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第三部 本願寺蓮如
1.蓮如1
1
毎日、うっとうしい雨が降っていた。
蒸し暑くて、やり切れなかった。
「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)‥‥‥」
風眼坊舜香(フウガンボウシュンコウ)は雨を眺めながら、独り呟いた。
「南無阿弥陀仏‥‥‥か、どうも、わしには合わんのう‥‥‥」
風眼坊は加賀の国(石川県南部)江沼郡の山田光教寺の門前にある多屋(タヤ)と呼ばれる宿坊にいた。
火乱坊(カランボウ)の多屋であった。
その多屋には火乱坊の家族が住み、下男や下女も数人いて、光教寺に参拝に来た門徒(モント)たちの世話をしていた。今朝早く、近江(オウミ、滋賀県)から来たという門徒が七人帰って行き、今晩、また、越中(富山県)の方から数人の門徒が来るらしいが、今は客間には風眼坊しかいなかった。
火乱坊の家族は女房のおつた、十六歳になる息子の十郎、十四歳になる娘のおあみ、十二歳になる娘のおちか、八歳になる娘のおいさがいた。息子の十郎は本願寺法主(ホンガンジホッス)、蓮如(レンニョ)のいる吉崎御坊(ヨシザキゴボウ)の方に修行に出ていると言う。三人の娘は母親を手伝って門徒たちの世話をしていた。
火乱坊は、ここでは慶覚坊(キョウガクボウ)という名前だった。真宗門徒となった時、蓮如より貰った法名だと言う。その慶覚坊は朝早く、用があると言って吉崎に出掛けて行った。ここから吉崎までは四里程(約十二キロ)の距離だった。
風眼坊は客間の縁側から、ただ、ボーッとして雨に濡れた庭を見ていた。昨日の昼頃、ここに着き、昨夜は久し振りに慶覚坊と酒を飲んで、昔の事など懐かしく語り合った。
慶覚坊が先頭になって昨日の晩と今朝早く、門徒たちと念仏を唱えていたが、風眼坊は一緒に念仏を唱える気にはならなかった。慶覚坊は、そのうち面白い事が始まるから、今のところはのんびりしていてくれ、と言うだけで、特に念仏を勧めるわけでもなかった。
風眼坊は十日程前、浄土真宗本願寺派の親玉、蓮如に会うため、慶覚坊と共に大峯山を下りた。まず、近江の国、大津の顕証寺(ケンショウジ)に行き、蓮如の長男の順如(ジュンニョ)と会い、堅田の本福寺(ホンプクジ)で、慶覚坊の義理の父親の法住(ホウジュウ)という坊主と会った。
法住はもう八十歳に近いというが、なかなか貫禄もあり、威勢のいい爺さんだった。さすがの慶覚坊も、この親父には頭が上がらないようだった。法住はただの坊主ではなく、湖賊(コゾク)と呼ばれる琵琶湖上を舟で行き来する商人の頭でもあった。
慶覚坊と風眼坊は堅田から舟に乗り、琵琶湖を渡って海津まで行き、山を越えて敦賀に出て、越前の国(福井県)を通り抜けて、越前の国の再北端、加賀の国との国境近くにある、蓮如のいる吉崎御坊に向かった。
蓮如が吉崎の地に来て、まだ三年しか経っていないのに、門前町は人で溢れる程、繁盛していた。本願寺の別院、吉崎御坊は三方を北潟湖(キタガタコ)に囲まれた山の上に建っていた。天然の要害と呼べる地であった。
多屋の建ち並ぶ中の参道を行くと大きな門があり、そこから坂道を登って行くと本坊へと出る。広い境内に阿弥陀堂(本堂)、御影堂(ゴエイドウ)、書院、庫裏(クリ)、鼓楼(コロウ)、僧坊などが建っていた。
二ケ月程前に火事があり、本坊はほとんど燃え、多屋も九軒燃えてしまったが、あっと言う間に再建されて、風眼坊が来た時には、まだ木の香りのする新しい建物が並んでいた。
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蓮如は留守だった。
布教のために出掛けていると言う。今朝早く、菅生(スゴウ、加賀市)の道場に出掛けたが、いつ戻るのかは分からないと言う。
慶覚坊の話だと、蓮如はすでに六十歳になるが、足が達者で、暇を見つけては布教の旅に出て、門徒たちと直接、話をしたり、聞いたりしていると言う。菅生まで行ったのなら、息子の蓮誓(レンセイ)に会いに山田光教寺まで足を伸ばすかもしれないと言った。
慶覚坊の話を聞いて、風眼坊は自分が考えていた蓮如像と、実際の蓮如はちょっと違うらしいという事に気づいた。本願寺の法主というからには、どうせ、大きな寺の中で、派手な法衣(ホウエ)を着て、偉そうに踏ん反り返っている奴だろうと思っていた。しかし、これだけ吉崎御坊が流行っているにも拘わらず、まだ、自分の足で布教して歩いているとは驚きだった。
風眼坊は蓮如に会うことなく吉崎を後にして、慶覚坊と共に山田光教寺に向かった。
山田光教寺は蓮如の四男、蓮誓の寺だった。蓮誓はまだ二十歳の若者で、つい最近、嫁を貰ったばかりだった。蓮如は光教寺には来ていなかった。
浄土真宗は開祖、親鸞(シンラン)のお陰で僧侶の肉食妻帯を許す宗派だった。蓮誓は蓮如の七番目の子供だった。
慶覚坊は蓮誓の後見人として、この山田光教寺に来ていた。蓮如から、かなり信頼されているようだった。
昨夜、一緒に酒を飲んで、どうして真宗の門徒になったのか、と聞いてみたら、慶覚坊は照れくさそうに笑って、女房のせいさ、と言った。
成程、と風眼坊も納得した。
以前、栄意坊から、火乱坊が真宗の門徒になって叡山(エイザン、天台宗総本山延暦寺)を相手に暴れていると聞いた時は、火乱坊と真宗の門徒というのが、どうもピンと来なかったが、その間に女がいたと聞いて風眼坊にも納得できた。
風眼坊と火乱坊は二十歳の頃、飯道山において、高林坊、栄意坊と共に『四天王』として活躍した。剣の風眼坊、棒の高林坊、槍の栄意坊、薙刀(ナギナタ)の火乱坊と呼ばれ、今の飯道山の基を築いた四人だった。
火乱坊は近江と美濃(岐阜県中南部)の国境にある伊吹山の山伏だった。四年程、飯道山で薙刀を教えていた火乱坊は、風眼坊と共に山を下りて旅に出た。関東の地を巡り、二人は常陸の国(茨城県北東部)で別れ、風眼坊は熊野に帰り、火乱坊はさらに奥州(東北地方)まで足を伸ばした。その時、別れて以来、大峯の山上(サンジョウ)で出会うまで、二十年近くの歳月が流れていた。
奥州を歩き回って、近江に帰って来た火乱坊は、京にでも出ようかと琵琶湖の湖畔の堅田まで来た時、ばったりと、今の女房、おつたと出会った。
一目惚れだった。
火乱坊は京に行く事など、すっかり忘れて堅田に居着いてしまった。
おつたは本福寺の住職、法住の末娘だった。火乱坊はおつたと一緒になるために山伏もやめ、本願寺の門徒となった。法住の婿となった火乱坊は洲崎藤右衛門(スノザキトウウエモン)という俗名に戻り、法住の仕切っている琵琶湖の運送業を任された。
藤右衛門は幸せだった。
薙刀を櫓(ロ)に持ち代えて、毎日、琵琶湖を行き来していた。
そんな時、藤右衛門は法住に連れられて、大谷の本願寺を訪ねた。その当時の本願寺は寂れていた。門徒など誰一人、訪れる事なく、ひっそりとしていた。蓮如の父親、存如(ソンニョ)がまだ生きていて、蓮如はすでに四十歳を過ぎているのに部屋住みの身だった。
藤右衛門は法住と共に頻繁に大谷本願寺に訪れるようになった。やがて、存如が亡くなり、蓮如が本願寺八代目の法主となった。法主となった途端に、蓮如は積極的に布教活動を始めた。
寛正(カンショウ)二年(一四六一年)、蓮如は大谷本願寺において親鸞聖人(シンランショウニン)の二百回忌を大々的に行なった。蓮如が生まれて以来、初めて本願寺が門徒たちで賑わった。その年、藤右衛門は蓮如のもとで出家して本願寺の坊主となり慶覚坊と名乗った。寛正四年には蓮如の供をして高野山、吉野方面に布教の旅をした。
寛正六年に大谷本願寺が叡山の衆徒(シュウト)に襲われて破壊された。慶覚坊となった藤右衛門も法住と共に薙刀を担いで駈け付けたが、すでに遅く、本願寺は跡形もなく壊されていた。蓮如たちは皆、避難していて無事だったが、せっかく盛り返して来た本願寺が破壊されたのは残念な事だった。
その後、蓮如は琵琶湖周辺の門徒の道場を点々としていた。
やがて、応仁の乱が始まり、琵琶湖周辺にも戦乱が及んだ。蓮如は戦乱を避けながら、家族ともばらばらになり、一ケ所に落ち着く事なく移動していた。
応仁二年(一四六八年)の春、ようやく落ち着く場所が見つかり、蓮如は家族と共に大津に移った。蓮如たちが大津に移って、しばらくして叡山の衆徒が堅田を襲い、堅田の町は全焼してしまった。堅田の人たちは皆、舟で沖の島まで逃げた。
慶覚坊は叡山の僧兵や坂本の馬借(バシャク)たちを相手に薙刀を振り回して活躍したが、火には勝てず、沖の島に避難した。しばらくの間、慶覚坊の家族も堅田の住民たちと一緒に、そこで暮らす事となった。
その年の夏、慶覚坊は蓮如の供をして北陸を経て関東へと五ケ月近く、布教の旅をして回った。その後も、蓮如が遠出する時は必ず、慶覚坊も供をした。
そして、文明三年(一四七一年)五月、蓮如の供をして加賀の国に来て、七月に吉崎御坊が完成すると蓮如は吉崎に入り、慶覚坊は蓮誓の後見人として山田光教寺に来たのだった。
慶覚坊がここに来て、すでに三年が経ち、慶覚坊は蓮誓を守り立て、蓮誓と共に布教の旅にも出て門徒を増やして行った。光教寺には見る見る門徒たちが集まり、吉崎に負けない位、賑わっていた。
慶覚坊が吉野に行ったのは、吉野の門徒へ蓮如の書いた六字名号(ロクジミョウゴウ)を届けるためと、熊野の牛王紙(ゴオウシ)を仕入れるためだった。
最近は、百姓たちだけでなく、百姓を支配している国人(コクジン)や地侍(ジザムライ)たちの武士が本願寺の門徒になる事が多くなって来ていた。彼らは信心から門徒になるわけではなく、門徒にならざるわけにはいかない状況に追い込まれて門徒になるのだった。
自分の支配下にいた百姓たちが次々と本願寺の門徒となって行き、それを止める事は支配者と言えども不可能な事だった。彼らが今まで通りに百姓たちを支配して行くには、実力を持って百姓たちを押えるか、自ら門徒となって本願寺の組織の中で百姓たちを支配するか、以外に道はなかった。
門徒となった百姓たちは、今までの百姓とは違っていた。今までの百姓は村と村のつながりは、それ程、強くはなかった。かえって、隣村とは用水などを巡っての争い事が絶えなかったと言っても良かった。ところが、門徒となった百姓たちは講(コウ)と呼ばれる門徒たちの集会によって結ばれ、村と村の交流が盛んになって行った。同じ門徒という事で、今まで交流のなかった離れた村の者たちとも付き合うようになり、村と村は強力に結ばれて行った。もし、支配者が力を持って百姓たちを支配しようとすれば、自分の支配下の百姓だけでなく、門徒たち、すべてを敵に回さなければならないという状況になっていた。支配者たちは自らも門徒となり、本願寺の組織の一員として、今まで通り、百姓たちを支配して行く道を選んだ。
本願寺としては、門徒となりたいと言う者を断るわけにもいかず、自分の勢力を拡大するために門徒たちを利用してはならない、という事を誓わせてから門徒とした。その起請文(キショウモン)を書かせるのに熊野の牛王紙を必要としたのだった。
浄土真宗では阿弥陀如来の他の神や仏は認めてはいないが、相手が武士なので、起請文として一般的に通用する熊野牛王紙を選んだのだった。
また、武士だけではなく、他の宗派の寺院にしても同じ事が言えた。当時の寺院は、ほとんどが国人や郷士(ゴウシ)と呼ばれる在地武士と結び付き、彼らから土地を与えられて保護され、その土地からの年貢で生計を立てていた。ところが、領地の百姓たちが次々と本願寺門徒となってしまい、他の宗派の寺院に年貢など払う必要ないと思うようになって行った。以前だったら、少し威せば素直に従った百姓たちが、門徒になってからは、そうは行かなくなった。百姓たちは徒党(トトウ)を組んで反抗するまでに成長していた。それだけではなく、頼みとする武士までも門徒となってしまっては、寺院としても背に腹は変えられないと、今までの宗派を捨てて本願寺の坊主となって行った。
当時の村というのは、現在のように行政機関の一部としての村には、まだ成長していなかった。一つの村に幾つもの荘園があり、支配者が何人もいて、まとまりがなかった。
一つの荘園に複数の支配者がいる場合もあり、また、一人の百姓が幾つもの荘園にまたがって田畑を耕している場合もあった。そして、荘園領主というのは京の都にいて、現地に代官を置き、年貢の取り立てを任せていた。やがて、守護大名の武力によって荘園制度はだんだんと崩れて行くが、土地で働いている百姓に取っては支配者が変わるだけで何の変化もなかった。しかし、農業技術の向上と農業器具の一般化によって、百姓たちも少しづつ力を持って行った。
やがて、応仁の乱となり、各地で戦乱が始まった。百姓たちはただ戦乱から逃げ惑うだけでなく、自ら身を守る事を覚えた。また、百姓たちを指揮する立場の者たちも現れていた。彼らは代官として、その地に行き、土着して勢力を広げ、百姓と支配者の間に立って来た者たちだった。彼らは今までの支配者たちと違い、土地に密着して百姓たちを直接、支配して行くようになった。国人とか郷士とか言われる土着の武士だった。
一つの村が一人の支配者によって支配されるようになると、その村の百姓たちも村を守るために団結するようになって行った。しかし、まだ、村と村同士の交流はあまり盛んではなかった。そんな状況の中、蓮如の布教する本願寺の教えが広まって行った。
蓮如の教えは簡単だった。
今まで、宗教など縁のなかった下層百姓は勿論の事、山や海や川の民にまで広まって行った。門徒は講という寄り合いに集まり、蓮如の教えを聞いた。門徒になれば誰でも講に参加できた。各地に道場ができ、門徒たちはお互いに交流を結んだ。今まで知らない者たちが同じ門徒という事で話を交わし、つながりを持つようになって行った。
講によって村は一つの共同体となり、門徒にならなければ村の一員として認めてもらえないようになり、門徒の数は見る見る増えて行った。
風眼坊は縁側から雨を眺めながら、「さて、これから、どうするか」と思った。
山を勇んで下りたのはいいが、蓮如とも会えず、さし当たってやる事はなかった。
「風眼坊様」と慶覚坊の娘、おあみが客間の掃除をしながら声を掛けて来た。
「はあ」と風眼坊は、おあみの方を見ながら気のない返事をした。
「風眼坊様は、お上人(ショウニン)様のお弟子さんじゃないん?」おあみは興味深そうに風眼坊を見ていた。目がくりっとしていて、母親似の可愛い娘だった。
「ああ、わしは山伏じゃよ」と風眼坊は答えた。
「お父さんと、どこでお会いになったんですか」
「もう、ずっと前じゃ。その当時は、お父さんも山伏じゃった」
おあみは頷(ウナヅ)いた。「お母さんから聞いた事あるわ。でも、ずっと昔でしょ」
「そうじゃな。もう二十年も前の事じゃ」
「二十年も前‥‥‥」おあみはそう言って庭にある池の方を眺めた。風眼坊に視線を戻すと、「二十年前のお父さんて、どんなだったん」と聞いた。
「そうじゃのう。まあ、とにかく強かったのう」
「今も強いわ」とおあみは笑って、「他には?」と聞いてきた。
「他にはのう。まあ女子(オナゴ)によく持てたのう」
「ふうん‥‥‥お父さん、持てたんだ‥‥‥」
「ああ、持てたさ。いい男じゃったからのう」
「おじさんより?」
「ああ、わしよりな。おあみちゃんて言ったかな、話は変わるけど、おあみちゃんは蓮如殿に会った事はあるのかい」
「お上人様ですか、ええ、会った事ありますけど‥‥‥」
「お上人様っていうのは、どんな人だい」
「どんな人って、偉いお人よ」
「まあ、そりゃ、偉いだろうけど、どんな風な人なんだい」
「そうねえ」とおあみは少し考えてから、「偉いお人なんやけど、偉そうにしてないお人やね」と言った。
「ふうん‥‥‥」
「あたしね、ここに来るまで、あのお人がお上人様だって知らなかったの。堅田にいた頃、何回か、お上人様に会ったの。でも、あたし、そんな偉いお人だなんて知らなくて、ただ、近所のどこかにいる面白いお坊さんだと思ってたの。ここに来てから、みんなで吉崎のお上人様に挨拶に行ったの。広いお部屋に案内されて、偉いお上人様って、どんなお人なんだろうと思っていたら、堅田にいた頃、何回か会った、あのお坊さんが出て来たんだもの。あたし、びっくりしちゃった」
「偉いけど、偉そうにしてないか‥‥‥」
「うん。ここのお寺さんにも何回か来たけど、前の方に坐って、お説教するんじゃなくて、門徒さんの人たちの中に入って、みんなと一緒にお話してたわ」
「ほう‥‥‥」
「おじさん、吉崎には行かなかったん」
「行ったけど、お上人様はいなかった」
「そう。また、ふらふらと、どこかに行ったのね、きっと」
「おあみ!」と母親が呼んでいた。
「いけない」と言って、おあみは笑うと台所の方に行った。
風眼坊はまた雨を眺めると、「南無阿弥陀仏‥‥‥」と呟いて首をひねった。
夕方になり雨が止んだ。
風眼坊はふらっと外に出た。
雨が止んだせいか、光教寺への参道には遠くから来たらしい門徒たちや、近くから来た漁師たちが行き交っていた。近くと言っても、ここから海までは一里程(約四キロ)ある。それでも、日に焼けた顔をした漁師たちが話をしながら続々と光教寺の方に向かって歩いていた。風眼坊も光教寺へと行ってみた。
昨日、慶覚坊と一緒に光教寺に行った時は、すでに暗くなっていたので、寺もひっそりとしていたが、今は門徒たちが大勢集まって本堂の中で何やら楽しそうに話をしていた。
本堂といっても仏像があるわけでもなく、中央に『南無阿弥陀仏』と書かれた掛軸と偉そうな坊主の絵の描かれた掛軸が掛けてあるだけで、ひっそりとしたものだった。あの絵に描かれているのが蓮如なのだろうか、と風眼坊は思った。
一応、天台宗に属している風眼坊から見ると、これが本願寺流の寺院なのか、と不思議な感じがした。風眼坊が見慣れている寺院には本尊があり、その回りにも何体もの仏像がいて、護摩壇(ゴマダン)があり、数多くの仏具が並び、重々しい雰囲気があった。ところが、ここにはそんなものは何もなく、ただの広間に過ぎなかった。広間にしても、必ず、上段の間というのが上座にあるものだが、ここには、それすらもなかった。しかも、門徒たちは気楽に本堂に上がって世間話をしている。風眼坊には理解できない事だった。
風眼坊は本堂をちらっと覗くと、裏にある庫裏の方に向かった。
庫裏からは、うまそうな匂いが漂って来た。台所を覗くと蓮誓の若い妻、如専(ニョセン)が二人の下女を使って、てきぱきと働いていた。まだ、嫁に来たばかりだと聞いていたが、若いわりには、しっかりした娘だった。
風眼坊に気づくと頭を下げて、近づいて来た。「何か‥‥‥」
「いや、あの蓮誓殿はおりますか」と風眼坊は聞いた。
「はい、居間の方にいると思いますけど。何か御用でしょうか」
「いえ、用という程の事ではありませんが、わしには、どうもまだ、本願寺の教えと言うのがよく分からんのですよ。わしは大峯の山伏で、慶覚坊とは古い知り合いです。二十年振りにばったり会って、一緒にここまで来たんじゃが、どうも、よく分からんのじゃよ。慶覚坊の奴は今朝早くから吉崎の方に行ったきり帰って来ん。そこで、蓮誓殿から本願寺の教えというのを聞きたいと思って来たわけじゃが」
「そうだったのですか。あたしは、てっきり、門徒のお方かと思っておりました。慶覚坊様と一緒に行者(ギョウジャ)さんに化けていたのかと思っておりました。ほんとの行者さんだったのですか」
「慶覚坊は行者に化けていたんですか」
「ええ。行者さんに化けて、この間の火事の下手人(ゲシュニン)を捜しに豊原寺(トヨハラジ)に行くって聞いておりましたから」
「火事っていうのは吉崎の火事の事ですか」
如専は頷いた。
「下手人は山伏だったのですか」
「よく分かりませんけど、そういう噂です」
「成程、それで、わしらが吉崎を歩いていた時、回りから変な目で見られたんじゃな」
「この辺りはまだ、大丈夫ですけど、吉崎辺りをその格好で出歩くと危険ですよ。吉崎の多屋には結構、血の気の多いのが、かなり、いるそうですよ」
「そういうわけじゃったのか」
如専は頷いて、「もうすぐ、本堂で、上人様が法話をしますけど、その格好では出ない方がいいですよ」と言った。
「蓮誓殿が法話をなさるのですか」
「はい。そうです」
「毎日、なさっているのですか」
「ここにいる時は毎日です」
「成程、大変ですな」
「お勤めですから」と如専は当然の事のように笑って、風眼坊を蓮誓のいる居間に案内してくれた。
蓮誓は文机(フヅクエ)の前に坐って何かを写していた。写経しているのかと思ったが、お経ではなかった。何か、手紙のような物を写している。
如専は風眼坊を案内すると、また台所に戻って行った。
「なかなか、働き者の嫁さんじゃな」と風眼坊は如専を見送りながら蓮誓に言った。
「はい。よく働きます。大叔母にそっくりですよ」と蓮誓は笑った。
如専は大叔母の勝如(ショウニョ)の姪だった。蓮誓は七歳の時、大叔母のいる加賀二俣(フタマタ)の本泉寺(ホンセンジ)に預けられた。まだ、父の蓮如が部屋住みの頃で、貧しくて子供たちを手元で育てる事ができず、仕方なく手放したのだった。大叔母に預けられたのは蓮誓だけでなく、次男の蓮乗(レンジョウ)、三男の蓮綱(レンコウ)もそうだった。蓮誓より下の兄弟は手元で育てられたが、蓮誓より上の兄弟は、長男の順如以外は皆、どこかに預けられたのだった。
勝如の亭主は如乗(ニョジョウ)といい、すでに亡くなっていたが、北陸の地に本願寺の教えを広めるのに貢献したのが如乗だった。蓮如が北陸の地を選んで吉崎に来たのも、叔父の如乗の活躍のお陰だった。
蓮誓は加賀の二俣本泉寺において、勝如から二人の兄と一緒に本願寺の教えを学び、育てられた。姪の如専は、その本泉寺のすぐ近くに住んでいて、小さい頃より本泉寺に手伝いに来ていた。寺の中で育ったのも同じで、寺の台所仕事は慣れたものだった。
蓮如は北陸に進出して来て、吉崎の地に本願寺の別院を建てる事に決めると、蓮誓に慶覚坊を付けて吉崎に送り込んだ。別院が完成するまでの二ケ月余りの間、蓮誓は北潟湖に浮かぶ小島、鹿島明神の堂守りという名目で滞在し、慶覚坊と共に海辺を中心に布教して回った。その頃、蓮如は本泉寺を拠点にして布教活動を行なっていた。そして、別院が完成すると吉崎に移り、蓮誓を山田光教寺に入れたのだった。
蓮誓が、そんな身の上話を風眼坊にしている時、太鼓の音が鳴り響いた。
「お勤めの時間です。すみませんけど、少し待っていて下さい」と言って蓮誓は出て行った。
風眼坊は蓮誓の話を聞きながら、息子の光一郎の事を思い出していた。弟子の太郎のもとに送ったが、今頃、何をしているのだろう。飯道山に行ってから、もう一年以上が経っている。飯道山の修行は一年だった。一年経っても帰って来ないので、少し心配になって、こっそり飯道山に行って様子を見てやろうと思ったが、何となく、息子に会いに行くのが照れ臭くて行けなかった。
ここに来る途中も、飯道山の側を通りながら飯道山には寄って来なかった。慶覚坊が飯道山に寄ってみるか、とでも言えば寄って来たのだが、慶覚坊は飯道山の事などおくびにも出さなかった。まあ、息子は息子なりに何とかやっているだろう、と会うのを諦めて、ここまで来たのだった。
自分の息子と目の前にいた蓮誓を比べて見て、何となく、蓮誓の方がしっかりしているように思えた。
蓮誓は何を写していたのだろう、と風眼坊は文机の上を覗いてみた。
手紙のようだが、どうも手紙ではないらしい。教えのような事が、誰にでも読めるように片仮名まじりで書いてあった。
「それ、当流親鸞聖人の勧めましますところの一義の心というは、まず他力の信心をもて肝要とせられたり‥‥‥」
親鸞聖人とは一体、誰なのか、風眼坊には分からなかったが、最後まで読んでみる事にした。最後まで読んでみて、なぜか、風眼坊の心を打つ物があった。実に分かり易く、本願寺の教えが書いてあった。これなら、何の教養のない者たちでも、聞いていれば、すぐ分かる単純な教えだった。
風眼坊も勿論、阿弥陀如来は知っていた。熊野の本尊は阿弥陀如来だし、飯道山の本尊も阿弥陀如来だった。しかし、阿弥陀如来というのが、どんな仏様なのか、考えた事もなかった。他の仏様と同じように人々を救ってくれる仏様で、『南無阿弥陀仏』と唱えれば極楽に往生ができるというので、信者たちは何かと言うと『南無阿弥陀仏』と唱えているのだろうと思っていた。浄土宗やら、時宗やら、浄土真宗やら色々とあるが、みんな同じで、死んだ後の事など誰も分からないのをいい事に、坊主どもが、いい加減な事を言って、人々を惑わしているのだろうと思っていた。しかし、風眼坊が今、読んだ文には、阿弥陀如来は、すでに、すべての者を救っていると書いてあった。
本願とは、人々が救ってくれと願うのではなくて、阿弥陀如来の方が、すべての人々を救うという願いを掛けられたのだと言う。すべての人々は、どんな悪人であろうとも、すでに阿弥陀如来に救われているのだと言う。そして、その事に気づいたら、感謝の気持ちをお礼の意味を込めて『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。助けてくれという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのではなく、助けていただいて有り難うございますという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。
風眼坊は繰り返し繰り返し、その文を読んだ。
すべての人々は、すでに救われている‥‥‥
こんな教えがあるのか‥‥‥
凄い教えだと思った。
風眼坊は天台宗の山伏だが、天台宗の教えは難しくて複雑で、何が何だかさっぱり分からなかった。やたらと難しくしている節さえある。ところが、この本願寺の教えは何と簡単で分かり易いのだろう。こんなに分かり易かったら門徒が増えるわけだった。
蓮如は門徒を増やして、どうするつもりなのだろう‥‥‥
風眼坊は、蓮如のような純粋な宗教者というのを知らなかった。宗教者の振りをしているが、一皮剥けば欲の固まりのような坊主しか、今まで会った事はなかった。風眼坊自身、今まで大峯の山上にいて、信者たちに偉そうな事を言っていたが、宗教心から言っていたわけではない。早い話が金儲けに過ぎなかった。信者を増やせば本山は儲かる。その手助けをしていたようなものだった。蓮如もやはり、金儲けのために門徒を増やしているのだろうと風眼坊は思った。
しかし、すべての者は阿弥陀如来によって、すでに救われている、そして、感謝の気持ちをこめて『南無阿弥陀仏』と唱えるという教えは、風眼坊にも頷けるものがあった。
風眼坊は長い間、山伏として自然の中で生きて来た。自然の中にいると、目に見えない大きな力というものを感じる。それは、人間の力ではどうする事もできず、また、言葉で説明する事もできない大きな力だった。そして、その大きな力に包まれて生きているという事に、自然と感謝の気持ちというのが涌いて来るものだった。その大きな力というのが、本願寺では阿弥陀如来なのだろうと思った。
蓮誓が戻って来た。
風眼坊は蓮誓と一緒に夕飯を御馳走になった。
風眼坊が読んだ文というのは、蓮如が書いた『御文(オフミ)』と呼ばれるもので、本願寺では、お経の代わりになるものだと蓮誓は言った。そして、風眼坊の知らなかった親鸞聖人というのは、二百年前に浄土真宗を開いた聖人で、蓮誓とは血のつながりのある御先祖様だと言う。本堂に掲げてある絵像は、その親鸞聖人だった。
親鸞は最初、天台宗の僧として比叡山に登って修行をしたが、納得がいかず、山を下りて法然(ホウネン)の念仏門に入った。法然のもとで、ひたすら念仏修行を続けていたら、他の宗派の圧力によって念仏禁止令に遭い、越後(新潟県)に流罪(ルザイ)になってしまう。流罪になった越後で妻を貰い、流罪が解かれた後は、関東の地に行って布教活動を行なった。
親鸞の教えは徹底していて、阿弥陀如来のもとでは皆、平等だとし、弟子も作らず、寺も作らず、自分が死んだら墓もいらない、賀茂川に捨てて魚の餌食にしてくれとさえ言ったという。事実、親鸞は教えを広めても、寺も弟子も作らずに死んだ。
親鸞の遺骨は賀茂川に捨てられはしなかったにしろ、特別な墓も作られず、京の葬送地、鳥辺野(トリベノ)に埋められた。それではあまりにも哀れだと、親鸞の廟堂(ビョウドウ)を建てたのが、親鸞の末娘の覚信尼(カクシンニ)だった。その廟堂が、やがて本願寺となり、覚信尼の子孫たちによって守られ続け、二百年後の蓮如の代になって、ようやく、花開く事になったのだった。
父、蓮如は親鸞聖人様の教えを忠実に広めているのだ、と蓮誓は誇らしげに言った。そして、自分は父のする事を手伝わなければならないという使命感に燃えているようだった。
風眼坊は蓮誓と話していて、同じ父親として蓮如が羨ましく感じられた。そして、前とは違った意味で蓮如という男と会ってみたいと思った。
風眼坊は旅に出た。
慶覚坊こと火乱坊は吉崎に行ったまま、その日は帰って来なかった。何をしているのか、次の日も帰って来なかった。奥さんや子供たちは、いつもの事だと平気でいるが、風眼坊の方は何もしないで、じっとしているのは苦手だった。せっかく、加賀の国まで来たのだから、白山(ハクサン)にでも登って来るかと、ふらっと旅に出た。
白山には、昔、一度だけ登った事があった。その時は越前の国(福井県)の平泉寺(ヘイセンジ、勝山市)から登って、加賀の国の白山本宮(鶴来町)の方に下りた。白山への登り口はその二つと、もう一つ美濃の国の長滝寺(チョウロウジ)から登る参道があり、それぞれ、越前馬場、加賀馬場、美濃馬場と呼ばれていた。白山への正式な参道はその三つだったが、風眼坊がいる山田光教寺からは加賀馬場も越前馬場も遠かった。風眼坊は山の中に入り、かまわず東の方に進めば何とかなるだろうと気楽な気持ちで、大聖寺川に沿って登って行った。
風眼坊は知らなかったが、山田光教寺の東二里程の所に白山三箇寺と呼ばれる三つの大寺院があり、そこからも白山への登山道があった。しかし、風眼坊にとって道など関係なかった。どんな山の中に入っても、長年の経験によって目的地に向かう事ができた。
その日の昼過ぎ、風眼坊は山中の湯という湯治場に着いた。まだ、日も高かったが、久し振りにのんびりするかと、湯につかって遊女を呼んで楽しんだ。
次の日は一日中、雨が降っていたので、そのまま温泉に滞在し、女と酒を楽しみ、その次の日、山奥の道で風眼坊は二人の乞食坊主と出会った。
一人は六十歳を越えていそうな老僧、もう一人は三十歳位の体格のいい男だった。
風眼坊は前を行く二人に追い付くと、何気なく声を掛けた。
ただ、どこに行く、と聞いただけだったが、二人は警戒して風眼坊を見た。
若い坊主は老僧を庇うように、持っている六尺棒を構えた。その構えを見て、なかなかできるな、と思った。こんな山奥を歩いているのだから、どうせ、時宗(ジシュウ)の遊行聖(ユギョウヒジリ)に違いない、と声を掛けたのだったが、山伏を見て警戒するとは、もしかしたら本願寺の坊主かな、と聞いてみた。
逆に、若い坊主が、白山の山伏か、それとも豊原寺か、と聞いて来た。
「わしはここの者ではない。大峯の山伏じゃ」風眼坊は錫杖を突いたまま二人を見ていた。
「大峯というと、大和の大峯か」若い坊主が六尺棒を構えながら風眼坊を睨んだ。
「そうじゃ」と風眼坊は頷いた。
「大峯から来た者が、どうして、わしらが本願寺の者だと知っておる」
「知っておったわけじゃない。この間、吉崎に行った時、変な目で見られたからのう。本願寺の奴らは山伏を嫌っておると思ったんじゃ」
「何で、吉崎に行った」
「ただ、蓮如とかいう坊主に会いたかっただけじゃ」
「なに! 何の用で」若い山伏は今にも飛び掛りそうな剣幕だった。
「別に用などはない。ただの気まぐれじゃ」
「慶聞坊(キョウモンボウ)、もういい」と老僧が言った。
「しかし‥‥‥」
「そのお人は、わしらに害を及ぼす気はないようじゃ」
「さすが、年寄りは物分かりがいいようじゃな」風眼坊は老僧を見て笑った。
「それに、そのお人はなかなか強い。おぬしが相手をしても負けるかもしれん」
「そんな事はありません」
「争い事は避けるべきじゃ」と老僧は首を振って、「ところで、大峯の行者殿が、どうして、こんな所を歩いてなさるのじゃ」と風眼坊に聞いた。
「白山の登ろうと思っての」
「嘘つくな、こんな所を通って白山など行けはせん」と慶聞坊と呼ばれた坊主が怒鳴った。
「素人(シロウト)衆はそう思う。しかし、わしら山伏にとっては、山はみんな、つながっておる。山の中にはのう、わしらしか知らん道があって、そこを通れば、どこにでも行けるんじゃよ」
「山伏の道か‥‥‥」と老僧が言った。
「いや、山伏だけじゃないがのう。山の中で暮らしている者たちは、みんな、知っておる」
「成程のう、そんな道があるのか‥‥‥」
「本願寺の坊主というのは、こんな山奥まで入って布教をしておるのか」と今度は風眼坊が聞いた。
「人がおる所なら、どこにでも行く」と慶聞坊が答えた。
「なぜじゃ」
「教えを広めるためじゃ」
「広めて、どうする」
「人々を救うんじゃ」
「救って、どうする」
「どうもせん。教えを広めるのが、わしら、坊主の使命じゃ」
「ふん、使命か。そんな事をして何の得がある」
「得があるから、やっておるわけじゃない」
「信じられんのう」
「そなたは山伏をやっておって、何の得があるんじゃな」と老僧が聞いた。
「得か‥‥‥」と風眼坊は考えてみた。「得など別にないのう」
「得などないのに、どうして、山伏なんぞやっておるんじゃ」
「ふむ、こいつはやられたのう。そんな事、今まで考えた事もなかったわ」
「人は損得で動くものとは限らんのじゃよ。わしら、本願寺の坊主は阿弥陀如来様が差し向けたお使いの者じゃ。阿弥陀如来様の尊い教えを下々の者たちの間に広め、人々を救う事がお勤めなんじゃ」
「お勤めね。しかし、門徒が増えれば本願寺が儲かる事も事実じゃろう。あの吉崎の繁栄振りじゃと、そうとう儲かっておるに違いない」
「おぬし、何と言う罰当たりな事を言うんじゃ」慶聞坊が目を吊り上げて怒鳴り、棒を振り上げた。
「まあ、落ち着け、慶聞坊」老僧は慶聞坊をなだめて、「そなたの言う事はもっともな事じゃ」と風眼坊に頷いた。「しかし、上人様は決して、門徒たちが下さる、お志しが目当てで教えを広めておるわけではない。教えを広めた結果として、門徒たちが吉崎に集まって来て、あのような状態になってしまったんじゃ。上人様は返って、門徒たちが集まって来る事に迷惑なされておるようじゃ」
「どうして、迷惑なんかするんじゃ」
「上人様は争い事を好まん。あれだけ吉崎が賑わってしまうと、白山の衆徒や豊原寺、平泉寺の衆徒が本願寺を妬んで騒ぎ出すんじゃよ。上人様は京や近江にいた時、叡山の衆徒たちと争って、ひどい目に会っておる。もう、二度と天台宗とは争いたくはないんじゃよ」
「ふうん。おぬしたち、随分と上人様に詳しいようじゃのう。そうは見えんが、もしかしたら本願寺の中で偉い坊さんなのか」
「本願寺の坊主に偉いとか、偉くないとか、そんな階級なんぞ、ありゃせん。皆、同じ、坊主じゃ。皆、阿弥陀如来様のお使いじゃ」
「本願寺には階級などないのか」
「そうじゃ、阿弥陀如来様のもとでは皆、平等なんじゃ。坊主だからと言って門徒たちよりも偉いというわけでもない。皆、同朋(ドウボウ)なんじゃ」
「皆、同朋? 公家や武士や百姓も皆、同朋なのか」
「そうじゃ」と老僧は頷いた。「阿弥陀如来様のもとでは皆、同朋じゃ。浄土真宗の開祖親鸞聖人様は阿弥陀如来様の教えを広めなされた。しかし、お弟子もお作りにならず、お寺もお作りにならなかった。ところが、親鸞聖人様が亡くなられた後、聖人様の教えを受けた者たちは、自ら聖人様のお弟子を名乗り、聖人様の教えを広めなされた。教えを広めるには教団を組織しなければならない。教団を作るという事は聖人様の教えに背く事になるんじゃ。しかし、仕方がなかった。親鸞聖人様が亡くなってから、すでに二百年も経ち、聖人様の教えは幾つかの派に分かれ、少しづつ間違った方向に進み始めた。ひどいのになると、坊主が阿弥陀如来様と同じ位に立ち、門徒たちの極楽往生を決める事ができるという、自惚れた宗派まで出て来る始末じゃ。坊主は門徒たちのお志し次第で、勝手に極楽往生を決めている。門徒たちも決定(ケツジョウ)往生のために、坊主に多額のお志しを差し上げるという異端な宗派が流行ってしまう事となったんじゃ。蓮如上人様は、そんな異端な宗派が流行るのを嘆き、浄土真宗を親鸞聖人様の教えに戻そうと布教を始めたんじゃよ。極楽往生は決して銭次第で決まるわけじゃない。信心によって決まるものじゃとな」
「ほう、成程のう。銭次第じゃないとのう。蓮如上人様とは一体、どんなお方じゃ」
「吉崎に行ったと言っておったが、上人様とはお会いにならなかったのかな。上人様は、会いたい者がおれば誰とでも会うはずじゃが」
「留守じゃった」
「そうか。そいつは生憎じゃったのう」
老僧の名は信証坊(シンショウボウ)といい、蓮如とは古くからの付き合いで、蓮如と共に北陸の地に来て、蓮如の教えを広めるため、山奥の村々に説いて回っていると言う。
「ところで、阿弥陀如来の教えの事じゃが、阿弥陀如来の本願によって、すでに、みんな、救われておると書いてあったが、あれは本当なのか」と風眼坊は信証坊に聞いた。
「本当じゃとも。じゃが、何に書いてあったのじゃ」
「蓮如上人様が書いたとかいう『御文』とかいう文じゃが」
「そなた、『御文』を見た事あるのか」
「ああ、偶然、光教寺の蓮誓殿の居間で見た」
「なに! どうして、おぬしが蓮誓殿の居間になどに入ったんじゃ」慶聞坊が目をむいて風眼坊を睨んだ。
「ただ、何となくじゃが、入ったら悪いのか」
「いや、別に悪くはないが、そなたは蓮誓殿を知っておったのか」信証坊は別に驚くでもなく、落ち着いた声で聞いた。
「いや、知っているという程のものじゃないが‥‥‥おお、そうじゃ、おぬしたち、もしかしたら、火乱坊、いや、慶覚坊を知らんか」
「知っておるが‥‥‥」と慶聞坊が言った。
「そうか、やはり、知っておったか。わしは、その慶覚坊の昔馴染みなんじゃ。大峯で二十年振りに、ばったり会ってのう。それで、一緒に加賀までやって来たというわけじゃ」
「何じゃ。おぬし、慶覚坊殿の昔馴染みですか。それならそうと早く言って下さい。わしと慶覚坊殿は兄弟みたいなもんです。何じゃ、そうだったんですか」
慶聞坊の態度が急に変わった。風眼坊を睨みつけていた顔が急に穏やかになった。
「おぬしが、あいつと兄弟分か、ほう、そいつは奇遇じゃのう」
「そう言えば、慶覚坊殿は堅田に落ち着くまでは、確か山伏じゃったのう。思い出しましたよ」
「おう、火乱坊という伊吹山の山伏じゃった」
「そうですか。慶覚坊殿の昔馴染みですか‥‥‥」
「老師、さっきの話じゃが‥‥‥」と風眼坊は信証坊を見た。
「おう、そうじゃったな。阿弥陀如来様の本願によって、すべての者が、すでに救われておるというのは本当じゃ」
「阿弥陀如来など信じておらん奴らもか」
「そうじゃ。阿弥陀如来様は差別などなさらん。すべての者を救って下さるのじゃ」
「信じておっても、信じておらなくても救われるのなら、何も、信じなくてもいいんじゃないのかのう」
「それは違うぞ。すでに、救われておるという事に気づかなくてはならんのじゃよ。救われておっても、その事に気づかなくては、救われておるという事にはならんのじゃ」
「よく分からんが‥‥‥」
「うむ、例えば、そうじゃな」と信証坊は少し考えてから話し続けた。「例えば、山奥に入って道に迷ったとする。何日も山の中をさまよい歩いても、なかなか人里が分からない。じゃが、実際には目と鼻の先に一軒の山小屋があるんじゃ。回りをよく見ると草に隠れておるが、その山小屋に続く細い道があるんじゃよ。その細い道が阿弥陀如来様の教えじゃ。そして、山小屋が極楽浄土じゃ。その細い道が分からなければ、いくら、山小屋が目と鼻の先にあったとしても行く事ができずに、苦しんで死ぬ事になるんじゃよ」
「成程、分かるような気もする」と風眼坊は頷いた。「わしも、山の中で迷って死んだ者を何人か見た事があるが、確かに、人里近くまで来て、死んでおるというのを見た事があった」
「そうじゃろう、そんなもんじゃ。またのう、ただでさえ、その細い道が見えんのに、欲という深い霧に立ち込められたら、ますます、迷い込んでしまうんじゃよ」
「欲という深い霧か‥‥‥成程のう、うまい事を言うもんじゃのう」
「そして、すでに阿弥陀如来様に救われておるという事に本当に気づいた時、感謝の気持ちから、おのずから自然と『南無阿弥陀仏』という念仏が口から出て来るんじゃよ。その時、その人の極楽往生は決定するんじゃ。その後は、ただ、阿弥陀如来様にすべてを任せ、いつものように仕事に励み、感謝の気持ちを込めて念仏を唱えればいいんじゃ」
「う~む‥‥‥南無阿弥陀仏か‥‥‥」
やがて、三人は真砂(マナゴ)という木地師(キジシ)の村に入った。木地師は普通、漂泊の民だが、この頃になると漂泊をやめて、代々一ケ所に落ち着いて一つの村を作っている木地師も多かった。
ここに住む木地師たちは平泉寺に所属している木地師で、初めの頃、彼らは越前と加賀の国境の山々をさまよいながら、春から秋までの間、焼畑耕作の仕事をして、雪深い冬になると、この谷に下りて来て木工細工の作業をしていた。それが、いつの頃からか焼畑をやめて、木地師を専業にやる者たちが出て来て、この地に落ち着くようになって行った。焼畑をやめて木地師の仕事だけでも生活できるようになったのは、この谷の入口辺りにある山中の湯と山代の湯が湯治客で栄え、お椀などの食器類の需要が増したからであった。今では、この谷に三十家族程の木地師たちが住み、お椀を初め、お膳やら、しゃもじなどを作っていた。
信証坊は村長(ムラオサ)の家を訪ねると、村の者たちを集めて貰って説教を始めた。男たちは山の中に入っているので、あまりいなかったが、女たちが大勢、集まって来た。
老僧は木の屑の散らかっている庭に腰を下ろし、女たちを自分の回りに坐らせると、分かり易く、女人(ニョニン)往生を説いて聞かせた。
風眼坊も後ろの方で信証坊の説教を聞いていたが、成程と納得させられる事が幾つもあった。信証坊は四半時(シハントキ、三十分)程、説教をすると、お礼として差し出された物の中から、ほんの僅かな食糧だけを貰って、その村を後にした。
「どうも、この村の奴らは門徒のようじゃのう」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。
「ええ、この村は慶覚坊殿が開拓したんです。初めて来た時は、聞く耳など持たんという有り様だったそうです。慶覚坊殿が苦労したお陰で、今では、すっかり村をあげて門徒になってくれました」
「ほう。あいつがのう」
風眼坊には信じられなかった。あの慶覚坊が、さっきの老僧のように皆を集めて説教をしている姿など想像もできなかった。二十年の歳月は人を随分と変えるものだと思った。
「それで、これから、どこに行くんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「さあ」と慶聞坊は首を振った。
風眼坊は信証坊に聞いた。
「この先じゃ」と信証坊は前を見つめながら言った。
「この先にも門徒の村があるのか」
「いや、ここから先はまだ行った事がない。おぬし、悪いが道案内をしてくれんかのう。こんな山の中で会ったのも、きっと阿弥陀如来様のお導きじゃ。頼むわ」
「そんな事は構わんが、ひどい道じゃぞ」
「大丈夫じゃ。年は取っておるが足だけは達者じゃ」と老僧は笑った。
布教のために出掛けていると言う。今朝早く、菅生(スゴウ、加賀市)の道場に出掛けたが、いつ戻るのかは分からないと言う。
慶覚坊の話だと、蓮如はすでに六十歳になるが、足が達者で、暇を見つけては布教の旅に出て、門徒たちと直接、話をしたり、聞いたりしていると言う。菅生まで行ったのなら、息子の蓮誓(レンセイ)に会いに山田光教寺まで足を伸ばすかもしれないと言った。
慶覚坊の話を聞いて、風眼坊は自分が考えていた蓮如像と、実際の蓮如はちょっと違うらしいという事に気づいた。本願寺の法主というからには、どうせ、大きな寺の中で、派手な法衣(ホウエ)を着て、偉そうに踏ん反り返っている奴だろうと思っていた。しかし、これだけ吉崎御坊が流行っているにも拘わらず、まだ、自分の足で布教して歩いているとは驚きだった。
風眼坊は蓮如に会うことなく吉崎を後にして、慶覚坊と共に山田光教寺に向かった。
山田光教寺は蓮如の四男、蓮誓の寺だった。蓮誓はまだ二十歳の若者で、つい最近、嫁を貰ったばかりだった。蓮如は光教寺には来ていなかった。
浄土真宗は開祖、親鸞(シンラン)のお陰で僧侶の肉食妻帯を許す宗派だった。蓮誓は蓮如の七番目の子供だった。
慶覚坊は蓮誓の後見人として、この山田光教寺に来ていた。蓮如から、かなり信頼されているようだった。
昨夜、一緒に酒を飲んで、どうして真宗の門徒になったのか、と聞いてみたら、慶覚坊は照れくさそうに笑って、女房のせいさ、と言った。
成程、と風眼坊も納得した。
以前、栄意坊から、火乱坊が真宗の門徒になって叡山(エイザン、天台宗総本山延暦寺)を相手に暴れていると聞いた時は、火乱坊と真宗の門徒というのが、どうもピンと来なかったが、その間に女がいたと聞いて風眼坊にも納得できた。
風眼坊と火乱坊は二十歳の頃、飯道山において、高林坊、栄意坊と共に『四天王』として活躍した。剣の風眼坊、棒の高林坊、槍の栄意坊、薙刀(ナギナタ)の火乱坊と呼ばれ、今の飯道山の基を築いた四人だった。
火乱坊は近江と美濃(岐阜県中南部)の国境にある伊吹山の山伏だった。四年程、飯道山で薙刀を教えていた火乱坊は、風眼坊と共に山を下りて旅に出た。関東の地を巡り、二人は常陸の国(茨城県北東部)で別れ、風眼坊は熊野に帰り、火乱坊はさらに奥州(東北地方)まで足を伸ばした。その時、別れて以来、大峯の山上(サンジョウ)で出会うまで、二十年近くの歳月が流れていた。
奥州を歩き回って、近江に帰って来た火乱坊は、京にでも出ようかと琵琶湖の湖畔の堅田まで来た時、ばったりと、今の女房、おつたと出会った。
一目惚れだった。
火乱坊は京に行く事など、すっかり忘れて堅田に居着いてしまった。
おつたは本福寺の住職、法住の末娘だった。火乱坊はおつたと一緒になるために山伏もやめ、本願寺の門徒となった。法住の婿となった火乱坊は洲崎藤右衛門(スノザキトウウエモン)という俗名に戻り、法住の仕切っている琵琶湖の運送業を任された。
藤右衛門は幸せだった。
薙刀を櫓(ロ)に持ち代えて、毎日、琵琶湖を行き来していた。
そんな時、藤右衛門は法住に連れられて、大谷の本願寺を訪ねた。その当時の本願寺は寂れていた。門徒など誰一人、訪れる事なく、ひっそりとしていた。蓮如の父親、存如(ソンニョ)がまだ生きていて、蓮如はすでに四十歳を過ぎているのに部屋住みの身だった。
藤右衛門は法住と共に頻繁に大谷本願寺に訪れるようになった。やがて、存如が亡くなり、蓮如が本願寺八代目の法主となった。法主となった途端に、蓮如は積極的に布教活動を始めた。
寛正(カンショウ)二年(一四六一年)、蓮如は大谷本願寺において親鸞聖人(シンランショウニン)の二百回忌を大々的に行なった。蓮如が生まれて以来、初めて本願寺が門徒たちで賑わった。その年、藤右衛門は蓮如のもとで出家して本願寺の坊主となり慶覚坊と名乗った。寛正四年には蓮如の供をして高野山、吉野方面に布教の旅をした。
寛正六年に大谷本願寺が叡山の衆徒(シュウト)に襲われて破壊された。慶覚坊となった藤右衛門も法住と共に薙刀を担いで駈け付けたが、すでに遅く、本願寺は跡形もなく壊されていた。蓮如たちは皆、避難していて無事だったが、せっかく盛り返して来た本願寺が破壊されたのは残念な事だった。
その後、蓮如は琵琶湖周辺の門徒の道場を点々としていた。
やがて、応仁の乱が始まり、琵琶湖周辺にも戦乱が及んだ。蓮如は戦乱を避けながら、家族ともばらばらになり、一ケ所に落ち着く事なく移動していた。
応仁二年(一四六八年)の春、ようやく落ち着く場所が見つかり、蓮如は家族と共に大津に移った。蓮如たちが大津に移って、しばらくして叡山の衆徒が堅田を襲い、堅田の町は全焼してしまった。堅田の人たちは皆、舟で沖の島まで逃げた。
慶覚坊は叡山の僧兵や坂本の馬借(バシャク)たちを相手に薙刀を振り回して活躍したが、火には勝てず、沖の島に避難した。しばらくの間、慶覚坊の家族も堅田の住民たちと一緒に、そこで暮らす事となった。
その年の夏、慶覚坊は蓮如の供をして北陸を経て関東へと五ケ月近く、布教の旅をして回った。その後も、蓮如が遠出する時は必ず、慶覚坊も供をした。
そして、文明三年(一四七一年)五月、蓮如の供をして加賀の国に来て、七月に吉崎御坊が完成すると蓮如は吉崎に入り、慶覚坊は蓮誓の後見人として山田光教寺に来たのだった。
慶覚坊がここに来て、すでに三年が経ち、慶覚坊は蓮誓を守り立て、蓮誓と共に布教の旅にも出て門徒を増やして行った。光教寺には見る見る門徒たちが集まり、吉崎に負けない位、賑わっていた。
慶覚坊が吉野に行ったのは、吉野の門徒へ蓮如の書いた六字名号(ロクジミョウゴウ)を届けるためと、熊野の牛王紙(ゴオウシ)を仕入れるためだった。
最近は、百姓たちだけでなく、百姓を支配している国人(コクジン)や地侍(ジザムライ)たちの武士が本願寺の門徒になる事が多くなって来ていた。彼らは信心から門徒になるわけではなく、門徒にならざるわけにはいかない状況に追い込まれて門徒になるのだった。
自分の支配下にいた百姓たちが次々と本願寺の門徒となって行き、それを止める事は支配者と言えども不可能な事だった。彼らが今まで通りに百姓たちを支配して行くには、実力を持って百姓たちを押えるか、自ら門徒となって本願寺の組織の中で百姓たちを支配するか、以外に道はなかった。
門徒となった百姓たちは、今までの百姓とは違っていた。今までの百姓は村と村のつながりは、それ程、強くはなかった。かえって、隣村とは用水などを巡っての争い事が絶えなかったと言っても良かった。ところが、門徒となった百姓たちは講(コウ)と呼ばれる門徒たちの集会によって結ばれ、村と村の交流が盛んになって行った。同じ門徒という事で、今まで交流のなかった離れた村の者たちとも付き合うようになり、村と村は強力に結ばれて行った。もし、支配者が力を持って百姓たちを支配しようとすれば、自分の支配下の百姓だけでなく、門徒たち、すべてを敵に回さなければならないという状況になっていた。支配者たちは自らも門徒となり、本願寺の組織の一員として、今まで通り、百姓たちを支配して行く道を選んだ。
本願寺としては、門徒となりたいと言う者を断るわけにもいかず、自分の勢力を拡大するために門徒たちを利用してはならない、という事を誓わせてから門徒とした。その起請文(キショウモン)を書かせるのに熊野の牛王紙を必要としたのだった。
浄土真宗では阿弥陀如来の他の神や仏は認めてはいないが、相手が武士なので、起請文として一般的に通用する熊野牛王紙を選んだのだった。
また、武士だけではなく、他の宗派の寺院にしても同じ事が言えた。当時の寺院は、ほとんどが国人や郷士(ゴウシ)と呼ばれる在地武士と結び付き、彼らから土地を与えられて保護され、その土地からの年貢で生計を立てていた。ところが、領地の百姓たちが次々と本願寺門徒となってしまい、他の宗派の寺院に年貢など払う必要ないと思うようになって行った。以前だったら、少し威せば素直に従った百姓たちが、門徒になってからは、そうは行かなくなった。百姓たちは徒党(トトウ)を組んで反抗するまでに成長していた。それだけではなく、頼みとする武士までも門徒となってしまっては、寺院としても背に腹は変えられないと、今までの宗派を捨てて本願寺の坊主となって行った。
当時の村というのは、現在のように行政機関の一部としての村には、まだ成長していなかった。一つの村に幾つもの荘園があり、支配者が何人もいて、まとまりがなかった。
一つの荘園に複数の支配者がいる場合もあり、また、一人の百姓が幾つもの荘園にまたがって田畑を耕している場合もあった。そして、荘園領主というのは京の都にいて、現地に代官を置き、年貢の取り立てを任せていた。やがて、守護大名の武力によって荘園制度はだんだんと崩れて行くが、土地で働いている百姓に取っては支配者が変わるだけで何の変化もなかった。しかし、農業技術の向上と農業器具の一般化によって、百姓たちも少しづつ力を持って行った。
やがて、応仁の乱となり、各地で戦乱が始まった。百姓たちはただ戦乱から逃げ惑うだけでなく、自ら身を守る事を覚えた。また、百姓たちを指揮する立場の者たちも現れていた。彼らは代官として、その地に行き、土着して勢力を広げ、百姓と支配者の間に立って来た者たちだった。彼らは今までの支配者たちと違い、土地に密着して百姓たちを直接、支配して行くようになった。国人とか郷士とか言われる土着の武士だった。
一つの村が一人の支配者によって支配されるようになると、その村の百姓たちも村を守るために団結するようになって行った。しかし、まだ、村と村同士の交流はあまり盛んではなかった。そんな状況の中、蓮如の布教する本願寺の教えが広まって行った。
蓮如の教えは簡単だった。
今まで、宗教など縁のなかった下層百姓は勿論の事、山や海や川の民にまで広まって行った。門徒は講という寄り合いに集まり、蓮如の教えを聞いた。門徒になれば誰でも講に参加できた。各地に道場ができ、門徒たちはお互いに交流を結んだ。今まで知らない者たちが同じ門徒という事で話を交わし、つながりを持つようになって行った。
講によって村は一つの共同体となり、門徒にならなければ村の一員として認めてもらえないようになり、門徒の数は見る見る増えて行った。
風眼坊は縁側から雨を眺めながら、「さて、これから、どうするか」と思った。
山を勇んで下りたのはいいが、蓮如とも会えず、さし当たってやる事はなかった。
「風眼坊様」と慶覚坊の娘、おあみが客間の掃除をしながら声を掛けて来た。
「はあ」と風眼坊は、おあみの方を見ながら気のない返事をした。
「風眼坊様は、お上人(ショウニン)様のお弟子さんじゃないん?」おあみは興味深そうに風眼坊を見ていた。目がくりっとしていて、母親似の可愛い娘だった。
「ああ、わしは山伏じゃよ」と風眼坊は答えた。
「お父さんと、どこでお会いになったんですか」
「もう、ずっと前じゃ。その当時は、お父さんも山伏じゃった」
おあみは頷(ウナヅ)いた。「お母さんから聞いた事あるわ。でも、ずっと昔でしょ」
「そうじゃな。もう二十年も前の事じゃ」
「二十年も前‥‥‥」おあみはそう言って庭にある池の方を眺めた。風眼坊に視線を戻すと、「二十年前のお父さんて、どんなだったん」と聞いた。
「そうじゃのう。まあ、とにかく強かったのう」
「今も強いわ」とおあみは笑って、「他には?」と聞いてきた。
「他にはのう。まあ女子(オナゴ)によく持てたのう」
「ふうん‥‥‥お父さん、持てたんだ‥‥‥」
「ああ、持てたさ。いい男じゃったからのう」
「おじさんより?」
「ああ、わしよりな。おあみちゃんて言ったかな、話は変わるけど、おあみちゃんは蓮如殿に会った事はあるのかい」
「お上人様ですか、ええ、会った事ありますけど‥‥‥」
「お上人様っていうのは、どんな人だい」
「どんな人って、偉いお人よ」
「まあ、そりゃ、偉いだろうけど、どんな風な人なんだい」
「そうねえ」とおあみは少し考えてから、「偉いお人なんやけど、偉そうにしてないお人やね」と言った。
「ふうん‥‥‥」
「あたしね、ここに来るまで、あのお人がお上人様だって知らなかったの。堅田にいた頃、何回か、お上人様に会ったの。でも、あたし、そんな偉いお人だなんて知らなくて、ただ、近所のどこかにいる面白いお坊さんだと思ってたの。ここに来てから、みんなで吉崎のお上人様に挨拶に行ったの。広いお部屋に案内されて、偉いお上人様って、どんなお人なんだろうと思っていたら、堅田にいた頃、何回か会った、あのお坊さんが出て来たんだもの。あたし、びっくりしちゃった」
「偉いけど、偉そうにしてないか‥‥‥」
「うん。ここのお寺さんにも何回か来たけど、前の方に坐って、お説教するんじゃなくて、門徒さんの人たちの中に入って、みんなと一緒にお話してたわ」
「ほう‥‥‥」
「おじさん、吉崎には行かなかったん」
「行ったけど、お上人様はいなかった」
「そう。また、ふらふらと、どこかに行ったのね、きっと」
「おあみ!」と母親が呼んでいた。
「いけない」と言って、おあみは笑うと台所の方に行った。
風眼坊はまた雨を眺めると、「南無阿弥陀仏‥‥‥」と呟いて首をひねった。
2
夕方になり雨が止んだ。
風眼坊はふらっと外に出た。
雨が止んだせいか、光教寺への参道には遠くから来たらしい門徒たちや、近くから来た漁師たちが行き交っていた。近くと言っても、ここから海までは一里程(約四キロ)ある。それでも、日に焼けた顔をした漁師たちが話をしながら続々と光教寺の方に向かって歩いていた。風眼坊も光教寺へと行ってみた。
昨日、慶覚坊と一緒に光教寺に行った時は、すでに暗くなっていたので、寺もひっそりとしていたが、今は門徒たちが大勢集まって本堂の中で何やら楽しそうに話をしていた。
本堂といっても仏像があるわけでもなく、中央に『南無阿弥陀仏』と書かれた掛軸と偉そうな坊主の絵の描かれた掛軸が掛けてあるだけで、ひっそりとしたものだった。あの絵に描かれているのが蓮如なのだろうか、と風眼坊は思った。
一応、天台宗に属している風眼坊から見ると、これが本願寺流の寺院なのか、と不思議な感じがした。風眼坊が見慣れている寺院には本尊があり、その回りにも何体もの仏像がいて、護摩壇(ゴマダン)があり、数多くの仏具が並び、重々しい雰囲気があった。ところが、ここにはそんなものは何もなく、ただの広間に過ぎなかった。広間にしても、必ず、上段の間というのが上座にあるものだが、ここには、それすらもなかった。しかも、門徒たちは気楽に本堂に上がって世間話をしている。風眼坊には理解できない事だった。
風眼坊は本堂をちらっと覗くと、裏にある庫裏の方に向かった。
庫裏からは、うまそうな匂いが漂って来た。台所を覗くと蓮誓の若い妻、如専(ニョセン)が二人の下女を使って、てきぱきと働いていた。まだ、嫁に来たばかりだと聞いていたが、若いわりには、しっかりした娘だった。
風眼坊に気づくと頭を下げて、近づいて来た。「何か‥‥‥」
「いや、あの蓮誓殿はおりますか」と風眼坊は聞いた。
「はい、居間の方にいると思いますけど。何か御用でしょうか」
「いえ、用という程の事ではありませんが、わしには、どうもまだ、本願寺の教えと言うのがよく分からんのですよ。わしは大峯の山伏で、慶覚坊とは古い知り合いです。二十年振りにばったり会って、一緒にここまで来たんじゃが、どうも、よく分からんのじゃよ。慶覚坊の奴は今朝早くから吉崎の方に行ったきり帰って来ん。そこで、蓮誓殿から本願寺の教えというのを聞きたいと思って来たわけじゃが」
「そうだったのですか。あたしは、てっきり、門徒のお方かと思っておりました。慶覚坊様と一緒に行者(ギョウジャ)さんに化けていたのかと思っておりました。ほんとの行者さんだったのですか」
「慶覚坊は行者に化けていたんですか」
「ええ。行者さんに化けて、この間の火事の下手人(ゲシュニン)を捜しに豊原寺(トヨハラジ)に行くって聞いておりましたから」
「火事っていうのは吉崎の火事の事ですか」
如専は頷いた。
「下手人は山伏だったのですか」
「よく分かりませんけど、そういう噂です」
「成程、それで、わしらが吉崎を歩いていた時、回りから変な目で見られたんじゃな」
「この辺りはまだ、大丈夫ですけど、吉崎辺りをその格好で出歩くと危険ですよ。吉崎の多屋には結構、血の気の多いのが、かなり、いるそうですよ」
「そういうわけじゃったのか」
如専は頷いて、「もうすぐ、本堂で、上人様が法話をしますけど、その格好では出ない方がいいですよ」と言った。
「蓮誓殿が法話をなさるのですか」
「はい。そうです」
「毎日、なさっているのですか」
「ここにいる時は毎日です」
「成程、大変ですな」
「お勤めですから」と如専は当然の事のように笑って、風眼坊を蓮誓のいる居間に案内してくれた。
蓮誓は文机(フヅクエ)の前に坐って何かを写していた。写経しているのかと思ったが、お経ではなかった。何か、手紙のような物を写している。
如専は風眼坊を案内すると、また台所に戻って行った。
「なかなか、働き者の嫁さんじゃな」と風眼坊は如専を見送りながら蓮誓に言った。
「はい。よく働きます。大叔母にそっくりですよ」と蓮誓は笑った。
如専は大叔母の勝如(ショウニョ)の姪だった。蓮誓は七歳の時、大叔母のいる加賀二俣(フタマタ)の本泉寺(ホンセンジ)に預けられた。まだ、父の蓮如が部屋住みの頃で、貧しくて子供たちを手元で育てる事ができず、仕方なく手放したのだった。大叔母に預けられたのは蓮誓だけでなく、次男の蓮乗(レンジョウ)、三男の蓮綱(レンコウ)もそうだった。蓮誓より下の兄弟は手元で育てられたが、蓮誓より上の兄弟は、長男の順如以外は皆、どこかに預けられたのだった。
勝如の亭主は如乗(ニョジョウ)といい、すでに亡くなっていたが、北陸の地に本願寺の教えを広めるのに貢献したのが如乗だった。蓮如が北陸の地を選んで吉崎に来たのも、叔父の如乗の活躍のお陰だった。
蓮誓は加賀の二俣本泉寺において、勝如から二人の兄と一緒に本願寺の教えを学び、育てられた。姪の如専は、その本泉寺のすぐ近くに住んでいて、小さい頃より本泉寺に手伝いに来ていた。寺の中で育ったのも同じで、寺の台所仕事は慣れたものだった。
蓮如は北陸に進出して来て、吉崎の地に本願寺の別院を建てる事に決めると、蓮誓に慶覚坊を付けて吉崎に送り込んだ。別院が完成するまでの二ケ月余りの間、蓮誓は北潟湖に浮かぶ小島、鹿島明神の堂守りという名目で滞在し、慶覚坊と共に海辺を中心に布教して回った。その頃、蓮如は本泉寺を拠点にして布教活動を行なっていた。そして、別院が完成すると吉崎に移り、蓮誓を山田光教寺に入れたのだった。
蓮誓が、そんな身の上話を風眼坊にしている時、太鼓の音が鳴り響いた。
「お勤めの時間です。すみませんけど、少し待っていて下さい」と言って蓮誓は出て行った。
風眼坊は蓮誓の話を聞きながら、息子の光一郎の事を思い出していた。弟子の太郎のもとに送ったが、今頃、何をしているのだろう。飯道山に行ってから、もう一年以上が経っている。飯道山の修行は一年だった。一年経っても帰って来ないので、少し心配になって、こっそり飯道山に行って様子を見てやろうと思ったが、何となく、息子に会いに行くのが照れ臭くて行けなかった。
ここに来る途中も、飯道山の側を通りながら飯道山には寄って来なかった。慶覚坊が飯道山に寄ってみるか、とでも言えば寄って来たのだが、慶覚坊は飯道山の事などおくびにも出さなかった。まあ、息子は息子なりに何とかやっているだろう、と会うのを諦めて、ここまで来たのだった。
自分の息子と目の前にいた蓮誓を比べて見て、何となく、蓮誓の方がしっかりしているように思えた。
蓮誓は何を写していたのだろう、と風眼坊は文机の上を覗いてみた。
手紙のようだが、どうも手紙ではないらしい。教えのような事が、誰にでも読めるように片仮名まじりで書いてあった。
「それ、当流親鸞聖人の勧めましますところの一義の心というは、まず他力の信心をもて肝要とせられたり‥‥‥」
親鸞聖人とは一体、誰なのか、風眼坊には分からなかったが、最後まで読んでみる事にした。最後まで読んでみて、なぜか、風眼坊の心を打つ物があった。実に分かり易く、本願寺の教えが書いてあった。これなら、何の教養のない者たちでも、聞いていれば、すぐ分かる単純な教えだった。
風眼坊も勿論、阿弥陀如来は知っていた。熊野の本尊は阿弥陀如来だし、飯道山の本尊も阿弥陀如来だった。しかし、阿弥陀如来というのが、どんな仏様なのか、考えた事もなかった。他の仏様と同じように人々を救ってくれる仏様で、『南無阿弥陀仏』と唱えれば極楽に往生ができるというので、信者たちは何かと言うと『南無阿弥陀仏』と唱えているのだろうと思っていた。浄土宗やら、時宗やら、浄土真宗やら色々とあるが、みんな同じで、死んだ後の事など誰も分からないのをいい事に、坊主どもが、いい加減な事を言って、人々を惑わしているのだろうと思っていた。しかし、風眼坊が今、読んだ文には、阿弥陀如来は、すでに、すべての者を救っていると書いてあった。
本願とは、人々が救ってくれと願うのではなくて、阿弥陀如来の方が、すべての人々を救うという願いを掛けられたのだと言う。すべての人々は、どんな悪人であろうとも、すでに阿弥陀如来に救われているのだと言う。そして、その事に気づいたら、感謝の気持ちをお礼の意味を込めて『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。助けてくれという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのではなく、助けていただいて有り難うございますという気持ちで『南無阿弥陀仏』と唱えるのだと言う。
風眼坊は繰り返し繰り返し、その文を読んだ。
すべての人々は、すでに救われている‥‥‥
こんな教えがあるのか‥‥‥
凄い教えだと思った。
風眼坊は天台宗の山伏だが、天台宗の教えは難しくて複雑で、何が何だかさっぱり分からなかった。やたらと難しくしている節さえある。ところが、この本願寺の教えは何と簡単で分かり易いのだろう。こんなに分かり易かったら門徒が増えるわけだった。
蓮如は門徒を増やして、どうするつもりなのだろう‥‥‥
風眼坊は、蓮如のような純粋な宗教者というのを知らなかった。宗教者の振りをしているが、一皮剥けば欲の固まりのような坊主しか、今まで会った事はなかった。風眼坊自身、今まで大峯の山上にいて、信者たちに偉そうな事を言っていたが、宗教心から言っていたわけではない。早い話が金儲けに過ぎなかった。信者を増やせば本山は儲かる。その手助けをしていたようなものだった。蓮如もやはり、金儲けのために門徒を増やしているのだろうと風眼坊は思った。
しかし、すべての者は阿弥陀如来によって、すでに救われている、そして、感謝の気持ちをこめて『南無阿弥陀仏』と唱えるという教えは、風眼坊にも頷けるものがあった。
風眼坊は長い間、山伏として自然の中で生きて来た。自然の中にいると、目に見えない大きな力というものを感じる。それは、人間の力ではどうする事もできず、また、言葉で説明する事もできない大きな力だった。そして、その大きな力に包まれて生きているという事に、自然と感謝の気持ちというのが涌いて来るものだった。その大きな力というのが、本願寺では阿弥陀如来なのだろうと思った。
蓮誓が戻って来た。
風眼坊は蓮誓と一緒に夕飯を御馳走になった。
風眼坊が読んだ文というのは、蓮如が書いた『御文(オフミ)』と呼ばれるもので、本願寺では、お経の代わりになるものだと蓮誓は言った。そして、風眼坊の知らなかった親鸞聖人というのは、二百年前に浄土真宗を開いた聖人で、蓮誓とは血のつながりのある御先祖様だと言う。本堂に掲げてある絵像は、その親鸞聖人だった。
親鸞は最初、天台宗の僧として比叡山に登って修行をしたが、納得がいかず、山を下りて法然(ホウネン)の念仏門に入った。法然のもとで、ひたすら念仏修行を続けていたら、他の宗派の圧力によって念仏禁止令に遭い、越後(新潟県)に流罪(ルザイ)になってしまう。流罪になった越後で妻を貰い、流罪が解かれた後は、関東の地に行って布教活動を行なった。
親鸞の教えは徹底していて、阿弥陀如来のもとでは皆、平等だとし、弟子も作らず、寺も作らず、自分が死んだら墓もいらない、賀茂川に捨てて魚の餌食にしてくれとさえ言ったという。事実、親鸞は教えを広めても、寺も弟子も作らずに死んだ。
親鸞の遺骨は賀茂川に捨てられはしなかったにしろ、特別な墓も作られず、京の葬送地、鳥辺野(トリベノ)に埋められた。それではあまりにも哀れだと、親鸞の廟堂(ビョウドウ)を建てたのが、親鸞の末娘の覚信尼(カクシンニ)だった。その廟堂が、やがて本願寺となり、覚信尼の子孫たちによって守られ続け、二百年後の蓮如の代になって、ようやく、花開く事になったのだった。
父、蓮如は親鸞聖人様の教えを忠実に広めているのだ、と蓮誓は誇らしげに言った。そして、自分は父のする事を手伝わなければならないという使命感に燃えているようだった。
風眼坊は蓮誓と話していて、同じ父親として蓮如が羨ましく感じられた。そして、前とは違った意味で蓮如という男と会ってみたいと思った。
3
風眼坊は旅に出た。
慶覚坊こと火乱坊は吉崎に行ったまま、その日は帰って来なかった。何をしているのか、次の日も帰って来なかった。奥さんや子供たちは、いつもの事だと平気でいるが、風眼坊の方は何もしないで、じっとしているのは苦手だった。せっかく、加賀の国まで来たのだから、白山(ハクサン)にでも登って来るかと、ふらっと旅に出た。
白山には、昔、一度だけ登った事があった。その時は越前の国(福井県)の平泉寺(ヘイセンジ、勝山市)から登って、加賀の国の白山本宮(鶴来町)の方に下りた。白山への登り口はその二つと、もう一つ美濃の国の長滝寺(チョウロウジ)から登る参道があり、それぞれ、越前馬場、加賀馬場、美濃馬場と呼ばれていた。白山への正式な参道はその三つだったが、風眼坊がいる山田光教寺からは加賀馬場も越前馬場も遠かった。風眼坊は山の中に入り、かまわず東の方に進めば何とかなるだろうと気楽な気持ちで、大聖寺川に沿って登って行った。
風眼坊は知らなかったが、山田光教寺の東二里程の所に白山三箇寺と呼ばれる三つの大寺院があり、そこからも白山への登山道があった。しかし、風眼坊にとって道など関係なかった。どんな山の中に入っても、長年の経験によって目的地に向かう事ができた。
その日の昼過ぎ、風眼坊は山中の湯という湯治場に着いた。まだ、日も高かったが、久し振りにのんびりするかと、湯につかって遊女を呼んで楽しんだ。
次の日は一日中、雨が降っていたので、そのまま温泉に滞在し、女と酒を楽しみ、その次の日、山奥の道で風眼坊は二人の乞食坊主と出会った。
一人は六十歳を越えていそうな老僧、もう一人は三十歳位の体格のいい男だった。
風眼坊は前を行く二人に追い付くと、何気なく声を掛けた。
ただ、どこに行く、と聞いただけだったが、二人は警戒して風眼坊を見た。
若い坊主は老僧を庇うように、持っている六尺棒を構えた。その構えを見て、なかなかできるな、と思った。こんな山奥を歩いているのだから、どうせ、時宗(ジシュウ)の遊行聖(ユギョウヒジリ)に違いない、と声を掛けたのだったが、山伏を見て警戒するとは、もしかしたら本願寺の坊主かな、と聞いてみた。
逆に、若い坊主が、白山の山伏か、それとも豊原寺か、と聞いて来た。
「わしはここの者ではない。大峯の山伏じゃ」風眼坊は錫杖を突いたまま二人を見ていた。
「大峯というと、大和の大峯か」若い坊主が六尺棒を構えながら風眼坊を睨んだ。
「そうじゃ」と風眼坊は頷いた。
「大峯から来た者が、どうして、わしらが本願寺の者だと知っておる」
「知っておったわけじゃない。この間、吉崎に行った時、変な目で見られたからのう。本願寺の奴らは山伏を嫌っておると思ったんじゃ」
「何で、吉崎に行った」
「ただ、蓮如とかいう坊主に会いたかっただけじゃ」
「なに! 何の用で」若い山伏は今にも飛び掛りそうな剣幕だった。
「別に用などはない。ただの気まぐれじゃ」
「慶聞坊(キョウモンボウ)、もういい」と老僧が言った。
「しかし‥‥‥」
「そのお人は、わしらに害を及ぼす気はないようじゃ」
「さすが、年寄りは物分かりがいいようじゃな」風眼坊は老僧を見て笑った。
「それに、そのお人はなかなか強い。おぬしが相手をしても負けるかもしれん」
「そんな事はありません」
「争い事は避けるべきじゃ」と老僧は首を振って、「ところで、大峯の行者殿が、どうして、こんな所を歩いてなさるのじゃ」と風眼坊に聞いた。
「白山の登ろうと思っての」
「嘘つくな、こんな所を通って白山など行けはせん」と慶聞坊と呼ばれた坊主が怒鳴った。
「素人(シロウト)衆はそう思う。しかし、わしら山伏にとっては、山はみんな、つながっておる。山の中にはのう、わしらしか知らん道があって、そこを通れば、どこにでも行けるんじゃよ」
「山伏の道か‥‥‥」と老僧が言った。
「いや、山伏だけじゃないがのう。山の中で暮らしている者たちは、みんな、知っておる」
「成程のう、そんな道があるのか‥‥‥」
「本願寺の坊主というのは、こんな山奥まで入って布教をしておるのか」と今度は風眼坊が聞いた。
「人がおる所なら、どこにでも行く」と慶聞坊が答えた。
「なぜじゃ」
「教えを広めるためじゃ」
「広めて、どうする」
「人々を救うんじゃ」
「救って、どうする」
「どうもせん。教えを広めるのが、わしら、坊主の使命じゃ」
「ふん、使命か。そんな事をして何の得がある」
「得があるから、やっておるわけじゃない」
「信じられんのう」
「そなたは山伏をやっておって、何の得があるんじゃな」と老僧が聞いた。
「得か‥‥‥」と風眼坊は考えてみた。「得など別にないのう」
「得などないのに、どうして、山伏なんぞやっておるんじゃ」
「ふむ、こいつはやられたのう。そんな事、今まで考えた事もなかったわ」
「人は損得で動くものとは限らんのじゃよ。わしら、本願寺の坊主は阿弥陀如来様が差し向けたお使いの者じゃ。阿弥陀如来様の尊い教えを下々の者たちの間に広め、人々を救う事がお勤めなんじゃ」
「お勤めね。しかし、門徒が増えれば本願寺が儲かる事も事実じゃろう。あの吉崎の繁栄振りじゃと、そうとう儲かっておるに違いない」
「おぬし、何と言う罰当たりな事を言うんじゃ」慶聞坊が目を吊り上げて怒鳴り、棒を振り上げた。
「まあ、落ち着け、慶聞坊」老僧は慶聞坊をなだめて、「そなたの言う事はもっともな事じゃ」と風眼坊に頷いた。「しかし、上人様は決して、門徒たちが下さる、お志しが目当てで教えを広めておるわけではない。教えを広めた結果として、門徒たちが吉崎に集まって来て、あのような状態になってしまったんじゃ。上人様は返って、門徒たちが集まって来る事に迷惑なされておるようじゃ」
「どうして、迷惑なんかするんじゃ」
「上人様は争い事を好まん。あれだけ吉崎が賑わってしまうと、白山の衆徒や豊原寺、平泉寺の衆徒が本願寺を妬んで騒ぎ出すんじゃよ。上人様は京や近江にいた時、叡山の衆徒たちと争って、ひどい目に会っておる。もう、二度と天台宗とは争いたくはないんじゃよ」
「ふうん。おぬしたち、随分と上人様に詳しいようじゃのう。そうは見えんが、もしかしたら本願寺の中で偉い坊さんなのか」
「本願寺の坊主に偉いとか、偉くないとか、そんな階級なんぞ、ありゃせん。皆、同じ、坊主じゃ。皆、阿弥陀如来様のお使いじゃ」
「本願寺には階級などないのか」
「そうじゃ、阿弥陀如来様のもとでは皆、平等なんじゃ。坊主だからと言って門徒たちよりも偉いというわけでもない。皆、同朋(ドウボウ)なんじゃ」
「皆、同朋? 公家や武士や百姓も皆、同朋なのか」
「そうじゃ」と老僧は頷いた。「阿弥陀如来様のもとでは皆、同朋じゃ。浄土真宗の開祖親鸞聖人様は阿弥陀如来様の教えを広めなされた。しかし、お弟子もお作りにならず、お寺もお作りにならなかった。ところが、親鸞聖人様が亡くなられた後、聖人様の教えを受けた者たちは、自ら聖人様のお弟子を名乗り、聖人様の教えを広めなされた。教えを広めるには教団を組織しなければならない。教団を作るという事は聖人様の教えに背く事になるんじゃ。しかし、仕方がなかった。親鸞聖人様が亡くなってから、すでに二百年も経ち、聖人様の教えは幾つかの派に分かれ、少しづつ間違った方向に進み始めた。ひどいのになると、坊主が阿弥陀如来様と同じ位に立ち、門徒たちの極楽往生を決める事ができるという、自惚れた宗派まで出て来る始末じゃ。坊主は門徒たちのお志し次第で、勝手に極楽往生を決めている。門徒たちも決定(ケツジョウ)往生のために、坊主に多額のお志しを差し上げるという異端な宗派が流行ってしまう事となったんじゃ。蓮如上人様は、そんな異端な宗派が流行るのを嘆き、浄土真宗を親鸞聖人様の教えに戻そうと布教を始めたんじゃよ。極楽往生は決して銭次第で決まるわけじゃない。信心によって決まるものじゃとな」
「ほう、成程のう。銭次第じゃないとのう。蓮如上人様とは一体、どんなお方じゃ」
「吉崎に行ったと言っておったが、上人様とはお会いにならなかったのかな。上人様は、会いたい者がおれば誰とでも会うはずじゃが」
「留守じゃった」
「そうか。そいつは生憎じゃったのう」
老僧の名は信証坊(シンショウボウ)といい、蓮如とは古くからの付き合いで、蓮如と共に北陸の地に来て、蓮如の教えを広めるため、山奥の村々に説いて回っていると言う。
「ところで、阿弥陀如来の教えの事じゃが、阿弥陀如来の本願によって、すでに、みんな、救われておると書いてあったが、あれは本当なのか」と風眼坊は信証坊に聞いた。
「本当じゃとも。じゃが、何に書いてあったのじゃ」
「蓮如上人様が書いたとかいう『御文』とかいう文じゃが」
「そなた、『御文』を見た事あるのか」
「ああ、偶然、光教寺の蓮誓殿の居間で見た」
「なに! どうして、おぬしが蓮誓殿の居間になどに入ったんじゃ」慶聞坊が目をむいて風眼坊を睨んだ。
「ただ、何となくじゃが、入ったら悪いのか」
「いや、別に悪くはないが、そなたは蓮誓殿を知っておったのか」信証坊は別に驚くでもなく、落ち着いた声で聞いた。
「いや、知っているという程のものじゃないが‥‥‥おお、そうじゃ、おぬしたち、もしかしたら、火乱坊、いや、慶覚坊を知らんか」
「知っておるが‥‥‥」と慶聞坊が言った。
「そうか、やはり、知っておったか。わしは、その慶覚坊の昔馴染みなんじゃ。大峯で二十年振りに、ばったり会ってのう。それで、一緒に加賀までやって来たというわけじゃ」
「何じゃ。おぬし、慶覚坊殿の昔馴染みですか。それならそうと早く言って下さい。わしと慶覚坊殿は兄弟みたいなもんです。何じゃ、そうだったんですか」
慶聞坊の態度が急に変わった。風眼坊を睨みつけていた顔が急に穏やかになった。
「おぬしが、あいつと兄弟分か、ほう、そいつは奇遇じゃのう」
「そう言えば、慶覚坊殿は堅田に落ち着くまでは、確か山伏じゃったのう。思い出しましたよ」
「おう、火乱坊という伊吹山の山伏じゃった」
「そうですか。慶覚坊殿の昔馴染みですか‥‥‥」
「老師、さっきの話じゃが‥‥‥」と風眼坊は信証坊を見た。
「おう、そうじゃったな。阿弥陀如来様の本願によって、すべての者が、すでに救われておるというのは本当じゃ」
「阿弥陀如来など信じておらん奴らもか」
「そうじゃ。阿弥陀如来様は差別などなさらん。すべての者を救って下さるのじゃ」
「信じておっても、信じておらなくても救われるのなら、何も、信じなくてもいいんじゃないのかのう」
「それは違うぞ。すでに、救われておるという事に気づかなくてはならんのじゃよ。救われておっても、その事に気づかなくては、救われておるという事にはならんのじゃ」
「よく分からんが‥‥‥」
「うむ、例えば、そうじゃな」と信証坊は少し考えてから話し続けた。「例えば、山奥に入って道に迷ったとする。何日も山の中をさまよい歩いても、なかなか人里が分からない。じゃが、実際には目と鼻の先に一軒の山小屋があるんじゃ。回りをよく見ると草に隠れておるが、その山小屋に続く細い道があるんじゃよ。その細い道が阿弥陀如来様の教えじゃ。そして、山小屋が極楽浄土じゃ。その細い道が分からなければ、いくら、山小屋が目と鼻の先にあったとしても行く事ができずに、苦しんで死ぬ事になるんじゃよ」
「成程、分かるような気もする」と風眼坊は頷いた。「わしも、山の中で迷って死んだ者を何人か見た事があるが、確かに、人里近くまで来て、死んでおるというのを見た事があった」
「そうじゃろう、そんなもんじゃ。またのう、ただでさえ、その細い道が見えんのに、欲という深い霧に立ち込められたら、ますます、迷い込んでしまうんじゃよ」
「欲という深い霧か‥‥‥成程のう、うまい事を言うもんじゃのう」
「そして、すでに阿弥陀如来様に救われておるという事に本当に気づいた時、感謝の気持ちから、おのずから自然と『南無阿弥陀仏』という念仏が口から出て来るんじゃよ。その時、その人の極楽往生は決定するんじゃ。その後は、ただ、阿弥陀如来様にすべてを任せ、いつものように仕事に励み、感謝の気持ちを込めて念仏を唱えればいいんじゃ」
「う~む‥‥‥南無阿弥陀仏か‥‥‥」
やがて、三人は真砂(マナゴ)という木地師(キジシ)の村に入った。木地師は普通、漂泊の民だが、この頃になると漂泊をやめて、代々一ケ所に落ち着いて一つの村を作っている木地師も多かった。
ここに住む木地師たちは平泉寺に所属している木地師で、初めの頃、彼らは越前と加賀の国境の山々をさまよいながら、春から秋までの間、焼畑耕作の仕事をして、雪深い冬になると、この谷に下りて来て木工細工の作業をしていた。それが、いつの頃からか焼畑をやめて、木地師を専業にやる者たちが出て来て、この地に落ち着くようになって行った。焼畑をやめて木地師の仕事だけでも生活できるようになったのは、この谷の入口辺りにある山中の湯と山代の湯が湯治客で栄え、お椀などの食器類の需要が増したからであった。今では、この谷に三十家族程の木地師たちが住み、お椀を初め、お膳やら、しゃもじなどを作っていた。
信証坊は村長(ムラオサ)の家を訪ねると、村の者たちを集めて貰って説教を始めた。男たちは山の中に入っているので、あまりいなかったが、女たちが大勢、集まって来た。
老僧は木の屑の散らかっている庭に腰を下ろし、女たちを自分の回りに坐らせると、分かり易く、女人(ニョニン)往生を説いて聞かせた。
風眼坊も後ろの方で信証坊の説教を聞いていたが、成程と納得させられる事が幾つもあった。信証坊は四半時(シハントキ、三十分)程、説教をすると、お礼として差し出された物の中から、ほんの僅かな食糧だけを貰って、その村を後にした。
「どうも、この村の奴らは門徒のようじゃのう」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。
「ええ、この村は慶覚坊殿が開拓したんです。初めて来た時は、聞く耳など持たんという有り様だったそうです。慶覚坊殿が苦労したお陰で、今では、すっかり村をあげて門徒になってくれました」
「ほう。あいつがのう」
風眼坊には信じられなかった。あの慶覚坊が、さっきの老僧のように皆を集めて説教をしている姿など想像もできなかった。二十年の歳月は人を随分と変えるものだと思った。
「それで、これから、どこに行くんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「さあ」と慶聞坊は首を振った。
風眼坊は信証坊に聞いた。
「この先じゃ」と信証坊は前を見つめながら言った。
「この先にも門徒の村があるのか」
「いや、ここから先はまだ行った事がない。おぬし、悪いが道案内をしてくれんかのう。こんな山の中で会ったのも、きっと阿弥陀如来様のお導きじゃ。頼むわ」
「そんな事は構わんが、ひどい道じゃぞ」
「大丈夫じゃ。年は取っておるが足だけは達者じゃ」と老僧は笑った。
2.蓮如2
4
雨が降っていた。
霧が立ち込め、三間(ケン、約五メートル)先も見えなかった。
風眼坊と老僧の信証坊、慶聞坊の三人は、崩れ掛けた炭焼き小屋で雨宿りをしていた。
「うっとおしいのう」と風眼坊は雨垂れを見ながら言った。
「梅雨じゃからのう」と慶聞坊は霧の中を見ながら言った。
信証坊は奥の方で横になっていた。昨日、かなり険しい山道を歩いたので、やはり疲れたのだろう。昨日の夕方、急に雨に降られ、この炭焼き小屋に飛び込んで一夜を明かしたが、朝になっても雨はやまなかった。
「火乱坊、いや、慶覚坊の事じゃが、吉崎の火事の事で、何か調べておると聞いたんじゃが、下手人は見つかったのか」と風眼坊は慶聞坊に聞いた。
慶聞坊は慌てて首を振って、「内緒です」と小声で言った。
「内緒?」
「ええ、慶覚坊殿のしている事は上人様には内緒なんです。信証坊殿に聞かれると上人様に筒抜けになってしまうんですよ」
「どうして、内緒にしておくんじゃ」と風眼坊も小声で聞いた。
「上人様は争い事はお嫌いです。この間の火事は失火じゃ、付火なんかじゃないと上人様はおっしゃります」
「それで、本当の所はどうなんじゃ」
慶聞坊は後ろを振り返り、信証坊を気にしながら小声で話した。「多分、付火です。その事は上人様も知っております。しかし、表沙汰にして事を荒立てたくないんですよ」
「ふうん。下手人はやはり豊原寺なのか」
「多分‥‥‥」
「本願寺が繁盛している妬みか」
「それもあります。しかし、もっと現実的な事です」
「現実的な事というと、やはり、銭か」
「そういう事です。叡山は本願寺を叡山の末寺(マツジ)だと思っております。上人様は大谷にいた頃、叡山からの独立を宣言して、天台宗から離れたのです。寂れていた頃の本願寺なら、叡山も何も文句は言わなかったでしょう。しかし、上人様の代になって本願寺は賑わって来ました。叡山は本願寺の宗旨(シュウボウ)が違うとか、文句を言っては来ましたが、実の所、目的は礼銭だったのです。上人様は礼銭を断りました。大谷の本願寺は叡山の衆徒らによって破壊されました。上人様は近江に逃げられました。しかし、叡山は執拗に追いかけて来ては門徒たちを苦しめたのです。とうとう、金森(カネガモリ)の門徒と叡山の衆徒らが合戦を始めました。上人様は合戦を許しませんでした。結局は、銭で解決する事になってしまったのです。上人様は、叡山のふもとにいる限りは争う事を避ける事は難しいじゃろうと、北陸の地に進出なされたのですよ。しかし、この地にも天台宗の大寺院がいくつもあります。豊原寺、平泉寺を初めとして、白山に所属している寺院がいくつもあるのです。上人様は、それらの寺院を刺激しないようにと努めておられますが、上人様がこの地に来て以来、門徒たちの数は見る見る増え、吉崎の別院は毎日、祭りさながらの賑わいです。上人様が吉崎参詣を禁止しても、また、すぐに門徒たちは集まって来ます。豊原寺にしろ平泉寺にしろ、目と鼻の先にある吉崎の繁栄を黙って見てはおれんのでしょう。豊原寺は叡山と同じように、天台宗の末寺として礼銭を出せと言って来ました。上人様は断りました。それで、この間の火事騒ぎです」
「成程のう。しかし、豊原寺は何で、こそこそと付火なんかするんじゃ。堂々と攻めては来んで」
「越前には朝倉氏がおります。本願寺は今の所、朝倉氏と組んでおります。豊原寺の目的は本願寺から礼銭を巻き上げる事だけです。本願寺を相手に合戦をする気などありません。まして、朝倉氏を敵に回したくはないでしょう。応仁の乱が始まってからというもの、叡山もそうですけど、奴ら、大寺院の荘園はほとんど在地の国人たちに侵略されてしまっております。また、無事だとしても、戦が続いているお陰で年貢が届かん有り様です。平泉寺には白山の信者たちが、かなりおるから、まだいいんですけど、豊原寺は大分、苦しくなっておるんじゃないですか」
「確かにのう。今回の戦で、ほとんどの荘園が国人たちに横領されたらしいのう。本願寺の荘園は大丈夫なのか」
「本願寺には荘園はありません」
「なに、荘園がない?」
「はい、本願寺は門徒で持っておるのです。門徒がおらなくなった時は本願寺もなくなるというわけです」
「本願寺は土地を持っとらんのか‥‥‥そいつは知らなかった」
「雨はまだ降っておるのか」と信証坊が声を掛けて来た。
「はい。まだ降っております」と慶聞坊が振り向いて答えた。
「そうか」と言いながら、信証坊は二人の方に来て外を眺めた。
霧はいくらか引いたが、雨はやみそうもなかった。
「やはり、梅雨が上がるのを待ってから旅に出た方が良かったですね」と慶聞坊は信証坊に言った。
「なに、雨に濡れても死にはせん」
「そろそろ、出掛けますか」
「いや、もう少し、小雨になるのを待とう」
「そうですね」
「風眼坊とやら、そなたも、そろそろ本願寺の門徒になりませんかな」と信証坊は風眼坊の隣に腰を下ろすと言った。
「本願寺の教えというのも大体は分かったがのう。しかし、どうも、わしには門徒というのは似合わんのう。わしは、やっぱり山伏の方がいいわ」
「そなたは、どうして山伏になったのかな」
「どうしてと言われてものう。ただの成り行きとしか言えんのう」
「成り行きか‥‥‥実はの、山伏から門徒になった者も、かなりおるんじゃよ」
「ほう、信じられんのう。山伏というと白山の山伏か」
「まあ、そういう事じゃのう。しかし、そなたのような本物の行者と違って、里に住み着いて村人たちに加持祈祷をやっておった山伏たちじゃ。その者たちは皆、山伏をやめて道場を持つ坊主になったがのう。そなたのように山々を歩き回る行者が門徒となってくれれば、山奥で暮らす者たちにも教えを広められるのにのう」
「それはそうかも知れんが、そんなに門徒を増やして、蓮如殿は一体、どうするつもりなんじゃ」
「どうもせんじゃろ。ただ、蓮如殿は、この世に浄土を作ろうとしておるんじゃないかと、わしは思うがのう」
「この世に浄土をのう‥‥‥理想は分かるが難しい事じゃのう」
「やはり、難しいかのう」
「難しいわ。第一、阿弥陀如来様のもとでは、すべての者たちは平等じゃ、という教えは危険すぎる。権力者たちは、そんな教えを絶対に許さんじゃろう」
「そう言われればそうじゃのう」
「今のところ、本願寺は同じ宗教界から睨まれておるようじゃが、そのうち、権力者から睨まれる事になるじゃろう」
「本願寺の教えには争い事はないんじゃ」
「本願寺の教えの中になくても、現実に、この世の中は上下関係で成り立っておる。いくら本願寺の方で争い事を避けようとしても、今の世で生きて行く限り、争い事は避けられんじゃろうな」
「どうして、人間は争い事を好むんじゃろうのう」
「別に好むわけでもないじゃろう。ただ、考え方が少し違っておるだけじゃないかのう。まあ、中には、ただ、おのれの欲だけに走って争う奴らもおるにはおるが、そんな奴らは長続きはせん。そんな奴には誰も付いて行かんからじゃ。しかし、ある程度、長続きしておる奴らは、奴らなりに思想がある。たとえば、越前の朝倉じゃが斯波(シバ)氏の被官の身でありながら、応仁の乱で寝返って、越前の守護職(シュゴシキ)に納まってしまった。それができたのは、ただ欲だけではない。国人たちを引き付ける何かを持っておったからじゃ。朝倉も朝倉なりに、越前の国を浄土にしたかったのかも知れん。誰もが争いなどない太平の世を願っておる。その太平の世を作るために争っておるんじゃないかのう。自分流の太平の世を作るためにのう」
「争わんと太平の世にはならんのかのう」
「太平の世を作るという事は全国を一つに統一するという事じゃ。統一するためには邪魔物は倒さなくてはなるまい」
「いや、争い事はいかん。本願寺の教えが広まれば、誰もが争い事などしなくなるはずじゃ」
「確かに、広まれば争い事はなくなるかもしれん。しかし、広める途中で争い事は起きる。たとえば、日蓮宗は『南無妙法蓮華経』と唱えれば太平の世が来ると言う。浄土宗は『南無阿弥陀仏』と唱えれば太平の世になると言う。どちらも目的は太平の世じゃ。太平の世にいいも悪いもない。たどり着く所は同じじゃ。しかし、日蓮宗では『南無妙法蓮華経』の太平の世じゃないといかんと言い、浄土宗では『南無阿弥陀仏』の太平の世じゃないといかんと言う。そうじゃないのか」
「わしは日蓮宗の事はよく知らんが、日蓮宗よりは浄土真宗の方がいいと思っておる」
「これがいい、あれが悪いと言うのも、欲のうちに入らんのかのう」
「ただ、本願寺の教えでは、決して、他の宗派の事を悪く言ってはおらん」
「わしから見れば、『南無阿弥陀仏』も『南無妙法蓮華経』も同じように思えるんじゃ」
信証坊は、しばらく黙り込んだ。
慶聞坊は黙って二人の顔を見比べながら、やり取りを聞いていた。
信証坊は顔を上げ、雨を眺めながら、「風眼坊殿」と言った。「実に、阿弥陀如来様のお導きじゃ。よいお人と巡り会えたものじゃ。いい勉強になった」
「老師殿。老師殿にそんな事を言われたら照れ臭いわい」
「いや、わしも少し自惚れておったのかもしれん。ただ本願寺のため、本願寺の教えを広めなければならん、ただ、それだけで脇目も振らずに一筋に生きて来た。親鸞聖人様の素晴らしい教えを広めようと、ただ、それだけで生きて来た。現実の世の中を見る目が少し甘かったのかも知れん」
「老師殿、もしかしたら老師殿は‥‥‥」と風眼坊は信証坊をじっと見つめた。
「ああ」と信証坊は頷いた。「わしが蓮如じゃ。本願寺の法主の蓮如じゃ」
風眼坊は何も言えなかった。ただ、蓮如と名乗った隣の老僧を見つめていた。
「わしは、今まで現実の世から逃げておったのかも知れん‥‥‥」
「上人様‥‥‥」と慶聞坊が言った。
「老師殿が、蓮如上人殿でしたか」と風眼坊は、やっとの事で言えた。
知らなかったとは言え、言い過ぎてしまったような気がして後悔していた。この老僧が蓮如だったとは、まったく信じられない事だった。法主ともあろう人が、こんな山奥をさまよっている。わずかな門徒を増やすために自分の足で歩き、自分の口で教えを説いている。
風眼坊は改めて老僧を見直していた。
「やはり、争い事は避けられんのじゃろうか」と蓮如は言った。
「蓮如殿、どうして、名を隠して旅をなさっておるんですか」
「有名になり過ぎて、名前を隠さないと布教どころじゃなくなってしまうんですよ」と慶聞坊が説明した。「人が集まり過ぎて、説教どころではないんです。去年、越中まで行った時など、上人様を一目見ようと門徒たちが集まって来て、死傷者まで出る始末です。その時以来、上人様は本名を隠して布教に出るようになったのですよ」
「ほう、死傷者まで出るとは凄いもんじゃのう」
「そんなもの自慢にもならんわ。そろそろ、出掛けるかのう」
「そろそろ、雨も上がりそうじゃな」
鳥が鳴き始めていた。
三人は小雨の中、山を下りて行った。
三人の姿は霧の中に消えた。
風眼坊と蓮如と慶聞坊の三人は真砂(マナゴ)の村から、さらに山奥へと入って行った。大日山に登り、越前と加賀の国境に沿って尾根道を進み、手取川の上流の牛首村(白峰村)に下りた。
途中、蓮如は信証坊として山の中で出会った杣人(ソマビト、きこり)や炭焼き、猟師らに教えを説いた。彼らは、なかなか蓮如の教えを受け付けなかったが、蓮如は根気よく教えを説いていた。
ここ牛首村は、かなり山奥だが、加賀の白山本宮と越前平泉寺を結ぶ街道が通り、また、白山三箇寺から白山に登る禅定道(ゼンジョウドウ、登山道)も通り、牛首白山社を中心にして門前町が広がり、白山への中継地として栄えていた。街道脇には三箇寺や越前平泉寺などの別院や宿坊が数多く並び、山伏や参詣者たちが行き交っていた。
この村は白山社に奉仕する社家(シャケ)と社人(シャニン)たちで成り立っている村だった。社家はこの辺りの山の領主として社人たちを支配していた。社人たちは社家の土地で焼畑をやり、冬は木地師をやっていた。木地師と言っても、ここでは轆轤(ロクロ)を使って作るお椀類よりも、農具の柄や金剛杖など棒類を中心に作っていた。また、社人たちの下に下人がいて、社家の雑用や社人の小作などをしていた。
この白山信仰の真っ只中とも言える、この地にも、すでに本願寺の教えは広まっていた。ここに教えを持って来たのは、やはり、元山伏の慶覚坊だった。
慶覚坊はこの村を門徒化するに当たって、まず、下人たちから門徒にして行き、次第に社人まで門徒化しようと計画した。慶覚坊の努力のお陰で、去年、林西寺(リンサイジ)の弘泰(コウタイ)が蓮如に帰依(キエ)し、天台宗から浄土真宗本願寺派となっていた。そして、下人たちはほとんどの者が門徒となり、熱心に念仏を唱えていた。
「まさか、この村には本願寺の門徒はおらんじゃろう」と風眼坊は賑やかな門前町を眺めながら言った。
「いえ、おります」と慶聞坊は得意気に言った。
「なに、ここにも門徒がおるのか」と風眼坊は街道を行き来する者たちを眺めた。
「はい。慶覚坊殿のお陰です。上人様、林西寺に寄りますか」
「いや、騒ぎは起こしたくない」と蓮如は首を横に振った。
「そうですね」と慶聞坊は頷いた。
「そろそろ、この辺で別れる事にするかのう」と風眼坊は立ち止まると二人に言った。
「なぜじゃ」と蓮如は聞いた。
「わしは、これから白山に登ります。お二人はこのまま下りて行って下さい。この道を真っすぐ下りれば本宮に出られるはずです」
牛首まで来れば白山はすぐそこだった。
蓮如は風眼坊に連れられて、二日間、道なき山の中を歩かされた。もう懲りて、ここからは手取川に沿って山を下りて行くだろうと思っていたが、意に反して、蓮如は風眼坊と一緒に白山に登ると言い出した。
前から登りたかったのだが、しきたりが色々とあるし、また、本願寺の法主たるものが、宗敵である白山に登るなどとはとんでもない事だと、回りの者たちが許してくれんのだと言う。風眼坊に会ったのも阿弥陀如来様のお導きじゃから、この際、思い切って登ってみようと言った。慶聞坊も、白山の山頂には阿弥陀如来様が祀ってあると聞く、是非、拝みたいものじゃと言って蓮如の言う事に賛成した。
風眼坊は仕方なく二人を連れて白山を目指した。手取川をさかのぼり、越前平泉寺からの禅定道に合流して、その日は市ノ瀬に泊まり、次の日、白山山頂へと向かった。
山頂に着いた日は生憎、霧が立ち込めて、回りは何も見えなかったが、翌朝は見事に晴れ渡り、最高の眺めだった。
蓮如も慶聞坊も、こんな高い山に登ったのは初めてだとみえて、飽きる事なく景色を眺め、まさしく、ここは極楽浄土じゃと言い合っていた。
白山に登ったのだから、もう吉崎に帰るのだろうと思ったら、今度は、飛騨(岐阜県北部)側に下りようと言い出した。そして、また阿弥陀如来様を持ち出して、風眼坊に案内してくれと言う。風眼坊にしても別に急いで帰る必要もないので、はいはい、と付き合う事にした。
飛騨白川郷の鳩ケ谷の道場に寄って、越中の国(富山県)に入り、五箇山の赤尾の道場に寄って、井波の瑞泉寺(ズイセンジ)へと向かった。
瑞泉寺には蓮如の次男の蓮乗(レンジョウ)がいた。突然の蓮如の訪問に驚いたが、慌てる事なく落ち着いて一行を迎えた。蓮乗は蓮誓の兄で、年は三十前後、見るからに頭のよさそうな坊主だった。
次の日、蓮乗と一緒に一行は加賀に戻り、二俣(フタマタ)の本泉寺(ホンセンジ)に向かった。そこで風眼坊は、蓮誓の育ての親、勝如尼(ショウニョニ)と出会った。蓮如の叔母だというが蓮如よりはずっと若かった。そして、その叔母、勝如尼は何事にも良く気が付き、じっとしている事などない位、よく働いていた。蓮誓の嫁の如専(ニョセン)も、この叔母に色々と仕込まれたのだろう、と風眼坊は納得した。
瑞泉寺では、蓮如は蓮乗に、今回は忍びの旅だからと蓮如の来た事を公表させなかったが、本泉寺ではそうは行かなかった。勝如は、蓮如が来た事を早々と公表してしまい、蓮如は大勢の門徒たちに説教をしなければならなかった。
風眼坊と慶聞坊の二人は本泉寺の坊主たちと一緒に、集まって来た大勢の門徒たちの整理をしなければならなかった。
風眼坊はその門徒たちの数を見て、実際、驚いた。
蓮如が来たというだけで、これだけの人が集まって来るとは凄いものだった。この熱狂的な門徒たちの力というものは、やはり危険なものを含んでいた。蓮如は勿論、この門徒たちを利用して何かをしようとはしない。しかし、この門徒たちの力を利用しようとする者が必ず、出て来るに違いなかった。あるいは、すでに出て来ているのかもしれない。その時、蓮如は一体、どうするつもりなのだろうか、風眼坊は他人事ながら心配した。
門徒たちに囲まれて大忙しだった本泉寺を後にし、一行はあちこちの小さな道場に立ち寄りながら、波佐谷(ハサダニ)の松岡寺(ショウコウジ)に向かった。
途中、手取川の下流にある島田道場に寄った時、一行は物凄い歓待を受けた。その道場でも蓮如は本名を隠していたが、たまたま蓮如の顔を知っている者がいて、強引に、ある屋敷に連れて行かれた。
その屋敷は深い濠と高い土塁に囲まれた大きな屋敷だった。その屋敷の片隅に立派な道場が建てられ、門徒たちが数人集まって世間話をしていた。
屋敷の主は安吉(ヤスヨシ)源左衛門という手取川流域一帯を支配する国人だった。源左衛門の先祖は源氏で、源平の兵乱の頃、源義仲に従って加賀に来て、この地に土着し、代を重ねるごとに勢力を広げて行った。今では百姓だけでなく、手取川の河原者までも支配している豪族だった。
河原者と言っても町中に住む河原者たちとは違って、乞食とか芸人とかはいない。ほとんどの者たちが手取川を利用した運送業に携わっている者たちだった。源左衛門は武士でありながら白山の社人となり、手取川の運送の権利を手に入れて河原者たちを支配し、手取川に於ける運送業を独占していた。当時の一般的な武士とは違い、土地だけに囚われず、商人的な発想を持った新しい種類の武士と言えた。その源左衛門が今度は熱心な本願寺門徒となったのだった。
源左衛門も初めは好きで門徒になったわけではなかった。百姓や河原者たちが続々と門徒になってしまい、自分に反抗までするようになったので、仕方なく門徒となり、道場の坊主として、百姓や河原者たちを支配して行く事にしたのだった。しかし、本願寺の門徒となり道場主になってみると、自分の勢力を広げるのに、本願寺の組織は好都合にできている事を知った。教えを広めるという名目で勢力を広げる事が堂々とできるのだった。
源左衛門は他所の荘園の百姓たちに熱心に教えを広めて門徒化し、荘園の代官と対立させ、代官が武力を持って門徒たちを押えようとすると、門徒たちを救えと攻め寄せ、代官を追い出して荘園の横領をした。そうして着々と勢力を伸ばして行った。
源左衛門は蓮如を鄭重に持て成した。
島田道場は蓮如の弟子の法敬坊順誓(ホウキョウボウジュンセイ)が建てたもので、源左衛門は法敬坊の弟子となり、了海坊(リョウカイボウ)と名乗っていた。源左衛門は自分の道場に門徒たちを集め、蓮如の説教を聞いた。源左衛門も道場の片隅で、上人様、直々の教えを聞いていた。心の底から有り難い教えだと思い、熱心に念仏を唱えた。
風眼坊はそんな源左衛門をじっと見ていたが、この辺り一帯を支配している豪族には全然見えない、本当に熱心な門徒だと思った。確かに、この時の源左衛門は熱心な門徒に違いなかった。しかし、心の奥では上人様がこの道場に来たというだけで、道場の格が上がり、門徒が益々、増えるだろうと計算していた。
説教が済むと広間の方に案内され、御馳走攻めだった。どこから呼んだのか、曲舞(クセマイ)女たちの華麗な舞も披露され、綺麗どころの遊女たちも現れた。
蓮如がどんな反応を示すだろう、と風眼坊は見守っていた。蓮如は女たちを避けるような堅物(カタブツ)ではなかった。ニコニコしながら遊女の酌を受けていた。そんな蓮如に比べ、慶聞坊の方が余程、堅いらしく妙に畏まっていた。最も、隣に蓮如がいては慶聞坊としても騒ぐわけには行かないのかもしれなかった。
次の日、源左衛門の屋敷を後にして、手取川の支流が何本も流れ、大きな石がごろごろしている広い河原を歩き、山上(辰口町)の道場、板津(小松市)の道場に寄り、波佐谷の松岡寺に着いた。
松岡寺には蓮如の三男の蓮綱(レンコウ)がいた。蓮綱は日に焼けて真っ黒な顔をした若者だった。父親に似て布教のために毎日、歩き回っているようだった。蓮如と蓮綱の話を聞いていると、松岡寺の門徒たちは大杉谷川流域の川の民や木地師、猟師、炭焼き、鍛冶師、鋳物師(イモジ)、金掘りなどの山の民たちが多いようだった。
松岡寺から今度は海岸に出て、漁師たちの道場を巡って、山田光教寺に帰って来た。
風眼坊が白山に登って来ると言って慶覚坊の多屋を出てから、すでに十七日が過ぎていた。
慶覚坊は多屋にいた。
風眼坊が顔を出すと、「随分、のんびりと山に行ってたのう。どこぞに、いい女子(オナゴ)でもおったのか」と笑った。
「いや。女子には縁がなかったが、山の中で、ちょっと変わったお人に出会ってのう。ずっと一緒に旅しておったんじゃ」
「ほう、相変わらず物好きじゃのう」
「なに、わしが頼んだんじゃよ」と風眼坊の後ろから蓮如が言った。
蓮如と慶聞坊が風眼坊の後ろから顔を出して笑った。
「楽しい旅じゃったわ」と蓮如は言った。
「上人様‥‥‥慶聞坊も一体、どうしたんじゃ。風眼坊、もしかして、山の中で会ったお人と言うのは上人様じゃったのか」
「そういう事じゃ。阿弥陀如来様のお導きでな、ずっと旅をしておったというわけじゃ」
「ほう。そいつは驚きじゃのう。上人様、さあ、どうぞ、お上がり下さい」
蓮如と慶聞坊は慶覚坊に旅の話をして、慶覚坊の妻、おつたが沸かしてくれた風呂に入ってさっぱりすると、光教寺の蓮誓に会いに出掛けた。
慶覚坊も二人と一緒に光教寺に行った。
風眼坊はのんびりと風呂に浸かり、客間に戻ると横になった。
慶聞坊の多屋には客間が四部屋あり、泊まりの門徒たちが朝夕、念仏を唱える部屋が一部屋あった。風眼坊が寝泊りしている部屋は一番奥の部屋だった。
風眼坊は部屋で横になりながら本願寺の事を考えていた。ずっと一緒に旅をしていて、蓮如の教えは良く分かった。誰にでも分かる簡単な教えだった。分かり易い反面、取り違えてしまう可能性も多いような気がした。
本願寺の門徒は、ほとんどの者が百姓や山の民、川の民、海の民などの下層階級の者たちだった。はっきり言って、今まで仏教など縁のなかった者たちと言ってもいい。仏教というのは公家や武士たちのもの、あるいは都に住む裕福な町人たちのものだった。彼らの宗教と言えば、古くからの山の神や先祖を祀る位のものだったろう。そこには思想と言えるものはなかった。
蓮如の前にも、彼らを対象とした浄土真宗はあったし、時宗というのもあった。しかし、それらは本願寺のように組織されなかった。蓮如は各村々に講と言う寄り合いを作り、門徒たちを団結させた。講は各道場で行なわれ、道場主は坊主と呼ばれた。坊主と言っても出家するわけではなく、一応、法名で呼ばれるが俗体のままだった。
蓮如の教えを各道場まで伝えるために、道場の上に末寺(マツジ)を置き、その上に有力寺院を置いた。蓮如の書いた『御文』は、その組織によって各道場に配られた。
蓮如が作った組織は教えを広めるためのもので、門徒よりも道場主、道場主よりも寺の坊主の方が偉い、というものではなかったが、組織には必ず権力が付きものだった。現に、道場主、あるいは、寺の坊主の中に百姓たちを支配するために、門徒となった国人や地侍がかなり入り込んでいた。彼らは常に隙あらば領土を拡大しようと思っている。初めのうちは百姓たちの支配を続けるために仕方なく門徒になった国人たちも、今は、門徒たちを利用して領土を拡大しようとたくらんでいる。
土地を手に入れるには、まず、そこを耕している百姓を自分の道場の門徒にして、蓮如の教え、阿弥陀如来のもとでは皆、平等だと説き、領主に年貢など払う必要などないと教え込み、年貢をそっくり本願寺への貢物(ミツギモノ)だと言って奪い取るに違いなかった。そして、奪い取った年貢の一部を本願寺に送り、後はそっくり自分の懐(フトコロ)に入れるという具合だろう。
加賀の国には京や奈良の大寺院や公家たちの荘園及び、幕府の御領所が、かなりあると聞く。そのうち、必ず問題が起きるのは確実だった。
慶覚坊が戻って来た。
「上人様を白山に連れて行ったそうじゃのう」と慶覚坊は縁側に腰を下ろすと言った。
「ああ、感激しておった」
「そいつは良かったのう。しかし、上人様も危険な事をなさるもんじゃ」
「白山は危険じゃったのか」と風眼坊は聞いた。
「ああ、危険じゃ。もし、正体がばれたら殺された事じゃろう」
「そうか‥‥‥ところで、おぬし、付火の下手人を捜しておったそうじゃのう。見つかったのか」
「ああ、見つかった。吉野でな」
「吉野? それじゃあ、おぬし、下手人を追って吉野に来たのか」
「そういう事じゃ。そして、おぬしの事を聞いて山に登ったんじゃ」
「そうじゃったのか。それで、下手人はどいつだったんじゃ」
「平泉寺の山伏じゃ」
「平泉寺? 豊原寺じゃなかったのか」
「ああ。わしも初めは豊原寺じゃと思った。しかし、平泉寺じゃった」
「平泉寺が、どうして、また」
「吉崎御坊が出来てからというもの、越前と加賀の信者の数が半分近くも減ったそうじゃ。白山に登らずに、皆、吉崎にお参りに来てしまうんじゃと。この戦続きで、ただでさえ、白山に登る信者の数が減っておると言うのに、地元の信者まで取られてしまい、平泉寺としても、せっぱ詰まった所まで来ておるらしいのう」
「確かにのう」と風眼坊は頷いた。「吉野や熊野でさえ、今回の戦はこたえておるからのう‥‥‥本願寺は白山も敵に回したか‥‥‥」
「まあ、敵には違いないが、実際、今のこの辺りの事情はそんな簡単なもんじゃない。えらく、複雑なんじゃよ」
「どう、複雑なんじゃ」
「まず、加賀の守護職(シュゴシキ)の富樫(トガシ)が、兄の次郎政親(マサチカ)派と弟の幸千代(コウチヨ)派の二つに分かれて争っておる。そして、越前では朝倉弾正左衛門と甲斐八郎が戦っておる。本願寺は戦はせんが、応仁の乱が始まった頃より東軍方じゃ。朝倉と富樫次郎が東軍で、甲斐と富樫幸千代が西軍じゃ。白山も朝倉と富樫次郎と手を結んで東軍なんじゃよ。豊原寺は甲斐と手を結んで西軍方なんじゃが、甲斐はついこの間、またもや朝倉との戦に負けて、今は富樫幸千代のいる蓮台寺城におる。豊原寺は孤立してしまい、今では朝倉と組もうとしておる。富樫次郎の方は、去年、幸千代に負けて加賀を追い出され、今、越前の朝倉の一乗谷におるんじゃ。そして、もう一つ厄介なものがおる。本願寺と同じ浄土真宗の高田派じゃ。高田派は本願寺と対抗するために、西軍の富樫幸千代と手を結んだんじゃ。今の所は、幸千代も本願寺を敵に回したくはないので高田派の動きを押えておるが、いつ爆発するのか分からん状態なんじゃ」
「成程のう。入り乱れておるのう」
「鍵を握っておるのは本願寺なんじゃよ。上人様は戦など絶対に許さんじゃろう。しかし、門徒たちが勝手に動き出したら、たとえ、上人様でも止める事はできんじゃろう」
「動く気配はあるのか」
「ある。上人様が知らないだけで多屋衆は動き始めておる」
「どう、動き始めておるんじゃ」
「高田派を加賀から追い出すために富樫次郎、朝倉弾正左衛門と連絡と取り始めておる」
「本願寺も、とうとう戦を始めるのか」
慶覚坊は頷いた。「時間の問題じゃろうのう」
「しかし、蓮如殿が戦を許さんじゃろう。いくら門徒が多いとは言え、やはり、蓮如殿が命令を下さん事には門徒たちも一丸とはなるまい」
「まあ、そうじゃろうのう。明日、上人様を送って吉崎に行くんじゃが、おぬしも一緒に来てくれ。会わせたい人がおる」
「誰じゃ」
「付いて来れば、分かる」
「ああ、いいだろう。確かに、おぬしの言った通り、面白くなりそうじゃのう」
「近いうちに、おぬしの剣術が役に立つようになるわ」
「らしいのう」と風眼坊は苦笑いをした。
「やはり、梅雨が上がるのを待ってから旅に出た方が良かったですね」と慶聞坊は信証坊に言った。
「なに、雨に濡れても死にはせん」
「そろそろ、出掛けますか」
「いや、もう少し、小雨になるのを待とう」
「そうですね」
「風眼坊とやら、そなたも、そろそろ本願寺の門徒になりませんかな」と信証坊は風眼坊の隣に腰を下ろすと言った。
「本願寺の教えというのも大体は分かったがのう。しかし、どうも、わしには門徒というのは似合わんのう。わしは、やっぱり山伏の方がいいわ」
「そなたは、どうして山伏になったのかな」
「どうしてと言われてものう。ただの成り行きとしか言えんのう」
「成り行きか‥‥‥実はの、山伏から門徒になった者も、かなりおるんじゃよ」
「ほう、信じられんのう。山伏というと白山の山伏か」
「まあ、そういう事じゃのう。しかし、そなたのような本物の行者と違って、里に住み着いて村人たちに加持祈祷をやっておった山伏たちじゃ。その者たちは皆、山伏をやめて道場を持つ坊主になったがのう。そなたのように山々を歩き回る行者が門徒となってくれれば、山奥で暮らす者たちにも教えを広められるのにのう」
「それはそうかも知れんが、そんなに門徒を増やして、蓮如殿は一体、どうするつもりなんじゃ」
「どうもせんじゃろ。ただ、蓮如殿は、この世に浄土を作ろうとしておるんじゃないかと、わしは思うがのう」
「この世に浄土をのう‥‥‥理想は分かるが難しい事じゃのう」
「やはり、難しいかのう」
「難しいわ。第一、阿弥陀如来様のもとでは、すべての者たちは平等じゃ、という教えは危険すぎる。権力者たちは、そんな教えを絶対に許さんじゃろう」
「そう言われればそうじゃのう」
「今のところ、本願寺は同じ宗教界から睨まれておるようじゃが、そのうち、権力者から睨まれる事になるじゃろう」
「本願寺の教えには争い事はないんじゃ」
「本願寺の教えの中になくても、現実に、この世の中は上下関係で成り立っておる。いくら本願寺の方で争い事を避けようとしても、今の世で生きて行く限り、争い事は避けられんじゃろうな」
「どうして、人間は争い事を好むんじゃろうのう」
「別に好むわけでもないじゃろう。ただ、考え方が少し違っておるだけじゃないかのう。まあ、中には、ただ、おのれの欲だけに走って争う奴らもおるにはおるが、そんな奴らは長続きはせん。そんな奴には誰も付いて行かんからじゃ。しかし、ある程度、長続きしておる奴らは、奴らなりに思想がある。たとえば、越前の朝倉じゃが斯波(シバ)氏の被官の身でありながら、応仁の乱で寝返って、越前の守護職(シュゴシキ)に納まってしまった。それができたのは、ただ欲だけではない。国人たちを引き付ける何かを持っておったからじゃ。朝倉も朝倉なりに、越前の国を浄土にしたかったのかも知れん。誰もが争いなどない太平の世を願っておる。その太平の世を作るために争っておるんじゃないかのう。自分流の太平の世を作るためにのう」
「争わんと太平の世にはならんのかのう」
「太平の世を作るという事は全国を一つに統一するという事じゃ。統一するためには邪魔物は倒さなくてはなるまい」
「いや、争い事はいかん。本願寺の教えが広まれば、誰もが争い事などしなくなるはずじゃ」
「確かに、広まれば争い事はなくなるかもしれん。しかし、広める途中で争い事は起きる。たとえば、日蓮宗は『南無妙法蓮華経』と唱えれば太平の世が来ると言う。浄土宗は『南無阿弥陀仏』と唱えれば太平の世になると言う。どちらも目的は太平の世じゃ。太平の世にいいも悪いもない。たどり着く所は同じじゃ。しかし、日蓮宗では『南無妙法蓮華経』の太平の世じゃないといかんと言い、浄土宗では『南無阿弥陀仏』の太平の世じゃないといかんと言う。そうじゃないのか」
「わしは日蓮宗の事はよく知らんが、日蓮宗よりは浄土真宗の方がいいと思っておる」
「これがいい、あれが悪いと言うのも、欲のうちに入らんのかのう」
「ただ、本願寺の教えでは、決して、他の宗派の事を悪く言ってはおらん」
「わしから見れば、『南無阿弥陀仏』も『南無妙法蓮華経』も同じように思えるんじゃ」
信証坊は、しばらく黙り込んだ。
慶聞坊は黙って二人の顔を見比べながら、やり取りを聞いていた。
信証坊は顔を上げ、雨を眺めながら、「風眼坊殿」と言った。「実に、阿弥陀如来様のお導きじゃ。よいお人と巡り会えたものじゃ。いい勉強になった」
「老師殿。老師殿にそんな事を言われたら照れ臭いわい」
「いや、わしも少し自惚れておったのかもしれん。ただ本願寺のため、本願寺の教えを広めなければならん、ただ、それだけで脇目も振らずに一筋に生きて来た。親鸞聖人様の素晴らしい教えを広めようと、ただ、それだけで生きて来た。現実の世の中を見る目が少し甘かったのかも知れん」
「老師殿、もしかしたら老師殿は‥‥‥」と風眼坊は信証坊をじっと見つめた。
「ああ」と信証坊は頷いた。「わしが蓮如じゃ。本願寺の法主の蓮如じゃ」
風眼坊は何も言えなかった。ただ、蓮如と名乗った隣の老僧を見つめていた。
「わしは、今まで現実の世から逃げておったのかも知れん‥‥‥」
「上人様‥‥‥」と慶聞坊が言った。
「老師殿が、蓮如上人殿でしたか」と風眼坊は、やっとの事で言えた。
知らなかったとは言え、言い過ぎてしまったような気がして後悔していた。この老僧が蓮如だったとは、まったく信じられない事だった。法主ともあろう人が、こんな山奥をさまよっている。わずかな門徒を増やすために自分の足で歩き、自分の口で教えを説いている。
風眼坊は改めて老僧を見直していた。
「やはり、争い事は避けられんのじゃろうか」と蓮如は言った。
「蓮如殿、どうして、名を隠して旅をなさっておるんですか」
「有名になり過ぎて、名前を隠さないと布教どころじゃなくなってしまうんですよ」と慶聞坊が説明した。「人が集まり過ぎて、説教どころではないんです。去年、越中まで行った時など、上人様を一目見ようと門徒たちが集まって来て、死傷者まで出る始末です。その時以来、上人様は本名を隠して布教に出るようになったのですよ」
「ほう、死傷者まで出るとは凄いもんじゃのう」
「そんなもの自慢にもならんわ。そろそろ、出掛けるかのう」
「そろそろ、雨も上がりそうじゃな」
鳥が鳴き始めていた。
三人は小雨の中、山を下りて行った。
三人の姿は霧の中に消えた。
5
風眼坊と蓮如と慶聞坊の三人は真砂(マナゴ)の村から、さらに山奥へと入って行った。大日山に登り、越前と加賀の国境に沿って尾根道を進み、手取川の上流の牛首村(白峰村)に下りた。
途中、蓮如は信証坊として山の中で出会った杣人(ソマビト、きこり)や炭焼き、猟師らに教えを説いた。彼らは、なかなか蓮如の教えを受け付けなかったが、蓮如は根気よく教えを説いていた。
ここ牛首村は、かなり山奥だが、加賀の白山本宮と越前平泉寺を結ぶ街道が通り、また、白山三箇寺から白山に登る禅定道(ゼンジョウドウ、登山道)も通り、牛首白山社を中心にして門前町が広がり、白山への中継地として栄えていた。街道脇には三箇寺や越前平泉寺などの別院や宿坊が数多く並び、山伏や参詣者たちが行き交っていた。
この村は白山社に奉仕する社家(シャケ)と社人(シャニン)たちで成り立っている村だった。社家はこの辺りの山の領主として社人たちを支配していた。社人たちは社家の土地で焼畑をやり、冬は木地師をやっていた。木地師と言っても、ここでは轆轤(ロクロ)を使って作るお椀類よりも、農具の柄や金剛杖など棒類を中心に作っていた。また、社人たちの下に下人がいて、社家の雑用や社人の小作などをしていた。
この白山信仰の真っ只中とも言える、この地にも、すでに本願寺の教えは広まっていた。ここに教えを持って来たのは、やはり、元山伏の慶覚坊だった。
慶覚坊はこの村を門徒化するに当たって、まず、下人たちから門徒にして行き、次第に社人まで門徒化しようと計画した。慶覚坊の努力のお陰で、去年、林西寺(リンサイジ)の弘泰(コウタイ)が蓮如に帰依(キエ)し、天台宗から浄土真宗本願寺派となっていた。そして、下人たちはほとんどの者が門徒となり、熱心に念仏を唱えていた。
「まさか、この村には本願寺の門徒はおらんじゃろう」と風眼坊は賑やかな門前町を眺めながら言った。
「いえ、おります」と慶聞坊は得意気に言った。
「なに、ここにも門徒がおるのか」と風眼坊は街道を行き来する者たちを眺めた。
「はい。慶覚坊殿のお陰です。上人様、林西寺に寄りますか」
「いや、騒ぎは起こしたくない」と蓮如は首を横に振った。
「そうですね」と慶聞坊は頷いた。
「そろそろ、この辺で別れる事にするかのう」と風眼坊は立ち止まると二人に言った。
「なぜじゃ」と蓮如は聞いた。
「わしは、これから白山に登ります。お二人はこのまま下りて行って下さい。この道を真っすぐ下りれば本宮に出られるはずです」
牛首まで来れば白山はすぐそこだった。
蓮如は風眼坊に連れられて、二日間、道なき山の中を歩かされた。もう懲りて、ここからは手取川に沿って山を下りて行くだろうと思っていたが、意に反して、蓮如は風眼坊と一緒に白山に登ると言い出した。
前から登りたかったのだが、しきたりが色々とあるし、また、本願寺の法主たるものが、宗敵である白山に登るなどとはとんでもない事だと、回りの者たちが許してくれんのだと言う。風眼坊に会ったのも阿弥陀如来様のお導きじゃから、この際、思い切って登ってみようと言った。慶聞坊も、白山の山頂には阿弥陀如来様が祀ってあると聞く、是非、拝みたいものじゃと言って蓮如の言う事に賛成した。
風眼坊は仕方なく二人を連れて白山を目指した。手取川をさかのぼり、越前平泉寺からの禅定道に合流して、その日は市ノ瀬に泊まり、次の日、白山山頂へと向かった。
山頂に着いた日は生憎、霧が立ち込めて、回りは何も見えなかったが、翌朝は見事に晴れ渡り、最高の眺めだった。
蓮如も慶聞坊も、こんな高い山に登ったのは初めてだとみえて、飽きる事なく景色を眺め、まさしく、ここは極楽浄土じゃと言い合っていた。
白山に登ったのだから、もう吉崎に帰るのだろうと思ったら、今度は、飛騨(岐阜県北部)側に下りようと言い出した。そして、また阿弥陀如来様を持ち出して、風眼坊に案内してくれと言う。風眼坊にしても別に急いで帰る必要もないので、はいはい、と付き合う事にした。
飛騨白川郷の鳩ケ谷の道場に寄って、越中の国(富山県)に入り、五箇山の赤尾の道場に寄って、井波の瑞泉寺(ズイセンジ)へと向かった。
瑞泉寺には蓮如の次男の蓮乗(レンジョウ)がいた。突然の蓮如の訪問に驚いたが、慌てる事なく落ち着いて一行を迎えた。蓮乗は蓮誓の兄で、年は三十前後、見るからに頭のよさそうな坊主だった。
次の日、蓮乗と一緒に一行は加賀に戻り、二俣(フタマタ)の本泉寺(ホンセンジ)に向かった。そこで風眼坊は、蓮誓の育ての親、勝如尼(ショウニョニ)と出会った。蓮如の叔母だというが蓮如よりはずっと若かった。そして、その叔母、勝如尼は何事にも良く気が付き、じっとしている事などない位、よく働いていた。蓮誓の嫁の如専(ニョセン)も、この叔母に色々と仕込まれたのだろう、と風眼坊は納得した。
瑞泉寺では、蓮如は蓮乗に、今回は忍びの旅だからと蓮如の来た事を公表させなかったが、本泉寺ではそうは行かなかった。勝如は、蓮如が来た事を早々と公表してしまい、蓮如は大勢の門徒たちに説教をしなければならなかった。
風眼坊と慶聞坊の二人は本泉寺の坊主たちと一緒に、集まって来た大勢の門徒たちの整理をしなければならなかった。
風眼坊はその門徒たちの数を見て、実際、驚いた。
蓮如が来たというだけで、これだけの人が集まって来るとは凄いものだった。この熱狂的な門徒たちの力というものは、やはり危険なものを含んでいた。蓮如は勿論、この門徒たちを利用して何かをしようとはしない。しかし、この門徒たちの力を利用しようとする者が必ず、出て来るに違いなかった。あるいは、すでに出て来ているのかもしれない。その時、蓮如は一体、どうするつもりなのだろうか、風眼坊は他人事ながら心配した。
門徒たちに囲まれて大忙しだった本泉寺を後にし、一行はあちこちの小さな道場に立ち寄りながら、波佐谷(ハサダニ)の松岡寺(ショウコウジ)に向かった。
途中、手取川の下流にある島田道場に寄った時、一行は物凄い歓待を受けた。その道場でも蓮如は本名を隠していたが、たまたま蓮如の顔を知っている者がいて、強引に、ある屋敷に連れて行かれた。
その屋敷は深い濠と高い土塁に囲まれた大きな屋敷だった。その屋敷の片隅に立派な道場が建てられ、門徒たちが数人集まって世間話をしていた。
屋敷の主は安吉(ヤスヨシ)源左衛門という手取川流域一帯を支配する国人だった。源左衛門の先祖は源氏で、源平の兵乱の頃、源義仲に従って加賀に来て、この地に土着し、代を重ねるごとに勢力を広げて行った。今では百姓だけでなく、手取川の河原者までも支配している豪族だった。
河原者と言っても町中に住む河原者たちとは違って、乞食とか芸人とかはいない。ほとんどの者たちが手取川を利用した運送業に携わっている者たちだった。源左衛門は武士でありながら白山の社人となり、手取川の運送の権利を手に入れて河原者たちを支配し、手取川に於ける運送業を独占していた。当時の一般的な武士とは違い、土地だけに囚われず、商人的な発想を持った新しい種類の武士と言えた。その源左衛門が今度は熱心な本願寺門徒となったのだった。
源左衛門も初めは好きで門徒になったわけではなかった。百姓や河原者たちが続々と門徒になってしまい、自分に反抗までするようになったので、仕方なく門徒となり、道場の坊主として、百姓や河原者たちを支配して行く事にしたのだった。しかし、本願寺の門徒となり道場主になってみると、自分の勢力を広げるのに、本願寺の組織は好都合にできている事を知った。教えを広めるという名目で勢力を広げる事が堂々とできるのだった。
源左衛門は他所の荘園の百姓たちに熱心に教えを広めて門徒化し、荘園の代官と対立させ、代官が武力を持って門徒たちを押えようとすると、門徒たちを救えと攻め寄せ、代官を追い出して荘園の横領をした。そうして着々と勢力を伸ばして行った。
源左衛門は蓮如を鄭重に持て成した。
島田道場は蓮如の弟子の法敬坊順誓(ホウキョウボウジュンセイ)が建てたもので、源左衛門は法敬坊の弟子となり、了海坊(リョウカイボウ)と名乗っていた。源左衛門は自分の道場に門徒たちを集め、蓮如の説教を聞いた。源左衛門も道場の片隅で、上人様、直々の教えを聞いていた。心の底から有り難い教えだと思い、熱心に念仏を唱えた。
風眼坊はそんな源左衛門をじっと見ていたが、この辺り一帯を支配している豪族には全然見えない、本当に熱心な門徒だと思った。確かに、この時の源左衛門は熱心な門徒に違いなかった。しかし、心の奥では上人様がこの道場に来たというだけで、道場の格が上がり、門徒が益々、増えるだろうと計算していた。
説教が済むと広間の方に案内され、御馳走攻めだった。どこから呼んだのか、曲舞(クセマイ)女たちの華麗な舞も披露され、綺麗どころの遊女たちも現れた。
蓮如がどんな反応を示すだろう、と風眼坊は見守っていた。蓮如は女たちを避けるような堅物(カタブツ)ではなかった。ニコニコしながら遊女の酌を受けていた。そんな蓮如に比べ、慶聞坊の方が余程、堅いらしく妙に畏まっていた。最も、隣に蓮如がいては慶聞坊としても騒ぐわけには行かないのかもしれなかった。
次の日、源左衛門の屋敷を後にして、手取川の支流が何本も流れ、大きな石がごろごろしている広い河原を歩き、山上(辰口町)の道場、板津(小松市)の道場に寄り、波佐谷の松岡寺に着いた。
松岡寺には蓮如の三男の蓮綱(レンコウ)がいた。蓮綱は日に焼けて真っ黒な顔をした若者だった。父親に似て布教のために毎日、歩き回っているようだった。蓮如と蓮綱の話を聞いていると、松岡寺の門徒たちは大杉谷川流域の川の民や木地師、猟師、炭焼き、鍛冶師、鋳物師(イモジ)、金掘りなどの山の民たちが多いようだった。
松岡寺から今度は海岸に出て、漁師たちの道場を巡って、山田光教寺に帰って来た。
風眼坊が白山に登って来ると言って慶覚坊の多屋を出てから、すでに十七日が過ぎていた。
慶覚坊は多屋にいた。
風眼坊が顔を出すと、「随分、のんびりと山に行ってたのう。どこぞに、いい女子(オナゴ)でもおったのか」と笑った。
「いや。女子には縁がなかったが、山の中で、ちょっと変わったお人に出会ってのう。ずっと一緒に旅しておったんじゃ」
「ほう、相変わらず物好きじゃのう」
「なに、わしが頼んだんじゃよ」と風眼坊の後ろから蓮如が言った。
蓮如と慶聞坊が風眼坊の後ろから顔を出して笑った。
「楽しい旅じゃったわ」と蓮如は言った。
「上人様‥‥‥慶聞坊も一体、どうしたんじゃ。風眼坊、もしかして、山の中で会ったお人と言うのは上人様じゃったのか」
「そういう事じゃ。阿弥陀如来様のお導きでな、ずっと旅をしておったというわけじゃ」
「ほう。そいつは驚きじゃのう。上人様、さあ、どうぞ、お上がり下さい」
蓮如と慶聞坊は慶覚坊に旅の話をして、慶覚坊の妻、おつたが沸かしてくれた風呂に入ってさっぱりすると、光教寺の蓮誓に会いに出掛けた。
慶覚坊も二人と一緒に光教寺に行った。
風眼坊はのんびりと風呂に浸かり、客間に戻ると横になった。
慶聞坊の多屋には客間が四部屋あり、泊まりの門徒たちが朝夕、念仏を唱える部屋が一部屋あった。風眼坊が寝泊りしている部屋は一番奥の部屋だった。
風眼坊は部屋で横になりながら本願寺の事を考えていた。ずっと一緒に旅をしていて、蓮如の教えは良く分かった。誰にでも分かる簡単な教えだった。分かり易い反面、取り違えてしまう可能性も多いような気がした。
本願寺の門徒は、ほとんどの者が百姓や山の民、川の民、海の民などの下層階級の者たちだった。はっきり言って、今まで仏教など縁のなかった者たちと言ってもいい。仏教というのは公家や武士たちのもの、あるいは都に住む裕福な町人たちのものだった。彼らの宗教と言えば、古くからの山の神や先祖を祀る位のものだったろう。そこには思想と言えるものはなかった。
蓮如の前にも、彼らを対象とした浄土真宗はあったし、時宗というのもあった。しかし、それらは本願寺のように組織されなかった。蓮如は各村々に講と言う寄り合いを作り、門徒たちを団結させた。講は各道場で行なわれ、道場主は坊主と呼ばれた。坊主と言っても出家するわけではなく、一応、法名で呼ばれるが俗体のままだった。
蓮如の教えを各道場まで伝えるために、道場の上に末寺(マツジ)を置き、その上に有力寺院を置いた。蓮如の書いた『御文』は、その組織によって各道場に配られた。
蓮如が作った組織は教えを広めるためのもので、門徒よりも道場主、道場主よりも寺の坊主の方が偉い、というものではなかったが、組織には必ず権力が付きものだった。現に、道場主、あるいは、寺の坊主の中に百姓たちを支配するために、門徒となった国人や地侍がかなり入り込んでいた。彼らは常に隙あらば領土を拡大しようと思っている。初めのうちは百姓たちの支配を続けるために仕方なく門徒になった国人たちも、今は、門徒たちを利用して領土を拡大しようとたくらんでいる。
土地を手に入れるには、まず、そこを耕している百姓を自分の道場の門徒にして、蓮如の教え、阿弥陀如来のもとでは皆、平等だと説き、領主に年貢など払う必要などないと教え込み、年貢をそっくり本願寺への貢物(ミツギモノ)だと言って奪い取るに違いなかった。そして、奪い取った年貢の一部を本願寺に送り、後はそっくり自分の懐(フトコロ)に入れるという具合だろう。
加賀の国には京や奈良の大寺院や公家たちの荘園及び、幕府の御領所が、かなりあると聞く。そのうち、必ず問題が起きるのは確実だった。
慶覚坊が戻って来た。
「上人様を白山に連れて行ったそうじゃのう」と慶覚坊は縁側に腰を下ろすと言った。
「ああ、感激しておった」
「そいつは良かったのう。しかし、上人様も危険な事をなさるもんじゃ」
「白山は危険じゃったのか」と風眼坊は聞いた。
「ああ、危険じゃ。もし、正体がばれたら殺された事じゃろう」
「そうか‥‥‥ところで、おぬし、付火の下手人を捜しておったそうじゃのう。見つかったのか」
「ああ、見つかった。吉野でな」
「吉野? それじゃあ、おぬし、下手人を追って吉野に来たのか」
「そういう事じゃ。そして、おぬしの事を聞いて山に登ったんじゃ」
「そうじゃったのか。それで、下手人はどいつだったんじゃ」
「平泉寺の山伏じゃ」
「平泉寺? 豊原寺じゃなかったのか」
「ああ。わしも初めは豊原寺じゃと思った。しかし、平泉寺じゃった」
「平泉寺が、どうして、また」
「吉崎御坊が出来てからというもの、越前と加賀の信者の数が半分近くも減ったそうじゃ。白山に登らずに、皆、吉崎にお参りに来てしまうんじゃと。この戦続きで、ただでさえ、白山に登る信者の数が減っておると言うのに、地元の信者まで取られてしまい、平泉寺としても、せっぱ詰まった所まで来ておるらしいのう」
「確かにのう」と風眼坊は頷いた。「吉野や熊野でさえ、今回の戦はこたえておるからのう‥‥‥本願寺は白山も敵に回したか‥‥‥」
「まあ、敵には違いないが、実際、今のこの辺りの事情はそんな簡単なもんじゃない。えらく、複雑なんじゃよ」
「どう、複雑なんじゃ」
「まず、加賀の守護職(シュゴシキ)の富樫(トガシ)が、兄の次郎政親(マサチカ)派と弟の幸千代(コウチヨ)派の二つに分かれて争っておる。そして、越前では朝倉弾正左衛門と甲斐八郎が戦っておる。本願寺は戦はせんが、応仁の乱が始まった頃より東軍方じゃ。朝倉と富樫次郎が東軍で、甲斐と富樫幸千代が西軍じゃ。白山も朝倉と富樫次郎と手を結んで東軍なんじゃよ。豊原寺は甲斐と手を結んで西軍方なんじゃが、甲斐はついこの間、またもや朝倉との戦に負けて、今は富樫幸千代のいる蓮台寺城におる。豊原寺は孤立してしまい、今では朝倉と組もうとしておる。富樫次郎の方は、去年、幸千代に負けて加賀を追い出され、今、越前の朝倉の一乗谷におるんじゃ。そして、もう一つ厄介なものがおる。本願寺と同じ浄土真宗の高田派じゃ。高田派は本願寺と対抗するために、西軍の富樫幸千代と手を結んだんじゃ。今の所は、幸千代も本願寺を敵に回したくはないので高田派の動きを押えておるが、いつ爆発するのか分からん状態なんじゃ」
「成程のう。入り乱れておるのう」
「鍵を握っておるのは本願寺なんじゃよ。上人様は戦など絶対に許さんじゃろう。しかし、門徒たちが勝手に動き出したら、たとえ、上人様でも止める事はできんじゃろう」
「動く気配はあるのか」
「ある。上人様が知らないだけで多屋衆は動き始めておる」
「どう、動き始めておるんじゃ」
「高田派を加賀から追い出すために富樫次郎、朝倉弾正左衛門と連絡と取り始めておる」
「本願寺も、とうとう戦を始めるのか」
慶覚坊は頷いた。「時間の問題じゃろうのう」
「しかし、蓮如殿が戦を許さんじゃろう。いくら門徒が多いとは言え、やはり、蓮如殿が命令を下さん事には門徒たちも一丸とはなるまい」
「まあ、そうじゃろうのう。明日、上人様を送って吉崎に行くんじゃが、おぬしも一緒に来てくれ。会わせたい人がおる」
「誰じゃ」
「付いて来れば、分かる」
「ああ、いいだろう。確かに、おぬしの言った通り、面白くなりそうじゃのう」
「近いうちに、おぬしの剣術が役に立つようになるわ」
「らしいのう」と風眼坊は苦笑いをした。
3.蓮崇
1
蓮如が吉崎の地に本願寺別院を建てようと決めたのは、三年前の文明三年(一四七一年)の五月の事だった。丁度、越前の朝倉弾正左衛門尉孝景(ダンジョウザエモンノジョウ)が西軍から東軍に寝返って、越前守護職に任命され、越前の国の平定に取り組み始めた時期と一致していた。
当時、越前の国は斯波(シバ)氏が守護職だったが、斯波氏は家督争いを始め、応仁の乱が始まると、斯波左兵衛佐義敏(サヒョエノスケヨシトシ)は東軍に付き、斯波治部大輔義廉(ジブノタイフヨシカド)は西軍に付いた。朝倉弾正左衛門尉は守護代の甲斐八郎敏光と共に西軍に属して京都において戦っていた。ところが、弾正左衛門尉は乱の始まった翌年、嫡男の孫次郎氏景だけを京に残して越前に戻って来た。騒ぎ出した国人たちを静めるためとの名目だったが、実は東軍より、寝返れば越前守護職に任命するとの内密の誘いを受け、寝返るための下準備のための下向だった。せっかく、守護職になるからには、国内において自分の勢力を広げる必要があった。いくら、自分の後ろに幕府が付いているとしても、今の状況において寝返ったら、越前国内の国人たちをすべて敵に回してしまう事になる。弾正左衛門尉は周到な下準備をして、文明三年の五月、突然、東軍に寝返った。
正式に越前守護職となった弾正左衛門尉は一乗谷を拠点に、府中(武生市)の守護所を攻め落とし、西軍側の国人らを次々に倒して行った。斯波治部大輔は守護代の甲斐八郎敏光を越前に送るが、甲斐八郎も敗れ、甲斐八郎は加賀の西軍、富樫幸千代と結び、朝倉弾正左衛門尉を倒す機会を狙っていた。
一方、加賀の国の守護は富樫氏だった。富樫氏も二つに分裂していた。両派は争いを繰り返していたが、文安四年(一四四七年)に和解が成立して、加賀の国を二つに分け、南加賀の守護として富樫五郎泰高、北加賀の守護として五郎の甥の富樫次郎成春が治めるという事となった。ところが長禄二年(一四五八年)、北加賀守護の次郎成春は荘園横領のため守護職を解任され、新しく、北加賀の守護となったのが、ようやく再興された赤松氏だった。
赤松次郎政則は小寺藤兵衛を守護代として加賀に送り込み、富樫次郎方の抵抗にも屈せず、北加賀を武力を持って平定した。富樫次郎は加賀を追い出され、亡命中に病死した。この次郎成春には、鶴童丸と幸千代という二人の子があった。南加賀守護の五郎泰高は富樫氏を一つにまとめるために自ら隠居し、家督を次郎成春の嫡子、鶴童丸に譲った。やがて、鶴童丸は元服して次郎政親と名乗った。
応仁の乱が始まった時の加賀の国は、北加賀守護として赤松次郎政則、南加賀守護として富樫次郎政親がいて、共に東軍方だった。しかし、加賀の隣国の越前と能登は西軍に属し、また、赤松氏によって加賀を追い出された成春の一党は、政親の弟、幸千代を立てて、加賀を取り戻すために西軍に付いたため、北陸地方では西軍が圧倒的に有利だった。
やがて、赤松次郎政則は旧領の播磨を回復して、北加賀から出て行った。当然、幸千代党は赤松氏のいなくなった北加賀に入って来た。富樫次郎政親は東軍として、苦しい立場に追い込まれた。そんな時、西軍だった朝倉弾正左衛門尉孝景が東軍に寝返ったのだった。北陸における情勢は一変して、東軍の有利となって行った。
文明四年(一四七二年)八月、越前の西軍、甲斐八郎敏光は朝倉弾正左衛門尉と戦い、敗れて加賀に逃げた。その時の戦は、吉崎御坊の近くの細呂宜(ホソロギ)郷において行なわれたが、本願寺は関係しなかった。加賀に逃げた甲斐八郎は加賀の西軍、富樫幸千代と結んだ。
去年(文明五年)の七月、幸千代は白山山麓の山之内庄(鳥越村)に拠る次郎政親を攻撃した。次郎は越前の朝倉に救援を頼むが、救援が来るまで持ちこたえられず、敗れて越前に逃げた。勢いを得た幸千代と甲斐八郎は、八月に朝倉弾正左衛門尉を攻めて勝つが、決定的な勝利とはならず加賀に引き上げた。
今年の一月にも甲斐八郎は朝倉弾正左衛門尉と戦うが敗れ、風眼坊が蓮如と旅をしていた、つい最近も甲斐八郎は朝倉弾正左衛門尉に敗れていた。
甲斐八郎は富樫幸千代の本拠地、蓮台寺城(小松市)に潜んで越前を窺い、富樫次郎は朝倉弾正左衛門尉の一乗谷に潜んで加賀を窺っていた。
風眼坊は慶覚坊と一緒に蓮如の供をして吉崎に行った。
吉崎御坊は初めて来た時と変わっていた。初めて来たのは二十日程前だった。たったの二十日間で、吉崎御坊は城塞と化していた。吉崎御坊は北西南と北潟湖に囲まれ、自然の城塞ともいえる所に建っているのに、さらに、細呂宜郷へと続く東側に深い濠が掘られ、大聖寺川から水を引き入れ、高い土塁を築き、門前町を守っていた。
「これは、一体、どうした事じゃ」と蓮如は目を丸くして慶覚坊に聞いた。
「はい。上人様が留守の間に、多屋衆によって吉崎を守るために決めたのです」
「まだ、分からんのか。本願寺は戦には参加せん」
「それは充分に分かっております。しかし、この間の火事の事もあります。本願寺がする気がなくても、本願寺を敵と見ている者たちは大勢おります。決して、戦うわけではありませんが、身を守らなければなりません」
「これでは、まるで城と同じではないか。本願寺がこんな構えをしたら、それこそ、敵を挑発する事になりかねん。敵が攻めて来たら逃げればいいんじゃ。吉崎がなくなっても、本願寺の教えは残る。本願寺の教えは寺にあるのではない。守るべきものは寺ではなくて、門徒たちじゃ。決して、門徒たちを戦に巻き込んではならん」
「それは分かります。しかし、ここには上人様の裏方様(奥様)やお子さんたちがおられます。全員が無事に逃げるまでは、ここを守らなくてはならないのです。お分かり下さい」
蓮如は黙った。裏方や子供たちの事を出されては蓮如にも返す言葉がなかった。
一行は多屋衆が警固する門を通って門前町に入り、門徒たちの行き交う中、本坊へと向かった。御影堂(ゴエイドウ)では大勢の門徒たちが坊主の説教を聞いていた。蓮如は御影堂の前を通ると、書院で待っていてくれと言って庫裏(クリ)に入って行った。
書院は蓮如が客と会う場所であり、蓮如が『御文(オフミ)』を書く場所だった。風眼坊と慶覚坊と慶聞坊の三人は御影堂の見える部屋に案内された。
「やはり、上人様は戦には絶対、反対のようじゃのう」と慶覚坊は首を振ると腰を落とした。
「上人様は純粋すぎるんです」と慶聞坊は縁側から御影堂を眺めていた。
「上人様の耳には入れてないんじゃが、高田派の門徒が、とうとう、本願寺の道場に火を付けたんじゃよ」と慶覚坊が声をひそめて言った。
「そいつは本当ですか」慶聞坊は驚き、慶覚坊の側まで来ると腰を下ろした。
「ああ。本願寺の門徒はいきり立っておる。今の所は、何とか押えておるが、危ない状態にあるんじゃよ」
「どうして、蓮如殿にその事を知らせんのじゃ」と風眼坊は慶覚坊に聞いた。
「知らせれば上人様は現場に行く。上人様は門徒たちに争い事をやめるように説得なさるじゃろう。そして、門徒たちは上人様の言う事をよく聞いて、騒ぎは治まる事じゃろう。しかし、それは一時的な事で終わってしまう。すでに、門徒たちは昔の門徒たちとは違うんじゃ。上人様は布教の為に組織を作られた。上人様の教えが末端の道場までも届くように、完璧な組織を作られた。しかし、その組織というのは一歩間違えれば、すぐに、戦闘集団と化す可能性を秘めておるんじゃ。本願寺と門徒との間に立つ坊主たちの中に、かなりの国人層が入って来ておる。その坊主たちは上人様の作った組織を利用し、上人様の教えを武器として、前以上に支配を強化しておるんじゃよ。勝手に、破門などという制度を作って門徒たちを威してさえおる」
「本願寺には破門はないのか」
「ある事はある。しかし、破門というのは本願寺の教えの中にはないんじゃ。阿弥陀如来様は、すべての者を救うという本願を掛けられた。どんなに悪い奴もじゃ。その教えの中に、破門などというものはない。上人様もそうお考えじゃ」
「そうか‥‥‥そうじゃろうのう」
「このままでは済まされまい。上人様はどうなさるつもりなんじゃろう」と慶聞坊は首の後ろをたたいた。
「難しいのう」と慶覚坊は青空を眺めた。
どこかで、カッコウが鳴いていた。
「ちょっと聞きたいんじゃがのう」と風眼坊は二人に聞いた。「さっき、話に出た高田派の門徒というのは、どんなんじゃ」
「親鸞聖人から出た同じ浄土真宗の一派です」と慶聞坊が答えた。「高田派の本山は下野(シモツケ、栃木県)高田の専修寺(センジュジ)なんです。それで、高田派と言うんですけど、十代目の真慧坊(シンエボウ)は専修寺を高田から伊勢の一身田(イッシンデン、津市)に移しました。それでも、未だに高田派と呼んでおります。
高田派には親鸞位(シンランイ)というのがありまして、法主(ホッス)は代々、その親鸞位に上るという事になっておるんです。高田の真仏上人(シンブツショウニン)はただ一人、親鸞聖人様より秘密の教えを授けられ、親鸞聖人様と同じ位に上られた。そして、代々、その秘密の教えを伝授された、ただ一人だけが親鸞位となって、浄土真宗の正統な法主になると言うんです。
自惚れもいいところです。親鸞位などというのは、高田派が親鸞聖人様がお亡くなりになってから勝手に考え出したものなのです。親鸞聖人様はお弟子も持たずに、お寺もお建てにはなりませんでした。自分の事を半僧半俗の愚禿(グトク)とまで、おっしゃっておりました。その親鸞聖人様が秘密の教えなど授けるわけがありません。第一、浄土真宗の教えの中に、秘密にしておくようなものなど何もありません。
蓮如上人様は親鸞聖人様の正しい教えを広めなされました。上人様がここに来る前は、この北陸の地にも物取り信心(シンジン)が当然のごとく行なわれていたのです。寺の坊主は門徒たちから物を受け取り、その量の多寡によって極楽往生を決めておったのですよ。高田派の坊主は勿論の事、本願寺の坊主でさえ、平然とそれをやっておったのです。上人様はまず、本願寺の坊主に物取り信心は異安心(イアンジン)だとしてやめさせました。高田派の坊主は未だに、それをやっております。
上人様が北陸に進出して来て、本願寺の教えを広めたため、高田派の門徒はかなり減って来ております。高田派の坊主にしてみれば、銭が本願寺に逃げて行ったのと同じ事なのです。本願寺を敵に回すのも当然の事と言えます」
「やはり、銭が絡んでおるのか」と風眼坊は眉を寄せた。
「早い話がそうじゃ。しかし、上人様にはそこの所が分からん。高田派は間違った教えを広めておる。法敵として戦わなければならんとおっしゃる。上人様はお互いの教義で戦おうとする。中には上人様の教義を理解して、高田派から本願寺に転宗した坊主もおる。しかし、教義なんかどうでもよく、ただ、欲のために本願寺を憎んでおる坊主たちも、かなりおるんじゃ。そんな坊主たちに扇動されて、高田派の門徒たちは本願寺の門徒たちを目の敵にしておる。そんな奴らに上人様が何を言おうとも無駄なんじゃ」と慶覚坊は強い口調で言った。
「力を持って戦うしかない、と言うわけか」
慶覚坊も慶聞坊も何も答えなかった。しかし、風眼坊には二人が心の中で、仕方がないが、それしかないと思っている事は分かった。
その後、二人はその事に触れなかった。慶覚坊は慶聞坊に今回の旅の事を聞いていた。
やがて、蓮如が現れた。和やかな、いつもの顔に戻っていた。
2
吉崎御坊で蓮如と別れると、慶聞坊は自分の多屋に帰った。慶聞坊は寄って行けと言ったが、慶覚坊は、蓮崇(レンソウ)の所にいるから後で来てくれと言って別れた。
慶聞坊の多屋は御坊のすぐ下にあった。御坊へと続く坂道の両脇に多屋が並んでいる。ここに並んでいるのは、各地の大坊主の多屋だと慶覚坊は風眼坊に説明した。慶聞坊の多屋は近江の国、金森(カネガモリ)の門徒たちの多屋だと言う。
坂道を下りると北門があり、さらに行くと大通りにぶつかった。大通りを左に曲がり、二軒目の多屋が慶覚坊の言った下間(シモツマ)蓮崇の多屋だった。
蓮崇はいなかった。
蓮崇は吉崎御坊で蓮如の側近く仕え、取り次ぎの役をしていると言う。
蓮如がふらっと旅に出てしまい、二十日間も留守にしてしまったので、何かと忙しいのだろうと慶覚坊は笑った。
「蓮如殿は、よく、ああいう風に、ふらっと旅に出るのか」と風眼坊は聞いた。
「春先から秋にかけて、ほとんど、旅に出ておると言ってもいいじゃろう。上人様はここに落ち着くつもりはない。ここにいる限りは、できるだけ北陸の地に門徒を増やそうとしておる。ここに集まって来る者たちは、すでに門徒たちじゃ。上人様が、ここに集まる門徒たちを大事にしないというわけじゃないが、上人様は自分の足で歩き、一人でも多くの人たちと接し、教えを広めたいのじゃろう。上人様が本願寺の法主となった時は、もう四十歳を過ぎておった。それまで、ずっと部屋住みの淋しい暮らしをなさっておられた。上人様が部屋住みの頃、わしは何度か会った事があるが、いつも、部屋の中に籠もって写経なされておられた。あの頃の反動が今になって出て来たんじゃないかのう。もう、六十歳だというのに達者なもんじゃ」
風眼坊と慶覚坊は客間の一室に通された。山田光教寺の門前にある慶覚坊の多屋よりも、大きくて立派な建物だった。二人の通された客間は庭に面していて、その庭には池があり、鯉が泳いでいた。庭を囲む塀の向こうに大きな蔵が四つも並んで建っていた。
「ようやく、梅雨も上がったようじゃのう」と慶覚坊は空を見上げながら言った。
風眼坊が大峯山を下りたのが五月の末で、今日は、もう、閏(ウルウ)五月の二十二日だった。早いもので、もう一月が経っていた。
「さっきの話じゃがのう」と慶覚坊は言った。「上人様に何人、子供がおると思う」
「子供か‥‥‥大津にいた順如殿じゃろ。山田の蓮誓殿、越中にいた蓮乗殿、それと、波佐谷にいた蓮綱殿、全部、男というわけもないじゃろうから、六人位か、それが、どうかしたのか」
「残念じゃのう。そんなに少なくないわ」
「十人もおるのか」
「いや」と慶覚坊は首を振って、「十七人じゃ」と言った。
「なに、十七人‥‥‥」風眼坊は驚いた。あの蓮如に十七人もの子供がいるなんて、とても考えられなかった。「そいつは大したもんじゃのう。いや、凄いのお‥‥‥そうか、何人も奥方がおるんじゃな」
「まあ、今の裏方様は三人目じゃが、一度に二人も持った事はない。最初の裏方様がお亡くなりになって、次ぎの裏方様を貰い、その裏方様もお亡くなりになったので、三人目を貰いなさったのじゃ」
「ほう、すると、今の裏方様というのは若いのか」
「二十七じゃ」
「成程のう。そんな若い女房を貰えば達者なはずじゃ‥‥‥もしかしたら、その裏方様の腹の中にも、子供がおるんじゃないかの」
「いや、まだのようじゃ」
「すると、今、あの御坊には何人の子供がおるんじゃ」
「十二歳の女の子を頭に、六歳の女の子まで五人おられる」
「そいつは大変な事じゃのう。子供たちの面倒を見るだけでも大変じゃ」
慶覚坊は頷いた。「皆、二番目の裏方様のお子さんなんじゃ。二番目の裏方様は上人様がこの地に来られる前にお亡くなりになられた。苦労なされた事じゃろう。大谷の本願寺を叡山の衆徒どもに破壊され、一ケ所に落ち着く事なく点々として、ようやく大津に落ち着けたと思ったら、具合が悪くなって亡くなってしまわれたんじゃ。上人様はここの繁栄振りを見せてやりたかった事じゃろうのう」
「そうか、色々な事があったんじゃのう」
最初の裏方様はもっと辛い目に会われて、上人様が本願寺を継いだ事も知らずに亡くなってしまった、という話をしている時、下間蓮崇は現れた。
一度、会った事のある坊主だった。
慶覚坊に初めてここに連れて来られた時、取り次ぎに出て来て、上人様は近くの道場に出掛けて行って留守だと言った坊主だった。年の頃は風眼坊たちより少し若い、四十前後に見えた。
「やあ、参った、参った」と言いながら部屋に入って来ると、蓮崇は二人の側に坐り込んだ。
「そなたですか。上人様と御一緒だったという行者殿は」
慶覚坊は二人を紹介した。
「ほう、それは頼もしい事ですなあ」と蓮崇は慶覚坊から風眼坊の剣術の話を聞くと、改めて風眼坊を見直した。
「もうすぐ、そなたの腕を借りる事になるかもしれません。その時はお願いしますよ」
「何か、始まるのですか」と風眼坊は聞いた。
「はい。そろそろ、仏敵を退治しなければならない時が迫って参りました」
「仏敵と言うと高田派の事ですか」
蓮崇は重々しく頷いた。
風眼坊は蓮崇の顔を見ながら、軍師のような男だと思った。
風眼坊は昔、応仁の乱の始まる前、山城の国(京都府南東部)で一揆衆と共に、正規の武士相手に戦った事があった。一揆衆と言っても、ほとんど在地の国人たちが百姓たちを指揮して、戦っていたわけだったが、その指揮する国人たちの中に必ずと言っていい程、軍師振る奴がいた。そういう奴らのほとんどは自ら作戦を立て、うまく行っている時は、やたらと自分の作戦を誉めて威張っているが、自分の作戦がはずれて、味方が不利になると真っ先に逃げ、何だかんだと言って責任転化してしまう奴らだった。
ほんの少し話しただけだったが、何となく、蓮崇もその手の男じゃないかと、ふと思った。
「風眼坊殿も山の中で、偶然、上人様と出会うなんて奇遇な事ですな。上人様の言うように、阿弥陀如来様のお導きとしか言いようがありませんな」
「わしが風眼坊に会ったのも、ひょっとしたら阿弥陀様のお導きかのう」と慶覚坊が笑いながら言った。
「そうかも知れん」と風眼坊は頷いた。「何しろ、二十年振りじゃからのう」
「わしが平泉寺の山伏を追って、吉野まで行かなかったら会えなかったんじゃからのう」
「という事は、御山(吉崎御坊)の火事のお陰というものかのう」と蓮崇が笑いながら言った。
「縁起でもないぞ」と慶覚坊がたしなめた。
「そうじゃ。もう二度と付火などさせんわ」蓮崇はそう言うと、真面目な顔に戻って、「ところで、高田派の動きはどうじゃ」と慶覚坊に聞いた。
「危ない所まで来ておるのう」と慶覚坊も厳しい顔付きで答えた。「高田派としては一刻でも早く、本願寺と事を構えたいようじゃが、幸千代が押えておる。幸千代は手を出さなければ本願寺は動かないという事を知っておる。幸千代としては本願寺を敵にしたくはないのじゃろう。形としては本願寺は東軍となっておる。本願寺を敵としている高田派は西軍の幸千代と手を結んだ。幸千代は去年、宿敵の次郎を加賀から追い出した。次郎を追い出したとはいえ、加賀にはまだ、次郎党はかなりおる。今の内に次郎党を寝返らせるか、追い出すかして、加賀の国をまとめ、目処(メド)が立ったら甲斐八郎と共に越前に出て、朝倉共々、次郎を攻めるつもりなんじゃ。それまでは本願寺には触れずにおるつもりじゃろう」
「成程のう。しかし、高田派がそう、いつまでも黙ってはおるまい」
「その事じゃ。しかし、高田派の坊主も馬鹿じゃない。幸千代の力を借りなくては、本願寺に勝てるとは思ってはおらん。ただ、門徒同士の争いから戦端が開かれる可能性は充分にある」
「うむ、門徒同士からのう‥‥‥」
「朝倉の方はどうなんじゃ」と今度は、慶覚坊が蓮崇に聞いた。
「朝倉の方も、まだ、完全に越前を統一しとらんからのう。あっちに行ったり、こっちに行ったりで、まだ、当分、次郎を連れて加賀に攻めて来る気はないようじゃのう」
「それじゃあ、次郎の奴は、イライラしておるじゃろう」
「いや、朝倉弾正殿と富樫次郎では役者が全然違うわ。弾正殿は次郎に屋敷まで建ててやり、まるで、戦の前の京の都のような一乗谷の賑わいの中で、毎日、女をはべらし、遊んで暮らしておるわ。イライラしておるのは側近の者たちで、本人の方は戦などするより、女子を抱いておった方がいいという有り様じゃ」
「話にならんな。次郎というのはいくつじゃ」と風眼坊は聞いた。
「まだ、二十歳じゃ」と慶覚坊が答えた。
「まだ、二十歳か。こいつは朝倉に骨抜きにされるぞ。対する幸千代の方はいくつなんじゃ」
「まだ、十六じゃ」
「何じゃ、二人共、ただの飾り物にすぎんのじゃないのか」
「まあ、そういう事じゃな。お互いに家臣共が加賀の国を取りっこしているわけじゃよ」
「本願寺としては、そんな事はどうでもいい事じゃが、このままでは済むまい。いつか、戦になる。戦になれば、本願寺もただ見ておるだけというわけにはいかんじゃろうのう」
「そうじゃ。上人様にも、そろそろ、心を決めておいてもらわん事にはのう」
「そいつは難しいのう」と風眼坊は慶覚坊と蓮崇の顔を見比べた。
「そうなんじゃ、そいつが一番、難しい事なんじゃ」と蓮崇は困った顔をして言った。
その時、女の子が部屋の外から声を掛けた。
「分かった。今、行く」と蓮崇は答えた。
「わしの娘じゃ。酒の用意ができたそうじゃ。わしのうちの方に行こう」
風眼坊と慶覚坊は、蓮崇の後について別棟の屋敷に入り、見事な襖(フスマ)絵に囲まれた広間に案内された。広間の中央あたりを屏風(ビョウブ)で仕切り、屏風の向こうにお膳が四つ並べられてあった。すでに慶聞坊が坐っていた。
「やあ、慶聞坊殿、早いですな」と蓮崇が言った。
「今、来たところです。客間の方に行こうと思ったら、みんなを呼んで来るからと、こっちに案内されました」
「そうじゃったのか、まあ、坐ってくれ」
「ここで飲むのも久し振りですねえ」と慶聞坊は蓮崇に言った。
「そうじゃのう。慶聞坊殿は上人様と年中、旅をなさっておるからのう」
「ええ、上人様の気まぐれにも困ったものですよ。突然、旅に出ると言い出しますからのう。それも、足の向くまま気の向くままです。一度、旅に出たら、いつ、帰れるかも分かりません。参りますよ」
「まあ、そう言わんでくれ。おぬしが一緒じゃから、わしらも安心できるんじゃよ」
「ええ、分かっております。それが、わしのお勤めですから」
「上人様も、二十八日の報恩講(ホウオンコウ)が終わるまでは旅には出んじゃろう。まあ、今日は、ゆっくり飲んで休んでくれ」
四人は酒を酌み交わし、昔話に花を咲かせた。
3
北潟湖の水面が眩しかった。
風が少しもなく、朝から蒸し暑い一日だった。
柿染衣(カキゾメゴロモ)の山伏と墨染衣の坊主の二人連れが、北潟湖に沿って南下していた。
二人の後ろに荷物を積んだ馬を引いて、一人の下男が従っていた。その馬は荷物を積んだりするのに使う駄馬(ダバ)ではなかった。名馬と呼べる程の馬だった。どう見ても、この三人にはふさわしくない立派な馬だった。
山伏は風眼坊舜香、坊主は下間蓮崇だった。二人は朝倉弾正左衛門尉孝景の本拠地、越前一乗谷に向かっていた。名馬は勿論、朝倉弾正への贈り物だった。
昨夜、酒の席で蓮崇は、明日、一乗谷に行って朝倉弾正と会って来ると言った。
「朝倉に会ってどうする気じゃ。越前の高田派門徒の奴らを倒して貰うつもりか」と慶覚坊は聞いた。
蓮崇は首を振って、みんなの顔を見比べると、「幕府を動かして貰う」と、ニヤニヤしながら言った。
「えっ! 幕府を動かす」と慶聞坊は驚いて蓮崇を見つめた。
慶覚坊も風眼坊も蓮崇の言った言葉には驚いた。
三人の驚きようを見ながら、蓮崇は満足そうに頷いた。
「弾正殿に頼んで幕府を動かして貰うんじゃ」と蓮崇はもう一度、言った。
「幕府なんか動かしてどうするんです」と慶聞坊が聞いた。
「上人様に腰を上げて貰う」
「幕府の力でか」と慶覚坊が聞いた。
「そうじゃ。幕府の命となれば、さすがの上人様でも腰を上げなければなるまい」
「確かに、そうですけど、しかし、上人様を苦しめる事になりますよ」と慶聞坊は言った。
「それは分かっておる。しかし、もう、来る所まで来てしまったんじゃ。門徒たちは高田派の奴らにやられても、上人様がきっと何とかしてくれると信じておる。しかし、上人様は、今のこの状態をどうにかしようとは考えておられない。ただ、争い事は避けよ、とおっしゃる。上人様は、ここが襲われたら、どこかに逃げればいいとおっしゃる。上人様はそれでもいい。しかし、この土地で生活している者たちは、ここから逃げるわけにはいかんのじゃ。自分らが住んでいる、この土地を守らなけりゃならん。この土地を戦などない阿弥陀様の浄土のようにしたいと願っておるんじゃ。何もしないで浄土など得られん。やはり、戦うべき時は戦わなけりゃならんのじゃないのか」
「確かにのう」と慶覚坊は頷いた。「確かに、今は危ない状態じゃ。いくら本願寺の門徒たちの数が多いとはいえ、烏合(ウゴウ)の衆に過ぎん。はっきり言って、今、高田派の門徒たちが富樫幸千代と組んで本願寺を攻めて来たら、本願寺は潰れるかもしれん。本願寺が勝つためには、門徒たちを一つにまとめなければならん。それができるのは上人様だけじゃ」
「その通りじゃ」と蓮崇は言った。「一つにまとめなければならんのじゃ。そこで、幕府の力を借りるんじゃよ」
「朝倉にどう頼むつもりじゃ」と風眼坊が聞いた。
「ただ、加賀の守護職、富樫次郎に味方するように、幕府の方から本願寺に対して命ずるように頼むつもりじゃ」
「それで上人様は動くかのう」と風眼坊は聞いた。
「動く」と蓮崇は自信たっぷりに言った。「上人様も今回だけは目をつぶって下さるじゃろう。上人様も悩んでおられるのじゃ。上人様は俗世間とは関係なく、ただ、教えを広めたかっただけなんじゃ。しかし、門徒たちは皆、俗世間で生きておる。門徒たちが増えるという事は教えが広まるという事なんじゃが、それだけでは済まされなかった。今まで孤立していた村々がお互いに門徒同士で付き合うようになり、お互いに領主に対して不満を言うようになって来たんじゃ。今までは当然のように、厳しい年貢を払って来た百姓たちが隣村の状況やらを聞いて、領主に反抗するようになって来た。どの村も皆、領主が違い、年貢高もばらばらじゃ。高い所もあれば安い所もある。百姓たちはその事に気づき、団結して領主に対抗する事を覚えた。一度、覚えてしまった事はもう止められん。そこに、坊主として在地の国人たちが入って来たものだから始末に追えん。国人たちは荘園を横領しようと百姓たちをけしかけておる。百姓たちはもう命ぜられるままに、おとなしく高い年貢を払うような百姓ではなくなっておるんじゃよ。団結すれば、何でもできると思っておるんじゃ。上人様は何度も『御文』を書いて、領主に逆らうな、他宗を誹謗するな、とおっしゃるが、なかなか門徒たちは言う事を聞かんのじゃ。上人様も口には決して出さないが、やらなければならない時が来たと思って下さるに違いない」
「そうじゃのう。ここに来て三年になるが、確かに百姓たちの顔付きが変わって来ておる。最初の頃は、百姓たちは何となく暗くて情けない顔をしておった。わしは、雪深い北国に住んでるせいじゃと思っておった。しかし、最近、この御山に来る百姓たちの顔はみんな、生き生きしておる」と慶覚坊は言った。
「それは言えますねえ」と慶聞坊も同意した。
「朝倉が幕府に頼んだとして、幕府が動くかのう」と風眼坊は言った。
「それは富樫次郎次第でしょう」と蓮崇は答えた。「加賀には幕府の御領所と、公家や大寺院の荘園がかなりあります。ところが、戦乱状況でそれらの年貢は京まで届きません。次郎が加賀の国をまとめ、国人たちに横領されておる荘園を本所(領主)に戻し、年貢を送ると約束すれば幕府は動くでしょう」
「成程のう。それで、朝倉への伝(ツテ)はあるのか」
「蓮崇殿は朝倉弾正の猶子(ユウシ)になっておるんじゃよ」と慶覚坊が言った。
「なに、猶子に‥‥‥」
「名字だけじゃがな」と蓮崇は照れた。
名字だけの猶子とは、名義上、養子となり、名字を名乗っても構わないというものだった。たとえ、名義上だけでも、一応、一族として扱われた。蓮崇は朝倉の一族になっていたと言う。
風眼坊は改めて、蓮崇という男を見た。どういう風にして朝倉の猶子になったのかは分からないが、そこまで準備をしているとは、なかなか大した男だと思った。
蓮崇は、本物の山伏が一緒なら豊原寺や平泉寺の衆徒たちも手を出さないだろうから、明日、一緒に来てくれ、と風眼坊に頼んだ。わしは情けない事に腕の方はさっぱりじゃ、誰かに襲われたら逃げるしかない。しかし、頼み事をするのに手ぶらでも行けん。わしと荷物を守るために、是非、一緒に来てくれと頼まれた。
風眼坊も、一度、京の都のように栄えているという一乗谷を見てみたかったし、朝倉弾正左衛門尉という男にも会ってみたかった。風眼坊は一緒に行く事にした。
蓮崇は歩きながら風眼坊から他所の国の事など聞き、また、自分も蓮如と共に東国の方に旅した事など話した。
一行は水田の広がる広々とした平野を北の庄(福井市)を目指していた。もう、田植えはほとんど終わり、水を引き入れた田に稲の苗が並んでいた。
蓮崇は北の庄の南、麻生津(アソウツ、浅水)に生まれた。母親が熱心な本願寺の門徒だったため、幼い頃、口減らしのため和田の本覚寺(ホンガクジ)に入れられた。
寺に入ったといっても小僧になったわけではなく、下男のように朝から晩までこき使われた。それでも食う物があるだけ増しだった。十五歳の時、本覚寺に来た蓮如の叔父、如乗に連れられて加賀の二俣本泉寺へと行く事となった。如乗は蓮崇の隠れた才能を見抜いたのかも知れなかった。
如乗は本泉寺に帰ると蓮崇を出家させ、心源(シンゲン)と言う坊主にした。心源は如乗によく尽くし、よく働いた。頭の回転が早く、如乗が思った事の先へ先へと考えて、手際よく働いた。心源は読み書きを知らなかったが、如乗から教わった。
本泉寺に来て十年が経ち、下間玄信(シモツマゲンシン)の娘と一緒になった。下間家は本願寺の執事(シツジ)を代々勤めている家柄で、玄信は蓮如の執事をしている下間頼善(ライゼン)の叔父に当たる人だった。心源は玄信の養子となって下間心源と名乗り、湯涌谷(ユワクダニ)の道場を任されるようになった。
嘘のような、夢のような出世だった。
如乗と出会って本泉寺に来てからというもの、子供の頃の惨めな思いが、まるで嘘のようだった。順風に乗った船のように、すいすいといい調子だった。本願寺の教えを心から信じ、教えを広め、門徒を増やし、毎日、阿弥陀様に感謝の気持ちを込めて念仏していた。寛正の大飢饉の時も本願寺の教えにすがって、門徒たちと共に乗り越えた。子供も三人でき、道場も栄えた。
丁度、京で戦が始まった頃だった。この地方で悪疫が流行って、心源の門徒たちが何人か死んで行った。門徒たちは阿弥陀様など信じられないと騒ぎ出したが、心源は病気で苦しんでいる者たちに教えを説いて、浄土へと送った。ところが、心源の長女が疫病に罹ってしまった。心源は阿弥陀如来にすがり、念仏を唱え続けたが、娘は苦しんだあげく、あの世へと旅立って行った。娘はまだ七歳だった。
門徒たちが疫病で亡くなった時、あれ程、熱心に教えを説いていた心源は、自分の娘が亡くなり、身内を亡くした門徒たちと同じように、本願寺の教えが信じられなくなっていた。
心源はしばらく道場にも顔を出さないで、悲しみに打ちひしがれていた。その間、一言の念仏も唱えなかった。娘の死から一月経った頃より道場にも出るようになったが、以前のように熱心にはなれなかった。口数も少なくなり、ただ、道場主として惰性で教えを説いていたようなものだった。
そんな時、本願寺法主の蓮如が二俣の本泉寺に現れた。東国への巡錫(ジュンシャク)の途中だった。
心源は確かな教えを求めて蓮如と会った。蓮如と会うのは初めてではなかった。蓮如はまだ部屋住みの頃、何度か本泉寺に来ていた。その時、蓮崇も蓮如に会っていたが、本願寺の法主となった蓮如に会うのは初めてだった。
蓮如から聞いた教えは別に新しいものでも何でもなかった。しかし、心源は蓮如に会って、何かが分かったような気がした。それが何なのか分からないが、何かが分かりかけていた。心源は蓮如に、自分も一緒に旅に連れて行ってくれと頼んだ。なかなか許しは得られなかったが、蓮崇は何とか頼み込み、付いて行く事となった。一行の中には慶聞坊、慶覚坊、そして、従兄の下間頼善も一緒だった。
心源は蓮如と共に東国を回り、四ケ月の旅の後、加賀には帰らず、近江の国、大津にて蓮如に仕えていた。蓮如も心源が側にいてくれると何かと便利なので助かっていた。
心源は蓮如から蓮崇という新しい法名を貰った。蓮崇となった心源は、蓮如の側近く仕えるうちに、心から本当の本願寺の教えというのが分かって来るようになっていた。
加賀にいた頃は、阿弥陀如来様というのは遥か遠くの方にいて、我々が念仏を唱えると手を差し延べて、救ってくれる有り難い仏様だと思っていた。しかし、蓮如の教えでは違っていた。阿弥陀如来様は遠くにいるのではなく、我々のすぐ側にいて、我々はすでに阿弥陀如来様によって救われていると言う。たとえて言うなら、我々は阿弥陀如来様の大きな手の平の上にいるようなもので、阿弥陀如来様は我々のする事、すべてお見通しなのだと言う。阿弥陀如来様は決して差別をなさらず、すべての者たちを救っている。我々はその事に感謝して、念仏を唱えるのだと言う。その事に気づいた時、蓮崇は阿弥陀如来様のその偉大なる慈悲心に驚くと同時に、そんな大きな教えを説く蓮如が阿弥陀如来様そのもののように大きく見えて来た。
蓮崇が大津に来て、約一年後の文明元年(一四六九年)の十一月、今まで三井寺(ミイデラ)に借りていた南別所の地に、正式に本願寺の寺、顕証寺(ケンショウジ)が建てられた。
その月の二十一日より二十八日まで、新しい顕証寺において親鸞聖人の報恩講が大々的に行なわれた。各地の坊主たちを初め近江や京の門徒たちが大勢集まり、毎日、念仏に明け暮れた。その念仏が叡山まで聞こえ、衆徒たちが攻めて来るのではないかと心配だったが、さすがに、三井寺(園城寺、延暦寺の山門派に対して寺門派として対立していた)の敷地内には山門も攻めて来る事もできず、無事に報恩講も終わった。
蓮崇は一年半、大津顕証寺にいて蓮如の側で働いた。自分でも知らないうちに、蓮崇は本願寺にとって必要な存在となっていた。門徒たちやお客の接待は、今まで執事の下間頼善と父親の玄英がやっていたが、門徒たちが増え、顕証寺が栄える事によって、頼善父子は寺務の方が何かと忙しくなり、一々、客の接待までできなくなっていた。そんな頃、蓮崇が加賀よりやって来て、同じ一族と言う事もあって、接待役は蓮崇が取り仕切るようになって行った。
蓮如の方針によって、本願寺には坊主たちの上下関係などなかったが、門徒たちは当然のように、蓮崇は本願寺でも偉い坊主だと思うようになり、また、自分でもそんな風に見られる事を内心、喜んでいた。
文明三年の五月、蓮崇は蓮如と共に北陸に行き、家族の待つ湯涌谷に帰った。実に三年振りだった。蓮崇は大津にいた頃、蓮如の吉崎進出の下準備のため、何度か、越前までは来ていた。しかし、妻と子の待つ湯涌谷には帰らなかった。帰ろうと思えば帰れたが、蓮如に早く良い知らせを聞かせてやろうと思い、じっと我慢して来たのだった。
蓮如は吉崎の地に本願寺の別院を作る事に決め、それが完成するまで、加賀二俣の本泉寺を本拠地にした。蓮崇は久し振りに湯涌谷の道場に帰り、妻や子と再会した。道場は妻が守っていてくれた。
七月の末、吉崎別院が完成すると、蓮崇は家族を連れて吉崎に行く事になった。湯涌谷の道場は妻の弟、下間信永(シンエイ)が預かる事となった。
吉崎に来た蓮崇は相変わらず蓮如の側近くに仕え、忙しい毎日を送っていた。
風眼坊と蓮崇は崩川(クズレガワ、九頭竜川)の渡しを渡って北の庄を抜け、足羽(アスワ)川に沿って東に向かい、その日は和田の本覚寺に泊まった。本覚寺の蓮光は蓮崇を歓迎した。
子供の頃、蓮崇がこの寺にいた頃、蓮光もまだ子供だったが、お互いに口を聞いた事もなかった。あの頃は、蓮光はこの寺の跡継ぎで、蓮崇の方はただの使用人に過ぎなかった。蓮崇は子供の頃の蓮光の事をはっきりと覚えていたが、蓮光の方は蓮崇の事など覚えていなかった。蓮崇はあえて昔の事は言わなかった。
蓮崇が如乗に連れられて、この寺を出てから、再び、この寺を訪れたのは二十六年後の事だった。蓮如が吉崎に進出する前の事で、朝倉氏との交渉のため、下間一族の一人として、この寺を訪れた。蓮光を初め誰も蓮崇の事は覚えていなかった。子供の頃、見向きもされなかった自分が今、こうして、本覚寺の住持職の蓮光と対等に口を利いている。改めて、自分は偉くなったのだと感じていた。
和田本覚寺は一乗谷の近くにあり、古くから朝倉氏と親しく付き合って来ていた。蓮崇は蓮光と共に一乗谷に行き、本願寺が吉崎に進出する事の許可を得る事ができた。
当時、朝倉氏はまだ正式に越前守護職には就いていなかったし、東軍に寝返ってもいなかった。しかし、内密に幕府の上層部と連絡を取って越前に帰り、着々と寝返りの準備を進めていた。
蓮如は、その事を知っていた。
朝倉に寝返りを薦めたのは、幕府の政所執事(マンドコロシツジ)の伊勢伊勢守貞親であった。伊勢守は蓮如の最初の妻と二番目の妻とは親戚だった。また、将軍義政の妻の実家、日野家とも蓮如は親戚であった。その伝によって蓮如の長男、順如は幕府に出入りするようになり、朝倉氏の動きを知る事ができた。
吉崎の地、越前の国細呂宜郷は興福寺大乗院の荘園だった。
蓮如はすでに大乗院からは許可を取っていた。細呂宜郷を支配している大乗院経覚(キョウガク)も蓮如とは親戚の間柄だった。経覚は細呂宜郷からの年貢が届かないので、是非、吉崎の地に本願寺を建てて、年貢が届くようにしてくれと蓮如に頼んだのだった。
後は在地の実力者の許可を取らなければならなかった。
越前の守護職は斯波氏だったが、越前国内において実力を持っているのは朝倉氏だった。その朝倉氏が東軍に寝返るとは願ってもない事だった。幕府内において、朝倉氏の寝返りがほぼ確定となった頃、蓮如は蓮崇を越前一乗谷に送った。話はうまく行き、吉崎に進出する事は決定した。
文明三年(一四七一年)、正式に朝倉氏の越前国守護職が決まった五月の末、蓮如は北陸の地へと旅立った。
本覚寺に着いた風眼坊と蓮崇は、蓮光より一乗谷の様子を聞いた。朝倉弾正左衛門尉は今、一乗谷にいるだろうとの事だった。
次の日の朝早く、風眼坊と蓮崇は一乗谷に向かった。
4.一乗谷1
1
今日も暑かった。
朝から蝉がやかましく鳴いていた。
和田の本覚寺から朝倉氏の本拠地、一乗谷はすぐ側だった。
足羽(アスワ)川に沿って遡(サカノボ)り、途中で川を渡って、さらに川に沿って進んだ。両側に山が迫って来る辺りで、南側の谷から足羽川に流れ込んでいる川があった。その谷の入り口まで来ると蓮崇は風眼坊に、この先が一乗谷だと言った。あの山の上に城があると言って指差したが、山の上の建物までは見えなかった。
風眼坊と蓮崇はその支流に沿って一乗谷に入って行った。しばらく行くと門があり、門の両脇には一丈半程(約四、五メートル)の高さのある土塁が築かれてあった。
蓮崇は門番の侍と一言二言、喋(シャベ)ると、風眼坊たちに合図をして門の中に入って行った。
門をくぐり抜けると蓮崇は、ここは下城戸(シモキド)と呼ばれ、裏口に当たる門だと説明した。大手口に当たる上城戸は二十町程(約二キロ)先の反対側にあるという。
下城戸の辺りには下級武士の長屋や職人たちの長屋が並んでいた。あまり賑やかではなかった。大きな屋敷が並ぶ間を抜けると、今度は町人たちの家が並び、人々が行き交っていた。
大きな武家屋敷らしい建物の所を左に曲がると河原に出た。対岸の方を見ると、正面の少し高くなった所に土塁に囲まれた大きな屋敷があった。その屋敷の回りにずらりと武家屋敷が並んでいる。
「あれが、お屋形じゃ」と蓮崇は大きな屋敷を見ながら言った。「お屋形の横を通って、この道を真っすぐ行けば山の上の城に通じている」
広い河原を歩き、川に架けられた橋を渡った。
河原には小屋がいくつも立ち、人足やら流人(ルニン)やらが住んでいた。橋の上から城下を見回すと、山の上の城へと続く右岸に武士たちの屋敷が多く並び、左岸の方に町人たちが住んでいるようだった。
お屋形の回りには濠(ホリ)が掘ってあり、水が溜めてあった。幅五間(約九メートル)はありそうな広い濠だった。濠の向こうの土塁も城戸の所と同じく一丈半はありそうだ。土塁の角の所には見張り櫓(ヤグラ)があり、弓を持った武士が風眼坊たちを見下ろしていた。
これは、なかなか守りを固めているな、と風眼坊は思った。
お屋形の正門は川に面している方にあった。濠に橋が架けられ、大きな門の両脇に武装した武士が二人、守っていた。
蓮崇は門番に何かを話した。
門番はどこかに行き、偉そうな髭を伸ばした武士を連れて来た。髭の武士は蓮崇を見ると顔をほころばせ、蓮崇の事を本願寺殿と呼んで歓迎した。
蓮崇は馬に積んである荷物の中から包みを一つ出すと、その髭の武士に、つまらない物ですが、と言って渡した。
髭の武士は蓮崇と並びながら、お屋形の中に入って行った。
風眼坊は馬を引いている下男の弥兵と一緒に後に従った。
門の中を入ると両側に木の塀があり、広い庭は仕切ってあった。
左の塀の向こうから馬のいななきが聞こえて来た。どうやら左手に見える大きな建物は廐(ウマヤ)らしい。それにしても大きな廐だった。十頭以上の馬がいるようだ。これ程の廐を持つとは余程の馬好きらしい。蓮崇がわざわざ馬を連れて来た意味が、ようやく風眼坊にも理解できた。
蓮崇は武士と共に正面の屋敷に入って行った。
風眼坊は弥兵と一緒に外で待った。やがて、髭の武士は出て来て門の方に帰って行った。武士は蓮崇から貰った包みを手の平の上で弾ませながらニヤニヤしていた。風眼坊たちの側を通って行ったが、風眼坊たちの方には見向きもしなかった。
あんな男に門番を任せて置くとは朝倉弾正も人を見る目はないな、と風眼坊は思った。あの手の男は金でどうにでもなる。いくら、濠や土塁で守りを固めても、このお屋形は守っている兵によって落ちるだろう。
しばらくして蓮崇は戻って来た。
「向こうに回ってくれとの事じゃ。風眼坊殿、すまんが、この中で待っていてくれんか。そう時間は掛からんじゃろ。何しろ弾正殿も何かと忙しそうじゃからの」
蓮崇はそう言うと弥兵を連れて奥の方に行った。
風眼坊は屋敷の中に入った。
土間が奥の方まで続き、左側に広い部屋があった。その部屋には誰もいなかった。どうやら、ここは遠侍(トオザムライ)と呼ばれる侍たちの待機の部屋らしかった。土間は廐の方にも続いていた。
風眼坊は廐の方に行ってみた。外を覗くと正面に大きな廐があり、左の方に厠(カワヤ)があり、さらに奥には馬糞が積んであった。
風眼坊が外に出ようとした時、後ろから声を掛けられた。
「本願寺殿のお連れの方ですかな」
風眼坊は振り返った。若い侍が立っていた。
「そうじゃ」と風眼坊は答えた。
「どうぞ、こちらの方でお待ち下さい」若侍は、さっきの誰もいない広い部屋に案内した。
「こちらで、お待ち下さい」と若侍はもう一度言うと隣の部屋の方に上がって行った。
風眼坊は隣の部屋を覗いて見た。
その部屋には五人の侍がいた。皆、若い侍だった。取り次ぎの者たちに違いない。
「何か、御用ですか」と先程の侍が言った。
「いや、用と言う程の事ではないが、汚れた足で上がっても構わんのか」
「構いません。どうぞ、上がってお待ち下さい」
風眼坊は誰もいない部屋に戻ると草鞋(ワラジ)を脱いで、上に上がると板の間にごろっと寝そべった。
弥兵が戻って来て、恐る恐る屋敷の中を覗いた。
風眼坊は手招きして呼んでやった。弥兵は恐縮するように中に入って来て、足の汚れを綺麗に落として部屋に上がると隅の方に畏(カシコ)まって坐った。
「おぬしも門徒か」と風眼坊は寝そべったまま聞いた。
「はい」と弥兵は頷いた。
「だろうな‥‥‥蓮崇殿の所で働いておるのか」
「はい。そうです」
「子供はおるのか」と風眼坊は聞いてみた。
「はい。湯涌谷(ユワクダニ)におります」
「湯涌谷? どこじゃ」
「はい。加賀と越中の境目辺りですじゃ」
「ほう、吉崎とまるで反対じゃのう。よく、そんな遠くから来たものよのう」
「蓮崇殿の道場がそこにありました。わしは昔から蓮崇殿の道場に通っておりました」
「ほう。その湯涌谷というのが蓮崇殿の本拠地というわけか」
「はい。わしは蓮崇殿が吉崎に来た時、一緒に来ました」
「そうじゃったのか‥‥‥蓮崇殿はそんな所から来たのか」
「はい。しかし、蓮崇殿は越前の生まれじゃと聞いております」
「越前? 越前の者が、どうして、そんな所に道場を持つんじゃ」
「よくは知りませんが、蓮崇殿は二俣(フタマタ)の本泉寺で修行なされ、湯涌谷の道場を任されたんじゃと思います」
「二俣の本泉寺か、あそこにおったのか」
「本泉寺を御存じですか」と弥兵は聞いた。
「おお、ついこの間、蓮如殿と行って来たわ」
「えっ、お上人様と御一緒に‥‥‥」急に、弥兵は黙り込んだ。
「どうしたんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「お上人様と御一緒に旅をなさるようなお方とは知らなかったもので‥‥‥」
弥兵は畏まった体をさらに小さくして俯いていた。
「そんなに畏まらなくてもいい。わしはただ偶然に、山の中で蓮如殿と出会っただけじゃ。それに、わしはまだ門徒ではない。慶覚坊を知っておるか」
「はい」
「わしは慶覚坊の古い知り合いでな、久し振りに会ったもんで、一緒にこの地に来ただけじゃ。今日、蓮崇殿と一緒に来たのは、ただ、この腕を見込まれただけじゃよ。おぬしが恐縮する程の者ではない。そう畏まってばかりいたら肩が凝るぞ」
「はい、しかし‥‥‥」
「もっと、ゆっくりせい」
「はい」とは言ったが、弥兵は足を崩さなかった。
「おぬし、阿弥陀如来様の教えを知っておるか」と風眼坊は聞いた。
「はい。それは‥‥‥」
「阿弥陀如来様は言っておられる。人は皆、平等じゃと」
「はい、しかし‥‥‥」
「おぬしの言いたい事は分かる。現実は、そう、うまい具合にはいかん。しかしのう、わしはその事を蓮如殿から聞いた時、わしは蓮如殿を尊敬した。今のこの乱世に、そんな教えを広めておるとは、まったくの驚きじゃった。わしらはいつの日か、それはずっと先の事じゃろう。しかし、いつの日か、そんな時代の来る事を願わなくてはならんのじゃないかと思ったんじゃ」
弥兵は神妙な顔をして風眼坊の言う事を聞いていた。
「のう、そうじゃろう。いつの日か、阿弥陀如来様の言う、すべての者たちが平等だという世の中が来るはずじゃ」
弥兵は畏まったまま頷いた。
「しかしのう、そんな世の中を作るためには、かなりの犠牲が出るじゃろうのう」
弥兵は畏まった体は崩さなかったが、風眼坊を見る目は輝いて来ていた。
「わしは蓮如殿に会ってから、阿弥陀如来様を見る目が変わって来たわい。阿弥陀如来様が、そんなにでかい心を持った仏様だとは思ってもいなかったわ」
門番の男が入って来て風眼坊たちをチラッと見て、隣の部屋に行き、取り次ぎの若侍と何やら話して出て行った。
やがて、武士が二人入って来て、風眼坊たちのいる部屋に上がった。
「おい、そこの山伏、起きろ」と武士の一人が言った。
「寝ていては悪いのか」と風眼坊は聞いた。
「当たり前じゃ。ここをどこと心得る」
「おう、そうか。こういう所には慣れんのでな」と風眼坊は言うと体を起こして坐り込んだ。
「そこの下郎、下に降りろ」武士は今度は弥兵に言った。
「はい」と返事をすると、弥兵は慌てて下に降りようとした。
風眼坊は弥兵の手を押え、「どうして、下に降りるのじゃ」と武士に聞いた。
「ここは侍の坐る場所じゃ」
「そうか。わしらはここで待てと言われた。降りろと言うのなら降りても構わんが、お屋形様が何と言うかのう」
「なに? おぬしらはどこの者じゃ」
「本願寺じゃ」
「嘘を言うな。本願寺の山伏など聞いた事もないわ」
「ところが、ここに一人おるんじゃ」
風眼坊がちょっと手を緩めた隙に、弥兵は土間に降りてしまった。
「下郎の方が、物分かりがいいのう」と武士は笑った。
「わしは降りなくてもいいのか」
「山武士と言う位じゃから構わんじゃろ」と二人の武士は笑った。
くだらんとは思ったが風眼坊は声には出さなかった。
今度は奥の方から武士が一人現れた。風眼坊たちに文句を言った武士が、その武士に声を掛けた。
「大橋殿も呼ばれておったのか」
「嶋田殿もか」
「おお、何事じゃ」
奥から出て来た武士は風眼坊たちをちらっと見て、「また、戦じゃ」と言った。
「とうとう、加賀に攻めるのか」
「いや、逆じゃよ」と言いながら、武士はまた風眼坊の方を見た。
風眼坊の方も奥から出て来た武士を見ていた。どこかで会った事あるような気がしたが、思い出せなかった。
「逆というと、大野か」
「そういう事じゃ。おぬしに兵站(ヘイタン)の事でも頼むんじゃろう」
「多分な」
武士たちは世間話をし始めた。
風眼坊は、一体、誰だったろうと思い出そうとしていた。武士たちの話が剣術の話になった時、風眼坊はようやく思い出した。
「失礼じゃが、大橋長次郎殿ではありませんか」と風眼坊は奥から出て来た武士に声を掛けた。
武士たちは話をやめ、風眼坊の方を見た。
「確かに、わしは長次郎じゃが」と武士は言って、思い出したらしく、「もしかしたら、風眼坊殿ですか」と聞いて来た。
「そうじゃ、風眼坊じゃ。やはり、大橋長次郎か、久し振りじゃのう」
「風眼坊殿‥‥‥お久し振りです。しかし、また、どうして、風眼坊殿がここに」
「色々とわけがあるんじゃよ。ああ、おぬし、火乱坊を知っておるじゃろう」
「はい、勿論、知っておりますよ」
「その火乱坊が、今、本願寺の坊主になって吉崎におるんじゃよ」
「えっ? 火乱坊殿が本願寺に」長次郎は目を丸くして驚いた。「あの火乱坊殿が‥‥‥とても、信じられません」
「わしも信じられんかったが、事実じゃ」
「すると、風眼坊殿も?」
「いや、わしは違う。この間、久し振りに火乱坊と会っての。まあ、遊びに来たわけじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥それで、今日はお屋形様に何か用でも」
「いや。今日、ここに来たのはただの連れじゃ」
「そうですか‥‥‥せっかく会えたのですから、どうです、用が済みましたら、わしの家まで来てくれませんか」
「おう、そうじゃのう。積もる話もあるしのう‥‥‥そうじゃ、わしの用はもう済んだんじゃ。荷物も無事じゃったし、わしはもう用がないというわけじゃ。よし、おぬしのうちに行くか」
風眼坊は弥兵に訳を話し、蓮崇が戻って来たら先に帰ってくれ、と伝言した。
風眼坊は大橋長次郎という武士と一緒にお屋形を後にした。
若い侍たちが汗びっしょりになって、剣や槍を振っていた。
風眼坊は懐かしそうに彼らを眺めていた。
風眼坊は朝倉家のお屋形で大橋勘解由左衛門(カゲユザエモン)と出会い、わしの家に来ないか、と誘われて付いて来た。大橋は家に帰る前に、ちょっと寄る所があると言って、風眼坊をここに連れて来た。
ここは朝倉家の武術道場だった。入り口には『中条流平法(チュウジョウリュウヘイホウ)指南所』と書いてあり、大橋がここの責任者だと言う。
大橋勘解由左衛門‥‥‥風眼坊にとっては大橋長次郎だったが、彼は若い頃、飯道山に来て、風眼坊が剣を教えた教え子の一人だった。当時、長次郎は十九歳、風眼坊の方は二十二歳で『飯道山の四天王』と呼ばれていた。長次郎はあの時の同期の教え子たちの中では一番強かった。
長次郎は十七歳の時、中条流の使い手、甲斐豊前守(カイブゼンノカミ)の弟子となって剣術を習った。
二年間、修行に励み、かなり腕も上がった。戦に出て活躍もした。若いせいもあって自分の腕に自惚れ、少々、天狗になっていた。そんな時、長次郎は師匠の甲斐豊前守に近江の国の飯道山に行って、一年間、修行して来いと言われた。
甲斐豊前守は故郷の越前に落ち着く前、諸国を旅して回り、飯道山で武術が盛んな事を知っていた。豊前守は、天狗になった長次郎の鼻を折らなければ、せっかくの才能がここで止まってしまうと思い、飯道山に送った。
長次郎は、すでに自分より強いのは師匠以外にはいないと思っていた。飯道山だろうが、何だろうが片っ端から倒してやると意気込んで飯道山に向かった。
飯道山は武術道場として栄えていた。修行者たちはほとんどが地元の者たちばかりで、百人余りの若者が山に集まっていた。こんな所があったのか、と長次郎は驚いたが、集まった若者たちを見て、大した奴はいないと思った。
例年のごとく一ケ月の山歩きから始まった。長次郎もこれには参った。剣術の修行に来たのに、なぜ、こんな事をしなければならないのだと腹を立てながら山を歩いた。こんな事をやめて、こんな山、下りようかとも思ったが、山を下りてしまったら、二度と師匠の前に出られなくなる。何としても、一年間はここにいなければならないと思い、一ケ月間、歩き通した。山歩きが終わってみると修行者たちの数は半分位に減っていた。
長次郎は剣術道場に入った。山伏が十数人、去年からいる修行者が八人、今年の修行者が長次郎も入れて十五人いた。そして、師範として風眼坊舜香がいたのだった。
長次郎の天狗の鼻は、道場に入った初日に見事に折られてしまった。今まで自分より強い者は師匠だけだと思っていたのが、ここには長次郎より強い奴は少なくとも十人はいた。この山に来る者で全くの初心者というのは一人もいなかった。皆、幼い頃より修行を重ね、さらに修行を積むために、この山に登って来たのだった。
長次郎は今までの自分を恥じ、誰にも負けない程、修行に励んだ。元々、素質を持っていた長次郎は見る見る上達していった。腕は強くなったが以前のように天狗にはならなかった。特に師範の風眼坊には色々と教わった。風眼坊の強さは格別だった。風眼坊を目標に、一年間、修行に励んだが、とうとう風眼坊に勝てる事なく、長次郎は山を下り、越前の師匠のもとへと帰った。
豊前守は、飯道山から戻った長次郎を見て、ようやく心の病(ヤマイ)が取れたようじゃな、と言った。長次郎は以前の自分が恥ずかしく思えた。
越前に帰っても、長次郎の修行は終わらなかった。いつの日か、風眼坊より強くならなければならないと、毎日、厳しい修行を積んだ。
長次郎が二十五歳の時、今まで仕えていた堀江家が、越前守護職斯波(シバ)氏と守護代甲斐氏の争いに巻き込まれて滅んだ。長次郎は朝倉家に仕官した。
翌年、豊前守は長次郎に中条流平法の極意を授け、中条流を広めてくれと言い残して、どこかに旅立って行った。それ以来、師匠の姿は見ていない。
長次郎は戦での活躍によって朝倉弾正左衛門尉に認められ、弾正左衛門尉の武術指南となった。やがて、道場も建てられ、今では朝倉家中に長次郎の弟子が一千人はいるだろうと言われる程、中条流は栄えていた。
中条流平法とは、念流(ネンリュウ)の流れを汲む流派であった。鎌倉時代、幕府評定(ヒョウジョウ)衆の一人、中条兵庫頭長秀(チュウジョウヒョウゴノカミナガヒデ)が、慈恩(ジオン)という禅僧から極意を授かり、中条流平法を称したのが始まりである。兵法と言わず平法と言ったのは、争うための武術ではなく、平和の為にのみ使う武術という意味が込められていた。中条流平法は中条兵庫頭から甲斐豊前守に伝わり、大橋長次郎に伝わったのだった。
風眼坊は広い道場の隅に建てられた師範たちが休む建物の縁側に坐り、若い者たちの稽古を眺めていた。
この道場は、剣、槍、薙刀の三つに分かれていて、今、二十人程の者たちが稽古に励んでいた。その中に一人、風眼坊の目に付いた若者がいた。動きが柔軟で素早かった。風眼坊は弟子の太郎を思い出していた。今頃、息子の光一郎を連れて飯道山の山の中でも歩き回っているかな、と思った。
長次郎が用を済ませて戻って来た。
「どうです、昔のように、若い者たちに教えたくなりましたかな」
「いや。ただ、あの男は、なかなかなものですな」と風眼坊は目に付いた若者を見ながら言った。
「ああ、あいつですか」と長次郎はその若者を見て笑った。「さすがですな、風眼坊殿は。あいつは富田(トダ)九郎右衛門と言って、わしも目を掛けております。そうじゃ、わしも師匠を真似て、奴を飯道山に送ろうかのう」
それがいいと言うように風眼坊は頷いた。「わしも最近、山には帰ってないので詳しくは知らんが、飯道山の人気は凄いものだそうじゃ。毎年、正月には五百人もの修行者が集まると言う」
「なに、五百人も? そいつは凄いものですな。わしがいた頃も凄かったが、あの頃はせいぜい百人じゃったが、今では五百人ですか‥‥‥うーむ、それ程、集まるとすれば腕の方もかなり高いと言うわけですな」
「いや。腕の方は昔とあまり大差ないと思うがのう。五百人集まっても、一月後に残るのは百人ちょっとだそうじゃ」
「そうですか、しかし、そういう所を経験しておくのは、いいかもしれんのう。わしは、あの山に行ったお陰で、本当の強さというものを知りました。あそこでの一年は本当にためになりました。みんな、風眼坊殿のお陰です。実は、わしはあの後一度だけ、飯道山に行ったのですよ、風眼坊殿に会いたくて。しかし、風眼坊殿はおられなかった」
「知らなかった。それはいつの事じゃ」
「もう、十年も前の事です。わしはお屋形様のお供で京にいたのです。その時、暇を貰って飯道山に行きました」
「十年前か‥‥‥山城(京都府南東部)辺りにいたのかもしれんのう。ところで、おぬしの師匠は健在か」
「分かりません。多分、もう亡くなったと思います。生きておるとしたら、八十歳を越えておるはずです。わしに中条流の極意を授けると旅に出たまま帰っては来ませんでした」
「そうじゃったか‥‥‥」
「さて、行きますか」
風眼坊と長次郎は道場を出ると河原に下りた。
対岸には小屋が幾つも立って河原者たちが住んでいるが、こちら側の河原には誰も住んでいなかった。
「芸人たちが、かなり、集まっておるのう」と風眼坊は対岸を見ながら言った。
「ええ、京で戦が始まってからというもの、かなりの連中がここに流れ込んで来ております。河原者たちだけではありません。京のお公家さんたちも逃げて来ております。上城戸の辺りは、以前はうちなどほとんどなかったのに、今ではお公家さんの屋敷が、ずらりと並んでおります」
「そうか、公家の奴らもこんなとこまで逃げて来たのか」
「ええ。困った事に、公家たちの言葉が若い者たちの間で流行っておるらしい」
「ほう‥‥‥こっち側には河原者たちはおらんようじゃが禁止しておるのか」
「お屋形の前は勿論、禁止しておりますが、ここには以前、人足たちがかなり住んでおりました。この河原を道場が使うようになって、人足たちはもっと下流の方に移したのです。今ではあの道場だけでは狭くなって来ました。道場を広げるという話はありますが場所がありません。しかし、そのうち山の方に追いやられるでしょうな。朝倉家が大きくなるに従って家臣たちも増えて来ます。この辺りには武家屋敷が並ぶ事になるでしょう。道場は山の方に追いやられますよ」
「そうか‥‥‥」と風眼坊は山の方を見た。
「あの上に城があります」と長次郎も山を見上げた。「わしが、この城下に来たのはもう十五年も前の事ですが、淋しい山の中だと思いました。今でこそ、城下として栄えておりますが、あの当時は、ほんとに淋しい所でしたよ」
二人は話をしながら橋を渡り、盛り場の方へと入って行った。
大橋長次郎の屋敷は、まさに盛り場のど真ん中と言える辺りにあった。
「えらい所に住んでおるのう」と風眼坊は笑った。
長次郎も苦笑した。「昔は何にもなかった所なのにのう。当時、わしは禅に凝っておりまして、雲正寺に通っておったんです。それで、こんな所にうちを建てたんじゃが、まさか、こんなに賑やかな所になるとは思ってもおらなんだ」
左手に雲正寺があり、右手の方には赤淵(アカブチ)神社があった。その間に挟まれた格好となり、長次郎の屋敷の回りには茶屋、飲屋、旅籠屋、遊女屋などが並び、隣には大きな酒屋の蔵が建っていた。
風眼坊は長次郎の屋敷で昼飯を御馳走になり、昔話などして過ごした。せっかくだから酒でも飲みたいのだが、夕方、一仕事あると言う。それが終わるまで待ってくれと長次郎は言った。
夕方、風眼坊は長次郎と共に、朝倉のお屋形様が富樫次郎政親(マサチカ)のために建てたという屋敷に向かっていた。
富樫の屋敷はかなり南の方にあった。
橋を渡り、風眼坊と長次郎は広い馬場を囲む塀に沿って歩いていた。馬場の片隅には射場(イバ)もあり、侍たちが弓の稽古に励んでいた。馬場の方でも何人かが馬に乗っている。いくつも廐があるようだが、廐に入りきらない程、馬の数が多かった。
「随分、馬が多いのう」と風眼坊は馬場を見ながら言った。
「富樫勢の馬が、かなり、おるんです」と長次郎は言った。
「そうか、成程のう。富樫の馬の面倒まで見てやっておるのか。朝倉殿も大変な事じゃのう」
朝倉弾正左衛門尉孝景の孫の孫次郎貞景の時に、新しく屋形をこの馬場の地に移し、ここが城下の中心地となるが、今はこの広い馬場と上城戸の間には、公家たちの屋敷が並ぶだけの静かな一画だった。
富樫次郎の屋敷は馬場のすぐ南にあり、公家の屋敷町に隣接していた。
次郎が弟の幸千代に敗れ、白山麓の山之内庄から朝倉弾正左衛門尉を頼って、この地に来たのは去年の七月だった。もうすぐ一年になるが、今のところ、弾正左衛門尉は次郎のために加賀に進攻する気はないようだった。加賀に進攻する前に越前を一つにまとめなければならなかった。
弾正左衛門尉は去年、冬が来る前に、次郎のための仮の屋敷を造り、陣中見舞いと称して京から来ている公家を出入りさせ、酒と女に溺れさせた。
長次郎が通うようになったのは今年の正月、次郎の前で中条流平法の模範試合を行なってからだった。是非、自分も習いたいものだと言い出し、長次郎に取っては迷惑な話だったが、弾正左衛門尉より御機嫌取りのつもりで教えてやってくれと頼まれ、三日に一度は富樫屋敷を訪ねていた。また、次郎の重臣たちの動きをそれとなく探るのも長次郎の任務だった。
次郎は女に溺れていて問題ないが、重臣たちは陰で動いていた。加賀に残っている反幸千代方と連絡を取り合い、一刻も早く、加賀に帰ろうとしていた。弾正左衛門尉としては、もう少し越前を固めるまでは加賀に行くわけにはいかなかった。せっかく寝返りまでして、守護職を手にしたからには越前一国は我物にしなければならなかった。
弾正左衛門尉は今年の一月、宿敵の甲斐八郎と手を結んで敵対していた杣山(ソマヤマ)城(南条町)の増沢氏を倒し、残るは大野郡の二宮氏だけとなっていた。しかし、邪魔なのは甲斐八郎だった。ついこの間も越前に攻めて来て、さんざんな目に合わされていた。兵糧(ヒョウロウ)が底を突いたのか、何を思ったのか、加賀に戻ってしまったので助かったが、危ないところだった。
弾正左衛門尉はうるさい甲斐八郎を黙らせるため、一時的に和睦(ワボク)しようと決めていた。そして、さっそく、家臣の前波播磨守(マエバハリマノカミ)を美濃の国(岐阜県中南部)に送った。仲裁役を美濃の国の守護代の斎藤妙椿(ミョウチン)に頼むつもりでいた。弾正左衛門尉も八郎も斎藤妙椿とは京において面識があった。仲裁役には持って来いの人物だった。東海方面を封鎖されたため、美濃の国は塩に苦しんでいるとの情報を得た弾正左衛門尉は、塩を送る事を条件に仲裁を頼んだ。近い内に結果が分かるはずだった。
富樫次郎政親は仮住まいとは言え、立派な屋敷に住んでいた。
門をくぐると細長い庭があり、隅の方に弓の堋(アヅチ)があり、ここで剣術の稽古をした、と長次郎は言った。
「した、と言う事は、今は別の所でやっておるのか」と風眼坊は聞いた。
長次郎は笑いながら首を振った。「今は、ほとんど、やらんと言う事です」
「それじゃあ、何のために来ておるんじゃ」
「単なる、御機嫌伺いですかな」
「そうか‥‥‥おぬしも、なかなか大変じゃのう」
遠侍(トオザムライ)に行き、若侍に取り次いで貰うと茶屋の方に行ってくれとの事だった。
大広間があるという大きな建物を回り、塀で仕切られた中庭に入ると見事な庭園があり、その中央辺りに草庵のような茶屋があった。築山(ツキヤマ)があり、大きな石があり、池があり、茶屋は池の中に半分程、飛び出して建てられてあった。
茶屋の中に三人の人影が見えた。
近づくにつれて、一人は若い女、一人は若い男、もう一人は老人だと分かった。若い男は何かを書いているようだった。
若い男はチラッと顔を上げ、こちらの方を見ると、「勘解由か、ちょっと待ってろ」と横柄な態度で言った。
側まで行って覗いてみると、富樫次郎は絵を描いていた。
木の上に止まって下を睨んでいる鷹の絵を描いていた。はっきり言って、あまり、うまいとは言えなかった。鋭さが全然、感じられず、鷹と言うよりもカラスのようだった。
老人は熱心に次郎の筆の運びを見ていた。禅僧のようだった。
若い娘の方は、ぼんやりと池に浮かぶ蓮(ハス)を見ていた。その横顔は確かに美しかったが、どことなく険のある顔付きだった。
「できた!」と次郎は叫ぶと満足気に頷いた。
「勘解由、見てくれ」
長次郎は茶屋の縁側に手を付いて覗き込むと、ゆっくりと頷いた。
「なかなかの上達振りですな」と長次郎は言った。
これで上達したとは、以前は余程、ひどかったとみえると風眼坊は思った。
「もう少し、鋭さが出ると完璧ですな」
「鋭さか」と唸りながら、次郎は自分で描いた絵を見つめた。
「勘解由、鋭さを出すにはどうしたらいいと思う」
「そうですな、わしは剣術の事しか分かりませんが、剣術において鋭さを出すには、やはり、稽古しかありません」
「うむ、やはり、稽古しかないか‥‥‥」
鋭さか、と唸りながら、次郎はまた絵を見つめたが、娘の方を向くと、「そなたはどう思う」と今度は娘に聞いた。
「はい、わたしも鋭さが足らないように思います。鷹と言うよりも、わたしにはカラスのように見えます」と娘は思った通りの事を言った。
風眼坊は、まさか、この娘がそれ程の事を平気で口に出すとは思ってもみなかった。そんな事を次郎に言って、次郎がどんな反応を示すのだろうと期待して見守った。
「カラスか‥‥‥鷹には見えんか‥‥‥」
次郎は自分の描いた絵を、うなだれたように見つめていた。特に、怒ってはいないようだった。
娘の方はそんな下手な絵などどうでもいいと言うように、また、池の方を見ていた。
「絵にはその人の心が現れます。殿はきっと心のお優しい方なのでしょう」と老人が、この場を取り作ろうように言った。
「殿、本日の剣術のお稽古はいかがなさいますか」と長次郎は話題を変えた。
「そうじゃのう。剣術の稽古をやれば少しは鋭さが出て来るかのう」と言って、次郎は長次郎の後にいる風眼坊を見た。「その行者は何者じゃ」
「はい。わしの師匠のようなお人です」
「なに、勘解由の師匠? という事は、おぬしよりも強いのか」
「はい」
「ほう‥‥‥おぬしより強い奴がいるとは驚きじゃのう」
風眼坊は首を振った。「いや。わしはもう年じゃ。勘解由殿にはかないません」
「おぬし、名は何と申す」と次郎が聞いた。
「風眼坊と申します」
「平泉寺の行者か」
「いえ、大峯です」
「大峯? あの大和の国の大峯か」
「はい」
「ほう」と言いながら次郎は改めて、風眼坊を見た。「大峯と言えば修験者(シュゲンジャ)の本場じゃのう。大峯の行者は摩訶不思議な術を使うと聞いておるが、おぬしもできるのか」
「摩訶不思議な術とは、どんな術ですかな」
「空を飛ぶとか、人を呪い殺すとか、色々あるじゃろう」
「空を飛ぶ事は、わしにはできません。空を飛ぶには、かなりの修行が必要です」
「やはり、修行を積めば空を飛べるのか」
風眼坊は頷いた。「しかし、最近は、そんな厳しい修行をする者もおりません。昔は何人か、おったようですけど」
「そうか‥‥‥どんな修行を積めば空を飛べるんじゃ」次郎は目を輝かせながら風眼坊に聞いた。
「まず、千日間、山奥の窟(イワヤ)に籠もって、毎日、呪文を唱えます」
「どんな呪文じゃ」
「例えば、オンマユラキランデイソワカ、とか色々あります」
「ふーん。それから、どうするんじゃ」
「その修行が済みましたら、今度は、釈迦(シャカ)ケ岳と言う山の頂上で一年間、呪文を唱えます」
「なに、山の頂上でか。その山というのは高いのか」
「はい。大峯でも最も高い山です」
「その山の頂上で一年間か‥‥‥そうすれば、空を飛べるようになるのか」
「はい。ただし、山頂での一年間は穀物を断たなければなりません」
「なに、穀物を断つ。何を食って生きるのじゃ」
「木の実だけで、一年間、生きるのです」
「ふーむ。それは厳しいのう」
「はい。今でも千日行をする者は何人かおりますが、さすがに、釈迦ケ岳の山頂で、一年間の木食行(モクジキギョウ)をする者はおりません」
「成程のう。そうじゃろうのう‥‥‥それで、人を呪い殺す術というのはどんなじゃ」
「護摩(ゴマ)を焚いて祈祷(キトウ)をします。ただ、これはすぐには効きません。時間が掛かります」
「どの位じゃ」
「早くても一年は掛かるでしょう」
「そんなに掛かるものなのか」
「はい。困った事にそれをいい事に、いかさまの祈祷師がかなりおります。信者たちから多額の銭を巻き上げて、頃を見計らって消えるという輩(ヤカラ)です」
「おぬしは、その祈祷の仕方を知っておるのじゃな」
「知っておりますが、わしは、めったにやりません」
「なぜじゃ」
「そういう事を頼みに来る奴らは皆、欲の皮が突っ張っておる奴ばかりで、自分の利益のために相手を呪い殺せと言う。そんな奴らに付き合っておったら、わしの方まで、おかしくなり、祈祷も効かなくなります」
「祈祷が効かなくなる?」
「はい。邪心(ジャシン)が入ると祈祷は効かなくなります」
「ふーむ。邪心がのう‥‥‥」
風眼坊は次郎の隣にいる娘が気になっていた。風眼坊が人を呪い殺す話をし出したら、今まで無関心のように、そっぽを向いていたのに、急に興味ありそうな顔をして話に耳を傾けていた。何かあるな、と風眼坊は思った。
風眼坊と長次郎は、次郎の命で、試合をする事となった。お互いに本気を出してやるつもりはなかった。
一本目は長次郎が負け、二本目は風眼坊が負け、三本目は相打ちに終わった。
次郎は目を見張って二人の試合を見ていたが、試合が終わると、御苦労と一言、言って、娘を連れて屋敷の中に帰ってしまった。
茶屋の中で坐っている時は気づかなかったが、立ち上がるとかなりの大男だった。身の丈、六尺(約百八十センチ)近くもあり、体格も良かった。武術の稽古に励めば立派な武将になりそうだが、有り余る精力は、すべて女に使われているらしかった。
取り残された三人は、ただ、次郎たちの後姿を見送るだけだった。
次郎の姿が消えると、「いつもの事じゃ」と老人が言った。
「試合を見て、興奮して、女子(オナゴ)が抱きたくなったのじゃろう」と長次郎は言った。
「いつも、あんな風なのか」と風眼坊は長次郎に聞いた。
「まあ、そうです。お屋形様の思う壷(ツボ)にはまっておると言うわけですよ」
「あの女子も朝倉殿が付けたのか」
「いや、あの女子は加賀から連れて来た女子です。お屋形様も何人もの女子を送り込みましたが、次郎殿はあの女子が一番のお気に入りらしい」
「ほう、正妻というわけでもないんじゃな」
「ええ。正妻は尾張の熱田神宮の娘なんですが、去年、加賀を追い出された時、危険じゃからと尾張に返したまま未だに呼び戻さんのです。今はあの女子に狂っておるようです」
「それにしても、はっきりと物を言う女子じゃな」
「はい。見ていて、いつも、わしらの方がはらはらします。しかし、そこが次郎殿のお気に入りらしい。あの娘がどんなにきつい事を言っても、次郎殿は素直に聞き入れます。もっとも、あの娘の言う事はいつも正しいが、なかなかあれだけの事は言えません」
「そうじゃのう。わしも、あの絵はまさしくカラスじゃと思ったが、口に出しては言えんのう。あの娘がそう言った時、よく言ったと誉めたい位じゃったわ」
とにかく、今日の用は済んだので帰る事にした。
長次郎は老人とは親しいようで、久し振りに一緒に飲みませんかと老人を誘い、三人して長次郎の家へと向かった。
「向こうに回ってくれとの事じゃ。風眼坊殿、すまんが、この中で待っていてくれんか。そう時間は掛からんじゃろ。何しろ弾正殿も何かと忙しそうじゃからの」
蓮崇はそう言うと弥兵を連れて奥の方に行った。
風眼坊は屋敷の中に入った。
土間が奥の方まで続き、左側に広い部屋があった。その部屋には誰もいなかった。どうやら、ここは遠侍(トオザムライ)と呼ばれる侍たちの待機の部屋らしかった。土間は廐の方にも続いていた。
風眼坊は廐の方に行ってみた。外を覗くと正面に大きな廐があり、左の方に厠(カワヤ)があり、さらに奥には馬糞が積んであった。
風眼坊が外に出ようとした時、後ろから声を掛けられた。
「本願寺殿のお連れの方ですかな」
風眼坊は振り返った。若い侍が立っていた。
「そうじゃ」と風眼坊は答えた。
「どうぞ、こちらの方でお待ち下さい」若侍は、さっきの誰もいない広い部屋に案内した。
「こちらで、お待ち下さい」と若侍はもう一度言うと隣の部屋の方に上がって行った。
風眼坊は隣の部屋を覗いて見た。
その部屋には五人の侍がいた。皆、若い侍だった。取り次ぎの者たちに違いない。
「何か、御用ですか」と先程の侍が言った。
「いや、用と言う程の事ではないが、汚れた足で上がっても構わんのか」
「構いません。どうぞ、上がってお待ち下さい」
風眼坊は誰もいない部屋に戻ると草鞋(ワラジ)を脱いで、上に上がると板の間にごろっと寝そべった。
弥兵が戻って来て、恐る恐る屋敷の中を覗いた。
風眼坊は手招きして呼んでやった。弥兵は恐縮するように中に入って来て、足の汚れを綺麗に落として部屋に上がると隅の方に畏(カシコ)まって坐った。
「おぬしも門徒か」と風眼坊は寝そべったまま聞いた。
「はい」と弥兵は頷いた。
「だろうな‥‥‥蓮崇殿の所で働いておるのか」
「はい。そうです」
「子供はおるのか」と風眼坊は聞いてみた。
「はい。湯涌谷(ユワクダニ)におります」
「湯涌谷? どこじゃ」
「はい。加賀と越中の境目辺りですじゃ」
「ほう、吉崎とまるで反対じゃのう。よく、そんな遠くから来たものよのう」
「蓮崇殿の道場がそこにありました。わしは昔から蓮崇殿の道場に通っておりました」
「ほう。その湯涌谷というのが蓮崇殿の本拠地というわけか」
「はい。わしは蓮崇殿が吉崎に来た時、一緒に来ました」
「そうじゃったのか‥‥‥蓮崇殿はそんな所から来たのか」
「はい。しかし、蓮崇殿は越前の生まれじゃと聞いております」
「越前? 越前の者が、どうして、そんな所に道場を持つんじゃ」
「よくは知りませんが、蓮崇殿は二俣(フタマタ)の本泉寺で修行なされ、湯涌谷の道場を任されたんじゃと思います」
「二俣の本泉寺か、あそこにおったのか」
「本泉寺を御存じですか」と弥兵は聞いた。
「おお、ついこの間、蓮如殿と行って来たわ」
「えっ、お上人様と御一緒に‥‥‥」急に、弥兵は黙り込んだ。
「どうしたんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「お上人様と御一緒に旅をなさるようなお方とは知らなかったもので‥‥‥」
弥兵は畏まった体をさらに小さくして俯いていた。
「そんなに畏まらなくてもいい。わしはただ偶然に、山の中で蓮如殿と出会っただけじゃ。それに、わしはまだ門徒ではない。慶覚坊を知っておるか」
「はい」
「わしは慶覚坊の古い知り合いでな、久し振りに会ったもんで、一緒にこの地に来ただけじゃ。今日、蓮崇殿と一緒に来たのは、ただ、この腕を見込まれただけじゃよ。おぬしが恐縮する程の者ではない。そう畏まってばかりいたら肩が凝るぞ」
「はい、しかし‥‥‥」
「もっと、ゆっくりせい」
「はい」とは言ったが、弥兵は足を崩さなかった。
「おぬし、阿弥陀如来様の教えを知っておるか」と風眼坊は聞いた。
「はい。それは‥‥‥」
「阿弥陀如来様は言っておられる。人は皆、平等じゃと」
「はい、しかし‥‥‥」
「おぬしの言いたい事は分かる。現実は、そう、うまい具合にはいかん。しかしのう、わしはその事を蓮如殿から聞いた時、わしは蓮如殿を尊敬した。今のこの乱世に、そんな教えを広めておるとは、まったくの驚きじゃった。わしらはいつの日か、それはずっと先の事じゃろう。しかし、いつの日か、そんな時代の来る事を願わなくてはならんのじゃないかと思ったんじゃ」
弥兵は神妙な顔をして風眼坊の言う事を聞いていた。
「のう、そうじゃろう。いつの日か、阿弥陀如来様の言う、すべての者たちが平等だという世の中が来るはずじゃ」
弥兵は畏まったまま頷いた。
「しかしのう、そんな世の中を作るためには、かなりの犠牲が出るじゃろうのう」
弥兵は畏まった体は崩さなかったが、風眼坊を見る目は輝いて来ていた。
「わしは蓮如殿に会ってから、阿弥陀如来様を見る目が変わって来たわい。阿弥陀如来様が、そんなにでかい心を持った仏様だとは思ってもいなかったわ」
門番の男が入って来て風眼坊たちをチラッと見て、隣の部屋に行き、取り次ぎの若侍と何やら話して出て行った。
やがて、武士が二人入って来て、風眼坊たちのいる部屋に上がった。
「おい、そこの山伏、起きろ」と武士の一人が言った。
「寝ていては悪いのか」と風眼坊は聞いた。
「当たり前じゃ。ここをどこと心得る」
「おう、そうか。こういう所には慣れんのでな」と風眼坊は言うと体を起こして坐り込んだ。
「そこの下郎、下に降りろ」武士は今度は弥兵に言った。
「はい」と返事をすると、弥兵は慌てて下に降りようとした。
風眼坊は弥兵の手を押え、「どうして、下に降りるのじゃ」と武士に聞いた。
「ここは侍の坐る場所じゃ」
「そうか。わしらはここで待てと言われた。降りろと言うのなら降りても構わんが、お屋形様が何と言うかのう」
「なに? おぬしらはどこの者じゃ」
「本願寺じゃ」
「嘘を言うな。本願寺の山伏など聞いた事もないわ」
「ところが、ここに一人おるんじゃ」
風眼坊がちょっと手を緩めた隙に、弥兵は土間に降りてしまった。
「下郎の方が、物分かりがいいのう」と武士は笑った。
「わしは降りなくてもいいのか」
「山武士と言う位じゃから構わんじゃろ」と二人の武士は笑った。
くだらんとは思ったが風眼坊は声には出さなかった。
今度は奥の方から武士が一人現れた。風眼坊たちに文句を言った武士が、その武士に声を掛けた。
「大橋殿も呼ばれておったのか」
「嶋田殿もか」
「おお、何事じゃ」
奥から出て来た武士は風眼坊たちをちらっと見て、「また、戦じゃ」と言った。
「とうとう、加賀に攻めるのか」
「いや、逆じゃよ」と言いながら、武士はまた風眼坊の方を見た。
風眼坊の方も奥から出て来た武士を見ていた。どこかで会った事あるような気がしたが、思い出せなかった。
「逆というと、大野か」
「そういう事じゃ。おぬしに兵站(ヘイタン)の事でも頼むんじゃろう」
「多分な」
武士たちは世間話をし始めた。
風眼坊は、一体、誰だったろうと思い出そうとしていた。武士たちの話が剣術の話になった時、風眼坊はようやく思い出した。
「失礼じゃが、大橋長次郎殿ではありませんか」と風眼坊は奥から出て来た武士に声を掛けた。
武士たちは話をやめ、風眼坊の方を見た。
「確かに、わしは長次郎じゃが」と武士は言って、思い出したらしく、「もしかしたら、風眼坊殿ですか」と聞いて来た。
「そうじゃ、風眼坊じゃ。やはり、大橋長次郎か、久し振りじゃのう」
「風眼坊殿‥‥‥お久し振りです。しかし、また、どうして、風眼坊殿がここに」
「色々とわけがあるんじゃよ。ああ、おぬし、火乱坊を知っておるじゃろう」
「はい、勿論、知っておりますよ」
「その火乱坊が、今、本願寺の坊主になって吉崎におるんじゃよ」
「えっ? 火乱坊殿が本願寺に」長次郎は目を丸くして驚いた。「あの火乱坊殿が‥‥‥とても、信じられません」
「わしも信じられんかったが、事実じゃ」
「すると、風眼坊殿も?」
「いや、わしは違う。この間、久し振りに火乱坊と会っての。まあ、遊びに来たわけじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥それで、今日はお屋形様に何か用でも」
「いや。今日、ここに来たのはただの連れじゃ」
「そうですか‥‥‥せっかく会えたのですから、どうです、用が済みましたら、わしの家まで来てくれませんか」
「おう、そうじゃのう。積もる話もあるしのう‥‥‥そうじゃ、わしの用はもう済んだんじゃ。荷物も無事じゃったし、わしはもう用がないというわけじゃ。よし、おぬしのうちに行くか」
風眼坊は弥兵に訳を話し、蓮崇が戻って来たら先に帰ってくれ、と伝言した。
風眼坊は大橋長次郎という武士と一緒にお屋形を後にした。
2
若い侍たちが汗びっしょりになって、剣や槍を振っていた。
風眼坊は懐かしそうに彼らを眺めていた。
風眼坊は朝倉家のお屋形で大橋勘解由左衛門(カゲユザエモン)と出会い、わしの家に来ないか、と誘われて付いて来た。大橋は家に帰る前に、ちょっと寄る所があると言って、風眼坊をここに連れて来た。
ここは朝倉家の武術道場だった。入り口には『中条流平法(チュウジョウリュウヘイホウ)指南所』と書いてあり、大橋がここの責任者だと言う。
大橋勘解由左衛門‥‥‥風眼坊にとっては大橋長次郎だったが、彼は若い頃、飯道山に来て、風眼坊が剣を教えた教え子の一人だった。当時、長次郎は十九歳、風眼坊の方は二十二歳で『飯道山の四天王』と呼ばれていた。長次郎はあの時の同期の教え子たちの中では一番強かった。
長次郎は十七歳の時、中条流の使い手、甲斐豊前守(カイブゼンノカミ)の弟子となって剣術を習った。
二年間、修行に励み、かなり腕も上がった。戦に出て活躍もした。若いせいもあって自分の腕に自惚れ、少々、天狗になっていた。そんな時、長次郎は師匠の甲斐豊前守に近江の国の飯道山に行って、一年間、修行して来いと言われた。
甲斐豊前守は故郷の越前に落ち着く前、諸国を旅して回り、飯道山で武術が盛んな事を知っていた。豊前守は、天狗になった長次郎の鼻を折らなければ、せっかくの才能がここで止まってしまうと思い、飯道山に送った。
長次郎は、すでに自分より強いのは師匠以外にはいないと思っていた。飯道山だろうが、何だろうが片っ端から倒してやると意気込んで飯道山に向かった。
飯道山は武術道場として栄えていた。修行者たちはほとんどが地元の者たちばかりで、百人余りの若者が山に集まっていた。こんな所があったのか、と長次郎は驚いたが、集まった若者たちを見て、大した奴はいないと思った。
例年のごとく一ケ月の山歩きから始まった。長次郎もこれには参った。剣術の修行に来たのに、なぜ、こんな事をしなければならないのだと腹を立てながら山を歩いた。こんな事をやめて、こんな山、下りようかとも思ったが、山を下りてしまったら、二度と師匠の前に出られなくなる。何としても、一年間はここにいなければならないと思い、一ケ月間、歩き通した。山歩きが終わってみると修行者たちの数は半分位に減っていた。
長次郎は剣術道場に入った。山伏が十数人、去年からいる修行者が八人、今年の修行者が長次郎も入れて十五人いた。そして、師範として風眼坊舜香がいたのだった。
長次郎の天狗の鼻は、道場に入った初日に見事に折られてしまった。今まで自分より強い者は師匠だけだと思っていたのが、ここには長次郎より強い奴は少なくとも十人はいた。この山に来る者で全くの初心者というのは一人もいなかった。皆、幼い頃より修行を重ね、さらに修行を積むために、この山に登って来たのだった。
長次郎は今までの自分を恥じ、誰にも負けない程、修行に励んだ。元々、素質を持っていた長次郎は見る見る上達していった。腕は強くなったが以前のように天狗にはならなかった。特に師範の風眼坊には色々と教わった。風眼坊の強さは格別だった。風眼坊を目標に、一年間、修行に励んだが、とうとう風眼坊に勝てる事なく、長次郎は山を下り、越前の師匠のもとへと帰った。
豊前守は、飯道山から戻った長次郎を見て、ようやく心の病(ヤマイ)が取れたようじゃな、と言った。長次郎は以前の自分が恥ずかしく思えた。
越前に帰っても、長次郎の修行は終わらなかった。いつの日か、風眼坊より強くならなければならないと、毎日、厳しい修行を積んだ。
長次郎が二十五歳の時、今まで仕えていた堀江家が、越前守護職斯波(シバ)氏と守護代甲斐氏の争いに巻き込まれて滅んだ。長次郎は朝倉家に仕官した。
翌年、豊前守は長次郎に中条流平法の極意を授け、中条流を広めてくれと言い残して、どこかに旅立って行った。それ以来、師匠の姿は見ていない。
長次郎は戦での活躍によって朝倉弾正左衛門尉に認められ、弾正左衛門尉の武術指南となった。やがて、道場も建てられ、今では朝倉家中に長次郎の弟子が一千人はいるだろうと言われる程、中条流は栄えていた。
中条流平法とは、念流(ネンリュウ)の流れを汲む流派であった。鎌倉時代、幕府評定(ヒョウジョウ)衆の一人、中条兵庫頭長秀(チュウジョウヒョウゴノカミナガヒデ)が、慈恩(ジオン)という禅僧から極意を授かり、中条流平法を称したのが始まりである。兵法と言わず平法と言ったのは、争うための武術ではなく、平和の為にのみ使う武術という意味が込められていた。中条流平法は中条兵庫頭から甲斐豊前守に伝わり、大橋長次郎に伝わったのだった。
風眼坊は広い道場の隅に建てられた師範たちが休む建物の縁側に坐り、若い者たちの稽古を眺めていた。
この道場は、剣、槍、薙刀の三つに分かれていて、今、二十人程の者たちが稽古に励んでいた。その中に一人、風眼坊の目に付いた若者がいた。動きが柔軟で素早かった。風眼坊は弟子の太郎を思い出していた。今頃、息子の光一郎を連れて飯道山の山の中でも歩き回っているかな、と思った。
長次郎が用を済ませて戻って来た。
「どうです、昔のように、若い者たちに教えたくなりましたかな」
「いや。ただ、あの男は、なかなかなものですな」と風眼坊は目に付いた若者を見ながら言った。
「ああ、あいつですか」と長次郎はその若者を見て笑った。「さすがですな、風眼坊殿は。あいつは富田(トダ)九郎右衛門と言って、わしも目を掛けております。そうじゃ、わしも師匠を真似て、奴を飯道山に送ろうかのう」
それがいいと言うように風眼坊は頷いた。「わしも最近、山には帰ってないので詳しくは知らんが、飯道山の人気は凄いものだそうじゃ。毎年、正月には五百人もの修行者が集まると言う」
「なに、五百人も? そいつは凄いものですな。わしがいた頃も凄かったが、あの頃はせいぜい百人じゃったが、今では五百人ですか‥‥‥うーむ、それ程、集まるとすれば腕の方もかなり高いと言うわけですな」
「いや。腕の方は昔とあまり大差ないと思うがのう。五百人集まっても、一月後に残るのは百人ちょっとだそうじゃ」
「そうですか、しかし、そういう所を経験しておくのは、いいかもしれんのう。わしは、あの山に行ったお陰で、本当の強さというものを知りました。あそこでの一年は本当にためになりました。みんな、風眼坊殿のお陰です。実は、わしはあの後一度だけ、飯道山に行ったのですよ、風眼坊殿に会いたくて。しかし、風眼坊殿はおられなかった」
「知らなかった。それはいつの事じゃ」
「もう、十年も前の事です。わしはお屋形様のお供で京にいたのです。その時、暇を貰って飯道山に行きました」
「十年前か‥‥‥山城(京都府南東部)辺りにいたのかもしれんのう。ところで、おぬしの師匠は健在か」
「分かりません。多分、もう亡くなったと思います。生きておるとしたら、八十歳を越えておるはずです。わしに中条流の極意を授けると旅に出たまま帰っては来ませんでした」
「そうじゃったか‥‥‥」
「さて、行きますか」
風眼坊と長次郎は道場を出ると河原に下りた。
対岸には小屋が幾つも立って河原者たちが住んでいるが、こちら側の河原には誰も住んでいなかった。
「芸人たちが、かなり、集まっておるのう」と風眼坊は対岸を見ながら言った。
「ええ、京で戦が始まってからというもの、かなりの連中がここに流れ込んで来ております。河原者たちだけではありません。京のお公家さんたちも逃げて来ております。上城戸の辺りは、以前はうちなどほとんどなかったのに、今ではお公家さんの屋敷が、ずらりと並んでおります」
「そうか、公家の奴らもこんなとこまで逃げて来たのか」
「ええ。困った事に、公家たちの言葉が若い者たちの間で流行っておるらしい」
「ほう‥‥‥こっち側には河原者たちはおらんようじゃが禁止しておるのか」
「お屋形の前は勿論、禁止しておりますが、ここには以前、人足たちがかなり住んでおりました。この河原を道場が使うようになって、人足たちはもっと下流の方に移したのです。今ではあの道場だけでは狭くなって来ました。道場を広げるという話はありますが場所がありません。しかし、そのうち山の方に追いやられるでしょうな。朝倉家が大きくなるに従って家臣たちも増えて来ます。この辺りには武家屋敷が並ぶ事になるでしょう。道場は山の方に追いやられますよ」
「そうか‥‥‥」と風眼坊は山の方を見た。
「あの上に城があります」と長次郎も山を見上げた。「わしが、この城下に来たのはもう十五年も前の事ですが、淋しい山の中だと思いました。今でこそ、城下として栄えておりますが、あの当時は、ほんとに淋しい所でしたよ」
二人は話をしながら橋を渡り、盛り場の方へと入って行った。
大橋長次郎の屋敷は、まさに盛り場のど真ん中と言える辺りにあった。
「えらい所に住んでおるのう」と風眼坊は笑った。
長次郎も苦笑した。「昔は何にもなかった所なのにのう。当時、わしは禅に凝っておりまして、雲正寺に通っておったんです。それで、こんな所にうちを建てたんじゃが、まさか、こんなに賑やかな所になるとは思ってもおらなんだ」
左手に雲正寺があり、右手の方には赤淵(アカブチ)神社があった。その間に挟まれた格好となり、長次郎の屋敷の回りには茶屋、飲屋、旅籠屋、遊女屋などが並び、隣には大きな酒屋の蔵が建っていた。
風眼坊は長次郎の屋敷で昼飯を御馳走になり、昔話などして過ごした。せっかくだから酒でも飲みたいのだが、夕方、一仕事あると言う。それが終わるまで待ってくれと長次郎は言った。
3
夕方、風眼坊は長次郎と共に、朝倉のお屋形様が富樫次郎政親(マサチカ)のために建てたという屋敷に向かっていた。
富樫の屋敷はかなり南の方にあった。
橋を渡り、風眼坊と長次郎は広い馬場を囲む塀に沿って歩いていた。馬場の片隅には射場(イバ)もあり、侍たちが弓の稽古に励んでいた。馬場の方でも何人かが馬に乗っている。いくつも廐があるようだが、廐に入りきらない程、馬の数が多かった。
「随分、馬が多いのう」と風眼坊は馬場を見ながら言った。
「富樫勢の馬が、かなり、おるんです」と長次郎は言った。
「そうか、成程のう。富樫の馬の面倒まで見てやっておるのか。朝倉殿も大変な事じゃのう」
朝倉弾正左衛門尉孝景の孫の孫次郎貞景の時に、新しく屋形をこの馬場の地に移し、ここが城下の中心地となるが、今はこの広い馬場と上城戸の間には、公家たちの屋敷が並ぶだけの静かな一画だった。
富樫次郎の屋敷は馬場のすぐ南にあり、公家の屋敷町に隣接していた。
次郎が弟の幸千代に敗れ、白山麓の山之内庄から朝倉弾正左衛門尉を頼って、この地に来たのは去年の七月だった。もうすぐ一年になるが、今のところ、弾正左衛門尉は次郎のために加賀に進攻する気はないようだった。加賀に進攻する前に越前を一つにまとめなければならなかった。
弾正左衛門尉は去年、冬が来る前に、次郎のための仮の屋敷を造り、陣中見舞いと称して京から来ている公家を出入りさせ、酒と女に溺れさせた。
長次郎が通うようになったのは今年の正月、次郎の前で中条流平法の模範試合を行なってからだった。是非、自分も習いたいものだと言い出し、長次郎に取っては迷惑な話だったが、弾正左衛門尉より御機嫌取りのつもりで教えてやってくれと頼まれ、三日に一度は富樫屋敷を訪ねていた。また、次郎の重臣たちの動きをそれとなく探るのも長次郎の任務だった。
次郎は女に溺れていて問題ないが、重臣たちは陰で動いていた。加賀に残っている反幸千代方と連絡を取り合い、一刻も早く、加賀に帰ろうとしていた。弾正左衛門尉としては、もう少し越前を固めるまでは加賀に行くわけにはいかなかった。せっかく寝返りまでして、守護職を手にしたからには越前一国は我物にしなければならなかった。
弾正左衛門尉は今年の一月、宿敵の甲斐八郎と手を結んで敵対していた杣山(ソマヤマ)城(南条町)の増沢氏を倒し、残るは大野郡の二宮氏だけとなっていた。しかし、邪魔なのは甲斐八郎だった。ついこの間も越前に攻めて来て、さんざんな目に合わされていた。兵糧(ヒョウロウ)が底を突いたのか、何を思ったのか、加賀に戻ってしまったので助かったが、危ないところだった。
弾正左衛門尉はうるさい甲斐八郎を黙らせるため、一時的に和睦(ワボク)しようと決めていた。そして、さっそく、家臣の前波播磨守(マエバハリマノカミ)を美濃の国(岐阜県中南部)に送った。仲裁役を美濃の国の守護代の斎藤妙椿(ミョウチン)に頼むつもりでいた。弾正左衛門尉も八郎も斎藤妙椿とは京において面識があった。仲裁役には持って来いの人物だった。東海方面を封鎖されたため、美濃の国は塩に苦しんでいるとの情報を得た弾正左衛門尉は、塩を送る事を条件に仲裁を頼んだ。近い内に結果が分かるはずだった。
富樫次郎政親は仮住まいとは言え、立派な屋敷に住んでいた。
門をくぐると細長い庭があり、隅の方に弓の堋(アヅチ)があり、ここで剣術の稽古をした、と長次郎は言った。
「した、と言う事は、今は別の所でやっておるのか」と風眼坊は聞いた。
長次郎は笑いながら首を振った。「今は、ほとんど、やらんと言う事です」
「それじゃあ、何のために来ておるんじゃ」
「単なる、御機嫌伺いですかな」
「そうか‥‥‥おぬしも、なかなか大変じゃのう」
遠侍(トオザムライ)に行き、若侍に取り次いで貰うと茶屋の方に行ってくれとの事だった。
大広間があるという大きな建物を回り、塀で仕切られた中庭に入ると見事な庭園があり、その中央辺りに草庵のような茶屋があった。築山(ツキヤマ)があり、大きな石があり、池があり、茶屋は池の中に半分程、飛び出して建てられてあった。
茶屋の中に三人の人影が見えた。
近づくにつれて、一人は若い女、一人は若い男、もう一人は老人だと分かった。若い男は何かを書いているようだった。
若い男はチラッと顔を上げ、こちらの方を見ると、「勘解由か、ちょっと待ってろ」と横柄な態度で言った。
側まで行って覗いてみると、富樫次郎は絵を描いていた。
木の上に止まって下を睨んでいる鷹の絵を描いていた。はっきり言って、あまり、うまいとは言えなかった。鋭さが全然、感じられず、鷹と言うよりもカラスのようだった。
老人は熱心に次郎の筆の運びを見ていた。禅僧のようだった。
若い娘の方は、ぼんやりと池に浮かぶ蓮(ハス)を見ていた。その横顔は確かに美しかったが、どことなく険のある顔付きだった。
「できた!」と次郎は叫ぶと満足気に頷いた。
「勘解由、見てくれ」
長次郎は茶屋の縁側に手を付いて覗き込むと、ゆっくりと頷いた。
「なかなかの上達振りですな」と長次郎は言った。
これで上達したとは、以前は余程、ひどかったとみえると風眼坊は思った。
「もう少し、鋭さが出ると完璧ですな」
「鋭さか」と唸りながら、次郎は自分で描いた絵を見つめた。
「勘解由、鋭さを出すにはどうしたらいいと思う」
「そうですな、わしは剣術の事しか分かりませんが、剣術において鋭さを出すには、やはり、稽古しかありません」
「うむ、やはり、稽古しかないか‥‥‥」
鋭さか、と唸りながら、次郎はまた絵を見つめたが、娘の方を向くと、「そなたはどう思う」と今度は娘に聞いた。
「はい、わたしも鋭さが足らないように思います。鷹と言うよりも、わたしにはカラスのように見えます」と娘は思った通りの事を言った。
風眼坊は、まさか、この娘がそれ程の事を平気で口に出すとは思ってもみなかった。そんな事を次郎に言って、次郎がどんな反応を示すのだろうと期待して見守った。
「カラスか‥‥‥鷹には見えんか‥‥‥」
次郎は自分の描いた絵を、うなだれたように見つめていた。特に、怒ってはいないようだった。
娘の方はそんな下手な絵などどうでもいいと言うように、また、池の方を見ていた。
「絵にはその人の心が現れます。殿はきっと心のお優しい方なのでしょう」と老人が、この場を取り作ろうように言った。
「殿、本日の剣術のお稽古はいかがなさいますか」と長次郎は話題を変えた。
「そうじゃのう。剣術の稽古をやれば少しは鋭さが出て来るかのう」と言って、次郎は長次郎の後にいる風眼坊を見た。「その行者は何者じゃ」
「はい。わしの師匠のようなお人です」
「なに、勘解由の師匠? という事は、おぬしよりも強いのか」
「はい」
「ほう‥‥‥おぬしより強い奴がいるとは驚きじゃのう」
風眼坊は首を振った。「いや。わしはもう年じゃ。勘解由殿にはかないません」
「おぬし、名は何と申す」と次郎が聞いた。
「風眼坊と申します」
「平泉寺の行者か」
「いえ、大峯です」
「大峯? あの大和の国の大峯か」
「はい」
「ほう」と言いながら次郎は改めて、風眼坊を見た。「大峯と言えば修験者(シュゲンジャ)の本場じゃのう。大峯の行者は摩訶不思議な術を使うと聞いておるが、おぬしもできるのか」
「摩訶不思議な術とは、どんな術ですかな」
「空を飛ぶとか、人を呪い殺すとか、色々あるじゃろう」
「空を飛ぶ事は、わしにはできません。空を飛ぶには、かなりの修行が必要です」
「やはり、修行を積めば空を飛べるのか」
風眼坊は頷いた。「しかし、最近は、そんな厳しい修行をする者もおりません。昔は何人か、おったようですけど」
「そうか‥‥‥どんな修行を積めば空を飛べるんじゃ」次郎は目を輝かせながら風眼坊に聞いた。
「まず、千日間、山奥の窟(イワヤ)に籠もって、毎日、呪文を唱えます」
「どんな呪文じゃ」
「例えば、オンマユラキランデイソワカ、とか色々あります」
「ふーん。それから、どうするんじゃ」
「その修行が済みましたら、今度は、釈迦(シャカ)ケ岳と言う山の頂上で一年間、呪文を唱えます」
「なに、山の頂上でか。その山というのは高いのか」
「はい。大峯でも最も高い山です」
「その山の頂上で一年間か‥‥‥そうすれば、空を飛べるようになるのか」
「はい。ただし、山頂での一年間は穀物を断たなければなりません」
「なに、穀物を断つ。何を食って生きるのじゃ」
「木の実だけで、一年間、生きるのです」
「ふーむ。それは厳しいのう」
「はい。今でも千日行をする者は何人かおりますが、さすがに、釈迦ケ岳の山頂で、一年間の木食行(モクジキギョウ)をする者はおりません」
「成程のう。そうじゃろうのう‥‥‥それで、人を呪い殺す術というのはどんなじゃ」
「護摩(ゴマ)を焚いて祈祷(キトウ)をします。ただ、これはすぐには効きません。時間が掛かります」
「どの位じゃ」
「早くても一年は掛かるでしょう」
「そんなに掛かるものなのか」
「はい。困った事にそれをいい事に、いかさまの祈祷師がかなりおります。信者たちから多額の銭を巻き上げて、頃を見計らって消えるという輩(ヤカラ)です」
「おぬしは、その祈祷の仕方を知っておるのじゃな」
「知っておりますが、わしは、めったにやりません」
「なぜじゃ」
「そういう事を頼みに来る奴らは皆、欲の皮が突っ張っておる奴ばかりで、自分の利益のために相手を呪い殺せと言う。そんな奴らに付き合っておったら、わしの方まで、おかしくなり、祈祷も効かなくなります」
「祈祷が効かなくなる?」
「はい。邪心(ジャシン)が入ると祈祷は効かなくなります」
「ふーむ。邪心がのう‥‥‥」
風眼坊は次郎の隣にいる娘が気になっていた。風眼坊が人を呪い殺す話をし出したら、今まで無関心のように、そっぽを向いていたのに、急に興味ありそうな顔をして話に耳を傾けていた。何かあるな、と風眼坊は思った。
風眼坊と長次郎は、次郎の命で、試合をする事となった。お互いに本気を出してやるつもりはなかった。
一本目は長次郎が負け、二本目は風眼坊が負け、三本目は相打ちに終わった。
次郎は目を見張って二人の試合を見ていたが、試合が終わると、御苦労と一言、言って、娘を連れて屋敷の中に帰ってしまった。
茶屋の中で坐っている時は気づかなかったが、立ち上がるとかなりの大男だった。身の丈、六尺(約百八十センチ)近くもあり、体格も良かった。武術の稽古に励めば立派な武将になりそうだが、有り余る精力は、すべて女に使われているらしかった。
取り残された三人は、ただ、次郎たちの後姿を見送るだけだった。
次郎の姿が消えると、「いつもの事じゃ」と老人が言った。
「試合を見て、興奮して、女子(オナゴ)が抱きたくなったのじゃろう」と長次郎は言った。
「いつも、あんな風なのか」と風眼坊は長次郎に聞いた。
「まあ、そうです。お屋形様の思う壷(ツボ)にはまっておると言うわけですよ」
「あの女子も朝倉殿が付けたのか」
「いや、あの女子は加賀から連れて来た女子です。お屋形様も何人もの女子を送り込みましたが、次郎殿はあの女子が一番のお気に入りらしい」
「ほう、正妻というわけでもないんじゃな」
「ええ。正妻は尾張の熱田神宮の娘なんですが、去年、加賀を追い出された時、危険じゃからと尾張に返したまま未だに呼び戻さんのです。今はあの女子に狂っておるようです」
「それにしても、はっきりと物を言う女子じゃな」
「はい。見ていて、いつも、わしらの方がはらはらします。しかし、そこが次郎殿のお気に入りらしい。あの娘がどんなにきつい事を言っても、次郎殿は素直に聞き入れます。もっとも、あの娘の言う事はいつも正しいが、なかなかあれだけの事は言えません」
「そうじゃのう。わしも、あの絵はまさしくカラスじゃと思ったが、口に出しては言えんのう。あの娘がそう言った時、よく言ったと誉めたい位じゃったわ」
とにかく、今日の用は済んだので帰る事にした。
長次郎は老人とは親しいようで、久し振りに一緒に飲みませんかと老人を誘い、三人して長次郎の家へと向かった。
5.一乗谷2
4
すでに、辺りは暗くなり始めていた。
大橋長次郎の家に向かった三人は、途中で、ばったり、加賀屋の女将と出会ってしまい、加賀屋にちょっと寄るという事になってしまった。
加賀屋というのは長次郎の家の近くの遊女屋だった。この城下で一、二を争う程の大きな遊女屋だという。女将はかなりの年配だったが上品な色気の漂う女だった。
「あら、先生がお二人揃ってどちらへ」と女将は声を掛けて来た。
「いや、こりゃ、まずい所で出会ってしまったのう」と老人は笑った。
「先生、一体、いつになったらできるんです」と女将は老人を睨んだが口元は笑っていた。
「いやあ、ここの所、忙しくてのう」と老人はつるつる頭を撫でた。
「いつも、そればっかり。ねえ、先生、ちょっと、うちに寄ってくれません。見て貰いたい物があるんですよ」
「なに、また、新しいのを仕入れたのか」
「はい。とても気に入っているんですよ」
「そうか。それじゃあ、ちょっと拝ませてもらうかのう」
風眼坊は女将を見た時、朝倉家の重臣の奥方だろうと思っていた。ところが、連れられて来た所は大きな遊女屋だった。
風眼坊と先生と呼ばれた老人と長次郎は加賀屋の豪華な座敷に案内された。三人が座敷に入ると間もなく、酒が運ばれて来た。
「ここの酒は地元で作っておるんじゃが、なかなか、いけますよ」と老人は言った。
この老人は曾我式部入道蛇足(ジャソク)という絵師だった。代々、朝倉家の家臣で、父の代より朝倉家のお抱え絵師となっていた。父の名を兵部墨溪(ヒョウブボッケイ)といい、子供の頃より絵が巧みで、文化面を重んじて来た朝倉家は彼を京の相国寺(ショウコクジ)に入れた。
当時、相国寺は水墨画の大家を次々と世に出しており、文化の中心と言えた。墨溪は相国寺で如拙(ジョセツ)の弟子の周文(シュウブン)の弟子となった。墨溪の子の蛇足も相国寺に入り、朝鮮から来た画家、秀文(シュウブン)の弟子となって絵の修行を積み、また、大徳寺の一休(イッキュウ)禅師のもとで禅を学んだ。蛇足という画号は一休禅師が付けてくれたものだった。
蛇に足があるという事、これ如何(イカン)、という公案に対して、蛇足は、すぐに筆を取り、足という字の草書体を蛇で現す絵を描いた。一休禅師は、お見事と言って、蛇足という号を彼に贈ったと言う。
やがて、女将が小さな絵を何枚か持って入って来た。女将はその絵を大事そうに蛇足に渡した。
「これなんですけどね。見て下さいな」
絵は三枚あった。蛇足は三枚の絵を並べて置いた。
「どれも皆、見事な物ですな」
「皆、有名な人の描いた物ですか」と女将は蛇足の顔を覗くようにして聞いた。
三枚とも小さな絵で、一瞬の内に素早く描いた絵のようだった。
一枚はとぼけた顔をした布袋(ホテイ)様、一枚は物憂い顔をした観音像、もう一枚は白目をむいた達磨(ダルマ)像だった。どれも皆、違った筆使いのようだった。
「うーむ」と蛇足は唸った。どれも、落款(ラッカン、署名や押印)がなかった。
「まず、これじゃがな」と蛇足は布袋様の絵を手に取ると、「多分、可翁(カオウ)禅師じゃな。もう、百年以上も前の人じゃ」
蛇足は次に達磨像を手に取り、これは、多分、親父が描いた物じゃと言った。
「えっ、これは、大先生が描いた物ですか‥‥‥」と女将は達磨像をじっと見つめた。
蛇足の父、墨溪は去年、旅の途中、伊勢の国において亡くなっていた。八十二歳だった。知らせを受けて、蛇足は慌てて一休禅師のもとから国元に帰って来たのだった。それから、ずっと、この城下にいて、お屋形様の側近くに仕えている。多分、この達磨像は墨溪が五十年近く前に描いた物に違いなかった。
「この観音様は誰が描いたのですか」と女将は聞いた。
「これか‥‥‥はっきりとは分からんが、多分、雪舟(セッシュウ)のような気がするのう」
「雪舟‥‥‥有名なんですか」
「いや、まだ、それ程でもないが、きっと、有名になる事じゃろう。わしは若い頃、雪舟と一緒に相国寺で修行した事があった。京に戦の始まった頃に雪舟が明(ミン)の国に渡ったと噂を聞いたが、その後、帰って来たのかどうかは分からん」
「ほう、明に渡ったか‥‥‥」と風眼坊は観音像を見つめた。
「一体、どうやって、この絵を手に入れました」と蛇足は女将に聞いた。
「はい。うちに出入りしている呉服屋さんから、いただいたのよ」
「そうですか‥‥‥その呉服屋さんというのは、どこからいらしたのですか」
「はい。敦賀の呉服屋さんなんですが、何でも、周防(スオウ、山口県南東部)から来たという商人から譲られたんだそうです」
「周防から来た商人‥‥‥」と蛇足は言うともう一度、三枚の絵を眺めた。「もしかしたら、これは皆、雪舟が描いた物かもしれん」
「えっ?」と女将は驚いた。
「雪舟は明に渡る前、五年近く、周防の山口におったんじゃよ。もし、明から帰って来ておるとすれば、戦を続けている京には戻らんじゃろ。もしかしたら、雪舟は今、山口におるのかもしれん。大内氏の城下、山口はかつての京の都以上に栄えておると聞くからのう」
「すると、この達磨様もですか」
蛇足は頷いた。「一瞬、見た時は親父が描いた物じゃと思ったが、良く見ると筆の使い方が違うようじゃ。それに、この布袋も百年以上前に描かれた物だとするには、紙がそう古くはないようじゃしな。うむ、これは皆、雪舟が描いた物と見ていいじゃろう」
「雪舟か‥‥‥」と風眼坊は言った。
「風眼坊殿は雪舟という絵師を御存じですか」と長次郎は聞いた。
「いや。わしは絵の事はよく分からんのじゃが、その雪舟という名はどこかで聞いた事があるんじゃ。どこだったのか思い出せんのじゃが‥‥‥」風眼坊は首を傾げ、「雪舟というお方はいくつ位の人ですか」と蛇足に聞いた。
「わしより三つか四つ下じゃったから五十五位かのう。若い頃、絵を描くために山歩きをよくしておったから、行者たちとも付き合っておったかもしれんのう」
「思い出したわ」と風眼坊は手を打った。「確か、大峯の山上の蔵王堂に雪舟と名前の書いてある山水画があったんじゃ。見事な絵じゃったわ」
「そうか、雪舟は大峯山にも登っておったのか。もっとも、明に渡って、明の山を登るんじゃと言っておったからのう。もしかしたら、白山にも登ったかもしれんのう」
「雪舟ですか‥‥‥」と女将は言って、改めて絵を眺めた。
「女将、この絵は表装して、大事にした方がいいぞ。今に、えらい値打物になる事、間違いなしじゃ」
「大事にしますとも。先生にそれ程まで言われるとは思ってもおりませんでした。名前も書いてありませんし、どうせ、無名の絵師の描いた物だと思っておりました。たとえ、無名の人の絵でも、わたし、気に入ってましたから大事にするつもりでおりました。それが明の国まで渡ったという偉いお人が描いたなんて、とても信じられないようです。先生、見ていただいて、どうも、ありがとうございました。お礼と言っては何ですが、今晩はゆっくりしていって下さい」
女将は絵を大事そうに持って帰った。
「あの女将は、なかなか、絵の事が分かるんじゃよ」と蛇足は言った。「もう前から、女将に絵を描いてくれと頼まれておるんじゃがな、まだ、描いておらんのじゃ」
女将と入れ違いのように、若い遊女が三人、入って来た。
どうする、と三人は顔を見合わせた。
三人の美女を目の前にして、席を立つような無粋者(ブスイモノ)はいなかった。
絵の事も剣術の事も本願寺の事も忘れ、三人は美女たちと一緒に楽しい宵を過ごした。
次の日の昼頃、大橋長次郎の屋敷に風眼坊を訪ねて来た女の客があった。
丁度、風眼坊が大きなあくびをしていた時だった。長次郎の娘がお客さんだと伝えに来た。
「お客? 何かの間違いじゃろ。わしが、ここにいる事は誰も知らんはずじゃ」
「でも、確かに、風眼坊様に御用があるとおっしゃいましたけど」と娘は首を傾げた。
おさやと言う名の十七歳の娘だった。長次郎には悪いが、長次郎に似ずに母親に似て可愛いい娘だった。
「そのお客というのは、もしかしたら、爺さんかい」と聞いた。
「いいえ、若くて綺麗な女の方です」
「女?」
「はい。風眼坊様は見かけによらず、以外と手がお早いみたいですね」と、おさやはませた口調で言った。
「何を言うか。とりあえず会ってみるか」と風眼坊は立ち上がった。
長次郎はすでに道場の方に出掛けていて、いなかった。
風眼坊は昨夜、年甲斐もなく飲み過ぎて、今朝は起きられなかった。昼近くになって、ようやく起き出し、ボーッとしている時、おさやがお客だと言いに来たのだった。
風眼坊が玄関まで行ってみると、確かに若い女が立っていた。
顔を隠すように頭に薄い着物を被っていた。見るからに身分の高そうな女で、風眼坊が知っている女たちとは種類の違う女だった。
女は風眼坊を見ると被り物を取って頭を下げた。
「昨日は、どうも失礼いたしました。あの、風眼坊殿に折り入ってお話があるのですが」と女は落ち着いた声で言った。
「もしかしたら、昨日、富樫殿の屋敷にいた‥‥‥」
「はい。雪と申します」
風眼坊を訪ねて来た女は富樫次郎政親の側室、お雪の方だった。どうして、彼女が風眼坊を訪ねて来たのか分からなかったが、何か、思い詰めているような感じだった。
「お一人ですか」と風眼坊は聞いた。
「いいえ、外に供の者がおります。風眼坊殿、申し訳ありませんが、御足労願いたいのですが」
「ここでは具合が悪いのですか」
「はい。申し訳ありません」
何となく、昨日、会った時とは違うような感じだった。昨日は、やけに冷たそうな娘だと思ったが、今日は、何となく違う雰囲気だった。
風眼坊はお雪の後に付いて行く事にした。お雪の供というのは小柄な尼僧だった。
風眼坊が連れて行かれた所は城下を見下ろす山の中にある草庵だった。その草庵には誰もいなかった。供の尼僧は中には入って来なかった。
囲炉裏のある板の間に上がるとお雪は坐った。
「ここは、外におられる尼僧殿の草庵ですかな」と風眼坊は聞いた。
お雪は頷いた。
「なかなか、いい所ですな」
「はい。ここなら、誰にも話を聞かれる事はありません」
風眼坊はお雪を見ながら板の間に腰を下ろした。
お雪の用というのが風眼坊には分かっていた。昨日、富樫屋敷で話した加持祈祷の事以外には考えられなかった。
「風眼坊殿、昨日のお話は本当でしょうか」とお雪は風眼坊を見つめながら言った。
「はい。本当です」
「人を呪い殺す事もですか」
風眼坊は頷いた。
「しかし、昨日も言った通り、すぐに効き目は現れませんよ」
「どの位かかるのですか」
「早くても一年」
「遅ければ?」
「遅ければ、まあ、十五年位かかる事もある」
「十五年も‥‥‥どうして、そんなにも開きがあるのですか」
「それは、呪った人の運命とか、寿命とかに左右されるんじゃよ。たとえば、百歳まで寿命のある人を呪いによって命を縮めるというのは大変な事なんじゃ。どう、縮めてみても、二十年位までじゃろうな。今の世の中は戦乱に明け暮れておるので、人一人の命など軽く思いがちじゃが、人一人がこの世から突然、消えていなくなるというのは大変な事なんじゃよ」
「十五年ですか‥‥‥」とお雪は呟いた。
「富樫の若殿は、そなたが、わしと会っている事を知っておるのですか」と風眼坊は聞いた。
お雪は首を振った。
「今日は鷹狩りに行きました」
「ほう、あの殿が鷹狩りにねえ」
「珍しい事には、すぐ飛び付くのです。そして、すぐに飽きてしまいます」
「成程‥‥‥そんな感じですな」
「実は、わたしが呪い殺したいのは、その富樫次郎です」とお雪は言った。
風眼坊はお雪の顔を見つめた。その美しい顔から出て来た言葉だとは信じられなかった。
「何じゃと、富樫次郎を呪い殺す」
お雪は風眼坊を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「そなたは次郎の側室じゃろう」
「はい」
「さては、次郎を殺すつもりで近づいたのか」
「はい。しかし‥‥‥」
「しかし、殺す事ができなかった」
お雪は頷いた。
「どうして、また」
「両親の仇(カタキ)です」
「両親を次郎に殺されたのか」
「はい」
「どうして」
「分かりません、突然、大勢の侍が来て、みんなを殺して行きました」
「そなたの父親というのは武士だったんじゃな」
お雪は頷いた。
「それは、いつの事じゃ」
「七年前です」
「成程のう。しかし、そなたのような美しい娘が仇討ちなどで、大事な一生を台なしにしてしまうとはのう」
「今のわたしには両親の仇を討つ事だけが、すべてです」
「うむ、まあ、色々な人生があるからのう」と風眼坊は言ったが、首を横に振った。
「お願いします。祈祷して次郎を殺して下さい」
「どうしても、呪い殺したいのか」
「はい、どうしても。自分の手で殺す事はできません。後は、呪い殺すしかありません」
「うむ」と言うと風眼坊は立ち上がり、土間の中を歩き回った。
お雪は両手を合わせて、風眼坊を見つめていた。
風眼坊は足を止めて、お雪を見ると、「七年前と言うと、そなたは幾つじゃ」と聞いた。
「十二です」
「兄弟は?」
「弟がおりましたが両親と一緒に殺されました」
「そうか‥‥‥」
風眼坊はまた、考え事をするように歩き回った。
当時、お雪が十二だったとすれば、次郎の方も十二、三だろう。そんな子供に兵の指図などできるわけはなかった。しかし、子供であろうと富樫家の家督を継いでいれば、仇の親玉には違いなかった。
風眼坊は足を止めて、お雪を見た。
「お願いします。呪い殺して下さい」とお雪は頭を下げた。
「やってもいいが、ここではできんぞ。祈祷をするには、それだけの準備がいる。まず、護摩壇(ゴマダン)のある場所、しかも、俗界から離れた山の中じゃないといかんな。それに、祈祷をするのは、わしじゃが、そなたも斎戒沐浴(サイカイモクヨク)をして身を清め、呪文を唱え続けなければならんぞ」
「えっ、わたしもですか」
「そりゃそうじゃ。そなたが、それだけの誠意を見せん事には、天も願いを聞き入れてはくれん」
「わたしも一緒にしなければならないのですか‥‥‥」
「そりゃそうじゃよ。神頼みにしたって自分で頼むじゃろう。人に頼んで貰う奴などおらんじゃろう」
「‥‥‥」
「そなたは、わしに祈祷を頼むのなら、わしを信じてもらわなければならぬ。まず、信じる事が一番重要な事じゃ。信じなければ何事もうまくいかん。効き目が現れるまで、ずっと信じ続ける事ができなければ、いくら祈祷をやったとて成功などせん。どうじゃ、それでも、やるかな」
お雪は、俯いていた。
「そなたは、また、次郎の所に戻るつもりかな。今まで殺す事ができなかったんじゃから、これ以上、次郎の側にいる必要もないじゃろう。どうかな。それとも、女というものは嫌な男でも一緒にいるうちに情が通うと言うからのう」
「いえ、そんな事はありません」とお雪は力強く首を振った。その目は潤んでいた。
「そうか‥‥‥」
風眼坊はお雪に背を向けるようにして、板の間に腰を下ろした。
しばらくして、お雪が風眼坊に声を掛けた。
「その祈祷というのは相手が死ぬまで、ずっと、続けるのでしょうか」
「いや、祈祷を続けるのは二十一日間じゃ。しかし、効き目が現れるまでは俗界とは交わらずに暮らさなければならん。きついぞ。自分の一生を台なしにする事になるぞ」
「もう、台なしになっております‥‥‥」
「そうじゃろうのう‥‥‥ゆっくりとよく考えて決める事じゃ。わしは明日の朝、もう一度、ここに来る。そなたの気が変わらなければ、ここにおってくれ。気が変わったら、次郎の所に戻るがいい」
風眼坊はそう言うと草庵から出た。
「用は済んだぞ」と外で待っている尼僧に言うと風眼坊は山を下りた。
風眼坊が山を下りると尼僧は草庵の中に入って、お雪を見た。
お雪はうなだれていた。
可哀想に‥‥‥と尼僧は思いながら、何も言わず、お雪を見ていた。
尼僧の名は智春尼(チシュンニ)といい、お雪の叔母だった。両親と弟が殺された時、お雪は智春尼の寺で、読み書きを習っていた。
いつものように読み書きを終え、家に帰ると家はめちゃめちゃになっていた。
お雪は泣き叫びながら家に入り、そこに、この世の地獄を見た。ついさっきまで、笑ったり、話をしたりしていた父や母や幼い弟が真っ赤に染まって死んでいた。
十二歳だったお雪に取って、それは物凄い衝撃だった。
その後、自分がどうなったのか覚えていない。気が付いたら叔母の側で眠っていた。
お雪はその時、自分は死んだものと思い込み、ただ、家族の仇を討つ事だけに生きて来ていた。叔母は何度もやめさせようとしたが、お雪の決心は固く、無駄に終わった。叔母としては、ただ、お雪の事を見守ってやる事しかできなかった。
お雪は自分の体を投げ出してまで仇を討つ事に執着した。自分を生きる屍(シカバネ)だと思う事によって、仇である次郎に身をまかせた。次郎を殺す機会はいくらでもあった。しかし、どうしても、お雪には殺す事ができなかった。情けない事に、ただ、毎日、次郎に抱かれ、次郎が事故にでも会って死んでくれればいいと願う事しかできなかった。
「どうします」と智春尼はお雪に優しく声を掛けた。
お雪はうなだれたままだった。
「わたしは外で聞いておりました。わたしはあの風眼坊というお方の言う通りにした方がいいと思います。あなたはもう充分過ぎる程、この世の地獄を見て来ました。また、自ら地獄の中に飛び込んで行かれました。もう、充分です。あのお方にすべてをお任せして、後は、御両親と弟の御冥福(ゴメイフク)を祈って静かに暮らしましょう。そうすれば、きっと、みんなの仇を討つ事ができます」
お雪はゆっくりと顔を上げると、叔母の顔を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「それでは、もう、あそこには戻らないのですね」
お雪はもう一度、頷いた。
その時、この草庵に近づいて来る足音が聞こえた。
二人はビクッとして顔を見合わせ、智春尼が慌てて入り口の方に向かった。
近づいて来たのは風眼坊だった。風眼坊は草庵に入って来ると、「明日の朝まで待つと、さっき言ったが、考えてみたら、そんなにのんびりしているわけにはいかんわ」と言った。
驚いたように、二人は風眼坊を見ていた。
「次郎が鷹狩りから戻って来て、そなたがいない事に気づいたら、次郎は大騒ぎして、そなたを捜すに違いない。そしたら、こんな所、すぐに見つかってしまう。どうじゃ、まだ決心は付かんか」
「付きました」と智春尼が言った。「風眼坊殿にすべてをお任せすると‥‥‥」
「よし、それでいいんじゃな」
お雪は頷いた。
「そうと決まれば、早いうちにこの城下から出た方がいいのう。次郎はどこで鷹狩りをやっておるんじゃ」
「一乗山だと言っておりました」
「一乗山と言うのはどこにあるんじゃ」
「詳しくは知りませんけど、上城戸の先の方です」
「上城戸か。都合がいい。下城戸から逃げよう」
今、着ている着物だと目立つので、智春尼の法衣(ホウエ)を借り、お雪を尼僧姿にして、三人は山を下りた。
城下を出る途中、長次郎の家に寄って、急に帰る事になった、という事を告げた。うまい具合に長次郎は帰っていた。長次郎は巻き込みたくはなかったが、城戸を抜けるのが心配だったので、一緒に付いて来て貰う事にした。
長次郎には二人の尼僧は本願寺の尼僧だと説明した。風眼坊の言った事を信じなかったようだが、長次郎は何も聞かず、城戸まで付いて来て、風眼坊たちを見送ってくれた。
「今度は、もっと、ゆっくり来るわ」と風眼坊は手を振った。
「はい。いつでも歓迎しますよ」と長次郎も手を振った。
「蛇足殿にも、よろしくな」
二人の尼僧を連れた山伏は吉崎へと向かって行った。
「これなんですけどね。見て下さいな」
絵は三枚あった。蛇足は三枚の絵を並べて置いた。
「どれも皆、見事な物ですな」
「皆、有名な人の描いた物ですか」と女将は蛇足の顔を覗くようにして聞いた。
三枚とも小さな絵で、一瞬の内に素早く描いた絵のようだった。
一枚はとぼけた顔をした布袋(ホテイ)様、一枚は物憂い顔をした観音像、もう一枚は白目をむいた達磨(ダルマ)像だった。どれも皆、違った筆使いのようだった。
「うーむ」と蛇足は唸った。どれも、落款(ラッカン、署名や押印)がなかった。
「まず、これじゃがな」と蛇足は布袋様の絵を手に取ると、「多分、可翁(カオウ)禅師じゃな。もう、百年以上も前の人じゃ」
蛇足は次に達磨像を手に取り、これは、多分、親父が描いた物じゃと言った。
「えっ、これは、大先生が描いた物ですか‥‥‥」と女将は達磨像をじっと見つめた。
蛇足の父、墨溪は去年、旅の途中、伊勢の国において亡くなっていた。八十二歳だった。知らせを受けて、蛇足は慌てて一休禅師のもとから国元に帰って来たのだった。それから、ずっと、この城下にいて、お屋形様の側近くに仕えている。多分、この達磨像は墨溪が五十年近く前に描いた物に違いなかった。
「この観音様は誰が描いたのですか」と女将は聞いた。
「これか‥‥‥はっきりとは分からんが、多分、雪舟(セッシュウ)のような気がするのう」
「雪舟‥‥‥有名なんですか」
「いや、まだ、それ程でもないが、きっと、有名になる事じゃろう。わしは若い頃、雪舟と一緒に相国寺で修行した事があった。京に戦の始まった頃に雪舟が明(ミン)の国に渡ったと噂を聞いたが、その後、帰って来たのかどうかは分からん」
「ほう、明に渡ったか‥‥‥」と風眼坊は観音像を見つめた。
「一体、どうやって、この絵を手に入れました」と蛇足は女将に聞いた。
「はい。うちに出入りしている呉服屋さんから、いただいたのよ」
「そうですか‥‥‥その呉服屋さんというのは、どこからいらしたのですか」
「はい。敦賀の呉服屋さんなんですが、何でも、周防(スオウ、山口県南東部)から来たという商人から譲られたんだそうです」
「周防から来た商人‥‥‥」と蛇足は言うともう一度、三枚の絵を眺めた。「もしかしたら、これは皆、雪舟が描いた物かもしれん」
「えっ?」と女将は驚いた。
「雪舟は明に渡る前、五年近く、周防の山口におったんじゃよ。もし、明から帰って来ておるとすれば、戦を続けている京には戻らんじゃろ。もしかしたら、雪舟は今、山口におるのかもしれん。大内氏の城下、山口はかつての京の都以上に栄えておると聞くからのう」
「すると、この達磨様もですか」
蛇足は頷いた。「一瞬、見た時は親父が描いた物じゃと思ったが、良く見ると筆の使い方が違うようじゃ。それに、この布袋も百年以上前に描かれた物だとするには、紙がそう古くはないようじゃしな。うむ、これは皆、雪舟が描いた物と見ていいじゃろう」
「雪舟か‥‥‥」と風眼坊は言った。
「風眼坊殿は雪舟という絵師を御存じですか」と長次郎は聞いた。
「いや。わしは絵の事はよく分からんのじゃが、その雪舟という名はどこかで聞いた事があるんじゃ。どこだったのか思い出せんのじゃが‥‥‥」風眼坊は首を傾げ、「雪舟というお方はいくつ位の人ですか」と蛇足に聞いた。
「わしより三つか四つ下じゃったから五十五位かのう。若い頃、絵を描くために山歩きをよくしておったから、行者たちとも付き合っておったかもしれんのう」
「思い出したわ」と風眼坊は手を打った。「確か、大峯の山上の蔵王堂に雪舟と名前の書いてある山水画があったんじゃ。見事な絵じゃったわ」
「そうか、雪舟は大峯山にも登っておったのか。もっとも、明に渡って、明の山を登るんじゃと言っておったからのう。もしかしたら、白山にも登ったかもしれんのう」
「雪舟ですか‥‥‥」と女将は言って、改めて絵を眺めた。
「女将、この絵は表装して、大事にした方がいいぞ。今に、えらい値打物になる事、間違いなしじゃ」
「大事にしますとも。先生にそれ程まで言われるとは思ってもおりませんでした。名前も書いてありませんし、どうせ、無名の絵師の描いた物だと思っておりました。たとえ、無名の人の絵でも、わたし、気に入ってましたから大事にするつもりでおりました。それが明の国まで渡ったという偉いお人が描いたなんて、とても信じられないようです。先生、見ていただいて、どうも、ありがとうございました。お礼と言っては何ですが、今晩はゆっくりしていって下さい」
女将は絵を大事そうに持って帰った。
「あの女将は、なかなか、絵の事が分かるんじゃよ」と蛇足は言った。「もう前から、女将に絵を描いてくれと頼まれておるんじゃがな、まだ、描いておらんのじゃ」
女将と入れ違いのように、若い遊女が三人、入って来た。
どうする、と三人は顔を見合わせた。
三人の美女を目の前にして、席を立つような無粋者(ブスイモノ)はいなかった。
絵の事も剣術の事も本願寺の事も忘れ、三人は美女たちと一緒に楽しい宵を過ごした。
5
次の日の昼頃、大橋長次郎の屋敷に風眼坊を訪ねて来た女の客があった。
丁度、風眼坊が大きなあくびをしていた時だった。長次郎の娘がお客さんだと伝えに来た。
「お客? 何かの間違いじゃろ。わしが、ここにいる事は誰も知らんはずじゃ」
「でも、確かに、風眼坊様に御用があるとおっしゃいましたけど」と娘は首を傾げた。
おさやと言う名の十七歳の娘だった。長次郎には悪いが、長次郎に似ずに母親に似て可愛いい娘だった。
「そのお客というのは、もしかしたら、爺さんかい」と聞いた。
「いいえ、若くて綺麗な女の方です」
「女?」
「はい。風眼坊様は見かけによらず、以外と手がお早いみたいですね」と、おさやはませた口調で言った。
「何を言うか。とりあえず会ってみるか」と風眼坊は立ち上がった。
長次郎はすでに道場の方に出掛けていて、いなかった。
風眼坊は昨夜、年甲斐もなく飲み過ぎて、今朝は起きられなかった。昼近くになって、ようやく起き出し、ボーッとしている時、おさやがお客だと言いに来たのだった。
風眼坊が玄関まで行ってみると、確かに若い女が立っていた。
顔を隠すように頭に薄い着物を被っていた。見るからに身分の高そうな女で、風眼坊が知っている女たちとは種類の違う女だった。
女は風眼坊を見ると被り物を取って頭を下げた。
「昨日は、どうも失礼いたしました。あの、風眼坊殿に折り入ってお話があるのですが」と女は落ち着いた声で言った。
「もしかしたら、昨日、富樫殿の屋敷にいた‥‥‥」
「はい。雪と申します」
風眼坊を訪ねて来た女は富樫次郎政親の側室、お雪の方だった。どうして、彼女が風眼坊を訪ねて来たのか分からなかったが、何か、思い詰めているような感じだった。
「お一人ですか」と風眼坊は聞いた。
「いいえ、外に供の者がおります。風眼坊殿、申し訳ありませんが、御足労願いたいのですが」
「ここでは具合が悪いのですか」
「はい。申し訳ありません」
何となく、昨日、会った時とは違うような感じだった。昨日は、やけに冷たそうな娘だと思ったが、今日は、何となく違う雰囲気だった。
風眼坊はお雪の後に付いて行く事にした。お雪の供というのは小柄な尼僧だった。
風眼坊が連れて行かれた所は城下を見下ろす山の中にある草庵だった。その草庵には誰もいなかった。供の尼僧は中には入って来なかった。
囲炉裏のある板の間に上がるとお雪は坐った。
「ここは、外におられる尼僧殿の草庵ですかな」と風眼坊は聞いた。
お雪は頷いた。
「なかなか、いい所ですな」
「はい。ここなら、誰にも話を聞かれる事はありません」
風眼坊はお雪を見ながら板の間に腰を下ろした。
お雪の用というのが風眼坊には分かっていた。昨日、富樫屋敷で話した加持祈祷の事以外には考えられなかった。
「風眼坊殿、昨日のお話は本当でしょうか」とお雪は風眼坊を見つめながら言った。
「はい。本当です」
「人を呪い殺す事もですか」
風眼坊は頷いた。
「しかし、昨日も言った通り、すぐに効き目は現れませんよ」
「どの位かかるのですか」
「早くても一年」
「遅ければ?」
「遅ければ、まあ、十五年位かかる事もある」
「十五年も‥‥‥どうして、そんなにも開きがあるのですか」
「それは、呪った人の運命とか、寿命とかに左右されるんじゃよ。たとえば、百歳まで寿命のある人を呪いによって命を縮めるというのは大変な事なんじゃ。どう、縮めてみても、二十年位までじゃろうな。今の世の中は戦乱に明け暮れておるので、人一人の命など軽く思いがちじゃが、人一人がこの世から突然、消えていなくなるというのは大変な事なんじゃよ」
「十五年ですか‥‥‥」とお雪は呟いた。
「富樫の若殿は、そなたが、わしと会っている事を知っておるのですか」と風眼坊は聞いた。
お雪は首を振った。
「今日は鷹狩りに行きました」
「ほう、あの殿が鷹狩りにねえ」
「珍しい事には、すぐ飛び付くのです。そして、すぐに飽きてしまいます」
「成程‥‥‥そんな感じですな」
「実は、わたしが呪い殺したいのは、その富樫次郎です」とお雪は言った。
風眼坊はお雪の顔を見つめた。その美しい顔から出て来た言葉だとは信じられなかった。
「何じゃと、富樫次郎を呪い殺す」
お雪は風眼坊を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「そなたは次郎の側室じゃろう」
「はい」
「さては、次郎を殺すつもりで近づいたのか」
「はい。しかし‥‥‥」
「しかし、殺す事ができなかった」
お雪は頷いた。
「どうして、また」
「両親の仇(カタキ)です」
「両親を次郎に殺されたのか」
「はい」
「どうして」
「分かりません、突然、大勢の侍が来て、みんなを殺して行きました」
「そなたの父親というのは武士だったんじゃな」
お雪は頷いた。
「それは、いつの事じゃ」
「七年前です」
「成程のう。しかし、そなたのような美しい娘が仇討ちなどで、大事な一生を台なしにしてしまうとはのう」
「今のわたしには両親の仇を討つ事だけが、すべてです」
「うむ、まあ、色々な人生があるからのう」と風眼坊は言ったが、首を横に振った。
「お願いします。祈祷して次郎を殺して下さい」
「どうしても、呪い殺したいのか」
「はい、どうしても。自分の手で殺す事はできません。後は、呪い殺すしかありません」
「うむ」と言うと風眼坊は立ち上がり、土間の中を歩き回った。
お雪は両手を合わせて、風眼坊を見つめていた。
風眼坊は足を止めて、お雪を見ると、「七年前と言うと、そなたは幾つじゃ」と聞いた。
「十二です」
「兄弟は?」
「弟がおりましたが両親と一緒に殺されました」
「そうか‥‥‥」
風眼坊はまた、考え事をするように歩き回った。
当時、お雪が十二だったとすれば、次郎の方も十二、三だろう。そんな子供に兵の指図などできるわけはなかった。しかし、子供であろうと富樫家の家督を継いでいれば、仇の親玉には違いなかった。
風眼坊は足を止めて、お雪を見た。
「お願いします。呪い殺して下さい」とお雪は頭を下げた。
「やってもいいが、ここではできんぞ。祈祷をするには、それだけの準備がいる。まず、護摩壇(ゴマダン)のある場所、しかも、俗界から離れた山の中じゃないといかんな。それに、祈祷をするのは、わしじゃが、そなたも斎戒沐浴(サイカイモクヨク)をして身を清め、呪文を唱え続けなければならんぞ」
「えっ、わたしもですか」
「そりゃそうじゃ。そなたが、それだけの誠意を見せん事には、天も願いを聞き入れてはくれん」
「わたしも一緒にしなければならないのですか‥‥‥」
「そりゃそうじゃよ。神頼みにしたって自分で頼むじゃろう。人に頼んで貰う奴などおらんじゃろう」
「‥‥‥」
「そなたは、わしに祈祷を頼むのなら、わしを信じてもらわなければならぬ。まず、信じる事が一番重要な事じゃ。信じなければ何事もうまくいかん。効き目が現れるまで、ずっと信じ続ける事ができなければ、いくら祈祷をやったとて成功などせん。どうじゃ、それでも、やるかな」
お雪は、俯いていた。
「そなたは、また、次郎の所に戻るつもりかな。今まで殺す事ができなかったんじゃから、これ以上、次郎の側にいる必要もないじゃろう。どうかな。それとも、女というものは嫌な男でも一緒にいるうちに情が通うと言うからのう」
「いえ、そんな事はありません」とお雪は力強く首を振った。その目は潤んでいた。
「そうか‥‥‥」
風眼坊はお雪に背を向けるようにして、板の間に腰を下ろした。
しばらくして、お雪が風眼坊に声を掛けた。
「その祈祷というのは相手が死ぬまで、ずっと、続けるのでしょうか」
「いや、祈祷を続けるのは二十一日間じゃ。しかし、効き目が現れるまでは俗界とは交わらずに暮らさなければならん。きついぞ。自分の一生を台なしにする事になるぞ」
「もう、台なしになっております‥‥‥」
「そうじゃろうのう‥‥‥ゆっくりとよく考えて決める事じゃ。わしは明日の朝、もう一度、ここに来る。そなたの気が変わらなければ、ここにおってくれ。気が変わったら、次郎の所に戻るがいい」
風眼坊はそう言うと草庵から出た。
「用は済んだぞ」と外で待っている尼僧に言うと風眼坊は山を下りた。
風眼坊が山を下りると尼僧は草庵の中に入って、お雪を見た。
お雪はうなだれていた。
可哀想に‥‥‥と尼僧は思いながら、何も言わず、お雪を見ていた。
尼僧の名は智春尼(チシュンニ)といい、お雪の叔母だった。両親と弟が殺された時、お雪は智春尼の寺で、読み書きを習っていた。
いつものように読み書きを終え、家に帰ると家はめちゃめちゃになっていた。
お雪は泣き叫びながら家に入り、そこに、この世の地獄を見た。ついさっきまで、笑ったり、話をしたりしていた父や母や幼い弟が真っ赤に染まって死んでいた。
十二歳だったお雪に取って、それは物凄い衝撃だった。
その後、自分がどうなったのか覚えていない。気が付いたら叔母の側で眠っていた。
お雪はその時、自分は死んだものと思い込み、ただ、家族の仇を討つ事だけに生きて来ていた。叔母は何度もやめさせようとしたが、お雪の決心は固く、無駄に終わった。叔母としては、ただ、お雪の事を見守ってやる事しかできなかった。
お雪は自分の体を投げ出してまで仇を討つ事に執着した。自分を生きる屍(シカバネ)だと思う事によって、仇である次郎に身をまかせた。次郎を殺す機会はいくらでもあった。しかし、どうしても、お雪には殺す事ができなかった。情けない事に、ただ、毎日、次郎に抱かれ、次郎が事故にでも会って死んでくれればいいと願う事しかできなかった。
「どうします」と智春尼はお雪に優しく声を掛けた。
お雪はうなだれたままだった。
「わたしは外で聞いておりました。わたしはあの風眼坊というお方の言う通りにした方がいいと思います。あなたはもう充分過ぎる程、この世の地獄を見て来ました。また、自ら地獄の中に飛び込んで行かれました。もう、充分です。あのお方にすべてをお任せして、後は、御両親と弟の御冥福(ゴメイフク)を祈って静かに暮らしましょう。そうすれば、きっと、みんなの仇を討つ事ができます」
お雪はゆっくりと顔を上げると、叔母の顔を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「それでは、もう、あそこには戻らないのですね」
お雪はもう一度、頷いた。
その時、この草庵に近づいて来る足音が聞こえた。
二人はビクッとして顔を見合わせ、智春尼が慌てて入り口の方に向かった。
近づいて来たのは風眼坊だった。風眼坊は草庵に入って来ると、「明日の朝まで待つと、さっき言ったが、考えてみたら、そんなにのんびりしているわけにはいかんわ」と言った。
驚いたように、二人は風眼坊を見ていた。
「次郎が鷹狩りから戻って来て、そなたがいない事に気づいたら、次郎は大騒ぎして、そなたを捜すに違いない。そしたら、こんな所、すぐに見つかってしまう。どうじゃ、まだ決心は付かんか」
「付きました」と智春尼が言った。「風眼坊殿にすべてをお任せすると‥‥‥」
「よし、それでいいんじゃな」
お雪は頷いた。
「そうと決まれば、早いうちにこの城下から出た方がいいのう。次郎はどこで鷹狩りをやっておるんじゃ」
「一乗山だと言っておりました」
「一乗山と言うのはどこにあるんじゃ」
「詳しくは知りませんけど、上城戸の先の方です」
「上城戸か。都合がいい。下城戸から逃げよう」
今、着ている着物だと目立つので、智春尼の法衣(ホウエ)を借り、お雪を尼僧姿にして、三人は山を下りた。
城下を出る途中、長次郎の家に寄って、急に帰る事になった、という事を告げた。うまい具合に長次郎は帰っていた。長次郎は巻き込みたくはなかったが、城戸を抜けるのが心配だったので、一緒に付いて来て貰う事にした。
長次郎には二人の尼僧は本願寺の尼僧だと説明した。風眼坊の言った事を信じなかったようだが、長次郎は何も聞かず、城戸まで付いて来て、風眼坊たちを見送ってくれた。
「今度は、もっと、ゆっくり来るわ」と風眼坊は手を振った。
「はい。いつでも歓迎しますよ」と長次郎も手を振った。
「蛇足殿にも、よろしくな」
二人の尼僧を連れた山伏は吉崎へと向かって行った。
6.お雪1
1
暑い盛りの昼下り、風眼坊はお雪と智春尼を連れて吉崎に戻って来た。
昨日の晩は崩川(クズレガワ、九頭竜川)の河原の側にあった地蔵堂で休んだが、一乗谷からの追っ手は来なかった。
吉崎に戻って来ると風眼坊はお雪を蓮如に預けた。
お雪には、「祈祷にいい場所を捜しに行って来る。ここは絶対に安全じゃ。しばらくの間、ここで待っておってくれ」と言った。初めから風眼坊は祈祷などする気はなかった。仇討ちに取り付かれて、自分の一生を台なしにしてしまうお雪を見ていられなかった。本願寺の教えによって仇討ちを諦め、自分を取り戻してくれる事を祈っていた。
風眼坊は蓮如にすべての事を話し、お雪の事を頼んだ。
蓮如は引き受けてくれた。きっと、阿弥陀如来様の教えによって、お雪を地獄から救うと約束してくれた。娘さん一人、救えないようでは、こんな寺にいる資格はありませんからな、と蓮如は笑った。
風眼坊はお雪を預けると、書院を覗いたが蓮崇はいなかった。慶聞坊がいたので蓮崇の事を聞いたら、まだ、帰って来ないと言う。逆に、一緒じゃなかったのですか、と聞かれた。風眼坊は訳を話し、今度は慶覚坊の事を聞いた。慶覚坊は蓮崇の多屋で、蓮崇と風眼坊の戻って来るのを待っているはずだ、と言った。
風眼坊は蓮崇の多屋に向かった。
母屋に顔を出して、蓮崇のおかみさんに慶覚坊の事を聞くと、蔵の方にいると言う。
「蔵?」と聞き返すと、一番奥の蔵だと言う。何で、蔵なんかにいるのか不思議に思いながらも蔵の方に向かうと、「うちの人は一緒じゃなかったのですか」と聞かれた。
風眼坊はまた訳を話して、蔵の方に向かった。
多屋の台所の横を通って木戸を抜け、四つの大きな蔵の並ぶ敷地に入った。四つも蔵を持っているとは、余程、溜め込んでいるとみえる。一番奥の蔵まで行くと、風眼坊は蔵の中に向かって慶覚坊の名を呼んだ。
風眼坊は蔵の戸を開けようとしたが開かなかった。
「誰じゃ」と蔵の中から慶覚坊の声がした。
「わしじゃ。風眼坊じゃ」
「おお、帰って来たか」
戸が開き、慶覚坊が出て来た。
「何をしておるんじゃ。こんな蔵の中で」
慶覚坊は辺りを見回して、「蓮崇殿はどうした」と聞いた。
これで三度目だった。風眼坊は途中で別れた事を説明した。
「なに、一乗谷で大橋に会ったのか」と慶覚坊も長次郎の事は覚えていた。
「そうだったのか、まあ、中に入れ」
蔵の中は、がらんとした広間のようになっていた。物など何も置いてなく、薄暗い中に人が何人かいた。
「何をしておるんじゃ、こんな中で。密談でもしておるのか」
「まあ、そんなところじゃ。紹介しよう」
風眼坊は、慶覚坊より有力な武力を持つ本願寺門徒を紹介された。
まず、越前本覚寺蓮光の弟である和田の長光坊。
越前超勝寺巧遵(チョウショウジギョウジュン)の弟である藤島の定善坊(ジョウゼンボウ)。
加賀江沼郡の国人、黒瀬藤兵衛、同じく、江沼郡の国人、熊坂の願生坊(ガンショウボウ)。
加賀能美郡(ノミグン)板津(小松市)の国人、蛭川(ヒルカワ)新七郎。
加賀石川郡手取川下流の皮屋衆の頭、笠間兵衛(ヒョウエ)。
長光坊と定善坊と願生坊の三人は頭を丸め僧体だったが、あとの三人は俗体のままで、見るからに武士だった。
慶覚坊が風眼坊の事を大峯山の山伏だと紹介すると、和田の長光坊が風眼坊を睨んだ。
「なに! 門徒ではないのか」
「ああ、今のところはな」と慶覚坊が答えた。
「そいつは、まずいのう」と定善坊が言った。
「そうじゃ。いくら、おぬしの知り合いだからと言っても門徒以外の者をこの中に入れるわけにはいかん」長光坊が外に出ろというように手を振った。
「しかし、」と慶覚坊が何かを言おうとしたが風眼坊は止めた。
「俺は客間の方で待っとるよ」と風眼坊は蔵から出た。
「すまんな」と慶覚坊は言い、蔵の戸を閉めた。
風眼坊はそのまま蓮崇の多屋を出ると、また、御山に登った。
本堂と御影堂(ゴエイドウ)の前には、相変わらず門徒たちが大勢いた。
風眼坊は御影堂の裏の方に行ってみた。
景色が綺麗だった。
門徒が何人か、風景を眺めていた。
右端の方に見晴らし台のような物が建っていた。
風眼坊は行ってみた。誰もいなかったので登ってみた。
いい眺めだった。
こんもりとした鹿島の森と呼ばれる小島の向こうに、塩屋の湊が見え、その向こうに海が広がっていた。
風眼坊はしばらく、海を眺めていた。
海を見ると、なぜか、子供の頃の事が思い出された。
新九郎と一緒に備中の国を出たのは十八歳の時だった。お互いに、一旗挙げようと勇んで国を出た。あれから二十五年も経つが、一旗挙げるどころか、これから何をやったらいいのか、まったく分からない有り様だった。
火乱坊(慶覚坊)が羨ましかった。火乱坊には本願寺がある。火乱坊は本願寺のために自分の一生を賭けていた。そして、同じ目的を持つ仲間が大勢いた。
風眼坊は、これからどうしようか、と考えていた。
本願寺の門徒になる気はなかった。
風眼坊は蓮如と出会い、蓮如の教えを聞いて、蓮如を尊敬した。素晴らしい人だと思った。しかし、蓮如のように人々に教えを説くような柄(ガラ)ではなかった。それは自分でよく分かっている。蓮如とは違う別の方法で、蓮如が考えるような、すべての人々が平等に暮らせるような太平の世を作りたかった。
そう言えば、新九郎の奴は今頃、何をしているのだろうか。
この間と言っても、もう四年も前の事だが、京で会った時、妹が駿河の今川に嫁に行ったので駿河に行くとか言っていたが、駿河に行ったのだろうか‥‥‥
関東の地もまだ戦が続いている事だろう‥‥‥
駿河か‥‥‥富士山でも見たくなって来たな‥‥‥
「風眼坊殿」
誰かが呼んだ。
振り返って下を見るとお雪が立っていた。
「お雪殿か、上がって来い。いい眺めじゃぞ」
お雪は上がって来ると風眼坊を睨んだ。
「どうしたんじゃ」
「祈祷する場所を捜しに行ったのではなかったのですか」
「ああ、それは明日じゃ。今日はちょっと用があっての、会わなければならん人がおるんじゃが、その人が、まだ帰って来んのじゃよ」
「そうですか‥‥‥」
「そう慌てずに、ゆっくりと待つ事じゃ。一乗谷を出て来た事を後悔しておるのか」
「後悔なんかしていません」とお雪は強く首を振った。「もう二度と、あの、いやらしい顔を見なくてもいいと思うと、すっきりしています」
「そいつはよかった」と風眼坊はお雪を見ながら頷いた。「しかし、今頃、城下では大騒ぎしておるじゃろうな」
「大騒ぎしても、一晩だけだと思います」
「そうかな。次郎の奴は、そなたに随分、御執心だったようじゃがのう」
「あの人の回りには十人以上の女たちが仕えています。すぐに、わたしの事など忘れてしまいます」
「なに、十人もの女に囲まれておるのか、あの若さで」
「はい。皆、あたしなんかより、ずっと綺麗な人ばかりです」
「何と‥‥‥羨ましい事よのう」
「皆、朝倉殿が送って来るのです」
「成程のう。わしでも、毎日、そんな美女たちに囲まれて贅沢な暮らしをしておったら、世間の事など、どうでもよくなってしまうのう」
お雪は驚いたような顔をして、「風眼坊殿もですか」と聞いた。
「わしだって男じゃ。美女には弱い」
「風眼坊殿のように修行を積んだお方でもですか」
「修行を積んだからと言って、自然に逆らう事はできんのじゃよ。そもそも、修行と言うものはのう、自然と一体化する事を目的としておるんじゃ。人間も自然の一部なんじゃよ。ところが、人間は生きて行く過程において、色々と要らない物を身に着けてしまうんじゃ。欲とか、見栄(ミエ)とか、色々な煩悩(ボンノウ)をの。その煩悩を脱ぎ捨て、自然に帰る事が修行じゃ。自然の生き物たちを見てみろ。人間のように殺し合いなどはせんぞ。人間のように色々な物を欲しがったりはせんぞ。生きて行く為に殺生(セッショウ)はするが、必要以上にはせん。男が女を求め、女が男を求めるというのは自然な事なんじゃよ。いくら、修行を積んだからといって、それは押えられん。もし、それを押える事ができたとしたら、そいつは、すでに片輪になったと言う事じゃ。花の咲かなくなった花と同じじゃよ。わしはのう、蓮如殿から浄土真宗を開いた親鸞聖人様の事を聞いたんじゃが、偉いお人じゃと思ったわ。親鸞聖人様は自ら半僧半俗の愚禿(グトク)だと称し、僧でありながら、初めて妻を持ち、家庭を持ったと言う。それが本来の姿なんじゃ。女が側にいては修行できん奴らは、一生、山奥に籠もっておればいいんじゃ‥‥‥そなたに、こんな話をしてもしょうがないな」
「いえ‥‥‥」
「いい眺めじゃのう」
お雪は頷くとぼんやりと海の方を見た。
「あの海の向こうにはのう、朝鮮という国があって、その向こうには明(ミン)というでっかい国があるんじゃよ」
お雪は風眼坊の話を聞いていなかった。風眼坊の言った、花の咲かなくなった花、という言葉を気にしていた。まさに、その言葉は自分にぴったりだった。自ら花を捨てたお雪だったが、心の中に、かすかに、花への未練が残っていた。弱きになっては駄目だ。あの日の事を思い出せ、と自分に言い聞かせていた。
「風眼坊殿、明日、わたしも連れて行って下さい」
「なに、連れて行けじゃと。駄目じゃ」
「お願いします。何もしないではいられないのです」
「いいか。まだ、祈祷する場所が決まっておらんのじゃ。場所が決まったら迎えに来る。それまで待っておれ。何もしないでいられないと言うのなら、ここで働けばいい」
「わたしが、ここで」
「そうじゃ。今まで何度も地獄を見て来たそなたに取って、門徒たちの世話など何でもない事じゃろう」
「‥‥‥分かりました。それで、お礼の方はどの位、用意したらよろしいのですか」
「礼金か。そうじゃのう、祈祷の間の米代という所かのう」
「それだけで、よろしいのですか」
「そなた、銭など持っておるのか」
「いいえ」
「そうじゃろう、ない所からは取れんわ」
「でも‥‥‥」
「まあ、富樫次郎が死んだ時に、一千疋(イッセンビキ、十貫文)程、貰おうかのう。もし、そなたが持っていたらじゃが」
「分かりました」
風眼坊はお雪を連れて庫裏に行くと、お雪を蓮如の若い裏方(奥方)、如勝(ニョショウ)に預け、居間の方をチラッと見ると蓮如が刀をいじっていた。蓮如と刀の組み合わせが以外だったので、風眼坊は如勝に聞いてみた。
「上人様のたった一つの道楽なんです」と如勝は言った。
「ほう、道楽ねえ‥‥‥」
「蓮如殿」と風眼坊は声を掛けた。
「おお、風眼坊殿か、まあ、入れ」
風眼坊は居間に上がった。居間には畳は敷いてなかった。法主ともなれば、普通、贅沢な暮らしをしているものなのに蓮如は違っていた。
「刀の手入れですか」
「まあな、わしに刀など可笑しいと思っておるんじゃろう」
「ええ」
「子供の頃じゃった」そう言って、蓮如は刀を鞘(サヤ)に納めた。「大谷の本願寺に、名は覚えておらんが一人の武士が訪ねて来たんじゃ。その武士は自分の刀を自慢して見せてくれた。わしはその時、名刀と呼ばれる刀を初めて見たんじゃ。刀なんか人を斬る武器で、みんな、同じ物だと思っておったんじゃが、その時、わしはその名刀を見て美しいと思ったんじゃ。こんな美しい物で、人など斬ってはいかんと思った。刀は人を斬る道具じゃ。しかし、その刀を使うのは人間じゃ。刀を生かすも殺すも人間の心次第じゃと思ったんじゃ。それは宗教にも言える。門徒たちを生かすも殺すも坊主次第じゃ。正しい道を教え、間違った道を歩ませてはならんのじゃ。わしは自分の心に迷いが生じて来ると、刀を見ながら手入れをするんじゃ。なぜか、刀を見ておると心が澄んで来るんじゃよ‥‥‥まあ、それは事実じゃが、名刀を持つと言うのは、昔からのわしの夢でな、この吉崎に来て、たまたま、その夢がかなったと言うわけじゃ」
「そうだったのですか」
「しかし、不思議なもんじゃのう。人を斬るために生まれた刀が人の心を静めてくれるとはのう」
「それは、その刀に魂が籠もっておるからではないでしょうか」
「刀に魂がのう‥‥‥」
「名刀と呼ばれる物は、刀鍛冶が一世一代の仕事として残した物です。決して、人を斬るために作った物ではないと思います。神に捧げるために丹精込めて作ったのだと思います」
「神に捧げるためにか‥‥‥成程のう」蓮如は脇に置いた刀を眺めながら頷いた。
「その刀は備前物ですか」と風眼坊は聞いた。
「いや、鎌倉の五郎正宗(マサムネ)じゃ」
「正宗、そいつは凄い‥‥‥失礼ですが、どれ位で手に入れたのですか」
「ただじゃ」
「ただ?」
「ああ、刀商人が、ただで置いて行ったんじゃよ」
「正宗をただで置いて行くとは随分、気前がいいのう」
「わしは断ったんじゃがのう。そしたら、本願寺への志しだから受け取ってくれと言う。そうまで言われたら受け取らないわけにもいかんので受け取ったんじゃがのう」
蓮如は正宗の刀を風眼坊に渡した。
風眼坊は刀を手にすると、鞘を抜いて刀身を見た。さすがに名刀だった。吸い込まれるような美しさだった。
「見事な物じゃ」と頷いて、風眼坊は正宗を返した。
蓮如は受け取ると、「そなたの刀も名刀かな」と聞いた。
「いえ、わたしのは、それ程の物じゃありませんよ」
「見せてくれんか」
「ええ、構いませんが」
風眼坊は腰からはずして、右側に置いておいた刀を蓮如に渡した。
蓮如は風眼坊の刀を鞘から抜いて眺めた。
「うーむ、やはり、これも、なかなかのもんじゃ」
「備前長船(オサフネ)です。わしの師匠の形見です」
「形見か‥‥‥」
「詳しくは知りませんが、正宗の弟子だった人が備前に来て、鍛えた物らしいです」
「ほう、正宗の弟子か‥‥‥師匠と弟子が、こうやって再会したわけじゃのう。面白いものじゃな。それにしても長い刀じゃのう」
「はい、三尺(刃渡り九十センチ)はありませんけど、それに近いです」
「ほう。そなた、余程、使えるとみえるのう」
「いえ」
蓮如は風眼坊に刀を返した。
「わしものう、子供の頃はよく棒切れを持って遊んだものじゃ。わしの叔父上は如乗(ニョジョウ)といってのう、二俣の本泉寺を開いた人なんじゃが豪快なお人じゃった。叔父上と言っても、わしより三つ年上なだけなんじゃ。叔父上には色々な事を教わった‥‥‥仏法を守るには、まず、自分の身を守らねばならん。いくら、如来様に救われている身であろうとも、自分の身を守る努力は怠ってはならんぞ、と棒術の名人じゃった。
この乱世の世に、教えを広めようとするには、ただ、寺の中でじっとしていては駄目じゃ。自分の足で歩いて教えを広めなければならん。この世の底辺で生きている人々というのは、まるで、地獄そのものの中で生きておる。そういう人こそ救わなければならんのじゃ‥‥‥いいか、生半可な気持ちでは、そういう危険な場所には行けんぞ。まず、自分に自信を持たなくてはならん。教えは勿論の事じゃが、ある程度、身を守るすべを知っているのと、いないのとでは随分と違う。どんな所に行っても、おどおどしておってはいかん。いつも堂々としておらなければならん。肝っ玉を太くするためにも武術というのは役に立つものじゃ、そう言って、わしに棒術を教えてくれたんじゃ。
叔父上の言う事は確かじゃった。しかし、親父には怒られてのう。本願寺の者が武術などやるとは何事か、とな。それでも、わしは若い頃、加賀の叔父上の所に行っては習っておった。今、思えばのう、本願寺が、これだけ栄えるようになったのも、あの時、習った棒術のお陰かもしれんのう。もし、棒術を習わなかったら、わしは怖くなって、河原者やら、馬借(バシャク)たちの荒くれ者の中には入っては行けなかったかもしれんのう」
「蓮如殿が棒術を‥‥‥それは知りませんでした」
「この事は内緒じゃぞ。わしが棒術をやるなど誰も知らん。そなただから話したのじゃ。わしは、阿弥陀如来様のもとでは、すべての者たちは平等じゃと教えておるのに、わしは上人様と祭り上げられて、皆、わしの事を殿様かなんかのように仰ぐようにして見るんじゃ。わしを対等に扱ってはくれん。そなただけは別じゃ。そなたと一緒におると、なぜか安心して何でも話したくなる。不思議なお人よのう、そなたは」
「きっと、わしが何にも属しておらんからでしょう」
「そうかもしれんのう‥‥‥そなた、一休禅師を御存じかな」
「いえ。風変わりな禅僧だと噂には聞いた事がありますが、会った事はありません」
「そうか。わしが本願寺の法主でありながら刀などを持つようになったのは、一休殿のお陰なんじゃよ。あのお人はまったく、何事にもこだわりのないお方じゃ。今は山城の薪村(タキギムラ、京都府田辺町)とかいう所で、盲(メクラ)の女と一緒に暮らしておるそうじゃ。二百年前の親鸞聖人様と同じ道をたどっていなさる。しかし、禅宗において妻帯するというのは難しい事じゃろう」
「盲の女と一緒に暮らしておるのですか」
「そういう噂じゃ」
「ほう‥‥‥わしは、一乗谷で一休禅師のお弟子さんという人に出会いましたが」
「一乗谷にお弟子さんがおったのか」
「はい。曾我蛇足という名の絵師でしたが」
「絵師か、一休殿の回りには色々な人が出入りしておるらしいのう。最近、流行って来た『佗(ワ)び茶』とかいう茶の湯を考え出した村田珠光(ジュコウ)とかいうお人も一休殿のお弟子じゃというし、亡くなってしまわれたが、名人と言われた猿楽(サルガク)の金春禅竹(コンパルゼンチク)殿も一休殿のお弟子だったそうじゃ。他にも連歌師など、一流の文化人が出入りしておるらしいのう」
「ほう、凄いお人ですな。是非、一度、会ってみたいものですな」
「ああ、会ってみるがいい。一休殿は訪ねて来る者は拒まず、お会いになさるお方じゃ」
風眼坊は蓮如から一休の噂話などを聞き、お勤めがあるからと蓮如が座を立つと、一緒に座を立った。
お雪は台所で忙しそうに働いていた。
風眼坊は声を掛けないで外に出た。
いつの間にか、日が暮れようとしていた。
風眼坊は蓮崇の多屋に戻った。
蓮崇のおかみさんに聞くと、蓮崇は戻って来て、蔵の方に行ったと言う。
まだ、薄暗い中で作戦を練っているらしい。
風眼坊は空いている客間を聞いて、待たせて貰う事にした。
客間に向かう途中、一乗谷に一緒に行った弥兵がいたので声を掛けた。
「随分、遅かったのう。あれから、どこに行っておったんじゃ」
「へい。あの後、橘屋さんに行きまして、」と弥兵は言った。
「橘屋? 何じゃ、そりゃ」
「はい、大きなお店でございます」
「商人か。それで、どうしたんじゃ」
「その日は橘屋さんにお世話になりまして、昨日は北の庄(福井市)に行きまして」
「北の庄? 北の庄に何の用があったのじゃ」
「はい。北の庄にも橘屋さんがありまして、昨日はそこにお世話になりまして、今日は三国湊に寄ってから帰って参りました」
「三国湊にも橘屋があるのか」
「へい」
「一体、蓮崇殿は橘屋に何の用があったんじゃ」
「はい。よく分かりませんが、武器をたんと買ったようです」
「なに、武器か‥‥‥」
弥兵は頷いた。
「そういう事か、分かった。ありがとう」
風眼坊は客間に入ると横になった。
武器の買い付けをするという事は、朝倉は幕府を動かす事を承知したと見える。
いよいよ、戦が始まるか‥‥‥
蓮如殿が、あの蔵の中の話を聞いたら怒るだろうと思ったが、ここまで来たら避けては通れない事だった。蓮如殿には目をつむって貰うしかなかった。
風眼坊がいい気持ちになって、うつらうつらしていると、慶覚坊と蓮崇が部屋に入って来た。
「さっきは悪かったのう」と慶覚坊は言った。
「いや、奴らの言う事がもっともなんじゃ。わしは所詮、他所者(ヨソモノ)じゃからな」
「まあ、そう言うな」
「一乗谷で知り合いに会ったそうですな」と蓮崇が言った。
「おお。懐かしかったわ。長次郎の奴、朝倉家の武術道場の師範をやっておったわ。立派な道場を持ってのう。若い奴らを鍛えておった」
「ほう」と慶覚坊は言った。
「風眼坊殿、もしかしたら、風眼坊殿のお知り合いという方は大橋勘解由殿ですか」と蓮崇が聞いた。
「そうじゃ。蓮崇殿も御存じじゃったか」
「それはもう、知っておりますとも。そうですか、大橋殿と」
「おう。わしらの教え子じゃ。のう、慶覚坊」
「まあな。威勢のいい奴じゃったのう」
「慶覚坊殿も御存じで‥‥‥今、教え子と言いましたか」
「ああ」
「と言う事は、お二人は、あの大橋殿のお師匠と言う事ですか」
「まあ、そういう事になるのう。一年だけじゃったがのう」
「一年でもそいつは凄い。お二人があの大橋殿のお師匠だったとは‥‥‥」
蓮崇は口をポカンと開けたまま、風眼坊と慶覚坊の顔を代わる代わる見ていた。
「まあ、その話はさて置き、どうじゃ、幕府の方は動かせそうか」と風眼坊は蓮崇に聞いた。
「大丈夫です」と蓮崇は力強く頷いた。「朝倉も乗り気でした。本願寺が動くのなら、何とか幕府を説得させると約束してくれました」
「そうか、とうとう幕府まで動くか‥‥‥」
「上人様もついに腰を上げなければなるまい」と慶覚坊は言った。
「だろうな。それで、上人様が腰を上げたとして、その後の作戦の方は決まったのか」
「ああ、何とかな」
「そうか‥‥‥」
「辛いじゃろうのう‥‥‥」と蓮崇が言った。
「ところで、蓮崇殿、武器の調達をして来たそうじゃな」と風眼坊が聞いた。
「弥兵から聞いたのですね。確かに調達はしましたが、まだ足りんのですよ」
「足りんのか。武器の商人はここにもおるんじゃろう」
「ええ、三河の刀売りがおりますが間に合いません。それで、越前の橘屋さんにもお願いしたんですが、今の時勢は武器がいくらあっても足りない有り様ですからな。商人の方も強気で、値をどんどん跳ね上げて来る。十年程前、誰も見向きもしなかったような、なまくら刀を、今では、みんなが血眼になって欲しがっている有り様じゃ。困ったものです」
「ちょっと聞きたいのだが、その三河の刀売りからは、どの位、刀を買ったのじゃ」
「さあのう、数えきれんのう。奴らが持って来た物は全部、買い取った事は確かじゃがのう」
風眼坊は納得した。商人たちが蓮如に正宗の名刀をただでやったとしても、そのお陰で数十倍、あるいは数百倍の儲けを手に入れていたのだった。
蓮如は正宗を貰い、ほんの軽い気持ちで門徒たちに刀を売る事を許したに違いなかった。商人たちは刀とは言わずに農具類の販売許可を取ったのかもしれない。本願寺のお抱え商人ともなれば儲けは確実だった。いくら名刀とはいえ、正宗の一振り位、先の事を考えたら何でもない事だった。
「あと、どの位、欲しいのです」と風眼坊は聞いた。
「多ければ、多い方がいいが」と蓮崇が言うと、「知っている刀売りでもおるのか」と慶覚坊が風眼坊に聞いた。
「いや、別にいないがのう。本願寺が武器を欲しがっておると言う事は敵も武器を欲しがっておると言う事じゃろう。敵も武器を集めておるに違いない。いっその事、敵の武器庫を襲うというのはどうじゃ」
「わしらに泥棒をやれと言うのですか」と蓮崇は言った。
「まあ、泥棒には違いないが、これも戦略というものじゃ」
「おう、風眼坊の言う通りじゃ。敵の武器を盗み取るか‥‥‥そいつは面白いのう。しかし、これは大っぴらにはできん事じゃぞ。門徒が泥棒などしたと上人様に知れたら、それこそ、大変な事じゃ」
「まあ、そうじゃな。戦が始まってからなら堂々とできるがの」と風眼坊は言った。
「一応、一つの案として考えておこう。ところでじゃ、風眼坊、そろそろ門徒にならんか。おぬしも、上人様の教えの事はもう分かったじゃろう」
「そうじゃ」と蓮崇も言った。「風眼坊殿が門徒となってくれれば、この先、大助かりなんじゃが」
風眼坊は二人の顔を見てから首を振った。「確かに、蓮如殿の教えはよく分かった。わしも素晴らしい教えじゃと思った。しかし、わしにはどうもなあ‥‥‥」
「とにかく形だけでも門徒にならんか。門徒になったからと言って山伏をやめろとは言わん。今のままでいいんじゃ」
「そうはいかんよ。蓮如殿の事を思うと、そんな中途半端な事はできん」
「それも言えるがのう」
「まあ、急ぐ事もないじゃろう。そのうち風眼坊殿も門徒になってくれるでしょう」
「しかし、門徒にならんと今回の戦には参加できんぞ」
「参加できんのか」
「ああ、和田の本覚寺と藤島の超勝寺がうるさいんじゃ。わしは、おぬしに一軍の指揮を取って貰いたかったんじゃが、今のままじゃ、それが難しいんじゃよ」
「その事じゃが」と蓮崇が言った。「実は、わしは風眼坊殿に上人様の側にいて、上人様を守って貰おうと考えておったんじゃ。今回の戦では慶聞坊殿にも働いて貰わにゃならん。そうなると、上人様の身を守る者がおらなくなってしまう。そこで、風眼坊殿にその事をお願いしようと思っておったんじゃよ。風眼坊殿が一乗谷の大橋殿のお師匠だったとすれば、上人様の身を守って貰うのに最適じゃと思うんじゃがのう」
「そうか、そうじゃったのう。もしもの事があった時、上人様を守る者が必要じゃったわ。風眼坊、おぬし、その役を引き受けてくれんか」
「ああ、やる奴がおらんと言うのなら引き受けてもいいが、戦はいつ始まるんじゃ」
「そうじゃのう。とにかく、幕府の奉書(ホウショ)が届かん事にはのう。早くて来月の初め頃になるかのう」
「来月の初めか‥‥‥」
「戦の方はわしらに任せて、おぬしは上人様を守ってくれ」
「そうじゃのう。ところで、勝算の方はどうなんじゃ」
「上人様の一声が掛かれば、何とか勝てるじゃろう」と慶覚坊は言った。
「勝てるか」
「ああ。今回の戦では白山の衆徒も味方じゃしのう」
「本願寺の門徒衆はどれ位おるんじゃ」
「五万はおるじゃろう。それに白山衆徒が一万、富樫次郎が五千、朝倉がどれ位来るか分からんが頭数は敵の数倍はおる」
「五万か、凄いものじゃのう。それじゃあ、わしは高みの見物をして、おぬしたちの戦振りを見せてもらう事にするわ」
「そうしてくれ。上人様を頼むわ」
「これで、上人様は安全じゃな。あとは充分に作戦を練って、仏敵高田派門徒を加賀から追い出すだけじゃ」
「富樫幸千代はどうするんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「倒す」と慶覚坊は力強く言った。「しかし、一番の敵は高田派門徒じゃ。今回の戦で、本願寺以外の真宗門徒は皆、国外に追放する。そして、幸千代も倒し、とりあえずは次郎を守護にする。そして、国内を組織し直して、次郎もやがては追い出し、大和の国(奈良県)の興福寺のように、本願寺が加賀の国の守護となるんじゃ」
「本願寺が加賀の守護か‥‥‥」
蓮崇も頷いた。
風眼坊は二人の顔を見比べた。そこまで考えていたとは、まったく驚くべき事だった。幕府の任命した守護大名を追い出し、本願寺によって加賀の国を治めようとは、まったく凄い事を考えるものだと思った。
「この事は上人様には絶対に内緒じゃぞ」と慶覚坊は言った。
「ああ、分かっておる」と風眼坊は頷いた。
上人様の事を頼むと言って、蓮崇は部屋から出て行った。
「そこまで考えておったとはのう」と風眼坊は慶覚坊に言った。「一体、誰が、そんな大それた事を考えたんじゃ」
「誰という事はない。阿弥陀如来様の浄土をこの世に築こうと思えば、当然、そう言う事になるだけじゃ。公家の時代が終わり、武士の時代となった。そろそろ、その武士の時代も終わりを告げようとしておる」
「次に来るのは百姓の時代じゃと言うのか」
「百姓だけじゃないが、今まで支配されておった者たちじゃ」
「確かに、時代は変わりつつある。しかし、支配者が消える事はあるまい。加賀の国を本願寺が持ったとしても、支配者が武士から本願寺の坊主に代わるだけじゃないのか」
「それはそうじゃが支配体制が違って来る。すでに、門徒たちはただ支配されるだけでは納得しない程に成長して来ておる。門徒の一人一人が自分たちの村の自治をし、村の代表らによって郡の自治を行ない、郡の代表らによって国の自治を行なうというわけじゃ。それらをまとめる者として本願寺の坊主たちがおり、決して、門徒たちを支配するわけではないんじゃ」
「ふーん。しかし、そう、うまい具合に行くものかのう。門徒たちの中には形だけ門徒になっておる国人たちがおるじゃろう。奴らは本願寺の組織を利用して勢力を広げ、本願寺に反旗をひるがえすんじゃないかのう」
「それは大丈夫じゃ。奴らは、すでに本願寺の組織の中に入ってしまっておる。いくら、大きくなろうとも本願寺より大きくなる事はできん。反旗をひるがえすには門徒全員を敵に回す覚悟がなくてはならんのじゃ」
「うーむ。そう言われてみれば、そうとも言えるが‥‥‥」
「わしは絶対に、そういう国ができると確信しておるんじゃ。それも、そう遠い事ではない。隣の越前を見てみろ。守護の斯波氏が家督争いをしておる隙に、朝倉氏が守護となってしまった。朝倉氏は一応、幕府からの任命で守護になったのじゃが、朝倉氏などは斯波氏の家臣に過ぎん。その家臣が主人を追い出して守護に納まってしまっておるんじゃ。守護じゃからと言って安心しておられる時代は終わった。これからは実力で国を取る時代になって来ておるんじゃ。本願寺が一国の守護になるという事も決して、夢物語ではないんじゃよ」
「それは分かるがのう‥‥‥」
「おぬしも門徒になって、この世の浄土作りに協力してくれ」
「ああ、考えておくよ」
慶覚坊は、頼むぞという顔をして頷いた。
「これから、どうするんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「とりあえずは山田に帰って、門徒たちに状況を知らせ、戦の準備をして貰わなくてはな」
「蓮誓殿はどうするんじゃ。のけ者か」
「まだ、黙っておった方がいいじゃろうな」
「わしは何をすればいい」
「そうさのう。とりあえず、ここにおって貰うか。そろそろ慶聞坊にも動いて貰う事になるのでな」
「ここにおるのか‥‥‥」
「すまんが上人様の側におってくれ。また、旅に出ると言い出すかもしれんのでな」
「分かったわ」
「どうじゃ。一乗谷は面白かったか」
「ああ、やっかいな拾い物があったがな」
風眼坊はお雪の事を慶覚坊に話した。
外はすっかり、暗くなっていた。
「何をしておるんじゃ、こんな中で。密談でもしておるのか」
「まあ、そんなところじゃ。紹介しよう」
風眼坊は、慶覚坊より有力な武力を持つ本願寺門徒を紹介された。
まず、越前本覚寺蓮光の弟である和田の長光坊。
越前超勝寺巧遵(チョウショウジギョウジュン)の弟である藤島の定善坊(ジョウゼンボウ)。
加賀江沼郡の国人、黒瀬藤兵衛、同じく、江沼郡の国人、熊坂の願生坊(ガンショウボウ)。
加賀能美郡(ノミグン)板津(小松市)の国人、蛭川(ヒルカワ)新七郎。
加賀石川郡手取川下流の皮屋衆の頭、笠間兵衛(ヒョウエ)。
長光坊と定善坊と願生坊の三人は頭を丸め僧体だったが、あとの三人は俗体のままで、見るからに武士だった。
慶覚坊が風眼坊の事を大峯山の山伏だと紹介すると、和田の長光坊が風眼坊を睨んだ。
「なに! 門徒ではないのか」
「ああ、今のところはな」と慶覚坊が答えた。
「そいつは、まずいのう」と定善坊が言った。
「そうじゃ。いくら、おぬしの知り合いだからと言っても門徒以外の者をこの中に入れるわけにはいかん」長光坊が外に出ろというように手を振った。
「しかし、」と慶覚坊が何かを言おうとしたが風眼坊は止めた。
「俺は客間の方で待っとるよ」と風眼坊は蔵から出た。
「すまんな」と慶覚坊は言い、蔵の戸を閉めた。
風眼坊はそのまま蓮崇の多屋を出ると、また、御山に登った。
本堂と御影堂(ゴエイドウ)の前には、相変わらず門徒たちが大勢いた。
風眼坊は御影堂の裏の方に行ってみた。
景色が綺麗だった。
門徒が何人か、風景を眺めていた。
右端の方に見晴らし台のような物が建っていた。
風眼坊は行ってみた。誰もいなかったので登ってみた。
いい眺めだった。
こんもりとした鹿島の森と呼ばれる小島の向こうに、塩屋の湊が見え、その向こうに海が広がっていた。
風眼坊はしばらく、海を眺めていた。
海を見ると、なぜか、子供の頃の事が思い出された。
新九郎と一緒に備中の国を出たのは十八歳の時だった。お互いに、一旗挙げようと勇んで国を出た。あれから二十五年も経つが、一旗挙げるどころか、これから何をやったらいいのか、まったく分からない有り様だった。
火乱坊(慶覚坊)が羨ましかった。火乱坊には本願寺がある。火乱坊は本願寺のために自分の一生を賭けていた。そして、同じ目的を持つ仲間が大勢いた。
風眼坊は、これからどうしようか、と考えていた。
本願寺の門徒になる気はなかった。
風眼坊は蓮如と出会い、蓮如の教えを聞いて、蓮如を尊敬した。素晴らしい人だと思った。しかし、蓮如のように人々に教えを説くような柄(ガラ)ではなかった。それは自分でよく分かっている。蓮如とは違う別の方法で、蓮如が考えるような、すべての人々が平等に暮らせるような太平の世を作りたかった。
そう言えば、新九郎の奴は今頃、何をしているのだろうか。
この間と言っても、もう四年も前の事だが、京で会った時、妹が駿河の今川に嫁に行ったので駿河に行くとか言っていたが、駿河に行ったのだろうか‥‥‥
関東の地もまだ戦が続いている事だろう‥‥‥
駿河か‥‥‥富士山でも見たくなって来たな‥‥‥
「風眼坊殿」
誰かが呼んだ。
振り返って下を見るとお雪が立っていた。
「お雪殿か、上がって来い。いい眺めじゃぞ」
お雪は上がって来ると風眼坊を睨んだ。
「どうしたんじゃ」
「祈祷する場所を捜しに行ったのではなかったのですか」
「ああ、それは明日じゃ。今日はちょっと用があっての、会わなければならん人がおるんじゃが、その人が、まだ帰って来んのじゃよ」
「そうですか‥‥‥」
「そう慌てずに、ゆっくりと待つ事じゃ。一乗谷を出て来た事を後悔しておるのか」
「後悔なんかしていません」とお雪は強く首を振った。「もう二度と、あの、いやらしい顔を見なくてもいいと思うと、すっきりしています」
「そいつはよかった」と風眼坊はお雪を見ながら頷いた。「しかし、今頃、城下では大騒ぎしておるじゃろうな」
「大騒ぎしても、一晩だけだと思います」
「そうかな。次郎の奴は、そなたに随分、御執心だったようじゃがのう」
「あの人の回りには十人以上の女たちが仕えています。すぐに、わたしの事など忘れてしまいます」
「なに、十人もの女に囲まれておるのか、あの若さで」
「はい。皆、あたしなんかより、ずっと綺麗な人ばかりです」
「何と‥‥‥羨ましい事よのう」
「皆、朝倉殿が送って来るのです」
「成程のう。わしでも、毎日、そんな美女たちに囲まれて贅沢な暮らしをしておったら、世間の事など、どうでもよくなってしまうのう」
お雪は驚いたような顔をして、「風眼坊殿もですか」と聞いた。
「わしだって男じゃ。美女には弱い」
「風眼坊殿のように修行を積んだお方でもですか」
「修行を積んだからと言って、自然に逆らう事はできんのじゃよ。そもそも、修行と言うものはのう、自然と一体化する事を目的としておるんじゃ。人間も自然の一部なんじゃよ。ところが、人間は生きて行く過程において、色々と要らない物を身に着けてしまうんじゃ。欲とか、見栄(ミエ)とか、色々な煩悩(ボンノウ)をの。その煩悩を脱ぎ捨て、自然に帰る事が修行じゃ。自然の生き物たちを見てみろ。人間のように殺し合いなどはせんぞ。人間のように色々な物を欲しがったりはせんぞ。生きて行く為に殺生(セッショウ)はするが、必要以上にはせん。男が女を求め、女が男を求めるというのは自然な事なんじゃよ。いくら、修行を積んだからといって、それは押えられん。もし、それを押える事ができたとしたら、そいつは、すでに片輪になったと言う事じゃ。花の咲かなくなった花と同じじゃよ。わしはのう、蓮如殿から浄土真宗を開いた親鸞聖人様の事を聞いたんじゃが、偉いお人じゃと思ったわ。親鸞聖人様は自ら半僧半俗の愚禿(グトク)だと称し、僧でありながら、初めて妻を持ち、家庭を持ったと言う。それが本来の姿なんじゃ。女が側にいては修行できん奴らは、一生、山奥に籠もっておればいいんじゃ‥‥‥そなたに、こんな話をしてもしょうがないな」
「いえ‥‥‥」
「いい眺めじゃのう」
お雪は頷くとぼんやりと海の方を見た。
「あの海の向こうにはのう、朝鮮という国があって、その向こうには明(ミン)というでっかい国があるんじゃよ」
お雪は風眼坊の話を聞いていなかった。風眼坊の言った、花の咲かなくなった花、という言葉を気にしていた。まさに、その言葉は自分にぴったりだった。自ら花を捨てたお雪だったが、心の中に、かすかに、花への未練が残っていた。弱きになっては駄目だ。あの日の事を思い出せ、と自分に言い聞かせていた。
「風眼坊殿、明日、わたしも連れて行って下さい」
「なに、連れて行けじゃと。駄目じゃ」
「お願いします。何もしないではいられないのです」
「いいか。まだ、祈祷する場所が決まっておらんのじゃ。場所が決まったら迎えに来る。それまで待っておれ。何もしないでいられないと言うのなら、ここで働けばいい」
「わたしが、ここで」
「そうじゃ。今まで何度も地獄を見て来たそなたに取って、門徒たちの世話など何でもない事じゃろう」
「‥‥‥分かりました。それで、お礼の方はどの位、用意したらよろしいのですか」
「礼金か。そうじゃのう、祈祷の間の米代という所かのう」
「それだけで、よろしいのですか」
「そなた、銭など持っておるのか」
「いいえ」
「そうじゃろう、ない所からは取れんわ」
「でも‥‥‥」
「まあ、富樫次郎が死んだ時に、一千疋(イッセンビキ、十貫文)程、貰おうかのう。もし、そなたが持っていたらじゃが」
「分かりました」
風眼坊はお雪を連れて庫裏に行くと、お雪を蓮如の若い裏方(奥方)、如勝(ニョショウ)に預け、居間の方をチラッと見ると蓮如が刀をいじっていた。蓮如と刀の組み合わせが以外だったので、風眼坊は如勝に聞いてみた。
「上人様のたった一つの道楽なんです」と如勝は言った。
「ほう、道楽ねえ‥‥‥」
「蓮如殿」と風眼坊は声を掛けた。
「おお、風眼坊殿か、まあ、入れ」
風眼坊は居間に上がった。居間には畳は敷いてなかった。法主ともなれば、普通、贅沢な暮らしをしているものなのに蓮如は違っていた。
「刀の手入れですか」
「まあな、わしに刀など可笑しいと思っておるんじゃろう」
「ええ」
「子供の頃じゃった」そう言って、蓮如は刀を鞘(サヤ)に納めた。「大谷の本願寺に、名は覚えておらんが一人の武士が訪ねて来たんじゃ。その武士は自分の刀を自慢して見せてくれた。わしはその時、名刀と呼ばれる刀を初めて見たんじゃ。刀なんか人を斬る武器で、みんな、同じ物だと思っておったんじゃが、その時、わしはその名刀を見て美しいと思ったんじゃ。こんな美しい物で、人など斬ってはいかんと思った。刀は人を斬る道具じゃ。しかし、その刀を使うのは人間じゃ。刀を生かすも殺すも人間の心次第じゃと思ったんじゃ。それは宗教にも言える。門徒たちを生かすも殺すも坊主次第じゃ。正しい道を教え、間違った道を歩ませてはならんのじゃ。わしは自分の心に迷いが生じて来ると、刀を見ながら手入れをするんじゃ。なぜか、刀を見ておると心が澄んで来るんじゃよ‥‥‥まあ、それは事実じゃが、名刀を持つと言うのは、昔からのわしの夢でな、この吉崎に来て、たまたま、その夢がかなったと言うわけじゃ」
「そうだったのですか」
「しかし、不思議なもんじゃのう。人を斬るために生まれた刀が人の心を静めてくれるとはのう」
「それは、その刀に魂が籠もっておるからではないでしょうか」
「刀に魂がのう‥‥‥」
「名刀と呼ばれる物は、刀鍛冶が一世一代の仕事として残した物です。決して、人を斬るために作った物ではないと思います。神に捧げるために丹精込めて作ったのだと思います」
「神に捧げるためにか‥‥‥成程のう」蓮如は脇に置いた刀を眺めながら頷いた。
「その刀は備前物ですか」と風眼坊は聞いた。
「いや、鎌倉の五郎正宗(マサムネ)じゃ」
「正宗、そいつは凄い‥‥‥失礼ですが、どれ位で手に入れたのですか」
「ただじゃ」
「ただ?」
「ああ、刀商人が、ただで置いて行ったんじゃよ」
「正宗をただで置いて行くとは随分、気前がいいのう」
「わしは断ったんじゃがのう。そしたら、本願寺への志しだから受け取ってくれと言う。そうまで言われたら受け取らないわけにもいかんので受け取ったんじゃがのう」
蓮如は正宗の刀を風眼坊に渡した。
風眼坊は刀を手にすると、鞘を抜いて刀身を見た。さすがに名刀だった。吸い込まれるような美しさだった。
「見事な物じゃ」と頷いて、風眼坊は正宗を返した。
蓮如は受け取ると、「そなたの刀も名刀かな」と聞いた。
「いえ、わたしのは、それ程の物じゃありませんよ」
「見せてくれんか」
「ええ、構いませんが」
風眼坊は腰からはずして、右側に置いておいた刀を蓮如に渡した。
蓮如は風眼坊の刀を鞘から抜いて眺めた。
「うーむ、やはり、これも、なかなかのもんじゃ」
「備前長船(オサフネ)です。わしの師匠の形見です」
「形見か‥‥‥」
「詳しくは知りませんが、正宗の弟子だった人が備前に来て、鍛えた物らしいです」
「ほう、正宗の弟子か‥‥‥師匠と弟子が、こうやって再会したわけじゃのう。面白いものじゃな。それにしても長い刀じゃのう」
「はい、三尺(刃渡り九十センチ)はありませんけど、それに近いです」
「ほう。そなた、余程、使えるとみえるのう」
「いえ」
蓮如は風眼坊に刀を返した。
「わしものう、子供の頃はよく棒切れを持って遊んだものじゃ。わしの叔父上は如乗(ニョジョウ)といってのう、二俣の本泉寺を開いた人なんじゃが豪快なお人じゃった。叔父上と言っても、わしより三つ年上なだけなんじゃ。叔父上には色々な事を教わった‥‥‥仏法を守るには、まず、自分の身を守らねばならん。いくら、如来様に救われている身であろうとも、自分の身を守る努力は怠ってはならんぞ、と棒術の名人じゃった。
この乱世の世に、教えを広めようとするには、ただ、寺の中でじっとしていては駄目じゃ。自分の足で歩いて教えを広めなければならん。この世の底辺で生きている人々というのは、まるで、地獄そのものの中で生きておる。そういう人こそ救わなければならんのじゃ‥‥‥いいか、生半可な気持ちでは、そういう危険な場所には行けんぞ。まず、自分に自信を持たなくてはならん。教えは勿論の事じゃが、ある程度、身を守るすべを知っているのと、いないのとでは随分と違う。どんな所に行っても、おどおどしておってはいかん。いつも堂々としておらなければならん。肝っ玉を太くするためにも武術というのは役に立つものじゃ、そう言って、わしに棒術を教えてくれたんじゃ。
叔父上の言う事は確かじゃった。しかし、親父には怒られてのう。本願寺の者が武術などやるとは何事か、とな。それでも、わしは若い頃、加賀の叔父上の所に行っては習っておった。今、思えばのう、本願寺が、これだけ栄えるようになったのも、あの時、習った棒術のお陰かもしれんのう。もし、棒術を習わなかったら、わしは怖くなって、河原者やら、馬借(バシャク)たちの荒くれ者の中には入っては行けなかったかもしれんのう」
「蓮如殿が棒術を‥‥‥それは知りませんでした」
「この事は内緒じゃぞ。わしが棒術をやるなど誰も知らん。そなただから話したのじゃ。わしは、阿弥陀如来様のもとでは、すべての者たちは平等じゃと教えておるのに、わしは上人様と祭り上げられて、皆、わしの事を殿様かなんかのように仰ぐようにして見るんじゃ。わしを対等に扱ってはくれん。そなただけは別じゃ。そなたと一緒におると、なぜか安心して何でも話したくなる。不思議なお人よのう、そなたは」
「きっと、わしが何にも属しておらんからでしょう」
「そうかもしれんのう‥‥‥そなた、一休禅師を御存じかな」
「いえ。風変わりな禅僧だと噂には聞いた事がありますが、会った事はありません」
「そうか。わしが本願寺の法主でありながら刀などを持つようになったのは、一休殿のお陰なんじゃよ。あのお人はまったく、何事にもこだわりのないお方じゃ。今は山城の薪村(タキギムラ、京都府田辺町)とかいう所で、盲(メクラ)の女と一緒に暮らしておるそうじゃ。二百年前の親鸞聖人様と同じ道をたどっていなさる。しかし、禅宗において妻帯するというのは難しい事じゃろう」
「盲の女と一緒に暮らしておるのですか」
「そういう噂じゃ」
「ほう‥‥‥わしは、一乗谷で一休禅師のお弟子さんという人に出会いましたが」
「一乗谷にお弟子さんがおったのか」
「はい。曾我蛇足という名の絵師でしたが」
「絵師か、一休殿の回りには色々な人が出入りしておるらしいのう。最近、流行って来た『佗(ワ)び茶』とかいう茶の湯を考え出した村田珠光(ジュコウ)とかいうお人も一休殿のお弟子じゃというし、亡くなってしまわれたが、名人と言われた猿楽(サルガク)の金春禅竹(コンパルゼンチク)殿も一休殿のお弟子だったそうじゃ。他にも連歌師など、一流の文化人が出入りしておるらしいのう」
「ほう、凄いお人ですな。是非、一度、会ってみたいものですな」
「ああ、会ってみるがいい。一休殿は訪ねて来る者は拒まず、お会いになさるお方じゃ」
風眼坊は蓮如から一休の噂話などを聞き、お勤めがあるからと蓮如が座を立つと、一緒に座を立った。
お雪は台所で忙しそうに働いていた。
風眼坊は声を掛けないで外に出た。
いつの間にか、日が暮れようとしていた。
2
風眼坊は蓮崇の多屋に戻った。
蓮崇のおかみさんに聞くと、蓮崇は戻って来て、蔵の方に行ったと言う。
まだ、薄暗い中で作戦を練っているらしい。
風眼坊は空いている客間を聞いて、待たせて貰う事にした。
客間に向かう途中、一乗谷に一緒に行った弥兵がいたので声を掛けた。
「随分、遅かったのう。あれから、どこに行っておったんじゃ」
「へい。あの後、橘屋さんに行きまして、」と弥兵は言った。
「橘屋? 何じゃ、そりゃ」
「はい、大きなお店でございます」
「商人か。それで、どうしたんじゃ」
「その日は橘屋さんにお世話になりまして、昨日は北の庄(福井市)に行きまして」
「北の庄? 北の庄に何の用があったのじゃ」
「はい。北の庄にも橘屋さんがありまして、昨日はそこにお世話になりまして、今日は三国湊に寄ってから帰って参りました」
「三国湊にも橘屋があるのか」
「へい」
「一体、蓮崇殿は橘屋に何の用があったんじゃ」
「はい。よく分かりませんが、武器をたんと買ったようです」
「なに、武器か‥‥‥」
弥兵は頷いた。
「そういう事か、分かった。ありがとう」
風眼坊は客間に入ると横になった。
武器の買い付けをするという事は、朝倉は幕府を動かす事を承知したと見える。
いよいよ、戦が始まるか‥‥‥
蓮如殿が、あの蔵の中の話を聞いたら怒るだろうと思ったが、ここまで来たら避けては通れない事だった。蓮如殿には目をつむって貰うしかなかった。
風眼坊がいい気持ちになって、うつらうつらしていると、慶覚坊と蓮崇が部屋に入って来た。
「さっきは悪かったのう」と慶覚坊は言った。
「いや、奴らの言う事がもっともなんじゃ。わしは所詮、他所者(ヨソモノ)じゃからな」
「まあ、そう言うな」
「一乗谷で知り合いに会ったそうですな」と蓮崇が言った。
「おお。懐かしかったわ。長次郎の奴、朝倉家の武術道場の師範をやっておったわ。立派な道場を持ってのう。若い奴らを鍛えておった」
「ほう」と慶覚坊は言った。
「風眼坊殿、もしかしたら、風眼坊殿のお知り合いという方は大橋勘解由殿ですか」と蓮崇が聞いた。
「そうじゃ。蓮崇殿も御存じじゃったか」
「それはもう、知っておりますとも。そうですか、大橋殿と」
「おう。わしらの教え子じゃ。のう、慶覚坊」
「まあな。威勢のいい奴じゃったのう」
「慶覚坊殿も御存じで‥‥‥今、教え子と言いましたか」
「ああ」
「と言う事は、お二人は、あの大橋殿のお師匠と言う事ですか」
「まあ、そういう事になるのう。一年だけじゃったがのう」
「一年でもそいつは凄い。お二人があの大橋殿のお師匠だったとは‥‥‥」
蓮崇は口をポカンと開けたまま、風眼坊と慶覚坊の顔を代わる代わる見ていた。
「まあ、その話はさて置き、どうじゃ、幕府の方は動かせそうか」と風眼坊は蓮崇に聞いた。
「大丈夫です」と蓮崇は力強く頷いた。「朝倉も乗り気でした。本願寺が動くのなら、何とか幕府を説得させると約束してくれました」
「そうか、とうとう幕府まで動くか‥‥‥」
「上人様もついに腰を上げなければなるまい」と慶覚坊は言った。
「だろうな。それで、上人様が腰を上げたとして、その後の作戦の方は決まったのか」
「ああ、何とかな」
「そうか‥‥‥」
「辛いじゃろうのう‥‥‥」と蓮崇が言った。
「ところで、蓮崇殿、武器の調達をして来たそうじゃな」と風眼坊が聞いた。
「弥兵から聞いたのですね。確かに調達はしましたが、まだ足りんのですよ」
「足りんのか。武器の商人はここにもおるんじゃろう」
「ええ、三河の刀売りがおりますが間に合いません。それで、越前の橘屋さんにもお願いしたんですが、今の時勢は武器がいくらあっても足りない有り様ですからな。商人の方も強気で、値をどんどん跳ね上げて来る。十年程前、誰も見向きもしなかったような、なまくら刀を、今では、みんなが血眼になって欲しがっている有り様じゃ。困ったものです」
「ちょっと聞きたいのだが、その三河の刀売りからは、どの位、刀を買ったのじゃ」
「さあのう、数えきれんのう。奴らが持って来た物は全部、買い取った事は確かじゃがのう」
風眼坊は納得した。商人たちが蓮如に正宗の名刀をただでやったとしても、そのお陰で数十倍、あるいは数百倍の儲けを手に入れていたのだった。
蓮如は正宗を貰い、ほんの軽い気持ちで門徒たちに刀を売る事を許したに違いなかった。商人たちは刀とは言わずに農具類の販売許可を取ったのかもしれない。本願寺のお抱え商人ともなれば儲けは確実だった。いくら名刀とはいえ、正宗の一振り位、先の事を考えたら何でもない事だった。
「あと、どの位、欲しいのです」と風眼坊は聞いた。
「多ければ、多い方がいいが」と蓮崇が言うと、「知っている刀売りでもおるのか」と慶覚坊が風眼坊に聞いた。
「いや、別にいないがのう。本願寺が武器を欲しがっておると言う事は敵も武器を欲しがっておると言う事じゃろう。敵も武器を集めておるに違いない。いっその事、敵の武器庫を襲うというのはどうじゃ」
「わしらに泥棒をやれと言うのですか」と蓮崇は言った。
「まあ、泥棒には違いないが、これも戦略というものじゃ」
「おう、風眼坊の言う通りじゃ。敵の武器を盗み取るか‥‥‥そいつは面白いのう。しかし、これは大っぴらにはできん事じゃぞ。門徒が泥棒などしたと上人様に知れたら、それこそ、大変な事じゃ」
「まあ、そうじゃな。戦が始まってからなら堂々とできるがの」と風眼坊は言った。
「一応、一つの案として考えておこう。ところでじゃ、風眼坊、そろそろ門徒にならんか。おぬしも、上人様の教えの事はもう分かったじゃろう」
「そうじゃ」と蓮崇も言った。「風眼坊殿が門徒となってくれれば、この先、大助かりなんじゃが」
風眼坊は二人の顔を見てから首を振った。「確かに、蓮如殿の教えはよく分かった。わしも素晴らしい教えじゃと思った。しかし、わしにはどうもなあ‥‥‥」
「とにかく形だけでも門徒にならんか。門徒になったからと言って山伏をやめろとは言わん。今のままでいいんじゃ」
「そうはいかんよ。蓮如殿の事を思うと、そんな中途半端な事はできん」
「それも言えるがのう」
「まあ、急ぐ事もないじゃろう。そのうち風眼坊殿も門徒になってくれるでしょう」
「しかし、門徒にならんと今回の戦には参加できんぞ」
「参加できんのか」
「ああ、和田の本覚寺と藤島の超勝寺がうるさいんじゃ。わしは、おぬしに一軍の指揮を取って貰いたかったんじゃが、今のままじゃ、それが難しいんじゃよ」
「その事じゃが」と蓮崇が言った。「実は、わしは風眼坊殿に上人様の側にいて、上人様を守って貰おうと考えておったんじゃ。今回の戦では慶聞坊殿にも働いて貰わにゃならん。そうなると、上人様の身を守る者がおらなくなってしまう。そこで、風眼坊殿にその事をお願いしようと思っておったんじゃよ。風眼坊殿が一乗谷の大橋殿のお師匠だったとすれば、上人様の身を守って貰うのに最適じゃと思うんじゃがのう」
「そうか、そうじゃったのう。もしもの事があった時、上人様を守る者が必要じゃったわ。風眼坊、おぬし、その役を引き受けてくれんか」
「ああ、やる奴がおらんと言うのなら引き受けてもいいが、戦はいつ始まるんじゃ」
「そうじゃのう。とにかく、幕府の奉書(ホウショ)が届かん事にはのう。早くて来月の初め頃になるかのう」
「来月の初めか‥‥‥」
「戦の方はわしらに任せて、おぬしは上人様を守ってくれ」
「そうじゃのう。ところで、勝算の方はどうなんじゃ」
「上人様の一声が掛かれば、何とか勝てるじゃろう」と慶覚坊は言った。
「勝てるか」
「ああ。今回の戦では白山の衆徒も味方じゃしのう」
「本願寺の門徒衆はどれ位おるんじゃ」
「五万はおるじゃろう。それに白山衆徒が一万、富樫次郎が五千、朝倉がどれ位来るか分からんが頭数は敵の数倍はおる」
「五万か、凄いものじゃのう。それじゃあ、わしは高みの見物をして、おぬしたちの戦振りを見せてもらう事にするわ」
「そうしてくれ。上人様を頼むわ」
「これで、上人様は安全じゃな。あとは充分に作戦を練って、仏敵高田派門徒を加賀から追い出すだけじゃ」
「富樫幸千代はどうするんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「倒す」と慶覚坊は力強く言った。「しかし、一番の敵は高田派門徒じゃ。今回の戦で、本願寺以外の真宗門徒は皆、国外に追放する。そして、幸千代も倒し、とりあえずは次郎を守護にする。そして、国内を組織し直して、次郎もやがては追い出し、大和の国(奈良県)の興福寺のように、本願寺が加賀の国の守護となるんじゃ」
「本願寺が加賀の守護か‥‥‥」
蓮崇も頷いた。
風眼坊は二人の顔を見比べた。そこまで考えていたとは、まったく驚くべき事だった。幕府の任命した守護大名を追い出し、本願寺によって加賀の国を治めようとは、まったく凄い事を考えるものだと思った。
「この事は上人様には絶対に内緒じゃぞ」と慶覚坊は言った。
「ああ、分かっておる」と風眼坊は頷いた。
上人様の事を頼むと言って、蓮崇は部屋から出て行った。
「そこまで考えておったとはのう」と風眼坊は慶覚坊に言った。「一体、誰が、そんな大それた事を考えたんじゃ」
「誰という事はない。阿弥陀如来様の浄土をこの世に築こうと思えば、当然、そう言う事になるだけじゃ。公家の時代が終わり、武士の時代となった。そろそろ、その武士の時代も終わりを告げようとしておる」
「次に来るのは百姓の時代じゃと言うのか」
「百姓だけじゃないが、今まで支配されておった者たちじゃ」
「確かに、時代は変わりつつある。しかし、支配者が消える事はあるまい。加賀の国を本願寺が持ったとしても、支配者が武士から本願寺の坊主に代わるだけじゃないのか」
「それはそうじゃが支配体制が違って来る。すでに、門徒たちはただ支配されるだけでは納得しない程に成長して来ておる。門徒の一人一人が自分たちの村の自治をし、村の代表らによって郡の自治を行ない、郡の代表らによって国の自治を行なうというわけじゃ。それらをまとめる者として本願寺の坊主たちがおり、決して、門徒たちを支配するわけではないんじゃ」
「ふーん。しかし、そう、うまい具合に行くものかのう。門徒たちの中には形だけ門徒になっておる国人たちがおるじゃろう。奴らは本願寺の組織を利用して勢力を広げ、本願寺に反旗をひるがえすんじゃないかのう」
「それは大丈夫じゃ。奴らは、すでに本願寺の組織の中に入ってしまっておる。いくら、大きくなろうとも本願寺より大きくなる事はできん。反旗をひるがえすには門徒全員を敵に回す覚悟がなくてはならんのじゃ」
「うーむ。そう言われてみれば、そうとも言えるが‥‥‥」
「わしは絶対に、そういう国ができると確信しておるんじゃ。それも、そう遠い事ではない。隣の越前を見てみろ。守護の斯波氏が家督争いをしておる隙に、朝倉氏が守護となってしまった。朝倉氏は一応、幕府からの任命で守護になったのじゃが、朝倉氏などは斯波氏の家臣に過ぎん。その家臣が主人を追い出して守護に納まってしまっておるんじゃ。守護じゃからと言って安心しておられる時代は終わった。これからは実力で国を取る時代になって来ておるんじゃ。本願寺が一国の守護になるという事も決して、夢物語ではないんじゃよ」
「それは分かるがのう‥‥‥」
「おぬしも門徒になって、この世の浄土作りに協力してくれ」
「ああ、考えておくよ」
慶覚坊は、頼むぞという顔をして頷いた。
「これから、どうするんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「とりあえずは山田に帰って、門徒たちに状況を知らせ、戦の準備をして貰わなくてはな」
「蓮誓殿はどうするんじゃ。のけ者か」
「まだ、黙っておった方がいいじゃろうな」
「わしは何をすればいい」
「そうさのう。とりあえず、ここにおって貰うか。そろそろ慶聞坊にも動いて貰う事になるのでな」
「ここにおるのか‥‥‥」
「すまんが上人様の側におってくれ。また、旅に出ると言い出すかもしれんのでな」
「分かったわ」
「どうじゃ。一乗谷は面白かったか」
「ああ、やっかいな拾い物があったがな」
風眼坊はお雪の事を慶覚坊に話した。
外はすっかり、暗くなっていた。
7.お雪2
3
鳶(トビ)が気持ちよさそうに青空を飛んでいた。
風眼坊はお雪と智春尼を連れて山道を歩いていた。
今日はそれ程、暑くもなく、すがすがしい陽気だった。
女連れなので風眼坊はのんびり景色を眺めながら歩いていた。お雪はずっと俯いたままで一言も喋らなかった。智春尼はそんなお雪を心配そうに見守っていた。
蓮崇に、蓮如の事を守ってくれと言われた風眼坊だったが、慶聞坊が蓮如の事は自分が守るから大丈夫だと言った。蓮如が正式に命令を下すまでは自ら動く事はしない。もし、そんな事になれば、慶聞坊も戦の先頭に立つので、その時は、風眼坊に蓮如の事を頼む事になるが、それまでは自分が蓮如を守ると言い切った。
慶聞坊は今までずっと蓮如の側近く仕え、蓮如の旅には常に付き合い、また、蓮如の子供たちに読み書きまでも教えていた。自分が突然、蓮如の前からいなくなれば、蓮如が多屋衆たちの動きに気づいてしまうだろう。あくまでも戦に反対している蓮如には、ぎりぎりの時まで、多屋衆たちの動きを気づかせない方がいい、そのためにも自分は蓮如が正式に戦の命令を下すまでは動かないと言った。
風眼坊も慶聞坊の言う通りにした方がいいだろうと思った。
慶覚坊も蓮崇も忙しそうに動いていたが、風眼坊にはするべき事が何もなかった。門徒になってしまえば手伝う事ができるが、他所者のままでは口を出す事もできなかった。
風眼坊は戦が始まるまで、お雪に付き合うかと思い、慶覚坊に、近くにいい行場(ギョウバ)はないかと聞いた。九谷の奥にいい所があると教えて貰い、そこに二十一日間、籠もる事にした。戦が始まったら知らせてくれと慶覚坊に頼み、お雪と智春尼を連れて山に入ったのだった。
九谷は山中温泉の奥にあり、この間、風眼坊が蓮如たちと出会った山の中にあった。後に九谷焼で有名になるが、この当時はまだ陶器を焼いてはいなかった。吉崎からもそう遠くなく、丁度いい場所だった。風眼坊一人だったら半日もあれば着く距離だが、女を二人も連れているので足が遅く、目的地に着いた頃には日が沈みかけていた。
途中、二人の山伏と擦れ違った。お雪を捜していた平泉寺の山伏だった。風眼坊は二人の山伏を倒して谷底に投げ捨てた。
「何も殺さなくても」とお雪と智春尼は風眼坊を白い目で見た。
「わしも殺したくはなかったが、そなたがこの山にいる事が分かると困るんじゃ。二十一日間の祈祷の間は誰にも邪魔されたくないんでな」
その場を見ていた若者がいた。近くの村に住んでいる杉谷孫三郎という若者だった。
孫三郎は突然、山の中から飛び出し、風眼坊に剣術を教えてくれと頼み込んで来た。
風眼坊は断ったが、若者はしつこく後に着いて来た。風眼坊は仕方なく、その若者に食糧や祈祷に必要な物の調達を頼んだ。若者は喜んで引き受けた。どうせ、二十一日間も山に籠もるのだから、この若者に剣術を教えるのも暇潰しになるだろうと考え直した。
次の日、滝の側に小屋を立て、護摩壇(ゴマダン)を作り、祈祷のための準備を始めた。
孫三郎も朝早くから来て手伝った。孫三郎は手先が器用で何かと便利な男だった。ただ、どういう理由から剣術を習いたいのか知らないが、そっちの方の素質は余りなさそうだった。
「うちの仕事をしなくてもいいのか」と風眼坊が聞くと、厄介者(ヤッカイモノ)扱いされているので、返って、いない方がいいのだと言った。
一日掛かりで、何とか雨露を凌げる程度の小屋はできた。
暗くなっても孫三郎は帰ろうとはしなかった。
「帰らなくてもいいのか」と聞くと、帰ってもしょうがない、ここに置いてくれ、と言った。
孫三郎がいてくれれば風眼坊にしても何かと助かるが、どうして帰りたくないのだ、と聞いてみた。
「俺は邪魔者なんです」と孫三郎は小声で言った。
「邪魔者?」
「はい。おらん方がいいんです」
「どうしてじゃ」
孫三郎はぼそぼそと身の上を話し始めた。
孫三郎は九谷の側の小杉という村の杉谷家に生まれた。杉谷家は古くは木地師(キジシ)だった。孫三郎の祖父の代より定着し始め、今では村の名主的な家柄だった。
孫三郎は杉谷家の長男として生まれたが、母親が病弱で孫三郎が幼い頃、亡くなってしまった。父親は後添いを貰い、後添いとの間に三人の子供があった。
子供の頃の孫三郎は何不自由なく育てられた。母親が亡くなった後も祖父に可愛いがられていた。ところが、五年前、祖父が亡くなると、家の中の雰囲気ががらりと変わってしまった。まず、継母(ママハハ)が辛く当たるようになり、継母の子供たち、孫三郎の弟や妹までが、孫三郎の事を邪魔者扱いするようになって行った。父親は継母たちの態度を見ても見ぬ振りだった。また、孫三郎の方も性格が父親に似ていて、文句を言いたくても言えないような気の小ささだった。自分が情けないと思うが、どうしようもなかった。
杉谷家では下人たちを大勢抱え、焼き畑や木工細工をやらせ、自らも僅かながらも田を耕していた。弟や妹は田植えや稲刈りの仕事を手伝ったりしていたが、孫三郎は仕事の手伝いさえ、させて貰えなかった。毎日、薄暗い土間の片隅で木工細工をやっていた。継母は孫三郎の顔を見ると、お前は手先が器用だから御先祖様のように山の中に入って木地師になればいいと、遠回しに出て行けと言っていた。
孫三郎は何度も家を飛び出そうと思った。結局は飛び出す度胸もなく、毎日、継母の小言を聞きながら、土間の片隅で木工細工をやっていた。
そんな、ある日、九谷に行った孫三郎は本願寺門徒の講というものに出会った。
突然、太鼓の音が鳴り響き、村人たちがぞろぞろと太鼓の鳴る方へと歩いて行った。孫三郎は何事かと村人たちの後を付いて行った。
村はずれにあるお堂の前に村人が大勢、集まっていた。やがて、村人たちはお堂の中に入って行った。お堂の中に一人の坊主がいて、その坊主の回りに村人たちが坐り、一斉に念仏を唱えはじめた。お堂の中に入り切れない村人たちはお堂の回りに坐り込んでいた。孫三郎も回りの者たちに坐らされ、念仏を唱えさせられた。一体、これは何だ、と聞きたかったが、皆、真剣な顔をして、お堂の中の坊主を見つめていて聞く事ができなかった。
何気なく坊主の説教を聞いていた孫三郎は、なぜか、目が覚めるような思いがした。
次の月も、孫三郎は講を見に九谷まで行った。坊主の説教をお堂の外に坐り込んで聞き、自分も門徒になりたいと思った。しかし、その事を言い出す勇気がなかった。
次の月も、孫三郎は九谷の道場に向かった。途中で坊主に追い越された。その坊主は、いつも道場で説教をしている坊主だった。孫三郎は心の中で、何度も『南無阿弥陀仏』と唱え、勇気を出して、その坊主に声を掛けた。坊主は振り返った。孫三郎は勇気を振り絞って、門徒にして下さいと頼んだ。坊主はニコッと笑うと喜んで門徒にしようと言った。その坊主は慶覚坊だった。
本願寺の門徒になった孫三郎は以前とは違って、なぜか、毎日毎日が楽しくなったような気がした。相変わらず継母は小言を言ってうるさかったが、前程、気にならなくなっていた。
孫三郎は毎月、必ず九谷の道場に通い、また、山を下りて河崎の専称寺や、荻生(オギウ)の願成寺、吉崎御坊の講にまで出掛けて行く程、熱心な門徒となって行った。
すでに、門徒たちの間にも不穏な空気は流れて来ていた。そのうち戦が始まるというのだった。本願寺が異端な教えを広めている高田派を倒すために、立ち上がるというのだった。
孫三郎には信じられなかった。
本願寺が戦をするなど、とても信じられなかった。しかし、本願寺が戦を始めるとすれば、孫三郎も武器を取って戦わなければならない。今まで、刀なんか振り回した事などなかったが、本願寺のためには刀を振り回さなければならなかった。
孫三郎は悩んでいた。
昔、祖父が刀を振っているのを見た事があった。しかし、祖父は孫三郎に刀の使い方を教えてくれなかった。父親は刀なんか一切いじらなかった。使い方を知っていそうもない。
孫三郎は物置から祖父の刀を出して、試しに振って見た。重さがずしりと応えた。これで人を斬るのかと思ったら、急に恐ろしくなって刀を振るどころではなかった。
孫三郎は悩んだ。
戦が始まれば門徒として戦わなければならないが、刀の使い方さえ知らない自分はどうしたらいいのだろう。講に行くと、若い者たちは皆、戦になったら活躍して、偉くなって道場主になるんだと言い合っていた。孫三郎もそうしたかったが、そんなふうに活躍なんてできそうもなかった。ただ、逃げるような、みっともない事だけはしたくなかった。でも、それさえも自信がなかった。
どうしたらいいのだろうか‥‥‥
そんな時だった。偶然、目の前で見事な風眼坊の太刀さばきを見た。あっという間に、二人の山伏が倒れていた。目にも留まらないような素早い太刀さばきだった。
孫三郎は風眼坊の顔を見た。そして、連れの女二人も見た。悪い人たちのようには思えなかった。悪いのは斬られた方だろうと思った。きっと、阿弥陀様のお導きに違いないと思った。孫三郎は迷わず風眼坊に頭を下げ、剣術を教えてくれと頼んだ。
「何じゃ。おぬしも門徒じゃったのか」と風眼坊は孫三郎の話を聞くと言った。
「はい。門徒として、恥ずかしい態度を取りたくないので剣術を教わりたいのです」
「逃げたくはないのじゃな」
「はい」
「逃げなければ死ぬ事になるぞ。それでもいいのか」
「死にたくはありません」
「どっちか選ばなければならないとしたら、どうする」
孫三郎は俯いたまま答えなかった。
「やはり、逃げるか」と風眼坊は言った。
孫三郎は首を振った。「いいえ、逃げません」
「それじゃあ、死ぬか」
「‥‥‥はい。逃げる位なら死にます」
「うむ、分かった。おぬしに立派な死に方を教えてやろう」
「えっ! 死に方ですか」
「そうじゃ。生きるためには、まず、死に方を知らなければならんのじゃ。死に方が分かれば、生き方も分かるというものじゃ」
「立派な死に方ですか‥‥‥」
「わしらは二十一日間、ここで祈祷をする。お前も、ここにいても構わんが、色々と雑用をやってもらう事になるぞ。いいか」
「はい。構いません」
「よし。二十一日間で武士にも負けない位、立派な死に方ができるように鍛えてやろう」
「ありがとうございます」孫三郎は風眼坊に深く頭を下げた。
加持祈祷が始まった。
二十一日間にわたる厳しい修法の日々が始まった。
お雪は両親の仇(カタキ)、富樫次郎政親を呪い殺す事を新たに決心し、恨みに燃えていた。美しい顔付きも、まるで凍ったように冷たい表情だった。智春尼はそんなお雪を黙って見守り、風眼坊にすべてを任せてすがっていた。
一方、風眼坊に立派な死に方を教えてやると言われた杉谷孫三郎は、本気で死ぬ事について悩んでいた。
一同は、まだ夜が明ける前の寅の刻(午前四時)に起床して、近くの滝での水垢離(ミズゴリ)から一日が始まった。
いくら夏とはいえ早朝の滝の水は身震いする程、冷たかった。一時(イットキ、二時間)近く、風眼坊と共に風眼坊の教えた印(イン)を結び、真言(シンゴン)を唱え、お雪と孫三郎は滝を浴びた。
智春尼の用意した朝食を取ると、辰の刻(午前八時)まで、お雪は読経をし、孫三郎は、祈祷のための護摩札を作った。急な事だったのでお経が手に入らず、風眼坊は蓮如から借りて来た『御文(オフミ)』を、お雪に読ませるつもりでいたが、ここに来る途中で倒した平泉寺の山伏が持っていた『般若心経(ハンニャシンギョウ)』を読ませる事にした。
辰の刻から加持祈祷が始まった。
平泉寺の山伏が持っていた小さな不動明王像を本尊とし、護摩壇の回りには、やはり、平泉寺の山伏が持っていた法具を並べ、また、孫三郎に作らせた器に酒や穀物を供えた。
お雪に呪文を唱えさせ、風眼坊も呪文を唱えながら護摩壇に札をくべた。
お雪は憎き富樫次郎を呪い殺すための祈祷と信じて疑わなかったが、風眼坊は調伏(チョウブク)の祈祷をしたのではなかった。護摩を焚いてする祈祷には、息災(ソクサイ)護摩、増益(ゾウエキ)護摩、敬愛護摩、調伏護摩の四種類があり、それぞれ、護摩壇の形や色、向かう方角とかが決まっていた。
この時、風眼坊がやった護摩は様々な災害を消滅するために行なう息災護摩だった。
風眼坊はお雪を地獄から救いたいと思っていた。親の仇を討つために自分というものを捨てているお雪に、改めて、自分というものを見つめさせ、新たな人生を歩ませたいと思っていた。俗界から離れ、自然の中で二十一日間暮らしているうちに、お雪の本当の姿が現れて来る事を願っていた。
風眼坊とお雪が祈祷を行なっている時、孫三郎は薪(タキギ)集めをしたり、雑用に励んでいた。
一時近くの祈祷が終わると、風眼坊とお雪はまた、滝を浴びた。
午(ウマ)の刻(正午)になると、孫三郎もお雪と共に合掌したまま、一時の間、座禅をした。未(ヒツジ)の刻(午後二時)から、お雪は一心に護摩にくべる札に呪文を書き、孫三郎は木剣を振った。申(サル)の刻(午後四時)からは、お雪は蓮如の書いた『御文』を写し、孫三郎は思い切り立木を打った。酉(トリ)の刻(午後六時)に夕食を取り、その後、一時程、滝を浴びて、戌(イヌ)の刻(午後八時)には横になった。
雨が降ろうと風が吹こうと体の具合が悪かろうと、毎日、同じ事の繰り返しだった。
孫三郎は早くも二日目から体中が痛くて、もう駄目だと弱音を吐いた。風眼坊は、それなら、さっさと帰っていいぞと冷たく言った。孫三郎は一人でぶつぶつ文句を言っていたが、結局、帰らなかった。
お雪は五日目に熱を出した。智春尼は、もう、やめてくれと言って風眼坊に頼んだが、お雪はへこたれなかった。虚ろな目をしながらも歯を食いしばって、日課を消化して行った。六日目にはもう倒れてしまうのではないかと思う程だったが、余程、富樫次郎への恨みが強いのか、ただ執念だけで持ちこたえていた。七日目には、まだ気だるさは残っているようだったが、何とか熱は下がったようだった。
熱との闘いに勝ってからのお雪は、以前とはどこか変わったような気がした。以前は滝を浴びるのにも、どこか抵抗を感じていたようだったが、積極的に滝を浴びるようになり、一人で夜遅くまで滝を浴びるようになっていた。まるで、次郎に汚された体の汚れを清めているかのように感じられた。
孫三郎の方も七日目あたりから、ようやく体の痛みも取れ、木剣を振る姿もどうにか様になって来ていた。十日目から風眼坊は細い竹の枝を持って、孫三郎の相手をした。体の痛みはようやく取れた孫三郎だったが、今度は風眼坊の打つ竹の枝が鞭のように当たって、体中がミミズ腫れのような打ち身傷だらけになって行った。風眼坊はただ避けろと言うだけで孫三郎に剣術の技は教えなかった。
十六日目にちょっとした事件が起きた。
加持祈祷が終わり、お雪が滝を浴びに行ったので、風眼坊がちょっと里の様子でも見ようと山を下りて行った隙に起きた事件だった。お雪ももう一人で滝を浴びられるし、座禅もできるだろうと思い、ほんのちょっと里の様子を見たら戻って来るつもりだった。
智春尼も山菜を積みに出掛けて行って留守だった。
孫三郎がいつものように座禅を組むべき場所に向かう時だった。何気なくチラッと小屋の中を覗いた時、丁度、滝から上がったお雪が着替えをしていた。
孫三郎の目はお雪の眩しい位に白い裸体に釘付けとなった。側にいつもいるはずの智春尼の姿はなかった。風眼坊が山を下りて行ったのは知っていた。
孫三郎の頭に血が上り、目の前は真っ赤になり、その真っ赤の中にお雪の白い裸だけがはっきりと見えていた。
孫三郎も若い一人の男に違いなかった。お雪のような綺麗な女と一緒に生活していて、何も感じないわけではなかった。朝夕、一緒に滝を浴びて、濡れた着物から透けて見えるお雪の裸を想像しては、それを打ち消し、必死に堪えていた孫三郎だった。
孫三郎はお雪の事をどこかの身分の高いお姫様だと思っていた。故あって、こんな山奥で祈祷をしているが、自分のような者が近づく事もできないような身分の高いお方だと思っていた。そういう高い身分の者でなかったら、風眼坊のような偉い行者さんが付きっきりで祈祷などするわけがないと思っていた。いくら、自分が好きになったとしても、それは報われる事のない事だと諦めていた。また、自分にはお雪をどうこうするような度胸などあるわけないと決めていた。ところが、お雪の裸を目の前にして魔が差したというか、孫三郎は狂ったようにお雪の裸に抱き付いて行った。
びっくりしたお雪は悲鳴を上げた。孫三郎は強引にお雪を押し倒した。お雪は抵抗したが孫三郎の力には敵わなかった。
お雪は急に抵抗をやめて孫三郎を見つめ、「地獄に落ちたかったら、わたしを抱きなさい。わたしの体は、すでに地獄に落ちていますから」と言った。
そして、静かに『南無阿弥陀仏』と唱えた。
孫三郎は、お雪の『南無阿弥陀仏』という声に、ようやく我に帰った。
我に返るとお雪から離れ、小屋から飛び出して行った。孫三郎は真っすぐ滝に行き、そのまま滝に打たれた。
――俺は、何という事をしてしまったんだ‥‥‥
孫三郎は滝に打たれながら自分を責めていた。
しばらくして、お雪が現れ、孫三郎の隣で滝に打たれ始めた。
二人は一緒に真言を唱えながら滝に打たれた。
風眼坊が戻って来た時には何事もなかったかのように、お雪は熱心に『御文』を写し、孫三郎は立木を相手に木剣を振っていた。
ほんの一瞬、孫三郎が男になり、お雪が女になった事件は、二人だけの秘密として二人の修行は続いた。ほんの些細な事件だったが、その事件の後、二人は少しづつ変わって行った。
お雪は自分が女だという事を意識するようになり、顔付きがどことなく優しくなって行った。以前は仇討ちの事しか頭になく、心を閉ざして、自分の世界に籠もりきりだったが、ようやく心を開き始めて来たようだった。内側ばかり見つめていた目が、ようやく外側に向けられ始めていた。
孫三郎の方は以前に比べて、おどおどした所がなくなり、堂々としてきて男らしくなったようだった。自分に自信を持つようになり、それは剣術にも現れて来た。以前はただ、木剣を振っているという感じだったが、ようやく木剣を打つ事ができるようになっていた。真剣を持たせた場合、以前だったら、ただ、当たるというだけだったが、ようやく、斬れる程の腕になっていた。
風眼坊は二人の間に何があったのか知らず、ただ、二人がいい結果に向かっている事を、この大自然のお陰だと自然の偉大なる力に感謝していた。
風眼坊がお雪と共に山に籠もっている時、下界では大変な事件が起きていた。
朝倉弾正左衛門尉に敗れ、富樫幸千代を頼って加賀の国に逃げていた甲斐八郎が弾正左衛門尉と和解し、兵を引き連れて越前の国に引き上げてしまったのだった。二人の仲を取り持ったのは、美濃の国(岐阜県中南部)の守護代、斎藤妙椿(ミョウチン)だと言う。斎藤妙椿は大勢の兵を引き連れて越前の国に進攻し、豊原寺に着陣すると、一乗谷の朝倉と加賀の国、蓮台寺城にいる甲斐に使いを送って、見事に二人を和解させ、さっさと引き上げて行ったという。
風眼坊は、その話を九谷の本願寺の道場で聞いた。
甲斐八郎が越前に戻ったという事は、今まで均衡を保っていた富樫次郎と富樫幸千代との関係が崩れ、幸千代は加賀に孤立するという状況となっていた。次郎はこの絶好の機会を見逃す程、愚か者ではあるまい。まだ、本願寺も動いていないようだが、本願寺に取っても、宿敵、高田派門徒を倒すのに絶好の機会と言えた。ただ、朝倉は和解した甲斐八郎との手前、次郎のために兵を出す事はないかもしれないが、相手が幸千代と高田派門徒だけなら、次郎と本願寺方に充分な勝算があると言えた。後は幕府からの奉書が蓮如のもとに来るのを待つだけだった。
お雪の祈祷も孫三郎の修行も、無事に終わろうとしていた。
今日が満願の二十一日目だった。
いつものように早朝の滝浴びから一日が始まっていた。
朝日を浴びて、お雪の顔も、孫三郎の顔も、水しぶきの中で輝いていた。
朝食を終えた後、いつものように孫三郎が護摩札作りに行こうとするのを風眼坊は止めた。
「もう、札は作らなくてもいい。薪拾いも終わりだ」
「もう、祈祷は終わりなのですか」
「そうじゃ。今日が最後じゃ」
「もう、終わりですか‥‥‥」孫三郎は残念そうな顔をして、「明日、山を下りるのですか」と風眼坊に聞いた。
「ああ」と風眼坊は頷いた。
「お願いします。俺も連れて行って下さい」
「連れて行ってもいいが、お前は以前のお前とは違う。そろそろ、うちに帰った方がいいんじゃないのか」
「いえ、もう少し教えて下さい」
「まあ、好きにするがいい」
「ありがとうございます。ところで、今日はこれから何をすればいいのですか」
「そうじゃのう。約束通り、お前に立派な死に方を教えてやろう」
お雪が読経を始めると、風眼坊は孫三郎を連れて、いつもの広場に出掛けた。
孫三郎が木剣を構えると、風眼坊はいきなり、真剣を抜いて構えた。
「えっ!」と孫三郎は驚いた。
「死に方を教えてやる。かかって来い」
かかって来いと言われても、真剣の先を突き付けられて、かかって行けるわけはなかった。もしかしたら、師匠は本当に俺を殺すつもりなのだろうか。
孫三郎は木剣を中段に構え、真剣を見つめたまま身動きができなかった。
「刀を見るな!」と風眼坊は言った。
「えっ!」
「相手の目、両肩、両方の拳をよく見るんだ」
「目と肩と拳‥‥‥」
「一ケ所に目をやるな!」
「‥‥‥」
「一ケ所に目を囚われずに、全体を見るようにするんじゃ」
「全体を見るように‥‥‥」
孫三郎は突き付けられた刀を忘れて、風眼坊に言われた通り、全体を見るように努力した。
「そうじゃ。目付けの方は、まあ、よくなって来たが、今度は構えの方がおろそかになって来たぞ。敵に気を取られてはいかん。臍(ヘソ)の下に力を溜めて、じっくりと構えるんじゃ」
孫三郎は風眼坊から言われた通りに構え、汗びっしょりになりながら真剣に対していた。
風眼坊は真剣を中段の構えから上段へと上げた。
孫三郎の視線も風眼坊の刀に合わせて上へと上がった。
「敵の構えに惑わされるな! どんな構えであろうと刀の通る道はたった一つだけじゃ。その道を見極めるんじゃ。敵の太刀先の通る道を見極める事ができれば、自分の太刀を自由に操る事ができる」
「‥‥‥」
「いいか、そのまま動くな!」
風眼坊はそう言うと、左足を一歩踏み出して、上段の刀を孫三郎の頭を目がけて打ち下ろした。
風眼坊の打ち下ろした刀は孫三郎の顔の前、すれすれの所を通って、木剣を構えている右拳の上、すれすれの所で止まった。
孫三郎は風眼坊の刀が下りて来ても微動だにしなかった。
「どうだ、分かったか。太刀先の通り道が」
「‥‥‥は、はい、分かりました」
風眼坊は頷くと刀を納めた。
孫三郎は息を大きく吐き出すと肩を落とし、中段に構えていた木剣を降ろした。
「よし。これで大丈夫じゃ。お前は、これで見事に死ぬ事ができる。戦になっても惨めに逃げ出す事もあるまい」
「本当ですか」
「ああ、本当じゃ。今回の修行はこれで終わりじゃ」
「はい。ありがとうございました」
「ところで、お前に頼みがあるんじゃが」
「何ですか」
「ああ。祈祷の方も無事に終わりそうじゃしな。精進(ショウジン)明けと言う事で、酒を手に入れて欲しいんじゃがな。できるかのう」
「酒ですか。はい、そんな事ならわけありません。すぐに、うちから持って来ます」
「おお、そうか、そいつは助かる。今晩はみんなで飲もう」
孫三郎は山を下りて行った。
最後の加持祈祷も終わり、最後の滝打ちの行も終わり、お雪は晴れ晴れとした顔付きで、風眼坊の前に坐っていた。お雪の後ろに智春尼も嬉しそうにお雪を見守っていた。
「二十一日間、よく頑張ったな。ようやく終わりじゃ。そなたは今日、改めて生まれ変わったのじゃ。今までの辛かった地獄の日々は、すべて清算された。これからは仏様の力で、いつの日にか、富樫次郎が非業の死を迎える事を信じ、その事は仏様に任せ、新たな人生を送る事じゃな」
「はい」とお雪は頷いた。
「どうじゃな、気分の方は」
「はい‥‥‥何となく、体が軽くなったような、何だか、本当に生まれ変わったような気がいたします。見る物すべてが以前とは違って、美しく見えるような気がいたします」
風眼坊は満足そうに頷いた。
「そうじゃろう。そなたの心に染み付いておった邪悪な物が綺麗さっぱり落ちたのじゃよ。お不動さんが、そなたの心に染み付いておった邪悪な物をすべて、自分の身に引き受けて下さったのじゃ。お不動さんが、そなたの代わりに両親の仇を取って下さるじゃろう」
「ありがとうございました」
「本当に何とお礼を申したらいいのか‥‥‥」と智春尼の目は潤んでいた。
「さて、これから、そなたはどうするつもりじゃな」
「‥‥‥まだ、分かりません」
「まあ、そうじゃろうのう。しばらくは吉崎の蓮如殿のもとにおって、これからの事を考えるがいいじゃろう」
「‥‥‥あの、風眼坊殿はこれからどうするのですか」
「わしか、わしも、しばらくは吉崎におる事になるじゃろう」
「そうですか‥‥‥」
「どうも、ありがとうございました」と智春尼は風眼坊に深く頭を下げた。
「礼なら、わしじゃなく、あのお不動さんに言う事じゃな」
二十一日間、護摩を炊き続けた護摩壇の向こうにいる、その小さなお不動さんは剣を振り上げ、火炎を背負い、忿怒の相をしていたが、その目は慈悲深く、お雪を見守っているようだった。
久し振りに、うちに帰った孫三郎は酒だけでなく、うちにあった鹿の肉やら、野菜やら、米やら、やたらと背負って戻って来た。
「お前、何を持って来たんじゃ」と風眼坊が驚いて聞くと、「精進明けですから酒だけじゃ淋しいと思いまして、うちにあった御馳走をみんな持って来ました」
「大丈夫なのか、そんな事をして」
「はい。初めてです」と孫三郎は笑った。
「は?」
「俺、初めて、あの母親に逆らいました。母親は目を丸くして、俺をただ見ていただけでした。そして、親父は何も言わなかったけど、俺の事を、俺の事を認めてくれたみたいでした」
「そうか‥‥‥」
「はい。何だか、自分に自信が持てるようになったみたいです」
「そうじゃろ。死に方が分かれば、自然、生き方も分かるものじゃ」
孫三郎の持って来た御馳走を料理して、久し振りに酒を飲み、辛かった二十一日間の事を話しながら楽しい晩を過ごした。
この時、初めて、風眼坊はお雪の明るい笑顔を目にした。その笑顔を見る事ができただけでも、今回の祈祷は決して無駄ではなかったと思った。
お雪の仇、富樫次郎がいつ死ぬのかは天に任すほかはなかった。風眼坊が見たところ、次郎の今の生活振りからして、そう長生きはするまいと思っていた。そして、お雪が新しい人生を歩き始め、いつしか次郎の事も忘れてしまえばいいと願った。
次の日、一行は山を後にした。
途中、未だに、お雪を捜している二人の山伏と擦れ違った。
お雪は、殺さないで、と風眼坊に言った。
風眼坊は孫三郎に、倒して来い、と命じた。
孫三郎は木剣で、二人の山伏を簡単に倒してしまった。その意外な展開に、一番驚いていたのは倒した本人の孫三郎だった。しばらくの間、倒れている二人の山伏と自分の手にした木剣を見比べながら、その場に立ち尽くしていた。
「おーい、早く来い」と先に行った風眼坊から声を掛けられ、孫三郎は慌てて後を追って行った。
孫三郎も朝早くから来て手伝った。孫三郎は手先が器用で何かと便利な男だった。ただ、どういう理由から剣術を習いたいのか知らないが、そっちの方の素質は余りなさそうだった。
「うちの仕事をしなくてもいいのか」と風眼坊が聞くと、厄介者(ヤッカイモノ)扱いされているので、返って、いない方がいいのだと言った。
一日掛かりで、何とか雨露を凌げる程度の小屋はできた。
暗くなっても孫三郎は帰ろうとはしなかった。
「帰らなくてもいいのか」と聞くと、帰ってもしょうがない、ここに置いてくれ、と言った。
孫三郎がいてくれれば風眼坊にしても何かと助かるが、どうして帰りたくないのだ、と聞いてみた。
「俺は邪魔者なんです」と孫三郎は小声で言った。
「邪魔者?」
「はい。おらん方がいいんです」
「どうしてじゃ」
孫三郎はぼそぼそと身の上を話し始めた。
孫三郎は九谷の側の小杉という村の杉谷家に生まれた。杉谷家は古くは木地師(キジシ)だった。孫三郎の祖父の代より定着し始め、今では村の名主的な家柄だった。
孫三郎は杉谷家の長男として生まれたが、母親が病弱で孫三郎が幼い頃、亡くなってしまった。父親は後添いを貰い、後添いとの間に三人の子供があった。
子供の頃の孫三郎は何不自由なく育てられた。母親が亡くなった後も祖父に可愛いがられていた。ところが、五年前、祖父が亡くなると、家の中の雰囲気ががらりと変わってしまった。まず、継母(ママハハ)が辛く当たるようになり、継母の子供たち、孫三郎の弟や妹までが、孫三郎の事を邪魔者扱いするようになって行った。父親は継母たちの態度を見ても見ぬ振りだった。また、孫三郎の方も性格が父親に似ていて、文句を言いたくても言えないような気の小ささだった。自分が情けないと思うが、どうしようもなかった。
杉谷家では下人たちを大勢抱え、焼き畑や木工細工をやらせ、自らも僅かながらも田を耕していた。弟や妹は田植えや稲刈りの仕事を手伝ったりしていたが、孫三郎は仕事の手伝いさえ、させて貰えなかった。毎日、薄暗い土間の片隅で木工細工をやっていた。継母は孫三郎の顔を見ると、お前は手先が器用だから御先祖様のように山の中に入って木地師になればいいと、遠回しに出て行けと言っていた。
孫三郎は何度も家を飛び出そうと思った。結局は飛び出す度胸もなく、毎日、継母の小言を聞きながら、土間の片隅で木工細工をやっていた。
そんな、ある日、九谷に行った孫三郎は本願寺門徒の講というものに出会った。
突然、太鼓の音が鳴り響き、村人たちがぞろぞろと太鼓の鳴る方へと歩いて行った。孫三郎は何事かと村人たちの後を付いて行った。
村はずれにあるお堂の前に村人が大勢、集まっていた。やがて、村人たちはお堂の中に入って行った。お堂の中に一人の坊主がいて、その坊主の回りに村人たちが坐り、一斉に念仏を唱えはじめた。お堂の中に入り切れない村人たちはお堂の回りに坐り込んでいた。孫三郎も回りの者たちに坐らされ、念仏を唱えさせられた。一体、これは何だ、と聞きたかったが、皆、真剣な顔をして、お堂の中の坊主を見つめていて聞く事ができなかった。
何気なく坊主の説教を聞いていた孫三郎は、なぜか、目が覚めるような思いがした。
次の月も、孫三郎は講を見に九谷まで行った。坊主の説教をお堂の外に坐り込んで聞き、自分も門徒になりたいと思った。しかし、その事を言い出す勇気がなかった。
次の月も、孫三郎は九谷の道場に向かった。途中で坊主に追い越された。その坊主は、いつも道場で説教をしている坊主だった。孫三郎は心の中で、何度も『南無阿弥陀仏』と唱え、勇気を出して、その坊主に声を掛けた。坊主は振り返った。孫三郎は勇気を振り絞って、門徒にして下さいと頼んだ。坊主はニコッと笑うと喜んで門徒にしようと言った。その坊主は慶覚坊だった。
本願寺の門徒になった孫三郎は以前とは違って、なぜか、毎日毎日が楽しくなったような気がした。相変わらず継母は小言を言ってうるさかったが、前程、気にならなくなっていた。
孫三郎は毎月、必ず九谷の道場に通い、また、山を下りて河崎の専称寺や、荻生(オギウ)の願成寺、吉崎御坊の講にまで出掛けて行く程、熱心な門徒となって行った。
すでに、門徒たちの間にも不穏な空気は流れて来ていた。そのうち戦が始まるというのだった。本願寺が異端な教えを広めている高田派を倒すために、立ち上がるというのだった。
孫三郎には信じられなかった。
本願寺が戦をするなど、とても信じられなかった。しかし、本願寺が戦を始めるとすれば、孫三郎も武器を取って戦わなければならない。今まで、刀なんか振り回した事などなかったが、本願寺のためには刀を振り回さなければならなかった。
孫三郎は悩んでいた。
昔、祖父が刀を振っているのを見た事があった。しかし、祖父は孫三郎に刀の使い方を教えてくれなかった。父親は刀なんか一切いじらなかった。使い方を知っていそうもない。
孫三郎は物置から祖父の刀を出して、試しに振って見た。重さがずしりと応えた。これで人を斬るのかと思ったら、急に恐ろしくなって刀を振るどころではなかった。
孫三郎は悩んだ。
戦が始まれば門徒として戦わなければならないが、刀の使い方さえ知らない自分はどうしたらいいのだろう。講に行くと、若い者たちは皆、戦になったら活躍して、偉くなって道場主になるんだと言い合っていた。孫三郎もそうしたかったが、そんなふうに活躍なんてできそうもなかった。ただ、逃げるような、みっともない事だけはしたくなかった。でも、それさえも自信がなかった。
どうしたらいいのだろうか‥‥‥
そんな時だった。偶然、目の前で見事な風眼坊の太刀さばきを見た。あっという間に、二人の山伏が倒れていた。目にも留まらないような素早い太刀さばきだった。
孫三郎は風眼坊の顔を見た。そして、連れの女二人も見た。悪い人たちのようには思えなかった。悪いのは斬られた方だろうと思った。きっと、阿弥陀様のお導きに違いないと思った。孫三郎は迷わず風眼坊に頭を下げ、剣術を教えてくれと頼んだ。
「何じゃ。おぬしも門徒じゃったのか」と風眼坊は孫三郎の話を聞くと言った。
「はい。門徒として、恥ずかしい態度を取りたくないので剣術を教わりたいのです」
「逃げたくはないのじゃな」
「はい」
「逃げなければ死ぬ事になるぞ。それでもいいのか」
「死にたくはありません」
「どっちか選ばなければならないとしたら、どうする」
孫三郎は俯いたまま答えなかった。
「やはり、逃げるか」と風眼坊は言った。
孫三郎は首を振った。「いいえ、逃げません」
「それじゃあ、死ぬか」
「‥‥‥はい。逃げる位なら死にます」
「うむ、分かった。おぬしに立派な死に方を教えてやろう」
「えっ! 死に方ですか」
「そうじゃ。生きるためには、まず、死に方を知らなければならんのじゃ。死に方が分かれば、生き方も分かるというものじゃ」
「立派な死に方ですか‥‥‥」
「わしらは二十一日間、ここで祈祷をする。お前も、ここにいても構わんが、色々と雑用をやってもらう事になるぞ。いいか」
「はい。構いません」
「よし。二十一日間で武士にも負けない位、立派な死に方ができるように鍛えてやろう」
「ありがとうございます」孫三郎は風眼坊に深く頭を下げた。
4
加持祈祷が始まった。
二十一日間にわたる厳しい修法の日々が始まった。
お雪は両親の仇(カタキ)、富樫次郎政親を呪い殺す事を新たに決心し、恨みに燃えていた。美しい顔付きも、まるで凍ったように冷たい表情だった。智春尼はそんなお雪を黙って見守り、風眼坊にすべてを任せてすがっていた。
一方、風眼坊に立派な死に方を教えてやると言われた杉谷孫三郎は、本気で死ぬ事について悩んでいた。
一同は、まだ夜が明ける前の寅の刻(午前四時)に起床して、近くの滝での水垢離(ミズゴリ)から一日が始まった。
いくら夏とはいえ早朝の滝の水は身震いする程、冷たかった。一時(イットキ、二時間)近く、風眼坊と共に風眼坊の教えた印(イン)を結び、真言(シンゴン)を唱え、お雪と孫三郎は滝を浴びた。
智春尼の用意した朝食を取ると、辰の刻(午前八時)まで、お雪は読経をし、孫三郎は、祈祷のための護摩札を作った。急な事だったのでお経が手に入らず、風眼坊は蓮如から借りて来た『御文(オフミ)』を、お雪に読ませるつもりでいたが、ここに来る途中で倒した平泉寺の山伏が持っていた『般若心経(ハンニャシンギョウ)』を読ませる事にした。
辰の刻から加持祈祷が始まった。
平泉寺の山伏が持っていた小さな不動明王像を本尊とし、護摩壇の回りには、やはり、平泉寺の山伏が持っていた法具を並べ、また、孫三郎に作らせた器に酒や穀物を供えた。
お雪に呪文を唱えさせ、風眼坊も呪文を唱えながら護摩壇に札をくべた。
お雪は憎き富樫次郎を呪い殺すための祈祷と信じて疑わなかったが、風眼坊は調伏(チョウブク)の祈祷をしたのではなかった。護摩を焚いてする祈祷には、息災(ソクサイ)護摩、増益(ゾウエキ)護摩、敬愛護摩、調伏護摩の四種類があり、それぞれ、護摩壇の形や色、向かう方角とかが決まっていた。
この時、風眼坊がやった護摩は様々な災害を消滅するために行なう息災護摩だった。
風眼坊はお雪を地獄から救いたいと思っていた。親の仇を討つために自分というものを捨てているお雪に、改めて、自分というものを見つめさせ、新たな人生を歩ませたいと思っていた。俗界から離れ、自然の中で二十一日間暮らしているうちに、お雪の本当の姿が現れて来る事を願っていた。
風眼坊とお雪が祈祷を行なっている時、孫三郎は薪(タキギ)集めをしたり、雑用に励んでいた。
一時近くの祈祷が終わると、風眼坊とお雪はまた、滝を浴びた。
午(ウマ)の刻(正午)になると、孫三郎もお雪と共に合掌したまま、一時の間、座禅をした。未(ヒツジ)の刻(午後二時)から、お雪は一心に護摩にくべる札に呪文を書き、孫三郎は木剣を振った。申(サル)の刻(午後四時)からは、お雪は蓮如の書いた『御文』を写し、孫三郎は思い切り立木を打った。酉(トリ)の刻(午後六時)に夕食を取り、その後、一時程、滝を浴びて、戌(イヌ)の刻(午後八時)には横になった。
雨が降ろうと風が吹こうと体の具合が悪かろうと、毎日、同じ事の繰り返しだった。
孫三郎は早くも二日目から体中が痛くて、もう駄目だと弱音を吐いた。風眼坊は、それなら、さっさと帰っていいぞと冷たく言った。孫三郎は一人でぶつぶつ文句を言っていたが、結局、帰らなかった。
お雪は五日目に熱を出した。智春尼は、もう、やめてくれと言って風眼坊に頼んだが、お雪はへこたれなかった。虚ろな目をしながらも歯を食いしばって、日課を消化して行った。六日目にはもう倒れてしまうのではないかと思う程だったが、余程、富樫次郎への恨みが強いのか、ただ執念だけで持ちこたえていた。七日目には、まだ気だるさは残っているようだったが、何とか熱は下がったようだった。
熱との闘いに勝ってからのお雪は、以前とはどこか変わったような気がした。以前は滝を浴びるのにも、どこか抵抗を感じていたようだったが、積極的に滝を浴びるようになり、一人で夜遅くまで滝を浴びるようになっていた。まるで、次郎に汚された体の汚れを清めているかのように感じられた。
孫三郎の方も七日目あたりから、ようやく体の痛みも取れ、木剣を振る姿もどうにか様になって来ていた。十日目から風眼坊は細い竹の枝を持って、孫三郎の相手をした。体の痛みはようやく取れた孫三郎だったが、今度は風眼坊の打つ竹の枝が鞭のように当たって、体中がミミズ腫れのような打ち身傷だらけになって行った。風眼坊はただ避けろと言うだけで孫三郎に剣術の技は教えなかった。
十六日目にちょっとした事件が起きた。
加持祈祷が終わり、お雪が滝を浴びに行ったので、風眼坊がちょっと里の様子でも見ようと山を下りて行った隙に起きた事件だった。お雪ももう一人で滝を浴びられるし、座禅もできるだろうと思い、ほんのちょっと里の様子を見たら戻って来るつもりだった。
智春尼も山菜を積みに出掛けて行って留守だった。
孫三郎がいつものように座禅を組むべき場所に向かう時だった。何気なくチラッと小屋の中を覗いた時、丁度、滝から上がったお雪が着替えをしていた。
孫三郎の目はお雪の眩しい位に白い裸体に釘付けとなった。側にいつもいるはずの智春尼の姿はなかった。風眼坊が山を下りて行ったのは知っていた。
孫三郎の頭に血が上り、目の前は真っ赤になり、その真っ赤の中にお雪の白い裸だけがはっきりと見えていた。
孫三郎も若い一人の男に違いなかった。お雪のような綺麗な女と一緒に生活していて、何も感じないわけではなかった。朝夕、一緒に滝を浴びて、濡れた着物から透けて見えるお雪の裸を想像しては、それを打ち消し、必死に堪えていた孫三郎だった。
孫三郎はお雪の事をどこかの身分の高いお姫様だと思っていた。故あって、こんな山奥で祈祷をしているが、自分のような者が近づく事もできないような身分の高いお方だと思っていた。そういう高い身分の者でなかったら、風眼坊のような偉い行者さんが付きっきりで祈祷などするわけがないと思っていた。いくら、自分が好きになったとしても、それは報われる事のない事だと諦めていた。また、自分にはお雪をどうこうするような度胸などあるわけないと決めていた。ところが、お雪の裸を目の前にして魔が差したというか、孫三郎は狂ったようにお雪の裸に抱き付いて行った。
びっくりしたお雪は悲鳴を上げた。孫三郎は強引にお雪を押し倒した。お雪は抵抗したが孫三郎の力には敵わなかった。
お雪は急に抵抗をやめて孫三郎を見つめ、「地獄に落ちたかったら、わたしを抱きなさい。わたしの体は、すでに地獄に落ちていますから」と言った。
そして、静かに『南無阿弥陀仏』と唱えた。
孫三郎は、お雪の『南無阿弥陀仏』という声に、ようやく我に帰った。
我に返るとお雪から離れ、小屋から飛び出して行った。孫三郎は真っすぐ滝に行き、そのまま滝に打たれた。
――俺は、何という事をしてしまったんだ‥‥‥
孫三郎は滝に打たれながら自分を責めていた。
しばらくして、お雪が現れ、孫三郎の隣で滝に打たれ始めた。
二人は一緒に真言を唱えながら滝に打たれた。
風眼坊が戻って来た時には何事もなかったかのように、お雪は熱心に『御文』を写し、孫三郎は立木を相手に木剣を振っていた。
ほんの一瞬、孫三郎が男になり、お雪が女になった事件は、二人だけの秘密として二人の修行は続いた。ほんの些細な事件だったが、その事件の後、二人は少しづつ変わって行った。
お雪は自分が女だという事を意識するようになり、顔付きがどことなく優しくなって行った。以前は仇討ちの事しか頭になく、心を閉ざして、自分の世界に籠もりきりだったが、ようやく心を開き始めて来たようだった。内側ばかり見つめていた目が、ようやく外側に向けられ始めていた。
孫三郎の方は以前に比べて、おどおどした所がなくなり、堂々としてきて男らしくなったようだった。自分に自信を持つようになり、それは剣術にも現れて来た。以前はただ、木剣を振っているという感じだったが、ようやく木剣を打つ事ができるようになっていた。真剣を持たせた場合、以前だったら、ただ、当たるというだけだったが、ようやく、斬れる程の腕になっていた。
風眼坊は二人の間に何があったのか知らず、ただ、二人がいい結果に向かっている事を、この大自然のお陰だと自然の偉大なる力に感謝していた。
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風眼坊がお雪と共に山に籠もっている時、下界では大変な事件が起きていた。
朝倉弾正左衛門尉に敗れ、富樫幸千代を頼って加賀の国に逃げていた甲斐八郎が弾正左衛門尉と和解し、兵を引き連れて越前の国に引き上げてしまったのだった。二人の仲を取り持ったのは、美濃の国(岐阜県中南部)の守護代、斎藤妙椿(ミョウチン)だと言う。斎藤妙椿は大勢の兵を引き連れて越前の国に進攻し、豊原寺に着陣すると、一乗谷の朝倉と加賀の国、蓮台寺城にいる甲斐に使いを送って、見事に二人を和解させ、さっさと引き上げて行ったという。
風眼坊は、その話を九谷の本願寺の道場で聞いた。
甲斐八郎が越前に戻ったという事は、今まで均衡を保っていた富樫次郎と富樫幸千代との関係が崩れ、幸千代は加賀に孤立するという状況となっていた。次郎はこの絶好の機会を見逃す程、愚か者ではあるまい。まだ、本願寺も動いていないようだが、本願寺に取っても、宿敵、高田派門徒を倒すのに絶好の機会と言えた。ただ、朝倉は和解した甲斐八郎との手前、次郎のために兵を出す事はないかもしれないが、相手が幸千代と高田派門徒だけなら、次郎と本願寺方に充分な勝算があると言えた。後は幕府からの奉書が蓮如のもとに来るのを待つだけだった。
お雪の祈祷も孫三郎の修行も、無事に終わろうとしていた。
今日が満願の二十一日目だった。
いつものように早朝の滝浴びから一日が始まっていた。
朝日を浴びて、お雪の顔も、孫三郎の顔も、水しぶきの中で輝いていた。
朝食を終えた後、いつものように孫三郎が護摩札作りに行こうとするのを風眼坊は止めた。
「もう、札は作らなくてもいい。薪拾いも終わりだ」
「もう、祈祷は終わりなのですか」
「そうじゃ。今日が最後じゃ」
「もう、終わりですか‥‥‥」孫三郎は残念そうな顔をして、「明日、山を下りるのですか」と風眼坊に聞いた。
「ああ」と風眼坊は頷いた。
「お願いします。俺も連れて行って下さい」
「連れて行ってもいいが、お前は以前のお前とは違う。そろそろ、うちに帰った方がいいんじゃないのか」
「いえ、もう少し教えて下さい」
「まあ、好きにするがいい」
「ありがとうございます。ところで、今日はこれから何をすればいいのですか」
「そうじゃのう。約束通り、お前に立派な死に方を教えてやろう」
お雪が読経を始めると、風眼坊は孫三郎を連れて、いつもの広場に出掛けた。
孫三郎が木剣を構えると、風眼坊はいきなり、真剣を抜いて構えた。
「えっ!」と孫三郎は驚いた。
「死に方を教えてやる。かかって来い」
かかって来いと言われても、真剣の先を突き付けられて、かかって行けるわけはなかった。もしかしたら、師匠は本当に俺を殺すつもりなのだろうか。
孫三郎は木剣を中段に構え、真剣を見つめたまま身動きができなかった。
「刀を見るな!」と風眼坊は言った。
「えっ!」
「相手の目、両肩、両方の拳をよく見るんだ」
「目と肩と拳‥‥‥」
「一ケ所に目をやるな!」
「‥‥‥」
「一ケ所に目を囚われずに、全体を見るようにするんじゃ」
「全体を見るように‥‥‥」
孫三郎は突き付けられた刀を忘れて、風眼坊に言われた通り、全体を見るように努力した。
「そうじゃ。目付けの方は、まあ、よくなって来たが、今度は構えの方がおろそかになって来たぞ。敵に気を取られてはいかん。臍(ヘソ)の下に力を溜めて、じっくりと構えるんじゃ」
孫三郎は風眼坊から言われた通りに構え、汗びっしょりになりながら真剣に対していた。
風眼坊は真剣を中段の構えから上段へと上げた。
孫三郎の視線も風眼坊の刀に合わせて上へと上がった。
「敵の構えに惑わされるな! どんな構えであろうと刀の通る道はたった一つだけじゃ。その道を見極めるんじゃ。敵の太刀先の通る道を見極める事ができれば、自分の太刀を自由に操る事ができる」
「‥‥‥」
「いいか、そのまま動くな!」
風眼坊はそう言うと、左足を一歩踏み出して、上段の刀を孫三郎の頭を目がけて打ち下ろした。
風眼坊の打ち下ろした刀は孫三郎の顔の前、すれすれの所を通って、木剣を構えている右拳の上、すれすれの所で止まった。
孫三郎は風眼坊の刀が下りて来ても微動だにしなかった。
「どうだ、分かったか。太刀先の通り道が」
「‥‥‥は、はい、分かりました」
風眼坊は頷くと刀を納めた。
孫三郎は息を大きく吐き出すと肩を落とし、中段に構えていた木剣を降ろした。
「よし。これで大丈夫じゃ。お前は、これで見事に死ぬ事ができる。戦になっても惨めに逃げ出す事もあるまい」
「本当ですか」
「ああ、本当じゃ。今回の修行はこれで終わりじゃ」
「はい。ありがとうございました」
「ところで、お前に頼みがあるんじゃが」
「何ですか」
「ああ。祈祷の方も無事に終わりそうじゃしな。精進(ショウジン)明けと言う事で、酒を手に入れて欲しいんじゃがな。できるかのう」
「酒ですか。はい、そんな事ならわけありません。すぐに、うちから持って来ます」
「おお、そうか、そいつは助かる。今晩はみんなで飲もう」
孫三郎は山を下りて行った。
最後の加持祈祷も終わり、最後の滝打ちの行も終わり、お雪は晴れ晴れとした顔付きで、風眼坊の前に坐っていた。お雪の後ろに智春尼も嬉しそうにお雪を見守っていた。
「二十一日間、よく頑張ったな。ようやく終わりじゃ。そなたは今日、改めて生まれ変わったのじゃ。今までの辛かった地獄の日々は、すべて清算された。これからは仏様の力で、いつの日にか、富樫次郎が非業の死を迎える事を信じ、その事は仏様に任せ、新たな人生を送る事じゃな」
「はい」とお雪は頷いた。
「どうじゃな、気分の方は」
「はい‥‥‥何となく、体が軽くなったような、何だか、本当に生まれ変わったような気がいたします。見る物すべてが以前とは違って、美しく見えるような気がいたします」
風眼坊は満足そうに頷いた。
「そうじゃろう。そなたの心に染み付いておった邪悪な物が綺麗さっぱり落ちたのじゃよ。お不動さんが、そなたの心に染み付いておった邪悪な物をすべて、自分の身に引き受けて下さったのじゃ。お不動さんが、そなたの代わりに両親の仇を取って下さるじゃろう」
「ありがとうございました」
「本当に何とお礼を申したらいいのか‥‥‥」と智春尼の目は潤んでいた。
「さて、これから、そなたはどうするつもりじゃな」
「‥‥‥まだ、分かりません」
「まあ、そうじゃろうのう。しばらくは吉崎の蓮如殿のもとにおって、これからの事を考えるがいいじゃろう」
「‥‥‥あの、風眼坊殿はこれからどうするのですか」
「わしか、わしも、しばらくは吉崎におる事になるじゃろう」
「そうですか‥‥‥」
「どうも、ありがとうございました」と智春尼は風眼坊に深く頭を下げた。
「礼なら、わしじゃなく、あのお不動さんに言う事じゃな」
二十一日間、護摩を炊き続けた護摩壇の向こうにいる、その小さなお不動さんは剣を振り上げ、火炎を背負い、忿怒の相をしていたが、その目は慈悲深く、お雪を見守っているようだった。
久し振りに、うちに帰った孫三郎は酒だけでなく、うちにあった鹿の肉やら、野菜やら、米やら、やたらと背負って戻って来た。
「お前、何を持って来たんじゃ」と風眼坊が驚いて聞くと、「精進明けですから酒だけじゃ淋しいと思いまして、うちにあった御馳走をみんな持って来ました」
「大丈夫なのか、そんな事をして」
「はい。初めてです」と孫三郎は笑った。
「は?」
「俺、初めて、あの母親に逆らいました。母親は目を丸くして、俺をただ見ていただけでした。そして、親父は何も言わなかったけど、俺の事を、俺の事を認めてくれたみたいでした」
「そうか‥‥‥」
「はい。何だか、自分に自信が持てるようになったみたいです」
「そうじゃろ。死に方が分かれば、自然、生き方も分かるものじゃ」
孫三郎の持って来た御馳走を料理して、久し振りに酒を飲み、辛かった二十一日間の事を話しながら楽しい晩を過ごした。
この時、初めて、風眼坊はお雪の明るい笑顔を目にした。その笑顔を見る事ができただけでも、今回の祈祷は決して無駄ではなかったと思った。
お雪の仇、富樫次郎がいつ死ぬのかは天に任すほかはなかった。風眼坊が見たところ、次郎の今の生活振りからして、そう長生きはするまいと思っていた。そして、お雪が新しい人生を歩き始め、いつしか次郎の事も忘れてしまえばいいと願った。
次の日、一行は山を後にした。
途中、未だに、お雪を捜している二人の山伏と擦れ違った。
お雪は、殺さないで、と風眼坊に言った。
風眼坊は孫三郎に、倒して来い、と命じた。
孫三郎は木剣で、二人の山伏を簡単に倒してしまった。その意外な展開に、一番驚いていたのは倒した本人の孫三郎だった。しばらくの間、倒れている二人の山伏と自分の手にした木剣を見比べながら、その場に立ち尽くしていた。
「おーい、早く来い」と先に行った風眼坊から声を掛けられ、孫三郎は慌てて後を追って行った。
8.笛の音1
1
下界は物凄く暑かった。
もう一度、山の中に戻って、思い切り滝を浴びたい気分だった。
孫三郎は顔に流れる汗を拭いながら、「暑い、暑い」と文句を言っている。
智春尼も暑くて溜まらないと、時折、恨めしそうに太陽を仰いでいた。しかし、風眼坊とお雪の二人は、そんな事、まったく気にならないかのようだった。
お雪は何が嬉しいのか、始終ニコニコしながら歩いていた。照り付ける強い日差しも、流れる汗も、何もかもが楽しくてしょうがないようだった。
一方、風眼坊の方は何か考え事をしているらしく、黙り込んだまま歩いている。つい、急ぎ足になってしまい、ふと、みんなの事に気づいて足を緩めるが、また、いつの間にか、速足になってしまっていた。
風眼坊は、甲斐八郎という心強い味方を失った富樫幸千代の事を考えていた。
果たして、幸千代はどう動くか。
甲斐八郎は世話になった幸千代のもとを離れるに当たって、朝倉弾正左衛門尉が富樫次郎のために動かないようにさせると約束したに違いない。そして、弾正左衛門尉としても次郎を匿っているにしろ、次郎が加賀に進攻するに当たって表立って兵を出す事はないだろう。
多分、朝倉としては今、越前の国をまとめる事に躍起になっている。甲斐と和解したというのも単なる方便に違いない。
朝倉と甲斐が加賀の事から手を引いたとなると、やはり、両者の鍵を握っているのは本願寺という事になる。本願寺を味方に付けた方が勝利を納めるという事になるだろう。
それと、白山の衆徒がどう動くかも問題だった。
幸千代には高田派の門徒が付いている。高田派の門徒が付いている限り、本願寺の敵という事になるが、幸千代は高田派門徒のために本願寺を敵にする事になるのか。
それとも、本願寺に恨みを持っている白山の衆徒を味方に引き入れるか。
いや、白山衆徒も朝倉に逆らってまで幸千代の味方はするまい。
となると、やはり、幸千代と高田派門徒対次郎と本願寺門徒の戦という事になりそうじゃ。本願寺が一つにまとまれば勝ち目は絶対だが、蓮如が見て見ぬ振りをしていると勝ち目はないかもしれん。蓮如の命令一つで、幸千代の命も、本願寺の命も決まるという事になりそうじゃ。
決め手は蓮崇の画策した幕府の奉書次第じゃなと風眼坊は思った。
吉崎に着くと、風眼坊はお雪を蓮如の妻、如勝に預けた。
「これからの事をゆっくりと考えるんじゃな」と風眼坊はお雪に言って笑った。
「はい」と頷くと、お雪もニコッと笑った。
お雪の素直な笑顔を見て、本当にいい女だと風眼坊は思った。自分の娘程も年が離れているが、風眼坊もやはり男だった。今まで一緒に暮らして来て、お雪を抱きたいと思った事は一度もなかったとは言い切れなかった。
「風眼坊殿はどこに行かれるのですか」とお雪は聞いた。
「わしか、ちょっと、知り合いに会って来る」
「この吉崎には、いらっしゃるのですね」
「ああ、当分はいる事になるじゃろう」
「もし、この地を離れる時は黙って行かないで下さいね」
「ああ、分かった」
風眼坊は孫三郎を連れて庫裏を出た。とりあえずは蓮崇に会おうと思って、蓮崇の多屋に向かおうとしたら、途中の坂道で慶聞坊とばったり出会った。
「風眼坊殿、一体、どこに行っておったんです。大変な事が起こったんですよ」
「甲斐の事じゃろう」
「ええ、それもですが、それだけじゃありません。まあ、ここじゃ何ですから、わしの所まで来て下さい」
風眼坊たちは慶聞坊の多屋の一室に案内された。
先客がいた。
安藤九郎と言う名の三十前後の武士で、慶聞坊と同じ位の年の男だった。九郎は山田光教寺の少し先にある弓波(ユナミ)勝光寺の門徒だと言う。
風眼坊は杉谷孫三郎を二人に紹介して部屋に上がった。
「風眼坊殿、大変な事が起きたのですよ」と慶聞坊は部屋と戸を閉めると、風眼坊の顔を見ながら言った。そして、風眼坊の前に座ると事の成り行きを小声で説明した。
まず、六月十日、美濃の国の守護代、斎藤妙椿の仲裁によって、朝倉と甲斐の和解が成り立った。翌十一日には、甲斐の軍勢が幸千代の蓮台寺城から越前に帰って行った。
そこまでは風眼坊も聞いて知っていた。それからが大変だった。
翌、十二日、高田派門徒が蜂起して蓮台寺城の近くの本蓮寺(ホンレンジ)を襲撃し、寺を破壊して火を付け、門徒たちを殺し回った。
本蓮寺としても、甲斐が去って行くのを見て、何かが起こりそうな予感がして、一応、警固を固めていたが、あまりにも急だったため、どうする事もできなかった。
高田派門徒は武器を持って山の上から本蓮寺になだれ込み、目の前にいる者たち、誰彼構わず撫で斬りにし、本蓮寺に押し込むと手当り次第に破壊、金目の物を奪って、最後には寺に火を掛けた。本蓮寺だけでなく多屋にも押し入り、好き放題に暴れ回って女たちを暴行し、年寄り、子供までも殺して行った。
本蓮寺には蓮如の異母弟、蓮照(レンショウ)がいたが、門徒たちに守られて無事に脱出し、近くの波佐谷(ハサダニ)の松岡寺(ショウコウジ)に逃げ込んだ。
高田派門徒らは勝った勢いに乗って、次には松岡寺に襲い掛かった。松岡寺は本蓮寺の事を聞くと、すぐに守りを固めたので、何とか襲撃はまぬがれたものの、松岡寺の門前に並ぶ家々は襲撃されて破壊された。その日の襲撃による被害者の数は正確には分からないが、少なくとも百人に及ぶ死者が出ているらしい。
もう、戦が始まったのかと風眼坊は驚き、「どうして、また、高田派門徒は急に蜂起したんじゃ」と慶聞坊に聞いた。
「それが、どうも、幸千代方が二つに分かれたらしいのです」と安藤九郎が答えた。
「どういう事じゃ」
「甲斐八郎に去られて、有力な味方を失った幸千代にとって、本願寺の存在が不気味に思えて来たのでしょう。今まで通りに、高田派と共に本願寺を敵に回しては自分らが危ないと思う連中が現れ、高田派を見捨てて、本願寺と手を組もうとする奴が出て来たらしいのです。元々、幸千代は本願寺を敵にしようとは思っていません。高田派門徒が頼って来たので、反本願寺という立場に立っておりますが、今まで、逸る高田派の動きを押えて来た事も事実です。そこで、本蓮寺の蓮照殿のもとに使いを送ったらしいのですが、その事が高田派にばれて、急に、あんな行動に出たものと思われます。事実、高田派の連中は本蓮寺を襲撃した時、幸千代の名を出しておりました」
「成程のう。高田派としても、幸千代から見放されたら勝ち目はないからのう。本願寺が一つにまとまる前に先手を打って出たわけじゃな。しかも、幸千代を巻添えにして」
「そういうわけです」
「それで、松岡寺の方はどうなったんじゃ。蓮綱(レンコウ)殿は勿論、大丈夫なんじゃろうな」
「はい、蓮綱殿は大丈夫です。しかし、もう十日も経ちますが、未だに、高田派と本願寺派の門徒の睨み合いが続いております」
「幸千代は動かんのか」
「まだ動いておりません。正式に本願寺を敵に回すのを恐れておるんでしょう。門徒同士の争いだから、富樫家には関係ないと言った有り様です。本願寺の門徒は、上人様が戦を許しませんから高田派を攻める事はできません。高田派の方も幸千代が味方になってくれないと攻めても負けるというわけで、お互いに睨み合っておるだけです。しかし、ちょっとしたきっかけがあれば、すぐにでも戦になる可能性は充分にあります」
「一乗谷にいる次郎の方はどうじゃ、動く気配はあるのか」
「その次郎ですが、とうとう、ここに来ましたよ」と慶聞坊が言った。
「なに、ここに来たのか」
「はい、十五日です。松岡寺で睨み合いが続いている最中、上人様に会いに来ました」
「それで、上人様は会ったのか」
「会いました。会いたくはなかったようでしたが、上人様は、来る者は拒まずという方針ですから仕方なく会ったようです。次郎は幸千代に横領された幕府の御領所(ゴリョウショ)や寺社や公家の荘園の事などを話し、是非、幸千代を倒すのに力を貸してくれと頼みました。また、自分が加賀に戻って、改めて守護になったあかつきには、本願寺を保護し、上人様の布教活動の応援まですると言いましたが、上人様のお考えは変わりません。門徒たちに戦をさせるわけにはいかん、ときっぱりお断りになりました」
「とうとう、あの次郎も動きだしたか‥‥‥」
「次郎は上人様と会った後、蓮崇殿に会いたかったようでしたが、蓮崇殿は松岡寺の騒ぎに行っておって、生憎、留守だったので仕方なく引き上げて行きました」
「蓮崇殿は松岡寺に行かれたのか‥‥‥もしかしたら慶覚坊の奴も今、松岡寺におるのか」
「いえ」と九郎が首を振った。「慶覚坊殿はもう山田に帰りました。もしものために敵を後ろから攻める準備をしておるはずです」
「そうか」と風眼坊は頷き、「ところで、例の物は、まだ、来ないのか」と慶聞坊に聞いた。
「例の物?‥‥‥ああ、まだです。しかし、それが届いたら上人様は辛い事でしょう。今もかなり悩んでおられます。とても側で見ておられません」
「そうじゃろうのう‥‥‥」
風眼坊は慶聞坊に孫三郎を預けると御山の方に戻って行った。
書院に顔を出し、取り次ぎの坊主に蓮如の事を聞くと、書斎に籠もったまま誰とも会おうとしないと言った。
風眼坊は構わず、蓮如の書斎の外から声を掛けた。
「風眼坊殿か。どこに行っておったのじゃ。まあ、入れ」と力のない蓮如の声が返って来た。
風眼坊は中に入った。
蓮如は何かを読んでいた。
「もう、大峯に帰ってしまったのかと思っておったわ」と言って、蓮如は笑った。
しばらく見ないうちに、随分と年を取ってしまったような気がした。
「そなたがいない間に、とんでもない事が起こってのう。わしには、どうしたらいいのか分からなくなってしもうたわ。どうしたらいいのか、親鸞聖人様も答えを教えてはくれん。わしはもう、この北陸の地から逃げ出したくなったわ」
風眼坊には何と答えたらいいのか分からなかった。ただ、黙って蓮如の話を聞いているしかできなかった。
蓮如と別れた風眼坊は本堂の裏手に出て、海を眺めていた。
とうとう、始まってしまったか‥‥‥
蓮如はどう出るか。
敵が攻めて来ても戦ってはいかん、と言うのだろうか。
蓮如には逃げる場所があるが、門徒たちにはない。門徒たちには、この土地に生活がある。生活を脅かされるような切羽(セッパ)詰まった状況になれば、蓮如が何を言おうと自分たちの力で戦うより他ないだろう。もし、そうなったとして、蓮如は自分に背いた門徒たちをどうするのだろうか。
破門か。
蓮如としても、本願寺のために戦った者たちを破門する事はできまい。そんな事をしたら、せっかく築き上げた本願寺が崩壊してしまうだろう。
逆に、本願寺のために戦え、と命じたらどうなるか。
そんな事をしたら、この北陸の地は戦乱に明け暮れる事になるのは間違いなかった。門徒たちの中に紛れこんでいる国人たちが、待っていましたと『本願寺のために』と言う名目を掲げ、領土拡大に乗り出すに違いなかった。そして、いつの日か、守護を追い出し、蓮崇や慶覚坊の言っていた『本願寺の持ちたる国』というのが出現するかもしれない。しかし、それを実現するには、多大な犠牲者を出す事になろう。そして、その犠牲者のほとんどが名もない本願寺の門徒たちに違いなかった。純粋な気持ちで蓮如に帰依(キエ)している名もなく弱い門徒たちに違いなかった。
蓮如は多分、先の事まで考えた上で悩んでいるのだろう。名もない門徒たちを戦に巻き込み、犠牲者にしたくはないのだろう。しかし、いつまでも悩んでもいられない。答えを出さなくてはならない時期が迫っていた。
ここもやられるかもしれないな、と風眼坊は本堂の方に目をやった。
お雪が働いている姿が目に入った。何だか、楽しそうだった。
あの娘を、また、悲惨な戦には巻き込みたくはないな、と思った。
一人の坊主が風眼坊の方に近づいて来て、声を掛けて来た。
「蓮崇殿に頼まれました。多屋の方に来てくれとの事です」
「なに、蓮崇殿は帰って来られたのか」
「はい。ついさっき帰って来られました。上人様に松岡寺の状況を説明して、今、多屋の方にお帰りになりました」
「そうか、分かった。すぐに行く」
日に焼けた蓮崇が井戸の所で水を浴びていた。
風眼坊の顔を見ると、「一緒に水を浴びんか、気持ちいいぞ」と笑った。
水を浴びて、さっぱりすると風眼坊と蓮崇は蔵の方に向かった。この間、慶覚坊たちが作戦会議をしていた例の蔵だった。
中には誰もいなかった。
蓮崇は明かりを点けると座り込んだ。
「山に籠もっておったそうですな」
「ええ。松岡寺の方はどんな様子です」と風眼坊は蓮崇の前に座ると聞いた。
「今のところは膠着状態が続いております。松岡寺の守りを固めて来ましたから、総攻撃を受けても三日は持ちこたえられるでしょう。三日間、持ちこたえれば、敵を完全に包囲する事ができるような手筈になっております」
「もし、敵が攻めて来たら、やるのか」
「松岡寺には蓮綱殿がおられます。見殺しにはできません」
「上人様が反対してもか」
「仕方ありません‥‥‥」
「そうか‥‥‥ところで聞きたいんじゃが、高田派の門徒というのはどれ位おるんじゃ」
「そうですね。兵力となるのはざっと一万というところでしょうか。ただし、これは加賀の国内だけです。越前にも一万はいると見ていいでしょう。ただ、越前の高田派がすべて、加賀の高田派に味方する事はないでしょう。加賀の高田派に味方するという事は、幸千代に味方をするという事になり、次郎派の朝倉に敵対する事になります。朝倉に敵対してまで、加賀の高田派を助けるとは思えません」
「成程、加賀の高田派を助けたら自分の足元が危なくなると言うわけじゃな」
「そう言う事です」
「となると、越前の高田派は数に入れなくてもいいわけじゃな」
「まあ、数に入れても一千、あるいは二千位が、ここ、吉崎に攻めて来るだろうとは思いますが‥‥‥」
「うむ。幸千代の兵力はどれ位じゃ」
「幸千代は何せ、地元ですからね。今の所は二万はおると思いますが、状況次第で、半分以上は次郎方に寝返ります」
「本願寺の方はどれ位じゃ」
「残念ながら、今のところは一万ちょっとです。越前の門徒を入れて一万五、六千と言うところでしょうか」
「なに! この前、五万と言わなかったか」
「ええ、確かに兵力となる門徒は五万はおります。しかし、上人様が命令を下さない限り、五万は動きません。今回、あちこちに行ってみて、改めて、上人様の大きさが分かりました。上人様の教えに背いてまでも戦うと言う者はほんの一万余りでした。それも、ほとんどの者が国人上がりの坊主たちです。在地の領主たちというわけです。彼らは負ければ土地を失う事になる。戦わずにはおれんのです」
「そうか、一万五、六千か‥‥‥富樫次郎の兵力を入れても二万余りか」
「まあ、そんなところです」
「二万と三万か‥‥‥不利じゃのう」
蓮崇は厳しい顔付きで頷いた。「今の状況では、はっきり言って不利と言えます。今、次郎が加賀に攻め込んで来たら、先手を打って、幸千代は高田派と組んで松岡寺を攻撃する事になるでしょう。幸千代の二万と高田派の一万で松岡寺を総攻撃されたら、完全に本願寺方の負けです。戦の流れとして、一度、敗北を帰してしまうと立て直すのは不可能と言ってもいいでしょう。勢いに乗った幸千代と高田派の連合軍は本願寺の寺院を片っ端から破壊する事でしょう。次郎は恐れをなして越前に逃げ、本願寺の門徒も越前に逃げる事になるかもしれません」
「ありえるな‥‥‥」
「問題は河北(カホク)郡なんです。河北郡の中心をなしておる二俣の本泉寺が絶対に動こうとしないのです。本泉寺の勝如尼(ショウニョニ)殿の力は未だ絶大です。有力門徒を抱える鳥越(トリゴエ)の弘願寺(グガンジ)、木越(キゴシ)の光徳寺、磯部の聖安寺(ショウアンジ)、それに石川郡なんですが、吉藤(ヨシフジ)の専光寺がまったく動こうとしません。それらの門徒だけでも二万はおるはずです」
「ほう、河北郡にそんなにも門徒がおるのか」
「ええ、本願寺の門徒はほとんどが北加賀に集中しております。北加賀は白山とも離れておりますし、政治上でも、年中、守護が入れ代わっておりましたから、教線を広げ易かったのです。五万いる門徒の内、三分の二以上、北加賀におると言ってもいい程です」
「ほう、北の方に門徒が多いのか‥‥‥」
「何とか、勝如尼殿を説得しようと試みましたが、無駄でした」
「それで、これから、どうするつもりじゃ」
「それなんです。実は風眼坊殿に上人様をここから連れ出して貰いたいのです」
「なに」
「この前のように、しばらくの間、旅に連れて行って欲しいのです。できれば、もう一度、白山の山の中にでも連れて行って欲しいのですが‥‥‥」
「ここから上人様を追い出して、何をしようとするんじゃ」
蓮崇は風眼坊の目を見つめてから視線をそらし、薄暗い蔵の中を照らしている炎を見つめながら低い声で言った。
「偽の『御文』を書いて、ばらまきます」
「高田派を倒せ、と書くのか」
蓮崇は頷いた。
「上人様にその事がばれたら、いや、ばれるに決まっておるが、とんでもない事になるぞ」
「分かっております。多分、破門されるでしょう。しかし、今、本願寺を一つにまとめなければ本願寺は負けます‥‥‥負けるのを知りながら、何もしないで見ておるわけにはいきません。」
「そのことを誰か知っておるのか」
蓮崇は首を振った。「風眼坊殿しか知りません」
「一人で罪を背負うというわけか。いや、おぬしの話を聞いたからには、わしも共犯という事じゃな」
「風眼坊殿は聞かなかった事にして下さい」
「うーむ」と唸って、風眼坊は蓮崇の顔を見た。すでに、覚悟を決めている顔付きだった。「大それた事を考えたものじゃな」
「ここまで来たら、他に方法はありません」
「しかしのう、わしには賛成できん。おぬしの作戦が失敗すれば勿論の事、成功したとしても、おぬしは破門という事になるじゃろう」
「分かっております。しかし‥‥‥」
「幕府の奉書の方はどうなっておるんじゃ」
「分かりません。多分、間に会わないでしょう」
「ここまで来たんじゃ。もう少し待ってみたらどうじゃ」
「はい。しかし、待っても五日が限度でしょう。それ以上遅くなると手遅れになります」
「分かった。五日、待つ事にしよう。五日、待って幕府の奉書が来なかったら、何とか、蓮如殿をここから連れ出す事にしよう」
「風眼坊殿、お願いします」
蓮崇は頭を下げた。蓮崇の両拳は強く握られ、震えていた。
「風眼坊殿、ただ、慶聞坊は連れて行かないで下さい」
「うむ、分かった」
薄暗い蔵の中から外に出ると、もう日が暮れかかっていた。
旅に出るまで、のんびりしていてくれ、と風眼坊は客間の一室を与えられた。
蓮崇は毎日、熱心に土木工事の指揮を執っていた。
松岡寺の近くの金平(カネヒラ)という所にある金山から連れて来た金(カネ)掘り衆を使って、吉崎御坊を完璧な城塞へと変えて行った。
蓮如は蓮崇のしている事を知ってはいても何も言わなかった。今現在も、息子、蓮綱のいる松岡寺が敵に囲まれている状況なので、やめろとは口に出して言えなかった。
風眼坊はする事もなく、門前町をぶらぶらしたり、部屋でごろごろしていた。
杉谷孫三郎は慶聞坊のもとで雑用に励んでいた。
お雪も如勝のもとで雑用に励んでいた。
風眼坊にはやる事が何もなかった。
蓮崇と約束した手前、五日間はここにいて、幕府の奉書が届くのを待たなければならなかった。蓮崇のためにも五日間のうちに奉書が届く事を願わずにはいられなかった。
風眼坊がお雪を連れて山に入ったのが先月の閏(ウルウ)五月の二十八日、山から下りて来たのが六月の二十二日だった。
その間の六月十日に朝倉と甲斐の和解があり、十二日に高田派門徒が蜂起し、本蓮寺を襲い、松岡寺にも迫った。そして、未だに松岡寺において本願寺門徒と高田派門徒の睨み合いが続いている。六月十五日、一乗谷にいる富樫次郎が蓮如の助けを借りに吉崎に来た。蓮崇からの情報によると、次郎は一乗谷において加賀に進攻する準備を着々と進めていると言う。これが、今の状況だった。
二十四日の昼過ぎ、慶覚坊が吉崎にやって来た。
慶覚坊だけではない。明日の二十五日に恒例の吉崎の講があるので、各地から門徒たちが続々と押し寄せて来た。
慶覚坊は風眼坊のいる客間に来ると、「大変な事になったわい」と暇そうに寝そべっている風眼坊に言った。
「わしはつまらん」と風眼坊はこぼした。
「まあ、そう言うな」
「本願寺に勝ち目はあるのか」風眼坊は体を起こすと聞いた。
「はっきり言って五分五分じゃな。以外に高田派の連中もしぶといわ」
「上人様次第というわけじゃな」
「そういう事じゃ。明日、講が行なわれるが、上人様が何とおっしゃるか、みんな、期待しておる」
「上人様が『戦え』と言う事をか」
「そうじゃ。今、蓮綱殿が危険な状態にある。上人様にとっても他人事では済まされんじゃろ」
「上人様は『戦え』と言うと思うか」
「いや。言うまい」
「だろうな。たとえ、蓮綱殿を殺されても、蓮如殿は教えに逆らうような事を自分の口からは言うまい」
「ああ」と慶覚坊は頷いた。「しかし、もし、蓮綱殿が殺されるような事になれば、上人様が何と言おうと本願寺門徒は立つじゃろう」
「弔(トムラ)い合戦か‥‥‥」
「そうはさせたくないがな」
風眼坊と慶覚坊は蓮崇が帰って来るのをずっと待っていたが、蓮崇はなかなか帰って来なかった。
「遅いのう」
「どうせ、暗くなるまで戻って来んじゃろう。穴を掘ったり、土塁を作ったりするのが、余程、好きらしい」
慶覚坊は笑いながら頷いた。「蓮崇殿は、なかなか城作りのつぼを心得ておる。城を作るような事になったら、蓮崇殿に頼むがいい」
「わしが城をか。わしが城を作る事など、まず、あるまい」
「分からんぞ。これからは実力がものを言う。おぬし程の男なら城の主になったとて、おかしくはない」
「何を言うか」
「わしものう、本願寺の坊主になっておらなかったら、実力を持って、この加賀の国を盗み取ってみたいと思う事があるわ」
「一国の主(アルジ)になると言うのか」
「夢じゃ‥‥‥夢じゃよ」と慶覚坊は笑った。
風眼坊は慶覚坊の顔をまじまじと見ていた。
「なあ、風眼坊、おぬしの夢は何じゃ」
「わしの夢か‥‥‥夢なんて言葉、すっかり、忘れておったわい。わしの夢か‥‥‥何じゃろうのう」
「昔、おぬしとよく夢の事ばかり話しておったのう」
「そうじゃったのう」
「あの頃、これやりたいだの、あれやりたいだの、やりたい事が色々あったが、結局、やった事っていうのは大した事ないのう」
「火乱坊」と風眼坊は慶覚坊の昔の名前を呼んだ。「わしの夢というのを聞いてくれるか」
「何じゃ、おぬしも夢を持っておるんじゃないか」
「ああ。誰でも夢は持っておるんじゃないか。たとえ、ささやかでも夢は持っておるんじゃないのか」
「うむ、そうかもしれんのう。夢でも持たん事には生きていけんのかもしれん。それで、おぬしの夢とやらは一体、何じゃ」
「笑うなよ。わしの夢というのは蓮如殿と同じじゃ」
「なに!」
「蓮如殿は本願寺の教えを以て、この世を阿弥陀の浄土にしようとしておる。戦のない、人々が平等で、平和に暮らせる世の中を作ろうとしておる。わしは蓮如殿とは違うやり方で、平和な世の中を作りたいと思っておる。それが、わしの夢じゃ」
「ほう。でっかく出たな」
「夢じゃ」と風眼坊は笑った。
「その平和な世の中というのをどこに作るんじゃ」
「分からん。分からんが、ここではない事は確かじゃ」
「なぜ、ここではないんじゃ」
「ここには俺の居場所はない」
「何を言う。おぬしが門徒になれば、いくらでも居場所はあるぞ」
「わしの性分なんじゃ。門徒にはならん」
「そうか‥‥‥まあ、いい。とにかく、今回は戦のけりが着くまでは上人様の事を頼むぞ」
「分かっておる」
「蓮崇殿は遅いのう。どうだ、酒でも飲んで待っているか」
「そうするかのう」
二人が酒を飲み始め、お雪の事を話している時、蓮崇が飛び込んで来た。
息を切らせながら部屋に上がると一息に酒を飲み干して、風眼坊と慶覚坊の二人の顔を見比べながら急に笑い出した。
「一体、どうしたんじゃ」と慶覚坊が聞いた。
「来たんじゃ。とうとう、来たんじゃよ」と蓮崇は笑いながら言った。
「来た? 敵が攻めて来たのか」と慶覚坊は怪訝な顔で、蓮崇を見ながら聞いた。
「もしかしたら、幕府の奉書が来たのか」と風眼坊は聞いた。
「そうじゃ。来たんじゃ。とうとう来たんじゃ。祝い酒じゃ。飲もう、飲もう」
幕府からの奉書には、加賀の国の守護職、富樫介(トガシノスケ)政親(次郎)を助け、加賀の国の兵乱を治めよ、と書いてあったと言う。蓮如はその奉書を受け取った後、書斎に籠もってしまった。
蓮崇は今まで、奉書を持って来た幕府からの使いの者の接待に付き合っていたという。
「よかったのう」と風眼坊は蓮崇に言った。
「ああ、よかった、よかった、助かった。これで、本願寺の勝利、間違いなしじゃ」
「蓮如殿はどうなさるじゃろう」と風眼坊は言った。
「上人様も幕府には逆らえんじゃろうのう」と慶覚坊は言った。
「奉書通りに、富樫次郎を助け、幸千代を倒せ、と命ずるのか」
「いや、そうは言わんじゃろう。多分、上人様は法敵、高田派を倒せ、と命ずるじゃろう」
「その通り」と蓮崇は手を打った。「上人様は今回の戦を宗教上での神聖なる戦いとお考えなのじゃ。そうにでも考えなければ、とても戦の命令などできないじゃろう」
「神聖なる戦か‥‥‥」と風眼坊は呟いた。
「明日から、忙しくなるぞ」
「そうじゃのう。風眼坊には上人様共々、この吉崎を守って貰う事になるじゃろう」
「その事は任せておけ」
「とにかく、間に合ってよかった」と蓮崇は喜んでいた。
「間に合って? おお、間に合ってよかったのう」と慶覚坊も喜んだ。
蓮崇は偽の御文を書く前でよかったと喜び、慶覚坊は松岡寺が攻撃される前でよかったと喜んでいた。
「とにかく、前祝いじゃ。飲もう」蓮崇は酒を飲み干した。
本当に嬉しそうだった。蓮崇は死ぬ覚悟で、偽の御文を書くつもりだったのだろう。ぎりぎりの所で首がつながったというわけだった。
慶覚坊はそんな蓮崇の覚悟は知らなかった。知らなかったが蓮崇の肩を叩きながら、よかった、よかったと喜んでいた。
慶覚坊は慶覚坊なりに、今回の戦に、やはり、死ぬ覚悟をしていたのかも知れなかった。
風眼坊はそんな二人を見ながら、しみじみと酒を飲んでいた。
風眼坊から見たら二人は幸せ者と言えた。自分の命を賭けてまでも守り抜かなければならない本願寺というものがあった。しかし、風眼坊には命を賭けられる程のものは何もなかった。
今までの自分の人生を振り返って見ても、命を賭けてまで、やって来た事は何もなかった。いつも、行きあたりばったりの人生だったような気がする。
羨ましそうに二人を見ながら風眼坊は黙々と酒を飲んでいた。
「これからの事をゆっくりと考えるんじゃな」と風眼坊はお雪に言って笑った。
「はい」と頷くと、お雪もニコッと笑った。
お雪の素直な笑顔を見て、本当にいい女だと風眼坊は思った。自分の娘程も年が離れているが、風眼坊もやはり男だった。今まで一緒に暮らして来て、お雪を抱きたいと思った事は一度もなかったとは言い切れなかった。
「風眼坊殿はどこに行かれるのですか」とお雪は聞いた。
「わしか、ちょっと、知り合いに会って来る」
「この吉崎には、いらっしゃるのですね」
「ああ、当分はいる事になるじゃろう」
「もし、この地を離れる時は黙って行かないで下さいね」
「ああ、分かった」
風眼坊は孫三郎を連れて庫裏を出た。とりあえずは蓮崇に会おうと思って、蓮崇の多屋に向かおうとしたら、途中の坂道で慶聞坊とばったり出会った。
「風眼坊殿、一体、どこに行っておったんです。大変な事が起こったんですよ」
「甲斐の事じゃろう」
「ええ、それもですが、それだけじゃありません。まあ、ここじゃ何ですから、わしの所まで来て下さい」
風眼坊たちは慶聞坊の多屋の一室に案内された。
先客がいた。
安藤九郎と言う名の三十前後の武士で、慶聞坊と同じ位の年の男だった。九郎は山田光教寺の少し先にある弓波(ユナミ)勝光寺の門徒だと言う。
風眼坊は杉谷孫三郎を二人に紹介して部屋に上がった。
「風眼坊殿、大変な事が起きたのですよ」と慶聞坊は部屋と戸を閉めると、風眼坊の顔を見ながら言った。そして、風眼坊の前に座ると事の成り行きを小声で説明した。
まず、六月十日、美濃の国の守護代、斎藤妙椿の仲裁によって、朝倉と甲斐の和解が成り立った。翌十一日には、甲斐の軍勢が幸千代の蓮台寺城から越前に帰って行った。
そこまでは風眼坊も聞いて知っていた。それからが大変だった。
翌、十二日、高田派門徒が蜂起して蓮台寺城の近くの本蓮寺(ホンレンジ)を襲撃し、寺を破壊して火を付け、門徒たちを殺し回った。
本蓮寺としても、甲斐が去って行くのを見て、何かが起こりそうな予感がして、一応、警固を固めていたが、あまりにも急だったため、どうする事もできなかった。
高田派門徒は武器を持って山の上から本蓮寺になだれ込み、目の前にいる者たち、誰彼構わず撫で斬りにし、本蓮寺に押し込むと手当り次第に破壊、金目の物を奪って、最後には寺に火を掛けた。本蓮寺だけでなく多屋にも押し入り、好き放題に暴れ回って女たちを暴行し、年寄り、子供までも殺して行った。
本蓮寺には蓮如の異母弟、蓮照(レンショウ)がいたが、門徒たちに守られて無事に脱出し、近くの波佐谷(ハサダニ)の松岡寺(ショウコウジ)に逃げ込んだ。
高田派門徒らは勝った勢いに乗って、次には松岡寺に襲い掛かった。松岡寺は本蓮寺の事を聞くと、すぐに守りを固めたので、何とか襲撃はまぬがれたものの、松岡寺の門前に並ぶ家々は襲撃されて破壊された。その日の襲撃による被害者の数は正確には分からないが、少なくとも百人に及ぶ死者が出ているらしい。
もう、戦が始まったのかと風眼坊は驚き、「どうして、また、高田派門徒は急に蜂起したんじゃ」と慶聞坊に聞いた。
「それが、どうも、幸千代方が二つに分かれたらしいのです」と安藤九郎が答えた。
「どういう事じゃ」
「甲斐八郎に去られて、有力な味方を失った幸千代にとって、本願寺の存在が不気味に思えて来たのでしょう。今まで通りに、高田派と共に本願寺を敵に回しては自分らが危ないと思う連中が現れ、高田派を見捨てて、本願寺と手を組もうとする奴が出て来たらしいのです。元々、幸千代は本願寺を敵にしようとは思っていません。高田派門徒が頼って来たので、反本願寺という立場に立っておりますが、今まで、逸る高田派の動きを押えて来た事も事実です。そこで、本蓮寺の蓮照殿のもとに使いを送ったらしいのですが、その事が高田派にばれて、急に、あんな行動に出たものと思われます。事実、高田派の連中は本蓮寺を襲撃した時、幸千代の名を出しておりました」
「成程のう。高田派としても、幸千代から見放されたら勝ち目はないからのう。本願寺が一つにまとまる前に先手を打って出たわけじゃな。しかも、幸千代を巻添えにして」
「そういうわけです」
「それで、松岡寺の方はどうなったんじゃ。蓮綱(レンコウ)殿は勿論、大丈夫なんじゃろうな」
「はい、蓮綱殿は大丈夫です。しかし、もう十日も経ちますが、未だに、高田派と本願寺派の門徒の睨み合いが続いております」
「幸千代は動かんのか」
「まだ動いておりません。正式に本願寺を敵に回すのを恐れておるんでしょう。門徒同士の争いだから、富樫家には関係ないと言った有り様です。本願寺の門徒は、上人様が戦を許しませんから高田派を攻める事はできません。高田派の方も幸千代が味方になってくれないと攻めても負けるというわけで、お互いに睨み合っておるだけです。しかし、ちょっとしたきっかけがあれば、すぐにでも戦になる可能性は充分にあります」
「一乗谷にいる次郎の方はどうじゃ、動く気配はあるのか」
「その次郎ですが、とうとう、ここに来ましたよ」と慶聞坊が言った。
「なに、ここに来たのか」
「はい、十五日です。松岡寺で睨み合いが続いている最中、上人様に会いに来ました」
「それで、上人様は会ったのか」
「会いました。会いたくはなかったようでしたが、上人様は、来る者は拒まずという方針ですから仕方なく会ったようです。次郎は幸千代に横領された幕府の御領所(ゴリョウショ)や寺社や公家の荘園の事などを話し、是非、幸千代を倒すのに力を貸してくれと頼みました。また、自分が加賀に戻って、改めて守護になったあかつきには、本願寺を保護し、上人様の布教活動の応援まですると言いましたが、上人様のお考えは変わりません。門徒たちに戦をさせるわけにはいかん、ときっぱりお断りになりました」
「とうとう、あの次郎も動きだしたか‥‥‥」
「次郎は上人様と会った後、蓮崇殿に会いたかったようでしたが、蓮崇殿は松岡寺の騒ぎに行っておって、生憎、留守だったので仕方なく引き上げて行きました」
「蓮崇殿は松岡寺に行かれたのか‥‥‥もしかしたら慶覚坊の奴も今、松岡寺におるのか」
「いえ」と九郎が首を振った。「慶覚坊殿はもう山田に帰りました。もしものために敵を後ろから攻める準備をしておるはずです」
「そうか」と風眼坊は頷き、「ところで、例の物は、まだ、来ないのか」と慶聞坊に聞いた。
「例の物?‥‥‥ああ、まだです。しかし、それが届いたら上人様は辛い事でしょう。今もかなり悩んでおられます。とても側で見ておられません」
「そうじゃろうのう‥‥‥」
風眼坊は慶聞坊に孫三郎を預けると御山の方に戻って行った。
書院に顔を出し、取り次ぎの坊主に蓮如の事を聞くと、書斎に籠もったまま誰とも会おうとしないと言った。
風眼坊は構わず、蓮如の書斎の外から声を掛けた。
「風眼坊殿か。どこに行っておったのじゃ。まあ、入れ」と力のない蓮如の声が返って来た。
風眼坊は中に入った。
蓮如は何かを読んでいた。
「もう、大峯に帰ってしまったのかと思っておったわ」と言って、蓮如は笑った。
しばらく見ないうちに、随分と年を取ってしまったような気がした。
「そなたがいない間に、とんでもない事が起こってのう。わしには、どうしたらいいのか分からなくなってしもうたわ。どうしたらいいのか、親鸞聖人様も答えを教えてはくれん。わしはもう、この北陸の地から逃げ出したくなったわ」
風眼坊には何と答えたらいいのか分からなかった。ただ、黙って蓮如の話を聞いているしかできなかった。
2
蓮如と別れた風眼坊は本堂の裏手に出て、海を眺めていた。
とうとう、始まってしまったか‥‥‥
蓮如はどう出るか。
敵が攻めて来ても戦ってはいかん、と言うのだろうか。
蓮如には逃げる場所があるが、門徒たちにはない。門徒たちには、この土地に生活がある。生活を脅かされるような切羽(セッパ)詰まった状況になれば、蓮如が何を言おうと自分たちの力で戦うより他ないだろう。もし、そうなったとして、蓮如は自分に背いた門徒たちをどうするのだろうか。
破門か。
蓮如としても、本願寺のために戦った者たちを破門する事はできまい。そんな事をしたら、せっかく築き上げた本願寺が崩壊してしまうだろう。
逆に、本願寺のために戦え、と命じたらどうなるか。
そんな事をしたら、この北陸の地は戦乱に明け暮れる事になるのは間違いなかった。門徒たちの中に紛れこんでいる国人たちが、待っていましたと『本願寺のために』と言う名目を掲げ、領土拡大に乗り出すに違いなかった。そして、いつの日か、守護を追い出し、蓮崇や慶覚坊の言っていた『本願寺の持ちたる国』というのが出現するかもしれない。しかし、それを実現するには、多大な犠牲者を出す事になろう。そして、その犠牲者のほとんどが名もない本願寺の門徒たちに違いなかった。純粋な気持ちで蓮如に帰依(キエ)している名もなく弱い門徒たちに違いなかった。
蓮如は多分、先の事まで考えた上で悩んでいるのだろう。名もない門徒たちを戦に巻き込み、犠牲者にしたくはないのだろう。しかし、いつまでも悩んでもいられない。答えを出さなくてはならない時期が迫っていた。
ここもやられるかもしれないな、と風眼坊は本堂の方に目をやった。
お雪が働いている姿が目に入った。何だか、楽しそうだった。
あの娘を、また、悲惨な戦には巻き込みたくはないな、と思った。
一人の坊主が風眼坊の方に近づいて来て、声を掛けて来た。
「蓮崇殿に頼まれました。多屋の方に来てくれとの事です」
「なに、蓮崇殿は帰って来られたのか」
「はい。ついさっき帰って来られました。上人様に松岡寺の状況を説明して、今、多屋の方にお帰りになりました」
「そうか、分かった。すぐに行く」
日に焼けた蓮崇が井戸の所で水を浴びていた。
風眼坊の顔を見ると、「一緒に水を浴びんか、気持ちいいぞ」と笑った。
水を浴びて、さっぱりすると風眼坊と蓮崇は蔵の方に向かった。この間、慶覚坊たちが作戦会議をしていた例の蔵だった。
中には誰もいなかった。
蓮崇は明かりを点けると座り込んだ。
「山に籠もっておったそうですな」
「ええ。松岡寺の方はどんな様子です」と風眼坊は蓮崇の前に座ると聞いた。
「今のところは膠着状態が続いております。松岡寺の守りを固めて来ましたから、総攻撃を受けても三日は持ちこたえられるでしょう。三日間、持ちこたえれば、敵を完全に包囲する事ができるような手筈になっております」
「もし、敵が攻めて来たら、やるのか」
「松岡寺には蓮綱殿がおられます。見殺しにはできません」
「上人様が反対してもか」
「仕方ありません‥‥‥」
「そうか‥‥‥ところで聞きたいんじゃが、高田派の門徒というのはどれ位おるんじゃ」
「そうですね。兵力となるのはざっと一万というところでしょうか。ただし、これは加賀の国内だけです。越前にも一万はいると見ていいでしょう。ただ、越前の高田派がすべて、加賀の高田派に味方する事はないでしょう。加賀の高田派に味方するという事は、幸千代に味方をするという事になり、次郎派の朝倉に敵対する事になります。朝倉に敵対してまで、加賀の高田派を助けるとは思えません」
「成程、加賀の高田派を助けたら自分の足元が危なくなると言うわけじゃな」
「そう言う事です」
「となると、越前の高田派は数に入れなくてもいいわけじゃな」
「まあ、数に入れても一千、あるいは二千位が、ここ、吉崎に攻めて来るだろうとは思いますが‥‥‥」
「うむ。幸千代の兵力はどれ位じゃ」
「幸千代は何せ、地元ですからね。今の所は二万はおると思いますが、状況次第で、半分以上は次郎方に寝返ります」
「本願寺の方はどれ位じゃ」
「残念ながら、今のところは一万ちょっとです。越前の門徒を入れて一万五、六千と言うところでしょうか」
「なに! この前、五万と言わなかったか」
「ええ、確かに兵力となる門徒は五万はおります。しかし、上人様が命令を下さない限り、五万は動きません。今回、あちこちに行ってみて、改めて、上人様の大きさが分かりました。上人様の教えに背いてまでも戦うと言う者はほんの一万余りでした。それも、ほとんどの者が国人上がりの坊主たちです。在地の領主たちというわけです。彼らは負ければ土地を失う事になる。戦わずにはおれんのです」
「そうか、一万五、六千か‥‥‥富樫次郎の兵力を入れても二万余りか」
「まあ、そんなところです」
「二万と三万か‥‥‥不利じゃのう」
蓮崇は厳しい顔付きで頷いた。「今の状況では、はっきり言って不利と言えます。今、次郎が加賀に攻め込んで来たら、先手を打って、幸千代は高田派と組んで松岡寺を攻撃する事になるでしょう。幸千代の二万と高田派の一万で松岡寺を総攻撃されたら、完全に本願寺方の負けです。戦の流れとして、一度、敗北を帰してしまうと立て直すのは不可能と言ってもいいでしょう。勢いに乗った幸千代と高田派の連合軍は本願寺の寺院を片っ端から破壊する事でしょう。次郎は恐れをなして越前に逃げ、本願寺の門徒も越前に逃げる事になるかもしれません」
「ありえるな‥‥‥」
「問題は河北(カホク)郡なんです。河北郡の中心をなしておる二俣の本泉寺が絶対に動こうとしないのです。本泉寺の勝如尼(ショウニョニ)殿の力は未だ絶大です。有力門徒を抱える鳥越(トリゴエ)の弘願寺(グガンジ)、木越(キゴシ)の光徳寺、磯部の聖安寺(ショウアンジ)、それに石川郡なんですが、吉藤(ヨシフジ)の専光寺がまったく動こうとしません。それらの門徒だけでも二万はおるはずです」
「ほう、河北郡にそんなにも門徒がおるのか」
「ええ、本願寺の門徒はほとんどが北加賀に集中しております。北加賀は白山とも離れておりますし、政治上でも、年中、守護が入れ代わっておりましたから、教線を広げ易かったのです。五万いる門徒の内、三分の二以上、北加賀におると言ってもいい程です」
「ほう、北の方に門徒が多いのか‥‥‥」
「何とか、勝如尼殿を説得しようと試みましたが、無駄でした」
「それで、これから、どうするつもりじゃ」
「それなんです。実は風眼坊殿に上人様をここから連れ出して貰いたいのです」
「なに」
「この前のように、しばらくの間、旅に連れて行って欲しいのです。できれば、もう一度、白山の山の中にでも連れて行って欲しいのですが‥‥‥」
「ここから上人様を追い出して、何をしようとするんじゃ」
蓮崇は風眼坊の目を見つめてから視線をそらし、薄暗い蔵の中を照らしている炎を見つめながら低い声で言った。
「偽の『御文』を書いて、ばらまきます」
「高田派を倒せ、と書くのか」
蓮崇は頷いた。
「上人様にその事がばれたら、いや、ばれるに決まっておるが、とんでもない事になるぞ」
「分かっております。多分、破門されるでしょう。しかし、今、本願寺を一つにまとめなければ本願寺は負けます‥‥‥負けるのを知りながら、何もしないで見ておるわけにはいきません。」
「そのことを誰か知っておるのか」
蓮崇は首を振った。「風眼坊殿しか知りません」
「一人で罪を背負うというわけか。いや、おぬしの話を聞いたからには、わしも共犯という事じゃな」
「風眼坊殿は聞かなかった事にして下さい」
「うーむ」と唸って、風眼坊は蓮崇の顔を見た。すでに、覚悟を決めている顔付きだった。「大それた事を考えたものじゃな」
「ここまで来たら、他に方法はありません」
「しかしのう、わしには賛成できん。おぬしの作戦が失敗すれば勿論の事、成功したとしても、おぬしは破門という事になるじゃろう」
「分かっております。しかし‥‥‥」
「幕府の奉書の方はどうなっておるんじゃ」
「分かりません。多分、間に会わないでしょう」
「ここまで来たんじゃ。もう少し待ってみたらどうじゃ」
「はい。しかし、待っても五日が限度でしょう。それ以上遅くなると手遅れになります」
「分かった。五日、待つ事にしよう。五日、待って幕府の奉書が来なかったら、何とか、蓮如殿をここから連れ出す事にしよう」
「風眼坊殿、お願いします」
蓮崇は頭を下げた。蓮崇の両拳は強く握られ、震えていた。
「風眼坊殿、ただ、慶聞坊は連れて行かないで下さい」
「うむ、分かった」
薄暗い蔵の中から外に出ると、もう日が暮れかかっていた。
旅に出るまで、のんびりしていてくれ、と風眼坊は客間の一室を与えられた。
3
蓮崇は毎日、熱心に土木工事の指揮を執っていた。
松岡寺の近くの金平(カネヒラ)という所にある金山から連れて来た金(カネ)掘り衆を使って、吉崎御坊を完璧な城塞へと変えて行った。
蓮如は蓮崇のしている事を知ってはいても何も言わなかった。今現在も、息子、蓮綱のいる松岡寺が敵に囲まれている状況なので、やめろとは口に出して言えなかった。
風眼坊はする事もなく、門前町をぶらぶらしたり、部屋でごろごろしていた。
杉谷孫三郎は慶聞坊のもとで雑用に励んでいた。
お雪も如勝のもとで雑用に励んでいた。
風眼坊にはやる事が何もなかった。
蓮崇と約束した手前、五日間はここにいて、幕府の奉書が届くのを待たなければならなかった。蓮崇のためにも五日間のうちに奉書が届く事を願わずにはいられなかった。
風眼坊がお雪を連れて山に入ったのが先月の閏(ウルウ)五月の二十八日、山から下りて来たのが六月の二十二日だった。
その間の六月十日に朝倉と甲斐の和解があり、十二日に高田派門徒が蜂起し、本蓮寺を襲い、松岡寺にも迫った。そして、未だに松岡寺において本願寺門徒と高田派門徒の睨み合いが続いている。六月十五日、一乗谷にいる富樫次郎が蓮如の助けを借りに吉崎に来た。蓮崇からの情報によると、次郎は一乗谷において加賀に進攻する準備を着々と進めていると言う。これが、今の状況だった。
二十四日の昼過ぎ、慶覚坊が吉崎にやって来た。
慶覚坊だけではない。明日の二十五日に恒例の吉崎の講があるので、各地から門徒たちが続々と押し寄せて来た。
慶覚坊は風眼坊のいる客間に来ると、「大変な事になったわい」と暇そうに寝そべっている風眼坊に言った。
「わしはつまらん」と風眼坊はこぼした。
「まあ、そう言うな」
「本願寺に勝ち目はあるのか」風眼坊は体を起こすと聞いた。
「はっきり言って五分五分じゃな。以外に高田派の連中もしぶといわ」
「上人様次第というわけじゃな」
「そういう事じゃ。明日、講が行なわれるが、上人様が何とおっしゃるか、みんな、期待しておる」
「上人様が『戦え』と言う事をか」
「そうじゃ。今、蓮綱殿が危険な状態にある。上人様にとっても他人事では済まされんじゃろ」
「上人様は『戦え』と言うと思うか」
「いや。言うまい」
「だろうな。たとえ、蓮綱殿を殺されても、蓮如殿は教えに逆らうような事を自分の口からは言うまい」
「ああ」と慶覚坊は頷いた。「しかし、もし、蓮綱殿が殺されるような事になれば、上人様が何と言おうと本願寺門徒は立つじゃろう」
「弔(トムラ)い合戦か‥‥‥」
「そうはさせたくないがな」
風眼坊と慶覚坊は蓮崇が帰って来るのをずっと待っていたが、蓮崇はなかなか帰って来なかった。
「遅いのう」
「どうせ、暗くなるまで戻って来んじゃろう。穴を掘ったり、土塁を作ったりするのが、余程、好きらしい」
慶覚坊は笑いながら頷いた。「蓮崇殿は、なかなか城作りのつぼを心得ておる。城を作るような事になったら、蓮崇殿に頼むがいい」
「わしが城をか。わしが城を作る事など、まず、あるまい」
「分からんぞ。これからは実力がものを言う。おぬし程の男なら城の主になったとて、おかしくはない」
「何を言うか」
「わしものう、本願寺の坊主になっておらなかったら、実力を持って、この加賀の国を盗み取ってみたいと思う事があるわ」
「一国の主(アルジ)になると言うのか」
「夢じゃ‥‥‥夢じゃよ」と慶覚坊は笑った。
風眼坊は慶覚坊の顔をまじまじと見ていた。
「なあ、風眼坊、おぬしの夢は何じゃ」
「わしの夢か‥‥‥夢なんて言葉、すっかり、忘れておったわい。わしの夢か‥‥‥何じゃろうのう」
「昔、おぬしとよく夢の事ばかり話しておったのう」
「そうじゃったのう」
「あの頃、これやりたいだの、あれやりたいだの、やりたい事が色々あったが、結局、やった事っていうのは大した事ないのう」
「火乱坊」と風眼坊は慶覚坊の昔の名前を呼んだ。「わしの夢というのを聞いてくれるか」
「何じゃ、おぬしも夢を持っておるんじゃないか」
「ああ。誰でも夢は持っておるんじゃないか。たとえ、ささやかでも夢は持っておるんじゃないのか」
「うむ、そうかもしれんのう。夢でも持たん事には生きていけんのかもしれん。それで、おぬしの夢とやらは一体、何じゃ」
「笑うなよ。わしの夢というのは蓮如殿と同じじゃ」
「なに!」
「蓮如殿は本願寺の教えを以て、この世を阿弥陀の浄土にしようとしておる。戦のない、人々が平等で、平和に暮らせる世の中を作ろうとしておる。わしは蓮如殿とは違うやり方で、平和な世の中を作りたいと思っておる。それが、わしの夢じゃ」
「ほう。でっかく出たな」
「夢じゃ」と風眼坊は笑った。
「その平和な世の中というのをどこに作るんじゃ」
「分からん。分からんが、ここではない事は確かじゃ」
「なぜ、ここではないんじゃ」
「ここには俺の居場所はない」
「何を言う。おぬしが門徒になれば、いくらでも居場所はあるぞ」
「わしの性分なんじゃ。門徒にはならん」
「そうか‥‥‥まあ、いい。とにかく、今回は戦のけりが着くまでは上人様の事を頼むぞ」
「分かっておる」
「蓮崇殿は遅いのう。どうだ、酒でも飲んで待っているか」
「そうするかのう」
二人が酒を飲み始め、お雪の事を話している時、蓮崇が飛び込んで来た。
息を切らせながら部屋に上がると一息に酒を飲み干して、風眼坊と慶覚坊の二人の顔を見比べながら急に笑い出した。
「一体、どうしたんじゃ」と慶覚坊が聞いた。
「来たんじゃ。とうとう、来たんじゃよ」と蓮崇は笑いながら言った。
「来た? 敵が攻めて来たのか」と慶覚坊は怪訝な顔で、蓮崇を見ながら聞いた。
「もしかしたら、幕府の奉書が来たのか」と風眼坊は聞いた。
「そうじゃ。来たんじゃ。とうとう来たんじゃ。祝い酒じゃ。飲もう、飲もう」
幕府からの奉書には、加賀の国の守護職、富樫介(トガシノスケ)政親(次郎)を助け、加賀の国の兵乱を治めよ、と書いてあったと言う。蓮如はその奉書を受け取った後、書斎に籠もってしまった。
蓮崇は今まで、奉書を持って来た幕府からの使いの者の接待に付き合っていたという。
「よかったのう」と風眼坊は蓮崇に言った。
「ああ、よかった、よかった、助かった。これで、本願寺の勝利、間違いなしじゃ」
「蓮如殿はどうなさるじゃろう」と風眼坊は言った。
「上人様も幕府には逆らえんじゃろうのう」と慶覚坊は言った。
「奉書通りに、富樫次郎を助け、幸千代を倒せ、と命ずるのか」
「いや、そうは言わんじゃろう。多分、上人様は法敵、高田派を倒せ、と命ずるじゃろう」
「その通り」と蓮崇は手を打った。「上人様は今回の戦を宗教上での神聖なる戦いとお考えなのじゃ。そうにでも考えなければ、とても戦の命令などできないじゃろう」
「神聖なる戦か‥‥‥」と風眼坊は呟いた。
「明日から、忙しくなるぞ」
「そうじゃのう。風眼坊には上人様共々、この吉崎を守って貰う事になるじゃろう」
「その事は任せておけ」
「とにかく、間に合ってよかった」と蓮崇は喜んでいた。
「間に合って? おお、間に合ってよかったのう」と慶覚坊も喜んだ。
蓮崇は偽の御文を書く前でよかったと喜び、慶覚坊は松岡寺が攻撃される前でよかったと喜んでいた。
「とにかく、前祝いじゃ。飲もう」蓮崇は酒を飲み干した。
本当に嬉しそうだった。蓮崇は死ぬ覚悟で、偽の御文を書くつもりだったのだろう。ぎりぎりの所で首がつながったというわけだった。
慶覚坊はそんな蓮崇の覚悟は知らなかった。知らなかったが蓮崇の肩を叩きながら、よかった、よかったと喜んでいた。
慶覚坊は慶覚坊なりに、今回の戦に、やはり、死ぬ覚悟をしていたのかも知れなかった。
風眼坊はそんな二人を見ながら、しみじみと酒を飲んでいた。
風眼坊から見たら二人は幸せ者と言えた。自分の命を賭けてまでも守り抜かなければならない本願寺というものがあった。しかし、風眼坊には命を賭けられる程のものは何もなかった。
今までの自分の人生を振り返って見ても、命を賭けてまで、やって来た事は何もなかった。いつも、行きあたりばったりの人生だったような気がする。
羨ましそうに二人を見ながら風眼坊は黙々と酒を飲んでいた。
9.笛の音2
4
六月の二十五日、毎月恒例の吉崎の講が行なわれた。
朝早くから吉崎の門前町は祭りさながらの賑やかさだった。
数多くある多屋及び宿屋は、すべて門徒で埋まっていた。
蓮崇の多屋の客間にいた風眼坊も追い出され、蓮崇の家の方に移された。家の方の広間にも門徒たちが雑魚寝(ザコネ)していた。さらに、多屋に収まり切れなかった者たちは吉崎の総門の外に溢れ、あちこちに固まっては一心に念仏を唱えていた。
風眼坊は、その門徒の数に、ただ驚くばかりだった。
その日は、朝早くから夜遅くまで吉崎の地に念仏が絶える事がなかった。
風眼坊は久し振りに髷(マゲ)を結い、蓮崇から借りた着物を着て、町人姿になって賑わう町中を歩いていた。蓮崇から、門徒たちは気が立っているので山伏の姿で出歩くのはまずいと言われ、素直に着替えたのだった。風眼坊も群衆の怖さは知っていた。いくら腕が立っても、これだけの群衆に囲まれたら逃げる事はできない。つまらない事での争い事は避けたかった。
町中を歩いていると、やはり、高田派門徒に囲まれている松岡寺の事が門徒たちの噂に上っていた。早く助けなければならないと言う意見が圧倒的に多く、今日の講の場で上人様が何と言うかが、みんなの注目となっていた。
風眼坊は御山の方に足を向けた。
本坊へと続く坂道の下にある北門は閉ざされていた。
門の前には門徒たちがずらりと並び、門が開くのを待っていた。
並んでいる者に、門はいつ開くのか、と聞くと、よく分からないが、あと一時(イットキ、二時間)か二時(四時間)位したら開くだろう、と気の長い事を言った。もっとも、蓮如を一目見るために遠くからはるばるやって来た門徒たちにとって、一時や二時位、何でもないのだろう。
風眼坊は中に入れて貰おうと、門番に慶覚坊や慶聞坊や蓮崇の名を言ってみたが、門番は門の中には入れてくれなかった。仕方ないので引き返して蓮崇の多屋に戻った。
蓮崇の多屋も門徒たちで溢れ、内方(ウチカタ)衆(門徒たちの妻や娘)は忙しそうに働いていた。
蓮崇も慶覚坊も朝早くから出掛けて行っていなかった。
風眼坊のいるべき所はどこにもなかった。
風眼坊は蓮崇の多屋には入らず、門前町の外に出た。
ようやく人込みを抜け、北潟湖のほとりに出ると草の上に腰を降ろし、湖越しに吉崎御坊を眺めた。湖上にも門徒を乗せた舟が行き交っていた。
風眼坊は吉崎を眺めながら熊野の本宮を思い出していた。熊野も祭礼の日には信者たちで溢れるが、熊野に集まる信者たちと、ここに集まる門徒たちはどこか違っていた。
風眼坊は草の上に寝そべりながら、どう違うのだろうか、と考えていた。
一方、本坊では蓮如が朝から休む暇もなく、集まった門徒たちに説教をし続けていた。説教は各多屋ごとに行なわれた。まず、北門と本坊の間の坂道に並ぶ有力坊主の多屋から始め、北門の外にある多屋へと進み、最後に、多屋に収まらなかった門徒たちへの説教となった。四半時(シハントキ、三十分)毎に門徒たちを入れ換えては蓮如は説教をしていた。それでも、日が暮れるまでに、この日、吉崎に集まって来た門徒たち全員に説教をする事はできなかった。
蓮如の説教は、いつもと変わらなかった。
敵に囲まれて、いつ、戦になるともしれない松岡寺の事には一言も触れなかった。門徒たちは期待はずれという気持ちを抱きながら、念仏を唱え、蓮如の前から引き下がって行った。
日も暮れ、ようやく門徒たちの数が減り始めた頃、今、吉崎の地にいる有力坊主たちが蓮如のもとに内密に集められた。
厳重に警戒された本坊の中の書院の広間に集まったのは、そうそうたる顔触れだった。
執事(シツジ)の下間頼善(シモツマライゼン)と下間蓮崇。
多屋衆の法敬坊(ホウキョウボウ)、円広坊、善光坊、本向坊、長光坊、定善坊(ジョウゼンボウ)、法円坊、法覚坊、道顕坊、法実坊、善知坊、そして、慶聞坊。
長光坊は越前和田の本覚寺蓮光の弟で、定善坊は越前藤島の超勝寺巧遵(ギョウジュン)の弟であり、この二人は、吉崎において、かなり強い勢力を持っていた。
近江からは堅田の法住の弟、法西が来ていた。法西は松岡寺が敵に囲まれて危ないとの噂を聞いて、心配して駈け付けて来たのだった。法西は慶覚坊の義理の叔父だった。
加賀江沼郡の有力坊主としては、熊坂の願生坊(ガンショウボウ)、黒瀬藤兵衛、庄四郎五郎、安藤九郎、坂東四郎左衛門、柴山八郎左衛門、篠原太郎兵衛、黒崎源五郎、そして、慶覚坊がいた。
熊坂願生坊は荻生(オギウ)願成寺(ガンショウジ)の門徒で、熊坂庄に道場を持つ坊主。
黒瀬藤兵衛は河崎専称寺の門徒で、黒瀬道場の坊主。
庄四郎五郎は弓波(ユナミ)勝光寺の門徒で、庄道場の坊主。
安藤九郎も勝光寺門徒で、庄四郎五郎の片腕と言われていた。
坂東四郎左衛門は九谷道場の坊主。
柴山八郎左衛門は柴山潟(シバヤマガタ)で活躍する運送業者たちの頭で、本願寺の坊主となってからは柴山潟の漁師までも配下に入れて、勢力を広げていた。
篠原太郎兵衛は塩浜道場の坊主で、塩焼き衆の頭であった。
黒崎源五郎は黒崎称名寺の門徒で、橋立道場の坊主。浜方(ハマカタ)衆と呼ばれる漁師たちの親方だった。
そして、慶覚坊は黒崎と同じように、浜方衆を多く門徒に持つ山田光教寺蓮誓の後見人だった。
江沼郡の有力坊主は、ほぼ全員が、この場に集まっていた。
能美(ノミ)郡からは、高田派門徒に攻められて破壊された波倉(ナミクラ)本蓮寺の蓮照(レンショウ)が来ていた。蓮照は腹違いの蓮如の弟である。それと、板津(小松市)に道場を持つ蛭川(ヒルカワ)新七郎が来ていた。
石川郡からは、善福寺の順慶(ジュンキョウ)と安吉(ヤスヨシ)源左衛門が来ていた。順慶は越前超勝寺巧遵の弟で、藤島定善坊の兄だった。安吉源左衛門は手取川流域にかなり広い領地を持つ国人であるが、一方、手取川の河原者たちの頭でもあり、彼の一声で手取川の運輸は完全に止まり、手取川上流にある白山本宮の息の根を止める事ができる、とまで言われる程、実力を持った男だった。本願寺が武士による支配体制とは違って、百姓だけでなく、河原者や山の民のような職人層を数多く抱えていたのは強みだった。
河北郡からは、砂子坂(スナコザカ)道場の高坂四郎左衛門が来ていた。
一同は薄暗い広間の中で、誰一人として口を開く者もなく、蓮如が現れるのをじっと待っていた。
蓮如はなかなか、出て来なかった。
重苦しい沈黙が流れていた。
突然、どこからか、笛の調べが流れて来た。
広間に集まった者たちは皆、笛の調べに耳を傾けた。誰もが、この吉崎の本坊で、笛の調べを聞くのは初めてだった。一体、誰が吹いているのか、と誰もが思った。
心を和ませる美しい調べだった。
笛の調べに聞き惚れている時、蓮如が静かに現れた。
蓮如は正面に腰を下ろし、集まって来た者たちの顔をゆっくりと見回すと、「御苦労様でした」と言って皆に合掌をした。
笛を吹いていたのはお雪だった。蓮如に頼まれて吹いていたのだった。
蓮如は幕府からの奉書を受け取った時、ようやく、覚悟を決めた。
蓮如も人の親だった。自分の息子が危険な目に会っているのを見捨てておける程、強い心を持ってはいなかった。親としては、すぐにでも蓮綱を助け出せ、と命令を出したかった。しかし、本願寺の法主として、また、宗教者として、それは絶対に口にしてはならない事だった。それを口に出せば、蓮綱を助け出す、という事だけでは収まらなくなってしまう。法主の命令として門徒全員が動きだし、敵をたたき潰すまで止まらなくなってしまうだろう。人の親としては命令を出したいが、法主としては絶対にできない事だった。
そんな悩みと戦っている時、蓮如のもとに幕府からの奉書が届いた。
蓮如は、その奉書を逃げ道に選んだ。幕府から言われれば仕方がないという事にして、自分の信念を曲げた。
親鸞聖人は寺も持たず、弟子も作らず、ただ、教えだけに生きて来た。蓮如も親鸞聖人と同じような生き方をしたかった。しかし、蓮如は本願寺の法主に成るべくして生まれた。誰一人として訪れる事のない寂れた本願寺を経験し、何とか、本願寺を栄えさせようと必死だった。叡山と戦ってまで、自分の信念を曲げず、親鸞聖人の本当の教えを広めて来た。ただ、ひたすら本願寺のために生きて来た。そして、今、本願寺は数多くの門徒を抱え、栄えている。蓮如はせっかく手にした、今の本願寺を失いたくはなかった。今の本願寺といっても寺院とか財産ではない。蓮如が失いたくなかったのは大勢の門徒たちだった。
親鸞聖人だったら、たとえ、幕府が何と言って来ようと信念を曲げなかったかもしれない。しかし、蓮如は信念を曲げた。
もし、今、ここで戦を命じなければ、松岡寺は高田派門徒に襲撃される。蓮綱及び松岡寺にいる多くの門徒を見殺しにした蓮如は門徒たちから見放されるだろう。せっかく築いた本願寺が崩壊する事になる。また、もし、今、命じれば、松岡寺は救われるが戦は拡大して大勢の門徒たちが戦の犠牲者となる。
蓮如にとって、大勢の門徒たちが戦の犠牲者になるのは非常に辛い事だが、本願寺が崩壊するのは、それ以上に辛い事だった。
蓮如は命令を下す覚悟を決めた。
覚悟は決めたが、自分の口から門徒たちに戦を命じる事など、なかなかできなかった。いよいよ、それを言わなければならない時が迫って来ても、その一言を言う決心がつかなかった。
そんな時、ふと、一昨日(オトトイ)の夜、聞いたお雪の笛を思い出して聞きたくなった。お雪の笛を聞いているうちに、なぜか、心が落ち着き、みんなの待つ広間へと行く事ができたのだった。
この日、文明六年六月二十五日、蓮如は法敵高田派打倒を宣言した。
蓮如が門徒たちに戦を命じたのは、この日が最初で最後となったが、この日から、一般に『一向一揆』と呼ばれる本願寺門徒による百年間に及ぶ闘争の日々が始まったのであった。
蓮如の口から『法敵を打倒せよ』との命令を聞いた有力坊主たちの反応は以外にも静かだった。誰もが蓮如の苦悩を知っていた。決して口に出したくない事を口に出さなくてはならない状況に追い込まれてしまった蓮如の苦悩を、誰もが痛い程、分かっていた。
蓮如が『法敵打倒』を宣言した時も、お雪の吹く笛の調べは静かに流れていた。
蓮如は再び合掌して『南無阿弥陀仏』と唱えると、静かに広間から出て行った。
蓮如を見送ると、坊主たちはお互いに顔を見合わせ、一斉に頷き、それぞれの多屋へと戻って行った。すでに、これからの作戦は充分に練られてあった。後は、ただ、その作戦通りに行動を移せばいいだけだった。
講が終わり、ほとんどの門徒たちが帰り、また、元の客室に戻った風眼坊は、蓮崇の娘が持って来てくれた煮物を肴(サカナ)に一人で酒を飲んでいた。
風眼坊の所にも、お雪の吹く笛の調べは聞こえていた。
なかなか風流な奴がいるもんだな、と風眼坊は笛の調べに聞き惚れながら酒を飲んでいた。まさか、その笛を吹いているのが、お雪だとは風眼坊も知らなかった。
笛の調べも終わり、急に静かになった。夕べの騒々しさが、まるで嘘のような静けさだった。
嵐の前の静けさか、と風眼坊は思った。
やがて、蓮崇と慶覚坊、そして、慶聞坊が帰って来た。
三人とも、やけに静かだった。部屋に上がり込むと、三人はお互いに顔を見合わせて、溜息をついた。
「まともに見ておられんかったわ」と慶覚坊が言った。
「ええ、辛そうでしたね」と慶聞坊が言った。
「声が震えておったのう」と蓮崇は言った。
「そうか‥‥‥蓮如殿も、とうとう、決断なされたか」と風眼坊は三人の顔を見ながら言った。
「風眼坊殿、上人様の事、よろしくお願いします」と慶聞坊が言った。
「いよいよ、慶聞坊殿も動き出すのか」
「はい。松岡寺の蓮綱殿のもとに行きます」
「なに、松岡寺に? 戦の中心地に乗り込むのか」
慶聞坊は頷いた。
「蓮崇殿はどこに乗り込むんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「わしは二俣の本泉寺に行きます」
「ほう。あの勝如尼殿を口説きに行かれるのですな」
蓮崇は頷いた。「河北郡の門徒に動いて貰わん事には勝ち目はありませんから、何としてでも、勝如尼殿を説得しなければなりません」
「大変なお役目ですな」
「はい。しかし、その前にやる事があります」
「その前に?」
「ええ、ちょっと、一乗谷まで行かなければならないのです」
「一乗谷? 富樫次郎か」
「そうです。上人様は高田派を倒す事しか言いませんでしたが、高田派を倒すという事は、必然的に次郎と組む事になります。手を組むに当たって、色々と取り決めなければならないのです」
「成程な、本願寺の有利になるように事を運ぶわけじゃな」
「そうです。まあ、次郎の方は何とかなるでしょう。やはり、問題は、二俣の勝如尼殿でしょうね」
「色々と、御苦労な事ですな」
「はい‥‥‥実は風眼坊殿、この吉崎御坊を守るために近江から門徒が一千人、来る事になりました。皆、古くからの上人様の門徒たちです。門徒ではない風眼坊殿が、上人様の側にいる事を快く思わない者がおるかもしれませんが、何とぞ、彼らとうまくやって下さい。上人様の身にもしもの事が起きたら、戦に勝ったとしても、どうにもなりませんから」
「分かりました。上人様の側から離れる事になったとしても、陰ながら、上人様の身の上は守ります」
「お願いします。すでに、この吉崎に、上人様の命を狙う者が入り込んでおります。充分に気を付けて下さい」
「なに、すでに、刺客(シカク)が入っておると言うのか」
「ああ、そうじゃ」と慶覚坊が答えた。「昨日ものう、門徒たちに紛れ込んで高田派の奴らが何人かおった」
「ほう。すでに、戦は始まっておるというわけじゃな」
「そういう事じゃ」
「わしの出番がようやく来たというわけじゃな。それじゃあ、さっそく、今からでも上人様の命を守るために仕事に掛かるかのう」
「いや、今晩のところは大丈夫じゃ。各地の坊主たちが交替で守る事になっておるからのう。明日から頼むぞ」
「風眼坊殿、お願いしましたよ」と蓮崇は言うと立ち上がった。
「さて、そろそろ、行くか」と慶覚坊も立った。
「今頃、どこに、行くんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「最後の打ち合わせじゃ」と慶覚坊は笑った。
「あそこでか」
「あそこでじゃ」
三人は出て行った。
風眼坊は寝そべった。
蚊がうるさく飛び回っていた。
翌日、朝早くから坊主たちは皆、戦の準備のために本拠地に帰って行った。
慶覚坊も慶聞坊も蓮崇も出掛けて行った。
風眼坊は蓮如に会いに本坊に向かっていた。
昨日の町人姿のままだった。腰に刀も差していなかった。
山伏になってからというもの山伏以外の自分など考えられなかったが、仮の姿にしろ、久し振りに町人姿になってみて、ふと、自分から山伏を取ったら何が残るのだろう、という考えが浮かんだ。大峯山に所属する山伏、風眼坊舜香ではなく、ただの風間小太郎に戻った時、一体、自分には何ができるのだろうと思った。幸い、この吉崎の地では、大峯の山伏と言っても通用しなかった。風眼坊はしばらく山伏をやめてみるのもいいかもしれないと思い、こうして町人姿のままでいるのだった。
北門をくぐって坂道を登り、本坊の山門をくぐろうとして風眼坊は門番に止められた。いつも門番は立っていたが、一々、止められる事はなかった。誰もが自由に行き来していた。ところが、今日は門番に止められ、「何の用か」と問われた。
風眼坊は、「上人様に会いたい」と言った。
すると、「どこの門徒だ」と聞いて来た。
門徒ではない、と言うと、通すわけにはいかんと手に持った棒で行く手を遮った。何を言っても無駄だった。門徒ではないと言った途端、門番は聞く耳を持たなかった。
昨日までは、『来る者は、拒まず』だった蓮如の方針も、昨夜、蓮如が、『法敵打倒宣言』を行なうと、さっそく門徒たちによって曲げられてしまった。この先、門徒たちは蓮如から、どんどん離れて独走してしまいそうな気がした。
風眼坊が諦めて、引き返そうとした時、「風眼坊とか、言ったな」と後ろから声を掛けられた。
風眼坊が振り返ると偉そうな坊主がニヤニヤしながら立っていた。
「慶覚坊の知り合いだったな。一体、おぬしは何者じゃ」
蓮崇の蔵の中にいた坊主だった。風眼坊が門徒でない事から、蔵の中に入るのを禁じた和田の長光坊という坊主だった。
「わしか、わしは」大峯の山伏じゃ、と言おうとしてやめた。「わしは慶覚坊と古くからの知り合いじゃ」
「それは聞いた。何者じゃと聞いておるんじゃ」
「何者と聞かれてものう」
「この前、会った時は山伏の格好じゃったのう。風眼坊と言う名前からして、山伏に違いあるまい。一体、どこの山伏じゃ」
「あの時は山伏の格好をしておったが、実は、わしは医者じゃ」
「なに、医者?」
「ああ、目医者じゃ。専門は風眼でな。いつの間にか風眼坊と呼ばれるようになったんじゃよ」
「目医者じゃと? 信じられん」
「何なら、そなたの目を診てやろうか」
「いらん。わしの目はどこも悪くはない」
「そうか、そいつは残念じゃ。誰か、目の具合の悪い奴はおらんか」
門番の一人が真っ赤な目をしていた。風眼坊は診てやった。軽く目を水で洗ってやり、後で薬を持って来てやると言った。長光坊も風眼坊の態度を見て、目医者だという事は信じてくれたようだった。
「上人様ものう。時折、目がかすむとおっしゃるんでな、わしが診てやっておったんじゃが、門徒でないとここに入れないと言うのでは、上人様の目は治せん事になるのう」
長光坊はうさん臭そうに風眼坊を見ていたが、武器も持っていないようだし、たった一人では何もできまいと思い、「分かった。通れ」と首で指図した。
風眼坊は門をくぐった。
うまく行った、と思った。とっさの機転で、目医者と言った事がうまく行った。自分でも、どうして目医者などと言ったのか不思議だったが、山伏を捨てても、自分には医者としての生きる道があるという事に改めて気づき、何となく気分が良かった。
長光坊は風眼坊の後に付いて来たが、蓮如の妻、如勝が、「あら、風眼坊様」と迎え入れると門の方に帰って行った。
子供たちの面倒をみていたお雪は風眼坊の姿を見ると、「一体、どうしたんです、その格好は」と目を丸くして聞いた。
「今日は山伏ではなくて、目医者として来たんじゃよ」と風眼坊は笑った。
「目医者? 風眼坊様は目医者様なのですか」
「ここにいる間はのう。山伏だと危険なんでな、目医者でおる事にしたんじゃ。どうやら、ここでの生活も慣れたようじゃのう」
「はい、何とか‥‥‥」
蓮如の末っ子の六歳になる祐心(ユウシン)という女の子が風眼坊を見上げながら、風眼坊の着物を引っ張っていた。
「可愛いいのう」と言って風眼坊はしゃがんだ。
お雪と遊んでいたのは祐心と、その上の七歳になる男の子の蓮悟(レンゴ)、そして、その上の八歳になる女の子の了如(リョウニョ)の三人だった。この他に、十一歳になる男の子の蓮淳(レンジュン)と十二歳になる女の子の妙心(ミョウシン)がこの吉崎御坊にいるが、この場にはいなかった。
風眼坊は三人の可愛いい子供たちを見ながら、「この子らが蓮如殿の子供だとは、とても信じられんのう。どう見ても孫じゃな」と笑った。
「そうですよね。あたしも、お孫さんだと思っておりました」
「可愛いいもんじゃのう」
「風眼坊様は、お子さんはおられるのですか」
「ああ、おる。そなた位のが二人な。一人は今、近江の山で修行をしておって、もう一人はもう嫁に行ったわ」
「そんな大きなお子さんがおられたのですか」
「ああ‥‥‥ところで、蓮如殿は?」
「はい。朝早くから書斎に籠もったままです」
「そうか‥‥‥」
風眼坊は書斎に行って、閉められた襖(フスマ)越しに声を掛けた。
返事はなかった。
二度、三度と声を掛けたが返事はなかった。
風眼坊は静かに襖を開けてみた。蓮如はいなかった。
風眼坊は書斎に入ると部屋の中を見回した。つい、先程まで、蓮如がここにいたという形跡はあった。厠(カワヤ)でも行ったのだろうと、しばらく待ってみたが蓮如は戻って来なかった。書院の入り口にいる取り次ぎの坊主も蓮如は書斎に籠もったままだと言った。と言う事は、この書院の中にいる事は確かなはずだ。風眼坊は別の部屋も捜してみた。
書斎の隣には客と会う対面所があり、その隣には広間があったが、蓮如はどこにもいなかった。勿論、厠にもいない。一体、どこに消えたのだろうと、風眼坊は廊下から外を眺めた。
門の所に長光坊がいるのが見えた。奴があそこにいる限り、蓮如をここからは出すまいと思った。もしかしたら、すでに、この中に敵の間者(カンジャ)が忍び込んで蓮如をさらって行ったのか、とも思ったが、この御坊は厳重に守られていた。入る事はおろか、出る事さえ、簡単にはできそうもなかった。
風眼坊は庭園の方を眺めた。門の脇から、この本坊の敷地内の北の一画が、ちょっとした庭園になっていた。その一画だけ木が生い茂り、蓮如がこの地に御坊を建てる前の面影を残していた。その庭園には小さな池があり、茶屋といえる程ではないが、ちょっとした東屋(アズマヤ)があった。その東屋の側に新しく小屋が建てられ、その小屋の所に人影が見えた。木に隠れてよく見えないが、何となく蓮如のような気がした。
風眼坊は行ってみようと、一旦、書院から出た。書院の外でお雪が待っていた。
「上人様、どうでした」とお雪は心配そうに風眼坊に聞いた。
「あ、うん‥‥‥どうじゃな、仕事には慣れたか」
「ええ、何とか‥‥‥上人様はまだ、沈み込んでいましたか」
「ああ、お雪殿、ちょっと一緒に来てくれんか」
「えっ?」
「実は、蓮如殿はここにはおらんのじゃ」と風眼坊はお雪の耳元で囁いた。
「えっ!」
「どうも、庭園の方におるらしい。門の所にうるさいのがおるからのう。お雪殿と一緒なら怪しむまい。ちょっと庭園まで一緒に来てくれ」
「上人様は庭園にいるのですか」とお雪は小声で聞いた。
「それを確かめに行くんじゃ」
二人は庭園に向かった。
門番の一人が二人に気づき、長光坊もこちらを見たが、こちらに来る様子はなかった。
「この庭園は上人様が造ったそうですよ」とお雪は言った。
「ほう、蓮如殿は庭も造るのか」
「はい。近江の大津にいた時も造ったそうです」
「ほう。蓮如殿が庭造りをのう‥‥‥」
風眼坊は蓮如らしき人影を見た小屋に向かった。
小さな小屋だった。物置に違いないと思ったが、こんな所で、一体、何をしているのだろうと、小屋の戸を開けると蓮如はいなかった。小屋の中央に大きな穴が開いていた。
「何ですか、これ」とお雪は穴の中を覗いた。
「この小屋は前から、あったのか」
「いえ、あたしが山に行く前はありませんでした。山から戻って来ると建っていました。何でも、蓮崇殿がここに建てたんだそうです」
「蓮崇殿が?」
「はい。この庭園を直すとかで、そのための道具をしまっておく物置だと言っていましたけど、何なのでしょう、この穴は」
風眼坊は穴の中に声を掛けた。
「誰じゃ」と穴の中から蓮如の声が返って来た。
「風眼坊です。何をしてるんです」
「おお、そなたか」
蓮如はしばらくして、穴の中から顔を出した。その顔は泥だらけだった。
「何をしてるんです」
「駄目じゃ。真っ暗で何も見えん」
「一体、この穴の中に何があるんです」
「二人だけじゃな、ここに来たのは」
「ええ、そうですけど」
「誰かに見られなかったか」
「門の所にいる長光坊殿に見られましたが‥‥‥」
「そいつはまずいのう」と言うと蓮如は着物の泥を払い、外に誰もいない事を確認すると、二人を小屋から出し、戸を閉めて鍵を掛けた。
三人は東屋の方に行くと回りを窺った。人がいる気配はなかった。
「蓮如殿、あの穴は何です」と風眼坊は小声で聞いた。
「抜け穴じゃ」と蓮如も小声で答えた。
「抜け穴?」
「ああ、蓮崇の奴が、もしもの時のために掘ってくれたんじゃ」
「蓮崇殿が抜け穴を‥‥‥どこに出るんです」
「それを調べに行ったんじゃが、真っ暗で先に進めんかったんじゃ」
「あの抜け穴の事を知っておるのは蓮崇殿だけですか」
「多分な。風眼坊殿、お雪殿、この事は内緒にしてくれ」
「ええ、分かっております」
頼むぞ、と言うように頷くと、蓮如は遠くを眺めた。「実はのう。わしは蓮綱の所に行こうと思っておるんじゃ」
「えっ、松岡寺にですか」
蓮如は遠くを見つめたまま頷いた。「門徒たちに戦をしろと言いながら、自分だけ、こんな所でのんびりしておるわけにはいかんわ」
「一人だけで行くつもりだったのですか」
「ああ」
「危険です。すでに蓮如殿は命を狙われておるんですよ」
「なに、わしの命が狙われておる」
「ええ、すでに、この吉崎の地に刺客が入っておるそうです」
「わしの命など取ってどうするつもりなんじゃ」
「すでに、本願寺は戦を始めました。蓮如殿は武士でいえば大将という事になります。大将の首を取る事が戦の常道です」
「わしが大将か‥‥‥」
「そうです。そして、この吉崎は大将がいる本城というわけです。やがて、ここにも敵が押し寄せる事となるでしょう」
「そうか‥‥‥ここも戦場になるのか‥‥‥」
蓮如は辛そうに溜め息をついた。
「松岡寺の事ですが、慶聞坊殿が向かいました」と風眼坊は言った。「慶聞坊殿が蓮綱殿の命は絶対に守る事でしょう」
「そうか、慶聞坊も戦に行ったのか」
「はい。そこで、慶聞坊殿の代わりに、わしが蓮如殿の命を守ってくれと、蓮崇殿から頼まれたわけです」
「風眼坊殿が、わしの命を‥‥‥」
「はい。ただ、わしは門徒でないために、坊主たちからは嫌われておるようです。もしかしたら、ここから追い出されるような事になるかもしれません。しかし、わしは陰ながら、蓮如殿をお守りいたします」
「陰ながら守る?」
「はい。山伏には陰の術という術があります」
「陰の術?」
「はい。誰にも気づかれずに、あらゆる所に忍び込んだりする術です」
「ほう、そんな術があるのか‥‥‥」
『陰の術』とは、弟子の太郎坊が名づけたものだったが、元々、一般の人々が入らない山の中を走り回っている山伏たちは神出鬼没で、存在そのものが陰の術と言えた。太郎が『陰の術』として、飯道山で教えている術のほとんどは、風眼坊程の山伏ともなれば、すでに身に付いていた。
「陰の術のう‥‥‥」と蓮如は呟いた。
お雪は風眼坊を見つめながら、改めて、不思議な人だと思った。自分でも気づかないうちに、お雪は風眼坊という男に惹かれて行った。
風眼坊は吉崎を眺めながら熊野の本宮を思い出していた。熊野も祭礼の日には信者たちで溢れるが、熊野に集まる信者たちと、ここに集まる門徒たちはどこか違っていた。
風眼坊は草の上に寝そべりながら、どう違うのだろうか、と考えていた。
一方、本坊では蓮如が朝から休む暇もなく、集まった門徒たちに説教をし続けていた。説教は各多屋ごとに行なわれた。まず、北門と本坊の間の坂道に並ぶ有力坊主の多屋から始め、北門の外にある多屋へと進み、最後に、多屋に収まらなかった門徒たちへの説教となった。四半時(シハントキ、三十分)毎に門徒たちを入れ換えては蓮如は説教をしていた。それでも、日が暮れるまでに、この日、吉崎に集まって来た門徒たち全員に説教をする事はできなかった。
蓮如の説教は、いつもと変わらなかった。
敵に囲まれて、いつ、戦になるともしれない松岡寺の事には一言も触れなかった。門徒たちは期待はずれという気持ちを抱きながら、念仏を唱え、蓮如の前から引き下がって行った。
日も暮れ、ようやく門徒たちの数が減り始めた頃、今、吉崎の地にいる有力坊主たちが蓮如のもとに内密に集められた。
厳重に警戒された本坊の中の書院の広間に集まったのは、そうそうたる顔触れだった。
執事(シツジ)の下間頼善(シモツマライゼン)と下間蓮崇。
多屋衆の法敬坊(ホウキョウボウ)、円広坊、善光坊、本向坊、長光坊、定善坊(ジョウゼンボウ)、法円坊、法覚坊、道顕坊、法実坊、善知坊、そして、慶聞坊。
長光坊は越前和田の本覚寺蓮光の弟で、定善坊は越前藤島の超勝寺巧遵(ギョウジュン)の弟であり、この二人は、吉崎において、かなり強い勢力を持っていた。
近江からは堅田の法住の弟、法西が来ていた。法西は松岡寺が敵に囲まれて危ないとの噂を聞いて、心配して駈け付けて来たのだった。法西は慶覚坊の義理の叔父だった。
加賀江沼郡の有力坊主としては、熊坂の願生坊(ガンショウボウ)、黒瀬藤兵衛、庄四郎五郎、安藤九郎、坂東四郎左衛門、柴山八郎左衛門、篠原太郎兵衛、黒崎源五郎、そして、慶覚坊がいた。
熊坂願生坊は荻生(オギウ)願成寺(ガンショウジ)の門徒で、熊坂庄に道場を持つ坊主。
黒瀬藤兵衛は河崎専称寺の門徒で、黒瀬道場の坊主。
庄四郎五郎は弓波(ユナミ)勝光寺の門徒で、庄道場の坊主。
安藤九郎も勝光寺門徒で、庄四郎五郎の片腕と言われていた。
坂東四郎左衛門は九谷道場の坊主。
柴山八郎左衛門は柴山潟(シバヤマガタ)で活躍する運送業者たちの頭で、本願寺の坊主となってからは柴山潟の漁師までも配下に入れて、勢力を広げていた。
篠原太郎兵衛は塩浜道場の坊主で、塩焼き衆の頭であった。
黒崎源五郎は黒崎称名寺の門徒で、橋立道場の坊主。浜方(ハマカタ)衆と呼ばれる漁師たちの親方だった。
そして、慶覚坊は黒崎と同じように、浜方衆を多く門徒に持つ山田光教寺蓮誓の後見人だった。
江沼郡の有力坊主は、ほぼ全員が、この場に集まっていた。
能美(ノミ)郡からは、高田派門徒に攻められて破壊された波倉(ナミクラ)本蓮寺の蓮照(レンショウ)が来ていた。蓮照は腹違いの蓮如の弟である。それと、板津(小松市)に道場を持つ蛭川(ヒルカワ)新七郎が来ていた。
石川郡からは、善福寺の順慶(ジュンキョウ)と安吉(ヤスヨシ)源左衛門が来ていた。順慶は越前超勝寺巧遵の弟で、藤島定善坊の兄だった。安吉源左衛門は手取川流域にかなり広い領地を持つ国人であるが、一方、手取川の河原者たちの頭でもあり、彼の一声で手取川の運輸は完全に止まり、手取川上流にある白山本宮の息の根を止める事ができる、とまで言われる程、実力を持った男だった。本願寺が武士による支配体制とは違って、百姓だけでなく、河原者や山の民のような職人層を数多く抱えていたのは強みだった。
河北郡からは、砂子坂(スナコザカ)道場の高坂四郎左衛門が来ていた。
一同は薄暗い広間の中で、誰一人として口を開く者もなく、蓮如が現れるのをじっと待っていた。
蓮如はなかなか、出て来なかった。
重苦しい沈黙が流れていた。
突然、どこからか、笛の調べが流れて来た。
広間に集まった者たちは皆、笛の調べに耳を傾けた。誰もが、この吉崎の本坊で、笛の調べを聞くのは初めてだった。一体、誰が吹いているのか、と誰もが思った。
心を和ませる美しい調べだった。
笛の調べに聞き惚れている時、蓮如が静かに現れた。
蓮如は正面に腰を下ろし、集まって来た者たちの顔をゆっくりと見回すと、「御苦労様でした」と言って皆に合掌をした。
笛を吹いていたのはお雪だった。蓮如に頼まれて吹いていたのだった。
蓮如は幕府からの奉書を受け取った時、ようやく、覚悟を決めた。
蓮如も人の親だった。自分の息子が危険な目に会っているのを見捨てておける程、強い心を持ってはいなかった。親としては、すぐにでも蓮綱を助け出せ、と命令を出したかった。しかし、本願寺の法主として、また、宗教者として、それは絶対に口にしてはならない事だった。それを口に出せば、蓮綱を助け出す、という事だけでは収まらなくなってしまう。法主の命令として門徒全員が動きだし、敵をたたき潰すまで止まらなくなってしまうだろう。人の親としては命令を出したいが、法主としては絶対にできない事だった。
そんな悩みと戦っている時、蓮如のもとに幕府からの奉書が届いた。
蓮如は、その奉書を逃げ道に選んだ。幕府から言われれば仕方がないという事にして、自分の信念を曲げた。
親鸞聖人は寺も持たず、弟子も作らず、ただ、教えだけに生きて来た。蓮如も親鸞聖人と同じような生き方をしたかった。しかし、蓮如は本願寺の法主に成るべくして生まれた。誰一人として訪れる事のない寂れた本願寺を経験し、何とか、本願寺を栄えさせようと必死だった。叡山と戦ってまで、自分の信念を曲げず、親鸞聖人の本当の教えを広めて来た。ただ、ひたすら本願寺のために生きて来た。そして、今、本願寺は数多くの門徒を抱え、栄えている。蓮如はせっかく手にした、今の本願寺を失いたくはなかった。今の本願寺といっても寺院とか財産ではない。蓮如が失いたくなかったのは大勢の門徒たちだった。
親鸞聖人だったら、たとえ、幕府が何と言って来ようと信念を曲げなかったかもしれない。しかし、蓮如は信念を曲げた。
もし、今、ここで戦を命じなければ、松岡寺は高田派門徒に襲撃される。蓮綱及び松岡寺にいる多くの門徒を見殺しにした蓮如は門徒たちから見放されるだろう。せっかく築いた本願寺が崩壊する事になる。また、もし、今、命じれば、松岡寺は救われるが戦は拡大して大勢の門徒たちが戦の犠牲者となる。
蓮如にとって、大勢の門徒たちが戦の犠牲者になるのは非常に辛い事だが、本願寺が崩壊するのは、それ以上に辛い事だった。
蓮如は命令を下す覚悟を決めた。
覚悟は決めたが、自分の口から門徒たちに戦を命じる事など、なかなかできなかった。いよいよ、それを言わなければならない時が迫って来ても、その一言を言う決心がつかなかった。
そんな時、ふと、一昨日(オトトイ)の夜、聞いたお雪の笛を思い出して聞きたくなった。お雪の笛を聞いているうちに、なぜか、心が落ち着き、みんなの待つ広間へと行く事ができたのだった。
この日、文明六年六月二十五日、蓮如は法敵高田派打倒を宣言した。
蓮如が門徒たちに戦を命じたのは、この日が最初で最後となったが、この日から、一般に『一向一揆』と呼ばれる本願寺門徒による百年間に及ぶ闘争の日々が始まったのであった。
蓮如の口から『法敵を打倒せよ』との命令を聞いた有力坊主たちの反応は以外にも静かだった。誰もが蓮如の苦悩を知っていた。決して口に出したくない事を口に出さなくてはならない状況に追い込まれてしまった蓮如の苦悩を、誰もが痛い程、分かっていた。
蓮如が『法敵打倒』を宣言した時も、お雪の吹く笛の調べは静かに流れていた。
蓮如は再び合掌して『南無阿弥陀仏』と唱えると、静かに広間から出て行った。
蓮如を見送ると、坊主たちはお互いに顔を見合わせ、一斉に頷き、それぞれの多屋へと戻って行った。すでに、これからの作戦は充分に練られてあった。後は、ただ、その作戦通りに行動を移せばいいだけだった。
講が終わり、ほとんどの門徒たちが帰り、また、元の客室に戻った風眼坊は、蓮崇の娘が持って来てくれた煮物を肴(サカナ)に一人で酒を飲んでいた。
風眼坊の所にも、お雪の吹く笛の調べは聞こえていた。
なかなか風流な奴がいるもんだな、と風眼坊は笛の調べに聞き惚れながら酒を飲んでいた。まさか、その笛を吹いているのが、お雪だとは風眼坊も知らなかった。
笛の調べも終わり、急に静かになった。夕べの騒々しさが、まるで嘘のような静けさだった。
嵐の前の静けさか、と風眼坊は思った。
やがて、蓮崇と慶覚坊、そして、慶聞坊が帰って来た。
三人とも、やけに静かだった。部屋に上がり込むと、三人はお互いに顔を見合わせて、溜息をついた。
「まともに見ておられんかったわ」と慶覚坊が言った。
「ええ、辛そうでしたね」と慶聞坊が言った。
「声が震えておったのう」と蓮崇は言った。
「そうか‥‥‥蓮如殿も、とうとう、決断なされたか」と風眼坊は三人の顔を見ながら言った。
「風眼坊殿、上人様の事、よろしくお願いします」と慶聞坊が言った。
「いよいよ、慶聞坊殿も動き出すのか」
「はい。松岡寺の蓮綱殿のもとに行きます」
「なに、松岡寺に? 戦の中心地に乗り込むのか」
慶聞坊は頷いた。
「蓮崇殿はどこに乗り込むんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「わしは二俣の本泉寺に行きます」
「ほう。あの勝如尼殿を口説きに行かれるのですな」
蓮崇は頷いた。「河北郡の門徒に動いて貰わん事には勝ち目はありませんから、何としてでも、勝如尼殿を説得しなければなりません」
「大変なお役目ですな」
「はい。しかし、その前にやる事があります」
「その前に?」
「ええ、ちょっと、一乗谷まで行かなければならないのです」
「一乗谷? 富樫次郎か」
「そうです。上人様は高田派を倒す事しか言いませんでしたが、高田派を倒すという事は、必然的に次郎と組む事になります。手を組むに当たって、色々と取り決めなければならないのです」
「成程な、本願寺の有利になるように事を運ぶわけじゃな」
「そうです。まあ、次郎の方は何とかなるでしょう。やはり、問題は、二俣の勝如尼殿でしょうね」
「色々と、御苦労な事ですな」
「はい‥‥‥実は風眼坊殿、この吉崎御坊を守るために近江から門徒が一千人、来る事になりました。皆、古くからの上人様の門徒たちです。門徒ではない風眼坊殿が、上人様の側にいる事を快く思わない者がおるかもしれませんが、何とぞ、彼らとうまくやって下さい。上人様の身にもしもの事が起きたら、戦に勝ったとしても、どうにもなりませんから」
「分かりました。上人様の側から離れる事になったとしても、陰ながら、上人様の身の上は守ります」
「お願いします。すでに、この吉崎に、上人様の命を狙う者が入り込んでおります。充分に気を付けて下さい」
「なに、すでに、刺客(シカク)が入っておると言うのか」
「ああ、そうじゃ」と慶覚坊が答えた。「昨日ものう、門徒たちに紛れ込んで高田派の奴らが何人かおった」
「ほう。すでに、戦は始まっておるというわけじゃな」
「そういう事じゃ」
「わしの出番がようやく来たというわけじゃな。それじゃあ、さっそく、今からでも上人様の命を守るために仕事に掛かるかのう」
「いや、今晩のところは大丈夫じゃ。各地の坊主たちが交替で守る事になっておるからのう。明日から頼むぞ」
「風眼坊殿、お願いしましたよ」と蓮崇は言うと立ち上がった。
「さて、そろそろ、行くか」と慶覚坊も立った。
「今頃、どこに、行くんじゃ」と風眼坊は聞いた。
「最後の打ち合わせじゃ」と慶覚坊は笑った。
「あそこでか」
「あそこでじゃ」
三人は出て行った。
風眼坊は寝そべった。
蚊がうるさく飛び回っていた。
5
翌日、朝早くから坊主たちは皆、戦の準備のために本拠地に帰って行った。
慶覚坊も慶聞坊も蓮崇も出掛けて行った。
風眼坊は蓮如に会いに本坊に向かっていた。
昨日の町人姿のままだった。腰に刀も差していなかった。
山伏になってからというもの山伏以外の自分など考えられなかったが、仮の姿にしろ、久し振りに町人姿になってみて、ふと、自分から山伏を取ったら何が残るのだろう、という考えが浮かんだ。大峯山に所属する山伏、風眼坊舜香ではなく、ただの風間小太郎に戻った時、一体、自分には何ができるのだろうと思った。幸い、この吉崎の地では、大峯の山伏と言っても通用しなかった。風眼坊はしばらく山伏をやめてみるのもいいかもしれないと思い、こうして町人姿のままでいるのだった。
北門をくぐって坂道を登り、本坊の山門をくぐろうとして風眼坊は門番に止められた。いつも門番は立っていたが、一々、止められる事はなかった。誰もが自由に行き来していた。ところが、今日は門番に止められ、「何の用か」と問われた。
風眼坊は、「上人様に会いたい」と言った。
すると、「どこの門徒だ」と聞いて来た。
門徒ではない、と言うと、通すわけにはいかんと手に持った棒で行く手を遮った。何を言っても無駄だった。門徒ではないと言った途端、門番は聞く耳を持たなかった。
昨日までは、『来る者は、拒まず』だった蓮如の方針も、昨夜、蓮如が、『法敵打倒宣言』を行なうと、さっそく門徒たちによって曲げられてしまった。この先、門徒たちは蓮如から、どんどん離れて独走してしまいそうな気がした。
風眼坊が諦めて、引き返そうとした時、「風眼坊とか、言ったな」と後ろから声を掛けられた。
風眼坊が振り返ると偉そうな坊主がニヤニヤしながら立っていた。
「慶覚坊の知り合いだったな。一体、おぬしは何者じゃ」
蓮崇の蔵の中にいた坊主だった。風眼坊が門徒でない事から、蔵の中に入るのを禁じた和田の長光坊という坊主だった。
「わしか、わしは」大峯の山伏じゃ、と言おうとしてやめた。「わしは慶覚坊と古くからの知り合いじゃ」
「それは聞いた。何者じゃと聞いておるんじゃ」
「何者と聞かれてものう」
「この前、会った時は山伏の格好じゃったのう。風眼坊と言う名前からして、山伏に違いあるまい。一体、どこの山伏じゃ」
「あの時は山伏の格好をしておったが、実は、わしは医者じゃ」
「なに、医者?」
「ああ、目医者じゃ。専門は風眼でな。いつの間にか風眼坊と呼ばれるようになったんじゃよ」
「目医者じゃと? 信じられん」
「何なら、そなたの目を診てやろうか」
「いらん。わしの目はどこも悪くはない」
「そうか、そいつは残念じゃ。誰か、目の具合の悪い奴はおらんか」
門番の一人が真っ赤な目をしていた。風眼坊は診てやった。軽く目を水で洗ってやり、後で薬を持って来てやると言った。長光坊も風眼坊の態度を見て、目医者だという事は信じてくれたようだった。
「上人様ものう。時折、目がかすむとおっしゃるんでな、わしが診てやっておったんじゃが、門徒でないとここに入れないと言うのでは、上人様の目は治せん事になるのう」
長光坊はうさん臭そうに風眼坊を見ていたが、武器も持っていないようだし、たった一人では何もできまいと思い、「分かった。通れ」と首で指図した。
風眼坊は門をくぐった。
うまく行った、と思った。とっさの機転で、目医者と言った事がうまく行った。自分でも、どうして目医者などと言ったのか不思議だったが、山伏を捨てても、自分には医者としての生きる道があるという事に改めて気づき、何となく気分が良かった。
長光坊は風眼坊の後に付いて来たが、蓮如の妻、如勝が、「あら、風眼坊様」と迎え入れると門の方に帰って行った。
子供たちの面倒をみていたお雪は風眼坊の姿を見ると、「一体、どうしたんです、その格好は」と目を丸くして聞いた。
「今日は山伏ではなくて、目医者として来たんじゃよ」と風眼坊は笑った。
「目医者? 風眼坊様は目医者様なのですか」
「ここにいる間はのう。山伏だと危険なんでな、目医者でおる事にしたんじゃ。どうやら、ここでの生活も慣れたようじゃのう」
「はい、何とか‥‥‥」
蓮如の末っ子の六歳になる祐心(ユウシン)という女の子が風眼坊を見上げながら、風眼坊の着物を引っ張っていた。
「可愛いいのう」と言って風眼坊はしゃがんだ。
お雪と遊んでいたのは祐心と、その上の七歳になる男の子の蓮悟(レンゴ)、そして、その上の八歳になる女の子の了如(リョウニョ)の三人だった。この他に、十一歳になる男の子の蓮淳(レンジュン)と十二歳になる女の子の妙心(ミョウシン)がこの吉崎御坊にいるが、この場にはいなかった。
風眼坊は三人の可愛いい子供たちを見ながら、「この子らが蓮如殿の子供だとは、とても信じられんのう。どう見ても孫じゃな」と笑った。
「そうですよね。あたしも、お孫さんだと思っておりました」
「可愛いいもんじゃのう」
「風眼坊様は、お子さんはおられるのですか」
「ああ、おる。そなた位のが二人な。一人は今、近江の山で修行をしておって、もう一人はもう嫁に行ったわ」
「そんな大きなお子さんがおられたのですか」
「ああ‥‥‥ところで、蓮如殿は?」
「はい。朝早くから書斎に籠もったままです」
「そうか‥‥‥」
風眼坊は書斎に行って、閉められた襖(フスマ)越しに声を掛けた。
返事はなかった。
二度、三度と声を掛けたが返事はなかった。
風眼坊は静かに襖を開けてみた。蓮如はいなかった。
風眼坊は書斎に入ると部屋の中を見回した。つい、先程まで、蓮如がここにいたという形跡はあった。厠(カワヤ)でも行ったのだろうと、しばらく待ってみたが蓮如は戻って来なかった。書院の入り口にいる取り次ぎの坊主も蓮如は書斎に籠もったままだと言った。と言う事は、この書院の中にいる事は確かなはずだ。風眼坊は別の部屋も捜してみた。
書斎の隣には客と会う対面所があり、その隣には広間があったが、蓮如はどこにもいなかった。勿論、厠にもいない。一体、どこに消えたのだろうと、風眼坊は廊下から外を眺めた。
門の所に長光坊がいるのが見えた。奴があそこにいる限り、蓮如をここからは出すまいと思った。もしかしたら、すでに、この中に敵の間者(カンジャ)が忍び込んで蓮如をさらって行ったのか、とも思ったが、この御坊は厳重に守られていた。入る事はおろか、出る事さえ、簡単にはできそうもなかった。
風眼坊は庭園の方を眺めた。門の脇から、この本坊の敷地内の北の一画が、ちょっとした庭園になっていた。その一画だけ木が生い茂り、蓮如がこの地に御坊を建てる前の面影を残していた。その庭園には小さな池があり、茶屋といえる程ではないが、ちょっとした東屋(アズマヤ)があった。その東屋の側に新しく小屋が建てられ、その小屋の所に人影が見えた。木に隠れてよく見えないが、何となく蓮如のような気がした。
風眼坊は行ってみようと、一旦、書院から出た。書院の外でお雪が待っていた。
「上人様、どうでした」とお雪は心配そうに風眼坊に聞いた。
「あ、うん‥‥‥どうじゃな、仕事には慣れたか」
「ええ、何とか‥‥‥上人様はまだ、沈み込んでいましたか」
「ああ、お雪殿、ちょっと一緒に来てくれんか」
「えっ?」
「実は、蓮如殿はここにはおらんのじゃ」と風眼坊はお雪の耳元で囁いた。
「えっ!」
「どうも、庭園の方におるらしい。門の所にうるさいのがおるからのう。お雪殿と一緒なら怪しむまい。ちょっと庭園まで一緒に来てくれ」
「上人様は庭園にいるのですか」とお雪は小声で聞いた。
「それを確かめに行くんじゃ」
二人は庭園に向かった。
門番の一人が二人に気づき、長光坊もこちらを見たが、こちらに来る様子はなかった。
「この庭園は上人様が造ったそうですよ」とお雪は言った。
「ほう、蓮如殿は庭も造るのか」
「はい。近江の大津にいた時も造ったそうです」
「ほう。蓮如殿が庭造りをのう‥‥‥」
風眼坊は蓮如らしき人影を見た小屋に向かった。
小さな小屋だった。物置に違いないと思ったが、こんな所で、一体、何をしているのだろうと、小屋の戸を開けると蓮如はいなかった。小屋の中央に大きな穴が開いていた。
「何ですか、これ」とお雪は穴の中を覗いた。
「この小屋は前から、あったのか」
「いえ、あたしが山に行く前はありませんでした。山から戻って来ると建っていました。何でも、蓮崇殿がここに建てたんだそうです」
「蓮崇殿が?」
「はい。この庭園を直すとかで、そのための道具をしまっておく物置だと言っていましたけど、何なのでしょう、この穴は」
風眼坊は穴の中に声を掛けた。
「誰じゃ」と穴の中から蓮如の声が返って来た。
「風眼坊です。何をしてるんです」
「おお、そなたか」
蓮如はしばらくして、穴の中から顔を出した。その顔は泥だらけだった。
「何をしてるんです」
「駄目じゃ。真っ暗で何も見えん」
「一体、この穴の中に何があるんです」
「二人だけじゃな、ここに来たのは」
「ええ、そうですけど」
「誰かに見られなかったか」
「門の所にいる長光坊殿に見られましたが‥‥‥」
「そいつはまずいのう」と言うと蓮如は着物の泥を払い、外に誰もいない事を確認すると、二人を小屋から出し、戸を閉めて鍵を掛けた。
三人は東屋の方に行くと回りを窺った。人がいる気配はなかった。
「蓮如殿、あの穴は何です」と風眼坊は小声で聞いた。
「抜け穴じゃ」と蓮如も小声で答えた。
「抜け穴?」
「ああ、蓮崇の奴が、もしもの時のために掘ってくれたんじゃ」
「蓮崇殿が抜け穴を‥‥‥どこに出るんです」
「それを調べに行ったんじゃが、真っ暗で先に進めんかったんじゃ」
「あの抜け穴の事を知っておるのは蓮崇殿だけですか」
「多分な。風眼坊殿、お雪殿、この事は内緒にしてくれ」
「ええ、分かっております」
頼むぞ、と言うように頷くと、蓮如は遠くを眺めた。「実はのう。わしは蓮綱の所に行こうと思っておるんじゃ」
「えっ、松岡寺にですか」
蓮如は遠くを見つめたまま頷いた。「門徒たちに戦をしろと言いながら、自分だけ、こんな所でのんびりしておるわけにはいかんわ」
「一人だけで行くつもりだったのですか」
「ああ」
「危険です。すでに蓮如殿は命を狙われておるんですよ」
「なに、わしの命が狙われておる」
「ええ、すでに、この吉崎の地に刺客が入っておるそうです」
「わしの命など取ってどうするつもりなんじゃ」
「すでに、本願寺は戦を始めました。蓮如殿は武士でいえば大将という事になります。大将の首を取る事が戦の常道です」
「わしが大将か‥‥‥」
「そうです。そして、この吉崎は大将がいる本城というわけです。やがて、ここにも敵が押し寄せる事となるでしょう」
「そうか‥‥‥ここも戦場になるのか‥‥‥」
蓮如は辛そうに溜め息をついた。
「松岡寺の事ですが、慶聞坊殿が向かいました」と風眼坊は言った。「慶聞坊殿が蓮綱殿の命は絶対に守る事でしょう」
「そうか、慶聞坊も戦に行ったのか」
「はい。そこで、慶聞坊殿の代わりに、わしが蓮如殿の命を守ってくれと、蓮崇殿から頼まれたわけです」
「風眼坊殿が、わしの命を‥‥‥」
「はい。ただ、わしは門徒でないために、坊主たちからは嫌われておるようです。もしかしたら、ここから追い出されるような事になるかもしれません。しかし、わしは陰ながら、蓮如殿をお守りいたします」
「陰ながら守る?」
「はい。山伏には陰の術という術があります」
「陰の術?」
「はい。誰にも気づかれずに、あらゆる所に忍び込んだりする術です」
「ほう、そんな術があるのか‥‥‥」
『陰の術』とは、弟子の太郎坊が名づけたものだったが、元々、一般の人々が入らない山の中を走り回っている山伏たちは神出鬼没で、存在そのものが陰の術と言えた。太郎が『陰の術』として、飯道山で教えている術のほとんどは、風眼坊程の山伏ともなれば、すでに身に付いていた。
「陰の術のう‥‥‥」と蓮如は呟いた。
お雪は風眼坊を見つめながら、改めて、不思議な人だと思った。自分でも気づかないうちに、お雪は風眼坊という男に惹かれて行った。
10.松岡寺1
1
吉崎御坊の城塞化は日を追って進んで行った。
各地から武装した門徒たちが吉崎を守るために集まり、要所要所に陣を張って、濠を掘り、土塁を築き上げ、逆茂木(サカモギ)を組み、夜ともなれば篝火(カガリビ)が焚かれて、蟻の入り込む隙もない程の警戒振りだった。
それでも、蓮如を殺そうとする刺客(シカク)は蓮如のすぐ側までやって来た。
風眼坊は目医者に成り済まし、蓮崇の多屋から本坊の庫裏(クリ)に移って、蓮如の側近くに仕えていた。
蝉(セミ)がうるさく鳴いている暑い昼下りだった。
二俣の本泉寺から来たという尼僧が蓮如に会いたいとやって来た。
その尼僧は本泉寺の勝如尼からの書状を手にしていた。その書状には、蓮崇が本泉寺に来て、戦をしろと門徒たちを煽っているので、やめさせるように言ってくれ、という内容の事が長々と女文字で書かれてあった。その文字は確かに勝如尼の字にそっくりだった。蓮如はすっかり信じてしまった。そして、勝如尼に何と返事を書いたらいいのか悩んだ。
風眼坊は、その尼僧と蓮如が会う場に控えていた。風眼坊は、その尼僧が気に入らなかった。どことなく落ち着きのない目付きをしていた。年の頃は三十前後、女のわりには背が高く、痩せていて、よく日に焼けていた。
蓮如は尼僧に、今日はもう暗くなるから、泊まって行けと言った。
風眼坊はお雪に、それとなく、その尼僧を見張ってくれと頼んだ。お雪は喜んで引き受けてくれた。風眼坊の勘が外れたのか、その夜は何事も起こらなかった。
夜が明け、いつものように蓮如が水を浴びている時だった。すでに起きていたのか、尼僧が庭の方から現れた。しかし、庫裏(クリ)の中から蓮如を見守っていた風眼坊には尼僧の姿は見えなかった。
その時、「危ない!」と言うお雪の声がした。
風眼坊は飛び出し、蓮如の体を庇うのと同時に、尼僧に向かって手裏剣を投げた。尼僧は吹矢で蓮如を狙っていた。その尼僧の後ろにお雪がいた。
風眼坊の投げた手裏剣は尼僧の左肩に刺さり、尼僧の吹いた矢は井戸の側に積んであった薪(タキギ)に刺さった。風眼坊は素早く移動すると尼僧を捕えた。
吹矢の矢の先には、思った通り猛毒が塗ってあった。
尼僧は何も喋らなかった。喋らなくても、差し向けた相手は高田派に違いなかった。
風眼坊は尼僧を長光坊に引き渡した。
お雪のお手柄だった。
お雪は一晩中起きていて、尼僧を見張っていたと言う。
風眼坊が、よく吹矢なんていう武器を知っていたなと聞くと、照れ臭そうに、実は、わたしも、あれで富樫次郎の命を狙っていたと言った。その言い方は遠い昔の思い出話をしているかのようだった。
その捕物騒ぎがあった日の夕方、甲冑に身を固めた若武者が風眼坊を訪ねて来た。
若武者の名は洲崎(スノザキ)十郎左衛門久吉、慶覚坊の息子だった。十郎左衛門はまだ十七歳の若者で、まるで、若き日の慶覚坊を見ているかのようだった。
十郎左衛門は風眼坊を助けて、上人様を守るようにと親父に命じられて吉崎に戻って来たのだった。十郎としては父と一緒に戦に出たかったのだが、今回の戦は多分、長引く事になろう。焦るな、お前の出番というのが必ず来るはずじゃ。今回は上人様の命を守る事が、お前の成すべき事だと思って励め、と言われたと言う。
十郎は生まれた時からの本願寺門徒だった。念仏を子守唄代わりに育てられたと言ってもいい程、本願寺の教えにどっぷりと浸かっていた。また、物心付いた頃から本願寺と叡山の争い事を経験して、強くならなければならないと武術の修行に励んでいた。
十四歳の時、家族と共に山田光教寺の多屋に移り、十五歳より今まで慶聞坊の多屋に住み込んで吉崎の警固隊の一人として働いていた。蓮如が戦の宣言をした後、父と共に一度、山田に帰ったが、また戻って来たのだった。
風眼坊にとっては十郎が来てくれたのは有り難い事だった。蓮崇から頼まれて、蓮如を守る事を引き受けたが、今朝のような事が起こっては、とても一人では難しいと思っていたところだった。朝から晩まで、そして、一晩中、蓮如を見張っているのは、とても一人では無理だった。ゆっくり休む事もできない。二、三日なら何とかなるだろうが、五日も寝ずにいたら風眼坊の方が参ってしまうだろう。
「腕の方は自信があるか」と風眼坊は十郎に聞いた。
「一応」と十郎は自信ありそうに頷いた。
「得意なのは、薙刀か」
「いえ、弓です。そして、剣です」
「ほう、弓か‥‥‥そして、剣か」
「風眼坊殿、風眼坊殿は剣の達人だと父より聞いております。いつか、お手合わせをお願いします」
「ああ、そのうちな」
蓮如は十郎の事を知っていた。それでも、吉崎に来てからは会うのは初めてだと言う。
蓮如は十郎の甲冑姿を見て、少し淋しそうな表情を見せたが、それでも、随分、立派になられたもんじゃと言って笑った。
蓮如の膝元に二年もいて、今まで会わなかったというのは、風眼坊にとって不思議に思えたが、わざわざ、伜が吉崎の警固隊にいるというのを、蓮如に言わなかった慶覚坊の気持ちは風眼坊にもよく分かった。
十郎が来てから風眼坊は十郎と交替で蓮如を見守った。十郎は生意気な所もあるが、なかなか頼もしい奴だった。
あの時の尼僧騒ぎから、これと言った事件もなく時は流れて行った。
六月二十五日、蓮如が法敵打倒を宣言して、翌日、坊主たちは各地に散って行った。
二十八日、越前一乗谷に潜んでいた富樫次郎がようやく腰を上げて、加賀の国に進攻して来た。その兵、五千人とも一万人とも言われていた。
次郎は越前超勝寺の門徒と共に加賀に入ると、途中にある幸千代方の支城を攻め落としながら松岡寺へと向かって行った。その行動は一乗谷において朝倉弾正左衛門尉に骨抜きにされていた次郎の軍とは思えない程、迅速で確実だった。次郎方の重臣たちも、ただ無為に日々を送っていたわけではなく、裏に回って色々と画策していたに違いなかった。
やはり、朝倉弾正左衛門尉は動かなかった。甲斐八郎も動かない。しかし、朝倉は加賀に兵は送らなかったものの、白山衆徒に次郎に味方するように呼びかけ、平泉寺の僧兵を密かに加賀に送り込んでいた。
二十九日、次郎方が動き出した事を知ると、幸千代方もようやく決心を固め、高田派門徒と共に先手を取って松岡寺に総攻撃を掛けた。幸千代方を味方にした高田派門徒は勢い付き、攻めに攻め、松岡寺は危うく落とされるかに見えたが、江沼郡の本願寺門徒と次郎の連合軍が、幸千代、高田派門徒の後方から攻めかかり、何とか持ちこたえていた松岡寺も盛り返した。
三十日には本願寺方から総攻撃を仕掛け、一進一退だったが、日の暮れる頃には本願寺方は押しまくり、高田派、幸千代連合軍は蓮台寺城まで引き上げて行った。
この段階では両軍の兵力はほぼ互角と言えた。しかし、立場が逆になっていた。今までは、高田派門徒が本願寺門徒の籠もる松岡寺を包囲していたが、今度は、本願寺門徒が高田派門徒の籠もる蓮台寺城を包囲する形となっていた。
この戦に慶覚坊は参加していなかった。
慶覚坊は精鋭な騎馬武者を引き連れて、高田派の寺院を片っ端から攻め、破壊して行った。慶覚坊だけではなかった。石川郡では手取川の国人門徒、安吉源左衛門が、能美(ノミ)郡では板津(小松市)の国人門徒、蛭川(ヒルカワ)新七郎が、河北郡では砂子坂の国人門徒、高坂四郎左衛門が、それぞれ、精鋭を引き連れて高田派の寺院を攻め落としていた。
七月になると、それぞれ石川郡からの援軍が到着し、両軍は対峙したまま、各地で小競り合いはあったが、大規模な戦にはならなかった。
七月四日、赤野井の慶乗坊(キョウジョウボウ)率いる近江門徒一千人が武装して吉崎に到着した。入れ代わるように、吉崎を守っていた越前門徒が松岡寺へと向かって行った。
蓮如はほとんど毎日、書斎に籠もって、親鸞聖人の残した書を読んだり、御文を書いたりしていた。この頃、書いた御文にも戦の事には一切触れず、ただ、信仰上の事を何度もかみ砕いて教えるように書いていた。そして、時折、お雪の吹く笛を聞く事が、ただ一つの慰みとなっていたようだった。
墓場の中だった。
墓場の隅に苔むした古井戸があり、その井戸から、突然、生首が現れた。
夜中に、誰かがこの光景を目にしたら悲鳴を上げただろうが、今は真っ昼間、そして、人影はなかった。出て来た生首は辺りを見回すと井戸の外に飛び出した。勿論、その生首には体も足も付いていた。風眼坊であった。
風眼坊は吉崎御坊の庭園にある抜け穴を通って、ここに出て来たのだった。ここを通るのは初めてではない。山門を通って、一々、本願寺のうるさい坊主連中に何だかんだ言われるのは煩わしいので、町に出る時にはいつも、この抜け穴を利用していた。
この抜け穴は庭園のすぐ下にある浄得寺(ジョウトクジ)の裏の墓場の古井戸へと続いていた。よく、こんな穴を掘ったものだと通るたびに感心していた。この墓場から庭園までは険しい崖で、とても人が登る事のできないものだった。そこを、この抜け穴を使うと簡単に登り降りができた。しかも、この墓場から浄得寺の裏を通り抜けて行くと、大聖寺川に面した船着き場へと出る事ができ、もしもの事があった場合、そこから、すぐに逃げ出す事ができた。
風眼坊が蓮如と共に吉崎御坊に閉じ込められて半月が過ぎていた。いい加減、飽きて来たところ、蓮如がとうとう、ここを抜け出そうと言い出した。門徒たちが命を賭けて、本願寺のために戦っているというのに、こんな所で、のうのうとしてはいられない。わしは松岡寺に行くぞ、と言い出した。風眼坊は、待っていましたと、この抜け穴からの脱出の準備を始めた。
蓮如をここから出すには、まず、変装させなければならない。薄汚れた、継ぎだらけの古着を調達して、それから、安全な逃げ道を見つけなければならなかった。
町の中を抜けて行くのは難しかった。近江から来た門徒たちがあちこちに陣を張って、通る者たちを調べていた。町の外に出るまでに、少なくとも、三ケ所の陣を抜けなければならない。近江の門徒たちは蓮如の顔を知っている者も多いだろう。いくら、変装したからと言っても見破られる可能性は高かった。
残るは船着き場から舟で大聖寺川を渡り、川向こうを通って松岡寺まで向かう方法だった。勿論、船着き場にも近江門徒の陣はあった。
この船着き場は加賀の国からの物資が入って来る重要な場所で、蔵が幾つも並び、この地を敵に占拠された場合、吉崎は干乾しになると言えた。当然、ここの警固は厳重だった。
ここを守っていたのは山賀の道乗坊という大坊主率いる二百人の兵士だった。蓮如に書状を書いて貰えば、目医者として、下男に化けた蓮如を連れて、向こうに渡る事はできるだろうと思った。山田光教寺の蓮誓が目を患ったという事にすれば怪しみはしないだろう。
作戦が決まると風眼坊は墓場に戻って、古井戸の中に消えた。古井戸とはいえ、井戸としての機能は持っていた。水面より三尺程上に横穴が空いていて、その穴が、上の庭園まで続いている。誰も、この古井戸の中に横穴があるとは思うまい。誰が考えたのか、通るたびに大したものだと感心していた。
蓮如は風眼坊が持って来た古着を着て、浮き浮きしていた。
「わしはのう。若い頃、河原者や人足たちの中に入って行って、教えを広めた事があった。わしは奴らの中に入って、しばらく一緒に暮らしたが、どうしても、奴らに溶け込む事ができなかった。法衣(ホウエ)を脱ぎ捨て、奴らと同じ物を着て、同じ物の考え方をしなければ、本当に奴らを理解する事はできない、と分かっておりながら、わしにはできなかった。あの頃は、外見とか形に囚われておったのじゃろう。ようやく、この年になって、その執着から離れる事ができたわ。どうじゃ、奴らのように見えるか」
「ふーむ、その頭が、ちょっとのう」と風眼坊は首を傾げた。
「これか、こんな事なら、昨日、剃らなければ良かったのう」
風眼坊は笑いながら、「手拭いでも被れば、何とかなるじゃろう」と言った。
「そうじゃな」と蓮如は頷き、「それで、いつ、出掛ける」と聞いた。
「今から行きますか」
「なに、今からか‥‥‥まあ、それもいいが、如勝には一言、言って行かんとのう」
「ええ。しかし、大丈夫ですか。蓮如殿がここから消えても」
「その事じゃが、何とかごまかす法はないものかのう」
「難しいですな。病気にでもなって寝込んでもらうしかないんじゃないですか」
「うむ、病気か‥‥‥」
「しかし、ばれるじゃろうな」と風眼坊は首を振った。
「ばれたら、ばれたじゃ。誰かに、わしの代わりに寝込んでもらうしかあるまい」
蓮如がもとの法衣に着替えた時だった。松岡寺の慶聞坊からの伝令が到着した、と取り次ぎの坊主が伝えに来た。
伝令は杉谷孫三郎だった。孫三郎は汗と埃にまみれて真っ黒だった。出て来た風眼坊を見ると、「師匠!」と一言、言って、風眼坊を見上げたまま黙り込んだ。
「どうした。実戦の中で立派な死に方ができそうか」
「はい‥‥‥」
「あちらの様子はどうじゃ」
「はい」と孫三郎は懐から書状を出すと風眼坊に渡した。
風眼坊は書状を受け取り、蓮如のもとへ戻って渡した。
書状には慶聞坊の字で、決戦のあった六月二十九日からの戦況が詳しく書かれてあった。そして、今は小康状態が続き、戦場は松岡寺周辺から蓮台寺城周辺へと移ったが、松岡寺では改めて守りを固めていると言う。
孫三郎は一休みすると馬にまたがり、松岡寺に戻って行った。
初めて会った時とは、まるで別人のように生き生きとして、顔付きまでもがすっかり武者面になっていた。戦というのは人を変えるものだと改めて思った。しかし、お雪のような犠牲者が現れるのも事実だった。慶聞坊の書状には、そんな犠牲者の事は一々書いてなかったが、門徒の中にも敵にも、死んで行った者たちが何人もいるはずだった。その者たちには当然、家族がいるだろう。まだ幼い子供たちが突然の父親の死に悲しんでいる事だろう‥‥‥
蓮如が一番見たくなかった門徒たちの悲しむ姿が、あちこちに出現する事になろう。旅に出れば、それを直に見る事になる。風眼坊は一瞬、そんなものを蓮如に見せてもいいのだろうか、と思ったが、蓮如は本願寺の法主だった。法主として、それは見なければならない事だった。門徒たちを戦に向かわせた責任が、すべて蓮如にあるとは言えないが、それを命じた者として、蓮如には門徒たちの悲しみを直に触れなければならない義務があった。
蓮如は書斎に、妻の如勝を呼んだ。
「これから、ちょっと、風眼坊殿と一緒に蓮綱の所に行って来る。留守を頼むぞ」と蓮如はいつもの口調で言った。
「はい。どうぞ、留守中の事は御心配なさらずに行って来て下さいませ」と如勝の方も普段と変わらぬ口調だった。
風眼坊は側で、そのやり取りを見ていた。こんな状況の中、蓮如が旅に出ると言い出せば、如勝は絶対に止めるものだと思っていた。そうなったら風眼坊が蓮如の身は絶対に守るからと言って納得させるつもりでいたが、そんな心配は要らないようだった。
「上人様が、いつか旅に出ると言い出す事は分かっておりました。止めても無駄だという事も分かっております。どうぞ、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
蓮如は頷くと、「子供たちの事を頼むぞ」と言った。
「はい」と如勝は頷き、しばらく蓮如を見つめていた。そして、風眼坊の方を向くと、「風眼坊様、どうぞ、上人様の事、よろしくお願いいたします」と頭を下げた。
風眼坊も「はい」と言って、頭を下げた。
風眼坊は蓮如と十郎の着替えと用意した薬を持って、抜け穴の入り口のある小屋へと向かった。
小屋の前に、お雪がいた。すっかり旅支度をしていた。
「わたしも行きます」とお雪は風眼坊に言った。
「どこへ」
「松岡寺に」
「何しに」
「‥‥‥わたしも連れて行って下さい」
「わしらは戦場に行くんじゃぞ。物見に行くわけじゃない」
「分かっております」
「また、地獄を見る事になるぞ」
「分かっております‥‥‥よく、分かりませんが、その地獄の中に、わたしの生きる道があるような気がするんです」
風眼坊はお雪の目を見つめた。
お雪なりに、何か覚悟を決めているようだった。
「連れて行かなかったら、後を追って来そうじゃな」と風眼坊は笑った。
お雪は頷いた。
「しょうがないのう」
「御一緒してもいいのですね」
「蓮如殿にお願いしてみよう。しかし、どうして、わしらが出て行く事が分かったんじゃ」
「十郎様が教えてくれました」
「なに、十郎が教えた。あのおしゃべりが‥‥‥」
「わたしが頼んだのです。どこかに出掛ける事になったら教えてくれと」
「成程のう、お雪殿に頼まれれば、十郎に限らず、男なら誰でも断る事はできまいのう」
「そんな‥‥‥」
しばらくして蓮如と十郎が来ると、小屋の中で着替え、抜け穴の中に入って行った。
目医者の風眼坊、そして、その下男に扮した蓮如と十郎、お雪は風眼坊の娘という事にした。
一行はとりあえず、蓮誓のいる山田光教寺を目指して船着き場から舟に乗った。
蓮如が書いた書状を見せると、山賀の道乗坊は一行をちらっと見て、「御苦労」と一言、言っただけだった。
蓮如の演技もなかなかのもので、誰が見てもただの下男だった。
抜け穴から出る時、井戸に落ちそうになって袴(ハカマ)が濡れ、おまけに墓場で躓(ツマヅ)き、泥だらけになった事が返って良かったのかもしれなかった。
一行は舟で大聖寺川をさかのぼって加賀の国の二の宮、菅生(スゴウ)の石部(イソベ)神社まで行き、そこから陸路で山田光教寺へと向かった。
光教寺も吉崎と同じく変わっていた。
武装した門徒たちに守られ、蓮誓も豪勢な甲冑に身を固めていた。
蓮如はそんな伜の姿を遠くから見ただけで、会いに行こうとはしなかった。一行は武装した門徒たちのたむろする慶覚坊の多屋に泊まり、次の日の朝早く、松岡寺に向かった。
下男に化けた蓮如は誰にもばれる事はなかった。
初めのうち、蓮如は自分の演技に凝り、ばれない事が得意気だったが、光教寺まで来て、門徒の誰一人として自分が上人様であるという事に気づかず、ただの下男としてしか見てくれない事に、幾分、がっかりしているようだった。
以前は自分が現れたというだけで、人々が殺到して来たというのに、今は見向きもされなかった。その違いは、ただ法衣を着ているか、ぼろを着ているか、だけだった。着ている物の違いだけで人々の反応というのは、こうも違うのだろうか、と蓮如は何となく切ない気持ちになっていた。
若武者の名は洲崎(スノザキ)十郎左衛門久吉、慶覚坊の息子だった。十郎左衛門はまだ十七歳の若者で、まるで、若き日の慶覚坊を見ているかのようだった。
十郎左衛門は風眼坊を助けて、上人様を守るようにと親父に命じられて吉崎に戻って来たのだった。十郎としては父と一緒に戦に出たかったのだが、今回の戦は多分、長引く事になろう。焦るな、お前の出番というのが必ず来るはずじゃ。今回は上人様の命を守る事が、お前の成すべき事だと思って励め、と言われたと言う。
十郎は生まれた時からの本願寺門徒だった。念仏を子守唄代わりに育てられたと言ってもいい程、本願寺の教えにどっぷりと浸かっていた。また、物心付いた頃から本願寺と叡山の争い事を経験して、強くならなければならないと武術の修行に励んでいた。
十四歳の時、家族と共に山田光教寺の多屋に移り、十五歳より今まで慶聞坊の多屋に住み込んで吉崎の警固隊の一人として働いていた。蓮如が戦の宣言をした後、父と共に一度、山田に帰ったが、また戻って来たのだった。
風眼坊にとっては十郎が来てくれたのは有り難い事だった。蓮崇から頼まれて、蓮如を守る事を引き受けたが、今朝のような事が起こっては、とても一人では難しいと思っていたところだった。朝から晩まで、そして、一晩中、蓮如を見張っているのは、とても一人では無理だった。ゆっくり休む事もできない。二、三日なら何とかなるだろうが、五日も寝ずにいたら風眼坊の方が参ってしまうだろう。
「腕の方は自信があるか」と風眼坊は十郎に聞いた。
「一応」と十郎は自信ありそうに頷いた。
「得意なのは、薙刀か」
「いえ、弓です。そして、剣です」
「ほう、弓か‥‥‥そして、剣か」
「風眼坊殿、風眼坊殿は剣の達人だと父より聞いております。いつか、お手合わせをお願いします」
「ああ、そのうちな」
蓮如は十郎の事を知っていた。それでも、吉崎に来てからは会うのは初めてだと言う。
蓮如は十郎の甲冑姿を見て、少し淋しそうな表情を見せたが、それでも、随分、立派になられたもんじゃと言って笑った。
蓮如の膝元に二年もいて、今まで会わなかったというのは、風眼坊にとって不思議に思えたが、わざわざ、伜が吉崎の警固隊にいるというのを、蓮如に言わなかった慶覚坊の気持ちは風眼坊にもよく分かった。
十郎が来てから風眼坊は十郎と交替で蓮如を見守った。十郎は生意気な所もあるが、なかなか頼もしい奴だった。
あの時の尼僧騒ぎから、これと言った事件もなく時は流れて行った。
六月二十五日、蓮如が法敵打倒を宣言して、翌日、坊主たちは各地に散って行った。
二十八日、越前一乗谷に潜んでいた富樫次郎がようやく腰を上げて、加賀の国に進攻して来た。その兵、五千人とも一万人とも言われていた。
次郎は越前超勝寺の門徒と共に加賀に入ると、途中にある幸千代方の支城を攻め落としながら松岡寺へと向かって行った。その行動は一乗谷において朝倉弾正左衛門尉に骨抜きにされていた次郎の軍とは思えない程、迅速で確実だった。次郎方の重臣たちも、ただ無為に日々を送っていたわけではなく、裏に回って色々と画策していたに違いなかった。
やはり、朝倉弾正左衛門尉は動かなかった。甲斐八郎も動かない。しかし、朝倉は加賀に兵は送らなかったものの、白山衆徒に次郎に味方するように呼びかけ、平泉寺の僧兵を密かに加賀に送り込んでいた。
二十九日、次郎方が動き出した事を知ると、幸千代方もようやく決心を固め、高田派門徒と共に先手を取って松岡寺に総攻撃を掛けた。幸千代方を味方にした高田派門徒は勢い付き、攻めに攻め、松岡寺は危うく落とされるかに見えたが、江沼郡の本願寺門徒と次郎の連合軍が、幸千代、高田派門徒の後方から攻めかかり、何とか持ちこたえていた松岡寺も盛り返した。
三十日には本願寺方から総攻撃を仕掛け、一進一退だったが、日の暮れる頃には本願寺方は押しまくり、高田派、幸千代連合軍は蓮台寺城まで引き上げて行った。
この段階では両軍の兵力はほぼ互角と言えた。しかし、立場が逆になっていた。今までは、高田派門徒が本願寺門徒の籠もる松岡寺を包囲していたが、今度は、本願寺門徒が高田派門徒の籠もる蓮台寺城を包囲する形となっていた。
この戦に慶覚坊は参加していなかった。
慶覚坊は精鋭な騎馬武者を引き連れて、高田派の寺院を片っ端から攻め、破壊して行った。慶覚坊だけではなかった。石川郡では手取川の国人門徒、安吉源左衛門が、能美(ノミ)郡では板津(小松市)の国人門徒、蛭川(ヒルカワ)新七郎が、河北郡では砂子坂の国人門徒、高坂四郎左衛門が、それぞれ、精鋭を引き連れて高田派の寺院を攻め落としていた。
七月になると、それぞれ石川郡からの援軍が到着し、両軍は対峙したまま、各地で小競り合いはあったが、大規模な戦にはならなかった。
七月四日、赤野井の慶乗坊(キョウジョウボウ)率いる近江門徒一千人が武装して吉崎に到着した。入れ代わるように、吉崎を守っていた越前門徒が松岡寺へと向かって行った。
蓮如はほとんど毎日、書斎に籠もって、親鸞聖人の残した書を読んだり、御文を書いたりしていた。この頃、書いた御文にも戦の事には一切触れず、ただ、信仰上の事を何度もかみ砕いて教えるように書いていた。そして、時折、お雪の吹く笛を聞く事が、ただ一つの慰みとなっていたようだった。
2
墓場の中だった。
墓場の隅に苔むした古井戸があり、その井戸から、突然、生首が現れた。
夜中に、誰かがこの光景を目にしたら悲鳴を上げただろうが、今は真っ昼間、そして、人影はなかった。出て来た生首は辺りを見回すと井戸の外に飛び出した。勿論、その生首には体も足も付いていた。風眼坊であった。
風眼坊は吉崎御坊の庭園にある抜け穴を通って、ここに出て来たのだった。ここを通るのは初めてではない。山門を通って、一々、本願寺のうるさい坊主連中に何だかんだ言われるのは煩わしいので、町に出る時にはいつも、この抜け穴を利用していた。
この抜け穴は庭園のすぐ下にある浄得寺(ジョウトクジ)の裏の墓場の古井戸へと続いていた。よく、こんな穴を掘ったものだと通るたびに感心していた。この墓場から庭園までは険しい崖で、とても人が登る事のできないものだった。そこを、この抜け穴を使うと簡単に登り降りができた。しかも、この墓場から浄得寺の裏を通り抜けて行くと、大聖寺川に面した船着き場へと出る事ができ、もしもの事があった場合、そこから、すぐに逃げ出す事ができた。
風眼坊が蓮如と共に吉崎御坊に閉じ込められて半月が過ぎていた。いい加減、飽きて来たところ、蓮如がとうとう、ここを抜け出そうと言い出した。門徒たちが命を賭けて、本願寺のために戦っているというのに、こんな所で、のうのうとしてはいられない。わしは松岡寺に行くぞ、と言い出した。風眼坊は、待っていましたと、この抜け穴からの脱出の準備を始めた。
蓮如をここから出すには、まず、変装させなければならない。薄汚れた、継ぎだらけの古着を調達して、それから、安全な逃げ道を見つけなければならなかった。
町の中を抜けて行くのは難しかった。近江から来た門徒たちがあちこちに陣を張って、通る者たちを調べていた。町の外に出るまでに、少なくとも、三ケ所の陣を抜けなければならない。近江の門徒たちは蓮如の顔を知っている者も多いだろう。いくら、変装したからと言っても見破られる可能性は高かった。
残るは船着き場から舟で大聖寺川を渡り、川向こうを通って松岡寺まで向かう方法だった。勿論、船着き場にも近江門徒の陣はあった。
この船着き場は加賀の国からの物資が入って来る重要な場所で、蔵が幾つも並び、この地を敵に占拠された場合、吉崎は干乾しになると言えた。当然、ここの警固は厳重だった。
ここを守っていたのは山賀の道乗坊という大坊主率いる二百人の兵士だった。蓮如に書状を書いて貰えば、目医者として、下男に化けた蓮如を連れて、向こうに渡る事はできるだろうと思った。山田光教寺の蓮誓が目を患ったという事にすれば怪しみはしないだろう。
作戦が決まると風眼坊は墓場に戻って、古井戸の中に消えた。古井戸とはいえ、井戸としての機能は持っていた。水面より三尺程上に横穴が空いていて、その穴が、上の庭園まで続いている。誰も、この古井戸の中に横穴があるとは思うまい。誰が考えたのか、通るたびに大したものだと感心していた。
蓮如は風眼坊が持って来た古着を着て、浮き浮きしていた。
「わしはのう。若い頃、河原者や人足たちの中に入って行って、教えを広めた事があった。わしは奴らの中に入って、しばらく一緒に暮らしたが、どうしても、奴らに溶け込む事ができなかった。法衣(ホウエ)を脱ぎ捨て、奴らと同じ物を着て、同じ物の考え方をしなければ、本当に奴らを理解する事はできない、と分かっておりながら、わしにはできなかった。あの頃は、外見とか形に囚われておったのじゃろう。ようやく、この年になって、その執着から離れる事ができたわ。どうじゃ、奴らのように見えるか」
「ふーむ、その頭が、ちょっとのう」と風眼坊は首を傾げた。
「これか、こんな事なら、昨日、剃らなければ良かったのう」
風眼坊は笑いながら、「手拭いでも被れば、何とかなるじゃろう」と言った。
「そうじゃな」と蓮如は頷き、「それで、いつ、出掛ける」と聞いた。
「今から行きますか」
「なに、今からか‥‥‥まあ、それもいいが、如勝には一言、言って行かんとのう」
「ええ。しかし、大丈夫ですか。蓮如殿がここから消えても」
「その事じゃが、何とかごまかす法はないものかのう」
「難しいですな。病気にでもなって寝込んでもらうしかないんじゃないですか」
「うむ、病気か‥‥‥」
「しかし、ばれるじゃろうな」と風眼坊は首を振った。
「ばれたら、ばれたじゃ。誰かに、わしの代わりに寝込んでもらうしかあるまい」
蓮如がもとの法衣に着替えた時だった。松岡寺の慶聞坊からの伝令が到着した、と取り次ぎの坊主が伝えに来た。
伝令は杉谷孫三郎だった。孫三郎は汗と埃にまみれて真っ黒だった。出て来た風眼坊を見ると、「師匠!」と一言、言って、風眼坊を見上げたまま黙り込んだ。
「どうした。実戦の中で立派な死に方ができそうか」
「はい‥‥‥」
「あちらの様子はどうじゃ」
「はい」と孫三郎は懐から書状を出すと風眼坊に渡した。
風眼坊は書状を受け取り、蓮如のもとへ戻って渡した。
書状には慶聞坊の字で、決戦のあった六月二十九日からの戦況が詳しく書かれてあった。そして、今は小康状態が続き、戦場は松岡寺周辺から蓮台寺城周辺へと移ったが、松岡寺では改めて守りを固めていると言う。
孫三郎は一休みすると馬にまたがり、松岡寺に戻って行った。
初めて会った時とは、まるで別人のように生き生きとして、顔付きまでもがすっかり武者面になっていた。戦というのは人を変えるものだと改めて思った。しかし、お雪のような犠牲者が現れるのも事実だった。慶聞坊の書状には、そんな犠牲者の事は一々書いてなかったが、門徒の中にも敵にも、死んで行った者たちが何人もいるはずだった。その者たちには当然、家族がいるだろう。まだ幼い子供たちが突然の父親の死に悲しんでいる事だろう‥‥‥
蓮如が一番見たくなかった門徒たちの悲しむ姿が、あちこちに出現する事になろう。旅に出れば、それを直に見る事になる。風眼坊は一瞬、そんなものを蓮如に見せてもいいのだろうか、と思ったが、蓮如は本願寺の法主だった。法主として、それは見なければならない事だった。門徒たちを戦に向かわせた責任が、すべて蓮如にあるとは言えないが、それを命じた者として、蓮如には門徒たちの悲しみを直に触れなければならない義務があった。
蓮如は書斎に、妻の如勝を呼んだ。
「これから、ちょっと、風眼坊殿と一緒に蓮綱の所に行って来る。留守を頼むぞ」と蓮如はいつもの口調で言った。
「はい。どうぞ、留守中の事は御心配なさらずに行って来て下さいませ」と如勝の方も普段と変わらぬ口調だった。
風眼坊は側で、そのやり取りを見ていた。こんな状況の中、蓮如が旅に出ると言い出せば、如勝は絶対に止めるものだと思っていた。そうなったら風眼坊が蓮如の身は絶対に守るからと言って納得させるつもりでいたが、そんな心配は要らないようだった。
「上人様が、いつか旅に出ると言い出す事は分かっておりました。止めても無駄だという事も分かっております。どうぞ、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
蓮如は頷くと、「子供たちの事を頼むぞ」と言った。
「はい」と如勝は頷き、しばらく蓮如を見つめていた。そして、風眼坊の方を向くと、「風眼坊様、どうぞ、上人様の事、よろしくお願いいたします」と頭を下げた。
風眼坊も「はい」と言って、頭を下げた。
風眼坊は蓮如と十郎の着替えと用意した薬を持って、抜け穴の入り口のある小屋へと向かった。
小屋の前に、お雪がいた。すっかり旅支度をしていた。
「わたしも行きます」とお雪は風眼坊に言った。
「どこへ」
「松岡寺に」
「何しに」
「‥‥‥わたしも連れて行って下さい」
「わしらは戦場に行くんじゃぞ。物見に行くわけじゃない」
「分かっております」
「また、地獄を見る事になるぞ」
「分かっております‥‥‥よく、分かりませんが、その地獄の中に、わたしの生きる道があるような気がするんです」
風眼坊はお雪の目を見つめた。
お雪なりに、何か覚悟を決めているようだった。
「連れて行かなかったら、後を追って来そうじゃな」と風眼坊は笑った。
お雪は頷いた。
「しょうがないのう」
「御一緒してもいいのですね」
「蓮如殿にお願いしてみよう。しかし、どうして、わしらが出て行く事が分かったんじゃ」
「十郎様が教えてくれました」
「なに、十郎が教えた。あのおしゃべりが‥‥‥」
「わたしが頼んだのです。どこかに出掛ける事になったら教えてくれと」
「成程のう、お雪殿に頼まれれば、十郎に限らず、男なら誰でも断る事はできまいのう」
「そんな‥‥‥」
しばらくして蓮如と十郎が来ると、小屋の中で着替え、抜け穴の中に入って行った。
目医者の風眼坊、そして、その下男に扮した蓮如と十郎、お雪は風眼坊の娘という事にした。
一行はとりあえず、蓮誓のいる山田光教寺を目指して船着き場から舟に乗った。
蓮如が書いた書状を見せると、山賀の道乗坊は一行をちらっと見て、「御苦労」と一言、言っただけだった。
蓮如の演技もなかなかのもので、誰が見てもただの下男だった。
抜け穴から出る時、井戸に落ちそうになって袴(ハカマ)が濡れ、おまけに墓場で躓(ツマヅ)き、泥だらけになった事が返って良かったのかもしれなかった。
一行は舟で大聖寺川をさかのぼって加賀の国の二の宮、菅生(スゴウ)の石部(イソベ)神社まで行き、そこから陸路で山田光教寺へと向かった。
光教寺も吉崎と同じく変わっていた。
武装した門徒たちに守られ、蓮誓も豪勢な甲冑に身を固めていた。
蓮如はそんな伜の姿を遠くから見ただけで、会いに行こうとはしなかった。一行は武装した門徒たちのたむろする慶覚坊の多屋に泊まり、次の日の朝早く、松岡寺に向かった。
下男に化けた蓮如は誰にもばれる事はなかった。
初めのうち、蓮如は自分の演技に凝り、ばれない事が得意気だったが、光教寺まで来て、門徒の誰一人として自分が上人様であるという事に気づかず、ただの下男としてしか見てくれない事に、幾分、がっかりしているようだった。
以前は自分が現れたというだけで、人々が殺到して来たというのに、今は見向きもされなかった。その違いは、ただ法衣を着ているか、ぼろを着ているか、だけだった。着ている物の違いだけで人々の反応というのは、こうも違うのだろうか、と蓮如は何となく切ない気持ちになっていた。
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