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4.今川義忠2
3
早雲庵の朝は早かった。
主(アルジ)の早雲が早寝早起きなので、富嶽(フガク)、春雨、孫雲、才雲、荒川坊、寅之助らも皆、早起きだった。中には、多米(タメ)や荒木のようにゆっくり寝ている連中もいたが、その二人はどこに行ったのか、未だに戻っては来なかった。
早雲はここにいる時は必ず、毎朝、海まで走り、一泳ぎするのを日課としていた。夏は勿論の事、冬の寒い朝でも続けていた。正月の末、帰って来た次の朝から、さっそく始めていた。半年振りの事で、さすがにためらいはあったが、小太郎も一緒だったので、無理に強がって海の中に入って行った。当然、負けるものかと小太郎もついて来た。京に行く前は、冬であろうと毎日続けていたので慣れてしまえば何でもなかった。
今日も、富嶽と寅之助を連れて、海に来ていた早雲だった。孫雲と才雲の二人の弟子にも、一度、やれと命じたが、急にやらせたために風邪を引いて、しばらく寝込んでしまった。だらしないとは思うが、暖かくなってからやらせようと思い、連れて来るのはやめにした。その代わり、二人には毎朝、剣術の稽古をやらせている。寅之助の場合は強制的ではなく、来たければ来いと言っていた。寒いから嫌だと言って、いつもは孫雲たちと木剣を振っていたが、今日は珍しく付いて来た。
富嶽は四日前に旅から帰って来ていた。甲斐(カイ)の国(山梨県)を回りながら、富士山を描いていたと言う。早雲も絵を見せてもらったが、甲斐の国側から見る富士山もなかなかのものだった。そして、久し振りに見る富嶽の絵が、以前と少し変わっていたのを早雲も気がついていた。以前、富嶽の描く絵には人物がいなかった。それが今回の絵には、小さいが人物の姿が描かれてあった。自然の中で働いている人々の姿が、自然の中に調和していた。それは自然というものが厳しさだけでなく、人々に恵みを与えてくれる大きな力を持っているという事を表現していて、見るものに安らぎと暖かさを感じさせる絵になっていた。京に行って家族と再会した事が、富嶽の絵を変えさせたのだろうと早雲は思い、一緒に連れて行ってよかったと思った。
一泳ぎした後、乾いた布で体をこすっている時、海辺を一頭の馬がこちらに向かって駈けて来た。
「何じゃ、あれは」と富嶽が近づいて来る馬を見ながら言った。
「乗馬の稽古でもしておるんじゃろ」と早雲も馬の方を見ながら言った。
「稽古にしては、えらく急いでおるようじゃが‥‥‥」
「様子が変じゃのう」
「何か叫んでおるようじゃ‥‥‥」
馬が近づくにつれて、「早雲殿」と叫んでいるように聞こえて来た。
「あれは、五条殿のようじゃぞ」と富嶽は言った。
「らしいな。一体、どうしたんじゃろ。戦に行っておるはずじゃが‥‥‥」
「何か、あったのかのう」
五条安次郎は二人の側まで来ると馬を止め、馬から飛び降りた。
「よかった。お帰りになっておりましたか‥‥‥」とやっとの事で言うと、安次郎はハァハァと荒い息をしながら早雲を見た。
富嶽は馬を押えると、安次郎の顔を見て、そして、早雲を見た。
「悪い知らせじゃな」と早雲は聞いた。
安次郎は頷(ウナヅ)いた。
「お屋形様に何か、あったのか」
安次郎は顔を歪めながら、早雲を見つめ、うなだれるように頷いた。
ようやく息を整えると、安次郎は小声で、「お屋形様がお亡くなりになりました」と言った。
今にも泣き出しそうな顔をしていた。
寅之助が一人で騒ぎながら波と遊んでいた。
漁師の小船が沖の方に浮かび、海鳥が飛び回っていた。
突然、鳶(トビ)が舞い降りて来て、悠然(ユウゼン)と砂浜の上に立ち、海の方を見つめた。
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「いつの事じゃ」と早雲は海の方を眺めながら聞いた。
「ゆうべです‥‥‥」
「どうして、また?‥‥‥戦には勝ったと聞いておるが‥‥‥」
「はい、戦には勝ちました。見付城を落とし、首謀者である横地四郎兵衛、勝間田修理亮(シュリノスケ)の首は取りました。しかし‥‥‥」
早雲は昨日、小河(コガワ)の長谷川次郎左衛門尉の屋敷で、予定通り戦は勝利を納め、二、三日中には凱旋(ガイセン)して来るだろうと聞かされたばかりだった。早雲としては、今日か明日にでもお屋形様が帰って来るので、今日、春雨と一緒に駿府に行き、お屋形様が帰るまで小太郎の家にいようと決めていた。今日は二月の十日で、踊りの稽古のある前の日だった。
安次郎の話によると、敵の籠もる見付城が落ちたのは二月六日で、七日には首実験を行ない、福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)の高天神城に向かった。八日は一日、兵馬を休め、次の日には駿府(スンプ)に向けて凱旋する予定だった。ところが、横地城に残党たちが立て籠もって駿府に向かう今川軍を襲うとの知らせが入った。お屋形の義忠はまだ懲りないのかと怒り、次の日、横地城を攻め、皆殺しにしろと命じた。九日、早朝より横地城に向かい、城を囲んで攻め立て、夕方近くにようやく落とす事ができた。お屋形様の命令通り、捕まった者たちは皆殺しにされた。暗くなりかけていたので高天神城まで戻るのは無理だった。そこで、横地城の近くにある新野(ニイノ)城に向かった。
新野氏は今川一族で、横地氏より今川家から独立しようとの誘いを受けていたが断り、城を堅く閉ざしていた。横地、勝間田氏が攻めて来はしないかと冷や冷やしながら回りの状況を見守り、お屋形様が遠江に出陣して来た時には、すぐにお屋形様に従い、見付城を落とす戦に参加していた。お屋形様が高天神城で休養していた頃は自分の城に帰って、長年、脅(オビヤ)かされていた横地氏が滅びた事を心から喜んでいた。
安次郎はお屋形様の命で、一足速く新野城に向かい、これからお屋形様が来る事を告げ、そのまま、新野城でお屋形様が来るのを待っていた。しかし、新野城に到着したお屋形様には、もはや息が無かった。横地城から新野城に向かう途中、残党に夜襲され、流れ矢に当たって、そのまま息絶えたと言う。
「流れ矢でお亡くなりになったのか」と富嶽が聞いた。
「そういう話です。お屋形様の胸と腹に矢が深く刺さっておりました」
「甲冑は身に着けておらなかったのか」と早雲が聞いた。
「はい。小具足(コグソク)姿でした。横地城の残党を片付け、一安心しておったのでしょう」
「そうか‥‥‥」
小具足姿とは、陣中でくつろぐため、籠手(コテ)や臑当(スネアテ)、佩楯(ハイダテ)などの小具足だけを身に着け、兜(カブト)と鎧(ヨロイ)の胴をはずした姿の事である。兜と胴さえ着ければすぐに戦えるので、武将たちはよく、この姿でくつろいでいた。義忠ももう戦は終わったと思い、その小具足姿のまま馬に乗り、新野城に向かったため、やられてしまったのだった。
「早雲殿。お願いがございます」と安次郎は言った。「実は竜王丸(タツオウマル)殿の事ですが、危険な状況にあると言えます」
「何じゃと?」
「わたしが気を回し過ぎるのかもしれませんが、何となく、気になります」
「家督争いか?」
「はい。竜王丸殿がまだ小さすぎます」
「誰か、家督を狙っておる者がおるというのか?」
「分かりません。しかし、お屋形様が急にお亡くなりになったとなると、今まで、そんな事を考えなかった者でも欲が出て来ます」
「うむ」と早雲は頷いた。「それは言えるのう。竜王丸殿はまだ六歳じゃ。この乱世を乗り切るのは大変な事じゃ。国人(コクジン)たちが騒ぎ出すかもしれんのう」
「はい、何が起こるか分かりませんから、早雲殿に北川殿の側にいて欲しいのです」
「分かった、そうしよう。駿府の方へはこれから知らせに行くのか?」
「そうです。正式な使いはわたしが最初ですが、しかし、もう知っている者もいるかもしれません」
「うむ‥‥‥わしもすぐに行く。早く、知らせた方がいい」
安次郎は頷くと馬にまたがり、駈け出して行った。
「大変な事になったのう」と富嶽は馬を見送りながら言ったが、早雲はすでに、そこにはいなかった。
早雲庵を目指して走っていた。
富嶽は寅之助を呼ぶと、慌てて早雲の後を追った。
文明八年(一四七六年)二月の十日、早雲を初め、早雲庵に住む連中の人生が変わった節目となる日だった。
駿河の海はいつもと同じく、朝日を浴びて輝いていた。
駿府のお屋形は、いつもと変わってはいなかった。
警戒が厳重になっているという事もなく、人々がコソコソと内緒話をしているという事もなかった。まだ、お屋形様の死を知っているのは上層部の者たちだけなのだろう。
北川殿も普段とまったく変わりがなかった。
早雲は早雲庵にいる全員を引き連れて駿府にやって来た。全員で北川殿に押しかけるわけにもいかないので、富嶽、孫雲、才雲、寅之助を小太郎の家に待機させ、山伏になった小太郎とお雪、春雨の三人を連れて行く事にした。お雪は前回の踊りの稽古の時より、一緒に行く事になっていた。踊りの稽古をするのに、笛の曲があった方が上達すると春雨が言うので、お雪も引き受ける事にしていた。
小太郎にはそのまま、ずっと北川殿にいてもらい、身辺警固についてもらうつもりでいた。小太郎一人では北川殿の出入りできないので、早雲と一緒に中に入り、そのまま、いてもらう事にした。風眼坊に戻った小太郎は、早雲がお屋形様の蔵の中から貰って来た貫禄のある錫杖を突きながら三人の後に従った。
北川殿の門番の吉田喜八郎は、「今日はまた、随分とお早いお出ましで」と四人を迎え入れた。
小太郎が前来た時とは違って山伏姿だったのに少し驚いていたが、早雲がうまく説明すると納得した。小太郎は京にいた頃、お屋形様と出会い、お屋形様の祈祷師(キトウシ)として側に仕えていた。駿河に来いと誘われていたが、ようやく下向して来た。前回、町人の格好をしていたのは、初対面に山伏の姿で北川殿の子供たちを驚(オドロ)かしては悪いと思い、わざとあんな格好をさせたが、これが本当の姿じゃと説明した。喜八郎は小太郎の姿を改めて見ながら、確かに、子供たちが見たら怖がりそうな山伏だと思った。
「実は、北川殿も京でわしと会っておったんじゃが、北川殿は思い出す事ができんのでな、こうして、今日は山伏姿に戻ってやって来たわけじゃ」と小太郎は言った。
早雲たちが思っていた通り、喜八郎はお屋形様が戦死した事は知らなかった。すでに、五条安次郎によって重臣たちには知らされているはずだった。果たして、北川殿は知っているだろうか。早雲も小太郎もまだ知らされていないだろうと思っていた。
小太郎はさっそく北川殿に仕えている者たちの事を調べていた。門の所には喜八郎の他に侍が二人いた。裏門にも何人かいるはずだし、交替人員もいるだろう。屋敷内には男の姿はないようなので、警固の侍は十人前後に違いないと思った。十人では少ないような気もするが、この屋敷は濠と土塁に囲まれた今川屋形の中にあるし、また、お屋形様の屋敷ともつながっている。いざという時はお屋形様の屋敷から警固兵が来るのだろう。
北川殿は驚いて四人を迎えた。踊りの稽古は明日のはずだった。
「明日よりも今日の方が日がいい、と小太郎が言うので、こうして、朝早くからやって参りましたが、御迷惑だったでしょうか」と早雲が聞くと、北川殿は首を振って、いつもと変わらない嬉しそうな顔をして四人を迎え入れた。
「迷惑だなんて、とんでもありませんわ。早く、明日にならないかと思っていたくらいですから」と北川殿は笑った。
「しかし、ちょっと早過ぎましたかな」と早雲は聞いた。
「いいえ。ほんとに今日はいい日ですわ」
さっそく、美鈴の踊りの稽古が始まった。まず、春雨がお雪の笛に合わせて踊り、美鈴は北川殿の隣りに座って春雨の踊りを見ていた。少し離れて、二人の侍女に挟まれて竜王丸が座って見ている。その隣に乳母(ウバ)に抱かれた千代松丸がいた。小太郎は早雲と一緒に部屋の隅に畏まって座り、一同を眺めていた。
春雨は踊り終わると美鈴を促(ウナガ)し、今度は二人で踊った。小太郎は美鈴の踊りを見るのは初めてだったが、なかなかうまいものだと思った。可愛いらしく、ほほえましかった。踊り終わると今度は新しい踊りの稽古だった。春雨がまず見本を見せ、その後、美鈴に踊りの動きを丁寧に教えた。
早雲が座ったまま北川殿の側に擦り寄って行き、小声で何やら話しかけた。北川殿は頷くと立ち上がった。侍女の一人が立ち上がろうとしたが、北川殿はそのままでいいという素振りをして押えた。
北川殿と早雲は部屋から庭に下りて、庭園の中に建つ茶屋に向かった。
早雲は、今日は兄として話さなければならない事があるので聞いてほしいと言って、北川殿を茶屋に誘った。北川殿は、急に改まって何の話だろうと一瞬、ためらったが、きっと春雨さんと一緒になって、駿河に腰を落ち着ける事に決めたのに違いないと勝手に思い込み、兄の話を聞く事にした。
茶屋は四畳半の座敷で、回りに半間幅の縁側が付いていた。北側には床の間と違い棚があり、村田珠光(ジュコウ)流の四畳半の茶室になっていた。床の間には墨で描いた桃の絵が掛けてあり、違い棚には香炉(コウロ)と茶壷(チャツボ)が飾ってあった。花入れも置いてあったが、花は差してなかった。東側の障子越しに屋敷の中を見る事ができたが、美鈴が踊っている姿は見えなかった。部屋の隅に座っている小太郎と侍女が一人見えるだけだった。
「兄上様、ようやく、覚悟をお決めになったのね」と笑いながら北川殿は言った。
「北川殿、落ち着いて聞いて下さい」と早雲は厳しい顔をして言った。
「兄上様、一体、どうなさったのです。今日の兄上様は何となく変ですわ」
「はい‥‥‥世の中というのは、まったく思うようには行かないようです。川の流れと同じように、世の中は流れております。決して、止める事はできません。まして、流れを変える事など、できるはずがございません」
「はい‥‥‥」
「京の都で戦が始まって、もう十年近くになりますが、戦が終わりになるどころか、各地に広がり、今もどこかで戦は行なわれております。わしは各地を旅して何度も悲惨な光景を見て参りました‥‥‥」
「兄上様、兄上様はもう武士には戻らないとおっしゃりたいのですか」
北川殿は首を少し傾げて、ほほ笑みながら早雲を見ていた。
早雲は首を振って北川殿から視線をそらし、床の間の掛軸の桃の絵を見つめた。
「わたしは兄上様がお側にいてくれたらそれでいいのです。お嫁さんの事はもう」
「北川殿!」と早雲は口を挟んだ。「お屋形様が、お屋形様が昨日の夜、お亡くなりになりました」
「え?‥‥‥何です‥‥‥急に、そんな‥‥‥」
「お屋形様がお亡くなりになりました‥‥‥信じられないでしょうが、事実です」
「そんな‥‥‥」北川殿は大きな目をさらに大きくして、じっと早雲を見つめていた。
時が止まってしまったかのように北川殿の表情は変わらず、重苦しい沈黙が流れた。
お雪の吹く笛の調べが、やけに悲しく聞こえていた。
「落ち着いて下さい」と早雲は言った。
早雲は北川殿の顔をまともに見ている事ができなかった。膝の上に置いていた北川殿の両手は強く着物を握り締めていた。
しばらくして、北川殿は、「どうしてです」と小さな声で言った。その言葉には何の感情も感じられなかった。
早雲は顔を上げた。
悲しみが大きすぎたのか、北川殿の顔は気が抜けたように、ぼうっとしていた。涙は流れていなかった。じっと我慢してるに違いなかった。幸いに、北川殿の姿は屋敷からは見る事はできなかった。今の所は、北川殿以外の者にお屋形様の死を気づかれたくはなかった。もし、家督争いが生じた場合、竜王丸の命が危険にさらされる事になる。この屋敷内にも敵の回し者がいないとも限らなかった。正式に知らせが来るまでは回りの者たちには黙っていた方がいいような気がした。
「敵の残党の流れ矢にやられたそうです。今朝、五条殿が慌てて訪ねて来て知らせてくれました。五条殿はそのまま、こちらに向かったので、今、こちらにいる重臣の方々は知っておるはずです」
「どうして、わたしに知らせてくれないのです」
「分かりません。しかし、こういう事はたとえ重臣の方々といえども、身内の者でないと、なかなか言えないのかもしれません」
「お屋形様の弟の備前守(ビゼンノカミ)殿がいらっしゃるはずです」
「多分、知らせを聞いて、すぐにお屋形様のもとに向かったのだと思います」
「そうですか‥‥‥」
「五条殿は北川殿と竜王丸殿の事を心配して、わたしに知らせました。五条殿が言うには、家督争いが生じるかもしれないと言っておりました」
「家督争い?」
「はい。普通なら家督は竜王丸殿でしょう。しかし、竜王丸殿はまだ六歳です。お屋形様になるには若過ぎます」
「竜王丸はお屋形様の嫡男(チャクナン)です。たとえ、六歳でも跡を継ぐのが当然です」
「分かっております‥‥‥わたしは今川家の内情は詳しく存じません。竜王丸殿が跡を継ぎ、お屋形様の弟の河合備前守殿と中原摂津守(セッツノカミ)殿の二人が後見になれば、うまく行くと思っております。しかし、五条殿はひどく心配しておりました。五条殿は今川家の内情をよく知っております。その五条殿が心配しておるという事は、今川家の家督を狙っている者がおるのかもしれません。誰だか分かりませんが、もし、そんな者がおるとすれば、竜王丸殿の身に危険が迫っておると言えます」
「竜王丸が殺されると?」
「かもしれません。幕府を初め、あちこちで家督争いをしております。戦の原因はすべて、家督争いだと言ってもいい程です。本来、大名たちの家督争いが生じた場合、それをうまく裁くのが幕府の役目です。それなのに、幕府が家督争いを始めたものですから、示しがつきません。皆、自分の欲のために家督争いを始めておるのです。今川家もその家督争いを始めるかもしれません。誰もが、お屋形様の嫡男である竜王丸殿が跡を継ぐのが筋だとは分かっております。しかし、竜王丸殿より他の者を家督にした方が自分の利益になるとすれば、その者を押す事となるでしょう」
「わたしにはどうしたらいいのか分かりません」
「しばらく様子を見ましょう。そこで、お願いがございます。この事はまだ北川殿の胸の中だけにしまっておいて下さい。お辛いでしょうが、まだ、お屋形様の死を御存じない事にしておいて下さい。そうしないと内緒でわたしに教えてくれた五条殿の立場がなくなってしまいます。それと、小太郎夫婦をこの屋敷にしばらく置いてもらえないでしょうか。小太郎なら何が起こっても竜王丸殿を守り通す事でしょう。お屋形様が北川殿に付けた御祈祷師として置いてもらいたいのです」
「はい。助かります‥‥‥兄上様、お屋形様がお亡くなりになって、わたしには今、兄上様しか頼るお人がおりません。なにとぞ、よろしくお願いします」
北川殿の目には涙が溜まっていた。
「はい。わたしに出来る限りの事はさせてもらいます。御安心下さい。きっと、竜王丸殿を今川家のお屋形様にしてみせます」
早雲はそう言ってから、何という事を言ってしまったのだろうと後悔した。この場の雰囲気から、つい言ってしまったが、果たして、そんな約束をして果せるものか自信がなかった。しかし、言ってしまった以上、自分の命に代えてでもやらなければならなかった。
「お願いします」と言いながら北川殿は顔を隠して泣いていた。
声を殺して泣いている北川殿を見ながら、この年になって、ようやく自分の出る幕がやって来たのかと、ふと思った。
北川殿と竜王丸殿を助けようと決心した早雲は、何となく若い頃に戻ったかのように、胸の中で何かが燃え始めたのを感じていた。それは生きがいというものかも知れなかった。特にこれといってやるべき事もなく、時の流れに身をまかせて来た自分に、ようやく、やるべき事が見つかった。やらなければならない事が見つかった。可愛い妹とその子供たちを守るために、命まで賭けようとしている自分が不思議だったが、結果はどうなろうと、もう進むしか道はなかった。
その日の夕方になって、小鹿逍遙入道(オジカショウヨウニュウドウ)がやって来た。侍女(ジジョ)の萩乃(ハギノ)が応対に出て、至急、お話があるとの事ですと北川殿に告げた。
北川殿は次男の千代松殿と奥の間で休んでいた。茶屋から戻って、無理に明るい表情をしていたが、やはり、悲しみを隠せなくなったのだろう。踊りの稽古が終わると、疲れたからと言って奥に下がって行った。美鈴は縁側で、お雪から笛を習っていた。竜王丸は庭で、小太郎を相手に木剣を振っていた。早雲と春雨の二人は昼飯を御馳走になると帰って行った。
逍遙入道はお屋形様の屋敷の方からやって来た。庭園を横切る時、竜王丸が山伏を相手に木剣を振っているのを見ながら、不思議そうな顔をしていたが、山伏に向かって軽く頭を下げると、急ぎ足で屋敷の玄関に向かった。
逍遙入道は萩乃に用件を告げると、玄関から入って最初にある広い板の間の隅に控えた。北川殿の屋敷の中は東と西に分かれ、東側が公(オオヤケ)の対面に使う場所で、西側が私的な生活の場所だった。逍遙入道の座っている板の間の北側に上段の間があり、北川殿はそこに座って家臣たちと対面する。早雲も初めて北川殿と対面した時はそこに控えていたが、今はそこに座る事はなく、直接、西の間まで行って北川殿と会っていた。上段の間の隣には十二畳の座敷があり、客に軽い食事を持て成す場合は、その部屋が使われていた。
北川殿は支度を整えると上段の間に上がった。上段の間のすぐ下の両脇に侍女の萩乃と菅乃(スガノ)が控えた。萩乃に言われて、逍遙入道は部屋の隅から上段の間の正面に移動した。
決まりきった挨拶が済むと逍遙は顔を上げたが、北川殿の顔をまともに見る事はできなかった。喉の中程まで来ている言葉も、なかなか言い出す事はできなかった。
「何か、重要なお話とか」と北川殿は聞いた。
「はい、実は‥‥‥ところで、庭で竜王丸殿のお相手をしておる行者(ギョウジャ)殿はどなたですかな」
「風眼坊殿ですか、風眼坊殿は京の伊勢家より、わたしの様子を見にいらっしゃったのです。剣術の名人ですので、お屋形様に頼んで、竜王丸の剣術師範にお願いしようと思っております」
「京からお越しになったのですか」
「はい。お屋形様が京に行かれた時、お屋形様とお会いになったと言っておりましたが、小鹿殿もお会いになったのではありませんか」
「さあ。覚えておりませんが‥‥‥どちらの行者殿ですか」
「大峯山の大先達(ダイセンダツ)です」
「ほう。大峯山ですか‥‥‥はい。もしかしたら会ったかもしれません」と逍遙は言ったが、そんな記憶はなかった。ただ、大峯山の山伏が幕府に出入りしていたのは知っていた。幕府が今川家を探るために派遣したに違いないと思った。
「その風眼坊殿は、いつから、駿河の国にいらっしゃるのです」
「先月の末です」
「そうですか‥‥‥」
「風眼坊殿の事をわざわざ聞きに参ったのですか。それより、お屋形様はいつ凱旋して来るのでしょう」
「はい、実は‥‥‥お屋形様の事ですが‥‥‥」
「はい」
「実は、お屋形様はお亡くなりになりました」
「え? 今、何と申しました」
「お屋形様がお亡くなりになりました‥‥‥」
「お屋形様が‥‥‥そんな、信じられません」
北川殿はうまく芝居をした。急に悲しみのどん底に落とされて、今にも気絶してしまいそうだった。
逍遙入道はお屋形様が討ち死にした状況を説明しながらも、顔を上げて、北川殿の顔が見る事はできなかった。
「小鹿殿、後の事、よろしくお願いします」と北川殿は扇で顔を隠しながら言った。
「はい、畏まりました」と逍遙入道は深く頭を下げた。
上段の間の襖(フスマ)が閉められた。
侍女の二人が部屋から出て行った。
逍遙入道は頭を下げたままだった。この時、逍遙入道は今川家のために、北川殿を助け、幼い竜王丸殿を皆で守り立てて行こうと決心していた。
しばらくして、萩乃が戻って来た。
「北川殿の御様子はいかがじゃ」と逍遙入道は聞いた。
「はい、かなり参っているようです‥‥‥しかし、信じられません。お屋形様がお亡くなりあそばすなんて‥‥‥」
「ああ。わしだって信じられんわ。ついこの間、勝利の知らせを聞いたばかりじゃ。それなのに、こんな事になろうとは‥‥‥戦には死は付きものじゃが、まさか、お屋形様が‥‥‥まあ、何事も起こらんとは思うが、一応、念のために、ここの守りだけは厳重にしておいた方がいいのう」
「はい。吉田殿にお願いしておきます」
「うむ。ただ、この事はまだ内密にしておいてくれ。お屋形様の死が公表されるまでは、あらぬ噂が立っては困るので、外部の者には絶対、喋ってはならん。いいな」
「はい」
「北川殿の事を頼むぞ」
「はい」
逍遙入道は帰って行った。
庭園を通る時、元気に木剣を振っている竜王丸が見えた。まだ、六歳なのに父親を亡くすなんて可哀想な事じゃと思った。そして、自分の幼い頃の事を思い出した。逍遙入道も八歳の時、父親を亡くし、家督争いに巻き込まれた。何も分からなかった自分は大人たちに振り回され、辛い子供時代を送っていた。竜王丸には、そんな人生を歩ませたくはないと思った。
逍遙入道はしばらく、竜王丸を見ていたが、また、屋敷に戻ると萩乃を呼んだ。
萩乃に風眼坊を呼んでくれと頼み、逍遙入道は風眼坊と対面した。
「やはり、風間殿であったか」と逍遙入道は小太郎の山伏姿を眺めながら言った。
「お久し振りです」
「この間は医者じゃったが、今度は山伏なのか」
「はい。医者になる前は山伏でした。北川殿から竜王丸殿に剣術を教えてくれと頼まれまして、こうして、山伏に戻ったというわけです。町人のままでは、ここに出入りする事はできないと言われたものですから」
「成程のう」
「お屋形様に正式な許可を得るまでは、本当は出入りできないのですが、今日は美鈴殿の踊りの稽古があるというので、早雲と共にやって参りました」
「そうじゃったのか。で、早雲殿は?」
「昼過ぎに帰りましたが、わしたちは、ここのすぐ近くに家を借りたものですから残っておるのです」
「ほう、駿府に住んでおるのか」
「はい。浅間神社の門前で町医者を始めましたが、客がさっぱり来ません。毎日、暇を持て余しておりましたので、今日は北川殿もゆっくりして行ってくれとおっしゃいますし、竜王丸殿も剣術の稽古に励んでおりますので」
「ふむ、そうか、町医者を始められたか‥‥‥北川殿から伺ったんじゃが、大峯山の山伏だとか」
「はい」
「大峯山では武術も盛んなのか」
「いえ。大峯山では専(モッパ)ら修験(シュゲン)の行(ギョウ)が中心です。近江の国の甲賀に飯道山という山がございまして、そこでは若い者たちに武術を教えております。わたしは、そこで剣術の師範をしておった事もあったのです」
「ほう。剣術の師範をのう。教える事には慣れておるというわけじゃな」
逍遥入道は庭で木剣を振っている竜王丸を見た。目を細めて見つめていたが、小太郎に視線を戻すと、「風間殿、どうです、しばらく、こちらにいてもらえませんかな」と言った。
「はい、そのつもりで町医者を始めましたが‥‥‥」
「いや、そうではなくて、この北川殿にいて貰いたいんじゃ」
「はあ?」と小太郎はとぼけた。
「実は風間殿、信じられん事じゃろうが」そう言って逍遥入道は言葉を切ると、小声で、「お屋形様がお亡くなりになったんじゃ」と言った。
「何ですって。北川殿から、もうすぐ凱旋して来ると伺っておりますが」
逍遥は頷いてから、静かに首を振った。「敵の残党に夜襲されて、昨日の夕方、お亡くなりになったんじゃ」
「そんな‥‥‥信じられませんな」
「しかし、事実じゃ。北川殿にもたった今、お知らせしたところじゃ」
「‥‥‥そうですか」
「風間殿、そなたが今、ここにいるのも何かの縁じゃろう。このまま、ここにいて、北川殿と竜王丸殿を守ってくれんか」
「はい。そんな事でしたら‥‥‥しかし、北川殿と竜王丸殿の身に何か危険があるとおっしゃるのですか」
「それは分からん。何もない事を願っておるが、何が起こるか分からんのじゃ。今川家にも色々と派閥とやらがある。それを一つにまとめるのは難しいかもしれん‥‥‥」
「分かりました。北川殿と竜王丸殿の身は命に代えてでもお守りいたします」
「そうか、頼む。そなたがいてくれれば一安心じゃ」
逍遙入道は帰って行った。
小太郎にとって予想外の事だった。逍遙入道から正式に頼まれれば、堂々とここにいる事ができる。屋形に出入りするための過書(カショ)も貰う事ができるだろう。うまくすれば、お屋形様の屋敷にも出入りできるかもしれない。こいつは幸先(サイサキ)がいいと思いながら、小太郎は竜王丸の待つ庭へと下りて行った。
小太郎が竜王丸と剣術の稽古をしていた頃、浅間神社の門前町にある小太郎の家では、早雲庵の住人たちが集まって今後の対策を練っていた。
早雲は北川殿を去る時、北川殿の門番の頭である吉田喜八郎をここに連れて来て、お屋形様が亡くなった事を告げた。吉田は今川家の家来というよりは北川殿の家来だった。北川殿のためなら命を賭けてでも働くだろうと判断した早雲は、真実を告げ、小太郎と共に北川殿を守ってくれるよう頼んだ。さらに早雲は、今、北川殿に仕えている者たちの素性を吉田より聞いて書き留めた。この先、どうなるか分からないが、身内の中に敵になる者が現れないとも限らない。一応、調べておいた方がいいと思った。
北川殿の侍女は萩乃と菅乃の二人だった。彼女たちは北川殿の執事(シツジ)のような役目で、北川殿の経済管理や訪ねて来る客の接待を担当していた。萩乃は伊勢氏の出身で、北川殿と一緒に京から来た侍女だった。三十の半ば位の年で、見るからに頭の切れそうな女だった。菅乃の方は二十代の半ば、今川家の重臣、朝比奈氏の出身で、やはり、才女と呼ばれるような感じの女だった。『源氏物語』をすっかり暗記しているような女に見えた。
仲居(ナカイ)衆は八人いた。和泉(イズミ)という女が頭(カシラ)で、その下に三芳(ミヨシ)、西尾、瀬川、淡路(アワジ)、長門(ナガト)、桜井、嵯峨(サガ)という女がいて、主に食事関係の世話を担当していた。彼女たちの出身も皆、今川家の重臣だった。和泉が蒲原(カンバラ)氏、三芳が岡部氏、西尾が朝比奈氏、瀬川が長谷川氏、淡路は堀越氏、長門は新野(ニイノ)氏、桜井は三浦氏、嵯峨は庵原(イハラ)氏の出だった。その他に福島(クシマ)氏出身の船橋という乳母(ウバ)がいて、千代松殿の世話をしていた。乳母の船橋は通いで、その他の女たちは皆、住み込みだった。以上が北川殿の仕えている女たちで、皆、北川殿とはうまくやっているらしい。北川殿が細かい事などあまり気にしない性格なので、あれこれ命じる事もなく、和気あいあいとやっているようだった。
北川殿を警固する北川衆と呼ばれる武士は十人いた。頭は吉田喜八郎で、吉田と共に京から北川殿に付いて来た者に、村田、久保という二人がいたが、早雲の知らない男だった。後の七人は今川家の家臣で、小田、清水、小島、大谷、山本、中河、山崎という名前だった。今朝、喜八郎と一緒にいたのは、久保と大谷という男だった。
北川殿には出入り口が三ケ所あり、正門に三人、裏門に二人いる事になっていた。あと一つの出入り口、お屋形様の屋敷とつながっている所は夜は閉めるが、昼間は開け放したままになっている。北川殿側には門番はいないが、お屋形様の屋敷側に門番が二人いて、お屋形の義忠及び一部の重臣以外は通さないようになっていた。北川殿にいる十人の侍は交替で門を守り、さらに簡単な雑用なども行なっていた。
早雲は、最悪の場合、竜王丸が毒殺される可能性もあるかもしれないと思い、喜八郎に食事の事も聞いてみた。初めの頃は京から来た専属の料理人がいたが、その料理人が仲居と駈け落ちしてからは、特別な客が来て特別な料理を出す時は、お屋形様の屋敷から料理人が来るが、普段は仲居たちが料理を作っていると言う。
早雲は喜八郎に、北川殿の中にも敵がいるかもしれないので、充分に注意して、北川殿の身辺を守ってくれるよう頼んだ。喜八郎が緊張した顔をしたまま帰って行くと、早雲は春雨、富嶽、荒川坊、孫雲、才雲の顔を見回した。寅之助は庭で一人で遊んでいた。
「何かが起こるような嫌な予感がするが、今の所はどうなるのか分からん」と早雲は言った。
「今頃、お屋形では重臣たちが集まっておるんじゃろうのう」と富嶽が言った。
「ああ。お屋形の中で何が行なわれておるかが分かれば、これから、どう対処していいかが分かるが、残念ながら、その事を知る手立てはないわ」
「どんな戦じゃったのかも分からんしのう」
「五条殿が戻って来るまでは、それも分からん」
「もし、家督争いが始まった場合、竜王丸殿の敵となるのは誰なんじゃ」
「お屋形様の弟、二人じゃろうのう。河合備前守殿と中原摂津守殿じゃな」
「その二人の評判はどうなんじゃ」
「二人共、お屋形様をよく助けておったようじゃしのう。あまり、悪口は聞かんのう」
「器(ウツワ)はどうじゃ」
「うむ、器か‥‥‥二人共、お屋形様には劣るようには見えるが、分からんのう」
「お屋形様には側室はおらんのですか」
「おる。しかし、子供の事は聞かんのう。お屋形様が北川殿を迎えた時、三十を越えておった。子供が何人かおってもおかしくはないはずじゃがのう」
「北川殿を迎える時に片付けたのかのう」
「かもしれん。とにかく、嫡男は竜王丸殿という事になっておる」
「竜王丸殿の兄弟で争うという事はないんじゃな。竜王丸殿と備前守殿と摂津守殿で、家督を争う事になるのか」
「家督争いになればな」
「いやだわ。兄弟と甥っ子で争いを始めるの」と春雨は言った。
「武士という者はそういうもんなんじゃ」
「北川殿が可哀想だわ」
「仕方がないんじゃよ。わしらが北川殿を守るしかないんじゃ」
「早雲殿の考えはどうなんです。どうするつもりなんです」と富嶽が聞いた。
「わしの考えか‥‥‥わしは竜王丸殿を跡継ぎとし、二人の弟がその後見になってくれればいいと思っておるんじゃが」
「まあ、普通に考えればそうなるのう」
「ところが、そう単純に決まりそうもないんじゃ。わしが駿府ではなく、石脇の地に草庵を結んだのも、お屋形様の屋敷に居辛くなったからじゃ。わしを幕府の回し者じゃと思う者があって、長居をするとお屋形様に迷惑がかかるような気がして駿府から出たんじゃ。駿河の国は幕府権力の及ぶ最前線にあるんじゃよ。北の甲斐(カイ)、東の伊豆、相模(サガミ)は皆、関東の勢力範囲じゃ。今川家は幕府に忠実じゃが、国人たちの中には関東と通じておる者もおるんじゃ。国人たちにしてみれば、遠くにおる幕府よりは近くにおる関東の有力者と手を結んだ方が安心じゃ。お屋形様がしっかりしておって今川家が安泰なら、国人たちも今川家の被官となるじゃろう。しかし、お屋形様が亡くなり、跡継ぎがまだ六歳だとすると国人たちも考える。今川家といっても有力な国人たちの寄せ集めに過ぎん。幕府とつながりのある今川家の傘の下におれば安心じゃと思って、今川家の被官となっておる。お屋形様次第なんじゃよ。このお屋形様なら、わしらの命を預けられると思えば、国人たちは靡(ナビ)くが、そう思わなければ国人たちはバラバラになる事じゃろう」
「竜王丸殿では駄目じゃと言うんですか」
「立派な後見人がおらなけりゃ駄目じゃ。国人たちの納得のいく後見人がな」
「誰です、それは」
「分からん」と早雲は首を振った。
「うむ‥‥‥長谷川殿に聞いたら、その辺の事情が分からんかのう」
「そうじゃ。長谷川殿なら分かるかもしれん。しかし、今頃はお屋形に行っておるじゃろうのう」
「そうか、そうじゃろうな」
「早雲様はお屋形様のお屋敷には入れないんですか」と春雨が聞いた。
「入れるさ。入れるが重臣たちが評定(ヒョウジョウ)をしておる所には入れん」
「そうよね」
「しかし、行ってみるしかないかのう。ここにおってもしょうがないからの。何か分かるかもしれん」
「それじゃあ、わしは遠江に行って今川軍の様子でも見て来るかのう。何かが分かるかもしれんしな」
「そうじゃな。とにかく、あらゆる情報を集めん事にはどうしょうもないわ」
富嶽は荒川坊、才雲、孫雲を連れて遠江の国に向かい、早雲はお屋形様の屋敷に向かった。
お屋形様の屋敷はいつもと変わりなかった。門番はまだ、お屋形様の死を知らされていないようだった。顔見知りの男がいたので、早雲は、河合備前守殿がこちらにおると聞いて来たがおるか、と聞いてみた。
「備前守殿はお出掛けになりました」と門番は言った。「お屋形様のお出迎えの準備があるとかで、大津城(島田市)の方に行かれました」
「すると、ここの留守は誰が守っておられるのじゃ」
「はい。小鹿(オジカ)の御隠居(ゴインキョ)様がいらっしゃいました」
「逍遙殿が来ておるのか」
「はい」
「お屋形様は、いつ、凱旋して来るのじゃ」
「さあ、よくは分かりませんが、まもなくだと思います。お屋形様を出迎えるために各地から重臣の方々がいらっしゃっておりますので」
「ほう、お偉方が集まっておるのか」
「はい。どうやら、また、お見えのようで‥‥‥」
大手門から数人の騎馬武者が入って来るのが見えた。
「あのお方はどなたじゃ」
「蒲原越後守(カンバラエチゴノカミ)殿でございます」
「なにやら、忙しそうじゃの。わしが顔を出しても相手にされまい。出直して来るわ」
早雲はそう言うとお屋形様の屋敷から離れた。やはり、重臣たちは集まっていた。しかし、お屋形様の死はまだ公表するつもりはないらしい。お屋形様の死を隠したまま凱旋して来るようだった。一旦、駿府に戻って来てから戦死ではなく、病死と公表するつもりなのだろうか‥‥‥
跡目を決めてから公表するつもりなのかもしれないとも思った。
早雲は北川殿に顔を出した。もしかしたら、北川殿にも内緒にしておくつもりかもしれなかった。早雲の顔を見ると、吉田喜八郎が飛んで来て早雲を裏の方に引っ張って行った。
「どうしたんじゃ」
「小鹿の御隠居様がお見えです。北川殿にお屋形様の事を告げたようです」
「ほう。逍遙殿が来られたのか‥‥‥」
「はい。今、風間殿と話しております」
「なに、小太郎と?」
「はい」
「逍遙殿が小太郎と会っておるのか‥‥‥」
「はい」
「わしは顔を出さん方がよさそうじゃの。逍遙殿が帰るまで、どこかに隠れさせてくれ」
早雲は喜八郎たちの侍部屋で待つ事にした。しばらくして、喜八郎が小太郎を連れて来た。
「うまく行ったぞ」と小太郎は笑いながら言った。
「逍遙殿と何を話したんじゃ」と早雲は聞いた。
「世間話よ。わしに北川殿を守ってくれと言ったわ」
「そうか、そいつは都合がいい」
「今川家の長老から直々に頼まれたという事は、堂々とここにおられるというわけじゃ」
「うまく行ったのう。逍遙殿がおぬしに北川殿の事を頼んだという事は、逍遙殿は竜王丸殿に跡目を継がせるつもりでおるのかもしれんのう」
「話し振りからみて、そんな感じじゃったな」
「長老殿がそのつもりでおるなら騒ぎは起こらんかもしれん」
「だといいんじゃがな」
早雲は喜八郎から聞いた、この屋敷にいる者たちの事を小太郎に説明し、お屋形様の屋敷に重臣たちが集まっている事を告げて、北川殿には会わずに帰った。
一日が暮れようとしていた。何となく慌ただしい一日だった。何事も起こらない事を祈りながら、早雲は春雨と寅之助の待つ小太郎の家に向かった。
「ゆうべです‥‥‥」
「どうして、また?‥‥‥戦には勝ったと聞いておるが‥‥‥」
「はい、戦には勝ちました。見付城を落とし、首謀者である横地四郎兵衛、勝間田修理亮(シュリノスケ)の首は取りました。しかし‥‥‥」
早雲は昨日、小河(コガワ)の長谷川次郎左衛門尉の屋敷で、予定通り戦は勝利を納め、二、三日中には凱旋(ガイセン)して来るだろうと聞かされたばかりだった。早雲としては、今日か明日にでもお屋形様が帰って来るので、今日、春雨と一緒に駿府に行き、お屋形様が帰るまで小太郎の家にいようと決めていた。今日は二月の十日で、踊りの稽古のある前の日だった。
安次郎の話によると、敵の籠もる見付城が落ちたのは二月六日で、七日には首実験を行ない、福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)の高天神城に向かった。八日は一日、兵馬を休め、次の日には駿府(スンプ)に向けて凱旋する予定だった。ところが、横地城に残党たちが立て籠もって駿府に向かう今川軍を襲うとの知らせが入った。お屋形の義忠はまだ懲りないのかと怒り、次の日、横地城を攻め、皆殺しにしろと命じた。九日、早朝より横地城に向かい、城を囲んで攻め立て、夕方近くにようやく落とす事ができた。お屋形様の命令通り、捕まった者たちは皆殺しにされた。暗くなりかけていたので高天神城まで戻るのは無理だった。そこで、横地城の近くにある新野(ニイノ)城に向かった。
新野氏は今川一族で、横地氏より今川家から独立しようとの誘いを受けていたが断り、城を堅く閉ざしていた。横地、勝間田氏が攻めて来はしないかと冷や冷やしながら回りの状況を見守り、お屋形様が遠江に出陣して来た時には、すぐにお屋形様に従い、見付城を落とす戦に参加していた。お屋形様が高天神城で休養していた頃は自分の城に帰って、長年、脅(オビヤ)かされていた横地氏が滅びた事を心から喜んでいた。
安次郎はお屋形様の命で、一足速く新野城に向かい、これからお屋形様が来る事を告げ、そのまま、新野城でお屋形様が来るのを待っていた。しかし、新野城に到着したお屋形様には、もはや息が無かった。横地城から新野城に向かう途中、残党に夜襲され、流れ矢に当たって、そのまま息絶えたと言う。
「流れ矢でお亡くなりになったのか」と富嶽が聞いた。
「そういう話です。お屋形様の胸と腹に矢が深く刺さっておりました」
「甲冑は身に着けておらなかったのか」と早雲が聞いた。
「はい。小具足(コグソク)姿でした。横地城の残党を片付け、一安心しておったのでしょう」
「そうか‥‥‥」
小具足姿とは、陣中でくつろぐため、籠手(コテ)や臑当(スネアテ)、佩楯(ハイダテ)などの小具足だけを身に着け、兜(カブト)と鎧(ヨロイ)の胴をはずした姿の事である。兜と胴さえ着ければすぐに戦えるので、武将たちはよく、この姿でくつろいでいた。義忠ももう戦は終わったと思い、その小具足姿のまま馬に乗り、新野城に向かったため、やられてしまったのだった。
「早雲殿。お願いがございます」と安次郎は言った。「実は竜王丸(タツオウマル)殿の事ですが、危険な状況にあると言えます」
「何じゃと?」
「わたしが気を回し過ぎるのかもしれませんが、何となく、気になります」
「家督争いか?」
「はい。竜王丸殿がまだ小さすぎます」
「誰か、家督を狙っておる者がおるというのか?」
「分かりません。しかし、お屋形様が急にお亡くなりになったとなると、今まで、そんな事を考えなかった者でも欲が出て来ます」
「うむ」と早雲は頷いた。「それは言えるのう。竜王丸殿はまだ六歳じゃ。この乱世を乗り切るのは大変な事じゃ。国人(コクジン)たちが騒ぎ出すかもしれんのう」
「はい、何が起こるか分かりませんから、早雲殿に北川殿の側にいて欲しいのです」
「分かった、そうしよう。駿府の方へはこれから知らせに行くのか?」
「そうです。正式な使いはわたしが最初ですが、しかし、もう知っている者もいるかもしれません」
「うむ‥‥‥わしもすぐに行く。早く、知らせた方がいい」
安次郎は頷くと馬にまたがり、駈け出して行った。
「大変な事になったのう」と富嶽は馬を見送りながら言ったが、早雲はすでに、そこにはいなかった。
早雲庵を目指して走っていた。
富嶽は寅之助を呼ぶと、慌てて早雲の後を追った。
文明八年(一四七六年)二月の十日、早雲を初め、早雲庵に住む連中の人生が変わった節目となる日だった。
駿河の海はいつもと同じく、朝日を浴びて輝いていた。
4
駿府のお屋形は、いつもと変わってはいなかった。
警戒が厳重になっているという事もなく、人々がコソコソと内緒話をしているという事もなかった。まだ、お屋形様の死を知っているのは上層部の者たちだけなのだろう。
北川殿も普段とまったく変わりがなかった。
早雲は早雲庵にいる全員を引き連れて駿府にやって来た。全員で北川殿に押しかけるわけにもいかないので、富嶽、孫雲、才雲、寅之助を小太郎の家に待機させ、山伏になった小太郎とお雪、春雨の三人を連れて行く事にした。お雪は前回の踊りの稽古の時より、一緒に行く事になっていた。踊りの稽古をするのに、笛の曲があった方が上達すると春雨が言うので、お雪も引き受ける事にしていた。
小太郎にはそのまま、ずっと北川殿にいてもらい、身辺警固についてもらうつもりでいた。小太郎一人では北川殿の出入りできないので、早雲と一緒に中に入り、そのまま、いてもらう事にした。風眼坊に戻った小太郎は、早雲がお屋形様の蔵の中から貰って来た貫禄のある錫杖を突きながら三人の後に従った。
北川殿の門番の吉田喜八郎は、「今日はまた、随分とお早いお出ましで」と四人を迎え入れた。
小太郎が前来た時とは違って山伏姿だったのに少し驚いていたが、早雲がうまく説明すると納得した。小太郎は京にいた頃、お屋形様と出会い、お屋形様の祈祷師(キトウシ)として側に仕えていた。駿河に来いと誘われていたが、ようやく下向して来た。前回、町人の格好をしていたのは、初対面に山伏の姿で北川殿の子供たちを驚(オドロ)かしては悪いと思い、わざとあんな格好をさせたが、これが本当の姿じゃと説明した。喜八郎は小太郎の姿を改めて見ながら、確かに、子供たちが見たら怖がりそうな山伏だと思った。
「実は、北川殿も京でわしと会っておったんじゃが、北川殿は思い出す事ができんのでな、こうして、今日は山伏姿に戻ってやって来たわけじゃ」と小太郎は言った。
早雲たちが思っていた通り、喜八郎はお屋形様が戦死した事は知らなかった。すでに、五条安次郎によって重臣たちには知らされているはずだった。果たして、北川殿は知っているだろうか。早雲も小太郎もまだ知らされていないだろうと思っていた。
小太郎はさっそく北川殿に仕えている者たちの事を調べていた。門の所には喜八郎の他に侍が二人いた。裏門にも何人かいるはずだし、交替人員もいるだろう。屋敷内には男の姿はないようなので、警固の侍は十人前後に違いないと思った。十人では少ないような気もするが、この屋敷は濠と土塁に囲まれた今川屋形の中にあるし、また、お屋形様の屋敷ともつながっている。いざという時はお屋形様の屋敷から警固兵が来るのだろう。
北川殿は驚いて四人を迎えた。踊りの稽古は明日のはずだった。
「明日よりも今日の方が日がいい、と小太郎が言うので、こうして、朝早くからやって参りましたが、御迷惑だったでしょうか」と早雲が聞くと、北川殿は首を振って、いつもと変わらない嬉しそうな顔をして四人を迎え入れた。
「迷惑だなんて、とんでもありませんわ。早く、明日にならないかと思っていたくらいですから」と北川殿は笑った。
「しかし、ちょっと早過ぎましたかな」と早雲は聞いた。
「いいえ。ほんとに今日はいい日ですわ」
さっそく、美鈴の踊りの稽古が始まった。まず、春雨がお雪の笛に合わせて踊り、美鈴は北川殿の隣りに座って春雨の踊りを見ていた。少し離れて、二人の侍女に挟まれて竜王丸が座って見ている。その隣に乳母(ウバ)に抱かれた千代松丸がいた。小太郎は早雲と一緒に部屋の隅に畏まって座り、一同を眺めていた。
春雨は踊り終わると美鈴を促(ウナガ)し、今度は二人で踊った。小太郎は美鈴の踊りを見るのは初めてだったが、なかなかうまいものだと思った。可愛いらしく、ほほえましかった。踊り終わると今度は新しい踊りの稽古だった。春雨がまず見本を見せ、その後、美鈴に踊りの動きを丁寧に教えた。
早雲が座ったまま北川殿の側に擦り寄って行き、小声で何やら話しかけた。北川殿は頷くと立ち上がった。侍女の一人が立ち上がろうとしたが、北川殿はそのままでいいという素振りをして押えた。
北川殿と早雲は部屋から庭に下りて、庭園の中に建つ茶屋に向かった。
早雲は、今日は兄として話さなければならない事があるので聞いてほしいと言って、北川殿を茶屋に誘った。北川殿は、急に改まって何の話だろうと一瞬、ためらったが、きっと春雨さんと一緒になって、駿河に腰を落ち着ける事に決めたのに違いないと勝手に思い込み、兄の話を聞く事にした。
茶屋は四畳半の座敷で、回りに半間幅の縁側が付いていた。北側には床の間と違い棚があり、村田珠光(ジュコウ)流の四畳半の茶室になっていた。床の間には墨で描いた桃の絵が掛けてあり、違い棚には香炉(コウロ)と茶壷(チャツボ)が飾ってあった。花入れも置いてあったが、花は差してなかった。東側の障子越しに屋敷の中を見る事ができたが、美鈴が踊っている姿は見えなかった。部屋の隅に座っている小太郎と侍女が一人見えるだけだった。
「兄上様、ようやく、覚悟をお決めになったのね」と笑いながら北川殿は言った。
「北川殿、落ち着いて聞いて下さい」と早雲は厳しい顔をして言った。
「兄上様、一体、どうなさったのです。今日の兄上様は何となく変ですわ」
「はい‥‥‥世の中というのは、まったく思うようには行かないようです。川の流れと同じように、世の中は流れております。決して、止める事はできません。まして、流れを変える事など、できるはずがございません」
「はい‥‥‥」
「京の都で戦が始まって、もう十年近くになりますが、戦が終わりになるどころか、各地に広がり、今もどこかで戦は行なわれております。わしは各地を旅して何度も悲惨な光景を見て参りました‥‥‥」
「兄上様、兄上様はもう武士には戻らないとおっしゃりたいのですか」
北川殿は首を少し傾げて、ほほ笑みながら早雲を見ていた。
早雲は首を振って北川殿から視線をそらし、床の間の掛軸の桃の絵を見つめた。
「わたしは兄上様がお側にいてくれたらそれでいいのです。お嫁さんの事はもう」
「北川殿!」と早雲は口を挟んだ。「お屋形様が、お屋形様が昨日の夜、お亡くなりになりました」
「え?‥‥‥何です‥‥‥急に、そんな‥‥‥」
「お屋形様がお亡くなりになりました‥‥‥信じられないでしょうが、事実です」
「そんな‥‥‥」北川殿は大きな目をさらに大きくして、じっと早雲を見つめていた。
時が止まってしまったかのように北川殿の表情は変わらず、重苦しい沈黙が流れた。
お雪の吹く笛の調べが、やけに悲しく聞こえていた。
「落ち着いて下さい」と早雲は言った。
早雲は北川殿の顔をまともに見ている事ができなかった。膝の上に置いていた北川殿の両手は強く着物を握り締めていた。
しばらくして、北川殿は、「どうしてです」と小さな声で言った。その言葉には何の感情も感じられなかった。
早雲は顔を上げた。
悲しみが大きすぎたのか、北川殿の顔は気が抜けたように、ぼうっとしていた。涙は流れていなかった。じっと我慢してるに違いなかった。幸いに、北川殿の姿は屋敷からは見る事はできなかった。今の所は、北川殿以外の者にお屋形様の死を気づかれたくはなかった。もし、家督争いが生じた場合、竜王丸の命が危険にさらされる事になる。この屋敷内にも敵の回し者がいないとも限らなかった。正式に知らせが来るまでは回りの者たちには黙っていた方がいいような気がした。
「敵の残党の流れ矢にやられたそうです。今朝、五条殿が慌てて訪ねて来て知らせてくれました。五条殿はそのまま、こちらに向かったので、今、こちらにいる重臣の方々は知っておるはずです」
「どうして、わたしに知らせてくれないのです」
「分かりません。しかし、こういう事はたとえ重臣の方々といえども、身内の者でないと、なかなか言えないのかもしれません」
「お屋形様の弟の備前守(ビゼンノカミ)殿がいらっしゃるはずです」
「多分、知らせを聞いて、すぐにお屋形様のもとに向かったのだと思います」
「そうですか‥‥‥」
「五条殿は北川殿と竜王丸殿の事を心配して、わたしに知らせました。五条殿が言うには、家督争いが生じるかもしれないと言っておりました」
「家督争い?」
「はい。普通なら家督は竜王丸殿でしょう。しかし、竜王丸殿はまだ六歳です。お屋形様になるには若過ぎます」
「竜王丸はお屋形様の嫡男(チャクナン)です。たとえ、六歳でも跡を継ぐのが当然です」
「分かっております‥‥‥わたしは今川家の内情は詳しく存じません。竜王丸殿が跡を継ぎ、お屋形様の弟の河合備前守殿と中原摂津守(セッツノカミ)殿の二人が後見になれば、うまく行くと思っております。しかし、五条殿はひどく心配しておりました。五条殿は今川家の内情をよく知っております。その五条殿が心配しておるという事は、今川家の家督を狙っている者がおるのかもしれません。誰だか分かりませんが、もし、そんな者がおるとすれば、竜王丸殿の身に危険が迫っておると言えます」
「竜王丸が殺されると?」
「かもしれません。幕府を初め、あちこちで家督争いをしております。戦の原因はすべて、家督争いだと言ってもいい程です。本来、大名たちの家督争いが生じた場合、それをうまく裁くのが幕府の役目です。それなのに、幕府が家督争いを始めたものですから、示しがつきません。皆、自分の欲のために家督争いを始めておるのです。今川家もその家督争いを始めるかもしれません。誰もが、お屋形様の嫡男である竜王丸殿が跡を継ぐのが筋だとは分かっております。しかし、竜王丸殿より他の者を家督にした方が自分の利益になるとすれば、その者を押す事となるでしょう」
「わたしにはどうしたらいいのか分かりません」
「しばらく様子を見ましょう。そこで、お願いがございます。この事はまだ北川殿の胸の中だけにしまっておいて下さい。お辛いでしょうが、まだ、お屋形様の死を御存じない事にしておいて下さい。そうしないと内緒でわたしに教えてくれた五条殿の立場がなくなってしまいます。それと、小太郎夫婦をこの屋敷にしばらく置いてもらえないでしょうか。小太郎なら何が起こっても竜王丸殿を守り通す事でしょう。お屋形様が北川殿に付けた御祈祷師として置いてもらいたいのです」
「はい。助かります‥‥‥兄上様、お屋形様がお亡くなりになって、わたしには今、兄上様しか頼るお人がおりません。なにとぞ、よろしくお願いします」
北川殿の目には涙が溜まっていた。
「はい。わたしに出来る限りの事はさせてもらいます。御安心下さい。きっと、竜王丸殿を今川家のお屋形様にしてみせます」
早雲はそう言ってから、何という事を言ってしまったのだろうと後悔した。この場の雰囲気から、つい言ってしまったが、果たして、そんな約束をして果せるものか自信がなかった。しかし、言ってしまった以上、自分の命に代えてでもやらなければならなかった。
「お願いします」と言いながら北川殿は顔を隠して泣いていた。
声を殺して泣いている北川殿を見ながら、この年になって、ようやく自分の出る幕がやって来たのかと、ふと思った。
北川殿と竜王丸殿を助けようと決心した早雲は、何となく若い頃に戻ったかのように、胸の中で何かが燃え始めたのを感じていた。それは生きがいというものかも知れなかった。特にこれといってやるべき事もなく、時の流れに身をまかせて来た自分に、ようやく、やるべき事が見つかった。やらなければならない事が見つかった。可愛い妹とその子供たちを守るために、命まで賭けようとしている自分が不思議だったが、結果はどうなろうと、もう進むしか道はなかった。
5
その日の夕方になって、小鹿逍遙入道(オジカショウヨウニュウドウ)がやって来た。侍女(ジジョ)の萩乃(ハギノ)が応対に出て、至急、お話があるとの事ですと北川殿に告げた。
北川殿は次男の千代松殿と奥の間で休んでいた。茶屋から戻って、無理に明るい表情をしていたが、やはり、悲しみを隠せなくなったのだろう。踊りの稽古が終わると、疲れたからと言って奥に下がって行った。美鈴は縁側で、お雪から笛を習っていた。竜王丸は庭で、小太郎を相手に木剣を振っていた。早雲と春雨の二人は昼飯を御馳走になると帰って行った。
逍遙入道はお屋形様の屋敷の方からやって来た。庭園を横切る時、竜王丸が山伏を相手に木剣を振っているのを見ながら、不思議そうな顔をしていたが、山伏に向かって軽く頭を下げると、急ぎ足で屋敷の玄関に向かった。
逍遙入道は萩乃に用件を告げると、玄関から入って最初にある広い板の間の隅に控えた。北川殿の屋敷の中は東と西に分かれ、東側が公(オオヤケ)の対面に使う場所で、西側が私的な生活の場所だった。逍遙入道の座っている板の間の北側に上段の間があり、北川殿はそこに座って家臣たちと対面する。早雲も初めて北川殿と対面した時はそこに控えていたが、今はそこに座る事はなく、直接、西の間まで行って北川殿と会っていた。上段の間の隣には十二畳の座敷があり、客に軽い食事を持て成す場合は、その部屋が使われていた。
北川殿は支度を整えると上段の間に上がった。上段の間のすぐ下の両脇に侍女の萩乃と菅乃(スガノ)が控えた。萩乃に言われて、逍遙入道は部屋の隅から上段の間の正面に移動した。
決まりきった挨拶が済むと逍遙は顔を上げたが、北川殿の顔をまともに見る事はできなかった。喉の中程まで来ている言葉も、なかなか言い出す事はできなかった。
「何か、重要なお話とか」と北川殿は聞いた。
「はい、実は‥‥‥ところで、庭で竜王丸殿のお相手をしておる行者(ギョウジャ)殿はどなたですかな」
「風眼坊殿ですか、風眼坊殿は京の伊勢家より、わたしの様子を見にいらっしゃったのです。剣術の名人ですので、お屋形様に頼んで、竜王丸の剣術師範にお願いしようと思っております」
「京からお越しになったのですか」
「はい。お屋形様が京に行かれた時、お屋形様とお会いになったと言っておりましたが、小鹿殿もお会いになったのではありませんか」
「さあ。覚えておりませんが‥‥‥どちらの行者殿ですか」
「大峯山の大先達(ダイセンダツ)です」
「ほう。大峯山ですか‥‥‥はい。もしかしたら会ったかもしれません」と逍遙は言ったが、そんな記憶はなかった。ただ、大峯山の山伏が幕府に出入りしていたのは知っていた。幕府が今川家を探るために派遣したに違いないと思った。
「その風眼坊殿は、いつから、駿河の国にいらっしゃるのです」
「先月の末です」
「そうですか‥‥‥」
「風眼坊殿の事をわざわざ聞きに参ったのですか。それより、お屋形様はいつ凱旋して来るのでしょう」
「はい、実は‥‥‥お屋形様の事ですが‥‥‥」
「はい」
「実は、お屋形様はお亡くなりになりました」
「え? 今、何と申しました」
「お屋形様がお亡くなりになりました‥‥‥」
「お屋形様が‥‥‥そんな、信じられません」
北川殿はうまく芝居をした。急に悲しみのどん底に落とされて、今にも気絶してしまいそうだった。
逍遙入道はお屋形様が討ち死にした状況を説明しながらも、顔を上げて、北川殿の顔が見る事はできなかった。
「小鹿殿、後の事、よろしくお願いします」と北川殿は扇で顔を隠しながら言った。
「はい、畏まりました」と逍遙入道は深く頭を下げた。
上段の間の襖(フスマ)が閉められた。
侍女の二人が部屋から出て行った。
逍遙入道は頭を下げたままだった。この時、逍遙入道は今川家のために、北川殿を助け、幼い竜王丸殿を皆で守り立てて行こうと決心していた。
しばらくして、萩乃が戻って来た。
「北川殿の御様子はいかがじゃ」と逍遙入道は聞いた。
「はい、かなり参っているようです‥‥‥しかし、信じられません。お屋形様がお亡くなりあそばすなんて‥‥‥」
「ああ。わしだって信じられんわ。ついこの間、勝利の知らせを聞いたばかりじゃ。それなのに、こんな事になろうとは‥‥‥戦には死は付きものじゃが、まさか、お屋形様が‥‥‥まあ、何事も起こらんとは思うが、一応、念のために、ここの守りだけは厳重にしておいた方がいいのう」
「はい。吉田殿にお願いしておきます」
「うむ。ただ、この事はまだ内密にしておいてくれ。お屋形様の死が公表されるまでは、あらぬ噂が立っては困るので、外部の者には絶対、喋ってはならん。いいな」
「はい」
「北川殿の事を頼むぞ」
「はい」
逍遙入道は帰って行った。
庭園を通る時、元気に木剣を振っている竜王丸が見えた。まだ、六歳なのに父親を亡くすなんて可哀想な事じゃと思った。そして、自分の幼い頃の事を思い出した。逍遙入道も八歳の時、父親を亡くし、家督争いに巻き込まれた。何も分からなかった自分は大人たちに振り回され、辛い子供時代を送っていた。竜王丸には、そんな人生を歩ませたくはないと思った。
逍遙入道はしばらく、竜王丸を見ていたが、また、屋敷に戻ると萩乃を呼んだ。
萩乃に風眼坊を呼んでくれと頼み、逍遙入道は風眼坊と対面した。
「やはり、風間殿であったか」と逍遙入道は小太郎の山伏姿を眺めながら言った。
「お久し振りです」
「この間は医者じゃったが、今度は山伏なのか」
「はい。医者になる前は山伏でした。北川殿から竜王丸殿に剣術を教えてくれと頼まれまして、こうして、山伏に戻ったというわけです。町人のままでは、ここに出入りする事はできないと言われたものですから」
「成程のう」
「お屋形様に正式な許可を得るまでは、本当は出入りできないのですが、今日は美鈴殿の踊りの稽古があるというので、早雲と共にやって参りました」
「そうじゃったのか。で、早雲殿は?」
「昼過ぎに帰りましたが、わしたちは、ここのすぐ近くに家を借りたものですから残っておるのです」
「ほう、駿府に住んでおるのか」
「はい。浅間神社の門前で町医者を始めましたが、客がさっぱり来ません。毎日、暇を持て余しておりましたので、今日は北川殿もゆっくりして行ってくれとおっしゃいますし、竜王丸殿も剣術の稽古に励んでおりますので」
「ふむ、そうか、町医者を始められたか‥‥‥北川殿から伺ったんじゃが、大峯山の山伏だとか」
「はい」
「大峯山では武術も盛んなのか」
「いえ。大峯山では専(モッパ)ら修験(シュゲン)の行(ギョウ)が中心です。近江の国の甲賀に飯道山という山がございまして、そこでは若い者たちに武術を教えております。わたしは、そこで剣術の師範をしておった事もあったのです」
「ほう。剣術の師範をのう。教える事には慣れておるというわけじゃな」
逍遥入道は庭で木剣を振っている竜王丸を見た。目を細めて見つめていたが、小太郎に視線を戻すと、「風間殿、どうです、しばらく、こちらにいてもらえませんかな」と言った。
「はい、そのつもりで町医者を始めましたが‥‥‥」
「いや、そうではなくて、この北川殿にいて貰いたいんじゃ」
「はあ?」と小太郎はとぼけた。
「実は風間殿、信じられん事じゃろうが」そう言って逍遥入道は言葉を切ると、小声で、「お屋形様がお亡くなりになったんじゃ」と言った。
「何ですって。北川殿から、もうすぐ凱旋して来ると伺っておりますが」
逍遥は頷いてから、静かに首を振った。「敵の残党に夜襲されて、昨日の夕方、お亡くなりになったんじゃ」
「そんな‥‥‥信じられませんな」
「しかし、事実じゃ。北川殿にもたった今、お知らせしたところじゃ」
「‥‥‥そうですか」
「風間殿、そなたが今、ここにいるのも何かの縁じゃろう。このまま、ここにいて、北川殿と竜王丸殿を守ってくれんか」
「はい。そんな事でしたら‥‥‥しかし、北川殿と竜王丸殿の身に何か危険があるとおっしゃるのですか」
「それは分からん。何もない事を願っておるが、何が起こるか分からんのじゃ。今川家にも色々と派閥とやらがある。それを一つにまとめるのは難しいかもしれん‥‥‥」
「分かりました。北川殿と竜王丸殿の身は命に代えてでもお守りいたします」
「そうか、頼む。そなたがいてくれれば一安心じゃ」
逍遙入道は帰って行った。
小太郎にとって予想外の事だった。逍遙入道から正式に頼まれれば、堂々とここにいる事ができる。屋形に出入りするための過書(カショ)も貰う事ができるだろう。うまくすれば、お屋形様の屋敷にも出入りできるかもしれない。こいつは幸先(サイサキ)がいいと思いながら、小太郎は竜王丸の待つ庭へと下りて行った。
6
小太郎が竜王丸と剣術の稽古をしていた頃、浅間神社の門前町にある小太郎の家では、早雲庵の住人たちが集まって今後の対策を練っていた。
早雲は北川殿を去る時、北川殿の門番の頭である吉田喜八郎をここに連れて来て、お屋形様が亡くなった事を告げた。吉田は今川家の家来というよりは北川殿の家来だった。北川殿のためなら命を賭けてでも働くだろうと判断した早雲は、真実を告げ、小太郎と共に北川殿を守ってくれるよう頼んだ。さらに早雲は、今、北川殿に仕えている者たちの素性を吉田より聞いて書き留めた。この先、どうなるか分からないが、身内の中に敵になる者が現れないとも限らない。一応、調べておいた方がいいと思った。
北川殿の侍女は萩乃と菅乃の二人だった。彼女たちは北川殿の執事(シツジ)のような役目で、北川殿の経済管理や訪ねて来る客の接待を担当していた。萩乃は伊勢氏の出身で、北川殿と一緒に京から来た侍女だった。三十の半ば位の年で、見るからに頭の切れそうな女だった。菅乃の方は二十代の半ば、今川家の重臣、朝比奈氏の出身で、やはり、才女と呼ばれるような感じの女だった。『源氏物語』をすっかり暗記しているような女に見えた。
仲居(ナカイ)衆は八人いた。和泉(イズミ)という女が頭(カシラ)で、その下に三芳(ミヨシ)、西尾、瀬川、淡路(アワジ)、長門(ナガト)、桜井、嵯峨(サガ)という女がいて、主に食事関係の世話を担当していた。彼女たちの出身も皆、今川家の重臣だった。和泉が蒲原(カンバラ)氏、三芳が岡部氏、西尾が朝比奈氏、瀬川が長谷川氏、淡路は堀越氏、長門は新野(ニイノ)氏、桜井は三浦氏、嵯峨は庵原(イハラ)氏の出だった。その他に福島(クシマ)氏出身の船橋という乳母(ウバ)がいて、千代松殿の世話をしていた。乳母の船橋は通いで、その他の女たちは皆、住み込みだった。以上が北川殿の仕えている女たちで、皆、北川殿とはうまくやっているらしい。北川殿が細かい事などあまり気にしない性格なので、あれこれ命じる事もなく、和気あいあいとやっているようだった。
北川殿を警固する北川衆と呼ばれる武士は十人いた。頭は吉田喜八郎で、吉田と共に京から北川殿に付いて来た者に、村田、久保という二人がいたが、早雲の知らない男だった。後の七人は今川家の家臣で、小田、清水、小島、大谷、山本、中河、山崎という名前だった。今朝、喜八郎と一緒にいたのは、久保と大谷という男だった。
北川殿には出入り口が三ケ所あり、正門に三人、裏門に二人いる事になっていた。あと一つの出入り口、お屋形様の屋敷とつながっている所は夜は閉めるが、昼間は開け放したままになっている。北川殿側には門番はいないが、お屋形様の屋敷側に門番が二人いて、お屋形の義忠及び一部の重臣以外は通さないようになっていた。北川殿にいる十人の侍は交替で門を守り、さらに簡単な雑用なども行なっていた。
早雲は、最悪の場合、竜王丸が毒殺される可能性もあるかもしれないと思い、喜八郎に食事の事も聞いてみた。初めの頃は京から来た専属の料理人がいたが、その料理人が仲居と駈け落ちしてからは、特別な客が来て特別な料理を出す時は、お屋形様の屋敷から料理人が来るが、普段は仲居たちが料理を作っていると言う。
早雲は喜八郎に、北川殿の中にも敵がいるかもしれないので、充分に注意して、北川殿の身辺を守ってくれるよう頼んだ。喜八郎が緊張した顔をしたまま帰って行くと、早雲は春雨、富嶽、荒川坊、孫雲、才雲の顔を見回した。寅之助は庭で一人で遊んでいた。
「何かが起こるような嫌な予感がするが、今の所はどうなるのか分からん」と早雲は言った。
「今頃、お屋形では重臣たちが集まっておるんじゃろうのう」と富嶽が言った。
「ああ。お屋形の中で何が行なわれておるかが分かれば、これから、どう対処していいかが分かるが、残念ながら、その事を知る手立てはないわ」
「どんな戦じゃったのかも分からんしのう」
「五条殿が戻って来るまでは、それも分からん」
「もし、家督争いが始まった場合、竜王丸殿の敵となるのは誰なんじゃ」
「お屋形様の弟、二人じゃろうのう。河合備前守殿と中原摂津守殿じゃな」
「その二人の評判はどうなんじゃ」
「二人共、お屋形様をよく助けておったようじゃしのう。あまり、悪口は聞かんのう」
「器(ウツワ)はどうじゃ」
「うむ、器か‥‥‥二人共、お屋形様には劣るようには見えるが、分からんのう」
「お屋形様には側室はおらんのですか」
「おる。しかし、子供の事は聞かんのう。お屋形様が北川殿を迎えた時、三十を越えておった。子供が何人かおってもおかしくはないはずじゃがのう」
「北川殿を迎える時に片付けたのかのう」
「かもしれん。とにかく、嫡男は竜王丸殿という事になっておる」
「竜王丸殿の兄弟で争うという事はないんじゃな。竜王丸殿と備前守殿と摂津守殿で、家督を争う事になるのか」
「家督争いになればな」
「いやだわ。兄弟と甥っ子で争いを始めるの」と春雨は言った。
「武士という者はそういうもんなんじゃ」
「北川殿が可哀想だわ」
「仕方がないんじゃよ。わしらが北川殿を守るしかないんじゃ」
「早雲殿の考えはどうなんです。どうするつもりなんです」と富嶽が聞いた。
「わしの考えか‥‥‥わしは竜王丸殿を跡継ぎとし、二人の弟がその後見になってくれればいいと思っておるんじゃが」
「まあ、普通に考えればそうなるのう」
「ところが、そう単純に決まりそうもないんじゃ。わしが駿府ではなく、石脇の地に草庵を結んだのも、お屋形様の屋敷に居辛くなったからじゃ。わしを幕府の回し者じゃと思う者があって、長居をするとお屋形様に迷惑がかかるような気がして駿府から出たんじゃ。駿河の国は幕府権力の及ぶ最前線にあるんじゃよ。北の甲斐(カイ)、東の伊豆、相模(サガミ)は皆、関東の勢力範囲じゃ。今川家は幕府に忠実じゃが、国人たちの中には関東と通じておる者もおるんじゃ。国人たちにしてみれば、遠くにおる幕府よりは近くにおる関東の有力者と手を結んだ方が安心じゃ。お屋形様がしっかりしておって今川家が安泰なら、国人たちも今川家の被官となるじゃろう。しかし、お屋形様が亡くなり、跡継ぎがまだ六歳だとすると国人たちも考える。今川家といっても有力な国人たちの寄せ集めに過ぎん。幕府とつながりのある今川家の傘の下におれば安心じゃと思って、今川家の被官となっておる。お屋形様次第なんじゃよ。このお屋形様なら、わしらの命を預けられると思えば、国人たちは靡(ナビ)くが、そう思わなければ国人たちはバラバラになる事じゃろう」
「竜王丸殿では駄目じゃと言うんですか」
「立派な後見人がおらなけりゃ駄目じゃ。国人たちの納得のいく後見人がな」
「誰です、それは」
「分からん」と早雲は首を振った。
「うむ‥‥‥長谷川殿に聞いたら、その辺の事情が分からんかのう」
「そうじゃ。長谷川殿なら分かるかもしれん。しかし、今頃はお屋形に行っておるじゃろうのう」
「そうか、そうじゃろうな」
「早雲様はお屋形様のお屋敷には入れないんですか」と春雨が聞いた。
「入れるさ。入れるが重臣たちが評定(ヒョウジョウ)をしておる所には入れん」
「そうよね」
「しかし、行ってみるしかないかのう。ここにおってもしょうがないからの。何か分かるかもしれん」
「それじゃあ、わしは遠江に行って今川軍の様子でも見て来るかのう。何かが分かるかもしれんしな」
「そうじゃな。とにかく、あらゆる情報を集めん事にはどうしょうもないわ」
富嶽は荒川坊、才雲、孫雲を連れて遠江の国に向かい、早雲はお屋形様の屋敷に向かった。
お屋形様の屋敷はいつもと変わりなかった。門番はまだ、お屋形様の死を知らされていないようだった。顔見知りの男がいたので、早雲は、河合備前守殿がこちらにおると聞いて来たがおるか、と聞いてみた。
「備前守殿はお出掛けになりました」と門番は言った。「お屋形様のお出迎えの準備があるとかで、大津城(島田市)の方に行かれました」
「すると、ここの留守は誰が守っておられるのじゃ」
「はい。小鹿(オジカ)の御隠居(ゴインキョ)様がいらっしゃいました」
「逍遙殿が来ておるのか」
「はい」
「お屋形様は、いつ、凱旋して来るのじゃ」
「さあ、よくは分かりませんが、まもなくだと思います。お屋形様を出迎えるために各地から重臣の方々がいらっしゃっておりますので」
「ほう、お偉方が集まっておるのか」
「はい。どうやら、また、お見えのようで‥‥‥」
大手門から数人の騎馬武者が入って来るのが見えた。
「あのお方はどなたじゃ」
「蒲原越後守(カンバラエチゴノカミ)殿でございます」
「なにやら、忙しそうじゃの。わしが顔を出しても相手にされまい。出直して来るわ」
早雲はそう言うとお屋形様の屋敷から離れた。やはり、重臣たちは集まっていた。しかし、お屋形様の死はまだ公表するつもりはないらしい。お屋形様の死を隠したまま凱旋して来るようだった。一旦、駿府に戻って来てから戦死ではなく、病死と公表するつもりなのだろうか‥‥‥
跡目を決めてから公表するつもりなのかもしれないとも思った。
早雲は北川殿に顔を出した。もしかしたら、北川殿にも内緒にしておくつもりかもしれなかった。早雲の顔を見ると、吉田喜八郎が飛んで来て早雲を裏の方に引っ張って行った。
「どうしたんじゃ」
「小鹿の御隠居様がお見えです。北川殿にお屋形様の事を告げたようです」
「ほう。逍遙殿が来られたのか‥‥‥」
「はい。今、風間殿と話しております」
「なに、小太郎と?」
「はい」
「逍遙殿が小太郎と会っておるのか‥‥‥」
「はい」
「わしは顔を出さん方がよさそうじゃの。逍遙殿が帰るまで、どこかに隠れさせてくれ」
早雲は喜八郎たちの侍部屋で待つ事にした。しばらくして、喜八郎が小太郎を連れて来た。
「うまく行ったぞ」と小太郎は笑いながら言った。
「逍遙殿と何を話したんじゃ」と早雲は聞いた。
「世間話よ。わしに北川殿を守ってくれと言ったわ」
「そうか、そいつは都合がいい」
「今川家の長老から直々に頼まれたという事は、堂々とここにおられるというわけじゃ」
「うまく行ったのう。逍遙殿がおぬしに北川殿の事を頼んだという事は、逍遙殿は竜王丸殿に跡目を継がせるつもりでおるのかもしれんのう」
「話し振りからみて、そんな感じじゃったな」
「長老殿がそのつもりでおるなら騒ぎは起こらんかもしれん」
「だといいんじゃがな」
早雲は喜八郎から聞いた、この屋敷にいる者たちの事を小太郎に説明し、お屋形様の屋敷に重臣たちが集まっている事を告げて、北川殿には会わずに帰った。
一日が暮れようとしていた。何となく慌ただしい一日だった。何事も起こらない事を祈りながら、早雲は春雨と寅之助の待つ小太郎の家に向かった。
5.評定
1
薄暗くなったお屋形様の屋敷の大広間では、重臣たちが顔を突き合わせて、今後の事を相談していた。
上座に座っているのは宿老(シュクロウ)の小鹿逍遙(オジカショウヨウ)と朝比奈天遊斎(テンユウサイ)。集まっている重臣たちは今回の遠江(トオトウミ)進撃には参加しなかった者たちで、駿河の国の東部を本拠地としている者が多かった。
江尻城(清水市)の福島越前守(クシマエチゼンノカミ)、庵原山(イハラヤマ)城(清水市)の庵原安房守(イハラアワノカミ)、横山城(清水市)の興津美作守(オキツミマサカノカミ)、川入(カワイリ)城(由比町)の由比出羽守(ユイデワノカミ)、蒲原(カンバラ)城(蒲原町)の蒲原越後守、吉原城(富士市)の矢部将監(ショウゲン)、小瀬戸城(静岡市)の朝比奈和泉守、鞠子(マリコ)城(静岡市)の斎藤加賀守、朝日山城(藤枝市)の岡部美濃守(ミノノカミ)、小河(コガワ)城(焼津市)の長谷川次郎左衛門尉、花倉城(藤枝市)の福島土佐守(クシマトサノカミ)らが、厳しい顔をして居並んでいた。
彼らがまず決めた事は、お屋形様の死を公表するか否かだった。これは全員一致して、公表はもう少し控えた方がいいという事に決まり、お屋形様は生きている事にして駿府まで凱旋(ガイセン)させる事にした。そして、もう一つ決めた事は、お屋形様の遺体の事だった。お屋形様の遺体を駿府まで運んだとしても、死を隠しておくのなら大々的な葬儀はできないし、また、隠れて荼毘(ダビ)に付す事も難しかった。奥方の北川殿には気の毒だが、向こうで荼毘に付して遺骨だけを駿府に運んでもらう事に決まった。すでに、それらの事は遠江の新野(ニイノ)城に伝令を送り、今川家の菩提寺(ボダイジ)から数人の僧侶が現場に向かっていた。
次の問題は今川家の家督だった。
小鹿逍遙と朝比奈天遊斎は、竜王丸に家督を継いでもらうという前提の元、話を進めたが、それぞれの意見は一致しなかった。その第一の理由は、竜王丸がまだ六歳で、この先、今川家のお屋形様になるのにふさわしいかどうか、まだ分からないという事だった。また、もし、その器があったとしても、竜王丸が成人するまでの十年近くの間に、敵が駿河に攻め込んで来ないとも限らない。今は世の中が乱れ、一番危険な時期と言える。今川家を今以上に発展させるには、竜王丸では幼すぎると言って反対を唱える者も多かった。竜王丸が成人するまでは、お屋形様の弟二人に補佐してもらえばいいとも言ったが、何も竜王丸にこだわる事はない。重要なのは今の今川家だ。お屋形様にふさわしい者をお屋形様にするべきだと言う。
福島越前守がお屋形様のすぐ下の弟、河合備前守を押すと、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守が同意して、福島土佐守が備前守の下の弟、中原摂津守を押すと、岡部美濃守、由比出羽守が同意した。竜王丸を押したのは朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉、矢部将監だった。
福島越前守と福島土佐守は同じ一族なのに事ある毎に対立していた。土佐守の方が嫡流(チャクリュウ)だったが、江尻津を本拠地に持つ越前守の方が勢力を持ち、今川家中においても越前守の方がお屋形様の近くに仕えて、お屋形様の覚えもよかった。
今川家において実際に実力を持っている重臣は、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏、葛山(カヅラヤマ)氏、それと遠江の天野(アマノ)氏の六氏だった。その他にも重臣たちは多かったが、その六氏によって、すべての事は決められると言ってもいい程だった。
その中で、遠江の天野氏は今川家の事には余り干渉しなかった。天野氏も一応、今川家の被官となっているが、天野氏にしてみれば、今川家の力を利用して自分の勢力を広げようと思っている。利用できるうちは利用するが、今川家の勢力が弱まれば、それはまた、それでいい。隙あらば駿河にも侵入しようとたくらんでいた。同じような考えでいる者に、東駿河に勢力を持つ葛山氏がいた。葛山氏も今川家の被官になっていても、今まで今川家の世話になった事はなく、自力で勢力を広げて来た豪族だった。今川家が力を持っているので、その勢力下に入っているが、今川家が弱くなれば駿河の東半分をもぎ取ろうとたくらんでいた。
天野氏や葛山氏とは違い、独立した勢力を持たず、今川家があってこそ自分たちがあると思っているのが、朝比奈氏、福島氏、岡部氏、三浦氏だった。彼らは今川家が安泰でないと、自分たちも安泰とは言えないので、彼らなりに真剣に今川家の事を考えていた。
この場には、三浦氏、葛山氏、天野氏の姿はなかった。三浦氏はお屋形様と共に遠江に出陣していた。お屋形様の亡くなった戦陣を中心になってまとめている事だろう。葛山氏は駿河の国の一番東にいるので、すぐには駿府には来られない。お屋形様の死の連絡は届いているだろうから、明日あたり駿府に来るに違いなかった。天野氏の場合は遠江の国の中央、秋葉山の近くに本拠があり、まだ、お屋形様の死の知らせは届いていない。遠江に出陣した者たちが駿府に凱旋して来てから、改めて、知らせる事となっていた。
福島越前守が河合備前守を押したのは、順番からいって、すぐ下の弟が跡を継ぐというのが当然という事もあったが、河合備前守と中原摂津守を比べた場合、備前守の方がしっかりしていると言えた。戦場での活躍は摂津守の方が多かったが、摂津守は軽はずみな所があり、この先、今川家をまとめて行くには、少し臆病な所はあっても、備前守の方が落ち着いていていいと判断したためだった。庵原氏、興津氏、蒲原氏らは普段から越前守派だったので越前守に従っていた。
それとは反対に摂津守を押した福島土佐守は、越前守に反発した事もあるが、おとなしすぎる備前守より、数多くの実戦を経験している摂津守の方がふさわしいと判断した。この先、益々、今川家は戦に出なければならなくなるに違いない。優柔不断な備前守では今川家をまとめる事はできないだろう。その点、摂津守ならば自ら先頭に立って出陣する。これからの世は行動が第一だと判断した。土佐守に同意した岡部美濃守も土佐守と同じく、戦での活躍を重んじていた。そして、由比氏は岡部派だった。
竜王丸を押した朝比奈和泉守は宿老の朝比奈天遊斎の弟で、お屋形様の嫡子がいないのならともかく、ちゃんと竜王丸がいるのだから、竜王丸が跡を継ぐべきだと主張した。竜王丸がいるにもかかわらず、他の者を家督にしたら、後で必ず、問題が起こる。竜王丸を家督として、二人の弟を後見にすべきだと主張した。竜王丸の母親が幕府政所執事(マンドコロシツジ)の伊勢氏の出なので、幕府としても竜王丸を押すに違いないとも言った。朝比奈派の斎藤氏、長谷川氏、矢部氏が同意した。
福島越前守は、たとえ後見者が付いたとしても、竜王丸では幼な過ぎると言って反対した。平和な時代なら、それでも何とかなるが、この乱世に六歳のお屋形様では国人たちが納得せんじゃろ。頼りないと思って、国人たちが離反してしまったら、遠江進攻どころではなくなる。駿河の国内もバラバラになってしまうと言った。その点では対立している福島土佐守も同意見だった。
守護大名の家督を決め、守護の任命をするのは本来、幕府の任務だった。しかし、その幕府が家督争いを始めたのだから、大名の家督に干渉するどころではなかった。今川家としても正式に幕府に認めてもらうつもりでいるが、今、そんな事を幕府に頼んだとしても、答えがいつ得られるのか分からない。そんなにのんびりしてはいられなかった。とにかく、家督を決め、家中を一つにまとめる事が先決だった。しかし、一つになるどころか、三つに分かれたまま、話は一向にまとまらなかった。
福島越前守から、とりあえず、河合備前守をお屋形様の養子にして跡を継がせ、竜王丸を備前守の養子にし、成人したら跡を継がせたらどうか、という意見もでたが、備前守には竜王丸よりも大きい嫡男があり、そこで、家督争いになる事は目に見えていると言われ、取り入れられなかった。それではと、越前守は、備前守の奥方が堀越公方(ホリゴエクボウ)、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事である犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔政憲(ジブショウユウマサノリ)の妹だという事を話題に持ち出した。
堀越公方が関東に下向する時、今川家の保護を求めるための婚姻だった。当時、お屋形様になるはずの義忠にも正妻はいなかったが、今川家の当主と上杉氏が婚姻関係を結ぶ事を恐れた幕府は、次男の備前守との婚姻を許した。
越前守は、備前守がお屋形様になれば、堀越公方が後ろ盾になるだろうと言ったが、今頃、そんな事をわざわざ持ち出さなくても皆、知っていたし、堀越公方は公方と呼ばれてはいても、実際に力を持ってはいない。その執事である犬懸上杉氏にしても勢力はなかった。同じ上杉氏でも山内(ヤマノウチ)上杉氏や扇谷(オオギガヤツ)上杉氏なら、関東に守護職(シュゴシキ)を持っていて勢力があるが、犬懸上杉氏は今川家の後ろ盾になる程の力を持ってはいない。逆に、今川家の方が堀越公方の後ろ盾になっていると言った方が正しかった。越前守が堀越公方の事を力説すればする程、聞いている者たちは、備前守がお屋形様になれば、堀越公方を助けなければならなくなり、余計な荷物を背負う事になるだろう思い、益々、備前守が跡を継ぐ事に反対して行った。
越前守が奥方の事を持ち出したので、対抗して、福島土佐守も中原摂津守の妻が今川一族の木田氏の出だという事を主張したが、三河の今川一族が妻だったところで、何の有利な点もなかった。土佐守は回りの反応を見て、つまらない事を言ってしまったと反省し、摂津守の今までの活躍を述べ立てた。しかし、それも、あまり効果はなかった。戦の活躍だけが、お屋形様になる資格ではない。摂津守以上に活躍している武将はかなりいる。現に、そう言っている土佐守自身が、今川家中でも一、二を争う程の首取りの名人だった。
竜王丸を押す朝比奈和泉守は、お屋形様の奥方、北川殿は幕府が勧めた奥方である。その北川殿が産んだ竜王丸がいるのに、他の者を跡継ぎにすれば、幕府に逆らう事になる。幕府あっての今川家だ。幕府に逆らったら今川家も危ないだろうと言った。しかし、岡部美濃守は、もし、竜王丸が跡継ぎになって、国人たちが騒ぎ出したとしても、今の幕府には今川家を助ける程の余裕はない。これからは幕府に頼ってばかりもいられない。幕府の重臣だった遠江の守護、斯波(シバ)氏があの様(ザマ)だ。斯波氏のようにならないように、今川家をしっかりと一つにまとめなければならん。竜王丸では無理だと反対され、和泉守も何も言えなかった。
部屋の中はすっかり暗くなり、明かりが灯される時刻となったが、決着は着かなかった。
話し合いは明日に持ち越しとなり、今日の評定はお開きとなった。
北川殿の朝は静かだった。
小太郎の家と大して離れていないのに、まるで、別世界にいるような静けさだった。騒いでいるのは庭に来る小鳥たちだけだった。門前町にある小太郎の家は人々の喧噪が凄かった。夜が明ける前から人々は働き出して、うるさくてゆっくり寝てもいられなかった。それに比べて、ここは気味悪い程、静か過ぎた。
小太郎は玄関のすぐ側の北川殿が客と対面する広間の脇にある十二畳間で寝ていた。昨夜、小鹿逍遙より正式に北川殿を守ってくれと言われたお陰で、屋敷内で休む事ができた。仲居たちの話によると、屋敷内に男が泊まるのはお屋形様以外、初めてだと言う。それが光栄な事なのかどうか分からないが、小太郎は一時おきに目を覚ましては見回りをしていた。加賀にいた頃、蓮如の身を守っていた頃の事が自然と思い出された。駿河に来て、また同じような事をする羽目になるとは、これも運命というものなのだろうかと不思議に思っていた。
小太郎は起きるとまず、門の所に行った。門はすでに開いていた。吉田、久保、中河の三人が守っていた。すでに夜勤の者と入れ代わっていた。
小太郎は昨夜、門番の侍たち十人と会って、打ち合わせをしていた。今まで夜警は表門の所に二人いるだけだったが、しばらくは裏門にも夜警を付けるように頼んだ。彼らにも何かが起こりそうな予感があり、皆、張り切って引き受けてくれた。
彼らから話を聞いてみると、皆、一流の武士のようだった。腕が立つというので北川殿の護衛に選ばれ、初めの内は名誉ある仕事に就けたと喜んでいた。ところが、実際の仕事はただ門の所に立っているか、ちょっとした雑用だけだった。戦に行って活躍する事もできず、毎日、同じ事の繰り返しで、皆、少々腐っているところがあった。それが、お屋形様が急に亡くなり、跡継ぎの竜王丸はまだ六歳、こいつは何事か始まりそうだと皆が思った。何としてでも、北川殿と竜王丸を守らなければならないと使命感に燃えて、張り切っていた。
小太郎は門番から何も異常がない事を聞くと、お屋形様の屋敷に続く門の方に向かった。お屋形様の屋敷への門は庭園を横切った南側の端にある。途中に立派な廐(ウマヤ)と豪華な牛車(ギッシャ)のしまってある小屋があった。廐といっても土間ではなく綺麗に磨かれた板の間で、町人たちが住んでいる長屋よりもずっと立派だった。馬はいなかった。お屋形様が馬でここに来た時だけに使う廐だろう。牛車は京の御所の辺りで時々、見かけるような金や銀で飾られた最高級のものだった。北川殿がどこかに出掛ける時はこれに乗って行くのだろう。今まで、自分の足で歩いてどこかに行った事などないのかもしれない。考えてみれば、それも可哀想な事だった。牛はいなかった。お屋形様の屋敷の方にいるのかもしれない。
小太郎は門から出て、北川殿とお屋形様の屋敷をつなぐ橋を渡った。濠の幅はおよそ五間(約九メートル)、水の深さもかなりありそうだった。北川殿には土塁はなく、塀だけだが、お屋形様の屋敷には高さ一丈(ジョウ、約三メートル)余りの土塁が濠に沿って囲んでいた。小太郎は橋を渡り、お屋形様の屋敷の門をくぐった。北川殿の方から山伏が突然、現れたものだから門番は驚き、槍を構えて屋敷内に入れないようにした。
小太郎は小鹿逍遙から頼まれて、北川殿を守る事となった大峯の山伏、風眼坊じゃ、以後、よろしく頼むぞ、と言って、戻ろうとした時、こちらに近付いて来る者があった。小河の長者、長谷川次郎左衛門尉だった。小太郎は橋の上で、次郎左衛門尉が来るのを待った。門番は姿勢を正し、次郎左衛門尉が来るのを見守っていた。
「通してもらうぞ」と次郎左衛門尉は言うと門をくぐり、橋の上にいる山伏を見て、何者じゃというような顔で門番を見た。
「長谷川殿、風間小太郎です」と小太郎は言った。
「風間殿? おお、そなたじゃったか。そういえば、そなた、大峯山の行者じゃったのう。どうして、また、こんな所に?」
「小鹿逍遙殿に北川殿の護衛を頼まれまして」
「なに、逍遙殿にか‥‥‥そうか、成程」と次郎左衛門尉は納得したように頷いた。
二人は北川殿の屋敷に上がった。
「そなたがここにいるという事は、早雲殿もすでに?」と次郎左衛門尉は聞いた。
「はい。この近くにおります」
「そなたたちが、ここを守っていてくれれば、ひとまず安心じゃ。北川殿の御様子はどうじゃ」
「はい。悲しんでおられます」
「そうじゃろうのう。まさか、こんな事になるとはのう」
次郎左衛門尉は首を振って、ぼんやりと庭を眺めながら独り言のように、「ついこの間、堀越陸奥守(ホリコシムツノカミ)殿が亡くなられたばかりじゃというのに‥‥‥こんな事になるとは‥‥‥」と言った。
「堀越陸奥守殿?」と小太郎は聞いた。聞いた事のない名前だった。
「ああ。去年の末じゃ。横地、勝間田らを退治に出掛けて亡くなられたんじゃよ」
「堀越殿というお方は今川家の重臣の方ですか」
「いや、一族じゃよ。遠江の今川氏じゃ。古くは遠江の守護だった事もある家柄じゃ。今川家が遠江に進攻するにあたって先陣を務めていたのが堀越陸奥守殿だったんじゃ」
「すると、今回の戦は、その堀越殿の弔(トムラ)い合戦でもあったわけですか」
「まあ、そうとも言えるが、お屋形様がこんな事になろうとは‥‥‥お屋形様もこれからという時に‥‥‥」
次郎左衛門尉は疲れたような顔をして遠くを見つめていた。お屋形様の事を思い出しているようだった。しばらくして、小太郎の方を向くと、まいったという風に首を振った。
「これからの事ですが、一体、どのようになるのでしょうか」と小太郎は聞いた。
「家督の事か」
小太郎は頷いた。
「難しいわ。なかなか、まとまりそうもないのう」
「早雲から、およその事は聞いておりますが、お屋形様には二人の弟がいらっしゃるとか、その弟たちが家督を狙っておるとか」
「いや、本人たちがどう思っているかは分からん。二人共、今は遠江じゃ。ただ、その二人を押す者がおるんじゃ」
「意見は三つに分かれておるのですか」
「そういう事じゃ」
「人物の方はどんなんですか」
「人物か‥‥‥どっちもどっちじゃな。早い話が河合備前守殿は戦略家で、中原摂津守殿は戦術家といったところかのう。備前守殿は広い視野を持っていて、大局的に物を見る事はできるが、ここぞという時の決断力に欠けるところがある。反対に摂津守殿は行動的で、余り先の事まで考える事はない。目先の事ばかりに囚われて物事の全体を見る事ができん。はっきり言って、今川家の事を思うと、どちらもお屋形様には向いていないんじゃ」
「二人揃えば、うまく行きそうですね」
「そうじゃな。しかし、二人の仲はあまり良くないんじゃ」
「そうなんですか」
「性格が正反対じゃからのう。お互いに相手を馬鹿にしている所があるようじゃのう」
「今回の事で仲良くやってくれれば、うまく行きそうですが」
「それは難しいのう。二人の下にいる重臣たちがまた仲が悪いからのう。二人が仲良くなろうと思っても重臣たちが邪魔をするじゃろう」
「派閥ですか」
「そうじゃ。備前守殿を押しているのは福島(クシマ)越前守じゃ。越前守は今川家の海の入り口である江尻の津(清水港)を押さえている。財力もかなりあり、武力もかなり持っている。なかなか腹黒いお方じゃ。わしの推測じゃが、越前守は伊豆の三島大社を狙っているような気がするんじゃ。備前守殿の奥方は堀越公方(ホリゴエクボウ)殿の執事、上杉治部少輔殿の妹なんじゃ。越前守は備前守殿をお屋形様にして堀越公方に近付き、三島大社の積み出し港である沼津を我物にしようとたくらんでいるような気がするんじゃ。勿論、それだけではない。備前守殿をお屋形様にする事ができれば、今川家中においても越前守の地位は上がり、朝比奈氏を凌ぐ事となろうがの」
「やはり、欲が絡んでおりましたか‥‥‥摂津守殿の方はどなたが押しておるのです」
「摂津守殿の方は岡部美濃守じゃ。こちらも欲がからんでおるのう。美濃守の妹が摂津守殿の側室になっているんじゃ。そして、その妹が産んだ子が嫡男となっておる。摂津守殿がお屋形様になれば、自分はその兄上となるわけじゃからのう。何としてでも、摂津守殿をお屋形様にしたいと主張しておる。そして、美濃守に同意しているのが、福島越前守に敵対している福島土佐守じゃ。土佐守は今川家でも一番の戦好きでな、はっきりしない備前守殿より、同じ戦好きな摂津守殿がお屋形様になった方が、自分も活躍できると思っておるのじゃろう」
「土佐守殿というお方は、わりと単純なお方のようですな」
「まあ、単純と言えば単純じゃのう。曲がった事が嫌いなさっぱりした男じゃが、古武士のような頑固さを持ってる男じゃ。まだ、三十位の男じゃがのう」
「竜王丸殿を押しておるのはどなたです」
「朝比奈和泉守殿じゃ。それに斎藤加賀守、矢部将監(ショウゲン)、そして、わしじゃ」
「小鹿逍遙殿は?」
「逍遙殿は今のところは中立じゃ。しかし、竜王丸殿が家督を継ぎ、備前守殿か摂津守殿が後見人になってくれればいいと願っているようじゃ」
「そういう具合にはなりそうもないのですか」
「難しいのう。まだ六歳のお屋形様では国人たちが今川家から離れ、駿河の国がバラバラになると言うんじゃ」
「その可能性もあるのですか」
「ないとは言えんのう。昔のように幕府が健在で、幕府がはっきりと竜王丸殿の家督を認めてくれれば、国人たちも幕府の威光を恐れ、今川家をもり立ててくれるじゃろうが、今の幕府は、はっきり言って当てにはできん。特に駿東の国人たちは今川家から離れ、関東の上杉氏と手を結ぶ者が現れて来るかもしれん」
「成程‥‥‥難しいところですね。ところで、話は変わりますが、お屋形様の弟なのに、どうして、お二人とも今川の姓を名乗らないのです」
「それはのう。他所(ヨソ)から来た者は不思議に思うのは当然の事じゃが、先代、いや、お亡くなりになられたお屋形様のお父上の代の時、関東で永享(エイキョウ)の乱というのが起きたんじゃ。その時、先々代のお屋形様は活躍して将軍様から恩賞を頂いた。その恩賞というのが奇妙なもので、今川という姓を名乗れるのは天下にただ一人だけ、今川家のお屋形様だけが名乗れるという御免許を頂いたんじゃ。それ以来、お屋形様以外は、たとえ御兄弟であろうとも、今川を名乗る事はできなくなってしまったんじゃよ。将軍様も随分と変わった恩賞をくれたものじゃ。遠江の今川家は堀越姓に変わり、先代のお屋形様の弟である逍遙殿は小鹿姓を名乗り、お屋形様の弟であるお二人は、それぞれ、河合、中原を名乗っておるんじゃよ」
「へえ、今川姓はお屋形様ただ一人だけのものだったのですか、そいつは知らなかった」
「この天下に、今川を名乗れるのはただ一人というわけじゃ」
「まあ、それも名誉と言えば名誉な事ですね」
「ああ、将軍様もうまい事を考えるものじゃ」
次郎左衛門尉は北川殿に簡単な挨拶をすると、お屋形様の屋敷の方に戻って行った。今日もこれから長い評定があるという。半ば、うんざりとした表情をしながら帰って行った。
お屋形様の屋敷内の大広間での評定(ヒョウジョウ)は続いていたが、それぞれが昨日と同じ事を主張するのみで何ら進歩はなかった。お互いに妥協して歩み寄ろうとはせず、己(オノレ)の意見が一番正しいのだと言い張っていた。
遠江からの連絡によると、今日のうちに、お屋形様の荼毘(ダビ)が新野城の側の河原にて行なわれ、明日、凱旋軍として新野城を立ち、その日は大井川を渡って駿河に入り、三浦氏の大津城(島田市)に泊まって、明後日には駿府に入って来るとの事だった。
少しも進展しなかった評定も、昼過ぎに葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)が登城すると、様相は一変して、さらに複雑に展開して行った。普段から仲のいい福島越前守が強い味方が来たと迎え入れ、敵対する福島土佐守は苦々しい顔をして播磨守が入って来るのを見ていた。
播磨守は朝比奈天遊斎から、今までの成り行きを一々頷きながら聞いた。
「そなたの意見はいかがじゃ」と促(ウナガ)せられると、「皆様方のおっしゃる事は皆、もっともな事でござる」と渋い顔をして言った。「しかし、皆様方は誰かをお忘れではござりませんかな」
播磨守は左右を見回してから、「竜王丸殿、河合備前守殿、中原摂津守殿、そして、お屋形様になるべきお人はもう一人おられる」と言った。
「一体、そんなお方が他におるのか」と越前守は聞いた。
「おられる‥‥‥小鹿新五郎殿じゃ」
皆、はっとした。
播磨守に言われて初めて気が付いたが、確かに、逍遙入道の嫡男、新五郎範満(ノリミツ)もお屋形様になる資格はあった。新五郎はお屋形様の従弟であり、今まで、常にお屋形様の側に仕えて活躍していた。人物的に見ても備前守、摂津守に劣る事はなく、かえって新五郎の方がお屋形様にはふさわしいと言えた。
「うむ、新五郎殿がおったか」と天遊斎は唸(ウナ)った。
「いや、あれは、お屋形様になる器ではない」と逍遙は首を振った。
新五郎の名が出た事は親の気持ちとしては嬉しくないとは言えなかった。はっきり言って、自分の息子ながら備前守、摂津守と比べたら新五郎の方が勝っていると思っている。しかし、この場では、親である事よりも今川家の長老という立場で物を見なければならなかった。確かに、伜の新五郎もお屋形様の従弟にあたり、お屋形様になる資格がないとは言えないが、新五郎が候補に上がる事によって、逍遙が子供の頃に経験した内訌(ナイコウ)が生ずる恐れがあった。今、今川家が家督争いを始めれば、遠江の守護であった斯波氏のように今川家は消滅してしまうかもしれない。新五郎が戦から帰って来たら、何としてでも説得して辞退してもらうしかないと思った。
葛山播磨守の妻は逍遙の娘だった。播磨守と逍遙の娘の婚姻は逍遙が決めたわけではなく、播磨守の方からお屋形様に頼んで実現したものだった。逍遙としては、駿河の東のはずれに可愛い娘をやるのは反対だったが、どうする事もできなかった。あの時、何となく嫌な予感があったが、今になって娘を葛山のもとにやった事を後悔していた。
葛山派の矢部将監がさっそく、竜王丸派から新五郎派に転向した。
播磨守は新五郎の祖母が関東の扇谷(オオギガヤツ)上杉氏である事も主張し、関東の上杉氏が後ろ盾となれば、東は安泰、さらに西に勢力を伸ばす事ができるだろうと言った。播磨守が言う事も一理あるが、余り関東に近づき過ぎて幕府から疑われるという恐れもあり、賛成しかねる者も多かった。幕府の力が弱まったとはいえ、代々、幕府に仕えて来ていた今川家には、幕府に逆らうなどという大それた事を本気で考えるような者はいなかった。
葛山播磨守が、新五郎の人物に関しても備前守や摂津守よりも勝っていると言い、数々の戦功を挙げると、福島土佐守が、確かに新五郎殿がお屋形様になるべきじゃと同意した。土佐守が摂津守派から新五郎派に転向し、新五郎を押すのは、葛山播磨守と矢部将監、福島土佐守の三人になり、家中は四つに分かれてしまった。
その頃、小太郎の家では、早雲が一人で何やら書いてある紙を広げて睨(ニラ)んでいた。その紙には今川家の重臣たちの名前が並んでいた。今朝、北川殿に顔を出して、小太郎から聞いたものだった。早雲は新たに小鹿新五郎の名が挙がった事をまだ知らない。竜王丸派、河合備前守派、中原摂津守派の三つに分けて書かれてある重臣たちの名を見つめていた。幸いな事に、去年の正月、伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)のお茶の指導に供として付き合ったため、今川家の重臣たちのほとんどと面識があった。知らないのは竜王丸派の朝比奈和泉守と矢部将監、摂津守派の福島土佐守の三人だけだった。当然、河合備前守と中原摂津守の二人は知っていた。
早雲から見たところ、備前守と摂津守の二人は亡くなったお屋形様と比べたら、月とスッポン程の差があると言えた。お屋形様は時代を見る目を持っていたが、弟の二人は持っていない。お屋形様は応仁の乱が始まった時、京に行って、今の幕府の姿をその目で見ているが、二人にとって幕府とは大いなる権威の象徴のままだった。この先、今川家を背負って立つには、今までのように幕府に頼っていてはならない。自立しなければ生き延びて行く事は不可能だろう。国人たちとの被官関係を強化して、駿河の国内をまとめ直さなくてはならない。果たして二人にそれができるかというと、残念ながら首を振らざるを得なかった。かと言って、竜王丸にそれができるかと言っても今は無理だった。しかし、この先、うまく教育すれば、立派なお屋形様に仕立てる事は可能だ。ただ、その場合、竜王丸が成人するまでの十年近くの間、竜王丸に変わって、お屋形様の代理をする者が必要となる。その代理の者は少なくとも今川家を今の状態のままに保たなければならない。そうなると、竜王丸の後見人は摂津守よりは備前守の方が向いているような気もしたが、やはり、頼りなかった。
備前守派の中心とも言える福島越前守は余程の財力があるとみえて、数々の茶道具やら名画やらを所持していた。茶の湯の事もなかなか詳しく、和歌や漢詩などの造詣(ゾウケイ)も深く、なかなかの人物だった。このまま竜王丸の敵になると手ごわい相手になりそうだった。
摂津守派の岡部美濃守は無駄口を言う事もなく、堅苦しい感じの男だった。お茶を習うのにも、自分が納得するまで同じ事を何度も聞いて、細々(コマゴマ)と書き留めていた。融通の利かない頭の固い男だった。曲がった事は嫌いのように思えるが、自分の妹が摂津守の側室になっているという事だけで、摂津守を押しているとは予想外な事だった。
春雨と寅之助の二人は今朝、北川殿に行った時、向こうに置いて来た。小太郎が逍遙から北川殿の警固を頼まれた事によって、北川殿を守るための人員を増やす事ができるようになった。小太郎には外部から侵入して来るかもしれない曲者(クセモノ)を見張ってもらい、春雨とお雪の二人には侍女や仲居たち、内部の者を見張ってもらう事にした。寅之助も一人でこの家に残しておくわけにもいかないので北川殿に連れて行った。あの暴れん坊があの屋敷の中でおとなしくしているとは思えないが、仕方なかった。竜王丸とうまくやってくれればいいと願っていた。さらに、富嶽、荒川坊、孫雲、才雲が戻って来たら、その四人も北川殿に潜入させるつもりでいた。富嶽には北川殿にて、今は亡きお屋形様の肖像を描いてもらい、荒川坊、孫雲、才雲は小太郎の弟子として入れるつもりだった。
早雲は懐(フトコロ)から別の紙を出すと眺めた。北川殿に仕えている者たちの名が書いてあった。それによると、侍女の二人は伊勢氏と朝比奈氏の出なので問題はないが、乳母の船橋は福島氏の出だった。福島氏といっても越前守派か土佐守派のどっちだか分からない。注意した方がいいかもしれない。仲居衆の中では朝比奈氏の西尾、長谷川氏の瀬川以外は皆、注意人物だった。警固兵の中にも注意すべき者は多くいたが、身内の者を疑いたくはなかった。裏切らない事を祈るしかなかった。
早雲は紙をたたんで懐にしまうと腕組みをして考え込んだ。
何とかして、お屋形様の屋敷内の状況が分からないものかと思った。重臣たちの評定の様子がもう少し早く分かれば対処の仕方も考えられるが、今のままでは、ただ何事かが起こるのを待つのみで、常に後手に回ってしまう。早雲も逍遙入道に頼めば、重臣たちの集まる広間に顔を出す事はできるかもしれない。しかし、今の早雲は竜王丸の伯父という立場にあった。出家しているとは言え、そんな所にのこのこ出て行けば、誰もが竜王丸の伯父として早雲を見て、その地位を利用して今川家に乗り込んで来ると思うに違いなかった。今でさえ竜王丸の立場は不利と言えるのに、早雲が顔を出せば重臣たちの反発を買って、さらに不利な状況になる可能性は強かった。あまり、お屋形様の屋敷の辺りをウロウロしない方がいいと言えた。となると頼るは小河の次郎左衛門尉しかいなかった。次郎左衛門尉が北川殿に来て、評定の内容を知らせてくれるのを待つしかなかった。五条安次郎が帰ってくれば、一々、詳しい事を知らせてくれるとは思うが、それまでは次郎左衛門尉に頼るしかなさそうだった。
「わしも北川殿に移るか」と独り言を言うと早雲は立ち上がった。
早雲が土間に下りようとした時、門の所から中を覗いている者がいた。多米権兵衛と荒木兵庫助の二人だった。早雲が中にいるのを見つけると二人は笑いながら入って来た。
「よう、久し振りじゃのう」と早雲は二人を迎えた。
「はい、お久し振りで‥‥‥ところで、何かあったんですか」と多米が聞いた。
「書き置きに、すぐにここに来いと書いてありましたが」と荒木は言った。「一体、どうしたんです。早雲庵には誰もいないし、みんなが心配してましたよ」
「そうか、心配してたか‥‥‥当分は帰れそうもないのう」
「何があったんです」
早雲は二人に事の成り行きを話した。二人は信じられないといった顔をして、お互いに顔を見合わせた。
「今、小太郎夫婦と春雨が北川殿に入っておる。富嶽は荒川坊たちを連れて遠江の状況を調べに行った」
「へえ‥‥‥」と多米は言ったが、よく分かっていないようだった。
「家督争いでも始まるんですか」と荒木は聞いた。
「分からんが、その可能性はある」
「という事は竜王丸殿の身に危険が?」
「その可能性もある」
「成程、それで、風間殿が北川殿に入ったのか」と多米にもようやく話が分かったようだった。
「早雲殿、わしらにも何かさせて下さい」
「そうじゃ、わしらも仲間に入れて下され」
「そのつもりじゃ。だが、今のところは特にないの。とりあえず、二人でここの留守番でもしておってもらおうか」
「留守番ですか」と多米と荒木は不満そうな顔をして早雲を見た。
「明日か明後日には富嶽たちが戻って来るじゃろう。そしたら改めて作戦を練る。それまではここで寝泊りしながら、ここら辺りで遊んでおってくれ。銭があればの事じゃがのう」
「銭はたっぷりあります」と荒木は言った。
「博奕(バクチ)で勝ったのか」
荒木は自慢気に頷いた。
「あまり、羽目をはずすなよ」と言うと早雲は出て行った。
二月十三日の夕方近く、お屋形様の軍勢が駿府に凱旋して来た。
道の両脇には行軍を一目見ようと、人々が重なるようにして集まって来ていた。その行軍は、さすがに東海一の弓取りと呼ばれる程の威厳のあるものだった。名門と呼ばれるのにふさわしく、規律正しく、きらびやかで堂々たるものだった。
その軍勢の中央にはお屋形様の姿があった。護衛の兵に囲まれて、馬上に揺られているのはお屋形様に相違なかった。道端で行軍を見ていた早雲は自分の目を疑った。一瞬、お屋形様の死体を馬に乗せているのかと思ったが、馬上のお屋形様は生きていた。そのお屋形様は兜をかぶって鎧に身を固め、顔まではよく見えないが、お屋形様にそっくりだった。弟がお屋形様に扮しているのかと思ったが、河井備前守は背丈はお屋形様と同じ位だが少々太っている。中原摂津守はお屋形様よりも大男だった。二人でないとすると兵士の中からお屋形様に似ている者を選んだのだろうか。
まあ、そんな事はどうでもよかった。これで重臣たちも揃い、いよいよ、本格的な評定が始まる。賽(サイ)の目が一と出るか二と出るか、それとも三か、荒木兵庫助じゃないが、命懸けの大博奕が始まる。これから忙しくなるだろう。
早雲は群衆から離れて、小太郎の家に向かった。
小太郎の家では遠江に行っていた富嶽、荒川坊、才雲、孫雲が待っていた。荒木と多米の二人も真面目に留守番をしていた。
「御苦労さん。何か分かったか」と早雲は板の間に上がると、さっそく聞いた。
「いや、何も分からん」と富嶽は早雲の顔を見上げながら首を振った。
「遠江では、お屋形様は亡くなってはおらんのじゃ。そんな事を噂しておる者など一人もおらんわ」
「そんなところじゃろうのう。ところで戦の状況は分かったか」
「ええ。掛川の城下でおおよその事は調べました」
富嶽の集めた情報を一つにまとめると、お屋形様が兵を率いて遠江に向けて駿府を出たのが先月の二十二日、その日は三浦次郎左衛門尉の大津城(島田市)まで行った。
二十三日、大井川を渡って北上し、鶴見因幡守(イナバノカミ)の志戸呂(シトロ)城(金谷町)を囲んで、次の日には落とした。二十五日、牧ノ原を南下して勝間田城(榛原町)を囲み、次の日には落とし、さらに、二十八日には横地城(菊川町)も落としている。
二十九日には朝比奈備中守の掛川城に入って戦陣を整え、兵馬を休養させ、二月一日の早朝より敵の籠もる見付城(磐田市)に向かい、昼過ぎより総攻撃を掛けるが、予想外の抵抗に会って、その日のうちに落とす事はできず、城を囲んだまま夜を明した。あらゆる作戦を用い、鶴見因幡守の寝返りによって城が落ちたのは六日の日が暮れる頃だった。敵の大将、横地四郎兵衛、勝間田修理亮(シュリノスケ)は討ち死にした。
翌日の七日、首実験を行なって福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)の高天神(タカテンジン)城(大東町)に向かい、次の日は一日休養した。九日には駿府に向けて凱旋する予定だったが、見付城から逃げて来た横地、勝間田の残党が横地城に立て籠もって、凱旋する今川軍に対して攻撃を掛けるとの情報が入り、予定を変更して横地城に向かった。前回、横地城を攻撃した時は留守を守っていた松井、二俣の両氏が今川方に寝返ったため横地城は無傷のままだった。残党は不意を襲って松井、二俣を追い出し、城を乗っ取っていた。
今川軍の総攻撃を受けて横地城が落ちたのは、その日の日暮れ近かった。暗くなりかけた頃、今川軍は横地城の南一里程の所にある新野城に向かった。新野城は今川一族の新野左馬助(サマノスケ)の城だった。その城に向かう途中、塩買坂(シオカイザカ)という所で残党の夜襲に会い、今川家の重臣、朝比奈肥後守(ヒゴノカミ)、矢部美濃守ら数人がやられた。
十日、新野城を中心に残党狩りを行ない、十一日、朝比奈、矢部氏など討ち死にした者たちを河原にて荼毘(ダビ)に付して、十二日、駿府に向けて出発。その日は大井川を渡って大津城に入り、そして、今日、ようやく駿府に到着した。
「朝比奈肥後守殿もお亡くなりになったのか」と早雲は聞いた。
「はい。早雲殿は御存じで?」
「ああ、天遊斎殿の伜殿じゃ」
「と言うと、朝比奈城の城主ですか」
「そうじゃ、天遊斎殿の嫡男じゃった」
「お屋形様を初め、重臣の方々がお亡くなりになって、今川家も大変じゃのう」
早雲は頷き、少し考えてから、「新野城の近くで荼毘に付したとのか」と聞いた。
「はい。新野城の近くまで行ったんじゃが近付けんかった。仕方なく川を渡って、対岸から隠れながら見ておったが、その中にお屋形様の遺体があるかどうかまでは分からなかった」
「何体位、荼毘に付していたんじゃ」
「さあ、身分の高い者だけじゃと思うが、かなりあったぞ。何人もの坊主が経を上げておったわ」
「そうか‥‥‥ところで、お屋形様に扮しておったのは一体、誰なんじゃ」
「それが分からんのです。お屋形様にそっくりで、わしは、もしかしたら、お屋形様は生きておるんじゃないかと思った位じゃ」
「そうか‥‥‥」
「それで、こっちの様子はどんなです」
「今のところは問題ない」
「家督は竜王丸殿に決まりそうですか」
「それは難しいのう」
早雲は例の紙を富嶽たちに見せ、今、重臣たちの意見が四つに分かれている事を知らせた。
「戦から帰って来た重臣たちの意見がどうなるかじゃな」と早雲は言った。
「竜王丸殿、河井備前守殿、中原摂津守殿、そして小鹿新五郎殿か‥‥‥小鹿新五郎殿というのは逍遙入道殿の伜殿ですか」
「そうらしい。わしも会った事はないが、なかなかの男だそうじゃ。初め、新五郎は候補の中に入っておらんかったが、葛山播磨守が現れると新五郎の名を出し、竜王丸派だった矢部将監と摂津守派だった福島土佐守が同意したんじゃ」
「葛山播磨守というと愛鷹(アシタカ)山の裾野の?」
「そうじゃ。駿河の東のはずれじゃ」
「その葛山が小鹿を押すという事は逍遙殿と何かつながりでもあるのですか」
「播磨守は新五郎の人物を押しておるが、実は逍遙殿の娘が播磨守の妻になっておる。それに逍遙殿の母親は相模国守護の扇谷上杉氏じゃ。播磨守の領地は相模国と隣接しておる。新五郎がお屋形様となれば扇谷上杉氏とのつながりができ、さらに勢力を広げようとたくらんでおるに違いない」
「しかし、駿河と相模が手を結べば、播磨守は相模に攻め込む事はできんじゃろ。かえって、敵対しておった方が攻め込む事ができるんじゃないのか」
「扇谷上杉氏と葛山氏では勢力が違い過ぎる。まともにやっても負けるだけじゃ。播磨守は今川家の被官として扇谷上杉氏に取り入り、隙を見ながら徐々に勢力を拡大するつもりじゃろう。わしも会った事はないが、かなりの男に違いないと睨んでおる」
「そういう男が竜王丸殿の敵におるという事は一筋縄では行きそうもないのう」
「ああ、難しい。難しいが、何としてでも竜王丸殿にはお屋形になってもらう」
早雲の顔は厳しかった。
富嶽、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲の六人は今まで早雲の真剣な顔というものを見た事はなかった。早雲を見ながら六人は、早雲が今回の事に命を賭けているのではないかと感じていた。早雲がその気でいるのなら、わしらもやらなければならない。早雲のために、竜王丸のために、命を賭けて一仕事をやるかと六人は久し振りにやる気を出していた。
富嶽は数年間、早雲と共に暮らして来て、早雲のような男が武士をやめてフラフラしているのは勿体ないと常に思っていた。早雲が武士に戻るのなら早雲の家来になってもいいと思った事もあった。しかし、早雲はもう二度と武士に戻る気はなさそうだった。富嶽もその事は諦め、そんな事を思った事もすっかり忘れていたが、今、その事を思い出していた。早雲が武士に戻るかどうかは分からなかったが、自分の命を早雲という目の前にいる男に賭けてみようと心の奥で決心を固めた。
荒木と多米の二人も自分を生かす道が見つからず、浪人したままブラブラしていた。何かをしなければならないと焦るが、何をやっていいのか分からず、また、あちこちを旅をして命を賭けられる程の武将を捜してもみたが、それ程の武将は見当たらなかった。そして、今、早雲という男を改めて見ながら、早雲は武将ではないが、この人のためなら、なぜか、命を預ける事ができるかもしれないと感じていた。二人ともやってやろうじゃないか、と久し振りに心が高ぶって行くのを感じていた。
荒川坊は早雲と再会して以来、ずっと、早雲について行こうと決めていた。早雲がこれから何をやろうとしているのかよく分からなかったが、どこまでもついて行こうと決めていた。才雲と孫雲の二人も荒川坊と同じだった。師匠と決めた早雲が何か大きな事をやろうとしている。何が起ころうと師匠に付いて行くだけだった。
早雲は六人を引き連れて、北川殿に向かった。これから、しばらくの間は全員で北川殿を守る事にした。
駿府に帰って来たお屋形様の遺骨は、一晩、お屋形様の屋敷の上段の間に安置され、ひそやかな通夜が行なわれた。北川殿も牛車(ギッシャ)に乗ってお屋形様の屋敷まで出掛け、ほんの一瞬だったがお屋形様に別れを告げた。竜王丸を初め子供たちは一緒には行かなかった。
翌朝、お屋形様の遺骨は今川家の菩提寺(ボダイジ)、宝処寺(ホウショジ)に納まった。お屋形様の死を隠しているため、法要をする事はできなかった。城下は凱旋気分で浮かれていても、お屋形様の屋敷はひっそりと静まり返っていた。
大広間では新たに戦から帰って来た重臣たちが加わって評定が始まっていた。早いうちに跡継ぎを決め、お屋形様の葬儀をしなければならないのに、いつまで経っても一つにまとまりそうもなかった。
新たに加わった重臣は、大津城の三浦次郎左衛門尉、方上(カタノカミ)城(焼津市)の岡部五郎兵衛、新野城の新野左馬助、堀越城(袋井市)の堀越陸奥守、高天神城の福島左衛門尉、掛川城の朝比奈備中守、久野(クノ)城(袋井市)の久野佐渡守、そして、お屋形様の祐筆(ユウヒツ)だった五条安次郎だった。
三浦次郎左衛門尉は迷わず、小鹿新五郎を主張した。今回の戦での新五郎の活躍は目覚ましいものがあったし、お屋形様が亡くなってからの行動が特によかったと次郎左衛門尉は感心していた。まさしく、お屋形様の跡を継ぐ者は新五郎をおいて他にないと信じていた。塩買坂で突然の夜襲を受けた時、お屋形様の後にいた新五郎は、お屋形様がやられ、側を守っていた者たちが次々にやられるのを目撃し、兵たちが怒りと恐れから狂乱状態に陥って分散してしまうところを冷静にくい止め、隊を崩さずに見事に新野城まで退却した。あの時、新五郎が逆上して敵の中に突入していたら、今川軍は全滅に近い被害をこうむっていたに違いなかった。新野城に入ってからも、二人の弟が取り乱したまま何もする事ができなかったのに比べ、新五郎は常に適切な処置を命じていた。そして、駿府に帰る時、お屋形様に扮して見事な行軍を行なったのも新五郎だった。その姿を見ながら、新五郎がお屋形様になれば今川家は安泰じゃ、と本心から思っていた。次郎左衛門尉と同じく、新五郎の活躍をすぐ側で見ていた新野左馬助も、小鹿新五郎をおいて他にはいないと言い張った。
岡部五郎兵衛は朝日山城の岡部美濃守の弟で、迷わず、妹が側室に入っている中原摂津守を選んだ。
朝比奈備中守、久野佐渡守の二人は見付城の攻撃の時は参加していたが、城が落城して勝利を得ると、それぞれの居城に帰って祝勝の宴を張り、改めて正月気分に浸っていた。そんな時、突然、お屋形様の戦死の知らせを受け、半信半疑の気持ちで新野城に向かった。
福島左衛門尉は見付城落城の後、お屋形様を自分の居城、高天神城に招待して充分に持て成し、休養してもらった。お屋形様が残党の籠もる横地城に向かった時、お屋形様が来なくてもいいと言ったので、左衛門尉は一緒に行かなかった。まさか、その時が、お屋形様と最期の別れになるとは思ってもいなかった。知らせを受けて、左衛門尉は泣きながら新野城に向かった。
その三人は三浦次郎左衛門尉とは違い、新五郎を押さなかった。竜王丸が跡継ぎになるべきだと主張した。彼ら三人の本拠地は遠江の国だった。彼ら三人も河合備前守、中原摂津守と比べれば小鹿新五郎の方がふさわしいとは思うが、新五郎がお屋形様となった場合、関東に近付く事となり、幕府の怒りを買う事になりはしないかと心配した。もし、幕府軍が今川家を攻める事となれば、まず、遠江から攻めるのは間違いなかった。せっかく、横地、勝間田らの豪族を倒して、遠江の東半分は今川家の勢力範囲になったと言える今、幕府に逆らえば遠江の国は取り上げられるかもしれない。久野氏は元々、遠江に根を張っているので、先祖代々の土地を奪われる事はないとは思うが、福島左衛門尉と朝比奈備中守は遠江に進出して、まだ一年ちょっとしか経っていなかった。ようやく、自分の城を持って、これから地盤を固め、勢力を広げようという時に遠江から追い出されたくはなかった。それに、二人共、亡きお屋形様には恩があった。福島左衛門尉は江尻城の越前守の弟であり、朝比奈備中守は天遊斎の次男だった。二人とも次男の身でありながら遠江進出のため、左衛門尉は高天神城の城主に抜擢され、備中守は掛川城の城主に抜擢されていた。自分たちを選んでくれたお屋形様のためにも跡目は竜王丸に継いでもらいたかった。
五条安次郎は初めから竜王丸派だったが、五条の存在はただの祐筆でしかなかった。錚々(ソウソウ)たる重臣たちに向かって、自分の意見を言える程の身分ではなかった。
最後の堀越陸奥守は去年の末、横地、勝間田らを退治するために出陣して戦死した堀越陸奥守の弟だった。陸奥守が戦死するまでは堀越家の菩提寺である海蔵寺の禅僧だった。突然、兄が亡くなり、兄の嫡男がまだ八歳だったため、お屋形様に頼まれて還俗(ゲンゾク)して、堀越家の家督を継ぎ、陸奥守の名乗りも継いだが頭は剃髪したままだった。陸奥守はまだ、今川家中の事がよく分からなかった。軽はずみな事を言って、つまらない派閥争いに巻き込まれたくはなかった。しばらくは中立のまま様子をみようと思っていた。
この時点で、中立派は朝比奈天遊斎、小鹿逍遙、堀越陸奥守の三人。
竜王丸派は朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉、朝比奈備中守、福島左衛門尉、久野佐渡守の六人。
小鹿新五郎派は葛山播磨守、三浦次郎左衛門尉、福島土佐守、矢部将監、新野左馬助の五人。
河合備前守派は福島越前守、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守の四人。
中原摂津守派は岡部美濃守、岡部五郎兵衛、由比出羽守の三人だった。
今の状況では小鹿新五郎が少し有利に立っていると言えた。
候補に上がっている小鹿新五郎、河合備前守、中原摂津守の三人は、お屋形様の座るべき上段の間のすぐ下に並んで控え、重臣たちの言い争う様を眺めていた。駿府に凱旋して来るまでは、自分がお屋形様になる事など真剣に考えてもいなかった三人も、この場に座らせられた事によって自分が今川家の家督を継いで、お屋形様になるという事を実感していた。そして、お互いに、家督を手に入れるためには隣に座る二人と六歳の竜王丸を倒さなくてはならないという事も自覚していた。涼しい顔をして座っている三人だったが、心の中では欲望の炎がメラメラと燃え広がっていた。
その日の晩、長谷川次郎左衛門尉が五条安次郎と堀越陸奥守を連れて北川殿を訪れた。陸奥守はまだ跡継ぎになるべき竜王丸に会った事がなかったため、一応、挨拶に来たのだった。
型通りの挨拶の後、早雲と小太郎は今日の評定の様子を三人から聞いた。早雲はさっそく、例の紙に新しく参加した重臣たちの名前を書き加えた。
「これから、どうなるんかのう」と小太郎は紙を覗きながら言った。
「分からんのう。一つにまとめる事は難しいわ。この有り様で、お屋形様がおられた時、よくまとまっていたものじゃと今更ながら感心するわ」と次郎左衛門尉は庭の向こうに見えるお屋形様の屋敷の屋根を見ながら言った。
「お屋形様がそれだけ大きかったという事ですね」と早雲は言った。
「そういう事じゃのう。お屋形様が家督を継がれたのは、確か、二十五、六の時じゃった。あの時は少々頼りないという気もしたが、今思えば、お屋形様らしいお屋形様じゃったのう。せめて、後十年、生きていてくれたなら、こんな内輪揉めも起きなかった事じゃろうに‥‥‥横地、勝間田らを討った後じゃったからまだいいが、奴らが生きていたら絶好の機会じゃと駿河に攻めて来るじゃろう。しかし、のんびりといつまでも、だらだらと評定を重ねているわけにもいかん。お屋形様の死をそういつまでも隠しておく事もできんじゃろう。お屋形様の死を知れば、遠江の国人たちがまた斯波氏に付いて騒ぎを起こすかもしれん。早いうちに決めなくては今川家の存亡に拘わるかもしれんわ」
「遠江の状況は危険なのですか」と早雲は陸奥守に聞いた。
「遠江は天竜川を境に東西に分かれております。東側は横地、勝間田が消えたので、今川家の勢力範囲となりました。西側は斯波氏と手を結んだ三河の吉良殿の勢力範囲と言えます。東側は今川家の勢力範囲となりましたが、北部の山岳地帯は天野氏の勢力範囲です。天野氏は今川家の被官となり、重臣の一人になっておりますが、ここだけの話ですが、この天野氏が曲者(クセモノ)です。今川家が家督争いを起こして弱体化するのを願っているかもしれません」
「天野氏がか‥‥‥今川家からの独立を考えているというのか」と次郎左衛門尉は聞いた。
「ありえます」
「確かにのう。横地、勝間田が消え、今川家に内訌でも起これば、東遠江を我物にしようと考えるのは当然の事じゃのう‥‥‥確か、天野氏もそろそろ駿府に来るはずじゃが」
「天野氏もお屋形様の死を知っておるのですか」と早雲は次郎左衛門尉に聞いた。
「ああ、知らせた。一応、重臣じゃからのう」
「もし、来なかったら、今川家に反旗をひるがえしたという事になりますね」と小太郎は言った。
「いや。来るじゃろう。こちらの様子を調べん事には、天野氏としても動きが取れんじゃろうからの」
「その天野氏とやらが来たら、益々、複雑になりそうじゃのう」と小太郎は言った。
「候補に上がっておる三人の気持ちはどうなんです」と早雲は聞いた。
「三人共、はっきりとは言わんが、やる気、充分のようじゃのう。一人くらい遠慮して、竜王丸殿をもり立てて行くという者がいてもいいものを、欲に目が眩(クラ)んで、そんな事を言う者は一人もおらん。困った事じゃ」
「最悪の場合は武力に訴えるという事もありえるのですか」
「そこまで行かん事を祈るしかないのう」
「長谷川殿、お聞きしたいのですが、今、お屋形を守っておる兵たちの指揮権はどなたが持っておるのですか」と小太郎は聞いた。
「お屋形様直属の奉公衆の事か」
「はい」
「お屋形様が戦に出掛けた時は留守を守っていた河合備前守殿じゃったが、今は小鹿逍遙殿じゃと思うがのう」
「逍遙殿ですか‥‥‥」
「しかし、奉公衆にも派閥がある。奉公衆というのは一族の者や重臣たちの子息たちで編成されておるんじゃ。一族や重臣たちが分かれれば当然、奉公衆も分かれる事となるじゃろう」
「その奉公衆というのは、どれ位おるものなのですか」
「それは、五条殿の方が詳しいじゃろう」と次郎左衛門尉は言った。
「はい」と五条が答えた。「普通、三百騎と言われておりますが、実際はそれ程おりません。二百五十騎というところでしょうか。五組に分かれておりまして、一ケ月交替でお屋形の警固と詰の城の守りをやっております」
「五組に?」
「はい。その内の一組が本曲輪(クルワ)と呼ばれているここを守り、二組目が二の曲輪を守り、三組目が詰の城を守ります。残りの二組は休みというわけですけど、戦があれば、その二組がお屋形様を守るために付いて行く事になります。今回、戦に行ったのは二番組と三番組です。本来なら今月から二番組がここを守る事になっておりましたが、戦が二月にまたがってしまったので、四番組が今、ここを守っております」
「戦から帰って来た者たちは今、どうしておるんじゃ」
「この先、戦がなければ今月一杯は休みという事になります」
「今は、ここにはおらんのか」
「この城下に住んでいる者も何人かおりますが、ほとんどの者が親元の家族のもとに帰っていると思います」
「今、ここを守っている四番組の頭というのは誰じゃ」
「確か、入野兵庫助(イリノヒョウゴノスケ)殿だと思いますが」
「入野兵庫助‥‥‥」
「はい。今川一族です」
「という事は何派なんじゃろう」と早雲は言った。
「分かりませんな」と次郎左衛門尉は首を傾げた。「しかし、一応、調べた方がよさそうじゃな」
「お願いします」
「さすがじゃのう。そこまで考えるとはのう。ただ者ではないと思っておったが、早雲殿、そなたはなかなかいい仲間を持っておるわ」
「修羅場を何度も経験してますからね、小太郎は」
小太郎は頷き、「北川殿と竜王丸殿の事は、この命に代えてでもお守りいたします」と言った。
「任せましたぞ。こんな事は言いたくはないが、竜王丸殿を亡き者にしようとたくらむ者がいないとも限らん」
日の暮れる前、長谷川次郎左衛門尉、堀越陸奥守、五条安次郎は帰って行った。
庭では竜王丸と寅之助が遊んでいた。寅之助もこの屋敷にふさわしい格好をしている。それがなぜか、よく似合っていた。真っ黒な顔をして、ぼろを着ていた浮浪児だったとは、とても信じられない程だった。竜王丸にしても嬉しいのだろう。今まで他の子供たちと遊んだ事がなかった。子供の世界には身分などまったく存在しない。一歳年上の寅之助は彼なりに竜王丸の面倒をよく見ていた。
西の空がやけに赤かった。
福島越前守が河合備前守を押したのは、順番からいって、すぐ下の弟が跡を継ぐというのが当然という事もあったが、河合備前守と中原摂津守を比べた場合、備前守の方がしっかりしていると言えた。戦場での活躍は摂津守の方が多かったが、摂津守は軽はずみな所があり、この先、今川家をまとめて行くには、少し臆病な所はあっても、備前守の方が落ち着いていていいと判断したためだった。庵原氏、興津氏、蒲原氏らは普段から越前守派だったので越前守に従っていた。
それとは反対に摂津守を押した福島土佐守は、越前守に反発した事もあるが、おとなしすぎる備前守より、数多くの実戦を経験している摂津守の方がふさわしいと判断した。この先、益々、今川家は戦に出なければならなくなるに違いない。優柔不断な備前守では今川家をまとめる事はできないだろう。その点、摂津守ならば自ら先頭に立って出陣する。これからの世は行動が第一だと判断した。土佐守に同意した岡部美濃守も土佐守と同じく、戦での活躍を重んじていた。そして、由比氏は岡部派だった。
竜王丸を押した朝比奈和泉守は宿老の朝比奈天遊斎の弟で、お屋形様の嫡子がいないのならともかく、ちゃんと竜王丸がいるのだから、竜王丸が跡を継ぐべきだと主張した。竜王丸がいるにもかかわらず、他の者を家督にしたら、後で必ず、問題が起こる。竜王丸を家督として、二人の弟を後見にすべきだと主張した。竜王丸の母親が幕府政所執事(マンドコロシツジ)の伊勢氏の出なので、幕府としても竜王丸を押すに違いないとも言った。朝比奈派の斎藤氏、長谷川氏、矢部氏が同意した。
福島越前守は、たとえ後見者が付いたとしても、竜王丸では幼な過ぎると言って反対した。平和な時代なら、それでも何とかなるが、この乱世に六歳のお屋形様では国人たちが納得せんじゃろ。頼りないと思って、国人たちが離反してしまったら、遠江進攻どころではなくなる。駿河の国内もバラバラになってしまうと言った。その点では対立している福島土佐守も同意見だった。
守護大名の家督を決め、守護の任命をするのは本来、幕府の任務だった。しかし、その幕府が家督争いを始めたのだから、大名の家督に干渉するどころではなかった。今川家としても正式に幕府に認めてもらうつもりでいるが、今、そんな事を幕府に頼んだとしても、答えがいつ得られるのか分からない。そんなにのんびりしてはいられなかった。とにかく、家督を決め、家中を一つにまとめる事が先決だった。しかし、一つになるどころか、三つに分かれたまま、話は一向にまとまらなかった。
福島越前守から、とりあえず、河合備前守をお屋形様の養子にして跡を継がせ、竜王丸を備前守の養子にし、成人したら跡を継がせたらどうか、という意見もでたが、備前守には竜王丸よりも大きい嫡男があり、そこで、家督争いになる事は目に見えていると言われ、取り入れられなかった。それではと、越前守は、備前守の奥方が堀越公方(ホリゴエクボウ)、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事である犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔政憲(ジブショウユウマサノリ)の妹だという事を話題に持ち出した。
堀越公方が関東に下向する時、今川家の保護を求めるための婚姻だった。当時、お屋形様になるはずの義忠にも正妻はいなかったが、今川家の当主と上杉氏が婚姻関係を結ぶ事を恐れた幕府は、次男の備前守との婚姻を許した。
越前守は、備前守がお屋形様になれば、堀越公方が後ろ盾になるだろうと言ったが、今頃、そんな事をわざわざ持ち出さなくても皆、知っていたし、堀越公方は公方と呼ばれてはいても、実際に力を持ってはいない。その執事である犬懸上杉氏にしても勢力はなかった。同じ上杉氏でも山内(ヤマノウチ)上杉氏や扇谷(オオギガヤツ)上杉氏なら、関東に守護職(シュゴシキ)を持っていて勢力があるが、犬懸上杉氏は今川家の後ろ盾になる程の力を持ってはいない。逆に、今川家の方が堀越公方の後ろ盾になっていると言った方が正しかった。越前守が堀越公方の事を力説すればする程、聞いている者たちは、備前守がお屋形様になれば、堀越公方を助けなければならなくなり、余計な荷物を背負う事になるだろう思い、益々、備前守が跡を継ぐ事に反対して行った。
越前守が奥方の事を持ち出したので、対抗して、福島土佐守も中原摂津守の妻が今川一族の木田氏の出だという事を主張したが、三河の今川一族が妻だったところで、何の有利な点もなかった。土佐守は回りの反応を見て、つまらない事を言ってしまったと反省し、摂津守の今までの活躍を述べ立てた。しかし、それも、あまり効果はなかった。戦の活躍だけが、お屋形様になる資格ではない。摂津守以上に活躍している武将はかなりいる。現に、そう言っている土佐守自身が、今川家中でも一、二を争う程の首取りの名人だった。
竜王丸を押す朝比奈和泉守は、お屋形様の奥方、北川殿は幕府が勧めた奥方である。その北川殿が産んだ竜王丸がいるのに、他の者を跡継ぎにすれば、幕府に逆らう事になる。幕府あっての今川家だ。幕府に逆らったら今川家も危ないだろうと言った。しかし、岡部美濃守は、もし、竜王丸が跡継ぎになって、国人たちが騒ぎ出したとしても、今の幕府には今川家を助ける程の余裕はない。これからは幕府に頼ってばかりもいられない。幕府の重臣だった遠江の守護、斯波(シバ)氏があの様(ザマ)だ。斯波氏のようにならないように、今川家をしっかりと一つにまとめなければならん。竜王丸では無理だと反対され、和泉守も何も言えなかった。
部屋の中はすっかり暗くなり、明かりが灯される時刻となったが、決着は着かなかった。
話し合いは明日に持ち越しとなり、今日の評定はお開きとなった。
2
北川殿の朝は静かだった。
小太郎の家と大して離れていないのに、まるで、別世界にいるような静けさだった。騒いでいるのは庭に来る小鳥たちだけだった。門前町にある小太郎の家は人々の喧噪が凄かった。夜が明ける前から人々は働き出して、うるさくてゆっくり寝てもいられなかった。それに比べて、ここは気味悪い程、静か過ぎた。
小太郎は玄関のすぐ側の北川殿が客と対面する広間の脇にある十二畳間で寝ていた。昨夜、小鹿逍遙より正式に北川殿を守ってくれと言われたお陰で、屋敷内で休む事ができた。仲居たちの話によると、屋敷内に男が泊まるのはお屋形様以外、初めてだと言う。それが光栄な事なのかどうか分からないが、小太郎は一時おきに目を覚ましては見回りをしていた。加賀にいた頃、蓮如の身を守っていた頃の事が自然と思い出された。駿河に来て、また同じような事をする羽目になるとは、これも運命というものなのだろうかと不思議に思っていた。
小太郎は起きるとまず、門の所に行った。門はすでに開いていた。吉田、久保、中河の三人が守っていた。すでに夜勤の者と入れ代わっていた。
小太郎は昨夜、門番の侍たち十人と会って、打ち合わせをしていた。今まで夜警は表門の所に二人いるだけだったが、しばらくは裏門にも夜警を付けるように頼んだ。彼らにも何かが起こりそうな予感があり、皆、張り切って引き受けてくれた。
彼らから話を聞いてみると、皆、一流の武士のようだった。腕が立つというので北川殿の護衛に選ばれ、初めの内は名誉ある仕事に就けたと喜んでいた。ところが、実際の仕事はただ門の所に立っているか、ちょっとした雑用だけだった。戦に行って活躍する事もできず、毎日、同じ事の繰り返しで、皆、少々腐っているところがあった。それが、お屋形様が急に亡くなり、跡継ぎの竜王丸はまだ六歳、こいつは何事か始まりそうだと皆が思った。何としてでも、北川殿と竜王丸を守らなければならないと使命感に燃えて、張り切っていた。
小太郎は門番から何も異常がない事を聞くと、お屋形様の屋敷に続く門の方に向かった。お屋形様の屋敷への門は庭園を横切った南側の端にある。途中に立派な廐(ウマヤ)と豪華な牛車(ギッシャ)のしまってある小屋があった。廐といっても土間ではなく綺麗に磨かれた板の間で、町人たちが住んでいる長屋よりもずっと立派だった。馬はいなかった。お屋形様が馬でここに来た時だけに使う廐だろう。牛車は京の御所の辺りで時々、見かけるような金や銀で飾られた最高級のものだった。北川殿がどこかに出掛ける時はこれに乗って行くのだろう。今まで、自分の足で歩いてどこかに行った事などないのかもしれない。考えてみれば、それも可哀想な事だった。牛はいなかった。お屋形様の屋敷の方にいるのかもしれない。
小太郎は門から出て、北川殿とお屋形様の屋敷をつなぐ橋を渡った。濠の幅はおよそ五間(約九メートル)、水の深さもかなりありそうだった。北川殿には土塁はなく、塀だけだが、お屋形様の屋敷には高さ一丈(ジョウ、約三メートル)余りの土塁が濠に沿って囲んでいた。小太郎は橋を渡り、お屋形様の屋敷の門をくぐった。北川殿の方から山伏が突然、現れたものだから門番は驚き、槍を構えて屋敷内に入れないようにした。
小太郎は小鹿逍遙から頼まれて、北川殿を守る事となった大峯の山伏、風眼坊じゃ、以後、よろしく頼むぞ、と言って、戻ろうとした時、こちらに近付いて来る者があった。小河の長者、長谷川次郎左衛門尉だった。小太郎は橋の上で、次郎左衛門尉が来るのを待った。門番は姿勢を正し、次郎左衛門尉が来るのを見守っていた。
「通してもらうぞ」と次郎左衛門尉は言うと門をくぐり、橋の上にいる山伏を見て、何者じゃというような顔で門番を見た。
「長谷川殿、風間小太郎です」と小太郎は言った。
「風間殿? おお、そなたじゃったか。そういえば、そなた、大峯山の行者じゃったのう。どうして、また、こんな所に?」
「小鹿逍遙殿に北川殿の護衛を頼まれまして」
「なに、逍遙殿にか‥‥‥そうか、成程」と次郎左衛門尉は納得したように頷いた。
二人は北川殿の屋敷に上がった。
「そなたがここにいるという事は、早雲殿もすでに?」と次郎左衛門尉は聞いた。
「はい。この近くにおります」
「そなたたちが、ここを守っていてくれれば、ひとまず安心じゃ。北川殿の御様子はどうじゃ」
「はい。悲しんでおられます」
「そうじゃろうのう。まさか、こんな事になるとはのう」
次郎左衛門尉は首を振って、ぼんやりと庭を眺めながら独り言のように、「ついこの間、堀越陸奥守(ホリコシムツノカミ)殿が亡くなられたばかりじゃというのに‥‥‥こんな事になるとは‥‥‥」と言った。
「堀越陸奥守殿?」と小太郎は聞いた。聞いた事のない名前だった。
「ああ。去年の末じゃ。横地、勝間田らを退治に出掛けて亡くなられたんじゃよ」
「堀越殿というお方は今川家の重臣の方ですか」
「いや、一族じゃよ。遠江の今川氏じゃ。古くは遠江の守護だった事もある家柄じゃ。今川家が遠江に進攻するにあたって先陣を務めていたのが堀越陸奥守殿だったんじゃ」
「すると、今回の戦は、その堀越殿の弔(トムラ)い合戦でもあったわけですか」
「まあ、そうとも言えるが、お屋形様がこんな事になろうとは‥‥‥お屋形様もこれからという時に‥‥‥」
次郎左衛門尉は疲れたような顔をして遠くを見つめていた。お屋形様の事を思い出しているようだった。しばらくして、小太郎の方を向くと、まいったという風に首を振った。
「これからの事ですが、一体、どのようになるのでしょうか」と小太郎は聞いた。
「家督の事か」
小太郎は頷いた。
「難しいわ。なかなか、まとまりそうもないのう」
「早雲から、およその事は聞いておりますが、お屋形様には二人の弟がいらっしゃるとか、その弟たちが家督を狙っておるとか」
「いや、本人たちがどう思っているかは分からん。二人共、今は遠江じゃ。ただ、その二人を押す者がおるんじゃ」
「意見は三つに分かれておるのですか」
「そういう事じゃ」
「人物の方はどんなんですか」
「人物か‥‥‥どっちもどっちじゃな。早い話が河合備前守殿は戦略家で、中原摂津守殿は戦術家といったところかのう。備前守殿は広い視野を持っていて、大局的に物を見る事はできるが、ここぞという時の決断力に欠けるところがある。反対に摂津守殿は行動的で、余り先の事まで考える事はない。目先の事ばかりに囚われて物事の全体を見る事ができん。はっきり言って、今川家の事を思うと、どちらもお屋形様には向いていないんじゃ」
「二人揃えば、うまく行きそうですね」
「そうじゃな。しかし、二人の仲はあまり良くないんじゃ」
「そうなんですか」
「性格が正反対じゃからのう。お互いに相手を馬鹿にしている所があるようじゃのう」
「今回の事で仲良くやってくれれば、うまく行きそうですが」
「それは難しいのう。二人の下にいる重臣たちがまた仲が悪いからのう。二人が仲良くなろうと思っても重臣たちが邪魔をするじゃろう」
「派閥ですか」
「そうじゃ。備前守殿を押しているのは福島(クシマ)越前守じゃ。越前守は今川家の海の入り口である江尻の津(清水港)を押さえている。財力もかなりあり、武力もかなり持っている。なかなか腹黒いお方じゃ。わしの推測じゃが、越前守は伊豆の三島大社を狙っているような気がするんじゃ。備前守殿の奥方は堀越公方(ホリゴエクボウ)殿の執事、上杉治部少輔殿の妹なんじゃ。越前守は備前守殿をお屋形様にして堀越公方に近付き、三島大社の積み出し港である沼津を我物にしようとたくらんでいるような気がするんじゃ。勿論、それだけではない。備前守殿をお屋形様にする事ができれば、今川家中においても越前守の地位は上がり、朝比奈氏を凌ぐ事となろうがの」
「やはり、欲が絡んでおりましたか‥‥‥摂津守殿の方はどなたが押しておるのです」
「摂津守殿の方は岡部美濃守じゃ。こちらも欲がからんでおるのう。美濃守の妹が摂津守殿の側室になっているんじゃ。そして、その妹が産んだ子が嫡男となっておる。摂津守殿がお屋形様になれば、自分はその兄上となるわけじゃからのう。何としてでも、摂津守殿をお屋形様にしたいと主張しておる。そして、美濃守に同意しているのが、福島越前守に敵対している福島土佐守じゃ。土佐守は今川家でも一番の戦好きでな、はっきりしない備前守殿より、同じ戦好きな摂津守殿がお屋形様になった方が、自分も活躍できると思っておるのじゃろう」
「土佐守殿というお方は、わりと単純なお方のようですな」
「まあ、単純と言えば単純じゃのう。曲がった事が嫌いなさっぱりした男じゃが、古武士のような頑固さを持ってる男じゃ。まだ、三十位の男じゃがのう」
「竜王丸殿を押しておるのはどなたです」
「朝比奈和泉守殿じゃ。それに斎藤加賀守、矢部将監(ショウゲン)、そして、わしじゃ」
「小鹿逍遙殿は?」
「逍遙殿は今のところは中立じゃ。しかし、竜王丸殿が家督を継ぎ、備前守殿か摂津守殿が後見人になってくれればいいと願っているようじゃ」
「そういう具合にはなりそうもないのですか」
「難しいのう。まだ六歳のお屋形様では国人たちが今川家から離れ、駿河の国がバラバラになると言うんじゃ」
「その可能性もあるのですか」
「ないとは言えんのう。昔のように幕府が健在で、幕府がはっきりと竜王丸殿の家督を認めてくれれば、国人たちも幕府の威光を恐れ、今川家をもり立ててくれるじゃろうが、今の幕府は、はっきり言って当てにはできん。特に駿東の国人たちは今川家から離れ、関東の上杉氏と手を結ぶ者が現れて来るかもしれん」
「成程‥‥‥難しいところですね。ところで、話は変わりますが、お屋形様の弟なのに、どうして、お二人とも今川の姓を名乗らないのです」
「それはのう。他所(ヨソ)から来た者は不思議に思うのは当然の事じゃが、先代、いや、お亡くなりになられたお屋形様のお父上の代の時、関東で永享(エイキョウ)の乱というのが起きたんじゃ。その時、先々代のお屋形様は活躍して将軍様から恩賞を頂いた。その恩賞というのが奇妙なもので、今川という姓を名乗れるのは天下にただ一人だけ、今川家のお屋形様だけが名乗れるという御免許を頂いたんじゃ。それ以来、お屋形様以外は、たとえ御兄弟であろうとも、今川を名乗る事はできなくなってしまったんじゃよ。将軍様も随分と変わった恩賞をくれたものじゃ。遠江の今川家は堀越姓に変わり、先代のお屋形様の弟である逍遙殿は小鹿姓を名乗り、お屋形様の弟であるお二人は、それぞれ、河合、中原を名乗っておるんじゃよ」
「へえ、今川姓はお屋形様ただ一人だけのものだったのですか、そいつは知らなかった」
「この天下に、今川を名乗れるのはただ一人というわけじゃ」
「まあ、それも名誉と言えば名誉な事ですね」
「ああ、将軍様もうまい事を考えるものじゃ」
次郎左衛門尉は北川殿に簡単な挨拶をすると、お屋形様の屋敷の方に戻って行った。今日もこれから長い評定があるという。半ば、うんざりとした表情をしながら帰って行った。
3
お屋形様の屋敷内の大広間での評定(ヒョウジョウ)は続いていたが、それぞれが昨日と同じ事を主張するのみで何ら進歩はなかった。お互いに妥協して歩み寄ろうとはせず、己(オノレ)の意見が一番正しいのだと言い張っていた。
遠江からの連絡によると、今日のうちに、お屋形様の荼毘(ダビ)が新野城の側の河原にて行なわれ、明日、凱旋軍として新野城を立ち、その日は大井川を渡って駿河に入り、三浦氏の大津城(島田市)に泊まって、明後日には駿府に入って来るとの事だった。
少しも進展しなかった評定も、昼過ぎに葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)が登城すると、様相は一変して、さらに複雑に展開して行った。普段から仲のいい福島越前守が強い味方が来たと迎え入れ、敵対する福島土佐守は苦々しい顔をして播磨守が入って来るのを見ていた。
播磨守は朝比奈天遊斎から、今までの成り行きを一々頷きながら聞いた。
「そなたの意見はいかがじゃ」と促(ウナガ)せられると、「皆様方のおっしゃる事は皆、もっともな事でござる」と渋い顔をして言った。「しかし、皆様方は誰かをお忘れではござりませんかな」
播磨守は左右を見回してから、「竜王丸殿、河合備前守殿、中原摂津守殿、そして、お屋形様になるべきお人はもう一人おられる」と言った。
「一体、そんなお方が他におるのか」と越前守は聞いた。
「おられる‥‥‥小鹿新五郎殿じゃ」
皆、はっとした。
播磨守に言われて初めて気が付いたが、確かに、逍遙入道の嫡男、新五郎範満(ノリミツ)もお屋形様になる資格はあった。新五郎はお屋形様の従弟であり、今まで、常にお屋形様の側に仕えて活躍していた。人物的に見ても備前守、摂津守に劣る事はなく、かえって新五郎の方がお屋形様にはふさわしいと言えた。
「うむ、新五郎殿がおったか」と天遊斎は唸(ウナ)った。
「いや、あれは、お屋形様になる器ではない」と逍遙は首を振った。
新五郎の名が出た事は親の気持ちとしては嬉しくないとは言えなかった。はっきり言って、自分の息子ながら備前守、摂津守と比べたら新五郎の方が勝っていると思っている。しかし、この場では、親である事よりも今川家の長老という立場で物を見なければならなかった。確かに、伜の新五郎もお屋形様の従弟にあたり、お屋形様になる資格がないとは言えないが、新五郎が候補に上がる事によって、逍遙が子供の頃に経験した内訌(ナイコウ)が生ずる恐れがあった。今、今川家が家督争いを始めれば、遠江の守護であった斯波氏のように今川家は消滅してしまうかもしれない。新五郎が戦から帰って来たら、何としてでも説得して辞退してもらうしかないと思った。
葛山播磨守の妻は逍遙の娘だった。播磨守と逍遙の娘の婚姻は逍遙が決めたわけではなく、播磨守の方からお屋形様に頼んで実現したものだった。逍遙としては、駿河の東のはずれに可愛い娘をやるのは反対だったが、どうする事もできなかった。あの時、何となく嫌な予感があったが、今になって娘を葛山のもとにやった事を後悔していた。
葛山派の矢部将監がさっそく、竜王丸派から新五郎派に転向した。
播磨守は新五郎の祖母が関東の扇谷(オオギガヤツ)上杉氏である事も主張し、関東の上杉氏が後ろ盾となれば、東は安泰、さらに西に勢力を伸ばす事ができるだろうと言った。播磨守が言う事も一理あるが、余り関東に近づき過ぎて幕府から疑われるという恐れもあり、賛成しかねる者も多かった。幕府の力が弱まったとはいえ、代々、幕府に仕えて来ていた今川家には、幕府に逆らうなどという大それた事を本気で考えるような者はいなかった。
葛山播磨守が、新五郎の人物に関しても備前守や摂津守よりも勝っていると言い、数々の戦功を挙げると、福島土佐守が、確かに新五郎殿がお屋形様になるべきじゃと同意した。土佐守が摂津守派から新五郎派に転向し、新五郎を押すのは、葛山播磨守と矢部将監、福島土佐守の三人になり、家中は四つに分かれてしまった。
その頃、小太郎の家では、早雲が一人で何やら書いてある紙を広げて睨(ニラ)んでいた。その紙には今川家の重臣たちの名前が並んでいた。今朝、北川殿に顔を出して、小太郎から聞いたものだった。早雲は新たに小鹿新五郎の名が挙がった事をまだ知らない。竜王丸派、河合備前守派、中原摂津守派の三つに分けて書かれてある重臣たちの名を見つめていた。幸いな事に、去年の正月、伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)のお茶の指導に供として付き合ったため、今川家の重臣たちのほとんどと面識があった。知らないのは竜王丸派の朝比奈和泉守と矢部将監、摂津守派の福島土佐守の三人だけだった。当然、河合備前守と中原摂津守の二人は知っていた。
早雲から見たところ、備前守と摂津守の二人は亡くなったお屋形様と比べたら、月とスッポン程の差があると言えた。お屋形様は時代を見る目を持っていたが、弟の二人は持っていない。お屋形様は応仁の乱が始まった時、京に行って、今の幕府の姿をその目で見ているが、二人にとって幕府とは大いなる権威の象徴のままだった。この先、今川家を背負って立つには、今までのように幕府に頼っていてはならない。自立しなければ生き延びて行く事は不可能だろう。国人たちとの被官関係を強化して、駿河の国内をまとめ直さなくてはならない。果たして二人にそれができるかというと、残念ながら首を振らざるを得なかった。かと言って、竜王丸にそれができるかと言っても今は無理だった。しかし、この先、うまく教育すれば、立派なお屋形様に仕立てる事は可能だ。ただ、その場合、竜王丸が成人するまでの十年近くの間、竜王丸に変わって、お屋形様の代理をする者が必要となる。その代理の者は少なくとも今川家を今の状態のままに保たなければならない。そうなると、竜王丸の後見人は摂津守よりは備前守の方が向いているような気もしたが、やはり、頼りなかった。
備前守派の中心とも言える福島越前守は余程の財力があるとみえて、数々の茶道具やら名画やらを所持していた。茶の湯の事もなかなか詳しく、和歌や漢詩などの造詣(ゾウケイ)も深く、なかなかの人物だった。このまま竜王丸の敵になると手ごわい相手になりそうだった。
摂津守派の岡部美濃守は無駄口を言う事もなく、堅苦しい感じの男だった。お茶を習うのにも、自分が納得するまで同じ事を何度も聞いて、細々(コマゴマ)と書き留めていた。融通の利かない頭の固い男だった。曲がった事は嫌いのように思えるが、自分の妹が摂津守の側室になっているという事だけで、摂津守を押しているとは予想外な事だった。
春雨と寅之助の二人は今朝、北川殿に行った時、向こうに置いて来た。小太郎が逍遙から北川殿の警固を頼まれた事によって、北川殿を守るための人員を増やす事ができるようになった。小太郎には外部から侵入して来るかもしれない曲者(クセモノ)を見張ってもらい、春雨とお雪の二人には侍女や仲居たち、内部の者を見張ってもらう事にした。寅之助も一人でこの家に残しておくわけにもいかないので北川殿に連れて行った。あの暴れん坊があの屋敷の中でおとなしくしているとは思えないが、仕方なかった。竜王丸とうまくやってくれればいいと願っていた。さらに、富嶽、荒川坊、孫雲、才雲が戻って来たら、その四人も北川殿に潜入させるつもりでいた。富嶽には北川殿にて、今は亡きお屋形様の肖像を描いてもらい、荒川坊、孫雲、才雲は小太郎の弟子として入れるつもりだった。
早雲は懐(フトコロ)から別の紙を出すと眺めた。北川殿に仕えている者たちの名が書いてあった。それによると、侍女の二人は伊勢氏と朝比奈氏の出なので問題はないが、乳母の船橋は福島氏の出だった。福島氏といっても越前守派か土佐守派のどっちだか分からない。注意した方がいいかもしれない。仲居衆の中では朝比奈氏の西尾、長谷川氏の瀬川以外は皆、注意人物だった。警固兵の中にも注意すべき者は多くいたが、身内の者を疑いたくはなかった。裏切らない事を祈るしかなかった。
早雲は紙をたたんで懐にしまうと腕組みをして考え込んだ。
何とかして、お屋形様の屋敷内の状況が分からないものかと思った。重臣たちの評定の様子がもう少し早く分かれば対処の仕方も考えられるが、今のままでは、ただ何事かが起こるのを待つのみで、常に後手に回ってしまう。早雲も逍遙入道に頼めば、重臣たちの集まる広間に顔を出す事はできるかもしれない。しかし、今の早雲は竜王丸の伯父という立場にあった。出家しているとは言え、そんな所にのこのこ出て行けば、誰もが竜王丸の伯父として早雲を見て、その地位を利用して今川家に乗り込んで来ると思うに違いなかった。今でさえ竜王丸の立場は不利と言えるのに、早雲が顔を出せば重臣たちの反発を買って、さらに不利な状況になる可能性は強かった。あまり、お屋形様の屋敷の辺りをウロウロしない方がいいと言えた。となると頼るは小河の次郎左衛門尉しかいなかった。次郎左衛門尉が北川殿に来て、評定の内容を知らせてくれるのを待つしかなかった。五条安次郎が帰ってくれば、一々、詳しい事を知らせてくれるとは思うが、それまでは次郎左衛門尉に頼るしかなさそうだった。
「わしも北川殿に移るか」と独り言を言うと早雲は立ち上がった。
早雲が土間に下りようとした時、門の所から中を覗いている者がいた。多米権兵衛と荒木兵庫助の二人だった。早雲が中にいるのを見つけると二人は笑いながら入って来た。
「よう、久し振りじゃのう」と早雲は二人を迎えた。
「はい、お久し振りで‥‥‥ところで、何かあったんですか」と多米が聞いた。
「書き置きに、すぐにここに来いと書いてありましたが」と荒木は言った。「一体、どうしたんです。早雲庵には誰もいないし、みんなが心配してましたよ」
「そうか、心配してたか‥‥‥当分は帰れそうもないのう」
「何があったんです」
早雲は二人に事の成り行きを話した。二人は信じられないといった顔をして、お互いに顔を見合わせた。
「今、小太郎夫婦と春雨が北川殿に入っておる。富嶽は荒川坊たちを連れて遠江の状況を調べに行った」
「へえ‥‥‥」と多米は言ったが、よく分かっていないようだった。
「家督争いでも始まるんですか」と荒木は聞いた。
「分からんが、その可能性はある」
「という事は竜王丸殿の身に危険が?」
「その可能性もある」
「成程、それで、風間殿が北川殿に入ったのか」と多米にもようやく話が分かったようだった。
「早雲殿、わしらにも何かさせて下さい」
「そうじゃ、わしらも仲間に入れて下され」
「そのつもりじゃ。だが、今のところは特にないの。とりあえず、二人でここの留守番でもしておってもらおうか」
「留守番ですか」と多米と荒木は不満そうな顔をして早雲を見た。
「明日か明後日には富嶽たちが戻って来るじゃろう。そしたら改めて作戦を練る。それまではここで寝泊りしながら、ここら辺りで遊んでおってくれ。銭があればの事じゃがのう」
「銭はたっぷりあります」と荒木は言った。
「博奕(バクチ)で勝ったのか」
荒木は自慢気に頷いた。
「あまり、羽目をはずすなよ」と言うと早雲は出て行った。
4
二月十三日の夕方近く、お屋形様の軍勢が駿府に凱旋して来た。
道の両脇には行軍を一目見ようと、人々が重なるようにして集まって来ていた。その行軍は、さすがに東海一の弓取りと呼ばれる程の威厳のあるものだった。名門と呼ばれるのにふさわしく、規律正しく、きらびやかで堂々たるものだった。
その軍勢の中央にはお屋形様の姿があった。護衛の兵に囲まれて、馬上に揺られているのはお屋形様に相違なかった。道端で行軍を見ていた早雲は自分の目を疑った。一瞬、お屋形様の死体を馬に乗せているのかと思ったが、馬上のお屋形様は生きていた。そのお屋形様は兜をかぶって鎧に身を固め、顔まではよく見えないが、お屋形様にそっくりだった。弟がお屋形様に扮しているのかと思ったが、河井備前守は背丈はお屋形様と同じ位だが少々太っている。中原摂津守はお屋形様よりも大男だった。二人でないとすると兵士の中からお屋形様に似ている者を選んだのだろうか。
まあ、そんな事はどうでもよかった。これで重臣たちも揃い、いよいよ、本格的な評定が始まる。賽(サイ)の目が一と出るか二と出るか、それとも三か、荒木兵庫助じゃないが、命懸けの大博奕が始まる。これから忙しくなるだろう。
早雲は群衆から離れて、小太郎の家に向かった。
小太郎の家では遠江に行っていた富嶽、荒川坊、才雲、孫雲が待っていた。荒木と多米の二人も真面目に留守番をしていた。
「御苦労さん。何か分かったか」と早雲は板の間に上がると、さっそく聞いた。
「いや、何も分からん」と富嶽は早雲の顔を見上げながら首を振った。
「遠江では、お屋形様は亡くなってはおらんのじゃ。そんな事を噂しておる者など一人もおらんわ」
「そんなところじゃろうのう。ところで戦の状況は分かったか」
「ええ。掛川の城下でおおよその事は調べました」
富嶽の集めた情報を一つにまとめると、お屋形様が兵を率いて遠江に向けて駿府を出たのが先月の二十二日、その日は三浦次郎左衛門尉の大津城(島田市)まで行った。
二十三日、大井川を渡って北上し、鶴見因幡守(イナバノカミ)の志戸呂(シトロ)城(金谷町)を囲んで、次の日には落とした。二十五日、牧ノ原を南下して勝間田城(榛原町)を囲み、次の日には落とし、さらに、二十八日には横地城(菊川町)も落としている。
二十九日には朝比奈備中守の掛川城に入って戦陣を整え、兵馬を休養させ、二月一日の早朝より敵の籠もる見付城(磐田市)に向かい、昼過ぎより総攻撃を掛けるが、予想外の抵抗に会って、その日のうちに落とす事はできず、城を囲んだまま夜を明した。あらゆる作戦を用い、鶴見因幡守の寝返りによって城が落ちたのは六日の日が暮れる頃だった。敵の大将、横地四郎兵衛、勝間田修理亮(シュリノスケ)は討ち死にした。
翌日の七日、首実験を行なって福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)の高天神(タカテンジン)城(大東町)に向かい、次の日は一日休養した。九日には駿府に向けて凱旋する予定だったが、見付城から逃げて来た横地、勝間田の残党が横地城に立て籠もって、凱旋する今川軍に対して攻撃を掛けるとの情報が入り、予定を変更して横地城に向かった。前回、横地城を攻撃した時は留守を守っていた松井、二俣の両氏が今川方に寝返ったため横地城は無傷のままだった。残党は不意を襲って松井、二俣を追い出し、城を乗っ取っていた。
今川軍の総攻撃を受けて横地城が落ちたのは、その日の日暮れ近かった。暗くなりかけた頃、今川軍は横地城の南一里程の所にある新野城に向かった。新野城は今川一族の新野左馬助(サマノスケ)の城だった。その城に向かう途中、塩買坂(シオカイザカ)という所で残党の夜襲に会い、今川家の重臣、朝比奈肥後守(ヒゴノカミ)、矢部美濃守ら数人がやられた。
十日、新野城を中心に残党狩りを行ない、十一日、朝比奈、矢部氏など討ち死にした者たちを河原にて荼毘(ダビ)に付して、十二日、駿府に向けて出発。その日は大井川を渡って大津城に入り、そして、今日、ようやく駿府に到着した。
「朝比奈肥後守殿もお亡くなりになったのか」と早雲は聞いた。
「はい。早雲殿は御存じで?」
「ああ、天遊斎殿の伜殿じゃ」
「と言うと、朝比奈城の城主ですか」
「そうじゃ、天遊斎殿の嫡男じゃった」
「お屋形様を初め、重臣の方々がお亡くなりになって、今川家も大変じゃのう」
早雲は頷き、少し考えてから、「新野城の近くで荼毘に付したとのか」と聞いた。
「はい。新野城の近くまで行ったんじゃが近付けんかった。仕方なく川を渡って、対岸から隠れながら見ておったが、その中にお屋形様の遺体があるかどうかまでは分からなかった」
「何体位、荼毘に付していたんじゃ」
「さあ、身分の高い者だけじゃと思うが、かなりあったぞ。何人もの坊主が経を上げておったわ」
「そうか‥‥‥ところで、お屋形様に扮しておったのは一体、誰なんじゃ」
「それが分からんのです。お屋形様にそっくりで、わしは、もしかしたら、お屋形様は生きておるんじゃないかと思った位じゃ」
「そうか‥‥‥」
「それで、こっちの様子はどんなです」
「今のところは問題ない」
「家督は竜王丸殿に決まりそうですか」
「それは難しいのう」
早雲は例の紙を富嶽たちに見せ、今、重臣たちの意見が四つに分かれている事を知らせた。
「戦から帰って来た重臣たちの意見がどうなるかじゃな」と早雲は言った。
「竜王丸殿、河井備前守殿、中原摂津守殿、そして小鹿新五郎殿か‥‥‥小鹿新五郎殿というのは逍遙入道殿の伜殿ですか」
「そうらしい。わしも会った事はないが、なかなかの男だそうじゃ。初め、新五郎は候補の中に入っておらんかったが、葛山播磨守が現れると新五郎の名を出し、竜王丸派だった矢部将監と摂津守派だった福島土佐守が同意したんじゃ」
「葛山播磨守というと愛鷹(アシタカ)山の裾野の?」
「そうじゃ。駿河の東のはずれじゃ」
「その葛山が小鹿を押すという事は逍遙殿と何かつながりでもあるのですか」
「播磨守は新五郎の人物を押しておるが、実は逍遙殿の娘が播磨守の妻になっておる。それに逍遙殿の母親は相模国守護の扇谷上杉氏じゃ。播磨守の領地は相模国と隣接しておる。新五郎がお屋形様となれば扇谷上杉氏とのつながりができ、さらに勢力を広げようとたくらんでおるに違いない」
「しかし、駿河と相模が手を結べば、播磨守は相模に攻め込む事はできんじゃろ。かえって、敵対しておった方が攻め込む事ができるんじゃないのか」
「扇谷上杉氏と葛山氏では勢力が違い過ぎる。まともにやっても負けるだけじゃ。播磨守は今川家の被官として扇谷上杉氏に取り入り、隙を見ながら徐々に勢力を拡大するつもりじゃろう。わしも会った事はないが、かなりの男に違いないと睨んでおる」
「そういう男が竜王丸殿の敵におるという事は一筋縄では行きそうもないのう」
「ああ、難しい。難しいが、何としてでも竜王丸殿にはお屋形になってもらう」
早雲の顔は厳しかった。
富嶽、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲の六人は今まで早雲の真剣な顔というものを見た事はなかった。早雲を見ながら六人は、早雲が今回の事に命を賭けているのではないかと感じていた。早雲がその気でいるのなら、わしらもやらなければならない。早雲のために、竜王丸のために、命を賭けて一仕事をやるかと六人は久し振りにやる気を出していた。
富嶽は数年間、早雲と共に暮らして来て、早雲のような男が武士をやめてフラフラしているのは勿体ないと常に思っていた。早雲が武士に戻るのなら早雲の家来になってもいいと思った事もあった。しかし、早雲はもう二度と武士に戻る気はなさそうだった。富嶽もその事は諦め、そんな事を思った事もすっかり忘れていたが、今、その事を思い出していた。早雲が武士に戻るかどうかは分からなかったが、自分の命を早雲という目の前にいる男に賭けてみようと心の奥で決心を固めた。
荒木と多米の二人も自分を生かす道が見つからず、浪人したままブラブラしていた。何かをしなければならないと焦るが、何をやっていいのか分からず、また、あちこちを旅をして命を賭けられる程の武将を捜してもみたが、それ程の武将は見当たらなかった。そして、今、早雲という男を改めて見ながら、早雲は武将ではないが、この人のためなら、なぜか、命を預ける事ができるかもしれないと感じていた。二人ともやってやろうじゃないか、と久し振りに心が高ぶって行くのを感じていた。
荒川坊は早雲と再会して以来、ずっと、早雲について行こうと決めていた。早雲がこれから何をやろうとしているのかよく分からなかったが、どこまでもついて行こうと決めていた。才雲と孫雲の二人も荒川坊と同じだった。師匠と決めた早雲が何か大きな事をやろうとしている。何が起ころうと師匠に付いて行くだけだった。
早雲は六人を引き連れて、北川殿に向かった。これから、しばらくの間は全員で北川殿を守る事にした。
5
駿府に帰って来たお屋形様の遺骨は、一晩、お屋形様の屋敷の上段の間に安置され、ひそやかな通夜が行なわれた。北川殿も牛車(ギッシャ)に乗ってお屋形様の屋敷まで出掛け、ほんの一瞬だったがお屋形様に別れを告げた。竜王丸を初め子供たちは一緒には行かなかった。
翌朝、お屋形様の遺骨は今川家の菩提寺(ボダイジ)、宝処寺(ホウショジ)に納まった。お屋形様の死を隠しているため、法要をする事はできなかった。城下は凱旋気分で浮かれていても、お屋形様の屋敷はひっそりと静まり返っていた。
大広間では新たに戦から帰って来た重臣たちが加わって評定が始まっていた。早いうちに跡継ぎを決め、お屋形様の葬儀をしなければならないのに、いつまで経っても一つにまとまりそうもなかった。
新たに加わった重臣は、大津城の三浦次郎左衛門尉、方上(カタノカミ)城(焼津市)の岡部五郎兵衛、新野城の新野左馬助、堀越城(袋井市)の堀越陸奥守、高天神城の福島左衛門尉、掛川城の朝比奈備中守、久野(クノ)城(袋井市)の久野佐渡守、そして、お屋形様の祐筆(ユウヒツ)だった五条安次郎だった。
三浦次郎左衛門尉は迷わず、小鹿新五郎を主張した。今回の戦での新五郎の活躍は目覚ましいものがあったし、お屋形様が亡くなってからの行動が特によかったと次郎左衛門尉は感心していた。まさしく、お屋形様の跡を継ぐ者は新五郎をおいて他にないと信じていた。塩買坂で突然の夜襲を受けた時、お屋形様の後にいた新五郎は、お屋形様がやられ、側を守っていた者たちが次々にやられるのを目撃し、兵たちが怒りと恐れから狂乱状態に陥って分散してしまうところを冷静にくい止め、隊を崩さずに見事に新野城まで退却した。あの時、新五郎が逆上して敵の中に突入していたら、今川軍は全滅に近い被害をこうむっていたに違いなかった。新野城に入ってからも、二人の弟が取り乱したまま何もする事ができなかったのに比べ、新五郎は常に適切な処置を命じていた。そして、駿府に帰る時、お屋形様に扮して見事な行軍を行なったのも新五郎だった。その姿を見ながら、新五郎がお屋形様になれば今川家は安泰じゃ、と本心から思っていた。次郎左衛門尉と同じく、新五郎の活躍をすぐ側で見ていた新野左馬助も、小鹿新五郎をおいて他にはいないと言い張った。
岡部五郎兵衛は朝日山城の岡部美濃守の弟で、迷わず、妹が側室に入っている中原摂津守を選んだ。
朝比奈備中守、久野佐渡守の二人は見付城の攻撃の時は参加していたが、城が落城して勝利を得ると、それぞれの居城に帰って祝勝の宴を張り、改めて正月気分に浸っていた。そんな時、突然、お屋形様の戦死の知らせを受け、半信半疑の気持ちで新野城に向かった。
福島左衛門尉は見付城落城の後、お屋形様を自分の居城、高天神城に招待して充分に持て成し、休養してもらった。お屋形様が残党の籠もる横地城に向かった時、お屋形様が来なくてもいいと言ったので、左衛門尉は一緒に行かなかった。まさか、その時が、お屋形様と最期の別れになるとは思ってもいなかった。知らせを受けて、左衛門尉は泣きながら新野城に向かった。
その三人は三浦次郎左衛門尉とは違い、新五郎を押さなかった。竜王丸が跡継ぎになるべきだと主張した。彼ら三人の本拠地は遠江の国だった。彼ら三人も河合備前守、中原摂津守と比べれば小鹿新五郎の方がふさわしいとは思うが、新五郎がお屋形様となった場合、関東に近付く事となり、幕府の怒りを買う事になりはしないかと心配した。もし、幕府軍が今川家を攻める事となれば、まず、遠江から攻めるのは間違いなかった。せっかく、横地、勝間田らの豪族を倒して、遠江の東半分は今川家の勢力範囲になったと言える今、幕府に逆らえば遠江の国は取り上げられるかもしれない。久野氏は元々、遠江に根を張っているので、先祖代々の土地を奪われる事はないとは思うが、福島左衛門尉と朝比奈備中守は遠江に進出して、まだ一年ちょっとしか経っていなかった。ようやく、自分の城を持って、これから地盤を固め、勢力を広げようという時に遠江から追い出されたくはなかった。それに、二人共、亡きお屋形様には恩があった。福島左衛門尉は江尻城の越前守の弟であり、朝比奈備中守は天遊斎の次男だった。二人とも次男の身でありながら遠江進出のため、左衛門尉は高天神城の城主に抜擢され、備中守は掛川城の城主に抜擢されていた。自分たちを選んでくれたお屋形様のためにも跡目は竜王丸に継いでもらいたかった。
五条安次郎は初めから竜王丸派だったが、五条の存在はただの祐筆でしかなかった。錚々(ソウソウ)たる重臣たちに向かって、自分の意見を言える程の身分ではなかった。
最後の堀越陸奥守は去年の末、横地、勝間田らを退治するために出陣して戦死した堀越陸奥守の弟だった。陸奥守が戦死するまでは堀越家の菩提寺である海蔵寺の禅僧だった。突然、兄が亡くなり、兄の嫡男がまだ八歳だったため、お屋形様に頼まれて還俗(ゲンゾク)して、堀越家の家督を継ぎ、陸奥守の名乗りも継いだが頭は剃髪したままだった。陸奥守はまだ、今川家中の事がよく分からなかった。軽はずみな事を言って、つまらない派閥争いに巻き込まれたくはなかった。しばらくは中立のまま様子をみようと思っていた。
この時点で、中立派は朝比奈天遊斎、小鹿逍遙、堀越陸奥守の三人。
竜王丸派は朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉、朝比奈備中守、福島左衛門尉、久野佐渡守の六人。
小鹿新五郎派は葛山播磨守、三浦次郎左衛門尉、福島土佐守、矢部将監、新野左馬助の五人。
河合備前守派は福島越前守、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守の四人。
中原摂津守派は岡部美濃守、岡部五郎兵衛、由比出羽守の三人だった。
今の状況では小鹿新五郎が少し有利に立っていると言えた。
候補に上がっている小鹿新五郎、河合備前守、中原摂津守の三人は、お屋形様の座るべき上段の間のすぐ下に並んで控え、重臣たちの言い争う様を眺めていた。駿府に凱旋して来るまでは、自分がお屋形様になる事など真剣に考えてもいなかった三人も、この場に座らせられた事によって自分が今川家の家督を継いで、お屋形様になるという事を実感していた。そして、お互いに、家督を手に入れるためには隣に座る二人と六歳の竜王丸を倒さなくてはならないという事も自覚していた。涼しい顔をして座っている三人だったが、心の中では欲望の炎がメラメラと燃え広がっていた。
その日の晩、長谷川次郎左衛門尉が五条安次郎と堀越陸奥守を連れて北川殿を訪れた。陸奥守はまだ跡継ぎになるべき竜王丸に会った事がなかったため、一応、挨拶に来たのだった。
型通りの挨拶の後、早雲と小太郎は今日の評定の様子を三人から聞いた。早雲はさっそく、例の紙に新しく参加した重臣たちの名前を書き加えた。
「これから、どうなるんかのう」と小太郎は紙を覗きながら言った。
「分からんのう。一つにまとめる事は難しいわ。この有り様で、お屋形様がおられた時、よくまとまっていたものじゃと今更ながら感心するわ」と次郎左衛門尉は庭の向こうに見えるお屋形様の屋敷の屋根を見ながら言った。
「お屋形様がそれだけ大きかったという事ですね」と早雲は言った。
「そういう事じゃのう。お屋形様が家督を継がれたのは、確か、二十五、六の時じゃった。あの時は少々頼りないという気もしたが、今思えば、お屋形様らしいお屋形様じゃったのう。せめて、後十年、生きていてくれたなら、こんな内輪揉めも起きなかった事じゃろうに‥‥‥横地、勝間田らを討った後じゃったからまだいいが、奴らが生きていたら絶好の機会じゃと駿河に攻めて来るじゃろう。しかし、のんびりといつまでも、だらだらと評定を重ねているわけにもいかん。お屋形様の死をそういつまでも隠しておく事もできんじゃろう。お屋形様の死を知れば、遠江の国人たちがまた斯波氏に付いて騒ぎを起こすかもしれん。早いうちに決めなくては今川家の存亡に拘わるかもしれんわ」
「遠江の状況は危険なのですか」と早雲は陸奥守に聞いた。
「遠江は天竜川を境に東西に分かれております。東側は横地、勝間田が消えたので、今川家の勢力範囲となりました。西側は斯波氏と手を結んだ三河の吉良殿の勢力範囲と言えます。東側は今川家の勢力範囲となりましたが、北部の山岳地帯は天野氏の勢力範囲です。天野氏は今川家の被官となり、重臣の一人になっておりますが、ここだけの話ですが、この天野氏が曲者(クセモノ)です。今川家が家督争いを起こして弱体化するのを願っているかもしれません」
「天野氏がか‥‥‥今川家からの独立を考えているというのか」と次郎左衛門尉は聞いた。
「ありえます」
「確かにのう。横地、勝間田が消え、今川家に内訌でも起これば、東遠江を我物にしようと考えるのは当然の事じゃのう‥‥‥確か、天野氏もそろそろ駿府に来るはずじゃが」
「天野氏もお屋形様の死を知っておるのですか」と早雲は次郎左衛門尉に聞いた。
「ああ、知らせた。一応、重臣じゃからのう」
「もし、来なかったら、今川家に反旗をひるがえしたという事になりますね」と小太郎は言った。
「いや。来るじゃろう。こちらの様子を調べん事には、天野氏としても動きが取れんじゃろうからの」
「その天野氏とやらが来たら、益々、複雑になりそうじゃのう」と小太郎は言った。
「候補に上がっておる三人の気持ちはどうなんです」と早雲は聞いた。
「三人共、はっきりとは言わんが、やる気、充分のようじゃのう。一人くらい遠慮して、竜王丸殿をもり立てて行くという者がいてもいいものを、欲に目が眩(クラ)んで、そんな事を言う者は一人もおらん。困った事じゃ」
「最悪の場合は武力に訴えるという事もありえるのですか」
「そこまで行かん事を祈るしかないのう」
「長谷川殿、お聞きしたいのですが、今、お屋形を守っておる兵たちの指揮権はどなたが持っておるのですか」と小太郎は聞いた。
「お屋形様直属の奉公衆の事か」
「はい」
「お屋形様が戦に出掛けた時は留守を守っていた河合備前守殿じゃったが、今は小鹿逍遙殿じゃと思うがのう」
「逍遙殿ですか‥‥‥」
「しかし、奉公衆にも派閥がある。奉公衆というのは一族の者や重臣たちの子息たちで編成されておるんじゃ。一族や重臣たちが分かれれば当然、奉公衆も分かれる事となるじゃろう」
「その奉公衆というのは、どれ位おるものなのですか」
「それは、五条殿の方が詳しいじゃろう」と次郎左衛門尉は言った。
「はい」と五条が答えた。「普通、三百騎と言われておりますが、実際はそれ程おりません。二百五十騎というところでしょうか。五組に分かれておりまして、一ケ月交替でお屋形の警固と詰の城の守りをやっております」
「五組に?」
「はい。その内の一組が本曲輪(クルワ)と呼ばれているここを守り、二組目が二の曲輪を守り、三組目が詰の城を守ります。残りの二組は休みというわけですけど、戦があれば、その二組がお屋形様を守るために付いて行く事になります。今回、戦に行ったのは二番組と三番組です。本来なら今月から二番組がここを守る事になっておりましたが、戦が二月にまたがってしまったので、四番組が今、ここを守っております」
「戦から帰って来た者たちは今、どうしておるんじゃ」
「この先、戦がなければ今月一杯は休みという事になります」
「今は、ここにはおらんのか」
「この城下に住んでいる者も何人かおりますが、ほとんどの者が親元の家族のもとに帰っていると思います」
「今、ここを守っている四番組の頭というのは誰じゃ」
「確か、入野兵庫助(イリノヒョウゴノスケ)殿だと思いますが」
「入野兵庫助‥‥‥」
「はい。今川一族です」
「という事は何派なんじゃろう」と早雲は言った。
「分かりませんな」と次郎左衛門尉は首を傾げた。「しかし、一応、調べた方がよさそうじゃな」
「お願いします」
「さすがじゃのう。そこまで考えるとはのう。ただ者ではないと思っておったが、早雲殿、そなたはなかなかいい仲間を持っておるわ」
「修羅場を何度も経験してますからね、小太郎は」
小太郎は頷き、「北川殿と竜王丸殿の事は、この命に代えてでもお守りいたします」と言った。
「任せましたぞ。こんな事は言いたくはないが、竜王丸殿を亡き者にしようとたくらむ者がいないとも限らん」
日の暮れる前、長谷川次郎左衛門尉、堀越陸奥守、五条安次郎は帰って行った。
庭では竜王丸と寅之助が遊んでいた。寅之助もこの屋敷にふさわしい格好をしている。それがなぜか、よく似合っていた。真っ黒な顔をして、ぼろを着ていた浮浪児だったとは、とても信じられない程だった。竜王丸にしても嬉しいのだろう。今まで他の子供たちと遊んだ事がなかった。子供の世界には身分などまったく存在しない。一歳年上の寅之助は彼なりに竜王丸の面倒をよく見ていた。
西の空がやけに赤かった。
6.北川殿1
1
山伏、風眼坊舜香に戻った風間小太郎は北川殿を囲む塀と濠との間の狭い所に立ち、濠の向こう岸を眺めていた。
正面には広い道の向こうに高い土塁があり、その向こうには北川が流れている。そして、北川の向こうに小太郎夫婦が借りた家があるはずだった。今、その家には誰もいない。今の状況では、いつになったらあの家に戻れるのか分からなかった。
右側に目をやると北川殿を警固している北川衆の家族の住む家々が並び、その向こうに、北川殿と同じように濠に囲まれた二層建ての豪勢な屋敷が見える。昔、将軍様が駿府に来た時に使用したという道賀亭(ドウガテイ)と呼ばれる客殿だった。今は、京から来た公家たちを持て成すのに使っているらしい。道賀亭の他にも、将軍様を接待した時に使用したという望嶽亭(ボウガクテイ)、清流亭と呼ばれる客殿もお屋形内には残っていた。
小太郎は濠と塀の間の狭い所を歩きながら濠の中を覗いた。濠の幅はおよそ五間(ゴケン、約九メートル)、水面まではおよそ二尺。水の深さは聞いたところによると一丈(イチジョウ、約三メートル)だという。
北川殿には濠はあるが土塁はなかった。土塁を囲むと景観を損(ソコ)なうというので、濠を掘った時の土を平らにならし、その分、北川殿は少し高い位置に建っていた。濠に囲まれてはいても防御態勢は完全ではなく、もしもの時はお屋形様の屋敷に避難するという事なのだろう。しかし、今はお屋形様の屋敷に避難するわけにはいかなかった。重臣たちが評定を重ねているお屋形様の屋敷の方が、ここよりもずっと危険と言えた。この不完全な防備しかない北川殿において、北川殿母子を敵から守らなければならなかった。
小太郎は濠の水を眺めながら、これでは簡単に忍び込めるなと思った。濠に舟を浮かべれば簡単にこちら側に渡れる。わざわざ、舟を使わなくても丸太でも渡せば簡単に渡る事はできる。こちら側に渡ってしまえば、後は塀を越えるのはわけない事だった。これでは門を固めていても何にもならない。忍び込む気になれば、どこからでも入って来られる。まず、四隅に見張り櫓(ヤグラ)を建てて濠の回りを見張らせなくてはならなかった。そして、濠と塀との間に鉄菱(テツビシ)を撒いた方がいいだろう。しかし、今、小太郎は鉄菱を持ってはいなかった。すぐにでも鍛冶師(カジシ)に頼んで作ってもらうしかなかった。塀にも何か仕掛けを作りたかったが、五尺足らずのただの木の塀ではどうしようもない。塀の向こう側にも鉄菱をばらまく以外にいい考えは浮かばなかった。小太郎は塀を簡単に飛び越えると庭園を横切って、そのまま表門の方に向かった。
今、北川殿には早雲を初めとして、早雲庵の住人すべてが詰めていた。お雪と春雨は北川殿の身辺を守り、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲らは庭園の片隅にある馬のいない廐で寝起きしながら夜警を担当していた。早雲、小太郎、富嶽の三人は屋敷内の広間の隣にある座敷で寝起きしながら北川殿と竜王丸を守っている。
小太郎は屋敷内にいた早雲に一声掛けると、庭で遊ぶ美鈴、竜王丸、寅之助、側で控えている仲居の嵯峨を横目で見ながら急ぎ足で門から外に出た。さらに、お屋形の北門をくぐって浅間神社の門前町に向かった。小太郎も小鹿逍遙から、お屋形に自由に出入りできる過書(カショ)を貰っていた。小太郎が向かう所は門前町の一画にある職人町だった。何としてでも鍛冶師に頼み、鉄菱を作って貰わなければならなかった。
小太郎が門前町に向かった頃、早雲と富嶽はお屋形様の地位を争う各派閥の兵力を計算していた。五条安次郎が帰って来たお陰で、早雲は今川家に関する様々な情報を手に入れる事ができた。兵力は知行高(チギョウダカ)によって、おおよそ計算する事ができた。お屋形様の祐筆であった安次郎は重臣たちの知行高は勿論知っていた。
知行高によって、おおよその兵力を割り出して見ると、
竜王丸派は、朝比奈城の朝比奈天遊斎の五百、小瀬戸城の朝比奈和泉守の二百、鞠子(マリコ)城の斎藤加賀守の二百、小河(コガワ)城の長谷川次郎左衛門尉の二百、遠江勢では、堀越城の堀越陸奥守の三百、掛川城の朝比奈備中守の二百、高天神城の福島左衛門尉の二百、久野城の久野佐渡守の二百、しめて、二千となる。
小鹿(オジカ)新五郎派は、葛山(カヅラヤマ)城の葛山播磨守の八百、花倉城の福島土佐守の三百、吉原城の矢部将監の二百、大津城の三浦次郎左衛門尉の五百、遠江新野城の新野左馬助の二百、そして、小鹿新五郎の三百をたして、しめて、二千三百。
河合備前守派は、江尻城の福島越前守の五百、庵原山(イハラヤマ)城の庵原安房守の二百、横山城の興津(オキツ)美作守の二百、蒲原城の蒲原越後守の二百、そして、河合備前守自身の兵力三百をたして、しめて、一千四百。
中原摂津守派は、朝日山城の岡部美濃守の五百、方上城の岡部五郎兵衛の二百、川入城の由比出羽守の二百、中原摂津守自身の三百で、しめて、一千二百。
その数は騎馬武者だけでなく、徒歩武者の数も入っている。動員できる総人数と言えた。
兵力から言えば、小鹿新五郎派が有利だったが、まだ、お屋形様直属の兵が二百五十騎が残っている。騎馬武者が二百五十騎という事は、徒歩(カチ)武者も入れれば総人数は一千人近くになるだろう。それらがどこに付くかで状況は変わって来る事となる。また、遠江の天野氏がこの中に入っていない。今日あたり駿府に着くらしいが、その天野氏がどこに付くかで状況は一変する事となろう。安次郎の話によると天野氏の兵力は一千二百はあるだろうと言っていた。
戦に発展する事はないとは思うが、評定(ヒョウジョウ)の場でも兵力がものを言う事は充分にありえる。それぞれの派閥が天野氏を抱き込もうと躍起になっているのかもしれなかった。
「中原摂津守は消えそうじゃな」と富嶽は言った。
「いや」と早雲は首を振った。「岡部美濃守はそう簡単に寝返りはせんじゃろう。妹が摂津守の嫡男を産んでおるからのう」
「由比出羽守はどうして摂津守派なんじゃ」
「出羽守の姉が美濃守の奥方だそうじゃ」
「という事は美濃守も出羽守も五郎兵衛も皆、兄弟という事じゃな」
「そういう事じゃ。この三人は他に移る事はあるまい。それより、河合備前守の方が消えそうじゃな」
「福島越前守か」
「そうじゃ。越前守は備前守の奥方が堀越公方(ホリゴエクボウ)に関係があり、備前守がお屋形様になれば関東との取り引きができて、江尻津が栄えるじゃろうという事で備前守を押しておる。しかし、関東との取り引きが目的なら、堀越公方よりは相模国守護の扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の方がずっといいじゃろう。小鹿新五郎の祖母は扇谷上杉氏じゃ。葛山播磨守あたりから説得されれば寝返る事も考えられる」
「成程のう。ありえるな」
「越前守が抜ければ、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守も右にならえと寝返る事になるじゃろう。そうすれば備前守を押す者は一人もおらんという事になる」
「可哀想な事じゃ。そうなった場合、備前守はどうするんかのう」
「自分を裏切った者たちのおる小鹿派にはなるまい。仲の悪い弟を押すという事も考えられんしのう」
「という事は竜王丸派になるという可能性が強いのう」
「ああ。竜王丸殿を補佐するという形で竜王丸殿を押すじゃろうな」
「備前守が竜王丸派になるのはいいが、福島越前守らが小鹿派に乗り換えたら、益々、勢力を強める事になるのう」
「そうじゃな。しかし、福島越前守と福島土佐守は犬猿の仲じゃ。越前守が小鹿派になれば土佐守は出て行くような気もするがのう」
「ふむ。土佐守は初め摂津守派じゃったが、小鹿派に替わり、小鹿派から出たら、どこに行くんじゃ?」
「さあな。岡部氏と仲がよさそうじゃから、また、摂津守派に戻るか、越前守の弟、左衛門尉がおる竜王丸派になるか、まあ、性格的に見て河合備前守を押す事はあるまいが、どっちに付くか分からん」
「問題は天野氏がどこに付くかじゃな」
「もう、今頃は評定に加わっておるかもしれん。もう少ししたら五条殿が知らせてくれるじゃろう」
「五条殿か‥‥‥もしかしたら、五条殿、今回の騒ぎが治まったらやめるかもしれんのう」と富嶽は言った。
「五条殿がやめる?」と早雲は不思議そうな顔をして富嶽を見た。
「ああ」と富嶽は頷いた。「早雲殿が留守じゃった時、五条殿が早雲庵に訪ねて来て、飲み明かした事があったんじゃ。その時、五条殿は遠江進攻が一段落したら、思い切って今川家から暇(イトマ)を貰おうと言っておったわ」
「どうして、また」
「それが、早雲殿のせいらしいのう」
「なに、わしのせい」
「五条殿は若い頃から西行(サイギョウ)法師に憧れておったんじゃそうじゃ」
「放浪の歌人か」
「連歌師の宗祇(ソウギ)というお方の弟子になろうとした事もあったそうじゃ。しかし、その宗祇殿に断られて、一時は諦めておったらしいが、早雲殿が駿府に来て、何物にも囚われずに自由気ままに生きておる早雲殿を見ておるうちに、昔の夢が思い出されて来て、もう、どうにも我慢ができなくなったそうじゃ。お屋形様には随分と世話になったが、自分が修行して立派な連歌師になれば、お屋形様にも恩返しができるじゃろうと言っておった。そのお屋形様が亡くなられてしまわれた。五条殿はこれを機会に今川家から離れるような気がするんじゃ」
「そうか‥‥‥確かに、五条殿は歌作りの才能がある。それもまた、いいかもしれん‥‥‥五条殿に宗祇殿の事を知らせるのをすっかり忘れておったわ」
「早雲殿は宗祇殿を御存じで」
「前回の旅の時、偶然にお会いしたんじゃ。宗祇殿のもとで修行するのもいいかもしれんのう」
「そうですか‥‥‥」
「五条殿の事は家督が決まってからじゃ。本人も今はそれどころではあるまい」
「そうでしょうな」
小太郎が部屋に入って来た。
「戦になったら、ここから、どこかに移った方がいいのう」と小太郎は言った。
「それは分かっておる」と早雲は言った。
「戦になりそうな雰囲気になったら、竜王丸殿は安全な所に移す。じゃが、その時期が問題じゃ。竜王丸殿がお屋形から出れば、家督の候補から降りたと思う者も出て来るじゃろう。誰かにお屋形を占領されでもしたら、それこそ不利になる」
「ぎりぎりの時まで、ここに踏ん張っておるというわけじゃな」
「そうじゃ。何事もないような振りをしてな」
「この屋敷に忍び込むのは簡単じゃ。忍び込む気になれば、どこからでも入れる。攻めるのに易く、守るのに難(カタ)し、というところじゃのう」
「そこを何とかするために、おぬしがおるんじゃろ」
「まあ、そうじゃがの。大っぴらに見張り櫓を建てるわけにも行くまい。やり辛いわ」
「見張り櫓か‥‥‥今更、そんな物を建てたら反竜王丸殿派を刺激する事になりかねんわ。何も知らないで悲しみに暮れておると思わせておいた方がいい」
「分かっておるわ。しかし、敵の動きが分からんというのは辛いのう。太郎坊でもおれば、敵の屋敷に忍び込んで敵が何を話しておるのか、すぐに分かるのにのう」
「陰の術か」
「そうじゃ」
「おぬしもできるんじゃろう」
「ああ、できる。しかし、わしがここから抜けたら、こっちが心配じゃ。敵が竜王丸殿を暗殺するために誰かを忍び込ませるとしたら、その誰かというのは山伏に違いない。多米や荒木たちも腕は立つが、山伏のやり方というものを知らん。荒川坊は山伏じゃが頼りないしのう。わしがおらなくては心配で任せられんわ」
「成程のう。陰の術というのは、こういう時に役に立つのか。わしも習えばよかったのう‥‥‥小太郎、駿河にも飯道山の宿坊はあるんじゃないのか」
「ある。じゃが、富士の裾野の大宮じゃ。ここからじゃ遠すぎる。また、行ったとしても、陰の術を心得ておる山伏などおらんじゃろう」
「そこの浅間神社にはおらんのか」
「そこにいる山伏は皆、今川家とつながりのある山伏ばかりじゃ。誰が誰とつながりがあるのか分からん、使うのは危険じゃ」
「という事は、そこの山伏がここに忍び込んで来るという事も充分、考えられるんじゃな」
「そういう事じゃな」
「そうか‥‥‥山伏が出て来るか‥‥‥まさか、こんな事になるとは思ってもおらんかったが、おぬしを駿府に連れて来てよかったわ。山伏の事は山伏にしか分からん。小太郎、頼むぞ」
「ああ、何とかせにゃのう」
踊りの稽古が始まったようだった。お屋形様の死の知らせを受けてから踊りの稽古はやめていたが、北川殿もようやく立ち直ったとみえて、昨日からまた始められていた。踊りを踊っている美鈴も、それを見ている竜王丸も、まだ、父親の死を知らなかった。北川殿は子供たちにそれを言い出す事はできなかった。早雲たちも時期を見てから、改めて教えた方がいいと思い、知らせてはいなかった。
早雲と小太郎と富嶽の三人はお雪の吹く笛の調べを耳を澄ませて聞いていた。
今の状況を左右する程の勢力を持つといわれる天野氏は百騎近い兵を引き連れて駿府にやって来た。今川家の重臣となっている天野氏は二人いた。兵部少輔(ヒョウブショウユウ)と民部少輔(ミンブショウユウ)の二人だった。二人は兄弟ではなく古くから枝分かれした一族で、総領家の兵部少輔は犬居城(周智郡春野町)を本拠とし、支流家の民部少輔は犬居城の奥にある笹峰城を本拠としていた。二人の天野氏と共に天方(アマガタ)城(周智郡森町)の天方山城守も一緒に来ていた。
三氏は今川屋形の二の曲輪内にある各自の屋敷に入ると、その日は、お屋形様の遺骨が納められている宝処寺に参じて焼香をした。翌日より、お屋形様の屋敷内で行なわれている評定に参加したが、各自の意見はバラバラだった。
三氏の中で一番勢力を持つといわれる天野兵部少輔は河合備前守を押し、民部少輔は竜王丸を押し、天方山城守は小鹿新五郎を押した。兵部少輔は、長男が亡くなった場合は次男が継ぐのが当然だと主張し、民部少輔は、お屋形様の嫡男がいるのなら、たとえ幼くても嫡男が継ぐべきだと主張し、山城守はしばらく中立を守って、それぞれの意見を聞いていたが、小鹿新五郎を押す葛山播磨守の話に動かされ、お屋形様には、それに最もふさわしい者がなるべきだと小鹿派になった。兵部少輔と民部少輔は普段から仲が悪いとみえて、その場でも喧嘩騒ぎになりそうだったという。
三氏が加わった事によって、竜王丸派の兵力は二千五百、小鹿新五郎派は二千六百、河合備前守派は二千二百、中原摂津守派は変わらず一千二百という具合になった。摂津守派を除き、ほぼ互角という様相になっていた。果たして、これからどう進展して行くのか、誰にも見当さえつかなかった。
小太郎は多米、荒木、荒川坊らと一緒に塀の外側と内側に鉄菱を撒いていた。
「こんな武器があったとは知らなかったのう」と多米は言った。
「こいつを踏ん付けたら足に穴があくぜ」と荒木は言った。
「お前ら、自分で撒いた鉄菱を踏ん付けるなよ」
「荒川坊の奴が踏ん付けそうじゃな」と多米が笑った。
「そんな‥‥‥わしだって踏みはしませんよ」と荒川坊が塀の向こう側から顔を出して言った。
「何じゃ。お前、そんな所で聞いておったのか」
「しかし、ほんとに、ここに誰か忍び込んで来るのかのう」と荒木は言った。
「疲れたのか」と小太郎は聞いた。
「いや、疲れはせんが、毎日、退屈じゃ」
「そろそろ、博奕(バクチ)がしたくなったか」
「博奕もそうじゃが、女子(オナゴ)が恋しくなったわ、のう」
「そうじゃな。毎日、天女のような綺麗どころを眺めておるが、どうする事もできん。あれは目の毒じゃな」
「誘いを掛けたらどうじゃ。同じ女子じゃぞ」
「飛んでもない。同じ女子かもしれんが、わしらとは住む世界が違い過ぎる。とてもとても、話をするのも恐ろしい位じゃ」
「意気地のない事じゃのう」
「風眼坊殿。風眼坊殿の奥さんのお雪さんは、加賀の国の守護の側室だったのを、風眼坊殿が横取りして来たと聞きましたが本当なのですか」
「何じゃと。早雲から聞いたのか」
「はい」
「あいつも下らん事を言うのう。お雪にとっては嫌な思い出じゃ。本人の前ではその事を口に出すなよ」
「じゃあ、やっぱり本当だっんですね」
「ああ」
「凄いのう。わしらにはそんな大それた事など、とても真似ができんわ」
「何も、そんな事を真似する事もないわ‥‥‥女子が抱きたくなったのなら、昼間、行って来てもいいぞ。夕方までに戻ってくればのう」
「ほんとですか」
「ああ。先はまだ長そうじゃしの。たまには憂さ晴らしをせん事には続かんじゃろ」
荒木と多米は顔を見合わせて頷きあった。
お屋形様の屋敷の方から五条安次郎が見知らぬ二人の武士を連れてやって来た。小太郎は後の事を皆に任せると屋敷の方に向かった。
安次郎が連れて来た武士はお屋形様の奉公衆(ホウコウシュウ)の二人で、一人は今、本曲輪の警固に当たっている四番組の頭(カシラ)、入野兵庫頭(イリノヒョウゴノカミ)、もう一人は二の曲輪の警固に当たっている一番組の頭、木田伯耆守(ホウキノカミ)だった。幸いに二人共、竜王丸派だった。二人共、今川一族の者たちで、年の頃は安次郎よりも少し上の三十前半のように見えた。彼らの下にはそれぞれ五十騎近くの兵がいる。徒歩武者も入れれば百五十人近くの兵力だった。
挨拶の済んだ後、二人は持って来た絵地図を広げた。早雲、小太郎、富嶽の三人が絵地図を覗き込んだ。この場合、木田と入野は今川一族であり、今川家の家臣でもあり、普通なら、早雲、小太郎、富嶽の三人が公的な場で同座できる身分ではなかったが、今川家の長老である小鹿逍遙入道の計らいによって、特別に早雲は竜王丸の執事、小太郎と富嶽は竜王丸の奉公衆という身分になっていた。要するに三人は竜王丸直属の家臣という事になり、先代のお屋形様の家臣だった彼らと公式の場でも同座する事ができた。なお、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲、寅之助らは早雲の家来という事になり、春雨、お雪は北川殿の侍女という事になっていた。
絵地図には、今川屋形の本曲輪、二の曲輪、城下の建物の配置が描かれてあった。駿府の町は西に阿部川、北に北川、南に鎌倉街道に囲まれ、東側に城下の入り口、大手門があった。東側から城下町、二の曲輪、本曲輪と並び、本曲輪の西側に阿部川が流れ、北側に浅間神社の門前町かあった。本曲輪の大きさはほぼ五町(約五百五十メートル)四方、二の曲輪も同じ位の広さであり、城下町はかなり広いが、浅間神社の門前町のように人家が密集しているわけではなく、田畑もかなりあった。
本曲輪には守護所とお屋形様の屋敷を中心に重臣たちの屋敷が並び、二の曲輪にも重臣たちの屋敷がいくつかあるが、主に奉公衆たちの屋敷が並び、城下には下級武士や町人の家々があった。
早雲たちは、それぞれの重臣たちの屋敷の位置を頭の中に入れた。河合備前守、中原摂津守兄弟の屋敷はお屋形様の屋敷の西側に向かい合って建ち、小鹿新五郎の屋敷はお屋形様の屋敷より少し離れ、本曲輪の西門の近くにあった。
今まで知らなかったが、河合備前守派の大物である福島越前守の屋敷はお屋形様の屋敷の東側にあり、北川殿のすぐ側にあった。北川殿の様子を見張る気になれば簡単に見張る事のできる距離だった。今まで、その屋敷の事を特に気に止めた事はなかったが、これからは気を付けなれればならなかった。
中原摂津守派の岡部美濃守の屋敷は福島越前守の屋敷の東隣にあった。そこからは北川殿を見張る事は不可能と言えた。
小鹿派の大物、葛山播磨守の屋敷は本曲輪ではなく、二の曲輪内にあり、二の曲輪の北側にある広い馬場の南側にあった。二日前に来た天野氏、天方氏の屋敷も葛山屋敷の近くにあった。
「伯耆守殿に葛山播磨守殿、両天野殿の屋敷の様子を探ってもらい、兵庫頭殿に本曲輪の重臣たちの屋敷を探ってもらおうと思っております」と安次郎は言った。
「失礼じゃが、お二方の御家来衆は皆、竜王丸殿派なんでしょうな」と小太郎が聞いた。
「いえ。それは分かりません」と木田伯耆守が言った。「奉公衆は一族、重臣たちの子弟たちで編成されております。当然、各自の親兄弟の所属している派閥を支持すると言えるでしょう。しかし、任務に当たっている時は飽くまでも立場は中立です」
「中立か‥‥‥」
「わたしらは部下たちに誰々の屋敷を見張れとは命じません。何事も起こらないよう、すべての屋敷を見張らせます」
「おお、それでいいんじゃ。すべての様子が知りたいんじゃ」と早雲は言った。
「はい、何か不穏な動きが起こった場合はすぐに知らせに参ります」
「お願いいたします。わしらがお屋形内をうろつくわけには行かんので、そなたたちが情報を知らせてくれると本当に助かるわ」
「はい」と二人は頷いたが、「しかし、今月一杯は知らせる事ができますが、来月からは難しくなります」と伯耆守は言った。
「なぜじゃ」と早雲は聞いた。
「一月交替で警固の場所が変わります。わたしは来月、詰の城に移り、兵庫頭殿は休みとなります」
「休みか。休みの時はどうするんじゃ」
「戦が起これば戦に行く事になりますが、戦がなければ、それぞれ、本拠地に帰ります」
「そなたも帰るのか」
「はい。今年は年末年始と休まずに詰めていたので、二月遅れの正月だと思って、のんびりするつもりです」
「そうか‥‥‥正月休みか。で、来月、本曲輪を守るのは誰なんじゃ」
「三番組です。頭は葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)殿です」
「葛山備後守‥‥‥」
「はい、葛山播磨守殿の弟です」
「来月は葛山播磨守の弟が、ここの警固に当たるのか‥‥‥まずいのう」
「二の曲輪は?」と小太郎は聞いた。
「二番組です。頭は蒲原左衛門佐(カンバラサエモンノスケ)殿です。越後守殿の弟です」
「蒲原というと備前守派じゃな‥‥‥来月は情報を得るのは難しそうじゃのう」と早雲が言って、小太郎を見た。
小太郎は腕を組みながら絵地図に目をやったが、顔を上げると、「休みの者たちが警固に加わる事はできんのか」と聞いた。
「命令が下ればできます。というか命令に従わなければなりませんが、勝手に加わる事はできません。皆、自分たちの仕事に誇りを持っておりますから、違う組の者が命令もないのに警固に加わるとなれば、そこの勤務に当たっている者たちが黙ってはいないでしょう」
「それぞれの組が仲が悪いと言う事か」と早雲が聞いた。
「いえ、そうではなくて、面子(メンツ)にかかわるとでも言いましょうか、他の組の助けなどいらない、自分たちで立派に守れるという自負心から反発するのです」
「成程のう。皆、奉公衆である事に誇りを持っておるんじゃな」
「はい」
「となると、今月中にけりが着く事を願うしかないが、それは難しいじゃろう。来月、葛山氏がここを警固するとなると、何となく危ない気がするのう」
「ああ、何事も起こらんとは言いきれんのう」と小太郎が言った。
「まあ、来月の事は置いといて、今月のこれまでの動きを聞こうか」
本曲輪を守る入野兵庫助の話によると、昼間は皆、おとなしくしているが、夜になると動きが激しくなると言う。特に、お屋形様の候補に上がっている三人の屋敷には、入れ代わり立ち代わり、人が出入りしている。人が出入りしていると言っても、重臣たちが直々に訪れているわけではなく、使いの者たちが書状を持って行き来しているらしかった。各自が重臣たちを自分の派閥に引き込もうと誘いを掛けているようだった。勝手に領地を与える約束をしているのかもしれない。しかし、今の所は武力に訴えようとしている者はいないようだった。
二の曲輪を警固している木田伯耆守の話によると、両天野氏、天方氏、葛山氏の屋敷にも、夜になると本曲輪からの使いの者たちが頻繁に出入りしていると言う。ただ、葛山氏と両天野氏の屋敷は近くにあるが、それらの屋敷の間を行き来している者はいないらしい。両天野氏と葛山氏が手を結べば、それだけで二千近くの兵力を持つ事となり、かなりの勢力となる。そして、彼らが小鹿新五郎を押す事となれば圧倒的に有利な立場に立つ事となる。絶対に天野氏と葛山氏を結び付けてはならなかった。
二人は今の状況を早雲たちに話し終わると、お屋形様となるべき人、竜王丸殿と対面した。
竜王丸は上段の間に北川殿と一緒に座り、二人を見下ろしながら、「今川家の事、よろしく頼むぞ」とはっきりした声で言った。
二人は竜王丸から直接に声を掛けられるとは思ってもいなかったので驚き、そして、畏まって頭を下げた。この瞬間に、二人は竜王丸殿をお屋形様にしなくてはならないと心から感じていた。
それは早雲が考えたものだった。今まで、竜王丸が直々に家臣たちと対面する事はなかった。しかし、お屋形様の候補に上がっている以上、なるべく表に出て、家臣たちに顔を覚えて貰わなくてはならなかった。たとえ六歳の子供であろうと、上段の間に座って、家臣たちに一声掛ければ、家臣たちは感激するものだった。そして、それは亡きお屋形様の事を思い出させる事にもなった。亡きお屋形様に世話になった者なら迷わず、竜王丸をお屋形様にしなければならないと思うに違いなかった。早雲は北川殿に、訪ねて来る者たちには身分の上下に関係無く、なるべく、竜王丸と対面してもらうよう頼んだ。
木田伯耆守と入野兵庫頭の二人は竜王丸と会い、感激しながら帰って行った。
北川殿も最近、武将たちの出入りが激しくなっていた。
昼間は、お屋形様の屋敷で評定が続いているため訪れる者もあまりいないが、評定が終わる夕方頃になると、竜王丸派の武将たちが毎日、入れ代わり立ち代わり訪れて来た。
初めて訪れる武将たちは、五条安次郎または長谷川次郎左衛門尉に連れられてやって来る。今日も、次郎左衛門尉に連れられて遠江から来た天野民部少輔がやって来て、竜王丸と対面して、早雲たちと型通りの挨拶をすると帰って行った。民部少輔は早雲や小太郎と同じ位の四十代の半ば、小柄だが貫禄のある男で、温和そうで礼儀正しかった。
民部少輔が帰ると、久し振りに小鹿逍遙がやって来た。かなり疲れているようだった。逍遙は屋敷に上がろうとしたが、急に向きを変えて、早雲に手招きすると庭園内にある茶屋に向かった。早雲が茶屋に行くと逍遙は縁側に腰を下ろし、池を眺めていた。
「評定の方はいかがですか」と早雲は声を掛けながら逍遙の隣に腰を下ろし、池の中を眺めた。
数匹の鯉が気持ちよさそうに、のんびりと泳いでいた。
「もうすぐ、桜が咲くのう」と逍遙は言った。
「そう言えば、盛大な花見をやる予定だったとか聞いておりますが‥‥‥」
「予定じゃったが、今年は無理のようじゃのう。花見どころか、お屋形様の葬儀の日取りも決まってはおらん」
早雲は何も言わずに、逍遥の横顔を見つめていた。
「今の今川家の状態をお屋形様が見たら嘆かれる事じゃろうのう」と逍遥は言った。「皆、言いたい事ばかり言っておって、ひとつにまとめようと思う奴など一人もおらんわ‥‥‥しかも、わしの伜までもが重臣たちに躍らされて、お屋形様になる夢を見ておる‥‥‥」
「逍遙殿は反対なのですか」
「反対じゃ。備前守殿と摂津守殿が辞退したら、竜王丸殿が成人するまで伜が補佐するというのなら分かるが、備前守殿、摂津守殿と共に、お屋形様の座を争うなどとは以ての他じゃ。たとえ、お屋形様になれたとしても禍(ワザワ)いを残す事となる。わしが何を言っても、伜の奴は言う事を聞かん。隠居した者は黙っていろ。年寄りの出る幕ではないと抜かしよるわ。こんな事になるのなら隠居などすべきでなかったわ。伜があんな風になったのも、元をただせば、わしのせいかもしれん」
逍遥は早雲の顔をちらっと見てから、また、池を眺めた。
「わしは子供の頃、今の竜王丸殿のように家督争いに巻き込まれたんじゃ。竜王丸殿と違う所は、叔父と甥で争うのではなく、わしは兄たちと争ったんじゃ。争ったと言っても、当時のわしはまだ七歳で、竜王丸殿と同じで何も分からん。大人たちの成すがままとなって、兄たちと争い、わしは駿府から追い出された。家督は上の兄が継ぐ事となり、わしは十一歳の時、ようやく、母親と一緒に駿府に戻る事ができた。駿府に戻って来ても、お屋形内に住む事はできず、小鹿の地で、母親と二人で暮らしておった。やがて、成人し、兄であるお屋形様に仕える事となったが、お互いに昔のしこりが消える事はなかった。当時も家中に派閥があって、お屋形様に反発する者たちが、わしの回りに集まって来るようになった‥‥‥若かったわしは、そんな取り巻きに囲まれて、いい気になっていた時期もあったが、いつも、心の中に風が吹いているような空しさがあったんじゃ。わしは心の中で、いつも武士をやめたいと思っておった‥‥‥やがて、お屋形様が亡くなった。お屋形様は亡くなる時、初めて、兄上として自分に接してくれた。兄上は、わしに子供の事を頼むと言って息を引き取った。わしは兄上に言われた通り、兄上の子であるお屋形様を補佐して来た。そして、お屋形様の供をして京まで行き、帰って来ると、わしは伜に無理やり跡を継がせて隠居した。もう、お屋形様も立派になったし、わしの役目は終わったと思ったんじゃ。伜はもう少し隠居をするのを待ってくれと頼んだが、わしは聞かなかった‥‥‥わしは伜を突き放すようにして、跡目を継がせたんじゃ。伜もようやく一人立ちができるようになったと、わしは喜んでいた。しかし、こんな事になろうとは‥‥‥」
逍遙は入道頭を撫でながら、池の中に浮かぶ水草を見つめていた。
「逍遙殿の本当のお気持ちをお教え願えませんか」と早雲は聞いた。
「わしの本当の気持ちか‥‥‥わしは竜王丸殿が跡を継ぐべきじゃと思っておる。そして、誰かが竜王丸殿の後見として、竜王丸殿が成人なさるまで、お屋形様の代行をしてくれる事を願っておる」
「誰かと言うのは」
「備前守殿じゃ」
「そのように話を進めてみたらいかがです」
「無駄じゃ。わしがそのように提案しても、竜王丸殿が跡を継ぐと決まった訳ではないと言われ、話はまた振り出しに戻る。毎日、評定を重ねていても、毎日、同じ事を繰り返しやっているだけじゃ。少しの進展もないわ」
「そうですか‥‥‥天遊斎殿も逍遙殿と同じ意見なのですか」
「同じじゃ‥‥‥天遊斎殿の方がわしより、ずっと参っている事じゃろう。跡継ぎの肥後守(ヒゴノカミ)殿に先立たれて自分の家の事も大変じゃというのに、帰る事もできん。まだ、伜殿に線香の一本も上げておらんのじゃ」
「天遊斎殿の跡継ぎの方は大丈夫なのですか」
「肥後守殿の嫡男がおられるが、まだ十歳じゃ。しかし、三男の左京亮(サキョウノスケ)殿が後見になるらしい」
「次男の方は?」
「次男は備中守殿じゃ。掛川城の城主になっておる。今更、戻るわけにも行くまい」
「そうだったのですか、備中守殿は天遊斎殿の次男でしたか」
「朝比奈家はそれでうまく行っておるのに、今川家はどうしようもないわ」
「これから、どうなって行くのでしょう」
逍遙は池を見つめながら首を振った。
「早雲殿、しばらく、ここにいさせてくれんか」と逍遙は顔を上げると言った。
「はい。構いませんが‥‥‥」
「情けない事に、今のわしには、ゆっくりできる場所がないんじゃ」
逍遙は力なく笑うとまた、池に目を落とした。
早雲は逍遙を茶屋に残すと庭に出た。寅之助と竜王丸が廐(ウマヤ)の所で孫雲と遊んでいた。
屋敷の中では美鈴がお雪に字を習っていた。
早雲が縁側から屋敷に上がろうとした時、台所の方で甲高い悲鳴が聞こえた。
早雲は素早く、悲鳴のした方に向かった。台所に行くと、小太郎が仲居の桜井を抱き抱えていた。桜井は苦しそうに首を押えながら痙攣(ケイレン)していたが、やがて、力なくガクッとなった。
小太郎は早雲を見上げ、首を振った。
悲鳴を聞いた者たちが台所に集まって来て、茫然と立ち尽くしていた。
早雲は春雨とお雪に指示して、女子供を台所から出した。
「毒殺じゃ」と小太郎は言った。
早雲は桜井が食べたらしい料理を眺めた。
「一体、誰が」と早雲が言った。
「とうとう、こんな騒ぎが起こってしまった‥‥‥」と逍遙が言った。
逍遙も悲鳴を聞いて、慌てて台所に来ていた。
「トリカブトじゃな」と小太郎は言った。「早雲、悲鳴を上げたのは長門じゃ。長門(ナガト)に詳しい事情を聞いてみろ」
「分かった」と早雲は頷いた。
「わしは、ここを片付ける。ここを清める事ができるのはわししかおるまい」
「そうじゃな。頼むぞ」
「この娘はどこの娘じゃ」と早雲は誰にともなく聞いた。
「三浦殿です」と答えたのは門番の小田だった。
「確か、三浦殿の姪御(メイゴ)さんじゃと思ったのう」と逍遙が言った。「三浦殿にはわしが知らせるわ。誰かが引き取りに来るじゃろう」
逍遙はすぐに三浦屋敷に向かった。
死んだとはいえ、重臣の姪である娘を土間に横たえて置くわけにはいかなかった。小太郎は娘を抱き抱えて、板の間の上に横たえ、莚(ムシロ)を掛けた。
当時、死に対する恐怖は現代人が想像する以上のものがあった。死にそうな病人が出た場合は、病人は死ぬ前に屋敷から出された。身分のある者は菩提寺(ボダイジ)や死を迎えるために建てられた庵(イオリ)に移って死ぬ事となる。身分の低い者たちは河原や山の中の決められた場所に連れて行かれ、そこで死を迎えた。もし、突然の死で屋敷内で亡くなってしまった場合は、特殊な儀式を行ない、清めなくてはならなかった。小太郎はその儀式を知らなかったが、知っていると言った。娘が亡くなったのは台所だった。穢(ケガ)れたままで置くわけには行かなかい。仲居たちが恐れずに使えるようにしなければならなかった。死に対する恐怖というのも気分の問題だった。小太郎が自信を持って加持祈祷(カジキトウ)をすれば、皆、穢れは消えたと信じるだろう。そうすれば、仲居たちもこの台所を使う事ができるだろう。
小太郎はさっそく錫杖(シャクジョウ)を鳴らしながら塩を撒き、重々しい声で真言(シンゴン)を唱えた。
早雲は仲居の長門から事情を聞いたが、誰がいつ、毒を入れたものかまったく分からなかった。お屋形様の死の知らせを受けてから、早雲は仲居たちに交替で、北川殿の食事の毒味をさせていた。仲居たちが作った料理を仲居たちに毒味をさせるというのも変な事だったが、もしもの事を考えて、あえて命じた。仲居たちも絶対に安全だと思いながらも、朝晩交替して毒味をしていた。
今朝、毒味をしたのは西尾という仲居だった。今朝は何の異状もなかった。そして、夕食の毒味の担当だった桜井が死んだ。桜井は竃(カマド)の上の鍋(ナベ)の中のお吸物を少し飲んだ途端、苦しそうに倒れたと言う。
早雲は侍女と仲居を全員集めて事情を聞いた。侍女の二人は食事作りには手を出さないが、毒を入れる事はできるので、一応、呼んでみた。三芳という仲居がいなかった。今日は休みで、朝から出掛けていて、まだ帰って来ないと言う。仲居たちの話によると、昼過ぎから料理の仕込みを始め、おおよその準備ができたので一休みしていたと言う。
彼女たちが作る料理は、北川殿母子を初めとして北川殿に仕える者たち三十人近くの食事だった。数が多いので、なかなか大変だった。朝早くから食事の支度を始め、食事が終わったら後片付けをし、また、夕食の支度にかかる。ほとんど、休む間もない程、忙しかった。
今日は久し振りに早めに準備が終わったので、ちょっと一休みをしていた時、あの騒ぎが起こったと言う。いつもは毒味は料理が出来上がった時、皆の見ている前で行なわれていたが、桜井と長門の二人はふざけて毒味をしたらしかった。
お吸い物を作ったのは休憩に入るすぐ前だった。そうすると、毒を入れたのは仲居たちが休憩に入って台所に誰もいなくなり、長門と桜井が台所に入って来るまでの四半時(シハントキ、三十分)余りの間に限られていた。その時刻、仲居たちは一部屋に集まって、お茶を飲んでいたという。侍女の二人と乳母の船橋は、北川殿の部屋で北川殿の思い出話を聞いていたという。一人一人から怪しい者を見なかったか、と聞くと早雲は解散させた。
若い長門と嵯峨の二人は早雲の尋問の間、ずっと泣いていた。他の女たちも涙こそ見せなかったが、突然の事件に気が動転していた。いつも冷静な侍女の菅乃(スガノ)でさえ、恐怖に脅え、ぼうっとしていて、つじつまの合わない事を言っていた。
台所には、すでに桜井の遺体はなかった。三浦氏から頼まれたという河原者たちが数人来て、丁重に運んで行った。
小太郎は仲居たちを一列に並ばせると、塩を掛けながら印(イン)を結び、真言を唱えた。仲居たちは皆、神妙な顔をして小太郎のやる事を見守っていた。重々しい儀式が終わると、仲居たちはようやく解放された。誰もが小太郎を信じ、死者の穢れはすっかり消えたものと安心していた。普通なら恐ろしくて入る事のできない台所を何事もなかったかのように出入りしていた。
早雲は門番たちの所に行き、一人一人から怪しい者を見なかったかと聞いてみたが、毒が入れられたとみられる時刻に、入って来た者も出て行った者もいなかった。
表門には清水、小島、大谷の三人が守り、裏門は小田と山崎の二人が守っていた。吉田、村田、久保、中河の四人は夜警なので、村田と久保は家に帰り、吉田と中河は侍部屋で休んでいた。吉田はさっきの悲鳴を聞いて、台所に飛び込んで来たが、中河はそんな騒ぎも知らずに、ぐっすり眠り込んでいた。
「いつから寝ておるんじゃ」と早雲は吉田に聞いた。
「昼頃かのう。仕事が終わって、朝方、久保と話をしていたようじゃったが、久保が家に帰ると酒を飲み始めて、昼近くになって寝たらしいのう」
「そうか。久保はいつ頃、家に帰ったのか分かるか」
「そうじゃのう。仕事が終わってから半時程、話し込んでいたかのう」
「村田は?」
「村田は仕事が終わったらすぐ帰ったが‥‥‥内部の者を疑っているんですかい」
「毒を入れたと思われる時刻に門を出入りしたものはおらんのじゃ。という事は、下手人は内部におるという事になるのう」
「やはり、竜王丸殿の命を狙っていたのかのう」
「じゃろうな」
「恐ろしい事じゃ‥‥‥しかし、その毒とやらは、どうやって手に入れたんじゃろうのう」
「トリカブトか‥‥‥小太郎の話によると、わりと簡単に手に入って、少量で人を殺す事ができるそうじゃ」
「恐ろしいのう」と吉田は身震いした。
「中河と村田と久保の三人は白じゃな。もう一人おらなかったか」と早雲は聞いた。
「ああ。山本の奴は今日は休みじゃ。明日は夜警じゃから、どうせ、明日の夕方まで帰って来んじゃろう」
「朝から出掛けておるのか」
「いや。昼過ぎまでゴロゴロしてたようじゃったが。どうせ、北町の遊女屋にでも行ったんじゃろう」
「浅間神社の門前か」
「そうじゃ。入れ上げている女子(オナゴ)がいるらしいのう。若いからのう」
「そうか‥‥‥まあ、一応、聞くが、怪しい奴を見なかったか」
吉田喜八郎は首を振った。
「じゃろうの。ここからじゃ裏口も台所も見えんからのう。それじゃあ、誰か毒を入れそうな者に心当たりはないか」
喜八郎はまた、首を振った。
「そうか‥‥‥敵が誰だか分からんが動き始めた事は確かじゃ。これからは何が起こるか分からん。今まで以上に気を付けて見張ってくれ」
「はい。畏まりました」と喜八郎は真剣な顔をして頷いた。
早雲も頷くと表門の方に向かった。
屋敷に戻ると、三浦次郎左衛門尉(ジロウザエモンノジョウ)が待っていた。供の侍が二人、板の間で控え、次郎左衛門尉は座敷の方で待っていた。
早雲は座敷に入る前に板の間に座って、挨拶をしようとしたが次郎左衛門尉はそれを止めた。
「早雲殿、この際、挨拶は抜きじゃ。そなたも竜王丸殿の家臣になったと聞く。立場は同じじゃ。堅苦しい事は抜きにして詳しい事情を聞かせて下され」
早雲は頷くと座敷に上がり、次郎左衛門尉の向かいに座った。
「何者かが北川殿の召し上がるお吸物の中に毒を入れました」と早雲は言った。
「一体、誰がそんな事を」
「まだ分かりません」
「それで、どうして、そのお吸物をおそよ(桜井)が飲んだのじゃ」
「毒味をしました」
「おそよがか」
「丁度、桜井殿の順番だったのです」
「毎回、毒味をしておったと言うのか」
「はい。今朝も行ないましたが、今朝は何の異状もありませんでした」
「そうか‥‥‥下手人は分からんのか」
早雲は頷いた。「しかし、残念な事ながら内部の者の仕業らしいのです」
「内部の者?」
「はい。毒が入れられたと思われる頃、外部の者の出入りはないのです」
「北川衆が嘘をついているのではないのか」
「それは考えられます。北川衆が怪しいとすると、裏門を守っていた小田と山崎の二人と言えます。この二人が誰かを入れたか、あるいは、二人のどちらかが誰もいない台所に行って、毒を入れたと考えられます。ところが、山崎というのは斎藤氏です。斎藤氏は御存じの通り、竜王丸殿を押しております。斎藤氏の山崎が竜王丸殿の命を狙うとは考えられません」
「もう一人の小田というのはどこの者じゃ」
「矢部氏です。本人はどう思っておるのか分かりませんが、矢部氏は小鹿派でしょう」
「いや、矢部氏には二つある。将監(ショウゲン)殿なら小鹿派じゃが、美濃守(ミノノカミ)殿なら、多分、河合備前守派じゃろう」
「矢部美濃守殿というお方がおられたのですか」
次郎左衛門尉は頷いた。「まさしく、おられたんじゃ。お屋形様と一緒に戦死なされた」
「そうだったのですか‥‥‥小田というのが、どちらの矢部氏なのかは分かりません。後で聞いておきます」
「いや、聞かなくてもいい」
「は?」
「思い出したわ。その小田というのは隼人正(ハヤトノショウ)殿の事じゃろう」
「はい。そうですが‥‥‥」
「隼人正殿なら、そんな事をするはずはない。元、奉公衆の頭(カシラ)だった男じゃ」
「奉公衆の頭‥‥‥そうだったのですか、知りませんでした」
「他に怪しい者は?」
「はい。その二人の他に毒を入れる事ができたという者は、非番だった北川衆で侍部屋にいた者が三人おります。吉田、中河、山本です。その中の吉田は伊勢家の者で、北川殿と共に駿河に来た者です。絶対とは言えませんが、吉田が竜王丸殿の命を狙うとは思えません」
「あとの二人は?」
「中河は三浦殿の御存じの通り三浦殿の一族です。これも除いてもいいでしょう」
「わしと同族じゃからか」
「それもありますが、騒ぎのあった事も知らずに、今も鼾(イビキ)をかいて寝ています」
「寝た振りをしているのかもしれんぞ」
「その可能性もありますが、あんな大それた事をしておいて、寝た振りをしておるとは思えません。もし、わたしがそんな事をしたとして、悲鳴を聞けば、何が起こったのか心配でじっとしておられないでしょう。何食わぬ顔をして現場に行くような気がします」
「うむ、そなたの言う事も一理あるのう。それで、もう一人はどうなんじゃ」
「もう一人は庵原(イハラ)氏の山本という者ですが、今日は休みで出掛けております」
「庵原氏というと河合備前守派というわけじゃな‥‥‥女たちはどうなんじゃ。女でも毒くらい入れられるぞ」
「はい。しかし、女たちは白です。女たちは北川殿に食事を出す前に交替で毒味をするという事を知っております。もし、毒を入れるとすれば毒味が終わった後に入れるでしょう。まさか、仲居を殺すために毒を入れたという事は考えられません」
「そうじゃのう‥‥‥という事は北川衆のうちの誰かという事になるのか‥‥‥まあ、誰がやったにしろ、自分の意志でやったわけではあるまい。後ろで糸を引く者がおるはずじゃ。そいつが一体誰かじゃ」
「はい。しかし、恐ろしい事です。お屋形様がお亡くなりになり、まだ、葬儀も済んでおらんというのに、お屋形様の忘れ形見の竜王丸殿を亡きものにしようとたくらむ者がおるとは‥‥‥」
「ここまで来るとはのう‥‥‥誰の仕業か知らんが卑怯な手を使うわ。許せん事じゃ。多分、明日の評定の話題となる事じゃろう」
「もう、噂になっておりますか」
「多分のう。夜だったらともかく、まだ明るいうちから河原者たちが遺体を抱えて北川殿から出てくれば、噂をするな、と言っても無理じゃろう」
「そうですな‥‥‥」
「他の場所ならともかく、北川殿にいつまでも遺体を置いておくわけにもいかん。仕方なかったんじゃ。早雲殿、下手人(ゲシュニン)の事はそなたに任せる。それと、おそよの事は隠せるとは思えんが、一応、病死という事にするつもりじゃ。おそよも可哀想な娘じゃった。わしが、ここにお仕えしろと命じたばかりに、嫁にも行かずに亡くなってしまった‥‥‥下手人が捕まったら御番衆(ゴバンシュウ)に引き渡すじゃろうと思うが、どんな奴じゃったのか、わしにも知らせてくれ。誰に殺されたのかも分からずに亡くなって行ったおそよの奴に、せめて、下手人の名だけは知らせてやりたいんじゃ」
「分かりました‥‥‥竜王丸殿にお会いになられますか」
「いや。今日のところは遠慮しよう。また改めて、お目通り願うわ。竜王丸殿の事、頼みますぞ」
三浦次郎左衛門尉は帰って行った。
次郎左衛門尉が見送りはいらんと言ったので、早雲はそのまま座敷に座っていた。
次郎左衛門尉と入れ違いに小太郎と富嶽が入って来た。
「三浦殿は何と言っておった」と小太郎が聞いた。
「桜井は病死という事にするらしいが、事実はすぐにばれる事じゃろうと」
「そうか‥‥‥美鈴殿が泣いておったわ」
「美鈴殿がか‥‥‥可哀想な事をしたわ‥‥‥台所の方は大丈夫か」
「ああ。さっそく、晩飯の支度をしておる」
「そいつはよかった」
「早雲殿、ちょっとした事じゃが、新しい事実が分かったんじゃ」と富嶽が言った。
「何じゃ」
「今日、休みの山本なんじゃが、二日前の日暮れ時、二の曲輪の方から来るのを見た者がおるんじゃ」
「二の曲輪から? 城下にでも行った帰りだったんじゃないのか」
「かもしれんのじゃが、山本はその日、昼番なんじゃ。仕事が終わって、何か用があって二の曲輪に行って、また、すぐに戻って来たという風なんじゃよ」
「誰なんじゃ、山本を見たというのは」
「中河です」
「中河と言えば、三浦氏じゃな」
「ええ。その日、中河は休みで、昔の仲間が駿府に来ているというので、三浦殿の屋敷に行っておったそうじゃ。三浦殿の屋敷は本曲輪の大手門の側にあるんじゃ。日が暮れたんで帰ろうと思ったら、大手門をくぐって来る山本を見たそうじゃ。中河は山本に声を掛けようと思ったが、山本は走って帰ってしまったそうじゃ。帰って来て、その事を山本に聞いたら、山本は人違いじゃろうと、とぼけたらしい。しかし、中河は絶対にあれは山本だったと言うんじゃよ」
「臭いな」と小太郎は言った。「二の曲輪というと葛山の屋敷がある」
「天野氏、天方氏の屋敷もある」と早雲は言った。
「山本という奴は、奴らとつながりがあるのか」と小太郎は聞いた。
「分からん。奴は庵原氏じゃ。庵原氏は河合備前守派じゃ。備前守派と言えば天野兵部少輔じゃが、兵部少輔はまだ来たばかりじゃ。山本とつながりがあるようにはみえんがのう」
「となると葛山か」
「それも分からんのう。とにかく、本人から聞くしかあるまい」
「まずは、その山本が第一候補と言うわけじゃな」
「早雲よ、門番たちは仲居たちが毒味をしておったという事を知らなかったのかのう」と小太郎は聞いた。
「知っておる者は知っておるじゃろうな。いや、あれだけ、何が起こるか分からんから、警固を怠るなと言って来たんじゃ。知らん方がおかしいと言えるのう」
「そうじゃろう。もう毒味を始めてから八日にもなる。同じ屋敷に住んでおりながら、そんな事を知らんはずがないわ」
「という事は、やはり外部の者の仕業と言うのか」
「どうやって忍び込んだのかは分からんが、その可能性も考えられるという事じゃ。例えばじゃ。この屋敷の門番と同じ格好をして、屋敷の回りをウロウロしておったとしても誰も怪しまんじゃろう。濠の中に何かを落とした振りをして、濠に木を渡し、濠を渡ったとしても怪しむまい。今のところ昼間の警固は表門と裏門だけじゃ。門番たちも昼間から賊が忍び込む事はあるまいと思って、橋の上まで出て回りを見張るという事はない。北面に関しては完全に盲点と言える。人通りも少ないしの」
「忍び込めると言うのか」
「忍び込める」
「忍び込んで、台所から人がいなくなるのを待っておったと言うのか」
「多分、蔵の裏に隠れておったのじゃろう」
「蔵の裏か‥‥‥確かに蔵の裏なら裏門を守る門番からは見えんし、台所の様子を見る事はできるのう。何か見つかったか。どうせ、もう調べたんじゃろ」
「残念ながら何も見つからん」
「誰かが隠れておったという証拠はなかったのか」
「あった。しかし、賊じゃない。多分、竜王丸殿と寅之助の仕業じゃろう。鉄菱が撒いてあるから塀の側には近づくなと言ってあるのに、言う事などきかん。弱ったもんじゃ」
「手掛かりは無しか‥‥‥最初からやり直してみるしかないのう」
早雲は屋敷内にいる者たちの名前を紙に書き並べた。
「一人づつ消して行くしかあるまい」
春雨が静かに入って来た。
「北川殿の御様子はどうじゃ」と早雲は春雨に聞いた。
「はい。ようやく、落ち着きました。子供さんたちを連れて、ここから出て行くとおっしっておりました。でも、どこにも行く所がないと言って泣いております」
「そうか‥‥‥ここから出て行くとおっしゃっておったか‥‥‥」
「そうじゃろうのう」と小太郎は言った。「身近にいた仲居が一人、毒をもられて亡くなったんじゃからのう。こんな恐ろしい所から逃げたいと思うのは当然の事じゃ」
「仲居たちはどうじゃ」と早雲は聞いた。
「悲しみを堪えて、仕事をしています」
「そうか、辛いじゃろうのう‥‥‥早い所、下手人を挙げないと、さらに犠牲者が出るかもしれんな」
「頭を使う事はおぬしにまかせるわ。わしはもう一度、見回りをして来る」と小太郎は言うと出て行った。
早雲は頷いて、小太郎を見送った。春雨も小太郎の後姿を見送っていたが、急に思い出したように、「早雲様」と声を掛けた。「今、台所を覗いて気づいたんだけど、毒はお吸物の中に入れたんじゃなくて、お塩とかお味噌とかに入れたんじゃないかしら」
「何!」と早雲は言うと、そのまま飛び出して行った。
富嶽もすぐに後を追った。
二人は台所に行くと、「毒味はしたか」と怒鳴った。
仲居たちは早雲の血相に驚いて、立ち尽くした。
最年長の和泉が首を振った。
「塩と味噌は使ったか」
「はい、それは‥‥‥」
「まだ、誰も食べてはおらんな」
「はい」
「毒味は待て、塩か味噌の中に毒が入っておったという事も考えられる」
「調べる方法はないものかのう」と富嶽が回りを見回しながら言った。
「小太郎じゃ。奴は薬の専門家じゃ。奴なら分かるじゃろう」
富嶽がさっそく、小太郎を呼びに行った。春雨と侍女の萩乃が台所の入り口の所に立って見守っていた。
しばらくして、小太郎は孫雲と才雲の二人に桶(オケ)を持たせてやって来た。桶の中には池の中の鯉が二匹泳いでいた。小太郎は別の桶に一匹の鯉を移し、それぞれの鯉の中に塩と味噌を入れた。答えはすぐに分かった。味噌を入れた方の鯉が暴れ出し、やがて、動かなくなった。
「危なかったのう。もう少しで、もう一人死ぬところじゃったわ」
仲居の嵯峨(サガ)が崩れるように倒れた。気を失っていた。
「すまんのう。もう一度、作り直してくれ」と早雲は仲居たちに言った。「味噌なしでな。簡単な物でいい。北川殿も分かってくれるじゃろう」
小太郎は他にも毒を入れられそうな物はないかと調べていた。
早雲と富嶽は座敷に戻った。毒は見つかったが、下手人に関しては余計分からなくなっていた。
知行高によって、おおよその兵力を割り出して見ると、
竜王丸派は、朝比奈城の朝比奈天遊斎の五百、小瀬戸城の朝比奈和泉守の二百、鞠子(マリコ)城の斎藤加賀守の二百、小河(コガワ)城の長谷川次郎左衛門尉の二百、遠江勢では、堀越城の堀越陸奥守の三百、掛川城の朝比奈備中守の二百、高天神城の福島左衛門尉の二百、久野城の久野佐渡守の二百、しめて、二千となる。
小鹿(オジカ)新五郎派は、葛山(カヅラヤマ)城の葛山播磨守の八百、花倉城の福島土佐守の三百、吉原城の矢部将監の二百、大津城の三浦次郎左衛門尉の五百、遠江新野城の新野左馬助の二百、そして、小鹿新五郎の三百をたして、しめて、二千三百。
河合備前守派は、江尻城の福島越前守の五百、庵原山(イハラヤマ)城の庵原安房守の二百、横山城の興津(オキツ)美作守の二百、蒲原城の蒲原越後守の二百、そして、河合備前守自身の兵力三百をたして、しめて、一千四百。
中原摂津守派は、朝日山城の岡部美濃守の五百、方上城の岡部五郎兵衛の二百、川入城の由比出羽守の二百、中原摂津守自身の三百で、しめて、一千二百。
その数は騎馬武者だけでなく、徒歩武者の数も入っている。動員できる総人数と言えた。
兵力から言えば、小鹿新五郎派が有利だったが、まだ、お屋形様直属の兵が二百五十騎が残っている。騎馬武者が二百五十騎という事は、徒歩(カチ)武者も入れれば総人数は一千人近くになるだろう。それらがどこに付くかで状況は変わって来る事となる。また、遠江の天野氏がこの中に入っていない。今日あたり駿府に着くらしいが、その天野氏がどこに付くかで状況は一変する事となろう。安次郎の話によると天野氏の兵力は一千二百はあるだろうと言っていた。
戦に発展する事はないとは思うが、評定(ヒョウジョウ)の場でも兵力がものを言う事は充分にありえる。それぞれの派閥が天野氏を抱き込もうと躍起になっているのかもしれなかった。
「中原摂津守は消えそうじゃな」と富嶽は言った。
「いや」と早雲は首を振った。「岡部美濃守はそう簡単に寝返りはせんじゃろう。妹が摂津守の嫡男を産んでおるからのう」
「由比出羽守はどうして摂津守派なんじゃ」
「出羽守の姉が美濃守の奥方だそうじゃ」
「という事は美濃守も出羽守も五郎兵衛も皆、兄弟という事じゃな」
「そういう事じゃ。この三人は他に移る事はあるまい。それより、河合備前守の方が消えそうじゃな」
「福島越前守か」
「そうじゃ。越前守は備前守の奥方が堀越公方(ホリゴエクボウ)に関係があり、備前守がお屋形様になれば関東との取り引きができて、江尻津が栄えるじゃろうという事で備前守を押しておる。しかし、関東との取り引きが目的なら、堀越公方よりは相模国守護の扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の方がずっといいじゃろう。小鹿新五郎の祖母は扇谷上杉氏じゃ。葛山播磨守あたりから説得されれば寝返る事も考えられる」
「成程のう。ありえるな」
「越前守が抜ければ、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守も右にならえと寝返る事になるじゃろう。そうすれば備前守を押す者は一人もおらんという事になる」
「可哀想な事じゃ。そうなった場合、備前守はどうするんかのう」
「自分を裏切った者たちのおる小鹿派にはなるまい。仲の悪い弟を押すという事も考えられんしのう」
「という事は竜王丸派になるという可能性が強いのう」
「ああ。竜王丸殿を補佐するという形で竜王丸殿を押すじゃろうな」
「備前守が竜王丸派になるのはいいが、福島越前守らが小鹿派に乗り換えたら、益々、勢力を強める事になるのう」
「そうじゃな。しかし、福島越前守と福島土佐守は犬猿の仲じゃ。越前守が小鹿派になれば土佐守は出て行くような気もするがのう」
「ふむ。土佐守は初め摂津守派じゃったが、小鹿派に替わり、小鹿派から出たら、どこに行くんじゃ?」
「さあな。岡部氏と仲がよさそうじゃから、また、摂津守派に戻るか、越前守の弟、左衛門尉がおる竜王丸派になるか、まあ、性格的に見て河合備前守を押す事はあるまいが、どっちに付くか分からん」
「問題は天野氏がどこに付くかじゃな」
「もう、今頃は評定に加わっておるかもしれん。もう少ししたら五条殿が知らせてくれるじゃろう」
「五条殿か‥‥‥もしかしたら、五条殿、今回の騒ぎが治まったらやめるかもしれんのう」と富嶽は言った。
「五条殿がやめる?」と早雲は不思議そうな顔をして富嶽を見た。
「ああ」と富嶽は頷いた。「早雲殿が留守じゃった時、五条殿が早雲庵に訪ねて来て、飲み明かした事があったんじゃ。その時、五条殿は遠江進攻が一段落したら、思い切って今川家から暇(イトマ)を貰おうと言っておったわ」
「どうして、また」
「それが、早雲殿のせいらしいのう」
「なに、わしのせい」
「五条殿は若い頃から西行(サイギョウ)法師に憧れておったんじゃそうじゃ」
「放浪の歌人か」
「連歌師の宗祇(ソウギ)というお方の弟子になろうとした事もあったそうじゃ。しかし、その宗祇殿に断られて、一時は諦めておったらしいが、早雲殿が駿府に来て、何物にも囚われずに自由気ままに生きておる早雲殿を見ておるうちに、昔の夢が思い出されて来て、もう、どうにも我慢ができなくなったそうじゃ。お屋形様には随分と世話になったが、自分が修行して立派な連歌師になれば、お屋形様にも恩返しができるじゃろうと言っておった。そのお屋形様が亡くなられてしまわれた。五条殿はこれを機会に今川家から離れるような気がするんじゃ」
「そうか‥‥‥確かに、五条殿は歌作りの才能がある。それもまた、いいかもしれん‥‥‥五条殿に宗祇殿の事を知らせるのをすっかり忘れておったわ」
「早雲殿は宗祇殿を御存じで」
「前回の旅の時、偶然にお会いしたんじゃ。宗祇殿のもとで修行するのもいいかもしれんのう」
「そうですか‥‥‥」
「五条殿の事は家督が決まってからじゃ。本人も今はそれどころではあるまい」
「そうでしょうな」
小太郎が部屋に入って来た。
「戦になったら、ここから、どこかに移った方がいいのう」と小太郎は言った。
「それは分かっておる」と早雲は言った。
「戦になりそうな雰囲気になったら、竜王丸殿は安全な所に移す。じゃが、その時期が問題じゃ。竜王丸殿がお屋形から出れば、家督の候補から降りたと思う者も出て来るじゃろう。誰かにお屋形を占領されでもしたら、それこそ不利になる」
「ぎりぎりの時まで、ここに踏ん張っておるというわけじゃな」
「そうじゃ。何事もないような振りをしてな」
「この屋敷に忍び込むのは簡単じゃ。忍び込む気になれば、どこからでも入れる。攻めるのに易く、守るのに難(カタ)し、というところじゃのう」
「そこを何とかするために、おぬしがおるんじゃろ」
「まあ、そうじゃがの。大っぴらに見張り櫓を建てるわけにも行くまい。やり辛いわ」
「見張り櫓か‥‥‥今更、そんな物を建てたら反竜王丸殿派を刺激する事になりかねんわ。何も知らないで悲しみに暮れておると思わせておいた方がいい」
「分かっておるわ。しかし、敵の動きが分からんというのは辛いのう。太郎坊でもおれば、敵の屋敷に忍び込んで敵が何を話しておるのか、すぐに分かるのにのう」
「陰の術か」
「そうじゃ」
「おぬしもできるんじゃろう」
「ああ、できる。しかし、わしがここから抜けたら、こっちが心配じゃ。敵が竜王丸殿を暗殺するために誰かを忍び込ませるとしたら、その誰かというのは山伏に違いない。多米や荒木たちも腕は立つが、山伏のやり方というものを知らん。荒川坊は山伏じゃが頼りないしのう。わしがおらなくては心配で任せられんわ」
「成程のう。陰の術というのは、こういう時に役に立つのか。わしも習えばよかったのう‥‥‥小太郎、駿河にも飯道山の宿坊はあるんじゃないのか」
「ある。じゃが、富士の裾野の大宮じゃ。ここからじゃ遠すぎる。また、行ったとしても、陰の術を心得ておる山伏などおらんじゃろう」
「そこの浅間神社にはおらんのか」
「そこにいる山伏は皆、今川家とつながりのある山伏ばかりじゃ。誰が誰とつながりがあるのか分からん、使うのは危険じゃ」
「という事は、そこの山伏がここに忍び込んで来るという事も充分、考えられるんじゃな」
「そういう事じゃな」
「そうか‥‥‥山伏が出て来るか‥‥‥まさか、こんな事になるとは思ってもおらんかったが、おぬしを駿府に連れて来てよかったわ。山伏の事は山伏にしか分からん。小太郎、頼むぞ」
「ああ、何とかせにゃのう」
踊りの稽古が始まったようだった。お屋形様の死の知らせを受けてから踊りの稽古はやめていたが、北川殿もようやく立ち直ったとみえて、昨日からまた始められていた。踊りを踊っている美鈴も、それを見ている竜王丸も、まだ、父親の死を知らなかった。北川殿は子供たちにそれを言い出す事はできなかった。早雲たちも時期を見てから、改めて教えた方がいいと思い、知らせてはいなかった。
早雲と小太郎と富嶽の三人はお雪の吹く笛の調べを耳を澄ませて聞いていた。
2
今の状況を左右する程の勢力を持つといわれる天野氏は百騎近い兵を引き連れて駿府にやって来た。今川家の重臣となっている天野氏は二人いた。兵部少輔(ヒョウブショウユウ)と民部少輔(ミンブショウユウ)の二人だった。二人は兄弟ではなく古くから枝分かれした一族で、総領家の兵部少輔は犬居城(周智郡春野町)を本拠とし、支流家の民部少輔は犬居城の奥にある笹峰城を本拠としていた。二人の天野氏と共に天方(アマガタ)城(周智郡森町)の天方山城守も一緒に来ていた。
三氏は今川屋形の二の曲輪内にある各自の屋敷に入ると、その日は、お屋形様の遺骨が納められている宝処寺に参じて焼香をした。翌日より、お屋形様の屋敷内で行なわれている評定に参加したが、各自の意見はバラバラだった。
三氏の中で一番勢力を持つといわれる天野兵部少輔は河合備前守を押し、民部少輔は竜王丸を押し、天方山城守は小鹿新五郎を押した。兵部少輔は、長男が亡くなった場合は次男が継ぐのが当然だと主張し、民部少輔は、お屋形様の嫡男がいるのなら、たとえ幼くても嫡男が継ぐべきだと主張し、山城守はしばらく中立を守って、それぞれの意見を聞いていたが、小鹿新五郎を押す葛山播磨守の話に動かされ、お屋形様には、それに最もふさわしい者がなるべきだと小鹿派になった。兵部少輔と民部少輔は普段から仲が悪いとみえて、その場でも喧嘩騒ぎになりそうだったという。
三氏が加わった事によって、竜王丸派の兵力は二千五百、小鹿新五郎派は二千六百、河合備前守派は二千二百、中原摂津守派は変わらず一千二百という具合になった。摂津守派を除き、ほぼ互角という様相になっていた。果たして、これからどう進展して行くのか、誰にも見当さえつかなかった。
小太郎は多米、荒木、荒川坊らと一緒に塀の外側と内側に鉄菱を撒いていた。
「こんな武器があったとは知らなかったのう」と多米は言った。
「こいつを踏ん付けたら足に穴があくぜ」と荒木は言った。
「お前ら、自分で撒いた鉄菱を踏ん付けるなよ」
「荒川坊の奴が踏ん付けそうじゃな」と多米が笑った。
「そんな‥‥‥わしだって踏みはしませんよ」と荒川坊が塀の向こう側から顔を出して言った。
「何じゃ。お前、そんな所で聞いておったのか」
「しかし、ほんとに、ここに誰か忍び込んで来るのかのう」と荒木は言った。
「疲れたのか」と小太郎は聞いた。
「いや、疲れはせんが、毎日、退屈じゃ」
「そろそろ、博奕(バクチ)がしたくなったか」
「博奕もそうじゃが、女子(オナゴ)が恋しくなったわ、のう」
「そうじゃな。毎日、天女のような綺麗どころを眺めておるが、どうする事もできん。あれは目の毒じゃな」
「誘いを掛けたらどうじゃ。同じ女子じゃぞ」
「飛んでもない。同じ女子かもしれんが、わしらとは住む世界が違い過ぎる。とてもとても、話をするのも恐ろしい位じゃ」
「意気地のない事じゃのう」
「風眼坊殿。風眼坊殿の奥さんのお雪さんは、加賀の国の守護の側室だったのを、風眼坊殿が横取りして来たと聞きましたが本当なのですか」
「何じゃと。早雲から聞いたのか」
「はい」
「あいつも下らん事を言うのう。お雪にとっては嫌な思い出じゃ。本人の前ではその事を口に出すなよ」
「じゃあ、やっぱり本当だっんですね」
「ああ」
「凄いのう。わしらにはそんな大それた事など、とても真似ができんわ」
「何も、そんな事を真似する事もないわ‥‥‥女子が抱きたくなったのなら、昼間、行って来てもいいぞ。夕方までに戻ってくればのう」
「ほんとですか」
「ああ。先はまだ長そうじゃしの。たまには憂さ晴らしをせん事には続かんじゃろ」
荒木と多米は顔を見合わせて頷きあった。
お屋形様の屋敷の方から五条安次郎が見知らぬ二人の武士を連れてやって来た。小太郎は後の事を皆に任せると屋敷の方に向かった。
安次郎が連れて来た武士はお屋形様の奉公衆(ホウコウシュウ)の二人で、一人は今、本曲輪の警固に当たっている四番組の頭(カシラ)、入野兵庫頭(イリノヒョウゴノカミ)、もう一人は二の曲輪の警固に当たっている一番組の頭、木田伯耆守(ホウキノカミ)だった。幸いに二人共、竜王丸派だった。二人共、今川一族の者たちで、年の頃は安次郎よりも少し上の三十前半のように見えた。彼らの下にはそれぞれ五十騎近くの兵がいる。徒歩武者も入れれば百五十人近くの兵力だった。
挨拶の済んだ後、二人は持って来た絵地図を広げた。早雲、小太郎、富嶽の三人が絵地図を覗き込んだ。この場合、木田と入野は今川一族であり、今川家の家臣でもあり、普通なら、早雲、小太郎、富嶽の三人が公的な場で同座できる身分ではなかったが、今川家の長老である小鹿逍遙入道の計らいによって、特別に早雲は竜王丸の執事、小太郎と富嶽は竜王丸の奉公衆という身分になっていた。要するに三人は竜王丸直属の家臣という事になり、先代のお屋形様の家臣だった彼らと公式の場でも同座する事ができた。なお、荒木、多米、荒川坊、才雲、孫雲、寅之助らは早雲の家来という事になり、春雨、お雪は北川殿の侍女という事になっていた。
絵地図には、今川屋形の本曲輪、二の曲輪、城下の建物の配置が描かれてあった。駿府の町は西に阿部川、北に北川、南に鎌倉街道に囲まれ、東側に城下の入り口、大手門があった。東側から城下町、二の曲輪、本曲輪と並び、本曲輪の西側に阿部川が流れ、北側に浅間神社の門前町かあった。本曲輪の大きさはほぼ五町(約五百五十メートル)四方、二の曲輪も同じ位の広さであり、城下町はかなり広いが、浅間神社の門前町のように人家が密集しているわけではなく、田畑もかなりあった。
本曲輪には守護所とお屋形様の屋敷を中心に重臣たちの屋敷が並び、二の曲輪にも重臣たちの屋敷がいくつかあるが、主に奉公衆たちの屋敷が並び、城下には下級武士や町人の家々があった。
早雲たちは、それぞれの重臣たちの屋敷の位置を頭の中に入れた。河合備前守、中原摂津守兄弟の屋敷はお屋形様の屋敷の西側に向かい合って建ち、小鹿新五郎の屋敷はお屋形様の屋敷より少し離れ、本曲輪の西門の近くにあった。
今まで知らなかったが、河合備前守派の大物である福島越前守の屋敷はお屋形様の屋敷の東側にあり、北川殿のすぐ側にあった。北川殿の様子を見張る気になれば簡単に見張る事のできる距離だった。今まで、その屋敷の事を特に気に止めた事はなかったが、これからは気を付けなれればならなかった。
中原摂津守派の岡部美濃守の屋敷は福島越前守の屋敷の東隣にあった。そこからは北川殿を見張る事は不可能と言えた。
小鹿派の大物、葛山播磨守の屋敷は本曲輪ではなく、二の曲輪内にあり、二の曲輪の北側にある広い馬場の南側にあった。二日前に来た天野氏、天方氏の屋敷も葛山屋敷の近くにあった。
「伯耆守殿に葛山播磨守殿、両天野殿の屋敷の様子を探ってもらい、兵庫頭殿に本曲輪の重臣たちの屋敷を探ってもらおうと思っております」と安次郎は言った。
「失礼じゃが、お二方の御家来衆は皆、竜王丸殿派なんでしょうな」と小太郎が聞いた。
「いえ。それは分かりません」と木田伯耆守が言った。「奉公衆は一族、重臣たちの子弟たちで編成されております。当然、各自の親兄弟の所属している派閥を支持すると言えるでしょう。しかし、任務に当たっている時は飽くまでも立場は中立です」
「中立か‥‥‥」
「わたしらは部下たちに誰々の屋敷を見張れとは命じません。何事も起こらないよう、すべての屋敷を見張らせます」
「おお、それでいいんじゃ。すべての様子が知りたいんじゃ」と早雲は言った。
「はい、何か不穏な動きが起こった場合はすぐに知らせに参ります」
「お願いいたします。わしらがお屋形内をうろつくわけには行かんので、そなたたちが情報を知らせてくれると本当に助かるわ」
「はい」と二人は頷いたが、「しかし、今月一杯は知らせる事ができますが、来月からは難しくなります」と伯耆守は言った。
「なぜじゃ」と早雲は聞いた。
「一月交替で警固の場所が変わります。わたしは来月、詰の城に移り、兵庫頭殿は休みとなります」
「休みか。休みの時はどうするんじゃ」
「戦が起これば戦に行く事になりますが、戦がなければ、それぞれ、本拠地に帰ります」
「そなたも帰るのか」
「はい。今年は年末年始と休まずに詰めていたので、二月遅れの正月だと思って、のんびりするつもりです」
「そうか‥‥‥正月休みか。で、来月、本曲輪を守るのは誰なんじゃ」
「三番組です。頭は葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)殿です」
「葛山備後守‥‥‥」
「はい、葛山播磨守殿の弟です」
「来月は葛山播磨守の弟が、ここの警固に当たるのか‥‥‥まずいのう」
「二の曲輪は?」と小太郎は聞いた。
「二番組です。頭は蒲原左衛門佐(カンバラサエモンノスケ)殿です。越後守殿の弟です」
「蒲原というと備前守派じゃな‥‥‥来月は情報を得るのは難しそうじゃのう」と早雲が言って、小太郎を見た。
小太郎は腕を組みながら絵地図に目をやったが、顔を上げると、「休みの者たちが警固に加わる事はできんのか」と聞いた。
「命令が下ればできます。というか命令に従わなければなりませんが、勝手に加わる事はできません。皆、自分たちの仕事に誇りを持っておりますから、違う組の者が命令もないのに警固に加わるとなれば、そこの勤務に当たっている者たちが黙ってはいないでしょう」
「それぞれの組が仲が悪いと言う事か」と早雲が聞いた。
「いえ、そうではなくて、面子(メンツ)にかかわるとでも言いましょうか、他の組の助けなどいらない、自分たちで立派に守れるという自負心から反発するのです」
「成程のう。皆、奉公衆である事に誇りを持っておるんじゃな」
「はい」
「となると、今月中にけりが着く事を願うしかないが、それは難しいじゃろう。来月、葛山氏がここを警固するとなると、何となく危ない気がするのう」
「ああ、何事も起こらんとは言いきれんのう」と小太郎が言った。
「まあ、来月の事は置いといて、今月のこれまでの動きを聞こうか」
本曲輪を守る入野兵庫助の話によると、昼間は皆、おとなしくしているが、夜になると動きが激しくなると言う。特に、お屋形様の候補に上がっている三人の屋敷には、入れ代わり立ち代わり、人が出入りしている。人が出入りしていると言っても、重臣たちが直々に訪れているわけではなく、使いの者たちが書状を持って行き来しているらしかった。各自が重臣たちを自分の派閥に引き込もうと誘いを掛けているようだった。勝手に領地を与える約束をしているのかもしれない。しかし、今の所は武力に訴えようとしている者はいないようだった。
二の曲輪を警固している木田伯耆守の話によると、両天野氏、天方氏、葛山氏の屋敷にも、夜になると本曲輪からの使いの者たちが頻繁に出入りしていると言う。ただ、葛山氏と両天野氏の屋敷は近くにあるが、それらの屋敷の間を行き来している者はいないらしい。両天野氏と葛山氏が手を結べば、それだけで二千近くの兵力を持つ事となり、かなりの勢力となる。そして、彼らが小鹿新五郎を押す事となれば圧倒的に有利な立場に立つ事となる。絶対に天野氏と葛山氏を結び付けてはならなかった。
二人は今の状況を早雲たちに話し終わると、お屋形様となるべき人、竜王丸殿と対面した。
竜王丸は上段の間に北川殿と一緒に座り、二人を見下ろしながら、「今川家の事、よろしく頼むぞ」とはっきりした声で言った。
二人は竜王丸から直接に声を掛けられるとは思ってもいなかったので驚き、そして、畏まって頭を下げた。この瞬間に、二人は竜王丸殿をお屋形様にしなくてはならないと心から感じていた。
それは早雲が考えたものだった。今まで、竜王丸が直々に家臣たちと対面する事はなかった。しかし、お屋形様の候補に上がっている以上、なるべく表に出て、家臣たちに顔を覚えて貰わなくてはならなかった。たとえ六歳の子供であろうと、上段の間に座って、家臣たちに一声掛ければ、家臣たちは感激するものだった。そして、それは亡きお屋形様の事を思い出させる事にもなった。亡きお屋形様に世話になった者なら迷わず、竜王丸をお屋形様にしなければならないと思うに違いなかった。早雲は北川殿に、訪ねて来る者たちには身分の上下に関係無く、なるべく、竜王丸と対面してもらうよう頼んだ。
木田伯耆守と入野兵庫頭の二人は竜王丸と会い、感激しながら帰って行った。
3
北川殿も最近、武将たちの出入りが激しくなっていた。
昼間は、お屋形様の屋敷で評定が続いているため訪れる者もあまりいないが、評定が終わる夕方頃になると、竜王丸派の武将たちが毎日、入れ代わり立ち代わり訪れて来た。
初めて訪れる武将たちは、五条安次郎または長谷川次郎左衛門尉に連れられてやって来る。今日も、次郎左衛門尉に連れられて遠江から来た天野民部少輔がやって来て、竜王丸と対面して、早雲たちと型通りの挨拶をすると帰って行った。民部少輔は早雲や小太郎と同じ位の四十代の半ば、小柄だが貫禄のある男で、温和そうで礼儀正しかった。
民部少輔が帰ると、久し振りに小鹿逍遙がやって来た。かなり疲れているようだった。逍遙は屋敷に上がろうとしたが、急に向きを変えて、早雲に手招きすると庭園内にある茶屋に向かった。早雲が茶屋に行くと逍遙は縁側に腰を下ろし、池を眺めていた。
「評定の方はいかがですか」と早雲は声を掛けながら逍遙の隣に腰を下ろし、池の中を眺めた。
数匹の鯉が気持ちよさそうに、のんびりと泳いでいた。
「もうすぐ、桜が咲くのう」と逍遙は言った。
「そう言えば、盛大な花見をやる予定だったとか聞いておりますが‥‥‥」
「予定じゃったが、今年は無理のようじゃのう。花見どころか、お屋形様の葬儀の日取りも決まってはおらん」
早雲は何も言わずに、逍遥の横顔を見つめていた。
「今の今川家の状態をお屋形様が見たら嘆かれる事じゃろうのう」と逍遥は言った。「皆、言いたい事ばかり言っておって、ひとつにまとめようと思う奴など一人もおらんわ‥‥‥しかも、わしの伜までもが重臣たちに躍らされて、お屋形様になる夢を見ておる‥‥‥」
「逍遙殿は反対なのですか」
「反対じゃ。備前守殿と摂津守殿が辞退したら、竜王丸殿が成人するまで伜が補佐するというのなら分かるが、備前守殿、摂津守殿と共に、お屋形様の座を争うなどとは以ての他じゃ。たとえ、お屋形様になれたとしても禍(ワザワ)いを残す事となる。わしが何を言っても、伜の奴は言う事を聞かん。隠居した者は黙っていろ。年寄りの出る幕ではないと抜かしよるわ。こんな事になるのなら隠居などすべきでなかったわ。伜があんな風になったのも、元をただせば、わしのせいかもしれん」
逍遥は早雲の顔をちらっと見てから、また、池を眺めた。
「わしは子供の頃、今の竜王丸殿のように家督争いに巻き込まれたんじゃ。竜王丸殿と違う所は、叔父と甥で争うのではなく、わしは兄たちと争ったんじゃ。争ったと言っても、当時のわしはまだ七歳で、竜王丸殿と同じで何も分からん。大人たちの成すがままとなって、兄たちと争い、わしは駿府から追い出された。家督は上の兄が継ぐ事となり、わしは十一歳の時、ようやく、母親と一緒に駿府に戻る事ができた。駿府に戻って来ても、お屋形内に住む事はできず、小鹿の地で、母親と二人で暮らしておった。やがて、成人し、兄であるお屋形様に仕える事となったが、お互いに昔のしこりが消える事はなかった。当時も家中に派閥があって、お屋形様に反発する者たちが、わしの回りに集まって来るようになった‥‥‥若かったわしは、そんな取り巻きに囲まれて、いい気になっていた時期もあったが、いつも、心の中に風が吹いているような空しさがあったんじゃ。わしは心の中で、いつも武士をやめたいと思っておった‥‥‥やがて、お屋形様が亡くなった。お屋形様は亡くなる時、初めて、兄上として自分に接してくれた。兄上は、わしに子供の事を頼むと言って息を引き取った。わしは兄上に言われた通り、兄上の子であるお屋形様を補佐して来た。そして、お屋形様の供をして京まで行き、帰って来ると、わしは伜に無理やり跡を継がせて隠居した。もう、お屋形様も立派になったし、わしの役目は終わったと思ったんじゃ。伜はもう少し隠居をするのを待ってくれと頼んだが、わしは聞かなかった‥‥‥わしは伜を突き放すようにして、跡目を継がせたんじゃ。伜もようやく一人立ちができるようになったと、わしは喜んでいた。しかし、こんな事になろうとは‥‥‥」
逍遙は入道頭を撫でながら、池の中に浮かぶ水草を見つめていた。
「逍遙殿の本当のお気持ちをお教え願えませんか」と早雲は聞いた。
「わしの本当の気持ちか‥‥‥わしは竜王丸殿が跡を継ぐべきじゃと思っておる。そして、誰かが竜王丸殿の後見として、竜王丸殿が成人なさるまで、お屋形様の代行をしてくれる事を願っておる」
「誰かと言うのは」
「備前守殿じゃ」
「そのように話を進めてみたらいかがです」
「無駄じゃ。わしがそのように提案しても、竜王丸殿が跡を継ぐと決まった訳ではないと言われ、話はまた振り出しに戻る。毎日、評定を重ねていても、毎日、同じ事を繰り返しやっているだけじゃ。少しの進展もないわ」
「そうですか‥‥‥天遊斎殿も逍遙殿と同じ意見なのですか」
「同じじゃ‥‥‥天遊斎殿の方がわしより、ずっと参っている事じゃろう。跡継ぎの肥後守(ヒゴノカミ)殿に先立たれて自分の家の事も大変じゃというのに、帰る事もできん。まだ、伜殿に線香の一本も上げておらんのじゃ」
「天遊斎殿の跡継ぎの方は大丈夫なのですか」
「肥後守殿の嫡男がおられるが、まだ十歳じゃ。しかし、三男の左京亮(サキョウノスケ)殿が後見になるらしい」
「次男の方は?」
「次男は備中守殿じゃ。掛川城の城主になっておる。今更、戻るわけにも行くまい」
「そうだったのですか、備中守殿は天遊斎殿の次男でしたか」
「朝比奈家はそれでうまく行っておるのに、今川家はどうしようもないわ」
「これから、どうなって行くのでしょう」
逍遙は池を見つめながら首を振った。
「早雲殿、しばらく、ここにいさせてくれんか」と逍遙は顔を上げると言った。
「はい。構いませんが‥‥‥」
「情けない事に、今のわしには、ゆっくりできる場所がないんじゃ」
逍遙は力なく笑うとまた、池に目を落とした。
早雲は逍遙を茶屋に残すと庭に出た。寅之助と竜王丸が廐(ウマヤ)の所で孫雲と遊んでいた。
屋敷の中では美鈴がお雪に字を習っていた。
早雲が縁側から屋敷に上がろうとした時、台所の方で甲高い悲鳴が聞こえた。
早雲は素早く、悲鳴のした方に向かった。台所に行くと、小太郎が仲居の桜井を抱き抱えていた。桜井は苦しそうに首を押えながら痙攣(ケイレン)していたが、やがて、力なくガクッとなった。
小太郎は早雲を見上げ、首を振った。
悲鳴を聞いた者たちが台所に集まって来て、茫然と立ち尽くしていた。
早雲は春雨とお雪に指示して、女子供を台所から出した。
「毒殺じゃ」と小太郎は言った。
早雲は桜井が食べたらしい料理を眺めた。
「一体、誰が」と早雲が言った。
「とうとう、こんな騒ぎが起こってしまった‥‥‥」と逍遙が言った。
逍遙も悲鳴を聞いて、慌てて台所に来ていた。
「トリカブトじゃな」と小太郎は言った。「早雲、悲鳴を上げたのは長門じゃ。長門(ナガト)に詳しい事情を聞いてみろ」
「分かった」と早雲は頷いた。
「わしは、ここを片付ける。ここを清める事ができるのはわししかおるまい」
「そうじゃな。頼むぞ」
「この娘はどこの娘じゃ」と早雲は誰にともなく聞いた。
「三浦殿です」と答えたのは門番の小田だった。
「確か、三浦殿の姪御(メイゴ)さんじゃと思ったのう」と逍遙が言った。「三浦殿にはわしが知らせるわ。誰かが引き取りに来るじゃろう」
逍遙はすぐに三浦屋敷に向かった。
死んだとはいえ、重臣の姪である娘を土間に横たえて置くわけにはいかなかった。小太郎は娘を抱き抱えて、板の間の上に横たえ、莚(ムシロ)を掛けた。
当時、死に対する恐怖は現代人が想像する以上のものがあった。死にそうな病人が出た場合は、病人は死ぬ前に屋敷から出された。身分のある者は菩提寺(ボダイジ)や死を迎えるために建てられた庵(イオリ)に移って死ぬ事となる。身分の低い者たちは河原や山の中の決められた場所に連れて行かれ、そこで死を迎えた。もし、突然の死で屋敷内で亡くなってしまった場合は、特殊な儀式を行ない、清めなくてはならなかった。小太郎はその儀式を知らなかったが、知っていると言った。娘が亡くなったのは台所だった。穢(ケガ)れたままで置くわけには行かなかい。仲居たちが恐れずに使えるようにしなければならなかった。死に対する恐怖というのも気分の問題だった。小太郎が自信を持って加持祈祷(カジキトウ)をすれば、皆、穢れは消えたと信じるだろう。そうすれば、仲居たちもこの台所を使う事ができるだろう。
小太郎はさっそく錫杖(シャクジョウ)を鳴らしながら塩を撒き、重々しい声で真言(シンゴン)を唱えた。
早雲は仲居の長門から事情を聞いたが、誰がいつ、毒を入れたものかまったく分からなかった。お屋形様の死の知らせを受けてから、早雲は仲居たちに交替で、北川殿の食事の毒味をさせていた。仲居たちが作った料理を仲居たちに毒味をさせるというのも変な事だったが、もしもの事を考えて、あえて命じた。仲居たちも絶対に安全だと思いながらも、朝晩交替して毒味をしていた。
今朝、毒味をしたのは西尾という仲居だった。今朝は何の異状もなかった。そして、夕食の毒味の担当だった桜井が死んだ。桜井は竃(カマド)の上の鍋(ナベ)の中のお吸物を少し飲んだ途端、苦しそうに倒れたと言う。
早雲は侍女と仲居を全員集めて事情を聞いた。侍女の二人は食事作りには手を出さないが、毒を入れる事はできるので、一応、呼んでみた。三芳という仲居がいなかった。今日は休みで、朝から出掛けていて、まだ帰って来ないと言う。仲居たちの話によると、昼過ぎから料理の仕込みを始め、おおよその準備ができたので一休みしていたと言う。
彼女たちが作る料理は、北川殿母子を初めとして北川殿に仕える者たち三十人近くの食事だった。数が多いので、なかなか大変だった。朝早くから食事の支度を始め、食事が終わったら後片付けをし、また、夕食の支度にかかる。ほとんど、休む間もない程、忙しかった。
今日は久し振りに早めに準備が終わったので、ちょっと一休みをしていた時、あの騒ぎが起こったと言う。いつもは毒味は料理が出来上がった時、皆の見ている前で行なわれていたが、桜井と長門の二人はふざけて毒味をしたらしかった。
お吸い物を作ったのは休憩に入るすぐ前だった。そうすると、毒を入れたのは仲居たちが休憩に入って台所に誰もいなくなり、長門と桜井が台所に入って来るまでの四半時(シハントキ、三十分)余りの間に限られていた。その時刻、仲居たちは一部屋に集まって、お茶を飲んでいたという。侍女の二人と乳母の船橋は、北川殿の部屋で北川殿の思い出話を聞いていたという。一人一人から怪しい者を見なかったか、と聞くと早雲は解散させた。
若い長門と嵯峨の二人は早雲の尋問の間、ずっと泣いていた。他の女たちも涙こそ見せなかったが、突然の事件に気が動転していた。いつも冷静な侍女の菅乃(スガノ)でさえ、恐怖に脅え、ぼうっとしていて、つじつまの合わない事を言っていた。
台所には、すでに桜井の遺体はなかった。三浦氏から頼まれたという河原者たちが数人来て、丁重に運んで行った。
小太郎は仲居たちを一列に並ばせると、塩を掛けながら印(イン)を結び、真言を唱えた。仲居たちは皆、神妙な顔をして小太郎のやる事を見守っていた。重々しい儀式が終わると、仲居たちはようやく解放された。誰もが小太郎を信じ、死者の穢れはすっかり消えたものと安心していた。普通なら恐ろしくて入る事のできない台所を何事もなかったかのように出入りしていた。
早雲は門番たちの所に行き、一人一人から怪しい者を見なかったかと聞いてみたが、毒が入れられたとみられる時刻に、入って来た者も出て行った者もいなかった。
表門には清水、小島、大谷の三人が守り、裏門は小田と山崎の二人が守っていた。吉田、村田、久保、中河の四人は夜警なので、村田と久保は家に帰り、吉田と中河は侍部屋で休んでいた。吉田はさっきの悲鳴を聞いて、台所に飛び込んで来たが、中河はそんな騒ぎも知らずに、ぐっすり眠り込んでいた。
「いつから寝ておるんじゃ」と早雲は吉田に聞いた。
「昼頃かのう。仕事が終わって、朝方、久保と話をしていたようじゃったが、久保が家に帰ると酒を飲み始めて、昼近くになって寝たらしいのう」
「そうか。久保はいつ頃、家に帰ったのか分かるか」
「そうじゃのう。仕事が終わってから半時程、話し込んでいたかのう」
「村田は?」
「村田は仕事が終わったらすぐ帰ったが‥‥‥内部の者を疑っているんですかい」
「毒を入れたと思われる時刻に門を出入りしたものはおらんのじゃ。という事は、下手人は内部におるという事になるのう」
「やはり、竜王丸殿の命を狙っていたのかのう」
「じゃろうな」
「恐ろしい事じゃ‥‥‥しかし、その毒とやらは、どうやって手に入れたんじゃろうのう」
「トリカブトか‥‥‥小太郎の話によると、わりと簡単に手に入って、少量で人を殺す事ができるそうじゃ」
「恐ろしいのう」と吉田は身震いした。
「中河と村田と久保の三人は白じゃな。もう一人おらなかったか」と早雲は聞いた。
「ああ。山本の奴は今日は休みじゃ。明日は夜警じゃから、どうせ、明日の夕方まで帰って来んじゃろう」
「朝から出掛けておるのか」
「いや。昼過ぎまでゴロゴロしてたようじゃったが。どうせ、北町の遊女屋にでも行ったんじゃろう」
「浅間神社の門前か」
「そうじゃ。入れ上げている女子(オナゴ)がいるらしいのう。若いからのう」
「そうか‥‥‥まあ、一応、聞くが、怪しい奴を見なかったか」
吉田喜八郎は首を振った。
「じゃろうの。ここからじゃ裏口も台所も見えんからのう。それじゃあ、誰か毒を入れそうな者に心当たりはないか」
喜八郎はまた、首を振った。
「そうか‥‥‥敵が誰だか分からんが動き始めた事は確かじゃ。これからは何が起こるか分からん。今まで以上に気を付けて見張ってくれ」
「はい。畏まりました」と喜八郎は真剣な顔をして頷いた。
早雲も頷くと表門の方に向かった。
4
屋敷に戻ると、三浦次郎左衛門尉(ジロウザエモンノジョウ)が待っていた。供の侍が二人、板の間で控え、次郎左衛門尉は座敷の方で待っていた。
早雲は座敷に入る前に板の間に座って、挨拶をしようとしたが次郎左衛門尉はそれを止めた。
「早雲殿、この際、挨拶は抜きじゃ。そなたも竜王丸殿の家臣になったと聞く。立場は同じじゃ。堅苦しい事は抜きにして詳しい事情を聞かせて下され」
早雲は頷くと座敷に上がり、次郎左衛門尉の向かいに座った。
「何者かが北川殿の召し上がるお吸物の中に毒を入れました」と早雲は言った。
「一体、誰がそんな事を」
「まだ分かりません」
「それで、どうして、そのお吸物をおそよ(桜井)が飲んだのじゃ」
「毒味をしました」
「おそよがか」
「丁度、桜井殿の順番だったのです」
「毎回、毒味をしておったと言うのか」
「はい。今朝も行ないましたが、今朝は何の異状もありませんでした」
「そうか‥‥‥下手人は分からんのか」
早雲は頷いた。「しかし、残念な事ながら内部の者の仕業らしいのです」
「内部の者?」
「はい。毒が入れられたと思われる頃、外部の者の出入りはないのです」
「北川衆が嘘をついているのではないのか」
「それは考えられます。北川衆が怪しいとすると、裏門を守っていた小田と山崎の二人と言えます。この二人が誰かを入れたか、あるいは、二人のどちらかが誰もいない台所に行って、毒を入れたと考えられます。ところが、山崎というのは斎藤氏です。斎藤氏は御存じの通り、竜王丸殿を押しております。斎藤氏の山崎が竜王丸殿の命を狙うとは考えられません」
「もう一人の小田というのはどこの者じゃ」
「矢部氏です。本人はどう思っておるのか分かりませんが、矢部氏は小鹿派でしょう」
「いや、矢部氏には二つある。将監(ショウゲン)殿なら小鹿派じゃが、美濃守(ミノノカミ)殿なら、多分、河合備前守派じゃろう」
「矢部美濃守殿というお方がおられたのですか」
次郎左衛門尉は頷いた。「まさしく、おられたんじゃ。お屋形様と一緒に戦死なされた」
「そうだったのですか‥‥‥小田というのが、どちらの矢部氏なのかは分かりません。後で聞いておきます」
「いや、聞かなくてもいい」
「は?」
「思い出したわ。その小田というのは隼人正(ハヤトノショウ)殿の事じゃろう」
「はい。そうですが‥‥‥」
「隼人正殿なら、そんな事をするはずはない。元、奉公衆の頭(カシラ)だった男じゃ」
「奉公衆の頭‥‥‥そうだったのですか、知りませんでした」
「他に怪しい者は?」
「はい。その二人の他に毒を入れる事ができたという者は、非番だった北川衆で侍部屋にいた者が三人おります。吉田、中河、山本です。その中の吉田は伊勢家の者で、北川殿と共に駿河に来た者です。絶対とは言えませんが、吉田が竜王丸殿の命を狙うとは思えません」
「あとの二人は?」
「中河は三浦殿の御存じの通り三浦殿の一族です。これも除いてもいいでしょう」
「わしと同族じゃからか」
「それもありますが、騒ぎのあった事も知らずに、今も鼾(イビキ)をかいて寝ています」
「寝た振りをしているのかもしれんぞ」
「その可能性もありますが、あんな大それた事をしておいて、寝た振りをしておるとは思えません。もし、わたしがそんな事をしたとして、悲鳴を聞けば、何が起こったのか心配でじっとしておられないでしょう。何食わぬ顔をして現場に行くような気がします」
「うむ、そなたの言う事も一理あるのう。それで、もう一人はどうなんじゃ」
「もう一人は庵原(イハラ)氏の山本という者ですが、今日は休みで出掛けております」
「庵原氏というと河合備前守派というわけじゃな‥‥‥女たちはどうなんじゃ。女でも毒くらい入れられるぞ」
「はい。しかし、女たちは白です。女たちは北川殿に食事を出す前に交替で毒味をするという事を知っております。もし、毒を入れるとすれば毒味が終わった後に入れるでしょう。まさか、仲居を殺すために毒を入れたという事は考えられません」
「そうじゃのう‥‥‥という事は北川衆のうちの誰かという事になるのか‥‥‥まあ、誰がやったにしろ、自分の意志でやったわけではあるまい。後ろで糸を引く者がおるはずじゃ。そいつが一体誰かじゃ」
「はい。しかし、恐ろしい事です。お屋形様がお亡くなりになり、まだ、葬儀も済んでおらんというのに、お屋形様の忘れ形見の竜王丸殿を亡きものにしようとたくらむ者がおるとは‥‥‥」
「ここまで来るとはのう‥‥‥誰の仕業か知らんが卑怯な手を使うわ。許せん事じゃ。多分、明日の評定の話題となる事じゃろう」
「もう、噂になっておりますか」
「多分のう。夜だったらともかく、まだ明るいうちから河原者たちが遺体を抱えて北川殿から出てくれば、噂をするな、と言っても無理じゃろう」
「そうですな‥‥‥」
「他の場所ならともかく、北川殿にいつまでも遺体を置いておくわけにもいかん。仕方なかったんじゃ。早雲殿、下手人(ゲシュニン)の事はそなたに任せる。それと、おそよの事は隠せるとは思えんが、一応、病死という事にするつもりじゃ。おそよも可哀想な娘じゃった。わしが、ここにお仕えしろと命じたばかりに、嫁にも行かずに亡くなってしまった‥‥‥下手人が捕まったら御番衆(ゴバンシュウ)に引き渡すじゃろうと思うが、どんな奴じゃったのか、わしにも知らせてくれ。誰に殺されたのかも分からずに亡くなって行ったおそよの奴に、せめて、下手人の名だけは知らせてやりたいんじゃ」
「分かりました‥‥‥竜王丸殿にお会いになられますか」
「いや。今日のところは遠慮しよう。また改めて、お目通り願うわ。竜王丸殿の事、頼みますぞ」
三浦次郎左衛門尉は帰って行った。
次郎左衛門尉が見送りはいらんと言ったので、早雲はそのまま座敷に座っていた。
次郎左衛門尉と入れ違いに小太郎と富嶽が入って来た。
「三浦殿は何と言っておった」と小太郎が聞いた。
「桜井は病死という事にするらしいが、事実はすぐにばれる事じゃろうと」
「そうか‥‥‥美鈴殿が泣いておったわ」
「美鈴殿がか‥‥‥可哀想な事をしたわ‥‥‥台所の方は大丈夫か」
「ああ。さっそく、晩飯の支度をしておる」
「そいつはよかった」
「早雲殿、ちょっとした事じゃが、新しい事実が分かったんじゃ」と富嶽が言った。
「何じゃ」
「今日、休みの山本なんじゃが、二日前の日暮れ時、二の曲輪の方から来るのを見た者がおるんじゃ」
「二の曲輪から? 城下にでも行った帰りだったんじゃないのか」
「かもしれんのじゃが、山本はその日、昼番なんじゃ。仕事が終わって、何か用があって二の曲輪に行って、また、すぐに戻って来たという風なんじゃよ」
「誰なんじゃ、山本を見たというのは」
「中河です」
「中河と言えば、三浦氏じゃな」
「ええ。その日、中河は休みで、昔の仲間が駿府に来ているというので、三浦殿の屋敷に行っておったそうじゃ。三浦殿の屋敷は本曲輪の大手門の側にあるんじゃ。日が暮れたんで帰ろうと思ったら、大手門をくぐって来る山本を見たそうじゃ。中河は山本に声を掛けようと思ったが、山本は走って帰ってしまったそうじゃ。帰って来て、その事を山本に聞いたら、山本は人違いじゃろうと、とぼけたらしい。しかし、中河は絶対にあれは山本だったと言うんじゃよ」
「臭いな」と小太郎は言った。「二の曲輪というと葛山の屋敷がある」
「天野氏、天方氏の屋敷もある」と早雲は言った。
「山本という奴は、奴らとつながりがあるのか」と小太郎は聞いた。
「分からん。奴は庵原氏じゃ。庵原氏は河合備前守派じゃ。備前守派と言えば天野兵部少輔じゃが、兵部少輔はまだ来たばかりじゃ。山本とつながりがあるようにはみえんがのう」
「となると葛山か」
「それも分からんのう。とにかく、本人から聞くしかあるまい」
「まずは、その山本が第一候補と言うわけじゃな」
「早雲よ、門番たちは仲居たちが毒味をしておったという事を知らなかったのかのう」と小太郎は聞いた。
「知っておる者は知っておるじゃろうな。いや、あれだけ、何が起こるか分からんから、警固を怠るなと言って来たんじゃ。知らん方がおかしいと言えるのう」
「そうじゃろう。もう毒味を始めてから八日にもなる。同じ屋敷に住んでおりながら、そんな事を知らんはずがないわ」
「という事は、やはり外部の者の仕業と言うのか」
「どうやって忍び込んだのかは分からんが、その可能性も考えられるという事じゃ。例えばじゃ。この屋敷の門番と同じ格好をして、屋敷の回りをウロウロしておったとしても誰も怪しまんじゃろう。濠の中に何かを落とした振りをして、濠に木を渡し、濠を渡ったとしても怪しむまい。今のところ昼間の警固は表門と裏門だけじゃ。門番たちも昼間から賊が忍び込む事はあるまいと思って、橋の上まで出て回りを見張るという事はない。北面に関しては完全に盲点と言える。人通りも少ないしの」
「忍び込めると言うのか」
「忍び込める」
「忍び込んで、台所から人がいなくなるのを待っておったと言うのか」
「多分、蔵の裏に隠れておったのじゃろう」
「蔵の裏か‥‥‥確かに蔵の裏なら裏門を守る門番からは見えんし、台所の様子を見る事はできるのう。何か見つかったか。どうせ、もう調べたんじゃろ」
「残念ながら何も見つからん」
「誰かが隠れておったという証拠はなかったのか」
「あった。しかし、賊じゃない。多分、竜王丸殿と寅之助の仕業じゃろう。鉄菱が撒いてあるから塀の側には近づくなと言ってあるのに、言う事などきかん。弱ったもんじゃ」
「手掛かりは無しか‥‥‥最初からやり直してみるしかないのう」
早雲は屋敷内にいる者たちの名前を紙に書き並べた。
「一人づつ消して行くしかあるまい」
春雨が静かに入って来た。
「北川殿の御様子はどうじゃ」と早雲は春雨に聞いた。
「はい。ようやく、落ち着きました。子供さんたちを連れて、ここから出て行くとおっしっておりました。でも、どこにも行く所がないと言って泣いております」
「そうか‥‥‥ここから出て行くとおっしゃっておったか‥‥‥」
「そうじゃろうのう」と小太郎は言った。「身近にいた仲居が一人、毒をもられて亡くなったんじゃからのう。こんな恐ろしい所から逃げたいと思うのは当然の事じゃ」
「仲居たちはどうじゃ」と早雲は聞いた。
「悲しみを堪えて、仕事をしています」
「そうか、辛いじゃろうのう‥‥‥早い所、下手人を挙げないと、さらに犠牲者が出るかもしれんな」
「頭を使う事はおぬしにまかせるわ。わしはもう一度、見回りをして来る」と小太郎は言うと出て行った。
早雲は頷いて、小太郎を見送った。春雨も小太郎の後姿を見送っていたが、急に思い出したように、「早雲様」と声を掛けた。「今、台所を覗いて気づいたんだけど、毒はお吸物の中に入れたんじゃなくて、お塩とかお味噌とかに入れたんじゃないかしら」
「何!」と早雲は言うと、そのまま飛び出して行った。
富嶽もすぐに後を追った。
二人は台所に行くと、「毒味はしたか」と怒鳴った。
仲居たちは早雲の血相に驚いて、立ち尽くした。
最年長の和泉が首を振った。
「塩と味噌は使ったか」
「はい、それは‥‥‥」
「まだ、誰も食べてはおらんな」
「はい」
「毒味は待て、塩か味噌の中に毒が入っておったという事も考えられる」
「調べる方法はないものかのう」と富嶽が回りを見回しながら言った。
「小太郎じゃ。奴は薬の専門家じゃ。奴なら分かるじゃろう」
富嶽がさっそく、小太郎を呼びに行った。春雨と侍女の萩乃が台所の入り口の所に立って見守っていた。
しばらくして、小太郎は孫雲と才雲の二人に桶(オケ)を持たせてやって来た。桶の中には池の中の鯉が二匹泳いでいた。小太郎は別の桶に一匹の鯉を移し、それぞれの鯉の中に塩と味噌を入れた。答えはすぐに分かった。味噌を入れた方の鯉が暴れ出し、やがて、動かなくなった。
「危なかったのう。もう少しで、もう一人死ぬところじゃったわ」
仲居の嵯峨(サガ)が崩れるように倒れた。気を失っていた。
「すまんのう。もう一度、作り直してくれ」と早雲は仲居たちに言った。「味噌なしでな。簡単な物でいい。北川殿も分かってくれるじゃろう」
小太郎は他にも毒を入れられそうな物はないかと調べていた。
早雲と富嶽は座敷に戻った。毒は見つかったが、下手人に関しては余計分からなくなっていた。
7.北川殿2
5
夜は何事も起こらなかった。
朝日が昇ると共に警固の侍は入れ代わった。
北川殿を警固する侍は北川衆と呼ばれ、お屋形様の屋敷を警固する宿直(トノイ)衆と共に、名誉ある職種であり、その任務に就く者は重臣たちの親族に限られていて、皆、一流の兵法者(ヒョウホウモノ)でもあった。そして、その装束(ショウゾク)も目立っていた。武家の正装である狩衣(カリギヌ)を常に着用して、長い太刀を佩(ハ)いている。お屋形様の屋敷の宿直衆も狩衣姿だったが、宿直衆は萌葱(モエギ)色(やや黄色みを帯びた緑色)で、北川衆は浅葱(アサギ)色(わずかに緑色を帯びた薄い青色)だった。一目見ただけで北川衆か宿直衆かは見分けが付いたし、他の武士との見分けも簡単だった。なお、奉公衆または御番衆と呼ばれる、お屋形全体の警固をする者たちは、実戦的な小具足姿で弓矢を背負い、お屋形内を闊歩(カッポ)していた。彼らは必要とあらば、その姿のまま重臣たちの屋敷内に入る事も許されていた。
今日の昼番を担当する北川衆は表門は吉田、小島、大谷の三人、裏門は清水と山崎の二人だった。吉田は夜、裏門を守り、引き続いて表門の勤務に移っていた。交替で勤務を行なうため、毎日、誰かが一人、寝ずに一日中勤務する事になっている。その代わり、休みの時は昼の勤務が終わってから、一日休み、次の日は夜勤になっているので充分に休む事ができた。
昨日、あんな事件が起きたため、昼も気を緩めずに見張らなければならなかった。裏門を守る者は一人が側にある蔵の屋根の上に上がって、北側と西側の濠を見張る事となり、表門を守る者の一人は、牛車(ギッシャ)のしまってある小屋の屋根から東側と南側の濠を見張る事となった。南側はお屋形様の屋敷の土塁に面しているので危険はないと思ったが、一応、見張らせた。
早雲はずっと下手人(ゲシュニン)の事を考え続けていた。先は長いので少し休んだ方がいいと思って横になってみても、頭から毒殺の事が離れず、結局、一睡もできないで朝を迎えていた。
早雲が顔を洗いに井戸に行くと小太郎が近づいて来た。
「何事もなかったわ」と小太郎は言った。
「御苦労じゃったのう」と眠そうな目をこすりながら早雲は言った。
「眠れなかったのか」と小太郎が聞くと、
「ああ」と言いながら早雲はあくびをした。
「何か分かったか」と小太郎は聞いた。
「少しはな」と早雲は答えた。
二人は座敷に戻ると、さっそく検討を始めた。富嶽も顔を洗うと参加した。
まず、いつ、味噌の中に毒が入れられたかが問題だった。朝食の時には入っていなかった。北川殿の朝食は四つ(午前十時)だった。それぞれの部署に食事を配り、北川殿に食事を運ぶと、仲居たちは自分たちの部屋で食事を取る。彼女たちの部屋は台所の隣にあるが、板戸を閉めると台所は見えない。食事をする時は、外から見えないように閉める事となっていた。食事の時間は半時(一時間)で、その後、後片付けが始まる。後片付けが終わると一休みして、夕食の仕込みが始まり、昨日の場合は七つ(午後四時)過ぎ頃、一段落したので休憩をしていた。桜井が亡くなったのはその時だった。
毒が入れられたと思われる時間は、仲居たちが朝食を取っていた半時の間か、後片付けの後の休憩の時か、桜井が殺される、ほんの少し前か、だった。その他の時間には台所には仲居たちがいたので、台所の片隅にある味噌甕(ミソガメ)の中に毒を入れる事は不可能と言えた。
「それで、下手人は誰なんじゃ」と小太郎は聞いた。
「そう、焦るな」
次に問題となるのは、なぜ、味噌の中に毒を入れたかだった。味噌の中に毒を入れた場合、竜王丸を殺す事のできる可能性は極めて低かった。という事は、敵の狙いは直接、竜王丸を殺す事ではなく、北川殿を恐れさせ、竜王丸がお屋形様の候補の座から下りるという事を狙っていたのかもしれなかった。
「それじゃあ、誰が死んでも構わなかったと言うのか」
「そうじゃ。もし、夕べ、味噌の中の毒が見つかっていなければ、夕べ、もう一人の犠牲者が現れ、そして、今朝も誰かが死ぬ事となったんじゃ。次々に身内の者が殺されれば、北川殿も恐怖にかられ、竜王丸殿をお屋形様にする事を諦めると言い出すかもしれん」
「うーむ。成程のう」と小太郎は唸った。「昨日の時点で、ここから出て行くと言い出す位じゃからのう。次々に身内の者が殺されたら、間違いなく、ここから出て行くじゃろうのう」
次に誰がやったか、という事だが、まず、仲居衆から行くと被害者の桜井は消える。休みで、朝から出掛けていた和泉(イズミ)も消える。朝比奈氏の西尾、長谷川氏の瀬川、堀越氏の淡路の三人も消していいだろう。次に、桜井が死んだ時、現場にいた長門(ナガト)も消していいだろう。毒の事を知っていながら、何の恨みのない同僚が目の前で死ぬのを平気で見ていられるとは思えない。まして、長門と桜井が普段から仲のいい事は誰もが知っている。そして、夕べ、桜井の次の毒味を担当していた嵯峨(サガ)も消える。あの時、味噌の中の毒が発見されなかったら、嵯峨は死んでいた事になる。
「すると、残るのは三芳(ミヨシ)だけか」と富嶽が仲居たちの名が並んでいる紙を見ながら言った。その紙には名前だけでなく、素性、毒味の順番、休みの日が書いてあった。
「三芳というのは岡部氏じゃのう。岡部氏というと‥‥‥」
「摂津守派じゃ」と早雲は言った。
「摂津守派は今、一番弱いからのう。竜王丸殿が下りてくれれば竜王丸派の重臣たちを自分の派閥に引き込めると考えたのかのう」
「その可能性はある。竜王丸派についている者たちは、名目はお屋形様の嫡男に家督をと言っておるが、今までのように、幕府の重臣としての今川家を見ておる。幕府あっての今川家だと思い込んでおる者が多い。幕府を恐れて、関東を非常に警戒しておるところがある。小鹿新五郎と河合備前守の二人は関東との関係がある。竜王丸殿が候補の座から下りた場合、竜王丸派の重臣たちが関東とは関係のない中原摂津守を押すという事は充分に考えられる事じゃな」
「糸を引いておったのは摂津守じゃったのか」と小太郎が言って、一人で頷いた。
「まだ、はっきり決まったわけではない」と早雲は小太郎を見ながら首を振った。「その可能性あり、という事じゃ」
次に侍女と乳母の三人だが、伊勢氏の萩乃と朝比奈氏の菅乃(スガノ)は白。乳母の船橋は白とは言えないが、北川殿の側に仕えておる乳母なら、わざわざ、味噌の中に毒を入れなくても、竜王丸を殺す機会はいくらでもあると言える。敵の立場から考えると、目的は竜王丸をお屋形様の候補の座から下ろす事で、一番いいのは、やはり、竜王丸を殺す事だ。それができないので、誰でもいいから身内の者を殺して、北川殿に恐怖を味わせようとしたに違いない。そう考えて行くと、仲居を始め、侍女と乳母は白と言っていい。彼女たちは毒味が終わった後に、毒を入れる事ができた。そうすれば竜王丸を直接に殺す事ができる。それをしなかったという事は彼女たちは白と言い切ってもいいだろう。
「何じゃと! 仲居の三芳が、さも下手人のように話しておきながら、女たちは白じゃと。勿体ぶらずに話せ。わしは眠いんじゃ」と小太郎は喚(ワメ)いた。
「まあまあ、順を追って話しておるんじゃ。落ち着いて聞け」
次に北川衆たちを検討してみると、伊勢氏の三人、吉田、村田、久保の三人は消える。村田と久保は夜勤明けで家に帰っていて、屋敷内にいなかったので完全に白と言える。竜王丸派の久野(クノ)氏の大谷と斎藤氏の山崎の二人も消える。残るは五人という事になるが、小田は昨日の昼間、裏門の警固、清水と小島は表門、山本は休み、中河は夜警のため侍部屋にいた。
ここで下手人の立場になって考えると、台所に一番近い裏門の警固に当たった時に実行に移すというのが、一番、怪しまれないという事になる。別に急ぐ事もないのだから、自分が一番やり易い時に実行した方がいいと言える。表門の警固をしている時に侍部屋の前を通って、さらに裏門を警固している者にも見られる可能性があるのに、危険を冒してまで実行に移す者はいないと考えられる。侍部屋で休んでいる者も、台所に入るには裏門の警固兵に見られる。裏門は侍部屋からは見えないので、警固している者は誰にも見られる事なく台所に行く事ができる。
「下手人は小田じゃったのか」と富嶽が唸った。
「待て、裏門を守っているのは二人じゃ。もう一人に見られるじゃろう。もう一人は誰だったんじゃ」と小太郎は北川衆たちの名を並べた紙を覗いた。
「山崎じゃ」と富嶽が山崎の所を指さした。
「それが怪しまれずに台所に行けるんじゃ」と早雲は顔を上げると小太郎と富嶽の顔を見た。
「なぜじゃ」と小太郎は聞いた。
「厠(カワヤ)じゃよ」と早雲は言った。「普通、門番は侍部屋の側にある厠を使う事となっておるが、急を要する時は台所内の厠を使っていいという事になっておるんじゃ。裏門におった喜八から聞いたんじゃが、台所に仲居たちがおらん時は大抵、内緒で使っておるという事じゃ」
「という事は、小田が仲居のいない時、台所の厠に行くと行って台所に入って、毒を入れたという事か」
「いや」と早雲は首を振って、小太郎と富嶽の顔を見て軽く笑った。「もう一人おるんじゃ」
「なに?」と小太郎は言った。
「昨日、休みじゃった山本も昨日の昼、やたらと台所に出入りしておるんじゃ」
「そいつは確かなのか」
「ああ。昨日、裏門を守っておった山崎から確認を取った。昨日の夜、表門を守っておった中河の話によると、山本は仲居の長門に惚れておって、休みにどこかに行こうと誘いを掛けておったらしい。長門の休みは今日なんじゃ。山本は今日、夜勤じゃから昼間、一緒にどこかに行こうと思っておったらしい。ところが、生憎(アイニク)、振られて、昼過ぎに諦めて北町に遊びに行ったらしいわ」
「中河というのは、二、三日前に、山本が二の曲輪から帰って来るのを見たとか言った奴じゃな」と小太郎は聞いた。
「ああ、そうじゃ」
「その中河という奴は山本という奴とは仲が悪いのか。やたら、山本の奴を下手人にしたいようじゃが」
「恋仇らしいのう。一緒に夜警をしていた村田が言っておった」
「恋仇か‥‥‥まあ、長門という娘は可愛いからのう。それで、長門の方はどうなんじゃ」
「そんな事は知らん。本人に聞いてみろ」
「という事になると、怪しいと言える者は小田と山本の二人という事になるのう」と富嶽が言った。
「小田は今日、休みじゃぞ」
「分かっておる。昨日の仕事が終わると家に帰っておるんじゃ。今、孫雲と才雲の二人に見張らせておる。小田が下手人なら昨夜の騒ぎの結果をどこかに報告に行くじゃろう。もし、昨日の夜のうちに行動したとしたら、もう手遅れとなるが、一応、見張らせておる」
「山本はないんじゃないかのう」と小太郎は言った。「惚れた女子(オナゴ)が死ぬかもしれんのに毒など入れるか」
「振られた腹いせと言う事も考えられるが、まず、ないじゃろうな。山本が下手人だったら、惚れた女子をまず逃がしてから毒を入れるじゃろう。女子を誘い、一緒にどこかに行く約束をしてから毒を入れ、そのまま、ここには帰って来ないという事になろう。しかし、女子を連れ出す事に失敗しておる。毒を入れる事は次の機会に、という事になるじゃろうな」
「というと山本も白じゃな」と富嶽は紙に並んでいる山本の名を消した。
「すると、やはり、残るは小田だけじゃな」
「決定じゃな。逃げられる前に捕まえた方がよさそうじゃ」と小太郎は立ち上がろうとした。
「待て」と早雲は小太郎を止めた。「小田の立場に立って考えてみろ」
「何を考えるんじゃ」
「小田は北川衆の中で、吉田に次いで偉い地位にあると言える。三浦殿から聞いたんじゃが、小田は北川殿が駿河に来るまでは四番組の頭じゃったんじゃよ」
「御番衆というやつか」
「そうじゃ。その頭だったんじゃ。お屋形様に見込まれて、ここの警固を任されたらしい。はっきり言って吉田はもう年じゃ。いつ、隠居してもいいと言える。そうなれば小田が北川衆の頭となる。もし、竜王丸殿がお屋形様になって、お屋形様の屋敷に入る事となれば、小田はお屋形様の屋敷を守る宿直衆の頭という事になろう。それだけの地位にありながら、誰かにそそのかされたにしろ、味噌の中に毒を入れるような事をするか」
「うーむ。普通なら、そんな事はせんのう」
「という事じゃ」と早雲は言って、手を広げた。
「全員、消えましたが‥‥‥」と富嶽が言った。
「どういう事じゃ」と小太郎は早雲を見た。
「寝ずに考えた結果がこれじゃ」
小太郎は急に笑い出した。「初めからやり直しじゃな」
「どこで間違ったと思う」と早雲は首をひねりながら紙を見た。
「下手人は外から来たのさ」と小太郎は言った。
「それも考えた。しかし、外から来た者が味噌の中に毒を入れるというのは不自然じゃ。誰が死んでもいいのなら井戸の中に入れた方がてっとり早いわ。それなのに井戸には入れずに味噌の中に入れた。なぜかというと、下手人自身も井戸の水を飲むからじゃ。そうなると、やはり身内という事になる」
「いや、井戸に毒を入れた場合、最初に井戸水を飲んだ者は死ぬが、二人目の犠牲者が出る事はないじゃろう。味噌の中に入れた方が効果はある。毒味をしなければ、全員が死んだという事も考えられるからのう」
「そうか‥‥‥外部の者が下手人という事も考えられるか‥‥‥」
「ふん。始めからやり直しじゃ。わしは少し寝るぞ」
「まあ、もう少し付き合え」
「まだ続きがあるのか」
「ああ、夜は長かったからのう。色んな事を考えたわ」
富嶽は北川殿にいる者たちの名前を別の紙に新たに書き写していた。
早雲は話の続きを話し始めた。
小太郎は柱にもたれながら聞いていた。
今度は、下手人を後ろで誰が操っていたかを考えると、竜王丸が消えて、一番得する者は誰かという事になる。
竜王丸が消えれば、当然、竜王丸派だった者は別の派に移る事となる。竜王丸派は朝比奈氏、斎藤氏、長谷川氏、そして、遠江の堀越氏、朝比奈氏、福島氏、久野氏だった。長老の天遊斎のいる朝比奈氏は、お屋形様の嫡男が下りれば、当然の事のように次男の河合備前守を押す事となろう。斎藤氏と長谷川氏の二人は、朝比奈氏と共に備前守派になる可能性もあるが、普段から行き来のある中原摂津守に付く可能性もある。遠江の四氏は、今川家が関東に近付く事を恐れている。四氏は摂津守派になる可能性が高いと言える。
という事は竜王丸派は、竜王丸が候補から下りれば備前守派か摂津守派に分かれるという事になる。今、一番、勢力のある小鹿派に行く者はいない。もし、朝比奈氏が備前守に付いたとすると小鹿派と五分の勢力になり、斎藤氏、長谷川氏までもが付くと小鹿派を上回るという結果になる。また、摂津守派に遠江の四氏が付くと小鹿派には及ばないにしろ、今の倍近くの勢力を持つ事となる。
「小鹿派じゃないと言いたいのか」と小太郎は言った。
「その通りじゃ。わしは最初、小鹿派の葛山が臭いと思っておったが、こう考えて来ると小鹿派じゃない事ははっきりした。小鹿派にしてみれば、竜王丸殿がいる事によって今の有利な状態を保てるが、竜王丸派の者が分散した場合、自分たちが不利になる。自分たちが不利になる事をあえてするまい」
「となると、河合備前守か中原摂津守か、という事になるのう」
「恐ろしい事じゃ」と富嶽が言った。
「まさしくな。しかし、可愛い甥御(オイゴ)を醜(ミニク)い家督争いから遠ざけるために、あんな騒ぎを起こしたとも考えられるぞ」
「優しい叔父上たちじゃな」と小太郎は笑った。
そこで、その二つの派閥らしい者を拾ってみると、清水、小島、山本、乳母の船橋、中居の和泉と嵯峨の六人が河合備前守派。そして、中原摂津守派はたった一人で、仲居の三芳だけだった。その中で、朝から出掛けていた和泉と長門に惚れている山本と、昨夜、毒味をするはずだった嵯峨の三人は消える。残る四人は清水、小島、乳母の船橋、仲居の三芳だった。
「そこまでじゃ。そこまで考えたら朝になっちまったというわけじゃ」と早雲は言った。
「御苦労じゃったな。四人にしぼれただけでも大したもんじゃ。わしは寝るわ」
小太郎は部屋から出て行った。
「早雲殿も少し休んだ方がいいですぞ」と富嶽は言った。
「そうじゃな」と早雲は頷いた。
「わしは充分に寝たから、わしが見回るわ」
「悪いな。それじゃあ、少し、休ませてもらうわ」
早雲も部屋から出て行った。夜の間は、早雲たちはこの部屋で寝ているが、昼間は寝られなかった。この部屋は客と会うための部屋だった。早雲も小太郎のように侍部屋に向かった。
小太郎が昼過ぎに目を覚ました時、早雲の姿はなかった。
隣の部屋では夜勤の中河が寝ていた。休み明けの山本はまだ帰っていないようだった。
小太郎は表門を覗き、廐で寝ている多米たちを覗いてから屋敷に上がった。
早雲と富嶽が相変わらず、北川殿にいる者たちの名前の並んだ紙を眺めていた。その紙には何人かの名前が線で消されてあったが、残っているのは一人ではなかった。
「まだ、検討中らしいのう」と言いながら小太郎は座り込んで紙を覗いた。「疑わしき者の数はまた増えたのか」
「別の見方でやってみたんじゃ。それより、また一人、仲居が亡くなった」と早雲は言った。
「何じゃと」と小太郎は厳しい顔をして二人を睨んだ。「どうして、わしを起こさんのじゃ」
「ここじゃない」と早雲は言った。「小鹿屋敷じゃ」
「小鹿屋敷? いつの事じゃ」
「今朝じゃ」
「やはり、毒か」
「そうらしい。ここと同じじゃ。小鹿屋敷でも仲居が毒味をして亡くなったんじゃ」
「小鹿屋敷か‥‥‥その仲居はどこの娘だったんじゃ」
「小鹿屋敷の仲居にも重臣たちの娘が何人か入っておるらしいが、今回、殺されたのは逍遙殿の家臣の娘だそうじゃ」
「そうか‥‥‥小鹿も狙われておったのか」
「やはり、今回の毒殺の糸を引いておったのは備前守か摂津守らしいのう」
「小鹿屋敷では、ここの味噌の中に毒が入っておったという事を知らなかったのか」
「味噌の事は知らなかったらしい。ただ、仲居が毒殺されたという事実だけは、三浦氏から知らせを受けて注意しておったらしいのう」
「それで、やはり、味噌の中に入っておったのか」
「それは分からん。四番組の入野兵庫頭(イリノヒョウゴノカミ)から知らせがあって、味噌の中を調べろとは言ってやったが、その後、返事はない」
「そうか‥‥‥」
「まあ、小鹿屋敷の事は小鹿屋敷に任せておいて、わしらはこっちの事を片付けなくてはならん。身内の中に危険な者が混ざっておったら、この先、何が起こるか分からん」
「そうじゃな。見方を変えたと言っておったのう。どう変えたんじゃ」
「今まで、派閥にこだわっておったような気がするんじゃ。よく考えてみると派閥などというのは、一族全部が同じ派閥だとは限らん。その者が今まで付き合って来た者たちに左右されると気づいたんじゃ。そこで、できる限り、一人一人の過去を調べてみたんじゃ」
「一人一人に聞いたのか」
「いや。女たちは侍女の二人に聞き、男たちは喜八に聞いたんじゃ。お屋形様の奥方を守る者たちなので、過去の経歴などもちゃんと書き留められてあったわ」
「ほう。それで?」小太郎は興味深そうな顔をして、先を促した。
女たちの方は皆、重臣たちにかなり近い者たちばかりだった。
侍女の萩乃は伊勢伊勢守の姪(メイ)で、伊勢守の養子になった北川殿とは従姉妹(イトコ)という関係だった。
もう一人の侍女、菅乃は朝比奈天遊斎の娘、乳母の船橋は福島(クシマ)越前守の妹でもあり、福島左衛門尉の妹でもあった。
仲居の方は、和泉は蒲原越後守の従姉であり、二番組頭の蒲原左衛門佐(カンバラサエモンノスケ)の従姉でもある。
三芳は岡部美濃守の妹で、中原摂津守の側室の姉でもあった。
西尾は朝比奈和泉守の娘、瀬川は長谷川次郎左衛門尉の娘、淡路は堀越陸奥守の姪、長門は新野左馬助の姪、亡くなった桜井は三浦次郎左衛門尉の姪、嵯峨は庵原安房守の娘だった。
「ほう、そうそうたるもんじゃのう」と小太郎は唸った。
確かに小太郎の言う通り、今川家の名門の娘たちばかりだった。この中に毒を入れた者がいるとは思えなかった。
北川衆の方は女たちとは違って、重臣たちの一族には違いないが、嫡流(チャクリュウ)ではなく、庶流の者たちばかりだった。ほとんどの者たちが、ここに来る前は御番衆の一員だった。
吉田は早雲と同じ備中の国の伊勢氏、村田と久保の二人は京の伊勢氏。
小田は矢部氏でも矢部将監(ショウゲン)、矢部美濃守とは別の流れで、今はそれ程の勢力を持っていないが、昔は重臣の一人だった矢部氏の流れだった。そして、北川殿に来る前は四番組の頭をやっていた。
清水は入江氏の庶流で、本家は福島越前守の被官となっている。北川殿に来る前は、お屋形様の屋敷を守る宿直衆の副頭だったという。
小島は興津氏の庶流で、元、四番組の一員で、小田の推薦によって北川衆になっていた。
大谷は遠江の久野氏の庶流で、元、三番組の一員だった。大谷が三番組にいた頃の頭は、今、遠江高天神城主となっている福島左衛門尉だった。
山本は庵原氏の庶流で、ここに来る前は庵原氏の本城庵原山城を守っていた。
中河は三浦氏の庶流で、二年前に北川衆となったが、それまでは宿直衆をやっていた。
山崎は斎藤氏の庶流で、ここに来て、まだ一年と経っていなかった。ここに来る前は斎藤氏の鞠子(マリコ)城を守っていたと言う。
「庶流ばかりじゃな。しかし、元、御番組やら宿直衆やらが多いのう。ここを守る位じゃから、お屋形様に余程、信頼されておる奴ばかりなんじゃろうのう」
この線から行くと、怪しいと思われる者は乳母の船橋、仲居の三芳、長門、嵯峨の四人。北川衆では清水、小島、大谷、山本、中河、山崎の六人となる。この中で、桜井が死ぬ時に一緒にいた長門と、桜井の次に毒味をしようとしていた嵯峨、長門に惚れている山本と中河の四人は消える。残るは乳母の船橋と仲居の三芳、北川衆の清水、小島、大谷、山崎の六人だった。
「六人か‥‥‥寝る前は四人じゃったのう。二人、増えたわけか」
「その四人も、この六人の中に入っておるんじゃよ」
「ほう。その中に下手人がおるのは確実なんじゃな」
「身内に下手人がおるとすればな」
「外部の線も調べたのか」
「一応はな。しかし、外部から曲者(クセモノ)が侵入したとは考えられんのじゃ。誰にも見られずに味噌の中に毒を入れるとなると、北川殿の内情に詳しくないと難しい。仲居の休憩する時間まで知っておらんと難しいじゃろう。たとえ、それを知っておったとして、真っ昼間から忍び込むじゃろうか。北川殿の北側の通りはいくら人通りは少ないとはいえ、誰が見ておるか分からん。わざわざ、危険な昼間に忍び込むとは思えん。下手人が外部から来たとすれば、夜に忍び込むじゃろうと考えたんじゃが、どうじゃ」
「うむ。確かに、昼間よりは夜の方が忍び安い事は確かじゃのう。夜なら台所に誰もおらんしな」
「そうじゃ。そこで、下手人は内部の者という事に絞ってもいいと思うんじゃ」
「そうじゃな。その線で行くか」と小太郎は頷き、「まず、乳母の船橋か‥‥‥この女は古くからおるのか」と聞いた。
「いや、千代松丸殿が生まれてからじゃから、まだ、四ケ月位じゃろう」
「船橋には亭主はおらんのか」
「ああ、忘れておった。船橋の亭主は由比出羽守殿の弟で御蔵奉行(オクラブギョウ)だそうじゃ」
「通いか」
「そうじゃ。すぐそこの由比殿の屋敷から通っておる」
「ふーん。その船橋とやらは複雑な状況におる事となるのう。亭主は何派か知らんが、亭主の兄が摂津守派で、実の兄二人は備前守派と竜王丸派に分かれておる。本人はどこにおるんじゃろう」
「分からん。しかし、敵が誰だか分からんが、そんな複雑な立場におる者に、北川殿の味噌の中に毒を入れろと命じるかのう」
「わしだったら命じんな。どこから秘密がばれるか分からんからな」
「そうじゃろう。わしもそう思う。船橋は白じゃな」
「仲居の三芳はやはり臭いのう。岡部美濃守の妹で、しかも、妹が中原摂津守の側室となれば、文句なしに摂津守派じゃな」
「三芳じゃと思うか」と早雲は小太郎に聞いた。
「思わん」と小太郎は首を振った。
「なぜ」
「わしがここに来て、もう十日になるが、三芳という女は面倒見がいいようじゃ。若い中居たちにも評判はいい。三芳が仲間を殺すような女には見えんがのう」
「うむ。わしもそう思いたいが、確かな確信はないのう。保留という事にしておくか」
「次に北川衆の清水じゃが‥‥‥」と富嶽が言った。
「元、宿直衆の副頭か‥‥‥お屋形様にかなり信頼されておったと見えるのう」
「小田と同じく、二の曲輪内に立派な屋敷を持っておるそうじゃ」と早雲は言った。
「じゃろうな。竜王丸殿がお屋形様になれば、当然、宿直衆に戻るという事になるのう。小田との仲も悪いようには見えんし、毒など入れるような男には見えんな」
「四十を過ぎておるしな、家族もおる。今更、そんな危険を犯して身を誤るような事はせんじゃろうのう。白じゃな」
「次は小島じゃ」と富嶽は言った。
「元、四番組の一員で、小田の推薦でここに来たそうじゃ」
「小田の推薦という事は、小田と何かつながりがあるのか」
「いや、特につながりはないらしい。腕を見込まれたらしいのう」
「確かにできそうじゃな。小田の推薦で入ったのなら小田を裏切るような事はあるまい」
「いや、それは分からん。かなりの腕を持っていながら、ここにおっては使う事がほとんどないと言っていいじゃろう。かつての同僚たちは戦に行って活躍して、出世した者もかなりおるようじゃ。傍目(ハタメ)から見れば、北川衆というのはお屋形様直属の上級な武士じゃ。誰もがなれるというものではない。侍たちの憧れの職種でもある。しかし、戦に出る事はなく、北川衆のまま終わるか、文官となって守護所勤務になるかじゃ。平和な時代だったら、それでも満足するという事もあるが、今のような乱世となると、若い者たちは皆、戦に出て活躍し、一城の主になるという事を夢見るはずじゃ」
「小島もそうじゃというのか」
「小島は三十二じゃ。今、働き盛りと言える。戦に出たいと思うのも当然じゃろう。あのまま四番組におれば、今頃は組頭になって戦で活躍したかもしれん。高天神城の福島左衛門尉と掛川城の朝比奈備中守の二人は御番衆の頭から城主になっておる。そんな事を聞けば、小島だって戦に出たくて、うずうずしておるに違いないわ」
「北川衆をやめるという事はできんのか」
「難しいらしい。やめるには入れ代わりに入る者を決めなくてはならん。なりたいという者はいくらもおるが、北川衆になるには重臣たちの審査が行なわれ、重臣たち全員が賛成して、最後にお屋形様の了解がなくてはならんのだそうじゃ」
「なかなか大変なんじゃのう」
「応仁の乱が始まって以来、戦続きで、小島がやめたいと思っても代わりの者が決まらなかったんじゃろう」
「しかしのう。戦に出たいからと言って毒殺などするかのう」
「もし、他の派閥の有力者に頼まれて、竜王丸殿がお屋形様候補の座から下りれば優遇すると言われたとして、小島が動くかどうかじゃな」
「その前に、武辺者と言われておる小島が、毒を使って仲居を殺すなどという卑怯な手を使うとは思えんのう。たとえ、その事がばれなかったにしろ、そんな事をしたとなれば、自分の中に傷が残るという事になる」
「言えるな。そもそも、その毒殺という卑怯な手を誰が考え出したかが分からん」
「山伏かも知れんのう」小太郎は言った。「膠着(コウチャク)状態が続いておる、こういう時期、裏で山伏たちが活動しておるという事は充分に考えられる事じゃな」
「やはりのう‥‥‥小島は白という事じゃな」
「多分な。敵の立場から見て、小田とつながりのある小島を誘い込む事は危険じゃからのう‥‥‥おいおい、このまま行ったら、また、誰もいなくなっちまうんじゃないのか」と小太郎は言った。
「分からん。いなくなったら、また、初めからやり直すさ」
「次は、三番組にいた大谷」と富嶽は言った。
「三番組の頭は当時、福島左衛門尉じゃったと言ったのう」
「そうじゃ。左衛門尉は竜王丸派じゃ」
「今の三番組の頭は誰なんじゃ」
「葛山備後守。播磨守の弟じゃ」
「葛山か‥‥‥頭が交替する時は、その組員というのは、そのままなのか」
「詳しくは知らんが、左衛門尉が何人か引き連れて出て行き、備後守が何人か引き連れて補充するんじゃないかのう」
「そうか‥‥‥大谷の奴は、すぐそこの家に住んでおるのか」
「ああ。三年前に嫁を貰って、ここから移ったそうじゃ。今、二人の子がおるらしいのう」
「子供がおったら、危ない事に顔を突っ込むとは思えんが、はっきり、白とは言えんのう。保留という事にして、最後は山崎じゃ」
「山崎は新顔じゃが、ここに来る前に斎藤氏の鞠子城を守っておったというのじゃから、わしは白じゃと思うがどうじゃ」
「うむ、ここに来て、まだ一年も経っておらんのなら、北川衆になったという誇りもあるじゃろうしな。竜王丸殿を守るという事に生きがいを感じておるかもしれんが、はっきり、白とは言いきれんのう」
「とりあえず、保留という事にしておくかのう。保留となったのは何人じゃ」と早雲は富嶽に聞いた。
「三人です。仲居の三芳、北川衆の大谷と山崎じゃ」
「三人か‥‥‥」
「三芳の事は春雨とお雪に任せよう。山崎は吉田に任せ、通いの大谷は村田と久保に任せる事としよう」
「そういえば、小田を見張っている二人から何か知らせはあったのか」と小太郎は早雲に聞いた。
「ああ。福島左衛門尉の屋敷に出掛けた位で、特に怪しい行動はないそうじゃ」
「小田は福島左衛門尉とは知り合いなのか」
「小田が四番組の頭だった頃、左衛門尉は三番組の頭じゃった。その辺のところで、古い知り合いなんじゃろう」
「左衛門尉なら竜王丸派じゃな。二人共、屋敷は二の曲輪の中なのか」
「そうじゃ。小田は四番組の頭の時から、ずっと同じ屋敷に住んでおるらしい。左衛門尉もそうじゃろう。重臣たちの屋敷には及ばんが、なかなか立派な屋敷だそうじゃ」
「ふーん。喜八は屋敷を貰わなかったのか」
「一人で来たからと言って断ったそうじゃ。お屋形様は大層な屋敷を用意してくれたらしいがのう」
「勿体ない事じゃな。その屋敷には誰かが入っておるのか」
「さあ、知らんが誰かが入っておるんじゃろう」
「さて、わしは見回りして来るわ。大谷も山崎も昼番じゃったな。ちょっと顔色でも見て来るかのう」
小太郎は部屋から出て行った。
富嶽は紙を眺めながら、まだ考えていた。
「疲れたのう」と早雲は言うと、そのまま横になって体を伸ばした。
宝処寺の鐘が七つ時(午後四時)を知らせていた。お屋形様の屋敷の評定の終わる時刻だった。五条安次郎がそろそろ新しい情報を持って来るだろう、と早雲は天井を眺めながら思った。
お屋形様の屋敷内の評定では、北川殿と小鹿屋敷の仲居の毒殺の件が話題に上り、竜王丸派の天野民部少輔と小鹿派の葛山播磨守、天野兵部少輔の三人が、しきりに備前守派の福島越前守と摂津守派の岡部美濃守を非難していたと言う。
越前守も美濃守も絶対に、わしらがやったのではないと否定していたが、三人は備前守派か摂津派のどちらかがやったに違いないと決め付けていた。そして、そんな卑怯な手を使う者をお屋形様にするわけには行かんと言い出し、備前守か摂津守の二人のどちらかが直接、命じたかのように言い出すと、備前守と摂津守がお互いに自分ではないと相手を攻めて言い合いになり、評定の場で兄弟喧嘩が始まりそうになったと言う。それ以外に、これといった進展はなく、今日の評定は終わった。それぞれの派が評定の場よりも、評定が終わった後に陰に隠れて動いているようだった。
その日の夜、休みだった小田隼人正(ハヤトノショウ)が訪ねて来た。当然、その後を付いて才雲が帰って来た。小太郎は才雲から話を聞くと、孫雲は小田に頼まれて、小田屋敷の斜め前にある長沢屋敷を見張っていると言う。小太郎が長沢というのは何者だと聞いたが、才雲は知らなかった。その長沢の屋敷に大谷が訪ねて来て、そいつを見張っていろと小田に頼まれたと言う。どうして、大谷がそんな所に行ったのかも才雲は知らなかった。それだけ言うと才雲は孫雲の所に戻って行った。
小太郎は小田から詳しい事情を聞こうと屋敷に上がった。
小田は早雲と話していた。
「小太郎、おぬしも聞いてくれ」と早雲が呼んだ。
「今、才雲から、大谷が長沢とかいう奴の屋敷におるとか聞いたが、どういう事じゃ」
「それを今から聞くところじゃ」
小田の話によると、長沢藤三郎というのは三番組の副頭だと言う。大谷が三番組にいた頃の同僚で、昔から仲が良かった。大谷が長沢の屋敷に遊びに行くのは前から知っていたが、最近になって、やけに出入りが激しくなった。この二、三日も毎日のように来ていて、なぜか、小田の屋敷の方を気にしているような感じがする。何となくおかしいと思っていても、同僚を疑いたくないので放っておいたが、昨日、あんな騒ぎがあったので、もしかしたらと思い、元、三番組の頭だった福島左衛門尉の所に行って長沢の事を調べた。
長沢藤三郎は天野氏の一族だと言う。今川家が遠江の守護職だった頃、天野氏は今川家の被官となり、長沢の祖先がお屋形様に仕えるため駿府に来た。やがて、遠江の守護職は今川氏から斯波(シバ)氏に代わり、天野氏の本家は斯波氏の被官となったが、長沢氏はそのまま駿府にいて、代々、お屋形様の身辺に仕えていた。藤三郎も御番衆となって、同じ組にいた大谷と仲が良くなった。大谷の祖先も遠江の久野(クノ)氏だったので、近づいて行ったのかもしれない。
長沢が天野氏だったと聞いて、天野氏が駿府に来て以来、長沢屋敷にやたらと人の出入りがある事も納得できた。しかし、大谷までもが出入りするという事は納得しかねた。そこで、一応、早雲に言っておいた方がいいかもしれないと、やって来たのだと言う。
「天野氏か‥‥‥」と早雲は言った。
「天野氏も二つあるが、どっちじゃ」と小太郎は聞いた。
「それは分かりません。三番組の今の頭は葛山備後守じゃから小鹿派です。多分、長沢も小鹿派じゃろう。しかし、天野氏は今の所、竜王丸派と河合備前守派に分かれています。どっちの天野氏とつながりがあるのか分かりません」
「大谷が長沢の屋敷に急に出入りするようになったのはいつ頃からじゃ」
「長沢はお屋形様と共に戦に行っておったから、戦から帰って来てからです。わしと大谷はほとんど勤務が逆じゃから、わしがこの目で見たのは今日が初めてじゃが、門番が毎日のように訪ねていたのを見ています」
「門番は大谷の事をよく知っておるんですか」
「ええ、知っております。今はそうでもないが、わしも昔はよく若い者たちを屋敷に呼んで騒いだもんじゃった‥‥‥わしの屋敷の回りには御番衆の頭たちの屋敷が並んでいます。奴らの屋敷を見張らせるために、門番たちに、どこの屋敷にどんな奴が出入りしたかを一々、書き留めて置くように命じていたんです。そしたら、大谷の名が毎日のように出て来るんで、おかしいと思ったのです」
「毒殺のあった昨日はどうじゃった」
「昨日は来なかったらしい」
「臭いな」
「大谷の奴は今も長沢の屋敷におるんじゃな」
「孫雲が見張っておるらしい」と小太郎は言った。
「孫雲が?」
「わしの屋敷を見張っていたんで、頼んでおきました」
「すまなかった」と早雲は謝った。「今朝の時点では、そなたの事も疑っておったんでな。今は疑ってはおらん」
早雲は小田隼人正に下手人の疑いのある者の名前の書かれた紙を見せた。
「この三人の中に下手人が?」
「多分」
「やはり、大谷も入っておりましたか‥‥‥大谷の事はわしに任せてくれませんか」
「いいでしょう」と早雲は頷いた。「大谷が天野氏の所に出入りしているというだけでは、まだ、決め手になりませんからね。もう少し、様子を見た方がいいでしょう。しかし、もし、大谷が下手人だとしたら、なぜ、そんな事をしたと思います」
「推測に過ぎませんが、長沢から何事かを言われて、竜王丸殿を裏切る事になったらしい。長沢は天野氏とつながりがある。天野氏の重臣に取り立てるとでも言われたのかもしれません」
「天野氏の重臣か‥‥‥北川衆でおるよりも、そっちの方がいいかのう」と小太郎は聞いた。
「北川衆は名誉ある仕事には違いありませんが、贅沢はできませんからね。大谷と長沢の二人を比べて見ても、格は大谷の方が上じゃが、住んでいる屋敷を比べてみると長沢の方がずっと立派です。長沢が三番組の副頭になって、今の屋敷に移ったのは一年程前じゃが、大谷は長沢の贅沢な生活振りを見て、北川衆が嫌になったのかもしれん‥‥‥小島の奴もそうじゃ。わしが北川衆に推挙したばかりに戦にも出られなくなってしまった。悪い事をしたと後悔しておるわ。あのまま御番衆でいれば、間違いなく、今頃は頭じゃろう。小島の奴は決して、そんな愚痴をこぼす事はないが、ほんとに悪かったと思っております」
「北川衆と御番衆では、そんなに俸給が違うのか」
「いえ、俸給はそれほど違いませんが、御番衆には色々と余禄があるのです」
「成程のう。重臣たちから袖の下が入るというわけじゃな」
「はい、そうなのです。特に副頭という地位は、頭に取り持つという事で裏銭がかなり集まるのです」
「話は変わるが、天野氏というのはそんなに勢力を持っておるのか」と小太郎は聞いた。
「はい、持っております。前回の戦で、東遠江において勢力を持っていた横地氏、勝間田氏が滅びました。今、現在、遠江において一番勢力を持っているのが天野氏と言ってもいいでしょう。これから、今川家中において、横地、勝間田両氏の領土の奪い合いが始まる事でしょう。一応は前回の戦の恩賞として、掛川城の朝比奈備中守、高天神城の福島左衛門尉、堀越城の堀越陸奥守殿、久野城の久野佐渡守殿、新野城の新野左馬助殿、そして、天野両氏に分け与えられるという事になるでしょうが、今の所、家督騒ぎでそれどころではありません。今川家が内部争いをしている隙に、天野氏は実力を持って領地を広げようとたくらんでいるのかもしれません。そして、領地が広がれば当然、その土地を守る城が必要となり、その城主にしてやるとでも誘われれば、大谷なら飛び付く可能性はあります」
「という事は天野氏にとっては、今川家の内訌が続いた方が都合がいいと言う事か」
「はい、その通りです。天野氏から見れば、お屋形様が丁度いい時にお亡くなりになったと言えます。宿敵であった横地、勝間田氏がいなくなり、今川家の勢力もまだ、それ程入っていない今は、遠江の国を取るのに絶好の時期だと言えます。お屋形様は遠江進出に当たって掛川と高天神に城を築きましたが、そこを守っている兵は二百足らずに過ぎません。天野氏の実力を持ってすれば倒す事など簡単です。それをしないのは、やはり、今川家が恐ろしいからです。その今川家が家督争いを始めれば、遠江の事まで手が回らないでしょう。その隙に、天野氏は遠江を我物にしようとたくらんでいるに違いありません」
「すると、天野氏は今川家に家督争いをさせるために、駿府に乗り込んで来たという事になるのう」と早雲は言った。
「そうです。天野氏は今、竜王丸派と河合備前守派の二つに分かれていますが、それも評定を混乱させる手だてかもしれません。天方氏も天野氏と同じ穴の貉(ムジナ)でしょう」
「成程のう‥‥‥しかし、そなた、よく、そんな遠江の事まで知っておるのう」
「いや、これはみんな、今日、福島左衛門尉の所で聞いて来た事です。実は、わしもそんな事を聞いて驚きました」
「福島左衛門尉か‥‥‥この間、挨拶に来た時は、ほとんど、話などしなかったが、なかなかの男のようじゃのう」
「お屋形様が高天神の城主にしただけの事はあります。やがて、朝比奈備中守と共に、今川家を代表する重臣になる事でしょう」
小田隼人正は帰って行った。入れ代わるように富嶽が入って来た。
「どこ行っておったんじゃ」と早雲が聞いた。
「仲居の部屋です」
「何じゃと」
「絵を描いておりました」
「仲居を描いておったのか」
「はい、富士山もいいが、女子(オナゴ)もいいのう」と富嶽は笑った。
「ほう、今度は似絵(ニセエ)画きになったのか」
「この屋敷には別嬪(ベッピン)が揃っておるので、描くのも楽しいわ」
「ほう、今度は女子を描いておるのか。ちょっと、見せてみろ」と小太郎がニヤニヤしながら言った。
「あまり、似てはおらんが」と言って、富嶽は描いた絵を見せた。
「これは、和泉じゃな」
「ええ」と富嶽は頷いた。
「おぬし、和泉に惚れたか」
「いえ、そんな‥‥‥」
「顔が赤くなっておるぞ」
「のんきなもんじゃ」と早雲は照れている富嶽を見ながら言った。
「早雲、さっきの小田の話じゃが、どう思う」と小太郎は聞いた。
「裏で糸を引いておったのは天野氏のようじゃのう」
「天野氏?」と富嶽は二人を見た。
早雲は小田の話を富嶽に聞かせた。
「ほう、以外な者が出て来ましたのう」
「天野氏が今川家を分裂させようと考えておるのなら、何としてでも、ひとつにまとめなければならんのう」
「しかし、まとめるのは難しいが、分裂させるのは簡単じゃ。今回の毒殺騒ぎも勝手に下手人を作って、どこの者だったと言えば騒ぎはさらに大きくなるじゃろう。少しずつ煽(アオ)って行けば、いずれ、戦にまで持って行く事も可能じゃ」
「それはそうじゃが、敵が分かっただけでも、幾分、有利になったと言えるぞ」
「まあな。それで、大谷の奴はどうするつもりじゃ」
「大谷か‥‥‥まだ、毒を持っておる可能性があるからのう。何とかせにゃならんが‥‥」
「逆に大谷を使って、敵を撹乱できんかのう」と小太郎は言った。
「逆に使う?」
「奴に偽の情報をつかませて敵に流し、混乱させるんじゃが‥‥‥天野氏が困るような、何かいい手はないかのう」
「天野氏が困る事か‥‥‥困る事と言えば留守にしておる国元の事じゃろうのう」
「国元に騒ぎが起きたと言うのか‥‥‥無理じゃな。そんな嘘はすぐにばれる。それよりも、両天野氏が争いを始めるような事になればいいんじゃがのう」
「仲たがいをさせるのか‥‥‥」
「わしも考えるが、おぬしも考えておいてくれ。わしは仕事に戻るわ」
「おう、頼むぞ」
小太郎は出て行った。
富嶽は懐から例の紙を出して広げると、「下手人は大谷じゃったか」と言いながら、大谷の名前の所を丸で囲んだ。
早雲はその紙を覗きながら、「一件落着じゃ」と言いかけて、紙を富嶽から奪うとよく見直した。
「ちょっと待て。大谷の奴はその日、表門におったはずじゃ。どうして、台所まで行けるんじゃ。台所に行くには裏門の奴に見られるはずじゃ。用もないのに台所などに入れば怪しまれる事になる。まさか、台所の厠まで行くというのもおかしな話じゃ」
「それが怪しまれずに、台所に入る方法があったのです」と富嶽は言った。
「なに、おぬし、そんな事を知っておるのか」
「はい。つい今し方、分かりました。わしは仲居の所で絵を描いておったんじゃが、門番がお茶を貰いに台所に入って来ました。門番は一応、仲居に声を掛けますが、仲居たちは一々、出ては行きません。話を聞くと、台所にはいつでもお湯が沸いておって、門番たちは好きな時にお茶を取りに来るというわけです。台所に誰もおらん食事時間や休憩時間を見計らって、台所に行く事は可能なのです。特に仲居たちが食事をしておる頃は、門番たちも交替で食事を取っておるため、必ず、お茶を取りに来るとの事です」
「そうか、お茶か‥‥‥お茶を取りに行くのなら裏門の奴らに見られても、堂々と台所に入れると言うわけか‥‥‥成程のう」
「そこで、昨日、食事をしておる時、誰がお茶をくれと言って来たか聞いてみました」
「おう、そしたら?」
「裏門におった山崎が来て、表門の大谷が二度来たそうです」
「大谷が二度もか‥‥‥しかし、よく、そんな事を覚えておったな」
「長門が覚えておったんです。長門はその日、山本にしつこく誘われておって、断ったのにまた来やしないかと、台所に来る者の声を聞いておったんだそうです」
「成程な、山本の奴も余程、嫌われておるとみえるな‥‥‥しかし、山本のお陰で、大谷が二度も来たという事がはっきりしたわけじゃ。決まりじゃな」
「しかし、困った事ですな。わしは仲居たちに下手人は外部の者じゃと言っておきましたが、仲居たちも内部の者を疑っておるようです。大谷が下手人だと分かれば、仲居たちは勿論の事、みんなに袋だたきにされますよ」
「そうじゃろうのう。袋だたきにされる前に御番衆に引き渡した方がよさそうじゃな」
「魔が差したんじゃろうが、家族の者たちが可哀想じゃな」
「家族か‥‥‥」と早雲は呟いた。
「おや、雨が降って来たようじゃ」と富嶽が外を見ながら言った。
雨の音は段々と激しくなって行った。
「今晩の夜警は大変じゃな」と言うと早雲は部屋から出て行った。
「どちらへ」
「別に用はないがの、急に甥御殿の顔が見たくなっての」
今の早雲にとって、北川殿とその子供たちは大事な家族だった。決して、その家族たちを不幸な目に合わせてはならなかった。
早雲は縁側に出て、庭園の中の茶屋の中で仁王立ちをしている小太郎を眺めながら、北川殿の居間に向かった。
「それじゃあ、誰が死んでも構わなかったと言うのか」
「そうじゃ。もし、夕べ、味噌の中の毒が見つかっていなければ、夕べ、もう一人の犠牲者が現れ、そして、今朝も誰かが死ぬ事となったんじゃ。次々に身内の者が殺されれば、北川殿も恐怖にかられ、竜王丸殿をお屋形様にする事を諦めると言い出すかもしれん」
「うーむ。成程のう」と小太郎は唸った。「昨日の時点で、ここから出て行くと言い出す位じゃからのう。次々に身内の者が殺されたら、間違いなく、ここから出て行くじゃろうのう」
次に誰がやったか、という事だが、まず、仲居衆から行くと被害者の桜井は消える。休みで、朝から出掛けていた和泉(イズミ)も消える。朝比奈氏の西尾、長谷川氏の瀬川、堀越氏の淡路の三人も消していいだろう。次に、桜井が死んだ時、現場にいた長門(ナガト)も消していいだろう。毒の事を知っていながら、何の恨みのない同僚が目の前で死ぬのを平気で見ていられるとは思えない。まして、長門と桜井が普段から仲のいい事は誰もが知っている。そして、夕べ、桜井の次の毒味を担当していた嵯峨(サガ)も消える。あの時、味噌の中の毒が発見されなかったら、嵯峨は死んでいた事になる。
「すると、残るのは三芳(ミヨシ)だけか」と富嶽が仲居たちの名が並んでいる紙を見ながら言った。その紙には名前だけでなく、素性、毒味の順番、休みの日が書いてあった。
「三芳というのは岡部氏じゃのう。岡部氏というと‥‥‥」
「摂津守派じゃ」と早雲は言った。
「摂津守派は今、一番弱いからのう。竜王丸殿が下りてくれれば竜王丸派の重臣たちを自分の派閥に引き込めると考えたのかのう」
「その可能性はある。竜王丸派についている者たちは、名目はお屋形様の嫡男に家督をと言っておるが、今までのように、幕府の重臣としての今川家を見ておる。幕府あっての今川家だと思い込んでおる者が多い。幕府を恐れて、関東を非常に警戒しておるところがある。小鹿新五郎と河合備前守の二人は関東との関係がある。竜王丸殿が候補の座から下りた場合、竜王丸派の重臣たちが関東とは関係のない中原摂津守を押すという事は充分に考えられる事じゃな」
「糸を引いておったのは摂津守じゃったのか」と小太郎が言って、一人で頷いた。
「まだ、はっきり決まったわけではない」と早雲は小太郎を見ながら首を振った。「その可能性あり、という事じゃ」
次に侍女と乳母の三人だが、伊勢氏の萩乃と朝比奈氏の菅乃(スガノ)は白。乳母の船橋は白とは言えないが、北川殿の側に仕えておる乳母なら、わざわざ、味噌の中に毒を入れなくても、竜王丸を殺す機会はいくらでもあると言える。敵の立場から考えると、目的は竜王丸をお屋形様の候補の座から下ろす事で、一番いいのは、やはり、竜王丸を殺す事だ。それができないので、誰でもいいから身内の者を殺して、北川殿に恐怖を味わせようとしたに違いない。そう考えて行くと、仲居を始め、侍女と乳母は白と言っていい。彼女たちは毒味が終わった後に、毒を入れる事ができた。そうすれば竜王丸を直接に殺す事ができる。それをしなかったという事は彼女たちは白と言い切ってもいいだろう。
「何じゃと! 仲居の三芳が、さも下手人のように話しておきながら、女たちは白じゃと。勿体ぶらずに話せ。わしは眠いんじゃ」と小太郎は喚(ワメ)いた。
「まあまあ、順を追って話しておるんじゃ。落ち着いて聞け」
次に北川衆たちを検討してみると、伊勢氏の三人、吉田、村田、久保の三人は消える。村田と久保は夜勤明けで家に帰っていて、屋敷内にいなかったので完全に白と言える。竜王丸派の久野(クノ)氏の大谷と斎藤氏の山崎の二人も消える。残るは五人という事になるが、小田は昨日の昼間、裏門の警固、清水と小島は表門、山本は休み、中河は夜警のため侍部屋にいた。
ここで下手人の立場になって考えると、台所に一番近い裏門の警固に当たった時に実行に移すというのが、一番、怪しまれないという事になる。別に急ぐ事もないのだから、自分が一番やり易い時に実行した方がいいと言える。表門の警固をしている時に侍部屋の前を通って、さらに裏門を警固している者にも見られる可能性があるのに、危険を冒してまで実行に移す者はいないと考えられる。侍部屋で休んでいる者も、台所に入るには裏門の警固兵に見られる。裏門は侍部屋からは見えないので、警固している者は誰にも見られる事なく台所に行く事ができる。
「下手人は小田じゃったのか」と富嶽が唸った。
「待て、裏門を守っているのは二人じゃ。もう一人に見られるじゃろう。もう一人は誰だったんじゃ」と小太郎は北川衆たちの名を並べた紙を覗いた。
「山崎じゃ」と富嶽が山崎の所を指さした。
「それが怪しまれずに台所に行けるんじゃ」と早雲は顔を上げると小太郎と富嶽の顔を見た。
「なぜじゃ」と小太郎は聞いた。
「厠(カワヤ)じゃよ」と早雲は言った。「普通、門番は侍部屋の側にある厠を使う事となっておるが、急を要する時は台所内の厠を使っていいという事になっておるんじゃ。裏門におった喜八から聞いたんじゃが、台所に仲居たちがおらん時は大抵、内緒で使っておるという事じゃ」
「という事は、小田が仲居のいない時、台所の厠に行くと行って台所に入って、毒を入れたという事か」
「いや」と早雲は首を振って、小太郎と富嶽の顔を見て軽く笑った。「もう一人おるんじゃ」
「なに?」と小太郎は言った。
「昨日、休みじゃった山本も昨日の昼、やたらと台所に出入りしておるんじゃ」
「そいつは確かなのか」
「ああ。昨日、裏門を守っておった山崎から確認を取った。昨日の夜、表門を守っておった中河の話によると、山本は仲居の長門に惚れておって、休みにどこかに行こうと誘いを掛けておったらしい。長門の休みは今日なんじゃ。山本は今日、夜勤じゃから昼間、一緒にどこかに行こうと思っておったらしい。ところが、生憎(アイニク)、振られて、昼過ぎに諦めて北町に遊びに行ったらしいわ」
「中河というのは、二、三日前に、山本が二の曲輪から帰って来るのを見たとか言った奴じゃな」と小太郎は聞いた。
「ああ、そうじゃ」
「その中河という奴は山本という奴とは仲が悪いのか。やたら、山本の奴を下手人にしたいようじゃが」
「恋仇らしいのう。一緒に夜警をしていた村田が言っておった」
「恋仇か‥‥‥まあ、長門という娘は可愛いからのう。それで、長門の方はどうなんじゃ」
「そんな事は知らん。本人に聞いてみろ」
「という事になると、怪しいと言える者は小田と山本の二人という事になるのう」と富嶽が言った。
「小田は今日、休みじゃぞ」
「分かっておる。昨日の仕事が終わると家に帰っておるんじゃ。今、孫雲と才雲の二人に見張らせておる。小田が下手人なら昨夜の騒ぎの結果をどこかに報告に行くじゃろう。もし、昨日の夜のうちに行動したとしたら、もう手遅れとなるが、一応、見張らせておる」
「山本はないんじゃないかのう」と小太郎は言った。「惚れた女子(オナゴ)が死ぬかもしれんのに毒など入れるか」
「振られた腹いせと言う事も考えられるが、まず、ないじゃろうな。山本が下手人だったら、惚れた女子をまず逃がしてから毒を入れるじゃろう。女子を誘い、一緒にどこかに行く約束をしてから毒を入れ、そのまま、ここには帰って来ないという事になろう。しかし、女子を連れ出す事に失敗しておる。毒を入れる事は次の機会に、という事になるじゃろうな」
「というと山本も白じゃな」と富嶽は紙に並んでいる山本の名を消した。
「すると、やはり、残るは小田だけじゃな」
「決定じゃな。逃げられる前に捕まえた方がよさそうじゃ」と小太郎は立ち上がろうとした。
「待て」と早雲は小太郎を止めた。「小田の立場に立って考えてみろ」
「何を考えるんじゃ」
「小田は北川衆の中で、吉田に次いで偉い地位にあると言える。三浦殿から聞いたんじゃが、小田は北川殿が駿河に来るまでは四番組の頭じゃったんじゃよ」
「御番衆というやつか」
「そうじゃ。その頭だったんじゃ。お屋形様に見込まれて、ここの警固を任されたらしい。はっきり言って吉田はもう年じゃ。いつ、隠居してもいいと言える。そうなれば小田が北川衆の頭となる。もし、竜王丸殿がお屋形様になって、お屋形様の屋敷に入る事となれば、小田はお屋形様の屋敷を守る宿直衆の頭という事になろう。それだけの地位にありながら、誰かにそそのかされたにしろ、味噌の中に毒を入れるような事をするか」
「うーむ。普通なら、そんな事はせんのう」
「という事じゃ」と早雲は言って、手を広げた。
「全員、消えましたが‥‥‥」と富嶽が言った。
「どういう事じゃ」と小太郎は早雲を見た。
「寝ずに考えた結果がこれじゃ」
小太郎は急に笑い出した。「初めからやり直しじゃな」
「どこで間違ったと思う」と早雲は首をひねりながら紙を見た。
「下手人は外から来たのさ」と小太郎は言った。
「それも考えた。しかし、外から来た者が味噌の中に毒を入れるというのは不自然じゃ。誰が死んでもいいのなら井戸の中に入れた方がてっとり早いわ。それなのに井戸には入れずに味噌の中に入れた。なぜかというと、下手人自身も井戸の水を飲むからじゃ。そうなると、やはり身内という事になる」
「いや、井戸に毒を入れた場合、最初に井戸水を飲んだ者は死ぬが、二人目の犠牲者が出る事はないじゃろう。味噌の中に入れた方が効果はある。毒味をしなければ、全員が死んだという事も考えられるからのう」
「そうか‥‥‥外部の者が下手人という事も考えられるか‥‥‥」
「ふん。始めからやり直しじゃ。わしは少し寝るぞ」
「まあ、もう少し付き合え」
「まだ続きがあるのか」
「ああ、夜は長かったからのう。色んな事を考えたわ」
富嶽は北川殿にいる者たちの名前を別の紙に新たに書き写していた。
早雲は話の続きを話し始めた。
小太郎は柱にもたれながら聞いていた。
今度は、下手人を後ろで誰が操っていたかを考えると、竜王丸が消えて、一番得する者は誰かという事になる。
竜王丸が消えれば、当然、竜王丸派だった者は別の派に移る事となる。竜王丸派は朝比奈氏、斎藤氏、長谷川氏、そして、遠江の堀越氏、朝比奈氏、福島氏、久野氏だった。長老の天遊斎のいる朝比奈氏は、お屋形様の嫡男が下りれば、当然の事のように次男の河合備前守を押す事となろう。斎藤氏と長谷川氏の二人は、朝比奈氏と共に備前守派になる可能性もあるが、普段から行き来のある中原摂津守に付く可能性もある。遠江の四氏は、今川家が関東に近付く事を恐れている。四氏は摂津守派になる可能性が高いと言える。
という事は竜王丸派は、竜王丸が候補から下りれば備前守派か摂津守派に分かれるという事になる。今、一番、勢力のある小鹿派に行く者はいない。もし、朝比奈氏が備前守に付いたとすると小鹿派と五分の勢力になり、斎藤氏、長谷川氏までもが付くと小鹿派を上回るという結果になる。また、摂津守派に遠江の四氏が付くと小鹿派には及ばないにしろ、今の倍近くの勢力を持つ事となる。
「小鹿派じゃないと言いたいのか」と小太郎は言った。
「その通りじゃ。わしは最初、小鹿派の葛山が臭いと思っておったが、こう考えて来ると小鹿派じゃない事ははっきりした。小鹿派にしてみれば、竜王丸殿がいる事によって今の有利な状態を保てるが、竜王丸派の者が分散した場合、自分たちが不利になる。自分たちが不利になる事をあえてするまい」
「となると、河合備前守か中原摂津守か、という事になるのう」
「恐ろしい事じゃ」と富嶽が言った。
「まさしくな。しかし、可愛い甥御(オイゴ)を醜(ミニク)い家督争いから遠ざけるために、あんな騒ぎを起こしたとも考えられるぞ」
「優しい叔父上たちじゃな」と小太郎は笑った。
そこで、その二つの派閥らしい者を拾ってみると、清水、小島、山本、乳母の船橋、中居の和泉と嵯峨の六人が河合備前守派。そして、中原摂津守派はたった一人で、仲居の三芳だけだった。その中で、朝から出掛けていた和泉と長門に惚れている山本と、昨夜、毒味をするはずだった嵯峨の三人は消える。残る四人は清水、小島、乳母の船橋、仲居の三芳だった。
「そこまでじゃ。そこまで考えたら朝になっちまったというわけじゃ」と早雲は言った。
「御苦労じゃったな。四人にしぼれただけでも大したもんじゃ。わしは寝るわ」
小太郎は部屋から出て行った。
「早雲殿も少し休んだ方がいいですぞ」と富嶽は言った。
「そうじゃな」と早雲は頷いた。
「わしは充分に寝たから、わしが見回るわ」
「悪いな。それじゃあ、少し、休ませてもらうわ」
早雲も部屋から出て行った。夜の間は、早雲たちはこの部屋で寝ているが、昼間は寝られなかった。この部屋は客と会うための部屋だった。早雲も小太郎のように侍部屋に向かった。
6
小太郎が昼過ぎに目を覚ました時、早雲の姿はなかった。
隣の部屋では夜勤の中河が寝ていた。休み明けの山本はまだ帰っていないようだった。
小太郎は表門を覗き、廐で寝ている多米たちを覗いてから屋敷に上がった。
早雲と富嶽が相変わらず、北川殿にいる者たちの名前の並んだ紙を眺めていた。その紙には何人かの名前が線で消されてあったが、残っているのは一人ではなかった。
「まだ、検討中らしいのう」と言いながら小太郎は座り込んで紙を覗いた。「疑わしき者の数はまた増えたのか」
「別の見方でやってみたんじゃ。それより、また一人、仲居が亡くなった」と早雲は言った。
「何じゃと」と小太郎は厳しい顔をして二人を睨んだ。「どうして、わしを起こさんのじゃ」
「ここじゃない」と早雲は言った。「小鹿屋敷じゃ」
「小鹿屋敷? いつの事じゃ」
「今朝じゃ」
「やはり、毒か」
「そうらしい。ここと同じじゃ。小鹿屋敷でも仲居が毒味をして亡くなったんじゃ」
「小鹿屋敷か‥‥‥その仲居はどこの娘だったんじゃ」
「小鹿屋敷の仲居にも重臣たちの娘が何人か入っておるらしいが、今回、殺されたのは逍遙殿の家臣の娘だそうじゃ」
「そうか‥‥‥小鹿も狙われておったのか」
「やはり、今回の毒殺の糸を引いておったのは備前守か摂津守らしいのう」
「小鹿屋敷では、ここの味噌の中に毒が入っておったという事を知らなかったのか」
「味噌の事は知らなかったらしい。ただ、仲居が毒殺されたという事実だけは、三浦氏から知らせを受けて注意しておったらしいのう」
「それで、やはり、味噌の中に入っておったのか」
「それは分からん。四番組の入野兵庫頭(イリノヒョウゴノカミ)から知らせがあって、味噌の中を調べろとは言ってやったが、その後、返事はない」
「そうか‥‥‥」
「まあ、小鹿屋敷の事は小鹿屋敷に任せておいて、わしらはこっちの事を片付けなくてはならん。身内の中に危険な者が混ざっておったら、この先、何が起こるか分からん」
「そうじゃな。見方を変えたと言っておったのう。どう変えたんじゃ」
「今まで、派閥にこだわっておったような気がするんじゃ。よく考えてみると派閥などというのは、一族全部が同じ派閥だとは限らん。その者が今まで付き合って来た者たちに左右されると気づいたんじゃ。そこで、できる限り、一人一人の過去を調べてみたんじゃ」
「一人一人に聞いたのか」
「いや。女たちは侍女の二人に聞き、男たちは喜八に聞いたんじゃ。お屋形様の奥方を守る者たちなので、過去の経歴などもちゃんと書き留められてあったわ」
「ほう。それで?」小太郎は興味深そうな顔をして、先を促した。
女たちの方は皆、重臣たちにかなり近い者たちばかりだった。
侍女の萩乃は伊勢伊勢守の姪(メイ)で、伊勢守の養子になった北川殿とは従姉妹(イトコ)という関係だった。
もう一人の侍女、菅乃は朝比奈天遊斎の娘、乳母の船橋は福島(クシマ)越前守の妹でもあり、福島左衛門尉の妹でもあった。
仲居の方は、和泉は蒲原越後守の従姉であり、二番組頭の蒲原左衛門佐(カンバラサエモンノスケ)の従姉でもある。
三芳は岡部美濃守の妹で、中原摂津守の側室の姉でもあった。
西尾は朝比奈和泉守の娘、瀬川は長谷川次郎左衛門尉の娘、淡路は堀越陸奥守の姪、長門は新野左馬助の姪、亡くなった桜井は三浦次郎左衛門尉の姪、嵯峨は庵原安房守の娘だった。
「ほう、そうそうたるもんじゃのう」と小太郎は唸った。
確かに小太郎の言う通り、今川家の名門の娘たちばかりだった。この中に毒を入れた者がいるとは思えなかった。
北川衆の方は女たちとは違って、重臣たちの一族には違いないが、嫡流(チャクリュウ)ではなく、庶流の者たちばかりだった。ほとんどの者たちが、ここに来る前は御番衆の一員だった。
吉田は早雲と同じ備中の国の伊勢氏、村田と久保の二人は京の伊勢氏。
小田は矢部氏でも矢部将監(ショウゲン)、矢部美濃守とは別の流れで、今はそれ程の勢力を持っていないが、昔は重臣の一人だった矢部氏の流れだった。そして、北川殿に来る前は四番組の頭をやっていた。
清水は入江氏の庶流で、本家は福島越前守の被官となっている。北川殿に来る前は、お屋形様の屋敷を守る宿直衆の副頭だったという。
小島は興津氏の庶流で、元、四番組の一員で、小田の推薦によって北川衆になっていた。
大谷は遠江の久野氏の庶流で、元、三番組の一員だった。大谷が三番組にいた頃の頭は、今、遠江高天神城主となっている福島左衛門尉だった。
山本は庵原氏の庶流で、ここに来る前は庵原氏の本城庵原山城を守っていた。
中河は三浦氏の庶流で、二年前に北川衆となったが、それまでは宿直衆をやっていた。
山崎は斎藤氏の庶流で、ここに来て、まだ一年と経っていなかった。ここに来る前は斎藤氏の鞠子(マリコ)城を守っていたと言う。
「庶流ばかりじゃな。しかし、元、御番組やら宿直衆やらが多いのう。ここを守る位じゃから、お屋形様に余程、信頼されておる奴ばかりなんじゃろうのう」
この線から行くと、怪しいと思われる者は乳母の船橋、仲居の三芳、長門、嵯峨の四人。北川衆では清水、小島、大谷、山本、中河、山崎の六人となる。この中で、桜井が死ぬ時に一緒にいた長門と、桜井の次に毒味をしようとしていた嵯峨、長門に惚れている山本と中河の四人は消える。残るは乳母の船橋と仲居の三芳、北川衆の清水、小島、大谷、山崎の六人だった。
「六人か‥‥‥寝る前は四人じゃったのう。二人、増えたわけか」
「その四人も、この六人の中に入っておるんじゃよ」
「ほう。その中に下手人がおるのは確実なんじゃな」
「身内に下手人がおるとすればな」
「外部の線も調べたのか」
「一応はな。しかし、外部から曲者(クセモノ)が侵入したとは考えられんのじゃ。誰にも見られずに味噌の中に毒を入れるとなると、北川殿の内情に詳しくないと難しい。仲居の休憩する時間まで知っておらんと難しいじゃろう。たとえ、それを知っておったとして、真っ昼間から忍び込むじゃろうか。北川殿の北側の通りはいくら人通りは少ないとはいえ、誰が見ておるか分からん。わざわざ、危険な昼間に忍び込むとは思えん。下手人が外部から来たとすれば、夜に忍び込むじゃろうと考えたんじゃが、どうじゃ」
「うむ。確かに、昼間よりは夜の方が忍び安い事は確かじゃのう。夜なら台所に誰もおらんしな」
「そうじゃ。そこで、下手人は内部の者という事に絞ってもいいと思うんじゃ」
「そうじゃな。その線で行くか」と小太郎は頷き、「まず、乳母の船橋か‥‥‥この女は古くからおるのか」と聞いた。
「いや、千代松丸殿が生まれてからじゃから、まだ、四ケ月位じゃろう」
「船橋には亭主はおらんのか」
「ああ、忘れておった。船橋の亭主は由比出羽守殿の弟で御蔵奉行(オクラブギョウ)だそうじゃ」
「通いか」
「そうじゃ。すぐそこの由比殿の屋敷から通っておる」
「ふーん。その船橋とやらは複雑な状況におる事となるのう。亭主は何派か知らんが、亭主の兄が摂津守派で、実の兄二人は備前守派と竜王丸派に分かれておる。本人はどこにおるんじゃろう」
「分からん。しかし、敵が誰だか分からんが、そんな複雑な立場におる者に、北川殿の味噌の中に毒を入れろと命じるかのう」
「わしだったら命じんな。どこから秘密がばれるか分からんからな」
「そうじゃろう。わしもそう思う。船橋は白じゃな」
「仲居の三芳はやはり臭いのう。岡部美濃守の妹で、しかも、妹が中原摂津守の側室となれば、文句なしに摂津守派じゃな」
「三芳じゃと思うか」と早雲は小太郎に聞いた。
「思わん」と小太郎は首を振った。
「なぜ」
「わしがここに来て、もう十日になるが、三芳という女は面倒見がいいようじゃ。若い中居たちにも評判はいい。三芳が仲間を殺すような女には見えんがのう」
「うむ。わしもそう思いたいが、確かな確信はないのう。保留という事にしておくか」
「次に北川衆の清水じゃが‥‥‥」と富嶽が言った。
「元、宿直衆の副頭か‥‥‥お屋形様にかなり信頼されておったと見えるのう」
「小田と同じく、二の曲輪内に立派な屋敷を持っておるそうじゃ」と早雲は言った。
「じゃろうな。竜王丸殿がお屋形様になれば、当然、宿直衆に戻るという事になるのう。小田との仲も悪いようには見えんし、毒など入れるような男には見えんな」
「四十を過ぎておるしな、家族もおる。今更、そんな危険を犯して身を誤るような事はせんじゃろうのう。白じゃな」
「次は小島じゃ」と富嶽は言った。
「元、四番組の一員で、小田の推薦でここに来たそうじゃ」
「小田の推薦という事は、小田と何かつながりがあるのか」
「いや、特につながりはないらしい。腕を見込まれたらしいのう」
「確かにできそうじゃな。小田の推薦で入ったのなら小田を裏切るような事はあるまい」
「いや、それは分からん。かなりの腕を持っていながら、ここにおっては使う事がほとんどないと言っていいじゃろう。かつての同僚たちは戦に行って活躍して、出世した者もかなりおるようじゃ。傍目(ハタメ)から見れば、北川衆というのはお屋形様直属の上級な武士じゃ。誰もがなれるというものではない。侍たちの憧れの職種でもある。しかし、戦に出る事はなく、北川衆のまま終わるか、文官となって守護所勤務になるかじゃ。平和な時代だったら、それでも満足するという事もあるが、今のような乱世となると、若い者たちは皆、戦に出て活躍し、一城の主になるという事を夢見るはずじゃ」
「小島もそうじゃというのか」
「小島は三十二じゃ。今、働き盛りと言える。戦に出たいと思うのも当然じゃろう。あのまま四番組におれば、今頃は組頭になって戦で活躍したかもしれん。高天神城の福島左衛門尉と掛川城の朝比奈備中守の二人は御番衆の頭から城主になっておる。そんな事を聞けば、小島だって戦に出たくて、うずうずしておるに違いないわ」
「北川衆をやめるという事はできんのか」
「難しいらしい。やめるには入れ代わりに入る者を決めなくてはならん。なりたいという者はいくらもおるが、北川衆になるには重臣たちの審査が行なわれ、重臣たち全員が賛成して、最後にお屋形様の了解がなくてはならんのだそうじゃ」
「なかなか大変なんじゃのう」
「応仁の乱が始まって以来、戦続きで、小島がやめたいと思っても代わりの者が決まらなかったんじゃろう」
「しかしのう。戦に出たいからと言って毒殺などするかのう」
「もし、他の派閥の有力者に頼まれて、竜王丸殿がお屋形様候補の座から下りれば優遇すると言われたとして、小島が動くかどうかじゃな」
「その前に、武辺者と言われておる小島が、毒を使って仲居を殺すなどという卑怯な手を使うとは思えんのう。たとえ、その事がばれなかったにしろ、そんな事をしたとなれば、自分の中に傷が残るという事になる」
「言えるな。そもそも、その毒殺という卑怯な手を誰が考え出したかが分からん」
「山伏かも知れんのう」小太郎は言った。「膠着(コウチャク)状態が続いておる、こういう時期、裏で山伏たちが活動しておるという事は充分に考えられる事じゃな」
「やはりのう‥‥‥小島は白という事じゃな」
「多分な。敵の立場から見て、小田とつながりのある小島を誘い込む事は危険じゃからのう‥‥‥おいおい、このまま行ったら、また、誰もいなくなっちまうんじゃないのか」と小太郎は言った。
「分からん。いなくなったら、また、初めからやり直すさ」
「次は、三番組にいた大谷」と富嶽は言った。
「三番組の頭は当時、福島左衛門尉じゃったと言ったのう」
「そうじゃ。左衛門尉は竜王丸派じゃ」
「今の三番組の頭は誰なんじゃ」
「葛山備後守。播磨守の弟じゃ」
「葛山か‥‥‥頭が交替する時は、その組員というのは、そのままなのか」
「詳しくは知らんが、左衛門尉が何人か引き連れて出て行き、備後守が何人か引き連れて補充するんじゃないかのう」
「そうか‥‥‥大谷の奴は、すぐそこの家に住んでおるのか」
「ああ。三年前に嫁を貰って、ここから移ったそうじゃ。今、二人の子がおるらしいのう」
「子供がおったら、危ない事に顔を突っ込むとは思えんが、はっきり、白とは言えんのう。保留という事にして、最後は山崎じゃ」
「山崎は新顔じゃが、ここに来る前に斎藤氏の鞠子城を守っておったというのじゃから、わしは白じゃと思うがどうじゃ」
「うむ、ここに来て、まだ一年も経っておらんのなら、北川衆になったという誇りもあるじゃろうしな。竜王丸殿を守るという事に生きがいを感じておるかもしれんが、はっきり、白とは言いきれんのう」
「とりあえず、保留という事にしておくかのう。保留となったのは何人じゃ」と早雲は富嶽に聞いた。
「三人です。仲居の三芳、北川衆の大谷と山崎じゃ」
「三人か‥‥‥」
「三芳の事は春雨とお雪に任せよう。山崎は吉田に任せ、通いの大谷は村田と久保に任せる事としよう」
「そういえば、小田を見張っている二人から何か知らせはあったのか」と小太郎は早雲に聞いた。
「ああ。福島左衛門尉の屋敷に出掛けた位で、特に怪しい行動はないそうじゃ」
「小田は福島左衛門尉とは知り合いなのか」
「小田が四番組の頭だった頃、左衛門尉は三番組の頭じゃった。その辺のところで、古い知り合いなんじゃろう」
「左衛門尉なら竜王丸派じゃな。二人共、屋敷は二の曲輪の中なのか」
「そうじゃ。小田は四番組の頭の時から、ずっと同じ屋敷に住んでおるらしい。左衛門尉もそうじゃろう。重臣たちの屋敷には及ばんが、なかなか立派な屋敷だそうじゃ」
「ふーん。喜八は屋敷を貰わなかったのか」
「一人で来たからと言って断ったそうじゃ。お屋形様は大層な屋敷を用意してくれたらしいがのう」
「勿体ない事じゃな。その屋敷には誰かが入っておるのか」
「さあ、知らんが誰かが入っておるんじゃろう」
「さて、わしは見回りして来るわ。大谷も山崎も昼番じゃったな。ちょっと顔色でも見て来るかのう」
小太郎は部屋から出て行った。
富嶽は紙を眺めながら、まだ考えていた。
「疲れたのう」と早雲は言うと、そのまま横になって体を伸ばした。
宝処寺の鐘が七つ時(午後四時)を知らせていた。お屋形様の屋敷の評定の終わる時刻だった。五条安次郎がそろそろ新しい情報を持って来るだろう、と早雲は天井を眺めながら思った。
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お屋形様の屋敷内の評定では、北川殿と小鹿屋敷の仲居の毒殺の件が話題に上り、竜王丸派の天野民部少輔と小鹿派の葛山播磨守、天野兵部少輔の三人が、しきりに備前守派の福島越前守と摂津守派の岡部美濃守を非難していたと言う。
越前守も美濃守も絶対に、わしらがやったのではないと否定していたが、三人は備前守派か摂津派のどちらかがやったに違いないと決め付けていた。そして、そんな卑怯な手を使う者をお屋形様にするわけには行かんと言い出し、備前守か摂津守の二人のどちらかが直接、命じたかのように言い出すと、備前守と摂津守がお互いに自分ではないと相手を攻めて言い合いになり、評定の場で兄弟喧嘩が始まりそうになったと言う。それ以外に、これといった進展はなく、今日の評定は終わった。それぞれの派が評定の場よりも、評定が終わった後に陰に隠れて動いているようだった。
その日の夜、休みだった小田隼人正(ハヤトノショウ)が訪ねて来た。当然、その後を付いて才雲が帰って来た。小太郎は才雲から話を聞くと、孫雲は小田に頼まれて、小田屋敷の斜め前にある長沢屋敷を見張っていると言う。小太郎が長沢というのは何者だと聞いたが、才雲は知らなかった。その長沢の屋敷に大谷が訪ねて来て、そいつを見張っていろと小田に頼まれたと言う。どうして、大谷がそんな所に行ったのかも才雲は知らなかった。それだけ言うと才雲は孫雲の所に戻って行った。
小太郎は小田から詳しい事情を聞こうと屋敷に上がった。
小田は早雲と話していた。
「小太郎、おぬしも聞いてくれ」と早雲が呼んだ。
「今、才雲から、大谷が長沢とかいう奴の屋敷におるとか聞いたが、どういう事じゃ」
「それを今から聞くところじゃ」
小田の話によると、長沢藤三郎というのは三番組の副頭だと言う。大谷が三番組にいた頃の同僚で、昔から仲が良かった。大谷が長沢の屋敷に遊びに行くのは前から知っていたが、最近になって、やけに出入りが激しくなった。この二、三日も毎日のように来ていて、なぜか、小田の屋敷の方を気にしているような感じがする。何となくおかしいと思っていても、同僚を疑いたくないので放っておいたが、昨日、あんな騒ぎがあったので、もしかしたらと思い、元、三番組の頭だった福島左衛門尉の所に行って長沢の事を調べた。
長沢藤三郎は天野氏の一族だと言う。今川家が遠江の守護職だった頃、天野氏は今川家の被官となり、長沢の祖先がお屋形様に仕えるため駿府に来た。やがて、遠江の守護職は今川氏から斯波(シバ)氏に代わり、天野氏の本家は斯波氏の被官となったが、長沢氏はそのまま駿府にいて、代々、お屋形様の身辺に仕えていた。藤三郎も御番衆となって、同じ組にいた大谷と仲が良くなった。大谷の祖先も遠江の久野(クノ)氏だったので、近づいて行ったのかもしれない。
長沢が天野氏だったと聞いて、天野氏が駿府に来て以来、長沢屋敷にやたらと人の出入りがある事も納得できた。しかし、大谷までもが出入りするという事は納得しかねた。そこで、一応、早雲に言っておいた方がいいかもしれないと、やって来たのだと言う。
「天野氏か‥‥‥」と早雲は言った。
「天野氏も二つあるが、どっちじゃ」と小太郎は聞いた。
「それは分かりません。三番組の今の頭は葛山備後守じゃから小鹿派です。多分、長沢も小鹿派じゃろう。しかし、天野氏は今の所、竜王丸派と河合備前守派に分かれています。どっちの天野氏とつながりがあるのか分かりません」
「大谷が長沢の屋敷に急に出入りするようになったのはいつ頃からじゃ」
「長沢はお屋形様と共に戦に行っておったから、戦から帰って来てからです。わしと大谷はほとんど勤務が逆じゃから、わしがこの目で見たのは今日が初めてじゃが、門番が毎日のように訪ねていたのを見ています」
「門番は大谷の事をよく知っておるんですか」
「ええ、知っております。今はそうでもないが、わしも昔はよく若い者たちを屋敷に呼んで騒いだもんじゃった‥‥‥わしの屋敷の回りには御番衆の頭たちの屋敷が並んでいます。奴らの屋敷を見張らせるために、門番たちに、どこの屋敷にどんな奴が出入りしたかを一々、書き留めて置くように命じていたんです。そしたら、大谷の名が毎日のように出て来るんで、おかしいと思ったのです」
「毒殺のあった昨日はどうじゃった」
「昨日は来なかったらしい」
「臭いな」
「大谷の奴は今も長沢の屋敷におるんじゃな」
「孫雲が見張っておるらしい」と小太郎は言った。
「孫雲が?」
「わしの屋敷を見張っていたんで、頼んでおきました」
「すまなかった」と早雲は謝った。「今朝の時点では、そなたの事も疑っておったんでな。今は疑ってはおらん」
早雲は小田隼人正に下手人の疑いのある者の名前の書かれた紙を見せた。
「この三人の中に下手人が?」
「多分」
「やはり、大谷も入っておりましたか‥‥‥大谷の事はわしに任せてくれませんか」
「いいでしょう」と早雲は頷いた。「大谷が天野氏の所に出入りしているというだけでは、まだ、決め手になりませんからね。もう少し、様子を見た方がいいでしょう。しかし、もし、大谷が下手人だとしたら、なぜ、そんな事をしたと思います」
「推測に過ぎませんが、長沢から何事かを言われて、竜王丸殿を裏切る事になったらしい。長沢は天野氏とつながりがある。天野氏の重臣に取り立てるとでも言われたのかもしれません」
「天野氏の重臣か‥‥‥北川衆でおるよりも、そっちの方がいいかのう」と小太郎は聞いた。
「北川衆は名誉ある仕事には違いありませんが、贅沢はできませんからね。大谷と長沢の二人を比べて見ても、格は大谷の方が上じゃが、住んでいる屋敷を比べてみると長沢の方がずっと立派です。長沢が三番組の副頭になって、今の屋敷に移ったのは一年程前じゃが、大谷は長沢の贅沢な生活振りを見て、北川衆が嫌になったのかもしれん‥‥‥小島の奴もそうじゃ。わしが北川衆に推挙したばかりに戦にも出られなくなってしまった。悪い事をしたと後悔しておるわ。あのまま御番衆でいれば、間違いなく、今頃は頭じゃろう。小島の奴は決して、そんな愚痴をこぼす事はないが、ほんとに悪かったと思っております」
「北川衆と御番衆では、そんなに俸給が違うのか」
「いえ、俸給はそれほど違いませんが、御番衆には色々と余禄があるのです」
「成程のう。重臣たちから袖の下が入るというわけじゃな」
「はい、そうなのです。特に副頭という地位は、頭に取り持つという事で裏銭がかなり集まるのです」
「話は変わるが、天野氏というのはそんなに勢力を持っておるのか」と小太郎は聞いた。
「はい、持っております。前回の戦で、東遠江において勢力を持っていた横地氏、勝間田氏が滅びました。今、現在、遠江において一番勢力を持っているのが天野氏と言ってもいいでしょう。これから、今川家中において、横地、勝間田両氏の領土の奪い合いが始まる事でしょう。一応は前回の戦の恩賞として、掛川城の朝比奈備中守、高天神城の福島左衛門尉、堀越城の堀越陸奥守殿、久野城の久野佐渡守殿、新野城の新野左馬助殿、そして、天野両氏に分け与えられるという事になるでしょうが、今の所、家督騒ぎでそれどころではありません。今川家が内部争いをしている隙に、天野氏は実力を持って領地を広げようとたくらんでいるのかもしれません。そして、領地が広がれば当然、その土地を守る城が必要となり、その城主にしてやるとでも誘われれば、大谷なら飛び付く可能性はあります」
「という事は天野氏にとっては、今川家の内訌が続いた方が都合がいいと言う事か」
「はい、その通りです。天野氏から見れば、お屋形様が丁度いい時にお亡くなりになったと言えます。宿敵であった横地、勝間田氏がいなくなり、今川家の勢力もまだ、それ程入っていない今は、遠江の国を取るのに絶好の時期だと言えます。お屋形様は遠江進出に当たって掛川と高天神に城を築きましたが、そこを守っている兵は二百足らずに過ぎません。天野氏の実力を持ってすれば倒す事など簡単です。それをしないのは、やはり、今川家が恐ろしいからです。その今川家が家督争いを始めれば、遠江の事まで手が回らないでしょう。その隙に、天野氏は遠江を我物にしようとたくらんでいるに違いありません」
「すると、天野氏は今川家に家督争いをさせるために、駿府に乗り込んで来たという事になるのう」と早雲は言った。
「そうです。天野氏は今、竜王丸派と河合備前守派の二つに分かれていますが、それも評定を混乱させる手だてかもしれません。天方氏も天野氏と同じ穴の貉(ムジナ)でしょう」
「成程のう‥‥‥しかし、そなた、よく、そんな遠江の事まで知っておるのう」
「いや、これはみんな、今日、福島左衛門尉の所で聞いて来た事です。実は、わしもそんな事を聞いて驚きました」
「福島左衛門尉か‥‥‥この間、挨拶に来た時は、ほとんど、話などしなかったが、なかなかの男のようじゃのう」
「お屋形様が高天神の城主にしただけの事はあります。やがて、朝比奈備中守と共に、今川家を代表する重臣になる事でしょう」
小田隼人正は帰って行った。入れ代わるように富嶽が入って来た。
「どこ行っておったんじゃ」と早雲が聞いた。
「仲居の部屋です」
「何じゃと」
「絵を描いておりました」
「仲居を描いておったのか」
「はい、富士山もいいが、女子(オナゴ)もいいのう」と富嶽は笑った。
「ほう、今度は似絵(ニセエ)画きになったのか」
「この屋敷には別嬪(ベッピン)が揃っておるので、描くのも楽しいわ」
「ほう、今度は女子を描いておるのか。ちょっと、見せてみろ」と小太郎がニヤニヤしながら言った。
「あまり、似てはおらんが」と言って、富嶽は描いた絵を見せた。
「これは、和泉じゃな」
「ええ」と富嶽は頷いた。
「おぬし、和泉に惚れたか」
「いえ、そんな‥‥‥」
「顔が赤くなっておるぞ」
「のんきなもんじゃ」と早雲は照れている富嶽を見ながら言った。
「早雲、さっきの小田の話じゃが、どう思う」と小太郎は聞いた。
「裏で糸を引いておったのは天野氏のようじゃのう」
「天野氏?」と富嶽は二人を見た。
早雲は小田の話を富嶽に聞かせた。
「ほう、以外な者が出て来ましたのう」
「天野氏が今川家を分裂させようと考えておるのなら、何としてでも、ひとつにまとめなければならんのう」
「しかし、まとめるのは難しいが、分裂させるのは簡単じゃ。今回の毒殺騒ぎも勝手に下手人を作って、どこの者だったと言えば騒ぎはさらに大きくなるじゃろう。少しずつ煽(アオ)って行けば、いずれ、戦にまで持って行く事も可能じゃ」
「それはそうじゃが、敵が分かっただけでも、幾分、有利になったと言えるぞ」
「まあな。それで、大谷の奴はどうするつもりじゃ」
「大谷か‥‥‥まだ、毒を持っておる可能性があるからのう。何とかせにゃならんが‥‥」
「逆に大谷を使って、敵を撹乱できんかのう」と小太郎は言った。
「逆に使う?」
「奴に偽の情報をつかませて敵に流し、混乱させるんじゃが‥‥‥天野氏が困るような、何かいい手はないかのう」
「天野氏が困る事か‥‥‥困る事と言えば留守にしておる国元の事じゃろうのう」
「国元に騒ぎが起きたと言うのか‥‥‥無理じゃな。そんな嘘はすぐにばれる。それよりも、両天野氏が争いを始めるような事になればいいんじゃがのう」
「仲たがいをさせるのか‥‥‥」
「わしも考えるが、おぬしも考えておいてくれ。わしは仕事に戻るわ」
「おう、頼むぞ」
小太郎は出て行った。
富嶽は懐から例の紙を出して広げると、「下手人は大谷じゃったか」と言いながら、大谷の名前の所を丸で囲んだ。
早雲はその紙を覗きながら、「一件落着じゃ」と言いかけて、紙を富嶽から奪うとよく見直した。
「ちょっと待て。大谷の奴はその日、表門におったはずじゃ。どうして、台所まで行けるんじゃ。台所に行くには裏門の奴に見られるはずじゃ。用もないのに台所などに入れば怪しまれる事になる。まさか、台所の厠まで行くというのもおかしな話じゃ」
「それが怪しまれずに、台所に入る方法があったのです」と富嶽は言った。
「なに、おぬし、そんな事を知っておるのか」
「はい。つい今し方、分かりました。わしは仲居の所で絵を描いておったんじゃが、門番がお茶を貰いに台所に入って来ました。門番は一応、仲居に声を掛けますが、仲居たちは一々、出ては行きません。話を聞くと、台所にはいつでもお湯が沸いておって、門番たちは好きな時にお茶を取りに来るというわけです。台所に誰もおらん食事時間や休憩時間を見計らって、台所に行く事は可能なのです。特に仲居たちが食事をしておる頃は、門番たちも交替で食事を取っておるため、必ず、お茶を取りに来るとの事です」
「そうか、お茶か‥‥‥お茶を取りに行くのなら裏門の奴らに見られても、堂々と台所に入れると言うわけか‥‥‥成程のう」
「そこで、昨日、食事をしておる時、誰がお茶をくれと言って来たか聞いてみました」
「おう、そしたら?」
「裏門におった山崎が来て、表門の大谷が二度来たそうです」
「大谷が二度もか‥‥‥しかし、よく、そんな事を覚えておったな」
「長門が覚えておったんです。長門はその日、山本にしつこく誘われておって、断ったのにまた来やしないかと、台所に来る者の声を聞いておったんだそうです」
「成程な、山本の奴も余程、嫌われておるとみえるな‥‥‥しかし、山本のお陰で、大谷が二度も来たという事がはっきりしたわけじゃ。決まりじゃな」
「しかし、困った事ですな。わしは仲居たちに下手人は外部の者じゃと言っておきましたが、仲居たちも内部の者を疑っておるようです。大谷が下手人だと分かれば、仲居たちは勿論の事、みんなに袋だたきにされますよ」
「そうじゃろうのう。袋だたきにされる前に御番衆に引き渡した方がよさそうじゃな」
「魔が差したんじゃろうが、家族の者たちが可哀想じゃな」
「家族か‥‥‥」と早雲は呟いた。
「おや、雨が降って来たようじゃ」と富嶽が外を見ながら言った。
雨の音は段々と激しくなって行った。
「今晩の夜警は大変じゃな」と言うと早雲は部屋から出て行った。
「どちらへ」
「別に用はないがの、急に甥御殿の顔が見たくなっての」
今の早雲にとって、北川殿とその子供たちは大事な家族だった。決して、その家族たちを不幸な目に合わせてはならなかった。
早雲は縁側に出て、庭園の中の茶屋の中で仁王立ちをしている小太郎を眺めながら、北川殿の居間に向かった。
8.北川殿3
8
雨は朝になってもやまなかった。幸い、何事も起こらずに夜が明けた。
前日、ほとんど眠れなくて疲れていたのと下手人が分かった事もあって、早雲はぐっすりと眠り、雨降りだったが、さっぱりとした朝を迎えていた。
早雲が井戸で顔を洗っていると、春雨が台所から出て来て近づいて来た。
「気持ちのいい朝じゃな」と早雲は笑った。
「どこが」と聞いて春雨は首を振り、「うっとおしいわ」と言った。
「うっとおしいか‥‥‥」と早雲は空を見上げた。
春雨も、どんよりとした空を見上げた。
早雲は春雨に目を移すと、「北川殿は大丈夫か」と聞いた。
「ええ。大丈夫よ」と春雨は頷いて、早雲に手拭いを渡した。「女たちじゃないわ。あんな恐ろしい事をして平気でいられるはずないもの」
「じゃろうな。下手人は分かったんじゃよ」
「え、ほんと? 誰だったの」
「外部の者じゃ」と早雲は言った。
「だって、あの日、誰も入って来なかったんでしょ」
「それが、忍び込んだ形跡が見つかったんじゃ」
「ほんと、どうやって忍び込んだの」
「そこの裏に隠れておったらしいのう」と早雲は裏庭の隅にある蔵を示した。
「へえ、あの裏から台所を見てたってわけ」
早雲は頷いた。
「まあ、恐ろしい‥‥‥でも、どうやって、あの裏に入ったの」
「それはのう‥‥‥濠に丸太の橋を架けて渡ったんじゃ」
「真っ昼間に?」
「そうじゃ。北川衆の格好をして濠のゴミをさらっておる振りをしてな」
「へえ、そうだったの。恐ろしいわね。それで、下手人は誰だったの」
「小太郎が言うには山伏じゃろうとの事じゃが、誰がその山伏を使ったのかまでは、まだ分からんのじゃ」
「ふーん。でも、身内じゃなかったのね」
「ああ。そういう事じゃな」
「よかった」と言って笑うと春雨は台所の方に戻って行った。
春雨は信じたようだった。春雨が今の話を女たちに話してくれるだろう。毒を入れたのが身内じゃなかったと一安心するだろう。下手人が分かった今、さらに騒ぎを大きくしたくはなかった。この先、まだ、力を合わせて行かなければならないのに、身内同士でお互いを疑っていたら、うまく行くわけがない。大谷の事は何とかごまかして処分しようと思っていた。
すでに門番は入れ代わっていた。夜勤明けの村田と久保が帰って行った。裏門は清水と小島が守り、小島は弓を持って蔵の屋根の上に登って屋敷の回りを見回していた。
表門には、大谷が素知らぬ顔をして警固に付いているに違いなかった。昨夜、小田に任せると言った手前、小田が出て来るまでは気づかぬ振りをして放っておこうと思った。
「やはり、ここじゃったか」と小太郎がやって来た。着物はびっしょり濡れていた。
「雨の中、御苦労じゃったの」と早雲はねぎらった。
「なに、そんなものは何でもないわ。奴がとぼけた顔して出て来たぞ」
「そうか‥‥‥おぬしから見て、確かに奴だと思うか」
「間違いないようじゃのう。何となく目が落ち着かんし、おどおどしておるようじゃ」
「そうか。とぼけて、このまま、ずっとおるつもりかのう」
「一人じゃったら、とっくに逃げておる事じゃろう。しかし、家族がおるからどうにもならんのじゃ」
「家族は知らんのじゃろうな」
「言えまい」
「可哀想な奴じゃな」
「確かに可哀想じゃが、このまま、ここにおいとくわけにもいかん。どうするんじゃ」
「小田に何か考えがあるらしいから、小田が来てから決めよう」
「そうするか。あの男も御番衆の頭をしておっただけあって、なかなかの男じゃな。こんな所に置いておくのは勿体ない位じゃ」
「それは言えるのう」
多米と才雲がニヤニヤしながらやって来た。
「御苦労じゃったな」と早雲は二人に言ってから、「孫雲も戻って来たか」と才雲に聞いた。
「はい。もう、鼾をかいて寝てますよ」
「お前らはどこ行くんじゃ」
「ちょっと、盛り場の方へ」と多米が言った。
「女子か」
「まあ、そんなところで‥‥‥」
「夕方までには帰れよ」
「はい。分かってます」
二人が裏門を出ようとした時、表の方から悲鳴と何かが倒れる物音がした。
小太郎と早雲はすぐに表に走った。多米と才雲も後を追った。
表門の外の橋の上に、大谷が斬られて倒れていた。
首が半分程斬られ、血が溢れるように噴き出している。生暖かい血の匂いが辺りに漂っていた。大谷は太刀を抜こうとしたらしいが抜く前にやられていた。雨が大谷の血を濠の中へと流していた。
小太郎は大谷の死体を飛び越えて、濠に架かる橋を渡り、左右を見回したが怪しい物影はなかった。小太郎は側にいた荒木を御番所に走らせた。
早雲は、大谷と共に表門を守っていた吉田と久保に事情を聞いた。
久保は夜勤明けで、続けて昼勤務のため、門番小屋の中で横になっていたと言う。交替制の勤務のため、毎日一人、夜勤明けで、そのまま昼勤務に付く者がいた。その者は明け六つ(夜明け頃)に勤務を交替すると朝食の四つ(午前十時)まで仮眠を取る事となっていた。久保は小屋の中にいたので、何が起こったのか全然分からない。悲鳴を聞いて、小屋から出て来た時には大谷は倒れ、斬った者の姿はなかったと言う。
吉田はその時、表門の南側にある廐(ウマヤ)の屋根の上に登って屋敷の回りを見張っていた。大谷を斬った下手人の姿をはっきりと見ていた。大谷を斬ったのは六人組の御番衆(ゴバンシュウ)だったと言う。その御番衆は昨日の朝も、今日と同じ頃に来て、何か異常はないか。物騒だから充分に注意するように、と言うと帰って行った。今朝もまた同じ事を言いに来たのだろうと別に気にも止めず、吉田が別の方に目をやっている隙に大谷は斬られてしまった。そのまま廐の屋根にいれば、敵がどこに逃げたのか見られたものを、慌てていたため屋根からすぐに降りて表門に向かい、外に出たが、敵の姿はなかったと言う。
「昨日も同じ六人が来たと言うのか」と早雲は吉田に聞いた。
「はい。多分、同じ六人だったと思います」
「昨日の朝、ここにおったのは喜八と誰じゃ」
「大谷と小島です」
「小島は裏門にいたな。後で聞いてみよう。喜八は昨日も屋根の上におったのか」
「いえ。昨日はわしは夜勤明けで、仮眠を取ろうと思っておりましたが、前の日にあんな事が起きましたので、寝る事ができずに門の所におりました。屋根の上にいたのは大谷です」
「大谷が屋根におったのか‥‥‥成程。それで、その六人組というのは、喜八の知らない奴だったんじゃな」
「はい。見た事もないような」
「御番衆というのは、いつも六人で見回りしておるのか」と小太郎が聞いた。
「はい、六人です。二人が御番衆の者で、あとの四人はその二人の従者です」
「昨日、その六人はどっちから来て、どっちに行ったんじゃ」
「大手門の方から来て、道賀亭(ドウガテイ)の方に行きましたが」
「大手門から道賀亭か‥‥‥いつもの道順か」
「いいえ。いつもは道賀亭の方には行きません。北川殿の北を通って北門の方に行きます。一昨日、あんな事があったので、警戒が厳重になって道賀亭の方まで見回りをしているのかと思っておりました」
「ふむ‥‥今日、屋根の上から見ていて、その六人はやはり大手門の方から来たのか」
「いえ、それが福島越前守(クシマエチゼンノカミ)殿の屋敷の裏の通りから出て来ました」
「やはりな。その通りの先は道賀亭じゃな」
「はい、そうです」
「その六人は偽者じゃ」と小太郎は言った。「道賀亭で御番衆に化けて、ここにやって来たのじゃろう」
「しかし、なぜ、大谷は斬られたのです」
「それはな」と早雲が言って、小太郎を見てから、「それは大谷が毒を入れた下手人を見たからじゃ。口封じのために消されたのじゃろう」と答えた。
「大谷が下手人を見た?」と吉田は不思議そうな顔をした。
「ああ、そうじゃ。詳しい話は後で聞かせる。それより、あの道賀亭には誰かおるのか」
「はい。警固の者が数人と下男、下女が数人おるようです」
「客はおらんのじゃな」
「いないとは思いますが、詳しくは存じません」
四番組の頭、入野兵庫頭(イリノヒョウゴノカミ)が数人の御番衆を連れてやって来た。早雲は訳を話し、詳しい事は吉田に聞いてくれと言うと、小太郎を連れて道賀亭の方に向かった。
大谷の妻が飛んで来て、無残な亭主の遺体にすがって泣き叫んでいた。回りにやじ馬が集まって来て騒ぎ始めた。
道賀亭は本曲輪(クルワ)の北東の隅にあり、北川殿の東側、表門の正面にあるが、北川殿と道賀亭の間に、北川衆の村田、小島、久保、大谷の四軒の家が並んでいた。その四軒の家は塀で囲まれているため、道賀亭に行くには、その塀に沿って一番端まで行かなくてはならなかった。曲者(クセモノ)の六人は道賀亭から北川衆の家の並ぶ一画の南側、福島越前守の屋敷との間の通りから出て来て、北川殿の正門前を通って、多分、北川衆の家の北側の塀と北川に沿った土塁との間の通りを抜けて道賀亭に戻ったものとみられる。
早雲と小太郎は北川衆の家の北側を通って道賀亭に向かった。
道賀亭を囲む濠は北川殿の濠とほぼ同じく、五間(ケン)幅のようだった。濠の向こうに土塁はなく板塀で囲まれていた。表門は東側にあり、門は閉ざされたままだった。
早雲と小太郎は橋を渡って門の側まで行ってみた。あちこちに複雑な彫刻の施された見事な唐門(カラモン)だった。中はシーンと静まり返っている。門をたたいてみたが、何の返事もなかった。
「どうやら、敵はここで御番衆に化けたようじゃな」と小太郎は言った。
正面は土塁で、左側も土塁、右側に屋敷は見えるが人影はない。道賀亭を使わない限り、正面の道を人が通る事もないだろう。敵はここで御番衆の支度に着替えたに違いなかった。
二人は道賀亭を一回りして裏門に向かった。裏門は北川衆の家に面していた。北川衆の家の中で子供たちが遊んでいるのが見えた。
裏門は半分だけ開いていた。
門番が一人、雨を恨めしそうに眺めている。
「北川殿の者じゃが、ちょっと聞きたい事がある」と早雲は言った。
門番はうさんくさそうな顔をして僧侶姿の早雲と山伏姿の小太郎を見ていたが、「もしかしたら、早雲和尚様で」と言った。
「ああ、わしは早雲じゃが、六人組の御番衆を見なかったか」
「はい。見ましたとも」と門番は言って、「先程、悲鳴がしたようでしたが、何か起こったのですか」と聞いて来た。
「北川殿の門番が殺されたんじゃ」
「えっ、北川殿の門番が‥‥‥それはまた大変な事で‥‥‥ああ、それで、さっき、御番衆の方々が曲者を追って走って行ったのですな」
「どっちに行った」
「はい。そこの通りを向こうに」と門番は北側の通りを示した。
「表の方に行ったのじゃな」
「はい」
「表門はいつも閉めたままなのか」
「はい。ここをお使いになる時は前以て知らせが参ります。その時以外は閉めたままです」
「昨日の今頃、六人組の御番衆を見なかったか」
「昨日の今頃ですか‥‥‥さあ、見なかったと思いますが‥‥‥」
「そうか、悪かったな。物騒な世になったから気を付けろよ」
二人は北川殿に戻った。
雨はようやく小降りになって来ていた。大谷の無残な遺体はなかった。やじ馬もいなかった。数人の河原者が血で汚れた橋を清めていた。
小太郎は濡れた着物を着替えに侍部屋に行った。
早雲が屋敷に上がると小田隼人正(ハヤトノショウ)が待っていた。
「遅すぎました」と小田はうなだれた。「夕べ、奴の家に行って話を聞いたのです」
「奴は白状したのか」と早雲は聞いた。
小田は頷いた。「奴は長沢にそそのかされて、味噌の中に毒を入れたと言いました。しかし、毒だとは知らなかったそうです。腹下しの薬だと言われ、そう信じて味噌の中に入れたそうです」
「腹下しの薬じゃと?」
「はい。奴が言うには、北川殿に仕える者たちを腹下しにして寝込ませ、隙を狙って竜王丸殿をさらうつもりだったらしいのです」
「竜王丸殿をさらう? さらってどうするんじゃ」
「竜王丸殿を遠江にさらって行って、新しい今川家を作るんだそうです。竜王丸殿をお屋形様にして、天野氏を中心にして新しい今川家を作り、遠江の国をまとめ、その後、今川家の正統だと言って駿河に進攻し、偽の今川家を倒すんだと言っておりました」
「ほう、とんでもない事を考えるもんじゃのう。大谷の奴はそれに同意して実行に移したというわけか」
「はい。ところが、腹下しの薬だと思っていたのが毒だった。大谷も驚き、どうしたらいいものか分からなかった。すぐにでも、長沢のもとに行き、なぜ、こうなったのか問い詰めたかったが、その日は怪しまれると思って我慢した。そして、昨日、仕事が終わったらすぐに長沢のもとに駈け込んだ。長沢を問い詰めたが、そんなはずはない。あれは確かに腹下しの薬じゃと言い張るばかりで、本当の事を教えてはくれない。しまいには、仲居を毒殺したのはお前だと言い触らしてやると威され、ようやく、騙(ダマ)されていた事に気づいたそうです。奴は充分、反省していたようじゃし、仲居を殺した事には違いないが、殺意があったわけではないので、わしは奴の事を福島左衛門尉に任せようと思いました。そして、今朝、左衛門尉が評定に行く前に、訳を話して頼んで来たんです。左衛門尉は快く引き受けてくれました。しかし、遅かった。間に合わなかったわ」
「そうか‥‥‥そうじゃったのか」
「大谷の事、どうするつもりですか」と小田は聞いた。
「下手人を見たために殺された、という事にするつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥ありがとうございます」
「なに、大谷の子供たちのためじゃ」
「はい‥‥‥」
「しかし、竜王丸殿をさらうという件、まんざら、嘘でもなさそうじゃのう。天野氏とやらは、その位の事をたくらんでおるかもしれん」
「まさか」
「勿論、竜王丸殿をさらうとは言わん。駿府は危険じゃからと言って遠江に移すと言い出すじゃろう。腹黒い天野氏の事じゃ。竜王丸殿を急に自分の城へは連れては行かんじゃろう。まず、堀越氏を味方に付けて、堀越城に竜王丸殿を入れる。そうすれば、遠江にいる今川衆は皆、竜王丸殿をお屋形様として集まって来るに違いない。うまくすれば、今の竜王丸派の重臣たちも集まるかもしれん。そうなると、今川家が二つに分かれる。争いが始まれば、最も勢力のある天野氏が主導権を握るという事になろう。竜王丸殿を飾りにして天野氏は益々、大きくなれるというものじゃ」
「そして、駿府に攻めて来るのですか」
「いや。天野氏にとって駿府を取る事は二の次じゃ。まず、遠江の国を全部、我物とするじゃろうな」
「竜王丸殿を飾りにして自分の勢力を広げるとは‥‥‥途方もない事を考えるものですね。わしらにはとても考えられん事じゃ。天野氏は今度はどんな手で来るんでしょう」
「さあな。そいつは分からんのう‥‥‥待てよ。奴らが昨日の朝もここに来たと聞いた時、昨日も殺す気じゃったが、大谷が屋根の上におったので諦めたんじゃろうと思ったが、昨日の朝は殺す気はなかったのかもしれん。ただ、様子を見に来ただけだったのかもしれんのう。昨日の夜、大谷が長沢の屋敷に行った。そして、騙されたと気づいた。それでも、まだ、威せば使えると思った。しかし、大谷の後を才雲と孫雲が付けていた事に知り、大谷が疑われている事に気づいた。そこで、大谷が天野氏の事を喋る前に口を封じたという事になる。そうなると、昨日の夜、大谷の家を訪ねたそなたも敵に見られておるという事になる。敵は今度、そなたを殺そうとするかもしれんぞ」
「わしをですか。わしを殺す気なら、昨日の夜に襲う事もできたはずです。別に何事もなく家に帰りましたが」
「敵も襲えなかったのじゃろう。そなたはかなりの使い手じゃろう。しかも、大谷の家からそなたの屋敷までの途中には大手門があり、その近辺には夜警の御番衆がかなりおる。さらに、二の曲輪に入ってからは、丁度、両天野氏の屋敷の前を通るじゃろう。そんな所で騒ぎを起こせば天野氏が疑われる可能性もあるというわけじゃ。それに、そなたの家の回りには御番衆の頭の屋敷が並んでおる。そんな所でも騒ぎは起こせまい。となると、この北川殿が危ない。そなたは今日は夜勤じゃろう。今晩、敵は、そなたの命を狙って来るとみていいじゃろうな」
「今晩ですか‥‥‥来ますかね」
「そなたを殺すのが第一の目的、第二の目的は北川殿に恐怖を味わせ、お屋形様の候補の座から下りてもらう事じゃ」
「と言う事は、わしだけを殺しに来るのではないのですね」
「多分な。手当り次第に斬って来るじゃろうな。北川殿と竜王丸殿を殺す事はあるまいが、仲居たちも危ない目に会うかもしれん」
「分かったぞ」と言いながら小太郎が入って来た。「おお。小田殿か、早いのう」
「小太郎、何が分かったんじゃ」
「毒を持って来た奴じゃよ」
「なに?」
「秋葉山の山伏じゃ。秋葉山の山伏がお屋形内に潜伏して活動しておるに違いないわ。今日の六人の御番衆も奴らかもしれん」
「突然、何を言っておるんじゃ。秋葉山の山伏が、何で、こんな所におるんじゃ。仮に駿府に来たとしても、そう簡単に、この屋形内に入れるわけがなかろう」
「天野氏はここに来る時、兵を引き連れておったじゃろう。その中に山伏がおったんじゃ。天野氏の家臣として、すでに入っておるんじゃよ」
「そうか‥‥‥確かに天野氏の本拠地、犬居城は秋葉山のすぐ側じゃ。山伏を使うのは当然の事と言えるのう。というと、今回の毒殺騒ぎの裏に奴らがおると言うのか」
「間違いないわ」
「となると今晩、攻めて来るのも山伏とみてよさそうじゃのう」
「なに? 敵が今晩、攻めて来るのか」
早雲は小田に話した事をもう一度、小太郎に話した。
「うむ、あり得るのう‥‥‥今晩か‥‥‥楽しみじゃ」
小太郎は、「寝るわ」と言って出て行った。
「小田殿、今晩、夜警をする者たちに武装して来るように伝えて下さい」
「昼間の者たちも夜に回した方がいいですか」
「いや。そのままでいい。みんなで徹夜をしたら、明日の昼、守る者がおらん事になってしまう。それこそ敵の思う壷じゃ」
「分かりました」
「小田殿も帰って、少し寝た方がいいかもしれんのう」
小田は頷くと出て行った。
早雲は腕組みをしたまま座り込んでいた。頭の中では、夜襲の後、どうするか、と先の事を考えていた。
夜は深まっていた。
シーンと静まり返っているが、北川殿内にいる者たちは皆、武装したまま起きていた。
早雲は絶対に今夜、敵は襲撃して来ると予想した。
小太郎も早雲に同意して作戦を練った。夜、しかも、狭い屋敷内なので、飛び道具は使わないようにした。最悪の場合、敵が火矢を射る事も考えたが、お屋形様の屋敷の隣にある北川殿に火を掛けるはずはなかった。今回の敵の襲撃は、ただの威しにすぎないだろう。素早く何人かを傷付け、素早く逃げるに違いなかった。まごまごしていたら夜警をしている御番衆に捕まってしまう。捕まってしまえば、北川殿を襲撃した事によって、勿論、命はないが、裏で糸を引く者の正体が駿府中にばれてしまう事になる。敵としては絶対に捕まるわけにはいかない。素早く攻撃して、素早く逃げなければならなかった。こちらとしても、一瞬のうちに敵を倒さなければならなかった。
しかし、敵がどこから来るのかが分からなかった。天野屋敷は二の曲輪内にある。夜中に二の曲輪から本曲輪に来るという事は考えられない。本曲輪と二の曲輪をつなぐ大手門には大勢の御番衆が詰めていて、用のない者は通さない。まして、徒党を組んで入れるわけはなかった。という事は、すでに昼のうちから本曲輪内のどこかに潜入しているという事になるが、それがどこなのか、まったく見当も付かなかった。
小太郎は道賀亭が怪しいと思って、夕方、一回りしてみたが、曲者が隠れている気配はなかった。この前のように一時的に隠れる事はできるが、何時間も隠れているのは難しそうだった。
北川殿は表門、裏門、共に厳重に閉ざされていた。お屋形様の屋敷に通じる門も、お屋形様の屋敷側、北川殿側両方とも閉ざされている。そして、表門、裏門とも濠に架かる橋には鉄菱が撒いてあった。
表門の内側に北川衆の小田と山本、裏門の内側に村田と中河が武装して待機している。裏門の側の蔵の上に才雲が座り込んで外を見張り、台所の入口の前では富嶽が酒樽に腰掛け、裏門から表門に向かう通路となる屋敷の北側に、莚を敷いて荒木兵庫助が刀を抱いて寝ている。侍部屋の中では非番の吉田と山崎が武装したまま仮眠を取り、その屋根の上では小太郎が腹ばいになって表通りを見張っていた。屋敷の玄関の前に多米権兵衛が槍を抱えて座り込み、廐の屋根の上では孫雲が風流に下弦の月を眺めている。北川殿の居間の前の縁側に早雲が寝そべり、荒川坊は鉄の棒を持って庭園の南西隅に立っていた。
屋敷の中の奥の間では、北川殿母子を中心にして仲居たちが囲み、侍女の萩乃と菅乃、仲居の和泉、春雨とお雪の五人が白い鉢巻を頭に巻いて、小太刀(コダチ)を腰に差し、薙刀(ナギナタ)を構えて守りを固めていた。
準備は完了したが、一体、敵はどこから入って来るのか。
早雲は縁側に寝そべって、月を眺めながら考えていた。
時はゆっくりと流れていた。
もうすぐ、夜明けとなる時刻だった。丁度、気の緩(ユル)む頃だった。小太郎はみんなの所を回って、何事が起こっても決して部署を離れるな、と言った。
「いつもと変わりません」と孫雲が廐の屋根から小太郎に言った。「御番衆がウロウロしています。警戒が厳重で、こんな中、敵が攻めて来るとは思えませんが‥‥‥」
「もう少しで夜が明ける。夜明け前というのが一番危険なんじゃ。わしらだけでなく、御番衆たちも一安心して、気が緩むんじゃ。すっかり明るくなるまで気を緩めるんじゃないぞ。ちょっとした油断が命取りになるからのう」
小太郎は早雲のいる縁側に向かった。早雲は肘(ヒジ)枕をして横になっていた。
「敵はどうやって来るかのう」と小太郎は早雲に声を掛けた。
返事はなかった。
小太郎は早雲の顔を見た。微かな寝息が聞こえた。
「図太い野郎だ」と言うと、小太郎は庭園の隅にいる荒川坊に声を掛け、自分の部署、侍部屋の屋根の上に向かった。廐の前を通ると、また、孫雲が声を掛けて来た。
「キヨメの奴らが入って来ました」
「そうか、奴らに化けてるかもしれん。よく見張ってろ」
キヨメというのは、夜が明ける前、駿府屋形内の掃除を担当している河原者であった。彼らは阿部川の河原に住み、駿府屋形の掃除を初め、糞尿(フンニョウ)の処理、庭園の整備、井戸掘り、濠の中のゴミ拾いなどの雑用をやらされていた賤民(センミン)たちであった。小太郎はお雪にせがまれ、数日間、その河原者たちの病人を治療していた事を思い出した。お屋形様が急に亡くなってしまったため、その事もできなくなってしまった。河原者の頭とも仲良くなれたが、当分、行けそうもなかった。
「女が走って来ます」と孫雲は言った。
「女? どんな女じゃ」と小太郎は聞いた。
「ええと、綺麗な女です」
「馬鹿者、河原者の女か、と聞いておるんじゃ」
「いえ、違います。かなり身分の高い女のようです。河原者たちに追われているようです」
「おかしいのう。どうして、今頃、そんな女がウロウロしておるんじゃ」
「女がこっちに来ます」
「助けて!」という女の悲鳴が聞こえた。
「橋を渡って、門の側まで来ます」
「喚(ワメ)いておるか」と小太郎は聞いた。
女が門をたたきながら、「助けて!」と叫んでいた。
「はい。喚いています。河原者たちも門に近づいて来ます」
「違う。鉄菱にやられて喚いておるかと聞いておるんじゃ」
「いえ。鉄菱は踏んでないようです。あっ! キヨメの連中が鉄菱を掃いています」
「敵じゃ!」と小太郎は怒鳴った。
その頃、裏門にも河原者たちが近づいていた。
蔵の上から才雲が眺めながら、「キヨメが来ました」と裏門を守る村田と中河に言った。
「もうすぐ、夜明けじゃ。何事も起こらんようじゃな」と村田は言った。
「早雲殿の取り越し苦労だったみたいですね」と中河は笑った。
四人の河原者が竹ぼうきで、通りを掃きながら近づいて来ていた。その中の一人が裏門の前の橋の上の鉄菱に気づき、橋の上を掃き始めた。
「おい。それは掃かなくてもいい」と才雲は怒鳴ったが、河原者は構わず掃いていた。
やがて、三人の河原者も近づいて来て、鉄菱の掃かれた橋を渡って来た。
「敵だ!」と才雲は怒鳴って、蔵から飛び降りた。
河原者たちは塀の下の鉄菱も掃いて濠の中に落とし、塀を乗り越えて侵入して来た。
表門の河原者も同じように塀の下の鉄菱を掃き落とし、塀を乗り越え侵入して来た。さらに、お屋形様の屋敷の裏門の橋を渡って、土塁に沿って、お屋形様の屋敷と北川殿をつなぐ橋を渡り、塀の下の鉄菱を掃き落として塀を乗り越え、南側の庭園に侵入して来た者もいた。
河原者たちは竹ぼうきの中に武器を隠していた。ほうきの柄がそのまま六尺棒だったり、鉄の棒だったり、槍や薙刀や太刀が隠してあったりした。
表門に侵入した五人の河原者を相手に、小田、山本、多米、山崎、吉田が当たり、裏門の四人には、村田、中村、才雲、荒木が当たり、南側の庭園に侵入した四人に、荒川坊、早雲、小太郎、孫雲が当たった。
表門では、小田は太刀で薙刀を構える敵を袈裟斬りにし、多米は槍で鉄棒を持つ敵の胸を突き、山崎は苦戦の末、多米に助けられながらも、見事に敵の首を斬り上げた。吉田は薙刀を持って、女に扮していた敵と戦い、苦戦していたが、小田に助けられた。山本は顔を斬られ、危うくやられそうになったところを小太郎に助けられた。
庭園側の四人はすぐに片付いた。小太郎と早雲がそれぞれ一刀のもとに倒し、荒川坊は鉄棒で敵の頭を砕き、苦戦していた孫雲を助けた。
裏門の敵が一番しぶとかった。まず、中河が喉元を槍で突かれて即死した。中河を殺した敵は仲居たちの部屋と庭園とを仕切っている塀を蹴破って、庭園側から屋敷に侵入しようとしたが、早雲がそれを阻(ハバ)んだ。槍を持った敵は早雲と斬り合いを始めたが、腕は早雲の方が数段上だった。敵は早雲に右腕を斬り落とされ、刀の柄頭(ツカガシラ)で眉間(ミケン)を殴られて気絶した。村田も右腕の付け根を薙刀で斬られて倒れた。村田を斬った敵は台所から屋敷に侵入しようとしたが、台所の入り口を守る富嶽と戦い、富嶽に手首を落とされた後、腹を蹴られて気絶した。荒木は一人の敵を倒し、左腕を斬られた才雲を助けようとして、敵の槍に右足を刺された。怒った荒木は唸りながら敵に突進して、敵の首を斬り落とした。斬られた首は塀を飛び越えて濠の中に落ちた。
一瞬の出来事だった。
小太郎と早雲は各部署を見回った。
侵入して来た敵は全部で十三人、そのうち死んだのは八人いた。無事に逃げた者は一人もいない。五人が気絶していた。
身内では中河が喉を突かれて即死、村田が右腕を肩から斬られて重傷を負った。山本は顔を斬られ、荒木は右足を突かれ、荒川坊は右腕を斬られ、才雲は左腕を斬られ、孫雲は右肩を斬られていたが、皆、軽傷だった。
小太郎はお雪と共に治療に当たった。
富嶽と多米らは気絶している敵を縛り、小田は御番衆に知らせに行った。
早雲は気絶していた者を起こし、何者だ、と尋問したが、敵はふてぶてしい顔をしたまま話そうとはしなかった。多米が早雲と代わり、槍の石突で突きながら尋問したが敵の口は堅かった。
やがて、御番衆と一緒に本物の河原者がやって来て、死体と縛られた敵を引き取って行った。
「一体、何者なんじゃ、こいつらは」と河原者たちに化けて、武器を片手に死んでいる者を眺めながら、本曲輪を守る四番組の頭、入野兵庫頭が言った。
「それはこっちが知りたいわ」と早雲は言った。
「しかし、北川殿に潜入するとは、まったく、ふてえ野郎じゃ。やはり、竜王丸殿を狙っていたのじゃろうか」
「じゃろうのう」
「ついさっきも、河合備前守殿の屋敷で一騒ぎあったばかりです」
「備前守殿の屋敷で何かあったのか」
「ここ程じゃまりませんが、門番の一人が殺されました」
「門番が殺された?」
「はい。女が助けてくれと来て、門を開いた途端、女を追って来たと思われる曲者に殺されました」
「その女は?」
「女も曲者も消えました。消えましたが、この本曲輪内にいる事は確かです。あれだけ、厳重に見回りをしているというのにこの様じゃ。信じられん事じゃが、曲者は重臣たちの屋敷に潜伏しているとしか考えられん。第一、ここを襲うなどという事は、裏に余程の大物が隠れて糸を引いているという事です。わしらの手に追える相手ではなさそうです。こいつらを御番所に連れて行っても、上から圧力が掛かって取り調べる事もできないでしょう」
「そうか‥‥‥」
「それに、御番衆の内部でも、それぞれの派閥に分かれて、陰に隠れてこそこそやっています。今回も、こいつらを手引きした者が、御番衆の中にいたのかもしれん。疑いたくはないが、その可能性も充分に考えられるのです」
「御番衆もか‥‥‥」
兵庫頭は頷いた。兵庫頭は数人の御番衆を北川殿の回りに配置すると帰って行った。
夜が明けて来た。
小太郎が近づいて来た。
「身内の方はどうじゃ」と早雲は聞いた。
「村田が危ない。血が止まらん。多分、駄目じゃろう」
「そうか‥‥‥駄目か‥‥‥」
村田は京から北川殿に付いて来た伊勢家の侍だった。十五になる娘がいて、そろそろ、嫁に出さなくてはならないが、父親としてどうしたらいいか、と相談された事があった。駿河はいい国じゃ、駿河に来て本当によかったと笑いながら早雲に言った事もあった。まさか、こんな事で亡くなる事になろうとは‥‥‥無念でたまらないだろう。
「中河は即死。あとの者は皆、大した事はない。かすり傷のようなものじゃ」
早雲は庭に落ちている槍を見つめていた。
中河の喉を刺した槍だった。
「逃げるか‥‥‥」と早雲はポツリと言った。
すでに門番は入れ代わっていた。夜勤明けの村田と久保が帰って行った。裏門は清水と小島が守り、小島は弓を持って蔵の屋根の上に登って屋敷の回りを見回していた。
表門には、大谷が素知らぬ顔をして警固に付いているに違いなかった。昨夜、小田に任せると言った手前、小田が出て来るまでは気づかぬ振りをして放っておこうと思った。
「やはり、ここじゃったか」と小太郎がやって来た。着物はびっしょり濡れていた。
「雨の中、御苦労じゃったの」と早雲はねぎらった。
「なに、そんなものは何でもないわ。奴がとぼけた顔して出て来たぞ」
「そうか‥‥‥おぬしから見て、確かに奴だと思うか」
「間違いないようじゃのう。何となく目が落ち着かんし、おどおどしておるようじゃ」
「そうか。とぼけて、このまま、ずっとおるつもりかのう」
「一人じゃったら、とっくに逃げておる事じゃろう。しかし、家族がおるからどうにもならんのじゃ」
「家族は知らんのじゃろうな」
「言えまい」
「可哀想な奴じゃな」
「確かに可哀想じゃが、このまま、ここにおいとくわけにもいかん。どうするんじゃ」
「小田に何か考えがあるらしいから、小田が来てから決めよう」
「そうするか。あの男も御番衆の頭をしておっただけあって、なかなかの男じゃな。こんな所に置いておくのは勿体ない位じゃ」
「それは言えるのう」
多米と才雲がニヤニヤしながらやって来た。
「御苦労じゃったな」と早雲は二人に言ってから、「孫雲も戻って来たか」と才雲に聞いた。
「はい。もう、鼾をかいて寝てますよ」
「お前らはどこ行くんじゃ」
「ちょっと、盛り場の方へ」と多米が言った。
「女子か」
「まあ、そんなところで‥‥‥」
「夕方までには帰れよ」
「はい。分かってます」
二人が裏門を出ようとした時、表の方から悲鳴と何かが倒れる物音がした。
小太郎と早雲はすぐに表に走った。多米と才雲も後を追った。
表門の外の橋の上に、大谷が斬られて倒れていた。
首が半分程斬られ、血が溢れるように噴き出している。生暖かい血の匂いが辺りに漂っていた。大谷は太刀を抜こうとしたらしいが抜く前にやられていた。雨が大谷の血を濠の中へと流していた。
小太郎は大谷の死体を飛び越えて、濠に架かる橋を渡り、左右を見回したが怪しい物影はなかった。小太郎は側にいた荒木を御番所に走らせた。
早雲は、大谷と共に表門を守っていた吉田と久保に事情を聞いた。
久保は夜勤明けで、続けて昼勤務のため、門番小屋の中で横になっていたと言う。交替制の勤務のため、毎日一人、夜勤明けで、そのまま昼勤務に付く者がいた。その者は明け六つ(夜明け頃)に勤務を交替すると朝食の四つ(午前十時)まで仮眠を取る事となっていた。久保は小屋の中にいたので、何が起こったのか全然分からない。悲鳴を聞いて、小屋から出て来た時には大谷は倒れ、斬った者の姿はなかったと言う。
吉田はその時、表門の南側にある廐(ウマヤ)の屋根の上に登って屋敷の回りを見張っていた。大谷を斬った下手人の姿をはっきりと見ていた。大谷を斬ったのは六人組の御番衆(ゴバンシュウ)だったと言う。その御番衆は昨日の朝も、今日と同じ頃に来て、何か異常はないか。物騒だから充分に注意するように、と言うと帰って行った。今朝もまた同じ事を言いに来たのだろうと別に気にも止めず、吉田が別の方に目をやっている隙に大谷は斬られてしまった。そのまま廐の屋根にいれば、敵がどこに逃げたのか見られたものを、慌てていたため屋根からすぐに降りて表門に向かい、外に出たが、敵の姿はなかったと言う。
「昨日も同じ六人が来たと言うのか」と早雲は吉田に聞いた。
「はい。多分、同じ六人だったと思います」
「昨日の朝、ここにおったのは喜八と誰じゃ」
「大谷と小島です」
「小島は裏門にいたな。後で聞いてみよう。喜八は昨日も屋根の上におったのか」
「いえ。昨日はわしは夜勤明けで、仮眠を取ろうと思っておりましたが、前の日にあんな事が起きましたので、寝る事ができずに門の所におりました。屋根の上にいたのは大谷です」
「大谷が屋根におったのか‥‥‥成程。それで、その六人組というのは、喜八の知らない奴だったんじゃな」
「はい。見た事もないような」
「御番衆というのは、いつも六人で見回りしておるのか」と小太郎が聞いた。
「はい、六人です。二人が御番衆の者で、あとの四人はその二人の従者です」
「昨日、その六人はどっちから来て、どっちに行ったんじゃ」
「大手門の方から来て、道賀亭(ドウガテイ)の方に行きましたが」
「大手門から道賀亭か‥‥‥いつもの道順か」
「いいえ。いつもは道賀亭の方には行きません。北川殿の北を通って北門の方に行きます。一昨日、あんな事があったので、警戒が厳重になって道賀亭の方まで見回りをしているのかと思っておりました」
「ふむ‥‥今日、屋根の上から見ていて、その六人はやはり大手門の方から来たのか」
「いえ、それが福島越前守(クシマエチゼンノカミ)殿の屋敷の裏の通りから出て来ました」
「やはりな。その通りの先は道賀亭じゃな」
「はい、そうです」
「その六人は偽者じゃ」と小太郎は言った。「道賀亭で御番衆に化けて、ここにやって来たのじゃろう」
「しかし、なぜ、大谷は斬られたのです」
「それはな」と早雲が言って、小太郎を見てから、「それは大谷が毒を入れた下手人を見たからじゃ。口封じのために消されたのじゃろう」と答えた。
「大谷が下手人を見た?」と吉田は不思議そうな顔をした。
「ああ、そうじゃ。詳しい話は後で聞かせる。それより、あの道賀亭には誰かおるのか」
「はい。警固の者が数人と下男、下女が数人おるようです」
「客はおらんのじゃな」
「いないとは思いますが、詳しくは存じません」
四番組の頭、入野兵庫頭(イリノヒョウゴノカミ)が数人の御番衆を連れてやって来た。早雲は訳を話し、詳しい事は吉田に聞いてくれと言うと、小太郎を連れて道賀亭の方に向かった。
大谷の妻が飛んで来て、無残な亭主の遺体にすがって泣き叫んでいた。回りにやじ馬が集まって来て騒ぎ始めた。
道賀亭は本曲輪(クルワ)の北東の隅にあり、北川殿の東側、表門の正面にあるが、北川殿と道賀亭の間に、北川衆の村田、小島、久保、大谷の四軒の家が並んでいた。その四軒の家は塀で囲まれているため、道賀亭に行くには、その塀に沿って一番端まで行かなくてはならなかった。曲者(クセモノ)の六人は道賀亭から北川衆の家の並ぶ一画の南側、福島越前守の屋敷との間の通りから出て来て、北川殿の正門前を通って、多分、北川衆の家の北側の塀と北川に沿った土塁との間の通りを抜けて道賀亭に戻ったものとみられる。
早雲と小太郎は北川衆の家の北側を通って道賀亭に向かった。
道賀亭を囲む濠は北川殿の濠とほぼ同じく、五間(ケン)幅のようだった。濠の向こうに土塁はなく板塀で囲まれていた。表門は東側にあり、門は閉ざされたままだった。
早雲と小太郎は橋を渡って門の側まで行ってみた。あちこちに複雑な彫刻の施された見事な唐門(カラモン)だった。中はシーンと静まり返っている。門をたたいてみたが、何の返事もなかった。
「どうやら、敵はここで御番衆に化けたようじゃな」と小太郎は言った。
正面は土塁で、左側も土塁、右側に屋敷は見えるが人影はない。道賀亭を使わない限り、正面の道を人が通る事もないだろう。敵はここで御番衆の支度に着替えたに違いなかった。
二人は道賀亭を一回りして裏門に向かった。裏門は北川衆の家に面していた。北川衆の家の中で子供たちが遊んでいるのが見えた。
裏門は半分だけ開いていた。
門番が一人、雨を恨めしそうに眺めている。
「北川殿の者じゃが、ちょっと聞きたい事がある」と早雲は言った。
門番はうさんくさそうな顔をして僧侶姿の早雲と山伏姿の小太郎を見ていたが、「もしかしたら、早雲和尚様で」と言った。
「ああ、わしは早雲じゃが、六人組の御番衆を見なかったか」
「はい。見ましたとも」と門番は言って、「先程、悲鳴がしたようでしたが、何か起こったのですか」と聞いて来た。
「北川殿の門番が殺されたんじゃ」
「えっ、北川殿の門番が‥‥‥それはまた大変な事で‥‥‥ああ、それで、さっき、御番衆の方々が曲者を追って走って行ったのですな」
「どっちに行った」
「はい。そこの通りを向こうに」と門番は北側の通りを示した。
「表の方に行ったのじゃな」
「はい」
「表門はいつも閉めたままなのか」
「はい。ここをお使いになる時は前以て知らせが参ります。その時以外は閉めたままです」
「昨日の今頃、六人組の御番衆を見なかったか」
「昨日の今頃ですか‥‥‥さあ、見なかったと思いますが‥‥‥」
「そうか、悪かったな。物騒な世になったから気を付けろよ」
二人は北川殿に戻った。
雨はようやく小降りになって来ていた。大谷の無残な遺体はなかった。やじ馬もいなかった。数人の河原者が血で汚れた橋を清めていた。
小太郎は濡れた着物を着替えに侍部屋に行った。
早雲が屋敷に上がると小田隼人正(ハヤトノショウ)が待っていた。
「遅すぎました」と小田はうなだれた。「夕べ、奴の家に行って話を聞いたのです」
「奴は白状したのか」と早雲は聞いた。
小田は頷いた。「奴は長沢にそそのかされて、味噌の中に毒を入れたと言いました。しかし、毒だとは知らなかったそうです。腹下しの薬だと言われ、そう信じて味噌の中に入れたそうです」
「腹下しの薬じゃと?」
「はい。奴が言うには、北川殿に仕える者たちを腹下しにして寝込ませ、隙を狙って竜王丸殿をさらうつもりだったらしいのです」
「竜王丸殿をさらう? さらってどうするんじゃ」
「竜王丸殿を遠江にさらって行って、新しい今川家を作るんだそうです。竜王丸殿をお屋形様にして、天野氏を中心にして新しい今川家を作り、遠江の国をまとめ、その後、今川家の正統だと言って駿河に進攻し、偽の今川家を倒すんだと言っておりました」
「ほう、とんでもない事を考えるもんじゃのう。大谷の奴はそれに同意して実行に移したというわけか」
「はい。ところが、腹下しの薬だと思っていたのが毒だった。大谷も驚き、どうしたらいいものか分からなかった。すぐにでも、長沢のもとに行き、なぜ、こうなったのか問い詰めたかったが、その日は怪しまれると思って我慢した。そして、昨日、仕事が終わったらすぐに長沢のもとに駈け込んだ。長沢を問い詰めたが、そんなはずはない。あれは確かに腹下しの薬じゃと言い張るばかりで、本当の事を教えてはくれない。しまいには、仲居を毒殺したのはお前だと言い触らしてやると威され、ようやく、騙(ダマ)されていた事に気づいたそうです。奴は充分、反省していたようじゃし、仲居を殺した事には違いないが、殺意があったわけではないので、わしは奴の事を福島左衛門尉に任せようと思いました。そして、今朝、左衛門尉が評定に行く前に、訳を話して頼んで来たんです。左衛門尉は快く引き受けてくれました。しかし、遅かった。間に合わなかったわ」
「そうか‥‥‥そうじゃったのか」
「大谷の事、どうするつもりですか」と小田は聞いた。
「下手人を見たために殺された、という事にするつもりじゃ」
「そうですか‥‥‥ありがとうございます」
「なに、大谷の子供たちのためじゃ」
「はい‥‥‥」
「しかし、竜王丸殿をさらうという件、まんざら、嘘でもなさそうじゃのう。天野氏とやらは、その位の事をたくらんでおるかもしれん」
「まさか」
「勿論、竜王丸殿をさらうとは言わん。駿府は危険じゃからと言って遠江に移すと言い出すじゃろう。腹黒い天野氏の事じゃ。竜王丸殿を急に自分の城へは連れては行かんじゃろう。まず、堀越氏を味方に付けて、堀越城に竜王丸殿を入れる。そうすれば、遠江にいる今川衆は皆、竜王丸殿をお屋形様として集まって来るに違いない。うまくすれば、今の竜王丸派の重臣たちも集まるかもしれん。そうなると、今川家が二つに分かれる。争いが始まれば、最も勢力のある天野氏が主導権を握るという事になろう。竜王丸殿を飾りにして天野氏は益々、大きくなれるというものじゃ」
「そして、駿府に攻めて来るのですか」
「いや。天野氏にとって駿府を取る事は二の次じゃ。まず、遠江の国を全部、我物とするじゃろうな」
「竜王丸殿を飾りにして自分の勢力を広げるとは‥‥‥途方もない事を考えるものですね。わしらにはとても考えられん事じゃ。天野氏は今度はどんな手で来るんでしょう」
「さあな。そいつは分からんのう‥‥‥待てよ。奴らが昨日の朝もここに来たと聞いた時、昨日も殺す気じゃったが、大谷が屋根の上におったので諦めたんじゃろうと思ったが、昨日の朝は殺す気はなかったのかもしれん。ただ、様子を見に来ただけだったのかもしれんのう。昨日の夜、大谷が長沢の屋敷に行った。そして、騙されたと気づいた。それでも、まだ、威せば使えると思った。しかし、大谷の後を才雲と孫雲が付けていた事に知り、大谷が疑われている事に気づいた。そこで、大谷が天野氏の事を喋る前に口を封じたという事になる。そうなると、昨日の夜、大谷の家を訪ねたそなたも敵に見られておるという事になる。敵は今度、そなたを殺そうとするかもしれんぞ」
「わしをですか。わしを殺す気なら、昨日の夜に襲う事もできたはずです。別に何事もなく家に帰りましたが」
「敵も襲えなかったのじゃろう。そなたはかなりの使い手じゃろう。しかも、大谷の家からそなたの屋敷までの途中には大手門があり、その近辺には夜警の御番衆がかなりおる。さらに、二の曲輪に入ってからは、丁度、両天野氏の屋敷の前を通るじゃろう。そんな所で騒ぎを起こせば天野氏が疑われる可能性もあるというわけじゃ。それに、そなたの家の回りには御番衆の頭の屋敷が並んでおる。そんな所でも騒ぎは起こせまい。となると、この北川殿が危ない。そなたは今日は夜勤じゃろう。今晩、敵は、そなたの命を狙って来るとみていいじゃろうな」
「今晩ですか‥‥‥来ますかね」
「そなたを殺すのが第一の目的、第二の目的は北川殿に恐怖を味わせ、お屋形様の候補の座から下りてもらう事じゃ」
「と言う事は、わしだけを殺しに来るのではないのですね」
「多分な。手当り次第に斬って来るじゃろうな。北川殿と竜王丸殿を殺す事はあるまいが、仲居たちも危ない目に会うかもしれん」
「分かったぞ」と言いながら小太郎が入って来た。「おお。小田殿か、早いのう」
「小太郎、何が分かったんじゃ」
「毒を持って来た奴じゃよ」
「なに?」
「秋葉山の山伏じゃ。秋葉山の山伏がお屋形内に潜伏して活動しておるに違いないわ。今日の六人の御番衆も奴らかもしれん」
「突然、何を言っておるんじゃ。秋葉山の山伏が、何で、こんな所におるんじゃ。仮に駿府に来たとしても、そう簡単に、この屋形内に入れるわけがなかろう」
「天野氏はここに来る時、兵を引き連れておったじゃろう。その中に山伏がおったんじゃ。天野氏の家臣として、すでに入っておるんじゃよ」
「そうか‥‥‥確かに天野氏の本拠地、犬居城は秋葉山のすぐ側じゃ。山伏を使うのは当然の事と言えるのう。というと、今回の毒殺騒ぎの裏に奴らがおると言うのか」
「間違いないわ」
「となると今晩、攻めて来るのも山伏とみてよさそうじゃのう」
「なに? 敵が今晩、攻めて来るのか」
早雲は小田に話した事をもう一度、小太郎に話した。
「うむ、あり得るのう‥‥‥今晩か‥‥‥楽しみじゃ」
小太郎は、「寝るわ」と言って出て行った。
「小田殿、今晩、夜警をする者たちに武装して来るように伝えて下さい」
「昼間の者たちも夜に回した方がいいですか」
「いや。そのままでいい。みんなで徹夜をしたら、明日の昼、守る者がおらん事になってしまう。それこそ敵の思う壷じゃ」
「分かりました」
「小田殿も帰って、少し寝た方がいいかもしれんのう」
小田は頷くと出て行った。
早雲は腕組みをしたまま座り込んでいた。頭の中では、夜襲の後、どうするか、と先の事を考えていた。
9
夜は深まっていた。
シーンと静まり返っているが、北川殿内にいる者たちは皆、武装したまま起きていた。
早雲は絶対に今夜、敵は襲撃して来ると予想した。
小太郎も早雲に同意して作戦を練った。夜、しかも、狭い屋敷内なので、飛び道具は使わないようにした。最悪の場合、敵が火矢を射る事も考えたが、お屋形様の屋敷の隣にある北川殿に火を掛けるはずはなかった。今回の敵の襲撃は、ただの威しにすぎないだろう。素早く何人かを傷付け、素早く逃げるに違いなかった。まごまごしていたら夜警をしている御番衆に捕まってしまう。捕まってしまえば、北川殿を襲撃した事によって、勿論、命はないが、裏で糸を引く者の正体が駿府中にばれてしまう事になる。敵としては絶対に捕まるわけにはいかない。素早く攻撃して、素早く逃げなければならなかった。こちらとしても、一瞬のうちに敵を倒さなければならなかった。
しかし、敵がどこから来るのかが分からなかった。天野屋敷は二の曲輪内にある。夜中に二の曲輪から本曲輪に来るという事は考えられない。本曲輪と二の曲輪をつなぐ大手門には大勢の御番衆が詰めていて、用のない者は通さない。まして、徒党を組んで入れるわけはなかった。という事は、すでに昼のうちから本曲輪内のどこかに潜入しているという事になるが、それがどこなのか、まったく見当も付かなかった。
小太郎は道賀亭が怪しいと思って、夕方、一回りしてみたが、曲者が隠れている気配はなかった。この前のように一時的に隠れる事はできるが、何時間も隠れているのは難しそうだった。
北川殿は表門、裏門、共に厳重に閉ざされていた。お屋形様の屋敷に通じる門も、お屋形様の屋敷側、北川殿側両方とも閉ざされている。そして、表門、裏門とも濠に架かる橋には鉄菱が撒いてあった。
表門の内側に北川衆の小田と山本、裏門の内側に村田と中河が武装して待機している。裏門の側の蔵の上に才雲が座り込んで外を見張り、台所の入口の前では富嶽が酒樽に腰掛け、裏門から表門に向かう通路となる屋敷の北側に、莚を敷いて荒木兵庫助が刀を抱いて寝ている。侍部屋の中では非番の吉田と山崎が武装したまま仮眠を取り、その屋根の上では小太郎が腹ばいになって表通りを見張っていた。屋敷の玄関の前に多米権兵衛が槍を抱えて座り込み、廐の屋根の上では孫雲が風流に下弦の月を眺めている。北川殿の居間の前の縁側に早雲が寝そべり、荒川坊は鉄の棒を持って庭園の南西隅に立っていた。
屋敷の中の奥の間では、北川殿母子を中心にして仲居たちが囲み、侍女の萩乃と菅乃、仲居の和泉、春雨とお雪の五人が白い鉢巻を頭に巻いて、小太刀(コダチ)を腰に差し、薙刀(ナギナタ)を構えて守りを固めていた。
準備は完了したが、一体、敵はどこから入って来るのか。
早雲は縁側に寝そべって、月を眺めながら考えていた。
時はゆっくりと流れていた。
もうすぐ、夜明けとなる時刻だった。丁度、気の緩(ユル)む頃だった。小太郎はみんなの所を回って、何事が起こっても決して部署を離れるな、と言った。
「いつもと変わりません」と孫雲が廐の屋根から小太郎に言った。「御番衆がウロウロしています。警戒が厳重で、こんな中、敵が攻めて来るとは思えませんが‥‥‥」
「もう少しで夜が明ける。夜明け前というのが一番危険なんじゃ。わしらだけでなく、御番衆たちも一安心して、気が緩むんじゃ。すっかり明るくなるまで気を緩めるんじゃないぞ。ちょっとした油断が命取りになるからのう」
小太郎は早雲のいる縁側に向かった。早雲は肘(ヒジ)枕をして横になっていた。
「敵はどうやって来るかのう」と小太郎は早雲に声を掛けた。
返事はなかった。
小太郎は早雲の顔を見た。微かな寝息が聞こえた。
「図太い野郎だ」と言うと、小太郎は庭園の隅にいる荒川坊に声を掛け、自分の部署、侍部屋の屋根の上に向かった。廐の前を通ると、また、孫雲が声を掛けて来た。
「キヨメの奴らが入って来ました」
「そうか、奴らに化けてるかもしれん。よく見張ってろ」
キヨメというのは、夜が明ける前、駿府屋形内の掃除を担当している河原者であった。彼らは阿部川の河原に住み、駿府屋形の掃除を初め、糞尿(フンニョウ)の処理、庭園の整備、井戸掘り、濠の中のゴミ拾いなどの雑用をやらされていた賤民(センミン)たちであった。小太郎はお雪にせがまれ、数日間、その河原者たちの病人を治療していた事を思い出した。お屋形様が急に亡くなってしまったため、その事もできなくなってしまった。河原者の頭とも仲良くなれたが、当分、行けそうもなかった。
「女が走って来ます」と孫雲は言った。
「女? どんな女じゃ」と小太郎は聞いた。
「ええと、綺麗な女です」
「馬鹿者、河原者の女か、と聞いておるんじゃ」
「いえ、違います。かなり身分の高い女のようです。河原者たちに追われているようです」
「おかしいのう。どうして、今頃、そんな女がウロウロしておるんじゃ」
「女がこっちに来ます」
「助けて!」という女の悲鳴が聞こえた。
「橋を渡って、門の側まで来ます」
「喚(ワメ)いておるか」と小太郎は聞いた。
女が門をたたきながら、「助けて!」と叫んでいた。
「はい。喚いています。河原者たちも門に近づいて来ます」
「違う。鉄菱にやられて喚いておるかと聞いておるんじゃ」
「いえ。鉄菱は踏んでないようです。あっ! キヨメの連中が鉄菱を掃いています」
「敵じゃ!」と小太郎は怒鳴った。
その頃、裏門にも河原者たちが近づいていた。
蔵の上から才雲が眺めながら、「キヨメが来ました」と裏門を守る村田と中河に言った。
「もうすぐ、夜明けじゃ。何事も起こらんようじゃな」と村田は言った。
「早雲殿の取り越し苦労だったみたいですね」と中河は笑った。
四人の河原者が竹ぼうきで、通りを掃きながら近づいて来ていた。その中の一人が裏門の前の橋の上の鉄菱に気づき、橋の上を掃き始めた。
「おい。それは掃かなくてもいい」と才雲は怒鳴ったが、河原者は構わず掃いていた。
やがて、三人の河原者も近づいて来て、鉄菱の掃かれた橋を渡って来た。
「敵だ!」と才雲は怒鳴って、蔵から飛び降りた。
河原者たちは塀の下の鉄菱も掃いて濠の中に落とし、塀を乗り越えて侵入して来た。
表門の河原者も同じように塀の下の鉄菱を掃き落とし、塀を乗り越え侵入して来た。さらに、お屋形様の屋敷の裏門の橋を渡って、土塁に沿って、お屋形様の屋敷と北川殿をつなぐ橋を渡り、塀の下の鉄菱を掃き落として塀を乗り越え、南側の庭園に侵入して来た者もいた。
河原者たちは竹ぼうきの中に武器を隠していた。ほうきの柄がそのまま六尺棒だったり、鉄の棒だったり、槍や薙刀や太刀が隠してあったりした。
表門に侵入した五人の河原者を相手に、小田、山本、多米、山崎、吉田が当たり、裏門の四人には、村田、中村、才雲、荒木が当たり、南側の庭園に侵入した四人に、荒川坊、早雲、小太郎、孫雲が当たった。
表門では、小田は太刀で薙刀を構える敵を袈裟斬りにし、多米は槍で鉄棒を持つ敵の胸を突き、山崎は苦戦の末、多米に助けられながらも、見事に敵の首を斬り上げた。吉田は薙刀を持って、女に扮していた敵と戦い、苦戦していたが、小田に助けられた。山本は顔を斬られ、危うくやられそうになったところを小太郎に助けられた。
庭園側の四人はすぐに片付いた。小太郎と早雲がそれぞれ一刀のもとに倒し、荒川坊は鉄棒で敵の頭を砕き、苦戦していた孫雲を助けた。
裏門の敵が一番しぶとかった。まず、中河が喉元を槍で突かれて即死した。中河を殺した敵は仲居たちの部屋と庭園とを仕切っている塀を蹴破って、庭園側から屋敷に侵入しようとしたが、早雲がそれを阻(ハバ)んだ。槍を持った敵は早雲と斬り合いを始めたが、腕は早雲の方が数段上だった。敵は早雲に右腕を斬り落とされ、刀の柄頭(ツカガシラ)で眉間(ミケン)を殴られて気絶した。村田も右腕の付け根を薙刀で斬られて倒れた。村田を斬った敵は台所から屋敷に侵入しようとしたが、台所の入り口を守る富嶽と戦い、富嶽に手首を落とされた後、腹を蹴られて気絶した。荒木は一人の敵を倒し、左腕を斬られた才雲を助けようとして、敵の槍に右足を刺された。怒った荒木は唸りながら敵に突進して、敵の首を斬り落とした。斬られた首は塀を飛び越えて濠の中に落ちた。
一瞬の出来事だった。
小太郎と早雲は各部署を見回った。
侵入して来た敵は全部で十三人、そのうち死んだのは八人いた。無事に逃げた者は一人もいない。五人が気絶していた。
身内では中河が喉を突かれて即死、村田が右腕を肩から斬られて重傷を負った。山本は顔を斬られ、荒木は右足を突かれ、荒川坊は右腕を斬られ、才雲は左腕を斬られ、孫雲は右肩を斬られていたが、皆、軽傷だった。
小太郎はお雪と共に治療に当たった。
富嶽と多米らは気絶している敵を縛り、小田は御番衆に知らせに行った。
早雲は気絶していた者を起こし、何者だ、と尋問したが、敵はふてぶてしい顔をしたまま話そうとはしなかった。多米が早雲と代わり、槍の石突で突きながら尋問したが敵の口は堅かった。
やがて、御番衆と一緒に本物の河原者がやって来て、死体と縛られた敵を引き取って行った。
「一体、何者なんじゃ、こいつらは」と河原者たちに化けて、武器を片手に死んでいる者を眺めながら、本曲輪を守る四番組の頭、入野兵庫頭が言った。
「それはこっちが知りたいわ」と早雲は言った。
「しかし、北川殿に潜入するとは、まったく、ふてえ野郎じゃ。やはり、竜王丸殿を狙っていたのじゃろうか」
「じゃろうのう」
「ついさっきも、河合備前守殿の屋敷で一騒ぎあったばかりです」
「備前守殿の屋敷で何かあったのか」
「ここ程じゃまりませんが、門番の一人が殺されました」
「門番が殺された?」
「はい。女が助けてくれと来て、門を開いた途端、女を追って来たと思われる曲者に殺されました」
「その女は?」
「女も曲者も消えました。消えましたが、この本曲輪内にいる事は確かです。あれだけ、厳重に見回りをしているというのにこの様じゃ。信じられん事じゃが、曲者は重臣たちの屋敷に潜伏しているとしか考えられん。第一、ここを襲うなどという事は、裏に余程の大物が隠れて糸を引いているという事です。わしらの手に追える相手ではなさそうです。こいつらを御番所に連れて行っても、上から圧力が掛かって取り調べる事もできないでしょう」
「そうか‥‥‥」
「それに、御番衆の内部でも、それぞれの派閥に分かれて、陰に隠れてこそこそやっています。今回も、こいつらを手引きした者が、御番衆の中にいたのかもしれん。疑いたくはないが、その可能性も充分に考えられるのです」
「御番衆もか‥‥‥」
兵庫頭は頷いた。兵庫頭は数人の御番衆を北川殿の回りに配置すると帰って行った。
夜が明けて来た。
小太郎が近づいて来た。
「身内の方はどうじゃ」と早雲は聞いた。
「村田が危ない。血が止まらん。多分、駄目じゃろう」
「そうか‥‥‥駄目か‥‥‥」
村田は京から北川殿に付いて来た伊勢家の侍だった。十五になる娘がいて、そろそろ、嫁に出さなくてはならないが、父親としてどうしたらいいか、と相談された事があった。駿河はいい国じゃ、駿河に来て本当によかったと笑いながら早雲に言った事もあった。まさか、こんな事で亡くなる事になろうとは‥‥‥無念でたまらないだろう。
「中河は即死。あとの者は皆、大した事はない。かすり傷のようなものじゃ」
早雲は庭に落ちている槍を見つめていた。
中河の喉を刺した槍だった。
「逃げるか‥‥‥」と早雲はポツリと言った。
9.小河屋敷
1
ひばりが鳴きながら飛んでいる。
庭先に咲く菜の花には、紋白蝶が飛び回っている。もうすぐ、桜の花の咲く時期だった。
早雲は二人の弟子を連れて、久し振りに早雲庵に戻って来ていた。
誰もいないはずの早雲庵には、相変わらず、住み着いている者たちがいた。ところが、今回、住み着いている者たちは、いつもと趣(オモムキ)の変わった者たちだった。人相の悪い連中たちが早雲庵を占領していた。
住み着いていたのは二年前に早雲庵を襲った山賊たちだった。在竹兵衛(アリタケヒョウエ)と名乗る頭の率いる十三人の山賊たちが早雲庵を占領していた。
在竹兵衛は早雲の顔を見るとニヤッと笑って、「遊びに来たぜ」と言った。
早雲は山賊たちを見回した。
皆、ニヤニヤしながら早雲を見ていたが、何となく、その目付きは以前のように凄みはなく、穏やかに感じられた。
「よく来たな、と歓迎したいところじゃが、悪いが、今は遊んでおる暇はないんじゃ」
「まあ、そう言うな」と在竹もニヤニヤした。
早雲が庵の中に入って行くと、皆、ぞろぞろと付いて来た。
早雲が囲炉裏の側に腰を下ろすと、在竹は正面に座り、他の者たちは土間に座り込んだ。
「何の真似じゃ。何もそんな所に座らなくてもいい。好きに上がれ」と早雲は言ったが、山賊たちは土間に座ったまま早雲を見上げていた。
「おぬしが忙しい事は知っておる」と在竹は言った。「わしらも仲間に入れて貰おうと思って、こうしてやって来たわけじゃ」
「仲間に? 何の仲間じゃ」
「とぼけるな。おぬしが何やら動いている事は知っておる。それも、わしらがやってるような、けちな事じゃねえ。どでかい事をやっておるんじゃろう」
「どでかい事か‥‥‥そうかもしれんが、今のところ、山賊は間に合っておる」
「まあ、最後まで話を聞いてくれ。わしらも初めから山賊だったわけじゃねえ。成り行きに身を任せていたら、こうなっちまったというだけじゃ。わしらは皆、元は武士じゃ。戦で主家をなくして、食い詰め浪人となったんじゃ。似た者同士が集まって、山賊稼業を始めた。自慢するわけじゃねえが、わしらは今まで弱い者いじめをした事はねえ。狙う相手はいつも、あくどい奴ばかりじゃ。わしらも初めのうちは、それで満足していた。わしらのお陰でちったあ、今の世がましになるじゃろうと思ってな。しかし、せこい事をやっておる事に気づいたんじゃ。小悪党をやっつけた所で世の中が変わるわけがねえ。そんな事はただの自己満足に過ぎねえってな‥‥‥山の中に隠れて暮らすのにも飽きて来たんじゃ。つまらん事で死んだ仲間も何人かいた。くだらん死に様じゃた。どうせ死ぬのなら、もっと、どでかい事をやりたくなったんじゃ。そこで、こうして、ここに来たわけじゃ」
「どでかい事をするのに、どうして、ここに来るんじゃ」
「わしらも馬鹿じゃねえ。今、駿府(スンプ)のお屋形で何かが起きてるという事は気づいておる。何が起きてるのか知らねえが、ただ事ではねえ事は確かじゃ。今川家の重臣たちが皆、駿府に集まり、一向に帰る気配がねえ。戦の作戦でも練っておるのかとも思ったが、どうも、そうじゃねえらしい。となると答えは一つ、お屋形様の身に何かが起こったに違いねえ。お屋形様が寝込んだとなると、家督争いが起こるのは確実じゃ」
「おい、待て、どうして家督争いが起こるのが確実なんじゃ」
「そんな事は誰でも分かるわ。お屋形様の嫡子、竜王丸殿はまだ六つじゃと聞く。そして、お屋形様の下には二人の弟がおる。その二人の仲が悪い事は評判じゃ。仮にお屋形様の座は竜王丸殿に決まったとしても、その後見役を誰にするかというので争いは始まる。それに、今の地位に不満のある重臣どもが、お屋形様に気に入られていた重臣たちと対立するのも目に見えておるわ‥‥‥そこで、わしらはここに来てみた。おぬしがここで、のんびり昼寝でもしておれば、わしらの勘ぐりははずれた事になるが、もし、おぬしがいなかったら、家督争いが始まったに違いねえとみたんじゃ‥‥‥案の定、ここには誰もいなかった‥‥‥」
「成程な」と早雲は在竹を見ながら苦笑した。
「早雲殿、おぬしは不思議な男じゃのう」と在竹は言った。「二年前、初めておぬしと会った時、何となく、おぬしとは縁がありそうな気がしたんじゃ。それはわしだけではない。おぬしたちに打ちのめされた奴らも、おぬしを恨むどころか、事ある事におぬしの噂をしておったわ‥‥‥時折、駿河に戻って来て、わしらは遠くからここを見る。いつも、大勢の者たちに囲まれて楽しそうにやってるおぬしを見て、皆、心の中では自分もあの中に入りたいと思っていたんじゃ。しかし、口に出す者はいなかった。そして、今回、駿府のお屋形がおかしいと気づいた時、誰もがここに行こうと言い出した。おぬしが何かを始めていたなら、おぬしを助けようと全員の意見が一致したんじゃよ。わしらみんなが、おぬしならきっと何か、でかい事をやるに違いねえと思ったんじゃ‥‥‥早雲殿、頼む、わしらの頭になってくれ」
在竹兵衛は姿勢を改めると頭を下げた。
在竹の後ろに控えていた十三人の男たちも一斉に、「お願いいたします」と頭を下げた。
早雲は山賊たちを見回した。
山賊たちは早雲の返事を待って、早雲の顔を見つめていた。一癖も二癖もありそうな人相が並んでいたが、早雲を見つめる目は真剣だった。皆、本心から早雲のために命を賭けようとしている事が伝わって来た。
「確かに、今、わしは人手が欲しい。本当にわしのような者について来てくれるのか」
在竹兵衛は早雲を見つめながら頷いた。
早雲も頷き、「分かった」と言った。「みんなの命はわしが預かる事にする」
「やった!」と山賊たちは両手を上げて喜び合っていた。
「ただし」と早雲は付け足した。「今のわしは竜王丸殿の執事という事になっておるが、領地というものは持っておらん。おぬしたちを食わして行く事はできん。わしが今まで、この地で生きて行く事ができたのは、この辺りの村人たちのお陰なんじゃ。村人たちの相談に乗ってやり、その見返りとして食べ物を貰って来た。おぬしたちもここにおる限りは村人たちの役に立ってくれ。それができない者はここから去る事じゃ」
「それは大丈夫じゃ。もう実行している」と在竹は言った。
「なに?」
「早雲殿が留守の間、色々な者が訪ねて来たが、奴らなりに結構、相手をしておったわ」
「ほう、村人たちが怖がって誰も近づかなかったに違いないと思っておったが、相変わらず、来ておったのか」
「ああ。朝早くなど起きた事のない連中が、海に行って漁の手伝いをしたり、湊の荷揚げの手伝いに行ったり、村に行って垣根を直したり、毎日、慣れない事に汗をかいて働いておる。ここにいる限り、早雲殿の顔を汚すわけには行かんからのう。今まで、人のために何かをやるなんて、した事のない連中じゃが、結構、楽しくやってるようじゃ」
「そうか」と早雲は土間に座っている者たちの顔を眺めた。確かに、以前と目つきが変わっていた。村人たちのために働いていたのは本当のようだった。
「そこまでやってくれておるなら、充分にここにいる資格はありじゃ。みんな同じ仲間じゃ。よろしく頼むぞ」と早雲は彼らに頭を下げた。
正式に、早雲から早雲庵にいる事を許された山賊たちは、早雲庵の南側の一段低くなっている地をならして自分たちの住む庵を建て始めた。早雲は、何も改めて庵を建てる事などない。部屋は空いているのだから、そこを使えばいいと言ったが、古くからここにいる者たちの部屋を占領するわけにはいかないと、早雲が帰って来てからは、一度も、部屋の中で寝ようとはしなかった。仕方なく、早雲も許して、彼らは庵を作り始めた。
朝早くから日が暮れるまで汗を流しながら庵作りをしている山賊たちを見ながら、変われば変わるもんじゃ、と感心しながら早雲は眺めていた。村人や湊の人足たちも手伝いに来て、和気あいあいと仕事に励んでいた。
在竹兵衛率いる山賊たちは皆、おかしなあだ名で呼び合っていた。在竹の事は皆、お頭と呼び、在竹の言う事には絶対に逆らわなかった。確かに、在竹は頭と呼ばれるだけの凄みと貫禄があった。二年前、早雲たちを宇津ノ谷峠で襲った四人組は、『師匠』『薬師(クスシ)』『造酒祐(ミキノスケ)』『軍師』と呼ばれていた。
富嶽に槍を奪われた男は薬師と呼ばれ、山菜や薬草に詳しいらしい。食う物がない時は、薬師が山菜を取って来てくれたので助かったと言う。
山羊髭(ヤギヒゲ)の男は師匠と呼ばれ、色々な事を知っているらしい。
腕をポリポリ掻く癖のある男は軍師と呼ばれ、いつも、この男が作戦を立てて、人を襲っていたと言う。
多米(タメ)にやられた剣術使いは造酒祐と呼ばれ、酒なしではいられない呑兵衛(ノンベエ)だった。その他に、今回の庵作りの中心になっている『普請奉行(フシンブギョウ)』と呼ばれる男や、下手な狂歌を歌う『雅楽助(ウタノスケ)』、銭勘定(ゼニカンジョウ)の達者な『勘定奉行』、坊主頭に数珠(ジュズ)を首から下げている『入道』、下手な笛を吹く『笛吹き』、物真似上手な『猿楽(サルガク)』、柄(ガラ)にもなく字がうまい『祐筆(ユウヒツ)』、喧嘩っ早い『喧嘩屋』、左利きの『ぎっちょ』がいた。皆、一癖も二癖もある面白そうな連中だった。
早雲庵は相変わらず、賑やかだった。
北川殿に河原者たちの襲撃があってから三日が過ぎた。
北川殿母子はひそかに駿府屋形から逃げ出して、山西(ヤマニシ)の長谷川次郎左衛門尉(ジロウザエモンノジョウ)の小河(コガワ)の屋敷に避難していた。
御番所に連れて行かれた河原者たちは、寺社奉行の三浦石見守(イワミノカミ)からの命令で取り調べを受ける事なく殺された。河原者たちの処分は寺社奉行の管轄だったが、御番衆が寺社奉行に知らせるよりも早く、寺社奉行から河原者たちを引き取りに来た。御番衆(ゴバンシュウ)は真相を突き止めるために引き渡す事を拒んだが、もし、今回の騒ぎが公に知れ渡った場合、事は重大な事となる、と言われ、拒む事はできなかった。
「北川殿が襲われ、北川衆が殺されたという事は、本曲輪の警固に当たっておった四番組の名誉に関わるだけでなく、責任者の切腹という事も充分に考えられる事じゃ。また、当寺社奉行としても、河原者が北川殿を襲ったとなれば責任を取らなくてはならなくなる。そこで、今回の騒ぎはなかった事にする。北川殿を襲った河原者などおらなかったんじゃ。亡くなった北川衆は病死という事にする。勿論、これはわしだけの考えではない。上からの命令じゃ」と石見守は言って、河原者たちを引き取って河原に連れて行き、そこで首をはねてしまった。
三浦石見守というのが、どこの派閥に属しているのか分からないが、小鹿逍遙の命令で動いたのに違いなかった。逍遙の立場からすれば、裏で糸を引いている者の正体は知りたいが、それが公表された場合、騒ぎが大きくなって、戦にまで発展してしまう事を恐れたのだった。北川殿が襲撃されたという事実は抹消された。
河原者に腕の付け根を斬られた村田はその日のうちに出血多量で亡くなった。村田と中河の二人は病死という形で片付けられてしまった。
早雲はその騒ぎの後、駿府屋形から去る事を決め、北川衆、侍女、仲居らを集めて、この先、さらに危険な事が起こるだろうから、去りたい者は遠慮せずに去るように勧めた。乳母の船橋と仲居の嵯峨の二人が北川殿から去って行った。あとの者はたとえ死んでも、北川殿と竜王丸を守ると誓い、留まった。
北川殿はその日、浅間神社に今川家の安泰を願うためにと称して参拝に行った。北川殿母子は例の牛車(ギッシャ)に乗り、北川衆に守られて浅間神社に向かった。参拝の帰り、一行は小太郎の家に立ち寄った。北川殿の牛車がみすぼらしい小太郎の家に入ったので、何事だと回りの者たちが集まって来た。
「ここにおられる風眼坊殿というお方は、今でこそ、こんな町中に住んでおられるが、京の都でも有名なお医者様じゃ。北川殿は風眼坊殿がここにおられると聞いて、こうして、やっていらしたのじゃ」と門前で警固に当たっていた小田は説明した。
町人たちは驚いて、家の中を覗こうとしたり、さっそく知り合いに知らせに走ったりして、やじ馬の数はどんどん増えて行った。
北川殿は四半時(シハントキ、三十分)程して出て来ると、そのまま、お屋形内に帰って行った。
北川殿がいなくなると小太郎の家は人で埋まっていた。今まで誰も見向きもしなかったのに、北川殿が一度、訪ねて来ただけで、これだけの人が集まるとは、やはり大したものだった。小太郎とお雪の二人はその日、大忙しだった。
その頃、北川殿に戻っていたのは、北川殿に扮していた春雨と竜王丸に扮していた寅之助だった。本物の北川殿母子は町人の格好になって、小太郎の家の裏口から抜け出し、仲居の瀬川、早雲、富嶽、多米、荒木、孫雲、才雲に守られ、門前町を抜けて山西の長谷川次郎左衛門尉の小河屋敷に向かっていた。勿論、徒歩だった。北川殿にとって五里も歩くのは初めての事だったが、物見遊山(モノミユサン)をしているつもりになって楽しそうだった。美鈴も竜王丸も嬉しそうに走り回っていた。千代松丸も瀬川の背中で喜んでいた。
その日は無理をせずに鞠子(マリコ)の斎藤加賀守の屋敷に泊まり、次の日、小河屋敷に着いた。
小河屋敷は小河城、または長者(チョウジャ)屋敷とも呼ばれ、平地にあったが濠と土塁に囲まれ、本曲輪と二の曲輪に分かれた堂々たる城郭だった。東側の大手門から入るとそこが二の曲輪で、左側に大きな廐があり、曲輪内は塀で二つに分かれている。塀の中央にある中門をくぐると正面に大きな屋敷があり、右側には侍長屋があって、家臣を初め大勢の浪人たちが居候(イソウロウ)していた。二の曲輪にある屋敷には次郎左衛門尉の息子、伊賀守元長が住んでいた。伊賀守はまだ二十二歳だったが、次郎左衛門尉の跡継ぎにふさわしい文武共に優れた若者だった。
本曲輪に行くには中門をくぐらず、塀に沿って真っすぐに進み、石段を登ると本曲輪の正門があった。本曲輪には主殿、客殿、庭園、常屋敷などがあり、裏の方には台所、蔵、遠侍(トオザムライ)、侍長屋などがあった。
北川殿母子は客殿に入った。北川殿と共に来た仲居の瀬川は次郎左衛門尉の娘だった。
瀬川は一度、嫁に行ったが亭主が戦死し、小河屋敷に戻って来ていた。そんな時、北川殿が京から来たため、北川殿に仕える事となった。瀬川がこの屋敷に帰って来たのは、三年振りだった。三年前に祖父が亡くなった時、休みを貰って帰って来たが、それ以来、なかなか帰って来る事はできなかった。瀬川は自分の実家で北川殿を守る事となり張り切っていた。
北川殿を守って小河屋敷に来た富嶽、多米、荒木の三人は北川殿に戻り、代わりに春雨、寅之助、北川衆の吉田、山崎が小河屋敷に移った。侍女や仲居衆も何人かに分かれて、北川衆に守られて皆、小河屋敷に移動した。
北川殿に残ったのは北川衆の小田、清水、小島の三人と侍女の菅乃、仲居の和泉、三芳、そして、富嶽、多米、荒木、荒川坊だけとなった。小田、清水、小島の三人は家族がお屋形内にいるため、簡単に小河屋敷に移る事はできなかったし、お屋形内の状況を知るためにも残っていた方が良かった。侍女の菅乃と仲居の二人も北川殿と一緒に行きいようだったが、客の取り次ぎをして貰うために侍女の一人は必要だったし、不意の客が訪ねて来た時、ちょっとした料理を出して貰うためにも、勝手をよく知っている仲居二人には残って貰った。
小太郎とお雪の二人は北川殿が来て以来、町医者が忙しく、突然、閉めるわけにも行かないので、昼間は町医者をやり、夕方、客がいなくなると、こっそり、北川殿に来て朝になると、また家に帰って行った。
北川殿が小河屋敷に移ったのは内密に行なわれ、この事を知っていたのは小河の次郎左衛門尉、斎藤加賀守、朝比奈天遊斎、五条安次郎の四人だけだった。他の重臣たちは北川殿が駿府から出て行くとは思ってもいなかった。長老の小鹿逍遙にも知らせようと思ったが、伜の新五郎に知られてしまう可能性もあるので、気が付くまでは知らせない事にした。
北川衆、侍女、仲居衆たちの移動が無事に終わると、早雲は弟子二人を連れて早雲庵に帰り、駿府と小河屋敷の動向を見守っていた。弟子の二人はその日から交替で、小河屋敷と駿府を往復して状況を早雲に知らせるのが日課となり、早雲の方は以前のごとく、早雲庵を訪ねて来る者たちの相手をしていた。
お屋形様の屋敷の評定は相変わらず進展しなかった。北川殿を襲撃した河原者を裏で操っていたと思われる天野氏も、あれ以来、鳴りを潜めているようだった。
早雲が早雲庵に戻って来てから四日目、二月二十七日の夕方、中原摂津守の屋敷が燃えるという騒ぎが起こった。幸いに負傷者は出なかったが屋敷の半分以上が燃え、付け火の下手人は捕まらなかったという。中原摂津守は屋敷が焼けたため、お屋形様の屋敷に移ろうとしたが、小鹿新五郎、河合備前守らに止められ、仕方なく、本曲輪の南西にある客殿、清流亭に移った。
北川殿における仲居の毒殺、小鹿屋敷の仲居の毒殺、北川殿の河原者の襲撃は消されたにしろ、続く、中原屋敷の火事と騒ぎが続いたため、本曲輪を守っている四番組の職務怠慢が話題となり、まだ、交替には早かったが、急遽、三番組と交替する事となってしまった。
三番組の頭は葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)だった。小鹿派の中心、葛山播磨守の弟で、備後守率いる三番組は御番衆の中でも一番の兵力を持っていた。本曲輪の警固が代わった事によって、本曲輪内の動きがまったく分からなくなり、さらに三月になって、二の曲輪の警固が二番組に代わると二の曲輪の情報も入らなくなってしまった。
二番組の頭は蒲原左衛門佐(カンバラサエモンノスケ)で、河合備前守派の蒲原越後守の弟だった。間違いなく備前守派で、北川殿に情報を流すはずがなかった。北川殿は孤立した状態となっていた。
桜の花が満開となり、浅間神社の境内が花見客で賑わう頃となっても、今川家の跡目は決まらなかった。毎年、恒例のお屋形様主催の花見の宴も今年はなく、その頃になって、城下の者たちや浅間神社の門前町に住む者たちが、お屋形様の事を噂し始めた。
お屋形では、戦での戦死者が予想以上に多かったため、今年の花見の中止にする、と触れさせたが、町人たちは、お屋形様の身に何かが起こったに違いないと噂し出した。亡くなったとは思ってはいないが、重い病気に罹って、寝込んでいるに違いないと思っている者が多かった。
早雲庵に出入りする村人たちの噂にも、お屋形様の事が中心になっていた。訪ねて来る誰もが、お屋形様の事を心配して早雲に尋ねた。早雲はその度に、お屋形様は何でもない。今、遠江に進撃するための作戦を練っている。お屋形様は願をかけて、遠江の国を今川家のものにするまでは酒をお断ちになられた。お屋形様が酒を断ったので、重臣たちもそれに従ったため、今年の花見は中止となった。しかし、来年は盛大に花見を行なう事になろう、と嘘を付かなければならなかった。
夕方になって孫雲が駿府から戻って来た。
早雲庵にはまだ何人かの客がいた。早雲は客の相手を才雲に任せると、孫雲を春雨庵に誘った。
「何か変わった事が起きたか」と早雲は薄暗い庵の中で聞いた。
「特にこれといった事はありませんが、福島越前守(クシマエチゼンノカミ)の屋敷の出入りが激しい模様です」
「福島越前守の屋敷といえば、北川殿のすぐ近くじゃったな」
「はい。廐の屋根の上から正門を見る事ができます」
「うむ。どんな奴らじゃ」
「使いの者たちです。どこからの使いなのかは分かりませんが、今月になってから、やけに多くなって来ています。それと、御番衆の者たちも出入りしているようです」
「御番衆か‥‥‥葛山が陰で動いておるのか」
「分かりませんが、富嶽殿が言うには、葛山だけでなく、隣に屋敷のある岡部美濃守、そして、竜王丸派の朝比奈殿も越前守に誘いを掛けているようです」
「ほう、各派で越前守を取り合っておるのか」
「はい。越前守が動けば、庵原(イハラ)、興津(オキツ)、蒲原(カンバラ)も動く事となります。その四氏を味方に付ければ、どこの派閥でも有利となれます」
「ふむ。福島越前守か‥‥‥」
「越前守がどこに行くかで、局面はすっかり変わってしまうだろうと富嶽殿は言ってました」
「そりゃそうじゃ。越前守が備前守派から抜ければ、備前守を押す者は天野兵部少輔(アマノヒョウブショウユウ)だけとなる。その天野氏も本気で備前守を押しているようには見えん。可哀想じゃが、備前守は候補の座から降りる事となろう」
「そうなんですか」
「多分な」
「それと、天野民部少輔(ミンブショウユウ)が中原摂津守派の岡部五郎兵衛の屋敷に出入りしているようです」
「なに、天野民部少輔が岡部五郎兵衛の屋敷に?」
「はい。清水殿の屋敷のすぐ前が、岡部五郎兵衛の屋敷なんですが、暗くなってから天野民部少輔が岡部五郎兵衛の屋敷に入って行くのを門番が見たそうです」
「本人が直接にか」
「はい」
「民部少輔といえば竜王丸派じゃったな。それが摂津守派の岡部の屋敷に出入りしておるのか。分からんのう」
「噂によると天野民部少輔はかなりの女好きとの事です。富嶽殿の話ですと、弱い立場にいる摂津守派が、天野氏を寝返らせるために女を餌(エサ)に民部少輔を誘っているに違いないと言ってました」
「うむ、女で釣るか‥‥‥兄貴が福島越前を誘い、弟が天野民部を誘っておるというわけか‥‥‥岡部五郎兵衛は二の曲輪内に住んでおったのか」
「はい。小田殿の話によると、岡部五郎兵衛も元、御番衆の頭だったそうです」
「ほう。何番組じゃ」
「今、二の曲輪を守っている二番組です」
「蒲原越後じゃな」
「はい。岡部五郎兵衛が頭だった頃、蒲原は副頭だったそうです」
「ふーむ。つながりがあるわけじゃな。しかし、蒲原の兄貴は備前守派じゃのう。果たして、二番組の頭はどっちの派なんじゃろうのう。複雑で頭がおかしくなるわ」
「はい‥‥‥」
早雲は腕を組んで、しばらく考えていたが、顔を上げると、「ところで、北川殿が消えた事はまだ、誰も気づいてはおらんな」と孫雲に聞いた。
「はい。北川殿を訪ねて来る者たちは決まっておりますから、それに、本曲輪の警固が三番組に変わってから、どこにも騒ぎは起こっていないようです」
「成程、葛山に警固が変わってから何の騒ぎも起きないという事は、今までの騒ぎに葛山も絡んでおったという事かのう‥‥‥しかし、天野と葛山とのつながりは今の所、ないんじゃろう」
「朝比奈備中守殿の話によると、天野氏同士も天野氏と葛山氏もまったく出入りはないそうです」
「そうか‥‥‥」
御番衆の交替があって、今までのように情報がつかめなくなると、富嶽は二の曲輪内に屋敷を持つ北川衆の小田と清水の二人に二の曲輪の情報を探らせた。さらに、竜王丸派の福島左衛門尉、朝比奈備中守、今は勤務に付いていない四番組の頭、入野兵庫頭らも情報収集の手伝いをしてくれた。本曲輪でも竜王丸派の重臣たちが回りの屋敷の様子を探って、北川殿にいる富嶽のもとに情報を流してくれた。それらの情報は孫雲、才雲の二人によって、早雲庵にいる早雲のもとに届けられるというわけだった。
早雲は、重臣たちの名が並んでいる例の紙を眺めながら、「待てよ」と言った。「葛山と天野はつながっておるかもしれん」
孫雲もその紙を覗いたが、早雲の言う意味は分からなかった。
「長沢じゃ」と早雲は言った。
「長沢というのは、殺された大谷が出入りしていた所ですね」
「そうじゃ。奴は三番組の副頭で、天野氏の出身じゃ。三番組の頭は葛山じゃ。天野両氏と葛山播磨守は表立って会う事はないが、長沢を中継ぎとして通じておったんじゃ」
「長沢が中継ぎ‥‥‥」
「つまりじゃ、葛山播磨守が天野氏への言伝(コトヅテ)を弟の備後守に頼む、備後守は長沢に渡し、長沢から天野氏に伝わるという寸法じゃ」
「成程、そんなからくりだったんですか‥‥‥それで、長沢の屋敷に天野氏からの使いの者たちが頻繁に訪ねていたというわけですね」
「そうじゃな。長沢は葛山へと通じる入り口となっていたわけじゃ」
「でも、どうして、天野氏は表だって葛山と組まないのでしょう」
「多分、葛山と天野の狙いは、今川家に家督争いを起こさせる事じゃろう。今川家が家督争いを始めて勢力が弱まれば、お互いに得するからのう。葛山は今川家が争っておる隙に駿河の国を我物にしようとたくらみ、天野の方は遠江の国を我物にしようとたくらんでおる。家督争いを起こさせるには、お互いが同じ派閥に付くよりも、別々の派閥に付いて、戦をするように煽(アオ)った方がいいんじゃよ」
「そうだったのか」と孫雲は納得してから、「そいつは大変だ。早く、富嶽殿に知らせなくちゃ」と顔色を変えた。
早雲は頷いて、「明日の一番に才雲に行って貰おう」と言った。
「俺が今、行って来ます」と孫雲は立ち上がろうとした。
「馬鹿言うな、途中で暗くなっちまうぞ」と早雲が止めたが、「大丈夫です」と言って孫雲は飛び出して行った。
「張り切っていやがる」と早雲は孫雲の後姿を見送りながら苦笑した。
才雲が近づいて来て、孫雲はどこに行ったのかと聞いた。
「北川殿に忘れ物をして来たそうじゃ」と早雲は笑った。
「馬鹿な奴じゃ」と才雲は笑ってから、「ところで、早雲殿、姉御(春雨)はここに戻って来ないのですか」と聞いた。
「ああ。北川殿の侍女になっちまったからな。どうしてじゃ」
「姉御がいなくなったんで、飯の支度が大変なんですよ」
「山賊たちが手伝ってくれておるじゃろう」
「手伝ってはくれますが、はっきり言って、あいつら、うまい物を食った事、ないんじゃないですか。あいつらが作った物はまずくて」
「贅沢言うな。飯が食えるだけ、ありがたいと思え」
「しかし‥‥‥北川殿にいた時の事を思うと、うまい物が食いたいですよ」
「そうじゃな。北川殿の仲居の作った飯はうまかったのう」
「でしょう」
「飯炊き女を置く程、銭はないしのう、当分の間は我慢しろ。状況によっては、北川殿に戻るか、あるいは小河屋敷に行くかもしれん」
「ほんとですか」
「ああ。何が起こるか分からんが、何かが起こる事は確かじゃ。それまで、ここで剣術の腕でも磨いていろ。今度はかすり傷だけでは済まんかもしれんぞ」
「はい」と頷き、才雲は早雲庵の中に帰って行った。
西の山に日が沈みかけていた。
このままでは今川家の存亡に拘わる事となる。東の葛山、西の天野、両氏の思い通りに事を運ばせるわけには行かなかった。今川家を一つにまとめなければならなかった。今までのように、ただ、事の成り行きを見ているだけでは駄目だと思った。自ら動かなければならない時期に来ていると言えた。
早雲は夕日を眺めながら、どうしたらいいのか考えていた。
小河屋敷内の桜が満開に咲いていた。
浅間神社の花見は中止となったが、小河屋敷では北川殿を慰めるために、ささやかな花見の宴が開かれ、北川殿は楽しそうに桜の花の下を子供たちと一緒にはしゃいでいた。毎年、花見には参加していても、いつも雛(ヒナ)人形のように座っているだけで、花弁(ハナビラ)の散る中を思いきり遊ぶ事なんてできなかった。ここに来て、回りの目も気にせずに好きな事ができるのは楽しかった。
北川殿母子は毎日、小河屋敷の客殿でのびのびと暮らしていた。
ここでは、北川殿は本名のお美和殿と呼ばれ、竜王丸は五郎と呼ばれていた。お屋形様に頼まれて、しばらく預かる事となった、京から来た、さる高貴なお方、という事になっていた。小河屋敷に北川殿の顔を知っている者は数人しかいなかった。その数人の者も、着飾って上段の間に座っている北川殿をチラッと見た事あるにすぎない。まさか、北川殿が駿府から逃げて、こんな所に来ていると思う者はいなかった。ただ、北川殿に仕えているはずの瀬川が戻って来ている事を不審に思う者はいたが、瀬川は北川殿に頼まれて、お客様の世話をしているのだと言った。早雲も時々、顔を見せるので、もしや、京の伊勢家に縁(ユカリ)のあるお方に違いないと小河屋敷の者たちは思っていた。
美和は日当たりのいい客殿の縁側で早雲と会っていた。
「早雲殿、駿府の様子はいかがですか」と美和は聞いた。
いつものように兄上様とは呼べなかった。
「はい、特に変わった事は起きていないようです」
「竜王、いえ、五郎の事、皆、お忘れではないのでしょうね」
「はい。朝比奈殿、斎藤殿、長谷川殿、それに遠江の人たち、皆、五郎殿を押しておられます」
「でも、小鹿殿がお強いのでしょう」
「いえ、今の所は小鹿派と五郎殿、河合殿は並んでおると言えましょう」
「そうですか、しかし、お屋形様と仲の良かった備前守殿と摂津守殿が、五郎と争う事になるなんて、今でも信じられません」
「そうですな。欲に囚われて、皆、人が変わってしまったようです」
「五郎の事、お願いしますね」
「はい。お美和殿、何か不自由な事はございませんか」
「いいえ」美和は首を振った。「何となく、ここに来て、のんびりしております。こんなにのんびりとした気持ちになるのは、駿河に来て初めてかもしれません。いいえ、生まれてから初めてかもしれません。わたしはいつも、誰かから見られて暮らしておりました。それが当たり前の事だと思っておりましたので、別に辛くはありませんでしたが、ここに来て、誰からも見られていないと思うと、何となく、ほっとした気持ちになります。こうして縁側に座る事も、ここに来て初めてなんですよ」
「そうだったのですか‥‥‥」早雲は妹を見た。
美和は嬉しそうに笑っていた。
「気持ちいい」と言って眩しそうに空を見上げた。
早雲は、どうしたら今川家を一つにできるかを常に考えていたが、いい考えは浮かばなかった。葛山氏と天野氏をはずして、話し合いの場を設ける事ができればいいのだが、それは不可能に近かった。河合備前守派の福島越前守と中原摂津守派の岡部美濃守を何とかして竜王丸派に誘い、小鹿新五郎に竜王丸の後見をして貰うという線でまとめる以外になさそうだった。その線でまとまれば、葛山は文句を言えないだろう。竜王丸派としても誰かを後見にしなければならないのだから、とりあえずは納得するだろう。
問題は天野氏だった。今川家に内訌を起こそうとたくらんでいる天野氏は、竜王丸派と小鹿派が一つにまとまる事に反対するに違いない。河合備前守を押す天野兵部少輔は、最後まで備前守を押し通す事は考えられる。また、竜王丸派にいる天野民部少輔も内訌を起こすために、中原摂津守派に移るという事も考えられる。天野氏がいる限り、今川家が一つにまとまるという事は考えられなかった。しかし、今の時点で、天野氏を駿府から追い出す事は難しかった。遠江の国で何か騒ぎでも起こり、天野氏の本拠地が危ないという状況にでもなればいいのだが、横地、勝間田氏の消えた今、天野氏に逆らう程の勢力を持つ者はいなかった。
朝比奈和泉守が小鹿派の福島土佐守、長谷川次郎左衛門尉が備前守派の福島越前守と摂津守派の岡部美濃守、斎藤加賀守が摂津守派の由比出羽守と備前守派の庵原安房守、堀越陸奥守が小鹿派の新野左馬助を誘っていたが、皆、そう簡単に誘いに乗っては来なかった。
朝から雨が強く降り、満開の桜の花を散らしていた三月の十二日、お屋形様の屋敷の大広間は揺れていた。
河合備前守派の福島越前守が突然、蒲原越後守、庵原安房守、興津美作守らを引き連れて小鹿新五郎派に寝返った。河合備前守はこんな事をまったく予想もしていなかったらしく狂乱状態に陥り、朝比奈天遊斎らに連れられて屋敷に帰って行った。
次の日も、その次の日も評定の席に河合備前守は姿を現さず、お屋形様候補の座から降りたと思われたが、三日目には晴れ晴れとした顔をして現れ、いつもの通り上座に座った。
備前守が立ち直った裏には天野兵部少輔の動きがあった。天野兵部少輔は二の曲輪内の自分の屋敷から本曲輪内の備前守の屋敷に移っていた。今までは福島越前守が備前守派の中心となっていたため、兵部少輔の出る幕はなかったが、越前守らが抜けた事により、兵部少輔は備前守の軍師的存在となって直接に策を授けているようだった。福島越前守に裏切られ、一時はお屋形様の座を諦めた備前守だったが、兵部少輔に励まされて、もう一度、挑戦する気になっていた。
福島越前守が小鹿派に移った事により、越前守と仲の悪い福島土佐守が、思った通り小鹿派から抜け、朝比奈和泉守の説得もあって竜王丸派に移っていた。
越前守らが小鹿派に移った事により、小鹿派の勢力が竜王丸派を上回ってしまったが、竜王丸派と小鹿派を一つにまとめようと考えている早雲にとっては都合が良くなったと言えた。後は、中原摂津守派の岡部美濃守を竜王丸派か小鹿派に動かす事ができれば、今川家を一つにまとめる事はできそうだが、妹が摂津守の側室になっている美濃守を動かす事は難しかった。難しいが、早いうちに何とかしなければならない。しかし、いい考えは浮かばなかった。
早雲は久し振りに駿府に来ていた。
小太郎の家の縁側に寝そべり、考え事をしていた。
小太郎とお雪は忙しそうに、次々に訪ねて来る客たちを診察していた。
「おい」と小太郎に声を掛けられた時は、いつの間にか、日が暮れかかっていた。
「のんきな奴じゃのう、人が忙しく働いておるのに昼寝か」
「あっ、いや」と早雲は起き上がった。
「わしらはこれから北川殿に行くが、おぬし、どうする」
「勿論、わしも行く。富嶽と三人でこれからの事を相談しようと思って待っておったんじゃ」
「鼾(イビキ)をかきながらか」
「鼾なんかかいておったか」
「ああ、気持ちよさそうに眠っておったわ」
「そうか‥‥‥」
早雲、小太郎、お雪の三人はお屋形の北門に向かった。浅間神社の門前町とお屋形の北門との間の北川の河原に武装した兵が十人ばかり、回りを見ながらウロウロしていた。
「何じゃ、あれは」と早雲が小太郎に聞いた。
「知らん‥‥‥どこの兵じゃろう」
おかしいと二人は思ったが、北川殿にいる富嶽に聞けば何か分かるだろうと橋を渡って、門をくぐろうとした。が、門番に止められた。
小太郎は毎日、朝晩出入りしているため、門番とは顔馴染みになっていたが、その門番も通してはくれなかった。過書(カショ)が、今日の昼から変わり、その過書を持っていない者は、たとえ顔見知りでも、たとえ重臣の方でも通してはならないとの厳命を受けていると言う。
小太郎は力づくでも通ろうとしたが、早雲は止めて、「河原をうろついておるのは、どこの者たちじゃ」と聞いた。
「さあ、わしらにも分かりません。つい今しがた、阿部川の方から来て河原を見回っております。河原にいる限り、わしらも文句を言う事はできませんので放っておりますが、一体、何者が何のためにあんな所にいるのか分かりません。何が起こるか分からんので厳重に見張れとの事です」
早雲たちは諦めて引き返した。
「一体、どういう事じゃ」と小太郎は腹を立てながら早雲に聞いた。
「分からん。分からんが何かが起こる事は確かじゃ。わしはちょっと一回りして来るわ」
早雲は阿部川の方に走って行った。
「お雪、先に帰っていてくれ。わしもちょっと見て来るわ」
小太郎も早雲の後を追った。
半時程後、小太郎の家で三人は顔を突き合わせて考え込んでいた。
お屋形の南、一里程の阿部川の河原に五百人以上の軍勢が待機していた。命令一つで、お屋形を完全に包囲する事のできる軍勢だった。
「一体、どこの軍勢じゃろう」と早雲は言った。
「とうとう、武力に訴えて来たようじゃのう」と小太郎は言った。
「お屋形を占領しようとたくらんでおる事は確かじゃ。しかし、一体、誰が」
「河合備前守じゃない事は確かじゃな」と小太郎は言った。
早雲も同意して頷いた。「備前守はそれ程の軍勢を持ってはいまい。天野兵部少輔の軍勢が遠江から来たという事も考えられんしな」
「中原摂津守でもないぞ。岡部の軍勢が山を越えて来た様子もない。一体、この軍勢はどこから来たんじゃ。あれだけの軍勢が動けば誰も気づかんはずがない。駿府から一番近い場所に本拠地を持っておるのは誰じゃ」
「小鹿、河合、中原の三人じゃ」
「小鹿はそれだけの軍勢を動かせるのか」
「いや、無理だとは思うがのう。一番臭いのは葛山じゃが、あんな向こうから、あれだけの軍勢が動けば気づかんはずがないしのう」
「早雲よ、竜王丸派の者じゃあるまいな」
「まさか、そんな事はあるまい」
「うむ。福島越前守はどうじゃ」
「越前守か‥‥‥越前守ならそれ位の軍勢を動かす事はできるとは思うが、土佐守ならともかく、越前守が武力に訴えるような事をするとは思えんのう」
「しかし、越前守は船を持っておるじゃろう」
「船くらい持っておるじゃろう。江尻津が本拠地じゃからな」
「船で軍勢を阿部川まで運んだという考えはどうじゃ」
「うむ。あり得る。しかし、越前守が武力を持ち出すとは‥‥‥」
「越前守はこの間、寝返ったばかりじゃ。小鹿派の中心になっておるのは葛山じゃろう。葛山に踊らされたのかもしれんぞ」
「いや。越前守はそんな人に踊らされるような男ではない。なかなか腹黒い男じゃ」
「そうかもしれんが、葛山は越前守の上手を行く男かもしれんぞ」
「うーむ。それは言えるのう。葛山が裏で何かをしておる事は確かじゃが、絶対にぼろを出さんからのう」
「たとえばじゃ。あの越前守が寝返ったという事は、小鹿派に勝ち目があると睨んだからじゃろう。もしかしたら、その時点で、お屋形を占領する計画があったのかもしれん。葛山は自分の軍勢を駿府に運ぶつもりでおった。しかし、ここで葛山の軍勢で駿府を占領し、小鹿新五郎がお屋形様に納まった場合、葛山の勢力が益々大きくなる事を恐れた越前守は、自分の軍勢を使う事を主張したのかもしれんぞ」
「うむ。という事は葛山はお屋形を占領した後、どういう行動に出るつもりなんじゃろう」と早雲は聞いた。
「葛山はどう思っておるのか分からんが、越前守は戦をするつもりで、お屋形を囲むわけではないじゃろう。戦に持ち込まないで事を解決させる策があるに違いない」
「それは、どんな策じゃ」
「例えば、まず、竜王丸殿を人質に取る。竜王丸殿を取られた竜王丸派は小鹿派の言いなりになる。ついでに、河合備前守も中原摂津守も人質に取るか‥‥‥」
「人質に取ったからといっても事は解決せんぞ。お屋形内におる重臣たちはどうするんじゃ。重臣たちも人質か」
「分からん。一体、何をしでかすつもりじゃ。ここにおって、あれこれ言っていても始まらん、とにかく、北川殿に行って富嶽たちと相談しよう」
「おい、小太郎、簡単にそう言うが、どうやってお屋形に入るんじゃ」
「そんな事、簡単じゃ」
「なに、潜入する方法があると言うのか」
小太郎はニヤッと笑った。
早雲と小太郎の二人はびっしょりになって北川殿にやって来た。
二人は小太郎の家の裏を流れる北川を渡り、本曲輪と二の曲輪を仕切っている濠の中に潜り、その濠と道賀亭(ドウガテイ)の濠をつないでいる半間(ハンケン、約一メートル)ばかりの穴を抜けて、本曲輪に侵入して来たのだった。
小太郎は何かがあった時の場合、門を通らずに、お屋形内に侵入する方法はないものかと、いつも考えていた。土塁をよじ登る方法など色々と考えていたが、ある日、土塁を眺めながら道賀亭のはずれまで来て、ふと、この濠の水はどうやって入れたのだろうと考えた。そして、濠の水を見ているうちに、かすかだが濠の水が流れているように感じ、思い切って濠の中に潜って、この穴を発見したのだった。穴は濠の一番深い所で、本曲輪と二の曲輪を分けている濠とつながっていた。そして、その濠は北川とつながっている。小太郎はこの発見をしてから、もしかしたら、北川殿の濠も北川とつながっているかもしれないと思い、潜ってみたが、北川殿の濠はつながってはいなかった。
濡れた着物を着替えると、早雲と小太郎は北川殿にいる者たちを全員、広間に集め、たった今、見て来た事を皆に話した。北川衆の清水は昼晩だったので、すでに帰っていた。二の曲輪に住む小田と清水は交替で二の曲輪の動きを探っていた。
「すると、その軍勢はこのお屋形を囲むという事ですか」と富嶽が聞いた。
「多分な。明日の夜が明ける頃には完全に包囲する事じゃろう」と早雲が言った。
「それだけではない。今、ここを守っている御番衆と、二の曲輪を守っている御番衆も同時に行動を起こすに違いないわ」と小太郎が言った。
福島越前守が寝返った事により、越前守派の蒲原越後守も寝返って小鹿派になっていた。二の曲輪を守っている二番組の頭、蒲原左衛門佐は越後守の弟で、兄と共に小鹿派になった可能性が強かった。そうなると、お屋形の警固は小鹿派の者たちに任されているという事となる。本曲輪を警固している葛山備後守の率いる三番組、百八十人と、二の曲輪を警固している二番組、百六十人、そして、阿部川の河原で待機している五百人余りの軍勢によって、お屋形が占領されるのも時間の問題だった。
「小鹿派の連中が、このお屋形を占領するのですか」と小田が信じられないという顔をして聞いた。
「多分な。小鹿派以外、こんな事をたくらむ者は考えられんのじゃ」と早雲は答えた。
「そんな事になったら大変な事になる」
「ああ。大変じゃ」
「そうなると、重臣の方々はどうなるんですか」
「そこが分からんのじゃよ。重臣たちを閉じ込めて置けば、必ず、騒ぎが起こるじゃろう。国元の部下たちが黙ってはおらんじゃろうからな」
「ここに攻めて来ますよ」
「しかし、重臣たちがこの中にいる限り、攻める事はできん」
「でも、いつまでも閉じ込めて置くわけにも行かんでしょう。こんな事が、もし他国に知れたら今川家は終わりですよ。駿府を攻めれば、今川家の重臣たちは皆、討ち死にです」
「そうか‥‥‥それを狙っておるのかもしれんのう」と小太郎は言った。「葛山にしろ、天野にしろ、今川家の家督争いなんかどうでもいい事じゃ。この際、一気に今川家を潰そうとたくらんでおるのかもしれんぞ」
「お屋形内に閉じ込めておいて、葛山と天野の連合軍でここを攻めると言うのか」と早雲は聞いた。
「それもありえるが、それは最後の手段じゃろう。御番衆まで味方に付ければ何でもできる。この間のように河原者たちを使う事も充分に考えられる。例の寺社奉行は三浦何とかと言ったのう。三浦も小鹿派じゃ。この前のように騒ぎを揉み消すのは訳ないわ」
「重臣たちを暗殺するというのか」
「全部は殺さん。見せしめの為に二、三人は病死するじゃろうのう。そのうちに恐れて、小鹿派に転向する者も現れて来るじゃろう」
「それも考えられん事はないが、そんな事をすれば、葛山は恨みを買う事となる。この場は思い通りになったとしても、後で何をされるか分からん。葛山はそんな卑怯な手は使わんとは思うがのう。それより、わしが思うには、福島越前守はここを占領して竜王丸殿を人質に取り、竜王丸殿が成人するまで小鹿新五郎に後見人になって貰うという事にまとめようとしておるんじゃと思うんじゃが」
「竜王丸殿を人質に取るなら何も占領する事もなかろう」
「いや、占領しておかないと竜王丸派の者が攻めて来ると考えたのじゃろう。占領しておいて、越前守は竜王丸殿を評定の間の上段の間に座らせ、竜王丸殿をお屋形様とし、小鹿新五郎を後見人にしたらどうかと提案する。そうするとどうなると思う」と早雲は皆の顔を見回した。
「竜王丸派の者は賛成するじゃろうのう。どうせ、誰かが後見人にならなければならんのじゃからのう」と小太郎は言った。
「小鹿派も賛成すると思うがのう」と富嶽は言った。
「そうじゃ。とりあえずは後見人でも、十年という歳月があれば何とか、お屋形様になれるかもしれんと思って、小鹿派も賛成するじゃろう。そうなると反対するのは、河合備前守派の天野民部少輔と中原摂津守派の岡部兄弟だけとなる。竜王丸派と小鹿派が一体になってしまえば、民部少輔も岡部兄弟も反対を続けるわけには行かんじゃろう。こうして、今川家が一つになった所で、福島越前守はお屋形を包囲している軍勢を解くというわけじゃ」
「成程」と富嶽は頷いたが、「しかし、どうして、今まで、そううまく行かなかったんじゃろ」と早雲に聞いた。
「評定の間では邪魔する者がおったからじゃ。話をそこまで持って行く前に腰を折られたんじゃろう。竜王丸殿をお屋形様にして小鹿新五郎を後見人にしたらどうか、と言っても、天野兵部少輔や岡部兄弟が、お屋形様は、まだ、竜王丸殿と決まったわけではない。後見人の話など、お屋形様が決まってからじゃ、と言われれば、話はちっとも進まんし、小鹿新五郎としても、後見人になるよりはお屋形様の方がいい。そうなると、話はまた振り出しに戻る。毎日、そんな事をやっておるんじゃろう。そこで、越前守はお屋形を占領して、重臣たちを緊張状態に置き、一気に話をまとめようと考えたに違いないわ」
「成程のう‥‥‥しかし、ここには竜王丸殿はおらんぞ」と小太郎は言った。
「そうなんじゃ。越前守はここに竜王丸殿がおると思って、その作戦を練った。しかし、ここに竜王丸殿はおらん。そうなると、どういう事になるかの」
「まず、竜王丸殿はどこに行ったか聞くじゃろうのう」
「それから?」
「竜王丸殿なしで話を進めるかのう‥‥‥」
「それもあり得る。竜王丸殿がおらなくても一つにまとめる事はできるじゃろう。ただし、天野氏がどう出るかじゃ。天野氏にとって今川家が一つにまとまっては具合が悪い。絶対に邪魔をするはずじゃ。それと、葛山の本心も分からん。本当に小鹿新五郎をお屋形様にしたいのか、それとも、天野氏と同様、今川家に内訌を起こさせたいのか‥‥‥」
「もし、天野と同じ穴の貉(ムジナ)だとすると葛山も邪魔をするじゃろうな」
「天野民部少輔ですけど摂津守派になりつつあります」と小田が口をはさんだ。
「本当か」と早雲は聞いた。
「はい。女で釣られたようです。最近、岡部五郎兵衛の家に入り浸りです」
「そうか‥‥‥となると、両天野氏は竜王丸派と小鹿派が一つになるのを邪魔して来るのは確実じゃな」
「越前守の思うようにはならんようじゃな」と小太郎が言った。
「明日の事は明日になってみないと分からん。それよりも、わしはここを捨てようと思っておるんじゃ」と早雲は言った。
「竜王丸殿がおられん事は明日にはばれるじゃろう。そうなると、ここを守っておってもしょうがない。返って、ここにおるのは危険と言える。みんな、逃げた方がいいじゃろう」
「全員、小河屋敷に移るんですか」と富嶽が聞いた。
「いや、富嶽と多米と荒木の三人はもう少し、ここに残って貰う。ただし、長谷川殿の屋敷でじゃ。小田殿も二の曲輪に屋敷があるから残って貰う。小田殿はこれからすぐに帰って貰い、明日の朝、清水殿と一緒にここに来て、初めて誰もおらん事に気づいたという事にするんじゃ。後の者は皆、小河屋敷に移る。どうじゃ、それでいいか」
早雲は皆を見回した。
侍女の菅乃、仲居の和泉と三芳、北川衆の小田と小島、富嶽、多米、荒木、荒川坊が皆、頷いた。
「あの」と小島が言った。「家族はどうしたらいいんです」
「奥さんと子供が一人じゃったな」と早雲が聞いた。
「はい」
「子供はいくつじゃ」
「九つです」
「泳げるか」
「はい、泳げますけど、どうしてです」
「門からは出られんのじゃ。別の所から出る」
「あの、あたし、泳げません」と言ったのは和泉だった。
「泳げんか、他に泳げない者はいるか」
三芳と小島の奥さんが泳げなかった。
「参ったのう。長谷川殿の屋敷で預かって貰う事にするかのう」
「ちょっと待て」と小太郎は言った。「もしかしたら、出て行く事はできるかもしれんぞ」
「どうしてじゃ」
「わしは今まで、ここから出て行く時に過書を見せた覚えはない」
「そう言えばそうじゃのう。入る時は調べるが出て行く者を調べはせんのう。やってみる価値はありそうじゃのう」
小田が二の曲輪に帰って行った。
富嶽、多米、荒木の三人は長谷川次郎左衛門尉の屋敷に向かった。
和泉と三芳の二人が北門に向かった。早雲たちは隠れて、二人の様子を見ていたが、追い返される事なく門を出る事ができた。小太郎の思った通り、出て行く者を一々、調べはしなかった。次に小島親子が出て行った。これも、うまく行った。
小太郎と早雲は菅乃と荒川坊を連れて、北門に向かった。門番は変わっていた。早雲と小太郎が入るのを拒んだ者たちはいなかった。早雲たちはすんなりと出る事ができた。
小太郎は忘れ物をした振りをして戻ろうとしたが、やはり、過書が違うと言われ、入る事はできなかった。
北川殿から抜け出した一行は、その晩は小太郎の家に泊まり、次の日、小河屋敷に向かった。
「確かに、今、わしは人手が欲しい。本当にわしのような者について来てくれるのか」
在竹兵衛は早雲を見つめながら頷いた。
早雲も頷き、「分かった」と言った。「みんなの命はわしが預かる事にする」
「やった!」と山賊たちは両手を上げて喜び合っていた。
「ただし」と早雲は付け足した。「今のわしは竜王丸殿の執事という事になっておるが、領地というものは持っておらん。おぬしたちを食わして行く事はできん。わしが今まで、この地で生きて行く事ができたのは、この辺りの村人たちのお陰なんじゃ。村人たちの相談に乗ってやり、その見返りとして食べ物を貰って来た。おぬしたちもここにおる限りは村人たちの役に立ってくれ。それができない者はここから去る事じゃ」
「それは大丈夫じゃ。もう実行している」と在竹は言った。
「なに?」
「早雲殿が留守の間、色々な者が訪ねて来たが、奴らなりに結構、相手をしておったわ」
「ほう、村人たちが怖がって誰も近づかなかったに違いないと思っておったが、相変わらず、来ておったのか」
「ああ。朝早くなど起きた事のない連中が、海に行って漁の手伝いをしたり、湊の荷揚げの手伝いに行ったり、村に行って垣根を直したり、毎日、慣れない事に汗をかいて働いておる。ここにいる限り、早雲殿の顔を汚すわけには行かんからのう。今まで、人のために何かをやるなんて、した事のない連中じゃが、結構、楽しくやってるようじゃ」
「そうか」と早雲は土間に座っている者たちの顔を眺めた。確かに、以前と目つきが変わっていた。村人たちのために働いていたのは本当のようだった。
「そこまでやってくれておるなら、充分にここにいる資格はありじゃ。みんな同じ仲間じゃ。よろしく頼むぞ」と早雲は彼らに頭を下げた。
正式に、早雲から早雲庵にいる事を許された山賊たちは、早雲庵の南側の一段低くなっている地をならして自分たちの住む庵を建て始めた。早雲は、何も改めて庵を建てる事などない。部屋は空いているのだから、そこを使えばいいと言ったが、古くからここにいる者たちの部屋を占領するわけにはいかないと、早雲が帰って来てからは、一度も、部屋の中で寝ようとはしなかった。仕方なく、早雲も許して、彼らは庵を作り始めた。
朝早くから日が暮れるまで汗を流しながら庵作りをしている山賊たちを見ながら、変われば変わるもんじゃ、と感心しながら早雲は眺めていた。村人や湊の人足たちも手伝いに来て、和気あいあいと仕事に励んでいた。
在竹兵衛率いる山賊たちは皆、おかしなあだ名で呼び合っていた。在竹の事は皆、お頭と呼び、在竹の言う事には絶対に逆らわなかった。確かに、在竹は頭と呼ばれるだけの凄みと貫禄があった。二年前、早雲たちを宇津ノ谷峠で襲った四人組は、『師匠』『薬師(クスシ)』『造酒祐(ミキノスケ)』『軍師』と呼ばれていた。
富嶽に槍を奪われた男は薬師と呼ばれ、山菜や薬草に詳しいらしい。食う物がない時は、薬師が山菜を取って来てくれたので助かったと言う。
山羊髭(ヤギヒゲ)の男は師匠と呼ばれ、色々な事を知っているらしい。
腕をポリポリ掻く癖のある男は軍師と呼ばれ、いつも、この男が作戦を立てて、人を襲っていたと言う。
多米(タメ)にやられた剣術使いは造酒祐と呼ばれ、酒なしではいられない呑兵衛(ノンベエ)だった。その他に、今回の庵作りの中心になっている『普請奉行(フシンブギョウ)』と呼ばれる男や、下手な狂歌を歌う『雅楽助(ウタノスケ)』、銭勘定(ゼニカンジョウ)の達者な『勘定奉行』、坊主頭に数珠(ジュズ)を首から下げている『入道』、下手な笛を吹く『笛吹き』、物真似上手な『猿楽(サルガク)』、柄(ガラ)にもなく字がうまい『祐筆(ユウヒツ)』、喧嘩っ早い『喧嘩屋』、左利きの『ぎっちょ』がいた。皆、一癖も二癖もある面白そうな連中だった。
早雲庵は相変わらず、賑やかだった。
2
北川殿に河原者たちの襲撃があってから三日が過ぎた。
北川殿母子はひそかに駿府屋形から逃げ出して、山西(ヤマニシ)の長谷川次郎左衛門尉(ジロウザエモンノジョウ)の小河(コガワ)の屋敷に避難していた。
御番所に連れて行かれた河原者たちは、寺社奉行の三浦石見守(イワミノカミ)からの命令で取り調べを受ける事なく殺された。河原者たちの処分は寺社奉行の管轄だったが、御番衆が寺社奉行に知らせるよりも早く、寺社奉行から河原者たちを引き取りに来た。御番衆(ゴバンシュウ)は真相を突き止めるために引き渡す事を拒んだが、もし、今回の騒ぎが公に知れ渡った場合、事は重大な事となる、と言われ、拒む事はできなかった。
「北川殿が襲われ、北川衆が殺されたという事は、本曲輪の警固に当たっておった四番組の名誉に関わるだけでなく、責任者の切腹という事も充分に考えられる事じゃ。また、当寺社奉行としても、河原者が北川殿を襲ったとなれば責任を取らなくてはならなくなる。そこで、今回の騒ぎはなかった事にする。北川殿を襲った河原者などおらなかったんじゃ。亡くなった北川衆は病死という事にする。勿論、これはわしだけの考えではない。上からの命令じゃ」と石見守は言って、河原者たちを引き取って河原に連れて行き、そこで首をはねてしまった。
三浦石見守というのが、どこの派閥に属しているのか分からないが、小鹿逍遙の命令で動いたのに違いなかった。逍遙の立場からすれば、裏で糸を引いている者の正体は知りたいが、それが公表された場合、騒ぎが大きくなって、戦にまで発展してしまう事を恐れたのだった。北川殿が襲撃されたという事実は抹消された。
河原者に腕の付け根を斬られた村田はその日のうちに出血多量で亡くなった。村田と中河の二人は病死という形で片付けられてしまった。
早雲はその騒ぎの後、駿府屋形から去る事を決め、北川衆、侍女、仲居らを集めて、この先、さらに危険な事が起こるだろうから、去りたい者は遠慮せずに去るように勧めた。乳母の船橋と仲居の嵯峨の二人が北川殿から去って行った。あとの者はたとえ死んでも、北川殿と竜王丸を守ると誓い、留まった。
北川殿はその日、浅間神社に今川家の安泰を願うためにと称して参拝に行った。北川殿母子は例の牛車(ギッシャ)に乗り、北川衆に守られて浅間神社に向かった。参拝の帰り、一行は小太郎の家に立ち寄った。北川殿の牛車がみすぼらしい小太郎の家に入ったので、何事だと回りの者たちが集まって来た。
「ここにおられる風眼坊殿というお方は、今でこそ、こんな町中に住んでおられるが、京の都でも有名なお医者様じゃ。北川殿は風眼坊殿がここにおられると聞いて、こうして、やっていらしたのじゃ」と門前で警固に当たっていた小田は説明した。
町人たちは驚いて、家の中を覗こうとしたり、さっそく知り合いに知らせに走ったりして、やじ馬の数はどんどん増えて行った。
北川殿は四半時(シハントキ、三十分)程して出て来ると、そのまま、お屋形内に帰って行った。
北川殿がいなくなると小太郎の家は人で埋まっていた。今まで誰も見向きもしなかったのに、北川殿が一度、訪ねて来ただけで、これだけの人が集まるとは、やはり大したものだった。小太郎とお雪の二人はその日、大忙しだった。
その頃、北川殿に戻っていたのは、北川殿に扮していた春雨と竜王丸に扮していた寅之助だった。本物の北川殿母子は町人の格好になって、小太郎の家の裏口から抜け出し、仲居の瀬川、早雲、富嶽、多米、荒木、孫雲、才雲に守られ、門前町を抜けて山西の長谷川次郎左衛門尉の小河屋敷に向かっていた。勿論、徒歩だった。北川殿にとって五里も歩くのは初めての事だったが、物見遊山(モノミユサン)をしているつもりになって楽しそうだった。美鈴も竜王丸も嬉しそうに走り回っていた。千代松丸も瀬川の背中で喜んでいた。
その日は無理をせずに鞠子(マリコ)の斎藤加賀守の屋敷に泊まり、次の日、小河屋敷に着いた。
小河屋敷は小河城、または長者(チョウジャ)屋敷とも呼ばれ、平地にあったが濠と土塁に囲まれ、本曲輪と二の曲輪に分かれた堂々たる城郭だった。東側の大手門から入るとそこが二の曲輪で、左側に大きな廐があり、曲輪内は塀で二つに分かれている。塀の中央にある中門をくぐると正面に大きな屋敷があり、右側には侍長屋があって、家臣を初め大勢の浪人たちが居候(イソウロウ)していた。二の曲輪にある屋敷には次郎左衛門尉の息子、伊賀守元長が住んでいた。伊賀守はまだ二十二歳だったが、次郎左衛門尉の跡継ぎにふさわしい文武共に優れた若者だった。
本曲輪に行くには中門をくぐらず、塀に沿って真っすぐに進み、石段を登ると本曲輪の正門があった。本曲輪には主殿、客殿、庭園、常屋敷などがあり、裏の方には台所、蔵、遠侍(トオザムライ)、侍長屋などがあった。
北川殿母子は客殿に入った。北川殿と共に来た仲居の瀬川は次郎左衛門尉の娘だった。
瀬川は一度、嫁に行ったが亭主が戦死し、小河屋敷に戻って来ていた。そんな時、北川殿が京から来たため、北川殿に仕える事となった。瀬川がこの屋敷に帰って来たのは、三年振りだった。三年前に祖父が亡くなった時、休みを貰って帰って来たが、それ以来、なかなか帰って来る事はできなかった。瀬川は自分の実家で北川殿を守る事となり張り切っていた。
北川殿を守って小河屋敷に来た富嶽、多米、荒木の三人は北川殿に戻り、代わりに春雨、寅之助、北川衆の吉田、山崎が小河屋敷に移った。侍女や仲居衆も何人かに分かれて、北川衆に守られて皆、小河屋敷に移動した。
北川殿に残ったのは北川衆の小田、清水、小島の三人と侍女の菅乃、仲居の和泉、三芳、そして、富嶽、多米、荒木、荒川坊だけとなった。小田、清水、小島の三人は家族がお屋形内にいるため、簡単に小河屋敷に移る事はできなかったし、お屋形内の状況を知るためにも残っていた方が良かった。侍女の菅乃と仲居の二人も北川殿と一緒に行きいようだったが、客の取り次ぎをして貰うために侍女の一人は必要だったし、不意の客が訪ねて来た時、ちょっとした料理を出して貰うためにも、勝手をよく知っている仲居二人には残って貰った。
小太郎とお雪の二人は北川殿が来て以来、町医者が忙しく、突然、閉めるわけにも行かないので、昼間は町医者をやり、夕方、客がいなくなると、こっそり、北川殿に来て朝になると、また家に帰って行った。
北川殿が小河屋敷に移ったのは内密に行なわれ、この事を知っていたのは小河の次郎左衛門尉、斎藤加賀守、朝比奈天遊斎、五条安次郎の四人だけだった。他の重臣たちは北川殿が駿府から出て行くとは思ってもいなかった。長老の小鹿逍遙にも知らせようと思ったが、伜の新五郎に知られてしまう可能性もあるので、気が付くまでは知らせない事にした。
北川衆、侍女、仲居衆たちの移動が無事に終わると、早雲は弟子二人を連れて早雲庵に帰り、駿府と小河屋敷の動向を見守っていた。弟子の二人はその日から交替で、小河屋敷と駿府を往復して状況を早雲に知らせるのが日課となり、早雲の方は以前のごとく、早雲庵を訪ねて来る者たちの相手をしていた。
お屋形様の屋敷の評定は相変わらず進展しなかった。北川殿を襲撃した河原者を裏で操っていたと思われる天野氏も、あれ以来、鳴りを潜めているようだった。
早雲が早雲庵に戻って来てから四日目、二月二十七日の夕方、中原摂津守の屋敷が燃えるという騒ぎが起こった。幸いに負傷者は出なかったが屋敷の半分以上が燃え、付け火の下手人は捕まらなかったという。中原摂津守は屋敷が焼けたため、お屋形様の屋敷に移ろうとしたが、小鹿新五郎、河合備前守らに止められ、仕方なく、本曲輪の南西にある客殿、清流亭に移った。
北川殿における仲居の毒殺、小鹿屋敷の仲居の毒殺、北川殿の河原者の襲撃は消されたにしろ、続く、中原屋敷の火事と騒ぎが続いたため、本曲輪を守っている四番組の職務怠慢が話題となり、まだ、交替には早かったが、急遽、三番組と交替する事となってしまった。
三番組の頭は葛山備後守(カヅラヤマビンゴノカミ)だった。小鹿派の中心、葛山播磨守の弟で、備後守率いる三番組は御番衆の中でも一番の兵力を持っていた。本曲輪の警固が代わった事によって、本曲輪内の動きがまったく分からなくなり、さらに三月になって、二の曲輪の警固が二番組に代わると二の曲輪の情報も入らなくなってしまった。
二番組の頭は蒲原左衛門佐(カンバラサエモンノスケ)で、河合備前守派の蒲原越後守の弟だった。間違いなく備前守派で、北川殿に情報を流すはずがなかった。北川殿は孤立した状態となっていた。
桜の花が満開となり、浅間神社の境内が花見客で賑わう頃となっても、今川家の跡目は決まらなかった。毎年、恒例のお屋形様主催の花見の宴も今年はなく、その頃になって、城下の者たちや浅間神社の門前町に住む者たちが、お屋形様の事を噂し始めた。
お屋形では、戦での戦死者が予想以上に多かったため、今年の花見の中止にする、と触れさせたが、町人たちは、お屋形様の身に何かが起こったに違いないと噂し出した。亡くなったとは思ってはいないが、重い病気に罹って、寝込んでいるに違いないと思っている者が多かった。
早雲庵に出入りする村人たちの噂にも、お屋形様の事が中心になっていた。訪ねて来る誰もが、お屋形様の事を心配して早雲に尋ねた。早雲はその度に、お屋形様は何でもない。今、遠江に進撃するための作戦を練っている。お屋形様は願をかけて、遠江の国を今川家のものにするまでは酒をお断ちになられた。お屋形様が酒を断ったので、重臣たちもそれに従ったため、今年の花見は中止となった。しかし、来年は盛大に花見を行なう事になろう、と嘘を付かなければならなかった。
夕方になって孫雲が駿府から戻って来た。
早雲庵にはまだ何人かの客がいた。早雲は客の相手を才雲に任せると、孫雲を春雨庵に誘った。
「何か変わった事が起きたか」と早雲は薄暗い庵の中で聞いた。
「特にこれといった事はありませんが、福島越前守(クシマエチゼンノカミ)の屋敷の出入りが激しい模様です」
「福島越前守の屋敷といえば、北川殿のすぐ近くじゃったな」
「はい。廐の屋根の上から正門を見る事ができます」
「うむ。どんな奴らじゃ」
「使いの者たちです。どこからの使いなのかは分かりませんが、今月になってから、やけに多くなって来ています。それと、御番衆の者たちも出入りしているようです」
「御番衆か‥‥‥葛山が陰で動いておるのか」
「分かりませんが、富嶽殿が言うには、葛山だけでなく、隣に屋敷のある岡部美濃守、そして、竜王丸派の朝比奈殿も越前守に誘いを掛けているようです」
「ほう、各派で越前守を取り合っておるのか」
「はい。越前守が動けば、庵原(イハラ)、興津(オキツ)、蒲原(カンバラ)も動く事となります。その四氏を味方に付ければ、どこの派閥でも有利となれます」
「ふむ。福島越前守か‥‥‥」
「越前守がどこに行くかで、局面はすっかり変わってしまうだろうと富嶽殿は言ってました」
「そりゃそうじゃ。越前守が備前守派から抜ければ、備前守を押す者は天野兵部少輔(アマノヒョウブショウユウ)だけとなる。その天野氏も本気で備前守を押しているようには見えん。可哀想じゃが、備前守は候補の座から降りる事となろう」
「そうなんですか」
「多分な」
「それと、天野民部少輔(ミンブショウユウ)が中原摂津守派の岡部五郎兵衛の屋敷に出入りしているようです」
「なに、天野民部少輔が岡部五郎兵衛の屋敷に?」
「はい。清水殿の屋敷のすぐ前が、岡部五郎兵衛の屋敷なんですが、暗くなってから天野民部少輔が岡部五郎兵衛の屋敷に入って行くのを門番が見たそうです」
「本人が直接にか」
「はい」
「民部少輔といえば竜王丸派じゃったな。それが摂津守派の岡部の屋敷に出入りしておるのか。分からんのう」
「噂によると天野民部少輔はかなりの女好きとの事です。富嶽殿の話ですと、弱い立場にいる摂津守派が、天野氏を寝返らせるために女を餌(エサ)に民部少輔を誘っているに違いないと言ってました」
「うむ、女で釣るか‥‥‥兄貴が福島越前を誘い、弟が天野民部を誘っておるというわけか‥‥‥岡部五郎兵衛は二の曲輪内に住んでおったのか」
「はい。小田殿の話によると、岡部五郎兵衛も元、御番衆の頭だったそうです」
「ほう。何番組じゃ」
「今、二の曲輪を守っている二番組です」
「蒲原越後じゃな」
「はい。岡部五郎兵衛が頭だった頃、蒲原は副頭だったそうです」
「ふーむ。つながりがあるわけじゃな。しかし、蒲原の兄貴は備前守派じゃのう。果たして、二番組の頭はどっちの派なんじゃろうのう。複雑で頭がおかしくなるわ」
「はい‥‥‥」
早雲は腕を組んで、しばらく考えていたが、顔を上げると、「ところで、北川殿が消えた事はまだ、誰も気づいてはおらんな」と孫雲に聞いた。
「はい。北川殿を訪ねて来る者たちは決まっておりますから、それに、本曲輪の警固が三番組に変わってから、どこにも騒ぎは起こっていないようです」
「成程、葛山に警固が変わってから何の騒ぎも起きないという事は、今までの騒ぎに葛山も絡んでおったという事かのう‥‥‥しかし、天野と葛山とのつながりは今の所、ないんじゃろう」
「朝比奈備中守殿の話によると、天野氏同士も天野氏と葛山氏もまったく出入りはないそうです」
「そうか‥‥‥」
御番衆の交替があって、今までのように情報がつかめなくなると、富嶽は二の曲輪内に屋敷を持つ北川衆の小田と清水の二人に二の曲輪の情報を探らせた。さらに、竜王丸派の福島左衛門尉、朝比奈備中守、今は勤務に付いていない四番組の頭、入野兵庫頭らも情報収集の手伝いをしてくれた。本曲輪でも竜王丸派の重臣たちが回りの屋敷の様子を探って、北川殿にいる富嶽のもとに情報を流してくれた。それらの情報は孫雲、才雲の二人によって、早雲庵にいる早雲のもとに届けられるというわけだった。
早雲は、重臣たちの名が並んでいる例の紙を眺めながら、「待てよ」と言った。「葛山と天野はつながっておるかもしれん」
孫雲もその紙を覗いたが、早雲の言う意味は分からなかった。
「長沢じゃ」と早雲は言った。
「長沢というのは、殺された大谷が出入りしていた所ですね」
「そうじゃ。奴は三番組の副頭で、天野氏の出身じゃ。三番組の頭は葛山じゃ。天野両氏と葛山播磨守は表立って会う事はないが、長沢を中継ぎとして通じておったんじゃ」
「長沢が中継ぎ‥‥‥」
「つまりじゃ、葛山播磨守が天野氏への言伝(コトヅテ)を弟の備後守に頼む、備後守は長沢に渡し、長沢から天野氏に伝わるという寸法じゃ」
「成程、そんなからくりだったんですか‥‥‥それで、長沢の屋敷に天野氏からの使いの者たちが頻繁に訪ねていたというわけですね」
「そうじゃな。長沢は葛山へと通じる入り口となっていたわけじゃ」
「でも、どうして、天野氏は表だって葛山と組まないのでしょう」
「多分、葛山と天野の狙いは、今川家に家督争いを起こさせる事じゃろう。今川家が家督争いを始めて勢力が弱まれば、お互いに得するからのう。葛山は今川家が争っておる隙に駿河の国を我物にしようとたくらみ、天野の方は遠江の国を我物にしようとたくらんでおる。家督争いを起こさせるには、お互いが同じ派閥に付くよりも、別々の派閥に付いて、戦をするように煽(アオ)った方がいいんじゃよ」
「そうだったのか」と孫雲は納得してから、「そいつは大変だ。早く、富嶽殿に知らせなくちゃ」と顔色を変えた。
早雲は頷いて、「明日の一番に才雲に行って貰おう」と言った。
「俺が今、行って来ます」と孫雲は立ち上がろうとした。
「馬鹿言うな、途中で暗くなっちまうぞ」と早雲が止めたが、「大丈夫です」と言って孫雲は飛び出して行った。
「張り切っていやがる」と早雲は孫雲の後姿を見送りながら苦笑した。
才雲が近づいて来て、孫雲はどこに行ったのかと聞いた。
「北川殿に忘れ物をして来たそうじゃ」と早雲は笑った。
「馬鹿な奴じゃ」と才雲は笑ってから、「ところで、早雲殿、姉御(春雨)はここに戻って来ないのですか」と聞いた。
「ああ。北川殿の侍女になっちまったからな。どうしてじゃ」
「姉御がいなくなったんで、飯の支度が大変なんですよ」
「山賊たちが手伝ってくれておるじゃろう」
「手伝ってはくれますが、はっきり言って、あいつら、うまい物を食った事、ないんじゃないですか。あいつらが作った物はまずくて」
「贅沢言うな。飯が食えるだけ、ありがたいと思え」
「しかし‥‥‥北川殿にいた時の事を思うと、うまい物が食いたいですよ」
「そうじゃな。北川殿の仲居の作った飯はうまかったのう」
「でしょう」
「飯炊き女を置く程、銭はないしのう、当分の間は我慢しろ。状況によっては、北川殿に戻るか、あるいは小河屋敷に行くかもしれん」
「ほんとですか」
「ああ。何が起こるか分からんが、何かが起こる事は確かじゃ。それまで、ここで剣術の腕でも磨いていろ。今度はかすり傷だけでは済まんかもしれんぞ」
「はい」と頷き、才雲は早雲庵の中に帰って行った。
西の山に日が沈みかけていた。
このままでは今川家の存亡に拘わる事となる。東の葛山、西の天野、両氏の思い通りに事を運ばせるわけには行かなかった。今川家を一つにまとめなければならなかった。今までのように、ただ、事の成り行きを見ているだけでは駄目だと思った。自ら動かなければならない時期に来ていると言えた。
早雲は夕日を眺めながら、どうしたらいいのか考えていた。
3
小河屋敷内の桜が満開に咲いていた。
浅間神社の花見は中止となったが、小河屋敷では北川殿を慰めるために、ささやかな花見の宴が開かれ、北川殿は楽しそうに桜の花の下を子供たちと一緒にはしゃいでいた。毎年、花見には参加していても、いつも雛(ヒナ)人形のように座っているだけで、花弁(ハナビラ)の散る中を思いきり遊ぶ事なんてできなかった。ここに来て、回りの目も気にせずに好きな事ができるのは楽しかった。
北川殿母子は毎日、小河屋敷の客殿でのびのびと暮らしていた。
ここでは、北川殿は本名のお美和殿と呼ばれ、竜王丸は五郎と呼ばれていた。お屋形様に頼まれて、しばらく預かる事となった、京から来た、さる高貴なお方、という事になっていた。小河屋敷に北川殿の顔を知っている者は数人しかいなかった。その数人の者も、着飾って上段の間に座っている北川殿をチラッと見た事あるにすぎない。まさか、北川殿が駿府から逃げて、こんな所に来ていると思う者はいなかった。ただ、北川殿に仕えているはずの瀬川が戻って来ている事を不審に思う者はいたが、瀬川は北川殿に頼まれて、お客様の世話をしているのだと言った。早雲も時々、顔を見せるので、もしや、京の伊勢家に縁(ユカリ)のあるお方に違いないと小河屋敷の者たちは思っていた。
美和は日当たりのいい客殿の縁側で早雲と会っていた。
「早雲殿、駿府の様子はいかがですか」と美和は聞いた。
いつものように兄上様とは呼べなかった。
「はい、特に変わった事は起きていないようです」
「竜王、いえ、五郎の事、皆、お忘れではないのでしょうね」
「はい。朝比奈殿、斎藤殿、長谷川殿、それに遠江の人たち、皆、五郎殿を押しておられます」
「でも、小鹿殿がお強いのでしょう」
「いえ、今の所は小鹿派と五郎殿、河合殿は並んでおると言えましょう」
「そうですか、しかし、お屋形様と仲の良かった備前守殿と摂津守殿が、五郎と争う事になるなんて、今でも信じられません」
「そうですな。欲に囚われて、皆、人が変わってしまったようです」
「五郎の事、お願いしますね」
「はい。お美和殿、何か不自由な事はございませんか」
「いいえ」美和は首を振った。「何となく、ここに来て、のんびりしております。こんなにのんびりとした気持ちになるのは、駿河に来て初めてかもしれません。いいえ、生まれてから初めてかもしれません。わたしはいつも、誰かから見られて暮らしておりました。それが当たり前の事だと思っておりましたので、別に辛くはありませんでしたが、ここに来て、誰からも見られていないと思うと、何となく、ほっとした気持ちになります。こうして縁側に座る事も、ここに来て初めてなんですよ」
「そうだったのですか‥‥‥」早雲は妹を見た。
美和は嬉しそうに笑っていた。
「気持ちいい」と言って眩しそうに空を見上げた。
早雲は、どうしたら今川家を一つにできるかを常に考えていたが、いい考えは浮かばなかった。葛山氏と天野氏をはずして、話し合いの場を設ける事ができればいいのだが、それは不可能に近かった。河合備前守派の福島越前守と中原摂津守派の岡部美濃守を何とかして竜王丸派に誘い、小鹿新五郎に竜王丸の後見をして貰うという線でまとめる以外になさそうだった。その線でまとまれば、葛山は文句を言えないだろう。竜王丸派としても誰かを後見にしなければならないのだから、とりあえずは納得するだろう。
問題は天野氏だった。今川家に内訌を起こそうとたくらんでいる天野氏は、竜王丸派と小鹿派が一つにまとまる事に反対するに違いない。河合備前守を押す天野兵部少輔は、最後まで備前守を押し通す事は考えられる。また、竜王丸派にいる天野民部少輔も内訌を起こすために、中原摂津守派に移るという事も考えられる。天野氏がいる限り、今川家が一つにまとまるという事は考えられなかった。しかし、今の時点で、天野氏を駿府から追い出す事は難しかった。遠江の国で何か騒ぎでも起こり、天野氏の本拠地が危ないという状況にでもなればいいのだが、横地、勝間田氏の消えた今、天野氏に逆らう程の勢力を持つ者はいなかった。
朝比奈和泉守が小鹿派の福島土佐守、長谷川次郎左衛門尉が備前守派の福島越前守と摂津守派の岡部美濃守、斎藤加賀守が摂津守派の由比出羽守と備前守派の庵原安房守、堀越陸奥守が小鹿派の新野左馬助を誘っていたが、皆、そう簡単に誘いに乗っては来なかった。
朝から雨が強く降り、満開の桜の花を散らしていた三月の十二日、お屋形様の屋敷の大広間は揺れていた。
河合備前守派の福島越前守が突然、蒲原越後守、庵原安房守、興津美作守らを引き連れて小鹿新五郎派に寝返った。河合備前守はこんな事をまったく予想もしていなかったらしく狂乱状態に陥り、朝比奈天遊斎らに連れられて屋敷に帰って行った。
次の日も、その次の日も評定の席に河合備前守は姿を現さず、お屋形様候補の座から降りたと思われたが、三日目には晴れ晴れとした顔をして現れ、いつもの通り上座に座った。
備前守が立ち直った裏には天野兵部少輔の動きがあった。天野兵部少輔は二の曲輪内の自分の屋敷から本曲輪内の備前守の屋敷に移っていた。今までは福島越前守が備前守派の中心となっていたため、兵部少輔の出る幕はなかったが、越前守らが抜けた事により、兵部少輔は備前守の軍師的存在となって直接に策を授けているようだった。福島越前守に裏切られ、一時はお屋形様の座を諦めた備前守だったが、兵部少輔に励まされて、もう一度、挑戦する気になっていた。
福島越前守が小鹿派に移った事により、越前守と仲の悪い福島土佐守が、思った通り小鹿派から抜け、朝比奈和泉守の説得もあって竜王丸派に移っていた。
越前守らが小鹿派に移った事により、小鹿派の勢力が竜王丸派を上回ってしまったが、竜王丸派と小鹿派を一つにまとめようと考えている早雲にとっては都合が良くなったと言えた。後は、中原摂津守派の岡部美濃守を竜王丸派か小鹿派に動かす事ができれば、今川家を一つにまとめる事はできそうだが、妹が摂津守の側室になっている美濃守を動かす事は難しかった。難しいが、早いうちに何とかしなければならない。しかし、いい考えは浮かばなかった。
早雲は久し振りに駿府に来ていた。
小太郎の家の縁側に寝そべり、考え事をしていた。
小太郎とお雪は忙しそうに、次々に訪ねて来る客たちを診察していた。
「おい」と小太郎に声を掛けられた時は、いつの間にか、日が暮れかかっていた。
「のんきな奴じゃのう、人が忙しく働いておるのに昼寝か」
「あっ、いや」と早雲は起き上がった。
「わしらはこれから北川殿に行くが、おぬし、どうする」
「勿論、わしも行く。富嶽と三人でこれからの事を相談しようと思って待っておったんじゃ」
「鼾(イビキ)をかきながらか」
「鼾なんかかいておったか」
「ああ、気持ちよさそうに眠っておったわ」
「そうか‥‥‥」
早雲、小太郎、お雪の三人はお屋形の北門に向かった。浅間神社の門前町とお屋形の北門との間の北川の河原に武装した兵が十人ばかり、回りを見ながらウロウロしていた。
「何じゃ、あれは」と早雲が小太郎に聞いた。
「知らん‥‥‥どこの兵じゃろう」
おかしいと二人は思ったが、北川殿にいる富嶽に聞けば何か分かるだろうと橋を渡って、門をくぐろうとした。が、門番に止められた。
小太郎は毎日、朝晩出入りしているため、門番とは顔馴染みになっていたが、その門番も通してはくれなかった。過書(カショ)が、今日の昼から変わり、その過書を持っていない者は、たとえ顔見知りでも、たとえ重臣の方でも通してはならないとの厳命を受けていると言う。
小太郎は力づくでも通ろうとしたが、早雲は止めて、「河原をうろついておるのは、どこの者たちじゃ」と聞いた。
「さあ、わしらにも分かりません。つい今しがた、阿部川の方から来て河原を見回っております。河原にいる限り、わしらも文句を言う事はできませんので放っておりますが、一体、何者が何のためにあんな所にいるのか分かりません。何が起こるか分からんので厳重に見張れとの事です」
早雲たちは諦めて引き返した。
「一体、どういう事じゃ」と小太郎は腹を立てながら早雲に聞いた。
「分からん。分からんが何かが起こる事は確かじゃ。わしはちょっと一回りして来るわ」
早雲は阿部川の方に走って行った。
「お雪、先に帰っていてくれ。わしもちょっと見て来るわ」
小太郎も早雲の後を追った。
半時程後、小太郎の家で三人は顔を突き合わせて考え込んでいた。
お屋形の南、一里程の阿部川の河原に五百人以上の軍勢が待機していた。命令一つで、お屋形を完全に包囲する事のできる軍勢だった。
「一体、どこの軍勢じゃろう」と早雲は言った。
「とうとう、武力に訴えて来たようじゃのう」と小太郎は言った。
「お屋形を占領しようとたくらんでおる事は確かじゃ。しかし、一体、誰が」
「河合備前守じゃない事は確かじゃな」と小太郎は言った。
早雲も同意して頷いた。「備前守はそれ程の軍勢を持ってはいまい。天野兵部少輔の軍勢が遠江から来たという事も考えられんしな」
「中原摂津守でもないぞ。岡部の軍勢が山を越えて来た様子もない。一体、この軍勢はどこから来たんじゃ。あれだけの軍勢が動けば誰も気づかんはずがない。駿府から一番近い場所に本拠地を持っておるのは誰じゃ」
「小鹿、河合、中原の三人じゃ」
「小鹿はそれだけの軍勢を動かせるのか」
「いや、無理だとは思うがのう。一番臭いのは葛山じゃが、あんな向こうから、あれだけの軍勢が動けば気づかんはずがないしのう」
「早雲よ、竜王丸派の者じゃあるまいな」
「まさか、そんな事はあるまい」
「うむ。福島越前守はどうじゃ」
「越前守か‥‥‥越前守ならそれ位の軍勢を動かす事はできるとは思うが、土佐守ならともかく、越前守が武力に訴えるような事をするとは思えんのう」
「しかし、越前守は船を持っておるじゃろう」
「船くらい持っておるじゃろう。江尻津が本拠地じゃからな」
「船で軍勢を阿部川まで運んだという考えはどうじゃ」
「うむ。あり得る。しかし、越前守が武力を持ち出すとは‥‥‥」
「越前守はこの間、寝返ったばかりじゃ。小鹿派の中心になっておるのは葛山じゃろう。葛山に踊らされたのかもしれんぞ」
「いや。越前守はそんな人に踊らされるような男ではない。なかなか腹黒い男じゃ」
「そうかもしれんが、葛山は越前守の上手を行く男かもしれんぞ」
「うーむ。それは言えるのう。葛山が裏で何かをしておる事は確かじゃが、絶対にぼろを出さんからのう」
「たとえばじゃ。あの越前守が寝返ったという事は、小鹿派に勝ち目があると睨んだからじゃろう。もしかしたら、その時点で、お屋形を占領する計画があったのかもしれん。葛山は自分の軍勢を駿府に運ぶつもりでおった。しかし、ここで葛山の軍勢で駿府を占領し、小鹿新五郎がお屋形様に納まった場合、葛山の勢力が益々大きくなる事を恐れた越前守は、自分の軍勢を使う事を主張したのかもしれんぞ」
「うむ。という事は葛山はお屋形を占領した後、どういう行動に出るつもりなんじゃろう」と早雲は聞いた。
「葛山はどう思っておるのか分からんが、越前守は戦をするつもりで、お屋形を囲むわけではないじゃろう。戦に持ち込まないで事を解決させる策があるに違いない」
「それは、どんな策じゃ」
「例えば、まず、竜王丸殿を人質に取る。竜王丸殿を取られた竜王丸派は小鹿派の言いなりになる。ついでに、河合備前守も中原摂津守も人質に取るか‥‥‥」
「人質に取ったからといっても事は解決せんぞ。お屋形内におる重臣たちはどうするんじゃ。重臣たちも人質か」
「分からん。一体、何をしでかすつもりじゃ。ここにおって、あれこれ言っていても始まらん、とにかく、北川殿に行って富嶽たちと相談しよう」
「おい、小太郎、簡単にそう言うが、どうやってお屋形に入るんじゃ」
「そんな事、簡単じゃ」
「なに、潜入する方法があると言うのか」
小太郎はニヤッと笑った。
4
早雲と小太郎の二人はびっしょりになって北川殿にやって来た。
二人は小太郎の家の裏を流れる北川を渡り、本曲輪と二の曲輪を仕切っている濠の中に潜り、その濠と道賀亭(ドウガテイ)の濠をつないでいる半間(ハンケン、約一メートル)ばかりの穴を抜けて、本曲輪に侵入して来たのだった。
小太郎は何かがあった時の場合、門を通らずに、お屋形内に侵入する方法はないものかと、いつも考えていた。土塁をよじ登る方法など色々と考えていたが、ある日、土塁を眺めながら道賀亭のはずれまで来て、ふと、この濠の水はどうやって入れたのだろうと考えた。そして、濠の水を見ているうちに、かすかだが濠の水が流れているように感じ、思い切って濠の中に潜って、この穴を発見したのだった。穴は濠の一番深い所で、本曲輪と二の曲輪を分けている濠とつながっていた。そして、その濠は北川とつながっている。小太郎はこの発見をしてから、もしかしたら、北川殿の濠も北川とつながっているかもしれないと思い、潜ってみたが、北川殿の濠はつながってはいなかった。
濡れた着物を着替えると、早雲と小太郎は北川殿にいる者たちを全員、広間に集め、たった今、見て来た事を皆に話した。北川衆の清水は昼晩だったので、すでに帰っていた。二の曲輪に住む小田と清水は交替で二の曲輪の動きを探っていた。
「すると、その軍勢はこのお屋形を囲むという事ですか」と富嶽が聞いた。
「多分な。明日の夜が明ける頃には完全に包囲する事じゃろう」と早雲が言った。
「それだけではない。今、ここを守っている御番衆と、二の曲輪を守っている御番衆も同時に行動を起こすに違いないわ」と小太郎が言った。
福島越前守が寝返った事により、越前守派の蒲原越後守も寝返って小鹿派になっていた。二の曲輪を守っている二番組の頭、蒲原左衛門佐は越後守の弟で、兄と共に小鹿派になった可能性が強かった。そうなると、お屋形の警固は小鹿派の者たちに任されているという事となる。本曲輪を警固している葛山備後守の率いる三番組、百八十人と、二の曲輪を警固している二番組、百六十人、そして、阿部川の河原で待機している五百人余りの軍勢によって、お屋形が占領されるのも時間の問題だった。
「小鹿派の連中が、このお屋形を占領するのですか」と小田が信じられないという顔をして聞いた。
「多分な。小鹿派以外、こんな事をたくらむ者は考えられんのじゃ」と早雲は答えた。
「そんな事になったら大変な事になる」
「ああ。大変じゃ」
「そうなると、重臣の方々はどうなるんですか」
「そこが分からんのじゃよ。重臣たちを閉じ込めて置けば、必ず、騒ぎが起こるじゃろう。国元の部下たちが黙ってはおらんじゃろうからな」
「ここに攻めて来ますよ」
「しかし、重臣たちがこの中にいる限り、攻める事はできん」
「でも、いつまでも閉じ込めて置くわけにも行かんでしょう。こんな事が、もし他国に知れたら今川家は終わりですよ。駿府を攻めれば、今川家の重臣たちは皆、討ち死にです」
「そうか‥‥‥それを狙っておるのかもしれんのう」と小太郎は言った。「葛山にしろ、天野にしろ、今川家の家督争いなんかどうでもいい事じゃ。この際、一気に今川家を潰そうとたくらんでおるのかもしれんぞ」
「お屋形内に閉じ込めておいて、葛山と天野の連合軍でここを攻めると言うのか」と早雲は聞いた。
「それもありえるが、それは最後の手段じゃろう。御番衆まで味方に付ければ何でもできる。この間のように河原者たちを使う事も充分に考えられる。例の寺社奉行は三浦何とかと言ったのう。三浦も小鹿派じゃ。この前のように騒ぎを揉み消すのは訳ないわ」
「重臣たちを暗殺するというのか」
「全部は殺さん。見せしめの為に二、三人は病死するじゃろうのう。そのうちに恐れて、小鹿派に転向する者も現れて来るじゃろう」
「それも考えられん事はないが、そんな事をすれば、葛山は恨みを買う事となる。この場は思い通りになったとしても、後で何をされるか分からん。葛山はそんな卑怯な手は使わんとは思うがのう。それより、わしが思うには、福島越前守はここを占領して竜王丸殿を人質に取り、竜王丸殿が成人するまで小鹿新五郎に後見人になって貰うという事にまとめようとしておるんじゃと思うんじゃが」
「竜王丸殿を人質に取るなら何も占領する事もなかろう」
「いや、占領しておかないと竜王丸派の者が攻めて来ると考えたのじゃろう。占領しておいて、越前守は竜王丸殿を評定の間の上段の間に座らせ、竜王丸殿をお屋形様とし、小鹿新五郎を後見人にしたらどうかと提案する。そうするとどうなると思う」と早雲は皆の顔を見回した。
「竜王丸派の者は賛成するじゃろうのう。どうせ、誰かが後見人にならなければならんのじゃからのう」と小太郎は言った。
「小鹿派も賛成すると思うがのう」と富嶽は言った。
「そうじゃ。とりあえずは後見人でも、十年という歳月があれば何とか、お屋形様になれるかもしれんと思って、小鹿派も賛成するじゃろう。そうなると反対するのは、河合備前守派の天野民部少輔と中原摂津守派の岡部兄弟だけとなる。竜王丸派と小鹿派が一体になってしまえば、民部少輔も岡部兄弟も反対を続けるわけには行かんじゃろう。こうして、今川家が一つになった所で、福島越前守はお屋形を包囲している軍勢を解くというわけじゃ」
「成程」と富嶽は頷いたが、「しかし、どうして、今まで、そううまく行かなかったんじゃろ」と早雲に聞いた。
「評定の間では邪魔する者がおったからじゃ。話をそこまで持って行く前に腰を折られたんじゃろう。竜王丸殿をお屋形様にして小鹿新五郎を後見人にしたらどうか、と言っても、天野兵部少輔や岡部兄弟が、お屋形様は、まだ、竜王丸殿と決まったわけではない。後見人の話など、お屋形様が決まってからじゃ、と言われれば、話はちっとも進まんし、小鹿新五郎としても、後見人になるよりはお屋形様の方がいい。そうなると、話はまた振り出しに戻る。毎日、そんな事をやっておるんじゃろう。そこで、越前守はお屋形を占領して、重臣たちを緊張状態に置き、一気に話をまとめようと考えたに違いないわ」
「成程のう‥‥‥しかし、ここには竜王丸殿はおらんぞ」と小太郎は言った。
「そうなんじゃ。越前守はここに竜王丸殿がおると思って、その作戦を練った。しかし、ここに竜王丸殿はおらん。そうなると、どういう事になるかの」
「まず、竜王丸殿はどこに行ったか聞くじゃろうのう」
「それから?」
「竜王丸殿なしで話を進めるかのう‥‥‥」
「それもあり得る。竜王丸殿がおらなくても一つにまとめる事はできるじゃろう。ただし、天野氏がどう出るかじゃ。天野氏にとって今川家が一つにまとまっては具合が悪い。絶対に邪魔をするはずじゃ。それと、葛山の本心も分からん。本当に小鹿新五郎をお屋形様にしたいのか、それとも、天野氏と同様、今川家に内訌を起こさせたいのか‥‥‥」
「もし、天野と同じ穴の貉(ムジナ)だとすると葛山も邪魔をするじゃろうな」
「天野民部少輔ですけど摂津守派になりつつあります」と小田が口をはさんだ。
「本当か」と早雲は聞いた。
「はい。女で釣られたようです。最近、岡部五郎兵衛の家に入り浸りです」
「そうか‥‥‥となると、両天野氏は竜王丸派と小鹿派が一つになるのを邪魔して来るのは確実じゃな」
「越前守の思うようにはならんようじゃな」と小太郎が言った。
「明日の事は明日になってみないと分からん。それよりも、わしはここを捨てようと思っておるんじゃ」と早雲は言った。
「竜王丸殿がおられん事は明日にはばれるじゃろう。そうなると、ここを守っておってもしょうがない。返って、ここにおるのは危険と言える。みんな、逃げた方がいいじゃろう」
「全員、小河屋敷に移るんですか」と富嶽が聞いた。
「いや、富嶽と多米と荒木の三人はもう少し、ここに残って貰う。ただし、長谷川殿の屋敷でじゃ。小田殿も二の曲輪に屋敷があるから残って貰う。小田殿はこれからすぐに帰って貰い、明日の朝、清水殿と一緒にここに来て、初めて誰もおらん事に気づいたという事にするんじゃ。後の者は皆、小河屋敷に移る。どうじゃ、それでいいか」
早雲は皆を見回した。
侍女の菅乃、仲居の和泉と三芳、北川衆の小田と小島、富嶽、多米、荒木、荒川坊が皆、頷いた。
「あの」と小島が言った。「家族はどうしたらいいんです」
「奥さんと子供が一人じゃったな」と早雲が聞いた。
「はい」
「子供はいくつじゃ」
「九つです」
「泳げるか」
「はい、泳げますけど、どうしてです」
「門からは出られんのじゃ。別の所から出る」
「あの、あたし、泳げません」と言ったのは和泉だった。
「泳げんか、他に泳げない者はいるか」
三芳と小島の奥さんが泳げなかった。
「参ったのう。長谷川殿の屋敷で預かって貰う事にするかのう」
「ちょっと待て」と小太郎は言った。「もしかしたら、出て行く事はできるかもしれんぞ」
「どうしてじゃ」
「わしは今まで、ここから出て行く時に過書を見せた覚えはない」
「そう言えばそうじゃのう。入る時は調べるが出て行く者を調べはせんのう。やってみる価値はありそうじゃのう」
小田が二の曲輪に帰って行った。
富嶽、多米、荒木の三人は長谷川次郎左衛門尉の屋敷に向かった。
和泉と三芳の二人が北門に向かった。早雲たちは隠れて、二人の様子を見ていたが、追い返される事なく門を出る事ができた。小太郎の思った通り、出て行く者を一々、調べはしなかった。次に小島親子が出て行った。これも、うまく行った。
小太郎と早雲は菅乃と荒川坊を連れて、北門に向かった。門番は変わっていた。早雲と小太郎が入るのを拒んだ者たちはいなかった。早雲たちはすんなりと出る事ができた。
小太郎は忘れ物をした振りをして戻ろうとしたが、やはり、過書が違うと言われ、入る事はできなかった。
北川殿から抜け出した一行は、その晩は小太郎の家に泊まり、次の日、小河屋敷に向かった。
10.小鹿派
1
次の日の夜明け前のまだ薄暗い頃、福島越前守(クシマエチゼンノカミ)の軍勢によって駿府屋形(スンプヤカタ)は完全に包囲された。勿論、本曲輪(クルワ)を警固する三番組、二の曲輪を警固する二番組と示し合わせた行動だった。城下を見回っていた町奉行に所属する武士たちは突然の異変に驚いたが、完全武装した軍勢に対して、どうする事もできず、ただ、城下の騒ぎを静めるのが精一杯だった。
福島越前守は武装して五十人程の兵を引き連れ、北川殿を包囲し、中にいるはずの早雲の名を呼んだ。早雲とは面識もあり、自分の作戦を理解してくれるだろうと確信していた。ところが、北川殿は静まり返ったまま、門は一向に開かなかった。
そんな時、北川衆の小田と清水がやって来た。二人は武装兵で囲まれた北川殿を見て驚き、越前守に訳を聞いた。越前守は早雲と話がしたいと言う。小田と清水は門の中に声を掛けた。返事はない。裏門の鍵が掛かっていなかったので、入ってみると屋敷の中には誰もいなかった。
越前守は二人を問い詰めた。二人は知らないと答え、昨日の晩までは北川殿を初め、早雲も仲居衆も全員がいた。北川衆の家に行ってみたが、そこにも誰もいなかった。
越前守の頭は混乱した。
竜王丸がいなければ今回の作戦は成功しない。成功しないとなると、お屋形を包囲した事は無駄になるどころか、反発を買う事に成りかねない。今川家をまとめるために、こんな非常手段を取ったが、戦を起こさせるためではなかった。このまま、お屋形を包囲していれば騒ぎが大きくなって戦になりかねない。越前守は素早く決断すると、北川殿を包囲した兵をまとめて、素早く南門に向かい、お屋形を包囲している兵たちに速やかに撤退する事を命じた。
越前守は今川家を一つにまとめるために、早雲と同じように小鹿(オジカ)派と竜王丸派を一つにしようと考えていた。武力を以てお屋形を包囲し、竜王丸と北川殿を評定の場に登場させ、強引に竜王丸の家督と新五郎の後見というふうに決めるつもりでいた。備前守派と摂津守派は反対するに違いないが、備前守には東駿河の守護代、摂津守には西駿河の守護代という形で納得してもらうつもりだった。ところが失敗した。まさか、北川殿がお屋形内から出て行くなどとは考えてもみなかった。早雲の事を甘く見過ぎていた。前以て、早雲と相談すれば良かったと悔やんだが、後の祭りだった。
武力による非常手段を越前守に提案したのは葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)だった。しかし、播磨守の考えは越前守とは違っていた。播磨守は武力によってお屋形を占拠し、強引に小鹿新五郎に家督を継がせる事だった。越前守は小鹿派に移ったとはいえ、葛山播磨守を信用していたわけではない。しかし、今、本曲輪を警固している御番衆は葛山派の連中だった。武力を以てお屋形を包囲するには、どうしても播磨守の協力が必要だった。越前守は播磨守の作戦に同意した振りをしてお屋形を包囲した。そして、独断で竜王丸を評定の間に登場させようとたくらんだのだった。
評定の始まる頃には何事もなかったかのような顔をして、お屋形様の屋敷に入って行く越前守の姿があった。しかし、今回、危険を感じて駿府屋形から逃げ出したのは、北川殿だけではなかった。評定の間に河合備前守の姿はなく、備前守を押す天野兵部少輔(アマノヒョウブショウユウ)の姿もなかった。二人の屋敷を捜してみたが、北川殿同様、もぬけの殻だった。
備前守はお屋形様の座を辞退したという形で評定は始められたが、結局、話はまとまらず、返って悪い状況になってしまった。天野民部少輔(ミンブショウユウ)が竜王丸派から中原摂津守派に移り、なぜか、小鹿派だった天方山城守(アマカタヤマシロノカミ)までも摂津守派に寝返った。さらに、北川殿と竜王丸が駿府屋形から消えたという事が知れ渡ると、竜王丸派の福島土佐守(クシマトサノカミ)までもが摂津守派に移って行った。土佐守が抜けた代わりに、小鹿派だった新野左馬助(ニイノサマノスケ)が竜王丸派になった。
昨日までは竜王丸派と小鹿派が強く、備前守派と摂津守派が弱かったため、竜王丸派と小鹿派を一つにまとめれば何とかなると考えていた福島越前守の狙いも、今日からは通用しなくなってしまった。摂津守派が急に伸びて、竜王丸派と同じ位の勢力を持つようになり、三つ巴(ドモエ)の様相となってしまった。
その頃、お屋形を出た河合備前守は天野兵部少輔と共に、本拠地の茶臼山(チャウスヤマ、愛宕山)の裾野にある屋敷に帰っていた。茶臼山の山頂には詰(ツメ)の城があって、鎌倉街道を眼下に見渡せ、駿府屋形の東を守っていた。
備前守は駿府屋形から出て行ったが、決して、お屋形様の候補の座から降りたわけではなかった。早雲と同じように阿部川の河原に待機している軍勢に気づいて身の危険を感じ、閉じ込められる事を恐れて出て行っただけだった。逃げたわけではなく、改めて戦うためにお屋形から出たのだった。
備前守は天野兵部少輔にそそのかされて、伊豆の堀越公方(ホリゴエクボウ)にお屋形様の死を知らせて後ろ盾になって貰おうと決めていた。もう、今川家の重臣たちは信じられなかった。亡くなったお屋形様のすぐ下の弟である自分を押す者は一人もいない。誰が考えても自分がお屋形様になるのが当然なのに、その事に気づく者は一人もいない。今川家の重臣たちは馬鹿ばかりだ。もう、頼まない。将軍様の弟である堀越公方なら絶対に自分の後ろ盾になってくれるだろう。すぐにでも、軍勢を引き連れて駿府に来るに違いない。堀越公方が出向いて来れば、馬鹿共も目を覚ますに違いない。備前守は使いの者に書状を持たせ、堀越公方の執事(シツジ)、上杉治部少輔政憲(ジブショウユウマサノリ)のもとに走らせた。
お屋形様が亡くなってから、すでに一月半が過ぎようとしていた。遠江(トオトウミ)の国で反今川勢力が、また動き始めていた。横地、勝間田両氏が滅んだとはいえ、東遠江が完全に今川家の領地となったわけではなかった。お屋形様が急死したために戦後処理も完全ではなく、さらに、遠江にいる今川家の武将たちが積極的な行動に出ないため、遠江の国人たちがおかしいと思い始め、もしや、お屋形様の身に何かあったのに違いないと疑う者も現れ、今川家に敵対する者も出て来ていた。放っておくわけには行かなかった。
福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)、朝比奈備中守(ビッチュウノカミ)、新野左馬助の三人が駿府の事を気にしながらも、後の事を長谷川次郎左衛門尉らに頼んで、三月の二十日、遠江に帰って行った。その三日後には堀越陸奥守(ホリコシムツノカミ)、久野佐渡守(クノサドノカミ)、天方山城守も遠江に帰った。遠江勢で残っていたのは両天野氏だけとなった。早雲たちは天野氏も遠江に帰ってくれれば、事がうまく運ぶと思って期待したが、天野氏の基盤は堅いと見えて帰る気配はなかった。
遠江勢が帰った事により、他の派閥には大して影響はないが、竜王丸派は朝比奈氏、斎藤氏、長谷川氏の三氏だけとなった。竜王丸も駿府屋形にはいないし、かなり弱い立場となってしまった。
二十八日、お屋形様の四十九日の法要がひそやかに行なわれた。毎日、だらだらと続いている評定も気分転換の意味も込めて、三日間、休みとなった。
長老の朝比奈天遊斎(テンユウサイ)は、ようやく朝比奈城に帰り、戦死した長男、肥後守(ヒゴノカミ)の仏前に線香をあげて冥福(メイフク)を祈る事ができた。
小鹿逍遙(ショウヨウ)も小鹿庄の我家に帰って、ゆっくりと休養した。逍遙はお屋形様の屋敷内で寝起きしていたため、心の休まる時がまったくなかった。天遊斎もほとんどお屋形様の屋敷にいたが、時折、自分の屋敷に帰って、のんびりする事ができた。逍遙の場合、本曲輪内にある屋敷には息子の新五郎がいるため、中立を保っている逍遙は出入りしなかった。また、屋敷に帰ったとしても、のんびりできるわけはなかった。息子と言い争いになるのは分かっている。毎日の評定でくたくたに疲れているのに、息子の顔など見たくはなかった。逍遙は久し振りに我家に帰り、何もかも忘れて、のんびりと過ごしていた。
重臣たちも皆、疲れ切っていた。誰もが一日位、休みたいと思っていた。今回、休みを提案したのは天遊斎だった。二十七日の評定の場で、明日はお屋形様の四十九日に当たるので評定は休みにしたらどうか、と言った。驚いた事に誰もその事に気づいていなかった。もう四十九日も経ったのか、と誰もが思い、そろそろ休んだ方がいいかもしれないと思った。岡部美濃守(ミノノカミ)が一日位休んでも何も変わらんじゃろう。いっその事、三日間休んで、来月から改めて始めたらどうじゃ、と言うと皆、賛成した。
竜王丸派の朝比奈和泉守(イズミノカミ)、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉の三人も小河屋敷にいる北川殿母子と会い、元気に遊んでいる竜王丸を見ながら、一時程、話をすると、それぞれの城に帰って行った。
小鹿派の福島越前守、庵原安房守(イハラアワノカミ)、興津美作守(オキツミマサカノカミ)、蒲原越後守(カンバラエチゴノカミ)らも本拠地に帰って行った。
摂津守派の中原摂津守、由比出羽守(ユイデワノカミ)、岡部五郎兵衛、福島土佐守も帰った。
お屋形内に残ったのは小鹿派の葛山播磨守、矢部将監(ショウゲン)、三浦次郎左衛門尉、摂津守派の岡部美濃守だけとなった。岡部美濃守も帰りたかったが、小鹿派だけを残しておくと何をするか分からないので、あえて残る事にした。
次の日、思いがけない事が起こった。
東から軍勢がやって来た。河合備前守が呼んだ堀越公方の軍勢、三百騎だった。徒歩(カチ)武者合わせて一千人余りのその軍勢は、備前守の茶臼山城の裾野に陣を敷いた。駿府屋形の東北半里程の距離だった。
急遽、お屋形内にいた葛山播磨守、矢部将監、三浦次郎左衛門、岡部美濃守の四人が集まり、今後の対策を練った。まず、守りを固める事が先決だった。とりあえず、来月、本曲輪を守る予定の五番組を集め、今、守っている三番組と一緒に本曲輪の警固をしてもらう事に決まり、さらに、福島越前守に軍勢を船にて駿府までよこすように頼んだ。美濃守は反対したが、今は派閥争いをしている時ではなく、駿府を守る事が先決だと言われ、承知せざるを得なかった。もし、今、河合備前守が堀越公方と連合して、ここを攻めて来れば、ここを占領される事も充分に考えられた。
岡部美濃守は自分の兵も、ここを守るために至急、呼び寄せると言った。葛山播磨守は、そうして貰えると心強い、是非、そうしてくれと頼んだ。美濃守は朝日山城にいる弟の五郎兵衛のもとに早馬を飛ばした。
堀越公方の軍勢が駿府に来たという事は、その日のうちに城下の噂になった。城下の者たちには、堀越公方がどうして駿府に軍勢を率いて来たのか分からなかったし、城下に攻めて来るだろうと思った者などいなかった。どうせ、お屋形様と一緒に遠江に進撃するために来たに違いないと思い、大騒ぎにまではならなかった。
堀越公方の軍勢は陣を敷いたまま駿府屋形の方を見ながら、不気味に動こうとはしなかった。
福島越前守の軍勢は速かった。
次の日には船にて阿部川をさかのぼり、昼頃には全員がお屋形内に入って戦闘態勢を整えた。その軍勢と共に福島越前守は勿論の事、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守ら、小鹿派の者たちは勢揃いした。軍勢が駿府に到着する早さといい、小鹿派の全員が揃う事といい、うまく出来過ぎていた。前以て打ち合わせがしてあったかのような迅速な行動だった。堀越公方の軍勢が来る事を前以て知っていたのか、それとも、堀越公方の軍勢とは関係なく、重臣たちがそれぞれ本拠地に帰った後、お屋形を占領するつもりだったのに違いなかった。お屋形内には御番衆を含め、一千人余りの小鹿派の兵が溢れた。
岡部美濃守はイライラしながら弟が兵を引き連れて、駿府に到着するのを待っていたが、なかなか来なかった。
五郎兵衛率いる軍勢は日の暮れる頃、ようやく藁科(ワラシナ)川を渡っていた。物見の兵の知らせで、駿府に異状のない事を確かめると、阿部川の河原まで来て野営をする事にした。ここまで来れば駿府屋形は目と鼻の先だった。何も慌てて、暗くなってから川を渡る事もなかった。五郎兵衛は一応、使いを走らせ、今、阿部川の河原にいる事を兄のもとに知らせたが、その使いの者はお屋形内に入る事はできず、仕方なく書状を門番に渡して、届けてくれるよう頼んだ。その書状は三番組の頭、葛山備後守の手に渡り、さらに兄の播磨守の手に渡ったが、岡部美濃守の手には届かなかった。
夜になって、お屋形内ではあちこちに篝火(カガリビ)が焚かれ、御番衆たちが甲冑(カッチュウ)の音を鳴らしながら歩き回っていた。誰もいなくなった北川殿は小鹿派の本陣となり、小鹿新五郎を中心に葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門、矢部将監らが小具足姿で詰めていた。
空には月もなく、星もなく、気味悪い程、生暖かい風が吹いていた。
三日間の休みが終わり、再び、評定(ヒョウジョウ)が始まった。
小鹿逍遙は堀越公方が軍勢を駿府に送って来た事によって、のんびり休む事もできず、三日目には、また駿府屋形に戻って来ていた。小鹿派の者たちが、お屋形を守るために軍勢を引き入れるのを目の当りにしながらも、葛山播磨守より、「河合備前守殿が、今にも伊豆の軍勢と共に攻めて来る。今川家を守らなければならない。今は派閥争いなどしている時ではない。とくかく、一時でも早く、ここの守りを固めなければならない」と言われ、何も言う事ができなかった。
朝比奈天遊斎が堀越公方の軍勢の事を知ったのは、軍勢が来たその日の夕方だった。知らせたのは長谷川次郎左衛門尉だった。次郎左衛門尉に知らせたのは早雲庵の者たちだった。天遊斎は次郎左衛門尉から、次々に新しい情報を聞いていたため、慌てずに駿府の様子を眺めていた。駿府から、その事を知らせて来たのは軍勢が来た次の日、つまり、昨日の夕方だった。知らせてくれたのは三浦次郎左衛門尉で、今の所、騒ぎは起きていないので心配ない、と書いてあった。天遊斎は息子の法要を済ませ、息子が急死したために溜まっていた事務を処理して、休む間もなく、四月一日の早朝、小鹿派の軍勢で固められた駿府屋形に向けて出発した。
竜王丸派の重臣たちは皆、早雲らによって駿府屋形の状況を詳しく知っていた。小鹿派が軍勢を出した事も勿論知っていたが、どうする事もできなかった。しばらくは、事の成り行きを見守っているしかないと、いつでも出撃できる態勢を整えて、駿府を睨んでいた。
摂津守派の福島土佐守も岡部美濃守から知らせを受けて出撃の準備を始め、岡部五郎兵衛の後を追って、兵を引き連れて駿府に向かっていた。
評定は午後からだった。非常時のため、重臣たちは小具足姿のまま、お屋形様の屋敷の大広間に集まった。しかし、全員が集まったわけではなかった。上座の上段の間のすぐ下には小鹿新五郎の姿しかなく、中原摂津守はいなかった。河合備前守は天野兵部少輔と共にお屋形から出て行ったので、いないのは分かるが、摂津守がこの評定の間に現れないはずがなかった。
摂津守だけではなく、竜王丸派の三人の重臣の姿もなく、摂津守派の福島土佐守、岡部五郎兵衛、由比出羽守の姿もなかった。
朝比奈天遊斎、小鹿逍遙の二人はおかしいと思い、お屋形様の屋敷を守っている宿直衆たちを門まで走らせたが、誰一人として戻っては来なかった。
この日、評定の間に集まっていたのは、小鹿派の全員と摂津守派の岡部美濃守と天野民部少輔だけだった。岡部美濃守も家臣の者たちを門まで走らせたが、戻っては来なかった。
評定の始まる時刻はすでに過ぎていた。しかし、評定は始まらなかった。半時程、待った頃、葛山らが騒ぎ出した。
「この大事な評定の日を忘れておるとは今川家の重臣とは言えん。そんな者をいつまでも待っていたら、それこそ、今川家の浮沈にかかわるわ。他国の者が干渉して来ている、この今、悠長な事をしておれん。早い所、お屋形様を決め、先代のお屋形様の葬儀を済まさん事には、他国の笑い者になりかねん。天遊斎殿、さっさと初めてもらおうか」
評定の結果は小鹿派の思い通りとなり、小鹿新五郎範満(ノリミツ)がお屋形様に決定した。摂津守派の岡部美濃守と天野民部少輔は反対したが、当人が出て来ないのでは話にならん。もしかしたら、お屋形様の候補の座から降りたのかもしれんぞ、とまで言われ、何を言っても無駄だった。
岡部美濃守は腹を立て、真っ赤な顔をしたまま評定の間から去って行った。天野民部少輔も後を追うように捨てぜりふを残すと出て行った。
お屋形様が決まると話はすらすらと進んで行った。先代のお屋形様の葬儀の日取りまで決めると、その日の評定は終わった。明日からは場所を守護所に移して、首脳部の人事異動や、前回の戦における論功行賞(ロンコウコウショウ)が行なわれる事となった。
評定の途中で席を立った岡部美濃守と天野民部少輔の二人は一旦、本曲輪内の屋敷に戻ったが、すでに、お屋形様が決まった今、ここにいてもしょうがないと、とにかく、中原摂津守のいる青木城に行く事にした。
岡部美濃守が天野民部少輔と共に家臣を引き連れ、南門を出ると、そこには武装した軍勢が埋まっていた。そして、鎌倉街道を挟んで向う側にも軍勢がおり、睨み合っている。街道の向う側にいたのは中原摂津守を中心とした岡部五郎兵衛、福島土佐守の軍勢だった。
一体、これは何事だと岡部美濃守は弟、五郎兵衛のもとに行って事情を聞いた。話によると過書(カショ)が変わったと言って、中に入れてくれないと言う。摂津守でさえ、過書がなければ入れるわけにはいかないと言う。それでは、すぐに新しい過書をよこせと言うと、しばらく待ってくれと言うばかりで一向に埓(ラチ)が明かない。力付くでも通ると威すと、今川家に謀叛(ムホン)を企(クワダ)てる者として捕えなければならないと言い、土塁の上から弓を構えて来る。竜王丸派の者たちも入れて貰えず、諦めて帰って行ったと言う。
「播磨守の奴め、汚い手を使いおって」と岡部美濃守はもう一度、お屋形様の屋敷に戻って直々に文句を言ってやろうと門を通ろうとしたら門番に止められた。何を言っても駄目だった。美濃守も中に戻る事はできなかった。
「さっき、出て来た所を見ておったじゃろう。入れんとは何事じゃ」
「はい。申し訳ございませんが、過書のない者は絶対に通すなとの命令なのです」
「過書が変わったと言うが、わしはそんな事を聞いておらん」
「おかしいですな。美濃守殿のお屋敷にも御番衆の者が届けたはずでございますが」
「兄上、無理じゃ」と五郎兵衛が言った。
「今更、戻ってもどうにもならんじゃろ。それより、これからの事を考えなきゃならん。ここはひとまず引き上げた方がよさそうじゃ」
「くそ!」
くやしがりながらも摂津守勢は摂津守の居城、青木城に引き上げて行った。
今日、四月一日は御番衆の勤務交替の日だった。本曲輪の警固は三番組から五番組に代わるはずだったが、この二組が一緒に守っていた。二曲輪は二番組から三番組に代わるはずだったが、三番組が本曲輪にいるので、二番組がそのまま居座り、詰の城(賤機(シズハタ)山城)の警固は一番組から二番組に代わるはずだったが、二番組の代わりに庵原安房守の軍勢が守っていた。本曲輪の三番組、五番組、二の曲輪の二番組、そして、詰めの城を守っている庵原安房守、すべてが小鹿派で固められ、さらに、お屋形の回りにも興津美作守、蒲原越後守らの軍勢が固めていた。総勢、二千近くの軍勢だった。
お屋形様となった小鹿新五郎は堂々とお屋形様の屋敷に移って来た。広い屋敷内を歩き回り、奥勤めの女中たちに声を掛けて得意になっていた。誰もいない大広間の上段の間に座り込み、独りでニヤニヤしている。父親の逍遙入道は情けないと思いながらも、何も言わずにお屋形様の屋敷から去って行った。お屋形様の葬儀に出たら、それこそ、本当に隠居しようと改めて思っていた。
朝比奈天遊斎も逍遙と一緒にお屋形様の屋敷を後にした。この先、このままで納まるとは思っていなかったが、本当に疲れていた。今は何も考えたくなかった。しばらくは、朝比奈城の隠居所でのんびりしたい心境だった。しかし、そうもいかなかった。嫡男の肥後守が亡くなり、新たに朝比奈家の家督を継いだ肥後守の嫡男、又太郎はまだ十歳だった。そして、又太郎の後見となった三男の左京亮(サキョウノスケ)もまだ二十歳だった。まだまだ、のんびり隠居などしている暇はなかった。分かってはいるが、とにかく、明日一日だけはゆっくりしようと思っていた。
宿老の二人も去り、小鹿派に反発する者たちは次々にお屋形から去って行った。門を守っている御番衆の者たちは去り行く者は追わなかった。小鹿派の中心になっている葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門の三人は、これからが本番だと思っていた。これから敵対する重臣たちを何としてでも抱き込まなければならなかった。一人づつでも寝返らせ、遠江に帰っている者たちが戻って来るまでに、新しい今川家を作らなければならなかった。
その日の夜、駿府屋形、賎機山城、駿府の北東にある茶臼山城、阿部川と藁科川を挟んで駿府の南側、小坂の山(日本坂)への入り口にある青木城の四ケ所が、篝火によって明るく浮いていた。まるで、狐火のような不気味な光景だった。
三月十八日以来、誰もいなくなった北川殿を、相変わらず、小田と清水の二人は交替で守っていた。ところが、二十九日に堀越公方の軍勢が駿府に来て、三十日には小鹿派の軍勢が駿府屋形を守るためにやって来ると、小田と清水は強制的に追い出されてしまった。
四月一日の評定で、小鹿新五郎が今川家の家督を相続する事に決定すると、次の日から、人事異動が始まった。まず、お屋形様の屋敷を守る宿直(トノイ)衆の頭が小鹿派の者と交替し、御番衆の一番組、四番組の頭も竜王丸派から小鹿派に代えられた。そして、北川衆という職務は勿論、なくなってしまった。さらに、奉行衆らもすべて小鹿派の者に代わり、職を失った者たちは駿府屋形から去って行った。それでも帰る所がある者はいいが、代々、駿府に住んでいた者たちは行く所はなかった。
北川衆の小田と清水の二人もそうだった。職を失った二人は一体、これからどうしたらいいものか、路頭に迷う事となった。二人程の者なら、小鹿派に寝返れば何らかの職に付ける事は間違いないが、二人はその道を選ばず、駿府の屋敷を捨てて、家族とわずかばかりの家臣を連れて北川殿のいる小河に移った。
長谷川次郎左衛門尉の屋敷に移っていた富嶽、多米、荒木の三人はまだ、お屋形内に残っていた。主人の次郎左衛門尉は三日間の休みの時、小河に帰ったまま戻る事はできなかった。小鹿派の軍勢に占領された中、三人は次郎左衛門尉の屋敷を守っていた。
門を守る御番衆は過書が変わったと言うが、小鹿派以外の者たちに新しい過書は渡らなかった。小鹿派以外の者たちはお屋形から出る事は出来るが、二度と入る事は出来なかった。それぞれの屋敷に出入りしていた商人たちも、小鹿派以外の屋敷と取り引きをしていた者はお屋形内に入る事は出来ず、小鹿派以外の者たちは生活も以前通りには出来なくなっていた。彼らは小鹿派に寝返るか、お屋形から出て行くかのどちらかの選択を迫られ、帰る場所のない者たちの多くは小鹿派に寝返って行った。
次郎左衛門尉の屋敷でも、出入りの業者が来なくなり、留守を守っていた家臣や女中たちは皆、小河に帰って、門を堅く閉ざしていた。その屋敷内に富嶽、多米、荒木の三人が潜み、お屋形内の状況を探っていた。三人は長谷川屋敷にあった甲冑を着て、お屋形内をうろついている福島越前守の兵に扮して本曲輪内の様子を探っていた。
その屋敷を時々、訪ねていたのは風眼坊こと風間小太郎だった。小太郎は道賀亭の濠からお屋形内に潜入し、あちこちに忍び込んでは敵の動きを探っていた。特に、敵が北川殿を本陣にしたのは小太郎にとって都合のいい事だった。小太郎は北川殿を守っていた時、敵が忍び込んで竜王丸殿の命を狙うかもしれないと北川殿を調べたので、隅から隅まで知っていた。小太郎は北川殿の屋根裏に忍び込んでは葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門らのたくらみをすっかり聞いていた。
四月三日、小鹿派のやり方に腹を立てた中原摂津守派は、青木城に待機していた福島土佐守、岡部美濃守の軍勢と摂津守自身の軍勢、およそ一千で阿部川を封鎖した。阿部川に関所を設け、小鹿派に関係ある者の通行を止めた。これに対して小鹿派の方でも軍勢を阿部川の河原に配置し、阿部川を挟んでの両軍の睨み合いが続いた。
このため駿河の国は阿部川を境に東西に分けられた格好となり、本拠地が阿部川以西にある小鹿派の三浦次郎右衛門尉の立場は悪くなって行った。同じように、摂津守派の由比出羽守も本拠地が阿部川以東にあるため、敵に攻められる可能性が出て来た。出羽守は一旦、本拠地の川入城に帰り、敵に攻められた場合、籠城する覚悟を決めて守りを固め、それ以後、駿府には出て来ななかった。
四日の夜、小太郎が門の閉ざされた長谷川屋敷にどこからともなく入って来た。
座敷でゴロゴロしていた三人はびっくりした顔をして小太郎を見た。小太郎はいつものように山伏姿だったが、首から何かをぶら下げていた。誰が見ても、それは遺骨の入った桐の箱だった。
「風眼坊殿、一体、何の真似です」と富嶽が起き上がると聞いた。
小太郎は遺骨を首から下ろすと、上段の間に静かに置き、両手を合わせた。
「もしや、そのお骨はお屋形様の?」と聞いたのは多米だった。
小太郎は頷くと、三人の側に腰を下ろした。
「あさって、小鹿新五郎を喪主として、お屋形様の葬儀をするそうじゃ」と小太郎は言った。
「らしいのう」と富嶽は頷いた。「小鹿新五郎の奴はすでにお屋形様になったつもりでおる。お屋形様の葬儀を新五郎が行なえば、内外にもその事は知れ渡ってしまうじゃろう」
「まあ、そうじゃな。お屋形様の遺骨を盗んだ所で、奴らが葬儀をやめるとは思えんが、本物の葬儀は竜王丸殿にやってもらおうと思っての。こうやって移動していただいたんじゃ。北川殿もろくに別れも告げておらんじゃろうし、竜王丸殿や美鈴殿にもこの際、父上が亡くなった事を知らせた方がいいと思ってのう」
「その方がいいかもしれんのう」
「そうじゃ。あんな奴らに葬儀をやってもらっても、お屋形様は喜ばんわ」と荒木が言った。
「この先、どうなるんじゃろう」と富嶽は聞いた。
「あちこちに忍び込んで分かった事じゃが、同じ小鹿派でも、葛山と福島越前、三浦らは、やはり考えが違うようじゃ」
「風眼坊殿、わしらにも敵の屋敷に忍び込む術とやらを教えて下さいよ」と多米は言った。
「そのうちな。今はそんな暇はない」
「どう違うのですか」と富嶽は聞いた。
「福島と三浦は小鹿新五郎を中心に今川家を一つにまとめようと真剣に考えておる。ところが、葛山は未だに両天野氏と連絡を取っておる」
「なに、天野氏と言えば、今、二人とも外に出ておるはずじゃが、未だにつながっておるというのですか」
「例の長沢の配下の者が両天野氏と共にお屋形から出て行き、それぞれの陣中にいながら長沢のもとに状況を送っているらしいのう」
「という事は、葛山はここにおりながら備前守派と摂津守派の動きが手に取るように分かっておるという事じゃな」
「そういう事になる」
「一体、葛山は何をたくらんでおるんです」
「戦を起こさせようとしておるに違いないわ。天野民部少輔が竜王丸派から摂津守派に寝返ったのも最初からの計画じゃったのじゃろう。初めの頃、摂津守派の勢力は一番弱かった。そこで、両天野は葛山のいない竜王丸派と備前守派に入った。ところが、遠江勢が帰ると竜王丸派の勢力が弱くなり、主戦派の福島土佐守が摂津守派に移った事により、戦を起こすには摂津守派を煽(アオ)った方がいいと考え、民部少輔は摂津守派に移った。そして、今、阿部川を挟んで小鹿派と摂津守派は対峙しておる。後はきっかけさえあれば、いつでも戦になるという状況にまで来ておるんじゃよ」
「きっかけか‥‥‥」
「小鹿派がお屋形を占領した事に対して、阿部川を封鎖しようと提案したのは民部少輔に違いないわ」
「福島越前守と三浦は葛山のそんなたくらみには気づいてはおらんのですか」
「気づいてはおらんな」
「もし、その事に気づいたとしたら、どうなるでしょう」
「うむ。そいつは面白いのう」小太郎は少し考えて、「使えそうじゃな」とニヤリとした。「それとな、もう一つ面白い事がある。葛山も知らない事があるんじゃ。三浦次郎左衛門尉じゃが、摂津守派の岡部美濃守を寝返らせようとたくらんでおるんじゃ。三浦は阿部川が封鎖されてしまったので、今、孤立した状態にあるんじゃ。このままでおったら本拠地の大津城を攻められる可能性もあるわけじゃ。そこで、美濃守を寝返らせ、阿部川の封鎖を解いてもらわなければならんと考えた。しかし、美濃守の妹が摂津守の側室となっておるため、美濃守を寝返らすのは容易な事ではない。そこで、三浦は小鹿新五郎の嫡男、千代秋丸、まだ八歳なんじゃが、その嫁に美濃守の娘を迎えようと美濃守に誘いを掛けておるんじゃよ」
「へえ‥‥‥それで、美濃守の方の反応はあるんですか」
「今の所はないが、美濃守としても民部少輔に躍らされて戦をする程の愚か者ではない。小鹿派のやり方が汚いので腹を立てて阿部川を封鎖したが、本当に戦を始める気などない。負けたと見極めが付けば、有利な立場で迎えられる事を願うに違いないわ」
「美濃守が寝返ってしまえば摂津守派の立場はかなり不利になって来るのう」
「不利になるどころか、勝ち目はなくなってしまうじゃろう。わしらの立場から見れば、摂津守派を絶対に小鹿派に寝返らすわけには行かん。摂津守派と竜王丸派をくっつけなければならんのじゃ」
「竜王丸派と摂津守派が一緒になるのですか」と荒木が聞いた。
「ああ、そうじゃ。竜王丸殿が成人するまで、摂津守が竜王丸殿の後見をするという線で、早雲が美濃守に誘いを掛けておるはずじゃ」
「早雲殿が動き始めたんですか」
「ようやくな。話はすぐにはまとまらんじゃろうが、天野民部少輔が多分、同意するじゃろうと睨んでおるんじゃ」
「天野氏は今川家を二つに分けて争わせようとたくらんでおるという事ですか」
「多分な」
「三浦はどうして、葛山に内緒で岡部を寝返らそうとしてるんじゃろ。そこの所が、わしにはよう分からんがのう」と多米は言った。
「新しい派閥争いが始まっておるんじゃよ」と小太郎は言った。「小鹿新五郎をお屋形様の座に付けるために共に戦って来たが、新五郎がお屋形様に決まると、今度は新しいお屋形様のもとで、自分の権力をどれ程伸ばせるかが、これからの課題というわけじゃ。三浦も越前守も葛山の事を信じてはおらん。それぞれが、それぞれを利用しながら色々とたくらんでおるんじゃよ。皆、一筋縄で行くような輩(ヤカラ)ではないわ」
「へえ、重臣ともなると考える事まで違うんじゃのう」
「いや。それ程は違わんさ。皆、真剣なのさ。お前らも真剣に竜王丸殿のために何をすべきかを考えれば、敵の思う事も分かるようになるぞ」
「風眼坊殿の言う通りじゃ」と富嶽が多米と荒木の顔を見た。「ぶつぶつ文句ばかり言っておらんで少しは真剣になれ」
「参ったのう」と荒木は頭を掻いた。
「備前守派の奴らはどうしてます」と富嶽が聞いた。
「備前守派か、あれはもう消えたようなものじゃな」
「しかし、堀越公方が後ろに付いておるんでしょう」
「ところがじゃ、堀越公方の代理として来た上杉治部少輔は、今川家の内訌を治めようと小鹿派のお屋形に勇んでやって来たのはいいが、葛山らにうまく丸め込まれて、今、客殿の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在しておるわ」
「という事は小鹿派に寝返ったのか」
「いや。治部少輔としては飽くまで中立の立場で、今川家の内訌を治めようとしておるらしいが、残念ながら、それ程の力もないし、器でもない。備前守にはお屋形様にしてやると言いながら、小鹿派の者たちには備前守をしかるべき地位で迎えてくれと頼んでおるわ」
「備前守はその事を知っておるんですか」
「いや、知らん。備前守もお屋形様になるのは諦め、竜王丸派と手を結び、竜王丸殿の後見になろうと思い始めておるらしいが、天野兵部少輔が反対しておるようじゃ」
「天野は何をたくらんでおるんです」と荒木が聞いた。
「内訌を長引かせ、その隙に、遠江の国を奪い取ろうとたくらんでおるんじゃろう」
「うーむ。内訌が長引けば長引く程、天野氏にとって有利となるわけか」
「遠江に帰った今川家の武将たちが天野の思い通りにはさせんとは思うが、遠江が今、どんな状況なのか、まったく分からん」
「早いうちに、今川家をまとめなければならんのう」と富嶽が言った。
小太郎は頷いた。「しかし、難しい」
「わしらは、いつまで、ここに隠れておるんです」と多米は聞いた。
「そうじゃのう。もう少し我慢してくれ。竜王丸派と摂津守派が一つになったら、もう、ここから出ても構わんじゃろう」
「しかし、わしらがここから出たら敵の動きが分からなくなりますよ」
「わしがちょくちょく、忍び込むから大丈夫じゃ」
「その時は、わしも一緒に来ます」と多米が言った。
「泳げるか」
「そりゃもう」
小太郎は頷くと、お屋形様の遺骨を首に下げて出て行った。
多米がすぐに後を追ったが、小太郎の姿はもうなかった。多米は首を傾げながら、「不思議なお人じゃ」と言うと空を見上げた。
降るような星が出ていた。
多米は星空を見上げながら、小太郎の言った言葉を思い出していた。
「もっと、真剣になれ!」
多米の頭の中で、小太郎の言葉が何度も何度も反復していた。
四月の六日、真夏のように暑い日だった。
お屋形様、治部大輔義忠(ジブノタイフヨシタダ)の死が公表され、小鹿(オジカ)新五郎範満を喪主として葬儀が大々的に行なわれた。
お屋形様の死因は病死、家督は小鹿新五郎が継ぐ、という事が発表された。城下に住む町人たちは突然の知らせに驚いたが、駿府屋形を守る軍勢が増えた事によって、薄々、気づいている者も多かった。もしや、家督争いの戦が始まるのでは、と恐れていた町人たちも、跡を継ぐべき人の名が公表された事により、何事もなく無事に治まった事を喜んだ。
お屋形様の葬儀は勿論、小鹿派の者たちだけによって行なわれた。ただ、備前守のもとに陣を敷いている堀越公方(ホリゴエクボウ)の執事、上杉治部少輔は参加していた。
葬儀も無事に終わり、お屋形の回りにいる軍勢も引き上げるだろうと思っていた町人たちは、武装したまま引き上げる気配のない軍勢を見ながら不気味に感じ、戦が始まるのではないかと思う者も現れて来ていた。町人たちはいつでも逃げられるように準備を始め、回りの状況を見守っていた。
浅間神社でも異様な雰囲気を感じ、僧兵やら山伏やらが武装して、境内及び門前町の警戒を強めていた。
お屋形内で葬儀が行なわれていた頃、小河(コガワ)の長谷川屋敷では、次郎左衛門尉が髷(マゲ)を落として頭を丸めていた。入道となった次郎左衛門尉は法栄(ホウエイ)と号した。次郎左衛門尉は隠居するために頭を丸めたのではなかった。改めて、お屋形様の遺児、竜王丸を今川家のお屋形様にするための決心の現れであった。
その日の夕方、小太郎は早雲庵に来ていた。
「どうじゃった、葬儀の様子は」と早雲は聞いた。
「まあ、あんなもんじゃろう。しかし、やはり寂しいもんがあるのう。本来なら、今川家のお屋形様の葬儀ともなれば、幕府からも大勢、駈け付けて来るはずじゃが、今の時勢じゃ、それも無理な事じゃ」
「そうじゃな‥‥‥」
「小鹿新五郎の奴が得意になって、喪主をやっておったが、やはり、何か物足らないという感じを受けるのう。わしは先代のお屋形様を知らんが、何か、頼りないのう」
「そりゃそうじゃ。先代のお屋形様とは比べものにならん」
「それで、岡部美濃守の方はどうじゃ。うまく、行きそうか」
「美濃守は動きそうじゃがのう。天野民部少輔が反対しておるようじゃのう」
「天野か‥‥‥なぜじゃ」
「多分、天野氏としては今川家を分散させたままにして置きたいのじゃろう。竜王丸派と摂津守派がくっつけば、三つに分かれておるとは言え、備前守派は消えたも同然じゃ。竜王丸派と小鹿派の二つの争いとなる。二つになれば、その二つが戦を始めるという可能性もあるが、また、その二つが一つにまとまるという可能性も出て来るわけじゃ。そうなる事を恐れて、天野氏は竜王丸派と摂津守派が一つになるのを反対しておるんじゃないかのう」
小太郎は頷いた。「そんな所じゃろうな」
「小鹿派の動きはどんなじゃ」と早雲は聞いた。
「葛山(カヅラヤマ)は堀越公方を味方に引き入れようとしておる。三浦が摂津守派の岡部を寝返らせようとしておるのは知っておるじゃろう。福島越前守は朝比奈を寝返らせようとしておるらしいのう」
「そうか‥‥‥それぞれ、やる事はやっておるようじゃのう」
「どうするつもりじゃ。このまま、時が経てば小鹿新五郎がお屋形様に納まりかねんぞ」
「分かっておる。何としてでも、竜王丸派と摂津守派を結びつける」
「天野民部少輔をどうするつもりじゃ」
「民部少輔は初めは竜王丸派じゃったが、福島土佐守と共に摂津守派に寝返った。二人とも主戦派と言える。竜王丸派にいても戦ができそうもないと寝返ったんじゃろう。戦を餌(エサ)に誘うつもりじゃ」
「なに、戦を餌にするじゃと」
「ああ。駿府屋形を攻めるんじゃ」
「本気か」と小太郎は早雲の顔をじっと見つめた。
早雲は厳しい顔付きで頷いた。「その位の覚悟で臨まん事にはうまく行くまい」
「お屋形を攻めるか‥‥‥確かに、その位の気構えがない事には竜王丸殿をお屋形様にするのは難しい事じゃのう」
お屋形様の葬儀から三日後、早雲は才雲、孫雲、荒川坊の三人を連れて摂津守派の本拠地、青木城に乗り込んで行った。二度目であった。五日前、早雲は岡部美濃守に竜王丸派と摂津守派の合体を提案した。美濃守は自分だけの一存では決められない、五日後に改めて返事をすると言った。
青木城には中原摂津守、岡部美濃守、天野民部少輔がいた。福島土佐守と岡部五郎兵衛の二人は阿部川の陣中で指揮を執っていると言う。
早雲は摂津守の屋敷で三人と会った。上座に摂津守が座り、両脇に美濃守、民部少輔が控えていた。早雲は竜王丸の執事という立場で来たので、下座に座らされるというのは、おかしな事だったが、その事には触れずに本題に入った。
「早雲殿」と民部少輔が言った。「大方の事は美濃守殿より伺ったが、実際問題として、どのようにして小鹿派を倒すおつもりじゃな。確かに、単純に兵力の計算をしてみると、我らと竜王丸殿の派が一緒になれば小鹿派を上回るかもしれん。しかし、実際の事を考えてみると、竜王丸殿の派の半数以上は今、遠江に帰っておる。残っておるのは朝比奈殿、斎藤殿、長谷川殿しかおらん。この三人が実際に小鹿派に対して戦をするようには思えん。そこの所はどうなんじゃ。そこの所をはっきりしてもらわん事には手を結ぶ事は難しいと言えるのう」
「竜王丸派としては、小鹿派に対して戦をするつもりでおります」と早雲ははっきりと言った。
「まことか」と聞いたのは美濃守だった。
「口で言うのは簡単じゃ。敵は充分に守りを固めておる。駿府屋形を攻め落とすのは容易な事ではない。落とす自信があるのか」と民部少輔は言った。
「はい。竜王丸派と摂津守殿の派が一つになれば、阿部川以西はその勢力範囲となります。そして、ここを新しい駿府屋形とします」
「なに、ここを駿府屋形にするじゃと」と摂津守が身を乗り出して来た。
「はい。竜王丸殿をお屋形様とし、摂津守殿を後見として、新しいお屋形をここに作るわけです」
「駿河の国に二つの駿府屋形を作ると申すのか」と民部少輔は身を乗り出してきた。
早雲は頷いた。「駿河の国を阿部川で二つに分け、お屋形様も二人という形にします」
「ふーむ。それでどうするんじゃ」と美濃守は興味深そうに聞いた。
「国を二つに分けると、本拠地が阿部川以西にある小鹿派の三浦次郎左衛門尉殿は孤立した形となります。そこで、まず、三浦殿をこちらの派に寝返らせます」
「三浦殿が寝返るかのう」と美濃守は顎(アゴ)を撫でながら言った。
「寝返らせます。小鹿派を分裂させるのです。小鹿派は新五郎殿をお屋形様にする事に成功したと思い、小鹿派の中で、すでに派閥争いが始まっております。葛山播磨守殿は備前守殿を味方にしようとたくらみ、三浦殿は摂津守殿を味方に引き入れようとし、福島越前守殿は竜王丸派の重臣を味方にしようとたくらんでおります。そこを利用すれば、三浦殿を寝返らせる事も可能だと言えます」
「三浦殿を寝返らせるか‥‥‥それで、それから、どうするんじゃ」
「次に、備前守殿の所におります天野兵部少輔殿を寝返らせます」
「なに、兵部少輔を寝返らせる」と民部少輔は驚いた。
「はい。遠江でも兵部少輔殿は孤立した状態と言えます。民部少輔殿と竜王丸派の者たちが一丸となって、兵部少輔殿の城を攻めれば兵部少輔殿としても、今更、備前守殿に付いていてもしょうがないと寝返る事となりましょう」
「うーむ。成程のう」
「次に、葛山播磨守殿と福島越前守殿を争わせます」
「どうやって」
「越前守が寝返るという噂を流して、離反させます」
「噂か‥‥‥そう、うまく行くとも思えんが、まあ、そのへんの所は何とでもなろう」
「最悪の場合は、葛山殿の本拠地、あるいは福島越前守殿の本拠地を攻めるつもりでおります」
「敵を充分に弱くしておいてから、隙を狙って駿府屋形を攻めるというわけじゃな」
「はい」
「うーむ。早雲殿、そなたの考えは分かった。もうしばらくの間、考えさせてくれんか」と天野民部少輔は言い、「美濃守殿、いかがじゃ」と美濃守に聞いた。
「そうじゃのう。一応、土佐守殿の同意も得ん事にはのう。早雲殿、もう、しばらくの間、考えさせてくれ」と美濃守も言った。
「分かりました。また、五日後に参ります」
「早雲殿、ちょっと聞きたいんじゃがのう、もし、我らが断った場合、どうするつもりなのじゃ」と民部少輔は聞いた。
「小鹿派と手を結びます」
「なに、小鹿派と手を結ぶ?」
「はい。小鹿派も今のままでは本物のお屋形様とは言えません。何とかして、今川家を一つにまとめようと必死です。竜王丸殿をお屋形様にして小鹿新五郎殿を後見という事で、話を持って行くつもりです。葛山播磨守殿は反対するでしょうが、三浦殿、福島越前守殿は賛成すると思います」
「ふーむ。小鹿派と手を結ぶか‥‥‥分かった。よく検討してみるわ」
早雲は中原摂津守の屋敷を後にした。
「どうでした」と孫雲が聞いた。
早雲は首を振った。「じゃが、時間の問題じゃ。五日後には、いい返事が聞けるじゃろう」
「また、五日後ですか」と才雲が聞いた。
「才雲、このまま、小太郎の所に行ってくれ」
「はい」
「小太郎に、ここの状況を探ってもらいたいんじゃ」
「はい、分かりました」
才雲は青木城を出ると、そのまま反対方向に走り出して行った。
小雨の降る中、裏山からカッコウの鳴き声が聞こえていた。
四月二十日、青木城内の中原摂津守の屋敷において、竜王丸派と摂津守派の重臣たちが集まり、和解の手打ちが行なわれた。
北川殿と竜王丸も小河の長谷川屋敷から船でやって来て参加した。竜王丸と共に北川殿は上段の間に座り、上段の間のすぐ下の右側に中原摂津守が後見役として控えた。そして、竜王丸派の重臣、朝比奈天遊斎、朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川法栄、早雲の五人が左側に並び、摂津守派の重臣、岡部美濃守、岡部五郎兵衛、福島土佐守、天野民部少輔の四人が右側に並んだ。立会人には、うまい具合に青木城内の客殿に滞在していた堀越公方の執事、上杉治部少輔になってもらった。
治部少輔は長い間、駿府屋形の望嶽亭に滞在していたが、五日前に、こちらに移っていた。治部少輔は自分の力で、何とか今川家を一つにまとめようと必死になっていた。小鹿派には備前守を迎えるように頼み、今度は摂津守に小鹿派と仲直りするよう頼みに来たわけだったが、早雲に是非、竜王丸派と摂津守派の和解の席の仲立ちをしてくれと頼まれ、仲直りするのはいい事だと二つ返事で引き受けたのだった。
和解の儀式は早雲の指導のもと伊勢流の礼法通りに行なわれた。
儀式が終わると、さっそく重臣たちによって評定が開かれた。早雲もお屋形様、竜王丸の伯父として重臣の一人となっていた。
評定の場で決まった事は、竜王丸殿の住むお屋形屋敷の建設と、小鹿派の三浦次郎左衛門尉、天野兵部少輔の寝返らせ作戦だった。新しいお屋形ができるまでは、竜王丸母子は今まで通り、小河の法栄屋敷に滞在する事に決まり、寝返らせ作戦の方は、朝比奈天遊斎の兵、福島土佐守の兵、長谷川法栄の兵によって、三浦氏の本拠地、大津城(島田市)を包囲し、駿府屋形にいる次郎左衛門尉との連絡を完全に遮断する。なお、以前のごとく、阿部川は岡部美濃守、同五郎兵衛の兵、朝比奈和泉守の兵、天野民部少輔の兵、斎藤加賀守の兵で封鎖する。天野民部少輔は遠江の竜王丸派と連絡を取り、天野兵部少輔の本拠地、犬居(イヌイ)城を包囲して孤立させる。中原摂津守は天野兵部少輔が寝返るまで、上杉治部少輔を屋敷内に軟禁し、早雲は駿府屋形に潜入して三浦次郎左衛門尉と直接、話し合い、寝返らせる、という風に決まった。
評定が終わるとささやかな祝いの宴を張り、次の日から各自、行動に移した。
早雲は孫雲を連れ、浅間神社の門前町にある小太郎の家に来ていた。小太郎の所もようやく落ち着いたとみえて、一時のように患者が大勢、押しかけてはいなかった。待合い所には老人が三人、世間話をしながら待っているだけだった。
「繁盛しておるようじゃのう」と早雲が顔を出すと、「ぼちぼちじゃ」と小太郎は患者をお雪に任せ、早雲を外に誘った。
早雲と小太郎は庭から北川の土手に出た。
「どうじゃ、うまく行ったか」と小太郎は聞いた。
「まあな」と早雲は昨日の事を小太郎に話した。
「成程のう」
「三浦の様子はどうじゃ。寝返ると思うか」
「可能性は充分にある。しかし、寝返る事が葛山らに知れたら、殺される事もあり得るな」
「殺されるか‥‥‥」
「それに、寝返ったとして、どうやって、お屋形から抜け出すかが問題じゃ」
「三浦次郎左衛門、一人位、お屋形から連れ出すのはわけないじゃろ」
「次郎左衛門一人だけなら簡単じゃ。しかし、今、本曲輪を守っておる五番組の頭は次郎左衛門の弟の右京亮(ウキョウノスケ)じゃ。他にも奉行衆(ブギョウシュウ)の中にも三浦一族の者はおるはずじゃ。次郎左衛門が寝返れば、そいつらは皆、殺されるじゃろうな」
「そうか、そこまでは考えなかったわ」
早雲は北川殿の屋根を眺めながら腕を組んだ。
「それにな」と小太郎は言った。「阿部川が封鎖されてからというもの、三浦次郎左衛門が動揺しておるという事は葛山播磨守も福島越前守も気づいておる。もしかしたら寝返るかもしれんと二人共、三浦を見張っておる事じゃろう。次郎左衛門に近づく事も難しいかもしれんな」
「そうか‥‥‥次郎左衛門の意志だけでは、どうにもならない状況に来ておるわけじゃな」
「そういう事じゃ」
「寝返らせると簡単に引き受けてしまったが、どうしたもんじゃろうのう」
「難しいのう」と小太郎は他人事のように言った。
早雲は小太郎の顔を見てから、「昨日、竜王丸派と摂津守派が一緒になったという事を知ったら、益々、三浦は見張られる事になるのう」と言った。
「多分、もう知っておるじゃろう。天野民部少輔が葛山に知らせたはずじゃ」
「そうじゃろうな‥‥‥そうか、わしらの作戦は葛山に筒抜けじゃったな。という事は、わしが三浦のもとに潜入するという事も葛山は知っておるという事じゃ」
「今頃は、おぬしを捕まえようと手ぐすね引いて待っておるじゃろうな」
「ふーむ。失敗じゃった。天野と葛山のつながりをすっかり忘れておった」
「おぬしらしくないのう。どうしたんじゃ」
「仕方なかったのよ。摂津守派を説得させるには手の内をすべて見せるしかなかったんじゃ」
「まあ、とにかく、今晩、富嶽の所に行ってみよう。やつらもそろそろ、お屋形から出てもいいんじゃないかのう」
「うむ」と早雲は頷いたが、すぐに首を振って、「三浦次郎左衛門が出るまで、中にはおってもらおう」と言った。
「どうしても、三浦を連れ出す気か」と小太郎は聞いた。
「見殺しにするには勿体ない男じゃ。やがて、竜王丸殿の重臣になってもらう」
「そうじゃな。葛山、福島越前と比べたら、三浦が一番、まともと言えるかもしれんな」
「しかし、難しいのう」と早雲は唸った。「おぬし、三浦屋敷に忍び込んだ事はあるか」
「ああ、一度ある」
「あの屋敷には何人位住んでおるんじゃ」
「そうじゃのう、二十人位かのう」
「家族はおるのか」
「いや、側室が一人おるだけじゃ。女中が五、六人おるかのう。それに、門番と三浦の側近の侍が十五、六人はおる」
「二十人か‥‥‥」
「それと、五番組全員じゃな」
「うむ‥‥‥五番組は全員じゃなくともよかろう。全員が三浦派とも限るまい」
「しかし、全員で行動を共にせんと寝返りがばれるぞ。全員がお屋形から出てから戻りたい者は戻らせればいい」
「そうじゃな。頭以外の者には寝返りの事を知らせん方がいいな‥‥‥ところで、本曲輪の警固は今、どういう具合になっておるんじゃ。三番組と五番組が一緒にやっておるのか」
「いや、交替で、昼と夜に分かれて警固しておるようじゃ。三日交替だと思ったがのう」
「三日交替?」
「ああ、三日間、三番組が昼の警固をやり、五番組が夜の警固をやる。そして、次の三日間は、それが入れ代わるわけじゃ」
「ふーん。今はどっちが夜の警固じゃ」
「昨日の夜は三番組が夜警じゃったのう」
「三番組か、葛山じゃな。具合悪いのう」
「ああ。三番組が警固しておったら、三浦屋敷に近づくのは危険じゃ」
早雲は頷き、お屋形を囲む土塁を眺めながら、「確か、三浦屋敷というのは大手門の近くじゃったな」と言った。「回りには誰の屋敷があるんじゃ」
「回りの屋敷は、みんな留守じゃよ」
「ほう。小鹿派の者の屋敷じゃないんじゃな」
「ああ。隣は朝比奈殿の屋敷じゃ。裏は木田殿と入野殿じゃ。その後は宝処寺じゃ。ただし、三浦屋敷の前には御番所がある。御番衆がウロウロしておるわ」
「そうか‥‥‥御番所の裏じゃったのう‥‥‥今、朝比奈屋敷とかは誰もおらんのか」
「誰もおらんな。門を閉ざしたままじゃ」
「小鹿派の連中たちが使ったりしないのか」
「小鹿派の連中が使っておるのは北川殿だけじゃ。留守屋敷はかなりあるが侵入禁止にしておるようじゃな。今は留守じゃが、やがて、戻って来ると思っておるんじゃろ。また、戻って来てもらわん事には困るからのう」
「そうじゃのう‥‥‥」
「とにかく、暗くなってからじゃ」
「うむ‥‥‥また、濠の中を潜って行くのか」
「当然じゃ」
小太郎は家の方に戻った。
早雲は土手に腰を下ろして、北川の流れを眺めながら考え込んでいた。
時折、武装した兵が北川の河原を見回っていた。早雲の方をチラッと見たが、どこぞの乞食坊主だろうと別に文句も言わなかった。
備前守は駿府屋形から出て行ったが、決して、お屋形様の候補の座から降りたわけではなかった。早雲と同じように阿部川の河原に待機している軍勢に気づいて身の危険を感じ、閉じ込められる事を恐れて出て行っただけだった。逃げたわけではなく、改めて戦うためにお屋形から出たのだった。
備前守は天野兵部少輔にそそのかされて、伊豆の堀越公方(ホリゴエクボウ)にお屋形様の死を知らせて後ろ盾になって貰おうと決めていた。もう、今川家の重臣たちは信じられなかった。亡くなったお屋形様のすぐ下の弟である自分を押す者は一人もいない。誰が考えても自分がお屋形様になるのが当然なのに、その事に気づく者は一人もいない。今川家の重臣たちは馬鹿ばかりだ。もう、頼まない。将軍様の弟である堀越公方なら絶対に自分の後ろ盾になってくれるだろう。すぐにでも、軍勢を引き連れて駿府に来るに違いない。堀越公方が出向いて来れば、馬鹿共も目を覚ますに違いない。備前守は使いの者に書状を持たせ、堀越公方の執事(シツジ)、上杉治部少輔政憲(ジブショウユウマサノリ)のもとに走らせた。
お屋形様が亡くなってから、すでに一月半が過ぎようとしていた。遠江(トオトウミ)の国で反今川勢力が、また動き始めていた。横地、勝間田両氏が滅んだとはいえ、東遠江が完全に今川家の領地となったわけではなかった。お屋形様が急死したために戦後処理も完全ではなく、さらに、遠江にいる今川家の武将たちが積極的な行動に出ないため、遠江の国人たちがおかしいと思い始め、もしや、お屋形様の身に何かあったのに違いないと疑う者も現れ、今川家に敵対する者も出て来ていた。放っておくわけには行かなかった。
福島左衛門尉(クシマサエモンノジョウ)、朝比奈備中守(ビッチュウノカミ)、新野左馬助の三人が駿府の事を気にしながらも、後の事を長谷川次郎左衛門尉らに頼んで、三月の二十日、遠江に帰って行った。その三日後には堀越陸奥守(ホリコシムツノカミ)、久野佐渡守(クノサドノカミ)、天方山城守も遠江に帰った。遠江勢で残っていたのは両天野氏だけとなった。早雲たちは天野氏も遠江に帰ってくれれば、事がうまく運ぶと思って期待したが、天野氏の基盤は堅いと見えて帰る気配はなかった。
遠江勢が帰った事により、他の派閥には大して影響はないが、竜王丸派は朝比奈氏、斎藤氏、長谷川氏の三氏だけとなった。竜王丸も駿府屋形にはいないし、かなり弱い立場となってしまった。
二十八日、お屋形様の四十九日の法要がひそやかに行なわれた。毎日、だらだらと続いている評定も気分転換の意味も込めて、三日間、休みとなった。
長老の朝比奈天遊斎(テンユウサイ)は、ようやく朝比奈城に帰り、戦死した長男、肥後守(ヒゴノカミ)の仏前に線香をあげて冥福(メイフク)を祈る事ができた。
小鹿逍遙(ショウヨウ)も小鹿庄の我家に帰って、ゆっくりと休養した。逍遙はお屋形様の屋敷内で寝起きしていたため、心の休まる時がまったくなかった。天遊斎もほとんどお屋形様の屋敷にいたが、時折、自分の屋敷に帰って、のんびりする事ができた。逍遙の場合、本曲輪内にある屋敷には息子の新五郎がいるため、中立を保っている逍遙は出入りしなかった。また、屋敷に帰ったとしても、のんびりできるわけはなかった。息子と言い争いになるのは分かっている。毎日の評定でくたくたに疲れているのに、息子の顔など見たくはなかった。逍遙は久し振りに我家に帰り、何もかも忘れて、のんびりと過ごしていた。
重臣たちも皆、疲れ切っていた。誰もが一日位、休みたいと思っていた。今回、休みを提案したのは天遊斎だった。二十七日の評定の場で、明日はお屋形様の四十九日に当たるので評定は休みにしたらどうか、と言った。驚いた事に誰もその事に気づいていなかった。もう四十九日も経ったのか、と誰もが思い、そろそろ休んだ方がいいかもしれないと思った。岡部美濃守(ミノノカミ)が一日位休んでも何も変わらんじゃろう。いっその事、三日間休んで、来月から改めて始めたらどうじゃ、と言うと皆、賛成した。
竜王丸派の朝比奈和泉守(イズミノカミ)、斎藤加賀守、長谷川次郎左衛門尉の三人も小河屋敷にいる北川殿母子と会い、元気に遊んでいる竜王丸を見ながら、一時程、話をすると、それぞれの城に帰って行った。
小鹿派の福島越前守、庵原安房守(イハラアワノカミ)、興津美作守(オキツミマサカノカミ)、蒲原越後守(カンバラエチゴノカミ)らも本拠地に帰って行った。
摂津守派の中原摂津守、由比出羽守(ユイデワノカミ)、岡部五郎兵衛、福島土佐守も帰った。
お屋形内に残ったのは小鹿派の葛山播磨守、矢部将監(ショウゲン)、三浦次郎左衛門尉、摂津守派の岡部美濃守だけとなった。岡部美濃守も帰りたかったが、小鹿派だけを残しておくと何をするか分からないので、あえて残る事にした。
次の日、思いがけない事が起こった。
東から軍勢がやって来た。河合備前守が呼んだ堀越公方の軍勢、三百騎だった。徒歩(カチ)武者合わせて一千人余りのその軍勢は、備前守の茶臼山城の裾野に陣を敷いた。駿府屋形の東北半里程の距離だった。
急遽、お屋形内にいた葛山播磨守、矢部将監、三浦次郎左衛門、岡部美濃守の四人が集まり、今後の対策を練った。まず、守りを固める事が先決だった。とりあえず、来月、本曲輪を守る予定の五番組を集め、今、守っている三番組と一緒に本曲輪の警固をしてもらう事に決まり、さらに、福島越前守に軍勢を船にて駿府までよこすように頼んだ。美濃守は反対したが、今は派閥争いをしている時ではなく、駿府を守る事が先決だと言われ、承知せざるを得なかった。もし、今、河合備前守が堀越公方と連合して、ここを攻めて来れば、ここを占領される事も充分に考えられた。
岡部美濃守は自分の兵も、ここを守るために至急、呼び寄せると言った。葛山播磨守は、そうして貰えると心強い、是非、そうしてくれと頼んだ。美濃守は朝日山城にいる弟の五郎兵衛のもとに早馬を飛ばした。
堀越公方の軍勢が駿府に来たという事は、その日のうちに城下の噂になった。城下の者たちには、堀越公方がどうして駿府に軍勢を率いて来たのか分からなかったし、城下に攻めて来るだろうと思った者などいなかった。どうせ、お屋形様と一緒に遠江に進撃するために来たに違いないと思い、大騒ぎにまではならなかった。
堀越公方の軍勢は陣を敷いたまま駿府屋形の方を見ながら、不気味に動こうとはしなかった。
福島越前守の軍勢は速かった。
次の日には船にて阿部川をさかのぼり、昼頃には全員がお屋形内に入って戦闘態勢を整えた。その軍勢と共に福島越前守は勿論の事、庵原安房守、興津美作守、蒲原越後守ら、小鹿派の者たちは勢揃いした。軍勢が駿府に到着する早さといい、小鹿派の全員が揃う事といい、うまく出来過ぎていた。前以て打ち合わせがしてあったかのような迅速な行動だった。堀越公方の軍勢が来る事を前以て知っていたのか、それとも、堀越公方の軍勢とは関係なく、重臣たちがそれぞれ本拠地に帰った後、お屋形を占領するつもりだったのに違いなかった。お屋形内には御番衆を含め、一千人余りの小鹿派の兵が溢れた。
岡部美濃守はイライラしながら弟が兵を引き連れて、駿府に到着するのを待っていたが、なかなか来なかった。
五郎兵衛率いる軍勢は日の暮れる頃、ようやく藁科(ワラシナ)川を渡っていた。物見の兵の知らせで、駿府に異状のない事を確かめると、阿部川の河原まで来て野営をする事にした。ここまで来れば駿府屋形は目と鼻の先だった。何も慌てて、暗くなってから川を渡る事もなかった。五郎兵衛は一応、使いを走らせ、今、阿部川の河原にいる事を兄のもとに知らせたが、その使いの者はお屋形内に入る事はできず、仕方なく書状を門番に渡して、届けてくれるよう頼んだ。その書状は三番組の頭、葛山備後守の手に渡り、さらに兄の播磨守の手に渡ったが、岡部美濃守の手には届かなかった。
夜になって、お屋形内ではあちこちに篝火(カガリビ)が焚かれ、御番衆たちが甲冑(カッチュウ)の音を鳴らしながら歩き回っていた。誰もいなくなった北川殿は小鹿派の本陣となり、小鹿新五郎を中心に葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門、矢部将監らが小具足姿で詰めていた。
空には月もなく、星もなく、気味悪い程、生暖かい風が吹いていた。
2
三日間の休みが終わり、再び、評定(ヒョウジョウ)が始まった。
小鹿逍遙は堀越公方が軍勢を駿府に送って来た事によって、のんびり休む事もできず、三日目には、また駿府屋形に戻って来ていた。小鹿派の者たちが、お屋形を守るために軍勢を引き入れるのを目の当りにしながらも、葛山播磨守より、「河合備前守殿が、今にも伊豆の軍勢と共に攻めて来る。今川家を守らなければならない。今は派閥争いなどしている時ではない。とくかく、一時でも早く、ここの守りを固めなければならない」と言われ、何も言う事ができなかった。
朝比奈天遊斎が堀越公方の軍勢の事を知ったのは、軍勢が来たその日の夕方だった。知らせたのは長谷川次郎左衛門尉だった。次郎左衛門尉に知らせたのは早雲庵の者たちだった。天遊斎は次郎左衛門尉から、次々に新しい情報を聞いていたため、慌てずに駿府の様子を眺めていた。駿府から、その事を知らせて来たのは軍勢が来た次の日、つまり、昨日の夕方だった。知らせてくれたのは三浦次郎左衛門尉で、今の所、騒ぎは起きていないので心配ない、と書いてあった。天遊斎は息子の法要を済ませ、息子が急死したために溜まっていた事務を処理して、休む間もなく、四月一日の早朝、小鹿派の軍勢で固められた駿府屋形に向けて出発した。
竜王丸派の重臣たちは皆、早雲らによって駿府屋形の状況を詳しく知っていた。小鹿派が軍勢を出した事も勿論知っていたが、どうする事もできなかった。しばらくは、事の成り行きを見守っているしかないと、いつでも出撃できる態勢を整えて、駿府を睨んでいた。
摂津守派の福島土佐守も岡部美濃守から知らせを受けて出撃の準備を始め、岡部五郎兵衛の後を追って、兵を引き連れて駿府に向かっていた。
評定は午後からだった。非常時のため、重臣たちは小具足姿のまま、お屋形様の屋敷の大広間に集まった。しかし、全員が集まったわけではなかった。上座の上段の間のすぐ下には小鹿新五郎の姿しかなく、中原摂津守はいなかった。河合備前守は天野兵部少輔と共にお屋形から出て行ったので、いないのは分かるが、摂津守がこの評定の間に現れないはずがなかった。
摂津守だけではなく、竜王丸派の三人の重臣の姿もなく、摂津守派の福島土佐守、岡部五郎兵衛、由比出羽守の姿もなかった。
朝比奈天遊斎、小鹿逍遙の二人はおかしいと思い、お屋形様の屋敷を守っている宿直衆たちを門まで走らせたが、誰一人として戻っては来なかった。
この日、評定の間に集まっていたのは、小鹿派の全員と摂津守派の岡部美濃守と天野民部少輔だけだった。岡部美濃守も家臣の者たちを門まで走らせたが、戻っては来なかった。
評定の始まる時刻はすでに過ぎていた。しかし、評定は始まらなかった。半時程、待った頃、葛山らが騒ぎ出した。
「この大事な評定の日を忘れておるとは今川家の重臣とは言えん。そんな者をいつまでも待っていたら、それこそ、今川家の浮沈にかかわるわ。他国の者が干渉して来ている、この今、悠長な事をしておれん。早い所、お屋形様を決め、先代のお屋形様の葬儀を済まさん事には、他国の笑い者になりかねん。天遊斎殿、さっさと初めてもらおうか」
評定の結果は小鹿派の思い通りとなり、小鹿新五郎範満(ノリミツ)がお屋形様に決定した。摂津守派の岡部美濃守と天野民部少輔は反対したが、当人が出て来ないのでは話にならん。もしかしたら、お屋形様の候補の座から降りたのかもしれんぞ、とまで言われ、何を言っても無駄だった。
岡部美濃守は腹を立て、真っ赤な顔をしたまま評定の間から去って行った。天野民部少輔も後を追うように捨てぜりふを残すと出て行った。
お屋形様が決まると話はすらすらと進んで行った。先代のお屋形様の葬儀の日取りまで決めると、その日の評定は終わった。明日からは場所を守護所に移して、首脳部の人事異動や、前回の戦における論功行賞(ロンコウコウショウ)が行なわれる事となった。
評定の途中で席を立った岡部美濃守と天野民部少輔の二人は一旦、本曲輪内の屋敷に戻ったが、すでに、お屋形様が決まった今、ここにいてもしょうがないと、とにかく、中原摂津守のいる青木城に行く事にした。
岡部美濃守が天野民部少輔と共に家臣を引き連れ、南門を出ると、そこには武装した軍勢が埋まっていた。そして、鎌倉街道を挟んで向う側にも軍勢がおり、睨み合っている。街道の向う側にいたのは中原摂津守を中心とした岡部五郎兵衛、福島土佐守の軍勢だった。
一体、これは何事だと岡部美濃守は弟、五郎兵衛のもとに行って事情を聞いた。話によると過書(カショ)が変わったと言って、中に入れてくれないと言う。摂津守でさえ、過書がなければ入れるわけにはいかないと言う。それでは、すぐに新しい過書をよこせと言うと、しばらく待ってくれと言うばかりで一向に埓(ラチ)が明かない。力付くでも通ると威すと、今川家に謀叛(ムホン)を企(クワダ)てる者として捕えなければならないと言い、土塁の上から弓を構えて来る。竜王丸派の者たちも入れて貰えず、諦めて帰って行ったと言う。
「播磨守の奴め、汚い手を使いおって」と岡部美濃守はもう一度、お屋形様の屋敷に戻って直々に文句を言ってやろうと門を通ろうとしたら門番に止められた。何を言っても駄目だった。美濃守も中に戻る事はできなかった。
「さっき、出て来た所を見ておったじゃろう。入れんとは何事じゃ」
「はい。申し訳ございませんが、過書のない者は絶対に通すなとの命令なのです」
「過書が変わったと言うが、わしはそんな事を聞いておらん」
「おかしいですな。美濃守殿のお屋敷にも御番衆の者が届けたはずでございますが」
「兄上、無理じゃ」と五郎兵衛が言った。
「今更、戻ってもどうにもならんじゃろ。それより、これからの事を考えなきゃならん。ここはひとまず引き上げた方がよさそうじゃ」
「くそ!」
くやしがりながらも摂津守勢は摂津守の居城、青木城に引き上げて行った。
今日、四月一日は御番衆の勤務交替の日だった。本曲輪の警固は三番組から五番組に代わるはずだったが、この二組が一緒に守っていた。二曲輪は二番組から三番組に代わるはずだったが、三番組が本曲輪にいるので、二番組がそのまま居座り、詰の城(賤機(シズハタ)山城)の警固は一番組から二番組に代わるはずだったが、二番組の代わりに庵原安房守の軍勢が守っていた。本曲輪の三番組、五番組、二の曲輪の二番組、そして、詰めの城を守っている庵原安房守、すべてが小鹿派で固められ、さらに、お屋形の回りにも興津美作守、蒲原越後守らの軍勢が固めていた。総勢、二千近くの軍勢だった。
お屋形様となった小鹿新五郎は堂々とお屋形様の屋敷に移って来た。広い屋敷内を歩き回り、奥勤めの女中たちに声を掛けて得意になっていた。誰もいない大広間の上段の間に座り込み、独りでニヤニヤしている。父親の逍遙入道は情けないと思いながらも、何も言わずにお屋形様の屋敷から去って行った。お屋形様の葬儀に出たら、それこそ、本当に隠居しようと改めて思っていた。
朝比奈天遊斎も逍遙と一緒にお屋形様の屋敷を後にした。この先、このままで納まるとは思っていなかったが、本当に疲れていた。今は何も考えたくなかった。しばらくは、朝比奈城の隠居所でのんびりしたい心境だった。しかし、そうもいかなかった。嫡男の肥後守が亡くなり、新たに朝比奈家の家督を継いだ肥後守の嫡男、又太郎はまだ十歳だった。そして、又太郎の後見となった三男の左京亮(サキョウノスケ)もまだ二十歳だった。まだまだ、のんびり隠居などしている暇はなかった。分かってはいるが、とにかく、明日一日だけはゆっくりしようと思っていた。
宿老の二人も去り、小鹿派に反発する者たちは次々にお屋形から去って行った。門を守っている御番衆の者たちは去り行く者は追わなかった。小鹿派の中心になっている葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門の三人は、これからが本番だと思っていた。これから敵対する重臣たちを何としてでも抱き込まなければならなかった。一人づつでも寝返らせ、遠江に帰っている者たちが戻って来るまでに、新しい今川家を作らなければならなかった。
その日の夜、駿府屋形、賎機山城、駿府の北東にある茶臼山城、阿部川と藁科川を挟んで駿府の南側、小坂の山(日本坂)への入り口にある青木城の四ケ所が、篝火によって明るく浮いていた。まるで、狐火のような不気味な光景だった。
3
三月十八日以来、誰もいなくなった北川殿を、相変わらず、小田と清水の二人は交替で守っていた。ところが、二十九日に堀越公方の軍勢が駿府に来て、三十日には小鹿派の軍勢が駿府屋形を守るためにやって来ると、小田と清水は強制的に追い出されてしまった。
四月一日の評定で、小鹿新五郎が今川家の家督を相続する事に決定すると、次の日から、人事異動が始まった。まず、お屋形様の屋敷を守る宿直(トノイ)衆の頭が小鹿派の者と交替し、御番衆の一番組、四番組の頭も竜王丸派から小鹿派に代えられた。そして、北川衆という職務は勿論、なくなってしまった。さらに、奉行衆らもすべて小鹿派の者に代わり、職を失った者たちは駿府屋形から去って行った。それでも帰る所がある者はいいが、代々、駿府に住んでいた者たちは行く所はなかった。
北川衆の小田と清水の二人もそうだった。職を失った二人は一体、これからどうしたらいいものか、路頭に迷う事となった。二人程の者なら、小鹿派に寝返れば何らかの職に付ける事は間違いないが、二人はその道を選ばず、駿府の屋敷を捨てて、家族とわずかばかりの家臣を連れて北川殿のいる小河に移った。
長谷川次郎左衛門尉の屋敷に移っていた富嶽、多米、荒木の三人はまだ、お屋形内に残っていた。主人の次郎左衛門尉は三日間の休みの時、小河に帰ったまま戻る事はできなかった。小鹿派の軍勢に占領された中、三人は次郎左衛門尉の屋敷を守っていた。
門を守る御番衆は過書が変わったと言うが、小鹿派以外の者たちに新しい過書は渡らなかった。小鹿派以外の者たちはお屋形から出る事は出来るが、二度と入る事は出来なかった。それぞれの屋敷に出入りしていた商人たちも、小鹿派以外の屋敷と取り引きをしていた者はお屋形内に入る事は出来ず、小鹿派以外の者たちは生活も以前通りには出来なくなっていた。彼らは小鹿派に寝返るか、お屋形から出て行くかのどちらかの選択を迫られ、帰る場所のない者たちの多くは小鹿派に寝返って行った。
次郎左衛門尉の屋敷でも、出入りの業者が来なくなり、留守を守っていた家臣や女中たちは皆、小河に帰って、門を堅く閉ざしていた。その屋敷内に富嶽、多米、荒木の三人が潜み、お屋形内の状況を探っていた。三人は長谷川屋敷にあった甲冑を着て、お屋形内をうろついている福島越前守の兵に扮して本曲輪内の様子を探っていた。
その屋敷を時々、訪ねていたのは風眼坊こと風間小太郎だった。小太郎は道賀亭の濠からお屋形内に潜入し、あちこちに忍び込んでは敵の動きを探っていた。特に、敵が北川殿を本陣にしたのは小太郎にとって都合のいい事だった。小太郎は北川殿を守っていた時、敵が忍び込んで竜王丸殿の命を狙うかもしれないと北川殿を調べたので、隅から隅まで知っていた。小太郎は北川殿の屋根裏に忍び込んでは葛山播磨守、福島越前守、三浦次郎左衛門らのたくらみをすっかり聞いていた。
四月三日、小鹿派のやり方に腹を立てた中原摂津守派は、青木城に待機していた福島土佐守、岡部美濃守の軍勢と摂津守自身の軍勢、およそ一千で阿部川を封鎖した。阿部川に関所を設け、小鹿派に関係ある者の通行を止めた。これに対して小鹿派の方でも軍勢を阿部川の河原に配置し、阿部川を挟んでの両軍の睨み合いが続いた。
このため駿河の国は阿部川を境に東西に分けられた格好となり、本拠地が阿部川以西にある小鹿派の三浦次郎右衛門尉の立場は悪くなって行った。同じように、摂津守派の由比出羽守も本拠地が阿部川以東にあるため、敵に攻められる可能性が出て来た。出羽守は一旦、本拠地の川入城に帰り、敵に攻められた場合、籠城する覚悟を決めて守りを固め、それ以後、駿府には出て来ななかった。
四日の夜、小太郎が門の閉ざされた長谷川屋敷にどこからともなく入って来た。
座敷でゴロゴロしていた三人はびっくりした顔をして小太郎を見た。小太郎はいつものように山伏姿だったが、首から何かをぶら下げていた。誰が見ても、それは遺骨の入った桐の箱だった。
「風眼坊殿、一体、何の真似です」と富嶽が起き上がると聞いた。
小太郎は遺骨を首から下ろすと、上段の間に静かに置き、両手を合わせた。
「もしや、そのお骨はお屋形様の?」と聞いたのは多米だった。
小太郎は頷くと、三人の側に腰を下ろした。
「あさって、小鹿新五郎を喪主として、お屋形様の葬儀をするそうじゃ」と小太郎は言った。
「らしいのう」と富嶽は頷いた。「小鹿新五郎の奴はすでにお屋形様になったつもりでおる。お屋形様の葬儀を新五郎が行なえば、内外にもその事は知れ渡ってしまうじゃろう」
「まあ、そうじゃな。お屋形様の遺骨を盗んだ所で、奴らが葬儀をやめるとは思えんが、本物の葬儀は竜王丸殿にやってもらおうと思っての。こうやって移動していただいたんじゃ。北川殿もろくに別れも告げておらんじゃろうし、竜王丸殿や美鈴殿にもこの際、父上が亡くなった事を知らせた方がいいと思ってのう」
「その方がいいかもしれんのう」
「そうじゃ。あんな奴らに葬儀をやってもらっても、お屋形様は喜ばんわ」と荒木が言った。
「この先、どうなるんじゃろう」と富嶽は聞いた。
「あちこちに忍び込んで分かった事じゃが、同じ小鹿派でも、葛山と福島越前、三浦らは、やはり考えが違うようじゃ」
「風眼坊殿、わしらにも敵の屋敷に忍び込む術とやらを教えて下さいよ」と多米は言った。
「そのうちな。今はそんな暇はない」
「どう違うのですか」と富嶽は聞いた。
「福島と三浦は小鹿新五郎を中心に今川家を一つにまとめようと真剣に考えておる。ところが、葛山は未だに両天野氏と連絡を取っておる」
「なに、天野氏と言えば、今、二人とも外に出ておるはずじゃが、未だにつながっておるというのですか」
「例の長沢の配下の者が両天野氏と共にお屋形から出て行き、それぞれの陣中にいながら長沢のもとに状況を送っているらしいのう」
「という事は、葛山はここにおりながら備前守派と摂津守派の動きが手に取るように分かっておるという事じゃな」
「そういう事になる」
「一体、葛山は何をたくらんでおるんです」
「戦を起こさせようとしておるに違いないわ。天野民部少輔が竜王丸派から摂津守派に寝返ったのも最初からの計画じゃったのじゃろう。初めの頃、摂津守派の勢力は一番弱かった。そこで、両天野は葛山のいない竜王丸派と備前守派に入った。ところが、遠江勢が帰ると竜王丸派の勢力が弱くなり、主戦派の福島土佐守が摂津守派に移った事により、戦を起こすには摂津守派を煽(アオ)った方がいいと考え、民部少輔は摂津守派に移った。そして、今、阿部川を挟んで小鹿派と摂津守派は対峙しておる。後はきっかけさえあれば、いつでも戦になるという状況にまで来ておるんじゃよ」
「きっかけか‥‥‥」
「小鹿派がお屋形を占領した事に対して、阿部川を封鎖しようと提案したのは民部少輔に違いないわ」
「福島越前守と三浦は葛山のそんなたくらみには気づいてはおらんのですか」
「気づいてはおらんな」
「もし、その事に気づいたとしたら、どうなるでしょう」
「うむ。そいつは面白いのう」小太郎は少し考えて、「使えそうじゃな」とニヤリとした。「それとな、もう一つ面白い事がある。葛山も知らない事があるんじゃ。三浦次郎左衛門尉じゃが、摂津守派の岡部美濃守を寝返らせようとたくらんでおるんじゃ。三浦は阿部川が封鎖されてしまったので、今、孤立した状態にあるんじゃ。このままでおったら本拠地の大津城を攻められる可能性もあるわけじゃ。そこで、美濃守を寝返らせ、阿部川の封鎖を解いてもらわなければならんと考えた。しかし、美濃守の妹が摂津守の側室となっておるため、美濃守を寝返らすのは容易な事ではない。そこで、三浦は小鹿新五郎の嫡男、千代秋丸、まだ八歳なんじゃが、その嫁に美濃守の娘を迎えようと美濃守に誘いを掛けておるんじゃよ」
「へえ‥‥‥それで、美濃守の方の反応はあるんですか」
「今の所はないが、美濃守としても民部少輔に躍らされて戦をする程の愚か者ではない。小鹿派のやり方が汚いので腹を立てて阿部川を封鎖したが、本当に戦を始める気などない。負けたと見極めが付けば、有利な立場で迎えられる事を願うに違いないわ」
「美濃守が寝返ってしまえば摂津守派の立場はかなり不利になって来るのう」
「不利になるどころか、勝ち目はなくなってしまうじゃろう。わしらの立場から見れば、摂津守派を絶対に小鹿派に寝返らすわけには行かん。摂津守派と竜王丸派をくっつけなければならんのじゃ」
「竜王丸派と摂津守派が一緒になるのですか」と荒木が聞いた。
「ああ、そうじゃ。竜王丸殿が成人するまで、摂津守が竜王丸殿の後見をするという線で、早雲が美濃守に誘いを掛けておるはずじゃ」
「早雲殿が動き始めたんですか」
「ようやくな。話はすぐにはまとまらんじゃろうが、天野民部少輔が多分、同意するじゃろうと睨んでおるんじゃ」
「天野氏は今川家を二つに分けて争わせようとたくらんでおるという事ですか」
「多分な」
「三浦はどうして、葛山に内緒で岡部を寝返らそうとしてるんじゃろ。そこの所が、わしにはよう分からんがのう」と多米は言った。
「新しい派閥争いが始まっておるんじゃよ」と小太郎は言った。「小鹿新五郎をお屋形様の座に付けるために共に戦って来たが、新五郎がお屋形様に決まると、今度は新しいお屋形様のもとで、自分の権力をどれ程伸ばせるかが、これからの課題というわけじゃ。三浦も越前守も葛山の事を信じてはおらん。それぞれが、それぞれを利用しながら色々とたくらんでおるんじゃよ。皆、一筋縄で行くような輩(ヤカラ)ではないわ」
「へえ、重臣ともなると考える事まで違うんじゃのう」
「いや。それ程は違わんさ。皆、真剣なのさ。お前らも真剣に竜王丸殿のために何をすべきかを考えれば、敵の思う事も分かるようになるぞ」
「風眼坊殿の言う通りじゃ」と富嶽が多米と荒木の顔を見た。「ぶつぶつ文句ばかり言っておらんで少しは真剣になれ」
「参ったのう」と荒木は頭を掻いた。
「備前守派の奴らはどうしてます」と富嶽が聞いた。
「備前守派か、あれはもう消えたようなものじゃな」
「しかし、堀越公方が後ろに付いておるんでしょう」
「ところがじゃ、堀越公方の代理として来た上杉治部少輔は、今川家の内訌を治めようと小鹿派のお屋形に勇んでやって来たのはいいが、葛山らにうまく丸め込まれて、今、客殿の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在しておるわ」
「という事は小鹿派に寝返ったのか」
「いや。治部少輔としては飽くまで中立の立場で、今川家の内訌を治めようとしておるらしいが、残念ながら、それ程の力もないし、器でもない。備前守にはお屋形様にしてやると言いながら、小鹿派の者たちには備前守をしかるべき地位で迎えてくれと頼んでおるわ」
「備前守はその事を知っておるんですか」
「いや、知らん。備前守もお屋形様になるのは諦め、竜王丸派と手を結び、竜王丸殿の後見になろうと思い始めておるらしいが、天野兵部少輔が反対しておるようじゃ」
「天野は何をたくらんでおるんです」と荒木が聞いた。
「内訌を長引かせ、その隙に、遠江の国を奪い取ろうとたくらんでおるんじゃろう」
「うーむ。内訌が長引けば長引く程、天野氏にとって有利となるわけか」
「遠江に帰った今川家の武将たちが天野の思い通りにはさせんとは思うが、遠江が今、どんな状況なのか、まったく分からん」
「早いうちに、今川家をまとめなければならんのう」と富嶽が言った。
小太郎は頷いた。「しかし、難しい」
「わしらは、いつまで、ここに隠れておるんです」と多米は聞いた。
「そうじゃのう。もう少し我慢してくれ。竜王丸派と摂津守派が一つになったら、もう、ここから出ても構わんじゃろう」
「しかし、わしらがここから出たら敵の動きが分からなくなりますよ」
「わしがちょくちょく、忍び込むから大丈夫じゃ」
「その時は、わしも一緒に来ます」と多米が言った。
「泳げるか」
「そりゃもう」
小太郎は頷くと、お屋形様の遺骨を首に下げて出て行った。
多米がすぐに後を追ったが、小太郎の姿はもうなかった。多米は首を傾げながら、「不思議なお人じゃ」と言うと空を見上げた。
降るような星が出ていた。
多米は星空を見上げながら、小太郎の言った言葉を思い出していた。
「もっと、真剣になれ!」
多米の頭の中で、小太郎の言葉が何度も何度も反復していた。
4
四月の六日、真夏のように暑い日だった。
お屋形様、治部大輔義忠(ジブノタイフヨシタダ)の死が公表され、小鹿(オジカ)新五郎範満を喪主として葬儀が大々的に行なわれた。
お屋形様の死因は病死、家督は小鹿新五郎が継ぐ、という事が発表された。城下に住む町人たちは突然の知らせに驚いたが、駿府屋形を守る軍勢が増えた事によって、薄々、気づいている者も多かった。もしや、家督争いの戦が始まるのでは、と恐れていた町人たちも、跡を継ぐべき人の名が公表された事により、何事もなく無事に治まった事を喜んだ。
お屋形様の葬儀は勿論、小鹿派の者たちだけによって行なわれた。ただ、備前守のもとに陣を敷いている堀越公方(ホリゴエクボウ)の執事、上杉治部少輔は参加していた。
葬儀も無事に終わり、お屋形の回りにいる軍勢も引き上げるだろうと思っていた町人たちは、武装したまま引き上げる気配のない軍勢を見ながら不気味に感じ、戦が始まるのではないかと思う者も現れて来ていた。町人たちはいつでも逃げられるように準備を始め、回りの状況を見守っていた。
浅間神社でも異様な雰囲気を感じ、僧兵やら山伏やらが武装して、境内及び門前町の警戒を強めていた。
お屋形内で葬儀が行なわれていた頃、小河(コガワ)の長谷川屋敷では、次郎左衛門尉が髷(マゲ)を落として頭を丸めていた。入道となった次郎左衛門尉は法栄(ホウエイ)と号した。次郎左衛門尉は隠居するために頭を丸めたのではなかった。改めて、お屋形様の遺児、竜王丸を今川家のお屋形様にするための決心の現れであった。
その日の夕方、小太郎は早雲庵に来ていた。
「どうじゃった、葬儀の様子は」と早雲は聞いた。
「まあ、あんなもんじゃろう。しかし、やはり寂しいもんがあるのう。本来なら、今川家のお屋形様の葬儀ともなれば、幕府からも大勢、駈け付けて来るはずじゃが、今の時勢じゃ、それも無理な事じゃ」
「そうじゃな‥‥‥」
「小鹿新五郎の奴が得意になって、喪主をやっておったが、やはり、何か物足らないという感じを受けるのう。わしは先代のお屋形様を知らんが、何か、頼りないのう」
「そりゃそうじゃ。先代のお屋形様とは比べものにならん」
「それで、岡部美濃守の方はどうじゃ。うまく、行きそうか」
「美濃守は動きそうじゃがのう。天野民部少輔が反対しておるようじゃのう」
「天野か‥‥‥なぜじゃ」
「多分、天野氏としては今川家を分散させたままにして置きたいのじゃろう。竜王丸派と摂津守派がくっつけば、三つに分かれておるとは言え、備前守派は消えたも同然じゃ。竜王丸派と小鹿派の二つの争いとなる。二つになれば、その二つが戦を始めるという可能性もあるが、また、その二つが一つにまとまるという可能性も出て来るわけじゃ。そうなる事を恐れて、天野氏は竜王丸派と摂津守派が一つになるのを反対しておるんじゃないかのう」
小太郎は頷いた。「そんな所じゃろうな」
「小鹿派の動きはどんなじゃ」と早雲は聞いた。
「葛山(カヅラヤマ)は堀越公方を味方に引き入れようとしておる。三浦が摂津守派の岡部を寝返らせようとしておるのは知っておるじゃろう。福島越前守は朝比奈を寝返らせようとしておるらしいのう」
「そうか‥‥‥それぞれ、やる事はやっておるようじゃのう」
「どうするつもりじゃ。このまま、時が経てば小鹿新五郎がお屋形様に納まりかねんぞ」
「分かっておる。何としてでも、竜王丸派と摂津守派を結びつける」
「天野民部少輔をどうするつもりじゃ」
「民部少輔は初めは竜王丸派じゃったが、福島土佐守と共に摂津守派に寝返った。二人とも主戦派と言える。竜王丸派にいても戦ができそうもないと寝返ったんじゃろう。戦を餌(エサ)に誘うつもりじゃ」
「なに、戦を餌にするじゃと」
「ああ。駿府屋形を攻めるんじゃ」
「本気か」と小太郎は早雲の顔をじっと見つめた。
早雲は厳しい顔付きで頷いた。「その位の覚悟で臨まん事にはうまく行くまい」
「お屋形を攻めるか‥‥‥確かに、その位の気構えがない事には竜王丸殿をお屋形様にするのは難しい事じゃのう」
お屋形様の葬儀から三日後、早雲は才雲、孫雲、荒川坊の三人を連れて摂津守派の本拠地、青木城に乗り込んで行った。二度目であった。五日前、早雲は岡部美濃守に竜王丸派と摂津守派の合体を提案した。美濃守は自分だけの一存では決められない、五日後に改めて返事をすると言った。
青木城には中原摂津守、岡部美濃守、天野民部少輔がいた。福島土佐守と岡部五郎兵衛の二人は阿部川の陣中で指揮を執っていると言う。
早雲は摂津守の屋敷で三人と会った。上座に摂津守が座り、両脇に美濃守、民部少輔が控えていた。早雲は竜王丸の執事という立場で来たので、下座に座らされるというのは、おかしな事だったが、その事には触れずに本題に入った。
「早雲殿」と民部少輔が言った。「大方の事は美濃守殿より伺ったが、実際問題として、どのようにして小鹿派を倒すおつもりじゃな。確かに、単純に兵力の計算をしてみると、我らと竜王丸殿の派が一緒になれば小鹿派を上回るかもしれん。しかし、実際の事を考えてみると、竜王丸殿の派の半数以上は今、遠江に帰っておる。残っておるのは朝比奈殿、斎藤殿、長谷川殿しかおらん。この三人が実際に小鹿派に対して戦をするようには思えん。そこの所はどうなんじゃ。そこの所をはっきりしてもらわん事には手を結ぶ事は難しいと言えるのう」
「竜王丸派としては、小鹿派に対して戦をするつもりでおります」と早雲ははっきりと言った。
「まことか」と聞いたのは美濃守だった。
「口で言うのは簡単じゃ。敵は充分に守りを固めておる。駿府屋形を攻め落とすのは容易な事ではない。落とす自信があるのか」と民部少輔は言った。
「はい。竜王丸派と摂津守殿の派が一つになれば、阿部川以西はその勢力範囲となります。そして、ここを新しい駿府屋形とします」
「なに、ここを駿府屋形にするじゃと」と摂津守が身を乗り出して来た。
「はい。竜王丸殿をお屋形様とし、摂津守殿を後見として、新しいお屋形をここに作るわけです」
「駿河の国に二つの駿府屋形を作ると申すのか」と民部少輔は身を乗り出してきた。
早雲は頷いた。「駿河の国を阿部川で二つに分け、お屋形様も二人という形にします」
「ふーむ。それでどうするんじゃ」と美濃守は興味深そうに聞いた。
「国を二つに分けると、本拠地が阿部川以西にある小鹿派の三浦次郎左衛門尉殿は孤立した形となります。そこで、まず、三浦殿をこちらの派に寝返らせます」
「三浦殿が寝返るかのう」と美濃守は顎(アゴ)を撫でながら言った。
「寝返らせます。小鹿派を分裂させるのです。小鹿派は新五郎殿をお屋形様にする事に成功したと思い、小鹿派の中で、すでに派閥争いが始まっております。葛山播磨守殿は備前守殿を味方にしようとたくらみ、三浦殿は摂津守殿を味方に引き入れようとし、福島越前守殿は竜王丸派の重臣を味方にしようとたくらんでおります。そこを利用すれば、三浦殿を寝返らせる事も可能だと言えます」
「三浦殿を寝返らせるか‥‥‥それで、それから、どうするんじゃ」
「次に、備前守殿の所におります天野兵部少輔殿を寝返らせます」
「なに、兵部少輔を寝返らせる」と民部少輔は驚いた。
「はい。遠江でも兵部少輔殿は孤立した状態と言えます。民部少輔殿と竜王丸派の者たちが一丸となって、兵部少輔殿の城を攻めれば兵部少輔殿としても、今更、備前守殿に付いていてもしょうがないと寝返る事となりましょう」
「うーむ。成程のう」
「次に、葛山播磨守殿と福島越前守殿を争わせます」
「どうやって」
「越前守が寝返るという噂を流して、離反させます」
「噂か‥‥‥そう、うまく行くとも思えんが、まあ、そのへんの所は何とでもなろう」
「最悪の場合は、葛山殿の本拠地、あるいは福島越前守殿の本拠地を攻めるつもりでおります」
「敵を充分に弱くしておいてから、隙を狙って駿府屋形を攻めるというわけじゃな」
「はい」
「うーむ。早雲殿、そなたの考えは分かった。もうしばらくの間、考えさせてくれんか」と天野民部少輔は言い、「美濃守殿、いかがじゃ」と美濃守に聞いた。
「そうじゃのう。一応、土佐守殿の同意も得ん事にはのう。早雲殿、もう、しばらくの間、考えさせてくれ」と美濃守も言った。
「分かりました。また、五日後に参ります」
「早雲殿、ちょっと聞きたいんじゃがのう、もし、我らが断った場合、どうするつもりなのじゃ」と民部少輔は聞いた。
「小鹿派と手を結びます」
「なに、小鹿派と手を結ぶ?」
「はい。小鹿派も今のままでは本物のお屋形様とは言えません。何とかして、今川家を一つにまとめようと必死です。竜王丸殿をお屋形様にして小鹿新五郎殿を後見という事で、話を持って行くつもりです。葛山播磨守殿は反対するでしょうが、三浦殿、福島越前守殿は賛成すると思います」
「ふーむ。小鹿派と手を結ぶか‥‥‥分かった。よく検討してみるわ」
早雲は中原摂津守の屋敷を後にした。
「どうでした」と孫雲が聞いた。
早雲は首を振った。「じゃが、時間の問題じゃ。五日後には、いい返事が聞けるじゃろう」
「また、五日後ですか」と才雲が聞いた。
「才雲、このまま、小太郎の所に行ってくれ」
「はい」
「小太郎に、ここの状況を探ってもらいたいんじゃ」
「はい、分かりました」
才雲は青木城を出ると、そのまま反対方向に走り出して行った。
5
小雨の降る中、裏山からカッコウの鳴き声が聞こえていた。
四月二十日、青木城内の中原摂津守の屋敷において、竜王丸派と摂津守派の重臣たちが集まり、和解の手打ちが行なわれた。
北川殿と竜王丸も小河の長谷川屋敷から船でやって来て参加した。竜王丸と共に北川殿は上段の間に座り、上段の間のすぐ下の右側に中原摂津守が後見役として控えた。そして、竜王丸派の重臣、朝比奈天遊斎、朝比奈和泉守、斎藤加賀守、長谷川法栄、早雲の五人が左側に並び、摂津守派の重臣、岡部美濃守、岡部五郎兵衛、福島土佐守、天野民部少輔の四人が右側に並んだ。立会人には、うまい具合に青木城内の客殿に滞在していた堀越公方の執事、上杉治部少輔になってもらった。
治部少輔は長い間、駿府屋形の望嶽亭に滞在していたが、五日前に、こちらに移っていた。治部少輔は自分の力で、何とか今川家を一つにまとめようと必死になっていた。小鹿派には備前守を迎えるように頼み、今度は摂津守に小鹿派と仲直りするよう頼みに来たわけだったが、早雲に是非、竜王丸派と摂津守派の和解の席の仲立ちをしてくれと頼まれ、仲直りするのはいい事だと二つ返事で引き受けたのだった。
和解の儀式は早雲の指導のもと伊勢流の礼法通りに行なわれた。
儀式が終わると、さっそく重臣たちによって評定が開かれた。早雲もお屋形様、竜王丸の伯父として重臣の一人となっていた。
評定の場で決まった事は、竜王丸殿の住むお屋形屋敷の建設と、小鹿派の三浦次郎左衛門尉、天野兵部少輔の寝返らせ作戦だった。新しいお屋形ができるまでは、竜王丸母子は今まで通り、小河の法栄屋敷に滞在する事に決まり、寝返らせ作戦の方は、朝比奈天遊斎の兵、福島土佐守の兵、長谷川法栄の兵によって、三浦氏の本拠地、大津城(島田市)を包囲し、駿府屋形にいる次郎左衛門尉との連絡を完全に遮断する。なお、以前のごとく、阿部川は岡部美濃守、同五郎兵衛の兵、朝比奈和泉守の兵、天野民部少輔の兵、斎藤加賀守の兵で封鎖する。天野民部少輔は遠江の竜王丸派と連絡を取り、天野兵部少輔の本拠地、犬居(イヌイ)城を包囲して孤立させる。中原摂津守は天野兵部少輔が寝返るまで、上杉治部少輔を屋敷内に軟禁し、早雲は駿府屋形に潜入して三浦次郎左衛門尉と直接、話し合い、寝返らせる、という風に決まった。
評定が終わるとささやかな祝いの宴を張り、次の日から各自、行動に移した。
早雲は孫雲を連れ、浅間神社の門前町にある小太郎の家に来ていた。小太郎の所もようやく落ち着いたとみえて、一時のように患者が大勢、押しかけてはいなかった。待合い所には老人が三人、世間話をしながら待っているだけだった。
「繁盛しておるようじゃのう」と早雲が顔を出すと、「ぼちぼちじゃ」と小太郎は患者をお雪に任せ、早雲を外に誘った。
早雲と小太郎は庭から北川の土手に出た。
「どうじゃ、うまく行ったか」と小太郎は聞いた。
「まあな」と早雲は昨日の事を小太郎に話した。
「成程のう」
「三浦の様子はどうじゃ。寝返ると思うか」
「可能性は充分にある。しかし、寝返る事が葛山らに知れたら、殺される事もあり得るな」
「殺されるか‥‥‥」
「それに、寝返ったとして、どうやって、お屋形から抜け出すかが問題じゃ」
「三浦次郎左衛門、一人位、お屋形から連れ出すのはわけないじゃろ」
「次郎左衛門一人だけなら簡単じゃ。しかし、今、本曲輪を守っておる五番組の頭は次郎左衛門の弟の右京亮(ウキョウノスケ)じゃ。他にも奉行衆(ブギョウシュウ)の中にも三浦一族の者はおるはずじゃ。次郎左衛門が寝返れば、そいつらは皆、殺されるじゃろうな」
「そうか、そこまでは考えなかったわ」
早雲は北川殿の屋根を眺めながら腕を組んだ。
「それにな」と小太郎は言った。「阿部川が封鎖されてからというもの、三浦次郎左衛門が動揺しておるという事は葛山播磨守も福島越前守も気づいておる。もしかしたら寝返るかもしれんと二人共、三浦を見張っておる事じゃろう。次郎左衛門に近づく事も難しいかもしれんな」
「そうか‥‥‥次郎左衛門の意志だけでは、どうにもならない状況に来ておるわけじゃな」
「そういう事じゃ」
「寝返らせると簡単に引き受けてしまったが、どうしたもんじゃろうのう」
「難しいのう」と小太郎は他人事のように言った。
早雲は小太郎の顔を見てから、「昨日、竜王丸派と摂津守派が一緒になったという事を知ったら、益々、三浦は見張られる事になるのう」と言った。
「多分、もう知っておるじゃろう。天野民部少輔が葛山に知らせたはずじゃ」
「そうじゃろうな‥‥‥そうか、わしらの作戦は葛山に筒抜けじゃったな。という事は、わしが三浦のもとに潜入するという事も葛山は知っておるという事じゃ」
「今頃は、おぬしを捕まえようと手ぐすね引いて待っておるじゃろうな」
「ふーむ。失敗じゃった。天野と葛山のつながりをすっかり忘れておった」
「おぬしらしくないのう。どうしたんじゃ」
「仕方なかったのよ。摂津守派を説得させるには手の内をすべて見せるしかなかったんじゃ」
「まあ、とにかく、今晩、富嶽の所に行ってみよう。やつらもそろそろ、お屋形から出てもいいんじゃないかのう」
「うむ」と早雲は頷いたが、すぐに首を振って、「三浦次郎左衛門が出るまで、中にはおってもらおう」と言った。
「どうしても、三浦を連れ出す気か」と小太郎は聞いた。
「見殺しにするには勿体ない男じゃ。やがて、竜王丸殿の重臣になってもらう」
「そうじゃな。葛山、福島越前と比べたら、三浦が一番、まともと言えるかもしれんな」
「しかし、難しいのう」と早雲は唸った。「おぬし、三浦屋敷に忍び込んだ事はあるか」
「ああ、一度ある」
「あの屋敷には何人位住んでおるんじゃ」
「そうじゃのう、二十人位かのう」
「家族はおるのか」
「いや、側室が一人おるだけじゃ。女中が五、六人おるかのう。それに、門番と三浦の側近の侍が十五、六人はおる」
「二十人か‥‥‥」
「それと、五番組全員じゃな」
「うむ‥‥‥五番組は全員じゃなくともよかろう。全員が三浦派とも限るまい」
「しかし、全員で行動を共にせんと寝返りがばれるぞ。全員がお屋形から出てから戻りたい者は戻らせればいい」
「そうじゃな。頭以外の者には寝返りの事を知らせん方がいいな‥‥‥ところで、本曲輪の警固は今、どういう具合になっておるんじゃ。三番組と五番組が一緒にやっておるのか」
「いや、交替で、昼と夜に分かれて警固しておるようじゃ。三日交替だと思ったがのう」
「三日交替?」
「ああ、三日間、三番組が昼の警固をやり、五番組が夜の警固をやる。そして、次の三日間は、それが入れ代わるわけじゃ」
「ふーん。今はどっちが夜の警固じゃ」
「昨日の夜は三番組が夜警じゃったのう」
「三番組か、葛山じゃな。具合悪いのう」
「ああ。三番組が警固しておったら、三浦屋敷に近づくのは危険じゃ」
早雲は頷き、お屋形を囲む土塁を眺めながら、「確か、三浦屋敷というのは大手門の近くじゃったな」と言った。「回りには誰の屋敷があるんじゃ」
「回りの屋敷は、みんな留守じゃよ」
「ほう。小鹿派の者の屋敷じゃないんじゃな」
「ああ。隣は朝比奈殿の屋敷じゃ。裏は木田殿と入野殿じゃ。その後は宝処寺じゃ。ただし、三浦屋敷の前には御番所がある。御番衆がウロウロしておるわ」
「そうか‥‥‥御番所の裏じゃったのう‥‥‥今、朝比奈屋敷とかは誰もおらんのか」
「誰もおらんな。門を閉ざしたままじゃ」
「小鹿派の連中たちが使ったりしないのか」
「小鹿派の連中が使っておるのは北川殿だけじゃ。留守屋敷はかなりあるが侵入禁止にしておるようじゃな。今は留守じゃが、やがて、戻って来ると思っておるんじゃろ。また、戻って来てもらわん事には困るからのう」
「そうじゃのう‥‥‥」
「とにかく、暗くなってからじゃ」
「うむ‥‥‥また、濠の中を潜って行くのか」
「当然じゃ」
小太郎は家の方に戻った。
早雲は土手に腰を下ろして、北川の流れを眺めながら考え込んでいた。
時折、武装した兵が北川の河原を見回っていた。早雲の方をチラッと見たが、どこぞの乞食坊主だろうと別に文句も言わなかった。
11.三浦次郎左衛門尉
1
駿府屋形内の長谷川法栄(ホウエイ)の屋敷に隠れている富嶽、多米権兵衛、荒木兵庫助の三人から、お屋形内の詳しい状況を聞くと早雲と小太郎の二人は、三浦屋敷の南隣にある木田伯耆守(ホウキノカミ)の屋敷に潜入し、待機していた。
木田伯耆守は元、御番衆の一番組の頭だったが、小鹿新五郎がお屋形様になったために頭の地位を奪われ、家臣を引き連れて小河(コガワ)の長谷川屋敷に移っていた。四番組の頭だった入野兵庫頭(ヒョウゴノカミ)も木田と一緒に駿府屋形から去っていた。二人共、今川一族であるため、二の曲輪(クルワ)ではなく、本曲輪内に屋敷を持っていた。今は二人共、竜王丸の御番衆となって、入野は竜王丸のいる小河の長谷川屋敷を守り、木田は摂津守の青木城を守っていた。
早雲と小太郎は誰もいない木田屋敷の台所で夜が更けるのを待っていた。二人は武士の格好をしている。お屋形内をうろつくのに一番目立たない格好だった。
二人は下帯一つで北川に入り、水の中を潜って道賀亭の濠に出た。濠から上がると、すぐ側にある北川衆の屋敷に入った。北川衆の屋敷は四軒並んでいて、今は全部、空き家となっている。小太郎はいつも、その家に着替えを置いていた。そこで武士になった二人は堂々と本曲輪内を歩いて長谷川屋敷に入って行った。勿論、長谷川屋敷への出入りは誰にも見られないように注意を払った。そして、暗くなってから木田屋敷に忍び込んだのだった。
「さすがに、御番衆がウロウロしておるのう」と早雲は言った。
「まあな‥‥‥ここから抜け出すのは難しいわ」
「もし、三浦殿が本拠地に戻ると言っても出られないんじゃろうか」
「さあ、どうかのう。三浦は出られるかもしれんが、残った者は人質となろうのう。三浦が裏切ったら人質は殺される」
「うむ、じゃろうの」
「とにかく、三浦に会ってからじゃ」と小太郎は板の間に横になった。「本人が寝返る気もないのに、あれこれ考えてみてもしょうがない」
「それもそうじゃな」と早雲は板の間に上がった。
台所は綺麗に片付けられてあった。余裕を持って引き上げたようだ。木田伯耆守が引き上げる頃は去る者は追わずだったので、きちんと掃除をしてから引き上げたのだろう。
「小太郎、今、小鹿派の軍勢はどれ位なんじゃ」と早雲が振り返って聞いた。
「今、駿府におる軍勢か」と小太郎は天井を見上げたまま言った。
「ああ」
「ここ、本曲輪に三番組と五番組がおるじゃろう。三百人余りおるのう。それと、小鹿新五郎の屋敷を守る宿直(トノイ)衆が二百位おるかのう。二の曲輪には二番組が百五十人。詰(ツメ)の城に、庵原安房守(イハラアワノカミ)と矢部将監(ショウゲン)の兵が二百。お屋形の回りに興津、蒲原、矢部美濃守の兵が三百といった所かのう」
早雲は小太郎の側に腰を下ろすと懐から紙と筆を出して、小太郎の言う事を書きとめた。
「しめて、一千百五十か‥‥‥おい、福島越前守の兵は帰ったのか」
「おっ、忘れておった。越前守と葛山播磨守の兵、五百が阿部川におったわ」
「ほう。葛山の兵も来ておったのか」
「ああ。いくら遠いといっても兵を連れて来ないんじゃ越前守に主導権を握られるからのう」
「三浦の兵はおらんのか」
「五番組だけじゃな。阿部川を封鎖されて来られんのじゃろう」
「そうじゃのう‥‥‥しめて、一千六百五十人余りという事じゃな」
「一千六百五十か‥‥‥竜王丸殿の兵力はどんなもんじゃ」
「阿部川に六百、青木城に三百という所かのう」
「九百か」
「今、この辺りにおるのはのう。あと四百余りが三浦殿の大津城を包囲しておるじゃろう。それと、遠江勢によって天野兵部少輔の犬居城も包囲するつもりじゃが、これは、すぐにというわけにもいかんじゃろう」
「うむ‥‥‥三浦次郎左衛門を寝返らせたとして、その後はどうするんじゃ」
「後は葛山播磨と福島越前を仲間割れさせる」
「それで? どっちを味方に付けるんじゃ」
「ふむ。どっちがいいかのう」
「どっちも一筋縄で行く相手じゃない事は確かじゃ。下手をすれば関東の軍勢を呼び込む事も考えられるわ」
「関東か‥‥‥扇谷(オオギガヤツ)上杉か‥‥‥まずいのう。それだけはやめさせなくてはならんな」
二人は一時程待つと行動を開始した。
下弦の月が出ていた。
木田屋敷の裏門から外に出ると、木田屋敷と三浦屋敷との間の通りに出た。通りに人影はなかった。小太郎が言うには警固の人数は増えたが以前程、警戒は厳しくはないという。以前は、お屋形内に敵、味方が共にいたので、それぞれが敵の動きを見張って、厳重に見回りをしていたが、今はお屋形内にいるのは皆、味方で、敵は外にいる。しかも、お屋形の回りにも軍勢が守っているので、敵が潜入する事など不可能だと安心しているようだった。
早雲は以前、忍び込んだ小太郎の案内で、三浦屋敷の塀を乗り越えて屋敷内に入った。
目の前に大きな建物があり、障子越しに明かりが見えた。
「あれが、湯殿じゃ」と小太郎は奥の方に見える建物を示しながら言った。
「この前、覗いたら、若い女子(オナゴ)が湯浴みをしておった。いい眺めじゃったぞ。三浦殿の愛妾(アイショウ)らしい。なかなかいい女子じゃった」
「ずっと、覗いておったのか」
「ああ。滅多に見られるもんじゃないからのう」
「のんきなもんじゃ」
「ちょっと覗いてみるか。また、おるかもしれん」
「明かりがついておらん。誰もおらんわ」
「そうか、残念じゃのう。もうちょっと早く来ればよかったかのう」
「そんな事より、三浦殿はどこにおるんじゃ」
「そこにおるじゃろ。向こう側の部屋じゃ」
二人は身を低くしながら建物の縁側に沿って向こう側に回った。障子の向こうに三浦次郎左衛門尉の姿が見えた。文机(フヅクエ)に座って何かを読んでいる。その部屋には次郎左衛門尉以外、誰もいなかった。隣の部屋は暗い。誰もいないようだ。
次郎左衛門尉のいる建物の西側にも大きな建物があり、どうやら、それは主殿(シュデン)のようだった。主殿の方にも人のいる気配はなかった。主殿の南面から西面にかけて庭園が広がり、庭園にも人影はなかった。
早雲は立ち上がると、小声で次郎左衛門尉に声を掛けた。
次郎左衛門尉は顔を上げると、正面に立っている早雲を見た。
「早雲です」と言いながら口を押える仕草をした。
「早雲殿か」と次郎左衛門尉は言った。驚いている様子は少しもなかった。じっと早雲を見つめてから、「一体、どうしたのじゃ。こんな所に」と落ち着いた声で聞いた。
「御無礼な事とは存じましたが、三浦殿と至急、お話をしなければならなくなりましたので、こうして、やって参りました。何卒、お許し下さい」早雲も次郎左衛門尉を見つめながら、静かな声で言った。
「わしに話?」
「はい。できれば内密にお願いしたいのですが」
「内密にか‥‥‥よかろう。わさわざ、危険を冒して、ここまで来たからには余程の話なんじゃろう。しかし、ここではまずいのう。よし、主殿の方で話を聞こう」
次郎左衛門尉は部屋から出ると主殿に向かった。早雲と小太郎は庭を通って主殿に向かった。主殿の向こうに表門が見えた。門は閉ざされ、門番小屋から明かりが漏れていたが、人影は見えなかった。やがて、主殿の廊下に手燭(テショク)を持った次郎左衛門尉が現れ、一室に入ると襖(フスマ)を閉めた。南側の門番から見えない襖が開くと、次郎左衛門尉は早雲と小太郎を手招きした。
そこは畳十二枚が敷き詰められた広間だった。回りは山水の画かれた襖で囲まれ、奥の方には上段の間があるようだった。
小太郎は耳を澄まして回りの状況を窺った。誰かが隠れて、二人を狙っている可能性もあったが、そんな気配は感じられなかった。
次郎左衛門尉は燭台に火を移すと二人を見た。
「それにしても、よく、お屋形内に入れたものじゃな。早雲殿は昔、行者(ギョウジャ)だったという噂を聞いた事があったが、まさしく、行者のようじゃ」
「風眼坊は紛れもない行者です」と早雲は小太郎を示した。「風眼坊の案内でここまで来る事が出来ました」
「風眼坊殿か‥‥‥北川殿におられた方じゃな」
小太郎は次郎左衛門尉を見つめながら頷いた。
「北川殿と竜王丸殿が急にお屋形内から消えられたが、それも、そなたの仕業と見えるのう。大したもんじゃ」次郎左衛門尉は軽く笑うと早雲の方を見て、「それで、至急の話とは?」と聞いた。
「はい。三浦殿、竜王丸派と摂津守派が一つになったのは御存じでしょうか」
「存じておる」
「そこで、お願いがございます」
次郎左衛門は何も言わずに、早雲を見ていた。
「実は、三浦殿に寝返ってもらいたいのです」と早雲は単刀直入に言った。
「わしに竜王丸派になれと申すのか」
「はい。竜王丸派と摂津守派が一つになった事により、阿部川以西は我らの勢力範囲となりました。三浦殿の本拠地を除けばです。このままの状態ですと、三浦殿の本拠地を我らの手で奪い取るという事になりかねません。我らのもとには血の気の多い者がかなりおります。摂津守殿を初めとして福島土佐守殿、岡部五郎兵衛殿などがおります。彼らは三浦殿の城を落とせと主張しております。彼らは戦がしたくて、うずうずしておるのです。わたしは今川家内で戦をするのは絶対に反対です。一つの戦が始まれば連鎖反応を起こして、駿河中で戦が始まる事でしょう。そうなったら、今川家は終わりです。誰をお屋形様にするかなどという家督争い以前に今川家の存亡に関わって参ります。戦を始めさせないためにも、三浦殿に寝返って欲しいのです。いかがでしょうか」
次郎左衛門は黙っていた。
「今川家のためです」と早雲は言った。「三浦殿が小鹿新五郎殿を押した気持ちは分かります。今の今川家を発展させて行くには、備前守殿よりも、摂津守殿よりも、まして、まだ六歳の竜王丸殿よりも、小鹿新五郎殿の方がふさわしいと思うのは当然です。しかし、強引にお屋形を占拠して新五郎殿をお屋形様にしても、それだけでは何も解決にもなりません。返って、それぞれの派閥の溝を深めただけです。竜王丸殿の後見役となっておられる摂津守殿は少々、頼りないとお思いでしょうが、何とぞ、重臣の方々が助けて、今後の今川家を見てやって下さい。お願い致します」
「‥‥‥今川家のためか」と次郎左衛門尉は呟いた。
「はい。お願いします」
「わしが寝返ったとして、それで、うまく行くと申すのか」
「とりあえずは、戦を避ける事ができます」
「‥‥‥そなたの言う事は分かった。しばらく、考えさせてくれ」
「はい。しかし、時があまり、ありません。今朝、福島土佐守殿が大津城を落とすと言って、兵を引き連れて現地に向かいました」
「そうか‥‥‥一つ、聞きたいのじゃが、もし、寝返ったとして、どうやって、ここから出ればいいんじゃな。今更、寝返ったから出ると言っても播磨守が頷くとは思えん」
「三浦殿が寝返った場合、三浦殿の身内は勿論の事、下男、下女にいたるまで、すべて、ここから逃がすつもりです」
「なに、下男、下女まで逃がすと?」
「はい」と早雲は力強く頷いた。
「そんな事ができるのか。わしの屋敷は最近、播磨守の手下に見張られておるのだぞ」
「やはり、そうでしたか」
「うむ。そなたらがわしの寝返りを考えたように、播磨守もわしが寝返りはせんかと怪しんでおるのじゃ」
「大丈夫です。三浦殿が寝返る気がおありなら何とか考えてみます」
「そうか‥‥‥」
「明日の今頃、また、参ります。その時、御返事をお聞かせ下さい」
「明日の今頃か‥‥‥分かった」
「失礼いたします」
早雲と小太郎の二人は次郎左衛門尉に頭を下げると庭に下り、闇の中に消えて行った。
次郎左衛門尉は二人の消えた庭園をじっと見つめていた。
次の日の夜、早雲と小太郎が三浦屋敷に行くと、次郎左衛門尉は身内の者を集めて、昨夜と同じ広間で待っていた。
二人を広間に入れると、宿直(トノイ)衆の格好をした武士が外を窺って襖を閉めた。
「信じられませんな。わしらの警戒を破って、ここに来るとは」と右京亮(ウキョウノスケ)が言った。
「いやあ、苦労しました」と早雲は言った。
小太郎は懐の中に隠した右手で手裏剣を握っていた。次郎左衛門尉の本意が分かるまでは油断できなかった。襖の向う側に敵が隠れてはいないか、耳を澄まして探っていた。
「さっそくですが、昨日の件の答えは出ましたでしょうか」と早雲は聞いた。
次郎左衛門尉は頷いた。そして、早雲と小太郎に同席している三人を紹介した。
次郎左衛門尉の左に座っていたのが寺社奉行の三浦石見守(イワミノカミ)、右側に座っている二人は弟の御番衆の五番組頭、三浦右京亮と甥の宿直衆の三番組頭、三浦彦五郎だった。
早雲は三人共、会うのは初めてだったが、小太郎は右京亮と石見守の二人を知っていた。小太郎の方は知っていても、勿論、相手の方は知らなかった。
「早雲殿、実際問題として、わしら一族の者たち、すべてがここから抜け出す事など、できるのですかな」と次郎左衛門尉は聞いた。
「はい。戦をやめさせるために、三浦殿に、ここから出ていただくわけですから、犠牲者は一人も出したくはありません。皆さんを無事に、ここからお出ししたいと思っております」
「女子供もおるのじゃぞ」と石見守が言った。
「はい。存じております」
「そなたが北川殿を知らぬ間に、ここからお連れした事は存じておるが、あの時とは数が全然違うぞ」
「はい。その事なんですが、詳しい人数などを教えていただけませんか」
「うむ。その前に、早雲殿、そなたの言う通りにしたとして、そなたが、わしらを裏切らないという証(アカシ)がないと、わしら一族の命をそなたに預けるという事はできかねるが」
「証ですか‥‥‥」
「そうじゃ。わしらを寝返らせておいて、その事を葛山播磨にでも知らせれば、小鹿派は分裂し、その方の思う壷(ツボ)という事になるからのう」と石見守は言った。
「うーむ。確かに‥‥‥しかし、わたしを信じてもらうしか‥‥‥」
「それは無理じゃ」と石見守は首を振った。「そなたを信じろと言っても、今、現在、わしらとそなたは敵という立場じゃからのう」
「うーむ。しかし、」
「そなたが人質として、ここに残る事じゃ」と石見守は言った。
「わしが人質ですか‥‥‥」
「そうじゃ」
「うむ‥‥‥しかし、わしがここにおっては作戦の指揮が執れんが‥‥‥」
「そなた以外の者でも構わんが、ただし、重臣に限るのう」
「‥‥‥分かりました。わたしが人質となりましょう」と早雲は言った。
「確かじゃな」
早雲は小太郎を見てから頷いた。
「それでは話を進めますかな」と次郎左衛門尉が言った。
次郎左衛門尉の屋敷には側室(ソクシツ)が一人と侍女(ジジョ)が二人、仲居が五人、門番が十二人いた。門番十二人のうち八人が通いで、城下に家を持ち、家族がいる。その他に、城下の方にも下屋敷があり、本拠地から連れて来ている家臣たち三十人が詰めていた。
寺社奉行の石見守の屋敷も本曲輪内にあり、家族も共に住み、三十人近い部下がいる。部下たちもほとんどの者が家族と共に城下に住んでいた。
五番組の右京亮と宿直衆の彦五郎は二曲輪内に屋敷を持ち、当然、家族と住んでいる。五番組の中の侍たちの三分の一は三浦家の家臣の子弟たちだった。彼らの中にも家庭を持っている者はいた。宿直衆の中にも三浦家の者が二十人程いて家庭持ちもいる。
総勢、五百人以上の一族あるいは家臣たちがいた。
「さて、どうやって、これだけの人数を播磨守に気づかれずに、ここから出すというのですかな」
「右京亮殿、お聞きしたいのですが、確か、右京亮殿の五番組は今晩から三日間、夜番で、二十五日から昼番に代わるとお聞きましましたが、その通りですか」と早雲は聞いた。
「はい。そうですが」
「という事は、二十四日の日暮れから二十五日の日暮れまで、丸一日、勤務に就くという事ですか」
「はい、その通りです」
「という事は、その日、三番組は丸一日、休みという事ですか」
「はい」
「という事は、三番組の連中は本曲輪にはいないという訳ですか」
「特に命令がない限りは、それぞれ、自分の家に帰っています。」
「その家というのは城下ですか」
「はい。頭とか数人の者は二の曲輪に屋敷を持っていますが、ほとんどの者は城下の長屋に住んでいます」
「そうですか‥‥‥」
「その日に抜け出すと言うのか」と次郎左衛門尉が聞いた。
「いえ。これだけ人数が多いと一度に出る事は難しい。しかし、一度にやらない事には、敵にばれてしまう可能性が高い」
「一度に? そんな事は不可能じゃ」と石見守が言った。
「そうです。女子供を先に逃がした方がいい」と右京亮が言った。
「はい。少しづつ逃がした方が確かかもしれませんが、家族たちにも近所付き合いというものがあるでしょう。突然、その家がも抜けの空になったら回りの者に怪しまれます。播磨守殿や越前守殿が気づいた時には、すでに全員がここから抜け出していなくてはなりません」
「成程。突然、隣の家に誰もいなくなったら確かに気づかれるわな」
「しかし、一度に、全員が消えるなどという事が本当にできるのか」
「そこを何とか考えなくてはなりません」
「うむ‥‥‥」
「右京亮殿、二十五日から二十七日まで昼番で、二十八日、二十九と夜番ですよね」と早雲は聞いた。
「はい。二十七日の日暮れから二十八日の日暮れまでは、我ら五番組が休みとなります」
「ふむ。来月の警固はどうなっておりますか」
「来月は、五番組は二の曲輪に移ります」
「今、二の曲輪には二番組が守っていますが、二番組と共に五番組も守りに加わるのですか」
「いえ。二番組は休みとなります。三番組も休みです。二番組、三番組は三月四月と二ケ月続けて勤務に就いていたので、来月は休みとなります。休みと言っても国元に帰る事は許されず、城下にいて待機していなければなりませんが」
「三番組は休みですか‥‥‥本曲輪は誰が守るのです」
「一番組と四番組です」
「新しく編成された組ですね」
「はい。ほとんどの者が、お屋形様、いえ、小鹿新五郎殿の家臣たちです」
「新五郎殿の家臣ですか‥‥‥頭も当然、新五郎殿の家臣という事ですね」
「はい。一番組の頭は新五郎殿の弟で新六郎殿、四番組の頭は草薙大炊助という首取りの名人です」
「来月になったら難しくなりますね。今月中に何とかしなければならない」
「今月と言ったら後七日しかない」と右京亮が言った。
「七日か‥‥‥」と次郎左衛門尉は唸った。
「早雲殿、女子供も含めて五百人程もいる我らを一体、どうやって大津に戻すつもりなんじゃ」と石見守は厳しい顔付きで聞いた。
「大津までは行きません」
「なに?」
「摂津守殿の青木城まで行けば後は安全です。摂津守殿を初めとして朝比奈殿、岡部殿、天野民部少輔殿らが三浦殿一族の方々を喜んで迎えましょう。後は陸路であれ、海路であれ、無事に国元までお帰りになれます」
「成程、そうじゃった。阿部川さえ渡ってしまえばいいわけじゃ。それなら、何とかなりそうじゃわ」
「しかし、気づかれずに事を運ばなくてはなりません。阿部川には五百余りの兵がおると聞いております」
「うむ、確かに、越前守と播磨守の兵が五百はおる。しかし、浅間神社の西の河原には今川の兵はおらん。浅間神社は今の所、中立の立場じゃ。小鹿派にしろ竜王丸派にしろ、浅間神社を敵に回したくないので、浅間神社の領域には踏み込まずにいる。摂津守派が阿部川を押えていると言っても、浅間神社への参拝客や商人たちを止めたりはせんのじゃ。あそこの河原を渡れば、簡単に川向こうに行く事ができるわ」
「そうでしたか、確かに、浅間神社の領域には武士はおりませんでした。僧兵や山伏ばかりがウロウロしておりました」
「女子供はお宮参りという事でお屋形を出て、阿部川を渡るとして、わしら御番衆や宿直衆はどうしたらいいのです」と右京亮が聞いた。
「宿直衆の勤務はどのようになっておりますか」
「宿直衆は三つに分かれていて、十日交替でお屋形様の屋敷を守っております。一番組が一日から十日まで、二番組が十一日から二十日まで、三番組が二十一日から三十日までという具合です」
「十日働いて、後の二十日は休みというわけか」と小太郎が聞いた。
「いえ、十日間はお屋形様の屋敷を守り、次の十日間は、お屋形様がお出掛けになる時は必ず、お供をしなければなりません。本当の休みというのは残りの十日間です。しかし、今は休みでも国元に帰るというわけには参りません」
「成程‥‥‥」
「彦五郎殿の休みはいつですか」
「今です。今月一杯休みです」
「そいつは都合がいい」と小太郎は膝を打った。
「彦五郎殿の組の者は皆、彦五郎殿の家臣なのですか」
「いえ、違います。しかし、三浦家の者たちは皆、わたしの組におります」
「という事は今、皆、休んでおるというわけですな」
「はい」
「宿直衆は何とかなりそうじゃな。問題は御番衆じゃのう」と石見守が言った。
「御番衆がいなくなれば、すぐに分かってしまう」と次郎左衛門尉が言った。
「御番衆が、いつ消えるかが問題ですね」と早雲は言った。
「勤務に就いている時か、休みの時か」と右京亮が言った。
「それと、わしが出て行くのも難しい」と次郎左衛門尉が言った。
「見張られておりますか」と小太郎が聞いた。
「朝比奈殿の屋敷から見張っているらしいのう」
「表門を見張っておるのですか」
「ああ。裏門も御番所から見張っているに違いない」
「という事は今、皆さんがここに集まっておるという事は気づかれておるわけですね」
「いえ、わしらがここを守っている時は裏門の方は安全です。多分、気づいてはいないと思いますが」と右京亮が言った。
「そうですか‥‥‥石見守殿も見張られておりますか」
「いや、わしは見張られてはおらんとは思うが‥‥‥」
今日の所は、ここまでという事でお開きとなり、早雲と小太郎は三浦屋敷の一室に泊まった。
三浦屋敷において、早雲らが脱出作戦を練っている頃、北川殿の客間では、葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)が弟の備後守(ビンゴノカミ)と妖気の漂う一人の山伏と酒を酌み交わしていた。
山伏の名は定願坊(ジョウガンボウ)といい、富士山の登山口、大宮の浅間(センゲン)神社の山伏だった。古くから葛山氏とはつながりがあり、葛山氏のために情報を集めたり、戦においては奇襲攻撃をかけ、敵を混乱させたりして活躍していた。中居の毒殺騒ぎや、北川殿を襲撃した例の河原者たち、中原摂津守の屋敷に火を付けた者たちは皆、定願坊の配下の山伏だった。
駿府屋形内には富士山の山伏の他にも、天野氏が連れて来た秋葉山の山伏も暗躍していたが、彼らも皆、定願坊の指揮下に入っていた。
「大津の様子はどうじゃ」と播磨守は酒盃(サカズキ)を口に運びながら定願坊に聞いた。
「籠城(ロウジョウ)の支度をしております」
「ふむ。敵の様子は?」
「朝比奈殿、福島土佐守(クシマトサノカミ)殿、長谷川殿がおのおのの城に帰り、戦(イクサ)の準備をしております」
「やはり、戦になるのか」
「土佐守殿はやる気満々ですな」
「じゃろうのう、参った事じゃ」
「播磨守殿らしくないですな。ようやく、播磨守殿の望んでいた戦になるというのに」
「ふん。負ける戦など誰も望んではおらん。三浦殿の方はどんな様子じゃ」と播磨守は弟の備後守に聞いた。
「特に変わった様子はないです」
「三浦殿は国元の状況を知らんのか」
「そんな事もないでしょうが、どうにもできないのでしょう」
「うむ。しかし、参った事よのう。まさか、竜王丸派と摂津守派が手を結ぶ事となるとはのう。一体、誰がそんな事を考えたんじゃ、天遊斎殿か」
「いや、天遊斎殿は伜殿を亡くして、今はそれどころではないでしょう」
「岡部美濃守殿か」
「いや、早雲殿じゃよ」と定願坊が言った。
「なに、早雲‥‥‥ふーむ。またも早雲か‥‥‥北川殿をここから連れ出したのも奴じゃろう。今まで気にもせんかったが、なかなかの曲者(クセモノ)じゃのう」
「その早雲殿が三浦殿を寝返らせるために動いている模様じゃ。昨日からどこに行ったのか姿が見えん」
「姿が見えん?」
「風眼坊とかいう大峯の山伏と共に姿を消した」
「風眼坊か‥‥‥わしはその風眼坊とやらにはまだ会った事はないが、どんな奴なんじゃ」
「大峯山の大先達(ダイセンダツ)じゃ。吉野から熊野にかけて知らぬ者はいないと言ってもいい程、有名な山伏じゃ」
「ほう、そんなに有名な男なのか」
「ああ、驚いたわ。わしも大峯には行った事があるが、もう二十年以上も前の事じゃ。その頃、風眼坊などという名など耳にした事もなかった。まだ、風眼坊も若かったから有名ではなかったんじゃろう。ところが、二、三年程前に大峯に行って来た者に聞くと、誰もが風眼坊を知っておるんじゃ。駿河に来ているなら、世話になったお礼をしたいと言い出す者までもおる」
「ほう。そんな有名な山伏がどうして、こんな所に来ておるんじゃ」
「それが、どうも早雲殿とかなり親しいようじゃな」
「早雲が以前、行者だったという噂を聞いた事があったが、早雲も大峯の行者だったのか」
「かもしれんのう。今出川殿(イマデガワドノ、足利義視)の申次衆(モウシツギシュウ)となったのが三十の半ばじゃ。それまで何をしていたのか、まったく分からん。大峯にいたという可能性も充分に考えられるのう」
「伊勢早雲か‥‥‥その早雲が三浦殿の寝返りをたくらんでおるのじゃな」
「ああ」
「三浦殿の寝返りか‥‥‥時間の問題じゃな」
「三浦殿を寝返らせてもいいのですか」と備後守は言った。
「今の状況を考えてみろ。三浦殿の本拠地は敵に囲まれている。助けようがないわ」
「しかし、三浦殿に寝返られたら、わしらはかなり不利な立場に立つ事になります」
「分かっておるわ。しかし、大津城を助けるために、わしらが出陣すれば、ここが手薄になる。敵はわしらの兵力を二つに分散しようとたくらんでおるのかもしれん」
「それでは、三浦殿が寝返るのを黙って見ていろと言うのですか」
「仕方あるまい。三浦殿が寝返らなくても国元の連中は寝返るかもしれん」
「そんな馬鹿な」
「国元の連中にすれば、今川家のお屋形様は小鹿新五郎殿でなくても構わんのじゃ。自分らの土地を守ってくれる者がお屋形様じゃ。竜王丸殿が土地を守ってやると言えば寝返るのは当然の事じゃ。三浦殿の伜を家督とし、三浦殿は知らぬ間に隠居じゃ。隠居した三浦殿が我らのもとにいたとしても何の得にもならんわ」
「三浦殿を寝返らせないようにはできないのですか」
「無理じゃな。勝間田、横地らが生きていれば、味方に引き入れて何とかする事もできたじゃろうが、今はそれも無理じゃ。遠江勢は皆、竜王丸派ときておる」
「三浦殿がここから出て行くのを黙って見てろ、と言うのですか」
「そうとは言わん。三浦殿をここから出すわけには行かん。国元が寝返った時の場合の人質じゃ」
「人質?」
「最悪の時は、三浦殿に見せしめとして死んでもらうかのう」
「えっ!」と驚いて、備後守は兄の顔を見つめた。
「戦の血祭りという奴じゃよ」と播磨守は平然と言って、酒を飲んだ。
「なかなかですな」と定願坊は気味の悪い笑みを浮かべた。「敵の作戦をこちらで利用するというわけですな」
「そういう事じゃ。今川家が四つや三つに分かれていたままでは戦にはならん。二つに分かれて初めて戦が起こる。三浦殿が寝返れば駿河の国は阿部川を境にして、はっきりと二つに分かれる。三浦殿を血祭りに上げれば、竜王丸派も黙ってはおるまい。戦が起こるのは確実じゃ」
「しかし、三浦殿が寝返れば、兵力において敵の方が上回る事になりませんか」
「いや、大丈夫じゃ。天野殿に国元に帰ってもらい、遠江勢が駿河に来られないようにする。そうすれば、兵力においては互角じゃろう。戦が始まれば、わしらは高みの見物じゃ。どっちが勝とうが関係ないというわけじゃよ」
「そううまく行けばいいんですけど」
「大丈夫じゃ。いくら、早雲でも三浦一族の者、すべてをここから出す事などできまい。三浦殿が無事にここから抜け出したとしても、弟の右京亮がいる。右京亮がここから抜け出す事は不可能じゃ」
「それもそうですね。三浦一族の者はかなりいる。三浦殿に逃げられても血祭りに上げる者はいくらでもいる。家族の者もいるし」
「三浦殿が抜け出したら、まず、最初に小松とかいう愛妾を血祭りに上げてやれ」
「あの小松殿ですか」と定願坊は首を振って、「勿体ないですな」と言った。
「なに、慰(ナグサ)み物にしてからでも構わんさ」と播磨守はニヤリと笑った。
備後守も笑った。
「しかし、見張りは怠るなよ」と播磨守は厳しい顔に戻って、弟に言った。
「はい」と備後守も真顔に戻って頷いた。
「定願坊殿、そなたには由比に向かってもらいたいのじゃが」と播磨守は言った。
「出羽守殿ですな」
「そうじゃ。出羽守殿は今、本拠地に戻って籠城の支度をしておる事じゃろう。そなたの手で寝返らせてくれんか」
「まあ、これも時間の問題ですかな」
「まあな」
「ところで、渚姫(ナギサヒメ)はいかがですか」と定願坊は聞いた。
「おう。いい女子(オナゴ)を見つけてくれたのう。お屋形様はもう渚姫に夢中じゃ。朝から晩まで、いや、勿論、夜もじゃ、一時も側から離さんわ。そろそろ、小鹿から奥方を呼んでもいい頃なんじゃが、危険じゃからと言って未だに呼び寄せんのじゃ。いい女子を連れて来てくれた。ほんとに礼を言うぞ」
「そいつはようございましたな」
「そろそろ、わしらも女子でも呼んで、楽しむ事にするかのう」
「ここにですか」と備後守は聞いた。
「おう、そうじゃとも。もう、呼んであるんじゃ。定願坊殿が戻って来ると聞いてのう。久し振りに騒ごうと思ってな。さあ、場所を替えようかのう」
播磨守は二人を遊女たちの待つ居間の方に案内した。
庭園の池のほとりに、あやめの花が並んで咲いていた。
早雲が三浦屋敷に人質として滞在してから四日が過ぎた。
二十六日の昼、小太郎が職人たちを引き連れて来て、三浦屋敷の庭園に簡単な舞台を作った。小太郎は仕事が済むと職人を連れて、さっさと帰って行った。
翌日、女芸人率いる旅の芸能一座がやって来て、三浦一族の家族の見守る中、芸人たちは舞台狭しと華麗に踊り、流行り歌を披露した。
舞台は一時程で終わり、芸能一座は喝采を浴びて帰って行った。
その日の晩、小太郎が一人で三浦屋敷にやって来た。小太郎は武家姿で、しかも、三浦家の家紋『丸に三つ引き』の付いた素襖(スオウ)を着ていた。今、本曲輪の警固を担当しているのは三浦右京亮の五番組だった。小太郎は堂々と門を通って来た。
小太郎は三浦屋敷内の遠侍(トオザムライ)にいる早雲の姿を見付けると、早雲と共に次郎左衛門尉の居室に向かった。次郎左衛門尉は一人、文机の前に座って書物を読んでいた。
二人は次郎左衛門尉の部屋に上がった。
「首尾はいかがじゃ」と次郎左衛門尉は小太郎を見ると聞いた。
「成功です。すべて、うまく行きました。小松殿を初め、侍女、仲居衆、門番、すべて、青木城に入りました」
「そうか‥‥‥」
「後は、明日の昼、一族の女子供たちが浅間(センゲン)さん参りと称して、浅間神社の渡しから阿部川を渡れば、向こう岸に長谷川殿が待っております。長谷川殿の船に乗って、藁科(ワラシナ)川を下れば、もう安全です」
「うむ。わしは明日の夜、ここを出ればいいのじゃな」
「はい。わたしがお供いたします」と早雲は言った。
「そうか‥‥‥播磨守殿と越前守殿はまだ、気づいてはおらんのじゃな」
「今の所は気づいておりませんが、明日が問題です」
「なに、明日は五番組は日暮れまで休みじゃ。休みの日に家族を連れ、浅間参りをしたからといって怪しみはせんじゃろう」
「はい。ただ、明日の天気が心配です」と小太郎が言った。
「雨か」
「かもしれません」
「まずいのう。雨が降ったら、やりずらい」と早雲は言った。
「運を天に任せるしかない」と小太郎は言った。
「そなたの祈祷(キトウ)で何とかならんのか」と次郎左衛門尉は小太郎に言った。
「今から祈祷を始めたとしても、明日では、とても間に合いません」
「そうか‥‥‥運を天に任すしかないか」と次郎左衛門尉は外を眺めた。
もう、暗くなっていた。確かに、雨が降りそうな空模様だった。
「早雲殿、人質として、そなたをここに閉じ込めたわけじゃったが、どうやら、今は、わしの方が人質になっているようじゃのう」と次郎左衛門尉は笑った。
三浦屋敷には次郎左衛門尉の他に側室の小松、侍女が二人、仲居が五人、門番が十二人、次郎左衛門尉の近習の侍が三十人仕えていた。その内、門番の八人と近習の二十人は通いだった。城下に家庭を持っている者や、城下にある三浦屋敷に住んでいる者たちだった。通いの者たちはどうにでもなったが、住み込みの者たちをここから出すのは難しかった。特に側室の小松が出て行ったまま戻って来ないと分かれば、葛山播磨守に怪しまれる。また、門番は次郎左衛門尉が抜け出した後も残っていなければ怪しまれる。全員を移動させるには身代わりが必要だった。
舞台を作るために、小太郎が連れて来たのは在竹兵衛(アリタケヒョウエ)率いる山賊衆だった。『普請奉行』と呼ばれる大林主殿助(トノモノスケ)を中心に舞台を作ると、彼らは住み込みの門番と近習侍と入れ代わった。小太郎は彼らを連れ、無事にお屋形の外に出た。次の日に来た芸能一座は、富嶽に率いられた春雨とお雪、それと河原者を集めた女ばかりの一座だった。舞台が終わると、側室の小松、侍女、仲居らと河原者は入れ代わった。富嶽と春雨、お雪に守られて、彼女らは無事に青木城に入った。残った河原者の女たちは侍女や仲居に扮し、もうしばらくは、ここに滞在して貰う事となった。こうして、三浦屋敷に住み込んでいた者たちの移動は終わった。石見守と右京亮の屋敷は次郎左衛門尉の屋敷のように見張られてはいないので、明日の昼、家族と共に抜け出し、空になった屋敷に門番として、多米や荒木などが入る事になっていた。
今、三浦屋敷にいるのは次郎左衛門尉と通いの近習の侍十人、早雲、在竹兵衛率いる山賊衆十三人と河原者の女たちだった。
「早雲殿の御家来衆は一風変わった者たちが多いですな」と次郎左衛門尉は笑った。
「はい。つい最近まで山賊でしたから」と早雲も笑った。
「なに、山賊?」
「はい。しかし、今は心を改めて、村人たちのために働いております」
「村人たちのために?」と次郎左衛門尉は怪訝な顔をした。
「はい。わたしの家来になると言って来たんですけど、わたしには奴らを食わせるだけの甲斐性がないものですから、それぞれが村人たちのために働いて稼いでいるわけです」
「そうであったか‥‥‥」
「奴らも元は皆、武士でした。戦に敗れ、浪人となり、仕方なく山賊稼業などを始めましたが、根っからの悪人ではありません。最近は刀など腰に差す事もなく、毎日、朝から晩まで汗を流して働いております。今回、わたしが頼んだら、今川家のためならと喜んで来てくれました」
「そうでしたか‥‥‥早雲殿、そなたという御仁は変わったお人ですな。山賊どもを家来にし、しかも、その山賊たちを更生させておる。普通の者にできる事ではない。また、村人たちのために働いていたとはのう」
「わたしは武士をやめて、この地に参りました。武士をやめて旅を続けておるうちに、今まで、気がつかなかった事が色々と見えて参りました。武士でおった頃のわたしは、百姓たちの事など考えてもみませんでした。しかし、武士をやめて旅をすると、自分が武士の世界ではなく、百姓や村人たちと同じ世界に住んでおるという事に気づいたのです。武士たちは、わたしをただの乞食坊主としか扱ってはくれません。初めのうちは、わたしも腹が立ちました。この田舎侍が何を言うと‥‥‥しかし、武士を捨てた今、昔の事を言っても仕方ないと諦めて、村人たちの世界に入って行こうと決めました。自分から進んで村人たちの中に入って行くと、結構、村人たちは乞食坊主のわたしでも大切に扱ってくれるのです。わたしは旅を続けておるうちに、武士も百姓も河原者も皆、同じではないのか、と思うようになりました。いや、同じようにならなければならないと思うようになったのです。そこで、わたしはここに落ち着いてからも、村人たちの世界に入って行って、今まで彼らと共に暮らして来たのです。わたしが今まで暮らして来られたのも、彼らのお陰と言ってもいいでしょう」
「成程のう」と次郎左衛門尉は何度も頷いた。
「世の中は武士たちの知らない所で、少しづつ変わって来ております。今までのように、守護という肩書だけで下々の者が言う事を聞くという時代ではなくなりつつあります。古くから土地と直接につながりのあった国人たちが力を持ち、守護に敵対しております。以前、守護の後ろには幕府がおりました。幕府の威光があって守護という地位は安泰でした。しかし、これからは幕府を頼りにしてはなりません」
「なに、幕府を頼りにしてはならんと」
「これからは今川家は独自に国人たちとの絆を強め、国をまとめなければなりません」
「幕府は頼りにならんと言うのか」
「はい。土地を直接に支配しておる者が勢力を広げて、残る事でしょう」
「土地を支配しておる者がか‥‥‥」
「守護でありながら国元の事は守護代に任せ、幕府に仕えておった者たちは皆、守護代に権力を奪われる事となるでしょう」
「それは本当なのか」
「本当です。お亡くなりになられたお屋形様は、京に行った時、幕府の実態を見て、その事に気づいておったに違いありません。お屋形様は新しい今川家、幕府の後ろ盾が無くても立派に生きて行ける今川家を作ろうとしておったのかもしれません。しかし、その途中で亡くなわれてしまわれた。失礼ながら、備前守殿、摂津守殿、小鹿新五郎殿は今現在の幕府のありようを御存じありません。その事が心配です」
「うーむ」と次郎左衛門尉は唸って、腕を組んだ。
「時は驚く程の速さで動いております」と早雲は言った。「その時に乗り遅れた者は滅びると言ってもいいでしょう」
「時が驚く程の速さで動いておるか‥‥‥わしには分からんのう」
「これからは戦をするにも、ただ勝てばいいというだけでなく、回りの状況を常に見ながら事を決めなければならなくなるでしょう。生き残るためには駆け引きという物が必要です。今回、三浦殿は寝返るという事に少し抵抗を感じておる事と思います。しかし、状況を判断して、生き残るためにはそれは仕方のない事と思います。三浦殿、竜王丸殿のために何卒、お願い致します。竜王丸殿を立派なお屋形様にするかはどうかは重臣の方々の手に掛かっております。お願い致します」
早雲は深く、頭を下げた。
「早雲殿、頭を上げて下され。わしらはどうも考え方が狭いようじゃのう。早雲殿のように広い視野に立って物を見るという事ができないようじゃ。寝返ると決めたからには、竜王丸殿をお屋形様として、新しい今川家を作る事を約束致します。早雲殿も竜王丸殿を立派なお屋形様に教育して下され」
「はい。それはもう」
「雨が降って来たようじゃ」と小太郎が言った。
「雨か‥‥‥」と次郎左衛門尉は耳を澄ました。
「明日の朝にはやんでくれるといいが‥‥‥」
「わしは、北川殿に行って敵の様子を見てくるわ」と小太郎は部屋から出て行った。
「北川殿に行ったのか」と次郎左衛門尉が早雲に聞いた。
「播磨守が今日の事を気づいたかどうか、調べに行ったのでしょう」
「どうやって、そんな事を調べるんじゃ」
「風眼坊は北川殿の事は隅から隅まで知っております。屋根裏にでも忍び込んで、播磨守の様子を探るのでしょう」
「屋根裏に忍び込むのか、あそこの警固はかなり厳しいぞ」
「山伏の考える事は武士とは違います。武士が厳しい警固をしておったとしても、山伏にとっては何でもありません。特に風眼坊は武術に関しては専門家ですから」
「ふーむ。この屋敷の屋根裏にも忍び込めるのか」
「はい。多分」
「恐ろしい男じゃのう」
「敵にはしたくない男ですね」
「ふむ、まさしく‥‥‥」
「わたしもそろそろ失礼致します」
早雲は次郎左衛門尉の居室から出た。
次郎左衛門尉はしばらく雨音を聞いていたが、何事もなかったかのように、また書物に目を落とした。
一晩中、降っていた雨は朝方にはやみ、日が差して来た。
三浦右京亮の率いる五番組は、昨日の昼番警固の終わった日暮れから今日の日暮れまで、丸一日休みだった。三浦一族の者たちは家族を連れ、浅間参りと称して、各自、屋敷を抜け出して浅間神社の横の阿部川の渡しに集まっていた。お参りと称しているため、皆、普段着のままで荷物など持ってはいなかった。寝返りが分かった後、家財を没収される可能性はあったが仕方なかった。阿部川の向こうには、山伏姿の小太郎が同じく山伏姿の荒川坊、才雲、孫雲らと待っていて、家族たちを藁科川まで連れて行き、藁科川には長谷川法栄の舟が待機していた。彼らは法栄の舟に乗って、青木城のすぐ側まで行く事ができた。
当時、阿部川と藁科川は合流していない。阿部川は賤機(シズハタ)山の西麓を流れ、浅間神社の所で二つに分かれ、一つはそのまま真っすぐ藁科川に平行するように流れ、もう一つは駿府屋形の北側を流れる北川となる。北川は駿府屋形の手前で二つに分かれ、一つは屋形の西側を阿部川の本流と平行するように流れる。北川の本流の方は駿府屋形の北側を流れてから北上し浅畑沼へと流れる。屋形の西側を流れる阿部川は駿河湾に流れ着くまでに、何本もの支流を生みながら流れていた。
小鹿派の軍勢は屋形の西側の二本の阿部川の間に陣を敷き、竜王丸派の方は藁科川の西岸に陣を敷いていた。阿部川と藁科川の間の距離は十五町(約一、六キロ)程あり、草原が続いていた。阿部川は洪水の度に流れを変えるため、当時の技術では開墾する事はできなかった。
浅間神社の領域内の阿部川の河原には当然、小鹿派の軍勢はなく、難無く、三浦一族及び家臣の家族たちは藁科川を下って青木城へと入って行った。
日暮れ時、五番組は昼番の三番組と入れ代わり、本曲輪の勤務に入った。五番組には三浦家の家臣以外の者もいたが、彼らには内密に事は運ばれて行った。寝返りを知らされた者たちは、裏切り者が出ないように誓紙を交わし、血判まで押して行動に移した。幸いに裏切り者は出なかったようだった。
夜も更けた頃、三浦次郎左衛門尉は山伏姿となって、早雲と一緒に屋敷を抜け出し、右京亮に連れられて本曲輪の北門から抜け出した。次郎左衛門の供の侍五人も山伏姿に変わっていた。北門を抜けた一行は浅間神社の門前町を抜け、阿部川の河原を渡り、長谷川法栄の舟に乗って青木城に入った。
夜明け前の勤務交替時間の半時程前、緊急命令によって、五番組の者たち全員が北門に集められた。
「急遽、敵に囲まれている大津城を救出せよ、との命が下った。我ら五番組は先陣として、直ちに現地に向かえとの事じゃ」と右京亮は全員に告げた。
「阿部川を福島越前守殿の舟にて下り、河口にて大型の船に乗り換え、海路、大津に向かえとの事じゃ。馬には乗らず、このまま阿部川に向かう。なお、敵に気づかれぬよう、浅間神社の河原から舟に乗り込む」
そう言うと右京亮は隊列を整え、北門を抜けて北川を渡り、すでに、人々が働き始めている門前町を抜け、阿部川の河原に出た。阿部川には越前守の舟はなかった。越前守の家臣に扮した小太郎らがいて、阿部川の下流に敵が陣しているので、予定を変更して、藁科川を下る事となったと告げた。藁科川を下って行けば敵に襲撃される、と寝返りの事を知らない者が反対したが、大丈夫だ、今、藁科川にはそれほどの敵はいない。敵は藁科川を渡って、阿部川を挟んで我らの兵と対峙しておる、と小太郎に言われて納得した。
五番組の百五十人余りの兵は阿部川を渡り、藁科川に用意してあった長谷川法栄の舟に乗って川を下った。小太郎の言った通り、藁科川には竜王丸派の軍勢の影はなかった。しかし、舟は河口まで行かず、青木城へと続く渡し場で止まり、皆、舟から降ろされた。そこまで来て、初めて、右京亮は全員に寝返る事を告げた。まったく、そんな事を知らなかった者たちは驚き、まさか、と信じられなかったが、敵の本拠地のすぐ近くまで来てしまった今、どうする事もできなかった。一行はそのまま青木城にと向かった。
藁科川を下って行く五番組を見送った小太郎は荒川坊、才雲、孫雲を連れて、門前町に戻り、福島家の着物から三浦家の着物に着替え、お屋形に戻った。まだ、北門には三番組の者はいなかった。警固の兵の消えた本曲輪はひっそりと静まっていた。
小太郎たちは素早く三浦屋敷に向かって在竹兵衛と会い、うまく行った事を告げ、全員に引き上げ命令を流した。さらに、小太郎は石見守の屋敷にいる富嶽、二の曲輪内の右京亮の屋敷にいる多米、彦五郎の屋敷にいる荒木にも退去せよと告げた。
夜が明け、三番組が本曲輪の勤務に就き、五番組がいない事に気づき、騒ぎ出した頃には、三浦屋敷の門番に扮していた早雲の配下、及び、仲居に扮していた河原者たちは全員、駿府屋形から抜け出し、三浦屋敷は門を閉ざしたまま誰もいなかった。
三番組の頭、葛山備後守は、すぐに右京亮の屋敷に使いの者を送ったが、誰もいないとの事だった。備後守自らが三浦次郎左衛門尉の屋敷に行き、閉ざされた門を打ち破って中に入ったが、やはり誰もいなかった。
備後守は慌てて、兄、播磨守のいる北川殿に向かった。播磨守はまだ寝ていた。備後守は緊急事態だと、播磨守を起こすよう頼み、対面の間で待った。
「何事じゃ」と播磨守は不機嫌そうな顔で現れ、備後守を客間の方に誘った。
「三浦殿が消えました」と備後守は言った。
「何じゃと」と播磨守は振り返ったが、何の事だか理解できないような顔をした。
「三浦殿の屋敷には誰もおりません」と備後守は繰り返した。
「何じゃと、誰もおらん?」播磨守はポカンとした顔で備後守を見た。
「はい」と備後守は頷いた。
ようやく、目が覚めたのか、「どういう事じゃ。昨日の昼はおったはずじゃろ」と播磨守は怒鳴った。
「昨日は確かにおりました。門番も仲居衆も、いつもの通りにいたはずです。一晩で、全員が消えたなどとは、とても信じられません」
「夜もちゃんと見張っていたんじゃろうのう」
「はい。表門は朝比奈屋敷から、裏門は宝処寺から見張っておりました。どちらも、別に異状ありませんでした。女たちがぞろぞろ屋敷から出て行けば気づかないはずはありません」
「ふん。早雲の仕業じゃろう。やはり、三浦殿は寝返ったか‥‥‥すぐに弟の右京亮を捕えろ」
「それが、右京亮の屋敷も誰もいません」
「なに?」
「右京亮だけじゃなく、五番組の者は誰もおりません」
「何じゃと。五番組全員が消えたというのか」
「はい‥‥‥」
「馬鹿な事を言うな。あれだけの者たちが、どこに消えたというのじゃ」
「分かりません。分かりませんが、我々が本曲輪に入った時は警固の兵は誰もおりませんでした」
「何という事じゃ‥‥‥信じられん」
「はい。信じられません」
「寺社奉行の石見守はどうじゃ。まさか、石見守も消えたのではあるまいの」
「さあ。そこまでは調べておりませんが‥‥‥」
「すぐに調べろ、いたら、有無を言わさずにすぐに捕えろ。宿直衆の彦五郎もじゃ。いいか、家族の者たちも全員、捕えろ」
「はい」と頷くと、備後守は飛び出して行った。
半時程して備後守は戻って来たが、その表情は暗かった。
「誰もおらんじゃと!」と怒鳴った後、播磨守はじっと黙り込んだ。
しばらくして、播磨守は急に笑い出した。
「敵ながら見事じゃわい‥‥‥早雲とやら、やるのう。三浦一族の者を一人残らず、ここから連れ出してしまうとはのう。敵ながら、あっぱれじゃ」
「どうするんです、これから」と備後守は兄に聞いた。
「考え方によっては、これで、すっきりしたとも言えるわ。これで、今川家は完全に二つに分かれた。決着を着けるには後は戦しかあるまい」
「しかし、戦を始めるきっかけとなる血祭りに上げる者がいなくなりました」
「きっかけなど何とでもなるわ。ただ、三浦殿が寝返った事により、味方の士気にかかわるような事があってはならん。当分の間は、三浦殿は一族の者を引き連れて、敵に囲まれた大津城を救出に出掛けたという事にしておけ」
「はい」
「早雲か」と播磨守はポツリと言った。「敵に回すのは勿体ない男よのう」
「確かに‥‥‥」と備後守は頷いた。
播磨守は去年の花見の時、チラッと見た早雲の顔を思い出していた。北川殿の兄上にしては粗末な墨染めを着て、あまり見栄えのいい男ではなかった。妹がお屋形様の奥方になったのをいい事にして、お屋形様に寄生している下らん奴だと思っていた。ところが、早雲という男はそんな男ではなく、恐るべき男だった。味方に引き入れたい程の男だったが、竜王丸の伯父に当たる早雲を味方にする事は不可能と言えた。しかし、策士(サクシ)である播磨守は、自分と同じ策士の早雲が敵にいる事によって、かえって、この先、面白くなって来たと心の中で思っていた。
木田屋敷の裏門から外に出ると、木田屋敷と三浦屋敷との間の通りに出た。通りに人影はなかった。小太郎が言うには警固の人数は増えたが以前程、警戒は厳しくはないという。以前は、お屋形内に敵、味方が共にいたので、それぞれが敵の動きを見張って、厳重に見回りをしていたが、今はお屋形内にいるのは皆、味方で、敵は外にいる。しかも、お屋形の回りにも軍勢が守っているので、敵が潜入する事など不可能だと安心しているようだった。
早雲は以前、忍び込んだ小太郎の案内で、三浦屋敷の塀を乗り越えて屋敷内に入った。
目の前に大きな建物があり、障子越しに明かりが見えた。
「あれが、湯殿じゃ」と小太郎は奥の方に見える建物を示しながら言った。
「この前、覗いたら、若い女子(オナゴ)が湯浴みをしておった。いい眺めじゃったぞ。三浦殿の愛妾(アイショウ)らしい。なかなかいい女子じゃった」
「ずっと、覗いておったのか」
「ああ。滅多に見られるもんじゃないからのう」
「のんきなもんじゃ」
「ちょっと覗いてみるか。また、おるかもしれん」
「明かりがついておらん。誰もおらんわ」
「そうか、残念じゃのう。もうちょっと早く来ればよかったかのう」
「そんな事より、三浦殿はどこにおるんじゃ」
「そこにおるじゃろ。向こう側の部屋じゃ」
二人は身を低くしながら建物の縁側に沿って向こう側に回った。障子の向こうに三浦次郎左衛門尉の姿が見えた。文机(フヅクエ)に座って何かを読んでいる。その部屋には次郎左衛門尉以外、誰もいなかった。隣の部屋は暗い。誰もいないようだ。
次郎左衛門尉のいる建物の西側にも大きな建物があり、どうやら、それは主殿(シュデン)のようだった。主殿の方にも人のいる気配はなかった。主殿の南面から西面にかけて庭園が広がり、庭園にも人影はなかった。
早雲は立ち上がると、小声で次郎左衛門尉に声を掛けた。
次郎左衛門尉は顔を上げると、正面に立っている早雲を見た。
「早雲です」と言いながら口を押える仕草をした。
「早雲殿か」と次郎左衛門尉は言った。驚いている様子は少しもなかった。じっと早雲を見つめてから、「一体、どうしたのじゃ。こんな所に」と落ち着いた声で聞いた。
「御無礼な事とは存じましたが、三浦殿と至急、お話をしなければならなくなりましたので、こうして、やって参りました。何卒、お許し下さい」早雲も次郎左衛門尉を見つめながら、静かな声で言った。
「わしに話?」
「はい。できれば内密にお願いしたいのですが」
「内密にか‥‥‥よかろう。わさわざ、危険を冒して、ここまで来たからには余程の話なんじゃろう。しかし、ここではまずいのう。よし、主殿の方で話を聞こう」
次郎左衛門尉は部屋から出ると主殿に向かった。早雲と小太郎は庭を通って主殿に向かった。主殿の向こうに表門が見えた。門は閉ざされ、門番小屋から明かりが漏れていたが、人影は見えなかった。やがて、主殿の廊下に手燭(テショク)を持った次郎左衛門尉が現れ、一室に入ると襖(フスマ)を閉めた。南側の門番から見えない襖が開くと、次郎左衛門尉は早雲と小太郎を手招きした。
そこは畳十二枚が敷き詰められた広間だった。回りは山水の画かれた襖で囲まれ、奥の方には上段の間があるようだった。
小太郎は耳を澄まして回りの状況を窺った。誰かが隠れて、二人を狙っている可能性もあったが、そんな気配は感じられなかった。
次郎左衛門尉は燭台に火を移すと二人を見た。
「それにしても、よく、お屋形内に入れたものじゃな。早雲殿は昔、行者(ギョウジャ)だったという噂を聞いた事があったが、まさしく、行者のようじゃ」
「風眼坊は紛れもない行者です」と早雲は小太郎を示した。「風眼坊の案内でここまで来る事が出来ました」
「風眼坊殿か‥‥‥北川殿におられた方じゃな」
小太郎は次郎左衛門尉を見つめながら頷いた。
「北川殿と竜王丸殿が急にお屋形内から消えられたが、それも、そなたの仕業と見えるのう。大したもんじゃ」次郎左衛門尉は軽く笑うと早雲の方を見て、「それで、至急の話とは?」と聞いた。
「はい。三浦殿、竜王丸派と摂津守派が一つになったのは御存じでしょうか」
「存じておる」
「そこで、お願いがございます」
次郎左衛門は何も言わずに、早雲を見ていた。
「実は、三浦殿に寝返ってもらいたいのです」と早雲は単刀直入に言った。
「わしに竜王丸派になれと申すのか」
「はい。竜王丸派と摂津守派が一つになった事により、阿部川以西は我らの勢力範囲となりました。三浦殿の本拠地を除けばです。このままの状態ですと、三浦殿の本拠地を我らの手で奪い取るという事になりかねません。我らのもとには血の気の多い者がかなりおります。摂津守殿を初めとして福島土佐守殿、岡部五郎兵衛殿などがおります。彼らは三浦殿の城を落とせと主張しております。彼らは戦がしたくて、うずうずしておるのです。わたしは今川家内で戦をするのは絶対に反対です。一つの戦が始まれば連鎖反応を起こして、駿河中で戦が始まる事でしょう。そうなったら、今川家は終わりです。誰をお屋形様にするかなどという家督争い以前に今川家の存亡に関わって参ります。戦を始めさせないためにも、三浦殿に寝返って欲しいのです。いかがでしょうか」
次郎左衛門は黙っていた。
「今川家のためです」と早雲は言った。「三浦殿が小鹿新五郎殿を押した気持ちは分かります。今の今川家を発展させて行くには、備前守殿よりも、摂津守殿よりも、まして、まだ六歳の竜王丸殿よりも、小鹿新五郎殿の方がふさわしいと思うのは当然です。しかし、強引にお屋形を占拠して新五郎殿をお屋形様にしても、それだけでは何も解決にもなりません。返って、それぞれの派閥の溝を深めただけです。竜王丸殿の後見役となっておられる摂津守殿は少々、頼りないとお思いでしょうが、何とぞ、重臣の方々が助けて、今後の今川家を見てやって下さい。お願い致します」
「‥‥‥今川家のためか」と次郎左衛門尉は呟いた。
「はい。お願いします」
「わしが寝返ったとして、それで、うまく行くと申すのか」
「とりあえずは、戦を避ける事ができます」
「‥‥‥そなたの言う事は分かった。しばらく、考えさせてくれ」
「はい。しかし、時があまり、ありません。今朝、福島土佐守殿が大津城を落とすと言って、兵を引き連れて現地に向かいました」
「そうか‥‥‥一つ、聞きたいのじゃが、もし、寝返ったとして、どうやって、ここから出ればいいんじゃな。今更、寝返ったから出ると言っても播磨守が頷くとは思えん」
「三浦殿が寝返った場合、三浦殿の身内は勿論の事、下男、下女にいたるまで、すべて、ここから逃がすつもりです」
「なに、下男、下女まで逃がすと?」
「はい」と早雲は力強く頷いた。
「そんな事ができるのか。わしの屋敷は最近、播磨守の手下に見張られておるのだぞ」
「やはり、そうでしたか」
「うむ。そなたらがわしの寝返りを考えたように、播磨守もわしが寝返りはせんかと怪しんでおるのじゃ」
「大丈夫です。三浦殿が寝返る気がおありなら何とか考えてみます」
「そうか‥‥‥」
「明日の今頃、また、参ります。その時、御返事をお聞かせ下さい」
「明日の今頃か‥‥‥分かった」
「失礼いたします」
早雲と小太郎の二人は次郎左衛門尉に頭を下げると庭に下り、闇の中に消えて行った。
次郎左衛門尉は二人の消えた庭園をじっと見つめていた。
2
次の日の夜、早雲と小太郎が三浦屋敷に行くと、次郎左衛門尉は身内の者を集めて、昨夜と同じ広間で待っていた。
二人を広間に入れると、宿直(トノイ)衆の格好をした武士が外を窺って襖を閉めた。
「信じられませんな。わしらの警戒を破って、ここに来るとは」と右京亮(ウキョウノスケ)が言った。
「いやあ、苦労しました」と早雲は言った。
小太郎は懐の中に隠した右手で手裏剣を握っていた。次郎左衛門尉の本意が分かるまでは油断できなかった。襖の向う側に敵が隠れてはいないか、耳を澄まして探っていた。
「さっそくですが、昨日の件の答えは出ましたでしょうか」と早雲は聞いた。
次郎左衛門尉は頷いた。そして、早雲と小太郎に同席している三人を紹介した。
次郎左衛門尉の左に座っていたのが寺社奉行の三浦石見守(イワミノカミ)、右側に座っている二人は弟の御番衆の五番組頭、三浦右京亮と甥の宿直衆の三番組頭、三浦彦五郎だった。
早雲は三人共、会うのは初めてだったが、小太郎は右京亮と石見守の二人を知っていた。小太郎の方は知っていても、勿論、相手の方は知らなかった。
「早雲殿、実際問題として、わしら一族の者たち、すべてがここから抜け出す事など、できるのですかな」と次郎左衛門尉は聞いた。
「はい。戦をやめさせるために、三浦殿に、ここから出ていただくわけですから、犠牲者は一人も出したくはありません。皆さんを無事に、ここからお出ししたいと思っております」
「女子供もおるのじゃぞ」と石見守が言った。
「はい。存じております」
「そなたが北川殿を知らぬ間に、ここからお連れした事は存じておるが、あの時とは数が全然違うぞ」
「はい。その事なんですが、詳しい人数などを教えていただけませんか」
「うむ。その前に、早雲殿、そなたの言う通りにしたとして、そなたが、わしらを裏切らないという証(アカシ)がないと、わしら一族の命をそなたに預けるという事はできかねるが」
「証ですか‥‥‥」
「そうじゃ。わしらを寝返らせておいて、その事を葛山播磨にでも知らせれば、小鹿派は分裂し、その方の思う壷(ツボ)という事になるからのう」と石見守は言った。
「うーむ。確かに‥‥‥しかし、わたしを信じてもらうしか‥‥‥」
「それは無理じゃ」と石見守は首を振った。「そなたを信じろと言っても、今、現在、わしらとそなたは敵という立場じゃからのう」
「うーむ。しかし、」
「そなたが人質として、ここに残る事じゃ」と石見守は言った。
「わしが人質ですか‥‥‥」
「そうじゃ」
「うむ‥‥‥しかし、わしがここにおっては作戦の指揮が執れんが‥‥‥」
「そなた以外の者でも構わんが、ただし、重臣に限るのう」
「‥‥‥分かりました。わたしが人質となりましょう」と早雲は言った。
「確かじゃな」
早雲は小太郎を見てから頷いた。
「それでは話を進めますかな」と次郎左衛門尉が言った。
次郎左衛門尉の屋敷には側室(ソクシツ)が一人と侍女(ジジョ)が二人、仲居が五人、門番が十二人いた。門番十二人のうち八人が通いで、城下に家を持ち、家族がいる。その他に、城下の方にも下屋敷があり、本拠地から連れて来ている家臣たち三十人が詰めていた。
寺社奉行の石見守の屋敷も本曲輪内にあり、家族も共に住み、三十人近い部下がいる。部下たちもほとんどの者が家族と共に城下に住んでいた。
五番組の右京亮と宿直衆の彦五郎は二曲輪内に屋敷を持ち、当然、家族と住んでいる。五番組の中の侍たちの三分の一は三浦家の家臣の子弟たちだった。彼らの中にも家庭を持っている者はいた。宿直衆の中にも三浦家の者が二十人程いて家庭持ちもいる。
総勢、五百人以上の一族あるいは家臣たちがいた。
「さて、どうやって、これだけの人数を播磨守に気づかれずに、ここから出すというのですかな」
「右京亮殿、お聞きしたいのですが、確か、右京亮殿の五番組は今晩から三日間、夜番で、二十五日から昼番に代わるとお聞きましましたが、その通りですか」と早雲は聞いた。
「はい。そうですが」
「という事は、二十四日の日暮れから二十五日の日暮れまで、丸一日、勤務に就くという事ですか」
「はい、その通りです」
「という事は、その日、三番組は丸一日、休みという事ですか」
「はい」
「という事は、三番組の連中は本曲輪にはいないという訳ですか」
「特に命令がない限りは、それぞれ、自分の家に帰っています。」
「その家というのは城下ですか」
「はい。頭とか数人の者は二の曲輪に屋敷を持っていますが、ほとんどの者は城下の長屋に住んでいます」
「そうですか‥‥‥」
「その日に抜け出すと言うのか」と次郎左衛門尉が聞いた。
「いえ。これだけ人数が多いと一度に出る事は難しい。しかし、一度にやらない事には、敵にばれてしまう可能性が高い」
「一度に? そんな事は不可能じゃ」と石見守が言った。
「そうです。女子供を先に逃がした方がいい」と右京亮が言った。
「はい。少しづつ逃がした方が確かかもしれませんが、家族たちにも近所付き合いというものがあるでしょう。突然、その家がも抜けの空になったら回りの者に怪しまれます。播磨守殿や越前守殿が気づいた時には、すでに全員がここから抜け出していなくてはなりません」
「成程。突然、隣の家に誰もいなくなったら確かに気づかれるわな」
「しかし、一度に、全員が消えるなどという事が本当にできるのか」
「そこを何とか考えなくてはなりません」
「うむ‥‥‥」
「右京亮殿、二十五日から二十七日まで昼番で、二十八日、二十九と夜番ですよね」と早雲は聞いた。
「はい。二十七日の日暮れから二十八日の日暮れまでは、我ら五番組が休みとなります」
「ふむ。来月の警固はどうなっておりますか」
「来月は、五番組は二の曲輪に移ります」
「今、二の曲輪には二番組が守っていますが、二番組と共に五番組も守りに加わるのですか」
「いえ。二番組は休みとなります。三番組も休みです。二番組、三番組は三月四月と二ケ月続けて勤務に就いていたので、来月は休みとなります。休みと言っても国元に帰る事は許されず、城下にいて待機していなければなりませんが」
「三番組は休みですか‥‥‥本曲輪は誰が守るのです」
「一番組と四番組です」
「新しく編成された組ですね」
「はい。ほとんどの者が、お屋形様、いえ、小鹿新五郎殿の家臣たちです」
「新五郎殿の家臣ですか‥‥‥頭も当然、新五郎殿の家臣という事ですね」
「はい。一番組の頭は新五郎殿の弟で新六郎殿、四番組の頭は草薙大炊助という首取りの名人です」
「来月になったら難しくなりますね。今月中に何とかしなければならない」
「今月と言ったら後七日しかない」と右京亮が言った。
「七日か‥‥‥」と次郎左衛門尉は唸った。
「早雲殿、女子供も含めて五百人程もいる我らを一体、どうやって大津に戻すつもりなんじゃ」と石見守は厳しい顔付きで聞いた。
「大津までは行きません」
「なに?」
「摂津守殿の青木城まで行けば後は安全です。摂津守殿を初めとして朝比奈殿、岡部殿、天野民部少輔殿らが三浦殿一族の方々を喜んで迎えましょう。後は陸路であれ、海路であれ、無事に国元までお帰りになれます」
「成程、そうじゃった。阿部川さえ渡ってしまえばいいわけじゃ。それなら、何とかなりそうじゃわ」
「しかし、気づかれずに事を運ばなくてはなりません。阿部川には五百余りの兵がおると聞いております」
「うむ、確かに、越前守と播磨守の兵が五百はおる。しかし、浅間神社の西の河原には今川の兵はおらん。浅間神社は今の所、中立の立場じゃ。小鹿派にしろ竜王丸派にしろ、浅間神社を敵に回したくないので、浅間神社の領域には踏み込まずにいる。摂津守派が阿部川を押えていると言っても、浅間神社への参拝客や商人たちを止めたりはせんのじゃ。あそこの河原を渡れば、簡単に川向こうに行く事ができるわ」
「そうでしたか、確かに、浅間神社の領域には武士はおりませんでした。僧兵や山伏ばかりがウロウロしておりました」
「女子供はお宮参りという事でお屋形を出て、阿部川を渡るとして、わしら御番衆や宿直衆はどうしたらいいのです」と右京亮が聞いた。
「宿直衆の勤務はどのようになっておりますか」
「宿直衆は三つに分かれていて、十日交替でお屋形様の屋敷を守っております。一番組が一日から十日まで、二番組が十一日から二十日まで、三番組が二十一日から三十日までという具合です」
「十日働いて、後の二十日は休みというわけか」と小太郎が聞いた。
「いえ、十日間はお屋形様の屋敷を守り、次の十日間は、お屋形様がお出掛けになる時は必ず、お供をしなければなりません。本当の休みというのは残りの十日間です。しかし、今は休みでも国元に帰るというわけには参りません」
「成程‥‥‥」
「彦五郎殿の休みはいつですか」
「今です。今月一杯休みです」
「そいつは都合がいい」と小太郎は膝を打った。
「彦五郎殿の組の者は皆、彦五郎殿の家臣なのですか」
「いえ、違います。しかし、三浦家の者たちは皆、わたしの組におります」
「という事は今、皆、休んでおるというわけですな」
「はい」
「宿直衆は何とかなりそうじゃな。問題は御番衆じゃのう」と石見守が言った。
「御番衆がいなくなれば、すぐに分かってしまう」と次郎左衛門尉が言った。
「御番衆が、いつ消えるかが問題ですね」と早雲は言った。
「勤務に就いている時か、休みの時か」と右京亮が言った。
「それと、わしが出て行くのも難しい」と次郎左衛門尉が言った。
「見張られておりますか」と小太郎が聞いた。
「朝比奈殿の屋敷から見張っているらしいのう」
「表門を見張っておるのですか」
「ああ。裏門も御番所から見張っているに違いない」
「という事は今、皆さんがここに集まっておるという事は気づかれておるわけですね」
「いえ、わしらがここを守っている時は裏門の方は安全です。多分、気づいてはいないと思いますが」と右京亮が言った。
「そうですか‥‥‥石見守殿も見張られておりますか」
「いや、わしは見張られてはおらんとは思うが‥‥‥」
今日の所は、ここまでという事でお開きとなり、早雲と小太郎は三浦屋敷の一室に泊まった。
3
三浦屋敷において、早雲らが脱出作戦を練っている頃、北川殿の客間では、葛山播磨守(カヅラヤマハリマノカミ)が弟の備後守(ビンゴノカミ)と妖気の漂う一人の山伏と酒を酌み交わしていた。
山伏の名は定願坊(ジョウガンボウ)といい、富士山の登山口、大宮の浅間(センゲン)神社の山伏だった。古くから葛山氏とはつながりがあり、葛山氏のために情報を集めたり、戦においては奇襲攻撃をかけ、敵を混乱させたりして活躍していた。中居の毒殺騒ぎや、北川殿を襲撃した例の河原者たち、中原摂津守の屋敷に火を付けた者たちは皆、定願坊の配下の山伏だった。
駿府屋形内には富士山の山伏の他にも、天野氏が連れて来た秋葉山の山伏も暗躍していたが、彼らも皆、定願坊の指揮下に入っていた。
「大津の様子はどうじゃ」と播磨守は酒盃(サカズキ)を口に運びながら定願坊に聞いた。
「籠城(ロウジョウ)の支度をしております」
「ふむ。敵の様子は?」
「朝比奈殿、福島土佐守(クシマトサノカミ)殿、長谷川殿がおのおのの城に帰り、戦(イクサ)の準備をしております」
「やはり、戦になるのか」
「土佐守殿はやる気満々ですな」
「じゃろうのう、参った事じゃ」
「播磨守殿らしくないですな。ようやく、播磨守殿の望んでいた戦になるというのに」
「ふん。負ける戦など誰も望んではおらん。三浦殿の方はどんな様子じゃ」と播磨守は弟の備後守に聞いた。
「特に変わった様子はないです」
「三浦殿は国元の状況を知らんのか」
「そんな事もないでしょうが、どうにもできないのでしょう」
「うむ。しかし、参った事よのう。まさか、竜王丸派と摂津守派が手を結ぶ事となるとはのう。一体、誰がそんな事を考えたんじゃ、天遊斎殿か」
「いや、天遊斎殿は伜殿を亡くして、今はそれどころではないでしょう」
「岡部美濃守殿か」
「いや、早雲殿じゃよ」と定願坊が言った。
「なに、早雲‥‥‥ふーむ。またも早雲か‥‥‥北川殿をここから連れ出したのも奴じゃろう。今まで気にもせんかったが、なかなかの曲者(クセモノ)じゃのう」
「その早雲殿が三浦殿を寝返らせるために動いている模様じゃ。昨日からどこに行ったのか姿が見えん」
「姿が見えん?」
「風眼坊とかいう大峯の山伏と共に姿を消した」
「風眼坊か‥‥‥わしはその風眼坊とやらにはまだ会った事はないが、どんな奴なんじゃ」
「大峯山の大先達(ダイセンダツ)じゃ。吉野から熊野にかけて知らぬ者はいないと言ってもいい程、有名な山伏じゃ」
「ほう、そんなに有名な男なのか」
「ああ、驚いたわ。わしも大峯には行った事があるが、もう二十年以上も前の事じゃ。その頃、風眼坊などという名など耳にした事もなかった。まだ、風眼坊も若かったから有名ではなかったんじゃろう。ところが、二、三年程前に大峯に行って来た者に聞くと、誰もが風眼坊を知っておるんじゃ。駿河に来ているなら、世話になったお礼をしたいと言い出す者までもおる」
「ほう。そんな有名な山伏がどうして、こんな所に来ておるんじゃ」
「それが、どうも早雲殿とかなり親しいようじゃな」
「早雲が以前、行者だったという噂を聞いた事があったが、早雲も大峯の行者だったのか」
「かもしれんのう。今出川殿(イマデガワドノ、足利義視)の申次衆(モウシツギシュウ)となったのが三十の半ばじゃ。それまで何をしていたのか、まったく分からん。大峯にいたという可能性も充分に考えられるのう」
「伊勢早雲か‥‥‥その早雲が三浦殿の寝返りをたくらんでおるのじゃな」
「ああ」
「三浦殿の寝返りか‥‥‥時間の問題じゃな」
「三浦殿を寝返らせてもいいのですか」と備後守は言った。
「今の状況を考えてみろ。三浦殿の本拠地は敵に囲まれている。助けようがないわ」
「しかし、三浦殿に寝返られたら、わしらはかなり不利な立場に立つ事になります」
「分かっておるわ。しかし、大津城を助けるために、わしらが出陣すれば、ここが手薄になる。敵はわしらの兵力を二つに分散しようとたくらんでおるのかもしれん」
「それでは、三浦殿が寝返るのを黙って見ていろと言うのですか」
「仕方あるまい。三浦殿が寝返らなくても国元の連中は寝返るかもしれん」
「そんな馬鹿な」
「国元の連中にすれば、今川家のお屋形様は小鹿新五郎殿でなくても構わんのじゃ。自分らの土地を守ってくれる者がお屋形様じゃ。竜王丸殿が土地を守ってやると言えば寝返るのは当然の事じゃ。三浦殿の伜を家督とし、三浦殿は知らぬ間に隠居じゃ。隠居した三浦殿が我らのもとにいたとしても何の得にもならんわ」
「三浦殿を寝返らせないようにはできないのですか」
「無理じゃな。勝間田、横地らが生きていれば、味方に引き入れて何とかする事もできたじゃろうが、今はそれも無理じゃ。遠江勢は皆、竜王丸派ときておる」
「三浦殿がここから出て行くのを黙って見てろ、と言うのですか」
「そうとは言わん。三浦殿をここから出すわけには行かん。国元が寝返った時の場合の人質じゃ」
「人質?」
「最悪の時は、三浦殿に見せしめとして死んでもらうかのう」
「えっ!」と驚いて、備後守は兄の顔を見つめた。
「戦の血祭りという奴じゃよ」と播磨守は平然と言って、酒を飲んだ。
「なかなかですな」と定願坊は気味の悪い笑みを浮かべた。「敵の作戦をこちらで利用するというわけですな」
「そういう事じゃ。今川家が四つや三つに分かれていたままでは戦にはならん。二つに分かれて初めて戦が起こる。三浦殿が寝返れば駿河の国は阿部川を境にして、はっきりと二つに分かれる。三浦殿を血祭りに上げれば、竜王丸派も黙ってはおるまい。戦が起こるのは確実じゃ」
「しかし、三浦殿が寝返れば、兵力において敵の方が上回る事になりませんか」
「いや、大丈夫じゃ。天野殿に国元に帰ってもらい、遠江勢が駿河に来られないようにする。そうすれば、兵力においては互角じゃろう。戦が始まれば、わしらは高みの見物じゃ。どっちが勝とうが関係ないというわけじゃよ」
「そううまく行けばいいんですけど」
「大丈夫じゃ。いくら、早雲でも三浦一族の者、すべてをここから出す事などできまい。三浦殿が無事にここから抜け出したとしても、弟の右京亮がいる。右京亮がここから抜け出す事は不可能じゃ」
「それもそうですね。三浦一族の者はかなりいる。三浦殿に逃げられても血祭りに上げる者はいくらでもいる。家族の者もいるし」
「三浦殿が抜け出したら、まず、最初に小松とかいう愛妾を血祭りに上げてやれ」
「あの小松殿ですか」と定願坊は首を振って、「勿体ないですな」と言った。
「なに、慰(ナグサ)み物にしてからでも構わんさ」と播磨守はニヤリと笑った。
備後守も笑った。
「しかし、見張りは怠るなよ」と播磨守は厳しい顔に戻って、弟に言った。
「はい」と備後守も真顔に戻って頷いた。
「定願坊殿、そなたには由比に向かってもらいたいのじゃが」と播磨守は言った。
「出羽守殿ですな」
「そうじゃ。出羽守殿は今、本拠地に戻って籠城の支度をしておる事じゃろう。そなたの手で寝返らせてくれんか」
「まあ、これも時間の問題ですかな」
「まあな」
「ところで、渚姫(ナギサヒメ)はいかがですか」と定願坊は聞いた。
「おう。いい女子(オナゴ)を見つけてくれたのう。お屋形様はもう渚姫に夢中じゃ。朝から晩まで、いや、勿論、夜もじゃ、一時も側から離さんわ。そろそろ、小鹿から奥方を呼んでもいい頃なんじゃが、危険じゃからと言って未だに呼び寄せんのじゃ。いい女子を連れて来てくれた。ほんとに礼を言うぞ」
「そいつはようございましたな」
「そろそろ、わしらも女子でも呼んで、楽しむ事にするかのう」
「ここにですか」と備後守は聞いた。
「おう、そうじゃとも。もう、呼んであるんじゃ。定願坊殿が戻って来ると聞いてのう。久し振りに騒ごうと思ってな。さあ、場所を替えようかのう」
播磨守は二人を遊女たちの待つ居間の方に案内した。
庭園の池のほとりに、あやめの花が並んで咲いていた。
4
早雲が三浦屋敷に人質として滞在してから四日が過ぎた。
二十六日の昼、小太郎が職人たちを引き連れて来て、三浦屋敷の庭園に簡単な舞台を作った。小太郎は仕事が済むと職人を連れて、さっさと帰って行った。
翌日、女芸人率いる旅の芸能一座がやって来て、三浦一族の家族の見守る中、芸人たちは舞台狭しと華麗に踊り、流行り歌を披露した。
舞台は一時程で終わり、芸能一座は喝采を浴びて帰って行った。
その日の晩、小太郎が一人で三浦屋敷にやって来た。小太郎は武家姿で、しかも、三浦家の家紋『丸に三つ引き』の付いた素襖(スオウ)を着ていた。今、本曲輪の警固を担当しているのは三浦右京亮の五番組だった。小太郎は堂々と門を通って来た。
小太郎は三浦屋敷内の遠侍(トオザムライ)にいる早雲の姿を見付けると、早雲と共に次郎左衛門尉の居室に向かった。次郎左衛門尉は一人、文机の前に座って書物を読んでいた。
二人は次郎左衛門尉の部屋に上がった。
「首尾はいかがじゃ」と次郎左衛門尉は小太郎を見ると聞いた。
「成功です。すべて、うまく行きました。小松殿を初め、侍女、仲居衆、門番、すべて、青木城に入りました」
「そうか‥‥‥」
「後は、明日の昼、一族の女子供たちが浅間(センゲン)さん参りと称して、浅間神社の渡しから阿部川を渡れば、向こう岸に長谷川殿が待っております。長谷川殿の船に乗って、藁科(ワラシナ)川を下れば、もう安全です」
「うむ。わしは明日の夜、ここを出ればいいのじゃな」
「はい。わたしがお供いたします」と早雲は言った。
「そうか‥‥‥播磨守殿と越前守殿はまだ、気づいてはおらんのじゃな」
「今の所は気づいておりませんが、明日が問題です」
「なに、明日は五番組は日暮れまで休みじゃ。休みの日に家族を連れ、浅間参りをしたからといって怪しみはせんじゃろう」
「はい。ただ、明日の天気が心配です」と小太郎が言った。
「雨か」
「かもしれません」
「まずいのう。雨が降ったら、やりずらい」と早雲は言った。
「運を天に任せるしかない」と小太郎は言った。
「そなたの祈祷(キトウ)で何とかならんのか」と次郎左衛門尉は小太郎に言った。
「今から祈祷を始めたとしても、明日では、とても間に合いません」
「そうか‥‥‥運を天に任すしかないか」と次郎左衛門尉は外を眺めた。
もう、暗くなっていた。確かに、雨が降りそうな空模様だった。
「早雲殿、人質として、そなたをここに閉じ込めたわけじゃったが、どうやら、今は、わしの方が人質になっているようじゃのう」と次郎左衛門尉は笑った。
三浦屋敷には次郎左衛門尉の他に側室の小松、侍女が二人、仲居が五人、門番が十二人、次郎左衛門尉の近習の侍が三十人仕えていた。その内、門番の八人と近習の二十人は通いだった。城下に家庭を持っている者や、城下にある三浦屋敷に住んでいる者たちだった。通いの者たちはどうにでもなったが、住み込みの者たちをここから出すのは難しかった。特に側室の小松が出て行ったまま戻って来ないと分かれば、葛山播磨守に怪しまれる。また、門番は次郎左衛門尉が抜け出した後も残っていなければ怪しまれる。全員を移動させるには身代わりが必要だった。
舞台を作るために、小太郎が連れて来たのは在竹兵衛(アリタケヒョウエ)率いる山賊衆だった。『普請奉行』と呼ばれる大林主殿助(トノモノスケ)を中心に舞台を作ると、彼らは住み込みの門番と近習侍と入れ代わった。小太郎は彼らを連れ、無事にお屋形の外に出た。次の日に来た芸能一座は、富嶽に率いられた春雨とお雪、それと河原者を集めた女ばかりの一座だった。舞台が終わると、側室の小松、侍女、仲居らと河原者は入れ代わった。富嶽と春雨、お雪に守られて、彼女らは無事に青木城に入った。残った河原者の女たちは侍女や仲居に扮し、もうしばらくは、ここに滞在して貰う事となった。こうして、三浦屋敷に住み込んでいた者たちの移動は終わった。石見守と右京亮の屋敷は次郎左衛門尉の屋敷のように見張られてはいないので、明日の昼、家族と共に抜け出し、空になった屋敷に門番として、多米や荒木などが入る事になっていた。
今、三浦屋敷にいるのは次郎左衛門尉と通いの近習の侍十人、早雲、在竹兵衛率いる山賊衆十三人と河原者の女たちだった。
「早雲殿の御家来衆は一風変わった者たちが多いですな」と次郎左衛門尉は笑った。
「はい。つい最近まで山賊でしたから」と早雲も笑った。
「なに、山賊?」
「はい。しかし、今は心を改めて、村人たちのために働いております」
「村人たちのために?」と次郎左衛門尉は怪訝な顔をした。
「はい。わたしの家来になると言って来たんですけど、わたしには奴らを食わせるだけの甲斐性がないものですから、それぞれが村人たちのために働いて稼いでいるわけです」
「そうであったか‥‥‥」
「奴らも元は皆、武士でした。戦に敗れ、浪人となり、仕方なく山賊稼業などを始めましたが、根っからの悪人ではありません。最近は刀など腰に差す事もなく、毎日、朝から晩まで汗を流して働いております。今回、わたしが頼んだら、今川家のためならと喜んで来てくれました」
「そうでしたか‥‥‥早雲殿、そなたという御仁は変わったお人ですな。山賊どもを家来にし、しかも、その山賊たちを更生させておる。普通の者にできる事ではない。また、村人たちのために働いていたとはのう」
「わたしは武士をやめて、この地に参りました。武士をやめて旅を続けておるうちに、今まで、気がつかなかった事が色々と見えて参りました。武士でおった頃のわたしは、百姓たちの事など考えてもみませんでした。しかし、武士をやめて旅をすると、自分が武士の世界ではなく、百姓や村人たちと同じ世界に住んでおるという事に気づいたのです。武士たちは、わたしをただの乞食坊主としか扱ってはくれません。初めのうちは、わたしも腹が立ちました。この田舎侍が何を言うと‥‥‥しかし、武士を捨てた今、昔の事を言っても仕方ないと諦めて、村人たちの世界に入って行こうと決めました。自分から進んで村人たちの中に入って行くと、結構、村人たちは乞食坊主のわたしでも大切に扱ってくれるのです。わたしは旅を続けておるうちに、武士も百姓も河原者も皆、同じではないのか、と思うようになりました。いや、同じようにならなければならないと思うようになったのです。そこで、わたしはここに落ち着いてからも、村人たちの世界に入って行って、今まで彼らと共に暮らして来たのです。わたしが今まで暮らして来られたのも、彼らのお陰と言ってもいいでしょう」
「成程のう」と次郎左衛門尉は何度も頷いた。
「世の中は武士たちの知らない所で、少しづつ変わって来ております。今までのように、守護という肩書だけで下々の者が言う事を聞くという時代ではなくなりつつあります。古くから土地と直接につながりのあった国人たちが力を持ち、守護に敵対しております。以前、守護の後ろには幕府がおりました。幕府の威光があって守護という地位は安泰でした。しかし、これからは幕府を頼りにしてはなりません」
「なに、幕府を頼りにしてはならんと」
「これからは今川家は独自に国人たちとの絆を強め、国をまとめなければなりません」
「幕府は頼りにならんと言うのか」
「はい。土地を直接に支配しておる者が勢力を広げて、残る事でしょう」
「土地を支配しておる者がか‥‥‥」
「守護でありながら国元の事は守護代に任せ、幕府に仕えておった者たちは皆、守護代に権力を奪われる事となるでしょう」
「それは本当なのか」
「本当です。お亡くなりになられたお屋形様は、京に行った時、幕府の実態を見て、その事に気づいておったに違いありません。お屋形様は新しい今川家、幕府の後ろ盾が無くても立派に生きて行ける今川家を作ろうとしておったのかもしれません。しかし、その途中で亡くなわれてしまわれた。失礼ながら、備前守殿、摂津守殿、小鹿新五郎殿は今現在の幕府のありようを御存じありません。その事が心配です」
「うーむ」と次郎左衛門尉は唸って、腕を組んだ。
「時は驚く程の速さで動いております」と早雲は言った。「その時に乗り遅れた者は滅びると言ってもいいでしょう」
「時が驚く程の速さで動いておるか‥‥‥わしには分からんのう」
「これからは戦をするにも、ただ勝てばいいというだけでなく、回りの状況を常に見ながら事を決めなければならなくなるでしょう。生き残るためには駆け引きという物が必要です。今回、三浦殿は寝返るという事に少し抵抗を感じておる事と思います。しかし、状況を判断して、生き残るためにはそれは仕方のない事と思います。三浦殿、竜王丸殿のために何卒、お願い致します。竜王丸殿を立派なお屋形様にするかはどうかは重臣の方々の手に掛かっております。お願い致します」
早雲は深く、頭を下げた。
「早雲殿、頭を上げて下され。わしらはどうも考え方が狭いようじゃのう。早雲殿のように広い視野に立って物を見るという事ができないようじゃ。寝返ると決めたからには、竜王丸殿をお屋形様として、新しい今川家を作る事を約束致します。早雲殿も竜王丸殿を立派なお屋形様に教育して下され」
「はい。それはもう」
「雨が降って来たようじゃ」と小太郎が言った。
「雨か‥‥‥」と次郎左衛門尉は耳を澄ました。
「明日の朝にはやんでくれるといいが‥‥‥」
「わしは、北川殿に行って敵の様子を見てくるわ」と小太郎は部屋から出て行った。
「北川殿に行ったのか」と次郎左衛門尉が早雲に聞いた。
「播磨守が今日の事を気づいたかどうか、調べに行ったのでしょう」
「どうやって、そんな事を調べるんじゃ」
「風眼坊は北川殿の事は隅から隅まで知っております。屋根裏にでも忍び込んで、播磨守の様子を探るのでしょう」
「屋根裏に忍び込むのか、あそこの警固はかなり厳しいぞ」
「山伏の考える事は武士とは違います。武士が厳しい警固をしておったとしても、山伏にとっては何でもありません。特に風眼坊は武術に関しては専門家ですから」
「ふーむ。この屋敷の屋根裏にも忍び込めるのか」
「はい。多分」
「恐ろしい男じゃのう」
「敵にはしたくない男ですね」
「ふむ、まさしく‥‥‥」
「わたしもそろそろ失礼致します」
早雲は次郎左衛門尉の居室から出た。
次郎左衛門尉はしばらく雨音を聞いていたが、何事もなかったかのように、また書物に目を落とした。
5
一晩中、降っていた雨は朝方にはやみ、日が差して来た。
三浦右京亮の率いる五番組は、昨日の昼番警固の終わった日暮れから今日の日暮れまで、丸一日休みだった。三浦一族の者たちは家族を連れ、浅間参りと称して、各自、屋敷を抜け出して浅間神社の横の阿部川の渡しに集まっていた。お参りと称しているため、皆、普段着のままで荷物など持ってはいなかった。寝返りが分かった後、家財を没収される可能性はあったが仕方なかった。阿部川の向こうには、山伏姿の小太郎が同じく山伏姿の荒川坊、才雲、孫雲らと待っていて、家族たちを藁科川まで連れて行き、藁科川には長谷川法栄の舟が待機していた。彼らは法栄の舟に乗って、青木城のすぐ側まで行く事ができた。
当時、阿部川と藁科川は合流していない。阿部川は賤機(シズハタ)山の西麓を流れ、浅間神社の所で二つに分かれ、一つはそのまま真っすぐ藁科川に平行するように流れ、もう一つは駿府屋形の北側を流れる北川となる。北川は駿府屋形の手前で二つに分かれ、一つは屋形の西側を阿部川の本流と平行するように流れる。北川の本流の方は駿府屋形の北側を流れてから北上し浅畑沼へと流れる。屋形の西側を流れる阿部川は駿河湾に流れ着くまでに、何本もの支流を生みながら流れていた。
小鹿派の軍勢は屋形の西側の二本の阿部川の間に陣を敷き、竜王丸派の方は藁科川の西岸に陣を敷いていた。阿部川と藁科川の間の距離は十五町(約一、六キロ)程あり、草原が続いていた。阿部川は洪水の度に流れを変えるため、当時の技術では開墾する事はできなかった。
浅間神社の領域内の阿部川の河原には当然、小鹿派の軍勢はなく、難無く、三浦一族及び家臣の家族たちは藁科川を下って青木城へと入って行った。
日暮れ時、五番組は昼番の三番組と入れ代わり、本曲輪の勤務に入った。五番組には三浦家の家臣以外の者もいたが、彼らには内密に事は運ばれて行った。寝返りを知らされた者たちは、裏切り者が出ないように誓紙を交わし、血判まで押して行動に移した。幸いに裏切り者は出なかったようだった。
夜も更けた頃、三浦次郎左衛門尉は山伏姿となって、早雲と一緒に屋敷を抜け出し、右京亮に連れられて本曲輪の北門から抜け出した。次郎左衛門の供の侍五人も山伏姿に変わっていた。北門を抜けた一行は浅間神社の門前町を抜け、阿部川の河原を渡り、長谷川法栄の舟に乗って青木城に入った。
夜明け前の勤務交替時間の半時程前、緊急命令によって、五番組の者たち全員が北門に集められた。
「急遽、敵に囲まれている大津城を救出せよ、との命が下った。我ら五番組は先陣として、直ちに現地に向かえとの事じゃ」と右京亮は全員に告げた。
「阿部川を福島越前守殿の舟にて下り、河口にて大型の船に乗り換え、海路、大津に向かえとの事じゃ。馬には乗らず、このまま阿部川に向かう。なお、敵に気づかれぬよう、浅間神社の河原から舟に乗り込む」
そう言うと右京亮は隊列を整え、北門を抜けて北川を渡り、すでに、人々が働き始めている門前町を抜け、阿部川の河原に出た。阿部川には越前守の舟はなかった。越前守の家臣に扮した小太郎らがいて、阿部川の下流に敵が陣しているので、予定を変更して、藁科川を下る事となったと告げた。藁科川を下って行けば敵に襲撃される、と寝返りの事を知らない者が反対したが、大丈夫だ、今、藁科川にはそれほどの敵はいない。敵は藁科川を渡って、阿部川を挟んで我らの兵と対峙しておる、と小太郎に言われて納得した。
五番組の百五十人余りの兵は阿部川を渡り、藁科川に用意してあった長谷川法栄の舟に乗って川を下った。小太郎の言った通り、藁科川には竜王丸派の軍勢の影はなかった。しかし、舟は河口まで行かず、青木城へと続く渡し場で止まり、皆、舟から降ろされた。そこまで来て、初めて、右京亮は全員に寝返る事を告げた。まったく、そんな事を知らなかった者たちは驚き、まさか、と信じられなかったが、敵の本拠地のすぐ近くまで来てしまった今、どうする事もできなかった。一行はそのまま青木城にと向かった。
藁科川を下って行く五番組を見送った小太郎は荒川坊、才雲、孫雲を連れて、門前町に戻り、福島家の着物から三浦家の着物に着替え、お屋形に戻った。まだ、北門には三番組の者はいなかった。警固の兵の消えた本曲輪はひっそりと静まっていた。
小太郎たちは素早く三浦屋敷に向かって在竹兵衛と会い、うまく行った事を告げ、全員に引き上げ命令を流した。さらに、小太郎は石見守の屋敷にいる富嶽、二の曲輪内の右京亮の屋敷にいる多米、彦五郎の屋敷にいる荒木にも退去せよと告げた。
夜が明け、三番組が本曲輪の勤務に就き、五番組がいない事に気づき、騒ぎ出した頃には、三浦屋敷の門番に扮していた早雲の配下、及び、仲居に扮していた河原者たちは全員、駿府屋形から抜け出し、三浦屋敷は門を閉ざしたまま誰もいなかった。
三番組の頭、葛山備後守は、すぐに右京亮の屋敷に使いの者を送ったが、誰もいないとの事だった。備後守自らが三浦次郎左衛門尉の屋敷に行き、閉ざされた門を打ち破って中に入ったが、やはり誰もいなかった。
備後守は慌てて、兄、播磨守のいる北川殿に向かった。播磨守はまだ寝ていた。備後守は緊急事態だと、播磨守を起こすよう頼み、対面の間で待った。
「何事じゃ」と播磨守は不機嫌そうな顔で現れ、備後守を客間の方に誘った。
「三浦殿が消えました」と備後守は言った。
「何じゃと」と播磨守は振り返ったが、何の事だか理解できないような顔をした。
「三浦殿の屋敷には誰もおりません」と備後守は繰り返した。
「何じゃと、誰もおらん?」播磨守はポカンとした顔で備後守を見た。
「はい」と備後守は頷いた。
ようやく、目が覚めたのか、「どういう事じゃ。昨日の昼はおったはずじゃろ」と播磨守は怒鳴った。
「昨日は確かにおりました。門番も仲居衆も、いつもの通りにいたはずです。一晩で、全員が消えたなどとは、とても信じられません」
「夜もちゃんと見張っていたんじゃろうのう」
「はい。表門は朝比奈屋敷から、裏門は宝処寺から見張っておりました。どちらも、別に異状ありませんでした。女たちがぞろぞろ屋敷から出て行けば気づかないはずはありません」
「ふん。早雲の仕業じゃろう。やはり、三浦殿は寝返ったか‥‥‥すぐに弟の右京亮を捕えろ」
「それが、右京亮の屋敷も誰もいません」
「なに?」
「右京亮だけじゃなく、五番組の者は誰もおりません」
「何じゃと。五番組全員が消えたというのか」
「はい‥‥‥」
「馬鹿な事を言うな。あれだけの者たちが、どこに消えたというのじゃ」
「分かりません。分かりませんが、我々が本曲輪に入った時は警固の兵は誰もおりませんでした」
「何という事じゃ‥‥‥信じられん」
「はい。信じられません」
「寺社奉行の石見守はどうじゃ。まさか、石見守も消えたのではあるまいの」
「さあ。そこまでは調べておりませんが‥‥‥」
「すぐに調べろ、いたら、有無を言わさずにすぐに捕えろ。宿直衆の彦五郎もじゃ。いいか、家族の者たちも全員、捕えろ」
「はい」と頷くと、備後守は飛び出して行った。
半時程して備後守は戻って来たが、その表情は暗かった。
「誰もおらんじゃと!」と怒鳴った後、播磨守はじっと黙り込んだ。
しばらくして、播磨守は急に笑い出した。
「敵ながら見事じゃわい‥‥‥早雲とやら、やるのう。三浦一族の者を一人残らず、ここから連れ出してしまうとはのう。敵ながら、あっぱれじゃ」
「どうするんです、これから」と備後守は兄に聞いた。
「考え方によっては、これで、すっきりしたとも言えるわ。これで、今川家は完全に二つに分かれた。決着を着けるには後は戦しかあるまい」
「しかし、戦を始めるきっかけとなる血祭りに上げる者がいなくなりました」
「きっかけなど何とでもなるわ。ただ、三浦殿が寝返った事により、味方の士気にかかわるような事があってはならん。当分の間は、三浦殿は一族の者を引き連れて、敵に囲まれた大津城を救出に出掛けたという事にしておけ」
「はい」
「早雲か」と播磨守はポツリと言った。「敵に回すのは勿体ない男よのう」
「確かに‥‥‥」と備後守は頷いた。
播磨守は去年の花見の時、チラッと見た早雲の顔を思い出していた。北川殿の兄上にしては粗末な墨染めを着て、あまり見栄えのいい男ではなかった。妹がお屋形様の奥方になったのをいい事にして、お屋形様に寄生している下らん奴だと思っていた。ところが、早雲という男はそんな男ではなく、恐るべき男だった。味方に引き入れたい程の男だったが、竜王丸の伯父に当たる早雲を味方にする事は不可能と言えた。しかし、策士(サクシ)である播磨守は、自分と同じ策士の早雲が敵にいる事によって、かえって、この先、面白くなって来たと心の中で思っていた。
12.二つの今川家
1
梅雨が始まった。
今川家は二つに分かれたまま膠着(コウチャク)状態に入っていた。
三浦次郎左衛門尉が寝返った後、岡部美濃守の義弟の由比出羽守が孤立して、小鹿派に寝返った。美濃守としても寝返らせたくはなかったが、どうする事もできなかった。今川家は阿部川を境にして、二つに分かれてしまっていた。
梅雨が始まってから五日後、備前守派だった天野兵部少輔が竜王丸派に寝返った。遠江にいる今川家の者たちが皆、竜王丸派となり、兵部少輔の犬居城を包囲されては寝返ざるを得なかった。兵部少輔は初めから本気で備前守を押していたわけではない。今川家を分裂させるために備前守派に付いただけだった。自分の本拠地が危なくなっている今、いつまでも備前守に付いて遊んでいる場合ではなかった。
兵部少輔は簡単に備前守を捨てて竜王丸派の本拠地、青木城に移って来た。見捨てられた備前守は上杉治部少輔を頼らざるを得なくなったが、当の治部少輔は摂津守を説得に行くと出掛けたまま、青木城から戻っては来なかった。誰からも見放され、孤立した備前守は茶臼山城下の屋敷に閉じこもったまま毎日、やけ酒を浴びていた。
竜王丸派からも、小鹿派からも、今川家の長老として迎えるから、との誘いが掛かったが、自分を見捨てた家臣たちのいる所に戻りたくはなかった。しかし、やがて気持ちが落ち着くとお屋形様の座を諦め、長老として今川家のために生きようと決心し、頭を丸めて棄山(キザン)と号し、小鹿派に迎えられた。棄山の山は富士山を現し、今川家の家督を富士山に例えて、自ら富士山を放棄して、禅境に入った事を意味していた。
備前守は小鹿派となったが、茶臼山の裾野に陣を敷いている上杉治部少輔は相変わらず、中立のまま今川家をまとめようと張り切っていた。とは言っても、小鹿派の駿府屋形に行っては御馳走になり、竜王丸派の青木城に行っては御馳走になっているだけで、成果はまったく上がらなかった。
早雲は早雲庵の縁側から降る雨を眺めていた。
小太郎、富嶽、多米、荒木らも皆、戻って来ている。
小太郎はお雪と一緒に浅間神社の門前町の家を引き払っていた。三浦一族の者たちがお屋形から消えて以来、葛山備後守は近くに敵の隠れ家があるに違いないと浅間神社の門前も捜し始めた。小太郎はお雪の身を案じて、しばらくの間、引き払う事にした。さらに、北川殿も長谷川屋敷に隠れている事が敵に知られて危険が迫り、朝比奈氏の本拠地の朝比奈城下に移っていた。お雪は北川殿を守るため、朝比奈城下の北川殿のもとに侍女として入っていた。
「備前守殿が小鹿派になったか‥‥‥」と早雲は縁側から雨を眺めながら言った。
「仕方あるまい」町医者姿の小太郎は縁側に寝そべっていた。「茶臼山は阿部川の東じゃからのう」
「これから、どうするんです」と久し振りに絵師に戻った富嶽が、早雲と小太郎の顔を交互に見た。
「遠江の者たちが戻って来れば、竜王丸派は圧倒的に有利な立場に立つ事となるのう」と小太郎は言った。
「しかし、戦を始めるわけには行かん。それこそ、葛山や天野の思う壷に嵌まる事となる」と早雲は言った。
「戦を起こさずに、今川家を一つにまとめるとなると難しい事じゃのう」と富嶽は言った。
「四つに分かれていたものが二つになった。後は二つを一つにまとめるだけじゃ」と早雲は気楽に言った。
「簡単に言うが難しい事じゃ」と小太郎は腕枕をしながら早雲を見た。「二つを一つにするという事は竜王丸殿をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見にするという事になるが、そうなると、小鹿派は賛成するかもしれんが、摂津守派が黙ってはおるまい。竜王丸派がまた二つに分かれる事になるぞ」
「確かにのう。摂津守派ではなく、小鹿派と手を結べば良かった、と今になって思うが、あの時点の状況では竜王丸派と小鹿派が手を結ぶという事は難しかったからのう」
「そいつは無理じゃ。葛山の奴が絶対に反対するに決まっておる」
「ああ。手を結ぶのが難しいとなると、残るは葛山播磨と福島越前を仲間割れさせ、どちらかを寝返らす事じゃな」
「どちらを寝返らすのです」と荒木が富嶽の後ろから顔を出した。
多米も一緒にやって来て話に加わった。
「さあのう」と早雲は首を振った。
「いよいよ、切札を使うか」と小太郎は早雲に聞いた。
「切札か‥‥‥」と早雲も頷いた。
「何です、切札とは」と多米が興味深そうに聞いた。
「長沢じゃ」と早雲は遠くを眺めながら言った。
「おお、そうじゃった。奴がおった。奴はまだ葛山と天野をつないでおるのか」と富嶽は聞いた。
「ああ。こちらの状況を葛山のもとに知らせておるようじゃ。葛山と天野は戦を起こしたい。しかし、葛山の側にいる福島越前守、両天野の側にいる岡部美濃守、朝比奈天遊斎、三浦次郎左衛門尉らは戦を起こす事に絶対、反対しておる。今の状態のままだと戦は起こらんじゃろうが、進展もないのう」
「その長沢とやらをどうするんです」と多米は聞いた。
「長沢を捕まえて、葛山と天野のたくらみを公表するのさ」と荒木が得意気に多米に説明した。
「いや。それはまずい」と早雲は言った。
「そうじゃ」と小太郎も言った。
「天野は今、味方じゃ。天野が何をたくらんでおろうとも、味方を分裂させるような事をするわけにはいかん」
「という事は長沢をどうするんです」
「長沢を捕まえて、葛山を威すんじゃよ」と小太郎は言った。
「成程、葛山を威すのか‥‥‥」と多米は唸った。
「でも、威してどうするんです。竜王丸派に寝返らせるのですか」
「いや」と早雲は誰もいない春雨庵を眺めながら言った。「葛山はそんな簡単に、こっちの手に乗るまい。長沢を捕えて威しても、そんな奴は知らんと言い張るに違いない。葛山よりも福島越前守を寝返らす」
「越前守か‥‥‥奴が寝返るかのう」と小太郎は言った。「もし、奴のもとに長沢を連れて行って、葛山の事を暴露(バクロ)したとして、越前守が寝返るじゃろうか‥‥‥越前守は葛山が何をたくらんでおるか位、気づいておるじゃろう。今更、その事を聞かせたとて寝返るじゃろうかのう」
「うむ。確かに、葛山のたくらみなどお見通しの上で、葛山と組んでおるのかもしれんのう」
「となると、長沢は使えないという事ですか」と富嶽は言った。
「いや。利用する事はできるじゃろう」
「利用する?」と多米が聞いた。
「越前守が寝返りそうだと天野に言えば、葛山に伝わる」と早雲が答えた。
「しかし、かなりの証拠を揃えん事には難しいじゃろう」と小太郎は言った。「長沢は騙(ダマ)せても葛山を騙すのは難しい」
「うむ‥‥‥何か、いい方法がないものかのう」早雲は皆の顔を見回した。
「とりあえず、長沢の奴を捕まえてみるか」と小太郎が言った。「長沢が突然、消えたら、どうなるかのう」
「葛山がどう出るかじゃな。葛山と天野とのつながりが消えるわけじゃからのう」と富嶽は言った。
「いや、長沢だけじゃない。葛山と天野をつないでおるのは長沢だけじゃなく、山伏もおるわ」と小太郎は言った。
「そうか、山伏がおったか‥‥‥やはり、秋葉山の山伏か」と早雲は小太郎に聞いた。
「秋葉山の山伏もおるが、大宮の山伏で定願坊(ジョウガンボウ)とかいうのが頭(カシラ)のようじゃのう」
「富士山の山伏か」
「そうじゃ。初めの頃は長沢も活躍しておったようじゃが、今は長沢などおらなくなっても、葛山はたいして困らんのかもしれん」
「その定願坊とやらを捕まえたらどうです」と富嶽が小太郎に言った。
「定願坊か‥‥‥捕まえられん事もないが、捕まえれば、富士山の山伏、すべてを敵に回す事になるぞ」
「駿府の浅間神社も敵になるという事ですか」
「多分」
「そいつはまずいのう。手を出さん方が無難じゃな」
「という事は、長沢も定願坊とやらも放っておくという事ですか」と多米は聞いた。
「そうなるのう」
「竜王丸派の重臣たちは、これから、どうするつもりでおるのです」と富嶽は聞いた。
「それぞれが小鹿派の重臣たちに寝返るように誘いを掛けておるらしいが、どうにもならんようじゃのう。阿部川を境に二つに分かれたため、寝返れば孤立する事となる。越前守が寝返れば、蒲原、興津、庵原らも寝返る事になろうがのう」
「越前守か‥‥‥寝返らすのは難しい」と早雲は唸った。「しかし、いつまでも、このままでおるわけにもいかん。葛山はどうする気でおるんじゃ」
「葛山はこのままの状況が続いてくれた方がいいらしいな」と小太郎は言った。「新しいお屋形様に取り入って、かなりの領地を手にいれておるようじゃ。富士川より東は、ほとんど葛山のものと言ってもいい位じゃ。葛山にとっては、今川家が一つになろうと二つのままでも、どうでもいいんじゃろう。今の所は何もしておらんようじゃな、ここではな」
「本拠地の方は大忙しというわけか」
「らしいのう。富士川以東には、お屋形様の直轄地や朝比奈殿、岡部殿の領地もあったらしい。それらが皆、葛山の領地となったわけじゃ」
「成程。それじゃあ、越前守の領地も増えたのか」
「多少はな」
「じゃろうな。しかし、何とかせにゃならんのう」
話し合いは続いたが、いい考えは浮かばなかった。
蒸し暑い中、雨はしとしと降り続いていた。
土砂降りのような雨の降る午後、北川殿の庭園内にある茶屋で、葛山播磨守と福島越前守の二人がお茶を飲みながら密談を交わしていた。
床の間には、とぼけた顔をした布袋(ホテイ)様を描いた掛軸が下がり、花入れには撫子の花が差してあり、香炉(コウロ)には香も焚かれてあった。
「この先、どうするつもりなんじゃ」と越前守が油滴天目(ユテキテンモク)の茶碗の中を覗きながら聞いた。
「どうしたら、いいもんかのう」と播磨守は外の雨を眺めていた。
「このままでは、今川家はいつまで経っても分かれたままじゃ。こんな状態がいつまでも続いていたら、敵が攻めて来るかもしれん」
「敵?」と播磨守は越前守を見た。
「ああ。甲斐(カイ)や信濃(シナノ)から敵が攻めて来ないとも限らん。関東からも攻めて来るかもしれん」
「関東は大丈夫じゃろう。お屋形様の身内じゃからな」
「しかし、このままでいいわけがなかろう。もし、関東が小鹿殿の後ろ盾となり、幕府が竜王丸殿の後ろ盾にでもなったら、ここ、駿河において戦が始まり、今川家はなくなるじゃろう」
「関東か‥‥‥関東も何かと大変のようじゃ。箱根を越えて、わざわざ来るとは思えんがのう」
「分からん。上杉治部少輔殿が自分の手に負えない事に気づけば、助っ人を呼ぶかもしれん」
「治部少輔殿か‥‥‥今の所はそんな動きもないようじゃ。助っ人を呼べば手柄を横取りされるからのう。治部少輔殿は自分の力で今川家を一つにしてみせると張り切っておるわ」
「無理じゃ」と越前守は香炉から立ち昇る煙を見ながら言った。
「治部少輔殿はそうは思っておらんらしいのう」
「まあいいわ。治部少輔殿は好きにさせておけばいい。それより、わしは小鹿派と竜王丸派が一つになればいいと思ってるんじゃが、どうじゃろう」
「越前守殿、今更、何を言い出すんじゃ。すでに、お屋形様は小鹿新五郎殿に決まったんじゃぞ。竜王丸派と手を組むという事は、竜王丸殿がお屋形様となり、新五郎殿はその後見という事になってしまうのじゃぞ」
「分かっておる。それでもいいではないか。竜王丸殿はまだ六つじゃ。成人なさるまでに十年近くある。十年もあれば、新五郎殿をお屋形様にする事もできるじゃろう」
「そう、うまく行けばいいがのう‥‥‥」
「考えてもみい。竜王丸派の重臣の中の大物と言えば、天遊斎殿と和泉守殿じゃろう。二人共、五十を過ぎておる。後、十年も生きられるとは思えん。その二人がいなくなれば、後の者たちは大した事はない」
「うむ。しかし、遠江の者たちも竜王丸派なんじゃぞ」
「遠江勢は、お屋形様が関東に近づき過ぎて、幕府の反感を買う事を恐れているんじゃ。新五郎殿が今川家をうまくまとめて行けば、新五郎殿に付いて来ると思うがのう。それに、遠江はこれからじゃ。これからも遠江には進撃しなくてはなるまい。その時に恩を売っておけばいいんじゃ」
「うむ。そうかもしれんが‥‥‥いや、早雲がおる。あいつは曲者じゃ」
「早雲か‥‥‥十年もあれば何とかなるじゃろう」
「まあな‥‥‥しかし、今更、竜王丸派と手を結ぶ事などできるかのう」
「その早雲を使えば、何とかなるとは思うがのう。竜王丸派の中で、どうしても摂津守殿を押している者と言えば岡部兄弟だけじゃ。他の者は竜王丸殿をお屋形様にし、新五郎殿を後見としても文句を言う奴はおるまいと思うがの」
「うむ。早雲を使うか‥‥‥しかし、その早雲とどうやって接触を持つんじゃ」
「そこは、播磨守殿の所にいる山伏を使えばわけないじゃろう」
「うむ。しかし、早雲が乗って来るかのう」
「乗って来ると、わしは睨んでおる。所詮、竜王丸派は誰かと組まなければならんのじゃ。摂津守と組んでいたら、いつまで経っても今川家は一つにならん。一つにするには竜王丸派と小鹿派が組む以外にはない」
「そうじゃのう。一つにするには、それしかないのう。しかし、新五郎殿がそれで納得するかのう」
「新五郎殿はわしが説得するわ。そなたは早雲と話を付けてくれんか」
「ふむ。まあ、やるだけはやってみるが、早雲がのこのこ、ここまでやって来るかのう」
「いや、ここまで来なくても、浅間神社でもどこでも構わん。何としてでも早雲と会って話をまとめなくてはならん。まごまごしていると、それこそ、関東から軍勢が来て、戦を始めなくてはならなくなるかもしれん。戦が始まってしまえば、もう取り返しのつかない状況となってしまうじゃろう」
「やってみよう」と播磨守は言った。
「頼むぞ。わしはさっそく、お屋形様のもとに行って説得するわ」
「うむ。わしは早雲を捜し出して話を付けてみるか」
越前守は茶屋を出ると傘をさし、そのまま、お屋形様の屋敷に向かった。
越前守が消えると入れ代わるように、定願坊が茶屋の縁側に腰を下ろした。
定願坊はずぶ濡れだった。
「そなた、いたのか」と播磨守は定願坊を見た。驚いている風でもなかった。
「話は聞いた」と定願坊は言った。
「そうか‥‥‥」
「早雲は今、早雲庵におる。風眼坊も一緒じゃ」
「そうか‥‥‥」
「早雲と会えば、越前守殿の言う通りになるじゃろう」
「早雲も越前守と同じ事を考えておると言うのか」
「ああ、今川家のために摂津守殿を捨てるじゃろうな」
「じゃろうのう‥‥‥」
「どうする」と定願坊は聞いた。
「うむ‥‥‥まだ、早いのう」
「いささか」と言って、定願坊は気味悪い笑みを浮かべた。
播磨守はゆっくりと頷いた。
「いっその事、早雲を消すか」と定願坊は言った。
「いや、それはまずい。消すのはいつでもできる。しばらくは早雲の動きを見張っていてくれ」
「うむ」
定願坊は消えた。
播磨守は一人、茶屋で考えていた。
今川家は二つに分かれ、阿部川を挟んで対峙しているが、戦をしようという者はいなかった。戦にならなくても、今の状況が続くだけでも播磨守にとっては有利だった。竜王丸派と小鹿派が結ぶのは具合が悪い。その二派が一つになれば、今川家が一つになるのと同じだった。まだ時期が早い。せめて、今年一杯は今の状況のままでいて欲しいと播磨守は願っていた。一年あれば、富士川以東を実力を以てまとめる事ができる。今、今川家が一つになってしまえば、せっかく手に入れた領地を返さなければならなくなる。何とかしなければならない。このまま放っておいたら、竜王丸派と小鹿派が一つになるのは時間の問題だった。
何とかしなければならない‥‥‥
しばらく、雨を眺めながら茶屋で冷めたお茶をすすっていた播磨守は一人、ニヤリと笑うと屋敷の方に戻って行った。
一方、お屋形様、小鹿新五郎と会っていた福島越前守は、ついさっき、北川殿で播磨守に言った事など、すっかり忘れたかのような変貌振りだった。
上段の間に眠そうな顔をして座っている新五郎の前に伺候すると、人払いをして、「お屋形様、播磨守殿には充分、御注意なさった方がよろしいですぞ」と言った。
「分かっておる。わしの目も節穴ではない。播磨が裏で何かをたくらんでいる事くらい気づいておるわ」
「はい。しかし、今回は容易ならざる事をたくらんでおりますぞ」
「何じゃ。勿体振らずに早く申せ」
「播磨守は竜王丸派と手を組もうとしております」
「何じゃと。竜王丸派と手を結ぶじゃと?」
「はい。播磨守は早雲とひそかに会っている模様ですな」
「播磨が早雲に?」
「配下の山伏を使って、ひそかに‥‥‥」
「播磨が竜王丸をお屋形にし、わしをお屋形の座から降ろすとたくらんでおると言うのか」
「今川家のためには、それしかないと‥‥‥」
「播磨め、裏切りおって‥‥‥何とかならんのか、せっかく、お屋形になれたというのに、ここから降りろと言うのか。わしは嫌じゃ」
「分かっております。そこで、お屋形様に相談したい議がございます」
「何かいい方法があるのか」
越前守は頷いた。「関東の力をお借りします」
「扇谷(オオギガヤツ)上杉家か」
「はい。扇谷上杉家に今川家の内紛を知らせれば、岩原(南足柄市)の大森寄栖庵(キセイアン)殿が来られる事でしょう。しかし、大森殿は葛山殿とは同じ一族です。大森殿が駿府に来れば、益々、播磨守の勢力が強くなると言えましょう。そこで、江戸城の太田備中守(ビッチュウノカミ)殿に来ていただきます」
「太田備中守にか」
「はい。備中守殿は関東で有名な武将です。備中守殿を仲裁役として今川家をまとめていただきます。勿論、お屋形様は新五郎殿としてまとめていただきます」
「備中守に頼むのか‥‥‥そう、うまく行けばいいがのう」
「備中守殿なら、うまくまとめてくれる事でしょう」
越前守は葛山播磨守には竜王丸派と手を結ぶと言ったが、本気で思っていたわけではない。最終的には、そうなるに違いないとは思っていても、播磨守同様、時期がまだ早いと思っていた。播磨守にその事を言えば、播磨守は絶対に邪魔をするだろうと睨み、牽制(ケンセイ)のつもりで言ったのだった。本気で竜王丸派と結ぶつもりなら、播磨守の力を借りなくても一人ででもできる。越前守の配下にも熊野の山伏がいて暗躍していた。早雲の居所など播磨守に頼まなくても捜し出す事は簡単だった。
どうして、駿河の国に紀伊(キイ)の国(和歌山県)の熊野の山伏がいるのかというと、当時、熊野の山伏は山の中だけでなく、海路も利用して各地の信者を集めていた。伊勢の五ケ所浦のように各地の要港には、必ず、熊野山伏の拠点があり、活動していた。当然、駿府の海の玄関口である江尻津にも熊野山伏はいて、支配者である越前守のために働いている者もいたのだった。
越前守は播磨守のように、今の時期を利用して領地を拡大しているわけではなかったが、別の所で稼いでいた。堀越公方の執事、上杉治部少輔が駿府に在陣して、すでに二ケ月が経ち、彼らの兵糧(ヒョウロウ)は伊豆の国から海路で江尻津(清水港)まで運ばれて来ていた。さらに、駿府屋形に集まっている兵たちの食糧も、各地から江尻津に入って来ている。江尻津を支配しているのは越前守だった。越前守は江尻津が各地からの船で賑わえば賑わう程、稼げるというわけだった。今川家が一つになってしまえば、上杉治部少輔は勿論の事、駿府屋形の兵たちも引き上げてしまう。後もう少し今の状況が続けば、伊豆の三島大社との取り引きの事もうまく行く。葛山播磨守と同様、越前守も今年一杯は、今の状況が続く事を願っていた。
越前守が帰った後、小鹿新五郎は離れの書院に戻った。
書院には渚(ナギサ)姫、千里(チサト)姫、桂(カツラ)姫、若菜(ワカナ)姫の四人の側室が首を長くして待っていた。
「お屋形様、いかがなさいました。浮かない顔をしてらっしゃいます」と千里姫が扇子を扇ぎながら言った。
部屋の中には高価な香が焚かれ、白粉(オシロイ)の匂いと混ざって妖艶(ヨウエン)さをなお一層、引き立てていた。
「何でもない」と新五郎は言うと料理の並んだお膳の前に腰を下ろした。
新五郎がお屋形様になって二ケ月が過ぎていた。二ケ月も過ぎたが、お屋形様らしい事は何もしていなかった。した事といえば、唯一、先代のお屋形様の葬儀の喪主になった事位だった。念願のお屋形様になれたら、あれをやろう、これをやろうと新五郎なりに色々と考えてはいたが、実際、お屋形様になっても、そんな事は一切できなかった。葛山播磨守と福島越前守の二人が何もかも決めてしまい、新五郎の出る幕はまったくなかった。
しかも、播磨守と越前守がもたもたしている隙に、竜王丸派は摂津守派と手を結び、竜王丸をお屋形様にし、摂津守を後見として、もう一つの今川家を作ってしまった。今川家が二つに分かれてしまったというのに、播磨守と越前守は何もしないでいる。新五郎が、戦を始めて、さっさと竜王丸派を倒せ、と命じても、二人は生返事をするばかりだった。
二人が言う事を聞かないのなら自分の力で何とかするしかないと、新五郎は手下の者を使って竜王丸を亡き者にしようとたくらんだが、すべて、失敗に終わっていた。竜王丸を殺すために送った刺客(シカク)は皆、戻っては来なかった。仕方なく、新五郎は浅間神社の山伏を使おうと思ったが、浅間神社は今川家の家督争いには拘(カカ)わりたくないと断って来た。
新五郎は成す術(スベ)もなく、毎日、酒と女に溺(オボ)れていた。政治的な事は何一つとして思うようにはならないが、酒と女に関しては不自由しなかった。播磨守も越前守も、その他の重臣たちも次々に綺麗な娘を新五郎のもとに届けて来た。屋敷内の常御殿には、彼らから送られて来た綺麗所が二十人近くも暮らしている。
新五郎は今年、三十歳の男盛りだった。家族は未だに小鹿の屋敷にいる。妻と三人の子供がいた。八歳になる長男の小五郎と五歳と二歳の女の子だった。このお屋形の屋敷に移ってから家族のもとには一度も帰っていなかった。
「お屋形様、さあ、どうぞ」と若菜姫が酒を注ごうとした。
「おう」と酒盃(サカズキ)を手にすると新五郎は注がれた酒を飲み干した。
「若菜、お前も飲め」と新五郎は酒盃を若菜姫に渡した。
「あい」と若菜姫は両手で酒盃を受けた。
若菜姫は興津美作守(オキツミマサカノカミ)から贈られて来た、ぽっちゃりとした二十歳の娘だった。控えめな性格だったが、情熱的で、着物がはち切れんばかりの肉体を誇っていた。新五郎が今、一番お気に入りの娘だった。
新五郎の右隣に座っている娘は渚姫といい、葛山播磨守から贈られた娘で、静かな雰囲気を持った別嬪(ベッピン)だった。若菜姫が来るまでは一番のお気に入りだったが、若菜姫の肉体に敗れて、二番になっていた。
若菜姫の隣は千里姫、福島越前守からの贈りもので、目のくりっと大きな娘で歌がうまかった。その隣は桂姫、庵原安房守からの贈りもので、小柄で可愛い娘だった。この四人の側室が、今の新五郎のお気に入りで、一日中、側から離さなかった。
無言のまま新五郎は四人の娘に酒盃を回すと、立ち上がって縁側に出て、広い庭を眺めた。
土砂降りは治まったが、雨は降り続いていた。
女たちは黙って新五郎の後姿を見つめていた。
「太田備中守か‥‥‥」と新五郎は呟(ツブヤ)いた。
備中守の噂は駿河にも聞こえていた。
扇谷(オオギガヤツ)上杉氏を支えているのは、家宰(カサイ、執事)である備中守の力だと言われている程の武将だった。ただ、戦に強いだけの武将ではない。足利学校で勉学に励み、和歌に堪能で、城の縄張りも巧みにこなすという文武両道の武将だった。その備中守を味方に付ければ、今川家を一つにまとめ、正式にお屋形様になれるかもしれない。備中守が後ろ盾になってくれれば、何とかなるような気がする。竜王丸派の朝比奈氏も三浦氏も岡部氏も、備中守の言う事なら聞くに違いない。ただ、扇谷上杉氏に応援を頼んだとして、備中守が、わざわざ、駿府まで来てくれるかどうかが問題だった。備中守ではなく、岩原の大森寄栖庵(キセイアン)が来たのでは葛山播磨守の思う壷となってしまう。何としてでも、備中守を呼ばなければならなかった。
「お屋形様、いかがなさいました」と桂姫が声を掛けた。
新五郎は返事をしなかった。
どうしたら、備中守を呼ぶ事ができるか‥‥‥
福島越前守に頼むか。
越前守の船で直接、備中守の江戸城まで行ってもらえば何とかなるのではないか‥‥‥もし、来てくれるとしても、江戸からここまで来るには時間が掛かる。兵を引き連れて来れば、かなりの時間が掛かるだろう。早いうちに江戸城に使いを送った方がいい。そう決めると新五郎は女たちには声も掛けず、主殿の方に向かった。大声で執事の名を呼ぶと、越前守をすぐに呼べと命じた。
一時程後、晴れ晴れとした顔をして、新五郎は書院に戻って来た。すでに、前のお膳は片付けられて、新しいお膳が並べられ、女たちも別の着物に着替えていた。
機嫌よく女たちを眺めると新五郎は床の間の前の上座に腰を下ろし、「喉が渇いた。酒じゃ」と酒盃を渚姫の前に差し出した。
「いい気分じゃ」と言うと新五郎は急に笑い出した。
女たちも新五郎の顔を見ながら、わけも分からず笑っていた。
「千里、一舞、舞ってくれ」
千里姫は笑いながら頷くと立ち上がり、次の間に行って扇を広げた。
〽忍ぶれど 色に出(イ)でにけり我が恋は~
色に出でにけり我が恋は~
千里姫は流行り歌を歌いながら、しとやかに舞った。
「最高じゃ」と新五郎は手をたたいて喜んだ。
「次は誰じゃ」
「あたし、踊りなんて駄目です」と若菜姫が手を振った。
「踊りじゃなくても構わんぞ」と新五郎は笑って若菜姫の懐に手を差し入れた。
「嫌ですわ、お屋形様」と若菜姫は言ったが、体を新五郎に擦り寄せていた。
「渚、次はそちじゃ」と新五郎は若菜姫の乳房を揉みながら言った。
「あたしも踊りはできません。お琴ならできますけど」
「おお、そちの琴が聞きたくなったわ」
「でも、お琴を取りにいかないと‥‥‥」
「なに、すぐに用意させるわ。いや、向こうに移って、皆で騒ごう。今宵は夜明けまで飲み明かそうぞ」
新五郎は四人の女を連れて常御殿の広間に移り、側室たち全員を呼び集めて、夜更けまで機嫌よく飲んで騒いだ。
新五郎にとって、まさに極楽だった。女たちは皆、新五郎の言いなりに酒に酔い、高価な着物を脱ぎ散らかし、あられもない姿で騒いでいる。この光景を誰かが見たら、もはや、今川家も終わりだと思うに違いなかった。
実際に、この光景を覗いている者がいた。
天井裏に忍び込んで、成り行きを見守っていた小太郎だった。
「情けない事じゃ」と小太郎は呟(ツブ)いた。
そして、しばらくして、「羨(ウラヤ)ましい事でもある」と言った。
しかし、竜王丸殿をあんなお屋形様には絶対にしてはならないと思った。
呆(アキ)れ果て、小太郎が引き上げようとした時、小太郎の他にも天井裏に忍び込んでいた者がいる事に気づいた。小太郎は手裏剣を手に持つと曲者(クセモノ)に近づいた。
相手も小太郎の事に気づき、刀の柄(ツカ)に手をやった。
「定願坊(ジョウガンボウ)か」と小太郎は小声で言った。
「風眼坊じゃな」と定願坊は言った。
「どう思う」と風眼坊は下を示しながら聞いた。
「年寄りには目の毒じゃ」
「まさしく」
「新五郎殿は播磨守殿の思いのままじゃ」
「うむ。播磨守はわしの命を狙っておるのか」
「いや」と定願坊は首を振った。
「そうか。それで、どうする」
「どうするとは」
「やるか」
「いや。わしらがやり合ったとしても、喜ぶのは下におられるお方だけじゃ」
「確かに」小太郎はそう言うと定願坊に背を向けた。
定願坊は攻撃を仕掛けて来なかった。
小太郎は誰もいない部屋に降りると御殿から出て、素早く土塁を乗り越え、屋敷から消えた。
残っていた定願坊は刀の柄から手を放すと、額の汗を拭った。
「できる‥‥‥」と呟くと、しばらく、小太郎のいた所を見つめていたが、やがて、身を伏せると下の光景を覗いた。
女たちは皆、酔っ払っていた。すでに、伸びている女たちもいた。中には女同士で体を撫で合っている者もいる。あちこちから嗚咽(オエツ)の声が聞こえて来る。新五郎は裸の女を三人抱えて大笑いしていた。
「たまらんわ」と言うと定願坊も屋根裏から消えた。
雨は毎日、降っていた。
お雪の吹く笛の音が朝比奈城下の天遊斎の屋敷から響いていた。
竜王丸と北川殿が駿府屋形から小河(コガワ)の長谷川法栄(ホウエイ)の屋敷に移り、さらに、天遊斎の屋敷に移ってから、すでに三ケ月が過ぎていた。
竜王丸派と摂津守派が一つになった時、北川殿は竜王丸を連れて摂津守の青木城に移った。しかし、それは一日だけだった。前線に近い青木城は危険だという事で、すぐに小河の法栄屋敷に戻ったが、北川殿が小河屋敷にいたという事が小鹿派の者たちにまで知れ渡り、危険が迫って来た。未だに竜王丸を亡き者にしようとたくらんでいる者がいるのだった。また、天野氏などは竜王丸を遠江にさらって、遠江に今川家を新しく作ろうと本気で考えている。早雲は北川殿母子を朝比奈川の上流の山の中にある朝比奈郷に隠す事にした。
朝比奈郷は古くから朝比奈氏の本拠地だった。鎌倉時代に祖先の左衛門尉(サエモンノジョウ)が朝比奈郷の地頭職(ジトウシキ)に就いて朝比奈姓を称し、今川家が駿河の守護職(シュゴシキ)になった早い時期に被官となり、以後、代々今川家の重臣の地位に就いていた。
天遊斎は家督を嫡男(チャクナン)に譲って隠居していたが、嫡男の肥後守(ヒゴノカミ)がお屋形様、義忠と共に戦死してしまったため、のんびり隠居などしている場合ではなくなっていた。家督は三男の左京亮(サキョウノスケ)という事に決まったが、左京亮はまだ二十歳で、独り立ちするには少々無理があった。しばらくの間は天遊斎が補佐しなければならなかった。
朝比奈郷に移った北川殿は天遊斎の隠居屋敷に入った。天遊斎の隠居屋敷は朝比奈屋敷の北東の隅にあり、本屋敷と同様に濠と土塁に囲まれていた。北川殿を迎える事となって天遊斎は本屋敷の方に移り、北川殿母子は駿府屋形の北川殿にいた時のように、北川衆に守られて暮らしていた。
隠居屋敷は本屋敷に隣接していたが、濠と土塁で隔てられて完全に独立していた。敷地内には天遊斎が客と会う時に使う表屋敷、普段、寝起きしている奥屋敷と広い台所を中心に、湯殿(ユドノ)、廐(ウマヤ)、侍(サムライ)部屋、蔵などが建っていた。
北川殿母子は二間ある奥屋敷に入り、侍女と仲居たちは表屋敷に入った。侍女の中には春雨とお雪の二人もいて、竜王丸の遊び相手として寅之助も一緒に来ていた。北川衆は以前のごとく交替で屋敷の門番に当たった。北川衆の中には家族と共に移って来ている者もいて、近くに家を借りて通っていた。
ここでも、小河屋敷にいた時と同じように北川殿は身分を隠し、京から下向して来た公家の母子という事になっていたため、あまり縛られる事もなく、のんびりと暮らす事ができた。かつての北川衆や侍女や仲居たちに囲まれて暮らしていても、以前のように出掛ける時は、どんな近くでも牛車(ギッシャ)に乗るという事もなく、自分の足でどこにでも行けた。どこにでもと言っても、あまり遠くまでは行けなかったが、朝比奈屋敷の回りの城下町や草原や田畑などを子供たちと一緒に散歩するのは楽しかった。草花を自分の手で摘んだり、蝶やトンボを追いかけたり、今まで想像するだけで、できるわけないと諦めていた事が、駿府を出てからは可能となっていた。お屋形様の突然の死は悲しかったが、別の生き方というものを味わえたのは、北川殿にとって充分な慰めになっていた。
梅雨となり、毎日、雨降りの日が続いていても、北川殿にとっては傘を差して雨の中を散歩するのも楽しみの一つだった。そんなある日、久し振りに早雲が孫雲と才雲を連れてやって来た。石脇の早雲庵から朝比奈城下までの距離は三里程だった。一時もあれば、すぐに来られる距離だった。
北川殿はお雪と長門(ナガト)の二人を連れて、小雨の中を傘を差して散歩に出掛ける所だった。三人の後ろには北川衆の清水と久保の二人が少し離れて見守っている。
北川殿は隠居屋敷の門を出ると大通りを南に向かい、朝比奈屋敷の門の前を通り過ぎた頃、正面からやって来る早雲たちと出会った。北川殿は早雲の姿を見ると嬉しそうに手を振った。早雲も元気そうな妹の姿を見ながら手を振り返した。駿府屋形にいた頃に比べて、最近の北川殿は心から嬉しそうに笑っていた。早雲に手を振っている今の北川殿の笑顔も、うっとおしい梅雨空とは関係なく、ほんとに楽しそうだった。
北川殿は早雲を伴って朝比奈川の河原に向かった。いつもの散歩の道だった。
朝比奈氏の本拠地である朝比奈城は北、西、南の三方を朝比奈川に囲まれた山の上にあった。城下は朝比奈城の南麓にあり、西側を北から南へ、南側を西から東へと朝比奈川が曲がって流れ、東側は野田沢川が北から南に流れ、朝比奈川と合流していた。三方を川、残る北側に城のある山に囲まれた一画が朝比奈氏の城下だった。
朝比奈屋敷と朝比奈氏の菩提寺を中心に東側に武家屋敷が並び、広い弓場や馬場があり、西側は商人や職人たちの住む町となっていた。朝比奈川の河原には二つの市場があって、市の立つ日は賑やかだった。しかし、駿府とは比べものにならない程、ささやかな城下だった。城下内には田畑や草原もかなりあり、のどかな雰囲気だった。
北川殿がよく来る河原は西側の河原で、人影もなく静かな所だった。草花が豊富にあって、向こう岸にはずっと山々が連なっていた。
北川殿は着物が濡れるのも構わず、早雲と一緒に河原の濡れた草木の中に入って行った。仕方なく、お雪は後を追ったが、後の者たちは道端から北川殿たちを見守っていた。
「兄上様、今川家はどうなって行くのでしょう」と北川殿は突然、聞いた。
「大丈夫です」と早雲は言ったが、妹の顔を見てはいなかった。
「兄上様、わたし、竜王丸の母として何かをしなければならないんじゃないかって、最近、思うようになりました。わたし、自分では何もできないと諦めておりました。兄上様や長谷川殿、朝比奈殿など重臣の方々に頼らなければ、生きて行けないと思っておりました。でも、最近、わたしにも何か、できるんじゃないかって思うようになりました。今まで、わたしは何かをする前に、もう諦めておりました。自分の意志で何かをしようと思った事なんてありませんでした。でも、そんなわたしでも、何かをやろうと思えば、できるんじゃないかって思うようになりました‥‥‥」
早雲は北川殿の横顔を見た。お屋形様が亡くなられてから強くなられたものだと思った。お屋形様が生きている頃は、他所から嫁いで来た嫁という感じだったが、今の北川殿は完全に今川家の一族の一人として今川家の事を思っていた。竜王丸の母親として立派に生きて行こうとしていた。
「お強くなられましたな」と早雲は言った。
「いいえ、少しも‥‥‥兄上様、兄上様は弓の名手だと聞いております。わたしに是非とも弓を教えて下さい」
「えっ!」と早雲は驚いて妹を見た。まさか、そんな事を言って来るとは思ってもいなかった。
「北川殿が弓術を習いたいと」と早雲は聞き返した。
北川殿は恥ずかしそうに頷いた。「わたし、駿府のお屋敷が襲撃された時、自分の無力さが身にしみました。春雨様やお雪様は自分を守る術(スベ)を知っております。同じ、女の身でありながら、わたしは自分を守る事もできません。お屋形様のお亡くなりになってしまった今、わたしは竜王丸たちを守らなければなりません。そして、今川家も‥‥‥今のわたしに今川家を守るなんて、大それた事は言えません。せめて、何かが起こった時のために、子供たちだけは守ってやりたいと思っております。お願いです。わたしに弓術を教えて下さい」
「それは構いませんが‥‥‥」と早雲は答えた。
「兄上様、ほんとですのね」と北川殿は嬉しそうに笑った。「教えて下さるのね」
早雲は妹を見ながら頷いた。「弓術は身を守るだけでなく、心を落ち着けるのにも役に立ちます。北川殿が、どうしてもとおっしゃるのなら、お教え致しましょう」
「まあ、嬉しい。わたし、今、お雪様より小太刀(コダチ)も教わっているんですよ」
「ほう、お雪殿から小太刀を‥‥‥そうでしたか」
北川殿は本気で身を守る術を習おうとしていた。まるで、別人を見ているかのような思いで早雲は妹を見ていた。
朝比奈屋敷に戻ると、早雲はさっそく弓場(ユバ)に交渉に出掛けたが、女は立ち入り禁止だと断られた。北川殿の名を出せば何とかなるとは思うが、これから先の事を考えると、弓場を使わせてもらうために正体をばらすのはまずかった。早雲はさっき北川殿と行った河原に出掛けた。仕方ないので、ここを弓場にしようと思った。ここは人影がないので、北川殿の弓術の稽古には丁度、具合がいいと言えた。ただ、雨の降り続く梅雨のうちは無理だった。梅雨が上がったら、ここに的を作って北川殿に教えようと思った。
その日の晩、早雲たちは天遊斎の本屋敷に招待された。北川殿も招待され、天遊斎の三男、左京亮と共に軽く酒を飲み、食事を御馳走になった。
食事も済み、北川殿と左京亮の帰った後、早雲は客間で天遊斎と二人きりで会っていた。
「天遊斎殿、太田備中守殿をどう思います」と早雲は天遊斎の点(タ)てた薄茶を飲みながら聞いた。
「どうとは」と天遊斎は突然の質問に驚いたようだった。
「小鹿新五郎殿は、どうやら、備中守殿を後ろ盾として駿府に呼ぶ模様です」
「何じゃと。新五郎殿が太田備中守殿を‥‥‥とうとう、関東の助けを借りるのか」
「らしいですねえ」と早雲は他人事のように言った。
「そうか‥‥‥備中守殿か‥‥‥備中守殿が小鹿派に付いたら竜王丸殿にとっては難しい事になりそうじゃ」
「やはり、そうですか‥‥‥」
「しかし、備中守殿は公平な目を持っているとの噂じゃ。もしかしたら、公平に裁いてくれるかもしれん」
「公平な目、ですか‥‥‥天遊斎殿は備中守殿に会った事はございますか」
「いや」と天遊斎は首を振った。「会った事はないが」
「そうですか。わたしは一度だけ、会った事がございます。会ったと言っても、お互いに名乗ったわけではなく、一言、二言、言葉を交わしただけでしたが、わたしは、あの時の武将は備中守殿だと確信を持っております。確かに、天遊斎殿のおっしゃる通りに、公平なお人のようにお見受けしました」
「そうじゃろう。備中守殿は噂通りの立派なお方に違いない。備中守殿が、この地に来る事となれば、小鹿派では大歓迎する事じゃろう。備中守殿が小鹿派の言いなりになるとは思わんが、我らとしても言い分だけは聞いてもらわん事にはのう」
「何とかして話し合いの場を持ちたいですね」
「うむ、頼むぞ。こういう場合、自由に動き回れる早雲殿が唯一の頼みじゃ」
「はい。やるだけの事はやってみますが、新五郎殿とは別に、葛山播磨守殿も扇谷(オオギガヤツ)上杉氏に誘いを掛けております。播磨守殿は備中守殿ではなくて、岩原城の大森寄栖庵(キセイアン)殿とかいうお方を駿府に呼ぶ事をたくらんでおるようです」
「大森寄栖庵殿を呼ぶのか」
「そのようです。その寄栖庵殿というお方はどんな人なのです」
「扇谷上杉家の重臣じゃ。太田備中守殿が有名になり過ぎて、隠れた存在となっておるが、なかなかの武将のようじゃのう。ただ、葛山氏とは同族じゃ。駿府に来たとしても、備中守殿のように公平に物を見るという事は期待できそうもないのう」
「そうですか‥‥‥どっちが来るかによって、こちらの出方も変わって来ますね」
「そうじゃのう。寄栖庵殿が来られたら、余計、面倒な事になりそうじゃ。備中守殿が来る事を願うしかない」
「こちらからも備中守殿に誘いを掛けたらどうです」と早雲は言った。
「いや、それはまずい。両方から関東に助けを求めたら、今川家の威信に拘わる事になる。助けを求めたのは小鹿派で、竜王丸派は他所の助けを借りなくても自力で解決する事ができると思わせておかなければならん。関東に借りを作ると竜王丸殿がお屋形様になった時、面倒な事に巻き込まれる可能性が出て来るじゃろう。借りを作るにしても、なるべく、小さい方がいい」
「成程、そうですね。相手の出方を見て対処して行った方がいいですね」
早雲は天遊斎から、今までの今川家の事を色々と聞き、夜遅くまで語り合っていた。
「長沢じゃ」と早雲は遠くを眺めながら言った。
「おお、そうじゃった。奴がおった。奴はまだ葛山と天野をつないでおるのか」と富嶽は聞いた。
「ああ。こちらの状況を葛山のもとに知らせておるようじゃ。葛山と天野は戦を起こしたい。しかし、葛山の側にいる福島越前守、両天野の側にいる岡部美濃守、朝比奈天遊斎、三浦次郎左衛門尉らは戦を起こす事に絶対、反対しておる。今の状態のままだと戦は起こらんじゃろうが、進展もないのう」
「その長沢とやらをどうするんです」と多米は聞いた。
「長沢を捕まえて、葛山と天野のたくらみを公表するのさ」と荒木が得意気に多米に説明した。
「いや。それはまずい」と早雲は言った。
「そうじゃ」と小太郎も言った。
「天野は今、味方じゃ。天野が何をたくらんでおろうとも、味方を分裂させるような事をするわけにはいかん」
「という事は長沢をどうするんです」
「長沢を捕まえて、葛山を威すんじゃよ」と小太郎は言った。
「成程、葛山を威すのか‥‥‥」と多米は唸った。
「でも、威してどうするんです。竜王丸派に寝返らせるのですか」
「いや」と早雲は誰もいない春雨庵を眺めながら言った。「葛山はそんな簡単に、こっちの手に乗るまい。長沢を捕えて威しても、そんな奴は知らんと言い張るに違いない。葛山よりも福島越前守を寝返らす」
「越前守か‥‥‥奴が寝返るかのう」と小太郎は言った。「もし、奴のもとに長沢を連れて行って、葛山の事を暴露(バクロ)したとして、越前守が寝返るじゃろうか‥‥‥越前守は葛山が何をたくらんでおるか位、気づいておるじゃろう。今更、その事を聞かせたとて寝返るじゃろうかのう」
「うむ。確かに、葛山のたくらみなどお見通しの上で、葛山と組んでおるのかもしれんのう」
「となると、長沢は使えないという事ですか」と富嶽は言った。
「いや。利用する事はできるじゃろう」
「利用する?」と多米が聞いた。
「越前守が寝返りそうだと天野に言えば、葛山に伝わる」と早雲が答えた。
「しかし、かなりの証拠を揃えん事には難しいじゃろう」と小太郎は言った。「長沢は騙(ダマ)せても葛山を騙すのは難しい」
「うむ‥‥‥何か、いい方法がないものかのう」早雲は皆の顔を見回した。
「とりあえず、長沢の奴を捕まえてみるか」と小太郎が言った。「長沢が突然、消えたら、どうなるかのう」
「葛山がどう出るかじゃな。葛山と天野とのつながりが消えるわけじゃからのう」と富嶽は言った。
「いや、長沢だけじゃない。葛山と天野をつないでおるのは長沢だけじゃなく、山伏もおるわ」と小太郎は言った。
「そうか、山伏がおったか‥‥‥やはり、秋葉山の山伏か」と早雲は小太郎に聞いた。
「秋葉山の山伏もおるが、大宮の山伏で定願坊(ジョウガンボウ)とかいうのが頭(カシラ)のようじゃのう」
「富士山の山伏か」
「そうじゃ。初めの頃は長沢も活躍しておったようじゃが、今は長沢などおらなくなっても、葛山はたいして困らんのかもしれん」
「その定願坊とやらを捕まえたらどうです」と富嶽が小太郎に言った。
「定願坊か‥‥‥捕まえられん事もないが、捕まえれば、富士山の山伏、すべてを敵に回す事になるぞ」
「駿府の浅間神社も敵になるという事ですか」
「多分」
「そいつはまずいのう。手を出さん方が無難じゃな」
「という事は、長沢も定願坊とやらも放っておくという事ですか」と多米は聞いた。
「そうなるのう」
「竜王丸派の重臣たちは、これから、どうするつもりでおるのです」と富嶽は聞いた。
「それぞれが小鹿派の重臣たちに寝返るように誘いを掛けておるらしいが、どうにもならんようじゃのう。阿部川を境に二つに分かれたため、寝返れば孤立する事となる。越前守が寝返れば、蒲原、興津、庵原らも寝返る事になろうがのう」
「越前守か‥‥‥寝返らすのは難しい」と早雲は唸った。「しかし、いつまでも、このままでおるわけにもいかん。葛山はどうする気でおるんじゃ」
「葛山はこのままの状況が続いてくれた方がいいらしいな」と小太郎は言った。「新しいお屋形様に取り入って、かなりの領地を手にいれておるようじゃ。富士川より東は、ほとんど葛山のものと言ってもいい位じゃ。葛山にとっては、今川家が一つになろうと二つのままでも、どうでもいいんじゃろう。今の所は何もしておらんようじゃな、ここではな」
「本拠地の方は大忙しというわけか」
「らしいのう。富士川以東には、お屋形様の直轄地や朝比奈殿、岡部殿の領地もあったらしい。それらが皆、葛山の領地となったわけじゃ」
「成程。それじゃあ、越前守の領地も増えたのか」
「多少はな」
「じゃろうな。しかし、何とかせにゃならんのう」
話し合いは続いたが、いい考えは浮かばなかった。
蒸し暑い中、雨はしとしと降り続いていた。
2
土砂降りのような雨の降る午後、北川殿の庭園内にある茶屋で、葛山播磨守と福島越前守の二人がお茶を飲みながら密談を交わしていた。
床の間には、とぼけた顔をした布袋(ホテイ)様を描いた掛軸が下がり、花入れには撫子の花が差してあり、香炉(コウロ)には香も焚かれてあった。
「この先、どうするつもりなんじゃ」と越前守が油滴天目(ユテキテンモク)の茶碗の中を覗きながら聞いた。
「どうしたら、いいもんかのう」と播磨守は外の雨を眺めていた。
「このままでは、今川家はいつまで経っても分かれたままじゃ。こんな状態がいつまでも続いていたら、敵が攻めて来るかもしれん」
「敵?」と播磨守は越前守を見た。
「ああ。甲斐(カイ)や信濃(シナノ)から敵が攻めて来ないとも限らん。関東からも攻めて来るかもしれん」
「関東は大丈夫じゃろう。お屋形様の身内じゃからな」
「しかし、このままでいいわけがなかろう。もし、関東が小鹿殿の後ろ盾となり、幕府が竜王丸殿の後ろ盾にでもなったら、ここ、駿河において戦が始まり、今川家はなくなるじゃろう」
「関東か‥‥‥関東も何かと大変のようじゃ。箱根を越えて、わざわざ来るとは思えんがのう」
「分からん。上杉治部少輔殿が自分の手に負えない事に気づけば、助っ人を呼ぶかもしれん」
「治部少輔殿か‥‥‥今の所はそんな動きもないようじゃ。助っ人を呼べば手柄を横取りされるからのう。治部少輔殿は自分の力で今川家を一つにしてみせると張り切っておるわ」
「無理じゃ」と越前守は香炉から立ち昇る煙を見ながら言った。
「治部少輔殿はそうは思っておらんらしいのう」
「まあいいわ。治部少輔殿は好きにさせておけばいい。それより、わしは小鹿派と竜王丸派が一つになればいいと思ってるんじゃが、どうじゃろう」
「越前守殿、今更、何を言い出すんじゃ。すでに、お屋形様は小鹿新五郎殿に決まったんじゃぞ。竜王丸派と手を組むという事は、竜王丸殿がお屋形様となり、新五郎殿はその後見という事になってしまうのじゃぞ」
「分かっておる。それでもいいではないか。竜王丸殿はまだ六つじゃ。成人なさるまでに十年近くある。十年もあれば、新五郎殿をお屋形様にする事もできるじゃろう」
「そう、うまく行けばいいがのう‥‥‥」
「考えてもみい。竜王丸派の重臣の中の大物と言えば、天遊斎殿と和泉守殿じゃろう。二人共、五十を過ぎておる。後、十年も生きられるとは思えん。その二人がいなくなれば、後の者たちは大した事はない」
「うむ。しかし、遠江の者たちも竜王丸派なんじゃぞ」
「遠江勢は、お屋形様が関東に近づき過ぎて、幕府の反感を買う事を恐れているんじゃ。新五郎殿が今川家をうまくまとめて行けば、新五郎殿に付いて来ると思うがのう。それに、遠江はこれからじゃ。これからも遠江には進撃しなくてはなるまい。その時に恩を売っておけばいいんじゃ」
「うむ。そうかもしれんが‥‥‥いや、早雲がおる。あいつは曲者じゃ」
「早雲か‥‥‥十年もあれば何とかなるじゃろう」
「まあな‥‥‥しかし、今更、竜王丸派と手を結ぶ事などできるかのう」
「その早雲を使えば、何とかなるとは思うがのう。竜王丸派の中で、どうしても摂津守殿を押している者と言えば岡部兄弟だけじゃ。他の者は竜王丸殿をお屋形様にし、新五郎殿を後見としても文句を言う奴はおるまいと思うがの」
「うむ。早雲を使うか‥‥‥しかし、その早雲とどうやって接触を持つんじゃ」
「そこは、播磨守殿の所にいる山伏を使えばわけないじゃろう」
「うむ。しかし、早雲が乗って来るかのう」
「乗って来ると、わしは睨んでおる。所詮、竜王丸派は誰かと組まなければならんのじゃ。摂津守と組んでいたら、いつまで経っても今川家は一つにならん。一つにするには竜王丸派と小鹿派が組む以外にはない」
「そうじゃのう。一つにするには、それしかないのう。しかし、新五郎殿がそれで納得するかのう」
「新五郎殿はわしが説得するわ。そなたは早雲と話を付けてくれんか」
「ふむ。まあ、やるだけはやってみるが、早雲がのこのこ、ここまでやって来るかのう」
「いや、ここまで来なくても、浅間神社でもどこでも構わん。何としてでも早雲と会って話をまとめなくてはならん。まごまごしていると、それこそ、関東から軍勢が来て、戦を始めなくてはならなくなるかもしれん。戦が始まってしまえば、もう取り返しのつかない状況となってしまうじゃろう」
「やってみよう」と播磨守は言った。
「頼むぞ。わしはさっそく、お屋形様のもとに行って説得するわ」
「うむ。わしは早雲を捜し出して話を付けてみるか」
越前守は茶屋を出ると傘をさし、そのまま、お屋形様の屋敷に向かった。
越前守が消えると入れ代わるように、定願坊が茶屋の縁側に腰を下ろした。
定願坊はずぶ濡れだった。
「そなた、いたのか」と播磨守は定願坊を見た。驚いている風でもなかった。
「話は聞いた」と定願坊は言った。
「そうか‥‥‥」
「早雲は今、早雲庵におる。風眼坊も一緒じゃ」
「そうか‥‥‥」
「早雲と会えば、越前守殿の言う通りになるじゃろう」
「早雲も越前守と同じ事を考えておると言うのか」
「ああ、今川家のために摂津守殿を捨てるじゃろうな」
「じゃろうのう‥‥‥」
「どうする」と定願坊は聞いた。
「うむ‥‥‥まだ、早いのう」
「いささか」と言って、定願坊は気味悪い笑みを浮かべた。
播磨守はゆっくりと頷いた。
「いっその事、早雲を消すか」と定願坊は言った。
「いや、それはまずい。消すのはいつでもできる。しばらくは早雲の動きを見張っていてくれ」
「うむ」
定願坊は消えた。
播磨守は一人、茶屋で考えていた。
今川家は二つに分かれ、阿部川を挟んで対峙しているが、戦をしようという者はいなかった。戦にならなくても、今の状況が続くだけでも播磨守にとっては有利だった。竜王丸派と小鹿派が結ぶのは具合が悪い。その二派が一つになれば、今川家が一つになるのと同じだった。まだ時期が早い。せめて、今年一杯は今の状況のままでいて欲しいと播磨守は願っていた。一年あれば、富士川以東を実力を以てまとめる事ができる。今、今川家が一つになってしまえば、せっかく手に入れた領地を返さなければならなくなる。何とかしなければならない。このまま放っておいたら、竜王丸派と小鹿派が一つになるのは時間の問題だった。
何とかしなければならない‥‥‥
しばらく、雨を眺めながら茶屋で冷めたお茶をすすっていた播磨守は一人、ニヤリと笑うと屋敷の方に戻って行った。
一方、お屋形様、小鹿新五郎と会っていた福島越前守は、ついさっき、北川殿で播磨守に言った事など、すっかり忘れたかのような変貌振りだった。
上段の間に眠そうな顔をして座っている新五郎の前に伺候すると、人払いをして、「お屋形様、播磨守殿には充分、御注意なさった方がよろしいですぞ」と言った。
「分かっておる。わしの目も節穴ではない。播磨が裏で何かをたくらんでいる事くらい気づいておるわ」
「はい。しかし、今回は容易ならざる事をたくらんでおりますぞ」
「何じゃ。勿体振らずに早く申せ」
「播磨守は竜王丸派と手を組もうとしております」
「何じゃと。竜王丸派と手を結ぶじゃと?」
「はい。播磨守は早雲とひそかに会っている模様ですな」
「播磨が早雲に?」
「配下の山伏を使って、ひそかに‥‥‥」
「播磨が竜王丸をお屋形にし、わしをお屋形の座から降ろすとたくらんでおると言うのか」
「今川家のためには、それしかないと‥‥‥」
「播磨め、裏切りおって‥‥‥何とかならんのか、せっかく、お屋形になれたというのに、ここから降りろと言うのか。わしは嫌じゃ」
「分かっております。そこで、お屋形様に相談したい議がございます」
「何かいい方法があるのか」
越前守は頷いた。「関東の力をお借りします」
「扇谷(オオギガヤツ)上杉家か」
「はい。扇谷上杉家に今川家の内紛を知らせれば、岩原(南足柄市)の大森寄栖庵(キセイアン)殿が来られる事でしょう。しかし、大森殿は葛山殿とは同じ一族です。大森殿が駿府に来れば、益々、播磨守の勢力が強くなると言えましょう。そこで、江戸城の太田備中守(ビッチュウノカミ)殿に来ていただきます」
「太田備中守にか」
「はい。備中守殿は関東で有名な武将です。備中守殿を仲裁役として今川家をまとめていただきます。勿論、お屋形様は新五郎殿としてまとめていただきます」
「備中守に頼むのか‥‥‥そう、うまく行けばいいがのう」
「備中守殿なら、うまくまとめてくれる事でしょう」
越前守は葛山播磨守には竜王丸派と手を結ぶと言ったが、本気で思っていたわけではない。最終的には、そうなるに違いないとは思っていても、播磨守同様、時期がまだ早いと思っていた。播磨守にその事を言えば、播磨守は絶対に邪魔をするだろうと睨み、牽制(ケンセイ)のつもりで言ったのだった。本気で竜王丸派と結ぶつもりなら、播磨守の力を借りなくても一人ででもできる。越前守の配下にも熊野の山伏がいて暗躍していた。早雲の居所など播磨守に頼まなくても捜し出す事は簡単だった。
どうして、駿河の国に紀伊(キイ)の国(和歌山県)の熊野の山伏がいるのかというと、当時、熊野の山伏は山の中だけでなく、海路も利用して各地の信者を集めていた。伊勢の五ケ所浦のように各地の要港には、必ず、熊野山伏の拠点があり、活動していた。当然、駿府の海の玄関口である江尻津にも熊野山伏はいて、支配者である越前守のために働いている者もいたのだった。
越前守は播磨守のように、今の時期を利用して領地を拡大しているわけではなかったが、別の所で稼いでいた。堀越公方の執事、上杉治部少輔が駿府に在陣して、すでに二ケ月が経ち、彼らの兵糧(ヒョウロウ)は伊豆の国から海路で江尻津(清水港)まで運ばれて来ていた。さらに、駿府屋形に集まっている兵たちの食糧も、各地から江尻津に入って来ている。江尻津を支配しているのは越前守だった。越前守は江尻津が各地からの船で賑わえば賑わう程、稼げるというわけだった。今川家が一つになってしまえば、上杉治部少輔は勿論の事、駿府屋形の兵たちも引き上げてしまう。後もう少し今の状況が続けば、伊豆の三島大社との取り引きの事もうまく行く。葛山播磨守と同様、越前守も今年一杯は、今の状況が続く事を願っていた。
3
越前守が帰った後、小鹿新五郎は離れの書院に戻った。
書院には渚(ナギサ)姫、千里(チサト)姫、桂(カツラ)姫、若菜(ワカナ)姫の四人の側室が首を長くして待っていた。
「お屋形様、いかがなさいました。浮かない顔をしてらっしゃいます」と千里姫が扇子を扇ぎながら言った。
部屋の中には高価な香が焚かれ、白粉(オシロイ)の匂いと混ざって妖艶(ヨウエン)さをなお一層、引き立てていた。
「何でもない」と新五郎は言うと料理の並んだお膳の前に腰を下ろした。
新五郎がお屋形様になって二ケ月が過ぎていた。二ケ月も過ぎたが、お屋形様らしい事は何もしていなかった。した事といえば、唯一、先代のお屋形様の葬儀の喪主になった事位だった。念願のお屋形様になれたら、あれをやろう、これをやろうと新五郎なりに色々と考えてはいたが、実際、お屋形様になっても、そんな事は一切できなかった。葛山播磨守と福島越前守の二人が何もかも決めてしまい、新五郎の出る幕はまったくなかった。
しかも、播磨守と越前守がもたもたしている隙に、竜王丸派は摂津守派と手を結び、竜王丸をお屋形様にし、摂津守を後見として、もう一つの今川家を作ってしまった。今川家が二つに分かれてしまったというのに、播磨守と越前守は何もしないでいる。新五郎が、戦を始めて、さっさと竜王丸派を倒せ、と命じても、二人は生返事をするばかりだった。
二人が言う事を聞かないのなら自分の力で何とかするしかないと、新五郎は手下の者を使って竜王丸を亡き者にしようとたくらんだが、すべて、失敗に終わっていた。竜王丸を殺すために送った刺客(シカク)は皆、戻っては来なかった。仕方なく、新五郎は浅間神社の山伏を使おうと思ったが、浅間神社は今川家の家督争いには拘(カカ)わりたくないと断って来た。
新五郎は成す術(スベ)もなく、毎日、酒と女に溺(オボ)れていた。政治的な事は何一つとして思うようにはならないが、酒と女に関しては不自由しなかった。播磨守も越前守も、その他の重臣たちも次々に綺麗な娘を新五郎のもとに届けて来た。屋敷内の常御殿には、彼らから送られて来た綺麗所が二十人近くも暮らしている。
新五郎は今年、三十歳の男盛りだった。家族は未だに小鹿の屋敷にいる。妻と三人の子供がいた。八歳になる長男の小五郎と五歳と二歳の女の子だった。このお屋形の屋敷に移ってから家族のもとには一度も帰っていなかった。
「お屋形様、さあ、どうぞ」と若菜姫が酒を注ごうとした。
「おう」と酒盃(サカズキ)を手にすると新五郎は注がれた酒を飲み干した。
「若菜、お前も飲め」と新五郎は酒盃を若菜姫に渡した。
「あい」と若菜姫は両手で酒盃を受けた。
若菜姫は興津美作守(オキツミマサカノカミ)から贈られて来た、ぽっちゃりとした二十歳の娘だった。控えめな性格だったが、情熱的で、着物がはち切れんばかりの肉体を誇っていた。新五郎が今、一番お気に入りの娘だった。
新五郎の右隣に座っている娘は渚姫といい、葛山播磨守から贈られた娘で、静かな雰囲気を持った別嬪(ベッピン)だった。若菜姫が来るまでは一番のお気に入りだったが、若菜姫の肉体に敗れて、二番になっていた。
若菜姫の隣は千里姫、福島越前守からの贈りもので、目のくりっと大きな娘で歌がうまかった。その隣は桂姫、庵原安房守からの贈りもので、小柄で可愛い娘だった。この四人の側室が、今の新五郎のお気に入りで、一日中、側から離さなかった。
無言のまま新五郎は四人の娘に酒盃を回すと、立ち上がって縁側に出て、広い庭を眺めた。
土砂降りは治まったが、雨は降り続いていた。
女たちは黙って新五郎の後姿を見つめていた。
「太田備中守か‥‥‥」と新五郎は呟(ツブヤ)いた。
備中守の噂は駿河にも聞こえていた。
扇谷(オオギガヤツ)上杉氏を支えているのは、家宰(カサイ、執事)である備中守の力だと言われている程の武将だった。ただ、戦に強いだけの武将ではない。足利学校で勉学に励み、和歌に堪能で、城の縄張りも巧みにこなすという文武両道の武将だった。その備中守を味方に付ければ、今川家を一つにまとめ、正式にお屋形様になれるかもしれない。備中守が後ろ盾になってくれれば、何とかなるような気がする。竜王丸派の朝比奈氏も三浦氏も岡部氏も、備中守の言う事なら聞くに違いない。ただ、扇谷上杉氏に応援を頼んだとして、備中守が、わざわざ、駿府まで来てくれるかどうかが問題だった。備中守ではなく、岩原の大森寄栖庵(キセイアン)が来たのでは葛山播磨守の思う壷となってしまう。何としてでも、備中守を呼ばなければならなかった。
「お屋形様、いかがなさいました」と桂姫が声を掛けた。
新五郎は返事をしなかった。
どうしたら、備中守を呼ぶ事ができるか‥‥‥
福島越前守に頼むか。
越前守の船で直接、備中守の江戸城まで行ってもらえば何とかなるのではないか‥‥‥もし、来てくれるとしても、江戸からここまで来るには時間が掛かる。兵を引き連れて来れば、かなりの時間が掛かるだろう。早いうちに江戸城に使いを送った方がいい。そう決めると新五郎は女たちには声も掛けず、主殿の方に向かった。大声で執事の名を呼ぶと、越前守をすぐに呼べと命じた。
一時程後、晴れ晴れとした顔をして、新五郎は書院に戻って来た。すでに、前のお膳は片付けられて、新しいお膳が並べられ、女たちも別の着物に着替えていた。
機嫌よく女たちを眺めると新五郎は床の間の前の上座に腰を下ろし、「喉が渇いた。酒じゃ」と酒盃を渚姫の前に差し出した。
「いい気分じゃ」と言うと新五郎は急に笑い出した。
女たちも新五郎の顔を見ながら、わけも分からず笑っていた。
「千里、一舞、舞ってくれ」
千里姫は笑いながら頷くと立ち上がり、次の間に行って扇を広げた。
〽忍ぶれど 色に出(イ)でにけり我が恋は~
色に出でにけり我が恋は~
千里姫は流行り歌を歌いながら、しとやかに舞った。
「最高じゃ」と新五郎は手をたたいて喜んだ。
「次は誰じゃ」
「あたし、踊りなんて駄目です」と若菜姫が手を振った。
「踊りじゃなくても構わんぞ」と新五郎は笑って若菜姫の懐に手を差し入れた。
「嫌ですわ、お屋形様」と若菜姫は言ったが、体を新五郎に擦り寄せていた。
「渚、次はそちじゃ」と新五郎は若菜姫の乳房を揉みながら言った。
「あたしも踊りはできません。お琴ならできますけど」
「おお、そちの琴が聞きたくなったわ」
「でも、お琴を取りにいかないと‥‥‥」
「なに、すぐに用意させるわ。いや、向こうに移って、皆で騒ごう。今宵は夜明けまで飲み明かそうぞ」
新五郎は四人の女を連れて常御殿の広間に移り、側室たち全員を呼び集めて、夜更けまで機嫌よく飲んで騒いだ。
新五郎にとって、まさに極楽だった。女たちは皆、新五郎の言いなりに酒に酔い、高価な着物を脱ぎ散らかし、あられもない姿で騒いでいる。この光景を誰かが見たら、もはや、今川家も終わりだと思うに違いなかった。
実際に、この光景を覗いている者がいた。
天井裏に忍び込んで、成り行きを見守っていた小太郎だった。
「情けない事じゃ」と小太郎は呟(ツブ)いた。
そして、しばらくして、「羨(ウラヤ)ましい事でもある」と言った。
しかし、竜王丸殿をあんなお屋形様には絶対にしてはならないと思った。
呆(アキ)れ果て、小太郎が引き上げようとした時、小太郎の他にも天井裏に忍び込んでいた者がいる事に気づいた。小太郎は手裏剣を手に持つと曲者(クセモノ)に近づいた。
相手も小太郎の事に気づき、刀の柄(ツカ)に手をやった。
「定願坊(ジョウガンボウ)か」と小太郎は小声で言った。
「風眼坊じゃな」と定願坊は言った。
「どう思う」と風眼坊は下を示しながら聞いた。
「年寄りには目の毒じゃ」
「まさしく」
「新五郎殿は播磨守殿の思いのままじゃ」
「うむ。播磨守はわしの命を狙っておるのか」
「いや」と定願坊は首を振った。
「そうか。それで、どうする」
「どうするとは」
「やるか」
「いや。わしらがやり合ったとしても、喜ぶのは下におられるお方だけじゃ」
「確かに」小太郎はそう言うと定願坊に背を向けた。
定願坊は攻撃を仕掛けて来なかった。
小太郎は誰もいない部屋に降りると御殿から出て、素早く土塁を乗り越え、屋敷から消えた。
残っていた定願坊は刀の柄から手を放すと、額の汗を拭った。
「できる‥‥‥」と呟くと、しばらく、小太郎のいた所を見つめていたが、やがて、身を伏せると下の光景を覗いた。
女たちは皆、酔っ払っていた。すでに、伸びている女たちもいた。中には女同士で体を撫で合っている者もいる。あちこちから嗚咽(オエツ)の声が聞こえて来る。新五郎は裸の女を三人抱えて大笑いしていた。
「たまらんわ」と言うと定願坊も屋根裏から消えた。
4
雨は毎日、降っていた。
お雪の吹く笛の音が朝比奈城下の天遊斎の屋敷から響いていた。
竜王丸と北川殿が駿府屋形から小河(コガワ)の長谷川法栄(ホウエイ)の屋敷に移り、さらに、天遊斎の屋敷に移ってから、すでに三ケ月が過ぎていた。
竜王丸派と摂津守派が一つになった時、北川殿は竜王丸を連れて摂津守の青木城に移った。しかし、それは一日だけだった。前線に近い青木城は危険だという事で、すぐに小河の法栄屋敷に戻ったが、北川殿が小河屋敷にいたという事が小鹿派の者たちにまで知れ渡り、危険が迫って来た。未だに竜王丸を亡き者にしようとたくらんでいる者がいるのだった。また、天野氏などは竜王丸を遠江にさらって、遠江に今川家を新しく作ろうと本気で考えている。早雲は北川殿母子を朝比奈川の上流の山の中にある朝比奈郷に隠す事にした。
朝比奈郷は古くから朝比奈氏の本拠地だった。鎌倉時代に祖先の左衛門尉(サエモンノジョウ)が朝比奈郷の地頭職(ジトウシキ)に就いて朝比奈姓を称し、今川家が駿河の守護職(シュゴシキ)になった早い時期に被官となり、以後、代々今川家の重臣の地位に就いていた。
天遊斎は家督を嫡男(チャクナン)に譲って隠居していたが、嫡男の肥後守(ヒゴノカミ)がお屋形様、義忠と共に戦死してしまったため、のんびり隠居などしている場合ではなくなっていた。家督は三男の左京亮(サキョウノスケ)という事に決まったが、左京亮はまだ二十歳で、独り立ちするには少々無理があった。しばらくの間は天遊斎が補佐しなければならなかった。
朝比奈郷に移った北川殿は天遊斎の隠居屋敷に入った。天遊斎の隠居屋敷は朝比奈屋敷の北東の隅にあり、本屋敷と同様に濠と土塁に囲まれていた。北川殿を迎える事となって天遊斎は本屋敷の方に移り、北川殿母子は駿府屋形の北川殿にいた時のように、北川衆に守られて暮らしていた。
隠居屋敷は本屋敷に隣接していたが、濠と土塁で隔てられて完全に独立していた。敷地内には天遊斎が客と会う時に使う表屋敷、普段、寝起きしている奥屋敷と広い台所を中心に、湯殿(ユドノ)、廐(ウマヤ)、侍(サムライ)部屋、蔵などが建っていた。
北川殿母子は二間ある奥屋敷に入り、侍女と仲居たちは表屋敷に入った。侍女の中には春雨とお雪の二人もいて、竜王丸の遊び相手として寅之助も一緒に来ていた。北川衆は以前のごとく交替で屋敷の門番に当たった。北川衆の中には家族と共に移って来ている者もいて、近くに家を借りて通っていた。
ここでも、小河屋敷にいた時と同じように北川殿は身分を隠し、京から下向して来た公家の母子という事になっていたため、あまり縛られる事もなく、のんびりと暮らす事ができた。かつての北川衆や侍女や仲居たちに囲まれて暮らしていても、以前のように出掛ける時は、どんな近くでも牛車(ギッシャ)に乗るという事もなく、自分の足でどこにでも行けた。どこにでもと言っても、あまり遠くまでは行けなかったが、朝比奈屋敷の回りの城下町や草原や田畑などを子供たちと一緒に散歩するのは楽しかった。草花を自分の手で摘んだり、蝶やトンボを追いかけたり、今まで想像するだけで、できるわけないと諦めていた事が、駿府を出てからは可能となっていた。お屋形様の突然の死は悲しかったが、別の生き方というものを味わえたのは、北川殿にとって充分な慰めになっていた。
梅雨となり、毎日、雨降りの日が続いていても、北川殿にとっては傘を差して雨の中を散歩するのも楽しみの一つだった。そんなある日、久し振りに早雲が孫雲と才雲を連れてやって来た。石脇の早雲庵から朝比奈城下までの距離は三里程だった。一時もあれば、すぐに来られる距離だった。
北川殿はお雪と長門(ナガト)の二人を連れて、小雨の中を傘を差して散歩に出掛ける所だった。三人の後ろには北川衆の清水と久保の二人が少し離れて見守っている。
北川殿は隠居屋敷の門を出ると大通りを南に向かい、朝比奈屋敷の門の前を通り過ぎた頃、正面からやって来る早雲たちと出会った。北川殿は早雲の姿を見ると嬉しそうに手を振った。早雲も元気そうな妹の姿を見ながら手を振り返した。駿府屋形にいた頃に比べて、最近の北川殿は心から嬉しそうに笑っていた。早雲に手を振っている今の北川殿の笑顔も、うっとおしい梅雨空とは関係なく、ほんとに楽しそうだった。
北川殿は早雲を伴って朝比奈川の河原に向かった。いつもの散歩の道だった。
朝比奈氏の本拠地である朝比奈城は北、西、南の三方を朝比奈川に囲まれた山の上にあった。城下は朝比奈城の南麓にあり、西側を北から南へ、南側を西から東へと朝比奈川が曲がって流れ、東側は野田沢川が北から南に流れ、朝比奈川と合流していた。三方を川、残る北側に城のある山に囲まれた一画が朝比奈氏の城下だった。
朝比奈屋敷と朝比奈氏の菩提寺を中心に東側に武家屋敷が並び、広い弓場や馬場があり、西側は商人や職人たちの住む町となっていた。朝比奈川の河原には二つの市場があって、市の立つ日は賑やかだった。しかし、駿府とは比べものにならない程、ささやかな城下だった。城下内には田畑や草原もかなりあり、のどかな雰囲気だった。
北川殿がよく来る河原は西側の河原で、人影もなく静かな所だった。草花が豊富にあって、向こう岸にはずっと山々が連なっていた。
北川殿は着物が濡れるのも構わず、早雲と一緒に河原の濡れた草木の中に入って行った。仕方なく、お雪は後を追ったが、後の者たちは道端から北川殿たちを見守っていた。
「兄上様、今川家はどうなって行くのでしょう」と北川殿は突然、聞いた。
「大丈夫です」と早雲は言ったが、妹の顔を見てはいなかった。
「兄上様、わたし、竜王丸の母として何かをしなければならないんじゃないかって、最近、思うようになりました。わたし、自分では何もできないと諦めておりました。兄上様や長谷川殿、朝比奈殿など重臣の方々に頼らなければ、生きて行けないと思っておりました。でも、最近、わたしにも何か、できるんじゃないかって思うようになりました。今まで、わたしは何かをする前に、もう諦めておりました。自分の意志で何かをしようと思った事なんてありませんでした。でも、そんなわたしでも、何かをやろうと思えば、できるんじゃないかって思うようになりました‥‥‥」
早雲は北川殿の横顔を見た。お屋形様が亡くなられてから強くなられたものだと思った。お屋形様が生きている頃は、他所から嫁いで来た嫁という感じだったが、今の北川殿は完全に今川家の一族の一人として今川家の事を思っていた。竜王丸の母親として立派に生きて行こうとしていた。
「お強くなられましたな」と早雲は言った。
「いいえ、少しも‥‥‥兄上様、兄上様は弓の名手だと聞いております。わたしに是非とも弓を教えて下さい」
「えっ!」と早雲は驚いて妹を見た。まさか、そんな事を言って来るとは思ってもいなかった。
「北川殿が弓術を習いたいと」と早雲は聞き返した。
北川殿は恥ずかしそうに頷いた。「わたし、駿府のお屋敷が襲撃された時、自分の無力さが身にしみました。春雨様やお雪様は自分を守る術(スベ)を知っております。同じ、女の身でありながら、わたしは自分を守る事もできません。お屋形様のお亡くなりになってしまった今、わたしは竜王丸たちを守らなければなりません。そして、今川家も‥‥‥今のわたしに今川家を守るなんて、大それた事は言えません。せめて、何かが起こった時のために、子供たちだけは守ってやりたいと思っております。お願いです。わたしに弓術を教えて下さい」
「それは構いませんが‥‥‥」と早雲は答えた。
「兄上様、ほんとですのね」と北川殿は嬉しそうに笑った。「教えて下さるのね」
早雲は妹を見ながら頷いた。「弓術は身を守るだけでなく、心を落ち着けるのにも役に立ちます。北川殿が、どうしてもとおっしゃるのなら、お教え致しましょう」
「まあ、嬉しい。わたし、今、お雪様より小太刀(コダチ)も教わっているんですよ」
「ほう、お雪殿から小太刀を‥‥‥そうでしたか」
北川殿は本気で身を守る術を習おうとしていた。まるで、別人を見ているかのような思いで早雲は妹を見ていた。
朝比奈屋敷に戻ると、早雲はさっそく弓場(ユバ)に交渉に出掛けたが、女は立ち入り禁止だと断られた。北川殿の名を出せば何とかなるとは思うが、これから先の事を考えると、弓場を使わせてもらうために正体をばらすのはまずかった。早雲はさっき北川殿と行った河原に出掛けた。仕方ないので、ここを弓場にしようと思った。ここは人影がないので、北川殿の弓術の稽古には丁度、具合がいいと言えた。ただ、雨の降り続く梅雨のうちは無理だった。梅雨が上がったら、ここに的を作って北川殿に教えようと思った。
その日の晩、早雲たちは天遊斎の本屋敷に招待された。北川殿も招待され、天遊斎の三男、左京亮と共に軽く酒を飲み、食事を御馳走になった。
食事も済み、北川殿と左京亮の帰った後、早雲は客間で天遊斎と二人きりで会っていた。
「天遊斎殿、太田備中守殿をどう思います」と早雲は天遊斎の点(タ)てた薄茶を飲みながら聞いた。
「どうとは」と天遊斎は突然の質問に驚いたようだった。
「小鹿新五郎殿は、どうやら、備中守殿を後ろ盾として駿府に呼ぶ模様です」
「何じゃと。新五郎殿が太田備中守殿を‥‥‥とうとう、関東の助けを借りるのか」
「らしいですねえ」と早雲は他人事のように言った。
「そうか‥‥‥備中守殿か‥‥‥備中守殿が小鹿派に付いたら竜王丸殿にとっては難しい事になりそうじゃ」
「やはり、そうですか‥‥‥」
「しかし、備中守殿は公平な目を持っているとの噂じゃ。もしかしたら、公平に裁いてくれるかもしれん」
「公平な目、ですか‥‥‥天遊斎殿は備中守殿に会った事はございますか」
「いや」と天遊斎は首を振った。「会った事はないが」
「そうですか。わたしは一度だけ、会った事がございます。会ったと言っても、お互いに名乗ったわけではなく、一言、二言、言葉を交わしただけでしたが、わたしは、あの時の武将は備中守殿だと確信を持っております。確かに、天遊斎殿のおっしゃる通りに、公平なお人のようにお見受けしました」
「そうじゃろう。備中守殿は噂通りの立派なお方に違いない。備中守殿が、この地に来る事となれば、小鹿派では大歓迎する事じゃろう。備中守殿が小鹿派の言いなりになるとは思わんが、我らとしても言い分だけは聞いてもらわん事にはのう」
「何とかして話し合いの場を持ちたいですね」
「うむ、頼むぞ。こういう場合、自由に動き回れる早雲殿が唯一の頼みじゃ」
「はい。やるだけの事はやってみますが、新五郎殿とは別に、葛山播磨守殿も扇谷(オオギガヤツ)上杉氏に誘いを掛けております。播磨守殿は備中守殿ではなくて、岩原城の大森寄栖庵(キセイアン)殿とかいうお方を駿府に呼ぶ事をたくらんでおるようです」
「大森寄栖庵殿を呼ぶのか」
「そのようです。その寄栖庵殿というお方はどんな人なのです」
「扇谷上杉家の重臣じゃ。太田備中守殿が有名になり過ぎて、隠れた存在となっておるが、なかなかの武将のようじゃのう。ただ、葛山氏とは同族じゃ。駿府に来たとしても、備中守殿のように公平に物を見るという事は期待できそうもないのう」
「そうですか‥‥‥どっちが来るかによって、こちらの出方も変わって来ますね」
「そうじゃのう。寄栖庵殿が来られたら、余計、面倒な事になりそうじゃ。備中守殿が来る事を願うしかない」
「こちらからも備中守殿に誘いを掛けたらどうです」と早雲は言った。
「いや、それはまずい。両方から関東に助けを求めたら、今川家の威信に拘わる事になる。助けを求めたのは小鹿派で、竜王丸派は他所の助けを借りなくても自力で解決する事ができると思わせておかなければならん。関東に借りを作ると竜王丸殿がお屋形様になった時、面倒な事に巻き込まれる可能性が出て来るじゃろう。借りを作るにしても、なるべく、小さい方がいい」
「成程、そうですね。相手の出方を見て対処して行った方がいいですね」
早雲は天遊斎から、今までの今川家の事を色々と聞き、夜遅くまで語り合っていた。
13.太田備中守1
1
梅雨が終わり、暑い日が続いていた。
今川家は二つに分かれたまま、阿部川を挟んでの睨み合いが続いている。
今年の梅雨は例年に比べて雨量が多く、阿部川は倍以上の幅になって勢いよく流れていた。そんな阿部川を初めて見る小太郎は勿論の事、四年目になる早雲でさえ驚いていた。何度も川止めがあり、浅間神社に参拝に来た旅人たちは阿部川を挟んで立ち往生している。藁科川と阿部川の間に陣を敷いている主戦派の福島土佐守や岡部五郎兵衛も今年の阿部川の水量には驚き、戦どころではなかった。両方の川の水嵩(カサ)が増して、前にも後にも動けず、孤立してしまう事もあった。
梅雨も終わって、ようやく水嵩も減っては来たが、流れる位置が変わっていた。小鹿派が陣を敷いている二本の阿部川の間は広くなり、下流の方では二本の流れは近づいていた。藁科川も幾分、東の方に流れを変えていた。
両天野氏が竜王丸派に付かざる得ない状況となって、東遠江もようやく落ち着き、遠江勢の重臣たちも駿府に戻って来ていた。兵力から言えば竜王丸派が圧倒的に有利になっていても、戦を始めるわけにも行かず、かといって話し合いで解決する事もならず、膠着状態が続いたままだった。今の状況を変えるには何かが起こらなければ無理と言える。たとえば、外部の敵が駿河の国に攻めて来れば、今川家は一つにまとまる事も考えられるが、今川家を倒して駿河を乗っ取ろうとたくらむ程の有力な大名は回りにはいなかった。
残るは、小鹿派が助っ人に頼んだ相模の国の守護、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏が誰を駿河によこすかだった。そして、その人物がどう出るかによって、今後の展開は変わって行くだろう。
六月二十七日、ついに、扇谷上杉氏の軍勢が駿府にやって来た。
三百騎余りの軍勢を率いていたのは、扇谷上杉氏の家宰(執事)である太田備中守資長(ビッチュウノカミスケナガ)だった。扇谷上杉勢は駿府屋形には入らずに駿府屋形の南十五町(約一、六キロ)程の所にある八幡山の西山麓に陣を敷いた。駿府屋形と八幡山との間には鎌倉街道が東西に走り、阿部川の支流が三本流れていた。また、竜王丸派の本陣である青木城とは一里程の距離があり、間には二本の阿部川と藁科川が流れていた。
太田備中守が八幡山に陣を敷くと、待っていたかのように小鹿派の福島越前守が挨拶にやって来た。越前守は備中守を駿府屋形に迎えようとしたが、備中守は疲れたからと言って断った。越前守は八幡山の山中にある八幡神社内の宿坊(シュクボウ)を本陣に使うように勧めた。備中守はその申し出は喜んで受け、本陣を八幡神社に移した。
越前守は宿坊の客間にて備中守に今の状況を詳しく説明して、力になって欲しいと頼むと日暮れ前に帰って行った。越前守が帰った後には、越前守が差し入た数々の贈り物が山のように残った。その品々の中には関東ではなかなか見られない唐物(カラモノ)の陶器類もあった。さすが、今川家だと備中守は感心しながら青磁(セイジ)の湯飲みを手にしていた。
備中守と越前守が話し合っている頃、石脇の早雲庵に、小太郎が備中守が来た事を伝えに来た。早雲はその事を小太郎から聞くと、「そうか‥‥‥太田備中守殿が来られたか」と大きく頷いた。
「三百騎程引き連れて八幡山に陣を敷いている」と小太郎は言った。
「八幡山にか‥‥‥駿府屋形には入らなかったんじゃな」と早雲き聞いた。
小太郎は頷いた。「しかし、分からんぞ。さっそく、福島越前守が出迎えに出掛けた。そのうち、お屋形の方に移るかもしれん」
「そうか、越前守が動いたか‥‥‥」
小太郎は浅間神社の門前町の家を出た後、早雲庵を本拠地として駿府屋形を探っていたが、距離があり過ぎて不便なので、駿府の城下のはずれにある木賃宿に薬売りの商人として泊まっていた。北川殿がお屋形から出た今となっては、山伏、風眼坊に戻る必要はなくなり、返って山伏姿でいれば、風眼坊を捜している葛山播磨守に見つかる危険もあった。小太郎は近江から来た商人に扮して、三浦次郎左衛門尉より貰った過書を利用して、お屋形内を自由に行き来していた。
「備中守殿が八幡山にいる内に会っておきたいものじゃな」と早雲は言った。
「おぬしが一度、会ったとかいう武将が備中守だといいんじゃがな」
「なに、こっちが覚えておっても向こうは覚えてはおるまい」
「栄意坊を連れて来れば良かったのう」と小太郎が、ふいに言った。
「栄意坊?」と早雲は怪訝(ケゲン)な顔をして小太郎を見た。どうして、ここに栄意坊が出て来るのか、早雲には理解できなかった。
「やっと思い出したんじゃよ。太田備中守という名、どこかで聞いた事あったんじゃが、よう思い出せなかったんじゃ。それが、備中守が江戸城から来たと聞いて、ようやく思い出したわ。栄意坊の奴、江戸城に三年近くも居候(イソウロウ)しておった事があったんじゃよ」
「何じゃと‥‥‥そいつは本当なのか」
「ああ。もう、十年以上も前の事じゃ」
「備中守にも会っておるのか」
「備中守の客人として江戸城におったそうじゃ」
「ほう。栄意坊がのう‥‥‥」
「詳しくは知らんのじゃが、栄意坊の奴、飯道山を下りて関東に旅に出て、女子(オナゴ)に惚れたらしい。その女子と共に暮らし始めたが、子供を産んだ時、女子も子供も共に死んでしまい、栄意坊は死ぬつもりになって戦に出たんじゃ。どういういきさつで備中守と出会ったのか知らんが、意気投合して江戸城に迎えられて、三年近く、備中守の客人として戦に出ておったらしいのう」
「ほう。そんな事があったのか‥‥‥」
「しかし、栄意坊がおらんのではどうしようもないのう」
「いや。本人がおらなくとも備中守と共通の知人がおるというのは大分、有利じゃ」
「まあな。今の状況では、おぬしも竜王丸殿の伯父という立場では備中守に会いに行けまい」
「越前守の兵もおる事じゃろうしな。備中守が会うと言っても越前守は許すまいのう」
「そこで、栄意坊の名を出して、以前、栄意坊が世話になったお礼を言うというのを口実に、山伏として備中守に会うというのはどうじゃ」
「わしも山伏になるのか」
「そういう事じゃのう」
「うむ」と早雲は頷いた。「そうするかのう。とにかく、一度、会っておけば、この先、有利となる事は確かじゃ」
「さっそく、今晩、出掛けるか」と小太郎は聞いた。
「今晩か‥‥‥栄意坊のお礼を言うのに、夜、訪ねるというのも変な話じゃ。怪しまれて断られれば、二度とその手は使えなくなる。明日の方がいいんじゃないかのう」
「そうじゃな。最初が肝心じゃ。焦(アセ)る事もないわな」
「ああ。明日の朝にしよう」
「ところで、富嶽たちがおらんようじゃが、どこかに行ったのか」と小太郎は聞いた。
「富嶽と多米、荒木の三人は朝比奈城じゃ」
「北川殿の警固か」
「いや、警固というより北川殿の武術指導じゃ」
「北川殿の武術指導? 竜王丸殿じゃろう」
「いや、北川殿じゃ。北川殿は今、武術に凝っておられるのじゃ」
「北川殿がか‥‥‥信じられん」
「わしも信じられんわ。あれ程、武術に熱中するとはのう」
早雲は北川殿に弓術(キュウジュツ)を教えてくれと頼まれた。北川殿は梅雨が上がるのを毎日、首を長くして待っていた。梅雨が上がると早雲は朝比奈城に向かい、北川殿に弓術を教えた。二日間、早雲は付きっきりで北川殿に弓術を教えたが、早雲もずっと朝比奈城にいるわけにもいかない。そこで、早雲の代わりに富嶽が教える事となった。富嶽も元は幕府に仕えていた武士で、弓術を得意としていた。その事は早雲も知らなかったが、早雲が困っているのを見て富嶽から言い出した事だった。そして、弓術なら、わしだって教えられると多米と荒木も付いて行ったと言う
「ほう。富嶽が弓術をのう。かなりの腕なのか」
「昨日、才雲が様子を見に行ったが、百発百中だと言う。多米や荒木など問題にならん程の腕らしい」
「人は見かけによらんもんじゃのう。富嶽が弓術の名人だったとはのう」
「ああ。頼もしい奴じゃ」
「富嶽が北川殿に弓術を教えておるのなら、多米と荒木の二人は何しておるんじゃ。あんな山の中に、あの二人がよくおられるもんじゃのう」
「山の中には違いないが、古くからの朝比奈殿の本拠地じゃ。城下には市も立つし、ちょっとした盛り場もある。博奕も打てるし、女も抱ける。ここにいるよりは羽根を伸ばせるんじゃう」
「成程な」と小太郎は笑った。「ここにおったんでは大っぴらに遊びにも行けんからのう。理由はどうであれ、しばらく、ここから出て遊びたかったという事か‥‥‥」
「そういう事じゃ。あの二人も奴らなりによくやってくれたからのう。今の所はここにおってもする事はないし、北川殿を守ってくれと一緒に行かせたんじゃ」
「山賊どもは何しておるんじゃ」
「毎日、泥だらけになって働いておるよ。奴らも変わったもんじゃ」
「何をやっておるんじゃ」
「梅雨時に川が氾濫(ハンラン)してのう。田畑が大分、やられてしまったんじゃ。家を流された者もおってのう。毎日、村人たちのために真っ黒になって働いておるんじゃ」
「ほう。奴らがのう。あの在竹(アリタケ)もか」
「ああ。奴が先頭になってやっておるわ。最近は皆、顔付きまで変わって来ておる。奴らがここに来てから、なぜか、ここに子供らが集まって来るんじゃ」
「奴らはガキの面倒も見ておるのか」
「ああ。祐筆(ユウヒツ)と呼ばれておる吉岡は、子供たちを集めて読み書きを教えておるらしいの」
「ただでか」
「無論じゃ」
「山賊がガキどもに読み書きを教えておるのか‥‥‥変われば変わるものよのう」
「まったくじゃ‥‥‥話は変わるが、小太郎、お雪殿がおぬしに会いたがっておったぞ。たまには、会いに行った方がいいぞ」
「わしも会いたいわい。しかし、北川殿の事を思うと、そうはしてられまい。早いうちに、竜王丸殿をお屋形様にして駿府屋形に戻って貰わなくてはのう」
「そうじゃのう‥‥‥まずは、何としてでも備中守殿を味方に付けなくてはならん」
日が暮れる頃、在竹率いる山賊らが汗と泥で真っ黒になって、どやどやと帰って来た。
早雲庵は急に騒がしくなった。
山賊たちが村人たちのために働くようになってから、頼んだわけではないのに、村の娘たちが早雲庵の飯の支度をしに来てくれていた。春雨とお雪がいなくなってから女気のなかった早雲庵も、村娘たちのお陰で、何となく華やいだ雰囲気となっていた。
小太郎も村娘たちの作ってくれた夕飯を御馳走になり、今晩はここに泊まる事となった。
日が暮れても、暑さは弱まらなかった。
縁側に出て、うちわを扇ぎながら、早雲と小太郎は酒をちびちびと飲んでいた。
山賊たちも仕事の後の酒を飲んでいるらしく、山の南側から賑やかな声が聞こえて来ていた。村娘たちもまだ、いるらしい。時折、甲高い笑い声が聞こえて来た。
そんな晩、珍しい客がやって来た。
一人の僧侶と見るからに浪人と分かる三人の武士だった。
僧侶は茶人の伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)だった。去年の九月に関東に旅立ち、ようやく帰って来たのだった。長い旅を続けていたわりには頭も綺麗に剃ってあり、着ている墨染めの衣も汚れてはいなかった。そして、連れの武士たちが何となく不釣合いだった。
「やあ、お久し振りです。暑いですな」と銭泡は笑いながら早雲たちに頭を下げた。
「銭泡殿‥‥‥一体、どこにおられておったのです」と早雲は驚いた顔をして銭泡を迎えた。
「はい。色々とありまして」と銭泡は笑った。「しかし、ここも随分と変わりましたなあ」
「ええ。住人が増えましたので‥‥‥」と早雲は銭泡の後ろにいる浪人を見た。
三人の浪人の内の一人に見覚えがあった。
早雲が頭を下げると、その浪人も頭を下げた。
信じられない事だったが、その浪人は太田備中守、その人に間違いなかった。着ているものは粗末な単衣(ヒトエ)でも、まさしく、備中守に違いなかった。
「失礼ですが、太田備中守殿では」と早雲は浪人に声を掛けた。
浪人は頷くと、「早雲殿ですな。お噂は伏見屋殿から伺っております」と言った。
小太郎は、備中守がここにいる事が信じられない事のように状況を見守っていた。
「お二人はお知り合いでしたか」と銭泡は二人を見比べていた。
「いえ。知り合いと言える程ではありません」と早雲は言った。
「一度、お会いしましたな」と備中守は言った。
「覚えておいででしたか」
「確か、早雲殿は鹿島、香取に向かわれている時じゃった」
「はい。もう二年前の事です」
「伏見屋殿から早雲殿のお噂を聞き、もしや、あの時の御坊が早雲殿ではないか、と思っておったが、やはり、そうであったか」と備中守は笑った。
「不思議な事もあるものですね」と銭泡は早雲と備中守の顔を見比べた。
「たった一度しか会った事がないのに、しかも、お互いに名乗りもせずに、お二人とも、その時の事を覚えておられるとは、まったく、不思議な事じゃ」
「縁というものかもしれんのう」と備中守は言った。
「はい」と早雲は頷いた。そして、銭泡を見て、「しかし、驚きですな。銭泡殿が備中守殿を御存じだったとは」と言った。
「いえ、わしらも京で一度会っただけなんです」と銭泡は笑った。
「そうでしたか‥‥‥」
早雲は四人を庵の中に迎え入れ、孫雲と才雲の二人に簡単な酒の用意をさせた。
「それにしても、銭泡殿、よく、ここまで来られましたね。途中、大勢の軍勢が陣を敷いておられたでしょう」
「はい、驚きました。阿部川を挟んで、河原には武装した兵で埋まっておりました。運がよかったのです。阿部川を渡った所で、斎藤加賀守殿と出会いました。早雲庵に帰るところだというと、途中まで兵を付けてくれました」
「加賀守殿と出会いましたか、それは運がよかったですね」
「はい。備中守殿には早雲庵に居候しておる浪人者に扮していただきました」
「これは、わざわざ、どうも」
「いや。伏見屋殿よりお噂を聞き、ぜひ、お会いしたいと思っておりましたので、こうして付いて来たわけです。突然、お訪ねして申し訳ない」
「いえいえ、わたしらも明日、備中守殿にお訪ねしようと思っておったところです」
「そうでしたか」
「ところで、備中守殿は栄意坊を御存じとか」と早雲は聞いた。
「栄意坊‥‥‥懐かしいのう」と備中守は目を細めて言った。「いい奴じゃった‥‥‥今頃、どうしておる事やら‥‥‥早雲殿は栄意坊を御存じなのですか」
「はい。共に飯道山で修行した事もございました」
「飯道山か‥‥‥栄意坊から、その話はよく聞いたものじゃ」
「その飯道山の四天王の一人がここにおります」と早雲は小太郎を備中守に紹介した。
「風眼坊‥‥‥うむ、確かにその名は聞いた事ある。ほう、そなたが四天王の一人か‥‥‥懐かしいのう。それで、今、栄意坊はどこにおるんです」
「飯道山におります。飯道山で若い者たちに槍術を教えております」
「そうか‥‥‥まさか、早雲殿の口から栄意坊の名が出るとは夢にも思わなかったわ。世の中、広いようで狭いものよのう」
「まことに‥‥‥銭泡殿と備中守殿がお知り合いだったというのも以外な事です。しかも、こんな時に備中守殿と一緒に銭泡殿が帰って来るとは‥‥‥まったく、不思議じゃのう」
「わたしが村田珠光(ジュコウ)殿に弟子入りしたばかりの頃、備中守殿が京に参りました」と銭泡が言った。「わたしは弟子になったばかりで、備中守殿と同席などできませんでしたが、珠光殿の後ろに付いて歩いておりました、わたしの事を備中守殿は覚えておいででした」
「そうでしたか、珠光殿のもとでお会いしておられたのですか」
「はい。わしも珠光殿から茶の湯を教わりたかったのですが、時がありませんでした。今回、伏見屋殿が江戸に来てくれましたので、珠光殿の茶の湯を教わる事ができました。長年の念願が適(カナ)ったというわけです。ほんとに喜ばしい事です」
「そうでしたか‥‥‥」
「ところで、早雲殿、とんだ事になりましたなあ。おおよその事は福島越前守殿より伺いましたが、早雲殿のお考えをお聞きしたいのですが‥‥‥」
備中守は以外にも単刀直入に聞いて来た。早雲にとっても、その方が話し易かった。
「結論から申しましょう。わたしの願う所は、竜王丸殿をお屋形様にし、小鹿新五郎殿を後見とする事です」
「成程。竜王丸殿に小鹿新五郎殿か‥‥‥中原摂津守殿はいかがなさるおつもりじゃな」
「諦めていただくよりありません」
「今更、諦めるじゃろうかのう」
「今川家のためにも、諦めていただくより他に道はありません」
「うむ‥‥‥」と備中守は早雲の顔を見つめた。早雲の心の中まで探っているような目付きだった。
「備中守殿、備中守殿のお考えもお教え願いたいのですが」と早雲は聞いた。
「わしの考えのう‥‥‥わしの考えというよりは、上杉氏の考えとしては、今川家が元のように一つになってくれれば、それが一番いいと思っておるんじゃ。関東も今、利根川を境に東西に分かれて争いが続いておる。古河公方(コガクボウ)と関東管領(カントウカンレイ)の争いじゃ。関東を一つにまとめるには、是非とも今川家の力が必要なんじゃよ。関東にとっても、幕府にとっても、今川家には駿河の国をしっかりと守っていて貰わなくてはならんのじゃ」
「その事を聞いて安心致しました。備中守殿にお願いがございます。小鹿派の重臣たちを説得して頂きたいのですが‥‥‥わたしは竜王丸派の重臣たちを説得致します」
「竜王丸殿をお屋形様に、小鹿新五郎殿を後見という事でじゃな」
「はい。今の今川家を一つにするには、それしか方法はないようです」
「うむ」と備中守は頷き、しばらくしてから、「やってみましょう」と言った。
「ありがとうございます」と早雲は頭を下げた。「ただ、備中守殿がわたしに会ったという事は内緒にしておいた方がいいように思います。小鹿派の重臣たちも備中守殿のおっしゃる事なら聞くかもしれませんが、わたしが絡(カラ)んでいる事を知ると反発して来るでしょうから」
「分かりました。わしが早雲殿と初めて会うのは、今川家が一つになる時という事ですな」
「はい。そう願いたいものです」
その後、小太郎より小鹿派の重臣たちのたくらみや、暗躍している山伏の事などを備中守に知らせた。
難しい話が終わると、銭泡の旅の事や備中守の江戸城の事や茶の湯、連歌の事など夜更けまで話し続け、夜明け前、備中守は銭泡と一緒に、小河湊から長谷川法栄の船に乗って阿部川の向う側に帰って行った。
伏見屋銭泡が太田備中守を連れて早雲庵に訪ねて来るとは、早雲も小太郎も考えてもみない事だった。世の中、思ってもいない事が起こるものだと、二人は備中守と銭泡を送り出すと不思議がった。
銭泡は去年の九月、早雲と富嶽が京に向かった後、早雲庵を後にして関東に旅立った。駿河に滞在している時は、早雲と一緒にお屋形様を初め重臣たちの屋敷に招待されて、茶の湯の指導に当たっていた。重臣たちからは多額の礼銭を貰っていたが、困っている人たちのために使ってくれと早雲庵の留守を守っていた春雨に渡し、来た時と同じく無一文に粗末な衣だけを身に付けて関東に向かって行った。春雨には、年末には帰って来ると言って出て行ったが、結局、昨日まで何の連絡もなく、突然、物凄い土産(ミヤゲ)を持って帰って来たのだった。
銭泡は箱根を越え、関東に入ると相模の国(神奈川県)を抜けて武蔵(ムサシ)の国(東京都と埼玉県)に入り、武蔵の国を北上した。特に行く当てはなかった。その日その日の気分で足の向くまま、気の向くままに旅を続けた。
初めて見る関東の地は広かった。見渡す限り草原が続いている。歩いても歩いても人家が見つからない事が何度もあった。それでも、村人たちは親切で、遠くから来た旅の僧を充分に持て成してくれた。
月日の経つのは早かった。
武蔵の国を抜け、下総(シモウサ)の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取神宮を参拝し、まるで、琵琶湖のような霞ケ浦を渡って、常陸(ヒタチ)の国(茨城県北東部)の鹿島神宮を参拝し、常陸の国を北上して下野(シモツケ)の国(栃木県)に入り、下野の国から上野(コウヅケ)の国(群馬県)を回って武蔵の国に戻って来た。
途中、戦の場面にも遭遇したが、京での戦を経験している銭泡の目には、何となく、戦ものんびりしているように思えた。土地が広いため騎馬武者中心の戦で、河原とか広い草原で行なわれるため、村々が戦の被害に会う事は稀(マレ)で、京の戦のように女子供が悲鳴を上げて逃げ回っているという場面はあまり目にしなかった。また、足軽などという荒くれ者たちも、まだ、いなかった。
年の暮れ近く、武蔵の国を南下して、そのまま駿河の国に帰るつもりだったが、銭泡は腹をこわしてしまった。軽い食当たりだろうと歩き続けたが下痢が続いて体中の力が抜け、とうとう道端に倒れ込んでしまった。
これで、わしも終わりか‥‥‥
それもいいじゃろう‥‥‥
やりたい事はやって来た。そろそろ家族の待つ冥土とやらに旅立つか‥‥‥
銭泡は覚悟を決めて目を閉じた。
悪運が強いのか、銭泡は助けられた。
銭泡を助けたのは越生(オゴセ)に隠居していた太田備中守の父親、太田道真(ドウシン)だった。太田道真は越生の龍穏寺(リュウオンジ)の側に自得軒(ジトクケン)という隠居所を建て、頭を丸めて隠棲していた。すでに六十歳を越えた老人だった。
銭泡は自得軒の客間で目を覚まし、初めて道真を見た時、どこかの僧に助けられたと思って思わず合掌をした。しかし、道真は僧ではなかった。
道真の住んでいる隠居所は武家屋敷の作りで、家来も大勢いて、道真は若い側室と一緒に風雅に暮らしていた。隠居する前はかなり有力な武士だったに違いないとは思ったが、その正体は分からなかった。
銭泡が道真の正体を知ったのは正月の事だった。ひっそりとしていた自得軒が、年が明けると様々な人が挨拶に訪れて来た。そのほとんどが立派な身なりをした武士だった。武士たちの話から道真と名乗る老人が、元、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の執事で、歌人としても有名な太田左衛門大夫(サエモンダユウ)だったという事を知った。道真が河越城にて、連歌師の宗祇(ソウギ)と心敬(シンケイ)を招いて、『河越千句』の連歌会を催したという事は銭泡も噂に聞いて知っていた。
太田道真ともあろう人が、ただの乞食坊主である自分を助けて充分に持て成してくれた事に銭泡は心から感謝し、道真のために訪ねて来た客たちに茶の湯で持て成す事にした。
銭泡の茶の湯の手捌(テサバ)きは見ている者たちをうっとりさせる程、見事な腕だった。
関東でも名のある武将たちは皆、村田珠光の名を知っていて、茶の湯を嗜(タシナ)んでいた。しかし、今まで本物の佗(ワ)び茶を目にした事はない。道真にしても京から旅をして来た文化人たちから珠光の噂を聞き、是非、自分も習いたいものだと常々、思っていた。しかし、今まで本物の佗び茶を知っている者はいなかった。それが、たまたま助けた旅の僧が、それを知っていたのだから驚きも異常な程だった。
正月には江戸城にいる息子、備中守も挨拶に訪れて来た。道真は得意になって息子に銭泡の茶の湯を披露した。備中守は目を丸くして驚いた。どうして、親父の所に珠光流の茶の湯を知っている者がいるのか信じられなかった。話をして行くと備中守と銭泡は京において面識があった。
銭泡が珠光の弟子になった年、備中守は上京して将軍義政に拝謁(ハイエツ)した。その折り、備中守は珠光から茶の湯の持て成しを受けた。備中守は珠光より茶の湯の指導を願ったが、備中守も何かと京では忙しく、心残りながら関東へと帰って行った。あの時以来、備中守も珠光流の茶の湯を知っている者が関東に流れて来るのを待っていたが、それは、かなえられなかった。
備中守は、すぐにでも銭泡を江戸城に連れて行って茶の湯を習いたいと思ったが、父親の道真は銭泡を離さなかった。まず、わしが習ってからじゃ、と言い張り、とうとう、備中守は諦め、親父が習ったら絶対に江戸城にお送りしてくれと約束すると帰って行った。
銭泡は三月の初めまで道真の自得軒に滞在し、道真に茶の湯の指導をしながら、あちこちの武将たちの屋敷に招待されて道真と共に出掛けたりしていた。その間にも、江戸城からは、まだか、まだか、と何度も催促(サイソク)の便りが届いたが、道真は無視していた。三月になると、備中守自らが銭泡を迎えに来て、道真も諦め、銭泡は江戸城に迎えられる事となった。
江戸城は備中守によって二十年程前に建てられた城だった。当時の一般的な城とは異なり、山の上にあるのではなく、小高い丘の上に建つ城だった。当時は山の上に詰(ツメ)の城を築き、その裾野に屋敷を作るのが一般的な城だったが、備中守の作った江戸城は詰の城と山裾の屋敷を兼ねたものを丘の上に建てた独特の城だった。
当時、利根川は熊谷の辺りから南下し、岩槻の辺りで荒川と合流して江戸城の東を通って江戸湾に流れていた。この利根川を境にして関東は東西に分かれ、東側を古河公方が押さえ、西側を関東管領上杉氏が押さえていた。江戸城は下総、上総の敵に対するために建てられた前線に位置する城だった。
平川(神田川)を外濠に利用し、丘の上は深い空濠によって三つに区切られ、南側が根城(ネジロ、本曲輪)、中央が中城(ナカジロ、二の曲輪)、北側が外城(トジロ、三の曲輪)と呼ばれている。根城、中城、外城は段差を持ち、根城が一番高く、徐々に低くなっていた。丘の東側に城下町が広がり、その外側を城全体を守るように平川が流れていた。
城下から坂道を上って大手門をくぐると、そこは広々とした外城となる。外城には大きな廐(ウマヤ)や、いくつもの蔵が建ち、家臣たちの長屋が並んでいた。中央の広い広場では、兵たちが弓や槍の稽古に励んでいる。外城から空濠に掛けられた橋を渡ると中城となる。
中城には備中守の家族らの住む香月亭(コウゲツテイ)という屋敷があり、叔父の周厳禅師(シュウゲンゼンシ)を住職とする香泉寺(コウセンジ)、平川神社、梅林、竹林などがあり、そして、武家屋敷も並んでいた。中城を抜け、また、空濠に掛かる橋を渡ると根城に着く。空濠の幅は六間(約十一メートル)程で、深さは五丈(約十五メートル)程もあった。
根城は塀によって二つに区切られ、手前には奉行所を中心に重臣たちの屋敷や大きな蔵が並んでいた。向こう側には公式の場である広間を持つ主殿(シュデン)を中心に、備中守の居館(キョカン)であり書院でもある静勝軒(セイショウケン)、客殿である含雪斎(ガンセツサイ)、泊船亭(ハクセンテイ)などが並び、見事な山水庭園もあった。その中でも最も目を引くのは、江戸城の最南端に建てられた静勝軒だった。京の鹿苑寺(ロクオンジ)内に建つ金閣のように、三層建ての建物で、三階からの眺めは最高だった。どこを見渡しても雄大な眺めを見る事ができた。南に目をやれば遥かに海が広がり、西には富士山が聳(ソビ)え、北には武蔵野が広がり、筑波山も見える。東には利根川が流れ、その向こうに下総、上総の山々が広がっていた。備中守の建てた、この三層の建物は関東の武将たちに影響を与え、各地の城に同じように高い建物が建てられて行った。後の天守閣の走りといってもいい建物だった。
丁度、桜の花の満開の頃、江戸城に入った銭泡は根城の西側に建つ含雪斎に案内され、ここを我家と思って使ってくれと言われた。含雪斎は八畳敷きの部屋が四つからなる書院で、各部屋は豪華な絵の描かれた襖(フスマ)に囲まれ、床の間や違い棚も付いた贅沢(ゼイタク)な客殿だった。銭泡が一人で利用するには広すぎ、立派すぎる屋敷だった。部屋からは富士山が眺められ、専属の侍女も二人付いて、何から何まで侍女がやってくれた。まるで、殿様にでもなったかのような豪勢な暮らしだった。備中守も何かと忙しいようだったが、暇を見付けると銭泡を静勝軒に呼んで、熱心に茶の湯を習った。
江戸城には武将は勿論の事だが、武将以外の文化人の出入りも多かった。京から戦を避けて来た公家たちも何人か城下に住んでいたし、旅の禅僧、連歌師、芸人らが備中守を訪ねて集まって来ていた。中でも、江戸城のすぐ近くの品川津の鈴木道胤(ドウイン)は度々、静勝軒に訪れて来た。道胤は品川の長者とも呼ばれ、備中守の家老でもあり、水軍の大将でもあり、御用商人でもあり、歌人としても有名だった。度々、備中守と連歌会も催し、連歌師、心敬を江戸に呼んだのも道胤だった。年は備中守と同じ位の四十半ばで頭を丸めた熱心な日蓮宗の信者だった。
銭泡も道胤とは気が合い、道胤の案内で、各地の名所に連れて行ってもらったり、道胤の屋敷で催される闘茶会(トウチャカイ)に参加したり、楽しい日々を過ごした。
駿河守護、今川治部大輔(ジブノタイフ)義忠の死を真っ先に備中守に知らせたのも道胤だった。四月の十日頃、駿河の国、江尻津から品川津に入って来た船より、その知らせを聞いた道胤は、すぐに備中守に知らせた。備中守は、この事はしばらく内密しておくようにと頼み、配下の者を駿府に送った。その後の駿府の状況は、すべて、備中守のもとに届いたが、備中守は動かなかった。また、動きたくても動けなかった。備中守は扇谷上杉修理大夫定正(シュリノタイフサダマサ)の執事であり、修理大夫の許可なく勝手な振る舞いはできなかった。
六月になり、福島越前守の家臣が今川家のお屋形、小鹿新五郎の代理として江戸城を訪れた。備中守は家臣たちに出陣の準備を命令して、越前守の家臣と共に修理大夫が陣を敷いている五十子(イカッコ、本庄市)に向かった。修理大夫は小鹿新五郎の書状を読むと、備中守に駿河に出陣して新五郎を助ける事を命じた。新五郎の書状には、自分が扇谷上杉氏の一族である事を強調して、今川家をまとめるのに力を貸してくれ、と書いてあった。修理大夫は、助けを求めている身内を見殺しにはできまい。新五郎を助けて今川家をまとめて来い、と備中守に命じた。
銭泡は、備中守が駿河に出陣する事を聞き、駿河で世話になった早雲の事を備中守に話した。早雲が先代のお屋形様の忘れ形見、竜王丸殿の伯父に当たる人だという事を知ると、備中守は興味深そうに早雲の事を色々と聞いて来た。銭泡は、早雲の事が心配なので、是非、自分も一緒に連れて行ってくれと頼み、備中守の軍勢と共に江戸城を後にし、駿河に向かったのだった。
駿府の城下は混乱していた。
阿部川で小鹿派と竜王丸派の軍勢の睨み合いが続いているさなか、今度は関東から軍勢がやって来た。今度こそ、戦が始まるに違いないと城下に住む者たちは大慌てだった。皆、戸締りをして荷物をまとめ、近くに避難する場所のある者は逃げ、逃げ場のない者は、戦が起こらない事を祈りながら事の成り行きをじっと見守っていた。関東から来て八幡山に陣を敷いた軍勢は茶臼山の軍勢と同じく、不気味に駿府屋形を睨んだまま動かなかった。
やがて、七月になると、大将の太田備中守が駿府屋形に迎えられ、本曲輪の西南に建つ客殿、清流亭(セイリュウテイ)に入った。城下の者たちは一安心して戸を開け、暑苦しい家の中に風を入れた。関東勢が小鹿派となれば、城下が戦火に見舞われる可能性は低くなる。小鹿派と竜王丸派が戦を始めたとしても、戦場となるのは阿部川辺りだろうと城下の者たちは安堵の吐息を漏らしていた。
茶臼山山麓に陣を敷いている堀越公方の軍勢の大将、上杉治部少輔(ジブショウユウ)は小鹿派に行ったり、竜王丸派に行ったりして重臣たちを説得し、今川家を一つにしようと頑張っていたが、一向に成果は現れず、今は駿府屋形内の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在していた。備中守が来た事により、自分の手で今川家を一つにまとめようとする意欲は薄れ、どうせ、手柄は備中守に取られるものと諦めていた。手柄が得られないなら駿河にいるうちに贅沢を楽しもうと、国元では味わう事のできない淫蕩(イントウ)な日々を送っていた。
望嶽亭も清流亭も、北川殿の側に建つ道賀亭も皆、濠に囲まれ、庭園を持つ二層建ての客殿で、将軍義教(ヨシノリ)が駿河に来た時に使用したものだった。その後は、京から下向して来た公家や僧侶たちを持て成すために使われていた。応仁の乱の始まった当初は京から逃げて来た公家たちが大勢、住んでいたが、やがて、公家たちも城下の方に屋敷を持つようになってそちらに移り、最近はどこの客殿も空いていた。
清流亭では備中守を持て成すための準備に怠りなかった。福島越前守も葛山播磨守も備中守の機嫌を取るのに夢中だった。越前守は備中守を味方に引き入れるため、播磨守は今回の事より、さらに先の事を考えて備中守の関心を引こうとしていた。
備中守は清流亭に入り、二階の回廊からの眺めを楽しむと、御馳走の用意された広間には向かわず、犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔が滞在している望嶽亭に挨拶に出掛けた。
治部少輔は堀越公方、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事、もし、政知が鎌倉に入って関東公方となっていれば、治部少輔は関東管領と呼ばれていたかもしれなかった。しかし、現実は鎌倉に入る事はできず、伊豆の国に落ち着いてしまった。治部少輔も関東管領にはなれず、公方とは名のみで、ろくに兵力さえ持たない政知の執事でしか過ぎなかった。勢力を持たないとはいえ、治部少輔は公方の執事、備中守は相模守護、扇谷上杉修理大夫の執事だった。備中守の方が治部少輔の方に挨拶に行くのが当然の礼儀と言えた。
治部少輔は機嫌よく備中守を迎えた。
治部少輔は二階から富士山を眺めながら、女たちに囲まれてお茶を飲んでいた。
治部少輔は酒が飲めなかった。酒が飲めないかわりにお茶にはうるさく、二十四歳まで京にいて将軍義政の側近く仕えていたため、能阿弥(ノウアミ)や村田珠光より茶の湯を習っていた。
いい所に来た、是非、備中守殿のお点前(テマエ)を見たいものだ、と治部少輔は備中守にお茶を点(タ)ててくれと所望(ショモウ)した。備中守は断ったが、治部少輔は聞かなかった。仕方なく、備中守は治部少輔と女たちの見守る中、お茶を点てた。
治部少輔は備中守の茶の湯の腕を知っている。女たちの見守る中で恥をかかせてやろうとたくらんでいたが、そのたくらみは見事に裏切られた。備中守は信じられない程の手捌(テサバ)きで、流れるような振る舞いでお茶を点てた。すべてが珠光流に適(カナ)っていた。女たちはうっとりとした目をして備中守に見とれていた。
治部少輔には信じられなかった。一体、いつの間に、これ程の腕を上げたのか、村田珠光、あるいは、その弟子が関東に下向して来たというのを聞いてはいない。もし、下向して来たとすれば、自分のもとに寄らないわけがない。備中守が一体、誰から習ったのか、まったく納得の行かない事だった。
「見事じゃな」と治部少輔はお茶をすすりながら言った。
「ありがとうございます。名人と言われる治部少輔殿に誉められ、稽古に励んだ甲斐がございました」と備中守は頭を下げた。
「備中、一体、どなたの指導を受けられたのじゃ」
「治部少輔殿は京の商人だった伏見屋殿を御存じでしょうか」
「いや、知らんが‥‥‥」
「伏見屋殿は村田珠光殿のお弟子さんです」
「ほう。珠光殿のお弟子か、その伏見屋から習ったと申すのか」
「はい。伏見屋殿は幕府にも出入りしていた商人でしたが、応仁の乱で店を焼かれ、頭を丸めて銭泡と名乗って関東にやって来たのです」
「思い出したわ」と治部少輔は手を打った。「伏見屋と言えばかなりの店構えじゃったが、伏見屋があの店をたたんだのか‥‥‥信じられん事じゃ」
「財産もすべて使い果して、無一文になって旅に出たそうです」
「ほう。無一文になってのう。関東に来たのなら、わしの所に寄ってくれれば歓迎したものを‥‥‥」
「伏見屋殿は乞食坊主として旅をしていたようです。あれだけの腕を持ちながら、茶の湯の事は一切、口には出さずに、腹を空かしながら旅を続けていたようです。わたしの親父が道に行き倒れていた伏見屋殿を助け、越生(オゴセ)の隠居所に連れて来ました。病も治り、しばらく、親父のもとにいましたが、茶の湯の事など一言も口にしなかったそうです。ようやく正月となり、伏見屋殿もただの乞食坊主に親切にしてくれた親父に、お礼の気持ちを込めて茶の湯を披露して、正体を明かしたというわけです」
「真の佗び茶というものを実践しておったという事か‥‥‥」
「そのようです。しかし、あそこまで徹底する事は、普通の者には真似のできない事でしょう」
「うむ‥‥‥それで、伏見屋はまだ越生におるのか」
「いえ。わたしと共に、この地に来ております。伏見屋殿は関東に旅立つ前、ここの先代のお屋形様にもお茶の指導をしたとの事で、お屋形様がお亡くなりになられたと聞くと、一緒に連れて行ってくれと‥‥‥今、清流亭におります」
「そうか、清流亭におるのか。備中、頼む。ここに伏見屋をよこしてくれ。積もる話もあるしのう。将軍様や珠光殿の事も聞きたいしのう」
「はい、かしこまりました」
「頼むぞ。それとのう、今川家の事もそなたに任せるわ。わしもやるだけの事はやったが、どうも、わしの手には負えんようじゃ。そなた、今川家をまとめてくれ。今川家が争いを始めたら伊豆の国も騒ぎ出して、公方様も危なくなる。公方様と言っても直属の兵が少ないのでのう。伊豆で騒ぎが起きたら静める事も難しい事となろう。何としてでも、今川家を元のようにしてもらわん事には困るのじゃ。頼むぞ」
「はい、かしこまりました。できるだけの事をするつもりでおりますが、治部少輔殿にも、何卒、この備中にお力添えをお願い致します」
「うむ。分かっておる。力が欲しい時には、いつでも言って来るがいい」
備中守は深く頭を下げると望嶽亭を後にした。
清流亭に戻った備中守は、銭泡に望嶽亭に行くように頼むと、三番組の頭、葛山備後守と三浦右京亮に代わって五番組の頭となった福島越前守の弟、兵庫助の待つ広間へと向かった。今回の宴は備中守の旅の疲れを癒(イヤ)すねぎらいの宴なので、今川家の重臣たちの顔はなく、備中守と数人の家臣の他は皆、女たちだった。接待役の葛山備後守と福島兵庫助の二人も、それぞれ播磨守、越前守の代理として簡単な挨拶を済ますと広間から出て行った。
山のような御馳走を前に、綺麗どころの女たちに囲まれて備中守も機嫌よく酒を飲んでいた。浅間神社から芸人たちも呼ばれて、様々な芸が披露された。城下に住んでいる公家たちも手土産を持って備中守を訪ねて来ていた。相変わらず武装した兵が闊歩(カッポ)しているお屋形内とは思えない程、清流亭は華やかだった。
夜も更け、宴もお開きとなると備中守はお気に入りの女に連れられ、二階に上がった。
二階には、すでに臥所(フシド)の用意がしてあった。備中守は回廊の手摺りを握ると夜空を見上げた。風も心地よく、降るような星が見事だった。
「およの」と備中守は隣にいる娘の名を呼んだ。
「はい」とおよのは備中守の顔を見上げた。
「およのは今宵、命じられて、ここに来たのか」
「いいえ」とおよのは首を振った。「わたしがお父上にお願いして参りました」
「自分の意志で来たと申すのか」
「はい」
「なぜじゃ」
「わたしの夫となるべき人は、祝言(シュウゲン)を上げる前に戦で亡くなってしまいました。二年前の事です。その日以来、わたしは家の中に閉じ籠もりっきりでした。やがて、お屋形様がお亡くなりになられました。今川家は二つに割れてしまいました‥‥‥お父上は毎日、忙しそうに働いております。いつまでも悲しみにくれているわたしは、いつまでもこんな事ではいけない。わたしも今川家のために何かをしなければならないと気づきました。しかし、女の身であるわたしには、お父上を助ける事はできません。そんな時、お父上とお母上が話している事を耳にしたのです。関東から来られた備中守様を持て成すために、わたしを備中守様のもとに差し出すようにと頼まれたと言うのです。お父上は、わたしが病気だといって断るつもりだったようです。わたしはお父上のために、今川家のために決心をして、こうして参りました」
「今川家のためにか‥‥‥」
「はい‥‥‥」
「そなたのお父上はどなたじゃな」
「石川志摩守(シマノカミ)と申します。福島越前守様の家来です」
「そうか、越前守殿の御家来衆か」
「備中守様、今川家は前のようになるのでしょうか」
「うむ。難しい事じゃが、やらねばなるまい」
「わたしには難しい事は分かりませんが、お父上から備中守様の事は聞いて参りました。備中守様は関東で有名な立派な武将だとお聞きしました。備中守様なら今川家を一つにまとめて下さるだろうとお父上は言いました。どうか、お願いします、今川家を前のように戻して下さい」
「そなたの目は綺麗じゃのう」と備中守は言った。
およのは顔を伏せた。「申し訳ありません。余計な事を言ってしまいました」
「いや。世の中がこう乱れて来ると、女子といえども強く生きなければならん。自分の思った事をはっきりと口に出すのはいい事じゃ」
およのは顔を上げて、備中守の顔を見つめた。
備中守は空を見上げていた。
およのは備中守の横顔を見ながら不思議な人だと感じていた。どう不思議なのか分からなかったが、およのが今まで見て来た男の人とは違う種類の男のようだった。年は父親程も違うのに父親とは全然違って、その静かな横顔には惹(ヒ)かれるものがあった。もしかしたら、備中守と夜を共にしなければならないと覚悟は決めていても、初めて備中守を目にした時はやはり恐ろしかった。ギョロッとした目に見つめられると目を伏せずにはいられなかった。
幸い、およのの席は備中守と離れていた。およのの隣には備中守の側近の若い侍が座った。その若侍は行儀正しくしたまま、およのに声も掛けなかった。およのの方も酒を注いでやる位で、ほとんど話もしなかった。このまま宴も終わるだろうと、ホッとしていた時、突然、およのは備中守に呼ばれて備中守の隣に座った。
備中守はおよのの名を聞くと、「いい名じゃ」と言ったが、それ以上の事は聞かなかった。ただ、およのの前に空になった酒盃を差し出すたびに、およのはそれに酒を注いでいた。
どうして、わたしなんかが呼ばれたのだろうと、およのは不安で一杯で、どうしたらいいのか分からなかった。宴が終わる頃、およのは隣に座っていた女から耳元で、備中守様を二階にお連れしなさいと命じられた。およのは言われた通りに備中守を二階に案内した。
二階に来て部屋の中の臥所を見た時、およのは恐ろしくてしょうがなかった。ここまで来てしまったら、もう逃げる事はできなかった。いっその事、ここから飛び降りて死のうかとも思った。しかし、備中守と二人きりで夜風に吹かれながら話をしているうちに、およのの感じていた不安や恐怖心は消え、もしかしたら、わたしはこの人と出会うために生まれて来たのかもしれないと、とんでもない事を真剣に思うようになっていた。
備中守はおよのの肩を優しく抱き寄せると部屋の中に入って行った。
「八幡山にか‥‥‥駿府屋形には入らなかったんじゃな」と早雲き聞いた。
小太郎は頷いた。「しかし、分からんぞ。さっそく、福島越前守が出迎えに出掛けた。そのうち、お屋形の方に移るかもしれん」
「そうか、越前守が動いたか‥‥‥」
小太郎は浅間神社の門前町の家を出た後、早雲庵を本拠地として駿府屋形を探っていたが、距離があり過ぎて不便なので、駿府の城下のはずれにある木賃宿に薬売りの商人として泊まっていた。北川殿がお屋形から出た今となっては、山伏、風眼坊に戻る必要はなくなり、返って山伏姿でいれば、風眼坊を捜している葛山播磨守に見つかる危険もあった。小太郎は近江から来た商人に扮して、三浦次郎左衛門尉より貰った過書を利用して、お屋形内を自由に行き来していた。
「備中守殿が八幡山にいる内に会っておきたいものじゃな」と早雲は言った。
「おぬしが一度、会ったとかいう武将が備中守だといいんじゃがな」
「なに、こっちが覚えておっても向こうは覚えてはおるまい」
「栄意坊を連れて来れば良かったのう」と小太郎が、ふいに言った。
「栄意坊?」と早雲は怪訝(ケゲン)な顔をして小太郎を見た。どうして、ここに栄意坊が出て来るのか、早雲には理解できなかった。
「やっと思い出したんじゃよ。太田備中守という名、どこかで聞いた事あったんじゃが、よう思い出せなかったんじゃ。それが、備中守が江戸城から来たと聞いて、ようやく思い出したわ。栄意坊の奴、江戸城に三年近くも居候(イソウロウ)しておった事があったんじゃよ」
「何じゃと‥‥‥そいつは本当なのか」
「ああ。もう、十年以上も前の事じゃ」
「備中守にも会っておるのか」
「備中守の客人として江戸城におったそうじゃ」
「ほう。栄意坊がのう‥‥‥」
「詳しくは知らんのじゃが、栄意坊の奴、飯道山を下りて関東に旅に出て、女子(オナゴ)に惚れたらしい。その女子と共に暮らし始めたが、子供を産んだ時、女子も子供も共に死んでしまい、栄意坊は死ぬつもりになって戦に出たんじゃ。どういういきさつで備中守と出会ったのか知らんが、意気投合して江戸城に迎えられて、三年近く、備中守の客人として戦に出ておったらしいのう」
「ほう。そんな事があったのか‥‥‥」
「しかし、栄意坊がおらんのではどうしようもないのう」
「いや。本人がおらなくとも備中守と共通の知人がおるというのは大分、有利じゃ」
「まあな。今の状況では、おぬしも竜王丸殿の伯父という立場では備中守に会いに行けまい」
「越前守の兵もおる事じゃろうしな。備中守が会うと言っても越前守は許すまいのう」
「そこで、栄意坊の名を出して、以前、栄意坊が世話になったお礼を言うというのを口実に、山伏として備中守に会うというのはどうじゃ」
「わしも山伏になるのか」
「そういう事じゃのう」
「うむ」と早雲は頷いた。「そうするかのう。とにかく、一度、会っておけば、この先、有利となる事は確かじゃ」
「さっそく、今晩、出掛けるか」と小太郎は聞いた。
「今晩か‥‥‥栄意坊のお礼を言うのに、夜、訪ねるというのも変な話じゃ。怪しまれて断られれば、二度とその手は使えなくなる。明日の方がいいんじゃないかのう」
「そうじゃな。最初が肝心じゃ。焦(アセ)る事もないわな」
「ああ。明日の朝にしよう」
「ところで、富嶽たちがおらんようじゃが、どこかに行ったのか」と小太郎は聞いた。
「富嶽と多米、荒木の三人は朝比奈城じゃ」
「北川殿の警固か」
「いや、警固というより北川殿の武術指導じゃ」
「北川殿の武術指導? 竜王丸殿じゃろう」
「いや、北川殿じゃ。北川殿は今、武術に凝っておられるのじゃ」
「北川殿がか‥‥‥信じられん」
「わしも信じられんわ。あれ程、武術に熱中するとはのう」
早雲は北川殿に弓術(キュウジュツ)を教えてくれと頼まれた。北川殿は梅雨が上がるのを毎日、首を長くして待っていた。梅雨が上がると早雲は朝比奈城に向かい、北川殿に弓術を教えた。二日間、早雲は付きっきりで北川殿に弓術を教えたが、早雲もずっと朝比奈城にいるわけにもいかない。そこで、早雲の代わりに富嶽が教える事となった。富嶽も元は幕府に仕えていた武士で、弓術を得意としていた。その事は早雲も知らなかったが、早雲が困っているのを見て富嶽から言い出した事だった。そして、弓術なら、わしだって教えられると多米と荒木も付いて行ったと言う
「ほう。富嶽が弓術をのう。かなりの腕なのか」
「昨日、才雲が様子を見に行ったが、百発百中だと言う。多米や荒木など問題にならん程の腕らしい」
「人は見かけによらんもんじゃのう。富嶽が弓術の名人だったとはのう」
「ああ。頼もしい奴じゃ」
「富嶽が北川殿に弓術を教えておるのなら、多米と荒木の二人は何しておるんじゃ。あんな山の中に、あの二人がよくおられるもんじゃのう」
「山の中には違いないが、古くからの朝比奈殿の本拠地じゃ。城下には市も立つし、ちょっとした盛り場もある。博奕も打てるし、女も抱ける。ここにいるよりは羽根を伸ばせるんじゃう」
「成程な」と小太郎は笑った。「ここにおったんでは大っぴらに遊びにも行けんからのう。理由はどうであれ、しばらく、ここから出て遊びたかったという事か‥‥‥」
「そういう事じゃ。あの二人も奴らなりによくやってくれたからのう。今の所はここにおってもする事はないし、北川殿を守ってくれと一緒に行かせたんじゃ」
「山賊どもは何しておるんじゃ」
「毎日、泥だらけになって働いておるよ。奴らも変わったもんじゃ」
「何をやっておるんじゃ」
「梅雨時に川が氾濫(ハンラン)してのう。田畑が大分、やられてしまったんじゃ。家を流された者もおってのう。毎日、村人たちのために真っ黒になって働いておるんじゃ」
「ほう。奴らがのう。あの在竹(アリタケ)もか」
「ああ。奴が先頭になってやっておるわ。最近は皆、顔付きまで変わって来ておる。奴らがここに来てから、なぜか、ここに子供らが集まって来るんじゃ」
「奴らはガキの面倒も見ておるのか」
「ああ。祐筆(ユウヒツ)と呼ばれておる吉岡は、子供たちを集めて読み書きを教えておるらしいの」
「ただでか」
「無論じゃ」
「山賊がガキどもに読み書きを教えておるのか‥‥‥変われば変わるものよのう」
「まったくじゃ‥‥‥話は変わるが、小太郎、お雪殿がおぬしに会いたがっておったぞ。たまには、会いに行った方がいいぞ」
「わしも会いたいわい。しかし、北川殿の事を思うと、そうはしてられまい。早いうちに、竜王丸殿をお屋形様にして駿府屋形に戻って貰わなくてはのう」
「そうじゃのう‥‥‥まずは、何としてでも備中守殿を味方に付けなくてはならん」
日が暮れる頃、在竹率いる山賊らが汗と泥で真っ黒になって、どやどやと帰って来た。
早雲庵は急に騒がしくなった。
山賊たちが村人たちのために働くようになってから、頼んだわけではないのに、村の娘たちが早雲庵の飯の支度をしに来てくれていた。春雨とお雪がいなくなってから女気のなかった早雲庵も、村娘たちのお陰で、何となく華やいだ雰囲気となっていた。
小太郎も村娘たちの作ってくれた夕飯を御馳走になり、今晩はここに泊まる事となった。
2
日が暮れても、暑さは弱まらなかった。
縁側に出て、うちわを扇ぎながら、早雲と小太郎は酒をちびちびと飲んでいた。
山賊たちも仕事の後の酒を飲んでいるらしく、山の南側から賑やかな声が聞こえて来ていた。村娘たちもまだ、いるらしい。時折、甲高い笑い声が聞こえて来た。
そんな晩、珍しい客がやって来た。
一人の僧侶と見るからに浪人と分かる三人の武士だった。
僧侶は茶人の伏見屋銭泡(フシミヤゼンポウ)だった。去年の九月に関東に旅立ち、ようやく帰って来たのだった。長い旅を続けていたわりには頭も綺麗に剃ってあり、着ている墨染めの衣も汚れてはいなかった。そして、連れの武士たちが何となく不釣合いだった。
「やあ、お久し振りです。暑いですな」と銭泡は笑いながら早雲たちに頭を下げた。
「銭泡殿‥‥‥一体、どこにおられておったのです」と早雲は驚いた顔をして銭泡を迎えた。
「はい。色々とありまして」と銭泡は笑った。「しかし、ここも随分と変わりましたなあ」
「ええ。住人が増えましたので‥‥‥」と早雲は銭泡の後ろにいる浪人を見た。
三人の浪人の内の一人に見覚えがあった。
早雲が頭を下げると、その浪人も頭を下げた。
信じられない事だったが、その浪人は太田備中守、その人に間違いなかった。着ているものは粗末な単衣(ヒトエ)でも、まさしく、備中守に違いなかった。
「失礼ですが、太田備中守殿では」と早雲は浪人に声を掛けた。
浪人は頷くと、「早雲殿ですな。お噂は伏見屋殿から伺っております」と言った。
小太郎は、備中守がここにいる事が信じられない事のように状況を見守っていた。
「お二人はお知り合いでしたか」と銭泡は二人を見比べていた。
「いえ。知り合いと言える程ではありません」と早雲は言った。
「一度、お会いしましたな」と備中守は言った。
「覚えておいででしたか」
「確か、早雲殿は鹿島、香取に向かわれている時じゃった」
「はい。もう二年前の事です」
「伏見屋殿から早雲殿のお噂を聞き、もしや、あの時の御坊が早雲殿ではないか、と思っておったが、やはり、そうであったか」と備中守は笑った。
「不思議な事もあるものですね」と銭泡は早雲と備中守の顔を見比べた。
「たった一度しか会った事がないのに、しかも、お互いに名乗りもせずに、お二人とも、その時の事を覚えておられるとは、まったく、不思議な事じゃ」
「縁というものかもしれんのう」と備中守は言った。
「はい」と早雲は頷いた。そして、銭泡を見て、「しかし、驚きですな。銭泡殿が備中守殿を御存じだったとは」と言った。
「いえ、わしらも京で一度会っただけなんです」と銭泡は笑った。
「そうでしたか‥‥‥」
早雲は四人を庵の中に迎え入れ、孫雲と才雲の二人に簡単な酒の用意をさせた。
「それにしても、銭泡殿、よく、ここまで来られましたね。途中、大勢の軍勢が陣を敷いておられたでしょう」
「はい、驚きました。阿部川を挟んで、河原には武装した兵で埋まっておりました。運がよかったのです。阿部川を渡った所で、斎藤加賀守殿と出会いました。早雲庵に帰るところだというと、途中まで兵を付けてくれました」
「加賀守殿と出会いましたか、それは運がよかったですね」
「はい。備中守殿には早雲庵に居候しておる浪人者に扮していただきました」
「これは、わざわざ、どうも」
「いや。伏見屋殿よりお噂を聞き、ぜひ、お会いしたいと思っておりましたので、こうして付いて来たわけです。突然、お訪ねして申し訳ない」
「いえいえ、わたしらも明日、備中守殿にお訪ねしようと思っておったところです」
「そうでしたか」
「ところで、備中守殿は栄意坊を御存じとか」と早雲は聞いた。
「栄意坊‥‥‥懐かしいのう」と備中守は目を細めて言った。「いい奴じゃった‥‥‥今頃、どうしておる事やら‥‥‥早雲殿は栄意坊を御存じなのですか」
「はい。共に飯道山で修行した事もございました」
「飯道山か‥‥‥栄意坊から、その話はよく聞いたものじゃ」
「その飯道山の四天王の一人がここにおります」と早雲は小太郎を備中守に紹介した。
「風眼坊‥‥‥うむ、確かにその名は聞いた事ある。ほう、そなたが四天王の一人か‥‥‥懐かしいのう。それで、今、栄意坊はどこにおるんです」
「飯道山におります。飯道山で若い者たちに槍術を教えております」
「そうか‥‥‥まさか、早雲殿の口から栄意坊の名が出るとは夢にも思わなかったわ。世の中、広いようで狭いものよのう」
「まことに‥‥‥銭泡殿と備中守殿がお知り合いだったというのも以外な事です。しかも、こんな時に備中守殿と一緒に銭泡殿が帰って来るとは‥‥‥まったく、不思議じゃのう」
「わたしが村田珠光(ジュコウ)殿に弟子入りしたばかりの頃、備中守殿が京に参りました」と銭泡が言った。「わたしは弟子になったばかりで、備中守殿と同席などできませんでしたが、珠光殿の後ろに付いて歩いておりました、わたしの事を備中守殿は覚えておいででした」
「そうでしたか、珠光殿のもとでお会いしておられたのですか」
「はい。わしも珠光殿から茶の湯を教わりたかったのですが、時がありませんでした。今回、伏見屋殿が江戸に来てくれましたので、珠光殿の茶の湯を教わる事ができました。長年の念願が適(カナ)ったというわけです。ほんとに喜ばしい事です」
「そうでしたか‥‥‥」
「ところで、早雲殿、とんだ事になりましたなあ。おおよその事は福島越前守殿より伺いましたが、早雲殿のお考えをお聞きしたいのですが‥‥‥」
備中守は以外にも単刀直入に聞いて来た。早雲にとっても、その方が話し易かった。
「結論から申しましょう。わたしの願う所は、竜王丸殿をお屋形様にし、小鹿新五郎殿を後見とする事です」
「成程。竜王丸殿に小鹿新五郎殿か‥‥‥中原摂津守殿はいかがなさるおつもりじゃな」
「諦めていただくよりありません」
「今更、諦めるじゃろうかのう」
「今川家のためにも、諦めていただくより他に道はありません」
「うむ‥‥‥」と備中守は早雲の顔を見つめた。早雲の心の中まで探っているような目付きだった。
「備中守殿、備中守殿のお考えもお教え願いたいのですが」と早雲は聞いた。
「わしの考えのう‥‥‥わしの考えというよりは、上杉氏の考えとしては、今川家が元のように一つになってくれれば、それが一番いいと思っておるんじゃ。関東も今、利根川を境に東西に分かれて争いが続いておる。古河公方(コガクボウ)と関東管領(カントウカンレイ)の争いじゃ。関東を一つにまとめるには、是非とも今川家の力が必要なんじゃよ。関東にとっても、幕府にとっても、今川家には駿河の国をしっかりと守っていて貰わなくてはならんのじゃ」
「その事を聞いて安心致しました。備中守殿にお願いがございます。小鹿派の重臣たちを説得して頂きたいのですが‥‥‥わたしは竜王丸派の重臣たちを説得致します」
「竜王丸殿をお屋形様に、小鹿新五郎殿を後見という事でじゃな」
「はい。今の今川家を一つにするには、それしか方法はないようです」
「うむ」と備中守は頷き、しばらくしてから、「やってみましょう」と言った。
「ありがとうございます」と早雲は頭を下げた。「ただ、備中守殿がわたしに会ったという事は内緒にしておいた方がいいように思います。小鹿派の重臣たちも備中守殿のおっしゃる事なら聞くかもしれませんが、わたしが絡(カラ)んでいる事を知ると反発して来るでしょうから」
「分かりました。わしが早雲殿と初めて会うのは、今川家が一つになる時という事ですな」
「はい。そう願いたいものです」
その後、小太郎より小鹿派の重臣たちのたくらみや、暗躍している山伏の事などを備中守に知らせた。
難しい話が終わると、銭泡の旅の事や備中守の江戸城の事や茶の湯、連歌の事など夜更けまで話し続け、夜明け前、備中守は銭泡と一緒に、小河湊から長谷川法栄の船に乗って阿部川の向う側に帰って行った。
3
伏見屋銭泡が太田備中守を連れて早雲庵に訪ねて来るとは、早雲も小太郎も考えてもみない事だった。世の中、思ってもいない事が起こるものだと、二人は備中守と銭泡を送り出すと不思議がった。
銭泡は去年の九月、早雲と富嶽が京に向かった後、早雲庵を後にして関東に旅立った。駿河に滞在している時は、早雲と一緒にお屋形様を初め重臣たちの屋敷に招待されて、茶の湯の指導に当たっていた。重臣たちからは多額の礼銭を貰っていたが、困っている人たちのために使ってくれと早雲庵の留守を守っていた春雨に渡し、来た時と同じく無一文に粗末な衣だけを身に付けて関東に向かって行った。春雨には、年末には帰って来ると言って出て行ったが、結局、昨日まで何の連絡もなく、突然、物凄い土産(ミヤゲ)を持って帰って来たのだった。
銭泡は箱根を越え、関東に入ると相模の国(神奈川県)を抜けて武蔵(ムサシ)の国(東京都と埼玉県)に入り、武蔵の国を北上した。特に行く当てはなかった。その日その日の気分で足の向くまま、気の向くままに旅を続けた。
初めて見る関東の地は広かった。見渡す限り草原が続いている。歩いても歩いても人家が見つからない事が何度もあった。それでも、村人たちは親切で、遠くから来た旅の僧を充分に持て成してくれた。
月日の経つのは早かった。
武蔵の国を抜け、下総(シモウサ)の国(千葉県北部と茨城県南西部)の香取神宮を参拝し、まるで、琵琶湖のような霞ケ浦を渡って、常陸(ヒタチ)の国(茨城県北東部)の鹿島神宮を参拝し、常陸の国を北上して下野(シモツケ)の国(栃木県)に入り、下野の国から上野(コウヅケ)の国(群馬県)を回って武蔵の国に戻って来た。
途中、戦の場面にも遭遇したが、京での戦を経験している銭泡の目には、何となく、戦ものんびりしているように思えた。土地が広いため騎馬武者中心の戦で、河原とか広い草原で行なわれるため、村々が戦の被害に会う事は稀(マレ)で、京の戦のように女子供が悲鳴を上げて逃げ回っているという場面はあまり目にしなかった。また、足軽などという荒くれ者たちも、まだ、いなかった。
年の暮れ近く、武蔵の国を南下して、そのまま駿河の国に帰るつもりだったが、銭泡は腹をこわしてしまった。軽い食当たりだろうと歩き続けたが下痢が続いて体中の力が抜け、とうとう道端に倒れ込んでしまった。
これで、わしも終わりか‥‥‥
それもいいじゃろう‥‥‥
やりたい事はやって来た。そろそろ家族の待つ冥土とやらに旅立つか‥‥‥
銭泡は覚悟を決めて目を閉じた。
悪運が強いのか、銭泡は助けられた。
銭泡を助けたのは越生(オゴセ)に隠居していた太田備中守の父親、太田道真(ドウシン)だった。太田道真は越生の龍穏寺(リュウオンジ)の側に自得軒(ジトクケン)という隠居所を建て、頭を丸めて隠棲していた。すでに六十歳を越えた老人だった。
銭泡は自得軒の客間で目を覚まし、初めて道真を見た時、どこかの僧に助けられたと思って思わず合掌をした。しかし、道真は僧ではなかった。
道真の住んでいる隠居所は武家屋敷の作りで、家来も大勢いて、道真は若い側室と一緒に風雅に暮らしていた。隠居する前はかなり有力な武士だったに違いないとは思ったが、その正体は分からなかった。
銭泡が道真の正体を知ったのは正月の事だった。ひっそりとしていた自得軒が、年が明けると様々な人が挨拶に訪れて来た。そのほとんどが立派な身なりをした武士だった。武士たちの話から道真と名乗る老人が、元、扇谷(オオギガヤツ)上杉氏の執事で、歌人としても有名な太田左衛門大夫(サエモンダユウ)だったという事を知った。道真が河越城にて、連歌師の宗祇(ソウギ)と心敬(シンケイ)を招いて、『河越千句』の連歌会を催したという事は銭泡も噂に聞いて知っていた。
太田道真ともあろう人が、ただの乞食坊主である自分を助けて充分に持て成してくれた事に銭泡は心から感謝し、道真のために訪ねて来た客たちに茶の湯で持て成す事にした。
銭泡の茶の湯の手捌(テサバ)きは見ている者たちをうっとりさせる程、見事な腕だった。
関東でも名のある武将たちは皆、村田珠光の名を知っていて、茶の湯を嗜(タシナ)んでいた。しかし、今まで本物の佗(ワ)び茶を目にした事はない。道真にしても京から旅をして来た文化人たちから珠光の噂を聞き、是非、自分も習いたいものだと常々、思っていた。しかし、今まで本物の佗び茶を知っている者はいなかった。それが、たまたま助けた旅の僧が、それを知っていたのだから驚きも異常な程だった。
正月には江戸城にいる息子、備中守も挨拶に訪れて来た。道真は得意になって息子に銭泡の茶の湯を披露した。備中守は目を丸くして驚いた。どうして、親父の所に珠光流の茶の湯を知っている者がいるのか信じられなかった。話をして行くと備中守と銭泡は京において面識があった。
銭泡が珠光の弟子になった年、備中守は上京して将軍義政に拝謁(ハイエツ)した。その折り、備中守は珠光から茶の湯の持て成しを受けた。備中守は珠光より茶の湯の指導を願ったが、備中守も何かと京では忙しく、心残りながら関東へと帰って行った。あの時以来、備中守も珠光流の茶の湯を知っている者が関東に流れて来るのを待っていたが、それは、かなえられなかった。
備中守は、すぐにでも銭泡を江戸城に連れて行って茶の湯を習いたいと思ったが、父親の道真は銭泡を離さなかった。まず、わしが習ってからじゃ、と言い張り、とうとう、備中守は諦め、親父が習ったら絶対に江戸城にお送りしてくれと約束すると帰って行った。
銭泡は三月の初めまで道真の自得軒に滞在し、道真に茶の湯の指導をしながら、あちこちの武将たちの屋敷に招待されて道真と共に出掛けたりしていた。その間にも、江戸城からは、まだか、まだか、と何度も催促(サイソク)の便りが届いたが、道真は無視していた。三月になると、備中守自らが銭泡を迎えに来て、道真も諦め、銭泡は江戸城に迎えられる事となった。
江戸城は備中守によって二十年程前に建てられた城だった。当時の一般的な城とは異なり、山の上にあるのではなく、小高い丘の上に建つ城だった。当時は山の上に詰(ツメ)の城を築き、その裾野に屋敷を作るのが一般的な城だったが、備中守の作った江戸城は詰の城と山裾の屋敷を兼ねたものを丘の上に建てた独特の城だった。
当時、利根川は熊谷の辺りから南下し、岩槻の辺りで荒川と合流して江戸城の東を通って江戸湾に流れていた。この利根川を境にして関東は東西に分かれ、東側を古河公方が押さえ、西側を関東管領上杉氏が押さえていた。江戸城は下総、上総の敵に対するために建てられた前線に位置する城だった。
平川(神田川)を外濠に利用し、丘の上は深い空濠によって三つに区切られ、南側が根城(ネジロ、本曲輪)、中央が中城(ナカジロ、二の曲輪)、北側が外城(トジロ、三の曲輪)と呼ばれている。根城、中城、外城は段差を持ち、根城が一番高く、徐々に低くなっていた。丘の東側に城下町が広がり、その外側を城全体を守るように平川が流れていた。
城下から坂道を上って大手門をくぐると、そこは広々とした外城となる。外城には大きな廐(ウマヤ)や、いくつもの蔵が建ち、家臣たちの長屋が並んでいた。中央の広い広場では、兵たちが弓や槍の稽古に励んでいる。外城から空濠に掛けられた橋を渡ると中城となる。
中城には備中守の家族らの住む香月亭(コウゲツテイ)という屋敷があり、叔父の周厳禅師(シュウゲンゼンシ)を住職とする香泉寺(コウセンジ)、平川神社、梅林、竹林などがあり、そして、武家屋敷も並んでいた。中城を抜け、また、空濠に掛かる橋を渡ると根城に着く。空濠の幅は六間(約十一メートル)程で、深さは五丈(約十五メートル)程もあった。
根城は塀によって二つに区切られ、手前には奉行所を中心に重臣たちの屋敷や大きな蔵が並んでいた。向こう側には公式の場である広間を持つ主殿(シュデン)を中心に、備中守の居館(キョカン)であり書院でもある静勝軒(セイショウケン)、客殿である含雪斎(ガンセツサイ)、泊船亭(ハクセンテイ)などが並び、見事な山水庭園もあった。その中でも最も目を引くのは、江戸城の最南端に建てられた静勝軒だった。京の鹿苑寺(ロクオンジ)内に建つ金閣のように、三層建ての建物で、三階からの眺めは最高だった。どこを見渡しても雄大な眺めを見る事ができた。南に目をやれば遥かに海が広がり、西には富士山が聳(ソビ)え、北には武蔵野が広がり、筑波山も見える。東には利根川が流れ、その向こうに下総、上総の山々が広がっていた。備中守の建てた、この三層の建物は関東の武将たちに影響を与え、各地の城に同じように高い建物が建てられて行った。後の天守閣の走りといってもいい建物だった。
丁度、桜の花の満開の頃、江戸城に入った銭泡は根城の西側に建つ含雪斎に案内され、ここを我家と思って使ってくれと言われた。含雪斎は八畳敷きの部屋が四つからなる書院で、各部屋は豪華な絵の描かれた襖(フスマ)に囲まれ、床の間や違い棚も付いた贅沢(ゼイタク)な客殿だった。銭泡が一人で利用するには広すぎ、立派すぎる屋敷だった。部屋からは富士山が眺められ、専属の侍女も二人付いて、何から何まで侍女がやってくれた。まるで、殿様にでもなったかのような豪勢な暮らしだった。備中守も何かと忙しいようだったが、暇を見付けると銭泡を静勝軒に呼んで、熱心に茶の湯を習った。
江戸城には武将は勿論の事だが、武将以外の文化人の出入りも多かった。京から戦を避けて来た公家たちも何人か城下に住んでいたし、旅の禅僧、連歌師、芸人らが備中守を訪ねて集まって来ていた。中でも、江戸城のすぐ近くの品川津の鈴木道胤(ドウイン)は度々、静勝軒に訪れて来た。道胤は品川の長者とも呼ばれ、備中守の家老でもあり、水軍の大将でもあり、御用商人でもあり、歌人としても有名だった。度々、備中守と連歌会も催し、連歌師、心敬を江戸に呼んだのも道胤だった。年は備中守と同じ位の四十半ばで頭を丸めた熱心な日蓮宗の信者だった。
銭泡も道胤とは気が合い、道胤の案内で、各地の名所に連れて行ってもらったり、道胤の屋敷で催される闘茶会(トウチャカイ)に参加したり、楽しい日々を過ごした。
駿河守護、今川治部大輔(ジブノタイフ)義忠の死を真っ先に備中守に知らせたのも道胤だった。四月の十日頃、駿河の国、江尻津から品川津に入って来た船より、その知らせを聞いた道胤は、すぐに備中守に知らせた。備中守は、この事はしばらく内密しておくようにと頼み、配下の者を駿府に送った。その後の駿府の状況は、すべて、備中守のもとに届いたが、備中守は動かなかった。また、動きたくても動けなかった。備中守は扇谷上杉修理大夫定正(シュリノタイフサダマサ)の執事であり、修理大夫の許可なく勝手な振る舞いはできなかった。
六月になり、福島越前守の家臣が今川家のお屋形、小鹿新五郎の代理として江戸城を訪れた。備中守は家臣たちに出陣の準備を命令して、越前守の家臣と共に修理大夫が陣を敷いている五十子(イカッコ、本庄市)に向かった。修理大夫は小鹿新五郎の書状を読むと、備中守に駿河に出陣して新五郎を助ける事を命じた。新五郎の書状には、自分が扇谷上杉氏の一族である事を強調して、今川家をまとめるのに力を貸してくれ、と書いてあった。修理大夫は、助けを求めている身内を見殺しにはできまい。新五郎を助けて今川家をまとめて来い、と備中守に命じた。
銭泡は、備中守が駿河に出陣する事を聞き、駿河で世話になった早雲の事を備中守に話した。早雲が先代のお屋形様の忘れ形見、竜王丸殿の伯父に当たる人だという事を知ると、備中守は興味深そうに早雲の事を色々と聞いて来た。銭泡は、早雲の事が心配なので、是非、自分も一緒に連れて行ってくれと頼み、備中守の軍勢と共に江戸城を後にし、駿河に向かったのだった。
4
駿府の城下は混乱していた。
阿部川で小鹿派と竜王丸派の軍勢の睨み合いが続いているさなか、今度は関東から軍勢がやって来た。今度こそ、戦が始まるに違いないと城下に住む者たちは大慌てだった。皆、戸締りをして荷物をまとめ、近くに避難する場所のある者は逃げ、逃げ場のない者は、戦が起こらない事を祈りながら事の成り行きをじっと見守っていた。関東から来て八幡山に陣を敷いた軍勢は茶臼山の軍勢と同じく、不気味に駿府屋形を睨んだまま動かなかった。
やがて、七月になると、大将の太田備中守が駿府屋形に迎えられ、本曲輪の西南に建つ客殿、清流亭(セイリュウテイ)に入った。城下の者たちは一安心して戸を開け、暑苦しい家の中に風を入れた。関東勢が小鹿派となれば、城下が戦火に見舞われる可能性は低くなる。小鹿派と竜王丸派が戦を始めたとしても、戦場となるのは阿部川辺りだろうと城下の者たちは安堵の吐息を漏らしていた。
茶臼山山麓に陣を敷いている堀越公方の軍勢の大将、上杉治部少輔(ジブショウユウ)は小鹿派に行ったり、竜王丸派に行ったりして重臣たちを説得し、今川家を一つにしようと頑張っていたが、一向に成果は現れず、今は駿府屋形内の望嶽亭(ボウガクテイ)に滞在していた。備中守が来た事により、自分の手で今川家を一つにまとめようとする意欲は薄れ、どうせ、手柄は備中守に取られるものと諦めていた。手柄が得られないなら駿河にいるうちに贅沢を楽しもうと、国元では味わう事のできない淫蕩(イントウ)な日々を送っていた。
望嶽亭も清流亭も、北川殿の側に建つ道賀亭も皆、濠に囲まれ、庭園を持つ二層建ての客殿で、将軍義教(ヨシノリ)が駿河に来た時に使用したものだった。その後は、京から下向して来た公家や僧侶たちを持て成すために使われていた。応仁の乱の始まった当初は京から逃げて来た公家たちが大勢、住んでいたが、やがて、公家たちも城下の方に屋敷を持つようになってそちらに移り、最近はどこの客殿も空いていた。
清流亭では備中守を持て成すための準備に怠りなかった。福島越前守も葛山播磨守も備中守の機嫌を取るのに夢中だった。越前守は備中守を味方に引き入れるため、播磨守は今回の事より、さらに先の事を考えて備中守の関心を引こうとしていた。
備中守は清流亭に入り、二階の回廊からの眺めを楽しむと、御馳走の用意された広間には向かわず、犬懸(イヌカケ)上杉治部少輔が滞在している望嶽亭に挨拶に出掛けた。
治部少輔は堀越公方、足利左兵衛督政知(サヒョウエノカミマサトモ)の執事、もし、政知が鎌倉に入って関東公方となっていれば、治部少輔は関東管領と呼ばれていたかもしれなかった。しかし、現実は鎌倉に入る事はできず、伊豆の国に落ち着いてしまった。治部少輔も関東管領にはなれず、公方とは名のみで、ろくに兵力さえ持たない政知の執事でしか過ぎなかった。勢力を持たないとはいえ、治部少輔は公方の執事、備中守は相模守護、扇谷上杉修理大夫の執事だった。備中守の方が治部少輔の方に挨拶に行くのが当然の礼儀と言えた。
治部少輔は機嫌よく備中守を迎えた。
治部少輔は二階から富士山を眺めながら、女たちに囲まれてお茶を飲んでいた。
治部少輔は酒が飲めなかった。酒が飲めないかわりにお茶にはうるさく、二十四歳まで京にいて将軍義政の側近く仕えていたため、能阿弥(ノウアミ)や村田珠光より茶の湯を習っていた。
いい所に来た、是非、備中守殿のお点前(テマエ)を見たいものだ、と治部少輔は備中守にお茶を点(タ)ててくれと所望(ショモウ)した。備中守は断ったが、治部少輔は聞かなかった。仕方なく、備中守は治部少輔と女たちの見守る中、お茶を点てた。
治部少輔は備中守の茶の湯の腕を知っている。女たちの見守る中で恥をかかせてやろうとたくらんでいたが、そのたくらみは見事に裏切られた。備中守は信じられない程の手捌(テサバ)きで、流れるような振る舞いでお茶を点てた。すべてが珠光流に適(カナ)っていた。女たちはうっとりとした目をして備中守に見とれていた。
治部少輔には信じられなかった。一体、いつの間に、これ程の腕を上げたのか、村田珠光、あるいは、その弟子が関東に下向して来たというのを聞いてはいない。もし、下向して来たとすれば、自分のもとに寄らないわけがない。備中守が一体、誰から習ったのか、まったく納得の行かない事だった。
「見事じゃな」と治部少輔はお茶をすすりながら言った。
「ありがとうございます。名人と言われる治部少輔殿に誉められ、稽古に励んだ甲斐がございました」と備中守は頭を下げた。
「備中、一体、どなたの指導を受けられたのじゃ」
「治部少輔殿は京の商人だった伏見屋殿を御存じでしょうか」
「いや、知らんが‥‥‥」
「伏見屋殿は村田珠光殿のお弟子さんです」
「ほう。珠光殿のお弟子か、その伏見屋から習ったと申すのか」
「はい。伏見屋殿は幕府にも出入りしていた商人でしたが、応仁の乱で店を焼かれ、頭を丸めて銭泡と名乗って関東にやって来たのです」
「思い出したわ」と治部少輔は手を打った。「伏見屋と言えばかなりの店構えじゃったが、伏見屋があの店をたたんだのか‥‥‥信じられん事じゃ」
「財産もすべて使い果して、無一文になって旅に出たそうです」
「ほう。無一文になってのう。関東に来たのなら、わしの所に寄ってくれれば歓迎したものを‥‥‥」
「伏見屋殿は乞食坊主として旅をしていたようです。あれだけの腕を持ちながら、茶の湯の事は一切、口には出さずに、腹を空かしながら旅を続けていたようです。わたしの親父が道に行き倒れていた伏見屋殿を助け、越生(オゴセ)の隠居所に連れて来ました。病も治り、しばらく、親父のもとにいましたが、茶の湯の事など一言も口にしなかったそうです。ようやく正月となり、伏見屋殿もただの乞食坊主に親切にしてくれた親父に、お礼の気持ちを込めて茶の湯を披露して、正体を明かしたというわけです」
「真の佗び茶というものを実践しておったという事か‥‥‥」
「そのようです。しかし、あそこまで徹底する事は、普通の者には真似のできない事でしょう」
「うむ‥‥‥それで、伏見屋はまだ越生におるのか」
「いえ。わたしと共に、この地に来ております。伏見屋殿は関東に旅立つ前、ここの先代のお屋形様にもお茶の指導をしたとの事で、お屋形様がお亡くなりになられたと聞くと、一緒に連れて行ってくれと‥‥‥今、清流亭におります」
「そうか、清流亭におるのか。備中、頼む。ここに伏見屋をよこしてくれ。積もる話もあるしのう。将軍様や珠光殿の事も聞きたいしのう」
「はい、かしこまりました」
「頼むぞ。それとのう、今川家の事もそなたに任せるわ。わしもやるだけの事はやったが、どうも、わしの手には負えんようじゃ。そなた、今川家をまとめてくれ。今川家が争いを始めたら伊豆の国も騒ぎ出して、公方様も危なくなる。公方様と言っても直属の兵が少ないのでのう。伊豆で騒ぎが起きたら静める事も難しい事となろう。何としてでも、今川家を元のようにしてもらわん事には困るのじゃ。頼むぞ」
「はい、かしこまりました。できるだけの事をするつもりでおりますが、治部少輔殿にも、何卒、この備中にお力添えをお願い致します」
「うむ。分かっておる。力が欲しい時には、いつでも言って来るがいい」
備中守は深く頭を下げると望嶽亭を後にした。
清流亭に戻った備中守は、銭泡に望嶽亭に行くように頼むと、三番組の頭、葛山備後守と三浦右京亮に代わって五番組の頭となった福島越前守の弟、兵庫助の待つ広間へと向かった。今回の宴は備中守の旅の疲れを癒(イヤ)すねぎらいの宴なので、今川家の重臣たちの顔はなく、備中守と数人の家臣の他は皆、女たちだった。接待役の葛山備後守と福島兵庫助の二人も、それぞれ播磨守、越前守の代理として簡単な挨拶を済ますと広間から出て行った。
山のような御馳走を前に、綺麗どころの女たちに囲まれて備中守も機嫌よく酒を飲んでいた。浅間神社から芸人たちも呼ばれて、様々な芸が披露された。城下に住んでいる公家たちも手土産を持って備中守を訪ねて来ていた。相変わらず武装した兵が闊歩(カッポ)しているお屋形内とは思えない程、清流亭は華やかだった。
夜も更け、宴もお開きとなると備中守はお気に入りの女に連れられ、二階に上がった。
二階には、すでに臥所(フシド)の用意がしてあった。備中守は回廊の手摺りを握ると夜空を見上げた。風も心地よく、降るような星が見事だった。
「およの」と備中守は隣にいる娘の名を呼んだ。
「はい」とおよのは備中守の顔を見上げた。
「およのは今宵、命じられて、ここに来たのか」
「いいえ」とおよのは首を振った。「わたしがお父上にお願いして参りました」
「自分の意志で来たと申すのか」
「はい」
「なぜじゃ」
「わたしの夫となるべき人は、祝言(シュウゲン)を上げる前に戦で亡くなってしまいました。二年前の事です。その日以来、わたしは家の中に閉じ籠もりっきりでした。やがて、お屋形様がお亡くなりになられました。今川家は二つに割れてしまいました‥‥‥お父上は毎日、忙しそうに働いております。いつまでも悲しみにくれているわたしは、いつまでもこんな事ではいけない。わたしも今川家のために何かをしなければならないと気づきました。しかし、女の身であるわたしには、お父上を助ける事はできません。そんな時、お父上とお母上が話している事を耳にしたのです。関東から来られた備中守様を持て成すために、わたしを備中守様のもとに差し出すようにと頼まれたと言うのです。お父上は、わたしが病気だといって断るつもりだったようです。わたしはお父上のために、今川家のために決心をして、こうして参りました」
「今川家のためにか‥‥‥」
「はい‥‥‥」
「そなたのお父上はどなたじゃな」
「石川志摩守(シマノカミ)と申します。福島越前守様の家来です」
「そうか、越前守殿の御家来衆か」
「備中守様、今川家は前のようになるのでしょうか」
「うむ。難しい事じゃが、やらねばなるまい」
「わたしには難しい事は分かりませんが、お父上から備中守様の事は聞いて参りました。備中守様は関東で有名な立派な武将だとお聞きしました。備中守様なら今川家を一つにまとめて下さるだろうとお父上は言いました。どうか、お願いします、今川家を前のように戻して下さい」
「そなたの目は綺麗じゃのう」と備中守は言った。
およのは顔を伏せた。「申し訳ありません。余計な事を言ってしまいました」
「いや。世の中がこう乱れて来ると、女子といえども強く生きなければならん。自分の思った事をはっきりと口に出すのはいい事じゃ」
およのは顔を上げて、備中守の顔を見つめた。
備中守は空を見上げていた。
およのは備中守の横顔を見ながら不思議な人だと感じていた。どう不思議なのか分からなかったが、およのが今まで見て来た男の人とは違う種類の男のようだった。年は父親程も違うのに父親とは全然違って、その静かな横顔には惹(ヒ)かれるものがあった。もしかしたら、備中守と夜を共にしなければならないと覚悟は決めていても、初めて備中守を目にした時はやはり恐ろしかった。ギョロッとした目に見つめられると目を伏せずにはいられなかった。
幸い、およのの席は備中守と離れていた。およのの隣には備中守の側近の若い侍が座った。その若侍は行儀正しくしたまま、およのに声も掛けなかった。およのの方も酒を注いでやる位で、ほとんど話もしなかった。このまま宴も終わるだろうと、ホッとしていた時、突然、およのは備中守に呼ばれて備中守の隣に座った。
備中守はおよのの名を聞くと、「いい名じゃ」と言ったが、それ以上の事は聞かなかった。ただ、およのの前に空になった酒盃を差し出すたびに、およのはそれに酒を注いでいた。
どうして、わたしなんかが呼ばれたのだろうと、およのは不安で一杯で、どうしたらいいのか分からなかった。宴が終わる頃、およのは隣に座っていた女から耳元で、備中守様を二階にお連れしなさいと命じられた。およのは言われた通りに備中守を二階に案内した。
二階に来て部屋の中の臥所を見た時、およのは恐ろしくてしょうがなかった。ここまで来てしまったら、もう逃げる事はできなかった。いっその事、ここから飛び降りて死のうかとも思った。しかし、備中守と二人きりで夜風に吹かれながら話をしているうちに、およのの感じていた不安や恐怖心は消え、もしかしたら、わたしはこの人と出会うために生まれて来たのかもしれないと、とんでもない事を真剣に思うようになっていた。
備中守はおよのの肩を優しく抱き寄せると部屋の中に入って行った。
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