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3.阿修羅坊
1
年が明けて、文明四年(一四七二年)、正月も十日が過ぎ、京の町もようやく、落ち着きを取り戻していた。
いくら荒れ果て、惨めな焼け跡と化しているとはいえ、京は都に違いなかった。
戦乱を避けながらも、京にしがみついている者たちは多く、以前のような派手さはないが、それなりに新年を祝っていた。晴着をまとった者たちが焼け残った寺社に集まり、戦の終わる事を祈り、新年の挨拶を交わし、子供たちは正月の遊びに夢中だった。
遠い地から京に集まって来ている兵たちも、敵と睨み合いながらも故郷の事を思って新年を祝っていた。
まだ、木の香りも新しい北小路町の浦上美作守(ミマサカノカミ)則宗の屋敷の離れの書院で、美作守は独り、刀の手入れをしていた。
風もなく、日差しは弱いが暖かく、静かな昼下りだった。三日前に降った雪が、まだ、庭にかなり残っていた。
浦上美作守則宗‥‥‥赤松家の重臣である。
嘉吉の変で滅ぼされた赤松氏は長禄二年(一四五八年)、当時まだ四歳だった赤松次郎政則に家督が許され再興された。美作守は当時より政則の側近にあり、幼い主君を補佐して赤松家のために尽くして来た。
赤松家は応仁の乱において、旧領の播磨、備前、美作の三国を取り戻し、四職家(シシキケ)としても復活し、応仁二年(一四六八年)に政則は侍所頭人、美作守は所司代に任命された。
侍所とは室町幕府の政治機関の一つで、京都の警備や刑事事件の裁判などをつかさどり、都においての権力は絶大だった。長官の事を所司、又は頭人と言い、所司代とは副長官の事である。長官に任命されているのは赤松政則だったが、実際、侍所の長官としての権力を握っていたのは浦上美作守だった。浦上美作守は赤松家の重臣であるばかりでなく、今や、東軍においても重要な地位にいた。
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美作守は庭に面した日の当たる書院の縁側で、脇差二振りを目の前に置き、眺めては考え事をしていた。どちらの脇差も実戦で使われていた物らしく、柄(ツカ)に巻いてある組み紐は擦り切れ、色褪せている。鞘(サヤ)も所々、色が剥げ、傷があちこちに付いていた。
美作守は一つを手に取ると、鞘を払い、刀身を眺めた。
刀身は曇りなく、良く手入れがしてあった。備前長船(ビゼンオサフネ)の刀であるが名刀と言える程の物ではない。かと言って、雑兵(ゾウヒョウ)が持っているような『数打(カズウチ)』又は『束刀(タバガタナ)』と言われ、需要に合わせて大量に生産され、束にして取引されるような安物でもない。仮にも武将と呼ばれる程の武士なら誰もが普段、持っているような実戦向きな刀だった。
美作守は慣れた手付きで目貫(メヌキ)を抜いて柄をはずした。出て来た茎(ナカゴ)には紙が巻いてあった。紙を開いてみると『岩戸』と書いてあり、下に赤松性具入道の花押(カオウ、書き判)が書いてある。
美作守はしばらく、その紙を見つめていたが、やがて、その紙を元のように茎に巻き、柄の中に隠した。そして、もう一つの脇差も同じように柄をはずした。こちらの脇差にも紙が隠してあった。こちらの紙には『不二』と書いてあり、やはり、性具入道の花押が書いてある。美作守はその紙をじっと見つめ、また、元に戻した。
『岩戸』と『不二』、そして、性具入道の花押‥‥‥一体、これは何を意味するものなのだろうか。
美作守にはまったくわからなかった。
一刀は性具(ショウグ)入道の弟、左馬助則繁(サマノスケノリシゲ)の物であった。
嘉吉の変の時、城山城(キノヤマジョウ)が落城する前に脱出した左馬助は九州まで逃げ、更に朝鮮まで渡って海賊まがいの事をして暴れていた。
文安五年(一四四八年)に九州に戻ると、筑前(福岡県)の少弐(ショウニ)氏と共に肥前(佐賀県、長崎県)において大内氏と戦うが敗れ、播磨に帰って来た。
すでに、播磨の国は山名氏の領国となっていたが、山名氏に反発している者たちや隠れ潜んでいる赤松家の遺臣たちも、かなりいた。左馬助は彼らと連絡を取り、ひそかに兵を集め、かつては自分の城だったが、今は廃城となっている善防師(ゼンボウシ)城(加西市)において、再起を図って挙兵をした。初めのうちは調子良く行った。しかし、山名宗全が大軍を引き連れて京から攻め寄せて来ると恐れをなして逃げる者も多く、敗れてしまった。
左馬助は山名氏を倒すには、山名氏に対抗できるだけの勢力を持つ畠山氏を味方にしなければ不可能だと考え、善防師城を無事に抜け出すと畠山持国を頼って河内の国(大阪府南東部)に逃げた。畠山持国は左馬助を五年近く匿っていたが、やがて、幕府に知られ、管領細川勝元は細川持常に左馬助討伐を命じた。左馬助は隠れていた当麻寺(タイマジ)を囲まれ、無念のうちに自害して果て、その首は京の都で梟された。
そして、長禄三年(一四五九年)、赤松家が再興された翌年、管領細川勝元を通して、左馬助の所持していた物が赤松政則のもとに届けられた。その中に、太刀や槍、虎皮の袖なしと共に、この脇差があった。初めて脇差の柄をはずして、その紙を見つけた時は、ただのお守りだろうと思っていた。
ところが、去年の夏、今度は性具入道の甥にあたる彦五郎則尚の遺品が届けられ、その遺品の中にあった脇差の柄の中にも同じような紙が入っていた。
彦五郎も嘉吉の変の時、無事に城山城を脱出し、その後、赤松の遺臣たちを率いて赤松家再興のために山名宗全と戦うが敗れ、享徳四年(一四五五年)五月に自害して果てていた。
ただのお守りにしては妙だった。性具入道の花押が、なぜか、気に掛かった。
それに、この刀が不釣合いだった。四職家の一つである赤松家の武将が持つような刀ではない。いくら、戦に負けたとはいえ、赤松家の侍大将が持つべき刀ではなかった。所領の備前にはいくらでも名刀があった。左馬助にしろ、彦五郎にしろ、名刀の何振りかは持っていたはずだ。なのに、なぜ、こんな脇差を差していたのか。
よりによって、左馬助、彦五郎の二人が揃って、不釣合いな脇差を差していた‥‥‥しかも、左馬助は朝鮮にまで行って海賊まがいの事をしていたと言う。その間、ずっと、この脇差を大事に差していた。この脇差より立派な物を手に入れる機会はいくらでもあった事だろう。しかし、手放さなかった。
何かある‥‥‥
この性具入道の花押入りの紙切れには、何か重要な意味があるはずだ‥‥‥
もしかしたら、まだ、他にも、このような紙を隠した脇差があるのかもしれない。
美作守は嘉吉の変の時の赤松一門の者を調べてみた。
まず、性具入道、そして、弟の伊予守義雅、龍門寺真操、兵部少輔祐之、左馬助則繁、兵庫助則之、嫡男の彦次郎教康、甥の彦五郎則尚、以上八人であった。その他、性具入道のすぐ下に民部大輔祐政、常陸介祐尚(彦五郎の父)という二人の弟がいたが、嘉吉の変の前に、すでに亡くなっていた。
性具入道は城山城にて自害、入道の太刀や脇差は城と共に燃えてしまった。
兵部少輔と兵庫助は坂本城落城の前に戦死している。二人の脇差はどこに行ってしまったのか、まったくわからない。
龍門寺真操は坂本城において自害、真操の脇差は坂本城落城の時、燃えてしまったのか、それとも、網干(姫路市)の龍門寺に残されているかもしれないと思って、手下を使って捜させてみたが見つからなかった。
左馬助と彦五郎の脇差は今、手元にある。
残るは、伊予守と彦次郎。彦次郎は伊勢で自害した。もしかしたら、北畠氏が保管しているかもしれない。
伊予守は今のお屋形、政則の祖父に当たる。伊予守は敵に回った赤松播磨守の陣において自害したが、太刀と脇差を形見として子の彦三郎に与えた可能性はある。しかし、彦三郎の子、政則は伊予守の脇差は持っていなかった。また、彦三郎の弟である勝岳性存に聞いてもみたが知らないと言う。
伊予守の脇差は一体、どこに行ってしまったのだろうか。
もし、政則の姉が生きていたとしたら、形見として、その脇差を持っている可能性はあった。
太刀の方は残っていて、今も政則が大事に保管している。その太刀は伊予守が持つにふさわしい応永備前の業物(ワザモノ)であった。しかし、太刀の柄の中には何も入っていなかった。
美作守は二つの脇差を並べたまま、しばらく、考え込んでいた。
今まで、二つの意味のわからない紙の事は気にはなっていたが、何かと忙しくて、そんな事に構っている暇などなかった。ようやく、正月の忙しさもおさまり、久し振りに見てみたが、相変わらず、『岩戸』と『不二』の意味はわからない。
『岩戸』とは、天の岩戸の事だろうか、それとも、どこかの地名の事か‥‥‥
『不二』とは、富士山の事か、それとも、二つとは無いという意味か‥‥‥
『岩戸』と『不二』、富士山のどこかに岩の戸があるのか‥‥‥
富士山と言っても、駿河(静岡県中東部)の富士山とは限らない。播磨富士もあれば、備前富士、有馬富士、阿波富士、讃岐富士、近江富士もある。まだまだ、あるだろう。そのどこかの富士山のどこかに、岩戸があると言うのか‥‥‥
性具入道が書いたのだから、やはり、播磨富士が妥当な所だろう。播磨富士と言えば笠形山だ。笠形山のどこかに岩戸があり、そこに何かを隠したというのだろうか‥‥‥
わからなかった。
美作守が首を傾げながら、脇差を抜いたりして眺めていると、突然、庭の方から物音が聞こえた。黙って、この離れの書院まで入って来る者はいないはずだった。
美作守は抜いたままの脇差を構え、物音の方に振り向いた。
カラスが木の上で羽根をばたつかせていた。戦が始まってからというもの、カラスの数が増えていた。今の京の都は兵士とカラスの町のようだった。
美作守は舌を鳴らすと、脇差を鞘に納めた。
「いい正月じゃな」と、ふいに声がした。
カラスと反対の方に山伏が立って笑っていた。
阿修羅坊だった。
「いい天気じゃ」と阿修羅坊は錫杖を鳴らしながら、空を見上げた。
「何だ、おぬしか、脅かすな‥‥‥相変わらず、天狗のような奴じゃのう」
「カラスの側には天狗がおるものじゃ。それにしても、この庭はぐちゃぐちゃじゃのう」
阿修羅坊は高下駄に付いた泥を落とした。
「ここに来るのに、わさわざ、そんな所を通る奴はおらんからのう」
「刀の手入れですかい」と阿修羅坊は縁側に腰を降ろした。
「どうした。いい土産でも持って来たのか」
阿修羅坊は首を振った。「残念ながら、そう簡単にはいかんらしい」
「どこまでわかったんだ」
「大した事はわからん」と阿修羅坊は言ってニヤリと笑った。
「勿体ぶらずに話せ」
「ああ。まず、お屋形様の姉君の事だが、確かにいたという事ははっきりした」
「なに、姉君がいた」と美作守は身を乗り出した。
「そう、先走るな。順を追って話す‥‥‥三十年前、嘉吉の変の時、お屋形様の父上は天隠龍沢殿に連れられて、母親の実家、三条家の所領だった近江(滋賀県)浅井郷丁野(ヨオノ)村に隠れたんじゃ。
十二歳の時に元服して彦三郎義祐(ヨシスケ)と名乗り、小谷山の裾野の須賀谷に移られた。
十七歳の時に家臣の中村弾正忠の娘を嫁に貰ったんじゃ。その娘というのはお屋形様の母君、北の方様じゃな。その北の方様が近所の郷士の家で見つけ出して、下女として雇ったのがお咲という娘で、これが姉君の母親というわけじゃ。
お咲はよく気の付く娘だったらしくてのう、北の方様のお気に入りの下女だったらしい。やがて、そのお咲が彦三郎殿の目に止まり、お手付きとなったわけじゃが、北の方様には内緒だったらしいのう。二年程、北の方様の目を盗んで会っていたらしいが、とうとう、見つかっての、お咲は追い出されたんじゃ。しかし、すでにその時、お咲の腹の中には子供ができておったんじゃ。
お咲は実家に戻ったが、実家というのは彦三郎殿の隠れ家とは目と鼻の先じゃ。自然、北の方様にもお咲の腹が大きくなっていくのがわかってしまった。北の方様はお咲に対して、いやがらせをしたらしいのう。女の嫉妬という奴じゃ。北の方様は嫁いで来てから四年にもなるのに子供ができんかったから余計、お咲の事が頭に来たんじゃろうのう。
お咲は今浜(長浜市)の親戚の家に預けられ、無事に赤子を産んだ。
彦三郎殿は北の方様に隠れて、我が子に会いに今浜まで何度か通っていたらしい。ところが、翌年、盗賊どもに襲われて、一家は全滅、皆殺しになったそうじゃ。その盗賊というのは、前の年に京の都で暴れ回っておった奴ららしい。京で好き勝手な事をしておったが、追われて近江に逃げて来て、今浜を襲い、金目の物を奪うと関東の方に去って行ったそうじゃ。
赤子は幸運にも無事じゃった。ある山伏によって助け出され、どこかへ連れ去られたんじゃ。その山伏というのは伊勢の世義寺(セギデラ)の山伏じゃった」
「なに、伊勢だと」
「そうじゃ。伊勢の世義寺じゃ」
「伊勢か‥‥‥伊勢といえば北畠じゃな。北畠が絡んでおったのか‥‥‥」
「という事じゃ」
「どうして、北畠の山伏がそんな所におったんじゃ」
「わからん。わからんが、その世義寺の山伏がお屋形様の姉君をさらって行った事は確かじゃ」
「どこへ」
「それもわからん」と阿修羅坊は首を振った。
「伊勢の北畠か‥‥‥」美作守は唸りながら腕を組んで、庭の方を眺めた。
松の木のてっぺんにカラスが超然と止まっていた。
「その山伏だが」と阿修羅坊は言った。「長禄元年(一四五七年)十二月に吉野において戦死しておる」
「ちょっと、待て」と美作守は驚いた顔を阿修羅坊に向けた。「長禄元年に吉野で戦死?」
「例の事件じゃ」と阿修羅坊は頷いた。
「なぜ、北畠の山伏が例の事件に拘わっておるんじゃ」
「それもわからん。わからんが、北畠氏が何らかの関係を持ってる事は確かじゃ。これから、伊勢に行って調べて来る」
美作守は庭の枯木をぼんやりと眺めながら、何かを考えていた。
その隙に阿修羅坊は消えた。来た時と同じく、音もなく庭から去って行った。
美作守は何事もなかったかのように、また、二振りの脇差を見ながら考え込んでいた。
阿修羅坊の言った例の事件とは、赤松家の遺臣たちが後南朝の二皇子を殺害して、神爾(シンジ、八尺瓊の曲玉)を奪い返そうとした事件である。結局は失敗に終わり、赤松の遺臣たちが大勢、殺された。
まだ、赤松家が再興される前の事であった。
赤松家の遺臣たちは何とか、赤松家を再興しようと赤松左馬助や彦五郎らを立て、再三、蜂起したが、山名宗全の前にことごとく敗れ去った。
享徳四年(一四五五年)彦五郎が自害し、残るは伊予守の遺児、彦三郎と出家した弟の勝岳、二人だけになった。赤松の遺臣たちは彦三郎に赤松家再興の夢を託した。
それより十二年前の嘉吉三年、後南朝の泰仁(ヤスヒト)王を奉じた南朝の臣、楠木、越智(オチ)氏らが御所を夜襲し、三種の神器(ジンギ)のうちの神璽と宝剣(草薙の剣)を奪うという事件があった。宝剣は比叡山の衆徒らによって回収されたが、神璽は御南朝の本拠地、吉野の山奥に持ち去られてしまった。
赤松家の遺臣たちは、その神璽を取り戻す事を条件に赤松家の再興を幕府に申し出て許された。かくして、赤松の遺臣たちは吉野の山奥に潜入し、偽って尊秀(タカヒデ)皇子、忠義皇子に仕えた。その時、彦三郎も妻の姓、中村を名乗って潜入していた。
長禄元年(一四五七年)十二月、赤松の遺臣たちは二皇子を殺害して神璽を奪った。しかし、吉野の郷民らに追撃されて多くの死者を出し、神璽も奪われてしまった。彦三郎も重傷を負い、やっとの事で近江まで逃げ帰ると、そのまま、寝たきりになってしまった。
その翌年、生き残った赤松の遺臣が郷民の手から神璽を取り戻し、無事、京の御所に戻された。その功によって、彦三郎の嫡男、次郎政則を当主に赤松家の再興が許されたのであった。
政則の姉を連れ去った伊勢の山伏が、この事件に拘わって戦死していたと言う‥‥‥
「伊勢の北畠か‥‥‥」美作守は庭を見つめながら独り呟くと、二振りの脇差を布でくるみ、古びた鎧櫃(ヨロイビツ)の中に片付けた。
カラスが一鳴きして、飛び去って行った。
まだ、薄暗い早朝、雪に覆われた山道を大勢の若者たちが黙々と歩いて行った。
甲賀、飯道山。
今年も例年のごとく、武術修行に来た若者たちの山歩きの行が始まっていた。
本堂前の広場に集まった三百人近くの若者たちは順番に飯道権現を拝み、行者堂の役(エン)の行者を拝み、山道へと向かって行った。
高林坊を初め、先達山伏たちが本堂の前に並んでいる。その中に、瑠璃寺の山伏、阿修羅坊の姿があった。
阿修羅坊は京の浦上屋敷を出ると真っすぐ、伊勢へと向かった。
伊勢の世義寺(伊勢市)に行き、お屋形の姉君を連れ去って吉野で戦死したという山伏、東蓮坊が姉君をどこにやったかを探るためだった。すでに、東蓮坊が死んでから十五年も経っている。東蓮坊を知っている山伏はなかなか見つからなかった。
北畠氏と世義寺のつながりも、それとなく聞いてみたが、今は、あまり、つながりはないようだった。先代の教具の頃は、世義寺の山伏たちも北畠氏のために色々と活動していたらしいが、去年の春、教具が亡くなり、政郷の代になってからは、山伏をあまり近づけなくなったと言う。
東蓮坊という山伏は、北畠教具の命令で赤松彦三郎義祐の身辺に近づき、どういう理由かわからないが、彦三郎の娘をさらい、その後、吉野に行って赤松家の浪人たちと共に討ち死にしたに違いない。しかし、それを命じた北畠教具もいない今、娘の行方を捜すのは難しい事だと改めて思った。
東蓮坊は近江浅井郷の鶏足寺(ケイソクジ)に潜んで彦三郎を見守っていた。その頃、鶏足寺には山伏に化けた赤松の遺臣、中村某が新禅坊と名乗り、同じく、彦三郎を見守るために潜伏していた。東蓮坊は長い間、鶏足寺にいるうちに、その新禅坊と知り合い、意気投合して、赤松家のために吉野まで行ったと思われる。
吉野に行った二人は彦三郎と共に、偽って後南朝の皇子に仕え、神璽を奪おうとするが失敗して殺される。吉野に行った時、東蓮坊は赤子を連れてはいなかった。赤子は伊勢のどこかにいるのかもしれない。
教具なら知っているはずだが、今の政郷が知っている可能性は低かった。政郷はまだ、二十代初めと聞いている。東蓮坊が死んだ時は十歳にもなっていない。知っているはずはなかった。
ここまで来て、お屋形様の姉君を見つける手掛かりはプッツリと切れてしまった。
これ以上、世義寺にいてもしょうがない。無駄だと思うが、北畠氏の本拠地、多気にでも行ってみるかと世話になった山伏に挨拶をして帰ろうとした時だった。ふと、思い出したらしく、その山伏が鉄心坊という老山伏がいるが、東蓮坊の事を知っているかもしれないと言った。
鉄心坊は世義寺にはいなかった。『伊勢山上(サンジョウ)』と呼ばれる山伏の霊場、飯福田寺(イブタジ)にいると言う。飯福田寺は松坂から奈良街道に入り、北畠氏の支城、大河内城と坂内城の城下町を通り、二条という所から街道を離れ、山の中に入った所にある。
阿修羅坊はさっそく、飯福田寺に向かった。
雪を踏み分け、飯福田寺に来てみたが鉄心坊はいなかった。岩内(ヨウチ)の瑞巌寺(ズイガンジ)にいると言う。阿修羅坊は雪の降る中、飯福田寺の東にある観音岳を越えて山麓の瑞巌寺へと向かった。
鉄心坊はいた。
瑞巌寺の僧坊で、丸くなって火鉢にあたっていた鋭い目付きの痩せた老山伏が鉄心坊だった。髪も髭も真っ白で、七十歳位に見えた。余程、修行を積んでいるらしく、神気に似た威厳が漂う大先達の山伏だった。
阿修羅坊は挨拶を済ますと、さっそく、東蓮坊の事を聞いてみた。
東蓮坊は鉄心坊の弟子だったと言う。もう昔の事だから、言っても構わんだろうと鉄心坊は話してくれた。
阿修羅坊の思った通り、東蓮坊は北畠教具の命令で赤松彦三郎の身辺を探っていたと言う。彦三郎だけでなく、教具は嘉吉の変後の赤松一族すべての者の身辺に誰かを見張らせていた。教具は嘉吉の変の後、北畠氏を頼って来た赤松彦次郎教康を見殺しにしてしまった事を後になって悔い、赤松家のために何かしてやりたいと思っていた。赤松浪人たちが必死になって、赤松家を再興しようとしているのを見て、陰ながら助けようと思っていたらしい。
鉄心坊は東蓮坊が近江より連れて来た赤子の事は覚えていた。東蓮坊は赤子を多気の御所まで連れて行った。それから、その赤子がどこに行ったのか詳しくは知らないが、甲賀の尼寺に預けられたらしい、と東蓮坊が言っていたと言う。それ以上の事は鉄心坊は知らなかった。
その晩、阿修羅坊は瑞巌寺に泊めてもらい、老山伏と仕事抜きで語り合い、次の日の朝、甲賀へと向かった。
甲賀の飯道山を拠点に、甲賀中の尼寺を当たってみようと思っていた。そこで、ばったり会ったのが高林坊だった。実に、二十年振りの再会だった。
かつて、若き日の二人は葛城山(カツラギサン)で修行していた。年は阿修羅坊の方が二つ上だが武術の腕はほぼ互角で、二人でよく稽古したものだった。二人が共に葛城山で修行したのは一年足らずだったが、二人は修行以外でも気が合って、よく遊び回ったものだった。
やがて、阿修羅坊は播磨の瑠璃寺に帰り、しばらくして、高林坊は飯道山に来た。別れる時、また、そのうち会おうと約束したが、結局、会う事はなく、二十年経った今、偶然に再会したのだった。
二人は二十年の歳月を忘れ、青年時代に戻って昔の事を懐かしく語り合い、夜が明けるまで飲み明かした。
次の日から、阿修羅坊は甲賀中の尼寺を巡った。
高林坊に、山下の花養院の松恵尼に聞けば、もしかしたら、知ってるかもしれないと言われ、行ってみたが、そんな古い事はちょっとわからないと言われた。初めから、そんな簡単にわかるわけないと思っているので、阿修羅坊は心当たりがあったら聞いてみてくれと頼み、松恵尼と別れた。
尼寺の数は思っていたより多かった。片っ端から、当たってみたが収穫はなかった。
あの赤子が今、生きていれば、今年で十九歳になっている。二人ばかり十九歳の尼僧がいたが、どちらも身元がはっきりしていて別人だった。
赤子の時、尼寺に預けられたとしても尼僧になるとは限らない。里子に出されたかもしれない。そうだとすると、ますます捜し出すのは難しい。十七、八年前に赤子を預からなかったかどうかも聞いてみたが、いい返事は返って来なかった。ほとんど庵主が代わっており、そんな昔の事はわからなかった。
阿修羅坊は途方に暮れ、今度は北畠氏と何らかの関係のあった尼寺を捜してみる事にした。これも難しかった。
かつて、甲賀の地は北畠氏の所領だった事がある。五十年程前の先々代の満雅の時であった。ところが、満雅は天皇の帝位継承問題で幕府と争って敗れ、甲賀の地は六角氏の所領となった。やがて、応仁の乱が始まり、北畠氏は東軍となり、六角氏は西軍となっている。お互いにまだ戦をしてはいないが、西軍の六角氏の地にいて、東軍の北畠氏とつながりのある尼寺を捜すのは難しかった。
阿修羅坊が飯道山に来て、すでに十日が過ぎていた。収穫はまったくなかった。
例の赤子が甲賀に来たという事さえ確認できない。あの老山伏が嘘を付いたとは思えないが、もしかしたら、全然、見当外れな事をしているのかもしれないと阿修羅坊は自分のしている事に自信が持てなくなって来た。
こういう時は何もかも忘れてしまうのが一番だと思い、久し振りに山歩きでもするかと、今日、こうして朝早くから、大勢の修行者たちを高林坊と一緒に見送っていたのだった。
若者たちが全員、出掛けた後、阿修羅坊は高林坊と共に若者たちの後に従った。踏み固められた雪道を二人はのんびりと歩いた。
今日は仕事の事は忘れてしまおうと思うが、頭の中は、これからどうやって捜すかという思いが、ぐるぐると駈け巡っていて忘れる事はできなかった。高林坊が何かと話しかけて来るが阿修羅坊の耳には入らず、ただ、聞き流しているばかりだった。
高林坊は、最近まで、この山で修行していたという太郎坊とかいう山伏の話をしていた。阿修羅坊は聞いている振りをしながら、ただ、適当に相槌を打っていた。
「ちょっと、待て」と阿修羅坊は急に言って立ち止まった。
「どうした」と高林坊も立ち止まった。
「今、何と言った」
「うん? 太郎坊が花養院にいた娘を嫁に貰って、帰って行ったと言ったが‥‥‥」
「花養院に娘がいた?」
「ああ、楓という娘じゃ‥‥‥そういえば、あの楓という娘、松恵尼殿が育ててはいたが、自分の娘ではないはずじゃ」
「その娘というのは年はいくつじゃ」
「十七、八じゃろうのう。いや、年が明けたから、十八、九になってるかのう」
「その娘というのは、いつから花養院にいるんじゃ」
「さあのう」と高林坊は首を振った。「わしはよく知らんが、小さい頃から松恵尼殿が育てていたらしい」
「ううむ‥‥‥で、その太郎坊というのはどこに帰ったんじゃ」
「さあ、知らんのう。生まれは伊勢じゃと聞いた事はあるがのう。詳しくは知らん」
「伊勢? 調べればわかるじゃろう」
「それは、わからんかもしれんのう」
「なぜじゃ。修行者の身元も調べんのか、この山は」
「太郎坊は特別なんじゃ。わしと同期にこの山に来た風眼坊という奴がいるんじゃが、太郎坊はそいつの弟子なんじゃ、それで、身元など一々調べなかったんじゃよ。今、思えばおかしなもんじゃがのう、わしも太郎坊の事は何も知らん。本名も知らんし、ここに来る前はどこで何をしていたのかも知らん。わしが思うには、奴は武士の出じゃろうとは思うがのう。とにかく、武術に関しては凄い才能を持っておる。このわしでも敵わん程じゃ」
「なに、おぬしより強いのか、そいつは」
「ああ、多分な‥‥‥」
「いくつなんじゃ、その太郎坊というのは」
「まだ、二十歳位さ」
「ほう、まだ二十歳で、そんなに強いのか」
「ああ。奴はまだまだ強くなるじゃろう」
「とにかく、伊勢なんじゃな。そいつの生まれは」
「多分な」
「伊勢か‥‥‥そいつの師匠の風眼坊とやらは、この山におるのか」
「いや、いない。どこにおるのかもわからん」
「じゃろうな、そんな気がしたよ」と阿修羅坊は苦笑した。
「花養院の松恵尼殿に聞けばわかるかもしれんぞ」と高林坊は言った。
「また、松恵尼殿か‥‥‥」
「風眼坊と松恵尼殿のつながりは良く知らんが、風眼坊はここに来れば、必ず、あそこに寄る。松恵尼殿なら風眼坊の居所位はわかるかもしれん」
「その娘の名前、楓とか言ったな」と阿修羅坊は確認した。
「ああ、そうじゃ」と高林坊は頷いた。
「わしは、ちょっと、花養院に行って来る」阿修羅坊はそう言うと、来た道を戻って行った。
「相変わらず、せわしいのう」と高林坊は阿修羅坊の去って行く姿を見送り、修行者たちの後を追って歩き始めた。
「一筋縄では、行かんわい」
阿修羅坊はまた、考え込んでいた。
笠と蓑(ミノ)を付け、手拭いで頬被りをし、百姓のなりをして道の脇にある小さな祠(ホコラ)の横に、しょぼくれたように座り込んでいる。
強い北風に枯枝が音を立てて揺れていた。
たんぼの向こうに農家が一軒あり、その向こうに花養院の門が見えた。
昼過ぎだというのに人影はなかった。
空は雲で覆われ、薄暗く、今にも雨が降りそうだった。
松恵尼には何度も会ったが、どうも、本当の事を言っていないようだった。
楓という娘は甲賀の郷士の娘だと言う。幼い頃、両親に先立たれ、松恵尼が育てていたと言う。その郷士というのも調べてみたが確かにいた。娘がいたかどうかまではわからなかったが、その郷士が戦死し、妻は病で亡くなっている。身内は無く、もし、娘がいたとすれば尼寺で預かったとしてもおかしくない。
楓が一緒になった太郎坊の事も聞いてみたが、よくは知らないと言う。伊勢の郷士の伜ではないかというだけで、やはり、本名はわからないと言う。よく、そんな身元のわからない男の所に娘同然のように育てた娘をやったな、と聞くと、「それはしょうがない。お互いに好き合ったんだから一緒にするしかないでしょう」と笑いながら言う。
風眼坊殿の弟子だから、安心して嫁にやったと言う。その風眼坊の居所を尋ねると熊野の山の中の小さな村だと言う。村の名までは知らないが、今は家族と一緒にのんびり暮らしているだろう。もうしばらくすれば、また、ひょっこりと現れるだろうと言っていた。
どうも、松恵尼は何かを隠しているように感じられた。とぼけ方がうまい。尼にしておくには勿体ない美しい顔でにっこり笑われると、なぜか、ごまかされてしまう。
飯道山で松恵尼の事を調べてみたが、出家した時と出家した寺の名前、それと、松恵尼が花養院に来たのが二十年も前という事がわかっただけで、詳しい事は何もわからなかった。係の者に聞いてもみたが、十年程前、山が火事になり、その時、文書類がほとんど焼けてしまい、二十年も前の事などわからないとの事だった。
阿修羅坊は松恵尼の正体をつかもうと、山伏たちや村人たちに、それとなく、松恵尼の事を聞いて回った。
松恵尼は甲賀に来た当時、まだ十九歳で、それはもう綺麗で、まるで、生きている観音様のようだったと言う。誰もが尼さんにしておくのは勿体ないと思い、村の若い者たちは用もないのに花養院の回りをうろうろしていたらしい。ところが、松恵尼は女だてらに薙刀の名人で、近寄る男たちはみんな、やられてしまった。中には、わざわざ、松恵尼の薙刀にやられに行く馬鹿者もいたと言う。そのうちに、松恵尼は村の娘たちに薙刀を教えるようになった。
多分、武士の出だとは思うが、はっきりした事はわからない。北畠氏とのつながりはないか、と聞いてもみたがわからなかった。
応仁の乱が始まった頃、身分の高そうな侍が何度か花養院に出入りしていたが、どこの武士だかはわからない。最近は、あまり、侍たちも訪ねて来なくなったと言う。
松恵尼の母親が住んでいたという農家が見つかり、何かがつかめるだろうと行ってみたが、義助という下男と甚助という大工がいただけだった。義助は母親が亡くなった後に雇われたので、松恵尼の昔の事など、まったく知らなかった。甚助の方はただ、家の修理を頼まれただけだから何も知らない。義助に、松恵尼はよく、この家に帰って来るのか、と聞くと、お客さんが見えた時、ここに連れて来て泊める事もあるが、用が無ければ全然、来ないと言う。
その農家というのが、今、阿修羅坊がいる祠と花養院の間にある、たんぼの中の一軒屋なのだが、阿修羅坊がここに来て以来、松恵尼は一度も、その農家には行かなかった。
阿修羅坊が甲賀に来て、すでに一月が過ぎてしまっていた。
お屋形の姉君捜しは、ここに来て、行き詰まってしまった。少しも進展しない。
もしや、楓という娘が、そうではないかと思うが、その楓は、今、どこにいるのかわからず、楓と一緒になった太郎坊というのも正体がつかめない。
太郎坊という奴は『志能便(シノビ)の術』とかいうのを作り、十一月の末になれば、それを教えるために飯道山に戻って来ると高林坊は言うが、それまで、のんびりと待っているわけにもいかない。
どうも、松恵尼が曲者(クセモノ)だった。身元がまったくわからないというのもおかしい。何かを隠しているに違いなかった。本人に聞いても、すでに、仏に仕える身、俗世間の事はもう、すっかり忘れてしまいました、と笑いながら言うだけだった。松恵尼の行動を見張ってもみたが怪しい所は少しも無かった。毎日、判で押したような退屈な生活だ。あんな生活をしていて何が楽しいのだろうか。松恵尼の美しい姿を見ては、勿体ないと思う阿修羅坊だった。
二月の末になって、かねて、呼んでいた阿修羅坊の手下が二人、瑠璃寺からやって来た。阿修羅坊は二人を飯道山に入れ、花養院の見張りを命じ、北畠氏の本拠地、多気へと向かう事にした。
太郎坊というのが伊勢の出身なら、北畠氏と何らかの関係があるかもしれない。そして、高林坊が言うには余程、腕が立つらしい。本名はわからないにしろ、若くして腕の立つ武士を捜し出すのは簡単だった。二年間、修行して、強くなった太郎坊は当然の事として、自分の腕を試すために城下に出るはずだ。必ず、伊勢の国のどこかの城下にいるだろう。もし、太郎坊が一介の郷士の伜だとすれば、まず、『伊勢の都』と呼ばれる多気に行くはずた。太郎坊の線から楓を捜してみようと思っていた。
「背水の陣でも敷いてみるか‥‥‥」と阿修羅坊は呟いた。
甲賀を去る前に、松恵尼にすべてをぶちまけてみようと考えた。松恵尼が隠しているに違いない何かを聞き出すには、こっちも、すべて、打ち明けた方がいいだろう。
浦上美作守には口止めされてはいたが、赤松家とは何の関係もない、あの尼僧に打ち明けたとしても差し支えはないだろう。もし、松恵尼が阿修羅坊の睨んだ通り、北畠氏と関係あったとしても、北畠氏なら赤松家と同じ東軍だし、赤松家に対して悪いようにはすまい。一か八か、すべてを話し、松恵尼の反応をみようと思った。
阿修羅坊は山伏の姿に戻り、旅支度をして花養院を訪ねた。
松恵尼にすべてを話し、協力してくれと頼んだ。
松恵尼は静かに阿修羅坊の話を聞いていた。特に反応は示さなかった。
赤松氏と言っても、北畠氏と言っても、顔色ひとつ変えず、ただ、黙って阿修羅坊の話を聞いている。
話が終わると、「御苦労様です」と松恵尼は言い、「赤松殿の姉君様が見つかるといいですね」と人事のように言った。
阿修羅坊の期待は外れた。こっちが、本当の事を言えば松恵尼も打ち解け、本当の事を話してくれるだろうと思ったが、考えが甘かった。
「また、一からやり直しじゃ、とりあえず、北畠氏の多気にでも行ってみるか」と阿修羅坊は言い残し、松恵尼と別れた。
外は小雨が散らついていた。
阿修羅坊は南に向かって旅立って行った。しかし、真っすぐに多気には向かわなかった。また戻って来て、三日間、花養院を見張っていた。松恵尼が阿修羅坊の話を聞き、何らかの反応を示すはずだった。ところか、松恵尼は何の反応も示さなかった。
三日目の夜、阿修羅坊は夜空を見上げていた。
星が綺麗だった。
阿修羅坊は今度こそ、本当に甲賀を後にした。
一月後の三月の末、再び、飯道山に阿修羅坊の姿があった。
髭は伸び、目がくぼみ、疲れきっているようだった。
手下の二人から報告を受けると、ただ頷き、伸びた髭を撫でていた。
松恵尼は相変わらず、尻尾を出さなかった。このまま見張っていても、多分、尻尾は出さないだろう。
それより、木造(コヅクリ)の城下で耳にした事が気になっていた。
正月の十五日、山名宗全が細川勝元に和平を申し入れたという。結果は失敗に終わったらしいが気になっていた。今、和平が成立してしまえば、赤松家に取っては不利になる。
赤松家は東軍となり西軍の山名氏と対立しているため、名目上、播磨、備前、美作と以前のように守護職に就いてはいるが、完全に領国となっているのは播磨だけだった。備前と美作には、まだ、山名方の国人がかなりいる。和平が成立してしまえば、備前、美作は山名宗全のものとなるのは必定だった。
また、山名氏の方から和平を申し入れたという事は、宗全入道はかなり弱気になっているという事だ。もしかしたら、病になっているのかもしれない。宗全入道、すでに七十歳に近い。病に倒れたとしてもおかしくはない。もし、そうだとすれば、山名軍をたたくのは今をおいて他にない。
阿修羅坊はとりあえず、京に戻る事にした。
十一月の末になれば、太郎坊はこの山に来るだろう。その頃、もう一度来ればいいと思い、手下を連れて飯道山を後にした。
皮肉な事に、太郎坊と楓は一月後の四月二十日、飯道山に戻って来た。
美作守は一つを手に取ると、鞘を払い、刀身を眺めた。
刀身は曇りなく、良く手入れがしてあった。備前長船(ビゼンオサフネ)の刀であるが名刀と言える程の物ではない。かと言って、雑兵(ゾウヒョウ)が持っているような『数打(カズウチ)』又は『束刀(タバガタナ)』と言われ、需要に合わせて大量に生産され、束にして取引されるような安物でもない。仮にも武将と呼ばれる程の武士なら誰もが普段、持っているような実戦向きな刀だった。
美作守は慣れた手付きで目貫(メヌキ)を抜いて柄をはずした。出て来た茎(ナカゴ)には紙が巻いてあった。紙を開いてみると『岩戸』と書いてあり、下に赤松性具入道の花押(カオウ、書き判)が書いてある。
美作守はしばらく、その紙を見つめていたが、やがて、その紙を元のように茎に巻き、柄の中に隠した。そして、もう一つの脇差も同じように柄をはずした。こちらの脇差にも紙が隠してあった。こちらの紙には『不二』と書いてあり、やはり、性具入道の花押が書いてある。美作守はその紙をじっと見つめ、また、元に戻した。
『岩戸』と『不二』、そして、性具入道の花押‥‥‥一体、これは何を意味するものなのだろうか。
美作守にはまったくわからなかった。
一刀は性具(ショウグ)入道の弟、左馬助則繁(サマノスケノリシゲ)の物であった。
嘉吉の変の時、城山城(キノヤマジョウ)が落城する前に脱出した左馬助は九州まで逃げ、更に朝鮮まで渡って海賊まがいの事をして暴れていた。
文安五年(一四四八年)に九州に戻ると、筑前(福岡県)の少弐(ショウニ)氏と共に肥前(佐賀県、長崎県)において大内氏と戦うが敗れ、播磨に帰って来た。
すでに、播磨の国は山名氏の領国となっていたが、山名氏に反発している者たちや隠れ潜んでいる赤松家の遺臣たちも、かなりいた。左馬助は彼らと連絡を取り、ひそかに兵を集め、かつては自分の城だったが、今は廃城となっている善防師(ゼンボウシ)城(加西市)において、再起を図って挙兵をした。初めのうちは調子良く行った。しかし、山名宗全が大軍を引き連れて京から攻め寄せて来ると恐れをなして逃げる者も多く、敗れてしまった。
左馬助は山名氏を倒すには、山名氏に対抗できるだけの勢力を持つ畠山氏を味方にしなければ不可能だと考え、善防師城を無事に抜け出すと畠山持国を頼って河内の国(大阪府南東部)に逃げた。畠山持国は左馬助を五年近く匿っていたが、やがて、幕府に知られ、管領細川勝元は細川持常に左馬助討伐を命じた。左馬助は隠れていた当麻寺(タイマジ)を囲まれ、無念のうちに自害して果て、その首は京の都で梟された。
そして、長禄三年(一四五九年)、赤松家が再興された翌年、管領細川勝元を通して、左馬助の所持していた物が赤松政則のもとに届けられた。その中に、太刀や槍、虎皮の袖なしと共に、この脇差があった。初めて脇差の柄をはずして、その紙を見つけた時は、ただのお守りだろうと思っていた。
ところが、去年の夏、今度は性具入道の甥にあたる彦五郎則尚の遺品が届けられ、その遺品の中にあった脇差の柄の中にも同じような紙が入っていた。
彦五郎も嘉吉の変の時、無事に城山城を脱出し、その後、赤松の遺臣たちを率いて赤松家再興のために山名宗全と戦うが敗れ、享徳四年(一四五五年)五月に自害して果てていた。
ただのお守りにしては妙だった。性具入道の花押が、なぜか、気に掛かった。
それに、この刀が不釣合いだった。四職家の一つである赤松家の武将が持つような刀ではない。いくら、戦に負けたとはいえ、赤松家の侍大将が持つべき刀ではなかった。所領の備前にはいくらでも名刀があった。左馬助にしろ、彦五郎にしろ、名刀の何振りかは持っていたはずだ。なのに、なぜ、こんな脇差を差していたのか。
よりによって、左馬助、彦五郎の二人が揃って、不釣合いな脇差を差していた‥‥‥しかも、左馬助は朝鮮にまで行って海賊まがいの事をしていたと言う。その間、ずっと、この脇差を大事に差していた。この脇差より立派な物を手に入れる機会はいくらでもあった事だろう。しかし、手放さなかった。
何かある‥‥‥
この性具入道の花押入りの紙切れには、何か重要な意味があるはずだ‥‥‥
もしかしたら、まだ、他にも、このような紙を隠した脇差があるのかもしれない。
美作守は嘉吉の変の時の赤松一門の者を調べてみた。
まず、性具入道、そして、弟の伊予守義雅、龍門寺真操、兵部少輔祐之、左馬助則繁、兵庫助則之、嫡男の彦次郎教康、甥の彦五郎則尚、以上八人であった。その他、性具入道のすぐ下に民部大輔祐政、常陸介祐尚(彦五郎の父)という二人の弟がいたが、嘉吉の変の前に、すでに亡くなっていた。
性具入道は城山城にて自害、入道の太刀や脇差は城と共に燃えてしまった。
兵部少輔と兵庫助は坂本城落城の前に戦死している。二人の脇差はどこに行ってしまったのか、まったくわからない。
龍門寺真操は坂本城において自害、真操の脇差は坂本城落城の時、燃えてしまったのか、それとも、網干(姫路市)の龍門寺に残されているかもしれないと思って、手下を使って捜させてみたが見つからなかった。
左馬助と彦五郎の脇差は今、手元にある。
残るは、伊予守と彦次郎。彦次郎は伊勢で自害した。もしかしたら、北畠氏が保管しているかもしれない。
伊予守は今のお屋形、政則の祖父に当たる。伊予守は敵に回った赤松播磨守の陣において自害したが、太刀と脇差を形見として子の彦三郎に与えた可能性はある。しかし、彦三郎の子、政則は伊予守の脇差は持っていなかった。また、彦三郎の弟である勝岳性存に聞いてもみたが知らないと言う。
伊予守の脇差は一体、どこに行ってしまったのだろうか。
もし、政則の姉が生きていたとしたら、形見として、その脇差を持っている可能性はあった。
太刀の方は残っていて、今も政則が大事に保管している。その太刀は伊予守が持つにふさわしい応永備前の業物(ワザモノ)であった。しかし、太刀の柄の中には何も入っていなかった。
美作守は二つの脇差を並べたまま、しばらく、考え込んでいた。
今まで、二つの意味のわからない紙の事は気にはなっていたが、何かと忙しくて、そんな事に構っている暇などなかった。ようやく、正月の忙しさもおさまり、久し振りに見てみたが、相変わらず、『岩戸』と『不二』の意味はわからない。
『岩戸』とは、天の岩戸の事だろうか、それとも、どこかの地名の事か‥‥‥
『不二』とは、富士山の事か、それとも、二つとは無いという意味か‥‥‥
『岩戸』と『不二』、富士山のどこかに岩の戸があるのか‥‥‥
富士山と言っても、駿河(静岡県中東部)の富士山とは限らない。播磨富士もあれば、備前富士、有馬富士、阿波富士、讃岐富士、近江富士もある。まだまだ、あるだろう。そのどこかの富士山のどこかに、岩戸があると言うのか‥‥‥
性具入道が書いたのだから、やはり、播磨富士が妥当な所だろう。播磨富士と言えば笠形山だ。笠形山のどこかに岩戸があり、そこに何かを隠したというのだろうか‥‥‥
わからなかった。
美作守が首を傾げながら、脇差を抜いたりして眺めていると、突然、庭の方から物音が聞こえた。黙って、この離れの書院まで入って来る者はいないはずだった。
美作守は抜いたままの脇差を構え、物音の方に振り向いた。
カラスが木の上で羽根をばたつかせていた。戦が始まってからというもの、カラスの数が増えていた。今の京の都は兵士とカラスの町のようだった。
美作守は舌を鳴らすと、脇差を鞘に納めた。
「いい正月じゃな」と、ふいに声がした。
カラスと反対の方に山伏が立って笑っていた。
阿修羅坊だった。
「いい天気じゃ」と阿修羅坊は錫杖を鳴らしながら、空を見上げた。
「何だ、おぬしか、脅かすな‥‥‥相変わらず、天狗のような奴じゃのう」
「カラスの側には天狗がおるものじゃ。それにしても、この庭はぐちゃぐちゃじゃのう」
阿修羅坊は高下駄に付いた泥を落とした。
「ここに来るのに、わさわざ、そんな所を通る奴はおらんからのう」
「刀の手入れですかい」と阿修羅坊は縁側に腰を降ろした。
「どうした。いい土産でも持って来たのか」
阿修羅坊は首を振った。「残念ながら、そう簡単にはいかんらしい」
「どこまでわかったんだ」
「大した事はわからん」と阿修羅坊は言ってニヤリと笑った。
「勿体ぶらずに話せ」
「ああ。まず、お屋形様の姉君の事だが、確かにいたという事ははっきりした」
「なに、姉君がいた」と美作守は身を乗り出した。
「そう、先走るな。順を追って話す‥‥‥三十年前、嘉吉の変の時、お屋形様の父上は天隠龍沢殿に連れられて、母親の実家、三条家の所領だった近江(滋賀県)浅井郷丁野(ヨオノ)村に隠れたんじゃ。
十二歳の時に元服して彦三郎義祐(ヨシスケ)と名乗り、小谷山の裾野の須賀谷に移られた。
十七歳の時に家臣の中村弾正忠の娘を嫁に貰ったんじゃ。その娘というのはお屋形様の母君、北の方様じゃな。その北の方様が近所の郷士の家で見つけ出して、下女として雇ったのがお咲という娘で、これが姉君の母親というわけじゃ。
お咲はよく気の付く娘だったらしくてのう、北の方様のお気に入りの下女だったらしい。やがて、そのお咲が彦三郎殿の目に止まり、お手付きとなったわけじゃが、北の方様には内緒だったらしいのう。二年程、北の方様の目を盗んで会っていたらしいが、とうとう、見つかっての、お咲は追い出されたんじゃ。しかし、すでにその時、お咲の腹の中には子供ができておったんじゃ。
お咲は実家に戻ったが、実家というのは彦三郎殿の隠れ家とは目と鼻の先じゃ。自然、北の方様にもお咲の腹が大きくなっていくのがわかってしまった。北の方様はお咲に対して、いやがらせをしたらしいのう。女の嫉妬という奴じゃ。北の方様は嫁いで来てから四年にもなるのに子供ができんかったから余計、お咲の事が頭に来たんじゃろうのう。
お咲は今浜(長浜市)の親戚の家に預けられ、無事に赤子を産んだ。
彦三郎殿は北の方様に隠れて、我が子に会いに今浜まで何度か通っていたらしい。ところが、翌年、盗賊どもに襲われて、一家は全滅、皆殺しになったそうじゃ。その盗賊というのは、前の年に京の都で暴れ回っておった奴ららしい。京で好き勝手な事をしておったが、追われて近江に逃げて来て、今浜を襲い、金目の物を奪うと関東の方に去って行ったそうじゃ。
赤子は幸運にも無事じゃった。ある山伏によって助け出され、どこかへ連れ去られたんじゃ。その山伏というのは伊勢の世義寺(セギデラ)の山伏じゃった」
「なに、伊勢だと」
「そうじゃ。伊勢の世義寺じゃ」
「伊勢か‥‥‥伊勢といえば北畠じゃな。北畠が絡んでおったのか‥‥‥」
「という事じゃ」
「どうして、北畠の山伏がそんな所におったんじゃ」
「わからん。わからんが、その世義寺の山伏がお屋形様の姉君をさらって行った事は確かじゃ」
「どこへ」
「それもわからん」と阿修羅坊は首を振った。
「伊勢の北畠か‥‥‥」美作守は唸りながら腕を組んで、庭の方を眺めた。
松の木のてっぺんにカラスが超然と止まっていた。
「その山伏だが」と阿修羅坊は言った。「長禄元年(一四五七年)十二月に吉野において戦死しておる」
「ちょっと、待て」と美作守は驚いた顔を阿修羅坊に向けた。「長禄元年に吉野で戦死?」
「例の事件じゃ」と阿修羅坊は頷いた。
「なぜ、北畠の山伏が例の事件に拘わっておるんじゃ」
「それもわからん。わからんが、北畠氏が何らかの関係を持ってる事は確かじゃ。これから、伊勢に行って調べて来る」
美作守は庭の枯木をぼんやりと眺めながら、何かを考えていた。
その隙に阿修羅坊は消えた。来た時と同じく、音もなく庭から去って行った。
美作守は何事もなかったかのように、また、二振りの脇差を見ながら考え込んでいた。
阿修羅坊の言った例の事件とは、赤松家の遺臣たちが後南朝の二皇子を殺害して、神爾(シンジ、八尺瓊の曲玉)を奪い返そうとした事件である。結局は失敗に終わり、赤松の遺臣たちが大勢、殺された。
まだ、赤松家が再興される前の事であった。
赤松家の遺臣たちは何とか、赤松家を再興しようと赤松左馬助や彦五郎らを立て、再三、蜂起したが、山名宗全の前にことごとく敗れ去った。
享徳四年(一四五五年)彦五郎が自害し、残るは伊予守の遺児、彦三郎と出家した弟の勝岳、二人だけになった。赤松の遺臣たちは彦三郎に赤松家再興の夢を託した。
それより十二年前の嘉吉三年、後南朝の泰仁(ヤスヒト)王を奉じた南朝の臣、楠木、越智(オチ)氏らが御所を夜襲し、三種の神器(ジンギ)のうちの神璽と宝剣(草薙の剣)を奪うという事件があった。宝剣は比叡山の衆徒らによって回収されたが、神璽は御南朝の本拠地、吉野の山奥に持ち去られてしまった。
赤松家の遺臣たちは、その神璽を取り戻す事を条件に赤松家の再興を幕府に申し出て許された。かくして、赤松の遺臣たちは吉野の山奥に潜入し、偽って尊秀(タカヒデ)皇子、忠義皇子に仕えた。その時、彦三郎も妻の姓、中村を名乗って潜入していた。
長禄元年(一四五七年)十二月、赤松の遺臣たちは二皇子を殺害して神璽を奪った。しかし、吉野の郷民らに追撃されて多くの死者を出し、神璽も奪われてしまった。彦三郎も重傷を負い、やっとの事で近江まで逃げ帰ると、そのまま、寝たきりになってしまった。
その翌年、生き残った赤松の遺臣が郷民の手から神璽を取り戻し、無事、京の御所に戻された。その功によって、彦三郎の嫡男、次郎政則を当主に赤松家の再興が許されたのであった。
政則の姉を連れ去った伊勢の山伏が、この事件に拘わって戦死していたと言う‥‥‥
「伊勢の北畠か‥‥‥」美作守は庭を見つめながら独り呟くと、二振りの脇差を布でくるみ、古びた鎧櫃(ヨロイビツ)の中に片付けた。
カラスが一鳴きして、飛び去って行った。
2
まだ、薄暗い早朝、雪に覆われた山道を大勢の若者たちが黙々と歩いて行った。
甲賀、飯道山。
今年も例年のごとく、武術修行に来た若者たちの山歩きの行が始まっていた。
本堂前の広場に集まった三百人近くの若者たちは順番に飯道権現を拝み、行者堂の役(エン)の行者を拝み、山道へと向かって行った。
高林坊を初め、先達山伏たちが本堂の前に並んでいる。その中に、瑠璃寺の山伏、阿修羅坊の姿があった。
阿修羅坊は京の浦上屋敷を出ると真っすぐ、伊勢へと向かった。
伊勢の世義寺(伊勢市)に行き、お屋形の姉君を連れ去って吉野で戦死したという山伏、東蓮坊が姉君をどこにやったかを探るためだった。すでに、東蓮坊が死んでから十五年も経っている。東蓮坊を知っている山伏はなかなか見つからなかった。
北畠氏と世義寺のつながりも、それとなく聞いてみたが、今は、あまり、つながりはないようだった。先代の教具の頃は、世義寺の山伏たちも北畠氏のために色々と活動していたらしいが、去年の春、教具が亡くなり、政郷の代になってからは、山伏をあまり近づけなくなったと言う。
東蓮坊という山伏は、北畠教具の命令で赤松彦三郎義祐の身辺に近づき、どういう理由かわからないが、彦三郎の娘をさらい、その後、吉野に行って赤松家の浪人たちと共に討ち死にしたに違いない。しかし、それを命じた北畠教具もいない今、娘の行方を捜すのは難しい事だと改めて思った。
東蓮坊は近江浅井郷の鶏足寺(ケイソクジ)に潜んで彦三郎を見守っていた。その頃、鶏足寺には山伏に化けた赤松の遺臣、中村某が新禅坊と名乗り、同じく、彦三郎を見守るために潜伏していた。東蓮坊は長い間、鶏足寺にいるうちに、その新禅坊と知り合い、意気投合して、赤松家のために吉野まで行ったと思われる。
吉野に行った二人は彦三郎と共に、偽って後南朝の皇子に仕え、神璽を奪おうとするが失敗して殺される。吉野に行った時、東蓮坊は赤子を連れてはいなかった。赤子は伊勢のどこかにいるのかもしれない。
教具なら知っているはずだが、今の政郷が知っている可能性は低かった。政郷はまだ、二十代初めと聞いている。東蓮坊が死んだ時は十歳にもなっていない。知っているはずはなかった。
ここまで来て、お屋形様の姉君を見つける手掛かりはプッツリと切れてしまった。
これ以上、世義寺にいてもしょうがない。無駄だと思うが、北畠氏の本拠地、多気にでも行ってみるかと世話になった山伏に挨拶をして帰ろうとした時だった。ふと、思い出したらしく、その山伏が鉄心坊という老山伏がいるが、東蓮坊の事を知っているかもしれないと言った。
鉄心坊は世義寺にはいなかった。『伊勢山上(サンジョウ)』と呼ばれる山伏の霊場、飯福田寺(イブタジ)にいると言う。飯福田寺は松坂から奈良街道に入り、北畠氏の支城、大河内城と坂内城の城下町を通り、二条という所から街道を離れ、山の中に入った所にある。
阿修羅坊はさっそく、飯福田寺に向かった。
雪を踏み分け、飯福田寺に来てみたが鉄心坊はいなかった。岩内(ヨウチ)の瑞巌寺(ズイガンジ)にいると言う。阿修羅坊は雪の降る中、飯福田寺の東にある観音岳を越えて山麓の瑞巌寺へと向かった。
鉄心坊はいた。
瑞巌寺の僧坊で、丸くなって火鉢にあたっていた鋭い目付きの痩せた老山伏が鉄心坊だった。髪も髭も真っ白で、七十歳位に見えた。余程、修行を積んでいるらしく、神気に似た威厳が漂う大先達の山伏だった。
阿修羅坊は挨拶を済ますと、さっそく、東蓮坊の事を聞いてみた。
東蓮坊は鉄心坊の弟子だったと言う。もう昔の事だから、言っても構わんだろうと鉄心坊は話してくれた。
阿修羅坊の思った通り、東蓮坊は北畠教具の命令で赤松彦三郎の身辺を探っていたと言う。彦三郎だけでなく、教具は嘉吉の変後の赤松一族すべての者の身辺に誰かを見張らせていた。教具は嘉吉の変の後、北畠氏を頼って来た赤松彦次郎教康を見殺しにしてしまった事を後になって悔い、赤松家のために何かしてやりたいと思っていた。赤松浪人たちが必死になって、赤松家を再興しようとしているのを見て、陰ながら助けようと思っていたらしい。
鉄心坊は東蓮坊が近江より連れて来た赤子の事は覚えていた。東蓮坊は赤子を多気の御所まで連れて行った。それから、その赤子がどこに行ったのか詳しくは知らないが、甲賀の尼寺に預けられたらしい、と東蓮坊が言っていたと言う。それ以上の事は鉄心坊は知らなかった。
その晩、阿修羅坊は瑞巌寺に泊めてもらい、老山伏と仕事抜きで語り合い、次の日の朝、甲賀へと向かった。
甲賀の飯道山を拠点に、甲賀中の尼寺を当たってみようと思っていた。そこで、ばったり会ったのが高林坊だった。実に、二十年振りの再会だった。
かつて、若き日の二人は葛城山(カツラギサン)で修行していた。年は阿修羅坊の方が二つ上だが武術の腕はほぼ互角で、二人でよく稽古したものだった。二人が共に葛城山で修行したのは一年足らずだったが、二人は修行以外でも気が合って、よく遊び回ったものだった。
やがて、阿修羅坊は播磨の瑠璃寺に帰り、しばらくして、高林坊は飯道山に来た。別れる時、また、そのうち会おうと約束したが、結局、会う事はなく、二十年経った今、偶然に再会したのだった。
二人は二十年の歳月を忘れ、青年時代に戻って昔の事を懐かしく語り合い、夜が明けるまで飲み明かした。
次の日から、阿修羅坊は甲賀中の尼寺を巡った。
高林坊に、山下の花養院の松恵尼に聞けば、もしかしたら、知ってるかもしれないと言われ、行ってみたが、そんな古い事はちょっとわからないと言われた。初めから、そんな簡単にわかるわけないと思っているので、阿修羅坊は心当たりがあったら聞いてみてくれと頼み、松恵尼と別れた。
尼寺の数は思っていたより多かった。片っ端から、当たってみたが収穫はなかった。
あの赤子が今、生きていれば、今年で十九歳になっている。二人ばかり十九歳の尼僧がいたが、どちらも身元がはっきりしていて別人だった。
赤子の時、尼寺に預けられたとしても尼僧になるとは限らない。里子に出されたかもしれない。そうだとすると、ますます捜し出すのは難しい。十七、八年前に赤子を預からなかったかどうかも聞いてみたが、いい返事は返って来なかった。ほとんど庵主が代わっており、そんな昔の事はわからなかった。
阿修羅坊は途方に暮れ、今度は北畠氏と何らかの関係のあった尼寺を捜してみる事にした。これも難しかった。
かつて、甲賀の地は北畠氏の所領だった事がある。五十年程前の先々代の満雅の時であった。ところが、満雅は天皇の帝位継承問題で幕府と争って敗れ、甲賀の地は六角氏の所領となった。やがて、応仁の乱が始まり、北畠氏は東軍となり、六角氏は西軍となっている。お互いにまだ戦をしてはいないが、西軍の六角氏の地にいて、東軍の北畠氏とつながりのある尼寺を捜すのは難しかった。
阿修羅坊が飯道山に来て、すでに十日が過ぎていた。収穫はまったくなかった。
例の赤子が甲賀に来たという事さえ確認できない。あの老山伏が嘘を付いたとは思えないが、もしかしたら、全然、見当外れな事をしているのかもしれないと阿修羅坊は自分のしている事に自信が持てなくなって来た。
こういう時は何もかも忘れてしまうのが一番だと思い、久し振りに山歩きでもするかと、今日、こうして朝早くから、大勢の修行者たちを高林坊と一緒に見送っていたのだった。
若者たちが全員、出掛けた後、阿修羅坊は高林坊と共に若者たちの後に従った。踏み固められた雪道を二人はのんびりと歩いた。
今日は仕事の事は忘れてしまおうと思うが、頭の中は、これからどうやって捜すかという思いが、ぐるぐると駈け巡っていて忘れる事はできなかった。高林坊が何かと話しかけて来るが阿修羅坊の耳には入らず、ただ、聞き流しているばかりだった。
高林坊は、最近まで、この山で修行していたという太郎坊とかいう山伏の話をしていた。阿修羅坊は聞いている振りをしながら、ただ、適当に相槌を打っていた。
「ちょっと、待て」と阿修羅坊は急に言って立ち止まった。
「どうした」と高林坊も立ち止まった。
「今、何と言った」
「うん? 太郎坊が花養院にいた娘を嫁に貰って、帰って行ったと言ったが‥‥‥」
「花養院に娘がいた?」
「ああ、楓という娘じゃ‥‥‥そういえば、あの楓という娘、松恵尼殿が育ててはいたが、自分の娘ではないはずじゃ」
「その娘というのは年はいくつじゃ」
「十七、八じゃろうのう。いや、年が明けたから、十八、九になってるかのう」
「その娘というのは、いつから花養院にいるんじゃ」
「さあのう」と高林坊は首を振った。「わしはよく知らんが、小さい頃から松恵尼殿が育てていたらしい」
「ううむ‥‥‥で、その太郎坊というのはどこに帰ったんじゃ」
「さあ、知らんのう。生まれは伊勢じゃと聞いた事はあるがのう。詳しくは知らん」
「伊勢? 調べればわかるじゃろう」
「それは、わからんかもしれんのう」
「なぜじゃ。修行者の身元も調べんのか、この山は」
「太郎坊は特別なんじゃ。わしと同期にこの山に来た風眼坊という奴がいるんじゃが、太郎坊はそいつの弟子なんじゃ、それで、身元など一々調べなかったんじゃよ。今、思えばおかしなもんじゃがのう、わしも太郎坊の事は何も知らん。本名も知らんし、ここに来る前はどこで何をしていたのかも知らん。わしが思うには、奴は武士の出じゃろうとは思うがのう。とにかく、武術に関しては凄い才能を持っておる。このわしでも敵わん程じゃ」
「なに、おぬしより強いのか、そいつは」
「ああ、多分な‥‥‥」
「いくつなんじゃ、その太郎坊というのは」
「まだ、二十歳位さ」
「ほう、まだ二十歳で、そんなに強いのか」
「ああ。奴はまだまだ強くなるじゃろう」
「とにかく、伊勢なんじゃな。そいつの生まれは」
「多分な」
「伊勢か‥‥‥そいつの師匠の風眼坊とやらは、この山におるのか」
「いや、いない。どこにおるのかもわからん」
「じゃろうな、そんな気がしたよ」と阿修羅坊は苦笑した。
「花養院の松恵尼殿に聞けばわかるかもしれんぞ」と高林坊は言った。
「また、松恵尼殿か‥‥‥」
「風眼坊と松恵尼殿のつながりは良く知らんが、風眼坊はここに来れば、必ず、あそこに寄る。松恵尼殿なら風眼坊の居所位はわかるかもしれん」
「その娘の名前、楓とか言ったな」と阿修羅坊は確認した。
「ああ、そうじゃ」と高林坊は頷いた。
「わしは、ちょっと、花養院に行って来る」阿修羅坊はそう言うと、来た道を戻って行った。
「相変わらず、せわしいのう」と高林坊は阿修羅坊の去って行く姿を見送り、修行者たちの後を追って歩き始めた。
3
「一筋縄では、行かんわい」
阿修羅坊はまた、考え込んでいた。
笠と蓑(ミノ)を付け、手拭いで頬被りをし、百姓のなりをして道の脇にある小さな祠(ホコラ)の横に、しょぼくれたように座り込んでいる。
強い北風に枯枝が音を立てて揺れていた。
たんぼの向こうに農家が一軒あり、その向こうに花養院の門が見えた。
昼過ぎだというのに人影はなかった。
空は雲で覆われ、薄暗く、今にも雨が降りそうだった。
松恵尼には何度も会ったが、どうも、本当の事を言っていないようだった。
楓という娘は甲賀の郷士の娘だと言う。幼い頃、両親に先立たれ、松恵尼が育てていたと言う。その郷士というのも調べてみたが確かにいた。娘がいたかどうかまではわからなかったが、その郷士が戦死し、妻は病で亡くなっている。身内は無く、もし、娘がいたとすれば尼寺で預かったとしてもおかしくない。
楓が一緒になった太郎坊の事も聞いてみたが、よくは知らないと言う。伊勢の郷士の伜ではないかというだけで、やはり、本名はわからないと言う。よく、そんな身元のわからない男の所に娘同然のように育てた娘をやったな、と聞くと、「それはしょうがない。お互いに好き合ったんだから一緒にするしかないでしょう」と笑いながら言う。
風眼坊殿の弟子だから、安心して嫁にやったと言う。その風眼坊の居所を尋ねると熊野の山の中の小さな村だと言う。村の名までは知らないが、今は家族と一緒にのんびり暮らしているだろう。もうしばらくすれば、また、ひょっこりと現れるだろうと言っていた。
どうも、松恵尼は何かを隠しているように感じられた。とぼけ方がうまい。尼にしておくには勿体ない美しい顔でにっこり笑われると、なぜか、ごまかされてしまう。
飯道山で松恵尼の事を調べてみたが、出家した時と出家した寺の名前、それと、松恵尼が花養院に来たのが二十年も前という事がわかっただけで、詳しい事は何もわからなかった。係の者に聞いてもみたが、十年程前、山が火事になり、その時、文書類がほとんど焼けてしまい、二十年も前の事などわからないとの事だった。
阿修羅坊は松恵尼の正体をつかもうと、山伏たちや村人たちに、それとなく、松恵尼の事を聞いて回った。
松恵尼は甲賀に来た当時、まだ十九歳で、それはもう綺麗で、まるで、生きている観音様のようだったと言う。誰もが尼さんにしておくのは勿体ないと思い、村の若い者たちは用もないのに花養院の回りをうろうろしていたらしい。ところが、松恵尼は女だてらに薙刀の名人で、近寄る男たちはみんな、やられてしまった。中には、わざわざ、松恵尼の薙刀にやられに行く馬鹿者もいたと言う。そのうちに、松恵尼は村の娘たちに薙刀を教えるようになった。
多分、武士の出だとは思うが、はっきりした事はわからない。北畠氏とのつながりはないか、と聞いてもみたがわからなかった。
応仁の乱が始まった頃、身分の高そうな侍が何度か花養院に出入りしていたが、どこの武士だかはわからない。最近は、あまり、侍たちも訪ねて来なくなったと言う。
松恵尼の母親が住んでいたという農家が見つかり、何かがつかめるだろうと行ってみたが、義助という下男と甚助という大工がいただけだった。義助は母親が亡くなった後に雇われたので、松恵尼の昔の事など、まったく知らなかった。甚助の方はただ、家の修理を頼まれただけだから何も知らない。義助に、松恵尼はよく、この家に帰って来るのか、と聞くと、お客さんが見えた時、ここに連れて来て泊める事もあるが、用が無ければ全然、来ないと言う。
その農家というのが、今、阿修羅坊がいる祠と花養院の間にある、たんぼの中の一軒屋なのだが、阿修羅坊がここに来て以来、松恵尼は一度も、その農家には行かなかった。
阿修羅坊が甲賀に来て、すでに一月が過ぎてしまっていた。
お屋形の姉君捜しは、ここに来て、行き詰まってしまった。少しも進展しない。
もしや、楓という娘が、そうではないかと思うが、その楓は、今、どこにいるのかわからず、楓と一緒になった太郎坊というのも正体がつかめない。
太郎坊という奴は『志能便(シノビ)の術』とかいうのを作り、十一月の末になれば、それを教えるために飯道山に戻って来ると高林坊は言うが、それまで、のんびりと待っているわけにもいかない。
どうも、松恵尼が曲者(クセモノ)だった。身元がまったくわからないというのもおかしい。何かを隠しているに違いなかった。本人に聞いても、すでに、仏に仕える身、俗世間の事はもう、すっかり忘れてしまいました、と笑いながら言うだけだった。松恵尼の行動を見張ってもみたが怪しい所は少しも無かった。毎日、判で押したような退屈な生活だ。あんな生活をしていて何が楽しいのだろうか。松恵尼の美しい姿を見ては、勿体ないと思う阿修羅坊だった。
二月の末になって、かねて、呼んでいた阿修羅坊の手下が二人、瑠璃寺からやって来た。阿修羅坊は二人を飯道山に入れ、花養院の見張りを命じ、北畠氏の本拠地、多気へと向かう事にした。
太郎坊というのが伊勢の出身なら、北畠氏と何らかの関係があるかもしれない。そして、高林坊が言うには余程、腕が立つらしい。本名はわからないにしろ、若くして腕の立つ武士を捜し出すのは簡単だった。二年間、修行して、強くなった太郎坊は当然の事として、自分の腕を試すために城下に出るはずだ。必ず、伊勢の国のどこかの城下にいるだろう。もし、太郎坊が一介の郷士の伜だとすれば、まず、『伊勢の都』と呼ばれる多気に行くはずた。太郎坊の線から楓を捜してみようと思っていた。
「背水の陣でも敷いてみるか‥‥‥」と阿修羅坊は呟いた。
甲賀を去る前に、松恵尼にすべてをぶちまけてみようと考えた。松恵尼が隠しているに違いない何かを聞き出すには、こっちも、すべて、打ち明けた方がいいだろう。
浦上美作守には口止めされてはいたが、赤松家とは何の関係もない、あの尼僧に打ち明けたとしても差し支えはないだろう。もし、松恵尼が阿修羅坊の睨んだ通り、北畠氏と関係あったとしても、北畠氏なら赤松家と同じ東軍だし、赤松家に対して悪いようにはすまい。一か八か、すべてを話し、松恵尼の反応をみようと思った。
阿修羅坊は山伏の姿に戻り、旅支度をして花養院を訪ねた。
松恵尼にすべてを話し、協力してくれと頼んだ。
松恵尼は静かに阿修羅坊の話を聞いていた。特に反応は示さなかった。
赤松氏と言っても、北畠氏と言っても、顔色ひとつ変えず、ただ、黙って阿修羅坊の話を聞いている。
話が終わると、「御苦労様です」と松恵尼は言い、「赤松殿の姉君様が見つかるといいですね」と人事のように言った。
阿修羅坊の期待は外れた。こっちが、本当の事を言えば松恵尼も打ち解け、本当の事を話してくれるだろうと思ったが、考えが甘かった。
「また、一からやり直しじゃ、とりあえず、北畠氏の多気にでも行ってみるか」と阿修羅坊は言い残し、松恵尼と別れた。
外は小雨が散らついていた。
阿修羅坊は南に向かって旅立って行った。しかし、真っすぐに多気には向かわなかった。また戻って来て、三日間、花養院を見張っていた。松恵尼が阿修羅坊の話を聞き、何らかの反応を示すはずだった。ところか、松恵尼は何の反応も示さなかった。
三日目の夜、阿修羅坊は夜空を見上げていた。
星が綺麗だった。
阿修羅坊は今度こそ、本当に甲賀を後にした。
一月後の三月の末、再び、飯道山に阿修羅坊の姿があった。
髭は伸び、目がくぼみ、疲れきっているようだった。
手下の二人から報告を受けると、ただ頷き、伸びた髭を撫でていた。
松恵尼は相変わらず、尻尾を出さなかった。このまま見張っていても、多分、尻尾は出さないだろう。
それより、木造(コヅクリ)の城下で耳にした事が気になっていた。
正月の十五日、山名宗全が細川勝元に和平を申し入れたという。結果は失敗に終わったらしいが気になっていた。今、和平が成立してしまえば、赤松家に取っては不利になる。
赤松家は東軍となり西軍の山名氏と対立しているため、名目上、播磨、備前、美作と以前のように守護職に就いてはいるが、完全に領国となっているのは播磨だけだった。備前と美作には、まだ、山名方の国人がかなりいる。和平が成立してしまえば、備前、美作は山名宗全のものとなるのは必定だった。
また、山名氏の方から和平を申し入れたという事は、宗全入道はかなり弱気になっているという事だ。もしかしたら、病になっているのかもしれない。宗全入道、すでに七十歳に近い。病に倒れたとしてもおかしくはない。もし、そうだとすれば、山名軍をたたくのは今をおいて他にない。
阿修羅坊はとりあえず、京に戻る事にした。
十一月の末になれば、太郎坊はこの山に来るだろう。その頃、もう一度来ればいいと思い、手下を連れて飯道山を後にした。
皮肉な事に、太郎坊と楓は一月後の四月二十日、飯道山に戻って来た。
4.風間光一郎
1
正月も十日が過ぎたというのに、門前町はやけに賑やかだった。
祭りさながらに参道脇に露店が並び、人々が行き交っている。
着飾った村の娘たちが道端に固まって、キャーキャー騒いでいたり、まだ昼間だというのに、遊女屋の前では遊女たちが客を呼んでいる。
行き交う客はほとんどが、十七、八の若い男たちだった。彼らはぞろぞろと飯道山の赤鳥居をくぐって参道を登って行く。また、山から下りて来た者たちは店を見て回り、中には遊女屋に入って行く者もいる。
参道脇に出ている露店は武具を扱っている店が多かった。太刀や打刀(ウチガタナ)、小刀、匕首(アイクチ)、槍、弓矢、薙刀、長巻(ナガマキ)など、あらゆる武器が並んでいるが、それらの数は少なく、木剣や六尺棒、稽古用の槍や薙刀がずらりと並んでいる。そして、それら稽古用の物が良く売れているようだった。
文明五年(一四七三年)正月の十四日、春のような暖かい日だった。例年のごとく、明日から始まる飯道山の武術修行の受付が今日だった。
年々、集まって来る修行者の数は増えていった。世の中はどんどん物騒になって行く。強い者が生き、弱い者は滅ぼされるという時代になりつつあった。
比較的平和だった、この甲賀の地にも戦乱の波は押し寄せて来ていた。
近江国内で京極氏と六角氏が争い、一進一退で決着は着かず、六角氏は敗れると度々、甲賀の地に逃げ込んで来ていた。六角氏が逃げ込んで来れば、当然、敵の京極勢が攻め寄せて来る。田畑は荒らされ、民家は焼かれたり破壊された。飯道山の山伏たちも六角勢に加わり、戦に出て京極勢と戦い、活躍する者もあれば討ち死にする者も何人もいた。
また、甲賀内での争い事も増えて来ていた。狭い領地の奪い合いで、親子、兄弟が争ったり、隣人の領地をふいに奪い取ったり、隙や弱みを見せれば、たちまちのうちにやられてしまう。
他人は勿論のこと、身内さえも信じる事のできない殺伐な時代になって来ていた。生き残るために、誰もが強くなりたいと思い、この山にやって来た。
以前は、ここに集まって来る若者たちは、ほとんどの者が地元甲賀の郷士の伜たちだった。しかし、去年あたりから、遠くの地から旅をして来る若者たちが増えて来ている。隣の伊賀の国の者はもとより、大和(奈良県)、美濃(岐阜県)、尾張(愛知県西部)の国からもはるばると修行に来ていた。
ここにも一人、いかにも田舎から出て来たというような若者が目をキョロキョロさせながら、飯道山を目指して歩いていた。継ぎはぎだらけの綿入れの袖なしを着込み、太い木剣とボロ布に包んだ荷物を背負い、不釣合いな真新しい笠を被っている。若者はそんな格好など気にもせず、ウキウキと浮かれていた。その若者は、すぐ前を歩いている若者に声を掛けた。
「あの山かのう、飯道山ゆうのは」
声を掛けられた若者は、ちらっと笠を被った若者を見て、「だろうな」と答えた。
「そうか、やっと、飯道山に来たんや‥‥‥」
若者は立ち止まり、笠を持ち上げ、感慨深げに飯道山を見上げた。
「あの山に、愛洲殿がいる」と若者は独り、呟いた。
この若者、伊勢の都、多気の百姓の伜、宮田八郎であった。去年の春、太郎が多気に行った時、川島先生の町道場で出会い、強くなりたいなら甲賀の飯道山に来い、と太郎に言われ、あれから一心に働き、金を溜めて、とうとう、やって来たのだった。多気の都は田舎ではない。『伊勢の京』と呼ばれる程の都振りだ。しかし、この八郎には、そんな都振りはかけらもなかった。
八郎は腕を組み、独りで頷きながら飯道山を見上げていた。
「確か、愛洲殿は、あの山では太郎坊という山伏だって言ってたな‥‥‥待ってて下されや、太郎坊殿、宮田八郎、とうとう、やって来ただよう」
八郎は急に走りだし、飯道山へと向かって行った。
八郎が走り出した頃、もう一人、太郎坊を訪ねて、飯道山を目指す若者が信楽の庄を歩いていた。立派な大小を腰に差し、毛皮の袖なしに革袴をはいた身の丈、六尺(百八十センチ)はありそうな大男だった。まだ、あどけなさが残っている彫りの深い顔は自信に満ち溢れていた。若いが、かなり腕が立つようだ。若者はここに来るまで三日の旅をしていた。紀州熊野の山奥から出て来たのだった。
そして、もう一人、太郎坊を訪ねて飯道山に向かっている若い山伏がいた。その山伏は裏側の参道から登っていた。長い太刀を背中に背負い、良く使い込んだ六尺棒を錫杖の代わりに突いている。去年、一年間、岩尾山で修行し、今年こそ、飯道山で修行しようと思っていた。去年も飯道山に登って来たが受付の日に間に合わず、断られてしまった。仕方なく岩尾山に行って修行を積み、岩尾山の棒術師範、明楽坊(ミョウガクボウ)応見の弟子となった。山伏になって、まだ、半年にもならない新米だった。
岩尾山に登って、初めのうちは剣の修行をしていた。棒術というものを知ってから、そっちの方が自分に合っているような気がして、正式に明楽坊に弟子入りし、本格的に棒術を仕込まれた。自分ではかなり強くなったと思っているが、自分の腕を飯道山で試したかった。飯道山には明楽坊の師匠、高林坊がいる。今度は、高林坊に教わるつもりでいた。明楽坊が書いてくれた紹介状も懐に入っている。だが、それだけではなかった。強くなるのにはそれなりの目的があった。強くなり、父親の仇(カタキ)を討たなくてはならない。しかも、その仇がこの飯道山にいた。
仇の名は太郎坊、またの名を天狗太郎。そして、この新米の山伏、今は探真坊見山(タンシンボウケンザン)と名乗っているが、以前の名は山崎五郎、三年前、天狗太郎と陰の五人衆に殺された山崎新十郎の長男であった。
探真坊は仇の太郎坊の顔を知らない。太郎坊の本当の強さも知らない。噂では、まさしく、天狗の化身のごとく身が軽く、その強さは想像がつかない程だという。今の探真坊の腕ではとても勝てるとは思っていないが、まず、敵を倒すには敵を良く知れという。探真坊は敵の近くにいて、敵を良く知れば、いつの日か必ず、倒す日が来るだろうと思っていた。
探真坊は力強い足取りで、飯道山の裏参道を登って行った。
今年、飯道山に集まって来た若者の数は去年の三百五十人を軽く越え、五百人近くに達していた。当然、山内の宿坊には入り切らず、山下に作った仮小屋と町中の宿坊に分散して収容した。
明日、行場巡りを行ない、明後日から、いよいよ、一ケ月の山歩きの行が始まる。
今年は一ケ月後に何人残るだろうか。
去年は三百五十人の内、残ったのは百人ちょっとだった。今年は五百人もいるが、やはり、残るのは百人位だろうと飯道山の武術師範たちは予想していた。
太神山(タナガミサン)の辺りに、夕日が沈もうとしていた。
門前町もようやく静かになっていた。
参道の両脇に並んでいた店も皆、たたみ始めている。
「よう売れたのう」と木剣を売っていた山伏が職人風の若い男に声を掛けた。
「おう。よく、集まって来たもんだ」
「明日から、また、忙しくなるわい」と山伏は笑った。
「そうだな。こりゃ大変じゃ」と職人は木剣をまとめて縛っていた。
「それにしても、おぬしの作った木剣はよう売れるのう」
今日、参道に並んでいた木剣や六尺棒、稽古用の槍や薙刀は、ほとんどが飯道山で作った物である。修行者たちに作業として作らせていた。それを、山伏たちが売っていたのだが、この近辺の山々にいる木地師(キジシ)たちも飯道山の許可を得て、自分らで作った物を売りに来ていた。
大方、片付け終わると職人は後の事を山伏に頼み、荷物を背負って参道を後にした。
寺や旅籠屋の建ち並ぶ中を抜け、たんぼの中の畦道を歩き、山裾に抱かれた集落へと向かった。夕飯の支度をしているおかみさんたちに挨拶をしながら、職人は我家に帰って行った。
この辺りに住んでいるのは飯道寺領の田畑で働いている百姓たちが多かった。百姓といっても、ただの農民ではない。飯道山の衆徒であり、皆、山伏としての名前を持っており、飯道山に何事か起これば、武器を持って戦う兵士となった。
「お帰りなさい」と職人を迎えた若い妻は楓であった。
職人の格好をして、木剣を売っていたのは太郎である。
「どうだった」と楓は太郎の荷物を受け取りながら聞いた。
「凄かった。明日から大変だ。五百人近くはいそうだよ」
「まあ、五百人も‥‥‥凄いわね。それで、風眼坊様の息子さんは見つかったの」
「わからんな」と太郎は足を拭いて部屋に上がると食卓の前に腰を降ろした。「あれだけ、若い連中がいたら、ちょっとわからんよ。顔も知らんしな」
「そうね。五百人もいたら、ちょっと難しいわね。ねえ、お酒、飲むでしょ」
「うん」と太郎は笑って頷いた。「一月経ったらわかるさ。半分以上はいなくなる。もしかしたら、百人位しか残らんかもしれない」
「そうよね。どうせ、剣術の組に入って来て、あなたが教える事になるんですものね」
「ああ。どんな男かな、師匠の息子って‥‥‥」
「いくつなの、その子」
「今年、十八になるって書いてあったな」
「十八? やだ、あたしより二つ下なだけじゃない。風眼坊様、そんな大きな子がいたの‥‥‥とても、信じられないわ」
「そうだな、あの年で子供がいないのも変だが、師匠に子供は似合わないな」
太郎は楓が酌をした酒を口に運んで、「うまい」と舌を鳴らした。
最近、本当に酒がうまいと思うようになって来ていた。今までも酒は嫌いじゃなかったが、ほとんどが付き合いで飲んでいた。去年、多気にいた時、無為斎や川島先生と毎日、酒を飲んでいたせいか、最近は、うちにいる時でも楓と二人で少しづつ飲むようになっていた。
「百太郎(モモタロウ)は寝てるのか」と太郎は楓に聞いた。
「ええ、今さっき、寝たところよ」と楓は隣の部屋を示した。
太郎も一児の父親になっていた。去年の十一月に楓は無事に元気な男の子を産んだ。
太郎は楓と相談して百太郎と名付けた。初めは最初の男の子だから、一太郎にしようと思ったが、どうせなら多い方がいいと百を付けて、百太郎にしようと決めたのだった。
忙しかった正月が過ぎ、久し振りに三日間の休みを貰った太郎は、一昨日、昨日と一日中、家にいて、百太郎と遊んでいた。今日は百太郎を連れて市に行こうとしたが、寒いから駄目よ、百太郎が風邪でもひいたらどうするの、と楓に怒られ、仕方なく、一人で行ったのだった。
「明後日から、また、山歩きね」と楓は太郎に酌をしながら言った。
「ああ、のんびり歩かなくちゃならないから余計に疲れるんだ」
太郎は楓にも酌をしてやった。
楓は一口、酒をなめると、太郎の顔を見て笑った。
太郎はこの家にいる時は太郎坊移香ではなかった。勿論、愛洲太郎左衛門久忠でもない。山伏でも武士でもなく、伊勢より来た仏師(ブッシ)、三好日向(ミヨシヒュウガ)と名乗って住んでいた。
仏師といっても立派な仏像など彫れないが、ちょっとした小物なら彫れた。暇をみて彫った彫り物が、いくつか作業場に並べてある。三好日向とは智羅天(チラテン)のもう一つの名前で、太郎は二代目の三好日向を名乗ったわけだった。
去年の夏、太郎は岩尾山を下りてから、しばらくの間、智羅天の岩屋に籠もり、岩尾山で身に付けた棒、槍、薙刀を自分流にまとめて『陰流』に取り入れた。
それと、陰の術ももう一度、まとめ直した。今までは、敵の城や屋敷に忍び込む事ばかり考えていたが、今度は、敵に発見された時や敵に囲まれた時など、うまく、敵をごまかしながら逃げる方法などを色々と考えてみた。また、力のない女や年寄りたちのための護身の術なども考えた。
そして、九月の末、飯道山に戻った。剣術師範代として戻ったが、やはり、太郎坊は名乗らない方がいいだろうと高林坊に言われ、岩尾山で使った火山坊をそのまま名乗っていた。
十一月の二十五日になり、ようやく、太郎坊に戻って『陰の術』、去年から名前が改まって『志能便(シノビ)の術』となったが、それを教えた。しかし、顔は隠さなければならなかった。火山坊が実は太郎坊だったとわかってしまえば、すぐに噂になり、来年から、火山坊は剣術の師範代をする事ができなくなってしまう。しかたなく、太郎は天狗の面を被ったまま志能便の術を教えた。
去年、最後まで残っていたのは七十二人だった。七十二人を太郎坊、剣術師範代の金比羅坊と中之坊、それと、一昨年、去年と陰の術の稽古に参加してくれた槍術師範代の竹山坊(チクザンボウ)と棒術師範代の一泉坊(イッセンボウ)の五人で教えた。
二十七日には天狗の面を付け、岩尾山にも顔を出した。すでに、岩尾山にも天狗太郎が来るというのが噂になってしまい、太郎坊としては行かないわけにはいかなかった。その時になって、初めて、太郎は明楽坊が天狗太郎は岩尾山に絶対に来ると言ったわけがわかった。明楽坊は噂が広まるという事を読み、そうすれば、天狗太郎は絶対に現れると、あんな芝居を演じたのだろう。
これは使える、と太郎は思った。敵の情報を探るだけでなく、敵に偽りの情報を流して、それを信じ込ませ、敵を踊らせる事も陰の術だと思った。
太郎は岩尾山に行くと本堂の屋根の上に登った。修行者たちが集まって来ると、「残念ながら、陰の術を教える程の腕のある者はこの山にはいない。もっと、修行に励め。来年もまた、来るであろう」と言って山を下りた。
太郎坊を仇と狙っている山崎五郎が追って来るだろうと思ったので、太郎は素早く屋根から下りると、わざと通りづらい所を通って山を下りて行った。山崎五郎は追って来なかった。
年末年始は忙しく、信者たちの接待で走り回り、十二日から十四日まで休みを貰い、のんびりと家族のもとで過ごしていたのだった。
「師匠の息子には会えなかったけど、珍しい奴に会ったよ。いや、会ったというより、見たと言ったほうが正しいな」と太郎は楓に言った。
「誰?」と楓はほんのりと赤い顔して太郎を見た。
「お前は知らないだろうけど、多気の川島先生の道場にいた百姓の伜さ。宮田八郎と言ってな、面白い奴だよ」
「ふうん、その人も飯道山で修行するために来たの」
「勿論、そうさ。剣術の腕はまだ大した事ないが素質はある。それに努力家だ。きっと強くなる」
「へえ、わざわざ、あんな遠くから来たの、大変ね」
「ああ、大変だったろうな‥‥‥」太郎は思い出したように笑い出した。
「何よ、急に、どうしたの」
「いや、奴の姿を思い出したら、急におかしくなって来た」
「そんな変な格好してたの」
「いや、そうじゃないが、こっけいなんだ。奴は何を急いでたのか知らないけど参道を走って来た。何人も人が行き交ってる参道を縫うように走っていたんだ。ところが、頭に乗せていた笠が風に飛ばされて転がって行ったんだ。その笠がやけに新しくてな、本人には悪いが、全然、似合っていなかった。その笠がどんどん転がって行き、ぬかるみに入って泥だらけになったんだ。奴は泥だらけの笠を拾って、泥を払ったんだが落ちやしない。しばらく、どうしようか考えていたらしいが、結局、その泥だらけの笠を頭に乗せて、また、走り出したよ。その時の仕草が面白くてな。また、泥だらけ笠が良く似合ってるんだよ。馬鹿な奴だと思って見てたんだが、よく見ると、そいつが宮田八郎だった。声を掛けようと思ったけど素早くてな、あっという間に消えちまった。お山を下りて来たら声を掛けようと思ってたら、それきり下りて来なかったよ」
「もしかしたら、お山であなたの事、捜してるんじゃないの」
「多分な。一ケ月経ったら、ゆっくり会えばいいさ。奴は必ず残る」
「その宮田八郎っていう人、あたし、知ってるわよ。橘屋さんに案内されて、川島先生の道場に行った時、薪割りをしていた人でしょ」
「そうだ、そう。お前、よく覚えているな」
「だって、あなた、言ってたでしょ。もしかしたら、あの人、飯道山に来るかもしれないって」
「そうだっけ」
「そうよ、言ってたわ。飯道山で一年修行すれば相当な腕になるだろうって」
「そうだったか、忘れちまった」
「今年は楽しみね、少なくても二人は強くなりそうなのがいるわね」
「ああ、風間光一郎と宮田八郎がな」
「しっかり、教えてやってね」
「お前もな。もう、天狗勝(テングショウ)の技、覚えたか」
「ええ、もう、すっかり覚えたわ。今度は陰の術よ。ちゃんと、あたしにも教えてよ」
「ああ、そのうちな」
「いつも、そのうちじゃない。三日も休みがあったんだから、教えてくれたってよかったのに‥‥‥」
「今は駄目だよ。百太郎がいるだろ。百太郎がもう少し大きくならなけりゃ駄目だ。今はちゃんと母親をやってくれなけりゃ」
「そうね‥‥‥でも、絶対、教えてよ」
「うん、わかったよ」
太郎と楓は酒を飲みながら、懐かしい多気の都の事など思い出していた。
この年、太郎は二十二歳、楓は二十歳、百太郎は二歳、五ケ所浦の屋敷とは比べられない程、小さな家でも幸せな家庭だった。
一昨日、昨日と春のような暖かい日が続いたのに、今日はまた、冬が逆戻りして寒い一日となった。
飯道山では朝早くから、修行者たちの山歩きの行が始まっていた。
昨日は、山内の行場を巡って、山内をぞろぞろと見て回り、後はのんびりと過ごした修行者たちも、今朝は朝まだ暗いうちから叩き起こされ、水汲みや掃除をやり、読経をすますと武術道場に集合していた。
五百人近くの修行者は百二十人位づつ四組に分けられ、先頭と最後に付けられた先達山伏に率いられ、飯道山の山頂を目指して、凍っている雪道を歩いて行った。
初めの七日間は片道の六里半(約二十六キロ)の山歩きである。初日は第一隊と第二隊が太神山に向かい、その日は太神山に泊まって、次の日、戻って来る。第三隊と第四隊は金勝山(コンゼサン)まで行って戻り、次の日から太神山に向かった。
太神山には去年から仮の宿坊が建っていたが、とても、五百人も収容できない。どう詰めてみても三百人がやっとだった。半分づづ、交替で利用するしかなかった。
七日間が過ぎると、今度からは太神山への往復十三里を歩く事になる。
火山坊を名乗る太郎は第四隊を率いていた。第四隊は全部で百二十三人、その中にただ一人、新参の山伏、探真坊見山が入っていた。太郎は先頭を槍術師範代の竹山坊に任せ、一番最後を探真坊と一緒に歩いていた。
「やはり、ここは凄いですね」と歩きながら探真坊が太郎に声を掛けてきた。「まさか、こんなにも集まって来るなんて思いもしませんでした」
「一月も経てば半分以上は消えるよ」と太郎は答えた。
「でしょうね。でも、まさか、ここで火山坊殿と会えるとは思わなかったな。大峯山に行ったのかと思っていました」
太郎と探真坊は、かつて、岩尾山で会った事があった。その頃の探真坊はまだ山伏ではなく、山崎五郎と名乗っていて、太郎は彼に手裏剣を教えた事もあった。
探真坊は太郎が父の仇だとはまだ知らないが、太郎の方は探真坊が自分を仇と狙っている事を知っている。知っていながら、太郎にはどうする事もできなかった。太郎の方こそ、まさか、山崎五郎がこの山にやって来るなんて思ってもいなかった。こうなったら、成り行きに任せるしかないと決めていた。
昼過ぎから、とうとう雪が降って来た。
暗くなる前には、第三隊も第四隊も飯道山に戻って来ていたが、やはり、何人か減っていた。まだ、それ程でもないが、このまま雪が降り続けば、明日はかなりの人数がいなくなる事だろう。
次の日の朝、雪は止んでいた。それでも、夜通し降り続いた雪は一尺以上も積もっていた。昨日は第三隊が先に出発したので、今日は第四隊が先だった。太郎たちは新雪を踏み分け、皆、汗びっしょりになりながら金勝山まで進んだ。
金勝寺には、すでに太神山から来た第二隊が待っていた。第二隊の連中も積もった雪と格闘して、汗と雪でびっしょり濡れていた。
この金勝寺に、第一隊から第四隊まで全員が集まる事になる。山道は狭く、途中ですれ違う事はできなかった。太郎率いる第四隊が金勝寺に到着すると間もなく、太神山からの第一隊が到着した。
第四隊は持って来た昼飯を食べると太神山へと向かった。そこから先は太神山から来た第二隊と第一隊が道の雪を踏み固めてくれたので、大分、楽だった。
その日は全員の者が、どうにか雪の中を歩き通した。途中から抜けるにも雪が積もっていて、抜けようがなかったのである。しかし、朝になってみると、太神山にいた二百数十人の内、三十人近くが消えていた。
太郎は、ここで師匠、風眼坊舜香の伜、風間光一郎を見た。彼は第三隊にいた。第三隊を率いる中之坊に風間光一郎の名を出して教えて貰った。中之坊は光一郎が風眼坊の伜だとは知らない。本人が父親の名を出さない以上、太郎から言う必要もないだろうと思った。太郎は光一郎には声を掛けずに、ちらっと垣間見た。父親、風眼坊よりも体格のいい男だった。背の丈は六尺近くあり、父親にたっぷりと鍛えられたらしく無駄のない引き締まった体付きをしている。こんな山歩きなど何でもないと言うような、ふてぶてしい態度だった。顔は父親によく似ていた。風眼坊の若き日の姿を見ているようだった。
七日間の準備期間が終わり、残ったのは三百人程になっていた。すでに、二百人近くが山を下りている。雪の日が多かったせいもあるが、溢れる程いた修行者たちは見る見る減って行った。特に、四日目は一日中、吹雪だったため、次の日の朝には嘘のように少なくなっていた。
いよいよ、本番の抖擻行(トソウギョウ)が始まった。往復十三里の山歩きである。初めのうちは夜明けと共に出発しても日が沈むまでには戻って来られない。おまけに、今年は例年に比べて雪が多かった。一番初めに行く隊はいつも、深い雪に足を取られながら進まなければならなかった。それでも雪が降っていなければ、まだいいが、朝から吹雪いていれば、さすがの太郎でさえ行くのをためらってしまう程だった。
どんな状況でも山歩きは中止にはならない。嵐が来ようと槍が降ろうと病に倒れようとも、たとえ、一日でも歩くのを休めば、また、初めからやり直さなくてはならない。一ケ月のうちは、どんな事があっても休む事はできなかった。
半月が過ぎてみると予想以上に減っていた。百二十三人いた第四隊は半分以上いなくなり、五十七人になっていた。それでも、五十七人も残っているのはいい方で、第二隊は四十三人、第三隊は四十八人に減っていた。全隊合わせて二百六人だった。まだ、半月も残っている。飯道山としては、今年は百五十人取るつもりでいた。この調子で行けば百人以下になってしまうかもしれないという不安が出始めていた。
雪は毎日のように降っていた。山を下りて行く修行者の数も減らなかった。毎日のように少しづつ減って行った。
二十日めあたりから雪も止み、いい天気が続いた。雪に埋もれなくもすんだが、今度は、毎日、泥だらけになって山道を歩いた。このあたりまで来ると山を下りて行く者もいなくなった。
一ケ月の山歩きが終わり、結局、最後まで残っていたのは百十六人だった。この内、剣術の組に入ったのは三十四人。一番多かったのは槍で三十八人、次が剣術だった。一番、人気がないのは、やはり、薙刀で十八人だった。
次の日から午前中の作業が始まった。
最近になって、この辺りにも戦乱の波が押し寄せ、飯道山も山城のような城塞化が進んでいた。飯道寺は寺ではあるが、この辺りを支配している大名のようなもので、侵略して来る者があれば戦い、所領を守らなくてはならなかった。飯道山の山自体を城として、守りを固めて行った。あちこちで土木工事が始まり、修行者たちは毎日、土にまみれていた。
太郎は修行者たちの作業の指揮に当たっていた。前のように自由な時間は少なくなって行った。
午後になると、それぞれの武術修行が始まる。
剣術の組は新入りの修行者三十四人を含め、六十人近くの者が修行する事になる。他の山から修行に来ている山伏が十六人、一年間の修行だけでは物足らず、更に修行を積もうと残っている郷士も八人いた。
教えるのは師範の勝泉坊善栄、師範代の金比羅坊勝盛、中之坊円学、福智坊清正、そして、太郎こと火山坊移香の五人だった。去年まで師範代をしていた浄光坊智明は九州の彦山に帰り、代わりに、信濃(長野県)の戸隠山より来たのが福智坊清正だった。
福智坊は三十歳位で必要な事以外はあまり喋らない物静かな男だった。実力の程は良くわからないが、落ち着いた物腰と鋭い目付きから、かなり腕は立つようだ。信濃の戸隠山から来たというが、太郎は信濃の国というのがどこにあるのかも知らなかった。師匠、風眼坊なら行った事があるのだろうが太郎も行ってみたいと思った。
飯道山の山内や参道が、桜の花で埋まっていた。
新入りの修行者たちが入って来て、早くも二ケ月が経とうといていた。
剣術組の新入りの中で、特に目立ったのは風間光一郎と宮田八郎、そして、甲賀の鵜飼源八郎、伊賀の城戸新太郎の四人だった。
風間光一郎は風眼坊の伜だけあって強かった。しかし、その強さより六尺近くある背の高さの方がより目立っていた。普通の者たちより顔一つ分位高い。金比羅坊も大男だが彼よりも背が高かった。
宮田八郎はやたらとうるさくて目立っていた。黙っている事などないかのように、いつも誰かと何かを喋っている。誰とでも仲良くなり、剣術組の人気者だった。剣術の腕の方も以前、多気の都で太郎と会った時よりずっと強くなっていた。軽率そうな外見とは違って以外と努力家であった。
鵜飼源八郎は腕はそれ程でもないが、柔軟な体をしていて身が軽く敏捷だった。陰の術を教えたら、すぐに身に付けてくれそうだった。
城戸新八郎は筋が良く、素直で、よく稽古に励み、みるみると腕を上げていった。初めの頃は全然、目立たない存在だったが、わずか一月の間で、風間光一郎と大差ない程、腕を磨いていた。
宮田八郎はこの山に来て以来、ずっと、太郎坊を捜していたが会う事はできなかった。八郎は山歩きの時、第一隊にいた。第一隊を率いていたのは西光坊だったが、太郎坊が今、火山坊と名乗って第四隊を率いているとは教えなかった。
太郎坊の事を聞くのは八郎だけではない。この山に来る者は誰でも、すでに伝説上の人となっている太郎坊に会いたがった。本当の事を言えば修行どころではなくなってしまう。山伏たちは太郎坊は十一月になったら、どこからともなくやって来て、『志能便の術』を教えるとだけ答えていた。
八郎が初めて太郎に会ったのは、山歩きが終わって、初めての剣術の稽古が始まる、ほんの少し前だった。太郎の方から会いに行った。道場で会って、八郎に太郎坊の名を大声で呼ばれたら飛んだ事になってしまう。十一月になるまでは、太郎坊ではなく火山坊でいなければならなかった。
太郎は八郎に訳を話した。今は太郎坊ではない。太郎坊という名の山伏がもう一人いて、同じ名前だと具合が悪いので、火山坊という名に変えたと説明した。
八郎は、そのもう一人の太郎坊は太郎よりも強いのか、と聞いた。太郎は、そうだと答えた。十一月になれば、その太郎坊がここに来ると付け加えた。
それは聞いた事がある。そして、太郎坊の事は誰もが知っていた。八郎は、太郎坊があまりにも有名なので喜んでいたと言う。太郎から、そいつは別人で、もう一人、太郎坊がいると聞かされ、大分、がっかりしたようだった。
風間光一郎も太郎坊を捜していた。父親より、飯道山に行ったら太郎坊に剣術を教われと言われて来た。太郎坊がどんな男だか知らないが、この山に来て、太郎坊があまりにも有名な事に驚いたのは光一郎も八郎と同じだった。父親の弟子だというが、一体、どんな男なんだろうか、と十一月に会えのるを楽しみにしていた。
光一郎は父親の名前を出してはいなかった。わざわざ、父親の名前を出さなくても自分の剣術に自信を持っていた。風眼坊の伜だと知っているのは太郎と楓、そして、花養院の松恵尼の三人だけだった。太郎の方も自分が風眼坊の弟子だとは名乗らなかった。師匠の伜だからと特別扱いしたくなかったし、そのうちわかる事だから、わざわざ、言う必要もないと思っていた。
日が沈み、今日の稽古は終わった。
修行者たちは、それぞれ、自分の宿坊に帰って行った。太郎も帰ろうとした時、金比羅坊が声を掛けて来た。
「火山坊、今晩、飲みに行こうぜ」と金比羅棒はニヤニヤしながら言った。
「花見酒ですか」と太郎は聞いた。
「そうよ。満開じゃ。これが、飲めずにおられるかい」
「誰が行くんです」
「いつもの仲間よ」
「そうだな。久し振りだし、たまには飲むか」
「そう来なくっちゃな」
「いつもの仲間に、いつもの店ですか」
「いや」と金比羅坊は嬉しそうな顔して首を振った。「『七福亭』じゃ。最近、いい娘が入ってな」
「成程、それが目当てですか」と太郎もニヤニヤしながら金比羅坊を見た。
「まあな、おぬしも会ってみろ、気に入るに違いない。名は『毘沙門(ビシャモン)』といって勇ましいが、これが、またいい女子(オナゴ)でな、一目見ただけで震い付きたくなる程じゃ」
「へえ、そんな女子が入りましたか」
「わしはすぐに行って座敷を取っておくから、絶対に来いよ」と言うと金比羅坊は不動院の方に走って行った。
「花見酒か‥‥‥」と太郎は独り呟き、桜の花を見上げた。
月日の経つのは早かった。
飯道山に登って剣術の師範代をやるようになってから、自分の時間というものが、ほとんどなくなってしまった。
毎日が同じ事の繰り返しで、しかも、何かと忙しく、自分の修行などやる暇はなかった。まだまだ、自分としては修行しなくてはならないと思っている。陰流も完成しなくてはならないし、陰の術もまだまだ未完成だ。やらなくてはならない事が一杯あるのに時間は全然なかった。
このままで、いいのか、と最近、よく思うようになっていた。
太郎はもう一度、満開の桜を見上げた。
去年の今頃は丁度、故郷を去った時だった。五ケ所浦を出てからもう一年になる。五ケ所浦の水軍と陸軍はうまくやっているだろうか。
あの頃、親父は九鬼氏と戦っていたが、勝っただろうか‥‥‥
祖母は具合が悪いようだったが、良くなっただろうか‥‥‥
多分、もう二度と故郷には帰らないだろう。
皆、うまくやってくれればいいと太郎は願った。
樹木(キギ)の隙間から、少し欠けた月が覗いていた。
時々、風に吹かれて、木の葉が音を立てるだけで辺りは静まり返っていた。
風間光一郎は深夜、ひっそりとした山の中で座り込んでいた。
梅雨も上がり、夏がやって来ていた。それでも夜になると、まだ、山の中は肌寒かった。
風で樹木が揺れた。
光一郎はびくりともしないで、じっと座り込んでいた。山の中で座り込むのには慣れていた。ここよりも、もっと山奥の熊野で、毎日のように座らされていた。
初めの頃は悲鳴をあげたい程、恐ろしかった。物音がするたびに、びくびくしていた。正体不明の物の怪(ケ)に脅えていた。今ではもう何ともない、かえって心を落ち着ける事ができた。
光一郎は六歳頃より父親から剣を習った。しかし、父親はほとんど家にはいなかった。旅ばかりしていて、たまにしか家に帰って来なかった。その父親が、どうしたわけか、光一郎が十五歳の秋頃より旅に出なくなり、ずっと家にいた。光一郎は飯道山に来るまでの二年半近く、父親にびっしりと剣術を叩き込まれた。
父親は厳しかったが、光一郎の腕はみるみる上達して行った。
今年になって、父親は急に飯道山に行けと言った。後は飯道山にいる太郎坊に教われ。そして、これから自分が何をすべきかを考えろと言った。
光一郎は飯道山に来た。腕には自信があった。同じ位の年の奴らには絶対に負けない自信があった。一ケ月の山歩きは何でもなかった。山歩きなら毎日のように父親にやらされていた。木剣を持って稽古をするより、山の中を走り回っていた方が多い程だった。雪が多くて歩きにくい事はあったが、歩く早さがゆっくりなので苦しいとも感じなかった。
そして、いよいよ、剣術の稽古が始まった。鉄棒振り、立木打ちなどの基本から始まり、それぞれの腕によって、初級、中級に分けられた。初めから上級に入った者はいない。
光一郎も中級に入れられた。中級に入ったのは三十四人中、二十一人いた。中級に入った連中を見回してみても、自分より強そうな奴はいそうもなかった。ところが、以外にも、光一郎と同じ位の腕の者はかなりいた。
中でも宮田八郎は強かった。外見を見た所、全然、強そうに見えない。いつも、馬鹿な事を言って騒いでいた。つい昨日まで、全然、問題にしていなかった。自分が強そうだと思っていた連中は皆、倒し、同期の中では自分が一番強いと思っていた。後は、去年からいる連中の中で強そうな大原源三郎と山中十郎の二人を倒せば、修行者たちの中では一番になり、残るは師範たちだった。
ところが、今日、上級に行く者を決めるための試合を行なった。光一郎の相手は宮田八郎だった。光一郎は軽くあしらってやるつもりでいたが、そうは行かなかった。以外にも八郎は強かった。もし、真剣だったら光一郎の方が負けたかもしれなかった。
光一郎は八郎の他五人と共に上級に進んだが、見方を変えなければならなかった。父親から、いつも、物事の本質を見極める目を持たなくてはならないと聞かされていた。まったく、その通りだと思った。外見だけで判断すると飛んだ事になってしまうという事を改めて気づいた。
それにしても、どう考えても、自分があの宮田八郎に負けるなんて不思議な事だった。あんなニヤけた調子者に負けるなんて考えられなかった。その事が気になって光一郎は寝られなかった。どうしても寝られないので、仕方なく、外に出て来た。道場まで来て、熊野にいた頃を思い出して座り込んでみたのだった。
座り込んでいるうちに、宮田八郎の事も忘れ、頭の中はすっきりとしてきた。
光一郎はその夜、朝まで座り込んでいた。
一方、宮田八郎の方は鼾をかいて、ぐっすりと眠り込んでいた。
八郎の方は自分の腕にそれ程、自信を持ってはいなかった。今まで、町人相手の道場で修行していたので、その中でいくら強くなったとしても、侍にはとても敵わないと思っている。町道場の先生、川島先生は侍たちに会うと逃げてばかりいた。そんな先生に教わっていたのだから、自分の強さなんて、たかが知れている。世の中には自分より強い者はいくらでもいると思っている。
飯道山に来た時、五百人もの人が集まったのを見て、八郎は本当にたまげた。全員、自分よりも強そうに見えた。一ケ月の山歩きはきつかった。きつかったけれど頑張り通した。死に物狂いで歩き通し、一月経ってみると五百人もいたのが百二十人に減っていた。
八郎は剣術の組に入った。三十四人入ったが、やはり、皆、自分よりも強そうに思えた。それでも、毎日、稽古をやって行くうちに、八郎も少しずつ自分の強さがわかって来た。自分が以外にも強いという事がわかって来た。それでも、八郎はまだまだ上には上がいると思っている。今日は風間光一郎と試合をして引き分けとなった。引き分けとなったが、八郎は光一郎の方が強いと思っている。まだまだ、修行を積まねばと思っていた。
次の日から、光一郎と八郎は上級組で稽古に励んだ。
上級組の師範は金比羅坊と福智坊だった。福智坊のやり方は容赦なかった。手加減などしなかった。掛かって来る者は皆、叩きのめされた。
光一郎も八郎も傷だらけ、痣だらけになって修行に励んでいた。
二人が飯道山で剣術の修行に励んでいたこの頃、京の都では重大な事件が起こっていた。
この年の三月十八日、西軍の総大将、山名宗全が西陣の邸内で没した。七十歳であった。そして、後を追うように、五月十一日には東軍の総大将、細川勝元が疫病にかかり、四十四歳の若さで亡くなった。
両軍の総大将の死によって終戦も期待されたが、実現は難しかった。
今回の大乱は、一つの目的を持って東西に分かれ、争っている訳ではなかった。それぞれが勝手な思惑を持って、東西に分かれて戦っている。目的は仇敵を倒す事で、東軍でも、西軍でもどちらでも良かった。たまたま、敵が東軍だから、こちらは西軍だ、というようなもので、東軍や西軍というのは単なる名目に過ぎなくなっていた。
両軍の総大将が亡くなったからといって、簡単に講和できるものではなかった。
応仁の乱の一つの原因とも言える、管領家畠山氏は未だに家督争いを続けているし、将軍の座は日野富子の産んだ義尚に決定してはいたが、足利義視もまだ西軍にいて将軍の座を諦めてはいない。
赤松氏と山名氏はお互いに播磨、備前、美作の国を取り戻そうと争っている。
ここ近江でも守護職を狙って、同族の京極氏と六角氏が争っている。
戦はまだまだ、終わりそうもなかった。
「あの山かのう、飯道山ゆうのは」
声を掛けられた若者は、ちらっと笠を被った若者を見て、「だろうな」と答えた。
「そうか、やっと、飯道山に来たんや‥‥‥」
若者は立ち止まり、笠を持ち上げ、感慨深げに飯道山を見上げた。
「あの山に、愛洲殿がいる」と若者は独り、呟いた。
この若者、伊勢の都、多気の百姓の伜、宮田八郎であった。去年の春、太郎が多気に行った時、川島先生の町道場で出会い、強くなりたいなら甲賀の飯道山に来い、と太郎に言われ、あれから一心に働き、金を溜めて、とうとう、やって来たのだった。多気の都は田舎ではない。『伊勢の京』と呼ばれる程の都振りだ。しかし、この八郎には、そんな都振りはかけらもなかった。
八郎は腕を組み、独りで頷きながら飯道山を見上げていた。
「確か、愛洲殿は、あの山では太郎坊という山伏だって言ってたな‥‥‥待ってて下されや、太郎坊殿、宮田八郎、とうとう、やって来ただよう」
八郎は急に走りだし、飯道山へと向かって行った。
八郎が走り出した頃、もう一人、太郎坊を訪ねて、飯道山を目指す若者が信楽の庄を歩いていた。立派な大小を腰に差し、毛皮の袖なしに革袴をはいた身の丈、六尺(百八十センチ)はありそうな大男だった。まだ、あどけなさが残っている彫りの深い顔は自信に満ち溢れていた。若いが、かなり腕が立つようだ。若者はここに来るまで三日の旅をしていた。紀州熊野の山奥から出て来たのだった。
そして、もう一人、太郎坊を訪ねて飯道山に向かっている若い山伏がいた。その山伏は裏側の参道から登っていた。長い太刀を背中に背負い、良く使い込んだ六尺棒を錫杖の代わりに突いている。去年、一年間、岩尾山で修行し、今年こそ、飯道山で修行しようと思っていた。去年も飯道山に登って来たが受付の日に間に合わず、断られてしまった。仕方なく岩尾山に行って修行を積み、岩尾山の棒術師範、明楽坊(ミョウガクボウ)応見の弟子となった。山伏になって、まだ、半年にもならない新米だった。
岩尾山に登って、初めのうちは剣の修行をしていた。棒術というものを知ってから、そっちの方が自分に合っているような気がして、正式に明楽坊に弟子入りし、本格的に棒術を仕込まれた。自分ではかなり強くなったと思っているが、自分の腕を飯道山で試したかった。飯道山には明楽坊の師匠、高林坊がいる。今度は、高林坊に教わるつもりでいた。明楽坊が書いてくれた紹介状も懐に入っている。だが、それだけではなかった。強くなるのにはそれなりの目的があった。強くなり、父親の仇(カタキ)を討たなくてはならない。しかも、その仇がこの飯道山にいた。
仇の名は太郎坊、またの名を天狗太郎。そして、この新米の山伏、今は探真坊見山(タンシンボウケンザン)と名乗っているが、以前の名は山崎五郎、三年前、天狗太郎と陰の五人衆に殺された山崎新十郎の長男であった。
探真坊は仇の太郎坊の顔を知らない。太郎坊の本当の強さも知らない。噂では、まさしく、天狗の化身のごとく身が軽く、その強さは想像がつかない程だという。今の探真坊の腕ではとても勝てるとは思っていないが、まず、敵を倒すには敵を良く知れという。探真坊は敵の近くにいて、敵を良く知れば、いつの日か必ず、倒す日が来るだろうと思っていた。
探真坊は力強い足取りで、飯道山の裏参道を登って行った。
今年、飯道山に集まって来た若者の数は去年の三百五十人を軽く越え、五百人近くに達していた。当然、山内の宿坊には入り切らず、山下に作った仮小屋と町中の宿坊に分散して収容した。
明日、行場巡りを行ない、明後日から、いよいよ、一ケ月の山歩きの行が始まる。
今年は一ケ月後に何人残るだろうか。
去年は三百五十人の内、残ったのは百人ちょっとだった。今年は五百人もいるが、やはり、残るのは百人位だろうと飯道山の武術師範たちは予想していた。
2
太神山(タナガミサン)の辺りに、夕日が沈もうとしていた。
門前町もようやく静かになっていた。
参道の両脇に並んでいた店も皆、たたみ始めている。
「よう売れたのう」と木剣を売っていた山伏が職人風の若い男に声を掛けた。
「おう。よく、集まって来たもんだ」
「明日から、また、忙しくなるわい」と山伏は笑った。
「そうだな。こりゃ大変じゃ」と職人は木剣をまとめて縛っていた。
「それにしても、おぬしの作った木剣はよう売れるのう」
今日、参道に並んでいた木剣や六尺棒、稽古用の槍や薙刀は、ほとんどが飯道山で作った物である。修行者たちに作業として作らせていた。それを、山伏たちが売っていたのだが、この近辺の山々にいる木地師(キジシ)たちも飯道山の許可を得て、自分らで作った物を売りに来ていた。
大方、片付け終わると職人は後の事を山伏に頼み、荷物を背負って参道を後にした。
寺や旅籠屋の建ち並ぶ中を抜け、たんぼの中の畦道を歩き、山裾に抱かれた集落へと向かった。夕飯の支度をしているおかみさんたちに挨拶をしながら、職人は我家に帰って行った。
この辺りに住んでいるのは飯道寺領の田畑で働いている百姓たちが多かった。百姓といっても、ただの農民ではない。飯道山の衆徒であり、皆、山伏としての名前を持っており、飯道山に何事か起これば、武器を持って戦う兵士となった。
「お帰りなさい」と職人を迎えた若い妻は楓であった。
職人の格好をして、木剣を売っていたのは太郎である。
「どうだった」と楓は太郎の荷物を受け取りながら聞いた。
「凄かった。明日から大変だ。五百人近くはいそうだよ」
「まあ、五百人も‥‥‥凄いわね。それで、風眼坊様の息子さんは見つかったの」
「わからんな」と太郎は足を拭いて部屋に上がると食卓の前に腰を降ろした。「あれだけ、若い連中がいたら、ちょっとわからんよ。顔も知らんしな」
「そうね。五百人もいたら、ちょっと難しいわね。ねえ、お酒、飲むでしょ」
「うん」と太郎は笑って頷いた。「一月経ったらわかるさ。半分以上はいなくなる。もしかしたら、百人位しか残らんかもしれない」
「そうよね。どうせ、剣術の組に入って来て、あなたが教える事になるんですものね」
「ああ。どんな男かな、師匠の息子って‥‥‥」
「いくつなの、その子」
「今年、十八になるって書いてあったな」
「十八? やだ、あたしより二つ下なだけじゃない。風眼坊様、そんな大きな子がいたの‥‥‥とても、信じられないわ」
「そうだな、あの年で子供がいないのも変だが、師匠に子供は似合わないな」
太郎は楓が酌をした酒を口に運んで、「うまい」と舌を鳴らした。
最近、本当に酒がうまいと思うようになって来ていた。今までも酒は嫌いじゃなかったが、ほとんどが付き合いで飲んでいた。去年、多気にいた時、無為斎や川島先生と毎日、酒を飲んでいたせいか、最近は、うちにいる時でも楓と二人で少しづつ飲むようになっていた。
「百太郎(モモタロウ)は寝てるのか」と太郎は楓に聞いた。
「ええ、今さっき、寝たところよ」と楓は隣の部屋を示した。
太郎も一児の父親になっていた。去年の十一月に楓は無事に元気な男の子を産んだ。
太郎は楓と相談して百太郎と名付けた。初めは最初の男の子だから、一太郎にしようと思ったが、どうせなら多い方がいいと百を付けて、百太郎にしようと決めたのだった。
忙しかった正月が過ぎ、久し振りに三日間の休みを貰った太郎は、一昨日、昨日と一日中、家にいて、百太郎と遊んでいた。今日は百太郎を連れて市に行こうとしたが、寒いから駄目よ、百太郎が風邪でもひいたらどうするの、と楓に怒られ、仕方なく、一人で行ったのだった。
「明後日から、また、山歩きね」と楓は太郎に酌をしながら言った。
「ああ、のんびり歩かなくちゃならないから余計に疲れるんだ」
太郎は楓にも酌をしてやった。
楓は一口、酒をなめると、太郎の顔を見て笑った。
太郎はこの家にいる時は太郎坊移香ではなかった。勿論、愛洲太郎左衛門久忠でもない。山伏でも武士でもなく、伊勢より来た仏師(ブッシ)、三好日向(ミヨシヒュウガ)と名乗って住んでいた。
仏師といっても立派な仏像など彫れないが、ちょっとした小物なら彫れた。暇をみて彫った彫り物が、いくつか作業場に並べてある。三好日向とは智羅天(チラテン)のもう一つの名前で、太郎は二代目の三好日向を名乗ったわけだった。
去年の夏、太郎は岩尾山を下りてから、しばらくの間、智羅天の岩屋に籠もり、岩尾山で身に付けた棒、槍、薙刀を自分流にまとめて『陰流』に取り入れた。
それと、陰の術ももう一度、まとめ直した。今までは、敵の城や屋敷に忍び込む事ばかり考えていたが、今度は、敵に発見された時や敵に囲まれた時など、うまく、敵をごまかしながら逃げる方法などを色々と考えてみた。また、力のない女や年寄りたちのための護身の術なども考えた。
そして、九月の末、飯道山に戻った。剣術師範代として戻ったが、やはり、太郎坊は名乗らない方がいいだろうと高林坊に言われ、岩尾山で使った火山坊をそのまま名乗っていた。
十一月の二十五日になり、ようやく、太郎坊に戻って『陰の術』、去年から名前が改まって『志能便(シノビ)の術』となったが、それを教えた。しかし、顔は隠さなければならなかった。火山坊が実は太郎坊だったとわかってしまえば、すぐに噂になり、来年から、火山坊は剣術の師範代をする事ができなくなってしまう。しかたなく、太郎は天狗の面を被ったまま志能便の術を教えた。
去年、最後まで残っていたのは七十二人だった。七十二人を太郎坊、剣術師範代の金比羅坊と中之坊、それと、一昨年、去年と陰の術の稽古に参加してくれた槍術師範代の竹山坊(チクザンボウ)と棒術師範代の一泉坊(イッセンボウ)の五人で教えた。
二十七日には天狗の面を付け、岩尾山にも顔を出した。すでに、岩尾山にも天狗太郎が来るというのが噂になってしまい、太郎坊としては行かないわけにはいかなかった。その時になって、初めて、太郎は明楽坊が天狗太郎は岩尾山に絶対に来ると言ったわけがわかった。明楽坊は噂が広まるという事を読み、そうすれば、天狗太郎は絶対に現れると、あんな芝居を演じたのだろう。
これは使える、と太郎は思った。敵の情報を探るだけでなく、敵に偽りの情報を流して、それを信じ込ませ、敵を踊らせる事も陰の術だと思った。
太郎は岩尾山に行くと本堂の屋根の上に登った。修行者たちが集まって来ると、「残念ながら、陰の術を教える程の腕のある者はこの山にはいない。もっと、修行に励め。来年もまた、来るであろう」と言って山を下りた。
太郎坊を仇と狙っている山崎五郎が追って来るだろうと思ったので、太郎は素早く屋根から下りると、わざと通りづらい所を通って山を下りて行った。山崎五郎は追って来なかった。
年末年始は忙しく、信者たちの接待で走り回り、十二日から十四日まで休みを貰い、のんびりと家族のもとで過ごしていたのだった。
「師匠の息子には会えなかったけど、珍しい奴に会ったよ。いや、会ったというより、見たと言ったほうが正しいな」と太郎は楓に言った。
「誰?」と楓はほんのりと赤い顔して太郎を見た。
「お前は知らないだろうけど、多気の川島先生の道場にいた百姓の伜さ。宮田八郎と言ってな、面白い奴だよ」
「ふうん、その人も飯道山で修行するために来たの」
「勿論、そうさ。剣術の腕はまだ大した事ないが素質はある。それに努力家だ。きっと強くなる」
「へえ、わざわざ、あんな遠くから来たの、大変ね」
「ああ、大変だったろうな‥‥‥」太郎は思い出したように笑い出した。
「何よ、急に、どうしたの」
「いや、奴の姿を思い出したら、急におかしくなって来た」
「そんな変な格好してたの」
「いや、そうじゃないが、こっけいなんだ。奴は何を急いでたのか知らないけど参道を走って来た。何人も人が行き交ってる参道を縫うように走っていたんだ。ところが、頭に乗せていた笠が風に飛ばされて転がって行ったんだ。その笠がやけに新しくてな、本人には悪いが、全然、似合っていなかった。その笠がどんどん転がって行き、ぬかるみに入って泥だらけになったんだ。奴は泥だらけの笠を拾って、泥を払ったんだが落ちやしない。しばらく、どうしようか考えていたらしいが、結局、その泥だらけの笠を頭に乗せて、また、走り出したよ。その時の仕草が面白くてな。また、泥だらけ笠が良く似合ってるんだよ。馬鹿な奴だと思って見てたんだが、よく見ると、そいつが宮田八郎だった。声を掛けようと思ったけど素早くてな、あっという間に消えちまった。お山を下りて来たら声を掛けようと思ってたら、それきり下りて来なかったよ」
「もしかしたら、お山であなたの事、捜してるんじゃないの」
「多分な。一ケ月経ったら、ゆっくり会えばいいさ。奴は必ず残る」
「その宮田八郎っていう人、あたし、知ってるわよ。橘屋さんに案内されて、川島先生の道場に行った時、薪割りをしていた人でしょ」
「そうだ、そう。お前、よく覚えているな」
「だって、あなた、言ってたでしょ。もしかしたら、あの人、飯道山に来るかもしれないって」
「そうだっけ」
「そうよ、言ってたわ。飯道山で一年修行すれば相当な腕になるだろうって」
「そうだったか、忘れちまった」
「今年は楽しみね、少なくても二人は強くなりそうなのがいるわね」
「ああ、風間光一郎と宮田八郎がな」
「しっかり、教えてやってね」
「お前もな。もう、天狗勝(テングショウ)の技、覚えたか」
「ええ、もう、すっかり覚えたわ。今度は陰の術よ。ちゃんと、あたしにも教えてよ」
「ああ、そのうちな」
「いつも、そのうちじゃない。三日も休みがあったんだから、教えてくれたってよかったのに‥‥‥」
「今は駄目だよ。百太郎がいるだろ。百太郎がもう少し大きくならなけりゃ駄目だ。今はちゃんと母親をやってくれなけりゃ」
「そうね‥‥‥でも、絶対、教えてよ」
「うん、わかったよ」
太郎と楓は酒を飲みながら、懐かしい多気の都の事など思い出していた。
この年、太郎は二十二歳、楓は二十歳、百太郎は二歳、五ケ所浦の屋敷とは比べられない程、小さな家でも幸せな家庭だった。
3
一昨日、昨日と春のような暖かい日が続いたのに、今日はまた、冬が逆戻りして寒い一日となった。
飯道山では朝早くから、修行者たちの山歩きの行が始まっていた。
昨日は、山内の行場を巡って、山内をぞろぞろと見て回り、後はのんびりと過ごした修行者たちも、今朝は朝まだ暗いうちから叩き起こされ、水汲みや掃除をやり、読経をすますと武術道場に集合していた。
五百人近くの修行者は百二十人位づつ四組に分けられ、先頭と最後に付けられた先達山伏に率いられ、飯道山の山頂を目指して、凍っている雪道を歩いて行った。
初めの七日間は片道の六里半(約二十六キロ)の山歩きである。初日は第一隊と第二隊が太神山に向かい、その日は太神山に泊まって、次の日、戻って来る。第三隊と第四隊は金勝山(コンゼサン)まで行って戻り、次の日から太神山に向かった。
太神山には去年から仮の宿坊が建っていたが、とても、五百人も収容できない。どう詰めてみても三百人がやっとだった。半分づづ、交替で利用するしかなかった。
七日間が過ぎると、今度からは太神山への往復十三里を歩く事になる。
火山坊を名乗る太郎は第四隊を率いていた。第四隊は全部で百二十三人、その中にただ一人、新参の山伏、探真坊見山が入っていた。太郎は先頭を槍術師範代の竹山坊に任せ、一番最後を探真坊と一緒に歩いていた。
「やはり、ここは凄いですね」と歩きながら探真坊が太郎に声を掛けてきた。「まさか、こんなにも集まって来るなんて思いもしませんでした」
「一月も経てば半分以上は消えるよ」と太郎は答えた。
「でしょうね。でも、まさか、ここで火山坊殿と会えるとは思わなかったな。大峯山に行ったのかと思っていました」
太郎と探真坊は、かつて、岩尾山で会った事があった。その頃の探真坊はまだ山伏ではなく、山崎五郎と名乗っていて、太郎は彼に手裏剣を教えた事もあった。
探真坊は太郎が父の仇だとはまだ知らないが、太郎の方は探真坊が自分を仇と狙っている事を知っている。知っていながら、太郎にはどうする事もできなかった。太郎の方こそ、まさか、山崎五郎がこの山にやって来るなんて思ってもいなかった。こうなったら、成り行きに任せるしかないと決めていた。
昼過ぎから、とうとう雪が降って来た。
暗くなる前には、第三隊も第四隊も飯道山に戻って来ていたが、やはり、何人か減っていた。まだ、それ程でもないが、このまま雪が降り続けば、明日はかなりの人数がいなくなる事だろう。
次の日の朝、雪は止んでいた。それでも、夜通し降り続いた雪は一尺以上も積もっていた。昨日は第三隊が先に出発したので、今日は第四隊が先だった。太郎たちは新雪を踏み分け、皆、汗びっしょりになりながら金勝山まで進んだ。
金勝寺には、すでに太神山から来た第二隊が待っていた。第二隊の連中も積もった雪と格闘して、汗と雪でびっしょり濡れていた。
この金勝寺に、第一隊から第四隊まで全員が集まる事になる。山道は狭く、途中ですれ違う事はできなかった。太郎率いる第四隊が金勝寺に到着すると間もなく、太神山からの第一隊が到着した。
第四隊は持って来た昼飯を食べると太神山へと向かった。そこから先は太神山から来た第二隊と第一隊が道の雪を踏み固めてくれたので、大分、楽だった。
その日は全員の者が、どうにか雪の中を歩き通した。途中から抜けるにも雪が積もっていて、抜けようがなかったのである。しかし、朝になってみると、太神山にいた二百数十人の内、三十人近くが消えていた。
太郎は、ここで師匠、風眼坊舜香の伜、風間光一郎を見た。彼は第三隊にいた。第三隊を率いる中之坊に風間光一郎の名を出して教えて貰った。中之坊は光一郎が風眼坊の伜だとは知らない。本人が父親の名を出さない以上、太郎から言う必要もないだろうと思った。太郎は光一郎には声を掛けずに、ちらっと垣間見た。父親、風眼坊よりも体格のいい男だった。背の丈は六尺近くあり、父親にたっぷりと鍛えられたらしく無駄のない引き締まった体付きをしている。こんな山歩きなど何でもないと言うような、ふてぶてしい態度だった。顔は父親によく似ていた。風眼坊の若き日の姿を見ているようだった。
七日間の準備期間が終わり、残ったのは三百人程になっていた。すでに、二百人近くが山を下りている。雪の日が多かったせいもあるが、溢れる程いた修行者たちは見る見る減って行った。特に、四日目は一日中、吹雪だったため、次の日の朝には嘘のように少なくなっていた。
いよいよ、本番の抖擻行(トソウギョウ)が始まった。往復十三里の山歩きである。初めのうちは夜明けと共に出発しても日が沈むまでには戻って来られない。おまけに、今年は例年に比べて雪が多かった。一番初めに行く隊はいつも、深い雪に足を取られながら進まなければならなかった。それでも雪が降っていなければ、まだいいが、朝から吹雪いていれば、さすがの太郎でさえ行くのをためらってしまう程だった。
どんな状況でも山歩きは中止にはならない。嵐が来ようと槍が降ろうと病に倒れようとも、たとえ、一日でも歩くのを休めば、また、初めからやり直さなくてはならない。一ケ月のうちは、どんな事があっても休む事はできなかった。
半月が過ぎてみると予想以上に減っていた。百二十三人いた第四隊は半分以上いなくなり、五十七人になっていた。それでも、五十七人も残っているのはいい方で、第二隊は四十三人、第三隊は四十八人に減っていた。全隊合わせて二百六人だった。まだ、半月も残っている。飯道山としては、今年は百五十人取るつもりでいた。この調子で行けば百人以下になってしまうかもしれないという不安が出始めていた。
雪は毎日のように降っていた。山を下りて行く修行者の数も減らなかった。毎日のように少しづつ減って行った。
二十日めあたりから雪も止み、いい天気が続いた。雪に埋もれなくもすんだが、今度は、毎日、泥だらけになって山道を歩いた。このあたりまで来ると山を下りて行く者もいなくなった。
一ケ月の山歩きが終わり、結局、最後まで残っていたのは百十六人だった。この内、剣術の組に入ったのは三十四人。一番多かったのは槍で三十八人、次が剣術だった。一番、人気がないのは、やはり、薙刀で十八人だった。
次の日から午前中の作業が始まった。
最近になって、この辺りにも戦乱の波が押し寄せ、飯道山も山城のような城塞化が進んでいた。飯道寺は寺ではあるが、この辺りを支配している大名のようなもので、侵略して来る者があれば戦い、所領を守らなくてはならなかった。飯道山の山自体を城として、守りを固めて行った。あちこちで土木工事が始まり、修行者たちは毎日、土にまみれていた。
太郎は修行者たちの作業の指揮に当たっていた。前のように自由な時間は少なくなって行った。
午後になると、それぞれの武術修行が始まる。
剣術の組は新入りの修行者三十四人を含め、六十人近くの者が修行する事になる。他の山から修行に来ている山伏が十六人、一年間の修行だけでは物足らず、更に修行を積もうと残っている郷士も八人いた。
教えるのは師範の勝泉坊善栄、師範代の金比羅坊勝盛、中之坊円学、福智坊清正、そして、太郎こと火山坊移香の五人だった。去年まで師範代をしていた浄光坊智明は九州の彦山に帰り、代わりに、信濃(長野県)の戸隠山より来たのが福智坊清正だった。
福智坊は三十歳位で必要な事以外はあまり喋らない物静かな男だった。実力の程は良くわからないが、落ち着いた物腰と鋭い目付きから、かなり腕は立つようだ。信濃の戸隠山から来たというが、太郎は信濃の国というのがどこにあるのかも知らなかった。師匠、風眼坊なら行った事があるのだろうが太郎も行ってみたいと思った。
4
飯道山の山内や参道が、桜の花で埋まっていた。
新入りの修行者たちが入って来て、早くも二ケ月が経とうといていた。
剣術組の新入りの中で、特に目立ったのは風間光一郎と宮田八郎、そして、甲賀の鵜飼源八郎、伊賀の城戸新太郎の四人だった。
風間光一郎は風眼坊の伜だけあって強かった。しかし、その強さより六尺近くある背の高さの方がより目立っていた。普通の者たちより顔一つ分位高い。金比羅坊も大男だが彼よりも背が高かった。
宮田八郎はやたらとうるさくて目立っていた。黙っている事などないかのように、いつも誰かと何かを喋っている。誰とでも仲良くなり、剣術組の人気者だった。剣術の腕の方も以前、多気の都で太郎と会った時よりずっと強くなっていた。軽率そうな外見とは違って以外と努力家であった。
鵜飼源八郎は腕はそれ程でもないが、柔軟な体をしていて身が軽く敏捷だった。陰の術を教えたら、すぐに身に付けてくれそうだった。
城戸新八郎は筋が良く、素直で、よく稽古に励み、みるみると腕を上げていった。初めの頃は全然、目立たない存在だったが、わずか一月の間で、風間光一郎と大差ない程、腕を磨いていた。
宮田八郎はこの山に来て以来、ずっと、太郎坊を捜していたが会う事はできなかった。八郎は山歩きの時、第一隊にいた。第一隊を率いていたのは西光坊だったが、太郎坊が今、火山坊と名乗って第四隊を率いているとは教えなかった。
太郎坊の事を聞くのは八郎だけではない。この山に来る者は誰でも、すでに伝説上の人となっている太郎坊に会いたがった。本当の事を言えば修行どころではなくなってしまう。山伏たちは太郎坊は十一月になったら、どこからともなくやって来て、『志能便の術』を教えるとだけ答えていた。
八郎が初めて太郎に会ったのは、山歩きが終わって、初めての剣術の稽古が始まる、ほんの少し前だった。太郎の方から会いに行った。道場で会って、八郎に太郎坊の名を大声で呼ばれたら飛んだ事になってしまう。十一月になるまでは、太郎坊ではなく火山坊でいなければならなかった。
太郎は八郎に訳を話した。今は太郎坊ではない。太郎坊という名の山伏がもう一人いて、同じ名前だと具合が悪いので、火山坊という名に変えたと説明した。
八郎は、そのもう一人の太郎坊は太郎よりも強いのか、と聞いた。太郎は、そうだと答えた。十一月になれば、その太郎坊がここに来ると付け加えた。
それは聞いた事がある。そして、太郎坊の事は誰もが知っていた。八郎は、太郎坊があまりにも有名なので喜んでいたと言う。太郎から、そいつは別人で、もう一人、太郎坊がいると聞かされ、大分、がっかりしたようだった。
風間光一郎も太郎坊を捜していた。父親より、飯道山に行ったら太郎坊に剣術を教われと言われて来た。太郎坊がどんな男だか知らないが、この山に来て、太郎坊があまりにも有名な事に驚いたのは光一郎も八郎と同じだった。父親の弟子だというが、一体、どんな男なんだろうか、と十一月に会えのるを楽しみにしていた。
光一郎は父親の名前を出してはいなかった。わざわざ、父親の名前を出さなくても自分の剣術に自信を持っていた。風眼坊の伜だと知っているのは太郎と楓、そして、花養院の松恵尼の三人だけだった。太郎の方も自分が風眼坊の弟子だとは名乗らなかった。師匠の伜だからと特別扱いしたくなかったし、そのうちわかる事だから、わざわざ、言う必要もないと思っていた。
日が沈み、今日の稽古は終わった。
修行者たちは、それぞれ、自分の宿坊に帰って行った。太郎も帰ろうとした時、金比羅坊が声を掛けて来た。
「火山坊、今晩、飲みに行こうぜ」と金比羅棒はニヤニヤしながら言った。
「花見酒ですか」と太郎は聞いた。
「そうよ。満開じゃ。これが、飲めずにおられるかい」
「誰が行くんです」
「いつもの仲間よ」
「そうだな。久し振りだし、たまには飲むか」
「そう来なくっちゃな」
「いつもの仲間に、いつもの店ですか」
「いや」と金比羅坊は嬉しそうな顔して首を振った。「『七福亭』じゃ。最近、いい娘が入ってな」
「成程、それが目当てですか」と太郎もニヤニヤしながら金比羅坊を見た。
「まあな、おぬしも会ってみろ、気に入るに違いない。名は『毘沙門(ビシャモン)』といって勇ましいが、これが、またいい女子(オナゴ)でな、一目見ただけで震い付きたくなる程じゃ」
「へえ、そんな女子が入りましたか」
「わしはすぐに行って座敷を取っておくから、絶対に来いよ」と言うと金比羅坊は不動院の方に走って行った。
「花見酒か‥‥‥」と太郎は独り呟き、桜の花を見上げた。
月日の経つのは早かった。
飯道山に登って剣術の師範代をやるようになってから、自分の時間というものが、ほとんどなくなってしまった。
毎日が同じ事の繰り返しで、しかも、何かと忙しく、自分の修行などやる暇はなかった。まだまだ、自分としては修行しなくてはならないと思っている。陰流も完成しなくてはならないし、陰の術もまだまだ未完成だ。やらなくてはならない事が一杯あるのに時間は全然なかった。
このままで、いいのか、と最近、よく思うようになっていた。
太郎はもう一度、満開の桜を見上げた。
去年の今頃は丁度、故郷を去った時だった。五ケ所浦を出てからもう一年になる。五ケ所浦の水軍と陸軍はうまくやっているだろうか。
あの頃、親父は九鬼氏と戦っていたが、勝っただろうか‥‥‥
祖母は具合が悪いようだったが、良くなっただろうか‥‥‥
多分、もう二度と故郷には帰らないだろう。
皆、うまくやってくれればいいと太郎は願った。
5
樹木(キギ)の隙間から、少し欠けた月が覗いていた。
時々、風に吹かれて、木の葉が音を立てるだけで辺りは静まり返っていた。
風間光一郎は深夜、ひっそりとした山の中で座り込んでいた。
梅雨も上がり、夏がやって来ていた。それでも夜になると、まだ、山の中は肌寒かった。
風で樹木が揺れた。
光一郎はびくりともしないで、じっと座り込んでいた。山の中で座り込むのには慣れていた。ここよりも、もっと山奥の熊野で、毎日のように座らされていた。
初めの頃は悲鳴をあげたい程、恐ろしかった。物音がするたびに、びくびくしていた。正体不明の物の怪(ケ)に脅えていた。今ではもう何ともない、かえって心を落ち着ける事ができた。
光一郎は六歳頃より父親から剣を習った。しかし、父親はほとんど家にはいなかった。旅ばかりしていて、たまにしか家に帰って来なかった。その父親が、どうしたわけか、光一郎が十五歳の秋頃より旅に出なくなり、ずっと家にいた。光一郎は飯道山に来るまでの二年半近く、父親にびっしりと剣術を叩き込まれた。
父親は厳しかったが、光一郎の腕はみるみる上達して行った。
今年になって、父親は急に飯道山に行けと言った。後は飯道山にいる太郎坊に教われ。そして、これから自分が何をすべきかを考えろと言った。
光一郎は飯道山に来た。腕には自信があった。同じ位の年の奴らには絶対に負けない自信があった。一ケ月の山歩きは何でもなかった。山歩きなら毎日のように父親にやらされていた。木剣を持って稽古をするより、山の中を走り回っていた方が多い程だった。雪が多くて歩きにくい事はあったが、歩く早さがゆっくりなので苦しいとも感じなかった。
そして、いよいよ、剣術の稽古が始まった。鉄棒振り、立木打ちなどの基本から始まり、それぞれの腕によって、初級、中級に分けられた。初めから上級に入った者はいない。
光一郎も中級に入れられた。中級に入ったのは三十四人中、二十一人いた。中級に入った連中を見回してみても、自分より強そうな奴はいそうもなかった。ところが、以外にも、光一郎と同じ位の腕の者はかなりいた。
中でも宮田八郎は強かった。外見を見た所、全然、強そうに見えない。いつも、馬鹿な事を言って騒いでいた。つい昨日まで、全然、問題にしていなかった。自分が強そうだと思っていた連中は皆、倒し、同期の中では自分が一番強いと思っていた。後は、去年からいる連中の中で強そうな大原源三郎と山中十郎の二人を倒せば、修行者たちの中では一番になり、残るは師範たちだった。
ところが、今日、上級に行く者を決めるための試合を行なった。光一郎の相手は宮田八郎だった。光一郎は軽くあしらってやるつもりでいたが、そうは行かなかった。以外にも八郎は強かった。もし、真剣だったら光一郎の方が負けたかもしれなかった。
光一郎は八郎の他五人と共に上級に進んだが、見方を変えなければならなかった。父親から、いつも、物事の本質を見極める目を持たなくてはならないと聞かされていた。まったく、その通りだと思った。外見だけで判断すると飛んだ事になってしまうという事を改めて気づいた。
それにしても、どう考えても、自分があの宮田八郎に負けるなんて不思議な事だった。あんなニヤけた調子者に負けるなんて考えられなかった。その事が気になって光一郎は寝られなかった。どうしても寝られないので、仕方なく、外に出て来た。道場まで来て、熊野にいた頃を思い出して座り込んでみたのだった。
座り込んでいるうちに、宮田八郎の事も忘れ、頭の中はすっきりとしてきた。
光一郎はその夜、朝まで座り込んでいた。
一方、宮田八郎の方は鼾をかいて、ぐっすりと眠り込んでいた。
八郎の方は自分の腕にそれ程、自信を持ってはいなかった。今まで、町人相手の道場で修行していたので、その中でいくら強くなったとしても、侍にはとても敵わないと思っている。町道場の先生、川島先生は侍たちに会うと逃げてばかりいた。そんな先生に教わっていたのだから、自分の強さなんて、たかが知れている。世の中には自分より強い者はいくらでもいると思っている。
飯道山に来た時、五百人もの人が集まったのを見て、八郎は本当にたまげた。全員、自分よりも強そうに見えた。一ケ月の山歩きはきつかった。きつかったけれど頑張り通した。死に物狂いで歩き通し、一月経ってみると五百人もいたのが百二十人に減っていた。
八郎は剣術の組に入った。三十四人入ったが、やはり、皆、自分よりも強そうに思えた。それでも、毎日、稽古をやって行くうちに、八郎も少しずつ自分の強さがわかって来た。自分が以外にも強いという事がわかって来た。それでも、八郎はまだまだ上には上がいると思っている。今日は風間光一郎と試合をして引き分けとなった。引き分けとなったが、八郎は光一郎の方が強いと思っている。まだまだ、修行を積まねばと思っていた。
次の日から、光一郎と八郎は上級組で稽古に励んだ。
上級組の師範は金比羅坊と福智坊だった。福智坊のやり方は容赦なかった。手加減などしなかった。掛かって来る者は皆、叩きのめされた。
光一郎も八郎も傷だらけ、痣だらけになって修行に励んでいた。
二人が飯道山で剣術の修行に励んでいたこの頃、京の都では重大な事件が起こっていた。
この年の三月十八日、西軍の総大将、山名宗全が西陣の邸内で没した。七十歳であった。そして、後を追うように、五月十一日には東軍の総大将、細川勝元が疫病にかかり、四十四歳の若さで亡くなった。
両軍の総大将の死によって終戦も期待されたが、実現は難しかった。
今回の大乱は、一つの目的を持って東西に分かれ、争っている訳ではなかった。それぞれが勝手な思惑を持って、東西に分かれて戦っている。目的は仇敵を倒す事で、東軍でも、西軍でもどちらでも良かった。たまたま、敵が東軍だから、こちらは西軍だ、というようなもので、東軍や西軍というのは単なる名目に過ぎなくなっていた。
両軍の総大将が亡くなったからといって、簡単に講和できるものではなかった。
応仁の乱の一つの原因とも言える、管領家畠山氏は未だに家督争いを続けているし、将軍の座は日野富子の産んだ義尚に決定してはいたが、足利義視もまだ西軍にいて将軍の座を諦めてはいない。
赤松氏と山名氏はお互いに播磨、備前、美作の国を取り戻そうと争っている。
ここ近江でも守護職を狙って、同族の京極氏と六角氏が争っている。
戦はまだまだ、終わりそうもなかった。
5.夕顔
1
木枯らしが鳴いていた。
太郎は一人、酒を飲んでいた。
十一月も半ば、日に日に寒さが厳しくなって行った。
太郎がいるのは『とんぼ』という小さな居酒屋だった。狭い店内は客で一杯で騒がしかった。太郎は一人、何かを思い詰めているかのように黙々と酒を飲んでいた。
もと山伏だったという無口で無愛想な親爺が一人でやっている店だった。自然、山伏の客が多かった。今も、太郎の知らない数人の山伏たちが愚痴や人の悪口を飛ばしながら、騒がしく飲んでいる。
太郎がこの店に来る時はいつも一人だった。店の隅に座って一人で黙って酒を飲んでいた。初めて、この店に来たのはもう、ずっと前の事だった。
初めて、この山に連れて来られた時、師匠の風眼坊と栄意坊、そして、高林坊と飲んだのが、この店だった。一晩中、飲んでいて、朝になって高林坊と一緒に参道を駈け登ったのを覚えている。その後も、太郎が五ケ所浦から戻って来た時、高林坊と金比羅坊と飲んだのも、ここだった。それ以来、来た事はなかったが、今年の夏、何気なく、ちょっと一杯飲むつもりで寄ったのが始まりだった。それからは毎日のように、この店に顔を出すようになって行った。まっすぐに家に帰らないで、一杯飲んでから帰るという習慣が付いてしまっていた。
まっすぐ、家に帰っても楓はいなかった。当然、息子の百太郎もいない。戦が長引いているお陰で、この甲賀の地にも戦の影響が広がっていた。花養院では戦で両親を亡くした孤児たちを引き取って世話をしていた。
孝恵尼と妙恵尼という尼さんが担当して孤児たちの世話をしていたが、孤児の数が多くなり過ぎて、二人だけではどうしようもなくなって来た。そこで、今まで寺の寺務と村娘たちに薙刀を教えていた楓に手伝ってもらう事になった。初めの頃はほんの手伝いだったので、帰りが遅くなるという事もなかったが、孤児の数が増えるにしたがって楓の帰りは遅くなって行った。
楓にしてみれば、一児の母親として、また、自分も孤児だったので、孤児たちを放っては置けなかったのだろう。今では二十人近くいる孤児たちに夕飯を食べさせ、後片付けをしてから帰るので、どうしても帰りが遅くなってしまう。
初めは太郎も真っすぐに帰って、楓の帰りを待っていたが、そのうち、誰もいない家に帰っても面白くなく、ちょっと一杯、飲んでから帰るようになって行った。それだけなら、まだ良かった。この店でちょっと一杯飲んで、真っすぐ家に帰れば、楓と百太郎が待っていた。初めの頃はそうだった。しかし、だんだんと太郎の方も家に帰るのが遅くなって行った。一杯が二杯になり、三杯になり、やがて、店を変えて飲むようになる。お決まりの過程を太郎もたどって行った。
剣術師範代として、付き合いで太郎も色々な所で飲んではいた。若い娘たちがいる遊女屋で飲んだ事もあった。そういう所には仲間たちとは一緒に行くが、一人で行った事はなかった。まして、遊女を買った事もない。仲間たちが一緒に飲んでいた遊女を連れて別の部屋に移っても、太郎はただ酒を飲むだけで帰って来た。それが、最近では遊女を平気で買うようになっていた。今も、これから、『夜叉(ヤシャ)亭』という遊女屋に行こうか、真っすぐ帰ろうか、迷いながら飲んでいるところだった。
太郎には自分という者がわからなくなっていた。
遊女を抱いた後は、いつも、楓に申し訳ないと思った。楓に合わす顔がなかった。どんなに遅く帰っても、楓は寝ないで待っていた。そんな楓に太郎は嘘をつく。悪いと思うが本当の事は言えなかった。もう二度としないと心に誓うが駄目だった。酒を飲むと、『夕顔』という名の遊女の顔が浮かび、それを打ち消すように酒を飲んでも、結局は夕顔に会いに行ってしまう。
太郎が夕顔に会ったのは秋の初めの頃だった。いつものように、ここで酒を飲み、ちょっと、遊女でもからかってから帰るかと、金比羅坊たちとよく行く『おかめ』という遊女屋に行った。金比羅坊たちと一緒に行った時は遊女を抱きはしなかったが、その後、一人で行って『とき』という名の娘を抱いた。別嬪(ベッピン)といえる程の娘ではなかったが、愛嬌があって話し上手で一緒にいると楽しかった。その日は、ただ、一緒に酒を飲もうと思って行ったのだったが、生憎、ときは先客がいて出て来なかった。それではと、『七福亭』という遊女屋に行った。そこにも、『布袋(ホテイ)』という馴染みの娘がいたが、その娘も駄目だった。それで、諦めて帰れば良かったものを、酒の勢いで、たまには知らない店に入ってみるのも面白いと『夜叉亭』という店に入ってみた。そこで会ったのが、『夕顔』だった。
どこか、淋しそうな影のある、色白のおとなしい娘だった。体付きも華奢(キャシャ)で、強く抱いたら折れてしまいそうな感じだった。ただ、ちょっと年増だった。年増といっても二十歳前後である。当時は十六、七が娘盛りで、遊女たちも十六、七の娘が最も多く、また、人気もあった。この時、十九歳だった夕顔は遊女たちの中でも年長の方だった。
太郎はしばらくの間、この夕顔と一緒に酒を飲んだら帰るつもりでいた。ところが、夕顔と話をしているうちに、太郎は彼女に惹かれて行った。彼女と別れがたくなり、とうとう、その日は泊まってしまった。
あれから、一月に二度は『夜叉亭』に通うようになっていた。
一体、俺はどうして、しまったんだろう‥‥‥
「毎日、くそ忙しくて、いやになるな」と太郎の後ろで飲んでいる若い山伏たちが言っていた。
「ああ、どこか、のんびりできる所にでも行きてえな」
「どこに行ったって、戦はやってるさ」
「いっその事、戦が終わるまで、山奥にでも籠もるかな」
「アホ言え。おぬしにそんな事ができるか」
「まあ、二日ももたんじゃろのう。里が恋しくて、すぐ、飛び出して来るわ」
「女子(オナゴ)、女子が欲しいって喚きながらな」
「アホぬかせ。それは、おぬしじゃろう」
確かに、毎日が忙しかった。
戦のお陰で、午前中の作業は毎日が土木作業だった。山内に濠(ホリ)を掘って土塁を築いたり、櫓(ヤグラ)を立てたり、山内ならまだいいが、里まで下りて行って作業をする事もよくあった。作業が長引いて午後の武術修行が中止になる事もある。皆、泥だらけになって働き、誰もが疲れていた。
太郎がこの山に戻って来て、すでに、一年が経っていた。
初めの頃は、太郎も真剣になって、一生懸命、修行者たちに剣術を教えていたが、今ではもう、ただの惰性で教えているようなものだった。
かつて、太郎自身が修行者だった頃は、毎日がもっと生き生きとしていた。一つの目的を持って、それに向かって脇目も振らず、突っ走っていた。ところが、今は何の目的もなく、毎日、毎日、同じ事を繰り返している。
やりたい事はいくらでもあった。いくらでもあるが、それをやる時間はなかった。
もうすぐ、『志能便の術』を教えなければならない。まだ、完成していなかった。去年、教えた時から少しの進歩もなかった。人に教えるばかりで自分の修行をする暇など全然ない。後ろで飲んでいる山伏の言うように、山奥にでも籠もって自分の修行に専念したかった。以前の太郎だったら、何のためらいもなく、そうしていただろう。しかし、今の太郎にはできなかった。楓と百太郎をほったらかして山奥に籠もるなんて、とても、できなかった。
「もう、一本、いきますかい」と親爺が言った。
太郎は頷いた。
あと一本飲んだら帰ろうと思った。
楓もそろそろ帰っている頃だろう。最近は百太郎とも遊んでいなかった。そのうち、休みを取って、三人でのんびりとどこかに行こうと、いつも、楓と言っているが実現はしなかった。
親爺が酒を持って来て、太郎の前に置いて去って行った。必要以外の事は何も喋らない無愛想な親爺だった。太郎にとっては、それが良かった。静かに飲める店だった。
親爺がここに店を出してから、もう二十年にはなるだろう。師匠の風眼坊がこの山にいた頃、ここで、よく飲んだと言っていた。この辺りの事なら、山伏の事から遊女たちの事まで何でも知っている事だろう。しかし、親爺は何も喋らなかった。
後ろで飲んでいた山伏たちはニヤニヤしながら、ぞろぞろと『遊女屋』に繰り出して行った。急に静かになったような気がした。店に残ったのは、太郎ともう一組、近くの百姓たちが三人だけになった。
静かだったのは、ほんの一時だった。親爺がまだ片付け終わらないうちに、また、どやどやと山伏たちが入って来た。名前までは知らないが見た事のある連中だった。多分、棒術組の奴らだろう。
太郎はちらっと見ただけで、山伏たちに背中を向けた。今は誰とも話をしたくなかった。
太郎は酒を飲み干すと『とんぼ』を後にした。山伏たちは、高林坊の事を何だかんだと好き勝手な事を言っていた。
外は寒かった。
北風が冷たかった。
なぜか、酒を飲んでも酔えなかった。
太郎は背中を丸め、木枯らしの中を歩き出した。
太郎の足取りはふらふらしていた。杖を突きながら、よたよたと歩いている。
太郎が突いている杖は錫杖ではなかった。金剛杖でもない。
棒術に使う六尺棒を使い易いように、一尺短くして五尺にした物だった。太郎が自分で枇杷(ビワ)の木で作ったもので、最近は、その棒を常に持ち歩いていた。
刀は多気の都以来、持ち歩かなくなっていた。どこに行くにも、小刀だけを腰に差して五尺の棒を突いていた。
風が強かった。
冷たい風に吹かれるままに、太郎は歩いていた。
家に帰ろうと思って、『とんぼ』を出た太郎だったが、足は家と反対の方に向き、ふらふらと知らないうちに『夜叉亭』の門をくぐっていた。
夕顔は嬉しそうに太郎を迎えてくれた。
夕顔の顔を見ると、やはり、来て良かったと思う太郎だった。
「外は寒いでしょうに」と夕顔は太郎をさっさと暖かい部屋に引っ張って行った。
夕顔は自分の事はあまり喋らなかった。太郎も無理に聞きはしなかったが、太郎が通うにつれて、少しづつ話すようになって行った。
夕顔は小椋谷という山の中で生まれたらしかった。小椋谷は鈴鹿山脈の山奥にあり、昔、文徳(モントク)天皇の皇子、小野宮惟喬親王(オノノミヤコレタカシンノウ)が隠れ住んでいたという伝説を持つ山村だった。木地師の発生の地とも言われ、全国に散らばる木地師たちの棟梁的存在だった。
夕顔の父親も当然の事ながら木地師だと言う。
小椋谷では主に、多賀大社が無病息災のお守りとして配っている杓子(シャクシ)を作っていた。その杓子は参詣者に配るだけでなく、大社に所属する山伏たちによって全国各地に配られて行った。
多賀大社は伊勢神宮の祭神である天照大神の両親、伊邪那岐、伊邪那美の二神を祀り、縁結び、及び長寿延命の神として信仰されていた。
『お伊勢参らば、お多賀へ参れ、お伊勢、お多賀の子でござる』
『伊勢へ七度、熊野へ三度、お多賀様には月参り』などと歌われ、当時、全国的に信仰を集めていた。参道はいつも、各地からの参詣者で賑わい、土産物屋を初め、茶屋、飯屋、居酒屋、旅籠屋、遊女屋などが、ずらりと並んでいた。
夕顔は十三歳の時、そんな多賀大社の門前町にある遊女屋に売られた。売られたと言っても、それ程、気にならなかったと言う。小さい頃より一人前になれば、賑やかな『お多賀さん』の門前町に行って、綺麗な着物を着て、綺麗に化粧して、仕事をするのだと言い聞かされていた。また、遊女屋に行ったのは夕顔一人ではなく、幼なじみの娘たちが何人もいたと言う。小椋谷では古くから、娘たちを多賀大社に送っていたらしい。古くは大社に仕える巫女として娘たちを出していたらしいが、いつの頃からか、遊女になってしまったのだろう。
夕顔も古くからのしきたりによって、十三の春、親たちと別れ、幼なじみの娘たちと一緒に多賀大社の門前町に行った。色々と辛い事があったに違いないが、夕顔はそういう事は一言も喋らなかった。ただ、賑やかに栄えている門前町の事や盛大な春のお祭りの事など、懐かしそうに話してくれた。
夕顔の話によると、多賀大社にも山伏たちがかなりいるようで、夕顔のいた店にもよく来ていたと言う。飯道山から来たという山伏も何人かいたらしい。
太郎は剣術師範代なので、この山から離れる事はないが、飯道山の山伏たちの多くは皆、全国各地を旅して信者を集めたり、信者たちを飯道山に連れて来たりしていた。飯道山は全国各地に拠点を持っていて、そこを中心に山伏たちは活動している。多賀大社にも飯道山の拠点があり、そこを中心に活動している飯道山の山伏が何人もいたのである。
夕顔は六年間、多賀の門前町の『月見亭』という遊女屋にいて、今年の秋になって、ここ、飯道山の『夜叉亭』に移って来た。太郎と知り合ったのはこちらに来て、まだ三日目だったと言う。初めて会った時、どことなく淋しそうに見えたのは、そのせいだったのかもしれない。付き合ってみると、さっぱりとしていて素直で明るい娘だった。
夕顔が木地師の娘だと聞いて、太郎は今まで忘れていた小春の事を思い出した。太郎が初めて本気で好きになった娘だった。夕顔と小春は境遇がよく似ていた。小春が伊勢神宮の門前町、宇治の遊女屋に売られたのは、確か、彼女が十六の頃だった。それを知った時、太郎は宇治の遊女屋まで行って小春を取り戻そうと思った。しかし、師匠に止められ、ここに連れて来られ、修行に励んでいるうちに、いつしか忘れてしまっていた。
今頃、どうしているのだろう。幸せになってくれればいいと祈るしか、今の太郎にはできなかった。
「お山は相変わらず、忙しいですか」と夕顔が酒の支度をしながら聞いた。
「ああ、毎日、忙しいよ。もうすぐ、雪が降るからな。雪が降る前にやらなきゃならん事が一杯ある」
「大変ですね」
「まあな」と言いながら、太郎は夕顔の酌してくれた酒を飲んだ。
うまかった。冷え切っていた体が急に暖まるような気がした。やはり、一人で、つまらない事をくよくよ考えながら飲んでいるより、こうして、夕顔と二人で飲んでいる方がずっと良かった。夕顔と二人きりで酒を飲んでいる時が、今の太郎にとって、一番、心が安らぐ時だった。何もかも忘れて、のんびりと落ち着く事ができた。
「今日は、ゆっくりして行けるんでしょう」と夕顔が太郎の顔を覗き込むようにして聞いた。
「ああ」と太郎は答えた。
「まあ、嬉しい」と夕顔は太郎の手の平を両手で握った。
「あたしね、今日は、きっと、火山坊様が来てくれるような気がしたの」と夕顔は太郎に甘えるように、もたれ掛かってきた。
「どうしてだい」と太郎は夕顔の腰を抱いた。
「勘よ。あたしの勘ってよく当たるのよ。丁度、お昼頃だったわ。火山坊様がこちらに歩いて来る姿が見えたの。これは、今晩、きっと、来てくれるなって、あたし、ずっと待ってたのよ」
夕顔は太郎の指を弄んでいた。
「へえ、そいつは凄いな」と太郎は夕顔の細い手を握った。
「ねえ、お昼頃、ここに来ようって思ったでしょう」
「お昼頃か」
「絶対、思ったはずよ。ぴんと来たんだから、あたし」と夕顔は笑って太郎に酌をした。
「よく、わかるな」と太郎も笑って酒を飲んだ。
「やっぱり、そうだったのね。嬉しい」と夕顔は本当に嬉しそうに笑った。
そして、前にもこんな事があったのよと、自分の勘が当たった時の事を話し始めた。
本当は、昼頃、太郎はそんな事は思わなかった。昼頃は作業に追われて、それどころではなかった。実際、ここに来るまで、来ようと思ってはいなかった。足が自然とこちらに向いただけだった。しかし、夕顔に会いたいと思っていた事は事実だった。もしかしたら、夕顔の言う通り、昼頃、無意識のうちに、ここに来ようと決めたのかも知れない。ここに来てはいけないと思う意識がそれを打ち消し、家に帰ろうと思っていたが、無意識の方が勝って、ここに来てしまったのだろうか‥‥‥
太郎の心は今、ばらばらになっていた。自分で自分の心がわからなかった。
太郎は酔っ払った。
酒に酔った。そして、女に酔った。
とうとう、家には帰らなかった。
朝になり、夕顔の笑顔に送られて、太郎は山に戻って行った。
花養院は朝から晩まで、子供たちの声で賑やかだった。
楓は、その子供たちの世話で一日中、忙しかった。
今日も、新しい孤児が蒲生から二人やって来た。
三歳の男の子と七歳の女の子だった。男の子は泣きっ通しで、女の子は黙ったまま、一言も話さなかった。連れて来たのは飯道山の薬売りだった。
去年の秋の事、旅の僧侶が戦で両親を亡くし、身寄りのない一人の女の子を連れて来たのが始まりだった。可哀想だからと花養院で預かって育てる事になった。それが、一人増え、二人増えとだんだんと増えて行った。
孤児を預かってくれるとの噂が広まっているのか、よく、旅の僧侶や旅の商人たちが、孤児たちを花養院に連れて来た。また、近所の者も遠い親戚の子供だが両親を亡くし、うちで育てる事ができないので預かってくれと連れて来たり、夜中のうちに、黙って花養院の門の所に赤ん坊を置いて行く者もあった。
わずか一年ちょっとで、預かる孤児の数は二十人にもなってしまっていた。
子供たちが増えるにしたがって、今までの僧坊だけでは間に合わなくなり、今年の夏、境内を広げ、新しく孤児たちのために立派な施設が建てられた。
松恵尼は本格的に孤児たちを引き取って育てるつもりになっていた。
初めのうちは、孝恵尼と妙恵尼という二人の尼僧に任せっきりでいたが、孤児が多くなるにしたがって、松恵尼は自分から進んで、孤児たちの世話をするようになって行った。
今まで、どこと無く元気のなかった松恵尼も、最近は生き生きとして孤児たちの世話をしている。まるで、孤児たちの世話をするのが楽しくてしょうがないかのように、毎日、張り切っていた。松恵尼が先頭になって張り切って世話をしているのに、楓が手伝わないわけにはいかなかった。
花養院は朝早くから夜遅くまで、孤児たちに振り回されていた。
子供たちが二十人もいると食事だけでも大変だった。
当時は一日、三食、食べるという習慣はまだ一般化されていなかった。京の都辺りでは、ある程度、普及していたが、普通は朝と夕の二食が当たり前だった。朝は巳(ミ)の刻(午前十時)頃、夕は酉(トリ)の刻(午後六時)頃、食べていた。ただ、武士たちは戦の最中は三食取る事になっていた。また、飯道山でも修行が厳しいため三食取っていた。やがて、戦国時代となり、戦が日常茶飯事になると一日三食というのが一般にも浸透していく。
花養院はまだ、一日二食だった。一日二食でも二十人分の食事を毎日、用意するのは大変な事だった。
楓は太郎に朝食を食べさせ、送り出してから、素早く家事をやり、百太郎を連れて、花養院にやって来る。そして、子供たちの朝食の用意をして食べさせ、後片付けをしてから寺の寺務をやる事になっていた。しかし、なかなか寺務はできなかった。ほとんど、子供たちに付きっきりになってしまう。かつての楓の教え子たちや近所のおかみさんたちも手伝いに来てくれるが、子供たちの世話はなかなか大変だった。
昼過ぎ、未(ヒツジ)の刻(午後二時)になると、村の娘たちが楓に薙刀を習いにやって来る。こちらの方も、物騒な世の中になって来ているので人数が増えていた。前は、多くても二十人程度だったのに、最近は倍の四十人近くもいる。かつての教え子たちが手伝ってくれるので助かるが、こちらも大変だった。
楓は太郎から教わった天狗勝の技をわかり易いように、娘たちに教えて行った。
さすがの楓も疲れていた。教え子たちに形の稽古をさせ、楓はボーッとしていた。ただ、疲れているだけでなく、最近の太郎の事も気になっていた。
昨日も太郎は帰って来なかった。最近になって、帰って来ない事が多くなった。
どうしたのか聞くと、いつも、山での仕事が忙しいから帰れなかったと言う。それなら、それで仕方のないのだが、最近、飲む酒の量が多くなっているのが心配だった。
酔っ払って帰って来ては、愚痴ばかりこぼすようになっていた。
以前は、あんな事はなかったのに‥‥‥
やっぱり、あたしの帰りが遅いのが悪いのかしら‥‥‥
松恵尼はいつも、早く帰った方がいいと言ってくれるが、みんなが忙しそうにしているのに、一人で先に帰るのは気が引けた。そして、いつも、帰りが遅くなってしまう。
どうしたら、いいのかしら‥‥‥
楓がボーッと考え事をしている時、一人の僧侶が花養院の門をくぐって入って来た。一番最初に孤児を連れて来た旅の僧侶だった。
「やってますな」と僧侶は楓に手を上げて挨拶した。
「いらっしゃい」と楓も頭を下げた。
「子供たちは、元気かな」と僧侶は重そうな頭陀袋(ズタブクロ)を肩から下ろした。
「はい、お陰様で。でも、ちょっと、お梅ちゃんが風邪をひいたみたいで‥‥‥」
「ほう、そいつはいかんな。最近、急に寒くなって来たからの。気を付けんとな」
「はい」と楓は僧侶を孤児院の方に案内しようとしたが、僧侶は、「いいから、薙刀を教えていなされ」と、さっさと孤児院の方に向かった。
この僧侶、京都、妙心寺の禅僧で遊渓宗瑛(ユウケイソウエイ)と言うが、誰もが『血止め和尚』と呼んでいた。禅僧でありながら医者でもあった。旅をしながら村々を歩き、病人や怪我人の治療をして回っている。戦が始まってからは戦場にも出掛け、傷付いた兵士の治療もしていた。
当時は、怪我の治療といっても大した事はできなかった。せいぜい傷口の血を止め、薬草などで消毒するのが精一杯だった。傷口からの血が止まらず、出血多量で死ぬという場合も少なくなかった。まず、血を止める事が先決だった。和尚はその血を止めるのがうまかった。それで、いつの間にか、『血止めの和尚』と呼ばれるようになっていった。中には『膿(ウミ)止め和尚』『毒消し和尚』などと呼ぶ連中もいた。
当時、専門的な医者はいても上流階級にいるだけで、一般庶民には全く縁のない存在だった。庶民たちは山伏や巫女(ミコ)、遊行聖(ユギョウヒジリ)の加持祈祷(カジキトウ)や呪(マジナ)い、彼らが売りに来る薬などに頼るしかなかった。医者のいなかった庶民たちにとって、『血止め和尚』の存在は皆から喜ばれていた。
血止め和尚は花養院に孤児院ができてからというもの、ちょくちょくと顔を出した。ちょくちょくといっても、旅をしているので一月に一度か、二月に一度位だったが、子供たちの具合を良く見てくれた。お陰で、皆、病気もしないで元気だった。そして、いつも、子供たちに珍しいお菓子を持って来てくれるので子供たちにも人気があった。和尚が言うには仏様のお供え物だと言うが、庶民たちには、とても手の届かないような高価なお菓子ばかりだった。
楓は薙刀の稽古を済ますと、孝恵尼たちと一緒に子供たちの夕食の支度をして食べさせ、さっさと片付けると百太郎を連れて家に帰った。
珍しく、太郎は先に帰っていた。一人で酒を飲んでいた。
「遅くなって、御免なさい」と楓は太郎に謝ると、太郎の顔を見て笑った。「すぐ、ご飯の用意するわ」
百太郎は楓の背中で、すでに寝ていた。
楓は百太郎を寝かせると、夕食の用意を始めた。
「夕べは、また、会合(カイゴウ)があったの」と楓は聞いた。
太郎はただ、「ああ」とだけ答えた。
「大変ね」
太郎は楓が帰って来たら、まず、夕べ、帰らなかった事を謝ろうと思っていた。しかし、楓の顔を見たら、なぜか、言えなくなってしまった。
「寒くなって来たわね」と楓は言った。
「ああ」と太郎は答えた。
「もうすぐ、『志能便の術』が始まるわね。早いもんね。今年も、天狗のお面を付けてやるんでしょう」
「ああ‥‥‥早いもんだな。宮田や風間がお山に来てから、もうすぐ、一年になるんだな」
「そういえば、あなたのお師匠さんの風眼坊様、今、大峯山にいるらしいわよ」
「えっ、師匠が」と太郎は驚いて楓を見て、「大峯山に」と呟いた。
「ええ」と楓は太郎を見ながら頷いた。「この間、吉野から来たという行者(ギョウジャ)さんが、松恵尼様に、そう言ったそうよ。夏の間、ずっと、大峯山のお山の上にいたんですって。よく知らないけど、大峯山も、ここのお山と同じように、お山の上にお寺があるんですって。そこのお寺にいたんですってよ」
「師匠は大峯山にいるのか‥‥‥」
「ええ、でも、今は大峯山は雪で入れないから、お山を下りているらしいけど、きっと、熊野辺りにいるんじゃないかって、松恵尼様が言ってたわ」
「ふうん‥‥‥」
師匠に会いたかった‥‥‥
しかし、師匠が今の自分を見たら、何と言うだろうか‥‥‥
師匠にごまかしは効かない。すべて、見破られるだろう。思い切り、叩きのめされるに違いない。それでも良かった。思い切り叩きのめされたい心境だった。まったく、自分が情けなかった。
「風眼坊様も息子さんが一人前になったので安心したのね」と楓が言った。「松恵尼様の言う通り、やっぱり、お山に戻って来たわね」
楓が作ってくれた暖かい料理を食べながら、心の中で楓に詫びている太郎だった。
『志能便の術』の稽古が始まっていた。
宮田八郎、風間光一郎、そして、探真坊見山の三人は当然のごとく、最後まで残っていた。修行者の全員が太郎坊に会える日を楽しみに待っていたが、この三人は特に、そうだった。
志能便の術の稽古は、それぞれの稽古が終わってから、七ツ時(午後四時)から、始まった。いつもだと稽古は六ツ時(午後六時)までだったが、志能便の術が始まってからは、早く終わり、その後、六ツ半時(午後七時)までが志能便の術の稽古だった。
志能便の術も、今年で、もう四年目になる。
初めの年は修行者たちにせがまれ、太郎の知らないうちにできてしまった『陰の術』を皆に教えた。あの時は確か、五人の修行者に頼まれ、簡単な気持ちで引き受けて木登りなどを教えていたが、次々と人が集まって、結局、五十人にも増えて行った。そうなると、いい加減な事を教えるわけにもいかないので、毎日、毎日、その日に教える事を考えていた。
術の名前の方が先にできて、内容がその後を追いかけるという形で大変だったが、何とか一ケ月足らず、やり通した。一期生の中では杉谷与藤次、多岐勘八郎、池田平一郎の三人がよくやっていたのを覚えている。
次の年から、太郎は正式に『陰の術』の師範として、十一月二十五日から一ケ月間、教える事になった。その年は、故郷、五ケ所浦に帰っていたが、わざわざ戻って来て、皆に教えた。二期生では、初めの頃、太郎に逆らっていた杉山八郎、そして、小川孫十郎、葛城五郎太、野尻右馬介などが目立っていた。
去年からは名前が『志能便の術』と変わり、太郎自身は有名になり過ぎて、皆の前に姿を現す事ができなくなり、天狗の面を付けたまま教えた。去年の教え子では大河原源太、高山源太、大原源三郎、頓宮四万介、西山弥助、山中十郎の六人が、よく身に付けてくれた。
太郎は毎年、新しい工夫を考えて最後まで残った修行者たちに教えていた。今年は考える暇もなく、教える内容は去年とまったく同じだった。太郎を手伝って教えてくれる師範たちも去年と同じく、金比羅坊、中之坊、竹山坊、一泉坊の四人だった。四人とも初めの頃から『陰の術』に付き合っているので、『陰の術』はほとんど身に付けていた。
初日の日、太郎は天狗の面を付け、黒装束に身を固めて木の上から突然、現れた。そして、教え終わるとまた、飛ぶようにどこかに消えて行った。まるで、本物の天狗のようだった。
次の日も次の日も、太郎は突然、どこからか現れ、突然、どこかに消えて行った。
宮田八郎は太郎坊を初めて見て、凄い、凄いとやたら感心していた。
あんなに凄い人が、このお山にいたのか‥‥‥
皆の噂は本当だった。皆が太郎坊の事を『天狗太郎』と呼んでいる訳もわかった。
実物に会ってみると、確かに、天狗そのものだった。とにかく、身が軽く、猿のように木に登り、鳥のように木から木へと飛んで行った。あれが同じ人間だとは、とても思えなかった。
あの太郎坊殿が名前を変えさせられた訳も充分にわかった。こんな凄い人が太郎坊を名乗っていたら、あの酔っ払いが、同じ太郎坊を名乗れるはずがなかった。
八郎は、多気で、今は火山坊を名乗る太郎に憧れて飯道山に来た。実際に来てみると、この山には、火山坊程の腕を持つ者はいくらでもいた。それに、火山坊はいつも酔っ払っていて酒臭かった。火山坊の弟子になろうと思って、この山に来た八郎だったが、今では、火山坊の弟子になろうとは思ってもいない。そして、今、本物の太郎坊を見て、この人より他に師匠と仰ぐべき人はいないと思った。
「おらも太郎坊殿のようになりてえ。よーし、びっしり、志能便の術を習って強くなるぞ!」と八郎は決心を固めた。
風間光一郎も太郎坊を見て、凄いと思った。
この人が親父の弟子の太郎坊か‥‥‥
確かに、噂は聞き飽きる程、聞いていたが、まさか、これ程、凄いとは思わなかった。
こんな弟子がいるなんて親父も大したもんだと、親父の大きさを改めて感じていた。
親父は、後の事は飯道山に行って太郎坊に教われと言って、光一郎を送り出した。光一郎は太郎坊に会うまでは、一年経ったら、この山を下りようと決めていた。この山を下りて旅に出ようと思っていた。親父のように、あちこちを旅して回りたかった。特に、天下一高いという駿河の国の富士の山が見てみたかった。親父から、あの山の神々しさは、よく聞かされていた。
しかし、考えが変わった。
太郎坊の弟子になろうと決めた。弟子となって、太郎坊の持っている技を全部、身に付けてやろうと心に決めた。
探真坊見山も同じく、驚いていた。
やっと、父親の仇に会えると、今日の日を誰よりも待ちに待っていた探真坊だったが、実際、仇の太郎坊に会ってみて、ただ、呆然とするばかりだった。
今まで、捜していた仇、太郎坊は人間ではなかった。天狗だった。どうやってみても、今の探真坊が敵う相手ではなかった。
探真坊は、太郎坊が現れる、この一ケ月間のうちに仇を討つつもりでいた。そのつもりで、今まで修行を積んで来た。勝つ自信はあった。もし、勝ってしまったら、『志能便の術』の師範がいなくなってしまうが、それは仕方のない事だ。皆には悪いが、俺は太郎坊を倒すと心の中で勝手に決めていた。
しかし、太郎坊を一目見た途端、それは、不可能だと悟った。
絶対に無理だと思った。探真坊が今まで、会って来た誰よりも太郎坊は強いという事が、一目見ただけではっきりとわかった。
決闘をすれば、探真坊は間違いなく負けるだろう。負けるというのは死を意味していた。今まで、死を意識した事はなかった。仇討ちのために生きて来た探真坊だったが、その仇討ちで自分が死ぬなどと考えた事もなかった。絶対に勝つ、という自信を持っていた。それが、実際に太郎坊を見た途端、崩れ去って行った。
やれば、負ける‥‥‥
やれば、死ぬ‥‥‥
しかし、この機会を逃したら、後一年、待たなければならない。後、もう一年、死ぬ気で修行すれば太郎坊に勝つ事がてきるか‥‥‥
それも、難しかった。
どうしたら、いいのだろうか‥‥‥
死ぬ気でやるか。
それとも、もう一年、延ばすか‥‥‥
探真坊は迷っていた。
太郎坊は、毎日、どこからともなくやって来て、志能便の術を教えると、また、どこかに去って行った。
探真坊は太郎坊の去って行く後を追ってみようとしたが無駄だった。素早いし、人が通れそうもないような所を平気で通って行く。
太郎坊を追ったのは探真坊だけではなかった。誰もが試みたが後を追う事はできなかった。どこから来るのか、さっぱりわからない。里から来るのではなかった。いつも、飯道山の山頂の方から来て、また、山頂の方に帰って行った。
山頂の向こうは奥駈けの道である。阿星山、金勝山、太神山へと続いている。すでに、それらの道は雪で覆われていた。暗くなった雪道を普通の者が歩けるわけはなかった。
昼間になってから太郎坊の足跡を追って行く者もあったが、それも、失敗に終わった。いつも、足跡は途中で消えていた。切り立った崖の所で止まっていたり、大きな岩の前で消えていたり、また、何もない所で急に消えていたりする事もあった。そこから、空を飛んで行ったとしか考えられなかった。
太郎坊の存在は益々、不思議がられて行った。
太郎は一人で酒を飲んでいた。久し振りの酒だった。
『志能便の術』を教えている一ケ月間は一滴も飲まなかった。
普段だと、剣術の稽古が終わるのが六ツ時(午後六時)なので、家に真っすぐ帰っても、楓はまだ帰っていないが、『志能便の術』が終わるのは六ツ半時(午後七時)なので、真っすぐ帰っても、楓は帰って来ていた。
太郎は毎日、酒も飲まず、真っすぐ家に帰った。また、酔っ払ってもいられなかった。
太郎坊の正体がばれないように細心の注意を払わなければならなかった。見ず知らずの連中に教えるのとはわけが違う。『志能便の術』を習う者たちの中には、今まで、ずっと、太郎が剣術を教えて来た者が三十人もいる。そいつらに、もしかしたら、太郎坊の正体は火山坊ではないか、と、少しでも疑わせてはならなかった。
太郎坊は飽くまでも、どこからともなくやって来て、どこかへ去って行く天狗のような存在でなければならなかった。それには毎日、皆を、あっと言わせるような事をしなくてはならない。太郎は色々と考えた。そして、色々な事をしてみせて皆を驚かせて来た。
結構、毎日が楽しかった。久し振りに充実した日々を過ごしていた。
昨日、それも、やっと終わった。
正体もばれずに無事に済んだ。誰一人として、太郎坊と火山坊が同一人物だと疑った者はいないだろう。
太郎坊は益々、伝説上の人物になって行ったはずだった。
今日は打ち上げの宴があった。毎年、一年間の修行者を送り出した後に行なわれる恒例の宴会だった。今年も無事、一年間の武術稽古は終わり、修行者たちは皆、山を下りて行った。一年間、よくやったと、剣術、槍術、棒術、薙刀術、すべての師範、師範代が集まって、うまい物を食べて、酒を飲み、大いに騒いで、忙しい年末年始を乗り越え、また、来年、頑張ろうという宴会だった。
『湊(ミナト)屋』という料亭に、師範と師範代二十人が集まり、遊女たちも大勢混ざって賑やかな飲み会となった。
一時(イットキ)程(二時間)、食べて、飲んで、騒ぐと、皆、それぞれ好きな所に散って行った。
太郎は金比羅坊と中之坊に『おかめ』に行こうと誘われたが、疲れたから帰ると言って皆と別れた。そして、こうして、一人で飲んでいた。
『たぬき』という名の飲み屋だった。たぬきのような女将が一人でやっている小さな店だった。太郎の他に客は五人いたが山伏はいなかった。
この店は狸汁がうまいというので有名だった。狸など食ったら汚れるというので、山伏はこの店には来なかった。山伏だから獣を食べないと言うわけではない。ただ、飯道山の膝元だから憚られるだけの事だった。
太郎は今、山伏の格好ではなかった。仏師、三好日向の格好をしていた。
太郎はいつも、着替えをある所に隠していた。ある所とは松恵尼が持っている農家だった。そこにいる義助という年寄りと仲良くなり、時折、一緒に飲む事もあった。
家を出る時は三好日向として出て、その農家で着替え、山伏となって山に登り、また、着替えてから帰って行った。面倒臭かったが仕方がなかった。どんなに酔っ払っていても、山伏の格好のまま、家に帰るような事はなかった。
今日は『湊屋』を出て、もう帰ろうと思って着替えたのだったが、久し振りに酒が入ったせいか、途中で気が変わって、また、町に戻って来たのだった。
やっと終わった、と太郎は一人、酒を飲みながら、しみじみと思った。
一ケ月の間、正体はばれずに済んだが厄介な問題を抱えてしまった。
探真坊見山、風間光一郎、宮田八郎、この三人は、まだ、山にいた。他の者は皆、山を下りたのに、この三人はまだ、山に残っていた。
探真坊は太郎が予想した通り、最後の日の稽古が終わる頃、名乗りを上げ、太郎を仇として、六尺棒を振り回し、飛びかかって来た。
太郎は竹の棒切れで探真坊の相手をした。
探真坊の振り回す六尺棒を何度もかわし、「もっと、修行を積め」と言い残して太郎はその場を去った。
探真坊は太郎の後を追って来た。探真坊だけではなかった。風間光一郎も宮田八郎も後を追って来た。太郎は三人を振り切って逃げるつもりでいた。
ところが、光一郎がふいに、父親、風眼坊の名を叫んだ。今まで、一言も父親の名前など出さなかった光一郎が、その時、ふいに口に出した。
太郎は立ち止まって振り返った。
光一郎はひざまずいて、太郎の方を見ていた。八郎も光一郎の隣にひざまずいた。
「太郎坊殿、わたしを弟子にして下さい。お願いします」と光一郎は言った。「父上に言われました。これからは太郎坊殿に教われと‥‥‥どうか、弟子にして下さい」
「おらも弟子にしてくだせえ。お願いしますだ」と八郎までも言った。
まさか、そんな事を言われるとは思ってもいなかったので、太郎は何と答えたらいいのかわからず、ただ、黙って二人を見ていた。
自分の修行も中途半端なのに、弟子など取れるわけがなかった。
「お願いします」と二人は雪の中に土下座していた。
すると、今度は探真坊までもがひざまずき、弟子にしてくれと言い出した。
「わしはお前の仇だぞ、仇の弟子になるというのか」と太郎は聞いた。
「このまま修行していても仇が討てるとは思えません」と探真坊は言った。「いっその事、弟子になって修行を積めば、いつの日か、仇が討てるかもしれません」
太郎はどうしたらいいものか迷っていた。答えは、すぐに出なかった。
三人は雪の中に両手を付き、太郎を見上げていた。皆、思い詰めたような真剣な目付きだった。
「みんなの言う事はわかった」と太郎は三人に言った。「わしは来年の正月の十日に、また、このお山に来る。もし、気が変わらなかったら、それまで待っているがいい」
そう言い残して、太郎は山の中に消えた。
さて、どうしたら、いいものか‥‥‥
弟子か‥‥‥
そんな事、考えてもいなかった。
駄目だと言っても、あの三人は諦めはしないだろう。来年、太郎坊が来る十一月まで飯道山に残り、また、弟子にしてくれと言うに違いない。それまで、太郎の方が三人を騙し通せるか自信がなかった。いつか、ばれるなら早いうちに、ばらしてしまった方がいいかもしれない。その方が、太郎にすれば気が楽だった。
三人の弟子か‥‥‥
三人共、弟子にするには悪くない連中だった。三人共、素質がある。伸ばせば、いくらでも伸びるだろう‥‥‥
弟子を取るという事は、俺は奴らの師匠になるという事か‥‥‥
この俺が師匠か‥‥‥
太郎は酒を飲みながら、一人、ニヤニヤしていた。
酔っ払って、いい気分になると、太郎は夕顔に会いに『夜叉亭』に向かった。
年が明けて、十日の日、天狗の面を付けた太郎坊が山に登ると、風間光一郎と宮田八郎と探真坊見山の三人は吹雪の中、雪の上に座り込んで待っていた。
太郎坊を見ると、三人は一斉に頭を下げ、「弟子にして下さい」と叫んだ。
太郎坊は頷いた。「弟子にしてやってもいい。ただし、条件がある」
「条件?」と八郎は光一郎と探真坊の顔を窺った。
「何ですか。何でもします」と光一郎は言った。
「百日間の奥駈け行をする事だ」と太郎坊は三人に言った。「無事に百日間、歩き通す事ができたら、わしの弟子にしてやる。歩き通せないようだったら、黙って、このお山を下りて行け」
「えっ、百日間も山の中を歩き通すんですか」と八郎は驚いた。
八郎は去年の一ケ月間の山歩きの事を思い出した。一ケ月間でも、やっとの思いで歩いた。それを百日間もやるなんて‥‥‥
気の遠くなる話だった。百日間と言えば三ケ月以上も歩き通さなければならない。
果たして、できるだろうか‥‥‥
「やるか」と太郎坊は聞いて、天狗の面の中から三人の顔を見つめた。
「わけない」と光一郎は力強く言った。
「百日間か‥‥‥」と探真坊は呟いた。
「いやなら、やめても構わんぞ」と太郎坊は八郎に言った。
「やる。百日間、歩き通すだ。死んでも、歩き通すだ」と八郎は太郎坊を見上げながら、きっぱりと言った。
「俺もやってやる」と探真坊も太郎坊をじっと見つめながら言った。
「よし。十六日から始めろ。百日行が終わる頃、わしは、もう一度、ここに来る」
太郎坊はそう言うと、吹雪の中に消えて行った。
「百日も歩くのか‥‥‥」と八郎は太郎坊が消えると小声で呟いた。
「百日間なんて、すぐさ」と光一郎は立ち上がりながら言った。
「この雪の中、百日も歩くのか‥‥‥」と探真坊は雪の中に六尺棒を突き刺した。
「いやならやめればいい。俺一人でもやってやるさ」光一郎は薄ら笑いを浮かべて、二人を見た。
「誰もいやだとは言っていない」と探真坊は光一郎を睨んだ。
「そうや、おらだって、百日位、平気や」と八郎は叫んだ。
八郎はまだ、雪の上に座り込んだままだった。
「口では何とでも言えるさ」光一郎は袴の雪を払った。
「絶対に、百日、歩いてやるわ」八郎は立ち上がると、吹雪いている雪の中、木剣を振り回した。
「人から聞いた話だがな、あの太郎坊殿は二回、百日行をやっているそうだ」と光一郎が二人の顔を見比べながら言った。
「えっ、二回も‥‥‥二回っていう事は、二百日か」と八郎は目を丸くした。
「当たり前だろ」と探真坊が八郎に言った。
「二百日も山歩きしてるのか‥‥‥そうか、山歩きをしなければ、太郎坊殿のようにはなれねんやな。天狗のようになるには、やっぱり、山歩きをしなくちゃなんねんやな。そんなら、おらもやんなきゃなんねえわ」
「山歩きだけじゃない。太郎坊殿は真冬に滝に打たれたり、半年の間、山奥に籠もって、厳しい修行をなさっているんだ」光一郎は自慢げに二人に説明した。
「へえ、やっぱり、凄え人なんやな」と八郎は感心する。
「どうして、お前、そんな事まで知っているんだ」と探真坊は不思議がった。
「聞いたんだ」
「誰に」
「熊野の山伏だ」と光一郎は言った。
「へえ、熊野まで有名なのか、太郎坊殿は」
「まあ、そういう事だ」
三人の百日行は、新入りの修行者たちと一緒に十六日から始まった。
去年と同じく、五百人余りの新入り修行者たちに混ざって、三人は歩き始めた。
今年は去年のような大雪はあまりなかったが、吹雪いていて寒い日が多かった。
三人は第四隊の最後尾を火山坊を名乗る太郎と共に歩いていた。
三人はまだ、一緒に歩いている火山坊が太郎坊だとは知らない。
八郎は火山坊に、太郎坊の事など話しながら気楽な気持ちで歩いていた。太郎は話を聞きながら、こいつは百日間、歩き通せるのだろうかと不安を感じていた。太郎としては、八郎にも歩き通して欲しかった。あとの二人は心配なかった。きっと、歩き通せるだろう。ただ、この調子者の八郎だけが心配だった。
今日で十五日目だった。すでに、新入り修行者たちの半分以上は消えて行った。あと半分の十五日間、我慢して、やり通せば、新入り修行者の山歩きは終わるが、三人にとっては、まだ、まだ、始まったばかりだった。
百日間というと、冬が終わって雪が消え、桜の花が咲き、山々が新緑に変わるまで歩き通さなければならない。太郎がかつて経験したように、それぞれがそれぞれの幻想と戦いながら歩く事になるだろう。
雪の日も雨の日も風の日も、たとえ、体の具合が悪くても歩き通さなければならない。辛い修行だが、三人がこれから先、武術の道に生きて行くつもりなら、この位の事は耐えなければならなかった。
太郎は山歩きが終わると久し振りに夕顔に会いに行った。去年、打ち上げの時、行ったきりで今年になって初めてだった。
年末年始は忙しく、その後、三日間の休みを貰って、毎日、百太郎と遊んでいた。そして、新入り修行者がどっと入って来て、何かと忙しく、遊んでいる暇はなかった。
今日は天気も良かったし、修行者たちも山歩きに慣れて来たせいか、以外と早く終わった。太郎は山を下りると真っすぐ、『夜叉亭』に向かった。素面(シラフ)で行くのは初めてだった。
夕顔はいなかった。宴会に呼ばれて出ていると言う。
太郎は一人、酒を飲みながら待っていた。
半時(一時間)近く、待っていただろうか。
「待った? 御免なさいね」と夕顔は現れた。
「少しな」と太郎は言った。
「ずっと、待っていたのに、全然、来てくれないんですもの」と夕顔は太郎を睨んだ。
「忙しかったんだ」と太郎は言い訳をした。
「会いたかったわ」と夕顔は言って太郎に向き合って座り、太郎の顔を見つめた。
「今日はゆっくりしてってね。お願いよ」夕顔は太郎に甘えるように笑いかけた。
「ああ、そのつもりさ」と太郎も笑った。
「まあ、嬉しい」と夕顔は太郎に飛び付いて来た。
「酒がこぼれるよ」
「あら、御免なさい。だって、会いたかったのよ」
「俺だって、会いたかったさ」
「本当?」
「ああ、宴会に出てたんだって?」
「ええ、何とか講っていう信者さんたちよ。伊勢の方から来たらしいわ。中に酒癖の悪いお客がいてね、あたし、頭に来たから、さっさと先に帰って来ちゃった」
「いいのか、そんな事をして」
「いいのよ。若い娘がお目当てなんだから、あたしみたいな年増はさっさと消えた方がいいの」
「そんな事はないだろ」
「でも、良かったのよ。あなたが待っていてくれたんだもの」
「今日は、いつもの勘は働かなかったのかい」
「そうね、でも、早く帰って来たんだから、無意識のうちに働いていたんじゃないの」
「無意識のうちにか‥‥‥」
「そうよ。ね、今日はゆっくり、飲みましょう。やっと、あたしにもお正月が来たわ」
太郎と夕顔は二人だけの甘く長い夜を、ゆっくりと過ごして行った。
太郎には自分という者がわからなくなっていた。
遊女を抱いた後は、いつも、楓に申し訳ないと思った。楓に合わす顔がなかった。どんなに遅く帰っても、楓は寝ないで待っていた。そんな楓に太郎は嘘をつく。悪いと思うが本当の事は言えなかった。もう二度としないと心に誓うが駄目だった。酒を飲むと、『夕顔』という名の遊女の顔が浮かび、それを打ち消すように酒を飲んでも、結局は夕顔に会いに行ってしまう。
太郎が夕顔に会ったのは秋の初めの頃だった。いつものように、ここで酒を飲み、ちょっと、遊女でもからかってから帰るかと、金比羅坊たちとよく行く『おかめ』という遊女屋に行った。金比羅坊たちと一緒に行った時は遊女を抱きはしなかったが、その後、一人で行って『とき』という名の娘を抱いた。別嬪(ベッピン)といえる程の娘ではなかったが、愛嬌があって話し上手で一緒にいると楽しかった。その日は、ただ、一緒に酒を飲もうと思って行ったのだったが、生憎、ときは先客がいて出て来なかった。それではと、『七福亭』という遊女屋に行った。そこにも、『布袋(ホテイ)』という馴染みの娘がいたが、その娘も駄目だった。それで、諦めて帰れば良かったものを、酒の勢いで、たまには知らない店に入ってみるのも面白いと『夜叉亭』という店に入ってみた。そこで会ったのが、『夕顔』だった。
どこか、淋しそうな影のある、色白のおとなしい娘だった。体付きも華奢(キャシャ)で、強く抱いたら折れてしまいそうな感じだった。ただ、ちょっと年増だった。年増といっても二十歳前後である。当時は十六、七が娘盛りで、遊女たちも十六、七の娘が最も多く、また、人気もあった。この時、十九歳だった夕顔は遊女たちの中でも年長の方だった。
太郎はしばらくの間、この夕顔と一緒に酒を飲んだら帰るつもりでいた。ところが、夕顔と話をしているうちに、太郎は彼女に惹かれて行った。彼女と別れがたくなり、とうとう、その日は泊まってしまった。
あれから、一月に二度は『夜叉亭』に通うようになっていた。
一体、俺はどうして、しまったんだろう‥‥‥
「毎日、くそ忙しくて、いやになるな」と太郎の後ろで飲んでいる若い山伏たちが言っていた。
「ああ、どこか、のんびりできる所にでも行きてえな」
「どこに行ったって、戦はやってるさ」
「いっその事、戦が終わるまで、山奥にでも籠もるかな」
「アホ言え。おぬしにそんな事ができるか」
「まあ、二日ももたんじゃろのう。里が恋しくて、すぐ、飛び出して来るわ」
「女子(オナゴ)、女子が欲しいって喚きながらな」
「アホぬかせ。それは、おぬしじゃろう」
確かに、毎日が忙しかった。
戦のお陰で、午前中の作業は毎日が土木作業だった。山内に濠(ホリ)を掘って土塁を築いたり、櫓(ヤグラ)を立てたり、山内ならまだいいが、里まで下りて行って作業をする事もよくあった。作業が長引いて午後の武術修行が中止になる事もある。皆、泥だらけになって働き、誰もが疲れていた。
太郎がこの山に戻って来て、すでに、一年が経っていた。
初めの頃は、太郎も真剣になって、一生懸命、修行者たちに剣術を教えていたが、今ではもう、ただの惰性で教えているようなものだった。
かつて、太郎自身が修行者だった頃は、毎日がもっと生き生きとしていた。一つの目的を持って、それに向かって脇目も振らず、突っ走っていた。ところが、今は何の目的もなく、毎日、毎日、同じ事を繰り返している。
やりたい事はいくらでもあった。いくらでもあるが、それをやる時間はなかった。
もうすぐ、『志能便の術』を教えなければならない。まだ、完成していなかった。去年、教えた時から少しの進歩もなかった。人に教えるばかりで自分の修行をする暇など全然ない。後ろで飲んでいる山伏の言うように、山奥にでも籠もって自分の修行に専念したかった。以前の太郎だったら、何のためらいもなく、そうしていただろう。しかし、今の太郎にはできなかった。楓と百太郎をほったらかして山奥に籠もるなんて、とても、できなかった。
「もう、一本、いきますかい」と親爺が言った。
太郎は頷いた。
あと一本飲んだら帰ろうと思った。
楓もそろそろ帰っている頃だろう。最近は百太郎とも遊んでいなかった。そのうち、休みを取って、三人でのんびりとどこかに行こうと、いつも、楓と言っているが実現はしなかった。
親爺が酒を持って来て、太郎の前に置いて去って行った。必要以外の事は何も喋らない無愛想な親爺だった。太郎にとっては、それが良かった。静かに飲める店だった。
親爺がここに店を出してから、もう二十年にはなるだろう。師匠の風眼坊がこの山にいた頃、ここで、よく飲んだと言っていた。この辺りの事なら、山伏の事から遊女たちの事まで何でも知っている事だろう。しかし、親爺は何も喋らなかった。
後ろで飲んでいた山伏たちはニヤニヤしながら、ぞろぞろと『遊女屋』に繰り出して行った。急に静かになったような気がした。店に残ったのは、太郎ともう一組、近くの百姓たちが三人だけになった。
静かだったのは、ほんの一時だった。親爺がまだ片付け終わらないうちに、また、どやどやと山伏たちが入って来た。名前までは知らないが見た事のある連中だった。多分、棒術組の奴らだろう。
太郎はちらっと見ただけで、山伏たちに背中を向けた。今は誰とも話をしたくなかった。
太郎は酒を飲み干すと『とんぼ』を後にした。山伏たちは、高林坊の事を何だかんだと好き勝手な事を言っていた。
外は寒かった。
北風が冷たかった。
なぜか、酒を飲んでも酔えなかった。
太郎は背中を丸め、木枯らしの中を歩き出した。
2
太郎の足取りはふらふらしていた。杖を突きながら、よたよたと歩いている。
太郎が突いている杖は錫杖ではなかった。金剛杖でもない。
棒術に使う六尺棒を使い易いように、一尺短くして五尺にした物だった。太郎が自分で枇杷(ビワ)の木で作ったもので、最近は、その棒を常に持ち歩いていた。
刀は多気の都以来、持ち歩かなくなっていた。どこに行くにも、小刀だけを腰に差して五尺の棒を突いていた。
風が強かった。
冷たい風に吹かれるままに、太郎は歩いていた。
家に帰ろうと思って、『とんぼ』を出た太郎だったが、足は家と反対の方に向き、ふらふらと知らないうちに『夜叉亭』の門をくぐっていた。
夕顔は嬉しそうに太郎を迎えてくれた。
夕顔の顔を見ると、やはり、来て良かったと思う太郎だった。
「外は寒いでしょうに」と夕顔は太郎をさっさと暖かい部屋に引っ張って行った。
夕顔は自分の事はあまり喋らなかった。太郎も無理に聞きはしなかったが、太郎が通うにつれて、少しづつ話すようになって行った。
夕顔は小椋谷という山の中で生まれたらしかった。小椋谷は鈴鹿山脈の山奥にあり、昔、文徳(モントク)天皇の皇子、小野宮惟喬親王(オノノミヤコレタカシンノウ)が隠れ住んでいたという伝説を持つ山村だった。木地師の発生の地とも言われ、全国に散らばる木地師たちの棟梁的存在だった。
夕顔の父親も当然の事ながら木地師だと言う。
小椋谷では主に、多賀大社が無病息災のお守りとして配っている杓子(シャクシ)を作っていた。その杓子は参詣者に配るだけでなく、大社に所属する山伏たちによって全国各地に配られて行った。
多賀大社は伊勢神宮の祭神である天照大神の両親、伊邪那岐、伊邪那美の二神を祀り、縁結び、及び長寿延命の神として信仰されていた。
『お伊勢参らば、お多賀へ参れ、お伊勢、お多賀の子でござる』
『伊勢へ七度、熊野へ三度、お多賀様には月参り』などと歌われ、当時、全国的に信仰を集めていた。参道はいつも、各地からの参詣者で賑わい、土産物屋を初め、茶屋、飯屋、居酒屋、旅籠屋、遊女屋などが、ずらりと並んでいた。
夕顔は十三歳の時、そんな多賀大社の門前町にある遊女屋に売られた。売られたと言っても、それ程、気にならなかったと言う。小さい頃より一人前になれば、賑やかな『お多賀さん』の門前町に行って、綺麗な着物を着て、綺麗に化粧して、仕事をするのだと言い聞かされていた。また、遊女屋に行ったのは夕顔一人ではなく、幼なじみの娘たちが何人もいたと言う。小椋谷では古くから、娘たちを多賀大社に送っていたらしい。古くは大社に仕える巫女として娘たちを出していたらしいが、いつの頃からか、遊女になってしまったのだろう。
夕顔も古くからのしきたりによって、十三の春、親たちと別れ、幼なじみの娘たちと一緒に多賀大社の門前町に行った。色々と辛い事があったに違いないが、夕顔はそういう事は一言も喋らなかった。ただ、賑やかに栄えている門前町の事や盛大な春のお祭りの事など、懐かしそうに話してくれた。
夕顔の話によると、多賀大社にも山伏たちがかなりいるようで、夕顔のいた店にもよく来ていたと言う。飯道山から来たという山伏も何人かいたらしい。
太郎は剣術師範代なので、この山から離れる事はないが、飯道山の山伏たちの多くは皆、全国各地を旅して信者を集めたり、信者たちを飯道山に連れて来たりしていた。飯道山は全国各地に拠点を持っていて、そこを中心に山伏たちは活動している。多賀大社にも飯道山の拠点があり、そこを中心に活動している飯道山の山伏が何人もいたのである。
夕顔は六年間、多賀の門前町の『月見亭』という遊女屋にいて、今年の秋になって、ここ、飯道山の『夜叉亭』に移って来た。太郎と知り合ったのはこちらに来て、まだ三日目だったと言う。初めて会った時、どことなく淋しそうに見えたのは、そのせいだったのかもしれない。付き合ってみると、さっぱりとしていて素直で明るい娘だった。
夕顔が木地師の娘だと聞いて、太郎は今まで忘れていた小春の事を思い出した。太郎が初めて本気で好きになった娘だった。夕顔と小春は境遇がよく似ていた。小春が伊勢神宮の門前町、宇治の遊女屋に売られたのは、確か、彼女が十六の頃だった。それを知った時、太郎は宇治の遊女屋まで行って小春を取り戻そうと思った。しかし、師匠に止められ、ここに連れて来られ、修行に励んでいるうちに、いつしか忘れてしまっていた。
今頃、どうしているのだろう。幸せになってくれればいいと祈るしか、今の太郎にはできなかった。
「お山は相変わらず、忙しいですか」と夕顔が酒の支度をしながら聞いた。
「ああ、毎日、忙しいよ。もうすぐ、雪が降るからな。雪が降る前にやらなきゃならん事が一杯ある」
「大変ですね」
「まあな」と言いながら、太郎は夕顔の酌してくれた酒を飲んだ。
うまかった。冷え切っていた体が急に暖まるような気がした。やはり、一人で、つまらない事をくよくよ考えながら飲んでいるより、こうして、夕顔と二人で飲んでいる方がずっと良かった。夕顔と二人きりで酒を飲んでいる時が、今の太郎にとって、一番、心が安らぐ時だった。何もかも忘れて、のんびりと落ち着く事ができた。
「今日は、ゆっくりして行けるんでしょう」と夕顔が太郎の顔を覗き込むようにして聞いた。
「ああ」と太郎は答えた。
「まあ、嬉しい」と夕顔は太郎の手の平を両手で握った。
「あたしね、今日は、きっと、火山坊様が来てくれるような気がしたの」と夕顔は太郎に甘えるように、もたれ掛かってきた。
「どうしてだい」と太郎は夕顔の腰を抱いた。
「勘よ。あたしの勘ってよく当たるのよ。丁度、お昼頃だったわ。火山坊様がこちらに歩いて来る姿が見えたの。これは、今晩、きっと、来てくれるなって、あたし、ずっと待ってたのよ」
夕顔は太郎の指を弄んでいた。
「へえ、そいつは凄いな」と太郎は夕顔の細い手を握った。
「ねえ、お昼頃、ここに来ようって思ったでしょう」
「お昼頃か」
「絶対、思ったはずよ。ぴんと来たんだから、あたし」と夕顔は笑って太郎に酌をした。
「よく、わかるな」と太郎も笑って酒を飲んだ。
「やっぱり、そうだったのね。嬉しい」と夕顔は本当に嬉しそうに笑った。
そして、前にもこんな事があったのよと、自分の勘が当たった時の事を話し始めた。
本当は、昼頃、太郎はそんな事は思わなかった。昼頃は作業に追われて、それどころではなかった。実際、ここに来るまで、来ようと思ってはいなかった。足が自然とこちらに向いただけだった。しかし、夕顔に会いたいと思っていた事は事実だった。もしかしたら、夕顔の言う通り、昼頃、無意識のうちに、ここに来ようと決めたのかも知れない。ここに来てはいけないと思う意識がそれを打ち消し、家に帰ろうと思っていたが、無意識の方が勝って、ここに来てしまったのだろうか‥‥‥
太郎の心は今、ばらばらになっていた。自分で自分の心がわからなかった。
太郎は酔っ払った。
酒に酔った。そして、女に酔った。
とうとう、家には帰らなかった。
朝になり、夕顔の笑顔に送られて、太郎は山に戻って行った。
3
花養院は朝から晩まで、子供たちの声で賑やかだった。
楓は、その子供たちの世話で一日中、忙しかった。
今日も、新しい孤児が蒲生から二人やって来た。
三歳の男の子と七歳の女の子だった。男の子は泣きっ通しで、女の子は黙ったまま、一言も話さなかった。連れて来たのは飯道山の薬売りだった。
去年の秋の事、旅の僧侶が戦で両親を亡くし、身寄りのない一人の女の子を連れて来たのが始まりだった。可哀想だからと花養院で預かって育てる事になった。それが、一人増え、二人増えとだんだんと増えて行った。
孤児を預かってくれるとの噂が広まっているのか、よく、旅の僧侶や旅の商人たちが、孤児たちを花養院に連れて来た。また、近所の者も遠い親戚の子供だが両親を亡くし、うちで育てる事ができないので預かってくれと連れて来たり、夜中のうちに、黙って花養院の門の所に赤ん坊を置いて行く者もあった。
わずか一年ちょっとで、預かる孤児の数は二十人にもなってしまっていた。
子供たちが増えるにしたがって、今までの僧坊だけでは間に合わなくなり、今年の夏、境内を広げ、新しく孤児たちのために立派な施設が建てられた。
松恵尼は本格的に孤児たちを引き取って育てるつもりになっていた。
初めのうちは、孝恵尼と妙恵尼という二人の尼僧に任せっきりでいたが、孤児が多くなるにしたがって、松恵尼は自分から進んで、孤児たちの世話をするようになって行った。
今まで、どこと無く元気のなかった松恵尼も、最近は生き生きとして孤児たちの世話をしている。まるで、孤児たちの世話をするのが楽しくてしょうがないかのように、毎日、張り切っていた。松恵尼が先頭になって張り切って世話をしているのに、楓が手伝わないわけにはいかなかった。
花養院は朝早くから夜遅くまで、孤児たちに振り回されていた。
子供たちが二十人もいると食事だけでも大変だった。
当時は一日、三食、食べるという習慣はまだ一般化されていなかった。京の都辺りでは、ある程度、普及していたが、普通は朝と夕の二食が当たり前だった。朝は巳(ミ)の刻(午前十時)頃、夕は酉(トリ)の刻(午後六時)頃、食べていた。ただ、武士たちは戦の最中は三食取る事になっていた。また、飯道山でも修行が厳しいため三食取っていた。やがて、戦国時代となり、戦が日常茶飯事になると一日三食というのが一般にも浸透していく。
花養院はまだ、一日二食だった。一日二食でも二十人分の食事を毎日、用意するのは大変な事だった。
楓は太郎に朝食を食べさせ、送り出してから、素早く家事をやり、百太郎を連れて、花養院にやって来る。そして、子供たちの朝食の用意をして食べさせ、後片付けをしてから寺の寺務をやる事になっていた。しかし、なかなか寺務はできなかった。ほとんど、子供たちに付きっきりになってしまう。かつての楓の教え子たちや近所のおかみさんたちも手伝いに来てくれるが、子供たちの世話はなかなか大変だった。
昼過ぎ、未(ヒツジ)の刻(午後二時)になると、村の娘たちが楓に薙刀を習いにやって来る。こちらの方も、物騒な世の中になって来ているので人数が増えていた。前は、多くても二十人程度だったのに、最近は倍の四十人近くもいる。かつての教え子たちが手伝ってくれるので助かるが、こちらも大変だった。
楓は太郎から教わった天狗勝の技をわかり易いように、娘たちに教えて行った。
さすがの楓も疲れていた。教え子たちに形の稽古をさせ、楓はボーッとしていた。ただ、疲れているだけでなく、最近の太郎の事も気になっていた。
昨日も太郎は帰って来なかった。最近になって、帰って来ない事が多くなった。
どうしたのか聞くと、いつも、山での仕事が忙しいから帰れなかったと言う。それなら、それで仕方のないのだが、最近、飲む酒の量が多くなっているのが心配だった。
酔っ払って帰って来ては、愚痴ばかりこぼすようになっていた。
以前は、あんな事はなかったのに‥‥‥
やっぱり、あたしの帰りが遅いのが悪いのかしら‥‥‥
松恵尼はいつも、早く帰った方がいいと言ってくれるが、みんなが忙しそうにしているのに、一人で先に帰るのは気が引けた。そして、いつも、帰りが遅くなってしまう。
どうしたら、いいのかしら‥‥‥
楓がボーッと考え事をしている時、一人の僧侶が花養院の門をくぐって入って来た。一番最初に孤児を連れて来た旅の僧侶だった。
「やってますな」と僧侶は楓に手を上げて挨拶した。
「いらっしゃい」と楓も頭を下げた。
「子供たちは、元気かな」と僧侶は重そうな頭陀袋(ズタブクロ)を肩から下ろした。
「はい、お陰様で。でも、ちょっと、お梅ちゃんが風邪をひいたみたいで‥‥‥」
「ほう、そいつはいかんな。最近、急に寒くなって来たからの。気を付けんとな」
「はい」と楓は僧侶を孤児院の方に案内しようとしたが、僧侶は、「いいから、薙刀を教えていなされ」と、さっさと孤児院の方に向かった。
この僧侶、京都、妙心寺の禅僧で遊渓宗瑛(ユウケイソウエイ)と言うが、誰もが『血止め和尚』と呼んでいた。禅僧でありながら医者でもあった。旅をしながら村々を歩き、病人や怪我人の治療をして回っている。戦が始まってからは戦場にも出掛け、傷付いた兵士の治療もしていた。
当時は、怪我の治療といっても大した事はできなかった。せいぜい傷口の血を止め、薬草などで消毒するのが精一杯だった。傷口からの血が止まらず、出血多量で死ぬという場合も少なくなかった。まず、血を止める事が先決だった。和尚はその血を止めるのがうまかった。それで、いつの間にか、『血止めの和尚』と呼ばれるようになっていった。中には『膿(ウミ)止め和尚』『毒消し和尚』などと呼ぶ連中もいた。
当時、専門的な医者はいても上流階級にいるだけで、一般庶民には全く縁のない存在だった。庶民たちは山伏や巫女(ミコ)、遊行聖(ユギョウヒジリ)の加持祈祷(カジキトウ)や呪(マジナ)い、彼らが売りに来る薬などに頼るしかなかった。医者のいなかった庶民たちにとって、『血止め和尚』の存在は皆から喜ばれていた。
血止め和尚は花養院に孤児院ができてからというもの、ちょくちょくと顔を出した。ちょくちょくといっても、旅をしているので一月に一度か、二月に一度位だったが、子供たちの具合を良く見てくれた。お陰で、皆、病気もしないで元気だった。そして、いつも、子供たちに珍しいお菓子を持って来てくれるので子供たちにも人気があった。和尚が言うには仏様のお供え物だと言うが、庶民たちには、とても手の届かないような高価なお菓子ばかりだった。
楓は薙刀の稽古を済ますと、孝恵尼たちと一緒に子供たちの夕食の支度をして食べさせ、さっさと片付けると百太郎を連れて家に帰った。
珍しく、太郎は先に帰っていた。一人で酒を飲んでいた。
「遅くなって、御免なさい」と楓は太郎に謝ると、太郎の顔を見て笑った。「すぐ、ご飯の用意するわ」
百太郎は楓の背中で、すでに寝ていた。
楓は百太郎を寝かせると、夕食の用意を始めた。
「夕べは、また、会合(カイゴウ)があったの」と楓は聞いた。
太郎はただ、「ああ」とだけ答えた。
「大変ね」
太郎は楓が帰って来たら、まず、夕べ、帰らなかった事を謝ろうと思っていた。しかし、楓の顔を見たら、なぜか、言えなくなってしまった。
「寒くなって来たわね」と楓は言った。
「ああ」と太郎は答えた。
「もうすぐ、『志能便の術』が始まるわね。早いもんね。今年も、天狗のお面を付けてやるんでしょう」
「ああ‥‥‥早いもんだな。宮田や風間がお山に来てから、もうすぐ、一年になるんだな」
「そういえば、あなたのお師匠さんの風眼坊様、今、大峯山にいるらしいわよ」
「えっ、師匠が」と太郎は驚いて楓を見て、「大峯山に」と呟いた。
「ええ」と楓は太郎を見ながら頷いた。「この間、吉野から来たという行者(ギョウジャ)さんが、松恵尼様に、そう言ったそうよ。夏の間、ずっと、大峯山のお山の上にいたんですって。よく知らないけど、大峯山も、ここのお山と同じように、お山の上にお寺があるんですって。そこのお寺にいたんですってよ」
「師匠は大峯山にいるのか‥‥‥」
「ええ、でも、今は大峯山は雪で入れないから、お山を下りているらしいけど、きっと、熊野辺りにいるんじゃないかって、松恵尼様が言ってたわ」
「ふうん‥‥‥」
師匠に会いたかった‥‥‥
しかし、師匠が今の自分を見たら、何と言うだろうか‥‥‥
師匠にごまかしは効かない。すべて、見破られるだろう。思い切り、叩きのめされるに違いない。それでも良かった。思い切り叩きのめされたい心境だった。まったく、自分が情けなかった。
「風眼坊様も息子さんが一人前になったので安心したのね」と楓が言った。「松恵尼様の言う通り、やっぱり、お山に戻って来たわね」
楓が作ってくれた暖かい料理を食べながら、心の中で楓に詫びている太郎だった。
4
『志能便の術』の稽古が始まっていた。
宮田八郎、風間光一郎、そして、探真坊見山の三人は当然のごとく、最後まで残っていた。修行者の全員が太郎坊に会える日を楽しみに待っていたが、この三人は特に、そうだった。
志能便の術の稽古は、それぞれの稽古が終わってから、七ツ時(午後四時)から、始まった。いつもだと稽古は六ツ時(午後六時)までだったが、志能便の術が始まってからは、早く終わり、その後、六ツ半時(午後七時)までが志能便の術の稽古だった。
志能便の術も、今年で、もう四年目になる。
初めの年は修行者たちにせがまれ、太郎の知らないうちにできてしまった『陰の術』を皆に教えた。あの時は確か、五人の修行者に頼まれ、簡単な気持ちで引き受けて木登りなどを教えていたが、次々と人が集まって、結局、五十人にも増えて行った。そうなると、いい加減な事を教えるわけにもいかないので、毎日、毎日、その日に教える事を考えていた。
術の名前の方が先にできて、内容がその後を追いかけるという形で大変だったが、何とか一ケ月足らず、やり通した。一期生の中では杉谷与藤次、多岐勘八郎、池田平一郎の三人がよくやっていたのを覚えている。
次の年から、太郎は正式に『陰の術』の師範として、十一月二十五日から一ケ月間、教える事になった。その年は、故郷、五ケ所浦に帰っていたが、わざわざ戻って来て、皆に教えた。二期生では、初めの頃、太郎に逆らっていた杉山八郎、そして、小川孫十郎、葛城五郎太、野尻右馬介などが目立っていた。
去年からは名前が『志能便の術』と変わり、太郎自身は有名になり過ぎて、皆の前に姿を現す事ができなくなり、天狗の面を付けたまま教えた。去年の教え子では大河原源太、高山源太、大原源三郎、頓宮四万介、西山弥助、山中十郎の六人が、よく身に付けてくれた。
太郎は毎年、新しい工夫を考えて最後まで残った修行者たちに教えていた。今年は考える暇もなく、教える内容は去年とまったく同じだった。太郎を手伝って教えてくれる師範たちも去年と同じく、金比羅坊、中之坊、竹山坊、一泉坊の四人だった。四人とも初めの頃から『陰の術』に付き合っているので、『陰の術』はほとんど身に付けていた。
初日の日、太郎は天狗の面を付け、黒装束に身を固めて木の上から突然、現れた。そして、教え終わるとまた、飛ぶようにどこかに消えて行った。まるで、本物の天狗のようだった。
次の日も次の日も、太郎は突然、どこからか現れ、突然、どこかに消えて行った。
宮田八郎は太郎坊を初めて見て、凄い、凄いとやたら感心していた。
あんなに凄い人が、このお山にいたのか‥‥‥
皆の噂は本当だった。皆が太郎坊の事を『天狗太郎』と呼んでいる訳もわかった。
実物に会ってみると、確かに、天狗そのものだった。とにかく、身が軽く、猿のように木に登り、鳥のように木から木へと飛んで行った。あれが同じ人間だとは、とても思えなかった。
あの太郎坊殿が名前を変えさせられた訳も充分にわかった。こんな凄い人が太郎坊を名乗っていたら、あの酔っ払いが、同じ太郎坊を名乗れるはずがなかった。
八郎は、多気で、今は火山坊を名乗る太郎に憧れて飯道山に来た。実際に来てみると、この山には、火山坊程の腕を持つ者はいくらでもいた。それに、火山坊はいつも酔っ払っていて酒臭かった。火山坊の弟子になろうと思って、この山に来た八郎だったが、今では、火山坊の弟子になろうとは思ってもいない。そして、今、本物の太郎坊を見て、この人より他に師匠と仰ぐべき人はいないと思った。
「おらも太郎坊殿のようになりてえ。よーし、びっしり、志能便の術を習って強くなるぞ!」と八郎は決心を固めた。
風間光一郎も太郎坊を見て、凄いと思った。
この人が親父の弟子の太郎坊か‥‥‥
確かに、噂は聞き飽きる程、聞いていたが、まさか、これ程、凄いとは思わなかった。
こんな弟子がいるなんて親父も大したもんだと、親父の大きさを改めて感じていた。
親父は、後の事は飯道山に行って太郎坊に教われと言って、光一郎を送り出した。光一郎は太郎坊に会うまでは、一年経ったら、この山を下りようと決めていた。この山を下りて旅に出ようと思っていた。親父のように、あちこちを旅して回りたかった。特に、天下一高いという駿河の国の富士の山が見てみたかった。親父から、あの山の神々しさは、よく聞かされていた。
しかし、考えが変わった。
太郎坊の弟子になろうと決めた。弟子となって、太郎坊の持っている技を全部、身に付けてやろうと心に決めた。
探真坊見山も同じく、驚いていた。
やっと、父親の仇に会えると、今日の日を誰よりも待ちに待っていた探真坊だったが、実際、仇の太郎坊に会ってみて、ただ、呆然とするばかりだった。
今まで、捜していた仇、太郎坊は人間ではなかった。天狗だった。どうやってみても、今の探真坊が敵う相手ではなかった。
探真坊は、太郎坊が現れる、この一ケ月間のうちに仇を討つつもりでいた。そのつもりで、今まで修行を積んで来た。勝つ自信はあった。もし、勝ってしまったら、『志能便の術』の師範がいなくなってしまうが、それは仕方のない事だ。皆には悪いが、俺は太郎坊を倒すと心の中で勝手に決めていた。
しかし、太郎坊を一目見た途端、それは、不可能だと悟った。
絶対に無理だと思った。探真坊が今まで、会って来た誰よりも太郎坊は強いという事が、一目見ただけではっきりとわかった。
決闘をすれば、探真坊は間違いなく負けるだろう。負けるというのは死を意味していた。今まで、死を意識した事はなかった。仇討ちのために生きて来た探真坊だったが、その仇討ちで自分が死ぬなどと考えた事もなかった。絶対に勝つ、という自信を持っていた。それが、実際に太郎坊を見た途端、崩れ去って行った。
やれば、負ける‥‥‥
やれば、死ぬ‥‥‥
しかし、この機会を逃したら、後一年、待たなければならない。後、もう一年、死ぬ気で修行すれば太郎坊に勝つ事がてきるか‥‥‥
それも、難しかった。
どうしたら、いいのだろうか‥‥‥
死ぬ気でやるか。
それとも、もう一年、延ばすか‥‥‥
探真坊は迷っていた。
太郎坊は、毎日、どこからともなくやって来て、志能便の術を教えると、また、どこかに去って行った。
探真坊は太郎坊の去って行く後を追ってみようとしたが無駄だった。素早いし、人が通れそうもないような所を平気で通って行く。
太郎坊を追ったのは探真坊だけではなかった。誰もが試みたが後を追う事はできなかった。どこから来るのか、さっぱりわからない。里から来るのではなかった。いつも、飯道山の山頂の方から来て、また、山頂の方に帰って行った。
山頂の向こうは奥駈けの道である。阿星山、金勝山、太神山へと続いている。すでに、それらの道は雪で覆われていた。暗くなった雪道を普通の者が歩けるわけはなかった。
昼間になってから太郎坊の足跡を追って行く者もあったが、それも、失敗に終わった。いつも、足跡は途中で消えていた。切り立った崖の所で止まっていたり、大きな岩の前で消えていたり、また、何もない所で急に消えていたりする事もあった。そこから、空を飛んで行ったとしか考えられなかった。
太郎坊の存在は益々、不思議がられて行った。
5
太郎は一人で酒を飲んでいた。久し振りの酒だった。
『志能便の術』を教えている一ケ月間は一滴も飲まなかった。
普段だと、剣術の稽古が終わるのが六ツ時(午後六時)なので、家に真っすぐ帰っても、楓はまだ帰っていないが、『志能便の術』が終わるのは六ツ半時(午後七時)なので、真っすぐ帰っても、楓は帰って来ていた。
太郎は毎日、酒も飲まず、真っすぐ家に帰った。また、酔っ払ってもいられなかった。
太郎坊の正体がばれないように細心の注意を払わなければならなかった。見ず知らずの連中に教えるのとはわけが違う。『志能便の術』を習う者たちの中には、今まで、ずっと、太郎が剣術を教えて来た者が三十人もいる。そいつらに、もしかしたら、太郎坊の正体は火山坊ではないか、と、少しでも疑わせてはならなかった。
太郎坊は飽くまでも、どこからともなくやって来て、どこかへ去って行く天狗のような存在でなければならなかった。それには毎日、皆を、あっと言わせるような事をしなくてはならない。太郎は色々と考えた。そして、色々な事をしてみせて皆を驚かせて来た。
結構、毎日が楽しかった。久し振りに充実した日々を過ごしていた。
昨日、それも、やっと終わった。
正体もばれずに無事に済んだ。誰一人として、太郎坊と火山坊が同一人物だと疑った者はいないだろう。
太郎坊は益々、伝説上の人物になって行ったはずだった。
今日は打ち上げの宴があった。毎年、一年間の修行者を送り出した後に行なわれる恒例の宴会だった。今年も無事、一年間の武術稽古は終わり、修行者たちは皆、山を下りて行った。一年間、よくやったと、剣術、槍術、棒術、薙刀術、すべての師範、師範代が集まって、うまい物を食べて、酒を飲み、大いに騒いで、忙しい年末年始を乗り越え、また、来年、頑張ろうという宴会だった。
『湊(ミナト)屋』という料亭に、師範と師範代二十人が集まり、遊女たちも大勢混ざって賑やかな飲み会となった。
一時(イットキ)程(二時間)、食べて、飲んで、騒ぐと、皆、それぞれ好きな所に散って行った。
太郎は金比羅坊と中之坊に『おかめ』に行こうと誘われたが、疲れたから帰ると言って皆と別れた。そして、こうして、一人で飲んでいた。
『たぬき』という名の飲み屋だった。たぬきのような女将が一人でやっている小さな店だった。太郎の他に客は五人いたが山伏はいなかった。
この店は狸汁がうまいというので有名だった。狸など食ったら汚れるというので、山伏はこの店には来なかった。山伏だから獣を食べないと言うわけではない。ただ、飯道山の膝元だから憚られるだけの事だった。
太郎は今、山伏の格好ではなかった。仏師、三好日向の格好をしていた。
太郎はいつも、着替えをある所に隠していた。ある所とは松恵尼が持っている農家だった。そこにいる義助という年寄りと仲良くなり、時折、一緒に飲む事もあった。
家を出る時は三好日向として出て、その農家で着替え、山伏となって山に登り、また、着替えてから帰って行った。面倒臭かったが仕方がなかった。どんなに酔っ払っていても、山伏の格好のまま、家に帰るような事はなかった。
今日は『湊屋』を出て、もう帰ろうと思って着替えたのだったが、久し振りに酒が入ったせいか、途中で気が変わって、また、町に戻って来たのだった。
やっと終わった、と太郎は一人、酒を飲みながら、しみじみと思った。
一ケ月の間、正体はばれずに済んだが厄介な問題を抱えてしまった。
探真坊見山、風間光一郎、宮田八郎、この三人は、まだ、山にいた。他の者は皆、山を下りたのに、この三人はまだ、山に残っていた。
探真坊は太郎が予想した通り、最後の日の稽古が終わる頃、名乗りを上げ、太郎を仇として、六尺棒を振り回し、飛びかかって来た。
太郎は竹の棒切れで探真坊の相手をした。
探真坊の振り回す六尺棒を何度もかわし、「もっと、修行を積め」と言い残して太郎はその場を去った。
探真坊は太郎の後を追って来た。探真坊だけではなかった。風間光一郎も宮田八郎も後を追って来た。太郎は三人を振り切って逃げるつもりでいた。
ところが、光一郎がふいに、父親、風眼坊の名を叫んだ。今まで、一言も父親の名前など出さなかった光一郎が、その時、ふいに口に出した。
太郎は立ち止まって振り返った。
光一郎はひざまずいて、太郎の方を見ていた。八郎も光一郎の隣にひざまずいた。
「太郎坊殿、わたしを弟子にして下さい。お願いします」と光一郎は言った。「父上に言われました。これからは太郎坊殿に教われと‥‥‥どうか、弟子にして下さい」
「おらも弟子にしてくだせえ。お願いしますだ」と八郎までも言った。
まさか、そんな事を言われるとは思ってもいなかったので、太郎は何と答えたらいいのかわからず、ただ、黙って二人を見ていた。
自分の修行も中途半端なのに、弟子など取れるわけがなかった。
「お願いします」と二人は雪の中に土下座していた。
すると、今度は探真坊までもがひざまずき、弟子にしてくれと言い出した。
「わしはお前の仇だぞ、仇の弟子になるというのか」と太郎は聞いた。
「このまま修行していても仇が討てるとは思えません」と探真坊は言った。「いっその事、弟子になって修行を積めば、いつの日か、仇が討てるかもしれません」
太郎はどうしたらいいものか迷っていた。答えは、すぐに出なかった。
三人は雪の中に両手を付き、太郎を見上げていた。皆、思い詰めたような真剣な目付きだった。
「みんなの言う事はわかった」と太郎は三人に言った。「わしは来年の正月の十日に、また、このお山に来る。もし、気が変わらなかったら、それまで待っているがいい」
そう言い残して、太郎は山の中に消えた。
さて、どうしたら、いいものか‥‥‥
弟子か‥‥‥
そんな事、考えてもいなかった。
駄目だと言っても、あの三人は諦めはしないだろう。来年、太郎坊が来る十一月まで飯道山に残り、また、弟子にしてくれと言うに違いない。それまで、太郎の方が三人を騙し通せるか自信がなかった。いつか、ばれるなら早いうちに、ばらしてしまった方がいいかもしれない。その方が、太郎にすれば気が楽だった。
三人の弟子か‥‥‥
三人共、弟子にするには悪くない連中だった。三人共、素質がある。伸ばせば、いくらでも伸びるだろう‥‥‥
弟子を取るという事は、俺は奴らの師匠になるという事か‥‥‥
この俺が師匠か‥‥‥
太郎は酒を飲みながら、一人、ニヤニヤしていた。
酔っ払って、いい気分になると、太郎は夕顔に会いに『夜叉亭』に向かった。
6
年が明けて、十日の日、天狗の面を付けた太郎坊が山に登ると、風間光一郎と宮田八郎と探真坊見山の三人は吹雪の中、雪の上に座り込んで待っていた。
太郎坊を見ると、三人は一斉に頭を下げ、「弟子にして下さい」と叫んだ。
太郎坊は頷いた。「弟子にしてやってもいい。ただし、条件がある」
「条件?」と八郎は光一郎と探真坊の顔を窺った。
「何ですか。何でもします」と光一郎は言った。
「百日間の奥駈け行をする事だ」と太郎坊は三人に言った。「無事に百日間、歩き通す事ができたら、わしの弟子にしてやる。歩き通せないようだったら、黙って、このお山を下りて行け」
「えっ、百日間も山の中を歩き通すんですか」と八郎は驚いた。
八郎は去年の一ケ月間の山歩きの事を思い出した。一ケ月間でも、やっとの思いで歩いた。それを百日間もやるなんて‥‥‥
気の遠くなる話だった。百日間と言えば三ケ月以上も歩き通さなければならない。
果たして、できるだろうか‥‥‥
「やるか」と太郎坊は聞いて、天狗の面の中から三人の顔を見つめた。
「わけない」と光一郎は力強く言った。
「百日間か‥‥‥」と探真坊は呟いた。
「いやなら、やめても構わんぞ」と太郎坊は八郎に言った。
「やる。百日間、歩き通すだ。死んでも、歩き通すだ」と八郎は太郎坊を見上げながら、きっぱりと言った。
「俺もやってやる」と探真坊も太郎坊をじっと見つめながら言った。
「よし。十六日から始めろ。百日行が終わる頃、わしは、もう一度、ここに来る」
太郎坊はそう言うと、吹雪の中に消えて行った。
「百日も歩くのか‥‥‥」と八郎は太郎坊が消えると小声で呟いた。
「百日間なんて、すぐさ」と光一郎は立ち上がりながら言った。
「この雪の中、百日も歩くのか‥‥‥」と探真坊は雪の中に六尺棒を突き刺した。
「いやならやめればいい。俺一人でもやってやるさ」光一郎は薄ら笑いを浮かべて、二人を見た。
「誰もいやだとは言っていない」と探真坊は光一郎を睨んだ。
「そうや、おらだって、百日位、平気や」と八郎は叫んだ。
八郎はまだ、雪の上に座り込んだままだった。
「口では何とでも言えるさ」光一郎は袴の雪を払った。
「絶対に、百日、歩いてやるわ」八郎は立ち上がると、吹雪いている雪の中、木剣を振り回した。
「人から聞いた話だがな、あの太郎坊殿は二回、百日行をやっているそうだ」と光一郎が二人の顔を見比べながら言った。
「えっ、二回も‥‥‥二回っていう事は、二百日か」と八郎は目を丸くした。
「当たり前だろ」と探真坊が八郎に言った。
「二百日も山歩きしてるのか‥‥‥そうか、山歩きをしなければ、太郎坊殿のようにはなれねんやな。天狗のようになるには、やっぱり、山歩きをしなくちゃなんねんやな。そんなら、おらもやんなきゃなんねえわ」
「山歩きだけじゃない。太郎坊殿は真冬に滝に打たれたり、半年の間、山奥に籠もって、厳しい修行をなさっているんだ」光一郎は自慢げに二人に説明した。
「へえ、やっぱり、凄え人なんやな」と八郎は感心する。
「どうして、お前、そんな事まで知っているんだ」と探真坊は不思議がった。
「聞いたんだ」
「誰に」
「熊野の山伏だ」と光一郎は言った。
「へえ、熊野まで有名なのか、太郎坊殿は」
「まあ、そういう事だ」
三人の百日行は、新入りの修行者たちと一緒に十六日から始まった。
去年と同じく、五百人余りの新入り修行者たちに混ざって、三人は歩き始めた。
今年は去年のような大雪はあまりなかったが、吹雪いていて寒い日が多かった。
三人は第四隊の最後尾を火山坊を名乗る太郎と共に歩いていた。
三人はまだ、一緒に歩いている火山坊が太郎坊だとは知らない。
八郎は火山坊に、太郎坊の事など話しながら気楽な気持ちで歩いていた。太郎は話を聞きながら、こいつは百日間、歩き通せるのだろうかと不安を感じていた。太郎としては、八郎にも歩き通して欲しかった。あとの二人は心配なかった。きっと、歩き通せるだろう。ただ、この調子者の八郎だけが心配だった。
今日で十五日目だった。すでに、新入り修行者たちの半分以上は消えて行った。あと半分の十五日間、我慢して、やり通せば、新入り修行者の山歩きは終わるが、三人にとっては、まだ、まだ、始まったばかりだった。
百日間というと、冬が終わって雪が消え、桜の花が咲き、山々が新緑に変わるまで歩き通さなければならない。太郎がかつて経験したように、それぞれがそれぞれの幻想と戦いながら歩く事になるだろう。
雪の日も雨の日も風の日も、たとえ、体の具合が悪くても歩き通さなければならない。辛い修行だが、三人がこれから先、武術の道に生きて行くつもりなら、この位の事は耐えなければならなかった。
太郎は山歩きが終わると久し振りに夕顔に会いに行った。去年、打ち上げの時、行ったきりで今年になって初めてだった。
年末年始は忙しく、その後、三日間の休みを貰って、毎日、百太郎と遊んでいた。そして、新入り修行者がどっと入って来て、何かと忙しく、遊んでいる暇はなかった。
今日は天気も良かったし、修行者たちも山歩きに慣れて来たせいか、以外と早く終わった。太郎は山を下りると真っすぐ、『夜叉亭』に向かった。素面(シラフ)で行くのは初めてだった。
夕顔はいなかった。宴会に呼ばれて出ていると言う。
太郎は一人、酒を飲みながら待っていた。
半時(一時間)近く、待っていただろうか。
「待った? 御免なさいね」と夕顔は現れた。
「少しな」と太郎は言った。
「ずっと、待っていたのに、全然、来てくれないんですもの」と夕顔は太郎を睨んだ。
「忙しかったんだ」と太郎は言い訳をした。
「会いたかったわ」と夕顔は言って太郎に向き合って座り、太郎の顔を見つめた。
「今日はゆっくりしてってね。お願いよ」夕顔は太郎に甘えるように笑いかけた。
「ああ、そのつもりさ」と太郎も笑った。
「まあ、嬉しい」と夕顔は太郎に飛び付いて来た。
「酒がこぼれるよ」
「あら、御免なさい。だって、会いたかったのよ」
「俺だって、会いたかったさ」
「本当?」
「ああ、宴会に出てたんだって?」
「ええ、何とか講っていう信者さんたちよ。伊勢の方から来たらしいわ。中に酒癖の悪いお客がいてね、あたし、頭に来たから、さっさと先に帰って来ちゃった」
「いいのか、そんな事をして」
「いいのよ。若い娘がお目当てなんだから、あたしみたいな年増はさっさと消えた方がいいの」
「そんな事はないだろ」
「でも、良かったのよ。あなたが待っていてくれたんだもの」
「今日は、いつもの勘は働かなかったのかい」
「そうね、でも、早く帰って来たんだから、無意識のうちに働いていたんじゃないの」
「無意識のうちにか‥‥‥」
「そうよ。ね、今日はゆっくり、飲みましょう。やっと、あたしにもお正月が来たわ」
太郎と夕顔は二人だけの甘く長い夜を、ゆっくりと過ごして行った。
6.駿河
1
満開の桜の花越しに、雪を被った富士山が春の日差しを浴びて輝いていた。
駿河(静岡県)の春は暖かかった。
駿府(スンプ、駿河の府中)から一山越えた、山西の小高い丘の上に小さな庵(イオリ)が立っている。その庵の屋根の上に人影があった。
早雲である。
早雲こと伊勢新九郎は雨漏りの修理をしていた。
早いもので、早雲が駿河の地に住み着いて、すでに、二年の月日が流れようとしていた。
二年前、突然、駿府を訪れた早雲は、今川治部大輔(ジブノタイフ)義忠とその奥方になっている妹の美和に歓迎された。
足利幕府とも縁が切れ、一介の僧侶となっている早雲だったが、京の都から来た一人の文化人として予想以上の歓迎を受けた。特に、妹の美和の喜びようは格別だった。兄妹といっても、今まで、兄妹のような付き合いはまったくなかったと言ってもいい二人なのに、やはり、血がつながっているのか、また、異郷において再会したせいか、美和は兄の突然の来訪を心から喜んでくれた。
武士としてではなく、俗世間と縁を切った僧侶として来たため、今川家中の者たちも心を許して、気持ち良く、早雲と付き合ってくれた。
ここに落ち着くつもりはなかったが、つい、居心地が良かったため居着いてしまった。また、妹が早雲を駿河の地から帰そうとはしなかった。別に行くあてもないのなら、ずっとここにいてくれと言い、義忠も身内の者が側にいてくれた方が美和も何かと心強いだろうから、ぜひ、そうしてくれと勧めてくれた。
早雲は義忠の客人として、しばらくは駿府屋形内の義忠の屋敷に滞在していた。やがて、今川家の家臣、長谷川次郎左衛門尉正宣(ジロウザエモンノジョウマサノブ)という武士と仲良くなり、次郎左衛門尉の居館のある小河(コガワ)の庄(焼津市)に移り住む事になった。
長谷川氏は肥沃な土地を領土に持ち、また、船の出入りで賑わう小河津の商人たちを取り仕切り、自らも船を持って各地の物産の取り引きを行なっていた。『小河の長者』とも呼ばれ、今川家でも重きをなす存在だった。
次郎左衛門尉は早雲と同じ位の年頃で、知識見聞も広く、早雲とは良く気が合った。駿府屋形に訪ねて来る次郎左衛門尉と何度か会っているうちに、ぜひ、小河に来てくれと誘われ、誘われるまま小河に行き、結局、そこに住み着いてしまった。
駿府屋形内にしばらく滞在してわかった事だが、安泰のように見える今川家も身内同士の派閥争いがあり、義忠をお屋形様の座から落とそうと企んでいる者たちもいた。義忠の義兄としての早雲の存在を快く思っていない者たちもいる。義忠や美和はずっと、駿府にいてくれと言ってくれるが、早雲自身、何となく居づらい雰囲気だった。そんな時、次郎左衛門尉に誘われ、小河の庄に来て、そのまま居着いてしまったというわけだった。
早雲は小河の庄の北、高草山の南麓の石脇という地の小高い丘の上に小さな庵を建て、早雲庵と名付けて、風流を楽しみながら暮らしていた。
ここからだと駿府まで約四里(十二キロ)、遠からず近からずで丁度いい距離だった。早雲はちょくちょく駿府に出て行き、妹や妹の子供たちと会っていた。そして、気が向けば、ふらふらと旅にもよく出掛けていた。
今回も伊豆に湯治の旅に出ていて、昨日、雨の降る中を帰って来たばかりだった。夕べは雨漏りが気になって、ろくに眠れず、今朝、起きるとすぐ、屋根に登って修繕を始めていた。
早雲は京の伊勢家で居候(イソウロウ)していた若い頃、色々な雑用をやらされていたので、ちょっとした事は何でも直す事ができた。また、元々、手先も器用だった。
伊勢家では代々、将軍が乗る馬の鞍(クラ)と鐙(アブミ)を作っていた。それを早雲も手伝わされた。早雲自身、馬術が得意で、一度、あんな鞍で馬に乗ってみたいと思い、自分で自分の鞍を作ってみたかった。初めの頃はほんの手伝い程度だったが、覚えも早く、腕もいいので、さすがに将軍の鞍こそ作らなかったが、諸大名からの注文の鞍は早雲に任されていた時期もあった。ここのお屋形、今川義忠も伊勢家の鞍を持っているが、実は早雲が作った物だった。
早雲が屋根の上で、ガタガタやっていると、寝ぼけ面をした男が早雲庵から出て来た。
「何事ですか、朝っぱらから」とその男は屋根の上を見上げた。
「すまんのう。うるさかったか」
「いえいえ」と男は首の後ろを掻いた。
この男、多米権兵衛(タメゴンベエ)という浪人だった。
早雲が昨日、帰って来たら早雲庵にいた。早雲の知らない男だった。荒木兵庫助(ヒョウゴノスケ)に早雲の事を紹介され、会いに来たと言う。
荒木兵庫助は早雲も知っていた。早雲がここに来る前から、長谷川次郎左衛門尉の所に居候していた男で、この庵を建てるのを手伝ってくれ、その後もよく遊びに来ていた。どこかに出掛けたのか、最近は顔を見ていなかった。
多米の話によると、荒木とは三河の国(愛知県東部)で会ったと言う。意気投合し、駿河に行くなら、小河の庄に早雲という変わった坊さんがいるから会いに行ってみろと言われた。来てみたら、早雲庵には誰もいなかった。近所の年寄りに、待っていれば、そのうち戻って来るじゃろうと言われ、五日間も待っていたと言う。
待っていたからと言って、別に、早雲に用があるわけではなかった。荒木から話を聞いて、一度、早雲という男に会ってみたかっただけだった。それに、五日間、ここで待っているうちに、益々、早雲という男に興味を持って行った。
五日の間、毎日のように色々な連中が、この早雲庵に訪ねて来ていた。今川家の家中の武士から近所の百姓の親爺まで、実に多彩な客だった。旅の僧侶や山伏、旅の芸人、薬売り、鍛冶師(カジシ)、研師(トギシ)、小河津の商人、水夫(カコ)や荷揚げ人足、変わった所では、旅の絵師や連歌師、琵琶を持った座頭(ザトウ)などもいた。
彼らは皆、早雲庵の主(アルジ)に特に用が会って訪ねて来たのではなく、ただ、何となく、遊びに来たという感じだった。多米が早雲庵から出て来ても変な顔をするでもなく、早雲が留守だと言っても帰ろうともしないで、勝手に早雲庵の中に入って来て一休みしたり、多米と世間話をしたりしては帰って行った。
近所の百姓たちにも人気があるらしく、野菜などを持っては訪ねて来ていた。百姓たちは皆、早雲の事を『和尚さん』と親しみを持って呼んでいた。彼らに早雲の事を聞くと、京の都から来た偉い和尚様で、わしらのために色々と骨を折ってくれると言う。よく聞いてみると、早雲は百姓たちのために潅漑用水を治したり、橋を治したりしているらしい。
また、水夫や荷揚げ人足たちに、どうして、ここに来るのか、と聞いてみると、人足の親方らしい大男が言うには、早雲殿の侠気(オトコギ)に惚れたと言う。
もう、前の事になるが、小河津で人足たちの間に大きな争い事が起こった。水夫たちも巻き込み、怪我人も多く出て、騒ぎは大きくなるばかりだった。そこに現れたのが、早雲だった。早雲はたった一人で騒ぎを静めてしまった。恐ろしく強いと言う。親方の話によると、早雲殿は今は頭を丸めているが、以前は立派な武将だったに違いないと言った。
また、旅の僧侶の話だと、早雲殿は京の大徳寺の一休禅師に参禅した立派な禅僧だと言うし、旅の山伏は、早雲殿はただの坊主ではない。越中(富山県)の立山で修行を積んだ立派な行者だと言う。
話を聞けば聞く程、多米権兵衛は早雲という男に興味を持って行った。
一体、何者なのだろうか。
皆の話をまとめてみると、以前は武士で、立山で修行を積み、一休禅師のもとで参禅し、治水工事も行ない、百姓や人足たちにも人気のある禅僧という事になる。会ってみて損はないと思い、多米は帰って来るまで待ってみる事に決めた。
二日前、早雲らしい体格のいい僧が、こちらに向かって来るのを見て、あれが早雲に違いないと待っていたら人違いだった。旅の絵師だと言う。一月程、富士の山を描きに行っていたと言う。
早雲は留守だと言うと、帰るまで待っているか、と早雲庵の中に入って行き、勝手知っている我家のごとく、さっさと飯の支度を始めた。その日から、二人して早雲の帰りを待っていた。
旅の絵師は一見した所、乱暴な荒法師という感じの僧だが、外見とはまったく違って、細かい事まで良く気が付く便利な男だった。飯の支度から掃除、洗濯まで、さっさとやってくれた。彼が描いた富士山の絵も見せてもらったが、本当に、この僧が描いたのかと疑いたくなる程、丁寧で細かい絵だった。
そして、昨日の夜、雨の降る中、びしょ濡れになって早雲庵に飛び込んで来たのが、この庵の主、早雲だった。
「参った、参った」と言いながら濡れた着物を着替えると、疲れたと言って、さっさと寝てしまった。
多米を見て、ただ一言、「やあ」と言っただけだった。
絵画きの僧はこまめに動き、早雲の世話をしていた。
実際の早雲は多米が想像していた早雲像とはまったく違っていた。人の良さそうな、ただの田舎の和尚さんだった。人足たちが言うような、恐ろしく強い男には全然、見えなかった。
多米権兵衛は屋根の上の早雲を見ていた。
早雲は慣れた手付きで屋根の修繕をしていた。
「手伝いましょうか」と多米は声を掛けた。
「いや、もうすぐ、終わる」と早雲は言った。
絵画きの僧はどこに行ったのか、すでにいなかった。
早雲は屋根から降りて来ると、「腹が減った。飯にでもするか」と多米に言って、庵の中に入って行った。
多米はまだ、早雲に挨拶もしていなかった。不思議な事に早雲は、多米に何者で、どうしてここにいるのか、尋ねもしなかった。名前も知らない男が自分のうちにいるというのに何も聞きもしない。荒木が言うように、確かに変わった男だった。
飯の支度はすでに出来ていた。絵画きの僧が用意していったと言う。絵画きの僧の名は富嶽(フガク)というらしかった。おかしな事だが、二日間、一緒に留守番していたのに、お互いに相手の名前を知らなかった。どうも、この早雲庵では俗世間の挨拶とか、決まり事など不用なようだった。
食事を済ませ、後片付けをしていると、いつものように誰かが訪ねて来た。立派な格好をした若い武士だった。
「やあ、五条殿」と早雲は若い武士を迎えた。
若い武士は、今晩、お屋形様が浅間(センゲン)神社で花見の宴を張るので、ぜひ、早雲殿にも参加して欲しい、と誘いに来たのだった。
「そうじゃのう。お屋形様にも最近、会ってないしのう。久し振りに駿府に行ってみるか」
「ぜひ、おいで下さい。北川殿も、早雲殿はどうしているのか、と心配しておりました」
「美鈴殿や竜王丸(タツオウマル)殿は相変わらず、健やかに育っておりますかな」
「そりゃもう、お二人とも元気一杯に遊び回っております」
早雲は嬉しそうな顔をして頷いた。「それは良かった」
「ところで、その御仁は」と五条という侍は多米の方を見た。
早雲も多米の方を見て、さあと首を傾げた。
「拙者は多米権兵衛泰英と申す浪人者でござる」と多米は二人に自己紹介をした。
「多米殿と申すか、どうじゃ、おぬしも一緒に花見に行かんか」と早雲は言った。
「そうですな。どうぞ、多米殿もいらして下さい」と五条という侍も口を合わせた。
「はあ、どうも」と多米は慌てて頭を下げた。
早雲とこの五条という侍の話を、ただ、ぼうっとして聞いていた多米だった。
二人は駿府のお屋形様の事を世間話のように話していた。
早雲というのは一体、何者なのだろう。駿府のお屋形様とも面識がある程、偉い僧なのだろうか。
多米はここに来てからというもの、なぜか、調子が狂っていた。
早雲といい、この侍といい、見ず知らずの浪人を、まるで、隣の山に花見にでも行くような軽い気持ちで、駿府のお屋形様の花見に誘っている。
駿府のお屋形様と言えば、多米のような浪人者が一生かかってもお目に懸かれるような人ではなかった。雲の上の人だった。その雲の上の人が催す花見に誘われるなんて、一体、どうなっているのだろう。
不思議な心境だった。
五条という侍は半時程、早雲と話をして帰って行った。
多米も側で聞いていたが、早雲は昨日までの旅の話をしていた。早雲は湯治を兼ねて、三所詣でをして来たのだと言っていた。
三所詣でとは、熱海の伊豆山権現と箱根権現、そして、三島大社を詣でる事で、昔から盛んに行なわれていた。今は伊豆の地も戦が行なわれているので、参詣者も減ってはいたが門前町や温泉町は賑わっていた。
早雲の話を聞きながら、五条という侍は、自分も行ってみたいが、暇がなくて、なかなか行けない。早雲のような気ままな身分が羨ましいと言っていた。
午後になり、富嶽が戻って来ると三人して駿府に出掛けて行った。
多米は、やはり、そんな身分の高い人の宴に出るわけにはいかないからと尻込みしたが、早雲に、「腕に自信はあるか」と聞かれ、あると答えたら、それなら、わしらの護衛のために付いて来いと言われた。
「世の中、物騒になっておるからのう。最近は、坊主でも身ぐるみを剥がされると聞いておる。頼むぞ」と早雲は笑った。
成り行きに任せるしかないかと覚悟を決め、多米権兵衛は槍を手に持ち、二人の坊主頭の後を付いて行った。
その頃の関東の状況は複雑だった。
まず、公方(クボウ)様と呼ばれる人が二人もいた。
一人は下総の古河にいて『古河公方』と呼ばれ、もう一人は、伊豆の堀越(韮山町)にいて『堀越公方』と呼ばれていた。
本来、公方というのは鎌倉にいて『関東公方』または『鎌倉公方』と呼ばれていた。幕府が関東の地を支配するために置いた出先機関であった。
室町幕府を開いた足利尊氏が次男の基氏(モトウジ)を鎌倉の地に置いたのが始まりである。代々、基氏の子孫が跡を継いで公方となった。そして、代が下るにしたがって、京にいる将軍と対立して行くようになって行く。同じ、尊氏の子孫ながら長男義詮(ヨシアキラ)の系統ばかりが将軍職に就いているという不満をいつも抱えていた。
四代将軍足利義持は嫡男義量(ヨシカズ)に将軍職を譲り、出家して引退したが、五代目の将軍となった義量はわずか十九歳で世を去ってしまった。
五年後、義量より他に子供に恵まれなかった義持は跡継ぎを決めないまま病で亡くなった。幕府の首脳は評議を重ね、義持の弟、四人のうちから、くじ引きによって跡継ぎを決める事にした。そこで、くじに当たったのが青蓮院義円(セイレンインギエン)、還俗(ゲンゾク)して六代将軍となる義教だった。
当時の鎌倉公方、持氏は将軍義持に跡継ぎがいない事を知っていた。義持の弟たちは皆、出家して僧侶となっている。次の将軍の座に付くのは自分をおいて他にはないと自信を持って期待していた。しかし、期待は見事に裏切られた。しかも、将軍職をくじ引きで決めるとは、完全に自分の存在は無視されていた。
持氏は幕府の重役を恨み、義教を憎んだ。
新将軍の祝賀の使節も送らず、年号が改元されても、それを使用せず、旧年号をそのまま用いたりしていた。また、幕府の直轄領を押領したり、幕府の息の掛かった豪族たちを討伐したり、徹底的に幕府に反抗していった。
鎌倉公方の初代より執事(シツジ)となっていたのが上杉氏である。
幕府の執事と同じく、管領(カンレイ)と呼ばれていた。持氏の時の関東管領は上杉安房守憲実(アワノカミノリザネ)だった。安房守は幕府と持氏の間に立って、両者を和解させようと苦心していた。持氏には、それが気に入らなかった。とうとう、持氏と安房守は対立してしまい、もう勝手にしろと安房守は領国上野の平井城(群馬県藤岡市)に引き上げてしまった。
公方と管領の対立は関東の武士たちを動揺させた。これを機に、幕府は持氏征伐に踏みきり、二万五千の大軍を鎌倉に向けた。
関東の実力を以て、幕府を倒すつもりでいた持氏だったが、幕府の大軍を前に寝返る者が続出し、旗色は悪くなって行った。追い詰められた持氏は敗戦を覚悟し、髪を下ろして出家した。
関東管領の安房守は将軍義教に持氏の助命を懇願したが、許されず、持氏と嫡男の義久は自害して果てた。
その後、持氏の二人の遺児を匿う下総の結城中務大輔(ナカツカサノタイフ)氏朝と幕府軍の戦いがあり、中務大輔は討ち死にし、二人の遺児は殺され、ここに鎌倉御所は滅亡した。
それから十年近くの間、関東管領の上杉氏が関東の地を支配し、関東の地に公方は存在しなかった。しかし、関東の豪族たちをまとめて行くには、やはり、幕府の権威として公方の存在が必要だった。そこで、宝徳元年(一四四九年)、新たに鎌倉公方として迎えたられたのが、生き残っていた持氏の遺児、当時十二歳の成氏(シゲウジ)だった。
関東管領には安房守の子、右京亮憲忠(ウキョウノスケノリタダ)がなっていた。こちらも、まだ十七歳という若さだった。二人が若すぎたため、上杉氏の家宰の長尾左衛門尉景仲と太田備中守か資清(ビッチュウノカミスケキヨ)とが政務に当たる事になった。
初めのうちは、新たに公方を迎え、関東の豪族たちもまとまり、うまく行っていた。ところが、成氏が生き残っていた結城中務大輔氏朝の子、四郎成朝と手を結ぶ事によって、再び、上杉氏と対立するようになった。ついに、享徳三年(一四五四年)十二月、成氏は四郎成朝らと共に管領右京亮憲忠を謀殺してしまった。
成氏と成朝、二人にとっては右京亮は父の仇の子供であった。そんな奴を生かしておくくわけにはいかないと右京亮を鎌倉御所に呼び出し、騙し討ちにしてしまったのだった。
激怒した上杉氏は急遽、右京亮の弟、兵部少輔房顕(ヒョウブショウユウフサアキ)に跡を継がせ、翌年の正月より、鎌倉公方成氏軍と関東管領上杉軍の戦が武蔵の国分倍(ブバイ)河原(府中市)において始まった。
公方の権威により成氏軍が優勢だったが、駿河の今川民部大輔範忠(義忠の父)、越後の上杉兵庫頭(ヒョウゴノカミ)房定を大将とした幕府軍が上杉氏を助ける事によって、情勢は逆転し、成氏は鎌倉を追われ、結城氏の本拠地に近い下総の古河(コガ)に逃げて行った。
それ以来、成氏は鎌倉に戻る事ができず、『古河公方』と呼ばれるようになった。
長禄元年(一四五七年)、成氏を押えるため、将軍義政は弟を還俗させて政知と名乗らせ、鎌倉公方として関東に送った。しかし、政知は鎌倉へは入る事ができず、伊豆の堀越に落ち着いた。以後『堀越公方』と呼ばれる。
こうして、関東の地に二人の公方が存在するという複雑な事態になって行った。
また、関東管領家の上杉氏も山内(ヤマノウチ)家と扇谷(オウギガヤツ)家の二つに分かれていた。
山内家は上野の国の平井城を本拠にし、扇谷家は武蔵の国の河越城を本拠にしていた。代々、管領職に就いていたのは、勢力の強かった山内家である。そして、山内家の家宰として長尾氏、扇谷家の家宰として太田氏が、それぞれの実権を握っていた。
文正元年(一四六六年)、管領の山内上杉兵部少輔房顕が成氏と対戦中、陣中で病没すると、越後守護上杉兵庫頭房定の次男、民部大輔顕定(アキサダ)が養子となって跡を継いだ。
翌年、扇谷家でも修理大夫(シュリノタイフ)持朝が死んで、孫の三郎政真が跡を継いでいる。
古河公方成氏と上杉氏の戦いは各地で行なわれ、文明三年(一四七一年)、成氏は本拠地、古河を攻められて千葉に逃げるが、勢力を盛り返し、翌年には古河を奪回した。
文明五年(一四七三年)、扇谷上杉三郎政真は武蔵五十子(イカッコ、埼玉県本庄市)において、成氏と戦うが敗死し、政真の叔父、修理大夫定正が跡を継いだ。
また、この年、山内上杉氏の家宰、長尾左衛門尉景信(景仲の子)が死ぬと、子の四郎右衛門尉景春と叔父の尾張守忠景との間に相続争いが生じた。管領上杉民部大輔顕定が左衛門尉の弟、尾張守に家宰職を継がせると、不満を持った四郎右衛門尉は管領に背き、五十子の陣から本拠地の上野白井(シロイ、群馬県子持村)に引き上げてしまった。
早雲が駿河に来た時の関東の情勢は以上である。
古河公方足利成氏と関東管領上杉氏が対立し、各地の豪族たちはそれに巻き込まれ、身の保全のため、力のある者と手を結び、弱い者は滅ぼされ、自らも勢力を広げるために戦いに明け暮れていた。
春の日差しの中、そよ風が心地よかった。
浅間神社での花見の宴を大いに楽しんだ早雲、富嶽、多米権兵衛の三人は次の日の昼過ぎ、石脇の早雲庵に向かっていた。
早雲はいつも持ち歩いている杖を突き、多米と富嶽は重そうな荷物を背負っていた。何が入っているのか知らないが、やたらと重かった。早雲が駿府のお屋形様から戴いた物だと言う。
多米権兵衛はまだ興奮していた。
あんな豪勢な宴を見たのは初めてだったし、まがりなりにも、それに参加したという事が今でも信じられなかった。
駿府のお屋形様の姿も遠くからであったが見る事ができたし、まるで天女のような、着飾った女房たちも見る事ができた。見た事もないような御馳走も食べたし、うまい酒も思う存分に飲んだ。ただ、堅苦しい礼装を着せられ、宴の間中、緊張のし通しだった。多米も今までに何回か戦に出て、命のやり取りをした事もあったが、これ程、緊張したのは生まれて初めての経験だった。
多米は富嶽と一緒に歩きながら、昨夜(ユウベ)の事を話しまくっていた。
早雲は二人の前をのんびりと回りの風景を眺めながら歩いている。
「昨夜の酒は、ほんとに、うまかったのう。桜の花も綺麗じゃったが、眩しい程に綺麗な女子(オナゴ)が大勢おったのう。まるで、極楽のようじゃった。一度でいいから、あんな女子を抱いてみたいもんじゃのう。たまらんわ」多米は一人で喋っていた。
「ところで、富嶽殿。一体、早雲殿は何者なんじゃ」と多米は富嶽に小声で聞いた。
「何者とは」と富嶽は面倒臭そうに言った。
「駿府のお屋形様と随分、親しいようじゃったし‥‥‥そんな偉い坊さんなのか」
「おぬし、何も知らんのか」と富嶽は多米を見ながら鼻で笑った。「早雲殿はのう、室町御所にも出入りできる程、偉い和尚様じゃ」
「室町御所?」
「将軍様のおられる御殿じゃ」
「えっ、早雲殿は将軍様も知っておるのか」
「そうじゃ」
「凄いのお‥‥‥」多米は前を歩く早雲の後姿を見直した。
そう言われてみると、どこか、高貴な感じがしないでもない。とんでもないお人と出会ってしまったもんじゃ、と多米は思った。
早雲が、お屋形様の奥方の兄上だという事を知っているのは、今川家の家中でも、お屋形様に近侍している上層部の者、数人だけだった。
早雲自身、今の自分は俗世間と縁を切っているので、兄としてではなく、一僧侶として、駿河の地にいさせてくれと、前もって、お屋形様と約束していた。お屋形様も約束を守り、改めて、家臣たちに早雲を紹介したりはしなかった。また、早雲自身も自分の事を人に話したりはしなかった。そこで、色々な噂が飛び交い、富嶽のように偉い坊さんだと信じ切っている者が何人もいた。
三人は鎌倉街道を西に進み、木枯らしの森で藁科川(ワラシナガワ)を渡り、歓昌院坂を越え、斎藤氏の守る鞠子の城下を通って宇津の谷峠へと向かって行った。
この峠道は『蔦の細道』という名で呼ばれ、歌にも詠まれ、かつては細い道だったが、今は軍事的にも重要な道となって道幅は広くなっていた。
早雲は駿府に行く時も帰る時も、この街道を通る事はあまりなかった。いつもは小坂の山(日本坂)を越えて行く。その方がずっと近かった。今日は、どうしたわけか、こちらの道を通っていた。富嶽は、いつもの気まぐれだろうと黙って付いて来ていた。
山道は沢に沿って奥へと続いている。人通りは少なかった。
もうすぐ、峠に差し掛かろうとした時、早雲が急に立ち止まった。
後に続く、二人も止まり、早雲の顔を見た。
早雲はただ、前をじっと見ているだけだった。
「どうしたんです」と多米は聞いた。
「お客さんが出たらしい」と富嶽は耳を澄ませた。
「お客さん?」と多米は前をじっと見るが人影は見えない。
「おぬしの出番じゃ。任せたぞ」と早雲は多米に言うと後ろへ身を引いた。
早雲が身を引くのと同時に、山道の両脇から、二人づつ、四人の男が飛び出して来た。皆、ニヤニヤと笑っていた。
一人は槍を肩に担ぎ、一人は山羊のような顎髭を撫で、一人は太刀に手をやり、最後の一人は腕がかゆいのか、ボリボリと掻いていた。四人共、人相の悪い、見るからに山賊という連中だった。
「何だ、おぬしらは」と多米は四人の男を見回した。
腕を掻いていた男が、「ひっひっひ」と笑った。
槍を担いだ男が、「見た通りじゃ」と言った。
「成程、どこぞの足軽が道に迷ったのか」と多米は言って、笑った。
隣で富嶽も笑っている。
「何だと、ふざけるな!」太刀に手をやっていた男が太刀を抜いて構えた。
「命が惜しかったら、その荷物を置いて、さっさと逃げるんだな」山羊髭の男が空を見上げながら言った。
槍を担いでいた男が富嶽に向かって槍を構えた。
「そいつは有り難い。この荷物、重くてかなわねんだ」と多米は荷物を下ろした。
「そっちの坊主も下ろしな」と山羊髭は言った。
富嶽も黙って荷物を下ろした。
腕を掻いている男が、また、「ひっひっひ」と笑った。
「命は助けてやる。さっさと行け」と山羊髭は峠の方を指さした。
「命を助けて貰って悪いんだが、そうは行かねんだ」と多米は手に持っていた槍を繰り出し、太刀を構えていた男の太刀を巻き落とすと、そのまま、その男の右手を斬った。
「野郎!」と腕を掻いていた男が太刀を抜いた。
多米が富嶽を見ると、富嶽は槍を担いでいた男から槍を奪って振り回していた。
一瞬、あれ、と思ったが、考えている暇はなかった。
腕を掻いていた男が多米に向かって斬り掛かって来た。
多米はその太刀をかわし、腕を掻いていた男の左股を突いた。
富嶽の方は山羊髭とやり合っていた。富嶽が槍の石突き(柄の先端)で山羊髭のみぞおちを突くと、山羊髭は簡単に伸びてしまった。
「覚えて、いやがれ」
怪我をした三人は山羊髭を置いたまま、山の中に逃げて行った。
富嶽は槍を放り投げると、「馬鹿な奴らじゃ」と呟いた。
「ただ者じゃないと思ってはいたが、やはり、ただ者じゃなかったな」と多米は富嶽に言った。
富嶽はフンと鼻を鳴らした。
「さて、行くか」と早雲は何事もなかったかのように歩き出した。
多米は慌てて、荷物を取りに行った。
「それは、もう、いい」と早雲は言った。
「はあ?」と多米と富嶽は早雲を見た。
「それは、ただの石ころじゃ」と早雲は笑った。
「何だって!」と多米は荷物を開いてみた。
木箱の中には、布にくるまれた大きな石ころが一つ入っているだけだった。
「何だ、これは。わしは重い思いをして、こんな物を運んでいたのか‥‥‥」
「悪く思うな」と早雲は笑いながら言った。
「そいつは見せ金じゃ」と富嶽は言った。
「見せ金?」と多米は富嶽を見上げた。
富嶽も声を出して笑った。「早雲殿はな、山賊どもをおびき寄せるために、わしらにその荷物を持たせたんじゃ」
「と言うわけじゃ」と早雲は歩き出した。
「くそ!」石ころを放り投げると多米は早雲の後を追った。
「どういう事だ、これは」と多米は富嶽に聞いた。
「最近になって、この辺りに山賊が出て、旅人が困っているという噂を早雲殿も耳にしたんじゃろ」
「それで、わしらが山賊退治をしたっていうわけか」
「まあ、そういう事じゃな」
「成程な。ところで、おぬしは何者じゃ」
「おぬしも詮索好きじゃのう。さっきは早雲殿で、今度はわしの番か」
「別に隠しておく程の事でもあるまい」
「ふん。昔の事など、どうでもいいわい。今のわしはただの絵画きじゃ」
「勿体ぶりやがって、まあ、そのうちわかるだろう。ところで、さっきの連中だが、もう二度と、この辺りには現れんかのう」
「さあな、奴らに聞いてみん事にはわからんのう」
「ふん、勝手にしやがれ」
二人の前を早雲はのんきに歩いていた。
花見から帰って来て三日目だった。
朝早くから珍客が訪れた。まだ、朝日が昇る前の早朝だった。
珍客は十人程で早雲庵を囲み、中に押し入って来た。しかし、すでに、早雲と富嶽は起きていて早雲庵にはいなかった。
早雲はいつも、朝、起きるとすぐに海に出掛けた。海に行き、毎朝、泳ぐ事を日課としている。今日も二人して、まだ薄暗いうちから海に出掛けて行った。早雲庵から海まで半里(二キロ)もなかった。
この時、早雲庵で気持ち良く寝ていたのは多米権兵衛だけだった。
多米は戸が蹴破られる音で目を覚ました。反射的に、側に置いてある刀に手を伸ばした。暗くて何もわからず、ただ、外からの明かりで戸口の所に人影が二つ見えるだけだった。
「おい、坊主ら、出て来い」と人影が怒鳴った。
「随分と捜したぜ。まさか、こんな所にいたとはな」と別の声が言った。
多米は息を殺し、目が慣れるまで、じっとしていた。
「坊主、ここにいる事はわかってるんだ。おとなしく出て来い。この間のお礼をたっぷりとしてやるぜ」
「この間は油断してたんで、あの様だが、今日はそうはいかねえ。すでに、この小屋は囲まれている。無駄な抵抗はやめるんだな」
多米は目が慣れると早雲を捜した。早雲も富嶽もいないようだった。
「何てこった」と多米は呟いた。
外の気配からして、敵は十人はいるだろう。たった一人で、どうしたらいいんだ。
「出て来ねえと、こっちから行くぜ」
「待て!」と多米は叫んだ。「せっかく、来てくれて悪いが坊主は二人とも留守だ。出直して来てくれ」
「嘘つくな!」
「本当だ。わし一人しかおらん。多分、海にでも行ったんだろう。用があるんなら、そっちに行ってみろ」
「うるせえ! てめえにも用があるんだ。さっさと出て来い」
「出て行ってもいいが何もするなよ。わしは気が小さいんでな」
「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと出て来ねえか」
多米は刀を腰に差すと、何とかなるだろう、と外に出て行った。
外に出ると、刀を突き付けられ囲まれた。その中に見覚えのある山羊髭がいた。
「おう、達者だったか」と多米は山羊髭に声を掛けた。
「ふざけるな」
三人の男が庵の中に入って行った。
「気を付けろ。一人の坊主は腕が立つ」と山羊髭は言った。
多米は素早く、敵を見回し、飛び道具がないか調べた。
二人が弓を持っていた。
多米から見える所には七人の敵がいた。あと、庵の横と後ろに五人はいるだろうと思った。頭らしい男が後ろで控えていた。腕を組み、つまらなそうな顔をして高草山の方を見ていた。俺には関係ねえとでも言ってるかのようだが、見た感じ、腕はかなり立ちそうだった。あとの雑魚(ザコ)たちは大した事ないが、あの頭は曲者(クセモノ)だった。
「誰もいねえ」と三人は板戸を蹴破り、縁側の方から出て来た。
「だから、いねえと言ったろ」と多米は言った。
「うるせえ!」と山羊髭は多米の横っ面を殴った。
「お頭、こいつ、どうしますか」と山羊髭はもう一度、多米を殴った。
「縛って、その辺に転がしておけ」と頭は多米の方を見ようともしないで言った。
早雲と富嶽が帰って来たのは、それから半時(一時間)程経ってからだった。
漁師から貰った魚をぶら下げ、のんきに話をしながら戻って来た。
早雲庵の側まで来て、まず、立ち止まったのは富嶽だった。富嶽は早雲を押えるように足を止めた。
「おかしい」と富嶽は呟いた。
早雲も庵の方を見て、頷いた。戸口が壊れ、縁側の板戸がはずれていた。
二人は身を低くしながら、庵に近づいて行った。
弓矢が続けざまに飛んで来た。
二人は持っている杖で弓矢を弾いた。
弓矢が切れると、庵の中から十人程の男たちが武器を手にして飛び出して来た。
早雲と富嶽は杖を武器に掛かって来る者たちを倒して行った。
十人程の男たちは皆、呻き声を上げながら倒れて行った。
早雲と富嶽は注意を払いながら庵の中を窺った。縛られた多米が土間に転がり、側に一人の男が座り込んでいた。
男は二人を見ても何の反応も示さなかった。ただ、座ったまま、ぼんやりと二人の方を見ていた。
早雲と富嶽はゆっくりと近づいて行った。
「面目ない」と縛られている多米が情けない声を出した。
「騒がしたな」と男は低い声で言った。
「何か用か」と早雲は聞いた。
「用があったのは俺じゃねえ。外で伸びてる連中どもだ」
「おぬしは、その連中の頭じゃろう」と富嶽が杖を構えながら聞いた。
「まあ、そういう事になるかな‥‥‥連中も気が済んだろう」
「なぜ、山賊など、やっておる」と早雲が聞いた。
「食うためだ」
「人から物を盗んでか」
「そうだ」
「面白いか」
「まあな。早雲とか言ったな。なぜ、坊主なんかやってる」と今度は山賊の頭の方が聞いてきた。
「遊びじゃ」と早雲は答えた。
「遊び?」
「俗世間と縁を切って、遊んでおる」
「面白いか」
「まあな」
「遊びか‥‥‥」と頭は笑った。
「邪魔したな」と言うと頭は立ち上がった。
頭は早雲と富嶽の間を抜けて、外に出て行った。
「おぬし、名は何と言う」早雲が声を掛けた。
「在竹兵衛(アリタケヒョウエ)」頭は振り返らずに答えた。
「遊びたくなったら、また、来るがいい」と早雲は言った。
「ああ」と返事をすると、在竹と名乗る頭は真っすぐ帰って行った。
「何だ、あれは」頭が消えると多米が言った。
富嶽は多米が縛られている縄を斬ってやった。
「いい様だ。いつまでも寝ているから、こういう目に会う」
「参った、参った」と多米は体を伸ばした。
「あの男、山賊にしておくには勿体ない男じゃな」と富嶽が早雲に言った。
「そうじゃな」と言って、早雲は頷いた。
「おう、そうだ。魚を忘れた」と富嶽が言った。「おい、権兵衛、魚を取って来てくれ。ついでに、雑魚どもも起こしてやれ」
「ほいきた」と多米は出て行った。
広い庭園に山吹の花が咲いていた。
早雲は久し振りに、妹の美和に会いに来ていた。
妹は、ここでは『北川殿』と呼ばれていた。
美和が駿河に嫁いで来た時、今川義忠が屋敷の隣の北川の流れの側に、立派な屋敷を新築して迎えたからだった。
美和は将軍の執事、伊勢伊勢守貞親の娘として京の都から輿入れしたため、お屋形様にふさわしい嫁として駿河の国衆から絶大な歓迎を受けて迎えられた。
駿河も含め、関東の地から見ると京の都というのは憧れの地であった。特に、今川家では京の文化を取り入れる事に熱心だったので、下々の者までが京に憧れを持っていた。そこに、美和が京の都からお屋形様の嫁として来たものだから、もう、大騒ぎとなる有り様だった。それに増して、美和の美貌がさらに輪をかけ、大変な歓迎振りだった。
その美和も今では二児の母親だった。二児の母親となっても美和の美貌は衰えてはいない。兄の早雲でさえも、美和に見つめられ、笑いかけられると、どぎまぎしてしまう事もあった。
二人の子供は上が六歳の女の子、美鈴で、下が四歳の男の子、竜王丸だった。美鈴は母親似で色が白く、目がくりっとしていた。竜王丸は父親似で芯が強そうだった。二人とも何不自由なく、元気に育っていた。
二人の父親、今川治部大輔義忠は今、隣国、遠江(トオトウミ)の国に出陣していた。
遠江の国の守護、斯波義廉(シバヨシカド)は西軍の武将として京の都にいる。また、遠江の有力な豪族、横地氏、勝間田氏、原氏、狩野氏、井伊氏、大河内氏なども斯波氏と共に在京している。
義忠は、この機会に遠江を昔のごとく今川氏の領国にしようと決め、今年になってから本格的に進攻作戦を立て、実行に移していた。今までも遠江に進撃していたが、それは、東軍の作戦の一つとして後方撹乱していたに過ぎなかった。
去年の三月、西軍の大将、山名宗全が亡くなり、五月には東軍の大将、細川勝元が流行り病にかかって死んでしまった。一時は、これで戦も終わりかと思われたが、そう簡単に、一度始まってしまった戦が終わるわけにはいかなかった。しかし、厭戦気分はあちこちから聞こえ、京の戦が終わるのも時間の問題とも言えた。
隣国の遠江に守護も有力豪族たちもいない今、放って置く手はないと義忠は思った。このまま戦が終わってしまえば、遠江は以前のごとく斯波氏のものとなる。
遠江を取るなら、今をおいて他になかった。今なら、堂々と東軍の将として遠江に攻め入る事ができた。戦が終わるまでに遠江を我物としてしまえば、正式に、遠江の守護職は今川氏のものとなるのは間違いなかった。
義忠は情報を収集し、綿密な計画を立て、遠江に進攻して行った。
美鈴が竜王丸を連れて侍女と共に部屋を出て行くのを見送ると、美和は早雲の方を向いて笑いかけた。
「兄上様、また、旅に出るおつもりですね」と美和は言った。
「わかりますか」と早雲も笑った。
「わかりますとも。陽気も良くなりましたし、兄上様は山西の早雲庵にいるより、旅に出ている方が多いのですもの。私も兄上様が羨ましい。今度はどちらの方へ」
「今度は、常陸の国(茨城県東北部)の鹿島大社と下総の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取大社にでも行こうかと思っております」
「常陸の国に下総の国‥‥‥随分と遠いのでしょうねえ」
「ええ、遠いと言えば遠いでしょうな」
「箱根の向こうなんでしょう。箱根の向こうは戦をしていると聞いておりますが、大丈夫なのでしょうか」美和は心配そうな顔をして聞いた。
「戦には慣れております。坊主、一人、どこに行っても平気ですよ」早雲は安心させるように言った。
「あまり、危ない所には行かないで下さいね」
「わかっております。香取も鹿島も武神を祀っておるのです。お屋形様の武運を祈って来るだけです。戦をやっている所は避けて通りますよ」
「まあ、お屋形様の‥‥‥それは、わざわざ」
「私が武将でしたら、勿論、お屋形様と共に戦に出掛けますが、今の私はこの通り、ただの坊主です。その位しか、お屋形様に御恩返しができませんからな」
「御恩返しなど、そんな事‥‥‥兄上様はただ、側にいてくれれば、それだけで私は心強いのです」
「性分ですかな」
「本当に気を付けて下さいね」
「はい」
早雲は広い座敷の隅に置かれた、山水の描かれた屏風(ビョウブ)を見ていた。かなりの値打物のようだった。
早雲は、それ程、絵に興味を持っていたわけではなかったが、四年近く、足利義視の側近くに仕えていたため、唐物(カラモノ)の陶器や絵を見る目は肥えていた。将軍義政にしろ、義視にしろ、あの兄弟は政治の方はまったく駄目だが、なぜか、芸事の才能はあるようだった。まだ、戦の始まる前、早雲はよく義視の供をして、名画と言われる絵を見て歩いたものだった。
そんな早雲が、この駿河に来て驚いたのは、数多くの名画や名物と言われている唐物の茶道具を今川義忠が持っている事だった。それらの高価な物が、義忠の屋敷やこの妹の屋敷にも、さりげなく置いてあるのだった。
屋敷自体は勿論、素晴らしいが、駿河の大守程の財力があれば造る事ができる。しかし、名画や名物はいくら財力があっても手に入れる事は難しい。将軍でさえ、欲しい物を手にするのは難しかった。今川氏が代々、文化面に強い関心を持ち、集めて来たに違いなかった。さすがは今川氏だ、妹もいい所に嫁に来たものだ、と早雲は思っていた。
「そういえば」と妹が言った。
早雲は屏風から、妹に目を移した。
「この間のお花見の時、一緒に見えた方たちはどうしてらっしゃいます」
「あいつら、御存じでしたか」
「はい。五条殿よりお話は伺いました。絵画きさんと用心棒さんですって」
「はあ、絵画きさんは、また、富士山を描きに出掛けました。用心棒の方は毎日、ぶらぶらしてますよ」
「この間は山賊退治をしたんですってね」
早雲は笑った。「そんな事まで五条殿は話したのですか」
「どうやら、五条殿は兄上様を尊敬しているようですわ。兄上様の所に行って来て、と頼むと喜んで飛んで行きますよ」
「五条殿は連歌が好きなようですね。この間、彼が作ったという歌を見せてもらいましたが、なかなかなものですな」
「はい。確かに、五条殿は歌がお上手です。でも、兄上様もお上手だって言っておりましたよ」
「私のはただの道楽にすぎません。五条殿の連歌は本物ですよ」
「もう、前の事ですけれど、あの有名な宗祇(ソウギ)殿がこの駿府に来た事がございます。その時、五条殿は本気で宗祇殿のお弟子さんになろうとしたそうです。その時は、五条殿もまだ十六歳で、若すぎるからと宗祇殿にたしなめられて、お弟子さんになる事は諦めたものの、連歌だけはやめずに続けているそうです」
「そうですか、宗祇殿に会っていたのですか」
「兄上様も宗祇殿に会った事があるのですか」
「いえ、会った事はありませんが、連歌師、宗祇殿と言えば京の都でも有名でした。名前だけは何度も聞いた事がありますが、実際に会った事はありません。そうでしたか、五条殿が、あの宗祇殿のお弟子さんに‥‥‥」
「はい。今頃、遠江の国の戦陣で歌を作っているかもしれませんね」
「そうですな。戦場に出ても、それ位の余裕が必要です」
「そう言えば、兄上様も京にいた頃は戦に出ていたのでしたわね。すっかり、忘れていましたわ」
「もう、本当に昔の事です」
その晩は、留守を守る義忠の弟、河合備前守範勝に招待されて夕食を御馳走になり、次の日、我家、早雲庵に帰って行った。
早雲庵に帰ると、さっそく旅の支度を始めた。支度と言っても大した事はない。すぐに終わった。そして、そのまま旅に出ようとした時だった。
早雲庵を訪ねて来た二人の若い男があった。
早雲を見ると二人は土下座して、どうか、弟子にしてくれと頼んできた。
話を聞くと、二人はこの辺りの百姓の三男と四男で、村を飛び出して来て、しばらく、小河津で荷揚げ人足をしていたが、山賊を退治したと言う早雲の噂を聞いて、どうしても、早雲の弟子になりたくて、やって来たのだと言う。
細くて背の高い方は山中村の才四郎、小太りで背の低い方は富沢村の孫三郎と言い、対照的な二人だった。
早雲は弟子など取る気などなく、坊主頭になれと言えば帰ると思っていた。さすがに、坊主頭になる事をためらっていた二人だったが、まず、孫三郎が坊主になると言ったため、才四郎も覚悟を決めた。
さっそく、多米に頭を剃ってもらい、二つの青坊主が出来上がった。早雲は、一人の名を孫雲、もう一人の名を才雲と名付けた。
二つの青坊主を見て、しょうがない、そのうち諦めるだろう、と早雲は二人を旅に連れて行く事にした。
多米に留守番を頼み、早雲は二人の弟子、才雲、孫雲を連れて、鹿島、香取へ向けて旅立って行った。
今日もいい天気だった。
陽気も良くなり、日中は汗ばむ程だった。
早雲、そして、才雲、孫雲の三人が旅に出て四日目、一行は、相模の国(神奈川県)に入っていた。
才雲も孫雲も駿河の国から出たのは初めてで、何だかんだと無駄話をしながら賑やかに旅を続けていた。
小田原を過ぎ、酒匂(サカワ)川を渡ってしばらく行くと、つい最近、戦があったらしく、草の中に兵士の死体が転がっていた。
すでに、戦は終わっているらしく、見渡す限り、茫々とした平原に人の気配は感じられない。死体の兵士はまだ若い男だった。無残にも脇腹から臓腑(ハラワタ)がはみ出し、蝿がたかり、蟻が群れをなしていた。
「南無阿弥陀仏」と早雲は唱えた。
才雲と孫雲は顔をしかめて目をそらしていたが、早雲に命ぜられて念仏を唱えた。
死体はいくつも転がっていた。皆、苦しそうに顔を歪め、無残な姿をさらしている。
「ギャー」と才雲が、突然、悲鳴を上げた。
何事だと行ってみると、首のない死体が転がっていた。
武器や鎧、着物もはぎ取られていて、身に着けているのは下帯一つだけだったが、身分の高い武将のようだった。兜首として、討ち取った者が掻き斬って行ったのだろう。
首のない死体を見るのが初めてではない早雲でもいやな気分だった。戦場で討ち死にし、首を掻き斬られるのは武士としては本望な死に方だが、首のないまま捨てられている死体は哀れだったし、不気味だった。
早雲は念仏を唱えると、才雲と孫雲の二人に手伝わせ、首のない武将の死体を土の中に埋めてやった。
才雲は気分が悪くなったと口を押えていたが、堪えきれず吐いてしまった。
「百姓に戻った方がいいんじゃないのか」と早雲が才雲に言うと、吐きながらも首を横に振っていた。
次に出会ったのは若い女の死体だった。
戦に巻き込まれてしまったのだろう。惨い死に方だった。破れた着物ははだけ、股を大きく開いたまま、喉を絞められて死んでいた。口惜しさから来る女の執念か、はだけた着物から覗く白い肌は、死んでいても生々しく色気を放っていた。
「やられたんかな」と才雲が目をそむけながらも、ちらちら見ながら言った。
「当たり前だろ」と孫雲は死人の着物を直してやった。
「埋めてやれ」と早雲は言った。
二人は黙って穴を掘り始めた。
三人は草をかき分け、広々とした草原を歩いていた。
才雲と孫雲の二人は今日一日で、この世の地獄をいやになる程、経験していた。
戦の話は毎日のように聞いてはいても、これ程、残酷で悲惨なものだとは思ってもいなかった。武将たちの英雄譚を聞いて、自分たちも戦に出て活躍したいと思っていた二人だったが、恨めしそうな顔をして、打ち捨てられたままの死体たちを見ると、恐ろしくて身震いがして来る程だった。
戦場から離れても、青白い顔をした二人は黙ったまま俯きながら歩いていた。
遠くで、馬のいななきが聞こえた。
才雲と孫雲はビクッとして顔を上げた。
早雲も遠くに目をやった。
「戦かな」と脅えた声で才雲が言った。
三頭の馬が、こちらに向かって駈けて来た。
「こっちに来ますよ、大丈夫ですか」と孫雲は早雲の顔を窺った。
「俺たち、殺されるのかな」と才雲は脅えていた。
「まさか‥‥‥」と孫雲は言ったが顔は青ざめていた。
早雲はただ、近づいて来る馬を見つめていた。
三頭の馬は三人の側まで来ると止まり、三人の坊主を見下ろした。
一人は貫禄のある武将で、あとの二人はその側近の武士のようだった。二人の若い武士はじろじろと三人を睨んでいたが、貫禄のある武将は早雲をちらっと見ただけで、遠くの方をぼんやりと見ていた。
「御坊、いい眺めじゃのう」と武将は海の方を眺めながら穏やかな声で言った。
早雲も海の方を見た。
才雲も孫雲も海の方を見た。
二人は初めて、海の側にいるという事に気づいた。死体ばかりが目に付いて離れなかった二人にとって、海の青さは素晴らしく綺麗に感じられた。二人は初めて海を見たかのように、ボーッとして海を見つめていた。
「この大地を血で染めたくはないものじゃ」と武将は海と反対の方を見ながら言った。
早雲は武将の顔を見上げた。
早雲の知らない男だった。もっとも、早雲は関東の武将はほとんど知らなかった。人の話や噂から、名前を聞いた事のある武将は何人かいても、実際に会った事のある武将はいなかった。以前のように、幕府の申次衆でもしていれば、関東の武将たちに会う機会もあっただろうが、今のような、ただの旅の僧では武将たちに会う機会はなかった。住む世界がまったく違っていた。
「御坊、宗祇殿を御存じか」と武将は突然、早雲に声を掛けた。
「いえ、名は存じておりますが面識はございません」
「そうか‥‥‥何となく、御坊は宗祇殿と雰囲気が似ておる」
早雲は改めて、武将の顔を見上げた。
そして、ぴんと来た。この武将、江戸城の城主であり、扇谷上杉氏の家宰である太田備中守資長に違いないと思った。
「御坊、これから、どちらに行かれる」と武将は早雲に聞いた。
「鹿島、香取へ」
「うむ。あそこもいい所じゃ。気を付けて行かれるがいい」そう言うと武将は馬の手綱を引き、海の方へと駈けて行った。二人の武士も後を追って行った。
三頭の馬が波打ち際を走って行くのを三人の坊主は見送った。
才雲と孫雲が大きく溜息をついた。
「首が飛ぶかと思った」と才雲は言って自分の首を撫でた。
「お知り合いだったのですか」と孫雲は聞いた。
早雲は首を横に振った。まだ、三頭の馬が去って行った方を見ていた。
「偉そうな武将だったな」と才雲は孫雲に言った。
「ああ、凄い貫禄だったな。きっと、有名な武将に違いない」
「坊主頭にしておいて、よかったな」と才雲は頭を撫でた。
「うん。坊主じゃなかったら、今頃、あの死体たちの仲間入りだったかもな」
「ああ。俺はもう、喉がからっからだぜ」
「俺だってさ」
二人が何だかんだ話しているうちに、早雲はさっさと歩いていた。
間違いないと思っていた。
あの武将は太田備中守に違いない。彼の噂はよく聞いていた。軍略に長け、戦上手で、城の縄張りもし、学問に長じ、歌もうまく、扇谷上杉氏を支えているのは太田備中守だと言われる程の名将だった。
あの男が太田備中守か‥‥‥
確かに、名将と言われるだけの貫禄があった。しかし、今の早雲には関係のない事だった。俗世間と縁を切った今、あの武将が太田備中守だろうと、また別人だろうと、どうでもいい事だった。
今の早雲には、ただ、早く、戦のない世の中になって欲しいと祈る事しかできなかった。彼が太田備中守だとすれば、関東の戦も彼に任せておけば早く終わるかもしれない、彼がうまく、関東の地をまとめてくれるかもしれない、と早雲は思った。
そして、一度、じっくりと語り合いたい相手だと早雲は心の中で思っていた。
才雲と孫雲は早雲に追い付くと、また、あの武将の事を話し始めた。もう、あの無残な死体の事はすっかり忘れたらしく、笑いながら話していた。
長谷川氏は肥沃な土地を領土に持ち、また、船の出入りで賑わう小河津の商人たちを取り仕切り、自らも船を持って各地の物産の取り引きを行なっていた。『小河の長者』とも呼ばれ、今川家でも重きをなす存在だった。
次郎左衛門尉は早雲と同じ位の年頃で、知識見聞も広く、早雲とは良く気が合った。駿府屋形に訪ねて来る次郎左衛門尉と何度か会っているうちに、ぜひ、小河に来てくれと誘われ、誘われるまま小河に行き、結局、そこに住み着いてしまった。
駿府屋形内にしばらく滞在してわかった事だが、安泰のように見える今川家も身内同士の派閥争いがあり、義忠をお屋形様の座から落とそうと企んでいる者たちもいた。義忠の義兄としての早雲の存在を快く思っていない者たちもいる。義忠や美和はずっと、駿府にいてくれと言ってくれるが、早雲自身、何となく居づらい雰囲気だった。そんな時、次郎左衛門尉に誘われ、小河の庄に来て、そのまま居着いてしまったというわけだった。
早雲は小河の庄の北、高草山の南麓の石脇という地の小高い丘の上に小さな庵を建て、早雲庵と名付けて、風流を楽しみながら暮らしていた。
ここからだと駿府まで約四里(十二キロ)、遠からず近からずで丁度いい距離だった。早雲はちょくちょく駿府に出て行き、妹や妹の子供たちと会っていた。そして、気が向けば、ふらふらと旅にもよく出掛けていた。
今回も伊豆に湯治の旅に出ていて、昨日、雨の降る中を帰って来たばかりだった。夕べは雨漏りが気になって、ろくに眠れず、今朝、起きるとすぐ、屋根に登って修繕を始めていた。
早雲は京の伊勢家で居候(イソウロウ)していた若い頃、色々な雑用をやらされていたので、ちょっとした事は何でも直す事ができた。また、元々、手先も器用だった。
伊勢家では代々、将軍が乗る馬の鞍(クラ)と鐙(アブミ)を作っていた。それを早雲も手伝わされた。早雲自身、馬術が得意で、一度、あんな鞍で馬に乗ってみたいと思い、自分で自分の鞍を作ってみたかった。初めの頃はほんの手伝い程度だったが、覚えも早く、腕もいいので、さすがに将軍の鞍こそ作らなかったが、諸大名からの注文の鞍は早雲に任されていた時期もあった。ここのお屋形、今川義忠も伊勢家の鞍を持っているが、実は早雲が作った物だった。
早雲が屋根の上で、ガタガタやっていると、寝ぼけ面をした男が早雲庵から出て来た。
「何事ですか、朝っぱらから」とその男は屋根の上を見上げた。
「すまんのう。うるさかったか」
「いえいえ」と男は首の後ろを掻いた。
この男、多米権兵衛(タメゴンベエ)という浪人だった。
早雲が昨日、帰って来たら早雲庵にいた。早雲の知らない男だった。荒木兵庫助(ヒョウゴノスケ)に早雲の事を紹介され、会いに来たと言う。
荒木兵庫助は早雲も知っていた。早雲がここに来る前から、長谷川次郎左衛門尉の所に居候していた男で、この庵を建てるのを手伝ってくれ、その後もよく遊びに来ていた。どこかに出掛けたのか、最近は顔を見ていなかった。
多米の話によると、荒木とは三河の国(愛知県東部)で会ったと言う。意気投合し、駿河に行くなら、小河の庄に早雲という変わった坊さんがいるから会いに行ってみろと言われた。来てみたら、早雲庵には誰もいなかった。近所の年寄りに、待っていれば、そのうち戻って来るじゃろうと言われ、五日間も待っていたと言う。
待っていたからと言って、別に、早雲に用があるわけではなかった。荒木から話を聞いて、一度、早雲という男に会ってみたかっただけだった。それに、五日間、ここで待っているうちに、益々、早雲という男に興味を持って行った。
五日の間、毎日のように色々な連中が、この早雲庵に訪ねて来ていた。今川家の家中の武士から近所の百姓の親爺まで、実に多彩な客だった。旅の僧侶や山伏、旅の芸人、薬売り、鍛冶師(カジシ)、研師(トギシ)、小河津の商人、水夫(カコ)や荷揚げ人足、変わった所では、旅の絵師や連歌師、琵琶を持った座頭(ザトウ)などもいた。
彼らは皆、早雲庵の主(アルジ)に特に用が会って訪ねて来たのではなく、ただ、何となく、遊びに来たという感じだった。多米が早雲庵から出て来ても変な顔をするでもなく、早雲が留守だと言っても帰ろうともしないで、勝手に早雲庵の中に入って来て一休みしたり、多米と世間話をしたりしては帰って行った。
近所の百姓たちにも人気があるらしく、野菜などを持っては訪ねて来ていた。百姓たちは皆、早雲の事を『和尚さん』と親しみを持って呼んでいた。彼らに早雲の事を聞くと、京の都から来た偉い和尚様で、わしらのために色々と骨を折ってくれると言う。よく聞いてみると、早雲は百姓たちのために潅漑用水を治したり、橋を治したりしているらしい。
また、水夫や荷揚げ人足たちに、どうして、ここに来るのか、と聞いてみると、人足の親方らしい大男が言うには、早雲殿の侠気(オトコギ)に惚れたと言う。
もう、前の事になるが、小河津で人足たちの間に大きな争い事が起こった。水夫たちも巻き込み、怪我人も多く出て、騒ぎは大きくなるばかりだった。そこに現れたのが、早雲だった。早雲はたった一人で騒ぎを静めてしまった。恐ろしく強いと言う。親方の話によると、早雲殿は今は頭を丸めているが、以前は立派な武将だったに違いないと言った。
また、旅の僧侶の話だと、早雲殿は京の大徳寺の一休禅師に参禅した立派な禅僧だと言うし、旅の山伏は、早雲殿はただの坊主ではない。越中(富山県)の立山で修行を積んだ立派な行者だと言う。
話を聞けば聞く程、多米権兵衛は早雲という男に興味を持って行った。
一体、何者なのだろうか。
皆の話をまとめてみると、以前は武士で、立山で修行を積み、一休禅師のもとで参禅し、治水工事も行ない、百姓や人足たちにも人気のある禅僧という事になる。会ってみて損はないと思い、多米は帰って来るまで待ってみる事に決めた。
二日前、早雲らしい体格のいい僧が、こちらに向かって来るのを見て、あれが早雲に違いないと待っていたら人違いだった。旅の絵師だと言う。一月程、富士の山を描きに行っていたと言う。
早雲は留守だと言うと、帰るまで待っているか、と早雲庵の中に入って行き、勝手知っている我家のごとく、さっさと飯の支度を始めた。その日から、二人して早雲の帰りを待っていた。
旅の絵師は一見した所、乱暴な荒法師という感じの僧だが、外見とはまったく違って、細かい事まで良く気が付く便利な男だった。飯の支度から掃除、洗濯まで、さっさとやってくれた。彼が描いた富士山の絵も見せてもらったが、本当に、この僧が描いたのかと疑いたくなる程、丁寧で細かい絵だった。
そして、昨日の夜、雨の降る中、びしょ濡れになって早雲庵に飛び込んで来たのが、この庵の主、早雲だった。
「参った、参った」と言いながら濡れた着物を着替えると、疲れたと言って、さっさと寝てしまった。
多米を見て、ただ一言、「やあ」と言っただけだった。
絵画きの僧はこまめに動き、早雲の世話をしていた。
実際の早雲は多米が想像していた早雲像とはまったく違っていた。人の良さそうな、ただの田舎の和尚さんだった。人足たちが言うような、恐ろしく強い男には全然、見えなかった。
多米権兵衛は屋根の上の早雲を見ていた。
早雲は慣れた手付きで屋根の修繕をしていた。
「手伝いましょうか」と多米は声を掛けた。
「いや、もうすぐ、終わる」と早雲は言った。
絵画きの僧はどこに行ったのか、すでにいなかった。
早雲は屋根から降りて来ると、「腹が減った。飯にでもするか」と多米に言って、庵の中に入って行った。
多米はまだ、早雲に挨拶もしていなかった。不思議な事に早雲は、多米に何者で、どうしてここにいるのか、尋ねもしなかった。名前も知らない男が自分のうちにいるというのに何も聞きもしない。荒木が言うように、確かに変わった男だった。
飯の支度はすでに出来ていた。絵画きの僧が用意していったと言う。絵画きの僧の名は富嶽(フガク)というらしかった。おかしな事だが、二日間、一緒に留守番していたのに、お互いに相手の名前を知らなかった。どうも、この早雲庵では俗世間の挨拶とか、決まり事など不用なようだった。
食事を済ませ、後片付けをしていると、いつものように誰かが訪ねて来た。立派な格好をした若い武士だった。
「やあ、五条殿」と早雲は若い武士を迎えた。
若い武士は、今晩、お屋形様が浅間(センゲン)神社で花見の宴を張るので、ぜひ、早雲殿にも参加して欲しい、と誘いに来たのだった。
「そうじゃのう。お屋形様にも最近、会ってないしのう。久し振りに駿府に行ってみるか」
「ぜひ、おいで下さい。北川殿も、早雲殿はどうしているのか、と心配しておりました」
「美鈴殿や竜王丸(タツオウマル)殿は相変わらず、健やかに育っておりますかな」
「そりゃもう、お二人とも元気一杯に遊び回っております」
早雲は嬉しそうな顔をして頷いた。「それは良かった」
「ところで、その御仁は」と五条という侍は多米の方を見た。
早雲も多米の方を見て、さあと首を傾げた。
「拙者は多米権兵衛泰英と申す浪人者でござる」と多米は二人に自己紹介をした。
「多米殿と申すか、どうじゃ、おぬしも一緒に花見に行かんか」と早雲は言った。
「そうですな。どうぞ、多米殿もいらして下さい」と五条という侍も口を合わせた。
「はあ、どうも」と多米は慌てて頭を下げた。
早雲とこの五条という侍の話を、ただ、ぼうっとして聞いていた多米だった。
二人は駿府のお屋形様の事を世間話のように話していた。
早雲というのは一体、何者なのだろう。駿府のお屋形様とも面識がある程、偉い僧なのだろうか。
多米はここに来てからというもの、なぜか、調子が狂っていた。
早雲といい、この侍といい、見ず知らずの浪人を、まるで、隣の山に花見にでも行くような軽い気持ちで、駿府のお屋形様の花見に誘っている。
駿府のお屋形様と言えば、多米のような浪人者が一生かかってもお目に懸かれるような人ではなかった。雲の上の人だった。その雲の上の人が催す花見に誘われるなんて、一体、どうなっているのだろう。
不思議な心境だった。
五条という侍は半時程、早雲と話をして帰って行った。
多米も側で聞いていたが、早雲は昨日までの旅の話をしていた。早雲は湯治を兼ねて、三所詣でをして来たのだと言っていた。
三所詣でとは、熱海の伊豆山権現と箱根権現、そして、三島大社を詣でる事で、昔から盛んに行なわれていた。今は伊豆の地も戦が行なわれているので、参詣者も減ってはいたが門前町や温泉町は賑わっていた。
早雲の話を聞きながら、五条という侍は、自分も行ってみたいが、暇がなくて、なかなか行けない。早雲のような気ままな身分が羨ましいと言っていた。
午後になり、富嶽が戻って来ると三人して駿府に出掛けて行った。
多米は、やはり、そんな身分の高い人の宴に出るわけにはいかないからと尻込みしたが、早雲に、「腕に自信はあるか」と聞かれ、あると答えたら、それなら、わしらの護衛のために付いて来いと言われた。
「世の中、物騒になっておるからのう。最近は、坊主でも身ぐるみを剥がされると聞いておる。頼むぞ」と早雲は笑った。
成り行きに任せるしかないかと覚悟を決め、多米権兵衛は槍を手に持ち、二人の坊主頭の後を付いて行った。
2
その頃の関東の状況は複雑だった。
まず、公方(クボウ)様と呼ばれる人が二人もいた。
一人は下総の古河にいて『古河公方』と呼ばれ、もう一人は、伊豆の堀越(韮山町)にいて『堀越公方』と呼ばれていた。
本来、公方というのは鎌倉にいて『関東公方』または『鎌倉公方』と呼ばれていた。幕府が関東の地を支配するために置いた出先機関であった。
室町幕府を開いた足利尊氏が次男の基氏(モトウジ)を鎌倉の地に置いたのが始まりである。代々、基氏の子孫が跡を継いで公方となった。そして、代が下るにしたがって、京にいる将軍と対立して行くようになって行く。同じ、尊氏の子孫ながら長男義詮(ヨシアキラ)の系統ばかりが将軍職に就いているという不満をいつも抱えていた。
四代将軍足利義持は嫡男義量(ヨシカズ)に将軍職を譲り、出家して引退したが、五代目の将軍となった義量はわずか十九歳で世を去ってしまった。
五年後、義量より他に子供に恵まれなかった義持は跡継ぎを決めないまま病で亡くなった。幕府の首脳は評議を重ね、義持の弟、四人のうちから、くじ引きによって跡継ぎを決める事にした。そこで、くじに当たったのが青蓮院義円(セイレンインギエン)、還俗(ゲンゾク)して六代将軍となる義教だった。
当時の鎌倉公方、持氏は将軍義持に跡継ぎがいない事を知っていた。義持の弟たちは皆、出家して僧侶となっている。次の将軍の座に付くのは自分をおいて他にはないと自信を持って期待していた。しかし、期待は見事に裏切られた。しかも、将軍職をくじ引きで決めるとは、完全に自分の存在は無視されていた。
持氏は幕府の重役を恨み、義教を憎んだ。
新将軍の祝賀の使節も送らず、年号が改元されても、それを使用せず、旧年号をそのまま用いたりしていた。また、幕府の直轄領を押領したり、幕府の息の掛かった豪族たちを討伐したり、徹底的に幕府に反抗していった。
鎌倉公方の初代より執事(シツジ)となっていたのが上杉氏である。
幕府の執事と同じく、管領(カンレイ)と呼ばれていた。持氏の時の関東管領は上杉安房守憲実(アワノカミノリザネ)だった。安房守は幕府と持氏の間に立って、両者を和解させようと苦心していた。持氏には、それが気に入らなかった。とうとう、持氏と安房守は対立してしまい、もう勝手にしろと安房守は領国上野の平井城(群馬県藤岡市)に引き上げてしまった。
公方と管領の対立は関東の武士たちを動揺させた。これを機に、幕府は持氏征伐に踏みきり、二万五千の大軍を鎌倉に向けた。
関東の実力を以て、幕府を倒すつもりでいた持氏だったが、幕府の大軍を前に寝返る者が続出し、旗色は悪くなって行った。追い詰められた持氏は敗戦を覚悟し、髪を下ろして出家した。
関東管領の安房守は将軍義教に持氏の助命を懇願したが、許されず、持氏と嫡男の義久は自害して果てた。
その後、持氏の二人の遺児を匿う下総の結城中務大輔(ナカツカサノタイフ)氏朝と幕府軍の戦いがあり、中務大輔は討ち死にし、二人の遺児は殺され、ここに鎌倉御所は滅亡した。
それから十年近くの間、関東管領の上杉氏が関東の地を支配し、関東の地に公方は存在しなかった。しかし、関東の豪族たちをまとめて行くには、やはり、幕府の権威として公方の存在が必要だった。そこで、宝徳元年(一四四九年)、新たに鎌倉公方として迎えたられたのが、生き残っていた持氏の遺児、当時十二歳の成氏(シゲウジ)だった。
関東管領には安房守の子、右京亮憲忠(ウキョウノスケノリタダ)がなっていた。こちらも、まだ十七歳という若さだった。二人が若すぎたため、上杉氏の家宰の長尾左衛門尉景仲と太田備中守か資清(ビッチュウノカミスケキヨ)とが政務に当たる事になった。
初めのうちは、新たに公方を迎え、関東の豪族たちもまとまり、うまく行っていた。ところが、成氏が生き残っていた結城中務大輔氏朝の子、四郎成朝と手を結ぶ事によって、再び、上杉氏と対立するようになった。ついに、享徳三年(一四五四年)十二月、成氏は四郎成朝らと共に管領右京亮憲忠を謀殺してしまった。
成氏と成朝、二人にとっては右京亮は父の仇の子供であった。そんな奴を生かしておくくわけにはいかないと右京亮を鎌倉御所に呼び出し、騙し討ちにしてしまったのだった。
激怒した上杉氏は急遽、右京亮の弟、兵部少輔房顕(ヒョウブショウユウフサアキ)に跡を継がせ、翌年の正月より、鎌倉公方成氏軍と関東管領上杉軍の戦が武蔵の国分倍(ブバイ)河原(府中市)において始まった。
公方の権威により成氏軍が優勢だったが、駿河の今川民部大輔範忠(義忠の父)、越後の上杉兵庫頭(ヒョウゴノカミ)房定を大将とした幕府軍が上杉氏を助ける事によって、情勢は逆転し、成氏は鎌倉を追われ、結城氏の本拠地に近い下総の古河(コガ)に逃げて行った。
それ以来、成氏は鎌倉に戻る事ができず、『古河公方』と呼ばれるようになった。
長禄元年(一四五七年)、成氏を押えるため、将軍義政は弟を還俗させて政知と名乗らせ、鎌倉公方として関東に送った。しかし、政知は鎌倉へは入る事ができず、伊豆の堀越に落ち着いた。以後『堀越公方』と呼ばれる。
こうして、関東の地に二人の公方が存在するという複雑な事態になって行った。
また、関東管領家の上杉氏も山内(ヤマノウチ)家と扇谷(オウギガヤツ)家の二つに分かれていた。
山内家は上野の国の平井城を本拠にし、扇谷家は武蔵の国の河越城を本拠にしていた。代々、管領職に就いていたのは、勢力の強かった山内家である。そして、山内家の家宰として長尾氏、扇谷家の家宰として太田氏が、それぞれの実権を握っていた。
文正元年(一四六六年)、管領の山内上杉兵部少輔房顕が成氏と対戦中、陣中で病没すると、越後守護上杉兵庫頭房定の次男、民部大輔顕定(アキサダ)が養子となって跡を継いだ。
翌年、扇谷家でも修理大夫(シュリノタイフ)持朝が死んで、孫の三郎政真が跡を継いでいる。
古河公方成氏と上杉氏の戦いは各地で行なわれ、文明三年(一四七一年)、成氏は本拠地、古河を攻められて千葉に逃げるが、勢力を盛り返し、翌年には古河を奪回した。
文明五年(一四七三年)、扇谷上杉三郎政真は武蔵五十子(イカッコ、埼玉県本庄市)において、成氏と戦うが敗死し、政真の叔父、修理大夫定正が跡を継いだ。
また、この年、山内上杉氏の家宰、長尾左衛門尉景信(景仲の子)が死ぬと、子の四郎右衛門尉景春と叔父の尾張守忠景との間に相続争いが生じた。管領上杉民部大輔顕定が左衛門尉の弟、尾張守に家宰職を継がせると、不満を持った四郎右衛門尉は管領に背き、五十子の陣から本拠地の上野白井(シロイ、群馬県子持村)に引き上げてしまった。
早雲が駿河に来た時の関東の情勢は以上である。
古河公方足利成氏と関東管領上杉氏が対立し、各地の豪族たちはそれに巻き込まれ、身の保全のため、力のある者と手を結び、弱い者は滅ぼされ、自らも勢力を広げるために戦いに明け暮れていた。
3
春の日差しの中、そよ風が心地よかった。
浅間神社での花見の宴を大いに楽しんだ早雲、富嶽、多米権兵衛の三人は次の日の昼過ぎ、石脇の早雲庵に向かっていた。
早雲はいつも持ち歩いている杖を突き、多米と富嶽は重そうな荷物を背負っていた。何が入っているのか知らないが、やたらと重かった。早雲が駿府のお屋形様から戴いた物だと言う。
多米権兵衛はまだ興奮していた。
あんな豪勢な宴を見たのは初めてだったし、まがりなりにも、それに参加したという事が今でも信じられなかった。
駿府のお屋形様の姿も遠くからであったが見る事ができたし、まるで天女のような、着飾った女房たちも見る事ができた。見た事もないような御馳走も食べたし、うまい酒も思う存分に飲んだ。ただ、堅苦しい礼装を着せられ、宴の間中、緊張のし通しだった。多米も今までに何回か戦に出て、命のやり取りをした事もあったが、これ程、緊張したのは生まれて初めての経験だった。
多米は富嶽と一緒に歩きながら、昨夜(ユウベ)の事を話しまくっていた。
早雲は二人の前をのんびりと回りの風景を眺めながら歩いている。
「昨夜の酒は、ほんとに、うまかったのう。桜の花も綺麗じゃったが、眩しい程に綺麗な女子(オナゴ)が大勢おったのう。まるで、極楽のようじゃった。一度でいいから、あんな女子を抱いてみたいもんじゃのう。たまらんわ」多米は一人で喋っていた。
「ところで、富嶽殿。一体、早雲殿は何者なんじゃ」と多米は富嶽に小声で聞いた。
「何者とは」と富嶽は面倒臭そうに言った。
「駿府のお屋形様と随分、親しいようじゃったし‥‥‥そんな偉い坊さんなのか」
「おぬし、何も知らんのか」と富嶽は多米を見ながら鼻で笑った。「早雲殿はのう、室町御所にも出入りできる程、偉い和尚様じゃ」
「室町御所?」
「将軍様のおられる御殿じゃ」
「えっ、早雲殿は将軍様も知っておるのか」
「そうじゃ」
「凄いのお‥‥‥」多米は前を歩く早雲の後姿を見直した。
そう言われてみると、どこか、高貴な感じがしないでもない。とんでもないお人と出会ってしまったもんじゃ、と多米は思った。
早雲が、お屋形様の奥方の兄上だという事を知っているのは、今川家の家中でも、お屋形様に近侍している上層部の者、数人だけだった。
早雲自身、今の自分は俗世間と縁を切っているので、兄としてではなく、一僧侶として、駿河の地にいさせてくれと、前もって、お屋形様と約束していた。お屋形様も約束を守り、改めて、家臣たちに早雲を紹介したりはしなかった。また、早雲自身も自分の事を人に話したりはしなかった。そこで、色々な噂が飛び交い、富嶽のように偉い坊さんだと信じ切っている者が何人もいた。
三人は鎌倉街道を西に進み、木枯らしの森で藁科川(ワラシナガワ)を渡り、歓昌院坂を越え、斎藤氏の守る鞠子の城下を通って宇津の谷峠へと向かって行った。
この峠道は『蔦の細道』という名で呼ばれ、歌にも詠まれ、かつては細い道だったが、今は軍事的にも重要な道となって道幅は広くなっていた。
早雲は駿府に行く時も帰る時も、この街道を通る事はあまりなかった。いつもは小坂の山(日本坂)を越えて行く。その方がずっと近かった。今日は、どうしたわけか、こちらの道を通っていた。富嶽は、いつもの気まぐれだろうと黙って付いて来ていた。
山道は沢に沿って奥へと続いている。人通りは少なかった。
もうすぐ、峠に差し掛かろうとした時、早雲が急に立ち止まった。
後に続く、二人も止まり、早雲の顔を見た。
早雲はただ、前をじっと見ているだけだった。
「どうしたんです」と多米は聞いた。
「お客さんが出たらしい」と富嶽は耳を澄ませた。
「お客さん?」と多米は前をじっと見るが人影は見えない。
「おぬしの出番じゃ。任せたぞ」と早雲は多米に言うと後ろへ身を引いた。
早雲が身を引くのと同時に、山道の両脇から、二人づつ、四人の男が飛び出して来た。皆、ニヤニヤと笑っていた。
一人は槍を肩に担ぎ、一人は山羊のような顎髭を撫で、一人は太刀に手をやり、最後の一人は腕がかゆいのか、ボリボリと掻いていた。四人共、人相の悪い、見るからに山賊という連中だった。
「何だ、おぬしらは」と多米は四人の男を見回した。
腕を掻いていた男が、「ひっひっひ」と笑った。
槍を担いだ男が、「見た通りじゃ」と言った。
「成程、どこぞの足軽が道に迷ったのか」と多米は言って、笑った。
隣で富嶽も笑っている。
「何だと、ふざけるな!」太刀に手をやっていた男が太刀を抜いて構えた。
「命が惜しかったら、その荷物を置いて、さっさと逃げるんだな」山羊髭の男が空を見上げながら言った。
槍を担いでいた男が富嶽に向かって槍を構えた。
「そいつは有り難い。この荷物、重くてかなわねんだ」と多米は荷物を下ろした。
「そっちの坊主も下ろしな」と山羊髭は言った。
富嶽も黙って荷物を下ろした。
腕を掻いている男が、また、「ひっひっひ」と笑った。
「命は助けてやる。さっさと行け」と山羊髭は峠の方を指さした。
「命を助けて貰って悪いんだが、そうは行かねんだ」と多米は手に持っていた槍を繰り出し、太刀を構えていた男の太刀を巻き落とすと、そのまま、その男の右手を斬った。
「野郎!」と腕を掻いていた男が太刀を抜いた。
多米が富嶽を見ると、富嶽は槍を担いでいた男から槍を奪って振り回していた。
一瞬、あれ、と思ったが、考えている暇はなかった。
腕を掻いていた男が多米に向かって斬り掛かって来た。
多米はその太刀をかわし、腕を掻いていた男の左股を突いた。
富嶽の方は山羊髭とやり合っていた。富嶽が槍の石突き(柄の先端)で山羊髭のみぞおちを突くと、山羊髭は簡単に伸びてしまった。
「覚えて、いやがれ」
怪我をした三人は山羊髭を置いたまま、山の中に逃げて行った。
富嶽は槍を放り投げると、「馬鹿な奴らじゃ」と呟いた。
「ただ者じゃないと思ってはいたが、やはり、ただ者じゃなかったな」と多米は富嶽に言った。
富嶽はフンと鼻を鳴らした。
「さて、行くか」と早雲は何事もなかったかのように歩き出した。
多米は慌てて、荷物を取りに行った。
「それは、もう、いい」と早雲は言った。
「はあ?」と多米と富嶽は早雲を見た。
「それは、ただの石ころじゃ」と早雲は笑った。
「何だって!」と多米は荷物を開いてみた。
木箱の中には、布にくるまれた大きな石ころが一つ入っているだけだった。
「何だ、これは。わしは重い思いをして、こんな物を運んでいたのか‥‥‥」
「悪く思うな」と早雲は笑いながら言った。
「そいつは見せ金じゃ」と富嶽は言った。
「見せ金?」と多米は富嶽を見上げた。
富嶽も声を出して笑った。「早雲殿はな、山賊どもをおびき寄せるために、わしらにその荷物を持たせたんじゃ」
「と言うわけじゃ」と早雲は歩き出した。
「くそ!」石ころを放り投げると多米は早雲の後を追った。
「どういう事だ、これは」と多米は富嶽に聞いた。
「最近になって、この辺りに山賊が出て、旅人が困っているという噂を早雲殿も耳にしたんじゃろ」
「それで、わしらが山賊退治をしたっていうわけか」
「まあ、そういう事じゃな」
「成程な。ところで、おぬしは何者じゃ」
「おぬしも詮索好きじゃのう。さっきは早雲殿で、今度はわしの番か」
「別に隠しておく程の事でもあるまい」
「ふん。昔の事など、どうでもいいわい。今のわしはただの絵画きじゃ」
「勿体ぶりやがって、まあ、そのうちわかるだろう。ところで、さっきの連中だが、もう二度と、この辺りには現れんかのう」
「さあな、奴らに聞いてみん事にはわからんのう」
「ふん、勝手にしやがれ」
二人の前を早雲はのんきに歩いていた。
4
花見から帰って来て三日目だった。
朝早くから珍客が訪れた。まだ、朝日が昇る前の早朝だった。
珍客は十人程で早雲庵を囲み、中に押し入って来た。しかし、すでに、早雲と富嶽は起きていて早雲庵にはいなかった。
早雲はいつも、朝、起きるとすぐに海に出掛けた。海に行き、毎朝、泳ぐ事を日課としている。今日も二人して、まだ薄暗いうちから海に出掛けて行った。早雲庵から海まで半里(二キロ)もなかった。
この時、早雲庵で気持ち良く寝ていたのは多米権兵衛だけだった。
多米は戸が蹴破られる音で目を覚ました。反射的に、側に置いてある刀に手を伸ばした。暗くて何もわからず、ただ、外からの明かりで戸口の所に人影が二つ見えるだけだった。
「おい、坊主ら、出て来い」と人影が怒鳴った。
「随分と捜したぜ。まさか、こんな所にいたとはな」と別の声が言った。
多米は息を殺し、目が慣れるまで、じっとしていた。
「坊主、ここにいる事はわかってるんだ。おとなしく出て来い。この間のお礼をたっぷりとしてやるぜ」
「この間は油断してたんで、あの様だが、今日はそうはいかねえ。すでに、この小屋は囲まれている。無駄な抵抗はやめるんだな」
多米は目が慣れると早雲を捜した。早雲も富嶽もいないようだった。
「何てこった」と多米は呟いた。
外の気配からして、敵は十人はいるだろう。たった一人で、どうしたらいいんだ。
「出て来ねえと、こっちから行くぜ」
「待て!」と多米は叫んだ。「せっかく、来てくれて悪いが坊主は二人とも留守だ。出直して来てくれ」
「嘘つくな!」
「本当だ。わし一人しかおらん。多分、海にでも行ったんだろう。用があるんなら、そっちに行ってみろ」
「うるせえ! てめえにも用があるんだ。さっさと出て来い」
「出て行ってもいいが何もするなよ。わしは気が小さいんでな」
「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと出て来ねえか」
多米は刀を腰に差すと、何とかなるだろう、と外に出て行った。
外に出ると、刀を突き付けられ囲まれた。その中に見覚えのある山羊髭がいた。
「おう、達者だったか」と多米は山羊髭に声を掛けた。
「ふざけるな」
三人の男が庵の中に入って行った。
「気を付けろ。一人の坊主は腕が立つ」と山羊髭は言った。
多米は素早く、敵を見回し、飛び道具がないか調べた。
二人が弓を持っていた。
多米から見える所には七人の敵がいた。あと、庵の横と後ろに五人はいるだろうと思った。頭らしい男が後ろで控えていた。腕を組み、つまらなそうな顔をして高草山の方を見ていた。俺には関係ねえとでも言ってるかのようだが、見た感じ、腕はかなり立ちそうだった。あとの雑魚(ザコ)たちは大した事ないが、あの頭は曲者(クセモノ)だった。
「誰もいねえ」と三人は板戸を蹴破り、縁側の方から出て来た。
「だから、いねえと言ったろ」と多米は言った。
「うるせえ!」と山羊髭は多米の横っ面を殴った。
「お頭、こいつ、どうしますか」と山羊髭はもう一度、多米を殴った。
「縛って、その辺に転がしておけ」と頭は多米の方を見ようともしないで言った。
早雲と富嶽が帰って来たのは、それから半時(一時間)程経ってからだった。
漁師から貰った魚をぶら下げ、のんきに話をしながら戻って来た。
早雲庵の側まで来て、まず、立ち止まったのは富嶽だった。富嶽は早雲を押えるように足を止めた。
「おかしい」と富嶽は呟いた。
早雲も庵の方を見て、頷いた。戸口が壊れ、縁側の板戸がはずれていた。
二人は身を低くしながら、庵に近づいて行った。
弓矢が続けざまに飛んで来た。
二人は持っている杖で弓矢を弾いた。
弓矢が切れると、庵の中から十人程の男たちが武器を手にして飛び出して来た。
早雲と富嶽は杖を武器に掛かって来る者たちを倒して行った。
十人程の男たちは皆、呻き声を上げながら倒れて行った。
早雲と富嶽は注意を払いながら庵の中を窺った。縛られた多米が土間に転がり、側に一人の男が座り込んでいた。
男は二人を見ても何の反応も示さなかった。ただ、座ったまま、ぼんやりと二人の方を見ていた。
早雲と富嶽はゆっくりと近づいて行った。
「面目ない」と縛られている多米が情けない声を出した。
「騒がしたな」と男は低い声で言った。
「何か用か」と早雲は聞いた。
「用があったのは俺じゃねえ。外で伸びてる連中どもだ」
「おぬしは、その連中の頭じゃろう」と富嶽が杖を構えながら聞いた。
「まあ、そういう事になるかな‥‥‥連中も気が済んだろう」
「なぜ、山賊など、やっておる」と早雲が聞いた。
「食うためだ」
「人から物を盗んでか」
「そうだ」
「面白いか」
「まあな。早雲とか言ったな。なぜ、坊主なんかやってる」と今度は山賊の頭の方が聞いてきた。
「遊びじゃ」と早雲は答えた。
「遊び?」
「俗世間と縁を切って、遊んでおる」
「面白いか」
「まあな」
「遊びか‥‥‥」と頭は笑った。
「邪魔したな」と言うと頭は立ち上がった。
頭は早雲と富嶽の間を抜けて、外に出て行った。
「おぬし、名は何と言う」早雲が声を掛けた。
「在竹兵衛(アリタケヒョウエ)」頭は振り返らずに答えた。
「遊びたくなったら、また、来るがいい」と早雲は言った。
「ああ」と返事をすると、在竹と名乗る頭は真っすぐ帰って行った。
「何だ、あれは」頭が消えると多米が言った。
富嶽は多米が縛られている縄を斬ってやった。
「いい様だ。いつまでも寝ているから、こういう目に会う」
「参った、参った」と多米は体を伸ばした。
「あの男、山賊にしておくには勿体ない男じゃな」と富嶽が早雲に言った。
「そうじゃな」と言って、早雲は頷いた。
「おう、そうだ。魚を忘れた」と富嶽が言った。「おい、権兵衛、魚を取って来てくれ。ついでに、雑魚どもも起こしてやれ」
「ほいきた」と多米は出て行った。
5
広い庭園に山吹の花が咲いていた。
早雲は久し振りに、妹の美和に会いに来ていた。
妹は、ここでは『北川殿』と呼ばれていた。
美和が駿河に嫁いで来た時、今川義忠が屋敷の隣の北川の流れの側に、立派な屋敷を新築して迎えたからだった。
美和は将軍の執事、伊勢伊勢守貞親の娘として京の都から輿入れしたため、お屋形様にふさわしい嫁として駿河の国衆から絶大な歓迎を受けて迎えられた。
駿河も含め、関東の地から見ると京の都というのは憧れの地であった。特に、今川家では京の文化を取り入れる事に熱心だったので、下々の者までが京に憧れを持っていた。そこに、美和が京の都からお屋形様の嫁として来たものだから、もう、大騒ぎとなる有り様だった。それに増して、美和の美貌がさらに輪をかけ、大変な歓迎振りだった。
その美和も今では二児の母親だった。二児の母親となっても美和の美貌は衰えてはいない。兄の早雲でさえも、美和に見つめられ、笑いかけられると、どぎまぎしてしまう事もあった。
二人の子供は上が六歳の女の子、美鈴で、下が四歳の男の子、竜王丸だった。美鈴は母親似で色が白く、目がくりっとしていた。竜王丸は父親似で芯が強そうだった。二人とも何不自由なく、元気に育っていた。
二人の父親、今川治部大輔義忠は今、隣国、遠江(トオトウミ)の国に出陣していた。
遠江の国の守護、斯波義廉(シバヨシカド)は西軍の武将として京の都にいる。また、遠江の有力な豪族、横地氏、勝間田氏、原氏、狩野氏、井伊氏、大河内氏なども斯波氏と共に在京している。
義忠は、この機会に遠江を昔のごとく今川氏の領国にしようと決め、今年になってから本格的に進攻作戦を立て、実行に移していた。今までも遠江に進撃していたが、それは、東軍の作戦の一つとして後方撹乱していたに過ぎなかった。
去年の三月、西軍の大将、山名宗全が亡くなり、五月には東軍の大将、細川勝元が流行り病にかかって死んでしまった。一時は、これで戦も終わりかと思われたが、そう簡単に、一度始まってしまった戦が終わるわけにはいかなかった。しかし、厭戦気分はあちこちから聞こえ、京の戦が終わるのも時間の問題とも言えた。
隣国の遠江に守護も有力豪族たちもいない今、放って置く手はないと義忠は思った。このまま戦が終わってしまえば、遠江は以前のごとく斯波氏のものとなる。
遠江を取るなら、今をおいて他になかった。今なら、堂々と東軍の将として遠江に攻め入る事ができた。戦が終わるまでに遠江を我物としてしまえば、正式に、遠江の守護職は今川氏のものとなるのは間違いなかった。
義忠は情報を収集し、綿密な計画を立て、遠江に進攻して行った。
美鈴が竜王丸を連れて侍女と共に部屋を出て行くのを見送ると、美和は早雲の方を向いて笑いかけた。
「兄上様、また、旅に出るおつもりですね」と美和は言った。
「わかりますか」と早雲も笑った。
「わかりますとも。陽気も良くなりましたし、兄上様は山西の早雲庵にいるより、旅に出ている方が多いのですもの。私も兄上様が羨ましい。今度はどちらの方へ」
「今度は、常陸の国(茨城県東北部)の鹿島大社と下総の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取大社にでも行こうかと思っております」
「常陸の国に下総の国‥‥‥随分と遠いのでしょうねえ」
「ええ、遠いと言えば遠いでしょうな」
「箱根の向こうなんでしょう。箱根の向こうは戦をしていると聞いておりますが、大丈夫なのでしょうか」美和は心配そうな顔をして聞いた。
「戦には慣れております。坊主、一人、どこに行っても平気ですよ」早雲は安心させるように言った。
「あまり、危ない所には行かないで下さいね」
「わかっております。香取も鹿島も武神を祀っておるのです。お屋形様の武運を祈って来るだけです。戦をやっている所は避けて通りますよ」
「まあ、お屋形様の‥‥‥それは、わざわざ」
「私が武将でしたら、勿論、お屋形様と共に戦に出掛けますが、今の私はこの通り、ただの坊主です。その位しか、お屋形様に御恩返しができませんからな」
「御恩返しなど、そんな事‥‥‥兄上様はただ、側にいてくれれば、それだけで私は心強いのです」
「性分ですかな」
「本当に気を付けて下さいね」
「はい」
早雲は広い座敷の隅に置かれた、山水の描かれた屏風(ビョウブ)を見ていた。かなりの値打物のようだった。
早雲は、それ程、絵に興味を持っていたわけではなかったが、四年近く、足利義視の側近くに仕えていたため、唐物(カラモノ)の陶器や絵を見る目は肥えていた。将軍義政にしろ、義視にしろ、あの兄弟は政治の方はまったく駄目だが、なぜか、芸事の才能はあるようだった。まだ、戦の始まる前、早雲はよく義視の供をして、名画と言われる絵を見て歩いたものだった。
そんな早雲が、この駿河に来て驚いたのは、数多くの名画や名物と言われている唐物の茶道具を今川義忠が持っている事だった。それらの高価な物が、義忠の屋敷やこの妹の屋敷にも、さりげなく置いてあるのだった。
屋敷自体は勿論、素晴らしいが、駿河の大守程の財力があれば造る事ができる。しかし、名画や名物はいくら財力があっても手に入れる事は難しい。将軍でさえ、欲しい物を手にするのは難しかった。今川氏が代々、文化面に強い関心を持ち、集めて来たに違いなかった。さすがは今川氏だ、妹もいい所に嫁に来たものだ、と早雲は思っていた。
「そういえば」と妹が言った。
早雲は屏風から、妹に目を移した。
「この間のお花見の時、一緒に見えた方たちはどうしてらっしゃいます」
「あいつら、御存じでしたか」
「はい。五条殿よりお話は伺いました。絵画きさんと用心棒さんですって」
「はあ、絵画きさんは、また、富士山を描きに出掛けました。用心棒の方は毎日、ぶらぶらしてますよ」
「この間は山賊退治をしたんですってね」
早雲は笑った。「そんな事まで五条殿は話したのですか」
「どうやら、五条殿は兄上様を尊敬しているようですわ。兄上様の所に行って来て、と頼むと喜んで飛んで行きますよ」
「五条殿は連歌が好きなようですね。この間、彼が作ったという歌を見せてもらいましたが、なかなかなものですな」
「はい。確かに、五条殿は歌がお上手です。でも、兄上様もお上手だって言っておりましたよ」
「私のはただの道楽にすぎません。五条殿の連歌は本物ですよ」
「もう、前の事ですけれど、あの有名な宗祇(ソウギ)殿がこの駿府に来た事がございます。その時、五条殿は本気で宗祇殿のお弟子さんになろうとしたそうです。その時は、五条殿もまだ十六歳で、若すぎるからと宗祇殿にたしなめられて、お弟子さんになる事は諦めたものの、連歌だけはやめずに続けているそうです」
「そうですか、宗祇殿に会っていたのですか」
「兄上様も宗祇殿に会った事があるのですか」
「いえ、会った事はありませんが、連歌師、宗祇殿と言えば京の都でも有名でした。名前だけは何度も聞いた事がありますが、実際に会った事はありません。そうでしたか、五条殿が、あの宗祇殿のお弟子さんに‥‥‥」
「はい。今頃、遠江の国の戦陣で歌を作っているかもしれませんね」
「そうですな。戦場に出ても、それ位の余裕が必要です」
「そう言えば、兄上様も京にいた頃は戦に出ていたのでしたわね。すっかり、忘れていましたわ」
「もう、本当に昔の事です」
その晩は、留守を守る義忠の弟、河合備前守範勝に招待されて夕食を御馳走になり、次の日、我家、早雲庵に帰って行った。
早雲庵に帰ると、さっそく旅の支度を始めた。支度と言っても大した事はない。すぐに終わった。そして、そのまま旅に出ようとした時だった。
早雲庵を訪ねて来た二人の若い男があった。
早雲を見ると二人は土下座して、どうか、弟子にしてくれと頼んできた。
話を聞くと、二人はこの辺りの百姓の三男と四男で、村を飛び出して来て、しばらく、小河津で荷揚げ人足をしていたが、山賊を退治したと言う早雲の噂を聞いて、どうしても、早雲の弟子になりたくて、やって来たのだと言う。
細くて背の高い方は山中村の才四郎、小太りで背の低い方は富沢村の孫三郎と言い、対照的な二人だった。
早雲は弟子など取る気などなく、坊主頭になれと言えば帰ると思っていた。さすがに、坊主頭になる事をためらっていた二人だったが、まず、孫三郎が坊主になると言ったため、才四郎も覚悟を決めた。
さっそく、多米に頭を剃ってもらい、二つの青坊主が出来上がった。早雲は、一人の名を孫雲、もう一人の名を才雲と名付けた。
二つの青坊主を見て、しょうがない、そのうち諦めるだろう、と早雲は二人を旅に連れて行く事にした。
多米に留守番を頼み、早雲は二人の弟子、才雲、孫雲を連れて、鹿島、香取へ向けて旅立って行った。
6
今日もいい天気だった。
陽気も良くなり、日中は汗ばむ程だった。
早雲、そして、才雲、孫雲の三人が旅に出て四日目、一行は、相模の国(神奈川県)に入っていた。
才雲も孫雲も駿河の国から出たのは初めてで、何だかんだと無駄話をしながら賑やかに旅を続けていた。
小田原を過ぎ、酒匂(サカワ)川を渡ってしばらく行くと、つい最近、戦があったらしく、草の中に兵士の死体が転がっていた。
すでに、戦は終わっているらしく、見渡す限り、茫々とした平原に人の気配は感じられない。死体の兵士はまだ若い男だった。無残にも脇腹から臓腑(ハラワタ)がはみ出し、蝿がたかり、蟻が群れをなしていた。
「南無阿弥陀仏」と早雲は唱えた。
才雲と孫雲は顔をしかめて目をそらしていたが、早雲に命ぜられて念仏を唱えた。
死体はいくつも転がっていた。皆、苦しそうに顔を歪め、無残な姿をさらしている。
「ギャー」と才雲が、突然、悲鳴を上げた。
何事だと行ってみると、首のない死体が転がっていた。
武器や鎧、着物もはぎ取られていて、身に着けているのは下帯一つだけだったが、身分の高い武将のようだった。兜首として、討ち取った者が掻き斬って行ったのだろう。
首のない死体を見るのが初めてではない早雲でもいやな気分だった。戦場で討ち死にし、首を掻き斬られるのは武士としては本望な死に方だが、首のないまま捨てられている死体は哀れだったし、不気味だった。
早雲は念仏を唱えると、才雲と孫雲の二人に手伝わせ、首のない武将の死体を土の中に埋めてやった。
才雲は気分が悪くなったと口を押えていたが、堪えきれず吐いてしまった。
「百姓に戻った方がいいんじゃないのか」と早雲が才雲に言うと、吐きながらも首を横に振っていた。
次に出会ったのは若い女の死体だった。
戦に巻き込まれてしまったのだろう。惨い死に方だった。破れた着物ははだけ、股を大きく開いたまま、喉を絞められて死んでいた。口惜しさから来る女の執念か、はだけた着物から覗く白い肌は、死んでいても生々しく色気を放っていた。
「やられたんかな」と才雲が目をそむけながらも、ちらちら見ながら言った。
「当たり前だろ」と孫雲は死人の着物を直してやった。
「埋めてやれ」と早雲は言った。
二人は黙って穴を掘り始めた。
三人は草をかき分け、広々とした草原を歩いていた。
才雲と孫雲の二人は今日一日で、この世の地獄をいやになる程、経験していた。
戦の話は毎日のように聞いてはいても、これ程、残酷で悲惨なものだとは思ってもいなかった。武将たちの英雄譚を聞いて、自分たちも戦に出て活躍したいと思っていた二人だったが、恨めしそうな顔をして、打ち捨てられたままの死体たちを見ると、恐ろしくて身震いがして来る程だった。
戦場から離れても、青白い顔をした二人は黙ったまま俯きながら歩いていた。
遠くで、馬のいななきが聞こえた。
才雲と孫雲はビクッとして顔を上げた。
早雲も遠くに目をやった。
「戦かな」と脅えた声で才雲が言った。
三頭の馬が、こちらに向かって駈けて来た。
「こっちに来ますよ、大丈夫ですか」と孫雲は早雲の顔を窺った。
「俺たち、殺されるのかな」と才雲は脅えていた。
「まさか‥‥‥」と孫雲は言ったが顔は青ざめていた。
早雲はただ、近づいて来る馬を見つめていた。
三頭の馬は三人の側まで来ると止まり、三人の坊主を見下ろした。
一人は貫禄のある武将で、あとの二人はその側近の武士のようだった。二人の若い武士はじろじろと三人を睨んでいたが、貫禄のある武将は早雲をちらっと見ただけで、遠くの方をぼんやりと見ていた。
「御坊、いい眺めじゃのう」と武将は海の方を眺めながら穏やかな声で言った。
早雲も海の方を見た。
才雲も孫雲も海の方を見た。
二人は初めて、海の側にいるという事に気づいた。死体ばかりが目に付いて離れなかった二人にとって、海の青さは素晴らしく綺麗に感じられた。二人は初めて海を見たかのように、ボーッとして海を見つめていた。
「この大地を血で染めたくはないものじゃ」と武将は海と反対の方を見ながら言った。
早雲は武将の顔を見上げた。
早雲の知らない男だった。もっとも、早雲は関東の武将はほとんど知らなかった。人の話や噂から、名前を聞いた事のある武将は何人かいても、実際に会った事のある武将はいなかった。以前のように、幕府の申次衆でもしていれば、関東の武将たちに会う機会もあっただろうが、今のような、ただの旅の僧では武将たちに会う機会はなかった。住む世界がまったく違っていた。
「御坊、宗祇殿を御存じか」と武将は突然、早雲に声を掛けた。
「いえ、名は存じておりますが面識はございません」
「そうか‥‥‥何となく、御坊は宗祇殿と雰囲気が似ておる」
早雲は改めて、武将の顔を見上げた。
そして、ぴんと来た。この武将、江戸城の城主であり、扇谷上杉氏の家宰である太田備中守資長に違いないと思った。
「御坊、これから、どちらに行かれる」と武将は早雲に聞いた。
「鹿島、香取へ」
「うむ。あそこもいい所じゃ。気を付けて行かれるがいい」そう言うと武将は馬の手綱を引き、海の方へと駈けて行った。二人の武士も後を追って行った。
三頭の馬が波打ち際を走って行くのを三人の坊主は見送った。
才雲と孫雲が大きく溜息をついた。
「首が飛ぶかと思った」と才雲は言って自分の首を撫でた。
「お知り合いだったのですか」と孫雲は聞いた。
早雲は首を横に振った。まだ、三頭の馬が去って行った方を見ていた。
「偉そうな武将だったな」と才雲は孫雲に言った。
「ああ、凄い貫禄だったな。きっと、有名な武将に違いない」
「坊主頭にしておいて、よかったな」と才雲は頭を撫でた。
「うん。坊主じゃなかったら、今頃、あの死体たちの仲間入りだったかもな」
「ああ。俺はもう、喉がからっからだぜ」
「俺だってさ」
二人が何だかんだ話しているうちに、早雲はさっさと歩いていた。
間違いないと思っていた。
あの武将は太田備中守に違いない。彼の噂はよく聞いていた。軍略に長け、戦上手で、城の縄張りもし、学問に長じ、歌もうまく、扇谷上杉氏を支えているのは太田備中守だと言われる程の名将だった。
あの男が太田備中守か‥‥‥
確かに、名将と言われるだけの貫禄があった。しかし、今の早雲には関係のない事だった。俗世間と縁を切った今、あの武将が太田備中守だろうと、また別人だろうと、どうでもいい事だった。
今の早雲には、ただ、早く、戦のない世の中になって欲しいと祈る事しかできなかった。彼が太田備中守だとすれば、関東の戦も彼に任せておけば早く終わるかもしれない、彼がうまく、関東の地をまとめてくれるかもしれない、と早雲は思った。
そして、一度、じっくりと語り合いたい相手だと早雲は心の中で思っていた。
才雲と孫雲は早雲に追い付くと、また、あの武将の事を話し始めた。もう、あの無残な死体の事はすっかり忘れたらしく、笑いながら話していた。
7.火乱坊
霧が立ち込め、しとしとと雨が降っている。
恨めしそうに、空を睨んでいる山伏がいた。
空を睨んでいるといっても、霧が深くて空など見えない。ただ、上の方を睨んでいるだけだった。
太郎の師匠、風眼坊舜香だった。
風眼坊は今、大和の国大峯山、山上(サンジョウ)ケ岳の山頂の蔵王堂にいた。
二年近くも熊野の山の中の小さな村で、家族と一緒にのんびりと暮らしていた風眼坊は、去年の正月、息子の光一郎を飯道山の太郎坊のもとに送り、三月には、十六になる娘、お風を嫁に出した。父親としての義務を果たして一安心し、六月にフラフラと、久し振りに熊野の本宮にやって来た。そこで、昔、世話になった大先達の山伏に会ってしまい、せっかく戻って来たのだから仕事をしていってくれと頼まれた。別に用があるわけでもなかったので、風眼坊は引き受けた。夏から秋にかけて、熊野から険しい山中を抜け、ここ、山上ケ岳を通って吉野までの間を修行者を引き連れて、行ったり来たりしていた。
冬の間は熊野に下りていたが、春になったら、どこかに行こうと思っていた。しかし、今の所、行くべき所が見つからなかった。大先達の山伏に頼まれるままに、また、大峯山に登って来ていた。
大峯山は修験道の根本道場であった。
熊野から吉野までの大峯山中には百近くもの修験の行場が並んでいる。主なものを挙げれば玉置山、天狗嶽、前鬼山(ゼンキヤマ)、神仙(ジンゼン)の宿(シュク)、釈迦ケ岳、禅師の森、八経ケ岳、弥山(ミセン)、笙(ショウ)の窟(イワヤ)、小篠の宿、山上ケ岳などであった。それらの行場で修行しながら、大峯山中を歩き通すのを『奥駈け行』と称していた。
二月の始め頃より熊野から大峯山に入り、百日間、山中で秘法を修行し、五月の末頃、吉野に出るのを『春の峯入り』と言い、七月の末頃より吉野から大峯山に入り、七十五日間、山中で秘法を修行し、十月の初め頃、熊野に出るのを『秋の峯入り』と言った。
本来は春は百日、秋は七十五日かけて、修行するのが奥駈け行なのだが、この当時、ほとんど、やる者がいなくなってしまい、速駈けと言って、熊野から吉野までを七日間で歩き通す事が奥駈け行と呼ばれるようになっていた。山伏のほとんどが、この速駈けをやり、大峯の奥駈けをやったと称していた。
奥駈け行の他に、梅雨時に行う『夏の峯入り』と雪中時に行う『冬の峯入り』と言うのもあった。これらは春や秋とは違い、山中を歩く行ではなく、一ケ所に籠もって行をするものだった。
夏の峯入りは、すでに、この当時、行なわれなくなっていた。
冬の峯入りというのは、大峯山に雪の降る前、九月の初め頃、山に入り、大普賢岳(ダイフゲンダケ)の中腹の岩壁にある『笙の窟』や『朝日の窟』に籠もり、雪の無くなる三月の初め頃までの半年間、雪の山中で修行を積むという『冬籠もり』と、もう一つ、十二月の大晦日に雪を踏み分け、大峯山に入って行き、雪の山中で修行して、春に下山するという『晦(ミソカ)山伏』といわれる厳しいものもあった。
冬の峰入りの『冬籠もり』と『晦山伏』は山伏にとって最高の名誉とされていた。そして、大峯山の奥駈け行を何回したかが、山伏に取っての重要な位付けにもなっていた。五回以上、奥駈けをすると先達山伏となり、それ以上やる毎に、正先達、大先達へと位が上がって行った。そのため、地方の山伏たちも大峯山に登って格を上げるため、続々とやって来ていた。
奥駈けは熊野から吉野へ抜けるのが『順の峯入り』と言って本当だが、『逆の峯入り』と行って、吉野から熊野へ抜ける修行者も多かった。
後に、修験者たちは組織の中に組み込まれ、天台宗密教系の三井寺の聖護院(ショウゴイン)に属する本山派と、真言宗密教系の醍醐寺の三宝院に属する当山派に分けられた。本山派は熊野を本拠地として熊野から吉野へと奥駈けをやり、当山派は吉野を本拠地として吉野から熊野へと奥駈けをやるように区別された。そして、本山派と当山派はお互いに勢力争いを始めるが、この当時はまだ、はっきりと区別されていなかった。一応、天台宗や真言宗に属してはいても、大峯山では一山伏として修行に励んでいた。
大峯山の中でも、中心をなしているのが山上ケ岳の蔵王堂だった。
山上ケ岳の山頂には蔵王堂を中心に三十六の僧院、僧坊が建ち並び、各地からの山伏や信者たちが先達山伏に連れられて登って来ていた。
初めて、この山に登って来た者は誰もが、山頂に建ち並ぶ、僧院、僧坊を見て、驚きを隠せなかった。苦労して、やっとの思いで登って来た険しい山の山頂に賑やかな門前町が、突然、出現する。そして、大きくて立派な蔵王堂は皆を圧倒させた。
一体、いつ、誰が、どうやって、こんな大きなお堂を建てたのだろうと誰もが不思議に思い、大峯山への信仰を深めて行った。
風眼坊は今、山上ケ岳の蔵王堂を預かっている責任者だった。風眼坊の下に六人の先達山伏がいて、蔵王堂を管理していた。
山上ケ岳に登って来る山伏や信者たちは吉野から来る者がほとんどだった。わざわざ、熊野から奥駈けをして来る者も、こちらから熊野へ奥駈けして行く者も少ない。ほとんどの者が吉野から登って来て、また、吉野に戻って行った。
山に登って来た者たちのために護摩を焚いて祈祷をしたり、初めて、大峯山に登って来た者は必ずしなくてはならない裏行場を案内したりするのが、風眼坊たちの仕事だった。
吉野から山上ケ岳までは約六里(約二十四キロ)の距離だった。一日で登るのに手頃な距離だった。しかし、入山に関しては特殊な規律や作法があり、山伏独自の礼法が厳しく、初めての入山者は先達山伏に付いて登らなければならなかった。
まず、登る前に最低七日間の斎戒沐浴(サイカイモクヨク)をして、身も心も清めなければならない。入山は吉野川の六田(ムダ)の柳の渡しから始まった。そこで水垢離(ミズゴリ)を取り、舟で吉野川を渡り、坂道を登ると、一丈六尺(約五メートル)もある蔵王権現を祀る丈六山の蔵王堂に出る。
丈六山の蔵王堂から、さらに坂道を進むと薬師堂があり、空濠に架かる橋を渡ると吉野の町に入る。総門と呼ばれる黒い門の少し下に関所が設けてあり、通行人から関銭十文を徴収していた。そこで、十文支払い、発心(ホッシン)門と呼ばれる銅の鳥居をくぐり、土産物屋や旅籠屋が建ち並ぶ町中を進むと吉野の中心をなす蔵王堂に出る。
さらに進み、勝手大明神、世尊寺、子守大明神、牛頭天王(ゴズテンノウ)社を経ると修行門の鳥居がある。その鳥居をくぐると、大峯山の地主神を祀る金精(コンショウ)大明神と続き、さらに登ると、蔵王堂の奥の院である安禅寺に出る。ただ、歩くだけでなく、決められた場所で、決められた行をしなければならなかった。
安禅寺の側に西行(サイギョウ)庵と呼ばれる小さな庵があった。昔、西行法師が吉野に滞在した時、ここに住んでいたという庵だった。漂泊の歌人西行法師を慕う者は多く、常に花などが供えられていた。また、吉野は桜の名所としても名高く、春になると貴賎を問わず、各地から花見客が訪れ、賑わっていた。
安禅寺の多宝塔から、少し進むと『従是女人結界(コレヨリニョニンケッカイ)』と記した女人結界石があり、そこより先は女人は入る事ができなかった。
そこから行者鍋割坂や足摺坂を越えて行くと、やがて、金剛童子(コンゴウドウジ)を祀る法師山に出、そこから一つ山を越え、さらに進むと小天井、大天井と呼ばれる岩山の難所にぶつかる。これを乗り越えると御番石の小屋に出る。ここから岩の間をよじ登って蛇腹の坂、鞍掛山の難所を越え、急な坂道を登り下りすると洞呂辻(ドロツジ)の小屋に出る。ここの休憩場所は広く、小屋がいくつも並んでいた。
さらに進み、小鐘掛、大鐘掛の急な岩場をよじ登り、お亀石を通って等覚門(トウガクモン)の大鳥居をくぐる。西の覗きで逆さ吊りにされ、懺悔(ザンゲ)をして、しばらく進むと、そこはもう、山上ケ岳の頂上だった。
宿坊の建ち並ぶ中を通り抜け、初めて登って来た修行者は裏行場へと向かう。
裏行場で、登り岩、護摩の窟、胎内くぐり、衣掛(コロモカケ)岩、大黒の窟、賽(サイ)の河原、東の覗き、蟻の戸渡り、平等岩などの行をして、服装を正し、元結(モトユイ)をといて髪をおろし、目洗水で目や手を清めてから、山上の蔵王堂に参拝した。参拝が済むと先達山伏に連れられて、それぞれ、決められた宿坊に入って行った。
また、洞呂辻から西に下りた所に洞呂川村、別名、後鬼(ゴキ)村と言う村があり、そこの弥勒堂が真言宗系の山伏の拠点となっていて、そこから、山上ケ岳に登って来る者もいた。
風眼坊はつまらなそうに、ぼんやりと雨の降る空を見上げていた。
大峯山は比較的、雨が多かった。霧もよく立ち込めた。
風眼坊のいる山上ケ岳の山頂には水がなかった。すべて、天の恵みに頼っている。いくつも建っている僧坊は、どこでも雨水をためて使っている。雨が降らなかったら生きて行けなくなるのだが、こう雨ばかり降っていると気が滅入ってしょうがない。
体中にカビが生えそうだった。今の時期は梅雨なので、どこに行っても雨は降っているのだが、そんな事とは関係なく、とにかく、ここの雨がいやだった。
風眼坊はもう、限界に来ていた。もう、じっとしていられなかった。去年はまだ、山の中を歩き回っていたから良かった。今年は、ここにじっとしているだけだった。
もう、たまらなかった。どこでもいい、どこかに行きたかった。どこかに行って、思いきり暴れたかった。
そんな、ある日だった。珍しい男が山に登って来た。
久し振りに晴れたいい天気だったので、風眼坊は蔵王堂の裏の日当たりのいい草の上で、のんびりと昼寝をしていた。そこへ、東南院の岩見坊という先達が一人の山伏を連れて来た。
風眼坊は片目を開けて、山伏を見上げた。
その山伏は錫杖の代わりに薙刀を突き、坊主頭の上に兜巾(トキン)を乗せていた。どこかで会ったような気がしたが、思い出せなかった。
風眼坊が起き上がろうとした時、山伏の薙刀が風眼坊めがけて斬り付けて来た。
風眼坊は慌てて避けた。
その山伏は何も言わず、本気で風眼坊に斬り付けて来た。
風眼坊は腰に刀を付けていなかった。錫杖も持っていない。ただ、ひたすら、薙刀を避けていた。
やっとの事で、木切れを拾うと風眼坊は構えた。
山伏も薙刀を構えた。
岩見坊は木陰に隠れて、以外な展開になった二人の様子を見ていた。
薙刀を構えたまま、山伏は急に笑いだした。
「風眼坊、久し振りよのう」
「おぬし‥‥‥火乱坊(カランボウ)か」と風眼坊は聞いた。
「おお、もう、忘れたか」
「忘れるか。どうしたんじゃ、その頭は」
「おお、これか」と火乱坊と呼ばれた山伏は頭を撫でた。「なかなか、さっぱりして、いいもんじゃぞ」
「それにしても、久し振りじゃのう。何年振りじゃ」
「それでは、私は‥‥‥」と岩見坊が言った。
「ああ、すまんかったのう。こいつとは古い仲なんじゃ。心配いらん」
岩見坊は二人に合掌をすると去って行った。
風眼坊を訪ねて来た山伏は、かつての飯道山の四天王の一人、火乱坊明覚(ミョウガク)だった。
風眼坊と火乱坊は草の上に腰を下ろすと懐かしそうに昔の事を話し始めた。
思い出話が一段落すると、火乱坊は今、自分がしている事を話した。
火乱坊は浄土真宗本願寺派の第八世法主(ホッス)、蓮如(レンニョ)を助けて布教のために戦っていた。
去年の七月、蓮如は近江(滋賀県)の堅田から越前(福井県)の吉崎に進出していた。
火乱坊は堅田にいた頃の蓮如と出会い、彼の生き方に同意し、彼のために戦って来た。堅田にいた頃は主に比叡山の法師たちを相手に戦っていたが、越前に行ってからは、守護の富樫(トガシ)氏や同じ浄土真宗の高田専修寺(センジュジ)派の門徒たちと戦っていた。
火乱坊は昨日、用があって吉野まで来た。たまたま同じ宿坊にいた山伏から、風眼坊が今、山上ケ岳にいると聞いて、懐かしくなり、会いたくなって、今朝、早速、山に登って来たのだった。
「南無阿弥陀仏か‥‥‥わしは、どうも好かんのう」と風眼坊は言った。
「わしだって初めはそうじゃった。だが、蓮如殿に会ってから変わった。おぬしも一度、蓮如殿に会ってみればわかる」
「本願寺の法主の蓮如殿か‥‥‥」
「とにかく、一度、来いよ。絶対、気に入る。こんな山の上で昼寝してるより、よっぽど面白いぜ」
「面白いか‥‥‥」
「なあ、来いよ」と火乱坊は執拗に誘った。
「南無阿弥陀仏か‥‥‥まあ、ここより面白いのは確かじゃ」
「わしは今から戻る。あっちも色々と忙しいんでな、わしのこの薙刀を必要としてるんじゃよ」
火乱坊は薙刀をつかむと立ち上がった。
「いつでも来いよ。待っておる」と火乱坊は笑うと風眼坊に背を向けて去って行った。
風眼坊はまた、草の上に寝転がった。
太陽が眩しかった。
風眼坊の心はもう決まっていた。
山を下りる。そして、行き先は越前、吉崎だった。本願寺の親玉、蓮如という男をこの目で見てみたかった。火乱坊があれ程いう男を、一度、この目で見てみたかった。
そうと決めたら、風眼坊の行動は早かった。
蔵王堂に戻り、一緒に蔵王堂で働いている山伏に、「思う所があって、今から窟に籠もって、一千日の行を始める」と告げ、さっさと支度をして山を下りてしまった。
途中で、火乱坊に追い付いた。後ろから声を掛けると火乱坊は振り返り、「よう、待っておったぞ」とニヤッと笑った。
「待っておったじゃと」
「おお。おぬしは絶対に来ると思って、ゆっくり歩いていたんじゃ」
「何を言うか、この」と風眼坊も笑った。
「行こうぜ、相棒」
風眼坊は火乱坊と共に越前に向かって旅立って行った。
二月の始め頃より熊野から大峯山に入り、百日間、山中で秘法を修行し、五月の末頃、吉野に出るのを『春の峯入り』と言い、七月の末頃より吉野から大峯山に入り、七十五日間、山中で秘法を修行し、十月の初め頃、熊野に出るのを『秋の峯入り』と言った。
本来は春は百日、秋は七十五日かけて、修行するのが奥駈け行なのだが、この当時、ほとんど、やる者がいなくなってしまい、速駈けと言って、熊野から吉野までを七日間で歩き通す事が奥駈け行と呼ばれるようになっていた。山伏のほとんどが、この速駈けをやり、大峯の奥駈けをやったと称していた。
奥駈け行の他に、梅雨時に行う『夏の峯入り』と雪中時に行う『冬の峯入り』と言うのもあった。これらは春や秋とは違い、山中を歩く行ではなく、一ケ所に籠もって行をするものだった。
夏の峯入りは、すでに、この当時、行なわれなくなっていた。
冬の峯入りというのは、大峯山に雪の降る前、九月の初め頃、山に入り、大普賢岳(ダイフゲンダケ)の中腹の岩壁にある『笙の窟』や『朝日の窟』に籠もり、雪の無くなる三月の初め頃までの半年間、雪の山中で修行を積むという『冬籠もり』と、もう一つ、十二月の大晦日に雪を踏み分け、大峯山に入って行き、雪の山中で修行して、春に下山するという『晦(ミソカ)山伏』といわれる厳しいものもあった。
冬の峰入りの『冬籠もり』と『晦山伏』は山伏にとって最高の名誉とされていた。そして、大峯山の奥駈け行を何回したかが、山伏に取っての重要な位付けにもなっていた。五回以上、奥駈けをすると先達山伏となり、それ以上やる毎に、正先達、大先達へと位が上がって行った。そのため、地方の山伏たちも大峯山に登って格を上げるため、続々とやって来ていた。
奥駈けは熊野から吉野へ抜けるのが『順の峯入り』と言って本当だが、『逆の峯入り』と行って、吉野から熊野へ抜ける修行者も多かった。
後に、修験者たちは組織の中に組み込まれ、天台宗密教系の三井寺の聖護院(ショウゴイン)に属する本山派と、真言宗密教系の醍醐寺の三宝院に属する当山派に分けられた。本山派は熊野を本拠地として熊野から吉野へと奥駈けをやり、当山派は吉野を本拠地として吉野から熊野へと奥駈けをやるように区別された。そして、本山派と当山派はお互いに勢力争いを始めるが、この当時はまだ、はっきりと区別されていなかった。一応、天台宗や真言宗に属してはいても、大峯山では一山伏として修行に励んでいた。
大峯山の中でも、中心をなしているのが山上ケ岳の蔵王堂だった。
山上ケ岳の山頂には蔵王堂を中心に三十六の僧院、僧坊が建ち並び、各地からの山伏や信者たちが先達山伏に連れられて登って来ていた。
初めて、この山に登って来た者は誰もが、山頂に建ち並ぶ、僧院、僧坊を見て、驚きを隠せなかった。苦労して、やっとの思いで登って来た険しい山の山頂に賑やかな門前町が、突然、出現する。そして、大きくて立派な蔵王堂は皆を圧倒させた。
一体、いつ、誰が、どうやって、こんな大きなお堂を建てたのだろうと誰もが不思議に思い、大峯山への信仰を深めて行った。
風眼坊は今、山上ケ岳の蔵王堂を預かっている責任者だった。風眼坊の下に六人の先達山伏がいて、蔵王堂を管理していた。
山上ケ岳に登って来る山伏や信者たちは吉野から来る者がほとんどだった。わざわざ、熊野から奥駈けをして来る者も、こちらから熊野へ奥駈けして行く者も少ない。ほとんどの者が吉野から登って来て、また、吉野に戻って行った。
山に登って来た者たちのために護摩を焚いて祈祷をしたり、初めて、大峯山に登って来た者は必ずしなくてはならない裏行場を案内したりするのが、風眼坊たちの仕事だった。
吉野から山上ケ岳までは約六里(約二十四キロ)の距離だった。一日で登るのに手頃な距離だった。しかし、入山に関しては特殊な規律や作法があり、山伏独自の礼法が厳しく、初めての入山者は先達山伏に付いて登らなければならなかった。
まず、登る前に最低七日間の斎戒沐浴(サイカイモクヨク)をして、身も心も清めなければならない。入山は吉野川の六田(ムダ)の柳の渡しから始まった。そこで水垢離(ミズゴリ)を取り、舟で吉野川を渡り、坂道を登ると、一丈六尺(約五メートル)もある蔵王権現を祀る丈六山の蔵王堂に出る。
丈六山の蔵王堂から、さらに坂道を進むと薬師堂があり、空濠に架かる橋を渡ると吉野の町に入る。総門と呼ばれる黒い門の少し下に関所が設けてあり、通行人から関銭十文を徴収していた。そこで、十文支払い、発心(ホッシン)門と呼ばれる銅の鳥居をくぐり、土産物屋や旅籠屋が建ち並ぶ町中を進むと吉野の中心をなす蔵王堂に出る。
さらに進み、勝手大明神、世尊寺、子守大明神、牛頭天王(ゴズテンノウ)社を経ると修行門の鳥居がある。その鳥居をくぐると、大峯山の地主神を祀る金精(コンショウ)大明神と続き、さらに登ると、蔵王堂の奥の院である安禅寺に出る。ただ、歩くだけでなく、決められた場所で、決められた行をしなければならなかった。
安禅寺の側に西行(サイギョウ)庵と呼ばれる小さな庵があった。昔、西行法師が吉野に滞在した時、ここに住んでいたという庵だった。漂泊の歌人西行法師を慕う者は多く、常に花などが供えられていた。また、吉野は桜の名所としても名高く、春になると貴賎を問わず、各地から花見客が訪れ、賑わっていた。
安禅寺の多宝塔から、少し進むと『従是女人結界(コレヨリニョニンケッカイ)』と記した女人結界石があり、そこより先は女人は入る事ができなかった。
そこから行者鍋割坂や足摺坂を越えて行くと、やがて、金剛童子(コンゴウドウジ)を祀る法師山に出、そこから一つ山を越え、さらに進むと小天井、大天井と呼ばれる岩山の難所にぶつかる。これを乗り越えると御番石の小屋に出る。ここから岩の間をよじ登って蛇腹の坂、鞍掛山の難所を越え、急な坂道を登り下りすると洞呂辻(ドロツジ)の小屋に出る。ここの休憩場所は広く、小屋がいくつも並んでいた。
さらに進み、小鐘掛、大鐘掛の急な岩場をよじ登り、お亀石を通って等覚門(トウガクモン)の大鳥居をくぐる。西の覗きで逆さ吊りにされ、懺悔(ザンゲ)をして、しばらく進むと、そこはもう、山上ケ岳の頂上だった。
宿坊の建ち並ぶ中を通り抜け、初めて登って来た修行者は裏行場へと向かう。
裏行場で、登り岩、護摩の窟、胎内くぐり、衣掛(コロモカケ)岩、大黒の窟、賽(サイ)の河原、東の覗き、蟻の戸渡り、平等岩などの行をして、服装を正し、元結(モトユイ)をといて髪をおろし、目洗水で目や手を清めてから、山上の蔵王堂に参拝した。参拝が済むと先達山伏に連れられて、それぞれ、決められた宿坊に入って行った。
また、洞呂辻から西に下りた所に洞呂川村、別名、後鬼(ゴキ)村と言う村があり、そこの弥勒堂が真言宗系の山伏の拠点となっていて、そこから、山上ケ岳に登って来る者もいた。
風眼坊はつまらなそうに、ぼんやりと雨の降る空を見上げていた。
大峯山は比較的、雨が多かった。霧もよく立ち込めた。
風眼坊のいる山上ケ岳の山頂には水がなかった。すべて、天の恵みに頼っている。いくつも建っている僧坊は、どこでも雨水をためて使っている。雨が降らなかったら生きて行けなくなるのだが、こう雨ばかり降っていると気が滅入ってしょうがない。
体中にカビが生えそうだった。今の時期は梅雨なので、どこに行っても雨は降っているのだが、そんな事とは関係なく、とにかく、ここの雨がいやだった。
風眼坊はもう、限界に来ていた。もう、じっとしていられなかった。去年はまだ、山の中を歩き回っていたから良かった。今年は、ここにじっとしているだけだった。
もう、たまらなかった。どこでもいい、どこかに行きたかった。どこかに行って、思いきり暴れたかった。
そんな、ある日だった。珍しい男が山に登って来た。
久し振りに晴れたいい天気だったので、風眼坊は蔵王堂の裏の日当たりのいい草の上で、のんびりと昼寝をしていた。そこへ、東南院の岩見坊という先達が一人の山伏を連れて来た。
風眼坊は片目を開けて、山伏を見上げた。
その山伏は錫杖の代わりに薙刀を突き、坊主頭の上に兜巾(トキン)を乗せていた。どこかで会ったような気がしたが、思い出せなかった。
風眼坊が起き上がろうとした時、山伏の薙刀が風眼坊めがけて斬り付けて来た。
風眼坊は慌てて避けた。
その山伏は何も言わず、本気で風眼坊に斬り付けて来た。
風眼坊は腰に刀を付けていなかった。錫杖も持っていない。ただ、ひたすら、薙刀を避けていた。
やっとの事で、木切れを拾うと風眼坊は構えた。
山伏も薙刀を構えた。
岩見坊は木陰に隠れて、以外な展開になった二人の様子を見ていた。
薙刀を構えたまま、山伏は急に笑いだした。
「風眼坊、久し振りよのう」
「おぬし‥‥‥火乱坊(カランボウ)か」と風眼坊は聞いた。
「おお、もう、忘れたか」
「忘れるか。どうしたんじゃ、その頭は」
「おお、これか」と火乱坊と呼ばれた山伏は頭を撫でた。「なかなか、さっぱりして、いいもんじゃぞ」
「それにしても、久し振りじゃのう。何年振りじゃ」
「それでは、私は‥‥‥」と岩見坊が言った。
「ああ、すまんかったのう。こいつとは古い仲なんじゃ。心配いらん」
岩見坊は二人に合掌をすると去って行った。
風眼坊を訪ねて来た山伏は、かつての飯道山の四天王の一人、火乱坊明覚(ミョウガク)だった。
風眼坊と火乱坊は草の上に腰を下ろすと懐かしそうに昔の事を話し始めた。
思い出話が一段落すると、火乱坊は今、自分がしている事を話した。
火乱坊は浄土真宗本願寺派の第八世法主(ホッス)、蓮如(レンニョ)を助けて布教のために戦っていた。
去年の七月、蓮如は近江(滋賀県)の堅田から越前(福井県)の吉崎に進出していた。
火乱坊は堅田にいた頃の蓮如と出会い、彼の生き方に同意し、彼のために戦って来た。堅田にいた頃は主に比叡山の法師たちを相手に戦っていたが、越前に行ってからは、守護の富樫(トガシ)氏や同じ浄土真宗の高田専修寺(センジュジ)派の門徒たちと戦っていた。
火乱坊は昨日、用があって吉野まで来た。たまたま同じ宿坊にいた山伏から、風眼坊が今、山上ケ岳にいると聞いて、懐かしくなり、会いたくなって、今朝、早速、山に登って来たのだった。
「南無阿弥陀仏か‥‥‥わしは、どうも好かんのう」と風眼坊は言った。
「わしだって初めはそうじゃった。だが、蓮如殿に会ってから変わった。おぬしも一度、蓮如殿に会ってみればわかる」
「本願寺の法主の蓮如殿か‥‥‥」
「とにかく、一度、来いよ。絶対、気に入る。こんな山の上で昼寝してるより、よっぽど面白いぜ」
「面白いか‥‥‥」
「なあ、来いよ」と火乱坊は執拗に誘った。
「南無阿弥陀仏か‥‥‥まあ、ここより面白いのは確かじゃ」
「わしは今から戻る。あっちも色々と忙しいんでな、わしのこの薙刀を必要としてるんじゃよ」
火乱坊は薙刀をつかむと立ち上がった。
「いつでも来いよ。待っておる」と火乱坊は笑うと風眼坊に背を向けて去って行った。
風眼坊はまた、草の上に寝転がった。
太陽が眩しかった。
風眼坊の心はもう決まっていた。
山を下りる。そして、行き先は越前、吉崎だった。本願寺の親玉、蓮如という男をこの目で見てみたかった。火乱坊があれ程いう男を、一度、この目で見てみたかった。
そうと決めたら、風眼坊の行動は早かった。
蔵王堂に戻り、一緒に蔵王堂で働いている山伏に、「思う所があって、今から窟に籠もって、一千日の行を始める」と告げ、さっさと支度をして山を下りてしまった。
途中で、火乱坊に追い付いた。後ろから声を掛けると火乱坊は振り返り、「よう、待っておったぞ」とニヤッと笑った。
「待っておったじゃと」
「おお。おぬしは絶対に来ると思って、ゆっくり歩いていたんじゃ」
「何を言うか、この」と風眼坊も笑った。
「行こうぜ、相棒」
風眼坊は火乱坊と共に越前に向かって旅立って行った。
8.大峯山
1
四月の末、山藤の花の咲く頃、無事に百日行を終えた風間光一郎と宮田八郎と探真坊見山の三人は、太郎坊移香の弟子となった。
百日間、終わってしまえば大した事ないと自慢げに言えるが、三人にとって、長い長い百日間だった。
山歩きには慣れている風間光一郎にとっても、それは、長く辛い百日間だった。
同じ道を毎日、毎日、ただ、歩いている。何で、こんな事をしなくてはならないんだ。こんな事はやめて、早く山を下り、どこかに旅に出ようと何度、思った事だろう。
行きたい所はいくらでもあった。今は戦をやっているが、京の都も行ってみたい。京の都はここからはすぐだ。京に行く途中にある琵琶湖も見てみたい。山の上から見た事はあるが実際に側まで行って見たかった。海のように広いというが、ずっと、山の中ばかりにいた光一郎はまだ、海というものを知らない。海の水は塩辛いと聞いているが、実際になめてみたいし、広い海で泳いでもみたかった。
見てみたいものや、やりたい事が一杯あった。
特に、陽気もよくなり、桜の花が咲き始めた頃、こんなくだらない事なんかやめて、駿河の国の富士山を見に行こうと本気で山を下りようと思った事があった。もし、一人で百日行をしていたら、歩き通す事ができなかったかもしれない。宮田八郎が一緒だったので歩き通す事ができたと言えた。八郎のお陰と言っても、八郎が光一郎を助けたわけではない。助けたのは光一郎の方だった。
八郎にとって百日間というのは、もう、毎日、毎日が死に物狂いだった。しかし、光一郎のように、途中でやめて山を下りようと思った事は一度もない。何としてでも、たとえ、死んだとしても、歩き通さなくてはならないと思っていた。どうしても、太郎坊の弟子にならなければならない。弟子になれないなら死んだ方がましだと考えていた。
足が棒のようになり動かなくなっても、足の裏が血で真っ赤になっても八郎は杖を突きながら、足を引きずり歩き通した。雨に打たれ、熱を出してフラフラしていても、毎日、歩き通した。
飯道山に戻って来るのは、いつも、八郎が一番最後だった。同じ時間に出発しても、帰って来る時間は八郎がいつも二人より一時(二時間)近くも遅れていた。暗くなってから、ようやく戻って来て、死ぬように倒れ込んだ。光一郎と探真坊の二人は、もう、明日は無理だろうと顔を見合わせるが、次の日になると、八郎は生き返り、無理に作り笑いを浮かべて歩き出して行った。
光一郎は初めの頃、八郎に向かって、いつも、「お前には無理だ。さっさと山を下りた方がいい」と言っていた。しかし、光一郎が山を下りようかと思う時、八郎の真剣になって歩いている姿を見ると、途中でやめるわけにはいかないと自分に言い聞かせ、また、歩き始めるのだった。
探真坊はこの百日行で考え方が少しづつ変わって行った。
探真坊は山の中を歩きながら、どうして、こんな事になってしまったのか考えていた。わざわざ、仇(カタキ)の弟子になるために、何で、こんな事をしているのだろうか‥‥‥
あの日、志能便の術の稽古、最後の日、探真坊は仇討ちだと太郎坊に掛かって行った。死ぬ気だった。太郎坊を殺して自分も死ぬ覚悟だった。ところが、簡単にあしらわれ、逃げられた。探真坊は太郎坊を追いかけた。しかし、太郎坊を追いかけたのは自分だけではなく、光一郎と八郎がいた。二人は太郎坊に弟子にしてくれと頼んだ。探真坊も二人に倣った。
なぜ、あんな態度に出てしまったのかわからなかった。弟子になろうなんて思ってもいなかった。後で考えてみると、弟子になれば、いつも、太郎坊の側にいられる、側にいれば、いつか、仇を討つ事ができるだろうと思ったが、あの時は、そんな事まで考えていたわけではない。
あの一瞬、仇討ちの事は忘れていたといった方が正しいような気がする。光一郎や八郎と同じように、純粋な気持ちで、太郎坊の弟子になりたいと思ったに違いなかった。弟子になりたいという気持ちも本当なら、仇を討ちたいという気持ちも本当だった。
今まで、仇を討つために武術の修行を積んで来た。いや、武術だけではない。仇討ちのためだけに生きて来たとも言える。それを、仇の弟子になって修行するというのは矛盾だった。
探真坊が十五歳の時、父親、山崎新十郎は太郎坊と陰の五人衆に殺された。探真坊は母親と妹を連れて、母親の実家のある河内の国に帰った。
河内の国に帰った途端、母親は倒れ、二ケ月間、寝込んだ末、この世を去った。探真坊は仇討ちを誓い、剣の修行に励み、妹を嫁に出すと近江の国に戻って来た。飯道山に登るが、すでに受付は終わり、断られ、仕方なく岩尾山に登った。父親が殺されたのも母親が病で死んだのも、すべて、あの太郎坊のせいだった。その憎き仇の弟子になるために、こうやって山の中を歩いている。
どうして、こんな風になってしまったのだろうか。
探真坊は山の中を歩きながら、その矛盾と戦っていた。
初めの頃は仇の弟子になる事などやめて、山を下りようと思っていた。しかし、弟子にならなければ、太郎坊が飯道山に現れるまで、あと一年近く、待たなければならないと思い、頑張って歩いた。そのうち、雪が解ける頃になると、たとえ、あと一年位、待ってもいいから、どこかで一人で修行に励み、太郎坊以上の腕になって見事に仇を討とうと思うようになり、百日行をやめる決心をした。
探真坊が決心を固め、山を下りようとした時、見たのが、やはり八郎の姿だった。足を引きずりながら歩いている八郎の姿だった。あんな奴、見た事なかった。毎日、毎日、死に物狂いで歩いて、弱音一つ言わない。苦しいくせに、わざと陽気に笑って見せる。
八郎の姿を見ているうちに、探真坊は自分が惨めに思えて来た。何だかんだと尤もらしい理由を付けて山を下りようとしているが、結局は百日行が辛いから、やめたいだけの事だった。ただ、逃げたいだけだった。太郎坊の弟子になるのをやめるにしろ、一人で、どこかで修行するにしろ、百日行が終わってから決めればいい。とにかく、一度、始めたからには、最後までやり通そうと探真坊はまた歩き始めた。
その気持ちも、また変わって行った。桜の花が咲く頃には、今度は仇討ちなんか止めて、山を下りようと思うようになった。しかし、八郎のように純粋な気持ちで、太郎坊の弟子になりたいと思う気持ちが勝り、探真坊は百日間、歩き通す事ができた。
太郎はそんな三人を、かつての智羅天のように見守っていた。自分の弟子になるために、辛い思いをして歩いている三人の姿を見るのは、今の太郎にとっても辛い事だった。
自分はあいつらの師匠になる資格はないと思っていた。
今の太郎は一人の女、夕顔によって精神がばらばらになっていた。夕顔の事が忘れられなかった。会わなければ、この泥沼から抜け出せると思うが、会わずにはいられなかった。自分という者がこれ程、弱い人間だとは思ってもいなかったが、実際、弱い人間だった。
酒もまた飲み始め、毎日、酔っ払っていた。酒にすがって、やっと生きているような状態だった。どうしようもなく、今の自分がいやだった。
三人の百日行は一人の落伍者もなく、四月の末に終わった。太郎は三人が弟子になる事を許した。
弟子になるに当たって、探真坊見山はそのままだったが、宮田八郎、風間光一郎の二人は山伏に変身した。宮田八郎は八郎坊観山、風間光一郎は風光坊包山と名付けられた。
太郎は三人の弟子を、まず、智羅天の岩屋に連れて行った。そして、初めて、天狗の面を取って正体を明かした。
天狗の面の下から出て来た火山坊の顔を見た時の三人の驚きようは、見ていて面白い程だった。三人とも口をぽかんと開けて、太郎坊の素顔を見つめていた。
八郎坊は驚きのあまりひっくり返り、風光坊は持っていた錫杖を落とし、探真坊は太郎坊を指さしたまま、「まさか‥‥‥まさか‥‥‥」と口の中で呟いていた。
一番、驚いていたのは、やはり探真坊だろう。仇を討つために修行していた岩尾山において、すでに仇に会っていたのだった。しかも、その仇から命を助けられた事もあったし、仇討ちのための手裏剣術まで教わっていたのだった。
三人とも太郎坊と火山坊が同じ人物だと納得させるのに時間が掛かった。
太郎はその事をまず口止めした。太郎坊は年末になると、どこからか来て、また、去って行くという事にしておかなければならない。また、三人が太郎坊の弟子だという事も口外してはならないと命じた。
太郎はしばらくの間、三人をこの岩屋に住ませ、ここから飯道山に通わせる事にした。午後は今までのように武術の稽古に出て、午前中はここで修行させた。
太郎自身も忙しく、三人に付きっきりで教える事はできなかった。三人に課題を出して、それぞれに修行させるしかなかった。まず、陰流天狗勝の技を一づつ教え、三人が完全に覚えるまでやらせた。それと陰の術(志能便の術)も、年末の一ケ月間では教えない難しくて危険な技も教えていった。また、三人に山の中に生えている薬草を採らせ、薬も作らせていた。
三人の弟子を持つというのは思っていたより大変な事だった。百日行をやらせたのはいいが、三人の食費を太郎が持たなくてはならなかった。三人とも一年間の食費は持って飯道山に来たが、それ以上は持っていない。百日行をやれと言った以上、飯を食わせないわけにはいかなかった。太郎は智羅天の形見の太刀を売ろうか、それとも智羅天が彫った仏像を売ろうか、迷っていたが、楓に言われ、花養院の松恵尼に相談してみる事にした。
松恵尼は太郎から話を聞くと頷き、ニコッと笑った。
「心配しなくても大丈夫ですよ」と松恵尼は太郎に、綺麗な布に包まれた木箱を渡した。開けてみると銀貨が詰まっていた。
風眼坊が送って来た物だと言う。もし、太郎が銭を必要としているようだったら渡してくれと頼まれたと言う。
風眼坊は去年、大峯山で働いていたが、その報酬が予想外に多かったので、自分で持っていてもしょうがないし、息子を預けた太郎に使ってもらおうと送って来たのだった。
太郎は師匠、風眼坊に頭が下がった。師匠には世話になりっぱなしだった。今、思えば、太郎がこの山で生きて行けたのも師匠のお陰だった。三度三度、飯が食えたのは師匠が銭を出してくれたからだった。
「これだけあれば、何とかなるでしょう」と松恵尼は笑った。
「充分すぎます」と太郎は頭を下げた。
「気にする事はないわ。喜んで使いなさい。風眼坊殿の息子さんを立派な武芸者に育てる事が何よりの恩返しになるのよ」
「はい‥‥‥」
太郎は心の中で師匠に合掌をしていた。必要な分だけ貰い、後は松恵尼に預かって貰う事にした。そして、百日行が終わってからは三人の弟子に薬を作らせ、その薬は松恵尼がさばいてくれた。どういう経路で薬をさばくのかわからないが、松恵尼は喜んで、薬を銭に換えてくれた。その銭で何とか三人の食費は賄う事ができた。
太郎は今年こそ、師匠に会いに行こうと決めていた。師匠の居場所はわかっているし、心の整理をつけたかった。女というものに悩まされ、そこから抜け出す事ができない自分を何とかしたかった。かつて、剣術の事で悩み、修行を積む事で抜け出す事ができたが、今回は、まるで泥沼にでもはまったかのように、もがけばもがく程、どんどん深みにはまって行き、抜け出す事ができなかった。
三人の弟子を持つ師匠となった太郎だったが、こんな状態で人に物など教えられるわけがない。偉そうな事を言っても、それでは自分はどうなんだと自問してしまう。
心の修行というのをもっと積まなければ駄目だと思った。しかし、どんな事をしていいのかわからない。師匠に問えば、何か、手掛かりを与えてくれるだろうと思っていた。
太郎は大峯山で修行するため一ケ月間の休みを下さいと、今年の初めに高林坊に頼んでおいた。高林坊は、すぐには無理だが何とかなるだろうと言ってくれた。そして、六月になって、やっと、待ちに待った休みが貰えた。
太郎は大峯山に行く前に、三人の弟子たちに課題を出して、自分で工夫して修行するようにと言った。
三人は熱心だった。特に、探真坊は仇討ちという目標があるため、太郎を倒すため、死に物狂いになって修行に励んでいた。八郎坊も風光坊も探真坊に負けるものかと修行するので、太郎が一々、ああしろ、こうしろと言わなくても、自分たちで必死に修行を積んでいた。三人の腕は見る見る上達して行った。
太郎は六月の初めの蒸し暑い日、大峯山に向かって旅立って行った。
久し振りの旅だった。何となく、心が弾んでいた。
しかし、戦の影響はあるとは言え、まだ、実際に大規模な戦をやっていない甲賀の地から、伊賀の国を通り、大和の国に入って行くと、いやでも戦という現実が目に入って来た。そういう悲惨な状況を目の当りにすると、太郎の心の迷いなど取るに足らないものに感じられた。感じられるがどうしようもなかった。たとえ、取るに足らないものでも、今の太郎にとっては重大な問題だった。
太郎は大峯山に登るに当たって、まず、吉野の喜蔵院を訪れた。喜蔵院には前に智羅天の彫り物を持って来た事があった。楓と二人で、故郷、五ケ所浦に向かう時だった。あれから、もう三年が経っていた。随分と長かった三年のような気がした。あの時、楓を連れていなかったら間違いなく大峯山に登っていただろう。
いつか、来ようと思っていて、ようやく来る事ができた。しかも、師匠がこの山にいる。期待に胸を膨らませ、太郎は喜蔵院の門をくぐった。
喜蔵院の山伏に風眼坊舜香の事を聞くと、もう、山上の蔵王堂にはいないと言った。
突然、千日間の山籠もりの行に入ったと言う。山上ケ岳より、さらに先の大普賢岳の中腹の崖にある笙(ショウ)の窟(イワヤ)にいると思うが、千日、過ぎないと山を下りて来ないと言う。
千日と言えば三年近くだ。太郎が会う事はできないのかと聞くと、会う事くらいはできるだろう。ただ、無言の行をやっているから話はできないと言った。
窟に籠もって千日間の無言の行‥‥‥気の遠くなるような修行だった。師匠程の人でも、まだ、これ以上、修行を積まなければならないのか‥‥‥師匠の存在がどんどん自分から遠くに離れて行ってしまうような気がした。
たとえ、話ができなくてもいい、せっかく来たのだから、会うだけでも会って、師匠の修行の姿だけでも見ようと太郎は思った。
丁度いい具合に、円弘坊祐喜と言う先達が、明日、出羽の国(山形県と秋田県)の羽黒山から来た三人の山伏を連れて、熊野までの奥駈けをするというので、太郎も、その笙の窟まで一緒に連れて行ってもらう事にした。
次の朝、寅の刻(午前三時)に起き、水垢離(ミズゴリ)を行ない、仏前で般若心経を唱え、朝餉(アサゲ)を取ると出発した。本来なら吉野川まで戻ってから始めるのだが、今回、登る者たちは皆、山伏で、この大峯山は初めてでも、地方で修行を積んでいる者たちなので、吉野の町の入り口にある発心門から始めるとの事だった。
真言を唱えながら発心門の銅の鳥居の回りを回り、仁王門をくぐって蔵王堂に行き、蔵王権現の前でお経を唱えた。蔵王堂の境内にある大威徳(ダイイトク)天神を拝み、二天門をくぐり、僧坊、宿坊の建ち並ぶ吉野の町中を抜け、勝手明神、大梵天、白山明神、雨師(ウシ)観音、子守明神などの祠(ホコラ)や社殿の前で真言を唱えながら、山の中に入って行った。修行門の鳥居のある金精明神の蹴抜(ケヌキ)の塔では真っ暗な塔の中に入れられ、真言を唱えながら塔の中をぐるぐると回った。
山の奥に入るにしたがって、太郎は感動していった。さすが、修験道の本場だった。飯道山と比べたら規模が全然違った。山々が一回り以上も大きく、また、高さも全然違う。
険しい岩だらけの難所も幾つかあったが、太郎には何でもなかった。ただ、この大峯山という山の深さに感動していた。やはり、来て良かったと思った。たとえ、師匠に会えなくても、この山に来られただけでも良かったと思った。
昨日の夕方、太郎が喜蔵院に着いた時、老山伏が信者たちを前に因縁(インネン)について説教をしていた。
「皆さんは無事に大峯山に登りました。この大峯山は誰もが登れるというお山ではありません。前世において、この大峯山と縁のあった人だけが登る事ができます。縁のなかった人は心の中で大峯山の事を思っていても、実際に登る事はできません。また、それぞれの人において、この大峯山に登る時期というのも決まっております。その時期を惜しくも逃してしまった人は、もう、一生、大峯山には登る事はできません‥‥‥」
ちらっと聞いただけだったが、そんなような事を言っていた。まさに、その通りだと思った。
太郎が最初に大峯山に登りたいと思ったのは元服の時、熊野に来て、無音坊という先達に大峯山の事を聞いた時だった。もう八年も前の事だった。その後も、師の風眼坊から大峯山の話を聞く度に、いつも、登ってみたいと思っていた。そして、今、やっと登る事ができた。
登ろうと思えば、いつでも登れると誰もが思う、しかし、人間、生きて行くのが何かと忙しく、登ろう、登ろうと思いながらも、時に流され、登る時期を逃してしまうのではないのだろうか。
太郎にしても、もし、五ケ所浦を飛び出さないで、父親の跡を継いでいたなら、大峯山に登る時期を逃してしまったかもしれない。
また、それは、大峯山に登る事だけではなく、人と人の出会いにも言えるんじゃないだろうか。この広い世の中で、短い人間の一生かけても、会う事のできる人というのは限られている。それも、すでに前世において決められているのかもしれない。何かの縁があって出会う人たちをもっと、よく知らなければならないんじゃないだろうか。
たとえば、ただ、道で擦れ違う人にしたって、何かの縁があるのかもしれない。縁があれば、どんな遠くの人とも会えるし、また、縁がなければ、どんなに近くにいたって会う事はできない。飯道山のようなせまい所にいたって、知らない人はいくらでもいる。夕顔との出会いも縁があって、今のような関係になったのだろうか‥‥‥
縁という不思議な力について、太郎は大峯山に登りながら、しきりに考えていた。
しかし、岩壁をよじ登りながら山頂に近づくにつれて、太郎の頭の中の因縁の事もすっかり消え、なぜか、頭の中が気持ちいい程に空っぽになって行った。
西の覗きの絶壁で逆さ吊りにされて懺悔をし、裏行場を巡って、一行は山上蔵王堂に到着した。
まだ、日は高かった。
蔵王堂の蔵王権現と役の行者の前で、お経を唱えると、やっと解放された。
太郎は蔵王堂の山伏に風眼坊の事を聞いてみた。
「風眼坊殿は、もう、一月程前から、お山に籠もったままです。どこに籠もっているのかは誰にもわかりません。普通、千日行は笙の窟で行ないますが、どうも、そこにはいないようです。今、笙の窟では妙空聖人殿といわれる真言の行者さんが千日行をやっておられます。妙空聖人殿はもう三年近く、笙の窟で修行しておられます。もうすぐ、満願の千日になるはずです。風眼坊殿はそこを避け、自分だけが知っている、どこかの窟に籠もっているに違いありません。風眼坊殿はこの大峯山の隅から隅まで知り尽くしています。我々には風眼坊殿がどこに籠もってしまったのか、まったくわかりません。千日経って、風眼坊殿が出て来るのを待つだけです」
「そうですか‥‥‥」太郎は気落ちした。それでも、何としても師匠に会いたかったし、絶対に会えると思っていた。
「その笙の窟というのは、ここから遠いのですか」と太郎は聞いてみた。
「いや、ここから、二里(八キロ)と離れていません。でも、そこには風眼坊殿はいませんよ」
「はい‥‥‥でも、捜してみます」
「無駄だとは思うが、もし、見つかったら、わしらにも居場所だけは教えて下さい」山伏はそう言うと蔵王堂の中に戻って行った。
千日行か‥‥‥
今、この瞬間も、師匠はどこかの窟で独り、厳しい修行を続けている。大した偉い人だ、と太郎は感心していた。そんな師匠に比べて、自分の存在がとても小さく、惨めに感じられた。
蔵王堂には先達山伏に連れられた白い浄衣(ジョウエ)を着た信者たちが金剛杖を突きながら、続々と登って来ていた。裏行場を巡り、蔵王堂から出て来ると皆、汗を拭きながら和やかに話をしていた。太郎はその場を離れ、眺めのいい岩の上に腰掛けると、しばらく、ボーッと遠くの山々を眺めていた。
いい眺めだった。
本当に来て良かったと思った。
太郎は日が暮れるまで、ボーッとしていた。
霞んだ山の中に沈んで行く、真っ赤な夕日を見つめていた。
綺麗だと思った。
ふと、智羅天に真っ暗闇の中から連れ出されて見た朝日の事が思い出された。あの時は、光という物のありがたさを体で感じていた‥‥‥
なぜ、急に、あの時の事が思い出されたのだろう‥‥‥
わからなかった。
夕日は赤く燃えながら、山の中に沈んで行った。
夕日の姿が完全に山に隠れると、太郎は円弘坊らのいる宿坊に向かった。
次の日、小雨の降る中、円弘坊に連れられて、太郎と羽黒山から来た三人の山伏は笙の窟に向かっていた。
山上の蔵王堂から下りの坂道を進んで行くと、やがて、小篠の宿(シュク)に着いた。ここにも僧坊がかなり建ち並んでいた。その中には近江飯道山の宿坊、梅本院と岩本院もあった。
円弘坊の話によると、ここは真言宗系の山伏たちの拠点になっていると言う。
真言宗系の山伏を見分けるのは簡単だった。彼らは、皆、剃髪していた。天台宗系の山伏は髪を伸ばしたままだった。それは、それぞれの開祖の違いから来ていた。天台宗系の山伏は修験道の開祖とされる役の行者、小角(オヅヌ)を開祖とし、真言宗系の山伏は修験道中興の祖とされる醍醐寺の開祖、理源大師聖宝(リゲンタイシショウホウ)を開祖としていた。そして、お互いに開祖にならえと天台宗系は有髪、真言宗系は剃髪となっていった。
この当時は、剃髪の山伏より有髪の山伏の方が圧倒的に多かった。
小篠の宿の行者堂の前で真言を唱え、小篠の宿を後に龍ケ岳に沿って坂道を登り、山を一つ越えると、金の阿弥陀仏を祀った祠のある大篠の宿に着く。また、山を越えると剣光童子を祀る脇の宿に着いた。ここから大普賢岳への登りとなった。
一行は大普賢岳の山頂へは登らず、途中から奥駈け道をそれて、しばらく急な坂を下りて行った。石の鼻と言う岩場を乗り越え、さらに岩の中を下りて行くと鷲(ワシ)の窟があった。鷲の窟はあまり広くはなかった。それから少し行くと目的地の笙の窟があった。
窟の中に髪も髭も伸び放題の痩せ細った妙空聖人が修行していた。
笙の窟は南に面した崖の中にあり、窟の中は思っていたより狭かった。中央に石を積み、その上に不動明王を祀った祠が建っていた。窟の右側には岩から滲み出る水が溜めてある。窟の中はかなり湿っぽいが、修行を積むのには持って来いの場所だった。
妙空聖人は不動明王の祠の前に座り込み、声を出さずに一心に祈っているようだった。こちらに背中を向けて座っているので顔までは見えないが、聖人の回りには神気が漂い、まるで、神々しい仙人のようだった。
円弘坊は連れて来た四人を窟の前で止め、妙空聖人に向かって合掌をした。太郎と羽黒山の三人も円弘坊にならって合掌をした。
笙の窟を後にして、側にある朝日の窟、指弾の窟を見て回った。朝日の窟は籠もる事はできるが、笙の窟程広くはない。指弾の窟は狭く、とても長期間、籠もれるような窟ではなかった。もう一つ蟇(ガマ)仙人の窟と呼ばれる窟があるが、三十年程前に崩れてしまい、今は籠もれる程の窟ではないと円光坊は言った。以前は、その蟇仙人の窟が一番広く、多くの修行者が修行していたと言う。
師匠、風眼坊の姿はどこにもなかった。妙空聖人以外、この辺りには誰もいないようだった。
太郎はここから引き返すつもりだったが、せっかく、ここまで来たのだから奥駈けをしなければ勿体ないと皆から言われ、一応、熊野まで行ってみる事にした。奥駈け道を一通り歩いてみて、それから、師匠を捜してみようと思った。
初めて来た山なので、師匠を捜すにも、どこに何があるのか、まったくわからない。また、山が大き過ぎて、そう簡単に見つけられそうもなかった。師匠はきっと、この山の事なら何でも知っているに違いない。そして、自分だけが知っている窟に隠れて修行しているのだろう。まず、円弘坊から知っている事を全部、教えてもらい。それから、一人で山の中を歩き回ってみようと思った。
笙の窟から奥駈け道に戻り、大普賢岳に登った。山頂には普賢菩薩を祀った祠があった。そこから、弥勒ケ岳に向かう。弥勒ケ岳には蟻の戸渡りや薩摩転び、内侍(ナイジ)落としなどの難所があり、その難所を越えると児泊(チゴドマリ)の宿に着く。ここは、ちょっとした休憩場所だった。一行もここで一休みをした。
ようやく、雨も止み、日が差して来た。
「風眼坊殿はどこにいると思いますか」と太郎は円弘坊に聞いてみた。
「わかりませんなあ」と円弘坊は首を振った。「しかし、千日行をやるには食糧の供給ができる場所でなくてはなりません。いくら、修行とはいえ、物を食わずに千日も生きていられるわけがないですからな。笙の窟は、あそこから一里半程下った所に天ケ瀬村というのがあります。あそこの村人の助けがあって、初めて、千日行ができるというわけです。また、これから行く弥山(ミセン)の宿や神仙(ジンゼン)の宿に籠もって修行する人もいますが、弥山の宿は三里程下りた所の坪の内村、神仙の宿は一里程下りた所にある前鬼(ゼンキ)村の助けを借りています。ですから、風眼坊殿も、その三つの村の近くにいるに違いありません。でも、捜すのは大変ですよ」
「その風眼坊殿というお人も千日の行をなさっておられるのですか」と羽黒山の山伏が聞いた。
「ええ」と太郎は答えた。
「凄いもんですな。千日行なんて話には聞いた事がありますが、もう、昔の事で、今は、そんな荒行をする人なんていないと思っておりました。しかし、実際、いるんですね。やはり、大峯山は本場だけあって凄いですな。あの聖人様を拝ませてもらっただけでも、田舎から、わざわざ出て来た甲斐がありました」
「本当じゃのう。まるで、生きている神様のようじゃったのう」
「円弘坊殿、笙の窟の辺りには、まだ、他にも窟があるのですか」と太郎は聞いた。
「あるらしい。いくつかあるらしいが危険な所にあって近づけんそうじゃ。風眼坊殿なら行きそうだがな。しかし、このお山は奥が深いからのう、奥深く迷い込んでしまったら、二度と出て来られなくなる事もある。わしらはそういう奴を仙人と呼んでおるが、風眼坊殿を捜すのはいいが仙人にならんように気を付けてくれよ」
「その仙人になる人というのは結構いるのですか」と羽黒山の山伏が聞いた。
「いるようじゃのう。このお山に入るのには、わしら、大峯の先達を連れていなければならん決まりなんだが、中には、独りで勝手に入って行く奴もおる。この間も、釈迦ケ岳の下の谷の側で死んでいる仙人が見つかった。出雲の大山(ダイセン)から来た山伏じゃった。大峯を甘く見たんじゃろう。それでも、遺体が見つかれば、まだいい方で、山奥でひっそりと死んで行き、未だに行方不明のままの仙人もかなりおるじゃろうのう」
「恐ろしや‥‥‥」
そこから、また、登り坂になり、岩をよじ登ると、国見岳の頂上に出た。頂上は狭いが、見晴らしは良かった。さらに、岩に囲まれた尾根道を進んで行くと行者還岳(ギョウジャカエリダケ)という名の岩山に着く。この岩山は南側が絶壁になっていて、苦労して頂上まで登っても、そこから先へは行けない。また、戻らなければならなかった。
役の行者でさえ、熊野から吉野を目指してここまで来たが、この絶壁に恐れをなして引き返したというので、この名が付いた山である。この山を下りて、進むと、金剛童子を祀った祠があり、岩肌から清水が流れていた。ここで口を潤し、さらに進む。ここから先は、なだらかな道が続いていた。一の多和(タワ)という水場を通り、理源大師聖宝を祀る講婆世宿に着く。ここから聖宝八丁と呼ばれる急坂を上ると弥山の宿に着いた。今日の泊まりはここだった。
弥山の宿には、いくつかの僧坊が建ち並び、御手洗(ミタラシ)池があり、小高い丘の上に弁財天を祀る社(ヤシロ)があった。
ここには四人の山伏がいた。三人は熊野から来て吉野に向かう途中で、一人は、ここで断食の行をしているという。
太郎は彼らに、風眼坊の事を聞いてみたが、皆、知らないと言った。
宿坊で食事を済ませると太郎は外に出た。空を見上げたが、曇っていて星も見えなかった。円弘坊が言っていたように、明日も雨になるかもしれなかった。
一体、師匠は、どこに隠れてしまったのだろうか‥‥‥
太郎が鳥居の側に腰を下ろして、ぼんやりしていると、羽黒山の山伏、松寿坊が近づいて来た。
松寿坊は三人の内で一番若く、食事の支度や雑用などをやらされていた。太郎と同じ位の歳だが、太郎は飯道山において先達山伏という資格を持っているので、太郎の食事も彼が作っていた。先輩にこき使われているのを見かねて、太郎は何かと手伝ってやっていた。
松寿坊は太郎の側まで来ると、太郎に断って隣に腰を下ろした。
「太郎坊殿、そなたは足が速いですなあ」と松寿坊は言った。「わしはみんなに付いて行くのがやっとです。それに岩登りは苦手です。恐ろしくてしょうがないです」
「慣れですよ」と太郎は言った。
「慣れですか‥‥‥まだ、あと五日もあります。これから先、もっと、危険な所が一杯あるんでしょうね」
「多分な」
「わしには自信がないです。もし、途中で付いて行けなくなったら、谷底に突き落とされると聞いています。もしかしたら、生きて帰れないかもしれない‥‥‥」
「そんな心配する事はない。初めは誰でも恐ろしいものだ」
「来るんじゃなかった‥‥‥」
「大丈夫だよ」と太郎は励ました。
松寿坊は太郎に身の上話を始めた。
こんな山奥まで来て、心細くなったのだろう。太郎は黙って松寿坊の話を聞いてやった。言いたい事を全部、言ってしまうと、すっきりしたのか、明日も早いから、もう休みましょうと先に帰って行った。
風が出て来た。
太郎も宿坊に帰った。
師匠、風眼坊の姿は見つからなかった。
すでに、太郎が大峯山に入ってから十六日が過ぎていた。
羽黒山の山伏たちと一緒に奥駈けの最終点、熊野の本宮まで行き、そこで彼らと別れ、一人で、また、大峯山に戻った太郎だった。羽黒山の山伏たちは、そこから、新宮、那智の滝まで足を伸ばすと言っていた。
太郎はまず、神仙の宿の近くの前鬼村に行って、そこに住んでいる山伏たち、みんなに当たってみた。師匠を知っている者は何人もいたが、師匠の居場所を知っている者は一人もいなかった。師匠に食糧を運んでいるという者も見つからない。それでも、一応、神仙の宿の周辺を二日がかりで捜してみたが無駄だった。危険な場所に人が籠もれそうな窟がいくつかあったが、最近、人がいたという形跡はまったく、なかった。
次に、弥山から三里程下りた所にある坪の内村に行った。ここでも師匠の事を聞いて回ったが、居場所を知っている者はいなかった。勿論、食糧を運んでいる者もいない。弥山の周辺を捜してもみたが無駄だった。
次に、笙の窟の下にある天ケ瀬村に行った。ここでも師匠の事を聞いて回ったが、何の収穫もなかった。大普賢岳の周辺を捜してもみたが、やはり、見つからなかった。
もう、日が暮れようとしていた。
今日も、また、笙の窟の隣にある朝日の窟にでも泊まろうかと、太郎は山を下りていた。
太郎が笙の窟の前を通った時、妙空聖人の姿が見えなかった。
初めて見た時も、昨日見た時も、今朝見た時も、中央の祠の前に座り込んでいた。ところが、今はいなかった。
妙空聖人だって生きている。年がら年中、同じ所に座っているとは限らないが、太郎は気になって窟の中を見回した。そして、窟の回りも見回した。
辺りは暗くなっていたが月明かりが差し込んでいて、窟の中まで良く見えた。窟の中には妙空聖人の姿は見当たらなかった。回りにも見当たらない。
一体、どこに行ったのだろう‥‥‥
窟の右側が小高い丘のようになっていた。その丘の向こうに何かあるのかなと思って、太郎はその丘の上に登ってみた。丘の向こうには何もなく、聖人の姿もなかった。
どこに行ったのだろうと、もう一度、窟の中を見ると聖人の姿があった。
妙空聖人は不動明王の祠の裏の辺りに座り込んでいた。向こうから見た場合、丁度、祠の陰に隠れて見えなかっただけだった。何をしているのだろうと、太郎は少し近づいてみた。目が慣れて来るにしたがって、聖人の姿が良く見えて来た。
聖人は壁に向かって座り込んでいた。壁には小さな地蔵菩薩の石像が置いてあった。
聖人は、その地蔵菩薩に何かを祈っているようだった。
太郎は合掌をして、その場を去ろうとした。
その時、急に聖人は振り向いた。そして、素早く、太郎の方に近づいて来ると太郎を見上げた。その動きは異様だった。その顔も、何かに取り憑かれているような異様な顔だった。耐え切れない程の苦痛に、やっとの思いで耐えているかのような歪んだ顔付きをしていた。その中で、目だけが異様に鋭く光っている。そして、その目で太郎を仰ぎ見ると、太郎に向かって合掌をした。
太郎は一体、何事かと思ったが、真剣な聖人の態度を見たら何も言えなくなり、ただ、黙って、立っているだけだった。
聖人は真っすぐ、太郎を見上げていた。しかし、良く見ると、その目はすでに、何も見えないようだった。
聖人は太郎に向かって、しばらく、一心に合掌していたが、やがて、苦痛に歪んだ顔が少しづつ穏やかな顔付きに変わって行った。そして、太郎に向かって深く頭を下げた。「ありがとうございます」と聖人はかすれた小声で何度も言っていた。
「満願の今日、お許しいただいて、本当にありがとうございます」と聖人は言った。「これで、千日の行をやった甲斐がありました‥‥‥」
どうやら、聖人は太郎を地蔵菩薩の化身(ケシン)か何かと勘違いしているらしかった。
太郎は黙って、そのまま立っていた。
聖人は太郎の前に伏せたまま、喋り続けた。
「私は皆様から聖人様などと呼ばれておりますが、決して、そんな偉い人間ではございません。最低の人間です‥‥‥私は人を何人も殺して参りました。罪もない人を何人も殺して来たのございます。それはもう、数えきれない程です。悪事もして参りました‥‥‥
決して、許される人間ではないのです‥‥‥聞いて下さい。私はもと関東の武士でございます。父の跡を継ぎ、武将として真面目に生きて参りました。主君に忠実な部下でした。主君のやる事は何でも正しいものと信じ、主君から命令された事は何でも実行して参りました。それが、絶対に正しい事だと信じ込んでいたのです。
命令に従い、人を何人も殺して参りました。主君を裏切ったという同僚の首も斬りました。その同僚は、子供の頃から仲のいい奴でした。殺したくはありませんでしたが、主君を裏切ったという事は許せませんでした。見逃してくれと頼む同僚を、私は心を鬼にして殺しました。そして、その家族までも私は殺したのです‥‥‥
女や子供を殺すのも平気でした‥‥‥抵抗のできない百姓たちを皆殺しにした事もありました‥‥‥泣き叫ぶ女、子供を見ても、まったく、平気でした。何の罪悪感もありませんでした。主君の命令に従い、当然の事をしたのだと思っておりました。お陰で、出世だけは致しました‥‥‥
親が決めて、娶った最初の妻は子供を産まないまま、病で亡くなりました。それから、しばらくの間、私は独り身を通しました。別に不便でもありませんでした。仕事だけが生きがいでした。そんな私が五十を過ぎてから、年甲斐もなく、一人の女に惚れました。相手は人妻でした‥‥‥人妻でしたが、どうしようもありませんでした。どうしても、その女が欲しかったのです‥‥‥
私はその女を手に入れるため、その女の夫を殺しました。直接、手を下したわけではありませんが、私が殺したのも同じ事です。私は自分の地位を利用して、その女の夫を最も危険な任務に就けました。そして、私の思った通り、その女の夫は遺体となって戻って参りました。私はその女に近づき、うまい具合に慰めて、自分のものにしてしまいました。
幸せでした‥‥‥本当に幸せでした‥‥‥
五十を過ぎて、初めて、家庭というものの温かさを感じていました。やがて、子供もできました。男の子と女の子、一人つづでした。子供は可愛いかった。本当に可愛いかった。あの頃は、本当に幸せでした‥‥‥
しかし、その幸せは長くは続きませんでした。流行り病で二人の子供と妻も亡くしてしまいました‥‥‥一遍に三人を亡くし、また、独りになってしまいました。今回の独りは耐えられませんでした。仕事など、まったく手につきません。いつまでも家に籠もったまま、悲しみに打ちひしがれておりました‥‥‥
そんな時、私は初めて、回りの者たちが自分の事をどう思っていたかを知りました。誰もが、罰(バチ)が当たったと言っておりました。今まで、罪もない人間を何人も殺して来たから、罰が当たったんだと言っておりました。そんな事はない、私は間違った事はしていない。罰など当たるはずはない。そんな事は絶対にない、と自分に言い聞かせようと思いましたが駄目でした‥‥‥
今まで、自分が殺して来た者たちの叫び声や苦痛の顔が一人一人浮かんで来て、頭から離れなくなってしまったのでございます。妻でさえ、夫を殺したのが私だと気づいてしまったのか、恨めしそうな顔をして私の枕元に現れました‥‥‥
自分の妻や子供を亡くして、初めて、今まで自分がやって来た事が、人間の仕業とは思えない程、残酷で非道な行ないだったと気づきました。泣き叫んでいる子供を殺すなんて、本当に、人間のする事ではありません。絶対に、許される事ではありません。それを私は、命令だからと言って、平気でやっていたのです‥‥‥
私は頭を丸め、殺した人たちの冥福を祈るため、修行の旅に出ました。今まで自分がして来た報いとして、辛い修行をやり、自分を痛め付けて参りました。山という山は皆、登りました。それでも、私が殺して来た者たちは私を悩まし続けました。寝ても、覚めても、その人たちの亡霊に悩まされました。やがて、私の目は見えなくなりました。目が見えなくなっても、亡霊たちははっきりと見えました。目が見えていた時以上に、はっきりと見えるようになりました‥‥‥
私は最後の修行に、このお山での千日行を選びました。死ぬ気で、この行を始めました。もう、疲れました。もう、本当に疲れました‥‥‥地蔵菩薩様、どうか、もう、私をお許し下さい。お願い致します‥‥‥」
妙空聖人は太郎に深く頭を下げた。
「お許し下さい、許して下さい‥‥‥」
聖人は何度も何度も、許して下さいと言っていた。
太郎には、どうしたらいいのかわからなかった。許すと一言、言ってやりたかったが、太郎が言うわけにはいかなかった。
その時、不思議な事が起こった。
急に、強い風が吹いて来た。樹木が音を立てて揺れ、岩に当たった風は不気味な音を響かせた。
聖人は顔を上げた。そして、じっと太郎の顔を見上げていた。やがて、見えない目が潤んできて、涙を流し始めた。そして、太郎を見上げたまま、「ありがとうございました」と呟いた。
太郎には一体、何が起こったのかわからなかったが、妙空聖人は許されたに違いないと思った。
太郎は風の音にまぎれて、その場から去った。
妙空聖人は、まだ、何物かを見上げたまま、涙を流していた。
次の日の朝、太郎が笙の窟の前を通ると、妙空聖人は、いつもの様にいつもの所に座り込んでいた。しかし、何となく様子が変だった。何となく、いつもと違うような気がした。
側まで行って、よく見ると、聖人は合掌したまま成仏していた。その顔は、穏やかで、幸せそうだった。
太郎は聖人に両手を合わせた。胸の奥にジーンと来るものがあった。
太郎は笙の窟に籠もっていた。
師匠、風眼坊を捜すのは諦めていた。
今、会えないのは、きっと、縁がないからだろうと思うようになっていた。縁があれば、また、いつか、どこかで会えるだろう。会う時が来れば、別に捜さなくても会う事ができるだろうと思っていた。
妙空聖人の遺体は天ケ瀬村の山伏たちによって、丁寧に荼毘(ダビ)にふせられ、笙の窟の右側の丘の上の朝日の当たる場所に埋葬された。
太郎はこの窟で自分の事をよく考えてみようと思った。飯道山に戻ってからというもの、毎日忙しくて、ゆっくりと考え事もできなかった。
やらなければならないと思う事が一杯あり過ぎた。しかし、それをする事ができないので、焦りばかりが募って行った。頭の中は混乱して来るばかりだった。太郎はゆっくりと落ち着いて考えてみた。
やらなければならない事というのは、本当に、やらなければならない事なのだろうか。
陰流の完成‥‥‥
陰の術の完成‥‥‥
そして、剣術の師範代‥‥‥
やらなければならない事というのは、この三つしかなかった。たった、三つしかないのに何を焦る事があるのだろう。
陰流、陰の術は、完成させようと思っても簡単にできるものではなかった。常に工夫を重ねながら、完成するべき時に完成するのではないだろうか。いくら、焦ってみたって完成などするわけがない。
俺は一体、何で、あんなに焦っていたのだろう。
自分の時間がなかったからか。
嘘だ。酒を飲む時間はいくらでもあったじゃないか‥‥‥
夕顔‥‥‥
楓‥‥‥
二人の女‥‥‥この問題は難しかった。簡単に答えは出そうもなかった。
太郎はしばらく、何も考えないでいる事にした。
これも難しかった。何も考えないでいようとしても、つい、何かを考えてしまう。ただ、ボーッとしているというのは非常に難しい事だった。
何かが頭の中に浮かぶと、太郎はすぐに打ち消した。何も考えないようにと思った。
何度も、何度も繰り返しているうちに、何も考えないようにしようと思う事じたい、そう考えているんだから、それさえも考えないようにしなければ駄目だという事に気づいた。
太郎はそれも考えないようにした。
雑念を振り切り、頭の中を空っぽにするのには何日も掛かった。
一体、どれ位経ったのだろう。
この窟に籠もってから何日経ったのかさえ、忘れてしまっていた。
朝日と共に起き、一日中、何も考えないで、何もしないで、飯だけは食べたが、日が沈むと横になって寝た。
毎日、その繰り返しだった。
人にも会わなかった。ここまで来る者は誰もいなかった。山奥に、たった独りでいるのに不思議と孤独感はなかった。何か、不思議な大きな力に包まれているような感じがしていた。
頭の中が空っぽになって、すっきりすると、太郎はまた考えてみた。
二人の女‥‥‥
楓は楓‥‥‥
そして、夕顔は夕顔‥‥‥
そして、酒は酒‥‥‥
俺は、酒に飲まれていた‥‥‥
酒を飲んでいるつもりだったが、逆に、酒に飲まれていた。酒にすがっていた。酒を頼みとしていた。酒に逃げていた。
酒は酒なんだ。すがる物でも、頼みとする物、逃げる物でもなく、まして、飲まれる物でもない。酒は飲む物なんだ。
女‥‥‥やはり、女は女だ。
楓は楓で、夕顔は夕顔‥‥‥
よくわからないが、頭の中はなぜか、すっきりとしていた。
心も、以前のように、ばらばらではないようだった。自分に自信が持てるようになっていた。今の俺なら、あの三人の師匠として、やっていける自信が持てた。
太郎は腰の小刀を抜いて、空を斬ってみた。
心の迷いは消えていた。
太郎は山を下りる事にした。
探真坊は山の中を歩きながら、どうして、こんな事になってしまったのか考えていた。わざわざ、仇(カタキ)の弟子になるために、何で、こんな事をしているのだろうか‥‥‥
あの日、志能便の術の稽古、最後の日、探真坊は仇討ちだと太郎坊に掛かって行った。死ぬ気だった。太郎坊を殺して自分も死ぬ覚悟だった。ところが、簡単にあしらわれ、逃げられた。探真坊は太郎坊を追いかけた。しかし、太郎坊を追いかけたのは自分だけではなく、光一郎と八郎がいた。二人は太郎坊に弟子にしてくれと頼んだ。探真坊も二人に倣った。
なぜ、あんな態度に出てしまったのかわからなかった。弟子になろうなんて思ってもいなかった。後で考えてみると、弟子になれば、いつも、太郎坊の側にいられる、側にいれば、いつか、仇を討つ事ができるだろうと思ったが、あの時は、そんな事まで考えていたわけではない。
あの一瞬、仇討ちの事は忘れていたといった方が正しいような気がする。光一郎や八郎と同じように、純粋な気持ちで、太郎坊の弟子になりたいと思ったに違いなかった。弟子になりたいという気持ちも本当なら、仇を討ちたいという気持ちも本当だった。
今まで、仇を討つために武術の修行を積んで来た。いや、武術だけではない。仇討ちのためだけに生きて来たとも言える。それを、仇の弟子になって修行するというのは矛盾だった。
探真坊が十五歳の時、父親、山崎新十郎は太郎坊と陰の五人衆に殺された。探真坊は母親と妹を連れて、母親の実家のある河内の国に帰った。
河内の国に帰った途端、母親は倒れ、二ケ月間、寝込んだ末、この世を去った。探真坊は仇討ちを誓い、剣の修行に励み、妹を嫁に出すと近江の国に戻って来た。飯道山に登るが、すでに受付は終わり、断られ、仕方なく岩尾山に登った。父親が殺されたのも母親が病で死んだのも、すべて、あの太郎坊のせいだった。その憎き仇の弟子になるために、こうやって山の中を歩いている。
どうして、こんな風になってしまったのだろうか。
探真坊は山の中を歩きながら、その矛盾と戦っていた。
初めの頃は仇の弟子になる事などやめて、山を下りようと思っていた。しかし、弟子にならなければ、太郎坊が飯道山に現れるまで、あと一年近く、待たなければならないと思い、頑張って歩いた。そのうち、雪が解ける頃になると、たとえ、あと一年位、待ってもいいから、どこかで一人で修行に励み、太郎坊以上の腕になって見事に仇を討とうと思うようになり、百日行をやめる決心をした。
探真坊が決心を固め、山を下りようとした時、見たのが、やはり八郎の姿だった。足を引きずりながら歩いている八郎の姿だった。あんな奴、見た事なかった。毎日、毎日、死に物狂いで歩いて、弱音一つ言わない。苦しいくせに、わざと陽気に笑って見せる。
八郎の姿を見ているうちに、探真坊は自分が惨めに思えて来た。何だかんだと尤もらしい理由を付けて山を下りようとしているが、結局は百日行が辛いから、やめたいだけの事だった。ただ、逃げたいだけだった。太郎坊の弟子になるのをやめるにしろ、一人で、どこかで修行するにしろ、百日行が終わってから決めればいい。とにかく、一度、始めたからには、最後までやり通そうと探真坊はまた歩き始めた。
その気持ちも、また変わって行った。桜の花が咲く頃には、今度は仇討ちなんか止めて、山を下りようと思うようになった。しかし、八郎のように純粋な気持ちで、太郎坊の弟子になりたいと思う気持ちが勝り、探真坊は百日間、歩き通す事ができた。
太郎はそんな三人を、かつての智羅天のように見守っていた。自分の弟子になるために、辛い思いをして歩いている三人の姿を見るのは、今の太郎にとっても辛い事だった。
自分はあいつらの師匠になる資格はないと思っていた。
今の太郎は一人の女、夕顔によって精神がばらばらになっていた。夕顔の事が忘れられなかった。会わなければ、この泥沼から抜け出せると思うが、会わずにはいられなかった。自分という者がこれ程、弱い人間だとは思ってもいなかったが、実際、弱い人間だった。
酒もまた飲み始め、毎日、酔っ払っていた。酒にすがって、やっと生きているような状態だった。どうしようもなく、今の自分がいやだった。
三人の百日行は一人の落伍者もなく、四月の末に終わった。太郎は三人が弟子になる事を許した。
弟子になるに当たって、探真坊見山はそのままだったが、宮田八郎、風間光一郎の二人は山伏に変身した。宮田八郎は八郎坊観山、風間光一郎は風光坊包山と名付けられた。
太郎は三人の弟子を、まず、智羅天の岩屋に連れて行った。そして、初めて、天狗の面を取って正体を明かした。
天狗の面の下から出て来た火山坊の顔を見た時の三人の驚きようは、見ていて面白い程だった。三人とも口をぽかんと開けて、太郎坊の素顔を見つめていた。
八郎坊は驚きのあまりひっくり返り、風光坊は持っていた錫杖を落とし、探真坊は太郎坊を指さしたまま、「まさか‥‥‥まさか‥‥‥」と口の中で呟いていた。
一番、驚いていたのは、やはり探真坊だろう。仇を討つために修行していた岩尾山において、すでに仇に会っていたのだった。しかも、その仇から命を助けられた事もあったし、仇討ちのための手裏剣術まで教わっていたのだった。
三人とも太郎坊と火山坊が同じ人物だと納得させるのに時間が掛かった。
太郎はその事をまず口止めした。太郎坊は年末になると、どこからか来て、また、去って行くという事にしておかなければならない。また、三人が太郎坊の弟子だという事も口外してはならないと命じた。
太郎はしばらくの間、三人をこの岩屋に住ませ、ここから飯道山に通わせる事にした。午後は今までのように武術の稽古に出て、午前中はここで修行させた。
太郎自身も忙しく、三人に付きっきりで教える事はできなかった。三人に課題を出して、それぞれに修行させるしかなかった。まず、陰流天狗勝の技を一づつ教え、三人が完全に覚えるまでやらせた。それと陰の術(志能便の術)も、年末の一ケ月間では教えない難しくて危険な技も教えていった。また、三人に山の中に生えている薬草を採らせ、薬も作らせていた。
三人の弟子を持つというのは思っていたより大変な事だった。百日行をやらせたのはいいが、三人の食費を太郎が持たなくてはならなかった。三人とも一年間の食費は持って飯道山に来たが、それ以上は持っていない。百日行をやれと言った以上、飯を食わせないわけにはいかなかった。太郎は智羅天の形見の太刀を売ろうか、それとも智羅天が彫った仏像を売ろうか、迷っていたが、楓に言われ、花養院の松恵尼に相談してみる事にした。
松恵尼は太郎から話を聞くと頷き、ニコッと笑った。
「心配しなくても大丈夫ですよ」と松恵尼は太郎に、綺麗な布に包まれた木箱を渡した。開けてみると銀貨が詰まっていた。
風眼坊が送って来た物だと言う。もし、太郎が銭を必要としているようだったら渡してくれと頼まれたと言う。
風眼坊は去年、大峯山で働いていたが、その報酬が予想外に多かったので、自分で持っていてもしょうがないし、息子を預けた太郎に使ってもらおうと送って来たのだった。
太郎は師匠、風眼坊に頭が下がった。師匠には世話になりっぱなしだった。今、思えば、太郎がこの山で生きて行けたのも師匠のお陰だった。三度三度、飯が食えたのは師匠が銭を出してくれたからだった。
「これだけあれば、何とかなるでしょう」と松恵尼は笑った。
「充分すぎます」と太郎は頭を下げた。
「気にする事はないわ。喜んで使いなさい。風眼坊殿の息子さんを立派な武芸者に育てる事が何よりの恩返しになるのよ」
「はい‥‥‥」
太郎は心の中で師匠に合掌をしていた。必要な分だけ貰い、後は松恵尼に預かって貰う事にした。そして、百日行が終わってからは三人の弟子に薬を作らせ、その薬は松恵尼がさばいてくれた。どういう経路で薬をさばくのかわからないが、松恵尼は喜んで、薬を銭に換えてくれた。その銭で何とか三人の食費は賄う事ができた。
太郎は今年こそ、師匠に会いに行こうと決めていた。師匠の居場所はわかっているし、心の整理をつけたかった。女というものに悩まされ、そこから抜け出す事ができない自分を何とかしたかった。かつて、剣術の事で悩み、修行を積む事で抜け出す事ができたが、今回は、まるで泥沼にでもはまったかのように、もがけばもがく程、どんどん深みにはまって行き、抜け出す事ができなかった。
三人の弟子を持つ師匠となった太郎だったが、こんな状態で人に物など教えられるわけがない。偉そうな事を言っても、それでは自分はどうなんだと自問してしまう。
心の修行というのをもっと積まなければ駄目だと思った。しかし、どんな事をしていいのかわからない。師匠に問えば、何か、手掛かりを与えてくれるだろうと思っていた。
太郎は大峯山で修行するため一ケ月間の休みを下さいと、今年の初めに高林坊に頼んでおいた。高林坊は、すぐには無理だが何とかなるだろうと言ってくれた。そして、六月になって、やっと、待ちに待った休みが貰えた。
太郎は大峯山に行く前に、三人の弟子たちに課題を出して、自分で工夫して修行するようにと言った。
三人は熱心だった。特に、探真坊は仇討ちという目標があるため、太郎を倒すため、死に物狂いになって修行に励んでいた。八郎坊も風光坊も探真坊に負けるものかと修行するので、太郎が一々、ああしろ、こうしろと言わなくても、自分たちで必死に修行を積んでいた。三人の腕は見る見る上達して行った。
太郎は六月の初めの蒸し暑い日、大峯山に向かって旅立って行った。
2
久し振りの旅だった。何となく、心が弾んでいた。
しかし、戦の影響はあるとは言え、まだ、実際に大規模な戦をやっていない甲賀の地から、伊賀の国を通り、大和の国に入って行くと、いやでも戦という現実が目に入って来た。そういう悲惨な状況を目の当りにすると、太郎の心の迷いなど取るに足らないものに感じられた。感じられるがどうしようもなかった。たとえ、取るに足らないものでも、今の太郎にとっては重大な問題だった。
太郎は大峯山に登るに当たって、まず、吉野の喜蔵院を訪れた。喜蔵院には前に智羅天の彫り物を持って来た事があった。楓と二人で、故郷、五ケ所浦に向かう時だった。あれから、もう三年が経っていた。随分と長かった三年のような気がした。あの時、楓を連れていなかったら間違いなく大峯山に登っていただろう。
いつか、来ようと思っていて、ようやく来る事ができた。しかも、師匠がこの山にいる。期待に胸を膨らませ、太郎は喜蔵院の門をくぐった。
喜蔵院の山伏に風眼坊舜香の事を聞くと、もう、山上の蔵王堂にはいないと言った。
突然、千日間の山籠もりの行に入ったと言う。山上ケ岳より、さらに先の大普賢岳の中腹の崖にある笙(ショウ)の窟(イワヤ)にいると思うが、千日、過ぎないと山を下りて来ないと言う。
千日と言えば三年近くだ。太郎が会う事はできないのかと聞くと、会う事くらいはできるだろう。ただ、無言の行をやっているから話はできないと言った。
窟に籠もって千日間の無言の行‥‥‥気の遠くなるような修行だった。師匠程の人でも、まだ、これ以上、修行を積まなければならないのか‥‥‥師匠の存在がどんどん自分から遠くに離れて行ってしまうような気がした。
たとえ、話ができなくてもいい、せっかく来たのだから、会うだけでも会って、師匠の修行の姿だけでも見ようと太郎は思った。
丁度いい具合に、円弘坊祐喜と言う先達が、明日、出羽の国(山形県と秋田県)の羽黒山から来た三人の山伏を連れて、熊野までの奥駈けをするというので、太郎も、その笙の窟まで一緒に連れて行ってもらう事にした。
次の朝、寅の刻(午前三時)に起き、水垢離(ミズゴリ)を行ない、仏前で般若心経を唱え、朝餉(アサゲ)を取ると出発した。本来なら吉野川まで戻ってから始めるのだが、今回、登る者たちは皆、山伏で、この大峯山は初めてでも、地方で修行を積んでいる者たちなので、吉野の町の入り口にある発心門から始めるとの事だった。
真言を唱えながら発心門の銅の鳥居の回りを回り、仁王門をくぐって蔵王堂に行き、蔵王権現の前でお経を唱えた。蔵王堂の境内にある大威徳(ダイイトク)天神を拝み、二天門をくぐり、僧坊、宿坊の建ち並ぶ吉野の町中を抜け、勝手明神、大梵天、白山明神、雨師(ウシ)観音、子守明神などの祠(ホコラ)や社殿の前で真言を唱えながら、山の中に入って行った。修行門の鳥居のある金精明神の蹴抜(ケヌキ)の塔では真っ暗な塔の中に入れられ、真言を唱えながら塔の中をぐるぐると回った。
山の奥に入るにしたがって、太郎は感動していった。さすが、修験道の本場だった。飯道山と比べたら規模が全然違った。山々が一回り以上も大きく、また、高さも全然違う。
険しい岩だらけの難所も幾つかあったが、太郎には何でもなかった。ただ、この大峯山という山の深さに感動していた。やはり、来て良かったと思った。たとえ、師匠に会えなくても、この山に来られただけでも良かったと思った。
昨日の夕方、太郎が喜蔵院に着いた時、老山伏が信者たちを前に因縁(インネン)について説教をしていた。
「皆さんは無事に大峯山に登りました。この大峯山は誰もが登れるというお山ではありません。前世において、この大峯山と縁のあった人だけが登る事ができます。縁のなかった人は心の中で大峯山の事を思っていても、実際に登る事はできません。また、それぞれの人において、この大峯山に登る時期というのも決まっております。その時期を惜しくも逃してしまった人は、もう、一生、大峯山には登る事はできません‥‥‥」
ちらっと聞いただけだったが、そんなような事を言っていた。まさに、その通りだと思った。
太郎が最初に大峯山に登りたいと思ったのは元服の時、熊野に来て、無音坊という先達に大峯山の事を聞いた時だった。もう八年も前の事だった。その後も、師の風眼坊から大峯山の話を聞く度に、いつも、登ってみたいと思っていた。そして、今、やっと登る事ができた。
登ろうと思えば、いつでも登れると誰もが思う、しかし、人間、生きて行くのが何かと忙しく、登ろう、登ろうと思いながらも、時に流され、登る時期を逃してしまうのではないのだろうか。
太郎にしても、もし、五ケ所浦を飛び出さないで、父親の跡を継いでいたなら、大峯山に登る時期を逃してしまったかもしれない。
また、それは、大峯山に登る事だけではなく、人と人の出会いにも言えるんじゃないだろうか。この広い世の中で、短い人間の一生かけても、会う事のできる人というのは限られている。それも、すでに前世において決められているのかもしれない。何かの縁があって出会う人たちをもっと、よく知らなければならないんじゃないだろうか。
たとえば、ただ、道で擦れ違う人にしたって、何かの縁があるのかもしれない。縁があれば、どんな遠くの人とも会えるし、また、縁がなければ、どんなに近くにいたって会う事はできない。飯道山のようなせまい所にいたって、知らない人はいくらでもいる。夕顔との出会いも縁があって、今のような関係になったのだろうか‥‥‥
縁という不思議な力について、太郎は大峯山に登りながら、しきりに考えていた。
しかし、岩壁をよじ登りながら山頂に近づくにつれて、太郎の頭の中の因縁の事もすっかり消え、なぜか、頭の中が気持ちいい程に空っぽになって行った。
西の覗きの絶壁で逆さ吊りにされて懺悔をし、裏行場を巡って、一行は山上蔵王堂に到着した。
まだ、日は高かった。
蔵王堂の蔵王権現と役の行者の前で、お経を唱えると、やっと解放された。
太郎は蔵王堂の山伏に風眼坊の事を聞いてみた。
「風眼坊殿は、もう、一月程前から、お山に籠もったままです。どこに籠もっているのかは誰にもわかりません。普通、千日行は笙の窟で行ないますが、どうも、そこにはいないようです。今、笙の窟では妙空聖人殿といわれる真言の行者さんが千日行をやっておられます。妙空聖人殿はもう三年近く、笙の窟で修行しておられます。もうすぐ、満願の千日になるはずです。風眼坊殿はそこを避け、自分だけが知っている、どこかの窟に籠もっているに違いありません。風眼坊殿はこの大峯山の隅から隅まで知り尽くしています。我々には風眼坊殿がどこに籠もってしまったのか、まったくわかりません。千日経って、風眼坊殿が出て来るのを待つだけです」
「そうですか‥‥‥」太郎は気落ちした。それでも、何としても師匠に会いたかったし、絶対に会えると思っていた。
「その笙の窟というのは、ここから遠いのですか」と太郎は聞いてみた。
「いや、ここから、二里(八キロ)と離れていません。でも、そこには風眼坊殿はいませんよ」
「はい‥‥‥でも、捜してみます」
「無駄だとは思うが、もし、見つかったら、わしらにも居場所だけは教えて下さい」山伏はそう言うと蔵王堂の中に戻って行った。
千日行か‥‥‥
今、この瞬間も、師匠はどこかの窟で独り、厳しい修行を続けている。大した偉い人だ、と太郎は感心していた。そんな師匠に比べて、自分の存在がとても小さく、惨めに感じられた。
蔵王堂には先達山伏に連れられた白い浄衣(ジョウエ)を着た信者たちが金剛杖を突きながら、続々と登って来ていた。裏行場を巡り、蔵王堂から出て来ると皆、汗を拭きながら和やかに話をしていた。太郎はその場を離れ、眺めのいい岩の上に腰掛けると、しばらく、ボーッと遠くの山々を眺めていた。
いい眺めだった。
本当に来て良かったと思った。
太郎は日が暮れるまで、ボーッとしていた。
霞んだ山の中に沈んで行く、真っ赤な夕日を見つめていた。
綺麗だと思った。
ふと、智羅天に真っ暗闇の中から連れ出されて見た朝日の事が思い出された。あの時は、光という物のありがたさを体で感じていた‥‥‥
なぜ、急に、あの時の事が思い出されたのだろう‥‥‥
わからなかった。
夕日は赤く燃えながら、山の中に沈んで行った。
夕日の姿が完全に山に隠れると、太郎は円弘坊らのいる宿坊に向かった。
3
次の日、小雨の降る中、円弘坊に連れられて、太郎と羽黒山から来た三人の山伏は笙の窟に向かっていた。
山上の蔵王堂から下りの坂道を進んで行くと、やがて、小篠の宿(シュク)に着いた。ここにも僧坊がかなり建ち並んでいた。その中には近江飯道山の宿坊、梅本院と岩本院もあった。
円弘坊の話によると、ここは真言宗系の山伏たちの拠点になっていると言う。
真言宗系の山伏を見分けるのは簡単だった。彼らは、皆、剃髪していた。天台宗系の山伏は髪を伸ばしたままだった。それは、それぞれの開祖の違いから来ていた。天台宗系の山伏は修験道の開祖とされる役の行者、小角(オヅヌ)を開祖とし、真言宗系の山伏は修験道中興の祖とされる醍醐寺の開祖、理源大師聖宝(リゲンタイシショウホウ)を開祖としていた。そして、お互いに開祖にならえと天台宗系は有髪、真言宗系は剃髪となっていった。
この当時は、剃髪の山伏より有髪の山伏の方が圧倒的に多かった。
小篠の宿の行者堂の前で真言を唱え、小篠の宿を後に龍ケ岳に沿って坂道を登り、山を一つ越えると、金の阿弥陀仏を祀った祠のある大篠の宿に着く。また、山を越えると剣光童子を祀る脇の宿に着いた。ここから大普賢岳への登りとなった。
一行は大普賢岳の山頂へは登らず、途中から奥駈け道をそれて、しばらく急な坂を下りて行った。石の鼻と言う岩場を乗り越え、さらに岩の中を下りて行くと鷲(ワシ)の窟があった。鷲の窟はあまり広くはなかった。それから少し行くと目的地の笙の窟があった。
窟の中に髪も髭も伸び放題の痩せ細った妙空聖人が修行していた。
笙の窟は南に面した崖の中にあり、窟の中は思っていたより狭かった。中央に石を積み、その上に不動明王を祀った祠が建っていた。窟の右側には岩から滲み出る水が溜めてある。窟の中はかなり湿っぽいが、修行を積むのには持って来いの場所だった。
妙空聖人は不動明王の祠の前に座り込み、声を出さずに一心に祈っているようだった。こちらに背中を向けて座っているので顔までは見えないが、聖人の回りには神気が漂い、まるで、神々しい仙人のようだった。
円弘坊は連れて来た四人を窟の前で止め、妙空聖人に向かって合掌をした。太郎と羽黒山の三人も円弘坊にならって合掌をした。
笙の窟を後にして、側にある朝日の窟、指弾の窟を見て回った。朝日の窟は籠もる事はできるが、笙の窟程広くはない。指弾の窟は狭く、とても長期間、籠もれるような窟ではなかった。もう一つ蟇(ガマ)仙人の窟と呼ばれる窟があるが、三十年程前に崩れてしまい、今は籠もれる程の窟ではないと円光坊は言った。以前は、その蟇仙人の窟が一番広く、多くの修行者が修行していたと言う。
師匠、風眼坊の姿はどこにもなかった。妙空聖人以外、この辺りには誰もいないようだった。
太郎はここから引き返すつもりだったが、せっかく、ここまで来たのだから奥駈けをしなければ勿体ないと皆から言われ、一応、熊野まで行ってみる事にした。奥駈け道を一通り歩いてみて、それから、師匠を捜してみようと思った。
初めて来た山なので、師匠を捜すにも、どこに何があるのか、まったくわからない。また、山が大き過ぎて、そう簡単に見つけられそうもなかった。師匠はきっと、この山の事なら何でも知っているに違いない。そして、自分だけが知っている窟に隠れて修行しているのだろう。まず、円弘坊から知っている事を全部、教えてもらい。それから、一人で山の中を歩き回ってみようと思った。
笙の窟から奥駈け道に戻り、大普賢岳に登った。山頂には普賢菩薩を祀った祠があった。そこから、弥勒ケ岳に向かう。弥勒ケ岳には蟻の戸渡りや薩摩転び、内侍(ナイジ)落としなどの難所があり、その難所を越えると児泊(チゴドマリ)の宿に着く。ここは、ちょっとした休憩場所だった。一行もここで一休みをした。
ようやく、雨も止み、日が差して来た。
「風眼坊殿はどこにいると思いますか」と太郎は円弘坊に聞いてみた。
「わかりませんなあ」と円弘坊は首を振った。「しかし、千日行をやるには食糧の供給ができる場所でなくてはなりません。いくら、修行とはいえ、物を食わずに千日も生きていられるわけがないですからな。笙の窟は、あそこから一里半程下った所に天ケ瀬村というのがあります。あそこの村人の助けがあって、初めて、千日行ができるというわけです。また、これから行く弥山(ミセン)の宿や神仙(ジンゼン)の宿に籠もって修行する人もいますが、弥山の宿は三里程下りた所の坪の内村、神仙の宿は一里程下りた所にある前鬼(ゼンキ)村の助けを借りています。ですから、風眼坊殿も、その三つの村の近くにいるに違いありません。でも、捜すのは大変ですよ」
「その風眼坊殿というお人も千日の行をなさっておられるのですか」と羽黒山の山伏が聞いた。
「ええ」と太郎は答えた。
「凄いもんですな。千日行なんて話には聞いた事がありますが、もう、昔の事で、今は、そんな荒行をする人なんていないと思っておりました。しかし、実際、いるんですね。やはり、大峯山は本場だけあって凄いですな。あの聖人様を拝ませてもらっただけでも、田舎から、わざわざ出て来た甲斐がありました」
「本当じゃのう。まるで、生きている神様のようじゃったのう」
「円弘坊殿、笙の窟の辺りには、まだ、他にも窟があるのですか」と太郎は聞いた。
「あるらしい。いくつかあるらしいが危険な所にあって近づけんそうじゃ。風眼坊殿なら行きそうだがな。しかし、このお山は奥が深いからのう、奥深く迷い込んでしまったら、二度と出て来られなくなる事もある。わしらはそういう奴を仙人と呼んでおるが、風眼坊殿を捜すのはいいが仙人にならんように気を付けてくれよ」
「その仙人になる人というのは結構いるのですか」と羽黒山の山伏が聞いた。
「いるようじゃのう。このお山に入るのには、わしら、大峯の先達を連れていなければならん決まりなんだが、中には、独りで勝手に入って行く奴もおる。この間も、釈迦ケ岳の下の谷の側で死んでいる仙人が見つかった。出雲の大山(ダイセン)から来た山伏じゃった。大峯を甘く見たんじゃろう。それでも、遺体が見つかれば、まだいい方で、山奥でひっそりと死んで行き、未だに行方不明のままの仙人もかなりおるじゃろうのう」
「恐ろしや‥‥‥」
そこから、また、登り坂になり、岩をよじ登ると、国見岳の頂上に出た。頂上は狭いが、見晴らしは良かった。さらに、岩に囲まれた尾根道を進んで行くと行者還岳(ギョウジャカエリダケ)という名の岩山に着く。この岩山は南側が絶壁になっていて、苦労して頂上まで登っても、そこから先へは行けない。また、戻らなければならなかった。
役の行者でさえ、熊野から吉野を目指してここまで来たが、この絶壁に恐れをなして引き返したというので、この名が付いた山である。この山を下りて、進むと、金剛童子を祀った祠があり、岩肌から清水が流れていた。ここで口を潤し、さらに進む。ここから先は、なだらかな道が続いていた。一の多和(タワ)という水場を通り、理源大師聖宝を祀る講婆世宿に着く。ここから聖宝八丁と呼ばれる急坂を上ると弥山の宿に着いた。今日の泊まりはここだった。
弥山の宿には、いくつかの僧坊が建ち並び、御手洗(ミタラシ)池があり、小高い丘の上に弁財天を祀る社(ヤシロ)があった。
ここには四人の山伏がいた。三人は熊野から来て吉野に向かう途中で、一人は、ここで断食の行をしているという。
太郎は彼らに、風眼坊の事を聞いてみたが、皆、知らないと言った。
宿坊で食事を済ませると太郎は外に出た。空を見上げたが、曇っていて星も見えなかった。円弘坊が言っていたように、明日も雨になるかもしれなかった。
一体、師匠は、どこに隠れてしまったのだろうか‥‥‥
太郎が鳥居の側に腰を下ろして、ぼんやりしていると、羽黒山の山伏、松寿坊が近づいて来た。
松寿坊は三人の内で一番若く、食事の支度や雑用などをやらされていた。太郎と同じ位の歳だが、太郎は飯道山において先達山伏という資格を持っているので、太郎の食事も彼が作っていた。先輩にこき使われているのを見かねて、太郎は何かと手伝ってやっていた。
松寿坊は太郎の側まで来ると、太郎に断って隣に腰を下ろした。
「太郎坊殿、そなたは足が速いですなあ」と松寿坊は言った。「わしはみんなに付いて行くのがやっとです。それに岩登りは苦手です。恐ろしくてしょうがないです」
「慣れですよ」と太郎は言った。
「慣れですか‥‥‥まだ、あと五日もあります。これから先、もっと、危険な所が一杯あるんでしょうね」
「多分な」
「わしには自信がないです。もし、途中で付いて行けなくなったら、谷底に突き落とされると聞いています。もしかしたら、生きて帰れないかもしれない‥‥‥」
「そんな心配する事はない。初めは誰でも恐ろしいものだ」
「来るんじゃなかった‥‥‥」
「大丈夫だよ」と太郎は励ました。
松寿坊は太郎に身の上話を始めた。
こんな山奥まで来て、心細くなったのだろう。太郎は黙って松寿坊の話を聞いてやった。言いたい事を全部、言ってしまうと、すっきりしたのか、明日も早いから、もう休みましょうと先に帰って行った。
風が出て来た。
太郎も宿坊に帰った。
4
師匠、風眼坊の姿は見つからなかった。
すでに、太郎が大峯山に入ってから十六日が過ぎていた。
羽黒山の山伏たちと一緒に奥駈けの最終点、熊野の本宮まで行き、そこで彼らと別れ、一人で、また、大峯山に戻った太郎だった。羽黒山の山伏たちは、そこから、新宮、那智の滝まで足を伸ばすと言っていた。
太郎はまず、神仙の宿の近くの前鬼村に行って、そこに住んでいる山伏たち、みんなに当たってみた。師匠を知っている者は何人もいたが、師匠の居場所を知っている者は一人もいなかった。師匠に食糧を運んでいるという者も見つからない。それでも、一応、神仙の宿の周辺を二日がかりで捜してみたが無駄だった。危険な場所に人が籠もれそうな窟がいくつかあったが、最近、人がいたという形跡はまったく、なかった。
次に、弥山から三里程下りた所にある坪の内村に行った。ここでも師匠の事を聞いて回ったが、居場所を知っている者はいなかった。勿論、食糧を運んでいる者もいない。弥山の周辺を捜してもみたが無駄だった。
次に、笙の窟の下にある天ケ瀬村に行った。ここでも師匠の事を聞いて回ったが、何の収穫もなかった。大普賢岳の周辺を捜してもみたが、やはり、見つからなかった。
もう、日が暮れようとしていた。
今日も、また、笙の窟の隣にある朝日の窟にでも泊まろうかと、太郎は山を下りていた。
太郎が笙の窟の前を通った時、妙空聖人の姿が見えなかった。
初めて見た時も、昨日見た時も、今朝見た時も、中央の祠の前に座り込んでいた。ところが、今はいなかった。
妙空聖人だって生きている。年がら年中、同じ所に座っているとは限らないが、太郎は気になって窟の中を見回した。そして、窟の回りも見回した。
辺りは暗くなっていたが月明かりが差し込んでいて、窟の中まで良く見えた。窟の中には妙空聖人の姿は見当たらなかった。回りにも見当たらない。
一体、どこに行ったのだろう‥‥‥
窟の右側が小高い丘のようになっていた。その丘の向こうに何かあるのかなと思って、太郎はその丘の上に登ってみた。丘の向こうには何もなく、聖人の姿もなかった。
どこに行ったのだろうと、もう一度、窟の中を見ると聖人の姿があった。
妙空聖人は不動明王の祠の裏の辺りに座り込んでいた。向こうから見た場合、丁度、祠の陰に隠れて見えなかっただけだった。何をしているのだろうと、太郎は少し近づいてみた。目が慣れて来るにしたがって、聖人の姿が良く見えて来た。
聖人は壁に向かって座り込んでいた。壁には小さな地蔵菩薩の石像が置いてあった。
聖人は、その地蔵菩薩に何かを祈っているようだった。
太郎は合掌をして、その場を去ろうとした。
その時、急に聖人は振り向いた。そして、素早く、太郎の方に近づいて来ると太郎を見上げた。その動きは異様だった。その顔も、何かに取り憑かれているような異様な顔だった。耐え切れない程の苦痛に、やっとの思いで耐えているかのような歪んだ顔付きをしていた。その中で、目だけが異様に鋭く光っている。そして、その目で太郎を仰ぎ見ると、太郎に向かって合掌をした。
太郎は一体、何事かと思ったが、真剣な聖人の態度を見たら何も言えなくなり、ただ、黙って、立っているだけだった。
聖人は真っすぐ、太郎を見上げていた。しかし、良く見ると、その目はすでに、何も見えないようだった。
聖人は太郎に向かって、しばらく、一心に合掌していたが、やがて、苦痛に歪んだ顔が少しづつ穏やかな顔付きに変わって行った。そして、太郎に向かって深く頭を下げた。「ありがとうございます」と聖人はかすれた小声で何度も言っていた。
「満願の今日、お許しいただいて、本当にありがとうございます」と聖人は言った。「これで、千日の行をやった甲斐がありました‥‥‥」
どうやら、聖人は太郎を地蔵菩薩の化身(ケシン)か何かと勘違いしているらしかった。
太郎は黙って、そのまま立っていた。
聖人は太郎の前に伏せたまま、喋り続けた。
「私は皆様から聖人様などと呼ばれておりますが、決して、そんな偉い人間ではございません。最低の人間です‥‥‥私は人を何人も殺して参りました。罪もない人を何人も殺して来たのございます。それはもう、数えきれない程です。悪事もして参りました‥‥‥
決して、許される人間ではないのです‥‥‥聞いて下さい。私はもと関東の武士でございます。父の跡を継ぎ、武将として真面目に生きて参りました。主君に忠実な部下でした。主君のやる事は何でも正しいものと信じ、主君から命令された事は何でも実行して参りました。それが、絶対に正しい事だと信じ込んでいたのです。
命令に従い、人を何人も殺して参りました。主君を裏切ったという同僚の首も斬りました。その同僚は、子供の頃から仲のいい奴でした。殺したくはありませんでしたが、主君を裏切ったという事は許せませんでした。見逃してくれと頼む同僚を、私は心を鬼にして殺しました。そして、その家族までも私は殺したのです‥‥‥
女や子供を殺すのも平気でした‥‥‥抵抗のできない百姓たちを皆殺しにした事もありました‥‥‥泣き叫ぶ女、子供を見ても、まったく、平気でした。何の罪悪感もありませんでした。主君の命令に従い、当然の事をしたのだと思っておりました。お陰で、出世だけは致しました‥‥‥
親が決めて、娶った最初の妻は子供を産まないまま、病で亡くなりました。それから、しばらくの間、私は独り身を通しました。別に不便でもありませんでした。仕事だけが生きがいでした。そんな私が五十を過ぎてから、年甲斐もなく、一人の女に惚れました。相手は人妻でした‥‥‥人妻でしたが、どうしようもありませんでした。どうしても、その女が欲しかったのです‥‥‥
私はその女を手に入れるため、その女の夫を殺しました。直接、手を下したわけではありませんが、私が殺したのも同じ事です。私は自分の地位を利用して、その女の夫を最も危険な任務に就けました。そして、私の思った通り、その女の夫は遺体となって戻って参りました。私はその女に近づき、うまい具合に慰めて、自分のものにしてしまいました。
幸せでした‥‥‥本当に幸せでした‥‥‥
五十を過ぎて、初めて、家庭というものの温かさを感じていました。やがて、子供もできました。男の子と女の子、一人つづでした。子供は可愛いかった。本当に可愛いかった。あの頃は、本当に幸せでした‥‥‥
しかし、その幸せは長くは続きませんでした。流行り病で二人の子供と妻も亡くしてしまいました‥‥‥一遍に三人を亡くし、また、独りになってしまいました。今回の独りは耐えられませんでした。仕事など、まったく手につきません。いつまでも家に籠もったまま、悲しみに打ちひしがれておりました‥‥‥
そんな時、私は初めて、回りの者たちが自分の事をどう思っていたかを知りました。誰もが、罰(バチ)が当たったと言っておりました。今まで、罪もない人間を何人も殺して来たから、罰が当たったんだと言っておりました。そんな事はない、私は間違った事はしていない。罰など当たるはずはない。そんな事は絶対にない、と自分に言い聞かせようと思いましたが駄目でした‥‥‥
今まで、自分が殺して来た者たちの叫び声や苦痛の顔が一人一人浮かんで来て、頭から離れなくなってしまったのでございます。妻でさえ、夫を殺したのが私だと気づいてしまったのか、恨めしそうな顔をして私の枕元に現れました‥‥‥
自分の妻や子供を亡くして、初めて、今まで自分がやって来た事が、人間の仕業とは思えない程、残酷で非道な行ないだったと気づきました。泣き叫んでいる子供を殺すなんて、本当に、人間のする事ではありません。絶対に、許される事ではありません。それを私は、命令だからと言って、平気でやっていたのです‥‥‥
私は頭を丸め、殺した人たちの冥福を祈るため、修行の旅に出ました。今まで自分がして来た報いとして、辛い修行をやり、自分を痛め付けて参りました。山という山は皆、登りました。それでも、私が殺して来た者たちは私を悩まし続けました。寝ても、覚めても、その人たちの亡霊に悩まされました。やがて、私の目は見えなくなりました。目が見えなくなっても、亡霊たちははっきりと見えました。目が見えていた時以上に、はっきりと見えるようになりました‥‥‥
私は最後の修行に、このお山での千日行を選びました。死ぬ気で、この行を始めました。もう、疲れました。もう、本当に疲れました‥‥‥地蔵菩薩様、どうか、もう、私をお許し下さい。お願い致します‥‥‥」
妙空聖人は太郎に深く頭を下げた。
「お許し下さい、許して下さい‥‥‥」
聖人は何度も何度も、許して下さいと言っていた。
太郎には、どうしたらいいのかわからなかった。許すと一言、言ってやりたかったが、太郎が言うわけにはいかなかった。
その時、不思議な事が起こった。
急に、強い風が吹いて来た。樹木が音を立てて揺れ、岩に当たった風は不気味な音を響かせた。
聖人は顔を上げた。そして、じっと太郎の顔を見上げていた。やがて、見えない目が潤んできて、涙を流し始めた。そして、太郎を見上げたまま、「ありがとうございました」と呟いた。
太郎には一体、何が起こったのかわからなかったが、妙空聖人は許されたに違いないと思った。
太郎は風の音にまぎれて、その場から去った。
妙空聖人は、まだ、何物かを見上げたまま、涙を流していた。
次の日の朝、太郎が笙の窟の前を通ると、妙空聖人は、いつもの様にいつもの所に座り込んでいた。しかし、何となく様子が変だった。何となく、いつもと違うような気がした。
側まで行って、よく見ると、聖人は合掌したまま成仏していた。その顔は、穏やかで、幸せそうだった。
太郎は聖人に両手を合わせた。胸の奥にジーンと来るものがあった。
5
太郎は笙の窟に籠もっていた。
師匠、風眼坊を捜すのは諦めていた。
今、会えないのは、きっと、縁がないからだろうと思うようになっていた。縁があれば、また、いつか、どこかで会えるだろう。会う時が来れば、別に捜さなくても会う事ができるだろうと思っていた。
妙空聖人の遺体は天ケ瀬村の山伏たちによって、丁寧に荼毘(ダビ)にふせられ、笙の窟の右側の丘の上の朝日の当たる場所に埋葬された。
太郎はこの窟で自分の事をよく考えてみようと思った。飯道山に戻ってからというもの、毎日忙しくて、ゆっくりと考え事もできなかった。
やらなければならないと思う事が一杯あり過ぎた。しかし、それをする事ができないので、焦りばかりが募って行った。頭の中は混乱して来るばかりだった。太郎はゆっくりと落ち着いて考えてみた。
やらなければならない事というのは、本当に、やらなければならない事なのだろうか。
陰流の完成‥‥‥
陰の術の完成‥‥‥
そして、剣術の師範代‥‥‥
やらなければならない事というのは、この三つしかなかった。たった、三つしかないのに何を焦る事があるのだろう。
陰流、陰の術は、完成させようと思っても簡単にできるものではなかった。常に工夫を重ねながら、完成するべき時に完成するのではないだろうか。いくら、焦ってみたって完成などするわけがない。
俺は一体、何で、あんなに焦っていたのだろう。
自分の時間がなかったからか。
嘘だ。酒を飲む時間はいくらでもあったじゃないか‥‥‥
夕顔‥‥‥
楓‥‥‥
二人の女‥‥‥この問題は難しかった。簡単に答えは出そうもなかった。
太郎はしばらく、何も考えないでいる事にした。
これも難しかった。何も考えないでいようとしても、つい、何かを考えてしまう。ただ、ボーッとしているというのは非常に難しい事だった。
何かが頭の中に浮かぶと、太郎はすぐに打ち消した。何も考えないようにと思った。
何度も、何度も繰り返しているうちに、何も考えないようにしようと思う事じたい、そう考えているんだから、それさえも考えないようにしなければ駄目だという事に気づいた。
太郎はそれも考えないようにした。
雑念を振り切り、頭の中を空っぽにするのには何日も掛かった。
一体、どれ位経ったのだろう。
この窟に籠もってから何日経ったのかさえ、忘れてしまっていた。
朝日と共に起き、一日中、何も考えないで、何もしないで、飯だけは食べたが、日が沈むと横になって寝た。
毎日、その繰り返しだった。
人にも会わなかった。ここまで来る者は誰もいなかった。山奥に、たった独りでいるのに不思議と孤独感はなかった。何か、不思議な大きな力に包まれているような感じがしていた。
頭の中が空っぽになって、すっきりすると、太郎はまた考えてみた。
二人の女‥‥‥
楓は楓‥‥‥
そして、夕顔は夕顔‥‥‥
そして、酒は酒‥‥‥
俺は、酒に飲まれていた‥‥‥
酒を飲んでいるつもりだったが、逆に、酒に飲まれていた。酒にすがっていた。酒を頼みとしていた。酒に逃げていた。
酒は酒なんだ。すがる物でも、頼みとする物、逃げる物でもなく、まして、飲まれる物でもない。酒は飲む物なんだ。
女‥‥‥やはり、女は女だ。
楓は楓で、夕顔は夕顔‥‥‥
よくわからないが、頭の中はなぜか、すっきりとしていた。
心も、以前のように、ばらばらではないようだった。自分に自信が持てるようになっていた。今の俺なら、あの三人の師匠として、やっていける自信が持てた。
太郎は腰の小刀を抜いて、空を斬ってみた。
心の迷いは消えていた。
太郎は山を下りる事にした。
9.楓
1
色あせた紫陽花が雨に打たれていた。
もう梅雨も上がったはずなのに、今年は、いつまでも、ぐずついた天気が続いていた。
今日も一日、蒸し暑くなりそうだった。
太郎が大峯山で師匠、風眼坊舜香を捜している頃、飯道山に一人の山伏が登っていた。播磨の国、瑠璃寺の山伏、阿修羅坊だった。二年振りに、また、甲賀にやって来たのだった。
二年前、十二月になったら、また来て、太郎坊という男に会おうと思い、一旦は帰った阿修羅坊だったが、年末に来る事はできなかった。
京にいて、西軍の大将、山名宗全の様子を探っていた。
秋頃より、宗全が病にかかって伏せているとの噂が広まっていた。西軍側では、そんな事はないと否定していたが、真相を探るため、阿修羅坊は西軍の本陣に潜入していた。
宗全が重病だという事を探り出すと、そのまま播磨へと向かい、山名軍との戦に明け暮れていた。去年三月には、とうとう宗全が亡くなり、敵の動揺に付け込んで、備前の国、美作(ミマサカ)の国から山名軍を一掃する事に成功した。ようやく一段落した今年の夏、阿修羅坊は再び、京に戻って来た。そして、また、赤松政則の姉を捜すために甲賀にやって来たのだった。
太郎坊は、どうせ、いないだろうし、花養院の松恵尼は何も喋らないだろう。ここに来ても、どうせまた、無駄足になるだろうと半ば諦めていた阿修羅坊だったが、楓が戻って来ている事を知ると自分の運の良さが信じられない程だった。
阿修羅坊の頭の中では、楓こそが絶対に赤松政則の姉に違いないと決めてかかっていた。その楓に、こうも簡単に会えるとは夢のようだった。
高林坊の話だと、夫の太郎坊は今、大峯山に行っていて留守で、楓は花養院で朝早くから夜遅くまで孤児たちの世話をしていると言う。
さっそく、阿修羅坊は花養院に行き、隠れて楓を捜した。
すぐにわかった。
その顔を見た途端、間違いなく、赤松政則の姉だとピンと来た。政則に似ていた。そして、母親のように別嬪(ベッピン)だった。すぐに会いたかったが、花養院で会うのは松恵尼がいるのでまずかった。
楓のうちに訪ねて行った方がいいだろうと思い、阿修羅坊は花養院に張り込み、楓が帰る後を付いて行って楓のうちを突き止めた。このまま訪ねようかと思ったが、夫の留守に、夜、訪ねて行って警戒されたら、話もうまく行かないだろうと、次の朝、出直して来ようと決めた。
雨は降っていないが、どんよりと曇った朝だった。
楓が百太郎と二人で部屋の掃除をしている時だった。
「御免下さい」と誰かが訪ねて来た。
こんな早くから、一体、誰だろうと入り口の戸を開けると山伏が立っていた。
山伏がここを訪ねて来るのは初めてだった。誰も、太郎坊のうちがここだとは知らない。
楓は不思議そうに山伏を見ていた。
「楓殿ですね」と山伏は軽く笑いながら言った。
「はい」と返事をしたが、楓の知らない山伏だった。
「朝早くから、すみません。私は阿修羅坊という者です。御主人の太郎坊殿より頼まれて、大峯山から参りました」
大峯山から来たと聞いて、楓はすぐに太郎の事を心配した。
「主人に何かあったのでしょうか」
「いえ、そうではありません」と阿修羅坊と名乗った山伏は慌てて手を振った。「御主人殿は元気に修行に励んでおります」
「そうですか」と楓はほっとして、阿修羅坊を改めて見た。見るからに修行を積んだ先達山伏に見える。もしかしたら、風眼坊様の友達かしらと思った。
「ちょっと、そなたに話があるのですが、よろしいでしょうか。手間は取らせません」
「はい」と楓は阿修羅坊をうちの中に入れた。
百太郎が阿修羅坊を見て、脅えるように楓の後ろに隠れた。
「お子さんですか」と阿修羅坊は百太郎に愛想笑いをした。
阿修羅坊は楓と向かい合って座ると話し始めた。
「楓殿、播磨の赤松氏を御存じですか」と阿修羅坊は言った。
「いいえ」と楓は答えた。
阿修羅坊は頷いた。楓の顔を見ながら、回りくどく言うより、単刀直入に言った方がいいかもしれないと思った。
「実は、赤松家の当主、赤松兵部少輔(ヒョウブショウユウ)政則殿は、楓殿、そなたの弟です」
「はあ?」
突然、そんな事を言われても、楓には何が何だかわからなかった。第一、赤松氏なんて聞いた事もない。どこの誰だか、さっぱりわからなかった。
「驚くのは無理もない。赤松氏の方でも、そなたの存在を知ったのは、つい、この間の事です。ところで、そなたの御両親はどなただか御存じですかな」
「いえ、わかりません。ただ、武士だったと言う事だけは聞いております」
「それだけですか。御両親の名前は」
「わかりません‥‥‥」
「知りたいとは思いませんか」
「いえ‥‥‥でも、私にとって松恵尼様が母親だと思っております」
「でしょうな。しかし、本当の事を知りたいとは思うでしょう」
「‥‥‥わかりません」
楓の横で、百太郎は珍しい物でも見たかのように、阿修羅坊の顔をじっと見ていた。
「急な話でよくわからないのは無理ありません。とにかく、私の話を聞いて下さい。赤松兵部少輔殿は播磨、備前、美作の守護大名の当主です」
「えっ」と楓はびっくりした。「それでは、そのお方というのは、お殿様という事ですか」
「まあ、そうです。しかし、それだけではありません。幕府の重臣でもあります。幕府の侍所の頭人も勤めております」
「侍所の頭人?」
「京の都を警備したり、悪人を取り締まったりしている所の長官です」
「そんなに偉いお人なんですか‥‥‥」
阿修羅坊は頷いた。「そのお方の姉君が、そなた、というわけです」
「まさか‥‥‥」
「信じられないでしょうが間違いありません」
「そんな事、信じられません‥‥‥どうして、私が、そのお方の姉だというのです」
「実の所、はっきりとした証拠はないんですよ。多分、松恵尼殿が知っていると思いますが、何も話してくれません。しかし、そなたに会ってみて、私は、絶対に、そなたがお屋形様の姉君だという確信を持ちました」
「お屋形様?」と楓は聞いた。
「申し訳ありません」と阿修羅坊は謝った。「実は、私は播磨の山伏です。赤松氏の重臣、浦上殿に頼まれ、お屋形様の姉君を捜していたのです」
「それでは、主人を知っているというのは嘘だったのですね」
「話には聞いておりますが、会った事はありません。ぜひ、お会いたいものです」
「もうすぐ、帰って来ます」
阿修羅坊はわかっているというように頷いた。「高林坊殿より聞きました。若いが随分と強いと聞いております。まあ、御主人の事はさて置き、まずは、そなたの事です。初めに、赤松氏の事を大まかにお話します。今でこそ、赤松氏は三国の守護職に就き、幕府でも重きを置く大名となっておりますが、そなたが生まれた当時、赤松氏は幕府に取り潰されて存在しておりませんでした。そなたの父親は赤松彦三郎殿といって、幕府の目を逃れ、近江の浅井郷に隠れておりました。そこで、そなたの母親と出会い、そなたが生まれたのです」
阿修羅坊はそう言って楓を見た。楓は興味深そうな顔をして聞いていた。阿修羅坊は心の中で満足して話を続けた。
「そなたの母親は近所の郷士の娘で、えらい別嬪だったそうです。残念ながら、そなたの母親は彦三郎殿の正妻ではありませんでした。その時、正妻には子供がなく、そなたの母親が疎ましくなったのでしょう、そなたの母親をいじめたわけです。そなたの母親は今浜(長浜市)の親戚に預けられました。そこで、そなたを産んだわけだが、その後、不幸な事件が起きたのです‥‥‥京の都を荒らしていた盗賊どもが今浜に現れ、あちこちを荒らし回り、そなたの母親がいた親戚の家も襲われ、全員が殺されました」
楓は百太郎を抱き寄せ、阿修羅坊から視線をそらせた。母親の死を告げるのは辛かったが仕方がなかった。阿修羅坊は話を続けた。
「幸い、赤ん坊だった、そなただけは、ある山伏に助け出されました。その山伏というのは伊勢の北畠氏と関係のある山伏で、赤ん坊は伊勢の都、多気に連れて行かれました。それから、この甲賀の地の尼寺に預けられた。ここまでは、本当の話です。私は、二年前、ここに来て、尼寺をすべて当たりました。しかし、見つからなかった。花養院の松恵尼殿は何かを知っていそうだったが、何も話してはくれませんでした。そなたの事も聞いて、色々と捜してみたが、どこに行ったのか、まったくわかりません。二年振りに、また、やって来て、やっと、そなたに会う事ができたという次第です」
楓は百太郎を抱きながら、じっと黙って阿修羅坊の話を聞いていた。
母親が盗賊に殺されたなんてひどすぎた。そんな話は聞きたくはなかった。でも、北畠氏と松恵尼とのつながりは確かにあった。阿修羅坊の言うように、伊勢の山伏に助けられて、あたしはここに連れて来られたのだろうか。阿修羅坊が嘘をついているとは思えなかった。それでも、あまりにも驚きが大きすぎて、どうしたらいいのかわからなかった。
「どうですか。何か、心当たりの事はありますか」
「わかりません‥‥‥」
「そうですか‥‥‥今日のところは、これで失礼します。松恵尼殿に聞けば詳しくわかると思いますよ」
阿修羅坊は帰って行った。
百太郎が楓の袖を引っ張りながら、何かを言っていた。
楓はぼんやりと窓の外を見ていた。
雀が木の上で鳴いていた。
あたしに弟がいたなんて‥‥‥しかも、その弟は三つの国を治める大名のお殿様で、幕府の中でも偉い人だと言う。急に、そんな事を言われても、どうしたらいいのかわからなかった。
「百太郎や、お母さんはどうしたらいいんでしょうね」と言いながら、楓は百太郎を抱き締めた。
百太郎は心配そうに母親を見上げていた。
「お父さんが帰って来たら、考えましょうね」
「うん」と百太郎は頷いた。
楓が阿修羅坊と会った日の昼過ぎ、花養院の客間で、阿修羅坊は松恵尼と楓の二人と対座していた。
小雨がしとしとと降り、蒸し暑かった。
孤児院の方から子供たちの遊んでいる声が賑やかに聞こえていた。
「わかりました」と松恵尼は落ち着いた声で阿修羅坊に言った。「楓も、その方がいいのですね」と楓の方を向いた。
「はい。教えて下さい」
松恵尼は楓に頷くと立ち上がり、部屋から出て行った。
阿修羅坊は壁に掛けられた掛軸を眺めていた。
漢詩が隷書(レイショ)で書かれてあった。誰が書いたのか知らないが立派な力強い字だった。どこかの禅僧が書いたものだろうか。
掛軸の前には信楽焼きらしい花瓶に花が生けてあった。松恵尼が生けたものだろうか、涼しさを感じさせる花がうまく生けてあった。
楓を見ると、俯いたまま、考え込んでいるようだった。
今は質素でさっぱりした身なりをしているが、武家の奥方の格好をさせても、よく似合いそうだ。この娘なら、お屋形様の姉君として、どこに出しても恥ずかしくはないだろう。浦上殿に言わせれば、政治的利用価値は大いにありというわけだ。
「楓殿、播磨の国に行ってみませんか。いい所ですよ」と阿修羅坊は楓に声を掛けた。
「え、はあ‥‥‥」と楓は顔を上げた。
「お屋形様は今、播磨の国におります。新しくできた置塩(オキシオ)城という立派なお城で暮らしております。一度、会って見てはいかがですか」
「お城に‥‥‥」
「そりゃ、もう、綺麗なお城ですぞ。お城の下には夢前川が流れ、城下もまだ新しく、商人たちが行き交い、賑わっております。市の立つ日は、かつての京の都にも負けない程の賑わいですよ。そなたも、きっと気に入るじゃろう。ぜひ、行ってみるがいい」
「そんな、急に言われても‥‥‥」
「まあ、私の一存では決められませんがな、そなたが会いたいと言えば何とかなるじゃろう。のう、一度、会ってみい。お屋形様はそなたに似ていて、なかなかの男前じゃぞ」
阿修羅坊は陽気に笑った。
やがて、松恵尼は荷物を抱えて戻って来た。
「これが、赤ん坊の楓と一緒に、ここに届けられた物です」
松恵尼は荷物の中から、一枚の紙切れを出して、阿修羅坊に見せた。
阿修羅坊はそれを受け取ると、じっくりと目を通した。
それは、赤松彦三郎義祐が、楓の母親、お咲に当てた手紙で、生まれた赤ん坊に楓という名前を付けてくれと記したものだった。最後に、義祐の署名も入っていた。
これで、完全に、楓が赤松政則の姉である事が証明されたわけであった。
阿修羅坊は何度も読み直してから、その手紙を楓に渡した。
もう一つ、父親の遺品だという脇差があった。
阿修羅坊は手にして良く見てみたが、彦三郎の物だったという印はどこにもなかった。鞘を抜いて刀身も見てみたが、それ程の名刀とも思えなかった。
阿修羅坊は刀を鞘に戻すと松恵尼に返した。
「これで、確実ですな」と阿修羅坊は嬉しそうに言った。
松恵尼は頷いた。
「松恵尼様、どうして、今まで黙っていたのですか」と楓が聞いた。
「話そうとは思いました。でも、戦が始まり、赤松氏は東軍として山名氏と戦っています。そんな所に楓をやりたくはなかった。戦に巻き込みたくなかったのです。それに、楓は太郎坊殿と一緒になって南伊勢に行きました。もう、二度と、ここには戻って来ないものと思っていました。あちらで幸せに暮らしていれば、楓の出生の秘密は私の胸の内だけにしまって置いた方がいいと思っていました‥‥‥しかし、また、戻って来てしまった」
松恵尼の話が途切れると、「私は、これで失礼します」と阿修羅坊は言った。
「改めて、お迎えに来ると思いますが、今日はこのまま京に帰ります。よい知らせを待っているお人がおりますからな」
阿修羅坊は松恵尼と楓の顔を交互に見てから、「それでは」と頭を下げると出て行った。
阿修羅坊を見送った後、「どうしますか」と松恵尼は楓に聞いた。
「わかりません」と楓はすがるような目で松恵尼を見た。
「多分、赤松殿は楓を迎えに来るでしょう」
「‥‥‥どうしたら、いいのでしょう」
「太郎殿はいつ帰って来るの」
「あと五日もすれば帰って来ると思いますけど‥‥‥」
「それなら、大丈夫でしょう。帰って来たら、二人でよく相談する事ね」
「はい‥‥‥」
「しかし、あの阿修羅坊という人も大したお人ね。よく、楓の事を探り当てたわ。楓の事を知っていたのは、本当に、私一人だけだったのよ」
「あの、赤ん坊のあたしを助けてくれた行者さんていうのはどなたなのですか」
「伊勢の世義寺という所の山伏よ。もう、亡くなったわ。北畠の先代のお殿様も亡くなったし、知っているのは私だけだったのに」
「あたしのお父さんは、今も生きてらっしゃるのですか」
松恵尼は首を振った。
「赤松家を再興させるために戦に出て、怪我をして、それがもとで亡くなってしまったわ。でも、あなたの弟の次郎(政則)殿を当主として、赤松家は再興する事ができたのよ」
「それは、いつ頃の事なんですか」
「そうねえ、あれから、もう十五年位経つかしらねえ。あなたが、まだ五つの時だったわ。私は赤松家が再興されたと聞いて、あなたの事をどうしたらいいか悩んだわ。赤松家に返そうとも思った。でも、あの頃、飢饉が続いていてね。京の都はひどい状態だったわ。勿論、武士が飢えたという話は聞いた事ないから赤松家は大丈夫だったけど‥‥‥でも、あの時は私もまだ若かったし‥‥‥要するに、あなたを手放したくなかったのね‥‥‥誰かが迎えに来たら仕方ないけど、それまでは、私の手で育てようと決めたのよ。あなたには悪い事をしたかもしれないけど、私はあなたを手放したくなかった‥‥‥そのうち、京で戦が始まって、当然、赤松家も戦に巻き込まれたわ。そんな所に楓をやりたくなかった。そして、太郎殿と出会い、五ケ所浦に行った。向こうで幸せに暮らして、もう、二度と、ここに戻って来る事はないと思っていました‥‥‥まさか、今頃になって、お迎えが来るなんてねえ‥‥‥」
「松恵尼様‥‥‥」
「本当に御免なさいね。今まで隠しておいて‥‥‥」
楓は首を振った。「いいえ、そんな事いいんです。あたしはここで、ずっと幸せでした」
松恵尼は楓を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「どんな人かしら、あたしの弟って」
「確か、あなたより一つ年下のはずよ」
「それじゃあ、今、二十歳ってわけですね」
「そうね。お互いに、たった一人の身内というわけよ。これから、楓がどう生きて行くにせよ、一度は会っておくべきでしょうね」
楓は頷いた。
予定の一ケ月が過ぎても、太郎は帰って来なかった。
楓は一人で悩んでいた。
自分に弟がいたという事は嬉しいけど、その弟の身分が余りにも高すぎた。
あとで松恵尼から聞いたら、赤松氏というのは村上源氏の流れを引く名族だと言う。しかも、播磨、備前、美作と三国を支配している大名で幕府の重役にも就いている。
松恵尼の話だと、伊勢の北畠氏よりも、ずっと大きい勢力を持った大名だと言う。
北畠氏の都、多気に行った時、北畠氏の凄く綺麗で立派な御殿を見たけど、あれよりも立派な御殿に住んでいるのかしら。楓には、とても、想像すらできなかった。
そんな偉い人が弟だと言われても、どうしたらいいのかわからない。
早く、太郎に相談したかった。太郎の帰りを首を長くして待っている楓だった。
阿修羅坊は六日後にまた、花養院にやって来た。四人の山伏を連れていた。見るからに強そうな山伏ばかりだった。
三人の山伏を外に待たせたまま、阿修羅坊は一人の山伏を連れて、中に入って行った。
しばらくして、楓は客間に呼ばれた。
楓が客間に行くと、二人の山伏を前に松恵尼が座っていた。
楓は松恵尼の隣に座った。
阿修羅坊が連れて来た山伏は、楓の姿をじっと見ていた。
「楓です」と松恵尼が阿修羅坊の連れて来た山伏に紹介した。
「成程、確かに似ておる」その山伏は楓を見つめたまま言った。
「楓殿、こちらは浦上美作守(ミマサカノカミ)殿です。赤松家の重臣です。世の中、物騒なんでな、こうやって山伏に化けて来たわけです」と阿修羅坊は説明した。
「楓です」と楓は頭を下げた。
「孤児たちの世話をしているそうですな。大変でしょう。この戦は一体、いつになったら終わるのでしょうな。早く終わって欲しいものです」と浦上美作守は言った。
「そうですね。子供たちが可哀想です」と松恵尼は言った。
「あとで孤児院を見せて下さい。京の都にも孤児はかなりいます。京にも、ここのような施設が必要ですな。また、播磨にも必要でしょう」
「赤松殿は今、播磨の国にいらっしゃるそうですね」と松恵尼が聞いた。
「はい、今、お屋形様は新しい城下造りをしております。三十年近くの間、山名氏に取られてしまっていたので、国人衆をまとめるのが、なかなか大変なんですよ。まずは立派な城下を造って、こちらに靡(ナビ)かせて行かなければならないのです」
「三国を治めて行くというのは大変な事でしょうね」
「ええ、お屋形様に身内がいないというのが一番辛い事です。もっとも、今の時代は親兄弟でも戦をしている御時勢ですから、身内と言っても安心はできませんがね。それでも、お屋形様に姉君様がいらしたというのは、まことに喜ばしい事です。お屋形様もさぞ、お喜びの事でしょう。まだ、お屋形様には知らせておりませんが、さっそく、早馬を飛ばせましょう」
「お屋形様はどのようなお方なんでしょうか」と松恵尼が聞いた。
「まだ、お若いですから、ちょっと頼りない所もありますが、赤松家の当主として、立派な武将におなりです。幼い頃より禅僧に付いて学問を修め、兵法(ヒョウホウ)の方もなかなかのものです。ことのほか、馬術は得意です。また、鷹狩りも好きで、よくやっております。最近は、剣術もやっておるようです」
「まあ、そうですか」
「楓殿の御主人も剣術が得意とか、伺っておりますが」
「ええ、太郎坊殿の剣術もなかなか凄いですよ、ねえ、楓」
「はい」と楓は、ただ頷いた。
「松恵尼殿」と阿修羅坊が言った。「楓殿の御主人ですが、山伏になる前は武士だったそうですが、どこの武士だったのですか」
松恵尼は楓の顔を窺ってから答えた。「南勢の愛洲氏です」
「愛洲氏‥‥‥あの熊野水軍の愛洲氏ですか」と浦上美作守が聞いた。
「はい。愛洲氏の水軍の大将、隼人正殿の伜殿です」
「水軍の大将の伜殿‥‥‥それが、また、どうして、山伏に」
「よくは知りませんが、愛洲氏の内紛に巻き込まれ、その責任を負って、出て来たらしいです」
「成程、自分が犠牲になったというわけですか」
「でしょうね。それと、太郎坊殿は剣術というものに、とことん打ち込んでみたかったのでしょう。自ら、陰流という剣術の技を編み出しています」
「陰流‥‥‥ほう、自分で剣術の流派をね。それは、なかなかのものですな」
「飯道山でやっている『志能便の術』とかも、太郎坊殿が考えたとか」と阿修羅坊が言った。
「ええ、そうです。皆、その『志能便の術』が習いたくて、毎年、大勢の若者がお山に修行に来ているのです」
「志能便の術とは何です」と美作守が聞いた。
「どうやら、敵の城などに忍び込む術のようですな」と阿修羅坊が説明した。
「成程、それで、忍びの術か。飯道山ではそんな術も教えておるのか‥‥‥」
「うちの若い者たちもここに送り込んで、鍛えさせた方がよさそうですよ」と阿修羅坊が笑いながら美作守に言った。
「そうだな。忍びの術を習わせて敵の城に送り込むか」
「いやいや、太郎坊殿が播磨に来て、若い者たちに教えてくれればいいんじゃ」
「おう、そうじゃのう。楓殿、ぜひ、御主人とお子さんを連れて播磨にいらっしゃい」
浦上美作守は赤松彦三郎義祐の手紙と脇差を見せてもらい、改めて、迎えをよこすからと言って、阿修羅坊と共に座を立った。そして、孤児院に行き、孤児たちに一言づつ声を掛けると、護衛の山伏に囲まれて帰って行った。
この時、五人の山伏の後を一人の薬売りが付けて行ったのを松恵尼だけが知っていた。
阿修羅坊が楓を迎えに来たのは、浦上美作守を連れて来た日から六日後だった。
七月七日の七夕の日で、花養院でも笹竹を飾り、厄払いの行事が行なわれていた。
太郎はまだ、帰って来なかった。
楓は松恵尼と相談をして、一度、弟の赤松兵部少輔政則に会ってみる事に決めた。
楓は知らなかったが、松恵尼は赤松氏の事をもう二年も前から色々と調べていた。京都の赤松氏の屋敷は勿論の事、播磨の国の城下にまで、松恵尼の手下の者たちが潜入して情報を集めているという。松恵尼がまた、何かを始めたらしいという事は楓も気づいていたが、まさか、赤松氏の事を調べていたとは思ってもいなかった。
「心配しないで、行ってらっしゃい。あなたの行動は全部、ここに伝わるはずよ。あなたがどこに連れて行かれても、必ず、太郎殿を迎えに行かせるわ」
「あたしのために、赤松氏の事を探っていたのですか」と楓は松恵尼から頂いた綺麗で立派な着物を眺めながら聞いた。
松恵尼は首を横に振った。
「そうじゃないわ。あなたは、もう、帰って来ないと思っていましたし‥‥‥二年前、阿修羅坊殿が初めて、ここに来た時、あなたの居場所がわかってはまずいと思って、阿修羅坊殿を見張らせていたのよ。そしたら、見張りの者が阿修羅坊殿と一緒に播磨まで行っちゃってね、向こうの事を色々と聞いたら、ちょっと、商売がしたくなったのよ。向こうの商人と取り引きを始めてね。そのうち、赤松氏とも取り引きを始めたんですよ。京の都にも播磨の国にも、私の手下の者たちが入り込んでいるの。だから、安心して行って来るといいわ。そんな事はないと思うけど、あなたにもしもの事があっても絶対に助け出してあげるわよ。あなたにはわからないけど、常に、あなたの回りに陰の護衛を付けて置くわ」
「陰の護衛‥‥‥」
「ええ、太郎殿の陰の術にはかなわないけど、みんな、強いから安心して大丈夫よ。それに、あなたは赤松家のお姫様なんだから大事にされるはずよ」
「お姫様だなんて‥‥‥でも、松恵尼様、松恵尼様は一体、何者なんですか」
「そのうち、わかるわ。でも、私の正体がわかれば、あなたは私の事がいやになるかもしれないわね」
「そんな事ありません」
松恵尼は笑った。しかし、その笑いは、どこか淋しそうだった。
「松恵尼様、という事は、阿修羅坊様が、また、ここに来るという事も前もって知っていたわけですか」
「そうよ」
「それじゃあ、こうなる事もわかっていたのですね」
「ええ。わかっていました。でも、どうする事もできなかったわ」
「そうだったのですか‥‥‥」
阿修羅坊は日輪(ニチリン)坊、月輪(ゲツリン)坊という二人の若い山伏を連れて、楓を迎えに来た。
浦上殿は綺麗な牛車(ギッシャ)を用意してくれたが、そんなのに乗って行ったら、目立って、誰に襲われるかわからないので、申し訳ないが都まで歩いてくれとの事だった。
楓は次の日、証拠の手紙と脇差を持ち、百太郎を連れ、松恵尼が付けてくれた桃恵尼(トウケイニ)という尼僧と弥平次という男を連れて、三人の山伏の後に従った。
桃恵尼は三十歳位の太った尼僧で、五、六年前、主人を戦で亡くし、子供もいなかったので松恵尼のもとで出家していた。出家した当時は、この花養院にいて、楓も知っていたが、その後、奈良の方に行ったとかで花養院に戻って来る事もなかった。ところが、先月になって急に帰って来て、孤児たちの世話をしていた。陽気な性格で、いつも、笑顔を絶やさず、すぐに子供たちの人気者になって行った。太っているので動きが鈍いように見えるが、松恵尼の薙刀の弟子で、見かけに似合わず身が軽く、すばしこかった。
弥平次は楓が小さかった頃、よく、花養院に来ていた男だった。その当時は飯道山の山伏で、楓とよく遊んでくれた。楓に石つぶてを教えてくれたのが、この弥平次だった。いつの間にか花養院に来なくなり、楓もすっかり忘れてしまっていたが、久し振りに会って、本当に懐かしかった。今は信楽の庄で焼物の店を持ち、息子が大きくなったので店は息子に任せて、のんびり隠居していると言う。この間、突然、松恵尼様が訪ねて来て、楓の付き添いをして旅に出てくれと頼まれ、喜んで引き受けたのだと言った。
弟に会いに行くとはいえ、知らない所に行くのに、何かと心細かった楓だったが、桃恵尼と弥平次が一緒に付いて来てくれるので、いくらか、ほっとしていた。
一行は二日めの昼過ぎ、京の都に入った。
阿修羅坊が西軍が陣する危険な場所を避け、安全な道を選びながら進んで行ったので、途中、何事もなく無事に都に到着した。
楓は京の都に来るのは初めてだった。粟田口から京に入った一行は賀茂川を渡り、京極通りを北上した。
京の都は、ほとんどが焼けたまま放置されてあった。あちこちに濠が掘られ、土塁や塀が作られてある。まだ、戦は完全に終わっていなかった。
今年の四月、両軍の大将、細川右京大夫政元(勝元の子)と山名弾正少弼(ダンジョウショウヒツ)政豊(宗全の孫)の間で講和が成立していた。しかし、大将同士で講和が成立したから、戦は終わりだというふうに簡単には行かなかった。
誰もが戦の終結を望んではいたが、それぞれが領国拡大の恩賞を目当てに、東軍、西軍に属し、はるばる遠くから戦にやって来たのである。これで、戦は終わりですと言われても、何も貰えずに、はい、そうですかと帰るわけにはいかなかった。長い戦に誰もが莫大な出費を抱えていた。元も取れずに陣を払って帰るわけには行かなかった。
両軍の諸将たちは何らかの成果を期待して、まだ、京に在陣していた。
京の都では、今、合戦は行なわれてはいなかった。しかし、誰が、いつ、何をしでかすかわからない状態だった。両軍の武士たちが濠や柵を越えて行き来する風景も見られはしたが、まだ、睨み合いを続けている所もあった。また、足軽たちにしてみれば、戦が終わってしまえば食いっぱぐれてしまう。今まで、好き勝手な事ができたのも戦が続いていたからだった。足軽たちは彼らなりに、戦が完全に終わる前に何らかの収穫を手に入れようと京の都中をウロウロしていた。
楓たち一行は都の焼け跡を左に見ながら、北へと進んで行った。
楓は京の都を見ながら、愕然となっていた。話には聞いていたが、これ程、ひどいとは思ってもいなかった。もう、ここ、京の都は人の住む所じゃないと楓は思った。京の都は完全に戦場跡と化してしまっていた。
楓は心細くなって、もう、帰りたくなっていた。
弟には会えなくてもいい、早く、花養院のみんなのもとに帰りたかった。
「もうすぐじゃ」と阿修羅坊は言った。「ここまで来れば、もう大丈夫じゃ」
百太郎は弥平次の背中で眠っていた。
百太郎は初めての旅が、余程、楽しいのか、よく、はしゃいでいた。泣いたりしなかったので楓は助かっていた。また、桃恵尼と弥平次が、よく、百太郎の面倒を見てくれた。
やがて、人家が見えて来ると異様ないで立ちの足軽たちがウロウロしていた。
楓たちは阿修羅坊に守られながら、足軽たちの間を進んだ。
足軽たちの姿が消えると、今度は、武装した正規の兵たちの姿が見えて来た。
阿修羅坊が見張りの武士に手形のような物を見せると、見張りの武士は態度を改め、護衛の武士を五人付けてくれた。
楓たちは砦のように入り組んだ町中を、武装した兵士たちの間を縫って進んで行った。
「ここじゃよ」と阿修羅坊が言ったのは、立派な門構えの大きな屋敷の前だった。
「浦上殿の屋敷じゃ。首を長くして待っておるじゃろう」
楓たちは厳重に警戒されている浦上屋敷の中に入って行った。
浦上屋敷では、楓のために、すべての用意が整っていた。
楓は今まで見た事もないような豪華な着物を着せられ、広い広間の上座に座らせられ、赤松家の主立った家臣たちと対面させられた。
楓は、まさか、こんな事になるなんて思ってもいなかった。
ただ、一目でいいから、弟に会いたかっただけなのに、こんな風に大袈裟に紹介されてしまったら、もしかしたら、もう、二度と花養院には帰れなくなるのではないかと心配になって来た。
楓が何を言っても無駄だった。すべて、浦上美作守則宗の計画した通りに事は運ばれて行った。
楓は、その日から『楓御料人様』と呼ばれるようになった。
楓御料人様は毎日、大勢の家臣たちに披露され、堅苦しい屋敷の中で、息の詰まる生活を送っていた。
何度も逃げ出そうと思ったが警戒が厳しく、とても、無理だった。楓一人なら何とかなっただろうが、百太郎を連れていてはどうにもならない。それに、当の百太郎は楓の気持ちも知らず、珍しいお菓子やうまい物が、毎日、食べられるので、ずっと、ここにいたいと言っていた。
楓は七日間、浦上屋敷に滞在し、播磨に向けて旅立った。
京に来る時と違って、楓と百太郎は百人もの武士たちに守られ、豪華な牛車に乗って出立して行った。
一行の中に、桃恵尼と弥平次の姿が見えたのが、ただ一つ、楓にとって心強かった。
阿修羅坊は楓と共に播磨には行かなかった。
浦上美作守より次の任務を命ぜられていた。難しい任務だった。予想はしていたが、まさか、自分がその任務に就くとは思ってもいなかった。
その任務とは『楓の主人、太郎坊を消せ』だった。
やりたくない仕事だった。しかし、阿修羅坊が断れば、誰か他の者が刺客(シカク)として送られるだろう。どっちみち太郎坊の命はない。また、命があったとしても、楓はもう二度と太郎坊に会う事はできないだろう。
阿修羅坊は自分の手で太郎坊を殺す決心をした。楓のために、それが一番いいだろうと思った。
阿修羅坊は、すでに、手下の日輪坊と月輪坊の二人を太郎坊を見張らせるために甲賀に送っていた。
楓が百太郎と二人で部屋の掃除をしている時だった。
「御免下さい」と誰かが訪ねて来た。
こんな早くから、一体、誰だろうと入り口の戸を開けると山伏が立っていた。
山伏がここを訪ねて来るのは初めてだった。誰も、太郎坊のうちがここだとは知らない。
楓は不思議そうに山伏を見ていた。
「楓殿ですね」と山伏は軽く笑いながら言った。
「はい」と返事をしたが、楓の知らない山伏だった。
「朝早くから、すみません。私は阿修羅坊という者です。御主人の太郎坊殿より頼まれて、大峯山から参りました」
大峯山から来たと聞いて、楓はすぐに太郎の事を心配した。
「主人に何かあったのでしょうか」
「いえ、そうではありません」と阿修羅坊と名乗った山伏は慌てて手を振った。「御主人殿は元気に修行に励んでおります」
「そうですか」と楓はほっとして、阿修羅坊を改めて見た。見るからに修行を積んだ先達山伏に見える。もしかしたら、風眼坊様の友達かしらと思った。
「ちょっと、そなたに話があるのですが、よろしいでしょうか。手間は取らせません」
「はい」と楓は阿修羅坊をうちの中に入れた。
百太郎が阿修羅坊を見て、脅えるように楓の後ろに隠れた。
「お子さんですか」と阿修羅坊は百太郎に愛想笑いをした。
阿修羅坊は楓と向かい合って座ると話し始めた。
「楓殿、播磨の赤松氏を御存じですか」と阿修羅坊は言った。
「いいえ」と楓は答えた。
阿修羅坊は頷いた。楓の顔を見ながら、回りくどく言うより、単刀直入に言った方がいいかもしれないと思った。
「実は、赤松家の当主、赤松兵部少輔(ヒョウブショウユウ)政則殿は、楓殿、そなたの弟です」
「はあ?」
突然、そんな事を言われても、楓には何が何だかわからなかった。第一、赤松氏なんて聞いた事もない。どこの誰だか、さっぱりわからなかった。
「驚くのは無理もない。赤松氏の方でも、そなたの存在を知ったのは、つい、この間の事です。ところで、そなたの御両親はどなただか御存じですかな」
「いえ、わかりません。ただ、武士だったと言う事だけは聞いております」
「それだけですか。御両親の名前は」
「わかりません‥‥‥」
「知りたいとは思いませんか」
「いえ‥‥‥でも、私にとって松恵尼様が母親だと思っております」
「でしょうな。しかし、本当の事を知りたいとは思うでしょう」
「‥‥‥わかりません」
楓の横で、百太郎は珍しい物でも見たかのように、阿修羅坊の顔をじっと見ていた。
「急な話でよくわからないのは無理ありません。とにかく、私の話を聞いて下さい。赤松兵部少輔殿は播磨、備前、美作の守護大名の当主です」
「えっ」と楓はびっくりした。「それでは、そのお方というのは、お殿様という事ですか」
「まあ、そうです。しかし、それだけではありません。幕府の重臣でもあります。幕府の侍所の頭人も勤めております」
「侍所の頭人?」
「京の都を警備したり、悪人を取り締まったりしている所の長官です」
「そんなに偉いお人なんですか‥‥‥」
阿修羅坊は頷いた。「そのお方の姉君が、そなた、というわけです」
「まさか‥‥‥」
「信じられないでしょうが間違いありません」
「そんな事、信じられません‥‥‥どうして、私が、そのお方の姉だというのです」
「実の所、はっきりとした証拠はないんですよ。多分、松恵尼殿が知っていると思いますが、何も話してくれません。しかし、そなたに会ってみて、私は、絶対に、そなたがお屋形様の姉君だという確信を持ちました」
「お屋形様?」と楓は聞いた。
「申し訳ありません」と阿修羅坊は謝った。「実は、私は播磨の山伏です。赤松氏の重臣、浦上殿に頼まれ、お屋形様の姉君を捜していたのです」
「それでは、主人を知っているというのは嘘だったのですね」
「話には聞いておりますが、会った事はありません。ぜひ、お会いたいものです」
「もうすぐ、帰って来ます」
阿修羅坊はわかっているというように頷いた。「高林坊殿より聞きました。若いが随分と強いと聞いております。まあ、御主人の事はさて置き、まずは、そなたの事です。初めに、赤松氏の事を大まかにお話します。今でこそ、赤松氏は三国の守護職に就き、幕府でも重きを置く大名となっておりますが、そなたが生まれた当時、赤松氏は幕府に取り潰されて存在しておりませんでした。そなたの父親は赤松彦三郎殿といって、幕府の目を逃れ、近江の浅井郷に隠れておりました。そこで、そなたの母親と出会い、そなたが生まれたのです」
阿修羅坊はそう言って楓を見た。楓は興味深そうな顔をして聞いていた。阿修羅坊は心の中で満足して話を続けた。
「そなたの母親は近所の郷士の娘で、えらい別嬪だったそうです。残念ながら、そなたの母親は彦三郎殿の正妻ではありませんでした。その時、正妻には子供がなく、そなたの母親が疎ましくなったのでしょう、そなたの母親をいじめたわけです。そなたの母親は今浜(長浜市)の親戚に預けられました。そこで、そなたを産んだわけだが、その後、不幸な事件が起きたのです‥‥‥京の都を荒らしていた盗賊どもが今浜に現れ、あちこちを荒らし回り、そなたの母親がいた親戚の家も襲われ、全員が殺されました」
楓は百太郎を抱き寄せ、阿修羅坊から視線をそらせた。母親の死を告げるのは辛かったが仕方がなかった。阿修羅坊は話を続けた。
「幸い、赤ん坊だった、そなただけは、ある山伏に助け出されました。その山伏というのは伊勢の北畠氏と関係のある山伏で、赤ん坊は伊勢の都、多気に連れて行かれました。それから、この甲賀の地の尼寺に預けられた。ここまでは、本当の話です。私は、二年前、ここに来て、尼寺をすべて当たりました。しかし、見つからなかった。花養院の松恵尼殿は何かを知っていそうだったが、何も話してはくれませんでした。そなたの事も聞いて、色々と捜してみたが、どこに行ったのか、まったくわかりません。二年振りに、また、やって来て、やっと、そなたに会う事ができたという次第です」
楓は百太郎を抱きながら、じっと黙って阿修羅坊の話を聞いていた。
母親が盗賊に殺されたなんてひどすぎた。そんな話は聞きたくはなかった。でも、北畠氏と松恵尼とのつながりは確かにあった。阿修羅坊の言うように、伊勢の山伏に助けられて、あたしはここに連れて来られたのだろうか。阿修羅坊が嘘をついているとは思えなかった。それでも、あまりにも驚きが大きすぎて、どうしたらいいのかわからなかった。
「どうですか。何か、心当たりの事はありますか」
「わかりません‥‥‥」
「そうですか‥‥‥今日のところは、これで失礼します。松恵尼殿に聞けば詳しくわかると思いますよ」
阿修羅坊は帰って行った。
百太郎が楓の袖を引っ張りながら、何かを言っていた。
楓はぼんやりと窓の外を見ていた。
雀が木の上で鳴いていた。
あたしに弟がいたなんて‥‥‥しかも、その弟は三つの国を治める大名のお殿様で、幕府の中でも偉い人だと言う。急に、そんな事を言われても、どうしたらいいのかわからなかった。
「百太郎や、お母さんはどうしたらいいんでしょうね」と言いながら、楓は百太郎を抱き締めた。
百太郎は心配そうに母親を見上げていた。
「お父さんが帰って来たら、考えましょうね」
「うん」と百太郎は頷いた。
2
楓が阿修羅坊と会った日の昼過ぎ、花養院の客間で、阿修羅坊は松恵尼と楓の二人と対座していた。
小雨がしとしとと降り、蒸し暑かった。
孤児院の方から子供たちの遊んでいる声が賑やかに聞こえていた。
「わかりました」と松恵尼は落ち着いた声で阿修羅坊に言った。「楓も、その方がいいのですね」と楓の方を向いた。
「はい。教えて下さい」
松恵尼は楓に頷くと立ち上がり、部屋から出て行った。
阿修羅坊は壁に掛けられた掛軸を眺めていた。
漢詩が隷書(レイショ)で書かれてあった。誰が書いたのか知らないが立派な力強い字だった。どこかの禅僧が書いたものだろうか。
掛軸の前には信楽焼きらしい花瓶に花が生けてあった。松恵尼が生けたものだろうか、涼しさを感じさせる花がうまく生けてあった。
楓を見ると、俯いたまま、考え込んでいるようだった。
今は質素でさっぱりした身なりをしているが、武家の奥方の格好をさせても、よく似合いそうだ。この娘なら、お屋形様の姉君として、どこに出しても恥ずかしくはないだろう。浦上殿に言わせれば、政治的利用価値は大いにありというわけだ。
「楓殿、播磨の国に行ってみませんか。いい所ですよ」と阿修羅坊は楓に声を掛けた。
「え、はあ‥‥‥」と楓は顔を上げた。
「お屋形様は今、播磨の国におります。新しくできた置塩(オキシオ)城という立派なお城で暮らしております。一度、会って見てはいかがですか」
「お城に‥‥‥」
「そりゃ、もう、綺麗なお城ですぞ。お城の下には夢前川が流れ、城下もまだ新しく、商人たちが行き交い、賑わっております。市の立つ日は、かつての京の都にも負けない程の賑わいですよ。そなたも、きっと気に入るじゃろう。ぜひ、行ってみるがいい」
「そんな、急に言われても‥‥‥」
「まあ、私の一存では決められませんがな、そなたが会いたいと言えば何とかなるじゃろう。のう、一度、会ってみい。お屋形様はそなたに似ていて、なかなかの男前じゃぞ」
阿修羅坊は陽気に笑った。
やがて、松恵尼は荷物を抱えて戻って来た。
「これが、赤ん坊の楓と一緒に、ここに届けられた物です」
松恵尼は荷物の中から、一枚の紙切れを出して、阿修羅坊に見せた。
阿修羅坊はそれを受け取ると、じっくりと目を通した。
それは、赤松彦三郎義祐が、楓の母親、お咲に当てた手紙で、生まれた赤ん坊に楓という名前を付けてくれと記したものだった。最後に、義祐の署名も入っていた。
これで、完全に、楓が赤松政則の姉である事が証明されたわけであった。
阿修羅坊は何度も読み直してから、その手紙を楓に渡した。
もう一つ、父親の遺品だという脇差があった。
阿修羅坊は手にして良く見てみたが、彦三郎の物だったという印はどこにもなかった。鞘を抜いて刀身も見てみたが、それ程の名刀とも思えなかった。
阿修羅坊は刀を鞘に戻すと松恵尼に返した。
「これで、確実ですな」と阿修羅坊は嬉しそうに言った。
松恵尼は頷いた。
「松恵尼様、どうして、今まで黙っていたのですか」と楓が聞いた。
「話そうとは思いました。でも、戦が始まり、赤松氏は東軍として山名氏と戦っています。そんな所に楓をやりたくはなかった。戦に巻き込みたくなかったのです。それに、楓は太郎坊殿と一緒になって南伊勢に行きました。もう、二度と、ここには戻って来ないものと思っていました。あちらで幸せに暮らしていれば、楓の出生の秘密は私の胸の内だけにしまって置いた方がいいと思っていました‥‥‥しかし、また、戻って来てしまった」
松恵尼の話が途切れると、「私は、これで失礼します」と阿修羅坊は言った。
「改めて、お迎えに来ると思いますが、今日はこのまま京に帰ります。よい知らせを待っているお人がおりますからな」
阿修羅坊は松恵尼と楓の顔を交互に見てから、「それでは」と頭を下げると出て行った。
阿修羅坊を見送った後、「どうしますか」と松恵尼は楓に聞いた。
「わかりません」と楓はすがるような目で松恵尼を見た。
「多分、赤松殿は楓を迎えに来るでしょう」
「‥‥‥どうしたら、いいのでしょう」
「太郎殿はいつ帰って来るの」
「あと五日もすれば帰って来ると思いますけど‥‥‥」
「それなら、大丈夫でしょう。帰って来たら、二人でよく相談する事ね」
「はい‥‥‥」
「しかし、あの阿修羅坊という人も大したお人ね。よく、楓の事を探り当てたわ。楓の事を知っていたのは、本当に、私一人だけだったのよ」
「あの、赤ん坊のあたしを助けてくれた行者さんていうのはどなたなのですか」
「伊勢の世義寺という所の山伏よ。もう、亡くなったわ。北畠の先代のお殿様も亡くなったし、知っているのは私だけだったのに」
「あたしのお父さんは、今も生きてらっしゃるのですか」
松恵尼は首を振った。
「赤松家を再興させるために戦に出て、怪我をして、それがもとで亡くなってしまったわ。でも、あなたの弟の次郎(政則)殿を当主として、赤松家は再興する事ができたのよ」
「それは、いつ頃の事なんですか」
「そうねえ、あれから、もう十五年位経つかしらねえ。あなたが、まだ五つの時だったわ。私は赤松家が再興されたと聞いて、あなたの事をどうしたらいいか悩んだわ。赤松家に返そうとも思った。でも、あの頃、飢饉が続いていてね。京の都はひどい状態だったわ。勿論、武士が飢えたという話は聞いた事ないから赤松家は大丈夫だったけど‥‥‥でも、あの時は私もまだ若かったし‥‥‥要するに、あなたを手放したくなかったのね‥‥‥誰かが迎えに来たら仕方ないけど、それまでは、私の手で育てようと決めたのよ。あなたには悪い事をしたかもしれないけど、私はあなたを手放したくなかった‥‥‥そのうち、京で戦が始まって、当然、赤松家も戦に巻き込まれたわ。そんな所に楓をやりたくなかった。そして、太郎殿と出会い、五ケ所浦に行った。向こうで幸せに暮らして、もう、二度と、ここに戻って来る事はないと思っていました‥‥‥まさか、今頃になって、お迎えが来るなんてねえ‥‥‥」
「松恵尼様‥‥‥」
「本当に御免なさいね。今まで隠しておいて‥‥‥」
楓は首を振った。「いいえ、そんな事いいんです。あたしはここで、ずっと幸せでした」
松恵尼は楓を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「どんな人かしら、あたしの弟って」
「確か、あなたより一つ年下のはずよ」
「それじゃあ、今、二十歳ってわけですね」
「そうね。お互いに、たった一人の身内というわけよ。これから、楓がどう生きて行くにせよ、一度は会っておくべきでしょうね」
楓は頷いた。
3
予定の一ケ月が過ぎても、太郎は帰って来なかった。
楓は一人で悩んでいた。
自分に弟がいたという事は嬉しいけど、その弟の身分が余りにも高すぎた。
あとで松恵尼から聞いたら、赤松氏というのは村上源氏の流れを引く名族だと言う。しかも、播磨、備前、美作と三国を支配している大名で幕府の重役にも就いている。
松恵尼の話だと、伊勢の北畠氏よりも、ずっと大きい勢力を持った大名だと言う。
北畠氏の都、多気に行った時、北畠氏の凄く綺麗で立派な御殿を見たけど、あれよりも立派な御殿に住んでいるのかしら。楓には、とても、想像すらできなかった。
そんな偉い人が弟だと言われても、どうしたらいいのかわからない。
早く、太郎に相談したかった。太郎の帰りを首を長くして待っている楓だった。
阿修羅坊は六日後にまた、花養院にやって来た。四人の山伏を連れていた。見るからに強そうな山伏ばかりだった。
三人の山伏を外に待たせたまま、阿修羅坊は一人の山伏を連れて、中に入って行った。
しばらくして、楓は客間に呼ばれた。
楓が客間に行くと、二人の山伏を前に松恵尼が座っていた。
楓は松恵尼の隣に座った。
阿修羅坊が連れて来た山伏は、楓の姿をじっと見ていた。
「楓です」と松恵尼が阿修羅坊の連れて来た山伏に紹介した。
「成程、確かに似ておる」その山伏は楓を見つめたまま言った。
「楓殿、こちらは浦上美作守(ミマサカノカミ)殿です。赤松家の重臣です。世の中、物騒なんでな、こうやって山伏に化けて来たわけです」と阿修羅坊は説明した。
「楓です」と楓は頭を下げた。
「孤児たちの世話をしているそうですな。大変でしょう。この戦は一体、いつになったら終わるのでしょうな。早く終わって欲しいものです」と浦上美作守は言った。
「そうですね。子供たちが可哀想です」と松恵尼は言った。
「あとで孤児院を見せて下さい。京の都にも孤児はかなりいます。京にも、ここのような施設が必要ですな。また、播磨にも必要でしょう」
「赤松殿は今、播磨の国にいらっしゃるそうですね」と松恵尼が聞いた。
「はい、今、お屋形様は新しい城下造りをしております。三十年近くの間、山名氏に取られてしまっていたので、国人衆をまとめるのが、なかなか大変なんですよ。まずは立派な城下を造って、こちらに靡(ナビ)かせて行かなければならないのです」
「三国を治めて行くというのは大変な事でしょうね」
「ええ、お屋形様に身内がいないというのが一番辛い事です。もっとも、今の時代は親兄弟でも戦をしている御時勢ですから、身内と言っても安心はできませんがね。それでも、お屋形様に姉君様がいらしたというのは、まことに喜ばしい事です。お屋形様もさぞ、お喜びの事でしょう。まだ、お屋形様には知らせておりませんが、さっそく、早馬を飛ばせましょう」
「お屋形様はどのようなお方なんでしょうか」と松恵尼が聞いた。
「まだ、お若いですから、ちょっと頼りない所もありますが、赤松家の当主として、立派な武将におなりです。幼い頃より禅僧に付いて学問を修め、兵法(ヒョウホウ)の方もなかなかのものです。ことのほか、馬術は得意です。また、鷹狩りも好きで、よくやっております。最近は、剣術もやっておるようです」
「まあ、そうですか」
「楓殿の御主人も剣術が得意とか、伺っておりますが」
「ええ、太郎坊殿の剣術もなかなか凄いですよ、ねえ、楓」
「はい」と楓は、ただ頷いた。
「松恵尼殿」と阿修羅坊が言った。「楓殿の御主人ですが、山伏になる前は武士だったそうですが、どこの武士だったのですか」
松恵尼は楓の顔を窺ってから答えた。「南勢の愛洲氏です」
「愛洲氏‥‥‥あの熊野水軍の愛洲氏ですか」と浦上美作守が聞いた。
「はい。愛洲氏の水軍の大将、隼人正殿の伜殿です」
「水軍の大将の伜殿‥‥‥それが、また、どうして、山伏に」
「よくは知りませんが、愛洲氏の内紛に巻き込まれ、その責任を負って、出て来たらしいです」
「成程、自分が犠牲になったというわけですか」
「でしょうね。それと、太郎坊殿は剣術というものに、とことん打ち込んでみたかったのでしょう。自ら、陰流という剣術の技を編み出しています」
「陰流‥‥‥ほう、自分で剣術の流派をね。それは、なかなかのものですな」
「飯道山でやっている『志能便の術』とかも、太郎坊殿が考えたとか」と阿修羅坊が言った。
「ええ、そうです。皆、その『志能便の術』が習いたくて、毎年、大勢の若者がお山に修行に来ているのです」
「志能便の術とは何です」と美作守が聞いた。
「どうやら、敵の城などに忍び込む術のようですな」と阿修羅坊が説明した。
「成程、それで、忍びの術か。飯道山ではそんな術も教えておるのか‥‥‥」
「うちの若い者たちもここに送り込んで、鍛えさせた方がよさそうですよ」と阿修羅坊が笑いながら美作守に言った。
「そうだな。忍びの術を習わせて敵の城に送り込むか」
「いやいや、太郎坊殿が播磨に来て、若い者たちに教えてくれればいいんじゃ」
「おう、そうじゃのう。楓殿、ぜひ、御主人とお子さんを連れて播磨にいらっしゃい」
浦上美作守は赤松彦三郎義祐の手紙と脇差を見せてもらい、改めて、迎えをよこすからと言って、阿修羅坊と共に座を立った。そして、孤児院に行き、孤児たちに一言づつ声を掛けると、護衛の山伏に囲まれて帰って行った。
この時、五人の山伏の後を一人の薬売りが付けて行ったのを松恵尼だけが知っていた。
4
阿修羅坊が楓を迎えに来たのは、浦上美作守を連れて来た日から六日後だった。
七月七日の七夕の日で、花養院でも笹竹を飾り、厄払いの行事が行なわれていた。
太郎はまだ、帰って来なかった。
楓は松恵尼と相談をして、一度、弟の赤松兵部少輔政則に会ってみる事に決めた。
楓は知らなかったが、松恵尼は赤松氏の事をもう二年も前から色々と調べていた。京都の赤松氏の屋敷は勿論の事、播磨の国の城下にまで、松恵尼の手下の者たちが潜入して情報を集めているという。松恵尼がまた、何かを始めたらしいという事は楓も気づいていたが、まさか、赤松氏の事を調べていたとは思ってもいなかった。
「心配しないで、行ってらっしゃい。あなたの行動は全部、ここに伝わるはずよ。あなたがどこに連れて行かれても、必ず、太郎殿を迎えに行かせるわ」
「あたしのために、赤松氏の事を探っていたのですか」と楓は松恵尼から頂いた綺麗で立派な着物を眺めながら聞いた。
松恵尼は首を横に振った。
「そうじゃないわ。あなたは、もう、帰って来ないと思っていましたし‥‥‥二年前、阿修羅坊殿が初めて、ここに来た時、あなたの居場所がわかってはまずいと思って、阿修羅坊殿を見張らせていたのよ。そしたら、見張りの者が阿修羅坊殿と一緒に播磨まで行っちゃってね、向こうの事を色々と聞いたら、ちょっと、商売がしたくなったのよ。向こうの商人と取り引きを始めてね。そのうち、赤松氏とも取り引きを始めたんですよ。京の都にも播磨の国にも、私の手下の者たちが入り込んでいるの。だから、安心して行って来るといいわ。そんな事はないと思うけど、あなたにもしもの事があっても絶対に助け出してあげるわよ。あなたにはわからないけど、常に、あなたの回りに陰の護衛を付けて置くわ」
「陰の護衛‥‥‥」
「ええ、太郎殿の陰の術にはかなわないけど、みんな、強いから安心して大丈夫よ。それに、あなたは赤松家のお姫様なんだから大事にされるはずよ」
「お姫様だなんて‥‥‥でも、松恵尼様、松恵尼様は一体、何者なんですか」
「そのうち、わかるわ。でも、私の正体がわかれば、あなたは私の事がいやになるかもしれないわね」
「そんな事ありません」
松恵尼は笑った。しかし、その笑いは、どこか淋しそうだった。
「松恵尼様、という事は、阿修羅坊様が、また、ここに来るという事も前もって知っていたわけですか」
「そうよ」
「それじゃあ、こうなる事もわかっていたのですね」
「ええ。わかっていました。でも、どうする事もできなかったわ」
「そうだったのですか‥‥‥」
阿修羅坊は日輪(ニチリン)坊、月輪(ゲツリン)坊という二人の若い山伏を連れて、楓を迎えに来た。
浦上殿は綺麗な牛車(ギッシャ)を用意してくれたが、そんなのに乗って行ったら、目立って、誰に襲われるかわからないので、申し訳ないが都まで歩いてくれとの事だった。
楓は次の日、証拠の手紙と脇差を持ち、百太郎を連れ、松恵尼が付けてくれた桃恵尼(トウケイニ)という尼僧と弥平次という男を連れて、三人の山伏の後に従った。
桃恵尼は三十歳位の太った尼僧で、五、六年前、主人を戦で亡くし、子供もいなかったので松恵尼のもとで出家していた。出家した当時は、この花養院にいて、楓も知っていたが、その後、奈良の方に行ったとかで花養院に戻って来る事もなかった。ところが、先月になって急に帰って来て、孤児たちの世話をしていた。陽気な性格で、いつも、笑顔を絶やさず、すぐに子供たちの人気者になって行った。太っているので動きが鈍いように見えるが、松恵尼の薙刀の弟子で、見かけに似合わず身が軽く、すばしこかった。
弥平次は楓が小さかった頃、よく、花養院に来ていた男だった。その当時は飯道山の山伏で、楓とよく遊んでくれた。楓に石つぶてを教えてくれたのが、この弥平次だった。いつの間にか花養院に来なくなり、楓もすっかり忘れてしまっていたが、久し振りに会って、本当に懐かしかった。今は信楽の庄で焼物の店を持ち、息子が大きくなったので店は息子に任せて、のんびり隠居していると言う。この間、突然、松恵尼様が訪ねて来て、楓の付き添いをして旅に出てくれと頼まれ、喜んで引き受けたのだと言った。
弟に会いに行くとはいえ、知らない所に行くのに、何かと心細かった楓だったが、桃恵尼と弥平次が一緒に付いて来てくれるので、いくらか、ほっとしていた。
一行は二日めの昼過ぎ、京の都に入った。
阿修羅坊が西軍が陣する危険な場所を避け、安全な道を選びながら進んで行ったので、途中、何事もなく無事に都に到着した。
楓は京の都に来るのは初めてだった。粟田口から京に入った一行は賀茂川を渡り、京極通りを北上した。
京の都は、ほとんどが焼けたまま放置されてあった。あちこちに濠が掘られ、土塁や塀が作られてある。まだ、戦は完全に終わっていなかった。
今年の四月、両軍の大将、細川右京大夫政元(勝元の子)と山名弾正少弼(ダンジョウショウヒツ)政豊(宗全の孫)の間で講和が成立していた。しかし、大将同士で講和が成立したから、戦は終わりだというふうに簡単には行かなかった。
誰もが戦の終結を望んではいたが、それぞれが領国拡大の恩賞を目当てに、東軍、西軍に属し、はるばる遠くから戦にやって来たのである。これで、戦は終わりですと言われても、何も貰えずに、はい、そうですかと帰るわけにはいかなかった。長い戦に誰もが莫大な出費を抱えていた。元も取れずに陣を払って帰るわけには行かなかった。
両軍の諸将たちは何らかの成果を期待して、まだ、京に在陣していた。
京の都では、今、合戦は行なわれてはいなかった。しかし、誰が、いつ、何をしでかすかわからない状態だった。両軍の武士たちが濠や柵を越えて行き来する風景も見られはしたが、まだ、睨み合いを続けている所もあった。また、足軽たちにしてみれば、戦が終わってしまえば食いっぱぐれてしまう。今まで、好き勝手な事ができたのも戦が続いていたからだった。足軽たちは彼らなりに、戦が完全に終わる前に何らかの収穫を手に入れようと京の都中をウロウロしていた。
楓たち一行は都の焼け跡を左に見ながら、北へと進んで行った。
楓は京の都を見ながら、愕然となっていた。話には聞いていたが、これ程、ひどいとは思ってもいなかった。もう、ここ、京の都は人の住む所じゃないと楓は思った。京の都は完全に戦場跡と化してしまっていた。
楓は心細くなって、もう、帰りたくなっていた。
弟には会えなくてもいい、早く、花養院のみんなのもとに帰りたかった。
「もうすぐじゃ」と阿修羅坊は言った。「ここまで来れば、もう大丈夫じゃ」
百太郎は弥平次の背中で眠っていた。
百太郎は初めての旅が、余程、楽しいのか、よく、はしゃいでいた。泣いたりしなかったので楓は助かっていた。また、桃恵尼と弥平次が、よく、百太郎の面倒を見てくれた。
やがて、人家が見えて来ると異様ないで立ちの足軽たちがウロウロしていた。
楓たちは阿修羅坊に守られながら、足軽たちの間を進んだ。
足軽たちの姿が消えると、今度は、武装した正規の兵たちの姿が見えて来た。
阿修羅坊が見張りの武士に手形のような物を見せると、見張りの武士は態度を改め、護衛の武士を五人付けてくれた。
楓たちは砦のように入り組んだ町中を、武装した兵士たちの間を縫って進んで行った。
「ここじゃよ」と阿修羅坊が言ったのは、立派な門構えの大きな屋敷の前だった。
「浦上殿の屋敷じゃ。首を長くして待っておるじゃろう」
楓たちは厳重に警戒されている浦上屋敷の中に入って行った。
浦上屋敷では、楓のために、すべての用意が整っていた。
楓は今まで見た事もないような豪華な着物を着せられ、広い広間の上座に座らせられ、赤松家の主立った家臣たちと対面させられた。
楓は、まさか、こんな事になるなんて思ってもいなかった。
ただ、一目でいいから、弟に会いたかっただけなのに、こんな風に大袈裟に紹介されてしまったら、もしかしたら、もう、二度と花養院には帰れなくなるのではないかと心配になって来た。
楓が何を言っても無駄だった。すべて、浦上美作守則宗の計画した通りに事は運ばれて行った。
楓は、その日から『楓御料人様』と呼ばれるようになった。
楓御料人様は毎日、大勢の家臣たちに披露され、堅苦しい屋敷の中で、息の詰まる生活を送っていた。
何度も逃げ出そうと思ったが警戒が厳しく、とても、無理だった。楓一人なら何とかなっただろうが、百太郎を連れていてはどうにもならない。それに、当の百太郎は楓の気持ちも知らず、珍しいお菓子やうまい物が、毎日、食べられるので、ずっと、ここにいたいと言っていた。
楓は七日間、浦上屋敷に滞在し、播磨に向けて旅立った。
京に来る時と違って、楓と百太郎は百人もの武士たちに守られ、豪華な牛車に乗って出立して行った。
一行の中に、桃恵尼と弥平次の姿が見えたのが、ただ一つ、楓にとって心強かった。
阿修羅坊は楓と共に播磨には行かなかった。
浦上美作守より次の任務を命ぜられていた。難しい任務だった。予想はしていたが、まさか、自分がその任務に就くとは思ってもいなかった。
その任務とは『楓の主人、太郎坊を消せ』だった。
やりたくない仕事だった。しかし、阿修羅坊が断れば、誰か他の者が刺客(シカク)として送られるだろう。どっちみち太郎坊の命はない。また、命があったとしても、楓はもう二度と太郎坊に会う事はできないだろう。
阿修羅坊は自分の手で太郎坊を殺す決心をした。楓のために、それが一番いいだろうと思った。
阿修羅坊は、すでに、手下の日輪坊と月輪坊の二人を太郎坊を見張らせるために甲賀に送っていた。
10.日輪坊と月輪坊
1
晴れ晴れとした顔をして、太郎が大峯山から帰って来たのは、予定の一ケ月を半月も過ぎた七月の十六日だった。
山に籠もっていたので知らなかったが、下界はお盆だった。
帰って来る途中、あちこちで、庶民たちが『念仏踊り』を踊っていた。『風流(フリュウ)踊り』とも呼ばれ、鉦(カネ)や鼓(ツヅミ)で囃し立てながら、百姓や町人たちが村々を巡って熱狂的に踊り狂っていた。
疫病などの悪霊払いとして始まった『風流踊り』は、やがて、庶民から武家や公家にまで広まり、盛大に行なわれるようになって『盆踊り』として定着して行く。この風流踊りは、京に戦が始まった頃より、なりをひそめていたが、また、去年あたりから盛り返して、盛んに行なわれるようになって来ていた。
昼頃、甲賀に入った太郎は、まず、飯道山に行って、高林坊に謝らなければならないと思ったが、それよりも、楓と百太郎の顔が一目見たくて花養院に顔を出した。
孤児院では、相変わらず、子供たちが元気に遊び回っていた。
太郎は百太郎を捜したが見当たらなかった。楓の姿も見えなかった。
子供たちの朝飯の後片付けでもしているのか、それとも、寺の寺務でもしているのかな、と思ったが、何となく、花養院の雰囲気が、いつもと違うような感じがした。みんなが自分を見る目が何となく変だった。
太郎は自分の姿に気づいた。薄汚い山伏の格好のままだった。ここでは仏師の三好日向だったという事をつい忘れてしまった。
太郎は孝恵尼に、大峯山に登って来たので、こんな格好をしていると訳を話してから、「楓はどこにいますか」と聞いてみた。
孝恵尼は口ごもっていた。太郎がしつこく聞いたら、やっと、京に行ったと答えた。
どうして、と太郎が聞いても話してくれなかった。松恵尼に聞いてくれと言う。
何か、松恵尼に頼まれて、京まで行ったのかと思い、詳しく聞こうと、太郎は庫裏(クリ)の方に向かった。
松恵尼は誰か、客人と会っているようだった。
太郎は客間の前の縁側に座って声を掛けた。
「あら、まあ」と松恵尼は言って笑った。「やっと、帰って来ましたね。どうぞ、お入りなさい」
太郎が中に入ると、松恵尼は旅の商人らしき男と話をしていた。
松恵尼は太郎と商人をお互いに紹介した。
商人は伊助という名で、三十半ば位の薬売りだった。太郎たちが作っている薬を売り歩いてくれている商人の一人だ、と松恵尼は説明した。
「ほう、あなたでしたか」と伊助は太郎を見ながら言った。「まだ、若いのに大したもんですな。あの薬はなかなか評判いいですよ。良く売れます」
「ありがとうございます。売ってもらえるので、本当に助かっています。これからも、よろしくお願いします」と太郎は伊助に頭を下げた。
「いや、それは、こちらの言う事ですよ。これからもお願いしますよ」伊助は商人らしく丁寧に頭を下げた。
「ところで、楓の事なんですけど」と太郎は松恵尼に目を移した。
「わかっています」と松恵尼は頷いた。「楓は今、京にいます。実は、こうなる前に、あなたに話しておかなくてはならなかったのですが、遅すぎました」
「遅すぎた?」
「ええ、楓の素性の事です」
「楓の素性? 楓の両親は楓が赤ん坊の時、死んだのではなかったのですか」
「両親はすでに亡くなっています。しかし、弟が一人いたのです」
「弟?」と太郎は松恵尼の顔を見つめた。
「その弟というのが普通の人だったら、問題はなかったのですけど‥‥‥」
「武士だったんですね」と太郎は聞いた。
松恵尼は頷いた。「しかも、ただの武士ではありません」
「身分のある武将か何かですか」
「ありすぎます‥‥‥播磨、備前、美作の三国の守護職に就いている赤松兵部少輔殿が、楓の弟なのです」
「赤松兵部少輔‥‥‥」
「赤松兵部少輔殿の名前を聞いた事はありますか」と松恵尼は聞いた。
太郎は首を振った。聞いた事はなかった。播磨、備前、美作の国と言われても、京の都より西の方にあるというのを知っているだけで、はっきり、どこにある国なのかわからなかった。
松恵尼は、まず、赤松氏の事から太郎に話してくれた。
嘉吉の変の将軍暗殺から、赤松氏の滅亡、生き残った楓の父親、赤松彦三郎の事、そして、赤松家の再興、応仁の乱での赤松氏の活躍、今現在の赤松氏の事など、太郎にわかり易く話してくれた。
伊助も側で聞いていた。松恵尼が、伊助にも、これから楓の事で色々と仕事をしてもらうので、一応、聞いておいた方がいいだろうと言った。
赤松氏の事を話し終わると、今度は楓の事だった。楓がどこで生まれて、どういう経路で花養院に来たのか、そして、太郎が留守の間に、何があって、楓がどうしたのか話してくれた。
太郎は静かに聞いていた。内心は驚いていても、表情には出さなかった。
楓が赤松家の娘‥‥‥
播磨、備前、美作、三国の大名の当主の姉‥‥‥
太郎の故郷、五ケ所浦の殿なんて問題にならない程、大きな領土だった。伊勢の北畠氏より大きいと言う。楓が、そんな殿様の姉だったとは‥‥‥
思ってもみない事だった。太郎には、どうしたらいいのかわからなかった。
松恵尼が話し終わると、今度は、伊助が京に行った楓の様子を話してくれた。
伊助は京にいて、浦上屋敷をずっと張り込んでいたと言う。それを聞いて太郎は驚いた。どう見ても普通の商人にしか見えない、この伊助が、そんな大それた事をするとは、とても考えられなかった。
伊助の話によると、楓は赤松家のお屋形様の姉君として、毎日、赤松家の家臣たちに披露されていると言う。『楓御料人様』と呼ばれ、大層立派な着物を着て、噂によると、まるで、天女のように綺麗だと言う。やがて、お屋形様と対面するため、播磨の方に行くらしいが、はっきりとした日取りまではわからなかったとの事だった。
太郎は百太郎の事を伊助に聞いてみた。伊助は百太郎の事まではわからなかった。しかし、赤松氏は楓の事をお屋形様の姉君として大層、大事に扱っているので、百太郎も無事に違いないと言った。
太郎はさっそく、京に行こうと決めた。
松恵尼は楓の身の安全は保証するから、弟に会って戻って来るまで、ここで待っていた方がいいと言ったが、太郎にはそんな悠長な事はできなかった。もしかしたら、もう二度と楓と百太郎に会えなくなるのではないかという不安に襲われていた。
太郎は松恵尼と伊助に挨拶をして花養院を出ると、飯道山にも寄らず、そのまま、京へと向かって行った。
松恵尼は太郎が出て行く姿を見送りながら、笑っていた。
「困ったものね」と松恵尼は伊助に言った。
「やはり、京に向かいましたか」と伊助も笑っていた。
「人の言う事なんて、聞きはしないわ」
「無理もないですよ。突然、女房と子供をさらわれたようなものですからね。心配で、じっとしていられないのでしょう。ただ、楓殿より、太郎坊殿の身の上の方が心配ですな」
「ええ」と松恵尼は急に真面目な顔をして頷いた。「赤松氏がどう出るか、ですね」
「楓殿の亭主を素直に迎え入れてくれるか」
「多分、それはないでしょう。太郎殿は赤松氏にとって、ただの邪魔者でしかないでしょうね」
「すると、命が危ないですな」
「伊助、頼みますよ。太郎殿はそう簡単にやられないとは思いますが、もし、殺されでもしたら、楓に合わす顔がありませんからね。次郎吉にも連絡を取ったから、そろそろ、こっちに来ると思うけど、来たら、すぐに後を追わせるわ」
「ほう、次郎吉も来るんですか‥‥‥奴に会うのも久し振りだな。奴は今、大和にいるんでしょう」
「そうよ。それに『金勝座(コンゼザ)』にも働いてもらうわ」
「へえ、『金勝座』もですか、懐かしいですね。松恵尼殿がこれだけ大掛かりに動き出すのも久し振りの事ですね」
「可愛いい娘のためですからね」
「違えねえ。わしものんびりしてるわけにはいかねえな。それじゃあ、出掛けます」
「頼むわよ」
「へい」と頷き、荷物を背負うと、伊助は出て行った。
太郎は山道を太神山に向かって速足で歩いていた。
太神山を越えて、琵琶湖に出て、京に入ろうと思っていた。
太郎の足は速かった。
太郎の後ろには阿修羅坊の手下、日輪坊と月輪坊が跡を付けていた。二人は汗びっしょりになって必死に走っていた。
日輪坊と月輪坊の二人は阿修羅坊に命ぜられると、さっそく、甲賀に来て、太郎坊が帰って来るのを見張っていた。帰って来れば、花養院に顔を出すだろうと、昼間は花養院、夜になると楓の家を見張った。
見張るのも大変だった。家の方は誰もいないので家の中で待っていれば良かったが、花養院の方はうまい隠れ場所もなかった。花養院の前はたんぼが広がっているだけで、稲の穂はまだ、充分に隠れられる程、伸びてはいない。隣に般若院という寺があるが、寺の中からだと花養院の門は見えなかった。仕方がないので、般若院の隣を流れる川の土手から見張る事にした。その川の対岸に盛り場があるので、酔っ払った振りをしたり、毎日、同じ所にいても怪しまれるので、少し、離れているが川とは反対側にある神社から見張ったり、毎日、見張る場所を考えるのが大変だった。
太郎坊が帰って来たのは、二人が張り込んだ日から五日目だった。
その時、二人は川で子供たちと一緒にドジョウを捕っていた。
昼近く、薄汚れた格好の山伏が町の方からやって来て、花養院の前で立ち止まり、しばらく、飯道山の方を見上げていたが花養院の中に入って行った。思っていたよりも若い山伏だった。強いとは聞いていたが、それ程、強そうに見えなかった。しかし、かなり、修行は積んでいるらしく、若いわりには山伏としての貫禄があった。
二人はあいつに違いないと思った。二人は阿修羅坊より、太郎坊を消せと命令されていた。見たところ、太郎坊を消すのはわけない事だと二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
月輪坊の得意技は吹矢だった。吹矢の先にはトリカブトの毒を塗っていた。月輪坊の吹矢にやられた者は間違いなく即死だった。
日輪坊の得意技は棒術で、彼の持っている棒はただの棒ではなかった。太い六角の赤樫の棒に鉄の棒が六本埋め込んであった。刀の刃などは一発で折る事ができるし、人に当たれば骨を砕き、打ち所が悪ければ死ぬ事になった。
「兄貴、どこで殺る?」月輪坊は川から上がると、長さ三尺程(約九十センチ)の吹矢の筒を弄んだ。
「焦るな。人に見られない所でこっそりとやるんじゃ」と日輪坊は花養院を見張りながら言った。
「奴が京に向かう途中でやればいいな。兄貴の出番はなさそうじゃのう」と月輪坊は筒の中を覗いていた。
「ふん。そう簡単に行けばいいがのう」と日輪坊も川から上がった。
二人は花養院の方に向かった。
「こいつで奴はいちころや。あんな奴、早いとこ片付けて播磨に帰ろうや」
「われは、もう、女子(オナゴ)が恋しくなったのか」
「おう、早く帰って、思い切り抱きたいわ」
「今頃、どこぞの男でもくわえ込んでるんじゃねえのか」
「アホ言え。おそよに限って、そんな事あるか。わしの帰りをじっと待ってるわ」
「そうかい。われもうまい事やったのう。確かに、おそよはいい女子じゃ。もし、われが太郎坊にやられたら、わしが可愛いがってやるわ。心配せんでええぞ」
「兄貴、たとえ、兄貴でもそんな事は許さん」
「冗談や」
こうして、二人は花養院から飛び出して来た太郎坊を追って来たわけだったが、まさか、こんなに足が速いとは予想がはずれていた。二人も山伏である。常人よりは山歩きには自信を持っているが、太郎坊は山道を平地のごとく、まるで、飛ぶような速さで走っていた。ここで、太郎坊を見失ってしまったら阿修羅坊に痛い目に合わされるのはわかっている。二人は必死で、太郎坊の後を追っていた。
太郎は琵琶湖まで来ると、どうしようか迷っていた。
日が暮れて、辺りは暗くなっていた。このまま、闇の中を走って京まで行こうと思えば行けた。しかし、京の戦はまだ終わってはいない。どこが、どうなっているのかわからない。足軽たちが、どこかに隠れているかもしれない。足軽たちに負けない自信はあるが、余計な事に巻き込まれたくはなかった。楓のいる場所はわかっている。ここで焦ってみても、いい結果は出ないだろう。
太郎はここで夜を明かし、明日の早朝に京に向かう事にした。
日輪坊と月輪坊の二人は何とか、太郎坊に付いて来る事ができた。しかし、もう、くたくただった。太郎坊を倒すどころではない。疲れ切って、立っているのもやっとだった。
太郎坊が草の上に横になると、二人は崩れるように、その場に倒れた。
太郎は横になって、星空を見上げていた。
世の中、色々な事が起こるものだと、しみじみ思っていた。
自分の心の悩みを解決するため、大峯山に籠もっている間に、楓は俺の悩みなんか比べものにならない程の悩みを抱え込んで、一人で悩んでいたに違いなかった。
楓御料人様か‥‥‥武士の娘だとは聞いていたが、大した家の娘だ‥‥‥
赤松氏か‥‥‥楓の弟という事は俺の弟でもあるわけだ。
一体、どんな奴だろう‥‥‥
楓もやはり、会いたくて京まで出て行ったのだから、俺もこのまま播磨まで行って、弟とやらに会って来るか‥‥‥
そんな事を考えている内に、太郎は眠ってしまった。
どの位、寝ていただろうか、太郎はふと、人の気配で目を覚ました。
目を開けてみると、まだ暗かった。
太郎は身動きせずに耳を澄ました。
静かだった。
琵琶湖の水の音がするだけだった。
しかし、誰かが息を殺して近くにいた。
何者か‥‥‥
京が近いから足軽の類(タグ)いが、太郎の金でも狙っているのか‥‥‥
太郎はわざと寝た振りをしていた。
やがて、奇妙な音がした。矢羽根だと思った。
その音を聞いた途端、太郎は反射的に起き上がり、五尺の杖を構えた。
杖の下の方に、小さな矢が刺さった。
刺さると同時に、太郎の体は宙に飛んだ。
吹矢の筒を口にくわえたままの月輪坊の目の前に突然、現れた太郎は、杖の先で月輪坊のみぞおちを突いた。
月輪坊は筒を口に入れたまま、力なく崩れた。
太郎がその吹矢の筒を手に取ってみようとした時、太郎の頭上に唸りをあげて鉄の棒が落ちて来た。
太郎は飛び、鉄の棒を避け、手にした筒を第二の敵の顔に投げ付けた。
吹矢の筒は鉄の棒によって、真っ二つに折れ飛んだ。
鉄の棒は太郎目がけて、何度も打って来た。
日輪坊は重い棒をまるで、腕の一部のように操り、なかなかの腕を持っていた。飯道山に行けば師範代位は勤まるだろう。しかし、太郎の敵ではなかった。
太郎の杖に喉元を突かれ、そのまま、気絶して倒れた。
太郎は倒れている二人の山伏を見ながら、何者か、と考えた。見た事もない山伏だった。
太郎は自分の杖に刺さったままの矢を取って眺めた。矢の先に何かが塗ってあった。匂いを嗅いでみてトリカブトだとわかった。という事は、この二人は太郎の命を狙っていた事になる。
なぜだ‥‥‥
誰が一体、何のために‥‥‥
太郎は倒れている二人を木に縛り付けると、湖畔に落ちていた破れ鍋で琵琶湖の水を汲んで、二人の顔にぶつけた。
吹矢を使った山伏の方が意識を取り戻した。
太郎は日輪坊の鉄の棒を構えて月輪坊を威し、なぜ、自分を狙ったかを聞いた。
月輪坊はしぶとかった。なかなか、喋ろうとしなかった。
太郎は鉄の棒で、月輪坊の右足のすねを打った。
月輪坊は悲鳴を上げ、苦痛で顔を歪めたが喋ろうとはしなかった。
太郎は左足を打とうとした。月輪坊はやっと、喋りたくなったようだった。
月輪坊は阿修羅坊に頼まれて、太郎の命を狙ったと言った。
阿修羅坊とは誰だ、と聞くと、播磨の国、瑠璃寺の山伏だと言う。
なぜ、命を狙ったか、と聞いたが、それは知らないと言う。ただ、命令されただけだと言った。
阿修羅坊というのは、今、どこにいるか、と聞いてみたが、わからないと言う。もしかしたら、播磨に帰ったかもしれないと言った。
その阿修羅坊というのは赤松氏の山伏か、と聞くと、月輪坊は頷いた。
赤松氏が俺の命を狙っていた‥‥‥
なぜだ‥‥‥
お屋形の姉君になる人に、どこの馬の骨ともわからない亭主はいらんと言う事か‥‥‥
成程、そっちがその気なら、こっちにも考えがある。俺一人で赤松家など、ぶっ潰してやる。そう太郎は決心した。
太郎は手に持っていた鉄の棒で、月輪坊の腹を突き、また、気を失わせた。
「畜生!」と怒鳴りながら、太郎は鉄の棒を琵琶湖の中に放り投げた。
琵琶湖の湖上を漁師の小舟が動いていた。
太郎は湖畔に座り込んで、湖を眺めていた。
すでに、夜は明けている。
二人の山伏を倒し、自分が狙われている事を知った太郎は、赤松氏に腹が立ち、まだ、夜中なのに、そのまま京に向かった。しかし、歩いているうちに、だんだんと冷静になっていった。
相手は三国の守護大名だ。軽はずみな事をしたら、命が幾つあっても足らないぞ‥‥‥
ここの所はよく考えなければ駄目だ、と自分に言い聞かせていた。
こんな時こそ、陰の術を使え‥‥‥
敵に勝つには、まず敵を知れ‥‥‥
まず、楓の無事を確かめる事だ。そして、楓と会って、楓の気持ちも聞かなければならないだろう。楓が、どんな気持ちで京に行ったのか、これから、どうするつもりなのか、聞かなければならない。
とにかく、敵の事を色々と調べる事だ。それと、自分の命を狙う者がいる以上、これからは少しの油断もできない。ちょっとした油断が命取りになる。気を付けなければならなかった。
陰流、陰の術、今まで自分が身に付けたもの、すべてを実際に使ってみて試すのに、絶好の機会と言えた。
太郎は立ち上がると琵琶湖に背を向け、京に向かった。山科に入るとウロウロしている足軽をつかまえ、身ぐるみを剥がして足軽に変装した。
西軍だか、東軍だかわからないが、山科の地に数百人の軍勢が陣を構えていた。
太郎は山の中に入り、京に向かった。
六年振りだった。
京の都は変わっていなかった。返って、ひどくなっていた。以前、焼け残っていた大きな寺院なども、すでに消えている。高い建物など全然なく、辺り一面、荒涼とした焼け野原と化していた。しかし、前のように、賀茂川が死体で埋まっているという事はなかった。賀茂川の水は流れていた。そして、筵(ムシロ)囲いの簡単な小屋が並び、河原者や乞食たちが住み着き始めていた。
以前に比べて、人の行き来も多くなっていた。そのほとんどが武装した兵を引き連れた商人たちだった。牛に引かせた荷車に荷物を山のように積み込み、大通りを行き来している。荷物の中身は食糧が多いようだった。
焼け跡の中に、新しく建てられた小屋もいくつかあった。徐々にではあるが、幾つかの町が焼け跡から立ち直っているような感じがした。
京の戦もそろそろ終わるだろうと松恵尼が言っていたが、確かに、そんな気配があった。このまま終わってくれればいい、と思いながら太郎は京の町中を歩いていた。
目指す浦上屋敷は北の方にあると聞いていたので、真っすぐ北の方へと歩いていた。やがて、人通りもなくなり、荒れたままの焼け跡に出てしまった。
道を間違ったかなと思ったが、浦上屋敷の側には将軍様の住む花の御所があり、武装した武士たちがうようよいると聞いている。そんな所は、今まで、どこにもなかった。もっと、ずっと北の方に違いないと荒野をどんどんと進んで行った。
そのうち、遠くの方に寺の屋根のような大きな建物が幾つも重なって見えてきた。多分、あの辺りに違いないと思った。太郎はそこを目指して、焼け落ちた家々の残骸を踏みながら歩いて行った。
ウロウロしている足軽たちの姿が見え出した。もうすぐだと思った。
泥と埃(ホコリ)にまみれ、やっとの思いで焼け跡から出ると、そこは両側に濠や土塁の築かれた大通りだった。ここでも戦があったのだろうが、今は人影もなかった。
太郎は大通りを北に向かって歩いた。
やがて、大通りを行き来する兵士たちの姿が多くなり、旗差し物の立ち並ぶ陣地が見えて来た。東軍だか、西軍だかわからないが、かなりの軍勢がいるようだった。
このまま進むのはまずいと思い、道を変えた。濠を飛び越え、土塁を乗り越え、また、焼け跡の中に入って行った。小さな路地があったので、そこを通る事にした。その路地はやたらと曲がりくねっていて、方向がさっぱりわからなくなってしまった。
こんな事では、いつまで経っても目当ての浦上屋敷に着けそうもない、と自分に腹を立てながら歩いていた。とにかく、高い場所を見つけ、そこに登って、花の御所を身つける事だと思った。
どこかに高い場所はないかと歩いているうちに、太郎は変な所に出てしまった。
狭い路地の両脇に小さな小屋が並んでいた。こんな所に、焼け跡の真ん中に、まだ新しい小屋が並んでいるなんて不思議な事だった。
一体、誰が、こんな所に住んでいるのだろうか、と太郎は覗いてみた。
女がいた。中庭の井戸の側で若い女が二人、裸になって水を浴びていた。
太郎は目を疑った。
どうして、こんな所に女が‥‥‥しかも、若い女が‥‥‥
答えはすぐ出た。遊女たちに違いなかった。男ばかりの戦場に女の存在は不可欠だった。どうせ、地位の高い武将たちが利用しているのだろうが、こんな所に遊女屋があるとは驚きだった。二人の女は太郎に気づいても恥ずかしがりもせず、キャーキャー言いながら太郎に手を振った。
女というものを見るのは久し振りのような気がした。つい、ふらふらと女の方に行きたくなったが衝動を抑え、女たちに手を振り返すと太郎はその場を離れた。
やっと、焼け残った寺を見つけると、早速、屋根に登った。鉤縄(カギナワ)を持って来れば良かったと思った。突然の事だったので、着の身着のままで出て来てしまった。手裏剣とかも持って来れば良かったと後悔した。それでも、わけなく屋根に登る事はできた。
屋根の上からの眺めは良かった。そして、涼しかった。
太郎がいる寺の目と鼻の先に、武装した兵士たちがうようよいるのが見えた。辺り一面、兵士たちで埋まっているかのように、その数は凄かった。色々な色の旗差し物が立てられ、色々な色の幕があちこちに張られ、祭りさながらの賑やかさだった。
花の御所らしき建物もわかった。花の御所を取り囲むように陣を張っているのは東軍だろう。すると、今、太郎がいる辺りは西軍という事になる。
太郎が屋根の上に立って、回りを眺めていたら、下の方から声を掛ける者があった。まずい、西軍の侍に見つかったか、と下を見下ろすと、足軽らしき男が二人、上を見上げていた。
「おーい、何してる」と下の足軽は叫んでいた。
「いい眺めじゃ」と太郎は言った。
「面白そうじゃのう」と足軽は言った。
太郎は上に来いと合図した。
「よし、待ってろ」と言うと、二人は太郎の視界から消えた。
やがて、二人は登って来た。
「おめえ、よく、こんな所に登る気になったのう」と髭だらけの三十年配の足軽が言った。
「おう、いい眺めや」ともう一人の痩せこけた足軽が言った。
「こいつは気分がええのう。あいつら、やたら威張ってばかりいる武士どもが豆粒のように小さく見えるわい」と髭面は言った。
「本当やのう。こうやって見るとみんな小せえのう。みんな、踏み潰してやりてえのう」
「そいつはいい。東軍も西軍もみんな、踏み潰しちまえばいいわ」
しばらく、二人は眺めを楽しんでいたが、髭面が太郎を見て、「おい、おめえ、どこのもんだ」と聞いてきた。
「俺か‥‥‥俺は赤松方じゃ」と太郎は言った。
とっさの事で、赤松しか思い浮かばなかった。もっとも、太郎は東軍だの西軍だのと言われても、東軍に誰がいて西軍に誰がいるなどという事は、まったくと言っていい程、知らなかった。
「何やと、赤松やと」と痩せこけた足軽が太郎を睨んだ。「赤松といやあ東軍やねえか、東軍の野郎が何で、こんな所にいるんや」
「まあ、ええじゃねえか」と髭面がなだめた。「東軍だろうと西軍だろうと、わしら足軽にゃあ関係ねえ。足軽は足軽でええじゃねえか。いつまでも、武士どもの言いなりになんかなってる事はねえ。はした金で雇われて、命をかけて戦って、結局、死ぬのは足軽だけじゃ。今回の戦で、一番、アホな目を見たのは足軽じゃ。ああ、アホくさ」
髭面は屋根の上に寝転んだ。
「あれが花の御所か」と太郎は痩せ足軽に聞いた。
「ああ、そうや。そして、あの屋敷が赤松やろ」
痩せ足軽は、あの陣は誰の陣、あの屋敷は誰の屋敷と指差して教えてくれた。浦上美作守の屋敷も教えてもらった。
太郎は二人を屋根の上に残し、浦上屋敷を目指した。
浦上屋敷はやはり、警戒が厳重で、足軽のなりをした太郎が近づく事さえできなかった。
浦上屋敷の前の大通りには露店が並び、武器や小物類を売っていた。簡単な飯屋も何軒かあり、人の往来も激しかった。足軽たちは道端に座り込み、愽奕を打っている。戦の陣中とは思えない程、賑やかだった。
太郎は足軽たちの溜まり場に潜り込んで、足軽たちの噂話を聞いていた。
楓の事も話題になっていた。彼らの話によると、楓は昨日の朝、播磨に向けて旅立ち、浦上屋敷にはもう、いないようだった。百人もの武士たちに囲まれて播磨に旅立って行ったと言う。
どうやら、楓は無事のようだった。
彼らは阿修羅坊の事も話していた。楓を捜し出して、ここに連れて来た阿修羅坊は楓と共に播磨には行かなかったらしく、まだ、浦上屋敷にいるらしいとの事だった。
彼らの話を聞いていると、太郎はおかしくてしょうがなかった。楓はお屋形様と小さい頃に別れ、近江のさる高貴な公家の屋敷に預けられていたと言う。それを阿修羅坊が三年掛かりで捜し出してお連れした。一緒に連れて来た子供は、楓がさる高貴なお方と一緒になってできた子供だが、可哀想に父親は武将として戦に出て、見事に戦死してしまった。悲しみに打ちひしがれていた時、楓は阿修羅坊に捜し出され、お屋形様の姉君として迎えられたのだと言う。
噂によると、俺は、すでに戦死したさる高貴な武将という事になっていた。
阿修羅坊は、すでに、俺があの二人にやられて死んだものと思っているのだろうか。
俺の命を狙う男、阿修羅坊の顔を見ておいた方がいいな、と太郎は思った。とにかく、明るいうちはどうする事もできなかった。暗くなったら浦上屋敷に忍び込んでみようと決めた。
夕方近く、太郎は大通りを歩く伊助の姿を見つけた。
伊助は浦上屋敷とは反対の方に向かって歩いていた。太郎は後を付いて行き、人気のない所まで行くと声を掛けた。
「太郎坊殿、捜しましたよ。一体、どこにいたのですか」
太郎は自分の格好を伊助に示した。
「成程、うまく、化けたものですな。ところで、楓殿はもう、ここにはいませんよ。播磨に向かいました」
「ええ、聞きました」
「どうします、播磨に行きますか」
「はい。しかし、ちょっと、ここでやる事があります。伊助殿は阿修羅坊という山伏を御存じですか」
「阿修羅坊といえば、楓殿をここに連れて来た山伏です。それがどうかしましたか」
「阿修羅坊は私の命を狙っています」
「まさか、阿修羅坊が‥‥‥」
「ここに来る途中、阿修羅坊の手下二人に殺されそうになりました」
「そうだったのですか‥‥‥やはり、赤松氏はそなたの命を狙って来ましたか‥‥‥」
「わたしは、その阿修羅坊という男を知らない。阿修羅坊もまだ、わたしを知らないでしょう。わたしは一度、阿修羅坊に会ってみたいのですよ。自分を狙っている男を知らないでいれば、これから先、不利ですからね」
「成程‥‥‥阿修羅坊は今、浦上屋敷に逗留していると思いますが」
「伊助殿は浦上屋敷に入った事はありますか」
「いえ、しかし、調べてはあります」
伊助は回りを窺い、人がいないのを確かめると荷物を下ろし、荷物の中から一枚の紙切れを出した。
その紙切れには、簡単だが浦上屋敷の見取り図が書いてあった。太郎はそれを見ながら、伊助を改めて見直していた。ただの薬売りではない事はわかっていたが、これ程の事をやるなんて、さすが、松恵尼の手下だと思った。
「伊助殿、浦上屋敷に忍び込んで調べたのではないでしょうなあ」
「まさか」と伊助は笑った。「人から聞いた話をもとに作ったものです。もし、万が一、楓殿が屋敷に閉じ込められでもしたら助け出さなくてはならないと思い、調べたものです。しかし、取り越し苦労でした。楓殿は閉じ込められるどころか、大層、大事にされていたようです。播磨に行ったとしても大丈夫でしょう。今の所、楓殿の身に危険が迫る事はないでしょう」
太郎は頷き、「この見取り図ですが貰ってもよろしいですか」と聞いた。
「ええ、構いませんがどうします。浦上屋敷に忍び込むのではないでしょうね」
「ちょっと、阿修羅坊の顔を見て来ます。それと、浦上美作守の顔も‥‥‥」
「危険です。見つかったら間違いなく殺されますよ」
「わかっています。しかし、わたしは飯道山で『志能便の術』を教えています。この位の事ができなければ、恥ずかしくて修行者たちに教える事ができません。大丈夫です。ただ、二人の顔を見て来るだけです。伊助殿、助かりました。これのお陰で危険な目に会わなくてすみそうです」
「気を付けて下さいよ」と伊助は心配そうに言った。
太郎は大丈夫ですと言うように笑いながら頷いた。「ところで、伊助殿はこれからどちらへ」
「とりあえずは花養院に帰って、松恵尼殿に楓殿が播磨に向かった事を知らせて、改めて、播磨の方に向かおうと思います」
「そうですか、伊助殿も播磨へ‥‥‥これからも、よろしくお願いします。それでは、あちらで、また会いましょう」
「無理しないで下さいよ」と念を押して伊助は甲賀に帰って行った。
太郎は見取り図を見ながら、暗くなるのを待った。
太郎は客間の前の縁側に座って声を掛けた。
「あら、まあ」と松恵尼は言って笑った。「やっと、帰って来ましたね。どうぞ、お入りなさい」
太郎が中に入ると、松恵尼は旅の商人らしき男と話をしていた。
松恵尼は太郎と商人をお互いに紹介した。
商人は伊助という名で、三十半ば位の薬売りだった。太郎たちが作っている薬を売り歩いてくれている商人の一人だ、と松恵尼は説明した。
「ほう、あなたでしたか」と伊助は太郎を見ながら言った。「まだ、若いのに大したもんですな。あの薬はなかなか評判いいですよ。良く売れます」
「ありがとうございます。売ってもらえるので、本当に助かっています。これからも、よろしくお願いします」と太郎は伊助に頭を下げた。
「いや、それは、こちらの言う事ですよ。これからもお願いしますよ」伊助は商人らしく丁寧に頭を下げた。
「ところで、楓の事なんですけど」と太郎は松恵尼に目を移した。
「わかっています」と松恵尼は頷いた。「楓は今、京にいます。実は、こうなる前に、あなたに話しておかなくてはならなかったのですが、遅すぎました」
「遅すぎた?」
「ええ、楓の素性の事です」
「楓の素性? 楓の両親は楓が赤ん坊の時、死んだのではなかったのですか」
「両親はすでに亡くなっています。しかし、弟が一人いたのです」
「弟?」と太郎は松恵尼の顔を見つめた。
「その弟というのが普通の人だったら、問題はなかったのですけど‥‥‥」
「武士だったんですね」と太郎は聞いた。
松恵尼は頷いた。「しかも、ただの武士ではありません」
「身分のある武将か何かですか」
「ありすぎます‥‥‥播磨、備前、美作の三国の守護職に就いている赤松兵部少輔殿が、楓の弟なのです」
「赤松兵部少輔‥‥‥」
「赤松兵部少輔殿の名前を聞いた事はありますか」と松恵尼は聞いた。
太郎は首を振った。聞いた事はなかった。播磨、備前、美作の国と言われても、京の都より西の方にあるというのを知っているだけで、はっきり、どこにある国なのかわからなかった。
松恵尼は、まず、赤松氏の事から太郎に話してくれた。
嘉吉の変の将軍暗殺から、赤松氏の滅亡、生き残った楓の父親、赤松彦三郎の事、そして、赤松家の再興、応仁の乱での赤松氏の活躍、今現在の赤松氏の事など、太郎にわかり易く話してくれた。
伊助も側で聞いていた。松恵尼が、伊助にも、これから楓の事で色々と仕事をしてもらうので、一応、聞いておいた方がいいだろうと言った。
赤松氏の事を話し終わると、今度は楓の事だった。楓がどこで生まれて、どういう経路で花養院に来たのか、そして、太郎が留守の間に、何があって、楓がどうしたのか話してくれた。
太郎は静かに聞いていた。内心は驚いていても、表情には出さなかった。
楓が赤松家の娘‥‥‥
播磨、備前、美作、三国の大名の当主の姉‥‥‥
太郎の故郷、五ケ所浦の殿なんて問題にならない程、大きな領土だった。伊勢の北畠氏より大きいと言う。楓が、そんな殿様の姉だったとは‥‥‥
思ってもみない事だった。太郎には、どうしたらいいのかわからなかった。
松恵尼が話し終わると、今度は、伊助が京に行った楓の様子を話してくれた。
伊助は京にいて、浦上屋敷をずっと張り込んでいたと言う。それを聞いて太郎は驚いた。どう見ても普通の商人にしか見えない、この伊助が、そんな大それた事をするとは、とても考えられなかった。
伊助の話によると、楓は赤松家のお屋形様の姉君として、毎日、赤松家の家臣たちに披露されていると言う。『楓御料人様』と呼ばれ、大層立派な着物を着て、噂によると、まるで、天女のように綺麗だと言う。やがて、お屋形様と対面するため、播磨の方に行くらしいが、はっきりとした日取りまではわからなかったとの事だった。
太郎は百太郎の事を伊助に聞いてみた。伊助は百太郎の事まではわからなかった。しかし、赤松氏は楓の事をお屋形様の姉君として大層、大事に扱っているので、百太郎も無事に違いないと言った。
太郎はさっそく、京に行こうと決めた。
松恵尼は楓の身の安全は保証するから、弟に会って戻って来るまで、ここで待っていた方がいいと言ったが、太郎にはそんな悠長な事はできなかった。もしかしたら、もう二度と楓と百太郎に会えなくなるのではないかという不安に襲われていた。
太郎は松恵尼と伊助に挨拶をして花養院を出ると、飯道山にも寄らず、そのまま、京へと向かって行った。
松恵尼は太郎が出て行く姿を見送りながら、笑っていた。
「困ったものね」と松恵尼は伊助に言った。
「やはり、京に向かいましたか」と伊助も笑っていた。
「人の言う事なんて、聞きはしないわ」
「無理もないですよ。突然、女房と子供をさらわれたようなものですからね。心配で、じっとしていられないのでしょう。ただ、楓殿より、太郎坊殿の身の上の方が心配ですな」
「ええ」と松恵尼は急に真面目な顔をして頷いた。「赤松氏がどう出るか、ですね」
「楓殿の亭主を素直に迎え入れてくれるか」
「多分、それはないでしょう。太郎殿は赤松氏にとって、ただの邪魔者でしかないでしょうね」
「すると、命が危ないですな」
「伊助、頼みますよ。太郎殿はそう簡単にやられないとは思いますが、もし、殺されでもしたら、楓に合わす顔がありませんからね。次郎吉にも連絡を取ったから、そろそろ、こっちに来ると思うけど、来たら、すぐに後を追わせるわ」
「ほう、次郎吉も来るんですか‥‥‥奴に会うのも久し振りだな。奴は今、大和にいるんでしょう」
「そうよ。それに『金勝座(コンゼザ)』にも働いてもらうわ」
「へえ、『金勝座』もですか、懐かしいですね。松恵尼殿がこれだけ大掛かりに動き出すのも久し振りの事ですね」
「可愛いい娘のためですからね」
「違えねえ。わしものんびりしてるわけにはいかねえな。それじゃあ、出掛けます」
「頼むわよ」
「へい」と頷き、荷物を背負うと、伊助は出て行った。
2
太郎は山道を太神山に向かって速足で歩いていた。
太神山を越えて、琵琶湖に出て、京に入ろうと思っていた。
太郎の足は速かった。
太郎の後ろには阿修羅坊の手下、日輪坊と月輪坊が跡を付けていた。二人は汗びっしょりになって必死に走っていた。
日輪坊と月輪坊の二人は阿修羅坊に命ぜられると、さっそく、甲賀に来て、太郎坊が帰って来るのを見張っていた。帰って来れば、花養院に顔を出すだろうと、昼間は花養院、夜になると楓の家を見張った。
見張るのも大変だった。家の方は誰もいないので家の中で待っていれば良かったが、花養院の方はうまい隠れ場所もなかった。花養院の前はたんぼが広がっているだけで、稲の穂はまだ、充分に隠れられる程、伸びてはいない。隣に般若院という寺があるが、寺の中からだと花養院の門は見えなかった。仕方がないので、般若院の隣を流れる川の土手から見張る事にした。その川の対岸に盛り場があるので、酔っ払った振りをしたり、毎日、同じ所にいても怪しまれるので、少し、離れているが川とは反対側にある神社から見張ったり、毎日、見張る場所を考えるのが大変だった。
太郎坊が帰って来たのは、二人が張り込んだ日から五日目だった。
その時、二人は川で子供たちと一緒にドジョウを捕っていた。
昼近く、薄汚れた格好の山伏が町の方からやって来て、花養院の前で立ち止まり、しばらく、飯道山の方を見上げていたが花養院の中に入って行った。思っていたよりも若い山伏だった。強いとは聞いていたが、それ程、強そうに見えなかった。しかし、かなり、修行は積んでいるらしく、若いわりには山伏としての貫禄があった。
二人はあいつに違いないと思った。二人は阿修羅坊より、太郎坊を消せと命令されていた。見たところ、太郎坊を消すのはわけない事だと二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
月輪坊の得意技は吹矢だった。吹矢の先にはトリカブトの毒を塗っていた。月輪坊の吹矢にやられた者は間違いなく即死だった。
日輪坊の得意技は棒術で、彼の持っている棒はただの棒ではなかった。太い六角の赤樫の棒に鉄の棒が六本埋め込んであった。刀の刃などは一発で折る事ができるし、人に当たれば骨を砕き、打ち所が悪ければ死ぬ事になった。
「兄貴、どこで殺る?」月輪坊は川から上がると、長さ三尺程(約九十センチ)の吹矢の筒を弄んだ。
「焦るな。人に見られない所でこっそりとやるんじゃ」と日輪坊は花養院を見張りながら言った。
「奴が京に向かう途中でやればいいな。兄貴の出番はなさそうじゃのう」と月輪坊は筒の中を覗いていた。
「ふん。そう簡単に行けばいいがのう」と日輪坊も川から上がった。
二人は花養院の方に向かった。
「こいつで奴はいちころや。あんな奴、早いとこ片付けて播磨に帰ろうや」
「われは、もう、女子(オナゴ)が恋しくなったのか」
「おう、早く帰って、思い切り抱きたいわ」
「今頃、どこぞの男でもくわえ込んでるんじゃねえのか」
「アホ言え。おそよに限って、そんな事あるか。わしの帰りをじっと待ってるわ」
「そうかい。われもうまい事やったのう。確かに、おそよはいい女子じゃ。もし、われが太郎坊にやられたら、わしが可愛いがってやるわ。心配せんでええぞ」
「兄貴、たとえ、兄貴でもそんな事は許さん」
「冗談や」
こうして、二人は花養院から飛び出して来た太郎坊を追って来たわけだったが、まさか、こんなに足が速いとは予想がはずれていた。二人も山伏である。常人よりは山歩きには自信を持っているが、太郎坊は山道を平地のごとく、まるで、飛ぶような速さで走っていた。ここで、太郎坊を見失ってしまったら阿修羅坊に痛い目に合わされるのはわかっている。二人は必死で、太郎坊の後を追っていた。
太郎は琵琶湖まで来ると、どうしようか迷っていた。
日が暮れて、辺りは暗くなっていた。このまま、闇の中を走って京まで行こうと思えば行けた。しかし、京の戦はまだ終わってはいない。どこが、どうなっているのかわからない。足軽たちが、どこかに隠れているかもしれない。足軽たちに負けない自信はあるが、余計な事に巻き込まれたくはなかった。楓のいる場所はわかっている。ここで焦ってみても、いい結果は出ないだろう。
太郎はここで夜を明かし、明日の早朝に京に向かう事にした。
日輪坊と月輪坊の二人は何とか、太郎坊に付いて来る事ができた。しかし、もう、くたくただった。太郎坊を倒すどころではない。疲れ切って、立っているのもやっとだった。
太郎坊が草の上に横になると、二人は崩れるように、その場に倒れた。
太郎は横になって、星空を見上げていた。
世の中、色々な事が起こるものだと、しみじみ思っていた。
自分の心の悩みを解決するため、大峯山に籠もっている間に、楓は俺の悩みなんか比べものにならない程の悩みを抱え込んで、一人で悩んでいたに違いなかった。
楓御料人様か‥‥‥武士の娘だとは聞いていたが、大した家の娘だ‥‥‥
赤松氏か‥‥‥楓の弟という事は俺の弟でもあるわけだ。
一体、どんな奴だろう‥‥‥
楓もやはり、会いたくて京まで出て行ったのだから、俺もこのまま播磨まで行って、弟とやらに会って来るか‥‥‥
そんな事を考えている内に、太郎は眠ってしまった。
どの位、寝ていただろうか、太郎はふと、人の気配で目を覚ました。
目を開けてみると、まだ暗かった。
太郎は身動きせずに耳を澄ました。
静かだった。
琵琶湖の水の音がするだけだった。
しかし、誰かが息を殺して近くにいた。
何者か‥‥‥
京が近いから足軽の類(タグ)いが、太郎の金でも狙っているのか‥‥‥
太郎はわざと寝た振りをしていた。
やがて、奇妙な音がした。矢羽根だと思った。
その音を聞いた途端、太郎は反射的に起き上がり、五尺の杖を構えた。
杖の下の方に、小さな矢が刺さった。
刺さると同時に、太郎の体は宙に飛んだ。
吹矢の筒を口にくわえたままの月輪坊の目の前に突然、現れた太郎は、杖の先で月輪坊のみぞおちを突いた。
月輪坊は筒を口に入れたまま、力なく崩れた。
太郎がその吹矢の筒を手に取ってみようとした時、太郎の頭上に唸りをあげて鉄の棒が落ちて来た。
太郎は飛び、鉄の棒を避け、手にした筒を第二の敵の顔に投げ付けた。
吹矢の筒は鉄の棒によって、真っ二つに折れ飛んだ。
鉄の棒は太郎目がけて、何度も打って来た。
日輪坊は重い棒をまるで、腕の一部のように操り、なかなかの腕を持っていた。飯道山に行けば師範代位は勤まるだろう。しかし、太郎の敵ではなかった。
太郎の杖に喉元を突かれ、そのまま、気絶して倒れた。
太郎は倒れている二人の山伏を見ながら、何者か、と考えた。見た事もない山伏だった。
太郎は自分の杖に刺さったままの矢を取って眺めた。矢の先に何かが塗ってあった。匂いを嗅いでみてトリカブトだとわかった。という事は、この二人は太郎の命を狙っていた事になる。
なぜだ‥‥‥
誰が一体、何のために‥‥‥
太郎は倒れている二人を木に縛り付けると、湖畔に落ちていた破れ鍋で琵琶湖の水を汲んで、二人の顔にぶつけた。
吹矢を使った山伏の方が意識を取り戻した。
太郎は日輪坊の鉄の棒を構えて月輪坊を威し、なぜ、自分を狙ったかを聞いた。
月輪坊はしぶとかった。なかなか、喋ろうとしなかった。
太郎は鉄の棒で、月輪坊の右足のすねを打った。
月輪坊は悲鳴を上げ、苦痛で顔を歪めたが喋ろうとはしなかった。
太郎は左足を打とうとした。月輪坊はやっと、喋りたくなったようだった。
月輪坊は阿修羅坊に頼まれて、太郎の命を狙ったと言った。
阿修羅坊とは誰だ、と聞くと、播磨の国、瑠璃寺の山伏だと言う。
なぜ、命を狙ったか、と聞いたが、それは知らないと言う。ただ、命令されただけだと言った。
阿修羅坊というのは、今、どこにいるか、と聞いてみたが、わからないと言う。もしかしたら、播磨に帰ったかもしれないと言った。
その阿修羅坊というのは赤松氏の山伏か、と聞くと、月輪坊は頷いた。
赤松氏が俺の命を狙っていた‥‥‥
なぜだ‥‥‥
お屋形の姉君になる人に、どこの馬の骨ともわからない亭主はいらんと言う事か‥‥‥
成程、そっちがその気なら、こっちにも考えがある。俺一人で赤松家など、ぶっ潰してやる。そう太郎は決心した。
太郎は手に持っていた鉄の棒で、月輪坊の腹を突き、また、気を失わせた。
「畜生!」と怒鳴りながら、太郎は鉄の棒を琵琶湖の中に放り投げた。
3
琵琶湖の湖上を漁師の小舟が動いていた。
太郎は湖畔に座り込んで、湖を眺めていた。
すでに、夜は明けている。
二人の山伏を倒し、自分が狙われている事を知った太郎は、赤松氏に腹が立ち、まだ、夜中なのに、そのまま京に向かった。しかし、歩いているうちに、だんだんと冷静になっていった。
相手は三国の守護大名だ。軽はずみな事をしたら、命が幾つあっても足らないぞ‥‥‥
ここの所はよく考えなければ駄目だ、と自分に言い聞かせていた。
こんな時こそ、陰の術を使え‥‥‥
敵に勝つには、まず敵を知れ‥‥‥
まず、楓の無事を確かめる事だ。そして、楓と会って、楓の気持ちも聞かなければならないだろう。楓が、どんな気持ちで京に行ったのか、これから、どうするつもりなのか、聞かなければならない。
とにかく、敵の事を色々と調べる事だ。それと、自分の命を狙う者がいる以上、これからは少しの油断もできない。ちょっとした油断が命取りになる。気を付けなければならなかった。
陰流、陰の術、今まで自分が身に付けたもの、すべてを実際に使ってみて試すのに、絶好の機会と言えた。
太郎は立ち上がると琵琶湖に背を向け、京に向かった。山科に入るとウロウロしている足軽をつかまえ、身ぐるみを剥がして足軽に変装した。
西軍だか、東軍だかわからないが、山科の地に数百人の軍勢が陣を構えていた。
太郎は山の中に入り、京に向かった。
六年振りだった。
京の都は変わっていなかった。返って、ひどくなっていた。以前、焼け残っていた大きな寺院なども、すでに消えている。高い建物など全然なく、辺り一面、荒涼とした焼け野原と化していた。しかし、前のように、賀茂川が死体で埋まっているという事はなかった。賀茂川の水は流れていた。そして、筵(ムシロ)囲いの簡単な小屋が並び、河原者や乞食たちが住み着き始めていた。
以前に比べて、人の行き来も多くなっていた。そのほとんどが武装した兵を引き連れた商人たちだった。牛に引かせた荷車に荷物を山のように積み込み、大通りを行き来している。荷物の中身は食糧が多いようだった。
焼け跡の中に、新しく建てられた小屋もいくつかあった。徐々にではあるが、幾つかの町が焼け跡から立ち直っているような感じがした。
京の戦もそろそろ終わるだろうと松恵尼が言っていたが、確かに、そんな気配があった。このまま終わってくれればいい、と思いながら太郎は京の町中を歩いていた。
目指す浦上屋敷は北の方にあると聞いていたので、真っすぐ北の方へと歩いていた。やがて、人通りもなくなり、荒れたままの焼け跡に出てしまった。
道を間違ったかなと思ったが、浦上屋敷の側には将軍様の住む花の御所があり、武装した武士たちがうようよいると聞いている。そんな所は、今まで、どこにもなかった。もっと、ずっと北の方に違いないと荒野をどんどんと進んで行った。
そのうち、遠くの方に寺の屋根のような大きな建物が幾つも重なって見えてきた。多分、あの辺りに違いないと思った。太郎はそこを目指して、焼け落ちた家々の残骸を踏みながら歩いて行った。
ウロウロしている足軽たちの姿が見え出した。もうすぐだと思った。
泥と埃(ホコリ)にまみれ、やっとの思いで焼け跡から出ると、そこは両側に濠や土塁の築かれた大通りだった。ここでも戦があったのだろうが、今は人影もなかった。
太郎は大通りを北に向かって歩いた。
やがて、大通りを行き来する兵士たちの姿が多くなり、旗差し物の立ち並ぶ陣地が見えて来た。東軍だか、西軍だかわからないが、かなりの軍勢がいるようだった。
このまま進むのはまずいと思い、道を変えた。濠を飛び越え、土塁を乗り越え、また、焼け跡の中に入って行った。小さな路地があったので、そこを通る事にした。その路地はやたらと曲がりくねっていて、方向がさっぱりわからなくなってしまった。
こんな事では、いつまで経っても目当ての浦上屋敷に着けそうもない、と自分に腹を立てながら歩いていた。とにかく、高い場所を見つけ、そこに登って、花の御所を身つける事だと思った。
どこかに高い場所はないかと歩いているうちに、太郎は変な所に出てしまった。
狭い路地の両脇に小さな小屋が並んでいた。こんな所に、焼け跡の真ん中に、まだ新しい小屋が並んでいるなんて不思議な事だった。
一体、誰が、こんな所に住んでいるのだろうか、と太郎は覗いてみた。
女がいた。中庭の井戸の側で若い女が二人、裸になって水を浴びていた。
太郎は目を疑った。
どうして、こんな所に女が‥‥‥しかも、若い女が‥‥‥
答えはすぐ出た。遊女たちに違いなかった。男ばかりの戦場に女の存在は不可欠だった。どうせ、地位の高い武将たちが利用しているのだろうが、こんな所に遊女屋があるとは驚きだった。二人の女は太郎に気づいても恥ずかしがりもせず、キャーキャー言いながら太郎に手を振った。
女というものを見るのは久し振りのような気がした。つい、ふらふらと女の方に行きたくなったが衝動を抑え、女たちに手を振り返すと太郎はその場を離れた。
やっと、焼け残った寺を見つけると、早速、屋根に登った。鉤縄(カギナワ)を持って来れば良かったと思った。突然の事だったので、着の身着のままで出て来てしまった。手裏剣とかも持って来れば良かったと後悔した。それでも、わけなく屋根に登る事はできた。
屋根の上からの眺めは良かった。そして、涼しかった。
太郎がいる寺の目と鼻の先に、武装した兵士たちがうようよいるのが見えた。辺り一面、兵士たちで埋まっているかのように、その数は凄かった。色々な色の旗差し物が立てられ、色々な色の幕があちこちに張られ、祭りさながらの賑やかさだった。
花の御所らしき建物もわかった。花の御所を取り囲むように陣を張っているのは東軍だろう。すると、今、太郎がいる辺りは西軍という事になる。
太郎が屋根の上に立って、回りを眺めていたら、下の方から声を掛ける者があった。まずい、西軍の侍に見つかったか、と下を見下ろすと、足軽らしき男が二人、上を見上げていた。
「おーい、何してる」と下の足軽は叫んでいた。
「いい眺めじゃ」と太郎は言った。
「面白そうじゃのう」と足軽は言った。
太郎は上に来いと合図した。
「よし、待ってろ」と言うと、二人は太郎の視界から消えた。
やがて、二人は登って来た。
「おめえ、よく、こんな所に登る気になったのう」と髭だらけの三十年配の足軽が言った。
「おう、いい眺めや」ともう一人の痩せこけた足軽が言った。
「こいつは気分がええのう。あいつら、やたら威張ってばかりいる武士どもが豆粒のように小さく見えるわい」と髭面は言った。
「本当やのう。こうやって見るとみんな小せえのう。みんな、踏み潰してやりてえのう」
「そいつはいい。東軍も西軍もみんな、踏み潰しちまえばいいわ」
しばらく、二人は眺めを楽しんでいたが、髭面が太郎を見て、「おい、おめえ、どこのもんだ」と聞いてきた。
「俺か‥‥‥俺は赤松方じゃ」と太郎は言った。
とっさの事で、赤松しか思い浮かばなかった。もっとも、太郎は東軍だの西軍だのと言われても、東軍に誰がいて西軍に誰がいるなどという事は、まったくと言っていい程、知らなかった。
「何やと、赤松やと」と痩せこけた足軽が太郎を睨んだ。「赤松といやあ東軍やねえか、東軍の野郎が何で、こんな所にいるんや」
「まあ、ええじゃねえか」と髭面がなだめた。「東軍だろうと西軍だろうと、わしら足軽にゃあ関係ねえ。足軽は足軽でええじゃねえか。いつまでも、武士どもの言いなりになんかなってる事はねえ。はした金で雇われて、命をかけて戦って、結局、死ぬのは足軽だけじゃ。今回の戦で、一番、アホな目を見たのは足軽じゃ。ああ、アホくさ」
髭面は屋根の上に寝転んだ。
「あれが花の御所か」と太郎は痩せ足軽に聞いた。
「ああ、そうや。そして、あの屋敷が赤松やろ」
痩せ足軽は、あの陣は誰の陣、あの屋敷は誰の屋敷と指差して教えてくれた。浦上美作守の屋敷も教えてもらった。
太郎は二人を屋根の上に残し、浦上屋敷を目指した。
浦上屋敷はやはり、警戒が厳重で、足軽のなりをした太郎が近づく事さえできなかった。
浦上屋敷の前の大通りには露店が並び、武器や小物類を売っていた。簡単な飯屋も何軒かあり、人の往来も激しかった。足軽たちは道端に座り込み、愽奕を打っている。戦の陣中とは思えない程、賑やかだった。
太郎は足軽たちの溜まり場に潜り込んで、足軽たちの噂話を聞いていた。
楓の事も話題になっていた。彼らの話によると、楓は昨日の朝、播磨に向けて旅立ち、浦上屋敷にはもう、いないようだった。百人もの武士たちに囲まれて播磨に旅立って行ったと言う。
どうやら、楓は無事のようだった。
彼らは阿修羅坊の事も話していた。楓を捜し出して、ここに連れて来た阿修羅坊は楓と共に播磨には行かなかったらしく、まだ、浦上屋敷にいるらしいとの事だった。
彼らの話を聞いていると、太郎はおかしくてしょうがなかった。楓はお屋形様と小さい頃に別れ、近江のさる高貴な公家の屋敷に預けられていたと言う。それを阿修羅坊が三年掛かりで捜し出してお連れした。一緒に連れて来た子供は、楓がさる高貴なお方と一緒になってできた子供だが、可哀想に父親は武将として戦に出て、見事に戦死してしまった。悲しみに打ちひしがれていた時、楓は阿修羅坊に捜し出され、お屋形様の姉君として迎えられたのだと言う。
噂によると、俺は、すでに戦死したさる高貴な武将という事になっていた。
阿修羅坊は、すでに、俺があの二人にやられて死んだものと思っているのだろうか。
俺の命を狙う男、阿修羅坊の顔を見ておいた方がいいな、と太郎は思った。とにかく、明るいうちはどうする事もできなかった。暗くなったら浦上屋敷に忍び込んでみようと決めた。
夕方近く、太郎は大通りを歩く伊助の姿を見つけた。
伊助は浦上屋敷とは反対の方に向かって歩いていた。太郎は後を付いて行き、人気のない所まで行くと声を掛けた。
「太郎坊殿、捜しましたよ。一体、どこにいたのですか」
太郎は自分の格好を伊助に示した。
「成程、うまく、化けたものですな。ところで、楓殿はもう、ここにはいませんよ。播磨に向かいました」
「ええ、聞きました」
「どうします、播磨に行きますか」
「はい。しかし、ちょっと、ここでやる事があります。伊助殿は阿修羅坊という山伏を御存じですか」
「阿修羅坊といえば、楓殿をここに連れて来た山伏です。それがどうかしましたか」
「阿修羅坊は私の命を狙っています」
「まさか、阿修羅坊が‥‥‥」
「ここに来る途中、阿修羅坊の手下二人に殺されそうになりました」
「そうだったのですか‥‥‥やはり、赤松氏はそなたの命を狙って来ましたか‥‥‥」
「わたしは、その阿修羅坊という男を知らない。阿修羅坊もまだ、わたしを知らないでしょう。わたしは一度、阿修羅坊に会ってみたいのですよ。自分を狙っている男を知らないでいれば、これから先、不利ですからね」
「成程‥‥‥阿修羅坊は今、浦上屋敷に逗留していると思いますが」
「伊助殿は浦上屋敷に入った事はありますか」
「いえ、しかし、調べてはあります」
伊助は回りを窺い、人がいないのを確かめると荷物を下ろし、荷物の中から一枚の紙切れを出した。
その紙切れには、簡単だが浦上屋敷の見取り図が書いてあった。太郎はそれを見ながら、伊助を改めて見直していた。ただの薬売りではない事はわかっていたが、これ程の事をやるなんて、さすが、松恵尼の手下だと思った。
「伊助殿、浦上屋敷に忍び込んで調べたのではないでしょうなあ」
「まさか」と伊助は笑った。「人から聞いた話をもとに作ったものです。もし、万が一、楓殿が屋敷に閉じ込められでもしたら助け出さなくてはならないと思い、調べたものです。しかし、取り越し苦労でした。楓殿は閉じ込められるどころか、大層、大事にされていたようです。播磨に行ったとしても大丈夫でしょう。今の所、楓殿の身に危険が迫る事はないでしょう」
太郎は頷き、「この見取り図ですが貰ってもよろしいですか」と聞いた。
「ええ、構いませんがどうします。浦上屋敷に忍び込むのではないでしょうね」
「ちょっと、阿修羅坊の顔を見て来ます。それと、浦上美作守の顔も‥‥‥」
「危険です。見つかったら間違いなく殺されますよ」
「わかっています。しかし、わたしは飯道山で『志能便の術』を教えています。この位の事ができなければ、恥ずかしくて修行者たちに教える事ができません。大丈夫です。ただ、二人の顔を見て来るだけです。伊助殿、助かりました。これのお陰で危険な目に会わなくてすみそうです」
「気を付けて下さいよ」と伊助は心配そうに言った。
太郎は大丈夫ですと言うように笑いながら頷いた。「ところで、伊助殿はこれからどちらへ」
「とりあえずは花養院に帰って、松恵尼殿に楓殿が播磨に向かった事を知らせて、改めて、播磨の方に向かおうと思います」
「そうですか、伊助殿も播磨へ‥‥‥これからも、よろしくお願いします。それでは、あちらで、また会いましょう」
「無理しないで下さいよ」と念を押して伊助は甲賀に帰って行った。
太郎は見取り図を見ながら、暗くなるのを待った。
11.浦上屋敷
1
夜になっても、浦上屋敷の警戒は厳重だった。
屋敷の表門には篝火(カガリビ)を昼間の様に焚き、武装した武士たちが寝ずの番をしていた。裏門の方にも二人の見張りが目を光らせている。忍び込むには屋敷を囲んでいる高い塀を乗り越えるしかなかった。塀の高さは一丈(約三メートル)余り、登れない事はない。塀の廻りに空濠が掘ってあるが、戦が長引いたせいか、ゴミ捨て場のようになっていて、ほとんど埋まっていた。もともと、大して深い濠ではなかったようだ。ただ、塀の上に尖った竹がいくつも差してあった。
太郎は浦上屋敷と隣の屋敷との間の路地に入り、人通りのないのを確かめると、五尺の杖を塀に立て掛け、その上に乗って塀の中を覗いた。中は暗く、人の気配はなかった。尖った竹に気を付けながら塀の上に登り、杖に縛り付けた紐を手繰り寄せて、杖を持つと静かに塀から降りた。
塀の中の地面には何の仕掛けもなく、見張りもいなかった。太郎は身を伏せて、中の様子を窺った。
広い庭園の向こうに御殿のような大きな屋敷が建っている。大広間の縁側を何人もの人が慌ただしく動いているのが見えた。これから、宴会でも始まるのだろうか。
浦上屋敷の見取り図は、すべて、太郎の頭の中に入っていた。
庭園の左側に見える離れの建物が浦上美作守の書院のはずだった。明かりはついていない。誰もいないようだった。美作守もあの大広間にいるのだろうか。
書院とは反対の右側に目を移すと庭園の中に小さな茶屋があり、そこから、明かりが漏れていた。大きな池にせり出している島のような所に茶屋は建っていた。
太郎は木陰や岩陰に隠れながら近づいてみた。近くまで行っても人の気配はなかった。茶屋の中には誰もいなかった。ただ、明かりの油だけが燃えている。
宴会の後に、美作守がここでお茶でも飲むのだろうか‥‥‥
それとも、毎晩、ここに明かりを点ける習慣なのだろうか‥‥‥
太郎は迷った。ここで待っていた方がいいか、それとも、今のうちに美作守の書院に忍び込んだ方がいいか‥‥‥
結局、書院に忍び込む事にした。
太郎が書院の方に行こうとした時、書院にも明かりがついた。美作守が来たかと思ったが違った。背中の曲がった年寄りが書院から出て来て、渡り廊下を去って行った。
太郎は素早く、書院の縁の下まで行って気配を窺った。
宴会が始まったのか、大広間の方から賑やかな人の声が聞こえて来たが、ここには誰もいないようだった。
広間の方を窺いながら、太郎は脱いだ草履を懐(フトコロ)にしまい、素早く、書院の廊下に上がった。一旦、壁際に隠れ、大広間から見えない事を確認すると、静かに障子を開けて部屋の中に入った。
その部屋は半分だけ畳が敷かれ、板の間の方には鎧兜(ヨロイカブト)が飾ってあり、太刀や槍も並んでいた。太郎は自分の影が外に出ないように、部屋の奥まで行き、天井を眺め、杖で突いてみた。忍び込めそうだった。
隣の部屋も見てみた。こちらは一面に畳が敷かれてあり、床の間も付いている。客と会う時に使っている部屋のようだった。
太郎は部屋の隅に五尺杖を立て掛け、杖の上に乗り、天井の板をずらすと、素早く屋根裏に消えた。
屋根裏から見ると天井板は隙間だらけだった。明かりがあちこちから漏れている。
太郎は二つの部屋の真ん中にある太い梁(ハリ)の上に座り、美作守が現れるのを待った。阿修羅坊に自分を殺せと命令したのは美作守に違いなかった。どんな男か見ておく必要があった。
しばらく、待っていたが誰も来なかった。広間の方からは相変わらず、賑やかな声が聞こえて来る。
美作守も一緒になって宴会で騒いでいるのか。
それとも、美作守は抜け出して、あの茶屋の方に行ってしまったか。
しかし、太郎は待った。
志能便の術に焦りは禁物だと、太郎が自分で教えている事だった。それなのに、こんな事では駄目だ、気長に待つ事だ、と自分に言い聞かせた。どっちにしろ、今はここにいるしかなかった。阿修羅坊を捜すにも、みんなが寝静まってからでないと無理だった。
一時(二時間)程たった頃、ようやく、人の足音が近づいて来た。
足音は一人だった。足音は鎧のある部屋に入って来た。
太郎は静かに身を移動させ、天井板をわずかにずらして部屋を覗いた。
真下に浦上美作守らしい男がいた。歳は四十の半ば位だろう、顔はよく見えないが、さすがに、赤松家の重臣という貫禄はあった。
美作守は鎧櫃(ヨロイビツ)の蓋を開け、中から三振りの脇差を出して、畳の上に並べた。そして、自分はその前に座り込んだ。
一体、何をするつもりか、と太郎は天井の隙間から見下ろしていた。やがて、もう一人の足音が近づいて来た。
「作州(サクシュウ)殿、入ってもよろしいかな」と廊下から声がした。
「おお、入れ」と美作守は言った。
入って来たのは山伏だった。阿修羅坊に違いなかった。
一目見た途端、できると思った。かなり腕が立ちそうだった。もしかしたら、太郎の存在を見破られる可能性があると思った。
太郎は息を殺した。
「悪かったのう。宴の最中に呼び出したりして」と美作守は言った。
「何の、気にする事はない。夜は長いわ」と阿修羅坊は豪快に笑った。
「わしも都の事とか国元の事とか、何かと忙しくてのう。おぬしに礼を言う暇もなかった。改めて、礼を言うぞ。よく、やってくれた。まあ、座ってくれ」
「いや。まあ、わしも苦労した甲斐があったというもんじゃ」
「おう。よくぞ、捜し出してくれた」
「で、どうするつもりじゃ」と阿修羅坊は美作守の前に座り込んだ。
「何を」
「あの姉君様じゃ」
「どうもこうもない。あれは紛れもなく、お屋形様の姉君じゃ。それより、太郎坊とやらはどうした。もう、片付けたか」
「いや、まだ、何の連絡もない。大峯から、まだ、帰って来んのじゃろう」
「ふむ。あの二人で大丈夫なのか」
「いくら、強いと言っても、まだ、二十歳そこそこの小僧じゃ。実戦の経験など大してないじゃろ。月輪坊の吹矢でいちころじゃ。心配はいらん」
「だといいがな。ところでじゃ、おぬしに見てもらいたい物があるんじゃがのう」
「また、仕事かい」
「いや、ちょっと、おぬしの意見とやらを聞きたいのでな」
「意見だけで済めばいいがのう」
「まあ、そう言うな。こいつじゃ」と美作守は阿修羅坊に三振りの脇差を示した。
「何じゃい、この古くさい刀がどうかしたんか」
「まず、こいつじゃが、性具(ショウグ)入道殿(赤松満祐)の弟、左馬助殿(則繁)の脇差じゃ。こいつは入道殿の甥の彦五郎殿(則尚)の脇差。そして、こいつは楓殿が持っていたんじゃが、お屋形の爺様の伊予守殿(義雅)の脇差じゃ」
「楓殿が持っていたのは、わしも知っているが、よく、そんな物を揃えたのう」
阿修羅坊はその中の一振りを手に取って、抜いてみた。「ほう‥‥‥それ程の名刀には見えんがのう」
「そうなんじゃ。三振りが三振りとも大した刀じゃない。おかしいと思わんか。普通、太刀の方は実戦で使うので、それ程の名刀でもなく、頑丈な奴を持つ事もあるが、脇差の方はいざと言う時、腹を斬る時に使う物で、立派な物を腰に差しているもんじゃがのう」
「そういや、そうじゃのう。三人には似つかわしくないのう」
「どう見ても、赤松家の一族が持つ刀ではない」
「ふーむ、左馬助殿に、彦五郎殿に、伊予守殿の脇差ねえ‥‥‥そう言えば、三人とも、自害して果てたと聞いておるが、この脇差で自害したのか」
「多分、そうじゃろうのう」
阿修羅坊はもう一度、一振りの脇差を手に取ると刀身を抜いて見た。よく手入れがしてあり、曇り一つなかった。
「もう一つ、謎がある。そいつの目貫(メヌキ)を抜いてみろ」と美作守は阿修羅坊に竹の棒切れを渡した。
阿修羅坊はその竹の棒切れを使って、手にしていた脇差の目貫を抜いた。
刀身の茎(ナカゴ)に紙が巻き付けてあった。紙を広げて見ると『岩戸』と書いてあり、下に性具入道の花押(カオウ)が書いてあった。
「何じゃ、こりゃ」
「こっちのにも入っている。見てみるがいい」
阿修羅坊は残りの二振りも目貫を抜いてみた。茎から出て来た紙切れには、それぞれ、『合掌』『不二』と書いてあった。
「一体、これは何なんじゃ」
「わからん。わからんから、おぬしの知恵を借りたいんじゃ」
「不二、合掌、岩戸、一体、何じゃ、これは」
「わしの勘じゃがのう。軍資金の隠し場所を示すものじゃと思うがのう」
「軍資金?」
「そうじゃ。嘉吉の変の時、赤松家は余りにもあっけなく負けてしまっている。あの当時、赤松家は莫大な財産を持っていたはずじゃ。坂本城から引き上げる時、それを城山城に持って行き、どこかに隠したかしたはずじゃ。性具入道殿は、すでに負ける事を覚悟して、坂本城にあった軍資金をどこかに隠し、いつの日か、赤松家の再興される日を願って、このような紙切れを残したに違いないと思うんじゃ」
「という事は、入道殿はこの紙切れを後世に残すために、左馬助殿、伊予守殿、彦五郎殿を逃がしたというのか」
「いや、勿論、そのためだけじゃないが、軍資金を山名氏には渡したくはなかったんじゃろうのう。いつの日か、赤松家が再興された時に、その軍資金を使ってもらおうと思って、そんな事をしたんじゃろう‥‥‥左馬助殿と彦五郎殿の刀から、その紙切れが出て来た時、何かあると思って、わしは、その当時の事を色々と調べてみたんじゃ。
嘉吉(カキツ)の変が起こったのが嘉吉元年の六月の二十四日じゃ。それから、一族は播磨に戻って戦の準備をした。幕府がもたもたしてたんで、明石において最初の戦があったのが一月後の七月二十五日じゃ。この時点においては、性具入道殿は負けるとは思ってもみなかったじゃろう。そして、また一月後の八月二十六日から山名軍の攻撃が始まり、赤松家は不利になって行った。そして、九月三日には坂本城は落城して、国人たちの多くが幕府軍に投降したんじゃ。すでに、一族の者たちは、その前の日に城山城(キノヤマジョウ)に移っている。
入道殿は改めて、城山城において山名軍と戦おう思ったが、山名軍の大軍を見て、投降者が相次ぎ、以外にも、城山城に集まった味方は五百騎余りしかいなかったと言う。この時点において、入道殿も敗戦の覚悟をしたものと思われる。
城山城が落城するのが九月十日じゃから、三日から十日までの八日間の間に軍資金はどこかに隠されたんじゃろう。
その時、城山城にいた赤松一族の者は入道殿、伊予守殿、左馬助殿、彦五郎殿、そして、嫡男の彦次郎殿(教康)、この五人じゃ。そして、入道殿以外の四人は城山城を脱出している。入道殿は山名軍の総攻撃が始まった九日の晩に、伊予守殿と彦五郎殿を逃がし、落城したその日に、彦次郎殿と左馬助殿を逃がしている。
という事はじゃ、その四人の脇差の中に、入道殿は軍資金の隠し場所を知らせるための謎の言葉を隠したに違いないと、わしは睨んだんじゃ。そして、楓殿が持っていた伊予守殿の脇差からも紙切れが出て来た時、わしは、はっきりと確信を持った。絶対に、赤松家の軍資金が、どこかに隠されているとな。そうは思わんか」
「成程のう。そう言われれば、そんなような気もするが‥‥‥しかし、入道殿は、なぜ、こんな安っぽい脇差に、その重要な紙切れを隠したんじゃろう」
「おう、それは、わしも考えてみた。多分な、入道殿は高価な名刀だと横取りされると考えたんじゃろう。城山城を無事に抜け出せたとしても、残党狩りに会って、敵に囲まれ、無念にも自害して果てたとする。しかし、赤松一族の者を粗略には扱う事は、まず、あるまい。腹を斬った脇差は遺品として、兜首と共に、必ず、敵の大将のもとに届けられるじゃろう。そして、それが大した刀でなければ保管され、いつの日か、赤松家のもとに届くじゃろうと考えたに違いない」
「名刀じゃったら、今頃、山名氏の腰にあるかも知れんのじゃな」
「そういう事じゃ。ただ、もう一振り、あるはずなんじゃ」
「入道殿の嫡子、彦次郎殿か」
「そうじゃ。彦次郎殿も左馬助殿と一緒に城山城から脱出している。そして、伊勢に行き、殺された。彦次郎殿の脇差にも多分、このような紙切れが入っていたはずじゃ。しかし、今、どこにあるのかわからん‥‥‥」
「北畠か」
「多分な。彦次郎殿の首は京で梟されている。もし、首と一緒に京に届けられたとすれば、すでに、細川殿からお屋形のもとに届けられているはずじゃ。」
「うーむ、それを捜すのは難しいぞ。その頃の北畠の当主だった教具はもう死んでおる。今の当主、政郷に聞いてもわかるまい」
「だろうな。しかし、おぬしならできるじゃろう。見事、姉君を捜し出したのじゃからな」
「また、わしにやらせる気か」
「無理にとは言わんが、おぬしの事じゃ。きっと、やりたくなるじゃろうて」
「高くつくぜ」
「ふん。ところでじゃ、この三つの言葉、何だかわからんか」
「不二、合掌、岩戸か‥‥‥富士山で合掌すると岩戸が開き、そこに軍資金が眠っているというのはどうじゃ」
「なかなか、いいじゃないか。ところで、その富士山ていうのはどこの富士じゃ。まさか、駿河の富士山じゃないだろうな」
「その通り、駿河の富士山さ」
「入道殿があの戦の最中、駿河まで行って宝を隠すのか。大したもんじゃのう」
「待てよ、播磨富士というのもあるのう」
「ああ、播磨富士もあるし、有馬富士も、丹波富士も、備前富士もあるぞ」
「もっとあるじゃろうのう」
「確かにな。しかし、入道殿が軍資金を隠したとなると限られる」
「まあな。妥当な所は、やはり、播磨富士かのう」
「だと思うがな。次の岩戸というのは何じゃ」
「岩戸ねえ、天の岩戸の事かのう。それとも、あれかのう」阿修羅坊はニヤニヤしながら美作守を見た。
「何じゃ、あれとは」と美作守は聞いた。
「あれじゃよ。女子(オナゴ)のあそこじゃ」そう言って、阿修羅坊は声を出して笑った。
「何じゃと、ふざけるな」
「別にふざけていやしない。女子のあそこも岩戸と呼ぶ事があると言っただけじゃ」
「まあ、いい。それで、岩戸が女子のあそこだとして、不二と合掌と、どう結び付くんじゃ」
「うむ、難しいのお。播磨富士のてっぺんで女子の岩戸に合掌すると‥‥‥待てよ、確か、播磨富士の裾野に岩戸という村があったぞ」
「なに、そいつは本当か」
「ああ、本当じゃとも。播磨富士、笠形山(カサガタヤマ)の山頂近くには笠形寺(リュウケイジ)があってのう、そこにも、山伏が大勢おる。わしは二度ばかり登った事があるが、確か、その登り口が岩戸村じゃ」
「そうか、やはりそうか。わしも不二というのは播磨富士の事に違いないと思っておったが、その播磨富士に岩戸があったか‥‥‥播磨富士なら城山城から近い、隠そうと思えば隠せない事もない‥‥‥やはり、播磨富士であったか‥‥‥」
「だが、もう一つの合掌というのはわからんのう」
「なに、ここまでわかれば何とかなる。播磨富士に行って調べれば、合掌に関する物があるはずじゃ。どうじゃ、調べてみる気はないか」
「参ったのう。うまく、おぬしに乗せられたようじゃのう」
「やってくれるか」
「仕方ない。宝捜しとやらをやってみるか」
「ありがたい。わしもやりたいんじゃがのう。何せ、この京から離れるわけには行かんのでな。頼むぞ」
「礼金はたっぷり貰うぞ」
「わかっておる」
美作守と阿修羅坊の二人は刀を元通りにすると、鎧櫃の中にしまった。
「まあ、今晩は、たっぷりと酒でも飲んで、気に入った女子でも抱いていってくれ」
「言われなくても、やる事はやるさ」
「宝捜しの前に、太郎坊の事も忘れるなよ」
「わかっておるわ」
阿修羅坊は出て行った。美作守も、しばらくすると出て行った。
太郎は天井裏で一部始終を聞いていた。
赤松家の軍資金‥‥‥
不二、岩戸、合掌と書いてある紙切れもはっきりと目にしていた。そして、北畠氏のもとにあるだろうという、もう一つの脇差‥‥‥
こいつは面白くなって来たぞ、と太郎はニヤリと笑った。
浦上屋敷の客間で目を覚ました阿修羅坊は、隣に寝ている女の顔を見ながら笑った。
軽い寝息をたてながら無邪気な顔をして眠っている。あどけない顔に似合わず、豊満な乳房が夜具をはねのけ覗いていた。
夕べは、よく飲んで騒いだ。いい女子も抱いたし‥‥‥さっそく、今日から宝捜しにでも出掛けるか。『不二』と『岩戸』と『合掌』‥‥‥あと一つあると言う。果たして、北畠氏が赤松彦次郎の脇差を持っているか。
もう三十年以上も前の事である。もし、あったとしても、蔵の奥の方で眠っているに違いない。北畠氏の蔵奉行でも買収して、捜し出すしかないか。とにかく、誰かを北畠氏の城下、多気に送り込んで調べさせなくてはならない。
阿修羅坊は女を起こさないように、静かに布団から出た。その時、自分の頭から何かが落ちて来た。
何だと思って、拾ってみると吹矢の矢だった。見覚えがあった。月輪坊の物だった。しかし、なぜ、月輪坊の吹矢の矢がここにあるんじゃろう‥‥‥
月輪坊がこんな事をするはずはないし、誰かが、わしの寝ている間に、ここに来たという事か。そして、わざわざ、これを置いて行ったという事か‥‥‥
阿修羅坊は身震いした。
何者かはわからないが、もし、そいつに殺意があったとすれば、わしは完全に殺されていたという事だった。いくら、酔っ払っていたとはいえ、誰かが近づいてくれば目を覚ますはずだった。それ位の修行は積んで来たはずだ。しかし、まったく、気が付かなかった。
浦上屋敷の中だという事で、いつもよりは油断していたかもしれないが、まさか、寝ている間に、わしの頭の上にこんな物を置いて行く奴がいるとは信じられない事だった。
一体、何者だ‥‥‥
太郎坊か‥‥‥信じたくはなかったが、それ以外に考えられなかった。
もし、これが、太郎坊の仕業だとすると、太郎坊という奴は余程の達人だった。大した事はないと侮っていたが、まごまごしていたら、こっちの命が危なくなる程の強敵に違いない。あの二人、日輪坊、月輪坊の手に負える相手ではなかった。
もしや、すでに、あの二人は太郎坊に殺されているかもしれない。その可能性は充分にあった。のんびりしている場合ではなかった。
阿修羅坊は支度をすると、すぐに甲賀に向かった。
まだ、夜明け前だった。
阿修羅坊は飛ぶような速さで、賀茂川に出ると川に沿って南下した。
粟田口から山科を抜け、逢坂山を越えて琵琶湖に出た。
崩れかけた瀬田の唐橋を渡り、街道からはずれ、山の中に入って行った。
その時、うめき声が聞こえた。情けない声だった。
阿修羅坊はその声を聞いて、ほっとした。日輪坊と月輪坊の声だった。少なくとも、あの二人は生きていた。二人は木に縛り付けられて、もがいていた。
「いい眺めじゃのう」と二人を見ながら阿修羅坊は笑った。
「助かった‥‥‥」と月輪坊が溜め息をついた。
「阿修羅坊殿‥‥‥」と日輪坊はかすれた声で言った。
「情けないのう」
「すみません。ちょっと油断した隙に‥‥‥」と日輪坊は言い訳をした。
「何じゃ、この様は! と怒鳴りたい所じゃが相手が強すぎた」
「そんな事はありません。今度こそ、必ず、やっつけます」
「まあ、無理だとは思うがのう」
阿修羅坊は二人の縄をほどいてやった。
二人は思い切り、体を伸ばした。太郎坊に水を掛けられたため、尻の辺りが、まだ濡れていて気持ち悪かった。
日輪坊は太郎の棒に突かれて腫れている喉を押え、月輪坊は太郎にたたかれて腫れている右足のすねをさすった。
阿修羅坊は二人から成り行きを聞いた。
一通り話し終わると日輪坊は、「阿修羅坊殿、太郎坊に会ったのですか」と聞いた。
「多分な。これが何だかわかるか」と阿修羅坊は吹矢の矢を見せた。
「俺のだ」と月輪坊が矢を手に取って言った。
「太郎坊に使ったのか」
「へい。しかし、失敗しました」
「どうして、阿修羅坊殿がそれを」と日輪坊が聞いた。
「今朝、わしの枕元に置いてあった」
「え、まさか!」
「まさか、と思うが本当じゃ」
日輪坊と月輪坊は顔を見合わせた。
「相手を甘く見過ぎていたようじゃ」と阿修羅坊は苦々しく言った。「お屋形様の姉君は大した男と一緒になったものよ」
「確かに、強かった」と月輪坊はしみじみと言った。「奴は俺たちが付けていた事を知らなかった。俺は奴が寝ている所を狙った。奴は絶対に、こいつが刺さって死ぬはずだった。ところが、奴は避けた。そして、あっと言う間だった。一瞬のうちに俺はやられ、気が付いた時は縛られていた。今まで、あんな強い奴に会った事もない」
「確かにな」と日輪坊も同意した。「俺の棒も奴には当たらなかった。まるで、天狗のようだった」
「しかし、わしらは奴を消さなければならない。奴は多分、播磨に向かっているじゃろう。楓殿を取り戻すつもりじゃ。何としても、奴が楓殿に会う前にやらなければならない。急ぐぞ」
「へい」
三人の山伏は急いで、故郷、播磨へと向かった。
太郎が書院の方に行こうとした時、書院にも明かりがついた。美作守が来たかと思ったが違った。背中の曲がった年寄りが書院から出て来て、渡り廊下を去って行った。
太郎は素早く、書院の縁の下まで行って気配を窺った。
宴会が始まったのか、大広間の方から賑やかな人の声が聞こえて来たが、ここには誰もいないようだった。
広間の方を窺いながら、太郎は脱いだ草履を懐(フトコロ)にしまい、素早く、書院の廊下に上がった。一旦、壁際に隠れ、大広間から見えない事を確認すると、静かに障子を開けて部屋の中に入った。
その部屋は半分だけ畳が敷かれ、板の間の方には鎧兜(ヨロイカブト)が飾ってあり、太刀や槍も並んでいた。太郎は自分の影が外に出ないように、部屋の奥まで行き、天井を眺め、杖で突いてみた。忍び込めそうだった。
隣の部屋も見てみた。こちらは一面に畳が敷かれてあり、床の間も付いている。客と会う時に使っている部屋のようだった。
太郎は部屋の隅に五尺杖を立て掛け、杖の上に乗り、天井の板をずらすと、素早く屋根裏に消えた。
屋根裏から見ると天井板は隙間だらけだった。明かりがあちこちから漏れている。
太郎は二つの部屋の真ん中にある太い梁(ハリ)の上に座り、美作守が現れるのを待った。阿修羅坊に自分を殺せと命令したのは美作守に違いなかった。どんな男か見ておく必要があった。
しばらく、待っていたが誰も来なかった。広間の方からは相変わらず、賑やかな声が聞こえて来る。
美作守も一緒になって宴会で騒いでいるのか。
それとも、美作守は抜け出して、あの茶屋の方に行ってしまったか。
しかし、太郎は待った。
志能便の術に焦りは禁物だと、太郎が自分で教えている事だった。それなのに、こんな事では駄目だ、気長に待つ事だ、と自分に言い聞かせた。どっちにしろ、今はここにいるしかなかった。阿修羅坊を捜すにも、みんなが寝静まってからでないと無理だった。
一時(二時間)程たった頃、ようやく、人の足音が近づいて来た。
足音は一人だった。足音は鎧のある部屋に入って来た。
太郎は静かに身を移動させ、天井板をわずかにずらして部屋を覗いた。
真下に浦上美作守らしい男がいた。歳は四十の半ば位だろう、顔はよく見えないが、さすがに、赤松家の重臣という貫禄はあった。
美作守は鎧櫃(ヨロイビツ)の蓋を開け、中から三振りの脇差を出して、畳の上に並べた。そして、自分はその前に座り込んだ。
一体、何をするつもりか、と太郎は天井の隙間から見下ろしていた。やがて、もう一人の足音が近づいて来た。
「作州(サクシュウ)殿、入ってもよろしいかな」と廊下から声がした。
「おお、入れ」と美作守は言った。
入って来たのは山伏だった。阿修羅坊に違いなかった。
一目見た途端、できると思った。かなり腕が立ちそうだった。もしかしたら、太郎の存在を見破られる可能性があると思った。
太郎は息を殺した。
「悪かったのう。宴の最中に呼び出したりして」と美作守は言った。
「何の、気にする事はない。夜は長いわ」と阿修羅坊は豪快に笑った。
「わしも都の事とか国元の事とか、何かと忙しくてのう。おぬしに礼を言う暇もなかった。改めて、礼を言うぞ。よく、やってくれた。まあ、座ってくれ」
「いや。まあ、わしも苦労した甲斐があったというもんじゃ」
「おう。よくぞ、捜し出してくれた」
「で、どうするつもりじゃ」と阿修羅坊は美作守の前に座り込んだ。
「何を」
「あの姉君様じゃ」
「どうもこうもない。あれは紛れもなく、お屋形様の姉君じゃ。それより、太郎坊とやらはどうした。もう、片付けたか」
「いや、まだ、何の連絡もない。大峯から、まだ、帰って来んのじゃろう」
「ふむ。あの二人で大丈夫なのか」
「いくら、強いと言っても、まだ、二十歳そこそこの小僧じゃ。実戦の経験など大してないじゃろ。月輪坊の吹矢でいちころじゃ。心配はいらん」
「だといいがな。ところでじゃ、おぬしに見てもらいたい物があるんじゃがのう」
「また、仕事かい」
「いや、ちょっと、おぬしの意見とやらを聞きたいのでな」
「意見だけで済めばいいがのう」
「まあ、そう言うな。こいつじゃ」と美作守は阿修羅坊に三振りの脇差を示した。
「何じゃい、この古くさい刀がどうかしたんか」
「まず、こいつじゃが、性具(ショウグ)入道殿(赤松満祐)の弟、左馬助殿(則繁)の脇差じゃ。こいつは入道殿の甥の彦五郎殿(則尚)の脇差。そして、こいつは楓殿が持っていたんじゃが、お屋形の爺様の伊予守殿(義雅)の脇差じゃ」
「楓殿が持っていたのは、わしも知っているが、よく、そんな物を揃えたのう」
阿修羅坊はその中の一振りを手に取って、抜いてみた。「ほう‥‥‥それ程の名刀には見えんがのう」
「そうなんじゃ。三振りが三振りとも大した刀じゃない。おかしいと思わんか。普通、太刀の方は実戦で使うので、それ程の名刀でもなく、頑丈な奴を持つ事もあるが、脇差の方はいざと言う時、腹を斬る時に使う物で、立派な物を腰に差しているもんじゃがのう」
「そういや、そうじゃのう。三人には似つかわしくないのう」
「どう見ても、赤松家の一族が持つ刀ではない」
「ふーむ、左馬助殿に、彦五郎殿に、伊予守殿の脇差ねえ‥‥‥そう言えば、三人とも、自害して果てたと聞いておるが、この脇差で自害したのか」
「多分、そうじゃろうのう」
阿修羅坊はもう一度、一振りの脇差を手に取ると刀身を抜いて見た。よく手入れがしてあり、曇り一つなかった。
「もう一つ、謎がある。そいつの目貫(メヌキ)を抜いてみろ」と美作守は阿修羅坊に竹の棒切れを渡した。
阿修羅坊はその竹の棒切れを使って、手にしていた脇差の目貫を抜いた。
刀身の茎(ナカゴ)に紙が巻き付けてあった。紙を広げて見ると『岩戸』と書いてあり、下に性具入道の花押(カオウ)が書いてあった。
「何じゃ、こりゃ」
「こっちのにも入っている。見てみるがいい」
阿修羅坊は残りの二振りも目貫を抜いてみた。茎から出て来た紙切れには、それぞれ、『合掌』『不二』と書いてあった。
「一体、これは何なんじゃ」
「わからん。わからんから、おぬしの知恵を借りたいんじゃ」
「不二、合掌、岩戸、一体、何じゃ、これは」
「わしの勘じゃがのう。軍資金の隠し場所を示すものじゃと思うがのう」
「軍資金?」
「そうじゃ。嘉吉の変の時、赤松家は余りにもあっけなく負けてしまっている。あの当時、赤松家は莫大な財産を持っていたはずじゃ。坂本城から引き上げる時、それを城山城に持って行き、どこかに隠したかしたはずじゃ。性具入道殿は、すでに負ける事を覚悟して、坂本城にあった軍資金をどこかに隠し、いつの日か、赤松家の再興される日を願って、このような紙切れを残したに違いないと思うんじゃ」
「という事は、入道殿はこの紙切れを後世に残すために、左馬助殿、伊予守殿、彦五郎殿を逃がしたというのか」
「いや、勿論、そのためだけじゃないが、軍資金を山名氏には渡したくはなかったんじゃろうのう。いつの日か、赤松家が再興された時に、その軍資金を使ってもらおうと思って、そんな事をしたんじゃろう‥‥‥左馬助殿と彦五郎殿の刀から、その紙切れが出て来た時、何かあると思って、わしは、その当時の事を色々と調べてみたんじゃ。
嘉吉(カキツ)の変が起こったのが嘉吉元年の六月の二十四日じゃ。それから、一族は播磨に戻って戦の準備をした。幕府がもたもたしてたんで、明石において最初の戦があったのが一月後の七月二十五日じゃ。この時点においては、性具入道殿は負けるとは思ってもみなかったじゃろう。そして、また一月後の八月二十六日から山名軍の攻撃が始まり、赤松家は不利になって行った。そして、九月三日には坂本城は落城して、国人たちの多くが幕府軍に投降したんじゃ。すでに、一族の者たちは、その前の日に城山城(キノヤマジョウ)に移っている。
入道殿は改めて、城山城において山名軍と戦おう思ったが、山名軍の大軍を見て、投降者が相次ぎ、以外にも、城山城に集まった味方は五百騎余りしかいなかったと言う。この時点において、入道殿も敗戦の覚悟をしたものと思われる。
城山城が落城するのが九月十日じゃから、三日から十日までの八日間の間に軍資金はどこかに隠されたんじゃろう。
その時、城山城にいた赤松一族の者は入道殿、伊予守殿、左馬助殿、彦五郎殿、そして、嫡男の彦次郎殿(教康)、この五人じゃ。そして、入道殿以外の四人は城山城を脱出している。入道殿は山名軍の総攻撃が始まった九日の晩に、伊予守殿と彦五郎殿を逃がし、落城したその日に、彦次郎殿と左馬助殿を逃がしている。
という事はじゃ、その四人の脇差の中に、入道殿は軍資金の隠し場所を知らせるための謎の言葉を隠したに違いないと、わしは睨んだんじゃ。そして、楓殿が持っていた伊予守殿の脇差からも紙切れが出て来た時、わしは、はっきりと確信を持った。絶対に、赤松家の軍資金が、どこかに隠されているとな。そうは思わんか」
「成程のう。そう言われれば、そんなような気もするが‥‥‥しかし、入道殿は、なぜ、こんな安っぽい脇差に、その重要な紙切れを隠したんじゃろう」
「おう、それは、わしも考えてみた。多分な、入道殿は高価な名刀だと横取りされると考えたんじゃろう。城山城を無事に抜け出せたとしても、残党狩りに会って、敵に囲まれ、無念にも自害して果てたとする。しかし、赤松一族の者を粗略には扱う事は、まず、あるまい。腹を斬った脇差は遺品として、兜首と共に、必ず、敵の大将のもとに届けられるじゃろう。そして、それが大した刀でなければ保管され、いつの日か、赤松家のもとに届くじゃろうと考えたに違いない」
「名刀じゃったら、今頃、山名氏の腰にあるかも知れんのじゃな」
「そういう事じゃ。ただ、もう一振り、あるはずなんじゃ」
「入道殿の嫡子、彦次郎殿か」
「そうじゃ。彦次郎殿も左馬助殿と一緒に城山城から脱出している。そして、伊勢に行き、殺された。彦次郎殿の脇差にも多分、このような紙切れが入っていたはずじゃ。しかし、今、どこにあるのかわからん‥‥‥」
「北畠か」
「多分な。彦次郎殿の首は京で梟されている。もし、首と一緒に京に届けられたとすれば、すでに、細川殿からお屋形のもとに届けられているはずじゃ。」
「うーむ、それを捜すのは難しいぞ。その頃の北畠の当主だった教具はもう死んでおる。今の当主、政郷に聞いてもわかるまい」
「だろうな。しかし、おぬしならできるじゃろう。見事、姉君を捜し出したのじゃからな」
「また、わしにやらせる気か」
「無理にとは言わんが、おぬしの事じゃ。きっと、やりたくなるじゃろうて」
「高くつくぜ」
「ふん。ところでじゃ、この三つの言葉、何だかわからんか」
「不二、合掌、岩戸か‥‥‥富士山で合掌すると岩戸が開き、そこに軍資金が眠っているというのはどうじゃ」
「なかなか、いいじゃないか。ところで、その富士山ていうのはどこの富士じゃ。まさか、駿河の富士山じゃないだろうな」
「その通り、駿河の富士山さ」
「入道殿があの戦の最中、駿河まで行って宝を隠すのか。大したもんじゃのう」
「待てよ、播磨富士というのもあるのう」
「ああ、播磨富士もあるし、有馬富士も、丹波富士も、備前富士もあるぞ」
「もっとあるじゃろうのう」
「確かにな。しかし、入道殿が軍資金を隠したとなると限られる」
「まあな。妥当な所は、やはり、播磨富士かのう」
「だと思うがな。次の岩戸というのは何じゃ」
「岩戸ねえ、天の岩戸の事かのう。それとも、あれかのう」阿修羅坊はニヤニヤしながら美作守を見た。
「何じゃ、あれとは」と美作守は聞いた。
「あれじゃよ。女子(オナゴ)のあそこじゃ」そう言って、阿修羅坊は声を出して笑った。
「何じゃと、ふざけるな」
「別にふざけていやしない。女子のあそこも岩戸と呼ぶ事があると言っただけじゃ」
「まあ、いい。それで、岩戸が女子のあそこだとして、不二と合掌と、どう結び付くんじゃ」
「うむ、難しいのお。播磨富士のてっぺんで女子の岩戸に合掌すると‥‥‥待てよ、確か、播磨富士の裾野に岩戸という村があったぞ」
「なに、そいつは本当か」
「ああ、本当じゃとも。播磨富士、笠形山(カサガタヤマ)の山頂近くには笠形寺(リュウケイジ)があってのう、そこにも、山伏が大勢おる。わしは二度ばかり登った事があるが、確か、その登り口が岩戸村じゃ」
「そうか、やはりそうか。わしも不二というのは播磨富士の事に違いないと思っておったが、その播磨富士に岩戸があったか‥‥‥播磨富士なら城山城から近い、隠そうと思えば隠せない事もない‥‥‥やはり、播磨富士であったか‥‥‥」
「だが、もう一つの合掌というのはわからんのう」
「なに、ここまでわかれば何とかなる。播磨富士に行って調べれば、合掌に関する物があるはずじゃ。どうじゃ、調べてみる気はないか」
「参ったのう。うまく、おぬしに乗せられたようじゃのう」
「やってくれるか」
「仕方ない。宝捜しとやらをやってみるか」
「ありがたい。わしもやりたいんじゃがのう。何せ、この京から離れるわけには行かんのでな。頼むぞ」
「礼金はたっぷり貰うぞ」
「わかっておる」
美作守と阿修羅坊の二人は刀を元通りにすると、鎧櫃の中にしまった。
「まあ、今晩は、たっぷりと酒でも飲んで、気に入った女子でも抱いていってくれ」
「言われなくても、やる事はやるさ」
「宝捜しの前に、太郎坊の事も忘れるなよ」
「わかっておるわ」
阿修羅坊は出て行った。美作守も、しばらくすると出て行った。
太郎は天井裏で一部始終を聞いていた。
赤松家の軍資金‥‥‥
不二、岩戸、合掌と書いてある紙切れもはっきりと目にしていた。そして、北畠氏のもとにあるだろうという、もう一つの脇差‥‥‥
こいつは面白くなって来たぞ、と太郎はニヤリと笑った。
2
浦上屋敷の客間で目を覚ました阿修羅坊は、隣に寝ている女の顔を見ながら笑った。
軽い寝息をたてながら無邪気な顔をして眠っている。あどけない顔に似合わず、豊満な乳房が夜具をはねのけ覗いていた。
夕べは、よく飲んで騒いだ。いい女子も抱いたし‥‥‥さっそく、今日から宝捜しにでも出掛けるか。『不二』と『岩戸』と『合掌』‥‥‥あと一つあると言う。果たして、北畠氏が赤松彦次郎の脇差を持っているか。
もう三十年以上も前の事である。もし、あったとしても、蔵の奥の方で眠っているに違いない。北畠氏の蔵奉行でも買収して、捜し出すしかないか。とにかく、誰かを北畠氏の城下、多気に送り込んで調べさせなくてはならない。
阿修羅坊は女を起こさないように、静かに布団から出た。その時、自分の頭から何かが落ちて来た。
何だと思って、拾ってみると吹矢の矢だった。見覚えがあった。月輪坊の物だった。しかし、なぜ、月輪坊の吹矢の矢がここにあるんじゃろう‥‥‥
月輪坊がこんな事をするはずはないし、誰かが、わしの寝ている間に、ここに来たという事か。そして、わざわざ、これを置いて行ったという事か‥‥‥
阿修羅坊は身震いした。
何者かはわからないが、もし、そいつに殺意があったとすれば、わしは完全に殺されていたという事だった。いくら、酔っ払っていたとはいえ、誰かが近づいてくれば目を覚ますはずだった。それ位の修行は積んで来たはずだ。しかし、まったく、気が付かなかった。
浦上屋敷の中だという事で、いつもよりは油断していたかもしれないが、まさか、寝ている間に、わしの頭の上にこんな物を置いて行く奴がいるとは信じられない事だった。
一体、何者だ‥‥‥
太郎坊か‥‥‥信じたくはなかったが、それ以外に考えられなかった。
もし、これが、太郎坊の仕業だとすると、太郎坊という奴は余程の達人だった。大した事はないと侮っていたが、まごまごしていたら、こっちの命が危なくなる程の強敵に違いない。あの二人、日輪坊、月輪坊の手に負える相手ではなかった。
もしや、すでに、あの二人は太郎坊に殺されているかもしれない。その可能性は充分にあった。のんびりしている場合ではなかった。
阿修羅坊は支度をすると、すぐに甲賀に向かった。
まだ、夜明け前だった。
阿修羅坊は飛ぶような速さで、賀茂川に出ると川に沿って南下した。
粟田口から山科を抜け、逢坂山を越えて琵琶湖に出た。
崩れかけた瀬田の唐橋を渡り、街道からはずれ、山の中に入って行った。
その時、うめき声が聞こえた。情けない声だった。
阿修羅坊はその声を聞いて、ほっとした。日輪坊と月輪坊の声だった。少なくとも、あの二人は生きていた。二人は木に縛り付けられて、もがいていた。
「いい眺めじゃのう」と二人を見ながら阿修羅坊は笑った。
「助かった‥‥‥」と月輪坊が溜め息をついた。
「阿修羅坊殿‥‥‥」と日輪坊はかすれた声で言った。
「情けないのう」
「すみません。ちょっと油断した隙に‥‥‥」と日輪坊は言い訳をした。
「何じゃ、この様は! と怒鳴りたい所じゃが相手が強すぎた」
「そんな事はありません。今度こそ、必ず、やっつけます」
「まあ、無理だとは思うがのう」
阿修羅坊は二人の縄をほどいてやった。
二人は思い切り、体を伸ばした。太郎坊に水を掛けられたため、尻の辺りが、まだ濡れていて気持ち悪かった。
日輪坊は太郎の棒に突かれて腫れている喉を押え、月輪坊は太郎にたたかれて腫れている右足のすねをさすった。
阿修羅坊は二人から成り行きを聞いた。
一通り話し終わると日輪坊は、「阿修羅坊殿、太郎坊に会ったのですか」と聞いた。
「多分な。これが何だかわかるか」と阿修羅坊は吹矢の矢を見せた。
「俺のだ」と月輪坊が矢を手に取って言った。
「太郎坊に使ったのか」
「へい。しかし、失敗しました」
「どうして、阿修羅坊殿がそれを」と日輪坊が聞いた。
「今朝、わしの枕元に置いてあった」
「え、まさか!」
「まさか、と思うが本当じゃ」
日輪坊と月輪坊は顔を見合わせた。
「相手を甘く見過ぎていたようじゃ」と阿修羅坊は苦々しく言った。「お屋形様の姉君は大した男と一緒になったものよ」
「確かに、強かった」と月輪坊はしみじみと言った。「奴は俺たちが付けていた事を知らなかった。俺は奴が寝ている所を狙った。奴は絶対に、こいつが刺さって死ぬはずだった。ところが、奴は避けた。そして、あっと言う間だった。一瞬のうちに俺はやられ、気が付いた時は縛られていた。今まで、あんな強い奴に会った事もない」
「確かにな」と日輪坊も同意した。「俺の棒も奴には当たらなかった。まるで、天狗のようだった」
「しかし、わしらは奴を消さなければならない。奴は多分、播磨に向かっているじゃろう。楓殿を取り戻すつもりじゃ。何としても、奴が楓殿に会う前にやらなければならない。急ぐぞ」
「へい」
三人の山伏は急いで、故郷、播磨へと向かった。
12.播磨へ
1
深夜、ぐっすりと眠っている阿修羅坊の頭の上に吹矢の矢を置いて来た太郎は、そのまま、播磨には向かわなかった。楓と百太郎の身が安全だとわかった以上、焦って、急ぐ必要もなかった。ひとまず甲賀に戻り、準備を整えてから、改めて出立しようと思っていた。それに、一番肝心な事だが、播磨の国がどこにあるのか、どうやって行けばいいのか太郎にはわからなかった。
阿修羅坊が日輪坊、月輪坊の二人を助けている頃、太郎は飯道山の智羅天の岩屋に帰って来ていた。
探真坊、風光坊、八郎坊の三人の弟子は、それぞれ修行に励んでいた。
太郎の顔を見ると皆、修行をやめて飛んで集まって来た。
「お師匠、お帰りなさい」と八郎坊がニコニコしながら言った。
まだ、太郎は師匠と呼ばれる事に抵抗を感じていたが、そんな事に構っていられなかった。
「随分と帰りが遅かったですね」と風光坊が汗を拭きながら言った。
「ちょっと遅すぎたな」と太郎は岩の上に腰を下ろした。
「お山では火山坊殿が帰って来ないと騒いでますよ」と探真坊が冷静に言った。
「ああ。お山には悪いが、まだ、当分、帰れそうもない」
「えっ、また、どこかに行かれるのですか」
「今度はどこに行くんですか」と八郎坊が聞いた。
「ちょっと遠くの方にな。お前ら三人も連れて行くつもりだ」
「ほんとですか、どこに行くんすか」八郎坊が身を乗り出して聞いてきた。
「播磨だ」
「播磨?」と三人が同時に言った。
「播磨に何か、用があるんですか」と探真坊が聞いた。
「お前らは知らんが、俺には女房と子供がいる。それが、播磨の国にさらわれた」
「えっ、女房と子供がさらわれた」と八郎坊が大声を出した。
「そうだ。それを助けに行くのと、もう一つ、宝捜しだ」
「宝捜し?」と風光坊が首を傾げた。
「播磨の守護、赤松氏の軍資金がどこかに隠されている。そいつを捜しに行く」
「赤松氏‥‥‥軍資金‥‥‥それを捜してどうするんです」と探真坊が興味なさそうに聞いた。
「横取りする」と太郎は三人に言った。
「えっ、そんな事して大丈夫なんすか」と八郎坊が目を見開いた。
「その赤松氏とやらに殺されますよ」と探真坊は顔色も変えずに言った。
「かも知れんな。しかし、俺は、すでに赤松氏に命を狙われている」
「えっ、お師匠が狙われている」と八郎坊がまた、大声を出した。
「何かしたんですか」と探真坊が聞いた。
「いや、何もしてないのに狙われているから、仕返しに、軍資金を横取りしてやるんだ」
「もしかしたら、お師匠の奥さんとお子さんをさらったと言うのは、その赤松氏とやらですか」と風光坊が言った。
「そういう事だ」
「あのう、お師匠の奥さんていうのは多気に一緒に来た人ですよね」と八郎坊が言った。
「おう、そうだ、お前は会った事があるんだったな」
「ええ、あの人がさらわれたんですか」
「そうだ」
「そりゃ、大変や。早く、助け出さなくちゃ、大変だわ」
「どうだ、一緒に行くか」と太郎は三人を見回した。
「面白そうじゃないか」と風光坊が目を輝かせて頷いた。
「危なくないか」と八郎坊が風光坊を見た。
「危ない」と太郎は言った。「死ぬかもしれん。しかし、お前らの実力を試すのにはいい機会だぞ。実戦を経験しないと、本物の強さというのはわからんからな」
「俺は、お師匠が行く所なら付いて行く」と探真坊は力強く言った。
「おらだって、付いて行くさ」と八郎坊も顔を引き締めた。
「よし、決まった。これから準備にかかる。相手は大物だからな。用心に越した事はないだろう」
太郎は三人に命じ、必要な物を用意させた。
飯道山の護符(ゴフ)、護摩札、飯道丸や自分たちで作った薬、錫杖と法螺貝、飯道山の縁起を描いた絵巻物、それに、『陰の術』で使う黒装束、手裏剣、鉤縄、鉄菱(テツビシ)なども用意させた。黒装束は三人の弟子のために、暇をみては楓が作ってくれた物だった。
太郎は三人を飯道山の信者たちを集めるために、地方を旅して回る先達山伏として播磨に行かせるつもりでいた。太郎自身は山伏として行くのはやめ、仏師、三好日向として行く事にした。山伏、太郎坊のままだと阿修羅坊たちに狙われる可能性が高かった。
太郎はまず飯道山に登り、行満院に行って播磨の国に於ける飯道山の拠点を調べた。
御嶽山清水寺(ミタケサンキヨミズデラ)の安楽院、大谷山大谿寺(オオタニサンタイケイジ)の東一坊、船越山瑠璃寺(フナコシサンルリジ)の普賢院、喜見山笠形寺(キケンサンリュウケイジ)の自在院の四ケ所あった。
笠形寺というのは、阿修羅坊が言っていた播磨富士、笠形山の山頂近くにある寺に違いなかった。軍資金が隠されているという山だった。こいつは、初めからついている、都合がいいと太郎は手を打った。それと、瑠璃寺というのも聞き覚えがあるような気がした。確か、太郎を狙ったあの二人、播磨の瑠璃寺の山伏だと言ったような気がするが、はっきりとは覚えていなかった。
後で、松恵尼に聞けばわかるだろうと思い、とりあえず、四つの寺の名前を紙に写すと、今度は智積院に向かった。確か、あそこに全国の絵地図があったような気がした。
智積院に行ってみると講義をしていた。ここに通っていた頃は、毎日、昼寝をしていた太郎だったが、久し振りに来てみると、やはり懐かしいものがあった。
太郎は係の者に頼んで播磨の国の絵地図を見せてもらった。かなり詳しい地図だった。さっき調べた四つの寺は皆、載っていた。
瑠璃寺が播磨の国の西の方にあり、あとの三つの寺は皆、東よりにあった。しかし、肝心の楓が行ったという置塩(オキシオ)城というのが載っていなかった。新しく建てたというので、まだ、載っていないのだろう。これも、後で松恵尼に聞こうと思い、太郎は丁寧に絵地図を写した。写し終わると京から播磨の国までの道も調べた。
思っていたよりも、播磨の国は近いようだった。京の都より、ずっと西の方だと思っていたが、京の都のある山城の国の隣に摂津の国があり、その隣が播磨の国だった。四、五日もあれば行けるだろう。
智積院を出ると、太郎は武術道場を避けて山を下り、途中の谷川で水浴びをして旅の汚れを落とすと、一旦、我家に帰った。
誰もいないはずの部屋はひどい有り様だった。食い物のカスがそこら中に散らかり、酒のとっくりがいくつも転がっていた。誰かが、つい先頃まで勝手に住んでいたようだった。
「ひでえ事をしやがる」と太郎はとっくりを蹴飛ばした。
太郎の命を狙った、あの二人の仕業に違いなかった。台所の流しには汚れた食器が山のように積まれ、風呂桶の中の水は泥だらけ、庭にもゴミが散らかり、奥の部屋では布団がぐしゃぐしゃになっていた。
縁側の片隅に、太郎が百太郎に作ってやった木彫りの人形が転がっていた。太郎はそれを手に取ると、しばらく、ボーッと見つめていた。今にも、楓と百太郎が笑いながら帰って来るように感じられた。
やがて、我に返ると、太郎は汚れた山伏の格好から、仏師、三好日向の姿に着替えた。そして、持って行く荷物をまとめると花養院に向かった。
蝉がうるさく鳴いていた。
花養院の門をくぐると、女の子が大声で泣いていた。妙恵尼が目を吊り上げて、泥だらけになった男の子を追いかけ回している。
太郎は真っすぐに花養院の台所に行き、飯を食わせてもらった。昨日から、ほとんど、飯らしい物を食べていなかった。腹の中が落ち着くと松恵尼に会いに行った。
松恵尼は数人の客と会っていた。客の中に、薬売りの伊助の姿があった。
「無事だったようですね」と伊助は太郎を見ると笑いながら言った。
「浦上殿の屋敷に忍び込んだんですってね。随分と無茶な事をしますね」松恵尼は怖い顔をして太郎を睨んだ。「殺されたって知りませんよ」
「すみません」と太郎は心配させた事を謝った。
「阿修羅坊殿に狙われているんですってね」
「はい。殺されそうになりました」
「阿修羅坊の顔は拝みましたか」と伊助が聞いた。
「ええ、ぐっすり、眠り込んでいましたけど。それに、浦上美作守の顔も拝みました」
「これから、播磨に向かうのですか」と松恵尼は聞いた。
「はい。行くつもりです」
「止めても無駄なようね」
「はい。行きます」
松恵尼は客たちに太郎の事を楓の亭主、太郎坊移香だと紹介し、太郎にそれぞれの客を紹介した。そして、ここにいる人は皆、これから播磨に向かう事になると言った。
遊び人風の鋭い目付きをした男は研師(トギシ)の次郎吉といい、年は三十半ば位、大和の国に店を構え、研師の腕は一流だと言う。太郎の見たところ、刃物を研ぐ腕だけでなく、刃物を振り回す方も一流のような気がした。
次に座っていた、小太りで、やけに小さな目をした人の善さそうな親爺は『金勝(コンゼ)座』という旅芸人たちを率いている座頭(ザガシラ)の助五郎だった。金勝座は今流行りの曲舞(クセマイ)に能狂言を混ぜたような独特な芝居をやり、なかなか評判がいいとの事だった。
助五郎の隣に座っているのが、その評判の主だと言う事は太郎にもすぐわかった。すっきりとした顔立ちの美人が太郎を見つめて笑っていた。金勝座の曲舞女で助六という名だった。助六は品(シナ)を作って太郎に挨拶をした。
太郎も挨拶を返したが、こいつはまた、大峯山に籠もらなくてはならなくなるかなと思った。こういう女に言い寄られたら大抵の男は参ってしまうだろう。
そして、最後は薬売りの伊助、彼にはすでに世話になっている。その他に鎧師(ヨロイシ)の吉次と白粉(オシロイ)売りの藤吉が来るはずだが、まだ、見えないと松恵尼は言った。
「楓を救い出すために、みんなして行くわけですか」と太郎は松恵尼に聞いた。
「救い出すかどうかはわかりません。楓の気持ちを聞いてみなければ何とも言えません。ただ、赤松家の出方を見ると楓を返すつもりはないようですね。太郎坊殿を殺そうとしているのが、そのいい例です。とりあえず、あちらに行ってみて、楓がどういう風に扱われているのか確かめて、楓の気持ちを聞かなければなりません。そして、楓が戻りたいと言えば連れ戻すのですね」
「赤松家を敵に回してですか」と助五郎が聞いた。
「それも仕方ないでしょう」と松恵尼は顔色も変えずに言った。
「赤松家と戦をするのか」と次郎吉が松恵尼を見た。
「そんな風にならないように、うまく解決しなければなりません。とりあえずは、あちらの状況を調べなければなりませんね」
太郎は飯道山で写して来た絵地図を広げ、松恵尼に置塩城の場所を聞いた。
松恵尼はちょっと待ってくれと言って部屋から出て行き、播磨の絵地図を持って来た。色々と書き込みがしてあり、太郎のよりずっと詳しかった。置塩城も書いてあった。置塩城だけでなく、主な城は皆、書き込んである。太郎は自分の絵地図にすべてを書き加えた。
阿修羅坊の事も詳しく松恵尼から聞いた。太郎が驚く程、松恵尼は阿修羅坊の事を調べていた。置塩城下での阿修羅坊の隠れ家や妻や子供が住んでいる所まで調べてあった。そして、やはり本拠地は瑠璃寺だった。
打ち合わせが済むと、それぞれ部屋から出て行った。
太郎は急に眠くなり、一眠りしようと思った。昨日も一昨日も、ろくに寝ていなかった。そして、明日からも眠れない日々が続くだろう。今日はゆっくりと眠らなければならなかった。
花養院の庭では若い娘たちが子供たちと遊んでいた。『金勝座』の踊り子たちだろう。この辺りの娘たちと違って、どこか垢抜けていた。
太郎は娘たちをぼんやりと眺めながら、さて、どこで寝ようか考えていた。阿修羅坊が襲って来る可能性があった。やたらの所では安心して眠れなかった。
山の中にでも入って寝るかと思いながら花養院を出た時、「おおい」と叫びなから金比羅坊が走って来た。
逃げる暇はなかった。
「おい、水臭いぞ」と金比羅坊は息を切らせながら言った。「それにしても、間に合って良かった」
「どうかしたんですか」と太郎は聞いた。
「何をとぼけておる。楓殿がさらわれたそうじゃないか」金比羅坊は知っていた。「話は全部、聞いたぞ。わしも連れて行け」
「誰から聞いたんですか」
「八郎じゃよ」
「あいつか、あのお喋りが‥‥‥」
「いや、あいつを責めるな。わしが無理やり吐かしたんじゃ。なかなか喋らなかったぞ」
「仕方ないな」
「なあ、わしも連れて行けよ」
「しかし、金比羅坊殿がいなくなったら、剣術を教える者がいなくなってしまうじゃないですか」
「心配いらん。浄光坊が戻って来ておる」
「はあ?」
「浄光坊の奴、九州にいてもつまらんと言って戻って来たんじゃ。おぬしがなかなか戻って来ないので、浄光坊の奴がおぬしの代わりをやっておるが、わしの代わりも誰か見つかるじゃろう」
「いい加減ですね」
「まあ、お山の事は何とかなるもんじゃ。それに、おぬしの母ちゃんと子供がさらわれたというのに黙ってはおれんじゃろうが。それにのう、わしの故郷というのは讃岐(香川県)じゃがのう、若い頃、播磨にいた事があるんじゃ。飯道山に来てからも、二度程行った事がある。わしを連れて行った方が何かと便利じゃぞ」
確かに、金比羅坊が一緒だと心強かった。来るなと言っても付いて来るだろう。
太郎は金比羅坊を家に連れて行き、詳しく説明した。金比羅坊が加わるという事になったので、探真坊と風光坊の二人を金比羅坊と一緒に山伏のまま播磨に向かわせ、太郎は仏師の助手兼荷物持ちして、八郎坊を連れて行く事にした。
明日の夜明け頃、出発するので、支度をして、ここに来てくれと言って金比羅坊と別れた。そして、太郎は智羅天の岩屋に行き、三人が準備した物を確認し、山の中に入って、太郎だけが知っている岩屋の中でぐっすりと眠った。
次の日の夜明け、金比羅坊、探真坊、風光坊の三人の山伏と、仏師に扮した太郎と八郎は、別々に播磨に向けて旅立って行った。金比羅坊たちは山の中の山伏の道を行き、太郎たちは普通の街道を通って、二日後の夕方に摂津と播磨の国境近くにある大谿寺で落ち合う事にして播磨へと向かった。
ここ、花養院でも旅立ちの準備で慌ただしかった。
薬売りの伊助と研師の次郎吉は、すでに先に出掛け、昨日の夜、遅くに着いたという白粉売りの藤吉は、旅籠屋の伊勢屋でまだ寝ていた。
そして、『金勝座』の連中が今、出発するところだった。
『金勝座』と書いてある赤いのぼりを立てた舞台道具一式を積んだ二台の荷車の回りに、座員たちが集まって松恵尼を待っていた。
金勝座の構成員は曲舞を踊る女が、助六、太一、藤若の三人と、男の舞方が、左近、右近の二人、舞台作りや小道具類の専門家の甚助、囃子方(ハヤシカタ)が、大鼓(オオツヅミ)の弥助、小鼓の新八、笛のおすみの三人、謡方(ウタイカタ)が、小助、三郎、お文の三人。弥助の妻のお文さんは食事の支度や細かい事に気を使って、みんなの面倒を良くみていた。それと、踊り子見習いの千代という若い娘が一人、そして、座頭の助五郎を入れて全部で十四人だった。
彼らは今まで尾張、三河方面を巡業していたが、松恵尼に呼ばれ、昨日、戻って来たばかりだった。
『金勝座』は、松恵尼が助五郎と出会い、人を集めて作った芸能一座だった。地方を巡って色々な情報を集め、松恵尼のもとに伝えていた。
座頭の助五郎は、元々は伊勢の猿楽(サルガク)座の能作者だった。先代の北畠教具に認められて保護され、助五郎の一座は流行っていた。しかし、教具が亡くなると、教具の子、政郷は新しくできた一座の方を贔屓(ヒイキ)にして、助五郎一座は見捨てられた。腕のある踊り方や囃子方は、その一座に引っ張られ、助五郎一座は解体してしまった。松恵尼は助五郎の才能を認めていたので、このまま一座をやめてしまうのは勿体ないと思い、後援者となって一座を作り上げたのだった。
助五郎は、今度の一座は、今までのような貴族趣味をやめ、もっと民衆向けの一座にしようと思っていた。それには能よりも狂言がぴったりだった。助五郎は民衆のために、日常生活に密着した喜びや悲しみ、そして、支配階級に対する風刺なども入れた狂言を多く作り、それを一座の者に演じさせた。人々が普段、言いたい事や不満などを舞台の上で演じて見せたのだった。しかも、踊り方には曲舞女を使い、曲舞や小歌踊りを狂言の中に取り入れていった。一座の評判はだんだんと良くなっていき、地方の村々で、みんなから喜ばれるようになっていった。
〽さて、何としょうぞ~
一目見し面影が~
身を離れぬ~
太一と藤若がふざけながら小歌を歌っていた。
「ねえ、あんたたち、なに浮かれてんのよ」と助六がたしなめた。
「あら、お姉さんだって、太郎坊様に会いたいんでしょ」と太一が片目をつぶった。
「なに言ってんの。太郎坊様には楓様という奥様がちゃんといらっしゃるんですよ」
「知ってますわ、ねえ、藤若。知っていながら、どうしょうもできないのが恋心なんでしょ、お姉さん」
「どうして、そんな事、あたしに聞くのよ」
「だってね、さっきから、お姉さん、そわそわしてるわよ。門の方ばかり気にして」
「そんな事ないわよ」と助六は否定した。
「ねえ、変よね、藤若。お姉さん、昨日から変よ」
「そんな事ないわよ」と助六は必死になって否定する。
「お姉さん、太郎坊様に恋をしたんですか」と藤若が聞いた。
「あんた、なに言ってんの」
「あたし、また、お姉さんに負けちゃうわ。いつも、あたしが好きになる人はお姉さんも好きになるんだから」藤若は今にも、べそをかきそうだった。
「藤若、ちょっと待ってよ。二人とも勘違いしないでよ。あたしは太郎坊様の事なんて何とも思ってないわよ」
「おいおい、さっきから、太郎坊、太郎坊って言ってるけど、そんなにいい男なのかよ」と右近が横から口を出した。
「うるさいわね。あんたよりは、ずっといい男よ」と助六は右近を肘で突いた。
「へっ、下らねえ。どうせ山伏だろう。いかさま師に違えねえ。藤若、そんな奴に騙されるんじゃねえぞ」
とうとう藤若は泣き出してしまった。
「ほら、あんたが余計な事、言うから、泣いちゃったじゃないのよ」
助六は藤若を慰めた。
「右近様、一度、太郎坊様に会ってみればいいわ。いかさま師じゃないって事がわかるから」と太一が右近の袖を引いた。
「おう、望む所だ」と右近は見得(ミエ)を切った。
やがて、松恵尼が細長い包みを持って出て来た。
「これを楓のもとに持って行って貰いたいのです」
「刀のようですね」と助五郎が聞いた。
「はい。伊勢で亡くなられた赤松彦次郎殿の形見の太刀と脇差です。北畠の御所様に頼まれていたのです。もし、楓が赤松殿の所に行くような事になったら、これを持たせてやってくれと‥‥‥この間、持たせれば良かったのですけれど、つい、どこにしまったのか忘れてしまって、やっと、見つけ出したのです。どうか、これをお願いします」
松恵尼は助五郎に包みを渡した。
「赤松彦次郎殿?」
「はい。楓のお父上の従兄弟(イトコ)に当たるお人です。嘉吉の変の時、伊勢まで逃げて行って、お亡くなりになりました」
「そうですか‥‥‥はい、お預かりします。確かに、楓殿のもとにお届けします」
助五郎が包みを荷車の中に載せると、松恵尼と子供たちに見送られ、一座は播磨を目指して出発した。
助六は藤若をなだめ、太一は浮かれて小歌を歌っていた。
〽来し方より、今の世までも~
絶えせぬものは、恋と言える曲者~
げに恋は曲者かな~
今日も一日、暑くなりそうな夏の朝だった。
遠くでカッコウが鳴き、近くでは蝉が鳴いていた。
一座は賑やかに旅立って行った。
百人の護衛に守られた楓たちは、すでに姫路を過ぎ、書写山円教寺(ショシャザンエンギョウジ)の山裾を北に向かっていた。赤松政則の本拠地、置塩城は、もう目と鼻の先だった。
その頃、阿修羅坊の一行は早くも姫路に入ろうとしていた。
阿修羅坊と日輪坊、月輪坊の三人は太郎坊に先を越されないよう、急ぎ足で楓を追っていた。
一方、太郎と八郎は摂津の国(大阪府西部と兵庫県南東部)の池田の辺りをのんびりと旅していた。そして、金比羅坊、風光坊、探真坊の山伏三人は六甲の山の中を大谿寺(タイケイジ)を目指して歩いていた。
うまい具合に、金比羅坊は大谿寺に行った事もあり、知っている山伏がいるとの事だった。太郎たちと金比羅坊たちは、そこで待ち合わせをする手筈になっていた。
金比羅坊は、そこに行けば播磨の様子や赤松氏の事も調べられるだろうと言った。初めて行く土地に知り合いがいるというのは何かと心強い事だった。まして、山伏なら色々な情報に詳しいだろう。
日がかんかんと照り、暑い日だった。
太郎と八郎は職人の格好に笠を被り、荷物を背負って杖を突きながら歩いていた。二人とも脇差は差しているが刀は差していなかった。
八郎は旅に出たのが楽しくてしょうがないらしく、きょろきょろしながら歩いている。飯道山に来るまでは、伊勢の多気の都から出た事がなかった八郎には見る物、何もかもが珍しい物だった。
「お師匠、この辺りは広くて平らやから、いいのう」と八郎は回りの景色を見回した。
「何がいいんだ」と太郎は聞いた。
「たんぼや。多気にもこんな広い土地があったら、俺も百姓してたかもしれねえ」
確かに、多気の都は山の中で、こんなに広い平地はなかった。太郎の故郷、五ケ所浦にもなかった。しかし、太郎は八郎のようにたんぼの事など考えた事がなかった。
武士はしばらく、やめるつもりでいる太郎だったが、やはり、考え方まで変える事はなかなか難しかった。たんぼの事など百姓に任せておけばいいと、つい、思ってしまう。
八郎と同じ景色を見ていても、太郎は、あそこに陣を敷けばいいとか、あの辺りに伏兵を隠して置いて敵の側面を突こうとか、つい、戦の事を考えてしまう。たった二人でも同じ物を見て、こう見方が違うのでは、十人いれば十人の見方があるだろう。あらゆる見方ができなければ駄目だと思った。
「それにしても、勿体ないのう」と八郎は言った。
戦にやられたのか、街道脇のたんぼは荒れ果てていた。
「可哀想やのう」
「百姓がか」と太郎は聞いた。
「ええ、百姓も可哀想やが、この稲も可哀想や‥‥‥これじゃ、年貢も払えんやろな」
「年貢が払えんと、どうなるんだ」
「夜逃げして乞食になるか、娘がいれば、当然、身売りや。それとも、百姓同士がまとまって一揆でも起こすか‥‥‥」
「一揆か‥‥‥」
太郎は一揆という言葉は知ってはいても、実感として、はっきり取らえる事ができなかった。百姓たちが団結して、武士を相手に戦うとは聞いている。しかし、実際、そんな事が起こり得るのだろうか‥‥‥太郎にはわからなかった。
「お師匠、あれは何や」と八郎が二人の前をのんびりと歩いている牛を指さした。
牛の上に人が乗っていた。そして、良くはわからないが、何かが光っていた。
「どこぞの聖(ヒジリ)か」と八郎は言った。
聖のようにも見えるが勧進(カンジン)聖や遊行(ユギョウ)聖が、牛に乗って旅をするなど聞いた事もない。百姓ではなさそうだし、武士でもない。正体不明の人物だった。
近づいてみると光って見えたのは牛の角だった。牛の角に金箔が貼ってあった。牛に乗っているのは年寄りかと思ったが、以外にも三十前後の体格のいい男だった。
その男は女物の笠を被り、着ている白い麻の帷子(カタビラ)には自分で書いたらしい落書きがしてある。腰には派手な帯を締め、金色に光る脇差を差し、大きな瓢箪(ヒョウタン)をぶら下げていた。牛の背に寝そべるように乗り、扇で顔をあおぎながら歌を歌っていた。見るからに変わり者だった。
〽夢の戯(タワブ)れ、いたずらに~
松風に知らせじ~
朝顔は日に萎(シオ)れ~
野草の露は風に消え~
かかるはかなき夢の世を~
現(ウツツ)と住むぞ迷いなる~
男は歌がうまかった。
太郎も、つい、歩きながら聞いていた。
八郎は遠慮なく、その男の振る舞いをじろじろと見ていた。男はそんな事を全然、気にもせず、空を見上げたまま歌を歌っていた。
八郎は金色の角を持った牛を追い越すと、小声で太郎に声を掛けた。「ちょっと、おかしいんやないかのう」と自分の頭を指でつつく。
「さあな。世の中、色んな奴がおるからのう」と太郎も小声で答えた。
「おい」と牛の上の男が歌をやめて声を掛けて来た。「そこな職人」
八郎がきょろきょろした。
「職人なんて、どこにおるんや」と八郎は太郎に小声で言った。
「アホ、俺たちだ」
「おお、そうや。おらたちは職人やったんや」
「おい、職人、何をぶつぶつ言っておる」と男は言った。
「職人、職人って、何か用かや」八郎が振り返って言った。
男は相変わらず、空を見上げていた。
「空を見てみろ」と男は言った。
空に何か、珍しい物でもあるのかと八郎は空を見上げた。
太郎も空を見上げた。
「でっかいのう」と男は言った。
「おう、だから、どうなんや」と八郎は上を見上げたまま言った。
「いい天気じゃ」と男は言った。
「天気が良すぎて、暑いわい」
「ううむ、おぬしの言う通り、確かに暑い」
八郎は上を向いたまま歩いていたので、石につまづいて転んでしまった。
「くそったれ!」と言いながら起き上がると八郎は石ころを蹴飛ばした。
「おめえは一体、何者や。おらたちに何の用があるんや」八郎は牛の上の男に怒鳴った。
「わしか、わしは世捨て人じゃな。おぬしたちに別に用はない。ただ、暑い中、急いでいるようなんでな、もっと、のんびりしろと言いたかったんじゃ。それだけだ」
「俺たちは用があるから急いでるんや」
「急いだからといって、どうなるもんでもあるまい。世の中、なるようにしか、ならんもんじゃ」
「だから、そうやって牛の背で寝てるのか」
「別に寝ているわけじゃない。色々と考え事をしておるんじゃ」
「何を」
「歌の事や、女子(オナゴ)の事かのう」
「いい身分やな」
「おお、すべては夢のうちよ。わしの名は夢庵(ムアン)と言う。おぬしらはどこに行くんじゃ」
「おらたちは播磨に行くんや」
「播磨に仕事しに行くのか」
「そうや」
「おぬしらは何の職人じゃ」
「仏師や」
「仏師? ほう、おぬしら、仏様を彫るのか、そうは見えんのう」
「ほなら、何に見えるんや」
「そうじゃのう。楊枝でも作る職人かのう」
「馬鹿にするな」
「別に馬鹿にしてやせん。仏様もいいが、もっと、人々の役に立つ物を作れと言いたいんじゃ」
「楊枝だって、箸だって作るさ。木剣だって作る」と八郎は自慢げに言った。
太郎と八郎は、いつの間にか、夢庵と名乗る風変わりな男と一緒にのんびりと歩いていた。正体のわからない男だが、飄々(ヒョウヒョウ)としていて、どこか引かれる所があった。おしゃべりな八郎はいい話し相手を見つけたかのように、夢庵と話し込みながら歩いていた。
夢庵はいつまでも、太郎たちに付いて来た。行く当てもない旅をしているのか、風に吹かれるままに、という感じだった。牛の歩みに合わせて、のんびりと歩いていた太郎たちは、結局、その日のうちに大谿寺に着く事はできなかった。
三人は村はずれの小川のほとりで夜を明かす事にした。
もうすぐ、置塩城に着こうとする頃だった。
楓は百太郎を抱き、牛車に揺られながら不安にかられていた。
とうとう、知らない国に来てしまった‥‥‥
知っている人と言えば、弥平次と桃恵尼しかいない。
弟には会いたいが、太郎に何の相談もしないで来てしまった事が悔やまれた。もう少し帰って来るのを待って、太郎と一緒に来れば良かったと後悔していた。
もう、大峯山から帰って来たかしら‥‥‥
もし、帰って来ていれば、松恵尼様から訳を聞いて、きっと、こっちに向かっているに違いない。あの人、足が速いから、きっと、すぐに追い付くわ、と思っていた。お城に着くまでに追い付いて欲しいと願っていたのに、太郎は来そうもなかった。
楓を護送している隊の責任者は浦上美作守則宗の長男、掃部助則景(カモンノスケノリカゲ)だった。まだ、二十二歳の若さだった。補佐役として嶋津左京亮(サキョウノスケ)則重が付いて来ていた。左京亮の方も二十八歳と若いが、戦の経験が何度もあり、浦上美作守に信頼されている人物だった。二人が播磨に帰って来たのは半年振りの事だった。
馬上の掃部助と左京亮が並んで、のんきに国元の女の話などをして笑いころげていた時、阿修羅坊が楓たち一行に追い付いて来た。
阿修羅坊は掃部助の側近の者に声を掛け、掃部助に取り次いでもらった。掃部助は木陰を見つけると小休止を命じた。一行は木陰に入って一息入れた。
蝉がうるさく鳴いていた。
ただでさえ暑いのに、皆、鎧を身に付けて武装している。もう、暑くて暑くてたまらなかった。着ている物を絞れば、汗が滝のように流れ出る程、びっしょり濡れていた。
阿修羅坊は掃部助の前にひざまづくと、「道中、何事もございませんでしたか」と尋ねた。
「心配ない。何事も起こらん」と掃部助は面倒臭そうに答えた。
「楓御料人様も御無事ですな」
「御無事じゃ。どうしたんじゃ、おぬし、来ないはずじゃなかったのか」
「はい、それが、急な用ができましてな」
「ほう。また、父上に何か頼まれたとみえるのう。楓御料人様の事なら大丈夫じゃ。もうすぐ城下だしな。無事、お届けしたと父上に伝えといてくれ」
「はい、かしこまりました‥‥‥ちょいと、楓御料人様の御様子を伺ってもよろしいですかな」
掃部助はただ頷くと、側近の者から竹筒を受け取って水を飲んだ。
阿修羅坊は楓が乗っている牛車に近づいて行った。
楓は牛車から降りて連れ添って来た侍女(ジジョ)たちと話をしていたが、阿修羅坊に気づくと驚いた。
「まあ、阿修羅坊様、どうしたのですか。そなたは来ないと聞いておりましたが」
「はい、わしも何かと忙しくて‥‥‥長旅はさぞ、辛かったでしょう。もう、まもなく、お城に着きます。お城に着いたら、ごゆっくりなさるがよろしいでしょう」
「辛いなんて、とんでもありません。こんな立派な車に乗って旅するなんて、まるで夢のようです。阿修羅坊様も、しばらく、こちらにいらっしゃるのですか」
「はい、多分、そうなると思います」
「そうですか、あたし、何もわかりませんから色々とお願い致します」
「勿体ないお言葉‥‥‥それでは、失礼いたします」
「また、会いに来て下さいね」
阿修羅坊は頭を下げると去って行った。
楓御料人様一行を見送った阿修羅坊は、改めて、いやな仕事を引き受けてしまったと思った。自分の手で、あの楓を悲しませるような事をしたくはなかった。しかし、自分がしなければ、誰か他の者がやるに違いない。楓に恨まれるのを承知でやらなければならなかった。
「これから、どうしますか。阿修羅坊殿」と日輪坊が聞いた。
「太郎坊はまだ、来ていないんでしょう」と月輪坊が言った。
「それはわからんぞ。来ているかもしれん。あの護衛を見たら、さすがの太郎坊でも手が出せまい。どこかで隙を狙っているかもしれん。とりあえず、楓御料人様が加賀守殿の屋敷に入るのを見届けてから、奴を捜そう」
阿修羅坊は、城下に太郎坊が来てはいないか確認させるため、日輪坊と月輪坊の二人を楓たちより先に行かせた。そして、阿修羅坊は楓たちと一定の距離をおき、後を付いて行った。
夢庵の作ってくれた朝飯を食べ、太郎と宮田八郎は播磨に向かった。
以外にも、夢庵の作ってくれた雑炊(ゾウスイ)はうまかった。山菜にも詳しく、そこらに生えている草を摘むと、無造作に鍋の中に入れ、山菜雑炊を慣れた手付きで作っていた。八郎はただ感心しながら、それを見ていた。
もう、帰るだろうと思っていた夢庵は、牛に乗って、のんびりと歌を唄いながら後を付いて来た。
〽憂きも一時、嬉しきも~
思い覚ませば、夢候(ゾロ)よ~
八郎が夢庵に、「どこに行くんや」と聞くと、「知らん、牛に聞いてくれ」と言うだけだった。八郎は夢庵に言われた通り、真面目な顔をして牛に聞いた。牛は、「モー」と鳴きながら八郎の顔をなめた。
結局、今日も、牛に合わせて、のんびりと旅をする事になった。
牛と夢庵なんかおいて、さっさと行けばいいものを、わざわざ、のんびりと旅をしているのは別に理由があったわけではない。急いでみたところで、どうなるものでもない、という夢庵の意見に同意した事もあるが、阿修羅坊が待ち構えているに違いない播磨の国に入るのに、敵の裏をかいて、のんびり行くのもいいかもしれないと太郎は思った。それに、この夢庵という男を何となく、太郎も八郎も気に入っていた。旅の途中で偶然に出会い、一緒に旅をしているのも何かの縁だろう、成り行きに任せてみようと思っていた。
摂津と播磨の国境に関所があり、旅人を調べていた。
太郎は松恵尼から聞いて関所の事は知っていた。太郎は関所を避けて山道を通ろうと思ったが、松恵尼が関所の手形をくれた。松恵尼はすべてに関して、太郎が驚く程、手回しが良かった。常に、太郎の先回りをしているようだった。しかし、太郎が手形を出す必要はなかった。関所の門番は、牛に乗った夢庵の姿を見ると挨拶をして丁寧にもてなした。太郎と八郎は夢庵の連れという事で、何も問われず、通行料も払わず、無事に通過する事ができた。
「夢庵殿はなかなかの有名人みたいやな」と八郎が驚いて聞くと、夢庵は、「わしじゃない。この牛が有名なんじゃ」ととぼけた。
「へえ、この牛がねえ」
「この牛はのう、黄金の糞(クソ)をするんじゃ」と夢庵は真面目な顔で言う。
「はい、はい。そして、酒の小便でもするんやろ」と八郎は言った。
「その通りじゃ」と夢庵は大笑いした。
関所を過ぎ、一里半程で大谿寺に着いた。
人の行き交う門前町を通り、大谿寺の仁王門が見えて来た頃、探真坊が太郎たちを見つけて走り寄って来た。
「遅いので、何かあったのかと心配してましたよ」と探真坊は相変わらず無表情で言った。
「すまんな。こいつの速さに合わせていたんでな」と太郎は牛を示した。
「はあ、どなたです」
「夢庵殿といって、この辺りでは、なかなかの有名人じゃ」と太郎は説明した。
「そうですか‥‥‥ところで、金比羅坊殿が首を長くして待ってますよ。大体の事は調べました」
「そうか。御苦労さん」
太郎たちは仁王門をくぐり、僧院、僧坊の建ち並ぶ中を歩いていた。大谿寺は大層、栄えているとみえて参詣人で賑わい、また、山伏もかなり、いるようだった。
八郎はさっそく探真坊に話しかけていた。夢庵の事を何だかんだと言っている。夢庵は、そんな事どうでもいいと牛に揺られて、涼しい顔で扇を動かしていた。
金比羅坊は大谿寺の境内のはずれにある小さな草庵で待っていた。風光坊ともう一人、山伏がいた。見覚えのある顔だった。四年前、太郎が高林坊のもとで棒術を習っていた頃、師範代をしていた東仙坊だった。
「よう、太郎坊、久し振りじゃのう。金比羅坊から聞いたぞ。飛んだ事になったもんじゃ。あの花養院の楓が、ここのお屋形様の姉君に当たるお人じゃったとはのう。たまげたわ。それに、おぬし、瑠璃寺(ルリジ)の山伏に命を狙われているそうじゃのう。相手が悪いぞ。阿修羅坊という奴がどんな奴だか知らんが、播磨の国において、瑠璃寺はかなりの勢力を持っておる。播磨の国内にいる山伏の半分は瑠璃寺の配下と言ってもいい程じゃ。瑠璃寺を敵に回したら、生きて、この国から出られるかどうかわからんぞ」
東仙坊の言葉に八郎は驚いていた。今まで、のんびりと旅して来たが、いよいよ、危険な敵の国に入ったと心を引き締めた。
「うまい具合にな」と金比羅坊が言った。「夕べ、瑠璃寺の山伏で本智坊というのがこの寺におってのう。それとなく、阿修羅坊の事を聞いてみたんじゃが、阿修羅坊というのは瑠璃寺では、なかなかの顔らしいのう。阿修羅坊が命ずれば、あそこの山伏のほとんどが動くそうじゃ。まあ、今の所は、ほとんどの山伏は美作まで行って戦をしているらしい。阿修羅坊に会いたいんじゃが、瑠璃寺にいるかのう、と聞いたら、なんと、その本智坊という奴、阿修羅坊に命じられて、これから伊勢に向かう途中だと言う。阿修羅坊なら、今、置塩城下にいる、と言いやがったわい」
「やはりのう、浦上美作守に仕える程の山伏なら、その位の事はできるじゃろうのう。厄介な相手を敵に回したもんじゃな」東仙坊は難しい顔をして太郎を見た。
本智坊という山伏は、昨日、たまたま、置塩城下で阿修羅坊と出会い、伊勢に行ってくれと命ぜられたのだと言う。命ぜられた内容までは明かさなかったが、阿修羅坊が何の用で、播磨に戻って来たのかは知らないようだった。その時、阿修羅坊が連れていたのは、二人の山伏で、多分、太郎を襲った例の二人に違いないだろう、と金比羅坊は言った。
今頃は城下で、太郎の来るのを待ち構えているに違いなかった。
二人の話を聞き終わると太郎は一同を見回した。金比羅坊、東仙坊、風光坊、探真坊、宮田八郎の五人が太郎を見ていた。
夢庵は涼しげな木陰で昼寝をしていて、中には入って来なかった。本当に変わった男だった。
太郎は懐から一枚の紙切れを出して、皆に見せた。紙切れには『不二』『岩戸』『合掌』と書いてあった。
「何や、これ」と八郎が言った。
「謎だ」
太郎は浦上屋敷で聞いた事を皆に話した。
「赤松家の軍資金か‥‥‥」と東仙坊は唸った。
「かなりの銭が埋まってるんやろな」と八郎は言った。
「アホ、銭じゃないわ。金か銀が埋まってるんだ」と風光坊が言った。
「多分な」と東仙坊も頷いた。
「金か銀‥‥‥」と八郎は驚いて、口を開けたままだった。
「昔、室の津には朝鮮や琉球の船がかなり来ていたと言う。赤松氏はかなりの金銀を貯えていたはずだ」と東仙坊は言った。
「その金銀が、どこかに隠されているというわけですか」と探真坊が珍しく興奮して聞いた。
「多分、そうじゃろう」と東仙坊は頷き、声をひそめて、「赤松氏が滅んだ時、その金銀が出て来たという話は聞かんからのう」と言った。
「その金銀も阿修羅坊が探っているのか」と金比羅坊が太郎に聞いた。
太郎は頷いた。「俺が思うには、この話を知っているのは今の所、浦上美作守と阿修羅坊の二人だけのような気がします」
「それでか。それで、阿修羅坊は手下を伊勢に送ったんじゃな」
「残りの一つを捜すつもりでしょう。何としてでも、阿修羅坊より先に、このお宝を見つけ出さなければりません」
「うむ‥‥‥それで、見つけたとして、その宝をどうするんじゃ」
「今までの赤松氏のやり方を見ていると、邪魔な俺を消し、楓を赤松氏の身内として、有力な大名に嫁がせ、勢力を広げようとたくらんでいるに違いないと思います。楓をそんな戦の道具のようにしたくはありません。どうしても、赤松家から助け出さなくてはなりません。それで、いざという時に、その宝と楓の交換を申し込むつもりです」
「成程、そういう事か」と金比羅坊は納得した。
「浦上美作守なら、やりそうな事だ」と東仙坊は腕組みをして頷いた。「赤松のお屋形様には身内がおらんからのう。親もいなけりゃ、兄弟もいない。叔父上が一人、いる事にはいるが出家しておる、これは身内とは言えんじゃろう。これから、勢力を広げて行こうとするのに、大分、不利じゃ。一人でも身内が欲しい所に、突然、姉が現れた。しかも、その姉は美人ときている。充分に利用できるというわけじゃ」
「成程、それで、おぬしの命は狙われているのか」
「そうじゃ。楓殿に亭主がいるなんて都合が悪いからのう」
「子供はいても、いいんですか」と風光坊が聞いた。
「子供は何とでもなる。お屋形様の養子にしたっていいしな。先の事を考えれば、身内は一人でも多い方がいいのさ」
「ところで、こいつですけど、何だかわかりますか」と太郎は再び、紙切れに視線を戻した。
「不二と岩戸と合掌か‥‥‥」
五人は紙切れを見つめながら考えた。
「富士山のどこかに岩戸があって、そこで合掌すると、岩戸が開いて、お宝が出て来るっていうのはどうやろ」と八郎が得意げに言った。
「アホか、お前は」と探真坊が横目で八郎を睨んだ。
「阿修羅坊も八郎と同じ事を言っていた」と太郎は言った。
「不二というのは播磨富士の事じゃないかの」と金比羅坊が顔を上げた。
「阿修羅坊が言うには播磨富士の裾野に岩戸という村があるそうです」
「おお、ある、あるぞ」
「おお、確かにある」と東仙坊も言った。
「二人とも播磨富士に行った事があるんですか」
「おお、かなり、昔の事じゃがの」
「わしも、かなり前じゃのう。最近、あの山から来たという奴は見んが、あの山に誰かおるんかい」と東仙坊が金比羅坊に聞いた。
「そりゃ、誰かおるじゃろう。飯道山の宿坊があるんじゃからな。確か、あそこには三人おるはずじゃぞ」
「それは、わしも知っておるが、最近、あの山から来たという飯道山の山伏はおらんぞ。まあ、戦が始まってからは、こっちに来る奴はめったにおらんがのう」
「まあ、行ってみればわかる事じゃ」
「不二と岩戸はそれだとして、残りの合掌というのは何だろう。何か心当たりはありませんか」
「合掌か‥‥‥合掌という村は聞いた事もないしな」と東仙坊が言うと金比羅坊も首をひねった。
「その岩戸村にお寺はないのですか」と探真坊が二人に聞いた。
「笠形寺の子院のようなものはあったような気がするがのう」と東仙坊は言った。
「おう。そんなようなのが、いくつかあったのう。神社なら有名な岩戸神社があるがのう。神社では合掌はせんしのう」と金比羅坊は腕組みをして考え込んだ。
「あと、もう一つに何が書いてあるかだな」と風光坊が宙を睨みながら言った。
「わしらも、伊勢に誰かを調べにやった方がいいんじゃないのか」と東仙坊が太郎に聞いた。
「行くとしたら、八郎が一番だな」と探真坊が言った。「なんせ、北畠の本拠地、多気の生まれだからな」
「えっ、確かに、おらの生まれは多気やが、そんな、御所様の事なんか、おらには全然わからんわ」八郎は困ったように首を振る。
「捜し出すのは難しいでしょう。なんせ三十年以上も前の事ですからね。伊勢の事は今の所、阿修羅坊に任せておきましょう。阿修羅坊が残りの一枚を見つけたとしても、そう簡単に宝は見つからんでしょう」
「阿修羅坊に見つけさせておいて、こっちで横取りするわけか」と金比羅坊が笑った。
「それなら、わしが伊勢に行ってもいいぞ」と東仙坊は言った。「わしは伊勢に行った本智坊とやらに会わなかったからのう。阿修羅坊に頼まれて応援に来たと言えば怪しまんじゃろう。見つけ出したら、奴より早く、戻って来ればいいわけじゃ」
「そいつは、いい」と金比羅坊は手を打った。
「でも、その本智坊を見つける事ができますか」と探真坊が聞いた。
「なに、簡単さ。山伏が行く所は大体、決まっておる。しかも、播磨の瑠璃寺から来た山伏など、そうはおるまい」
「ここを留守にして、大丈夫なんですか」と太郎は聞いた。
「そりゃ大丈夫さ。いつも、ここにいるより、どこかを旅している方のが多いんじゃ。いなくなったとしても誰も怪しみはせん」
「それでは、東仙坊殿、お願いします」
「おう、任せておけ。面白くなって来たわい」
「ところで、太郎坊」と金比羅坊が言った。「嘉吉の変の事をちゃんと知っておいた方がいいんじゃないかのう。わしら、誰も、当時の事を知らんじゃろ。宝捜しをするのにも、当時の状況とか、知っておいた方がいいんじゃないかのう」
「確かに、そうですね。当時の相手の立場や状況を知っておいた方が、宝を見つけ易いかもしれない」
「東仙坊、誰か、当時の事を知っている者はおらんかのう」
「そうじゃのう‥‥‥そうじゃ、覚照坊殿なら知ってるかもしれん。ちょっと聞いて来るわ」そう言うと、東仙坊はさっそく出掛けて行った。
「東仙坊の奴、張り切っていやがる」と金比羅坊は笑った。
東仙坊はしばらくして戻って来た。
「誰か、いたか」と金比羅坊は聞いた。
「いた、いた。丁度いい人が見つかった」と東仙坊はニヤニヤしながら言った。「嘉吉の変の戦に出て、赤松家の最期を見届けた人がおったわ」
「ほう、そうつは都合がいい」
「誰だと思う、その人というのは」
「そんな事、知るわけないじゃろ」
「その人というのは、この大谿寺で語り草になっている大先達の遍照坊(ヘンショウボウ)殿じゃ」東仙坊はやけに大袈裟に言ったが、誰も反応を示さなかった。
「一体、その遍照坊というのは何者じゃい」と金比羅坊は聞いた。
「何じゃ、知らんのか。まあ、無理もないか。遍照坊殿というのはのう、戦の神様とも言われた軍配師(グンバイシ)じゃ。嘉吉の変の時、喜多野殿の軍配師として戦に出ていたんじゃよ。未だに、遍照坊殿の作戦通りやっておれば、あの時の戦は勝てたとも言われておるんじゃ。ここの山伏なら誰でも遍照坊殿の事なら知っておる」
「ほう、そんな人がおるのか」
「つい、最近、播磨に戻って来たらしいんじゃ。嘉吉の変以来、行方がわからなかったらしいが、最近、戻って来て、この近くに草庵を立てて住んでるそうじゃ」
「確かに、当時の事を聞くには持って来いの人だが、その遍照坊殿とやらは簡単に話してくれるかのう」
「それは、わからん。会ってみん事にはのう」
「とりあえず、会ってみましょう」と太郎は頷いた。
「おう、戦の神様とやらを拝みに行こうぜ」と東仙坊は腕を振り上げた。
「おぬし、張り切ってるのう」金比羅坊は笑いながら東仙坊の肩をたたいた。
「おう、久し振りじゃ。こんな面白い事はない。ほれ、酒も盗んで来た。こいつを手土産に持って、さっそく出掛けようぜ」
四人は東仙坊に連れられて、軍配師、遍照坊に会いに出掛けて行った。昼寝をしていた夢庵もわけのわからないまま、後に付いて来た。
「お前らは知らんが、俺には女房と子供がいる。それが、播磨の国にさらわれた」
「えっ、女房と子供がさらわれた」と八郎坊が大声を出した。
「そうだ。それを助けに行くのと、もう一つ、宝捜しだ」
「宝捜し?」と風光坊が首を傾げた。
「播磨の守護、赤松氏の軍資金がどこかに隠されている。そいつを捜しに行く」
「赤松氏‥‥‥軍資金‥‥‥それを捜してどうするんです」と探真坊が興味なさそうに聞いた。
「横取りする」と太郎は三人に言った。
「えっ、そんな事して大丈夫なんすか」と八郎坊が目を見開いた。
「その赤松氏とやらに殺されますよ」と探真坊は顔色も変えずに言った。
「かも知れんな。しかし、俺は、すでに赤松氏に命を狙われている」
「えっ、お師匠が狙われている」と八郎坊がまた、大声を出した。
「何かしたんですか」と探真坊が聞いた。
「いや、何もしてないのに狙われているから、仕返しに、軍資金を横取りしてやるんだ」
「もしかしたら、お師匠の奥さんとお子さんをさらったと言うのは、その赤松氏とやらですか」と風光坊が言った。
「そういう事だ」
「あのう、お師匠の奥さんていうのは多気に一緒に来た人ですよね」と八郎坊が言った。
「おう、そうだ、お前は会った事があるんだったな」
「ええ、あの人がさらわれたんですか」
「そうだ」
「そりゃ、大変や。早く、助け出さなくちゃ、大変だわ」
「どうだ、一緒に行くか」と太郎は三人を見回した。
「面白そうじゃないか」と風光坊が目を輝かせて頷いた。
「危なくないか」と八郎坊が風光坊を見た。
「危ない」と太郎は言った。「死ぬかもしれん。しかし、お前らの実力を試すのにはいい機会だぞ。実戦を経験しないと、本物の強さというのはわからんからな」
「俺は、お師匠が行く所なら付いて行く」と探真坊は力強く言った。
「おらだって、付いて行くさ」と八郎坊も顔を引き締めた。
「よし、決まった。これから準備にかかる。相手は大物だからな。用心に越した事はないだろう」
太郎は三人に命じ、必要な物を用意させた。
飯道山の護符(ゴフ)、護摩札、飯道丸や自分たちで作った薬、錫杖と法螺貝、飯道山の縁起を描いた絵巻物、それに、『陰の術』で使う黒装束、手裏剣、鉤縄、鉄菱(テツビシ)なども用意させた。黒装束は三人の弟子のために、暇をみては楓が作ってくれた物だった。
太郎は三人を飯道山の信者たちを集めるために、地方を旅して回る先達山伏として播磨に行かせるつもりでいた。太郎自身は山伏として行くのはやめ、仏師、三好日向として行く事にした。山伏、太郎坊のままだと阿修羅坊たちに狙われる可能性が高かった。
太郎はまず飯道山に登り、行満院に行って播磨の国に於ける飯道山の拠点を調べた。
御嶽山清水寺(ミタケサンキヨミズデラ)の安楽院、大谷山大谿寺(オオタニサンタイケイジ)の東一坊、船越山瑠璃寺(フナコシサンルリジ)の普賢院、喜見山笠形寺(キケンサンリュウケイジ)の自在院の四ケ所あった。
笠形寺というのは、阿修羅坊が言っていた播磨富士、笠形山の山頂近くにある寺に違いなかった。軍資金が隠されているという山だった。こいつは、初めからついている、都合がいいと太郎は手を打った。それと、瑠璃寺というのも聞き覚えがあるような気がした。確か、太郎を狙ったあの二人、播磨の瑠璃寺の山伏だと言ったような気がするが、はっきりとは覚えていなかった。
後で、松恵尼に聞けばわかるだろうと思い、とりあえず、四つの寺の名前を紙に写すと、今度は智積院に向かった。確か、あそこに全国の絵地図があったような気がした。
智積院に行ってみると講義をしていた。ここに通っていた頃は、毎日、昼寝をしていた太郎だったが、久し振りに来てみると、やはり懐かしいものがあった。
太郎は係の者に頼んで播磨の国の絵地図を見せてもらった。かなり詳しい地図だった。さっき調べた四つの寺は皆、載っていた。
瑠璃寺が播磨の国の西の方にあり、あとの三つの寺は皆、東よりにあった。しかし、肝心の楓が行ったという置塩(オキシオ)城というのが載っていなかった。新しく建てたというので、まだ、載っていないのだろう。これも、後で松恵尼に聞こうと思い、太郎は丁寧に絵地図を写した。写し終わると京から播磨の国までの道も調べた。
思っていたよりも、播磨の国は近いようだった。京の都より、ずっと西の方だと思っていたが、京の都のある山城の国の隣に摂津の国があり、その隣が播磨の国だった。四、五日もあれば行けるだろう。
智積院を出ると、太郎は武術道場を避けて山を下り、途中の谷川で水浴びをして旅の汚れを落とすと、一旦、我家に帰った。
誰もいないはずの部屋はひどい有り様だった。食い物のカスがそこら中に散らかり、酒のとっくりがいくつも転がっていた。誰かが、つい先頃まで勝手に住んでいたようだった。
「ひでえ事をしやがる」と太郎はとっくりを蹴飛ばした。
太郎の命を狙った、あの二人の仕業に違いなかった。台所の流しには汚れた食器が山のように積まれ、風呂桶の中の水は泥だらけ、庭にもゴミが散らかり、奥の部屋では布団がぐしゃぐしゃになっていた。
縁側の片隅に、太郎が百太郎に作ってやった木彫りの人形が転がっていた。太郎はそれを手に取ると、しばらく、ボーッと見つめていた。今にも、楓と百太郎が笑いながら帰って来るように感じられた。
やがて、我に返ると、太郎は汚れた山伏の格好から、仏師、三好日向の姿に着替えた。そして、持って行く荷物をまとめると花養院に向かった。
蝉がうるさく鳴いていた。
花養院の門をくぐると、女の子が大声で泣いていた。妙恵尼が目を吊り上げて、泥だらけになった男の子を追いかけ回している。
太郎は真っすぐに花養院の台所に行き、飯を食わせてもらった。昨日から、ほとんど、飯らしい物を食べていなかった。腹の中が落ち着くと松恵尼に会いに行った。
松恵尼は数人の客と会っていた。客の中に、薬売りの伊助の姿があった。
「無事だったようですね」と伊助は太郎を見ると笑いながら言った。
「浦上殿の屋敷に忍び込んだんですってね。随分と無茶な事をしますね」松恵尼は怖い顔をして太郎を睨んだ。「殺されたって知りませんよ」
「すみません」と太郎は心配させた事を謝った。
「阿修羅坊殿に狙われているんですってね」
「はい。殺されそうになりました」
「阿修羅坊の顔は拝みましたか」と伊助が聞いた。
「ええ、ぐっすり、眠り込んでいましたけど。それに、浦上美作守の顔も拝みました」
「これから、播磨に向かうのですか」と松恵尼は聞いた。
「はい。行くつもりです」
「止めても無駄なようね」
「はい。行きます」
松恵尼は客たちに太郎の事を楓の亭主、太郎坊移香だと紹介し、太郎にそれぞれの客を紹介した。そして、ここにいる人は皆、これから播磨に向かう事になると言った。
遊び人風の鋭い目付きをした男は研師(トギシ)の次郎吉といい、年は三十半ば位、大和の国に店を構え、研師の腕は一流だと言う。太郎の見たところ、刃物を研ぐ腕だけでなく、刃物を振り回す方も一流のような気がした。
次に座っていた、小太りで、やけに小さな目をした人の善さそうな親爺は『金勝(コンゼ)座』という旅芸人たちを率いている座頭(ザガシラ)の助五郎だった。金勝座は今流行りの曲舞(クセマイ)に能狂言を混ぜたような独特な芝居をやり、なかなか評判がいいとの事だった。
助五郎の隣に座っているのが、その評判の主だと言う事は太郎にもすぐわかった。すっきりとした顔立ちの美人が太郎を見つめて笑っていた。金勝座の曲舞女で助六という名だった。助六は品(シナ)を作って太郎に挨拶をした。
太郎も挨拶を返したが、こいつはまた、大峯山に籠もらなくてはならなくなるかなと思った。こういう女に言い寄られたら大抵の男は参ってしまうだろう。
そして、最後は薬売りの伊助、彼にはすでに世話になっている。その他に鎧師(ヨロイシ)の吉次と白粉(オシロイ)売りの藤吉が来るはずだが、まだ、見えないと松恵尼は言った。
「楓を救い出すために、みんなして行くわけですか」と太郎は松恵尼に聞いた。
「救い出すかどうかはわかりません。楓の気持ちを聞いてみなければ何とも言えません。ただ、赤松家の出方を見ると楓を返すつもりはないようですね。太郎坊殿を殺そうとしているのが、そのいい例です。とりあえず、あちらに行ってみて、楓がどういう風に扱われているのか確かめて、楓の気持ちを聞かなければなりません。そして、楓が戻りたいと言えば連れ戻すのですね」
「赤松家を敵に回してですか」と助五郎が聞いた。
「それも仕方ないでしょう」と松恵尼は顔色も変えずに言った。
「赤松家と戦をするのか」と次郎吉が松恵尼を見た。
「そんな風にならないように、うまく解決しなければなりません。とりあえずは、あちらの状況を調べなければなりませんね」
太郎は飯道山で写して来た絵地図を広げ、松恵尼に置塩城の場所を聞いた。
松恵尼はちょっと待ってくれと言って部屋から出て行き、播磨の絵地図を持って来た。色々と書き込みがしてあり、太郎のよりずっと詳しかった。置塩城も書いてあった。置塩城だけでなく、主な城は皆、書き込んである。太郎は自分の絵地図にすべてを書き加えた。
阿修羅坊の事も詳しく松恵尼から聞いた。太郎が驚く程、松恵尼は阿修羅坊の事を調べていた。置塩城下での阿修羅坊の隠れ家や妻や子供が住んでいる所まで調べてあった。そして、やはり本拠地は瑠璃寺だった。
打ち合わせが済むと、それぞれ部屋から出て行った。
太郎は急に眠くなり、一眠りしようと思った。昨日も一昨日も、ろくに寝ていなかった。そして、明日からも眠れない日々が続くだろう。今日はゆっくりと眠らなければならなかった。
花養院の庭では若い娘たちが子供たちと遊んでいた。『金勝座』の踊り子たちだろう。この辺りの娘たちと違って、どこか垢抜けていた。
太郎は娘たちをぼんやりと眺めながら、さて、どこで寝ようか考えていた。阿修羅坊が襲って来る可能性があった。やたらの所では安心して眠れなかった。
山の中にでも入って寝るかと思いながら花養院を出た時、「おおい」と叫びなから金比羅坊が走って来た。
逃げる暇はなかった。
「おい、水臭いぞ」と金比羅坊は息を切らせながら言った。「それにしても、間に合って良かった」
「どうかしたんですか」と太郎は聞いた。
「何をとぼけておる。楓殿がさらわれたそうじゃないか」金比羅坊は知っていた。「話は全部、聞いたぞ。わしも連れて行け」
「誰から聞いたんですか」
「八郎じゃよ」
「あいつか、あのお喋りが‥‥‥」
「いや、あいつを責めるな。わしが無理やり吐かしたんじゃ。なかなか喋らなかったぞ」
「仕方ないな」
「なあ、わしも連れて行けよ」
「しかし、金比羅坊殿がいなくなったら、剣術を教える者がいなくなってしまうじゃないですか」
「心配いらん。浄光坊が戻って来ておる」
「はあ?」
「浄光坊の奴、九州にいてもつまらんと言って戻って来たんじゃ。おぬしがなかなか戻って来ないので、浄光坊の奴がおぬしの代わりをやっておるが、わしの代わりも誰か見つかるじゃろう」
「いい加減ですね」
「まあ、お山の事は何とかなるもんじゃ。それに、おぬしの母ちゃんと子供がさらわれたというのに黙ってはおれんじゃろうが。それにのう、わしの故郷というのは讃岐(香川県)じゃがのう、若い頃、播磨にいた事があるんじゃ。飯道山に来てからも、二度程行った事がある。わしを連れて行った方が何かと便利じゃぞ」
確かに、金比羅坊が一緒だと心強かった。来るなと言っても付いて来るだろう。
太郎は金比羅坊を家に連れて行き、詳しく説明した。金比羅坊が加わるという事になったので、探真坊と風光坊の二人を金比羅坊と一緒に山伏のまま播磨に向かわせ、太郎は仏師の助手兼荷物持ちして、八郎坊を連れて行く事にした。
明日の夜明け頃、出発するので、支度をして、ここに来てくれと言って金比羅坊と別れた。そして、太郎は智羅天の岩屋に行き、三人が準備した物を確認し、山の中に入って、太郎だけが知っている岩屋の中でぐっすりと眠った。
2
次の日の夜明け、金比羅坊、探真坊、風光坊の三人の山伏と、仏師に扮した太郎と八郎は、別々に播磨に向けて旅立って行った。金比羅坊たちは山の中の山伏の道を行き、太郎たちは普通の街道を通って、二日後の夕方に摂津と播磨の国境近くにある大谿寺で落ち合う事にして播磨へと向かった。
ここ、花養院でも旅立ちの準備で慌ただしかった。
薬売りの伊助と研師の次郎吉は、すでに先に出掛け、昨日の夜、遅くに着いたという白粉売りの藤吉は、旅籠屋の伊勢屋でまだ寝ていた。
そして、『金勝座』の連中が今、出発するところだった。
『金勝座』と書いてある赤いのぼりを立てた舞台道具一式を積んだ二台の荷車の回りに、座員たちが集まって松恵尼を待っていた。
金勝座の構成員は曲舞を踊る女が、助六、太一、藤若の三人と、男の舞方が、左近、右近の二人、舞台作りや小道具類の専門家の甚助、囃子方(ハヤシカタ)が、大鼓(オオツヅミ)の弥助、小鼓の新八、笛のおすみの三人、謡方(ウタイカタ)が、小助、三郎、お文の三人。弥助の妻のお文さんは食事の支度や細かい事に気を使って、みんなの面倒を良くみていた。それと、踊り子見習いの千代という若い娘が一人、そして、座頭の助五郎を入れて全部で十四人だった。
彼らは今まで尾張、三河方面を巡業していたが、松恵尼に呼ばれ、昨日、戻って来たばかりだった。
『金勝座』は、松恵尼が助五郎と出会い、人を集めて作った芸能一座だった。地方を巡って色々な情報を集め、松恵尼のもとに伝えていた。
座頭の助五郎は、元々は伊勢の猿楽(サルガク)座の能作者だった。先代の北畠教具に認められて保護され、助五郎の一座は流行っていた。しかし、教具が亡くなると、教具の子、政郷は新しくできた一座の方を贔屓(ヒイキ)にして、助五郎一座は見捨てられた。腕のある踊り方や囃子方は、その一座に引っ張られ、助五郎一座は解体してしまった。松恵尼は助五郎の才能を認めていたので、このまま一座をやめてしまうのは勿体ないと思い、後援者となって一座を作り上げたのだった。
助五郎は、今度の一座は、今までのような貴族趣味をやめ、もっと民衆向けの一座にしようと思っていた。それには能よりも狂言がぴったりだった。助五郎は民衆のために、日常生活に密着した喜びや悲しみ、そして、支配階級に対する風刺なども入れた狂言を多く作り、それを一座の者に演じさせた。人々が普段、言いたい事や不満などを舞台の上で演じて見せたのだった。しかも、踊り方には曲舞女を使い、曲舞や小歌踊りを狂言の中に取り入れていった。一座の評判はだんだんと良くなっていき、地方の村々で、みんなから喜ばれるようになっていった。
〽さて、何としょうぞ~
一目見し面影が~
身を離れぬ~
太一と藤若がふざけながら小歌を歌っていた。
「ねえ、あんたたち、なに浮かれてんのよ」と助六がたしなめた。
「あら、お姉さんだって、太郎坊様に会いたいんでしょ」と太一が片目をつぶった。
「なに言ってんの。太郎坊様には楓様という奥様がちゃんといらっしゃるんですよ」
「知ってますわ、ねえ、藤若。知っていながら、どうしょうもできないのが恋心なんでしょ、お姉さん」
「どうして、そんな事、あたしに聞くのよ」
「だってね、さっきから、お姉さん、そわそわしてるわよ。門の方ばかり気にして」
「そんな事ないわよ」と助六は否定した。
「ねえ、変よね、藤若。お姉さん、昨日から変よ」
「そんな事ないわよ」と助六は必死になって否定する。
「お姉さん、太郎坊様に恋をしたんですか」と藤若が聞いた。
「あんた、なに言ってんの」
「あたし、また、お姉さんに負けちゃうわ。いつも、あたしが好きになる人はお姉さんも好きになるんだから」藤若は今にも、べそをかきそうだった。
「藤若、ちょっと待ってよ。二人とも勘違いしないでよ。あたしは太郎坊様の事なんて何とも思ってないわよ」
「おいおい、さっきから、太郎坊、太郎坊って言ってるけど、そんなにいい男なのかよ」と右近が横から口を出した。
「うるさいわね。あんたよりは、ずっといい男よ」と助六は右近を肘で突いた。
「へっ、下らねえ。どうせ山伏だろう。いかさま師に違えねえ。藤若、そんな奴に騙されるんじゃねえぞ」
とうとう藤若は泣き出してしまった。
「ほら、あんたが余計な事、言うから、泣いちゃったじゃないのよ」
助六は藤若を慰めた。
「右近様、一度、太郎坊様に会ってみればいいわ。いかさま師じゃないって事がわかるから」と太一が右近の袖を引いた。
「おう、望む所だ」と右近は見得(ミエ)を切った。
やがて、松恵尼が細長い包みを持って出て来た。
「これを楓のもとに持って行って貰いたいのです」
「刀のようですね」と助五郎が聞いた。
「はい。伊勢で亡くなられた赤松彦次郎殿の形見の太刀と脇差です。北畠の御所様に頼まれていたのです。もし、楓が赤松殿の所に行くような事になったら、これを持たせてやってくれと‥‥‥この間、持たせれば良かったのですけれど、つい、どこにしまったのか忘れてしまって、やっと、見つけ出したのです。どうか、これをお願いします」
松恵尼は助五郎に包みを渡した。
「赤松彦次郎殿?」
「はい。楓のお父上の従兄弟(イトコ)に当たるお人です。嘉吉の変の時、伊勢まで逃げて行って、お亡くなりになりました」
「そうですか‥‥‥はい、お預かりします。確かに、楓殿のもとにお届けします」
助五郎が包みを荷車の中に載せると、松恵尼と子供たちに見送られ、一座は播磨を目指して出発した。
助六は藤若をなだめ、太一は浮かれて小歌を歌っていた。
〽来し方より、今の世までも~
絶えせぬものは、恋と言える曲者~
げに恋は曲者かな~
今日も一日、暑くなりそうな夏の朝だった。
遠くでカッコウが鳴き、近くでは蝉が鳴いていた。
一座は賑やかに旅立って行った。
3
百人の護衛に守られた楓たちは、すでに姫路を過ぎ、書写山円教寺(ショシャザンエンギョウジ)の山裾を北に向かっていた。赤松政則の本拠地、置塩城は、もう目と鼻の先だった。
その頃、阿修羅坊の一行は早くも姫路に入ろうとしていた。
阿修羅坊と日輪坊、月輪坊の三人は太郎坊に先を越されないよう、急ぎ足で楓を追っていた。
一方、太郎と八郎は摂津の国(大阪府西部と兵庫県南東部)の池田の辺りをのんびりと旅していた。そして、金比羅坊、風光坊、探真坊の山伏三人は六甲の山の中を大谿寺(タイケイジ)を目指して歩いていた。
うまい具合に、金比羅坊は大谿寺に行った事もあり、知っている山伏がいるとの事だった。太郎たちと金比羅坊たちは、そこで待ち合わせをする手筈になっていた。
金比羅坊は、そこに行けば播磨の様子や赤松氏の事も調べられるだろうと言った。初めて行く土地に知り合いがいるというのは何かと心強い事だった。まして、山伏なら色々な情報に詳しいだろう。
日がかんかんと照り、暑い日だった。
太郎と八郎は職人の格好に笠を被り、荷物を背負って杖を突きながら歩いていた。二人とも脇差は差しているが刀は差していなかった。
八郎は旅に出たのが楽しくてしょうがないらしく、きょろきょろしながら歩いている。飯道山に来るまでは、伊勢の多気の都から出た事がなかった八郎には見る物、何もかもが珍しい物だった。
「お師匠、この辺りは広くて平らやから、いいのう」と八郎は回りの景色を見回した。
「何がいいんだ」と太郎は聞いた。
「たんぼや。多気にもこんな広い土地があったら、俺も百姓してたかもしれねえ」
確かに、多気の都は山の中で、こんなに広い平地はなかった。太郎の故郷、五ケ所浦にもなかった。しかし、太郎は八郎のようにたんぼの事など考えた事がなかった。
武士はしばらく、やめるつもりでいる太郎だったが、やはり、考え方まで変える事はなかなか難しかった。たんぼの事など百姓に任せておけばいいと、つい、思ってしまう。
八郎と同じ景色を見ていても、太郎は、あそこに陣を敷けばいいとか、あの辺りに伏兵を隠して置いて敵の側面を突こうとか、つい、戦の事を考えてしまう。たった二人でも同じ物を見て、こう見方が違うのでは、十人いれば十人の見方があるだろう。あらゆる見方ができなければ駄目だと思った。
「それにしても、勿体ないのう」と八郎は言った。
戦にやられたのか、街道脇のたんぼは荒れ果てていた。
「可哀想やのう」
「百姓がか」と太郎は聞いた。
「ええ、百姓も可哀想やが、この稲も可哀想や‥‥‥これじゃ、年貢も払えんやろな」
「年貢が払えんと、どうなるんだ」
「夜逃げして乞食になるか、娘がいれば、当然、身売りや。それとも、百姓同士がまとまって一揆でも起こすか‥‥‥」
「一揆か‥‥‥」
太郎は一揆という言葉は知ってはいても、実感として、はっきり取らえる事ができなかった。百姓たちが団結して、武士を相手に戦うとは聞いている。しかし、実際、そんな事が起こり得るのだろうか‥‥‥太郎にはわからなかった。
「お師匠、あれは何や」と八郎が二人の前をのんびりと歩いている牛を指さした。
牛の上に人が乗っていた。そして、良くはわからないが、何かが光っていた。
「どこぞの聖(ヒジリ)か」と八郎は言った。
聖のようにも見えるが勧進(カンジン)聖や遊行(ユギョウ)聖が、牛に乗って旅をするなど聞いた事もない。百姓ではなさそうだし、武士でもない。正体不明の人物だった。
近づいてみると光って見えたのは牛の角だった。牛の角に金箔が貼ってあった。牛に乗っているのは年寄りかと思ったが、以外にも三十前後の体格のいい男だった。
その男は女物の笠を被り、着ている白い麻の帷子(カタビラ)には自分で書いたらしい落書きがしてある。腰には派手な帯を締め、金色に光る脇差を差し、大きな瓢箪(ヒョウタン)をぶら下げていた。牛の背に寝そべるように乗り、扇で顔をあおぎながら歌を歌っていた。見るからに変わり者だった。
〽夢の戯(タワブ)れ、いたずらに~
松風に知らせじ~
朝顔は日に萎(シオ)れ~
野草の露は風に消え~
かかるはかなき夢の世を~
現(ウツツ)と住むぞ迷いなる~
男は歌がうまかった。
太郎も、つい、歩きながら聞いていた。
八郎は遠慮なく、その男の振る舞いをじろじろと見ていた。男はそんな事を全然、気にもせず、空を見上げたまま歌を歌っていた。
八郎は金色の角を持った牛を追い越すと、小声で太郎に声を掛けた。「ちょっと、おかしいんやないかのう」と自分の頭を指でつつく。
「さあな。世の中、色んな奴がおるからのう」と太郎も小声で答えた。
「おい」と牛の上の男が歌をやめて声を掛けて来た。「そこな職人」
八郎がきょろきょろした。
「職人なんて、どこにおるんや」と八郎は太郎に小声で言った。
「アホ、俺たちだ」
「おお、そうや。おらたちは職人やったんや」
「おい、職人、何をぶつぶつ言っておる」と男は言った。
「職人、職人って、何か用かや」八郎が振り返って言った。
男は相変わらず、空を見上げていた。
「空を見てみろ」と男は言った。
空に何か、珍しい物でもあるのかと八郎は空を見上げた。
太郎も空を見上げた。
「でっかいのう」と男は言った。
「おう、だから、どうなんや」と八郎は上を見上げたまま言った。
「いい天気じゃ」と男は言った。
「天気が良すぎて、暑いわい」
「ううむ、おぬしの言う通り、確かに暑い」
八郎は上を向いたまま歩いていたので、石につまづいて転んでしまった。
「くそったれ!」と言いながら起き上がると八郎は石ころを蹴飛ばした。
「おめえは一体、何者や。おらたちに何の用があるんや」八郎は牛の上の男に怒鳴った。
「わしか、わしは世捨て人じゃな。おぬしたちに別に用はない。ただ、暑い中、急いでいるようなんでな、もっと、のんびりしろと言いたかったんじゃ。それだけだ」
「俺たちは用があるから急いでるんや」
「急いだからといって、どうなるもんでもあるまい。世の中、なるようにしか、ならんもんじゃ」
「だから、そうやって牛の背で寝てるのか」
「別に寝ているわけじゃない。色々と考え事をしておるんじゃ」
「何を」
「歌の事や、女子(オナゴ)の事かのう」
「いい身分やな」
「おお、すべては夢のうちよ。わしの名は夢庵(ムアン)と言う。おぬしらはどこに行くんじゃ」
「おらたちは播磨に行くんや」
「播磨に仕事しに行くのか」
「そうや」
「おぬしらは何の職人じゃ」
「仏師や」
「仏師? ほう、おぬしら、仏様を彫るのか、そうは見えんのう」
「ほなら、何に見えるんや」
「そうじゃのう。楊枝でも作る職人かのう」
「馬鹿にするな」
「別に馬鹿にしてやせん。仏様もいいが、もっと、人々の役に立つ物を作れと言いたいんじゃ」
「楊枝だって、箸だって作るさ。木剣だって作る」と八郎は自慢げに言った。
太郎と八郎は、いつの間にか、夢庵と名乗る風変わりな男と一緒にのんびりと歩いていた。正体のわからない男だが、飄々(ヒョウヒョウ)としていて、どこか引かれる所があった。おしゃべりな八郎はいい話し相手を見つけたかのように、夢庵と話し込みながら歩いていた。
夢庵はいつまでも、太郎たちに付いて来た。行く当てもない旅をしているのか、風に吹かれるままに、という感じだった。牛の歩みに合わせて、のんびりと歩いていた太郎たちは、結局、その日のうちに大谿寺に着く事はできなかった。
三人は村はずれの小川のほとりで夜を明かす事にした。
4
もうすぐ、置塩城に着こうとする頃だった。
楓は百太郎を抱き、牛車に揺られながら不安にかられていた。
とうとう、知らない国に来てしまった‥‥‥
知っている人と言えば、弥平次と桃恵尼しかいない。
弟には会いたいが、太郎に何の相談もしないで来てしまった事が悔やまれた。もう少し帰って来るのを待って、太郎と一緒に来れば良かったと後悔していた。
もう、大峯山から帰って来たかしら‥‥‥
もし、帰って来ていれば、松恵尼様から訳を聞いて、きっと、こっちに向かっているに違いない。あの人、足が速いから、きっと、すぐに追い付くわ、と思っていた。お城に着くまでに追い付いて欲しいと願っていたのに、太郎は来そうもなかった。
楓を護送している隊の責任者は浦上美作守則宗の長男、掃部助則景(カモンノスケノリカゲ)だった。まだ、二十二歳の若さだった。補佐役として嶋津左京亮(サキョウノスケ)則重が付いて来ていた。左京亮の方も二十八歳と若いが、戦の経験が何度もあり、浦上美作守に信頼されている人物だった。二人が播磨に帰って来たのは半年振りの事だった。
馬上の掃部助と左京亮が並んで、のんきに国元の女の話などをして笑いころげていた時、阿修羅坊が楓たち一行に追い付いて来た。
阿修羅坊は掃部助の側近の者に声を掛け、掃部助に取り次いでもらった。掃部助は木陰を見つけると小休止を命じた。一行は木陰に入って一息入れた。
蝉がうるさく鳴いていた。
ただでさえ暑いのに、皆、鎧を身に付けて武装している。もう、暑くて暑くてたまらなかった。着ている物を絞れば、汗が滝のように流れ出る程、びっしょり濡れていた。
阿修羅坊は掃部助の前にひざまづくと、「道中、何事もございませんでしたか」と尋ねた。
「心配ない。何事も起こらん」と掃部助は面倒臭そうに答えた。
「楓御料人様も御無事ですな」
「御無事じゃ。どうしたんじゃ、おぬし、来ないはずじゃなかったのか」
「はい、それが、急な用ができましてな」
「ほう。また、父上に何か頼まれたとみえるのう。楓御料人様の事なら大丈夫じゃ。もうすぐ城下だしな。無事、お届けしたと父上に伝えといてくれ」
「はい、かしこまりました‥‥‥ちょいと、楓御料人様の御様子を伺ってもよろしいですかな」
掃部助はただ頷くと、側近の者から竹筒を受け取って水を飲んだ。
阿修羅坊は楓が乗っている牛車に近づいて行った。
楓は牛車から降りて連れ添って来た侍女(ジジョ)たちと話をしていたが、阿修羅坊に気づくと驚いた。
「まあ、阿修羅坊様、どうしたのですか。そなたは来ないと聞いておりましたが」
「はい、わしも何かと忙しくて‥‥‥長旅はさぞ、辛かったでしょう。もう、まもなく、お城に着きます。お城に着いたら、ごゆっくりなさるがよろしいでしょう」
「辛いなんて、とんでもありません。こんな立派な車に乗って旅するなんて、まるで夢のようです。阿修羅坊様も、しばらく、こちらにいらっしゃるのですか」
「はい、多分、そうなると思います」
「そうですか、あたし、何もわかりませんから色々とお願い致します」
「勿体ないお言葉‥‥‥それでは、失礼いたします」
「また、会いに来て下さいね」
阿修羅坊は頭を下げると去って行った。
楓御料人様一行を見送った阿修羅坊は、改めて、いやな仕事を引き受けてしまったと思った。自分の手で、あの楓を悲しませるような事をしたくはなかった。しかし、自分がしなければ、誰か他の者がやるに違いない。楓に恨まれるのを承知でやらなければならなかった。
「これから、どうしますか。阿修羅坊殿」と日輪坊が聞いた。
「太郎坊はまだ、来ていないんでしょう」と月輪坊が言った。
「それはわからんぞ。来ているかもしれん。あの護衛を見たら、さすがの太郎坊でも手が出せまい。どこかで隙を狙っているかもしれん。とりあえず、楓御料人様が加賀守殿の屋敷に入るのを見届けてから、奴を捜そう」
阿修羅坊は、城下に太郎坊が来てはいないか確認させるため、日輪坊と月輪坊の二人を楓たちより先に行かせた。そして、阿修羅坊は楓たちと一定の距離をおき、後を付いて行った。
5
夢庵の作ってくれた朝飯を食べ、太郎と宮田八郎は播磨に向かった。
以外にも、夢庵の作ってくれた雑炊(ゾウスイ)はうまかった。山菜にも詳しく、そこらに生えている草を摘むと、無造作に鍋の中に入れ、山菜雑炊を慣れた手付きで作っていた。八郎はただ感心しながら、それを見ていた。
もう、帰るだろうと思っていた夢庵は、牛に乗って、のんびりと歌を唄いながら後を付いて来た。
〽憂きも一時、嬉しきも~
思い覚ませば、夢候(ゾロ)よ~
八郎が夢庵に、「どこに行くんや」と聞くと、「知らん、牛に聞いてくれ」と言うだけだった。八郎は夢庵に言われた通り、真面目な顔をして牛に聞いた。牛は、「モー」と鳴きながら八郎の顔をなめた。
結局、今日も、牛に合わせて、のんびりと旅をする事になった。
牛と夢庵なんかおいて、さっさと行けばいいものを、わざわざ、のんびりと旅をしているのは別に理由があったわけではない。急いでみたところで、どうなるものでもない、という夢庵の意見に同意した事もあるが、阿修羅坊が待ち構えているに違いない播磨の国に入るのに、敵の裏をかいて、のんびり行くのもいいかもしれないと太郎は思った。それに、この夢庵という男を何となく、太郎も八郎も気に入っていた。旅の途中で偶然に出会い、一緒に旅をしているのも何かの縁だろう、成り行きに任せてみようと思っていた。
摂津と播磨の国境に関所があり、旅人を調べていた。
太郎は松恵尼から聞いて関所の事は知っていた。太郎は関所を避けて山道を通ろうと思ったが、松恵尼が関所の手形をくれた。松恵尼はすべてに関して、太郎が驚く程、手回しが良かった。常に、太郎の先回りをしているようだった。しかし、太郎が手形を出す必要はなかった。関所の門番は、牛に乗った夢庵の姿を見ると挨拶をして丁寧にもてなした。太郎と八郎は夢庵の連れという事で、何も問われず、通行料も払わず、無事に通過する事ができた。
「夢庵殿はなかなかの有名人みたいやな」と八郎が驚いて聞くと、夢庵は、「わしじゃない。この牛が有名なんじゃ」ととぼけた。
「へえ、この牛がねえ」
「この牛はのう、黄金の糞(クソ)をするんじゃ」と夢庵は真面目な顔で言う。
「はい、はい。そして、酒の小便でもするんやろ」と八郎は言った。
「その通りじゃ」と夢庵は大笑いした。
関所を過ぎ、一里半程で大谿寺に着いた。
人の行き交う門前町を通り、大谿寺の仁王門が見えて来た頃、探真坊が太郎たちを見つけて走り寄って来た。
「遅いので、何かあったのかと心配してましたよ」と探真坊は相変わらず無表情で言った。
「すまんな。こいつの速さに合わせていたんでな」と太郎は牛を示した。
「はあ、どなたです」
「夢庵殿といって、この辺りでは、なかなかの有名人じゃ」と太郎は説明した。
「そうですか‥‥‥ところで、金比羅坊殿が首を長くして待ってますよ。大体の事は調べました」
「そうか。御苦労さん」
太郎たちは仁王門をくぐり、僧院、僧坊の建ち並ぶ中を歩いていた。大谿寺は大層、栄えているとみえて参詣人で賑わい、また、山伏もかなり、いるようだった。
八郎はさっそく探真坊に話しかけていた。夢庵の事を何だかんだと言っている。夢庵は、そんな事どうでもいいと牛に揺られて、涼しい顔で扇を動かしていた。
金比羅坊は大谿寺の境内のはずれにある小さな草庵で待っていた。風光坊ともう一人、山伏がいた。見覚えのある顔だった。四年前、太郎が高林坊のもとで棒術を習っていた頃、師範代をしていた東仙坊だった。
「よう、太郎坊、久し振りじゃのう。金比羅坊から聞いたぞ。飛んだ事になったもんじゃ。あの花養院の楓が、ここのお屋形様の姉君に当たるお人じゃったとはのう。たまげたわ。それに、おぬし、瑠璃寺(ルリジ)の山伏に命を狙われているそうじゃのう。相手が悪いぞ。阿修羅坊という奴がどんな奴だか知らんが、播磨の国において、瑠璃寺はかなりの勢力を持っておる。播磨の国内にいる山伏の半分は瑠璃寺の配下と言ってもいい程じゃ。瑠璃寺を敵に回したら、生きて、この国から出られるかどうかわからんぞ」
東仙坊の言葉に八郎は驚いていた。今まで、のんびりと旅して来たが、いよいよ、危険な敵の国に入ったと心を引き締めた。
「うまい具合にな」と金比羅坊が言った。「夕べ、瑠璃寺の山伏で本智坊というのがこの寺におってのう。それとなく、阿修羅坊の事を聞いてみたんじゃが、阿修羅坊というのは瑠璃寺では、なかなかの顔らしいのう。阿修羅坊が命ずれば、あそこの山伏のほとんどが動くそうじゃ。まあ、今の所は、ほとんどの山伏は美作まで行って戦をしているらしい。阿修羅坊に会いたいんじゃが、瑠璃寺にいるかのう、と聞いたら、なんと、その本智坊という奴、阿修羅坊に命じられて、これから伊勢に向かう途中だと言う。阿修羅坊なら、今、置塩城下にいる、と言いやがったわい」
「やはりのう、浦上美作守に仕える程の山伏なら、その位の事はできるじゃろうのう。厄介な相手を敵に回したもんじゃな」東仙坊は難しい顔をして太郎を見た。
本智坊という山伏は、昨日、たまたま、置塩城下で阿修羅坊と出会い、伊勢に行ってくれと命ぜられたのだと言う。命ぜられた内容までは明かさなかったが、阿修羅坊が何の用で、播磨に戻って来たのかは知らないようだった。その時、阿修羅坊が連れていたのは、二人の山伏で、多分、太郎を襲った例の二人に違いないだろう、と金比羅坊は言った。
今頃は城下で、太郎の来るのを待ち構えているに違いなかった。
二人の話を聞き終わると太郎は一同を見回した。金比羅坊、東仙坊、風光坊、探真坊、宮田八郎の五人が太郎を見ていた。
夢庵は涼しげな木陰で昼寝をしていて、中には入って来なかった。本当に変わった男だった。
太郎は懐から一枚の紙切れを出して、皆に見せた。紙切れには『不二』『岩戸』『合掌』と書いてあった。
「何や、これ」と八郎が言った。
「謎だ」
太郎は浦上屋敷で聞いた事を皆に話した。
「赤松家の軍資金か‥‥‥」と東仙坊は唸った。
「かなりの銭が埋まってるんやろな」と八郎は言った。
「アホ、銭じゃないわ。金か銀が埋まってるんだ」と風光坊が言った。
「多分な」と東仙坊も頷いた。
「金か銀‥‥‥」と八郎は驚いて、口を開けたままだった。
「昔、室の津には朝鮮や琉球の船がかなり来ていたと言う。赤松氏はかなりの金銀を貯えていたはずだ」と東仙坊は言った。
「その金銀が、どこかに隠されているというわけですか」と探真坊が珍しく興奮して聞いた。
「多分、そうじゃろう」と東仙坊は頷き、声をひそめて、「赤松氏が滅んだ時、その金銀が出て来たという話は聞かんからのう」と言った。
「その金銀も阿修羅坊が探っているのか」と金比羅坊が太郎に聞いた。
太郎は頷いた。「俺が思うには、この話を知っているのは今の所、浦上美作守と阿修羅坊の二人だけのような気がします」
「それでか。それで、阿修羅坊は手下を伊勢に送ったんじゃな」
「残りの一つを捜すつもりでしょう。何としてでも、阿修羅坊より先に、このお宝を見つけ出さなければりません」
「うむ‥‥‥それで、見つけたとして、その宝をどうするんじゃ」
「今までの赤松氏のやり方を見ていると、邪魔な俺を消し、楓を赤松氏の身内として、有力な大名に嫁がせ、勢力を広げようとたくらんでいるに違いないと思います。楓をそんな戦の道具のようにしたくはありません。どうしても、赤松家から助け出さなくてはなりません。それで、いざという時に、その宝と楓の交換を申し込むつもりです」
「成程、そういう事か」と金比羅坊は納得した。
「浦上美作守なら、やりそうな事だ」と東仙坊は腕組みをして頷いた。「赤松のお屋形様には身内がおらんからのう。親もいなけりゃ、兄弟もいない。叔父上が一人、いる事にはいるが出家しておる、これは身内とは言えんじゃろう。これから、勢力を広げて行こうとするのに、大分、不利じゃ。一人でも身内が欲しい所に、突然、姉が現れた。しかも、その姉は美人ときている。充分に利用できるというわけじゃ」
「成程、それで、おぬしの命は狙われているのか」
「そうじゃ。楓殿に亭主がいるなんて都合が悪いからのう」
「子供はいても、いいんですか」と風光坊が聞いた。
「子供は何とでもなる。お屋形様の養子にしたっていいしな。先の事を考えれば、身内は一人でも多い方がいいのさ」
「ところで、こいつですけど、何だかわかりますか」と太郎は再び、紙切れに視線を戻した。
「不二と岩戸と合掌か‥‥‥」
五人は紙切れを見つめながら考えた。
「富士山のどこかに岩戸があって、そこで合掌すると、岩戸が開いて、お宝が出て来るっていうのはどうやろ」と八郎が得意げに言った。
「アホか、お前は」と探真坊が横目で八郎を睨んだ。
「阿修羅坊も八郎と同じ事を言っていた」と太郎は言った。
「不二というのは播磨富士の事じゃないかの」と金比羅坊が顔を上げた。
「阿修羅坊が言うには播磨富士の裾野に岩戸という村があるそうです」
「おお、ある、あるぞ」
「おお、確かにある」と東仙坊も言った。
「二人とも播磨富士に行った事があるんですか」
「おお、かなり、昔の事じゃがの」
「わしも、かなり前じゃのう。最近、あの山から来たという奴は見んが、あの山に誰かおるんかい」と東仙坊が金比羅坊に聞いた。
「そりゃ、誰かおるじゃろう。飯道山の宿坊があるんじゃからな。確か、あそこには三人おるはずじゃぞ」
「それは、わしも知っておるが、最近、あの山から来たという飯道山の山伏はおらんぞ。まあ、戦が始まってからは、こっちに来る奴はめったにおらんがのう」
「まあ、行ってみればわかる事じゃ」
「不二と岩戸はそれだとして、残りの合掌というのは何だろう。何か心当たりはありませんか」
「合掌か‥‥‥合掌という村は聞いた事もないしな」と東仙坊が言うと金比羅坊も首をひねった。
「その岩戸村にお寺はないのですか」と探真坊が二人に聞いた。
「笠形寺の子院のようなものはあったような気がするがのう」と東仙坊は言った。
「おう。そんなようなのが、いくつかあったのう。神社なら有名な岩戸神社があるがのう。神社では合掌はせんしのう」と金比羅坊は腕組みをして考え込んだ。
「あと、もう一つに何が書いてあるかだな」と風光坊が宙を睨みながら言った。
「わしらも、伊勢に誰かを調べにやった方がいいんじゃないのか」と東仙坊が太郎に聞いた。
「行くとしたら、八郎が一番だな」と探真坊が言った。「なんせ、北畠の本拠地、多気の生まれだからな」
「えっ、確かに、おらの生まれは多気やが、そんな、御所様の事なんか、おらには全然わからんわ」八郎は困ったように首を振る。
「捜し出すのは難しいでしょう。なんせ三十年以上も前の事ですからね。伊勢の事は今の所、阿修羅坊に任せておきましょう。阿修羅坊が残りの一枚を見つけたとしても、そう簡単に宝は見つからんでしょう」
「阿修羅坊に見つけさせておいて、こっちで横取りするわけか」と金比羅坊が笑った。
「それなら、わしが伊勢に行ってもいいぞ」と東仙坊は言った。「わしは伊勢に行った本智坊とやらに会わなかったからのう。阿修羅坊に頼まれて応援に来たと言えば怪しまんじゃろう。見つけ出したら、奴より早く、戻って来ればいいわけじゃ」
「そいつは、いい」と金比羅坊は手を打った。
「でも、その本智坊を見つける事ができますか」と探真坊が聞いた。
「なに、簡単さ。山伏が行く所は大体、決まっておる。しかも、播磨の瑠璃寺から来た山伏など、そうはおるまい」
「ここを留守にして、大丈夫なんですか」と太郎は聞いた。
「そりゃ大丈夫さ。いつも、ここにいるより、どこかを旅している方のが多いんじゃ。いなくなったとしても誰も怪しみはせん」
「それでは、東仙坊殿、お願いします」
「おう、任せておけ。面白くなって来たわい」
「ところで、太郎坊」と金比羅坊が言った。「嘉吉の変の事をちゃんと知っておいた方がいいんじゃないかのう。わしら、誰も、当時の事を知らんじゃろ。宝捜しをするのにも、当時の状況とか、知っておいた方がいいんじゃないかのう」
「確かに、そうですね。当時の相手の立場や状況を知っておいた方が、宝を見つけ易いかもしれない」
「東仙坊、誰か、当時の事を知っている者はおらんかのう」
「そうじゃのう‥‥‥そうじゃ、覚照坊殿なら知ってるかもしれん。ちょっと聞いて来るわ」そう言うと、東仙坊はさっそく出掛けて行った。
「東仙坊の奴、張り切っていやがる」と金比羅坊は笑った。
東仙坊はしばらくして戻って来た。
「誰か、いたか」と金比羅坊は聞いた。
「いた、いた。丁度いい人が見つかった」と東仙坊はニヤニヤしながら言った。「嘉吉の変の戦に出て、赤松家の最期を見届けた人がおったわ」
「ほう、そうつは都合がいい」
「誰だと思う、その人というのは」
「そんな事、知るわけないじゃろ」
「その人というのは、この大谿寺で語り草になっている大先達の遍照坊(ヘンショウボウ)殿じゃ」東仙坊はやけに大袈裟に言ったが、誰も反応を示さなかった。
「一体、その遍照坊というのは何者じゃい」と金比羅坊は聞いた。
「何じゃ、知らんのか。まあ、無理もないか。遍照坊殿というのはのう、戦の神様とも言われた軍配師(グンバイシ)じゃ。嘉吉の変の時、喜多野殿の軍配師として戦に出ていたんじゃよ。未だに、遍照坊殿の作戦通りやっておれば、あの時の戦は勝てたとも言われておるんじゃ。ここの山伏なら誰でも遍照坊殿の事なら知っておる」
「ほう、そんな人がおるのか」
「つい、最近、播磨に戻って来たらしいんじゃ。嘉吉の変以来、行方がわからなかったらしいが、最近、戻って来て、この近くに草庵を立てて住んでるそうじゃ」
「確かに、当時の事を聞くには持って来いの人だが、その遍照坊殿とやらは簡単に話してくれるかのう」
「それは、わからん。会ってみん事にはのう」
「とりあえず、会ってみましょう」と太郎は頷いた。
「おう、戦の神様とやらを拝みに行こうぜ」と東仙坊は腕を振り上げた。
「おぬし、張り切ってるのう」金比羅坊は笑いながら東仙坊の肩をたたいた。
「おう、久し振りじゃ。こんな面白い事はない。ほれ、酒も盗んで来た。こいつを手土産に持って、さっそく出掛けようぜ」
四人は東仙坊に連れられて、軍配師、遍照坊に会いに出掛けて行った。昼寝をしていた夢庵もわけのわからないまま、後に付いて来た。
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