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陰流の開祖であり、忍びの術の開祖でもある愛洲移香斎の物語です。
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21.水軍と陸軍






 師走の二十五日、最後の稽古を終えると太郎は金比羅坊と中之坊と一緒に里へ下りて行った。

 毎年、稽古仕舞いには師範、師範代が集まって宴を張るのだそうで、今年は太郎もそれに参加する事になっていた。皆はもう下で待っているというので、三人は急いで山を下りて行った。

 参道に面した『湊屋』という大きな料亭で、遊女らも何人か混じり、宴は一時ばかり続き、その後、皆、好きな所に散って行った。太郎は金比羅坊らと共に『おかめ』という遊女屋に行った。遊女屋に入るのは初めてだった。

 太郎も久し振りに酔い潰れるまで酒を飲んだ。金比羅坊たちはお気に入りの遊女を連れて部屋にしけ込んだが、太郎は遊女を抱く気にはならなかった。かと言って、一人で先に帰るわけにもいかず、ひばりという名の遊女を相手に明け方近くまで飲み続け、結局、酔い潰れてしまった。

 次の日の昼過ぎ、金比羅坊に見送られて太郎は五ケ所浦に向かった。

 二年振りに家族と共に迎える正月だった。

 太郎は飛ぶような早さで山の中を走り、楓の待つ故郷へと向かった。
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22.多気の都1






 太郎と楓はのんびりと旅をしていた。

 とりあえず、目指す所は伊勢の国司、北畠氏の本拠地、多気の都だった。

 太郎はどうも後味が悪いとずっと気にしていた。

 自分では正しい事をしたつもりでも、五人もの生命を断ってしまった。他にもっといい方法はなかったのだろうか‥‥‥

 奴らを生かしておいたら愛洲家は分裂してしまう。それに、奴らは妹や弟の事も言っていた。俺がいなくなったら、奴らは俺の代わりに妹や弟に手を出したに違いない。やはり、殺すしかなかったんだ‥‥‥

 しかし、何かが引っ掛かっていて、自分で自分を納得させる事ができなかった。

「まだ、さっきの事を考えてるの」と楓が太郎の顔を覗いた。

「いや」と太郎は首を振った。

「ああするしか、しょうがなかったのよ。早く忘れた方がいいわ」

「ああ」

「あの五人がいなくなったんだから五ケ所浦も平和になるわ。きっと、水軍も陸軍も仲良くなって、一つになれるわ。あなたは新しい旅の門出に五ケ所浦の悪い鬼を退治したのよ。もしかしたら、天狗の太郎坊様があなたに乗り移って鬼退治したのかもしれないわ」

「天狗の太郎坊か‥‥‥懐かしいな」

「二人の新しい旅の門出なんだから、いやな事なんて忘れましょう」

「そうだな‥‥‥」

 楓の言う通り、新しい旅の門出だった。

 去年の五月、飯道山を後にして、五ケ所浦に帰って来た。まさか、こんなにも早く、故郷を後にして、また、旅に出るとは思ってもいなかった。しかし、『陰流』を完成させなければならなかった。『陰の術』もまだ完成してない。もっと、もっと修行を積んで、それらを完成させなければならない。それは五ケ所浦にいては無理だった。何かと忙しくて、そんな事をしている暇はなかった。また、もっと色々な人にも会いたいし、色々な所へも行ってみたかった。

 楓の言う通り、いやな事は忘れてしまおうと太郎は思った。
23.多気の都2






 太郎と楓が多気の都に来てから、すでに、十日が経とうとしていた。

 あれからずっと、無為斎の屋敷にお世話になっている。楓とお涼が仲良くなり、引き留められるままに十日も経ってしまった。

 太郎にしても、なぜか、立ち去りがたかった。

 無為斎という人間に、なぜか、惹かれていた。神道流の剣術の事もそうだったが、ただ、それだけではなかった。どこに惹かれるのかわからないが、無為斎が何かを持っていて、その何かに惹かれて行くようだった。それは人間的なもの、無為斎の人間的な大きさかもしれなかった。

 無為斎は毎日、百姓のように土にまみれて畑仕事をしていた。剣を持つ事はない。一度、太郎と立ち会った時以外、木剣さえ手にしなかった。

 太郎は無為斎と一緒に百姓仕事をやったり、町に下りて、川島先生の道場で町民や農民を相手に剣術を教えていた。川島先生もよく、酒を飲みにやって来た。

 太郎が夕方、町道場に行き、稽古が終わり、ここに帰って来る時は、いつも、川島先生は一緒に付いて来た。

 橘屋の旦那も時々、顔を見せた。そんな時はいつも、気を利かせて酒をぶら下げて来た。

 太郎は十日間、心の迷いについて考えていた。

 前に高林坊と立ち会った後、心の迷いが生じ、百日間の山歩きで、それを乗り越えた。しかし、また、新しい心の迷いが生じた。

 無為斎は人間、生きている限り、迷いは必ず生まれて来ると言った。それも一度や二度ではない。一つの迷いを乗り越えれば、また、新しい迷いが生まれる。それを次々に乗り越えて、人間は成長して行く。また、成長すればする程、難しい迷いにぶつかる。迷いにぶつかり、それを乗り越えて行く事が生きるという事なんじゃと言った。
24.百地砦






 太郎と楓は一月近くも滞在した多気の都を後にした。

 二人は赤目の滝に向かっていた。多気から赤目の滝はすぐだった。ついでだから、栄意坊行信に会って行こうと思っていた。

 途中、道にも迷ったが、のんびりと旅をしていたので、赤目の滝に着いた時には、すでに暗くなってしまった。さいわいに月が出ていたので助かった。

 不動の滝の側の庵には誰もいなかった。

 栄意坊の槍も錫杖も酒のとっくりも何もなかった。すでに、ここにはいないようだった。どこかに旅に出てしまったのだろうか。

 仕方がない。今晩はここに泊まる事にした。

 滝の音が聞こえていた。

 月明かりの下で、太郎と楓は酒盛りをしていた。

 昨夜、みんなで飲んだ酒が残ったので、持って行けと言われ、そのまま、とっくりをぶら下げて来たのだった。お涼が作ってくれた握り飯も残っていた。握り飯を肴にして、二人は酒を飲んでいた。

「おかしいわね」と楓が笑いながら言った。

「何が」と太郎は聞いた。

「昨日まで、あんなにすごいお屋敷にいて、今日はこんな所にいる。あまりにも差があり過ぎるわ」

「そう言えばそうだな。昨日まで、ずっと贅沢をしてたな。田曽浦の屋敷も立派だったし、橘屋も立派だったし、無為斎殿の屋敷ときたら、もう、愛洲の殿様の屋敷よりもすごかったもんな。あれ程の贅沢はもう、二度とできないだろうな」

「そうよね。あんなすごい御殿に一月近くも暮らしていたなんて、今、思うと、とても信じられないわね」

「うん。でも、まさか、あそこで松恵尼殿に会うとは思わなかったな」

「そうよ。びっくりしたわ。それに松恵尼様が先代の御所様のお妾さんだったなんて、もう、ほんと驚いたわ」

「うん。確かにな。しかし、俺は松恵尼殿が『陰の術』をやっていた、と言う事の方が驚きだったよ」

「陰の術?」

「そうさ。松恵尼殿がやっていたのは、まさしく、陰の術だよ。木登りなんかはしなくても、北畠殿のために敵の情報を探っていたんだから立派に陰の術さ。きっと、すごい組織を持って、あちこちに潜入させて情報を集めていたに違いないよ」

「そうね。今、思えば、あの花養院に色んな商人の人たちが出入りしてたわ。客間で松恵尼様と何かを話すと、また、どこかに出掛けて行ったわ。松恵尼様のお弟子さんの尼さんもあちこちにいっぱいいるみたいだし」

「そうだろう。北畠の殿様が後ろに付いていれば、人だってすぐに集められるからな。きっと、松恵尼殿は手下をいっぱい持っているんだよ」

「すごいわね‥‥‥」

「ああ。確かにすごいよ‥‥‥酒が終わっちまったな」

「あなた、お酒、強くなったんじゃない」

「毎日、飲んでいたからな、強くなるだろう」

「飲兵衛にならないでよ」

「酒も修行さ」

「もう、寝ましょ」

「そうだな。女子の修行もしなくっちゃな」

「そうよ」
25.岩尾山






 太郎と楓はようやく、飯道山に戻って来た。

 やはり、懐かしかった。

 楓はもう二度と、ここには戻れないだろうと覚悟を決めて、五ケ所浦に向かった。それが今、こうして戻って来ている。

 楓にとって、ここは、やはり故郷だった。飯道山の大鳥居があり、北畠氏の多気とは比べものにならないが、小さな市が立ち、茶店や旅籠屋が並んでいる。子供の頃、よく遊んだ小川には、すみれやタンポポの花が咲いていた。

 二人はまず、花養院の松恵尼のもとに挨拶に行った。

 黄昏時で人影もない花養院の庭に、牡丹の花と芍薬の花が見事に咲いていた。

「あら、まあ、随分と、ごゆっくりだったわね」と松恵尼は二人を迎えると笑いながら言った。

 一年間、留守にしているうちに、花養院の雰囲気がどことなく変わっているのに楓は気づいていた。以前は松恵尼の他、尼僧は一人か二人しかいなかったのに、ちょっと見たところ四、五人はいるようだった。

「百地殿の所にいたんですって」と松恵尼は知っていた。

「えっ? どうして御存じなんですか」と楓は驚いた。

「わざわざ、百地殿が使いをよこして知らせてくれたのよ」

「そうだったんですか」

 楓は百地弥五郎の家で、お祐に会った事や栄意坊の事など松恵尼に話した。太郎が口を出す間はなかった。太郎は楓の横でただ相槌を打っているだけだった。
26.早雲



 糸のような細い雨が降っていた。

 霞がかかったように朝靄が立ち込めている。

 境内の片隅に咲いている色褪せた紫陽花の花が雨に打たれて濡れていた。

 一人の僧侶が僧坊の軒先から、どんよりとした空を見上げている。

「早雲殿、今日は一日、雨降りですぞ、ゆっくりして行きなされ」

 僧坊の中から声が聞こえた。

 僧侶は振り返って返事をすると、また、空を見上げた。

 別に急ぐ旅でもなかった。目的があって、旅に出たわけでもなかった。ただ、雲のように、自由にフラリと旅に出ただけだった。しかし、ここまで来て、僧侶の足の運びは鈍っていた。

 別に雨が降っているからではない。雨が降ろうと雪が降ろうと、そんな事を一々、気にするような柄ではなかった。

 僧侶は何事か悩んでいるようであった。

 長い旅をして来たとみえて、僧侶の墨衣は色も褪せ、あちこちが破れていた。ただ、不釣合いに、頭と髭は剃ったばかりかのように綺麗さっぱりとしていた。
29.ほととぎす1



 蒸し暑い夕暮れだった。

 太郎は飯道山に来ていた。阿星(アボシ)山と金勝(コンゼ)山との間の例の岩の上に座って、内藤孫次郎を待っていた。今度こそ、百日行、満願(マンガン)の日だった。

 丁度、関東では、太田備中守が五十子の長尾伊玄(イゲン、景春)と戦うために、梅沢に向かっている頃だった。

 孫次郎は力強い足取りで、晴れ晴れとした顔をして太郎の前に現れた。

「師匠、お久し振りです」と孫次郎は頭を下げた。

「よくやった」と言うと太郎は岩の上から消えて、孫次郎の前に現れた。

「百八十六日か」

「はい」と孫次郎は照れ臭そうに笑った。

「辛かっただろう」

「はい。色々な幻が現れました。何度、やめてしまおうと思ったかしれません」

「そうか」と太郎は満足そうに頷いた。「よく、やり遂げた」

 太郎は孫次郎を高林坊のもとに連れて行き、正式に飯道山の山伏とした。

 孫次郎の新しい名前は次郎坊頼山(ライザン)となった。次郎坊はそのまま剣術組に入り、今年一杯、修行に励む事となった。太郎は次郎坊に、この山では自分の正体は絶対に言ってはならんと口止めした。

 その日の晩、高林坊、栄意坊たちと飲むと、次の日、播磨に帰って行った。高林坊から、三月に駿河から風眼坊が、加賀から観智坊が来て、太郎の教え子たちを十人づつ連れて行った事を聞いた。太郎は風眼坊が播磨に来て、陰の術を身に付けて行った事を告げた。ようやく、風眼坊も駿河に腰を落ち着けて、何かを始めたとみえると高林坊は羨ましそうに言った。そのうち、光一郎を駿河まで行かせて師匠の様子の調べようと太郎は思った。

 次郎坊は剣術組に入って修行に励んだ。播磨にて修行を積んでいたため、腕には自信を持っていたが、飯道山では次郎坊の腕も通用しなかった。次郎坊より強い者は何人もいた。次郎坊が太郎坊の弟子で、百日行を成し遂げたという事は山中の者、誰もが知っていた。次郎坊は太郎坊の弟子という名を汚さないためにも、必死に頑張らなくてはならなかった。太郎坊が志能便の術を教えに来る十一月の末までに、誰よりも強くならなければならないと思い、夜遅くまで一人で修行に励んでいた。

 やがて、次郎坊にも仲間ができた。中でも支那弥三郎(シナヤサブロウ)という男とは気が合った。弥三郎の父親は幕府の奉公衆(ホウコウシュウ)の一人で、弥三郎も飯道山の修行が終わったら幕府に仕えるのだと言う。次郎坊は弥三郎から、その話を聞いた時、そんな偉い武士の伜もこんな山の中で修行しているのかと驚いたが、弥三郎はそんな偉ぶった所はなく、次郎坊と一緒に夜遅くまで修行に励んでいた。

 相変わらず、夢庵もよく遊びに来ていた。夢庵は太郎から、孫次郎の事を時々、見てくれと頼まれていたので、飯道山に来ると必ず、次郎坊に声を掛けて来た。初め、孫次郎は夢庵に声を掛けられて戸惑っていたが、夢庵がこの山では有名人で、しかも、太郎坊の弟子でもあると聞いて、夢庵に対して師匠のような態度で付き合う事にした。いつもふざけた格好をして現れたが、さすがに、太郎坊の弟子だけあって武術の腕は確かだった。師範たちに聞くと、誰も夢庵の本当の実力は分からないと言う。もしかしたら、わしらより強いかもしれんと言う者もいた。

 夢庵が連歌師、宗祇(ソウギ)の弟子だという事を聞くと弥三郎の目の色が変わった。次郎坊は連歌など、今まで縁がなかったので何とも思わなかったが、弥三郎は連歌の事を多少知っているらしく、宗祇という名前をまるで神様のように思っているようだった。弥三郎はやたらと、夢庵から連歌の事を聞いていた。ついには自分も宗祇の弟子になりたいとまで言い出した。

 夢庵は笑いながら、「一年間は剣術に専念する事だ。連歌師に旅は付き物じゃ。旅に出れば命を狙われる事も何度もあるじゃろう。まず、自分の身も守れんような奴は弟子にはして貰えんぞ」と言った。

 弥三郎は夢庵の言う事を真剣に聞き、宗祇の弟子になるために、もっと強くならなければと決心して、次郎坊を誘い夜遅くまで修行に励んだ。
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