいやになって行くだろう。かと言って、基本からやっている暇はなかった。形だけでも教えて、後は彼らの修行に任せるしかない。
太郎は十七日間、彼らに陰の術を教えた。教えるべき事はすべて教えた。
十七日目の最後の日、この山に集まって来ていたのは、何と百人を越えていた。教えるどころではなかった。みんな、お祭り気分だった。そのうちの半分以上は陰の術を習うためではなく、ただ、一目、陰の術を作り出した太郎坊を見たいために集まって来た連中だった。
お祭りは終わった。
太郎と楓は百地弥五郎の家を後にした。三人の子供たちが手を振ってくれた。
「おねえちゃん、また、来てね」とナツメが小さな手を振りながら言った。
太郎と楓も手を振って、別れた。
25.岩尾山
1
太郎と楓はようやく、飯道山に戻って来た。
やはり、懐かしかった。
楓はもう二度と、ここには戻れないだろうと覚悟を決めて、五ケ所浦に向かった。それが今、こうして戻って来ている。
楓にとって、ここは、やはり故郷だった。飯道山の大鳥居があり、北畠氏の多気とは比べものにならないが、小さな市が立ち、茶店や旅籠屋が並んでいる。子供の頃、よく遊んだ小川には、すみれやタンポポの花が咲いていた。
二人はまず、花養院の松恵尼のもとに挨拶に行った。
黄昏時で人影もない花養院の庭に、牡丹の花と芍薬の花が見事に咲いていた。
「あら、まあ、随分と、ごゆっくりだったわね」と松恵尼は二人を迎えると笑いながら言った。
一年間、留守にしているうちに、花養院の雰囲気がどことなく変わっているのに楓は気づいていた。以前は松恵尼の他、尼僧は一人か二人しかいなかったのに、ちょっと見たところ四、五人はいるようだった。
「百地殿の所にいたんですって」と松恵尼は知っていた。
「えっ? どうして御存じなんですか」と楓は驚いた。
「わざわざ、百地殿が使いをよこして知らせてくれたのよ」
「そうだったんですか」
楓は百地弥五郎の家で、お祐に会った事や栄意坊の事など松恵尼に話した。太郎が口を出す間はなかった。太郎は楓の横でただ相槌を打っているだけだった。
一通り、お互いに話が済むと松恵尼は太郎に聞いた。
「ところで、これから、どうするの」
「はい、また、修行をします。今度は剣だけじゃなくて、槍、棒、薙刀、すべてを身に付けようと思っています」
「成程ね。まだまだ、修行をしますか。あなたはまだ若いし、素質も充分にあるし、身に付けられるものは何でも身に付けておいた方がいいわね。楓の事は心配しなくていいわ。また、ここで薙刀を教えてもらいます。あの娘たちはあなたが帰って来ると知って喜んでますよ。あなたがいなくなってから、また、私が教えていたけど、もう年ね、すぐに疲れて駄目だわ。また、あなたにお願いするわ」
「はい。喜んで」と楓は頷いた。
「ところで、あなたたちの家なんだけどね、まさか、帰って来るなんて思ってなかったので人に貸しちゃったのよ。色々と捜してはいるんだけど、なかなか、見つからなくてね。しばらくの間、悪いけど旅籠屋に泊まってほしいんだけど」
「旅籠屋なんて」と太郎は手を振った。「私はお山に戻ります。楓さえ、ここに置いてもらえれば有り難いのですが‥‥‥」
「それは勿論、大丈夫です。でも、今晩は旅籠屋でのんびりしなさい。色々とあって疲れたでしょう。今日はゆっくり休みなさい。お山は逃げはしないわ‥‥‥それに、あなたたちが戻って来たという事がわかれば大変よ。のんびりなんてしてられないわよ。今日は旅籠屋に隠れて、のんびりとしなさい」
松恵尼に案内されて行った旅籠屋は『伊勢屋』という、この町で一番立派な旅籠屋だった。太郎は松恵尼に言われるまま、本名を名乗り、愛洲の殿、三河守の代理で飯道山にお参りに来たという事になってしまった。主人が直々に挨拶に現れ、立派すぎる部屋に案内された。松恵尼はここの旅籠屋の主人とも馴染みらしく、よく、お客を連れて来るらしかった。
主人が挨拶をして帰ると、松恵尼は、「ここに隠れているのが、一番、安全よ」と言った。「あなたたちが考えている以上に、あなたたちはここでは有名なんだから、誰かに見つかったら、もう大変よ。気を付けなさい」
明日の朝、また来ると言って松恵尼は帰って行った。
「いよいよ、帰って来たな。明日から、また、修行だ」と太郎は広すぎる部屋で体を伸ばすと言った。
「また、百日行をやるの」と楓は聞いた。
「百日行か‥‥‥うん、今の所はやる気はないけどわからないな。また、大きな壁にぶち当たったら、やるかもしれない」
「大変ね」
その日は、うまい物を食べて、風呂に入って、のんびりと過ごし、次の日の朝、松恵尼が迎えに来ると二人は花養院に戻って、太郎は山伏の姿になって山に登り、楓は前に住んでいた離れの部屋に入る事になった。ただ、以前のように、一人ではなく、ここにいる尼僧たちと一緒だった。しかも、今度から、楓もここにいる間は尼僧の格好をするという事になった。
今までは、普段着のままで寺務などやっていたが、戦が始まってから色々とうるさくなって、寺院内に僧侶以外の者を住ませる事ができなくなったと言う。形だけでも尼僧の格好をしてくれと松恵尼は言った。楓は面白がって尼僧に化けた。
楓恵尼という若くて清楚な尼さんが誕生した。
数時間後の事だが、飯道山から帰って来て、初めて楓の尼僧姿を見た時、太郎にはわからなかった。楓は知らばっくれて、太郎のもとへ尼僧の格好でお茶を持って出て行った。太郎は尼僧をちらっと見ただけで、礼を言い、楓が来るのを待っていた。
飯道山での事を早く、楓に話したかった。
何か用でもできたのだろうか、どうしたのだろうと思いながら、太郎は待っていた。
お茶を持って来た尼僧はお茶を出しても帰ろうとしないで、部屋の隅に黙って坐わっていた。変な尼僧だ、まだ、何か用があるのだろうか、と太郎はその尼僧に声を掛けようと尼僧の方を向いた。
尼僧は口を抑えて、声を殺して笑っていた。良く見ると、それは楓だった。
「ああ、おかしい」と楓は声を出して笑った。
「人が悪いぜ」と太郎も笑った。
尼僧姿の楓をしみじみと見て、太郎はよく化けたものだと感心した。完全に尼僧姿が板に付いている。数時間前、普通の格好をしていたのが嘘のようだった。それにしても、不思議なくらい良く似合っていた。
花養院で山伏姿になった太郎は走るように参道の坂道を登って行った。
何もかもが懐かしかった。
この坂道を天狗の面を付けて、鐘撞き堂の大鐘を引っ張り上げたのが、つい、昨日の事のように思い出された。
とりあえず、高林坊に会って、改めて、入門の手続きをしなければならない。まず、棒術から始めるつもりだった。前に棒術を習っていたが途中でやめてしまった。今回はどうしても、ものにしなくてはならなかった。
太郎は高林坊に会って、わけを話した。
高林坊としては、せっかく、戻って来たのだから、剣術の師範代をしてほしいようだったが、太郎がどうしてもと言うので、期限付という条件で了解してもらった。期限というのは十一月二十四日までだった。その日まで、棒、槍、薙刀の稽古をやり、十一月二十五日から、去年のように『陰の術』の師範として、皆に教えてほしいとの事だった。そして、来年は剣術の師範代をやってもらいたいと付け加えた。
太郎は引き受けた。
「ところで、陰の術なんじゃが」と高林坊は言った。「わしにはよくわからんが、陰の術という名前が、どうもお偉方には気に入らんようじゃ。天台宗の道場である飯道山で、陰の術という不吉な名前の武術を教えるのはうまくないと言うんじゃ」
「それでは、やめろと?」と太郎は聞いた。
「いや、そうじゃない。お偉方も陰の術の人気は知っている。やめろとは言えんさ。ただ、名前を変えろと言うんだ。どうだ、太郎坊、名前を変えても構わんか」
「はい、構いませんけど、でも、どんな名前になるんです」
「シノビの術だそうだ」と高林坊は言うと、土間に棒で『志能便』と書いた。
「こう書いて、シノビと読むそうじゃ。何でも、昔、聖徳太子がその志能便というのを使って情報を集めていたそうじゃ。お偉方は何でも故事から引っ張り出して来る。やっている事は同じでも、陰の術では駄目で、志能便の術ならいいそうじゃ。そういうわけじゃ。悪いが、このお山では陰の術は『志能便の術』と言う事にしておいてくれ」
「志能便の術‥‥‥はい、わかりました」
「悪いのう。わし自身は『陰の術』の方がいいと思うんだが、仕方がないんじゃ」
「はい」
「それとじゃ、もう一つ、問題がある。おぬしの事じゃが、もう一度、修行をすると言うが、このお山で修行するのは難しいぞ。まず、太郎坊という名前では修行できん。太郎坊と言う名は有名になり過ぎた。今、このお山で修行している若い者は誰でも知っている。そこへ、おぬしが太郎坊として出て行ったらどうなる。修行どころではないぞ。わかるな」
太郎もそこまで考えてもみなかった。確かに、高林坊の言う通りだった。伊賀の最南端の百地家の裏山でさえ、太郎坊と聞いた途端に、あの騒ぎだ。まして、ここは飯道山、陰の術の発祥の地だ。太郎坊と名乗って、修行などできるはずがなかった。
「どうする」と高林坊は笑った。「有名になるというのも考えもんじゃのう。幸いに、おぬしの顔まで知っているのは、そう幾人もいないがのう。まあ、名前を変えた位じゃ、いつか、ばれるじゃろうのう」
「‥‥‥」
「いっそ、顔まで変えるか」と高林坊は笑いながら言った。「ここでは無理じゃろう。いっその事、他の山で修行したら、どうじゃな」
「他の山? 他にも武術を教えている山があるのですか」
「ある。ここより南に二里程の所に岩尾山というのがあるが、そこでも教えている。ここより腕も下だし、道場も狭い。おぬしが、どうしても棒と槍と薙刀を修行したいというのなら、別に、そこでも構わんじゃろ。ある程度の基本さえ身に付けてしまえば、おぬしの事じゃ、後は自分で何とかなるじゃろう。どうじゃな。そこに行く気があるなら、わしが紹介してやる。わしの教え子があそこで師範をやってるんでな」
「お願いします。紹介して下さい」
「うむ。それがいいじゃろう。あの山なら、おぬしの顔を知っている者はおらんからな、ただ、名前は変えた方がいいな」
「はい」
「あの山に行けばわかる事だから教えておくが、あの山で修行してるのは、ほとんどがこのお山の落伍者なんじゃよ。このお山の修行に耐えられない者が、あの山に行って修行をしている。今は修行者が多すぎて、このお山の落伍者がみんな、あそこに行くという事はできなくなったがな。あの山の修行が始まるのが二月一日なんじゃ。このお山では丁度、山歩きをしている頃じゃ。このお山の修行に付いて行けそうもない奴は、さっさとお山を下りて、あちらに行くというわけじゃ。前は、いつでも誰でも受け入れていたが、今は、来る連中が多すぎて、二月一日以降は受け付けなくなった。それでも、人が集まり過ぎて、去年からは二月一日の日に修行者全員を朝から晩まで、外に坐らせているそうじゃ。去年の事は知らんが、今年の二月一日は一日中、雪が降っていてな、昼頃には、半分近くの者が山を下りてしまい、慌てて、やめさせたらしい。あの山はここと違って、一ケ月の山歩きなどできない。そうでもしないと修行者をふるい落とせないんじゃ」
「二月一日を過ぎていても入れるんですか」
「山伏は大丈夫じゃ。しかるべき人の紹介があれば入れる。現に、おぬしは風眼坊の紹介で、このお山に三月頃、来たんじゃろうが」
「はい。そうです」
「紹介状は用意するが、さて、名前を何としようのう」
「‥‥‥」
「風林坊はどうじゃ」と高林坊は言った。「風眼坊の風と高林坊の林で風林坊じゃ。どうじゃ、いいじゃろ。どうせ、仮の名じゃ。風林坊移香でいいじゃろ」
「はい。お願いします」
「いや‥‥‥どうせなら、孫子の風林火山から、火山坊の方がいい。よし、決まった。おぬしは火山坊移香じゃ。どうじゃ」
「火山坊移香‥‥‥」
「と言う事で、久し振りに今晩、飲もう。金比羅坊も連れて行く。そうじゃのう、暮れ六つでいいじゃろう。いつもの『とんぼ』で待っていてくれ。その時、紹介状も持って行く」
岩尾山に行っても十一月二十五日になったら、太郎坊に戻って帰って来るんだぞ、と念を押すと高林坊は仕事があるからと言って、出て行った。
太郎は誰にも見つからないように山を下りた。
岩尾山は飯道山の南、約二里、近江の国甲賀郡と伊賀の国の国境に盛り上がる山だった。
山内には天台宗の息障寺があり、修験道の道場として栄え、また、武術道場としても栄えていた。山の中腹あたりに息障寺があり、僧坊が建ち並び、武術道場もそこにある。更に行くと山頂に奥の院があり、大きな岩肌に不動明王が見事に彫られてあった。
この山で武術の修行している者は、ほとんどが里から修行に来る郷士たちで、山伏の数は少なかった。里から来る修行者の数は飯道山と同じく百人近くいた。
太郎は火山坊移香となって、高林坊の紹介状を持って山に登って来た。
四月の二十二日だった。期限の十一月二十四日まで約七ケ月あった。七ケ月のうちに、棒、槍、薙刀をすべて、自分のものにしなければならない。忙しいと言えた。しかし、太郎には自信があった。
息障寺に着くと太郎は千勝院を捜した。千勝院に行って明楽坊(ミョウガクボウ)応見に紹介状を渡せ、と高林坊から言われていた。
明楽坊応見は千勝院にいた。高林坊の弟子だと言うので、きっと、大男だろうと思っていたが、明楽坊は小柄で、少し太めな、おとなしそうな山伏だった。
太郎の渡した紹介状に目を通すと太郎を眺め、「はい。わかりました。このお山で修行なさるがいい」と静かな声で言った。
「お願いします」と太郎は頭を下げた。
「しかし、また、どうして、飯道山で修行しないで、わざわざ、このお山に来られたのですかな。私が言うのも何ですが、ここと飯道山では比べものにならない位、飯道山の方が強い方々が揃っておりますのにな」
「はい。それには訳がありまして‥‥‥」
「訳とは?」
「‥‥‥」
本当の事を言うわけにはいかなかった。太郎は何て答えようか考えていた。
「まあ、いい。高林坊殿が紹介状を書く位だから身元は大丈夫だろう。世の中が物騒になって来てるんでな。一応、身元とか調べるんじゃよ。やたらと色々な連中がお山に逃げ込んで来るんじゃ。お山としても、やたらな人間を匿って、つまらん問題を起こしたくないんでな。まあ、おぬしは大丈夫だろう。十一月までと書いてあったが、その後はまた、飯道山に戻るのかな」
「はい」
「まあ、しっかり修行して行ってくれ」
太郎は簡単な手続きを済ますと明楽坊に連れられて、一乗坊に連れて行かれた。
一乗坊が太郎の所属する僧坊だった。一乗坊には誰もいなかった。
明楽坊は太郎をそこに待たせ、どこかに行き、やがて、一人の山伏と共に戻って来た。
太郎は明楽坊から、一乗坊の浄泉坊(ジョウセンボウ)周伸に引き渡された。明楽坊は浄泉坊に二言三言、話をすると、「励みなされ」と太郎に言って帰って行った。
「飯道山から来たそうじゃの、火山坊とやら」と浄泉坊は横柄な口調で言った。
「はい」と太郎は答えた。
浄泉坊は一癖ありそうな目付きの悪い男だった。
「そうか、どうして、飯道山を出て来た」と浄泉坊は太郎の姿をじろじろ見ながら聞いた。
「はい‥‥‥」
さっきは、何とか答えずに済んで、ほっとしたが、また、ここでも聞かれるとは思わなかった。
「わしもな、昔、飯道山にいた」と浄泉坊は言った。「おぬしは知らんだろうがな、昔、あの山に風眼坊という奴がいた。わしも、そいつに剣を習ったんだが、気に入らん奴でのう。わしを山から追い出しやがった。今、どこにいるんだか知らねえが、今度、会った時には、たたっ斬るつもりだ」
「‥‥‥」
「どうした。おぬし、風眼坊を知っているのか」
「名前は聞いています。飯道山の四天王だったとか‥‥‥」
「ふん、何が四天王だ。笑わせやがる。あいつらより強い奴はいくらでもいる。たかが、飯道山で強いからって威張っていやがる。くだらんよ」
えらい山伏と会ってしまったもんだ。もし、太郎の素性がばれたら、どうなるかわからない。ここでは問題を起こしたくなかった。ただ、自分の修行だけに専念したかった。太郎は火山坊移香に成りきり、風眼坊の事も飯道山の事も口に出さない事に決めた。
「おい、おぬし、飯道山で何をしたんじゃ」と浄泉坊は手に持った竹の棒で、自分の肩をたたきながら聞いた。
「はい。金比羅坊という師範代と喧嘩して、出て来ました」
金比羅坊には悪いが、太郎は口からでまかせを言った。
「なに、金比羅坊‥‥‥ああ、あいつか」と浄泉坊は思い出したように頷いた。「ほう、あいつとやり合って出て来たのか‥‥‥成程な、まあ、ここで、しっかり修行すれば、あんな奴は屁でもない。この山だって飯道山より強い奴らはかなりいる。まあ、頑張れ」
喧嘩して飯道山を出て来たと言ったとたんに浄泉坊の態度は変わった。警戒心が取れて、急に仲間に対するような態度になった。余程、飯道山を嫌っているらしい。
「今日から、おぬしはこの一乗坊に所属するんだが、困った事に寝る場所がないんじゃ」と浄泉坊は言った。「里から来る修行者が多すぎてな、どこの僧坊もぎゅうぎゅう詰めじゃ。それでも間に合わなくて仮の小屋を作って詰め込んでる有り様じゃ。悪いが、おぬし、通いで来てくれんかのう。どこか、里に知り合いでもおらんか」
「はあ、いる事はいますが‥‥‥」
「すまんが、そいつに頼んで、そこから通うようにしてくれ。もう、しばらくしたら空きができると思うがの。今は、ほんとにどこも空いてないんじゃよ」
「はい、わかりました」
その日は浄泉坊に連れられて行場を回り、山内を一通り見て、奥の院まで登ると終わりだった。
山頂からの眺めは良かった。
久し振りだった。こうやって、山頂から回りを見下ろすのは、やはり、気持ちが良かった。飯道山も良く見えた。飯道山から太神山への奥駈けの山々も良く見えた。
懐かしかった。あの道を何と二百日も歩いたのだった。自分の事ながら、よくやったものだと思った。
明日、辰の刻(午前八時)までに山に来てくれとの事だった。飯道山と同じように、ここでも午前中は作業があった。太郎は飯道山ではわけの解らない講義を聴いていて、作業をした事はなかったが、ここではやらなければならない。武術の稽古は昼過ぎから酉の刻(午後六時)までだと浄泉坊は言った。
太郎は岩尾山を下りた。
通いというのは以外だった。こんな山に七ケ月も閉じ込められるよりは増しだが、さて、どこから通ったらいいものだろうか。
とりあえず、松恵尼には内緒で楓のいる花養院の離れから通うか。
いや、あまり、飯道山の辺りをうろうろしない方がいいだろう。誰かに見つかったら、修行どころではなくなってくる。ちょっと遠いが智羅天の岩屋から通うか‥‥‥
まだ、昼を少し過ぎた頃だし天気も良かった。太郎は久し振りに智羅天の岩屋に行ってみようと思った。岩尾山を駈け下りると真っすぐに智羅天の岩屋に向かって行った。
再び、太郎の修行が始まった。
太郎の所属する一乗坊には、山伏が八人と里からの修行者が十六人いた。
八人の山伏の内、三人が武術の師範だった。剣術の浄泉坊、槍術の高倉坊(タカクラボウ)、薙刀の神尾坊(カミオボウ)の三人で、他の五人は太郎が山に着く頃にはすでにいなくて、太郎が帰る頃にも帰って来ないので、ほとんど顔を合わせないし何をしているのかもわからなかった。
午前中の作業は浄泉坊が一乗坊の修行者たちを指図していた。高倉坊と神尾坊は他の僧坊へ出向いているらしかった。
太郎は山伏でただ一人、里からの修行者と一緒に作業をやっていた。作業は飯道山と変わりなかった。魔よけ札や護摩にくべる札を作ったり、信者たちに配る金剛杖を作ったり、変わった所では戦で斬り取った首に付ける首札も作っていた。それに、ここでも岩尾丸という何にでも効くという怪しい薬を作っていた。そして、今、二ケ所で新しく武術道場を造る作業をやっていた。今の道場では狭すぎるので、新しく山を切り開いて道場を二つ造ろうとしている。
これがまた、大変な作業だった。木はようやく切り終えたが、切った木はまだ、横になったままだった。この横になった丸木を細かく切らなければならない。あるものは薪にし、あるものは札や杖の材料になり、また、建物の修理用の材木にもなった。丸木が片付いたら、今度は根を全部、引き抜いて、斜面を平にならさなくてはならない。大きな岩もごろごろしていた。どかせる岩はどかし、砕ける岩は砕かなくてはならなかった。
天気のいい日は外に出て、土にまみれて道場造りをやり、雨の日は僧坊で木屑にまみれて木工細工をやっていた。そして、昼になると皆、作業を止めて、昼飯を食べ、道場に集まって来た。
今、道場は二つあった。
寺の本堂より東にある道場は古くからのもので、以前はこれで充分に間に合った。それが、一昨年より修行者が急に増え、一昨年、新しく造ったのが西の道場だった。それでも、間に合わず、今、西の道場のさらに西と南に道場を造っている。
今、東の道場では剣術と薙刀術を、西の道場では棒術と槍術を教えていた。やはり、ここでも剣術を習う者が一番多く、薙刀術を習う者が少なかった。
太郎は西の道場で棒術を習っていた。棒術を習っているのは太郎も入れて山伏が七人、里からの修行者が二十一人いた。皆、太郎より若く、二十歳前だった。師範は明楽坊応見だったが、明楽坊はほとんど道場には出て来なかった。師範代の岩本坊三喜、大滝坊紹玄、東之坊安善の三人が皆の稽古をつけていた。
高林坊を知っている太郎にとって、三人の師範代は何となく頼りなく思えた。三人共、ほとんど素人に近い連中を相手に教えているだけなので実力の程はわからないが、飯道山の高林坊は勿論、師範代より下なのは確実だった。
太郎は毎日、おとなしく棒の素振りをやっていた。なるべく目立たないように皆と同じ事をしていた。決まった時間に来て、決まった事をやり、決まった時間に帰って行くという毎日が続いて行った。
そのうちに、太郎にも何人かの仲間ができて来た。同じ一乗坊の連中で、伊賀の郷士、藤林十兵衛、楯岡五郎、石川小二郎と甲賀の郷士、高峰左馬介、上野弥太郎らであった。一緒に作業をしているうちに、自然と太郎は彼らの仲間の中に入って行った。
五人とも今年の二月一日に雪の降る中、ずっと、坐り込んでいた連中だった。
藤林と楯岡と高峰は剣術を習い、石川は槍、上野は薙刀を習っていた。五人共、飯道山の事は口に出さないが、この中の何人かは飯道山の山歩きから逃げて来たに違いなかった。そして、五人共、太郎坊と陰の術の事は知っていた。やはり、みんな、陰の術を習いたいらしかった。
もう二年以上も前の望月家の襲撃の話が、すでに伝説となって語り継がれているという事を太郎は彼らの話から知った。
天狗太郎と陰の五人衆の話を、甲賀出身の上野弥太郎がまるで見て来たように、太郎に聞かせてくれた。話はやたらと大きくなっていた。望月又五郎の下には十人もの使い手がいて、その他にも五十人近い兵がいて、それらを天狗太郎と陰の五人衆は陰の術を使って、あっという間に倒したと言う。
太郎は上野の話を聞いて、驚くと同時に感心していた。人から人に伝わるうちに話というのは、まるで生き物みたいに大きくなって行くものだと思った。
「太郎坊は一体、今、どこにいるんだろう」と高峰が言った。
「それは誰にもわからないそうだ。十一月の二十五日になると、どこからともなく、飯道山に現れて、十二月の二十五日になると、また、どこかに消えて行くんだそうだ」と上野が得意そうに言った。
太郎は聞いていて、おかしくなったが我慢した。
「火山坊殿、飯道山にいたのなら、太郎坊に会ったんじゃないんですか」と石川が太郎に聞いた。
「いや、俺は知らん。俺が飯道山に来たのは一月だ。太郎坊なんて会った事もないし見た事もない」
「そうですか、でも、飯道山には太郎坊の事を知っている山伏はいるでしょう」
「俺も話は聞いた事はあるが、何でも、身が軽くて天狗のようだと言っていた」
「それは俺も聞いた事がある」と上野が言った。
上野はまた、見て来たように太郎坊の話を始めた。
太郎坊はすでに伝説上の人物だった。
ある時、どこからか突然、現れて、また、どこかに消えて行かなければならない人物だった。普段、人前に現れてはいけない人物だった。太郎が思っている以上に太郎坊の存在というのは大きかった。もし、自分が太郎坊だとばれてしまったら、この山にはいられなかった。ここだけではない。甲賀はもとより伊賀の国でも、自分の修行などしていられなくなる。百地砦の時のように陰の術を教えてくれと大勢の人が集まって来てしまう。
気をつけなくてはならなかった。
太郎は岩尾山で目立つ事なく、毎日、修行に励んでいた。
稽古が終わると真っすぐ、素早く、裏道を通って智羅天の岩屋に帰った。帰ると、自分で納得するまで稽古に励み、朝は早くから外に出て、坐り込んで心を落ち着けた。
一ケ月間で太郎は棒術を自分のものにし、薙刀の組に移る事にした。師範には、どうも、自分には棒術は合わないからと言って、薙刀の組に移る許しを得られた。
薙刀の組に入っても、太郎はなるべく目立たないように、師範に言われるままに稽古に励んで行った。
太郎が薙刀の組に移ってから十日程経った頃、ちょっとした事件が起こった。
梅雨に入り、毎日、じめじめと雨が降っていた。その日は珍しく晴れて暑い一日だった。稽古が終わり、太郎が帰ろうとした時、同じ、薙刀組の上野弥太郎が、何か喚きながら太郎の所まで駈けて来た。
「火山坊、大変だ!」と上野は言ったが、その後は息を切らしてハァハァ言うのみだった。
「何が、どうしたんだ」と太郎は興味なさそうに聞いた。上野が大袈裟に騒ぐのには慣れていた。また、どうせ、下らない事だろうと思った。
「大変なんだ‥‥‥てん、てん、天狗、天狗太郎が出た!」と上野は吠えた。
「何だと」
「天狗太郎が出たんだ。あの陰の術の天狗太郎が出たんだ」
信じられなかった。俺の他にも天狗太郎がいたのか。
「一体、どこに出たんだ」
「屋根の上だ。さあ、早く行こうぜ。早く行かなけりゃ消えちまうぜ」
太郎は上野に引っ張られるように本堂まで連れて行かれた。本堂の前は人で埋まり、皆、屋根の上を見上げて騒いでいた。
屋根の上に確かに天狗の面をかぶった山伏が立っていた。
太郎は一瞬、師匠の風眼坊がまた、いたずらをしているのかと思ったが、どうも違うようだった。一体、誰が何のためにあんな事をしているんだろう。
屋根の上の天狗は下を見下ろしながら、錫杖を頭上高く上げると、ゆっくりとそれを振り回した。皆、天狗のやる事を見上げながら静かになった。
「皆の衆」と天狗はよく響く声で言った。「わしの名は太郎坊、皆の知ってる通り、天狗太郎じゃ。この山にも熱心な修行者が大勢いると聞いて、やって来た。皆の稽古も見せてもらった。さすがに、飯道山に勝るとも劣らない腕の者も何人かいた。その者たちにわしは『陰の術』を授けようと思う。しかし、わしの『陰の術』を身に付けるのは並大抵の修行では無理じゃ。余程の腕がなければ、わしの修行には付いて行けんじゃろう。『陰の術』を身に付けたいのなら修行に励む事じゃ。わしは十一月の末にもう一度、ここに来る。その時、わしの修行に付いて行けそうな者を何人かを選び、『陰の術』を授ける。それまで、皆の衆、修行に励んでくれ。さらばじゃ」
そう言うと天狗は消えた。
皆、ポカンとして、天狗太郎が消えた屋根を見上げたままだった。
やっと、我に帰った上野が太郎に話しかけようとした時、太郎の姿はそこにはなかった。太郎は偽太郎坊の正体を確かめようと本堂の裏に回っていた。
偽太郎坊は素早かった。山を下りて行く偽太郎坊の後を太郎は追いかけた。以外にも、偽太郎坊を追っていたのは太郎だけではなかった。太郎よりも先に、偽太郎坊を追っている者がいた。太郎の知らない奴だった。里から来ている十七、八の若い修行者だった。
「待て! 太郎坊!」と怒鳴りながら、そいつは追いかけていた。
太郎は二人に気づかれないように、隠れながら後を追った。
とうとう、偽太郎坊は捕まった。
「わしに何か用か」と偽太郎坊は振り返った。
まだ、天狗の面をしたままだった。
「父上の仇だ、覚悟しろ!」と若者は刀を抜いた。
「何だと」
「とぼけるな、俺はお前に殺された山崎新十郎が一子、山崎五郎だ。忘れたとは言わせんぞ!」言い終わるや否や、山崎五郎と名乗る若者は偽太郎坊に斬り掛かって行った。
「待て、待て」と偽太郎坊は五郎の剣を避けた。「わしはそんなものは知らん。何かの間違いじゃ」
「うるさい! 死ね!」五郎は真剣だった。死に物狂いで、偽太郎坊に掛かって行った。
五郎はこの男が偽物だとは知らない。本物の太郎坊だと思っている。そして、本物の太郎坊に勝てるはずがないとも知っている。五郎は死ぬ気だった。死ぬ覚悟で太郎坊を倒そうとしていた。
太郎はとうとう、出て来たかと思った。今まで、何人もの人を斬って来た。いつか、自分を仇と狙う者が現れるだろうとは思っていたが、こんなにも早く現れるとは思ってもいなかった。山崎五郎は一昨年の暮れ、望月又五郎を襲撃した時、三雲源太によって殺された山崎新十郎の息子だった。きっと、仇討ちをするために、この山で修行をしていたのに違いない。
五郎は死に物狂いで戦っていた。
とうとう、偽太郎坊は刀を抜いた。偽太郎坊は落ち着いていた。
二人の腕の差があり過ぎた。このまま放っておけば、確実に五郎は殺されるだろう。一瞬、太郎は五郎が死んでくれれば自分が仇と狙われなくなる、と思ったが、黙って見過ごす事はできなかった。
「やめろ!」と太郎は二つの刀の間に立った。
「止めるな!」と五郎が言った。
「止めなければ、お前は死ぬぞ」と太郎は五郎に言った。
「うるさい! お前には関係ない!」
「おぬしは、どうする」と太郎は偽太郎坊に聞いた。
「わしは、無益な争いはしたくない」
「うるさい。お前は父上の仇だ」
「覚えがあるのか」と太郎は偽太郎坊に聞いた。
「わしは知らん」
「嘘をつけ。誰に聞いても知っている。天狗太郎と陰の五人衆によって望月屋敷が襲撃された。その時、俺の父上はお前に殺されたんだ」
「どうだ」と太郎は偽太郎坊に聞いた。「その話は俺も聞いている。それが確かなら、俺はこいつの仇討ちを助けるがどうだ」
「違う。わしはお前の親父など知らん」
「嘘だ!」
「どうやら、おぬしの方が分が悪いみたいだな。見事に、こいつに斬られるがいい」と太郎は偽太郎坊に言うと身を引いた。「思う存分、やるがいい。おれが見届けてやる」
「死ね!」と五郎は刀を振りかぶり掛かって行った。
偽太郎坊の刀が閃いた。
五郎は斬られるはずだった。ところが、偽太郎坊の刀は五郎を斬る前に地に落ちていた。偽太郎坊の左腕に太郎の投げた手裏剣が刺さり、偽太郎坊は尻餅を突き、呻いていた。
「さあ、今だ。仇を討て」と太郎は五郎に言った。
「待ってくれ、わしは天狗太郎ではない!」と偽太郎坊は叫んだ。
「待て」と太郎は五郎を止めた。
「どういう事だ」と太郎は偽太郎坊に聞いた。
「わしは天狗太郎ではない。頼まれたんじゃ」
「どういう事だ」と太郎は、もう一度、聞いた。
「言う。全部言う。頼むから、こいつを抜いてくれ」
太郎は手裏剣を抜いてやった。
偽太郎坊は天狗の面をはずすと、血の噴き出る傷口に汚れた手拭いを巻き付けた。
「おぬしは一体、何者じゃ」と偽太郎坊が太郎に聞いた。
「俺は火山坊。まだ、この山に来たばかりの修行者だ」
「知らんな」
「俺の事などどうでもいい。おぬしの事だ。なぜ、天狗太郎に化けた」
「ああ。こうなったら全部、話す。わしの本当の名は南光坊じゃ。わしは明楽坊殿に頼まれたんじゃ」
「明楽坊殿に?」
「ああ、明楽坊殿に頼まれて天狗太郎に化けたんじゃ。明楽坊殿はこのお山を飯道山に負けない程の山にしたいと思っている。世間では、このお山の事を飯道山の落ちこぼれたちの集まりだと言っている。まあ、実際、事実なんだが、明楽坊殿にはそれが我慢できんのじゃ。そこで明楽坊殿は天狗太郎の人気を利用して、このお山の実力を上げようと考えた。天狗太郎にああ言われれば、みんな、張り切って修行に励むだろうと考えたんじゃ。そこで、わしが天狗太郎に化けて、ああいう芝居をしたわけじゃ。まさか、こんな事になるとは思ってもみなかったわ。まさか、天狗太郎に仇がいたとはなあ。しかも、そいつがこのお山で修行していたとは‥‥‥」
「成程な。天狗太郎を利用したわけか‥‥‥で、山崎とやら、どうする」
「はい‥‥‥」五郎は肩をおとし、ガクッとしていた。「偽物じゃ、しょうがない‥‥‥」
「南光坊殿、天狗太郎に化けて、あんな事を言って、みんなを煽るのはいいが、十一月になって、もし、天狗太郎が来なかったら偉い事になるぞ」
「わしも、そう明楽坊殿に言ったんだが、大丈夫だ、天狗太郎は絶対に来ると自信を持って言うんじゃよ」
「なぜだ」
「わしにはわからんが、明楽坊殿は絶対に来ると言っていた」
「それは本当か」と五郎が言った。
「多分な。十一月になれば本物の天狗太郎に会えるさ。それまで、腕を磨いておくんだな。本物はわしなんかよりずっと強いぞ」
辺りは、すでに暗くなって来ていた。
南光坊は左腕を押えながら山を下りて行った。
太郎も帰る事にした。
山崎五郎は太郎に助けてもらった礼を言った。そして、太郎に手裏剣を教えてくれと頼んだ。太郎は、そのうち、教えてやると言って山に帰した。
不思議な気持ちだった。自分を狙う仇を助けて、手裏剣を教える約束までしてしまった。この先、どうなるのか自分でもわからなかった。勿論、太郎にはこの五郎という若者を倒す気など毛頭ない。もし、正体がばれて、太郎に掛かって来たらどうすればいいのだろうか‥‥‥
太郎は五郎の事を考えながら、暗い山道を下りて行った。
太郎がここ岩尾山に通い始めてから、もう、三ケ月が過ぎて行った。
太郎はこの山に十一月までいるのは時間が勿体ないと思うようになり、方針を変えた。棒術、薙刀術、槍術をそれぞれ一ケ月間やり、今日で山を下りようと思っていた。
高林坊が言っていた通り、ここと飯道山では腕の差があり過ぎた。ここで師範をやっている位の腕を持っている者は飯道山に何人もいた。太郎が学ぶべき物は何もなかった。基本を身に付けるだけなら一ケ月もあれば充分だった。基本さえ身に付ければ、あとは自分で工夫していけばいい。それは、何もこの山でなくても智羅天の岩屋で独りでもできる事だった。
それに、楓のお腹の中に太郎の子供ができていた。ここに戻って来た当時は全然、目立たなかったが、太郎が岩尾山で修行しているうちに、楓のお腹はみるみる大きくなって行った。もうすぐ、太郎も父親になる。のんびり、修行などしていられなかった。生まれて来る子供のためにも働かなければならない。
太郎は岩尾山で学んだ棒、薙刀、槍を自分なりにまとめて『陰流』の一部にしようと思っていた。剣術の『天狗勝』のように、いくつかの技を選んで覚え易いように名前を付けようと思っていた。しばらくの間、智羅天の岩屋に籠もって、それに取り組むつもりだった。そして、なるべく早いうちにそれを片付け、飯道山に戻り、また、剣術の師範代をやるつもりでいた。
太郎は稽古が終わると、一応、明楽坊には急用ができて吉野に帰らなければならないと、いい加減な話をして山を下りる許しを得、そして、三ケ月間、仲の良かった藤林たちに別れを告げて山を下りて行った。
山の中腹あたりまで下りると浄泉坊が道をふさぐように立っていた。
こんな所で何をしているのだろうと思ったが、太郎は一応、浄泉坊にも山を去る事を言った方がいいと思い、立ち止まって合掌をした。
太郎が言おうとすると浄泉坊は太刀を抜いて、太郎の前に立ちはだかった。浄泉坊だけではなかった。いつの間にか、太郎の後ろに高倉坊と神尾坊が立っていた。
「火山坊、お前はやはり、飯道山の回し者だったんじゃな」と浄泉坊は言った。
「飯道山の回し者?」
「とぼけるな。たったの三ケ月だけで、棒、槍、薙刀と回り、ろくに修行もせんで、お山を下りるのが何よりの証拠じゃ。このお山でどんな修行をしているのかを調べに来たんじゃろう。次には、わしの所に来ると思って楽しみにしてたんじゃが、わしの所には来ないで、のこのことお山を下りやがった‥‥‥そう、うまく行くと思ったら大間違いじゃ。今、ここで、本当の岩尾山の実力を見せてやる。そして、その実力を飯道山に伝えるんじゃな。もし、生きていたらの話じゃがな」
浄泉坊は太刀を振り回した。
「違います。飯道山は関係ありません」
「黙れ。さっさと刀を抜け、そいつは飾りではあるまい」
太郎は刀を抜きたくなかった。ここで騒ぎを起こして、飯道山に迷惑を掛けたくなかった。どうしたらいいんだ‥‥‥
ふと、太郎は多気の町道場の川島先生を思い出した。神道流は、喧嘩など、つまらん争いに使うものではないと言って、武士たちから何を言われても、相手にしないで逃げていた。果たして、俺にそんな事ができるだろうか。
試しにやってみるか、と太郎は思った。
「どうした、刀は抜けんのか。そんなに死にたいなら望み通り殺してやる」
浄泉坊は斬り付けて来た。太郎は避けた。
浄泉坊が何度、斬り付けても、太郎には当たらなかった。浄泉坊は、こんなはずはないと斬り付けるが当たらない。ついに、太郎は浄泉坊の頭を飛び越え、そのまま、山を駈け下りて行った。
太郎は逃げた。逃げるというのも、わりと気持ちのいいものだった。
あっけにとられたのか、誰も後を追って来なかった。
太郎は楓の待つ、新しい家に向かった。
一月程前、松恵尼が見つけてくれて、二人は、やっと落ち着く事ができた。前の家より、ちょっと町から離れているが、前の家よりは少し広かった。楓も気に入ったようで、小まめに家の中を片付けて行った。この辺りには、太郎たちの家と同じような作りの家が幾つも並び、門前町で働いている町人たちが住んでいた。
帰ると、いつものように楓が食事の支度をして待っていてくれた。楓のお腹は一日ごとに大きくなって行くようだった。
不思議な気持ちだった。
もうすぐ、自分の子供が生まれるなんて、何となく、変な気持ちがした。まさか、こんなにも早く、自分が父親になるとは思ってもいなかった。しかし、楓の大きなお腹を見ると、何となく、嬉しくもなる太郎だった。
食事をしながら、太郎は今、岩尾山から逃げて来た事を楓に話した。
「それでよかったのよ」と楓は言った。「また暴れたら、すぐに太郎坊だってばれちゃうわ」
「俺もそう思ったからな、逃げて来た」
「でも、もし、ばれたら、ここにはいられなくなるのかしら」
「だろうな。ばれたら、色んな奴らが訪ねて来るだろう」
「有名になるっていうのも大変ね」
「ここにいる時は、また、別人になればいいんだ。岩尾山に行っている時は火山坊だったし、飯道山で陰の術を教えている時だけ太郎坊に戻って、又、普段は違う名前を持てばいい。色々な人間に化けるのも陰の術の一つだ」
「ここにいる時は、また、お侍に戻れば?」
「いや、侍はやめた。しばらくは、侍をやめようと思っている」
「どうして」
「世の中、侍だけじゃないからな。世の中をはっきり見るには、色々な角度から物を見なけりゃならないんだ。俺は小さい頃から侍として育って来た。自分では意識していなくても、どうしても、侍の目で物を見てしまう。それじゃあ駄目なんだ。世の中はどんどん変わって来ている。これからの世の中を生きて行くには、はっきりと物事を見極める目を持たなくちゃならない。だから、これからは色々な人間になって、色々な世界を知ろうと思うんだ」
「へえ‥‥‥」と楓は感心しながら、太郎の顔を見ていた。
「今、言った事は、ほとんど、師匠が前に言った事だよ」と太郎は笑いながら言った。
「なんだ、そうだったの。あたし、あなたが急に立派な事を言うもんだから、びっくりしちゃった」
「でも、色々な人間になって、色々な世界を知るっていうのは本当だぜ。師匠から、その話を聞いたのは、俺がここに連れて来られる前だった。その頃は意味が良くわからなかったけど、最近、わかりかけて来たんだ」
「ふうん‥‥‥それで、まず、何になるの」
「何がいいかな」
「侍と山伏はやってるから、今度はお坊さんは?」
「坊さんは駄目だよ。頭を剃らなくちゃならない。頭を剃ったら他の者になれない」
「それじゃあ、職人は?」
「職人たって、何の職人だ」
「そうね、木彫りの職人はどう。あなた、木を彫るのうまいじゃない。あの智羅天様の像なんて、まるで、生きてるみたいだったじゃない」
「あれは俺にも信じられないよ。きっと、智羅天殿が乗り移ったとしか考えられない。今の俺にあれだけの物が彫れるとは思えない」
「そうか、それじゃあ、商人は?」
「何を売るんだい」
「そうね、松恵尼様に使ってもらったら?」
「松恵尼様か‥‥‥松恵尼様はまだ、何もしてないのかい」
「また、何か始めたようよ」
松恵尼は北畠教具が死んで以来、北畠氏のためには動いてはいないようだった。今まで、情報集めに出ていたらしい尼僧たちも皆、戻って来ていた。しかし、この二、三ケ月のうちに、また、皆、どこかに出掛けて行って、今は松恵尼と楓しか花養院にはいない。そして、遠くの方から旅して来た商人たちが、よく、花養院に訪ねて来ると言う。楓はまた、色々と寺務をまかされているらしかった。
「今度は、誰のために動いてるんだろう」と太郎は聞いた。
「わからないわ。又、北畠の殿様のためじゃないの」
「そうかな、もう、北畠殿とは縁を切ったんじゃないのか」
「うん‥‥‥よくわからないわ。でも、最近、訪ねて来る人たちが播磨(兵庫県南西部)だとか、備前(岡山県南東部)だとか、言ってるのをよく耳にするわ」
「播磨に備前?」
「ええ」
「今度、ちゃんと聞いてみなよ」
「あたしも何回か聞いたのよ。でも、とぼけてばっかりいて何も教えてくれないのよ。あたしの事、いつまでも子供だと思ってるみたい」
「そうか、母親から見れば、娘を危ない事に巻き込みたくないだろうからな」
「あたしだって少しくらい手伝いたいのに‥‥‥ねえ、あたしにも陰の術、教えてよ」
「何だって!」と太郎は驚いて楓の顔を見た。「そんなの教わってどうするんだよ」
「こう戦ばかり続いて世の中が乱れて来ると、一番の犠牲者は弱い者たちよ。まず、女に子供、そして、お年寄りたちね。彼女たちの身を守るために、あなたの陰の術が役に立たないかしらと思って‥‥‥」
「成程‥‥‥弱い者たちのためにか‥‥‥」
「薙刀もいいけど、やっぱり、男の人の力には敵わないわ。大勢に囲まれたりした時、うまく、逃げる術とかないの」
「うまく、逃げる術か‥‥‥」
逃げるための術なんて考えてもみなかった。忍び込む術ばかり教えても、もし、失敗して敵に見つかったら、それで終わりだ。その窮地から脱出できなければ何にもならない。敵を欺いて逃げる術を考えなければ、陰の術は完成とは言えなかった。
「ねえ、そんなような術を教えてよ」
「うん。わかった。女向けの陰の術を考えてみる」
「ねえ、それで、いつまで岩屋に籠もっているの」
「そんなに掛からないだろう。今回は棒術、槍術、薙刀術をまとめるだけだ。陰の術を完成させるのには、まだまだ、時間が掛かるだろう。飯道山に戻ってから少しづつ、やるつもりだよ。だけど、お前が今、言った、弱い者たちのための陰の術は考えてみようと思う。まあ、十日位あれば充分じゃないのか」
「十日か‥‥‥なるたけ早く帰って来てね」
「わかってるよ」
「ところで、これから、どうするの」
「はい、また、修行をします。今度は剣だけじゃなくて、槍、棒、薙刀、すべてを身に付けようと思っています」
「成程ね。まだまだ、修行をしますか。あなたはまだ若いし、素質も充分にあるし、身に付けられるものは何でも身に付けておいた方がいいわね。楓の事は心配しなくていいわ。また、ここで薙刀を教えてもらいます。あの娘たちはあなたが帰って来ると知って喜んでますよ。あなたがいなくなってから、また、私が教えていたけど、もう年ね、すぐに疲れて駄目だわ。また、あなたにお願いするわ」
「はい。喜んで」と楓は頷いた。
「ところで、あなたたちの家なんだけどね、まさか、帰って来るなんて思ってなかったので人に貸しちゃったのよ。色々と捜してはいるんだけど、なかなか、見つからなくてね。しばらくの間、悪いけど旅籠屋に泊まってほしいんだけど」
「旅籠屋なんて」と太郎は手を振った。「私はお山に戻ります。楓さえ、ここに置いてもらえれば有り難いのですが‥‥‥」
「それは勿論、大丈夫です。でも、今晩は旅籠屋でのんびりしなさい。色々とあって疲れたでしょう。今日はゆっくり休みなさい。お山は逃げはしないわ‥‥‥それに、あなたたちが戻って来たという事がわかれば大変よ。のんびりなんてしてられないわよ。今日は旅籠屋に隠れて、のんびりとしなさい」
松恵尼に案内されて行った旅籠屋は『伊勢屋』という、この町で一番立派な旅籠屋だった。太郎は松恵尼に言われるまま、本名を名乗り、愛洲の殿、三河守の代理で飯道山にお参りに来たという事になってしまった。主人が直々に挨拶に現れ、立派すぎる部屋に案内された。松恵尼はここの旅籠屋の主人とも馴染みらしく、よく、お客を連れて来るらしかった。
主人が挨拶をして帰ると、松恵尼は、「ここに隠れているのが、一番、安全よ」と言った。「あなたたちが考えている以上に、あなたたちはここでは有名なんだから、誰かに見つかったら、もう大変よ。気を付けなさい」
明日の朝、また来ると言って松恵尼は帰って行った。
「いよいよ、帰って来たな。明日から、また、修行だ」と太郎は広すぎる部屋で体を伸ばすと言った。
「また、百日行をやるの」と楓は聞いた。
「百日行か‥‥‥うん、今の所はやる気はないけどわからないな。また、大きな壁にぶち当たったら、やるかもしれない」
「大変ね」
その日は、うまい物を食べて、風呂に入って、のんびりと過ごし、次の日の朝、松恵尼が迎えに来ると二人は花養院に戻って、太郎は山伏の姿になって山に登り、楓は前に住んでいた離れの部屋に入る事になった。ただ、以前のように、一人ではなく、ここにいる尼僧たちと一緒だった。しかも、今度から、楓もここにいる間は尼僧の格好をするという事になった。
今までは、普段着のままで寺務などやっていたが、戦が始まってから色々とうるさくなって、寺院内に僧侶以外の者を住ませる事ができなくなったと言う。形だけでも尼僧の格好をしてくれと松恵尼は言った。楓は面白がって尼僧に化けた。
楓恵尼という若くて清楚な尼さんが誕生した。
数時間後の事だが、飯道山から帰って来て、初めて楓の尼僧姿を見た時、太郎にはわからなかった。楓は知らばっくれて、太郎のもとへ尼僧の格好でお茶を持って出て行った。太郎は尼僧をちらっと見ただけで、礼を言い、楓が来るのを待っていた。
飯道山での事を早く、楓に話したかった。
何か用でもできたのだろうか、どうしたのだろうと思いながら、太郎は待っていた。
お茶を持って来た尼僧はお茶を出しても帰ろうとしないで、部屋の隅に黙って坐わっていた。変な尼僧だ、まだ、何か用があるのだろうか、と太郎はその尼僧に声を掛けようと尼僧の方を向いた。
尼僧は口を抑えて、声を殺して笑っていた。良く見ると、それは楓だった。
「ああ、おかしい」と楓は声を出して笑った。
「人が悪いぜ」と太郎も笑った。
尼僧姿の楓をしみじみと見て、太郎はよく化けたものだと感心した。完全に尼僧姿が板に付いている。数時間前、普通の格好をしていたのが嘘のようだった。それにしても、不思議なくらい良く似合っていた。
花養院で山伏姿になった太郎は走るように参道の坂道を登って行った。
何もかもが懐かしかった。
この坂道を天狗の面を付けて、鐘撞き堂の大鐘を引っ張り上げたのが、つい、昨日の事のように思い出された。
とりあえず、高林坊に会って、改めて、入門の手続きをしなければならない。まず、棒術から始めるつもりだった。前に棒術を習っていたが途中でやめてしまった。今回はどうしても、ものにしなくてはならなかった。
太郎は高林坊に会って、わけを話した。
高林坊としては、せっかく、戻って来たのだから、剣術の師範代をしてほしいようだったが、太郎がどうしてもと言うので、期限付という条件で了解してもらった。期限というのは十一月二十四日までだった。その日まで、棒、槍、薙刀の稽古をやり、十一月二十五日から、去年のように『陰の術』の師範として、皆に教えてほしいとの事だった。そして、来年は剣術の師範代をやってもらいたいと付け加えた。
太郎は引き受けた。
「ところで、陰の術なんじゃが」と高林坊は言った。「わしにはよくわからんが、陰の術という名前が、どうもお偉方には気に入らんようじゃ。天台宗の道場である飯道山で、陰の術という不吉な名前の武術を教えるのはうまくないと言うんじゃ」
「それでは、やめろと?」と太郎は聞いた。
「いや、そうじゃない。お偉方も陰の術の人気は知っている。やめろとは言えんさ。ただ、名前を変えろと言うんだ。どうだ、太郎坊、名前を変えても構わんか」
「はい、構いませんけど、でも、どんな名前になるんです」
「シノビの術だそうだ」と高林坊は言うと、土間に棒で『志能便』と書いた。
「こう書いて、シノビと読むそうじゃ。何でも、昔、聖徳太子がその志能便というのを使って情報を集めていたそうじゃ。お偉方は何でも故事から引っ張り出して来る。やっている事は同じでも、陰の術では駄目で、志能便の術ならいいそうじゃ。そういうわけじゃ。悪いが、このお山では陰の術は『志能便の術』と言う事にしておいてくれ」
「志能便の術‥‥‥はい、わかりました」
「悪いのう。わし自身は『陰の術』の方がいいと思うんだが、仕方がないんじゃ」
「はい」
「それとじゃ、もう一つ、問題がある。おぬしの事じゃが、もう一度、修行をすると言うが、このお山で修行するのは難しいぞ。まず、太郎坊という名前では修行できん。太郎坊と言う名は有名になり過ぎた。今、このお山で修行している若い者は誰でも知っている。そこへ、おぬしが太郎坊として出て行ったらどうなる。修行どころではないぞ。わかるな」
太郎もそこまで考えてもみなかった。確かに、高林坊の言う通りだった。伊賀の最南端の百地家の裏山でさえ、太郎坊と聞いた途端に、あの騒ぎだ。まして、ここは飯道山、陰の術の発祥の地だ。太郎坊と名乗って、修行などできるはずがなかった。
「どうする」と高林坊は笑った。「有名になるというのも考えもんじゃのう。幸いに、おぬしの顔まで知っているのは、そう幾人もいないがのう。まあ、名前を変えた位じゃ、いつか、ばれるじゃろうのう」
「‥‥‥」
「いっそ、顔まで変えるか」と高林坊は笑いながら言った。「ここでは無理じゃろう。いっその事、他の山で修行したら、どうじゃな」
「他の山? 他にも武術を教えている山があるのですか」
「ある。ここより南に二里程の所に岩尾山というのがあるが、そこでも教えている。ここより腕も下だし、道場も狭い。おぬしが、どうしても棒と槍と薙刀を修行したいというのなら、別に、そこでも構わんじゃろ。ある程度の基本さえ身に付けてしまえば、おぬしの事じゃ、後は自分で何とかなるじゃろう。どうじゃな。そこに行く気があるなら、わしが紹介してやる。わしの教え子があそこで師範をやってるんでな」
「お願いします。紹介して下さい」
「うむ。それがいいじゃろう。あの山なら、おぬしの顔を知っている者はおらんからな、ただ、名前は変えた方がいいな」
「はい」
「あの山に行けばわかる事だから教えておくが、あの山で修行してるのは、ほとんどがこのお山の落伍者なんじゃよ。このお山の修行に耐えられない者が、あの山に行って修行をしている。今は修行者が多すぎて、このお山の落伍者がみんな、あそこに行くという事はできなくなったがな。あの山の修行が始まるのが二月一日なんじゃ。このお山では丁度、山歩きをしている頃じゃ。このお山の修行に付いて行けそうもない奴は、さっさとお山を下りて、あちらに行くというわけじゃ。前は、いつでも誰でも受け入れていたが、今は、来る連中が多すぎて、二月一日以降は受け付けなくなった。それでも、人が集まり過ぎて、去年からは二月一日の日に修行者全員を朝から晩まで、外に坐らせているそうじゃ。去年の事は知らんが、今年の二月一日は一日中、雪が降っていてな、昼頃には、半分近くの者が山を下りてしまい、慌てて、やめさせたらしい。あの山はここと違って、一ケ月の山歩きなどできない。そうでもしないと修行者をふるい落とせないんじゃ」
「二月一日を過ぎていても入れるんですか」
「山伏は大丈夫じゃ。しかるべき人の紹介があれば入れる。現に、おぬしは風眼坊の紹介で、このお山に三月頃、来たんじゃろうが」
「はい。そうです」
「紹介状は用意するが、さて、名前を何としようのう」
「‥‥‥」
「風林坊はどうじゃ」と高林坊は言った。「風眼坊の風と高林坊の林で風林坊じゃ。どうじゃ、いいじゃろ。どうせ、仮の名じゃ。風林坊移香でいいじゃろ」
「はい。お願いします」
「いや‥‥‥どうせなら、孫子の風林火山から、火山坊の方がいい。よし、決まった。おぬしは火山坊移香じゃ。どうじゃ」
「火山坊移香‥‥‥」
「と言う事で、久し振りに今晩、飲もう。金比羅坊も連れて行く。そうじゃのう、暮れ六つでいいじゃろう。いつもの『とんぼ』で待っていてくれ。その時、紹介状も持って行く」
岩尾山に行っても十一月二十五日になったら、太郎坊に戻って帰って来るんだぞ、と念を押すと高林坊は仕事があるからと言って、出て行った。
太郎は誰にも見つからないように山を下りた。
2
岩尾山は飯道山の南、約二里、近江の国甲賀郡と伊賀の国の国境に盛り上がる山だった。
山内には天台宗の息障寺があり、修験道の道場として栄え、また、武術道場としても栄えていた。山の中腹あたりに息障寺があり、僧坊が建ち並び、武術道場もそこにある。更に行くと山頂に奥の院があり、大きな岩肌に不動明王が見事に彫られてあった。
この山で武術の修行している者は、ほとんどが里から修行に来る郷士たちで、山伏の数は少なかった。里から来る修行者の数は飯道山と同じく百人近くいた。
太郎は火山坊移香となって、高林坊の紹介状を持って山に登って来た。
四月の二十二日だった。期限の十一月二十四日まで約七ケ月あった。七ケ月のうちに、棒、槍、薙刀をすべて、自分のものにしなければならない。忙しいと言えた。しかし、太郎には自信があった。
息障寺に着くと太郎は千勝院を捜した。千勝院に行って明楽坊(ミョウガクボウ)応見に紹介状を渡せ、と高林坊から言われていた。
明楽坊応見は千勝院にいた。高林坊の弟子だと言うので、きっと、大男だろうと思っていたが、明楽坊は小柄で、少し太めな、おとなしそうな山伏だった。
太郎の渡した紹介状に目を通すと太郎を眺め、「はい。わかりました。このお山で修行なさるがいい」と静かな声で言った。
「お願いします」と太郎は頭を下げた。
「しかし、また、どうして、飯道山で修行しないで、わざわざ、このお山に来られたのですかな。私が言うのも何ですが、ここと飯道山では比べものにならない位、飯道山の方が強い方々が揃っておりますのにな」
「はい。それには訳がありまして‥‥‥」
「訳とは?」
「‥‥‥」
本当の事を言うわけにはいかなかった。太郎は何て答えようか考えていた。
「まあ、いい。高林坊殿が紹介状を書く位だから身元は大丈夫だろう。世の中が物騒になって来てるんでな。一応、身元とか調べるんじゃよ。やたらと色々な連中がお山に逃げ込んで来るんじゃ。お山としても、やたらな人間を匿って、つまらん問題を起こしたくないんでな。まあ、おぬしは大丈夫だろう。十一月までと書いてあったが、その後はまた、飯道山に戻るのかな」
「はい」
「まあ、しっかり修行して行ってくれ」
太郎は簡単な手続きを済ますと明楽坊に連れられて、一乗坊に連れて行かれた。
一乗坊が太郎の所属する僧坊だった。一乗坊には誰もいなかった。
明楽坊は太郎をそこに待たせ、どこかに行き、やがて、一人の山伏と共に戻って来た。
太郎は明楽坊から、一乗坊の浄泉坊(ジョウセンボウ)周伸に引き渡された。明楽坊は浄泉坊に二言三言、話をすると、「励みなされ」と太郎に言って帰って行った。
「飯道山から来たそうじゃの、火山坊とやら」と浄泉坊は横柄な口調で言った。
「はい」と太郎は答えた。
浄泉坊は一癖ありそうな目付きの悪い男だった。
「そうか、どうして、飯道山を出て来た」と浄泉坊は太郎の姿をじろじろ見ながら聞いた。
「はい‥‥‥」
さっきは、何とか答えずに済んで、ほっとしたが、また、ここでも聞かれるとは思わなかった。
「わしもな、昔、飯道山にいた」と浄泉坊は言った。「おぬしは知らんだろうがな、昔、あの山に風眼坊という奴がいた。わしも、そいつに剣を習ったんだが、気に入らん奴でのう。わしを山から追い出しやがった。今、どこにいるんだか知らねえが、今度、会った時には、たたっ斬るつもりだ」
「‥‥‥」
「どうした。おぬし、風眼坊を知っているのか」
「名前は聞いています。飯道山の四天王だったとか‥‥‥」
「ふん、何が四天王だ。笑わせやがる。あいつらより強い奴はいくらでもいる。たかが、飯道山で強いからって威張っていやがる。くだらんよ」
えらい山伏と会ってしまったもんだ。もし、太郎の素性がばれたら、どうなるかわからない。ここでは問題を起こしたくなかった。ただ、自分の修行だけに専念したかった。太郎は火山坊移香に成りきり、風眼坊の事も飯道山の事も口に出さない事に決めた。
「おい、おぬし、飯道山で何をしたんじゃ」と浄泉坊は手に持った竹の棒で、自分の肩をたたきながら聞いた。
「はい。金比羅坊という師範代と喧嘩して、出て来ました」
金比羅坊には悪いが、太郎は口からでまかせを言った。
「なに、金比羅坊‥‥‥ああ、あいつか」と浄泉坊は思い出したように頷いた。「ほう、あいつとやり合って出て来たのか‥‥‥成程な、まあ、ここで、しっかり修行すれば、あんな奴は屁でもない。この山だって飯道山より強い奴らはかなりいる。まあ、頑張れ」
喧嘩して飯道山を出て来たと言ったとたんに浄泉坊の態度は変わった。警戒心が取れて、急に仲間に対するような態度になった。余程、飯道山を嫌っているらしい。
「今日から、おぬしはこの一乗坊に所属するんだが、困った事に寝る場所がないんじゃ」と浄泉坊は言った。「里から来る修行者が多すぎてな、どこの僧坊もぎゅうぎゅう詰めじゃ。それでも間に合わなくて仮の小屋を作って詰め込んでる有り様じゃ。悪いが、おぬし、通いで来てくれんかのう。どこか、里に知り合いでもおらんか」
「はあ、いる事はいますが‥‥‥」
「すまんが、そいつに頼んで、そこから通うようにしてくれ。もう、しばらくしたら空きができると思うがの。今は、ほんとにどこも空いてないんじゃよ」
「はい、わかりました」
その日は浄泉坊に連れられて行場を回り、山内を一通り見て、奥の院まで登ると終わりだった。
山頂からの眺めは良かった。
久し振りだった。こうやって、山頂から回りを見下ろすのは、やはり、気持ちが良かった。飯道山も良く見えた。飯道山から太神山への奥駈けの山々も良く見えた。
懐かしかった。あの道を何と二百日も歩いたのだった。自分の事ながら、よくやったものだと思った。
明日、辰の刻(午前八時)までに山に来てくれとの事だった。飯道山と同じように、ここでも午前中は作業があった。太郎は飯道山ではわけの解らない講義を聴いていて、作業をした事はなかったが、ここではやらなければならない。武術の稽古は昼過ぎから酉の刻(午後六時)までだと浄泉坊は言った。
太郎は岩尾山を下りた。
通いというのは以外だった。こんな山に七ケ月も閉じ込められるよりは増しだが、さて、どこから通ったらいいものだろうか。
とりあえず、松恵尼には内緒で楓のいる花養院の離れから通うか。
いや、あまり、飯道山の辺りをうろうろしない方がいいだろう。誰かに見つかったら、修行どころではなくなってくる。ちょっと遠いが智羅天の岩屋から通うか‥‥‥
まだ、昼を少し過ぎた頃だし天気も良かった。太郎は久し振りに智羅天の岩屋に行ってみようと思った。岩尾山を駈け下りると真っすぐに智羅天の岩屋に向かって行った。
3
再び、太郎の修行が始まった。
太郎の所属する一乗坊には、山伏が八人と里からの修行者が十六人いた。
八人の山伏の内、三人が武術の師範だった。剣術の浄泉坊、槍術の高倉坊(タカクラボウ)、薙刀の神尾坊(カミオボウ)の三人で、他の五人は太郎が山に着く頃にはすでにいなくて、太郎が帰る頃にも帰って来ないので、ほとんど顔を合わせないし何をしているのかもわからなかった。
午前中の作業は浄泉坊が一乗坊の修行者たちを指図していた。高倉坊と神尾坊は他の僧坊へ出向いているらしかった。
太郎は山伏でただ一人、里からの修行者と一緒に作業をやっていた。作業は飯道山と変わりなかった。魔よけ札や護摩にくべる札を作ったり、信者たちに配る金剛杖を作ったり、変わった所では戦で斬り取った首に付ける首札も作っていた。それに、ここでも岩尾丸という何にでも効くという怪しい薬を作っていた。そして、今、二ケ所で新しく武術道場を造る作業をやっていた。今の道場では狭すぎるので、新しく山を切り開いて道場を二つ造ろうとしている。
これがまた、大変な作業だった。木はようやく切り終えたが、切った木はまだ、横になったままだった。この横になった丸木を細かく切らなければならない。あるものは薪にし、あるものは札や杖の材料になり、また、建物の修理用の材木にもなった。丸木が片付いたら、今度は根を全部、引き抜いて、斜面を平にならさなくてはならない。大きな岩もごろごろしていた。どかせる岩はどかし、砕ける岩は砕かなくてはならなかった。
天気のいい日は外に出て、土にまみれて道場造りをやり、雨の日は僧坊で木屑にまみれて木工細工をやっていた。そして、昼になると皆、作業を止めて、昼飯を食べ、道場に集まって来た。
今、道場は二つあった。
寺の本堂より東にある道場は古くからのもので、以前はこれで充分に間に合った。それが、一昨年より修行者が急に増え、一昨年、新しく造ったのが西の道場だった。それでも、間に合わず、今、西の道場のさらに西と南に道場を造っている。
今、東の道場では剣術と薙刀術を、西の道場では棒術と槍術を教えていた。やはり、ここでも剣術を習う者が一番多く、薙刀術を習う者が少なかった。
太郎は西の道場で棒術を習っていた。棒術を習っているのは太郎も入れて山伏が七人、里からの修行者が二十一人いた。皆、太郎より若く、二十歳前だった。師範は明楽坊応見だったが、明楽坊はほとんど道場には出て来なかった。師範代の岩本坊三喜、大滝坊紹玄、東之坊安善の三人が皆の稽古をつけていた。
高林坊を知っている太郎にとって、三人の師範代は何となく頼りなく思えた。三人共、ほとんど素人に近い連中を相手に教えているだけなので実力の程はわからないが、飯道山の高林坊は勿論、師範代より下なのは確実だった。
太郎は毎日、おとなしく棒の素振りをやっていた。なるべく目立たないように皆と同じ事をしていた。決まった時間に来て、決まった事をやり、決まった時間に帰って行くという毎日が続いて行った。
そのうちに、太郎にも何人かの仲間ができて来た。同じ一乗坊の連中で、伊賀の郷士、藤林十兵衛、楯岡五郎、石川小二郎と甲賀の郷士、高峰左馬介、上野弥太郎らであった。一緒に作業をしているうちに、自然と太郎は彼らの仲間の中に入って行った。
五人とも今年の二月一日に雪の降る中、ずっと、坐り込んでいた連中だった。
藤林と楯岡と高峰は剣術を習い、石川は槍、上野は薙刀を習っていた。五人共、飯道山の事は口に出さないが、この中の何人かは飯道山の山歩きから逃げて来たに違いなかった。そして、五人共、太郎坊と陰の術の事は知っていた。やはり、みんな、陰の術を習いたいらしかった。
もう二年以上も前の望月家の襲撃の話が、すでに伝説となって語り継がれているという事を太郎は彼らの話から知った。
天狗太郎と陰の五人衆の話を、甲賀出身の上野弥太郎がまるで見て来たように、太郎に聞かせてくれた。話はやたらと大きくなっていた。望月又五郎の下には十人もの使い手がいて、その他にも五十人近い兵がいて、それらを天狗太郎と陰の五人衆は陰の術を使って、あっという間に倒したと言う。
太郎は上野の話を聞いて、驚くと同時に感心していた。人から人に伝わるうちに話というのは、まるで生き物みたいに大きくなって行くものだと思った。
「太郎坊は一体、今、どこにいるんだろう」と高峰が言った。
「それは誰にもわからないそうだ。十一月の二十五日になると、どこからともなく、飯道山に現れて、十二月の二十五日になると、また、どこかに消えて行くんだそうだ」と上野が得意そうに言った。
太郎は聞いていて、おかしくなったが我慢した。
「火山坊殿、飯道山にいたのなら、太郎坊に会ったんじゃないんですか」と石川が太郎に聞いた。
「いや、俺は知らん。俺が飯道山に来たのは一月だ。太郎坊なんて会った事もないし見た事もない」
「そうですか、でも、飯道山には太郎坊の事を知っている山伏はいるでしょう」
「俺も話は聞いた事はあるが、何でも、身が軽くて天狗のようだと言っていた」
「それは俺も聞いた事がある」と上野が言った。
上野はまた、見て来たように太郎坊の話を始めた。
太郎坊はすでに伝説上の人物だった。
ある時、どこからか突然、現れて、また、どこかに消えて行かなければならない人物だった。普段、人前に現れてはいけない人物だった。太郎が思っている以上に太郎坊の存在というのは大きかった。もし、自分が太郎坊だとばれてしまったら、この山にはいられなかった。ここだけではない。甲賀はもとより伊賀の国でも、自分の修行などしていられなくなる。百地砦の時のように陰の術を教えてくれと大勢の人が集まって来てしまう。
気をつけなくてはならなかった。
4
太郎は岩尾山で目立つ事なく、毎日、修行に励んでいた。
稽古が終わると真っすぐ、素早く、裏道を通って智羅天の岩屋に帰った。帰ると、自分で納得するまで稽古に励み、朝は早くから外に出て、坐り込んで心を落ち着けた。
一ケ月間で太郎は棒術を自分のものにし、薙刀の組に移る事にした。師範には、どうも、自分には棒術は合わないからと言って、薙刀の組に移る許しを得られた。
薙刀の組に入っても、太郎はなるべく目立たないように、師範に言われるままに稽古に励んで行った。
太郎が薙刀の組に移ってから十日程経った頃、ちょっとした事件が起こった。
梅雨に入り、毎日、じめじめと雨が降っていた。その日は珍しく晴れて暑い一日だった。稽古が終わり、太郎が帰ろうとした時、同じ、薙刀組の上野弥太郎が、何か喚きながら太郎の所まで駈けて来た。
「火山坊、大変だ!」と上野は言ったが、その後は息を切らしてハァハァ言うのみだった。
「何が、どうしたんだ」と太郎は興味なさそうに聞いた。上野が大袈裟に騒ぐのには慣れていた。また、どうせ、下らない事だろうと思った。
「大変なんだ‥‥‥てん、てん、天狗、天狗太郎が出た!」と上野は吠えた。
「何だと」
「天狗太郎が出たんだ。あの陰の術の天狗太郎が出たんだ」
信じられなかった。俺の他にも天狗太郎がいたのか。
「一体、どこに出たんだ」
「屋根の上だ。さあ、早く行こうぜ。早く行かなけりゃ消えちまうぜ」
太郎は上野に引っ張られるように本堂まで連れて行かれた。本堂の前は人で埋まり、皆、屋根の上を見上げて騒いでいた。
屋根の上に確かに天狗の面をかぶった山伏が立っていた。
太郎は一瞬、師匠の風眼坊がまた、いたずらをしているのかと思ったが、どうも違うようだった。一体、誰が何のためにあんな事をしているんだろう。
屋根の上の天狗は下を見下ろしながら、錫杖を頭上高く上げると、ゆっくりとそれを振り回した。皆、天狗のやる事を見上げながら静かになった。
「皆の衆」と天狗はよく響く声で言った。「わしの名は太郎坊、皆の知ってる通り、天狗太郎じゃ。この山にも熱心な修行者が大勢いると聞いて、やって来た。皆の稽古も見せてもらった。さすがに、飯道山に勝るとも劣らない腕の者も何人かいた。その者たちにわしは『陰の術』を授けようと思う。しかし、わしの『陰の術』を身に付けるのは並大抵の修行では無理じゃ。余程の腕がなければ、わしの修行には付いて行けんじゃろう。『陰の術』を身に付けたいのなら修行に励む事じゃ。わしは十一月の末にもう一度、ここに来る。その時、わしの修行に付いて行けそうな者を何人かを選び、『陰の術』を授ける。それまで、皆の衆、修行に励んでくれ。さらばじゃ」
そう言うと天狗は消えた。
皆、ポカンとして、天狗太郎が消えた屋根を見上げたままだった。
やっと、我に帰った上野が太郎に話しかけようとした時、太郎の姿はそこにはなかった。太郎は偽太郎坊の正体を確かめようと本堂の裏に回っていた。
偽太郎坊は素早かった。山を下りて行く偽太郎坊の後を太郎は追いかけた。以外にも、偽太郎坊を追っていたのは太郎だけではなかった。太郎よりも先に、偽太郎坊を追っている者がいた。太郎の知らない奴だった。里から来ている十七、八の若い修行者だった。
「待て! 太郎坊!」と怒鳴りながら、そいつは追いかけていた。
太郎は二人に気づかれないように、隠れながら後を追った。
とうとう、偽太郎坊は捕まった。
「わしに何か用か」と偽太郎坊は振り返った。
まだ、天狗の面をしたままだった。
「父上の仇だ、覚悟しろ!」と若者は刀を抜いた。
「何だと」
「とぼけるな、俺はお前に殺された山崎新十郎が一子、山崎五郎だ。忘れたとは言わせんぞ!」言い終わるや否や、山崎五郎と名乗る若者は偽太郎坊に斬り掛かって行った。
「待て、待て」と偽太郎坊は五郎の剣を避けた。「わしはそんなものは知らん。何かの間違いじゃ」
「うるさい! 死ね!」五郎は真剣だった。死に物狂いで、偽太郎坊に掛かって行った。
五郎はこの男が偽物だとは知らない。本物の太郎坊だと思っている。そして、本物の太郎坊に勝てるはずがないとも知っている。五郎は死ぬ気だった。死ぬ覚悟で太郎坊を倒そうとしていた。
太郎はとうとう、出て来たかと思った。今まで、何人もの人を斬って来た。いつか、自分を仇と狙う者が現れるだろうとは思っていたが、こんなにも早く現れるとは思ってもいなかった。山崎五郎は一昨年の暮れ、望月又五郎を襲撃した時、三雲源太によって殺された山崎新十郎の息子だった。きっと、仇討ちをするために、この山で修行をしていたのに違いない。
五郎は死に物狂いで戦っていた。
とうとう、偽太郎坊は刀を抜いた。偽太郎坊は落ち着いていた。
二人の腕の差があり過ぎた。このまま放っておけば、確実に五郎は殺されるだろう。一瞬、太郎は五郎が死んでくれれば自分が仇と狙われなくなる、と思ったが、黙って見過ごす事はできなかった。
「やめろ!」と太郎は二つの刀の間に立った。
「止めるな!」と五郎が言った。
「止めなければ、お前は死ぬぞ」と太郎は五郎に言った。
「うるさい! お前には関係ない!」
「おぬしは、どうする」と太郎は偽太郎坊に聞いた。
「わしは、無益な争いはしたくない」
「うるさい。お前は父上の仇だ」
「覚えがあるのか」と太郎は偽太郎坊に聞いた。
「わしは知らん」
「嘘をつけ。誰に聞いても知っている。天狗太郎と陰の五人衆によって望月屋敷が襲撃された。その時、俺の父上はお前に殺されたんだ」
「どうだ」と太郎は偽太郎坊に聞いた。「その話は俺も聞いている。それが確かなら、俺はこいつの仇討ちを助けるがどうだ」
「違う。わしはお前の親父など知らん」
「嘘だ!」
「どうやら、おぬしの方が分が悪いみたいだな。見事に、こいつに斬られるがいい」と太郎は偽太郎坊に言うと身を引いた。「思う存分、やるがいい。おれが見届けてやる」
「死ね!」と五郎は刀を振りかぶり掛かって行った。
偽太郎坊の刀が閃いた。
五郎は斬られるはずだった。ところが、偽太郎坊の刀は五郎を斬る前に地に落ちていた。偽太郎坊の左腕に太郎の投げた手裏剣が刺さり、偽太郎坊は尻餅を突き、呻いていた。
「さあ、今だ。仇を討て」と太郎は五郎に言った。
「待ってくれ、わしは天狗太郎ではない!」と偽太郎坊は叫んだ。
「待て」と太郎は五郎を止めた。
「どういう事だ」と太郎は偽太郎坊に聞いた。
「わしは天狗太郎ではない。頼まれたんじゃ」
「どういう事だ」と太郎は、もう一度、聞いた。
「言う。全部言う。頼むから、こいつを抜いてくれ」
太郎は手裏剣を抜いてやった。
偽太郎坊は天狗の面をはずすと、血の噴き出る傷口に汚れた手拭いを巻き付けた。
「おぬしは一体、何者じゃ」と偽太郎坊が太郎に聞いた。
「俺は火山坊。まだ、この山に来たばかりの修行者だ」
「知らんな」
「俺の事などどうでもいい。おぬしの事だ。なぜ、天狗太郎に化けた」
「ああ。こうなったら全部、話す。わしの本当の名は南光坊じゃ。わしは明楽坊殿に頼まれたんじゃ」
「明楽坊殿に?」
「ああ、明楽坊殿に頼まれて天狗太郎に化けたんじゃ。明楽坊殿はこのお山を飯道山に負けない程の山にしたいと思っている。世間では、このお山の事を飯道山の落ちこぼれたちの集まりだと言っている。まあ、実際、事実なんだが、明楽坊殿にはそれが我慢できんのじゃ。そこで明楽坊殿は天狗太郎の人気を利用して、このお山の実力を上げようと考えた。天狗太郎にああ言われれば、みんな、張り切って修行に励むだろうと考えたんじゃ。そこで、わしが天狗太郎に化けて、ああいう芝居をしたわけじゃ。まさか、こんな事になるとは思ってもみなかったわ。まさか、天狗太郎に仇がいたとはなあ。しかも、そいつがこのお山で修行していたとは‥‥‥」
「成程な。天狗太郎を利用したわけか‥‥‥で、山崎とやら、どうする」
「はい‥‥‥」五郎は肩をおとし、ガクッとしていた。「偽物じゃ、しょうがない‥‥‥」
「南光坊殿、天狗太郎に化けて、あんな事を言って、みんなを煽るのはいいが、十一月になって、もし、天狗太郎が来なかったら偉い事になるぞ」
「わしも、そう明楽坊殿に言ったんだが、大丈夫だ、天狗太郎は絶対に来ると自信を持って言うんじゃよ」
「なぜだ」
「わしにはわからんが、明楽坊殿は絶対に来ると言っていた」
「それは本当か」と五郎が言った。
「多分な。十一月になれば本物の天狗太郎に会えるさ。それまで、腕を磨いておくんだな。本物はわしなんかよりずっと強いぞ」
辺りは、すでに暗くなって来ていた。
南光坊は左腕を押えながら山を下りて行った。
太郎も帰る事にした。
山崎五郎は太郎に助けてもらった礼を言った。そして、太郎に手裏剣を教えてくれと頼んだ。太郎は、そのうち、教えてやると言って山に帰した。
不思議な気持ちだった。自分を狙う仇を助けて、手裏剣を教える約束までしてしまった。この先、どうなるのか自分でもわからなかった。勿論、太郎にはこの五郎という若者を倒す気など毛頭ない。もし、正体がばれて、太郎に掛かって来たらどうすればいいのだろうか‥‥‥
太郎は五郎の事を考えながら、暗い山道を下りて行った。
5
太郎がここ岩尾山に通い始めてから、もう、三ケ月が過ぎて行った。
太郎はこの山に十一月までいるのは時間が勿体ないと思うようになり、方針を変えた。棒術、薙刀術、槍術をそれぞれ一ケ月間やり、今日で山を下りようと思っていた。
高林坊が言っていた通り、ここと飯道山では腕の差があり過ぎた。ここで師範をやっている位の腕を持っている者は飯道山に何人もいた。太郎が学ぶべき物は何もなかった。基本を身に付けるだけなら一ケ月もあれば充分だった。基本さえ身に付ければ、あとは自分で工夫していけばいい。それは、何もこの山でなくても智羅天の岩屋で独りでもできる事だった。
それに、楓のお腹の中に太郎の子供ができていた。ここに戻って来た当時は全然、目立たなかったが、太郎が岩尾山で修行しているうちに、楓のお腹はみるみる大きくなって行った。もうすぐ、太郎も父親になる。のんびり、修行などしていられなかった。生まれて来る子供のためにも働かなければならない。
太郎は岩尾山で学んだ棒、薙刀、槍を自分なりにまとめて『陰流』の一部にしようと思っていた。剣術の『天狗勝』のように、いくつかの技を選んで覚え易いように名前を付けようと思っていた。しばらくの間、智羅天の岩屋に籠もって、それに取り組むつもりだった。そして、なるべく早いうちにそれを片付け、飯道山に戻り、また、剣術の師範代をやるつもりでいた。
太郎は稽古が終わると、一応、明楽坊には急用ができて吉野に帰らなければならないと、いい加減な話をして山を下りる許しを得、そして、三ケ月間、仲の良かった藤林たちに別れを告げて山を下りて行った。
山の中腹あたりまで下りると浄泉坊が道をふさぐように立っていた。
こんな所で何をしているのだろうと思ったが、太郎は一応、浄泉坊にも山を去る事を言った方がいいと思い、立ち止まって合掌をした。
太郎が言おうとすると浄泉坊は太刀を抜いて、太郎の前に立ちはだかった。浄泉坊だけではなかった。いつの間にか、太郎の後ろに高倉坊と神尾坊が立っていた。
「火山坊、お前はやはり、飯道山の回し者だったんじゃな」と浄泉坊は言った。
「飯道山の回し者?」
「とぼけるな。たったの三ケ月だけで、棒、槍、薙刀と回り、ろくに修行もせんで、お山を下りるのが何よりの証拠じゃ。このお山でどんな修行をしているのかを調べに来たんじゃろう。次には、わしの所に来ると思って楽しみにしてたんじゃが、わしの所には来ないで、のこのことお山を下りやがった‥‥‥そう、うまく行くと思ったら大間違いじゃ。今、ここで、本当の岩尾山の実力を見せてやる。そして、その実力を飯道山に伝えるんじゃな。もし、生きていたらの話じゃがな」
浄泉坊は太刀を振り回した。
「違います。飯道山は関係ありません」
「黙れ。さっさと刀を抜け、そいつは飾りではあるまい」
太郎は刀を抜きたくなかった。ここで騒ぎを起こして、飯道山に迷惑を掛けたくなかった。どうしたらいいんだ‥‥‥
ふと、太郎は多気の町道場の川島先生を思い出した。神道流は、喧嘩など、つまらん争いに使うものではないと言って、武士たちから何を言われても、相手にしないで逃げていた。果たして、俺にそんな事ができるだろうか。
試しにやってみるか、と太郎は思った。
「どうした、刀は抜けんのか。そんなに死にたいなら望み通り殺してやる」
浄泉坊は斬り付けて来た。太郎は避けた。
浄泉坊が何度、斬り付けても、太郎には当たらなかった。浄泉坊は、こんなはずはないと斬り付けるが当たらない。ついに、太郎は浄泉坊の頭を飛び越え、そのまま、山を駈け下りて行った。
太郎は逃げた。逃げるというのも、わりと気持ちのいいものだった。
あっけにとられたのか、誰も後を追って来なかった。
太郎は楓の待つ、新しい家に向かった。
一月程前、松恵尼が見つけてくれて、二人は、やっと落ち着く事ができた。前の家より、ちょっと町から離れているが、前の家よりは少し広かった。楓も気に入ったようで、小まめに家の中を片付けて行った。この辺りには、太郎たちの家と同じような作りの家が幾つも並び、門前町で働いている町人たちが住んでいた。
帰ると、いつものように楓が食事の支度をして待っていてくれた。楓のお腹は一日ごとに大きくなって行くようだった。
不思議な気持ちだった。
もうすぐ、自分の子供が生まれるなんて、何となく、変な気持ちがした。まさか、こんなにも早く、自分が父親になるとは思ってもいなかった。しかし、楓の大きなお腹を見ると、何となく、嬉しくもなる太郎だった。
食事をしながら、太郎は今、岩尾山から逃げて来た事を楓に話した。
「それでよかったのよ」と楓は言った。「また暴れたら、すぐに太郎坊だってばれちゃうわ」
「俺もそう思ったからな、逃げて来た」
「でも、もし、ばれたら、ここにはいられなくなるのかしら」
「だろうな。ばれたら、色んな奴らが訪ねて来るだろう」
「有名になるっていうのも大変ね」
「ここにいる時は、また、別人になればいいんだ。岩尾山に行っている時は火山坊だったし、飯道山で陰の術を教えている時だけ太郎坊に戻って、又、普段は違う名前を持てばいい。色々な人間に化けるのも陰の術の一つだ」
「ここにいる時は、また、お侍に戻れば?」
「いや、侍はやめた。しばらくは、侍をやめようと思っている」
「どうして」
「世の中、侍だけじゃないからな。世の中をはっきり見るには、色々な角度から物を見なけりゃならないんだ。俺は小さい頃から侍として育って来た。自分では意識していなくても、どうしても、侍の目で物を見てしまう。それじゃあ駄目なんだ。世の中はどんどん変わって来ている。これからの世の中を生きて行くには、はっきりと物事を見極める目を持たなくちゃならない。だから、これからは色々な人間になって、色々な世界を知ろうと思うんだ」
「へえ‥‥‥」と楓は感心しながら、太郎の顔を見ていた。
「今、言った事は、ほとんど、師匠が前に言った事だよ」と太郎は笑いながら言った。
「なんだ、そうだったの。あたし、あなたが急に立派な事を言うもんだから、びっくりしちゃった」
「でも、色々な人間になって、色々な世界を知るっていうのは本当だぜ。師匠から、その話を聞いたのは、俺がここに連れて来られる前だった。その頃は意味が良くわからなかったけど、最近、わかりかけて来たんだ」
「ふうん‥‥‥それで、まず、何になるの」
「何がいいかな」
「侍と山伏はやってるから、今度はお坊さんは?」
「坊さんは駄目だよ。頭を剃らなくちゃならない。頭を剃ったら他の者になれない」
「それじゃあ、職人は?」
「職人たって、何の職人だ」
「そうね、木彫りの職人はどう。あなた、木を彫るのうまいじゃない。あの智羅天様の像なんて、まるで、生きてるみたいだったじゃない」
「あれは俺にも信じられないよ。きっと、智羅天殿が乗り移ったとしか考えられない。今の俺にあれだけの物が彫れるとは思えない」
「そうか、それじゃあ、商人は?」
「何を売るんだい」
「そうね、松恵尼様に使ってもらったら?」
「松恵尼様か‥‥‥松恵尼様はまだ、何もしてないのかい」
「また、何か始めたようよ」
松恵尼は北畠教具が死んで以来、北畠氏のためには動いてはいないようだった。今まで、情報集めに出ていたらしい尼僧たちも皆、戻って来ていた。しかし、この二、三ケ月のうちに、また、皆、どこかに出掛けて行って、今は松恵尼と楓しか花養院にはいない。そして、遠くの方から旅して来た商人たちが、よく、花養院に訪ねて来ると言う。楓はまた、色々と寺務をまかされているらしかった。
「今度は、誰のために動いてるんだろう」と太郎は聞いた。
「わからないわ。又、北畠の殿様のためじゃないの」
「そうかな、もう、北畠殿とは縁を切ったんじゃないのか」
「うん‥‥‥よくわからないわ。でも、最近、訪ねて来る人たちが播磨(兵庫県南西部)だとか、備前(岡山県南東部)だとか、言ってるのをよく耳にするわ」
「播磨に備前?」
「ええ」
「今度、ちゃんと聞いてみなよ」
「あたしも何回か聞いたのよ。でも、とぼけてばっかりいて何も教えてくれないのよ。あたしの事、いつまでも子供だと思ってるみたい」
「そうか、母親から見れば、娘を危ない事に巻き込みたくないだろうからな」
「あたしだって少しくらい手伝いたいのに‥‥‥ねえ、あたしにも陰の術、教えてよ」
「何だって!」と太郎は驚いて楓の顔を見た。「そんなの教わってどうするんだよ」
「こう戦ばかり続いて世の中が乱れて来ると、一番の犠牲者は弱い者たちよ。まず、女に子供、そして、お年寄りたちね。彼女たちの身を守るために、あなたの陰の術が役に立たないかしらと思って‥‥‥」
「成程‥‥‥弱い者たちのためにか‥‥‥」
「薙刀もいいけど、やっぱり、男の人の力には敵わないわ。大勢に囲まれたりした時、うまく、逃げる術とかないの」
「うまく、逃げる術か‥‥‥」
逃げるための術なんて考えてもみなかった。忍び込む術ばかり教えても、もし、失敗して敵に見つかったら、それで終わりだ。その窮地から脱出できなければ何にもならない。敵を欺いて逃げる術を考えなければ、陰の術は完成とは言えなかった。
「ねえ、そんなような術を教えてよ」
「うん。わかった。女向けの陰の術を考えてみる」
「ねえ、それで、いつまで岩屋に籠もっているの」
「そんなに掛からないだろう。今回は棒術、槍術、薙刀術をまとめるだけだ。陰の術を完成させるのには、まだまだ、時間が掛かるだろう。飯道山に戻ってから少しづつ、やるつもりだよ。だけど、お前が今、言った、弱い者たちのための陰の術は考えてみようと思う。まあ、十日位あれば充分じゃないのか」
「十日か‥‥‥なるたけ早く帰って来てね」
「わかってるよ」
26.早雲
糸のような細い雨が降っていた。
霞がかかったように朝靄が立ち込めている。
境内の片隅に咲いている色褪せた紫陽花の花が雨に打たれて濡れていた。
一人の僧侶が僧坊の軒先から、どんよりとした空を見上げている。
「早雲殿、今日は一日、雨降りですぞ、ゆっくりして行きなされ」
僧坊の中から声が聞こえた。
僧侶は振り返って返事をすると、また、空を見上げた。
別に急ぐ旅でもなかった。目的があって、旅に出たわけでもなかった。ただ、雲のように、自由にフラリと旅に出ただけだった。しかし、ここまで来て、僧侶の足の運びは鈍っていた。
別に雨が降っているからではない。雨が降ろうと雪が降ろうと、そんな事を一々、気にするような柄ではなかった。
僧侶は何事か悩んでいるようであった。
長い旅をして来たとみえて、僧侶の墨衣は色も褪せ、あちこちが破れていた。ただ、不釣合いに、頭と髭は剃ったばかりかのように綺麗さっぱりとしていた。
僧の名は自称、早雲と言った。
以前、彼が京の大徳寺で参禅していた頃、一休禅師と出会い、語り明かした事があった。語り明かしたというより、飲み明かしたと言った方が正確だが一休の禅は本物だった。
肩書ばかり立派で、内容の伴わない禅僧ばかりいる今の世で、一休は本物の禅僧だった。何物にも囚われず、本物の禅を自ら実行し、一休自身が禅そのものだった。
一休禅師に会ったのは、その時のただ一度だけだが、その時の事は、今でもよく覚えている。
あの時の彼はまだ若く、武士として、また、人間として、夢も欲も人一倍あった。自ら禅僧になる気など毛頭なかったが、彼は一休を尊敬した。そして、今、俗世間と縁を切り僧侶となって、改めて、一休禅師の偉大さが身に染みてわかるのだった。
彼が一休と出会った時、一休は狂雲という別の号を使っていた。彼も真似をして、自分で早雲と名付けた。
「早雲殿、お茶でもいかがじゃ」と僧坊の中から声がした。
「はい、どうも」と早雲は僧坊の中に入って行った。
「ゆっくり、して行きなされ」と老僧は早雲に熱いお茶を差し出した。
「はい、どうも」早雲はまた礼を言って、お茶を受け取った。
「のんびり、いで湯にでも浸かって、旅の疲れを癒す事じゃ」
「はい」
「こんな山の中でも、だんだんと物騒な世の中になって来てのう。堀越に公方様が来られてからというもの、伊豆の国は戦に明け暮れておるわい。困ったもんじゃ」
早雲はお茶をいただきながら、老僧の世間話を適当に相槌を打ちながら聞いていた。
早雲と名乗る前の名前は伊勢新九郎盛時と言った。
僧となり、旅に出てから、もう一年以上が経っている。一年余りの間、新九郎は北陸から越後に抜け、上野(群馬県)、下野(栃木県)、武蔵(埼玉県、東京都)、相模(神奈川県)と一回りして、今、伊豆の修禅寺に来ていた。
どこに行っても戦をやっていた。
人と人が殺し合い、民衆は逃げ惑っていた。
孤児は泣き叫び、女たちは悲鳴を上げ、戦死した兵たちは身ぐるみ剥がされ、死臭を放ちながら放置されている。乞食や足軽と呼ばれる無頼の徒がどこの町にも溢れていた。
新九郎は京にいて、応仁の乱をこの目で見て来た。将軍家、管領家が、そして、守護大名が同族同士で争い、血を流して来た。武士同士で争っているのならまだいい。しかし、実際は関係のない農民、町民も巻添えを食って殺され、また、農民も武器を手にして武士に対抗し、血を流して来た。京の都は荒れ果て、焼け野原となり、乞食が溢れ、強盗、放火、殺人、強姦、追いはぎが大っぴらに行なわれ、人の心も荒んで行った。
もう、どうにでもなれ!
この世は終わりだ!
今が良ければそれでいい。自分さえ良ければそれでいい!
誰もがそう思い、好き勝手な事をしていた。
もう、見たくはなかった‥‥‥
新九郎は逃げて来た。
正式に僧になったわけではなかったが、もう、俗世間とは縁を切りたかった。俗世間と縁を切り、のんびりと旅がしたかった。
しかし、戦をしているのは京の近辺だけではなかった。どこに行っても争いは絶えなかった。いくら、自分が逃げても現実は付いて来た。また、現実から逃げるという事は、新九郎には性格的にできなかった。
新九郎もすでに四十歳を過ぎていた。人生五十年と言われていたこの時期、すでに晩年に入っていた。
若い頃は、新九郎にも野心があり、せっかく生まれて来たからには、一旗挙げようと思い、田舎から京の都に出て行った。しかし、出番はなかなか来なかった。待って待って、やっと三十歳を過ぎた頃、将軍の跡継ぎになるという足利義視の申次衆(モウシツギシュウ)という役が回って来た。
とうとう、俺の出番が来た、と新九郎はやる気になって励んだ。
足利義視に期待を懸け、次の将軍として、今の世をまとめてくれる事を願った。しかし、結局は、将軍義政に子供が生まれ、義視の存在は邪魔者となって行った。また、義視という人間は将軍としての器を持っていなかった。
そして、応仁の乱‥‥‥東軍の総大将に任じられながら、義視は義政の妻、日野富子が恐ろしくて伊勢に逃げ出した。一年以上、伊勢の国で好き勝手な事をしていて、また、京に戻ったが、すぐに比叡山に逃げ出し、今度は西軍に迎えられ総大将となっている。
新九郎は義視と一緒に京には戻らなかった。もう、義視に愛想が尽きていた。もう、どうでも良かった。もう、自分の人生を半ば諦めていた。
雲のように自由に、何にも縛られないで残りの十年を生きたかった。そして、もう少し、遅く生まれて来れば、もっと、生きがいのある人生が送れたかも知れないと、早すぎた雲、早雲と自ら名付け、旅に出たのだった。
早雲となった新九郎は伊豆の修禅寺まで来て悩んでいた。
駿河には妹の美和がいた。
妹と言っても、早雲とは年が二十歳も離れている。妹が生まれた時、早雲は京にいたので知らなかったが、その妹が三歳の時、京の伊勢家に養子となって来た。妹は将軍家の政所執事、伊勢家の娘として育てられ、早雲はただの居候に過ぎなかったので、めったに会う事もなかった。
後に、足利義視の申次衆となった時、東軍の将として駿河から出て来た今川治部大輔義忠と何度も会い、妹との仲を取り持ったのが早雲だった。妹と今川義忠が一緒になり、駿河に帰って行く時、早雲は義視の供として伊勢の国にいたので見送る事はできなかった。遠い異国に行った妹は、心細いのか、早雲宛に何度か、手紙を送ってよこした。
今川氏は足利一門の名門であった。源氏の大将、八幡太郎義家の孫、義康が下野の国、足利庄に住んで足利氏を称した。その足利義康の孫、義氏の子、長氏が三河の国(愛知県東部)吉良庄に住んで吉良氏を称し、長氏の次男、国氏が今川という地に移って、今川氏を称したのが始まりだった。今川国氏の孫、範国は足利尊氏を助けて活躍し、駿河と遠江(静岡県)の守護となって駿河の府中である駿府(スンプ)に移り、代々、室町幕府の重要な地位に就いていた。
早雲の妹の主人となった今川義忠は、範国から数えて六代目の駿河の守護だった。今は遠江の守護職を斯波氏に取られてしまっていたが、応仁の乱となり、西軍となった斯波氏に対抗して、東軍となった今川氏は遠江を取り戻そうと遠江に兵を進めていた。
京を出る時は、必ず、妹に会いに行こうと思っていたのに、いざ、行くとなると、何となく心が重かった。
主人の今川義忠はなかなかいい男だった。早雲が行けば、喜んで迎えてくれるだろう。しかし、今の早雲こと新九郎には引け目があった。京で今川義忠に会った時には足利義視の申次衆という肩書きがあった。今は薄汚れた、ただの偽坊主だった。かと言って、ここまで来て、会わずに素通りするのも変だった。
さりげなく、早雲は老僧に今川氏の事を聞いてみた。
「駿河の今川殿は名門じゃ。実力もある。駿河の国は今川殿のお陰で、伊豆の国のように乱れておらんじゃろう。駿府のお屋形様は京のお公方衆にも覚えがいいと聞く。奥方様も京からお連れになったらしい。いっその事、伊豆の国も今川殿がまとめてくれればいいのにのう。そう言えば、お屋形様の跡継ぎ様が去年、お生まれになったそうじゃ。今川殿は益々、大きくなって行くじゃろう」
跡継ぎが生まれた‥‥‥それは知らなかった。妹に今川家の跡継ぎが生まれた‥‥‥
とにかく、会うだけは会ってみよう、と早雲は思った。
その後はどうにでもなれだ。どうせ、世を捨てた身だ、どうなっても構わない。妹の幸せな姿を一目見るだけでもいいじゃないか、それに、妹の子供にも会ってみたい。
早雲はそう決めると、老僧に礼を言い、雨の降る中、妹のいる駿府へと目指した。
以前、彼が京の大徳寺で参禅していた頃、一休禅師と出会い、語り明かした事があった。語り明かしたというより、飲み明かしたと言った方が正確だが一休の禅は本物だった。
肩書ばかり立派で、内容の伴わない禅僧ばかりいる今の世で、一休は本物の禅僧だった。何物にも囚われず、本物の禅を自ら実行し、一休自身が禅そのものだった。
一休禅師に会ったのは、その時のただ一度だけだが、その時の事は、今でもよく覚えている。
あの時の彼はまだ若く、武士として、また、人間として、夢も欲も人一倍あった。自ら禅僧になる気など毛頭なかったが、彼は一休を尊敬した。そして、今、俗世間と縁を切り僧侶となって、改めて、一休禅師の偉大さが身に染みてわかるのだった。
彼が一休と出会った時、一休は狂雲という別の号を使っていた。彼も真似をして、自分で早雲と名付けた。
「早雲殿、お茶でもいかがじゃ」と僧坊の中から声がした。
「はい、どうも」と早雲は僧坊の中に入って行った。
「ゆっくり、して行きなされ」と老僧は早雲に熱いお茶を差し出した。
「はい、どうも」早雲はまた礼を言って、お茶を受け取った。
「のんびり、いで湯にでも浸かって、旅の疲れを癒す事じゃ」
「はい」
「こんな山の中でも、だんだんと物騒な世の中になって来てのう。堀越に公方様が来られてからというもの、伊豆の国は戦に明け暮れておるわい。困ったもんじゃ」
早雲はお茶をいただきながら、老僧の世間話を適当に相槌を打ちながら聞いていた。
早雲と名乗る前の名前は伊勢新九郎盛時と言った。
僧となり、旅に出てから、もう一年以上が経っている。一年余りの間、新九郎は北陸から越後に抜け、上野(群馬県)、下野(栃木県)、武蔵(埼玉県、東京都)、相模(神奈川県)と一回りして、今、伊豆の修禅寺に来ていた。
どこに行っても戦をやっていた。
人と人が殺し合い、民衆は逃げ惑っていた。
孤児は泣き叫び、女たちは悲鳴を上げ、戦死した兵たちは身ぐるみ剥がされ、死臭を放ちながら放置されている。乞食や足軽と呼ばれる無頼の徒がどこの町にも溢れていた。
新九郎は京にいて、応仁の乱をこの目で見て来た。将軍家、管領家が、そして、守護大名が同族同士で争い、血を流して来た。武士同士で争っているのならまだいい。しかし、実際は関係のない農民、町民も巻添えを食って殺され、また、農民も武器を手にして武士に対抗し、血を流して来た。京の都は荒れ果て、焼け野原となり、乞食が溢れ、強盗、放火、殺人、強姦、追いはぎが大っぴらに行なわれ、人の心も荒んで行った。
もう、どうにでもなれ!
この世は終わりだ!
今が良ければそれでいい。自分さえ良ければそれでいい!
誰もがそう思い、好き勝手な事をしていた。
もう、見たくはなかった‥‥‥
新九郎は逃げて来た。
正式に僧になったわけではなかったが、もう、俗世間とは縁を切りたかった。俗世間と縁を切り、のんびりと旅がしたかった。
しかし、戦をしているのは京の近辺だけではなかった。どこに行っても争いは絶えなかった。いくら、自分が逃げても現実は付いて来た。また、現実から逃げるという事は、新九郎には性格的にできなかった。
新九郎もすでに四十歳を過ぎていた。人生五十年と言われていたこの時期、すでに晩年に入っていた。
若い頃は、新九郎にも野心があり、せっかく生まれて来たからには、一旗挙げようと思い、田舎から京の都に出て行った。しかし、出番はなかなか来なかった。待って待って、やっと三十歳を過ぎた頃、将軍の跡継ぎになるという足利義視の申次衆(モウシツギシュウ)という役が回って来た。
とうとう、俺の出番が来た、と新九郎はやる気になって励んだ。
足利義視に期待を懸け、次の将軍として、今の世をまとめてくれる事を願った。しかし、結局は、将軍義政に子供が生まれ、義視の存在は邪魔者となって行った。また、義視という人間は将軍としての器を持っていなかった。
そして、応仁の乱‥‥‥東軍の総大将に任じられながら、義視は義政の妻、日野富子が恐ろしくて伊勢に逃げ出した。一年以上、伊勢の国で好き勝手な事をしていて、また、京に戻ったが、すぐに比叡山に逃げ出し、今度は西軍に迎えられ総大将となっている。
新九郎は義視と一緒に京には戻らなかった。もう、義視に愛想が尽きていた。もう、どうでも良かった。もう、自分の人生を半ば諦めていた。
雲のように自由に、何にも縛られないで残りの十年を生きたかった。そして、もう少し、遅く生まれて来れば、もっと、生きがいのある人生が送れたかも知れないと、早すぎた雲、早雲と自ら名付け、旅に出たのだった。
早雲となった新九郎は伊豆の修禅寺まで来て悩んでいた。
駿河には妹の美和がいた。
妹と言っても、早雲とは年が二十歳も離れている。妹が生まれた時、早雲は京にいたので知らなかったが、その妹が三歳の時、京の伊勢家に養子となって来た。妹は将軍家の政所執事、伊勢家の娘として育てられ、早雲はただの居候に過ぎなかったので、めったに会う事もなかった。
後に、足利義視の申次衆となった時、東軍の将として駿河から出て来た今川治部大輔義忠と何度も会い、妹との仲を取り持ったのが早雲だった。妹と今川義忠が一緒になり、駿河に帰って行く時、早雲は義視の供として伊勢の国にいたので見送る事はできなかった。遠い異国に行った妹は、心細いのか、早雲宛に何度か、手紙を送ってよこした。
今川氏は足利一門の名門であった。源氏の大将、八幡太郎義家の孫、義康が下野の国、足利庄に住んで足利氏を称した。その足利義康の孫、義氏の子、長氏が三河の国(愛知県東部)吉良庄に住んで吉良氏を称し、長氏の次男、国氏が今川という地に移って、今川氏を称したのが始まりだった。今川国氏の孫、範国は足利尊氏を助けて活躍し、駿河と遠江(静岡県)の守護となって駿河の府中である駿府(スンプ)に移り、代々、室町幕府の重要な地位に就いていた。
早雲の妹の主人となった今川義忠は、範国から数えて六代目の駿河の守護だった。今は遠江の守護職を斯波氏に取られてしまっていたが、応仁の乱となり、西軍となった斯波氏に対抗して、東軍となった今川氏は遠江を取り戻そうと遠江に兵を進めていた。
京を出る時は、必ず、妹に会いに行こうと思っていたのに、いざ、行くとなると、何となく心が重かった。
主人の今川義忠はなかなかいい男だった。早雲が行けば、喜んで迎えてくれるだろう。しかし、今の早雲こと新九郎には引け目があった。京で今川義忠に会った時には足利義視の申次衆という肩書きがあった。今は薄汚れた、ただの偽坊主だった。かと言って、ここまで来て、会わずに素通りするのも変だった。
さりげなく、早雲は老僧に今川氏の事を聞いてみた。
「駿河の今川殿は名門じゃ。実力もある。駿河の国は今川殿のお陰で、伊豆の国のように乱れておらんじゃろう。駿府のお屋形様は京のお公方衆にも覚えがいいと聞く。奥方様も京からお連れになったらしい。いっその事、伊豆の国も今川殿がまとめてくれればいいのにのう。そう言えば、お屋形様の跡継ぎ様が去年、お生まれになったそうじゃ。今川殿は益々、大きくなって行くじゃろう」
跡継ぎが生まれた‥‥‥それは知らなかった。妹に今川家の跡継ぎが生まれた‥‥‥
とにかく、会うだけは会ってみよう、と早雲は思った。
その後はどうにでもなれだ。どうせ、世を捨てた身だ、どうなっても構わない。妹の幸せな姿を一目見るだけでもいいじゃないか、それに、妹の子供にも会ってみたい。
早雲はそう決めると、老僧に礼を言い、雨の降る中、妹のいる駿府へと目指した。
陰の流れ《愛洲移香斎》第一部 陰流天狗勝 終
29.ほととぎす1
1
蒸し暑い夕暮れだった。
太郎は飯道山に来ていた。阿星(アボシ)山と金勝(コンゼ)山との間の例の岩の上に座って、内藤孫次郎を待っていた。今度こそ、百日行、満願(マンガン)の日だった。
丁度、関東では、太田備中守が五十子の長尾伊玄(イゲン、景春)と戦うために、梅沢に向かっている頃だった。
孫次郎は力強い足取りで、晴れ晴れとした顔をして太郎の前に現れた。
「師匠、お久し振りです」と孫次郎は頭を下げた。
「よくやった」と言うと太郎は岩の上から消えて、孫次郎の前に現れた。
「百八十六日か」
「はい」と孫次郎は照れ臭そうに笑った。
「辛かっただろう」
「はい。色々な幻が現れました。何度、やめてしまおうと思ったかしれません」
「そうか」と太郎は満足そうに頷いた。「よく、やり遂げた」
太郎は孫次郎を高林坊のもとに連れて行き、正式に飯道山の山伏とした。
孫次郎の新しい名前は次郎坊頼山(ライザン)となった。次郎坊はそのまま剣術組に入り、今年一杯、修行に励む事となった。太郎は次郎坊に、この山では自分の正体は絶対に言ってはならんと口止めした。
その日の晩、高林坊、栄意坊たちと飲むと、次の日、播磨に帰って行った。高林坊から、三月に駿河から風眼坊が、加賀から観智坊が来て、太郎の教え子たちを十人づつ連れて行った事を聞いた。太郎は風眼坊が播磨に来て、陰の術を身に付けて行った事を告げた。ようやく、風眼坊も駿河に腰を落ち着けて、何かを始めたとみえると高林坊は羨ましそうに言った。そのうち、光一郎を駿河まで行かせて師匠の様子の調べようと太郎は思った。
次郎坊は剣術組に入って修行に励んだ。播磨にて修行を積んでいたため、腕には自信を持っていたが、飯道山では次郎坊の腕も通用しなかった。次郎坊より強い者は何人もいた。次郎坊が太郎坊の弟子で、百日行を成し遂げたという事は山中の者、誰もが知っていた。次郎坊は太郎坊の弟子という名を汚さないためにも、必死に頑張らなくてはならなかった。太郎坊が志能便の術を教えに来る十一月の末までに、誰よりも強くならなければならないと思い、夜遅くまで一人で修行に励んでいた。
やがて、次郎坊にも仲間ができた。中でも支那弥三郎(シナヤサブロウ)という男とは気が合った。弥三郎の父親は幕府の奉公衆(ホウコウシュウ)の一人で、弥三郎も飯道山の修行が終わったら幕府に仕えるのだと言う。次郎坊は弥三郎から、その話を聞いた時、そんな偉い武士の伜もこんな山の中で修行しているのかと驚いたが、弥三郎はそんな偉ぶった所はなく、次郎坊と一緒に夜遅くまで修行に励んでいた。
相変わらず、夢庵もよく遊びに来ていた。夢庵は太郎から、孫次郎の事を時々、見てくれと頼まれていたので、飯道山に来ると必ず、次郎坊に声を掛けて来た。初め、孫次郎は夢庵に声を掛けられて戸惑っていたが、夢庵がこの山では有名人で、しかも、太郎坊の弟子でもあると聞いて、夢庵に対して師匠のような態度で付き合う事にした。いつもふざけた格好をして現れたが、さすがに、太郎坊の弟子だけあって武術の腕は確かだった。師範たちに聞くと、誰も夢庵の本当の実力は分からないと言う。もしかしたら、わしらより強いかもしれんと言う者もいた。
夢庵が連歌師、宗祇(ソウギ)の弟子だという事を聞くと弥三郎の目の色が変わった。次郎坊は連歌など、今まで縁がなかったので何とも思わなかったが、弥三郎は連歌の事を多少知っているらしく、宗祇という名前をまるで神様のように思っているようだった。弥三郎はやたらと、夢庵から連歌の事を聞いていた。ついには自分も宗祇の弟子になりたいとまで言い出した。
夢庵は笑いながら、「一年間は剣術に専念する事だ。連歌師に旅は付き物じゃ。旅に出れば命を狙われる事も何度もあるじゃろう。まず、自分の身も守れんような奴は弟子にはして貰えんぞ」と言った。
弥三郎は夢庵の言う事を真剣に聞き、宗祇の弟子になるために、もっと強くならなければと決心して、次郎坊を誘い夜遅くまで修行に励んだ。
宗祇の弟子となった夢庵は、最近、宗祇より『伊勢物語』の講義を受けていた。
宗祇は夢庵を相手に、今まで自分が独学したものを、講義という形で表現しようとしていた。夢庵にただ教えているだけでなく、自分の頭の中を整理しているのだった。去年は『古今集(コキンシュウ)』の講義をした。去年はまだ、夢庵は弟子ではなかったが、飛鳥井雅親(アスカイマサチカ)の兄弟弟子という事で、宗祇は夢庵に頼んで講義を聞いてもらった。その時も、自分が身に付けたものを自分なりに整理していたのだった。
その時の講義をまとめて、夢庵が書いたのが『弄花抄(ロウカショウ)』だった。この『弄花抄』が、宗祇に認められて、晴れて夢庵は弟子になれた。四年後、夢庵はもう一度、宗祇より古今集の講義を半年間に掛けて受ける。これが、宗祇による『古今伝授(コキンデンジュ)』の第一号だった。
宗祇は近江の国に生まれ、幼い頃より相国寺(ショウコクジ)に入って禅の修行を積んだ。
三十歳の頃より連歌に興味を持ち始め、心敬(シンケイ)、専順(センジュン)らに連歌の指導を受けた。さらに、一条兼良(カネラ)、飛鳥井雅親らに和歌と古典を学び、吉田兼倶(カネトモ)から神道(シントウ)も学んだ。
当時、連歌師として特に有名だったのは、後に、宗祇によって七賢(シチケン)と呼ばれた、蜷川智蘊(ニナガワチウン)、高山宗砌(ソウゼイ)、能阿弥(ノウアミ)、惣持坊行助(ソウジボウギョウジョ)、連海坊心敬(レンカイボウシンケイ)、春楊坊専順(シュンヨウボウセンジュン)、杉原伊賀守の七人がいた。
蜷川智蘊は一休禅師との交流もあり、幕府の政所代(マンドコロダイ)を務めていた。智蘊は宗祇が二十八歳の時に亡くなってしまったため、直接の指導を受ける事はできなかった。
高山宗砌は元山名家の家臣で、後に出家して、和歌を清厳正徹(セイガンショウテツ)に学び、連歌を朝山梵燈(ボントウ)に学び、幕府より北野天満宮連歌会所(カイショ)の奉行職(ブギョウシキ)に任命されていた。奉行職は宗匠(ソウショウ)とも呼ばれ、連歌会における最高の地位だった。宗祇も宗砌を最も尊敬していたが、宗砌は宗祇が三十四歳の時、但馬に帰ってしまい、翌年には亡くなってしまった。直接、指導を受ける事はできなかった。
能阿弥は将軍の同朋衆(ドウボウシュウ)の一人で、多芸に秀でた人だった。元、朝倉家の家臣で、絵師でもあり、茶人でもあり、連歌師でもあった。宗砌の後を継いで連歌会所の宗匠になったのが能阿弥だった。能阿弥は将軍の同朋衆だったため、宗祇は会う事はできなかった。
惣持坊行助も山名家の家臣だった。宗砌の弟子で比叡山の僧侶だった。行助は細川勝元の師範として仕えていたので、連歌会では同席した事はあっても、直接に指導を受ける事はできなかった。
連海坊心敬は宗砌と同じく、清厳正徹に和歌と連歌を学んだが、二人の作風はまったく異なっていた。宗砌の連歌が華麗で技巧的であるのに対して、心敬の連歌は情緒(ジョウチョ)的で禅にも通じる『佗(ワ)び』の境地を好んでいた。三十代の頃の宗祇には、まだ、心敬の良さが分からなかった。
春楊坊専順は宗祇の直接の師匠だった。専順は宗砌の弟子であり、宗祇は専順より宗砌流の連歌を学んだ。また、専順は連歌師だけでなく、立花(タテバナ)の師範でもあった。後に立花を大成した池坊専応(イケノボウセンオウ)は専順の孫弟子である。
杉原伊賀守は幕府の奉公衆の一人であり、後に出家して宗伊と号した。宗伊(ソウイ)と号した後、宗祇と度々、連歌会を催したが、三十代の頃はまだ、二人共、相手の存在を知らなかった。
専順に師事した宗祇の名が、連歌師として徐々に広まって行ったのは、四十歳を過ぎた頃からだった。
応仁の乱の始まる前は、師の専順らと共に管領の細川勝元のもとにも出入りし、行助、心敬らと共に連歌会を催していた。
文正元年(一四六六)の五月、宗祇は関東に下った。すでに関東に下向していた東下野守常縁(トウシモツケノカミツネヨリ)より『古今集』の講義を受けるためだった。宗祇は連歌の道を極めるには、やはり『古今集』を徹底的に身に付けなければならないと感じていた。飛鳥井雅親や一条兼良から、古今集を学ぶなら東下野守をおいて他にないと言われ、迷わず関東に向かったのだった。下野守は清巌正徹に師事して『古今集』の奥義を極め、古今集に関して右に出る者はいないと言われていた。
関東に行く途中、宗祇は駿河の今川義忠に歓迎された。駿河に来たのは二度目だった。その時、十九歳だった安次郎に再会したのだった。宗祇は真っすぐに東下野守のいる下総の国に向かったが、下野守は本家である千葉家の争いを静めるために戦の最中だった。とても、古今集の講義を受けられる状況ではなかった。事が治まるまで関東の地を旅しながら待とうと思った。
宗祇は五十子(イカッコ)の陣にも招待されて、長尾尾張守忠景(オワリノカミタダカゲ)や長尾左衛門尉景信(サエモンノジョウカゲノブ)、四郎右衛門尉景春(カゲハル、伊玄)父子らに連歌の指導をしている。尾張守には『藻塩草(モシオグサ)』と名付けた指南書を送り、四郎右衛門尉には『角田川(スミダガワ)』と名付けた指南書を送っている。後に『藻塩草』は『長六文(チョウロクブミ)』と呼ばれ、関東の武士たちの間に広まった。長六文の長六とは、尾張守の通称、長尾孫六郎を縮めたものであった。その時、当然、太田道真、備中守父子も宗祇から指導を受けていた。河越城や江戸城にも赴き、備中守父子の歓迎を受け、連歌会も度々行なった。さらに、宗祇は日光を通って白河までも足を伸ばし『白河紀行』を著した。白河からの帰り、下総の東下野守を訪ねると、下野守はすでに京に帰ってしまっていた。宗祇はすぐに帰ろうとしたが、すでに年の暮れ、正月に連歌会を開くから、是非、もう少し滞在してくれと備中守に頼まれ、宗祇は留まる事にした。
正月を江戸城で過ごした宗祇は京に戻ったが、京の都は応仁の乱で焼かれ、昔の面影はまったくなかった。かつての知人たちも皆、京から逃げてしまい、どこにいるやら分からなかった。目当ての東下野守もどこにいるのか分からない。宗祇はまた関東の地に戻った。備中守や鈴木道胤らの世話になりながら、連歌の指南書を執筆して、武将たちの招待を受けては連歌会を催していた。やがて、心敬も京の戦を避けて江戸城にやって来た。
お互いに再会を喜び、宗祇は改めて心敬の指導を受けた。その時、宗祇は心敬から連歌の深さを学んだ。ただ、古歌を真似て表面的に綺麗にまとまった技巧的な歌を詠むのではなく、禅に通じる『佗び、寂び』の境地を表現しなければならないという事を学んだ。心敬は『古今集』『新古今集』を学ぶのは最も大事な事だが、『源氏物語』『伊勢物語』も学ばなければならないと言った。心敬は『源氏物語』にも詳しかった。
翌年の正月には道真の河越の屋敷において、心敬、宗祇、その他、連歌好きの武将たちによって、千句の連歌会が開かれた。その後、宗祇は越後の上杉左馬助定昌(サマノスケサダマサ)の滞在していた白井(シロイ)城、大胡(オオゴ)新左衛門の大胡城、岩松治部大輔(イワマツジブノタイフ)の金山(カナヤマ)城を訪ねた。どこに行っても歓迎され、江戸に帰って来たのは、その年の秋の終わり頃だった。
江戸城に帰り、備中守から東下野守常縁の居場所を聞いた宗祇は、さっそく石浜城(荒川区)に向かった。下野守は本拠地の美濃(ミノ)の国、山田庄(岐阜県郡上郡)を美濃の守護代、斎藤妙椿(ミョウチン)に奪われたと聞いて、慌てて美濃に帰ったが、無事に取り戻す事ができ、また関東に戻って来ていた。
石浜城は江戸城と目と鼻の先にあった。宗祇はようやく下野守に会えると喜んで出掛け、下野守も宗祇を歓迎してくれた。しかし、古今集の事は、今はそれどころではないと断られた。甲冑に身を固めた下野守の姿はすでに歌人ではなく、武人だった。宗祇は諦めざるを得ず、江戸城に帰った。
下野守に断られた宗祇は京に帰ろうとも思ったが、京の戦はまだ続いていると言う。京に帰っても住む所さえなかった。宗祇は備中守に言われるまま江戸城に世話になる事にした。ただで世話になるわけにもいかないので、宗祇は連歌論書『吾妻問答(アヅマモンドウ)』を執筆した。
翌年の三月の事だった。突然、伊豆の国の三島にいるという東下野守より知らせが届いた。これから美濃の国に帰るが一緒に来ないかと言う。宗祇はすぐに旅支度をすると三島に向かった。三島では戦があったばかりだった。古河公方(コガクボウ)の軍勢が堀越公方(ホリゴエクボウ)を襲撃したのだった。下野守は堀越公方を助けるため、千葉介実胤(チバノスケサネタネ)、中務少輔自胤(ナカツカサショウユウヨリタネ)兄弟と共に出陣していた。
宗祇は三島の陣にて下野守と会った。古河公方は下野、下総の軍勢を以て、堀越公方を急襲したが失敗に終わり、数多くの兵を失い、逃げて行ったと言う。下野守は、わしはもう年じゃ、ここらがいい潮時じゃろう。後の事は備中守に任せて国に帰ると言った。
宗祇は三島神社にて連歌千句を独吟(ドクギン)し、下野守と共に美濃の国に向かった。
美濃の国、山田庄の篠脇(ササワキ)城にて、宗祇はやっと念願の古今集の講義を受ける事ができた。文明三年(一四七一年)の事だった。宗祇が下野守を頼って関東に下向してから五年の歳月が流れていた。宗祇は二年余りの間、下野守のもとに滞在して、古今集を中心に和歌の奥義を学んだ。滞在中にも美濃の国に避難していた師の専順らと『美濃千句』を催したり、『宗祇初心集』を執筆したり、遠江や奈良などに赴いて連歌会を開いたりと活動していた。そして、文明五年の秋、近江甲賀の飛鳥井雅親の屋敷内に種玉庵(シュギョクアン)を営んで、古典の研究に没頭し始めたのだった。
文明六年、七年と、ほとんど種玉庵に籠もりっ切りで研究を続けた。夢庵が訪ねて来たのは文明七年の十月だった。文明八年になると、宗祇が動かなくても世間の方が黙っていなかった。正月早々、将軍家から招待を受け、四月には畠山左衛門督政長(サエモンノカミマサナガ)から招待され、出掛ける機会も多くなってはいても、まだ、研究は続けていた。
今年になって『伊勢物語』や『源氏物語』の研究を始めたが、そろそろ動き出す時期が近いと、夢庵は感じていた。
連歌会の中心となっていた宗砌(ソウゼイ)はもういない。宗砌の後を継いだ能阿弥も三年前に亡くなってしまった。幸いに北野天満宮は戦災を免れたが、連歌会所の奉行職には今、誰も就いていなかった。夢庵の師でもあった心敬も二年前に相模の国の大山(オオヤマ)で亡くなったという。専順も美濃の地において、去年、亡くなった。残るは宗祇だけだった。京の戦もそろそろ終わるだろう。戦が終わった時、それは宗祇の活躍の始まりに違いない。連歌会所の奉行職に就く者も宗祇をおいては他にいないだろう。宗祇が動き出すのも、もう間近だと夢庵は思っていた。
伊勢物語の講義の後、夢庵は四畳半の茶室に戻ると横になった。
梅雨に入って、毎日、雨が降っていた。去年の梅雨時は智羅天の岩屋に籠もっていた。真っ暗な岩屋の中で剣術と陰の術に熱中していた。あの岩屋は湿気が少なく快適だった。今年も梅雨の間はあそこで過ごしたいが、そうも行かない。弟子となった今は勝手な事はできなかった。毎日、宗祇に付き合って『伊勢物語』を聞かなければならない。伊勢物語を聞く事は嫌ではなかったが、このじめじめとした蒸し暑さが溜まらなかった。
雨の中、どこかで、ほととぎすが鳴いていた。
夢庵は西行法師の歌を思い出して、節回しを付けて口ずさんだ。
〽五月雨(サミダレ)の~
晴間も見えぬ雲路(クモジ)より~
山ほととぎす鳴きて過ぐなり~
雨の降る中、加賀の国でも、ほととぎすは鳴いていた。
ほととぎすの鳴き声を聞いていたのは観智坊露香(カンチボウロコウ)だった。まだ、木の香りのする新しい道場の縁側から空を見上げていた。
道場は湯涌谷(ユワクダニ)の山奥にあった。ここは本願寺の道場でもあり、武術道場でもあった。
三月の半ば、飯道山に行って、若い者十人を連れて来た観智坊は彼らと共に山の中を切り開き、道場を作り始めた。梅雨の始まる前に何とか完成して、今、洲崎(スノザキ)十郎左衛門と十人の陰の衆は、武術の素質のある若者を捜しに各地に飛んでいる。目標としては一人が十人づつ連れて来て、百人前後に武術を教えるつもりだった。毎年、百人前後を教えて行けば、五年後には五百人となる。五百人いれば加賀中にばらまく事ができるだろうと思っていた。
観智坊が十郎と弥兵を連れて、加賀に戻って来たのは二月の事だった。
三人共、旅の商人に扮していた。山伏姿のままだと騒ぎになる可能性があった。つまらぬ騒ぎは起こしたくなかった。
越前を抜けた一行は加賀との国境にある吉崎を偵察した。近江から来た門徒に扮して、吉崎にお参りをしながら、それとなく様子を窺った。蓮如はいなくなったが、相変わらず、賑やかに栄えていたので観智坊は安心した。門前町にある商人たちの泊まる木賃宿(キチンヤド)に滞在して、町の噂やらを聞くと、今、吉崎御坊にいるのは本覚寺(ホンガクジ)の蓮光と超勝寺(チョウショウジ)の三兄弟、浄徳寺慶恵(ジョウトクジキョウエ)、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)だという。この四人が中心になって何もかも決めているようだった。観智坊が破門になる前、本覚寺と超勝寺は仲が悪かった。本覚寺は蓮崇(レンソウ)派として超勝寺と対立していた。ところが、蓮崇がいなくなると手を結んで、仲よくやっているようだった。
観智坊は昔、住んでいた多屋(タヤ)に行ってみた。下間玄永(シモツマゲンエイ)が守ってくれていると思っていたが、多屋は無残に焼け落ちて、放置されたままになっていた。観智坊はたまたま通り掛かった坊主に聞いてみた。
坊主の話によると、昔、ここに蓮崇という悪僧が住んでいたが破門となり、多屋は破壊されたと言う。誰がそんな事をしたのか、と聞くと、分からんが、多分、ばちが当たったのだろう。かなり、溜め込んでいたらしいが、皆、略奪された。その後、定地坊がこの地に多屋を建てようとしたが、完成間近という時に火事となって燃え落ちてしまった。皆、蓮崇の霊の祟(タタ)りだと恐れて、その後は放置されたままだと言う。
坊主が去ると観智坊は焼け跡の中に入ってみた。坊主の言った通り、焼け落ちている建物は観智坊が住んでいた多屋とは違った。多屋の向こう側にある四つの蔵は破壊されてはいたが、焼け落ちてはいなかった。
観智坊は蔵の中を覗(ノゾ)いてみた。野良猫が飛び出して来ただけで中には何もなかった。四つ目の蔵、かつて、観智坊たちが密談をしていた蔵も蜘蛛(クモ)の巣だらけだったが、そのままだった。定地坊はこれらの蔵を修理して、そのまま使うつもりだったらしい。観智坊は密談に使っていた蔵の板の間に上がると、一人ニヤっと笑った。
観智坊たちは吉崎を離れると山田光教寺、波佐谷松岡寺(ハサダニショウコウジ)の門前町に寄った。どちらも主人がいなくなって、どことなく淋しい感じがした。
軽海(カルミ)の守護所の城下にも寄った。城下町は以前よりずっと賑やかだった。本願寺の坊主らしい者も、かなり出入りしているようだった。
軽海から北上して手取川を渡り、野々市(ノノイチ)の守護所にも寄った。守護所はそのまま野々市にあったが、富樫次郎政親(マサチカ)は高尾山(タコウサン)のふもとに新しく完成した屋敷に移っていた。守護所から、その屋敷の間には広い道が通り、道の両脇には新しく屋敷や蔵を建設していた。新しい城下町を作っているようだった。
観智坊は加賀の国を旅して見て回り、一年半前に、この国において大戦(オオイクサ)があったとは思えない程、静かになってしまったと感じていた。あの時の門徒たちは一体、どこに行ってしまったのだろうか、不思議でたまらなかった。時期的に冬が終わったばかりで、皆、状況を見守っているだけなのだろうか。
蓮台寺(レンダイジ)城に押し寄せ、富樫幸千代(コウチヨ)を実力を以て倒した門徒たちは、一体、どこに行ってしまったのだろうか。
自分たちの力で新しい国を作ろうとしていた門徒たちは、あの時の事は夢だったと諦め、また、以前の貧しくて苦しい生活に戻ってしまったのだろうか。
観智坊は信じられない面(オモ)持ちで湯涌谷に向かった。
二俣の本泉寺にいる家族のもとに顔を出そうと思ったが、今の観智坊には住む所もない。新しい道場ができてから呼ぼうと思い、会いたかったが会いには行かなかった。
湯涌谷に着いた観智坊は自分の屋敷に今、誰が住んでいるのか覗きに行った。観智坊はそこに住むつもりはなかった。誰が住んでいようと構わなかったが、気になったので行ってみた。驚いた事に、あの立派な屋敷は消えていた。屋敷のあった所に小さな道場が建ち、あとは広場になっていて子供たちが遊んでいた。
どうしたのだろうと子供と一緒にいた娘に聞いてみた。やはり、ここの屋敷も蓮崇が破門になった際に破壊されたのだと言う。ここの屋敷までも破壊されたと聞いて、観智坊は改めて、蓮崇の評判が悪い事を思い知らされていた。
観智坊は弥兵を家に帰すと、十郎と共に石黒孫左衛門の屋敷に向かった。
観智坊は慶覚坊から預かっていた書状を見せた。孫左衛門は十郎の事を知っている。十郎が慶覚坊の門徒を一人連れて、何か重要な事を知らせにやって来たものと思った。書状を受け取って静かに読み始めたが、急に顔を上げると観智坊の顔をじっと見つめた。
「信じられん事じゃ」と孫左衛門は呟(ツブヤ)いた。
孫左衛門は書状を最後まで読むと、「まことか」と聞いた。
観智坊は頷き、十郎は、「まことです」と答えた。
「信じられん」と孫左衛門はもう一度言って、観智坊の顔を見つめた。「観智坊殿と申すのか」
観智坊は頷き、「戻って参りました」と力強く言った。
「そうか‥‥‥戻って来てくれたか」と孫左衛門は大きく頷いた。「裏の組織を作ると書いてあったが」
「はい。それを作り、門徒たちを一つにまとめるつもりです」
「そうか‥‥‥今、門徒たちはバラバラじゃ。皆、好き勝手な事をしておる。このままでは木目谷を取り戻す事などできんじゃろう」
「わたしは加賀の国をずっと旅して参りました。門徒たちはすっかり影を潜めてしまったかのようでした」
「確かにのう。上人様がおられなくなり、そして、本泉寺、松岡寺、光教寺から御子息たちがおられなくなって、門徒たちは本尊(ホンゾン)様を失ってしまったんじゃ。蓮崇殿は極悪人となり、慶覚坊(キョウガクボウ)殿や慶聞坊(キョウモンボウ)殿までもが加賀から去って行った。本尊を無くしたばかりでなく、門徒たちを一つにまとめる指導者までも失ってしまった。門徒たちは上人様に見捨てられてしまったと諦めてしまった者が多いんじゃよ。上人様がいなくなったら、もう勝ち目はないと諦めてしまったんじゃ‥‥‥以前、吉崎を中心に一つにまとまっていたが、今、吉崎は中心ではないんじゃ。吉崎には本覚寺の蓮光殿が留守職(ルスシキ)として入っておられるが、蓮光殿は加賀の事情を詳しくは知らんのじゃ。留守職という権力の座に座って、各道場に対して無理難題ばかり押し付けて来る。まるで、加賀の守護にでもなったつもりでおる。国人たちの反発を買って、十一月に報恩講を行なっても国人門徒たちは一人も出席せんわ。各自で勝手に報恩講をやっておる有り様じゃ。国人門徒たちに見放された蓮光殿は超勝寺と組んで、南守護代の山川三河守(ヤマゴウミカワノカミ)に近付いている模様じゃ。門徒たちも憂(ウ)さ晴らしのため、道場に集まっては飲み食いしたりして騒いでおるようじゃ。上人様が見たら嘆かれるじゃろうが、これが今の加賀の状況じゃ」
「そうでしたか‥‥‥そんな有り様だったのですか‥‥‥しかし、国人門徒たちはお互いに連絡を取り合っておるのでしょう」
「いや、それもうまく行ってはおらん。今、わしらは見張られておるんじゃよ。連絡を取り合おうとしても難しいんじゃ。奴らは門徒たちを虫けらのように平気で殺してしまう。わしらも、奴らの手下を見つければ捕まえて殺す事もあるが、奴らの方が上手じゃ。次から次へと新手が現れて、わしらの命まで狙っておるんじゃ」
「石黒殿も狙われておるのですか」
「ああ。わしだけではない。本願寺の有力門徒は皆、狙われておるんじゃ。幸いにまだ、殺された者はおらんがのう」
孫左衛門はどうしようもないと言った顔をして首を振った。
状況は観智坊が思っていた以上に悪いようだった。庭の方を見ていた観智坊は孫左衛門に視線を戻すと、「高橋殿は相変わらず、瑞泉寺(ズイセンジ)の避難所におられるのですか」と聞いた。
「ああ。高橋殿はあそこで、蓮崇殿、いや、観智坊殿じゃったな。観智坊殿が提案した裏の組織作りをやっておる。やってはおるが、野々市の様子を探る程度で、道場と道場をつなげるまではできんらしい」
「そうですか‥‥‥」
「観智坊殿、そなたが戻ってくれたのは心強いわ。是非とも裏の組織を作って、門徒たちを一つにまとめてくれ。わしのできる事なら何でも力になるわ。あっ、それにのう、蓮崇殿の屋敷じゃが無くなってしまわれたんじゃ」
「はい。見て来ました」
「そうか、見て来たのか‥‥‥蓮崇殿が破門になった後、善福寺の門徒たちが襲って来て破壊して行ったんじゃ。門徒たちが動いたのは善福寺の順慶殿の指図に違いないが、門徒たちは純粋に蓮崇殿が上人様を裏切ったものと信じておったんじゃ。わしらには止める事はできなかった」
「いいんです。わしはもう蓮崇ではありません。初めから、あの屋敷に住むつもりはありませんでした」
「そうか‥‥‥済まん事をした‥‥‥」
観智坊は湯涌谷から越中の瑞泉寺に行き、避難所にいる高橋新左衛門と会った。孫左衛門の言っていたように、新左衛門は裏の組織作りを続けていたが、新左衛門自身が自由に動けないため、各道場をつなげる程の大々的な組織を作る事はできなかった。守護所である軽海と野々市には見張りを入れてはいても、思うように敵の動きまでは探る事ができないと言う。新左衛門自身も本拠地の木目谷に戻る事を半ば諦めているようだった。そんな時、蓮崇が山伏となって現れたため、夢のようだ、まさしく、如来様のお陰だと大袈裟に喜んでくれた。
観智坊と新左衛門は今後の事を話し合った。
観智坊は避難民たちに、飯道山でならった弓矢の矢の作り方を教えた。材料である篠竹(シノダケ)は近くの山田川にいくらでもあった。矢羽根は鷲(ワシ)、鷹(タカ)、鶴、鷺(サギ)らの羽根を使うが、避難している門徒たちの中には狩人もおり、羽根を集める事も問題ない。後は、鏃(ヤジリ)を瑞泉寺の鍛冶屋(カジヤ)に頼めば何とかなった。矢を作って本願寺に収めれば、避難民の飯代位にはなるだろう。片身の狭い思いをしなくても済むと新左衛門は喜んでくれた。
観智坊は十郎と一緒に新しい道場を建てるべき場所を捜した。裏の組織の中心となるべき道場なので、山の中の隠れた所でなくてはならず、しかも、様々な情報を仕入れるためには、あまり山奥でも具合が悪い。野々市か軽海の近くにしようとも思ったが、観智坊の名では、知らない土地に行っても自由が利かないと思い、とりあえずは湯涌谷の奥を本拠地にする事と決めた。本拠地が決まった所で、観智坊は十郎を連れて飯道山に向かったのだったが、その前にやるべき事があった。
観智坊は十郎を連れて吉崎に向かった。
商人の姿のまま木賃宿に入った二人は暗くなるのを待って活動を始めた。播磨に行った時、太郎より貰った藍(アイ)色の忍び装束(ショウゾク)を身に着け、蓮崇の多屋跡に向かった。
吉崎御坊は総門を堅く閉ざし、厳重に警固されていたが、潜入するのに大して苦労はしなかった。二人とも、ここの事は隅から隅まで知っている。弱点がどこにあるのか心得ていた。無事に多屋跡に着いた二人は、かつて、密談に使われた蔵に向かった。蔵の中に入って、板の間の板をはがすと甕(カメ)が幾つも埋まっていた。甕にかぶされた莚(ムシロ)を剥がすと、驚いた事に、中には銭や銀の粒、砂金の詰まった袋などが詰まっていた。
「凄い!」と思わず十郎は声を出した。「一体、これはどうしたのです」
「この前の戦の戦利品じゃ。ほとんど武器を購入する時に使ったが、まだ残っておったんじゃ。今度、また戦になった時に使おうと思って隠しておいたんじゃよ」
「凄いですね」
「ああ、高田派の奴らは随分と溜め込んでおったもんじゃ」
「ここに隠してある事は誰も知らないのですか」
「誰も知らん。ここを出る時、玄永殿に教えようかとも思った。しかし、やめたんじゃ。こんな銭を見たら門徒たちが戦を始めるかもしれんと思ったんじゃ。わしは放っておく事にした。誰かが見つければ、それでもいいし、見つからなければ、それもまたいいと思っていたんじゃ。まさか、自分でこうやって盗み出す事になるとは思ってもいなかったわ」
「盗み出すだなんて」
「これだけあれば、当分の軍資金になるじゃろう」
「これ、全部、持って行くんですか」
「いや、銭はいい。銀と砂金だけで充分じゃろう」
観智坊と十郎は軍資金を担いで、板の間を元に戻すと蔵から抜け出し、木賃宿に戻った。大成功だった。これだけの資金があれば当分の間は何とかなる。一旦、湯涌谷に戻って金銀を隠すと、二人は飯道山に向かったのだった。
観智坊は縁側から雨空を眺めながら、百人もの修行者を集めるのはいいが、奴らをどうやって食わして行こうか考えていた。吉崎から持って来た金銀はあっても、百人もの食い扶持に当てたら、半年もしたら無くなってしまう。吉崎に残っている銭を全部運んだとしても一年は持たないだろう。奴らを食わして行くには、奴らに何かをやらせなければならない。修行が終わった後は、薬を売り歩かせるつもりだったが、修行中にやらせるわけには行かない。勿論、薬は作らせるつもりだが、それで銭が得られるとは思えない。薬を扱う商人に知り合いでもいれば引き取ってくれるだろうが、そんな知り合いもない。
どうしたらいいものだろうか。
観智坊は一人で悩んでいたが、そんな悩みはすぐに解決された。湯涌谷の頭、石黒孫左衛門がたっぶりと食糧を運び込んで来た。湯涌谷にこんなにも食糧が余っていたのかと不思議に思って聞いてみると、山之内衆と手取川の安吉(ヤスヨシ)源左衛門から贈られて来たのだと言う。
「しかし、見張られていて連絡が取れないのではなかったのですか」と観智坊は聞いた。
「陸路は奴らの天下じゃが、海と川はわしらの天下じゃ。奴らは船というものを持っておらんからのう。この米は手取川を下って海を渡り、浅野川を上って来たんじゃ。これだけあれば、当分、持つじゃろう。足らなくなったら、いつでも言えば送るそうじゃ」
「そうですか‥‥‥ありがたい事です。もしや、わたしの事もばらしたのですか」
「いや、上人様が裏の組織を作るために派遣した近江の山伏が来たと言っただけじゃ。山伏なら裏の組織を作るのにふさわしいじゃろうと、こうして食糧を送って来たというわけじゃ。観智坊殿、食う事の心配はいらん。門徒たちが付いておる。その門徒たちのために立派な組織を作ってくれ」
「分かりました。皆さんの好意を決して無駄にはいたしません」
観智坊は山に積まれた米や麦の俵(タワラ)、野菜などを眺めながら遠くで鳴いている、ほととぎすの声を聞いていた。
宗祇は夢庵を相手に、今まで自分が独学したものを、講義という形で表現しようとしていた。夢庵にただ教えているだけでなく、自分の頭の中を整理しているのだった。去年は『古今集(コキンシュウ)』の講義をした。去年はまだ、夢庵は弟子ではなかったが、飛鳥井雅親(アスカイマサチカ)の兄弟弟子という事で、宗祇は夢庵に頼んで講義を聞いてもらった。その時も、自分が身に付けたものを自分なりに整理していたのだった。
その時の講義をまとめて、夢庵が書いたのが『弄花抄(ロウカショウ)』だった。この『弄花抄』が、宗祇に認められて、晴れて夢庵は弟子になれた。四年後、夢庵はもう一度、宗祇より古今集の講義を半年間に掛けて受ける。これが、宗祇による『古今伝授(コキンデンジュ)』の第一号だった。
宗祇は近江の国に生まれ、幼い頃より相国寺(ショウコクジ)に入って禅の修行を積んだ。
三十歳の頃より連歌に興味を持ち始め、心敬(シンケイ)、専順(センジュン)らに連歌の指導を受けた。さらに、一条兼良(カネラ)、飛鳥井雅親らに和歌と古典を学び、吉田兼倶(カネトモ)から神道(シントウ)も学んだ。
当時、連歌師として特に有名だったのは、後に、宗祇によって七賢(シチケン)と呼ばれた、蜷川智蘊(ニナガワチウン)、高山宗砌(ソウゼイ)、能阿弥(ノウアミ)、惣持坊行助(ソウジボウギョウジョ)、連海坊心敬(レンカイボウシンケイ)、春楊坊専順(シュンヨウボウセンジュン)、杉原伊賀守の七人がいた。
蜷川智蘊は一休禅師との交流もあり、幕府の政所代(マンドコロダイ)を務めていた。智蘊は宗祇が二十八歳の時に亡くなってしまったため、直接の指導を受ける事はできなかった。
高山宗砌は元山名家の家臣で、後に出家して、和歌を清厳正徹(セイガンショウテツ)に学び、連歌を朝山梵燈(ボントウ)に学び、幕府より北野天満宮連歌会所(カイショ)の奉行職(ブギョウシキ)に任命されていた。奉行職は宗匠(ソウショウ)とも呼ばれ、連歌会における最高の地位だった。宗祇も宗砌を最も尊敬していたが、宗砌は宗祇が三十四歳の時、但馬に帰ってしまい、翌年には亡くなってしまった。直接、指導を受ける事はできなかった。
能阿弥は将軍の同朋衆(ドウボウシュウ)の一人で、多芸に秀でた人だった。元、朝倉家の家臣で、絵師でもあり、茶人でもあり、連歌師でもあった。宗砌の後を継いで連歌会所の宗匠になったのが能阿弥だった。能阿弥は将軍の同朋衆だったため、宗祇は会う事はできなかった。
惣持坊行助も山名家の家臣だった。宗砌の弟子で比叡山の僧侶だった。行助は細川勝元の師範として仕えていたので、連歌会では同席した事はあっても、直接に指導を受ける事はできなかった。
連海坊心敬は宗砌と同じく、清厳正徹に和歌と連歌を学んだが、二人の作風はまったく異なっていた。宗砌の連歌が華麗で技巧的であるのに対して、心敬の連歌は情緒(ジョウチョ)的で禅にも通じる『佗(ワ)び』の境地を好んでいた。三十代の頃の宗祇には、まだ、心敬の良さが分からなかった。
春楊坊専順は宗祇の直接の師匠だった。専順は宗砌の弟子であり、宗祇は専順より宗砌流の連歌を学んだ。また、専順は連歌師だけでなく、立花(タテバナ)の師範でもあった。後に立花を大成した池坊専応(イケノボウセンオウ)は専順の孫弟子である。
杉原伊賀守は幕府の奉公衆の一人であり、後に出家して宗伊と号した。宗伊(ソウイ)と号した後、宗祇と度々、連歌会を催したが、三十代の頃はまだ、二人共、相手の存在を知らなかった。
専順に師事した宗祇の名が、連歌師として徐々に広まって行ったのは、四十歳を過ぎた頃からだった。
応仁の乱の始まる前は、師の専順らと共に管領の細川勝元のもとにも出入りし、行助、心敬らと共に連歌会を催していた。
文正元年(一四六六)の五月、宗祇は関東に下った。すでに関東に下向していた東下野守常縁(トウシモツケノカミツネヨリ)より『古今集』の講義を受けるためだった。宗祇は連歌の道を極めるには、やはり『古今集』を徹底的に身に付けなければならないと感じていた。飛鳥井雅親や一条兼良から、古今集を学ぶなら東下野守をおいて他にないと言われ、迷わず関東に向かったのだった。下野守は清巌正徹に師事して『古今集』の奥義を極め、古今集に関して右に出る者はいないと言われていた。
関東に行く途中、宗祇は駿河の今川義忠に歓迎された。駿河に来たのは二度目だった。その時、十九歳だった安次郎に再会したのだった。宗祇は真っすぐに東下野守のいる下総の国に向かったが、下野守は本家である千葉家の争いを静めるために戦の最中だった。とても、古今集の講義を受けられる状況ではなかった。事が治まるまで関東の地を旅しながら待とうと思った。
宗祇は五十子(イカッコ)の陣にも招待されて、長尾尾張守忠景(オワリノカミタダカゲ)や長尾左衛門尉景信(サエモンノジョウカゲノブ)、四郎右衛門尉景春(カゲハル、伊玄)父子らに連歌の指導をしている。尾張守には『藻塩草(モシオグサ)』と名付けた指南書を送り、四郎右衛門尉には『角田川(スミダガワ)』と名付けた指南書を送っている。後に『藻塩草』は『長六文(チョウロクブミ)』と呼ばれ、関東の武士たちの間に広まった。長六文の長六とは、尾張守の通称、長尾孫六郎を縮めたものであった。その時、当然、太田道真、備中守父子も宗祇から指導を受けていた。河越城や江戸城にも赴き、備中守父子の歓迎を受け、連歌会も度々行なった。さらに、宗祇は日光を通って白河までも足を伸ばし『白河紀行』を著した。白河からの帰り、下総の東下野守を訪ねると、下野守はすでに京に帰ってしまっていた。宗祇はすぐに帰ろうとしたが、すでに年の暮れ、正月に連歌会を開くから、是非、もう少し滞在してくれと備中守に頼まれ、宗祇は留まる事にした。
正月を江戸城で過ごした宗祇は京に戻ったが、京の都は応仁の乱で焼かれ、昔の面影はまったくなかった。かつての知人たちも皆、京から逃げてしまい、どこにいるやら分からなかった。目当ての東下野守もどこにいるのか分からない。宗祇はまた関東の地に戻った。備中守や鈴木道胤らの世話になりながら、連歌の指南書を執筆して、武将たちの招待を受けては連歌会を催していた。やがて、心敬も京の戦を避けて江戸城にやって来た。
お互いに再会を喜び、宗祇は改めて心敬の指導を受けた。その時、宗祇は心敬から連歌の深さを学んだ。ただ、古歌を真似て表面的に綺麗にまとまった技巧的な歌を詠むのではなく、禅に通じる『佗び、寂び』の境地を表現しなければならないという事を学んだ。心敬は『古今集』『新古今集』を学ぶのは最も大事な事だが、『源氏物語』『伊勢物語』も学ばなければならないと言った。心敬は『源氏物語』にも詳しかった。
翌年の正月には道真の河越の屋敷において、心敬、宗祇、その他、連歌好きの武将たちによって、千句の連歌会が開かれた。その後、宗祇は越後の上杉左馬助定昌(サマノスケサダマサ)の滞在していた白井(シロイ)城、大胡(オオゴ)新左衛門の大胡城、岩松治部大輔(イワマツジブノタイフ)の金山(カナヤマ)城を訪ねた。どこに行っても歓迎され、江戸に帰って来たのは、その年の秋の終わり頃だった。
江戸城に帰り、備中守から東下野守常縁の居場所を聞いた宗祇は、さっそく石浜城(荒川区)に向かった。下野守は本拠地の美濃(ミノ)の国、山田庄(岐阜県郡上郡)を美濃の守護代、斎藤妙椿(ミョウチン)に奪われたと聞いて、慌てて美濃に帰ったが、無事に取り戻す事ができ、また関東に戻って来ていた。
石浜城は江戸城と目と鼻の先にあった。宗祇はようやく下野守に会えると喜んで出掛け、下野守も宗祇を歓迎してくれた。しかし、古今集の事は、今はそれどころではないと断られた。甲冑に身を固めた下野守の姿はすでに歌人ではなく、武人だった。宗祇は諦めざるを得ず、江戸城に帰った。
下野守に断られた宗祇は京に帰ろうとも思ったが、京の戦はまだ続いていると言う。京に帰っても住む所さえなかった。宗祇は備中守に言われるまま江戸城に世話になる事にした。ただで世話になるわけにもいかないので、宗祇は連歌論書『吾妻問答(アヅマモンドウ)』を執筆した。
翌年の三月の事だった。突然、伊豆の国の三島にいるという東下野守より知らせが届いた。これから美濃の国に帰るが一緒に来ないかと言う。宗祇はすぐに旅支度をすると三島に向かった。三島では戦があったばかりだった。古河公方(コガクボウ)の軍勢が堀越公方(ホリゴエクボウ)を襲撃したのだった。下野守は堀越公方を助けるため、千葉介実胤(チバノスケサネタネ)、中務少輔自胤(ナカツカサショウユウヨリタネ)兄弟と共に出陣していた。
宗祇は三島の陣にて下野守と会った。古河公方は下野、下総の軍勢を以て、堀越公方を急襲したが失敗に終わり、数多くの兵を失い、逃げて行ったと言う。下野守は、わしはもう年じゃ、ここらがいい潮時じゃろう。後の事は備中守に任せて国に帰ると言った。
宗祇は三島神社にて連歌千句を独吟(ドクギン)し、下野守と共に美濃の国に向かった。
美濃の国、山田庄の篠脇(ササワキ)城にて、宗祇はやっと念願の古今集の講義を受ける事ができた。文明三年(一四七一年)の事だった。宗祇が下野守を頼って関東に下向してから五年の歳月が流れていた。宗祇は二年余りの間、下野守のもとに滞在して、古今集を中心に和歌の奥義を学んだ。滞在中にも美濃の国に避難していた師の専順らと『美濃千句』を催したり、『宗祇初心集』を執筆したり、遠江や奈良などに赴いて連歌会を開いたりと活動していた。そして、文明五年の秋、近江甲賀の飛鳥井雅親の屋敷内に種玉庵(シュギョクアン)を営んで、古典の研究に没頭し始めたのだった。
文明六年、七年と、ほとんど種玉庵に籠もりっ切りで研究を続けた。夢庵が訪ねて来たのは文明七年の十月だった。文明八年になると、宗祇が動かなくても世間の方が黙っていなかった。正月早々、将軍家から招待を受け、四月には畠山左衛門督政長(サエモンノカミマサナガ)から招待され、出掛ける機会も多くなってはいても、まだ、研究は続けていた。
今年になって『伊勢物語』や『源氏物語』の研究を始めたが、そろそろ動き出す時期が近いと、夢庵は感じていた。
連歌会の中心となっていた宗砌(ソウゼイ)はもういない。宗砌の後を継いだ能阿弥も三年前に亡くなってしまった。幸いに北野天満宮は戦災を免れたが、連歌会所の奉行職には今、誰も就いていなかった。夢庵の師でもあった心敬も二年前に相模の国の大山(オオヤマ)で亡くなったという。専順も美濃の地において、去年、亡くなった。残るは宗祇だけだった。京の戦もそろそろ終わるだろう。戦が終わった時、それは宗祇の活躍の始まりに違いない。連歌会所の奉行職に就く者も宗祇をおいては他にいないだろう。宗祇が動き出すのも、もう間近だと夢庵は思っていた。
伊勢物語の講義の後、夢庵は四畳半の茶室に戻ると横になった。
梅雨に入って、毎日、雨が降っていた。去年の梅雨時は智羅天の岩屋に籠もっていた。真っ暗な岩屋の中で剣術と陰の術に熱中していた。あの岩屋は湿気が少なく快適だった。今年も梅雨の間はあそこで過ごしたいが、そうも行かない。弟子となった今は勝手な事はできなかった。毎日、宗祇に付き合って『伊勢物語』を聞かなければならない。伊勢物語を聞く事は嫌ではなかったが、このじめじめとした蒸し暑さが溜まらなかった。
雨の中、どこかで、ほととぎすが鳴いていた。
夢庵は西行法師の歌を思い出して、節回しを付けて口ずさんだ。
〽五月雨(サミダレ)の~
晴間も見えぬ雲路(クモジ)より~
山ほととぎす鳴きて過ぐなり~
2
雨の降る中、加賀の国でも、ほととぎすは鳴いていた。
ほととぎすの鳴き声を聞いていたのは観智坊露香(カンチボウロコウ)だった。まだ、木の香りのする新しい道場の縁側から空を見上げていた。
道場は湯涌谷(ユワクダニ)の山奥にあった。ここは本願寺の道場でもあり、武術道場でもあった。
三月の半ば、飯道山に行って、若い者十人を連れて来た観智坊は彼らと共に山の中を切り開き、道場を作り始めた。梅雨の始まる前に何とか完成して、今、洲崎(スノザキ)十郎左衛門と十人の陰の衆は、武術の素質のある若者を捜しに各地に飛んでいる。目標としては一人が十人づつ連れて来て、百人前後に武術を教えるつもりだった。毎年、百人前後を教えて行けば、五年後には五百人となる。五百人いれば加賀中にばらまく事ができるだろうと思っていた。
観智坊が十郎と弥兵を連れて、加賀に戻って来たのは二月の事だった。
三人共、旅の商人に扮していた。山伏姿のままだと騒ぎになる可能性があった。つまらぬ騒ぎは起こしたくなかった。
越前を抜けた一行は加賀との国境にある吉崎を偵察した。近江から来た門徒に扮して、吉崎にお参りをしながら、それとなく様子を窺った。蓮如はいなくなったが、相変わらず、賑やかに栄えていたので観智坊は安心した。門前町にある商人たちの泊まる木賃宿(キチンヤド)に滞在して、町の噂やらを聞くと、今、吉崎御坊にいるのは本覚寺(ホンガクジ)の蓮光と超勝寺(チョウショウジ)の三兄弟、浄徳寺慶恵(ジョウトクジキョウエ)、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)だという。この四人が中心になって何もかも決めているようだった。観智坊が破門になる前、本覚寺と超勝寺は仲が悪かった。本覚寺は蓮崇(レンソウ)派として超勝寺と対立していた。ところが、蓮崇がいなくなると手を結んで、仲よくやっているようだった。
観智坊は昔、住んでいた多屋(タヤ)に行ってみた。下間玄永(シモツマゲンエイ)が守ってくれていると思っていたが、多屋は無残に焼け落ちて、放置されたままになっていた。観智坊はたまたま通り掛かった坊主に聞いてみた。
坊主の話によると、昔、ここに蓮崇という悪僧が住んでいたが破門となり、多屋は破壊されたと言う。誰がそんな事をしたのか、と聞くと、分からんが、多分、ばちが当たったのだろう。かなり、溜め込んでいたらしいが、皆、略奪された。その後、定地坊がこの地に多屋を建てようとしたが、完成間近という時に火事となって燃え落ちてしまった。皆、蓮崇の霊の祟(タタ)りだと恐れて、その後は放置されたままだと言う。
坊主が去ると観智坊は焼け跡の中に入ってみた。坊主の言った通り、焼け落ちている建物は観智坊が住んでいた多屋とは違った。多屋の向こう側にある四つの蔵は破壊されてはいたが、焼け落ちてはいなかった。
観智坊は蔵の中を覗(ノゾ)いてみた。野良猫が飛び出して来ただけで中には何もなかった。四つ目の蔵、かつて、観智坊たちが密談をしていた蔵も蜘蛛(クモ)の巣だらけだったが、そのままだった。定地坊はこれらの蔵を修理して、そのまま使うつもりだったらしい。観智坊は密談に使っていた蔵の板の間に上がると、一人ニヤっと笑った。
観智坊たちは吉崎を離れると山田光教寺、波佐谷松岡寺(ハサダニショウコウジ)の門前町に寄った。どちらも主人がいなくなって、どことなく淋しい感じがした。
軽海(カルミ)の守護所の城下にも寄った。城下町は以前よりずっと賑やかだった。本願寺の坊主らしい者も、かなり出入りしているようだった。
軽海から北上して手取川を渡り、野々市(ノノイチ)の守護所にも寄った。守護所はそのまま野々市にあったが、富樫次郎政親(マサチカ)は高尾山(タコウサン)のふもとに新しく完成した屋敷に移っていた。守護所から、その屋敷の間には広い道が通り、道の両脇には新しく屋敷や蔵を建設していた。新しい城下町を作っているようだった。
観智坊は加賀の国を旅して見て回り、一年半前に、この国において大戦(オオイクサ)があったとは思えない程、静かになってしまったと感じていた。あの時の門徒たちは一体、どこに行ってしまったのだろうか、不思議でたまらなかった。時期的に冬が終わったばかりで、皆、状況を見守っているだけなのだろうか。
蓮台寺(レンダイジ)城に押し寄せ、富樫幸千代(コウチヨ)を実力を以て倒した門徒たちは、一体、どこに行ってしまったのだろうか。
自分たちの力で新しい国を作ろうとしていた門徒たちは、あの時の事は夢だったと諦め、また、以前の貧しくて苦しい生活に戻ってしまったのだろうか。
観智坊は信じられない面(オモ)持ちで湯涌谷に向かった。
二俣の本泉寺にいる家族のもとに顔を出そうと思ったが、今の観智坊には住む所もない。新しい道場ができてから呼ぼうと思い、会いたかったが会いには行かなかった。
湯涌谷に着いた観智坊は自分の屋敷に今、誰が住んでいるのか覗きに行った。観智坊はそこに住むつもりはなかった。誰が住んでいようと構わなかったが、気になったので行ってみた。驚いた事に、あの立派な屋敷は消えていた。屋敷のあった所に小さな道場が建ち、あとは広場になっていて子供たちが遊んでいた。
どうしたのだろうと子供と一緒にいた娘に聞いてみた。やはり、ここの屋敷も蓮崇が破門になった際に破壊されたのだと言う。ここの屋敷までも破壊されたと聞いて、観智坊は改めて、蓮崇の評判が悪い事を思い知らされていた。
観智坊は弥兵を家に帰すと、十郎と共に石黒孫左衛門の屋敷に向かった。
観智坊は慶覚坊から預かっていた書状を見せた。孫左衛門は十郎の事を知っている。十郎が慶覚坊の門徒を一人連れて、何か重要な事を知らせにやって来たものと思った。書状を受け取って静かに読み始めたが、急に顔を上げると観智坊の顔をじっと見つめた。
「信じられん事じゃ」と孫左衛門は呟(ツブヤ)いた。
孫左衛門は書状を最後まで読むと、「まことか」と聞いた。
観智坊は頷き、十郎は、「まことです」と答えた。
「信じられん」と孫左衛門はもう一度言って、観智坊の顔を見つめた。「観智坊殿と申すのか」
観智坊は頷き、「戻って参りました」と力強く言った。
「そうか‥‥‥戻って来てくれたか」と孫左衛門は大きく頷いた。「裏の組織を作ると書いてあったが」
「はい。それを作り、門徒たちを一つにまとめるつもりです」
「そうか‥‥‥今、門徒たちはバラバラじゃ。皆、好き勝手な事をしておる。このままでは木目谷を取り戻す事などできんじゃろう」
「わたしは加賀の国をずっと旅して参りました。門徒たちはすっかり影を潜めてしまったかのようでした」
「確かにのう。上人様がおられなくなり、そして、本泉寺、松岡寺、光教寺から御子息たちがおられなくなって、門徒たちは本尊(ホンゾン)様を失ってしまったんじゃ。蓮崇殿は極悪人となり、慶覚坊(キョウガクボウ)殿や慶聞坊(キョウモンボウ)殿までもが加賀から去って行った。本尊を無くしたばかりでなく、門徒たちを一つにまとめる指導者までも失ってしまった。門徒たちは上人様に見捨てられてしまったと諦めてしまった者が多いんじゃよ。上人様がいなくなったら、もう勝ち目はないと諦めてしまったんじゃ‥‥‥以前、吉崎を中心に一つにまとまっていたが、今、吉崎は中心ではないんじゃ。吉崎には本覚寺の蓮光殿が留守職(ルスシキ)として入っておられるが、蓮光殿は加賀の事情を詳しくは知らんのじゃ。留守職という権力の座に座って、各道場に対して無理難題ばかり押し付けて来る。まるで、加賀の守護にでもなったつもりでおる。国人たちの反発を買って、十一月に報恩講を行なっても国人門徒たちは一人も出席せんわ。各自で勝手に報恩講をやっておる有り様じゃ。国人門徒たちに見放された蓮光殿は超勝寺と組んで、南守護代の山川三河守(ヤマゴウミカワノカミ)に近付いている模様じゃ。門徒たちも憂(ウ)さ晴らしのため、道場に集まっては飲み食いしたりして騒いでおるようじゃ。上人様が見たら嘆かれるじゃろうが、これが今の加賀の状況じゃ」
「そうでしたか‥‥‥そんな有り様だったのですか‥‥‥しかし、国人門徒たちはお互いに連絡を取り合っておるのでしょう」
「いや、それもうまく行ってはおらん。今、わしらは見張られておるんじゃよ。連絡を取り合おうとしても難しいんじゃ。奴らは門徒たちを虫けらのように平気で殺してしまう。わしらも、奴らの手下を見つければ捕まえて殺す事もあるが、奴らの方が上手じゃ。次から次へと新手が現れて、わしらの命まで狙っておるんじゃ」
「石黒殿も狙われておるのですか」
「ああ。わしだけではない。本願寺の有力門徒は皆、狙われておるんじゃ。幸いにまだ、殺された者はおらんがのう」
孫左衛門はどうしようもないと言った顔をして首を振った。
状況は観智坊が思っていた以上に悪いようだった。庭の方を見ていた観智坊は孫左衛門に視線を戻すと、「高橋殿は相変わらず、瑞泉寺(ズイセンジ)の避難所におられるのですか」と聞いた。
「ああ。高橋殿はあそこで、蓮崇殿、いや、観智坊殿じゃったな。観智坊殿が提案した裏の組織作りをやっておる。やってはおるが、野々市の様子を探る程度で、道場と道場をつなげるまではできんらしい」
「そうですか‥‥‥」
「観智坊殿、そなたが戻ってくれたのは心強いわ。是非とも裏の組織を作って、門徒たちを一つにまとめてくれ。わしのできる事なら何でも力になるわ。あっ、それにのう、蓮崇殿の屋敷じゃが無くなってしまわれたんじゃ」
「はい。見て来ました」
「そうか、見て来たのか‥‥‥蓮崇殿が破門になった後、善福寺の門徒たちが襲って来て破壊して行ったんじゃ。門徒たちが動いたのは善福寺の順慶殿の指図に違いないが、門徒たちは純粋に蓮崇殿が上人様を裏切ったものと信じておったんじゃ。わしらには止める事はできなかった」
「いいんです。わしはもう蓮崇ではありません。初めから、あの屋敷に住むつもりはありませんでした」
「そうか‥‥‥済まん事をした‥‥‥」
観智坊は湯涌谷から越中の瑞泉寺に行き、避難所にいる高橋新左衛門と会った。孫左衛門の言っていたように、新左衛門は裏の組織作りを続けていたが、新左衛門自身が自由に動けないため、各道場をつなげる程の大々的な組織を作る事はできなかった。守護所である軽海と野々市には見張りを入れてはいても、思うように敵の動きまでは探る事ができないと言う。新左衛門自身も本拠地の木目谷に戻る事を半ば諦めているようだった。そんな時、蓮崇が山伏となって現れたため、夢のようだ、まさしく、如来様のお陰だと大袈裟に喜んでくれた。
観智坊と新左衛門は今後の事を話し合った。
観智坊は避難民たちに、飯道山でならった弓矢の矢の作り方を教えた。材料である篠竹(シノダケ)は近くの山田川にいくらでもあった。矢羽根は鷲(ワシ)、鷹(タカ)、鶴、鷺(サギ)らの羽根を使うが、避難している門徒たちの中には狩人もおり、羽根を集める事も問題ない。後は、鏃(ヤジリ)を瑞泉寺の鍛冶屋(カジヤ)に頼めば何とかなった。矢を作って本願寺に収めれば、避難民の飯代位にはなるだろう。片身の狭い思いをしなくても済むと新左衛門は喜んでくれた。
観智坊は十郎と一緒に新しい道場を建てるべき場所を捜した。裏の組織の中心となるべき道場なので、山の中の隠れた所でなくてはならず、しかも、様々な情報を仕入れるためには、あまり山奥でも具合が悪い。野々市か軽海の近くにしようとも思ったが、観智坊の名では、知らない土地に行っても自由が利かないと思い、とりあえずは湯涌谷の奥を本拠地にする事と決めた。本拠地が決まった所で、観智坊は十郎を連れて飯道山に向かったのだったが、その前にやるべき事があった。
観智坊は十郎を連れて吉崎に向かった。
商人の姿のまま木賃宿に入った二人は暗くなるのを待って活動を始めた。播磨に行った時、太郎より貰った藍(アイ)色の忍び装束(ショウゾク)を身に着け、蓮崇の多屋跡に向かった。
吉崎御坊は総門を堅く閉ざし、厳重に警固されていたが、潜入するのに大して苦労はしなかった。二人とも、ここの事は隅から隅まで知っている。弱点がどこにあるのか心得ていた。無事に多屋跡に着いた二人は、かつて、密談に使われた蔵に向かった。蔵の中に入って、板の間の板をはがすと甕(カメ)が幾つも埋まっていた。甕にかぶされた莚(ムシロ)を剥がすと、驚いた事に、中には銭や銀の粒、砂金の詰まった袋などが詰まっていた。
「凄い!」と思わず十郎は声を出した。「一体、これはどうしたのです」
「この前の戦の戦利品じゃ。ほとんど武器を購入する時に使ったが、まだ残っておったんじゃ。今度、また戦になった時に使おうと思って隠しておいたんじゃよ」
「凄いですね」
「ああ、高田派の奴らは随分と溜め込んでおったもんじゃ」
「ここに隠してある事は誰も知らないのですか」
「誰も知らん。ここを出る時、玄永殿に教えようかとも思った。しかし、やめたんじゃ。こんな銭を見たら門徒たちが戦を始めるかもしれんと思ったんじゃ。わしは放っておく事にした。誰かが見つければ、それでもいいし、見つからなければ、それもまたいいと思っていたんじゃ。まさか、自分でこうやって盗み出す事になるとは思ってもいなかったわ」
「盗み出すだなんて」
「これだけあれば、当分の軍資金になるじゃろう」
「これ、全部、持って行くんですか」
「いや、銭はいい。銀と砂金だけで充分じゃろう」
観智坊と十郎は軍資金を担いで、板の間を元に戻すと蔵から抜け出し、木賃宿に戻った。大成功だった。これだけの資金があれば当分の間は何とかなる。一旦、湯涌谷に戻って金銀を隠すと、二人は飯道山に向かったのだった。
観智坊は縁側から雨空を眺めながら、百人もの修行者を集めるのはいいが、奴らをどうやって食わして行こうか考えていた。吉崎から持って来た金銀はあっても、百人もの食い扶持に当てたら、半年もしたら無くなってしまう。吉崎に残っている銭を全部運んだとしても一年は持たないだろう。奴らを食わして行くには、奴らに何かをやらせなければならない。修行が終わった後は、薬を売り歩かせるつもりだったが、修行中にやらせるわけには行かない。勿論、薬は作らせるつもりだが、それで銭が得られるとは思えない。薬を扱う商人に知り合いでもいれば引き取ってくれるだろうが、そんな知り合いもない。
どうしたらいいものだろうか。
観智坊は一人で悩んでいたが、そんな悩みはすぐに解決された。湯涌谷の頭、石黒孫左衛門がたっぶりと食糧を運び込んで来た。湯涌谷にこんなにも食糧が余っていたのかと不思議に思って聞いてみると、山之内衆と手取川の安吉(ヤスヨシ)源左衛門から贈られて来たのだと言う。
「しかし、見張られていて連絡が取れないのではなかったのですか」と観智坊は聞いた。
「陸路は奴らの天下じゃが、海と川はわしらの天下じゃ。奴らは船というものを持っておらんからのう。この米は手取川を下って海を渡り、浅野川を上って来たんじゃ。これだけあれば、当分、持つじゃろう。足らなくなったら、いつでも言えば送るそうじゃ」
「そうですか‥‥‥ありがたい事です。もしや、わたしの事もばらしたのですか」
「いや、上人様が裏の組織を作るために派遣した近江の山伏が来たと言っただけじゃ。山伏なら裏の組織を作るのにふさわしいじゃろうと、こうして食糧を送って来たというわけじゃ。観智坊殿、食う事の心配はいらん。門徒たちが付いておる。その門徒たちのために立派な組織を作ってくれ」
「分かりました。皆さんの好意を決して無駄にはいたしません」
観智坊は山に積まれた米や麦の俵(タワラ)、野菜などを眺めながら遠くで鳴いている、ほととぎすの声を聞いていた。
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