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14.太田備中守2
5
風のまったくない蒸し暑い日だった。
早雲は四人の山伏を連れて朝比奈川をさかのぼっていた。一人は小太郎、もう一人は太田備中守、そして、備中守の側近の上原紀三郎と鈴木兵庫助だった。兵庫助は鈴木道胤(ドウイン)の長男で、紀三郎と共に備中守から兵法(ヒョウホウ)をみっちりとたたき込まれた若手の部将だった。
備中守は清流亭に半月程、滞在して、また八幡神社に戻っていた。半月の滞在中、備中守は福島越前守、葛山播磨守と会って、それぞれの考えを聞いた。そして、備中守の考えとして、今川家をまとめるには竜王丸をお屋形様とし小鹿新五郎を後見人にする以外にないと提案した。越前守は備中守の意見に同意して、是非、竜王丸派を説得してくれるよう頼んで来たが、播磨守の方は一筋縄では行かなかった。関東の軍勢をもって阿部川以西の竜王丸派を遠江の国まで追いやってくれと言う。そうすれば、駿河の国は以前のように落ち着くと言い張った。備中守は、竜王丸派を遠江に追う事はできるだろう、しかし、竜王丸が生きている限り、遠江で勢力を強めた竜王丸はいつの日か、駿河に攻めて来るだろうと言った。
「なに、一度、追い出してしまえば、後は何とでもなる」と播磨守は強きだった。
備中守は、播磨守という男は竜王丸の暗殺さえもやりかねない男だと悟った。備中守は播磨守を威(オド)してやろうと考えた。
「播磨守殿、もし、竜王丸殿を遠江に追い出す事に成功した場合、恩賞として、我らは何をいただけるのですかな」と備中守は聞いた。
「備中守程のお人が恩賞を当てに戦をすると申すのですか」と播磨守はふてぶてしい顔をして言った。
備中守は笑った。「ここの所、関東は戦続きで兵たちは疲れておる。決着が着かないまま戦が長引いているため、兵たちが活躍しても恩賞もろくに与えられんのじゃ。そんな兵たちを引き連れて箱根を越えるんじゃ。確かな恩賞がなければ兵たちは動かんじゃろうのう」
「成程、恩賞ですか‥‥‥」
「富士川より東の土地を我らにくれますかな。そうすれば、兵たちも喜んで小鹿殿を応援する事でしょう」
「それは‥‥‥」と播磨守は口ごもった。
富士川以東の土地とは葛山播磨守の領地だった。たとえ、駿河一国が小鹿派のものとなっても、本拠地である領地を失うわけにはいかなかった。
「阿部川以西の竜王丸派の土地でしたら差し上げる事もできるかと思いますが、富士川以東はちょっと‥‥‥」
「富士川以東は播磨守殿の領地でしたな。たとえ、今川家のためとはいえ、本拠地を失う事はできませんか」
「それは、ちょっと‥‥‥」播磨守は額の汗を拭いながら困った表情をしていた。
「播磨守殿、播磨守殿がわたしの立場になったとして考えてみて下さい。駿河の国が東西に二つに分かれています。どちらの味方をした方が得か考えてみて下さい。播磨守殿なら、どちらの味方をしますかな」
「‥‥‥西です」と播磨守は仕方なく答えた。
「そうじゃろう。西と手を組んで、東を挟討ちにするというのが常套(ジョウトウ)手段と言えよう。勝てば東を山分けにする。たとえ負けたとしても、本国に引き上げるのに、それ程の距離もない。しかし、東と手を組んで阿部川辺りまで出張って来て、勝ったとしても近くの土地は貰えず、負戦(マケイクサ)になれば、全滅という事にもなりかねんからのう」
「備中守殿は竜王丸派と手を結ぶという事ですか」
「今川家がいつまでも二つに分かれたままだったら、そういう事になる可能性は充分にあるのう。我らの殿も富士川以東が手に入るとなれば、喜んで攻めて来る事じゃろう。そうならないように、わしは今川家を元に戻そうとやって来たわけじゃ。どうじゃろう、ここの所は身を引いて、竜王丸殿をお屋形様にし、小鹿新五郎殿を後見という事で妥協してもらえんものかのう」
「はい‥‥‥しかし、小鹿新五郎殿は扇谷上杉氏の一族ですが、その新五郎殿を見捨てるという事ですか」
「今の御時世は、関東では一族同士でも敵味方になって争っておるんじゃよ。同じ一族だからというだけで味方とは言い切れんのじゃ」
播磨守は黙っていたが、ようやく、「少し、考えさせて下さい」と小声で言った。
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「そうしてくれ。わしももう少し、ここでのんびりするつもりじゃ。関東に戻れば、また、戦に明け暮れる事になろうからの。しばらく骨休みのつもりで、のんびりするつもりじゃ」
「はい‥‥‥備中守殿、小鹿派の者が備中守殿の提案に賛成したとしても、竜王丸派の者たちが何と言うか問題です」
「竜王丸派の者に文句はあるまい」
「それが、竜王丸派には中原摂津守殿を押している者たちもおります。竜王丸派は摂津守殿を後見にするという事で、摂津守派と手を結びました。竜王丸派は、竜王丸殿をお屋形様とし摂津守殿を後見という事で、小鹿派と対抗しております。備中守殿のお考えを素直に認めるとは思われませんが‥‥‥」
「ふむ。なかなか複雑になっておるのう。とにかくは竜王丸派の者と話し合わなければならん。播磨守殿、竜王丸派の中心になっておられるのは、どなたですかな」
「竜王丸派の中心といえば朝比奈天遊斎殿でしょう。そして、摂津守派の中心は岡部美濃守殿です」
「朝比奈天遊斎殿と岡部美濃守殿か」
「表向きはそうですが、実際に、竜王丸派の中心となっているのは伊勢早雲でしょう」
「伊勢早雲?」と備中守は首を傾げた。
「先代のお屋形様の奥方、北川殿の兄上です。竜王丸殿の伯父に当たるお人です。竜王丸殿の執事という事になっておりますが、正式に今川家の家臣ではありません。しかし、なかなか手ごわい男です。敵に回したくない男とでもいいましょうか」
「ほう。播磨守殿がそれ程までに言うとは余程の男らしいのう。是非、会ってみたいものじゃ」
「備中守殿が動かなくても、早雲の方から近づいて来る事でしょう」
「そうか‥‥‥しかし、ここにいては早雲といえども入っては来れまい」
「いえ。早雲は元、山伏だったらしく、厳重な警戒など屁とも思わず、お屋形内に潜入して来ます」
「ほう。面白そうな男じゃのう」
備中守は福島越前守、葛山播磨守の小鹿派の大物二人を説得させると、清流亭を出て八幡神社に戻って来た。そして、今、早雲の案内で、竜王丸に会うために山伏姿となって朝比奈の城下に向かっていた。野田沢川に架かる橋を渡って、町並を抜け、朝比奈屋敷の隠居屋敷の門をくぐったが、北川殿も竜王丸もいなかった。
留守を守っていた荒木が出て来て、北川殿も竜王丸も河原の弓場だと言う。相変わらず、熱心に弓の稽古に励んでいるらしい。
「おぬし、よく、こんな山の中にいつまでもおられるな」と早雲は荒木に聞いた。
「はい。静かでいい所です」と荒木は答えた。
「静かでいい所か‥‥‥確かにそうじゃが、おぬしらしくない事を言うのう。多米は何しておるんじゃ」
「はい。多米の奴も河原に行きました」
「ほう。北川殿の護衛をしておるのか」
「はい。それだけではありませんが‥‥‥」
「一体、どうしたんじゃ。おぬしら二人がこんな山の中でおとなしくしておるとはのう。信じられん事じゃ」
早雲は四人の山伏を連れて西の河原に向かった。北川衆の清水と山本の二人が河原の手前の道を見張っていた。
河原では、北川殿が汗びっしょりになって弓を引いていた。竜王丸と美鈴が、寅之助と侍女の菅乃、お雪、春雨と一緒に北川殿を見ている。多米が的の近くに立って、富嶽が北川殿が弓を射るのを手伝っていた。
「ほう、北川殿の侍女は弓の稽古もなさっておるのか。さすがじゃのう」と備中守は北川殿を見ながら言った。
「あれが、北川殿です」と早雲は言った。
「なに、あのお方が北川殿?‥‥‥信じられん」
「あちらにおられるのが、竜王丸殿です」と早雲は竜王丸の方を示した。
「どちらじゃ」と備中守は聞いた。
竜王丸と寅之助は同じ格好をして、しかも、二人とも真っ黒に日に焼けていた。双子のように良く似ていた。
「小さい方のお方です」
「ふーむ。驚きじゃわ。まさか、北川殿が弓を引いておられるとはのう。誰に話したとて、信じては貰えまい」
北川殿の放った矢は見事に的の中央に当たった。
「お見事!」と多米が叫んだ。
北川殿は早雲の姿を見ると、弓を富嶽に渡し、汗を拭きながら近づいて来た。
「兄上様、いかがでした。大分、上達したでしょう」
「はい。大したものです。これ程までに早く上達するとは驚きです」
「風間殿もご一緒でしたか。お久し振りです。そうそう、お雪が風間殿に会いたがっておりますよ。お雪のためにも、風間殿、ちょくちょく訪ねて来て下さいね」
「はい」と小太郎は照れながら答えた。
「あの、そちらのお方は?」と北川殿は備中守を見て、早雲に聞いた。
「北川殿、こちらのお方は江戸から来られた太田備中守殿です。御存じでしょうか」
「太田備中守殿‥‥‥お噂は亡きお屋形様より伺っております。嫌ですわ、こんな姿を見られて」北川殿は急に恥ずかしそうに俯いた。「兄上様もどうして、こんな所に太田様をお連れするのです。困りますわ」
「申し訳ございません」と早雲は謝った。「備中守殿に北川殿の本当のお姿を見ていただきたかったのです。それに、今回は非公式な対面です。北川殿と備中守殿ではなく、京から下向して来られた御料人様と関東から来られた一山伏として、会ってもらいたいのです」
「分かりました」と北川殿は早雲に頷き、備中守を見て、軽く頭を下げた。
備中守も軽く頭を下げた。
「兄上様、お屋敷の方でお待ち下さい。わたしもすぐに戻ります」
「北川殿」と備中守が言った。「わたしに遠慮なさる事はございません。充分にお稽古なされてからお帰り下さい。わたしは待っております」
「ありがとうございます」
早雲は備中守を連れて屋敷に向かった。後を追って、お雪と春雨がやって来た。
「どうしたんじゃ」と小太郎がお雪に聞いた。
「北川殿が一緒に行けと言ってきかないんです」とお雪は答えた。
「二人が抜けたら向こうが大変じゃ」と早雲は言った。
「はい。そう言ってもききません。弓を構えて、行かなければ射ると言うのです」
「困ったものじゃ。わしが残るわ」と小太郎は言った。
「うむ、そうしてくれ。お雪殿も小太郎と戻ってくれ」
小太郎とお雪が河原に戻り、早雲らは屋敷に向かった。
備中守は、弓の稽古をしていた時とは、まるで別人のように着飾った北川殿と竜王丸に対面し、関東の話などを半時程すると早雲と共に帰って行った。
帰り道、早雲は備中守に、「竜王丸殿をどう見ますか」と聞いた。
「父親に負けない程の武将になる事じゃろう」と備中守は力強く答えた。
小太郎は早雲たちと一緒に帰って来なかった。北川殿がお雪に暇を出したので、早雲も、久し振りにお雪と共に過ごせ、と置いて来たのだった。
小太郎とお雪は積もる話をしながら城下を散歩して、北川殿が手配してくれた旅籠屋に入り、二ケ月振りに、二人だけで、のんびりと過ごした。
「お雪というより、お黒じゃな」と小太郎はお雪の顔を眺めながら言った。
「しょうがないでしょ、北川殿があれだもの。あたしたちが笠を被っているわけにはいかないわ」
「まあ、そうじゃな。働き者の女房って感じで、なかなかいい」と小太郎は笑った。
「ありがとう。でも、北川殿が武芸に熱心になってくれたお陰で、前よりは退屈しなくても済むわ。前は、毎日、する事がなくて逃げ出したいくらいだった」
「そうじゃろうのう。お前はじっとしておられない性格じゃからのう」
「あたし、北川殿に小太刀(コダチ)を教えているのよ」
「そうだってな。小太刀の方も上達しておるのか」
「小太刀の方はそれ程でもないけど、弓術の方は凄い上達振りよ。ほんと、驚く程、見る見る上達して行くの」
「早雲と同じ伊勢家の血が流れておるからのう。元々、素質はあるんじゃろうのう」
「ほんと、早雲様の弓術には驚いたわ。まるで神業よ。凄いなんてもんじゃないわ。富嶽様も初めて見たみたい。口を開けたまま驚いていたわ」
「確かにな」と小太郎は頷いた。「奴の弓は神業じゃ。しかし、弓だけじゃない。馬術も神業じゃ。奴はまるで、馬の言葉が分かるかのように、どんな馬でも乗りこなすんじゃ。奴にかかったら、どんな駄馬でも名馬に早変わりじゃ」
「へえ、そうなの。人は見かけによらないのね」
「それは言えるな。お前の笛を初めて聞いた時、わしもそう思ったわ」
「あたしだって、そうよ。初めて、あなたの治療を見た時、凄い人だって見直したのよ。それから、あなたから離れられなくなっちゃったんじゃない」
「そうじゃったのか‥‥‥わしはお前を初めて見た時から、面白い女子(オナゴ)じゃと興味を持っておったぞ」
「それ、もしかして、一目惚れっていうの」
「そうなるかのう」
「まあ、嬉しい」とお雪は小太郎に抱き着いて来た。
小太郎とお雪がいちゃいちゃしている頃、夕暮れの城下を以外な二人が散歩していた。
多米権兵衛と北川殿の侍女、菅乃だった。二人は並んで北川殿の弓の稽古場のある河原へと向かっていた。菅乃は俯き、多米は真面目な顔付きでブスッとして歩いていた。
河原まで来ると、多米は川の側まで行って対岸の方を見た。
日が山陰に沈もうとしていた。
菅乃も多米の隣に立つと夕日を眺めた。
「子供の頃、兄上や弟と一緒に、ここでよく遊びました」と菅乃は言った。
「そうでしたか‥‥‥」
「まさか、弥太郎兄さん(朝比奈肥後守)が、亡くなってしまうなんて‥‥‥」
多米は黙って、菅乃の横顔を見ていた。
「弥次郎兄さん(朝比奈備中守)は、遠くに行ってしまうし」
「今は帰っておられるのでしょう」
「はい。でも、北川殿のお屋敷に一度、御挨拶に来ただけで、ここと青木城を忙しそうに行ったり来たりしております」
「そうですか‥‥‥」
「多米様は竜王丸殿の御家来にはならないのですか」
「わたしは早雲殿の家来です。早雲殿がこの先、武士に戻るかどうかは分かりませんが、わたしは早雲殿に付いて行こうと決めております」
「早雲殿に?」
「はい。わたしだけではありません。荒木も、富嶽殿も、早雲庵にいる者たちは皆、早雲殿を慕っております。早雲殿のためなら命も惜しくないと思っております。わたしは長い間、浪人をして各地を旅して参りました。しかるべき武将に仕官しようと思って旅を続けておりました。そして、早雲殿と出会い、このお人より他にないと決心したのです」
「そうだったのですか‥‥‥」
「菅乃殿はこの先、ずっと、北川殿にお仕えするおつもりなのですか」
「はい。そのつもりです。北川殿はいい人ですし、それに、わたしには他の生き方は分かりません。わたしは十六の時から北川殿にお仕えしています。十六の時まで、ここで暮らし、その後はずっと駿府の北川殿で暮らしています。その他の所は全然知らないのです」
「そうでしたか‥‥‥」
「北川殿にお仕えする前、お嫁に行くというお話もありました。でも、相手のお方がどうしても好きになれず、北川殿にお仕えする道を選びました。わたしはもう二十四です。お嫁に行く事は諦めております。一生、北川殿にお仕えし、竜王丸殿の御成長を見守ろうと思っております」
「菅乃殿、そなたのような美しいお方が何を申されます。北川殿にお仕えするのもいいが、もっと御自分を大切にすべきだと思います。もっと御自分の幸せも考えるべきです」
「自分の幸せですか‥‥‥今も幸せです‥‥‥多米様、わたしの本当の名前は八重と言います。どうぞ、八重とお呼び下さい」
「お八重殿ですか」
「はい。多米様、八重のような者でも、お嫁に貰って頂けますか」
「えっ? 今、何と申しました」
「いいんです‥‥‥」
多米は八重の顔を見つめた。
八重は俯いていた。美しい人だと思った。
信じられなかったが、多米は八重が言った事をはっきりと耳にしていた。耳にしていたが、今の多米にはどうする事もできなかった。八重は朝比奈天遊斎の娘だった。今川家の重臣の娘だった。三河の国の片田舎の郷士の三男の多米とは、どう考えても釣り合いが取れなかった。
多米は八重こと菅乃に一目惚れしていた。北川殿を守るために、早雲に命じられて駿府の屋敷に入って、初めて菅乃を目にした時から惚れていた。惚れてはいても、相手は北川殿の侍女、高根の花で、自分が思いを寄せる事さえできない人だと諦めていた。それが今回、富嶽と一緒に朝比奈城下にやって来て、その高根の花と以前より近くに接する事ができるようになった。
駿府の北川殿にいた頃の菅乃はほとんど屋敷内にいたため、言葉を交わす事は勿論の事、遠くから見る事しかできなかったが、ここでは北川殿を初め、皆、のびのびと暮らしていた。北川殿は城下を散歩したり、武芸の稽古に励んだり、駿府にいた頃には想像もできない程、気ままに暮らしている。当然、侍女や仲居たちも屋敷ばかりにいる事もなく、北川殿と一緒に出歩いていた。多米や荒木も自然に侍女や仲居たちと言葉を交わすようになり、身分という壁が取り払われたような感じだった。
ある日、多米は菅乃と二人だけになった時、自分の思いを打ち明けた。もう、どうしようもなく、胸がはち切れそうになり、駄目で元々、打ち明けてしまえば、かえって、すっきりするだろうと、多米は、「好きです」と打ち明けた。
菅乃はポカンとしたまま何も言わなかったが、多米は胸のつかえが、やっと取れたかのように気分はすっきりした。その日から菅乃が自分を見る目が変わった事に気づき、多米は信じられなかったが嬉しかった。そして、今日、ついに声を掛けて、菅乃を誘って河原まで来たのだった。
菅乃は十六歳の時から北川殿に仕えて来たため、男を知らなかった。北川殿に仕えるまでは朝比奈家のお姫様として屋敷の奥で育てられたので、男に言い寄られた事もないし、北川殿に仕えてからも、ほとんど屋敷から出なかったので、男に言い寄られた事は一度もなかった。そして、そんな事など一生ありえないだろうと思っていた。それが突然、多米から好きだと言われた。信じられなかった。信じられなかったが嬉しかった。
多米は嫌いな男ではなかった。駿府にいた時の活躍も知っている菅乃には、頼もしい男として多米は写っていた。しかし、好きという感情は特になかった。多米も北川衆と同じように北川殿を守るための侍の一人に過ぎなく、自分とは縁のないものだと思っていた。それが、多米の一言によって、多米という男がずっと身近に感じられるようになり、さらに、好意さえ感じるようになって行った。多米の姿を見ると小娘のように胸が時めき、体中がポーッと熱くなって来た。
菅乃が多米に、お嫁に貰ってくれるか、と聞いたのは本心だった。本心だったが、それが適えられない事だという事も知っていた。知ってはいても、一度、口に出して言ってみたかったのだった。
「お八重殿、待っていて下さい。わたしは必ず、お八重殿をお迎えに参ります」と多米は思い切って言った。
「えっ?」と菅乃は驚いた顔を多米に向けた。
「いつか、必ず‥‥‥」
「はい‥‥‥」と菅乃は多米を見つめた。
多米は菅乃に見つめられ、夢でも見ているのではないかと、地に足が着いていない状態だった。
「そろそろ、戻りますか」と多米はやっとの事で言うと夕焼け空に目を移した。
「はい」
夕暮れの中、二人の影は寄り添いながら河原を後にした。
多米が菅乃に愛の告白をしたように、荒木も仲居の淡路に自分の気持ちを告白していた。
淡路は今川一族の堀越陸奥守の姪だった。荒木の方も多米と同様、前途多難な恋の道程(ミチノリ)だった。二人とも、こちらに来てからは人が変わったかのように、女遊びは勿論の事、博奕(バクチ)さえもせず、朝は早くから起き、真面目に仕事に励んでいた。以前の二人を知っている者が見たら、こっけいに思う程、二人とも真剣に女に惚れていた。
「はい‥‥‥備中守殿、小鹿派の者が備中守殿の提案に賛成したとしても、竜王丸派の者たちが何と言うか問題です」
「竜王丸派の者に文句はあるまい」
「それが、竜王丸派には中原摂津守殿を押している者たちもおります。竜王丸派は摂津守殿を後見にするという事で、摂津守派と手を結びました。竜王丸派は、竜王丸殿をお屋形様とし摂津守殿を後見という事で、小鹿派と対抗しております。備中守殿のお考えを素直に認めるとは思われませんが‥‥‥」
「ふむ。なかなか複雑になっておるのう。とにかくは竜王丸派の者と話し合わなければならん。播磨守殿、竜王丸派の中心になっておられるのは、どなたですかな」
「竜王丸派の中心といえば朝比奈天遊斎殿でしょう。そして、摂津守派の中心は岡部美濃守殿です」
「朝比奈天遊斎殿と岡部美濃守殿か」
「表向きはそうですが、実際に、竜王丸派の中心となっているのは伊勢早雲でしょう」
「伊勢早雲?」と備中守は首を傾げた。
「先代のお屋形様の奥方、北川殿の兄上です。竜王丸殿の伯父に当たるお人です。竜王丸殿の執事という事になっておりますが、正式に今川家の家臣ではありません。しかし、なかなか手ごわい男です。敵に回したくない男とでもいいましょうか」
「ほう。播磨守殿がそれ程までに言うとは余程の男らしいのう。是非、会ってみたいものじゃ」
「備中守殿が動かなくても、早雲の方から近づいて来る事でしょう」
「そうか‥‥‥しかし、ここにいては早雲といえども入っては来れまい」
「いえ。早雲は元、山伏だったらしく、厳重な警戒など屁とも思わず、お屋形内に潜入して来ます」
「ほう。面白そうな男じゃのう」
備中守は福島越前守、葛山播磨守の小鹿派の大物二人を説得させると、清流亭を出て八幡神社に戻って来た。そして、今、早雲の案内で、竜王丸に会うために山伏姿となって朝比奈の城下に向かっていた。野田沢川に架かる橋を渡って、町並を抜け、朝比奈屋敷の隠居屋敷の門をくぐったが、北川殿も竜王丸もいなかった。
留守を守っていた荒木が出て来て、北川殿も竜王丸も河原の弓場だと言う。相変わらず、熱心に弓の稽古に励んでいるらしい。
「おぬし、よく、こんな山の中にいつまでもおられるな」と早雲は荒木に聞いた。
「はい。静かでいい所です」と荒木は答えた。
「静かでいい所か‥‥‥確かにそうじゃが、おぬしらしくない事を言うのう。多米は何しておるんじゃ」
「はい。多米の奴も河原に行きました」
「ほう。北川殿の護衛をしておるのか」
「はい。それだけではありませんが‥‥‥」
「一体、どうしたんじゃ。おぬしら二人がこんな山の中でおとなしくしておるとはのう。信じられん事じゃ」
早雲は四人の山伏を連れて西の河原に向かった。北川衆の清水と山本の二人が河原の手前の道を見張っていた。
河原では、北川殿が汗びっしょりになって弓を引いていた。竜王丸と美鈴が、寅之助と侍女の菅乃、お雪、春雨と一緒に北川殿を見ている。多米が的の近くに立って、富嶽が北川殿が弓を射るのを手伝っていた。
「ほう、北川殿の侍女は弓の稽古もなさっておるのか。さすがじゃのう」と備中守は北川殿を見ながら言った。
「あれが、北川殿です」と早雲は言った。
「なに、あのお方が北川殿?‥‥‥信じられん」
「あちらにおられるのが、竜王丸殿です」と早雲は竜王丸の方を示した。
「どちらじゃ」と備中守は聞いた。
竜王丸と寅之助は同じ格好をして、しかも、二人とも真っ黒に日に焼けていた。双子のように良く似ていた。
「小さい方のお方です」
「ふーむ。驚きじゃわ。まさか、北川殿が弓を引いておられるとはのう。誰に話したとて、信じては貰えまい」
北川殿の放った矢は見事に的の中央に当たった。
「お見事!」と多米が叫んだ。
北川殿は早雲の姿を見ると、弓を富嶽に渡し、汗を拭きながら近づいて来た。
「兄上様、いかがでした。大分、上達したでしょう」
「はい。大したものです。これ程までに早く上達するとは驚きです」
「風間殿もご一緒でしたか。お久し振りです。そうそう、お雪が風間殿に会いたがっておりますよ。お雪のためにも、風間殿、ちょくちょく訪ねて来て下さいね」
「はい」と小太郎は照れながら答えた。
「あの、そちらのお方は?」と北川殿は備中守を見て、早雲に聞いた。
「北川殿、こちらのお方は江戸から来られた太田備中守殿です。御存じでしょうか」
「太田備中守殿‥‥‥お噂は亡きお屋形様より伺っております。嫌ですわ、こんな姿を見られて」北川殿は急に恥ずかしそうに俯いた。「兄上様もどうして、こんな所に太田様をお連れするのです。困りますわ」
「申し訳ございません」と早雲は謝った。「備中守殿に北川殿の本当のお姿を見ていただきたかったのです。それに、今回は非公式な対面です。北川殿と備中守殿ではなく、京から下向して来られた御料人様と関東から来られた一山伏として、会ってもらいたいのです」
「分かりました」と北川殿は早雲に頷き、備中守を見て、軽く頭を下げた。
備中守も軽く頭を下げた。
「兄上様、お屋敷の方でお待ち下さい。わたしもすぐに戻ります」
「北川殿」と備中守が言った。「わたしに遠慮なさる事はございません。充分にお稽古なされてからお帰り下さい。わたしは待っております」
「ありがとうございます」
早雲は備中守を連れて屋敷に向かった。後を追って、お雪と春雨がやって来た。
「どうしたんじゃ」と小太郎がお雪に聞いた。
「北川殿が一緒に行けと言ってきかないんです」とお雪は答えた。
「二人が抜けたら向こうが大変じゃ」と早雲は言った。
「はい。そう言ってもききません。弓を構えて、行かなければ射ると言うのです」
「困ったものじゃ。わしが残るわ」と小太郎は言った。
「うむ、そうしてくれ。お雪殿も小太郎と戻ってくれ」
小太郎とお雪が河原に戻り、早雲らは屋敷に向かった。
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備中守は、弓の稽古をしていた時とは、まるで別人のように着飾った北川殿と竜王丸に対面し、関東の話などを半時程すると早雲と共に帰って行った。
帰り道、早雲は備中守に、「竜王丸殿をどう見ますか」と聞いた。
「父親に負けない程の武将になる事じゃろう」と備中守は力強く答えた。
小太郎は早雲たちと一緒に帰って来なかった。北川殿がお雪に暇を出したので、早雲も、久し振りにお雪と共に過ごせ、と置いて来たのだった。
小太郎とお雪は積もる話をしながら城下を散歩して、北川殿が手配してくれた旅籠屋に入り、二ケ月振りに、二人だけで、のんびりと過ごした。
「お雪というより、お黒じゃな」と小太郎はお雪の顔を眺めながら言った。
「しょうがないでしょ、北川殿があれだもの。あたしたちが笠を被っているわけにはいかないわ」
「まあ、そうじゃな。働き者の女房って感じで、なかなかいい」と小太郎は笑った。
「ありがとう。でも、北川殿が武芸に熱心になってくれたお陰で、前よりは退屈しなくても済むわ。前は、毎日、する事がなくて逃げ出したいくらいだった」
「そうじゃろうのう。お前はじっとしておられない性格じゃからのう」
「あたし、北川殿に小太刀(コダチ)を教えているのよ」
「そうだってな。小太刀の方も上達しておるのか」
「小太刀の方はそれ程でもないけど、弓術の方は凄い上達振りよ。ほんと、驚く程、見る見る上達して行くの」
「早雲と同じ伊勢家の血が流れておるからのう。元々、素質はあるんじゃろうのう」
「ほんと、早雲様の弓術には驚いたわ。まるで神業よ。凄いなんてもんじゃないわ。富嶽様も初めて見たみたい。口を開けたまま驚いていたわ」
「確かにな」と小太郎は頷いた。「奴の弓は神業じゃ。しかし、弓だけじゃない。馬術も神業じゃ。奴はまるで、馬の言葉が分かるかのように、どんな馬でも乗りこなすんじゃ。奴にかかったら、どんな駄馬でも名馬に早変わりじゃ」
「へえ、そうなの。人は見かけによらないのね」
「それは言えるな。お前の笛を初めて聞いた時、わしもそう思ったわ」
「あたしだって、そうよ。初めて、あなたの治療を見た時、凄い人だって見直したのよ。それから、あなたから離れられなくなっちゃったんじゃない」
「そうじゃったのか‥‥‥わしはお前を初めて見た時から、面白い女子(オナゴ)じゃと興味を持っておったぞ」
「それ、もしかして、一目惚れっていうの」
「そうなるかのう」
「まあ、嬉しい」とお雪は小太郎に抱き着いて来た。
小太郎とお雪がいちゃいちゃしている頃、夕暮れの城下を以外な二人が散歩していた。
多米権兵衛と北川殿の侍女、菅乃だった。二人は並んで北川殿の弓の稽古場のある河原へと向かっていた。菅乃は俯き、多米は真面目な顔付きでブスッとして歩いていた。
河原まで来ると、多米は川の側まで行って対岸の方を見た。
日が山陰に沈もうとしていた。
菅乃も多米の隣に立つと夕日を眺めた。
「子供の頃、兄上や弟と一緒に、ここでよく遊びました」と菅乃は言った。
「そうでしたか‥‥‥」
「まさか、弥太郎兄さん(朝比奈肥後守)が、亡くなってしまうなんて‥‥‥」
多米は黙って、菅乃の横顔を見ていた。
「弥次郎兄さん(朝比奈備中守)は、遠くに行ってしまうし」
「今は帰っておられるのでしょう」
「はい。でも、北川殿のお屋敷に一度、御挨拶に来ただけで、ここと青木城を忙しそうに行ったり来たりしております」
「そうですか‥‥‥」
「多米様は竜王丸殿の御家来にはならないのですか」
「わたしは早雲殿の家来です。早雲殿がこの先、武士に戻るかどうかは分かりませんが、わたしは早雲殿に付いて行こうと決めております」
「早雲殿に?」
「はい。わたしだけではありません。荒木も、富嶽殿も、早雲庵にいる者たちは皆、早雲殿を慕っております。早雲殿のためなら命も惜しくないと思っております。わたしは長い間、浪人をして各地を旅して参りました。しかるべき武将に仕官しようと思って旅を続けておりました。そして、早雲殿と出会い、このお人より他にないと決心したのです」
「そうだったのですか‥‥‥」
「菅乃殿はこの先、ずっと、北川殿にお仕えするおつもりなのですか」
「はい。そのつもりです。北川殿はいい人ですし、それに、わたしには他の生き方は分かりません。わたしは十六の時から北川殿にお仕えしています。十六の時まで、ここで暮らし、その後はずっと駿府の北川殿で暮らしています。その他の所は全然知らないのです」
「そうでしたか‥‥‥」
「北川殿にお仕えする前、お嫁に行くというお話もありました。でも、相手のお方がどうしても好きになれず、北川殿にお仕えする道を選びました。わたしはもう二十四です。お嫁に行く事は諦めております。一生、北川殿にお仕えし、竜王丸殿の御成長を見守ろうと思っております」
「菅乃殿、そなたのような美しいお方が何を申されます。北川殿にお仕えするのもいいが、もっと御自分を大切にすべきだと思います。もっと御自分の幸せも考えるべきです」
「自分の幸せですか‥‥‥今も幸せです‥‥‥多米様、わたしの本当の名前は八重と言います。どうぞ、八重とお呼び下さい」
「お八重殿ですか」
「はい。多米様、八重のような者でも、お嫁に貰って頂けますか」
「えっ? 今、何と申しました」
「いいんです‥‥‥」
多米は八重の顔を見つめた。
八重は俯いていた。美しい人だと思った。
信じられなかったが、多米は八重が言った事をはっきりと耳にしていた。耳にしていたが、今の多米にはどうする事もできなかった。八重は朝比奈天遊斎の娘だった。今川家の重臣の娘だった。三河の国の片田舎の郷士の三男の多米とは、どう考えても釣り合いが取れなかった。
多米は八重こと菅乃に一目惚れしていた。北川殿を守るために、早雲に命じられて駿府の屋敷に入って、初めて菅乃を目にした時から惚れていた。惚れてはいても、相手は北川殿の侍女、高根の花で、自分が思いを寄せる事さえできない人だと諦めていた。それが今回、富嶽と一緒に朝比奈城下にやって来て、その高根の花と以前より近くに接する事ができるようになった。
駿府の北川殿にいた頃の菅乃はほとんど屋敷内にいたため、言葉を交わす事は勿論の事、遠くから見る事しかできなかったが、ここでは北川殿を初め、皆、のびのびと暮らしていた。北川殿は城下を散歩したり、武芸の稽古に励んだり、駿府にいた頃には想像もできない程、気ままに暮らしている。当然、侍女や仲居たちも屋敷ばかりにいる事もなく、北川殿と一緒に出歩いていた。多米や荒木も自然に侍女や仲居たちと言葉を交わすようになり、身分という壁が取り払われたような感じだった。
ある日、多米は菅乃と二人だけになった時、自分の思いを打ち明けた。もう、どうしようもなく、胸がはち切れそうになり、駄目で元々、打ち明けてしまえば、かえって、すっきりするだろうと、多米は、「好きです」と打ち明けた。
菅乃はポカンとしたまま何も言わなかったが、多米は胸のつかえが、やっと取れたかのように気分はすっきりした。その日から菅乃が自分を見る目が変わった事に気づき、多米は信じられなかったが嬉しかった。そして、今日、ついに声を掛けて、菅乃を誘って河原まで来たのだった。
菅乃は十六歳の時から北川殿に仕えて来たため、男を知らなかった。北川殿に仕えるまでは朝比奈家のお姫様として屋敷の奥で育てられたので、男に言い寄られた事もないし、北川殿に仕えてからも、ほとんど屋敷から出なかったので、男に言い寄られた事は一度もなかった。そして、そんな事など一生ありえないだろうと思っていた。それが突然、多米から好きだと言われた。信じられなかった。信じられなかったが嬉しかった。
多米は嫌いな男ではなかった。駿府にいた時の活躍も知っている菅乃には、頼もしい男として多米は写っていた。しかし、好きという感情は特になかった。多米も北川衆と同じように北川殿を守るための侍の一人に過ぎなく、自分とは縁のないものだと思っていた。それが、多米の一言によって、多米という男がずっと身近に感じられるようになり、さらに、好意さえ感じるようになって行った。多米の姿を見ると小娘のように胸が時めき、体中がポーッと熱くなって来た。
菅乃が多米に、お嫁に貰ってくれるか、と聞いたのは本心だった。本心だったが、それが適えられない事だという事も知っていた。知ってはいても、一度、口に出して言ってみたかったのだった。
「お八重殿、待っていて下さい。わたしは必ず、お八重殿をお迎えに参ります」と多米は思い切って言った。
「えっ?」と菅乃は驚いた顔を多米に向けた。
「いつか、必ず‥‥‥」
「はい‥‥‥」と菅乃は多米を見つめた。
多米は菅乃に見つめられ、夢でも見ているのではないかと、地に足が着いていない状態だった。
「そろそろ、戻りますか」と多米はやっとの事で言うと夕焼け空に目を移した。
「はい」
夕暮れの中、二人の影は寄り添いながら河原を後にした。
多米が菅乃に愛の告白をしたように、荒木も仲居の淡路に自分の気持ちを告白していた。
淡路は今川一族の堀越陸奥守の姪だった。荒木の方も多米と同様、前途多難な恋の道程(ミチノリ)だった。二人とも、こちらに来てからは人が変わったかのように、女遊びは勿論の事、博奕(バクチ)さえもせず、朝は早くから起き、真面目に仕事に励んでいた。以前の二人を知っている者が見たら、こっけいに思う程、二人とも真剣に女に惚れていた。
15.岡部美濃守
1
藁科(ワラシナ)川の河原に赤とんぼが飛び回り、夜になれば秋の虫が鳴く季節となっていた。北川殿と竜王丸に会った数日後、太田備中守は中原摂津守の青木城下の客殿に入っていた。
手引きをしたのは伏見屋銭泡だった。早雲庵にいた頃、銭泡は摂津守にも岡部美濃守にも茶の湯の指導をした事があった。銭泡は青木城下に行って摂津守と美濃守に会い、備中守が今川家を一つにするために、竜王丸派の重臣方と会う事を望んでいると告げた。
摂津守も美濃守も備中守が駿府屋形に入ったと聞いて、やはり、小鹿派の味方をするつもりかと思っていたが、備中守が中立の立場として竜王丸派の意見も聞きたいと分かると、喜んで備中守を迎える事にした。備中守を味方にする事ができれば、小鹿派を倒す事もわけない。備中守に葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)の本拠地を攻撃して貰えば、播磨守は本拠地に帰らなくてはならなくなる。そうすれば、残るは福島越前守(クシマエチゼンノカミ)を何とかすれば、今川家は一つになる事も可能だった。美濃守はさっそく、備中守を迎える準備を始めた。
備中守が青木城下の客殿に入ったのは七月二十四日だった。その日は清流亭の時と同じく歓迎の宴があり、重臣たちは顔を出さなかった。
次の日、備中守は摂津守の屋敷内にて摂津守と対面し、同屋敷内の広間において竜王丸派の重臣たちと語り合った。
岡部美濃守、朝比奈和泉守、斎藤加賀守、堀越陸奥守、三浦次郎左衛門尉、福島土佐守、長谷川法栄、天野兵部少輔、天野民部少輔、福島左衛門尉、朝比奈備中守、伊勢早雲らの、それぞれの意見を聞いた後、太田備中守は、これからどうするつもりか、と聞いた。
美濃守は、備中守に是非とも味方になって小鹿派を倒す事を主張した。福島土佐守も美濃守の意見に賛成したが、他の者たちは同意しなかった。できれば、関東の軍勢の力は借りたくはないと誰もが思い、できれば話し合いによって事を解決したいと願っていた。
早雲が、竜王丸をお屋形様とし、小鹿新五郎を後見という事にして、今川家を一つにしたらどうか、と提案した。美濃守は早雲を睨みながら顔を真っ赤にして怒った。摂津守派と竜王丸派を一つにまとめたのは早雲だった。その早雲が、今度は小鹿派と手を結ぼうと言う。摂津守派の美濃守が怒るのは当然だった。福島土佐守も早雲をなじった。天野兵部少輔も早雲のやり方は汚いと言い張った。しかし、元、竜王丸派の者たちは、それしか方法はあるまい、と早雲の意見に賛成した。
ここに集まっている者たちは、まだ誰も早雲と備中守がつながっているという事を知らない。また、備中守が小鹿派の者たちに、竜王丸派と一つになるように画策(カクサク)している事も知らない。ただ、元、竜王丸派の者たちは前以て、早雲から相談を受け、小鹿派と手を結ぶ事に同意していた。
備中守が駿府屋形に滞在していた頃、早雲は美濃守にそれとなく、小鹿派と手を結んだらどうかと聞いてみたが、そんな事、問題外じゃと相手にされなかった。摂津守派の岡部美濃守、岡部五郎兵衛、福島土佐守、この三人を落とせば、後はうまく行くのに、それは難しい事だった。早雲は自分の力でこの三人を落とす事ができないと悟り、備中守に頼んだのだった。備中守は青木城に入る以前から、この場に座る重臣たちの意見はすべて、早雲から聞き知っていたのだった。その日、備中守は皆の意見を聞くだけにとどまり、自らの意見は口に出さなかった。
客殿に帰ると備中守はのんびりと湯を浴びた。湯から出ると、また御馳走攻めが待っていた。昨日に引き続き、広間には仲居たちが山のような料理をずらりと並べている。備中守はその様子を横目で眺めながら居間の方に向かった。
居間では銭泡が待っていた。
「やあ、帰っておったか。御苦労じゃったのう」と備中守は銭泡をねぎらった。
銭泡は今日も、上杉治部少輔を訪ねて望嶽亭に行っていたのだった。
「随分とご執心(シュウシン)のようじゃな」と備中守は部屋を抜けると庭園に面した縁側に行って腰を下ろした。
「治部少輔殿がご執心なのはお茶よりも女子(オナゴ)です。まったく見てはおられません」と銭泡も縁側に行き、備中守の側に座った。
「ほう、女子にご執心か‥‥‥酒を召し上がらんお方じゃから、それも仕方あるまい。国元に帰られたら、今のような極楽な気分には浸(ヒタ)れまいからのう」
「まさに極楽です」と銭泡は苦笑した。
「新しい女子が次から次へと参りますからね。しかし、お酒も召し上がらずに、よく、あんな真似ができると感心いたします」
「ほう、どんな真似をしておるんじゃ」と備中守は扇子(センス)を扇ぎながら聞いた。
「それは、とても口に出して言えるような事では‥‥‥」
「何じゃ。勿体振らずに申してみい」
「それが‥‥‥」
「治部少輔殿の女子好きは有名じゃ。どうせ、破廉恥(ハレンチ)な事じゃろう」
「はい。破廉恥の極みと申せましょう」
「益々、聞きたくなったわい。教えてくれ」
「あの有り様を口ではとても申せませんが‥‥‥治部少輔殿は気に入った女子の下(シモ)の毛を剃るのがお好きのようで‥‥‥」
「何じゃ?」と備中守は目を丸くして、銭泡を見た。
「今日、わたしが訪ねた時、丁度、その最中でございました」
「その最中?」
「はい。その、剃っている最中でした」
「女子のあそこをか」
銭泡は頷いた。
「おぬし、それを見たのか」
「どうしてもとおっしゃるもので‥‥‥」
「ほう、治部少輔殿が女子の股座(マタグラ)を剃っているのを見たと申すか‥‥‥まさに破廉恥の極みじゃのう。それで、女子の方は喜んで、そんな真似をさせておるのか」
「いえ、剃られておる女子は恥ずかしくて泣いておりますが、見ている女子たちは自分も同じ目に会っておるので、中には囃し立てておる者もございます」
「そうか‥‥‥変わった事をする御仁じゃな。わしも一度、そんな光景を見てみたいものじゃ」
「およしになった方がよろしいかと存じます。剃られている女子が可哀想で見ておられません」
「そうか‥‥‥そうじゃろうのう。他にも変わった事をしておるんじゃろう」
「昼間からあの有り様です。夜になったら何をしておられるのか、わたしにはとても想像すらできません」
「じゃろうの‥‥‥それで、茶の湯の方はどうなんじゃ」
「はい。越前守殿から、かなり高価なお茶やお茶道具が届きますので、贅沢なお茶会をやっておられます。不思議なものでお茶会の時だけは女子の事もすっかり忘れて、まるで別人のように熱中しておられます」
「ほう。女子の事も忘れてか‥‥‥」
「はい。女子たちにも茶の湯を教えておりますが、まことに厳しい教え方でした。中には泣いてしまう女子もおりました」
「まったく不思議な御仁じゃ」
備中守の接待役を仰せつかった木田伯耆守(キダホウキノカミ)が宴会の用意ができたと呼びに来ると、備中守は銭泡を連れて広間に向かった。
広間には着飾った美女たちが並んで備中守を迎えた。
「こちらも極楽のようですな」と銭泡は備中守に言った。
「まさしく。わし一人ではとても手に負えん。伏見屋殿も極楽気分を味わってくれ」
「いえいえ、わたしは正月より、ずっと極楽気分でおります。あまり、いい思いばかりしておりますと乞食坊主に戻れなくなってしまいます」
「なに、今は成り行きに任せておればいい。地獄の覚悟さえしておれば極楽に溺れる事もあるまい」
備中守と銭泡は若い女たちに囲まれて、山海の珍味を味わい、うまい酒を楽しんだ。
備中守が青木城に滞在している間、趣向を凝らした宴会は毎晩行なわれた。清流亭にいた時もそうだったが、さすがに今川家の城下だと備中守は感心していた。江戸にいたら見る事のできないような芸人たちが豊富に揃い、歌人、連歌師、絵師などの文化人も数多く住んでいた。備中守は、今晩はどんな奴が現れるかと毎晩の宴会を楽しみにしていた。勿論、重臣たちの評定も数度行なわれたが、摂津守派は竜王丸派の意見には絶対に同意しなかった。
裏山では蝉が一時も休まず鳴きまくっている。おまけに蝿(ハエ)までもが、うるさくまとわり付いて来る。
岡部美濃守は摂津守の屋敷の離れで、摂津守と摂津守の側室、朝日姫と会っていた。
朝日姫は美濃守の妹だった。しかも、朝日姫は摂津守の長男と次男を産んでいた。摂津守の正妻は三州殿と呼ばれ、今川家の一族である三河の木田氏だった。正妻の三州殿には二人の娘がいたが、男の子には恵まれなかった。摂津守の跡を継ぐのは朝日姫の産んだ男の子だった。美濃守の甥に当たる子が摂津守の跡を継ぐ事になるので、美濃守は摂津守をお屋形様にしようと躍起になっていたのだった。
「何じゃと。早雲が小鹿派と手を結ぼうとたくらんでおるじゃと‥‥‥」
摂津守は胸を広げて、扇子で風を入れていた。
「はい」と美濃守は頷いた。
「竜王丸派の者たちは皆、早雲に同意しているようで‥‥‥」
「わしを見捨てて新五郎の奴を後見にすると言うのか」摂津守は苦々しい顔をして吐き捨てた 。
「そのようですな」
「一体、どうなっておるんじゃ。約束が違うぞ。そなたは太田備中守を味方にすれば、小鹿派など蹴散らして、お屋形に入れるのも時間の問題じゃ、そう申しておったじゃろう」
「それが、備中守殿も煮え切らん。何を考えておるんだか、さっぱり分からんのじゃ」
「兄上様、どうなるんですの」と朝日姫が額の汗を拭きながら美濃守に聞いた。
「何とかする。何とかせにゃならん」
「そうじゃ」と摂津守は扇子で自分の膝を叩いた。
「何とかせにゃならん。絶対に何とかせにゃならん。お屋形の座を諦めて、竜王丸の後見に収まったものを、今更、後見の座さえも諦められるか」
「そうよ、兄上様、何とかして下さいね」
「うるさい」と美濃守は蝿を扇子で払った。
「備中守を何としてでも味方にするんじゃ」と摂津守は怒鳴った。
「備中守さえ味方にすれば、早雲など、どうにでもなる。備中守を味方にして葛山播磨守の本拠地を攻めるんじゃ。播磨守がいなくなれば後は越前守だけじゃ。越前守の本拠地、江尻津を攻めれば越前守も抜ける。そうなれば、お屋形にいる小鹿勢など簡単に蹴散らせるわ。のう、美濃、内密に備中守と会って備中守を口説き落とせ」
「兄上様、そうして、お願いよ」
美濃守は摂津守と朝日姫を見ながら、決心を新たにすると頷いた。
「分かりました‥‥‥やってみましょう」
朝日姫の離れから去ると美濃守は城下の自分の宿所に帰って、使いの者を備中守の滞在する客殿に送った。使いの者はすぐに帰って来た。
美濃守は備中守に会いに出掛けた。
美濃守は木田伯耆守の案内で庭に面した一室に通された。
部屋には誰もおらず、備中守が庭で刀を振っているのが見えた。縁側に一人の娘が座って備中守を見守っていた。美濃守の見た事のない娘だった。
「さすが、備中守殿ですな。武芸の方も怠りがないというわけですか」と美濃守は縁側に出ると庭の備中守に声を掛けた。
「これは美濃守殿、わざわざ、どうも。いや、いや、お陰様で最近、うまい物ばかり食べて綺麗所に囲まれておりますので体が鈍りましてな。このまま関東に戻ったら、戦どころではありませんからのう」 備中守は刀を納めると、娘から手拭いを受け取り、汗を拭きながら、「美濃守殿、しばらくお待ち下さい。すぐに着替えて参ります」と言って隣の部屋に上がった。
娘も後を追うように隣の部屋に消えた。
その娘はおよのだった。清流亭を出る時、そのまま連れて来て、今では備中守の側室のように側に仕えていた。
しばらくして、備中守はさっぱりした顔をして一人で現れた。
「わざわざ、お越し頂いて申し訳ない事です」と備中守は軽く、頭を下げた。
「当然の事です。備中守殿は大切なお客人ですから」
「ところで、急なお話とは?」
「はい。実は備中守殿の本心をお聞きしたいのです。このままでは、何度、評定を重ねたとしても結果が出るとは思われません。今の状況になる以前、駿府屋形において行なわれた評定とまるで同じです。このまま行けば必ず、誰かが武力に訴える事となるでしょう。備中守殿がこの先、どうしたいと考えておられるのか、そこの所をはっきりと伺いたいと思いまして、こうして訪ねて参ったわけです」
「わたしの本心ですか」そう言って備中守は少し間を置いてから、「本心をはっきりと言えば、戦は避けたいという事です」と言った。
「もっともな事です」と美濃守は頷いた。「戦を避けたいというのは我々としても同感です。しかし、今川家を一つにまとめるためには、最小限の戦は覚悟しなければならないとも思っております。我々としては備中守殿に我々の味方になっていただき、駿河に進攻していただきたいと願っております。葛山播磨守の本拠地を攻撃さえしていただければ、それだけで、我々は小鹿派を倒し、以前のごとく、今川家を一つにまとめる事ができます」
「ふむ。しかし、以前のごとくとはならんじゃろう。わしらとしても今川家のために、ただ働きするわけにはいかん。播磨守殿の本拠地位は恩賞として頂きたいものじゃ」
「はい。その事は当然の事として考えております」
「うむ。しかしのう、わしもその事は考えて播磨守殿に言ってみたんじゃ。播磨守殿も困っておられたようじゃったが、播磨守殿はなかなかの曲者(クセモノ)じゃ。美濃守殿のお考え通りに筋が運ぶとは思えんのう。わしらが播磨守殿を攻めたとしたら、播磨守殿はあっさりと降参するじゃろう。そして、わしらの先鋒として駿府目指して攻めて来るじゃろうと見たがどうじゃな」
「うーむ。確かに‥‥‥確かに、それはあり得ますな。播磨守にとっては自分の領地さえ広がれば、今川家など、どうなろうとも関係ないと思っているに違いない」
「そうじゃろうのう。わしの見た所、播磨守殿は今川家が争いを続けていた方が都合がいいと思っているようじゃな」
「ふむ」
「それにのう、小鹿新五郎殿は扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の一族でもあるんじゃ。それがまた、厄介な問題じゃ」
「扇谷上杉氏が新五郎殿を応援しているという事ですか」
「まあ、そういう事じゃ。今、上杉氏は一つになって古河の公方様と対抗しておるが、上杉氏同士でも勢力争いのようなものがあってのう。今、関東の上杉氏は四つに分かれておるんじゃ。山内(ヤマノウチ)、扇谷、犬懸(イヌカケ)、宅間(タクマ)の四つじゃ。中でも一番の勢力を持つのは関東管領(カンレイ)である山内上杉氏じゃ。次が扇谷上杉氏というわけじゃ。山内上杉氏は、上野(コウヅケ)、武蔵、伊豆の三国の守護職(シュゴシキ)に就き、扇谷上杉氏は相模の守護職に就いておるんじゃ。扇谷上杉氏の当主は修理大夫(シュリノタイフ)殿(定正)じゃが、修理大夫殿にも野心があるんじゃよ。山内上杉氏より強い勢力を持って、やがては関東管領になるという野心じゃ。そんな折り、駿河のお屋形様に一族の小鹿殿がなるかもしれないと聞き、修理大夫殿は駿河の国を扇谷上杉氏の勢力範囲にしたいと考えるのは当然の事じゃ。修理大夫殿は小鹿新五郎殿を駿河のお屋形様にするために、このわしをこの地に送ったというわけじゃ」
「それが本心だったのですか」
「いや。それは修理大夫殿の願望じゃ。修理大夫殿はそう願うが、実際問題として考えると、そううまく行くはずはない。わしらがここまで進攻して来て、そなたたちと戦って簡単に勝てるとは思えん。長期戦となるのは、まず間違いあるまい。わしらが駿河を手に入れようと、はるばる、こんな所まで来ているうちに、古河(コガ)の公方様が暴れ出すのは目に見えている。わしらは挟み打ちにあった形となり、勢力を広げるどころか、勢力を弱める結果ともなりかねんのじゃ。実の所、わしらとしても、今、駿河に進攻して来る事など、できんというわけじゃ。しかし、今の状況が長く続けば、どうなるかは、わしには分からん。修理大夫殿が小鹿新五郎殿を助けるために駿河に進攻せよ、と命じれば、わしが止めようとしても無理じゃろうのう。そうなったら、わしは何としてでも関東の留守を守らなくてはなるまい」 「修理大夫殿は新五郎殿がお屋形様になる事を願っておりますか‥‥‥」
「そうじゃ。修理大夫殿が駿河進攻を命ずる前に、今川家を一つにまとめん事には、今川家は危ない事になりそうですな」
美濃守は黙ったまま、庭の方を見つめていた。
「わしの調べた所によると、今川家には葛山殿だけではなく、西の方にも危険な者を抱えておるようですな」と備中守は言った。
「上杉勢が駿河に進攻して来れば、それに呼応するように、西の方でも騒ぎが始まり、今川家は滅亡という事もありえますぞ」
「西の方の危険な者とは天野氏の事ですか」
「さよう。天野氏も葛山氏と同じく今川家の被官となってはいるが、今の領地は元々、今川家から貰ったものではない。自力で広げたものじゃ。今川家が弱くなれば当然、今川家には背く。いや、今川家が弱体化する事を願っているのかもしれんのう」
美濃守は微かに頷いて、また庭に目をやった。
「美濃守殿、小さな欲に囚われていると大きな損を致しますぞ」と備中守は言った。
美濃守ははっとして備中守を見た。
「ここの所は我を捨て、今川家の事を考えないと、とんだ事になってしまいますぞ。わしは何度か、美濃守殿のお噂は耳にした事があります。しかし、今回の美濃守殿の行動はどうも腑に落ちませんな。いつも公明正大である美濃守殿とは思えません。今川家のために、もう一度、考え直してみては頂けませんか」
美濃守はしばらく黙っていたが、備前守を見つめながら頷いた。
「さて、話はこれ位にして、どうです、お茶でもいかがですか」と備中守は笑った。
「美濃守殿もなかなか、お茶にはうるさいと伏見屋殿より聞いております。どうぞ、茶屋の方に用意させましたので、一服いかがです」
「はあ、どうも‥‥‥伏見屋殿がお茶を?」
「いえ、伏見屋殿も忙しいようで、今日もまた、望嶽亭の方に出掛けております。」
「望嶽亭というと、治部少輔殿の所へ?」
「はい、治部少輔殿も今川家が元通りに戻らない事には国元へは帰れず、毎日、苦しんでおられるようです」
「そうですか‥‥‥」
「さあ、どうぞ」 美濃守は備中守に案内されるまま、庭園内に建つ茶屋に向かった。
3
早雲庵を小雨が濡らしていた。
暑い夏も終わりに近づき、秋になろうとしていた。昨日までの暑さが嘘のように、今日は肌寒かった。
早雲が孫雲、才雲、荒川坊を引き連れて、早朝の海での一泳ぎから戻って来ると、以外な人物が早雲庵の縁側に腰掛けて待っていた。
供侍を二人連れた岡部美濃守だった。
美濃守は太田備中守と二人だけで会った時から、ずっと悩んでいた。確かに、備中守の言う通りだった。我欲を捨て、大局の立場に立って考えなければ、今川家を滅亡に追い込む事に成りかねなかった。しかし、頭では分かっていても、摂津守の屋敷に戻って、摂津守や妹、甥の顔を見て、何とかしてくれと迫られると、そう簡単に考えを変えられるものではなかった。
備中守は半月程、青木城下の客殿に滞在して、また八幡山に帰って行った。その間、重臣たちの評定は数回行なわれたが、結論の出る事はなかった。福島土佐守と天野兵部少輔が小鹿派と手を組む事に猛反対していたが、美濃守は不気味に黙り通していた。
備中守が八幡山に戻った後、美濃守は今川家のために我欲を捨てる決心をした。今川家を一つにまとめるには、早雲の言う通り、竜王丸をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見とする以外にはなかった。摂津守を説得するのは難しい事は分かっていても、しなければならなかった。
美濃守は朝から晩まで怒鳴りまくる摂津守と泣き喚(ワメ)く朝日姫を相手にを説得に励んでいた。結局、摂津守は美濃守の言う事を納得しなかったが、半ば、諦めたかのように気落ちして行った。さらに、美濃守は摂津守派の者たちを集めて、一時も早く、今川家を一つにまとめなければならない、そのためには、摂津守殿には手を引いてもらうよりはないと言った。初めのうちは皆、美濃守の言う事を聞かなかったが、関東の上杉氏が駿河の国を乗っ取ろうと狙っている事を告げると、美濃守の力強い説得に耳を傾けるようになった。やがて、美濃守が諦めたのならしょうがないと皆、竜王丸をお屋形様にし、小鹿新五郎を後見とする事に賛成してくれた。話が決まると、それぞれが、それぞれの思惑によって行動を開始した。摂津守を諦めたとなると、早いうちに竜王丸派の者と接触をして、新しい今川家内での自分の地位を獲得しなければならなかった。昨日まで竜王丸派の者たちを相手に大声で怒鳴り合っていた者たちが、手の平を返すように竜王丸派の重臣たちに近づいて行った。
美濃守は何とか摂津守派の者たちを説得すると、その事を竜王丸派の朝比奈和泉守に告げた。和泉守は、これで今川家も安泰じゃと喜び、早く早雲に伝えてやろうと言った。和泉守によると、竜王丸派では今回の事は早雲に任せてあるとの事だった。今回の事は早雲の裏での活躍があって、今の状況にまで来られた。もし、早雲がいなかったら竜王丸は殺され、小鹿派の思い通りになっていたに違いないと言った。噂では早雲が何やらやっていた事は知っていたが、改めて、和泉守から早雲の活躍を聞いて、美濃守は早雲という男を見直していた。
早雲は竜王丸の伯父であった。普通なら、その立場を利用して今川家中に入って来て、堂々と自分の意見を主張するだろう。しかし、早雲は表に出る事はなく、今川家のために裏側で活躍していた。そんな早雲と自分を比べて、今川家の事も考えずに、ただ、妹の亭主であるというだけで摂津守をお屋形様にする事に固執していた自分が恥ずかしいと、今になって美濃守は後悔していた。美濃守は改めて早雲という男に会いたくなって、こうして、わざわざ、朝早くから早雲庵にやって来たのだった。
「美濃守殿、一体、どうしたのです」と早雲は驚いた顔をして聞いて来た。
「こんな早くから。御用がおありなら、わたしの方から出向いたものを」
「いやいや、一度、そなたの庵(イオリ)というものを見てみたかったのでな」と美濃守は言った。「来て見てびっくりしたわ。いくつも庵が建っておるんじゃのう」
「はい。初めは一つだったのですが、いつのまにか住人が増えまして、この有り様です」
「なかなか、いい所じゃ」
「はい。住み易いもので、つい、ここに腰を落着けてしまいました」
美濃守は笑った。
久し振りに笑ったような気がした。お屋形様が亡くなってから、毎日、権謀術数(ケンボウジュッスウ)の中に身を置いて、安らぎというものはなかった。早雲庵に来て、小雨の降る中、のんびりと早雲の帰りを待っているうちに、心は安らぎ、自然と口がほころんで来たのだった。
「この雨の中、海の方に行かれていたとか」と美濃守は聞いた。
「はい。ここにいる時は毎朝、海で泳ぐのを日課にしております」
「ほう。泳いでおったのか‥‥‥さぞ、気持ちいい事じゃろうのう」
「一度、始めたら病み付きになります」
「そうか‥‥‥」
「どうぞ、狭い所ですがお上がり下さい」
美濃守は部屋に上がると部屋の中を見回した。余計な物など何もないと言ってもいい程、質素な暮らし振りだった。美濃守は早雲が茶の湯を嗜(タシナ)む事を知っている。美濃守は早雲が住んでいる早雲庵とは村田珠光流の茶室だろうと思っていた。床の間があり、壁には有名な山水画が掛かり、違い棚には名物と呼ばれるような茶道具が並んでいるものと思っていた。しかし、実際の早雲庵には床の間も違い棚もなく、まして、名物と言われる程の茶道具など、どこにも見当たらない。ただ、壁に表装もしていない富士山の絵が飾ってあるだけだった。
「早雲殿。摂津守殿は後見の座を降りる事に致しました」と美濃守は言った。
「えっ? まことですか」と早雲は信じられないといった顔をして聞いた。
美濃守は頷いた。「今川家のために」
「そうですか‥‥‥摂津守殿が身を引いてくれましたか。ありがたい事です。これで今川家は一つに戻れます。ほんとに喜ばしい事です」
早雲は心から喜んでいた。よかった、よかったと何度も言っていた。
「そこで、早雲殿、この事を太田備中守殿に伝えてほしいんじゃが」と美濃守は言った。
「畏まりました」と早雲は頷いた。「銭泡殿が備中守殿のもとにおります。銭泡殿の手引によって備中守殿と会う事はできると思います」
「うむ。しかし、銭泡殿が備中守殿と一緒に駿府に来るとは驚きましたな」
「はい。わたしも驚きました。銭泡殿が備中守殿を知っておったとは」
「ところで、こちらの意見は一つになったが、果たして、小鹿派の者たちがお屋形様の座を竜王丸殿に譲るじゃろうかのう」
「分かりません。しかし、福島越前守殿は同意する事と思います。問題は葛山播磨守殿がどうでるかですね。備中守殿がうまく話を付けてくれる事を願うしかありません」
「確かに‥‥‥早雲殿、お聞きしたいのじゃが、前以て、備中守殿と会っていたのではないかのう」
早雲は美濃守を見つめながら、「どうしてです」と聞いた。
「銭泡殿じゃ。備中守殿と一緒に銭泡殿も帰って来たとすれば、銭泡殿が早雲殿を訪ねないわけがない。そして、銭泡殿から早雲殿の事を聞けば、備中守殿は内密に早雲殿に会いに来たのではないかと思えるんじゃ」
「成程、さすがですな」と早雲は笑った。「確かに、銭泡殿が備中守殿をここにお連れしました」
「やはり。という事は備中守殿は早雲殿の意見に同意して、その考えのもと、行動していたという事じゃな」
「はい、そうなります。備中守殿も戦にならないように、今川家をまとめようと考えておいででしたので‥‥‥」
「成程のう。備中守殿といい、早雲殿といい、なかなかの名将ですな。今回、今川家の重臣たちは、お二人には頭が上がりませんのう」
「いえ、わたしの立場としては、こうするしかなかったのです。美濃守殿がわたしの立場だとしたら、やはり、同じような事をした事でしょう。ただ、備中守殿は確かに名将と呼ぶにふさわしいお人です」
「確かに」と美濃守は言って、苦笑した。「わしもその事はこの前、二人きりで会った時、嫌という程、思い知らされたわ」
「二人きりでお会いになったのですか」
「備中守殿を味方に引き入れようと勇んで出掛けたが、備中守殿にこてんぱんにやられたわ。やはり、関東のような広い地を舞台に活躍している武将は考える事が大きいわ。備中守殿の話を聞いておると、自分の考えていた事があまりにも小さかった事を思い知らされた。まったく情けない事じゃ」
「備中守殿は常に自分の立場を見極めた上で、相手の立場も充分に考えておられます。相手の立場に立って考えると敵の裏をかく事も可能だと言っておりました」
「相手の立場に立つか‥‥‥言ってしまえば何でもない事じゃが、実際の戦において、それを実行して行く事はなかなか難しい事じゃ。つい、自分の策に溺(オボ)れて、敵を侮(アナド)ってしまう。いつも、冷静な目で自分と敵を見つめて行く事は至難な事じゃな」
「はい。確かにそうです」
「早雲殿、お願いしますぞ。備中守殿と共に小鹿派を説得して下され」
「はい。畏まりました」
「何やら、ここにいるとホッとするのう」と美濃守は外を眺めながら言った。
「駿府とは一山離れておりますから、こちらは静かです」
「いや、それもあるがのう。何となく、新鮮な雰囲気があるのう、ここには」
「そんなもんですか‥‥‥」
「和尚さん、おるかね」と近所の村人が、いつものように訪ねて来た。
「お客のようじゃが」と美濃守が言った。
「いえ、いいんですよ」と早雲は笑った。「別に用があるわけではないんですから」
村人は早雲庵の中をチラッと覗くと、「お客さんですか、失礼、失礼」と言いながら消えた。
「何者じゃ」
「近所の者です。よく遊びに来るんですよ」
「遊びに?」
「はい。いつの間にか、ここは、この辺りの村人たちの寄り合い所みたいになってしまって、年寄り連中やら子供たちが集まって来るのです」
「ほう、村の寄り合い所か‥‥‥早雲殿も変わっておるのう」
「いえ。わたしはただの僧ですから、村人たちの中に入って行かないと、ここで暮らして行くわけには行きませんので」
「失礼じゃが、お屋形様のお世話になっていたのではなかったのか」
「いえ、こちらに移ってからは、その件はお断り致しました。住む所さえあれば、わたし一人、食う事位、何とでもなりますから」
「そうじゃったのか‥‥‥」
「わたしが今までここで暮らして来られたのも、村人たちのお陰だったというわけです」
「ふーむ。そなたも欲のないお方よのう。先代のお屋形様に頼めば、立派な寺の一つも建ててくれたじゃろうに」
「性分と申しますか、わたしはどうも大きな屋敷というのは苦手でして、この位の庵が一番、住み良いのです。それに、立派な屋敷を持ちますと屋敷に縛られてしまいますから」
「屋敷に縛られる?」
「はい。わたしはよく旅に出ます。旅に出る時も、ここはいつも開けっ放しです。旅から帰って来ると、必ず、見ず知らずの者が我家のごとくに住んでおります」
「見ず知らずの者がここにか」
「はい。でも、わたしはそれでいいと思っております。誰でも気軽に利用してこそ、この庵も価値があると思っております。わたしは旅に出ると、この庵の事はすっかり忘れてしまいます。旅に出た時は旅の事しか考えず、もし、別の地に落ち着く事になったとしても、それはそれで構わないと思っております。ところが、立派な屋敷に住んでおりますと色々な物を集めます。それは、やがて財産となり、もし、旅に出るとすれば厳重に戸締りをしなければなりません。そして、旅の間にも屋敷の事が心配となるでしょう。必ず、屋敷に帰って来なくてはならなくなるでしょう。屋敷に縛られる事になるのです」
「成程、本来無一物の境地でいたいという事じゃな」
「その通りです。なるべく、その境地の近くにおりたいと願っております」
急に賑やかな娘たちの声が聞こえて来たかと思うと、どやどやと娘たちが台所に入って来た。おはようございます、と元気よく早雲に挨拶をすると、それぞれが抱えて来た野菜やら米やらを使って食事の支度を始めた。
「いつも悪いのう」と早雲は娘たちに礼を言った。
「ここにも、下女はちゃんとおるようじゃのう」と美濃守は娘たちを見ながら言った。
「いえ、下女ではありません。村の娘たちが、わざわざ、食事を作りに通ってくれておるのです」
「村の娘が、ただでか」
「はい。その代わり、ここにいる者たちが毎日、村に出て行って、村人たちのために働いております」
「ほう、浪人風の者たちが何人かいたようじゃったが、奴らが村に出て行って働いているというのか」
「はい。村人たちのために河川の堤防を築いたり、用水を引いたり、朝から晩まで泥だらけになって働いております」 「あいつらがか。信じられんのう。奴らもただ働きなのか」
「銭にはなりませんが、村人たちからは充分な差し入れがございます」
「ふむ‥‥‥早雲殿、そなたは変わっておられるのう。伊勢家という名門の出でありながら、百姓どものために働いておるとはのう」
「時代はどんどん変わって来ております。これからは土地を直接に耕している百姓たちを大切に扱わないと、彼らも国人たちと手を結び、守護大名に反抗して来る事でしょう。すでに、近畿の方では、力を持った国人たちが百姓たちと共に大名に反抗するという事が頻繁(ヒンパン)に行なわれております」
「一揆という奴じゃな」
「はい。一揆です」
「この駿河では、そんな事は起こらん」
「はい。そうは思いますが油断は禁物です。新しい今川家は以前よりも増して、家臣たちが団結しなければならないと思いますが」
「それは勿論の事じゃ。二度と分裂しないように、しっかりと家中をまとめなくてはならん」
美濃守は村娘たちの手作りの料理を食べると帰って行った。それは決して贅沢な食事とは言えないが、気持ちのこもった暖かい料理だった。
「やあ、帰っておったか。御苦労じゃったのう」と備中守は銭泡をねぎらった。
銭泡は今日も、上杉治部少輔を訪ねて望嶽亭に行っていたのだった。
「随分とご執心(シュウシン)のようじゃな」と備中守は部屋を抜けると庭園に面した縁側に行って腰を下ろした。
「治部少輔殿がご執心なのはお茶よりも女子(オナゴ)です。まったく見てはおられません」と銭泡も縁側に行き、備中守の側に座った。
「ほう、女子にご執心か‥‥‥酒を召し上がらんお方じゃから、それも仕方あるまい。国元に帰られたら、今のような極楽な気分には浸(ヒタ)れまいからのう」
「まさに極楽です」と銭泡は苦笑した。
「新しい女子が次から次へと参りますからね。しかし、お酒も召し上がらずに、よく、あんな真似ができると感心いたします」
「ほう、どんな真似をしておるんじゃ」と備中守は扇子(センス)を扇ぎながら聞いた。
「それは、とても口に出して言えるような事では‥‥‥」
「何じゃ。勿体振らずに申してみい」
「それが‥‥‥」
「治部少輔殿の女子好きは有名じゃ。どうせ、破廉恥(ハレンチ)な事じゃろう」
「はい。破廉恥の極みと申せましょう」
「益々、聞きたくなったわい。教えてくれ」
「あの有り様を口ではとても申せませんが‥‥‥治部少輔殿は気に入った女子の下(シモ)の毛を剃るのがお好きのようで‥‥‥」
「何じゃ?」と備中守は目を丸くして、銭泡を見た。
「今日、わたしが訪ねた時、丁度、その最中でございました」
「その最中?」
「はい。その、剃っている最中でした」
「女子のあそこをか」
銭泡は頷いた。
「おぬし、それを見たのか」
「どうしてもとおっしゃるもので‥‥‥」
「ほう、治部少輔殿が女子の股座(マタグラ)を剃っているのを見たと申すか‥‥‥まさに破廉恥の極みじゃのう。それで、女子の方は喜んで、そんな真似をさせておるのか」
「いえ、剃られておる女子は恥ずかしくて泣いておりますが、見ている女子たちは自分も同じ目に会っておるので、中には囃し立てておる者もございます」
「そうか‥‥‥変わった事をする御仁じゃな。わしも一度、そんな光景を見てみたいものじゃ」
「およしになった方がよろしいかと存じます。剃られている女子が可哀想で見ておられません」
「そうか‥‥‥そうじゃろうのう。他にも変わった事をしておるんじゃろう」
「昼間からあの有り様です。夜になったら何をしておられるのか、わたしにはとても想像すらできません」
「じゃろうの‥‥‥それで、茶の湯の方はどうなんじゃ」
「はい。越前守殿から、かなり高価なお茶やお茶道具が届きますので、贅沢なお茶会をやっておられます。不思議なものでお茶会の時だけは女子の事もすっかり忘れて、まるで別人のように熱中しておられます」
「ほう。女子の事も忘れてか‥‥‥」
「はい。女子たちにも茶の湯を教えておりますが、まことに厳しい教え方でした。中には泣いてしまう女子もおりました」
「まったく不思議な御仁じゃ」
備中守の接待役を仰せつかった木田伯耆守(キダホウキノカミ)が宴会の用意ができたと呼びに来ると、備中守は銭泡を連れて広間に向かった。
広間には着飾った美女たちが並んで備中守を迎えた。
「こちらも極楽のようですな」と銭泡は備中守に言った。
「まさしく。わし一人ではとても手に負えん。伏見屋殿も極楽気分を味わってくれ」
「いえいえ、わたしは正月より、ずっと極楽気分でおります。あまり、いい思いばかりしておりますと乞食坊主に戻れなくなってしまいます」
「なに、今は成り行きに任せておればいい。地獄の覚悟さえしておれば極楽に溺れる事もあるまい」
備中守と銭泡は若い女たちに囲まれて、山海の珍味を味わい、うまい酒を楽しんだ。
備中守が青木城に滞在している間、趣向を凝らした宴会は毎晩行なわれた。清流亭にいた時もそうだったが、さすがに今川家の城下だと備中守は感心していた。江戸にいたら見る事のできないような芸人たちが豊富に揃い、歌人、連歌師、絵師などの文化人も数多く住んでいた。備中守は、今晩はどんな奴が現れるかと毎晩の宴会を楽しみにしていた。勿論、重臣たちの評定も数度行なわれたが、摂津守派は竜王丸派の意見には絶対に同意しなかった。
2
風のまったくない、うだるような暑さだった。裏山では蝉が一時も休まず鳴きまくっている。おまけに蝿(ハエ)までもが、うるさくまとわり付いて来る。
岡部美濃守は摂津守の屋敷の離れで、摂津守と摂津守の側室、朝日姫と会っていた。
朝日姫は美濃守の妹だった。しかも、朝日姫は摂津守の長男と次男を産んでいた。摂津守の正妻は三州殿と呼ばれ、今川家の一族である三河の木田氏だった。正妻の三州殿には二人の娘がいたが、男の子には恵まれなかった。摂津守の跡を継ぐのは朝日姫の産んだ男の子だった。美濃守の甥に当たる子が摂津守の跡を継ぐ事になるので、美濃守は摂津守をお屋形様にしようと躍起になっていたのだった。
「何じゃと。早雲が小鹿派と手を結ぼうとたくらんでおるじゃと‥‥‥」
摂津守は胸を広げて、扇子で風を入れていた。
「はい」と美濃守は頷いた。
「竜王丸派の者たちは皆、早雲に同意しているようで‥‥‥」
「わしを見捨てて新五郎の奴を後見にすると言うのか」摂津守は苦々しい顔をして吐き捨てた 。
「そのようですな」
「一体、どうなっておるんじゃ。約束が違うぞ。そなたは太田備中守を味方にすれば、小鹿派など蹴散らして、お屋形に入れるのも時間の問題じゃ、そう申しておったじゃろう」
「それが、備中守殿も煮え切らん。何を考えておるんだか、さっぱり分からんのじゃ」
「兄上様、どうなるんですの」と朝日姫が額の汗を拭きながら美濃守に聞いた。
「何とかする。何とかせにゃならん」
「そうじゃ」と摂津守は扇子で自分の膝を叩いた。
「何とかせにゃならん。絶対に何とかせにゃならん。お屋形の座を諦めて、竜王丸の後見に収まったものを、今更、後見の座さえも諦められるか」
「そうよ、兄上様、何とかして下さいね」
「うるさい」と美濃守は蝿を扇子で払った。
「備中守を何としてでも味方にするんじゃ」と摂津守は怒鳴った。
「備中守さえ味方にすれば、早雲など、どうにでもなる。備中守を味方にして葛山播磨守の本拠地を攻めるんじゃ。播磨守がいなくなれば後は越前守だけじゃ。越前守の本拠地、江尻津を攻めれば越前守も抜ける。そうなれば、お屋形にいる小鹿勢など簡単に蹴散らせるわ。のう、美濃、内密に備中守と会って備中守を口説き落とせ」
「兄上様、そうして、お願いよ」
美濃守は摂津守と朝日姫を見ながら、決心を新たにすると頷いた。
「分かりました‥‥‥やってみましょう」
朝日姫の離れから去ると美濃守は城下の自分の宿所に帰って、使いの者を備中守の滞在する客殿に送った。使いの者はすぐに帰って来た。
美濃守は備中守に会いに出掛けた。
美濃守は木田伯耆守の案内で庭に面した一室に通された。
部屋には誰もおらず、備中守が庭で刀を振っているのが見えた。縁側に一人の娘が座って備中守を見守っていた。美濃守の見た事のない娘だった。
「さすが、備中守殿ですな。武芸の方も怠りがないというわけですか」と美濃守は縁側に出ると庭の備中守に声を掛けた。
「これは美濃守殿、わざわざ、どうも。いや、いや、お陰様で最近、うまい物ばかり食べて綺麗所に囲まれておりますので体が鈍りましてな。このまま関東に戻ったら、戦どころではありませんからのう」 備中守は刀を納めると、娘から手拭いを受け取り、汗を拭きながら、「美濃守殿、しばらくお待ち下さい。すぐに着替えて参ります」と言って隣の部屋に上がった。
娘も後を追うように隣の部屋に消えた。
その娘はおよのだった。清流亭を出る時、そのまま連れて来て、今では備中守の側室のように側に仕えていた。
しばらくして、備中守はさっぱりした顔をして一人で現れた。
「わざわざ、お越し頂いて申し訳ない事です」と備中守は軽く、頭を下げた。
「当然の事です。備中守殿は大切なお客人ですから」
「ところで、急なお話とは?」
「はい。実は備中守殿の本心をお聞きしたいのです。このままでは、何度、評定を重ねたとしても結果が出るとは思われません。今の状況になる以前、駿府屋形において行なわれた評定とまるで同じです。このまま行けば必ず、誰かが武力に訴える事となるでしょう。備中守殿がこの先、どうしたいと考えておられるのか、そこの所をはっきりと伺いたいと思いまして、こうして訪ねて参ったわけです」
「わたしの本心ですか」そう言って備中守は少し間を置いてから、「本心をはっきりと言えば、戦は避けたいという事です」と言った。
「もっともな事です」と美濃守は頷いた。「戦を避けたいというのは我々としても同感です。しかし、今川家を一つにまとめるためには、最小限の戦は覚悟しなければならないとも思っております。我々としては備中守殿に我々の味方になっていただき、駿河に進攻していただきたいと願っております。葛山播磨守の本拠地を攻撃さえしていただければ、それだけで、我々は小鹿派を倒し、以前のごとく、今川家を一つにまとめる事ができます」
「ふむ。しかし、以前のごとくとはならんじゃろう。わしらとしても今川家のために、ただ働きするわけにはいかん。播磨守殿の本拠地位は恩賞として頂きたいものじゃ」
「はい。その事は当然の事として考えております」
「うむ。しかしのう、わしもその事は考えて播磨守殿に言ってみたんじゃ。播磨守殿も困っておられたようじゃったが、播磨守殿はなかなかの曲者(クセモノ)じゃ。美濃守殿のお考え通りに筋が運ぶとは思えんのう。わしらが播磨守殿を攻めたとしたら、播磨守殿はあっさりと降参するじゃろう。そして、わしらの先鋒として駿府目指して攻めて来るじゃろうと見たがどうじゃな」
「うーむ。確かに‥‥‥確かに、それはあり得ますな。播磨守にとっては自分の領地さえ広がれば、今川家など、どうなろうとも関係ないと思っているに違いない」
「そうじゃろうのう。わしの見た所、播磨守殿は今川家が争いを続けていた方が都合がいいと思っているようじゃな」
「ふむ」
「それにのう、小鹿新五郎殿は扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の一族でもあるんじゃ。それがまた、厄介な問題じゃ」
「扇谷上杉氏が新五郎殿を応援しているという事ですか」
「まあ、そういう事じゃ。今、上杉氏は一つになって古河の公方様と対抗しておるが、上杉氏同士でも勢力争いのようなものがあってのう。今、関東の上杉氏は四つに分かれておるんじゃ。山内(ヤマノウチ)、扇谷、犬懸(イヌカケ)、宅間(タクマ)の四つじゃ。中でも一番の勢力を持つのは関東管領(カンレイ)である山内上杉氏じゃ。次が扇谷上杉氏というわけじゃ。山内上杉氏は、上野(コウヅケ)、武蔵、伊豆の三国の守護職(シュゴシキ)に就き、扇谷上杉氏は相模の守護職に就いておるんじゃ。扇谷上杉氏の当主は修理大夫(シュリノタイフ)殿(定正)じゃが、修理大夫殿にも野心があるんじゃよ。山内上杉氏より強い勢力を持って、やがては関東管領になるという野心じゃ。そんな折り、駿河のお屋形様に一族の小鹿殿がなるかもしれないと聞き、修理大夫殿は駿河の国を扇谷上杉氏の勢力範囲にしたいと考えるのは当然の事じゃ。修理大夫殿は小鹿新五郎殿を駿河のお屋形様にするために、このわしをこの地に送ったというわけじゃ」
「それが本心だったのですか」
「いや。それは修理大夫殿の願望じゃ。修理大夫殿はそう願うが、実際問題として考えると、そううまく行くはずはない。わしらがここまで進攻して来て、そなたたちと戦って簡単に勝てるとは思えん。長期戦となるのは、まず間違いあるまい。わしらが駿河を手に入れようと、はるばる、こんな所まで来ているうちに、古河(コガ)の公方様が暴れ出すのは目に見えている。わしらは挟み打ちにあった形となり、勢力を広げるどころか、勢力を弱める結果ともなりかねんのじゃ。実の所、わしらとしても、今、駿河に進攻して来る事など、できんというわけじゃ。しかし、今の状況が長く続けば、どうなるかは、わしには分からん。修理大夫殿が小鹿新五郎殿を助けるために駿河に進攻せよ、と命じれば、わしが止めようとしても無理じゃろうのう。そうなったら、わしは何としてでも関東の留守を守らなくてはなるまい」 「修理大夫殿は新五郎殿がお屋形様になる事を願っておりますか‥‥‥」
「そうじゃ。修理大夫殿が駿河進攻を命ずる前に、今川家を一つにまとめん事には、今川家は危ない事になりそうですな」
美濃守は黙ったまま、庭の方を見つめていた。
「わしの調べた所によると、今川家には葛山殿だけではなく、西の方にも危険な者を抱えておるようですな」と備中守は言った。
「上杉勢が駿河に進攻して来れば、それに呼応するように、西の方でも騒ぎが始まり、今川家は滅亡という事もありえますぞ」
「西の方の危険な者とは天野氏の事ですか」
「さよう。天野氏も葛山氏と同じく今川家の被官となってはいるが、今の領地は元々、今川家から貰ったものではない。自力で広げたものじゃ。今川家が弱くなれば当然、今川家には背く。いや、今川家が弱体化する事を願っているのかもしれんのう」
美濃守は微かに頷いて、また庭に目をやった。
「美濃守殿、小さな欲に囚われていると大きな損を致しますぞ」と備中守は言った。
美濃守ははっとして備中守を見た。
「ここの所は我を捨て、今川家の事を考えないと、とんだ事になってしまいますぞ。わしは何度か、美濃守殿のお噂は耳にした事があります。しかし、今回の美濃守殿の行動はどうも腑に落ちませんな。いつも公明正大である美濃守殿とは思えません。今川家のために、もう一度、考え直してみては頂けませんか」
美濃守はしばらく黙っていたが、備前守を見つめながら頷いた。
「さて、話はこれ位にして、どうです、お茶でもいかがですか」と備中守は笑った。
「美濃守殿もなかなか、お茶にはうるさいと伏見屋殿より聞いております。どうぞ、茶屋の方に用意させましたので、一服いかがです」
「はあ、どうも‥‥‥伏見屋殿がお茶を?」
「いえ、伏見屋殿も忙しいようで、今日もまた、望嶽亭の方に出掛けております。」
「望嶽亭というと、治部少輔殿の所へ?」
「はい、治部少輔殿も今川家が元通りに戻らない事には国元へは帰れず、毎日、苦しんでおられるようです」
「そうですか‥‥‥」
「さあ、どうぞ」 美濃守は備中守に案内されるまま、庭園内に建つ茶屋に向かった。
3
暑い夏も終わりに近づき、秋になろうとしていた。昨日までの暑さが嘘のように、今日は肌寒かった。
早雲が孫雲、才雲、荒川坊を引き連れて、早朝の海での一泳ぎから戻って来ると、以外な人物が早雲庵の縁側に腰掛けて待っていた。
供侍を二人連れた岡部美濃守だった。
美濃守は太田備中守と二人だけで会った時から、ずっと悩んでいた。確かに、備中守の言う通りだった。我欲を捨て、大局の立場に立って考えなければ、今川家を滅亡に追い込む事に成りかねなかった。しかし、頭では分かっていても、摂津守の屋敷に戻って、摂津守や妹、甥の顔を見て、何とかしてくれと迫られると、そう簡単に考えを変えられるものではなかった。
備中守は半月程、青木城下の客殿に滞在して、また八幡山に帰って行った。その間、重臣たちの評定は数回行なわれたが、結論の出る事はなかった。福島土佐守と天野兵部少輔が小鹿派と手を組む事に猛反対していたが、美濃守は不気味に黙り通していた。
備中守が八幡山に戻った後、美濃守は今川家のために我欲を捨てる決心をした。今川家を一つにまとめるには、早雲の言う通り、竜王丸をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見とする以外にはなかった。摂津守を説得するのは難しい事は分かっていても、しなければならなかった。
美濃守は朝から晩まで怒鳴りまくる摂津守と泣き喚(ワメ)く朝日姫を相手にを説得に励んでいた。結局、摂津守は美濃守の言う事を納得しなかったが、半ば、諦めたかのように気落ちして行った。さらに、美濃守は摂津守派の者たちを集めて、一時も早く、今川家を一つにまとめなければならない、そのためには、摂津守殿には手を引いてもらうよりはないと言った。初めのうちは皆、美濃守の言う事を聞かなかったが、関東の上杉氏が駿河の国を乗っ取ろうと狙っている事を告げると、美濃守の力強い説得に耳を傾けるようになった。やがて、美濃守が諦めたのならしょうがないと皆、竜王丸をお屋形様にし、小鹿新五郎を後見とする事に賛成してくれた。話が決まると、それぞれが、それぞれの思惑によって行動を開始した。摂津守を諦めたとなると、早いうちに竜王丸派の者と接触をして、新しい今川家内での自分の地位を獲得しなければならなかった。昨日まで竜王丸派の者たちを相手に大声で怒鳴り合っていた者たちが、手の平を返すように竜王丸派の重臣たちに近づいて行った。
美濃守は何とか摂津守派の者たちを説得すると、その事を竜王丸派の朝比奈和泉守に告げた。和泉守は、これで今川家も安泰じゃと喜び、早く早雲に伝えてやろうと言った。和泉守によると、竜王丸派では今回の事は早雲に任せてあるとの事だった。今回の事は早雲の裏での活躍があって、今の状況にまで来られた。もし、早雲がいなかったら竜王丸は殺され、小鹿派の思い通りになっていたに違いないと言った。噂では早雲が何やらやっていた事は知っていたが、改めて、和泉守から早雲の活躍を聞いて、美濃守は早雲という男を見直していた。
早雲は竜王丸の伯父であった。普通なら、その立場を利用して今川家中に入って来て、堂々と自分の意見を主張するだろう。しかし、早雲は表に出る事はなく、今川家のために裏側で活躍していた。そんな早雲と自分を比べて、今川家の事も考えずに、ただ、妹の亭主であるというだけで摂津守をお屋形様にする事に固執していた自分が恥ずかしいと、今になって美濃守は後悔していた。美濃守は改めて早雲という男に会いたくなって、こうして、わざわざ、朝早くから早雲庵にやって来たのだった。
「美濃守殿、一体、どうしたのです」と早雲は驚いた顔をして聞いて来た。
「こんな早くから。御用がおありなら、わたしの方から出向いたものを」
「いやいや、一度、そなたの庵(イオリ)というものを見てみたかったのでな」と美濃守は言った。「来て見てびっくりしたわ。いくつも庵が建っておるんじゃのう」
「はい。初めは一つだったのですが、いつのまにか住人が増えまして、この有り様です」
「なかなか、いい所じゃ」
「はい。住み易いもので、つい、ここに腰を落着けてしまいました」
美濃守は笑った。
久し振りに笑ったような気がした。お屋形様が亡くなってから、毎日、権謀術数(ケンボウジュッスウ)の中に身を置いて、安らぎというものはなかった。早雲庵に来て、小雨の降る中、のんびりと早雲の帰りを待っているうちに、心は安らぎ、自然と口がほころんで来たのだった。
「この雨の中、海の方に行かれていたとか」と美濃守は聞いた。
「はい。ここにいる時は毎朝、海で泳ぐのを日課にしております」
「ほう。泳いでおったのか‥‥‥さぞ、気持ちいい事じゃろうのう」
「一度、始めたら病み付きになります」
「そうか‥‥‥」
「どうぞ、狭い所ですがお上がり下さい」
美濃守は部屋に上がると部屋の中を見回した。余計な物など何もないと言ってもいい程、質素な暮らし振りだった。美濃守は早雲が茶の湯を嗜(タシナ)む事を知っている。美濃守は早雲が住んでいる早雲庵とは村田珠光流の茶室だろうと思っていた。床の間があり、壁には有名な山水画が掛かり、違い棚には名物と呼ばれるような茶道具が並んでいるものと思っていた。しかし、実際の早雲庵には床の間も違い棚もなく、まして、名物と言われる程の茶道具など、どこにも見当たらない。ただ、壁に表装もしていない富士山の絵が飾ってあるだけだった。
「早雲殿。摂津守殿は後見の座を降りる事に致しました」と美濃守は言った。
「えっ? まことですか」と早雲は信じられないといった顔をして聞いた。
美濃守は頷いた。「今川家のために」
「そうですか‥‥‥摂津守殿が身を引いてくれましたか。ありがたい事です。これで今川家は一つに戻れます。ほんとに喜ばしい事です」
早雲は心から喜んでいた。よかった、よかったと何度も言っていた。
「そこで、早雲殿、この事を太田備中守殿に伝えてほしいんじゃが」と美濃守は言った。
「畏まりました」と早雲は頷いた。「銭泡殿が備中守殿のもとにおります。銭泡殿の手引によって備中守殿と会う事はできると思います」
「うむ。しかし、銭泡殿が備中守殿と一緒に駿府に来るとは驚きましたな」
「はい。わたしも驚きました。銭泡殿が備中守殿を知っておったとは」
「ところで、こちらの意見は一つになったが、果たして、小鹿派の者たちがお屋形様の座を竜王丸殿に譲るじゃろうかのう」
「分かりません。しかし、福島越前守殿は同意する事と思います。問題は葛山播磨守殿がどうでるかですね。備中守殿がうまく話を付けてくれる事を願うしかありません」
「確かに‥‥‥早雲殿、お聞きしたいのじゃが、前以て、備中守殿と会っていたのではないかのう」
早雲は美濃守を見つめながら、「どうしてです」と聞いた。
「銭泡殿じゃ。備中守殿と一緒に銭泡殿も帰って来たとすれば、銭泡殿が早雲殿を訪ねないわけがない。そして、銭泡殿から早雲殿の事を聞けば、備中守殿は内密に早雲殿に会いに来たのではないかと思えるんじゃ」
「成程、さすがですな」と早雲は笑った。「確かに、銭泡殿が備中守殿をここにお連れしました」
「やはり。という事は備中守殿は早雲殿の意見に同意して、その考えのもと、行動していたという事じゃな」
「はい、そうなります。備中守殿も戦にならないように、今川家をまとめようと考えておいででしたので‥‥‥」
「成程のう。備中守殿といい、早雲殿といい、なかなかの名将ですな。今回、今川家の重臣たちは、お二人には頭が上がりませんのう」
「いえ、わたしの立場としては、こうするしかなかったのです。美濃守殿がわたしの立場だとしたら、やはり、同じような事をした事でしょう。ただ、備中守殿は確かに名将と呼ぶにふさわしいお人です」
「確かに」と美濃守は言って、苦笑した。「わしもその事はこの前、二人きりで会った時、嫌という程、思い知らされたわ」
「二人きりでお会いになったのですか」
「備中守殿を味方に引き入れようと勇んで出掛けたが、備中守殿にこてんぱんにやられたわ。やはり、関東のような広い地を舞台に活躍している武将は考える事が大きいわ。備中守殿の話を聞いておると、自分の考えていた事があまりにも小さかった事を思い知らされた。まったく情けない事じゃ」
「備中守殿は常に自分の立場を見極めた上で、相手の立場も充分に考えておられます。相手の立場に立って考えると敵の裏をかく事も可能だと言っておりました」
「相手の立場に立つか‥‥‥言ってしまえば何でもない事じゃが、実際の戦において、それを実行して行く事はなかなか難しい事じゃ。つい、自分の策に溺(オボ)れて、敵を侮(アナド)ってしまう。いつも、冷静な目で自分と敵を見つめて行く事は至難な事じゃな」
「はい。確かにそうです」
「早雲殿、お願いしますぞ。備中守殿と共に小鹿派を説得して下され」
「はい。畏まりました」
「何やら、ここにいるとホッとするのう」と美濃守は外を眺めながら言った。
「駿府とは一山離れておりますから、こちらは静かです」
「いや、それもあるがのう。何となく、新鮮な雰囲気があるのう、ここには」
「そんなもんですか‥‥‥」
「和尚さん、おるかね」と近所の村人が、いつものように訪ねて来た。
「お客のようじゃが」と美濃守が言った。
「いえ、いいんですよ」と早雲は笑った。「別に用があるわけではないんですから」
村人は早雲庵の中をチラッと覗くと、「お客さんですか、失礼、失礼」と言いながら消えた。
「何者じゃ」
「近所の者です。よく遊びに来るんですよ」
「遊びに?」
「はい。いつの間にか、ここは、この辺りの村人たちの寄り合い所みたいになってしまって、年寄り連中やら子供たちが集まって来るのです」
「ほう、村の寄り合い所か‥‥‥早雲殿も変わっておるのう」
「いえ。わたしはただの僧ですから、村人たちの中に入って行かないと、ここで暮らして行くわけには行きませんので」
「失礼じゃが、お屋形様のお世話になっていたのではなかったのか」
「いえ、こちらに移ってからは、その件はお断り致しました。住む所さえあれば、わたし一人、食う事位、何とでもなりますから」
「そうじゃったのか‥‥‥」
「わたしが今までここで暮らして来られたのも、村人たちのお陰だったというわけです」
「ふーむ。そなたも欲のないお方よのう。先代のお屋形様に頼めば、立派な寺の一つも建ててくれたじゃろうに」
「性分と申しますか、わたしはどうも大きな屋敷というのは苦手でして、この位の庵が一番、住み良いのです。それに、立派な屋敷を持ちますと屋敷に縛られてしまいますから」
「屋敷に縛られる?」
「はい。わたしはよく旅に出ます。旅に出る時も、ここはいつも開けっ放しです。旅から帰って来ると、必ず、見ず知らずの者が我家のごとくに住んでおります」
「見ず知らずの者がここにか」
「はい。でも、わたしはそれでいいと思っております。誰でも気軽に利用してこそ、この庵も価値があると思っております。わたしは旅に出ると、この庵の事はすっかり忘れてしまいます。旅に出た時は旅の事しか考えず、もし、別の地に落ち着く事になったとしても、それはそれで構わないと思っております。ところが、立派な屋敷に住んでおりますと色々な物を集めます。それは、やがて財産となり、もし、旅に出るとすれば厳重に戸締りをしなければなりません。そして、旅の間にも屋敷の事が心配となるでしょう。必ず、屋敷に帰って来なくてはならなくなるでしょう。屋敷に縛られる事になるのです」
「成程、本来無一物の境地でいたいという事じゃな」
「その通りです。なるべく、その境地の近くにおりたいと願っております」
急に賑やかな娘たちの声が聞こえて来たかと思うと、どやどやと娘たちが台所に入って来た。おはようございます、と元気よく早雲に挨拶をすると、それぞれが抱えて来た野菜やら米やらを使って食事の支度を始めた。
「いつも悪いのう」と早雲は娘たちに礼を言った。
「ここにも、下女はちゃんとおるようじゃのう」と美濃守は娘たちを見ながら言った。
「いえ、下女ではありません。村の娘たちが、わざわざ、食事を作りに通ってくれておるのです」
「村の娘が、ただでか」
「はい。その代わり、ここにいる者たちが毎日、村に出て行って、村人たちのために働いております」
「ほう、浪人風の者たちが何人かいたようじゃったが、奴らが村に出て行って働いているというのか」
「はい。村人たちのために河川の堤防を築いたり、用水を引いたり、朝から晩まで泥だらけになって働いております」 「あいつらがか。信じられんのう。奴らもただ働きなのか」
「銭にはなりませんが、村人たちからは充分な差し入れがございます」
「ふむ‥‥‥早雲殿、そなたは変わっておられるのう。伊勢家という名門の出でありながら、百姓どものために働いておるとはのう」
「時代はどんどん変わって来ております。これからは土地を直接に耕している百姓たちを大切に扱わないと、彼らも国人たちと手を結び、守護大名に反抗して来る事でしょう。すでに、近畿の方では、力を持った国人たちが百姓たちと共に大名に反抗するという事が頻繁(ヒンパン)に行なわれております」
「一揆という奴じゃな」
「はい。一揆です」
「この駿河では、そんな事は起こらん」
「はい。そうは思いますが油断は禁物です。新しい今川家は以前よりも増して、家臣たちが団結しなければならないと思いますが」
「それは勿論の事じゃ。二度と分裂しないように、しっかりと家中をまとめなくてはならん」
美濃守は村娘たちの手作りの料理を食べると帰って行った。それは決して贅沢な食事とは言えないが、気持ちのこもった暖かい料理だった。
16.早雲登場
1
岡部美濃守が早雲庵に来た日の午後、早雲は小太郎と一緒に八幡山内の太田備中守の本陣、八幡神社に向かった。
雨は上がり、日が出て来て、また蒸し暑くなっていた。
神社の境内には桔梗紋の描かれた旗が並び、厳重に警戒されていた。早雲は備中守から貰っていた備中守直筆の書状を警固の武士に見せ、備中守のいる宿坊に案内して貰った。
宿坊には備中守はいなかった。宿坊にいた上原紀三郎の案内で、二人は備中守がいるという河原に向かった。河原なんかで何をしているのだろうと二人は首を傾げながら紀三郎の後に従った。
阿部川の支流の広い河原では、備中守の指揮のもと、戦の稽古が始まっていた。騎馬武者は一人もおらず、皆、徒歩(カチ)武者だった。弓と長槍を持った徒歩武者が二手に分かれ、備中守の掛声に合わせて一斉に動いていた。
「ほう。見事なもんじゃのう」と小太郎が言った。
「うむ。一糸乱れぬ動きじゃな」と早雲も言った。
紀三郎が備中守に声を掛けると、備中守は隣の武将に軍配団扇(グンバイウチワ)を渡して、二人の方に近づいて来た。
「こんな所まで、わざわざどうも」と備中守は笑いながら言った。
「見事ですね」と早雲は兵の動きを見ながら言った。
「いや。早いもので、駿河に来て、もうすぐ二ケ月になりますからな。皆、だらけて来ておるんじゃ。ちょっと気合を入れていた所じゃよ」
「騎馬武者がおらんようじゃが」と小太郎は不思議に思って聞いた。
「ああ。奴らは正規の武士ですからな。怠けておったら首が飛びます」
「というと、あの連中は?」
「あれは、今回のために集めて連れて来た百姓の伜たちじゃ。これからの戦は奴らが主役となろう」
「奴らが主役?」
「うむ」と頷いて備中守は兵たちを眺めながら、「早雲殿は応仁の乱の時、京で活躍した足軽というものを御存じでしょう」と聞いた。
「はい、知っております」と早雲は言った。「しかし、活躍したというよりは都の荒廃をさらに大きくしたと言った方が正しいでしょう」
「うむ、それも聞いた。わしはその噂を聞いて、こいつは使えると思ったんじゃ。今までも百姓たちは戦に参加しておった。しかし、騎馬武者にくっついて戦場を走り回っていただけじゃ。騎馬武者を助けて戦をしていても、騎馬武者がやられてしまえば四散してしまう。戦力とは言えんかった。今までの戦の中心は騎馬武者たちの一騎討ちじゃ。しかし、こう戦が大きくなって、決着も着かないまま長引いて来ると、戦のやり方も変わって来る。のんびりと一騎討ちなどやってる場合ではなくなって来ているんじゃ。これからは個人個人の戦から集団の戦に変わって行くじゃろう。そうなると、奴らが戦の主役となるわけじゃ。奴らの進退一つによって戦の勝ち負けが決まってしまう事になる。奴らを命令一つで自由自在に操る事が重要となるんじゃ。そこで、こうして訓練をしているというわけじゃ」
「確かに、戦の仕方は変わって来ている」と小太郎は言った。「本願寺一揆の戦のやり方は、まさしく、備中守殿の申される通りです」
「本願寺一揆というと加賀の?」と備中守は小太郎を見ると聞いた。
小太郎は頷いた。「一揆の連中はほとんどが徒歩武者で、一団となって行動し、一々、兜首(カブトクビ)など取りません」
「そうか、兜首も取らんのか‥‥‥うーむ。確かに、兜首など一々気にしなければ、戦もうまく行くかもしれんが、兜首を取る事を禁じれば士気が落ちる事も考えられるのう」
「武士から兜首を取る事を禁じる事はできないでしょう」と早雲は言った。
「うむ。難しい‥‥‥いや、失礼した。こんな所で立ち話もなんじゃ、とにかく、宿坊の方に参ろう」
「こっちの方はよろしいのですか」
備中守は笑いながら頷いた。
宿坊の中の広間では、小具足姿の武将たちが何やら険しい顔を並べて評定をしていた。備中守は広間の方には目もくれず、そのまま、早雲たちを奥の方の部屋に案内した。その部屋はちょっとした庭に面していて、襖には絵が描かれ、押板(床の間の原型)の上には花が飾られてあった。
「備中守殿、先程の広間ですが、ただならぬ雰囲気でございましたが」と早雲は腰を下ろすと聞いた。
「ちょっと関東の方で騒ぎが起こってのう。その事について話し合っておるのじゃ」
「そうでしたか‥‥‥備中守殿がこちらに来ている隙を狙われたというわけですか」
「そればかりでもないがのう、困った事じゃ」
「それでは、早いうちに関東に引き上げなくてはなりませんね」
「いや。一応は手を打ったから、ひとまずは安心じゃろう」
「そうですか‥‥‥」
「さて、こちらの事に話を移そうか」
早雲は頷き、「備中守殿のお陰で、摂津守殿が身を引いてくれる事となりました。ありがとうございました」とお礼を言った。
「そうか、そいつはよかった」と備中守はホッとしたように笑った。「美濃守殿も分かってくれましたか。これで、何とかなりそうじゃのう」
早雲と小太郎も頷き合った。
「美濃守殿が備中守殿をお訪ねになったとか」と早雲は聞いた。
「うむ。訪ねて参った。美濃守殿は真面目なお方のようじゃの。話せば分かってくれると思っておった」
「はい。自分の考えが小さかったと言っておりました」
「そうか。良かったのう」
「小鹿派の方はいかがでしょう」
「葛山播磨守殿から、しきりに清流亭に戻ってくれとの誘いが掛かっておるんじゃ。播磨守殿も考えを変えたように思えるがのう」
「そうですか‥‥‥しかし、あの播磨守殿がよく同意してくれましたね」
「ちょっとな、威してやったんじゃよ。播磨守殿の本拠地をわしらが頂くと言ってのう。困った顔をしておったわ」
「そうでしたか‥‥‥」
銭泡がのっそりと顔を出した。
「おう、今日は早かったのう。伏見屋殿もどうぞ、お入り下さい」と備中守は笑顔で迎えた。
銭泡は早雲と小太郎に挨拶をすると部屋に入って来た。
「伏見屋殿は治部少輔殿に気に入られてのう。最近、毎日のように望嶽亭に通っておられるんじゃよ」
「銭泡殿も何かと忙しかったようですな」と早雲が疲れたような顔をした銭泡を見ながら言った。「最初の日に顔を見せただけで、一度も来ないものじゃから、どうしたんじゃろうと思っておりました」
「ようやく、解放されそうです」と銭泡は苦笑した。
「なに、もう、来なくもよいと申したのか」と備中守が驚いた。
「いえ。そうは申しませんが、わたしの代わりが現れました」
「ほう。どんな代わりじゃ」
「福島越前守殿が京から来た絵師を連れて参りました。小栗宗湛(オグリソウタン)殿という有名な絵師のお弟子さんだそうです」
「小栗宗湛殿と言えば将軍様の御用絵師じゃのう」と早雲は言った。
「ほう」と備中守が唸った。「将軍様の御用絵師殿のお弟子か。余程の絵を描くと見えるのう」
「はい。まさしく、その通りでございます。まるで、筆が生き物のごとくに動きまして、あっと言う間に素晴らしい絵が現れます。まるで、魔術でも見ているようでございます」
「それで、治部少輔殿は、その絵師に夢中になったという事か」
「はい。さっそく、絵を習っております」
「そうか。これで治部少輔殿は当分、絵に熱中する事になるのう」
「はい。元々、治部少輔殿は絵を描く事が好きだったようですから、大変な喜びようでした」
「銭泡殿、その絵師は何というお名前ですか」と早雲が聞いた。
「狩野越前守(正信)殿です」
「越前守というと、その絵師というのは武士なのか」と備中守は聞いた。
「はい、頭は丸めてはおりません。武士です。伊豆の国の出身だそうで、今回、国元に帰国する途中、福島越前守殿に頼まれて駿府に連れて来られたそうです」
「成程。早雲殿は、その狩野越前守というお方を御存じですか」
「いえ、直接には知りませんが、狩野越前守が描いたという絵を一度、見た事あるような気がします」
「ほう。絵を見ましたか」
「はい。今出川殿(足利義視)が絵に関心を持っておりましたものですから、わたしもよくお供を致しました。その折り、その名を耳にしました。残念ながら、どんな絵だったかまでは覚えておりませんが」
「今出川殿か」と備中守は懐かしい名を聞いたような顔をして、押板に飾られた花に目をやった。「西軍に寝返ったとは聞いておるが、今頃、どうしておられるんじゃろうのう」
「さあ」と早雲は首を振った。「何をしているか分かりませんが、将軍様になれない事は確かでしょう」
「多分な」と備中守も同意した。「将軍家が家督争いを始める御時世じゃ。今川家が家督争いに走るのも無理ないとは言えるが、何とか収まりそうじゃのう」
「お陰様で‥‥‥」
「さっそく、清流亭の方に行ってみるかのう」備中守が早雲と小太郎の顔を見比べながら言った。「早い内にまとめんと、葛山播磨守が、また、何かをたくらむかもしれんからのう」
早雲と小太郎は頷いた。
備中守は側近の上原紀三郎に、今から駿府屋形に向かう事を告げ、いつもの連中を連れて来てくれと命じると、早雲、小太郎、銭泡を連れて、先に清流亭に向かった。
見事な客殿だった。
あちこちに金が使われ、眩しい程だった。六代目の将軍、義教(ヨシノリ)が四十年程前に来た時に建てられたものだと言うが、見事な御殿だった。三代将軍が鹿苑寺(ロクオンジ)内に建てた金閣に似せて作ったという。金閣のように三層ではなく、外側に金は使われてはいないが、二層建ての内部は、この世のものとは思われない程、美しく飾られてあった。
清流亭に入った備中守と早雲は、清流亭の留守を守っていた葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)に頼み、さっそく、葛山播磨守を呼んだ。
播磨守は飛ぶような速さでやって来た。
播磨守は備中守から、竜王丸派と手を結んで駿河に攻め、播磨守の本拠地を攻め取ると威されてから、色々と対抗策を考えてみたが、やはり、いい考えは浮かばなかった。
扇谷上杉氏が竜王丸派と結び、播磨守の本拠地を攻めて来た場合、播磨守としては扇谷上杉氏と戦うわけには行かない。戦っても勝てる見込みはまったくなかった。小鹿新五郎と共に滅び去るという馬鹿な真似をするわけには行かなかった。となると、降参するしかない。降参して関東軍の先鋒となり、小鹿新五郎を倒す事になる。しかし、上杉氏に降参するという事は、竜王丸派に降参するのと同じで、小鹿派を倒し、竜王丸派の今川家が誕生した場合、播磨守の立場はすこぶる悪いという事になってしまう。そんな事になるのなら、今のうちに竜王丸派と結んだ方が、まだ、ましだった。
播磨守は備中守が竜王丸派の本拠地、青木城に入ったと聞き、もしや、竜王丸派と手を結ぶのではと気が気ではなかった。定願坊(ジョウガンボウ)を青木城に送り、城内の様子を探らせてはいたが、裏で、早雲と備中守がつながっているような気がして不安でたまらなかった。
こんな思いをするのは播磨守にとって初めての事だった。噂には聞いていたが、備中守という男は本当に恐ろしい男だと思った。策略家としての自分に自惚れていた播磨守だったが、上には上がいるものだと反省をしていた。そして、備中守が自分以上の人物だと気づくと、播磨守は以外にも素直に備中守を尊敬した。
備中守が青木城を出て、八幡山に戻った事を知ると、毎日のように備中守に清流亭に戻って来てくれと頼んでいた。備後守から、備中守が清流亭に入ったとの知らせを受けると、取るものも取らずに清流亭に向かったのだった。その様は、弟の備後守も呆れる程の喜びようだった。備後守はそんな兄の姿を見るのは初めてだった。いつも苦虫をかみ殺したような顔をしている兄が、まるで子供のように喜んでいる。一体、どうした事かと不思議がりながらも兄の後を追っていた。
備中守と早雲、小太郎、銭泡は清流亭の二階から眺めを楽しんでいた。
いくつにも分かれて流れている阿部川の向こうに駿河湾が広がっていた。
「さすがにいい眺めじゃのう」と小太郎は目を細めて言った。
「あそこに治部少輔殿がおられるのですか」と早雲は東に見える望嶽亭を眺めながら備中守に聞いた。
備中守は望嶽亭を見ながら頷いた。「今頃、あそこで、富士山でも描いておられる事でしょう」
突然、誰かが慌ただしく階段を上って来る音がしたと思うと、播磨守が現れ、備中守の足元に座り込むと、「よく、いらして下さいました‥‥‥お待ちしておりました」と息を切らせながら言った。
「播磨守殿、いかがなさいました。そんなに慌てて」と備中守が不思議そうに聞いた。
「いや。なに、一刻も早く、お会いしたいと思いまして‥‥‥」
「さようか、わしらも一刻も早く、播磨守殿にお会いしたかったわ」
「それは‥‥‥」と播磨守は早雲、小太郎、銭泡を見た。
「これは、早雲殿に風眼坊殿に伏見屋殿もお揃いで‥‥‥」
一瞬、やはり、備中守と早雲はつながっていたのか、と思ったが、もう、そんな事はどうでもよかった。先の事はすべて、備中守に任せようと播磨守は決めていた。
この日の播磨守は、今まで様々な策略を巡らして敵対していた播磨守とは、まるで別人のように素直だった。早雲も小太郎も目の前に座る播磨守が、今まで、ずっと敵として戦って来た男だったとは信じられない程だった。
播磨守が、小鹿派としては竜王丸派と手を結ぶ事に同意すると告げると、さっそく、具体的な話へと進んで行った。
まず、両軍とも兵を納め、それぞれの本拠地に帰る事、小鹿新五郎はひとまず、お屋形様の屋敷から退去する事、竜王丸と北川殿は北川殿に戻る事などが決められた。
具体的な日取りを決める段になって、播磨守は自分の一存だけでは決められないと言い、福島越前守も呼ぼうと言い出した。
越前守も備中守が清流亭に入ったと聞くと、すぐにやって来た。
清流亭の二階に上がり、その席に早雲がいる事に不審の念を抱いたが、播磨守に言われるまま、席に着いた。
「越前守殿、わさわざ、お呼びして申し訳ありません」と備中守はまず、一言言ってから、早雲を竜王丸派の代表として、この席にいる事を紹介した。
「成程、早雲殿が竜王丸派の代表ですか」と越前守は苦笑いをした。
すでに、小太郎と銭泡の二人は姿を消していた。
「早雲殿は摂津守派も含めて竜王丸派の代表。そして、お二人は小鹿派の代表。ようするに、この場に今川家の縮図があるわけです。そこで、この席において、今後の今川家の事を決めたいと思っております。わたしが立会人になりますがよろしいですかな」
備中守は皆の顔を見渡した。
早雲、播磨守、美濃守は頷いた。
「それでは、まず今川家の家督を継ぐお方ですが、先代のお屋形様の嫡男であられる竜王丸殿。竜王丸殿が幼少であられるため、竜王丸殿が成人なさるまで、竜王丸殿を後見していただくお方に小鹿新五郎殿、以上のように決めたいと思いますが、いかがですかな」
「我らには依存はありませんが、早雲殿」と越前守が早雲に聞いた。「摂津守殿は確かに、後見の座から降りたのでしょうな」
「はい。今川家のために身を引いていただきました」
「ほう、岡部美濃守を説得したと申すのか」
「はい」
「うむ。それなら何も問題はないじゃろう」
その後、具体的な日取りが決定した。
十日以内に両軍とも兵を引き上げる。今日が八月の十六日なので、二十六日までに引き上げるという事に決まった。そして、小鹿新五郎はお屋形様の屋敷から元の自分の屋敷に戻り、葛山播磨守も北川殿から出て、元の屋敷に戻る。駿府屋形から出て行った竜王丸派の重臣及び、その関係者は駿府屋形に戻り、すべてが、小鹿派がお屋形を占拠する以前に戻る事と決められた。そして、吉日である九月の六日に、両派の重臣たちはすべて、お屋形様の屋敷の大広間に集まり、備中守と上杉治部少輔の立会いのもと、めでたく、一つになるという事に決まった。
翌日より阿部川に布陣していた両軍の兵が撤退し始めた。
兵たちは皆、戦にならずに済んだ事に喜んでいた。兵たちから見れば、ただ、上からの命令で睨み合いをしていただけで、どうして、今川家中で戦をしなければならないのか分からない。敵味方に分かれた兵たちの中には知り合い同士もかなりいた。命令だからと言って、知り合いと殺し合いをしたくはなかった。どうして、急に撤退命令が出たのか分からなかったが、皆、良かったと心の中でホッとしていた。
二十六日には両軍ともすべての兵が国元に帰って武装を解き、家族と共に無事だった事を祝っていた。駿府屋形を守っているのは本曲輪に葛山備後守率いる三番組、二曲輪には蒲原左衛門佐率いる二番組だけとなった。一番組、四番組、五番組の頭は竜王丸派だったため、新たに小鹿派の者に変えられたが、それらは解雇され、以前の頭が迎えられる事となった。
小鹿新五郎はお屋形様の屋敷を出る事を拒み、播磨守と越前守をてこずらせたが、二人の説得によって元の屋敷に戻り、新たに宿直衆になっていた新五郎の家臣たちは小鹿の庄に帰った。播磨守も半年近く住んでいた北川殿を綺麗にして、二曲輪内の自分の屋敷に戻って行った。
竜王丸派は、まず、御番衆の頭、木田伯耆守(ホウキノカミ)、入野兵庫頭(ヒョウゴノカミ)、三浦右京亮(ウキョウノスケ)の三人に配下の者を引き連れさせて駿府屋形に入れた。そして、安全を確認した上で、重臣たちの家臣たちが入って来て、半年の間、留守にしていた屋敷を改めた。
北川殿も、まず北川衆が戻り、安全を確認した上で、北川殿母子と侍女や仲居を迎えた。
まさに吉日にふさわしく秋晴れの一日だった。
駿府屋形のお屋形様の屋敷の大広間では、予定通りに今川家の重臣たちが集まって評定が行なわれていた。顔触れは、小鹿派がお屋形を占拠する以前のごとくに全員が集まった。以前と違うのは上段の間に竜王丸と北川殿が座り、竜王丸の執事として早雲の顔があり、立会人として太田備中守と上杉治部少輔の二人が見守っていた。
上段の間の下には小鹿新五郎が座り、少し離れて、河合備前守、中原摂津守が並んだ。備前守も摂津守も綺麗さっぱりと頭を丸めていた。
備前守は自分を支持していた天野兵部少輔が竜王丸派に寝返ったために孤立してしまい、仕方なく、小鹿派に今川家の長老として迎えられる事になった時、頭を剃った。誰かに勧められたわけではなく、自分の意志で頭を丸めたのだった。亡きお屋形様の弟である自分を見捨てた重臣たちに、恨みを込めての反抗の表現として頭を丸めたのだった。摂津守も自分を見捨てた岡部美濃守に対する腹いせとして頭を丸めていた。
備前守は棄山(キザン)入道、摂津守は虚山(コザン)入道と号していた。二人共、入道名に山を付けたのは、亡くなった兄が晩年、桂山(ケイザン)と号していたのを真似たのだった。兄は入道になったわけではなく、連歌会の時にその号を使っていたに過ぎなかった。二人共、まさか、自分たちが本当の入道になって、兄と同じように何山と号すとは夢にも思ってもいない事だった。
以前のごとく、今川家の長老である朝比奈天遊斎と小鹿逍遙の二人の進行で評定は始まり、嘘のように速やかに進行して行った。お屋形様に竜王丸、後見に小鹿新五郎、天遊斎と逍遙の二人は隠居し、新たに、備前守と摂津守の二人が今川家の長老と決定した。駿河の守護職は、改めて幕府に認めて貰わなければならなかったが、竜王丸は先代のお屋形様の嫡男なので、すんなりと認めてくれるだろうと考えられた。
お屋形様の屋敷で評定の続いていた頃、北川殿の客間では、小太郎、富嶽、多米、荒木らが早雲たちの帰りを待っていた。
「ようやく、終わったのう」と小太郎は柱にもたれながら言った。
「これで、うまく行くんじゃろうか」と富嶽はお屋形様の屋敷の方を眺めながら言った。
「竜王丸殿が成人なさるまで十年はあるからのう」と小太郎は言った。「その十年の間、小鹿新五郎が黙っているとは思えんのう。その十年間の活躍いかんでは、そのまま、お屋形様の座に就くという事もありえるかもしれん」
「まだまだ、前途多難ですな」と荒木が言った。
「竜王丸殿は前のように、ここに住むんじゃろうか」と多米は聞いた。
「お屋形様の屋敷には小鹿新五郎が入るじゃろうからの。やはり、ここに住む事になるんじゃないかのう」と富嶽は言った。
「危険はないのかのう」と多米は心配した。
「分からんな。成人なさる前に病死という事もありえるじゃろうな」と小太郎は言った。
「ここにいたら危険ですよ」と荒木は言った。「朝比奈城にいた方がいいんじゃないですか」
「それはそうかもしれんが、北川殿の住む所を、わしらで勝手に決める事はできん」と富嶽は言った。
「早雲が帰って来たら、この事は改めて考えなければなるまいな」と小太郎は言った。
「早雲殿はどうなるんじゃろう」と多米は聞いた。
「どうなるとは?」と小太郎が聞いた。
「今川家の家臣になるんじゃろうか」
「うむ。竜王丸殿を守って行かなければならんからのう。竜王丸殿が成人なさるまでは、側に仕えるという事になるじゃろうな」
「という事は武士の戻るのですか」
「それは分からん」
「わしらはどうなるんです」と荒木は聞いた。
「それはおぬしら次第じゃろう。おぬしらが竜王丸殿を守りたいと思えば、早雲の奴が何とかしてくれるじゃろう。北川衆の数が足らんから北川衆にでもなったらよかろう」
「まさか、わしらが北川衆になれるわけがないわ」と多米は首を振った。
「そいつは分からんぞ」と富嶽は言った。「早雲殿に頼んでみれば何とかなるかもしれん。しかし、北川衆になったら前のように自由気ままには生きられんぞ」
「そうじゃのう。わしにはちょっと勤まらんわ」と多米は言って、荒木を見た。
荒木は頷き、「北川衆になるよりは、以前のように早雲殿の家来として竜王丸殿を守っておった方が気楽でいいのう」と言った。
お雪と春雨の二人が客間に入って来た。
「北川殿はまた、ここに住む事になるの」とお雪が小太郎に聞いた。
「多分な」と小太郎は言った。
「無理だと思うわ」とお雪は首を振った。
「なぜじゃ」
「だって、朝比奈のお城下にいた時、毎日、お城下を出歩いていた北川殿がここに入ったら、ここからほとんど出られなくなるんでしょ。絶対に無理だわ」
「そうか‥‥‥北川殿は以前の北川殿とは違うんじゃったな」
「そうよ。北川殿だけじゃないわ。侍女や仲居の人たちだって、毎日、お屋敷にいるよりは外にいた方が多かったのよ。こんな堅苦しい所なんか嫌だって思っているに違いないわ。口に出しては決して言わないけど、みんな、つまらなそうな顔をしてるわ」
「それは言えるわね」と春雨も言った。「みんな、いい所のお姫様ばかりで、子供の頃からお屋敷の中で大切に育てられて、そして、ここに来たのよ。みんな、お屋敷の中だけで暮らす事が当然だと思っていたから、以前の様に暮らす事ができたけど、朝比奈のお城下では最初のうちは皆、戸惑っていたけど、自由に出歩く事の楽しさを覚えてしまったのよ。今更、このお屋敷内だけで暮らせと言っても無理だと思うわ」
「確かにのう。この屋敷内だけで暮らせといっても無理じゃのう。ここでは弓の稽古もできんしのう。かと言って、ここから出て行くには牛車に乗らなければならん。そんな生活を続ける事は不可能と言えるのう」
「早雲殿に頼んで、また、朝比奈のお城下に住む事ができるようにした方がいいわよ。竜王丸殿のためにも、こんな所にいるより朝比奈のお城下を走り回っていた方がいいと思うわ」
「うむ。それはそうじゃ」と小太郎は頷いた。「立派なお屋形様に育てるにも、こんな屋敷に閉じ込めておいたのではいかんのう。野山を飛び回って、自然から色々な事を学ばなければならん‥‥‥うむ。この事は本気で考えんといかんのう」
「ねえ、あたしたちは、これから、どうするの」とお雪は聞いた。
「ここから出たいのか」
「北川殿が安全なら、あたしもここから出てもいいんじゃないかと思って」
「わしは浅間神社の門前に戻るつもりじゃ」
「また、町医者に戻るの」
「まあな。お前はもう少し、ここにいてくれ」
「うん。迎えに来てね」
いつの間にか、多米と荒木の二人が消えていた。
「春雨殿はどうするつもりじゃ」と富嶽は聞いた。
「わたしも、そろそろ早雲庵に帰りたいとは思うけど、みんな、いなくなっちゃったら北川殿が淋しがるだろうし、わたしはもう少し、ここにいようと思っているの」
「そうか、それがいいじゃろうの。美鈴殿も淋しがるじゃろうしの」
北川殿と竜王丸殿を乗せた牛車が戻って来たのは、未(ヒツジ)の刻(午後二時)頃だった。
牛車には北川衆の吉田と小田の二人が付き添い、侍女の萩乃が従っていた。その後ろに早雲と長谷川法栄と五条安次郎が付いて来た。
北川殿と竜王丸を奥の間に送ると、早雲は皆の待つ客間に現れた。
「どうじゃった」と小太郎は聞いた。
「うまく行った」と早雲は笑った。
早雲は評定の場で、正式に竜王丸の執事となり、竜王丸が継いだお屋形様の直轄地より所領を貰う事に決まった。知行場所や知行高はまだ決まってはいないが、今川家の家臣になる事は決定したとの事だった。以前とは違い、決まった収入が得られる事になったので、早雲は改めて早雲庵にいる者たちを家臣として召し抱える事にした。ただ、小太郎だけは早雲の家臣にはならず、町医者として、お雪と共にのんびり暮らすと言った。ただし、北川殿の御祈祷師(ゴキトウシ)として、北川殿や竜王丸とは自由に会う事ができるようにすると早雲は約束した。お雪の方も美鈴の笛の師匠として、北川殿に出入りできるようにするとの事だった。
「早雲殿、もしかしたら、お城も貰ったのでは?」と富嶽は聞いた。
「いや、その件はお断りした」
「どうしてです」
「城を持つと、それがどこだとしても、その城に縛られる事になる。竜王丸殿が成人なさるまでは、竜王丸殿の側におりたいのでな、竜王丸殿が成人なさる暁まで、その事は待ってもらい、今のまま石脇の地を法栄殿にお借りするつもりじゃ」
「はい」と法栄は頷いた。「その事はもう、わしとしても早雲殿にあそこにいて貰った方が心強いのでな」
「よろしく、お願いいたします」
「なに、わしよりも早雲殿があそこから出て行かれる事となれば、あの辺りの村人たちが許すまい」
「確かに、長谷川殿の言う通りですね。村人たちが騒ぎ出す事でしょう」と安次郎も言った。
「必要ならば、あそこを城のようにすればいい」と法栄は言った。
「いえ。今のままでいいでしょう。濠を掘ったり、土塁を築いたりしたら、村人たちが近寄りがたくなってしまう」
「そうですな。あそこは今まで通り、村人たちの寄り合い所みたいになっておった方がいいかもしれんのう」と富嶽も言った。
「早雲。何もかもうまく行っておるようじゃが、一つだけ問題があるんじゃ」と小太郎が渋い顔をして言った。
「問題?」と早雲は小太郎を見た。
「ああ、ここの事じゃ。北川殿は以前のように、ここに住む事になったのか」
「そうじゃが」
「竜王丸殿が成人なさるまでか」
「まあ、そういう事になろうのう」
「それが具合が悪いんじゃ」
「なに? 誰かが竜王丸殿の命を狙うとでも言うのか」
「それもあるかもしれん。が、それ以上の問題があるんじゃ」
「何じゃ、それ以上の問題とは」
「おぬしは竜王丸殿をどのようにお育てするつもりじゃ」
「どのようにだと? 立派なお屋形様にお育てするのに決まっておろう」
「ここでか」
「なに?」と早雲は改めて、部屋の中を見回した。「そうか、そこまでは考えなかったわ。確かに、こんな所に十年も閉じ込められて、立派なお屋形様に育つわけがなかったわ」
「そうじゃ」と小太郎は頷いた。「こんな所におったら、どこに行くにも重臣たちに監視され、のびのびと育つ事もできん」
「かと言って、ここから出て行ったら、また、小鹿派の天下となりえんぞ」
「それは、ここにおっても同じじゃろう。後見となった小鹿新五郎は北川殿など無視して事を決めて行く事は目に見えておる。じゃが、関東の太田備中守殿が睨みを効かせておるうちは大それた事はできまい」
「うむ。確かにのう」
「十年というのは長い。その間に小鹿新五郎が何をしたとしても、竜王丸殿が立派に成長なされば、重臣たちは竜王丸殿に付いて行く事じゃろう。何よりも一番重要な事は、竜王丸殿を立派なお屋形様に成長させる事じゃ」
「法栄殿はどう思われます」と早雲は聞いた。
「確かにのう。先代のお屋形様が生きておられたならば、竜王丸殿はここにいたとしても、のびのびとお育ちになる事じゃろうが、今の状況では、それは難しい事といえるのう。竜王丸殿はこの屋敷に軟禁されているような状況じゃからのう。わしも竜王丸殿の事を考えると、ここからは出た方がいいような気がするわ」
「それに、北川殿の事もあります」と春雨は言った。
「北川殿?」
「はい。まだ、ここに移ってから十日も経っていませんけど、朝比奈殿の御城下を懐かしがっておられます」
「そうか‥‥‥竜王丸殿よりも北川殿の方がこんな所にいつまでも閉じ籠もってはおられんのう。これは考えてみなければならん‥‥‥しかし、北川殿がここから出て行く事を重臣たちが賛成してくれるかのう」
「難しいですな」と法栄は首をひねった。
「備中守殿がおられるうちに、何とかした方がいいと思うがのう」と小太郎は言った。
「うむ、確かに‥‥‥しかし、どうやって重臣たちを納得させるかじゃな‥‥‥」
竜王丸の命が危ないからと言えば小鹿派を刺激する事になる。かといって、北川殿が堅苦しい北川殿から出たいと言っているからと言っても、今川家のお屋形様の母親として、そんな我がままが許されるわけもない。竜王丸の成長のためには北川殿にいるよりは、もっと、のびのびとした所で育った方がいいと言っても、お屋形様をそんな所で育てるわけにはいかんと反対するに決まっていた。
その日はいい考えは浮かばなかったが、何とかしなければならなかった。
九月の十五日、浅間神社の神前において、今川家の重臣たちは竜王丸をお屋形様として盛り立て、団結する事を誓い合った。これで、はるばる関東から来ていた上杉治部少輔、太田備中守の役目はようやく終わった。
その日の晩、重臣たちが全員参加して、治部少輔と備中守をねぎらう宴が、お屋形様の屋敷の大広間で行なわれた。早雲も勿論、参加していた。
竜王丸と北川殿が今の屋敷から出る件については、うまく行っていた。評定の席で、早雲は、北川殿が今の屋敷で恐怖に脅(オビ)えていて、顔色もよくないので、別の所に移動したいと提案した。北川殿はあの屋敷にいると、仲居が殺された事や、河原者の襲撃にあった恐ろしい事が思い出されて食事もろくにできず、毎日、脅えて暮らしていると説明した。
初め、それならば、お屋形様の屋敷に移ればいいとか、道賀亭に移ればいいとかの意見も出たが、竜王丸が成人するまでは、今川家の事は小鹿新五郎殿と重臣たちに任せ、竜王丸は別の所でのびのびと育てた方が、今川家のためにいいのではないかと早雲が言うと、まず、太田備中守がその意見に同意した。小鹿新五郎にしても竜王丸が駿府屋形から出て行った方が、この先、やりやすいので、竜王丸のためにはその方がいいと同意した。葛山播磨守、岡部美濃守も、その意見に賛成すると、皆、同意した。そして、どこに移ったらいいかという事に関して色々と検討した上、駿府からも、そう離れていない斎藤加賀守の城下、鞠子(マリコ)と決められた。すでに、もう、鞠子城下の加賀守の屋敷の南側、日当たりのいい地において、竜王丸のための屋敷の普請(フシン)が始まっていた。今年中には完成し、来年の正月は新しい屋敷で迎える手筈になっていた。北川衆たちの屋敷も竜王丸の屋敷の回りに並ぶ予定で、執事である早雲の屋敷も建つ予定だった。
小太郎とお雪は久し振りに、浅間神社の門前町の我家に帰って来た。
二人は四ケ月間、京の方に旅に出ていた事になっていたので、二人が帰って来た事を知ると、向かいの紙漉(ス)き屋の隠居が、さっそく遊びに来た。小太郎たちは隠居に作り話をしなければならないと思ったが、風眼坊が早雲と共に、今川家のために活躍した事を隠居は知っていた。そして、町人たちが今回、竜王丸がお屋形様になった事について、どう思っていたかを教えてくれた。事件の真っ只中にいた小太郎たちとは違って、事件を外から眺めていた町人たちは、まったく違った見方をしていた。
小太郎は風間小太郎の名で町医者を開いたが、北川殿がここに来た時、北川衆の小田が小太郎の事を、京で有名な医者、風眼坊と紹介したため、風眼坊の名の方が有名になってしまった。そして、風眼坊という名のまま駿府屋形に出入りしていたため、風眼坊の活躍が町人たちの話題に上っていたのだった。
隠居の話によると、先代のお屋形様は遠江の出陣から帰って来た後、急病に罹って、四月に亡くなった事になっていた。それは、当然の事だった。凱旋(ガイセン)した時、お屋形様は確かに生きていたのだった。誰もが、お屋形様が本物だと思い、小鹿新五郎がお屋形様に扮していたとは思いもしなかった。
その後、各地の重臣たちが駿府に集まって来た。徐々に、駿府屋形の警戒も厳重になり、町人たちも何かあったに違いないと思うようになり、恒例の花見も中止となった。この頃から、お屋形様が病を患(ワズラ)ったと思う者が多くなった。そして、お屋形様の病の治療をしていたのが、何と、風眼坊だったという事になっていた。その当時、そんな事を思った者は勿論、誰もいなかったが、その後、北川殿が風眼坊の所に出入りした事が噂になると、当然、お屋形様の病の治療に当たっていたのも風眼坊に違いないと町人たちは噂していた。その頃、風眼坊とお雪は北川殿の側にいて、門前町の家は長い間、留守となっていた。町人たちが勘違いするのも無理なかったが、小太郎とお雪は隠居から、その事を問い詰められて、何と答えたらいいものか戸惑ってしまった。
四月になると関東から軍勢がやって来た。戦が始まるのかと思ったが、その気配はない。そして、四月の六日、お屋形様の葬儀が行なわれ、関東の軍勢が葬儀に参加するために、わざわざ、来たという事が分かった。町人たちも誰が一体、新しいお屋形様になるのだろうと考え、一騒ぎ起こるに違いないと思った。葬儀の喪主は小鹿新五郎だったが、そのまま、すんなりと新五郎がお屋形様に決まるとは町人たちも思ってはいなかった。案の定、今川家は二つに分かれ、いつ、戦が始まるとも分からない状況に突入して行った。浅間神社でも僧兵たちが武装して門前町を練り歩き、町人たちは戸締りをして家の中に籠もっていたと言う。
その時、突然、出現して、活躍したのが竜王丸殿の伯父、伊勢早雲だと言う。
駿府の町人たちは今まで、早雲の存在を知らなかった。駿府屋形に何度も出入りしていても、町人たちの噂に上る程の事はなかった。石脇の早雲庵の近辺では早雲の名は有名だったが、その地でも早雲が竜王丸の伯父だという事は知らない。駿府の町人たちにとって、早雲という僧が突然、お屋形様の死と共に出現したように思われた。
最初に早雲の名が出て来たのは、三浦次郎左衛門尉の寝返りの時だった。四月の末、三浦一族の者が全員、駿府屋形から姿を消すという事件が起こった。普通、お屋形内で起きた事件は町人の噂にはならない。町人の噂にならないように、堅く口止めされる事になっている。北川殿や小鹿屋敷の仲居が殺された事件や、北川殿が河原者たちに襲撃された事件、北川殿が駿府屋形から逃げ出した事など、町人たちはまったく知らなかった。ところが、三浦一族の者が駿府屋形から消えた事件では、事件の後、三番組の頭、葛山備後守が配下の者たちを使って、城下や浅間神社の門前町に早雲の隠れ家があるに違いないとしらみ潰しに捜し回ったため、瞬く間に町人たちに知れ渡り、早雲という名も有名になって行った。早雲には風眼坊という大峯の山伏が付いており、二人は摩訶不思議な術を使って、一瞬のうちに三浦一族を女子供に至るまで駿府屋形から脱出させたという。早雲の名と共に風眼坊の名も城下の隅々にまで知れ渡って行った。名医としての風眼坊の名は浅間神社の門前町だけの噂に留まったが、大峯の山伏、風眼坊の名は駿府一帯に広まって行った。
その次に早雲の名を有名にしたのは、八月の十六日、備中守と一緒に早雲らが駿府屋形内の清流亭に入った時だった。その時、備中守は早雲、小太郎、銭泡の三人だけを連れて馬に乗り、駿府屋形にやって来た。屋形に入る時、ちょっとした騒ぎが起こった。その時、本曲輪の警固に当たっていたのは三番組だった。南門を通ろうとした一行は門番に止められた。門番の中に、早雲と小太郎の顔を知っている者がいたのだった。備中守が通るのは構わないが、敵である早雲と小太郎を許可なく通すわけにはいかなかった。門番は一行を止め、頭の葛山備後守に伝えに行った。武装した御番衆たちは、早雲、小太郎、銭泡を馬から降ろして槍で囲んだ。
その場面を目撃していた商人がいた。福島越前守のもとに出入りしている江尻津の『河内屋』という商人で、越前守に頼まれて備中守が陣を敷いている八幡山に差し入れをした帰りだった。河内屋の一行が南門に差しかかった時、目の前で早雲らが囲まれたのだった。河内屋には何が起こったのか分からなかったが、知り合いの御番衆の者から訳を聞いて、囲まれているのが早雲と風眼坊だという事を知った。河内屋も二人の噂は知っていた。小鹿派に敵対している竜王丸派の中心になっているという二人だった。その二人が護衛の者も付けずに、備中守と一緒に敵中に入って行くというのは興味深い事だった。
やがて、備後守が現れ、備中守と話すと頷き、早雲たちは御番衆に囲まれたまま清流亭に入って行った。御番衆らが清流亭を囲むのを見ると、河内屋は越前守の屋敷へ、今、目撃した事を知らせに走った。
越前守は河内屋に早雲が来た事を口止めしたが、河内屋のもとで働いていた人足たちによって、その事は瞬(マタタ)く間に、城下及び浅間神社の門前町に広まって行った。町人たちは敵陣に乗り込んで来た早雲が、今度は何をしでかすのか、期待の目で見守っていた。
それから三日後だった。阿部川から両軍の兵が撤退して行った。五日後には駿府屋形を囲んでいた兵も帰って行った。そして、十日経った二十六日には、お屋形内にいた小鹿新五郎の兵も去り、御番衆だけが残った。そして、お屋形から出て行った竜王丸派の重臣たちが続々と戻って来た。
町人たちは、ようやく、今川家が元に戻ったと安心し、喜び会った。そして、今川家を一つに戻したのは、太田備中守の力もあるが、早雲のお陰だと誰もが思っていた。もし、早雲がいなければ駿河の国は戦になり、駿府の城下は灰燼(カイジン)と化していたかもしれないと誰もが早雲に感謝し、町人の中には早雲大明神様、早雲大菩薩様などと呼んでいる者さえいると言う。
小太郎とお雪は紙漉き屋の隠居から、その事を聞いて、さすがに驚きを隠す事はできなかった。そして、噂というものの恐ろしさを改めて思い知った。
情報というものは戦に勝つために絶対に必要なものだった。敵を知り、己を知らなければ、戦に勝つ事はできない。武将たちは適確な情報を求めるため、あらゆる手段を使う。武将たちが情報に飢えている事は小太郎も知っていたが、情報に飢えているのは武将たちだけではなく、町人たちも同じだった。町人たちも町人なりに、今、何が起こっているのか知りたがり、その情報はあっと言う間に町人たちの間に流れて行くという事を改めて思い知らされた。
加賀にいた頃、一つの噂によって蓮崇は本願寺から破門となり、ここでは、小太郎たちの知らないうちに、早雲は町人たちの間で英雄となっている。世の中、面白いものだと思った。勿論、当の本人、早雲もまだこの事は知らないだろう。駿府の町人たちの英雄となってしまった早雲は、この先、益々、回りから縛られる事になる。何物にも縛られないで、自由自在の境地で生きたいと言う早雲は、何かをやる度に、皮肉にも、自ら自分の首を絞めているように小太郎には思えた。早雲はこれから先、町人たちの思う通りの英雄でいなければならなかった。この地を離れない限り、早雲の理想とする生き方はできないだろう。しかし、奴にはそれもできまい。これも、奴の運命なのだろう、と小太郎は思った。
次の日から、小太郎とお雪は町医者を再開した。毎日、大勢の者たちが小太郎を訪ねて来た。ほとんどの者が患者ではなく、風眼坊の口から直接、早雲の活躍を聞きに来た者たちばかりだった。小太郎も初めの頃は、町人から聞かれるまま事の成り行きを話していたが、毎日、毎日、同じ事を聞かれるとうんざりとして、毎日のように来ていた隠居にすべてを任せて、奥の部屋に籠もってしまった。
九月の十五日の浅間神社の神前の儀が行なわれた時には、一目、早雲を見ようと町人たちが押しかけ、急遽、御番衆や僧兵たちが町人たちの整理をしなければならない程だった。そして、早雲を見た町人たちは、その事を告げるために、また、小太郎の家に押しかけて来たのだった。わりと我慢強い方のお雪も、いい加減うんざりして、ここから出ようと言い出し、しばらく旅に出ると称して北川殿に入った。
お雪は北川殿の侍女に戻り、小太郎は富嶽らが住んでいる北川衆の屋敷に入った。富嶽、多米、荒木の三人は殺された大谷の家族が住んでいた北川殿のすぐ前の屋敷に住んでいた。大谷の家族は大谷が殺されてから実家の方に帰り、空き家となっていたため、三人が入ったのだった。以前よりも北川衆は三人少なかった。補充の人員が決まるまで、この三人が代わりとなって交替で北川殿を守っていた。小太郎はこの屋敷で、町人たちから解放されて、のんびりと暮らした。
浅間神社の誓いの儀に立ち会った後、太田備中守と上杉治部少輔は毎日のように重臣たちから招待を受け、忙しく駿府屋形内を行き来していた。
備中守としては、関東に騒ぎが起こったため、早く帰りたかったが、長い目で見ると、今、今川家の重臣たちとつながりを持っておけば、後々、援軍を頼む時に有利になるだろうと思い、嫌な顔もせずに、誘いを受ければ気安く出掛けて行った。ただし、今回、引き連れて来た三百騎の内の百騎と徒歩武者のほとんどは、すでに江戸に向かっていた。
治部少輔には備中守のような政治的な考えはない。ただ、もう少し贅沢を楽しみたいだけだった。伊豆の堀越(ホリゴエ)に帰れば、愚痴(グチ)ばかりこぼしている不機嫌な公方(クボウ)の側に仕えなければならない。ここでの優雅な暮らしなど、もう二度とできないだろう。今の内に、一生分の贅沢を味わってやろうと張り切っていた。
大将の治部少輔はそう思っていても、付いて来た兵たちにすれば、たまったものではなかった。駿河に来て、すでに半年が経っている。戦があるわけでもないのに、半年もの間、茶臼山の裾野に陣を敷いたままだった。彼らは治部少輔の家来ではない。堀越公方の命によって、かき集められた農民たちがほとんどだった。四月から十月といえば農繁期である。その忙しい時期に、こんな所まで連れて来られ、する事もなく、毎日、遊んでいるようなものだった。出兵したからといって恩賞が貰えるわけでもなく、まして、年貢が減るわけでもなかった。今川家からの差し入れもあって、食う事には困らないが、誰もが、一刻も早く帰りたいと願っていた。
今川家の重臣たちから見れば、幕府が当てにできない今、現実的に見て、備中守は一番頼りになる存在だった。それぞれが、それぞれの思惑を持って備中守に近づいて行った。また、治部少輔に近づいて行った者たちは、未だに幕府の権威を信じ、将軍義政の弟である堀越公方、政知(マサトモ)の関心を買おうとしていた。思惑は色々とあったが、本当の所は名門である今川家の重臣であるという誇りが、備中守と治部少輔を引き留めていたのだった。誰々が備中守を招待して御馳走で持て成したと聞けば、自分はそれ以上に持て成そうと考え、治部少輔を招待したと聞けば、自分も負けじと招待した。こんな風に、備中守と治部少輔は、今川家中の重臣たちの誇りというものに振り回されて、御馳走責めにあっていたのだった。
竜王丸と北川殿が駿府に帰って来て以来、早雲は早雲庵には帰らず、北川殿の屋敷に滞在していた。正式に竜王丸の執事になっても、早雲にはまだ屋敷がなかった。二曲輪内に空き屋敷があるので、そこを使うようにと言われたが、早雲は断っていた。北川殿母子が駿府から出る事になれば、執事である早雲も当然、ここから出て行く事になる。今、屋敷を貰ってもしょうがなかった。後で、小太郎に、くれると言うものは貰って置けと言われたが、屋敷を貰ってしまえば、小鹿新五郎に仕えなくてはならなくなるかもしれん。なるべく、借りは作りたくはないんじゃと言って笑った。
駿府に帰って来て二十日が過ぎた。
竜王丸は朝比奈の城下に帰って、山や川で遊びたいと言い、北川殿は毎日、つまらなそうに溜息を付いていた。朝比奈城下にいた頃の竜王丸は寅之助と一緒に、毎日、泥だらけになって野山を走り回っていた。こんな屋敷内に黙っていられるわけがなかった。毎日のように母親や侍女、仲居たちに、早く山の中に帰ろうと言ってはたしなめられていた。北川殿はここに帰って来てからも弓術や剣術の稽古は欠かさなかったが、朝比奈城下にいた頃と違って、何となく息苦しいと感じていた。
早雲は今日、鞠子の城下に行くつもりでいた。今、鞠子では鞠子城の城主、斎藤加賀守が中心になって、竜王丸の新しい屋敷を作っていた。北川殿より新しい屋敷には絶対に弓術の稽古をする射場(イバ)を作ってくれ、と頼まれていたので、その事を伝えに行こうと思っていた。北川殿のためだけでなく、竜王丸のためにも射場は必要だと早雲は思い、北川殿の意見に同意したのだった。今、地ならしをしている所で、竜王丸の屋敷は濠で囲まれる事になっている。濠を掘ってしまったら屋敷内に射場を作る事は難しくなる。濠を掘る前に縄張りの変更しなければならなかった。
早雲が台所に顔を出し、仲居に弁当を頼んでいると北川殿が顔を出した。以前の北川殿だったら仲居たちの働く台所に入って来た事などなかったが、今の北川殿は平気な顔をして台所にも来るし、仲居たちの休んでいる部屋にも入って行って、一緒に話し合ったりしていた。ここから逃れ、小河屋敷や朝比奈屋敷で共に苦労したお陰で、以前の主人と使用人というだけの関係から、隔(ヘダ)てのない家族的な関係となっていた。
「兄上様、わたしも行きます」と北川殿は言った。
「えっ?」と早雲は驚いた。
「鞠子にいらっしゃるのでしょ。わたしも新しいお屋敷が見たいのです」
「北川殿。もうしばらくの辛抱(シンボウ)です。お屋敷ができるまで、ここでお待ち下さい」
「しばらくとは、いつまでですか」
「あと三ケ月、いや、二ケ月です」
「長過ぎます‥‥‥今日、一緒に連れて行ってくれましたら、二ケ月でも三ケ月でも我慢いたします」
「困りましたな」
「兄上様、お願いです。わたしも竜王丸も、このまま、あと二ケ月も我慢できるとは思えません。今日、一度、外に出る事ができれば、何とか我慢してみます」
仲居たちも北川殿の意見に賛成だった。仲居たちも北川殿の苦しさは身を持って感じていた。口にこそ出さないが、仲居たちも早く、ここから出たいと思っていたのだった。
早雲は門前の北川衆の屋敷から小太郎を呼ぶと、さっそく、脱出作戦を開始した。
北川殿は侍女と北川衆に守られ、牛車に乗って、浅間神社に出掛けた。今川家が一つにまとまり、竜王丸がお屋形様になったお礼参りに行くという理由だった。浅間神社でお参りを済ますと、北川殿は春雨と入れ代わった。春雨は牛車に乗って屋敷に帰り、北川殿と美鈴と竜王丸は町人に扮して鞠子に向かった。供として、早雲、小太郎、お雪、菅乃、淡路、多米、荒木、寅之助が従った。
駿府から鞠子までは二里と離れていない。ゆっくり歩いても一時は掛からなかった。
一行は阿部川の渡しを渡り、鎌倉街道をのんびり西に向かって歩いた。阿部川を渡る時から、北川殿も美鈴も竜王丸も顔色が変わり、嬉しそうにニコニコしていた。竜王丸は川の中に身を乗り出すようにして、はしゃぎ、北川殿と美鈴は空を見上げながら体を思い切り伸ばしていた。今まで考えても見なかったが、あの屋敷から出る事がこんなにも楽しいものなのかと、北川殿には不思議に思えた。
「みんなに悪い事しているみたい」と北川殿は歩きながら言った。
「そうですね。今頃、悔しがってるに違いないわ」と菅乃は言った。
「やっぱり、気持ちいいわ」と北川殿は笑った。
早雲は嬉しそうな妹と姪、甥の姿を目を細くして眺めていた。
一行は藁科(ワラシナ)川を渡って、山の中へと入って行った。
竜王丸と寅之助の二人は走り回っていた。早雲から二人のお守りを命じられた多米と荒木は汗をかきながら二人を追いかけている。
歓昌院坂(カンショウインザカ)を越えると鞠子の城下はすぐだった。
城下は山に囲まれた谷の中にあった。
鎌倉街道を中心にして、東側に町人たちの家が並び、西側に武家屋敷が並んでいる。武家屋敷の奥の小高い丘の上に、山を背にして建っている屋敷が城主、斎藤加賀守の屋敷だった。詰の城である鞠子城はその山の上にある。鞠子の城下はそれ程広くはなく、武家屋敷を抜けると田畑が広がっていた。その田畑の先が、竜王丸の屋敷を建てる土地だった。城下の最も南に位置し、街道と山に囲まれている一画だった。
人足たちが汗と土にまみれて働いていた。
一行は普請場(フシンバ)の片隅に建てられた小屋に入った。小屋の中では、普請奉行の村松修理亮(シュリノスケ)が縄張りの図面に寸法を書き入れていた。
修理亮は今川家の普請奉行で、駿府屋形内の北川殿を建てたのも修理亮だった。早雲たちが顔を出すと修理亮は恐縮して、こんな所にわざわざ起こしいただいて申し訳ないと頭を下げた。
早雲が北川殿と美鈴、竜王丸を紹介すると、たまげて土下座してしまった。
修理亮は北川殿を作ったが、そこに住んでいる北川殿に会った事はなかった。修理亮の身分では、お屋形様の奥方である北川殿は雲の上の人と同じで、目にする機会などあり得なかった。その北川殿とお屋形様である竜王丸が、突然、自分の目の前に現れたのだ。信じられない事だったし、どうしたらいいのか分からず、土下座するしかなかったのだった。
「修理亮殿、この事は内緒じゃ。立って下され」と早雲が言っても無駄だった。
北川殿が立ってくれと言っても、さらに畏まるばかりだった。仕方がないので、早雲は小太郎に北川殿たちを城下の方を案内してくれと頼んだ。
北川殿たちが小屋から出て行くと、ようやく、修理亮は立ち上がった。
「息が止まるかと思いました」と冷汗を拭きながら修理亮は言った。
「すまなかったのう。北川殿がどうしても、ここを見たいとおっしゃって聞かんのでのう。さっきも言った通り、この事は内緒に頼むぞ。今回、北川殿がここにいらしたのはお忍びじゃ」
「はい。畏まりました」
「どうじゃ。進み具合は?」
「はい。幸い、いい天気が続きますので順調に行っております」
「そうか。そいつは良かった。ところで、相談じゃがのう」と早雲は縄張りの図面を覗き、「ここにのう。射場を作って欲しいんじゃ」と言った。
「射場というと弓を射る?」
「そうじゃ。竜王丸殿を立派なお屋形様にするには、武術を仕込まなければならんのでのう」
「射場ですか‥‥‥射場を作るとなると、四十間(ケン、約七十二メートル)は必要ですね」
「まあ、そうじゃな」
「ふむ」と言いながら、修理亮は図面を睨んだ。
「どうじゃ。できそうか」と早雲は修理亮の顔色を見ながら聞いた。
「はい。作るとすれば裏の方になりますね」
「うむ。そうじゃろうな」
「南に少し伸ばせば何とかなるでしょう」
「そうか。何とかなるか。そいつは助かる」
「北側は濠を掘りましたが、南はこれからですから、測り直して射場が作れるようにいたしましょう」
「頼むぞ。実は北川殿のたっての頼みなんじゃよ」
「そうでしたか。母君として竜王丸殿を立派なお屋形様にしようと熱心なのですね」
「いや。そうじゃないんじゃ。北川殿が今、弓術に熱中しておられるんじゃ」
「えっ、北川殿が?」
早雲は笑いながら頷いた。「北川殿もお屋形様がお亡くなりになられてから変わりなすった。頼もしい母君になられた」
「そうですか‥‥‥早雲殿、お屋形の門前の事ですが、こんなものでいかがでしょう」と修理亮は別の図面を早雲に見せた。
その図面には、竜王丸の屋敷と街道との間の地に屋敷が並び、それぞれの屋敷に名前が書いてあった。大きな屋敷が四つあり、そこに、吉田、小田、清水、そして、早雲の名があり、その屋敷より少し小さい敷地に、小島、久保、村田の名前が書いてある。
「わしの屋敷もあるのか」と早雲は聞いた。
「それは当然です。早雲殿はお屋形様の執事殿であります。お屋敷を持つのは当然の事です」
「そういうものかのう‥‥‥」
「もし、何かあった場合、やはり、お屋敷は必要でしょう」
「うむ、そうじゃのう。そこの所はそなたに任せるわ。まずは、お屋形を作る事が先決じゃ。なるべく、早いうちに作ってくれ」
「はい。畏まりました」
その後、早雲は修理亮と一緒に普請場を歩き回った。
その頃、北川殿母子は城下町を散策していた。丁度、神社の前で、ちょっとした市が開かれていた。売っている物はどこでもある野菜や雑貨類だったが、北川殿は珍しい物でも見るかのように眺めていた。竜王丸と寅之助の二人は多米と荒木の目を盗んでは、好き勝手な所に行って遊んでいた。
北川殿母子にとって、今日は久し振りに楽しい一日となった。
「備中守殿、先程の広間ですが、ただならぬ雰囲気でございましたが」と早雲は腰を下ろすと聞いた。
「ちょっと関東の方で騒ぎが起こってのう。その事について話し合っておるのじゃ」
「そうでしたか‥‥‥備中守殿がこちらに来ている隙を狙われたというわけですか」
「そればかりでもないがのう、困った事じゃ」
「それでは、早いうちに関東に引き上げなくてはなりませんね」
「いや。一応は手を打ったから、ひとまずは安心じゃろう」
「そうですか‥‥‥」
「さて、こちらの事に話を移そうか」
早雲は頷き、「備中守殿のお陰で、摂津守殿が身を引いてくれる事となりました。ありがとうございました」とお礼を言った。
「そうか、そいつはよかった」と備中守はホッとしたように笑った。「美濃守殿も分かってくれましたか。これで、何とかなりそうじゃのう」
早雲と小太郎も頷き合った。
「美濃守殿が備中守殿をお訪ねになったとか」と早雲は聞いた。
「うむ。訪ねて参った。美濃守殿は真面目なお方のようじゃの。話せば分かってくれると思っておった」
「はい。自分の考えが小さかったと言っておりました」
「そうか。良かったのう」
「小鹿派の方はいかがでしょう」
「葛山播磨守殿から、しきりに清流亭に戻ってくれとの誘いが掛かっておるんじゃ。播磨守殿も考えを変えたように思えるがのう」
「そうですか‥‥‥しかし、あの播磨守殿がよく同意してくれましたね」
「ちょっとな、威してやったんじゃよ。播磨守殿の本拠地をわしらが頂くと言ってのう。困った顔をしておったわ」
「そうでしたか‥‥‥」
銭泡がのっそりと顔を出した。
「おう、今日は早かったのう。伏見屋殿もどうぞ、お入り下さい」と備中守は笑顔で迎えた。
銭泡は早雲と小太郎に挨拶をすると部屋に入って来た。
「伏見屋殿は治部少輔殿に気に入られてのう。最近、毎日のように望嶽亭に通っておられるんじゃよ」
「銭泡殿も何かと忙しかったようですな」と早雲が疲れたような顔をした銭泡を見ながら言った。「最初の日に顔を見せただけで、一度も来ないものじゃから、どうしたんじゃろうと思っておりました」
「ようやく、解放されそうです」と銭泡は苦笑した。
「なに、もう、来なくもよいと申したのか」と備中守が驚いた。
「いえ。そうは申しませんが、わたしの代わりが現れました」
「ほう。どんな代わりじゃ」
「福島越前守殿が京から来た絵師を連れて参りました。小栗宗湛(オグリソウタン)殿という有名な絵師のお弟子さんだそうです」
「小栗宗湛殿と言えば将軍様の御用絵師じゃのう」と早雲は言った。
「ほう」と備中守が唸った。「将軍様の御用絵師殿のお弟子か。余程の絵を描くと見えるのう」
「はい。まさしく、その通りでございます。まるで、筆が生き物のごとくに動きまして、あっと言う間に素晴らしい絵が現れます。まるで、魔術でも見ているようでございます」
「それで、治部少輔殿は、その絵師に夢中になったという事か」
「はい。さっそく、絵を習っております」
「そうか。これで治部少輔殿は当分、絵に熱中する事になるのう」
「はい。元々、治部少輔殿は絵を描く事が好きだったようですから、大変な喜びようでした」
「銭泡殿、その絵師は何というお名前ですか」と早雲が聞いた。
「狩野越前守(正信)殿です」
「越前守というと、その絵師というのは武士なのか」と備中守は聞いた。
「はい、頭は丸めてはおりません。武士です。伊豆の国の出身だそうで、今回、国元に帰国する途中、福島越前守殿に頼まれて駿府に連れて来られたそうです」
「成程。早雲殿は、その狩野越前守というお方を御存じですか」
「いえ、直接には知りませんが、狩野越前守が描いたという絵を一度、見た事あるような気がします」
「ほう。絵を見ましたか」
「はい。今出川殿(足利義視)が絵に関心を持っておりましたものですから、わたしもよくお供を致しました。その折り、その名を耳にしました。残念ながら、どんな絵だったかまでは覚えておりませんが」
「今出川殿か」と備中守は懐かしい名を聞いたような顔をして、押板に飾られた花に目をやった。「西軍に寝返ったとは聞いておるが、今頃、どうしておられるんじゃろうのう」
「さあ」と早雲は首を振った。「何をしているか分かりませんが、将軍様になれない事は確かでしょう」
「多分な」と備中守も同意した。「将軍家が家督争いを始める御時世じゃ。今川家が家督争いに走るのも無理ないとは言えるが、何とか収まりそうじゃのう」
「お陰様で‥‥‥」
「さっそく、清流亭の方に行ってみるかのう」備中守が早雲と小太郎の顔を見比べながら言った。「早い内にまとめんと、葛山播磨守が、また、何かをたくらむかもしれんからのう」
早雲と小太郎は頷いた。
備中守は側近の上原紀三郎に、今から駿府屋形に向かう事を告げ、いつもの連中を連れて来てくれと命じると、早雲、小太郎、銭泡を連れて、先に清流亭に向かった。
2
見事な客殿だった。
あちこちに金が使われ、眩しい程だった。六代目の将軍、義教(ヨシノリ)が四十年程前に来た時に建てられたものだと言うが、見事な御殿だった。三代将軍が鹿苑寺(ロクオンジ)内に建てた金閣に似せて作ったという。金閣のように三層ではなく、外側に金は使われてはいないが、二層建ての内部は、この世のものとは思われない程、美しく飾られてあった。
清流亭に入った備中守と早雲は、清流亭の留守を守っていた葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)に頼み、さっそく、葛山播磨守を呼んだ。
播磨守は飛ぶような速さでやって来た。
播磨守は備中守から、竜王丸派と手を結んで駿河に攻め、播磨守の本拠地を攻め取ると威されてから、色々と対抗策を考えてみたが、やはり、いい考えは浮かばなかった。
扇谷上杉氏が竜王丸派と結び、播磨守の本拠地を攻めて来た場合、播磨守としては扇谷上杉氏と戦うわけには行かない。戦っても勝てる見込みはまったくなかった。小鹿新五郎と共に滅び去るという馬鹿な真似をするわけには行かなかった。となると、降参するしかない。降参して関東軍の先鋒となり、小鹿新五郎を倒す事になる。しかし、上杉氏に降参するという事は、竜王丸派に降参するのと同じで、小鹿派を倒し、竜王丸派の今川家が誕生した場合、播磨守の立場はすこぶる悪いという事になってしまう。そんな事になるのなら、今のうちに竜王丸派と結んだ方が、まだ、ましだった。
播磨守は備中守が竜王丸派の本拠地、青木城に入ったと聞き、もしや、竜王丸派と手を結ぶのではと気が気ではなかった。定願坊(ジョウガンボウ)を青木城に送り、城内の様子を探らせてはいたが、裏で、早雲と備中守がつながっているような気がして不安でたまらなかった。
こんな思いをするのは播磨守にとって初めての事だった。噂には聞いていたが、備中守という男は本当に恐ろしい男だと思った。策略家としての自分に自惚れていた播磨守だったが、上には上がいるものだと反省をしていた。そして、備中守が自分以上の人物だと気づくと、播磨守は以外にも素直に備中守を尊敬した。
備中守が青木城を出て、八幡山に戻った事を知ると、毎日のように備中守に清流亭に戻って来てくれと頼んでいた。備後守から、備中守が清流亭に入ったとの知らせを受けると、取るものも取らずに清流亭に向かったのだった。その様は、弟の備後守も呆れる程の喜びようだった。備後守はそんな兄の姿を見るのは初めてだった。いつも苦虫をかみ殺したような顔をしている兄が、まるで子供のように喜んでいる。一体、どうした事かと不思議がりながらも兄の後を追っていた。
備中守と早雲、小太郎、銭泡は清流亭の二階から眺めを楽しんでいた。
いくつにも分かれて流れている阿部川の向こうに駿河湾が広がっていた。
「さすがにいい眺めじゃのう」と小太郎は目を細めて言った。
「あそこに治部少輔殿がおられるのですか」と早雲は東に見える望嶽亭を眺めながら備中守に聞いた。
備中守は望嶽亭を見ながら頷いた。「今頃、あそこで、富士山でも描いておられる事でしょう」
突然、誰かが慌ただしく階段を上って来る音がしたと思うと、播磨守が現れ、備中守の足元に座り込むと、「よく、いらして下さいました‥‥‥お待ちしておりました」と息を切らせながら言った。
「播磨守殿、いかがなさいました。そんなに慌てて」と備中守が不思議そうに聞いた。
「いや。なに、一刻も早く、お会いしたいと思いまして‥‥‥」
「さようか、わしらも一刻も早く、播磨守殿にお会いしたかったわ」
「それは‥‥‥」と播磨守は早雲、小太郎、銭泡を見た。
「これは、早雲殿に風眼坊殿に伏見屋殿もお揃いで‥‥‥」
一瞬、やはり、備中守と早雲はつながっていたのか、と思ったが、もう、そんな事はどうでもよかった。先の事はすべて、備中守に任せようと播磨守は決めていた。
この日の播磨守は、今まで様々な策略を巡らして敵対していた播磨守とは、まるで別人のように素直だった。早雲も小太郎も目の前に座る播磨守が、今まで、ずっと敵として戦って来た男だったとは信じられない程だった。
播磨守が、小鹿派としては竜王丸派と手を結ぶ事に同意すると告げると、さっそく、具体的な話へと進んで行った。
まず、両軍とも兵を納め、それぞれの本拠地に帰る事、小鹿新五郎はひとまず、お屋形様の屋敷から退去する事、竜王丸と北川殿は北川殿に戻る事などが決められた。
具体的な日取りを決める段になって、播磨守は自分の一存だけでは決められないと言い、福島越前守も呼ぼうと言い出した。
越前守も備中守が清流亭に入ったと聞くと、すぐにやって来た。
清流亭の二階に上がり、その席に早雲がいる事に不審の念を抱いたが、播磨守に言われるまま、席に着いた。
「越前守殿、わさわざ、お呼びして申し訳ありません」と備中守はまず、一言言ってから、早雲を竜王丸派の代表として、この席にいる事を紹介した。
「成程、早雲殿が竜王丸派の代表ですか」と越前守は苦笑いをした。
すでに、小太郎と銭泡の二人は姿を消していた。
「早雲殿は摂津守派も含めて竜王丸派の代表。そして、お二人は小鹿派の代表。ようするに、この場に今川家の縮図があるわけです。そこで、この席において、今後の今川家の事を決めたいと思っております。わたしが立会人になりますがよろしいですかな」
備中守は皆の顔を見渡した。
早雲、播磨守、美濃守は頷いた。
「それでは、まず今川家の家督を継ぐお方ですが、先代のお屋形様の嫡男であられる竜王丸殿。竜王丸殿が幼少であられるため、竜王丸殿が成人なさるまで、竜王丸殿を後見していただくお方に小鹿新五郎殿、以上のように決めたいと思いますが、いかがですかな」
「我らには依存はありませんが、早雲殿」と越前守が早雲に聞いた。「摂津守殿は確かに、後見の座から降りたのでしょうな」
「はい。今川家のために身を引いていただきました」
「ほう、岡部美濃守を説得したと申すのか」
「はい」
「うむ。それなら何も問題はないじゃろう」
その後、具体的な日取りが決定した。
十日以内に両軍とも兵を引き上げる。今日が八月の十六日なので、二十六日までに引き上げるという事に決まった。そして、小鹿新五郎はお屋形様の屋敷から元の自分の屋敷に戻り、葛山播磨守も北川殿から出て、元の屋敷に戻る。駿府屋形から出て行った竜王丸派の重臣及び、その関係者は駿府屋形に戻り、すべてが、小鹿派がお屋形を占拠する以前に戻る事と決められた。そして、吉日である九月の六日に、両派の重臣たちはすべて、お屋形様の屋敷の大広間に集まり、備中守と上杉治部少輔の立会いのもと、めでたく、一つになるという事に決まった。
翌日より阿部川に布陣していた両軍の兵が撤退し始めた。
兵たちは皆、戦にならずに済んだ事に喜んでいた。兵たちから見れば、ただ、上からの命令で睨み合いをしていただけで、どうして、今川家中で戦をしなければならないのか分からない。敵味方に分かれた兵たちの中には知り合い同士もかなりいた。命令だからと言って、知り合いと殺し合いをしたくはなかった。どうして、急に撤退命令が出たのか分からなかったが、皆、良かったと心の中でホッとしていた。
二十六日には両軍ともすべての兵が国元に帰って武装を解き、家族と共に無事だった事を祝っていた。駿府屋形を守っているのは本曲輪に葛山備後守率いる三番組、二曲輪には蒲原左衛門佐率いる二番組だけとなった。一番組、四番組、五番組の頭は竜王丸派だったため、新たに小鹿派の者に変えられたが、それらは解雇され、以前の頭が迎えられる事となった。
小鹿新五郎はお屋形様の屋敷を出る事を拒み、播磨守と越前守をてこずらせたが、二人の説得によって元の屋敷に戻り、新たに宿直衆になっていた新五郎の家臣たちは小鹿の庄に帰った。播磨守も半年近く住んでいた北川殿を綺麗にして、二曲輪内の自分の屋敷に戻って行った。
竜王丸派は、まず、御番衆の頭、木田伯耆守(ホウキノカミ)、入野兵庫頭(ヒョウゴノカミ)、三浦右京亮(ウキョウノスケ)の三人に配下の者を引き連れさせて駿府屋形に入れた。そして、安全を確認した上で、重臣たちの家臣たちが入って来て、半年の間、留守にしていた屋敷を改めた。
北川殿も、まず北川衆が戻り、安全を確認した上で、北川殿母子と侍女や仲居を迎えた。
3
まさに吉日にふさわしく秋晴れの一日だった。
駿府屋形のお屋形様の屋敷の大広間では、予定通りに今川家の重臣たちが集まって評定が行なわれていた。顔触れは、小鹿派がお屋形を占拠する以前のごとくに全員が集まった。以前と違うのは上段の間に竜王丸と北川殿が座り、竜王丸の執事として早雲の顔があり、立会人として太田備中守と上杉治部少輔の二人が見守っていた。
上段の間の下には小鹿新五郎が座り、少し離れて、河合備前守、中原摂津守が並んだ。備前守も摂津守も綺麗さっぱりと頭を丸めていた。
備前守は自分を支持していた天野兵部少輔が竜王丸派に寝返ったために孤立してしまい、仕方なく、小鹿派に今川家の長老として迎えられる事になった時、頭を剃った。誰かに勧められたわけではなく、自分の意志で頭を丸めたのだった。亡きお屋形様の弟である自分を見捨てた重臣たちに、恨みを込めての反抗の表現として頭を丸めたのだった。摂津守も自分を見捨てた岡部美濃守に対する腹いせとして頭を丸めていた。
備前守は棄山(キザン)入道、摂津守は虚山(コザン)入道と号していた。二人共、入道名に山を付けたのは、亡くなった兄が晩年、桂山(ケイザン)と号していたのを真似たのだった。兄は入道になったわけではなく、連歌会の時にその号を使っていたに過ぎなかった。二人共、まさか、自分たちが本当の入道になって、兄と同じように何山と号すとは夢にも思ってもいない事だった。
以前のごとく、今川家の長老である朝比奈天遊斎と小鹿逍遙の二人の進行で評定は始まり、嘘のように速やかに進行して行った。お屋形様に竜王丸、後見に小鹿新五郎、天遊斎と逍遙の二人は隠居し、新たに、備前守と摂津守の二人が今川家の長老と決定した。駿河の守護職は、改めて幕府に認めて貰わなければならなかったが、竜王丸は先代のお屋形様の嫡男なので、すんなりと認めてくれるだろうと考えられた。
お屋形様の屋敷で評定の続いていた頃、北川殿の客間では、小太郎、富嶽、多米、荒木らが早雲たちの帰りを待っていた。
「ようやく、終わったのう」と小太郎は柱にもたれながら言った。
「これで、うまく行くんじゃろうか」と富嶽はお屋形様の屋敷の方を眺めながら言った。
「竜王丸殿が成人なさるまで十年はあるからのう」と小太郎は言った。「その十年の間、小鹿新五郎が黙っているとは思えんのう。その十年間の活躍いかんでは、そのまま、お屋形様の座に就くという事もありえるかもしれん」
「まだまだ、前途多難ですな」と荒木が言った。
「竜王丸殿は前のように、ここに住むんじゃろうか」と多米は聞いた。
「お屋形様の屋敷には小鹿新五郎が入るじゃろうからの。やはり、ここに住む事になるんじゃないかのう」と富嶽は言った。
「危険はないのかのう」と多米は心配した。
「分からんな。成人なさる前に病死という事もありえるじゃろうな」と小太郎は言った。
「ここにいたら危険ですよ」と荒木は言った。「朝比奈城にいた方がいいんじゃないですか」
「それはそうかもしれんが、北川殿の住む所を、わしらで勝手に決める事はできん」と富嶽は言った。
「早雲が帰って来たら、この事は改めて考えなければなるまいな」と小太郎は言った。
「早雲殿はどうなるんじゃろう」と多米は聞いた。
「どうなるとは?」と小太郎が聞いた。
「今川家の家臣になるんじゃろうか」
「うむ。竜王丸殿を守って行かなければならんからのう。竜王丸殿が成人なさるまでは、側に仕えるという事になるじゃろうな」
「という事は武士の戻るのですか」
「それは分からん」
「わしらはどうなるんです」と荒木は聞いた。
「それはおぬしら次第じゃろう。おぬしらが竜王丸殿を守りたいと思えば、早雲の奴が何とかしてくれるじゃろう。北川衆の数が足らんから北川衆にでもなったらよかろう」
「まさか、わしらが北川衆になれるわけがないわ」と多米は首を振った。
「そいつは分からんぞ」と富嶽は言った。「早雲殿に頼んでみれば何とかなるかもしれん。しかし、北川衆になったら前のように自由気ままには生きられんぞ」
「そうじゃのう。わしにはちょっと勤まらんわ」と多米は言って、荒木を見た。
荒木は頷き、「北川衆になるよりは、以前のように早雲殿の家来として竜王丸殿を守っておった方が気楽でいいのう」と言った。
お雪と春雨の二人が客間に入って来た。
「北川殿はまた、ここに住む事になるの」とお雪が小太郎に聞いた。
「多分な」と小太郎は言った。
「無理だと思うわ」とお雪は首を振った。
「なぜじゃ」
「だって、朝比奈のお城下にいた時、毎日、お城下を出歩いていた北川殿がここに入ったら、ここからほとんど出られなくなるんでしょ。絶対に無理だわ」
「そうか‥‥‥北川殿は以前の北川殿とは違うんじゃったな」
「そうよ。北川殿だけじゃないわ。侍女や仲居の人たちだって、毎日、お屋敷にいるよりは外にいた方が多かったのよ。こんな堅苦しい所なんか嫌だって思っているに違いないわ。口に出しては決して言わないけど、みんな、つまらなそうな顔をしてるわ」
「それは言えるわね」と春雨も言った。「みんな、いい所のお姫様ばかりで、子供の頃からお屋敷の中で大切に育てられて、そして、ここに来たのよ。みんな、お屋敷の中だけで暮らす事が当然だと思っていたから、以前の様に暮らす事ができたけど、朝比奈のお城下では最初のうちは皆、戸惑っていたけど、自由に出歩く事の楽しさを覚えてしまったのよ。今更、このお屋敷内だけで暮らせと言っても無理だと思うわ」
「確かにのう。この屋敷内だけで暮らせといっても無理じゃのう。ここでは弓の稽古もできんしのう。かと言って、ここから出て行くには牛車に乗らなければならん。そんな生活を続ける事は不可能と言えるのう」
「早雲殿に頼んで、また、朝比奈のお城下に住む事ができるようにした方がいいわよ。竜王丸殿のためにも、こんな所にいるより朝比奈のお城下を走り回っていた方がいいと思うわ」
「うむ。それはそうじゃ」と小太郎は頷いた。「立派なお屋形様に育てるにも、こんな屋敷に閉じ込めておいたのではいかんのう。野山を飛び回って、自然から色々な事を学ばなければならん‥‥‥うむ。この事は本気で考えんといかんのう」
「ねえ、あたしたちは、これから、どうするの」とお雪は聞いた。
「ここから出たいのか」
「北川殿が安全なら、あたしもここから出てもいいんじゃないかと思って」
「わしは浅間神社の門前に戻るつもりじゃ」
「また、町医者に戻るの」
「まあな。お前はもう少し、ここにいてくれ」
「うん。迎えに来てね」
いつの間にか、多米と荒木の二人が消えていた。
「春雨殿はどうするつもりじゃ」と富嶽は聞いた。
「わたしも、そろそろ早雲庵に帰りたいとは思うけど、みんな、いなくなっちゃったら北川殿が淋しがるだろうし、わたしはもう少し、ここにいようと思っているの」
「そうか、それがいいじゃろうの。美鈴殿も淋しがるじゃろうしの」
北川殿と竜王丸殿を乗せた牛車が戻って来たのは、未(ヒツジ)の刻(午後二時)頃だった。
牛車には北川衆の吉田と小田の二人が付き添い、侍女の萩乃が従っていた。その後ろに早雲と長谷川法栄と五条安次郎が付いて来た。
北川殿と竜王丸を奥の間に送ると、早雲は皆の待つ客間に現れた。
「どうじゃった」と小太郎は聞いた。
「うまく行った」と早雲は笑った。
早雲は評定の場で、正式に竜王丸の執事となり、竜王丸が継いだお屋形様の直轄地より所領を貰う事に決まった。知行場所や知行高はまだ決まってはいないが、今川家の家臣になる事は決定したとの事だった。以前とは違い、決まった収入が得られる事になったので、早雲は改めて早雲庵にいる者たちを家臣として召し抱える事にした。ただ、小太郎だけは早雲の家臣にはならず、町医者として、お雪と共にのんびり暮らすと言った。ただし、北川殿の御祈祷師(ゴキトウシ)として、北川殿や竜王丸とは自由に会う事ができるようにすると早雲は約束した。お雪の方も美鈴の笛の師匠として、北川殿に出入りできるようにするとの事だった。
「早雲殿、もしかしたら、お城も貰ったのでは?」と富嶽は聞いた。
「いや、その件はお断りした」
「どうしてです」
「城を持つと、それがどこだとしても、その城に縛られる事になる。竜王丸殿が成人なさるまでは、竜王丸殿の側におりたいのでな、竜王丸殿が成人なさる暁まで、その事は待ってもらい、今のまま石脇の地を法栄殿にお借りするつもりじゃ」
「はい」と法栄は頷いた。「その事はもう、わしとしても早雲殿にあそこにいて貰った方が心強いのでな」
「よろしく、お願いいたします」
「なに、わしよりも早雲殿があそこから出て行かれる事となれば、あの辺りの村人たちが許すまい」
「確かに、長谷川殿の言う通りですね。村人たちが騒ぎ出す事でしょう」と安次郎も言った。
「必要ならば、あそこを城のようにすればいい」と法栄は言った。
「いえ。今のままでいいでしょう。濠を掘ったり、土塁を築いたりしたら、村人たちが近寄りがたくなってしまう」
「そうですな。あそこは今まで通り、村人たちの寄り合い所みたいになっておった方がいいかもしれんのう」と富嶽も言った。
「早雲。何もかもうまく行っておるようじゃが、一つだけ問題があるんじゃ」と小太郎が渋い顔をして言った。
「問題?」と早雲は小太郎を見た。
「ああ、ここの事じゃ。北川殿は以前のように、ここに住む事になったのか」
「そうじゃが」
「竜王丸殿が成人なさるまでか」
「まあ、そういう事になろうのう」
「それが具合が悪いんじゃ」
「なに? 誰かが竜王丸殿の命を狙うとでも言うのか」
「それもあるかもしれん。が、それ以上の問題があるんじゃ」
「何じゃ、それ以上の問題とは」
「おぬしは竜王丸殿をどのようにお育てするつもりじゃ」
「どのようにだと? 立派なお屋形様にお育てするのに決まっておろう」
「ここでか」
「なに?」と早雲は改めて、部屋の中を見回した。「そうか、そこまでは考えなかったわ。確かに、こんな所に十年も閉じ込められて、立派なお屋形様に育つわけがなかったわ」
「そうじゃ」と小太郎は頷いた。「こんな所におったら、どこに行くにも重臣たちに監視され、のびのびと育つ事もできん」
「かと言って、ここから出て行ったら、また、小鹿派の天下となりえんぞ」
「それは、ここにおっても同じじゃろう。後見となった小鹿新五郎は北川殿など無視して事を決めて行く事は目に見えておる。じゃが、関東の太田備中守殿が睨みを効かせておるうちは大それた事はできまい」
「うむ。確かにのう」
「十年というのは長い。その間に小鹿新五郎が何をしたとしても、竜王丸殿が立派に成長なされば、重臣たちは竜王丸殿に付いて行く事じゃろう。何よりも一番重要な事は、竜王丸殿を立派なお屋形様に成長させる事じゃ」
「法栄殿はどう思われます」と早雲は聞いた。
「確かにのう。先代のお屋形様が生きておられたならば、竜王丸殿はここにいたとしても、のびのびとお育ちになる事じゃろうが、今の状況では、それは難しい事といえるのう。竜王丸殿はこの屋敷に軟禁されているような状況じゃからのう。わしも竜王丸殿の事を考えると、ここからは出た方がいいような気がするわ」
「それに、北川殿の事もあります」と春雨は言った。
「北川殿?」
「はい。まだ、ここに移ってから十日も経っていませんけど、朝比奈殿の御城下を懐かしがっておられます」
「そうか‥‥‥竜王丸殿よりも北川殿の方がこんな所にいつまでも閉じ籠もってはおられんのう。これは考えてみなければならん‥‥‥しかし、北川殿がここから出て行く事を重臣たちが賛成してくれるかのう」
「難しいですな」と法栄は首をひねった。
「備中守殿がおられるうちに、何とかした方がいいと思うがのう」と小太郎は言った。
「うむ、確かに‥‥‥しかし、どうやって重臣たちを納得させるかじゃな‥‥‥」
竜王丸の命が危ないからと言えば小鹿派を刺激する事になる。かといって、北川殿が堅苦しい北川殿から出たいと言っているからと言っても、今川家のお屋形様の母親として、そんな我がままが許されるわけもない。竜王丸の成長のためには北川殿にいるよりは、もっと、のびのびとした所で育った方がいいと言っても、お屋形様をそんな所で育てるわけにはいかんと反対するに決まっていた。
その日はいい考えは浮かばなかったが、何とかしなければならなかった。
4
九月の十五日、浅間神社の神前において、今川家の重臣たちは竜王丸をお屋形様として盛り立て、団結する事を誓い合った。これで、はるばる関東から来ていた上杉治部少輔、太田備中守の役目はようやく終わった。
その日の晩、重臣たちが全員参加して、治部少輔と備中守をねぎらう宴が、お屋形様の屋敷の大広間で行なわれた。早雲も勿論、参加していた。
竜王丸と北川殿が今の屋敷から出る件については、うまく行っていた。評定の席で、早雲は、北川殿が今の屋敷で恐怖に脅(オビ)えていて、顔色もよくないので、別の所に移動したいと提案した。北川殿はあの屋敷にいると、仲居が殺された事や、河原者の襲撃にあった恐ろしい事が思い出されて食事もろくにできず、毎日、脅えて暮らしていると説明した。
初め、それならば、お屋形様の屋敷に移ればいいとか、道賀亭に移ればいいとかの意見も出たが、竜王丸が成人するまでは、今川家の事は小鹿新五郎殿と重臣たちに任せ、竜王丸は別の所でのびのびと育てた方が、今川家のためにいいのではないかと早雲が言うと、まず、太田備中守がその意見に同意した。小鹿新五郎にしても竜王丸が駿府屋形から出て行った方が、この先、やりやすいので、竜王丸のためにはその方がいいと同意した。葛山播磨守、岡部美濃守も、その意見に賛成すると、皆、同意した。そして、どこに移ったらいいかという事に関して色々と検討した上、駿府からも、そう離れていない斎藤加賀守の城下、鞠子(マリコ)と決められた。すでに、もう、鞠子城下の加賀守の屋敷の南側、日当たりのいい地において、竜王丸のための屋敷の普請(フシン)が始まっていた。今年中には完成し、来年の正月は新しい屋敷で迎える手筈になっていた。北川衆たちの屋敷も竜王丸の屋敷の回りに並ぶ予定で、執事である早雲の屋敷も建つ予定だった。
小太郎とお雪は久し振りに、浅間神社の門前町の我家に帰って来た。
二人は四ケ月間、京の方に旅に出ていた事になっていたので、二人が帰って来た事を知ると、向かいの紙漉(ス)き屋の隠居が、さっそく遊びに来た。小太郎たちは隠居に作り話をしなければならないと思ったが、風眼坊が早雲と共に、今川家のために活躍した事を隠居は知っていた。そして、町人たちが今回、竜王丸がお屋形様になった事について、どう思っていたかを教えてくれた。事件の真っ只中にいた小太郎たちとは違って、事件を外から眺めていた町人たちは、まったく違った見方をしていた。
小太郎は風間小太郎の名で町医者を開いたが、北川殿がここに来た時、北川衆の小田が小太郎の事を、京で有名な医者、風眼坊と紹介したため、風眼坊の名の方が有名になってしまった。そして、風眼坊という名のまま駿府屋形に出入りしていたため、風眼坊の活躍が町人たちの話題に上っていたのだった。
隠居の話によると、先代のお屋形様は遠江の出陣から帰って来た後、急病に罹って、四月に亡くなった事になっていた。それは、当然の事だった。凱旋(ガイセン)した時、お屋形様は確かに生きていたのだった。誰もが、お屋形様が本物だと思い、小鹿新五郎がお屋形様に扮していたとは思いもしなかった。
その後、各地の重臣たちが駿府に集まって来た。徐々に、駿府屋形の警戒も厳重になり、町人たちも何かあったに違いないと思うようになり、恒例の花見も中止となった。この頃から、お屋形様が病を患(ワズラ)ったと思う者が多くなった。そして、お屋形様の病の治療をしていたのが、何と、風眼坊だったという事になっていた。その当時、そんな事を思った者は勿論、誰もいなかったが、その後、北川殿が風眼坊の所に出入りした事が噂になると、当然、お屋形様の病の治療に当たっていたのも風眼坊に違いないと町人たちは噂していた。その頃、風眼坊とお雪は北川殿の側にいて、門前町の家は長い間、留守となっていた。町人たちが勘違いするのも無理なかったが、小太郎とお雪は隠居から、その事を問い詰められて、何と答えたらいいものか戸惑ってしまった。
四月になると関東から軍勢がやって来た。戦が始まるのかと思ったが、その気配はない。そして、四月の六日、お屋形様の葬儀が行なわれ、関東の軍勢が葬儀に参加するために、わざわざ、来たという事が分かった。町人たちも誰が一体、新しいお屋形様になるのだろうと考え、一騒ぎ起こるに違いないと思った。葬儀の喪主は小鹿新五郎だったが、そのまま、すんなりと新五郎がお屋形様に決まるとは町人たちも思ってはいなかった。案の定、今川家は二つに分かれ、いつ、戦が始まるとも分からない状況に突入して行った。浅間神社でも僧兵たちが武装して門前町を練り歩き、町人たちは戸締りをして家の中に籠もっていたと言う。
その時、突然、出現して、活躍したのが竜王丸殿の伯父、伊勢早雲だと言う。
駿府の町人たちは今まで、早雲の存在を知らなかった。駿府屋形に何度も出入りしていても、町人たちの噂に上る程の事はなかった。石脇の早雲庵の近辺では早雲の名は有名だったが、その地でも早雲が竜王丸の伯父だという事は知らない。駿府の町人たちにとって、早雲という僧が突然、お屋形様の死と共に出現したように思われた。
最初に早雲の名が出て来たのは、三浦次郎左衛門尉の寝返りの時だった。四月の末、三浦一族の者が全員、駿府屋形から姿を消すという事件が起こった。普通、お屋形内で起きた事件は町人の噂にはならない。町人の噂にならないように、堅く口止めされる事になっている。北川殿や小鹿屋敷の仲居が殺された事件や、北川殿が河原者たちに襲撃された事件、北川殿が駿府屋形から逃げ出した事など、町人たちはまったく知らなかった。ところが、三浦一族の者が駿府屋形から消えた事件では、事件の後、三番組の頭、葛山備後守が配下の者たちを使って、城下や浅間神社の門前町に早雲の隠れ家があるに違いないとしらみ潰しに捜し回ったため、瞬く間に町人たちに知れ渡り、早雲という名も有名になって行った。早雲には風眼坊という大峯の山伏が付いており、二人は摩訶不思議な術を使って、一瞬のうちに三浦一族を女子供に至るまで駿府屋形から脱出させたという。早雲の名と共に風眼坊の名も城下の隅々にまで知れ渡って行った。名医としての風眼坊の名は浅間神社の門前町だけの噂に留まったが、大峯の山伏、風眼坊の名は駿府一帯に広まって行った。
その次に早雲の名を有名にしたのは、八月の十六日、備中守と一緒に早雲らが駿府屋形内の清流亭に入った時だった。その時、備中守は早雲、小太郎、銭泡の三人だけを連れて馬に乗り、駿府屋形にやって来た。屋形に入る時、ちょっとした騒ぎが起こった。その時、本曲輪の警固に当たっていたのは三番組だった。南門を通ろうとした一行は門番に止められた。門番の中に、早雲と小太郎の顔を知っている者がいたのだった。備中守が通るのは構わないが、敵である早雲と小太郎を許可なく通すわけにはいかなかった。門番は一行を止め、頭の葛山備後守に伝えに行った。武装した御番衆たちは、早雲、小太郎、銭泡を馬から降ろして槍で囲んだ。
その場面を目撃していた商人がいた。福島越前守のもとに出入りしている江尻津の『河内屋』という商人で、越前守に頼まれて備中守が陣を敷いている八幡山に差し入れをした帰りだった。河内屋の一行が南門に差しかかった時、目の前で早雲らが囲まれたのだった。河内屋には何が起こったのか分からなかったが、知り合いの御番衆の者から訳を聞いて、囲まれているのが早雲と風眼坊だという事を知った。河内屋も二人の噂は知っていた。小鹿派に敵対している竜王丸派の中心になっているという二人だった。その二人が護衛の者も付けずに、備中守と一緒に敵中に入って行くというのは興味深い事だった。
やがて、備後守が現れ、備中守と話すと頷き、早雲たちは御番衆に囲まれたまま清流亭に入って行った。御番衆らが清流亭を囲むのを見ると、河内屋は越前守の屋敷へ、今、目撃した事を知らせに走った。
越前守は河内屋に早雲が来た事を口止めしたが、河内屋のもとで働いていた人足たちによって、その事は瞬(マタタ)く間に、城下及び浅間神社の門前町に広まって行った。町人たちは敵陣に乗り込んで来た早雲が、今度は何をしでかすのか、期待の目で見守っていた。
それから三日後だった。阿部川から両軍の兵が撤退して行った。五日後には駿府屋形を囲んでいた兵も帰って行った。そして、十日経った二十六日には、お屋形内にいた小鹿新五郎の兵も去り、御番衆だけが残った。そして、お屋形から出て行った竜王丸派の重臣たちが続々と戻って来た。
町人たちは、ようやく、今川家が元に戻ったと安心し、喜び会った。そして、今川家を一つに戻したのは、太田備中守の力もあるが、早雲のお陰だと誰もが思っていた。もし、早雲がいなければ駿河の国は戦になり、駿府の城下は灰燼(カイジン)と化していたかもしれないと誰もが早雲に感謝し、町人の中には早雲大明神様、早雲大菩薩様などと呼んでいる者さえいると言う。
小太郎とお雪は紙漉き屋の隠居から、その事を聞いて、さすがに驚きを隠す事はできなかった。そして、噂というものの恐ろしさを改めて思い知った。
情報というものは戦に勝つために絶対に必要なものだった。敵を知り、己を知らなければ、戦に勝つ事はできない。武将たちは適確な情報を求めるため、あらゆる手段を使う。武将たちが情報に飢えている事は小太郎も知っていたが、情報に飢えているのは武将たちだけではなく、町人たちも同じだった。町人たちも町人なりに、今、何が起こっているのか知りたがり、その情報はあっと言う間に町人たちの間に流れて行くという事を改めて思い知らされた。
加賀にいた頃、一つの噂によって蓮崇は本願寺から破門となり、ここでは、小太郎たちの知らないうちに、早雲は町人たちの間で英雄となっている。世の中、面白いものだと思った。勿論、当の本人、早雲もまだこの事は知らないだろう。駿府の町人たちの英雄となってしまった早雲は、この先、益々、回りから縛られる事になる。何物にも縛られないで、自由自在の境地で生きたいと言う早雲は、何かをやる度に、皮肉にも、自ら自分の首を絞めているように小太郎には思えた。早雲はこれから先、町人たちの思う通りの英雄でいなければならなかった。この地を離れない限り、早雲の理想とする生き方はできないだろう。しかし、奴にはそれもできまい。これも、奴の運命なのだろう、と小太郎は思った。
次の日から、小太郎とお雪は町医者を再開した。毎日、大勢の者たちが小太郎を訪ねて来た。ほとんどの者が患者ではなく、風眼坊の口から直接、早雲の活躍を聞きに来た者たちばかりだった。小太郎も初めの頃は、町人から聞かれるまま事の成り行きを話していたが、毎日、毎日、同じ事を聞かれるとうんざりとして、毎日のように来ていた隠居にすべてを任せて、奥の部屋に籠もってしまった。
九月の十五日の浅間神社の神前の儀が行なわれた時には、一目、早雲を見ようと町人たちが押しかけ、急遽、御番衆や僧兵たちが町人たちの整理をしなければならない程だった。そして、早雲を見た町人たちは、その事を告げるために、また、小太郎の家に押しかけて来たのだった。わりと我慢強い方のお雪も、いい加減うんざりして、ここから出ようと言い出し、しばらく旅に出ると称して北川殿に入った。
お雪は北川殿の侍女に戻り、小太郎は富嶽らが住んでいる北川衆の屋敷に入った。富嶽、多米、荒木の三人は殺された大谷の家族が住んでいた北川殿のすぐ前の屋敷に住んでいた。大谷の家族は大谷が殺されてから実家の方に帰り、空き家となっていたため、三人が入ったのだった。以前よりも北川衆は三人少なかった。補充の人員が決まるまで、この三人が代わりとなって交替で北川殿を守っていた。小太郎はこの屋敷で、町人たちから解放されて、のんびりと暮らした。
5
浅間神社の誓いの儀に立ち会った後、太田備中守と上杉治部少輔は毎日のように重臣たちから招待を受け、忙しく駿府屋形内を行き来していた。
備中守としては、関東に騒ぎが起こったため、早く帰りたかったが、長い目で見ると、今、今川家の重臣たちとつながりを持っておけば、後々、援軍を頼む時に有利になるだろうと思い、嫌な顔もせずに、誘いを受ければ気安く出掛けて行った。ただし、今回、引き連れて来た三百騎の内の百騎と徒歩武者のほとんどは、すでに江戸に向かっていた。
治部少輔には備中守のような政治的な考えはない。ただ、もう少し贅沢を楽しみたいだけだった。伊豆の堀越(ホリゴエ)に帰れば、愚痴(グチ)ばかりこぼしている不機嫌な公方(クボウ)の側に仕えなければならない。ここでの優雅な暮らしなど、もう二度とできないだろう。今の内に、一生分の贅沢を味わってやろうと張り切っていた。
大将の治部少輔はそう思っていても、付いて来た兵たちにすれば、たまったものではなかった。駿河に来て、すでに半年が経っている。戦があるわけでもないのに、半年もの間、茶臼山の裾野に陣を敷いたままだった。彼らは治部少輔の家来ではない。堀越公方の命によって、かき集められた農民たちがほとんどだった。四月から十月といえば農繁期である。その忙しい時期に、こんな所まで連れて来られ、する事もなく、毎日、遊んでいるようなものだった。出兵したからといって恩賞が貰えるわけでもなく、まして、年貢が減るわけでもなかった。今川家からの差し入れもあって、食う事には困らないが、誰もが、一刻も早く帰りたいと願っていた。
今川家の重臣たちから見れば、幕府が当てにできない今、現実的に見て、備中守は一番頼りになる存在だった。それぞれが、それぞれの思惑を持って備中守に近づいて行った。また、治部少輔に近づいて行った者たちは、未だに幕府の権威を信じ、将軍義政の弟である堀越公方、政知(マサトモ)の関心を買おうとしていた。思惑は色々とあったが、本当の所は名門である今川家の重臣であるという誇りが、備中守と治部少輔を引き留めていたのだった。誰々が備中守を招待して御馳走で持て成したと聞けば、自分はそれ以上に持て成そうと考え、治部少輔を招待したと聞けば、自分も負けじと招待した。こんな風に、備中守と治部少輔は、今川家中の重臣たちの誇りというものに振り回されて、御馳走責めにあっていたのだった。
竜王丸と北川殿が駿府に帰って来て以来、早雲は早雲庵には帰らず、北川殿の屋敷に滞在していた。正式に竜王丸の執事になっても、早雲にはまだ屋敷がなかった。二曲輪内に空き屋敷があるので、そこを使うようにと言われたが、早雲は断っていた。北川殿母子が駿府から出る事になれば、執事である早雲も当然、ここから出て行く事になる。今、屋敷を貰ってもしょうがなかった。後で、小太郎に、くれると言うものは貰って置けと言われたが、屋敷を貰ってしまえば、小鹿新五郎に仕えなくてはならなくなるかもしれん。なるべく、借りは作りたくはないんじゃと言って笑った。
駿府に帰って来て二十日が過ぎた。
竜王丸は朝比奈の城下に帰って、山や川で遊びたいと言い、北川殿は毎日、つまらなそうに溜息を付いていた。朝比奈城下にいた頃の竜王丸は寅之助と一緒に、毎日、泥だらけになって野山を走り回っていた。こんな屋敷内に黙っていられるわけがなかった。毎日のように母親や侍女、仲居たちに、早く山の中に帰ろうと言ってはたしなめられていた。北川殿はここに帰って来てからも弓術や剣術の稽古は欠かさなかったが、朝比奈城下にいた頃と違って、何となく息苦しいと感じていた。
早雲は今日、鞠子の城下に行くつもりでいた。今、鞠子では鞠子城の城主、斎藤加賀守が中心になって、竜王丸の新しい屋敷を作っていた。北川殿より新しい屋敷には絶対に弓術の稽古をする射場(イバ)を作ってくれ、と頼まれていたので、その事を伝えに行こうと思っていた。北川殿のためだけでなく、竜王丸のためにも射場は必要だと早雲は思い、北川殿の意見に同意したのだった。今、地ならしをしている所で、竜王丸の屋敷は濠で囲まれる事になっている。濠を掘ってしまったら屋敷内に射場を作る事は難しくなる。濠を掘る前に縄張りの変更しなければならなかった。
早雲が台所に顔を出し、仲居に弁当を頼んでいると北川殿が顔を出した。以前の北川殿だったら仲居たちの働く台所に入って来た事などなかったが、今の北川殿は平気な顔をして台所にも来るし、仲居たちの休んでいる部屋にも入って行って、一緒に話し合ったりしていた。ここから逃れ、小河屋敷や朝比奈屋敷で共に苦労したお陰で、以前の主人と使用人というだけの関係から、隔(ヘダ)てのない家族的な関係となっていた。
「兄上様、わたしも行きます」と北川殿は言った。
「えっ?」と早雲は驚いた。
「鞠子にいらっしゃるのでしょ。わたしも新しいお屋敷が見たいのです」
「北川殿。もうしばらくの辛抱(シンボウ)です。お屋敷ができるまで、ここでお待ち下さい」
「しばらくとは、いつまでですか」
「あと三ケ月、いや、二ケ月です」
「長過ぎます‥‥‥今日、一緒に連れて行ってくれましたら、二ケ月でも三ケ月でも我慢いたします」
「困りましたな」
「兄上様、お願いです。わたしも竜王丸も、このまま、あと二ケ月も我慢できるとは思えません。今日、一度、外に出る事ができれば、何とか我慢してみます」
仲居たちも北川殿の意見に賛成だった。仲居たちも北川殿の苦しさは身を持って感じていた。口にこそ出さないが、仲居たちも早く、ここから出たいと思っていたのだった。
早雲は門前の北川衆の屋敷から小太郎を呼ぶと、さっそく、脱出作戦を開始した。
北川殿は侍女と北川衆に守られ、牛車に乗って、浅間神社に出掛けた。今川家が一つにまとまり、竜王丸がお屋形様になったお礼参りに行くという理由だった。浅間神社でお参りを済ますと、北川殿は春雨と入れ代わった。春雨は牛車に乗って屋敷に帰り、北川殿と美鈴と竜王丸は町人に扮して鞠子に向かった。供として、早雲、小太郎、お雪、菅乃、淡路、多米、荒木、寅之助が従った。
駿府から鞠子までは二里と離れていない。ゆっくり歩いても一時は掛からなかった。
一行は阿部川の渡しを渡り、鎌倉街道をのんびり西に向かって歩いた。阿部川を渡る時から、北川殿も美鈴も竜王丸も顔色が変わり、嬉しそうにニコニコしていた。竜王丸は川の中に身を乗り出すようにして、はしゃぎ、北川殿と美鈴は空を見上げながら体を思い切り伸ばしていた。今まで考えても見なかったが、あの屋敷から出る事がこんなにも楽しいものなのかと、北川殿には不思議に思えた。
「みんなに悪い事しているみたい」と北川殿は歩きながら言った。
「そうですね。今頃、悔しがってるに違いないわ」と菅乃は言った。
「やっぱり、気持ちいいわ」と北川殿は笑った。
早雲は嬉しそうな妹と姪、甥の姿を目を細くして眺めていた。
一行は藁科(ワラシナ)川を渡って、山の中へと入って行った。
竜王丸と寅之助の二人は走り回っていた。早雲から二人のお守りを命じられた多米と荒木は汗をかきながら二人を追いかけている。
歓昌院坂(カンショウインザカ)を越えると鞠子の城下はすぐだった。
城下は山に囲まれた谷の中にあった。
鎌倉街道を中心にして、東側に町人たちの家が並び、西側に武家屋敷が並んでいる。武家屋敷の奥の小高い丘の上に、山を背にして建っている屋敷が城主、斎藤加賀守の屋敷だった。詰の城である鞠子城はその山の上にある。鞠子の城下はそれ程広くはなく、武家屋敷を抜けると田畑が広がっていた。その田畑の先が、竜王丸の屋敷を建てる土地だった。城下の最も南に位置し、街道と山に囲まれている一画だった。
人足たちが汗と土にまみれて働いていた。
一行は普請場(フシンバ)の片隅に建てられた小屋に入った。小屋の中では、普請奉行の村松修理亮(シュリノスケ)が縄張りの図面に寸法を書き入れていた。
修理亮は今川家の普請奉行で、駿府屋形内の北川殿を建てたのも修理亮だった。早雲たちが顔を出すと修理亮は恐縮して、こんな所にわざわざ起こしいただいて申し訳ないと頭を下げた。
早雲が北川殿と美鈴、竜王丸を紹介すると、たまげて土下座してしまった。
修理亮は北川殿を作ったが、そこに住んでいる北川殿に会った事はなかった。修理亮の身分では、お屋形様の奥方である北川殿は雲の上の人と同じで、目にする機会などあり得なかった。その北川殿とお屋形様である竜王丸が、突然、自分の目の前に現れたのだ。信じられない事だったし、どうしたらいいのか分からず、土下座するしかなかったのだった。
「修理亮殿、この事は内緒じゃ。立って下され」と早雲が言っても無駄だった。
北川殿が立ってくれと言っても、さらに畏まるばかりだった。仕方がないので、早雲は小太郎に北川殿たちを城下の方を案内してくれと頼んだ。
北川殿たちが小屋から出て行くと、ようやく、修理亮は立ち上がった。
「息が止まるかと思いました」と冷汗を拭きながら修理亮は言った。
「すまなかったのう。北川殿がどうしても、ここを見たいとおっしゃって聞かんのでのう。さっきも言った通り、この事は内緒に頼むぞ。今回、北川殿がここにいらしたのはお忍びじゃ」
「はい。畏まりました」
「どうじゃ。進み具合は?」
「はい。幸い、いい天気が続きますので順調に行っております」
「そうか。そいつは良かった。ところで、相談じゃがのう」と早雲は縄張りの図面を覗き、「ここにのう。射場を作って欲しいんじゃ」と言った。
「射場というと弓を射る?」
「そうじゃ。竜王丸殿を立派なお屋形様にするには、武術を仕込まなければならんのでのう」
「射場ですか‥‥‥射場を作るとなると、四十間(ケン、約七十二メートル)は必要ですね」
「まあ、そうじゃな」
「ふむ」と言いながら、修理亮は図面を睨んだ。
「どうじゃ。できそうか」と早雲は修理亮の顔色を見ながら聞いた。
「はい。作るとすれば裏の方になりますね」
「うむ。そうじゃろうな」
「南に少し伸ばせば何とかなるでしょう」
「そうか。何とかなるか。そいつは助かる」
「北側は濠を掘りましたが、南はこれからですから、測り直して射場が作れるようにいたしましょう」
「頼むぞ。実は北川殿のたっての頼みなんじゃよ」
「そうでしたか。母君として竜王丸殿を立派なお屋形様にしようと熱心なのですね」
「いや。そうじゃないんじゃ。北川殿が今、弓術に熱中しておられるんじゃ」
「えっ、北川殿が?」
早雲は笑いながら頷いた。「北川殿もお屋形様がお亡くなりになられてから変わりなすった。頼もしい母君になられた」
「そうですか‥‥‥早雲殿、お屋形の門前の事ですが、こんなものでいかがでしょう」と修理亮は別の図面を早雲に見せた。
その図面には、竜王丸の屋敷と街道との間の地に屋敷が並び、それぞれの屋敷に名前が書いてあった。大きな屋敷が四つあり、そこに、吉田、小田、清水、そして、早雲の名があり、その屋敷より少し小さい敷地に、小島、久保、村田の名前が書いてある。
「わしの屋敷もあるのか」と早雲は聞いた。
「それは当然です。早雲殿はお屋形様の執事殿であります。お屋敷を持つのは当然の事です」
「そういうものかのう‥‥‥」
「もし、何かあった場合、やはり、お屋敷は必要でしょう」
「うむ、そうじゃのう。そこの所はそなたに任せるわ。まずは、お屋形を作る事が先決じゃ。なるべく、早いうちに作ってくれ」
「はい。畏まりました」
その後、早雲は修理亮と一緒に普請場を歩き回った。
その頃、北川殿母子は城下町を散策していた。丁度、神社の前で、ちょっとした市が開かれていた。売っている物はどこでもある野菜や雑貨類だったが、北川殿は珍しい物でも見るかのように眺めていた。竜王丸と寅之助の二人は多米と荒木の目を盗んでは、好き勝手な所に行って遊んでいた。
北川殿母子にとって、今日は久し振りに楽しい一日となった。
17.五条安次郎
1
山々が色付き始め、あちこちで、冬の準備が始まっていた。
十月になって、太田備中守(ビッチュウノカミ)と上杉治部少輔(ジブショウユウ)が関東に帰って行くと、駿府屋形もひっそりと静まり、急に薄ら寒くなったようだった。
重臣たちも一人、二人と国元に帰って行った。遠江から来ていた者たちは、天野氏も含め、皆、帰って行った。蒲原越後守、由比出羽守、矢部将監(ショウゲン)、興津美作守、庵原安房守(イハラアワノカミ)らも帰って行った。そして、葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)も帰って行った。
葛山播磨守は備中守と会ってから、まるで、人が変わったようだった。もしかしたら、早雲を暗殺するかもしれないと思われる程、早雲と敵対していたくせに、清流亭で会ってからは手の平を返すように、親しみを持って、やたらと早雲に近づいて来た。
早雲殿、早雲殿と言って、毎日のように用もないのに、北川殿に訪ねて来ては世間話をしていた。今川家の重臣たちも、その変わりように呆れていた。
初めのうちは早雲たちも、また、何かをたくらんでいるに違いないと警戒していたが、播磨守の態度は、見ていておかしくなる程、素直だった。まず、初めに気を許したのは北川殿だった。北川殿は、播磨守が小鹿(オジカ)派の中心になって竜王丸をお屋形様の座から引き落とそうとしていた事を知らない。播磨守が毎日のように訪ねて来るので、竜王丸を押してくれた重臣の一人だと思い込んでいた。また、播磨守は自分の本拠地、富士山の裾野での事を面白可笑しく、北川殿に話して聞かせるので、北川殿も播磨守を歓迎した。そればかりでなく、播磨守は竜王丸や美鈴ともよく遊んでくれた。早雲たちもやがて気を許して、気楽に話をするようになって行った。播磨守は早雲や小太郎よりも十歳も年下だった。憎らしい所もあるが、可愛い弟ができたような感じで播磨守と付き合っていた。
最後の日、播磨守は北川殿に別れの挨拶をしに来た。早雲たちに是非、葛山に来てくれと勧め、正月にまた来ると言って、八ケ月も滞在していた駿府を後にした。
早雲と小太郎は播磨守を城下のはずれまで見送った。
「おかしな奴じゃったのう」と小太郎は馬上の播磨守を見送りながら言った。
「まったくじゃ」と早雲は苦笑しながら頷いた。「あんな奴は初めてじゃ」
「策士には違いないが正直者じゃ。自分が正しいと思えば、とことんやり通すが、間違ったと気づけば、すぐに間違いを改めるという奴じゃな」
「らしいのう。人の上に立つ者は正直でないと家来たちが付いては来んからのう。ああいう大将の家来になった者は働きがいもあるじゃろうのう」
「ぼやぼやしておると、小鹿新五郎の奴は、あいつに駿河の半国、取られる事に成りかねんぞ」
「新五郎だけじゅない。竜王丸殿も立派な大将に成らなかったら、奴に駿河を取られるかもしれん」
「立派な大将に成らんと思うか」と小太郎は早雲を見た。
「いや。なる」と早雲は力強く頷いた。
「わしもそう思うわ。なかなか利発な子じゃ。ただ、これからは並の大将では生きては行けんじゃろう。備中守殿も言っておられたが、名門というだけでは駄目じゃ。名門である事を忘れ、民衆たちの心をとらえ、国人たちを含めて、民衆たちを一つにまとめなければならん」
「本願寺の蓮如殿のようにか」
「まあ、そうじゃが。直接に民衆たちの中に入って行くお屋形様でなくてはならんのじゃ。お屋形様が百姓たちと直接、話をしたからと言って、お屋形様の価値が下がるわけではない。お屋形様は何をやってもお屋形様なんじゃ。身分など関係なく、すべての者たちの事を親身に思えるようなお屋形様になって欲しいんじゃ」
「小太郎、おぬし、竜王丸殿が成人するまで、ここにおってくれんか」と早雲は言った。
「なに?」と小太郎は早雲を見た。本気で言っているようだった。
「後十年もここにおるのか」と小太郎は少し戸惑ったような顔をして、早雲に聞いた。
「ここにおって竜王丸殿を導いてやって欲しいんじゃ。勿論、わしもやる。しかし、世の中は色々な見方があるという事を教えるには、色々な人が回りにおった方がいいと思うんじゃ。なに、改まって何かを教えなくてもいい。時々、側に行って、それとなく教えてやればいい。どうじゃ、やってくれんか」
「先の事までは分からんのう。十年と言えば長いからのう。後、十年、生きられるかも分からん。まあ、当分はここにおるとは思うがのう」
「うむ。頼むぞ」
二人が北川殿に帰ると五条安次郎が待っていた。
安次郎は引き続き祐筆(ユウヒツ)となって、小鹿新五郎のもとに仕えていた。今川家が新しくなって何かと忙しいとみえて、安次郎がここに来るのは竜王丸がお屋形様に決まった時、挨拶に来た以来の事だった。
「ご無沙汰しております」と安次郎は早雲と小太郎に言った。
何となく、いつもの安次郎ではないような気がした。
「どうしたんじゃ。何かあったのか」と早雲は安五郎の顔を覗き込んだ。
「いえ。別に‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「小鹿新五郎殿が何かをたくらんでおるとでもいうのか」と小太郎が聞いた。
「いえ。新五郎殿は何もしておりません。うるさい重臣たちもいなくなったと、今頃はのんびり、昼寝でもしておられるでしょう」
「昼寝とはいい気なもんじゃのう」と小太郎は笑ったが、早雲は真顔で、「五条殿」と声を掛けた。
「五条殿の目から見て、新五郎殿は竜王丸殿が成人なさる十年間、立派に今川家を治める事ができると思うか。正直に答えてくれ」
「それは大丈夫だと思います」と安次郎は答えた。「重臣たちが一つになって、新五郎殿を守り立てて行けば、今川家は安泰だと思います」
「そうか、それを聞いて安心じゃ」
「早雲殿」と今度は安次郎が真顔で早雲に声を掛けた。「今日は、相談したい事がありまして参りました」
「何じゃ」と早雲は安次郎を見た。
安次郎は早雲と小太郎を見てから、視線をそらして、「実は、今川家をやめたいと思っております」と言った。
「なに、やめる?」早雲も小太郎も驚いて、安次郎を見つめた。
「はい」と安次郎は頷いた。「これは突然、思い付いた事ではないのです。前々から考えていた事なのです」
「連歌の道に入るという事か」と早雲は聞いた。
「はい。今が一番いい機会のような気がします。今を逃したら、もう、自分は好きな連歌の道に入れないような気がするのです」
「うむ。確かに、今はいい機会とは言えるが‥‥‥」
「実は、もう決心しました。早雲殿には一言言ってから旅に出ようと思いまして‥‥‥」
「そうか‥‥‥決心してしまったのなら仕方がないのう。自分が決めた道を行くしかあるまい」
「はい‥‥‥」
「新五郎殿の許しは得たのか」
「はい」
「そうか‥‥‥新五郎殿は引き留めたか」
「いえ。やめたいと言ったら、ただ頷いただけで、訳も聞きませんでした。竜王丸派だった自分がいなくなって清々している事でしょう。祐筆は何人もおりますから」
「そうか‥‥‥それで、これから、どうするつもりなんじゃ」
「とりあえず、京に出て宗祇(ソウギ)殿を捜します」
「そして、弟子になるのか」
「はい、必ず」
「そうか」と早雲は頷いてから、小太郎の方を見て、「五条殿に嬉しい知らせと嬉しくない知らせがあるんじゃ」と言った。
「何ですか」と安次郎は二人を見比べた。
「今回の騒ぎで言いそびれてしまったんじゃが、実は、この前の旅の時、わしは宗祇殿とお会いしたんじゃよ」
「えっ! 早雲殿が宗祇殿と?」
安次郎は飛び上がらんばかりに驚き、目の色まで輝いていた。
「小太郎も一緒じゃった」
「早雲殿は宗祇殿を御存じだったのですか」
「いや、偶然だったんじゃ。宗祇殿は今、近江甲賀の飛鳥井殿のお屋敷におられる」
「近江の甲賀におられるんですね」
「そうじゃ。ただ、宗祇殿は弟子は取らないそうじゃ。嬉しくない知らせとはその事じゃ」
「えっ、どうしてです。もう弟子はいらないという事ですか」
「もう、じゃなくて、まだ、じゃ」と小太郎が言った。
「まだ?」
「わしらも驚いたんじゃが、宗祇殿は、自分はまだ修行中の身と言って、弟子をお取りにならんそうじゃ」
「えっ? という事は宗祇殿には、今までお弟子さんはいなかったと言うのですか」
「そうらしいのう。今、夢庵(ムアン)殿という人が、宗祇殿の一番弟子になると言って頑張っておるはずじゃ」
「夢庵殿?」
「おお。面白い男じゃ」と小太郎は笑いながら言った。
「面白いし、ちょっと変わった男じゃな。きっと、五条殿と気が合うに違いない」と早雲も笑っていた。
「夢庵殿ですか‥‥‥」
「年の頃は三十の半ばという所かのう。五条殿より少し年上じゃな。しかし、いい男じゃ」
「わしの弟子に太郎坊というのがおってのう」と小太郎が言った。「今、赤松家の武将になっておるが、その太郎坊と夢庵殿が知り合いになってのう。夢庵殿を通じて宗祇殿に出会ったというわけじゃ」
「夢庵殿は連歌だけじゃなく、茶の湯も一流らしい」と早雲が言った。「村田珠光(ジュコウ)殿のお弟子だったそうじゃ。銭泡殿も夢庵殿の事を知っておった。それに、剣術の方も太郎坊から習って、かなりの腕らしいのう」
「へえ。ほんとに面白そうなお人ですね。是非、会ってみたいものです」
「うむ。わしらから夢庵殿に手紙を書いてやる。夢庵殿を訪ねて行かれるがいい。後は、そなた次第じゃ。わしの見た所、宗祇殿の弟子になるのは並大抵ではないと思うが、やるだけ、やってみるさ。それと、五条殿、一休(イッキュウ)禅師を御存じかな」
「はい。噂だけは聞いておりますが、何でも、突拍子もない事を平気でやる禅僧だとか‥‥‥しかし、偉い和尚さんだと伺っております」
「うむ。確かに偉い。一休殿は本物の禅を実行している唯一のお方じゃろう。宗祇殿も珠光殿も一休殿のもとで禅の修行をなさっておるのじゃ」
「宗祇殿が一休禅師のもとで修行なさったのですか」
「そうじゃ。他にも、能の役者だとか、絵師だとか、一流の芸人たちで、一休殿のもとで修行した者は多い。本物の禅は、すべての道に通じるものがあるんじゃよ。もし、そなたが一休禅師のもとで修行する気があれば訪ねてみるがいい。そなたがこの先、どんな道に進むにしろ、一休禅師のもとで修行をした事は必ず、役に立つ事じゃろう」
「早雲殿はやはり、一休禅師のもとで修行していたのですね」と安次郎が聞いた。
「修行という程の事もしてはおらんが、わしが、こうして頭を丸めたのも、一休殿の影響というものじゃな」
「そうだったのですか‥‥‥」
「わしが手紙を書いてやる」
「ありがとうございます。わたしは本当に幸せです」
安次郎は感激して、目に涙を溜ていた。
「本当は、今川家をやめて旅に出ると決めましたが、不安でたまらなかったのです。果たして、自分が銭泡殿のように乞食をしてまで旅を続ける事ができるかどうか、不安でたまりませんでした。すべてを失っても、連歌の道に生きて行く覚悟が本当にあるのだろうか不安でした。それが、宗祇殿の居場所まで分かり、しかも、早雲殿が書状まで持たせてくれるなんて、まるで、夢のようです。自分が幸運すぎて、恐ろしい位です。ほんとに、どうもありがとうございます」
「喜ぶのは、まだまだ早いぞ。連歌の世界に生きる事は武士の世界に生きる以上に難しいかもしれん」
「はい。お二人の御恩に報いるためにも、立派な連歌師となって、竜王丸殿のもとに帰って参ります」
「うむ。楽しみに待っておるぞ」
「それで、いつ立つんじゃ」
「明日にでも立とうと思っておりました」
「気の早い事じゃ」
「はい。すぐに実行に移さないと、覚悟が揺らぐと思ったものですから‥‥‥」
「明日立つとなると、今晩は駿河最後の夜となるわけじゃのう。別れの宴を張らずにはおれんのう」と小太郎が笑いながら言った。
「そうじゃのう」と早雲も頷いたが、「しかし、ここではまずいのう」と奥の間の方を見た。
「法栄(ホウエイ)殿の所はどうじゃ」と小太郎が言った。
「そうじゃのう。ついでに、法栄殿の船に乗せて貰えばいいんじゃないか」
「そんな‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「まあ、頼んでみるさ。法栄殿だって五条殿が連歌師になると言えば、喜んで送ってくれるじゃろう」
「わしは、さっそく、法栄殿の所に行って来るわ」と小太郎はいそいそと出掛けて行った。
「富嶽(フガク)の奴が言っておった通りになったのう」と早雲は笑った。
「富嶽殿が?」
「ああ。わしが留守の時、二人で飲んだそうじゃのう。その時の話を聞いて富嶽は、五条殿はやがて武士をやめるじゃろうと言っておったわ」
「そうですか‥‥‥」
「富嶽も連れて行くわ。今、裏門を守っておるから夜はあいておる」
「すみません」
「なに、今回、うまく行ったのも五条殿のお陰じゃ。五条殿がわしらにお屋形様の死を知らせてくれなかったら、今頃、竜王丸殿はお屋形様にはなれなかったかもしれん。お礼を言いたいのはわしらの方じゃ」
「竜王丸殿の事、よろしくお願いいたします」と安次郎は頭を下げた。
「今度、五条殿が駿河に帰って来る頃には、立派なお屋形様となっている事じゃろう」
「はい」
安次郎は北川殿と竜王丸に別れの挨拶をすると、ひとまず帰って行った。
風が強くなり、落ち葉が風に舞っていた。
早いものだった。正月に帰って来て、もう十月だった。今年もあと二ケ月で終わりだった。年を取る毎に月日の経つのは早くなるものだ、と早雲は庭の枯葉を眺めながら、しみじみと思っていた。
枯葉の舞い散る十月の半ば、五条安次郎は近江(オウミ)の国、甲賀(コウカ)郡を野洲(ヤス)川に沿って、西に向かって歩いていた。駿河の国、小河(コガワ)津を出てから五日目の事だった。
駿府最後の宴を駿府屋形内の長谷川法栄の屋敷で催してもらい、次の日には旅立つはずだったが、法栄が、四日後に伊勢に向かう船が出るから、是非、それに乗って行けと勧めたため、安次郎も快く法栄の気持ちを受ける事にした。早雲のお陰で宗祇の居場所も分かったので、自分を励まして、逃げるように慌てて旅立たなくてもいいと思うようになっていた。旅立ちまでの四日間、世話になった人々に挨拶を済ませ、三浦氏の大津城下にいる両親のもとにも挨拶に行く事もできた。
安次郎の父親は刀鍛冶(カジ)の頭だった。祖父の代から今川家の御用職人となり、数十人もの鍛冶師を抱え、今川家のために刀や槍を製作していた。安次郎は次男だったため跡継ぎにはならず、幼い頃より禅寺にて学問を習い、十二歳の頃から先代のお屋形様の側に仕えた。その頃から安次郎の字のうまさは有名で、禅寺の和尚の推薦によって、お屋形様の祐筆に抜擢されたのだった。
祐筆となった安次郎は、お屋形様からもその才能を認められ、お屋形様の許しを得て、京から下向して来ていた公家から和歌や連歌の修行に励んだ。十六歳になった時、京から下向して来た連歌師、宗祇と出会い、弟子にしてくれと頼んだが、まだ若過ぎる、もっと色々な学問を身に付けなさいと断られた。その後は、宗祇に言われたように様々な学問を身に付けようと熱心に勉学に励んだ。幸い、お屋形様の所持している書物を自由に見てもいいとの許可を得たので、暇さえあれば書物を読んでいた。十九歳の時、再び下向した宗祇と再会して、連歌会に同座する事もできた。宗祇と同座してみて、自分の未熟さが厭という程、分かった安次郎は益々、書物に没頭して行った。
ところが、翌年、嫁を貰うと自然と生活は変わった。以前の様に自由な時間は少なくなり、さらに、その年、応仁の乱が始まった。安次郎はお屋形様と共に京には行かなかったが、優雅に歌などを歌っている時代ではなくなった。お屋形様が京から戻って来ると、さっそく戦が始まった。安次郎もお屋形様と共に戦陣に出掛けた。祐筆だったため、実際に戦をする事はなかったが、安次郎も戦において活躍したいという思いはあった。武士になったからには、歌なんか詠んでいるより戦での活躍が一番ものを言った。
安次郎はひそかに武術の修行に励んだ。基礎はできている。刀鍛冶の子として生まれたので、刀の使い方は幼い頃より父親から仕込まれていた。安次郎は歌の事など、すっかり忘れたかのように武術修行に励んだ。
数度の戦に参加したが、実際に人を殺す事はなかった。しかし、お屋形様の側近らしく、危険な目に会っても怖(オ)じける事はなかった。いつも堂々としていて、甲冑姿が様になっていた。戦が始まった当初、書物ばかり読んでいたため、軟弱者は戦に来る必要はない、などと陰口を利く者もあったが、誰もそんな事を言わなくなった。安次郎がお屋形様の側にいる事で、皆、安心して、お屋形様の事を安次郎に任せるようになって行った。
そんな頃、突然、北川殿の兄上と名乗る早雲という僧が駿府に現れた。早雲はしばらくの間、お屋形様の屋敷の離れの書院に滞在していた。安次郎はお屋形様や北川殿の使いとして、何回か早雲と会ううちに、今まで忘れていた西行(サイギョウ)法師の事を思い出した。安次郎が宗祇と出会った十六歳の頃、安次郎は西行法師に憧れていた。西行法師のように歌を歌いながら自由気ままに旅をするのが安次郎の夢だった。宗祇の弟子になりたいと思ったのも、宗祇と一緒に各地を旅して歩けると思ったからだった。しかし、あの時から十年の歳月が流れ、いつの間にか、あの頃の夢を忘れてしまった。それが、早雲に会ってから急に、その頃の夢が蘇(ヨミガエ)って来たのだった。早雲は僧になる前は将軍様に仕えていた武士だったと言う。それが、突然、頭を丸めて旅に出た。まさしく、西行法師と同じだった。安次郎は早雲の生き方に憧れた。早雲と色々な事を話せば話す程、益々、惹かれて行った。
やがて、早雲は山西の石脇に庵を結んで移って行った。安次郎は度々、早雲のもとを訪ね、自分も早雲のように生きたいと願ったが、お屋形様が戦に忙しい今、今川家をやめるわけには行かなかった。
そして、突然のお屋形様の討ち死に、今川家の内訌(ナイコウ)と続き、ようやく、竜王丸がお屋形様となり、安次郎は今川家をやめる決心をしたのだった。妻との間には子供ができなかった。安次郎は妻を説得して実家に帰ってもらった。妻は三浦家の重臣の娘だった。お屋形様の勧めもあって一緒になったのだが、あまりうまく行かなかった。美しい女だったが、我がままで、安次郎が鍛冶師の出という事もあって、どこか馬鹿にした所があり、贅沢な暮らししかできなかった。お屋形様の手前、安次郎も何とか我慢していたが、お屋形様も亡くなってしまい、思い切って離縁する事にしたのだった。妻の方も喜んで実家に帰って行った。
ようやく、自由の身となった安次郎は晴れ晴れとした顔付きで旅を楽しんでいた。遠江の国より西に行くのは初めてだった。見る物、何もかもが珍しく、心は浮き浮きしていた。長谷川法栄の船に乗り、広い海を渡って伊勢の安濃津(アノウツ、津市)に着き、そこからは景色を楽しみながら鈴鹿越えをして、近江の国に入った。野洲川に沿って街道を進み、宗祇のいるという甲賀柏木(水口町)は、もう目と鼻の先だった。
安次郎は早雲に書いてもらった絵地図を眺めながら歩いていた。
「あれが飯道山(ハンドウサン)か‥‥‥」と安次郎は立ち止まって山を眺めた。
あそこで、風眼坊殿が剣術を教えていたのか‥‥‥
宗祇のいる飛鳥井雅親(アスカイマサチカ)の屋敷は野洲川の側だった。安次郎にもすぐに分かった。たんぼの中に、そこだけ何となく華やいだ大きな屋敷が建っている。屋敷は濠と土類に囲まれていて、武家屋敷のようだが、どことなく、公家らしい雰囲気があった。安次郎は野洲川に架かる舟橋を渡ると飛鳥井屋敷の表門に向かった。
安次郎は門番に夢庵殿に会いたいと告げた。
「どなたですかな」と門番は安次郎をじろじろ見ながら聞いた。
「元、今川家の臣、五条安次郎と申します」
「今川家? 駿河の今川家ですか」と門番は不思議そうな顔をして聞き返した。
「はい」と安次郎は頷いた。
「少々、お待ちを」と言って門番は屋敷の中に入って行った。
しばらくして、門番は戻って来たが、「夢庵殿は、そなたの事を御存じないとの事です」と素っ気なかった。
「はい。それは当然です。実は、伊勢早雲殿の紹介で参りました」
「伊勢早雲?」
「はい。伊勢早雲殿、それと、風眼坊殿の書状を持っております」
「風眼坊殿の書状をか」
「はい。風眼坊殿を御存じですか」
「当然じゃ。この辺りで、風眼坊殿の名を知らん者はおるまい」
「そうですか。風眼坊殿は今、駿河におられます。わたしは風眼坊殿より夢庵殿の事を伺い、是非、お会いしたいと訪ねて参りました」
「そうか、風眼坊殿は駿河におられるのか‥‥‥待っていなされ、夢庵殿に伝えて参る」
今度は、門番と一緒に夢庵も現れた。
早雲や風眼坊から変わった人だと聞いてはいたが、まさしく変わっていた。夢庵は総髪の頭に革の鉢巻を巻いて、熊の毛皮を身に着けていたのだった。その姿は狩人、あるいは山賊だった。そんな姿をした者が、この屋敷から出て来るとは、まるで、夢でも見ているかのようだった。
「風眼坊殿のお知り合いじゃそうな。よう来られた。風眼坊殿は今、駿河におるのか‥‥‥そうか、懐かしいのう。さあさ、入ってくれ」
夢庵は安次郎を歓迎して、さっさと屋敷の中に入って行った。
門をくぐると正面に大きな屋敷があったが、人影はなかった。夢庵は安次郎を塀で仕切られた左側に案内した。塀の向こう側には正面に屋敷があり、その右側に広い庭園があった。庭園の右側に御殿のような大きな屋敷が二つ並んで見えた。
夢庵は庭園の中の池の側に建つ茶室に安次郎を案内した。
茶室の中は四畳半と狭く、物がやたらと散らかっていた。床の間と違い棚の付いた珠光流の本格的な茶室であったが、お茶を点(タ)てるどころか坐る場所もない程、書物やら紙屑やら、食べ残した物やらが散らかっている。床の間には茶の湯の台子(ダイス)と花のない花入れが置かれ、壁には、力強い字で『肖柏(ショウハク)』と書かれた掛軸が掛かっていたが、安次郎には何を意味するのか理解できなかった。違い棚には棚が落ちてしまうのではと思える程、書物がぎっしりと並んでいた。
夢庵は散らかっている物をどけて、安次郎が坐る所を作ると、自分は文机(フヅクエ)の前に坐った。何やら書いている途中らしかった。
「懐かしいのう。風眼坊殿は相変わらず、達者か」と夢庵は聞いた。
「はい。書状を預かって来ています」と安次郎は風眼坊と早雲の書状を夢庵に渡した。
「ほう。早雲殿の書状もあるのか。そういえば、早雲殿は駿河に住んでおると言っておったのう。懐かしいのう。去年、二人と一緒に山の中を歩き回ったが、あの時は実に辛かったわ‥‥」
夢庵は二人の書状を時々笑いながら懐かしいそうに読んでいた。
「五条殿と申されるか」と夢庵は書状を読みながら聞いた。
「はい」
「宗祇殿の弟子になるために、やって来たのか」
「はい」
「うむ‥‥‥」
夢庵は二つの書状を読み終わると安次郎に返した。
「駿河の地でも大変だったらしいのう」
「はい。戦になりそうでしたが、お二人の活躍によって何とか無事に治まりました」
「そうか‥‥‥二人の手紙を読んだら、わしも駿河に行ってみたくなったのう」
「いい所です」
「らしいのう‥‥‥それで、宗祇殿の弟子になりたいというのは本当なのか」
「はい。宗祇殿に弟子入りして立派な連歌師になるために、今川家をやめて、こうしてやって参りました」
「うむ‥‥‥難しいのう」と夢庵は首を振った。
「失礼ですが、夢庵殿は宗祇殿のお弟子さんになられたのでしょうか」
夢庵はもう一度、首を振った。「わしがここに来て、もう一年にもなるが、未だに宗祇殿は弟子にしてくれんのじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「うむ。しかし、わしは諦めん。弟子にしてもらうまで、ずっと、ここにおるつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、とにかく、一度、宗祇殿に会ってみるか」
「はい。是非、お会いしたいと思っております」
「うむ。じゃあ、行ってみるか」と夢庵は気楽に立ち上がった。
安次郎は胸を躍らせながら夢庵の後に従った。
宗祇は書物の中に埋もれるような格好で『源氏物語』に没頭(ボットウ)していた。髪も髭も伸び放題という有り様で、暖かそうな綿入れを着込んで文机にしがみ付いていた。
安次郎は宗祇と会ったが、弟子にして欲しいと言う事はできなかった。宗祇の姿からは、命懸けで歌の道を極めるという気迫が感じられ、弟子の事を口に出す事さえできなかった。
宗祇は安次郎の事を覚えていてくれた。そして、お屋形様が亡くなった事を告げると信じられないという顔をして驚き、お屋形様に世話になった時の事を色々と話してくれた。
半時程、駿河の思い出話を懐かしそうにすると、また文机に向かって何やら書き始めた。宗祇は安次郎に対して、どうして、ここに来たのかは聞かなかった。未だに、今川家の家臣として、何か用があって出て来たついでに寄ったものだと思っているらしかった。
安次郎は、その日から夢庵の茶室に居候(イソウロウ)する事になった。
安次郎は初め、夢庵が書き物をしていた茶室は夢庵の書斎だと思っていたが、夢庵はその狭い部屋で寝起きしていたのだった。夢庵は好きなだけ、そこにいていいと言ったが、二人で暮らすには四畳半は狭かった。夢庵はそんな事を一向に気にせず、気ままに暮らしていた。
夢庵の話によると、夢庵も宗祇も、この屋敷の主、飛鳥井雅親の和歌の弟子だと言う。二人は兄弟弟子という関係にあり、この屋敷内に住まわせて貰っている。宗祇の住んでいる屋敷は種玉庵(シュギョクアン)と呼び、夢庵の住んでいる茶室は夢庵と呼び、雅親が二人のために建ててくれたものだと言う。雅親はもう少し広い屋敷を建ててやると言ったが、夢庵がどうしても、珠光流の茶室がいいと無理にお願いして建てて貰ったのだと言った。建物こそ小さいが、材料も吟味(ギンミ)されていて、安次郎には分からないが、かなり費用が掛かったとの事だった。
その日の晩、安次郎は夢庵と一緒に屋敷の主人、飛鳥井雅親の招待を受け、夕食を御馳走になった。その席に宗祇は出て来なかった。いつもの事だと言う。宗祇は書物に没頭すると時の過ぎるのも忘れてしまい、食事に来ない事もあり、そういう時は後で差し入れをするのだと言う。
雅親は紛れもない公家だった。年の頃は宗祇と同じ位の六十前後の物静かな人だった。後で聞いて、安次郎は驚いたが、雅親は天皇に拝謁(ハイエツ)する事もできる程の高い身分を持ち、権大納言(ゴンノダイナゴン)という官職に就いていた。普通なら、浪人である安次郎が同席などできるような人ではなかったのだった。
翌日、安次郎は夢庵と一緒に飯道山に登った。裏側の参道から登ったため、あまり賑やかではなく、安次郎は風眼坊の話とは大違いだなと感じた。しかし、山の上まで行くと、そこは山の上とは信じられない程、寺院が立ち並び、大勢の若い者たちが武術の修行をしていた。まさしく、風眼坊の言う通りだった。凄いと安次郎は感激していた。こんな所が実際にあったのかと安次郎は驚きながら、夢庵に連れられて山内を歩き回った。
夢庵は山の中で顔が広かった。山伏たちと気軽に挨拶を交わしていた。山の中を一通り、見て歩くと、安次郎は夢庵に連れられて表参道の方に下りた。表参道側の門前町は賑やかだった。夢庵は花養院(カヨウイン)に安次郎を連れて行った。花養院には子供たちが大勢いて、夢庵が顔を出すと子供たちがワアッと寄って来た。子供たちは皆、孤児だと言う。花養院の主である松恵尼(ショウケイニ)が孤児たちを集めて育てているのだと言う。安次郎はその松恵尼と会わされ、駿河にいる早雲や風眼坊の事を色々と聞かれた。また、安次郎は松恵尼から若い頃の二人の事を話してもらった。楽しい一時だった。
いつの間にか、日が暮れていた。
花養院を後にすると、今度は『伊勢屋』という旅籠屋(ハタゴヤ)に連れて行かれた。ここでも夢庵は有名だった。旅籠屋の女将(オカミ)を初め、女中たちが皆、夢庵を歓迎した。安次郎はのんびりと風呂に入って旅の疲れを取ると、夢庵に連れられて盛り場に向かった。盛り場は賑やかだった。浅間神社の門前町に負けない程の賑やかさだった。夢庵が連れて行った所は『とんぼ』という小さな飲屋だった。
まだ時間が早いのか、店の中には客が三人いただけだった。夢庵と二人で酒を飲み始めると、やがて、二人の山伏がやって来た。高林坊と栄意坊という飯道山の武術師範だと言う。二人とも早雲と風眼坊を知っていて、二人が駿河で何をやっているのか、しきりに聞きたがった。
安次郎は不思議な気持ちだった。今、一緒に酒を飲んでいる三人は、安次郎が今まで知らない世界の人たちだった。安次郎が思いもしない事を色々と知っていた。三人の話を聞きながら、安次郎はこれから先、連歌の世界で生きて行くには、あらゆる世界の事を知らなければならないと感じていた。その晩は遅くまで飲んで語りあった。
安次郎は久し振りに酔い、心の中で思っていた事を初めて人に語った。目の前にいる三人には何でも言えると感じ、心を許したのだった。武士でいた頃、心から話し合えるような友はいなかった。同僚たちは常に回りの者を蹴落として出世する事ばかり考えていた。打ち解けているように振る舞いながら、裏では何を考えているのか分からない者たちばかりだった。ところが、今、目の前にいる三人は、昨日、今日、会ったばかりなのに、安次郎はなぜか、心を許す事ができた。安次郎の話を聞きながら三人は親身になって、あれこれ意見を言ってくれた。
次の日、伊勢屋の一室で目を覚ました安次郎は、夢庵に連れられて山の中に連れて行かれた。いい所に連れて行ってやると言うだけで、夢庵はどこに行くかは教えてくれなかった。かなり険しい山道を歩いて、たどり着いた所は岩々に囲まれた平地だった。まるで、山水画の中にいるような感じだった。正面にそそり立つ岩には洞穴があり、奥が深そうだった。その光景を目にした時、安次郎は思わず、「おおっ!」と声を発した。
そこは、安次郎がいつも夢に見ていた光景に似ていた。こんな光景の中で、気ままに酒を飲み、歌を詠み、琴を鳴らして仙人のように生きるのが安次郎の夢だった。
「どうじゃ、いい所じゃろう」と夢庵は岩屋の入り口から回りを見渡しながら言った。
「はい。こんな所が実際にあったなんて‥‥‥」
「風眼坊殿の弟子に太郎坊殿というのがおってのう。その太郎坊殿がここを見つけたんじゃ。ここは『智羅天(チラテン)の岩屋』と言ってのう。なかなか住み易い岩屋じゃ」
「その太郎坊殿の事は風眼坊殿より聞いております」
「そうか。今は播磨で赤松家の武将になっておるが、剣術の名人じゃ。実は、わしも太郎坊殿の弟子なんじゃよ」
「夢庵殿も剣術の名人なのですか」
「いや。わしはただ、自分の身を守る程度じゃ」と夢庵は笑った。
夢庵は岩屋の中を案内してくれた。岩屋の中は想像していたよりもずっと深く広かった。迷路のように道が入り組み、部屋がいくつもあり、岩屋の中は暖かかった。
夢庵は観音様の壁画の描かれた一番広い部屋の中で焚火を焚くと、持って来た酒を飲み始めた。安次郎は夢庵の姿を眺めながら羨ましいと感じていた。まさしく、夢庵は、安次郎の夢見る自由人だった。西行法師のように瓢々(ヒョウヒョウ)と生きていた。安次郎も見習いたかったが、自分に果たして、あんな生き方ができるかどうか自信がなかった。
「夢庵殿、宗祇殿はいつになったら弟子を持つようになるのでしょうか」と酒を飲みながら安次郎は夢庵に聞いた。
「分からん。しかし、わしが思うには、来年あたりから宗祇殿も動き出すような気もするんじゃ」
「来年ですか」
「ああ。宗祇殿は今年の正月、初めて将軍様の連歌会に参加したんじゃ。宗祇殿の名声も一部の者だけでなく、京の町人たちの噂にも上り始めておる。京の戦もそろそろ終わろうとしておるしのう。来年になれば、宗祇殿がまだ古典の研究をしたいと願っても、世間の方が黙ってはおるまい。宗祇殿はあちこちから連歌会の招待を受けるじゃろう。そうすれば、弟子も取らなくてはならなくなると思うがのう」
「来年ですか‥‥‥」
「どうする、来年まで待つか。わしは別に構わんぞ。あそこにおりたければ、おっても構わん」
「はい‥‥‥」
来年までと言っても、まだ二ケ月半もある。二ケ月半もの間、何もしないで、夢庵の四畳半に居候するわけにはいかなかった。
「わしの所が嫌なら、ここにおっても構わん。ここなら誰にも気兼ねする事もない。この岩屋の事を知っておるのは、太郎坊殿と早雲殿と風眼坊殿だけじゃ。飯道山におる山伏でさえ、ここの事は知らん。ここに籠もって書物でも読んで暮らすか。書物なら飛鳥井殿の屋敷に幾らでもあるぞ。めったに読めないような貴重な物まである。飛鳥井殿は何でも自由に貸してくれる」
「はい‥‥‥しかし‥‥‥」
まだ、駿河から出て来たばかりだった。どうせ、来年まで待つのなら、ここに籠もるよりは各地を旅して見たかった。京の都も見たいし、南都奈良も見たい、琵琶湖も見たいし、瀬戸内も見たい。見たい所はいくらでもあった。安次郎は来年まで旅をしようと思った。
「夢庵殿は一年もの間、何をしていたのですか」
「わしか‥‥‥わしは今と同じような事を一年間、やっておったのう。飯道山で修行者たちに剣術を教えた事もあったし、盛り場で飲んだり、女を抱いたり、花養院で子供たちと遊んだり、ここに来て、一人静かに瞑想(メイソウ)したり‥‥‥また、宗祇殿の講義を聞く事もあった。弟子としてではなく、兄弟弟子という立場でな」
「そうでしたか‥‥‥」
「ここに来て一年になるが、住んでみるとなかなかいい所じゃよ、ここは」
「はい‥‥‥」と安次郎は焚き火越しに夢庵を見た。うまそうに酒を飲んでいた。
「話は変わりますが、飯道山で修行している若い者たちは、皆、この辺りの者たちなのですか」と安次郎は聞いた。
「いや」と夢庵は首を振った。「最近は遠くから来る者も多いらしいのう。甲賀、伊賀の者たちが半数以上だが、伊勢、大和、加賀辺りから来る者もおるらしい」
「修行したい者は誰でも修行できるのですか」
「いや、とんでもない。毎年、正月の十四日に受付があるんじゃ。年々、修行者の数は増えて来て、五百人以上も集まって来るんじゃ。わしも今年の正月、集まって来る修行者たちを見たが、それは物凄い数じゃった。まるで、祭りのようじゃ。集まった五百人は一ケ月の間、朝から晩まで、休まず山の中を歩かされるんじゃ。わしも一ケ月程、歩いたが、あれは、かなりきつい修行じゃ。早雲殿や風眼坊殿は平気な顔して百日間も歩き通した」
「百日間も?」
「ああ、そうじゃ。あれは去年の十二月じゃった。雪の降る中、歩き通したんじゃ。今思うと、よく歩けたと思うわ」
「それで、修行者たちも一ケ月間、山の中を歩くのですか」
「そうじゃ。第一関門というわけじゃ。その山歩きによって、耐えられない者たちは次々に山を下りて行くんじゃ。結局、一ケ月経って、残るのは百人ちょっとというわけじゃ。その百人ちょっとが山に残り、一年間、武術を習うんじゃ」
「へえ‥‥‥という事は、あの山で修行するためには、正月の受付をして、一ケ月間の山歩きをしなければならないという事ですか」
「そういう事じゃ」
「武術の修行をするのも大変なんですね」
「ああ、大変じゃな。それだけじゃなく銭もかかるんじゃよ」
「銭?」
「ああ。いくら武術の素質があっても、所詮、銭のない者は飯道山で修行すらできんのじゃ」
「そうですか‥‥‥夢庵殿、宗祇殿の弟子になるのにも銭がいるのでしょうか」
「さあな。銭はいらんとは思うが、それ相当の物を見せん事には無理かもしれん」
「それ相当の物?」
「ああ。今は、宗祇殿はひっそりと一人で古典に没頭しておられるが、宗祇殿が活動を始めれば、弟子になりたいと思う者は、それこそ何百人と現れて来るじゃろう。その中から弟子に選ばれるとなると、自分の才能を表現して、宗祇殿に認められなくてはならんと思うがのう」
「自分の才能を表現するんですか‥‥‥」
「うむ」
確かに、夢庵の言う通りだった。宗祇程の人の弟子になるには、自分を表現して見せなければならない。安次郎は、今まで書きためた自分の作品を持って来ていた。その作品を宗祇に見せて、宗祇が認めてくれるか、というと自信はなかった。宗祇はあの年になっても書物に没頭して古典の研究をしている。そんな宗祇から見たら、自分の作品など薄っぺらな人真似としか映らないだろう。どうしたらいいのか、安次郎には分からなかった。
夢庵は焚火を眺めながら気楽に酒を飲んでいた。夢庵は宗祇と兄弟弟子であった。宗祇が弟子を取る事になれば、夢庵が一番弟子になるのは間違いない。しかし、自分が二番弟子になる可能性はほとんどなかった。
「どうした、夕べ、飲み過ぎたか」と夢庵は笑った。
「いえ」と安次郎は力なく首を振った。
夢庵は意味もなく笑って、岩屋の中を見回した。
「ここの岩屋は不思議な岩屋じゃ。わしはここに来る時はいつも一人じゃった。太郎坊殿より、ここを自由に使ってもいいと言われたが、ここに誰かを連れて来たのは、おぬしが初めてじゃ。夕べ、一緒に飲んだ二人は太郎坊殿の師匠にあたる人たちじゃが、ここの事は知らない。どうして、おぬしをここに連れて来たのかは、わしにも分からん。何となく、この岩屋に、おぬしを連れて来いと言われたような気がして連れて来たんじゃ。おぬし、どうして、ここに来たのか分かるか」
「さあ、分りませんが‥‥‥ただ、険しい岩の中を抜けて、この岩屋を初めて見た時、何となく、前に見た事があったような懐かしさを感じた事は確かです」
「そうか‥‥‥やはり、何かつながりがあったんじゃのう。おぬし、しばらく、ここでのんびり暮らせ。ここにいると世俗の事などすっかり忘れ、生まれ変わったかのような気分になれるぞ」
「はい‥‥‥」
酒を飲み干すと、夢庵はそのまま眠ってしまった。
「不思議なお人だ」と安次郎は夢庵を見ながら呟(ツブヤ)いた。
安次郎は夢庵の言うように、智羅天の岩屋に籠もってみようと思った。そのための準備のため、一度、飛鳥井屋敷に戻って来ていた。安次郎が夢庵を訪ねて、この屋敷に来た時から、すでに八日が過ぎていた。
夢庵はいい遊び相手が来たと、安次郎をあちこち引っ張り回した。
最初の日は夢庵と名づけられた四畳半で、紙屑の中で寝たが、次の日から様々な所に連れて行かれた。次の晩は高林坊、栄意坊たちと酒を飲み、伊勢屋という立派な旅籠屋に泊まり、その次の晩は結局、智羅天の岩屋で夜を明かした。
夢庵は酒を飲んで眠ったまま、朝まで起きなかったのだった。安次郎は腹を減らしたまま、ろくに寝る事もできなかった。ようやく、夜明け近くになって眠りについたかと思うと、夢庵にたたき起こされ、飯を食いに行こうと山を下りた。
伊勢屋に戻って食事をして腹一杯になると、今度は体でも動かすかと飯道山に登って武術道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。稽古が始まるのは午後からだと言う。夢庵は勝手に道場に入ると木剣を見つけて、安次郎にも渡し、無理やり稽古をさせられた。安次郎も武術の稽古は一通りしているので、夢庵なんかに負けるものかと思っていたが、まったく相手にならなかった。夢庵は思っていたよりもずっと強かった。やがて、修行者たちがぞろぞろとやって来た。夢庵は剣術の師範とも親しいらしく、若い者たちに教えてやってくれ、などと言われていた。夢庵は遠慮して剣術道場を後にすると、今度は棒術の道場に向かった。
棒術の道場には、この間、一緒に飲んだ高林坊がいた。夢庵は高林坊に挨拶をすると、一人の山伏を安次郎に紹介した。風眼坊の弟子で観智坊(カンチボウ)だと言う。元、本願寺の坊主で、一緒に酒でも飲めば面白い話が聞けるんだが、残念ながら観智坊は今年一杯、山から下りられないと言う。安次郎は観智坊に早雲や風眼坊の事を簡単に話した。
その後、不動院という宿坊に行って、山伏たちと無駄話をして山を下り、また、伊勢屋に戻るのかと思っていると、『七福亭』という遊女屋に連れて行かれた。好きな女を選べと安次郎に言うと夢庵は馴染みの女を連れて、さっさと奥の方に行ってしまった。仕方なく、安次郎は恵比須(エビス)という名の娘を選んで奥の部屋に入った。次の日は雨降りだったため、そのまま七福亭に居続け、その次の日の朝早く、安次郎は夢庵に起こされた。
今日は天気がいいから山歩きをしようと、酒をぶら下げて飯道山の山頂まで登り、さらに奥駈けと称する山道を太神山まで歩いた。山歩きに慣れていない安次郎はくたくただった。本当なら一日で往復するんだと言われたが、そんな気力はなかった。その夜は太神山(タナガミサン)の門前町で、また、遊女と遊んだ。安次郎は遊女屋に泊まるより静かな宿で、ぐっすりと眠りたかったが、夢庵に言われるままに女を選んだ。次の日、奥駈け道を通って、やっと飛鳥井屋敷に帰って来たのだった。
こんな夢庵といつまでも付き合っていたら体がもたない。安次郎は智羅天の岩屋に一人で籠もって書物でも読もうと決心をした。
山に籠もる用意も整い、いよいよ明日は岩屋に向かう晩だった。
安次郎は夢庵の四畳半で寝そべっていた。
夢庵は文机に向かって、ここに来てから一年の間に宗祇から聞いた事を書きまとめていた。安次郎は不思議そうに、そんな夢庵を見ていた。何事にもこだわらないで、成すがままにという気ままさがあるかと思うと、宗祇から聞いた事を一々書き留めておくという几帳面な所もあった。飽きっぽい所があるかと思えば、一心に一つの事に熱中する事もある。まるで、何人もの人間が夢庵という体の中に生きているようだった。まったく捕え所のない人だと思った。
安次郎は床の間の壁に飾ってある『肖柏』という字を見ていた。安次郎は祐筆をしていただけあって、書に関しては結構、詳しかった。初めて見た時は別に何も感じなかったが、何度も目にしているうちに何となく気になる字だった。流れるような、うまさというのはないが、力強く、字そのものが、まるで生きているかのように感じられた。一体、誰が書いたものだろうか、ただ、肖柏と書いてあるだけで、署名もないし押印(オウイン)もない。初め、夢庵本人が書いたものだろうと思ったが、夢庵の書体とはまるで違った。夢庵の書体は公家流とでも言うか、流れるような達筆だった。
「夢庵殿、その掛軸はどなたが書いたのですか」と安次郎は聞いた。
どうせ、答えてはくれないだろうと思ったが、以外にも、夢庵は手を止めて振り返ると、真面目な顔をして安次郎を見た。「おぬし、字は分かるか」
「はい。少々は」
「どう見る?」
「味のある字だと思いますが」
「どう味がある?」
「はい。厳しさの中に暖かさが‥‥‥」
夢庵は掛軸を見つめ、「さすが、今川家の祐筆だっただけの事はあるな」とゆっくりと頷いた。
「どなたが書かれたのですか」
「一休禅師殿じゃ」
「えっ、一休禅師」と安次郎は起き上がって正座をすると、改めて書を見つめた。
「まさしく、おぬしの言うように、この字には厳しさと暖かさが同居しておる。まさに、一休禅師殿、そのものなんじゃ」
「一休禅師殿の書でしたか‥‥‥」
「おぬし、一休禅師殿を知っておったのか」
「はい。噂だけは‥‥‥今回、もし機会があれば訪ねてみよ、と早雲殿より言われておりました」
「そうか‥‥‥そう言えば、早雲殿は一休殿のお弟子さんじゃったのう」
「やはり、そうでしたか‥‥‥」
「詳しい事は知らんが、一休殿のもとで修行をした事は確かじゃ」
「肖柏というのは、どういう意味なのですか」
「一休殿が、わしに付けてくれた名前じゃ。わしの名は夢庵肖柏というんじゃよ」
「という事は、夢庵殿も一休禅師殿のお弟子さんだったわけですか」
「いや。一休殿のもとで修行した事はあったが、正式な弟子ではないのう。わしの茶の湯の師匠、村田珠光殿が一休殿のお弟子さんじゃ。宗祇殿も正式な弟子ではないが、一休殿のもとで修行をなさっておるんじゃよ」
「そうですか‥‥‥でも、名前を貰うというのはお弟子になったようなものなんでしょう」
「さあ、どうかな。一休殿、独特の戯(タワム)れかもしれん」
「どうして、肖柏という名前になったのですか」
「本当はのう」と言って、夢庵は紙に何やら書くと安次郎に見せた。
その紙には『小伯』と書かれてあった。
「本当は小さい伯なんじゃよ」
「小さい伯?」
「昔、明(ミン)の国に伯倫(ハクリン)という仙人のような人がおったそうじゃ。わしが珠光殿の供をして一休殿を訪ねた時、その伯倫を描いた絵が飾ってあったんじゃ。牛の上に寝そべって、のんきに旅をしておる絵じゃった。その姿がわしにそっくりじゃと言って、一休殿が、わしの事を小さい伯倫と言う意味でショウハク、ショウハクと呼んだんじゃよ。そのうちに、師匠の珠光殿まで、わしの事をショウハクと呼ぶようになって、わしは一休殿にショウハクと書いてくれって頼んだんじゃ。そしたら、一休殿は『小伯』とは書かずに『肖柏』と書いたというわけじゃ。どういう意味か聞いたら、笑っておるだけで教えてはくれなかった」
「へえ‥‥‥」
「その時のひらめきで、ただ、そう書いたのだろうと思うが、わしは気に入っておるんじゃ。だから、こうして表装して大切にしておるというわけじゃ」
「一休禅師殿ですか‥‥‥一体、どんなお人なのです」
「どんなと言われてものう。言葉で言い表せるようなお人ではないのう。しいて言えば、鏡のようなお人かのう」
「鏡のようなお人?」
「うむ」
鏡のような人と言われても、安次郎には何だか、さっぱり分からなかった。
「どういう意味です」と安次郎は聞いた。
「言葉で説明するのは難しいのう。鏡というのは顔とかを映すじゃろう。一休殿は、その人の心を映すとでも言おうかのう」
夢庵はしばらく間をおいてから、話を続けた。
「一休殿のもとで修行をすれば分かるが、一休殿の側におると、不思議と自分というものが見えて来るんじゃよ。本物の自分の姿と言うものがな。わしらが普段、自分だと信じておるものは、実は偽(イツワ)りの姿で、本物の自分というものは奥の方に隠れておるんじゃ。その奥の方に隠れておる本物の自分というものが、見えて来るような気がするんじゃ。人間は生まれながらにして色々な物を背負って生きておる。身分だとか、地位だとか、財産だとか、その他、色々な物を知らず知らずのうちに身に付け、それら、すべてを引っくるめて自分だと思い込んでおる。しかし、それは仮の姿、偽りの姿に過ぎんのじゃ。身に付けておる、あらゆる物を捨てて、捨てて、捨てまくって、何もなくなった時、初めて本当の自分の姿が現れて来るんじゃ。それが、本来無一物の境地と言って、何物にも囚われない境地じゃ。茶の湯のおいて、その境地に至らないと名人とは言えないと珠光殿は言っておられた。連歌においても、その境地まで至らないと名人とは言えないと宗祇殿も言っておられた。連歌の場合、歌を作ろうと思っておるうちは、まだ、駄目じゃと言う。前の句を聞いたら、何も思わず、フッと次の句が浮かんで来るようにならなくては駄目じゃと言うんじゃ。禅問答と同じじゃな。質問されたら、すぐに答えなくてはならん。考えたり、迷ったりしておっては駄目なんじゃ。事実、宗祇殿の連歌は禅問答のようじゃった。前の人が句を詠むと、初めから、そういう歌があったかのごとく、間をおかずに、次の句を詠み上げるんじゃ‥‥‥わしは禅僧ではないが、禅というのは、あらゆる芸の道につながっておるように思えるんじゃ。茶の湯においての珠光殿の流れるような手捌き、あれはまさしく動く禅じゃ。ああしよう、こうしようと思ってできるものではない。自然と同じじゃ。風が吹けば樹木や草花はそよぐ。そこに一点の迷いはない。それは武術にも言えるんじゃ。わしは以前、智羅天の岩屋で、太郎坊殿と太郎坊殿の弟子の試合を見たんじゃ。あれもまさしく、動く禅じゃった」
「禅ですか‥‥‥」
「おぬし、山に籠もって書物を読むのもいいが、一休禅師殿のもとで修行するのもいいかもしれんぞ。何もかも捨ててみて、生まれ変わって見るのもいいかもしれん。その後、どうしても連歌の道に入りたかったら戻って来るがいい。一休殿のもとで修行した事は決して無駄にはなるまい」
「はい‥‥‥」と安次郎は頷いた。
「会ってみれば分かる。おぬしなら一休禅師殿の偉大さが分かるはずじゃ」
安次郎は岩屋行きを変更した。
次の朝、世話になった飛鳥井雅親、宗祇、夢庵に挨拶をすると、颯爽(サッソウ)と、一休禅師のいる薪(タキギ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(シュウオンアン)を目指した。
「ご無沙汰しております」と安次郎は早雲と小太郎に言った。
何となく、いつもの安次郎ではないような気がした。
「どうしたんじゃ。何かあったのか」と早雲は安五郎の顔を覗き込んだ。
「いえ。別に‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「小鹿新五郎殿が何かをたくらんでおるとでもいうのか」と小太郎が聞いた。
「いえ。新五郎殿は何もしておりません。うるさい重臣たちもいなくなったと、今頃はのんびり、昼寝でもしておられるでしょう」
「昼寝とはいい気なもんじゃのう」と小太郎は笑ったが、早雲は真顔で、「五条殿」と声を掛けた。
「五条殿の目から見て、新五郎殿は竜王丸殿が成人なさる十年間、立派に今川家を治める事ができると思うか。正直に答えてくれ」
「それは大丈夫だと思います」と安次郎は答えた。「重臣たちが一つになって、新五郎殿を守り立てて行けば、今川家は安泰だと思います」
「そうか、それを聞いて安心じゃ」
「早雲殿」と今度は安次郎が真顔で早雲に声を掛けた。「今日は、相談したい事がありまして参りました」
「何じゃ」と早雲は安次郎を見た。
安次郎は早雲と小太郎を見てから、視線をそらして、「実は、今川家をやめたいと思っております」と言った。
「なに、やめる?」早雲も小太郎も驚いて、安次郎を見つめた。
「はい」と安次郎は頷いた。「これは突然、思い付いた事ではないのです。前々から考えていた事なのです」
「連歌の道に入るという事か」と早雲は聞いた。
「はい。今が一番いい機会のような気がします。今を逃したら、もう、自分は好きな連歌の道に入れないような気がするのです」
「うむ。確かに、今はいい機会とは言えるが‥‥‥」
「実は、もう決心しました。早雲殿には一言言ってから旅に出ようと思いまして‥‥‥」
「そうか‥‥‥決心してしまったのなら仕方がないのう。自分が決めた道を行くしかあるまい」
「はい‥‥‥」
「新五郎殿の許しは得たのか」
「はい」
「そうか‥‥‥新五郎殿は引き留めたか」
「いえ。やめたいと言ったら、ただ頷いただけで、訳も聞きませんでした。竜王丸派だった自分がいなくなって清々している事でしょう。祐筆は何人もおりますから」
「そうか‥‥‥それで、これから、どうするつもりなんじゃ」
「とりあえず、京に出て宗祇(ソウギ)殿を捜します」
「そして、弟子になるのか」
「はい、必ず」
「そうか」と早雲は頷いてから、小太郎の方を見て、「五条殿に嬉しい知らせと嬉しくない知らせがあるんじゃ」と言った。
「何ですか」と安次郎は二人を見比べた。
「今回の騒ぎで言いそびれてしまったんじゃが、実は、この前の旅の時、わしは宗祇殿とお会いしたんじゃよ」
「えっ! 早雲殿が宗祇殿と?」
安次郎は飛び上がらんばかりに驚き、目の色まで輝いていた。
「小太郎も一緒じゃった」
「早雲殿は宗祇殿を御存じだったのですか」
「いや、偶然だったんじゃ。宗祇殿は今、近江甲賀の飛鳥井殿のお屋敷におられる」
「近江の甲賀におられるんですね」
「そうじゃ。ただ、宗祇殿は弟子は取らないそうじゃ。嬉しくない知らせとはその事じゃ」
「えっ、どうしてです。もう弟子はいらないという事ですか」
「もう、じゃなくて、まだ、じゃ」と小太郎が言った。
「まだ?」
「わしらも驚いたんじゃが、宗祇殿は、自分はまだ修行中の身と言って、弟子をお取りにならんそうじゃ」
「えっ? という事は宗祇殿には、今までお弟子さんはいなかったと言うのですか」
「そうらしいのう。今、夢庵(ムアン)殿という人が、宗祇殿の一番弟子になると言って頑張っておるはずじゃ」
「夢庵殿?」
「おお。面白い男じゃ」と小太郎は笑いながら言った。
「面白いし、ちょっと変わった男じゃな。きっと、五条殿と気が合うに違いない」と早雲も笑っていた。
「夢庵殿ですか‥‥‥」
「年の頃は三十の半ばという所かのう。五条殿より少し年上じゃな。しかし、いい男じゃ」
「わしの弟子に太郎坊というのがおってのう」と小太郎が言った。「今、赤松家の武将になっておるが、その太郎坊と夢庵殿が知り合いになってのう。夢庵殿を通じて宗祇殿に出会ったというわけじゃ」
「夢庵殿は連歌だけじゃなく、茶の湯も一流らしい」と早雲が言った。「村田珠光(ジュコウ)殿のお弟子だったそうじゃ。銭泡殿も夢庵殿の事を知っておった。それに、剣術の方も太郎坊から習って、かなりの腕らしいのう」
「へえ。ほんとに面白そうなお人ですね。是非、会ってみたいものです」
「うむ。わしらから夢庵殿に手紙を書いてやる。夢庵殿を訪ねて行かれるがいい。後は、そなた次第じゃ。わしの見た所、宗祇殿の弟子になるのは並大抵ではないと思うが、やるだけ、やってみるさ。それと、五条殿、一休(イッキュウ)禅師を御存じかな」
「はい。噂だけは聞いておりますが、何でも、突拍子もない事を平気でやる禅僧だとか‥‥‥しかし、偉い和尚さんだと伺っております」
「うむ。確かに偉い。一休殿は本物の禅を実行している唯一のお方じゃろう。宗祇殿も珠光殿も一休殿のもとで禅の修行をなさっておるのじゃ」
「宗祇殿が一休禅師のもとで修行なさったのですか」
「そうじゃ。他にも、能の役者だとか、絵師だとか、一流の芸人たちで、一休殿のもとで修行した者は多い。本物の禅は、すべての道に通じるものがあるんじゃよ。もし、そなたが一休禅師のもとで修行する気があれば訪ねてみるがいい。そなたがこの先、どんな道に進むにしろ、一休禅師のもとで修行をした事は必ず、役に立つ事じゃろう」
「早雲殿はやはり、一休禅師のもとで修行していたのですね」と安次郎が聞いた。
「修行という程の事もしてはおらんが、わしが、こうして頭を丸めたのも、一休殿の影響というものじゃな」
「そうだったのですか‥‥‥」
「わしが手紙を書いてやる」
「ありがとうございます。わたしは本当に幸せです」
安次郎は感激して、目に涙を溜ていた。
「本当は、今川家をやめて旅に出ると決めましたが、不安でたまらなかったのです。果たして、自分が銭泡殿のように乞食をしてまで旅を続ける事ができるかどうか、不安でたまりませんでした。すべてを失っても、連歌の道に生きて行く覚悟が本当にあるのだろうか不安でした。それが、宗祇殿の居場所まで分かり、しかも、早雲殿が書状まで持たせてくれるなんて、まるで、夢のようです。自分が幸運すぎて、恐ろしい位です。ほんとに、どうもありがとうございます」
「喜ぶのは、まだまだ早いぞ。連歌の世界に生きる事は武士の世界に生きる以上に難しいかもしれん」
「はい。お二人の御恩に報いるためにも、立派な連歌師となって、竜王丸殿のもとに帰って参ります」
「うむ。楽しみに待っておるぞ」
「それで、いつ立つんじゃ」
「明日にでも立とうと思っておりました」
「気の早い事じゃ」
「はい。すぐに実行に移さないと、覚悟が揺らぐと思ったものですから‥‥‥」
「明日立つとなると、今晩は駿河最後の夜となるわけじゃのう。別れの宴を張らずにはおれんのう」と小太郎が笑いながら言った。
「そうじゃのう」と早雲も頷いたが、「しかし、ここではまずいのう」と奥の間の方を見た。
「法栄(ホウエイ)殿の所はどうじゃ」と小太郎が言った。
「そうじゃのう。ついでに、法栄殿の船に乗せて貰えばいいんじゃないか」
「そんな‥‥‥」と安次郎は首を振った。
「まあ、頼んでみるさ。法栄殿だって五条殿が連歌師になると言えば、喜んで送ってくれるじゃろう」
「わしは、さっそく、法栄殿の所に行って来るわ」と小太郎はいそいそと出掛けて行った。
「富嶽(フガク)の奴が言っておった通りになったのう」と早雲は笑った。
「富嶽殿が?」
「ああ。わしが留守の時、二人で飲んだそうじゃのう。その時の話を聞いて富嶽は、五条殿はやがて武士をやめるじゃろうと言っておったわ」
「そうですか‥‥‥」
「富嶽も連れて行くわ。今、裏門を守っておるから夜はあいておる」
「すみません」
「なに、今回、うまく行ったのも五条殿のお陰じゃ。五条殿がわしらにお屋形様の死を知らせてくれなかったら、今頃、竜王丸殿はお屋形様にはなれなかったかもしれん。お礼を言いたいのはわしらの方じゃ」
「竜王丸殿の事、よろしくお願いいたします」と安次郎は頭を下げた。
「今度、五条殿が駿河に帰って来る頃には、立派なお屋形様となっている事じゃろう」
「はい」
安次郎は北川殿と竜王丸に別れの挨拶をすると、ひとまず帰って行った。
風が強くなり、落ち葉が風に舞っていた。
早いものだった。正月に帰って来て、もう十月だった。今年もあと二ケ月で終わりだった。年を取る毎に月日の経つのは早くなるものだ、と早雲は庭の枯葉を眺めながら、しみじみと思っていた。
2
枯葉の舞い散る十月の半ば、五条安次郎は近江(オウミ)の国、甲賀(コウカ)郡を野洲(ヤス)川に沿って、西に向かって歩いていた。駿河の国、小河(コガワ)津を出てから五日目の事だった。
駿府最後の宴を駿府屋形内の長谷川法栄の屋敷で催してもらい、次の日には旅立つはずだったが、法栄が、四日後に伊勢に向かう船が出るから、是非、それに乗って行けと勧めたため、安次郎も快く法栄の気持ちを受ける事にした。早雲のお陰で宗祇の居場所も分かったので、自分を励まして、逃げるように慌てて旅立たなくてもいいと思うようになっていた。旅立ちまでの四日間、世話になった人々に挨拶を済ませ、三浦氏の大津城下にいる両親のもとにも挨拶に行く事もできた。
安次郎の父親は刀鍛冶(カジ)の頭だった。祖父の代から今川家の御用職人となり、数十人もの鍛冶師を抱え、今川家のために刀や槍を製作していた。安次郎は次男だったため跡継ぎにはならず、幼い頃より禅寺にて学問を習い、十二歳の頃から先代のお屋形様の側に仕えた。その頃から安次郎の字のうまさは有名で、禅寺の和尚の推薦によって、お屋形様の祐筆に抜擢されたのだった。
祐筆となった安次郎は、お屋形様からもその才能を認められ、お屋形様の許しを得て、京から下向して来ていた公家から和歌や連歌の修行に励んだ。十六歳になった時、京から下向して来た連歌師、宗祇と出会い、弟子にしてくれと頼んだが、まだ若過ぎる、もっと色々な学問を身に付けなさいと断られた。その後は、宗祇に言われたように様々な学問を身に付けようと熱心に勉学に励んだ。幸い、お屋形様の所持している書物を自由に見てもいいとの許可を得たので、暇さえあれば書物を読んでいた。十九歳の時、再び下向した宗祇と再会して、連歌会に同座する事もできた。宗祇と同座してみて、自分の未熟さが厭という程、分かった安次郎は益々、書物に没頭して行った。
ところが、翌年、嫁を貰うと自然と生活は変わった。以前の様に自由な時間は少なくなり、さらに、その年、応仁の乱が始まった。安次郎はお屋形様と共に京には行かなかったが、優雅に歌などを歌っている時代ではなくなった。お屋形様が京から戻って来ると、さっそく戦が始まった。安次郎もお屋形様と共に戦陣に出掛けた。祐筆だったため、実際に戦をする事はなかったが、安次郎も戦において活躍したいという思いはあった。武士になったからには、歌なんか詠んでいるより戦での活躍が一番ものを言った。
安次郎はひそかに武術の修行に励んだ。基礎はできている。刀鍛冶の子として生まれたので、刀の使い方は幼い頃より父親から仕込まれていた。安次郎は歌の事など、すっかり忘れたかのように武術修行に励んだ。
数度の戦に参加したが、実際に人を殺す事はなかった。しかし、お屋形様の側近らしく、危険な目に会っても怖(オ)じける事はなかった。いつも堂々としていて、甲冑姿が様になっていた。戦が始まった当初、書物ばかり読んでいたため、軟弱者は戦に来る必要はない、などと陰口を利く者もあったが、誰もそんな事を言わなくなった。安次郎がお屋形様の側にいる事で、皆、安心して、お屋形様の事を安次郎に任せるようになって行った。
そんな頃、突然、北川殿の兄上と名乗る早雲という僧が駿府に現れた。早雲はしばらくの間、お屋形様の屋敷の離れの書院に滞在していた。安次郎はお屋形様や北川殿の使いとして、何回か早雲と会ううちに、今まで忘れていた西行(サイギョウ)法師の事を思い出した。安次郎が宗祇と出会った十六歳の頃、安次郎は西行法師に憧れていた。西行法師のように歌を歌いながら自由気ままに旅をするのが安次郎の夢だった。宗祇の弟子になりたいと思ったのも、宗祇と一緒に各地を旅して歩けると思ったからだった。しかし、あの時から十年の歳月が流れ、いつの間にか、あの頃の夢を忘れてしまった。それが、早雲に会ってから急に、その頃の夢が蘇(ヨミガエ)って来たのだった。早雲は僧になる前は将軍様に仕えていた武士だったと言う。それが、突然、頭を丸めて旅に出た。まさしく、西行法師と同じだった。安次郎は早雲の生き方に憧れた。早雲と色々な事を話せば話す程、益々、惹かれて行った。
やがて、早雲は山西の石脇に庵を結んで移って行った。安次郎は度々、早雲のもとを訪ね、自分も早雲のように生きたいと願ったが、お屋形様が戦に忙しい今、今川家をやめるわけには行かなかった。
そして、突然のお屋形様の討ち死に、今川家の内訌(ナイコウ)と続き、ようやく、竜王丸がお屋形様となり、安次郎は今川家をやめる決心をしたのだった。妻との間には子供ができなかった。安次郎は妻を説得して実家に帰ってもらった。妻は三浦家の重臣の娘だった。お屋形様の勧めもあって一緒になったのだが、あまりうまく行かなかった。美しい女だったが、我がままで、安次郎が鍛冶師の出という事もあって、どこか馬鹿にした所があり、贅沢な暮らししかできなかった。お屋形様の手前、安次郎も何とか我慢していたが、お屋形様も亡くなってしまい、思い切って離縁する事にしたのだった。妻の方も喜んで実家に帰って行った。
ようやく、自由の身となった安次郎は晴れ晴れとした顔付きで旅を楽しんでいた。遠江の国より西に行くのは初めてだった。見る物、何もかもが珍しく、心は浮き浮きしていた。長谷川法栄の船に乗り、広い海を渡って伊勢の安濃津(アノウツ、津市)に着き、そこからは景色を楽しみながら鈴鹿越えをして、近江の国に入った。野洲川に沿って街道を進み、宗祇のいるという甲賀柏木(水口町)は、もう目と鼻の先だった。
安次郎は早雲に書いてもらった絵地図を眺めながら歩いていた。
「あれが飯道山(ハンドウサン)か‥‥‥」と安次郎は立ち止まって山を眺めた。
あそこで、風眼坊殿が剣術を教えていたのか‥‥‥
宗祇のいる飛鳥井雅親(アスカイマサチカ)の屋敷は野洲川の側だった。安次郎にもすぐに分かった。たんぼの中に、そこだけ何となく華やいだ大きな屋敷が建っている。屋敷は濠と土類に囲まれていて、武家屋敷のようだが、どことなく、公家らしい雰囲気があった。安次郎は野洲川に架かる舟橋を渡ると飛鳥井屋敷の表門に向かった。
安次郎は門番に夢庵殿に会いたいと告げた。
「どなたですかな」と門番は安次郎をじろじろ見ながら聞いた。
「元、今川家の臣、五条安次郎と申します」
「今川家? 駿河の今川家ですか」と門番は不思議そうな顔をして聞き返した。
「はい」と安次郎は頷いた。
「少々、お待ちを」と言って門番は屋敷の中に入って行った。
しばらくして、門番は戻って来たが、「夢庵殿は、そなたの事を御存じないとの事です」と素っ気なかった。
「はい。それは当然です。実は、伊勢早雲殿の紹介で参りました」
「伊勢早雲?」
「はい。伊勢早雲殿、それと、風眼坊殿の書状を持っております」
「風眼坊殿の書状をか」
「はい。風眼坊殿を御存じですか」
「当然じゃ。この辺りで、風眼坊殿の名を知らん者はおるまい」
「そうですか。風眼坊殿は今、駿河におられます。わたしは風眼坊殿より夢庵殿の事を伺い、是非、お会いしたいと訪ねて参りました」
「そうか、風眼坊殿は駿河におられるのか‥‥‥待っていなされ、夢庵殿に伝えて参る」
今度は、門番と一緒に夢庵も現れた。
早雲や風眼坊から変わった人だと聞いてはいたが、まさしく変わっていた。夢庵は総髪の頭に革の鉢巻を巻いて、熊の毛皮を身に着けていたのだった。その姿は狩人、あるいは山賊だった。そんな姿をした者が、この屋敷から出て来るとは、まるで、夢でも見ているかのようだった。
「風眼坊殿のお知り合いじゃそうな。よう来られた。風眼坊殿は今、駿河におるのか‥‥‥そうか、懐かしいのう。さあさ、入ってくれ」
夢庵は安次郎を歓迎して、さっさと屋敷の中に入って行った。
門をくぐると正面に大きな屋敷があったが、人影はなかった。夢庵は安次郎を塀で仕切られた左側に案内した。塀の向こう側には正面に屋敷があり、その右側に広い庭園があった。庭園の右側に御殿のような大きな屋敷が二つ並んで見えた。
夢庵は庭園の中の池の側に建つ茶室に安次郎を案内した。
茶室の中は四畳半と狭く、物がやたらと散らかっていた。床の間と違い棚の付いた珠光流の本格的な茶室であったが、お茶を点(タ)てるどころか坐る場所もない程、書物やら紙屑やら、食べ残した物やらが散らかっている。床の間には茶の湯の台子(ダイス)と花のない花入れが置かれ、壁には、力強い字で『肖柏(ショウハク)』と書かれた掛軸が掛かっていたが、安次郎には何を意味するのか理解できなかった。違い棚には棚が落ちてしまうのではと思える程、書物がぎっしりと並んでいた。
夢庵は散らかっている物をどけて、安次郎が坐る所を作ると、自分は文机(フヅクエ)の前に坐った。何やら書いている途中らしかった。
「懐かしいのう。風眼坊殿は相変わらず、達者か」と夢庵は聞いた。
「はい。書状を預かって来ています」と安次郎は風眼坊と早雲の書状を夢庵に渡した。
「ほう。早雲殿の書状もあるのか。そういえば、早雲殿は駿河に住んでおると言っておったのう。懐かしいのう。去年、二人と一緒に山の中を歩き回ったが、あの時は実に辛かったわ‥‥」
夢庵は二人の書状を時々笑いながら懐かしいそうに読んでいた。
「五条殿と申されるか」と夢庵は書状を読みながら聞いた。
「はい」
「宗祇殿の弟子になるために、やって来たのか」
「はい」
「うむ‥‥‥」
夢庵は二つの書状を読み終わると安次郎に返した。
「駿河の地でも大変だったらしいのう」
「はい。戦になりそうでしたが、お二人の活躍によって何とか無事に治まりました」
「そうか‥‥‥二人の手紙を読んだら、わしも駿河に行ってみたくなったのう」
「いい所です」
「らしいのう‥‥‥それで、宗祇殿の弟子になりたいというのは本当なのか」
「はい。宗祇殿に弟子入りして立派な連歌師になるために、今川家をやめて、こうしてやって参りました」
「うむ‥‥‥難しいのう」と夢庵は首を振った。
「失礼ですが、夢庵殿は宗祇殿のお弟子さんになられたのでしょうか」
夢庵はもう一度、首を振った。「わしがここに来て、もう一年にもなるが、未だに宗祇殿は弟子にしてくれんのじゃ」
「そうだったのですか‥‥‥」
「うむ。しかし、わしは諦めん。弟子にしてもらうまで、ずっと、ここにおるつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、とにかく、一度、宗祇殿に会ってみるか」
「はい。是非、お会いしたいと思っております」
「うむ。じゃあ、行ってみるか」と夢庵は気楽に立ち上がった。
安次郎は胸を躍らせながら夢庵の後に従った。
3
宗祇は書物の中に埋もれるような格好で『源氏物語』に没頭(ボットウ)していた。髪も髭も伸び放題という有り様で、暖かそうな綿入れを着込んで文机にしがみ付いていた。
安次郎は宗祇と会ったが、弟子にして欲しいと言う事はできなかった。宗祇の姿からは、命懸けで歌の道を極めるという気迫が感じられ、弟子の事を口に出す事さえできなかった。
宗祇は安次郎の事を覚えていてくれた。そして、お屋形様が亡くなった事を告げると信じられないという顔をして驚き、お屋形様に世話になった時の事を色々と話してくれた。
半時程、駿河の思い出話を懐かしそうにすると、また文机に向かって何やら書き始めた。宗祇は安次郎に対して、どうして、ここに来たのかは聞かなかった。未だに、今川家の家臣として、何か用があって出て来たついでに寄ったものだと思っているらしかった。
安次郎は、その日から夢庵の茶室に居候(イソウロウ)する事になった。
安次郎は初め、夢庵が書き物をしていた茶室は夢庵の書斎だと思っていたが、夢庵はその狭い部屋で寝起きしていたのだった。夢庵は好きなだけ、そこにいていいと言ったが、二人で暮らすには四畳半は狭かった。夢庵はそんな事を一向に気にせず、気ままに暮らしていた。
夢庵の話によると、夢庵も宗祇も、この屋敷の主、飛鳥井雅親の和歌の弟子だと言う。二人は兄弟弟子という関係にあり、この屋敷内に住まわせて貰っている。宗祇の住んでいる屋敷は種玉庵(シュギョクアン)と呼び、夢庵の住んでいる茶室は夢庵と呼び、雅親が二人のために建ててくれたものだと言う。雅親はもう少し広い屋敷を建ててやると言ったが、夢庵がどうしても、珠光流の茶室がいいと無理にお願いして建てて貰ったのだと言った。建物こそ小さいが、材料も吟味(ギンミ)されていて、安次郎には分からないが、かなり費用が掛かったとの事だった。
その日の晩、安次郎は夢庵と一緒に屋敷の主人、飛鳥井雅親の招待を受け、夕食を御馳走になった。その席に宗祇は出て来なかった。いつもの事だと言う。宗祇は書物に没頭すると時の過ぎるのも忘れてしまい、食事に来ない事もあり、そういう時は後で差し入れをするのだと言う。
雅親は紛れもない公家だった。年の頃は宗祇と同じ位の六十前後の物静かな人だった。後で聞いて、安次郎は驚いたが、雅親は天皇に拝謁(ハイエツ)する事もできる程の高い身分を持ち、権大納言(ゴンノダイナゴン)という官職に就いていた。普通なら、浪人である安次郎が同席などできるような人ではなかったのだった。
翌日、安次郎は夢庵と一緒に飯道山に登った。裏側の参道から登ったため、あまり賑やかではなく、安次郎は風眼坊の話とは大違いだなと感じた。しかし、山の上まで行くと、そこは山の上とは信じられない程、寺院が立ち並び、大勢の若い者たちが武術の修行をしていた。まさしく、風眼坊の言う通りだった。凄いと安次郎は感激していた。こんな所が実際にあったのかと安次郎は驚きながら、夢庵に連れられて山内を歩き回った。
夢庵は山の中で顔が広かった。山伏たちと気軽に挨拶を交わしていた。山の中を一通り、見て歩くと、安次郎は夢庵に連れられて表参道の方に下りた。表参道側の門前町は賑やかだった。夢庵は花養院(カヨウイン)に安次郎を連れて行った。花養院には子供たちが大勢いて、夢庵が顔を出すと子供たちがワアッと寄って来た。子供たちは皆、孤児だと言う。花養院の主である松恵尼(ショウケイニ)が孤児たちを集めて育てているのだと言う。安次郎はその松恵尼と会わされ、駿河にいる早雲や風眼坊の事を色々と聞かれた。また、安次郎は松恵尼から若い頃の二人の事を話してもらった。楽しい一時だった。
いつの間にか、日が暮れていた。
花養院を後にすると、今度は『伊勢屋』という旅籠屋(ハタゴヤ)に連れて行かれた。ここでも夢庵は有名だった。旅籠屋の女将(オカミ)を初め、女中たちが皆、夢庵を歓迎した。安次郎はのんびりと風呂に入って旅の疲れを取ると、夢庵に連れられて盛り場に向かった。盛り場は賑やかだった。浅間神社の門前町に負けない程の賑やかさだった。夢庵が連れて行った所は『とんぼ』という小さな飲屋だった。
まだ時間が早いのか、店の中には客が三人いただけだった。夢庵と二人で酒を飲み始めると、やがて、二人の山伏がやって来た。高林坊と栄意坊という飯道山の武術師範だと言う。二人とも早雲と風眼坊を知っていて、二人が駿河で何をやっているのか、しきりに聞きたがった。
安次郎は不思議な気持ちだった。今、一緒に酒を飲んでいる三人は、安次郎が今まで知らない世界の人たちだった。安次郎が思いもしない事を色々と知っていた。三人の話を聞きながら、安次郎はこれから先、連歌の世界で生きて行くには、あらゆる世界の事を知らなければならないと感じていた。その晩は遅くまで飲んで語りあった。
安次郎は久し振りに酔い、心の中で思っていた事を初めて人に語った。目の前にいる三人には何でも言えると感じ、心を許したのだった。武士でいた頃、心から話し合えるような友はいなかった。同僚たちは常に回りの者を蹴落として出世する事ばかり考えていた。打ち解けているように振る舞いながら、裏では何を考えているのか分からない者たちばかりだった。ところが、今、目の前にいる三人は、昨日、今日、会ったばかりなのに、安次郎はなぜか、心を許す事ができた。安次郎の話を聞きながら三人は親身になって、あれこれ意見を言ってくれた。
次の日、伊勢屋の一室で目を覚ました安次郎は、夢庵に連れられて山の中に連れて行かれた。いい所に連れて行ってやると言うだけで、夢庵はどこに行くかは教えてくれなかった。かなり険しい山道を歩いて、たどり着いた所は岩々に囲まれた平地だった。まるで、山水画の中にいるような感じだった。正面にそそり立つ岩には洞穴があり、奥が深そうだった。その光景を目にした時、安次郎は思わず、「おおっ!」と声を発した。
そこは、安次郎がいつも夢に見ていた光景に似ていた。こんな光景の中で、気ままに酒を飲み、歌を詠み、琴を鳴らして仙人のように生きるのが安次郎の夢だった。
「どうじゃ、いい所じゃろう」と夢庵は岩屋の入り口から回りを見渡しながら言った。
「はい。こんな所が実際にあったなんて‥‥‥」
「風眼坊殿の弟子に太郎坊殿というのがおってのう。その太郎坊殿がここを見つけたんじゃ。ここは『智羅天(チラテン)の岩屋』と言ってのう。なかなか住み易い岩屋じゃ」
「その太郎坊殿の事は風眼坊殿より聞いております」
「そうか。今は播磨で赤松家の武将になっておるが、剣術の名人じゃ。実は、わしも太郎坊殿の弟子なんじゃよ」
「夢庵殿も剣術の名人なのですか」
「いや。わしはただ、自分の身を守る程度じゃ」と夢庵は笑った。
夢庵は岩屋の中を案内してくれた。岩屋の中は想像していたよりもずっと深く広かった。迷路のように道が入り組み、部屋がいくつもあり、岩屋の中は暖かかった。
夢庵は観音様の壁画の描かれた一番広い部屋の中で焚火を焚くと、持って来た酒を飲み始めた。安次郎は夢庵の姿を眺めながら羨ましいと感じていた。まさしく、夢庵は、安次郎の夢見る自由人だった。西行法師のように瓢々(ヒョウヒョウ)と生きていた。安次郎も見習いたかったが、自分に果たして、あんな生き方ができるかどうか自信がなかった。
「夢庵殿、宗祇殿はいつになったら弟子を持つようになるのでしょうか」と酒を飲みながら安次郎は夢庵に聞いた。
「分からん。しかし、わしが思うには、来年あたりから宗祇殿も動き出すような気もするんじゃ」
「来年ですか」
「ああ。宗祇殿は今年の正月、初めて将軍様の連歌会に参加したんじゃ。宗祇殿の名声も一部の者だけでなく、京の町人たちの噂にも上り始めておる。京の戦もそろそろ終わろうとしておるしのう。来年になれば、宗祇殿がまだ古典の研究をしたいと願っても、世間の方が黙ってはおるまい。宗祇殿はあちこちから連歌会の招待を受けるじゃろう。そうすれば、弟子も取らなくてはならなくなると思うがのう」
「来年ですか‥‥‥」
「どうする、来年まで待つか。わしは別に構わんぞ。あそこにおりたければ、おっても構わん」
「はい‥‥‥」
来年までと言っても、まだ二ケ月半もある。二ケ月半もの間、何もしないで、夢庵の四畳半に居候するわけにはいかなかった。
「わしの所が嫌なら、ここにおっても構わん。ここなら誰にも気兼ねする事もない。この岩屋の事を知っておるのは、太郎坊殿と早雲殿と風眼坊殿だけじゃ。飯道山におる山伏でさえ、ここの事は知らん。ここに籠もって書物でも読んで暮らすか。書物なら飛鳥井殿の屋敷に幾らでもあるぞ。めったに読めないような貴重な物まである。飛鳥井殿は何でも自由に貸してくれる」
「はい‥‥‥しかし‥‥‥」
まだ、駿河から出て来たばかりだった。どうせ、来年まで待つのなら、ここに籠もるよりは各地を旅して見たかった。京の都も見たいし、南都奈良も見たい、琵琶湖も見たいし、瀬戸内も見たい。見たい所はいくらでもあった。安次郎は来年まで旅をしようと思った。
「夢庵殿は一年もの間、何をしていたのですか」
「わしか‥‥‥わしは今と同じような事を一年間、やっておったのう。飯道山で修行者たちに剣術を教えた事もあったし、盛り場で飲んだり、女を抱いたり、花養院で子供たちと遊んだり、ここに来て、一人静かに瞑想(メイソウ)したり‥‥‥また、宗祇殿の講義を聞く事もあった。弟子としてではなく、兄弟弟子という立場でな」
「そうでしたか‥‥‥」
「ここに来て一年になるが、住んでみるとなかなかいい所じゃよ、ここは」
「はい‥‥‥」と安次郎は焚き火越しに夢庵を見た。うまそうに酒を飲んでいた。
「話は変わりますが、飯道山で修行している若い者たちは、皆、この辺りの者たちなのですか」と安次郎は聞いた。
「いや」と夢庵は首を振った。「最近は遠くから来る者も多いらしいのう。甲賀、伊賀の者たちが半数以上だが、伊勢、大和、加賀辺りから来る者もおるらしい」
「修行したい者は誰でも修行できるのですか」
「いや、とんでもない。毎年、正月の十四日に受付があるんじゃ。年々、修行者の数は増えて来て、五百人以上も集まって来るんじゃ。わしも今年の正月、集まって来る修行者たちを見たが、それは物凄い数じゃった。まるで、祭りのようじゃ。集まった五百人は一ケ月の間、朝から晩まで、休まず山の中を歩かされるんじゃ。わしも一ケ月程、歩いたが、あれは、かなりきつい修行じゃ。早雲殿や風眼坊殿は平気な顔して百日間も歩き通した」
「百日間も?」
「ああ、そうじゃ。あれは去年の十二月じゃった。雪の降る中、歩き通したんじゃ。今思うと、よく歩けたと思うわ」
「それで、修行者たちも一ケ月間、山の中を歩くのですか」
「そうじゃ。第一関門というわけじゃ。その山歩きによって、耐えられない者たちは次々に山を下りて行くんじゃ。結局、一ケ月経って、残るのは百人ちょっとというわけじゃ。その百人ちょっとが山に残り、一年間、武術を習うんじゃ」
「へえ‥‥‥という事は、あの山で修行するためには、正月の受付をして、一ケ月間の山歩きをしなければならないという事ですか」
「そういう事じゃ」
「武術の修行をするのも大変なんですね」
「ああ、大変じゃな。それだけじゃなく銭もかかるんじゃよ」
「銭?」
「ああ。いくら武術の素質があっても、所詮、銭のない者は飯道山で修行すらできんのじゃ」
「そうですか‥‥‥夢庵殿、宗祇殿の弟子になるのにも銭がいるのでしょうか」
「さあな。銭はいらんとは思うが、それ相当の物を見せん事には無理かもしれん」
「それ相当の物?」
「ああ。今は、宗祇殿はひっそりと一人で古典に没頭しておられるが、宗祇殿が活動を始めれば、弟子になりたいと思う者は、それこそ何百人と現れて来るじゃろう。その中から弟子に選ばれるとなると、自分の才能を表現して、宗祇殿に認められなくてはならんと思うがのう」
「自分の才能を表現するんですか‥‥‥」
「うむ」
確かに、夢庵の言う通りだった。宗祇程の人の弟子になるには、自分を表現して見せなければならない。安次郎は、今まで書きためた自分の作品を持って来ていた。その作品を宗祇に見せて、宗祇が認めてくれるか、というと自信はなかった。宗祇はあの年になっても書物に没頭して古典の研究をしている。そんな宗祇から見たら、自分の作品など薄っぺらな人真似としか映らないだろう。どうしたらいいのか、安次郎には分からなかった。
夢庵は焚火を眺めながら気楽に酒を飲んでいた。夢庵は宗祇と兄弟弟子であった。宗祇が弟子を取る事になれば、夢庵が一番弟子になるのは間違いない。しかし、自分が二番弟子になる可能性はほとんどなかった。
「どうした、夕べ、飲み過ぎたか」と夢庵は笑った。
「いえ」と安次郎は力なく首を振った。
夢庵は意味もなく笑って、岩屋の中を見回した。
「ここの岩屋は不思議な岩屋じゃ。わしはここに来る時はいつも一人じゃった。太郎坊殿より、ここを自由に使ってもいいと言われたが、ここに誰かを連れて来たのは、おぬしが初めてじゃ。夕べ、一緒に飲んだ二人は太郎坊殿の師匠にあたる人たちじゃが、ここの事は知らない。どうして、おぬしをここに連れて来たのかは、わしにも分からん。何となく、この岩屋に、おぬしを連れて来いと言われたような気がして連れて来たんじゃ。おぬし、どうして、ここに来たのか分かるか」
「さあ、分りませんが‥‥‥ただ、険しい岩の中を抜けて、この岩屋を初めて見た時、何となく、前に見た事があったような懐かしさを感じた事は確かです」
「そうか‥‥‥やはり、何かつながりがあったんじゃのう。おぬし、しばらく、ここでのんびり暮らせ。ここにいると世俗の事などすっかり忘れ、生まれ変わったかのような気分になれるぞ」
「はい‥‥‥」
酒を飲み干すと、夢庵はそのまま眠ってしまった。
「不思議なお人だ」と安次郎は夢庵を見ながら呟(ツブヤ)いた。
4
安次郎は夢庵の言うように、智羅天の岩屋に籠もってみようと思った。そのための準備のため、一度、飛鳥井屋敷に戻って来ていた。安次郎が夢庵を訪ねて、この屋敷に来た時から、すでに八日が過ぎていた。
夢庵はいい遊び相手が来たと、安次郎をあちこち引っ張り回した。
最初の日は夢庵と名づけられた四畳半で、紙屑の中で寝たが、次の日から様々な所に連れて行かれた。次の晩は高林坊、栄意坊たちと酒を飲み、伊勢屋という立派な旅籠屋に泊まり、その次の晩は結局、智羅天の岩屋で夜を明かした。
夢庵は酒を飲んで眠ったまま、朝まで起きなかったのだった。安次郎は腹を減らしたまま、ろくに寝る事もできなかった。ようやく、夜明け近くになって眠りについたかと思うと、夢庵にたたき起こされ、飯を食いに行こうと山を下りた。
伊勢屋に戻って食事をして腹一杯になると、今度は体でも動かすかと飯道山に登って武術道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。稽古が始まるのは午後からだと言う。夢庵は勝手に道場に入ると木剣を見つけて、安次郎にも渡し、無理やり稽古をさせられた。安次郎も武術の稽古は一通りしているので、夢庵なんかに負けるものかと思っていたが、まったく相手にならなかった。夢庵は思っていたよりもずっと強かった。やがて、修行者たちがぞろぞろとやって来た。夢庵は剣術の師範とも親しいらしく、若い者たちに教えてやってくれ、などと言われていた。夢庵は遠慮して剣術道場を後にすると、今度は棒術の道場に向かった。
棒術の道場には、この間、一緒に飲んだ高林坊がいた。夢庵は高林坊に挨拶をすると、一人の山伏を安次郎に紹介した。風眼坊の弟子で観智坊(カンチボウ)だと言う。元、本願寺の坊主で、一緒に酒でも飲めば面白い話が聞けるんだが、残念ながら観智坊は今年一杯、山から下りられないと言う。安次郎は観智坊に早雲や風眼坊の事を簡単に話した。
その後、不動院という宿坊に行って、山伏たちと無駄話をして山を下り、また、伊勢屋に戻るのかと思っていると、『七福亭』という遊女屋に連れて行かれた。好きな女を選べと安次郎に言うと夢庵は馴染みの女を連れて、さっさと奥の方に行ってしまった。仕方なく、安次郎は恵比須(エビス)という名の娘を選んで奥の部屋に入った。次の日は雨降りだったため、そのまま七福亭に居続け、その次の日の朝早く、安次郎は夢庵に起こされた。
今日は天気がいいから山歩きをしようと、酒をぶら下げて飯道山の山頂まで登り、さらに奥駈けと称する山道を太神山まで歩いた。山歩きに慣れていない安次郎はくたくただった。本当なら一日で往復するんだと言われたが、そんな気力はなかった。その夜は太神山(タナガミサン)の門前町で、また、遊女と遊んだ。安次郎は遊女屋に泊まるより静かな宿で、ぐっすりと眠りたかったが、夢庵に言われるままに女を選んだ。次の日、奥駈け道を通って、やっと飛鳥井屋敷に帰って来たのだった。
こんな夢庵といつまでも付き合っていたら体がもたない。安次郎は智羅天の岩屋に一人で籠もって書物でも読もうと決心をした。
山に籠もる用意も整い、いよいよ明日は岩屋に向かう晩だった。
安次郎は夢庵の四畳半で寝そべっていた。
夢庵は文机に向かって、ここに来てから一年の間に宗祇から聞いた事を書きまとめていた。安次郎は不思議そうに、そんな夢庵を見ていた。何事にもこだわらないで、成すがままにという気ままさがあるかと思うと、宗祇から聞いた事を一々書き留めておくという几帳面な所もあった。飽きっぽい所があるかと思えば、一心に一つの事に熱中する事もある。まるで、何人もの人間が夢庵という体の中に生きているようだった。まったく捕え所のない人だと思った。
安次郎は床の間の壁に飾ってある『肖柏』という字を見ていた。安次郎は祐筆をしていただけあって、書に関しては結構、詳しかった。初めて見た時は別に何も感じなかったが、何度も目にしているうちに何となく気になる字だった。流れるような、うまさというのはないが、力強く、字そのものが、まるで生きているかのように感じられた。一体、誰が書いたものだろうか、ただ、肖柏と書いてあるだけで、署名もないし押印(オウイン)もない。初め、夢庵本人が書いたものだろうと思ったが、夢庵の書体とはまるで違った。夢庵の書体は公家流とでも言うか、流れるような達筆だった。
「夢庵殿、その掛軸はどなたが書いたのですか」と安次郎は聞いた。
どうせ、答えてはくれないだろうと思ったが、以外にも、夢庵は手を止めて振り返ると、真面目な顔をして安次郎を見た。「おぬし、字は分かるか」
「はい。少々は」
「どう見る?」
「味のある字だと思いますが」
「どう味がある?」
「はい。厳しさの中に暖かさが‥‥‥」
夢庵は掛軸を見つめ、「さすが、今川家の祐筆だっただけの事はあるな」とゆっくりと頷いた。
「どなたが書かれたのですか」
「一休禅師殿じゃ」
「えっ、一休禅師」と安次郎は起き上がって正座をすると、改めて書を見つめた。
「まさしく、おぬしの言うように、この字には厳しさと暖かさが同居しておる。まさに、一休禅師殿、そのものなんじゃ」
「一休禅師殿の書でしたか‥‥‥」
「おぬし、一休禅師殿を知っておったのか」
「はい。噂だけは‥‥‥今回、もし機会があれば訪ねてみよ、と早雲殿より言われておりました」
「そうか‥‥‥そう言えば、早雲殿は一休殿のお弟子さんじゃったのう」
「やはり、そうでしたか‥‥‥」
「詳しい事は知らんが、一休殿のもとで修行をした事は確かじゃ」
「肖柏というのは、どういう意味なのですか」
「一休殿が、わしに付けてくれた名前じゃ。わしの名は夢庵肖柏というんじゃよ」
「という事は、夢庵殿も一休禅師殿のお弟子さんだったわけですか」
「いや。一休殿のもとで修行した事はあったが、正式な弟子ではないのう。わしの茶の湯の師匠、村田珠光殿が一休殿のお弟子さんじゃ。宗祇殿も正式な弟子ではないが、一休殿のもとで修行をなさっておるんじゃよ」
「そうですか‥‥‥でも、名前を貰うというのはお弟子になったようなものなんでしょう」
「さあ、どうかな。一休殿、独特の戯(タワム)れかもしれん」
「どうして、肖柏という名前になったのですか」
「本当はのう」と言って、夢庵は紙に何やら書くと安次郎に見せた。
その紙には『小伯』と書かれてあった。
「本当は小さい伯なんじゃよ」
「小さい伯?」
「昔、明(ミン)の国に伯倫(ハクリン)という仙人のような人がおったそうじゃ。わしが珠光殿の供をして一休殿を訪ねた時、その伯倫を描いた絵が飾ってあったんじゃ。牛の上に寝そべって、のんきに旅をしておる絵じゃった。その姿がわしにそっくりじゃと言って、一休殿が、わしの事を小さい伯倫と言う意味でショウハク、ショウハクと呼んだんじゃよ。そのうちに、師匠の珠光殿まで、わしの事をショウハクと呼ぶようになって、わしは一休殿にショウハクと書いてくれって頼んだんじゃ。そしたら、一休殿は『小伯』とは書かずに『肖柏』と書いたというわけじゃ。どういう意味か聞いたら、笑っておるだけで教えてはくれなかった」
「へえ‥‥‥」
「その時のひらめきで、ただ、そう書いたのだろうと思うが、わしは気に入っておるんじゃ。だから、こうして表装して大切にしておるというわけじゃ」
「一休禅師殿ですか‥‥‥一体、どんなお人なのです」
「どんなと言われてものう。言葉で言い表せるようなお人ではないのう。しいて言えば、鏡のようなお人かのう」
「鏡のようなお人?」
「うむ」
鏡のような人と言われても、安次郎には何だか、さっぱり分からなかった。
「どういう意味です」と安次郎は聞いた。
「言葉で説明するのは難しいのう。鏡というのは顔とかを映すじゃろう。一休殿は、その人の心を映すとでも言おうかのう」
夢庵はしばらく間をおいてから、話を続けた。
「一休殿のもとで修行をすれば分かるが、一休殿の側におると、不思議と自分というものが見えて来るんじゃよ。本物の自分の姿と言うものがな。わしらが普段、自分だと信じておるものは、実は偽(イツワ)りの姿で、本物の自分というものは奥の方に隠れておるんじゃ。その奥の方に隠れておる本物の自分というものが、見えて来るような気がするんじゃ。人間は生まれながらにして色々な物を背負って生きておる。身分だとか、地位だとか、財産だとか、その他、色々な物を知らず知らずのうちに身に付け、それら、すべてを引っくるめて自分だと思い込んでおる。しかし、それは仮の姿、偽りの姿に過ぎんのじゃ。身に付けておる、あらゆる物を捨てて、捨てて、捨てまくって、何もなくなった時、初めて本当の自分の姿が現れて来るんじゃ。それが、本来無一物の境地と言って、何物にも囚われない境地じゃ。茶の湯のおいて、その境地に至らないと名人とは言えないと珠光殿は言っておられた。連歌においても、その境地まで至らないと名人とは言えないと宗祇殿も言っておられた。連歌の場合、歌を作ろうと思っておるうちは、まだ、駄目じゃと言う。前の句を聞いたら、何も思わず、フッと次の句が浮かんで来るようにならなくては駄目じゃと言うんじゃ。禅問答と同じじゃな。質問されたら、すぐに答えなくてはならん。考えたり、迷ったりしておっては駄目なんじゃ。事実、宗祇殿の連歌は禅問答のようじゃった。前の人が句を詠むと、初めから、そういう歌があったかのごとく、間をおかずに、次の句を詠み上げるんじゃ‥‥‥わしは禅僧ではないが、禅というのは、あらゆる芸の道につながっておるように思えるんじゃ。茶の湯においての珠光殿の流れるような手捌き、あれはまさしく動く禅じゃ。ああしよう、こうしようと思ってできるものではない。自然と同じじゃ。風が吹けば樹木や草花はそよぐ。そこに一点の迷いはない。それは武術にも言えるんじゃ。わしは以前、智羅天の岩屋で、太郎坊殿と太郎坊殿の弟子の試合を見たんじゃ。あれもまさしく、動く禅じゃった」
「禅ですか‥‥‥」
「おぬし、山に籠もって書物を読むのもいいが、一休禅師殿のもとで修行するのもいいかもしれんぞ。何もかも捨ててみて、生まれ変わって見るのもいいかもしれん。その後、どうしても連歌の道に入りたかったら戻って来るがいい。一休殿のもとで修行した事は決して無駄にはなるまい」
「はい‥‥‥」と安次郎は頷いた。
「会ってみれば分かる。おぬしなら一休禅師殿の偉大さが分かるはずじゃ」
安次郎は岩屋行きを変更した。
次の朝、世話になった飛鳥井雅親、宗祇、夢庵に挨拶をすると、颯爽(サッソウ)と、一休禅師のいる薪(タキギ)村(京都府田辺町)の酬恩庵(シュウオンアン)を目指した。
18.陰の二十一人衆
1
ここで、しはらく、場面を播磨に移して、時をさかのぼると、雪に覆われた大河内城下の山の中で、ひそかに陰(カゲ)の術の修行が行なわれていた。
早雲と小太郎夫婦を正月に迎えた太郎は、二月になると、楓との約束を守って、楓と助六の二人に陰の術を教えていた。太郎は他所(ヨソ)の女(きさ)に子供を作った罰として、二人に陰の術を教えなければならなかった。
太郎は城下の西のはずれの夢庵の屋敷を建てる予定地にて、二人に陰の術を教えた。稽古の時間は昼過ぎの一時(イットキ、二時間)だけだったが、二人は熱心で、太郎が帰った後も、毎日、日暮れまで稽古に励んでいた。二人共、子供の頃から武術を習っていて、特に、助六は踊りを得意としているので、身が軽く、覚えは早かった。手裏剣術も教えたが、石つぶてを得意とする楓はすぐに身に付けてしまった。楓も助六もお互いに負けるものかと稽古に励むので、二人は見る見る上達して行った。
稽古を始めた頃、太郎は、どうせ、女なんかに陰の術なんて無理だろうと思っていたが、考えを改めなくてはならなかった。女の方が小柄で身が軽いので、かえって、向いているかもしれないとも思うようになっていった。二人は白づくめの装束(ショウゾク)を着て、雪山の中で稽古に励んでいた。
楓と助六は、太郎が一ケ月間教えようとしていた事を半月で身に付けてしまったので、残りの半月で実地訓練を行なった。まず、月影楼(ツキカゲロウ)を稽古場にして、太郎に見つからないように、太郎が隠したある物を捜させた。太郎に見つかったら、また、外に出てやり直すというようにして稽古させた。初めの頃はお互いに対抗意識を燃やして、別々に行動していたが、どうしても太郎に見つかってしまうので、やがて、二人は手を組んで行動を共にするようになった。捜す物は大きな物からだんだんと小さくして行き、最後には、ただの紙切れを捜させた。二人はあらゆる手段を使って太郎を翻弄(ホンロウ)して、ついには、その紙切れも見つけ出した。その頃になると、二人の腕はかなり高度になっていた。もし、誰かが知らずに月影楼に入って来たとしても、月影楼の中にいる三人の存在に気づく事はないと言えた。月影楼での実地訓練は十日間で終わった。
最後の五日間は、太郎と一緒に城下のあらゆる所に忍び込んだ。評定所(ヒョウジョウショ)、重臣たちの屋敷、商人たちの屋敷、町人たちの長屋、旅籠屋、遊女屋などに忍び込み、住んでいる者たちの人数を数えさせ、屋敷の間取り図を書かせた。
最後の仕上げとして、太郎の弟子、風間光一郎、宮田八郎、山崎五郎の三人のうちの誰でもいいから、姿を見られずに、首に墨で線を書いて来いと命じた。二人は力を合わせて、光一郎と八郎の二人の首に見事、線を書いて来た。
一ケ月の稽古の後、太郎は月影楼の三階に楓と助六を呼んで、ねぎらいのため、ささやかな宴を開いた。
「二人共、御苦労だった。事故も起こらずに無事に終わった。二人共、思っていたより、よく陰の術を身に付けてくれた。はっきり言って以外だった」と太郎は二人に言った。
「以外?」と楓は笑いながら太郎を睨んだ。
「ああ」と太郎は頷いた。「初め、女なんかに陰の術を教えてもしょうがないと思っていた。仕方なく、教えていたんだが教えているうちに、陰の術に男も女もないという事に気づいた」
「そうよ。女だって立派にできるのよ」と助六が胸をたたいた。
「うむ。その事が分かっただけでも、今回、二人に教えてよかったと思っている。しかし、今回、二人に教えたのは陰の術の基本だ。これで、すっかり陰の術を身に付けたと思ってはいかん」
楓が太郎を見ながら笑っていた。
「どうした」と太郎は聞いた。
「だって、あなた、しゃべり方まで、すっかり、師範みたいなんだもの」
「そうか‥‥‥」と太郎は二人の顔を見ながら照れた。
「あたし、今まで、あなたが若い人たちに剣術や陰の術を教えている所を見た事なかったから、やっぱり、師範なんだなって改めて感じてたのよ」
「そうね。あたしも何だか怖かったわ」と助六も言った。「陰の術を教えている時の太郎様、何だか、別人のような気がしてたわ」
「そうかな、気がつかなかったけど‥‥‥」
「でも、教え方はうまいんじゃない」と助六は楓に言った。
「そうね。うまいわ」
「そうか、ありがとう。ところで、さっきの続きだけど、二人に教えたのは基本だという事は覚えておいてくれ。陰の術はまだまだ奥が深い。後は、それぞれが工夫をして、自分だけの陰の術を作ってくれ」
「自分だけの陰の術を?」と楓が聞いた。
「そう、自分だけの陰の術だ。人それぞれ得意とするものがあるだろう。それを伸ばして行くんだよ。陰の術を使う時は命懸けだからな。中途半端な術では、身を滅ぼす事に成りかねない。だから、自分の一番得意とするものは絶対に失敗しないようにしなければならないんだよ」
「あたしたちが習ったのは基本だったの」と楓が言った。
「後、どんな事があるの」と助六が聞いた。
「まだ、色々ある。今回やらなかったが、基本の基本もあるんだ」
「基本の基本?」
「山歩きだよ。飯道山でも修行者に一番始めにやらせるのが一ケ月の山歩きだろ。あれが基本の基本なんだ。体を作る事も勿論だが、陰の術で一番重要な事は、つかんだ情報を一刻も早く知らせる事だ。危険を冒して、せっかくつかんでも、知らせるのが遅れたら、まったく価値がなくなってしまうんだよ。そこで、最短距離を素早く走って伝えなければならない。それには山の中の裏道を通らなければならない」
「山の中の裏道?」と楓が不思議そうに聞いた。
「うん。山の中には普通の者には見えないが、様々な道があるんだ。それを知らなくてはならない」
「へえ、そんな道があるんだ‥‥‥」
「あたし、聞いた事はあるわ」と助六が言った。
「それが、基本の基本だ。それに、夜道を歩くというのも基本の基本かな」
「夜道?」
「そう、真っ暗な月も出ていない夜道でも歩けるようにするんだ。これは真っ暗闇の中で修行を積むしかないな。修行すれば不思議に真っ暗闇でも歩けるようになる」
「あなた、そんな事できるの」と楓が不思議そうに聞いた。
「ああ、智羅天(チラテン)の岩屋で修行させられたんだ」
「あの智羅天様に?」
「そう。さすがに俺も智羅天殿のように、暗闇の中で彫り物をする事はできないが、歩く事はできるようになった」
「へえ、凄いのね‥‥‥後はどんな事があるの」と助六が聞いた。
「後は、地形の見方、敵の城の立つ地形を見るんだ。そして、濠(ホリ)の深さや幅を計ったり、櫓(ヤグラ)の高さを計ったり、敵の軍勢の数を数えたり、薬の使い方を覚えるのも陰の術に入るな」
「薬も?」
「そうさ。薬にも色々ある。病や傷を直すだけが薬じゃない。毒薬もあるんだよ。敵を毒殺するだけじゃなく、自分が毒殺されないためにも、それらの事は知っていなければならないんだ」
「ふーん。恐ろしいのね」
「それから、天候を知る事、人相を知る事も陰の術に入る。人の心を読む事ができれば、それも陰の術に入るだろう」
「あなた、人の心も読めるの」
「いや、俺にはまだ、できん。しかし、相手の立場とか、回りの状況とかが分かれば、相手の気持ちを察する事はできるだろう」
「うん、そうね」
「陰の術というのは、今まで話したような危険な事ばかりが陰の術じゃないっていう事も覚えていてほしい。たとえば、松恵尼様のやり方も陰の術だ。松恵尼様は商人として各地に店を持っている。この城下にも置塩の城下にもある。彼らは特に危険な事はしない。商人として何年もその地に住む事によって、その地に根を張って信用を得る。信用を得れば、自然と情報は集まって来る。その情報を松恵尼様のもとに運ぶ。これも立派な陰の術なんだよ」
「成程ね」と楓と助六は顔を見合わせて頷き合った。
「それで、これから、その陰の術をどう使うつもりなんだ」と太郎は二人に聞いた。
「今すぐっていうのは無理よ」と楓は言った。「あたしの場合は百合がまだ二つだし、助六さんの場合は今の所、金勝座(コンゼザ)から抜けられないし、後、二、三年したら、松恵尼様のように何かを始めようと思っているの」
「松恵尼様のように尼さんになるのか」
「それもいいかもね」と楓は笑った。「尼さんなら、あちこちに潜入できるし」
「商人もいいんじゃない」と助六が言った。
「しかし、女の商人が遠くまで商(アキナ)いに行くというのは、あまり聞かんぞ」
「そうか‥‥‥」と助六は首を傾げた。
「尼さんとか、巫女(ミコ)とか、後は芸人だろうな」
「孤児院も始めたいわね」と楓は言った。
「始めるのはいいが、また忙しくなるぞ」
「忙しいのは慣れてるわよ、ね」と楓は助六に言った。
「そうね。何もしないではいられないものね」
「陰の術を実行に移すのは、まだ、先の事として、あたし、また、娘さんたちに薙刀(ナギナタ)を教えたいんだけど駄目かしら」
「侍女たちだけじゃなく、城下の娘たちに教えるのか」
「ええ」
「お前が薙刀を教えるとなると、大勢の娘が集まって来るぞ」
「そうかしら」
「そうさ。お前はこの城下の殿様の奥方なんだぞ。その奥方が自ら薙刀を教えるとなると、城下中の娘が集まって来るだろう」
「あたしもそう思うわ」と助六も言う。
「お前、一人じゃ、とても無理だ。侍女たちをもっと鍛えて、侍女たちが人に教えられる位の腕になってからの方がいいと思うがな」
「そうか‥‥‥そうよね。そんなに集まって来たんじゃ、とても、教えられないわね」
「ただ、お前の考えはいいと思う。城下の娘たちが皆、薙刀を身に付ければ、何かが起こった時、混乱状態に陥る事もなくなるだろう。それに、中には素質のある娘もいるに違いないからな」
「そうね。素質ある娘を集めて、女ばかりの騎馬隊も作らなくっちゃ」
「おいおい。そんなものまで作られたんじゃ。危なくって見てられないぞ」
「大丈夫よ」と楓が言うと、
「任せなさい」と助六が言った。
その日から五日後、金勝座は京に向かって旅立って行った。新しい人材集めと、京の状況を調べるためだった。金勝座が旅立って行った頃より、近江甲賀の飯道山から若い者たちが、二、三人づつまとまって大河内城下にやって来た。十八人全員が揃ったのは三月の半ばだった。
彼らは皆、飯道山にて一年間、修行した者ばかりで、勿論、太郎から陰の術を習っていた。そして、皆、次男や三男たちで、甲賀にいても部屋住みの者たちばかりだった。彼らは新しい生き方、新しい土地を手にする事を夢見て、他国へとやって来たのだった。太郎は彼らを直属の馬廻(ウママワリ)衆として抱えた。戦の時は太郎の回りに仕える事となるが、戦のない時は太郎のために必要な情報を集めるのが役目だった。彼ら十八人に光一郎、八郎、五郎の三人を加えて、太郎は『陰(カゲ)の二十一人衆』と名付けた。二十一人を三人づつ七組に分けて、太郎はそれぞれ好きな場所に行かせた。そして、つかんだ情報によっては地位も俸給も上がるというので、皆、張り切って出掛けて行った。だだし、十日間に一回は三人の内の一人が、手に入れた情報を太郎に知らせるのが条件だった。
どこにでも好きな所に行ってもいいと言ったので、光一郎、八郎、五郎の三人も大喜びだった。ここに来てからというもの、三人は毎日、作業や武術師範の仕事に追われて、ほとんど、ここから出た事がなかった。五郎は家庭を持ったため、それ程でもないが、光一郎と八郎の二人は、そろそろ旅に出たいと思っていたところだった。
光一郎は三雲源次郎、藤林平五郎の二人を連れて、紀伊の国、熊野に向かった。三雲源次郎は太郎と同期であった源太の弟であり五期生、藤林平五郎は太郎が岩尾山で修行していた時、一緒だった十兵衛の従弟(イトコ)で去年の修行者だった。
光一郎は二人を引き連れて、三年振りの帰郷だった。熊野の山の中には母親がたった一人で残っていた。近所には祖父と祖母が叔父の家族と共に暮らしていたが、母親は淋しい思いで暮らしているに違いなかった。父親である風眼坊は若い女を作ってしまった。光一郎はお雪の身の上を知っていた。お雪本人から、その話を聞いて、光一郎は父親に何も言えなかった。何も言えなかったが、母親の事を思うと父親の事を許す事はできなかった。光一郎は母親を大河内城下に呼ぼうと思っていた。
八郎は芥川小三郎、上田彦三郎を連れて、伊勢の国、多気(タゲ)に向かった。芥川小三郎は太郎と同期の左京亮(サキョウノスケ)の従弟で五期生、上田彦三郎は去年の修行者だった。八郎は立派な武士になった晴姿を早く、両親や兄、そして、町道場の川島先生たちに見せたいと張り切って出掛けて行った。
五郎は杉谷新五郎、黒川助三郎を連れて、河内の国、赤坂村に向かった。杉谷新五郎は太郎が初めて『陰の術』を教えた与藤次(ヨトウジ)の弟、黒川助三郎は去年の修行者だった。五郎は二人を連れて故郷に向かった。五郎の両親はもういない。嫁に行った妹がいるだけだったが、妹が嫁に行ったのは郷士の三男だった。もし、部屋住みのまま辛い思いをしていたら、大河内城下に連れて来ようと思っていた。それぞれ、皆、久し振りの帰郷だった。勿論、ただの帰郷ではない。それぞれ、各地の状況を太郎に知らせなければならなかった。
その他、太郎と同期だった服部藤十郎の弟、孫十郎が、岩根与五郎、新庄七郎を連れて、但馬の国(兵庫県北部)に向かい、池田庄次郎が、望月弥次郎と長野太郎三郎を連れて、美作(ミマサカ)の国(岡山県北東部)に向かい、多岐勘九郎が、和田新吾と高山源三郎を連れて、備前(ビゼン)の国(岡山県南東部)に向かい、松尾藤六郎が、山中新十郎と伴与七郎を連れて、丹波の国(京都府中部、兵庫県中東部)に向かった。望月弥次郎は太郎と同期の三郎の従弟だった。
今回、師匠の太郎を頼って播磨に来た者たちは皆、若く、十九歳から二十一歳までの者たちだった。太郎の三人の弟子たちと一緒に修行した四期生が二人、五期生が六人、去年の修行者が十人だった。各自、山伏や商人に扮して極秘で貴重な情報を手に入れようと、張り切って旅立って行った。
銀山の開発も、今年から本格的に始まっていた。去年は試行錯誤(シコウサクゴ)しながら開発を進め、段取りも、ようやく軌道に乗って来た。去年一年で生産した銀は二十三貫(カン)にも達していた。銭にしたら三千貫文(モン)近くにものぼる額だった。三千貫文と言えば、太郎がお屋形、赤松政則からいただいた所領と同じ額となる。政則にしても、一年目にして、それ程の銀が取れるとは思っていなかったとみえて驚き、そして、喜んでくれた。今年の予定は三十貫だった。
太郎は雪が溶けるとすぐに播磨側の猪篠(イザキ)村の奥の方に新しい作業場を建設した。鬼山(キノヤマ)村からその作業場まで約一里半の距離だった。鬼山村では銀鉱を細かく砕き、勘三郎らによって銀を多く含む砂にするまでの作業をやり、その砂は猪篠村の作業場に運ばれて、左京大夫(サキョウダユウ)ら鬼山一族の者たちによって銀に製錬された。
作業場を猪篠村に作った事によって鬼山一族の者たちは皆、かつての鬼山村から猪篠村に移る事となった。鬼山村は銀山目付の相川勘三郎が中心になって職人や人足たちを取り仕切っていた。生野銀山の存在を隠すため、以前よりも警戒は厳重になり、鬼山村は高い塀で囲まれ、職人や人足たちの出入りは厳しく取り締まられた。早い話が、この作業場に入った者は二度と外には出られないという事となった。
去年、人足たちは大河内城下の河原者の頭、権左衛門によって集められたが、今年からは、町奉行の鬼山(キノヤマ)銀太から悪事をして捕えられた罪人や浮浪者たちが送られて来た。去年来た人足を含め、彼らは死ぬまで、ここで働くというわけだった。勿論、彼らは日当を貰う事はできた。しかし、その日当は賭場(トバ)、あるいは遊女屋で使い果すという仕組みだった。以前、鬼山一族の者が住んでいた小屋には十数人の遊女が入っていた。彼女らには言ってはいないが、勿論、彼女らも死ぬまで、ここから出られなかった。脱走を試みた者は皆、殺された。太郎はそんな非情な事には絶対、反対だったが、お屋形、政則の命なので従うより他なかった。
人足たちを見張る役目として『見廻組』が新たに設けられ、その『見廻組』を見張る者として、置塩(オキシオ)のお屋形様から直接命じられた者が派遣されて来ていた。
見廻組は鬼山村だけでなく猪篠村の作業場にもいた。猪篠村の人足たちを見張るためだった。猪篠村の人足は鬼山村に比べてずっと少なかったが、ここの人足たちもここから出る事はできなかった。鬼山村から銀の砂を猪篠村まで運ぶ人足たちは鬼山村に住み、毎日、同じ道を行き来していた。猪篠村から大河内城下に銀を運ぶのは、銀山奉行、鬼山小五郎の配下の者たちの武士に率いられた大河内城下の人足だったが、彼らは荷物の中身が銀だとは知らない。炭だと思って運んでいた。
鬼山一族の者たちは作業場から出る事はできた。しかし、いつも見張られていた。太郎はそんな事をしたくはなかったが、これも仕方なかった。太郎の命によって鬼山一族の者たちは皆、見張られていた。また、見張られているのは鬼山一族だけでなく、太郎も含め、太郎の家臣すべてが、お屋形様の命によって上原性祐(ショウユウ)、喜多野性守(ショウシュ)の放った間者(カンジャ)に見張られていた。性祐も性守も好きで、そんな事をやっているのではない事を太郎は知っている。銀山開発という赤松家にとって極秘事項を担当しているのだから、その位の事は仕方ないと思っていた。
お屋形の政則は四月になると軍勢を引き連れて、美作及び備前へと出陣して行った。戦の前の評定の席には太郎も呼ばれたが、戦には行かなかった。今年一杯は銀山開発に専念して事業を軌道に乗せてくれとの事だった。銀山の事を知らない重臣たちは、太郎が特別扱いされていると陰口をたたく者もいたが、太郎は堂々としていた。戦に出て活躍する自信はあった。戦はすぐには終わらないだろう。来年、再来年には活躍の場が与えられるに違いない。焦る必要はないと自分に言い聞かせていた。
太郎は度々、銀山の作業場に足を運んで、人足たちの苦情を聞き、一生、ここから出る事のできない彼らのために、できるだけの事をしてやろうと努力していた。賭場を作り、遊女を入れ、小間物を売る店も作り、酒を飲ます店も作った。太郎は彼らのために、それらの施設を作ったが、結局、彼らの稼いだ銭を絞り取る結果となってしまった。
八月にお屋形、政則は凱旋して来た。ようやく、以前のごとく、播磨、美作、備前の三国をまとめたらしかった。太郎はお屋形様を迎えるために置塩城下に行った。城下は祭りのように賑やかだった。太郎はお屋形様の供として、毎日のように重臣たちの屋敷で催される宴に参加した。
太郎も大河内城主となってから、武術だけでなく、連歌や茶の湯、流行り歌や舞、尺八や鼓(ツヅミ)などの芸能の修行も怠りなく励んでいた。連歌や茶の湯の専門家である夢庵が去ってしまった事は残念だったが、置塩城下には夢庵程ではないにしろ、連歌や茶の湯に詳しい者たちは多かった。太郎は彼らを客として大河内に迎えて習っていた。流行り歌、舞、尺八、鼓は金勝座の者たちに習った。特に尺八は太郎も熱中して、金勝座に入った鬼山小次郎より基本から習っていた。ただ、連歌は難しかった。難しい式目(シキモク、規則)があり、古典の和歌を知らなくてはどうにもならなかった。『古今集(コキンシュウ)』『新古今集』などを読んで、歌を覚えようとはしていたが、前の人の詠んだ歌に、うまくつなげる事はなかなかできなかった。甲賀に行った時、夢庵から指導を受け、連歌の指導書などを貰って来ては修行を積んではいても、まだ、赤松家の武将たちの催す連歌会に参加できる程の腕にはなっていなかった。
重臣たちの宴に出席すると必ず、太郎は酒肴(シュコウ、座興)を所望(ショモウ)された。重臣たちの中には、太郎が突然、お屋形様の義兄として現れた事に快く思っていない者もいて、太郎に恥をかかせてやろうとたくらむ者もいた。太郎もその事を承知していたから、芸能の修行も真剣にしていたのだった。西播磨の守護代、宇野越前守の屋敷の宴の席にて、太郎は天狗の舞を披露した。太郎の前の者が素晴らしい舞を披露したので、次の太郎にも舞を所望して来た。太郎は迷わず、天狗の舞を舞った。天狗の面は付けなかったが、太郎は見事な舞を披露した。見ている者たちは、その素早い動きに、まさしく天狗を見ていた。そして、舞いながら高く跳びはねるのに、着地する時、床がまったく音のしない事に驚いた。その天狗の舞の噂はすぐに広まって、太郎はお屋形様の供をして、重臣の屋敷に行く度に披露しなければならなかった。
その頃、大河内城下もほぼ完成し、太郎は五ケ所浦にいる家族を呼んだ。旅の手配はすべて、小野屋の松恵尼(ショウケイニ)がしてくれた。祖父、白峰(ハクホウ)と祖母、母親と末弟の兵庫助の四人が長い旅をして来てくれた。四人は松恵尼の配下の者たちに守られ、伊勢神宮から北畠(キタバタケ)氏の本拠地、多気(タゲ)の都、そして、吉野を通って、南都、奈良に入った。奈良から西に堺に向かった方が近かったが、みんなが、どうしても太郎が剣術の修行をした飯道山を一目見たいというので、奈良から甲賀に向かった。飯道山では松恵尼に迎えられ、三日間、のんびりと過ごした。松恵尼も急遽、一緒に行く事になり、一行は琵琶湖を見て、京都に入り、伏見から船にて淀川を下り、堺にて大型の船に乗り換えて、播磨の国、飾磨津(シカマツ)に向かった。飾磨津からは陸路、置塩城下に向かった。太郎は松恵尼から連絡を受けて、置塩城下で待っていた。太郎は家族を新しい北の城下に建てたばかりの屋敷に案内した。
祖父の白峰は昔、愛洲の殿様の供をして、多気の都や奈良、京都などに行った事もあったが、祖母、母親、弟は伊勢神宮より遠くに出た事がなかった。祖母も母親もこんな遠くまで旅ができるなんて夢みたいだと喜んでいた。祖母はもう六十三歳で、こんな年になって、こんな遠くの国に来られるなんて、いい冥土(メイド)への土産(ミヤゲ)ができたと、涙ぐみながら太郎にお礼を言った。
次の日、大河内城下に入った一行は、城下の中央にある立派な屋敷に案内され、これが太郎の屋敷だとは信じられないと、キョトンとして眺めていた。特に左奥に見える三重の塔には驚いていた。愛洲の殿様の屋敷よりも広くて立派だと白峰は夢を見ているような気持ちだった。自分の孫がこんなにも偉くなったのか、と知らず知らずのうちに涙が滲み出て来た。子供の頃から、きっと、度偉い事をやりそうだと期待していたが、こんな屋敷に住む殿様になるとは本当に信じられない事だった。
広い屋敷の中を太郎に案内されるままに奥の方へと行き、そして、楓と百太郎(モモタロウ)、百合の姿を目にすると母親は立ち尽くしてしまった。楓が五ケ所浦にいたのは一年足らずだったが、母親は楓の事を気に入っていた。旅に出る前から、楓と、まだ見ぬ孫に会いたかった母親だったが、お姫様の様な綺麗な着物を纏(マト)った楓を見て、どうしたらいいのか戸惑ってしまった。母親だけでなく、祖母も祖父も同じ気持ちだった。楓が赤松のお屋形様の姉上だったという事を急に思い出し、どう接していいのか分からなかったのだった。
立ち尽くしている母親のもとに百太郎が近づいて行って、「おばあさま」と言うと、ようやく緊張も溶け、松恵尼に促(ウナガ)されるまま、皆、部屋の中に入った。
挨拶を済ませ、話をしていくうちに母親も祖母も祖父も安心していった。楓は五ケ所にいた頃と少しも変わっていなかった。そして、百太郎と百合の二人もすぐに、みんなになついて行った。母親と祖母が楓と松恵尼と話に弾んでいる時、太郎は祖父と弟を連れて月影楼に登った。三階まで上がり、舞良戸(マイラド、板戸)を開けると、城下が一望のもとに見渡せた。弟は凄い、凄いと感激していた。
「俺がここに来たのは二年前でした。その頃、ここにはほんの少しの田畑があっただけで、何もありませんでした。それが二年でこんな町になりました。不思議な事です」
「ほう、二年間で、これだけの町がのう‥‥‥」と白峰が驚きながら城下を見渡した。
「ねえ、兄上、兄上様は、ここのお殿様なの」と弟の兵庫助が聞いた。
兵庫助はかつて三郎丸と呼ばれていた。去年、元服(ゲンブク)して兵庫助(ヒョウゴノスケ)直忠と名乗り、十六歳になっていた。太郎が最後に見たのは、まだ十二歳の子供だったが、もう、すっかり大人だった。体格も立派になり、もう少しで太郎を追い越しそうだった。
「そうだよ」と太郎は笑いながら頷いた。「山の上に城がある。後で連れて行ってやる」
「ほんと? 凄いな」
太郎は眼下に見える建物を二人に説明した。祖父、白峰はただ頷きながら太郎の話を聞いていた。太郎は祖父に一番、この城下を見せたかった。勿論、父親にも見せたかったが、父親が来られないのは分かっている。せめて、祖父の口から父親に話してもらいたかった。子供の頃から太郎は祖父のもとで育てられ、無断で京都に行った時から、ずっと、心配の掛け通しだった。そして、いつも陰ながら見守ってくれていた祖父に、せめてもの恩返しができた事が太郎には嬉しかった。
笛や太鼓の囃(ハヤ)しが磨羅(マラ)寺の方から聞こえて来る。
九月の四日、朝早くから大河内城下は祭りで賑わっていた。
城下もようやく完成に近づき、太郎がこの地に入部して来た九月五日を祭礼の日とし、四日から六日までの三日間を磨羅寺の本尊である吉祥天(キッショウテン)の縁日とした。住職の宗湛(ソウタン)が、どこから吉祥天の像を持って来たのかは知らないが、本尊として立派な仏像だった。吉祥天の他にも観音菩薩像、弥勒菩薩(ミロクボサツ)像、弁財天(ベンザイテン)像もあったが、気のせいか、何となく皆、女性的な仏様だった。どうしてなのかと宗湛に聞くと、「寺の名が磨羅(男根)じゃからのう。自然と女子(オナゴ)のような仏様が集まるんじゃろう」と笑っていた。
丁度、明日が太郎がこの地に来て二年目だった。太郎は城主として、この三日間、武士から人足に至るまで、すべての者たちの仕事をやめさせた。稲荷(イナリ)神社と磨羅寺を中心に露店がずらりと並び、河原にも様々な芸人たちが集まっていた。金勝座(コンゼザ)のみんなも戻って来ていたが、金勝座もその日は休みで充分に祭りを楽しんでいた。
太郎は五ケ所浦から来た祖父、祖母、母親、弟、そして、松恵尼、楓と子供たちをぞろぞろと連れて祭り見物に出掛けた。太郎は殿様の姿から仏師(ブッシ)の姿になっていた。祖父と弟も面白そうだと太郎に倣(ナラ)い、祖母、母親、楓と子供たちは質素な町人のなりをして城下に出掛けた。
太郎たちは屋敷の裏口から出ると重臣たちの屋敷を抜け、中級武士や下級武士たちの屋敷や長屋の立ち並ぶ中を抜けて小田原川の河原へと向かった。下級武士たちの長屋はまだ建設中だったが、今年中には出来上がり、今年の冬は皆、屋根の下で暮らせる事になるだろう。城下造りに頑張っていた人足たちも作業が終われば、ほとんどの者が武士として、それらの長屋に入る事となっていた。
河原には置塩城下の河原者の頭、片目の銀左が協力してくれたので、芸人たちが大勢、集まってくれた。祖父たちはその賑やかさに驚き、まるで、京の都のようだと言って喜んでくれた。芸人たちの中には、確かに京から流れて来たような一流の芸人たちもいた。松恵尼も飯道山の祭り以上だと驚いていた。太郎も実際、これだけの芸人が集まるとは思ってはいなかった。さすが、片目の銀左だと、今更ながら彼の実力に驚いていた。芸人たちは小田原川の河原から市川の河原まで、ずっと河原を埋めていた。これだけの芸人が、こんな小さな城下に集まるなんて、まったく、驚くべき事だった。
太郎たちは河原を一回りして、城下の東側にある奉行所(ブギョウショ)の所から大通りに入り、町中に入って行った。その大通りの両脇には商人たちの大きな店や蔵が立ち並んでいたが、その店の前にも遠くからやって来た商人たちが様々な露店を開いていた。櫛(クシ)やかんざし、古着や反物(タンモノ)、薪(タキギ)や炭、檜物(ヒモノ)や陶器、竹細工や木工細工、饅頭(マンジュウ)やお菓子、武具や甲冑(カッチュウ)など、ないものはないと言ってもいい程、色々な物を売っていた。馬場では馬の市もやっているという。太郎たちは露店を見ながら磨羅寺まで行き、吉祥天を参拝した。珍しく、宗湛和尚は偉そうな袈裟(ケサ)を身にまとって参拝客の挨拶を受けていた。磨羅寺から隣にある稲荷神社に行き、参拝すると裏通りを通って屋敷に帰って来た。
いつの間にか、もう夕暮れ近くになっていた。
祖母と母親はさすがに疲れたらしく、部屋に入ったまま出ては来なかった。百太郎と百合は買ってもらったおもちゃで弟の兵庫助と遊んでいた。楓は松恵尼と楽しそうに話し込んでいる。太郎は祖父を誘って月影楼に登った。
「凄い、賑わいじゃのう」と祖父は外を眺めながら言った。
「ええ、俺もこれ程、賑わうとは思ってもおりませんでした。昨日まで、朝から晩まで働き詰めだったから、皆、楽しんでくれているようです」
「うむ」と祖父は目を細めながら太郎を見て頷いた。「わしは城下の者たちが話しておるのを聞いておったが、皆、殿様であるお前のお陰じゃと喜んでおった。わしはそれを聞いて、ほんとに嬉しかったぞ。今の気持ちを忘れない事じゃ。城下に住む者たち、みんなのために、これからもいい殿様でおってくれ」
「はい」と太郎は嬉しそうな祖父を見ながら頷いた。
「お前は今日、職人の格好をして城下に出て行ったが、あんな事をよくやっておるのか」
「時々、やっております。あまり、堅苦しいのは好きではありませんので、それに、あの格好だと人足たちにも気軽に声を掛けられますから」
「うむ。いい事じゃ。わしは安心したわ。こんな立派な屋敷に住んでおるので、上段の間から踏ん反り返って、あれこれ命じておるのではないか、と心配したが、そんな事もなかったようじゃな」
「はい」
祖父は満足そうに頷いて、城下を見下ろした。そして、遠くの山々に視線を移すと、「太郎、五ケ所浦の事じゃがのう」と言った。
太郎には祖父が何を言おうとしているのかが分かった。
「次郎に父上の跡を継いで貰って下さい」と太郎は言った。
祖父は太郎の顔を見つめて、「それで、いいのじゃな」と聞いた。
太郎は頷いた。「俺も父上のように水軍の大将になるのが夢でした。しかし、海と同じように山々がずっと連なっている事を知った時、俺の生き方は変わって行きました。海から離れて、山というものに惹かれて行ったのです。多分、俺はもう五ケ所浦には帰れないでしょう。次郎の奴に五ケ所浦の事は任せます。次郎なら立派にやり遂げると思います」
「うむ。お前がおらなくなってから、次郎の奴は、お前が帰って来るまで、お前の代わりを務めようと一生懸命やっておる」
「そうですか‥‥‥俺の代わりを‥‥‥」
「そうじゃ。次郎の奴はお前の事を尊敬しておるんじゃ。もっとも、お前の事を尊敬しておるのは次郎だけじゃない。水軍の若い奴らはみんなじゃ。皆、お前がいつか帰って来る事を信じておる」
「そうですか」と太郎は遠くを見つめた。五ケ所浦にいた時、陰流を教えた若い者たちの事を思い出していたが、祖父を振り返って、「水軍と陸軍のいさかいはどうなりました」と聞いた。
「消えたとは言えんが、お前と池田の奴らが城下からおらんようになってから、いくらかは納まったようじゃな」
「そうですか」太郎はよかったと言うように、軽く笑ってから、「次郎は今年、二十二ですか」と聞いた。
「そうじゃ。お前が殿の御前で剣術を披露したのは二十一の時じゃったな。あの時のお前と比べれば、次郎の奴は少々頼りない所はあるがな‥‥‥お前がおらなくなってから、次郎も一回り大きくなったようじゃ」
「次郎に水軍の事を頼むと伝えて下さい」
「うむ」
「そして、母上、お祖母様の事も頼むと‥‥‥」
「分かった」
「お祖父様とお祖母様は、このまま、こちらにおられても構わないんですけど、駄目でしょうね」
「ここはいい所じゃ。しかし、わしには向こうにする事が残っておるんじゃ。お前が始めた陰流の道場じゃ。いつか、お前が帰って来る時までは、道場を潰すわけにはいかんからのう」
「すみません‥‥‥」
祖父は首を振った。「毎日が楽しいんじゃよ。子供たちに剣術を教えるのが楽しいんじゃ。わしは足を怪我して隠居した。隠居してからのわしは、ただ、お前たち孫の成長だけが唯一の楽しみだったんじゃ。それが今は毎日、子供たちに囲まれて、子供たちに剣術を教えておる。第二の生き方とでも言うのかのう。わしは今、幸せじゃよ。もうろくして、子供たちに剣術を教えられなくなったら、婆さんと一緒にお前の世話になろう」
「はい‥‥‥道場の事、お願いします」
「うむ‥‥‥しかし、以外じゃったのう。お前が赤松家の武将になったと聞いた時、わしはお前が赤松家の水軍を任されたのかと思っておった。それが、来てみれば、こんな山の中じゃった‥‥‥わしには、よく播磨の事は分からんが、この場所は赤松家にとって重要な所なのか」
「はい。ここは播磨と但馬の国境の近くなんです。但馬の国には赤松家と敵対しておる山名氏がおります。今の所は山名氏も播磨には攻めて来ませんが、やがて、播磨に進攻して来る事となりましょう。そうなると、ここは最前線となるのです。そこを任されたというわけです」
「成程のう。ここは最前線か」
「山名氏との争いが終われば、俺は改めて、赤松家の水軍を任される事となるでしょう」
「そうか‥‥‥お前にこんな事を言う必要はないとは思うが、無駄死にだけはするなよ」
「はい」
「おっ、何じゃ、あれは」と祖父が外を見ながら言った。
大通りを山車(ダシ)のような物が走り、山車の上で下帯(シタオビ)一丁の男が扇子(センス)を手に持って踊っていた。山車の回りを人々が囲み、何やら叫びながら踊っている。
「和尚だ」と太郎は言って、笑った。
「和尚?」
「はい。さっき、お寺に偉そうな和尚がいたでしょ。あの人です」
「なに、あれが和尚か」と祖父は口をポカンと開けて驚いていた。「変われば変わるものじゃのう」
「変わった和尚です。あれでも、かなり偉い和尚との事ですが、まったく、何をやるやら、見当も付かないお人です」
「ふむ。確かに変わっておるのう。昔、五ケ所浦にも、変わった和尚がおったが、あれ以上じゃのう」
「快晴和尚の事ですか」と太郎は聞いた。
「そうじゃ。お前も知っておったのう」
「快晴和尚は五ケ所浦に帰って来ましたか」
「いや、京に戦が始まった頃、どこかに行ったきり戻っては来ん。しかし、去年だったかのう。和尚さんのお弟子さんとか言うのが来てのう。今、長円寺におるわ」
「お弟子さん? もしかしたら、曇天(ドンテン)ですか」
「いや。あいつもどこに行ったのか戻って来んのう。今度、来たのは晴旦(セイタン)和尚という面白いお人じゃ」
「晴旦和尚?」
「快晴ではなく、今度は晴れた朝じゃよ」
「へえ、それじゃあ。朝は早そうですね」
「ところが、早起きなんてした事もないような、ぐうたらな和尚じゃ」
「そうですか‥‥‥快晴和尚のお弟子さんらしいとは言えますが」
「まあな」
「念仏踊りみたいですね」と太郎は外を眺めながら言った。
「ああ、南無阿弥陀仏と言っておるようじゃのう」
「行ってみますか」
「面白そうじゃ」
太郎は祖父、白峰と一緒に月影楼を降りると、弟の兵庫助を連れて賑やかな大通りに出て行った。
三日間の大河内城下の祭りは予想以上に盛況だった。
磨羅寺の宗湛和尚の山車のお陰で、城下の者たち全員が、三日間、踊り狂った。宗湛の乗っていた山車は、荷車にちょっとした飾りを付けた簡単な物だったので、すぐに真似する事ができ、次の日には、小野屋と大和屋が真似をして山車を出して大通りを練り歩いた。すると、次から次へと山車が現れ、城下中のどの道にも山車がいるという有り様となり、城下中、いたる所で狂ったように念仏踊りが行なわれた。町人はもとより、武士たちまでが仮装して踊り狂っていた。男は女の着物を着て化粧をし、女は男に扮して、朝から晩まで城下を練り歩いていた。
三日目には、赤松家の重臣である喜多野性守入道と上原性祐入道の二人までもが、山車に乗って練り歩くと、今まで押えていた武将たちも次々に山車に乗って現れた。太郎の家臣となった武将たちは根っからの武士ではない。次郎吉、伊助、金比羅坊(コンピラボウ)、藤吉らは皆、祭り好きだった。待ってました、と様々な衣装に扮して山車に乗った。とうとう、太郎も次郎吉たちに勧められて山車を出すはめとなった。太郎は天狗に扮して、山車の上で跳びはね舞った。金勝座の三人娘も山車に乗って華麗に踊った。楓もついに我慢できずに、金勝座の山車に乗って助六たちと一緒に踊った。百太郎と百合も侍女たちと一緒に踊った。松恵尼も踊った。祖父、祖母、母親も皆に混ざって踊っていた。
三日間、城下の者たちが一つになったかのように、全員が思い切り踊って、騒ぎまくった。
祭りも終わり、次の日から、いつものように、皆、仕事を始めたが、誰の顔もすっきりと晴れ晴れとしていた。
太郎の家族たちは祭りの後、五日間、のんびりと過ごしてから帰って行った。松恵尼は飯道山の祭りが十四日から始まるため、祭りの終わった次の日、金勝座と共に帰って行った。来た時と同じく、松恵尼の手下の者たちに守られながら、祖父、祖母、母親、弟の四人はたくさんの土産を持って帰って行った。太郎は金比羅坊と共に置塩城下まで見送った。
陰の二十一人衆も祭りの時は戻って来ていたが、祭りが終わるとまた、各地に散って行った。今回が三度目だった。太郎はいつも、一月後には戻って来るように命じていた。
一回目は、三月の下旬から四月の下旬までだった。太郎は帰って来た二十一人から様々な意見を聞き、それを参考にして陰の術を完成させようとしていた。一回目で分かった事は連絡方法だった。太郎は十日に一度は連絡を入れるように命じたが、何か情報がつかめた時は、ここまで戻って来るのは構わないが、何も得られないのに、一々、戻って来るのは時間の無駄になると彼らは言った。何か、狼煙(ノロシ)とかで、その事を知らせる事ができれば、もっと、やり易くなるだろうとの事だった。それと、山伏に扮して旅をするのはいいが、本物の山伏ではないので、宿坊に泊まる時もばれやしないかと冷や冷やしながら泊まっている。できれば、太郎の三人の弟子のように正式な山伏になりたいと言った。太郎は考えておくと答えた。
二回目の旅は梅雨が明けた六月の末から七月の末だった。連絡方法はいい考えが浮かばなかった。狼煙を上げるのは赤松家の者に誤解される恐れがあるので使えなかった。これから先、徐々に、各地に拠点を作って行き、その拠点と拠点を結ぶ連絡網を作らなければならないと思った。彼らには、特に情報がない時は十日に一度の連絡を入れなくもいいと命じた。ただし、どうしても一ケ月以内に帰って来られない場合は、情報がなくても、誰かを送れと命じた。本物の山伏になる件も検討して、置塩城下の大円寺の勝岳(ショウガク)和尚に相談してみた。和尚によると、銭次第で、その位の事は何とかなるだろうと言った。太郎は和尚に頼もうか、とも思ったが、播磨国内の山伏では、すぐに赤松家の者と分かってしまう恐れもあるので、やめる事にした。十一月に飯道山に行ったら高林坊に相談しようと思った。
服部、池田、多岐、松尾らは前回と同じ但馬、美作、備前、丹波に送り、光一郎は因幡、八郎は摂津、五郎は河内の堺に送った。
前回、五郎は河内の妹のもとに行った帰りに堺に寄って来た。そこで、偶然、堺から遣明船(ケンミンセン)が出て行くのを目にしたと言う。そして、堺の町が他の町とはまったく違う賑わいを持っている事を太郎に知らせた。五郎から、堺の湊には琉球(リュウキュウ)や朝鮮から来たという変わった形の船が泊まり、わけの分からない言葉を喋(シャベ)る異人(イジン)らがいて、珍しい物が一杯あると聞くと、太郎も興味を持った。太郎も元々は船乗りだった。遠い明の国に行きたいと夢を見た事もあった。太郎は五郎に書状を持たせ、堺にある小野屋に行って、もっと、堺の情報を集めろと命じた。
そして、今度が三度目だった。行き先は前回と同じだった。同じ場所に行かせた方が馴染みもでき、情報も集め易いだろうと思ったからだった。彼らも、彼らなりに拠点となるべき場所を見つけて活動しているようだった。彼らは旅に出ないで城下にいる時は、道場にて武術の修行をしていた。彼らも一年間、飯道山で修行しているので、得意とする武術は人に教えられる程の腕を持っていたが、この先、陰の術で生きて行くなら、すべての武術を身に付けなければならないと言える。彼らは自分が苦手とするものを修行者たちと共に習っていた。皆、命懸けの仕事をしているので修行にも気合が入っていた。
太郎は五郎を二十一人衆の頭にしようと思っていたが、今回、戻って来たら、この仕事をやめさせようと考えを変えた。この仕事は旅が多すぎ、家庭持ちの五郎には不向きと言えた。五郎は張り切ってやっているが、家族には悪い事をしているように思えた。今年の末、飯道山に行ったら誰か一人連れて来て、五郎には抜けてもらおうと決めていた。
二十一人衆が出掛けて行くと、太郎は久し振りに道場に顔を出した。家族が来ている時、一度、祖父の白峰と弟の兵庫助を連れて行ったが、自ら木剣を振りはしなかった。剣術で汗を流すのも久し振りだった。
道場には今、住み込みの修行者が三十人余りと通いの者が二十人程いた。飯道山と同じで、稽古は午後からで、住み込みの者たちは午前中は作業という事になっていた。城下に出掛けて人足と共に働いていた。住み込みの修行者の中で一人、太郎の目を引く若者がいた。石田村から出て来たという内藤孫次郎という十八になる若者だった。
孫次郎は初め、人足として働いていた。太郎は今年の初め、河原の掘立て小屋で暮らしている孫次郎と出会った。雪の積もった冬の間は城下作りの作業は中止になった。人足や職人たちは皆、雪のない所に行って正月を迎える。雪の中、寒い掘立て小屋に住んでいる者など誰もいなかった。
よく晴れた天気のいい日だった。太郎はその日、いつものように仏師の姿になって、城下町を歩いた。建設途中の城下を一回りして小田原川の河原に出た。
河原には人影もなく、幾つも並んでいる掘立て小屋も雪の中に埋もれていた。中には雪の重みで潰れている小屋もあった。
太郎は鳥や獣の足跡しか付いていない雪の中を歩いて、川のほとりまで行くと上流の方を眺めた。真っ白の中を水が輝きながら流れていた。太郎は川に沿って下流に歩いた。
その時、誰もいないと思っていた小屋の中から、人が出て来るのが見えた。太郎は瞬間的に身を低くして雪の中に隠れた。
若い男だった。毛皮の袖なしを着て、頭にはぼろ布を巻き付け、藁沓(ワラグツ)をはき、薪をもっていた。男は小屋の前の雪を踏み固めると、薪を並べて藁くずに火を点けた。次に鍋を持って来て、鍋の中に雪を山盛りにすると火の上に掛けた。雪は見る見る溶けて行き、水になった所に、男は米や麦を入れた。
そこまで見ると太郎は身を起こして、男の方に近づいて行った。男は驚いて太郎を見たが、太郎が武士でなく職人の格好をしていたので、安心したようだった。男は太郎を一度見ただけで、今度は小屋の屋根の雪降ろしを始めた。
「いい天気じゃな」と太郎は男に声を掛けた。
「はい」と男は返事をしたが、棒切れで雪を落としていた。
「お前は、城下造りの人足か」
男は面倒くさそうに頷いた。
「どうして、こんな所におる」
「おって悪いのか」
「悪くはないが、寒いだろう」
「冬は寒いのが当然だ」
「まあ、そうじゃな。しかし、他の人足たちは皆、雪のない所に行った。お前は、どうして行かないんだ」
「俺の勝手だろう」
「まあ、そうじゃ。春まで、ここにおるつもりか」
「そうだ」
「食う物はあるのか」
「ある」
「そうか‥‥‥まあ、頑張れ」
太郎は若い男と別れた。その後、太郎はその男の事は忘れていた。
もうすぐ春になるという二月の末、大雪があった。建設途中の建物が幾つも雪によって潰されてしまった。太郎は城下を見回った時、ふと、河原にいた男の事を思い出した。
太郎が河原に行くと男は掘立て小屋を直していた。
「おお、生きておったか」と太郎は男に声を掛けた。
男は太郎を無視して、ぶつぶつ文句を言いながら作業を続けていた。
「お前の名は何という」と太郎は聞いたが、男は答えなかった。
太郎は男を手伝う事にした。二人は一言も喋らずに作業を続けた。何とか、小屋の修復が終わると、男は太郎に礼を言って、内藤孫次郎と名乗った。太郎は三好日向という仏師だと名乗り、「一冬、よく頑張ったな」と言った。
「後、もう少しで雪も溶ける。そしたら、また働ける」孫次郎は眩(マブ)しそうに空を見上げた。
話を聞くと孫次郎は、この城下の殿様の家来になりたくて、どこにも行かずに、雪の中、頑張っていたのだと言う。孫次郎の父親は武士だった。武士と言っても郷士と呼ばれる半農の武士だった。父親は八年前、赤松家の武士に殺され、母親はどこかにさらわれたと言う。
八年前、応仁の乱が始まった当初、播磨の国の守護職は山名氏で、赤松氏が侵入して来て、あちこちで戦が行なわれた。播磨の国の中心部には赤松氏の残党たちもかなり残っていたので、逸速く赤松氏に味方して行ったが、この辺りの国人たちは山名氏の本拠地、但馬の国も近い事から、いつまでも山名方だった。太郎も人から聞いたが、この辺りの国人たちは赤松氏にやられて全滅したと言う。そして、この辺りはお屋形、政則の直轄地となり、代官を置いて治めていた。孫次郎の父親も国人たちと共に滅ぼされたのだろう。
両親が殺された時、十歳だった孫次郎は七歳の妹と一緒に名主(ミョウシュ)のもとに引き取られた。孫次郎兄妹は朝から晩まで、毎日、こき使われた。
去年の夏の事だった。孫次郎が仕事から帰って来ると妹の姿が見当たらなかった。人買いに売られたと言う。孫次郎は妹を取り戻そうと妹の後を追ったが見つける事はできなかった。孫次郎がここの河原まで来た時、日が暮れてしまい、仕方なく、夜を明かした。
朝、人々の喧噪で目が覚めた。大勢の人足たちが河原に小屋掛けをして住んでいて、その人足たちがぞろぞろと、どこかに向かって行った。孫次郎は何事だろうと人足たちの後を追った。孫次郎は驚いた。こんな所に突然、町ができようとしていた。大きな屋敷が二つでき、あちこちに屋敷を建てていた。孫次郎は人足の一人から何が始まるのか訳を聞いて、孫次郎もすぐに人足となった。日当もちゃんと貰えると言う。銭なんて、今まで手にした事もなかった孫次郎には、働けば働いたたげ銭が貰えるというのは嬉しかった。
孫次郎は毎日、土と汗にまみれて働き、銭は自然と溜まって行った。銭を溜れば、妹を取り戻せるかもしれないと孫次郎は一生懸命になって働いた。そのうち、人足たちも働き用によっては、ここの殿様の家来に取り立てられる事もあるという事を知った。事実、太郎の家臣となった者たちが、見込みのありそうな若者を捜しては、自分の家来に取り立てていた。孫次郎の知っている人足にも武士になった者もいた。しかし、孫次郎には、そんな声は掛からなかった。それでも、孫次郎はいつか、誰かが自分の才能を見つけてくれるだろうと諦めてはいなかった。冬の間中、ここを去らなかったのも、せっかく溜めた銭を使いたくなかったからだった。人足たちは、ほとんどの者が置塩城下に出て、正月は贅沢をするんだと行って出掛けて行った。孫次郎もそんな事をしてみたかったが、妹の事を思うと、そんな事はできなかった。
「妹を捜すつもりなのか」と太郎は孫次郎の話を聞くと聞いた。
「絶対に‥‥‥」と孫次郎は言った。
「そうか‥‥‥お前、武士になりたいのか」
「はい。よく覚えてはおりませんが、爺様はちゃんとした武士だったそうです。しかし、石田村で百姓になってしまったと言います。父上も武士に戻りたかったらしいけど、戻れませんでした。俺は爺様のように、ちゃんとした武士になりたい」
「そうか‥‥‥お前、刀を持った事はあるか」
「ある‥‥‥今も持っている」
「ほう、今も持っているのか」
「うん。爺様の形見だ」
「ほう、それを見せてくれんか」
「お前様は刀の事が分かるのか」
「少しは」
孫次郎は小屋の中から莚(ムシロ)に包まれた刀を持って来た。莚の中から出て来た刀は脇差のようだった。脇差と言っても刃渡りは二尺程ある、かなり頑丈そうな刀だった。太郎はその刀を手に取ると抜いてみた。
「こいつはひどいのう」
刀の刃は錆(サビ)だらけだった。何年もの間、使われた形跡はなかった。錆だらけでも、何となく気品があり、もしかしたら、名のある刀かもしれなかった。
「いい刀だろう」と孫次郎は言った。
「うむ。研げば、なかなかの名刀になるだろう」
刀を孫次郎に返すと、「ちょっと、そいつを振ってみろ」と太郎は言った。
孫次郎は太郎を見ながら頷いた。仏師と言っていたが、もしかしたら、この男、ここの殿様の知り合いかもしれない。もしかしたら、武士になれるかもしれないと思いながら孫次郎は刀を腰に差した。しかし、剣術は得意ではなかった。子供の頃、父親に教わった事はあったが、父親が死んでから刀を振った事はなかった。勿論、人を斬った事などない。
孫次郎は刀を抜くと、子供の頃を思い出しながら、目の前に父親がいるかのごとく刀を構え、振りかぶると斬り下ろした。そして、また、中段に構えた。
「いいぞ」と太郎は言った。
孫次郎の剣術の腕は大した事なかった。あの振り方では人を斬る事もできないだろう。しかし、刀を構えた時の顔付きは武士の顔だった。目付きもいい。太郎は孫次郎の中に、素質がある事を見つけた。
孫次郎は刀を納めると太郎を見た。太郎の顔に変化はなかった。やはり、駄目だったかと孫次郎は諦め、刀をまた莚で巻いた。
「ついて来い」と太郎は言った。
「どこへ」と孫次郎は怪訝(ケゲン)な顔をした。
「付いてくれば分かる」と太郎は言って笑った。
孫次郎は小屋の中に入って荷物をまとめようとしたが、太郎は荷物は後で取りにくればいいと言って、孫次郎を連れて城下の方に向かった。孫次郎が連れて来られた所は、陰流(カゲリュウ)の武術道場だった。孫次郎はその日から、修行者の一人として道場に住み込む事となった。
あれから、八ケ月近くが過ぎ、太郎が思っていた通り、孫次郎の腕は見る見る上達して行った。孫次郎が太郎の正体を知ったのは道場に移ってから二ケ月程、過ぎた頃だった。自分をここに連れて来てくれた仏師が、実は、ここの殿様だったとは信じられない事だった。まるで、夢でも見ている心地だった。殿様が自分を認めてくれたと気づいてからの孫次郎はますます剣術の修行に励んだ。
太郎は道場に入ると修行者たちの稽古を見て歩いた。道場では、槍術、剣術、棒術、薙刀術の四つに分かれて修行している。一通り見て歩くと太郎は木剣を手に取って、修行者一人一人を相手に汗を流した。孫次郎の腕は太郎も驚く程の上達振りだった。一月程前、立ち合った時とは別人のように強くなって行った。このまま行けば、後一年もしたら太郎の弟子たちと互角あるいはそれ以上の腕になるのは確実だった。
太郎は孫次郎を四人目の弟子にする事に決め、十一月に飯道山に連れて行って、一年間、修行させようと決めた。
「だって、あなた、しゃべり方まで、すっかり、師範みたいなんだもの」
「そうか‥‥‥」と太郎は二人の顔を見ながら照れた。
「あたし、今まで、あなたが若い人たちに剣術や陰の術を教えている所を見た事なかったから、やっぱり、師範なんだなって改めて感じてたのよ」
「そうね。あたしも何だか怖かったわ」と助六も言った。「陰の術を教えている時の太郎様、何だか、別人のような気がしてたわ」
「そうかな、気がつかなかったけど‥‥‥」
「でも、教え方はうまいんじゃない」と助六は楓に言った。
「そうね。うまいわ」
「そうか、ありがとう。ところで、さっきの続きだけど、二人に教えたのは基本だという事は覚えておいてくれ。陰の術はまだまだ奥が深い。後は、それぞれが工夫をして、自分だけの陰の術を作ってくれ」
「自分だけの陰の術を?」と楓が聞いた。
「そう、自分だけの陰の術だ。人それぞれ得意とするものがあるだろう。それを伸ばして行くんだよ。陰の術を使う時は命懸けだからな。中途半端な術では、身を滅ぼす事に成りかねない。だから、自分の一番得意とするものは絶対に失敗しないようにしなければならないんだよ」
「あたしたちが習ったのは基本だったの」と楓が言った。
「後、どんな事があるの」と助六が聞いた。
「まだ、色々ある。今回やらなかったが、基本の基本もあるんだ」
「基本の基本?」
「山歩きだよ。飯道山でも修行者に一番始めにやらせるのが一ケ月の山歩きだろ。あれが基本の基本なんだ。体を作る事も勿論だが、陰の術で一番重要な事は、つかんだ情報を一刻も早く知らせる事だ。危険を冒して、せっかくつかんでも、知らせるのが遅れたら、まったく価値がなくなってしまうんだよ。そこで、最短距離を素早く走って伝えなければならない。それには山の中の裏道を通らなければならない」
「山の中の裏道?」と楓が不思議そうに聞いた。
「うん。山の中には普通の者には見えないが、様々な道があるんだ。それを知らなくてはならない」
「へえ、そんな道があるんだ‥‥‥」
「あたし、聞いた事はあるわ」と助六が言った。
「それが、基本の基本だ。それに、夜道を歩くというのも基本の基本かな」
「夜道?」
「そう、真っ暗な月も出ていない夜道でも歩けるようにするんだ。これは真っ暗闇の中で修行を積むしかないな。修行すれば不思議に真っ暗闇でも歩けるようになる」
「あなた、そんな事できるの」と楓が不思議そうに聞いた。
「ああ、智羅天(チラテン)の岩屋で修行させられたんだ」
「あの智羅天様に?」
「そう。さすがに俺も智羅天殿のように、暗闇の中で彫り物をする事はできないが、歩く事はできるようになった」
「へえ、凄いのね‥‥‥後はどんな事があるの」と助六が聞いた。
「後は、地形の見方、敵の城の立つ地形を見るんだ。そして、濠(ホリ)の深さや幅を計ったり、櫓(ヤグラ)の高さを計ったり、敵の軍勢の数を数えたり、薬の使い方を覚えるのも陰の術に入るな」
「薬も?」
「そうさ。薬にも色々ある。病や傷を直すだけが薬じゃない。毒薬もあるんだよ。敵を毒殺するだけじゃなく、自分が毒殺されないためにも、それらの事は知っていなければならないんだ」
「ふーん。恐ろしいのね」
「それから、天候を知る事、人相を知る事も陰の術に入る。人の心を読む事ができれば、それも陰の術に入るだろう」
「あなた、人の心も読めるの」
「いや、俺にはまだ、できん。しかし、相手の立場とか、回りの状況とかが分かれば、相手の気持ちを察する事はできるだろう」
「うん、そうね」
「陰の術というのは、今まで話したような危険な事ばかりが陰の術じゃないっていう事も覚えていてほしい。たとえば、松恵尼様のやり方も陰の術だ。松恵尼様は商人として各地に店を持っている。この城下にも置塩の城下にもある。彼らは特に危険な事はしない。商人として何年もその地に住む事によって、その地に根を張って信用を得る。信用を得れば、自然と情報は集まって来る。その情報を松恵尼様のもとに運ぶ。これも立派な陰の術なんだよ」
「成程ね」と楓と助六は顔を見合わせて頷き合った。
「それで、これから、その陰の術をどう使うつもりなんだ」と太郎は二人に聞いた。
「今すぐっていうのは無理よ」と楓は言った。「あたしの場合は百合がまだ二つだし、助六さんの場合は今の所、金勝座(コンゼザ)から抜けられないし、後、二、三年したら、松恵尼様のように何かを始めようと思っているの」
「松恵尼様のように尼さんになるのか」
「それもいいかもね」と楓は笑った。「尼さんなら、あちこちに潜入できるし」
「商人もいいんじゃない」と助六が言った。
「しかし、女の商人が遠くまで商(アキナ)いに行くというのは、あまり聞かんぞ」
「そうか‥‥‥」と助六は首を傾げた。
「尼さんとか、巫女(ミコ)とか、後は芸人だろうな」
「孤児院も始めたいわね」と楓は言った。
「始めるのはいいが、また忙しくなるぞ」
「忙しいのは慣れてるわよ、ね」と楓は助六に言った。
「そうね。何もしないではいられないものね」
「陰の術を実行に移すのは、まだ、先の事として、あたし、また、娘さんたちに薙刀(ナギナタ)を教えたいんだけど駄目かしら」
「侍女たちだけじゃなく、城下の娘たちに教えるのか」
「ええ」
「お前が薙刀を教えるとなると、大勢の娘が集まって来るぞ」
「そうかしら」
「そうさ。お前はこの城下の殿様の奥方なんだぞ。その奥方が自ら薙刀を教えるとなると、城下中の娘が集まって来るだろう」
「あたしもそう思うわ」と助六も言う。
「お前、一人じゃ、とても無理だ。侍女たちをもっと鍛えて、侍女たちが人に教えられる位の腕になってからの方がいいと思うがな」
「そうか‥‥‥そうよね。そんなに集まって来たんじゃ、とても、教えられないわね」
「ただ、お前の考えはいいと思う。城下の娘たちが皆、薙刀を身に付ければ、何かが起こった時、混乱状態に陥る事もなくなるだろう。それに、中には素質のある娘もいるに違いないからな」
「そうね。素質ある娘を集めて、女ばかりの騎馬隊も作らなくっちゃ」
「おいおい。そんなものまで作られたんじゃ。危なくって見てられないぞ」
「大丈夫よ」と楓が言うと、
「任せなさい」と助六が言った。
その日から五日後、金勝座は京に向かって旅立って行った。新しい人材集めと、京の状況を調べるためだった。金勝座が旅立って行った頃より、近江甲賀の飯道山から若い者たちが、二、三人づつまとまって大河内城下にやって来た。十八人全員が揃ったのは三月の半ばだった。
彼らは皆、飯道山にて一年間、修行した者ばかりで、勿論、太郎から陰の術を習っていた。そして、皆、次男や三男たちで、甲賀にいても部屋住みの者たちばかりだった。彼らは新しい生き方、新しい土地を手にする事を夢見て、他国へとやって来たのだった。太郎は彼らを直属の馬廻(ウママワリ)衆として抱えた。戦の時は太郎の回りに仕える事となるが、戦のない時は太郎のために必要な情報を集めるのが役目だった。彼ら十八人に光一郎、八郎、五郎の三人を加えて、太郎は『陰(カゲ)の二十一人衆』と名付けた。二十一人を三人づつ七組に分けて、太郎はそれぞれ好きな場所に行かせた。そして、つかんだ情報によっては地位も俸給も上がるというので、皆、張り切って出掛けて行った。だだし、十日間に一回は三人の内の一人が、手に入れた情報を太郎に知らせるのが条件だった。
どこにでも好きな所に行ってもいいと言ったので、光一郎、八郎、五郎の三人も大喜びだった。ここに来てからというもの、三人は毎日、作業や武術師範の仕事に追われて、ほとんど、ここから出た事がなかった。五郎は家庭を持ったため、それ程でもないが、光一郎と八郎の二人は、そろそろ旅に出たいと思っていたところだった。
光一郎は三雲源次郎、藤林平五郎の二人を連れて、紀伊の国、熊野に向かった。三雲源次郎は太郎と同期であった源太の弟であり五期生、藤林平五郎は太郎が岩尾山で修行していた時、一緒だった十兵衛の従弟(イトコ)で去年の修行者だった。
光一郎は二人を引き連れて、三年振りの帰郷だった。熊野の山の中には母親がたった一人で残っていた。近所には祖父と祖母が叔父の家族と共に暮らしていたが、母親は淋しい思いで暮らしているに違いなかった。父親である風眼坊は若い女を作ってしまった。光一郎はお雪の身の上を知っていた。お雪本人から、その話を聞いて、光一郎は父親に何も言えなかった。何も言えなかったが、母親の事を思うと父親の事を許す事はできなかった。光一郎は母親を大河内城下に呼ぼうと思っていた。
八郎は芥川小三郎、上田彦三郎を連れて、伊勢の国、多気(タゲ)に向かった。芥川小三郎は太郎と同期の左京亮(サキョウノスケ)の従弟で五期生、上田彦三郎は去年の修行者だった。八郎は立派な武士になった晴姿を早く、両親や兄、そして、町道場の川島先生たちに見せたいと張り切って出掛けて行った。
五郎は杉谷新五郎、黒川助三郎を連れて、河内の国、赤坂村に向かった。杉谷新五郎は太郎が初めて『陰の術』を教えた与藤次(ヨトウジ)の弟、黒川助三郎は去年の修行者だった。五郎は二人を連れて故郷に向かった。五郎の両親はもういない。嫁に行った妹がいるだけだったが、妹が嫁に行ったのは郷士の三男だった。もし、部屋住みのまま辛い思いをしていたら、大河内城下に連れて来ようと思っていた。それぞれ、皆、久し振りの帰郷だった。勿論、ただの帰郷ではない。それぞれ、各地の状況を太郎に知らせなければならなかった。
その他、太郎と同期だった服部藤十郎の弟、孫十郎が、岩根与五郎、新庄七郎を連れて、但馬の国(兵庫県北部)に向かい、池田庄次郎が、望月弥次郎と長野太郎三郎を連れて、美作(ミマサカ)の国(岡山県北東部)に向かい、多岐勘九郎が、和田新吾と高山源三郎を連れて、備前(ビゼン)の国(岡山県南東部)に向かい、松尾藤六郎が、山中新十郎と伴与七郎を連れて、丹波の国(京都府中部、兵庫県中東部)に向かった。望月弥次郎は太郎と同期の三郎の従弟だった。
今回、師匠の太郎を頼って播磨に来た者たちは皆、若く、十九歳から二十一歳までの者たちだった。太郎の三人の弟子たちと一緒に修行した四期生が二人、五期生が六人、去年の修行者が十人だった。各自、山伏や商人に扮して極秘で貴重な情報を手に入れようと、張り切って旅立って行った。
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銀山の開発も、今年から本格的に始まっていた。去年は試行錯誤(シコウサクゴ)しながら開発を進め、段取りも、ようやく軌道に乗って来た。去年一年で生産した銀は二十三貫(カン)にも達していた。銭にしたら三千貫文(モン)近くにものぼる額だった。三千貫文と言えば、太郎がお屋形、赤松政則からいただいた所領と同じ額となる。政則にしても、一年目にして、それ程の銀が取れるとは思っていなかったとみえて驚き、そして、喜んでくれた。今年の予定は三十貫だった。
太郎は雪が溶けるとすぐに播磨側の猪篠(イザキ)村の奥の方に新しい作業場を建設した。鬼山(キノヤマ)村からその作業場まで約一里半の距離だった。鬼山村では銀鉱を細かく砕き、勘三郎らによって銀を多く含む砂にするまでの作業をやり、その砂は猪篠村の作業場に運ばれて、左京大夫(サキョウダユウ)ら鬼山一族の者たちによって銀に製錬された。
作業場を猪篠村に作った事によって鬼山一族の者たちは皆、かつての鬼山村から猪篠村に移る事となった。鬼山村は銀山目付の相川勘三郎が中心になって職人や人足たちを取り仕切っていた。生野銀山の存在を隠すため、以前よりも警戒は厳重になり、鬼山村は高い塀で囲まれ、職人や人足たちの出入りは厳しく取り締まられた。早い話が、この作業場に入った者は二度と外には出られないという事となった。
去年、人足たちは大河内城下の河原者の頭、権左衛門によって集められたが、今年からは、町奉行の鬼山(キノヤマ)銀太から悪事をして捕えられた罪人や浮浪者たちが送られて来た。去年来た人足を含め、彼らは死ぬまで、ここで働くというわけだった。勿論、彼らは日当を貰う事はできた。しかし、その日当は賭場(トバ)、あるいは遊女屋で使い果すという仕組みだった。以前、鬼山一族の者が住んでいた小屋には十数人の遊女が入っていた。彼女らには言ってはいないが、勿論、彼女らも死ぬまで、ここから出られなかった。脱走を試みた者は皆、殺された。太郎はそんな非情な事には絶対、反対だったが、お屋形、政則の命なので従うより他なかった。
人足たちを見張る役目として『見廻組』が新たに設けられ、その『見廻組』を見張る者として、置塩(オキシオ)のお屋形様から直接命じられた者が派遣されて来ていた。
見廻組は鬼山村だけでなく猪篠村の作業場にもいた。猪篠村の人足たちを見張るためだった。猪篠村の人足は鬼山村に比べてずっと少なかったが、ここの人足たちもここから出る事はできなかった。鬼山村から銀の砂を猪篠村まで運ぶ人足たちは鬼山村に住み、毎日、同じ道を行き来していた。猪篠村から大河内城下に銀を運ぶのは、銀山奉行、鬼山小五郎の配下の者たちの武士に率いられた大河内城下の人足だったが、彼らは荷物の中身が銀だとは知らない。炭だと思って運んでいた。
鬼山一族の者たちは作業場から出る事はできた。しかし、いつも見張られていた。太郎はそんな事をしたくはなかったが、これも仕方なかった。太郎の命によって鬼山一族の者たちは皆、見張られていた。また、見張られているのは鬼山一族だけでなく、太郎も含め、太郎の家臣すべてが、お屋形様の命によって上原性祐(ショウユウ)、喜多野性守(ショウシュ)の放った間者(カンジャ)に見張られていた。性祐も性守も好きで、そんな事をやっているのではない事を太郎は知っている。銀山開発という赤松家にとって極秘事項を担当しているのだから、その位の事は仕方ないと思っていた。
お屋形の政則は四月になると軍勢を引き連れて、美作及び備前へと出陣して行った。戦の前の評定の席には太郎も呼ばれたが、戦には行かなかった。今年一杯は銀山開発に専念して事業を軌道に乗せてくれとの事だった。銀山の事を知らない重臣たちは、太郎が特別扱いされていると陰口をたたく者もいたが、太郎は堂々としていた。戦に出て活躍する自信はあった。戦はすぐには終わらないだろう。来年、再来年には活躍の場が与えられるに違いない。焦る必要はないと自分に言い聞かせていた。
太郎は度々、銀山の作業場に足を運んで、人足たちの苦情を聞き、一生、ここから出る事のできない彼らのために、できるだけの事をしてやろうと努力していた。賭場を作り、遊女を入れ、小間物を売る店も作り、酒を飲ます店も作った。太郎は彼らのために、それらの施設を作ったが、結局、彼らの稼いだ銭を絞り取る結果となってしまった。
八月にお屋形、政則は凱旋して来た。ようやく、以前のごとく、播磨、美作、備前の三国をまとめたらしかった。太郎はお屋形様を迎えるために置塩城下に行った。城下は祭りのように賑やかだった。太郎はお屋形様の供として、毎日のように重臣たちの屋敷で催される宴に参加した。
太郎も大河内城主となってから、武術だけでなく、連歌や茶の湯、流行り歌や舞、尺八や鼓(ツヅミ)などの芸能の修行も怠りなく励んでいた。連歌や茶の湯の専門家である夢庵が去ってしまった事は残念だったが、置塩城下には夢庵程ではないにしろ、連歌や茶の湯に詳しい者たちは多かった。太郎は彼らを客として大河内に迎えて習っていた。流行り歌、舞、尺八、鼓は金勝座の者たちに習った。特に尺八は太郎も熱中して、金勝座に入った鬼山小次郎より基本から習っていた。ただ、連歌は難しかった。難しい式目(シキモク、規則)があり、古典の和歌を知らなくてはどうにもならなかった。『古今集(コキンシュウ)』『新古今集』などを読んで、歌を覚えようとはしていたが、前の人の詠んだ歌に、うまくつなげる事はなかなかできなかった。甲賀に行った時、夢庵から指導を受け、連歌の指導書などを貰って来ては修行を積んではいても、まだ、赤松家の武将たちの催す連歌会に参加できる程の腕にはなっていなかった。
重臣たちの宴に出席すると必ず、太郎は酒肴(シュコウ、座興)を所望(ショモウ)された。重臣たちの中には、太郎が突然、お屋形様の義兄として現れた事に快く思っていない者もいて、太郎に恥をかかせてやろうとたくらむ者もいた。太郎もその事を承知していたから、芸能の修行も真剣にしていたのだった。西播磨の守護代、宇野越前守の屋敷の宴の席にて、太郎は天狗の舞を披露した。太郎の前の者が素晴らしい舞を披露したので、次の太郎にも舞を所望して来た。太郎は迷わず、天狗の舞を舞った。天狗の面は付けなかったが、太郎は見事な舞を披露した。見ている者たちは、その素早い動きに、まさしく天狗を見ていた。そして、舞いながら高く跳びはねるのに、着地する時、床がまったく音のしない事に驚いた。その天狗の舞の噂はすぐに広まって、太郎はお屋形様の供をして、重臣の屋敷に行く度に披露しなければならなかった。
その頃、大河内城下もほぼ完成し、太郎は五ケ所浦にいる家族を呼んだ。旅の手配はすべて、小野屋の松恵尼(ショウケイニ)がしてくれた。祖父、白峰(ハクホウ)と祖母、母親と末弟の兵庫助の四人が長い旅をして来てくれた。四人は松恵尼の配下の者たちに守られ、伊勢神宮から北畠(キタバタケ)氏の本拠地、多気(タゲ)の都、そして、吉野を通って、南都、奈良に入った。奈良から西に堺に向かった方が近かったが、みんなが、どうしても太郎が剣術の修行をした飯道山を一目見たいというので、奈良から甲賀に向かった。飯道山では松恵尼に迎えられ、三日間、のんびりと過ごした。松恵尼も急遽、一緒に行く事になり、一行は琵琶湖を見て、京都に入り、伏見から船にて淀川を下り、堺にて大型の船に乗り換えて、播磨の国、飾磨津(シカマツ)に向かった。飾磨津からは陸路、置塩城下に向かった。太郎は松恵尼から連絡を受けて、置塩城下で待っていた。太郎は家族を新しい北の城下に建てたばかりの屋敷に案内した。
祖父の白峰は昔、愛洲の殿様の供をして、多気の都や奈良、京都などに行った事もあったが、祖母、母親、弟は伊勢神宮より遠くに出た事がなかった。祖母も母親もこんな遠くまで旅ができるなんて夢みたいだと喜んでいた。祖母はもう六十三歳で、こんな年になって、こんな遠くの国に来られるなんて、いい冥土(メイド)への土産(ミヤゲ)ができたと、涙ぐみながら太郎にお礼を言った。
次の日、大河内城下に入った一行は、城下の中央にある立派な屋敷に案内され、これが太郎の屋敷だとは信じられないと、キョトンとして眺めていた。特に左奥に見える三重の塔には驚いていた。愛洲の殿様の屋敷よりも広くて立派だと白峰は夢を見ているような気持ちだった。自分の孫がこんなにも偉くなったのか、と知らず知らずのうちに涙が滲み出て来た。子供の頃から、きっと、度偉い事をやりそうだと期待していたが、こんな屋敷に住む殿様になるとは本当に信じられない事だった。
広い屋敷の中を太郎に案内されるままに奥の方へと行き、そして、楓と百太郎(モモタロウ)、百合の姿を目にすると母親は立ち尽くしてしまった。楓が五ケ所浦にいたのは一年足らずだったが、母親は楓の事を気に入っていた。旅に出る前から、楓と、まだ見ぬ孫に会いたかった母親だったが、お姫様の様な綺麗な着物を纏(マト)った楓を見て、どうしたらいいのか戸惑ってしまった。母親だけでなく、祖母も祖父も同じ気持ちだった。楓が赤松のお屋形様の姉上だったという事を急に思い出し、どう接していいのか分からなかったのだった。
立ち尽くしている母親のもとに百太郎が近づいて行って、「おばあさま」と言うと、ようやく緊張も溶け、松恵尼に促(ウナガ)されるまま、皆、部屋の中に入った。
挨拶を済ませ、話をしていくうちに母親も祖母も祖父も安心していった。楓は五ケ所にいた頃と少しも変わっていなかった。そして、百太郎と百合の二人もすぐに、みんなになついて行った。母親と祖母が楓と松恵尼と話に弾んでいる時、太郎は祖父と弟を連れて月影楼に登った。三階まで上がり、舞良戸(マイラド、板戸)を開けると、城下が一望のもとに見渡せた。弟は凄い、凄いと感激していた。
「俺がここに来たのは二年前でした。その頃、ここにはほんの少しの田畑があっただけで、何もありませんでした。それが二年でこんな町になりました。不思議な事です」
「ほう、二年間で、これだけの町がのう‥‥‥」と白峰が驚きながら城下を見渡した。
「ねえ、兄上、兄上様は、ここのお殿様なの」と弟の兵庫助が聞いた。
兵庫助はかつて三郎丸と呼ばれていた。去年、元服(ゲンブク)して兵庫助(ヒョウゴノスケ)直忠と名乗り、十六歳になっていた。太郎が最後に見たのは、まだ十二歳の子供だったが、もう、すっかり大人だった。体格も立派になり、もう少しで太郎を追い越しそうだった。
「そうだよ」と太郎は笑いながら頷いた。「山の上に城がある。後で連れて行ってやる」
「ほんと? 凄いな」
太郎は眼下に見える建物を二人に説明した。祖父、白峰はただ頷きながら太郎の話を聞いていた。太郎は祖父に一番、この城下を見せたかった。勿論、父親にも見せたかったが、父親が来られないのは分かっている。せめて、祖父の口から父親に話してもらいたかった。子供の頃から太郎は祖父のもとで育てられ、無断で京都に行った時から、ずっと、心配の掛け通しだった。そして、いつも陰ながら見守ってくれていた祖父に、せめてもの恩返しができた事が太郎には嬉しかった。
3
笛や太鼓の囃(ハヤ)しが磨羅(マラ)寺の方から聞こえて来る。
九月の四日、朝早くから大河内城下は祭りで賑わっていた。
城下もようやく完成に近づき、太郎がこの地に入部して来た九月五日を祭礼の日とし、四日から六日までの三日間を磨羅寺の本尊である吉祥天(キッショウテン)の縁日とした。住職の宗湛(ソウタン)が、どこから吉祥天の像を持って来たのかは知らないが、本尊として立派な仏像だった。吉祥天の他にも観音菩薩像、弥勒菩薩(ミロクボサツ)像、弁財天(ベンザイテン)像もあったが、気のせいか、何となく皆、女性的な仏様だった。どうしてなのかと宗湛に聞くと、「寺の名が磨羅(男根)じゃからのう。自然と女子(オナゴ)のような仏様が集まるんじゃろう」と笑っていた。
丁度、明日が太郎がこの地に来て二年目だった。太郎は城主として、この三日間、武士から人足に至るまで、すべての者たちの仕事をやめさせた。稲荷(イナリ)神社と磨羅寺を中心に露店がずらりと並び、河原にも様々な芸人たちが集まっていた。金勝座(コンゼザ)のみんなも戻って来ていたが、金勝座もその日は休みで充分に祭りを楽しんでいた。
太郎は五ケ所浦から来た祖父、祖母、母親、弟、そして、松恵尼、楓と子供たちをぞろぞろと連れて祭り見物に出掛けた。太郎は殿様の姿から仏師(ブッシ)の姿になっていた。祖父と弟も面白そうだと太郎に倣(ナラ)い、祖母、母親、楓と子供たちは質素な町人のなりをして城下に出掛けた。
太郎たちは屋敷の裏口から出ると重臣たちの屋敷を抜け、中級武士や下級武士たちの屋敷や長屋の立ち並ぶ中を抜けて小田原川の河原へと向かった。下級武士たちの長屋はまだ建設中だったが、今年中には出来上がり、今年の冬は皆、屋根の下で暮らせる事になるだろう。城下造りに頑張っていた人足たちも作業が終われば、ほとんどの者が武士として、それらの長屋に入る事となっていた。
河原には置塩城下の河原者の頭、片目の銀左が協力してくれたので、芸人たちが大勢、集まってくれた。祖父たちはその賑やかさに驚き、まるで、京の都のようだと言って喜んでくれた。芸人たちの中には、確かに京から流れて来たような一流の芸人たちもいた。松恵尼も飯道山の祭り以上だと驚いていた。太郎も実際、これだけの芸人が集まるとは思ってはいなかった。さすが、片目の銀左だと、今更ながら彼の実力に驚いていた。芸人たちは小田原川の河原から市川の河原まで、ずっと河原を埋めていた。これだけの芸人が、こんな小さな城下に集まるなんて、まったく、驚くべき事だった。
太郎たちは河原を一回りして、城下の東側にある奉行所(ブギョウショ)の所から大通りに入り、町中に入って行った。その大通りの両脇には商人たちの大きな店や蔵が立ち並んでいたが、その店の前にも遠くからやって来た商人たちが様々な露店を開いていた。櫛(クシ)やかんざし、古着や反物(タンモノ)、薪(タキギ)や炭、檜物(ヒモノ)や陶器、竹細工や木工細工、饅頭(マンジュウ)やお菓子、武具や甲冑(カッチュウ)など、ないものはないと言ってもいい程、色々な物を売っていた。馬場では馬の市もやっているという。太郎たちは露店を見ながら磨羅寺まで行き、吉祥天を参拝した。珍しく、宗湛和尚は偉そうな袈裟(ケサ)を身にまとって参拝客の挨拶を受けていた。磨羅寺から隣にある稲荷神社に行き、参拝すると裏通りを通って屋敷に帰って来た。
いつの間にか、もう夕暮れ近くになっていた。
祖母と母親はさすがに疲れたらしく、部屋に入ったまま出ては来なかった。百太郎と百合は買ってもらったおもちゃで弟の兵庫助と遊んでいた。楓は松恵尼と楽しそうに話し込んでいる。太郎は祖父を誘って月影楼に登った。
「凄い、賑わいじゃのう」と祖父は外を眺めながら言った。
「ええ、俺もこれ程、賑わうとは思ってもおりませんでした。昨日まで、朝から晩まで働き詰めだったから、皆、楽しんでくれているようです」
「うむ」と祖父は目を細めながら太郎を見て頷いた。「わしは城下の者たちが話しておるのを聞いておったが、皆、殿様であるお前のお陰じゃと喜んでおった。わしはそれを聞いて、ほんとに嬉しかったぞ。今の気持ちを忘れない事じゃ。城下に住む者たち、みんなのために、これからもいい殿様でおってくれ」
「はい」と太郎は嬉しそうな祖父を見ながら頷いた。
「お前は今日、職人の格好をして城下に出て行ったが、あんな事をよくやっておるのか」
「時々、やっております。あまり、堅苦しいのは好きではありませんので、それに、あの格好だと人足たちにも気軽に声を掛けられますから」
「うむ。いい事じゃ。わしは安心したわ。こんな立派な屋敷に住んでおるので、上段の間から踏ん反り返って、あれこれ命じておるのではないか、と心配したが、そんな事もなかったようじゃな」
「はい」
祖父は満足そうに頷いて、城下を見下ろした。そして、遠くの山々に視線を移すと、「太郎、五ケ所浦の事じゃがのう」と言った。
太郎には祖父が何を言おうとしているのかが分かった。
「次郎に父上の跡を継いで貰って下さい」と太郎は言った。
祖父は太郎の顔を見つめて、「それで、いいのじゃな」と聞いた。
太郎は頷いた。「俺も父上のように水軍の大将になるのが夢でした。しかし、海と同じように山々がずっと連なっている事を知った時、俺の生き方は変わって行きました。海から離れて、山というものに惹かれて行ったのです。多分、俺はもう五ケ所浦には帰れないでしょう。次郎の奴に五ケ所浦の事は任せます。次郎なら立派にやり遂げると思います」
「うむ。お前がおらなくなってから、次郎の奴は、お前が帰って来るまで、お前の代わりを務めようと一生懸命やっておる」
「そうですか‥‥‥俺の代わりを‥‥‥」
「そうじゃ。次郎の奴はお前の事を尊敬しておるんじゃ。もっとも、お前の事を尊敬しておるのは次郎だけじゃない。水軍の若い奴らはみんなじゃ。皆、お前がいつか帰って来る事を信じておる」
「そうですか」と太郎は遠くを見つめた。五ケ所浦にいた時、陰流を教えた若い者たちの事を思い出していたが、祖父を振り返って、「水軍と陸軍のいさかいはどうなりました」と聞いた。
「消えたとは言えんが、お前と池田の奴らが城下からおらんようになってから、いくらかは納まったようじゃな」
「そうですか」太郎はよかったと言うように、軽く笑ってから、「次郎は今年、二十二ですか」と聞いた。
「そうじゃ。お前が殿の御前で剣術を披露したのは二十一の時じゃったな。あの時のお前と比べれば、次郎の奴は少々頼りない所はあるがな‥‥‥お前がおらなくなってから、次郎も一回り大きくなったようじゃ」
「次郎に水軍の事を頼むと伝えて下さい」
「うむ」
「そして、母上、お祖母様の事も頼むと‥‥‥」
「分かった」
「お祖父様とお祖母様は、このまま、こちらにおられても構わないんですけど、駄目でしょうね」
「ここはいい所じゃ。しかし、わしには向こうにする事が残っておるんじゃ。お前が始めた陰流の道場じゃ。いつか、お前が帰って来る時までは、道場を潰すわけにはいかんからのう」
「すみません‥‥‥」
祖父は首を振った。「毎日が楽しいんじゃよ。子供たちに剣術を教えるのが楽しいんじゃ。わしは足を怪我して隠居した。隠居してからのわしは、ただ、お前たち孫の成長だけが唯一の楽しみだったんじゃ。それが今は毎日、子供たちに囲まれて、子供たちに剣術を教えておる。第二の生き方とでも言うのかのう。わしは今、幸せじゃよ。もうろくして、子供たちに剣術を教えられなくなったら、婆さんと一緒にお前の世話になろう」
「はい‥‥‥道場の事、お願いします」
「うむ‥‥‥しかし、以外じゃったのう。お前が赤松家の武将になったと聞いた時、わしはお前が赤松家の水軍を任されたのかと思っておった。それが、来てみれば、こんな山の中じゃった‥‥‥わしには、よく播磨の事は分からんが、この場所は赤松家にとって重要な所なのか」
「はい。ここは播磨と但馬の国境の近くなんです。但馬の国には赤松家と敵対しておる山名氏がおります。今の所は山名氏も播磨には攻めて来ませんが、やがて、播磨に進攻して来る事となりましょう。そうなると、ここは最前線となるのです。そこを任されたというわけです」
「成程のう。ここは最前線か」
「山名氏との争いが終われば、俺は改めて、赤松家の水軍を任される事となるでしょう」
「そうか‥‥‥お前にこんな事を言う必要はないとは思うが、無駄死にだけはするなよ」
「はい」
「おっ、何じゃ、あれは」と祖父が外を見ながら言った。
大通りを山車(ダシ)のような物が走り、山車の上で下帯(シタオビ)一丁の男が扇子(センス)を手に持って踊っていた。山車の回りを人々が囲み、何やら叫びながら踊っている。
「和尚だ」と太郎は言って、笑った。
「和尚?」
「はい。さっき、お寺に偉そうな和尚がいたでしょ。あの人です」
「なに、あれが和尚か」と祖父は口をポカンと開けて驚いていた。「変われば変わるものじゃのう」
「変わった和尚です。あれでも、かなり偉い和尚との事ですが、まったく、何をやるやら、見当も付かないお人です」
「ふむ。確かに変わっておるのう。昔、五ケ所浦にも、変わった和尚がおったが、あれ以上じゃのう」
「快晴和尚の事ですか」と太郎は聞いた。
「そうじゃ。お前も知っておったのう」
「快晴和尚は五ケ所浦に帰って来ましたか」
「いや、京に戦が始まった頃、どこかに行ったきり戻っては来ん。しかし、去年だったかのう。和尚さんのお弟子さんとか言うのが来てのう。今、長円寺におるわ」
「お弟子さん? もしかしたら、曇天(ドンテン)ですか」
「いや。あいつもどこに行ったのか戻って来んのう。今度、来たのは晴旦(セイタン)和尚という面白いお人じゃ」
「晴旦和尚?」
「快晴ではなく、今度は晴れた朝じゃよ」
「へえ、それじゃあ。朝は早そうですね」
「ところが、早起きなんてした事もないような、ぐうたらな和尚じゃ」
「そうですか‥‥‥快晴和尚のお弟子さんらしいとは言えますが」
「まあな」
「念仏踊りみたいですね」と太郎は外を眺めながら言った。
「ああ、南無阿弥陀仏と言っておるようじゃのう」
「行ってみますか」
「面白そうじゃ」
太郎は祖父、白峰と一緒に月影楼を降りると、弟の兵庫助を連れて賑やかな大通りに出て行った。
4
三日間の大河内城下の祭りは予想以上に盛況だった。
磨羅寺の宗湛和尚の山車のお陰で、城下の者たち全員が、三日間、踊り狂った。宗湛の乗っていた山車は、荷車にちょっとした飾りを付けた簡単な物だったので、すぐに真似する事ができ、次の日には、小野屋と大和屋が真似をして山車を出して大通りを練り歩いた。すると、次から次へと山車が現れ、城下中のどの道にも山車がいるという有り様となり、城下中、いたる所で狂ったように念仏踊りが行なわれた。町人はもとより、武士たちまでが仮装して踊り狂っていた。男は女の着物を着て化粧をし、女は男に扮して、朝から晩まで城下を練り歩いていた。
三日目には、赤松家の重臣である喜多野性守入道と上原性祐入道の二人までもが、山車に乗って練り歩くと、今まで押えていた武将たちも次々に山車に乗って現れた。太郎の家臣となった武将たちは根っからの武士ではない。次郎吉、伊助、金比羅坊(コンピラボウ)、藤吉らは皆、祭り好きだった。待ってました、と様々な衣装に扮して山車に乗った。とうとう、太郎も次郎吉たちに勧められて山車を出すはめとなった。太郎は天狗に扮して、山車の上で跳びはね舞った。金勝座の三人娘も山車に乗って華麗に踊った。楓もついに我慢できずに、金勝座の山車に乗って助六たちと一緒に踊った。百太郎と百合も侍女たちと一緒に踊った。松恵尼も踊った。祖父、祖母、母親も皆に混ざって踊っていた。
三日間、城下の者たちが一つになったかのように、全員が思い切り踊って、騒ぎまくった。
祭りも終わり、次の日から、いつものように、皆、仕事を始めたが、誰の顔もすっきりと晴れ晴れとしていた。
太郎の家族たちは祭りの後、五日間、のんびりと過ごしてから帰って行った。松恵尼は飯道山の祭りが十四日から始まるため、祭りの終わった次の日、金勝座と共に帰って行った。来た時と同じく、松恵尼の手下の者たちに守られながら、祖父、祖母、母親、弟の四人はたくさんの土産を持って帰って行った。太郎は金比羅坊と共に置塩城下まで見送った。
陰の二十一人衆も祭りの時は戻って来ていたが、祭りが終わるとまた、各地に散って行った。今回が三度目だった。太郎はいつも、一月後には戻って来るように命じていた。
一回目は、三月の下旬から四月の下旬までだった。太郎は帰って来た二十一人から様々な意見を聞き、それを参考にして陰の術を完成させようとしていた。一回目で分かった事は連絡方法だった。太郎は十日に一度は連絡を入れるように命じたが、何か情報がつかめた時は、ここまで戻って来るのは構わないが、何も得られないのに、一々、戻って来るのは時間の無駄になると彼らは言った。何か、狼煙(ノロシ)とかで、その事を知らせる事ができれば、もっと、やり易くなるだろうとの事だった。それと、山伏に扮して旅をするのはいいが、本物の山伏ではないので、宿坊に泊まる時もばれやしないかと冷や冷やしながら泊まっている。できれば、太郎の三人の弟子のように正式な山伏になりたいと言った。太郎は考えておくと答えた。
二回目の旅は梅雨が明けた六月の末から七月の末だった。連絡方法はいい考えが浮かばなかった。狼煙を上げるのは赤松家の者に誤解される恐れがあるので使えなかった。これから先、徐々に、各地に拠点を作って行き、その拠点と拠点を結ぶ連絡網を作らなければならないと思った。彼らには、特に情報がない時は十日に一度の連絡を入れなくもいいと命じた。ただし、どうしても一ケ月以内に帰って来られない場合は、情報がなくても、誰かを送れと命じた。本物の山伏になる件も検討して、置塩城下の大円寺の勝岳(ショウガク)和尚に相談してみた。和尚によると、銭次第で、その位の事は何とかなるだろうと言った。太郎は和尚に頼もうか、とも思ったが、播磨国内の山伏では、すぐに赤松家の者と分かってしまう恐れもあるので、やめる事にした。十一月に飯道山に行ったら高林坊に相談しようと思った。
服部、池田、多岐、松尾らは前回と同じ但馬、美作、備前、丹波に送り、光一郎は因幡、八郎は摂津、五郎は河内の堺に送った。
前回、五郎は河内の妹のもとに行った帰りに堺に寄って来た。そこで、偶然、堺から遣明船(ケンミンセン)が出て行くのを目にしたと言う。そして、堺の町が他の町とはまったく違う賑わいを持っている事を太郎に知らせた。五郎から、堺の湊には琉球(リュウキュウ)や朝鮮から来たという変わった形の船が泊まり、わけの分からない言葉を喋(シャベ)る異人(イジン)らがいて、珍しい物が一杯あると聞くと、太郎も興味を持った。太郎も元々は船乗りだった。遠い明の国に行きたいと夢を見た事もあった。太郎は五郎に書状を持たせ、堺にある小野屋に行って、もっと、堺の情報を集めろと命じた。
そして、今度が三度目だった。行き先は前回と同じだった。同じ場所に行かせた方が馴染みもでき、情報も集め易いだろうと思ったからだった。彼らも、彼らなりに拠点となるべき場所を見つけて活動しているようだった。彼らは旅に出ないで城下にいる時は、道場にて武術の修行をしていた。彼らも一年間、飯道山で修行しているので、得意とする武術は人に教えられる程の腕を持っていたが、この先、陰の術で生きて行くなら、すべての武術を身に付けなければならないと言える。彼らは自分が苦手とするものを修行者たちと共に習っていた。皆、命懸けの仕事をしているので修行にも気合が入っていた。
太郎は五郎を二十一人衆の頭にしようと思っていたが、今回、戻って来たら、この仕事をやめさせようと考えを変えた。この仕事は旅が多すぎ、家庭持ちの五郎には不向きと言えた。五郎は張り切ってやっているが、家族には悪い事をしているように思えた。今年の末、飯道山に行ったら誰か一人連れて来て、五郎には抜けてもらおうと決めていた。
二十一人衆が出掛けて行くと、太郎は久し振りに道場に顔を出した。家族が来ている時、一度、祖父の白峰と弟の兵庫助を連れて行ったが、自ら木剣を振りはしなかった。剣術で汗を流すのも久し振りだった。
道場には今、住み込みの修行者が三十人余りと通いの者が二十人程いた。飯道山と同じで、稽古は午後からで、住み込みの者たちは午前中は作業という事になっていた。城下に出掛けて人足と共に働いていた。住み込みの修行者の中で一人、太郎の目を引く若者がいた。石田村から出て来たという内藤孫次郎という十八になる若者だった。
孫次郎は初め、人足として働いていた。太郎は今年の初め、河原の掘立て小屋で暮らしている孫次郎と出会った。雪の積もった冬の間は城下作りの作業は中止になった。人足や職人たちは皆、雪のない所に行って正月を迎える。雪の中、寒い掘立て小屋に住んでいる者など誰もいなかった。
よく晴れた天気のいい日だった。太郎はその日、いつものように仏師の姿になって、城下町を歩いた。建設途中の城下を一回りして小田原川の河原に出た。
河原には人影もなく、幾つも並んでいる掘立て小屋も雪の中に埋もれていた。中には雪の重みで潰れている小屋もあった。
太郎は鳥や獣の足跡しか付いていない雪の中を歩いて、川のほとりまで行くと上流の方を眺めた。真っ白の中を水が輝きながら流れていた。太郎は川に沿って下流に歩いた。
その時、誰もいないと思っていた小屋の中から、人が出て来るのが見えた。太郎は瞬間的に身を低くして雪の中に隠れた。
若い男だった。毛皮の袖なしを着て、頭にはぼろ布を巻き付け、藁沓(ワラグツ)をはき、薪をもっていた。男は小屋の前の雪を踏み固めると、薪を並べて藁くずに火を点けた。次に鍋を持って来て、鍋の中に雪を山盛りにすると火の上に掛けた。雪は見る見る溶けて行き、水になった所に、男は米や麦を入れた。
そこまで見ると太郎は身を起こして、男の方に近づいて行った。男は驚いて太郎を見たが、太郎が武士でなく職人の格好をしていたので、安心したようだった。男は太郎を一度見ただけで、今度は小屋の屋根の雪降ろしを始めた。
「いい天気じゃな」と太郎は男に声を掛けた。
「はい」と男は返事をしたが、棒切れで雪を落としていた。
「お前は、城下造りの人足か」
男は面倒くさそうに頷いた。
「どうして、こんな所におる」
「おって悪いのか」
「悪くはないが、寒いだろう」
「冬は寒いのが当然だ」
「まあ、そうじゃな。しかし、他の人足たちは皆、雪のない所に行った。お前は、どうして行かないんだ」
「俺の勝手だろう」
「まあ、そうじゃ。春まで、ここにおるつもりか」
「そうだ」
「食う物はあるのか」
「ある」
「そうか‥‥‥まあ、頑張れ」
太郎は若い男と別れた。その後、太郎はその男の事は忘れていた。
もうすぐ春になるという二月の末、大雪があった。建設途中の建物が幾つも雪によって潰されてしまった。太郎は城下を見回った時、ふと、河原にいた男の事を思い出した。
太郎が河原に行くと男は掘立て小屋を直していた。
「おお、生きておったか」と太郎は男に声を掛けた。
男は太郎を無視して、ぶつぶつ文句を言いながら作業を続けていた。
「お前の名は何という」と太郎は聞いたが、男は答えなかった。
太郎は男を手伝う事にした。二人は一言も喋らずに作業を続けた。何とか、小屋の修復が終わると、男は太郎に礼を言って、内藤孫次郎と名乗った。太郎は三好日向という仏師だと名乗り、「一冬、よく頑張ったな」と言った。
「後、もう少しで雪も溶ける。そしたら、また働ける」孫次郎は眩(マブ)しそうに空を見上げた。
話を聞くと孫次郎は、この城下の殿様の家来になりたくて、どこにも行かずに、雪の中、頑張っていたのだと言う。孫次郎の父親は武士だった。武士と言っても郷士と呼ばれる半農の武士だった。父親は八年前、赤松家の武士に殺され、母親はどこかにさらわれたと言う。
八年前、応仁の乱が始まった当初、播磨の国の守護職は山名氏で、赤松氏が侵入して来て、あちこちで戦が行なわれた。播磨の国の中心部には赤松氏の残党たちもかなり残っていたので、逸速く赤松氏に味方して行ったが、この辺りの国人たちは山名氏の本拠地、但馬の国も近い事から、いつまでも山名方だった。太郎も人から聞いたが、この辺りの国人たちは赤松氏にやられて全滅したと言う。そして、この辺りはお屋形、政則の直轄地となり、代官を置いて治めていた。孫次郎の父親も国人たちと共に滅ぼされたのだろう。
両親が殺された時、十歳だった孫次郎は七歳の妹と一緒に名主(ミョウシュ)のもとに引き取られた。孫次郎兄妹は朝から晩まで、毎日、こき使われた。
去年の夏の事だった。孫次郎が仕事から帰って来ると妹の姿が見当たらなかった。人買いに売られたと言う。孫次郎は妹を取り戻そうと妹の後を追ったが見つける事はできなかった。孫次郎がここの河原まで来た時、日が暮れてしまい、仕方なく、夜を明かした。
朝、人々の喧噪で目が覚めた。大勢の人足たちが河原に小屋掛けをして住んでいて、その人足たちがぞろぞろと、どこかに向かって行った。孫次郎は何事だろうと人足たちの後を追った。孫次郎は驚いた。こんな所に突然、町ができようとしていた。大きな屋敷が二つでき、あちこちに屋敷を建てていた。孫次郎は人足の一人から何が始まるのか訳を聞いて、孫次郎もすぐに人足となった。日当もちゃんと貰えると言う。銭なんて、今まで手にした事もなかった孫次郎には、働けば働いたたげ銭が貰えるというのは嬉しかった。
孫次郎は毎日、土と汗にまみれて働き、銭は自然と溜まって行った。銭を溜れば、妹を取り戻せるかもしれないと孫次郎は一生懸命になって働いた。そのうち、人足たちも働き用によっては、ここの殿様の家来に取り立てられる事もあるという事を知った。事実、太郎の家臣となった者たちが、見込みのありそうな若者を捜しては、自分の家来に取り立てていた。孫次郎の知っている人足にも武士になった者もいた。しかし、孫次郎には、そんな声は掛からなかった。それでも、孫次郎はいつか、誰かが自分の才能を見つけてくれるだろうと諦めてはいなかった。冬の間中、ここを去らなかったのも、せっかく溜めた銭を使いたくなかったからだった。人足たちは、ほとんどの者が置塩城下に出て、正月は贅沢をするんだと行って出掛けて行った。孫次郎もそんな事をしてみたかったが、妹の事を思うと、そんな事はできなかった。
「妹を捜すつもりなのか」と太郎は孫次郎の話を聞くと聞いた。
「絶対に‥‥‥」と孫次郎は言った。
「そうか‥‥‥お前、武士になりたいのか」
「はい。よく覚えてはおりませんが、爺様はちゃんとした武士だったそうです。しかし、石田村で百姓になってしまったと言います。父上も武士に戻りたかったらしいけど、戻れませんでした。俺は爺様のように、ちゃんとした武士になりたい」
「そうか‥‥‥お前、刀を持った事はあるか」
「ある‥‥‥今も持っている」
「ほう、今も持っているのか」
「うん。爺様の形見だ」
「ほう、それを見せてくれんか」
「お前様は刀の事が分かるのか」
「少しは」
孫次郎は小屋の中から莚(ムシロ)に包まれた刀を持って来た。莚の中から出て来た刀は脇差のようだった。脇差と言っても刃渡りは二尺程ある、かなり頑丈そうな刀だった。太郎はその刀を手に取ると抜いてみた。
「こいつはひどいのう」
刀の刃は錆(サビ)だらけだった。何年もの間、使われた形跡はなかった。錆だらけでも、何となく気品があり、もしかしたら、名のある刀かもしれなかった。
「いい刀だろう」と孫次郎は言った。
「うむ。研げば、なかなかの名刀になるだろう」
刀を孫次郎に返すと、「ちょっと、そいつを振ってみろ」と太郎は言った。
孫次郎は太郎を見ながら頷いた。仏師と言っていたが、もしかしたら、この男、ここの殿様の知り合いかもしれない。もしかしたら、武士になれるかもしれないと思いながら孫次郎は刀を腰に差した。しかし、剣術は得意ではなかった。子供の頃、父親に教わった事はあったが、父親が死んでから刀を振った事はなかった。勿論、人を斬った事などない。
孫次郎は刀を抜くと、子供の頃を思い出しながら、目の前に父親がいるかのごとく刀を構え、振りかぶると斬り下ろした。そして、また、中段に構えた。
「いいぞ」と太郎は言った。
孫次郎の剣術の腕は大した事なかった。あの振り方では人を斬る事もできないだろう。しかし、刀を構えた時の顔付きは武士の顔だった。目付きもいい。太郎は孫次郎の中に、素質がある事を見つけた。
孫次郎は刀を納めると太郎を見た。太郎の顔に変化はなかった。やはり、駄目だったかと孫次郎は諦め、刀をまた莚で巻いた。
「ついて来い」と太郎は言った。
「どこへ」と孫次郎は怪訝(ケゲン)な顔をした。
「付いてくれば分かる」と太郎は言って笑った。
孫次郎は小屋の中に入って荷物をまとめようとしたが、太郎は荷物は後で取りにくればいいと言って、孫次郎を連れて城下の方に向かった。孫次郎が連れて来られた所は、陰流(カゲリュウ)の武術道場だった。孫次郎はその日から、修行者の一人として道場に住み込む事となった。
あれから、八ケ月近くが過ぎ、太郎が思っていた通り、孫次郎の腕は見る見る上達して行った。孫次郎が太郎の正体を知ったのは道場に移ってから二ケ月程、過ぎた頃だった。自分をここに連れて来てくれた仏師が、実は、ここの殿様だったとは信じられない事だった。まるで、夢でも見ている心地だった。殿様が自分を認めてくれたと気づいてからの孫次郎はますます剣術の修行に励んだ。
太郎は道場に入ると修行者たちの稽古を見て歩いた。道場では、槍術、剣術、棒術、薙刀術の四つに分かれて修行している。一通り見て歩くと太郎は木剣を手に取って、修行者一人一人を相手に汗を流した。孫次郎の腕は太郎も驚く程の上達振りだった。一月程前、立ち合った時とは別人のように強くなって行った。このまま行けば、後一年もしたら太郎の弟子たちと互角あるいはそれ以上の腕になるのは確実だった。
太郎は孫次郎を四人目の弟子にする事に決め、十一月に飯道山に連れて行って、一年間、修行させようと決めた。
19.観智坊露香1
1
場面は変わって、近江の国、甲賀の飯道山。
百日行を無事に終えた下間蓮崇(シモツマレンソウ)は観智坊露香(カンチボウロコウ)という山伏に生まれ変わって、武術の修行を始めた。観智坊の百日行が終わったのは去年の十二月の十九日だった。観智坊は昔の太郎と同じように吉祥院(キッショウイン)の修徳坊(シュウトクボウ)に入って、一年間の修行を積むように師の風眼坊から命じられた。午前中は作業として弓矢の矢を作り、午後は棒術の稽古だった。
丁度、その頃、太郎が光一郎を連れて『志能便(シノビ)の術』を教えるために播磨から来ていた。そして、志能便の術の修行者の中には、本願寺の坊主、慶覚坊(キョウガクボウ)の息子、洲崎(スノザキ)十郎左衛門がいた。十郎左衛門は変身した蓮崇から、蓮如(レンニョ)が加賀を去った事や、守護の富樫(トガシ)次郎と本願寺門徒の争いなど、国元の事情を聴き、急いで加賀へと帰って行った。
その年の棒術の稽古は六日間だけで終わった。二十六日から翌年の正月の十四日までは稽古(ケイコ)も休み、作業も休みだった。新米山伏の観智坊は年末年始の忙しい中、怒鳴られながら山の中を走り回っていた。
正月の十四日、飯道山に大勢の若者たちが各地から、ぞくぞくと集まって来た。その日は一日中、雪が強く降っていたが、そんな事にはお構いなしに、次から次へと若者たちは期待に胸を膨らませて山に登って来た。その数には観智坊も驚いた。先輩の山伏から話には聞いていたが、まさか、これ程多くの若者が集まって来るとは驚くべき事だった。今年、集まって来たのは六百人を越えていたと言う。山内の宿坊はすべて若者たちで埋まり、山下の宿坊や旅籠屋も若者たちで埋まっていた。
次の日、若者たちは行場(ギョウバ)を巡り、山内を案内され、後は最後の自由時間だった。観智坊は山から下りられないので実際に見てはいないが、昼間っから遊女屋には若者たちが並んで順番を待っていたと言う。また、この日、若者たちが集まって来る事は有名になっていて、各地から遊女たちが門前町に集まり、不動町の横を流れる小川のほとりに粗末な小屋を掛けて、若者たちを引き入れていたと言う。先輩の山伏たちが言うには、この日、人気の遊女は一日に何十人もの若者をくわえ込むので、しばらくの間は、遊女屋には行かん方がいいと笑っていた。
いよいよ、次の日から一ケ月の山歩きが始まった。今年も雪が多かった。
観智坊は若者たちが山歩きをしている間、道場で棒術の基本を習っていた。
棒術の師範は高林坊だったが、高林坊は毎日、稽古には出られなかった。師範代の西光坊(サイコウボウ)が中心になって教えていた。西光坊は以前、太郎がこの山に来た時、太郎を奥駈道(オクガケミチ)に案内した山伏だった。あの当時、西光坊は棒術師範代でも下の方だったが、今では高林坊の代わりを務める程に出世していた。西光坊の下に東海坊、一泉坊、明遊坊(ミョウユウボウ)の三人の師範代がいた。
棒術の修行者は一年間の若者たちの他に、各地の山から修行に来ている山伏も多かった。山伏たちはしかるべき先達(センダツ)の紹介があれば、いつでも飯道山に来て修行する事ができたが、最近は修行者の数が多くなっているので、山伏たちもなるべく、正月から修行を始めるようにしていた。今年は棒術の組には十八人の山伏がいた。そして、去年一年間、修行して、さらに、もう一年修行をしようと残っている若者が六人いた。観智坊は彼らと共に棒術の修行に励んだ。
観智坊が風眼坊の弟子だと知っているのは師範と師範代だけだった。誰もが、四十歳を過ぎている観智坊が、今頃、棒術の修行をするのを不思議がった。観智坊は、その事を聞かれるたびに笑って、若い頃、ろくな事をしなかったので、今になって修行をするのだと言った。師範の高林坊を除き、師範代たちも含め、観智坊は一番の年長だった。知らず知らずのうちに、誰もが観智坊の事を名前では呼ばずに『親爺』と呼ぶようになって行った。
棒の持ち方すら知らない観智坊だったが、一ケ月のうちで基本はしっかりと身に付けて行った。何も知らなかった事がかえって良かったのかもしれない。自分は年は取っていても、武術に関してはまったくの素人だと年下の者たちから素直に教わっていた。また、人一倍、努力もした。稽古が終わってからも、毎日、その日に習った事を体で覚えようと何回も何回も稽古に励んだ。百日間の山歩きのお陰で足腰は強くなっていたが、腕の力は人と比べると、まったく弱かった。観智坊は毎日、鉄の棒を振り回して上半身も鍛えた。
一ケ月の山歩きも、ようやく終わった。
六百人余りもいた若者たちは、ほとんどが山を去って、残ったのは百二十人程だった。その内、棒術組に入って来たのは三十一人だった。新しい若者たちが入って来ると道場も賑やかになって来た。棒術の組には他の武術と違って、初心者の者も結構いた。彼らも剣術や槍術は子供の頃から習っていたが、棒術を習うのは初めてだった。その事を知って、観智坊もいくらか安心した。先輩の山伏たちから、この山に来る若者たちは皆、子供の頃から武術を習っているので、皆、人並み以上の腕を持っている。お前も、奴らが山歩きをしているうちに、基本だけは身に付けないと置いて行かれるぞと威(オド)しを掛けられたのだった。
観智坊は午前は矢作りの作業に励み、午後は遅くまで棒を振り回していた。この山にいる間は武術の事だけを考え、蓮如や本願寺門徒の事は考えないようにしようと思ってはいたが、夜になって横になると、時折、門徒たちの悲鳴や叫びが観智坊を苦しめていた。
ようやく雪も溶け、春になり、山々の桜が満開となった。その頃になると、観智坊も新しい生活に慣れ、若い修行者たちにも溶け込んで、何人かの仲間もできていた。山伏では、葛城山(カツラギサン)から来た真照坊(シンショウボウ)、伊吹山から来た自在坊、油日山(アブラヒサン)から来た東陽坊、愛宕山(アタゴサン)から来た流厳坊、多賀神社から来た妙賢坊(ミョウケンボウ)の六人と仲よくなり、若い修行者では、野田七郎、小川弥六郎、大原源八、高野宗太郎、野村太郎三郎、黒田小五郎の六人と仲よくなった。野村太郎三郎は伊賀出身で、他の者は皆、甲賀出身だった。観智坊は彼らから『親爺』と呼ばれて慕われていた。
自分の兄弟子である太郎坊の事も彼らから、よく聞かされた。太郎坊は『志能便の術』を編み出し、若者たちは皆、その術を身に付けたくて、この山に登って来るのだと言う。この山で一年間、修行して、志能便の術を身に付けると、甲賀では一目置かれる存在となると言う。志能便の術を身に付けたお陰で、六角(ロッカク)氏のもとに仕官した者もいる。また、伝説になっている太郎坊に会う事ができるだけでも凄い事なのだと言った。観智坊は彼らから、太郎坊の伝説を耳にたこができる程、聞かされていた。
観智坊は一度、太郎坊に会った事があった。師の風眼坊から噂は聞いていたが、実際に目にして、思っていたよりも若い男だった。若いが山伏としての貫禄はあった。かなり、修行を積んでいるという事は分かったが、あの男がこの山で、これ程、人気があり、伝説になっていたとは知らなかった。また、師の風眼坊の事も年配の山伏たちから聞いていた。風眼坊もこの山では伝説となっている有名人だった。師といい、兄弟子といい、凄い人たちだと思った。自分も負けられないとは思うが、二人のように有名になる事などありえなかった。師の風眼坊が自分の事を弟子だと公表しなくて良かったと観智坊は心から思っていた。公表されていたら、これが風眼坊の弟子か、と師や兄弟子まで笑われる事になりかねない。観智坊は二人を笑い者にしないためにも、精一杯、頑張っていた。
棒術は不思議な武術だった。観智坊はただ、棒なら人を殺さなくても済むと思って、迷わず棒術を選んだが、棒でも簡単に人を殺す事ができる事を知って驚いた。棒術というのは、刀の代わりに棒を持って、ただ、打ったり受けたりするものだろうと簡単に考えていたが、もっと、ずっと奥の深いものだった。棒というものは使い方によっては、刀にもなるし、槍にもなるし、薙刀にもなるという事をまず学んだ。持ち方も色々とあって、構え方、打ち方、突き方、受け方にも色々とあった。基本を身に付けた観智坊が、次に教わったのは敵を突いたり、打ったりする場所、すなわち、急所だった。人間の体には幾つもの急所と呼ばれる場所のある事を観智坊は知った。そこを打ったり、突いたりすれば、人間は簡単に死ぬと言う。観智坊は立木を相手に、敵の急所を狙って打ったり突いたりする事を毎日のように稽古した。
この山で教えているのは武術だった。自分の身を守るなどという生易しいものではない。敵をいかに確実に素早く殺せるかを訓練しているのだった。稽古中に怪我をする者も多かった。軽い怪我なら山を下りる事はないが、重傷を負ってしまえば、自分の意志に拘わらず、山を下りなくてはならなかった。皆、一ケ月間、歯を食いしばって雪の中を歩き通し、一年間の最後に行なわれる志能便の術を楽しみにしているのに、怪我をして山を下りるのは悔しくて辛い事だった。観智坊は絶対に怪我をして山を下りるわけには行かなかった。もう後がなかった。怪我をして山を下りてしまったら、もう二度と師の前には出られないし、それ以上に、蓮如の前に出られなかった。観智坊は怪我だけはしないように、いつも、心を引き締めて稽古に励んでいた。
四月の暑い日だった。観智坊は飯道神社の前で以外な人物と出会った。奈良の小野屋の手代(テダイ)、平蔵(ヘイゾウ)だった。平蔵は蓮台寺城(レンダイジジョウ)の戦(イクサ)の時、本願寺のために加賀まで武器を運んでくれた男だった。平蔵には観智坊が蓮崇だとは気づかなかったが、観智坊にはすぐに分かった。観智坊は声を掛けた。平蔵は信じられないという顔をして観智坊を見ていたが、話を聞いて納得した。しかし、蓮崇が飯道山にいたとは夢でも見ているようだと驚いていた。
平蔵が飯道山に来たのは、やはり、本願寺の事だった。飯道山で作っている矢を、今度、小野屋が取り引きする事になったのだという。今、各地で戦があるため、矢の需要は高かった。しかし、戦が長引いているお陰で供給の方も昔に比べて、かなり多くなり、奈良の興福寺(コウフクジ)と京の延暦寺(エンリャクジ)が座を仕切って、各地で生産されていた。飯道山も延暦寺の座に入って矢の製作と販売をしていたが、飛ぶように売れるという程でもなく、蔵の中には眠っている矢もかなりあった。そこで、小野屋としては刀や槍を飯道山に提供し、代わりに矢を手に入れるという事に決まった。飯道山としても矢を処分して、他の武器を手に入れたかったのだった。小野屋は手に入れた矢を、そっくり加賀に運ぶつもりでいた。飯道山としても矢の使い道までは聞かなかった。飯道山自身が敵味方なく、矢を売っている。商売に政治は抜きというのが建前(タテマエ)だった。
観智坊は平蔵から加賀の状況を聞いた。越中に追い出された本願寺門徒は、未だに加賀に帰れないでいる。守護の富樫次郎は蓮如がいなくなった事によって、強きになって門徒たちを苦しめている。門徒たちは指導的立場にあった蓮崇と慶覚坊が加賀から消えたため、一つにまとまらず、あちこちで一揆騒ぎは起こるが皆、守護方にやられていると言う。特に北加賀は富樫の言いなりとなってしまい、南加賀では超勝寺(チョウショウジ)の者たちが頑張っているようだが、守護代の山川三河守(ヤマゴウミカワノカミ)に丸め込まれるのも時間の問題だろうとの事だった。観智坊は平蔵から加賀の状況を聞くと、自分が強くなって加賀に戻らなければならない、加賀に帰って裏の組織を作り、門徒たちを一つにまとめなければならない、と改めて決心を固めた。
観智坊はその日、夜中まで鉄棒を振り続けて、とうとう気絶してしまった。
五月の中頃、観智坊のような男でも問題を起こした。
一ケ月の山歩きが終わって三ケ月目、修行者たちも山の生活に慣れて気が緩み、ちょっと山を下りてみようと思う者が毎年、必ず現れた。太郎の時もそうだったが、山を下りる事は大目に見られた。修行が辛くて、夜逃げする者もいたからだった。しかし、山を下りて、また山に戻って来るのは具合が悪かった。戻って来た者は必ず捕まり、何かしらの罰を受けた。その罰に耐えられなくて逃げ出す者もいた。
今回、観智坊はいつもの仲間、野田、小川、大原、高野、野村、黒田らに山を下りて、ちょっと酒を飲んで来ようと誘われた。観智坊はやめろと止めたが、彼らは聞かなかった。山を下りて行くのを黙って見ていられなかった観智坊は仕方なく彼らと一緒に山を下りた。見つかって、山から追い出されはしないかと冷や冷やしながら観智坊は彼らに従った。山の中を抜けて山を下りた七人は小さな飲屋に入って、酒を一杯だけ飲むと、すぐに山に戻った。彼らも見つかりはしないかと冷や冷やしていたのだった。彼らにとっては、山を抜け出して酒を飲んで来れば、それだけで満足だった。ほんの一時だったので、ばれる事はないだろうと、それぞれ、自分の宿坊(シュクボウ)に帰って休んだ。観智坊のいる修徳坊では、観智坊がいつも遅くまで道場で稽古しているので、少し位、遅くなっても、誰も変だとは思わなかった。観智坊は、ばれなくて良かったと安心して眠りに就いた。
ところが、次の朝、観智坊を訪ねて師範代の西光坊がやって来た。西光坊は観智坊が山を下りた事を知っていた。
「観智坊殿、まずいですよ」と西光坊は言った。「お山を下りた事が見つかってしまいました」
「えっ?」と観智坊は驚いて、身を硬くした。
「よく、お山を下りて酒を飲んでおったのですか」と西光坊は聞いた。
「いえ‥‥‥初めてです。わしは‥‥‥」
みんなに誘われて、と言おうとして観智坊は口をつぐんだ。他の者たちも見つかってしまったのだろうか‥‥‥
「観智坊殿が一人で飲屋に入って行く所を見た者がおったのです」と西光坊は言った。
一人で、と西光坊は言った。観智坊はみんなの最後に付いて飲屋に入った。もしかしたら、他の者は見られなかったのかもしれないと思った。
「どうして、一人でお山を下りたのです」
「それが‥‥‥どうしても酒が飲みたくなって‥‥‥」
「酒ですか‥‥‥酒なら、お山におっても飲む事はできたのに‥‥‥しかし、お山を下りた事がばれてしまったからには、他の修行者たちの手前もあるし‥‥‥」
「お山を下りなくてはならないのですか」と観智坊は心配しながら聞いた。
「いや。お山は下りなくてはいいが、それ相当の罰を受けなければならんのじゃ」
「どんな罰です」
「まだ、決まっていません。しかし、かなり厳しいものとなるでしょう。今後、お山を抜け出す者がおらなくなるように、観智坊殿は見せしめとならなければならないのです」
「見せしめか‥‥‥」
「太郎坊殿を御存じですね」と西光坊は聞いた。
「ええ。わしの兄弟子にあたるお方です」
「その太郎坊殿も一年間の修行中、お山を抜け出しました」
「えっ、太郎坊殿が‥‥‥」
西光坊は頷いた。「罰として、鐘(カネ)をお山の上に引き上げたんですよ」
「鐘?」
「ええ。鐘撞堂(カネツキドウ)のあの鐘です。あの鐘を里から、見事、引き上げたんですよ。おまけに、雨まで降らせましたよ」
「その話は聞きました。鐘を上げたのは、お山を抜け出した罰としてやったのでしたか」
「そうです。不思議な事に、毎年、必ず、誰かがお山を抜け出します。去年は三人が抜け出しました。罰として、三人は山の東側に深い濠(ホリ)を掘らされました。掘り挙げるのに一ケ月以上も掛かったかのう。その濠は今、みせしめ濠と呼ばれております。そのうち、掘った三人の名前と共に、このお山の伝説の一つになる事でしょう」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、午後までには観智坊殿の罰も決まるでしょう。午前中はいつも通り、作業に行き、午後になったら、覚悟を決めて道場に来る事ですね」
「はい。お山を下りなくても済むのでしたら何でもいたします」
「うむ」と頷くと西光坊は帰って行った。
観智坊の罰は決まった。修行者たちの宿坊に新しく井戸を掘る事だった。前にあった井戸は、飯道山を城塞化するためにあちこちに濠を掘ったので干上がってしまった。修行者たちは毎朝、吉祥院の側にある井戸まで水を汲みに行かなければならなくなった。百人以上もの修行者たちが暮らしている宿坊の側に井戸がないのは不便なので、観智坊に井戸を掘る事を命じたのだった。
一人で井戸を掘るのは難しい仕事だった。まして、どこでも掘れば、水が出て来るというものでもない。井戸を掘るには専門とする井戸掘り人足が必要だった。彼らは長年の勘によって土地を見て、水の出る所を探り当てる事ができた。飯道山にも井戸掘り人足はいたが、今、六角氏の本拠地、観音寺城に行っていた。戦が長引くに連れて、飯道山は甲賀の国人や郷士らと共に六角氏と手を組んでいた。六角氏が観音寺城を拡張するというので、飯道山からも職人や人足たちが助っ人として出掛けて行った。観智坊に井戸掘りを命じた師範たちも観智坊に井戸が掘れるとは思ってはいない。一ケ月程、修行者たちの見守る中で、穴を掘り続ければ、それで、立派な見せしめとなる。一ケ月間、穴を掘って水が出なくても、それはそれでいいと思っていた。専門家が戻って来たら、改めて、井戸の事を頼むつもりだった。
観智坊は干上がってしまった井戸を見た後、山内のあちこちに掘った濠を見て歩いた。そして、濠を掘った時に水が滲(ニジ)み出て来なかったかを聞いて回った。観智坊のその行動は、井戸掘りを命じた師範たちにとって予想外な行動だった。師範たちは、観智坊はすぐに穴を掘り始めるだろうと思っていたが、そんな気配はなく、三日の間、観智坊は山内を歩き回って絵図面を書き、掘るべき場所を捜していた。師範たちを初め、修行者たちも皆、興味深そうに観智坊の行動を見守っていた。観智坊のやる事はまるで専門家のようだった。もしかしたら、本当に井戸を掘るかもしれないと期待する者たちも出て来た。
観智坊は以前、吉崎御坊を作る時、中心になって職人や人足たちの指図をしていた。井戸を掘るのも見ていたし、後に、抜け穴を掘る時、金(カネ)掘りたちが、どうやって深い穴を掘って行くのかも見ていた。実際に井戸を掘った事はなかったが、地面の中にどのように地下水があるのか、およその事は知っていた。
ここの井戸が涸れたという事は、井戸の下にあった地下水が、どこかに流れ出てしまったに違いないと思った。観智坊は山の中をあちこち歩いて見て、南側の濠が、その原因だった事に気づいた。南側の濠を掘った時、水が滲み出て来て、止める事ができず、今、その濠は池のように水が溜まり、水はさらに溢れて、流れ出していると言う。もう、その地下水は使えない。新しい地下水を見つけなければならなかった。あちこちの濠を調べた結果、涸れた井戸よりも深く掘らなければならないという事は分かったが、どこを掘ったらいいのかは分からなかった。前の井戸の深さはおよそ五丈(約十五メートル)だった。それ以上深く掘らなければならない。しかも、たった一人で‥‥‥
観智坊と一緒に山を抜け出した六人は申し訳なさそうに、観智坊のする事を見つめていた。観智坊は、みんなの事はばれていないから、絶対に口に出すなと口止めした。そして、自分の分まで棒術の修行に励んでくれと頼んだ。彼らは黙って頷いた。
前の井戸は食堂(ジキドウ)と米蔵の間にあった。あったと言うよりは、井戸の近くに食堂を建てたと言った方が正しい。百人以上の食事を作る食堂の台所が、一番、井戸を必要としていた。新しく井戸を掘るとすれば、やはり、食堂の側の方がいい。観智坊は食堂の回りを一回りしてみたが、どこを掘ったらいいのか分からなかった。観智坊は本願寺の阿弥陀如来(アミダニョライ)様にすがる事にした。無心になって、ひたすら祈った末、ここだというお告げがあった。
そこは前の井戸より三間(ケン)程、北の地点だった。食堂からも遠くはない。観智坊は場所を決めると、西光坊に頼んで、地の神を鎮(シズ)め、水が沸き出るように祈祷(キトウ)して貰った。観智坊も西光坊と共に一心に阿弥陀如来様に祈った。
次の日から観智坊の穴掘りが始まった。一丈程までは順調に進んだが、その後、岩盤に突き当たった。観智坊はまず、掘った穴の回りを板で固定してから岩盤に取り掛かった。岩盤は手ごわかった。一日中、掘り続けても少しも進まなかった。そればかりでなく、生憎と梅雨に入ってしまった。観智坊は穴の上に屋根を掛けてから作業を続けた。屋根を掛けても雨は入って来た。特に、夜の間に雨は穴の中に溜まり、毎朝、雨水の汲み上げから始めなければならなかった。毎日、朝から晩まで泥だらけになって、穴掘りに熱中していた。観智坊は元々、何かを始めると、その事に熱中する性格だった。本願寺の門徒になったのもそうだったし、特に普請(フシン、土木工事)や作事(サクジ、建築工事)は好きだった。観智坊は武術の事も忘れて、穴掘りに熱中した。
穴を掘り始めて一ケ月が過ぎた。
二尺程の厚さの岩盤を何とか砕き、深さ三丈(九メートル)程の穴が掘れたが、水は出ては来なかった。師範の高林坊は、ここまで掘れば、もういい、と言ったが、観智坊はやめなかった。今、このままでやめてしまったら、これから先、何もかもが中途半端になってしまうような気がして、どうしてもやめられなかった。棒術の修行はやりたかったが、この仕事を途中でやめるわけには行かなかった。また、穴の中で、たった一人で土と格闘していると、自然が持っている力というものを思い知らされ、これも一つの修行に違いないと思うようになっていた。長雨で地盤が緩み、泥土に埋まった事もあった。太く長い木の根に邪魔された事もあった。穴が深くなるにつれて、雨水を掻い出すのも、掘った土を外に出すのも一苦労し、色々と考えなければならなかった。
梅雨も終わり、暑い日々が続いた。
観智坊の穴掘りは続いていた。穴の深さは六丈(約十八メートル)を越えていたが、水の出て来る気配はなかった。観智坊も毎日、休まず働いていたので、疲れがかなり溜まっていた。さすがに、観智坊も弱きになっていた。もしかしたら、いくら掘っても水など出て来ないのではないかと焦りが出ていた。しかし、ここまで掘って、やめるわけにはいかない。水が出て来る事を信じて掘り続けるしかなかった。
観智坊は知らず知らずの内に念仏を唱えながら掘り続けていた。観智坊は何かに取り憑かれたかのように、宿坊に帰る事もなく、暗くなると穴の側で眠り、夜が明けると穴の中に入って行って掘り続けた。外も暑かったが、穴の中は物凄く暑かった。観智坊と一緒に山を下りた六人が心配して、水を運んでくれたり、飯を運んでくれたりしてくれた。それでも観智坊の体は日増しに衰弱して行き、頬はこけ、目はくぼみ、気力だけで穴を掘っているようだった。観智坊の唱える念仏だけが穴の中から不気味に聞こえ、気味悪がる修行者たちもいた。
夜が明け、いつものように観智坊は穴の中に入って行った。いつものように念仏を唱えた時、ふと、何かを感じた。阿弥陀如来様がほほ笑んだような気がした。阿弥陀如来様ではなく、それは蓮如だったかも知れなかった。そして、蓮如が言った言葉を観智坊は思い出した。
願い事をかなえてもらうために念仏を唱えてはいけない。阿弥陀如来様はすでに、みんなの願いをかなえていらっしゃるのだ。その事に気づき、その事に感謝する気持ちになって、念仏を唱えなければいけない‥‥‥
観智坊はその事に気づいた。観智坊は感謝の気持ちを込めて念仏を唱えた。そして、穴を掘った。水が滲み出て来た。水はじわじわと広がって行き、観智坊の足を濡らした。
観智坊は水を見つめながら、本当に阿弥陀如来様に感謝して念仏を唱えた。そして、大声で、「やった!」と叫んだ。
観智坊の掘った穴から水が出て来た日は六月の二十八日だった。観智坊が井戸掘りを命じられてから四十五日目の事だった。その日、二十八日は親鸞忌(シンランキ)だった。毎月、本願寺では報恩講(ホウオンコウ)の行なわれる日だった。観智坊は改めて、自分が本願寺の門徒である事を感じ、親鸞聖人、蓮如上人、阿弥陀如来様に感謝した。
観智坊の掘った井戸は、修行者たちから『念仏の井戸』と呼ばれるようになり、その井戸から水を汲む者は、誰に言われたわけでもないのに、念仏を唱えてから水を汲むようになって行った。
井戸を掘り遂げた観智坊は、再び、棒術の道場に戻った。
一月半振りに握った棒だったが、不思議と体の一部のように感じられた。毎日、鋤(スキ)や鍬(クワ)を持って力仕事をしていたため、知らず知らずのうちに腕の力が付き、棒を構えていても、棒を持っているという意識はなく、本当に体の一部のようだった。一月半も休んでいたとは思えない程、棒が自由自在に使えるようになっていた。
観智坊は七月の半ば、初級から中級に進んだ。
観智坊と共に山を下りた野田、小川、大原、高野、野村、黒田の六人も皆、腕を上げていた。彼らは観智坊に言われたように、観智坊の分まで修行を積んでいた。彼らにとって、自分たちの身代わりとなって、朝から晩まで、泥だらけになって井戸を掘っている観智坊を見るのは辛かった。観智坊がどこか遠くの所で井戸を掘っていれば、彼らだって別に気にはしなかっただろうが、観智坊は彼らが暮らしている宿坊の敷地内で井戸を掘っていた。見たくなくても、毎日、見ないわけには行かなかった。彼らは死に物狂いで穴を掘っている観智坊を見るたびに、観智坊の分まで修行に励まなければ観智坊に申し訳ないと思った。彼らは真剣に修行をするようになり、どんどんと腕を上げて行った。彼ら六人も観智坊と一緒に皆、初級から中級に進んだ。
井戸を掘った後、観智坊の人気は上がって行った。棒術組の修行者たちからだけでなく、他の組の修行者たちからも『親爺』と呼ばれるようになり、何かと相談を受けたり、頼りにされるようになって行った。そんな中、棒術組にいる神保(ジンボ)新助、中山次郎五郎の二人は、なぜか、観智坊たち反抗的だった。観智坊は二人から何を言われても別に気にもしなかったが、彼の回りにいる六人は、その二人とよく言い争いをしていた。争いの原因となるのは、いつも観智坊の事だった。観智坊の事を老いぼれと言い、どうせ、この山にいるのも、何か悪い事をして隠れているに違いないと言ったり、観智坊が掘った井戸の事も、あんなの誰でも掘れる。老いぼれだから一月半も掛かったが、俺たちが掘れば一月で掘れると言っていた。観智坊は六人に対して、相手にするなと常に言っていたが争いは止まらなかった。修行者の中でも二人の棒術の腕がかなり上なので、腕に溺れて、言いたい放題の事を言っても、誰も敵対しなかった。二人は、さらに天狗になって行った。
観智坊の回りにいる六人は、神保と中山の二人を、この山にいるうちに何としてでも倒したいと観智坊と一緒に、毎日、夜遅くまで修行に励んだ。
八月の末、とうとう、六人の中の大原と神保が決闘をしてしまった。大原はいつものように、夕飯を済ました後、観智坊と一緒に稽古をしようと思って道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。その時、たまたま通り掛かった神保が一人で道場にいる大原に声を掛けた。
「お前らが、いくら、稽古を積んでも無駄だ。無駄な事はやめて、さっさと糞(クソ)でもして寝ろ」
「何だと!」と大原は棒を構えた。
「ほう、面白い。俺とやる気か」
「お前のその鼻をへし折ってやる」
大原も毎日、遅くまで稽古に励んでいたので、幾分、自信を持っていた。もしかしたら、勝てるかもしれない。奴に勝てば修行者の中では一番の腕になる。よし、やってやろうと燃えていた。
「ふん。怪我をするぞ」と神保は鼻で笑った。
「その言葉、そっくり、お前に返してやる」
神保は道場の隅に建つ小屋の中から棒を持って出て来ると、ニヤニヤしながら大原の方を見て、「よし、いつでも掛かって来い。鍛えてやる」と言って棒を構えた。
「よし」と大原もと言うと棒を構えた。
神保は大原の構えを見ながら、思っていたよりできるなと思った。簡単にあしらってやるつもりだったが、気を緩めると、こっちがやられるかもしれなかった。神保は構え直して、本気を出してやろうと決めた。
大原の方は初めから本気だった。神保の構えを見て、もしかしたら勝てるかもしれないと思っていた。
二人が棒を構えて睨み合っている時、観智坊が道場に来た。観智坊は、「やめろ!」と怒鳴った。
観智坊の声が合図だったかのように、二人はお互いに近づいて行き、棒を振り上げた。
一打目はお互いに避けた。
観智坊は二人の間に割って入ろうとした。しかし、遅かった。大原の二打目をぎりぎりの所で、はずした神保は大原の右腕をしたたかに打った。
観智坊が二人を分けた時、大原の顔は苦痛に歪み、彼の右腕は力なくぶら下がっていた。
小川と高野が道場に入って来た。異様な雰囲気に気づくと、二人は大原の側に駈け寄って来た。二人は大原の右腕を見ると、かっとなって神保を睨み、神保に飛び掛かろうとした。観智坊は二人を止め、大原を不動院に連れて行かせた。不動院には修行者たちの怪我の治療を専門にしている医者がいた。
二人が大原を不動院に連れて行くと、観智坊は神保に近づいた。
神保は棒を持ったまま、うなだれていた。
「今日の所は帰った方がいい」と観智坊は言った。
「‥‥‥仕方なかったんです」と神保は言った。
「騒ぎが大きくならないうちに、今日の所は帰った方がいい」
「はい‥‥‥」
神保は棒を観智坊に渡すと宿坊の方に帰って行った。
やがて、黒田と野田と野村がやって来た。観智坊は大原と神保の事を三人に話し、この事はしばらく黙っているように頼んだ。三人は怒りに顔を震わせ、絶対に許せないと喚(ワメ)いたが、観智坊は何とかして三人をなだめた。三人は納得して不動院に向かった。
大原の腕の怪我は重傷だった。骨が砕けていた。うまく行けば骨がつながり、元に戻る事も考えられるが、このまま使えなくなる事も考えられた。もし、元に戻るとしても、一月の間は右腕を使う事はできないだろう。大原としては絶対に山を下りたくはなかったが、山を下りるように命じられた。怪我をしてから三日後、大原は仲間に見送られながら山を下りて行った。
あの事件が起きてから、大原の仲間だった五人は、絶対に大原の仇を打ってやると、神保を倒そうと稽古を積んでいた。一方、神保の方はあの時以来、人が変わったかのように、おとなしくなっていた。いつも一緒にいた中山とも離れ、独りで孤立していた。
九月十四日から始まる祭りの準備で忙しい頃だった。観智坊は寿命院(ジュミョウイン)の前の石段に一人で腰掛けている神保の姿を目にした。何か思い詰めているようなので観智坊は側に行って声を掛けた。
神保は顔を上げたが何も言わなかった。
「どうしたんじゃ」と観智坊は言って隣に腰を下ろした。
しばらく黙っていたが、神保はボソボソと話し始めた。
「俺、お山を下りようと思っています。このまま、お山にいても稽古に身が入りません」
「まだ、あの時の事を気にしておるのか」と観智坊は聞いた。
神保は頷いた。「奴は俺の事を恨んでおるでしょう。でも、あの時、ああするしかなかったのです。俺は奴があれ程までに腕を上げていたとは知らなかった。簡単にあしらってやるつもりだったが、そんな余裕はなかった。真剣にやらなければ、俺の方がやられると思った‥‥‥俺は奴の打って来る棒を必死で避けて反撃した。手加減をする余裕なんて、まったく、なかったんだ‥‥‥結果はああなってしまった。しかし、それはほんの一瞬の差だった。もしかしたら、俺の方がああなってしまったかもしれなかった‥‥‥」
「そうじゃったのか‥‥‥みんなはお前がわざとやったに違いないと思っておるぞ」
「分かっております‥‥‥みんながどう思おうと構わない。ただ、大原の奴だけには本当の所を伝えたいんだ」
「そうか‥‥‥それで山を下りるのか‥‥‥しかし、山を下りたら、もう二度と戻っては来れなくなるぞ」
「分かっております。しかし、今のまま、ここにいても、大原の事が気になって修行にならない」
「そうか‥‥‥」
「修行なら、やる気になれば、どこにいてもできます。しかし、今、大原と会っておかないと、一生、後悔するような気がするのです」
「そうじゃな‥‥‥自分の気持ちはごまかせんからのう。自分でそう決めたのなら、やるべきじゃ」
神保は観智坊を見つめながら頷いた。「観智坊殿、今まで、すみませんでした。俺も本当は観智坊殿たちと一緒にわいわいやりたかった。しかし、俺にはできなかった。つまらない意地を張っていたのです‥‥‥すみませんでした」
「そんな事は別にいいんじゃ」と観智坊は笑った。
神保も笑った。神保の笑顔を見たのは初めてだと観智坊は思った。
神保は観智坊の事を親爺と呼んで、山を下りて行った。
その後、神保と大原の間で何があったのか分からないが、飯道山の祭りの最後の日、神保と大原は揃って山に登って来た。神保は人が変わったかのように陽気だった。大原の怪我も順調に回復に向かっているとの事だった。二人は修行者たちの宿坊に挨拶に来た。二人があまりにも仲がいい事に、皆、びっくりしていた。神保が急に山からいなくなったので、逃げて行ったに違いないと思っていた五人も、二人の様子に驚き、訳を聞くと、皆、神保の事を許して、以前のわだかまりはすっかりと消えた。
その後、神保と大原の二人は、里にて一緒に棒術の修行に励み、時折、山に顔を見せに来ていた。
六百人余りもいた若者たちは、ほとんどが山を去って、残ったのは百二十人程だった。その内、棒術組に入って来たのは三十一人だった。新しい若者たちが入って来ると道場も賑やかになって来た。棒術の組には他の武術と違って、初心者の者も結構いた。彼らも剣術や槍術は子供の頃から習っていたが、棒術を習うのは初めてだった。その事を知って、観智坊もいくらか安心した。先輩の山伏たちから、この山に来る若者たちは皆、子供の頃から武術を習っているので、皆、人並み以上の腕を持っている。お前も、奴らが山歩きをしているうちに、基本だけは身に付けないと置いて行かれるぞと威(オド)しを掛けられたのだった。
観智坊は午前は矢作りの作業に励み、午後は遅くまで棒を振り回していた。この山にいる間は武術の事だけを考え、蓮如や本願寺門徒の事は考えないようにしようと思ってはいたが、夜になって横になると、時折、門徒たちの悲鳴や叫びが観智坊を苦しめていた。
ようやく雪も溶け、春になり、山々の桜が満開となった。その頃になると、観智坊も新しい生活に慣れ、若い修行者たちにも溶け込んで、何人かの仲間もできていた。山伏では、葛城山(カツラギサン)から来た真照坊(シンショウボウ)、伊吹山から来た自在坊、油日山(アブラヒサン)から来た東陽坊、愛宕山(アタゴサン)から来た流厳坊、多賀神社から来た妙賢坊(ミョウケンボウ)の六人と仲よくなり、若い修行者では、野田七郎、小川弥六郎、大原源八、高野宗太郎、野村太郎三郎、黒田小五郎の六人と仲よくなった。野村太郎三郎は伊賀出身で、他の者は皆、甲賀出身だった。観智坊は彼らから『親爺』と呼ばれて慕われていた。
自分の兄弟子である太郎坊の事も彼らから、よく聞かされた。太郎坊は『志能便の術』を編み出し、若者たちは皆、その術を身に付けたくて、この山に登って来るのだと言う。この山で一年間、修行して、志能便の術を身に付けると、甲賀では一目置かれる存在となると言う。志能便の術を身に付けたお陰で、六角(ロッカク)氏のもとに仕官した者もいる。また、伝説になっている太郎坊に会う事ができるだけでも凄い事なのだと言った。観智坊は彼らから、太郎坊の伝説を耳にたこができる程、聞かされていた。
観智坊は一度、太郎坊に会った事があった。師の風眼坊から噂は聞いていたが、実際に目にして、思っていたよりも若い男だった。若いが山伏としての貫禄はあった。かなり、修行を積んでいるという事は分かったが、あの男がこの山で、これ程、人気があり、伝説になっていたとは知らなかった。また、師の風眼坊の事も年配の山伏たちから聞いていた。風眼坊もこの山では伝説となっている有名人だった。師といい、兄弟子といい、凄い人たちだと思った。自分も負けられないとは思うが、二人のように有名になる事などありえなかった。師の風眼坊が自分の事を弟子だと公表しなくて良かったと観智坊は心から思っていた。公表されていたら、これが風眼坊の弟子か、と師や兄弟子まで笑われる事になりかねない。観智坊は二人を笑い者にしないためにも、精一杯、頑張っていた。
棒術は不思議な武術だった。観智坊はただ、棒なら人を殺さなくても済むと思って、迷わず棒術を選んだが、棒でも簡単に人を殺す事ができる事を知って驚いた。棒術というのは、刀の代わりに棒を持って、ただ、打ったり受けたりするものだろうと簡単に考えていたが、もっと、ずっと奥の深いものだった。棒というものは使い方によっては、刀にもなるし、槍にもなるし、薙刀にもなるという事をまず学んだ。持ち方も色々とあって、構え方、打ち方、突き方、受け方にも色々とあった。基本を身に付けた観智坊が、次に教わったのは敵を突いたり、打ったりする場所、すなわち、急所だった。人間の体には幾つもの急所と呼ばれる場所のある事を観智坊は知った。そこを打ったり、突いたりすれば、人間は簡単に死ぬと言う。観智坊は立木を相手に、敵の急所を狙って打ったり突いたりする事を毎日のように稽古した。
この山で教えているのは武術だった。自分の身を守るなどという生易しいものではない。敵をいかに確実に素早く殺せるかを訓練しているのだった。稽古中に怪我をする者も多かった。軽い怪我なら山を下りる事はないが、重傷を負ってしまえば、自分の意志に拘わらず、山を下りなくてはならなかった。皆、一ケ月間、歯を食いしばって雪の中を歩き通し、一年間の最後に行なわれる志能便の術を楽しみにしているのに、怪我をして山を下りるのは悔しくて辛い事だった。観智坊は絶対に怪我をして山を下りるわけには行かなかった。もう後がなかった。怪我をして山を下りてしまったら、もう二度と師の前には出られないし、それ以上に、蓮如の前に出られなかった。観智坊は怪我だけはしないように、いつも、心を引き締めて稽古に励んでいた。
四月の暑い日だった。観智坊は飯道神社の前で以外な人物と出会った。奈良の小野屋の手代(テダイ)、平蔵(ヘイゾウ)だった。平蔵は蓮台寺城(レンダイジジョウ)の戦(イクサ)の時、本願寺のために加賀まで武器を運んでくれた男だった。平蔵には観智坊が蓮崇だとは気づかなかったが、観智坊にはすぐに分かった。観智坊は声を掛けた。平蔵は信じられないという顔をして観智坊を見ていたが、話を聞いて納得した。しかし、蓮崇が飯道山にいたとは夢でも見ているようだと驚いていた。
平蔵が飯道山に来たのは、やはり、本願寺の事だった。飯道山で作っている矢を、今度、小野屋が取り引きする事になったのだという。今、各地で戦があるため、矢の需要は高かった。しかし、戦が長引いているお陰で供給の方も昔に比べて、かなり多くなり、奈良の興福寺(コウフクジ)と京の延暦寺(エンリャクジ)が座を仕切って、各地で生産されていた。飯道山も延暦寺の座に入って矢の製作と販売をしていたが、飛ぶように売れるという程でもなく、蔵の中には眠っている矢もかなりあった。そこで、小野屋としては刀や槍を飯道山に提供し、代わりに矢を手に入れるという事に決まった。飯道山としても矢を処分して、他の武器を手に入れたかったのだった。小野屋は手に入れた矢を、そっくり加賀に運ぶつもりでいた。飯道山としても矢の使い道までは聞かなかった。飯道山自身が敵味方なく、矢を売っている。商売に政治は抜きというのが建前(タテマエ)だった。
観智坊は平蔵から加賀の状況を聞いた。越中に追い出された本願寺門徒は、未だに加賀に帰れないでいる。守護の富樫次郎は蓮如がいなくなった事によって、強きになって門徒たちを苦しめている。門徒たちは指導的立場にあった蓮崇と慶覚坊が加賀から消えたため、一つにまとまらず、あちこちで一揆騒ぎは起こるが皆、守護方にやられていると言う。特に北加賀は富樫の言いなりとなってしまい、南加賀では超勝寺(チョウショウジ)の者たちが頑張っているようだが、守護代の山川三河守(ヤマゴウミカワノカミ)に丸め込まれるのも時間の問題だろうとの事だった。観智坊は平蔵から加賀の状況を聞くと、自分が強くなって加賀に戻らなければならない、加賀に帰って裏の組織を作り、門徒たちを一つにまとめなければならない、と改めて決心を固めた。
観智坊はその日、夜中まで鉄棒を振り続けて、とうとう気絶してしまった。
2
五月の中頃、観智坊のような男でも問題を起こした。
一ケ月の山歩きが終わって三ケ月目、修行者たちも山の生活に慣れて気が緩み、ちょっと山を下りてみようと思う者が毎年、必ず現れた。太郎の時もそうだったが、山を下りる事は大目に見られた。修行が辛くて、夜逃げする者もいたからだった。しかし、山を下りて、また山に戻って来るのは具合が悪かった。戻って来た者は必ず捕まり、何かしらの罰を受けた。その罰に耐えられなくて逃げ出す者もいた。
今回、観智坊はいつもの仲間、野田、小川、大原、高野、野村、黒田らに山を下りて、ちょっと酒を飲んで来ようと誘われた。観智坊はやめろと止めたが、彼らは聞かなかった。山を下りて行くのを黙って見ていられなかった観智坊は仕方なく彼らと一緒に山を下りた。見つかって、山から追い出されはしないかと冷や冷やしながら観智坊は彼らに従った。山の中を抜けて山を下りた七人は小さな飲屋に入って、酒を一杯だけ飲むと、すぐに山に戻った。彼らも見つかりはしないかと冷や冷やしていたのだった。彼らにとっては、山を抜け出して酒を飲んで来れば、それだけで満足だった。ほんの一時だったので、ばれる事はないだろうと、それぞれ、自分の宿坊(シュクボウ)に帰って休んだ。観智坊のいる修徳坊では、観智坊がいつも遅くまで道場で稽古しているので、少し位、遅くなっても、誰も変だとは思わなかった。観智坊は、ばれなくて良かったと安心して眠りに就いた。
ところが、次の朝、観智坊を訪ねて師範代の西光坊がやって来た。西光坊は観智坊が山を下りた事を知っていた。
「観智坊殿、まずいですよ」と西光坊は言った。「お山を下りた事が見つかってしまいました」
「えっ?」と観智坊は驚いて、身を硬くした。
「よく、お山を下りて酒を飲んでおったのですか」と西光坊は聞いた。
「いえ‥‥‥初めてです。わしは‥‥‥」
みんなに誘われて、と言おうとして観智坊は口をつぐんだ。他の者たちも見つかってしまったのだろうか‥‥‥
「観智坊殿が一人で飲屋に入って行く所を見た者がおったのです」と西光坊は言った。
一人で、と西光坊は言った。観智坊はみんなの最後に付いて飲屋に入った。もしかしたら、他の者は見られなかったのかもしれないと思った。
「どうして、一人でお山を下りたのです」
「それが‥‥‥どうしても酒が飲みたくなって‥‥‥」
「酒ですか‥‥‥酒なら、お山におっても飲む事はできたのに‥‥‥しかし、お山を下りた事がばれてしまったからには、他の修行者たちの手前もあるし‥‥‥」
「お山を下りなくてはならないのですか」と観智坊は心配しながら聞いた。
「いや。お山は下りなくてはいいが、それ相当の罰を受けなければならんのじゃ」
「どんな罰です」
「まだ、決まっていません。しかし、かなり厳しいものとなるでしょう。今後、お山を抜け出す者がおらなくなるように、観智坊殿は見せしめとならなければならないのです」
「見せしめか‥‥‥」
「太郎坊殿を御存じですね」と西光坊は聞いた。
「ええ。わしの兄弟子にあたるお方です」
「その太郎坊殿も一年間の修行中、お山を抜け出しました」
「えっ、太郎坊殿が‥‥‥」
西光坊は頷いた。「罰として、鐘(カネ)をお山の上に引き上げたんですよ」
「鐘?」
「ええ。鐘撞堂(カネツキドウ)のあの鐘です。あの鐘を里から、見事、引き上げたんですよ。おまけに、雨まで降らせましたよ」
「その話は聞きました。鐘を上げたのは、お山を抜け出した罰としてやったのでしたか」
「そうです。不思議な事に、毎年、必ず、誰かがお山を抜け出します。去年は三人が抜け出しました。罰として、三人は山の東側に深い濠(ホリ)を掘らされました。掘り挙げるのに一ケ月以上も掛かったかのう。その濠は今、みせしめ濠と呼ばれております。そのうち、掘った三人の名前と共に、このお山の伝説の一つになる事でしょう」
「そうですか‥‥‥」
「まあ、午後までには観智坊殿の罰も決まるでしょう。午前中はいつも通り、作業に行き、午後になったら、覚悟を決めて道場に来る事ですね」
「はい。お山を下りなくても済むのでしたら何でもいたします」
「うむ」と頷くと西光坊は帰って行った。
観智坊の罰は決まった。修行者たちの宿坊に新しく井戸を掘る事だった。前にあった井戸は、飯道山を城塞化するためにあちこちに濠を掘ったので干上がってしまった。修行者たちは毎朝、吉祥院の側にある井戸まで水を汲みに行かなければならなくなった。百人以上もの修行者たちが暮らしている宿坊の側に井戸がないのは不便なので、観智坊に井戸を掘る事を命じたのだった。
一人で井戸を掘るのは難しい仕事だった。まして、どこでも掘れば、水が出て来るというものでもない。井戸を掘るには専門とする井戸掘り人足が必要だった。彼らは長年の勘によって土地を見て、水の出る所を探り当てる事ができた。飯道山にも井戸掘り人足はいたが、今、六角氏の本拠地、観音寺城に行っていた。戦が長引くに連れて、飯道山は甲賀の国人や郷士らと共に六角氏と手を組んでいた。六角氏が観音寺城を拡張するというので、飯道山からも職人や人足たちが助っ人として出掛けて行った。観智坊に井戸掘りを命じた師範たちも観智坊に井戸が掘れるとは思ってはいない。一ケ月程、修行者たちの見守る中で、穴を掘り続ければ、それで、立派な見せしめとなる。一ケ月間、穴を掘って水が出なくても、それはそれでいいと思っていた。専門家が戻って来たら、改めて、井戸の事を頼むつもりだった。
観智坊は干上がってしまった井戸を見た後、山内のあちこちに掘った濠を見て歩いた。そして、濠を掘った時に水が滲(ニジ)み出て来なかったかを聞いて回った。観智坊のその行動は、井戸掘りを命じた師範たちにとって予想外な行動だった。師範たちは、観智坊はすぐに穴を掘り始めるだろうと思っていたが、そんな気配はなく、三日の間、観智坊は山内を歩き回って絵図面を書き、掘るべき場所を捜していた。師範たちを初め、修行者たちも皆、興味深そうに観智坊の行動を見守っていた。観智坊のやる事はまるで専門家のようだった。もしかしたら、本当に井戸を掘るかもしれないと期待する者たちも出て来た。
観智坊は以前、吉崎御坊を作る時、中心になって職人や人足たちの指図をしていた。井戸を掘るのも見ていたし、後に、抜け穴を掘る時、金(カネ)掘りたちが、どうやって深い穴を掘って行くのかも見ていた。実際に井戸を掘った事はなかったが、地面の中にどのように地下水があるのか、およその事は知っていた。
ここの井戸が涸れたという事は、井戸の下にあった地下水が、どこかに流れ出てしまったに違いないと思った。観智坊は山の中をあちこち歩いて見て、南側の濠が、その原因だった事に気づいた。南側の濠を掘った時、水が滲み出て来て、止める事ができず、今、その濠は池のように水が溜まり、水はさらに溢れて、流れ出していると言う。もう、その地下水は使えない。新しい地下水を見つけなければならなかった。あちこちの濠を調べた結果、涸れた井戸よりも深く掘らなければならないという事は分かったが、どこを掘ったらいいのかは分からなかった。前の井戸の深さはおよそ五丈(約十五メートル)だった。それ以上深く掘らなければならない。しかも、たった一人で‥‥‥
観智坊と一緒に山を抜け出した六人は申し訳なさそうに、観智坊のする事を見つめていた。観智坊は、みんなの事はばれていないから、絶対に口に出すなと口止めした。そして、自分の分まで棒術の修行に励んでくれと頼んだ。彼らは黙って頷いた。
前の井戸は食堂(ジキドウ)と米蔵の間にあった。あったと言うよりは、井戸の近くに食堂を建てたと言った方が正しい。百人以上の食事を作る食堂の台所が、一番、井戸を必要としていた。新しく井戸を掘るとすれば、やはり、食堂の側の方がいい。観智坊は食堂の回りを一回りしてみたが、どこを掘ったらいいのか分からなかった。観智坊は本願寺の阿弥陀如来(アミダニョライ)様にすがる事にした。無心になって、ひたすら祈った末、ここだというお告げがあった。
そこは前の井戸より三間(ケン)程、北の地点だった。食堂からも遠くはない。観智坊は場所を決めると、西光坊に頼んで、地の神を鎮(シズ)め、水が沸き出るように祈祷(キトウ)して貰った。観智坊も西光坊と共に一心に阿弥陀如来様に祈った。
次の日から観智坊の穴掘りが始まった。一丈程までは順調に進んだが、その後、岩盤に突き当たった。観智坊はまず、掘った穴の回りを板で固定してから岩盤に取り掛かった。岩盤は手ごわかった。一日中、掘り続けても少しも進まなかった。そればかりでなく、生憎と梅雨に入ってしまった。観智坊は穴の上に屋根を掛けてから作業を続けた。屋根を掛けても雨は入って来た。特に、夜の間に雨は穴の中に溜まり、毎朝、雨水の汲み上げから始めなければならなかった。毎日、朝から晩まで泥だらけになって、穴掘りに熱中していた。観智坊は元々、何かを始めると、その事に熱中する性格だった。本願寺の門徒になったのもそうだったし、特に普請(フシン、土木工事)や作事(サクジ、建築工事)は好きだった。観智坊は武術の事も忘れて、穴掘りに熱中した。
穴を掘り始めて一ケ月が過ぎた。
二尺程の厚さの岩盤を何とか砕き、深さ三丈(九メートル)程の穴が掘れたが、水は出ては来なかった。師範の高林坊は、ここまで掘れば、もういい、と言ったが、観智坊はやめなかった。今、このままでやめてしまったら、これから先、何もかもが中途半端になってしまうような気がして、どうしてもやめられなかった。棒術の修行はやりたかったが、この仕事を途中でやめるわけには行かなかった。また、穴の中で、たった一人で土と格闘していると、自然が持っている力というものを思い知らされ、これも一つの修行に違いないと思うようになっていた。長雨で地盤が緩み、泥土に埋まった事もあった。太く長い木の根に邪魔された事もあった。穴が深くなるにつれて、雨水を掻い出すのも、掘った土を外に出すのも一苦労し、色々と考えなければならなかった。
梅雨も終わり、暑い日々が続いた。
観智坊の穴掘りは続いていた。穴の深さは六丈(約十八メートル)を越えていたが、水の出て来る気配はなかった。観智坊も毎日、休まず働いていたので、疲れがかなり溜まっていた。さすがに、観智坊も弱きになっていた。もしかしたら、いくら掘っても水など出て来ないのではないかと焦りが出ていた。しかし、ここまで掘って、やめるわけにはいかない。水が出て来る事を信じて掘り続けるしかなかった。
観智坊は知らず知らずの内に念仏を唱えながら掘り続けていた。観智坊は何かに取り憑かれたかのように、宿坊に帰る事もなく、暗くなると穴の側で眠り、夜が明けると穴の中に入って行って掘り続けた。外も暑かったが、穴の中は物凄く暑かった。観智坊と一緒に山を下りた六人が心配して、水を運んでくれたり、飯を運んでくれたりしてくれた。それでも観智坊の体は日増しに衰弱して行き、頬はこけ、目はくぼみ、気力だけで穴を掘っているようだった。観智坊の唱える念仏だけが穴の中から不気味に聞こえ、気味悪がる修行者たちもいた。
夜が明け、いつものように観智坊は穴の中に入って行った。いつものように念仏を唱えた時、ふと、何かを感じた。阿弥陀如来様がほほ笑んだような気がした。阿弥陀如来様ではなく、それは蓮如だったかも知れなかった。そして、蓮如が言った言葉を観智坊は思い出した。
願い事をかなえてもらうために念仏を唱えてはいけない。阿弥陀如来様はすでに、みんなの願いをかなえていらっしゃるのだ。その事に気づき、その事に感謝する気持ちになって、念仏を唱えなければいけない‥‥‥
観智坊はその事に気づいた。観智坊は感謝の気持ちを込めて念仏を唱えた。そして、穴を掘った。水が滲み出て来た。水はじわじわと広がって行き、観智坊の足を濡らした。
観智坊は水を見つめながら、本当に阿弥陀如来様に感謝して念仏を唱えた。そして、大声で、「やった!」と叫んだ。
観智坊の掘った穴から水が出て来た日は六月の二十八日だった。観智坊が井戸掘りを命じられてから四十五日目の事だった。その日、二十八日は親鸞忌(シンランキ)だった。毎月、本願寺では報恩講(ホウオンコウ)の行なわれる日だった。観智坊は改めて、自分が本願寺の門徒である事を感じ、親鸞聖人、蓮如上人、阿弥陀如来様に感謝した。
観智坊の掘った井戸は、修行者たちから『念仏の井戸』と呼ばれるようになり、その井戸から水を汲む者は、誰に言われたわけでもないのに、念仏を唱えてから水を汲むようになって行った。
3
井戸を掘り遂げた観智坊は、再び、棒術の道場に戻った。
一月半振りに握った棒だったが、不思議と体の一部のように感じられた。毎日、鋤(スキ)や鍬(クワ)を持って力仕事をしていたため、知らず知らずのうちに腕の力が付き、棒を構えていても、棒を持っているという意識はなく、本当に体の一部のようだった。一月半も休んでいたとは思えない程、棒が自由自在に使えるようになっていた。
観智坊は七月の半ば、初級から中級に進んだ。
観智坊と共に山を下りた野田、小川、大原、高野、野村、黒田の六人も皆、腕を上げていた。彼らは観智坊に言われたように、観智坊の分まで修行を積んでいた。彼らにとって、自分たちの身代わりとなって、朝から晩まで、泥だらけになって井戸を掘っている観智坊を見るのは辛かった。観智坊がどこか遠くの所で井戸を掘っていれば、彼らだって別に気にはしなかっただろうが、観智坊は彼らが暮らしている宿坊の敷地内で井戸を掘っていた。見たくなくても、毎日、見ないわけには行かなかった。彼らは死に物狂いで穴を掘っている観智坊を見るたびに、観智坊の分まで修行に励まなければ観智坊に申し訳ないと思った。彼らは真剣に修行をするようになり、どんどんと腕を上げて行った。彼ら六人も観智坊と一緒に皆、初級から中級に進んだ。
井戸を掘った後、観智坊の人気は上がって行った。棒術組の修行者たちからだけでなく、他の組の修行者たちからも『親爺』と呼ばれるようになり、何かと相談を受けたり、頼りにされるようになって行った。そんな中、棒術組にいる神保(ジンボ)新助、中山次郎五郎の二人は、なぜか、観智坊たち反抗的だった。観智坊は二人から何を言われても別に気にもしなかったが、彼の回りにいる六人は、その二人とよく言い争いをしていた。争いの原因となるのは、いつも観智坊の事だった。観智坊の事を老いぼれと言い、どうせ、この山にいるのも、何か悪い事をして隠れているに違いないと言ったり、観智坊が掘った井戸の事も、あんなの誰でも掘れる。老いぼれだから一月半も掛かったが、俺たちが掘れば一月で掘れると言っていた。観智坊は六人に対して、相手にするなと常に言っていたが争いは止まらなかった。修行者の中でも二人の棒術の腕がかなり上なので、腕に溺れて、言いたい放題の事を言っても、誰も敵対しなかった。二人は、さらに天狗になって行った。
観智坊の回りにいる六人は、神保と中山の二人を、この山にいるうちに何としてでも倒したいと観智坊と一緒に、毎日、夜遅くまで修行に励んだ。
八月の末、とうとう、六人の中の大原と神保が決闘をしてしまった。大原はいつものように、夕飯を済ました後、観智坊と一緒に稽古をしようと思って道場に向かった。道場にはまだ、誰もいなかった。その時、たまたま通り掛かった神保が一人で道場にいる大原に声を掛けた。
「お前らが、いくら、稽古を積んでも無駄だ。無駄な事はやめて、さっさと糞(クソ)でもして寝ろ」
「何だと!」と大原は棒を構えた。
「ほう、面白い。俺とやる気か」
「お前のその鼻をへし折ってやる」
大原も毎日、遅くまで稽古に励んでいたので、幾分、自信を持っていた。もしかしたら、勝てるかもしれない。奴に勝てば修行者の中では一番の腕になる。よし、やってやろうと燃えていた。
「ふん。怪我をするぞ」と神保は鼻で笑った。
「その言葉、そっくり、お前に返してやる」
神保は道場の隅に建つ小屋の中から棒を持って出て来ると、ニヤニヤしながら大原の方を見て、「よし、いつでも掛かって来い。鍛えてやる」と言って棒を構えた。
「よし」と大原もと言うと棒を構えた。
神保は大原の構えを見ながら、思っていたよりできるなと思った。簡単にあしらってやるつもりだったが、気を緩めると、こっちがやられるかもしれなかった。神保は構え直して、本気を出してやろうと決めた。
大原の方は初めから本気だった。神保の構えを見て、もしかしたら勝てるかもしれないと思っていた。
二人が棒を構えて睨み合っている時、観智坊が道場に来た。観智坊は、「やめろ!」と怒鳴った。
観智坊の声が合図だったかのように、二人はお互いに近づいて行き、棒を振り上げた。
一打目はお互いに避けた。
観智坊は二人の間に割って入ろうとした。しかし、遅かった。大原の二打目をぎりぎりの所で、はずした神保は大原の右腕をしたたかに打った。
観智坊が二人を分けた時、大原の顔は苦痛に歪み、彼の右腕は力なくぶら下がっていた。
小川と高野が道場に入って来た。異様な雰囲気に気づくと、二人は大原の側に駈け寄って来た。二人は大原の右腕を見ると、かっとなって神保を睨み、神保に飛び掛かろうとした。観智坊は二人を止め、大原を不動院に連れて行かせた。不動院には修行者たちの怪我の治療を専門にしている医者がいた。
二人が大原を不動院に連れて行くと、観智坊は神保に近づいた。
神保は棒を持ったまま、うなだれていた。
「今日の所は帰った方がいい」と観智坊は言った。
「‥‥‥仕方なかったんです」と神保は言った。
「騒ぎが大きくならないうちに、今日の所は帰った方がいい」
「はい‥‥‥」
神保は棒を観智坊に渡すと宿坊の方に帰って行った。
やがて、黒田と野田と野村がやって来た。観智坊は大原と神保の事を三人に話し、この事はしばらく黙っているように頼んだ。三人は怒りに顔を震わせ、絶対に許せないと喚(ワメ)いたが、観智坊は何とかして三人をなだめた。三人は納得して不動院に向かった。
大原の腕の怪我は重傷だった。骨が砕けていた。うまく行けば骨がつながり、元に戻る事も考えられるが、このまま使えなくなる事も考えられた。もし、元に戻るとしても、一月の間は右腕を使う事はできないだろう。大原としては絶対に山を下りたくはなかったが、山を下りるように命じられた。怪我をしてから三日後、大原は仲間に見送られながら山を下りて行った。
あの事件が起きてから、大原の仲間だった五人は、絶対に大原の仇を打ってやると、神保を倒そうと稽古を積んでいた。一方、神保の方はあの時以来、人が変わったかのように、おとなしくなっていた。いつも一緒にいた中山とも離れ、独りで孤立していた。
九月十四日から始まる祭りの準備で忙しい頃だった。観智坊は寿命院(ジュミョウイン)の前の石段に一人で腰掛けている神保の姿を目にした。何か思い詰めているようなので観智坊は側に行って声を掛けた。
神保は顔を上げたが何も言わなかった。
「どうしたんじゃ」と観智坊は言って隣に腰を下ろした。
しばらく黙っていたが、神保はボソボソと話し始めた。
「俺、お山を下りようと思っています。このまま、お山にいても稽古に身が入りません」
「まだ、あの時の事を気にしておるのか」と観智坊は聞いた。
神保は頷いた。「奴は俺の事を恨んでおるでしょう。でも、あの時、ああするしかなかったのです。俺は奴があれ程までに腕を上げていたとは知らなかった。簡単にあしらってやるつもりだったが、そんな余裕はなかった。真剣にやらなければ、俺の方がやられると思った‥‥‥俺は奴の打って来る棒を必死で避けて反撃した。手加減をする余裕なんて、まったく、なかったんだ‥‥‥結果はああなってしまった。しかし、それはほんの一瞬の差だった。もしかしたら、俺の方がああなってしまったかもしれなかった‥‥‥」
「そうじゃったのか‥‥‥みんなはお前がわざとやったに違いないと思っておるぞ」
「分かっております‥‥‥みんながどう思おうと構わない。ただ、大原の奴だけには本当の所を伝えたいんだ」
「そうか‥‥‥それで山を下りるのか‥‥‥しかし、山を下りたら、もう二度と戻っては来れなくなるぞ」
「分かっております。しかし、今のまま、ここにいても、大原の事が気になって修行にならない」
「そうか‥‥‥」
「修行なら、やる気になれば、どこにいてもできます。しかし、今、大原と会っておかないと、一生、後悔するような気がするのです」
「そうじゃな‥‥‥自分の気持ちはごまかせんからのう。自分でそう決めたのなら、やるべきじゃ」
神保は観智坊を見つめながら頷いた。「観智坊殿、今まで、すみませんでした。俺も本当は観智坊殿たちと一緒にわいわいやりたかった。しかし、俺にはできなかった。つまらない意地を張っていたのです‥‥‥すみませんでした」
「そんな事は別にいいんじゃ」と観智坊は笑った。
神保も笑った。神保の笑顔を見たのは初めてだと観智坊は思った。
神保は観智坊の事を親爺と呼んで、山を下りて行った。
その後、神保と大原の間で何があったのか分からないが、飯道山の祭りの最後の日、神保と大原は揃って山に登って来た。神保は人が変わったかのように陽気だった。大原の怪我も順調に回復に向かっているとの事だった。二人は修行者たちの宿坊に挨拶に来た。二人があまりにも仲がいい事に、皆、びっくりしていた。神保が急に山からいなくなったので、逃げて行ったに違いないと思っていた五人も、二人の様子に驚き、訳を聞くと、皆、神保の事を許して、以前のわだかまりはすっかりと消えた。
その後、神保と大原の二人は、里にて一緒に棒術の修行に励み、時折、山に顔を見せに来ていた。
20.観智坊露香2
4
賑やかな飯道山の祭りも終わり、秋も深まって行った。
観智坊がこの山に来て、すでに一年が過ぎていた。長かったようで、短かった一年だった。この山に来て観智坊は色々な事を学んだ。今まで考えてもみなかった様々な事を知った。体付きや顔付きまでも、すっかりと変わり、もう、どこから見ても立派な山伏だった。
観智坊はすっかり生まれ変わっていた。
若い者たちから『親爺、親爺』と慕われ、今の生活に充分に満足していた。棒術の腕も自分でも信じられない程に上達して行った。若い者たちの面倒味がいいので、先輩の山伏たちからも、このまま、この山に残らないかと誘われる事もあった。今のまま修行を積んで行けば、ここの師範代になる事も夢ではないとも言われた。
観智坊もすでに四十歳を過ぎていた。先もそう長いわけではない。加賀の事は気になるが、果たして、自分が加賀に戻ったとして、一体、何ができるのだろうか、裏の組織を作るといっても、そう簡単にはできないだろう。自分がしなくても、誰かがやるに違いない。加賀の事は門徒たちに任せて、自分はここで新しい人生を送ろうと考えるようになって行った。やがて、師範代になる事ができれば、家族を呼んで、この地で暮らそう。そして、息子をこの山に入れて鍛え、加賀に送ってもいい。自分がこれから何かをやるより、若い息子に託した方がいいかもしれないと思うようになって行った。
若い者たちに囲まれて、観智坊は毎日、楽しかった。若者たちは観智坊を頼って色々な相談を持ちかけて来た。観智坊は親身になって相談に乗り、解決してやった。観智坊は若者たちから、一年間の修行が終わったら、是非、うちに来てくれと誘われたり、一緒に酒を飲もうと誘われたり、女遊びをしようと誘われたり、引っ張り凧だった。観智坊も皆のために、どうしても師範代にならなければならないと稽古に励んでいた。
観智坊の一日は夜明け前の修徳坊の掃除で始まり、本尊の阿弥陀如来の前での法華経(ホケキョウ)の読経をし、朝飯を食べると矢作りの作業場へと行き、午後は棒術の稽古だった。
十月の初めの事だった。観智坊がいつものように読経を済ませ、自分の部屋に戻ろうとした時、仏壇の片隅に見慣れた字の書かれた紙切れが目に付いた。一瞬、誰の字だったか分からなかったが、その字に懐かしいものを感じた。観智坊は仏壇に近づいて、その紙切れを手に取って調べた。それは蓮如の書いた『御文(オフミ)』だった。勿論、蓮如の自筆ではない。誰かによって写されたものだった。よく見れば、全然、蓮如の筆跡とは違った。しかし、観智坊には一瞬、それが蓮如の自筆のように見えた。目の錯覚だったかと観智坊は思い、その御文を読んでみた。
御文は今年の七月に書かれたものだった。どこの誰が写したのかは分からない。内容は、いつもの御文と同じような事が繰り返し書かれてあった。観智坊はその御文を読みながら、胸の奥に熱い物を感じていた。自然と涙が溢れ出て来て止める事はできなかった。涙で目が曇り、最後まで読めなかった。観智坊はその御文を読みながら、蓮如と初めて会った時から、別れた時までの事を一瞬の内に思い出していた。
観智坊はその御文を握ったまま、棒術の道場へと走って行った。
道場には誰もいなかった。
観智坊は片隅に建つ武具小屋に入って、思いきり涙を流した。
様々な事が急に思い出された。
若くして死んだ母親‥‥‥
本覚寺に奉公に出て、こき使われた事‥‥‥
本泉寺の如乗との出会い‥‥‥
娘、あやの病死‥‥‥
そして、蓮如との出会い‥‥‥
今の観智坊がいるのは蓮如のお陰だった。蓮如と会わなければ、自分は本願寺の一門徒として終わっていたに違いない。蓮如あってこその自分だった。
蓮如はすでに六十歳を越えている。六十歳を過ぎても蓮如は門徒たちのために戦っていた。それを四十歳を過ぎたから、そろそろ、楽をしようと考えていた自分が恥ずかしく思えた。自分は蓮如よりも二十歳も若いのだ。加賀の事も、誰かがやるから、自分がやらなくてもいいと思っていた自分が恥ずかしかった。誰かがやるからではなく、自分がやらなければならないのだった。自分はその事をやるために、この山で修行しているのだった。やれるかどうかが問題ではなかった。やらなければならない事をやれる所までやり通す事が重要なのだ。特に、本願寺の裏の組織を作るという事は山伏となった観智坊にしかできない仕事だった。辛い事も色々とあったが、この山で若者たちに囲まれて暮らしているうちに、いつの間にか、その事を忘れて、楽な方、楽な方へと考えるようになってしまっていた。
観智坊はその日、小屋の中で、加賀で起こった事をすべて思い出し、決心を新たにした。
修徳坊に帰って、御文を誰が持って来たのか聞いて回ったが、誰もそんな事を知らなかった。みんな、それが蓮如の御文という事さえ知らない。結局、誰か信者が持って来たのだろうという事となり、観智坊はその御文を貰う事ができた。誰がここに持って来たのか分からないが、観智坊は、その誰かに感謝した。もし、その御文を見なかったら、観智坊の一生が変わってしまったかも知れなかった。観智坊はその御文を今後の戒(イマシ)めとして、常に、肌身離さず持っている事に決めた。
その日から、観智坊は今まで以上に稽古に励んだ。この山で師範代になる事は諦め、加賀に戻るために稽古に励んだ。この山を下りるまで後三ケ月もなかった。三ケ月のうちで、身に付けられる事はすべて身に付けたかった。
今まで棒術の稽古をする時、相手も棒術だった。しかし、山を下りて敵と実際に戦う場合、相手も棒で掛かって来るとは限らない。刀の事もあるし、槍の事もあるし、薙刀の事もある。あるいは弓矢や手裏剣のような飛び道具の事もあるだろう。山を下りたら、すべての物を相手にしなければならない。
観智坊は稽古が終わった後、他の組の修行者たちに頼み、稽古を付けて貰う事にした。剣術組の大久保源内、槍組の牧村右馬介(ウマノスケ)、薙刀組の西山左近の三人がよく付き合ってくれた。三人共、同じ武器同士で稽古するより、ためになると言って喜んで付き合ってくれた。
剣術を相手に戦うのは棒術とそれ程は変わらなかったが、槍や薙刀を相手にするのは難しかった。また、木剣を相手にするのと真剣を相手にするのとでは全然、違った。木剣なら棒で受けても切られる事はないが、真剣の場合、下手をすれば棒を切られる事も考えられる。切られる事を想定した上で戦わなければならなかった。切られないようにするためには樫の棒を鉄板か鉄の棒で補強するか、樫の棒のままで使うなら、絶対に刀の刃を受け止めない事だった。敵が打とうとして来た瞬間に刀の横面、鎬(シノギ)を払うか、敵の太刀筋を見極めて避けるしかなかった。槍や薙刀の場合も、真剣だと思って稽古に励んだ。
観智坊は山を下りるまで、一時も無駄にしたくはなかった。眠る時間も惜しんで武術に熱中した。休みたいと思ったり、怠け心が起きると、蓮如の御文を読んで心を励ました。
四十を過ぎた親爺が頑張っている姿を見て、若い修行者たちもやる気を出していた。毎年、夜遅くまで稽古に励んでいる者が何人かいたが、今年は異例だった。どこの道場も十人以上の者たちが夜遅くまで稽古に励んでいる。そして、今まで、組が違うと余り交流もなかったが、今年は違う組同士の者たちがお互いの腕を磨くために協力し合っていた。
武術総師範の高林坊もこの現象には驚いていた。夜遅くまで稽古に励んでいる若者たちを見ながら、自分たちの若かった頃の事を思い出していた。高林坊が四天王と呼ばれていた頃、修行者の数は今程、いなかったが、師範も修行者も皆、若く、夜遅くまで稽古に励んだものだった。あの頃は道場も一つしかなく、剣術も棒術も槍術も薙刀術も皆、一緒になって稽古に励んでいた。違う得物(エモノ)を使う者と稽古をする事は、同じ得物同士で稽古をするよりも、ずっと学ぶものが多かった。高林坊自身も風眼坊、栄意坊、火乱坊らを相手にして腕を磨いて行った。その事は分かっていたが、修行者の数が多くなるにつれて、自然と組に分かれて修行するようになり、それが当然の事のようになってしまった。
高林坊は観智坊が他の組の者と稽古しているのを見て、その当時の事を思い出した。そして、これは是非ともやらなければならないと思った。月に一度位は他の組の者と稽古ができるようにしようと高林坊は思った。高林坊は観智坊に、忘れてしまっていた重要な事を思い出させてくれた事に陰ながら感謝していた。
観智坊は太郎坊とは違って、格別な強さというものはないが、若い者たちを引っ張って行く、何か不思議な魅力を持っているのかもしれないと高林坊は思った。風眼坊が観智坊を自分の弟子にすると言った時、はっきり言って、風眼坊がふざけているのだろうと思っていた。百日行をすると言った時も、観智坊が歩き通すとは思ってもいなかった。観智坊が見事に百日行をやりとげ、棒術組に入って来た時も、ただ、一年間、頑張れと思っただけだった。まあ、一年間、稽古に励めば、人並み程には強くなれるだろうと思っただけで、別に何も期待はしなかったし、一々、気にも止めなかった。ところが、観智坊がこの山にいる事によって、山の雰囲気は変わって行った。若者たちが皆、やる気を出して修行に励んでいるのだった。こんな事は今までにない事だった。毎年、何人かの者が遅くまで修行に励んでいた。太郎坊がそうだったし、太郎坊の弟子となった、光一郎、八郎、五郎がそうだった。毎年、二、三人はそんなのがいた。しかし、今年は二、三人どころではなかった。修行者の半分近くの者たちが、観智坊に影響されて遅くまで稽古に励んでいる。
高林坊は改めて、観智坊という男を見直した。自分には見抜く事ができなかったが、観智坊という男には、風眼坊が弟子にするだけの何かがあるのかもしれないと思うようになって行った。
高林坊はその日から観智坊という男を陰ながら見守る事にした。
早雲と小太郎が駿河にて活躍して、竜王丸をお屋形様にする事に成功した頃、観智坊は下界の事とはまったく隔離(カクリ)されて、武術だけに熱中していた。
十一月になり、枯葉も散って、寒さも厳しくなって来ると、観智坊はこの山にいる時間が短くなった事を気にして、やたらと焦り始めていた。山を下りるまで、もう二ケ月もなかった。時はどんどん過ぎて行くが、まだまだ、身に付けるべきものは色々と残っていた。気持ちが焦れば焦る程、厳しい稽古を積んでいるのにも拘わらず、上達はしなかった。持ち慣れている棒までが重く感じ、自分の思うように振れなかった。
「観智坊殿、疲れが出て来たんですよ」と野村が言った。
「稽古ばかりではなく、時には休む事も重要です」と小川は言った。
「いや、休む暇などない。もう、時がないんだ」
「観智坊殿、これは聞いた話ですけど、武術の稽古をしていて行き詰まった時は、何も考えないで座り込むのがいいそうですよ」と黒田が言った。
「座り込む?」
「はい。座禅と言うんですか、静かに座って、無になるんだそうです」
「無になる?」
「はい。何もかも忘れて座るんです。そうすると、何かがひらめくそうです」
「ひらめくのか‥‥‥」
観智坊は以前、風眼坊から、そんなような事を聞いた事があった。何かが分からなくなった時は、すべてを忘れて座っていると自然と心が落ち着き、物事が解決する事もあると風眼坊は言っていた。観智坊は自分が焦っているという事を自覚していた。焦ってはよくないという事も以前の経験から知っている。しかし、この焦りを止める事はできなかった。焦るな、焦るな、と思えば思う程、さらに焦っている自分を感じていた。このままでは駄目だった。こんな気持ちのままで、この山を下りる事はできなかった。
観智坊は黒田の言うように、しばらく、何も考えないで座ってみようと思った。黒田に座り方を教わると、観智坊はすぐに、その場に座り込んだ。
「観智坊殿、こんな所に座っては体を冷しますよ。部屋に帰ってから座って下さい」
黒田がそう言ったが、観智坊は返事をしなかった。仕方なく、その場にいた野村、小川、黒田、西山の四人は観智坊に従って、寒い道場内に座り込んだ。半時程して、寒さに耐えられず、四人は帰って行ったが、観智坊は一人で座り続けた。
何も考えるな、と言っても無理だった。次々に頭の中に考えが巡った。一つの考えを打ち消すと次の考えが出て来て、それを打ち消すと、また、違う考えが現れた。
最初に出て来たのは、観智坊が実際に今、答えが出ないで焦っている武術の事だった。木剣を構えている大久保の姿が頭の中に浮かび、大久保に対して、どう戦おうかと考えを巡らした。大久保の事は忘れろと打ち消すと、今度は薙刀を構えた西山の姿が浮かび、観智坊はまた、薙刀に対して、どう戦おうか考えた。それを打ち消すと、今度は槍を構えた牧村が現れ、次には、棒を構えた西光坊が現れた。次々に色々な相手が現れ、ついには、太郎坊も現れ、師の風眼坊までもが現れた。観智坊はそれらを皆、打ち消して行った。
武術の事から、ようやく離れる事ができたと思ったら、今度は加賀の本泉寺に置いて来た家族の事が頭に浮かんだ。本泉寺にいる妻や子供たちの姿が、実際に見ているかのように浮かんだ。息子の乗円(ジョウエン)が娘のすぎと一緒に、蓮如の作った庭園の掃除をしていた。やがて、妻の妙阿(ミョウア)が勝如尼(ショウニョニ)と一緒に出て来て庭園を眺めていた。丁度、庭園の向こうに日が沈む時で、蓮如の作った庭園は極楽浄土のように美しかった。その光景を頭に浮かべ、いい気持ちになっていた観智坊だったが、それも慌てて打ち消した。
無になるん、無に‥‥‥
しかし、それは難しかった。
次に現れたのは妻の姿だった。肌衣(ハダギヌ)姿の妻は布団の中で観智坊を誘っていた。観智坊は妻の体に飛び付いて行った。やがて、妻の顔は若い娘に変わった。それは、観智坊が加賀を離れて蓮如と共に近江の大津にいた頃、観智坊が囲っていた娘だった。娘は大胆な姿態で観智坊を誘った。女は次々と違う女に代わって行き、あられもない姿で観智坊を誘った。観智坊はニヤニヤしながら女たちに挑んで行った。
観智坊は我に返って、頭を振ると頭の中の思いを断ち切った。
わしは何を考えておるんじゃ。確かに、女には飢えている。しかし、今はそんな事を考えてはいられないんだ。山を下りれば、女なんて好きなだけ抱けばいい。今は、そんな事を考えている暇はないんだ‥‥‥
とにかく、何も考えるな‥‥‥
考えるな、考えるな、と思っても、頭の方は言う事を聞かない。
蓮如の顔が浮かんで来た。蓮如は息子たちに囲まれて笑っていた。大津の順如(ジュンニョ)がいた。波佐谷(ハサダニ)の蓮綱(レンコウ)がいた。山田の蓮誓(レンセイ)がいた。そして、実如(ジツニョ)、蓮淳(レンジュン)、蓮悟(レンゴ)がいた。そこが、どこなのか観智坊には分からなかったが、蓮如は幸せそうだった。慶覚坊(キョウガクボウ)と慶聞坊(キョウモンボウ)と下間頼善(シモツマライゼン)が現れた。そこでは一揆は起こらないのだろうか、皆、和(ナゴ)やかな顔をしていた。
蓮如の幸せそうな顔をもっと見ていたかったが、場面は急に変わった。そこには痩せ衰えた子供たちの姿があった。女たちが泣いていた。男たちは武器を持って戦の支度をしていたが、絶望的な顔色だった。そこは、越中の瑞泉寺(ズイセンジ)の横にある避難所だった。木目谷(キメダニ)の高橋新左衛門の姿があった。何だか急に老け込んだようだった。以前のような精悍(セイカン)さはなく、死んだような情けない目付きだった。新左衛門は本願寺の裏の組織を作るために頑張っているはずだった。それなのに、これは一体、どうした事なんだ‥‥‥
場面はまた変わった。次に浮かんで来たのは吉崎御坊だった。観智坊は北門をくぐって懐かしい御坊への坂道を登っていた。本堂が見えた。そして、御影堂(ゴエイドウ)、庫裏(クリ)、書院が見えた。観智坊は庫裏の側で遊んでいた蓮如の子供たちを思い出した。観智坊は庫裏に入った。蓮如はいなかった。また、旅に出たんだなと思った。書院に顔を出した。執事(シツジ)の下間玄永がいるだろうと思ったが、玄永はいなかった。書院では本覚寺蓮光(ホンガクジレンコウ)と超勝寺(チョウショウジ)の三兄弟、浄徳寺慶恵(ジョウトクジキョウエ)、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)が何やら密談を交わしていた。観智坊は超勝寺の者に近づいては駄目だと蓮光に言ったが、お前は何者だ、と言われ、吉崎御坊から追い出されてしまった。蓮崇だと言っても、蓮崇は破門された。のこのこと、こんな所には来られまいと言って相手にされなかった。観智坊は「上人様!」と叫んだ。
知らず知らず、観智坊は本当に叫んでいた。
目を開けると、もう、夜が明けようとしていた。
東の空がうっすらと明るくなりかけていた。どの位、座っていただろうか、結局、心を無にする事はできなかった。様々な思いが頭の中に浮かんでは消え、何の解決にもならなかった。観智坊は東の空を見つめながら、どうしたらいいのだろうと考えていた。その時、人の気配を感じて、観智坊は振り返った。
高林坊が道場に入って来た。こんな早くから、何で、高林坊がこんな所に来るのだろうと不思議に思いながら見ていると、高林坊は観智坊の側まで来て座り込んだ。
「どうじゃ、答えは見つかったか」と高林坊は言った。
「いえ‥‥‥」と観智坊は首を振った。
今まで、高林坊と二人だけで言葉を交わした事はなかった。時折、道場に出て来ても、直接に話した事はなかった。どうして、高林坊がこんな朝早くから自分に声を掛けて来たのか、観智坊には分からなかった。
「壁にぶつかったようじゃのう」と高林坊は言った。
「壁?」と観智坊は聞いた。
「武術というのは不思議なもんじゃ」と高林坊は言った。「稽古を積めば積む程、強くなるというのは事実じゃが、ある程度の強さまで行くと、誰でも必ず、壁に突き当たる」
観智坊は黙って、高林坊の顔を見つめた。
「太郎坊の奴も壁に突き当たって悩んでおった。そして、その壁を自力で突き破って行った‥‥‥強くなれば強くなる程、その壁というのは大きくなって立ちはだかるもんじゃ。観智坊、そなたも今、その壁にぶち当たったんじゃよ。何としてでも、その壁を突き破らん事には、それ以上強くはなれんぞ」
「壁ですか‥‥‥どうして、強くなると壁に突き当たるのですか」
「どうしてかのう‥‥‥うまく説明する事はできんが、武術というものは、ただ、技術だけでは敵に勝つ事はできんと言う事じゃな。技術というのは教える事はできる。ある程度、技術を身に付けてしまえば、それから先の事は、決して誰からも教わる事はできんのじゃ。自分で身に付けて行くしかないんじゃ‥‥‥武術というのは人と人との戦いじゃ。敵にも心はあるし、自分にも心はある。刃(ヤイバ)を交わして、構える。誰もが怖いと思う。それは当然の事じゃ。負ければ死ぬ。誰でもその事は考える。敵に勝つためには、その恐れを克服(コクフク)しなければならん。恐れを克服して敵に勝てるようになったとする。敵に勝って満足する。しかし、そこでまた壁にぶつかるんじゃ。敵に勝った。しかし、敵を殺してしまった事に対しての悔いが残るんじゃよ‥‥‥わしも今までに何人かの人を殺した。未だに悔いておる。何であんな事をしてしまったのじゃろうとな。武術というのは、確かに人を殺すための技術じゃ。しかし、わしはそれを越えた所に、本当の武術というものがあるような気がするんじゃ。矛盾かも知れんが、争い事を無くすための武術というものがあるような気がするんじゃよ」
「争いを無くすための武術‥‥‥」
「ああ。よく分からんが、武術には使う者の心というものが多分に作用する事は確かじゃ。心の修行も大切だという事じゃ‥‥‥わしは太郎坊と二度、立ち合った事があった。一度目は完全にわしの勝ちじゃった。太郎坊はその後、再び、百日行をやり、山の中に半年程、籠もった。何をやっておったのかは知らん。山から出て来た時、わしは太郎坊と二度目の立ち合いをした。お互いに構えただけで終わったが、わしは心で太郎坊に負けたと思った。言葉ではうまく説明できないが、太郎坊の大きな心にふわっと包み込まれたように感じたんじゃ。心というのは決して見る事はできないが、武術においては、心の動きというものは大きく作用するんじゃよ。わしが見た所、そなたも今、心の問題で悩んでおると思う。心が何かに囚われておると、体まで自由に動かなくなるもんじゃ。そんな時は稽古を離れて、そうやって座り込む事が一番じゃ‥‥‥わしは、そなたの事を風眼坊から頼まれておった。しかし、わしは今まで、そなたの力にはなれなかった。矢作りの作業の事じゃが、もう、充分に身に付けたじゃろう」
「はい‥‥‥」
「今日から作業はしなくてもいいようにしてやる。思い切り、その壁にぶち当たってみろ」
そう言うと高林坊は立ち上がった。
「ありがとうございます」と観智坊は頭を下げた。
「なに、そなたがやるだけの事をやったからじゃ」と高林坊は笑った。「精一杯、努力をすれば、必ず、誰かが力を貸すもんじゃ」
高林坊は去って行った。
観智坊は、もうしばらく座り続けてみようと思った。ただ、この道場では邪魔になる。観智坊は修徳坊の裏山の中で座り込む事にした。そこで座り込んでみても様々な思いが頭に巡った。それを打ち消しながら観智坊は座り続けた。日差しを浴びて、そのうちに気持ちよくなって、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めたら、もう日暮れ近かった。こんな事では駄目だと思い、気持ちを引き締めて座り続けたが、今度は腹がぐうぐう鳴って来た。考えてみたら今日は何も食べていなかった。食べずに座り続けるか、食べてから、また座ろうか考えたが、腹が減っては戦もできないと思い、修徳坊に帰って飯を食い、また裏山に登った。
三日目になって、ようやく、無の境地というものが少しづつ分かり掛けて来た。何も考えないでいる事の快感というものが分かり掛けて来た。何となく、自分が自然の中に溶け込んで行くように感じられた。以前、自分は自分で、自然は自然だったものが、自分も自然の中の一部で、自然という大きな力に優しく包み込まれているような、何とも言えない、いい気持ちになって行った。もしかしたら、この自然というのは蓮如上人の言う阿弥陀如来様の事ではないのだろうか、と観智坊は思った。
阿弥陀如来様に優しく包まれている事に気づけば、自然と感謝の念は起きて来る。観智坊の心の中から、自然と『南無阿弥陀仏』という念仏が起こって来た。それは本当に自然な事だった。その念仏には何の欲も絡んでいなかった。純粋な感謝の気持ちだった。
観智坊は目を開けた。
見慣れた自然の姿が、まるで、極楽浄土のように感じられた。観智坊はまた、知らずのうちに念仏を唱えた。まったく無意識の念仏だった。
観智坊には、ようやく、蓮如が繰り返し、繰り返し言っていた念仏の意味が分かったような気がした。今まで、観智坊が唱えていた念仏は本物ではなかった。蓮如は、阿弥陀如来様の偉大なる心が分かれば、自然と感謝の念仏が心の底から涌き出て来ると、何度も御文で言っていた。頭では分かったつもりでいたが、本当に分かってはいなかった。今、無意識のうちに出た念仏こそが、蓮如が言っていた念仏だったのだと観智坊は思った。
観智坊は自然に対して合掌をした。本当に阿弥陀如来様に抱かれているような感じだった。
観智坊は静かにその場を離れると道場に向かった。道場では皆がいつものように稽古に励んでいた。
観智坊は棒を手にした。井戸掘りが終わった時のように、その棒は体の一部のように感じられた。不思議な事だったが棒も自由に使う事ができた。高林坊の言っていた『壁』というものを乗り越えたようだった。
稽古が終わり、夜になって、剣術や槍術や薙刀術を相手にしても棒は思うように使えた。心が何かに囚われていると体も自由に使えなくなると高林坊は言っていた。観智坊は剣、槍、薙刀という得物(エモノ)にこだわり過ぎていたのだった。敵がこう来たら、ああやって、ああ来たら、こうやろうというような細かい事にこだわり過ぎていたのだった。剣、槍、薙刀をそれぞれ別に考えて、剣でこう来たら、ああやる、槍がこう来たら、ああやる、薙刀でこう来たら、ああやらなければならないと色々と考えた結果、頭の中は混乱し、体の自由が利かなくなったのだった。剣も槍も薙刀も、刃の通る道はただ一つだった。その事さえ見極めれば、皆、同じ事だった。敵の出方によって臨機応変に応えればいいのだった。観智坊はやっと、その事に気がついた。
壁を乗り越えた観智坊は、また一段と腕を上げて行った。壁を乗り越えた日から七日後、観智坊は上級に上がった。
観智坊は片隅に建つ武具小屋に入って、思いきり涙を流した。
様々な事が急に思い出された。
若くして死んだ母親‥‥‥
本覚寺に奉公に出て、こき使われた事‥‥‥
本泉寺の如乗との出会い‥‥‥
娘、あやの病死‥‥‥
そして、蓮如との出会い‥‥‥
今の観智坊がいるのは蓮如のお陰だった。蓮如と会わなければ、自分は本願寺の一門徒として終わっていたに違いない。蓮如あってこその自分だった。
蓮如はすでに六十歳を越えている。六十歳を過ぎても蓮如は門徒たちのために戦っていた。それを四十歳を過ぎたから、そろそろ、楽をしようと考えていた自分が恥ずかしく思えた。自分は蓮如よりも二十歳も若いのだ。加賀の事も、誰かがやるから、自分がやらなくてもいいと思っていた自分が恥ずかしかった。誰かがやるからではなく、自分がやらなければならないのだった。自分はその事をやるために、この山で修行しているのだった。やれるかどうかが問題ではなかった。やらなければならない事をやれる所までやり通す事が重要なのだ。特に、本願寺の裏の組織を作るという事は山伏となった観智坊にしかできない仕事だった。辛い事も色々とあったが、この山で若者たちに囲まれて暮らしているうちに、いつの間にか、その事を忘れて、楽な方、楽な方へと考えるようになってしまっていた。
観智坊はその日、小屋の中で、加賀で起こった事をすべて思い出し、決心を新たにした。
修徳坊に帰って、御文を誰が持って来たのか聞いて回ったが、誰もそんな事を知らなかった。みんな、それが蓮如の御文という事さえ知らない。結局、誰か信者が持って来たのだろうという事となり、観智坊はその御文を貰う事ができた。誰がここに持って来たのか分からないが、観智坊は、その誰かに感謝した。もし、その御文を見なかったら、観智坊の一生が変わってしまったかも知れなかった。観智坊はその御文を今後の戒(イマシ)めとして、常に、肌身離さず持っている事に決めた。
その日から、観智坊は今まで以上に稽古に励んだ。この山で師範代になる事は諦め、加賀に戻るために稽古に励んだ。この山を下りるまで後三ケ月もなかった。三ケ月のうちで、身に付けられる事はすべて身に付けたかった。
今まで棒術の稽古をする時、相手も棒術だった。しかし、山を下りて敵と実際に戦う場合、相手も棒で掛かって来るとは限らない。刀の事もあるし、槍の事もあるし、薙刀の事もある。あるいは弓矢や手裏剣のような飛び道具の事もあるだろう。山を下りたら、すべての物を相手にしなければならない。
観智坊は稽古が終わった後、他の組の修行者たちに頼み、稽古を付けて貰う事にした。剣術組の大久保源内、槍組の牧村右馬介(ウマノスケ)、薙刀組の西山左近の三人がよく付き合ってくれた。三人共、同じ武器同士で稽古するより、ためになると言って喜んで付き合ってくれた。
剣術を相手に戦うのは棒術とそれ程は変わらなかったが、槍や薙刀を相手にするのは難しかった。また、木剣を相手にするのと真剣を相手にするのとでは全然、違った。木剣なら棒で受けても切られる事はないが、真剣の場合、下手をすれば棒を切られる事も考えられる。切られる事を想定した上で戦わなければならなかった。切られないようにするためには樫の棒を鉄板か鉄の棒で補強するか、樫の棒のままで使うなら、絶対に刀の刃を受け止めない事だった。敵が打とうとして来た瞬間に刀の横面、鎬(シノギ)を払うか、敵の太刀筋を見極めて避けるしかなかった。槍や薙刀の場合も、真剣だと思って稽古に励んだ。
観智坊は山を下りるまで、一時も無駄にしたくはなかった。眠る時間も惜しんで武術に熱中した。休みたいと思ったり、怠け心が起きると、蓮如の御文を読んで心を励ました。
四十を過ぎた親爺が頑張っている姿を見て、若い修行者たちもやる気を出していた。毎年、夜遅くまで稽古に励んでいる者が何人かいたが、今年は異例だった。どこの道場も十人以上の者たちが夜遅くまで稽古に励んでいる。そして、今まで、組が違うと余り交流もなかったが、今年は違う組同士の者たちがお互いの腕を磨くために協力し合っていた。
武術総師範の高林坊もこの現象には驚いていた。夜遅くまで稽古に励んでいる若者たちを見ながら、自分たちの若かった頃の事を思い出していた。高林坊が四天王と呼ばれていた頃、修行者の数は今程、いなかったが、師範も修行者も皆、若く、夜遅くまで稽古に励んだものだった。あの頃は道場も一つしかなく、剣術も棒術も槍術も薙刀術も皆、一緒になって稽古に励んでいた。違う得物(エモノ)を使う者と稽古をする事は、同じ得物同士で稽古をするよりも、ずっと学ぶものが多かった。高林坊自身も風眼坊、栄意坊、火乱坊らを相手にして腕を磨いて行った。その事は分かっていたが、修行者の数が多くなるにつれて、自然と組に分かれて修行するようになり、それが当然の事のようになってしまった。
高林坊は観智坊が他の組の者と稽古しているのを見て、その当時の事を思い出した。そして、これは是非ともやらなければならないと思った。月に一度位は他の組の者と稽古ができるようにしようと高林坊は思った。高林坊は観智坊に、忘れてしまっていた重要な事を思い出させてくれた事に陰ながら感謝していた。
観智坊は太郎坊とは違って、格別な強さというものはないが、若い者たちを引っ張って行く、何か不思議な魅力を持っているのかもしれないと高林坊は思った。風眼坊が観智坊を自分の弟子にすると言った時、はっきり言って、風眼坊がふざけているのだろうと思っていた。百日行をすると言った時も、観智坊が歩き通すとは思ってもいなかった。観智坊が見事に百日行をやりとげ、棒術組に入って来た時も、ただ、一年間、頑張れと思っただけだった。まあ、一年間、稽古に励めば、人並み程には強くなれるだろうと思っただけで、別に何も期待はしなかったし、一々、気にも止めなかった。ところが、観智坊がこの山にいる事によって、山の雰囲気は変わって行った。若者たちが皆、やる気を出して修行に励んでいるのだった。こんな事は今までにない事だった。毎年、何人かの者が遅くまで修行に励んでいた。太郎坊がそうだったし、太郎坊の弟子となった、光一郎、八郎、五郎がそうだった。毎年、二、三人はそんなのがいた。しかし、今年は二、三人どころではなかった。修行者の半分近くの者たちが、観智坊に影響されて遅くまで稽古に励んでいる。
高林坊は改めて、観智坊という男を見直した。自分には見抜く事ができなかったが、観智坊という男には、風眼坊が弟子にするだけの何かがあるのかもしれないと思うようになって行った。
高林坊はその日から観智坊という男を陰ながら見守る事にした。
5
早雲と小太郎が駿河にて活躍して、竜王丸をお屋形様にする事に成功した頃、観智坊は下界の事とはまったく隔離(カクリ)されて、武術だけに熱中していた。
十一月になり、枯葉も散って、寒さも厳しくなって来ると、観智坊はこの山にいる時間が短くなった事を気にして、やたらと焦り始めていた。山を下りるまで、もう二ケ月もなかった。時はどんどん過ぎて行くが、まだまだ、身に付けるべきものは色々と残っていた。気持ちが焦れば焦る程、厳しい稽古を積んでいるのにも拘わらず、上達はしなかった。持ち慣れている棒までが重く感じ、自分の思うように振れなかった。
「観智坊殿、疲れが出て来たんですよ」と野村が言った。
「稽古ばかりではなく、時には休む事も重要です」と小川は言った。
「いや、休む暇などない。もう、時がないんだ」
「観智坊殿、これは聞いた話ですけど、武術の稽古をしていて行き詰まった時は、何も考えないで座り込むのがいいそうですよ」と黒田が言った。
「座り込む?」
「はい。座禅と言うんですか、静かに座って、無になるんだそうです」
「無になる?」
「はい。何もかも忘れて座るんです。そうすると、何かがひらめくそうです」
「ひらめくのか‥‥‥」
観智坊は以前、風眼坊から、そんなような事を聞いた事があった。何かが分からなくなった時は、すべてを忘れて座っていると自然と心が落ち着き、物事が解決する事もあると風眼坊は言っていた。観智坊は自分が焦っているという事を自覚していた。焦ってはよくないという事も以前の経験から知っている。しかし、この焦りを止める事はできなかった。焦るな、焦るな、と思えば思う程、さらに焦っている自分を感じていた。このままでは駄目だった。こんな気持ちのままで、この山を下りる事はできなかった。
観智坊は黒田の言うように、しばらく、何も考えないで座ってみようと思った。黒田に座り方を教わると、観智坊はすぐに、その場に座り込んだ。
「観智坊殿、こんな所に座っては体を冷しますよ。部屋に帰ってから座って下さい」
黒田がそう言ったが、観智坊は返事をしなかった。仕方なく、その場にいた野村、小川、黒田、西山の四人は観智坊に従って、寒い道場内に座り込んだ。半時程して、寒さに耐えられず、四人は帰って行ったが、観智坊は一人で座り続けた。
何も考えるな、と言っても無理だった。次々に頭の中に考えが巡った。一つの考えを打ち消すと次の考えが出て来て、それを打ち消すと、また、違う考えが現れた。
最初に出て来たのは、観智坊が実際に今、答えが出ないで焦っている武術の事だった。木剣を構えている大久保の姿が頭の中に浮かび、大久保に対して、どう戦おうかと考えを巡らした。大久保の事は忘れろと打ち消すと、今度は薙刀を構えた西山の姿が浮かび、観智坊はまた、薙刀に対して、どう戦おうか考えた。それを打ち消すと、今度は槍を構えた牧村が現れ、次には、棒を構えた西光坊が現れた。次々に色々な相手が現れ、ついには、太郎坊も現れ、師の風眼坊までもが現れた。観智坊はそれらを皆、打ち消して行った。
武術の事から、ようやく離れる事ができたと思ったら、今度は加賀の本泉寺に置いて来た家族の事が頭に浮かんだ。本泉寺にいる妻や子供たちの姿が、実際に見ているかのように浮かんだ。息子の乗円(ジョウエン)が娘のすぎと一緒に、蓮如の作った庭園の掃除をしていた。やがて、妻の妙阿(ミョウア)が勝如尼(ショウニョニ)と一緒に出て来て庭園を眺めていた。丁度、庭園の向こうに日が沈む時で、蓮如の作った庭園は極楽浄土のように美しかった。その光景を頭に浮かべ、いい気持ちになっていた観智坊だったが、それも慌てて打ち消した。
無になるん、無に‥‥‥
しかし、それは難しかった。
次に現れたのは妻の姿だった。肌衣(ハダギヌ)姿の妻は布団の中で観智坊を誘っていた。観智坊は妻の体に飛び付いて行った。やがて、妻の顔は若い娘に変わった。それは、観智坊が加賀を離れて蓮如と共に近江の大津にいた頃、観智坊が囲っていた娘だった。娘は大胆な姿態で観智坊を誘った。女は次々と違う女に代わって行き、あられもない姿で観智坊を誘った。観智坊はニヤニヤしながら女たちに挑んで行った。
観智坊は我に返って、頭を振ると頭の中の思いを断ち切った。
わしは何を考えておるんじゃ。確かに、女には飢えている。しかし、今はそんな事を考えてはいられないんだ。山を下りれば、女なんて好きなだけ抱けばいい。今は、そんな事を考えている暇はないんだ‥‥‥
とにかく、何も考えるな‥‥‥
考えるな、考えるな、と思っても、頭の方は言う事を聞かない。
蓮如の顔が浮かんで来た。蓮如は息子たちに囲まれて笑っていた。大津の順如(ジュンニョ)がいた。波佐谷(ハサダニ)の蓮綱(レンコウ)がいた。山田の蓮誓(レンセイ)がいた。そして、実如(ジツニョ)、蓮淳(レンジュン)、蓮悟(レンゴ)がいた。そこが、どこなのか観智坊には分からなかったが、蓮如は幸せそうだった。慶覚坊(キョウガクボウ)と慶聞坊(キョウモンボウ)と下間頼善(シモツマライゼン)が現れた。そこでは一揆は起こらないのだろうか、皆、和(ナゴ)やかな顔をしていた。
蓮如の幸せそうな顔をもっと見ていたかったが、場面は急に変わった。そこには痩せ衰えた子供たちの姿があった。女たちが泣いていた。男たちは武器を持って戦の支度をしていたが、絶望的な顔色だった。そこは、越中の瑞泉寺(ズイセンジ)の横にある避難所だった。木目谷(キメダニ)の高橋新左衛門の姿があった。何だか急に老け込んだようだった。以前のような精悍(セイカン)さはなく、死んだような情けない目付きだった。新左衛門は本願寺の裏の組織を作るために頑張っているはずだった。それなのに、これは一体、どうした事なんだ‥‥‥
場面はまた変わった。次に浮かんで来たのは吉崎御坊だった。観智坊は北門をくぐって懐かしい御坊への坂道を登っていた。本堂が見えた。そして、御影堂(ゴエイドウ)、庫裏(クリ)、書院が見えた。観智坊は庫裏の側で遊んでいた蓮如の子供たちを思い出した。観智坊は庫裏に入った。蓮如はいなかった。また、旅に出たんだなと思った。書院に顔を出した。執事(シツジ)の下間玄永がいるだろうと思ったが、玄永はいなかった。書院では本覚寺蓮光(ホンガクジレンコウ)と超勝寺(チョウショウジ)の三兄弟、浄徳寺慶恵(ジョウトクジキョウエ)、定地坊巧遵(ジョウチボウギョウジュン)、善福寺順慶(ゼンプクジジュンキョウ)が何やら密談を交わしていた。観智坊は超勝寺の者に近づいては駄目だと蓮光に言ったが、お前は何者だ、と言われ、吉崎御坊から追い出されてしまった。蓮崇だと言っても、蓮崇は破門された。のこのこと、こんな所には来られまいと言って相手にされなかった。観智坊は「上人様!」と叫んだ。
知らず知らず、観智坊は本当に叫んでいた。
目を開けると、もう、夜が明けようとしていた。
東の空がうっすらと明るくなりかけていた。どの位、座っていただろうか、結局、心を無にする事はできなかった。様々な思いが頭の中に浮かんでは消え、何の解決にもならなかった。観智坊は東の空を見つめながら、どうしたらいいのだろうと考えていた。その時、人の気配を感じて、観智坊は振り返った。
高林坊が道場に入って来た。こんな早くから、何で、高林坊がこんな所に来るのだろうと不思議に思いながら見ていると、高林坊は観智坊の側まで来て座り込んだ。
「どうじゃ、答えは見つかったか」と高林坊は言った。
「いえ‥‥‥」と観智坊は首を振った。
今まで、高林坊と二人だけで言葉を交わした事はなかった。時折、道場に出て来ても、直接に話した事はなかった。どうして、高林坊がこんな朝早くから自分に声を掛けて来たのか、観智坊には分からなかった。
「壁にぶつかったようじゃのう」と高林坊は言った。
「壁?」と観智坊は聞いた。
「武術というのは不思議なもんじゃ」と高林坊は言った。「稽古を積めば積む程、強くなるというのは事実じゃが、ある程度の強さまで行くと、誰でも必ず、壁に突き当たる」
観智坊は黙って、高林坊の顔を見つめた。
「太郎坊の奴も壁に突き当たって悩んでおった。そして、その壁を自力で突き破って行った‥‥‥強くなれば強くなる程、その壁というのは大きくなって立ちはだかるもんじゃ。観智坊、そなたも今、その壁にぶち当たったんじゃよ。何としてでも、その壁を突き破らん事には、それ以上強くはなれんぞ」
「壁ですか‥‥‥どうして、強くなると壁に突き当たるのですか」
「どうしてかのう‥‥‥うまく説明する事はできんが、武術というものは、ただ、技術だけでは敵に勝つ事はできんと言う事じゃな。技術というのは教える事はできる。ある程度、技術を身に付けてしまえば、それから先の事は、決して誰からも教わる事はできんのじゃ。自分で身に付けて行くしかないんじゃ‥‥‥武術というのは人と人との戦いじゃ。敵にも心はあるし、自分にも心はある。刃(ヤイバ)を交わして、構える。誰もが怖いと思う。それは当然の事じゃ。負ければ死ぬ。誰でもその事は考える。敵に勝つためには、その恐れを克服(コクフク)しなければならん。恐れを克服して敵に勝てるようになったとする。敵に勝って満足する。しかし、そこでまた壁にぶつかるんじゃ。敵に勝った。しかし、敵を殺してしまった事に対しての悔いが残るんじゃよ‥‥‥わしも今までに何人かの人を殺した。未だに悔いておる。何であんな事をしてしまったのじゃろうとな。武術というのは、確かに人を殺すための技術じゃ。しかし、わしはそれを越えた所に、本当の武術というものがあるような気がするんじゃ。矛盾かも知れんが、争い事を無くすための武術というものがあるような気がするんじゃよ」
「争いを無くすための武術‥‥‥」
「ああ。よく分からんが、武術には使う者の心というものが多分に作用する事は確かじゃ。心の修行も大切だという事じゃ‥‥‥わしは太郎坊と二度、立ち合った事があった。一度目は完全にわしの勝ちじゃった。太郎坊はその後、再び、百日行をやり、山の中に半年程、籠もった。何をやっておったのかは知らん。山から出て来た時、わしは太郎坊と二度目の立ち合いをした。お互いに構えただけで終わったが、わしは心で太郎坊に負けたと思った。言葉ではうまく説明できないが、太郎坊の大きな心にふわっと包み込まれたように感じたんじゃ。心というのは決して見る事はできないが、武術においては、心の動きというものは大きく作用するんじゃよ。わしが見た所、そなたも今、心の問題で悩んでおると思う。心が何かに囚われておると、体まで自由に動かなくなるもんじゃ。そんな時は稽古を離れて、そうやって座り込む事が一番じゃ‥‥‥わしは、そなたの事を風眼坊から頼まれておった。しかし、わしは今まで、そなたの力にはなれなかった。矢作りの作業の事じゃが、もう、充分に身に付けたじゃろう」
「はい‥‥‥」
「今日から作業はしなくてもいいようにしてやる。思い切り、その壁にぶち当たってみろ」
そう言うと高林坊は立ち上がった。
「ありがとうございます」と観智坊は頭を下げた。
「なに、そなたがやるだけの事をやったからじゃ」と高林坊は笑った。「精一杯、努力をすれば、必ず、誰かが力を貸すもんじゃ」
高林坊は去って行った。
観智坊は、もうしばらく座り続けてみようと思った。ただ、この道場では邪魔になる。観智坊は修徳坊の裏山の中で座り込む事にした。そこで座り込んでみても様々な思いが頭に巡った。それを打ち消しながら観智坊は座り続けた。日差しを浴びて、そのうちに気持ちよくなって、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めたら、もう日暮れ近かった。こんな事では駄目だと思い、気持ちを引き締めて座り続けたが、今度は腹がぐうぐう鳴って来た。考えてみたら今日は何も食べていなかった。食べずに座り続けるか、食べてから、また座ろうか考えたが、腹が減っては戦もできないと思い、修徳坊に帰って飯を食い、また裏山に登った。
三日目になって、ようやく、無の境地というものが少しづつ分かり掛けて来た。何も考えないでいる事の快感というものが分かり掛けて来た。何となく、自分が自然の中に溶け込んで行くように感じられた。以前、自分は自分で、自然は自然だったものが、自分も自然の中の一部で、自然という大きな力に優しく包み込まれているような、何とも言えない、いい気持ちになって行った。もしかしたら、この自然というのは蓮如上人の言う阿弥陀如来様の事ではないのだろうか、と観智坊は思った。
阿弥陀如来様に優しく包まれている事に気づけば、自然と感謝の念は起きて来る。観智坊の心の中から、自然と『南無阿弥陀仏』という念仏が起こって来た。それは本当に自然な事だった。その念仏には何の欲も絡んでいなかった。純粋な感謝の気持ちだった。
観智坊は目を開けた。
見慣れた自然の姿が、まるで、極楽浄土のように感じられた。観智坊はまた、知らずのうちに念仏を唱えた。まったく無意識の念仏だった。
観智坊には、ようやく、蓮如が繰り返し、繰り返し言っていた念仏の意味が分かったような気がした。今まで、観智坊が唱えていた念仏は本物ではなかった。蓮如は、阿弥陀如来様の偉大なる心が分かれば、自然と感謝の念仏が心の底から涌き出て来ると、何度も御文で言っていた。頭では分かったつもりでいたが、本当に分かってはいなかった。今、無意識のうちに出た念仏こそが、蓮如が言っていた念仏だったのだと観智坊は思った。
観智坊は自然に対して合掌をした。本当に阿弥陀如来様に抱かれているような感じだった。
観智坊は静かにその場を離れると道場に向かった。道場では皆がいつものように稽古に励んでいた。
観智坊は棒を手にした。井戸掘りが終わった時のように、その棒は体の一部のように感じられた。不思議な事だったが棒も自由に使う事ができた。高林坊の言っていた『壁』というものを乗り越えたようだった。
稽古が終わり、夜になって、剣術や槍術や薙刀術を相手にしても棒は思うように使えた。心が何かに囚われていると体も自由に使えなくなると高林坊は言っていた。観智坊は剣、槍、薙刀という得物(エモノ)にこだわり過ぎていたのだった。敵がこう来たら、ああやって、ああ来たら、こうやろうというような細かい事にこだわり過ぎていたのだった。剣、槍、薙刀をそれぞれ別に考えて、剣でこう来たら、ああやる、槍がこう来たら、ああやる、薙刀でこう来たら、ああやらなければならないと色々と考えた結果、頭の中は混乱し、体の自由が利かなくなったのだった。剣も槍も薙刀も、刃の通る道はただ一つだった。その事さえ見極めれば、皆、同じ事だった。敵の出方によって臨機応変に応えればいいのだった。観智坊はやっと、その事に気がついた。
壁を乗り越えた観智坊は、また一段と腕を上げて行った。壁を乗り越えた日から七日後、観智坊は上級に上がった。
21.孫次郎1
1
雪が散らついていた。
太郎坊がやって来たとの噂が、飯道山の山中に広まっていた。
十一月の二十一日、志能便(シノビ)の術の稽古の始まる四日前の事だった。しかし、太郎坊を見たという者は一人もいなかった。
観智坊は高林坊のお陰で、午前中の作業が免除されたので、その間、もっぱら座禅に熱中していた。成就院(ジョウジュイン)に禅に詳しい僧侶がいる事を高林坊から聞いて、その僧侶のもとで本格的に座禅の修行をしていた。
師の風眼坊が天台宗の山伏であるため、観智坊も天台宗に属していた。天台宗の事など全然、知らない観智坊だったが、本願寺も元々は天台宗に属していたという事を、かつて、蓮如から聞いた事があった。高林坊の話によると、天台宗からは念仏門の浄土宗、天台密教(ミッキョウ)、禅宗、法華宗(ホッケシュウ)とあらゆる宗派を出したので、この飯道山にも、それらの専門家が数多く修行しているとの事だった。高林坊の話は難しかったが、浄土真宗の開祖である親鸞聖人(シンランショウニン)も、若い頃、天台宗の本山、比叡山で修行を積んだという事を聞いて、観智坊は驚いた。何となく、親鸞聖人が以前より身近に感じられて嬉しく思った。高林坊から、若い頃の親鸞聖人も比叡山で座禅修行をしただろうと言われ、観智坊もさっそく座禅を始めたのだった。
初めのうちは雑念に悩まされて苦しかったが、慣れるにしたがって心が落ち着き、何とも言えない安らぎを覚えるようになって行った。また、禅の指導をしてくれる和尚が面白い人で、昔、明の国にいたという偉い禅僧の話を分かり易く色々と聞かせてくれた。観智坊は座禅というものが、武術の修行に大いに役立つという事を身を以て感じていた。
噂通り、太郎坊は確かに来ていた。二十一日の午前、修行者たちが作業に励んでいる時、不動院にて高林坊と会っていた。宮田八郎と内藤孫次郎を連れていた。孫次郎の百日行の許可を得るためと、播磨に来ている十八人と五郎の代わりに新たに加える一人を飯道山に所属する山伏にするためだった。孫次郎の件はすぐに許可が下りたが、十九人の件は難しかった。
「一人や二人なら何とかなるが、十九人ともなると難しいのう」と高林坊は渋い顔をして言った。
「無理ですか‥‥‥高林坊殿にこんな事は頼みたくはないのですが‥‥‥あの、失礼ですが、銭の力で何とかなりませんか」
「銭か‥‥‥うむ。最近は何でも銭が物を言う御時世じゃからのう。しかし、十九人もいるとなると、かなりの銭が必要となろうのう」
「これだけ、ありますが」と太郎は持って来た革の袋を高林坊に渡した。
「ほう」と言いながら、高林坊は革袋を開けて驚いた。中には幾つもの銀の粒が入っていた。「凄いのう。これだけあれば何とかなろう。お偉方もこれだけの銀を見れば文句は言うまい。しかし、赤松家の武将ともなると景気いいもんじゃのう」
「いえ」と太郎は笑いながら首を振った。「お屋形様の所はそうかもしれませんが、わたしの所は借銭の山で、返済して行くのが、なかなか大変です」
「そうか。新しい城下を作ったそうじゃのう。大したものじゃ」
「十九人の件、お願いします」と太郎は頭を下げた。
「うむ。分かった。皆、おぬしの弟子という事でいいんじゃな」
「いえ。わたしの弟子でなくても構いません。その辺の所は高林坊殿にお任せします」
「そうか‥‥‥分かった。それで、百日行の方は、いつから始めるんじゃ」
「今日、修徳坊に入れて、明日からでも」
「うむ。修徳坊の方へはわしの方から言っておく。その間に行場(ギョウバ)巡りでもやっておってくれ」
「はい、お願いします」
「観智坊の事じゃがのう」と高林坊はニヤニヤしながら言った。「また、新しい伝説を作りおったぞ」
「えっ、あの観智坊殿が?」と太郎は驚いて、高林坊の顔を見つめた。
「おう。詳しい事は後で教える。今晩、例の所で飲もう。栄意坊の奴も連れて行くわ」
「はい。楽しみです」
太郎は孫次郎を連れて行場を巡り、孫次郎を修徳坊に入れると修行者たちに気づかれないうちに山を下りた。八郎を連れて花養院に行き、松恵尼に挨拶をした後、智羅天(チラテン)の岩屋に向かった。
岩屋は薄っすらと雪化粧していた。誰もいないと思っていたのに、何と、夢庵が住んでいた。
如意輪観音(ニョイリンカンノン)像の描かれた広い岩屋の中で、夢庵が何かを一心に書いていた。太郎の顔を見ると、刀を持ったまま驚いていた。
「おぬしか? 今頃、どうしたんじゃ」
夢庵は無精髭の伸びた顔で、寝ぼけたような声で聞いた。
「恒例の志能便の術です」
「なに、もう、そんな時期になったのか」
「はい。早いものです」
「今は昼か夜か」と夢庵は机の前に座ると聞いた。
「今は昼ですが‥‥‥夢庵殿、いつから、ここにおられるのです」
「あれは、確か、十月の二十三日だったかのう」
「もうすぐ、一月になりますよ」
「今日は何日じゃ」
「十一月の二十一日です」
「そうか‥‥‥もう、そんなになるのか‥‥‥」と夢庵は目をこすった。
夢庵は五条安次郎を一休禅師のもとに送った後、我家の四畳半に帰った。仕事の続き、宗祇(ソウギ)の聞き書きをまとめようと机に向かったが、何となく集中できなかった。部屋の中には、安次郎が智羅天の岩屋に籠もろうとして用意した食糧やら書物やらが、そのまま残っていた。夢庵はそれをかついで、ここに来て、ずっと岩屋の中で仕事を続けていたのだった。
「夢庵殿、外にも出ないで、ずっと、この中に籠もっておったのですか」と太郎は岩屋の中を見回しながら聞いた。
「いや、そういうわけでもないがのう‥‥‥外はいい天気か」
「いえ、雪が散らついております」
「雪か‥‥‥うむ。ちょっと外でも眺めて来るかのう」
岩屋の入り口に座り込んで、雪を眺めながら、太郎は夢庵から、安次郎が訪ねて来た事や駿河での早雲と風眼坊の活躍を聞いた。
「師匠も頑張っておるようですね」と太郎は笑った。
「らしいのう」と夢庵は頷いてから苦笑した。「あの二人にはわしも参ったわ。わしよりも十歳も年を食っておる癖に、山の中を平地のように歩いておる。確か、去年の今頃じゃったのう、山歩きをしたのは」
「今年もまた、百日行が始まります」と太郎は言った。
「なに、また、誰かがやるのか」
「はい。わたしが連れて来た播磨の若者です。なかなかの素質を持っておるので、わたしの弟子にしようと思っております。百日行を見事、やり通したらの話ですけど」
「ほう。おぬしの弟子になるには百日行をしなければならんのか」
「はい。こいつも一応、やっております」
太郎は八郎の方を示した。
「ほう。おぬしもやっておったのか。凄いもんじゃのう」と夢庵は八郎を見直していた。
「はい。あの時は、もう死ぬ気で歩きました」
「そうじゃろうのう‥‥‥わしは一月程しか歩かなかったが、えらい辛かったわ。その三倍も歩くとなると、死ぬ気でやらん事には無理じゃろうのう」
「明日から始めます。百日間、ずっと、付き合ってやりたいんですが、わたしにはできません。夢庵殿、時々でいいですから奴の事を見守ってやって下さい」
「おう。そんな事ならお安い御用じゃ」と夢庵は喜んで引き受けてくれた。「わしに一緒に歩けと言われても自信ないがのう。時々、見る位ならできるわ。しかし、今から始めるとなると、一番きつい時期じゃないのか」
「はい。一番きつい時期です。しかし、この時期、百日行をやり遂げれば、やり遂げた後の喜びも、また格別となるでしょう」
「うむ、そうじゃろうのう。明日から始めて、いつまでじゃ」
「来年は正月が二回あるので、二月五日になります」
「なに、来年は正月が閏月(ウルウヅキ)か、冬が長く感じられるのう」
「はい‥‥‥ところで、夢庵殿、宗祇殿のお弟子さんにはなれたのですね」
「いや、まだじゃ」と夢庵は首を振った。
「えっ! 一年以上もねばって、まだなのですか」
「ああ。百日行と同じじゃな。弟子になるまでの道程が長い程、弟子になった時の喜びもまた格別というものじゃ」
「そうですけど、しかし、長過ぎますね」
「来年こそは弟子になる。わしは今、そのために、宗祇殿から一年の間に聞いた様々の事をまとめておるんじゃ。それを宗祇殿に認めてもらい、弟子にしてもらう」
「そうですか‥‥‥頑張って下さい」
その日の晩、夢庵も連れて『とんぼ』に行った。とんぼの親爺は相変わらず、無愛想だったが、太郎の顔を見ると精一杯の愛想笑いをしてくれた。やがて、高林坊と栄意坊、そして、棒術の師範代の西光坊が一緒にやって来た。
話題の中心は観智坊の事だった。太郎はみんなから観智坊の事を聞いて、あの男がそれ程、お山で有名になったとは信じられなかった。師の風眼坊から紹介された時、何となく、冴えない親爺だと思った。どうして、風眼坊がこんな男を弟子にしたのか理解できなかった。百日行をやり遂げたと聞いて、この男がよくやり遂げたものだと感心はしたが、一年間、この山で武術の修行をした所で、大して上達するまいと思い、ここに来るまで、観智坊の事など、すっかり忘れていた。その観智坊の事が高林坊の口から話題に出て来るとは、まったく信じられなかった。みんなの話を聞きながら、やはり、師匠は人を見る目というものを持っている。それに比べ、自分は外見だけで判断してしまった事を悔いていた。これからは充分に気をつけなければならないと反省した。
観智坊は五月まではおとなしかった。若い者たちから『親爺』と呼ばれて、慕われていたが、ただ、それだけで、目立った事もなく、地味な一修行者だった。それが、五月に規則を破って山を下り、一升酒をくらって戻って来てから変わった。次の朝、酒臭い息をして高鼾(タカイビキ)で寝ていた所を西光坊にたたき起こされたという風に、すでに伝説となっていた。罰として井戸掘りを命じられ、一月半後、見事に井戸を掘った。その井戸掘りも、実は一人で掘ったのではなく、夜中に二人の鬼を使って掘っていた。その鬼は三尺程の小さな鬼で夫婦だった。一人は左鬼、もう一人は右鬼と呼ばれ、観智坊の命ずるままに、よく働いていた。そして、観智坊の井戸から水が涌き出て来る前夜、南の空に大きな流れ星を見たという者まで現れた。
「まったく、誰が考えたのか、その事がお山中に噂になっている。その後、観智坊は見る見る腕を上げて、信じられん事じゃが、一番若い師範代の明遊坊(ミョウユウボウ)といい勝負をする程にまでになったんじゃ」と高林坊は言った。
明日から、太郎が孫次郎を連れて百日行を始めるというので、あまり、遅くまで飲まず、その晩、太郎と八郎は二の鳥居の側にある高林坊の屋敷に泊めてもらった。
初日から、ひどい天候だった。
降っている雪はそれ程でもないが、風が強く、昨日、積もった雪が地吹雪となって舞っている。前が全然、見えなかった。
飯道山の山頂までは、八郎が張り切って先頭を歩いていたが、山頂に着いてみると、回りは何も見えなかった。どっちに行っていいのかも分からず、八郎は先頭を太郎に譲った。太郎、孫次郎、八郎と並んで飯道山を下り、地蔵山へと向かった。足元の道がやっと見える程度で、回りの景色などまったく見えない。これでは、道を覚えてもらうつもりで連れて来た意味がなかった。それでも金勝山(コンゼサン)を過ぎた辺りから、風も治まり、日が差して来た。八郎はまた張り切って先頭を歩いた。
孫次郎も山歩きは初めてではない。播磨の大河内城下において、太郎が作った、片道およそ五里程の奥駈け道を何度も歩いていた。自分でも山歩きには慣れているつもりだったが、初日の地吹雪には参っていた。何も見えないだけでなく、強い風のために体中が冷えてしまって、もし、このまま、一日中、この調子だったら、死んでしまうのではないかと本気で思ったりしていた。風も治まり、ようやく回りの景色が見えて来ると、今度は、その風景に驚いた。孫次郎が歩き慣れていた播磨の山々とは全然、違った風景だった。奇妙な形をした岩山だらけで、それが、雪を被った様は、まるで、絵に見た異国の山水画の様だった。こんな所が実際に、この世にあったのかと感動しながら孫次郎は歩いていた。
その日は何とか、日が暮れる前に太神山(タナガミサン)にたどり着いた。道を覚える事は、孫次郎にとっても何でもなかったが、あちこちにある仏様に唱える訳の分からない真言(シンゴン)を覚えるのは大変な事だった。真言の意味は分からないが、それを唱える事によって、自分も偉い行者(ギョウジャ)になったような気がして、何となく嬉しかった。
次の日は昨日とは打って変わって青空が広がった。天気がいいのは気持ち良かったが、道の雪が溶けて、飯道山に帰って来るまでに泥だらけになってしまった。二日間、歩いてみて、それ程、きつくはないな、これなら百日でも歩けるだろうと安心していたら、明日からは一日で往復するのだと言われ、孫次郎には信じられなかった。太郎が、自分をからかっているのだろうと思ったが、本当の事だった。
一日で往復などできるのだろうか、孫次郎には自信がなかった。八郎から、昔やった時の苦労話を聞いて、果たして、自分にやり遂げる事ができるかどうか自信がなかった。しかし、どうしても太郎の四番目の弟子になりたかった。もし、この百日行をやり遂げる事ができなければ、二度と大河内には帰れないだろう。大河内に帰れないという事は、また、日雇(ヒヤト)いの人足(ニンソク)に戻るという事だった。せっかく、殿様に見いだされて武士になれたというのに、人足には戻りたくはなかった。何としてでも歩かなければならなかった。立派な武士になって、人買いに売られて行った妹を助けなければならなかった。
三日目、本当なら一人で行く事になっていたが、初日の天気が悪すぎたので、八郎が一緒に行ってくれる事となった。朝、雪こそ降っていないが、空模様はあまりよくなかった。思っていた通り、昼過ぎから雪が散らついて来た。風はなかったが、雪は夜まで降り続いた。
「やるぞ!」と孫次郎は張り切って出掛けて行ったが、帰り道、阿星山(アボシサン)を過ぎた辺りで、すっかり日が暮れてしまった。雪の降る夜道を雪に埋もれながら、くたくたになって倒れ込むように、ようやく、飯道山の宿坊にたどり着いた。八郎は孫次郎を励ましていたが、実際、八郎もこの雪には参っていた。
八郎が百日行を始めたのは正月の十六日、何百人もの修行者と一緒だった。修行者たちの最後に付いて歩いていたので、始めから雪と格闘するという事もなかった。それに比べ、孫次郎はまだ三日目だというのに、この有り様だった。人の事だとはいえ、これは大変な事だと思った。もし、孫次郎が百日行をやり通したなら、自分たちよりも、もっと辛い目を味わうに違いない。まして、孫次郎はたった独りだった。たった独りで、この悪条件の中、百日行をやり遂げた後、孫次郎は八郎たちにとっても恐るべき男になるに違いない。孫次郎を励ましながらも八郎は、こいつに追い越されないように、自分ももっと修行を積まなければならないと感じていた。
いよいよ、今日の七つ(午後四時)から『志能便の術』が始まる。八郎と孫次郎が奥駈けを歩いている頃、太郎は飯道山の不動院にて高林坊たちと打ち合わせをしていた。
今年もいつもの様に、剣術師範代の中之坊、槍術師範代の竹山坊(チクザンボウ)、棒術師範代の一泉坊(イッセンボウ)の三人が手伝ってくれる事となった。中之坊は志能便の術が、まだ陰の術と呼ばれていた頃から太郎を手伝ってくれ、もう六年目となり、後の二人も五年目だった。三人共、教える事もすっかり心得ている。今までは、ただの手伝いとしてやってくれたが、太郎は三人を正式に陰の術の師範代にしてくれるように高林坊に頼んだ。高林坊と他の三人も、太郎がそんな事を言ったものだから、もう、太郎が来なくなるのではないかと心配した。太郎は、そんな事はない。これからも毎年、来ますと言ったので、高林坊も安心して考えておくと答えた。
打ち合わせが済むと太郎は山を下り、播磨から帰って来ていた十八人と会った。太郎は彼らに、五郎の代わりとなる一人を捜してくれと頼んでいた。約束の時間に二の鳥居の前に行くと、皆、揃っていた。新たに加わる一人も来ていた。その一人は鳥居弥七郎だった。太郎が初めて飯道山に来た時、剣術組にいた鳥居兵内の弟で、兄と同じく剣術の腕はなかなかのものだった。鳥居弥七郎は太郎が現れたのを見て、どうして火山坊がこんな所にいるのだろうと思った。弥七郎は太郎坊の顔を知らなかった。火山坊が実は太郎坊だったと聞いて、信じられないと驚いていた。回りの者たちも、俺たちも信じられなかったが、本当の事だ、と言って笑っていた。
太郎は、今月中には、お前らも正式に飯道山の山伏になれるだろうと言い、それまでは、のんびりと休んでいろと言い渡して解散した。皆、久し振りの故郷でのんびりできると喜んで帰って行った。
志能便の術まで、まだ、大分、時があった。太郎はまた山に戻り、隠れながら棒術道場を見下ろせる木の上に登った。一目、観智坊の姿を見てみたかったのだった。観智坊は若い山伏を相手に稽古をしていた。その動きを見た時、太郎も実際に驚いた。高林坊たちの言っていた事は本当の事だった。確かに、凄い上達振りだった。まったくの初心者から、たったの一年でこれ程までに上達するものだろうか‥‥‥
太郎には信じられなかった。四十を過ぎた、この男をこれ程までにする力というのは、一体、どこから来るのだろうか、なまじの精神力ではなかった。これだけ強くなるには、必ず、裏に何かがあるに違いなかった。何かをしなければならないという使命感のようなものが強く働かない限り、これ程までに上達はしない。ただ、強くなりたいと思っているだけでは、これ程までにはならないだろう。
太郎の場合は、初め、金比羅坊を倒すために稽古に励み、その後は、高林坊を倒したいと稽古を積んだ。そして、智羅天と会い、自分も智羅天のようになりたいと辛い修行に耐えた。しかし、観智坊の場合は、そういうものではなく、何か内面に秘密があるように感じられた。一体、その秘密とは何なのだろうか。
太郎はその事に興味を感じた。
木から下りると、太郎は修行者たちの宿坊(シュクボウ)に向かった。観智坊が掘ったという井戸を見てみたかった。修行者たちが皆、道場の方に行っているので宿坊は閑散としていた。食堂で働く男が、丁度、井戸から水を汲んでいた。男は念仏を唱えながら井戸水を汲んでいた。太郎は男に近づいた。男は振り向いて懐かしそうに、「太郎坊殿」と言った。
太郎もこの男を知っていた。太郎がこの山で修行をしていた頃から、ここにいて修行者たちの食事を作っていた。太郎は修徳坊で寝起きしていたが、食事の方は修徳坊と時間がずれるので、ここに来て食べていた。観智坊もそうだった。太郎は夜、遅くになって飯を食いに来ては、何度もこの男に怒鳴られた経験があった。
「お久し振りです」と太郎は笑った。
「いよいよ、今年も始まりますな」
「はい。親爺さんも毎日、大勢の飯作りで大変ですね」
「なに、毎日、若い者たちと喧嘩しながら楽しくやっておるわ。毎年、この時期になると、ちょぴり淋しい思いをするがのう。一年間、面倒を見て来た悪ガキ共も、後一月もしたら、皆、いなくなってしまうと思うとのう‥‥‥」
「そうでしょうね」
「お前様のように、騒ぎばかり起こしておった者の方が返って、おらなくなると淋しいもんじゃ」
「俺はそれ程でもないでしょう」
「いや、何の、あの頃は憎らしいガキだと思っておったよ。また、不思議なもんで、憎らしいガキだった者の方がおとなしい者たちよりも、よく覚えておるし、お山を下りてからも活躍しておるようじゃ」
「今年の観智坊殿はどうでした」
「観智坊殿、あのお方は偉いお人じゃよ」
「この井戸を掘ったとか」
「ああ。凄かったよ。わしもずっと見守っておったが、よくまあ、これだけの物を一人で掘ったものじゃ」
「念仏の井戸と呼ばれておるそうですね」
「うむ。観智坊殿が念仏を唱えながら掘り続けておったのでな。実際の所、穴の中から聞こえて来る念仏は不気味じゃった。地獄の底から聞こえて来るようじゃったのう。実際に、観智坊殿はあの時、地獄を経験しておったのじゃろう。しかしのう、今でも不思議なんじゃが、井戸から水が出た時じゃった。丁度、日が昇る時分じゃったかのう。穴の中から念仏が聞こえて来た。今日も早くからやってるのうと思って聞いておったんじゃ。ところが、何となく、その念仏がいつもと違うような気がしたんじゃ。どう違うと言われても分からんが、何となく違うと感じたんじゃよ。おかしいなと思って、わしは耳を澄ませて聞いておった。やはり違うんじゃ。何とも言えない、いい響きでのう。まるで、極楽から聞こえて来るような念仏じゃった。わしはその念仏に聞き惚れておった。そしたら、すぐに水が出て来たんじゃよ。不思議じゃったのう‥‥‥わしは後で、その事を観智坊殿に話したんじゃ。どうして、念仏が変わったのか知りたくてのう。観智坊はそうでしたか、と嬉しそうな顔をしておったが、自分でもよく分からないと言っておった‥‥‥わしは今でも、あの時、奇跡が起こったと思っておるんじゃ‥‥‥」
「奇跡ですか」
「ああ、奇跡じゃ。昔、お前さんが鐘を運んで、雨を降らせた時と一緒じゃ。奇跡が起こったんじゃよ。長年、このお山におると色々な事が起こるもんじゃ」
太郎は食堂の親爺さんと別れると不動院に顔を出した。高林坊はいなかった。高林坊から観智坊の素性を聞こうと思ったが、もしかしたら、松恵尼が知っているかもしれないと、太郎はさっそく花養院に向かった。
太郎は松恵尼から観智坊の前歴を聞いた。本願寺の偉い坊主だったと言う。本願寺の事は師匠から聞いていたが、実際に、どんなものなのか分からなかった。松恵尼は今、加賀では、本願寺の門徒たちが守護を相手に戦っていると言う。本願寺の門徒というのは百姓や山の民、川の民など下層階級の者たちが多く、それらが一団となって、武士を相手に戦っていると言う。観智坊は門徒たちの指導的な立場にいた人で、訳あって本願寺を破門となったが、門徒たちを助けるために飯道山で修行している。観智坊は山を下りたら加賀に戻って、本願寺の裏の組織を作って門徒たちをまとめ、守護を倒そうとしていると松恵尼は言った。太郎には、百姓たちが一団となって武士を倒すと言われても、実感が涌かなかったが、観智坊が度偉い事をしようとしている事は分かった。その度偉い事をするために、あれ程、腕を上げたのだった。
本願寺とは一体、どんなものなのだろうか‥‥‥
太郎も一度、加賀に行って、この目でその状況を見てみたいと思った。自分で行くのは無理だとしても、『陰の二十一人衆』を加賀に送って状況をつかもうと思った。
智羅天の岩屋に戻って、藍色の忍び装束に着替えると、太郎は山の中を通って飯道山に向かった。夢庵が一緒に行くと言って付いて来た。何と、夢庵も黒い忍び装束を持っていて、それに着替えると後を追って来た。
太郎は初めの頃、黒い忍び装束を着ていたが、今は色々な色の忍び装束を持っていた。色々と試した結果、真っ黒よりも、茶色とか柿色とか紺色とかの方が目立たないという事も分かり、また、雪山では白い装束を身に着ける事もした。今、太郎が着ているのは表が藍色で裏は白地だった。
太郎は今、剣術の師範をしていない。もう天狗の面をして顔を隠す必要はなかった。また、わざわざ山道から登場しなくてもよかったのたが、毎年、突飛に登場していたので、今更、普通に登場するわけには行かなかった。太郎坊はどこからともなくやって来て、また、どこかに消えて行くという伝説通りにしなければならなかった。
夢庵はちゃんと太郎の後を付いて来た。太郎の前では武術の稽古なんかしていなかったかのように装っていたが、ひそかに稽古を積んでいたに違いなかった。まったく、とぼけた人だった。
太郎と夢庵は木の上から颯爽(サッソウ)と修行者たちの前に登場した。
初日の今日は高林坊も栄意坊も姿を見せていた。高林坊を初め師範たちは、太郎と一緒に空から落ちて来た夢庵の姿を呆れた顔をして見ていた。まさか、夢庵がこんな所に現れて来るとは、まったくの予想外な事だった。これまでも、ちょこちょこと山に来ては遊んでいたが、夢庵が陰の術を身に付けていた事を知っている者はいなかった。
意外な事だった。剣術の腕はかなりのものだとは皆、知っていたが、いつも飄々(ヒョウヒョウ)としている夢庵が、太郎坊と一緒に空から現れるとは、高林坊さえ、こんな男は初めてだと呆れていた。
高林坊が夢庵に初めて会ったのは、去年の末、風眼坊が連れて来た時だった。女物の派手な帯を腰に巻いて、芝居の役者が着るような派手な着物を着ていた。一目見ただけで、目を背けたくなるような、ふざけた男だと思った。風眼坊が変わっているのは知っていたが、こんな男と付き合っているとは馬鹿げた事だと思っていた。そう思っていたが、風眼坊がかなり気に入っているようなので口には出さなかった。
次に会ったのは恒例の年末の師範たちの飲み会の時だった。何で、あんな奴が来るんだと思ったが、どうしてもと風眼坊も太郎坊も言うので、高林坊は仕方なく許した。しかし、その宴の最中、高林坊は夢庵と一言も口を利かなかった。風眼坊たちは、これから太郎のいる播磨に行くと言う。もう二度と夢庵とも会うまいと思っていたが、年が明けて、二月の半ば頃、夢庵はひょっこりと飯道山に現れた。いつものふざけた格好だった。夢庵はやたら慣れ慣れしく高林坊に近づいて来たが、高林坊は忙しい振りをして避けていた。夢庵はその後、度々、飯道山に来ては好き勝手な事をしていた。栄意坊とは気が合うのか、よく二人でいる所を目にしたが、高林坊は何も言わなかった。
そのうちに夢庵は山伏たちの話題に上るようになり、夢庵が剣術の名人だという事を高林坊は耳にした。高林坊には信じられなかった。あんなふざけた奴が武術などに縁があるはずはないと思っていた。夢庵が道場で修行者たちを鍛えていると聞いて、高林坊はひそかに見に行った。夢庵は木剣を片手に持って修行者を相手にしていた。それは、まさに遊んでいるようだった。しかし、夢庵の構え、太刀さばきを見て、高林坊にも夢庵の強さはすぐに分かった。信じられなかったが、あの強さは本物だった。
夢庵は不思議な男だった。何をしていても遊んでいるように見えた。何をしていても楽しそうだった。何もしないで、ぼうっとしている時でさえ楽しそうに見えた。不思議な男だった。山に来て、好き勝手な事をしていても誰にも嫌がられる事もなく、かえって、夢庵がそこにいるというだけで、その場が和やかになるというような感じがした。
普通、あんな格好をしてウロウロしていれば変な目で見られ、人々から後ろ指さされるだろう。ところが、夢庵の場合は違った。何もかもが、夢庵という男を表現していて、夢庵はああでなければ駄目だとか、夢庵だから何もやっても許されるという風に、人に思わせてしまうのだった。高林坊もその一人だった。夢庵という男が分かって来ると、高林坊も夢庵の持っている何かに惹(ヒ)かれて行った。そして、付き合ってみると、ますます、不思議な男だと惹かれて行くのだった。
今日も、夢庵が太郎と一緒に空から降りて来た時、初めは驚いていたが、夢庵ならやりかねないと高林坊は納得していた。修行者たちは、あの夢庵が太郎坊と一緒に現れたものだから、ワイワイ言って囃(ハヤ)し立てていた。太郎もそれには驚いた。夢庵が修行者たちの間で、こんなにも有名だったとは驚きだったが、太郎も、夢庵だったら、その位の事はやりかねないと納得していた、夢庵のお陰で、今回、太郎の存在は幾分、薄くなっていた。
今年、一年間の修行に耐え、志能便の術に参加したのは七十四人だった。例年よりは若干多かった。これも観智坊のお陰だったのかもしれない。初日、太郎はみんなに、志能便の術とはどういうものなのかを実話も混ぜて話して聞かせ、また、夢庵に模範演技もして貰った。夢庵は初めから志能便の術の師範をやるつもりだったかのごとく、鮮やかに技を披露した。八郎が孫次郎に付き合って、まだ、山の中を歩いているため、自分で演じてみせるつもりだったが、太郎の出る幕はまったくなかった。
その日、孫次郎と八郎が飯道山に戻って来たのは志能便の術の稽古が終わってからだった。太郎は夢庵と一緒に奥駈け道の方に飛ぶように帰った。飯道山の山頂まで行って、待っていると、ようやく、疲れ切った顔をして孫次郎が帰って来た。
「もう少しだ、頑張れ」と太郎は声を掛けたが、頷くだけで返事をする気力もないようだった。
後から来た八郎の方もかなり参っているようだった。
「どうだ」と太郎は八郎に聞いた。
「かなり、きついです」と八郎はやっとの事で言った。「雪が重くて‥‥‥」
「そうか‥‥‥明日から、一人で大丈夫そうか」
「はい。もう大丈夫だとは思いますが‥‥‥もう一日、付き合ってやろうと思っています。この時期、たった一人で歩くのは厳し過ぎます」
「そうか‥‥‥うむ。それじゃあ、明日も付き合ってやってくれ」
「志能便の術の方は大丈夫ですか」
「夢庵殿が手伝ってくれている。夢庵殿はもう完全に志能便の術を身に付けているんだよ」
「そうですか‥‥‥」
「おぬしの代わりはわしがする」と夢庵が言った。「安心して奴に付き合ってやれ」
「はい。お願いします」と言って、八郎は孫次郎が多分、倒れているだろう修徳坊に向かった。
太郎と夢庵は智羅天の岩屋に向かった。
「夢庵殿、あの暗闇の中で物を見る修行を積みましたね」と太郎は歩きながら聞いた。
「おう。おぬしから聞いた話を思い出してのう。わしもやってみた。思っていたより辛かったわ。修行を積めば、暗闇の中でも彫り物が彫れると聞いて、わしも暗闇で物が書けるかと挑戦してみたが、それは無理じゃった。しかし、夜道は平気で歩けるようになったわ」
「夢庵殿には参りますね。ボヤボヤしていたら俺まで追い越されてしまいます。俺も播磨に帰ったら初心に帰って修行を積みます」
「なに、おぬしより強くなるには、この先、ずっと、あの岩屋で修行しなければなるまい。だが、わしはおぬしと会えて、ほんとに良かったと思っておるんじゃ。おぬしと会えなければ、たとえ飯道山の側におったとしても、今のように飯道山の山伏たちや修行者たちと仲よくはできなかったじゃろう」
「そんな事はないでしょう。俺と会わなくても夢庵殿は飯道山の側にいれば、今と同じように飯道山で有名になっていた事でしょう」
「いや、それは違うぞ。人と人が付き合うには縁というものがあるんじゃ。もし、縁がなければ、たとえ側におったとしても付き合う事はできんのじゃよ。今回、高林坊殿を紹介して貰ったので、わしとしても自由に行き来ができたんじゃ。高林坊殿の黙認という形で、わしはお山で遊ぶ事ができたんじゃよ」
「縁ですか‥‥‥確かに、それはありますね」
「おぬしらと初めて会った時、こんな風になるとは想像すらできなかったのう」
「そうですね。初めて会った時は本当に驚きましたよ。あの時の牛は元気ですか」
「おう。最近は田畑を耕しておるわ」
「あの金色の角のままですか」
「そうじゃ。奴もあの辺りでは有名人じゃ。いや、有名牛じゃのう」
「有名牛ですか」と太郎は笑った。
あの牛が田畑を耕している姿を想像しただけで可笑しかった。あの姿で田畑を走り回っていれば有名になるのは当然の事だった。
その年、夢庵は最後まで『志能便の術』の師範代を立派に務めた。
一ケ月の志能便の術の稽古は終わった。
孫次郎の百日行は、まだ三分の一の三十二日目だった。結局、八郎はそのまま志能便の術をやっている間、ずっと孫次郎に付き合っていた。八郎自身が人一倍辛い思いをして百日行をやり遂げたため、孫次郎が苦しみながら歩いているのを見て、放っては置けなかったのだった。八郎自身も辛かったが、先輩として孫次郎を励ましながら歩いていた。
観智坊は志能便の術の稽古を終えて悩んでいた。
いよいよ、明日で一年間の武術修行も終わる。もう、山を下りる事ができるのだった。観智坊は迷わず、真っすぐに蓮如(レンニョ)に会いに行こうと思っていた。蓮如が今、どこにいるのかは分からない。しかし、大津の顕証寺(ケンショウジ)に行って聞けば、すぐに分かるだろう。蓮如と一目会って、山伏、観智坊として加賀に向かうつもりでいた。ところが、太郎坊から志能便の術を習ってから、観智坊の気持ちは揺らいでいた。以前、風眼坊から聞いてはいたが、志能便の術というものが、敵の城や屋敷に忍び込む術までも教えるとは思ってもいなかった。しかも、具体的だった。観智坊がこの先、本願寺の裏の組織を作るに当たって、一番重要な事を太郎坊は教えてくれた。観智坊は毎日、太郎坊の言う事を一言も漏らさずに聞いて、教わった技術は稽古が終わった後に必ず復習していた。しかし、一ケ月は短かった。一ケ月で教わった事はほんの基本だった。後は各自、工夫して自分だけの志能便の術を作るようにと言って、志能便の術の稽古は終わった。
観智坊は悩んでいた。
太郎坊の言う通り、後は自分で考えた方がいいか、それとも‥‥‥
加賀に戻ったら、この山にいる時のように自分の修行をする時間などないかもしれない。ここに戻って来る事もないだろう。となると、後になって後悔するよりは、加賀に行くのが二、三ケ月、遅れたとしても、太郎坊からもっと志能便の術を教わった方がいいかも知れないと思った。今、加賀に帰ったとしても向こうも雪に埋もれている。志能便の術を完璧に身に付けて、春になってから行っても、そうは変わらないだろう。観智坊はもっと太郎坊から志能便の術を教わろうと決心した。
最後の日、観智坊は師範代の明遊坊と試合をやって見事に勝った。観智坊が初めて、この道場に来た時、一年後にこんな結果になるだろうと誰が予想していただろうか。
修行者たちは、何で、この道場に、こんな冴えない親爺がいるんだと半ば馬鹿にし、こんな親爺に負けるわけないと思っていた。事実、初めの頃、観智坊は誰よりも弱かった。観智坊が見る見る上達して行ったのは、まさしく努力の賜物(タマモノ)だった。人一倍、稽古に励んでいた。観智坊が急に強くなったのは、あの井戸掘りの後からだった。修行者たちも呆れる程、一日一日と強さを増して行った。その頃になると観智坊を馬鹿にする者もいなくなり、親爺という呼び方にも、尊敬の念が籠もるようになって行った。修行者たちは実の親父であるかのように、観智坊に何でも相談を持ちかけ、観智坊は親身になって答えてやった。そのうちに、修行者たちも親爺には負けられないと、皆、真剣に稽古に励むようになって行った。皆、一年間を振り返ってみて、自分なりによくやったと感激していた。そして、これも皆、観智坊が一緒にいたからだと観智坊に感謝していた。
観智坊と明遊坊の試合は一番最後だった。試合が終わって、お互いに合掌を済ますと、修行者たちの中から『親爺!』という声があちこちから起こり、喝采(カッサイ)が起こった。
喝采はいつまで経ってもやまなかった。中には感激して涙を流している者もいる。
高林坊たち師範たちも、この有り様を見て感動していた。今まで、こんな事は一度もなかった。観智坊を見ながら修行者たちが皆、心を込めて拍手を贈っていた。やがて、喝采は他の道場へも飛火した。他の道場の者たちも棒術道場に集まって、観智坊に拍手を贈った。高林坊でさえ胸の中がジーンとして来て、目が自然と潤んで来るのを感じていた。
観智坊露香‥‥‥この名は、今年の修行者たちにとって、一生、忘れられない名前となるだろう。そして、この飯道山にとっても忘れられない名前となろう。観智坊とは、以前、この飯道山にいて剣術を教えていた山伏の名前だった。戦死して今はもういなかったが、その勧知坊という男に似ていたため、高林坊が字を変えて観智坊と付けた名前だった。その勧知坊のように強くなれという気持ちを込めたわけだったが、観智坊はたったの一年で、その勧知坊の強さを越え、人間的にもずっと大きな存在となって行った。
高林坊はこの飯道山に来て、今日程、感動した事はなかった。この山に長く居過ぎたため、修行者たちに教える事さえ惰性のようになってしまっていた。高林坊も昔は、一年間の修行を終えた者たちを送る時には、一年間の様々な事が思い出され感動していたものだった。久し振りに感動していた高林坊は、知らず知らずのうちに感動する事さえも忘れてしまっていた自分に気づいていた。高林坊も観智坊から色々と教わる所があった。それは、自分もかつて経験しておきながら、今、忘れてしまっていた様々な事だった。それは些細な事だったが、若い者たちの指導的立場にいる自分にとって、決して忘れてはならない事だった。高林坊は観智坊の事を思い出すたびに、それらの事を思い出して、自分の戒(イマシ)めにしようと思っていた。
喝采がようやく静まった後、高林坊は集まって来た全員の修行者たちに最後の挨拶をして、皆に別れを告げた。
修行者たちは、それぞれ宿坊に帰り、飯道権現(ゴンゲン)に合掌をして山を下りて行った。
観智坊は修徳坊に帰って、一年間、世話になった人たちに挨拶をして回り、最後に不動院にいた高林坊のもとを訪れた。
「いよいよ、お山を下りるか」と高林坊は気軽に声を掛けて来た。
「はい。お世話になりました」と観智坊は頭を下げた。
「いや。お世話になったのは、こっちの方かもしれん。観智坊殿は若い者たちの面倒をよくみてくれた。本当は、わしらが観智坊殿のように、みんなの面倒をみなければならなかったんじゃ。わしらはただ、奴らに武術という術を教えていたに過ぎなかった。観智坊殿は奴らに、心というものを教えてくれた。今年の修行者たちは観智坊殿がおったお陰で、幸せもんじゃ」
「そんな‥‥‥わしはただ自分の事が精一杯で‥‥‥」
高林坊は観智坊を見ながら満足げに頷いた。「師範たちを代表して、わしから観智坊殿に礼を言うわ。ありがとう。また、いつか、このお山に来てくれ。皆、おぬしの事を歓迎して迎えるじゃろう」
「はい。ほんとに色々とお世話になりました」
「これから、どうするんじゃ」
「はい。実は高林坊殿。太郎坊殿が今、どこにおられるのか御存じないでしょうか」
「太郎坊? 太郎坊に何か用なのか」
「はい。実は志能便の術をもう少し、教えていただきたいのです」
「なに、志能便の術をか」
「はい」
「本願寺のためじゃな」
観智坊は神妙な顔をして頷いた。
「うむ。今晩、師範たちが集まって恒例の飲み会があるんじゃ。太郎坊もそれに出るはずじゃ」
「その飲み会というのは下の町でやるのですか」
「そうじゃ、おぬしもその飲み会に参加せんか」
「えっ? そんな、わたしはただの修行者です、そんな席には、とても出られません」
「なに、おぬしは身を以て修行者たちに生きるという事を教えたんじゃ。充分に参加する資格はあるわ。それに、師範たちの集まりと言っても公式ではないんじゃ。遊女たちも大勢参加するしのう。そうじゃ、夢庵殿も顔を出すじゃろう」
「夢庵殿は立派に『志能便の術』の師範代です」
「今年はな。しかし、去年は何もしなかった癖にずうずうしく参加しておったよ。そう、堅苦しく考える事もない。気楽に出てくれればいいんじゃよ」
「はい‥‥‥」
「どうせ、太郎坊に話があるんじゃろう。太郎坊は明日の朝早くには播磨に帰ってしまうじゃろう。その席で話さないと、会えないうちに帰ってしまうぞ」
「はい。どうしても会いたいです」
「会って、播磨まで付いて行くのか」
「はい」
「おぬしの事じゃ。思った事はきっと成し遂げるじゃろう。まあ、頑張れよ。宴会は今晩の六つからじゃ。修徳坊で待っておってくれ」
「はい‥‥‥」
観智坊は高林坊の言われるままに宴会に参加した。宴会の始まる前に、観智坊は太郎坊に志能便の術の事を頼んだ。観智坊の事は夢庵を初めとして、みんなから聞いていたので、その観智坊がこうまでして頼むからには、考えがあっての事だろうと思った。播磨に来るというのなら、喜んで教えましょうと太郎は言った。観智坊は喜んで、宴の間中、太郎の側を離れなかった。一時程で宴はお開きとなり、皆、好きな所に散って行った。高林坊が珍しく、太郎たちを誘った。何となく、今日の高林坊はいつもと違っていた。やたらと陽気だった。太郎がどうしたのか、と聞くと、若い頃を思い出したんじゃと笑った。
高林坊は、栄意坊、太郎、八郎、夢庵、観智坊の五人を引き連れ、料亭『湊屋(ミナトヤ)』を出ると、以外にも遊女屋の門をくぐった。高林坊が遊女屋に入るとは太郎は驚いていた。また、いつものように『とんぼ』に行くものと思っていたのに、高林坊は平気な顔をして遊女屋『花屋敷』の門をくぐった。栄意坊はやたら懐かしそうに遊女屋を眺めていた。
「ほう、ここは昔と変わってないのう」と栄意坊は言った。
「よく、遊んだのう、あの頃は」と高林坊は栄意坊の肩をたたいた。
「あの頃は、遊女屋が我家じゃったからのう」
「ああ。わしらを捜すには昼はお山、夜は遊女屋じゃった。あの頃はお山でも暴れたが、遊び方も豪快じゃったのう」
「あの頃の自分と、今の自分を比べると分別(フンベツ)臭くなったもんじゃのう」
「おう。わしもその事に気づいたんじゃ。そこで昔に帰ろうと思っての。久し振りに、ここに来たというわけじゃ。あの頃の遊女屋で、今も残っておるのはここだけじゃ」
通された部屋に高林坊は六人の遊女を呼ぶと、栄意坊と昔の思い出話を色々と話してくれた。今の高林坊しか知らない太郎たちには想像もできない位、若い頃の高林坊たち四天王は滅茶苦茶な事をしていた。その頃に戻ったかのように、高林坊と栄意坊は遊女たちとふざけ合っていた。こんな高林坊を見るのは初めてだった。いつも、武術総師範にふさわしい毅然(キゼン)とした態度しか見せなかった。太郎の師の風眼坊や栄意坊が、遊女たちをはべらしていてもおかしいとは思わないが、高林坊までもが、こんな事をするとは意外な事だった。しかし、昔話を聞いてみると、皆、若い頃は羽目をはずして遊んでいたのだった。彼らから比べれば、太郎を初めとして、八郎、光一郎、五郎たちはおとなしいものだった。みんな、若いうちはもっと羽目をはずして騒いだ方がいいのかもしれないと太郎は思った。
夢庵は元々、こういう雰囲気は好きな方なので一緒になって騒いでいた。
八郎もようやく山歩きから解放された喜びから、はしゃいでいた。
観智坊は初めのうちはおとなしかったが、久し振りに飲んだ酒に酔っ払って、久し振りに見た若い娘に溺れて行った。
太郎も昔、夕顔という遊女と遊んだ時の事を思い出しながら、久し振りに馬鹿騒ぎをしていた。
一度、隣の部屋から、うるさいと苦情もあったが、栄意坊が一睨みすると黙って引き下がって行った。去年は髭を剃って、さっぱりした顔をしていたが、今年は見慣れた髭面に戻っていた。やはり、栄意坊には髭があった方がいい。
夜更けまで騒ぎまくり、結局、みんな、酔い潰れて、女を抱く所ではなかった。
如意輪観音(ニョイリンカンノン)像の描かれた広い岩屋の中で、夢庵が何かを一心に書いていた。太郎の顔を見ると、刀を持ったまま驚いていた。
「おぬしか? 今頃、どうしたんじゃ」
夢庵は無精髭の伸びた顔で、寝ぼけたような声で聞いた。
「恒例の志能便の術です」
「なに、もう、そんな時期になったのか」
「はい。早いものです」
「今は昼か夜か」と夢庵は机の前に座ると聞いた。
「今は昼ですが‥‥‥夢庵殿、いつから、ここにおられるのです」
「あれは、確か、十月の二十三日だったかのう」
「もうすぐ、一月になりますよ」
「今日は何日じゃ」
「十一月の二十一日です」
「そうか‥‥‥もう、そんなになるのか‥‥‥」と夢庵は目をこすった。
夢庵は五条安次郎を一休禅師のもとに送った後、我家の四畳半に帰った。仕事の続き、宗祇(ソウギ)の聞き書きをまとめようと机に向かったが、何となく集中できなかった。部屋の中には、安次郎が智羅天の岩屋に籠もろうとして用意した食糧やら書物やらが、そのまま残っていた。夢庵はそれをかついで、ここに来て、ずっと岩屋の中で仕事を続けていたのだった。
「夢庵殿、外にも出ないで、ずっと、この中に籠もっておったのですか」と太郎は岩屋の中を見回しながら聞いた。
「いや、そういうわけでもないがのう‥‥‥外はいい天気か」
「いえ、雪が散らついております」
「雪か‥‥‥うむ。ちょっと外でも眺めて来るかのう」
岩屋の入り口に座り込んで、雪を眺めながら、太郎は夢庵から、安次郎が訪ねて来た事や駿河での早雲と風眼坊の活躍を聞いた。
「師匠も頑張っておるようですね」と太郎は笑った。
「らしいのう」と夢庵は頷いてから苦笑した。「あの二人にはわしも参ったわ。わしよりも十歳も年を食っておる癖に、山の中を平地のように歩いておる。確か、去年の今頃じゃったのう、山歩きをしたのは」
「今年もまた、百日行が始まります」と太郎は言った。
「なに、また、誰かがやるのか」
「はい。わたしが連れて来た播磨の若者です。なかなかの素質を持っておるので、わたしの弟子にしようと思っております。百日行を見事、やり通したらの話ですけど」
「ほう。おぬしの弟子になるには百日行をしなければならんのか」
「はい。こいつも一応、やっております」
太郎は八郎の方を示した。
「ほう。おぬしもやっておったのか。凄いもんじゃのう」と夢庵は八郎を見直していた。
「はい。あの時は、もう死ぬ気で歩きました」
「そうじゃろうのう‥‥‥わしは一月程しか歩かなかったが、えらい辛かったわ。その三倍も歩くとなると、死ぬ気でやらん事には無理じゃろうのう」
「明日から始めます。百日間、ずっと、付き合ってやりたいんですが、わたしにはできません。夢庵殿、時々でいいですから奴の事を見守ってやって下さい」
「おう。そんな事ならお安い御用じゃ」と夢庵は喜んで引き受けてくれた。「わしに一緒に歩けと言われても自信ないがのう。時々、見る位ならできるわ。しかし、今から始めるとなると、一番きつい時期じゃないのか」
「はい。一番きつい時期です。しかし、この時期、百日行をやり遂げれば、やり遂げた後の喜びも、また格別となるでしょう」
「うむ、そうじゃろうのう。明日から始めて、いつまでじゃ」
「来年は正月が二回あるので、二月五日になります」
「なに、来年は正月が閏月(ウルウヅキ)か、冬が長く感じられるのう」
「はい‥‥‥ところで、夢庵殿、宗祇殿のお弟子さんにはなれたのですね」
「いや、まだじゃ」と夢庵は首を振った。
「えっ! 一年以上もねばって、まだなのですか」
「ああ。百日行と同じじゃな。弟子になるまでの道程が長い程、弟子になった時の喜びもまた格別というものじゃ」
「そうですけど、しかし、長過ぎますね」
「来年こそは弟子になる。わしは今、そのために、宗祇殿から一年の間に聞いた様々の事をまとめておるんじゃ。それを宗祇殿に認めてもらい、弟子にしてもらう」
「そうですか‥‥‥頑張って下さい」
その日の晩、夢庵も連れて『とんぼ』に行った。とんぼの親爺は相変わらず、無愛想だったが、太郎の顔を見ると精一杯の愛想笑いをしてくれた。やがて、高林坊と栄意坊、そして、棒術の師範代の西光坊が一緒にやって来た。
話題の中心は観智坊の事だった。太郎はみんなから観智坊の事を聞いて、あの男がそれ程、お山で有名になったとは信じられなかった。師の風眼坊から紹介された時、何となく、冴えない親爺だと思った。どうして、風眼坊がこんな男を弟子にしたのか理解できなかった。百日行をやり遂げたと聞いて、この男がよくやり遂げたものだと感心はしたが、一年間、この山で武術の修行をした所で、大して上達するまいと思い、ここに来るまで、観智坊の事など、すっかり忘れていた。その観智坊の事が高林坊の口から話題に出て来るとは、まったく信じられなかった。みんなの話を聞きながら、やはり、師匠は人を見る目というものを持っている。それに比べ、自分は外見だけで判断してしまった事を悔いていた。これからは充分に気をつけなければならないと反省した。
観智坊は五月まではおとなしかった。若い者たちから『親爺』と呼ばれて、慕われていたが、ただ、それだけで、目立った事もなく、地味な一修行者だった。それが、五月に規則を破って山を下り、一升酒をくらって戻って来てから変わった。次の朝、酒臭い息をして高鼾(タカイビキ)で寝ていた所を西光坊にたたき起こされたという風に、すでに伝説となっていた。罰として井戸掘りを命じられ、一月半後、見事に井戸を掘った。その井戸掘りも、実は一人で掘ったのではなく、夜中に二人の鬼を使って掘っていた。その鬼は三尺程の小さな鬼で夫婦だった。一人は左鬼、もう一人は右鬼と呼ばれ、観智坊の命ずるままに、よく働いていた。そして、観智坊の井戸から水が涌き出て来る前夜、南の空に大きな流れ星を見たという者まで現れた。
「まったく、誰が考えたのか、その事がお山中に噂になっている。その後、観智坊は見る見る腕を上げて、信じられん事じゃが、一番若い師範代の明遊坊(ミョウユウボウ)といい勝負をする程にまでになったんじゃ」と高林坊は言った。
明日から、太郎が孫次郎を連れて百日行を始めるというので、あまり、遅くまで飲まず、その晩、太郎と八郎は二の鳥居の側にある高林坊の屋敷に泊めてもらった。
2
初日から、ひどい天候だった。
降っている雪はそれ程でもないが、風が強く、昨日、積もった雪が地吹雪となって舞っている。前が全然、見えなかった。
飯道山の山頂までは、八郎が張り切って先頭を歩いていたが、山頂に着いてみると、回りは何も見えなかった。どっちに行っていいのかも分からず、八郎は先頭を太郎に譲った。太郎、孫次郎、八郎と並んで飯道山を下り、地蔵山へと向かった。足元の道がやっと見える程度で、回りの景色などまったく見えない。これでは、道を覚えてもらうつもりで連れて来た意味がなかった。それでも金勝山(コンゼサン)を過ぎた辺りから、風も治まり、日が差して来た。八郎はまた張り切って先頭を歩いた。
孫次郎も山歩きは初めてではない。播磨の大河内城下において、太郎が作った、片道およそ五里程の奥駈け道を何度も歩いていた。自分でも山歩きには慣れているつもりだったが、初日の地吹雪には参っていた。何も見えないだけでなく、強い風のために体中が冷えてしまって、もし、このまま、一日中、この調子だったら、死んでしまうのではないかと本気で思ったりしていた。風も治まり、ようやく回りの景色が見えて来ると、今度は、その風景に驚いた。孫次郎が歩き慣れていた播磨の山々とは全然、違った風景だった。奇妙な形をした岩山だらけで、それが、雪を被った様は、まるで、絵に見た異国の山水画の様だった。こんな所が実際に、この世にあったのかと感動しながら孫次郎は歩いていた。
その日は何とか、日が暮れる前に太神山(タナガミサン)にたどり着いた。道を覚える事は、孫次郎にとっても何でもなかったが、あちこちにある仏様に唱える訳の分からない真言(シンゴン)を覚えるのは大変な事だった。真言の意味は分からないが、それを唱える事によって、自分も偉い行者(ギョウジャ)になったような気がして、何となく嬉しかった。
次の日は昨日とは打って変わって青空が広がった。天気がいいのは気持ち良かったが、道の雪が溶けて、飯道山に帰って来るまでに泥だらけになってしまった。二日間、歩いてみて、それ程、きつくはないな、これなら百日でも歩けるだろうと安心していたら、明日からは一日で往復するのだと言われ、孫次郎には信じられなかった。太郎が、自分をからかっているのだろうと思ったが、本当の事だった。
一日で往復などできるのだろうか、孫次郎には自信がなかった。八郎から、昔やった時の苦労話を聞いて、果たして、自分にやり遂げる事ができるかどうか自信がなかった。しかし、どうしても太郎の四番目の弟子になりたかった。もし、この百日行をやり遂げる事ができなければ、二度と大河内には帰れないだろう。大河内に帰れないという事は、また、日雇(ヒヤト)いの人足(ニンソク)に戻るという事だった。せっかく、殿様に見いだされて武士になれたというのに、人足には戻りたくはなかった。何としてでも歩かなければならなかった。立派な武士になって、人買いに売られて行った妹を助けなければならなかった。
三日目、本当なら一人で行く事になっていたが、初日の天気が悪すぎたので、八郎が一緒に行ってくれる事となった。朝、雪こそ降っていないが、空模様はあまりよくなかった。思っていた通り、昼過ぎから雪が散らついて来た。風はなかったが、雪は夜まで降り続いた。
「やるぞ!」と孫次郎は張り切って出掛けて行ったが、帰り道、阿星山(アボシサン)を過ぎた辺りで、すっかり日が暮れてしまった。雪の降る夜道を雪に埋もれながら、くたくたになって倒れ込むように、ようやく、飯道山の宿坊にたどり着いた。八郎は孫次郎を励ましていたが、実際、八郎もこの雪には参っていた。
八郎が百日行を始めたのは正月の十六日、何百人もの修行者と一緒だった。修行者たちの最後に付いて歩いていたので、始めから雪と格闘するという事もなかった。それに比べ、孫次郎はまだ三日目だというのに、この有り様だった。人の事だとはいえ、これは大変な事だと思った。もし、孫次郎が百日行をやり通したなら、自分たちよりも、もっと辛い目を味わうに違いない。まして、孫次郎はたった独りだった。たった独りで、この悪条件の中、百日行をやり遂げた後、孫次郎は八郎たちにとっても恐るべき男になるに違いない。孫次郎を励ましながらも八郎は、こいつに追い越されないように、自分ももっと修行を積まなければならないと感じていた。
いよいよ、今日の七つ(午後四時)から『志能便の術』が始まる。八郎と孫次郎が奥駈けを歩いている頃、太郎は飯道山の不動院にて高林坊たちと打ち合わせをしていた。
今年もいつもの様に、剣術師範代の中之坊、槍術師範代の竹山坊(チクザンボウ)、棒術師範代の一泉坊(イッセンボウ)の三人が手伝ってくれる事となった。中之坊は志能便の術が、まだ陰の術と呼ばれていた頃から太郎を手伝ってくれ、もう六年目となり、後の二人も五年目だった。三人共、教える事もすっかり心得ている。今までは、ただの手伝いとしてやってくれたが、太郎は三人を正式に陰の術の師範代にしてくれるように高林坊に頼んだ。高林坊と他の三人も、太郎がそんな事を言ったものだから、もう、太郎が来なくなるのではないかと心配した。太郎は、そんな事はない。これからも毎年、来ますと言ったので、高林坊も安心して考えておくと答えた。
打ち合わせが済むと太郎は山を下り、播磨から帰って来ていた十八人と会った。太郎は彼らに、五郎の代わりとなる一人を捜してくれと頼んでいた。約束の時間に二の鳥居の前に行くと、皆、揃っていた。新たに加わる一人も来ていた。その一人は鳥居弥七郎だった。太郎が初めて飯道山に来た時、剣術組にいた鳥居兵内の弟で、兄と同じく剣術の腕はなかなかのものだった。鳥居弥七郎は太郎が現れたのを見て、どうして火山坊がこんな所にいるのだろうと思った。弥七郎は太郎坊の顔を知らなかった。火山坊が実は太郎坊だったと聞いて、信じられないと驚いていた。回りの者たちも、俺たちも信じられなかったが、本当の事だ、と言って笑っていた。
太郎は、今月中には、お前らも正式に飯道山の山伏になれるだろうと言い、それまでは、のんびりと休んでいろと言い渡して解散した。皆、久し振りの故郷でのんびりできると喜んで帰って行った。
志能便の術まで、まだ、大分、時があった。太郎はまた山に戻り、隠れながら棒術道場を見下ろせる木の上に登った。一目、観智坊の姿を見てみたかったのだった。観智坊は若い山伏を相手に稽古をしていた。その動きを見た時、太郎も実際に驚いた。高林坊たちの言っていた事は本当の事だった。確かに、凄い上達振りだった。まったくの初心者から、たったの一年でこれ程までに上達するものだろうか‥‥‥
太郎には信じられなかった。四十を過ぎた、この男をこれ程までにする力というのは、一体、どこから来るのだろうか、なまじの精神力ではなかった。これだけ強くなるには、必ず、裏に何かがあるに違いなかった。何かをしなければならないという使命感のようなものが強く働かない限り、これ程までに上達はしない。ただ、強くなりたいと思っているだけでは、これ程までにはならないだろう。
太郎の場合は、初め、金比羅坊を倒すために稽古に励み、その後は、高林坊を倒したいと稽古を積んだ。そして、智羅天と会い、自分も智羅天のようになりたいと辛い修行に耐えた。しかし、観智坊の場合は、そういうものではなく、何か内面に秘密があるように感じられた。一体、その秘密とは何なのだろうか。
太郎はその事に興味を感じた。
木から下りると、太郎は修行者たちの宿坊(シュクボウ)に向かった。観智坊が掘ったという井戸を見てみたかった。修行者たちが皆、道場の方に行っているので宿坊は閑散としていた。食堂で働く男が、丁度、井戸から水を汲んでいた。男は念仏を唱えながら井戸水を汲んでいた。太郎は男に近づいた。男は振り向いて懐かしそうに、「太郎坊殿」と言った。
太郎もこの男を知っていた。太郎がこの山で修行をしていた頃から、ここにいて修行者たちの食事を作っていた。太郎は修徳坊で寝起きしていたが、食事の方は修徳坊と時間がずれるので、ここに来て食べていた。観智坊もそうだった。太郎は夜、遅くになって飯を食いに来ては、何度もこの男に怒鳴られた経験があった。
「お久し振りです」と太郎は笑った。
「いよいよ、今年も始まりますな」
「はい。親爺さんも毎日、大勢の飯作りで大変ですね」
「なに、毎日、若い者たちと喧嘩しながら楽しくやっておるわ。毎年、この時期になると、ちょぴり淋しい思いをするがのう。一年間、面倒を見て来た悪ガキ共も、後一月もしたら、皆、いなくなってしまうと思うとのう‥‥‥」
「そうでしょうね」
「お前様のように、騒ぎばかり起こしておった者の方が返って、おらなくなると淋しいもんじゃ」
「俺はそれ程でもないでしょう」
「いや、何の、あの頃は憎らしいガキだと思っておったよ。また、不思議なもんで、憎らしいガキだった者の方がおとなしい者たちよりも、よく覚えておるし、お山を下りてからも活躍しておるようじゃ」
「今年の観智坊殿はどうでした」
「観智坊殿、あのお方は偉いお人じゃよ」
「この井戸を掘ったとか」
「ああ。凄かったよ。わしもずっと見守っておったが、よくまあ、これだけの物を一人で掘ったものじゃ」
「念仏の井戸と呼ばれておるそうですね」
「うむ。観智坊殿が念仏を唱えながら掘り続けておったのでな。実際の所、穴の中から聞こえて来る念仏は不気味じゃった。地獄の底から聞こえて来るようじゃったのう。実際に、観智坊殿はあの時、地獄を経験しておったのじゃろう。しかしのう、今でも不思議なんじゃが、井戸から水が出た時じゃった。丁度、日が昇る時分じゃったかのう。穴の中から念仏が聞こえて来た。今日も早くからやってるのうと思って聞いておったんじゃ。ところが、何となく、その念仏がいつもと違うような気がしたんじゃ。どう違うと言われても分からんが、何となく違うと感じたんじゃよ。おかしいなと思って、わしは耳を澄ませて聞いておった。やはり違うんじゃ。何とも言えない、いい響きでのう。まるで、極楽から聞こえて来るような念仏じゃった。わしはその念仏に聞き惚れておった。そしたら、すぐに水が出て来たんじゃよ。不思議じゃったのう‥‥‥わしは後で、その事を観智坊殿に話したんじゃ。どうして、念仏が変わったのか知りたくてのう。観智坊はそうでしたか、と嬉しそうな顔をしておったが、自分でもよく分からないと言っておった‥‥‥わしは今でも、あの時、奇跡が起こったと思っておるんじゃ‥‥‥」
「奇跡ですか」
「ああ、奇跡じゃ。昔、お前さんが鐘を運んで、雨を降らせた時と一緒じゃ。奇跡が起こったんじゃよ。長年、このお山におると色々な事が起こるもんじゃ」
太郎は食堂の親爺さんと別れると不動院に顔を出した。高林坊はいなかった。高林坊から観智坊の素性を聞こうと思ったが、もしかしたら、松恵尼が知っているかもしれないと、太郎はさっそく花養院に向かった。
太郎は松恵尼から観智坊の前歴を聞いた。本願寺の偉い坊主だったと言う。本願寺の事は師匠から聞いていたが、実際に、どんなものなのか分からなかった。松恵尼は今、加賀では、本願寺の門徒たちが守護を相手に戦っていると言う。本願寺の門徒というのは百姓や山の民、川の民など下層階級の者たちが多く、それらが一団となって、武士を相手に戦っていると言う。観智坊は門徒たちの指導的な立場にいた人で、訳あって本願寺を破門となったが、門徒たちを助けるために飯道山で修行している。観智坊は山を下りたら加賀に戻って、本願寺の裏の組織を作って門徒たちをまとめ、守護を倒そうとしていると松恵尼は言った。太郎には、百姓たちが一団となって武士を倒すと言われても、実感が涌かなかったが、観智坊が度偉い事をしようとしている事は分かった。その度偉い事をするために、あれ程、腕を上げたのだった。
本願寺とは一体、どんなものなのだろうか‥‥‥
太郎も一度、加賀に行って、この目でその状況を見てみたいと思った。自分で行くのは無理だとしても、『陰の二十一人衆』を加賀に送って状況をつかもうと思った。
3
智羅天の岩屋に戻って、藍色の忍び装束に着替えると、太郎は山の中を通って飯道山に向かった。夢庵が一緒に行くと言って付いて来た。何と、夢庵も黒い忍び装束を持っていて、それに着替えると後を追って来た。
太郎は初めの頃、黒い忍び装束を着ていたが、今は色々な色の忍び装束を持っていた。色々と試した結果、真っ黒よりも、茶色とか柿色とか紺色とかの方が目立たないという事も分かり、また、雪山では白い装束を身に着ける事もした。今、太郎が着ているのは表が藍色で裏は白地だった。
太郎は今、剣術の師範をしていない。もう天狗の面をして顔を隠す必要はなかった。また、わざわざ山道から登場しなくてもよかったのたが、毎年、突飛に登場していたので、今更、普通に登場するわけには行かなかった。太郎坊はどこからともなくやって来て、また、どこかに消えて行くという伝説通りにしなければならなかった。
夢庵はちゃんと太郎の後を付いて来た。太郎の前では武術の稽古なんかしていなかったかのように装っていたが、ひそかに稽古を積んでいたに違いなかった。まったく、とぼけた人だった。
太郎と夢庵は木の上から颯爽(サッソウ)と修行者たちの前に登場した。
初日の今日は高林坊も栄意坊も姿を見せていた。高林坊を初め師範たちは、太郎と一緒に空から落ちて来た夢庵の姿を呆れた顔をして見ていた。まさか、夢庵がこんな所に現れて来るとは、まったくの予想外な事だった。これまでも、ちょこちょこと山に来ては遊んでいたが、夢庵が陰の術を身に付けていた事を知っている者はいなかった。
意外な事だった。剣術の腕はかなりのものだとは皆、知っていたが、いつも飄々(ヒョウヒョウ)としている夢庵が、太郎坊と一緒に空から現れるとは、高林坊さえ、こんな男は初めてだと呆れていた。
高林坊が夢庵に初めて会ったのは、去年の末、風眼坊が連れて来た時だった。女物の派手な帯を腰に巻いて、芝居の役者が着るような派手な着物を着ていた。一目見ただけで、目を背けたくなるような、ふざけた男だと思った。風眼坊が変わっているのは知っていたが、こんな男と付き合っているとは馬鹿げた事だと思っていた。そう思っていたが、風眼坊がかなり気に入っているようなので口には出さなかった。
次に会ったのは恒例の年末の師範たちの飲み会の時だった。何で、あんな奴が来るんだと思ったが、どうしてもと風眼坊も太郎坊も言うので、高林坊は仕方なく許した。しかし、その宴の最中、高林坊は夢庵と一言も口を利かなかった。風眼坊たちは、これから太郎のいる播磨に行くと言う。もう二度と夢庵とも会うまいと思っていたが、年が明けて、二月の半ば頃、夢庵はひょっこりと飯道山に現れた。いつものふざけた格好だった。夢庵はやたら慣れ慣れしく高林坊に近づいて来たが、高林坊は忙しい振りをして避けていた。夢庵はその後、度々、飯道山に来ては好き勝手な事をしていた。栄意坊とは気が合うのか、よく二人でいる所を目にしたが、高林坊は何も言わなかった。
そのうちに夢庵は山伏たちの話題に上るようになり、夢庵が剣術の名人だという事を高林坊は耳にした。高林坊には信じられなかった。あんなふざけた奴が武術などに縁があるはずはないと思っていた。夢庵が道場で修行者たちを鍛えていると聞いて、高林坊はひそかに見に行った。夢庵は木剣を片手に持って修行者を相手にしていた。それは、まさに遊んでいるようだった。しかし、夢庵の構え、太刀さばきを見て、高林坊にも夢庵の強さはすぐに分かった。信じられなかったが、あの強さは本物だった。
夢庵は不思議な男だった。何をしていても遊んでいるように見えた。何をしていても楽しそうだった。何もしないで、ぼうっとしている時でさえ楽しそうに見えた。不思議な男だった。山に来て、好き勝手な事をしていても誰にも嫌がられる事もなく、かえって、夢庵がそこにいるというだけで、その場が和やかになるというような感じがした。
普通、あんな格好をしてウロウロしていれば変な目で見られ、人々から後ろ指さされるだろう。ところが、夢庵の場合は違った。何もかもが、夢庵という男を表現していて、夢庵はああでなければ駄目だとか、夢庵だから何もやっても許されるという風に、人に思わせてしまうのだった。高林坊もその一人だった。夢庵という男が分かって来ると、高林坊も夢庵の持っている何かに惹(ヒ)かれて行った。そして、付き合ってみると、ますます、不思議な男だと惹かれて行くのだった。
今日も、夢庵が太郎と一緒に空から降りて来た時、初めは驚いていたが、夢庵ならやりかねないと高林坊は納得していた。修行者たちは、あの夢庵が太郎坊と一緒に現れたものだから、ワイワイ言って囃(ハヤ)し立てていた。太郎もそれには驚いた。夢庵が修行者たちの間で、こんなにも有名だったとは驚きだったが、太郎も、夢庵だったら、その位の事はやりかねないと納得していた、夢庵のお陰で、今回、太郎の存在は幾分、薄くなっていた。
今年、一年間の修行に耐え、志能便の術に参加したのは七十四人だった。例年よりは若干多かった。これも観智坊のお陰だったのかもしれない。初日、太郎はみんなに、志能便の術とはどういうものなのかを実話も混ぜて話して聞かせ、また、夢庵に模範演技もして貰った。夢庵は初めから志能便の術の師範をやるつもりだったかのごとく、鮮やかに技を披露した。八郎が孫次郎に付き合って、まだ、山の中を歩いているため、自分で演じてみせるつもりだったが、太郎の出る幕はまったくなかった。
その日、孫次郎と八郎が飯道山に戻って来たのは志能便の術の稽古が終わってからだった。太郎は夢庵と一緒に奥駈け道の方に飛ぶように帰った。飯道山の山頂まで行って、待っていると、ようやく、疲れ切った顔をして孫次郎が帰って来た。
「もう少しだ、頑張れ」と太郎は声を掛けたが、頷くだけで返事をする気力もないようだった。
後から来た八郎の方もかなり参っているようだった。
「どうだ」と太郎は八郎に聞いた。
「かなり、きついです」と八郎はやっとの事で言った。「雪が重くて‥‥‥」
「そうか‥‥‥明日から、一人で大丈夫そうか」
「はい。もう大丈夫だとは思いますが‥‥‥もう一日、付き合ってやろうと思っています。この時期、たった一人で歩くのは厳し過ぎます」
「そうか‥‥‥うむ。それじゃあ、明日も付き合ってやってくれ」
「志能便の術の方は大丈夫ですか」
「夢庵殿が手伝ってくれている。夢庵殿はもう完全に志能便の術を身に付けているんだよ」
「そうですか‥‥‥」
「おぬしの代わりはわしがする」と夢庵が言った。「安心して奴に付き合ってやれ」
「はい。お願いします」と言って、八郎は孫次郎が多分、倒れているだろう修徳坊に向かった。
太郎と夢庵は智羅天の岩屋に向かった。
「夢庵殿、あの暗闇の中で物を見る修行を積みましたね」と太郎は歩きながら聞いた。
「おう。おぬしから聞いた話を思い出してのう。わしもやってみた。思っていたより辛かったわ。修行を積めば、暗闇の中でも彫り物が彫れると聞いて、わしも暗闇で物が書けるかと挑戦してみたが、それは無理じゃった。しかし、夜道は平気で歩けるようになったわ」
「夢庵殿には参りますね。ボヤボヤしていたら俺まで追い越されてしまいます。俺も播磨に帰ったら初心に帰って修行を積みます」
「なに、おぬしより強くなるには、この先、ずっと、あの岩屋で修行しなければなるまい。だが、わしはおぬしと会えて、ほんとに良かったと思っておるんじゃ。おぬしと会えなければ、たとえ飯道山の側におったとしても、今のように飯道山の山伏たちや修行者たちと仲よくはできなかったじゃろう」
「そんな事はないでしょう。俺と会わなくても夢庵殿は飯道山の側にいれば、今と同じように飯道山で有名になっていた事でしょう」
「いや、それは違うぞ。人と人が付き合うには縁というものがあるんじゃ。もし、縁がなければ、たとえ側におったとしても付き合う事はできんのじゃよ。今回、高林坊殿を紹介して貰ったので、わしとしても自由に行き来ができたんじゃ。高林坊殿の黙認という形で、わしはお山で遊ぶ事ができたんじゃよ」
「縁ですか‥‥‥確かに、それはありますね」
「おぬしらと初めて会った時、こんな風になるとは想像すらできなかったのう」
「そうですね。初めて会った時は本当に驚きましたよ。あの時の牛は元気ですか」
「おう。最近は田畑を耕しておるわ」
「あの金色の角のままですか」
「そうじゃ。奴もあの辺りでは有名人じゃ。いや、有名牛じゃのう」
「有名牛ですか」と太郎は笑った。
あの牛が田畑を耕している姿を想像しただけで可笑しかった。あの姿で田畑を走り回っていれば有名になるのは当然の事だった。
その年、夢庵は最後まで『志能便の術』の師範代を立派に務めた。
4
一ケ月の志能便の術の稽古は終わった。
孫次郎の百日行は、まだ三分の一の三十二日目だった。結局、八郎はそのまま志能便の術をやっている間、ずっと孫次郎に付き合っていた。八郎自身が人一倍辛い思いをして百日行をやり遂げたため、孫次郎が苦しみながら歩いているのを見て、放っては置けなかったのだった。八郎自身も辛かったが、先輩として孫次郎を励ましながら歩いていた。
観智坊は志能便の術の稽古を終えて悩んでいた。
いよいよ、明日で一年間の武術修行も終わる。もう、山を下りる事ができるのだった。観智坊は迷わず、真っすぐに蓮如(レンニョ)に会いに行こうと思っていた。蓮如が今、どこにいるのかは分からない。しかし、大津の顕証寺(ケンショウジ)に行って聞けば、すぐに分かるだろう。蓮如と一目会って、山伏、観智坊として加賀に向かうつもりでいた。ところが、太郎坊から志能便の術を習ってから、観智坊の気持ちは揺らいでいた。以前、風眼坊から聞いてはいたが、志能便の術というものが、敵の城や屋敷に忍び込む術までも教えるとは思ってもいなかった。しかも、具体的だった。観智坊がこの先、本願寺の裏の組織を作るに当たって、一番重要な事を太郎坊は教えてくれた。観智坊は毎日、太郎坊の言う事を一言も漏らさずに聞いて、教わった技術は稽古が終わった後に必ず復習していた。しかし、一ケ月は短かった。一ケ月で教わった事はほんの基本だった。後は各自、工夫して自分だけの志能便の術を作るようにと言って、志能便の術の稽古は終わった。
観智坊は悩んでいた。
太郎坊の言う通り、後は自分で考えた方がいいか、それとも‥‥‥
加賀に戻ったら、この山にいる時のように自分の修行をする時間などないかもしれない。ここに戻って来る事もないだろう。となると、後になって後悔するよりは、加賀に行くのが二、三ケ月、遅れたとしても、太郎坊からもっと志能便の術を教わった方がいいかも知れないと思った。今、加賀に帰ったとしても向こうも雪に埋もれている。志能便の術を完璧に身に付けて、春になってから行っても、そうは変わらないだろう。観智坊はもっと太郎坊から志能便の術を教わろうと決心した。
最後の日、観智坊は師範代の明遊坊と試合をやって見事に勝った。観智坊が初めて、この道場に来た時、一年後にこんな結果になるだろうと誰が予想していただろうか。
修行者たちは、何で、この道場に、こんな冴えない親爺がいるんだと半ば馬鹿にし、こんな親爺に負けるわけないと思っていた。事実、初めの頃、観智坊は誰よりも弱かった。観智坊が見る見る上達して行ったのは、まさしく努力の賜物(タマモノ)だった。人一倍、稽古に励んでいた。観智坊が急に強くなったのは、あの井戸掘りの後からだった。修行者たちも呆れる程、一日一日と強さを増して行った。その頃になると観智坊を馬鹿にする者もいなくなり、親爺という呼び方にも、尊敬の念が籠もるようになって行った。修行者たちは実の親父であるかのように、観智坊に何でも相談を持ちかけ、観智坊は親身になって答えてやった。そのうちに、修行者たちも親爺には負けられないと、皆、真剣に稽古に励むようになって行った。皆、一年間を振り返ってみて、自分なりによくやったと感激していた。そして、これも皆、観智坊が一緒にいたからだと観智坊に感謝していた。
観智坊と明遊坊の試合は一番最後だった。試合が終わって、お互いに合掌を済ますと、修行者たちの中から『親爺!』という声があちこちから起こり、喝采(カッサイ)が起こった。
喝采はいつまで経ってもやまなかった。中には感激して涙を流している者もいる。
高林坊たち師範たちも、この有り様を見て感動していた。今まで、こんな事は一度もなかった。観智坊を見ながら修行者たちが皆、心を込めて拍手を贈っていた。やがて、喝采は他の道場へも飛火した。他の道場の者たちも棒術道場に集まって、観智坊に拍手を贈った。高林坊でさえ胸の中がジーンとして来て、目が自然と潤んで来るのを感じていた。
観智坊露香‥‥‥この名は、今年の修行者たちにとって、一生、忘れられない名前となるだろう。そして、この飯道山にとっても忘れられない名前となろう。観智坊とは、以前、この飯道山にいて剣術を教えていた山伏の名前だった。戦死して今はもういなかったが、その勧知坊という男に似ていたため、高林坊が字を変えて観智坊と付けた名前だった。その勧知坊のように強くなれという気持ちを込めたわけだったが、観智坊はたったの一年で、その勧知坊の強さを越え、人間的にもずっと大きな存在となって行った。
高林坊はこの飯道山に来て、今日程、感動した事はなかった。この山に長く居過ぎたため、修行者たちに教える事さえ惰性のようになってしまっていた。高林坊も昔は、一年間の修行を終えた者たちを送る時には、一年間の様々な事が思い出され感動していたものだった。久し振りに感動していた高林坊は、知らず知らずのうちに感動する事さえも忘れてしまっていた自分に気づいていた。高林坊も観智坊から色々と教わる所があった。それは、自分もかつて経験しておきながら、今、忘れてしまっていた様々な事だった。それは些細な事だったが、若い者たちの指導的立場にいる自分にとって、決して忘れてはならない事だった。高林坊は観智坊の事を思い出すたびに、それらの事を思い出して、自分の戒(イマシ)めにしようと思っていた。
喝采がようやく静まった後、高林坊は集まって来た全員の修行者たちに最後の挨拶をして、皆に別れを告げた。
修行者たちは、それぞれ宿坊に帰り、飯道権現(ゴンゲン)に合掌をして山を下りて行った。
観智坊は修徳坊に帰って、一年間、世話になった人たちに挨拶をして回り、最後に不動院にいた高林坊のもとを訪れた。
「いよいよ、お山を下りるか」と高林坊は気軽に声を掛けて来た。
「はい。お世話になりました」と観智坊は頭を下げた。
「いや。お世話になったのは、こっちの方かもしれん。観智坊殿は若い者たちの面倒をよくみてくれた。本当は、わしらが観智坊殿のように、みんなの面倒をみなければならなかったんじゃ。わしらはただ、奴らに武術という術を教えていたに過ぎなかった。観智坊殿は奴らに、心というものを教えてくれた。今年の修行者たちは観智坊殿がおったお陰で、幸せもんじゃ」
「そんな‥‥‥わしはただ自分の事が精一杯で‥‥‥」
高林坊は観智坊を見ながら満足げに頷いた。「師範たちを代表して、わしから観智坊殿に礼を言うわ。ありがとう。また、いつか、このお山に来てくれ。皆、おぬしの事を歓迎して迎えるじゃろう」
「はい。ほんとに色々とお世話になりました」
「これから、どうするんじゃ」
「はい。実は高林坊殿。太郎坊殿が今、どこにおられるのか御存じないでしょうか」
「太郎坊? 太郎坊に何か用なのか」
「はい。実は志能便の術をもう少し、教えていただきたいのです」
「なに、志能便の術をか」
「はい」
「本願寺のためじゃな」
観智坊は神妙な顔をして頷いた。
「うむ。今晩、師範たちが集まって恒例の飲み会があるんじゃ。太郎坊もそれに出るはずじゃ」
「その飲み会というのは下の町でやるのですか」
「そうじゃ、おぬしもその飲み会に参加せんか」
「えっ? そんな、わたしはただの修行者です、そんな席には、とても出られません」
「なに、おぬしは身を以て修行者たちに生きるという事を教えたんじゃ。充分に参加する資格はあるわ。それに、師範たちの集まりと言っても公式ではないんじゃ。遊女たちも大勢参加するしのう。そうじゃ、夢庵殿も顔を出すじゃろう」
「夢庵殿は立派に『志能便の術』の師範代です」
「今年はな。しかし、去年は何もしなかった癖にずうずうしく参加しておったよ。そう、堅苦しく考える事もない。気楽に出てくれればいいんじゃよ」
「はい‥‥‥」
「どうせ、太郎坊に話があるんじゃろう。太郎坊は明日の朝早くには播磨に帰ってしまうじゃろう。その席で話さないと、会えないうちに帰ってしまうぞ」
「はい。どうしても会いたいです」
「会って、播磨まで付いて行くのか」
「はい」
「おぬしの事じゃ。思った事はきっと成し遂げるじゃろう。まあ、頑張れよ。宴会は今晩の六つからじゃ。修徳坊で待っておってくれ」
「はい‥‥‥」
観智坊は高林坊の言われるままに宴会に参加した。宴会の始まる前に、観智坊は太郎坊に志能便の術の事を頼んだ。観智坊の事は夢庵を初めとして、みんなから聞いていたので、その観智坊がこうまでして頼むからには、考えがあっての事だろうと思った。播磨に来るというのなら、喜んで教えましょうと太郎は言った。観智坊は喜んで、宴の間中、太郎の側を離れなかった。一時程で宴はお開きとなり、皆、好きな所に散って行った。高林坊が珍しく、太郎たちを誘った。何となく、今日の高林坊はいつもと違っていた。やたらと陽気だった。太郎がどうしたのか、と聞くと、若い頃を思い出したんじゃと笑った。
高林坊は、栄意坊、太郎、八郎、夢庵、観智坊の五人を引き連れ、料亭『湊屋(ミナトヤ)』を出ると、以外にも遊女屋の門をくぐった。高林坊が遊女屋に入るとは太郎は驚いていた。また、いつものように『とんぼ』に行くものと思っていたのに、高林坊は平気な顔をして遊女屋『花屋敷』の門をくぐった。栄意坊はやたら懐かしそうに遊女屋を眺めていた。
「ほう、ここは昔と変わってないのう」と栄意坊は言った。
「よく、遊んだのう、あの頃は」と高林坊は栄意坊の肩をたたいた。
「あの頃は、遊女屋が我家じゃったからのう」
「ああ。わしらを捜すには昼はお山、夜は遊女屋じゃった。あの頃はお山でも暴れたが、遊び方も豪快じゃったのう」
「あの頃の自分と、今の自分を比べると分別(フンベツ)臭くなったもんじゃのう」
「おう。わしもその事に気づいたんじゃ。そこで昔に帰ろうと思っての。久し振りに、ここに来たというわけじゃ。あの頃の遊女屋で、今も残っておるのはここだけじゃ」
通された部屋に高林坊は六人の遊女を呼ぶと、栄意坊と昔の思い出話を色々と話してくれた。今の高林坊しか知らない太郎たちには想像もできない位、若い頃の高林坊たち四天王は滅茶苦茶な事をしていた。その頃に戻ったかのように、高林坊と栄意坊は遊女たちとふざけ合っていた。こんな高林坊を見るのは初めてだった。いつも、武術総師範にふさわしい毅然(キゼン)とした態度しか見せなかった。太郎の師の風眼坊や栄意坊が、遊女たちをはべらしていてもおかしいとは思わないが、高林坊までもが、こんな事をするとは意外な事だった。しかし、昔話を聞いてみると、皆、若い頃は羽目をはずして遊んでいたのだった。彼らから比べれば、太郎を初めとして、八郎、光一郎、五郎たちはおとなしいものだった。みんな、若いうちはもっと羽目をはずして騒いだ方がいいのかもしれないと太郎は思った。
夢庵は元々、こういう雰囲気は好きな方なので一緒になって騒いでいた。
八郎もようやく山歩きから解放された喜びから、はしゃいでいた。
観智坊は初めのうちはおとなしかったが、久し振りに飲んだ酒に酔っ払って、久し振りに見た若い娘に溺れて行った。
太郎も昔、夕顔という遊女と遊んだ時の事を思い出しながら、久し振りに馬鹿騒ぎをしていた。
一度、隣の部屋から、うるさいと苦情もあったが、栄意坊が一睨みすると黙って引き下がって行った。去年は髭を剃って、さっぱりした顔をしていたが、今年は見慣れた髭面に戻っていた。やはり、栄意坊には髭があった方がいい。
夜更けまで騒ぎまくり、結局、みんな、酔い潰れて、女を抱く所ではなかった。
22.孫次郎2
5
観智坊が飯道山で武術の修行に励んでいた頃、かつて、観智坊の下男だった弥兵は松恵尼の別宅である農家を義助(ヨシスケ)と一緒に守っていた。留守を守ると共に、松恵尼の持っている田畑を義助と一緒に耕作していた。加賀の湯涌谷(ユワクダニ)という山の中で育った弥兵は、畑仕事は知っていても稲を育てる事は知らなかった。義助に教わりながら、毎日、観智坊が山を下りて来る一年後を楽しみに待っていた。
義助の方も、いい連れができたと喜んでいた。義助はもう六十歳を過ぎていた。元気だけはいいが、体の方は昔のようには言う事を利かない。松恵尼に言えば、もう、田畑の仕事はしなくてもいいと言うのは分かっていたが、義助は死ぬまで、この農家を守り、松恵尼の土地で働き続けたかった。松恵尼に弥兵の事を頼まれた時、義助は、はっきり言って嫌々ながら引き受けた。義助にとって松恵尼から留守を任されている、この農家は彼の城と言えた。できれば、他の者を彼の城に入れたくはなかった。
初めの頃、義助は弥兵に対して必要以外の事は話さなかった。弥兵もまた必要な事以外は話さない。二人は同じ部屋で寝起きしていても、一言も喋らずに一日を過ごす事が何度もあった。松恵尼の農家は広く、部屋も幾つもあったが、義助は掃除をする時以外、それらの部屋に入る事を許さなかった。二人は囲炉裏のある板の間の脇の狭い部屋で暮らしていた。
弥兵は朝晩、必ず、壁に貼り付けた『南無阿弥陀仏』と書かれた紙切れに向かって、熱心に念仏を唱えていた。義助はそんな弥兵を見て、馬鹿な事をしていると思っていた。義助も念仏くらいは知っている。しかし、義助の知っている念仏は、阿弥陀如来の仏像に対して唱えるものだった。飯道山の本尊である阿弥陀如来像の前で、義助も念仏を唱える事はあるが、こんな紙切れに向かって、同じ念仏を繰り返し繰り返し唱えている弥兵の行動は、義助には馬鹿らしい行為としか目に写らなかった。
義助も当然の事ながら飯道山の信者の一人だった。念仏よりも真言(シンゴン)の方を信じていた。真言の意味は義助にも分からない。意味は分からないが、分からない事がかえって、ありがたさを増していた。真言は念仏のように朝晩決まって唱えたりはしない。唱えるべき場所に行って唱える。壁に貼り付けた、ただの紙切れに向かって、毎日、真剣に念仏を唱えている弥兵の心境が義助には理解できなかった。
一月経ち、二月と経って行くうちに、無愛想な二人もやがて打ち解けて行った。義助は字が読めなかったが、弥兵は読む事ができた。できたと言っても漢字は駄目で、片仮名だけだったが、観智坊に教わって読めるようになっていた。
弥兵は観智坊に書いて貰った片仮名で書かれた蓮如の御文(オフミ)を、宝物のように大切に持っていた。何度も読んだり写したりしているため、それらの御文はすでに暗記していた。
義助は弥兵から字を教わる事となった。義助も字が読めるようになったら、どんなにか、いい事だろうと思っていた。しかし、今まで字を習う機会なんてなかった。この年になって字を習っても仕方がないとも思ったが、弥兵が教えてくれるというので義助は教わる事にした。手本は観智坊の書いた御文だった。初めの頃は義助も、ただの手本としていただけだったが、何度も何度も繰り返し写しているうちに、義助にも蓮如が言おうとしている事が自然と分かるようになって行った。やがて、義助も弥兵と一緒に念仏を唱えるようになって行った。初めは何となく照れ臭かった義助だったが、念仏に没頭する事によって、煩(ワズラ)わしい事など何もかも忘れて、心の中が綺麗に洗われるような、すがすがしい気持ちになる事ができた。弥兵から本願寺の事や蓮如上人の事も聞き、義助もだんだんと弥兵の気持ちが分かるようになり、念仏を唱える姿も様になって来た。やがて、念仏を唱える事が義助の日課となり、毎日の楽しみとなって行った。壁に貼ってある紙切れも蓮如上人が書いたものだと知り、その有り難さも分かって、黄金の仏様であるかの様に大切にした。
弥兵は観智坊から飯道山に登る事を禁じられていた。観智坊にすれば、飯道山で若い者たちにしごかれている惨(ミジ)めな姿を下男であった弥兵に見られたくなかった。弥兵は観智坊が本願寺を破門になっても、観智坊の事を尊敬している。そんな弥兵に惨めな姿を見せたくはなかった。弥兵は観智坊の約束を守り、祭りの時でさえ飯道山には登らなかった。義助が誘っても、弥兵は山のふもとまでは行ったが、二の鳥居から先には決して登らなかった。しかし、朝晩の念仏の前には、必ず、山の方に向かって静かに合掌をして、観智坊の無事を祈っていた。
観智坊の山での活躍はすぐに門前町に噂として広まった。井戸の事も、夜遅くまで稽古に励んでいる事も、噂となって弥兵の耳にも入って来た。弥兵は観智坊の事が町人たちの話題にのぼるのを我が事のように喜んでいた。
いよいよ一年が経ち、弥兵が待ちに待っていた日がやって来た。観智坊が今日、山から下りて来るのだった。弥兵はその日、朝から、そわそわと落ち着かなかった。何度も山の方を見上げたり、町の方まで見に行ったりしていた。松恵尼からも座敷の方を使ってもいいとの許しを得て、座敷の方に御馳走を並べて帰って来るのを待っていた。
修行者たちは皆、晴れ晴れとした顔をして、ぞろぞろと山を下りて来るのに、観智坊の姿は見つからなかった。日が暮れても観智坊は姿を現さなかった。きっと、観智坊は自分の事を忘れてしまったに違いないと、しょんぼりとしている弥兵を見ているのが、気の毒になって来た義助は、山まで観智坊を捜しに出掛けた。観智坊が師範たちと一緒に『湊屋』にいる事を突き止めた義助は、さっそく湊屋に向かって、弥兵に習った字を使って観智坊に手紙を渡してもらった。観智坊は義助の前に現れたが、今、抜け出す事はできない、宴が終わったら行くと答えた。
義助はその事を弥兵に告げた。弥兵は義助から観智坊の事を聞くと、じっとしていられず、すぐに湊屋に向かった。義助も仕方なく後を追った。湊屋に向かったが、高級料亭である湊屋には入れない。寒い中、二人は震えながら湊屋の前で、観智坊が現れるのを待っていた。やがて、観智坊が出て来て、弥兵に気づくと近づいて行った。しかし、弥兵には観智坊が分からなかった。観智坊がすぐ目の前に来ても気づかず、まだ、湊屋の門の方を窺(ウカガ)っていた。観智坊が声を掛けても、なかなか弥兵は納得しなかった。観智坊は遅くなるから家の方で待て、と弥兵に言うと、高林坊たちの後を追って、遊女屋の方へ去って行った。
弥兵と義助は家に帰った。
家に帰ってからも、弥兵には観智坊の変わり様が信じられなかった。人というのは、ああまでも変われるものなのだろうか、夢でも見ているような気持ちだった。弥兵は昔の観智坊の事を思い出しながら、ずっと観智坊の帰りを待っていた。
遊女屋に行ったのなら、朝まで帰って来ないだろうと義助が言っても、弥兵は寝なかった。もし、観智坊が夜遅くになって来たら困ると言って、座敷の囲炉裏の火を絶やさないように一晩中、番をしていた。
観智坊が太郎たちを連れて訪ねて来たのは、次の日の朝、しかも、日が昇ってから、かなり経ってからの事だった。
観智坊は弥兵に謝ると、これから、すぐに播磨に向かう事を告げた。
弥兵は加賀に帰るとばかり思っていたので、観智坊の言葉にはびっくりした。びっくりしたが、観智坊が行くのなら自分も供をしなければならない。弥兵はすぐに旅支度をした。最後に、壁に貼られた紙を剥がそうとして弥兵は手を止めた。義助がじっと見つめていた。
義助は、その紙をそのままにしておいて欲しいと思っていた。しかし、弥兵が大切にしている事を知っているので口に出して言う事はできなかった。弥兵には義助の目から、義助の気持ちがよく分かった。その紙は弥兵にとって何よりも大切なものだった。しかし、一年以上、お世話になったお礼として、弥兵はその蓮如自筆の六字名号(ロクジミョウゴウ)の紙を義助のために残して置く事にした。義助は喜んだ。しかし、それ以上に弥兵は嬉しかった。初め、ただの紙切れとしか見てくれなかった義助が、この紙の価値を分かってくれた。それだけの事だったが、弥兵には涙が出て来る程、嬉しかった。
弥兵は義助にお礼を言うと観智坊の後に従った。
観智坊と弥兵を連れた太郎たちは花養院に行き、松恵尼に挨拶を済ますと馬にまたがり、夢庵と花養院の子供たちに送られて飯道山を後にした。今年中に帰らなければならないので忙しい旅だった。
播磨から飯道山に来ていた『陰の衆』は、新しく加わった鳥居弥七郎も含めて、皆、飯道山の山伏となって、先に帰っていた。さすがに銀の効き目があったと見えて、皆、立派な山伏名を貰っていた。表向きは大河内城下に一番近い笠形山の自在院に所属するという事になっていた。一時、飯道山の山伏が誰もいなかった自在院だったが、今は三人の山伏が守っていると言う。一応、顔見せだけはしてくれとの事だった。
太郎は馬に揺られながら、夕顔の事を思っていた。
今回、飯道山の門前町にて、太郎は夕顔と再会していた。夕顔の事はいつも気になっていた。気になっていても、今回、偶然に会うまで捜す出す事ができなかったのだった。
太郎が最後に夕顔と会ったのは、播磨に行く前、大峯山(オオミネサン)に風眼坊を捜しに行く前だった。もう二年以上も前の事だった。太郎が夕顔と会う時、使っていた名前は火山坊だった。夕顔は太郎の事を剣術師範代の火山坊としか知らなかった。火山坊が飯道山で有名な太郎坊である事など、まったく知らなかった。太郎坊は毎年、年末には飯道山に現れるが、その太郎坊が火山坊だろうとは考えてもみない事だった。火山坊は大峯山に行ったまま帰っては来なかった。誰に聞いても火山坊の行方は分からなかった。大峯の山伏になったのだろうという者もいた。年中、酔っ払っていたから、大峯の山の中で道に迷って死んでしまったのだろうという者もいた。色々な噂は耳にしたが、火山坊の行方は分からなかった。それでも夕顔は、いつか、きっと戻って来ると信じて、火山坊が現れるのを首を長くして待っていた。
太郎は播磨に行き、赤松家の武将となり、その年の暮れ、八郎を連れて飯道山に来た。夕顔の事は気になったが、『夜叉亭(ヤシャテイ)』の門をくぐる事はできなかった。会ったからといって、どうなるものでもない。かえって、このまま会わない方がお互いのためにいいのかもしれない。火山坊という山伏は大峯に行ったまま帰って来ないという事にした方がいいのかもしれない。太郎は色々と夕顔と会えない理由を考えて、自分の気持ちをごまかして来た。その年は結局、夕顔と会う度胸はつかなかった。太郎が迷っていた頃、夕顔の方はひたすらに太郎の帰りを待っていた。
その年は暮れた。夕顔はたった独りで新年を迎えた。心の中では、もう火山坊の事は忘れようと決心していた。正月の忙しい中、夕顔は火山坊の事を忘れようと、わざと陽気に振る舞っていた。二月頃、夕顔は南蔵坊(ナンゾウボウ)という山伏と出会った。年齢は火山坊より上だったが、どことなく雰囲気が似ていたのかもしれない。夕顔はだんだんと南蔵坊に惹かれて行った。
南蔵坊は伊賀の国に信者を多く持つ飯道山の先達(センダツ)山伏だった。ほとんど伊賀で活動しているため、飯道山に来るのは稀(マレ)だった。しかし、夕顔と出会ってからは、南蔵坊は度々、飯道山に帰って来るようになり、帰って来た時は必ず、夕顔のもとに通っていた。南蔵坊と会っているうちに、夕顔も火山坊の事をだんだんと忘れて行った。
南蔵坊と出会ってから半年が過ぎた。夕顔は南蔵坊の妾(メカケ)になる事を承知した。夕顔はもう二十歳を過ぎていた。いつまでも遊女でいられない事は分かっている。夕顔のいる『夜叉亭』にも毎年、若い娘が入って来た。夕顔は一番の年長だった。もし、病(ヤマイ)を患(ワズラ)ってしまえば、追い出される事になるのは分かっていた。ここを追い出されて故郷に帰ったとしても、もう、今の夕顔には山での生活に耐える事はできないだろう。南蔵坊の妾になった方がいいのかもしれなかった。南蔵坊は財産もあるし、いつか、店でも出してくれるかもしれない。夕顔は決心をして南蔵坊と一緒に伊賀の国へと向かった。
去年の暮れ、太郎は光一郎を連れて飯道山に来た。師の風眼坊と早雲と再会した。その時、太郎は皆に内緒で夜叉亭に顔を出した。太郎は火山坊として夕顔と会う決心をしていた。あの時のまま別れたくはなかった。もう一度、会って、昔の事を語り合い、もし、夕顔が来ると言えば、播磨に連れて帰ろうと思っていた。播磨には楓がいる。きさもいる。きさの存在を知っただけで楓は怒った。楓に夕顔の事を言う事はできなかった。しかし、もし、夕顔が今でも自分の事を待っているとすれば、太郎は連れて行こうと思っていた。大河内の城下には連れて行けないが、置塩の城下に今、建てている太郎の屋敷に侍女の一人として置こうと思っていた。しかし、すでに、夕顔はいなかった。
女将(オカミ)の話によると、その年の秋、夕顔は山伏と一緒になって伊賀の国に行ったと言う。山伏の名を聞いたが、女将ははっきりと覚えてはいなかった。南陽坊だったか、南蔵坊だったか、よく思い出せないと言った。女将はせっかく来たのだから、新しい娘を呼んで遊んで行けと言ったが、太郎はそんな気にはならず、遊ばずに帰った。
夕顔はいなかった。自分を待っていてはくれなかった‥‥‥幾分、がっかりしたが、夕顔の立場になってみれば当然の事だった。一ケ月間、大峯に行くと行ったまま何の音沙汰もなく、一年以上も放って置いたのだった。相手は遊女、待っていると思う方がどうかしていた。太郎は夕顔には会えなかったが、これで良かったのだと思った。相手がどんな山伏だか知らないが、遊女から足を洗えたのは良かったと思った。
後で、太郎は高林坊から、伊賀の国に関係ある山伏で南陽坊とか南蔵坊とかいうのはいないか、と聞いてみた。高林坊は南蔵坊というのならいると言った。南蔵坊というのは伊賀一円に旦那場(ダンナバ)を持っている先達だった。
旦那場というのは一種の縄張りだった。同じ飯道山に所属する山伏といえども、その旦那場の権利を持っている山伏に無断で、布教活動をする事は許されなかった。太郎たち武術の師範たちとは別に、一般の山伏たちは皆、自分の旦那場というものを持ち、そこの信者たちに飯道山のお札(フダ)を配ったり、薬を売ったり、祈祷(キトウ)をしたり、一定の人数を集めて飯道山に連れて来たりしていた。旦那場というのは財産と同じで、売り買いが行なわれる事もあり、狭い範囲の旦那場しか持たない山伏は、勢力のある山伏から買収されて旦那場を失い、その山伏の配下になるより仕方がなかった。南蔵坊はその旦那場を伊賀の国一円に持つという飯道山でも勢力のある山伏だった。
人間的にはどんな人かと聞くと、高林坊は怪訝(ケゲン)な顔付きをした。太郎が、惚れていた遊女が南蔵坊に連れて行かれたと言うと、高林坊は大笑いをして、おぬし程の者でも女子(オナゴ)に関しては上手(ウワテ)がおったか、と言った。高林坊が言うには、女に関しての噂はあまり聞かないと言う。当然の事ながら妻子はいる。伊賀での事は知らないが、この門前町で南蔵坊が遊ぶのはあまり聞かないとの事だった。銭は溜め込んでいるだろうが贅沢をしている風でもない。若い者たちの面倒見もいいようだ。その女も結構、幸せに暮らしている事だろうとの事だった。
太郎も安心して、夕顔の事は忘れた。
今年、太郎は八郎と孫次郎を連れて飯道山に来た。孫次郎に百日行をやらせ、八郎は孫次郎に付き合った。太郎は夢庵と一緒に『志能便の術』を教えた。昼間、夢庵は智羅天の岩屋の中で、宗祇(ソウギ)の聞き書きをまとめていた。太郎は孫次郎たちの様子を見たり、久し振りに彫り物をしたりして時を過ごした。そして、八つ半(午後三時)頃になると、志能便の術を教えるために飯道山に向かった。いつもなら志能便の術が終わると智羅天の岩屋に帰って来て、そのまま寝てしまった。しかし、今年は夢庵と一緒だった。夢庵がおとなしく寝るはずがなかった。
普通の者なら暗くなってから智羅天の岩屋から町に出る事はできない。途中は岩だらけで昼間でも危険な所だった。夢庵は夜でもそんな所を平気で歩いて町まで行った。太郎も仕方なく付き合う事にした。町で遊ぶ銭は皆、夢庵が払ってくれた。播磨では色々と世話になったと言って、太郎に払わせてはくれなかった。今度、わしが播磨に行った時は、おぬしに任せる。ここではおぬしはわしの客人じゃと、訳の分からない事を言って太郎には払わせなかった。
夢庵の遊びは銭に糸目は付けんといった具合に豪勢だった。また、遊び人らしく顔が広かった。太郎の知らなかった色々な店を知っていた。夢庵がどうして、こんなにも景気がいいのか、太郎には不思議でしょうがなかった。飛鳥井屋敷に居候(イソウロウ)しているだけで、仕事をしている風でもない。どこから、こんな銭が出て来るのか、まったく分からなかった。そんな事を聞くのも失礼なので聞けなかったが、酔った勢いで聞いてみると、夢庵は書物を売って銭を稼いでいるのだと言った。
この当時、印刷技術はまだ発達していなかった。書物は皆、手書きによって写されていた。そのため、欲しくても手に入れる事はなかなか難しく、高価な物となって行った。武士たちに荘園を侵略されても、公家たちが生きて行く事ができたのは、一つには書物を写して武将たちに売っていたからだとも言えた。
ある程度の地位に就いた武将たちは必ず、公家の持っている文化に憧れの念を持っている。それは地方にいる武将たちも同じだった。田舎者と馬鹿にされないためには、京の文化を身に付けなければならない。京の文化というのは公家の文化だった。応仁の乱が始まり、公家たちは京から地方に逃げて行った。公家たちは地方の武将たちに歓迎され、公家の文化を伝えて行った。武将たちの間でも連歌というものが流行り始めていた。連歌の基本となるのは和歌だった。中でも『古今(コキン)和歌集』『新古今和歌集』の二つは武将たちが、どんな大金をはたいても手に入れたい書物だった。それを持っているというだけでも、地方では大きな顔ができる程の物だった。
夢庵も古今集、新古今集などを写して武将たちに売り、莫大な礼銭を貰っていたのだった。夢庵の生家である中院家(ナカノインケ)は和歌を家業とした家柄だった。また、書の方でも有名で、夢庵が書いた書物は他の公家が書いた物より、かなり高価に取り引きされていたのだった。夢庵が直接に取り引きをしているわけではなかった。公家の中にも商才のある者がいて、その者が武将たちと話をまとめて、公家たちに書物を書かせていた。夢庵はめったに書物を写す事などなかったが、飛鳥井屋敷に居候して宗祇の修行を見ているうちに、自分ももう一度、和歌の勉強をしようと、古今集や新古今集を写し、せっかく写したのだからと書物を売っている公家のもとに持って行った。それが夢庵の思っていたよりも高く売れ、夢庵も銭になるのならと、せっせと書物を写し始めた。見本となる本は飛鳥井屋敷にいくらでもあった。自分の勉強にもなり、銭にもなるのなら一石二鳥だと張り切って書いたのだと言う。
太郎は毎晩のように夢庵と飲み歩いていた。結局、いつも、どこかに泊まり、次の日の朝、岩屋に帰るという毎日だった。
夢庵は岩屋に帰ると、机に向かって仕事を始める。前の晩の馬鹿騒ぎなんか、すっかり忘れたかのように書き物に集中していた。その気持ちの切り替え方は見事というより他に言いようがなかった。前の晩、見ていて可笑しくなる位、必死になって女を口説き、結局、振られて、やけ酒を飲んで眠ってしまっても、うまく行って鼻の下を伸ばして、女と共に一夜を過ごしても、次の朝には昨日の事など、すっかり忘れてしまったかのように、前の晩の事を口に出す事はなかった。昨日の晩、いい思いをしたからと言って、次の晩、また同じ店に行く事もなかった。何事にもこだわらないと言うか、夢庵は毎晩のように女に惚れていたが、次の日には、けろっと忘れていた。いつも飄々としていて、とても、太郎に真似のできる事ではなかった。
そんなある晩、太郎は『夕顔』という暖簾(ノレン)を目にした。『すみれ』という店の隣にある小さな店だった。以前、こんな店はなかった。店はあったが、夕顔という名ではなかった。夢庵に知っているかと聞くと、ここの女将はいい女子(オナゴ)じゃ。この前は失敗したが、今夜こそ、ものにしてやると言って暖簾をくぐった。太郎も夢庵の後に従った。
狭い店の中には客は誰もいなかった。奥の方から女将が出て来て二人を迎えた。
その女将は、まさしく夕顔だった。
「いらっしゃい」と言ったまま、夕顔は太郎の顔を見つめて立ち尽くした。
太郎も夕顔を見つめたまま立ち尽くしていた。
夢庵が二人を見比べ、訳ありのようじゃな、と笑った。夢庵がいたお陰で二人の緊張もほぐれた。夢庵がいなかったら湿っぽい雰囲気になっていただろうが、夢庵がいたお陰で、その場の雰囲気も明るくなり、太郎は素直な気持ちで再会を喜ぶ事ができた。夕顔の方も同じだった。太郎が一人だったら何を言い出していたか分からない。愚痴をこぼして泣いて、あげくには追い出してしまったかもしれなかった。
夕顔がここに店を出したのは夏の事だった。店の名を『夕顔』としたのも、もしかしたら、太郎に会えるかもしれないと、心の片隅で、太郎に未練があったからだった。南蔵坊の妾となって伊賀に行ったが、南蔵坊の妾は夕顔だけではなかった。南蔵坊には大勢の妾がいて、夕顔に熱中していたのは、伊賀に行ってから半年ばかりの事だった。南蔵坊はまた別の新しい女に熱を上げ、夕顔の所にはあまり来なくなった。南蔵坊がめったに来てくれなくなると、やはり、思い出すのは太郎の事だった。せめて、もう一度、会いたい。元気でいるのなら、一目、その姿が見たいと南蔵坊に小さい店でいいから、飯道山の門前町に店をやらせてくれと頼んだ。
南蔵坊はしばらく考えていたが、夕顔の頼みを聞いてくれた。飯道山に自分の妾がやっている店があれば、信者たちを飯道山に連れて行った時、何かと便利かもしれないと南蔵坊は考えた。南蔵坊は夕顔を大きな料亭の女将にしようと思って、空いている店を捜したが、なかなか見つからなかった。商売をするのなら、やはり、盛り場である観音町か不動町がいい。しかし、手頃な値段で売ってくれる者はいなかった。ようやく手に入れたのが、この小さな店だった。とりあえずは、この店で我慢しようと思った。夕顔の商売振りを見て、うまく行ったら段々と店を大きくしようと南蔵坊は思っていた。
夕顔はその日、店を閉め、三人だけで、ゆっくりと話した。夢庵が二人の間に立って、狂言(キョウゲン)回しの役をやってくれ、二人は言いたかった事を素直な気持ちで語り合った。
夕顔は太郎の話を聞いて驚いていた。太郎が、あの有名な太郎坊だったとは信じられなかった。太郎坊の噂なら夕顔も耳にたこができる程、聞いていた。あの頃、遊女たちの憧れの的だった。遊女たちは皆、もし、この店に太郎坊が来たら、どうしよう、などと話していた。毎年、暮れに師範たちが集まって、湊屋で飲み会をする事は誰でも知っていた。その中に太郎坊がいる事も知っている。しかし、太郎坊がその宴会の後、どこかの遊女屋に上がったという事は聞かなかった。太郎坊はその宴が済むと、すぐに、どこかに消えて行った。誰も太郎坊の素顔を知らなかった。その太郎坊が、自分が待っていた火山坊だったとは‥‥‥そして、さらに驚いた事には、今は播磨の国に城を持つ赤松日向守という名の武将だと言う事だった。
夢庵の口から、太郎の奥さんが播磨の守護大名、赤松兵部少輔(ヒョウブショウユウ)の姉だと聞かされ、太郎が、もう、夕顔の手の届かない所に行ってしまった事を思い知らされる事となった。夕顔にとって、火山坊は火山坊のままでいて欲しかった。太郎坊でもなく、赤松日向守という武将でもなく、ただの火山坊という山伏でいて欲しかった。会えた事は嬉しかったが、会わなければよかったと後悔もしていた夕顔だった。
夢庵は二人がお互いに過去の事を話し終わると気を利かせて、どこかに消えた。
残された二人は、しばらく無言でいた。
「すまなかった」と太郎は言った。
「何で謝るの」と夕顔は聞いた。
「俺が大峯に行った、その年の暮れ、俺はここに来た。しかし、お前の所に行かなかった‥‥‥行けなかったんだ‥‥‥」
「そう‥‥‥あたし、その時、何となく、あなたが側にいるような気がしたの‥‥‥あたし、あなたが来ると思って、ずっと待っていた」
「例の勘か」
「そう。あたしの勘は当たるのよ。やっぱり、あなた、あの時、側まで来てたのね」
「うん。すぐ、側まで来ていた。でも、行けなかったんだ」
「いいわ、もう。あなたは遠くに行ってしまったのよ」
「遠くか‥‥‥確かに遠くだな」
「遠くよ‥‥‥遠過ぎるわ」
「うん‥‥‥」
二人はまた無言になって、酒を飲んでいた。
通りで酔っ払いの騒ぐ声が聞こえて来た。
「帰る」と太郎は言った。
「また、来てね」と夕顔は言った。
「うん‥‥‥」太郎は立ち上がって店を出ようとした。振り返ると夕顔は俯いたままだった。
太郎はもう二度と来ないだろうと思いながら戸を開けようとした。
夕顔が突然、太郎の背中に抱き着いて来た。夕顔が泣いているのが分かった。
「行かないで‥‥‥」と夕顔は言った。
太郎は振り向き、夕顔を抱き締めた。
太郎はその晩、町外れにある夕顔の家に泊まった。
次の朝、岩屋に帰ると夢庵はいつものように仕事をしていた。いつものように前の晩の事は何も聞かなかった。その後、太郎は夢庵と一緒に夕顔の店に二度、行った。太郎も夕顔もお互いに心の中をすっかりとぶちまけ、お互いの立場を認め合うようになっていた。あの一夜を最後に、二人の心の中に止まったままだった思い出は消えた。二人共、現実に戻って、お互いの立場を認め、付き合う事にしていた。二人共、あの頃より、いい意味でも悪い意味でも大人になっていた。
馬に揺られながら夕顔の事を思っていた太郎だったが、播磨の国が近づくに連れて、夕顔の事も忘れて行った。飯道山では武術の師範に過ぎないが、播磨での太郎は大勢の家臣を抱えている殿様だった。家臣たちのためにしなければならない仕事が山程、待っているのだった。
修行者たちは皆、晴れ晴れとした顔をして、ぞろぞろと山を下りて来るのに、観智坊の姿は見つからなかった。日が暮れても観智坊は姿を現さなかった。きっと、観智坊は自分の事を忘れてしまったに違いないと、しょんぼりとしている弥兵を見ているのが、気の毒になって来た義助は、山まで観智坊を捜しに出掛けた。観智坊が師範たちと一緒に『湊屋』にいる事を突き止めた義助は、さっそく湊屋に向かって、弥兵に習った字を使って観智坊に手紙を渡してもらった。観智坊は義助の前に現れたが、今、抜け出す事はできない、宴が終わったら行くと答えた。
義助はその事を弥兵に告げた。弥兵は義助から観智坊の事を聞くと、じっとしていられず、すぐに湊屋に向かった。義助も仕方なく後を追った。湊屋に向かったが、高級料亭である湊屋には入れない。寒い中、二人は震えながら湊屋の前で、観智坊が現れるのを待っていた。やがて、観智坊が出て来て、弥兵に気づくと近づいて行った。しかし、弥兵には観智坊が分からなかった。観智坊がすぐ目の前に来ても気づかず、まだ、湊屋の門の方を窺(ウカガ)っていた。観智坊が声を掛けても、なかなか弥兵は納得しなかった。観智坊は遅くなるから家の方で待て、と弥兵に言うと、高林坊たちの後を追って、遊女屋の方へ去って行った。
弥兵と義助は家に帰った。
家に帰ってからも、弥兵には観智坊の変わり様が信じられなかった。人というのは、ああまでも変われるものなのだろうか、夢でも見ているような気持ちだった。弥兵は昔の観智坊の事を思い出しながら、ずっと観智坊の帰りを待っていた。
遊女屋に行ったのなら、朝まで帰って来ないだろうと義助が言っても、弥兵は寝なかった。もし、観智坊が夜遅くになって来たら困ると言って、座敷の囲炉裏の火を絶やさないように一晩中、番をしていた。
観智坊が太郎たちを連れて訪ねて来たのは、次の日の朝、しかも、日が昇ってから、かなり経ってからの事だった。
観智坊は弥兵に謝ると、これから、すぐに播磨に向かう事を告げた。
弥兵は加賀に帰るとばかり思っていたので、観智坊の言葉にはびっくりした。びっくりしたが、観智坊が行くのなら自分も供をしなければならない。弥兵はすぐに旅支度をした。最後に、壁に貼られた紙を剥がそうとして弥兵は手を止めた。義助がじっと見つめていた。
義助は、その紙をそのままにしておいて欲しいと思っていた。しかし、弥兵が大切にしている事を知っているので口に出して言う事はできなかった。弥兵には義助の目から、義助の気持ちがよく分かった。その紙は弥兵にとって何よりも大切なものだった。しかし、一年以上、お世話になったお礼として、弥兵はその蓮如自筆の六字名号(ロクジミョウゴウ)の紙を義助のために残して置く事にした。義助は喜んだ。しかし、それ以上に弥兵は嬉しかった。初め、ただの紙切れとしか見てくれなかった義助が、この紙の価値を分かってくれた。それだけの事だったが、弥兵には涙が出て来る程、嬉しかった。
弥兵は義助にお礼を言うと観智坊の後に従った。
観智坊と弥兵を連れた太郎たちは花養院に行き、松恵尼に挨拶を済ますと馬にまたがり、夢庵と花養院の子供たちに送られて飯道山を後にした。今年中に帰らなければならないので忙しい旅だった。
播磨から飯道山に来ていた『陰の衆』は、新しく加わった鳥居弥七郎も含めて、皆、飯道山の山伏となって、先に帰っていた。さすがに銀の効き目があったと見えて、皆、立派な山伏名を貰っていた。表向きは大河内城下に一番近い笠形山の自在院に所属するという事になっていた。一時、飯道山の山伏が誰もいなかった自在院だったが、今は三人の山伏が守っていると言う。一応、顔見せだけはしてくれとの事だった。
6
太郎は馬に揺られながら、夕顔の事を思っていた。
今回、飯道山の門前町にて、太郎は夕顔と再会していた。夕顔の事はいつも気になっていた。気になっていても、今回、偶然に会うまで捜す出す事ができなかったのだった。
太郎が最後に夕顔と会ったのは、播磨に行く前、大峯山(オオミネサン)に風眼坊を捜しに行く前だった。もう二年以上も前の事だった。太郎が夕顔と会う時、使っていた名前は火山坊だった。夕顔は太郎の事を剣術師範代の火山坊としか知らなかった。火山坊が飯道山で有名な太郎坊である事など、まったく知らなかった。太郎坊は毎年、年末には飯道山に現れるが、その太郎坊が火山坊だろうとは考えてもみない事だった。火山坊は大峯山に行ったまま帰っては来なかった。誰に聞いても火山坊の行方は分からなかった。大峯の山伏になったのだろうという者もいた。年中、酔っ払っていたから、大峯の山の中で道に迷って死んでしまったのだろうという者もいた。色々な噂は耳にしたが、火山坊の行方は分からなかった。それでも夕顔は、いつか、きっと戻って来ると信じて、火山坊が現れるのを首を長くして待っていた。
太郎は播磨に行き、赤松家の武将となり、その年の暮れ、八郎を連れて飯道山に来た。夕顔の事は気になったが、『夜叉亭(ヤシャテイ)』の門をくぐる事はできなかった。会ったからといって、どうなるものでもない。かえって、このまま会わない方がお互いのためにいいのかもしれない。火山坊という山伏は大峯に行ったまま帰って来ないという事にした方がいいのかもしれない。太郎は色々と夕顔と会えない理由を考えて、自分の気持ちをごまかして来た。その年は結局、夕顔と会う度胸はつかなかった。太郎が迷っていた頃、夕顔の方はひたすらに太郎の帰りを待っていた。
その年は暮れた。夕顔はたった独りで新年を迎えた。心の中では、もう火山坊の事は忘れようと決心していた。正月の忙しい中、夕顔は火山坊の事を忘れようと、わざと陽気に振る舞っていた。二月頃、夕顔は南蔵坊(ナンゾウボウ)という山伏と出会った。年齢は火山坊より上だったが、どことなく雰囲気が似ていたのかもしれない。夕顔はだんだんと南蔵坊に惹かれて行った。
南蔵坊は伊賀の国に信者を多く持つ飯道山の先達(センダツ)山伏だった。ほとんど伊賀で活動しているため、飯道山に来るのは稀(マレ)だった。しかし、夕顔と出会ってからは、南蔵坊は度々、飯道山に帰って来るようになり、帰って来た時は必ず、夕顔のもとに通っていた。南蔵坊と会っているうちに、夕顔も火山坊の事をだんだんと忘れて行った。
南蔵坊と出会ってから半年が過ぎた。夕顔は南蔵坊の妾(メカケ)になる事を承知した。夕顔はもう二十歳を過ぎていた。いつまでも遊女でいられない事は分かっている。夕顔のいる『夜叉亭』にも毎年、若い娘が入って来た。夕顔は一番の年長だった。もし、病(ヤマイ)を患(ワズラ)ってしまえば、追い出される事になるのは分かっていた。ここを追い出されて故郷に帰ったとしても、もう、今の夕顔には山での生活に耐える事はできないだろう。南蔵坊の妾になった方がいいのかもしれなかった。南蔵坊は財産もあるし、いつか、店でも出してくれるかもしれない。夕顔は決心をして南蔵坊と一緒に伊賀の国へと向かった。
去年の暮れ、太郎は光一郎を連れて飯道山に来た。師の風眼坊と早雲と再会した。その時、太郎は皆に内緒で夜叉亭に顔を出した。太郎は火山坊として夕顔と会う決心をしていた。あの時のまま別れたくはなかった。もう一度、会って、昔の事を語り合い、もし、夕顔が来ると言えば、播磨に連れて帰ろうと思っていた。播磨には楓がいる。きさもいる。きさの存在を知っただけで楓は怒った。楓に夕顔の事を言う事はできなかった。しかし、もし、夕顔が今でも自分の事を待っているとすれば、太郎は連れて行こうと思っていた。大河内の城下には連れて行けないが、置塩の城下に今、建てている太郎の屋敷に侍女の一人として置こうと思っていた。しかし、すでに、夕顔はいなかった。
女将(オカミ)の話によると、その年の秋、夕顔は山伏と一緒になって伊賀の国に行ったと言う。山伏の名を聞いたが、女将ははっきりと覚えてはいなかった。南陽坊だったか、南蔵坊だったか、よく思い出せないと言った。女将はせっかく来たのだから、新しい娘を呼んで遊んで行けと言ったが、太郎はそんな気にはならず、遊ばずに帰った。
夕顔はいなかった。自分を待っていてはくれなかった‥‥‥幾分、がっかりしたが、夕顔の立場になってみれば当然の事だった。一ケ月間、大峯に行くと行ったまま何の音沙汰もなく、一年以上も放って置いたのだった。相手は遊女、待っていると思う方がどうかしていた。太郎は夕顔には会えなかったが、これで良かったのだと思った。相手がどんな山伏だか知らないが、遊女から足を洗えたのは良かったと思った。
後で、太郎は高林坊から、伊賀の国に関係ある山伏で南陽坊とか南蔵坊とかいうのはいないか、と聞いてみた。高林坊は南蔵坊というのならいると言った。南蔵坊というのは伊賀一円に旦那場(ダンナバ)を持っている先達だった。
旦那場というのは一種の縄張りだった。同じ飯道山に所属する山伏といえども、その旦那場の権利を持っている山伏に無断で、布教活動をする事は許されなかった。太郎たち武術の師範たちとは別に、一般の山伏たちは皆、自分の旦那場というものを持ち、そこの信者たちに飯道山のお札(フダ)を配ったり、薬を売ったり、祈祷(キトウ)をしたり、一定の人数を集めて飯道山に連れて来たりしていた。旦那場というのは財産と同じで、売り買いが行なわれる事もあり、狭い範囲の旦那場しか持たない山伏は、勢力のある山伏から買収されて旦那場を失い、その山伏の配下になるより仕方がなかった。南蔵坊はその旦那場を伊賀の国一円に持つという飯道山でも勢力のある山伏だった。
人間的にはどんな人かと聞くと、高林坊は怪訝(ケゲン)な顔付きをした。太郎が、惚れていた遊女が南蔵坊に連れて行かれたと言うと、高林坊は大笑いをして、おぬし程の者でも女子(オナゴ)に関しては上手(ウワテ)がおったか、と言った。高林坊が言うには、女に関しての噂はあまり聞かないと言う。当然の事ながら妻子はいる。伊賀での事は知らないが、この門前町で南蔵坊が遊ぶのはあまり聞かないとの事だった。銭は溜め込んでいるだろうが贅沢をしている風でもない。若い者たちの面倒見もいいようだ。その女も結構、幸せに暮らしている事だろうとの事だった。
太郎も安心して、夕顔の事は忘れた。
今年、太郎は八郎と孫次郎を連れて飯道山に来た。孫次郎に百日行をやらせ、八郎は孫次郎に付き合った。太郎は夢庵と一緒に『志能便の術』を教えた。昼間、夢庵は智羅天の岩屋の中で、宗祇(ソウギ)の聞き書きをまとめていた。太郎は孫次郎たちの様子を見たり、久し振りに彫り物をしたりして時を過ごした。そして、八つ半(午後三時)頃になると、志能便の術を教えるために飯道山に向かった。いつもなら志能便の術が終わると智羅天の岩屋に帰って来て、そのまま寝てしまった。しかし、今年は夢庵と一緒だった。夢庵がおとなしく寝るはずがなかった。
普通の者なら暗くなってから智羅天の岩屋から町に出る事はできない。途中は岩だらけで昼間でも危険な所だった。夢庵は夜でもそんな所を平気で歩いて町まで行った。太郎も仕方なく付き合う事にした。町で遊ぶ銭は皆、夢庵が払ってくれた。播磨では色々と世話になったと言って、太郎に払わせてはくれなかった。今度、わしが播磨に行った時は、おぬしに任せる。ここではおぬしはわしの客人じゃと、訳の分からない事を言って太郎には払わせなかった。
夢庵の遊びは銭に糸目は付けんといった具合に豪勢だった。また、遊び人らしく顔が広かった。太郎の知らなかった色々な店を知っていた。夢庵がどうして、こんなにも景気がいいのか、太郎には不思議でしょうがなかった。飛鳥井屋敷に居候(イソウロウ)しているだけで、仕事をしている風でもない。どこから、こんな銭が出て来るのか、まったく分からなかった。そんな事を聞くのも失礼なので聞けなかったが、酔った勢いで聞いてみると、夢庵は書物を売って銭を稼いでいるのだと言った。
この当時、印刷技術はまだ発達していなかった。書物は皆、手書きによって写されていた。そのため、欲しくても手に入れる事はなかなか難しく、高価な物となって行った。武士たちに荘園を侵略されても、公家たちが生きて行く事ができたのは、一つには書物を写して武将たちに売っていたからだとも言えた。
ある程度の地位に就いた武将たちは必ず、公家の持っている文化に憧れの念を持っている。それは地方にいる武将たちも同じだった。田舎者と馬鹿にされないためには、京の文化を身に付けなければならない。京の文化というのは公家の文化だった。応仁の乱が始まり、公家たちは京から地方に逃げて行った。公家たちは地方の武将たちに歓迎され、公家の文化を伝えて行った。武将たちの間でも連歌というものが流行り始めていた。連歌の基本となるのは和歌だった。中でも『古今(コキン)和歌集』『新古今和歌集』の二つは武将たちが、どんな大金をはたいても手に入れたい書物だった。それを持っているというだけでも、地方では大きな顔ができる程の物だった。
夢庵も古今集、新古今集などを写して武将たちに売り、莫大な礼銭を貰っていたのだった。夢庵の生家である中院家(ナカノインケ)は和歌を家業とした家柄だった。また、書の方でも有名で、夢庵が書いた書物は他の公家が書いた物より、かなり高価に取り引きされていたのだった。夢庵が直接に取り引きをしているわけではなかった。公家の中にも商才のある者がいて、その者が武将たちと話をまとめて、公家たちに書物を書かせていた。夢庵はめったに書物を写す事などなかったが、飛鳥井屋敷に居候して宗祇の修行を見ているうちに、自分ももう一度、和歌の勉強をしようと、古今集や新古今集を写し、せっかく写したのだからと書物を売っている公家のもとに持って行った。それが夢庵の思っていたよりも高く売れ、夢庵も銭になるのならと、せっせと書物を写し始めた。見本となる本は飛鳥井屋敷にいくらでもあった。自分の勉強にもなり、銭にもなるのなら一石二鳥だと張り切って書いたのだと言う。
太郎は毎晩のように夢庵と飲み歩いていた。結局、いつも、どこかに泊まり、次の日の朝、岩屋に帰るという毎日だった。
夢庵は岩屋に帰ると、机に向かって仕事を始める。前の晩の馬鹿騒ぎなんか、すっかり忘れたかのように書き物に集中していた。その気持ちの切り替え方は見事というより他に言いようがなかった。前の晩、見ていて可笑しくなる位、必死になって女を口説き、結局、振られて、やけ酒を飲んで眠ってしまっても、うまく行って鼻の下を伸ばして、女と共に一夜を過ごしても、次の朝には昨日の事など、すっかり忘れてしまったかのように、前の晩の事を口に出す事はなかった。昨日の晩、いい思いをしたからと言って、次の晩、また同じ店に行く事もなかった。何事にもこだわらないと言うか、夢庵は毎晩のように女に惚れていたが、次の日には、けろっと忘れていた。いつも飄々としていて、とても、太郎に真似のできる事ではなかった。
そんなある晩、太郎は『夕顔』という暖簾(ノレン)を目にした。『すみれ』という店の隣にある小さな店だった。以前、こんな店はなかった。店はあったが、夕顔という名ではなかった。夢庵に知っているかと聞くと、ここの女将はいい女子(オナゴ)じゃ。この前は失敗したが、今夜こそ、ものにしてやると言って暖簾をくぐった。太郎も夢庵の後に従った。
狭い店の中には客は誰もいなかった。奥の方から女将が出て来て二人を迎えた。
その女将は、まさしく夕顔だった。
「いらっしゃい」と言ったまま、夕顔は太郎の顔を見つめて立ち尽くした。
太郎も夕顔を見つめたまま立ち尽くしていた。
夢庵が二人を見比べ、訳ありのようじゃな、と笑った。夢庵がいたお陰で二人の緊張もほぐれた。夢庵がいなかったら湿っぽい雰囲気になっていただろうが、夢庵がいたお陰で、その場の雰囲気も明るくなり、太郎は素直な気持ちで再会を喜ぶ事ができた。夕顔の方も同じだった。太郎が一人だったら何を言い出していたか分からない。愚痴をこぼして泣いて、あげくには追い出してしまったかもしれなかった。
夕顔がここに店を出したのは夏の事だった。店の名を『夕顔』としたのも、もしかしたら、太郎に会えるかもしれないと、心の片隅で、太郎に未練があったからだった。南蔵坊の妾となって伊賀に行ったが、南蔵坊の妾は夕顔だけではなかった。南蔵坊には大勢の妾がいて、夕顔に熱中していたのは、伊賀に行ってから半年ばかりの事だった。南蔵坊はまた別の新しい女に熱を上げ、夕顔の所にはあまり来なくなった。南蔵坊がめったに来てくれなくなると、やはり、思い出すのは太郎の事だった。せめて、もう一度、会いたい。元気でいるのなら、一目、その姿が見たいと南蔵坊に小さい店でいいから、飯道山の門前町に店をやらせてくれと頼んだ。
南蔵坊はしばらく考えていたが、夕顔の頼みを聞いてくれた。飯道山に自分の妾がやっている店があれば、信者たちを飯道山に連れて行った時、何かと便利かもしれないと南蔵坊は考えた。南蔵坊は夕顔を大きな料亭の女将にしようと思って、空いている店を捜したが、なかなか見つからなかった。商売をするのなら、やはり、盛り場である観音町か不動町がいい。しかし、手頃な値段で売ってくれる者はいなかった。ようやく手に入れたのが、この小さな店だった。とりあえずは、この店で我慢しようと思った。夕顔の商売振りを見て、うまく行ったら段々と店を大きくしようと南蔵坊は思っていた。
夕顔はその日、店を閉め、三人だけで、ゆっくりと話した。夢庵が二人の間に立って、狂言(キョウゲン)回しの役をやってくれ、二人は言いたかった事を素直な気持ちで語り合った。
夕顔は太郎の話を聞いて驚いていた。太郎が、あの有名な太郎坊だったとは信じられなかった。太郎坊の噂なら夕顔も耳にたこができる程、聞いていた。あの頃、遊女たちの憧れの的だった。遊女たちは皆、もし、この店に太郎坊が来たら、どうしよう、などと話していた。毎年、暮れに師範たちが集まって、湊屋で飲み会をする事は誰でも知っていた。その中に太郎坊がいる事も知っている。しかし、太郎坊がその宴会の後、どこかの遊女屋に上がったという事は聞かなかった。太郎坊はその宴が済むと、すぐに、どこかに消えて行った。誰も太郎坊の素顔を知らなかった。その太郎坊が、自分が待っていた火山坊だったとは‥‥‥そして、さらに驚いた事には、今は播磨の国に城を持つ赤松日向守という名の武将だと言う事だった。
夢庵の口から、太郎の奥さんが播磨の守護大名、赤松兵部少輔(ヒョウブショウユウ)の姉だと聞かされ、太郎が、もう、夕顔の手の届かない所に行ってしまった事を思い知らされる事となった。夕顔にとって、火山坊は火山坊のままでいて欲しかった。太郎坊でもなく、赤松日向守という武将でもなく、ただの火山坊という山伏でいて欲しかった。会えた事は嬉しかったが、会わなければよかったと後悔もしていた夕顔だった。
夢庵は二人がお互いに過去の事を話し終わると気を利かせて、どこかに消えた。
残された二人は、しばらく無言でいた。
「すまなかった」と太郎は言った。
「何で謝るの」と夕顔は聞いた。
「俺が大峯に行った、その年の暮れ、俺はここに来た。しかし、お前の所に行かなかった‥‥‥行けなかったんだ‥‥‥」
「そう‥‥‥あたし、その時、何となく、あなたが側にいるような気がしたの‥‥‥あたし、あなたが来ると思って、ずっと待っていた」
「例の勘か」
「そう。あたしの勘は当たるのよ。やっぱり、あなた、あの時、側まで来てたのね」
「うん。すぐ、側まで来ていた。でも、行けなかったんだ」
「いいわ、もう。あなたは遠くに行ってしまったのよ」
「遠くか‥‥‥確かに遠くだな」
「遠くよ‥‥‥遠過ぎるわ」
「うん‥‥‥」
二人はまた無言になって、酒を飲んでいた。
通りで酔っ払いの騒ぐ声が聞こえて来た。
「帰る」と太郎は言った。
「また、来てね」と夕顔は言った。
「うん‥‥‥」太郎は立ち上がって店を出ようとした。振り返ると夕顔は俯いたままだった。
太郎はもう二度と来ないだろうと思いながら戸を開けようとした。
夕顔が突然、太郎の背中に抱き着いて来た。夕顔が泣いているのが分かった。
「行かないで‥‥‥」と夕顔は言った。
太郎は振り向き、夕顔を抱き締めた。
太郎はその晩、町外れにある夕顔の家に泊まった。
次の朝、岩屋に帰ると夢庵はいつものように仕事をしていた。いつものように前の晩の事は何も聞かなかった。その後、太郎は夢庵と一緒に夕顔の店に二度、行った。太郎も夕顔もお互いに心の中をすっかりとぶちまけ、お互いの立場を認め合うようになっていた。あの一夜を最後に、二人の心の中に止まったままだった思い出は消えた。二人共、現実に戻って、お互いの立場を認め、付き合う事にしていた。二人共、あの頃より、いい意味でも悪い意味でも大人になっていた。
馬に揺られながら夕顔の事を思っていた太郎だったが、播磨の国が近づくに連れて、夕顔の事も忘れて行った。飯道山では武術の師範に過ぎないが、播磨での太郎は大勢の家臣を抱えている殿様だった。家臣たちのためにしなければならない仕事が山程、待っているのだった。
23.文明九年、春1
1
播磨(ハリマ)の国、大河内(オオコウチ)城下に来た観智坊と弥兵は、太郎の客としての扱いを受けていた。城下の殿様である太郎の屋敷内の客間を与えられ、梅山という専属の侍女(ジジョ)まで付けられ、少し戸惑いながら新年を迎えていた。
雪に埋もれている大河内城下の新年は、加賀で毎年、迎えていた新年と似ていたが、異国の地で、しかも、豪勢な武家屋敷で迎えた新年は、自分が下間蓮崇(シモツマレンソウ)から、新たに観智坊露香(カンチボウロコウ)に生まれ変わったという事を実感として感じていた。そして、去年、一年間で身に付けた様々な事を、今年は実践に移さなければならない。本願寺のために裏の組織を作り、門徒たちのために守護を倒さなければならないと決心を新たにしていた。
観智坊は太郎から志能便(シノビ)の術を習うために、ここに来たわけだったが、太郎の弟子ではなかった。太郎の師、風眼坊舜香の弟子で、太郎とは兄弟弟子だった。同じ師を持った縁として、これから先、何かと協力する事もあるかもしれない。今、お互いをよく知っておくのはいい機会といえた。それと、太郎は自分ではどうしても理解できない本願寺の一揆とは一体、どんなものなのか、観智坊から聞いてみたかった。
正月は太郎も何かと忙しく、観智坊の相手をしている暇はなかった。観智坊の事は五郎に任せていた。鳥居弥七郎が来た事によって、太郎は五郎を陰(カゲ)の衆からはずし、太郎の祐筆(ユウヒツ)として使う事とした。祐筆の最初の仕事として観智坊の接待を命じ、飯道山では教えない高度な志能便の術を教えるように命じていた。
陰の衆二十一人は正月の半ばに各地に散って行った。行き先は前回と同じだったが、八郎たち三人だけは前回の摂津(セッツ)の国から、今回は加賀の国まで飛ばした。距離も遠いため、期間も一ケ月半に延ばし、非常時意外は途中連絡もしなくてもいいという事にした。観智坊のためにも加賀の情報は必要だった。八郎は芥川小三郎、上田彦三郎を連れて、張り切って北陸へと向かった。観智坊から、加賀では山伏は警戒されるので、商人とか農民に扮した方がいいと言われたので、三人は薬売りの商人に扮して出掛けて行った。
正月も末になると、太郎にも暇ができて、観智坊とゆっくりと会う事ができた。太郎は観智坊を月影楼(ツキカゲロウ)の三階に誘って、お茶を点(タ)てて持て成した。太郎もようやく、人前でお茶を点てられるようになっていた。観智坊は茶の湯の事に詳しくはなかった。一応、飲み方を知っている程度で、点て方までは分からなかった。
観智坊は太郎がお茶を点てる点前(テマエ)を見ながら、さすがに一流の武芸者だけあって、その動きには隙(スキ)がないと思っていた。
不思議な事だった。一年余りの修行によって、物の見方まで変わっていた。以前の観智坊だったら、太郎の動きに隙のない事は分からない。ただ、ぼうっと太郎の動きを見ていたに過ぎなかった。また、他人の強さというものも分かるようになっていた。以前は、相手を見て、自分より強いという事は分かっても、どれ位強いかなど分からなかった。今では、相手の目付きや肩や腰の動きから、どれ程の腕を持っているか分かるようになっている。不思議な事だったが、以前、自分より絶対に強いと思っていた武士たちでさえも、実際に強いと思われる者は、ほんの僅かしかいないという事が分かった。観智坊は改めて、飯道山の武術の質の高さというものを感じていた。そんな観智坊でも、今、目の前でお茶を点てている太郎の強さが、どれ程のものなのか分からなかった。
観智坊は五郎から志能便の術、ここでは『陰(カゲ)の術』と呼んでいるが、その術を習っていた。太郎からではなく、弟子の五郎から習うと聞いて、観智坊は少々がっかりしていたが、五郎の陰の術は見事なものだった。飯道山で教えていたのとは、まるで違い、かなり高度な技術を必要とするものばかりだった。五郎の陰の術に比べたら、飯道山で教えている志能便の術は子供騙(ダマ)しのようだった。弟子の五郎がこれ程の技を身に付けているとすれば、師匠の太郎はそれ以上に違いない。上には上がいるものだと、観智坊は修行に終わりのない事を感じていた。
観智坊は五郎から陰流の棒術も習っていた。これも、飯道山で習った棒術とは違って、一撃必殺の技だった。飯道山の棒術は打って受け、また、打って受け、敵の態勢が崩れた所を狙って勝つというものだった。それらの技を使うには腕の力がものをいった。観智坊が井戸掘りの後、見る見る上達して行ったのも腕の力が付いたからだった。ところが、陰流の技は違った。腕の力よりも敵の動きの一瞬の隙を狙って打つというものだった。
陰流では太刀先の見切りというものを重要視していた。太刀先の見切りとは、敵の太刀先がどこを通るかを見極める事だった。それを見極める事ができれば、最小限の動作で、敵の攻撃を避ける事ができる。最小限の動きで、攻撃を避ける事ができれば、一々、敵の太刀を自分の太刀で受ける必要もなかった。棒術においても同じだった。敵の棒の動きを見極める事ができれば、一々、受ける必要もない。敵が攻撃を仕掛けるのと同時に攻撃を掛ければ、一瞬のうちに敵を倒す事ができる。陰流の技は、決して、敵の攻撃を受ける事なく、一瞬のうちに決まる技ばかりだった。身に付けてしまえば怖い者なしと言えるが、身に付けるまでは大変な事だった。
観智坊は五郎を相手に棒で戦ったが、飯道山での一年間が、まるで、嘘だったかのように相手にならなかった。観智坊が必ず当たると打った一撃は、すへて、ぎりぎりの所でかわされて行った。何度、打ってみても五郎の体には当たらず、五郎の体はフワッフワッと風に舞う木の葉のように、観智坊の一撃を避けていた。そして、五郎は簡単に観智坊を打つ事ができた。
観智坊は棒を握る事を許されず、刀を手に持って、毎日、木に止めた反古(ホゴ)の紙切れを、下の木に傷を付けないように斬る稽古をしていた。簡単なようで難しかった。この稽古をしているのは観智坊だけではなかった。五人の若者たちと一緒だった。この紙切れ斬りは、陰流の基本だった。これを完全に身に付けない限り、陰流の技を教えては貰えなかった。
観智坊は雪に埋まった広い道場の片隅で、毎日、紙切れを相手に戦っていたのだった。
太郎の点てたお茶を飲みながら、観智坊は床の間に飾ってある『夢』という字を見ていた。まさしく、夢を感じさせる字だと思った。観智坊が掛軸を見ているので、「夢庵(ムアン)殿が書いたものです」と太郎は言った。
「夢庵殿が‥‥‥あの、夢庵殿というのは何者なのですか」
「何者なんでしょうか」と太郎は笑いながら首を傾げた。「わたしにもよく分かりません。不思議なお人です」
「はい、確かに不思議なお人ですね。殿のお弟子さんの一人なのですか」
「弟子だなんて‥‥‥わたしの方が夢庵殿から色々な事を教わっております」
「そうですか‥‥‥」
「陰の術の方はどうですか」と太郎は観智坊に聞いた。
「はい。山崎殿より色々と教わっております。ここに来て、本当に良かったと思っております。ここに来て、飯道山で習った事は、ほんの基本だった事が身にしみて分かりました。わたしは飯道山で一年間、修行して、師範代を倒した事で、少々、天狗になっておったような気がします。もし、あのまま加賀に帰っておりましたら、自分の強さに自惚れて、不覚を取ったに違いありません。ここに来て、上には上がおるという事がはっきりと分かりました」
「そうですか。それは良かった。武芸を修行するに当たって、自分の腕に自惚れて、天狗になるという事が一番の戒めです。天狗になった時、それは身を滅ぼす事となります。わたしも、その事では苦い経験がございます。この月影楼の一階の柱に天狗の面が飾ってあります。一階は、わたしの修行の場でもあります。わたしは戒めのため、天狗の面を飾り、そこを天狗の間と称しております」
「天狗の間ですか‥‥‥」
「はい。ここは夢の間です」
「夢の間ですか‥‥‥」
「ところで、観智坊殿、陰の術を何に使うつもりなのでしょうか。差し支えなければ、お教え願えないでしょうか」
「はい、それは‥‥‥」と言ったきり、観智坊は黙ってしまった。
「陰の術というのは、実はまだ、完成してはいないのです」と太郎は言った。「術というのは実際に役に立たなければ意味がありません。特に、陰の術というのは城や屋敷に忍び込む術も含まれております。この術は城や屋敷の防備が堅くなれば、それに合わせて変化させなければなりません。わたしが初めて陰の術を作ったのは、もう五年以上も前の事です。その五年の間で、城の造りも変化して来ました。各地で戦が長引いているお陰で、今の城は五年前の城よりも、ずっと警戒も厳しく、濠や土塁も深く、高くなってきております。早い話が、五年前の陰の術をそのまま、今、使っても役に立たないと言えます。陰の術は時と共に移り変わって行かなければならないのです。今、わたしが飯道山から呼んだ二十人程の者たちが、情報を集めるために各地に飛んでいます。彼らの目的は陰の術を使って、あらゆる情報を手に入れる事は勿論ですが、陰の術の不備な点を改めるというのも目的なのです。観智坊殿が陰の術を何に使うのかは分かりませんが、それに合わせて陰の術を考えるというのも、陰の術を完成させるために役に立つのです。もし、よろしければ、わたしに教えてほしいのです」
観智坊は、本願寺の裏の組織を作りたいという事を太郎に告げた。太郎には、本願寺というものが、どんなものなのか知らなかった。太郎がその事を聞くと、観智坊は喜んで、本願寺の事を話してくれた。本願寺の法主(ホッス)である蓮如が越前の吉崎に来てから、一揆が起こり、蓮如が吉崎を去り、観智坊が本願寺から破門になった事まで、順を追って、分かり易く話してくれた。
太郎は本願寺の組織というものに驚いた。蓮如が書いた『御文』という、教えを分かり易く書いたものが、十日もしないうちに、その組織に乗って加賀の国中に広まって行くと言う。十日もしないうちに、何万もいるという門徒たちの耳に蓮如の書いた御文が伝わり、蓮如が一言、戦を命じれば、何万もの門徒たちが一斉に立ち上がると言うのだった。門徒たちは百姓や河原者、山や海の民たちが多いとは言え、何万もの人たちが立ち上がれば、武士たちを倒す事も可能となる。また、観智坊の話によると、武士である国人たちの多くも、生き残るために本願寺の門徒となり、指導的立場にいると言う。
「それだけの組織があれば、裏の組織は必要ないでしょう」
一通り、観智坊の話を理解すると太郎は観智坊に聞いた。
「それが、表の組織を使って戦を起こす事はできないのです」と観智坊は言った。
「よく分からんが?」
「表の組織は、上人様の教えが下々の者たちまで伝わるように作られた組織です。縦のつながりはありますが、横のつながりがないのです。勿論、近くの者たちはお互いにつながりはあります。しかし、北加賀の者と南加賀の者たちは、まったく、つながりがありません。今、加賀の門徒たちはバラバラです。門徒たちを一つにまとめる事ができるのは上人様だけなのです。ところが、上人様は門徒たちが戦を始める事に絶対、反対です。しかし、このままでは門徒たちは不当な扱いを受け、守護たちの思いのままになってしまいます。門徒たちは本願寺の門徒になった事で、ようやく、人並みに生きる事が分かり始めて来たのです。わたしは門徒たちのために守護と戦おうと決心しました。それには横のつながりを強化して裏の組織を作らなければならないのです」
「うむ‥‥‥それで、具体的にはどういう風に作るつもりなんです」
「はい。まず、若い者たちに陰の術を教えます。そして、各道場に配置します。そして、あらゆる情報を素早く、つかみます。敵の動きが分かれば、対処の仕方も分かりますから」
「うむ。すでに、表の組織が出来ているのだから、その組織を利用すればいいわけですね」
「はい」
「その道場というのは、どれ位あるのですか」
「およそ、二百位あると思います。加賀だけですが」
「加賀だけで二百ですか‥‥‥それは大したものですね。しかし、その道場に若い者たちを入れるとなると大変な事ですね。一人だけでは身動きが取れないし、少なくとも二人は必要でしょう。そうなると四百、予備として百、合わせて五百人は必要となりますね」
「五百人ですか‥‥‥」と観智坊は唸った。
「長期戦になりそうですね」と太郎は言った。
観智坊は頷いた。「それは覚悟しております」
「観智坊殿も大変な仕事を背負い込んでしまいましたね」
「はい。しかし、裏の組織を作るには、一旦、本願寺を破門になった、わたしだからこそ、できると思っております」
「そうかもしれません。表の顔があると自由に動く事は難しいですからね。それだけ大きな組織を作るとなると裏側に専念しなければならないでしょう」
「はい。わたしも表には出ずに裏の世界に専念するつもりです」
「頑張って下さい。わたしも陰ながら応援させていただきます」
「ありがとうございます」
いつの間にか、日が暮れ掛けていた。
太郎と観智坊は、その後、遅くまで裏の組織作りに関して話し合った。
二人の山伏とそれに従う下男が馬に乗って走っていた。
もう、春であった。大河内の城下にはまだ雪が残っていたが、姫路の辺りまで来ると、風も暖かく、ようやく、冬も終わったと感じられた。今年は一月が閏月(ウルウヅキ)だったため、二度もあり、冬がいつもより長く感じられた。
馬に乗っているのは太郎と観智坊と弥兵だった。
観智坊は二ケ月余り、太郎のもとで修行に励んでいた。太刀先の見切りも体で覚え、陰流の棒術の『天狗勝(テングショウ)』も身に付けていた。陰の術の方も、太郎と一緒に、実際に屋敷や城に忍び込む事を体験し、手裏剣術や薬草に関する事も習っていた。組織作りの構想も練れ、蓮如と再会するために河内(カワチ)の国、出口(デグチ)村に向かっていた。
加賀から戻った八郎より、加賀の状況と共に蓮如の居場所も聞いていた。加賀の状況は、冬に入っているため、膠着(コウチャク)状態が続いているが、本願寺側は中心となるべき大将を欠き、守護側は本願寺勢力の離間策(リカンサク)を着々と進めているようだと八郎は言った。そして、法主である蓮如は今、出口村に草坊(ソウボウ)を建てて、家族と共に暮らしているとの事だった。
太郎の方は飯道山に向かっていた。孫次郎の百日行が二月五日に満願(マンガン)となるはずだった。ねぎらいの言葉を掛けると共に、正式に太郎の弟子として、飯道山の山伏名を貰い、改めて一年間、飯道山にて修行させるつもりでいた。
二人は摂津の芥川(高槻市)で別れ、観智坊は南に向かい、太郎は東に向かった。
太郎が飯道山に着いたのは四日の昼過ぎだった。馬をいつもの農家に預けると、花養院に顔を出し、智羅天(チラテン)の岩屋に向かった。夢庵がいると思ったが夢庵の姿はなかった。
夢庵が使っていた文机だけが、ぽつんと岩屋の中に置いてある。その文机の上に一冊の書物が置いてあった。それは、前回来た時、夢庵に頼んでおいた『宗祇初心抄(ソウギショシンショウ)』だった。夢庵が写してくれた宗祇による連歌の指導書だった。太郎は今年の末までに写してくれと頼んだのに、夢庵はさっそく写してくれたのだった。太郎は夢庵に感謝しながら、その書物に目を通した。書物の中に、春になったので穴から出て行くという意味の歌が挟んであった。
一通り、夢庵の書物に目を通すと、太郎は奥駈け道に向かった。今頃、行けば、丁度、金勝山(コンゼサン)から帰って来る孫次郎に会えるかも知れない。太郎は智羅天が座っていた岩の上に座って、孫次郎が来るのを待った。奥駈け道には、まだ、所々に雪が残っていたが、あちこちで樹木の若葉が芽を出していた。
しはらくして、孫次郎がやって来た。
太郎は岩陰に身を隠した。明日の満願の日まで、孫次郎の前に出たくはなかった。たとえ後一日だけだとしても、気の緩みは禁物だった。もし、太郎が今、顔を出して、孫次郎の気が緩んで、明日、歩けなくなったとしたら、また、最初からやり直さなければならない。太郎は黙って見守るだけにした。泥だらけになってはいたが、孫次郎の足取りは軽かった。回りの景色を楽しんでいるような余裕も感じられる。これなら大丈夫だ。よく、あの厳しい時期に一人で歩き抜いた。太郎は拍手を送りたいような気持ちで、孫次郎の後姿を見送ると岩屋に戻った。太郎は仏師(ブッシ)の姿になり、夢庵に会いに行く事にした。
飯道山を越えて、柏木の飛鳥井(アスカイ)屋敷に着いた頃には日が暮れ掛かっていた。顔馴染みになった飛鳥井屋敷の門番に、夢庵の事を聞くと、夢庵は宗祇と一緒に京に出掛けたとかで留守だった。いつ頃、帰って来るのかと聞いたが分からなかった。三日前に行ったばかりだから、当分、帰って来ないだろうと言う。太郎は仕方なく帰る事にした。ただ、門番の話から、夢庵が正式に宗祇の弟子になったという事を聞いて、本当によかったと思った。去年の暮れ、ずっと、書き続けていた宗祇の聞き書き『弄花抄(ロウカショウ)』が宗祇に認められたのに違いなかった。一年以上も待って、ようやく、一番弟子になれた夢庵は言葉では言い表せない程、嬉しかったに違いない。夢庵がいたら、文句なく祝い酒を飲みたい所だが、いないのならしょうがない。一人で祝い酒を飲むかと、太郎は飯道山を越えて門前町に向かった。
足は自然と『夕顔』に向いていた。暖簾(ノレン)をくぐると店内に三人の客がいた。山伏ではなかった。職人風の男たちだった。太郎の顔を見ると、夕顔は、「あら、珍しい事」と言ったが、心の中では驚いている事が分かった。太郎が今頃、こんな所に来るはずがないと思っている。志能便の術の稽古が始まるのは、もっと、ずっと先の事だった。
「今日は太郎坊じゃない。火山坊として大峯から来たんだ」と太郎は小声で夕顔に言った。
夕顔は笑うと、「それは遠くから、わざわざ、火山坊様」と言って、酒の支度をしに奥に入った。
三人の客は宮大工のようだった。門前町にある寺院の修築をしているらしかった。年配の者と若い者が何やら言い争い、もう一人の男が二人をなだめていた。
夕顔は太郎に酒を持って来た時、ごゆっくりと言ったきり奥から出ては来なかった。太郎は夢庵の事を聞きたかったが、話し出すきっかけさえつかめないまま、一人、酒を飲んでいた。
どうしたんだろう。
俺が突然、来たので怒っているのだろうか。
やはり、来るべきではなかった‥‥‥
太郎は夕顔が持って来た酒を飲んだら帰ろうと思った。夕顔は、太郎が頼みもしないのに、三本のとっくりを持って来ていた。太郎が『夜叉亭(ヤシャテイ)』に通っていた頃の癖を覚えていたのだった。とっくりの中の酒はまだ、二本近く残っている。太郎が酒を飲み干す前に、三人の宮大工は帰って行った。
夕顔は三人を見送ると暖簾をしまった。
「もう、店じまいか」と太郎は聞いた。
「そう。今日は気分が悪いの」と夕顔は軽く笑って言った。
「そうか」と太郎は頷き、「俺も帰るわ」と言った。
「まだ、お酒、残ってるんでしょ」
「ああ、あと少し」
「それ、飲んでからでいいわ」
「そうか‥‥‥」
夕顔は太郎の横に腰掛けると酒を注いでやった。
「あたしねえ。あなたが今日、現れるような気がしてたわ」と夕顔は太郎の手を撫でながら言った。
「いつもの勘かい」
「そう、と言いたいけど町中の噂よ」
「噂?」
「そう。今、太郎坊様のお弟子さんが百日行をしてるでしょう。明日が満願の日だから、明日、太郎坊様が来るってもっぱらの噂よ」
「そうか、そんな事まで噂になるのか」
「あなたに関する事は何でも噂になるの。ここだけじゃないわ。あたし、伊賀の国にいた事あるけど、伊賀でも、あなたの噂は聞いたわ」
「どんな噂だ」
「一昨年の暮れの事よ。あなたはお弟子さんの風光坊様と一緒に、ここに来て、かつての教え子たちの所に現れて、何人かを選んで、京の愛宕山(アタゴヤマ)に連れて行ったわ。そして、お師匠様の風眼坊様と早雲という和尚様も一緒に愛宕山に連れて行ったって」
「へえ、京の愛宕山にか」
「そういう噂だったわ。あなたの事は甲賀、伊賀では常に注目されているのよ」
「それじゃあ、俺がここに来た事も噂になるのか」
「あたしが言い触らせばね。でも、今、ここにいるのは太郎坊様ではなくて、火山坊様でしょ。火山坊様の事は誰も噂しないわ」
「そうか‥‥‥火山坊の噂はないのか‥‥‥」
「火山坊様が大峯山に行って、帰って来なかった時、噂は流れたわ」
「どんな噂だ」
「火山坊様は酔っ払って、大峯山で死んじゃったって」
「火山坊は死んだのか」
「そういう噂はあったわ。でも、一月もしないうちに、誰も、火山坊様の事を言わなくなった」
「そうか‥‥‥太郎坊とは、えらい違いだな」
「でも、あたしは太郎坊様より、そんな火山坊様をずっと待っていたの‥‥‥今日、あたし、賭けをしたの。太郎坊様がきっと、ここに戻って来る事は分かっていたわ。でも、太郎坊様がこの店に来るかどうかは分からない。あたし、賭けたの。もし、太郎坊様がここに来たら‥‥‥」
「ここに来たら?」
「ここに来たら、あたし‥‥‥いいの、もう、太郎坊様は来なかったんだから。来たのは火山坊様だった‥‥‥」
「夕顔、お前は今、幸せなのか」と太郎は聞いた。
夕顔は頷いた。しかし、その顔は幸せそうには見えなかった。
「あたし‥‥‥」
夕顔は太郎に酒を注ごうとしたが、とっくりは空になっていた。
「ねえ、あたしんちで飲まない?」
「いいのか」
「いいの。火山坊様が帰って来てくれたんだもの」
太郎は夕顔の家に行って続きの酒を飲んだ。
夕顔は太郎の事を太郎坊とは呼ばずに、火山坊と呼び通した。火山坊は酔っ払って、大峯山で死んでしまうような情けない山伏だった。しかし、夕顔は、そんな火山坊の方が有名な太郎坊より好きなようだった。太郎は、これから先も火山坊として夕顔と付き合って行こうと思っていた。
夕顔は本当の所、もし、太郎坊が店に来てくれたら、南蔵坊と別れて、太郎坊に付いて行こうと決めていた。太郎坊は城を持っている武将だった。南蔵坊より、ずっと財産も持っている。こんなちっぽけな店より、立派な店を播磨の国で持てるに違いない。南蔵坊の妾(メカケ)でいるより、太郎坊の妾になった方がずっといいだろうと思っていた。そして、太郎坊は店に来た。しかし、太郎坊とは名乗らずに火山坊と名乗った。太郎が火山坊と名乗った事で、夕顔は欲に目が眩(クラ)んでいた自分に気が付いた。夕顔は太郎が城持ちの武将だから惚れたのではなかった。太郎坊という有名な山伏だから惚れたのでもない。飯道山にとって、いてもいなくてもいいような酔っ払いの山伏、火山坊に惚れたのだった。そして、今でも、その火山坊に惚れている。一時は本当に死んでしまったのかもしれないと諦めていた火山坊がこうして生きている。一年に一度でもいい。火山坊が自分に会いに来てくれればいいと思うようになって行った。
火山坊と夕顔は一期一会(イチゴイチエ)のような、激しい恋に燃えた。
暖かかった。
満願の日にふさわしい、いい天気だった。
金勝山(コンゼサン)と阿星山(アボシサン)の中間にある岩の上に座って、太郎は孫次郎を待っていた。
やがて、孫次郎が泥だらけの足で力強く歩いて来た。
太郎の姿を見付けると立ち止まって、「師匠‥‥‥」と言ったが、何となく元気がないようだった。
百日間の様々な事を思い出して、感慨無量なのだろうと思った。
「よく、やった」と太郎は言った。
「師匠‥‥‥」と言って孫次郎は顔を伏せた。
「百日間、歩き通すのは辛い事だ。様々な心の葛藤(カットウ)があった事だろう。しかし、お前は見事にそれに耐えた。一番、きつい時期によく歩き通した」
「師匠、実は‥‥‥」
「どうした。後、もう少しだ。頑張れ」
「実は、師匠、今日が満願ではないのです」と孫次郎は言った。
「なに」太郎は数え間違いたかな、と思った。「今日じゃなかったか。明日か」
「いえ。今日で、まだ、十一日目なのです」
「何だと、十一日目だ?」
「はい、すみません。途中で、やめてしまったのです」
「途中でやめた?」
「はい。八十六日目でした。急に腹が痛くなって、どうしても、歩けなくなってしまったのです」
「八十六日まで歩いて、やめてしまったのか」
「はい、すみません」と孫次郎は頭を下げた。
「どうしても、続けられなかったのか」と太郎は聞いた。
孫次郎は力なく頷いた。「駄目でした」
「そして、また、始めからやり直したのか」
「はい」
「八十六日間、歩いて、また、始めからか‥‥‥」
「すみません‥‥‥」
「‥‥‥仕方がないな」と太郎は孫次郎を見ながら残念そうに言った。「今日で十一日目なんだな」
「はい」
「分かった。また、満願の日に来る。今度こそ、歩き通せ」
「はい」
「行っていいぞ」
「はい」孫次郎は頭を下げると阿星山の方へと歩いて行った。
「馬鹿な奴だ」と言うと太郎は岩から下りた。
そのまま帰ろうかと思ったが、一応、孫次郎の事を高林坊に聞いてみようと思った。八十六日間も歩いて、腹痛くらいで、やめてしまうとは考えられなかった。後十四日で終わるというのに、途中でやめたのは何か訳があるに違いない。何かあったからこそ、孫次郎は、せっかく、八十六日も歩いたのにやめてしまったのだ、と太郎は何かあった事を願いながら飯道山に登った。
高林坊は知っていた。
高林坊も孫次郎からは腹痛で途中でやめてしまったので、また、初めからやり直すと言われたという。高林坊も腑に落ちなかったが、孫次郎は腹痛だと押し通した。もう一度、やる気があるのなら、やり直せと言ったという。それから何日かして、信楽(シガラキ)の商人が、先日、太郎坊の弟子と名乗る者に女房を助けられたと言ってお礼を言いに来た。
高林坊が詳しく聞くと、その日、商人の女房は用があって大津に行った帰りだった。供を二人連れていたが、一人の方は重要な知らせを持たせて先に帰したと言う。女房は供の老人と一緒に街道を歩いていたが、突然、腹痛に襲われて歩けなくなってしまった。供の老人は荷物を背負っていたため、女房をおぶう事もできず、何とか、観音の滝の祠(ホコラ)の側まで来たが、そこから先は動けなくなってしまった。まごまごしていたら山の中で日が暮れてしまう。こんな所で一夜を明かしたら凍え死んでしまうだろう。
困っていた所に来たのが孫次郎だった。老人は孫次郎に助けてくれと頼んだ。孫次郎は苦しそうな女房を見た。老人から訳を聞いたが、今、信楽まで行くわけには行かなかった。信楽は遠すぎた。信楽まで行ってしまえば日が暮れてしまい、飯道山には帰れなくなる。八十六日間、歩き通し、後十四日で百日行が終わるというのに、今更、どんな理由があっても、やめるわけには行かなかった。孫次郎は老人に断って、観音の滝の前で真言(シンゴン)を唱えた。
真言を一心に唱えている最中、観音様が仕切りに、助けてやれと言っている声が聞こえて来た。孫次郎はそれを打ち消そうとしたが駄目だった。孫次郎はこんな時、師匠だったら、どうするだろうか、と考えた。師匠なら絶対に助けるだろうと思った。百日行は初めからやり直せばいい。もし、あの女房を見捨ててしまったら死んでしまうかもしれない。人を見殺しにして百日行をやり遂げたとしても、一生の間、助けなかった事を後悔するに違いなかった。孫次郎は百日行を諦め、女房をおぶって信楽に行った。
女房は信楽焼きを扱う商家『山路(ヤマジ)屋』のおかみさんだった。主人が出て来て、孫次郎にお礼を言った。女房を家まで届けたら、すぐに引き返すつもりだったが、そうは行かなかった。せめて、名前だけでも教えてくれというので、孫次郎は、太郎坊の弟子の内藤孫次郎だと名乗った。太郎坊の名を出した途端、主人を初め、店の者たちの態度が変わって、孫次郎は強引に屋敷の中に入れられ御馳走で持て成された。
太郎坊の名は信楽でも有名だった。信楽から飯道山に登り、太郎から『志能便の術』を習った者も何人かいた。しかも、孫次郎が助けたおかみさんの息子も去年、飯道山に登り、太郎坊から『志能便の術』を習っていたのだった。息子の名前は小川新太郎といい、孫次郎と同い年だった。新太郎はこの店の長男で、やがてはこの店を継ぐ事となるが、当時、商人にも武術は必要だった。商人といっても小川家は元々、この辺りの郷士だった。武士でもあり、商人でもあり、名主でもある。広い土地も持ち、大勢の百姓たちも抱えていた。
孫次郎は、太郎坊の事を色々と聞かれたが、太郎から、ここでは播磨の事は黙っていろ、と言われていたので喋(シャベ)らなかった。ただ、播磨の山の中で太郎坊と出会い、弟子にしてくれと言ったら、ここに連れて来られたという事にした。新太郎は孫次郎の事は噂で知っていた。太郎坊の弟子が今、百日行をしているというのは、すでに噂になっていた。百日行を途中でやめてしまったと聞き、主人は申し訳ない事をしたと丁寧に謝った。
孫次郎は、また、やり直すから大丈夫ですと言い、ただ、この事は改めて百日行が終わるまで黙っていて下さいと頼んだ。見事、百日行が無事に終われば、孫次郎がここのおかみさんを助けた事は美談となるが、もし、やり遂げられなかったとしたら、おかみさんは悪者になってしまう恐れがあった。主人は孫次郎の言う事に同意して、見事、百日行が終わるまでは誰にも喋べらないと約束した。
新太郎には妹がいた。お夏という名の十六歳の娘だった。人買いに売られた孫次郎の妹と同い年だった。しかし、孫次郎には妹というよりも一人の異性として意識していた。
孫次郎はお夏を一目、見た時から胸がドキドキしていた。孫次郎は三日間、山路屋の世話になった。孫次郎が帰ろうと思っても主人は帰してくれなかった。また、改めて百日行を始めるのなら、栄養を充分に取って体調を整えなければならないと言って、栄養の付く物を色々と出してくれた。孫次郎もお夏の側にいたかったため、引き留められるまま世話になっていた。息子の新太郎とも仲良くなり、妹のお夏とも散歩をしたり、色々な事を話す事もできた。いつまでも、お夏の側にいたいと思ったが、そうも行かない。世話になった山路屋のためにも、何としてでも百日行を成功させなければならなかった。別れる時、お夏は孫次郎に小さなお守りをくれた。孫次郎はそのお守りを首に下げて、飯道山に帰った。孫次郎の心の中からお夏の面影はいつまでも消えなかった。
孫次郎は高林坊に告げて、改めて百日行を始めた。
山路屋の主人、弥平太は孫次郎との約束はあったが、高林坊だけには一言、言っておいた方がいいと思い、飯道山に出掛けた。事の一部始終を告げて、孫次郎の事を見守ってくれと頼んだ。高林坊は、そんな事があったのかと孫次郎の事を見直していた。八十六日まで苦労して歩いて、人助けをしたにも拘(カカ)わらず、その事を一言も言わずに、また、初めからやり直している。こいつは太郎坊のように大物になるに違いないと思った。去年は風眼坊の弟子の観智坊が山の話題の的になった。そして、今年は風眼坊の孫弟子に当たる孫次郎が話題をさらう事になるだろう。今年も、あいつのお陰で面白くなりそうだと高林坊は思った。
太郎は高林坊から、その話を聞くと納得した。よく、やったと言ってやりたかった。もし、助けを求めている者を置き去りにして百日行をやり遂げたとしても、そんなのは何の自慢にもならなかった。もし、そんな男が武術を身に付ければ、それは凶器にしかならない。そして、その凶器は、やがて身を滅ぼす事となろう。太郎の作った『陰流』は、人を助けるための武術だった。無益な争い事を避けるための武術だった。決して、人を殺(アヤ)めるためのものではなかった。孫次郎はきっと百日行をやり遂げるだろう。そして、太郎の四人目の弟子となる事だろう。
「いい男を見つけたな」と高林坊は言った。
「はい」
「わしも、時々、奴の事を見守ろう」
「ありがとうございます。また、満願の日に来ます」
「うむ。観智坊の奴はどうした」
「蓮如上人様に会いに出掛けました」
「そうか」
山を下りる頃には、もう日が暮れていた。
夕顔の顔がちらついて来たが太郎は行かなかった。孫次郎が世話になったという『山路屋』に向かった。最近、太郎も茶の湯をやるため、陶器に興味を持つようになっていた。茶人たちから信楽焼きの評判も聞いていた。お礼を言うのと同時に、ちょっと信楽焼きでも見て来ようと思った。太郎は馬に乗って仏師の格好のまま出掛けた。
山路屋は思っていたより大きな店だった。頑丈そうな高い塀に囲まれていて門には警固の兵までいた。門をくぐると広い庭があり、そこには焼き物がずらりと並んでいる。それらは一般の家庭で使う甕(カメ)や壷(ツボ)など大きな物ばかりだった。それらを眺めながら、山路屋と書かれた暖簾の掛かった店の中に入った。壁際の棚に高価そうな皿や器、茶壷や花瓶などが幾つか飾られてあった。番頭らしい男がうさん臭そうな顔をして、太郎の姿を見ながら近寄って来た。
「いらっしゃいませ」とは言ったが、あまり歓迎されてはいないようだった。
「何か、御用でしょうか」
「うむ。実は、床の間に飾る花入れを捜しているのだが」と太郎は言った。
「花入れですか、少々、お待ち下さい」と番頭は店の奥に消えた。
花入れを捜しているというのは本当だった。月影楼の三階の床の間に置く花入れが欲しかったのだった。夢庵からも、信楽にいい花入れがあると聞いてはいたが、なかなか手に入れる機会がなかった。孫次郎のお陰で、この店に来たからには、あの床の間に似合う花入れを買って行こうと思っていた。
番頭は戻って来たが、番頭の持って来た物は、太郎が見ても安物と分かる物ばかりだった。太郎も一応は目利(メキ)き(鑑定)の修行はしている。安物には用がなかった。太郎はこの店で一番高価な奴を見せてくれと頼んだ。
番頭は引っ込んだが、今度は主人らしい男と一緒に現れた。主人の後ろには新太郎がいた。新太郎は太郎の顔を見て驚いたが、太郎は首を横に振り、口に指を当て口止めをした。主人が持って来た花入れは最高級の物だった。これなら月影楼の三階の床の間にぴったりの花入れだった。夢庵の書いた掛軸とよく調和すると思った。その花入れも夢を感じさせる物だった。太郎はそれを買う事にした。太郎が銀で、その支払いをするのを見て番頭は驚いていた。
「御主人殿に、実は折り入って相談があるのですが」と太郎は言った。
「はい。何でしょうか」
太郎は主人を番頭から離すと、太郎坊と名乗り、孫次郎が世話になった事の礼を言った。主人は驚いて、改めて太郎を見た。若いとは聞いてはいたが、この男が太郎坊だとは信じられなかった。しかし、孫次郎が家内を助けた事を知っているという事は太郎坊に違いなかった。太郎は自分が来た事を口止めし、帰ろうとしたが、主人は、もう暗いからと言って太郎を帰さなかった。
太郎は三好日向(ミヨシヒュウガ)という仏師として山路屋の世話になる事となった。新太郎は太郎坊がうちに来てくれた事を大喜びしていた。太郎から志能便の術を習った者たちが、この事を聞いたら、みんな飛んで来るだろうと言ったが、太郎はやめさせた。信楽には去年、播磨に来て『陰の衆』となっている長野太郎三郎がいた。新太郎も勿論、その事は知っている。太郎三郎が太郎坊のもとに行った事は知っているが、どこに行ったのかは知らなかった。太郎が播磨で武将をしている事は、ここでは絶対に口にするなと太郎は言い聞かせていた。
主人の弥平太も太郎を歓迎してくれた。驚いた事に弥平太は太郎の正体を知っていた。知ってはいても、息子の新太郎にもその事は話してはいないと言う。弥平太は古くから松恵尼と取り引きをしていた。松恵尼が娘のように育てていた楓が太郎坊と一緒になった事も知っている。しかも、楓が赤松家にさらわれた時、楓を守って播磨まで供をした弥平次は、何と弥平太の弟だった。弥平次は今、小川弾正忠(ダンジョウチュウ)と名乗って太郎の家老になっている。弥平次も信楽焼きの店を出していたが、今は弥平太に任せて、家族は皆、播磨に移っていた。その弥平次より時々、便りが届くが、毎回、太郎の事をいい殿様だと誉めているという。家内が太郎の弟子に助けられたのも、太郎がこうして訪ねてくれたのも、きっと、飯道権現のお陰に違いないと喜んでくれた。太郎も孫次郎のお陰で弥平次の兄に会うとは夢にも思っていなかった。来て良かったと思った。
太郎は弥平太からお夏という娘を紹介された。お夏は孫次郎を気に入っているようだと言った。弥平太は初めから太郎が播磨で城持ちの武将だと知っていたため、お夏が孫次郎と仲良くなるのを見て見ぬ振りをしていたのだった。太郎の弟子なら立派な武将になる事だろう。その男の嫁にやるのなら悪くはないと思った。播磨には弟もいるし、お夏も淋しくはないだろう。弥平太はお夏が孫次郎と一緒になる事を願っていた。
次の日、太郎は弥平太から持ち切れない程の土産を貰った。太郎がとても、こんなにも持って帰れないと断ると、弥平太は『小野屋』を通して、太郎の城下まで運ばせると言って聞かなかった。太郎は孫次郎の事を頼んで、弥平太と別れ、播磨に向かった。
出口御坊(デグチゴボウ)は葦(アシ)の生い茂る湿原の中に出現した町だった。伏見と渡辺津(大阪)のほぼ中間に位置し、淀川の東南の岸にあった。対岸には奈良の興福寺の支配する三島の湊があり、淀川を上り下りする帆船で賑わっていた。
蓮如が、ここ、河内の国茨田郡(マツタゴオリ)中振郷(ナカフリゴウ)出口に腰を落ち着けたのは去年の初めの事だった。
越前吉崎を去ったのが一昨年の八月で、その年の暮れまで、若狭(ワカサ)の国、小浜(オバマ)の蓮興寺に滞在していた。突然の吉崎脱出だったので、行くべき場所がなかなか見つからなかったのだった。長男の順如(ジュンニョ)は、とりあえず大津の顕証寺(ケンショウジ)に行き、それから、先の事を考えた方がいいと言ったが、大津に行くのは危険だった。大津に行けば門徒たちが群衆して来る事は分かっている。また、叡山(エイザン)の衆徒たちと騒ぎが起こるに違いなかった。蓮如は、順如と蓮綱(レンコウ)、蓮誓(レンセイ)の家族たちを大津に帰し、自分は小浜に滞在したまま、慶覚坊(キョウガクボウ)、慶聞坊(キョウモンボウ)らを各地に飛ばして各地の状況を調べさせた。ようやく、その年の暮れに、淀川の川縁(カワベリ)に行こうと決心をした。淀川河畔の出口村に光善坊という熱心な門徒がいて、蓮如たちの事を引き受けてくれたからだった。光善坊は春日神社(興福寺)の供御人(クゴニン)であり、有力な商人だった。
理由は光善坊だけではなかった。淀川沿いにいれば、京の情報を手に入れ易い事と、淀川の水運業に携(タズサ)わっている川の民(タミ)を門徒に獲得するためだった。農民たちに布教を広めれば、農民を支配している武士と対立する事になる。また、加賀の国の二の舞になるだろう。蓮如としては、どうしても生きているうちに京都に本願寺を再建したかった。それまでは、なるべく武士と争い事を起こしたくはなかった。淀川の川の民を対象に布教を広めても、武士と争う事はないだろうと思った。
淀川の川の民の多くは奈良の興福寺と山崎の石清水(イワシミズ)八幡宮に隷属(レイゾク)している者が多かった。興福寺や八幡宮に隷属していると言っても、それらが直接に支配しているわけではなかった。直接、支配していたのは台頭(タイトウ)して来た有力商人たちだった。商人たちも一応、有力寺社に所属していたが、それ程、強い支配を受けていたわけではない。決められた物を本所(ホンジョ)に納めれば、後は比較的、自由に商売を行なう事ができた。
応仁の乱のお陰で、淀川の商人たちは景気が良かった。京に長期滞在を続けている西国武士たちの消費する物資のほとんどは淀川によって京に運ばれていた。物資は次から次へと淀川河口に集まり、川船が間に合わない程だった。財力と先見の明のある商人は倉庫を建てて、船を集め、川の民を人足に雇い、運送業に専念した。戦は何年も続き、運送業は儲かった。やがて、勢力の弱い商人は強い者に吸収され、長者(チョウジャ)と呼ばれる大商人が出現した。蓮如はその有力商人たちも門徒にしようと考えていた。商人たちは武士に支配されてはいなかった。しかも、商人たちの活動範囲は広範囲に渡っている。以前、近江堅田の商人たちを門徒にした事によって、本願寺の教えは各地に広まって行った。今回も、淀川の商人たちを門徒にすれば、摂津の国、河内の国を初めとして、瀬戸内海沿岸に広まって行くに違いないと思った。
川の民たちを門徒にすれば、自然、川の民たちを支配する商人たちも門徒になるだろうと思えた。加賀の国では、農民たちが門徒となって国人たちに反発するようになり、やがて、国人たちも生き残るために門徒とならざるを得ない状況となって行った。ここでも、川の民たちが門徒となって団結するようになれば、川の民を支配する商人たちは門徒となるだろう。また、商人たちに取っても門徒となった方が商売を広げる事が容易となるに違いない。彼らは本所である大寺院や大神社に属してはいても信仰を持ってはいなかった。本願寺の門徒になったからといっても、納める物さえ納めていれば本所も文句は言うまい。商人たちに教えを広めても、加賀の国のように戦になる事はないだろう。
また、淀川河畔には運送業に携わる川の民の他にも、摂津の国椋橋(クラハシ)庄を本拠に活躍している檜物師(ヒモノシ)集団、淀川河口の今宮浜を本拠に活躍している漁民集団、石清水八幡宮に所属する油売り集団らがいた。河内国内には鋳物師(イモジ)集団、菅笠(スゲガサ)売りの集団、莚(ムシロ)売りの集団らがいて、各地を渡り歩いていた。それらの人々も蓮如が門徒にしようとしている者たちだった。
蓮如がこの地に来て一年が過ぎていた。蓮如はここに落ち着くつもりはなかったが、光善坊を初めとした河内、摂津の門徒たちは蓮如をここに落ち着かせたいと願っていた。蓮如の意志とは反対に、出口御坊は立派な寺院としての形を整えて行った。
去年の暮れ、蓮如たちが光善坊に呼ばれて、ここに来た時は、葦の生い茂る中にポツンと二軒の家が建っていただけだった。草庵というには立派すぎる家だったが、蓮如は満足して、家族と共にそこに住み着いた。もう一軒の方には供をしていた下間頼善(シモツマライゼン)、慶覚坊、慶聞坊らが家族と共に入った。それが、たった一年で、一つの町に出来上がってしまった。本堂が建ち、御影堂(ゴエイドウ)が建ち、書院が建ち、僧坊が建ち、山門が建った。門前には多屋(タヤ)が立ち並び、職人や商人の町もできた。門徒たちも続々と集まるようになり、市も立ち、賑やかな町となって行った。
ここは雪が少なく、冬といっても、吉崎と比べたら、ずっと暖かかった。蓮如は慶聞坊や慶覚坊を連れて、毎日のように淀川の河原を歩いて教えを広めて行った。効果は着々と現れた。また、商人の町として賑わい始めている堺にも、よく足を運んだ。堺には、染め物業を営む円浄坊(エンジョウボウ)と旅籠屋(ハタゴヤ)を営む道顕坊(ドウケンボウ)という門徒が道場を開いていた。門徒の中には商人も多く、彼らのお陰で、材木が出口村に次々と運ばれ、あっと言う間に、町が出来上がって行った。
夏の終わりには蓮綱と蓮誓の多屋も完成し、二人は家族と共に移って来た。二人共、蓮如を見習って、毎日のように河原に出ては布教活動に励んでいた。
太郎と別れた観智坊と弥兵は人々で賑わう三島の湊まで来て、対岸を見ながら驚いていた。加賀の手取川も広かったが、目の前の淀川とは比べ物にはならなかった。川幅があり、水量も豊富で、何艘もの船が行き来している。噂には聞いていたが、まさか、これ程、大きな川だとは思ってもいなかった。とても、馬で渡れるような川ではなかった。二人は馬を木賃宿に預けると渡し舟に乗って対岸に渡った。船着き場から葦原の中の道を真っすぐ進むと、突然、目の前に町が現れた。
左右に町人たちの家が並び、その先の左手に塀に囲まれた御坊が見えて来た。右側には、坊主たちの多屋も並んでいる。蓮如は草庵に暮らしていると聞いていたが、これは草庵ではなかった。立派な寺院だった。
観智坊はここまで来て戸惑った。草庵だったら、簡単に蓮如に会う事もできるだろうと思ったが、これだけ立派な寺院に住んでいるとなるとそうは行かない。素性の分からない者が蓮如に会うのは難しかった。かと言って、素性を明かすわけにも行かない。観智坊は弥兵に慶覚坊の多屋を捜して来てくれと頼むと町はずれの葦原の中に隠れて待った。
蓮如に会うまでは自分を知っている者に会いたくはなかった。蓮崇が来たといって騒ぎになれば、蓮如に会えなくなってしまう。観智坊は蓮如の側まで来て、少し動揺していた。自分の今の姿をすっかり忘れている。髪の毛を伸ばし、山伏の格好をし、しかも、顔付きから体付きまで変わっている観智坊を見て、蓮崇だと思う者などいるはずもなかった。
弥兵はすぐに戻って来た。
「早いのう。もう、分かったのか」
「はい。すぐ、そこでした」
「そうか。それで、慶覚坊殿はおったか」
「いえ、おりませんでした」
「どこに行ったのか、聞いてみたか」
「はい。蓮誓殿と一緒に布教に出掛けたそうです」
「なに、蓮誓殿もここにおるのか」
「はい、そのようです」
「慶覚坊殿は留守か‥‥‥」
「上人様にお会いにはならないのですか」
「いや。慶覚坊殿に仲立ちになって貰おうと思ったんじゃが‥‥‥とにかく、慶覚坊殿の多屋に行こう」
弥兵の言った通り、慶覚坊の多屋はすぐそこだった。観智坊がさっき立ち止まった右側にあった多屋が慶覚坊の多屋だった。
観智坊はしばらく立ち止まって思案していたが、意を決して門をくぐった。慶覚坊の内方(ウチカタ、奥方)が現れると、観智坊は風眼坊に頼まれて、近江の飯道山から訪ねて来たと告げた。風眼坊の名を出した事によって、内方は観智坊を信用してくれたようだった。夕方には戻るだろうから待っていてくれと客間に通された。慶覚坊の内方は観智坊を知っているはずなのに気づかなかった。
客間には誰もいなかった。何もかも新しく、木の香りが漂っている。部屋は庭に面していたが、庭には草が生い茂っているだけで何もなく、殺風景だった。
観智坊は庭を眺めながら、蓮如が本泉寺の庭園を造っていた事を思い出していた。ここの御坊にも庭園を造ったのだろうか。いや、まだ、この地に来て一年だ。張り切って、布教に歩き回っている事だろう。庭園を造る暇などないだろうと思った。
慶覚坊が帰って来たのは日暮れ近くだった。客間に入って来ると二人を眺め、腰を下ろした。
「わしが慶覚坊じゃが、風眼坊から頼まれて来たと聞いたが‥‥‥」
「はい。飯道山から参りました」と観智坊は言った。
「奴は今、飯道山におるのか」
「いえ、駿河の方におります」
「駿河か、新九郎の所に行ったんじゃな‥‥‥」
「はい」
「それで、わしに何の用じゃ」と言って慶覚坊は観智坊の後ろに控えている弥兵に気づいた。
「おぬしは確か、蓮崇殿の所にいた弥兵ではないか。どうして、こんな所におるんじゃ。蓮崇殿はどうした」
「蓮崇です。お久し振りです」と観智坊は頭を下げた。
「なに? 蓮崇‥‥‥」
「はい」
「本当か」
「はい。今は観智坊露香という風眼坊殿の弟子になりました」
「観智坊露香? 風眼坊の弟子?」
「はい。山伏となって、飯道山で一年間、修行を積みました」
「蓮崇殿が飯道山で修行をしておる事は伜から聞いてはおったが‥‥‥」
慶覚坊は観智坊の顔を穴のあくほど見つめた。
「うむ。確かに、言われてみれば蓮崇殿のような気もするが‥‥‥しかし、変われば変わるものよのう」
「分かっていただけましたか」
「うむ。顔付きまで変わってしまったが、目は昔のままのようじゃ。久し振りじゃのう。何の音沙汰もないので心配しておった。飯道山で百日行をしたとか」
「はい。風眼坊殿と早雲殿と一緒に山の中を百日間、歩き通しました」
「そうか、百日行をやり遂げたか‥‥‥それで、その後、飯道山で武術の修行をしておったというのか」
「はい」
「しかし、何で、また、武術など始めたんじゃ」
「本願寺のためです。裏の組織を作ります」
「なに、裏の組織を? しかし、蓮崇殿は本願寺を」
「はい。破門となりました。そこで、生まれ変わって山伏となりました」
「確かに、生まれ変わったとは言えるが‥‥‥」
「ただ、生まれ変わっただけでは裏の組織を作る事はできません。そこで、武術を身に付けました」
「武術を身に付けただけで、裏の組織を作る事ができるかのう」
「陰の術も身に付けました」
「陰の術? 風眼坊が言ってたやつか」
観智坊は力強く頷いた。
「しかしのう。そなたが山伏になって加賀に行ったとして、門徒たちが、そなたの言う事を聞くかどうかじゃ」
「そこで、慶覚坊殿の弟子という事にしていただきたいのです」
「なに、蓮崇殿が、わしの弟子か」
「はい。決して、慶覚坊殿には御迷惑はかけません」
「わしの弟子として加賀に乗り込むのか」
観智坊は慶覚坊を見つめながら頷いた。
「うーむ。わしの弟子にするのは構わんが、わしに敵対している者もおるからのう。一番いいのは、上人様に門徒として認めて貰う事じゃのう」
「それは無理でしょう」
「いや、そなたが蓮崇殿だと気づく者は誰もおるまい。門徒になれるかもしれんぞ」
「上人様に嘘をつくのですか」
「うむ。それでもうまく行くじゃろう。しかし、蓮崇殿の気持ちを上人様にぶちまけてみるのもいいかもしれん。もしかしたら、門徒になれるかもしれん」
「しかし‥‥‥」
「蓮崇殿、そなたが、これから始めようとしておる事は生易しい事ではない。まず、手初めとして、上人様と会って、心の中をぶちまけてみるのもいいのではないかのう。会うのは辛いじゃろうが‥‥‥」
「‥‥‥分かりました。上人様にすべて話してみます」
「うむ。そうじゃのう。さっそく、行ってみるか」
「今からですか」
「早い方がいいじゃろう。話がついたら久し振りじゃ、一杯やろう。慶聞坊の奴も呼んでもいいじゃろ。奴もそなたの事を心配しておったからのう」
「はい。しかし、観智坊が蓮崇だという事は他の者には黙っていて下さい」
「分かっておるわ。今後、そなたは表には出んつもりじゃろう」
「はい。裏に徹するつもりです」
慶覚坊は頷いた。
二人はさっそく、蓮如のいる御坊に向かった。
あれ程、会いたかった蓮如だったが、実際、会うとなると、やはり緊張した。
慶覚坊は観智坊の顔色を窺(ウカガ)うと、ちょっと来てくれと多屋の方に戻った。慶覚坊は庭の方に行くと観智坊を振り返って、「飯道山での修行の成果を見せてくれ」と言った。
観智坊は頷いた。
「得物(エモノ)は何じゃ」
「棒です」
「成程」
観智坊は錫杖(シャクジョウ)の代わりに五尺棒を突いていた。兄弟子である太郎を真似たのだった。
慶覚坊は家の中から薙刀(ナギナタ)を持って来た。しかも、それは真剣だった。
「いくぞ」と慶覚坊は薙刀を構えた。
観智坊も棒を構えた。
薙刀を構えた慶覚坊を見て、観智坊は思っていた以上に強いと思った。さすが、あの飯道山で四天王と呼ばれる程の強さだと思った。しかし、反撃はできないにしろ、避ける事はできると思った。太郎のもとで太刀先の見切りは完全に身に付けていた。
一方、慶覚坊の方は、棒を構えた観智坊を見て、その強さに驚いていた。飯道山で一年間、修行したとは言え、観智坊はすでに四十歳を過ぎ、しかも、武術に関しては、まったくの素人といってもいい程だった。どうせ、大した事はあるまい。ただ、蓮如に会う前に緊張をほぐしてやろうと思い、構えだけを見て、誉めてやろうと思っていた。ところが、観智坊はそんな半端な覚悟ではなかった。たった一年間で、これ程までに強くなるには、並大抵な修行をして来たのではない。死に物狂いの修行を積んだに違いなかった。観智坊は本気だ。絶対に裏の組織を作るだろうと慶覚坊は確信した。
「分かった」と言うと慶覚坊は薙刀を下ろした。
「ありがとうございました」と観智坊は合掌した。
「実際、驚いたわ。蓮崇殿、いや、観智坊殿じゃったな。よくぞ、これ程までに修行を積んだものじゃ。それ程の腕を持っておれば、確かに裏の組織も作れるじゃろう」
慶覚坊は薙刀をしまうと、改めて、蓮如のもとに向かった。
陰流では太刀先の見切りというものを重要視していた。太刀先の見切りとは、敵の太刀先がどこを通るかを見極める事だった。それを見極める事ができれば、最小限の動作で、敵の攻撃を避ける事ができる。最小限の動きで、攻撃を避ける事ができれば、一々、敵の太刀を自分の太刀で受ける必要もなかった。棒術においても同じだった。敵の棒の動きを見極める事ができれば、一々、受ける必要もない。敵が攻撃を仕掛けるのと同時に攻撃を掛ければ、一瞬のうちに敵を倒す事ができる。陰流の技は、決して、敵の攻撃を受ける事なく、一瞬のうちに決まる技ばかりだった。身に付けてしまえば怖い者なしと言えるが、身に付けるまでは大変な事だった。
観智坊は五郎を相手に棒で戦ったが、飯道山での一年間が、まるで、嘘だったかのように相手にならなかった。観智坊が必ず当たると打った一撃は、すへて、ぎりぎりの所でかわされて行った。何度、打ってみても五郎の体には当たらず、五郎の体はフワッフワッと風に舞う木の葉のように、観智坊の一撃を避けていた。そして、五郎は簡単に観智坊を打つ事ができた。
観智坊は棒を握る事を許されず、刀を手に持って、毎日、木に止めた反古(ホゴ)の紙切れを、下の木に傷を付けないように斬る稽古をしていた。簡単なようで難しかった。この稽古をしているのは観智坊だけではなかった。五人の若者たちと一緒だった。この紙切れ斬りは、陰流の基本だった。これを完全に身に付けない限り、陰流の技を教えては貰えなかった。
観智坊は雪に埋まった広い道場の片隅で、毎日、紙切れを相手に戦っていたのだった。
太郎の点てたお茶を飲みながら、観智坊は床の間に飾ってある『夢』という字を見ていた。まさしく、夢を感じさせる字だと思った。観智坊が掛軸を見ているので、「夢庵(ムアン)殿が書いたものです」と太郎は言った。
「夢庵殿が‥‥‥あの、夢庵殿というのは何者なのですか」
「何者なんでしょうか」と太郎は笑いながら首を傾げた。「わたしにもよく分かりません。不思議なお人です」
「はい、確かに不思議なお人ですね。殿のお弟子さんの一人なのですか」
「弟子だなんて‥‥‥わたしの方が夢庵殿から色々な事を教わっております」
「そうですか‥‥‥」
「陰の術の方はどうですか」と太郎は観智坊に聞いた。
「はい。山崎殿より色々と教わっております。ここに来て、本当に良かったと思っております。ここに来て、飯道山で習った事は、ほんの基本だった事が身にしみて分かりました。わたしは飯道山で一年間、修行して、師範代を倒した事で、少々、天狗になっておったような気がします。もし、あのまま加賀に帰っておりましたら、自分の強さに自惚れて、不覚を取ったに違いありません。ここに来て、上には上がおるという事がはっきりと分かりました」
「そうですか。それは良かった。武芸を修行するに当たって、自分の腕に自惚れて、天狗になるという事が一番の戒めです。天狗になった時、それは身を滅ぼす事となります。わたしも、その事では苦い経験がございます。この月影楼の一階の柱に天狗の面が飾ってあります。一階は、わたしの修行の場でもあります。わたしは戒めのため、天狗の面を飾り、そこを天狗の間と称しております」
「天狗の間ですか‥‥‥」
「はい。ここは夢の間です」
「夢の間ですか‥‥‥」
「ところで、観智坊殿、陰の術を何に使うつもりなのでしょうか。差し支えなければ、お教え願えないでしょうか」
「はい、それは‥‥‥」と言ったきり、観智坊は黙ってしまった。
「陰の術というのは、実はまだ、完成してはいないのです」と太郎は言った。「術というのは実際に役に立たなければ意味がありません。特に、陰の術というのは城や屋敷に忍び込む術も含まれております。この術は城や屋敷の防備が堅くなれば、それに合わせて変化させなければなりません。わたしが初めて陰の術を作ったのは、もう五年以上も前の事です。その五年の間で、城の造りも変化して来ました。各地で戦が長引いているお陰で、今の城は五年前の城よりも、ずっと警戒も厳しく、濠や土塁も深く、高くなってきております。早い話が、五年前の陰の術をそのまま、今、使っても役に立たないと言えます。陰の術は時と共に移り変わって行かなければならないのです。今、わたしが飯道山から呼んだ二十人程の者たちが、情報を集めるために各地に飛んでいます。彼らの目的は陰の術を使って、あらゆる情報を手に入れる事は勿論ですが、陰の術の不備な点を改めるというのも目的なのです。観智坊殿が陰の術を何に使うのかは分かりませんが、それに合わせて陰の術を考えるというのも、陰の術を完成させるために役に立つのです。もし、よろしければ、わたしに教えてほしいのです」
観智坊は、本願寺の裏の組織を作りたいという事を太郎に告げた。太郎には、本願寺というものが、どんなものなのか知らなかった。太郎がその事を聞くと、観智坊は喜んで、本願寺の事を話してくれた。本願寺の法主(ホッス)である蓮如が越前の吉崎に来てから、一揆が起こり、蓮如が吉崎を去り、観智坊が本願寺から破門になった事まで、順を追って、分かり易く話してくれた。
太郎は本願寺の組織というものに驚いた。蓮如が書いた『御文』という、教えを分かり易く書いたものが、十日もしないうちに、その組織に乗って加賀の国中に広まって行くと言う。十日もしないうちに、何万もいるという門徒たちの耳に蓮如の書いた御文が伝わり、蓮如が一言、戦を命じれば、何万もの門徒たちが一斉に立ち上がると言うのだった。門徒たちは百姓や河原者、山や海の民たちが多いとは言え、何万もの人たちが立ち上がれば、武士たちを倒す事も可能となる。また、観智坊の話によると、武士である国人たちの多くも、生き残るために本願寺の門徒となり、指導的立場にいると言う。
「それだけの組織があれば、裏の組織は必要ないでしょう」
一通り、観智坊の話を理解すると太郎は観智坊に聞いた。
「それが、表の組織を使って戦を起こす事はできないのです」と観智坊は言った。
「よく分からんが?」
「表の組織は、上人様の教えが下々の者たちまで伝わるように作られた組織です。縦のつながりはありますが、横のつながりがないのです。勿論、近くの者たちはお互いにつながりはあります。しかし、北加賀の者と南加賀の者たちは、まったく、つながりがありません。今、加賀の門徒たちはバラバラです。門徒たちを一つにまとめる事ができるのは上人様だけなのです。ところが、上人様は門徒たちが戦を始める事に絶対、反対です。しかし、このままでは門徒たちは不当な扱いを受け、守護たちの思いのままになってしまいます。門徒たちは本願寺の門徒になった事で、ようやく、人並みに生きる事が分かり始めて来たのです。わたしは門徒たちのために守護と戦おうと決心しました。それには横のつながりを強化して裏の組織を作らなければならないのです」
「うむ‥‥‥それで、具体的にはどういう風に作るつもりなんです」
「はい。まず、若い者たちに陰の術を教えます。そして、各道場に配置します。そして、あらゆる情報を素早く、つかみます。敵の動きが分かれば、対処の仕方も分かりますから」
「うむ。すでに、表の組織が出来ているのだから、その組織を利用すればいいわけですね」
「はい」
「その道場というのは、どれ位あるのですか」
「およそ、二百位あると思います。加賀だけですが」
「加賀だけで二百ですか‥‥‥それは大したものですね。しかし、その道場に若い者たちを入れるとなると大変な事ですね。一人だけでは身動きが取れないし、少なくとも二人は必要でしょう。そうなると四百、予備として百、合わせて五百人は必要となりますね」
「五百人ですか‥‥‥」と観智坊は唸った。
「長期戦になりそうですね」と太郎は言った。
観智坊は頷いた。「それは覚悟しております」
「観智坊殿も大変な仕事を背負い込んでしまいましたね」
「はい。しかし、裏の組織を作るには、一旦、本願寺を破門になった、わたしだからこそ、できると思っております」
「そうかもしれません。表の顔があると自由に動く事は難しいですからね。それだけ大きな組織を作るとなると裏側に専念しなければならないでしょう」
「はい。わたしも表には出ずに裏の世界に専念するつもりです」
「頑張って下さい。わたしも陰ながら応援させていただきます」
「ありがとうございます」
いつの間にか、日が暮れ掛けていた。
太郎と観智坊は、その後、遅くまで裏の組織作りに関して話し合った。
2
二人の山伏とそれに従う下男が馬に乗って走っていた。
もう、春であった。大河内の城下にはまだ雪が残っていたが、姫路の辺りまで来ると、風も暖かく、ようやく、冬も終わったと感じられた。今年は一月が閏月(ウルウヅキ)だったため、二度もあり、冬がいつもより長く感じられた。
馬に乗っているのは太郎と観智坊と弥兵だった。
観智坊は二ケ月余り、太郎のもとで修行に励んでいた。太刀先の見切りも体で覚え、陰流の棒術の『天狗勝(テングショウ)』も身に付けていた。陰の術の方も、太郎と一緒に、実際に屋敷や城に忍び込む事を体験し、手裏剣術や薬草に関する事も習っていた。組織作りの構想も練れ、蓮如と再会するために河内(カワチ)の国、出口(デグチ)村に向かっていた。
加賀から戻った八郎より、加賀の状況と共に蓮如の居場所も聞いていた。加賀の状況は、冬に入っているため、膠着(コウチャク)状態が続いているが、本願寺側は中心となるべき大将を欠き、守護側は本願寺勢力の離間策(リカンサク)を着々と進めているようだと八郎は言った。そして、法主である蓮如は今、出口村に草坊(ソウボウ)を建てて、家族と共に暮らしているとの事だった。
太郎の方は飯道山に向かっていた。孫次郎の百日行が二月五日に満願(マンガン)となるはずだった。ねぎらいの言葉を掛けると共に、正式に太郎の弟子として、飯道山の山伏名を貰い、改めて一年間、飯道山にて修行させるつもりでいた。
二人は摂津の芥川(高槻市)で別れ、観智坊は南に向かい、太郎は東に向かった。
太郎が飯道山に着いたのは四日の昼過ぎだった。馬をいつもの農家に預けると、花養院に顔を出し、智羅天(チラテン)の岩屋に向かった。夢庵がいると思ったが夢庵の姿はなかった。
夢庵が使っていた文机だけが、ぽつんと岩屋の中に置いてある。その文机の上に一冊の書物が置いてあった。それは、前回来た時、夢庵に頼んでおいた『宗祇初心抄(ソウギショシンショウ)』だった。夢庵が写してくれた宗祇による連歌の指導書だった。太郎は今年の末までに写してくれと頼んだのに、夢庵はさっそく写してくれたのだった。太郎は夢庵に感謝しながら、その書物に目を通した。書物の中に、春になったので穴から出て行くという意味の歌が挟んであった。
一通り、夢庵の書物に目を通すと、太郎は奥駈け道に向かった。今頃、行けば、丁度、金勝山(コンゼサン)から帰って来る孫次郎に会えるかも知れない。太郎は智羅天が座っていた岩の上に座って、孫次郎が来るのを待った。奥駈け道には、まだ、所々に雪が残っていたが、あちこちで樹木の若葉が芽を出していた。
しはらくして、孫次郎がやって来た。
太郎は岩陰に身を隠した。明日の満願の日まで、孫次郎の前に出たくはなかった。たとえ後一日だけだとしても、気の緩みは禁物だった。もし、太郎が今、顔を出して、孫次郎の気が緩んで、明日、歩けなくなったとしたら、また、最初からやり直さなければならない。太郎は黙って見守るだけにした。泥だらけになってはいたが、孫次郎の足取りは軽かった。回りの景色を楽しんでいるような余裕も感じられる。これなら大丈夫だ。よく、あの厳しい時期に一人で歩き抜いた。太郎は拍手を送りたいような気持ちで、孫次郎の後姿を見送ると岩屋に戻った。太郎は仏師(ブッシ)の姿になり、夢庵に会いに行く事にした。
飯道山を越えて、柏木の飛鳥井(アスカイ)屋敷に着いた頃には日が暮れ掛かっていた。顔馴染みになった飛鳥井屋敷の門番に、夢庵の事を聞くと、夢庵は宗祇と一緒に京に出掛けたとかで留守だった。いつ頃、帰って来るのかと聞いたが分からなかった。三日前に行ったばかりだから、当分、帰って来ないだろうと言う。太郎は仕方なく帰る事にした。ただ、門番の話から、夢庵が正式に宗祇の弟子になったという事を聞いて、本当によかったと思った。去年の暮れ、ずっと、書き続けていた宗祇の聞き書き『弄花抄(ロウカショウ)』が宗祇に認められたのに違いなかった。一年以上も待って、ようやく、一番弟子になれた夢庵は言葉では言い表せない程、嬉しかったに違いない。夢庵がいたら、文句なく祝い酒を飲みたい所だが、いないのならしょうがない。一人で祝い酒を飲むかと、太郎は飯道山を越えて門前町に向かった。
足は自然と『夕顔』に向いていた。暖簾(ノレン)をくぐると店内に三人の客がいた。山伏ではなかった。職人風の男たちだった。太郎の顔を見ると、夕顔は、「あら、珍しい事」と言ったが、心の中では驚いている事が分かった。太郎が今頃、こんな所に来るはずがないと思っている。志能便の術の稽古が始まるのは、もっと、ずっと先の事だった。
「今日は太郎坊じゃない。火山坊として大峯から来たんだ」と太郎は小声で夕顔に言った。
夕顔は笑うと、「それは遠くから、わざわざ、火山坊様」と言って、酒の支度をしに奥に入った。
三人の客は宮大工のようだった。門前町にある寺院の修築をしているらしかった。年配の者と若い者が何やら言い争い、もう一人の男が二人をなだめていた。
夕顔は太郎に酒を持って来た時、ごゆっくりと言ったきり奥から出ては来なかった。太郎は夢庵の事を聞きたかったが、話し出すきっかけさえつかめないまま、一人、酒を飲んでいた。
どうしたんだろう。
俺が突然、来たので怒っているのだろうか。
やはり、来るべきではなかった‥‥‥
太郎は夕顔が持って来た酒を飲んだら帰ろうと思った。夕顔は、太郎が頼みもしないのに、三本のとっくりを持って来ていた。太郎が『夜叉亭(ヤシャテイ)』に通っていた頃の癖を覚えていたのだった。とっくりの中の酒はまだ、二本近く残っている。太郎が酒を飲み干す前に、三人の宮大工は帰って行った。
夕顔は三人を見送ると暖簾をしまった。
「もう、店じまいか」と太郎は聞いた。
「そう。今日は気分が悪いの」と夕顔は軽く笑って言った。
「そうか」と太郎は頷き、「俺も帰るわ」と言った。
「まだ、お酒、残ってるんでしょ」
「ああ、あと少し」
「それ、飲んでからでいいわ」
「そうか‥‥‥」
夕顔は太郎の横に腰掛けると酒を注いでやった。
「あたしねえ。あなたが今日、現れるような気がしてたわ」と夕顔は太郎の手を撫でながら言った。
「いつもの勘かい」
「そう、と言いたいけど町中の噂よ」
「噂?」
「そう。今、太郎坊様のお弟子さんが百日行をしてるでしょう。明日が満願の日だから、明日、太郎坊様が来るってもっぱらの噂よ」
「そうか、そんな事まで噂になるのか」
「あなたに関する事は何でも噂になるの。ここだけじゃないわ。あたし、伊賀の国にいた事あるけど、伊賀でも、あなたの噂は聞いたわ」
「どんな噂だ」
「一昨年の暮れの事よ。あなたはお弟子さんの風光坊様と一緒に、ここに来て、かつての教え子たちの所に現れて、何人かを選んで、京の愛宕山(アタゴヤマ)に連れて行ったわ。そして、お師匠様の風眼坊様と早雲という和尚様も一緒に愛宕山に連れて行ったって」
「へえ、京の愛宕山にか」
「そういう噂だったわ。あなたの事は甲賀、伊賀では常に注目されているのよ」
「それじゃあ、俺がここに来た事も噂になるのか」
「あたしが言い触らせばね。でも、今、ここにいるのは太郎坊様ではなくて、火山坊様でしょ。火山坊様の事は誰も噂しないわ」
「そうか‥‥‥火山坊の噂はないのか‥‥‥」
「火山坊様が大峯山に行って、帰って来なかった時、噂は流れたわ」
「どんな噂だ」
「火山坊様は酔っ払って、大峯山で死んじゃったって」
「火山坊は死んだのか」
「そういう噂はあったわ。でも、一月もしないうちに、誰も、火山坊様の事を言わなくなった」
「そうか‥‥‥太郎坊とは、えらい違いだな」
「でも、あたしは太郎坊様より、そんな火山坊様をずっと待っていたの‥‥‥今日、あたし、賭けをしたの。太郎坊様がきっと、ここに戻って来る事は分かっていたわ。でも、太郎坊様がこの店に来るかどうかは分からない。あたし、賭けたの。もし、太郎坊様がここに来たら‥‥‥」
「ここに来たら?」
「ここに来たら、あたし‥‥‥いいの、もう、太郎坊様は来なかったんだから。来たのは火山坊様だった‥‥‥」
「夕顔、お前は今、幸せなのか」と太郎は聞いた。
夕顔は頷いた。しかし、その顔は幸せそうには見えなかった。
「あたし‥‥‥」
夕顔は太郎に酒を注ごうとしたが、とっくりは空になっていた。
「ねえ、あたしんちで飲まない?」
「いいのか」
「いいの。火山坊様が帰って来てくれたんだもの」
太郎は夕顔の家に行って続きの酒を飲んだ。
夕顔は太郎の事を太郎坊とは呼ばずに、火山坊と呼び通した。火山坊は酔っ払って、大峯山で死んでしまうような情けない山伏だった。しかし、夕顔は、そんな火山坊の方が有名な太郎坊より好きなようだった。太郎は、これから先も火山坊として夕顔と付き合って行こうと思っていた。
夕顔は本当の所、もし、太郎坊が店に来てくれたら、南蔵坊と別れて、太郎坊に付いて行こうと決めていた。太郎坊は城を持っている武将だった。南蔵坊より、ずっと財産も持っている。こんなちっぽけな店より、立派な店を播磨の国で持てるに違いない。南蔵坊の妾(メカケ)でいるより、太郎坊の妾になった方がずっといいだろうと思っていた。そして、太郎坊は店に来た。しかし、太郎坊とは名乗らずに火山坊と名乗った。太郎が火山坊と名乗った事で、夕顔は欲に目が眩(クラ)んでいた自分に気が付いた。夕顔は太郎が城持ちの武将だから惚れたのではなかった。太郎坊という有名な山伏だから惚れたのでもない。飯道山にとって、いてもいなくてもいいような酔っ払いの山伏、火山坊に惚れたのだった。そして、今でも、その火山坊に惚れている。一時は本当に死んでしまったのかもしれないと諦めていた火山坊がこうして生きている。一年に一度でもいい。火山坊が自分に会いに来てくれればいいと思うようになって行った。
火山坊と夕顔は一期一会(イチゴイチエ)のような、激しい恋に燃えた。
3
暖かかった。
満願の日にふさわしい、いい天気だった。
金勝山(コンゼサン)と阿星山(アボシサン)の中間にある岩の上に座って、太郎は孫次郎を待っていた。
やがて、孫次郎が泥だらけの足で力強く歩いて来た。
太郎の姿を見付けると立ち止まって、「師匠‥‥‥」と言ったが、何となく元気がないようだった。
百日間の様々な事を思い出して、感慨無量なのだろうと思った。
「よく、やった」と太郎は言った。
「師匠‥‥‥」と言って孫次郎は顔を伏せた。
「百日間、歩き通すのは辛い事だ。様々な心の葛藤(カットウ)があった事だろう。しかし、お前は見事にそれに耐えた。一番、きつい時期によく歩き通した」
「師匠、実は‥‥‥」
「どうした。後、もう少しだ。頑張れ」
「実は、師匠、今日が満願ではないのです」と孫次郎は言った。
「なに」太郎は数え間違いたかな、と思った。「今日じゃなかったか。明日か」
「いえ。今日で、まだ、十一日目なのです」
「何だと、十一日目だ?」
「はい、すみません。途中で、やめてしまったのです」
「途中でやめた?」
「はい。八十六日目でした。急に腹が痛くなって、どうしても、歩けなくなってしまったのです」
「八十六日まで歩いて、やめてしまったのか」
「はい、すみません」と孫次郎は頭を下げた。
「どうしても、続けられなかったのか」と太郎は聞いた。
孫次郎は力なく頷いた。「駄目でした」
「そして、また、始めからやり直したのか」
「はい」
「八十六日間、歩いて、また、始めからか‥‥‥」
「すみません‥‥‥」
「‥‥‥仕方がないな」と太郎は孫次郎を見ながら残念そうに言った。「今日で十一日目なんだな」
「はい」
「分かった。また、満願の日に来る。今度こそ、歩き通せ」
「はい」
「行っていいぞ」
「はい」孫次郎は頭を下げると阿星山の方へと歩いて行った。
「馬鹿な奴だ」と言うと太郎は岩から下りた。
そのまま帰ろうかと思ったが、一応、孫次郎の事を高林坊に聞いてみようと思った。八十六日間も歩いて、腹痛くらいで、やめてしまうとは考えられなかった。後十四日で終わるというのに、途中でやめたのは何か訳があるに違いない。何かあったからこそ、孫次郎は、せっかく、八十六日も歩いたのにやめてしまったのだ、と太郎は何かあった事を願いながら飯道山に登った。
高林坊は知っていた。
高林坊も孫次郎からは腹痛で途中でやめてしまったので、また、初めからやり直すと言われたという。高林坊も腑に落ちなかったが、孫次郎は腹痛だと押し通した。もう一度、やる気があるのなら、やり直せと言ったという。それから何日かして、信楽(シガラキ)の商人が、先日、太郎坊の弟子と名乗る者に女房を助けられたと言ってお礼を言いに来た。
高林坊が詳しく聞くと、その日、商人の女房は用があって大津に行った帰りだった。供を二人連れていたが、一人の方は重要な知らせを持たせて先に帰したと言う。女房は供の老人と一緒に街道を歩いていたが、突然、腹痛に襲われて歩けなくなってしまった。供の老人は荷物を背負っていたため、女房をおぶう事もできず、何とか、観音の滝の祠(ホコラ)の側まで来たが、そこから先は動けなくなってしまった。まごまごしていたら山の中で日が暮れてしまう。こんな所で一夜を明かしたら凍え死んでしまうだろう。
困っていた所に来たのが孫次郎だった。老人は孫次郎に助けてくれと頼んだ。孫次郎は苦しそうな女房を見た。老人から訳を聞いたが、今、信楽まで行くわけには行かなかった。信楽は遠すぎた。信楽まで行ってしまえば日が暮れてしまい、飯道山には帰れなくなる。八十六日間、歩き通し、後十四日で百日行が終わるというのに、今更、どんな理由があっても、やめるわけには行かなかった。孫次郎は老人に断って、観音の滝の前で真言(シンゴン)を唱えた。
真言を一心に唱えている最中、観音様が仕切りに、助けてやれと言っている声が聞こえて来た。孫次郎はそれを打ち消そうとしたが駄目だった。孫次郎はこんな時、師匠だったら、どうするだろうか、と考えた。師匠なら絶対に助けるだろうと思った。百日行は初めからやり直せばいい。もし、あの女房を見捨ててしまったら死んでしまうかもしれない。人を見殺しにして百日行をやり遂げたとしても、一生の間、助けなかった事を後悔するに違いなかった。孫次郎は百日行を諦め、女房をおぶって信楽に行った。
女房は信楽焼きを扱う商家『山路(ヤマジ)屋』のおかみさんだった。主人が出て来て、孫次郎にお礼を言った。女房を家まで届けたら、すぐに引き返すつもりだったが、そうは行かなかった。せめて、名前だけでも教えてくれというので、孫次郎は、太郎坊の弟子の内藤孫次郎だと名乗った。太郎坊の名を出した途端、主人を初め、店の者たちの態度が変わって、孫次郎は強引に屋敷の中に入れられ御馳走で持て成された。
太郎坊の名は信楽でも有名だった。信楽から飯道山に登り、太郎から『志能便の術』を習った者も何人かいた。しかも、孫次郎が助けたおかみさんの息子も去年、飯道山に登り、太郎坊から『志能便の術』を習っていたのだった。息子の名前は小川新太郎といい、孫次郎と同い年だった。新太郎はこの店の長男で、やがてはこの店を継ぐ事となるが、当時、商人にも武術は必要だった。商人といっても小川家は元々、この辺りの郷士だった。武士でもあり、商人でもあり、名主でもある。広い土地も持ち、大勢の百姓たちも抱えていた。
孫次郎は、太郎坊の事を色々と聞かれたが、太郎から、ここでは播磨の事は黙っていろ、と言われていたので喋(シャベ)らなかった。ただ、播磨の山の中で太郎坊と出会い、弟子にしてくれと言ったら、ここに連れて来られたという事にした。新太郎は孫次郎の事は噂で知っていた。太郎坊の弟子が今、百日行をしているというのは、すでに噂になっていた。百日行を途中でやめてしまったと聞き、主人は申し訳ない事をしたと丁寧に謝った。
孫次郎は、また、やり直すから大丈夫ですと言い、ただ、この事は改めて百日行が終わるまで黙っていて下さいと頼んだ。見事、百日行が無事に終われば、孫次郎がここのおかみさんを助けた事は美談となるが、もし、やり遂げられなかったとしたら、おかみさんは悪者になってしまう恐れがあった。主人は孫次郎の言う事に同意して、見事、百日行が終わるまでは誰にも喋べらないと約束した。
新太郎には妹がいた。お夏という名の十六歳の娘だった。人買いに売られた孫次郎の妹と同い年だった。しかし、孫次郎には妹というよりも一人の異性として意識していた。
孫次郎はお夏を一目、見た時から胸がドキドキしていた。孫次郎は三日間、山路屋の世話になった。孫次郎が帰ろうと思っても主人は帰してくれなかった。また、改めて百日行を始めるのなら、栄養を充分に取って体調を整えなければならないと言って、栄養の付く物を色々と出してくれた。孫次郎もお夏の側にいたかったため、引き留められるまま世話になっていた。息子の新太郎とも仲良くなり、妹のお夏とも散歩をしたり、色々な事を話す事もできた。いつまでも、お夏の側にいたいと思ったが、そうも行かない。世話になった山路屋のためにも、何としてでも百日行を成功させなければならなかった。別れる時、お夏は孫次郎に小さなお守りをくれた。孫次郎はそのお守りを首に下げて、飯道山に帰った。孫次郎の心の中からお夏の面影はいつまでも消えなかった。
孫次郎は高林坊に告げて、改めて百日行を始めた。
山路屋の主人、弥平太は孫次郎との約束はあったが、高林坊だけには一言、言っておいた方がいいと思い、飯道山に出掛けた。事の一部始終を告げて、孫次郎の事を見守ってくれと頼んだ。高林坊は、そんな事があったのかと孫次郎の事を見直していた。八十六日まで苦労して歩いて、人助けをしたにも拘(カカ)わらず、その事を一言も言わずに、また、初めからやり直している。こいつは太郎坊のように大物になるに違いないと思った。去年は風眼坊の弟子の観智坊が山の話題の的になった。そして、今年は風眼坊の孫弟子に当たる孫次郎が話題をさらう事になるだろう。今年も、あいつのお陰で面白くなりそうだと高林坊は思った。
太郎は高林坊から、その話を聞くと納得した。よく、やったと言ってやりたかった。もし、助けを求めている者を置き去りにして百日行をやり遂げたとしても、そんなのは何の自慢にもならなかった。もし、そんな男が武術を身に付ければ、それは凶器にしかならない。そして、その凶器は、やがて身を滅ぼす事となろう。太郎の作った『陰流』は、人を助けるための武術だった。無益な争い事を避けるための武術だった。決して、人を殺(アヤ)めるためのものではなかった。孫次郎はきっと百日行をやり遂げるだろう。そして、太郎の四人目の弟子となる事だろう。
「いい男を見つけたな」と高林坊は言った。
「はい」
「わしも、時々、奴の事を見守ろう」
「ありがとうございます。また、満願の日に来ます」
「うむ。観智坊の奴はどうした」
「蓮如上人様に会いに出掛けました」
「そうか」
山を下りる頃には、もう日が暮れていた。
夕顔の顔がちらついて来たが太郎は行かなかった。孫次郎が世話になったという『山路屋』に向かった。最近、太郎も茶の湯をやるため、陶器に興味を持つようになっていた。茶人たちから信楽焼きの評判も聞いていた。お礼を言うのと同時に、ちょっと信楽焼きでも見て来ようと思った。太郎は馬に乗って仏師の格好のまま出掛けた。
山路屋は思っていたより大きな店だった。頑丈そうな高い塀に囲まれていて門には警固の兵までいた。門をくぐると広い庭があり、そこには焼き物がずらりと並んでいる。それらは一般の家庭で使う甕(カメ)や壷(ツボ)など大きな物ばかりだった。それらを眺めながら、山路屋と書かれた暖簾の掛かった店の中に入った。壁際の棚に高価そうな皿や器、茶壷や花瓶などが幾つか飾られてあった。番頭らしい男がうさん臭そうな顔をして、太郎の姿を見ながら近寄って来た。
「いらっしゃいませ」とは言ったが、あまり歓迎されてはいないようだった。
「何か、御用でしょうか」
「うむ。実は、床の間に飾る花入れを捜しているのだが」と太郎は言った。
「花入れですか、少々、お待ち下さい」と番頭は店の奥に消えた。
花入れを捜しているというのは本当だった。月影楼の三階の床の間に置く花入れが欲しかったのだった。夢庵からも、信楽にいい花入れがあると聞いてはいたが、なかなか手に入れる機会がなかった。孫次郎のお陰で、この店に来たからには、あの床の間に似合う花入れを買って行こうと思っていた。
番頭は戻って来たが、番頭の持って来た物は、太郎が見ても安物と分かる物ばかりだった。太郎も一応は目利(メキ)き(鑑定)の修行はしている。安物には用がなかった。太郎はこの店で一番高価な奴を見せてくれと頼んだ。
番頭は引っ込んだが、今度は主人らしい男と一緒に現れた。主人の後ろには新太郎がいた。新太郎は太郎の顔を見て驚いたが、太郎は首を横に振り、口に指を当て口止めをした。主人が持って来た花入れは最高級の物だった。これなら月影楼の三階の床の間にぴったりの花入れだった。夢庵の書いた掛軸とよく調和すると思った。その花入れも夢を感じさせる物だった。太郎はそれを買う事にした。太郎が銀で、その支払いをするのを見て番頭は驚いていた。
「御主人殿に、実は折り入って相談があるのですが」と太郎は言った。
「はい。何でしょうか」
太郎は主人を番頭から離すと、太郎坊と名乗り、孫次郎が世話になった事の礼を言った。主人は驚いて、改めて太郎を見た。若いとは聞いてはいたが、この男が太郎坊だとは信じられなかった。しかし、孫次郎が家内を助けた事を知っているという事は太郎坊に違いなかった。太郎は自分が来た事を口止めし、帰ろうとしたが、主人は、もう暗いからと言って太郎を帰さなかった。
太郎は三好日向(ミヨシヒュウガ)という仏師として山路屋の世話になる事となった。新太郎は太郎坊がうちに来てくれた事を大喜びしていた。太郎から志能便の術を習った者たちが、この事を聞いたら、みんな飛んで来るだろうと言ったが、太郎はやめさせた。信楽には去年、播磨に来て『陰の衆』となっている長野太郎三郎がいた。新太郎も勿論、その事は知っている。太郎三郎が太郎坊のもとに行った事は知っているが、どこに行ったのかは知らなかった。太郎が播磨で武将をしている事は、ここでは絶対に口にするなと太郎は言い聞かせていた。
主人の弥平太も太郎を歓迎してくれた。驚いた事に弥平太は太郎の正体を知っていた。知ってはいても、息子の新太郎にもその事は話してはいないと言う。弥平太は古くから松恵尼と取り引きをしていた。松恵尼が娘のように育てていた楓が太郎坊と一緒になった事も知っている。しかも、楓が赤松家にさらわれた時、楓を守って播磨まで供をした弥平次は、何と弥平太の弟だった。弥平次は今、小川弾正忠(ダンジョウチュウ)と名乗って太郎の家老になっている。弥平次も信楽焼きの店を出していたが、今は弥平太に任せて、家族は皆、播磨に移っていた。その弥平次より時々、便りが届くが、毎回、太郎の事をいい殿様だと誉めているという。家内が太郎の弟子に助けられたのも、太郎がこうして訪ねてくれたのも、きっと、飯道権現のお陰に違いないと喜んでくれた。太郎も孫次郎のお陰で弥平次の兄に会うとは夢にも思っていなかった。来て良かったと思った。
太郎は弥平太からお夏という娘を紹介された。お夏は孫次郎を気に入っているようだと言った。弥平太は初めから太郎が播磨で城持ちの武将だと知っていたため、お夏が孫次郎と仲良くなるのを見て見ぬ振りをしていたのだった。太郎の弟子なら立派な武将になる事だろう。その男の嫁にやるのなら悪くはないと思った。播磨には弟もいるし、お夏も淋しくはないだろう。弥平太はお夏が孫次郎と一緒になる事を願っていた。
次の日、太郎は弥平太から持ち切れない程の土産を貰った。太郎がとても、こんなにも持って帰れないと断ると、弥平太は『小野屋』を通して、太郎の城下まで運ばせると言って聞かなかった。太郎は孫次郎の事を頼んで、弥平太と別れ、播磨に向かった。
4
出口御坊(デグチゴボウ)は葦(アシ)の生い茂る湿原の中に出現した町だった。伏見と渡辺津(大阪)のほぼ中間に位置し、淀川の東南の岸にあった。対岸には奈良の興福寺の支配する三島の湊があり、淀川を上り下りする帆船で賑わっていた。
蓮如が、ここ、河内の国茨田郡(マツタゴオリ)中振郷(ナカフリゴウ)出口に腰を落ち着けたのは去年の初めの事だった。
越前吉崎を去ったのが一昨年の八月で、その年の暮れまで、若狭(ワカサ)の国、小浜(オバマ)の蓮興寺に滞在していた。突然の吉崎脱出だったので、行くべき場所がなかなか見つからなかったのだった。長男の順如(ジュンニョ)は、とりあえず大津の顕証寺(ケンショウジ)に行き、それから、先の事を考えた方がいいと言ったが、大津に行くのは危険だった。大津に行けば門徒たちが群衆して来る事は分かっている。また、叡山(エイザン)の衆徒たちと騒ぎが起こるに違いなかった。蓮如は、順如と蓮綱(レンコウ)、蓮誓(レンセイ)の家族たちを大津に帰し、自分は小浜に滞在したまま、慶覚坊(キョウガクボウ)、慶聞坊(キョウモンボウ)らを各地に飛ばして各地の状況を調べさせた。ようやく、その年の暮れに、淀川の川縁(カワベリ)に行こうと決心をした。淀川河畔の出口村に光善坊という熱心な門徒がいて、蓮如たちの事を引き受けてくれたからだった。光善坊は春日神社(興福寺)の供御人(クゴニン)であり、有力な商人だった。
理由は光善坊だけではなかった。淀川沿いにいれば、京の情報を手に入れ易い事と、淀川の水運業に携(タズサ)わっている川の民(タミ)を門徒に獲得するためだった。農民たちに布教を広めれば、農民を支配している武士と対立する事になる。また、加賀の国の二の舞になるだろう。蓮如としては、どうしても生きているうちに京都に本願寺を再建したかった。それまでは、なるべく武士と争い事を起こしたくはなかった。淀川の川の民を対象に布教を広めても、武士と争う事はないだろうと思った。
淀川の川の民の多くは奈良の興福寺と山崎の石清水(イワシミズ)八幡宮に隷属(レイゾク)している者が多かった。興福寺や八幡宮に隷属していると言っても、それらが直接に支配しているわけではなかった。直接、支配していたのは台頭(タイトウ)して来た有力商人たちだった。商人たちも一応、有力寺社に所属していたが、それ程、強い支配を受けていたわけではない。決められた物を本所(ホンジョ)に納めれば、後は比較的、自由に商売を行なう事ができた。
応仁の乱のお陰で、淀川の商人たちは景気が良かった。京に長期滞在を続けている西国武士たちの消費する物資のほとんどは淀川によって京に運ばれていた。物資は次から次へと淀川河口に集まり、川船が間に合わない程だった。財力と先見の明のある商人は倉庫を建てて、船を集め、川の民を人足に雇い、運送業に専念した。戦は何年も続き、運送業は儲かった。やがて、勢力の弱い商人は強い者に吸収され、長者(チョウジャ)と呼ばれる大商人が出現した。蓮如はその有力商人たちも門徒にしようと考えていた。商人たちは武士に支配されてはいなかった。しかも、商人たちの活動範囲は広範囲に渡っている。以前、近江堅田の商人たちを門徒にした事によって、本願寺の教えは各地に広まって行った。今回も、淀川の商人たちを門徒にすれば、摂津の国、河内の国を初めとして、瀬戸内海沿岸に広まって行くに違いないと思った。
川の民たちを門徒にすれば、自然、川の民たちを支配する商人たちも門徒になるだろうと思えた。加賀の国では、農民たちが門徒となって国人たちに反発するようになり、やがて、国人たちも生き残るために門徒とならざるを得ない状況となって行った。ここでも、川の民たちが門徒となって団結するようになれば、川の民を支配する商人たちは門徒となるだろう。また、商人たちに取っても門徒となった方が商売を広げる事が容易となるに違いない。彼らは本所である大寺院や大神社に属してはいても信仰を持ってはいなかった。本願寺の門徒になったからといっても、納める物さえ納めていれば本所も文句は言うまい。商人たちに教えを広めても、加賀の国のように戦になる事はないだろう。
また、淀川河畔には運送業に携わる川の民の他にも、摂津の国椋橋(クラハシ)庄を本拠に活躍している檜物師(ヒモノシ)集団、淀川河口の今宮浜を本拠に活躍している漁民集団、石清水八幡宮に所属する油売り集団らがいた。河内国内には鋳物師(イモジ)集団、菅笠(スゲガサ)売りの集団、莚(ムシロ)売りの集団らがいて、各地を渡り歩いていた。それらの人々も蓮如が門徒にしようとしている者たちだった。
蓮如がこの地に来て一年が過ぎていた。蓮如はここに落ち着くつもりはなかったが、光善坊を初めとした河内、摂津の門徒たちは蓮如をここに落ち着かせたいと願っていた。蓮如の意志とは反対に、出口御坊は立派な寺院としての形を整えて行った。
去年の暮れ、蓮如たちが光善坊に呼ばれて、ここに来た時は、葦の生い茂る中にポツンと二軒の家が建っていただけだった。草庵というには立派すぎる家だったが、蓮如は満足して、家族と共にそこに住み着いた。もう一軒の方には供をしていた下間頼善(シモツマライゼン)、慶覚坊、慶聞坊らが家族と共に入った。それが、たった一年で、一つの町に出来上がってしまった。本堂が建ち、御影堂(ゴエイドウ)が建ち、書院が建ち、僧坊が建ち、山門が建った。門前には多屋(タヤ)が立ち並び、職人や商人の町もできた。門徒たちも続々と集まるようになり、市も立ち、賑やかな町となって行った。
ここは雪が少なく、冬といっても、吉崎と比べたら、ずっと暖かかった。蓮如は慶聞坊や慶覚坊を連れて、毎日のように淀川の河原を歩いて教えを広めて行った。効果は着々と現れた。また、商人の町として賑わい始めている堺にも、よく足を運んだ。堺には、染め物業を営む円浄坊(エンジョウボウ)と旅籠屋(ハタゴヤ)を営む道顕坊(ドウケンボウ)という門徒が道場を開いていた。門徒の中には商人も多く、彼らのお陰で、材木が出口村に次々と運ばれ、あっと言う間に、町が出来上がって行った。
夏の終わりには蓮綱と蓮誓の多屋も完成し、二人は家族と共に移って来た。二人共、蓮如を見習って、毎日のように河原に出ては布教活動に励んでいた。
太郎と別れた観智坊と弥兵は人々で賑わう三島の湊まで来て、対岸を見ながら驚いていた。加賀の手取川も広かったが、目の前の淀川とは比べ物にはならなかった。川幅があり、水量も豊富で、何艘もの船が行き来している。噂には聞いていたが、まさか、これ程、大きな川だとは思ってもいなかった。とても、馬で渡れるような川ではなかった。二人は馬を木賃宿に預けると渡し舟に乗って対岸に渡った。船着き場から葦原の中の道を真っすぐ進むと、突然、目の前に町が現れた。
左右に町人たちの家が並び、その先の左手に塀に囲まれた御坊が見えて来た。右側には、坊主たちの多屋も並んでいる。蓮如は草庵に暮らしていると聞いていたが、これは草庵ではなかった。立派な寺院だった。
観智坊はここまで来て戸惑った。草庵だったら、簡単に蓮如に会う事もできるだろうと思ったが、これだけ立派な寺院に住んでいるとなるとそうは行かない。素性の分からない者が蓮如に会うのは難しかった。かと言って、素性を明かすわけにも行かない。観智坊は弥兵に慶覚坊の多屋を捜して来てくれと頼むと町はずれの葦原の中に隠れて待った。
蓮如に会うまでは自分を知っている者に会いたくはなかった。蓮崇が来たといって騒ぎになれば、蓮如に会えなくなってしまう。観智坊は蓮如の側まで来て、少し動揺していた。自分の今の姿をすっかり忘れている。髪の毛を伸ばし、山伏の格好をし、しかも、顔付きから体付きまで変わっている観智坊を見て、蓮崇だと思う者などいるはずもなかった。
弥兵はすぐに戻って来た。
「早いのう。もう、分かったのか」
「はい。すぐ、そこでした」
「そうか。それで、慶覚坊殿はおったか」
「いえ、おりませんでした」
「どこに行ったのか、聞いてみたか」
「はい。蓮誓殿と一緒に布教に出掛けたそうです」
「なに、蓮誓殿もここにおるのか」
「はい、そのようです」
「慶覚坊殿は留守か‥‥‥」
「上人様にお会いにはならないのですか」
「いや。慶覚坊殿に仲立ちになって貰おうと思ったんじゃが‥‥‥とにかく、慶覚坊殿の多屋に行こう」
弥兵の言った通り、慶覚坊の多屋はすぐそこだった。観智坊がさっき立ち止まった右側にあった多屋が慶覚坊の多屋だった。
観智坊はしばらく立ち止まって思案していたが、意を決して門をくぐった。慶覚坊の内方(ウチカタ、奥方)が現れると、観智坊は風眼坊に頼まれて、近江の飯道山から訪ねて来たと告げた。風眼坊の名を出した事によって、内方は観智坊を信用してくれたようだった。夕方には戻るだろうから待っていてくれと客間に通された。慶覚坊の内方は観智坊を知っているはずなのに気づかなかった。
客間には誰もいなかった。何もかも新しく、木の香りが漂っている。部屋は庭に面していたが、庭には草が生い茂っているだけで何もなく、殺風景だった。
観智坊は庭を眺めながら、蓮如が本泉寺の庭園を造っていた事を思い出していた。ここの御坊にも庭園を造ったのだろうか。いや、まだ、この地に来て一年だ。張り切って、布教に歩き回っている事だろう。庭園を造る暇などないだろうと思った。
慶覚坊が帰って来たのは日暮れ近くだった。客間に入って来ると二人を眺め、腰を下ろした。
「わしが慶覚坊じゃが、風眼坊から頼まれて来たと聞いたが‥‥‥」
「はい。飯道山から参りました」と観智坊は言った。
「奴は今、飯道山におるのか」
「いえ、駿河の方におります」
「駿河か、新九郎の所に行ったんじゃな‥‥‥」
「はい」
「それで、わしに何の用じゃ」と言って慶覚坊は観智坊の後ろに控えている弥兵に気づいた。
「おぬしは確か、蓮崇殿の所にいた弥兵ではないか。どうして、こんな所におるんじゃ。蓮崇殿はどうした」
「蓮崇です。お久し振りです」と観智坊は頭を下げた。
「なに? 蓮崇‥‥‥」
「はい」
「本当か」
「はい。今は観智坊露香という風眼坊殿の弟子になりました」
「観智坊露香? 風眼坊の弟子?」
「はい。山伏となって、飯道山で一年間、修行を積みました」
「蓮崇殿が飯道山で修行をしておる事は伜から聞いてはおったが‥‥‥」
慶覚坊は観智坊の顔を穴のあくほど見つめた。
「うむ。確かに、言われてみれば蓮崇殿のような気もするが‥‥‥しかし、変われば変わるものよのう」
「分かっていただけましたか」
「うむ。顔付きまで変わってしまったが、目は昔のままのようじゃ。久し振りじゃのう。何の音沙汰もないので心配しておった。飯道山で百日行をしたとか」
「はい。風眼坊殿と早雲殿と一緒に山の中を百日間、歩き通しました」
「そうか、百日行をやり遂げたか‥‥‥それで、その後、飯道山で武術の修行をしておったというのか」
「はい」
「しかし、何で、また、武術など始めたんじゃ」
「本願寺のためです。裏の組織を作ります」
「なに、裏の組織を? しかし、蓮崇殿は本願寺を」
「はい。破門となりました。そこで、生まれ変わって山伏となりました」
「確かに、生まれ変わったとは言えるが‥‥‥」
「ただ、生まれ変わっただけでは裏の組織を作る事はできません。そこで、武術を身に付けました」
「武術を身に付けただけで、裏の組織を作る事ができるかのう」
「陰の術も身に付けました」
「陰の術? 風眼坊が言ってたやつか」
観智坊は力強く頷いた。
「しかしのう。そなたが山伏になって加賀に行ったとして、門徒たちが、そなたの言う事を聞くかどうかじゃ」
「そこで、慶覚坊殿の弟子という事にしていただきたいのです」
「なに、蓮崇殿が、わしの弟子か」
「はい。決して、慶覚坊殿には御迷惑はかけません」
「わしの弟子として加賀に乗り込むのか」
観智坊は慶覚坊を見つめながら頷いた。
「うーむ。わしの弟子にするのは構わんが、わしに敵対している者もおるからのう。一番いいのは、上人様に門徒として認めて貰う事じゃのう」
「それは無理でしょう」
「いや、そなたが蓮崇殿だと気づく者は誰もおるまい。門徒になれるかもしれんぞ」
「上人様に嘘をつくのですか」
「うむ。それでもうまく行くじゃろう。しかし、蓮崇殿の気持ちを上人様にぶちまけてみるのもいいかもしれん。もしかしたら、門徒になれるかもしれん」
「しかし‥‥‥」
「蓮崇殿、そなたが、これから始めようとしておる事は生易しい事ではない。まず、手初めとして、上人様と会って、心の中をぶちまけてみるのもいいのではないかのう。会うのは辛いじゃろうが‥‥‥」
「‥‥‥分かりました。上人様にすべて話してみます」
「うむ。そうじゃのう。さっそく、行ってみるか」
「今からですか」
「早い方がいいじゃろう。話がついたら久し振りじゃ、一杯やろう。慶聞坊の奴も呼んでもいいじゃろ。奴もそなたの事を心配しておったからのう」
「はい。しかし、観智坊が蓮崇だという事は他の者には黙っていて下さい」
「分かっておるわ。今後、そなたは表には出んつもりじゃろう」
「はい。裏に徹するつもりです」
慶覚坊は頷いた。
二人はさっそく、蓮如のいる御坊に向かった。
あれ程、会いたかった蓮如だったが、実際、会うとなると、やはり緊張した。
慶覚坊は観智坊の顔色を窺(ウカガ)うと、ちょっと来てくれと多屋の方に戻った。慶覚坊は庭の方に行くと観智坊を振り返って、「飯道山での修行の成果を見せてくれ」と言った。
観智坊は頷いた。
「得物(エモノ)は何じゃ」
「棒です」
「成程」
観智坊は錫杖(シャクジョウ)の代わりに五尺棒を突いていた。兄弟子である太郎を真似たのだった。
慶覚坊は家の中から薙刀(ナギナタ)を持って来た。しかも、それは真剣だった。
「いくぞ」と慶覚坊は薙刀を構えた。
観智坊も棒を構えた。
薙刀を構えた慶覚坊を見て、観智坊は思っていた以上に強いと思った。さすが、あの飯道山で四天王と呼ばれる程の強さだと思った。しかし、反撃はできないにしろ、避ける事はできると思った。太郎のもとで太刀先の見切りは完全に身に付けていた。
一方、慶覚坊の方は、棒を構えた観智坊を見て、その強さに驚いていた。飯道山で一年間、修行したとは言え、観智坊はすでに四十歳を過ぎ、しかも、武術に関しては、まったくの素人といってもいい程だった。どうせ、大した事はあるまい。ただ、蓮如に会う前に緊張をほぐしてやろうと思い、構えだけを見て、誉めてやろうと思っていた。ところが、観智坊はそんな半端な覚悟ではなかった。たった一年間で、これ程までに強くなるには、並大抵な修行をして来たのではない。死に物狂いの修行を積んだに違いなかった。観智坊は本気だ。絶対に裏の組織を作るだろうと慶覚坊は確信した。
「分かった」と言うと慶覚坊は薙刀を下ろした。
「ありがとうございました」と観智坊は合掌した。
「実際、驚いたわ。蓮崇殿、いや、観智坊殿じゃったな。よくぞ、これ程までに修行を積んだものじゃ。それ程の腕を持っておれば、確かに裏の組織も作れるじゃろう」
慶覚坊は薙刀をしまうと、改めて、蓮如のもとに向かった。
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